1 :
神も仏も名無しさん :
2010/03/18(木) 07:03:02 ID:n9bD81s7 仏教に関するよろず質問スレッドです。 知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。 主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、明確な答えは出ないかもしれません。 皆で協力しあって何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。 初心者にはやさしく接してあげてください。 良ければ出典などを示してください。質問する人がどんな本を読めばいいかの目安になります。 明確な出展なく自説を述べる場合は、その旨はっきりさせると無用な議論の紛糾の防止になるでしょう。 無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。 *「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。 尚、机龍之介、生命教などの荒らしは放置してください。
神社と寺の違い教えて
3 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 07:43:42 ID:n9bD81s7
>>2 神社は「カミのヤシロ」の意味で、日本の神々を祀る社殿。
社ヤシロとは、依り代に通じ、カミが宿る所と言ったような意味。
寺は、本来、出家者、僧侶の住居。そこに三宝の拠り所を安置したことから、
現代日本では三宝の拠り所を守る所という意味合いが強い。
三宝の拠り所とは、仏像、経典、仏塔、そして僧侶など。
4 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 08:48:21 ID:qMhl9HQC
前スレ>818 >「知覚前にウイルスの存在を確認も証明もできない」のに 世間一般の大多数の人たちは、『知覚前にもウイルスは存在していた』と 結論付けるの。(勿論、推論による帰結) あはは・・(爆笑) そんなことはないでしょw 科学者達がウイルスを研究して 『知覚前にもウイルスは存在していた』という『推測』の根拠等をメディア ででも示さなければ大多数の人達は同意はしない。 >いいか? 世間一般の人たちが「実在したか否か?」を判断するのに 確認も証明も、その要件としてないの。 それもわからないわけね。 ↑ 巧妙な「言葉のワナ・飛躍で」しょ〜、 セールスマンお得意の勧誘テクw→【言葉は魔物】ねw さすが上祐さ〜ん!! ■ 世間一般の人たちが「実在したか否か?」を判断するのには科学者達の 確認・証明が必須条件!■ 君には、それもわからないわけね。僕チャン!神・霊・・?等の実在を信じさせたいために〜?(笑 忙しいからオチ
5 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 08:56:23 ID:n9bD81s7
生命教を相手にするのは止めましょう。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1267761169/828 >生命が認知する前には存在しなかったことになる、という甚だ不合理な理屈となってしまう。
>認識された途端に発生したとすると、その原動力や仕組は何なのか、という話になる。
>よくわからん便利な何か、とするならそれは「魔法」や「奇跡」の言い換え語にすぎない。
>たかが生命体の認識力にオカルト的ともいっていいパワーをあてはめることでもある。
>生命が死のうが絶滅しようが、それ以外のものの存在の存在・非存在と関係はない。
>関係があるとすれば一体どのように結びついているのか述べなければならない。
>丸投げして済ませるのは理性的ではない。
同スレ814も参照されたし。
>>4 >■ 世間一般の人たちが「実在したか否か?」を判断するのには科学者達の 確認・証明が必須条件!■
科学者達の 確認・証明には、対象が実在することが必須条件。もともと無いものをどうやって確認・証明するんだね?
確認・証明できるということはもともと在ったからにほかならない。どこにおかしい所がある?
隠居のレイプ肯定論にはさすがにノーコメントか。
>>5 そうですね。サンプルも十分揃いましたし。隠居がまた知覚絶対論持ち出したら
前スレのurlを示せばいいし、隠居が「自灯明・法灯明」ネタを持ち出しても前スレの
805のリンク先を貼れば、ギャラリーにもどの程度な話なのか一目でわかります。
11 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/18(木) 09:53:42 ID:mbDCPJ4s
前スレ781氏
>■ 机氏の
>>669 以降のレスは
> 一般人がロムってもおかしいなぁ〜、???
いや別におかしくはないです。
隠居氏のように、アンチ宗教があっても、これはこれでイイんです。
しかしながら人間は何故に宗教に嵌るんでしょ?
これが一番肝心ですね。
私はそれは「感性」かと思います。
その裏(理性とか悟性)あっての感性でありますが、
仏教に縁して、そして魅せられる。
これが人間の本性的な欲求を満たす。
しかしながら精神世界のことですから、それを上手くは説明できない。
(つまり自分にしか解らんものです)
ただ他人に聞くことは出来る。
「仏教において感動したことがありますか?」。とか・・・
カルトは、モノ・コトに感動するかもしれません。
仏教の本義とは、全くもって、モノ・コトは無であります。
それでも好しとするなら、
それは紛れもなくモノホンでありましょう。
12 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 11:01:43 ID:Ibn/KOH+
>>5 >生命教を相手にするのは止めましょう。
まことにもって、その通りだとはおもうが、最後に
「なんで5分間時計を見つめることで、『ラッセルの5分前仮説』が一発で論破
できたのか?」隠居に聞かせてくれ。
これ絶対、大笑いできるから。
はい、隠居、解説頼むわ。 期待してんだから、逃げるなよ。
(お前は都合悪くなるとすぐに逃げ出すからなあ)
13 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2010/03/18(木) 11:02:14 ID:rRnOdK56
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1267761169/806 >を読み返してみたが、本当にカスだね、隠居は。
犬猫を毎日学校に通わせている世界の父親と、父親母親のいない世界に住む子供とが、一つ屋根の下で毎日顔合わせながら住んでいる家庭などは世の中にたくさんある。
学校の先生が家庭訪問する。教師は父親に、子供を犬猫扱いするなと言う。教師は、人間の子供を犬猫扱いしてはいけないという。ところが、犬猫扱いしてはいけないと教師
がいうその犬畜生が、どれだけ犬畜生であるか、父親としてはいくらでも立証できる。証拠は限りなくあるのだ。もし人間であるというなら、屑の屑の人間であると立証できる証
拠は無尽蔵にあるのだ。
教師からやかましく言われた父親にも、犬猫を人間の子供として推定できる可能性が沸いてくる。そこで、人間の子供として扱ってみようと約束する。しかし教師が帰ると父親
の推定は瞬間に覆る。なぜなら、推定を覆すようにあの犬畜生が部屋に入ってきたからだ。
色は空である。カスとは空である。カスであるという根拠は空である。空を本当にカスとよんでいる。
過去に拘るな。未来に拘るな。いま、今の相手を見ていこう。これを学ぶことが仏教の目的であったということを忘れたくない。
14 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 11:22:41 ID:Ibn/KOH+
いわでものことだが、簡単に「5分前仮説」を説明すると 「この宇宙が5分前に創造されたものであること」を否定することは 不可能である。 こういうもの。 勿論、これは「この宇宙を 5分前に創造した『外部存在』を許容しての話。 これに対する最もよくある反論は、「いや、我々は、1年前、2年前の 記憶がちゃんとある。だから、5分前にこの世界ができたなんてウソ である。」というもの。 これは全く、反論になってない。予め「そのような記憶と共に我々が 創造されたこと」が否定できないから。 また、「この世界が遥か昔に創造された証拠は数多く存在する。」と 反論しても全く無意味。 「そのような証拠も同時に創造された。」とすることに反論できないから。 すなわち、外部存在を許容すると、俺が一番最初に断っておいたように 「何でもあり」になってしまい「全ては不可知」になる。つまり、 議論、確認、検証等、あらゆる試みは意味を失う。 このように外部存在を許容した「5分前仮説」というのは、最強で現在まで それを否定論証できたものはいない。(あたりまえだがね) さて、隠居よ。 なんで「5分間時計を見つめたら」 これが「一発で論破」できたの?
15 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2010/03/18(木) 11:24:19 ID:rRnOdK56
ID:Ibn/KOH+はどうして「本当のカス」と話をしなければならなくなったのか。 父親は、どうして犬畜生と同居し、犬畜生を学校に通わさせ、教師の家庭訪問を受けて 説教されなければならないような、そんな世界にはまり込んでしまったのか。 色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊が、いずれも盛り狂う苦だからだ。 お釈迦様は、重大なことを教えてくれている。
17 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 12:25:28 ID:wn/xQnAx
もう、隠居の相手は時間の無駄だろう。 そっと野におけレンゲ草、勝手に狂い咲きしていろレンゲ草。 『宗教』トラウマによる宗教憎しの結論ありきに執着心でしがみつく。 論理展開がハチャメチャでも、答えられない反論はスルー専門でも、 その御都合主義ぶりは無慙(むざん)としかいいようがない(苦笑 裁判なら裁判官が裁くだろうが、ここは事実上論争2ちゃんねる。 勝手に狂っていてください、が仏教的だろう。
19 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 13:39:20 ID:n9bD81s7
>>18 そっとしておくのが彼のためだと思います。
20 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 14:14:31 ID:5uaJHNGY
>>11 >しかしながら人間は何故に宗教に嵌るんでしょ?
>これが一番肝心ですね。
>私はそれは「感性」かと思います。
その「感性」はどこから発生しますか。物としての身体に宿る生命でしょう。
死者には、宗教行為は不可能です。そして、その身体は、物がなければ一瞬も
維持できません。
物には関係ないのなら、佛教には何故多数の仏像があるのですか。キリスト教徒
が、醜悪なイエスの磔像や当時の陰惨な拷問処刑道具である十字架さえも
崇めるのは何故ですか。偶像崇拝を禁じるイスラムのモスクでも、美麗なステンド
ステンドグラスで飾られているのは何故ですか。彼等が、物である身体を何度も
動かして祈るのは何故ですか。物による身体を動かして、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経
を唱えるのは何故ですか。人間は、生命は物によってしか維持できないことを本能
的に知っているから、具象を離れた精神性という宗教の倒錯から、生命維持に不可欠
な具象を取り戻そうとする人間の本能的な努力です。
他人の感動は、自分の感動ではありません。「他人の感動の話(でっち上げかも知れない)」
に影響されて、「具象を離れた精神性」という「狂気」に導かれる。これを「宗教による
洗脳」と呼ぶ。どの宗教でも同じです。生まれたばかりの赤ん坊には、宗教などありません。
生命を維持しようとする生存本能だけです。狂気とは「具象を離れた精神性」と定義できる。
古代人の自然宗教は、生存のための「手段」として発生した。創唱宗教は、例外なく、開祖の
精神障害の症状としての観念過剰から、自然宗教における生存との関係を断ち切り、本来、生存
の「手段」に過ぎなかった宗教を、こともあろうに生存の「目的」とする倒錯に陥ったのです。
創唱宗教の信者は、この開祖の「精神性の狂気」が感染した結果に過ぎません。精神病は、患者
と常時接触する者に感染します。精神医学では、これを「感応精神病」と呼びます。
ドクター中松の金剛大阿闍梨という位は真言宗の開祖、空海と同じ偉さらしい。 日本人で過去の授与されたものはいなくて史上初。 伝法阿闍梨 → 大阿闍梨 →→→→→→ 金剛大阿闍梨 らしい。
23 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 15:21:53 ID:n9bD81s7
>>21 金剛アジャリというのは、密教の師という意味で、最高位という意味ではありません。
確かに弘法大師も金剛アジャリですが、現在日本に金剛アジャリと呼ばれる人は何万人かいます。
史上初というのも誇張です。
24 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 15:23:53 ID:n9bD81s7
>>22 現代の用法でいえば伝法阿闍梨=大阿闍梨= 金剛大阿闍梨ですね。
26 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 15:35:33 ID:wn/xQnAx
>>20 ■その「感性」はどこから発生しますか。物としての身体に宿る生命でしょう。
死者には、宗教行為は不可能です。そして、その身体は、物がなければ一瞬も
維持できません。
■人間は、生命は物によってしか維持できないことを本能的に知っているから、
具象を離れた精神性という宗教の倒錯から、生命維持に不可欠な具象を取り戻
そうとする人間の本能的な努力です。
仏像・イエスの磔像・十字架・ステンドグラス・身体を動かして、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経
を唱える・賛美歌を歌う・・・・本当だ!!
■他人の感動は、自分の感動ではありません。「他人の感動の話(でっち上げかも知れない)」
に影響されて、「具象を離れた精神性」という「狂気」に導かれる。これを「宗教による
洗脳」と呼ぶ。どの宗教でも同じです。生まれたばかりの赤ん坊には、宗教などありません。
すると机氏は?・・・・「宗教による洗脳」かw
ご隠居氏の卓越した洞察力・『慧眼』は、スバラシイ!!
ヽ(^。^)ノ
>>20 >人間は、生命は物によってしか維持できないことを本能的に知っているから
無明苦をもたらすDNAの生存本能という機能=渇愛だよね。
『生まれたばかりの赤ん坊には、宗教などありません。 』
その通り(先取りして言えば、だから釈迦仏教はあんたのいわゆる『宗教』ではない)。
自己・他己の分別意識、さらに顕在記憶もない。
ところがDNAは生存本能以上の自己意識をもたらす大脳前頭葉を異状に発達させ、
自他分別⇒言語を強固に信じこませることで生存本能以上のエゴイズムによる苦しみ=実存苦を
もたらせた。それを妄想というかどうかはここでは問わない。
(いわゆるサンスカーラ)
その苦しみを超克しようとしたのが
無常=無我=縁起=空=中道の釈迦仏教だよ。
ところで、隠居大絶賛の大乗仏教はあんたのいわゆる『宗教』ではないですよねえW
この人が93年に授与された金剛大阿闍梨耶より、ドクター中松の方が格上と見なされるんでしょ? サキャ派より、ダライ・ラマの宗派の方が世間的に格上らしいから。 桐山 靖雄(きりやま せいゆう、(1921年1月5日 - )は、日本の宗教家。 神奈川県横浜市出身。新宗教「阿含宗」(あごんしゅう)の管長。 1983年 チベット政府より外国人初の高い僧位法号「一切萬霊守護金剛」を授かる 1988年 チベット仏教界より僧位の師の位「阿闍梨位」を授受 1992年 スリランカ仏教界から名誉大僧正の僧位・法号「キールティ・スリ・サーマ・ドゥータ(輝く平和の大王)」授受 1993年 チベット仏教最高僧位「金剛大阿闍梨耶」と法号「智勝光明大覚者(ンガワン・リンズィン・テンペル)」授受 桐山靖雄 - Wikipedia
チベット仏教では年齢や修行年数は関係無いんでしょ。 ダライラマは修行していない2、3歳の時に突然、坊さんがやってきて 3歳のときにダライ・ラマ14世になったし。
30 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/18(木) 16:02:42 ID:mbDCPJ4s
>>20 >その「感性」はどこから発生しますか。
仮にAとする仮定と、仮にBとする仮定においての、ABの関係ですよね。
この関係が原初であり、原初があるからABが明確(分別可)になる。
A(仮に主体)や、B(仮に客体)、そのものから発生することはない。
(中論における自性批判より)
これは名画を鑑賞することと、理論的には同じです。
ミロのヴィーナスは、それ自体が美しい訳ではござらんだろう?
それを観た人間が美しい訳ではない。
美しいといふのは、いわゆる感性のことです。
感性とは、AでもなくBでもなく、その関係です。
時制も同じですね、1年前とか、人類生誕前とか、はたまた死後生とか、
全くもってこれは戯言に過ぎんですね。
時制も存在も同じなんですよ、ただただ関係でしかない。
関係とは、瞬時に消えるものでございまふ。
これを諸行無常などと逝っております。
>>23 日本の寺から、阿闍梨、大阿闍梨を授与された人は沢山いても
ダライ・ラマの宗派から授与された日本人は過去から唯一では?
32 :
27 :2010/03/18(木) 16:09:32 ID:ZRce1+tr
>>20 サンスカーラ隠居
結局、隠居の語っていることは
釈迦仏教にいうサンカーラ(パーリ語)、サンスカーラ(サンスクリット語)にすぎない
ということだよ。
日本の官僚組織の官僚公務員などサンスカーラまみれで隠居大絶賛の存在なんだろう。
33 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/18(木) 16:21:55 ID:mbDCPJ4s
>>26 >すると机氏は?・・・・「宗教による洗脳」かw
人間は失敗すると、社会規範などに照らし合わせて自己弁護をしたりします。
これも一種の洗脳ですよね。
つまり、
人間が社会生活を営むには、ある程度の洗脳(知恵?)が必要です。
(これが世俗諦)
仏教は本来、こういった洗脳からの開放がその宗旨です。
(狂気の悟り→一休宗純がその典型)
ダライ・ラマがお人好し、新しいもん好きで ドクター中松の永久機関は素晴らしいと授与したんでは。 宇宙エネルギーを取り込む装置考案したとかいうやつを売り込んで 世界平和・石油枯渇に役立つとか言って。
直接授与したのはガンデン・ティパだった。 ダライ・ラマが関わっているかは書いてなかった。 ラマは観音菩薩の生まれ変わりで仏性は高いかもしれないが、 現実世界ではガンデン・ティパの方が格上らしい。 現在でも、ガンデン寺におけるティパ(座主)の為の坐台がダライラマの席よりも上座に設定されている、 仏教徒であるチベット人がこの地位を「ゲルク派のもっとも偉いラマ」、「ゲルク派の最高指導者」]等と述べるなどの事例が観察される。 ガンデン・ティパ - Wikipedia
36 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 17:38:01 ID:O/4vBhEW
>>10
>もともと無いものをどうやって確認・証明するんだね?
???・・・・新種のウイルスが発見されたときの話でしょw
>隠居のレイプ肯定論にはさすがにノーコメントか。
その当時は忙しくてロムってないので分かりません。が、前レスの内容で大雑把に
言うとどちらも言えてるでしょう。視点が違うだけ。物事や言葉の受け取り方は、複雑
で360度位角度があると日頃思っている。言葉は不完全w
>自然の性欲を抑圧した聖職者たちに、性犯罪が続発してる事実を知ってるのかね
性欲の発散には、最低限、相手の同意が必要。>823
相手の同意も何も、神父らによる子供の信者に対する性的虐待が米国で大センセーションを起こした。
■ 神父の性的虐待で900億円 ロス、全米最高の和解金 ■
http://www6.plala.or.jp/fynet/2scrap147kirisutokyo.html#147k070716xxx 神父は独身で結婚しないからだと詳しい人が言ってたし、多分大多数の人がそう思ってるでしょう。
>男性の接近がそんなに嫌なのなら、女性は、化粧も、口紅も、ミニスカートも、
ジーパンも、ヒップボーンもやめて、イスラムの女性のような服装をすべきだな。
>>826 常日頃、女生徒のスカートの短さ等には正直驚いている。確かに挑発してると
思われても仕方ないところがある。
>「異性に対する接近」という「自然の摂理」を禁止したら、人類は存続できない。
これは、妥当な見解でしょう。
37 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 17:38:56 ID:Cl0j1g4Z
>>824 >なんで「5分間時計をみる」ことで論破したことになるわけ?
ラッセルのその本は読んだことがないから、彼がどんな反論を用意している
かは知らないが、面白いから、証明を試みてみよう。
目の前に地面が知覚できる(実在する)。地面も世界の一部である。
はい、時計スタート。5分経ちました(中間の時間は省略)。やはり同じ地面
が知覚できる(実在する)。これで、世界が5分前に作られたのではないことの
証明完了。
ラッセルのその理論を突き詰めれば、5分前が、数秒前、数百分の1秒前と、
無限に短縮できる。これは私の「知覚と同時に実在が成立」の理論そのまま
である。ラッセルが、五感の知覚を、実在成立の要件とすることに思い至って
いたかどうかは知らない。五感の知覚でなければ、彼は何を、実在の証明・成立
の要件としたのであろうか。
38 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 17:41:54 ID:O/4vBhEW
>> 36の続き >何勘違いしてるわけだ? どうやったら、「女性が美しくなりたい。」 という願望をもつことが、 『嫌な男でも接近して欲しいと望んでいる』 という結論になるわけだ? >829 文章がおかしい。変に絡むから余計話がおかしくなる。 女性の化粧も、口紅も、ミニスカートも、 ジーパンも、ヒップボーン・・・も「女性が美しくなりたい。」 という願望をもつことは、独身なら「好きな男・いい男・・」をゲットするためでしょう。多分〜、 「女性が美しくなりたい。」→「男にモテタイ」→『いい男にモテタイ』 →『リッチな生活をしたい』・・・その他・・・いろんな欲望が裏に潜んでいるから。 セクハラは、職場で上司の執拗な性的虐待に困った女性の訴えで起こったものと解釈してた。 上司には、生活が掛かってるし同性でも文句は言いにくい。ましてまだまだ弱い女性の立場上、 なかなかクレームが言えないから。 >『お互い合意した』相手とだけだ。 確かにそうありたいですね。大昔は「聖戦」とか言って聖書に浮かれて他国を略奪・強姦・殺人 ・・・・・やりたい放題だったw【申命記20:10−17】 ・・・「聖書」から
40 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 18:06:56 ID:O/4vBhEW
>>39 ご心配無用
ちゃんと外にも出てるし、運動もしてるし・・・
しかし、答えなければ煽るし、一生懸命誠実に答えれば
↓
>>部屋に閉じこもってないで外出ろよ。
一体、どこのお偉いさん〜?(怒
性格悪〜くない?(笑
オチ、あとはスルー
>>40 こういうところが、モロに昆布っぽいんだよなぁ・・・w
42 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/18(木) 19:07:31 ID:mbDCPJ4s
>>37 >目の前に地面が知覚できる(実在する)。地面も世界の一部である。
>はい、時計スタート。5分経ちました(中間の時間は省略)。やはり同じ地面
>が知覚できる(実在する)。これで、世界が5分前に作られたのではないことの
>証明完了。
このお題もオモシロイですよね。
5分経ったのは地面なのか?それとも知覚する自分なのか?
そうじゃなくて地面と自分が同時に5分経ったのか?
これについても中論に書いてありますね。
(中論は序章だけ読めばいい)
まあ、このスレは、何処ぞやのアジャリとか、
アーレフ崩れのカルトが占拠してるので、
私のような中論解釈は、そもそも関心がないであろう?
っあっはっは。
>>3 に、横からちょっと補足。
寺院の起源(→『建立の意図』)には何種類かある。
・ある人物の弔いの意として。(→祈念の証としての具体的建造物。)
・尊崇する人物を偲ぶための具体的建造物。
・修行者或いは成就者の(生活・日常の)為の施設。
・風水に関係してだが、「験を担ぐ」或いは
「そこに住する僧侶の法力による“悪意のある念”、“悪しき自然力”に対する防壁」として。
・或る僧侶の功績(奇蹟)を称え、祈念し、継続してその効力を受け続ける為。
・建立の企画や普請を指示し、完遂させ、帰依の具体的証とすること。
それは「功徳」とリンクされ、規模が大きければ大きいほど功徳も大きいと見做される。
その他、
・隠棲の為の庵が発端だったり、・先師を偲び、墓所・塔所の看護寮が発端だったりもする。
こうした理由とセットで、3にあるような役割を併せ持たされている施設が寺院。
と、こんな感じかな・・。 神社よりも、その建立の理由や意図はバラエティに富んでいると思う。
神社は、(たとえ、もともと人間であったとしても「神化」した上での話しだから、
風水絡み、或いは荒魂・荒神・祟り・怒り・自然力(災害)等、の鎮静として上記「防壁」と相似する理由はあるにせよ、
ほぼ
>>3 に集約し得るんじゃなかろうか。
更に
>>43 に補足w
寺院の起源を「インド時代の『安居の為の場所、住居、施設』」に見ることも可能だし、
その意味合いは、現代に於いても(微かに)継承されてはいる。
が、2の問いは43のような意味合いでの神社との差異についてであろうと推察した。
45 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 20:26:20 ID:POuSkDDi
>>30 >>33 「感性」も、「現実界(現象界)の具体的状況」に応じて自由に変化しますね。
同じ食べ物でも、空腹の時(生命が要求する時)は美味いが、満腹の時は不味い。
人間には、様々な論理が可能だが、論理が結果的に生存の方向に向っている
場合にのみ、その論理を「正しい」という。
死体の絵を見て美しいと思う者はいない。(例外は、イエスで狂わされたクリスチャン
だけ。イエスの醜悪な裸の磔像や、当時の陰惨な拷問処刑道具である十字架さえ
崇拝する)。
いずれも、生存本能(生命)が根源です。そして、個の生命は、他の生命及び
万物との関係性においてのみ存在し得る。例えば、我が存在するのは、他者が
我を知覚するからである。いくら「我思う、故に我あり」と思ってみても、
他者が知覚してくれなければ、単なる幽霊。正しくは、「(他との関係において)
我在り、故に我思う」とすべきであった。西洋哲学の誤謬の根源だと思う。
竜樹の空の思想は、実は、現象界の構成原理。現象界が関係性という抽象観念
だから、「空」なのである。厳然として実在する現実界が「幻」という意味で
はない。
ところで禅は、宗教自体の洗脳の解放も可能ですか。理論的には出来るはず
ですね。「自己弁護(自己正当化)」は、宗教の最も著しい特徴です。
46 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 20:43:13 ID:5jcxk6dy
人間は、(仏像等の)具象物に接して、初めて精神の安定と平安を得る。具象 を離れた精神性によっては、却って、焦燥感、不安感、被害妄想を覚えるだけ。 人間は、具象物によらない限りその生命を維持し得ないことを、本能的に知って いるからである。
生命って何?分からないの?分からないのに拝んでいるの?生命教?
>>45 >死体の絵を見て美しいと思う者はいない
んっとに世間知らずだな・・。 てか、人生経験が不足してるのか?
ま、仕方ないか・・・。
今の時代、死に目に会うこと自体、
一生に数回(しかも壮年・老年になってから)ってのが多いしな・・。
>>36 >・・・・新種のウイルスが発見されたときの話でしょw
前と後にある一文を見ていたなら、こんな発言は出てこない。
「新種のウイルス発見」という事態が起こるための条件について
>>10 で提示し問うているからだ。
答えられる部分を取り出して後はスルーしている事がわかる。
正面から答えようともせずに。これでは真面目に応答を返すのがアホらしい。
前スレの最後らへんでも隠居がやった、相手の意見からとったりつけたりしての歪曲・誇張も
スルー。今更だがもう駄目だわ。僅かでも建設的になる可能を見いだせない。
というわけで質問箱の本来の使い方をしてお口直し。 「国書刊行会から刊行されている華厳経の口語訳はどの程度正確ですか?」
>>49 >答えられる部分を取り出して後はスルー
そういう所も昆布の遊び方の常套手段だったから、「昆布か?」って聞いたら鼻で笑われちまったが・・・
匂うんだよねぇ・・・ (^^;
52 :
血祭り魔王 :2010/03/18(木) 22:22:00 ID:Nmmd1IeN
まったく、隠居の相手の仕方が間違っているなw 隠居と同じ土俵で、精神病理だとかで、仏教教義的に対応せず、 知識概念で対応するんだからw 初心者に仏教を質問しにくい空気ばかりだなあw せめて、知識概念で対応するなら、こう言って終わればいいw 隠居のクローン人間を仮に作ったとして、そいつを南方仏教寺院の小僧に入れると、 そいつは隠居と同じ生命教を唱えるだろうか?と これも唯識のアーラヤ識、生命と精神のシステムで説明できるんだけどなあw、 しかし、大方概念知識だけで仏教教義での実用性で書き込む奴は少ないなあw ワシは机、隠居、縁起一代君をネタに、初心者にも解かるように仏教教義を実用的認識を提示しているけどなw
53 :
血祭り魔王 :2010/03/18(木) 22:27:02 ID:Nmmd1IeN
まあ唯識あたりから、仏教はこう考える、真言も、そうだが、 仏、自己、自己以外のすべての人、存在を平等である、と、 隠居は頭が悪いから理解できない可能性があるが、 隠居が粘着するほど、隠居を相手する奴らは、 仏、自己、自己以外のすべての人、存在を平等である、と 考えていない可能性がある、 南方仏教ですら、無差別平等の意識は瞑想で出てくる、 この視点を軸に隠居を追及するなら、 隠居も粘着しようもない、 まあ、隠居と同じ土俵にいるのが関の山だろうなあw
54 :
血祭り魔王 :2010/03/18(木) 22:43:53 ID:Nmmd1IeN
仏、自己、自己以外のすべての人、存在を平等であるを自覚できないのが カルトであるわな、 とすると、俺は偉い正しいと言う妄想激しい 隠居、机、縁起一代君はカルトだなあ、 既存キリスト教も神を人間と平等と思っていないから、 隠居も不平等主義の隠居の想定するキリスト教だなあw
55 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 23:46:01 ID:Ibn/KOH+
>>37 おい、隠居。 お前、よく
>ラッセルの「世界五分間前創造説」でもくぐって、すこし頭の訓練をしなさい。
こんなこと言えたな、このはったり野ろうが。
お前、ラッセルの「5分前仮説」の趣旨、何もわかってないだろうが。
知らない人用に
>>14 で、かなり、噛み砕いて説明したのに、それさえも
全く理解できなかったわけか。 ホント、アホだね。
いいか? 「5分前仮説」とは、一言で言ってしまえば、
『外部世界を許容すると、この世界の全ての記憶、認識、知覚、判断、意思、
などの精神作用も含めた、あらゆる試みが意味を失う。』 というものだ。
何が「5分間時計を見つめて、認識に変化がなかったから実在だ。」
アホか? その行為、認識自体が外部存在の操作の可能性を除外できない
ことに、この仮説の本質があるんだよ。
お前は「世界5分前創造説」という名から、『世界は5分ごとに創造される』
あるいは『5分で新しい世界ができる』 とか、考えてたんだろうが?
そんな小学生のレベルの誤解から、「5分時計をみて、 ああ、やっぱり
自分の知覚に変化はないから、この世界は実在だ。」 なんて
勝手に考えてたんだろうが? まさしく馬鹿の極みだね。
先の「人間原理」にしても全く意味がわからず『人間の原理』だなんて、
全くポイントのずれたこと喚いていたし。
とにかく、まずは、そのシッタカをなんとかしろ。
56 :
血祭り魔王 :2010/03/18(木) 23:47:39 ID:Nmmd1IeN
55は隠居に餌をやり過ぎだw 質問箱のスレとしては隠居と同じ荒らしだぞw
57 :
血祭り魔王 :2010/03/18(木) 23:48:30 ID:Nmmd1IeN
せめて仏教教義で対論すべき。
>>57 無駄だねw
どっちでツッコんでも彼の反応は変わらんよ。
付き合い長いくせにそれくらいもわからんか・・。
寧ろ、彼の土俵上でのことの方が、答えに窮する場面(スルー)は多いぞw
教義面でのことだと、妄想全開の平行線を突っ走るから減速させることすら困難だwww
59 :
神も仏も名無しさん :2010/03/18(木) 23:56:23 ID:Ibn/KOH+
>>56 >>55 >55は隠居に餌をやり過ぎだw
餌のやりすぎか? 確かにそれはいえるな。
俺としても、正直、もう切り上げて、仏教関連のお題にシフトしようと
思ってたのだが、いつまでも、隠居の馬鹿が絡んでくるんでな。
>せめて仏教教義で対論すべき。
これは、俺の役割ではないな。
俺は仏教徒でもないし、それに相応しい奴がいくらでもいるだろう。
60 :
血祭り魔王 :2010/03/19(金) 00:02:41 ID:EyXv9AKn
まあ、案外、仏教教義で隠居はやれるぞw 隠居の思考構造分析で隠居をいじる。 隠居はスレのネタにされていると自覚して案外消えるw 隠居の土俵で遊ぶからいつまでもからみに来る、 隠居は全知全能の神だからw 概念知識で相手しても無駄、自演が増大でスレ荒れるだけw 仏教教義で相手しないなら、スルーが基本。餌やるなw まあ、ワシも隠居とは長い付合いだから、 隠居のいじり方はうまいからねえw 隠居はワシにめったにからみにこないぞ。
61 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 00:07:45 ID:LeJi6UDF
>>58 セブンよ、昨日、過去ログ読んでて、昔、「出家と在家」について
セブンに質問(というよりは議論に近かったが)してたやつがあった。
あの時は極論でもって、問いただしたが、今回はぐっと素朴に
「現代の出家者で寺の住職(経営者)以外というのは、どうやって
収入を得ているんだ? いわゆる修行僧というやつだ。
彼らも食わねばなるまい。ならば、何がしかの現金収入が必要なはず
だが?まさか、布施のみで暮らしているのか?」
62 :
血祭り魔王 :2010/03/19(金) 00:13:39 ID:EyXv9AKn
厳密な意味で修行者が居るか疑問だな。 住職後継者が多いからな、 本山寺院で親の仕送りで修行がほとんどだろう。 優秀な奴募集する意識が宗門にはないだろう。 募集する世界なら、ワシやったらドラフト一位やろなw
63 :
血祭り魔王 :2010/03/19(金) 00:17:15 ID:EyXv9AKn
58セブンも教義面実用能力がなさそうだからなあw 南方仏教の修道本よんで、おもしろかったぞw 概念の認識、事実の認識、自己と自己の思考の客体視とか、 しくみが、おもろいw 唯識と南方仏教の修道の発想ておもろいわあw
64 :
血祭り魔王 :2010/03/19(金) 00:27:50 ID:EyXv9AKn
概念知識で隠居を相手するなら。 たとえば、パソコンは電気で動くから、パソコンは電気の原理そのものなのか? 人間は生命で生存しているなら、人間は生命原理ならば。 こういう日常レベルの追求で簡単に隠居を論破できる。 大げさに哲学問答して自演させるまで荒らさせる必要もなしw
65 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 00:56:44 ID:LeJi6UDF
>>49 >・・答えられる部分を取り出して後はスルーしている事がわかる。
正面から答えようともせずに。これでは真面目に応答を返すのがアホらしい
全くその通り。こいつが隠居の自演、または、おバカな他者のどっちでも
取り合わないことがベストだと思うよ。
俺の書き込みを引用して、勝手に喚いているけど、俺はもう完全スルー。
最低限の対話能力を有してないものに関わっても、それこそ時間の無駄。
66 :
血祭り魔王 :2010/03/19(金) 00:59:28 ID:EyXv9AKn
本気スルーに徹してくれよw 隠居も逃げる時は、自演も含めて、時間の無駄と言って逃げるからw
67 :
血祭り魔王 :2010/03/19(金) 01:01:55 ID:EyXv9AKn
>最低限の対話能力を有してないものに関わっても、それこそ時間の無駄。 隠居なら、自演も含めて、 こう書き込みだろうw 洗脳された宗教者は 最低限の対話能力はりませーーーん♪ 時間の無駄ーー♪ 故に 中途半端な煽りも止めましょうw
68 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 01:06:58 ID:LeJi6UDF
>>66 いやいや、まだ分からんぞ。(笑)
俺が「完全スルー」と言ったのは、「自演くさい隠居の影」だ。
>隠居も逃げる時は、自演も含めて、時間の無駄と言って逃げるからw
そうなのか? なら、そう言わせてみるか?
69 :
血祭り魔王 :2010/03/19(金) 01:09:42 ID:EyXv9AKn
ワシなら完全スルーするけどな、隠居は。 偉大なる我等の指導者、ゴ・インキョー将軍様は言われた、 てやってやるし、 全知全能の神扱いを希望なんで協力してやるけどなw
70 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 07:05:47 ID:arWhQj5v
>>50 入法界品の普賢行願讃を引用してくれれば判定しますが、
読んだことないので、分かりません。
71 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 07:08:55 ID:arWhQj5v
72 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/19(金) 08:03:56 ID:PTOnIdYL
>>45 >ところで禅は、宗教自体の洗脳の解放も可能ですか。理論的には出来るはずですね。
貴殿はイイことに気づきなさったですね。
禅は広義においては宗教からの開放ですね。
しかし「宗教」といふのは、その語義自体が広義を含んでおりますので、
私が断定するのは、いささか誤解される恐れがありますね。
・・・といふのは、狭義においては仏教とは非常に高度な仏教哲理がありますから、
こればかりは、人間生きている時に(なるべく若いうちに)是非体得して頂きたい。
といふのが私の悲願でもあります。
ですから私はこうして板に書き込みして、
なるべく多くの御仁に仏教を語ちておるんですよ。
セブン氏の「「世界五分間前創造説」解説を読んでみましたけど、
確かに理論的にはそうなんでしょう。
中論もラッセルに被るとこはありますが、こんなもんじゃ〜ないですよ。
むしろ中論はアインシュタインに被るとこがあります。
私が仏教に感動するのは、
よくぞ2500年も前に、この法理を発見したということですね。
隠居氏も、いつか私のような、この感動と陶酔の瞬間を実体験なさってください。
仏の境地とは、男女和合の境地である。とかように経典に記してあります。
なにもレイプすることはござらん。
>>60 そうだろうか?w
(仮に君が、教義を底流として言葉を紡いでいたとしてもw)寧ろ、
日常的解説として、ノーマルな文章になっていないから、
(→【彼にとっての】ツッコむ取っ掛かりが無いから)、
結果、スルーになってるってだけじゃね?
ワシも臨席してたあの頃は、今のような矛先の向け方で、君にも絡んでいたような気がするが?
今、君がやっていることは、教義の講義或いは【教義による】反駁、指摘、批判ではなく、
彼に対する単なる分析評価、横からの野次・からかい、でしかないと思うがね・・w
【彼のテリトリー外、語彙・概念の外のこと】だから、スルー対象になってるんじゃないかね・・。
また、教義面の本質、核(コア)に関しては、完全なる平行線であり、
彼もそれを自覚しつつ、自身の位置取りを転換させる気もさらさらないようだw
それは、Snダニヤの章と絡んで聖と俗の視線の違い(≒価値基準の取り方の違い)
に話が及んだ際の彼の一連の発言にはっきりと見て取れる。
彼は、【「仏教的価値観」を微塵たりとも認めていない】。当然、融合させた視線(≒中、帰一)も認めないw
そんな彼に、どれだけ教義面で指摘しても糠釘だ。
(ワシも(おそらく縁起馬鹿も―今は完全スルーに移行しているようだがw―)
ROM者の為の書き込みと化しているのが現状だよ。
また、ケリがつく一歩手前で逃亡、その件に関してのスルー、は教義面だけでなく日常面でもよく見られる。
あとは、壊れたレコードプレイヤーのように、核心に迫る前の「周縁のことがら」を延々と繰り返すだけだ。
(一例は、五感の知覚と認識及びその信頼に関するものだろうが、構図は教義面でも同様だ。))
74 :
1/3 :2010/03/19(金) 10:53:29 ID:iynJ+wv6
>>61 ここでいう「修行者」の内実及び社会的ポジションによって違ってはくるだろうが、
おそらく、そういう者は居ないと思う。
勿論、全国の僧籍を持つ者全て、更には求道の途にある者、志している者全て
を把握しているわけではないので、蓋然性の高さによる推測でしかないが・・・。
まず、考察に必要な要素を思いつく限り洗い出してみよう。
・密入国者 ・不法就労者
・住所不定無職(≒ホームレス)
(上二つは捨象することになるが)これを、「行政の管理の外の者」としてAと括ろう。
・伝統宗派の僧籍を持つ者(≒所属する者)
・単立寺院の僧籍を持つ者
・新興宗教系に属する者(→悪質な団体ということでなく)
これを、「行政の管理下にあり、且つ所属組織がある者」としてBと括ろう。
・仏教外の宗教的籍を持つ者
これを、Bの亜種としてB外と括ろう。
・各宗派、組織の籍は無いが(それぞれに)篤く傾倒し、実践を試みている者
これを「市民として行政の管理下にある者」としてCと括ろう。
・(それぞれの正式な籍は無いが)仏教外のおしえに篤く傾倒し、実践を試みている者
これをCの亜種としてC外と括ろう。
75 :
2/3 :2010/03/19(金) 10:54:32 ID:iynJ+wv6
次に、61で具体的に記されているように収入の終着点と関連した要素として以下のように見れるだろう。 ・寺院等の管理者及びその関係者(血縁・師弟関係など) これを「寺院管理者」と括ってしまおう。 ・宗派等組織に属するが、施設や組織の運営に関わっていない者 これを「所属者」と括ろう。 ・何らかの職種に就き、その給与・収益による これを「職業収入」と括ろう。 ※仏教、仏教外共通。寺院は、仏教外でそれに該当するものに読み替える。 次に、どのような収入源かという点で以下のように区分しよう。 ・(主に寺院等となるが)、墓地、地代、法要(葬儀・年忌含む)時の布施・会費等による これを「寺院収入」と括ろう。 (給与は勿論、「小遣い」という形もあり得るが、ここへ含ませておく。) ・所属組織等からの支給という形による これを「支給」と括ろう。 (※この形が実際に存在するかどうか(し得るかどうか)は疑問。) ・篤く敬ってくれる、或いは慣習として行なってくれる布施や寄付等による これを「寄付・喜捨」と括ろう。「托鉢」もここに含める。 ※仏教、仏教外共通。寺院等は、仏教外でそれに該当するものに読み替える。
76 :
3/3 :2010/03/19(金) 10:59:12 ID:iynJ+wv6
さて、この時
>>61 で問われているのは、おそらく
≪Aであり、「寺院管理者」でも「所属者」でもなく、「寄付・喜捨」で生計の立つ者≫
ということになると思われるので、(Cは、当然「職業収入」による。)
「居ないのではないか」と答えた。
国外上座部も、(意味合いとしては)寺院や組織自体が「寄付・喜捨」によっているわけだが、
実際には「寺院収入」にも依存していると思う。
(国内の上座部寺院の方が、「寄付・喜捨」の形が色濃いかもしれない。)
また、Bであり「寺院管理者」でなく「寺院収入」「支給」でない場合は、何らかの職業に依っているのではなかろうか。
本(著作)やCDの出版等も考えられるが、実際の所「職業収入」となり、ほぼCと同様な形となるだろう。
(*また、そうした(国内)上座部寺院でも物品の販売等はあるのではないか。(行ったことないんでわからんがw)
それらは収益事業になるので、当然税金が掛かってくるが・・・w)
上記のような要素を了解して貰えたなら、
61がどの組み合わせのことを指しているか、改めて提示してくれるかな?
(※ちなみに、現代(日本)に於いては、《Aであり「所属者」でなく「寄付・喜捨」による》ということはあり得ない。
仏教興起時の出家者の在り様は、まさにコレであるのだが・・・。)
>>75 の
>・何らかの職種に就き、その給与・収益による
>これを「職業収入」と括ろう
は、
次の収入の括りの方に脳内移項させてくれw 挿入位置を間違えた・・w orz
77 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/19(金) 11:37:54 ID:PTOnIdYL
>>45 >人間には、様々な論理が可能だが、論理が結果的に生存の方向に向っている
>場合にのみ、その論理を「正しい」という。
おそらくは、禅者というのは「生存の方向」という概念は無いと思います。
(これは一般論ですけど)
長くても時間単位は一日程度。
それで終了で、いつ臨終してもいいように近辺整理は日頃から心掛けています。
ちなみに、私は急にクルマが欲しくなって、某ディーラーにスポーツカーを注文しました。
(私はMT車しか興味がないんで、MTはスポーツカーくらいしかないらしい)
このクルマが出来上がるのが今月の末あたり。
まあ、それでも明日のことはあまり考えたことはない。
(そのような生活習慣が身に付きます)
人間全てが「生存」のことを考えている訳ではない。
むしろ私は「生存」という語感は奇跡的なものを感じる。
これを仏教では摩訶不思議などという。
池田晶子とかいう御仁も、なにやらこれらしき意のことを言っておりますね。
78 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 11:48:30 ID:LeJi6UDF
>>76 う〜〜ん、俺が疑問に思ったのは
ある特定の宗派(特に伝統宗派)、すなわち組織に属してはいるが(すなわち
僧籍はもっているが)、 寺院の経営にはタッチしていないものたちは、
つまり寺院収入のないものたちは、その所属組織から、なんらかの「支給」
というものが、あるのかどうか? ということなんだ。
あそらくは(僧籍をもっているだけでは)、それに付随して、その宗派(組織)から
のそれに対してなんらかの「支給」というものは、ないのであろう。
となれば、自らが寺院を経営するか、あるいは、大きな寺で働く(これはその
寺の使用人として)ことでしか、収入は得られないといことでOKか?
伝統宗派に属し、僧籍を取得し、それに伴う『支給』で、日本全国を修行して
歩く などということは有り得ない というわけだな?
各自、何かしらの収入の道を得なければ、修行もままならないと。
例えば 、大寺院(本山とかいうのか?) に属する上位の坊さんたちは
どうやって収入を得ているのかな?
各末寺からの上納金みたいので、やっていってるわけか?
すると、各末寺は、葬式、法事などで収入を得ているわけだから、
それらを行わない宗派(そんなのがあるのかどうか知らないが)
は、有り得ないということになるな。
勿論、信者から浄財のかたちで財産を吸い上げる新興宗教は別にして。
んで、テラワダみたいのは、特殊で、出版などで収入を得ていると。
おおよそ、これが現実か?
79 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 12:13:43 ID:arWhQj5v
>>78 日本の場合、比較的大きな寺院の役僧と本山の事務職があるよ。
役僧ってのは、お経上げたり、雑用したりする坊さん。
どっちも、税務上給与ですね。
チベットとかテーラワーダでは給料ってのはないでしょう。
大口の檀家の布施と行乞で生活します。
ただしチベットでは比較的戒律の解釈が緩いので、
現金の携帯も許されています。
80 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 12:15:41 ID:arWhQj5v
>>78 >伝統宗派に属し、僧籍を取得し、それに伴う『支給』で、日本全国を修行して
>歩く などということは有り得ない というわけだな?
ありえないわけではありません。実際にやってる人もいます。
ただ倒錯したことに本山は厭がります。
>>78 自分の修行について、
生活レベルを落とさずに「修行」できるかの心配をしているのなら、
ホンマに「修行」が必要やね。
米びつが空になることが一週間以上も続くことが多かった乞食僧良寛さんが
ニッコリ微笑んでくれるよ。
82 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/19(金) 12:44:32 ID:PTOnIdYL
>>78 >伝統宗派に属し、僧籍を取得し、それに伴う『支給』で、日本全国を修行して
>歩く などということは有り得ない というわけだな?
日本全国を行乞して修行するなら、紙切れの僧籍などいらんだろう?
ただ長生きは出来ない。
間違いなく還暦前には没する。
死に場所が問題になる。
<山頭火・56歳・没>
83 :
ID違うが :2010/03/19(金) 12:45:37 ID:U89/9x1D
>>80 その場合の収入は主に何?托鉢?出会う人毎の寄付?
それともパトロンの支援?(足長おじさんみたいなw)
また、宗派からの賦課金は免除?
年金・保険料等は?所得税・住民税は掛からない範囲?
逗留場所は土地土地の寺院?それともビジネスホテルとか?w
つか、宗派からの「支給」みたいなのって真言宗だとあるの?
で、こういう「(理念)馬鹿」が後を絶たない、とw
>>81
84 :
ID違うが :2010/03/19(金) 12:54:14 ID:U89/9x1D
>>83 彼は、(今回は)僧籍所持者について問うているんじゃないかい?w
ま、
>>81 >>83 言う通り、実際「不可能ではない」とは思う。(特に個人の満足の点だけで言えば・・。)
ただ、避けて通れない事案もあるし、
何より、通報されたりとかして警察に面倒をかけることも多くなると思う。
理解者はともかく、一般の人から見れば「不審者」にカテゴライズされるのは避けられない。
人心を掌握できる(或いは不安を感じさせない)、よっぽどのオーラと弁舌スキルがないと困難だろうよ。
あ、(専ブラならではのw)アンカーミス。 判ると思うけど・・w
86 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 12:56:07 ID:arWhQj5v
>>81 結構、きついよ。喰えないの。
>>83 托鉢ですよ。檀那がいる人は、知りませんね。
もともと、ほとんど乞食同然だから、社会的な面は無視。
宿泊は、安宿か野宿だそうで。
支給なんかあるわけがない、寧ろ厭がられていると聞きます。
予想するにそういう伝統ができると本物の乞食の成り済ましや、
詐欺師が出てくるからと思われます。
実際、詐欺師托鉢僧がいると聞きますし。
>>86 よっぽど手を合わせたくなるオーラが出てんだろうな・・w
(いや、嫌味じゃなくね。)
>>86 >詐欺
だから、現代では僧籍のある無し、身元がはっきりしてるかどうか、は重要なんだよな・・w
本物がいても詐欺が存在する以上、社会システムや市民の価値観・視線としては、
詐欺を防ぐ、排除する、近づかない、という選択にならざるを得ないし、
宗派としてもそのスタンスを取らざるを得ない。
で、僧籍取得は、同時に“しがらみ”を取得することでもあるわけで、
よっぽど物分りのいい師匠でないと・・・w (「あんたの弟子はどうなってんだ?」とか言われてるかもしれんwww)
89 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 13:14:00 ID:arWhQj5v
90 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 14:03:13 ID:mLMIfNEw
>>73 >彼は、【「仏教的価値観」を微塵たりとも認めていない】。
その肝心の「佛教的価値感」とは何かが、この「質問箱」からはあまり見えてこない。
小乗と大乗とでは、180度の差があると思う。
私の言っていることは、少なくとも「日本の仏教」としての大乗の思想からは、
それほどかけ離れてはいないと思うが、如何ですか?「八宗の租」である竜樹
を、最大限に評価しているのですからw。
91 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/19(金) 14:42:28 ID:PTOnIdYL
>>90 横ャリですけど、
>その肝心の「佛教的価値感」とは何かが、この「質問箱」からはあまり見えてこない。
世俗的には仏教というのは全く価値観というのは無いですよ。
それを私がスレに書きこむから・・・
私は叩かれたり、煽られたりしてるんですから。
ただ、
輪廻転生とか、そういった何らかの価値観に比重を置く考えもあります。
(別にそれはそれで・・・個人の自由ですが)
では何故に、世俗的価値観のないもんに、禅者は魅了されるんでしょ?
これは龍樹の著書を読んだとしても、それを見出すことは困難かと思います。
それは、価値観といふベクトルに全く相反するからです。
92 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 17:34:27 ID:xRI3HlJC
>>91 すべての宗教は、「現実上の根拠皆無な価値感の塊」にしか見えないがw。
私の、宗教の定義を、下記に掲げておきます。
「現実界に還元できない単なる観念に、最大の価値を認めること。
現実界とは、(必要な場合には観測装置を使用して)五感で知覚できる世界を
いうが、知覚された現実の人間の生来的本能や自然の感情を含む。
知覚とは、共同体における不特定多数の成員の、ほぼ共通の知覚をいう」。
宗教学で長く基本的なテキストとして使われている東大の宗教学科の元主任教授
岸本英夫氏の定義は、次の通りです。しかしこの定義は、ある西洋の学者の定
義の焼き直しであり、「究極的な意味」「究極的解決」「神聖性」などの言葉
が意味不明であるから、定義にはなっていない。
「宗教とは、人間生活の究極的な意味を明らかにし、人間の問題の究極的な解決
にかかわると、人々によって信じられている営みを中心とした文化現象である。
宗教には、その営みとの関連において、神概念や神聖性を伴う場合が多い」。
93 :
1/3 :2010/03/19(金) 18:33:35 ID:iynJ+wv6
>>78 大筋でそういうこと。 (注:このレスの草稿は86の書き込み以前w)
一段目、ほぼその通り。
大きな寺院(特に本山クラスなど)となると、事務処理が必須になるので、
(会社で言えば「総務」「経理」「人事」「庶務」+「布教」「法要」という種々の事案を処理する必要がある)、
雇用という形で給与を貰う形がある。
>>79 にあるように「役僧」として
葬儀の鳴らし物要員或いは代行、或いは法事や月参り等定例法務の補助、人手など
として収入を得ることは出来る。(勿論大寺(おおでら)でのことだが。)
また、小僧・弟子として、どこかの寺院の手伝いや代行をする形もあり得る。
この場合、宗派の規則にもよるが、職責としての肩書きがあれば「給与」という形になるし、
そうでなければ、「小遣い」という位置付けになろうかと思う。
(たとえ小遣いでも、額が大きければ所得税源泉の範囲となる。
当然、所属寺院が義務として行い、税務署へ申告することになる。)
いずれにしろ、(86の詳細が判らんので何とも言えんが)、
宗派に属し、僧籍を有する場合に限定するなら、手に職を持たない限り不可能だろう。
(寧ろ、派へ収める義務が生じる。)
「寄付・浄財」で、衣食住を賄い、宗派への課金、税金、社会的責務としての(行政等への)納付金、
等に対応するのは不可能だ。よっぽどの支援が為されない限り・・。
※本当に、ホームレス同然の在り方であるなら、この限りではない※ →
>>86 初期仏教に於けるパトロンの存在は重要だよ。
(ま、だから、マガダやコーサラの有力者、王に働きかけた釈尊の計算はすごいと思うわけさw)
ただ、キリスト教系での派遣牧師等がどのような形で存在し得るのか
(→上に列挙したようなバリエーションをどれだけ持っているか)は、
そっちの人に聞いてみないとわからない。(ほぼ相似しているとは思うが・・。)
94 :
2/3 :2010/03/19(金) 18:35:21 ID:iynJ+wv6
また、
>>86 はリアルな知り合いのようなので、
≪Aで「所属者」で「托鉢」で生計を立てている≫人が最低一人は居るってことだw
(羨ましい限りだな・・w って
>>86 は『それ』をしないの?)
けど、特殊なケース(そこに「自身の志」「覚悟」(「周囲の理解」)が堅固に確立されている)
ではあるよね? 仮に病院にかかっってしまった時とかは、
生活保護者やホームレスの人と同じように扱ってもらうことになるのかな?
断っても、運ばれて治療されちゃったら医療費生じちゃうしw
師匠とマンツーマンってのは、師匠もまた同じように行脚して同行してないとならないよね。
でなきゃ、或る程度まで進んだ段階(あとは一人でも大丈夫という段階)で行脚に移る、と。
※(それは、学びの途上にある者は
「所属」し「定住」し「庇護を受け」「師に就く」期間と場所、その期間を過ごす保証
がなければならない、ということでもある。)
参:
ttp://www.seiho110.org/index.html ttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa2074728.html つーか、こういう点でも、「行政」「世間」そして「業界」から「【認められていない】在り方」だ、っていうのが
>>81-82 とかには解んないんだろうな・・・w
そもそも、
《宗教者が皆、86の例のような形で「社会の中に存在すること」》を【人々は】許容し得るのか?と。
※勿論、《伝統各宗派が「布教の中での啓蒙」によって認知させるべき》、とは言えるのであるが・・・。
95 :
3/3 :2010/03/19(金) 18:37:10 ID:iynJ+wv6
>>78 > 例えば 、大寺院(本山とかいうのか?) に属する上位の坊さんたちは
> どうやって収入を得ているのかな?
給与という形もあるし、墨蹟やら何やらでの収入もある。(本を書いてる人もいるだろうw)
で、管長や貫主、座主等呼び名は色々あるが、宗派トップの人でも、宗派の本山(本寺)とは別に
自分の寺を持ってるよ。(その寺の収入が多いか少ないか或いは無収入に近いかは別として。)
なぜか。《資格を持つ所属僧侶のうちから選ばれるから》。(例外はあるだろうか・・・。)
> 各末寺からの上納金みたいので、やっていってるわけか?
それが個人に入るわけではないよ。あくまでも、宗派或いは本山の収入。そこからの給与の形。
> んで、テラワダみたいのは、特殊で、出版などで収入を得ていると。
いや、そういう副収入もあり得るというだけで、それのみ、それがメインというわけではない。
あくまでもメインは、寄付や法要費、或いは種々の活動に際しての報酬的なものじゃないかな。
(いっぺん訪ねていって、経営・維持管理の仕方を聞いてみたかったりもするが・・w)
96 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 18:46:16 ID:tg//rEC2
>>93 >>94 >>95 仏教者の「生存努力」の話ばかりですな。「生きること」で頭が一杯w。
まさにそれが、人間の真実の姿なのです。それ以外の「真実」「真理」は
ありませんw。
97 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 19:26:54 ID:W2Cnab5D
一休の臨終の言葉は、「死にとうない」。これが究極の悟りである。 換言すれば、悟りとは、「人間は必ず死ぬのだから、限りある生を、精一杯 生きよ」ということ。 いかに生きるかなどと「考える」ことは、生きることではない。生きるとは、 「人為的、外来的観念を排して、己の生命の指示のみに従う」ことである。
御隠居には、 シッダッタがアノーマー河を渡ったことに意味を見出すなんてことはできんのだろうな・・・w
99 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 19:52:57 ID:+fhUpato
>>96 >「生きること」で頭が一杯w。
あははは・・・(笑)皆、そう〜w
宗教は暇人のお遊びかw
宗教より医学でも勉強した方が、大多数の人達に喜ばれるかもン〜
歯が痛くなったり、お腹が痛くなったり、目・耳・口・脳・臓器・・
等の衰えを救ってくれたら、又苦しまずぽっこり楽に死ぬことに尽力
してくれたり、ホスピス等・・だったら有難くて皆に喜ばれるカモン〜
>それ以外の「真実」「真理」はありませんw。
「真実」「真理」は、<万人に容易に理解される簡潔・明快なもの>
だと思うけど、このスレの住民のレスは小難しいしw
机氏のは、又又、抽象的・意味不明・・・・自己陶酔レス〜w
>>97 >いかに生きるかなどと「考える」ことは、生きることではない。生きるとは、
「人為的、外来的観念を排して、己の生命の指示のみに従う」ことである。
つまり、<観念ばかりの宗教は有害> ☆★
ご隠居氏の教えが<正解>で〜す!!☆★
ヽ(^。^)ノ
100げとw
101 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 20:27:18 ID:Oa0VAucy
>>55 ラッセルの「世界5分前生成仮説」の原文(The Analysis of Mind)を見つけたので、
下記に引用する。私は、この仮説に対する「私自身」の反証を行っただけであり、君が
言っているような「彼自身の反証」をオウム返しに繰り返しているのではない。
彼は、The Problems of Philosophyにおいても、物の実在について膨大な紙数を費やして
論じているが、結局は、証明不能な彼自身や他者の概念に呪縛されて、迷路に陥っている
ように思われる。物の実在そのものを前提にしているから、「実在とは何か」についての
解明は、何らなされてはいない。特に、「物の実在」自体と、「各種の物の実在」とを混同
したことが原因だろう。彼も、キリスト教とヘーゲルなどの影響を受けた西洋哲学者の
一人に過ぎない。晩年には、社会主義に嵌るという誤りを犯した。バークリの「実在とは、知覚されることである」に対しても反論しているが、克服は全く
出来ていない。
バークリは、「人が見ていない時は、神が見ているから実在が継続する」と言ったこと
で、完全に自己矛盾した。神は、知覚できないから「非実在」のはずであるw。
私の「五感による知覚と生命維持に対する直接の関係」という原理のほうが、はるかに
明確である。また「色即是空・空即是色」の8語だけでも、完全に解明できる。
「There is no logical impossibility in the hypothesis that the world sprang into
being five minutes ago, exactly as it then was, with a population that "remembered"
a wholly unreal past. There is no logically necessary connection between events at
different times; therefore nothing that is happening now or will happen in the future
can disprove the hypothesis the world began five minutes ago.」
>>101 アホか?w
そもそもの、仮説の意味も理解していないし、”反証”とやらも、全くもって意味をなしてないぞw
噛み砕いて言うとだな、今12時0分だとしよう。
「世界は実は11時55分に始まったのかもしれない」というのが、世界五分前仮説だ。
ソレに対して、お前さんの”反証”は、
「はい、時計スタート。(12時0分)
5分経ちました(12時5分)
やはり同じ地面が知覚できる(実在する)。
これで、世界が5分前(12時0分)に作られたのではないことの証明完了。 」
全くもって、「11時55分に世界が始まったかもしれない」という仮説に反論できてないなwww
103 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 21:26:19 ID:H1E9x3Db
>>99 >「真実」「真理」は、<万人に容易に理解される簡潔・明快なもの>
>だと思うけど、このスレの住民のレスは小難しいしw
難しくしないと、「宗教家」や「哲学者」の「商売」が成り立たないからです。
難しいと、何となく価値がありそうに思えて、無知な人間が騙される。早い話が
「詐欺」ですw。
しかしこれも、宗教家や哲学者の、「生きるための努力」です。
>>103 「真理はボクちゃんでもわかる簡単なやつじゃないとヤダモン!」とか、どこの小学生だwww
なんで、”「真実」「真理」は、<万人に容易に理解される簡潔・明快なもの> だ” と決め付けられるんだ?w
真理は自分でも理解できる簡単なものであって欲しいという、単なるお前の希望的願望に過ぎないだろうがwww
105 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 22:00:27 ID:Gg81MSm1
>>102 「5分前」というのは、「現時点から」、例えばラッセルが世界を知覚した時
から「5分前」ということですよ(as it then was)。さもなければ、過去には
世界はないはずだから、ラッセルは忽ち論理矛盾に陥るw。
ラッセルは、「過去の記憶」について論じている。極小の過去は現在です。
彼が、「5分前」と言ったのがまずかった。時計を見るのにも、現在の世界を
知覚するのにも、最小限度の時間はかかる。ラッセルの論理を推し進めれば、
世界は知覚した瞬間に生成された、ということになる。こうなると、時間は、
実在の要件ということになる。知覚には、極小の時間を要するからです。
106 :
神も仏も名無しさん :2010/03/19(金) 22:07:35 ID:arWhQj5v
子供なんだから、言わせとけばいいでしょう。
>>105 どこからご隠居に突っ込むかの違いですな。
ラッセルの言いたかった事(>5分前仮説の意味)からすれば、
「”5分間地面を見続けていた”という記憶すら、一瞬前に形成されたものである可能性は否定できない」という、
あなたの言う突っ込みの方が正統だろう。
ただ、そこについては散々突っ込まれているんで、別の視点から
>>102 では突っ込んでみたのさ。
5分前に世界が作られた可能性を否定するのに、5分経った時点における5分前の話をする、ご隠居の小学生以下の算数能力にね。
”5分経ったら、世界が作られたのは10分前になる事すら分からないのかよ!”とねw
108 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 00:33:20 ID:zFvVnXzf
>>105 隠居よ、もういい加減に、ほっといてやろうと思ったのに
また絡んできて恥をさらすか? そうやって、言い訳すればするほど
「自己の無知、理解力、読解力のなさ、シッタカぶり」を晒すことになる
のが、わからないの? それほど馬鹿なの?
ホントに全く「5分前仮説」の意味がわかってないわけね?
それでは、もう一度だけ「小学生にでも分かるように」解説してあげるから。
あるとき神様がいて、世界(今我々がいるこの世界ね)を創りました。
そのとき、全ての人間に「過去の記憶」を持たせ、過去が実在していた
様々な証拠も合わせて創造しました。つまり、この世界の全ての人間が
持っている過去に関する記憶、例えば、「どんな学校に通い、どのような
恋愛、結婚をし、どのようなイベントがこれまでの人生においてあったか?
これら全てが神によって創られた記憶であり、本人は実際にそのような経験
を経てきたと思い込んでいるが、全て神によって創られた擬似記憶なわけ。
勿論、過去の実在を示唆するあらゆる証拠、例えば恐竜の化石とか、歴史上の
記録、これらも全て世界の創造と同時に創られたわけね。」
このように過去の実在を示唆する「証拠」は言うに及ばず、「記憶」さえも
外部から与えられたものとしてしまうと、「全ての、知覚、判断、認識、意識
などは全く意味を成さなくなる」の。
つまりこの世界に存在するあらゆる者が、「何が真実であるか?」の判断が
できなくなってしまうわけ。
例え、完璧な論証、検証をもって、ある事例を証明したと思っても、実は
それら全てが外部存在の神様によって、「予めそのようになるようにプログラム
されていて、それに沿って演じていたに過ぎない」可能性が排除できないから。
勿論、この世界が5分前にできたかどうかも、判別不可能。
例え、「5分前にできた」「5分前にできたのではない」と、どちらの結論に達し
ても、『そのように予めプログラムされていたに過ぎない』可能性を排除できない
から。 つまり完全な自由意志の否定なの。
109 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 00:34:08 ID:HmBm4Qih
>104 「真理は単純である」とどこかの偉い人も言ってたな。 むしろ、「難しいから真理がありそう」という思い込みではないかな。それとも営業政策?w 誰にでも判ることでは、人は騙せないw。 まあ、僧侶も牧師も、生きるための「職業」なのだから(職業分類参照)、しっかり「生活費」 稼いで生きてくれ。
110 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 00:34:21 ID:zFvVnXzf
このような仮想現実世界についてはSFのテーマにもよくとりあげられる。 最もポピュラーなのは、「マトリックス」か。(あれは、その世界に存在する自己と リンクしている実在者が外部世界にいると言う設定なので少し異なるが、 スタートレックに出てくる「ホログラム世界」なんかは典型だ。) コンピューターにより作り出されたホログラム世界のキャラは、その世界が現実であり 様々な記憶を有する自己も当然、実在の人間であると考えている。その世界の中のキャラ は全く、それが仮想世界であることを知る手段を有しない。その世界の中で、どのような 認識判断をしようとも(それを本人は自己の意思でやっていると思い込んでいるが) 全てプログラムどおりに演じているに過ぎないわけ。 そしてその世界が、誰かが5分前にコンピューターのスイッチを入れて出来上がった 世界であることを知ることは全く不可能。例え、「5分間時計を見つめて、やっぱりこの 世界は実在だ。」なんて言っても、全く無意味。 『そのようにするようにプログラムされて いるとおりに演じているに過ぎない』可能性が、全く排除できないから。
111 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 00:35:18 ID:zFvVnXzf
ラッセルの言おうとしたことは、「この世界を創造した外部存在の可能性を排除 しないのであるならば、『全ては不可知。あらゆる、知覚、判断、認識、意識、 どのような試みも意味を成さない』」 こういうこと。 勿論、これは絶対に反証不可能で、言うまでもなく、現在まで 反証に成功したものは皆無。 これも全く、当たり前のこと。 反証可能性が完全にゼロなんだから。 だからね、ラッセルの5分前仮説を「論破した」なんて言ってること自体、全く、 「5分前仮説を理解していない」ことを自ら告白してることになるの。 こんなの「認識論の初歩の初歩」 誰でも知ってる常識なんだよ。 分かったかい?、隠居。お前は、前提となる「5分前仮説」の理解すらできてないわけ。 だから、それに対する「お前の反証」というのも、全く的外れ。 反証したいのなら、まず、その対象をきちんと理解してからやれや。
112 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 00:40:19 ID:zFvVnXzf
それから、言い忘れていたが、 セブンと ID:arWhQj5v 氏 レス乙。 おおまか分かってきた。 特に本山のお偉いさんが、別に自己の寺をもっている例が多いとは 知らなかったね。
>>86 >結構、きついよ。喰えないの。
おいらの地元、釜ヶ崎で修行してみたらら?
http://www.osaka-minkoku.info/osaka/osaka42.htm だいたい、暖衣飽食でヨタ話三昧のこのスレの連中とか、
葬式仏教や観光仏教(特に京都!)の俗物“仏教マガイ”などは腐りきっている。
ここには仏教マガイは寄り付かないw
警察権力と寄生虫食い物ヤクザは事実上グルだ。
まともに共生活動をしているのは、キリスト教か左翼の連中だ。
隠居もここ釜ヶ崎で半年間活動(左翼連が毎日!炊き出しをやっているから、喰うにはなんとか喰える)して、
ここで報告したら、見直してやろう。
マスコミ権力は臭い物には蓋だから報道しないが、今年の冬も路上死者が200人以上出たよ。
合掌
汚れつちまつた哀しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた哀しみは
倦怠のうちに死を夢む(中也 異聞)
114 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 01:40:05 ID:xZpbqu6O
>>107 私は算数は小学生時代から苦手だが、君やラッセルの論理は、小学生以下。
私は、その仮説に限定して反証している。その仮説では、「今あると同じ世界
(as then it was)が、5分前に作られた。即ち、知覚時点と「同じ世界」が
最大限5分間で作られた」ということになる。「同じ世界」かどうかは、
5分前の世界と知覚時点(5分後)の世界とを確認しない限り、分らないでは
ないか。5分前の世界と今ある世界(5分後の世界)の両方とを継続的に比較し
て、変化なければ、仮説は否定される。
ラッセル自身も「真面目に考えるべき仮説ではないが、単に論理としての有効性
の例示としてあげた」と言っているが、ラッセルは、その論理自体が破綻している。
ラッセルは信心深いクリスチャン家庭で育ったクリスチャン。「外部存在」など、
クリスチャンの妄想は聞きたくもない。
「仮想現実世界」などと、一体誰が判断するのか。「人間」にとっては、その
仮想世界のみが、現実世界なのである。「色即是空・空即是色」の僅か8文字で、
ラッセルの数十ページの議論が一発で論破できる。
彼の存在論は、全く低質。バークリの「実在とは知覚されること」は、基本的には、
かすり傷一つ負っていない。「人間が見ていない間は、神が見ているから実在
が継続する」は、ご愛嬌w。
115 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 02:13:29 ID:zFvVnXzf
>>114 初めに断っておくが、俺は
>>107 の人とは別人だ。 そのくらいはわかるね?
そして、お前が
>>114 に書いてあることは、俺への反論に全くなってないことも
わかるね? それもわからないくらい知能が低いのかな?
>ラッセル自身も「真面目に考えるべき仮説ではないが、単に論理としての有効性
の例示としてあげた」と言っているが・・
当たり前だ。「もしもの」の思考実験に決まっている。
誰もこの世界が「コンピューターにより、作られた仮想世界である」などと
主張しとらんわ、アホ。
>ラッセルは、その論理自体が破綻している。
全く、破綻していない。 この仮説を論理的に反証ができないのは常識。
そんなこと言うのは「お前だけ」
出来るなら「反証」してみな。 まあ、その前に「正しく理解する」ことが
前提だがな。
>ラッセルは信心深いクリスチャン家庭で育ったクリスチャン。「外部存在」など、
クリスチャンの妄想は聞きたくもない。
クリスチャンか否かは、論理の正当性には何の関係もない。
さらに「外部存在」は思考実験の前提であって、妄想ではないの。
そのくらいもわからないの?
>「仮想現実世界」などと、一体誰が判断するのか
だから、「判断不能」と言ってるでしょ?
それがラッセルの趣旨なの。 本当に理解力ないね。
ラッセルが言おうとしてることが、お前には全く理解できてないわけ。
それを勝手に誤解して、勝手に「論破した」とか喚いているだけ。
恥ずかしいからもう止めたら?
116 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 02:34:15 ID:sYyao7TL
頭脳明晰で、理論は完璧なのに 解脱できないという多次元宇宙。 私は、バカで良かった!
117 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 02:34:17 ID:zFvVnXzf
いいか?隠居。 誰も「この世界が実は5分前に創られたものである」 なんて言ってないの。 もちろんラッセルもそんなこと言ってないの。 しかし、論理上、決してそれを否定することはできないの。 どのような論拠にしたがって反証しようとも、その論拠自体が 外部からの挿入の可能性を排除できないから。 わかるか? 反証可能性自体がゼロなんだよ。 だから反証不可能なの。 これは常識。 だから、存在論、認識論などにおいては、言うに及ばず 「全ての試みにおいて」 この可能性を除外することは「暗黙の了解」 なの。 それをお前は何もわからず「論破した」などと、ほざくから 「お前は、この5分前仮説の内容すら、全く分かってない」と 言ったわけ。 「論破した」と言うこと自体が全く理解してない証拠なの。 元々、「論破などできないもの」なんだから。
精神病患者の妄想に付き合うなど 単なる時間の無駄だ。
119 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:16:13 ID:qzXsgm+5
>>108 >あるとき神様がいて、世界(今我々がいるこの世界ね)を創りました。
↑ これこそ「おとぎ話」
「神様」とは、どんな神様でちゅか?
そんな発想はクリ達だけですか?随分都合の良い方便でちゅねw
120 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:23:41 ID:nPk6lO75
スレ違いにつき生命教にレスしないようにしましょう。
121 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:41:01 ID:qzXsgm+5
122 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/20(土) 13:49:31 ID:WUaPxvAe
>>92 >すべての宗教は、「現実上の根拠皆無な価値感の塊」にしか見えないがw。
では、世俗的価値観とはどういうことか?
例えば、「善行を積むとカルマの清算が出来て、結果として善果がある」。
これなどは世俗の価値観の理に適う。
こういう単純思考といふのは、誰でも陥りやすい。
しかしながらこのベクトルは罠に嵌りやすい。
(これはクリシュナムルティーなど言っておるようですね)
仏教とは、こういったベクトルに相反する思想です。
鈴木大拙などは「即非の論理」などと言っておるようですけど、
まさにそんな感じですね。
>宗教には、その営みとの関連において、神概念や神聖性を伴う場合が多い」。
仏教とは、神や神聖とかの世俗価値観を破壊するものであります。
そして真如を導き出したものが勝義諦という訳であります。
仏教に詳しい方に聞きたいのですが 自分は、半分死んでいるような状態で生きています 観念的なものではなく、脈拍が遅くなり、思考が冴えたりします あと、下腹部が熱くなります
じいさんになると脈が遅くなるらしい。年取ると時間が早くなるのもこのせい。 血流悪くて低体温で内臓しか血が行ってないんだ。 全身に血が行き渡らなくなっている。 手足の壊死や脳血管障害が現れる可能性。 ジョギングでもしたほうがいい。
5分の感じ方も子供と爺では変わる。 子供は、一分しか経ってないのに、5分過ぎた感じ 爺は、20分経ってるのに、5分しか経ってないと感じる。 これは血流悪くなって頭も悪くなってるってこと。 とりあえず運動して心拍数上げた方が良い。血流も良くなる。
126 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 14:22:41 ID:nPk6lO75
>>123 それは三昧に入った徴です。
つまり、集中力がついたということです。
死んでるように感じるのは、知覚・体験にリアリティを感じなくなるからではないですか?
心配することはありません。
もし、心配でしたら、ちゃんとした先生に聞くことをお勧めします。
127 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 17:14:10 ID:WhODkp42
>>113 >まともに共生活動をしているのは、キリスト教か左翼の連中だ。
ホームレスの人々は、一般的に言えば、生存本能(生命力)が脆弱化している
のが原因である。
このような人々に、下手に炊き出しなどやってやれば、生存本能の更なる
脆弱化を招く。ニーチェが、キリスト教の「憐れみ」に関して、痛烈に批判
するところである。
中には、心身の病気の人々がいると思われるので、まずその治療が先決。
これは行政の責務であろう。
憐れむよりも、彼等の生存本能を強化する方策を講じるべきであろう。
炊き出しも、材料だけ供給して、料理は、自分でやらせるようにすべき。
佛教由来の精神病治療法である「森田療法」は、何もやらせないで暗い部屋
に閉じ込めておくことにより、生命力の自然回復を待つ。
なお、キリスト教は、マザー・テレサのように、「自己の宗教的満足」という
「エゴ」のために、困窮の極限にある人々を「利用」している恐れがあるので、
排除すべきである。「宗教の命令」で行う慈善は、人間としての自然の感情から
発するものではないので、「愛」ではなく、「偽善」「エゴ」に過ぎない。
人の弱みに付け込んで己の宗教を布教しようとすることは、宗教の最も醜悪な
側面である。
128 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 18:00:12 ID:p+uKLZSa
>>104 >なんで、"「真実」「真理」は、<万人に容易に理解される簡潔・明快なもの> だ" と決め付けられるんだ?w
真理は自分でも理解できる簡単なものであって欲しいという、単なるお前の希望的願望に過ぎないだろうがwww
人間は地域・生活習慣・文化・言語・・・等々が異なっていても肉体・精神の構造は一緒〜、
簡潔・明快な「真実」「真理」でなければ万人に理解されないし世界中には広がらない。
東洋人・西洋人のみにしか余り理解できないものは「真実」「真理」とは言えないとオモw
→
>>109
129 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 19:07:51 ID:UwSzhVa2
>>30 >美しいといふのは、いわゆる感性のことです。
感性とは、AでもなくBでもなく、その関係です。
↑ ????・・・
>>91 >世俗的には仏教というのは全く価値観というのは無いですよ。
>では何故に、世俗的価値観のないもんに、禅者は魅了されるんでしょ?
↑ ????・・・
よく前スレAA使わず512キロバイト越えさせたね
>>130 この板は、
1レス32行・1KB前後が限界で、数行なら、0.3KB前後で済むんだろうけど
長文レスが多ければ、1000レス逝く前に500KB超えちゃうよ。
議論スレではよくあること。
この流れだと寧ろ、1000逝くことの方が奇跡w
議論スレて…質問箱だったんじゃ?
>>132 前スレ4を無視しておいて、どの口がそんなことを言うんだ?
偉そうな口叩くんじゃねーよ、カスが・・。 (゚听)、ペッ
再掲しておく。 4 :別スレ案:2010/03/05(金) 13:50:44 ID:zCHazAgx ☆ 卍 仏教 @ 議論堂 卍 ☆ パート1 仏教に関するよろず議論スレッドです。 知識を有する有志によって仏教に関する色々を考察・議論する場所です。 主に、質問箱からの誘導先として利用するのがふさわしいかもしれません。 主に参学の途にある方々による考察・応答になりますので、 問いの形式、論立て、用語、語り口・言い回し・表現の仕方等、 不足・不備があったり、晦渋・冗長なものが多くなるかもしれません。 皆で協力し合って何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。 出典などが示してあると、対論者の言説の確認をする(裏を取る)時の参考になります。 たとえ相手側に不備が感じられたとしても、それが誠実な背景・スタンスから為されているならば、 人格攻撃・中傷誹謗等は慎みましょう。内容以外の面への批判・指摘が必要な場合は、 きちんとその目的が達せられるよう、閲覧者への事例としての注意喚起となるよう工夫してください。 また、話題や論点を変える時は一言添えて、悪意や誤魔化しの為の論点の移設・すり替え等はやめましょう。 横槍横レスも、流れによって回答義務が生じた際にはなるべく補足応答をすると、 荒れることが防げ、また、閲覧者の益となるかもしれません。 虚栄心からの擬似回答などは不毛な流れの一因としかなりませんので自重しましょう。 無駄な容量消費の防止、議論の迷走回避の為、皆様の御協力を御願いいたします。 (ここでは、お行儀良くいきましょう。)
135 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 23:33:14 ID:vtWeoC5s
>>135 変えることが可能とはいえ、
ID出ない板での議論の不毛さは筆舌に尽くし難いぞw
双方で自演認定が始まり、他の論客も便乗してしまったら、そのスレはもう終りだ。
ID表示の効果は侮れんよw
また、哲板では哲学的考察の方が家主のポジションだし、
この板なら、仏教的基準を家主のポジションとしてもいい。
つまり、そのスレでは、縁起馬鹿のスタンスは異端だということだ。
そこでは《「哲学的に仏教を解析するスレ」だから「そういう意見を主軸にするな」》
という意見が掟となるのさ。
ちょうど、この板(≒このスレ)では縁起馬鹿のスタンスが伝統説であり、
(西洋)哲学的考察、アプローチを正面から批判否定できる場所ということになる。
その意味で「心と宗教」板でやることの意味は大きいと思われるわけさ。
また、集まってくる野次馬も、今より更に屑が増えるぞw
137 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 00:17:16 ID:SZEkhgrS
なるほど、いろいろ難しいな。
>>133 前スレも糞もあるか糞野郎。お前ら何スレ潰しゃ気が済むんだよ?
それとも質問をシャットアウトする事を目的にしてるのか?
議論スレを宗教板に作ってさっさと消えろ。
139 :
113 :2010/03/21(日) 06:49:12 ID:jmnir/G6
>>127 サンスカーラ隠居
>憐れむよりも、彼等の生存本能を強化する方策
俺はおまえを、完全に軽蔑する。
白い手袋をした軽薄馬鹿コメンテーター以下だ。
なにも判ってはいない。
140 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/21(日) 07:59:36 ID:QMh0p9cA
>>129 >????・・・
凄いですよね“対立”と捉えない思想は、
ちなみに私は、そんな思想は仏教だけしか知りません。
(自然科学の分野では、そういう捉え方というのはありますが、つい最近です)
例えば、唯心論(隠居の十八番)とか唯物論というのは対立します。
対立することにおいて発展する。という考え方です。
(これを弁証法といふ)
ちなみに輪廻転生論は対立関係です。
(中論では一切、対立関係は論破しております)
故に、
>世俗的には仏教というのは全く価値観というのは無いですよ。
>>129 ここに繋がりますね。
これも凄い!!
第一義空諦においては、世俗は二義になります。
もはや世俗において迷うことなし!!
絶対なる境地でありますね。
これを円相とか逝っておるようです。
禅者は、色紙に円(まる)書いて悦になるようですねw
>>138 ERROR! - ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。
またの機会にどうぞ。。。
前スレ建てちゃったんでね・・w (この鯖はスレ建て規制何ヵ月くらいだったかな・・)
それに、前前スレでは全員が完全スルーだったし、
前スレでは問いかけた一人だけが感想を述べてくれただけだったんで、
【現時点での住人の総意は「現状のままが良い」という判断】だと受け止めてるだけさ。
スレ立て依頼をしてもいいけど、
誰一人望んでないスレを立てても(→誰も移動しなかったら―特に隠居・机―)意味が無い。
このスレでの議論は続くだろう。
また、隠居や机が我が物顔で似非仏教を喧伝することとなろう。
それでも良いなら、僅かながらでもある可能性に賭けるなら、
貴方が立てていただけますか?
規制中にラウンジクラッシックでヲチしていたように、「議論に関しては」引っ込むつもりだよ。
よっぽどの書き込み(≒回答の仕方)には、指摘が必要かもしれんが・・。
どうだい?
142 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 11:05:10 ID:nEFFkwms
>>140 >ちなみに私は、そんな思想は仏教だけしか知りません。
佛教でも、小乗(苦や煩悩と対立)や浄土真宗、日蓮宗には、対立が多い。
また、「対立に対立する」「世俗諦に対立する第一義諦」も対立です。
真の「対立が無い」とは、「万人・万物の相互依存性・関係性」の自覚の上に
立った、生命の自然の発露でしょう。
143 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 11:24:37 ID:RiP3PfIN
>>141 「日本の」仏教の質問箱だから、「大乗仏教に限定する」ことが必要ではないか。
ここは、小乗とチベット仏教スレに成り下がっている。
何も知らないROM者には、大きな混同と誤解を招く。
国がどうとかくだらない差別を仏教に入れるな。 小乗のものを馬鹿にしてはならないとは 大乗の経典にかいてあること。 半端者が大乗を名乗るな。
145 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 11:35:52 ID:ZSojST0h
>>144 馬鹿にする、しないの問題ではなく、両者は「違った宗教」だということ
だよ。最近まで、「原始仏教」は別スレだったよな。
>>144 大乗のうわっつらしか勉強しないと
そのような意見になりがちだな。
148 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 11:49:07 ID:0locfPPv
>>146 大乗が小乗的要素をどこまで克服できるかの問題。
「一切衆生悉有仏性」「煩悩即菩提」を認めるか否かで、両者は別の宗教と
なる。
日本の仏教スレで、小乗仏教を布教されては困る。
149 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 11:50:49 ID:QyspV9hc
>>142 >真の「対立が無い」とは、「万人・万物の相互依存性・関係性」の自覚の上に
>立った、生命の自然の発露でしょう。
「万人・万物の相互依存性・関係性」の自覚の上に立っているとは、
誰が判断するのだ?
そのようなもの、判断する人により意見の『対立』が起きるとはおもわないのか?
事実、地球温暖化問題において対立がおきている。
151 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 11:58:33 ID:zRxDVljE
>>150 「自覚」だから、己の判断である。客観的には、「中論」の依拠するか否か
である。
地球温暖化は「自然科学」の問題。「捕鯨反対」と同様の「宗教」になっては
困る。
>>148 「煩悩即菩提」についての大乗的な正しい見解を要求する。
特に悪を行うことについて詳しく述べてもらいたい。
>>151 中論のどこに「相互依存性・関係性」があるのか
何章のどこに書かれているか、詳しい説明を要求する。
説明できなければ相互依存性・関係性」は中論で説かれていないとみなす。
154 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 12:06:34 ID:vWO188QW
>>152 「善悪」とは何かの理解と定義が必要。
「善悪」とは、共同体における共生のための技術概念としての「倫理・道徳」であるから、
宗教とは本来的に関係ない。宗教と倫理・道徳とを、混同してはならない。
155 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 12:22:38 ID:nK7UFDcp
>>153 「相対性」は、中論全体に流れる基本テーマ。
小乗の方は、ご遠慮ください。
156 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 12:47:31 ID:SZEkhgrS
ひとつ、素朴な疑問だが、
このスレは『日本の』仏教専門の質問箱スレか?
チベット、インド、中国、スリランカ、その他の仏教に関しての質問は
スレ違いであると?
>>1 をみると『日本限定』とも書いてないのだが。
157 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 13:04:29 ID:Jx9/jZQn
>>156 日本語による掲示板だから「日本人」が対象だろう。
大乗、小乗、チベットなどの「違った宗教」を、同じ「質問箱」で論じたら、混乱が
生じるのは当然。
オウムは、小乗の「苦」の概念やチベット仏教、それらとの親和性の高いキリスト教から
から生じたことを忘れてはならない。この意味で、小乗やチベットは、常に、「オウム予備軍」である。
158 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 13:22:02 ID:J1bfHrL0
>>156 日本人の仏教徒の圧倒的多数は、在家の大乗仏教徒である。生活の中で佛教
思想を生かしている。オウムのように「生活を離れた趣味の修行」などを
やっている者は、ほとんどいない。又「苦の滅」や「解脱」に執着している
者もいない。
日本の仏教徒なら、「一切衆生悉有仏性」「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「自利
利他」を、佛教の基本思想と考えている。これらの思想は、小乗にはない。
159 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 13:40:59 ID:QyspV9hc
>>156 もちろん仏教一般の質問箱です。
小乗、チベット云々と言ってる人は、仏教を語っているのではなく、
彼の妄想である生命教を語っていて、生命教が仏教ではないことが論証されたので、
現在、日本の仏教とか中論とか言ってますが、
彼の語ることは日本の仏教一般とも中論とも全く異なる生命教です。
日本の仏教一般とテーラワーダ一般、チベット仏教一般の基本は同じです。
>>1 にあるように生命教はスル〜してください。
160 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/21(日) 13:41:51 ID:QMh0p9cA
>>142 >また、「対立に対立する」「世俗諦に対立する第一義諦」も対立です。
いやいや、「対立」といふのはそういう意味ではありません。
例えば、貴殿が板に書込みしている「実在・非実在」というのは、
主客が対立してるから分別できる訳ですよね。
そういう対立した世界観というのは、古代ギリシャあたりから端を発し、
いわゆる古典的な、つまりノーマルな考え方ですよね。
(つまり単純思考、ってことですよ)
中論においては、そういう単純思考ってのは全て廃されておりますね。
それを導くために「相対性」という世俗諦を上手く挿入している訳でして、
これを仮説(つまり仮に設定した論理)という龍樹独自の論法ですよ。
まあ龍樹は、この論法が逸脱しているので高く評価されておる訳ですけど。
世俗諦とは、一般的な捉え方ですから、そりゃ〜まあ、対立はありますね。
しかしながら肝心な勝義諦といふのは対立はごじゃらんせん。
故に、内外世界を分断する輪廻転生論を破壊できるのでございます。
これが、私が某真言宗アジャリを論破した根拠ですよね。
つい最近のことですよw
>>155 ちゃんとまともに
>>153 応答しろ。
日本語も理解できないやつがkまともな関係性が築けてるとは思えんな。
言うに事欠いて、人を小乗あつかいか。
返答できないのはwikiでちょっと見て知ったかぶりしてるだけだろう?
中論読めないなら、頭が悪すぎて読めないって素直に言えよ。嘘吐きが。
>>158 の言葉の羅列が大乗だと思うのか?大乗を詐称するなよ。カス。
163 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 21:37:56 ID:U18VuFgX
■ 【色即是空】【空席是色】 ■ やはり、【色即是空】【空即是色】が 仏教で一番簡潔で美しく明快な言葉 のような気がするなぁ〜
164 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 21:39:59 ID:U18VuFgX
>>163 の訂正
↓
■ 【色即是空】【空即是色】 ■
「一切衆生悉有仏性」「煩悩即菩提」「生死即涅槃」 これって実際にはどのような文脈で出てくる語なんですか?
>>165 >「一切衆生悉有仏性」「煩悩即菩提」「生死即涅槃」
沈没寸前の涅槃とやらに逝くはずのオンボロ筏に積んである
手品の小道具さ。
167 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 23:32:18 ID:H+JgQUqg
>>165 >「一切衆生悉有仏性」「煩悩即菩提」「生死即涅槃」
いずれも、Wikipediaに詳細に説明されていますから、まずくぐってみて下さい。
勿論、「岩波佛教辞典」にも、簡潔で明解な説明があります。
出典の文章の前後は、文献学者の方に回答お願いします。
168 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 00:08:49 ID:CO8qRxcj
一切衆生悉有仏性=全ての衆生に仏になる可能性がある 煩悩即菩提=煩悩があるからこそ菩提に向かう 生死即涅槃=生死と涅槃はつながっている でしょうか。求道的なものでただの欲望肯定ではないようですね。 「即」はイコールではないとも書いてありましたし。 やはり「日本の掲示板→日本の仏教しか語ってはいけない」、 他の人もなぜか混乱する、となってしまうような 珍妙な思考回路の持主が欲望肯定に結びつけると言うことでしょうか。
169 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 00:09:25 ID:BDztKjhv
>>165 「法性を離れて外に諸法あることなきにより、是の故に是の如く説く、煩悩
即菩提なりと〔大乗荘厳経論随修品〕」
我即ち真如なりと知りぬれば、煩悩即菩提なり、生死即涅槃なれば、煩悩を
断じ、生死を離れむと思う煩もなし」〔真如観〕
170 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 00:19:10 ID:WHCgSBgT
>>168 現代人として、どちらがより合理的な解釈であるかは、ちょっと考えれば
容易に分ること。Wikiを見れば早速その「言葉」を盲信することしか出来ない
君が、思考停止した「珍妙な思考回路」の見本なのだよw。
いずれにせよ、釈迦には全く思い至ることができなかったのが、大乗の思想で
ある。
| /l、 ?? | (゚_ 。 7 ツンツン し⊂、 ~ヽ しf_, )〜
172 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 00:26:01 ID:CO8qRxcj
>我即ち真如なりと
この「即ち」も単純にイコールの意味ととったりしたら間違ってしまうんでしょうね。
これは難しい。
>知りぬれば、
知る、も仏教の用法では現代日本人が常日頃親しんでいるのとはズレがあるんでしょうか。
まとはずれな自己認識しておいて「我即ち真如なりと知りぬれば、」はなさそうですが。
>>170 えー。
>>167 は釣りだったんですか。
>いずれも、Wikipediaに詳細に説明されていますから、まずくぐってみて下さい。
質問箱でつまらないことをするもんじゃないでしょう。
173 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 00:36:49 ID:Klo+Aynq
「煩悩即菩提: 煩悩と菩提とは、いずれも固有・普遍の本質が無い(空)という点で、本来は 不二・相即していること。煩悩がそのまま悟りの縁となること。原始仏教・部派 佛教では、煩悩を断ち切って菩提を得ると説かれ、煩悩と菩提は対立的に見られたs。 大乗仏教においても菩薩は煩悩を断ち切ってその階位を登っていくと説かれる場合 もあるが、究極的には煩悩と菩提の不二・相即が説かれる。つまり、すべては 真実普遍の真如の現れであり、悟りの実現をさまたげる煩悩も真如の現れにほか ならず、それを離れては別に悟りはないことをいう。<生死即涅槃>とともに、 大乗仏教の究極を表わす句として、有名となった。」(「岩波佛教辞典」より)
>>173 岩波佛教辞典を見れば早速その「言葉」を盲信することしか出来ない
君が、思考停止した「珍妙な思考回路」の見本なのだよw。
175 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 00:54:17 ID:QcYlAH+k
>>174 Wikiの説明と比べて、現代人にとってどちらが合理的かを、ちゃんと自分の
頭で判断している。
大昔の1個人に過ぎない釈迦の教えであるという理由ですべてを「有難がって」信じ
込む君等の「思考回路」こそ、珍妙・了解不能極まりない。回路が、初めから、
混線、いや断線しているw。
176 :
試答w :2010/03/22(月) 01:11:46 ID:IIy44cL0
>>165 (
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php )
どの語も、大正蔵経の検索で300件以上ヒットするくらい文脈は様々。
殆どが「経」でなく註釈なので当然と言えば当然か・・。
「一切衆生悉有仏性」だけが大乗涅槃経中に見える語。
阿含には、唯一「央掘魔羅經」の中に一箇所見られる。
が、「如来蔵」の語や「文殊」菩薩が出てきたりとか、その他にも大乗色満載。
その点でも、大乗仏教特有の考え方と言っていいと思う。
央掘魔羅經の該当部分。
爾時文殊師利語央掘魔羅言。如來藏者有何義。
若一切衆生悉有如來藏者。一切衆生皆當作佛。一切衆生皆當殺盜邪婬妄語飮酒等不善業《迹》。
何以故。【一切衆生悉有佛性】當一時得度。若有佛性者。當作逆罪及一闡提。
*その時、文殊師利、央掘魔羅に語って言わく、如来蔵とは何の義(どのような意味)で有るだろうか。
もし一切衆生の悉くに如來藏有らば、一切衆生は皆、当に仏となるべきものである。
一切衆生は皆、殺盜邪婬妄語飮酒等不善業を《なしている・なしてきた》。(→自分には読み下し不能www)
何を以っての故に。【一切衆生は悉く仏性を有する故に】。
若し仏性を有するなら、逆罪をなした者及一闡提でさえも、当に一時に(一度に・瞬時に)度することを得ん。
(若有我者我界。當度一切有。是故世間。無有我無有界。一切法無我是諸佛教。
佛告文殊師利。一切衆生有如來藏。爲無量煩惱覆如瓶中燈。)
思うに、(「如来蔵」の語と併用されていることからも)、
阿含とはいえ既に「仏性」の意味が確定され、定着した後の用例に見えるので、(文脈による語義の確定の経緯等は)、
やはり大乗涅槃経の方から見なきゃならないのかと思う。(よって、それは他の人に譲るw)
いずれにしろ意味は、『衆生は皆例外なく、「仏としての要素」を既に性質として(→本性として)持っている』で良いと思う。
文脈の多くは、『だから、「既に悟っている、救われている、衆生(凡夫)は既に仏である、
悲観するな、現状を否定するな、修行をあきらめるな」』というものになると思われる。
(田上はどう説明してるんだろう・・?w)
177 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 01:24:21 ID:+O2CG+Ac
>>176 小乗カルトの方は、ご遠慮ください。
経(大本涅槃)の後半では、「一闡提」の成仏も認めているそうです。
「既に悟っている、救われている、衆生(凡夫)は既に仏である」のなら、
「修行」は必要ない。
調べてくれた人に「小乗カルトの方は、ご遠慮ください」だと? 自分の気にいったものしか書くなってか。何様のつもりなんだよ。
179 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 03:46:30 ID:QLJOQrym
<< 警告 >> 『このスレに慣れていない方への忠告です。』 このスレには『生命教』というカルト宗教の信者である、通称、『隠居』 と呼ばれている人物が頻繁に出没します。 この『生命教』は一見すると生命の重要さを説く、まともな宗教のように 見えますが、その内実は『トンでも実在論』『レイプ肯定論』等、 一般的認識に照らし合わせても、とても容認できない説を主張するカルト 宗教です。 質問者に対して、回答者のふりをして自己の教義を語りだしますので注意 が必要です。 1レスごとにIDを変えますので、判別がしにくいところもありますが、書き 込みの内容は、毎回ほぼ同じですので慣れてきますと簡単に判別可能となり ます。 それまでは他者の忠告を参考にしたら良いと思います。 また、この隠居という人物の賛同者(これも隠居の自演と言う説が有力) が、一人おりますが、この人物も同様に無視するのが賢明と思われます。
180 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 03:47:17 ID:QLJOQrym
どう? 警告文をつくってみたが。 もし、このスレに不慣れな質問者に、隠居がいつものように、おかしなこと 語りだしたら、説明するのに便利だと思うが? (アンカーふって誘導すれば、何も知らない人も分かってくれると思うが)
181 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/22(月) 07:26:46 ID:jy3NfW81
>>166 そのとおりですね。簡潔明瞭でなかなか好感がもてます。
>>176 セブン氏の書込みを拝しますと、なにやら白隠を想起しますね。
キャラが非常に似ている。
白隠というのは、自分が発案した公案を、長々と解説しまくりますw
語ちたがりですねw
182 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 07:57:31 ID:0ixs9aRf
183 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/22(月) 08:40:43 ID:jy3NfW81
>>179 私の<< 警告 >>もお願いします。
尚、机龍之介、生命教などの荒らしは放置してください。
>>1 まあこのスレは、テラワダとか、それに類するカルトに占拠されてるからなぁ〜w
184 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 09:06:39 ID:0ixs9aRf
>>165 では、まず「一切衆生悉有佛性」を日本仏教のよく話題になる『正法眼藏』で見てみましょう。
以下は、SAT DB の大正大蔵経データを見やすいようにカタカナを平仮名に変換したものです。
T2582_.82.0091c07: 正法眼藏佛性
T2582_.82.0091c08: 釋迦牟尼佛言はく。一切衆生。悉有佛性。如來
T2582_.82.0091c09: 常住。無有變易。これわれらか大師釋
T2582_.82.0091c10: 尊の師子吼の轉法輪なりといへとも。一
T2582_.82.0091c11: 切諸佛。一切祖師の。頂■(寧+頁)眼睛なり。參學
T2582_.82.0091c12:しきたること。すてに二千一百九十年(當日)
T2582_.82.0091c13:(本仁治二年辛丑歳)正嫡わつかに五十代(至先師天童淨和尚)西
T2582_.82.0091c14: 天二十八代。代代住持しきたり。東地二十
T2582_.82.0091c15: 三世。世世住持しきたる。十方の佛祖。と
T2582_.82.0091c16: もに住持せり。
釈尊が仰られた「一切衆生。悉有佛性。如來常住。無有變易」という言葉は、
一切諸仏、一切祖師の要点です。この言葉を学んできたのは2190年で、
正しい伝承が50代続き、代々伝承を保ってきました。十方の仏や祖師も同様に伝承してきました。
とまず、伝承アーガマの正統性が述べられます。
185 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 09:09:28 ID:0ixs9aRf
つまり、「一切衆生。悉有佛性」という聖言が釈尊によって述べられ、 正しい伝承で伝えられきた聖言であるということを述べているわけです。 十方の仏や祖師も同様に伝承してきたといっていることから、 所謂、実在論的歴史観とは相容れないことが窺われます。 『正法眼蔵』を師家が解釈したものとしてよく取り上げられる西有穆山師の 『敬迪』では「一切衆生。悉有佛性」を悟って持っていることとしています。 つまり、伝承というのはこの言葉の内容を悟ったものが伝えて来たこととも言えるでしょう。 また西有師は、仏性は第一義空で、仮諦で、中道、諸法実相だとも言っています。『敬迪』上678 これは常々、縁起・仮設・空と言っている意味によく合致します。 つまり、「一切衆生。悉有佛性」という言葉は、あらゆる生きものは本来空という悟った状態であるという意味です。 では、なぜ今、悟ってないかと言えば、無明という外来の煩悩に汚されて、 無我・空なのに我で実体だと思っているからで、その我見・無明を修行によって払わなければならないということで、 大乗仏教一般では解釈されます。
186 :
試答2 :2010/03/22(月) 10:07:45 ID:IIy44cL0
「煩悩即菩提」 (語義は添削宜しくw) 1:煩悩に覆われているからこそ、煩悩があるからこそ、 「それを除き、断ち、菩提を求める心が生じる(菩提心・発心)ので、『煩悩が菩提への扉(縁)である』」。 2:煩悩が仏性を(≒悟り・菩提を)覆ってはいるが、離れてあるのでなく、別物でなく、不二なる在り方としてある。 よって、煩悩を見ることは菩提を見ることに他ならない。(注:煩悩【が】菩提【である】わけではない。) 3:仏性(≒悟り・菩提)は煩悩に染まって(薫習されて)はいるが、(梵)行によって脱色され、 悟り・菩提が顕となる。よって、離れてあるのでなく、別物でなく、不二なる在り方として、 煩悩を見ることは菩提を見ること、となる。(注:煩悩【が】菩提【である】わけではない。) ※いずれにしろ、仏の視線であり、且つ、順を踏んで見られた時、その手順(≒行・観察)で結ばれるからこそ 「即」の字で表現される。(Sktではどうなんだろう?)決して単純イコールではない。 この手順を踏まずに双方を結んではならないと思われる。 法華経の註釈に幾つか見られるが、禅や天台の註釈書・語録が圧倒的に多いようだ。 (だからか?)、「不二なるもの」として、或いは「迷いから悟りへの頓なる転換」、 「方便としての現状是認(→行を修める自己の保全)」、「(性善説を思わせる)本来清浄なる自己への視線」 といった方向性で見られるようだが、その多くは≪仏の眼で見た場合(≒勝義では)相反するものではない≫ ≪大乗の要・特徴はコレである、という意味での『標語』として使用されている≫ようだ。 参:攝大乘論釋論 伏斷諸煩惱 如呪制諸毒 諸の煩悩を断ずること、呪が諸毒を制するが如し 以惑至惑盡 佛具一切智 惑以って惑を尽くし、仏は一切智を具す 煩惱即菩提 生死寂滅體 煩悩は即ち菩提なり。生死は寂滅を体となす。 有大方便故 如來不思議 【(この)大方便あるが故に】、如来は不思議なり。
187 :
試答3 :2010/03/22(月) 10:12:30 ID:IIy44cL0
「生死即涅槃」:今ここを離れて涅槃は無く、涅槃は、今ここに於いて顕現されるべきもの。
大寶積經:
一切衆生如幻化 求其邊際不可得 一切衆生は幻と化すが如し。その辺際を求むるも不可得なり。
若知如是無邊性 斯人處世無疲厭 もし、かくの如く辺無き性を知らば、この人、世に疲厭すること無し。
了知諸法如實相 常行生死即涅槃 諸法の如實の相を了知せば、常行生死は即ち涅槃なり。
於諸欲中實無染 調伏衆生言離欲 諸欲の中に於いて實に染まること無し。衆生を調伏すと言うは欲を離れるを言うなり。
大悲利益諸衆生 而實無人無壽者 大悲は諸の衆生を利益し、實に人無く寿者も無し。
不見衆生而利益 當知此事甚爲難 衆生を見ずして利益す、当に知る此の事甚だ為し難しと知るべし。
いずれにしろ、文脈としては、
「別世界を夢見ることなく、今この場で、今この身をもって(行じ)涅槃へ到る」ことを教示する言い回しと言えそうだ。
語義自体は、おおよそwikiでも辞書でもその通りでいいんじゃなかろうか。
(三語とも、語義解釈の姿勢は
>>184-185 をベースとするのが良いかもw)
>>181 >語ちたがりですね
てめぇに言われたか無いなw
>なにやら白隠を想起しますね
思想的に禅はこの流れを積極的に継承しているのだから。
寧ろ、この三語を好んで用いるのが禅の特色じゃないか?(ワシは、評価はしてもあまり好きじゃないけどw)
坐禅和讃なぞ、この三語そのままだろ?www
188 :
補 :2010/03/22(月) 10:14:38 ID:IIy44cL0
興味深いのはこれかもしれない。 妙法蓮華經玄義: 又一一教具四修多羅。 また、一々の教えは四つのスートラを具す。 諸行即集諦。諸行果即苦諦。 諸行は即ち集諦なり。諸行の果は苦諦なり。 諸行對治對治煩惱。即道諦。 諸行は対治なり。煩惱を対治するは即ち道諦なり。 諸行清淨即滅諦。 諸行の清浄なるは即ち滅諦なり。 此三藏中具四修多羅也。 又訶責諸行即集諦。訶責諸有即苦諦。 (「訶責」が読めんので略w) 訶責煩惱對治即道諦。訶責清淨即滅諦。 此通教中具四修多羅。 又煩惱諸行是集諦。煩惱諸有是苦諦。 又、煩悩(としての)諸行は、これ集諦なり。煩悩が諸々有るは苦諦なり。 煩惱行被訶責即道諦。煩惱清淨即滅諦。 煩悩が「訶責」されれば?即ち道諦なり。煩悩清浄なれば即ち滅諦なり。 此別教中具四修多羅。 又涅槃即生死苦諦清淨也。 又、涅槃は即ち生死苦諦の清淨なるなり。 菩提即煩惱集諦清淨也。 菩提は即ち煩惱集諦の清淨なるなり。 煩惱即菩提。道諦清淨也。 煩悩は即ち菩提道諦の清浄なるなり。 生死即涅槃。滅諦清淨也。 生死は即ち涅槃滅諦の清浄なるなり。 此圓教中四修多羅。
189 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/22(月) 10:42:49 ID:jy3NfW81
>>188 >興味深いのはこれかもしれない。
まあ、確かに興味深い?んだけど・・・
禅だとひとこと「瓦は磨いても清浄にはならない」。で
終ってしまう。
経典を書いた学僧は、まだまだ未達だったんだろう?
>>189 あのな・・・w (^^;
それは「回答になってない」ってことが判らんか?
お前に限らず他全員もそうだが、皆「語義解釈」しか書き込んでねーじゃねーか。
問いは、「どのような文脈で使われてますか?」だろ?
それを、(たとえ正当な内容であっても)ズラして別の答え方をする必要は無いってことだ。
問いに対して、素直に対となるレスをすればいい。それが「質問箱」の本義だろ?
ラーメン屋で「これ、何から出汁とってます?」と問われて、
「豚汁の具には牛蒡が必須」と答えるようなもんだ。
豚骨を使ってて「豚繋がり」があったとしてもw、その答え方は非常識だってことだ。
(仏教・禅の言辞とは本来非常識なもんでありんす、とか言い出しそうだがw構図は同じだ。)
お前の「室内ごっこ」には反吐が出るよ。
191 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 12:39:42 ID:b4Tv6tSL
どんな後代のお経にも、「釈迦が言った」と書いてあるが、「釈迦が実際に 言った」という確証は「皆無」である。「釈迦が実際に(本当に)言った」と 信じ込むのを、釈迦の「神格化」という。釈迦が書いたお経は皆無なのだから、 すべて、弟子の伝聞、解釈、創作と解するべきであろう。 「即」は、文字通り「=」と解しなければ、その語義が没却される。英語では、 「即ち"or"」とは、「換言すれば」の意味である。例えば、スピノザの「神即自然」 とは、「神が自然に宿る」のではなく、「自然そのものが神(神=自然)」 の意味。
192 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 13:01:00 ID:8PeZ1vO8
即: スナワチ@そのまま。とりもなおさず。Aすぐに。ただちに。すぐそのときに。 Bすぐその場で。(「新漢和辞典」(三省堂発行)より)
「負けるが勝ち」という言い回しがあるが、
これを《「負即勝」と【表現する】ことは【可能】》だ。
(
>>192 にあるように)その字句通りに接続するなら、
単純イコールで《「勝負に負けること」は「勝負に勝つこと」と同じ》と結ぶことになる。
だが、誰もそのようには読まない(解釈しない)。「負けは負け」「勝ちは勝ち」という原則を外れることはない。
≪或るケースに於いて、【「負けること」に付随する要素・様相に】【ピントを合わせ】、
【それを再定義、価値の再付加を行い】【「勝つこと」に付随する要素・様相に】
【転換・再配置する】ことにより、【相反する概念をイコールで結んでいる】≫。
そして、この「勝負」の例が単純イコールで結ばれない理由は、
大多数の者が(無意識裡にでも)こうした手続きを踏んでいるからだ。
仏教・禅の類似語に於いても、同じ手続きがなされている。
また、他の箇所(経・論・註釈)、言い回し等との照合によって、その『接続の仕方』が絞り込まれる。
差別即平等平等即差別然り、五蘊即是空空即是五蘊然り。
※(特に禅系は、その手続きを略したり、端折ったり、無視したりする傾向があるが、
決して、『手続きを踏んでいない』わけではない。踏んだ上での省略であることが知られねばならない。
特に禅の語録を読む際は、この「略された部分」が見えているかどうかが鍵となる。
※この手続きが頓に為されるか漸に為されるかは又別問題。踏まえられていることに変わりはないし、
逆に言えば、踏まえていることが了解の証でもある。)
勿論、隠居は手続きを踏まずイコールと解しているし、
机は端折ることにスタイリッシュさを感じているんだろう。
どちらも滑稽であることに変わりはないが・・・。
194 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/22(月) 14:01:13 ID:jy3NfW81
>>190 >それは「回答になってない」ってことが判らんか?
貴殿の仰るとおりです。
まあ経典というのは、クドクドと余計な事が書いてあるのが常ですから。
例えば「十二支縁起(因縁)」にしても、
あれほど詳しく記述する必要性もないし、
また、それを「人間の生まれ替わりを書いてある」などと誤読する御仁も出現する始末。
それどころか、私が誤読を指摘したところ、
逆に「誤読」のフレーズを私に向け、
ついに私を「誤読の机」にまで印象操作するまで逝ったりするw
まあ、何処の御仁かは書くつもりはないですけど、
「十二支縁起」については、単に「生老病死」を書いてあるだけ。
暇な学僧がストーリー性を書いたに過ぎんのですよ。
そのように解釈願います。
小乗仏教に興味があるのですが、 現代語による倶舎論以前の有部の論書の概説書って 何かありませんでしょうか? それと小乗仏教(発智論を中心に取り組む予定)を 学ぶ上で読んでおいたほうが良いと思われる参考書 も良ければ教えていただけないでしょうか?
196 :
? :2010/03/22(月) 15:19:49 ID:fP3oAmdZ
197 :
? :2010/03/22(月) 15:27:16 ID:fP3oAmdZ
>>196 の 続き !
般若心経の 原点と 思われる お経を
阿含経の 解説書の 中から 発見 致しました!
それは お釈迦様 本人の説法を まとめ上げた
根本仏典の → 雑阿含経 仙尼経 ← で御座います!
198 :
? :2010/03/22(月) 15:38:49 ID:fP3oAmdZ
>>197 の 続き !
→ 雑阿含経 仙尼経 ←
断見
現世において アートマン(常住不変の自我)を 認めて
死後(来世)については 知らない 分からない とする 考え方!
常見
現世においても アートマン(常住不変の自我)を 認めて
死後(来世)においても アートマン(常住不変の自我)を 認める 考え方!
バラモン教などは 前世から現世へと 現世から来世へと 続いて行く
アートマン(常住不変の自我)を 認めている!
如来応等正覚
現世においても アートマン(常住不変の自我)を 認めない
死後(来世)においても アートマン(常住不変の自我)を 認めない 考え方!
この如来応等正覚の 法によって 渇愛を 断じて 欲を 離れて 滅尽し 涅槃を 得る!
199 :
? :2010/03/22(月) 15:49:08 ID:fP3oAmdZ
>>198 の 続き !
→ 雑阿含経 仙尼経 ←
如来応等正覚
現世においても アートマン(常住不変の自我)を 認めない
死後(来世)においても アートマン(常住不変の自我)を 認めない 考え方!
この如来応等正覚の 法によって 渇愛を 断じて 欲を 離れて 滅尽し 涅槃を 得る!
↑ この → 如来応等正覚 ← が 般若心経の 原点だと 思われます!
→
>>194 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. ← さんは どう思われますか?
→ レス ← 宜しく お願い 申し上げます!
200 :
? :2010/03/22(月) 16:05:19 ID:fP3oAmdZ
>>195 さまから!
「小乗仏教に興味があるのですが、何かありませんでしょうか?」
↑ 私は お経については 初心者の 中の 初心者で 御座いますが
お釈迦様 本人の説法を まとめ上げた 根本仏典(小乗仏教)の
アーガマ 阿含経の 解説書を 持っているので 宜しく お願い 申し上げます!
201 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 16:11:24 ID:1dIoK2jw
>>186 >(注:煩悩【が】菩提【である】わけではない。)
それでは、「煩悩『即』菩提」の語義から完全に離れている。「煩悩即菩提」とは、「煩悩が『そのままで』菩提」ということ。両者間に、両者の同一性をいさかかでも変容・否定する観念を介入させたら、「即」の意
味が破壊されてしまう。
「煩悩がそのまま菩提」であって、何が困るw?煩悩こそ、人間の真の姿(法)ではないか。それが悟れ
なくては、悟り(菩提)とはいえない。
>>186 以前の幾つかの解釈は、「煩悩即菩提」の誤解、若しくは、その命題を「変容・否定」するための、意
図的な意味の歪曲である。
「色即是空・空即是色」では、そのような「誤解」を生じさせないなめに、わざわざ、「色不異空・空不異色」と、念を入れて付け加えている。
202 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 16:24:31 ID:U/6A4raN
>>195 >小乗仏教に興味があるのですが
日本は、大乗仏教の国ですよ。あなたは、どこの国の人?
203 :
? :2010/03/22(月) 16:40:16 ID:fP3oAmdZ
>>195 様からの 小乗仏教(根本仏経)について !
お釈迦様 本人の説法を まとめ上げた 根本仏典(小乗仏教)の 増一阿含経 善聚品 の
三十七道品(さんじゅうしちどうぽん) の 五根 の 定根 に ついて !
定(瞑想状態)に 入る 修行を 積んで 滅尽定 よりも さらに 深い 定に 入ると
自分の 前世も 他人の 前世も 分かる 様になる!
人が 死んでから どこに どの様になって 生まれて 行くのか
来世についても 分かる様になる!
滅尽定 よりも さらに 深い 定根の 修行によって その様な 力が 得られる!
↑ と言う事で 御座います!
お釈迦様 本人の説法を まとめ上げた 根本仏典(小乗仏教)においては
輪廻について はっきりと 明言されているので 御座います!
204 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 16:48:21 ID:fi1HwPGj
>>203 「お釈迦様本人の説法」など、どこにも無いよ。すべて弟子や後世の人々が、
それぞれの考えで書いたもの。
何を勘違いしてるのw。
205 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2010/03/22(月) 16:48:47 ID:9ciD9QKe
>>201 我流の妄想をまき散らすのではなく、仏教初心者のうちには、先人からの出典を明瞭にし、文
脈に沿って議論したいものだ。
同じ言葉でも、複数の出典に基づけば、それぞれ違うことを言っていることも多いが、少なく
ともその内の一つにでも忠実に議論した方が、我流の議論より真実に近い。
熟語だけを切り出してくれば、なんとでも言える。我流の妄想議論を主張するのは、その先で
ありたい。
ったく・・・ orz
縁起馬鹿の登場を待った方がいいんだが、ちょっとだけ。
>>195 「仏典解題事典」(春秋社)という本がある。(手許にあるのは’91年二版8刷)
ここの「発智論」の項の参考文献には
「阿毘達磨論の研究/木村泰賢」「有部阿毘達磨論の研究/渡辺楳雄」とある。
次の「大毘婆娑論」の項には〈発智論の註釈であり・・云々〉とあるので、この二論はセットなんだろう。
ここの参考文献は発智論より多い。 で、「倶舎論」は「大毘婆娑論」がベースらしい。
もし、どこかで目を通せるなら、この事典のP116〜119から、
めぼしい著者を選んで、論書名とセットでciniiなりINBUDSなりで出てきたものを探すとか・・。
検索する時、論書名だけでなく、気になる術語も併せてやると絞り込めるし。
一般販売書では何かあるのかな・・。
で、良さ気なのが幾つか見つかったら、また、ここなり中論スレなりで縁起馬鹿一代を呼んでみるといいw
色々言われてるが、彼の選別・評は信頼できるよ。
つーか、(“取り組む”ってあるから、どっかの学部生・院生かと思うけど)
上の解題事典は持ってて損はないよ。(古いから新しい研究成果は知り得ないけどw)
で、そういう環境なら、最初からきっちり良書を取捨選択するより、
自分の気になる術語や文句をキーワードに、幾つも論文漁ってみるのも糧になると思うよ。
つーか、そこまではっきりしてるなら、既に幾つか(教授に?)紹介されてたり、目星はついてるんじゃないの?
※けど、だったら「小乗」とは言わないか・・・w
ったく・・・・・・ orz
>>201 >意図的な意味の歪曲である
歪曲じゃなくて転換だよw (意味が転換されていてこそ成立するのが心経であろうよw)
で、(ここからが重要なことだがw)、
【そのままの意味、字句通りの読みをされては困るから】
【補足(説明)がされている(註釈が多く為されている)】んだよ。
で、「五蘊即是空」「空即是五蘊」は、【一方が、「性質として」他方の在り様の説明になってるから】だ。
また、梵文(=原典)では「yad rUpaM sA zUnyatA , yA zUnyatA tad rUpaM」と、
【(「yad ○○,tad ××」→「○○のような、そのような××」】という形で
『この色は空なる性質のものであり云々』という意味が表現されているわけだ。
さらには、玄奘訳に欠けている第一段目には「色性是空、空性是色」(rUpaM zUnyatA , zUnyatA eva rUpaM)とある。
*(同格による並列であり、evaが加えられることで
>>193 のような複雑な手続きではないが、
単純イコールでないことは、zUnya(空)に「-tA(性)」が付されていること、
3段に分けて(言い方を変えて)繰り返されていること、そして、他の経典との照合から明らかだろ?
ちなみに梵文は三段全て-tA付だw)
他の異訳、異本どれも三段で述べられており、玄奘訳だけが一段目を欠いている。
岩波文庫版の註(P26〜28)くらい読んどけw
そして、
>>184-185 を承けるなら、
≪一切が空性なる故に、【縁起するもの故に】、【その意味で!】、色と言われるものもまた夢幻泡影の如く空(性)なるものである≫
という形で、【「縁起」「空」という一味のものとして】、初めて素直なイコールで結ぶことが出来るんじゃないかい?
ワシはここまで。 あとは縁起馬鹿の添削待ちw
208 :
? :2010/03/22(月) 17:25:12 ID:fP3oAmdZ
209 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 17:48:22 ID:FV06tOpx
>>205 その「超大昔の」出典に、妄想や誤りがないと、どうして言えるのかね。
大昔には、現代のような完備した辞書や文法書は、恐らくは一冊もなかったのだよ。
どぅやって翻訳したのだろうね。恐らくは、間違いだらけだったと思うよ。
現代の翻訳さえ、二ヶ国語に完全に精通した者から見れば、間違いだらけであるw。
210 :
? :2010/03/22(月) 18:09:23 ID:fP3oAmdZ
>>203 の 続き !
>>195 様からの 小乗仏教(根本仏経)について !
お釈迦様に 一番近い弟子の 人々が まとめ あげた 一番初期の 仏教経典(小乗経典)の
三十七道品(さんじゅうしちどうぽん) の 五根 の 慧根 に ついて !
慧根とは 正しい 智慧を持つ為の 修行である!
この場合の 智慧は 四諦の法門 四諦の理を 悟る智慧である!
四諦とは 苦・集・滅・道の 事である!
第六 表面意識で 理解して
定(瞑想状態)に 入って
第六 表面意識よりも 深い状態の意識に
四諦(苦・集・滅・道)の 悟りを 体得させる!
それが 慧根である!
211 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/22(月) 18:32:19 ID:jy3NfW81
>>198 ?どの、お久しぶりです。
では、仏教における断見・常見について述べさせて頂きます。
これは仏教においては無記となってますね。
じゃあ、何故無記なのか?これには理由がございます。
人間が生誕し、その後において結果として死を迎える。
というような・・・そもそも時系列的な結果においての
「人間の死」というふうには捉えておらないのが仏教の根本義です。
(これは正法眼蔵にも、それらの記述はございます)
そうしますと人間の死を起点としまして、断見・常見がそもそも論理矛盾になりますね。
論理矛盾になるから、答えようがない。
これが無記の説明です。
人間の「生死」ってのは、そもそも一如の法門である仏教においては
迷いの象徴ですよね。
その迷いの象徴たる生死において、その後に断見か?常見か?
これで迷っておったら、到底涅槃には逝けんですよ。
涅槃ってとこは断見も常見も全くなきの如実知見なんですから。
「如」ってのは、つまり生も死も一如の「如」ですからね。
つまり人間、目の黒いうちに有余涅槃に到達するのが一番宜しいかと思います。
これが「不死」ですね。
一度死んだら、もう、断見も常見もないんですよ。
(人間、二度は死なない)
こういうことで、あろうかと思います。
>>209 アホがw
その >現代のような完備した辞書や文法書 は >「超大昔の」出典 の研究の成果なんだよ。
>>210 いい加減、スレチだからやめろ。
213 :
? :2010/03/22(月) 18:51:23 ID:fP3oAmdZ
>>211 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. さま!
→ レス ← 有り難う御座います!
何時もの事ながら 大変 勉強になります! 有り難う御座います!
そして ↓
「お釈迦様に 一番近い弟子の 人々が まとめ あげた 一番初期の
仏教経典(小乗経典)の → アーガマ 阿含経 ← 」 に
↑ 訂正して お詫び 申し上げます!
214 :
? :2010/03/22(月) 19:02:43 ID:fP3oAmdZ
>>212 様から!
「いい加減、スレチだからやめろ。」
↑ → レス ← 有り難う御座います!
あれれ? お経の 説明するのが 「 スレッド 違い! 」 なのですか?
→ レス ← 宜しく お願い 申し上げます!
215 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 19:07:55 ID:rJ2Gn4/7
>>212 >その >現代のような完備した辞書や文法書 は >「超大昔の」出典 の研究の成果なんだよ。
違う。言葉の正確な意味、特にそのニュアンスは、現在、それを話し言葉で使っている人にしか
わからない。現代語の辞書でも、出版された時点で、もう古くなっている。
古語の「正確な意味」など、把握するのは無理。せいぜい、推測に過ぎない。
それにしても、仏教とは仏すなわち覚りから還減された教えだろう。 大乗仏教のコアは釈迦一仏ではなく、だれでも分け隔てなく悟りに至り得る、ということだろう。 それぞれの顔に差異があるように、悟りの内容に差異がある、 つまり異なった仏説があるのはおかしいのか? 悟って仏となったものは捉われから開放されても、修行内容や性格が異なるから そこから観得る風景(俗世)が異なっても凡人としては当然だとおもわれるのだが・・・
217 :
? :2010/03/22(月) 19:36:20 ID:fP3oAmdZ
218 :
? :2010/03/22(月) 20:19:21 ID:fP3oAmdZ
>>217 の 続き !
お釈迦様に 一番近い弟子の 人々が まとめ あげた
一番初期の 仏教経典(小乗経典)の 雑阿含経 応説経 の 中で
「たとえ 私(釈尊)の 弟子だとしても
三十七道品 ↓
(四念処 四正勤 四如意足 五根 五力 七覚支 八正道) を
修行しない者は 輪廻の輪を 断ち切る事は 出来ない のである!
( ↑ 彼の 比丘は 終に 漏尽 解脱を 得ること 能はず!) 」 と
お釈迦様は はっきりと 明言されているようで 御座います!
>>214 いちびるのも大概にしとけよ?糞が・・。
196〜199までは、一応(コテに対する)問いかけということで大目に見てやろう。
200も、便乗質問ということで良しとしよう。
*ただ、これ、全部【1レスに収まる】内容・分量だからな。 読み難い書き方も止めた方がいい。
「読み難い」という理由で、(更には、ふざけてるレス・おちょくったレスと判断されて)、
スルーする奴も多い筈だ。私も君のレスに回答するつもりはない。ふざけてレスをしてると判断してるから。
217も、216への横レスということで許容しよう。補足レスとして成立している。
>>214 さて、問題は以下だ。
203・210は、既に『自ら阿含経について言及済み』なのだから、195へのレスアンカーは不要だ。
195氏をダシに使ってるようで、不愉快な印象を受けた。
なぜ195へのアンカーが要る?その内容だけ書き込めば済むことだ。
*尤も、誰からも問われていず、また誰に対しての答えでもなく、殆ど関連のない内容、
という書き込みの無意味さを少しは自覚しろ。机や隠居、渡海の妄想垂れ流しと同質だ。
*更には、195では(その文脈から)「小乗仏教」という呼称で「部派仏教」「有部(の論書)」を指していると思われるのに、
自分のレス内では「根本仏教」と括弧書きする姑息さ。反吐が出る。
文脈も、【まるで195氏が】【根本仏教を指して小乗仏教と言った】かのような作文の仕方。
実にイヤラシイ・・。 レスアンカーが付いているので印象操作としては更に悪質だ。
218も、217を一応受けてはいるが、まったく無関係の内容にシフトしている。
*輪廻の話題なぞ出ていない。 せめて、216に絡めて、《個々に適した教えが説かれたのであり、
この経(のこの台詞)は、輪廻を前提とし信じる者へ説かれています》
とでもすればまだ可愛げがあるものを・・・。
で、 214>お経の説明するのが
現時点で誰も要求してないし、誰も必要としていない。それを垂れ流すようなら、
何とも思わない感性ならば、上記3者と同様の悪質さに変わるぞ。
>>214 君のレスが不真面目なものに見える理由は以下。
・無駄な改行、無駄なスペース、無駄な矢印、無駄な言葉が多い。 →ふざけていると見られても仕方ない。
・「問われていないこと、質問でないこと、関連しないこと」は、単発レスでなく延々と継続させる気配がある。
→しつこいと、上記3者と同類と見做されても仕方ない。
・無意味なレスアンカーの意図も不可解。関連する内容ならまだしも、無関係な内容をアンカーするのはなぜ?
→アンカーを付けることで「質問スレに適ったレス」的なイメージを演出したいのか?
※今回なぞ、195氏に失礼と思わないのか?あまつさえ勝手に捻じ曲げといて・・。
てか、まさか、まさか、「一在家」じゃねーだろうな?
内容や問いかけ方、主張の仕方、言い回し・絡み方、・・・
なんか、急に臭ってきた・・・ orz
222 :
216 :2010/03/22(月) 21:09:16 ID:WruGzVz7
>>217 >>218 >三十七道品
それって修行法のことでしょ。
それぞれの悟りからの言語化である仏説に差異があるのはおかしいのか?ということです。
223 :
216 :2010/03/22(月) 21:14:55 ID:WruGzVz7
>>217 >>218 >お釈迦様は はっきりと 明言されているようで 御座います!
それに、なんでお釈迦様の明言だとあなたは断定されるのですか?
単に書いてあるから、だけですか?
224 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 21:51:39 ID:0ixs9aRf
>>165 次に「煩悩即菩提」です。
攝大乘論釋論 (No. 1596 世親造 笈多譯 行矩譯 ) in Vol. 31
T1596_.31.0316a13: 以惑至惑盡 佛具一切智
T1596_.31.0316a14: 煩惱即菩提 生死寂滅體
T1596_.31.0316a15: 有大方便故 如來不思議
これは
>>186 でセブンが国訳を引用してくれたように、
完全に悟った一切智を得た仏にとって「煩悩は悟りである」という文脈です。
『大乗荘厳経論』で説かれる「煩悩即菩提」とは、空性という法界では、
煩悩や菩提といった仮設はなく、平等であるという意味です。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/30.html いずれにしろ、世俗の現状肯定ではなく、勝義の文脈です。
225 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 21:55:37 ID:0ixs9aRf
226 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 22:06:03 ID:0ixs9aRf
>>195 >>206 でセブンが解説してくれてますが、木村先生のその本と『小乗仏教思想論』は必読ですね。
あとは岩波講座東洋思想『インド仏教1』の榎本文雄、加藤純章
水野弘元先生の諸論文と国訳一切経の解説、
平川彰先生のアビダルマ関係の諸論文あたりを読んだら、
以下あたりから実際に読んでみるのがいいと思います。
木村先生と水野先生だけ読んで以下に入るのもありかもしれません。
http://www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1035.html 必要でしたら、梵蔵も読んでください。
どんな文献があるかは、『梵語仏典の研究』論書編や
カール・ポッターのアビダルマ巻が書誌学的に便利だと思います。
227 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 22:11:39 ID:0ixs9aRf
>>222 そうか、逆だったか・・。 すまん、斜め読みだった・・orz
|
|゚)
|
>>224 私的読下しだよ・・。
合ってるかどうかは、さほど自信はない・・・w
|
|゚)
|
>>225 いやいや・・・
何を任されればいいんだ・・・?w
つか、何で俺?www
|
|゚) ・・・・・・
|
(とりあえず、単純イコールでないこととだけは判ったw)
|
|彡サッ
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229 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 22:37:20 ID:iYGm+32V
>>224 >いずれにしろ、世俗の現状肯定ではなく、勝義の文脈です。
意味全く不明。「世俗的なことにもとづいて」説明してください。
>>229 歌舞伎の書割を横から見ると一枚の板に見えるが(勝義)、
正面から見ると松の大樹越しに富士山を眺望するようなもの(世俗(諦))、
ってことだ。
これで解らなきゃ、猫に蹴られて氏んじまえw
232 :
血祭り魔王 :2010/03/22(月) 22:47:51 ID:FHN6nTzi
相変わらず、すぐ非実用な知識自慢レベルに落ちるなあ、 妄念読解文献クン=縁起一代クンの病気の威光だなあw、 最近、唯識の三昧に結構勝手に入るw 利益あったのはワシだけらしいw 次は、南方仏教修道レベルでしつけをしてやるかw
233 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 22:55:38 ID:inRQgBbM
>>224 >完全に悟った一切智を得た仏にとって「煩悩は悟りである」という文脈です。
これも意味不明。「完全に悟った仏」にとっては、煩悩はもはや関係ないはずだろ。
ここは、一般向けのスレだから、「通常人にも解る言葉」で説明してくれ。
それから、「中村先生」「水野先生」など、他人の「借り物」の見解ではなく、
君自身の独自の見解はないのかね。
234 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 23:00:49 ID:vaD6i1NQ
>>231 アホですか。歌舞伎とは、前から見るものですよ。横から見たら、歌舞伎など
解らない。そもそも、歌舞伎にならないw。初めからナンセンス。基地外ですか。
235 :
血祭り魔王 :2010/03/22(月) 23:02:10 ID:FHN6nTzi
233の隠居、マジで褒めちゃいそうw 実用的でない知識だけだからなw 妄念読解文献クン=縁起一代クン達は。 隠居の書き込みが説得力がありそうに見えるw まあ、単に連中が非実用な知識レベルで垂れ流すだけだからなw
236 :
血祭り魔王 :2010/03/22(月) 23:12:08 ID:FHN6nTzi
しかし、笑えるなあw 妄念読解文献クン=縁起一代クン達よりも、 異常な隠居の書き込みの方がまともに見えるw 非実用な知識レベルで垂れ流す限り、 異常な隠居の書き込みの説得力ありそうだw まあ、隠居の妄想は、 日常重視、事実認識を重んじる南方仏教、チベット密教を知らないことw オウムは帰依する相手はシバ神と麻原、 これを唱えているw ヒンズーのシバ神なんて、日常重視、事実認識を重んじる必要なしw 隠居と同じw まあこのスレの非実用な知識レベルで垂れ流す連中も 日常重視、事実認識を重んじる必要なしw
>>233 >「通常人にも解る言葉」
軽薄カウチポテトが馬鹿笑いできるレベルの言葉のことか?
行動しなければ、感じられないことばがある。
行動して泥の中でのたうちまわったあげくの、血反吐のことばを出せ。
おまえは実際にどういう行動をした?
言ってみろ。
通常人とは誰のことだ?自己中な自分のことか?
そんな御都合主義の像があるのか?
238 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 23:21:51 ID:0ixs9aRf
>>228 ちょっとそこまでできないから
>>229 すいません。生命教には答える気がないので、
もし、生命教でないなら、「生命教ではないけど」と一言書いてください。
もし、生命教なら、質問しないでね。生命教や机、大王イカに答える気はないので。
>>230 まあ、雑な仕事だけど、チベットは読めるから。
239 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 23:22:28 ID:YvPzxdX+
>>224 先日から、セブン氏からもお願いしている、中論24:10の、「世俗的なことに
もとずかなくては、第一義は説示し得ない」の原文を挙げていただくようお願い
します。セブン氏の回答を検証したい。
それから、あなたの「煩悩即菩提」の説明は、大乗仏教徒や大乗学者一般の解釈
ですか。そんな解釈では、外には出せない、即ち、日本の仏教徒の前では語れない
のでは。信徒は呆れて逃げ出しますよw。佛教は、釈迦の精神的オナニーの
話ではないはずですよ。
240 :
238は妄念読解文献クン=縁起一代クン :2010/03/22(月) 23:26:35 ID:FHN6nTzi
238妄念読解文献クン=縁起一代クンは高飛車、俺は偉いぞ妄想激しいですなあw 知識が増えると高飛車、俺は偉いぞ妄想が激しくなるそうですなw
241 :
238は妄念読解文献クン=縁起一代クン :2010/03/22(月) 23:28:23 ID:FHN6nTzi
224妄念読解文献クン=縁起一代クンは修道ゼロ、 知識が増えると高飛車、俺は偉いぞ妄想だけですから 回答不能でしょうw
>>234 アホですか。歌舞伎を横(≒舞台袖)から見るのが仏教ですよ。前から見たら、仕掛けが
解らない。そもそも、仕掛けに気付き、知るのが仏教ですw。夢中にならずに見るのです。
正面からどっぷり夢中にならないようにするのです。初めから座る位置が違う。欲望マンセーですか。
>>239 ツッコめなくなると、「日本の仏教は・・・」とか「一般向け」とか「通常人」とか言い出すw
市井の坊さん達も、程度の差こそあれ「ちゃんと学び、(観察し)考察し、頷いてきた」人達は、
このベクトルをベースにしてるよ。言葉や語り口は違ってもね。
【君が何にも知らないだけ】さ。
野次しか入れない精霊大王も、こんな御隠居に似てきたんじゃないか?
りょんが、がっかりするんじゃないか?w
つか、以前は一目置いてたけど、精霊大王もハッタリ&釣りなんじゃないかって気がしてきたよw
243 :
238は妄念読解文献クン=縁起一代クン :2010/03/22(月) 23:34:16 ID:FHN6nTzi
242へ、 231の説明は難しいぞw 君もハッタリかもよw 今日は怠けの日だw。 難しい内容を質問箱スレでやる神経の異常さ、のみの指摘の、怠けの日w
244 :
238は妄念読解文献クン=縁起一代クン :2010/03/22(月) 23:36:38 ID:FHN6nTzi
難しい内容を質問箱スレでやる神経は 大乗仏教の立場なら、菩提心が疑われるなあw 衆生済度よりも、知識自慢オナニー選択というのもなあw
246 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 23:38:09 ID:29u9sMjj
>>238 生命教って、あなたも専ら生命で仏典読んでるのだから、立派な生命教では
ないのですか。あなたは、生命捨てて、仏典読めますか。宗教やれますか。
釈尊も例外ではありませんね。
あなたのサイト見たが、文章が全く理解不能。そもそも論理がない。
チベット語などやる前に、日本語と人間としての論理を学んだらどうですか。
それに、あなたのサイトに「イエス」が出てくるのは何故?あなたは、仏教と
キリスト教の「掛け持ち」なのですか。異常な感じを受けました。
247 :
ご隠居ウィルスバスター :2010/03/22(月) 23:41:45 ID:FHN6nTzi
たとえば、パソコンは電気で動くから、パソコンは電気の原理そのものなのか? 人間は生命で生存しているなら、人間は生命原理ならば。 隠居説の異常性。
248 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 23:47:18 ID:0ixs9aRf
>>247 ただの屁理屈屋なんだから、読むだけ無駄。
認識もおかしいかもしれない。
見えるはずのないイエスを見てるとことか、大丈夫か?と思う。
249 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 23:57:36 ID:8dERLqhj
>>242 歌舞伎を前から見ないで、専ら横から覗き込むのを、「基地外」という
のだよ。
「欲望マンセー」などというが、「欲望」は、すべての人間に通用する
「法」である。「自分の解脱」のために、生活を離れた修行に現を抜かす
君たちの姿こそ、「欲望の塊」ではないのかね。
小乗仏教は、開祖盲信、経典盲信のカルトという私の予言は見事に的中
した。釈迦がそのカルトの教祖であることは、ダニヤの章からだけでも、
あまりにも明らか。
小乗は、やはり私の10年前の予言通り、キリスト教と全く同じく、開
祖の精神病の感染の結果としての「具象性を欠く精神性の異常肥大」と
いう精神病の症状に過ぎない。
250 :
195 :2010/03/23(火) 05:43:58 ID:V81Hs/+j
>>200 自分は枝末分裂以後の部派仏教時代における説一切有部について聞きたかったのです。
紛らわしい聞き方をして申しわけございませんでした。
>>206 ありがとうございます。
「仏典解題事典」(春秋社)をとりあえず手に入れて、自分でいろいろ調べてみようと思います。
以前は父に指導していただいていたのですが、自分はこの春から大学生になりますので、
それに向けて先生方に失礼がないように予備知識を入れておこうと思い質問させていただきました。
今回、小乗という呼称を使わしていただきましたが、
現在では部派仏教や宗派仏教やアビダルマ仏教という呼称が正しいものだとは知りませんでした。
気分を害されたのなら申しわけございませんでした。
>>226 大変素晴らしいサイトを教えてくださってありがとうございます。
こんな便利なものがある事を自分は今までしりませんでした。
教えていただいた『小乗仏教思想論』と木村先生と水野先生を読んで
國譯一切経に取りかかってみようと思います。
自分はサンスクリットもチベットも触ったことすらなくまったく読むことができませんのですが、
集中的に学習したらどのくらいである程度読めるようになりますでしょうか?
251 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 05:49:06 ID:w0vn8e5v
>>207 >「色性是空、空性是色」
中国語では、「色性是空、空性是色」も「色即是空、空即是色」も、意味は全く同じ。後者のほうが、
引き締まった訳文である、「是」とは、英語の"is"に相当する動詞。「我是日本人(wo shi riben ren)
(私は日本人です)」。「即(ji)」も、その文語体の強調形の動詞(「とりもなおさず・・である」
「ほかでもなく・・である」の意味。「就是」ともいう)。
「性」付けたのは、「色(という性質)」「空(という性質)」の意味で、「色」「空」と特段の意味
の相違はない。
「色(性)」と「是空」とが同格などと考えているのなら、それは語学的に誤り。同格ではなく、
叙述文である。
従って、「煩悩即菩提」は、「煩悩とは、とりもなおさず菩提である」の意味。ややこしく考える
必要は、全くない。
252 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 06:12:52 ID:h5dHbi69
253 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/23(火) 07:30:00 ID:m88L/O1g
>>242 セブン氏
>アホですか。歌舞伎を横(≒舞台袖)から見るのが仏教ですよ。
紙の表が色で、裏が空の、貴殿の書込みからは少し進歩したようだが・・・
やはり譬えが悪い。
空とは側面から観るのではない。
観点そのものがないということだよ。
つまり主観がない。ないなら、煩悩も菩提もない。
これが空性。
これは妄想ではない。
>机や隠居、渡海の妄想垂れ流しと同質だ。
>>220 「妄想」について、少し勉強するように。
カァ〜〜〜ツ!!!
>>253 >空とは側面から観るのではない。
>観点そのものがないということだよ。
>つまり主観がない。ないなら、煩悩も菩提もない。
>これが空性。
零点。やり直し。
世俗の表現(言語習慣)に依存しないでは、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。 だが、世俗の表現(言語習慣)に依存しても、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。 究極の真理(勝義諦)に到達しないならば、ニルヴァーナ(涅槃)を体得(証得)することはできない。
256 :
1/4 :2010/03/23(火) 18:31:01 ID:vEdVWnTJ
>>251 都合の悪い部分はいつもスルーだなw
>>207 では「中国語ではどうか」という話はしていない。【その前段階】の話だよw
ほっとこうかと思ったが、初学者が覗いてるんで一言二言入れとく。
*(見返してみたら、mは連声でのアヌスヴァーラのようなんで脳内処理宜しく。)
>「色(性)」と「是空」とが同格などと考えているのなら
ワシの書き方が曖昧だったせいもあるが「中性・主格・単数」と「中性・主格・単数」が併記され、
慣例として前の語が主語、後ろの語が述語として読むからだよ。
同格と言ったのは、どちらも「主格(Nominative)」という意味だ。
勿論、後ろの語を主語として読み(訳し)前の語を述語として読む(訳す)こともあり得る。
(ここら辺は翻訳の際のテクニック、修辞法の範疇だが・・・)
また、前後の(或いは複数の)語の「どれか一つがメインの主語で他は形容詞として読む(訳す)」
ということもある。またそれは主格のみに限らない。(パーリの例ですまんがw)
「namo tassa bhagavato arahato sammA-sambuddhassa」も、namo以外は為格(Dative)の併記だ。
namo(礼拝・帰敬・帰依→礼する・帰依する)が述語扱いであり動詞として扱う。(名詞として訳しても構わない)。
この意味での同格だよ。 語学的に誤りだぁ? 笑わせんなw
*ちなみに、「色不異空、空不異色」は「rUpAn na pRthak zUnyatA , zUnyatAyA na pRthak rUpam」
だが、語形変化を追いきれず、一句目rUpAm,-nが強語幹なのかAcc.pl.なのか、
二句目zUnyatAyAがどの形なのか解らんので、保留。 (Sktは複雑で嫌いだ・・w)
(意味としては「前者は後者と別のものではない」となる筈だが・・。
※御隠居が歓喜しそうだなwww
>>193 を百億回読み直しとけw)
※また、ここでも
>>184-185 (或いは
>>224 )の視線が重要となる。
257 :
2a/4 :2010/03/23(火) 18:33:29 ID:vEdVWnTJ
>>251 >「性」付けたのは・・・云々
アホですかw 翻訳元で既に区別されてるんだよ。で、「色性(rUpa-tA)」などと言われていない。
この差異(→「色(五蘊)」を「性質」としていない!)は重要だよw
「色(rUpa)」はあくまでも「色(rUpa)」だ。 そして、単に「zUnya」でなく「zUnyatA」である意味も・・・。
異訳に「性」が付いてるのは、「同格の併記だから、後者が性(質)を指すので“合わせて”「性」を付したものと推測される。
その意味では【これら異訳(「色性是空、空性是色」「色空、空性見色」)は該当箇所を君の言うように読んだ】ということになる。
(※敦煌出土の異本は一段目が「rUpaM 【 zUnyaM 】 , zUnyatA eva rUpaM」らしいw この辺も触れられてるかも。)
(※玄奘の意図がどこにあったかは、縁起馬鹿が@Wikiに挙げてくれたURLの論文で触れられてるかもしれない。
一段目の曖昧さ・ブレ故に削ったのかもしれん。)
(※つか、(専門的である必要はないけど)、心経云々するなら、せめて岩波文庫くらい目を通しとけよ・・・ orz )
君は異訳の一つ(普遍智蔵般若波羅蜜多心経/法月訳)を支持するわけだな。
もう一方(智慧輪訳)はどう位置付けるんだい? 更には玄奘が削った意図は?
ま、「性」の付加同様、どうせ「全部同じことを言っている。3段だろうが1段だろうが一緒」と言いそうだが・・・w
*雑記: 羅什訳、良さそうだね。施護訳も詳細だな。(大正蔵経の心経7種:TextNo.250〜257)
258 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 18:33:30 ID:dDiPefB9
>>255 >世俗の表現(言語習慣)
「原文」には、そのような「限定された表現」がありますか。原文を挙げて
ください。
平川彰氏の訳文では、「世俗的なことにもとづかなくては」となっており、
「言語習慣」に限定されてはいません。
259 :
2b/4 :2010/03/23(火) 18:37:19 ID:vEdVWnTJ
話がズレた。(或る意味ROM者の為の)本題。
陸上競技で「走り」という言い方をすることがある。野球やゴルフで「スイング」と言う時がある。
今、「動き」を例にすることになるが、後者を『バットを振ること』と言い換えて拾ってみる。
ある引退選手が会見でこう発言したとする。
「【(私にとって)】《バットを振ること》は《野球人であること》そのものでした。別物ではありませんでした」と。
また或る選手は言った。
「【(私にとって)】《キャッチャーミットへ投げ込むこと》は《野球人であること》そのものでした。別物ではありませんでした」と。
これも、「即」で接続することが可能な事例だ。これが「動き」でなくとも「性質」「所有要素」であっても同じだ。
単純接続が無意味なことが解っていただけるだろうか・・。
手順を踏んで初めてイコールだということが解っていただけるだろうか・・。 参:
>>193 ※また、だから、五蘊一括だけでなく、五蘊一々が個別に述べられる。そして再び「一切空」へと繋がってゆく。
260 :
3/4 :2010/03/23(火) 18:39:47 ID:vEdVWnTJ
>>253 その方向性で言うなら、或いはそのように文中の要素を即物的に捉えるなら、
「空(空性)」を譬えることは不可能だ。(その意味でも言語化不能と言い得るのだろうが・・。)
(以前の《一枚の紙》の時もそうだ。頓珍漢な評をしおって・・・。 てめぇこそ「喝!」だw)
ブラウン管の三色融合、モニターのドットや電光掲示板の点滅、ムクドリや鯵の群れ、
或いは量子論の視線を持ってくる者もいるだろう。
だが、それら全て、何を用い、どのように譬えても、
そこで説明の為に必要な《「最小単位としての」「(個物の)実在・存在」を拾い上げる》なら、
「空(空性)」の解説とならない。それらを超えた、もう一つ先のことだから・・。
だから、譬喩表現に於いては「捨象という作業、前提、約束」が必須なんだよ。
それは、「空(空性)」に限らず、何を譬えるにしても一緒だ。
上記のような譬えをした時、
やれ「鯵は云々」「ブラウン管という“場”が云々」「ドットが云々」「個々の電灯が云々」「原子・粒子が云々」
などと言い出したら、そこで話は終りだ。(別スレだったか、以前の蝋燭の譬えも同じだ。)
「世俗的なことにもとづかなければ」というのは、まさにこういうことだよ。 >>御隠居
(※
>>255 は、狙って待ってたかのようなレスだなw 原文は知らんw)
261 :
4/4 :2010/03/23(火) 18:40:53 ID:vEdVWnTJ
>>249 >>253 御隠居も机も、喩え話への無理解には驚愕するばかりだ・・・w
(反論・横槍の為に敢えて「拾い上げてる」ということなのかもしれないが・・・。)
本来なら「捨象する要素」だが、100歩譲って拾い上げて言えば、
「歌舞伎を正面から見る」ということは「世俗の愉しみに(欲望に)耽溺する」ということだ。
そしてそれを、「出家し、違う視線で見る」ということが「舞台袖から見る」ということとしてもいい。
で、御隠居は、前者を至上の、絶対的価値とし、後者を間違った姿勢として完全に切り捨てるので、
「決して交わらない平行線」だと評した。(だから縁起馬鹿はスルーの態度を固めたのだろうw)
Snダニヤの章(の読み方)も全く同じだ。
また、その本来捨象すべき要素を拾い上げて、机的に(決して
>>253 ではないぞw)言えば、
「正面から見ながら、〈見ている景色が板に描かれたものである〉ことに気付く、知る、頷く」
のが仏教的姿勢だよ。 気付く為の手段(360度廻って見るとか横へ回って見るとか)はさておき・・。
※(ぐるっと周回してみるのが漸、正面から見据えたままが頓と言ってもいいかもしれんが・・・w
或いは横から見るのが論や註釈或いは経中の詳説、正面からのみ見るのが禅、
という言い方も出来るか・・w が、いずれにしろ譬え話の域を逸脱している。)
単に目の付け所の違いを言ったまでなんだが、
ここまで「即物的に」解釈されたら、君等には譬え話は使えんな・・・www
262 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 18:44:34 ID:/m1cfZaN
>>218 >修行しない者は 輪廻の輪を 断ち切る事は 出来ない のである!
読みにくいレスですw どうせ誰かさんの自演でしょw
では、何千年も経ったのですから、その<修行の成果>とやらを
万人に分かるように証明して下さい。証明出来ないことなら誰でも
言いたい放題です。悪く言うと<詐欺>と同じ手口w
死人に誰もお目にかかったことが無いのと同じく輪廻の輪を断ち切った人
にも誰も今までお目にかかったことがありません。
オウムのアサハラが最終解脱したと自己申告で喚いてましたが・・w
その結果は万人にもよ〜く分かりました(笑
しまった・・・orz
>>256 後者「中性・主格・単数」の“中性”は“女性”(女性名詞)の間違い。
推敲したつもりだったが、コピペしたままだった・・・。
Sktできる人は、他にも添削宜しく・・・。 申し訳ない・・・orz
264 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/23(火) 19:07:45 ID:m88L/O1g
>>260 >「空(空性)」を譬えることは不可能だ。(その意味でも言語化不能と言い得るのだろうが・・。)
釈尊の出家当時というのは、バラモン教の影響で瞑想に耽っていたんだろう?
ところがそういった経験においての究極的に逝くつくと、事物においては断定することは不可能だ。
ということに気づいてくる。
これが中道となる訳だけど、
言語化不能ってのは、言語は断定するからだよ。
これを暗黙の了承においての・・・・
>「世俗的なことにもとづかなければ」というのは、まさにこういうことだよ。
ここ↑に繋がる。
しかし第一義は「断定不可」だよ。それを世俗言語慣習に従ったとしても
「断定不可」は全く変わらない。
これを理論体系付けたのが龍樹でして、
中論は一貫して断定的なものは記してない。
無記は断定できない象徴となっておりますが、それをもっと突っ込むと、
そもそも主客とは何ぞや?ってことになり、
その主客対立における、妄想とか輪廻転生とか、そういった類が想起する訳はない。
265 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 19:21:16 ID:td5ED2vN
>>246 >あなたは、生命捨てて、仏典読めますか。宗教やれますか。
釈尊も例外ではありませんね。
>>249 >「欲望マンセー」などというが、「欲望」は、すべての人間に通用する
「法」である。「自分の解脱」のために、生活を離れた修行に現を抜かす
君たちの姿こそ、「欲望の塊」ではないのかね。
さ〜すが〜!!頭脳明晰〜!!(・∀・)ノ
立場が違っても国が違っても、誰もが生きていることは例外無く
■ <生命からの意図!> (・∀・)ノ
文句のつけようがありませ〜ん!!万〜全で〜す!!
■「色即是空、空即是色」■
↑ も凜として美しい響きで感じいいねン〜(・∀・)ノ
266 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/23(火) 19:23:11 ID:m88L/O1g
>>261 >単に目の付け所の違いを言ったまでなんだが、
>ここまで「即物的に」解釈されたら、君等には譬え話は使えんな・・・www
いやいや、私は「貴殿は進歩した」と褒めておるんですけどw
紙の表裏よりは、譬えとしたらイイですよ。
貴殿のスタンスは分かってますから(笑
つまり、「仏教は世俗諦で語ちる」ってことなんでしょ?
貴殿の文章は興味深く読ませさて頂いております。
>>258 >原文を挙げてください。
あのな、龍樹の中論24-10からの引用だとは書いていない。
俺の文言だ。
中論24-10が俺の文言に似ているだけであって、とくに2行目は龍樹の文言にはない。
こーゆーのって増広ってゆー奴もいるが、そーではない。
だから
>>255 そのものが原文だ。
「説く」は主として言語論理によらざるを得ないのだから(空気嫁とかゆー奴もいる)、
当然だろう。
268 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 20:27:28 ID:DJ+X/w/2
>>256 >
>>207 では「中国語ではどうか」という話はしていない。【その前段階】の話だよw
詳細な論考多謝だが、私は専ら「『中国語』としての訳文」の話をしている。
パーリやサンスクリットは「死語」であり、「死語」をいくらやっても、現実
生活にはクソの役にもたたないw。死語を教えて飯を食ってる人もいるけどねw。
なお、古代においては現代のような語彙論も文法論も全くなかったのだから、
それらの点からいくら突っ込んでもあまり意味はないのではないか。あくまで、
現代人としての論理で、意味を合理的に推測する以外には方法はない。辞書も
文法書も無かった当時の翻訳者にとって酷ですよ。彼等の翻訳は「間違いだらけ」
だったと考えていてよい。現代の翻訳でも、二ヶ国語に完全に精通した者から
みると、無数の間違いが見出されるのだから。
「即物的」と言われるが、少なくとも人類は、即物的であったからこそ、現在まで
生存していることを、片時も忘れてはならない。人間の心身は、生存に不必要な
ものは、知覚しない、思考しないようにプログラムされているのです。ありと
あらゆるものを知覚できたり、思考できたりすると、人間は間違いなく狂い死に
しますよw。歌舞伎を横から見る者も出てくるw。
たとえ話には、百人百様の解釈が可能なのは必然的。話者が、自分でも、ストレート
に話せるほどには自分の思考対象を理解してはいない、まとめ得てはいないから、
たとえ話をするのです。聖書の多数のたとえ話が、その好例。従って、あらゆる
突込みが可能になり、解釈についての混乱を招くのです。
269 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 20:41:58 ID:h5dHbi69
こんなパーニニも知らない、ドキュンと話しても無駄だって。
270 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 20:51:50 ID:NT+Zckvg
>>267 >「説く」は主として言語論理によらざるを得ないのだから(空気嫁とかゆー奴もいる)、
>当然だろう。
竜樹ともあろう者が、そんな「当然のこと」をわざわざ言う訳がない。
あなたの第一文と第二文とは、論理矛盾してますね。
あなたの「究極の真理(勝義諦)」なるものは、一体どうやって「検証」したのかね。
「検証」できないものは、「真理」とは言わない。単なる「妄想」に過ぎない。
>>268 自分がどれだけおかしなことを言ってるか判らんらしいなw
1 2 3
インド 中国 日本
○ → □ → □
「もともとは○ですよ」という話だよ。
君は○の心経を無視して□の心経を支持するわけだ。
(それは、『〈(君の好きなw)日本の〉心経でもないんだけどね・・w)
だが、□は○をベースにしてるわけさ。だから、違いがあるなら、「そこで改変・変化があった」ということだ。
□と共通の視線■を前提にし、絶対視するなら、そりゃ「□は素晴らしい!」となるだろうよw
そしてさらに、あろうことか、■が原初(1)だとまで言いかねない勢い。
(他の事は、そう言っているよな?w 自分の勝手な妄想を竜樹起源だと・・・w)
だから、色も形も違うぞと言っている。仮に大きな・重大な改変・変化があったにせよ、それを1へ持ってくるな。
「変化の後の□を(■と共通する故に評価する」と普通に宣言すれば済むことだ。
最初は1・2・3通しての心経の話だったよな?君は、「2から」の話に限定はしていなかったよな?
区別してなかったよな? だから、「1の段階はこうですよ」「色は白ですよ」と提示した。
で、1としての○が提示されたら、今度は2からの話だと?(色は黒だと?) 笑わせんなw
>私は専ら「『中国語』としての【訳文】」の話をしている
だから、『どんな文を訳してるのか』が大事だろ?w それを「無視して構わない」と?
もし、訳者が原文無視で創作していても、自分の基準に合ってればOKなわけだwww
それを、≪自分勝手な妄想で読む≫と批判されてるんだよ。
しかも、解釈すら自己流となれば、「妄想」と言わずに何と形容ができようか・・・。
>>268 さらには、
>彼等の翻訳は「間違いだらけ」だったと考えていてよい
と来たもんだw
ハア?(゚д゚)?
「彼等」って誰よ?www 今回のケースでは漢訳者しかいないわけだが・・。
「《君が支持する漢訳心経》が間違いだらけ」ってこと?w (とんでもない自爆だなw)
まさか、いくら御隠居でもそこまで馬鹿じゃないよね・・・?w ね?
まさか、まさか、Skt本を翻訳と称してるんじゃないだろうな・・?
まさかね・・。いくら御隠居でもそこまで馬鹿じゃないよね・・・?w ね?
>「即物的」と言われるが・・・・・・云々
あのな・・・(^^;
そういうことじゃなくて、長部第2沙門果経に、こういう譬えがある。
「マンゴーについて問われながら、ラブジャについて説明したり、〜〜」と。
今風に言えば「リンゴについて問われながら、バナナについて説明したり、〜〜」という感じだ。
この時の譬えの意味は『《問われたこととは別のこと》を説明して、結局《問いには答えていない》』
ということだ。(誰かさんが思い浮かばないか?www)
ここで、『同じ植物だ』とか、『リンゴというのはコレコレこのようなもので、
バナナとはこのようなものだから譬えにならない』と言うよなものだ。
ここでは『違う植物である』という点だけが譬えとして利用されてるんだよ。
それを「リンゴは云々、バナナは云々」という態度を「即物的(読み)」と評したんだよ。
解る? 君の
>>249 はこの典型なんだよ。
最後の段一行目の指摘だけが、原理的にはその通りなわけさ。
これに関しては何も言わんよw
(ただ、同時代人として、常識と一般教養ある成人男子として、【これまでの対話の流れに】あずかる者として、
共有できる枠組みと要素の選択だと思ったんだがね・・。 甘かったようだ・・・w)
>>266 あのな・・・(^^;
一枚の紙の譬えを出した時の文脈(スレの流れ)を憶えてるか?
《肉体(或いは現に存在する自己)の尊重》という絡みじゃなかったか?
だから、あの場面ではあの譬えでいいんだよ。
で、今回はその側面がないんで「書割」でいいんだよ。
(ついでに言えば歌舞伎でなくても書割でなくてもいいw)
君も御隠居と同じく、 >たとえ話には、百人百様の解釈が可能なのは必然的 だから、
譬え話は無意味という考えかい?
それとも、捨象すべき要素は「捨象してください」、
使用すべき要素は「捨象しないでください」「この点を使用してください」と断り書きしろと?
それじゃ譬えとする意味が無いwww そのまま冗長に述べ連ねるのと変わりない。
解る?
>>270 >あなたの第一文と第二文とは、論理矛盾してますね。
矛盾と感じるのは、ひとえにおまえが愚かだからだ。
>一体どうやって「検証」したのかね。
時空際断において何をせよというのかな?
這いずり回るゴキブリがいえる事はその程度かw
もう一言添えておこう。 心経で述べられているのは「色即是空、空即是色」だけじゃない。 「受想行識亦復如是」とあるように、 「受即是空、空即是受」「想即是空、空即是想」「行即是空、空即是行」「識即是空、空即是識」、 すなわち『五蘊即是空、空即是五蘊』だよ。
276 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 23:58:56 ID:z1LioXE2
>>274 >時空際断において何をせよというのかな?
>這いずり回るゴキブリがいえる事はその程度かw
ゴキブリだって、食べ物の場所をその五感でちゃんと検証しているぞ。
検証もしないで「究極の真理(勝義諦)」などと意味不明な妄言を吐く君らは、
ゴキブリ以下w。ゴキブリに生き方を学べ。
277 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 00:13:01 ID:E332scS5
>>271 >だから、『どんな文を訳してるのか』が大事だろ?w それを「無視して構わない」と?
>もし、訳者が原文無視で創作していても、自分の基準に合ってればOKなわけだwww
一生懸命言ってくれてることはよく分るが、何かが抜けてはいないか。
大昔の翻訳が「間違いだらけ」なら、「訳文」が現代人の論理で合理的に解釈
できれば、それでよいのでは。それ以上、原典にこだわるどんな理由と必要性が
あるのかね。その原典自体も、それほど当てになるものではあるまい。
>>267 ゴキブリ隠居
>意味不明な妄言
意味不明と感じるのは、ひとえにおまえが愚かだからだ。
存在に捉われている愚かなおまえには、龍樹をも誤読する。
時空際断においては本質なるものがありえないゆえに、
検証自体がありえないのだ。
『しかるに、“如来は存在する”という深い執着に捉われている人(ゴキブリ隠居おまえだ)は、
ニルヴァーナに入った(入滅した)如来については“如来は存在しない”と考えて妄想する。』(中論22-13)
『しかし、如来はそれ自体(自性)としては空であるから、その如来について“入滅後も存在する”とか、
あるいは“入滅後には存在しない”とかいう思考は正立しないのである。』(同22-14)
『およそ如来の本性なるものは、すなわちこの世間(世界)の本性である。
如来は本質をもたない(無自性の)ものである。
この世界(世間)もまた本質をもたない(無自性の)物である。』(同22-16)
真実のブッダとはわれわれの経験している本質なき本性たる無為の世界<真実のブッダ>にほかならない。
世界は本質をもたない。
ゆえに言語論理(名称と形態)によってサンスカーラ「世界」をつくるのである。
ゴキブリ隠居は愚か過ぎる。
279 :
278 :2010/03/24(水) 08:10:27 ID:kOlrgwh3
訂正 ・× 存在に捉われている愚かなおまえには 〇 存在に捉われている愚かなおまえは ・× 思考は正立しないのである。』(同22-14) 〇 思考は成立しないのである。』(同22-14)
280 :
278 :2010/03/24(水) 08:13:15 ID:kOlrgwh3
訂正 またゴメン × 本質をもたない(無自性の)物である。』(同22-16) 〇 本質をもたない(無自性の)ものである。』(同22-16)
281 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 08:39:10 ID:f5Ud/kFF
わろた。そんなヤツ相手にすんな。
282 :
195 :2010/03/24(水) 09:02:11 ID:cVcbcZhl
>>252 了解しました。
『阿毘達磨論の研究』から読んでみようと思います。
紹介してくださったサイトを見ながら1.2回生でしっかりサンスクリットを勉強していこうと思います。
いろいろご教授していだだきまして、本当にありがとうございました。
>>277 自分の言っている無茶苦茶さに気付けないようなんで、解り易くしてやるよw
> 大昔の翻訳が「間違いだらけ」なら、
→自分が引用し、参照し、参考にしている漢訳仏典が「間違いだらけ」なら、
→次の項を参考にすれば、《論理的・合理的に解釈できない場合がある》ので、
《それは参考にならない。間違っている》。
→次の項を参考にすれば、《「間違っている」とは「自分の考えに合致しないこと」》。
> 「訳文」が現代人の論理で合理的に解釈できれば、それでよいのでは。
→その文章が《論理的・合理的に解釈可能ならば》【それでよい】。
(*【それでよい】とはどういうことか? おそらく《自分の考えに合致する》ということと推測しておく。)
→《「論理的・合理的に解釈可能である」ということは、「自分の考えに合致する」ということ》。
> それ以上、原典にこだわるどんな理由と必要性があるのかね。
→原典、つまり最初の内容・意図がどのようなものであるかは関係が無い。
→次の項を参考にすれば、《論理的・合理的に解釈できない》ので参照の必要は無い。
→上の項を承けて、《自分の考えに合致しないので参照の必要は無い》。
> その原典自体も、それほど当てになるものではあるまい。
→原典の内容は《論理的・合理的に解釈できない》ので参照の必要は無い。
→二つ目の項を承けて、《自分の考えに合致しないので参照の必要は無い》。
《【それでよい】というのが、どういうことなのか》が鍵となるわけだが、
よーするに、この4行は、≪まず、絶対的基準として「自分の考え」があり≫、
≪「自分の考えに合致するもの」は正しく≫≪「自分の考えに合致するもの」が仏教である≫という主旨だ。
まず、自分の考えありき。それに合わせて取捨選択をする。歴史的伝承や註釈・検証・研究なぞ無視。
これを『自分勝手な妄想』と言わずに何と言えばよいやら・・・w
都合の悪い部分はいつも通りスルーだし・・・w
ついでに触れとくか・・。
>>268 >彼等の翻訳は「間違いだらけ」だったと考えていてよい。
>現代の翻訳でも、二ヶ国語に完全に精通した者からみると、
>無数の間違いが見出されるのだから。
これを、漢訳仏典に対しても言われていることと解釈するなら、
(それは、自分が依拠する「色即是空、空即是色」にも当てはまるわけだがw)、
≪【自分の考えに合致する形で】論理的合理的に解釈できるものだけを採用する≫ ということだ。
原典だとか翻訳(漢訳)だとか解説だとかは無関係。
それはつまり、
≪まず俺様の考えがあって、それに合うものが正しい≫。
≪まず俺様の考えがあって、それに合うものが仏教である≫。
ということだ。
これを『自分勝手な妄想』と言わずに何と言えばよいのやら・・・w
285 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 11:24:30 ID:f5Ud/kFF
>>283 長い!
要する妄想があって、それに合うネタを述べてるだけ。
その妄想に合わなくなってくると、誤訳だの古代人の妄想だとのという。
誤訳だの古代人の妄想だと思うならネタにすんな。
でも、妄想語っても誰も相手にしないから、
権威あるネタを求める。そのネタも誤解と指摘される。
屁理屈捏ねる。
こんなヤツ、相手にするだけ無駄。
「現代人の論理」じゃなくて「おれちゃんの論理」に合えは、それでいいだけだろう。
「おれちゃんの論理」がただの支離滅裂な妄想に他なら成らないことが、
多くの人に指摘されてるわけだ。
これは仏教の是非とかそんなもんでなく、言葉を使用する最低のルールとか、
倫理、モラルを逸脱してるってこと。
>>285 評するだけじゃなく、彼の実際の発言・文言から炙り出してみようと思ったからさ。
現に返答の数や量、触れる部分は激減しているw
(ゲームで敵キャラのHPを削ってるような感じだw)
さて、どこまで取り繕い続けられるか楽しみだ。
287 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 13:06:12 ID:qozN1b6Q
>>284 >≪まず俺様の考えがあって、それに合うものが正しい≫。
それは釈迦のこと。彼は「正しい」という言葉を8回も続けて使ったがw、その
「正しさ」の根拠は、何ら示し得てはいない。
君たちは、歌舞伎は横から見ても、開祖や経典は真正面からだけしか見ること
が出来ない。開祖や経典こそ、横から見る努力をすべきではないのかね。
君たちの「釈迦マンセー」は、オウムの「麻原マンセー」と何らの相違も
ないことに気付け。すべての宗教における「開祖、教祖、経典マンセー」は
全く同じ。恐らく、オウムと同様、絶対に気付けないだろう。それが宗教によ
る「マインドコントロール」というものだ。これは、「具象を離れた根拠皆無
な精神性」、換言すれば「狂気」の植え付けから生じている。すべての宗教に
通じる最大の「病理」である。
288 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 13:25:39 ID:u9bk087e
>>278 >真実のブッダとはわれわれの経験している本質なき本性たる無為の世界<真実の
>ブッダ>にほかならない。
それがまさに「入滅後の如来の存在を信じる」という妄想。「本質」と「本性」
とは、どう違うのか。それを「経験する」とは、どういうことか。すべてが、
妄想の典型ではないか。
>>287 >それは釈迦のこと
いやいやw
他人のことをどうこう言う前に、自分の姿を見つめてみることも大切だと思うよ。
仮に、お釈迦さんがそうだったとしても、
(そんなことないのは、ちょっと仏典読めば解ることだが、読んでないなら仕方ないか・・w)
『自分はどうなんですか?』
これには一度も言及してませんね?w
>その「正しさ」の根拠は、何ら示し得てはいない。
いやいやいやw
仏典のそこかしこに散らばってるじゃないですかw
≪「お釈迦さんが示した根拠」と「貴方が依拠する根拠及び貴方のスタンス」とが、交わらない平行線なだけ≫
だと何度も言ってるじゃないですかw
つまり、「貴方の主張は仏教ではない」ということです。
仏典を引用するのはやめたらどうですか?勿論、龍樹もですw
まるで、
≪仏典から神智学に合致する部分だけを拾い上げ、神智学に合致する部分だけを仏教だと宣言した≫
誰かさんそっくりですなw
≪仏典から俺様に合致する部分だけを拾い上げ、俺様に合致する部分だけを仏教だとする≫、
そっくりですね・・。
>君たちの「釈迦マンセー」は、オウムの「麻原マンセー」と何らの相違もないことに気付け
いやいやいやいやw
君の生命教よりは遥かに膨大な考察・検討の上での評価だよw
>開祖や経典こそ、横から見る努力をすべきではないのかね
原典批判的研究という言葉を知りませんでしたか?w
で、反論の言葉が枯渇すると、最後は「病理認定」、とw
おそまつだな・・w
290 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 13:37:13 ID:e6+adCk8
>>289 君のその書き込み自体で、「マインドコントロール」の実態が完全に記述
されている。「釈迦」を「麻原」と変えても、全く同じ。
「批判的研究」というが、「釈迦自身」はいささかでも批判できていない。
それでは「批判的」とはいえないよw。
291 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 13:44:46 ID:f5Ud/kFF
>>286 無駄、無駄。痒いものは放っとけば、その内治まる。
>>288 ゴキブリ隠居
>すべてが、妄想の典型ではないか。
*世俗の表現(言語習慣)に依存しないでは、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。
だが、世俗の表現(言語習慣)に依存しても、究極の真理(勝義諦)を説くことはできない。(
>>255 )
*『しかし、如来はそれ自体(自性)としては空であるから、その如来について“入滅後も存在する”とか、
あるいは“入滅後には存在しない”とかいう思考は成立しないのである。』(同22-14)
『およそ如来の本性なるものは、すなわちこの世間(世界)の本性である。
如来は本質をもたない(無自性の)ものである。
この世界(世間)もまた本質をもたない(無自性の)ものである。』(同22-16)
言語論理(世俗諦:分別知)を尊重しつつも、位相が異なる非言語論理(勝義諦:無分別智)を
直覚できないゴキブリ隠居の分別執着主義は醜く愚かである。
>>288 ゴキブリ隠居
なんのための龍樹大乗仏教への高評価 なのか?
たんなるトラの威を借りる権威主義であって、当て馬にしか過ぎないのだろう。
論理破綻のゴキブリ隠居はつぎのトラの皮を捜すことになるだろうw
『二つの真理(二諦)にもとずいて、もろもろのブッダの法(教え)は説示された。
(その二つの真理とは)世俗の(煩悩に)覆われた立場での世間(で)の理解としての真理(世俗諦)と、
究極の立場からみられた最高に意義あるものとしての真理(勝義諦)である。』(中論24-8)
『この二つの真理(二諦)の区別を知らない人々(ゴキブリ隠居おまえもだ)は、
ブッダのおそえにおける深遠な真理を知ることがない。』(同24-9)
『ここにおいて、われわれは答えていう。
−汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、空そのもの、空を説く効用、および空の意義を知らない。
故に汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、このような無益な論争をするのである。』(同24-7)
これが龍樹のゴキブリ隠居への批判解答だ。
訂正 × ブッダのおそえにおける深遠な真理 〇 ブッダの教えにおける深遠な真理
295 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:50:23 ID:UuukStV+
>>293 >なんのための龍樹大乗仏教への高評価 なのか?
釈迦とは異なり、竜樹には論理矛盾が見当たらない。竜樹は、口が上手いからw、
釈迦にゴマすってるが、批判すべきところは、的確に批判している。
釈迦の「縁起・空・中道」も、竜樹の類い稀な頭脳による分析と解明がなければ、
無意味な、言葉の遊戯に過ぎない。
296 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:22:35 ID:+Bs1VS8R
>>289 >君の生命教よりは遥かに膨大な考察・検討の上での評価だよw
生命は、考察・検討・崇拝の対象になるようなチンケなものではない。
生命は、人間が対象化できない唯一の存在。考察・検討・崇拝も、生命の機能に過ぎない
のだから、それらの行為主体と対象とが同一では、ナンセンスであり、行為は初めから
成立しない。
生命とは、ただ、「今ここにある」だけ。宗教を含む、人間のすべての営みの根源である。
生命がくだらないとか、つまらないとか言っている人はいない。 あくまで「君の生命教」つまり隠居教をさして言っている。 ……そんなことはわかっていてとりあえずからかっているだけなのだろうが不毛だ。 それこそ人生の貴重な時間をもっと有意義な方向に使うべきだと思う。 こんなことを「いくらやっても、現実生活にはクソの役にもたたないw。」
298 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 22:08:25 ID:PP0EPYFl
しかし、中論屁理屈好き君たちは病気だなあw 質問箱スレの意義よりも遠いw なんちゅうか。理屈の正当性ゲームだなあw まあ、普通、まともな大乗仏教徒なら、実用性を加味できるはずだが、 まったく実用性ゼロw まあ中観派及び大品般若経の実用的解説できる奴はこのスレにはいなさそうだw また南方仏教を実用的に解説できるのはなさそうだしw 次元が低いw まあ隠居のたまにマグレに閃く書き込みは妥当性ある時があるから、たまらんわw しかし大品般若経の実用的解説をやる場合、シンドイわあw 曹洞宗の方が気楽やわ。 もし、まじめに中観派を実用的解説するなら、臨済宗張りのスリルがあるわあw 臨済宗の方が身についている方だから楽だけどなw
>>290 いやいやいやいやw
『自分の姿はどうですか?』と聞いてるんですが・・w
また、(縁起馬鹿はこの方向を嫌がるがw)、
・人間としての釈尊像の考察も為されてますが?(貴方の評価した奈良さんもその一人だがw)
・幼少年期・青年期の苦悩が、(教えに)影響を与えている、とも言われますが?
・入滅後の一比丘の発言が事実に基づいているなら、
厳しい(≒口やかましい)叱責も多かった、と推測されますが?
・求道の者には厳しかったにしても、正当な批判・指摘にはきちんと対処する、
【世間の常識を尊重する姿勢】も見られますが?
・変化球のような答えも多かったろうと推測されますが?(最後にはちゃんとミットに収まりますけどねw)
また、少なくとも私は、
・お釈迦さんには、青年時代、鬱の傾向があったろうと推測しますが?
・三世に跨る輪廻は、生物学的側面と整合性が弱い、と考えてますが?
・舎利弗や阿難の方が、より柔軟な説法をしていただろう、
お釈迦さんは、どちらかといえば頑固で厳格なほうだったろう、と推測してますが?
*(どちらが良いかは別にして。)
・現存仏典は、原初のおしえそのものではない、と考えてますが?
・原初の教えは(≒お釈迦さんのスタンスは)ヒンドゥ文化の影響を色濃く受けている、と考えてますが?
・教えの多くは、当時の価値観に準拠していると考えてますが?
・出家遊行生活は、当時の文化・社会が許容していたから成立した、と考えてますが?
・積極的に勧誘し、コミュニティの確立を図った、と考えてますが?
・コミュニティの維持・存続、及び社会的評価の為のイメージ戦略として
有力者への教化に積極的だった(≒計算高いw)、と考えてますが?
300 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:12:44 ID:ZYHrqw/e
>>297 >生命がくだらないとか、つまらないとか言っている人はいない。
宗教は、皆、そう思っている。生命に最大の価値を認める宗教は「皆無」で
ある。すべての宗教は、生命以外の「架空の観念」に最大の価値を認める。
だから、宗教には、人間同士の殺し合いと争いが絶えないのである。内紛が
最も多いのも、宗教団体である。
宗教以外の人間の営みは、すべて、究極的には、「生命の維持」の方向に向け
られている。宗教だけは、「人間」の営みとして、異常極まりない倒錯と病理
である。すべての創唱宗教が、開祖の精神障害の感染の結果だからである。
301 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 22:12:47 ID:PP0EPYFl
隠居の生命教を正当性理屈で相手するからショーモナイ訳だ、 まあ、このスレの中論屁理屈好き君達は、実用性の次元がナイからw 実用性のナイ隠居の生命教の勝る事がないw しかし、中観派及び大品般若経の実用的解説をやること思ったら、 華厳経で実用的解説をやることは楽だなあw 妄念読解文献君とかネタでやりやすいw
少なくとも、
貴方が指摘する青年シッダッタの精神面に於いては、私は同意してますが?w
また、
五蘊に依存して45年間法を説いてきた、と考えてますが?
現に存する五蘊を無視してはいなかったと考えますが?
現に存する五蘊の維持を疎かにしてはいなかったと考えますが?
五蘊に依存するからこそ、学びがあり涅槃があると考えていますが?
世俗に根ざして法を説いてきたと考えていますが?
貴方の言う「生命」が、「現に存する五蘊及びその活動」であるなら、大きく同意してますが、何か?w
>>296
>>290 よーするに、お釈迦さんにも色々長所短所・個性はあるが、
バランスの取れた、社会に益する存在、世間から評価される存在であったことが、
【総合的に】見て取れるから評価してるんだよ。
上記の中にもあるようなマイナス要素に関しても、それを補正する在り様が45年の間にあるし、説かれている、
と見て取れるから評価してるんだよ。 盲信だあ?w ちゃんちゃらおかしいw
君の主張や考察なんぞより、遥かに綿密な研究・考察&自身の頷きの末の話だw
>「釈迦」を「麻原」と変えても、全く同じ
麻原はその殆ど(長所や益する所)が皆無だから、寧ろ短所や有害性が顕著だから、
【素直に】仏典を読んだ者だけでなく、一般所識、一般道徳・倫理をわきまえる者にとっては「大違い」だと判る。
ちなみに、君が考える共通点を箇条書きしてみたら?
で、【「君自身の姿」はどうなんだい?】 君こそ、麻原そっくりになってきてないか?
鏡見て確認してみたほうがいいぞw
自分に対する批判的研究はしたのかい?www
君こそ、自分自身すら見えていない盲目なんじゃないかね?
つか、マジで返って来る言葉が減ってきたぞw
無視してる部分は、「同意」か「反論できない点」、
つまり的を射ていた、ということで良いのかな?www
304 :
ご隠居妄想指摘w :2010/03/24(水) 22:15:19 ID:PP0EPYFl
たとえば、パソコンは電気で動くから、パソコンは電気の原理そのものなのか? 人間は生命で生存しているなら、人間は生命原理ならば。 隠居説の異常性。 ご隠居は妄想で、いつも、「生命の維持」の方向とか思考しながら仕事や生活しているんだろうなw 南方仏教でも大乗でも実用性次元で相手すれば簡単なんだけどねw
>>295 ほうw
>批判すべきところは、的確に批判している
では、≪その『竜樹が批判した点』を挙げ、それを《竜樹は》《どのように》批判したのか≫
解り易く、一般人の、通常人の、現代人の言葉で説明していただけますか?w
ついでに、貴方の考える『竜樹以前の』(=釈尊に連なる系譜の)教えの
欠点、及び矛盾点を箇条書き列挙していただけますか?w
ほうw
>釈迦の「縁起・空・中道」も、竜樹の類い稀な頭脳による分析と解明がなければ、
>無意味な、言葉の遊戯に過ぎない。
つまり、≪竜樹によって明確にされたが、その原型は釈尊にあった≫
ということをお認めになるので?w
竜樹の方が「言語中心」で、釈尊の説き方の方が「より世俗的(→実情・日常・現象界に即している)」
という考え方もありますが?w
>>284 で指摘する通り、やっぱり「原型無視」ですか?w
《貴方が依拠する「竜樹の発言」》も、翻訳の間違いだらけかもしれませんよ?www
306 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 22:19:37 ID:PP0EPYFl
>>303 具体的修道論次元で判り易く相手した方がいいぞ。
>>291 治まったら、また最初から始まるよ?w
もし可能なら、外科手術しちまった方がいい場合もあるw
って、それも無駄かもしれんけどね・・・。
あと、今の連投は、(お蔵入りにしようかとも思ったがw)、
精霊大王への牽制も兼ねてねw
308 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 22:22:45 ID:PP0EPYFl
ははは、妄念読解文献君も相手するだけ無駄とか書き込みながら、 実のところ隠居を煽っているからなあw 文献読んで難しい性格になるらしいぞw
309 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 22:26:18 ID:PP0EPYFl
隠居へ相手が、正当な認識論でやるから無駄なんだわw 実用性の方向でやればもっと追い詰められるはずなのだが・・ 隠居生命教は脳の情報処理不要論だからね、 南方仏教ですら、脳の情報処理の心理作用を丁寧に分類しているはずだが・・ それを展開しないセンスが理解できないねw
310 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:29:57 ID:Mpb1os1o
>>305 釈迦の誤りを、洗脳患者にいくら説いても、認められる訳がなかろう。
すぐに「原型は釈尊にあった」などと、釈迦の個人崇拝に寄りかかろうと
するのが、洗脳患者の特徴である。
竜樹は、あくまで、釈迦の「空」の一言に「ヒント」を得ただけ。中論の思想は、
釈迦とは全くの別物。
竜樹を個人崇拝しているのではないから、翻訳にいくら誤りがあっても関係
ない。あくまで、中論の翻訳文に基づいて判断している。
311 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 22:30:22 ID:PP0EPYFl
正当な認識論でやらず、 実用性の方向で追い詰めれば、 隠居の逃げ言葉、宗教は♪ はできないさw 正当な認識論でやるから、 お前らは宗教を妄信して正当性を叫んでいるだけ、と言い逃れできる。 逃げ道を残すセンスが・・・・
312 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 22:31:19 ID:PP0EPYFl
ほらねw 正当性でやるから、 310の隠居の逃げ言葉で終わるw
>>300 二行目以下には触れようとしないのか。
セブンさんの、隠居がやってるのって宝珠スタイルと変りなくね?
という指摘もスルーしてたし、正面切っての応答なんて正直期待してなかったが
ここまで見事にやられると、ね。
>>310 >釈迦の誤りを、洗脳患者にいくら説いても、認められる訳がなかろう。
龍樹の主張をどこをさして「批判した」とするのか説明してよ、と言われてるだけだべ?
どうせ無駄だし説明する気にはなれねー、と言うならスレを去ればいいんじゃないかな。
ここで啓蒙するため、とか言い出しそうだが、やるならせめて論者としてきちんと議論上の
マナー・流儀は守ってくれよ、というのが住人の総意だと思うが?
>竜樹を個人崇拝しているのではないから、
と
>翻訳にいくら誤りがあっても関係ない。
の、どこがどうつながるのか、サッパリわからん……。
個人崇拝してない、は理由にならないよな?
314 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 22:49:03 ID:PP0EPYFl
ほら、もし大乗仏教となら、 戯論はやめた方がいいぞw 君の持っている仏教的実用的世界で対応した方がいい、 質問しても屁理屈回答で、かまってくれる喜びを隠居に餌やっているだけだぞ、 仏教の実用的視点でやらないと・・
315 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 22:51:14 ID:PP0EPYFl
ある意味、妄念読解文献君の「相手するな」の煽りの意見は妥当性あるぞw 仏教の実用的視点で相手できないならスルーすべきだね。
しつこいなw
>>315 【だったら】【てめぇが】【その方法で】やれよ。
俺は、端っからその方向をとるつもりないから。
指図される謂れはないし、
【てめぇが】【ROMってて】【もどかしく感じる】なら、【他人にやらせようとせず】【てめぇ自身で】やれw
317 :
血祭り魔王 :2010/03/24(水) 23:08:16 ID:PP0EPYFl
隠居と同じ荒しだぞw >無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。 *「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。 尚、机龍之介、生命教などの荒らしは放置してください。 とりあえずスレ主の意向を大事にしようw
>>317 アホ丸出しだなwww
てめぇのような「野次のみ」も同じだよw
(俺は少なくとも、ROM者の参考や知識の一端になるような言葉(や内容)を同時に選んでるつもりだぜ?w)
それに、このスレ何年続いてると思ってんだ?
「こういう継続の仕方」をしている「この手のスレ」で《スレ主》云々言い出すとは・・w
馬鹿ですか?
319 :
278 :2010/03/24(水) 23:39:50 ID:kOlrgwh3
>>310 >あくまで、中論の翻訳文に基づいて判断している。
ところが、龍樹はゴキブリ隠居を完全否定している⇒
>>292 >>293 答えてください。
>>295 >釈迦の「縁起・空・中道」も、竜樹の類い稀な頭脳による分析と解明がなければ、
>無意味な、言葉の遊戯に過ぎない。
ブッダ在世中においても、確認できるだけで少なくとも数百人にのぼる
阿羅漢がでていますが、なにか?
これでも>無意味な、言葉の遊戯に過ぎない。のですか?
初転法輪時のコンダンニャをはじめとする五比丘たちの悟りは無意味なのですか?
テーラーガーターやテーリーガーターは無意味ですか?
答えてください。
320 :
278 :2010/03/24(水) 23:50:49 ID:kOlrgwh3
>>314 >仏教の実用的視点
ブッダの本懐は直接的には明智に達することによる
苦しみの超克という『実用的視点』にある。
>>319 で答えておいた。
321 :
278 :2010/03/25(木) 00:03:42 ID:+GMcusSd
>>310 ゴキブリ隠居
>「究極の真理(勝義諦)」などと意味不明(
>>276 )
龍樹中論のいわば骨格部分を直覚できずにいるゴキブリ隠居が
龍樹を解ったつもりでいることそのものがマンガだよw
m9(^Д^)プギャー
!!!! m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!!
どアッフォ!
はよ、答えさらせ!!
322 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 00:09:50 ID:rMDz+vlM
しばらくロム専に徹していたが、なんと言うか、流れは変わらんなあ。 「隠居の妄想に対して、」→「誤りの指摘」→「隠居理解できず」 の繰り返し。 俺は仏教も含めて、宗教全般に対しての批判も当然、あってよいものと 思うが、その批判が単なる隠居の妄想による錯覚であり、その指摘に対する 隠居の反論も、毎度おなじみの浅薄な思い込み論だけってのが、いかんと 思うのだが。 なんと言うか、もっとまともな仏教に対する批判者が登場してくれると 仏教の抱える問題点などが、浮き彫りとなり、仏教自信にとっても 有益な議論が展開できると思うのだが。(ここは質問箱だなんて突っ込みは するなよ)
323 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 00:17:46 ID:rMDz+vlM
324 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 03:21:42 ID:BQ+4FVul
>>323 セブン氏の仏典についての学識は大いに尊敬するが、彼の小乗仏教及び釈迦個人に対する思い入れは
特に深いように思われる。自分でも、大乗や中論については価値を認めないと言っている。
彼の師は、テーラーワダの信者または少なくともその研究者だったようだが、その師の影響が大きい
のではないか。
中論は、「もろもろの存在」につき、その構成原理としての相対性を説く。この相対性は、釈迦を
絶対的存在とする小乗仏教を初め、いかなる宗教の思想とも相容れない。その意味で、中論は、
宗教というより、むしろ、反宗教、すべての宗教を破壊する思想と言える。
325 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 04:12:48 ID:pJp7QXnR
>>322 >なんと言うか、もっとまともな仏教に対する批判者が登場してくれると
>仏教の抱える問題点などが、浮き彫りとなり、仏教自信にとっても
>有益な議論が展開できると思うのだが。(ここは質問箱だなんて突っ込みは
>するなよ)
君が「宗教側の誤りや盲信」という言葉を口に出来ない事実が、君の盲信者としての正体
を暴露している。「まともな佛教に対する批判」「佛教の抱える問題点」もへちまもある
まい。それをいくら指摘されても、受け入れて、改めることが出来るのかね。絶対に不可能
だろう。
宗教信者の、会ったこともない開祖に対する愛着と執着は、思想的というより、もやは生理的
である。開祖を少しでも批判されれば、忽ち激昂し、感情的な罵詈雑言を吐くことしかできない。
自分の肉親を批判された場合は、当然のことだが。やはり、精神医学の対象としての異常心理と
いうほかはない。
326 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 04:23:40 ID:T+gurArb
>>325 の訂正
×宗教側の誤りや盲信
○宗教側の誤りや妄想
327 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 09:16:15 ID:IgzZrsqU
>君の盲信者としての正体を暴露している。「
>>299 を見る限り、正当に評価しようとしているように見えるが。
ヒンドゥの影響を受けてる、弟子の方が柔軟だったかも、と書いていても盲信てどういうことよ。
それとも何だ?なんか事績をとりあげて下衆の勘繰りでもすりゃあよかったのか。
>。「まともな佛教に対する批判」「佛教の抱える問題点」もへちまもある
>まい。それをいくら指摘されても、受け入れて、改めることが出来るのかね。絶対に不可能
>だろう。
無駄だと思うならこのスレから消えればいいだろ(
>>313 )。
>開祖を少しでも批判されれば、忽ち激昂し、感情的な罵詈雑言を吐くことしかできない。
イラついているのは隠居の行動パターンに対してだ。
相手の意見からとったりつけたりして歪曲・誇張し、そうした誤りを指摘されても
受け入れずに繰り返し、言い訳もする。
こんな人間が相手をイラつかせずにいられると思うか?
328 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 10:30:45 ID:IgzZrsqU
どうせ上半分だけに通り一遍な反応して、下半分の「お前に問題はないのか」という問いはスルーするんだろう。 心底、うんざりだ。
329 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 11:04:16 ID:hPi5UHE6
>>328 >心底、うんざりだ。
痒みは掻くほど痒いって
330 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 11:45:39 ID:rMDz+vlM
>>327 え〜と、俺は
>>322 なんだが、
>>299 のセブンとは別人。
そして、隠居が俺に対して
>>325 で馬鹿いってるレスから引用してるが
それは、セブンに対してではなく、俺に対してだと思う。
(隠居が俺をセブンと勘違いしてるのかも知れんが。)
まあ、
>>299 の内容は、ほぼ同意なので、どっちでもいいんだが。
それでは
>>325 >君が「宗教側の誤りや盲信」という言葉を口に出来ない事実が、君の盲信者としての正体
を暴露している。
何をもってそう判断してるのかは知らんが、俺は今まで、散々、輪廻業法について仏教を
批判してきたのだがね。
>開祖を少しでも批判されれば、忽ち激昂し、感情的な罵詈雑言を吐くことしかできない
俺は仏教徒でもキリスト教徒でもないので、釈迦を批判されようがイエスを
批判されようが何とも思わないがな。
いいか?隠居。 俺はね、お前のように
『何でもかんでも、ひっくるめて全ての宗教を完全否定するような短絡思考
に与しないの。これは前にも言ったな? 宗教は全て撲滅対象であるなどと
言うトンでも見解には賛成しないだけ。』
お前のように『自己の判断が絶対であり、批判派認めない。』という姿勢こそ
精神病治療の対象だ、アホ。
お前はね『生命教』というカルト宗教の教祖になってしまい、その教祖である
自分自身を批判できないわけ。
わかるか? (自分自身を)妄信しちゃってるんだよ、お前は。
>>324 >中論は、「もろもろの存在」につき、その構成原理としての相対性を説く。
『存在』の語は仏教に相応しくない。
『相対性』 存在を素朴実在としての相対性は仏教に相応しくない。
結局、ゴキブリ隠居は素朴実在論、単純唯物論、断滅論で
龍樹を御都合主義歪曲しているに過ぎず、これが大乗仏教だとは
ほんと、このスレのお笑いタレントだよなw
m9(^Д^)プギャー
!!!! m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!!
どアッフォ!
はよ、答えさらせ!!
>>324 ゴキブリ隠居
『ここにおいて、われわれは答えていう。
−汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、空そのもの、空を説く効用、および空の意義を知らない。
故に汝(ゴキブリ隠居おまえだ)は、このような無益な論争をするのである。』(中論24-7)
333 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 13:28:03 ID:pP7lObWO
>>330 私が
>>325 で宗教者について指摘したのと同じ反応だな。
開祖、教祖、教義、教典を絶対視し、人間(生命)を軽視・否定するすべての
宗教の間に、「原理的」には、どんな相違があるのか、分析・指摘できるか。
人間が、人間の生命に最大の価値を認めることにどんな問題がるのかについても
指摘されたし。
輪廻転生は、勿論、佛教におけるマイナス要素だが、それと同様の、いやそれ
以上のマイナス要素は、佛教にも、他のすべての宗教にも存在する。何故それら
は批判できないのかね。
君は、自分の宗教を明らかにしていないが、一神教系のカルトだと推測する。
少なくとも、大乗仏教ではないはずだ。
334 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/25(木) 13:36:00 ID:D7ccuX2v
>>324 >中論は、「もろもろの存在」につき、その構成原理としての相対性を説く。
相対性とは違う。
山下清画伯は、光景を一瞬見ただけで、瞬時に記憶として残るらしい。
(これは100人に1人とかの特殊能力のことだけど)
私は、こういう人間を見たことがある。
学校の受験合格発表において、瞬時(約2秒くらいか?)において
欠番を見事に見つけてしまったりする。
(つまり、モノゴトを点ではなく、面で捉える)
これは先天的な能力なんだけど、
(現時点では、この能力は障害として考えられている)
中論の捉え方というのは、つまり面なんだよ。
これをもっと具体的にしたのが正法眼蔵であって、
際断してるけど、瞬時においては面が現出する。ってことなんだな。
つまり三時は一瞬においてある。ってことだよ。
(これはつまり相対ではない)
アインシュタインは、点はなく全てが動態である。というのが相対性理論の原点になってる。
動態であるが故に時制が付帯してくる。というのが理論の発見に繋がる。
つまり、相対ってのは古いんだよw
今はそんな時代じゃない。
>>324 > 釈迦個人に対する思い入れは
過去仏が何人いようと、釈尊が「今の世に」「知らしめた」という点で始原・起点としない仏教はありませんが?w
敬意を払わない、帰依しない仏教はありませんが?
(もしあれば、「それは仏教でない」ってだけだが・・w)
> 大乗や中論については価値を認めないと言っている
ハァ?(゚д゚)?
中論については、「自分の中でのランクが一位でない」ってだけで、大いに評価しとるぞw
大乗も、歴史的地域的側面に於いて、大いに評価できると思ってるぞw
また、釈尊に繋がる「核(コア)」をきちんと継承してると思ってるぞw
> 中論は、「もろもろの存在」につき、その構成原理としての相対性を説く。
> この相対性は、釈迦を絶対的存在とする小乗仏教を初め、いかなる宗教の思想とも相容れない。
いやいやいやいやw
(その表現の是非はともかくw)、中論は(龍樹は)「縁起」に於ける《釈尊の正統後継者》と言われてるんだが・・w
> 彼の師は、テーラーワダの信者または少なくともその研究者だったようだが、
> その師の影響が大きいのではないか。
ttp://www.kagakuji.org/index.html りっぱな曹洞宗僧侶(日本大乗の徒)だよw
*(私は単に授業を受けてただけだw)
って、ページがだいぶ進化してるな・・。
(翻訳が)一段落着いた(?)んで、それを踏まえた上での具体的活動が本格化したって感じなのかな?
>>310 > すぐに「原型は釈尊にあった」などと、釈迦の個人崇拝に寄りかかろうとするのが
いやいやw
吟味された上で、『現在の型(或いは《貴方が依拠する考え方・型》)は原型と同じですよ?』
と指摘されてるんでしょ。w
「個人崇拝」でなく「原型の把握」ですよ。【その上での】始祖への敬意でしょ?w
違うというなら、貴方によって違いが明確にされるべきかと思いますが?
> 竜樹は、あくまで、釈迦の「空」の一言に「ヒント」を得ただけ。中論の思想は釈迦とは全くの別物。
いやいやいやw
(多くの文例で以って)同じだと指摘されてるんでしょw
違うというなら、貴方によって違いが明確にされるべきかと思いますが?
> 竜樹を個人崇拝しているのではないから、翻訳にいくら誤りがあっても関係ない。
いやいやいやいやw
【翻訳に誤りがあったなら】、【何によって】正誤が判断されてるんですか?
【 > 翻訳にいくら誤りがあっても関係ない 】ということは、
【勝手に読んでいる】、【翻訳文に依拠していない】、ということですよ?
勝手な妄想であることをお認めになるんですね?www
> あくまで、中論の翻訳文に基づいて判断している。
いやいやいやいやいやw
翻訳には誤りが多いと言ったのは貴方ですよ?w
貴方が依拠している部分は、誤った翻訳部分かもしれませんよ?w
【 > 翻訳にいくら誤りがあっても関係ない 】と言ったのは貴方ですよ?w
この台詞は、【翻訳文に基づかない】ということと同義ですよ?
どっちなんですか?w 翻訳に基づいてるんですか?基づいてないんですか?
337 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 16:13:15 ID:rMDz+vlM
>>333 >君は、自分の宗教を明らかにしていないが、一神教系のカルトだと推測する。
少なくとも、大乗仏教ではないはずだ。
お前は真正の馬鹿ですか? って、言うより記憶力というものがあるのか?
俺は今まで、輪廻スレ、アートマンスレ、そして、この質問箱でも、繰り返し
「無宗教者」だと言ってきたがな。だから、如何なる、開祖、教義、経典とも
関係なし。 おまえ自身が、ちょっと前に俺のこと「唯物論者」とか
言ってたのもう忘れたのか? 認知症かい?
>人間が、人間の生命に最大の価値を認めることにどんな問題がるのかについても
指摘されたし。
誰も「生命が大切ではない」なんてことは言ってないの。
ただ、お前は「生命が大切」から、いきなり「宗教は撲滅すべき」と
論理を飛躍させるんだよ。 その偏見に満ちた独善主義が「カルト」と
変わらないと言ってることも、お前の知能では理解できないのだろう?
いいか? 少なくとも、ここ日本では、大多数のものが積極的に特定の
宗教と関わりをもってはいない。しかし、だからといって「宗教は撲滅
するべきものだ」などと言ってるものもほとんどいない。(お前くらい
だろう?) つまり、ほとんどの日本人は「自分は積極的に宗教と
関わりをもとうとは思わないが、それを完全否定して撲滅すべきとも
考えない。」 これがお前が言う「平均的大多数の見解」なんだよ。
お前だけが、その「平均的見解」から有意に偏移しているトンでもさんなの。
お前の言葉でいえば、「精神病治療対象者」なわけ。
わかった? はよ、病院行け。
338 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 16:29:38 ID:3W4FJv7+
今更だけど、この流れスレチじゃね? 別スレ立てるなり移動するなりしたほうがいんでない?
339 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 16:48:23 ID:hPi5UHE6
>>338 そんな真っ当な誘導で生命教と机がいなくなるらなら、こんなことになってないってw
340 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 17:17:47 ID:FYIzitz8
初詣に神社に参拝し家族の健康・平安をお願いしたが 2月に病気になり入院した。 考えれば当たり前のこと・気休めでしかないことが分かる。 しかし、年々この風習は安易に繰り返され問題にもされない
341 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 18:21:09 ID:SvkxPsm2
>>334 >相対性とは違う。
中論の訳書(平川彰訳)には、「相対性(相待性)」という言葉がちりばめられて
います。「相対性」なしでは、彼の「相互依存性・関係性」の論理は成立し得ない。
「面」というのは、「時間概念を排除した一瞬における現象の把握」という点で
理解できるが、すべてが相対性である(時間的因果関係ではない)からこそ、
「面」という概念が生じ得るのではないでしょうか。
>つまり、相対ってのは古いんだよw
>今はそんな時代じゃない。
「相対」でなければ、「絶対」ということになりますね。その「絶対」は、
宗教などではなく、「全人類に共通する普遍」でなければならない。答えは
自ずから明らかでしょう。
>>335 >りっぱな曹洞宗僧侶(日本大乗の徒)だよw
へぇー、片山先生は、曹洞宗の住職さんだったのですかw。それにしては、原始仏教や
テラワダ関係の著書や訳書ばかりですね。やっぱりちょっとオカシイw。道元に関する
著書があれば教えてください。
それと、竜樹の「相互依存性・関係性」や、大乗起信論の「真如としての衆生心」の
概念は、釈迦の「名前」だけは借りていても、釈迦の思想の「原型」は止めない、
全く別の思想のように思えます。私が、「コペルニクス的転回」と称する所以です。
それとも、釈迦の「原型」には、前者の思想の萌芽がどこかに見出せますか。
342 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/25(木) 19:05:42 ID:D7ccuX2v
>>341 >中論の訳書(平川彰訳)には、「相対性(相待性)」という言葉がちりばめられて
>います。「相対性」なしでは、彼の「相互依存性・関係性」の論理は成立し得ない。
面というのは、つまり対立しない。
簡単にいうと溶暗していることであって、これを仏教では「如」として代々伝えていた。
これを論理的には不可と思われていたが、龍樹の独特の論法において解き明かされることになる。
この「相対性(相待性)」というのが、つまり論理になる。
(これを世俗言語慣習における勝義諦の説明の意)
つまり相対性というのは、あくまでも論理的解釈に過ぎんのですよ。
(これは間違いではないが、あくまでも仮説です)
>すべてが相対性である(時間的因果関係ではない)からこそ、
>「面」という概念が生じ得るのではないでしょうか。
いやいや、相対ではなく一瞬にして過去の記憶が連結する。
(これがオバケだったり、妄想だったり、過去生だったり、輪廻転生に連結する)
これを道元は「連続性」などと眼蔵には記してあって、
前後栽断するが、この連続性は現存する。
(これを縁起の現観とも言ったりする)
この正体は「五蘊作用」です。
この世のあらゆるものは五蘊作用であります。
五蘊は「色」でありますが(現象ですから)、五蘊皆空であり、
これが色即是空の意です。
343 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/25(木) 19:21:37 ID:D7ccuX2v
>>341 >「相対」でなければ、「絶対」ということになりますね。その「絶対」は、
>宗教などではなく、
だから、対立しないなら「相対」も「絶対」もない。
対立しない。というのは対象とはならない。ってことですから。
>「全人類に共通する普遍」でなければならない。答えは
>自ずから明らかでしょう。
この脈絡でいうと、「普遍」も論理矛盾になってしまう。
何が、何において普遍なのか?
対立しようがない。
中論・八不は、この論理における帰結でありますね。
344 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 19:42:47 ID:lugfgHBW
>>342 少なくとも、般若心経の「訳文」では、「色」と「空」とは同じ比重・等価
です。どちらが優先するとも言っていない(色不異空・空不異色)。「無」も
また「無」です。
このあたりはどう解釈されますか。
私は、このことが、「唯一の実証的宗教」としてニーチェが絶賛する大乗仏教
の真髄だと思うのですが。
すべての人間が、その生命の証として有する「五蘊」を、「排除すべき異物」
としたら、それこそ二項対立的であり、「実証的宗教」などではなく、「妄想
的宗教」になってしまいます。
345 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 20:09:16 ID:0K8cdLCw
>>343 >この脈絡でいうと、「普遍」も論理矛盾になってしまう。
>何が、何において普遍なのか?
>対立しようがない。
と考えているにも、師の「生物的生命」ですw。
私は、中論の思想は、むしろ「実在」の透徹した観察と洞察から得られた
ものだと思いますよ。「頭の中」だけで得られたものではない。「去る」と
いう現実的動作、「去らない」という現実的状態を踏まえた上での思考です。
「自己の観念」だけなら、それは「自己のもの」に過ぎないから、「空」でも
なんでもありません。むしろ「空」の対極です。
「空」とは、つまり、一切考えないで、生命の指示のみに従い「行動せよ」
ということです。師が、座禅を終えて、無我の境でスポーツカーを乗り回して
居る状態が「空」なのですw。
ところで、師は、座禅の間は、何を考えているのですか。生きている限り、
何らかの思考は入るものですよね。例えば、姿勢を崩してはいけない、とか。
それとも、スポーツカーのことですかw。
>>341 行事案内のとこ開いたか?w
本を出せばいいってもんじゃない。
“りっぱな”という形容をしたのは、日々の行持を押さえているからだよ。
(これが、「曹洞宗僧侶としてありながら、【日本の寺としての行事・行持を軽んじて】、パーリ仏教を喧伝している」
ということならば、是非はともかく、大きな批判の声があっていいだろう。だが、違うのさw)
彼は、学生時代から続けていて、積み重ねがあって、自分にはその引き出しがあるから、
それを著しているだけだ。【他にそれをしている人がいないから】だ。
【それが、そのような縁をもった自分の仕事】だと考えるからだろう。
当然、道元についても一通り押さえてある筈だ。頷き、肯っているだろう。(折に触れ言及・引用も多い。)
だが、道元研究・評は、それをしている人に任せればいい。世に、道元関係の本なぞ腐るほどあるw
【全員が本を出す必要はない】w 君は、学んだ事柄全てについて本を出せるのかい?w
(他人を責める前に、君も生命について本を出したらどうだ?w)
去年の夏には「法華経(普門品)」の講義をしているようだぞwww
>前者の思想の萌芽がどこかに見出せますか
検索しきれないほど、URLが貼り切れないほど、いろんな人により何度となく提示されてきたじゃないw
(つか、【全てそうだ】と言っていい。そうでないものを探す方が難しいw) 君はそれに対し、
≪【原型は病理】という一言で切って捨てるか、中論(竜樹)の文言を【異なって解釈】して≫きたんじゃないw
だから、解釈でない、形、文言の上での違いを示してください、と言っている。
違う違うと言うばかりで、【何が違うのか】【(具体的文言として)どう違うのか】については沈黙のまま。
できないんでしょ?w で、質問返しですかw 屑ですな・・w
正直に認めたらどうですか?「私が間違ってました」と。「龍樹は釈尊の系譜でした」、とwww
しかし、相変わらずアホ丸出しだなw
>>344 冗談は
>>336 に反応してからにしてくださいなwwwww
347 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 21:24:28 ID:u1zmT/h3
>>345 >「空」とは、つまり、一切考えないで、生命の指示のみに従い「行動せよ」
ということです。
すご〜い!!さすがご隠居氏!!
ヽ(^。^)ノ
348 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 21:27:18 ID:hPi5UHE6
>>347 こいつが他人なら、ほんと理解不可能(O_O)
もしこれが昆布なら、 《「褒め殺し」として御隠居をネタにしながら(≒暗にからかいながら)、主目的としての仏教側への煽り》 という構図になるんだがな・・w 彼は、こういう“捻った遊び方”が好きだったからw
350 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 22:05:58 ID:hPi5UHE6
351 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 03:40:17 ID:zZir24Au
>>320 >ブッダの本懐は直接的には明智に達することによる
>苦しみの超克という『実用的視点』にある。
釈迦の言う「苦」とは、彼の鬱病の症状としての実存苦であり、彼の無明に
起因する。健常者であれば、苦は人生に付き物であることを悟っているから、
それを生の一部として受け入れ、他者への想いや学問・芸術などによって昇華
し、むしろ社会への貢献の原動力とする。
小乗仏教は、健常者に苦の観念を植え付けることにより、入信の手段とする。
これは、キリスト教の罪概念の植え付けによる布教と同じく、極めて悪質な
宗教勧誘手段である。この点で、小乗仏教は、キリスト教との高い類似性と
親和性を有する超カルトである。苦は、意識すればするほど深まる。これが
小乗仏教の狙いなのである。
オウムも、この苦の観念の植え付けが原因となって発生した。
大乗仏教では、苦は、もはやあまり問題にはしていない。
352 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/26(金) 10:24:52 ID:pbLLAtda
>>344 >少なくとも、般若心経の「訳文」では、「色」と「空」とは同じ比重・等価
>です。どちらが優先するとも言っていない
色と空については、いろんなアプローチが可です。
【色】
論理というのは、それを成立させる為の前程となる基準というものを、
相互にコンセンサスとしてあるから成り立つものであって、
これは生得的にあるものではない。ってのを先ず了承してもらわなければならない。
基準というのは、あるものと、あるものを、対立させる(相対性)から成り立つ。
【空】
カラスがカァ〜と鳴いて、それをキャッチした人間は、
カラス対人間という、論理の前程が成り立つけど、
果たしてそうなのか?
輪廻転生を学習して、それを真に受けた人間が、
輪廻転生対人間という、論理の前程が成り立つけど、
果たしてそうなのか?
いんや、そうじゃない。そもそもこの論理前程がオカシイんじゃないの?
ってのが空です。
で、そもそも何処がオカシイのか?
これがいわゆる「気づき」というもんですね。
>>351 ゴキブリ隠居
*貪欲(欲、むさぼり)と瞋恚(憎しみ)と愚痴(愚かな迷い)は<思い>から生ずる、と説かれている。
なぜなら、それらは浄と不浄と顚倒(誤解)に縁起するからである。(中論23-1)
*(およそ)浄と不浄と顚倒(誤解)に縁起するそれらのもの(貪瞋痴、欲憎迷)は、
それ自体(自性)としては存在しない。
それ故に、もろもろの煩悩は、真実からすれば、存在しない。(同23-2)
*苦に依存しないでは不苦は存在しない。
(しかも)それ(不苦)に縁って苦(がある、)とわれわれは説く。
故に、苦そのものも存在しない。(同23-10改)
*不苦に縁らないでは苦は存在しない。
(しかも)それ(苦)に縁って不苦(がある、)とわれわれは説く。
故に、不苦そのものも存在しない。(同23-11改)
苦集滅道⇒無苦集滅道
苦を滅するには苦と一体となって、苦そのものを生きるしかない。
さすれば苦は不苦となる。 自受用三昧。
354 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 10:34:37 ID:zdbbj5Op
355 :
353 :2010/03/26(金) 10:47:13 ID:7r2Nx/HJ
備考 三毒=貪瞋痴の痴の知は疑が正しいのですが、フォントが出ませんでしたので、 痴で代用しておきました。愚痴をこぼすということではなく、あくまで迷いの謂いです。
356 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/26(金) 10:48:21 ID:pbLLAtda
>>345 >「去る」という現実的動作、「去らない」という現実的状態を踏まえた上での思考です。
「去る」というのは、去らないということを前程にしますが、また、
「去らない」とういうのは、去ることを前程としなければならないし、
そもそも、その前程となるものが現実的動作の基準になるんですか?
それはオカシイと思わんのですか?
>ところで、師は、座禅の間は、何を考えているのですか。
坐禅というのは、やるもんではないですね。
自然にそういう態勢になるのが望ましい。
私は茶道の師家ですから、自然とそういう態勢にはなります。
357 :
353 :2010/03/26(金) 10:53:17 ID:7r2Nx/HJ
愚癡 フォントが出ました。 すまんこと。
358 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 12:17:39 ID:qCiO5FH9
>>356 >そもそも、その前程となるものが現実的動作の基準になるんですか?
勿論なりません。必要があるから(生命が命じるから)動くのです。竜樹の
「去るものは去らない」は、あくまでそのような「現実的動作(色)」の観察
に基づく、論理実験だということです。
竜樹のこの命題は、例えば西洋の「アキレスと亀」の論理実験などよりもはるかに
優れている。「アキレスと亀」では、「動き」を前提とした分析ですが、竜樹は、
「動きとは何か」という本質に迫っている。
師がスポーツカーに乗るとき、「俺は何を前提として乗るのか」などと考えますか。
色鮮やかなスポーツカーを「見て」、乗りたいから乗る、乗る必要があるから
乗るのです。いずれも師の生命が命じるものであり、前提はありません。それ
が「空」なのです。空とは「考えて」求めるものではありません。あくまで
「具体的現実状況(色)」に対応して生命が命じる「具体的行動」です。これ
が「色即是空・空即是色」です。その根源は、生存本能(生命)以外にはあり
ません。
答えられないもんで完全スルーへ移行か・・・。 どこまでも腐った奴よ・・・。 >>隠居
360 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 12:43:18 ID:DTq41pqn
結局はただのオナニーか
361 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/26(金) 13:24:35 ID:pbLLAtda
>>358 >「去るものは去らない」は、あくまでそのような「現実的動作(色)」の観察
>に基づく、論理実験だということです。
「観察に基づく」ではなく「観測に基づかない」ですね。
つまり、観測は基準に成りえない。です。
(アインシュタインの理論と同じです)
この理論で逝きますと、当然ながら「生命」というのも基準には成りえない。です。
>竜樹は、「動きとは何か」という本質に迫っている。
アインシュタインは、静態というのを全く否定しておる如く、
龍樹においても、三次元論法にt(時間)を加えた4次元論法ですね。
>色鮮やかなスポーツカーを「見て」、乗りたいから乗る、乗る必要があるから
>乗るのです。いずれも師の生命が命じるものであり、
状況は瞬間・瞬間に変化しますが、「何が変化してますか?」と問われた場合、
二義的に「生命」であってもいいが、それが本質には成りえない。
何故なら、
“その状況でしか生命もアリエナイ”から。
第一義は、その瞬間でしかない。
(これを、縁起の現観という)
>>351 や
>>358 にツッコんでやってもいいんだが、
未提出の宿題、回答待ちが山積みだからなぁ・・・w
そっちを先に済ませてほしいもんだw
ま、
「妄想を起点とした、矛盾だらけの継ぎ接ぎ」「仏教(≒空、龍樹、中論)という看板の悪質な借用」
であることは、ほぼ明らかになったと思うんで、ここらで区切りでもよいかもしれんが・・・。
(このまま消えてくれるとベストなんだがな・・・w)
それとも、最後に、ループの図式化でもしてみるか・・・?w
363 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 14:26:26 ID:tAfclhPm
>>351 具象物の観察に基づかなければ、そもそも「去る」という概念は生じようが
ない。
「その状況」を認識するのは、生命である。その逆ではない。
>>362 宿題は、学生時代から大嫌いだったw。
「借り物」は、すべて君たち宗教者。「借り物」の悪用もするw。私のは、
「批判的利用」である。使える物は、何でも使えw。
>>363 よーするに、「降参」「白旗」「私が間違ってました」ってことだね。
うん、素直で宜しいwww
365 :
? :2010/03/26(金) 14:50:50 ID:y/RILdE+
>>219 様から!
「ふざけてるレス・おちょくったレスと判断されて」
↑ 2ちゃんねると、お経については、初心者の中の初心者ですが
私は真面目に書き込みを、しています!
>>220 様から!
「机や隠居、渡海の妄想垂れ流しと同質だ。」
↑ 机龍之介さんは、私にとって、お経の先生なので
机さんや、隠居さん、渡海さんや、他の人の、悪口は、やめて下さい!
>>221 様から!
「無駄な改行、無駄なスペース、無駄な矢印、無駄な言葉が多い。」
↑ 私は文章の理解能力が、かなり低いので、改行、スペース、矢印、が無いと、
私自身、自分の書いた文章が、理解出来ないのです!
ふざけて文章を書いている訳では有りません!
366 :
? :2010/03/26(金) 15:22:49 ID:y/RILdE+
>>221 様から!
「まさか、一在家じゃねーだろうな?」
↑ 一在家って何ですか?
>>222 様から!
「仏説に差異があるのはおかしいのか?ということです。」
↑ 仏説に差異が有っても良いと思います!
367 :
? :2010/03/26(金) 15:27:08 ID:y/RILdE+
>>223 様から!
「なんでお釈迦様の明言だとあなたは断定されるのですか?」
↑ 雑阿含経 応説経 に書いて、有るからです!
方便を修し随順成就せずして而も心を用いて我れをして諸漏尽き
心に解脱するを得せしめんと求むるも当に知るべし
彼の比丘は終に漏尽解脱を得ること能わず
所以は何ん修習せざるが故なり何等か修習せざる謂ゆる
念処、正勤、如意足、根、力、覚、道、を修習せざるなり
368 :
? :2010/03/26(金) 15:51:11 ID:y/RILdE+
369 :
? :2010/03/26(金) 16:27:20 ID:y/RILdE+
>>262 様から!
「読みにくいレスですw」
↑ 私は文章の理解能力が、かなり低いので、この「読みにくいレス」じゃないと
私自身、自分の書いた文章が、理解出来ないのです!
「どうせ誰かさんの自演でしょw」
↑ 誰かさんって誰ですか?
「何千年も経ったのですから、その<修行の成果>とやらを万人に分かるように証明して下さい。」
↑ <修行の成果>を証明する事は出来ません!
「証明出来ないことなら誰でも言いたい放題です。悪く言うと<詐欺>と同じ手口w」
↑ <修行の成果>を証明する事は出来ないけど
阿含経が、お釈迦様本人に、一番近い、一番初期の、仏教の経典である
と言う事を説明したいだけなのです!
370 :
? :2010/03/26(金) 16:47:28 ID:y/RILdE+
>>262 様から!
「輪廻の輪を断ち切った人にも誰も今までお目にかかったことがありません。」
↑ 私も輪廻の輪を断ち切った人を見た事が有りませんが、
お釈迦様本人に、一番近い、一番初期の、仏教経典である、
阿含経に、おいては、お釈迦様とか、お弟子さん達とかが、
解脱を、されている、と言う事なのです!
371 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 16:57:13 ID:DTq41pqn
> ↑ 私は文章の理解能力が、かなり低いので、改行、スペース、矢印、が無いと、 > 私自身、自分の書いた文章が、理解出来ないのです! じゃあレスするなよ
372 :
? :2010/03/26(金) 17:24:49 ID:y/RILdE+
>>371 様から!
「文章の理解能力が低くて文章が理解出来ないのなら、レスするなよ!」
↑ 私は文章の理解能力が低いですけど、なんとか努力するので、
これからも宜しく、お願い申し上げます!
>>368 あのな・・・(^^;
彼は、そのレベルは終了済みだと思うぞw
そのWikiも、とっくにチェック済みだろう。今更そんなURLを貼って何になる?
その先を勉強する為の本を聞いてきたんだろうが。
何がしたいんだ?
びっくりマークの濫用も併せて、ふざけてるとしか見えんが?
>>369 (
>>372 )
> ↑ 私は文章の理解能力が、かなり低いので、この「読みにくいレス」じゃないと
> 私自身、自分の書いた文章が、理解出来ないのです!
「語るに落ちたり」とはこのことか・・・。
ならば、なぜ他人のレスや阿含経の文は理解できるんだ?w
阿含経には「びっくりマーク」や「矢印」が多用され、君のレスのような体裁で記されているのかい?www
ふざけるのも大概にしとけ。
(少なくともIDからは)一在家とは別人のようだが、
この「イヤラシイ姑息さ」は、彼と並び立つ性根の腐りようだ・・。
初心者ぶる所にも同種の悪臭が匂い立つわ。
374 :
? :2010/03/26(金) 19:01:11 ID:y/RILdE+
>>373 様から!
「びっくりマークの濫用も併せて、ふざけてるとしか見えんが?」
↑ 私は真面目に書き込みを、しています!
私にとっては、びっくりマークを付けた方が文章が読みやすいのです!
「なぜ他人のレスや阿含経の文は理解できるんだ?w」
↑ 多分、完全には理解していないと思います!
「阿含経には「びっくりマーク」や「矢印」が多用され、
君のレスのような体裁で記されているのかい?www」
↑ 阿含経には「びっくりマーク」や「矢印」は有りません!
これは、あくまでも、私にとって、びっくりマークを付けた方が
文章が読みやすいと言う事なのです!
375 :
? :2010/03/26(金) 19:02:53 ID:y/RILdE+
>>373 様から!
「ふざけるのも大概にしとけ。」
↑ 私は真面目に書き込みを、しています!
「(少なくともIDからは)一在家とは別人のようだが」
↑ 一在家って何ですか?
「初心者ぶる所にも同種の悪臭が匂い立つわ。」
↑ 2ちゃんねると、お経については、初心者の中の初心者です!
これは本当に初心者なのです! 本当です! 嘘では有りません!
現成公案の訳を誰か教えて下さい どの本の訳もちょっとイマイチな気がするので・・・ 誰か博学な方教えて下さい わからないのは、「証する」ってのが何かわからないです。それから「悟迹」、これもよくわからない。 休歇も本によって訳がまちまちです。 よろしくおねがいします 仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは自己をわするるなり。 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心、および佗己の身心をして脱落せしむなり。 悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。
377 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/26(金) 19:32:31 ID:pbLLAtda
>>358 >その根源は、生存本能(生命)以外にはありません。
日常においては、理性的認識というのが担保されてますので、
その延長線ではなかなか経験しにくいのですが、
禅定というのは、その日常における非日常を追体験することなんですね。
それは、一瞬が刹那・刹那に繋がらない永遠に感じたり、
こういった非理性の時間体験をすることにおいて、
理性的認識の破壊があるのです。
これを純粋体験などと言ったりしますが、それが恍惚的なものであったり、
また同時に死への直面だったり、超越的感覚になります。
これがこのままだと、つまり彼の世逝きになりますけど、
しかしながら、また、日常という理性的認識は戻るのであります。
貴殿のいう「生命」とは、この理性的認識のことであり、
それは非常にアヤフヤなものであると体験できます。
「生命」という名称とその形態に固執するのではなく、
体験的に「生命」を御理解できたなら宜しいのですが。
378 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 22:59:11 ID:DTq41pqn
379 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 23:07:39 ID:vh1bqg1v
>>378 そんな学者のものより、西有穆山師の『敬迪』がいいんじゃなかろか?
禅はあまり知らないけど、この前読んだ「仏性」について
『敬迪』の説明はよかった。この方は少なくとも空性の体験はあると思う。
>>379 |
|゚) 兄貴・・ 「そんな」の語が余計っスよ。
|
381 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 23:25:12 ID:vh1bqg1v
384 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 05:04:11 ID:ucuOs5Nl
般若経典はスリルで、おもろいわあw 三昧にはいちまったw だいたいマスターやなw まじで、般若経典を用いて知識馬鹿中観派達を撲滅できそうだわw まあ、やめておくけどねw
385 :
血祭り魔王 :2010/03/27(土) 05:12:49 ID:ucuOs5Nl
>>322 私にまかせなさい、4月初旬ごろ南方仏教で隠居を追い込むぜよw
318のような幼稚な隠居追求はしないでねw
>>376 >自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心、および佗己の身心をして脱落せしむなり。
世界、外部(万法)が自分だと思えるぐらい世界(万法)が自己に反応し、自己という感覚すらなく世界(万法)のみがある。
386 :
血祭り魔王 :2010/03/27(土) 05:25:17 ID:ucuOs5Nl
318の幼稚な隠居への追求はセブンだったのかw 程度がしれたなあw >悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。 まじめに読んだw なるほど三昧の至福の一如たる感覚から生まれ出る衆生済度のラブリーな感覚か。
387 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 06:47:13 ID:CnSFzQat
>>382 >|゚) 普通の現代語訳・釈に飽きてるなら、(
>>379 ではないがw)
>| お師家さん系の人の「提唱」の形になってるものを探してみては?
その「提唱」の形の代表が西有穆山師の『敬迪』
これもちょっと古いので読みにくいかもしれないけど、
これを何回も読めば分かると思う。
388 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 09:17:26 ID:nlZPwSJH
角川の『仏教の思想3空の論理』(文庫版)を今読んでるんだけど、全くもって難解でわけがわからんです。 P93の<空の論理>の(2)本体の否定 の[本体と現象]での 『中論』15章の1と2を有部の教理を例とした講義の解釈って 【現在の現象している火には作用が存在するが、過去未来の知識の対象として火には作用が存在せず、 作用が存在しない火なんか火じゃないという矛盾を指摘している】 のか、それとも 【有部が現在だけの時間軸における無常である現象と三世にわたる本体の恒常性を認める事によって 二つの時間軸を認めちゃってる矛盾を指摘している】 なんでしょうか? また、P95の<空の論理>の(2)本体の否定 の[自己同一性と変異性]での 『中論』15章8と9の講義の解釈は 【変化性は自己同一性に対比されて初めて意味を持ってくるから、 依存性により存在する空性な存在の理解のために自己同一性は言葉でのみ存在し 実際には依存性により存在する空性な存在のみである。】 でいいのでしょうか? 現状、『仏教の思想3空の論理』(文庫版)だけでは理解しきれないところが出てきているから副読本っつーか参考書みたいなものがあればほしいのだけど 自分は学がないから簡単な本が良いんだけど、そういった便利な書籍ってありますでしょうか? あと、こういった質問は今後ココではなくて「中観仏教について語ろう」で聞いたほうがいいのでしょうか?
389 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 09:38:16 ID:CnSFzQat
390 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 09:58:15 ID:nlZPwSJH
391 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/27(土) 10:54:34 ID:OenKeO9L
>>388 【中論15:1・2解釈】
1、<それ自体>(自性)が縁と因によって生ずることはないであろう。
縁と因によって生じるのであれば、生じる以前は生じていないことになる。
よってこれは無自性ではないことになる。→自性の否定
2、またどうして<それ自体>がそもそも<つくり出されたもの>となるであろうか。
そのものが、縁と因によって生じていないことであれば、それ自体が生じていることになる。
しかしそれ自体が生じることであれば、それ以前は生じていないことになり(論理矛盾)
それは作り出されたものではない。と否定。→あくまでも仮説
【中論15:8・9解釈】
>【変化性は自己同一性に対比されて初めて意味を持ってくるから、
いや、そもそも変化性とか自己同一性とかないから(本性はない)、
中論では有・無という恒常性自体を否定している。→15・8解釈
>依存性により存在する空性な存在の理解のために自己同一性は言葉でのみ存在し
>実際には依存性により存在する空性な存在のみである。】
空性とは、存在とか非存在とか意味はない。
有であることもないし、無であることもないし、有でないこともないし、無でないこともない。
つまり本性自体(有・無)の否定。→15:9解釈
392 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/27(土) 11:07:29 ID:OenKeO9L
>>390 >了解しました。 移ります。
そこのスレに誘導しておいて、書込みしたら・・・
dでもな人間が出てきて、「出ていけ」ってやられますよ(苦笑
最初からロムってごらんなさい。
私も書込みしてサンザンなことになってますから(ニガワラヒ
某真言宗アジャリ(つまり高僧)専用スレッドですよw
>悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. はんは、これをやってる(つもり)んだろうけど、 そーとは受け取ってない御仁がおーいよーで。 なかなか・・・w
395 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 12:33:39 ID:ivS76tkB
>>391 >空性とは、存在とか非存在とか意味はない。
>有であることもないし、無であることもないし、有でないこともないし、無でないこともない。
>つまり本性自体(有・無)の否定。→15:9解釈
竜樹は、「もろもろの存在」を前提とし、それらが、相互依存・関係によって構成されているので、
執着すべき自性はない、と言っているだけ。
人間は、実在・非実在を「一義的」に把握しなければ、肝心の生命の維持が全く不可能になって
しまう。竜樹は、「妄想患者」ではなかった。
中論は、透徹した現実観察と洞察に基づく、論理的に聊かの乱れも無い、反神秘的、反妄想的、反宗教的な、「宗教破壊のための」古今未曾有の大哲学書・大思想書である。
釈迦も「世界を空と『観ぜよ』」と言った、あくまで「世界の実在」を前提としている。
一部の仏教者がやっているように、釈迦や竜樹を「妄想患者」「神秘主義者」に堕さしめてはならない。
396 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/28(日) 13:50:01 ID:MWMte7jm
>>395 >釈迦も「世界を空と『観ぜよ』」と言った、あくまで「世界の実在」を前提としている。
固定的不変なる(依存しない)実体は自性といい、龍樹はこれを否定してます。
全てのものは相互依存において生じるてる。ってことになる。
そうであるなら、
実体とは作られたものである。ということになってしまう。→つまり論理矛盾
それは作られたものではない。ということになる。
つまり、
「作られたもの」と「作られたものではない」といふ相反するものが一つである。→如
つまり、
「作られてもの」と「作られたものではない」は仮の説示であって、
この同時にある(つまり如)のが空思想なのでありんす。
縁生するが縁滅する。それを縁起と名づく。
397 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 15:05:05 ID:UgaaOSjo
>>396 >固定的不変なる(依存しない)実体は自性といい、龍樹はこれを否定してます。
>全てのものは相互依存において生じるてる。ってことになる。
>そうであるなら、
>実体とは作られたものである。ということになってしまう。→つまり論理矛盾
論理矛盾ではない。「厳然として実在する現実界」の本質が「相互依存・関係性」と
いう「抽象性」であるから、「自性」はなく、「作られたもの」でも「作られないもの」
でもない。この「抽象性」故に、「生じるもの」でもなく、「生じないもの」でもない。
縁生も縁滅もない。どこまで行っても「相互依存・関係性」という「抽象性」として継続
する。
これが、竜樹の言う「空」である。、
398 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2010/03/28(日) 15:46:37 ID:qgmzEu7p
自分から主体的に念仏を称えよう。そう決心したら(正定聚)、どの ように念仏を称えたらいいのか。 親鸞が比叡山で教わっていた念仏方法はどのようなものだったか。 ブログで議論を始めました。 ブログ親鸞仏教 しんらん.jp
399 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 15:57:51 ID:EclOFX/Y
urlはってくれ
400 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:14:20 ID:xAmKGM59
真言宗の某寺の阿闍梨なら知人にいるけど某四駆ターボのカーマニアでオフ会やサーキットなど走りを楽しんでる普通の人。 つまり阿闍梨とか高僧とか人間が付けた称号ばい。 坊さんを職業とするための免許みたないなもの。
401 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:25:11 ID:wi0GmRQP
>>370 >お釈迦様本人に、一番近い、一番初期の、仏教経典である、 阿含経に、おいては、
お釈迦様とか、お弟子さん達とかが、 解脱を、されている、と言う事なのです!
それは、オウムのアサハラとかお弟子さん達とかが解脱をしているということと
どこが違うのですか? オウムの発行本にもそれが称賛して書かれてるようですが
402 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:26:18 ID:qgmzEu7p
403 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 19:55:40 ID:EclOFX/Y
ありがとう、 まんまだったんだな。 アドレスにひらがなが入ることがある何て知らなかった。
404 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/28(日) 21:22:33 ID:MWMte7jm
>>397 >「厳然として実在する現実界」の本質が「相互依存・関係性」と
いう「抽象性」であるから、
「厳然として実在する現実界」なら、本質は実在じゃないの?
どうも話にならんなw
405 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 22:05:09 ID:l6AXCxxX
>>404 竜樹は、実在が相互依存性・関係性という抽象性によって構成されているから、
「自性」がないと言っているだけです。
竜樹は、女は実在ではないと思って抱いたのですかねw。実在そのものの女体
として抱いたことには違いありませんねw。
竜樹は、妄想患者ではありませんよw。
中論は、「もろもろの存在(実在)」について語っているのです。
>>405 ゴキブリ隠居
>中論は、「もろもろの存在(実在)」について語っているのです。
落第。
なんでそんなに『実在』に固執・執着するのか?
素朴実在、単純唯物論に固執するのか?
*「およそ<執着されたもの>は虚妄である」と世尊は説き給うた。
そして、すべての<形成されたもの>(一切諸行)は<執着されたもの>である。
それ故に、それら(一切諸行)は虚妄なのである。(中論13-1)
*もしも、およそ<執着されたもの>(有為)が虚妄であるならば、
それ(有為)にどんな得るところがあろうか(何も得るところはない)。
ところで、このことは世尊(ブッダ)によって説かれたが、
それは「一切は空である」ということ(一切の空性)を明らかにするためである。
(同13-2)
>「厳然として実在する現実界」(
>>397 )なる感覚的表象を『実在』と断定するのは無根拠な戯論でしかない
それは結局、妄想(サンスカーラ)に過ぎず虚妄なのである。
407 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 01:19:39 ID:IrfIPNCA
>>406 中論の、5,9,11,12,13,14,15,16,20,21の諸章は、
「中論」としてはあまり重要でない部分である。」(中村元氏による、筑摩書房
発行「大乗仏典」の、中論の解説より)。従って、同書では、翻訳されていない。
重要でない部分は省略したほうがよい。全体の意味が見えなくなる。
君が今現在執着している目の前のPCが「実在」とは思えないのなら、至急、
精神科へ行けw。
408 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 01:51:15 ID:IrfIPNCA
中論の「重要でない部分(戯論)」の言葉にこだわり、「重要な部分(思想の根幹)」を 把握できていないから、中論のまともな解釈ができない。「重要な部分(根幹)」と、 「重要でない部分(端論)」とを判別できる知性が必要。 中論の第一章を理解すれば、竜樹の思想の根幹は、理解できる。
409 :
血祭り魔王 :2010/03/29(月) 04:20:13 ID:GMJd8A/j
408が隠居なら、隠居すげえwww お見事、このスレの中観知識馬鹿の欠点の見事に命中w 無論隠居は理解できていないが、マグレ当たりがすげえwwwww まあこのスレの病的な中観知識馬鹿の流れは、 仏教学者文献妄信的、修道ゼロ、実用性ゼロ路線だからな、戯論パーティーよw しかし、八宗要綱の三論宗を読むと、中国の時点で、説明したい傾向、学者傾向がある、 それでも、 このスレの病的な中観知識馬鹿は知識病のセンスは、ぼったん並wぼったんや机の様な嘘でたらめはないが、 まったく非実用w どれ、三昧修道決まっていない三論宗で八宗要綱の三論宗を引用して連中の間抜け指摘でもするかw
410 :
血祭り魔王 :2010/03/29(月) 05:01:49 ID:GMJd8A/j
>>345 >「空」とは、つまり、一切考えないで、生命の指示のみに従い「行動せよ」
ということです。
隠居も、このスレの中観知識馬鹿以上だなあw
天台以上の仏教のクラスになると、世俗的日常の実用性、認識を打ち立てるのだが・・
唯識、南方仏教ですら、聖者志向だが、世俗的日常に応用できうる日常の実用性、認識を打ち立てている。
隠居妄想脳でいうなら、現実のプロスポーツ選手の指導は、政治思想とかも、
「一切考えないで、生命の指示のみに従い行動せよ」とか
根拠なく語られていると妄想で思い込んでいるんだろうなあw幻聴かもよw
411 :
血祭り魔王 :2010/03/29(月) 05:11:13 ID:GMJd8A/j
中観知識馬鹿と思う理由は、 隠居追求する際に、 隠居の思考そのものを追及しないからだw 三論宗でも、究極は言語で現すことができないと、教義であるなら、 その言語で現すことができないと理由、仕組みを思考のプロセスで説明しないからだ、 現実の思考のプロセスを直視し観察すると、 同じ思考はとどまることはできないはずだ。 と同時に同じ言語による思考を現し続ける事自体が不可能である。 また、隠居の妄想である >生命の指示のみに従い「行動せよ」 と言う同じ指示を現し続ける事自体が不可能である。 これぐらいの具体的指摘を普通、まじめに実用的に中観を学んでいるなら可能なものだがw
412 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/29(月) 08:01:57 ID:7qYqCw6e
>>407 >君が今現在執着している目の前のPCが「実在」とは思えないのなら、至急、
>精神科へ行けw。
なにやら「カァ〜」っと声が聞こえる。
この声から、なんらかのプロセスを経て、それがカラスと認識する。
このプロセスを分析すると、そのカラクリが理解できる。
(何故人間は、それをカラスと認識できるのか?)
目で認識することと、耳で認識することの違いだけで、認識に違いはない。
目の前のPCが「ある」と認識するのは、情報が明確であり、
耳は情報が不明瞭という違いだろう?
(認識の確実性は、その情報量に比例する)
「ある」と認識することと、
固定的不変な存在が「ある」というのは、全く意味が違ってくる。
中論は前者を解説してる。
後者ではないですね。
果たしてこの公案が解けるか?
>>407 >>408 ゴキブリ隠居
>「重要な部分(根幹)」と、「重要でない部分(端論)」
落第。
>>406 の一語の変更の要をも認めない。
ブッダの無常=無我=縁起=空=中道を、
アビダルマ部派的歪曲から復帰(帰敬序)させるために中論は著わされた。
このことは世尊(ブッダ)によって説かれたが、
それは「一切は空である」ということ(一切の空性)を明らかにするためである。
(中論13-2)
これが『根幹』でなくしてナンなのか?
ブッダの本懐である「苦諦」についても第十二章で考察されている。
これは1-1の、いかなるものにも「生じる」ことは成立しない、ということの
苦の考察への展開にほかならない。
これが重要でないと言い放てるセンスはゴキブリそのものといえる。
>「厳然として実在する現実界」(
>>397 )なる感覚的表象を『実在』と断定するのは無根拠な戯論でしかない。
それは結局、妄想(サンスカーラ)に過ぎず虚妄なのである。
なんでそんなに『実在』に固執・執着するのか?
素朴実在、単純唯物論という反中道戯論に固執するのか?
おまえは問われた自分にとって不都合な宿題はいっさいやらずに
ごねている反中道ゴキブリ無明落第生でしかない。
>>395 >>336 ついでに、
>>395 >竜樹は、「もろもろの存在」を前提とし
>>405 >中論は、「もろもろの存在(実在)」について語っているのです
ってのは、具体的には【どういう文言で】龍樹は述べているんですか?
>>407 【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/ 526 神も仏も名無しさん 2009/12/09(水) 09:23:57 ID:ZIp8sIkD
>> 524
個人的には、原始仏教に嵌った中村元氏が、果たして竜樹を本当に理解できたか
どうかは疑問。彼は、竜樹に対しては、やや否定的な感じがする。中論は、原
始仏教の「コペルニクス的転回」だから。
竜樹の哲学(相互依存性・相対性)は、「現実世界の証明ではない」どころか、
現実世界そのものの構成原理。原子(素粒子)による物質の構成を考えれば、
容易に理解できること。
これ・・貴方の書き込みじゃなかったんですか・・・(´・ω・`)
416 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 12:25:43 ID:/n6teAAP
>>358 >空とは「考えて」求めるものではありません。あくまで
「具体的現実状況(色)」に対応して生命が命じる「具体的行動」です。
確かに、何か「具体的行動」をしている時には何も考えず頭の中は空っぽ、
じっと何もしないでぼんやりしている時・・・等に色々考えてしまう。
PCに自説を書き込む必要があるから(色)、立ち上げ書き込む → (空)
その根源は、稼がないと生きていけない・・等の、生存本能(生命)以外にはない。か
417 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 13:35:30 ID:81R7Zp/u
>>413 >ブッダの無常=無我=縁起=空=中道
それらの概念の本質を「相互依存性・関係性」の原理として解明したのが、竜樹の
類い稀な頭脳である。
ブッダは、この本質には全く思い至っていなかった。単に「言ってみた」だけ。
帰敬序は、言葉の上でヒントを与えてくれたブッダに対する礼儀、悪く言えば
「ゴマすり」に過ぎない。竜樹は、非常に口が上手い人である。一在家がいみじくも
指摘したように、「ブッダを抜いた」という竜樹の自負心が、中論全体から窺われる。
事実、ブッダを完全に抜いている。
竜樹とブッダとでは、「頭の出来」が違っている。鬱病のブッダとは異なり、竜樹
は健常者である。
419 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 13:51:40 ID:81R7Zp/u
>>414 「存在」といえば、「実在(色)」のことである。竜樹の「概念」や「思想」まで
「空」であれば、自らの論述自体が、空で、無意味であると言っているのと同じ。
中論第一章(竜樹の思想の根幹)には、「存在」という言葉が多用されている
ことに注目されたい。
421 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 14:04:00 ID:81R7Zp/u
>>412 五感にいずれをとっても、「実在の知覚」と言う点では同じ。音を聴けば、
その音源の「実在」が推測できる。カラスの姿を「見る」のも、その声を
「聞く」のも、「実在の知覚」という点では同じ。情報量にも違いがない。
目の前のPCを五感のいずれかで知覚すれば、それは「実在」である。だから
書き込みが出来る。しかし、PCは、原子の集合体であり、その構成要素としての
原子自体の性質とは全く異なっているから、「無自性」であり、「空」である。
422 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 14:26:36 ID:81R7Zp/u
>>415 原始仏教信者である中村氏が、中論を完全に理解できたかどうかは疑わしい。
彼の中論に関する解説書を呼んで、果たして中論の思想がすっきりと頭に入る
だろうか。しかし、中村氏は「日本最大の『佛教』学者」だから、少なくとも、「重要
部分」と「重要でない部分」との区別はできたはずだ。
中論は、多数の解説書を読むより、中論の「重要部分」の翻訳を直接読んだ
ほうがよい。中論は、言葉は一見難しそうだが、その「内容」を把握すれば、
それほど難しいものではない。物質とその構成要素の原子との関係を考える
だけでよい。言葉の隅々にまでこだわったり、小乗的な思想に呪縛されている
と、難しく感じるだけ。
>>422 >しかし、中村氏は「日本最大の『佛教』学者」だから、
>少なくとも、「重要部分」と「重要でない部分」との区別はできたはずだ。
>中論の「重要部分」の翻訳を直接読んだほうがよい。
>【翻訳を】【直接】
>言葉は一見難しそうだが、その「内容」を把握すれば
wwwww
424 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 14:32:03 ID:81R7Zp/u
端的に言えば、釈迦佛教で洗脳された者には、中論の理解は不可能である。 両者は、全く異なる思想なのだから。それが、小乗仏教と大乗仏教との相違 でもある。
>>424 >両者は、全く異なる思想なのだから
【どこが】【どう】異なっているのですか?
悟り前 世間 ●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●● 私◎●●●●●●●●● ●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●● 悟り後 出世間 ○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○ 私●一◎○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○
427 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/29(月) 17:26:04 ID:7qYqCw6e
>>421 「カァ〜」は「カァ〜」だけですね。→これで際断です。
次ぎに「カァ〜」を縁として自己の記憶に繋がる。→これで自己・有事の発生です。
逆に言うと、「カァ〜」だけでは、カラスでもなければ自己もない。ということです。
自己の発生と、カラス認識は同時になります。
つまりその前は、自己もカラスも存在していなかったことになる。
>カラスの姿を「見る」のも、その声を
>「聞く」のも、「実在の知覚」という点では同じ。情報量にも違いがない。
見た瞬間と認識は違う。
認識とは、過去のデータとの照合のことをいう。
過去だから、その時点で有事発生と自己発生が同時にある。
前後際断(非連続)だけど、刹那に連続がある。
この延長線が、道元の「三時業」に繋がる。
輪廻転生もこの延長線にあり。
>目の前のPCを五感のいずれかで知覚すれば、それは「実在」である。
知覚しなければ実在してない。ってことになる。
(認識することと、実在では意味が違う)
428 :
絶対神 :2010/03/29(月) 17:33:45 ID:xE0yOTOK
>>421 こじつけ。そもそも仏教と科学はなんの関係もないw
大体、「原子の性質」の意味がさっぱり判らないw
429 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 18:48:31 ID:VvZoDAkU
>見た瞬間と認識は違う。
>認識することと、実在では意味が違う
????・・・(笑
禅、嫌―――い!!ややこしく神経質―――w
言葉のお遊び・説得力無―――し!!
>>421 氏に賛成!!完結―――!!
430 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 18:59:25 ID:81R7Zp/u
>>427 実在一般について述べています。ある実在物が、カラスであるか、鳩であるか、
雀であるかは、実在物の形態や性質による、観念化された「分類」に過ぎません。
物があるかないかと、その物の種類が何かは、全く別の問題。
「五感の知覚による実在の成立」については、前レスで散々やりました。
「月は見えるから在るのか、在るから見えるのか」。この「公案」は如何ですかw。
>>428 佛教は、科学にも通用する稀有の宗教ですよw。
原子が分子になれば、性質はある。「水素の性質」「酸素の性質」など、中学校でも
教わりますね。
431 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/29(月) 19:13:08 ID:7qYqCw6e
>>430 >「五感の知覚による実在の成立」については、前レスで散々やりました。
そもそも時制というのがないと、実在?の成立とは成り得んのだよ。
「カァ〜」の瞬間は時制は発生してない。
(これは後に重要なことが解ってくる)
時制の発生というのは、つまり自己の発生のことだよ。
(自己同一性とは、この瞬間に発生)
時制は発生してるから、それは実在?という時制には繋がるが・・・
果たしてその対象としている実在なるものは、
認識とは独立して実在してるのか?
ってことだよ。
これは有部でさえ否定しておることなんだけどね。
私の書込み自体の意味は解りますか?
432 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 19:20:18 ID:81R7Zp/u
>>427 実在そのものと、実在についての観念との混同がありますね。禅者なら、観念
を去って、実在そのものに迫る必要がある。
「三時業」も、「刹那における生命の機能」と解すれば、容易に説明できる。
ニーチェの「永劫回帰(正しくは、「永遠の反復」)」です。
433 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/29(月) 19:24:48 ID:7qYqCw6e
>>432 >実在そのものと、実在についての観念との混同がありますね。
わろた。
観念の混同って?
説明せにゃ解らんから、あえて解りやすく説明してるわけで、
解ってしまえば、別に説明はいらんのだよw
434 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/29(月) 19:26:12 ID:7qYqCw6e
では、寝ます。
435 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 19:41:45 ID:81R7Zp/u
>>432 知覚も、「刹那における生命の機能」だから、「時間」は存在しない。
しかし、知覚には「極小の継続(時間)」を要するから、知覚、即ち実在の
成立には、「時間」が要件となる。これも、前レスで述べました。
これは、竜樹の「時間の排除」に対する補足です。
436 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 19:50:32 ID:4AwGaXV4
机流講義を一般人たちの前でやって果たしてどれほどの 人を説得できるだろうかw 大変疑問w
>>435 隠居にとって、不都合なところ、整合性のないところ、
応えられないところが「重要でない部分」なんだよw
御都合主義丸出しだな。
以下の応答は重要ではないらしいw
>「存在」といえば、「実在(色)」のことである。竜樹の「概念」や「思想」まで
>「空」であれば、自らの論述自体が、空で、無意味であると言っているのと同じ。
これに対する龍樹の応答
・『もしも(汝が<ゴキブリ隠居おまえだ>)もろもろの事物はそれ自体(自性)として
実有である(実在する!)ということを認めるならば、汝<ゴキブリ隠居おまえだ>は、
もろもろの事物を縁起なきものとみなしているのである。』(中論24-16)
・『(そして)汝<ゴキブリ隠居おまえだ>は、原因と結果、行為主体と行為と作用、
生起(生)と滅亡(滅)、そして果報をも破壊する(のである)。』(同24-17)
・『<縁起しているもの>、それをわれわれは「空」と説く。
(しかし)それ(空として縁起しているもの)は、さらに相待の仮説(縁って想定されたもの)でもある。
それ(空として、更には仮説として<縁起しているもの>)は(実は)すなわち「中道」にあるのである。』(同24-18)
もう、龍樹がゴキブリ隠居を正面から批判していることは明確である。
ゴキブリ隠居は縁起を実質的に破壊している。
これ以上見苦しいふるまいはやめておけ。
あまりに無残な老醜ぶりだなw
>「空」であれば、自らの論述自体が、空で、無意味であると言っているのと同じ。 空ならば『意味』などあろうわけがない。 意味は言語論理(世俗)を当然の前提とするからだ。 この一言でも、ゴキブリ隠居がまったくダメなのは明らか。
439 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 23:16:17 ID:zzssto1Z
>>437 瑣末な言葉に囚われて、中論を誤解しまくりだな。
「実体として実在する」とは、「自性をもって実在する」の意味。「無自性で
実在する」のなら、「実在」しても、ちっとも構わない。さもなければ、竜樹
は「存在(実在)」という言葉を一切使えないことになるw。女も抱けないw。
なお、果も、因も、作者も、作具も、作用も、生も、滅も、果報も、すべて
「空」なのだから、それらを「破壊」することは出来ない。竜樹の論理ミスかw。
440 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 23:29:05 ID:zzssto1Z
「空性を破する汝は、世間の一切の慣習を破壊するのである。」(24:36) 竜樹菩薩は、「世間の慣習」はちゃんと認めておられるw。
442 :
神も仏も名無しさん :2010/03/30(火) 00:33:00 ID:px27/CjU
>>441 例えば、
「一般に存在者には固有の性質はないが、かかる存在者には<実在性>は属していない。」(1:10)(存在の無自性)
「またもし涅槃が存在であるならば、いかにしてその涅槃は、非相待的であるのか。
いかなる存在も非相待的であるものはないからである。」(25:6)(存在の相互依存性・関係性)
「もし涅槃が非存在者であるならば、どうしてその涅槃は、非相待的であるのか。
なんとなれば、非相待であって、非存在なるものはないからである。」(25:8)(存在の相互依存性・関係性)
443 :
血祭り魔王 :2010/03/30(火) 06:18:39 ID:zZADki1r
このスレの中観知識馬鹿対インキョの論が空虚に見えるのは、 仏教は情報処理のプロセスを中心に論じているのに、 両者共に、科学的認識や中観派思想の正当性の戯論になっている事だなあ。 存在とかの議論がクローズアップして正当性の戯論になり、 情報処理のプロセスの重要問題がなおざりになる。 ま、質問箱としてはくだらぬ論議、正当性の戯論だわ。
444 :
血祭り魔王 :2010/03/30(火) 06:24:55 ID:zZADki1r
419 :神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 13:51:40 ID:81R7Zp/u
>>414 「存在」といえば、「実在(色)」のことである。竜樹の「概念」や「思想」まで
「空」であれば、自らの論述自体が、空で、無意味であると言っているのと同じ。
このあたりが、隠居が
竜樹及び仏教は情報処理のプロセスを中心に論じているのを見失っている訳だw
故に、隠居妄想の人間の情報処理のプロセスに
意味不明な生存する生命の指示のみに従い「行動せよ」が入るw
445 :
血祭り魔王 :2010/03/30(火) 06:46:08 ID:zZADki1r
432 :神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 19:20:18 ID:81R7Zp/u
>>427 実在そのものと、実在についての観念との混同がありますね。禅者なら、観念
を去って、実在そのものに迫る必要がある。
隠居たまにマグレで名言言うなあwwwすげえww
机の盲点妄想を射抜いているぞw
お見事wwwパチパチ♪
446 :
血祭り魔王 :2010/03/30(火) 06:47:14 ID:zZADki1r
名言のカウントは隠居が一位だなあ、 むろん、マグレ当たり以外は全部妄想だけどwww
447 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/30(火) 07:25:24 ID:qWMm7YMh
>>432 >禅者なら、観念
>を去って、実在そのものに迫る必要がある。
私の書込みは、実在?そのものに迫っておるんだろw
つまり、簡単に言うと、
自己発生=時制発生=認識、これは同時に発生する。
ならば、
実在?ってのも同時に発生するんだろ?→正論だろ?
自己発生以前に、実在とする対象化されたものが実在してる。って思うのは、
それは憶測、つまり観念の領域。
これを道元は、自己発生以前は「際断せり」って言ってるわけで、
この意とするところは、
概念として時制は発生してるに過ぎない。ってことだよ。
これが現実的に「実在そのものがある」ってのとは全く意味が違ってくる。
ある禅師が、竹に小石が当たった刹那に悟った。とされる。
竹林に「カァ〜〜〜〜ン」と響き渡る音。
これを契機として、自己の発生に立ち合うことになる。
その瞬間が、すなわち頓悟と言われておるんですよ。
448 :
神も仏も名無しさん :2010/03/30(火) 13:43:31 ID:17v0j+1k
>>437 私は、筑摩書房発行の「大乗仏典」に所載された「中論の頌」のクソ難しい文
章と同書巻末の中村元氏の短い解説のみから、竜樹の中心思想を追っている。
昨夜、Wikiの「竜樹」の項の末尾に掲載された外部リンクから、佐倉哲氏の論
文(「空の思想」)を読んだが、サンスクリット語原文や竜樹の他の著作、内
外の研究者の論文などを広く渉猟された佐倉氏の結論と私の結論とは、実質的
に変わるものではない。
佐倉氏によれば、「実体」の原語は「自性」の意味。このことをを知らないか
ら、「物が実在しない」「幻」などというトンデモ解釈が生じている。「厳然
として実在する万物が相対性により構成されているから、執着すべき自性はな
い」というだけの意味である。
佐倉氏は、西洋論理学の公式など用いて、釈迦の「縁起・空・中道」と関連付
けようとしているが、私から見れば、釈迦の言葉は、竜樹の「ヒントのヒント」
程度にしか過ぎず、その内容は全くの別物。むしろ、相反するものである。ラ
イト兄弟の飛行機と現代のジャンボジェットとの相違以上の相違がある。私が、
竜樹の思想は釈迦佛教のコペルニクス的転回と称する所以である。
外国の学者も竜樹の空については、全く理解できていないようだ。「無」だな
どと、とんでもない誤解をしている。この誤解は、釈迦仏教徒も同様である。
竜樹の「相対性の思想」は、古今東西誰も比肩することのできない、また、今
後の人類の向うべき方向を示した大思想・大哲学であり、「宗教」そのものを
根底から破壊するものである。
>>448 >「実体」の原語は「自性」の意味
>「厳然として実在する万物が相対性により構成されているから、執着すべき自性はない」
(´・ω・`)?????
→「厳然として【実在する万物】が【相対性により】【構成されている】から、執着すべき【実体】はない」
《「実在する万物」は「実体」ではない》し、《「実在する万物」は「実体」を持たない》、ということかな?
つまり、
《「実在する」ということは「縁起性」である》ということ?
《「実在するもの」は「実体」を持たない》ということ?
また、「想念」「感情」「概念」「思考」「思想」等も「万物」の中に含んでのことでしょうか?
また、「構成されている」というのは、上記「想念」「感情」「概念」「思考」「思想」等についても言い得ることですか?
(貴方の言い方を借りれば)、「実在する万物」と同様、原子分子等最小単位で構成されている、ということですか?
>>442 これですか?
如諸【法】【自性】 不在於【縁】中 諸法の自性が如きは、縁の中にあらず。
na hi svabhAvo bhAvanAnaM pratyayAdiSu vidyate.
*続く次の偈はどこへ?
(以無自性故 【他性】亦復無) (自性無きを以っての故に、他性もまた無し。)
( a-vidyamAne svabhAve parabhAvo na vidyate. )
若涅槃是【有】 云何名無【受】 若し、涅槃が“有”ならば、云何んが“受無し”と名付けん。
bhAvas ca yadi nirvANam anupAdAya tat katham.
無有【不從受】 而名爲【有法】 受によらず、名付けて“有の法”と為すこと無し。
nirvANaM na upAdAyAya kazci bhAvo hi vidyate.
若【無】是涅槃 云何名不受 若し、“無”が涅槃なるならば、云何んが“受せず”と名付けん。
yadi a-bhAvas ca nirvANam anupAdAya tat katham.
未曾有【不受 而】名爲【無法】 未だかつて、受せずして、名付けて“無の法”と為すもの有らず。
nirvANam na hi abhAvo asti yo anupAdAya vidyate.
※Skt:連声の解き方は間違ってるかもしれない。
・「有(bhava)」を「存在」と解しながら、さらに『実在(≒実体)』と解するわけですね・・。
・「受(する)」を「相待的」と解するわけですね・・。
・現代語としても「存在」を「実在」と同義と解するわけですね・・。
・「有(bhava(≒存在))」(や「無」)が頻出するので、
≪龍樹は「実在(≒存在(=有))」を大前提としている≫と解するわけですね・・。
・「有」に対置されている「無」は442の「非存在」でしょうか?その場合、「有法」「無法」は(442的には)どういう意味になるのでしょうか?
「有」が「存在【者】(もの・こと)」、「有法」が「存在」、「無」が「非存在【者】(もの・こと)」、「無法」が「存在」って感じですか?
これを442(439・395・405)のように読むには、かなりのジャンプ(≒飛躍、意訳)が必要ですね・・。
更には、≪「それ(442で示された文)」は「意訳以上の要約」であり、「龍樹の文言」「ではない」≫のでは?
451 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/03/30(火) 15:57:47 ID:qWMm7YMh
>>448 >佐倉氏によれば、「実体」の原語は「自性」の意味。
貴殿は中論に関心があるようですから、私が詳細に説明いたします。
実体ってのは、つまり自分と独立した何らかの存在がある。ってことだよ。
つまり存在ってのは時制と深い繋がりがある。
ってか、時制とは不可分。
それは存在は時制を伴うからだよ。
そこで問題になるのが、果たして恒常なる時制(時間)が存在するのか?
っとことが重要になる。
概念では時間というのは解る。
しかしこの時間というのが「経過する」という本質があるのか?
(つまり過去から未来へと流れているのか?)
この結論が
>>447 になる。
つまり、人間が対象化して認識するのと、有事(つまり時間)の発生は同じことだよ。
目の前のPCと同じく、瞬間にしか認識できない。
有事もそうなんだよ、有事は瞬間にしかないんだよ。
しかしまた、「有事も瞬間」という文意に論理矛盾が生じる。
これを解説したのが龍樹の「不去・不来」になる。→八不です。
つまり龍樹は、時制の破壊において・・・同時に「自生を破壊」している。
(つまり実体の破壊であります)
452 :
神も仏も名無しさん :2010/03/30(火) 21:08:39 ID:hEk6e22y
■ 「色即是空・空即是色」 ■ 「この世は、人間の目に映じただけの世界だから、空かも知れない。 しかし、その世界こそ、人間が現に生きている世界、生きるべき 世界なのだ」。大いなる現実肯定である。 つくし摘んで袴とって塩入れた湯でゆがいて食べたらおいしかったぁ 昆布つゆちょっといれてもグー ^0^
仏教系の高校で見た仏教アニメのタイトルが思い出せません。 釈迦の生誕から入滅まで書いてた80年代風のセル画アニメ。 学校の宗派は浄土宗。 よろしくお願いします。
>>452 >しかし、その世界こそ、人間が現に生きている世界、生きるべき
>世界なのだ」。大いなる現実肯定である。
これって、二項相対そのままでの居直りなんですがw
頑迷固陋の耄碌ゴキブリどもには仏教は無理、
有為の本性たる無為に到るには、邪心が多すぎる。
・(ニルヴァーナとは)一切の得ること(対象を実体=実在として知覚すること)が滅し、
戯論(形而上学的議論)が滅しためでたい吉祥なる境地である。
ブッダは、いかなる教え(法)も、どこにおいても、誰のためにも説かなかったのである。(中論25-24)
総ては言い得ず、文字を離れ、空にして寂静、はじめより汚れ(という観念)なし。
もろもろの事柄をこのようだと知る者は、仏・菩薩といわれる。<チャンドラキールティ>
随縁且従容 <♪ 良寛さん、あそびましょw ♪>
心経を好む奴って、殆ど例外なく「受想行識」を無視するよなw ちゃんと前段で「五蘊皆空」と言ってるのに・・w
456 :
神も仏も名無しさん :2010/03/31(水) 02:48:32 ID:LkV154MI
最近まで仏教の教えを知ることなく 一般的な日本人らしく無信仰で普通に苦しみながら 頑張って人生を生き抜いてきました。 今も釈迦の教えを理解も実践もしていませんが 三毒というものの存在を知ることが出来ました。 (あくまで哲学という分野において調べている結果でしたが) 三毒を知ったとき非常に感銘を受け、確かに人間の苦しみは この三つの煩悩からほとんどがきているなあと思いました。 特に無明であるという概念を知ったときには目の前が開けた気がしました。 確かに煩悩というものをすべて取り除くことが出来るのならば 完全に苦しみから開放されるような気がします。 しかし、人間は煩悩によって苦しみ、もがいてきたからこそ 素晴らしい芸術が生まれたり、素晴らしい能力を 身につけ多くの人を笑顔にもできるのではないのかなとも 考えます。 高みを目指して"貪り" 己の力の無さを"怒り" "愚か"なまでに努力する のがダメなのでしょうか このスレにおられる皆様はどのようなスタンスで生きていらっしゃいますか?
>>456 >高みを目指して"貪り"
>己の力の無さを"怒り"
>"愚か"なまでに努力する のがダメなのでしょうか
別にダメじゃないよ。
ただ、それは俗人の価値観。
三毒を肯定する限り、苦からも逃れられないと言うだけ。
世俗の価値観では、苦を受けることを覚悟しつつ、楽を味わう。
それに対して、出家の価値観は、根本的に苦から逃れる為に、楽を放棄する。
(”根本的に苦から逃れる=楽である”ともいえるが)
どっちが良いとか、ダメとかじゃなく、価値観の相違だね。
個人的には、出家の価値観がある事を認識しつつ、やっぱり世俗の柵を捨てる事もできないんで、世俗の価値観で生きてる。
ただし、この、”認識しつつ”と言うのが重要で、
苦を受けることを理解しながら、三毒を放棄しない事で結果的に苦が生じても、
”自分が三毒を放棄しなかった事が原因なんだから、仕方が無い”と、諦めが付く。
458 :
神も仏も名無しさん :2010/03/31(水) 07:17:49 ID:LkV154MI
>>457 >個人的には、出家の価値観がある事を認識しつつ、やっぱり世俗の柵を捨てる事もできないんで、世俗の価値観で生きてる。
なるほど、たしかに今の物や情報にまみれた日本ではそのような考え方がモアベターの
ような感じを受けますね。
もちろん出家され世俗を捨て帰依されている方もたくさんいるでしょうが。
また日本的な仏教と世界的な仏教は違うとも聞きます。
日本人は民族として戒律を守って生きていくのは不向きな部分が
あるのかも知れないとも個人的に思ってしまいました。
自分の視点からでは他国に比べて僧侶の地位が高いとも思えません。
智慧の価値観を認識できるよう努力し
三毒の愚かさ
怒りは怒りしか生まない。
貪りはまた新たな貪りを生む。
争いは繰り返すだけだ。
差別が差別を生む。
などといったことをたまには考えるようにして
生きていくことにします。ありがとう
459 :
血祭り魔王 :2010/03/31(水) 08:53:47 ID:XGXUE3ey
448 :神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 13:43:31 ID:17v0j+1k 竜樹の「相対性の思想」は、古今東西誰も比肩することのできない、また、今 後の人類の向うべき方向を示した大思想・大哲学であり、「宗教」そのものを 根底から破壊するものである。 隠居の妄想生命宗教も根底から破壊してくれよw 隠居の脳の情報処理を竜樹で観察してみようw 実用面で役に立たない妄想が多いのを理解しようw このスレの竜樹論者も大概実用面で役に立たない妄想であるけどなw その視点でたまに隠居の書き込みが見事に命中する時がある。 隠居は人間の情報処理の実用性に目が向くべきなんだがな、 南方仏教の実用性のある部分が理解できていないようだしw 隠居は隠居が問題視する、前提絶対性から話を始める「宗教」と同じく、 現実観察よりも、生命教などの前提絶対性から話を始める、 「釈迦仏教」と言う隠居の妄想も、 隠居が問題視する、前提絶対性から話を始める「宗教」と同じく、 現実観察よりも、前提絶対性に基づく観念だけの「宗教」という前提絶対性から話を始める、
「色」が「空」であるってのが、(世俗の)常識からは衝撃的だからかね・・・。
>>455
461 :
1/4 :2010/03/31(水) 11:40:54 ID:SQpWk6lD
妙法蓮華經玄義巻十:天台智者大師説〔 T1716_.33.0812a28 から T1716_.33.0812b18まで 〕 問四教名義出何經。答。 >問う。四教の名義は何れの経に出るか。答う。 長阿含行品佛在圓彌城北尸舍婆村説四大教者。 >長阿含の行品に、“佛、圓彌城の北、尸舍婆村に在って四大教を説くとは、 從佛聞從和合衆多比丘聞從一比丘聞。是名四大教。 >佛より聞き、和合衆・多くの比丘より聞き、(また)一比丘より聞く”、と。これを四大教と名付く。 月燈三昧經第六。明四種修多羅。謂諸行訶責煩惱清淨。 >月燈三昧經の第六に四種の修多羅(≒この件での肝要の教え?)を明かす。謂く、諸行、訶責、煩惱、清淨、と。 私釋會之。諸行是因縁生法。即三藏義也。 >私(わたくし)に(今)これを釈会せば、 【諸行は是れ因縁生の法なり】。即ち三藏の義なり。 訶責是體知過罪。即通教義也。 >【訶責は是れ過罪を体知す】。即ち通教の義なり。 煩惱者。不入巨海不得寶珠。若無煩惱則無智慧。即別教義也。 >【煩惱とは、巨海に入らざれば宝珠を得ず。若し煩惱無ければ則ち智慧無し】。即ち別教の義なり。 ・・・☆ 清淨者既擧一淨當名。任運有我常樂等。即圓教也。 >【清淨とは、既に一つの淨を挙げて名に当てれば、任運に我・常・樂、等あり】。即ち円教なり。 又一一教具四修多羅。 >又、一一の教に四の修多羅を具す。 諸行即集諦。諸行果即苦諦。 >【諸行は即ち集諦なり】。【諸行の果は苦諦なり】。 ・・・☆ 諸行對治對治煩惱。即道諦。 >【諸行は対治されるものなり】。【煩惱を対治するは即ち道諦なり】。 ・・・☆ 諸行清淨即滅諦。 >【諸行の清浄なるは即ち滅諦なり】。 ・・・☆ 此三藏中具四修多羅也。 >これ、三藏中に四の修多羅を具すなり。
462 :
2/4 :2010/03/31(水) 11:41:59 ID:SQpWk6lD
又訶責諸行即集諦。訶責諸有即苦諦。 >又、【諸行を訶責するは即ち集諦なり】。【諸有を訶責するは即ち苦諦なり】。 ・・・☆ 訶責煩惱對治即道諦。訶責清淨即滅諦。 >≪【煩惱を訶責し對治するは即ち道諦なり】。【訶責の清淨なることは即ち滅諦なり】。≫ ・・・☆ 此通教中具四修多羅。 >これ、通教中に四の修多羅を具す。 又煩惱諸行是集諦。煩惱諸有是苦諦。 >又、【煩悩(として)の諸行は是れ集諦なり】。【煩悩の諸の有るは苦諦なり】。 ・・・☆ 煩惱行被訶責即道諦。煩惱清淨即滅諦。 >≪【煩悩(として)の行が訶責されるとは即ち道諦なり】。【煩悩の清浄なるは即ち滅諦なり】。≫ ・・・☆ 此別教中具四修多羅。 >これ、別教中に四の修多羅を具す。 又涅槃即生死苦諦清淨也。 >又、 【涅槃の即ち生死なるは、苦諦の清淨なるなり】。→涅槃は即ち生死苦諦の清淨なるなり。 菩提即煩惱集諦清淨也。 >【菩提の即ち煩惱なるは、集諦の清淨なるなり】。→菩提は即ち煩惱集諦の清淨なるなり。 煩惱即菩提。道諦清淨也。 >【煩惱の即ち菩提なるは、道諦の清淨なるなり】。→煩悩は即ち菩提道諦の清浄なるなり。 生死即涅槃。滅諦清淨也。 >【生死の即ち涅槃なるは、滅諦の清淨なるなり】。→生死は即ち涅槃滅諦の清浄なるなり。 此圓教中四修多羅。 >これ円教中の四の修多羅なり。
463 :
3/4 :2010/03/31(水) 11:53:31 ID:SQpWk6lD
>>225 (
>>238 )
国訳一切経を元に読み下してみた。
(現代語訳或いは意訳は、試みてみてもよいが私の手に余るw 天台の教義なぞ、よーわからんw)
(重要と思われる節には、≪≫を付すか末尾に☆印を記した。)
(てか、解題事典見たら、これってすげー重要なやつだったんだなw)
この法華玄義は、もともとが、
(法華経説示の意義として)、「それまでの教えの詳説・プロセス」を下位に配し、
「(法華経が説かれることによる)」「一乗思想の敷衍」、
ひいては「瑣末な修道階位・プロセスを飛び越える、《悟り》へのダイレクトな突入」及び
「《おしえ》そのもの(本義)を直接示す・挙揚する」こと、を「円教」として釈す、明かす
もののようなので(推測w)、
必ずしも[御隠居用法]への「明確な反例」とはならないが、それでも、
『単純イコールではない』ことを示し得るのではないかと思われた。
上記のような、天台大師の基本スタンスはもとより、この法華玄義中、
「煩惱即菩提、菩提即煩惱」「生死即涅槃、涅槃即生死」のフレーズは随所に見られる。
「不二」「不異」「無別」という語と併記される箇所も多い。
*(故に、
>>462 矢印先のような読み下しでなく、それぞれ五文字セットの術語として見るべきかもしれない。)
また、三蔵(→諸行の説示)・通教(→呵責の説示)・別教(→煩悩の説示)と、従前の説示を釈しながら、
それらより更に優れたものとして、「円教(→清浄の説示)」が示されてもいる。
しかし、この段で重要なのは、(天台大師の基本スタンスとしてもだが)、
「円教以前の教え・プロセス」を【否定してはいない】ということだろう。
ざっと見だが、他の幾もの箇所に「衆生各々の機根によって適したものが説かれて来て、
今、法華経が(大乗が)説かれた」という意味合いのことが述べられている。
教相判釈にしても、「その〈説かれ方〉や〈個別の内容〉そして〈示されている本質・本題〉の別」
によって分かたれるものと思う。
464 :
4/4 :2010/03/31(水) 12:25:53 ID:SQpWk6lD
今引用した部分にしても、三蔵・通教・別教として(方法論的ものとして)
「従前の《悟りへのプロセス・手法》」が提示されている。(また、語義の絞込みは他の多くの箇所との照合を有すだろう。)
その後、「円教」として《悟りへのダイレクトな繋がり》が示される。
《「真のおしえ」として、本当はこれ(清浄なること)が言いたかったのだよ》、と。
このことが意味するのは、
≪ここで述べられる(→大乗仏教に於いて言われる)○○即××というフレーズは、
【二項を繋ぐ「細説及びプロセス」(≒方便)が踏まえられてこそ(あってこそ)である】≫と見るべきことだろう。
(或いは≪本来清浄なるが故に≫と。)だから、イコールで結び得るのだ、と。
だから、不二であり不異であり別無きものと示される。
また、≪いきなり「真のおしえ」を示しても、衆生は(或いは比丘達は)、
【疑義し】【反発し】【理解できない】であろう。また【誤解し】【誤用する】であろう。
だから方便として、「真のおしえ」の「表相」を、「真のおしえ」の「別の義」「(世俗諦への)顕れ」を説いたのだ≫、と。
既説の別義が《「真のおしえ」の別相》であるなら、もはやそれは『単純イコール』ではない。
≪「これこれこのような意味」「これこれこのような視線(→仏の視線、悟りの視線)」
であるからこそ成立するイコールである≫と見るべきではなかろうか。(参:
>>184-185 >>224 )
門外漢が(パンキョー仏教概論並のレベルで)雑感を記してみた。 諸賢の批判を乞う。
※大正DB便利だね・・w
※個人的には、
>>462 矢印先のような読み方をしたい所だが、大乗的には、それは
「従前の、方便としての、下位のもの、方法論的なものであり、本義に迫ってはいない」
ということになるのだろうw
465 :
? :2010/03/31(水) 16:18:19 ID:6MLGuR7f
>>401 様から!
>オウムのアサハラとかお弟子さん達とかが解脱をしているということと
>どこが違うのですか? オウムの発行本にもそれが称賛して書かれてるようですが
私は、オウムの発行本を読んだ事が無いので、
オウムのアサハラとか、アサハラの、お弟子さん達とかの事は分かりません!
>オウムのアサハラと、どこが違うのですか?
オウムの発行本を読んだ事が無いので、私と、オウムのアサハラと、
どこが違うのか、私には分かりません!
私は、教祖様に成るつもりは有りません!
お釈迦様に、一番近い、一番初期の、仏教経典は、
アーガマ、阿含経である、と言う事を説明したいだけなのです!
>>465 >説明したいだけなのです
誰に? 何のために?
阿含経典(の一部)が「より古形を保持している可能性が高い」ってのは、
殆どの人が了解済みのことで、今更声高に唱える事柄でもないと思うが?
467 :
血祭り魔王 :2010/04/01(木) 00:14:27 ID:FJ5vce0/
465のセブンはオナニー好きなのさ、隠居にからかわれるネタを書き込むのがすきなのさw 簡単に言えば、悟り、迷い、なんていうのも、 現実の日常生活での人間の情報処理のプロセスを中心に論じているんだが、 存在論とか、哲学的に正当性とか、の戯論が仏教だと思うばかりに走る、このスレの連中はw 悟り、迷いとかの現実の日常生活での人間の情報処理のプロセスを中心の問題を中心に議論するのが仏教なのだが・・
468 :
隠居へ、血祭り魔王 :2010/04/01(木) 00:21:37 ID:FJ5vce0/
465はセブンじゃない、すまぬ、464だ。 後、隠居の妄想、釈迦仏教、南方仏教なのだが、 ま、隠居が輪廻と聖者至上主義に疑問は持つ、批判はまっとうだとしても、 釈迦仏教、南方仏教とオウムとつなげる妄想は理解できないねw 南方仏教のずっと続ける修行、ヴィパサナーの場合、 自己の認識、思考、判断、行為を自覚する修行なのだが、 その自己の認識、思考、判断、行為を自覚できるのが、マインドコントロールなんですかね? その自己の認識、思考、判断、行為を自覚できるのが宗教戦争を引き起こすのかね? そこが、南方仏教の実用的側面、 情報処理の実際面では隠居の生命教の判断よりも実用的ではないかね?
ペタ♪
ブッダ(お釈迦様)とアーナンダは実は できていた!! アーナンダの悟りが遅れたのは、ハードゲイ関係による。 って * * * + エイプリルフールです n ∧_∧ n + (ヨ(* ´∀`)E) Y Y *
神は万物をどのようにして創造したか。 天地創造神話について、書きました。 ぶろぐ親鸞仏教 しんらん.jp
472 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 17:25:29 ID:/XlmsqxN
>>465 つまり解脱をしているということは、本人の自己申告か経典や発行本に
あるだけでそれを言葉通りに信じるか信じないかということですねw
そして解脱をしたか証明する基準も無いし、何の根拠もない。
473 :
血祭り魔王 :2010/04/03(土) 06:11:39 ID:/8XwuQBy
472も、間抜けやなあw 智慧が現れ、具体的実用性の指摘、書き込みの有無で判断つくわいw このスレの間抜け中観派どもは理屈のみで、実用性に欠けるw 八宗綱要の三論宗、真俗二諦に、こう書いてある。 勝義諦、世俗諦などの二諦は釈尊の言説であって真理そのものではないが、 衆生の機縁に応じて教えるために二諦を説いたのである。 このスレの間抜け中観派どもは理屈のみで、 >衆生の機縁に応じて教えるために二諦を説く気がないオナニー阿呆だらけだw
規制中?
475 :
神も仏も名無しさん :2010/04/05(月) 17:37:39 ID:axd77yrR
476 :
神も仏も名無しさん :2010/04/05(月) 23:28:20 ID:VtZFhDD/
>>464 >≪ここで述べられる(→大乗仏教に於いて言われる)○○即××というフレーズは、
> 【二項を繋ぐ「細説及びプロセス」(≒方便)が踏まえられてこそ(あってこそ)である】≫と見るべきことだろう。
>(或いは≪本来清浄なるが故に≫と。)だから、イコールで結び得るのだ、と。
大乗が、「その細説及びプロセス」が「無用・無意味」であることに思い至ったから
こそ、省いて「即」で結んだという解釈も充分に成り立ちうるな。「即」の語の
持つ深い意味を理解する必要がある。「本来清浄なもの」に余計なものは不用では
ないか。却って清浄が汚される。
セブン氏は開祖への嵌り込みが深すぎ。鬱病患者の釈迦に、それほど付き合う
必要はないと思うがw。
>>476 >既説の別義が《「真のおしえ」の別相》であるなら、もはやそれは『単純イコール』ではない。
>≪「これこれこのような意味」「これこれこのような視線(→仏の視線、悟りの視線)」
> であるからこそ成立するイコールである≫
また、 >「その細説及びプロセス」 を透過して初めて「即」なんだよw
どんな易行でも(≒大乗でも)、(それが、「即」に象徴されるダイレクトな行であっても)、
【《それが修められること》は、実は《 >「その細説及びプロセス」 が修められること》に他ならず】
それが修められている時、 >「その細説及びプロセス」 もまた修められている。
【 >「その細説及びプロセス」 によって接続されているのが「即」】なんだよ。
どんな(大乗のw)古人も、必ず「即」で結ぶ意義を説いている。
なぜ、その二が「即」で結び得るのかを・・・。なぜ、不二・不異なのか、を。
君のような「短絡享楽欲望肯定」にならないようにだw
君のような意味での「世俗肯定、欲望肯定」をする古人が居るなら、是非名前を挙げてみてくれw
ノシ
478 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 09:28:48 ID:4qsqW4RG
>>450 >更には、≪「それ(442で示された文)」は「意訳以上の要約」であり、
>「龍樹の文言」「ではない」≫のでは?
>>442 で引用した日本語訳は、東大インド哲学の名誉教授平川彰氏によるもの
です。あなたが引用されたのは、どなたの訳ですか。
「受する」に該当するサンスクリット語とその辞書的意味をご教示ください。
英独仏西伊露の何語でも結構です。
479 :
隠居へ質問、血祭り魔王 :2010/04/06(火) 10:05:08 ID:DFqGN1LG
>セブン氏は開祖への嵌り込みが深すぎ。鬱病患者の釈迦に、それほど付き合う 必要はないと思うがw。 で、その鬱病と言うのは、その自己の認識、思考、判断、行為を自覚できることかね?? 後、隠居の妄想、釈迦仏教、南方仏教なのだが、 ま、隠居が輪廻と聖者至上主義に疑問は持つ、批判はまっとうだとしても、 釈迦仏教、南方仏教とオウムとつなげる妄想は理解できないねw 南方仏教のずっと続ける修行、ヴィパサナーの場合、 自己の認識、思考、判断、行為を自覚する修行なのだが、 その自己の認識、思考、判断、行為を自覚できるのが、マインドコントロールなんですかね? その自己の認識、思考、判断、行為を自覚できるのが宗教戦争を引き起こすのかね? そこが、南方仏教の実用的側面、 情報処理の実際面では隠居の生命教の判断よりも実用的ではないかね?
480 :
血祭り魔王 :2010/04/06(火) 10:07:50 ID:DFqGN1LG
セブンはアホで実用性がない言葉遊びが好きなだけさw このスレの間抜け中観派どもは理屈のみで、実用性に欠けるw 八宗綱要の三論宗、真俗二諦に、こう書いてある。 勝義諦、世俗諦などの二諦は釈尊の言説であって真理そのものではないが、 衆生の機縁に応じて教えるために二諦を説いたのである。 このスレの間抜け中観派どもは理屈のみで、 >衆生の機縁に応じて教えるために二諦を説く気がないオナニー阿呆だらけだw
481 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 10:16:31 ID:4qsqW4RG
>>477 「本来清浄な欲望」に、一体何を付け加えようとするのかね。その「欲望」には、
「他者の欲望」への理解と配慮が当然に含まれている。さもなければ、「本来
清浄」とはいえない。
他人の教え、それも精神障害者の教えなどに従う必要は一切ないもの。
「修行」というなら、生活者は「他者との係わりの中での生存努力」という
「大修行」を日々行っている。仏教者のような、「生存努力を離れた、自己の
選択可能な、趣味・娯楽、自己の欲望追求」としての修行は、修行とはいえな
いだろう。
君の解釈では、「即(あるがまま)」や「本来(生まれながらの)」の意味を
を一切無視した、ひたすら「開祖の言葉」盲信ゆえの、こじつけ解釈に過ぎない。
482 :
血祭り魔王 :2010/04/06(火) 10:26:07 ID:DFqGN1LG
セブンの直視なし実用性ゼロの仏教用語だから、隠居がからみつくw >生活者は「他者との係わりの中での生存努力」という という思考を世界中の人間がいつもしているはずがないw セブン、隠居共に、日常はなんらかの小難しい理屈を付けて行動している妄想があるらしいがw セブンはいい加減で実用性ゼロだから、 >ひたすら「開祖の言葉」盲信ゆえの、こじつけ解釈に過ぎない。 と隠居に幼稚な反論を与える余地を残すw
483 :
血祭り魔王 :2010/04/06(火) 10:31:23 ID:DFqGN1LG
セブンは、隠居に >「開祖の言葉」盲信ゆえの、 と言わしめる概念、言語のみの提示をするから、 当然、隠居は、そのように語る、 論破は単純だw 南方仏教にしろ、大乗仏教にしろ、 直視する方向と実用性にあって、それを具体的提示、追及すればいいのみ。 仏教用語、概念、理屈を入れる必要はない。
484 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 14:56:35 ID:Q/M5Tn4q
>>483 >仏教用語、概念、理屈を入れる必要はない。
それには同意。宗教信者は、開祖や教典の言葉と概念にがんじがらめに呪縛
されてしまうから、根源としての己の生命の声が聞こえなくなってしまい、
すべてを、宗教という厚い人為的ベールを通してしか見ることができなくなる。
大昔の宗教など捨てて、生命という根源に立ち帰ることが必要であろう。
485 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 18:50:00 ID:uR2Du1GV
うむ。オウムの教祖や弟子たちが解脱したと言って発行本で称賛されていても、
圧倒的に無名の大多数の人達は、そんなこと何処吹く風で一生懸命に今、を
生きている。多分、大昔も人間はそんなには大差ないと推測出来るだろう。
ご隠居氏の指摘された通り、圧倒的に無名の大多数の人達の努力のお陰で今日
まで世界は発展し続けてきた。
難解な仏教用語、概念、時代遅れの開祖や教典の言葉、理屈・・・・等々の
虎の威を掲げて宗教者が上から訳知り顔に説教し、威張る必要はないのだ。
宗教は、何を解決し何を発展させ世界に尽力してきたのか?
↓
>私も輪廻の輪を断ち切った人を見た事が有りませんが、 お釈迦様本人に、
一番近い、一番初期の、仏教経典である、 阿含経に、おいては、お釈迦様とか、
お弟子さん達とかが、 解脱を、されている、と言う事なのです!(
>>370 )
>お釈迦様に、一番近い、一番初期の、仏教経典は、 アーガマ、阿含経である、
と言う事を説明したいだけなのです!(
>>465 )
↑
大昔の開祖にこだわり執着し、人生を賭けるのは、アサハラと弟子達同様滑稽だ。
何の力も無く人生を棒に振る。如何に宗教がピント外れで狭い世界かよく分かる。
486 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 19:00:29 ID:uR2Du1GV
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪ 生物的生命(生存本能)がなければ、釈迦もイエスもなく、仏教もキリスト教 もない。知覚も認識も思考もない。従って、この世界もない。 従来の宗教は、生命とそれを維持する自然(現実界)の根源性に、充分に思い 至っていない。 しかし、生活者たちは、意識的・無意識的に、その根源性を基盤として生存 している。 (*^。^*) □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
〔パターン3 (翻訳を巡って)〕(…仮) ◎宗教は「生命軽視・無視」、仏教も「生命/世俗軽視・無視・否定」、「釈迦(≒原型)は病理」。 →貴方の依拠する漢訳(翻訳)も釈迦仏教(阿含)(≒原型)に依拠してますよ。 ↓ 「漢訳・翻訳(≒龍樹)はヒントとしただけ」。「空」を明確にしたのは龍樹。釈迦仏教とは違う。原典・釈迦仏教は病理。 →漢訳・翻訳も釈迦仏教(阿含)(≒原型)に依拠してますよ。原典にはこうありますよ。 ↓ 「原典(梵文等)は古代のものであり、論理的・合理的でない」。「漢訳に依拠すべき」。 →漢訳は原典から訳されてますよ。更には漢訳の読みも違いますよ。 ↓ 「古代人(釈迦)の考えも翻訳も論理的・合理的でなく間違いだらけ」。現代人が現代にふさわしく読むべき。 →龍樹の言葉も漢訳ですよ。昔の人ですよ。 ↓ *「現代人が(→自分が)論理的合理的に解釈できるものが正しく、それは病理でない」。 →釈迦仏教(≒原型)も論理的合理的に解釈できますよ。龍樹はその系譜ですよ。 ↓ 「原点回帰は思考停止」「開祖への盲信」。それは原型の病理に染まっているだけ。 また、「釈迦仏教は世俗を否定しているから間違っている」。「原型は病理」。 →きちんと考察・検討した上での原型への評価ですよ。そして龍樹も同様ですよ。 ↓ 「龍樹はヒントとしただけ」。「空」を明確にしたのは龍樹。釈迦仏教とは違う。釈迦仏教は病理。 →龍樹も釈迦仏教(≒原型)に依拠してますよ。 ↓ *「現代人が(→自分が)論理的合理的に解釈できるものが正しく、それは病理でない」。 →釈迦仏教(≒原型)も論理的合理的に解釈できますよ。 ↓ ・ ・ ・ 以下ループ
>>478 >
>>442 で引用した日本語訳は、東大インド哲学の名誉教授平川彰氏によるもの
> です。あなたが引用されたのは、どなたの訳ですか。
ハァ?(゚д゚) 日本語訳なぞ引用していませんが?w
> 「受する」に該当するサンスクリット語とその辞書的意味をご教示ください。
upAdAya (monier)
having received or acquired / receiving , acquiring /
taking with , together with / including , inclusive of /
by help of , by means of (acc.)
upadaya (PTS)
T.“taking it up” 1.out of , as , for 2.compared with , alongside of , with reference to , according to ,
U.“hanging on to derived” usually as [anupAdAya]
not clinging to without any (further) clinging (to rebirth) , emancipated , unconditioned , free
>>481 > 「本来清浄な欲望」に、一体何を付け加えようとするのかね。
何も付け加えられていませんが?w 夢でも見てるんですか?www
しかも、欲望なんて言葉は引用文にはありませんが?
煩悩は欲望以外にもたくさんありますよ?(自分を顧みれば解るでしょう?w)
> その「欲望」には、「他者の欲望」への理解と配慮が当然に含まれている。
【人は普通】【それを「欲望」とは言いません】よ?w
> さもなければ、「本来清浄」とはいえない。
ハァ?(゚д゚)
なぜ、『さもなければ』なんて接続が可能なんでしょう?
しかも、【なぜ、それが「清浄(なること)」と関係するのでしょう?】w
>>481 > 生活者は「他者との係わりの中での生存努力」という「大修行」を
そういう見解は大いにアリですよw (実際にそのような法話をする坊さんも多いことだろうw)
でも、それは仏教じゃない。 人生指南、生き方指南の一つ(≒方便)だよ。
【(後でも触れるがw)「修行」という言葉の指し示す範囲を広く取り】、
【通常使われる意味とは違った形で】【前向きな姿勢や向上心を促す、後押しする】ためにね。
仏教からでなくても言えることだ。他の宗教の人でも、会社経営者でも言えることだよ。
仏教を知らなくても言えることだよ。処世訓の一つとしてね・・w
> 日々行っている。仏教者のような、
> 「生存努力を離れた、自己の選択可能な、趣味・娯楽、自己の欲望追求」としての修行は、
> 修行とはいえないだろう。
はい?(゚∀゚;)
随分と狭い語義にしましたね・・w それは「貴方の脳内辞書」だけのことでしょう?www
(貴方の好きな?w)一般的語義は、もっと広かったように思いますが、
気のせいだったのかな?(´・ω・`)
> 君の解釈では、「即(あるがまま)」や「本来(生まれながらの)」の意味を一切無視した
いやいやw
【各語が使われている文脈】、及び著述者の意図を無視してる貴方には敵いませんわwww
> ひたすら「開祖の言葉」盲信ゆえの、こじつけ解釈に過ぎない。
ハァ?(゚д゚) 今回の件で、どこが「開祖の言葉」なんでしょう?
もしかして「天台宗の開祖」という意味ですか?w
490 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 20:45:39 ID:96Flzqjw
>>588 英訳ありがとうございました。「他から受け取る」「他の助けによる」から、「相待性」
や中村元氏の「相互依存性」という意味が出てくるわけですね。直訳しないで、よく意味の
内容を把握されていると思います。
>>490 100の指摘の99をスルーし、
一つに「返答」しただけで、「反論」したつもりになれる神経が信じられんわ・・w
この辺の腐り具合も、宝珠や在家(&精霊大王も?w)と共通した醜悪さだなw
492 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 22:10:36 ID:gWhGZ9/R
>>481 >「修行」というなら、生活者は「他者との係わりの中での生存努力」という
「大修行」を日々行っている。仏教者のような、「生存努力を離れた、自己の
選択可能な、趣味・娯楽、自己の欲望追求」としての修行は、修行とはいえな
いだろう。
全く同意!
その証拠にご苦労無しの坊さんには長生きが多いとかw
>>492 よくわからないんですが、あなたの言う「他者との係わりの中での生存努力」をすると、
しない人(=仏教者)より、早死にするの?
生存努力しないほうが生存できるという事になりますが、それでいいの?w
494 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 22:21:07 ID:YajkVMBu
>>491 100の指摘に一々答えていては老体が持ちませんよw。他のレスから読み取って
いただく以外にはない。
英訳を教えていただいたお礼に、一つだけw。
>> その「欲望」には、「他者の欲望」への理解と配慮が当然に含まれている。
>【人は普通】【それを「欲望」とは言いません】よ?w
自分が煩悩(欲望もその一つ)を持っていなければ、他者の煩悩を理解し、共感
することはできませんよ。「煩悩って何?」ということになる。人間とは、他者が
持っている自分と同じ欠点が、特に気になるものです。
更に、前レスでも病気に関して述べたように、煩悩や苦は、生命の維持に必須な
もの。例えば、明日のことを思い煩わなければ、路頭に迷うことになる。人類は、
煩悩があったからこそ、今日まで存続しているのです。
煩悩や苦は、生きていることの証です。それらがなくなれば、もはや人間ではない。
煩悩や苦の全くない世界を想像してみてください。それがまさに地獄でしょう。
495 :
1/2 :2010/04/06(火) 22:33:26 ID:XnblaJUP
〔パターン2 (苦を巡って)〕 ◎宗教は「生命無視」、仏教も「生命/世俗無視・否定」、「釈迦(≒原型)は病理」。 →世俗は無視されてませんよ。 ↓ ◎仏教は「生命/世俗軽視・否定」。 →仏教は世俗と勝義の二本立てですよ。在家もアリ・出家もアリ。勝義に於いて否定されるだけ。 ↓ 勝義は妄想。「生命の要請」であり、人の避けられない生活である世俗を否定するのは間違い。 →2種類の視線・見方があるということですよ。 ↓ 「生命の要請と個物の実在に従う世俗」の視線のみが正しく、それ以外(勝義)は妄想、病理。 →視線の質の違い、価値基準の取り方の違いですよ。 ↓ 世俗の価値観を無視・軽視する勝義は病理。 →世俗の価値観は無視も軽視もされてませんよ。 ↓ いや、ダニヤの章に見られる如く軽視・否定している。勝義は病理。 →だから、二本立てですよ。苦の(完全な)滅が基準だから世俗の価値観を離れよと言われる。 ↓
496 :
2/2 :2010/04/06(火) 22:34:18 ID:XnblaJUP
↓ *世俗の価値観を離れる(≒生命を離れる)ものは全て妄想・病理。 →世俗の価値観を離れないと「苦の滅」にはなりませんよ。 ↓ 苦を滅する必要はない。解決策は幾らでもある。 →苦を滅しなければ仏教が成立しませんが?それら解決策は一事凌ぎでしかありませんが? ↓ 一事凌ぎではない。解決できている。また、苦があるからこそ生命維持に繋がる。 →解決されてませんよ。次々苦は生じ続けますよ。 ↓ 苦があるからこそ生命維持に繋がる。 →苦の滅を基準にしなければ仏教じゃありませんよ。世俗の価値観に拠る限り苦の滅はありませんよ。 ↓ 苦の滅、世俗の価値観無視は病理。 →だから、二本立てですよ。苦の(完全な)滅が基準だから世俗の価値観を離れよと言われる。 ↓ *世俗の価値観を離れる(≒生命を離れる)ものは全て妄想・病理。 →世俗の価値観を離れないと「苦の滅」にはなりませんよ。 ↓ ・ ・ ・ 以下ループ
>>494 論点ずらして誤魔化してるんでしょうけど、確認しますねw
『人は普通、それを「欲望」とは言わない』 には首肯していただけるんですね?w
>自分が煩悩(欲望もその一つ)を持っていなければ
そうですねw
伝承される阿羅漢達も、みんな持っていた筈ですねw 苦もあった筈ですねw
生まれながらにそれが無い人はいませんねw
みんな、それを経験してますねw だから、他者への共感も可能ですねw
慈悲は(特に悲は)、そこから発しますねw
寧ろ現代社会の方が、共感能力を失ってるような気がしますが、気のせいですかねぇ・・・w
498 :
神も仏も名無しさん :2010/04/06(火) 23:45:45 ID:YajkVMBu
>>497 どうやら、あなたはセブン氏ではないようだな。例の「小うるさい人」か。そうだとすれば
、セブンさん、失礼しました。
自分の煩悩・欲望は、他者の煩悩・欲望に対する理解・共感能力とセットになっているということだよ。
阿羅漢になったら、持っていた煩悩や欲望はどうなったのかねw。無くなれば、他者の煩悩・欲望に対する理解・
共感能力も失われるし、無くならなければ、修行は無意味だったことになる。
>>498 ハァ?(゚д゚)
頭沸いてんですか?w
>>481 は、はっきりと、
> その「欲望」には、「他者の欲望」への理解と配慮が当然に含まれている
と述べられてますね? これは、
≪「>他者の煩悩・欲望に対する理解・共感能力」 は「欲望の一種」である≫
ひいては≪「>他者の煩悩・欲望に対する理解・共感能力」 は「欲望」である≫
ということでしかありませんが、違うんですか?w (貴方が最近好んでいる《貴方流の「即」の語の解釈》と同様ですよ?w)
対して、
>自分の煩悩・欲望は、他者の煩悩・欲望に対する理解・共感能力とセットになっている
は、
≪「同じもの、同じ種、(或いは同じ意味)」である必要は無く、【たとえ「相反すること」でも言い得る】≫形(言明)だ。
(*それは、「他者の煩悩・欲望に対する理解・共感能力」が、
「欲望」でなくても、無関係でも言い得るということだが・・w)
二者の文の意味するところが、全く異なっているのが理解できませんか・・・w
481の発言は間違いだったということで宜しいですか?w
(ちなみに、≪「他者の煩悩・欲望に対する理解・共感能力」を「欲望」と称すること≫は、普通はありませんよ?w)
>阿羅漢になったら、 ・・・・・・ ことになる。
高校を卒業したら、高校生に共感できなくなるんですか?w
卒業し、野球もやめ、日々営業に走りまわる社会人は後輩の県大会出場に共感できない、とでも?w
野球を続けている者のみが、共感し得るとでも?
馬鹿ですか?www
貴方は、過去の経験が蓄積されないんですか?過去の経験を活かせないんですか?
それって、(宗教云々以前に)人としてどうかと思いますよ・・・(^^;
500 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 00:28:45 ID:DfsKSJx8
>>499 私の言う「煩悩即菩提」と同じ意味だ。「煩悩は、本来清浄である」。
阿羅漢は、修行によって煩悩から離脱する、即ち、人間としての人格の変容を生じること。
高校生や野球の例では、別に人格の変容は生じない。
>>500 いやいやいやいやwww
「煩悩から離脱すること」は「人格が変容すること」、と来ましたかw
そりゃ、温和になったり慈しみ深くなったり、むかっ腹を立てることがなくなったり、
怒りっぽいのが治ったりw、「そういう(性格的)変容」はあるでしょうねぇ。
そういう意味で宜しいので?
で、高校生や野球に関しても、同様の変容はそこかしこで見られませんか?w
貴方はどこでどんな生活をしてらっしゃるのでしょう・・・?w
寝るわw ノシ
502 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 00:48:12 ID:DfsKSJx8
>>501 煩悩は、すべての人間が生まれながらに持つ清浄心。それから離脱するのだから、まさに生来の人格の変容ではないか。変容しなければ、修行が足りないということw。
高校生や野球では、人格は変容しませんよ。清浄なままです。佛教修行をやったわけでは
ないからw。
503 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 07:29:30 ID:nab8SNf9
>>490 >英訳ありがとうございました。「他から受け取る」「他の助けによる」から、「相待性」
>
>や中村元氏の「相互依存性」という意味が出てくるわけですね。直訳しないで、よく意味の
>内容を把握されていると思います。
酷い。こんな読み方したら、読む意味ないだろ。全くの妄想だ。
「相待性」「相互依存性」はアペークシャー、パラスパラとか全く別の言葉。
しかも、それが龍樹菩薩の真意ではなく、逆に否定されてると何度否定されても、懲りずに。
上みたいな妄想のみ。
>>484 >大昔の宗教など捨てて、生命という根源に立ち帰ることが必要であろう。
だったら、龍樹菩薩ももちろん、あらゆる過去の文献や思想を参照するのを止めればいいだろ。
セブンはなんでこんなどうしようもないヤツ、相手にするのかねえ。
無駄でしょ。ほっとけば消えるよ。
504 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 12:19:27 ID:wMpaTjVm
>>503 訳文に文句があれば、訳者の平川彰博士、解説者の中村元博士、及び中論の中心思想を
「相互依存性・関係性」と解釈する他の佛教哲学者たちに言ってください。
あなたは、これらの人々を超える学識がおありなのか。そんな学識者が何故2chなど
をうろついているのか。
中論の他のどの章を読んでも、この中心思想が流れていると思うが。
あなたなら、「受する」をどう訳したいのですか。「受ける」という訳語では「意味不明」
だから、あくまで、中論全体の思想から、その語の真意を把握しようとした努力の結果だと
思う。
中論の思想が結果的には釈迦佛教を破壊することになるが故の、あなたの足掻き・妄想ではありませんか。
505 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 20:54:20 ID:UDhTqa4n
解脱しても、インターネット通信・TV・電話・宇宙衛星・飛行機・車・エアコン・ 冷蔵庫・ヒーター・快適な住居・豊富な食料・・・・どれひとつも生産出来ません。 全て、圧倒的に無名の大多数の人達の努力のお陰で今日まで世界は発展し続けてきた。☆★ 難解な仏教用語、概念、時代遅れの開祖や教典の言葉、理屈・・・・等々の 虎の威を掲げて宗教者が上から訳知り顔に説教し、威張る必要はないのだ。 以前読んだヨギ(名前は忘れた)は本の中で、「出家やお布施は社会に負担 をかけるからしない」 と言い、それを実行されていました。 オヤスミン☆
>>502 相変わらず、問いには答えず別のことを述べる姑息なレスですなw
人格の変容とは、
>温和になったり慈しみ深くなったり、むかっ腹を立てることがなくなったり、怒りっぽいのが治ったり
とかで宜しいんですか?違うんですか?
また、高校や野球にしても、
「あの子は野球を始めてから変わった。以前は、人と目も合わせず、口もきかず、
引っ込み思案で、自分から何か行動を起こすようなことは無かった。
しかし今では、みんなを引っ張って、練習の計画を立てたり、練習試合の折衝もするし、
また、地域の集まりにも積極的に参加して意見を言うし、見違えるようになった」
なんてことはありえるが、こういうのも【貴方の辞書では】『人格の変容』と言うんですか、言わないんですか?
(逆のマイナスの事例を想定してもいいw)
また、501の文脈で『「煩悩」が「清浄」である』とはどういうことですか?
「煩悩」とは【一般的に】【マイナスイメージのものであり】【「清浄」の対極としての「汚れ」】
と位置付けられていますが、≪「汚れ」が「清浄」である≫とはどういうことですか?
【これを説明せずに、単純イコール(「即」)で、貴方は結び得ますか?≫w
507 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 21:46:43 ID:nab8SNf9
>>506 こんなヤツ、あいてにすんな。ほっとき。
>>507 精霊大王に対して、現在の行為の理由を少しばかり述べたが、
「御隠居を論破」とか「御隠居説の完全否定」が目的ではない。
(少し触れたこともあったかもしれんが、極一部には適切なポイントはあるw)
今はどちらかというと「発言のおかしさ、支離滅裂さ、矛盾のミルフィーユ」の明確化
に重点がある。その際に「誤読や歪曲も同時に指摘する形」をとっているつもりだ。
もしかしたら、ここ何スレか(横道議論になってから)は、
呆れて、見ている人はいないかもしれない。
けど、もし、一人でも二人でも見ているものがいたなら、
(或いは「過去“このように”“こういうことがあった”」と言われるようなことがあれば)、
名無し&ID不定ながらも、一見さんでもすぐに「信用すべきでないレス」と判断し易いと思うから。
内容の指摘をしてもそれだけでは、のらりくらりと避けるだけで、あたかも反論できているように見えてしまう。
だから今は、発言自体のおかしさを炙り出す形をとっている。
509 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 22:21:08 ID:nab8SNf9
>>508 一見さんへの親切なら、テンプレに机と生命教への注意をかいといて、
彼らが書いたら、
この人はこういう人なので、注意しましょうという程度でいいんじゃない?
510 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 22:23:55 ID:jk+bUtwF
>>506 すべての人間が生まれながらに有する根源的人格としての煩悩を、修行によって
消滅させることこそ、「人格の変容」、むしろ「人格崩壊」と呼ぶに相応しい。
高校生や野球の例では、「煩悩」は少しもなくなっていないw。「人格崩壊」もない。
「人格の変容」と言う大げさな言葉より、「性格が少し(かなり)変わった」のほうが
相応しい。
「煩悩即菩提」が、「煩悩清浄」の意味である。「菩提」は「清浄」ではないのかね。
>>509 けど、一度は(まとまったものとして)形にしておかないと、
単なるコテ叩き、異分子排除と見られかねない。
机のイイカゲンさは(他の人によって)何度か集中して為されたので良いとして、
御隠居もあとちょっとだw (精霊大王も出し惜しみするばっかりで、
実際、別の手法を披露してくれるかどうかもわからんし・・w (彼も横槍としてはウザイ存在だが・・w))
512 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 22:42:16 ID:jk+bUtwF
>>511 >単なるコテ叩き、異分子排除と見られかねない。
実際そうだろ。君たちの「小乗カルト・釈迦カルト」が原因であると考える
べきだ。「日本の」佛教質問箱に、小乗や浄土真宗カルトばかりが群がって
いるのが、最大の問題である。日蓮カルトは一人も出てこないのは、摩訶不思議w。
机師(旧コテ髑髏仮面)も私も、現在では方向が少し違うが、10年来のカル
トバスターであることを忘れてはならない。
>>511 >生まれながらに有する根源的人格としての煩悩を
(゚д゚)・・・・・
「煩悩」って「人格」だったんですか?www
で、また問いに答えず壊れたレコードですか・・w
>>506 >また、501の文脈で『「煩悩」が「清浄」である』とはどういうことですか?
>「煩悩」とは【一般的に】【マイナスイメージのものであり】【「清浄」の対極としての「汚れ」】
>と位置付けられていますが、≪「汚れ」が「清浄」である≫とはどういうことですか?
>「煩悩即菩提」が、「煩悩清浄」の意味である。
いやいやいやいやw
《>「煩悩即菩提」》を導くのが(担保する言辞が)、《清浄である》という共通項だったんじゃないんですか?
「これから導こうとする答え」を、「前提として用いる」愚かさに気付けませんか?w
いいですか、
貴方は、(【私の引用に便乗し】w)、≪「清浄なること」が「煩悩」と「菩提」を接続する≫としているんですよ。
「菩提が清浄なるもの」というのは、「一般的語義や価値観、ラベリング」として正当・正統であり、脇へ置きましょう。
ここで、【一般的理解に於いては】【相反するものとされる】「煩悩」と「清浄なること」について
≪「煩悩」が「清浄なるもの」であること≫が【明かされなければ】、
【結論としての「煩悩と菩提の接続」】は成立しないんですよ。
(だから、天台大師も《貴方のような「フレーズの言い放し」でなく、ちゃんと説明していらっしゃるw)
>>512 「自分が、なぜ批判されるのか」を全く無視してますねw
『誤読、歪曲、妄想による独走、矛盾の上塗り、誤読・妄想による他者批判・断定、etc.etc.etc.』が
批判・指摘されているということを素直に認めたらどうですか?w
『誤読・歪曲・妄想による仏教解釈』が批判・指摘されているということを素直に認めたらどうですか?w
(悔しいかもしれませんが、現実を受け止めましょうよwww)
※それから、くどいようですが、
ここは『仏教全般』の質問箱ですw スレタイが限定されたものでない以上、当然のことです。
日本仏教限定ならば『日本仏教質問箱』というスレタイで建てられていたでしょう。
(現に、―神仏板もそうですが―限定した話題は限定したスレで為されるのが流儀でしょう?w)
それを外れれば『スレ違い』となる。だから、極端なことを言えば、創価の話題もOKなんですよw
515 :
神も仏も名無しさん :2010/04/07(水) 23:36:12 ID:jk+bUtwF
>>513 「煩悩」をマイナスイメージとしたのは、あくまで釈迦の誤り。辞書がその誤りを
承継しただけ。「煩悩」は「佛教語」である。
煩悩は、生命維持に必須の心理作用であることは、私の最初からの持論。別にあなたの
引用に便乗した訳ではないw。天台大師は関係ない。あなた方カルト信者とは違って、「権威」には一切依存しないのが、私の流儀。
「菩提」という言葉は、あなた方が好んで使う使う言葉だから、利用しただけ。あなた方に
とっては、「菩提」は「清浄」ではないのかねw。
すでに述べたように、「即」の言葉を無視して余計な要素を勝手に付け加えたら、
中国語として、言語的に成立しない。前レスで詳説したとおり。
そんなことより、「日本の」仏教質問箱に、小乗カルトや釈迦カルトばかり群がってきて
布教しようとすることの問題の大きさを、「日本の」仏教徒として憂うべきではないのか。
ROM者を誤導する危険性は、明らかではないか。
>>515 >「権威」には一切依存しないのが、私の流儀
爆笑させんなよwww
コレ↓
>>504 >訳文に文句があれば、訳者の平川彰博士、解説者の中村元博士、及び中論の中心思想を
>「相互依存性・関係性」と解釈する他の佛教哲学者たちに言ってください。
>あなたは、これらの人々を超える学識がおありなのか
は、【『博士』という肩書き】を持ち【(大いなる)『学識がある』】人物の解説を採用しているということだろ?w
そういう肩書きのない(2chに書き込みをしてるような)人物の意見を【肩書きが無いことを理由に】却下してることだろ?
(そういえば、岩波辞書も絶賛してたなw 中村さんを始め著名な学者が編纂してるから、なんたらかんたら・・・」とwww)
「権威」に“ずるずるべったり”、【全力で寄りかかってる】じゃんかwww
っんとに腐っとるなw
>>515 > 「煩悩」をマイナスイメージとしたのは、あくまで釈迦の誤り。辞書がその誤りを承継しただけ。「煩悩」は「佛教語」である。
ハア?(゚д゚)
前者は
≪《「煩悩」という語》と《それが指し示す概念》があって、【釈迦によるその解釈が】【《元のプラスイメージ》】と違っていた≫
ということ。
後者は、
≪《或るプラスイメージを持つある概念》があり、【仏教(≒釈迦)によって】
【《それ》に《「煩悩」というマイナスイメージの語》が当てられた】≫ ということ。
一文の中に、こんな支離滅裂なことを盛り込めるなんて、才能としか言いようがないですねwww
> 煩悩は、生命維持に必須の心理作用であることは、私の最初からの持論。
上の前者であれば、この言い分はまだ正当性を残す。 が、後者であれば、
≪《煩悩という語》は【もともとマイナスイメージの語】であり、【貴方の今使用している語義】でもない≫。
ならば、貴方は煩悩と言う語を使用すべきでないでしょう?違いますか?w
より適した語を使用すべきじゃないですか?
(*もっとも、煩悩の語義がプラスイメージである仏典や語録なぞ無いわけだが・・・www)
> すでに述べたように、「即」の言葉を無視して余計な要素を勝手に付け加えたら、
> 中国語として、言語的に成立しない。前レスで詳説したとおり。
ハア?(゚д゚)
貴方の言う「成立しない」状況は(禅の語録が一番顕著だがw)腐るほどありますぜw
《『言語的に成立しない言い回しを成立させる』所に、『悟りの視線』がある》んじゃないでしょうかね?w
この件だけでなく、現代日本語に於いても、日常会話でも、
このような「価値の再付加・再定義」は頻繁に見られるわけだが?(
>>193 )
また、 >無視して>【余計な要素】を付け加えている わけではありませんよ?w(
>>193 >>259 (
>>207 ))
貴方は、本当に「自分にとって都合の悪い文章」を読まないんですね・・w
ツッコミ所満載で疲れるわ・・w 寝る ノシ
518 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 02:07:35 ID:Mp6OTRso
>>516 それの人々は、サンスクリット語の専門家として「人文科学者」である。「科学者」だか
ら、論文等でお互いに批判し、誤りは指摘し合う。だからこそ、信頼できる。彼等を全人格
的に信頼しているのではない。その特定の専門分野の知識だけを、相互批判の上に立つ
科学者として信頼しているのである。
書き込み者が、これらの人々の専門知識を一方的に誤りと決め付けたからいさめたのである。有名・無名の問題ではない。「受せず」についての自分自身の解釈を出して誤りを指摘すれよいだけなのだが、それもまだしないようだ。
宗教で、開祖、例えば釈迦を批判し合うことがあるかねw。批判できないばかりか、全人格
的に依存する。「欠点の無い人間」はいないのだよ。批判がないところには、真理も
進歩もない。だからこそ、宗教は、人間の営みとして信頼に値しない。
その専門知識ではなく、全人格的に依存し、批判が全くできない心理状態に陥ってしまう
のが、まさに宗教の最大の病理なのである。
釈迦は大昔の人だし、心の病を持っていたのだから、批判すべき、正すべき欠点は無数に
あるはずだ。それをしないで、唯唯盲信するのは、弟子としての義務の懈怠であり、むしろ
釈迦の軽視、釈迦に対する侮辱だと思うよ。
519 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 02:37:23 ID:Mp6OTRso
>>517 基本的なことから始めれば、釈迦も生命体であり、その生命を持って教えを説いたのだから生命を否定すれば忽ち自己矛盾に陥る。
「煩悩」とは、一般的・客観的に言えば、生命から発するさまさまな心理現象のこと。
それ自体にはプラスもマイナスもない。しかし、それが生命維持に必須の心理状態なら、
生命体がそれを否定すれば、自己矛盾・誤りとなる。
釈迦は生命体でありながら、煩悩を「排除すべき異物」とした。それが「誤り」だと
言っているのだよ。
欠点の無い人間はいない。その特定の人間を「欠点がない」若しくは「たとえ欠点が
あっても」として「全人格的に」依存することは、明白に誤りであろう。それがその
人間の精神病の感染の結果(感応精神病)であれば、現代の精神医学では、治療の対象
となる病的心理である。
520 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 06:15:13 ID:vUSe9PWC
>>516 >>「権威」には一切依存しないのが、私の流儀
自分の意見に合うなら、権威でも誰にでも依存するのが生命教の流儀だろ。
佐倉とか机にも依存してるのはただ、部分的に方向が合致してるから。
そんで、自分の意見にあわないと釈尊すら仏教でない。
テーラワーダもチベット仏教も、現代の僧侶も仏教でない。
普通は自分が間違ってると気付くと思うんだが。
間違いなく、中村先生も平川先生も生命教の言うことがトンデモだと断言するよ。
まあ、存命中で相手にすればだけど。
521 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 06:24:37 ID:vUSe9PWC
>>518 中村先生も平川先生もサンスクリットの専門家じゃないよ。
特に平川先生は違う。専門は漢文だ。
サンスクリットの専門家ってのは辻直四郎先生とか、大地原豊先生、
原実先生、土田龍太郎先生、小林信彦先生、赤松明彦先生とかを言うと思うよ。
お前のドキュン解釈が問題なんであって諸先生の訳は問題にされてない。
もっとも相互依存説が間違っているとされるのは現在では常識だ。
それは誰が指摘してたが、お前はスル〜だな。
お前みたいなアホは、何にも分からないんだが、速くされ。
522 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 06:38:43 ID:vUSe9PWC
>>518 文系の学問てのは物理的な事実を誤認してたら終わりだが、
解釈は自由で、ドキュン説もまかり通ってるんだよ。
お前が依拠してた並川とかが正にそうだ。
中論の解釈なんかほとんど何でもあり状態だ。
それにお前は中村先生にしろ平川先生にしろ、自分に都合のいいとこだけ適当に引っぱって、
全体の解釈は無視してるよな。
平川先生は『インド仏教史』『仏教通史』『現代人のための仏教』などで
縁起について論じてるがお前の説とは全く違う。
中村先生にしても『インド思想史』『龍樹』などで論じてるが、
お前の説とは全く違う。
お前の説は真っ当な学者なら絶対認めない生命と現状肯定が入ってるから、
そんなトンデモ説誰が認めようか。
523 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 07:26:44 ID:vUSe9PWC
>>512 >
>>511 >>単なるコテ叩き、異分子排除と見られかねない。
>
>実際そうだろ。君たちの「小乗カルト・釈迦カルト」が原因であると考える
机と生命教の何が問題かというと、根拠を示せないことと、誤りを認めないこと。
要するに、幼児強弁で、「正しいから正しいの」って言ってるだけだからどうしようもない。
本人たちは根拠を示してると言うだろうが、机はまず示さない、示すとと誤りを指摘されることが分かってるから、それを狡猾に避ける。
生命教は根拠を示すが、断章取義強牽付会の唯の誤読であり、それが誤読であると指摘すると最終的には現代人は現代の解釈とか、古代人の妄想とか言い出すだけ。
それなら、自説の根拠として引用しても無駄だろ。
最初から現代人の妄想としての自説だけどっかで語ってればいい話。二人とも。
それじゃ、誰も聞いてくれないのはよく分かってるので仏教を絡めるわけだ。
524 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 07:52:52 ID:rdqaMBEW
>>521 >中村先生も平川先生もサンスクリットの専門家じゃないよ。
東大の梵文学の教授が二人ともサンスクリットの専門家ではないというあなたは、いったい何様?
>もっとも相互依存説が間違っているとされるのは現在では常識だ
相互依存説を認めたら、釈迦佛教を初めすべての宗教が吹っ飛ぶからだろう。
そもそも、宗教の信者が自分の宗教を学問的に研究するというのが、方法論的に誤り。
どうしても護教の要素が混入し、客観的な研究など期待できるはずがない。宗教の研究は、
非宗教者が「批判的に」行わなければ意味が無い。「学問」とは「批判」である。
525 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 08:20:22 ID:v3oSwQOR
困ったら陰謀論てのも宝珠のお家芸だったな。
526 :
1/3 :2010/04/08(木) 08:34:49 ID:rVlOBKXw
〔パターン1 (生命教の概観として)〕(…仮) ◎宗教は「生命無視」、仏教も「生命/世俗無視・否定」、「釈迦(≒原型)は病理」。 →世俗は無視されてませんよ。 ↓ ◎仏教は「生命/世俗軽視・否定」。 →仏教は世俗と勝義の二本立てですよ。在家もアリ・出家もアリ。勝義に於いて否定されるだけ。 ↓ 勝義は妄想。「生命の要請」であり、人の避けられない生活である世俗を否定するのは間違い。 →2種類の視線・見方があるということですよ。 ↓ 「生命の要請と個物の実在に従う世俗」の視線のみが正しく、それ以外(勝義)は妄想、病理。 →視線の質の違い、価値基準の取り方の違いですよ。 ↓ 生命以外に、絶対の、最上の価値などない。 →その「生命」とは何ですか? 五蘊存在としてであるなら、十二分に尊重されてますが? ↓ 五蘊は生命ではない。《生命とは「生きよう」という生存本能》である。 これを否定する釈迦仏教は観念的妄想、病理である。 →だから、二本立てですよ。そうした生存本能に執着し、振り回されるから、 苦が生じる(苦として感受する)んですよ。それを解決したい人が、 苦の(完全な)滅を基準とする仏陀の示した教えに同意し、学び、行じるんですよ。 ↓ それは、生存本能に反する価値観・考え方であり、病理。 →生存本能自体は、生物としての自然なものであり失くすことは不可能でしょう。 生存本能に【そのまま従う】から苦が生じ続ける(苦を感受し続ける)んですよ。 生存本能に由来する【欲望】・無い物ねだりを節制という形で制御することが言われているだけ。 もとより五蘊存在としてある以上、その維持自体は否定されていない。 ↓
527 :
2/3 :2010/04/08(木) 08:35:45 ID:rVlOBKXw
↓ 生存本能を否定及び厭う考えは全て妄想・病理。 →生存本能に盲目的に従うから「苦が生じる」んですよ。 従うのをやめ、制御しなければ「苦の滅」にはなりませんよ。 ↓ 生存本能に従わなければ生きて行けない。否定・排除する必要はない。『苦を滅してはならない』。 →だから、「《一般的意味での》生命」維持は為されなければなりませんよ。 その「従い方(≒世俗の価値観)」が問われているんですよ。苦を滅しないなら仏教じゃありませんよ。 ↓ 苦を滅するのは釈迦仏教。生存本能・苦を否定する釈迦仏教は病理。大乗仏教は違う。 →大乗仏教も苦の滅が基準ですよ。 (・・・・・・以降、パターン3の亜種として合流) ↓ 生存本能に従い、苦があるからこそ生命維持に繋がる。 →だから、「《一般的意味での》生命」維持は為されなければなりませんよ。「苦の自覚、観察」は必要ですよ。 その「従い方(≒世俗の価値観)」が問われているんですよ。世俗の価値観に拠る限り苦の滅はありませんよ。 ↓ 「従い方」に種類などない。従わずに生きられるのかね? 生存本能に従わなければ生きて行けない。否定・排除する必要はない。苦を滅してはならない。 →だから、「《一般的意味での》生命」維持は為されなければなりませんよ。 その「従い方(≒世俗の価値観)」が問われているんですよ。 世俗の価値観に拠る限り苦の滅はありませんよ苦を滅しないなら仏教じゃありませんよ。 勿論、「苦を甘んじて受け入れ、世俗の価値観で生きる姿勢」もアリですよ。 ↓
528 :
3/3 :2010/04/08(木) 08:36:44 ID:rVlOBKXw
↓ *世俗の価値観しか存在しない。その否定・厭離(釈迦仏教)は病理。 「苦を受け入れ、世俗の価値観で生きる姿勢」こそが悟り。また、それ以外の価値観・価値基準はない。 →だから、二本立てですよ。そうした生存本能に執着し、振り回されるから、 苦が生じる(苦として感受する)んですよ。それを解決したい人が、 苦の(完全な)滅を基準とする仏陀の示した教えに同意し、学び、行じるんですよ。 ↓ 世俗の価値観しか存在しない。その否定・厭離(釈迦仏教)は病理。 生存本能に従わなければ生きて行けない。否定・排除する必要はない。苦を滅してはならない。 →だから、「《一般的意味での》生命」維持は為されなければなりませんよ。 その「従い方(≒世俗の価値観)」が問われているんですよ。苦を滅しないなら仏教じゃありませんよ。 勿論、「苦を甘んじて受け入れ、世俗の価値観で生きる姿勢」もアリですよ。 ↓ *世俗の価値観しか存在しない。その否定・厭離(釈迦仏教)は病理。 「苦を受け入れ、世俗の価値観で生きる姿勢」こそが悟り。また、それ以外の価値観・価値基準はない。 →だから、二本立てですよ。そうした生存本能に執着し、振り回されるから、 苦が生じる(苦として感受する)んですよ。それを解決したい人が、 苦の(完全な)滅を基準とする仏陀の示した教えに同意し、学び、行じるんですよ。 ↓ ・ ・ ・ 以下ループ
529 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 09:18:12 ID:vUSe9PWC
>>524 >いったい何様?
釈尊を精神病、テーラワーダやチベット仏教をカルトと無根拠に断定するお前に言われたくないよ。
二人とも東大の梵文学の教授ではなく、仏教学や印度哲学の教授。
http://www.tgiw.info/indology/lab/ 上に出てこない、辻先生や原先生、上村先生、土田先生、風間先生がサンスクリットの専門家な。
こんなの常識だよ。言語学・インド文学系と、哲学・仏教系で分かれてるだよ。
そんで言語学・インド文学系の学者の方が、能力が概して高く評価も高い。
>>487 、
>>495 >>496 、
>>526 >>527 >>528 返答されてないことも沢山あるので、「仮」のものにしかならないが十分だろう。
で、「ループに入りかけたら」或いは「答えに窮したら」、
或いは「答えられずに論点をスライドさせながら」、
また最初の◎へと回帰する。
(「答えられない・反論できない指摘」は全スルー。)
そして、大きなループが完成する、とw
518・519・(515残)は、気分次第で夜にでも。(このまま終りでもいいけど・・w)
ノシ
531 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 14:05:22 ID:0RA+QGM8
>526 生命に二種類あるのかねw。生命とは「生物的生命」に決まってるだろ。 二種類あると「考えている」君や釈迦の生命は、一体どっちの生命かwww。 釈迦が苦を異常に苦にし、苦に執着したのは、彼の鬱病の症状に過ぎないのだから、 あまり真面目に考えないほうがよい。健常者であれば、「苦あれば楽在り、楽あれば 苦在り」という「苦楽の相対性の真理」を悟っている。 「真如としての衆生心(大乗起信論)」に思い至らなかった時点で、釈迦は既に落第。
532 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 14:24:51 ID:vUSe9PWC
>>531 どれのこといってんだ?
大乘起信論 (No. 1666) 0575c20 - 0576a01: 者法二者義所言法者謂衆生心是心則攝一切世間法出 [show] (1 hit)
大乘起信論 (No. 1666) 0581c02 - 0581c05: 有作意故而説自然但依衆生心現衆生心者猶如於鏡鏡 [show] (3 hits)
大乘起信論 (No. 1667) 0584b22 - 0584c02: 法及法言有法者謂一切衆生心是心則攝一切世間出世 [show] (1 hit)
大乘起信論 (No. 1667) 0585b14 - 0585b25: 無漏功徳爲因熏習一切衆生心故三眞實不空離障大義 [show] (1 hit)
大乘起信論 (No. 1667) 0586b25 - 0587a28: 思勝境界用常無間斷熏衆生心以此力故令諸衆生厭生 [show] (1 hit)
大乘起信論 (No. 1667) 0588a12 - 0588a19: 有斷絶此所現色身一切衆生心意識不能思量以是眞如 [show]
衆生心というのは、常識とか凡人の意識が真実って意味じゃないから、
どこまでいっても適当な読みだな。お前は、全体から意味を把握するんじゃなくて、
自分の妄想を適当にテキストの断片に当てはめてるだけだ。
533 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 15:52:24 ID:vUSe9PWC
因みに縁起・相互依存の意味は以下だから 生井智紹『輪廻の論証』157頁: インド思想界のなかで仏教の誕生がなした最も画期的なことは, この世界を何らかの本然的実在からの展開とか原子論的に組成因によるものとして捉えることなく, 総てが因と縁とから成り立つ現象的な場としての生成に過ぎないと看破したことである。 これが縁起。より分かりやすくは、 マチウ・リカール『掌の中の無限』78頁以下 世界は孤立した原因と条件から生じる個々の現象で構成されているという、世間一般の世界観は、 仏教では「相対的真理」あるいは「偽りの真理」と呼ばれています。 日常の経験からすると、事物は、まるで自らの力で存在し、内在的な同一性をもっているかのようであり、 独立した客観的現実性があると、私たちは信じがちですね。 だけど、このような現象のとらえ方、つまり、ものを考える人間が通常の知覚レベルでたがいに成立させる主観相互間の合意は、 単に観念的な作り物にすぎず、たとえ常識によって認められているとしても、分析すれば崩れてしまうものなのです。 仏教は、独立した実体の存在に異議を唱え、相反的な関係および因果性という考えに行き着きます。 つまり、出来事というのは、他の要因との関連において、それに依存してのみ出現するのです。 この相互依存の考え方は、空と同義語です。空とは、現象世界の否定ではなく、現実を構成するような自立した実体の不在を表すことばなのです。 人がある現象を体験するとしても、だからといって、それに固有の存在があると思う必要はありません。 こう言ったとしても、仏教はニヒリズムにとらわれているのではありません。むし、 世界をたがいに結びついた、たがいによく似た出来事の果てしない流れとしてとらえます。 私たちは普通この流れを認識するとき、その全体のうちの一部の側面だけを幻想的な見た方で定着させるから、 それが自分とは完全に切り離された、自立した実体であると信じてしますのです。
534 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 23:05:14 ID:FxhIKBO1
>>533 > 仏教は、独立した実体の存在に異議を唱え、相反的な関係および因果性という考えに行き着きます。
>つまり、出来事というのは、他の要因との関連において、それに依存してのみ出現するのです。
>この相互依存の考え方は、空と同義語です。空とは、現象世界の否定ではなく、現実を構成するような自立した実体の不在を表すことばなのです。
これって、まさに「中論」の中心思想。釈迦ではないな。
536 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 23:34:44 ID:FxhIKBO1
>487 >以下ループ ループを停止する方法は唯一つ。君か私が死ぬことだ。死ねば、すべての思考も議論も、 一瞬にして、永久に停止するw。
>>536 それは、各種指摘が、ドンピシャ当たってるということで宜しいんですかね?w
538 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 23:43:48 ID:v3oSwQOR
536は「俺には学習能力がない」っていう敗北宣言
539 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 00:22:01 ID:L4r+Q9xW
やっと規制解除だわい。 しかし、長いこと隠居がらみが続いているな。 縁起一代は嫌がるが、俺としてはこの流れは、さほど忌避すべきものでも ないんだがな。(スレタイは、さておくとして) 隠居はまさに「こうなってはいかん」という良いサンプルだと思うのだが。 反面教師とするのならば、それなりの価値はある。 ただ、隠居の論理展開のレベルが低すぎて、全く反論になってないのがいただけない。 自己の論理の瑕疵を認識できるだけの知能が、隠居にあれば、もう少しは 有意な議論が期待できるのだが。 壊れたテープレコーダーもどきでは、どうしようもない。
540 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 04:51:41 ID:0Hp9WsA4
>>534 釈尊も同じだと思うよ。華厳、天台も、基本的に有部や唯識でさえ同じじゃないかと思ってる。
微妙な逸脱、誤解が多少あるにしても。
test
542 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/09(金) 09:50:53 ID:gedj4Y5w
>>429 規制が解除されたようですので、亀ですけど続きを書きます。
>禅、嫌―――い!!ややこしく神経質―――w
達磨禅というのは、そもそも如来清浄禅です。
「清浄」ってのは何かってたら、これは心の清浄です。
身心一如ですから、心の清浄はつまり身の清浄であります。
身の清浄の行をすれば、即ち心の清浄となります。
これは日本禅にも継承されてまして、それは非常に「神経質」であります。
修行僧のうち、約半数は1年後には落ちます。
やはりこの「神経質」ってのがキーワードなのかも知れません。
他宗派では理解し難いこの行は、禅宗独特でありますね。
師家の存在ってのは、まさにこの行にありまして、その教えは即今に繋がります。
草履の揃え方とか、歯の磨き方とか、そりゃ〜もう「神経質」であります。
これは達磨以後の元祖的なもんですね。
「清浄」の語句が、たまたま散見されますが、参考までに書いてみました。
「清浄」については非常に抽象的でありますけど、
元来、具体的行法というのはあるんです。
ってか、曹洞宗においては重要な位置を占めてます。
543 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 10:16:10 ID:0Hp9WsA4
>>542 >修行僧のうち、約半数は1年後には落ちます。
また、日曜禅ぐらいしかしたことないのに、妄想で観てきたように語ってるよw
544 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 12:35:42 ID:0jHQAAZR
>>540 >釈尊も同じだと思うよ。
原始仏教に、竜樹の「相互依存性」の思想が見出せますか。
だから、前レスで、「相互依存性は現在では否定された」などと言っていた人がいる。
前レスでどなたかが挙げてくれた、中論の「受せず」のサンスクリットー英語辞書の定義を各「存在」に当てはめてみると、「相互依存性」以上の適切な訳語は見出せない。
>>544 >相互依存性
『比丘たちよ、まず、縁起というのはどのようなことだろうか。
たとえば、生があるから老死があるという。
このことは、わたしがいようといまいと、きまったことである。
存在の法則として定まり、確立していることである。
その内容は、相依性なのである。
それをわたしは、悟った。悟って今、なんじらに教えを示し、説明して
<なんじらも見よ>というのである。』
(相応部経典 十二 二十 縁。 雑阿含経 十二 十四 因縁法)
546 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 13:17:30 ID:0Hp9WsA4
>>545 それ増谷訳? 『縁経』だよね。
原語は、此縁性か、その内容の「これあらばこれあり、これなくばこれなし」だよ。
それを相依性と訳すのは、誤訳。
苦は縁生なり。 縁起を現代的に言えば「(多因多果の)関係性もしくは原因結果(因果)の法則性といえる。 そこには神秘的要素は一切ない。 (相応部経典 十二 六十七 蘆束。 雑阿含経 十二 六 蘆。) さすがにブッダの体現者サーリプッタは縁起の理解が深い。 ゴキブリ隠居がホントにゴキブリに見えるw 老死(苦)は縁生である。条件があって生ぜるものだ。 条件をなくせれば、またなくすることを得るはずだ。 ブッダの本懐はこれによって一挙に説けたのである。 外縁起をこねくり回すのは人生の無駄であって、ブッダの本懐とは関係がない。 私は古仏(正覚者)に礼拝する。
>>546 重箱の隅の字句にとらわれず、本質をズバリと掴めばいいんだよ。
549 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 13:45:05 ID:0Hp9WsA4
>>547-548 残念ながら、それじゃ悟れんよ。
三昧中に縁起観をするから、無我・空が体得できるので、
ただの因果関係や法則だとしたら、
なぜ、それで無我・空と悟れるのかな?
550 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/09(金) 14:09:24 ID:gedj4Y5w
>>548 まあ、そういうことなんだけど・・・
なかなかこれが至難なんですよ(笑
>原語は、此縁性か、その内容の「これあらばこれあり、これなくばこれなし」だよ。
>>546 論理体系つけてしまう。その以前のことだね。
本質ってぇのは・・・。
551 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 15:10:42 ID:eOKfKmiJ
>>546 >原語は、此縁性か、その内容の「これあらばこれあり、これなくばこれなし」だよ。
>それを相依性と訳すのは、誤訳。
その釈迦の命題は、単なる因果関係。それでは、因と果に「実体」を想定して
いるから、「空」とはならない。竜樹の「空」とは、本質的に異なる。
竜樹の「相互依存性」によって、初めて「空」が成立する。「相互」依存だから、
因も果もない。
さすがに竜樹は、釈迦のその命題を的確に批判している。
552 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 15:22:10 ID:0Hp9WsA4
>>550 この机と
>>551 この生命教は、
>>1 にあるように荒らしで仏教と関係ない妄想をたれ流してますが、
真に受けないでください。
生命教は、名無しな上に ID まで全く一致しないので、
語尾に「かね」を付ける、生命、相互依存といった言葉を使うことから、
特定して認識してください。
553 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 15:31:07 ID:eOKfKmiJ
>>552 「八宗の祖」である竜樹を批判的に肯定することが、何故「佛教に関係ない」
のか。
君たち釈迦に洗脳された小乗こそ、日本の仏教には関係ない。日本からとっとと
立ち去れ。
554 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 15:41:24 ID:DtgMsuVe
龍樹も日本人じゃないし、生命教は日本の仏教とは関係ない。 よってスレ違いなのでそちらが消えるように。
555 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 16:05:32 ID:FaorMM2C
>>554 「生命」は、すべての人間、すべての宗教に関係があるw。生命を否定する
営みは、生命体としての人間の自己矛盾・倒錯だから、人間界からは排除
すべきもの。
日本の仏教で、竜樹の「空の思想」に依拠しない宗派が、唯の一つでもあるか。
556 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 16:11:27 ID:DtgMsuVe
生命教、と書いているのにそれを歪めて返す姑息さ。しかもこれが最初ではない。 このスレに限らず、言葉をやりとりする場から距離を置くべきだろう。
557 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 16:16:57 ID:0Hp9WsA4
>>556 無駄、無駄、構うと喜ぶだけ。スル〜しましょう。
558 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 16:23:51 ID:FaorMM2C
>>556 生命「教」といいうのは、君たちが勝手につけた名前。生命は、人間が対象化
できない唯一の存在。宗教の教祖や教典とは異なり、崇拝や信仰の対象には
ならない。ただ「今ここ」にあるだけ。特定の1個人を無批判であがめる宗教
のようなチンケなものではない。
それよりもい、「日本の」仏質問箱に小乗が群がり、ROM者を誤導く危険性こそ、
日本人として憂慮すべきではないのか。
>>555 の最後の質問に答えてくれ。「佛教質問箱」なんだろw。
懲りずに醜態を晒しまくっとるな・・w
夜また覗くのが楽しみだw
一言挟んどこう。
>>558 >生命「教」というのは、君たちが勝手につけた
そうだよw
君の《【他の価値観に対する「生命」の絶対性、優越性】【ある基準が絶対的上位とされる】》等々、
【思考の形式、発言様式、態度】【「生命」への姿勢】が【≪宗教的≫だから】、「生命教」と評されているんだよw
【君の考え方や態度が、宗教そのもの】だと言ってるんですよw
何度も言ったでしょう?「鏡を見て御覧なさい。自分の姿をしっかり見て御覧なさい。」とwww
また、さらには
《【(対象への)志向の頑なさ】【考察の幅の極端な限定性(狭さ)】【指摘に耳を塞ぐ】
【誤読を認められず、狭い知識と判断】のまま【周囲を顧みれず】【妄想に乗っかって突っ走る】ところ》
なんかは、「宗教的」を通り越して「カルト的」だよw
(´ー`)y━~~
560 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 18:26:54 ID:FaorMM2C
>>559 >《【他の価値観に対する「生命」の絶対性、優越性】【ある基準が絶対的上位とされる】》
その「価値感」や「基準」の概念は一体どこから出てくる?「生命」からに
決まってるだろw。死者には、価値感も基準も生じない。
私は、質問に対しては、「根源」を示すことにより答えている。すべての回答は、
その「根源」から導き出されるはず。宗教を含め、人間のすべての営みは、生命
(生存本能)の「応用問題」に過ぎないのだから。
大昔の文献の枝葉末節な「言葉」には関心がない。そもそも、読んでいない
のだから、何卒お手柔らかにw。
561 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 18:45:56 ID:FaorMM2C
>>559 宗教にそれほど問題があるのなら、まず、君等の開祖・教祖に対して云って
くれw。
「誤読」がどこにあったか。具体的に指摘してくれ。
「自灯明・法灯明」を「誤読」していたのは、君たち仏教者だったではないか。
562 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/09(金) 18:47:21 ID:gedj4Y5w
>>552 原義は義あらざるなり。ですから、どんな言語であっても、それ以前でありますね。
貴殿は、言語を正確?に訳せざらば勝義諦に到達と・・・
もはや思っているまいな?
まさかとは思うが。
その前に、言語学でもマスターしたらよかろう。
563 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 18:59:35 ID:AjmqSCF7
>>512 >君たちの「小乗カルト・釈迦カルト」が原因であると考えるべきだ。「日本の」佛教質問箱に、
小乗や浄土真宗カルトばかりが群がって いるのが、最大の問題である・・・
>机師(旧コテ髑髏仮面)も私も、現在では方向が少し違うが、10年来の
カルトバスターであることを忘れてはならない。
(゚д゚)・・・・・10年もカルトバスターを・・・
ご苦労様です。・・・m(__)m アリガトォ
カルトは儲かるから群がってくるんですねw 甘い蜜を求めるハエのようにw
オウムのようにバッサリ切って切って切り倒しておくんなさいまし。皆の幸せのために。
564 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 19:01:08 ID:DtgMsuVe
これまでの流れを踏まえて560を要約すると「誰でも生命を持っているから、自分が気に入った奴は自分と同じような考え方をする。例・龍樹」 ご都合主義ここに極まれり、だな。手を抜きつつ大口を叩く言い訳でしかない。こんなんで「日本の仏教」掲げてひとに出ていけとのたまう厚顔無恥さ。
565 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 19:45:44 ID:DtgMsuVe
読み直したら、このスレでも、「生命教」という語が、 生命そのものじゃなく、隠居の考え(隠居教)を さして使っていると明記されてるじゃないか(297) そもそも「教」とつける以上、何かしらの考え方を さすのは当然のこと。 それでいてあのふざけた返答レスをまたしたのだから、 本当に終わってるな・・・ 自灯明について前スレ(パート26)の805にリンク先を見直したが、やはり隠居の読解力がぶっ壊れてるだけだった。 また繰り返しちゃってるのを見るに リンク先の606、611以下を読まなかったのか?
566 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 19:48:33 ID:0Hp9WsA4
>>564 要約すれば、「おれちゃんは生きているから、おれちゃんの思い通りなんだよ」ってとこかな。
正に幼児強弁。
大昔の経典は妄想とかいいながら、龍樹菩薩を持ち出す。
その読みが誤解だと何度言われても、持ち出す。
子供だから、幼児だから、よしよしと言ってやって、
初見の人ように適当にこの方は、と言ってやればいいとおも
567 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 21:12:15 ID:yJ4M2YF5
ご隠居氏のレスが理解できないのは、宗教盲信してる証拠w
>>560 あのな・・・w (^^;
>>565 触れてくれているが、
「思考の志向の対象が何であるか」jなくて、
「その姿勢」、≪『或る対象についての姿勢』が『宗教的』だ≫と言ってるんだよw
>>561 >「誤読」がどこにあったか。具体的に指摘してくれ
大爆笑だなw
「事細かに」、「【具体的に】」指摘されっぱなしじゃないっすかw
貴方がスルーした部分が全て、
>「誤読」がどこにあったか >具体的に指摘 されたレスですよ?w
ああ、それから、
>>561 >宗教にそれほど問題があるのなら
誰もそんなことは言っておりませんが?w
わざわざ二段に分けた意味が解らなかったみたいですね・・・。(御隠居にはちょっと難しかったか・・www)
貴方が、《『生命教』として持論を述べ連ねるなら許容できる》ということです。
【それに『仏教』というラベルを貼ること】に批判を加えているわけです。
ま、解んないんでしょうね・・・w ;´ー`)y━~~
570 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 22:47:08 ID:FaorMM2C
>>568 >「事細かに」、「【具体的に】」指摘されっぱなしじゃないっすかw
指摘が誤っているからレスしないだけ。
「煩悩即菩提」も、その句自体の中国語としての解釈が君等の誤りであることは、指摘した
通り。
「相互依存性」も、私の解釈は、中村元氏や佐倉哲氏の解釈や、前レスの高野山大学
学長の解釈と全く同じ。
中論24:10の「世俗的なことにもとづかなくては」の原文がまだ挙がらないが、
早く挙げてくれ。「世俗の言語習慣」などという限定された意味なのかどうかを、
皆で確認してみよう。
571 :
1/2 :2010/04/09(金) 22:58:17 ID:kwrYZ71f
中論(青目釈)観四諦品第二十四 [ T1564_.30.0032c16からT1564_.30.0033a07まで ] 復次、 08:諸佛依二諦 爲衆生説法 >諸仏は【二諦に依って】衆生が為に【法を説く】。 dve satya samupAzritya buddhAnAM dharmadezanA. 一以世俗諦 二第一義諦 >【ひとつには世俗諦】を以ってなし、【ふたつには第一義諦】とす。 lokasaMbRtisatyaM ca satyaM caparamArthataH. 09:若人不能知 分別於二諦 >もし、人の【二諦を分別することを知る能わざれば】、 ye anayorna vijAnanti vibhAgaM satyayordvayoH. 則於深佛法 不知眞實義 >すなわち、深き【仏法に於いて真実義を知らず】。 te tattvaM na vijAnanti gambhIraM buddhazAsane. 世俗諦者一切法性空而世間顛倒故生虚妄法。 >世俗諦とは、一切法の性は空にして而かも世間の顛倒せるが故に虚妄法を生ず。 於世間是實。 >是れ【世間に於ける(真)実なり】。 諸賢聖眞知顛倒性故知一切法皆空無生。 >諸賢聖は、真に顛倒性と知るが故に、一切法は皆な空にして生無しと知る。 於聖人是第一義諦名爲實。 >【聖人に於いては】【是れ第一義諦にして】、【名付けて(真)実と為す】。 諸佛依是二諦而爲衆生説法。 >諸仏は、この二諦に依って衆生が為に法を説く。 若人不能如實分別二諦、則於甚深佛法不知實義。 >もし、人の、如実に二諦を分別すること能わざるときんば則ち、甚深の仏法に於いて(真)実なる義を知らず。
そもそも、当初の隠居の単純唯物論、素朴実在論という戯論を、 龍樹の中論という権威にしがみつき整合性を持たせるために、 ご都合主義的に変容させてきた、というのが実情だ。 そのバッファーが『生命』という概念だ。 そこでは実質的に単純唯物論、素朴実在論は既に放棄されている。 要するに隠居のキリスト教トラウマによる『反信仰宗教性』でわめき散らしているに過ぎない。 もちろん、ブッダ⇒サーリプッタ・スプーティ・アーナンダ⇒ナーガールジュナの系統は 信仰宗教ではない。
573 :
2/2 :2010/04/09(金) 22:59:11 ID:kwrYZ71f
若謂一切法不生是第一義諦不須第二俗諦者是亦不然。何以故、 >もし、一切法の不生は是れ第一義諦なり、第二俗諦を須(もち)いずと謂わば是れまた然らず。何を以っての故に、 10:若不依俗諦 不得第一義 >もし、【俗諦に依らざれば、第一義を得ず】。 vyavahAram anAzritya paramArtho na dezyate. 不得第一義 則不得涅槃 >【第一義を得ざれば、則ち涅槃を得ず】。 paramArtham anagamya nirvANaM na adhigamyate. 第一義皆因言説。言説是世俗。 >第一義は、皆な【言説に因る】。【言説は是れ世俗なり】。 是故若不依世俗。第一義則不可説。 >この故に、もし【世俗に依らざれば】【第一義は則ち説くべからず】。(…説き得ない、説かれ得ない) 若不得第一義。云何得至涅槃。 >もし、第一義を得ざれば、云何が涅槃に至るを得んや。 是故諸法雖無生。而有二諦。 >この故に、【諸法は生無しといえども】而かも【二諦あり】。 ──────────────────── ※ 例によって連声の解き方はテキトーw ※
574 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 22:59:20 ID:FaorMM2C
>>569 >【それに『仏教』というラベルを貼ること】に批判を加えているわけです。
「私は仏教徒ではない」と初めから断っている。佛教に、生命という根源からの
メスを入れているだけ。佛教は、根源的批判には耐えれないような代物なのかね。
575 :
1/2 :2010/04/09(金) 23:04:43 ID:kwrYZ71f
vyavahAra m. (monier) doing , performing , action , practice , conduct , behaviour , [MBh.;KAv. &c (vyavahAraH kAryaH , with instr. , " it should be acted according to ")]; commerce or intercourse with (saha or comp.) [Nir;KAm. &c]; affair , matter NIlak.;usage , custom , wont , ordinary life , common practice [Pat.;BhP.;Hit.]; activity , action or practice of occupation or business with (loc. or comp.) [Inscr.;KAv.;KathAs.]; mercantile transaction , traffic , trade with , dealing in (comp.) [Mn.;MBh. &c]; a contract [Mn. viii , 163] * * * * * * * legal procedure , contest at law with (saha) , litigation , lawsuit , legal process [(≫ -matRkA below) Mn. YAjnJ. &c] practices of law and kingly government [IW. 209] mathematical process [Col.] administration of justice , Gaut. / (fig.) punishment [L.] competency to manage one's own affairs , majority (in law) 〈ib.〉 [propriety , adherence to law or custom 〈ib.〉 the use of an expression , with regard to , speaking about (tair eva vyavahAraH , " just about these is the question " , " it is to these that the discussion has reference ") [Kap. SAh. Sarvad.] designation [Jaim. Sch.] / compulsory work [L.] / a sword [L.] / a sort of tree [L.] Name of a character of the agni-purANa.
576 :
1/2 :2010/04/09(金) 23:05:35 ID:kwrYZ71f
vohAra [vi+avahAra] (PTS.dic.) 1. trade, business M ii.360; Sn 614 (vohAraM upajIvati); J i.495; ii.133, 202; v.471; PvA 111, 278. 2. current appellation, 【 common use (of language) 】 , 【 popular logic 】, common way of defining, usage, designation, term, cognomen; 【 (adj.) ( -- vohAra) so called 】 SnA 383, 466, 483 (laddha vohAra so -- called); DA i.70; PvA 56, 231 (laddha vohAra padesa, with the name) VvA 8, 72 (pANo ti vohArato satto), 108 (loka nirULhAya samaJJAya v.). 【 ariya -- vohAra proper (i. e. Buddhist) mode of speech 】 (opp. anariya vohAra 【 unbuddhist or vulgar, common speech 】 ) D iii.232; A ii.246; iv.307; Vin iv.2; Vbh 376, 387. lokiya -- vohAra common definition, 【 general way of speech 】 SnA 382. On term see also Dhs. trsln § 1306. * * * * * * * 3. lawsuit, law, lawful obligation; juridical practice, jurisprudence (cp. vohArika) Sn 246 (vohAra kUTa fraudulent lawyer); J ii.423 (vohAraM sAdheti to claim a debt by way of law, or a lawful debt); vi.229; DhA iii.12 (vohAra uAajIvin a lawyer); SnA 289. 4. name of a sea -- monster, which gets hold of ships J v.259.
578 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 23:12:03 ID:FaorMM2C
>>573 >第一義皆因言説。言説是世俗。
それに対応する訳文は、平川訳にはない。勝手に付け加えるなよw。
それに、サンスクリット語でもない。
その上の「俗諦」に対応するサンスクリット語はどれか。その語の辞書的定義
を挙げてくれ(英独仏伊西露、何語でも可)。
>>570 >「煩悩即菩提」も、その句自体の中国語としての解釈が君等の誤りであることは、指摘した通り。
>>487 >>578 >>575 (
>>576 )
>>578 >勝手に付け加えるなよw。
ハァ?(゚д゚)
『 >青目釈 』とあるのが見えなかったか?w
漢訳は、“ピンガラ(青目)”が註釈した梵本を羅什が訳したもの。
平川さんは、その頌の部分のみに触れているだけ。
偈頌のみの(真に原典と呼ばれ得る)中頌の梵本は失われている。
よって、【各種註釈の頌の部分、引用部分】を参照(して【原型を類推】)するしかない。
【平川さんも】当然、彼のスタンスと理解でもって、【原型を】【類推した】に過ぎない。
お解り?w (´ー`)y━~~
で、【君の依拠している(平川釈)のも、おそらくこの羅什訳の青目釈と思われる】w
だから
>>487 。
さあて・・・ どんなレスが返ってくるのか、wktkが止まらんなwww
581 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 23:42:44 ID:FaorMM2C
>>579 「『中論』は頌だけがナーガルジュナの著である。これに他の人が注釈を加え
て、『中論』になっている。現在いろいろな注釈が残されているが、サンスク
リットの原典のあるものは、一種であり、その注釈はチャンドラキールティ
(月称)の施したものである。本翻訳においては、サンスクリットの原典から、
ナーガルジュナの著した頌だけを抜き出して訳出した。」(中村元の「平川訳」
への解説より)
>>581 そうか、不正確ですまんかったw m(_ _)m
(解題事典見てからにすればよかったな。申し訳ない。 >>ALL )
けど、
>本翻訳においては、サンスクリットの原典から、ナーガルジュナの著した頌だけを抜き出して訳出した
なら、
>>571 >>573 のローマナイズと
>>575-576 だけでもいいんだな。
583 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 00:03:44 ID:FaorMM2C
>【俗諦に依らざれば、第一義を得ず】。 vyavahAram anAzritya paramArtho na dezyate. 「俗諦」とは、「世俗的なありよう」(岩波佛教辞典)。cf.「俗諦常住」。 「世俗的な『言語習慣』だけには、限定されていない。 「俗諦」に該当するサンスクリット語と、その辞書的定義をお願いします。
584 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 00:33:09 ID:jPLZtZG+
そもそも、竜樹が「第一義を(誰に対してであれ)『説示する』」と言った場 合、「世俗的言語習慣」によらざるを得ないことは、分りきったこと。言語と は、世俗の生活から生まれたものであり、言語以外には、説示の手段はないか らである。竜樹は、「世俗的言語によって説示する」などと、殆ど同義反復に 近いアホ表現をするような低脳者ではない。
586 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 01:06:48 ID:jPLZtZG+
>vyavahAra m. (monier) >doing , performing , action , practice , conduct , behaviour , > [MBh.;KAv. &c (vyavahAraH kAryaH , with instr. , " it should be acted according >to ")]; >commerce or intercourse with (saha or comp.) [Nir;KAm. &c]; >affair , matter NIlak.;usage , custom , wont , ordinary life , common practice >[Pat.;BhP.;Hit.]; >activity , action or practice of occupation or business with (loc. or comp.) >[Inscr.;KAv.;KathAs.]; >mercantile transaction , traffic , trade with , dealing in (comp.) [Mn.;MBh. &c]; >a contract [Mn. viii , 163] 「言語」という言葉は、一切出てこない。「普通の生活」や「慣わし」という言葉はあるが。 「商売」という言葉もあるぞw。
般若燈論釋 波羅頗蜜多羅譯 分別明釋論(…清弁釈)〔T1566_.30.0125a03からT1566_.30.0125b16まで〕 諸佛依二諦 爲衆生説法 一謂世俗諦 二謂第一義 釋曰。世諦者謂世間言説。如説色等起住滅相。 如説提婆達多去來。毘師奴蜜多羅喫食。須摩達多坐禪。梵摩達多解脱。 如是等謂世間言説。名爲世諦。是等不説名第一義。 第一義者云何。謂是第一而有義故。名第一義。又是最上無分別智眞實義故。名第一義。 眞實者。無他縁等爲相。若住眞實所縁境界無分別。智者名第一義。 爲遮彼起等隨順。所説無起等及聞思修慧。皆是第一義。 慧者云何。是第一義。能爲第一遮作不顛倒方便因縁故。 是故復名第一義也。如論偈説 若人不能解 二諦差別相 即不解眞實 甚深佛法義 釋曰。此謂若人不解二諦差別。不錯亂境界相者。不正思惟。 多者此人不解甚深佛法而起有體無體執覺。 深者云何。難渉渡。佛者如先已解。法者爲令天人證得甘露法故。 行者於如是等甚深境界。應知應斷應證應修。 復次説不顛倒教者名甘露法。是人於第一甚深無分別智道理不解故。 雖行不顛倒住眞法境界而於無起無滅法體説衆生。於非境界起境界見。 作如是説者。不解中論道理而言世諦中起滅等法。一切皆無。 作是分別者。其過亦如上偈説。若一切法空無起亦無滅。 有如是分別者。不解諸佛如來隨順世諦。説有持戒修定生住滅等諸法體。無智之人謂第一義中亦有是事。 作是虚妄分別者。墮在諸有曠野之中。無有出期自部人言。 若以第一義諦得解脱者。不應宣説二諦。論者言。以是事故。如論偈説 若不依世諦 不得第一義 不依第一義 終不得涅槃 釋曰。世俗諦者。一切諸法無生性空而衆生顛倒故妄生執著。於世間爲實。 諸賢聖了達世間顛倒性故。知一切法皆空無自性。 於聖人是第一義諦。亦名爲實。佛爲衆生依二諦説。 云何爲第一義諦。謂普過一切言語道故。一切小乘所分別者。令離一切分別因故。 復次若無世諦不能證得第一義諦。以是故。煩惱及生等滅者。是涅槃相。 若不依第一義諦。涅槃之道終不可得。
勇み足の御詫びにはならんが(&ネットでコピペできる範囲ですまんが、別の註釈を貼っておく(
>>587 )。
青目釈と比べてみてちょw
他2種の漢訳とTib訳3種は他の方に任せるw 今は辿れないしめんどくさい。 m(_ _)m
>>586 そりゃそうだw
それらは、「仏教文献からの抽出語義ではない」のだから。
なぜ、PTS(パーリ)のver.を付記してると思う?
【仏教の文脈では】【(特に)言語行為を指して】用いられるからだよ。
また、「習慣(behaviour)、慣習」とは、「身体的行為とともに《言語行為》も含まれる」のではないかね?w
(広く見れば、一個人を越えて社会や共同体が《「継承している、倣っている」文化的様相》をも指す。
そのSktの語義でも、≪決して「世俗の事物(この場合“物質的個物”“実体”“実在”)」を指してはいない≫。
≪抽象的様相(或いは動き、或いは行為)を指している≫だけだ。
仏教の文脈では(…身口意の三行為を立てる仏教なれば)、
「説明(説示)」に際しては口業しかないではないかw
だから、諸々の注釈者達は「世俗の言辞に依らなければ」と解しているのだよ。
少なくとも、≪君の言う『世俗の具体的存在(個物等)』を指してはいない≫。
解る?w
蛇足を加えるなら、(
>>212 で一言入れているがw)、
≪こうした(古語の)語義は、『事例の集積』から確定されている≫ということを忘れるな。
ノシ
589 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 02:57:51 ID:xFRd0Awc
>>572 そう生命は誰も否定出来ないという信念・信仰というか、
子供が法律という言葉を知って、「法律でそうきまってんのか?」とか連呼してるようなもの。
まったく子供の論理だから
>>570 こんなの嘘だし。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/30.html 相互依存も、衆生心も、色即是空も、こいつのいうような生命の肯定とか
現状肯定みたいな意味は一つもないから。
みんな論破されてるのに答えない。答えられない。
>>583 >vyavahAram
つのは習慣、習わし、仕来りだ。それは仮設されたもの。
『中論』24.18と『勝義空性経』を読めばはっきりする。
諸註も『勝義空性経』に添ってるし。
こんなヤツに論証するだけもったいないよ。
全然聞いてないんだから。
>>581 よく考えたら
>>579 でほぼ間違ってないじゃんw
一箇所、「平川さんが原文(底本)としたのは月称の梵文だった」、というだけで・・。
「言語が梵語であるかどうかの違い」だけで、
≪【註釈書から】【抽出・類推して】【龍樹の偈(→原型!)】を暫定的に確定した≫
という点では変わりないし・・・。
*(そういえば、貴方は『原典(原型・梵文)に価値や意義を見ない立場』じゃなかったでしたっけ?w
『原典(梵文巴文蔵訳問わず)に依拠せず、「漢訳、漢訳の義」に(漢語文法による解釈に)依拠すべき』
というスタンスじゃなかったでしたっけ?w 参:
>>251 >>268 >>277 、特に268。
貴方の引用したものは『梵文の和訳』であり『漢訳(漢訳としての読み)』ではありませんが、宜しいので?w
( ̄ー ̄) )
591 :
? :2010/04/10(土) 10:47:18 ID:S0/rfsZH
>>466 様から!
>誰に? 何のために? 阿含経を説明するのか?
>阿含経典(の一部)が「より古形を保持している可能性が高い」ってのは、
>殆どの人が了解済みのことで、今更声高に唱える事柄でもないと思うが?
今でも 1華厳時 2阿含時 3方等時 4般若時 5法華涅槃時
の五時教判が正しいと思い込んでいる人は
沢山いると思うので、そう言う人に対して
阿含経典の一部が、他の経典より、古形を保持している
可能性が高いと言う事を、説明したいのです!
592 :
? :2010/04/10(土) 10:49:52 ID:S0/rfsZH
>>591 の続き!
「大乗仏教の経典も全て、お釈迦様本人が作った者である!」
と思い込んでいる人も、かなり沢山いると思います!
私は、つい最近まで阿含経の、解説書を読むまでは、
「仏教の経典は、全て、お釈迦様本人が作った者である!」
と思い込んでいました!
593 :
? :2010/04/10(土) 10:52:32 ID:S0/rfsZH
>>472 様から!
>つまり解脱をしているということは、本人の自己申告か経典や発行本に
>あるだけでそれを言葉通りに信じるか信じないかということですねw
はい、そうだと思います!
>そして解脱をしたか証明する基準も無いし、何の根拠もない。
根拠が、有るのか? 根拠が、無いのか?
私には分からないけど、
解脱を、したのか? 解脱を、していないのか?
を証明するのは、かなり難しい事だと思います!
594 :
? :2010/04/10(土) 10:59:23 ID:S0/rfsZH
>>485 様から!
>難解な仏教用語、概念、時代遅れの開祖や教典の言葉、理屈・・・・等々の
>虎の威を掲げて宗教者が上から訳知り顔に説教し、威張る必要はないのだ。
私は、2ちゃんねると、お経については、初心者の中の初心者なので、
威張っているつもりは有りません!
595 :
? :2010/04/10(土) 11:03:29 ID:S0/rfsZH
>>485 様から!
>大昔の開祖にこだわり執着し、人生を賭けるのは、アサハラと弟子達同様滑稽だ。
>何の力も無く人生を棒に振る。如何に宗教がピント外れで狭い世界かよく分かる。
私は、アサハラと、その弟子達の事は分かりません!
誰が、一番最初に仏教を、始めたのかについての
こだわりは必要です!
私自身は「何の力も無く人生を棒に振っている!」と思う時も有りますが、
何とか気合いと根性で頑張って行きたいと思っています!
仏教の何処が「ピント外れで狭い世界!」なのか私には分かりません!
仏教の何処が「ピント外れで狭い世界!」なのですか?
596 :
? :2010/04/10(土) 11:06:04 ID:S0/rfsZH
>>451 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 様へ!
『雑阿含経 仙尼経』の中に、『般若心経』の、
原点と思われる、お経を発見致しました!
仏陀
「色(人間の肉体) 受(感受作用) 想(表象作用) 行(意志作用) 識(認識作用)
↑ これらの五蘊は常住不変か?」
仙尼
「常住不変では無くて 五蘊は常に変化する 無常である!」
597 :
? :2010/04/10(土) 11:08:37 ID:S0/rfsZH
>>596 の続き!
仏陀
「色(人間の肉体) 受(感受作用) 想(表象作用) 行(意志作用) 識(認識作用)
↑ これらの五蘊は アートマン(常住不変の自我意識)か?
↑ これらの五蘊の 中に アートマン(常住不変の自我意識)が 有るのか?
↑ これらの五蘊の 外に アートマン(常住不変の自我意識)が 有るのか?」
仙尼
「そのいずれでも無い!」
五蘊(五陰)仮合について!
色(人間の肉体・物質) 受(感受作用) 想(表象作用) 行(意志作用) 識(認識作用)
の五蘊(五陰)は、常住不変では無くて、常に変化している、無常である!
常に変化する五蘊(五陰)が仮に寄り集まって
一個人の人間が出来上がっている!
常住不変の五蘊(五陰)とか、アートマン(常住不変の自我意識)は、実在しない!
598 :
? :2010/04/10(土) 11:13:26 ID:S0/rfsZH
599 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 11:27:57 ID:kZdTP/0a
>>590 >(そういえば、貴方は『原典(原型・梵文)に価値や意義を見ない立場』じ
>ゃなかったでしたっけ?w
往生際が悪いなw。
だから、平川氏の和訳「世俗的なことにもとずかなくては」を、たとえ彼が依拠
したサンスクリット語の原文と対照しても、「世俗の『言語』習慣」に「限定」
することは誤りだということだよ。この際、漢訳や注釈は関係ない。
何よりも、
>>584 で述べたように、文章解釈において常に基盤とすべき「論理的
整合性」に照らしても、誤りと言える。
600 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 11:35:22 ID:xFRd0Awc
>>599 >往生際が悪いなw。
往生際つか、最初から最後までトンチンカンなのがお前。
601 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 11:36:20 ID:xFRd0Awc
>>598 机は荒らしなんで、話したいなら、他所でやってくださいな。
>>599 ほうw
で、またもや
>>588 を無視ですか・・w
ほんとに、性根が腐りきって居られますね・・・(^^;
603 :
? :2010/04/10(土) 12:03:55 ID:S0/rfsZH
604 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/10(土) 12:13:30 ID:N2CQN2C6
>>598 ?どの
五蘊について申し上げ候。
五蘊というのは、つまり現象ですね。
現象というのは「色即是空」の「色」のことです。
「五蘊皆空」ですから、五蘊は「空」でもありますね。
これについて説明します。
指で自分の皮膚をツネりますと「痛い」って感覚がありますね。
これは現象ですから「五蘊は色」です。
この「痛い」って感覚は、感覚ですから無常ですね。
縁において生起はするが、縁なくば生起はあらず。
ということになりますから「五蘊皆空」となります。
>常住不変の五蘊(五陰)とか、アートマン(常住不変の自我意識)は、実在しない!
そのとおりですね。
>↑ この「如来応等正覚の法によって渇愛を断じて欲を離れて滅尽し涅槃を得る!」
> と言う事が、『般若心経の原点だ!』と思いますが如何でしょうか?
「渇愛を断じて」もそうですが、あらゆる森羅万象全てが「五蘊」つまり現象であります。
そのように悟ることにおいて滅尽にいたり・・・涅槃に至る。ってことですよ。
これが「五蘊皆色」より〜〜〜「五蘊皆空」へ〜〜〜。
「色即是空」の完成ですよね。→般若波羅蜜の完成です。
(つづく)
605 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/10(土) 12:14:26 ID:N2CQN2C6
(つづき)
>原義は義あらざるなり。
>>562 現象ですから「義」はありません。
「痛い」ってのは、痛いだけですね。
そこに意味があろう訳はないじゃ〜ないでか。
花は紅(くれない)、柳は緑。by沢庵
紅(くれない)と、緑に意味はないですね。
一期一会、ただただ紅であって緑なることでありんす。
606 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/10(土) 12:22:03 ID:N2CQN2C6
>>603 >ここに 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ 【臨時 避難所】
> を作ったので、宜しく、お願い、申し上げます!
貴殿は、なにを倒錯しておるのですか?
私は2ちゃんから公式に「カルトバスター」として認知されておるんですよw
この「仏教質問箱」は、現在カルトによって占拠されてます。
こういった事情をよく理解されたらいい。
私を排除したがっておるのは、どこぞやのアジャリを筆頭に、その数はかり知れず。
ああ、おそろしあ。
100歩譲ってw「カルトバスター」なる称号が当を得ていたとしましょう。 しかし、そのことが、《『正しく仏教を理解している』こと》を担保するわけではありませんw
608 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/10(土) 12:33:02 ID:N2CQN2C6
>>607 「正しく仏教を理解してない」と、おっさるなら、
私のレスポンスにおいて、その「正しくない」といふ箇所を指摘してみたら宜しかろうw
私を排除したがっておる輩は、その数はかり知れず。
さんざん私に論争を挑みながらも全ては露に消え、
その残滓があるのみ。
609 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 12:42:20 ID:6Jw3+Xi9
一時間ほど前に「仏教 議論スレッド」を立てました。 よろしくお願いします。
610 :
? :2010/04/10(土) 12:55:54 ID:S0/rfsZH
>>606 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 様へ!
レス、ありがとう、ございます!
いつもの事ながら大変、勉強になります!
>2ちゃんから公式に「カルトバスター」として認知されておるんですよw
そうだったんですか? 知りませんでした! 大変、失礼、致しました!
>この「仏教質問箱」は、現在カルトによって占拠されてます。
カルトって何ですか? 例えばどう言う感じなんですか?
>私を排除したがっておるのは、どこぞやのアジャリを筆頭に、その数はかり知れず。
阿闍梨(あじゃり)って言うのは例えば真言宗とか天台宗とかの
密教系の、お坊さんの事ですか?
>ああ、おそろしあ。
それは、きっと、私には、とても想像も出来ない程、恐ろしい事なんですね?
611 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/10(土) 13:50:59 ID:N2CQN2C6
>>606 >そうだったんですか? 知りませんでした! 大変、失礼、致しました!
2ちゃんには、多くの歴史が刻み込まれておりまして、
有名なのは鮫島事件ですね。
これをリアルに知ってる方は古参の部類に入るでしょう。
私は鮫島事件ほど有名ではありませんけど、宗教板というカテゴリーですと、
かなりインパクトのある事件性がありましたね。
私と対論したコテの記録は、今もネットで閲覧できます。
コテは「菊鬼」とか、「キックの鬼」とかで検索したら宜しかろう。
この事件を契機としまして、私は「2ちゃんねるガイド」に紹介されたんですよw
> カルトって何ですか? 例えばどう言う感じなんですか?
カルトってのは、大川隆法などがおりますけど、これは氷山の一角ですね。
仏教をネタに人を騙すとか・・・また、騙されるとか・・・
それを全部ひっくるめてカルトです。
(つづく)
612 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/10(土) 13:53:09 ID:N2CQN2C6
(つづき) >阿闍梨(あじゃり)って言うのは例えば真言宗とか天台宗とかの > 密教系の、お坊さんの事ですか? 自称「アジャリ」ってのは、リアルでの話じゃないですよw リアルで「アジャリ」かどうかは、私には直ぐ見分けられる。 自称「アジャリ」は、上座部あたりか、アーレフ(チベット系)ですね。 チベットは中観ですから。 日本のアジャリとは違う。 >それは、きっと、私には、とても想像も出来ない程、恐ろしい事なんですね? 饅頭は恐ろしいことですけど、食ってみればなんてことはない。 (古典落語での話ですがね)
613 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/10(土) 14:09:44 ID:N2CQN2C6
(つづき) >コテは「菊鬼」とか、「キックの鬼」とかで検索したら宜しかろう。 宗教板でのコテは「シヴァ命」です。 もし関心があるなら、これで検索してみてください。 コテの本名→多賀井健次(当時37歳) 本名で検索すれば詳細は明白なり。
614 :
? :2010/04/10(土) 14:27:11 ID:S0/rfsZH
>>613 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 様へ!
>自称「アジャリ」は、上座部あたりか、アーレフ(チベット系)ですね。
>チベットは中観ですから。
私は、オウムとか、アーレフでは有りませんが、
私は、上座部(阿含経)とか、チベット密教とか、大変、強い、興味が有るので、
私も、『自称「アジャリ」』と言う事に、なってしまうのでしょうか?
>日本のアジャリとは違う。
何が「日本のアジャリとは違う。」のですか?
615 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/10(土) 15:49:04 ID:N2CQN2C6
>>614 >私は、上座部(阿含経)とか、チベット密教とか、大変、強い、興味が有るので、
> 私も、『自称「アジャリ」』と言う事に、なってしまうのでしょうか?
「中論には輪廻転生が記載されてる」って吹聴する御仁がおってな、
その御仁が自称「アジャリである」、と板に書込みしたんですよ。
ただそれだけのことでござんす。
この経緯については、質問箱をロムれば明白なり。
あまり意味はない。
>何が「日本のアジャリとは違う。」のですか?
一般的な意味の「アジャリ」とは違う。
オウムにもかつては「大臣」というのがおったが、
この意は一般的な意味じゃ〜ないだろ?
そういうことです。
その世界にだけ通じる、「アジャリ」もおれば「大臣」もおるし、
多賀井健次のように、自らが「シヴァ神」と思い込む人間もおる。
カルトの危険性とは、このことでありんす。
616 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 16:16:10 ID:wNNTM8Is
>>588 >【仏教の文脈では】【(特に)言語行為を指して】用いられるからだよ。
その「佛教の文脈」だけでは、世俗には「説示」できなないと、竜樹は言って
るのだよ。
>また、「習慣(behaviour)、慣習」とは、「身体的行為とともに《言語行
為》も含まれる」のではないかね?w
「含まれる」のは当然だが、それに「限定」はされない。なお、「behaviour」
の一般的意味は、「(個人の行動を含む)行動」。「習慣・慣習」とは、意味
のニュアンスが違う。
>(広く見れば、一個人を越えて社会や共同体が《「継承している、倣ってい
る」文化的様相》をも指す。そのSktの語義でも、≪決して「世俗の事物
(この場合“物質的個物”“実体”“実在”)」を指してはいない≫。
世俗においては、その「文化的様相」の基盤をなしているのが、まさに「世俗
の事物(この場合“物質的個物”“実体”“実在”)」ではないか。世俗人は
(宗教者も全く同じだが)、「実体」「実在」に100%依存することによっ
てのみ、生存している。
宗教者は、大昔の開祖や教祖の「表面上の言葉」にこだわり、執着するあまり、
現代人としての知識と知性に基づくより高い次元からのそれらの批判的解釈と、
「言わんとする真意」の理解が全くできていない。
617 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 16:33:24 ID:wNNTM8Is
618 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 16:47:19 ID:6Jw3+Xi9
進んだ頭を持つ現代人の見方を より劣った古代人の「真意」として 上塗りする作業は議論スレッドでお願いします。 そこで問いを深化させていってください。
619 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 17:34:01 ID:iS9XC3hY
>>595 >仏教の何処が「ピント外れで狭い世界!」なのですか?
オウムが広くスバラシイ世界だと思われますか?
オウムにはヨガや原始仏教・キリスト教がミックスされています。
ですから若者が出家したりお布施第一・・等と言ったのです。(
>>593 )
圧倒的不特定多数の人達は、無関心に今を一生懸命生きています。
大昔の仏陀・イエスもオウムのように犯罪で責められることは
なかったかもしれないけど、規模的には同じことでは?
仏教者たちが商売にするために大げさに宣伝しシキタリを作ったり
して今日まで拡大してきたのではないでしょうかw
620 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 18:22:02 ID:pTlRLAFu
しっかし、アサハラが天井裏に札束と一緒に隠れていたのは象徴的だったなぁ〜(笑
最終解脱者と自己申告して信徒達からも崇めら奉られ発行本にも過大評価が満載されて
いたが、所詮同じ人間〜w
いざとなったら超能力も何の役にも立たず、ただひたすら隠れてお金に頼るのみ〜w
↑ の教訓を生かし、仏陀もイエスも又、同じ人間だったことを忘れてはならない。☆★
誇大妄想で彼らを超人のように膨らましてオウム同様の過ちを犯してはイカンガナw
■ ご隠居氏のレスで沸騰した頭を冷やせょw 宗教盲信者諸君!! ■ (。・_・。)ノ
↓
■ 宗教者は、大昔の開祖や教典の「表面上の言葉」にこだわり、執着するあまり、
現代人としての知識と知性に基づくより高い次元からのそれらの批判的解釈と、
「言わんとする真意」の理解が全くできていない。(
>>616 ) ■
↑ いつもご隠居氏はすばらしいなぁ!! ヽ(^。^)ノ
621 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 18:44:54 ID:xFRd0Awc
>>610 あの机がカルト・バスターなんてのは、2ちゃんの適当な呼び名ですよ。
机のことをまともと言ってる人は、ほとんどいません。
それは教義とか以前に、自分の間違いを認められないという基本的な会話の問題です。
要するに嘘つきでハッタリ屋なんです。
カルトと言ってるのは、彼が論破されたから言ってるだけです。
622 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 20:20:24 ID:pS4KrP6f
■ 時代も異なる大昔の経典の【言葉】だけにしがみつくことは、 単なる 狂信であり、カルトです〜 ☆★ 人 (__) (__) シャカ、シャカ・・・♪ (,,・∀・ ) シャカ、シャカ、 シャカ、シャカ・・・♪ (( ノ つ ⊃ )) (__ノヽ__)
623 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 22:26:52 ID:9GgD9eh8
624 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 22:35:31 ID:u7yzfIJh
>>623 質問箱の趣旨と関係ない書き込みは議論スレの方にどうぞ。
そのくらいの良識はありますよね?
625 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 22:38:09 ID:IembJDoe
>>589 >>vyavahAram
>つのは習慣、習わし、仕来りだ。それは仮設されたもの。
「縁起と空性とを破する汝は、世間の一切の慣習を破壊するのである。」(24:36)
竜樹は、上記のように、「世間の一切の慣習」をしっかりと認めている。さもなければ、
24:10の「世俗的なものにもとづかなければ」との論理的整合性がとれな
い。竜樹の論理には、少しの破綻も無いし、現実からの遊離もない。
「縁りて仮設された存在」とは、「存在が相互依存により成立するが故に、執
着すべき自性がない」という意味に過ぎず、「非存在」という意味ではない。
「非存在」なら、「存在」という言葉は一切使えないはずだが、竜樹は、中論
の冒頭から多数使っている。中論は、「もろもろの存在」という「主題」につ
いて語っているのである(1:1)。
626 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 23:24:05 ID:u7yzfIJh
>>625 議論スレに移ってやったらどうですか?
それとも、あくまでも、ここで続けて質問希望者の邪魔をするつもりですか?
627 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 00:53:55 ID:UsnIJzOK
>>626 ROM者も、「八宗の祖」である竜樹についての議論から、より高度な回答と
理解を得ているはずだ。
それよりも、「日本の」佛教質問箱での、小乗カルトを布教することこそ、
止めるべきではないか。ROM者をどれほど誤導しているかも、分らないのか。
「それくらいの良識」は持ってくれ。
ま、(特に今回の)スレの流れを見れば、 御隠居の支離滅裂ぶり、矛盾のミルフィーユは誰の目にも明らかなわけで・・・w 皆、「スルーが吉」と判断するでしょう。 おやすみw ノシ
629 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 02:34:23 ID:MZvxohPw
>628 どこが支離滅裂・矛盾か、具体的に指摘してくれ。 セブン氏が中論24:10の「世俗的なことにもとづかなくては」を「世俗の 言語習慣」に限定したことの誤りが、サンスクリット語原文との対照によって、 白日の下にさらされたではないか。支離滅裂と矛盾は、セブン氏だったのでは ないかね。 しかし、負けるに決まっている戦いに挑んだセブン氏の態度は、好感が持てる。 特に、最後の「五月蝿い奴だなw」の捨て台詞がよかったw。マジで。宗教の 人は、皆、人柄は良い。オウムの信者も例外ではない。人柄が良いから、宗教 に騙される。もっとワルになって、開祖や教典の欠点や誤りを片っ端から指摘 して、批判できるようになって欲しいものだ。10年来のカルトバスターとし ての、心からの願いである。
630 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 04:02:11 ID:rEO8TpY0
セブンも
>>628 を見ると、一区切りついたみたいだし、一端まとめようか?
ここは本来、仏教に関する質問を行い、それに対して回答し得るものが答える
スレなわけだ。ところが、ここ最近の流れは、ずっと、隠居の妄想を指摘する
ことだけに使われてきてしまった。(そのことに関しては、俺にも責任が
あったことは自覚している。) しかし、どこぞの誰かさんの好意で議論スレ
が作られた今や、ここはやはり本来の趣旨に戻すべきだと思うがどうだろうか?
俺としては、反面教師としての役割を隠居に期待しているのだが、それを
ここでやってしまうと、質問希望者の迷惑になることは間違いない。
それを考慮すると、やはり縁起一代が言うように「完全スルー」が最も適切な
対応かと思われる。
実際、隠居にレスを返していたのは、縁起一代、セブン、そして俺を含めた
2、3の名無しさん。 これらの者が「完全スルー」を心がければ、本来の
スレに戻るのではないかと思うのだが?
そして、初心者らしき人に隠居がレスをつけたときは、誰かが説明をして
注意を促すようにするのが最も良いと思うが。
(縁起一代が、よく「それは生命教の隠居だからスルーするように。」との
コメントをしているが、もう少し詳しく、対話することの無意味さを説明
した方が良いと思うがな。)
以上、一部外者からの提案だが、賛同を得られれば、これ以降、ここでは完全スルー
にしようや。
631 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 04:22:57 ID:ACzT17XJ
>>630 当然、賛成。机も加えるべき。
テンプレがいるかな。
632 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/11(日) 07:22:14 ID:RhYg6ToM
>>621 >あの机がカルト・バスターなんてのは、2ちゃんの適当な呼び名ですよ。
>机のことをまともと言ってる人は、ほとんどいません。
私が「カルトバスター」と称号を得たのは2002年頃でしたね。
当時は「仏教質問箱」も順調に機能してたんですよ。
勿論カルトもおりましたけど、ちゃんと住み分けがあった。
ところが「シヴァ命」というコテが書込みするようになってから、
宗教板全体が荒れるようにおなっった。
まあ、シヴァ神というのは破壊神ですからね、そりゃ〜もう破壊しまくりですよw
そういった荒れた宗教板を、私が僭越ながら平静な状態に戻したんです。
この功績がえらく評価を得ましてね、それで「カルトバスター」と人は私を言うようになったのです。
>それは教義とか以前に、自分の間違いを認められないという基本的な会話の問題です。
私の書込みが「間違い」なんて言うのはですね、最近のことですよ(笑
これは縁起一代とかいう御仁が書込みしてるだけ。
他の大多数の人間は、私の書込みを楽しみにしておるんです。
そりゃ〜そうでしょう、私はカルトとは全く無縁ですから、
安心して私の書込みを読むことができますからね。
633 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 07:34:53 ID:xJ6cyX4C
>>630 一口に「佛教」と言っても、宗派によってその教義や思想は大幅に違う。
特に、大乗と小乗とでは、本質的に異なり、むしろ違った二つの宗教で
ある。
君は、一体、どの宗派のことを言っているのか。ある宗派の人が回答すれば、
他の宗派の信者からは、批判や異論がでて、議論になるのはあまりにも当然。
それに、宗教自体が妄想の塊だから、一般人からは、その妄想に対する痛烈な
批判も出てくる。さもなければ、宗教者を妄想から救うことはできない。
また、浄土真宗は、大乗仏教でも異端である。
批判は、最も本質的な質問である。批判がなければ、理解も進歩もない。
日本人が信仰しているのは「日本の」大乗仏教であり、小乗やチベット佛教で
はない。小乗国タイやスリランカの現今の混乱を見よ。
日本の仏教質問箱である限り、日本の大乗に限定すべきだし、また、回答者は
その宗派と資格・経歴を明示すべきであろう。少し前までは、原始仏教スレが
あった。オウムなどのカルトが入り込んできて、布教したら、一体どうなるのか。
この質問箱の名称も、まず「日本の大乗仏限定質問箱」と変えるべきだし、一般に
開かれた質問箱なのだから、非宗教者の批判、換言すれば「本質的な質問」も
避けるべきではあるまい。
まず、君の宗派と経歴を、明らかにすべきだ。回答者のレベルが低すぎると、
質問箱の意味が無い。
佛教に関する一般的なことは、多数出版されている概説書を2,3冊読めば
分ること。2chの貴重なスペースを浪費する必要はない。
色即是空 空即是色ってどういう意味だ?
635 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 07:55:17 ID:xJ6cyX4C
>>634 「岩波佛教辞典」を書店で立ち読みすれば分る。
636 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 08:09:07 ID:xJ6cyX4C
佛教に関する一般的質問は「岩波佛教辞典」1冊で殆ど回答が得られる。項目数が多く、 解説は中庸で極めて明快。ネット情報は、執筆責任の所在が明らかなもの以外は、信用 できない。 この質問箱に相応しいのは、例えば、前レスでやった「中論」の一句に関する解釈と 議論だ。
638 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 08:46:04 ID:ACzT17XJ
>>632 >これは縁起一代とかいう御仁が書込みしてるだけ。
>他の大多数の人間は、私の書込みを楽しみにしておるんです。
現在、オイラ、セブン、rEO8TpY0の有識者、その他名無しが少なくとも三名は机は嘘つきだと認めてるだろ。
逆に机を認めてるのは生命教一人ぐらいだな。
他に誰か挙げられるか?
まさか rom は楽しみにしてるとか言わないよな。
639 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 08:58:15 ID:xJ6cyX4C
>>638 他者を「嘘つき」呼ばわりするような人格低劣な人間は、「仏教徒」の資格も、
勿論、「回答者」の資格も無い。
即刻消えうせろ!!
>>638 普段はROMの俺だが、”机は嘘つき”に一票入れとく。
ついでだから、”生命教は支離滅裂”にも一票入れとこう。
641 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 09:04:01 ID:xJ6cyX4C
>>640 君も同じく人格低劣。同じ穴の狢。
消え失せなさい。スレが汚れる。
642 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 09:08:28 ID:xJ6cyX4C
>>640 「支離滅裂」は、精神病者の釈迦で狂った君の脳内。
644 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/11(日) 09:15:09 ID:RhYg6ToM
>>638 >他に誰か挙げられるか?
私が書込みしますと「それなり」のレスが返ってきますね。
これは一般的には、殆どスルーする程度のもんでしょうけど、
敏感に感受できるスキルがあれば、受止めることはできる。
まあ、隻手の音声ですね。
静中禅の最中に、果たして針の落ちる音が聞こえるか?
これは訓練すれば聞こえるようになります。
止観だと無理です。
私はクルマのエンジン音(正確には電装系も含む)の微かな変化を聴き分けることができる。
一度これを、プロの整備士に私のクルマに乗って試したことがあるが、
熟練工は一発で聴き分けられるが、未熟な整備士は無理ですね。
ようは聴覚の敏感さ、よりも経験です。
ようは、音が聞こえるもんと、そうでないもんが居るだけです。
貴殿は後者になりますね。
646 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 09:32:32 ID:xJ6cyX4C
>>643 そんなことは、すべて、「岩波佛教辞典」や弘文堂発行の「神道事典」にすべて出ている
こと。まず「自分」で出来るだけ調べることが、学問の本道。さもなければ、身に付かない。
しかも、このスレでは、回答者の学問的レベルが保証されていない。
小乗やチベット仏教を排除すべきことは、すでに述べたとおり。
私は、あくまで、一般常識論からの質問と批判をしている。宗教も、人間の多くの営みの
一つに過ぎないのだから、常に「通常人」の批判にさらされなければならない。
支離滅裂なのは、むしろ、現実上の根拠皆無な宗教観念に呪縛されきった、宗教信者の
頭脳ではないか。
647 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/11(日) 09:38:24 ID:RhYg6ToM
>>645 机龍之介「正しく仏教を理解してない」と、おっさるなら、
私のレスポンスにおいて、その「正しくない」といふ箇所を指摘してみたら宜しかろうw
セブン「門外漢なんでROMってたが、宮中参内の流れは面白かったw
それから、自己の経歴を振りかざすのは敗北宣言に等しいですよwww
つか、みっともないですよw (或いは禅的ではないですよw)
これじゃあセブンは答になっておらんうーたん。
はよう、拙者の「正しく仏教を理解してない」箇所を指摘して頂きたいでつよね(苦笑
648 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 09:51:50 ID:g9lt1P/T
当然すぎることを敢えて書きます。 ここは「仏教質問箱」です。 「仏教ではそういうことになっている」 「何々の宗派、論者の主張ではこう言われてる」 事柄について知識をやりとりする場です。 どこどこの文化や歴史を語る時と同じように 「仏教ではそういうことになっている」という事実を語ります。
649 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 10:04:20 ID:ACzT17XJ
>>648 そうしたいんですが、生命教と机が寄生してる限りそうならんでしょう。
それで、スル〜するようにしましょうと言ってるわけです。
650 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 10:05:44 ID:g9lt1P/T
「こういうことになっている」事柄について 議論になるなら議論スレッドに進み、誘導リンクをこちらに貼ります。 批判が排除されるという事態にもならないのです。 これも言うまでもないことですが 仏教に関する質問箱である以上 部派仏教、チベット仏教に関する質問と回答を 排除する理由はありません。
>>646 ネット掲示板のQ&A(の意義)を全否定かw 恐れ入ったwww
たとえば、
>>195 (
>>21 )などは、どこをどう調べても回答が出るものではない。
(参考意見としての一例が希望されている。)
或いは
>>2 のような、調べるまでもない気軽なQ&Aが、ネット掲示板の本質なんだよ。
ググレカスという言葉があるがw、本来は、
この「ネットで検索」という行為自体が、《「自分で調べれば済むこと」を「手抜きしている」》ことでもある。
こうした質問箱等でのQ&Aは、この「ネットで検索」という行為と同じなんだよ。
(全幅の信頼を置いてはいけないというのは同じだw)
なんで解らないかなぁ・・w (君は他の板へ行ったことないだろ?w )
>>647 はいはいw
私が貴方に指摘してきたのは、主に「禅的言辞の濫用・乱用」についてでしたね。
「仏教理解が誤っている」というのは、
他の方からそうした指摘が多々あったという記憶・印象だったので、その意を含んだ文を書きました。
過去ログを探しても良いですが、面倒なので謝っておきますw
貴方の理解が正しいかどうかは判然としません。(なぜなら、禅的言辞を濫用してるから。)
判然としないことを「印象と推測」で断定して申し訳ありませんでした。 m(_ _)m
これで御寛恕願えるかい?w
652 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/11(日) 12:37:36 ID:RhYg6ToM
>>651 了承しました。
>貴方の理解が正しいかどうかは判然としません。
私は一貫して禅的アプローチですから、
例えば
>>634 の質問においても、当然その背景としてある思想によって
「色即是空 空即是色」は解釈が違ってきます。
つまり、
如来蔵思想からのアプローチ、
空思想からのアプローチ、
双方を解説することは可であります。
私見でありますが、如来蔵思想は梵我一如的であり、どうも仏教にはソグワナイ
ということもありまして、それは真言アジャリの解説を拝す方が宜しいでしょう。
空思想においては、私は間違ったことはいうておらんざます。
まあ、つまりですね、
般若心経の正確?な解釈などは、誰もわからんのですよ。
はじめに思想ありき。ですから。
経典解釈ってのは・・・そういうもんです。
653 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 15:32:46 ID:A9SkODsb
>>651 >(君は他の板へ行ったことないだろ?w )
冗談じゃない。私はこれまでクリスレ専門だったのだが、どこのスレでも、
「神様、イエス様」という狂乱状態と、信者同士の罵詈雑言と汚い言葉での罵
りあい、傷つけあい ばかりだ。原始仏教スレも少し覗いたことがあるが、同様。
宗教に嵌るとは、そういうことなのだよ。こんな状態を放置してよいのか。中東の
惨状をみれば明らかだろう。
原始仏教(小乗仏教)に、キリスト教との類似性と親和性が認められるので、
第二、第三のオウムの発生を防ぐべく、このスレにきている。
オウムが、原始仏教、チベット仏教、キリスト教、一神教類似のヒンドウー教
から発生したことを、片時も忘れてはならない。その分析と批判が充分に行わ
れているとは言い難い。批判すれば、原理的には、すべて自分の宗教に跳ね返って
くるからである。このスレにも、オウムやオウム擁護派が混じっていることは、
明らかである。
オウムの信者も、生まれながらには、善良で純粋な人々ばかり。宗教に嵌ったばかり
にああなった。オウムも自爆テロリストも、人間としては100%善意なのである。
100%の善意で、嬉々として人を殺せるようになる。これが宗教の限りない
病理なのである。
慈しみ育てたわが子が、100%の善意で人を殺し、死刑台に登るのを見なければ
ならない両親の気持ちを想像したことがあるか。殆ど毎日のように宗教故に殺されて
いる中東の人々の姿を見て、何も感じないのか。能天気に宗教などを肯定・擁護して
いる場合ではあるまい。
654 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 17:09:19 ID:luzfnXce
655 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 17:37:59 ID:A9SkODsb
>>654 君等、日本の仏教質問箱で、小乗やチベット仏教を布教する者たちこそ、移動
しなさい。
このスレを読んでも、「日本の大乗仏教の中心思想」などさっぱり分らんぞ。
それこそ異常ではないか。
656 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 17:47:00 ID:g9lt1P/T
そうすべきであるという論理的な理由をあなたは提示できていません。
657 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 17:56:40 ID:A9SkODsb
658 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 18:16:14 ID:g9lt1P/T
批判が排除されることもありません(650) 当然ながら危険だと思うから、気に入らないから、 は理由になりません。
隠居は自らを大乗仏教だというが、 単純唯物論、素朴実在論が大乗仏教だという者は このスレには隠居以外は誰もいないだろう。 仏教は無常=無我=縁起=空=中道だ。 それとも単純唯物論、素朴実在論、有我論という反中道の見解は既に放棄したのか? それに大乗仏教と小乗仏教の区別(仮にできるとして)が不明だ。 >「日本の大乗仏教の中心思想」 とは、釈迦一仏ではなく、例外なく誰でもがブッダとおなじ悟りの境地(涅槃)に達しうることを 肯定する精神態度をいう(中部経典 107、中阿含経 144など参照)。 その意味では、隠居の歪曲でっち上げ言説に反して、釈迦仏教は明確に大乗仏教だ。
660 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 19:39:06 ID:ViWagoAt
>>658 危険なのは、「この」質問箱から批判が排除され、カルト布教の場となることだ。
662 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 19:58:06 ID:ViWagoAt
>>661 >「生命教」というカルト
自分の生命に最大の価値を認めてもらって困る人間がいるのかねwww。
663 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 20:00:17 ID:ViWagoAt
御釈迦さんだって、大喜びされるだろうw。
664 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 20:01:17 ID:g9lt1P/T
このスレッドに、あちら(誘導先)へのリンクを貼る、 のだと書いています。批判がされている、という情報と 批判がさらに展開される場所が明示されます。 排除にはまったく当たりません。
665 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 20:07:54 ID:ACzT17XJ
生命教はそっとしといてやろうよ。 そうすれば自然と治まるでしょ。
666 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 20:18:31 ID:g9lt1P/T
私も以降は控えます。 前に書いたことを再提示するしかやることはないでしょうし。
>>662 >自分の生命に最大の価値を認めてもらって
仏教(少なくとも大乗仏教)は、価値・意味・概念的論理的正当性といった
二項相対論から離れている。
だからこそ涅槃寂静たりえる。
>『最大の価値』 とやらの相対判断を根源に据える思考形式そのものが仏教に相応しくない、
そのことにどうして気がつかないのか。
縁起において、すべてが等価=無価だ。
価値的序列を極限にまで押し広げる思考法がカルトの特徴だ。
だから隠居は自称カルトバスターが、カルト思考というミイラになったことに気がついていない。
668 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 20:38:17 ID:ZTXqk26I
>647 :机龍之介 いやいや、宮中参内の話は面白かったね。 …で、あんたまだ間違いを認めないの? またジャズの話をして自分の嘘話を誤魔化すのかね?
669 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 22:21:10 ID:bWtlz9fm
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
無知な質問者が二度とオウムのような悪質カルトに誘われ人生を誤らないように
カルトバスターのご隠居氏・机氏は、【監視役】としてこのスレに必須条件☆★
危険なのは、「この」質問箱から批判が排除され、『カルト布教の場』となることだ。☆★
彼らを排除するのは、カルトの証拠。身元を明らかにする必要がある。★☆
ID:g9lt1P/T氏から身元をドゾー
■オウムは、原始仏教、チベット仏教、キリスト教、一神教類似のヒンドウー教
から発生したw → (
>>653 )■
【カルトは巧妙な手口】で誘い、素人に判別は無理!!危険!! (・∀・)ノイクナイ!!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
670 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 22:58:00 ID:b/t+SjAe
私は無宗教者です。信者としていずれかの宗教団体に所属したこともありません。
>>669 「この」質問箱から批判が排除されることはありません。
理由は既に書いた通り(
>>650 >>664 )。
【批判の排除】と呼べるのはどういう場合か
・批判を書きこむことが否定されているとき
→全く否定していません。
・批判を行っている場所の提示が否定されているとき
→踏み込んで議論する場所を「ここで」提示して誘導してください。と言っています。
批判があることがわかるし、批判が議論として展開されている場所へも
リンクを踏めばひと飛びで行けます。
仏教 議論スレッド
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1270867654/l50のテンプレ 「仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。
仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
または、議論に発展すると感じたら
ここに誘導し、質問箱の機能の確保にご協力ください。 」
言うまでもなく、肯定論でも、議論になるなら誘導・移動対象ということです。
671 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 23:16:25 ID:b/t+SjAe
672 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 23:30:19 ID:PP/EL9dQ
◆ カルトの布教者は、来るな! ◆ ┏┳┳┓ ハイ!オウム! ┏┳┳┓ ┏┫┃┃┃ ┃┃┃┣┓ ┃┃┃┃┣┓ ここまで ┏┫┃┃┃┃ ┃ ┃┃┏━━━┓┃┃ ┃ ┃ ┣┫ . ^^ ┣┫. STOP!┃ ┗━━━━┛┗┳━┳┛┗━━━━┛ ┏┻┓┃ ┏━┛ ┣┻┓ ┗━━━┫ ┗━┓ . ┗━━━┛
>>672 そのとおりですね。
ご隠居・机の「ミイラ取りがミイラ」になった、カルトコンビを、議論スレに誘導しましょう。
674 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 23:50:04 ID:PP/EL9dQ
>>673 目見えないの?カルトはオウム、オウムだよw 日本の恥w
全〜く、こじ付けとへらず口だけは一人前
君も上祐と同じさw(笑
>>674 え?
ご隠居の論理って、オウムと一緒でしょ?
ミイラ取りしてるつもりがミイラになっちゃてるじゃんw
676 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 23:56:02 ID:b/t+SjAe
677 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 00:04:27 ID:WueVgqkF
>>675 よくシラバックレテw お馬鹿さん?しつこいょw
明日、一番に病院行きなさいね〜、オヤスミン☆(笑
678 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 00:07:29 ID:Im14Neu3
>>667 釈迦やその教えに最大の価値を認める小乗は、完全なカルトだな。
生命を以って、生命に最大の価値を認めることなど不可能。価値感も生命から
発するものだから、認識主体と認識対象とが同一であり、価値の認識など初め
から成立しえない。生命とは、「今こにある」だけ。人間が対象化できない唯
一の存在。
釈迦もイエスも、そのことには全く思い至れなかった。彼等の精神病の症状
としての観念過剰、悟りの欠如の故である。
すべての凡夫(世俗人)は、意識的・無意識的に、そのことを基盤として、
ひたむきに生きている。しかし、釈迦やイエスによって狂わされた聖者には、
それはもはや不可能なのである。
佛教は、人間を、凡夫と聖者に区別するが、それこそが「二項対立」の典型。
679 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 00:13:16 ID:yh+9H2mB
>>678 の書き込みが隠居です。
みなさんレスをつけないように。
反論の及び、見解を述べたい人は、すみやかに議論スレに移って
お願いします。
アンカーをふられた
>>667 さんも、よろしくお願いします。
680 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 00:13:47 ID:56y0pTpN
>>678 の訂正
×生命を以って、生命に
○自己の生命を以って、自己の生命に
681 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 00:42:37 ID:WueVgqkF
隠居フィーバー、すごいなぁ!!
カリスマ性は、イエス・釈迦以上―――
皆が騒ぐわけだなぁ!!ヽ(´∇`)ノ
ついでに嘘・捏造ばかり平気で言う
>>675 がオウムでしょうw→
>>673 >>675 のお返し
皆さん、カルトにはくれぐれも気をつけましょう!!
Good Night ☆♪〜
682 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 02:07:50 ID:nomWJAy7
仏教ってなかなかいい教えだと思うんだけど、 なんで世界的にはマイノリティどまりなんだろうか
683 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/12(月) 05:31:22 ID:7yr7a//X
>>634 >色即是空 空即是色ってどういう意味だ?
空思想においては「空」は勝義諦ですから、般若波羅蜜多(いわゆる智慧の完成)は
「色即是空 空即位是色」に全て表せられております。
しかし如来蔵思想ですと「空即是色」の意味が全く違います。
「色即是空」で空性でありますが、この空性より「空即是色」が
如来蔵という意味になります。
空即是色への突入を、般若心経においては「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦」の
いわゆる真言になりますね。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦」も、空思想ですと
「色即是空」への意味でありますから、これはどちらが正邪なのか?ってのは
自分で考える他ないんです。
(あるいは、また違う解釈があるかも知れませんが・・・)
経典解釈で「これが正しい」などと決め付けるのは全く不可であります。
禅宗では「無可無不可」などと言っておりますけど、
つまり「可もなし不可もなし」という前程で御理解くだされまし。
684 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 05:56:25 ID:KnVFj5Hz
685 :
667 :2010/04/12(月) 07:19:08 ID:JXc3hYyh
686 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 10:24:02 ID:gMICJH03
>>682 >なんで世界的にはマイノリティどまりなんだろうか
別にminorityではない。キリスト教の神学者でも、「キリスト教が今後向うべき
方向は、佛教の『空の思想』だ」、と言っている。
キリスト教に比べると、洗脳力(狂気の発生力)が弱いだけの話。
>>686 信者数や政治的影響力からしたら圧倒的にマイノリティでしょ。
それと、そんなことをいうキリスト教神学者が、それを公言したままキリスト教社会でメインストリームになるとは思えない。
そうなると、ただの影響力のない傍流の主張にすぎない。
洗脳力の強い弱いだけで勢力が決まるの?
じゃああっさり負けを認めて、仏教は地上から消えたほうがいいのかね。
688 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 11:17:28 ID:yh+9H2mB
>>687 >>686 は隠居です。 ここでレスをつけるのは止めてください。
自己の見解を述べたいのであれば、議論スレにおいてやってください。
689 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 13:02:21 ID:C7WDryRO
ハア?(゚д゚)・・・ 小姑みたいに小うるさい奴w
690 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/04/12(月) 14:51:22 ID:RwpUzhDb
691 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 15:31:47 ID:nVjZ5UGC
>>687 >そうなると、ただの影響力のない傍流の主張にすぎない。
そうと断定は出来ない。キリスト教(イエス・パウロの思想)の行き詰まりは、明らか
なのだから。
聖書からイエスを排して、「すべての人間に宿る神性」で置き換えようと提案している
神学者もいる。
旧約聖書の「コヘレトへの言葉」にも、「空」という言葉が出てくる。一読されて、
佛教の「空」と比較されて見られたし。少なくとも、「空の思想の萌芽」であるとは
言えよう。
692 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 15:37:17 ID:yh+9H2mB
>>687 さん。また隠居が書き込みしていますが、ここでのレスは
お控えください。 ここは質問箱で現在、その正常な機能に戻すべく
皆が協力している最中です。
隠居の見解に対して自己の見解を述べたい場合は、議論スレの方で
お願いします。
693 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 16:02:21 ID:nVjZ5UGC
>>892 「空の思想」という、佛教の根幹に関する質問と回答なのだが(苦笑)。
694 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 17:05:10 ID:Ocn8c/Al
ご隠居氏の万人に通用する単純明快な論に噛み付く沢山のレスは、 妄想・観念宗教に嵌った宗教信者たちのモガキ・足かきの表れw 完璧な人間なんて存在しない。仏陀・イエスも例外ではない。 ご隠居氏は、現代人に有用なところだけをピックアップされて 建設的に提案されている。 (・∀・) ノ カッコイイ!! 反論に口やかましい人達は、仏陀・イエス・経典に陶酔し盲信 しているだけのカルトと言われても仕方な〜いw
695 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 17:53:10 ID:bfxYth7l
日本の密教は天才・空海が中国から持ち帰ったものですが、後期インド密教の 奥義が伝えられませんでした。 ということはチベット密教と比較すると、日本の密教は、劣っているというこ とでしょうか?
697 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/04/12(月) 18:00:12 ID:RwpUzhDb
>695 そのロジックだと、様々な宗教の中、新興宗教が最も優れているという話になりますが、 実際には、新興宗教は単なるコラージュですよね。
698 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 18:16:06 ID:6bxKImcO
>>697 佛教もキリスト教も、当時の新興宗教だw。
699 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/04/12(月) 18:26:32 ID:RwpUzhDb
>698 中期密教と後期密教の比較に於ける時系列のみでの判断の非有効性を指摘しただけだが、貴方には理解出来ない訳ですね。(笑)
700 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 20:10:41 ID:it4CZ6xJ
>>697 それは違うな。
日本の密教は発展途上のインドの密教が入ってきた。
その後、更にインドの密教は発展した。
だから
日本の密教<インドの後期密教
ということになる。
701 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 08:17:42 ID:OPfQOm+p
>>634 「○即是空空即是○」の○には、
色だけじゃなく、受想行識もあてはまります。
702 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 08:27:16 ID:v3xhmHJb
>>695 奥義も伝えられてると思います。
ただし、それは口伝になっていた。
一番の問題は、チベットは今に至るまで成就者がでていますが、
日本では少なくとも表舞台には一人もいないように見えます。
そして教義を理解している人もほとんどいません。
そこが問題です。
703 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 11:25:10 ID:m3WlAjra
>>702 「成就者」とは、具体的に何ですか。社会において、どのような役割を果たして
いますか。
「成就者」と判定する基準は何で、判定者は誰ですか。
704 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 11:35:35 ID:YL0LP0mc
>>703 横レスですが
>「成就者」とは、具体的に何ですか
解脱者、悟った人のこと
>社会において、どのような役割を果たして
いますか。
別に社会的役割を果たしてはないと思いますが。
他の解脱希望者の指導、指針的役割なのでは?
>「成就者」と判定する基準は何で、判定者は誰ですか。
基準は自己認識。よって勘違いの可能性を避けるため、『師』による
確認があるほうが望ましい。
以上、仏教徒でもなんでもない者の推測です。
(確か少し前に仏教徒さんから、このように聞いた記憶があったもので)
705 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 11:47:13 ID:v3xhmHJb
>>703 申し訳ないのですが、いまこのスレに生命教という荒らしが発生してまして、
貴方のご質問が非常にその生命教に似ています。
もし、生命教でないなら、答えますので、生命教ではないと仰ってください。
生命教なら、もちろん答えないので悪しからず。
706 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 12:00:00 ID:m3WlAjra
>>704 具体的に、何を悟るのですか。
社会的に役割を果たしていないのなら、人間社会にとっては無用な存在ですね。
成就者自身は、社会からたっぷりと恩恵を受けているのだから、社会に貢献しない
のなら、「忘恩の輩」「恩知らず」「人間のクズ」ということになります。
『師』はどのような基準で成就を判定するのですか。それも自己認識、自己基準ですか。
その『師』の資格は、誰が、どのような基準で認定するのですか。
すべて自己認識、自己基準なら、「自己中心(エゴ)」「煩悩」「我欲」「引き篭もり」
「自己満足」「思い込み」「思い違い」「錯覚」「妄想」以外の何物でもありませんね。
707 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 12:18:25 ID:cKms86l3
>>706 ID違うが704です。
もしかして隠居?
質問者を偽装して、仏教批判かな?
やることが姑息過ぎる。
以下、ここでの応答は拒否。
続きを希望ならば、議論スレで
708 :
けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/04/13(火) 12:40:54 ID:OPfQOm+p
>>706 具体的に、何を悟るのですか。
→何を悟るというよりも、煩悩がなくなるのでしょう。
社会的に役割を果たしていないのなら、人間社会にとっては無用な存在ですね。
成就者自身は、社会からたっぷりと恩恵を受けているのだから、社会に貢献しない
のなら、「忘恩の輩」「恩知らず」「人間のクズ」ということになります。
→仏教徒にとっては価値があります。
『師』はどのような基準で成就を判定するのですか。それも自己認識、自己基準ですか。
→私は悟った師でないのでわかりませんが、
自分が悟っていないことはわかります。
煩悩のリストに照らして考えれば、明らかに私は悟っていないとわかる。
709 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 12:49:42 ID:h1h5roSJ
>>708 >煩悩がなくなるのでしょう
「自分が」悟りたい、解脱したいという煩悩は、なくならないのですか。
710 :
? :2010/04/13(火) 13:44:09 ID:8ut8Iv8s
>>615 様から!
>「中論には輪廻転生が記載されてる」って吹聴する御仁がおってな、
>その御仁が自称「アジャリである」、と板に書込みしたんですよ。
そう言う過去の経緯が有ったんですか?
全然知りませんでした!
>オウムにもかつては「大臣」というのがおったが、
>この意は一般的な意味じゃ〜ないだろ?
やっと言ってる意味が分かりました!
>その世界にだけ通じる、「アジャリ」もおれば「大臣」もおるし、
>多賀井健次のように、自らが「シヴァ神」と思い込む人間もおる。
『多賀井健次』って何ですか?
711 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 13:54:57 ID:Cxnq6kO3
>>705 >生命教という荒らしが発生してまして・・・
(#/_ _)/ ドテ
仏教への真面目な本質的質問・批判が何で荒らしになる?
問答無用ということ?それとも返答に窮するのかな?
以前、クリの○○○もしつこく同様に言ったことあったけど〜、
続かなかったなぁ〜(笑
712 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 14:06:35 ID:Cxnq6kO3
お偉い仏教徒様達だもの、太っ腹でいきましょう!! 世間の苦とは、比較にもならないでしょうから・・w 時代の流れということで「受容」しましょう!! どうせなんでもこの世のものは「無常」でしょ!! ( ・∀・ )ノ
713 :
? :2010/04/13(火) 14:19:34 ID:8ut8Iv8s
>>619 様から!
>オウムが広くスバラシイ世界だと思われますか?
私は、オウムとか、アーレフでは、無いので
私には、オウムの事は、分かりません!
>大昔の仏陀・イエスもオウムのように犯罪で責められることは
>なかったかもしれないけど、規模的には同じことでは?
仏陀の事については、
経典の一部が、他の経典より、古形を保持している可能性が高い
阿含経によって、仏陀の事を推測、出来るかもしれないけど
私には、イエスとか、オウムの事は、分からないので
仏陀と、イエスと、オウムが、同じなのかどうか、分かりません!
>仏教者たちが商売にするために大げさに宣伝しシキタリを作ったり
>して今日まで拡大してきたのではないでしょうかw
商売(お金儲け)の為に、布教活動してきたのか?
修行の(悟りを開く)為に、布教活動してきたのか?
私には、どっちなのか、分かりません!
715 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 14:25:22 ID:v3xhmHJb
716 :
? :2010/04/13(火) 14:49:57 ID:8ut8Iv8s
>>621 様から!
そうだったんですか? 知りませんでした!
717 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/13(火) 15:01:34 ID:+iTvo9kw
>>710 >『多賀井健次』って何ですか?
むかしむかし、多賀井健次って御仁がおってな、その御仁と拙者がバトルをしたんじゃよw
多賀井健次こと「コテ名・シヴァ命」、ネットにてメルマガを発信。
その受信者は約1万と言われ、シヴァ命はいよいよ教団を設立する段階に到る。
そこで待った!!を掛けたのが拙者なんです。
(宗教板で、この争論は有名です)
多賀井健次は2ちゃんの別板でも有名ですから、検索掛けてください。
(yahoo検索で1110件はヒットしますよ)
718 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 15:06:03 ID:v3xhmHJb
>>716 このスレの100ぐらい遡ってずっとみてけば少なくとも四人から嘘つき認定されていることが分かるはずです。
過去ログに遡れば、ハッキリと嘘ハッタリが確認できますので、
ご確認ください。
その上で、これ以上のレスはこのスレで不要であることをご自覚ください。
このスレは単純な質問スレなので、もっか本来の状態に戻すよう活動中です。
719 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 15:09:00 ID:v3xhmHJb
>>717 有名なんじゃなくて、自分で宣伝してるだけでしょ。
少なくともオイラは、リアルタイムでそのころ覗いてたが、
論争は知らなかった。AA攻撃は目撃したけど。
あの粘着ぶりは確かに凄かった。
しかし、机に論破されるなんてw
720 :
? :2010/04/13(火) 15:14:40 ID:8ut8Iv8s
>>715 様から!
>ここは質問スレなので、議論は議論すれでお願いします。
>>715 さんと業報輪廻についての議論をしたいのですが
さしあたって
>>715 さんの仮の固定ハンドルネームを付けて下さい!
ちなみに私は【?】で御座います!
721 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/13(火) 15:18:40 ID:+iTvo9kw
>>719 >しかし、机に論破されるなんてw
私が論破したんで、シヴァ命はAA攻撃が始まりまして、
これを切っ掛けとして次第にメルマガ受信者が激減する。
そしてその鬱憤を晴らすべく、
シヴァ命は武道板で、合気道のHAJIME氏と問題を起すことになる。
飛ぶ鳥を落とす勢いだったシヴァも、ついには自らが破壊の道を選択することになる。
ああ、おそろしあ、机龍之介。
(注意:当時の机は別コテです)
722 :
? :2010/04/13(火) 15:30:31 ID:8ut8Iv8s
>>717 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 様から!
レス、有り難う、御座います! いつものことながら大変、勉強になります!
>>718 様から!
>このスレの100ぐらい遡ってずっとみてけば少なくとも四人から嘘つき認定されていることが分かるはずです。
>過去ログに遡れば、ハッキリと嘘ハッタリが確認できますので、ご確認ください。
私は頭が悪い(文章の理解力が低い)ので、誰が本当で、誰が嘘なのか、判断出来ません!
>その上で、これ以上のレスはこのスレで不要であることをご自覚ください。
>このスレは単純な質問スレなので、もっか本来の状態に戻すよう活動中です。
議論を、戦わせる場合は、議論すれに、移動しようと思います!
723 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 15:44:17 ID:YL0LP0mc
>>722 ?さん
> 議論を、戦わせる場合は、議論すれに、移動しようと思います!
さらに特定の個人に対する質問、応答もこのスレの趣旨には相応しく
ないと思われますので、(今までの経緯より、机氏との応答のことですが)
議論スレにおいてお願いします。
724 :
? :2010/04/13(火) 15:53:05 ID:8ut8Iv8s
725 :
? :2010/04/13(火) 16:01:21 ID:8ut8Iv8s
>>723 様から!
>特定の個人に対する質問、応答もこのスレの趣旨には相応しく
>ないと思われますので、(今までの経緯より、机氏との応答のことですが)
>議論スレにおいてお願いします。
とりあえず、私は、了解、致しました!
726 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 16:19:42 ID:YL0LP0mc
>>725 >とりあえず、私は、了解、致しました!
ありがとうございます。
>あの机は嘘ばっかりついてる人ですよ。 >最近でも宮中参内ネタ、『正法眼蔵』ネタで嘘つきましたが、 >いまだに嘘だと認めません。 そして、そのことについてしつこく質問されると 突然ジャズの話をしだして話を誤魔化そうとした。 あれほど見事な敗北はなかなか見られるものじゃないね。
728 :
神も仏も名無しさん :2010/04/13(火) 21:33:11 ID:v3xhmHJb
>>727 『正法眼蔵』も同じようなもん。机は、そんなんばっかだよ。
>>728 >『正法眼蔵』
道元のいわゆる「現成」と龍樹の「不生」およびヘーゲルのいわゆる「生成」(Werden),
ならびにマルクスの「社会的諸関係の総体」(フォイエルバッハ・テーゼ6)の関係について
ご教授願いたい。
ブッダおよび龍樹の「縁起」においては多因多果によるダイナミックな事物の生成プロセスを問題としないのか?
単なるスタティックな関係性のみが問題なのか?
>>729 横レス
> ブッダおよび龍樹の「縁起」においては
>多因多果によるダイナミックな事物の生成プロセス を問題としないのか?
>単なるスタティックな関係性 のみが問題なのか?
後者の意味が今一つ掴めませんが、
前者は、「華厳の(事事無碍)法界」や「密教の曼荼羅(どっちかはわからんw)」のような感じですか?
「重々無尽の縁起」みたいな・・。
或いは、前者は複数路線が乗り入れる都市型路線、後者は(一路線だけの)単線、という感じ?
いずれにしろ、
寧ろ、「静的な縁起」ということの方が理解に苦しみます。それはありえないのではないか、と。
「一切の、動的在り様」を見る所にこそ、仏教の真骨頂があるように思うので・・。
ただ、私個人は、上の前者を(myランキング内で)一位にはしませんが・・・w
一本線である(「“多くの可能性を含みながら”も、(或いは刹那的に)、一因一果である」)と言う意味では、
後者を支持したいところですが・・。(特に、“原点に据えるべきもの”としてならば・・・。)
731 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 00:34:00 ID:qk2O7crd
>>729 >多因多果によるダイナミックな事物の生成プロセスを問題としないのか?
>単なるスタティックな関係性のみが問題なのか?
竜樹は、彼のいう縁起・空こそが、ダイナミックな事物の生成プロセスを可能に
するものだという趣旨を述べている。竜樹の「相互依存性・関係性」に思い至った
西洋哲学者はいないのだから、それらとの比較は相当ではない。道元の「現成」に
ついては、道元の専門家に回答をお願いしたい。
「空性を破壊する人には、何らのなすべきこともなく、発起されざる作用があるべく、
作用をなさない作者があるであろう。」(中論の頌24:37)
「存在が固定的であるとすれば、世間は種々の在り方を捨てて、不生不滅にして、また
不動であるであろう。」(同24:38)
732 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 01:41:01 ID:YQ/sYxZz
>>731 への追加
しかし一方、佛教はキリスト教諸国とは異なり、「相互依存性・関係性」を重視する
するからこそ、それを破壊するような、戦争や植民地獲得や環境破壊を含む生成プロ
セスを行わない、行えないのです。その「空の思想」故に、執着・追求すべき「実体
的絶対性」を認めないからです。さらに、その「一切衆生悉有仏性」「草木国土悉皆
成仏」の思想があります。いずれも大乗仏教に限られますが。
733 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 05:48:20 ID:rtP8+wEl
>>729 > ブッダおよび龍樹の「縁起」においては多因多果によるダイナミックな事物の生成プロセスを問題としないのか?
>単なるスタティックな関係性のみが問題なのか?
よりダイナミックですよ。
弁証法とかと比較して意味があるとは思えません。
>>731-732 は生命教という荒らしなのでスル〜してください。
734 :
けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/04/14(水) 07:01:46 ID:aZs2acLA
>>709 悟りたい、煩悩をなくしたいというのは、結局は、
悩み苦しみをなくしたいということどす。
悟って悩み苦しみがなくなったら、
悩み苦しみをなくしたいと思うこともなくなります。
鼻水が出るから鼻水をふきたくなる。
鼻水が出なくなったらふく必要がなくなる。
735 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 07:23:02 ID:rtP8+wEl
>>734 あの、その人は荒らしなので、レスしないって方向でまとまってるんですが
736 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/14(水) 07:24:47 ID:xnBWxNFB
>>733 ちゃんとアンカー付けて、
貴殿を指名しておるんだから誠意をもってレスポンスしたらどうか?
>ダイナミックな事物の生成プロセスを問題としないのか?
ここに論理矛盾があるだろ?
なんでそれを指摘しない?
>735 まっとうな、しかも興味深い質問だと思いました。
738 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 10:13:03 ID:8O9SxTxu
>>733 >よりダイナミックですよ。
>弁証法とかと比較して意味があるとは思えません。
その「実質的理由」を述べなければ、質問に対する回答にはならない。
弁証法が誤りなのは、「正」「反」自体が、それぞれ無数の「正」「反」の相対
関係によって成り立っていることに、思い至っていないからである。「正」「反」
は相補的なものであり、対立的なものではない。
740 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 10:44:20 ID:8O9SxTxu
>>734 >悟りたい、煩悩をなくしたいというのは、結局は、
>悩み苦しみをなくしたいということどす
そのような欲望も、煩悩には違いありませんね。
煩悩は、生存の維持に必須のものです。生きていることの証(あかし)です。
そのことを悟れば、煩悩は却って生の原動力となります。
それを「排除すべき異物」としたところに、釈迦の基本的な誤りと病理がある
ことに思い至ってください。
風邪やアレルギーで鼻水が出る時、いくら紙で拭いても止まりませんよ。医学的
方法できちんと治療しないと、却って悪化する一方です。
741 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 10:55:46 ID:BHJzFf0n
>>737 けちゃっぷさんへ
質問自体は、誰しもが思う当然の疑問です。すなわち
「悟りを指向すること自体が執着ではないか?」
これは他スレでも繰り返し提示される問いです。
この問いが、素朴な疑問より発せられたのであるならば、当然それに
回答するのも良いことだと思いますが、隠居はそうではありません。
>>740 を見てもわかるように、質問の形でテーマをふり、それを
もとに自己の生命教の教義の布教を始めます。つまり、質問は
単に話の取っ掛かりをつけるためであり、自己の教義の布教が、その
真の目的なのです。 初めのうちは、どれが隠居の書き込みか
判別が難しいかもしれませんが、次第に分かるようになります。
これは隠居だとわかりましたら、たとえ質問の形式をとっていましても
レスは控えるように、みなんさんにもお願い申し上げます。
742 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 11:04:43 ID:8O9SxTxu
>>741 仏教とは、「根源としての生命」を持ち出されると一発で吹っ飛ぶような
代物、まがい物なのか。
根源的な質問には、根源的に反論することが出来ないのか。
いい加減で、幼稚園の「お勉強」は卒業したらどうか。
743 :
けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/04/14(水) 12:35:48 ID:aZs2acLA
>741 生命教さんが仏教にかかわりたがるのはなぜなんでしょうね。 >742 生きることは苦しみです。 仏教が目指すのは平安なる滅びです。 生きとし生けるものすべてに、滅びあれ。
744 :
けちゃっふ゜ ◆R8t/xUtH.k :2010/04/14(水) 12:44:16 ID:aZs2acLA
>>682 煩悩大好きな人が大半だから。
生きものはみ悩み苦しみをなくしたい。
それは、仏教徒でもそうです。
仏教徒の場合は、悩み苦しみの原因は煩悩だと認めて、
悩み苦しみをなくすために煩悩をなくそうとするのです。
745 :
729 :2010/04/14(水) 12:50:25 ID:1fxFYqeF
>>739 >このスレでやることはそこまでです。
>いずれにせよ、さらなる展開は議論スレでなされます。
なんだかややこしいのですねw
そもそも縁起(pratitya-samutrada)とは「依って“起こる”⇒変化」ことでしょう。
だから当然一切は自立たりえず、また恒常不変たりえない。
ところが龍樹は、中論の序で八不を説き、また1-1でもろもろの事物は〜から“生じて”あるのではなく(不生)
縁起によって現象している、とする。
さらに第二章で運動=変化すなわち時間性を否定する。
つまり、事物がその事物たりうるのは、即今のその事物が他の諸事物との間に含み持つ
諸縁起の総体(マルクス的には社会的諸関係の総体)だからであって、その事物としての
本質(実体)があるわけではない、ということだろう。
きわめてスタティックな関係性的把握といわねばならないだろう。
龍樹の「不生」宣言は、「多因多果によるダイナミックな事物の生成プロセス」すなわち、
ヘーゲル的な「生成』(Werden)の完全否定でしょう。全くの反弁証法です。
ところが
>「一切の、動的在り様」を見る所にこそ、仏教の真骨頂がある(
>>730 )
>竜樹は、彼のいう縁起・空こそが、ダイナミックな事物の生成プロセスを可能に
するものだという趣旨を述べている。(
>>731 )
どこで述べているのですか?
>よりダイナミックですよ。
何故ですか?
ブッダの(これあるがゆえにあれあり)のほうがはるかにダイナミックな事物(苦)の
生成プロセスを把握しているように思いますが、いかがですか?
なぜ、龍樹はスタティックな関係性に固定する必要があったのでしょう?
746 :
729 :2010/04/14(水) 12:56:48 ID:1fxFYqeF
訂正
△ >よりダイナミックですよ。
〇 >よりダイナミックですよ。 (
>>733 )
747 :
729 :2010/04/14(水) 13:09:57 ID:1fxFYqeF
『もしも、なんらかのものに縁って時間があるのであるならば、 そのものが無いのにどうして時間があろうか。 しかるに、いかなるものも存在しない。 どうして時間があるのであろうか。』(龍樹 中論19-6) 時間即運動のないところに、「ダイナミックな事物の生成プロセス」など ありようがないのではないか?
748 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 13:47:21 ID:rtP8+wEl
>>745 今、荒らしが発生していささかめんどくさいことになっているのです。
>ブッダの(これあるがゆえにあれあり)のほうがはるかにダイナミックな事物(苦)の
>生成プロセスを把握しているように思いますが、いかがですか?
>なぜ、龍樹はスタティックな関係性に固定する必要があったのでしょう?
誤解ですよ。
これ以上、続けたいのであれば、議論スレに移動してください。
749 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 14:30:07 ID:+jb5CXPj
>>745 >なぜ、龍樹はスタティックな関係性に固定する必要があったのでしょう?
事物の認識は、一瞬ごとの生命による認識だからstaticだが、それが集まるとdynamic
なる。映画の一こまはstaticだが、続けて動かせば動きが生ずるが如し。
多数の要素の相互依存関係の変化がなければ、「動き」は生じ得ない。全く同じ映画の
コマを、いくら続けて動かしても、画面の動きは生じない。
750 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 14:53:53 ID:+jb5CXPj
>>745 >これあるがゆえにあれあり
その命題は、釈迦の誤り。「これもあれもあるがゆえに、あれもこれもある」
が正しい。
「相互依存性(相依性)」でなければ、「空」は成立しない。
竜樹は、釈迦のその命題を的確に批判している。
「(実在性のないものに)これが有るとき彼があるというこの(法則)は、
得られないのである。」(中論の頌1:10)
751 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/14(水) 15:16:36 ID:xnBWxNFB
>>745 >なぜ、龍樹はスタティックな関係性に固定する必要があったのでしょう?
そこまで解ってるなら、なにも質問することはない。
つうか、
真言アジャリを試してるんだろw
正論書いても、全て否定されますよ。
そういう流れになってるんだから。
752 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 18:01:26 ID:ikqBmt3x
754 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 20:08:41 ID:MXd8achC
755 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 20:26:24 ID:TSEOhIX3
え〜言うまでもないことですが、また、荒らしが現れております。(
>>754 )
皆さん、完全スルーでお願いします。
756 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 20:31:33 ID:MXd8achC
余程、都合が悪い証拠w 敗北宣言に等しい
757 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 20:55:08 ID:TlktKMma
>>754 >☆「この世界の宗教制度というのは、「最低の泥地」である。」★
ああ、君は、「宇宙戦争」のラジオ放送を聞いて、宇宙人が攻めてきたと思い込んでパニックになっちゃう人種かw
>>755 あ、ごめんなさい。
754はご隠居か。
よく考えれば、こんな阿呆なことを言い出すのはご隠居ぐらいのものかw
レスしちゃったよ orz
760 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 21:49:33 ID:TFqPIT5+
>>758 >ああ、君は、「宇宙戦争」のラジオ放送を聞いて、宇宙人が攻めてきたと思
>い込んでパニックになっちゃう人種かw
それはむしろ宗教者のことだね。「真偽の程も定かでない」「大昔の教典」を
読んで大騒ぎしているw。皆、オーソン・ウエルズのラジオ放送に騙されてい
るという疑いは持てないのかね。まず、「現実と照合した検証」が必要なはず。
761 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 21:53:22 ID:nNczflDZ
>>759 >754はご隠居か。
(^w^)オホホホ ・・阿呆は君〜w
解脱は夢の又夢〜ですねン
オヤスミン☆♪
762 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 04:27:23 ID:BHLwn82V
仏教とは直接関係ないかも知れないけど質問いいかな? 俺の近所の寺で冬の時期に米粉で動物の形の団子作るんだ 基本的に何の動物でも良いけどムカデは絶対ダメなんだ 聞いてみると釈迦様はムカデが嫌いだからだそうなんだけど そういう話って仏典とかに本当にあるの?宗派とかによる? 俺の地域じゃ神道的にムカデは悪魔みたいな感じなんだけど 仏教で動物のタブーとか差別みたいなものってあるものなの? 何か仏教の来るものを拒まずみたいなイメージと違うんだ ちなみに石川県でおそらく浄土真宗だと思う
763 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 06:11:55 ID:HHI4hyOi
>>762 そりゃ、仏教一般じゃなくて民間信仰の縁起でしょう。
それと世俗に於いては差別は否定しようもない縁起ですよ。
ここらへんをごっちゃにしてなんでも平等とする人がいるけど、
ほとんど何も分かってないと思います。
764 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 07:52:54 ID:AC1VSJwt
>>745 >龍樹の「不生」宣言は、「多因多果によるダイナミックな事物の生成プロセス」すなわち、
>ヘーゲル的な「生成』(Werden)の完全否定でしょう。全くの反弁証法です。
そのとおりです。
これを論題の基本に据え、
>ブッダの(これあるがゆえにあれあり)のほうがはるかにダイナミックな事物(苦)の
>生成プロセスを把握しているように思いますが、いかがですか?
>なぜ、龍樹はスタティックな関係性に固定する必要があったのでしょう?
実に素晴らしい。
限りなくスタティック(時空)なるが故の、限りなく非スタティック(時空)であるといふ
ここに仏教の真骨頂があるのだ。
中論はまさにこれだ。
仏教でいう「不死」とはこのことであり、
真言アジャリ氏の「中論・輪廻転生論」は全くの出鱈目であり大嘘と言わねばならん。
(そんな俗的なことは、一切中論には書かれていない)
この「仏教@質問箱」は、現在カルトにおいて仕切られておるため、
正論を語ちる場ではなくなっているのは非常に残念である。
765 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 08:31:06 ID:HHI4hyOi
>>764 >真言アジャリ氏の「中論・輪廻転生論」は全くの出鱈目であり大嘘と言わねばならん。
>(そんな俗的なことは、一切中論には書かれていない)
また、読んだこともないのがバレバレですな。
T1564_.30.0036b17: 中論3觀十二因縁品第二十六 九偈
T1564_.30.0036b18: 問曰汝以摩訶衍説第一義道。我今欲聞
T1564_.30.0036b19: 説聲聞法入第一義道。答曰
T1564_.30.0036b20: 衆生癡所覆 爲後起三行
T1564_.30.0036b21: 以起是行故 隨行墮六趣
T1564_.30.0036b22: 以諸行因縁 識受六道身
T1564_.30.0036b23: 以有識著故 増長於名色
T1564_.30.0036b24: 名色増長故 因而生六入
T1564_.30.0036b25: 情塵識和合 而生於六觸
T1564_.30.0036b26: 因於六觸故 即生於三受
T1564_.30.0036b27: 以因三受故 而生於渇愛
T1564_.30.0036b28: 因愛有四取 因取故有有
T1564_.30.0036b29: 若取者不取 則解脱無有
T1564_.30.0036c01: 從有而有生 從生有老死
T1564_.30.0036c02: 從老死故有 憂悲諸苦惱
T1564_.30.0036c03: 如是等諸事 皆從生而有
T1564_.30.0036c04: 但以是因縁 而集大苦陰
T1564_.30.0036c05: 是謂爲生死 諸行之根本
T1564_.30.0036c06: 無明者所造 智者所不爲
T1564_.30.0036c07: 以是事滅故 是事則不生
T1564_.30.0036c08: 但是苦陰聚 如是而正滅
766 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 08:36:55 ID:HHI4hyOi
以上が、『中論』26章の羅什訳、以下の青目註、ハッキリと輪廻を説いてるよ。
T1564_.30.0036c09: 凡夫爲無明所盲故。以身口意業。爲後身
T1564_.30.0036c10: 起六趣諸行。隨所起行有上中下。識入六
T1564_.30.0036c11: 趣隨行受身。以識著因縁故名色集。名
T1564_.30.0036c12: 色集故有六入。六入因縁故有六觸。六觸因
T1564_.30.0036c13: 縁故有三受。三受因縁故生渇愛。渇愛因縁
T1564_.30.0036c14: 故有四取。四取取時以身口意業起罪福。
T1564_.30.0036c15: 令後三有相續。從有而有生。從生而有老
T1564_.30.0036c16: 死。從老死有憂悲苦惱種種衆患。但有大
T1564_.30.0036c17: 苦陰集。是故知凡夫無智。起此生死諸行根
T1564_.30.0036c18: 本。智者所不起。以如實見故。則無明滅。
T1564_.30.0036c19: 無明滅故諸行亦滅。以因滅故果亦滅。如
T1564_.30.0036c20: 是修習觀十二因縁生滅智故是事滅。是事
T1564_.30.0036c21: 滅故乃至生老死憂悲大苦陰皆如實正滅。
T1564_.30.0036c22: 正滅者畢竟滅。是十二因縁生滅義。如阿毘
T1564_.30.0036c23: 曇修多羅中廣説
丹治さんみたいに26章が龍樹本人の作でないというのは戴けないが、
その説に依ったとしても以下で、世俗で輪廻を認めないなどありえないことがはっきりしている。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/27.html http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html しかし、机はなんど証拠を出されても平気で同じ嘘を吐くから困るよ。
まあ、2ch. はこんなものでしょうが。
767 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 09:12:08 ID:AC1VSJwt
>>765 そこに書かれておるのは、もはや拙者が論破済みのものでして、
また再度論破を頂きたいのであろうか?
ならばそれに応えます。
十二因縁でありますから、
男女交合において受胎し、そして生誕し、それから人間は没する。
(つまり人間の一生)
と書かれてまして、貴殿が解釈する三世について書かれておらんですね。
よく吟味なさればそれは明白であります。
貴殿の誤解釈であります。
どうか開眼されることを祈念申し上げ候。
768 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 09:25:24 ID:AC1VSJwt
>>765 貴殿は迷っておられるようですから、ひとつだけヒントを“特別に”書きます。
貴殿がいう「輪廻転生」ってのは、
私が
>>764 に書いた、
>限りなくスタティック(時空)なるが故の、限りなく非スタティック(時空)であるといふ
この、
「非スタティック」のことだよ。
行者の悟りとはこのことだ。
リアルに輪廻があるわけではない。
つまり中論のスタティックというのは、あらゆるものが非スタティックなのだよ。
それは究極的に時空の消滅を意味する。
769 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 09:47:02 ID:HHI4hyOi
>>767 よく吟味もなにも
令後三有相續。從有而有生。從生而有老死。
って明記されてるぜw
それとも注釈の部分だから、それは間違ってるとでもいうのかw
あとリンク先もキッチリ三回ぐらいよんどけ。
宮中、眼蔵、中論と嘘が増えたな。
以後、暫くスル〜するは、ほんとお前の面の皮にはまいるよ。
やりたいことは自慢だけだからな、お前はかなり邪悪な人間だと思うぞ。
>>765 >>766 >>769 >26章が龍樹本人の作でないというのは戴けないが
<中論は25-24において完結する>
なんだ、シーラカンス的化石スコラ概念仏教学では
まだ26-27章の小乗説を龍樹の説と信奉しているのか、
アキメクラそのものだなw
中論26−27章は小乗説の付加的説明、備忘録、メモなのであって龍樹の諸説ではない。
これは嘉祥大師吉蔵、チャンドラキールティ、日本の学者でいえば中村元(龍樹165頁〜、197頁〜)、
定方晟(空と無我94頁)はじめその他定説といいうる。
中論26−27章は論敵小乗部派の諸説である。それを支持する縁起一代は実はズブズブの小乗教徒にすぎない。
だから業報輪廻転生論を必死で護持せんとするのだ。
ブッダへの「帰」!敬序に始まった中論は、ブッダはいかなる戯論も説かなかった、という趣旨の25-24偈で終わるのである。
業報輪廻転生論は戯論である。
『総ては言い得ず、文字を離れ、空にして寂静、始めより汚れなし。
もろもろの事柄をこのようだと知るものは、仏・菩薩と言われる。』
(チャンドラキールティ『プラサンナパダー』より)
771 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 10:08:27 ID:AC1VSJwt
>>769 >令後三有相續。從有而有生。從生而有老死。
令後三有相續はなされておるだろうよ。
貴殿において令後三有相續だろうし、貴殿においてなされておるものが、
果たして法たりえるのであろうか?
これが
從有而有生。從生而有老死。に繋がるわけで、
一切がスタティック(即今)であって、しかもそれは非スタティック(永遠)であろう?
これが中論の骨格でありんす。
772 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 10:22:40 ID:HHI4hyOi
>>770 だから、こういう反論を予想してリンクを貼ったんだが。
そこで誰もが龍樹作だと疑わない『廻諍論』自註の結論に次のように説いてることを示したんだが。
T1631_.32.0023a17: 信善行惡行。若人能信善行惡行。彼人則信
T1631_.32.0023a18: 善惡行法。若人能信善惡行法。則知方便過
T1631_.32.0023a19: 三惡道。彼人如是能信一切世間諸法。
あらゆる存在について、善趣と悪趣を設定すること、善趣と悪趣に行く有情、
善趣と悪趣から超えること、善趣と悪趣を超える方便、世間の言語習慣一切の設定が自然に了解される。
「善趣と悪趣に行く」というのは輪廻することに他なりません。梶山先生は正に「輪廻」と訳しているよん。
チャンドラキールティは逆に、他の註が26-27を小乗の説とか世俗諦の説とすることを黙殺しているよ。
当然、龍樹説としてる。吉蔵もその他何人かの注釈者も小乗の見解とするが「小乗説の付加的説明、備忘録、メモなのであって龍樹の諸説」とは言わないよ。
言うというなら証拠を出してみて。
謂わば、1-25章は、勝義の説、それで無戯論になれる人はなれる。
それが分からない人のために26-27章が説かれる。
773 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 10:36:19 ID:HHI4hyOi
>>770 >業報輪廻転生論は戯論である。
戯論ってのはそういう意味じゃないよ。
人間が持ってる妄想力のこと。
言葉を使うにはその妄想力で普遍を妄想しないといけない。
釈尊がいかなる戯論も説かなかったとは書いてないだろ。
T1564_.30.0036b02: 諸法不可得 滅一切戲論
T1564_.30.0036b03: 無人亦無處 佛亦無所説
T1564_.30.0036b04: 一切法一切時一切種。從衆縁生故。畢竟空
T1564_.30.0036b05: 故無自性。如是法中。何者是有邊誰爲有
T1564_.30.0036b06: 邊。何者是無邊。亦有邊亦無邊。非有邊非無
T1564_.30.0036b07: 邊。誰爲非有邊非無邊。何者是常誰爲2是
T1564_.30.0036b08: 常。何者是無常。常無常非常非無常。誰爲非
T1564_.30.0036b09: 常非無常。何者身即是神。何者身異於神。
T1564_.30.0036b10: 如是等六十二邪見。於畢竟空中皆不可得。
T1564_.30.0036b11: 諸有所得皆息。戲論皆滅。戲論滅故。通達諸
T1564_.30.0036b12: 法實相得安隱道。從因縁品來。分別推求
T1564_.30.0036b13: 諸法。有亦無。無亦無。有無亦無。非有非無亦
T1564_.30.0036b14: 無。是名諸法實相。亦名如法性實際涅槃。
T1564_.30.0036b15: 是故如來無時無處。爲人説涅槃定相。是
T1564_.30.0036b16: 故説諸有所得皆息。戲論皆滅
以上の論理、観法を三昧中に用いれば戯論が寂滅するという意味だ。
その戯論寂滅状態で、釈尊が法を説くもなにもないという意味だ。
そこは高度だから、君は無理だよ。いっとくが、そこでは輪廻はもちろん今知覚しているもの全て有るとも無いともいえない状態なんだけど、分かってる?
774 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 13:26:59 ID:AC1VSJwt
>>773 >そこは高度だから、君は無理だよ。いっとくが、そこでは輪廻はもちろん今知覚しているもの全て有る>とも無いともいえない状態なんだけど、分かってる?
貴殿の書込みは、勝義諦と世俗諦が逆になってるから、
ここは特別に机龍之介が教示いたす。
「高度」なら「有るとも無いともいえるない状態」じゃないだろ?
高度なら「高度が有る」という状態だよ。
この状態は勝義諦じゃない。
「有るとも無いともいえない」というのは、事象(事物)成り立ち以前のことであり、
これがスタティックに該当する。→これが勝義諦。
そこに「高度」が成り立つなら、それが非スタティックであるのだよ。
つまり、勝義諦においてダイナミズムが発生するなら、発生した時点において
それは一切が世俗諦である。
一切が、そう、輪廻転生とか一切(戯論)が世俗諦であって、これを一切皆空(勝義諦)という。
つまり輪廻転生とは、この一切に含まれる。
>>762 ムカデは虎と共に毘沙門天のご眷属とされてます。
神道的に「悪魔」というのがよく分からないのですが、神道に悪魔っているんでしたっけ?
776 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 14:13:37 ID:HHI4hyOi
机にレスするのも、釣られたようでいやだが、
>>774 >一切が、そう、輪廻転生とか一切(戯論)が世俗諦であって、これを一切皆空(勝義諦)という。
>つまり輪廻転生とは、この一切に含まれる。
すると、世俗での輪廻は認めるってことになって、
>>764 >真言アジャリ氏の「中論・輪廻転生論」は全くの出鱈目であり大嘘と言わねばならん。
>(そんな俗的なことは、一切中論には書かれていない)
777 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 14:16:02 ID:HHI4hyOi
と矛盾するのかな。 机にレスするのが、ばからしくなって消そうと思ったら、 間違って送信しちゃったよ。 何書いても、糠に釘だからな
>>774 あのぉ・・・
素朴に疑問なんですけど、
「輪廻(転生)」は世俗のこと(≒事象)であり、「一切」に含まれるわけですね。
で、今、仏は(龍樹は)「二諦」を説いていますよね。
さて、
・「勝義において」「一切」が「空」であると言われた時は、
「輪廻」どころか「世俗の諸々すべて」が「空」と言われているのであり、有無を問うものではなくなる。
では、
・「世俗義において」「諸々が“ある”」と言われた時、
「喜びや悲しみ」や「土地建物や海や山や川」や「貧富や差別(区別)」や「生まれ老い、病に罹ったり」などは、
《ある》と言われるし、また、『人々も《ある》として生きている』。
この《ある》や《前提とされている》ことを、よもや貴方も否定しないでしょう?
勝義では「空」だが、世俗において「ある、見られる」と・・・。
もし貴方が、上記諸々の世俗の事象を認めるなら、
『同じ「世俗の事象」として(【勝義ではないこととして】)「輪廻」もまた認められねばなりません。
今、勝義と世俗という区分しか為されていないのだから・・・。
もし、「喜びや悲しみは“ある”けど輪廻は“無い”」とするならば、
【同じ、世俗の領域内で、更に区分される】ことになる。それは、
【世俗内で(世俗の言辞・事象として説明し得る形で)有無を問うことになる】。
(これをしていたのが10氏他数名。)
だから貴方は、≪【勝義において】、「無い」(或いは空、有無は無い)≫と言ってはいけない≫のです。
なぜなら、≪他の諸々も同じように「無い」(或いは「空」、「有無は無い」)と言われる≫からです。
(たとえば、『我(自己)』と同じように・・。)
≪【世俗において】、「他の諸々」は「ある」と言われ、「輪廻」が「無い」と言われるならば、
その【世俗的理由】を(違いを)示す必要があります≫。
仏典中、【世俗の言辞としても、「無い」とは言われていない】からです。
※彼は、人々の世界観においてだけでなく、
この意味でも、「(世俗において)説かれている、前提とされている」、と言っているのです。
※当然それは、「“事象として”《ある》、とされている」ことも含意します。
779 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 15:04:47 ID:AC1VSJwt
>>776 >すると、世俗での輪廻は認めるってことになって、
輪廻はスタティックにあるのだよ。
これが道元の「三時業」に繋がる。
スタティック(これを勝義諦とするなら)、一切がこれにあり、
そして一切が空である。
まあ、つまり、輪廻を認めようが、輪廻を否定しようが・・・
同じことだよ。→これに迷っておったら解脱は不可なり。
>>779 そういう逃げ方をするから、屑だと言うんだ。この飯袋子がw
781 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 15:23:39 ID:AC1VSJwt
>>778 >だから貴方は、≪【勝義において】、「無い」(或いは空、有無は無い)≫と言ってはいけない≫のです。
>なぜなら、≪他の諸々も同じように「無い」(或いは「空」、「有無は無い」)と言われる≫からです。
勝義においては有無はない。
(これが道元の前後際断せり)→中論におけるスタティック
この非連続性より連続性へ排列するのが、つまり世俗諦。
これが、三時業であったり輪廻転生であったりする。
しかしこの三時業とか輪廻転生とかはスタティックのことであって、そこに時空はない。
つまり時空がない(勝義諦)においての三時業であり輪廻転生なのだよ。
時空ありゅらん輪廻転生に迷うことを、仏教では無明などと逝ったりする。
眼が開けば全てが解せる。
782 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 15:29:13 ID:HHI4hyOi
>>780 というかそれで誤魔化してると思ってるのは本人だけで、
机が嘘つきで間違いも認められないとみんなに宣伝してるだけだって、
死ぬまで気がつかないのか、それとも気付いていても止められないのか?
分からないが、アホ丸出しで可哀想なことだけは確かだ。
783 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 15:38:21 ID:RP+DuBkD
中論27章「邪見の考察」では、竜樹は輪廻転生など完全に否定している。 「竜樹は輪廻を肯定した」などと言っている人がいるが、これは、中論の意図的 な誤読である。
784 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 15:48:30 ID:HHI4hyOi
>>783 なんか前にも聞いたことある説だね。
じゃ、どこよ。
よければ議論スレで論証してみてね。
785 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 15:50:30 ID:RP+DuBkD
竜樹は勝義(第一義)と世俗諦との区別(二諦)を「一応は」認めているが、 「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示されえない」といっている。 このことから、「世俗の慣行にもとづかない勝義はない」ということになる。 即ち、「勝義=世俗諦」である。さもなければ、「勝義」は根拠を欠くからで ある。 勝義と世俗諦との「二項対立的二分法」は、誤りであるというべきだろう。
786 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 15:50:37 ID:g+J1tnA7
日蓮宗から高野山か豊山の真言宗、それか天台宗山門派に宗旨変えしたいのですが、 皆さんのご意見をお待ちしております。
787 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 15:53:14 ID:AC1VSJwt
>>782 正法は世俗言語慣習によってしか語ちるのは困難であったとしても・・・
そう簡単には解せないのだよ。
しかし難しいことではない。
難しくしてるのは貴殿の知識だよ。
仏教は知識では、たし難し。
<平常心是道>
あ、タブ変え忘れたw ノシ
790 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 16:02:37 ID:HHI4hyOi
>>786 よろしいと思います。ただし、現代の檀家制ですと、宗派より、
住職の人柄が重要なので、そこをよく見極めるといいと思います。
791 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 16:07:07 ID:HHI4hyOi
>>786 なんで、宗旨替えしたいのか、
なんで、その二つの宗旨なのか、
その辺の事情を説明してくれない事にはなんとも助言のしようがない。
793 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 16:12:43 ID:RP+DuBkD
>>791 少なくとも、中論27章「邪見の考察」では、否定している。同章を熟読
だれたし。
794 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 16:17:52 ID:RP+DuBkD
>>787 世俗諦とは、世俗人がすべて悟っていること。やさしいに決まっているw。
竜樹の「世俗的なこと」が、「言語慣習」に限定されず、また「言語」という
概念さえ含まないことは、前レスでのサンスクリット語原文から証明済み。
796 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 16:25:42 ID:HHI4hyOi
>>793 流石生命教、平川訳を読んだ自分の読みだけで、
オイラの梵蔵漢の龍樹論集、その諸註から吟味分析し、
日本・チベットの伝統説とも一致するものを一蹴か。
しかも、論証も典拠の提示も一切なし。
だから、あんたとは話にならんのだは(^^)
797 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 16:38:50 ID:AC1VSJwt
>>780 >そういう逃げ方をするから、屑だと言うんだ。この飯袋子がw
可笑しなこと言うねw
そんなこと言ったら、中論は全てが逃げになる。
三世実有論を徹底的に批判はしてるが、決定的なことは何ひとつ書かれていない。
何故、結論は書けないのか?
それには理由がある。
798 :
786 :2010/04/15(木) 17:03:57 ID:g+J1tnA7
>>792 さん
題目がとにかく大嫌いなんです。
江戸の檀家制度の時代に村に寺が一つしかなく、そこが日蓮だったわけで仕方なく檀家に
なったそうです。
天台は法華ですが・・・良いかなと。
鎌倉系の宗旨を変えるのなら位の高い宗旨にしたほうがよいときいたことがありましたので・・。
799 :
792 :2010/04/15(木) 17:17:04 ID:cOSLS/kJ
>>798 天台だって、昔は題目を唱えてたんですがね…。
今はどうだか知りませんが。
天台も真言も、鎌倉仏教でしたっけ?
普通、鎌倉系といえば、浄土宗、浄土真宗、 臨済宗、 曹洞宗、 時宗、法華宗(日蓮宗) だと思いますが。
すくなくとも、「鎌倉系の宗旨を変えるのなら位の高い宗旨にしたほうがよい」というのは聞いた事がありません。
書き込みから推測するに、題目や宗旨云々より、
あなたの菩提寺の住職の人柄とか、周囲の檀家との人間関係とかの問題のような気がします。
もしそうなら、宗旨を変えても、効果がないかもしれませんよ。
もう一度、「なんで題目が嫌いなのか? 嫌いなのは、他の要素じゃないのか?」をじっくり考えてから、
それが改善される方法を検討された方がよろしいかと思います。
まあ、単に、「なむみょうほうれんげきょう」という音の響きが嫌いだと言うのなら、
どんな宗派に変えてもいいでしょうがw
800 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 18:45:26 ID:PfF20cVs
>>796 君の解釈や他人の注釈などではなく、中論27章(邪見の考察)(平川訳)の
文字通りの解釈はどうなのかね。
平川訳の正確さは、前レズでのサンスクリット語原文との対照によっても
明らかである。
>>800 ハァ?(゚д゚)
平川訳は当てにならんという決着だったと思ってたがwwwww
>>763 >>775 やっぱり誰も知らないみたいだな・・・
あの地域の人が勝手なこと言ってるんだろう
ムカデがお釈迦様の手を刺したとか聞いた事ない
803 :
792 :2010/04/15(木) 18:55:03 ID:cOSLS/kJ
804 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 19:00:11 ID:5KfKHhik
色・心・心所・涅槃の四つだけが勝義諦。 それ以外のすべては世俗諦。
805 :
神も仏も名無しさん :2010/04/15(木) 19:04:15 ID:ZhKwUWny
>>801 >平川訳は当てにならんという決着だったと思ってたがwwwww
どこを読んでいるのか。君に、サンスクリット語辞書の英訳が、充分に理解
できなかっただけ。
平川訳は、サンスクリット語の原意を考え抜いた名訳である。
それとも、君の訳が平川訳より優れているとでも。他の大乗学者の解釈はどうか。
質問箱で小乗的に歪曲した訳を持ち込まれると、ROM者を誤導するので、差し
控えられたし。
806 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/15(木) 19:36:06 ID:AC1VSJwt
>>797 のつづき
>何故、結論は書けないのか?
>それには理由がある。
有部は、先ず結論ありきで、これに仏教を擂り合わせて発展させたものをアビダルマ哲学という。
これは帰納法的推論という論法でして、一般的哲学理解はこれです。
つまり推論なのです。
中論はこの論法と全く違う演繹法であります。
龍樹は先ず、仏教を世俗に擂り合わせの論法をとります。
(これが勝義諦は世俗言語慣習による・・・云々に繋がる)
つまり世俗に還滅している訳ですから、世俗に結論は出ることは有り得ない。
(結論があるなら、そもそも勝義諦は必要ない、という論理です)
ようするに、中論で世俗結論を期待するのは無理でありますね。
というか、
中論というのは、このことを理解するための注釈書ですから。
簡単に中論の意義について書いてみましたけど、
果たしてこの意をするとこは、真言アジャリとかセブンには難解であろうか?
809 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 07:32:02 ID:mRYMIxzF
>>808 貴殿は、私が書いた
>>768 の
>>限りなくスタティック(時空)なるが故の、限りなく非スタティック(時空)であるといふ
>この、
>「非スタティック」のことだよ。
>行者の悟りとはこのことだ。
>リアルに輪廻があるわけではない。
>つまり中論のスタティックというのは、あらゆるものが非スタティックなのだよ。
>それは究極的に時空の消滅を意味する。
これが解らんのだね?じゃあ少し説明する。
スタティックというのは、非スタティックという否定においてしか解することはできない。
つまり、スタティックというのは非スタティックにおいてスタティックなのだよ。
ようするに、スタティックというのは仮称としてのスタティックに過ぎない。ってことだよ。
「それは究極的に時空の消滅」でしかなく、「輪廻転生」とかも全てこれに該当する。
参考までに自然科学で説明すると、
究極的に体積をゼロに圧縮すると、それは無限なる体積(反比例)になる。という論法と同じ。
(これは近年になって発見された理論)
否定は肯定であって(勝義諦)そこでしか世俗諦は導きだされんざます。
810 :
神も仏も名無しさん :2010/04/16(金) 07:46:02 ID:cBMo0CdK
>>809 君が場違いで荒らしだという自覚がないだけですがな
811 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 07:59:41 ID:mRYMIxzF
>>810 そもそも中論(序章)は否定文において構成されてるだろ?
その真意を掴めないなら、中論解釈は無理なんですよ。
無理なもんを「中論は輪廻転生が書かれておる」
などと真言アジャリが言い出すから、私が解説したまでのこと。
つうか、そもそも「中論:輪廻転生説」は私が論破済みだがw
812 :
神も仏も名無しさん :2010/04/16(金) 08:01:46 ID:cBMo0CdK
>>811 論破じゃなくてまたも嘘がバレただけなんだが
813 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 08:05:23 ID:mRYMIxzF
>>812 そもそも中論というのは、三世実有論を破壊しとるんですよw
破壊しとるもんを、改めて「輪廻転生肯定」する訳ないじゃないですか?
そのくらい簡単なことも分からんのか?
814 :
神も仏も名無しさん :2010/04/16(金) 08:08:41 ID:cBMo0CdK
>>764 >真言アジャリ氏の「中論・輪廻転生論」は全くの出鱈目であり大嘘と言わねばならん。
>(そんな俗的なことは、一切中論には書かれていない)
と言ったそばから『中論』26章に
>>767 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2010/04/15(木) 09:12:08 ID: AC1VSJwt
>十二因縁でありますから、
>男女交合において受胎し、そして生誕し、それから人間は没する。
>(つまり人間の一生)
が書かれているといってる。
「男女交合において受胎し、そして生誕し、それから人間は没する」のは「俗的なこと」だよね。
いつものようにデダラメの口から出任せだけでしょ。上だけで読んでないことがハッキリ分かるし、
自分自身で言ってることの矛盾に気がつかない愚かさ、それがハッタリ机の真骨頂w
815 :
神も仏も名無しさん :2010/04/16(金) 08:12:14 ID:cBMo0CdK
>>813 それが全然分かってない証拠だよ。
三世実有ってのは法が三世に実在してるってことだぜ。
それじゃ縁起にならんってのが龍樹菩薩の反論だ。
空なる因が空なる果に縁起するのが縁起だからだ。
輪廻は、今、我々が縁起してるように無我で無実体で連続するんだよ。
まったく、なんにも分かってないのに。
片腹痛いヤツ
816 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 08:32:37 ID:mRYMIxzF
>>815 >輪廻は、今、我々が縁起してるように無我で無実体で連続するんだよ。
面白い書込みですね。
無我であって無実体なるものが・・・連続する訳はない。
そうだろ?
基本的に貴殿は論理矛盾に気づいておらんですね。
連続はしないが、瞬間的に連続する場合がある。
これを生起などと逝っておりますけど、
まだまだ私がそこを説明しても難解過ぎるであろう・・・。
先ず論理の整合性について自問自答なされまし。
<合掌>
817 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/04/16(金) 08:50:07 ID:mRYMIxzF
アビダルマ哲学は、三世実有と無我について論理の擂り合わせをした。 これが刹那滅論。 無我だから、刹那に生起はするが生滅し、次ぎにまた生起する・・・ という連続性においてその論理の整合性が保たれてる。 考えてみれば、これは非常にレベル的には低いだろ? 中論と比較すれば、の話だけど。 中論はこの「連続性」というのを全く破壊しとるんです。
818 :
神も仏も名無しさん :
2010/04/16(金) 08:53:54 ID:cBMo0CdK >>816 >無我であって無実体なるものが・・・連続する訳はない。
>そうだろ?
こう思うのが実体論者、我見者なわけだ。
何か基盤がなければならない、と思う前提が我見、有身見、無明なんだ。
そうじゃないというのが、縁起に他ならない。
その根本経典が『勝義空性経』であり、縁起法頌であり、此縁性。
それを受けて『中論』『因縁心論』が説かれる。
だから、空なる因が空なる果として縁起することが分かることが、
仏教の基本なんだ。
机はなにも分かってない。分かってないどころか嘘はつく誤りは認めない。
十年間、宗教板で蛇蝎のように嫌われてきたのもしかたがないだろう。