1 :
神も仏も名無しさん:
輪廻は普遍的真実であり、全ての人間が死後、輪廻転生すると主張する人が居ます。
では、「輪廻転生が普遍的真実である」と主張する根拠はなんなのでしょうか?
確かに経典には、輪廻転生についての既述があります。
しかし、その既述が仏説である根拠も、その既述が真実であるとする根拠もありません。
また、輪廻は差別を助長する側面を持つ事は事実です。
よって、「仏教徒以外」が大多数を占める現代日本社会において、「輪廻」を説くためには、
まず「輪廻は普遍的真実であり、実在する」という明確な証拠が要求されます。
「輪廻がある」と主張する輪廻肯定論者の皆さん(主に宝珠愚者さん)、明確な証拠をお示し下さい。
*「経典に書いてあるから」という説明をなさりたいなら、
「経典は絶対的に正しい事」を先に証明してください。
*「超能力で、輪廻がある事を悟った」という説明をなさりたいなら、
「超能力が存在する事」を先に証明してください。
*「先に輪廻が無い事を証明しろ」というのは、「不存在の証明」ですので、
「天使が存在しない事」を先に証明してください。
*引用をする際には出典を明らかにし、正確に引用して下さい。
*投稿「700-750」を目安に善意の方どなたか次スレを立てて下さい。
前スレ:【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/ 関連スレ:【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1257855450/
2 :
前々々々スレ10:2009/12/11(金) 19:24:07 ID:aVar8o+I
とりあえず、スレを使い切ってしまったものの責任として、新しいスレを建てました。
ついでに、テンプレが下らない争いの原因のようなので、独断と偏見で改変しました。
宝珠愚者さんがこのテンプレを気に入らないようでしたら、立て直してください。
また、宝珠愚者さんが、私の質問に回答する気が無くなった、
あるいは回答できないと悟ったのなら、明確にお示し下さい。
その場合は、このスレの削除依頼を出します。
3 :
前々々々スレ10:2009/12/11(金) 20:06:31 ID:aVar8o+I
4 :
前々々々スレ10:2009/12/11(金) 20:09:35 ID:aVar8o+I
前スレでの書き残し、連投失礼します。
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/777 >そんなの当たり前でしょう!
( ゜д゜) ポカーン
先ず、心霊現象と外気功がまったくの別物であるなら、
「輪廻」という心霊現象の根拠には、まったく関係ないことになるんですよね?
前にも聞きましたが、それならなんでこのスレで「外気功」なんて言い出したんですか?
次に、「輪廻」とは、心霊現象そのものじゃ無いんですか?
それを「検証することはお奨めできません」と言い出すんですか?
>この私から誤字脱字を捕ったら何が残るというのか!! (誤)
この私から誤字脱字を「取」ったら何が残るというのか!! (正)
さらに、反語表現から推測すると、
もしかして「この私から誤字脱字を除いたら何も残らない」といいたいんですか?w
5 :
前々々々スレ10:2009/12/11(金) 20:10:01 ID:aVar8o+I
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/780 以前にも某方に指摘しましたが、統計というのは、まず、どのような母体から、どのように抽出した対象に、
どのぐらいの規模で行ったかというのが非常に重要です。
先ず、「赤旗」という特定宗教色の強い機関が選別した標本集団に、偏りがあるのではないかという問題が一点。
次に、たった100人を日本人の若者全員の代表としてしまうという問題。
(現在日本で1500万人前後いる20代の若者を、たった100人で代表するとか…。
うろ覚えですが、標本数100で50%付近だと誤差は15%ぐらいになるんじゃなかったでしたかね?)
6 :
前々々々スレ10:2009/12/11(金) 20:11:13 ID:aVar8o+I
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/782 また同じ論調で返してみましょう。
経典に輪廻が説かれていることや、
仏教教団が輪廻にからめて説法していることは、事実でしょう。
「私の信じる経典に輪廻が書いてあるから輪廻は正しいと信じるんだ」、と言えばいい。
ただ、「本当の仏教は輪廻を説いた。」というのは、無理がある気がします。
「仏教は輪廻を説いていいると私は信る」なら、それはそれでいいけど。
何度も何度も何度も言っても理解していただけないようですが、
「経典に書いてある」=「普遍的真理」じゃないですよね?
そして、「輪廻は仏教徒専用の理論」なら、それでいいと、何度も言ってますよね?
蛇足ながら言えば、>772は、>755の意見を鏡に映しただけですよ?w
お、建っとるw
>>2 これはこれで極端だなぁ・・・(^^;
現象としてのシステムや根拠の探求に特化しちゃってるし・・。
削除依頼覚悟の上で特化させるなら、スレタイも変えて、新スレとすべきだったかも?w
勿論、「どう扱うべきか」の前段階として必要な議論だとは思うが、
(ま、実際は、内容的には変わらないわけだが・・・w)
挑発的に過ぎる・・w
(まるで、宝珠が前シリーズ及びアートマンスレを建てた時のような嫌味な感じがあるぞw)
個人的には、前の天麩羅の方が穏健で且つ意義深いと思うなw
8 :
前々々々スレ10:2009/12/11(金) 20:14:30 ID:aVar8o+I
9 :
前々々々スレ10:2009/12/11(金) 20:16:13 ID:aVar8o+I
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/789 「輪廻は仏教徒限定の教義だ」というのなら、「仏教徒限定」のスレを立てましたので、
そこでご自分の妄想を垂れ流してください。
>仏教にある信じられる哲学や道徳、精神の落ち着きを話しあいましょう
それなら、他のスレでどうぞ。
>ここでの一連のやりとりそのものが大変に頭が悪いことを実にやっているわけです。
まったくですね。
「輪廻の根拠を示してくれ」という質問に、みんな「根拠は無い!信じろ!」と繰り返すだけなんですからw
>それと「悪魔の証明」は少しググッただけですけど、
ああ、ググっても、概念をまったく理解できなかったんですか。
>冤罪の事実や記憶を他人にありのままに伝えるのは大変に難しい
「痴漢冤罪」についても、その本質をまったく理解してなかったんですねw
道理で話が通じないと思いました。
そして、何度も言うように、「奇跡」を伝える方法は何度も示しましたよね?スルーですか?
向こうは向こうで、やたらと喧嘩腰だな・・・w
結果、血生臭い乱闘になるにしてもw、
初っ端から、挑発的態度は如何なものか・・・。
もう少し禁欲的な天麩羅が宜しかったろうと思う・・。
せめて向こうは平凡に立てるべきだったのでは?
あれでは、論敵が皮肉を込めて建てた形がありありじゃないですかw
ちょっと軽率&行き過ぎだと思うよ。
>>3
>>7 >削除依頼覚悟の上で特化させるなら、スレタイも変えて、新スレとすべきだったかも?w
それも考えたんですが、そうすると結局、継続スレが立って、またグズグズになる可能性が高かったので、同じスレタイにしました。
宝珠愚者さんがこのスレを見つけられないという可能性も避けたかったのでw
>挑発的に過ぎる・・w
>(まるで、宝珠が前シリーズ及びアートマンスレを建てた時のような嫌味な感じがあるぞw)
スレを自分のレスで使いきってしまって、仕方なくスレの立て方を調べて、
冗談半分、嫌味半分で立てたんですから、正当な評価だと思いますw
>>10 >結果、血生臭い乱闘になるにしてもw、
>初っ端から、挑発的態度は如何なものか・・・。
いい加減4スレ目で、同じことの繰り返しにも飽きてきましたんで、
どうせ「血生臭い乱闘」になるなら、初っ端のテンプレからでも一緒かと思いましてw
>せめて向こうは平凡に立てるべきだったのでは?
>あれでは、論敵が皮肉を込めて建てた形がありありじゃないですかw
そう思われるように書きましたからw
しかも、何度同じ事を言っても理解できない人たち相手ですから、
皮肉を全然理解できない可能性もあったので、結構露骨に書きましたw
>ちょっと軽率&行き過ぎだと思うよ。
ごもっともな意見です m(_ _)m
チョイとやりすぎかな〜と思いつつ、スレ立てボタンをぽちっと押しちゃいました。
>>9 スレ立て、どうもです。
限定者スレを立ててくれましたので、アレコレ言うつもりも御座いませんが
釈迦は来世や現世でも、未来のことをくよくよと心配するなと
説いたのですから、あなたが輪廻を信じようと信じまいと仏道そのものには
本質的には関係ないんですよ。病気になってとか、生活がどうとか、未来に起こりうる心配事を捨てるのが
仏教なんですから、それらを考慮すると大変に無駄なやりとりをしてるようには見えますね。
これは前スレ10さんだけでなく、宝珠愚者さんも含めてですが、まあ
気の済むまでやってくださいw
14 :
神も仏も名無しさん:2009/12/11(金) 21:29:38 ID:pbYaoDPG
いや、いいんじゃないか?
「仏典にそのような記述があるから、真実だ。」
と言うだけの意見は正直、もう、見飽きた。
自分たちだけのファンタジーに浸っていたい人たちは自分らだけ
でお互いに、妄想を語り合えばよかろう。
>>13 人が筏を結ぶ間に
橋を作り、泥沼を捨て
海や川を渡る者たち
彼らは智慧ある渡り人
16 :
神も仏も名無しさん:2009/12/11(金) 23:10:29 ID:C8nOf3H2
17 :
神も仏も名無しさん:2009/12/11(金) 23:11:27 ID:C8nOf3H2
>
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/733 >>“仏教の”輪廻が問題になっているはずなのに、三蔵はどうでも良い?
>「“仏教の”輪廻」を問題にしているわけじゃないから、どうでも良いですね。
>「死んだ後に、転生する」と言う「現象」についての根拠だけが、問題になってるんですから。
第一に、「「“仏教の”輪廻」を問題にしているわけじゃない」という御自分の言葉を銘記しましょう。
貴方の輪廻批判は、明言しようがしまいが、常に↑が前提されているわけだから。
もしも貴方が“都合良く”健忘しちゃっても、こちらは忘れませんよ。
第二に、だったら、例えば、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260529269/3 >輪廻実在の根拠、“無我”と輪廻の矛盾などにについて質問したい人は
>【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】4 へ移住してください
とか言い出すのは、自己矛盾してますね。
仏教外の正統思想なら有我ですよ、何と何がどのように「矛盾」しているわけですか?
こんなことも分からないのですか? 我スレを読んでいれば分かるはずなのですけど。
これで、『三蔵』だけでなく、最初の「輪廻スレ」の過去ログを
きちんと当っているかも懐疑的ですね。
以上に拠って、貴方は“仏教の”輪廻を問題にしてますよね。なのに『三蔵』軽視?
例えば、カントの認識論が問題なのに、『純理』無視みたいなありえない態度ですよね。
18 :
神も仏も名無しさん:2009/12/11(金) 23:12:17 ID:C8nOf3H2
>>13 釈迦は、考えても分かるわけが無い、形而上の事柄について、くよくよと心配するなと説いたのですから、
あなたが輪廻を信じようと仏道そのものには、本質的には関係ないんですよ。
病気になったらとか、生活がどうとか、自分にはどうしようもない心配事を捨てるのが仏教なんですから。
それらを考慮すると輪廻があるという主張は、大変に無駄なやりとりをしてるように見えますね。
まあ、あなたは限定者スレで気の済むまでやってくださいw
20 :
神も仏も名無しさん:2009/12/11(金) 23:22:41 ID:C8nOf3H2
>
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/734 >それに、
>>1を見ると、そうとしか読めないけど。
勘違いしてもしょうがないとは思いますが、>>1は、
宝珠愚者さんがご自分の意見をぶちまけただけですので、
全然このスレのテンプレではないんですよw
おまけに、スレが落ちると、宝珠愚者さんがホイホイ立て直すもので、未だに>>1の文面は変わってません。 誤字がそのままなのは、ご愛嬌ですねw
で、今度は、貴方が「ご自分の意見をぶちまけた」わけですね。
まるで、“後だしジャンケン”みたいですね。
>余談ですが、毎度ご自分で「私に回答する為のスレ」を立て直す(スレ立て代行依頼ですが)のに、
>さっぱり回答する気配が無いのはなんでなんでしょうかね?w
さぁ? 私に聞かれてもねぇ。
とりあえず、「「“仏教の”輪廻」を問題にしているわけじゃない」そうですから、
以後のレスは未定です。
21 :
神も仏も名無しさん:2009/12/11(金) 23:24:47 ID:9YJX1yQ7
>>16 あらあら? 逃げ出したと思ったら、また馬鹿がわいてる。
>粘着君の妄言に安易に乗っかるというのは論外ですね。
>その粘着君的読解、魔非禍痢読みは善処してね
ここで言う「粘着君」とは誰のことかな?
そして、「妄言」「粘着君的読解」とは、どの書き込みを指しての
発言かな?
>>20 ワシもお前さんには、随分と罵詈雑言を投げているが、
重要な指摘もしている筈だが、完全スルーということは、
私の指摘は「論外で指摘にすらなっていない」と、こう判断されてるわけですか?w
10氏の人気に、少々嫉妬しちゃうじゃないですかwww
24 :
神も仏も名無しさん:2009/12/11(金) 23:57:24 ID:9YJX1yQ7
あれ〜? ホントに逃げちゃったの?
>>20 は。
自分の「妄言」だけ、撒き散らして、反論恐れて
>以後のレスは未定です。
これなのか? 情け無いやつだな。
>>16 >「今後」も何も、一度も言ってませんよ。
「輪廻があることの根拠の提示要求」に対して、
>>現状として、唯物論も根拠を提示できずにいますよね?w
と言っている事こそが、「輪廻が無い事を証明しろ」という意味だと思ったんですが?
違うというのなら、
>>現状として、「転生」は根拠も提示できずにいますよね?w
>現状として、唯物論も根拠を提示できずにいますよね?w
この発言は、どのような意図でされたんですか?
まさか、「輪廻」と、「唯物論」という階層の違う概念を対比させていたんですか?
ついでに言えば、唯物論が無謬であるはずは無いですね。
しかし、誤謬があれば、即座に修正をし続けているので、現時点では無謬に近いと思います。
更に言えば、私は唯物論を主張した事は無いと思うんですが?w
>「引用が必要」などとは述べてませんよ。その粘着君的読解、魔非禍痢読みは善処してね。
引用目的で無いとするなら、どのような意図で発言されたんですか?
まさか、「オレは経典を読んだ事あるから偉いんだぞ!」と自慢なさりたいんですか?w
そして、輪廻が実在するか否かを議論をするのに三蔵は必要ないと思います。
>>17 >もしも貴方が“都合良く”健忘しちゃっても、こちらは忘れませんよ。
忘れるも何も、ずーっと初めからそう主張し続けてるんですがw
>仏教外の正統思想なら有我ですよ、何と何がどのように「矛盾」しているわけですか?
オイオイw
仏教が無我思想だから、仏教外は有我思想だとか、どんな論理ですかwww
中学生レベルの論理学からやり直してきてください。
そもそも「私が」“仏教の”輪廻を問題にしているのではなく、
「輪廻肯定論者」が“仏教の”輪廻を根拠にしているだけです。
私は、“仏教の”輪廻ではなく、「死んだ後に、転生すると言う現象」についての根拠だけを、問題にしているんです。
「死んだ後に、転生すると言う現象」に付いて考察するのに、三蔵を読む必要がどこにありますか?
まあ、「三蔵」に、輪廻実在についての証明が書いてあるというのなら、私の勉強不足です。
どうぞ、引用なさってください。
(ああ、「引用が必要」などとは述べてないんでしたねw)
そして、輪廻肯定論者の根拠を否定する論法の一つに、
肯定論者が主張する「無我と輪廻」は両立せず、矛盾があると言う指摘をする方法があります。
つまり、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260529269/3 の発言は、
単に「輪廻について否定的な意見を述べたいなら、両者混合のスレに移動してください」という誘導です。
>>18 >上記で何を批判してるつもりなのですか?
もちろん、「根拠も無いのに差別する事」です。
>ボクちゃんが概説的情報を継ぎ接ぎして身勝手に妄想してるなんちゃって輪廻?
>こういうのを「根拠も無い」と称する。
いやいやいやw どこをどう縦読みしてるんですか?w
「肯定論者」が「輪廻はこのようなものである」と主張しているんであって、
私は「もしそうだとするならば、論理的に矛盾するでしょ?」という突込みしか入れてないですよ?w
「なんちゃって輪廻」なんか主張した記憶はまったく無いんですがw
>>20 >で、今度は、貴方が「ご自分の意見をぶちまけた」わけですね。
>まるで、“後だしジャンケン”みたいですね。
そのとおりですw
三回、後だしジャンケンをされたんで、いい加減飽きて、やり返しましたw
まあ、宝珠愚者さんと違って、
私は「後出しに文句があるなら立て直して下さい」と言ってるんですがね。
>さぁ? 私に聞かれてもねぇ。
たまたま同じスレになっただけで、あなたに聞いてるわけじゃ……
「余談ですが」って、断ってるでしょ?w
>>22 >削除依頼のガイドライン上はひっかからない
宝珠愚者さんが別のスレを立てたら、「重複スレ」で削除依頼しようと思ってたんですが、ダメですかね?
あるいは、回答しないと意思表明なさったら、このスレの目的は終了するので、
投稿が無くなって削除依頼出せると思ったんですが、見通しが甘かったですか……
いや、タイトルが同じでやることも同じなら可能だ。これはこちらのミスだ。
でも、削除依頼に反応がくるのはかなり遅い(数ヶ月はザラ)から、
新しいほうのスレが完走するまで生き残り続ける可能性は非常に高い。
いまの時点でレス数の即死圏外にも達しているし。
31 :
前世は一在家:2009/12/12(土) 10:07:18 ID:3EgbGcho
>>1 >「輪廻がある」と主張する輪廻肯定論者の皆さん、明確な証拠をお示し下さい。
仏教に限定しないということですので、方法論を整理します。
1)科学技術的手法で前世を証明する
2)退行催眠や霊道現象での前世記憶にて語られた内容で検証する
3)霊動現象での憑依霊が語った内容で検証する
3)の方法ですと、この50年間で多くの事例が蓄積されております。
事例1)こいつの前世が○○県の○○城の○○姫だったと憑依霊が語った。
聞いたこともない城だったが、調べてみると存在し、その城の
姫の行いと死因は憑依霊の語った内容と一致した。
事例2)こいつの前世が○○県の○○村の○○庄屋だったと憑依霊が語った。
聞いたこともない村だったが、調べてみると存在し、その村の
人と探して庄屋一族の墓を見つけ、憑依霊の語った内容と一致した。
「仏教に限定しない」のであれば、異教の事例もたくさん御座いますが
本スレの住人にご迷惑でしょうから連続して大量アップは止めておきます。
仏教徒なのに釈尊が説かれた輪廻を信じられない方々が多いのは意外ですが。
32 :
前世は一在家:2009/12/12(土) 10:10:59 ID:3EgbGcho
>>31 続き
前世の事例ではないですが、霊が存在する事例でしたら私にもいくつか
神秘体験がございます。
大学に合格したばかりの青年の霊動現象でしたが、かれは10年以上
急性胃炎の持病がありました。
「あなたは生前は人でしたか?」 NO(無言で首を横に振る)
「獣でしたか?」 NO、「鳥ですか?」 YES(両手で羽ばたくしぐさ)
(嘘かも知れないがヒヤリングした内容)
・青年が小学生の頃、飼っていた十姉妹のご霊
・2羽飼われていたが、飢え死にした
・1羽は青年に、もう1羽はその母親に憑依した
彼にはセキセイインコーを飼っていた記憶はあったが、十姉妹は
知らなかった。
家に帰って母親に聞くと、「引越しする前の小学校2年か3年の頃、
十姉妹を飼っていた。」、「帰省だったかで餌をやらなかったら、
2羽とも死んでいた。」と。
その後、まもなく青年から自称「十姉妹」の憑依霊は離脱し、
10年来の持病の急性胃炎もまったく起きなくなった。
実は彼の母親も急性胃炎だったが、ほぼ同時期に良くなったと
後日伺いました。
33 :
前世は一在家:2009/12/12(土) 10:25:32 ID:3EgbGcho
もう一つは本スレシリーズで紹介済みの中年女性の霊動現象でした。
(嘘かも知れないがヒヤリングした内容)
・数日前に急死した友人のご霊
・死因は霊力の強い人にお世話になっていたのに、恩を仇で返したので
恨まれていた
・急死する少し前に座敷で「○○」という本を読んでいて、○○のページに
栞をはさんだ
数日後、その女性は亡くなった友人宅を訪問し、主人にたのんで
座敷の本棚を見せてもらった。確かに「○○」という本があって
○○のページに栞が入っていたので愕然としたと伺いました。
ネタ出しさえすれば良いというのではなく
小説「桜の御所」を元に出来上がった小桜姫物語
のようなものはあらかじめ取り去られなければなりません。
じつはいうと以前、私はアメリカに行った際に
マイケル・ジャクソン氏を落としいれようとした、
人の皮をかぶった悪鬼羅刹どもの背後に邪悪な霊が憑いているのを
見たことがあるのですが、ここで書いても立証不可能の体験談となりますので
(ましてや匿名の場での)議論の証拠としては提出する気にはなれません。
ただでさえお互いを信用していないのに、こうしたものを出すことで
何か建設的な結果につなげられると考えるほうがおかしい。
イアンさんの研究ならその内容を吟味することも出来ますが、
無名の一般人の話ではそれもムリです。
議論をすること、他人を説得すること、「証拠」として示すこと
それがどういうことなのか、何を要するのかを考えるなら
言うまでも無いことですが。
35 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 10:32:46 ID:qitUOv86
はい、反論。
「事例1、2共に、その話を語ったものが情報を事前入手していた可能性の
排除が全くなされていない。」
霊動現象→本人の故意によるパホーマンス、すなわち、「演じている」
可能性の排除が全くできていない。
つまり、どちらも「そう信じれば霊が原因であるように見える。」
という話でしかない。
36 :
風の旅人:2009/12/12(土) 10:33:46 ID:7nNizonW
一在家さんの霊的な実話は、たまに目にする事があったんだけど、すごいなぁ〜。
一在家さんは、岡田茂吉の系統の(手かざしの)宗教に属しているみたいだけど、どこに属しているんだろうか?
怪しげな感じを持っていたけど、一在家さんが属している団体なら信用できるかもしれないと思った。
ところで、一在家さんは岡田茂吉の系統の(手かざしの)宗教が身内で争っているのをどう考えているだろうか?
38 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 10:37:10 ID:qitUOv86
「アトランティス大陸の住人の霊障が、云々・・・」
などと言う与太話が信じられると?
39 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 10:52:45 ID:qitUOv86
>>37 あっちのスレは、「仏教の教え」を説くスレなんだろ?
ならば、「輪廻説の妥当性」について検証しようにも
「仏典にはこのように書いてある。いやなら信じなければよろしい。」
で終了。つまり、仏典の記述の信用性を無批判に受け入れて、根拠のない
輪廻説でOKのスタンスをとれば、単に仏典の記述の紹介スレにしかならん
だろう?
40 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 11:06:52 ID:qitUOv86
>>37 つまり、あっちは「批判はダメですよ。仏教には輪廻が説かれて
いるんです。嫌なら信じなければ、よろしい。信じられる人だけ来てください。
輪廻が真実であるか否かは問題としません。みんなで仲良く、仏教の輪廻に
ついて語りましょう。」
こういう仲良しクラブを作りたいわけだろ?
テンプレより
<懐疑論者からの疑問に対して解答に努めるべく、情報枠を拡大する場合ありm(__)m >
バトルする気はあるようです。
42 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 11:33:24 ID:qitUOv86
>>41 >よって、「仏教徒以外」が大多数を占める現代日本社会において、「輪廻」を説くためには、
>まず「輪廻は普遍的真実であり、実在する」という明確な証拠が要求されます。
これは宗教であり、元々、教えを受け入れないのは各自の自由なのです。
証明できなければ説いてはならない、などというのは的外れですよ。
宗教というのは、認められない人は受け入れなければいいだけのことであり、
その自由は保障されています。仏教による世界支配というものはないのです。
>*「経典に書いてあるから」という説明をなさりたいなら、
>「経典は絶対的に正しい事」を先に証明してください。
基本的に宗教なのですから、これは自己体験によって自分で確認していく事柄です。
そして、歴代の信奉者たちによって教えが継承されていく過程において、
これが正しいものとしてそのまま受け継がれてきたものです。
これは、すなわち「仏典にかいてあることの真実性の論証は、不可能かつ不要。
各自が体験で、それが真実であることを確認せよ。信じられ無いものは、受け入れなければ
良いだけのこと。」 という意味なのでは?
バトル拒否にしか見えなかったんだが。
43 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 11:52:52 ID:qitUOv86
>>41 俺が思うに、今までこの輪廻スレを見てきた者の多くは
「輪廻に関して仏典には、どのような記述があるか?」に関心があるのではなく
「輪廻は本当にあるのか?何故、あると言えるのか?」 ここに関心があった
のではないかと思うけどな。
この「輪廻は本当にあるのか?何故、あると言えるのか?」 の部分を
「仏典に書いてあるから」真実なんだ。
「嫌なら信じなければ良い。」 と、議論テーマからはずしてしまえば、
必然的に仲良しクラブにならざるを得ないと思うんだが。
44 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 12:03:19 ID:0fzZA2oa
>>42 大昔とは、人間の知識も理性も桁違いに異なる現代において、大昔の宗教など
信じられては、社会は混乱する。古代人はイザ知らず、現代人は、何でも信じれば
よい、というものでえはない。従って、現代人の知識と理性に反する宗教は、
すべて禁止。
オウムの被害や中東の惨状が眼に入らないのかね。
オウムは、人々を輪廻から救うためにポアをやったのである。
45 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 12:08:48 ID:dzHHankc
まだかな
46 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 12:15:08 ID:dzHHankc
仏や神は悪魔なのだろうか
47 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 12:21:35 ID:gwXAvMAQ
>>46 神は、一部の人間が他の人間を支配するためのでっち上げだから、明らかに
悪魔。宗教紛争の実体を見れば自明。
仏は、すべての人間が成れるもの。
48 :
閻魔大王 :2009/12/12(土) 12:27:07 ID:B3Jwdoba
>>31 >釈尊が説かれた輪廻
『釈迦が説いた』ということを証明してごらん。
何度おなじことを問わせるんだ?
釈迦没後、かなりあとの部派経典に『書かれている』だけだ。
この態度はパラノイヤ耄碌隠居とおなじだなw
観念論分別主義(宝珠、一在家など)唯物論分別主義(耄碌隠居)は根っこは同じだ。
しょせん戯論(検証不能の形而上論)のうえ、一元論・二元論でしかない。
仏教は、戯論の消滅した不一不異の中道(←無分別智)だ。
ここからは業報輪廻転生論など論外なのは当然。問題になりようがない。
おまえたち戯論派は、本質的なことが掴めていない。
>>43 上記により、比較対照外の断絶がある。
ちなみに、埴谷雄高『死霊』の釈迦vs大雄の論述もダメだろう。
埴谷雄高も左脳言語論理にまだ捉われ、無分別智による直覚を掴めていない。
残念だが、死霊は落第小説だなw
49 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 12:31:10 ID:dzHHankc
転生輪廻はあるよ。
それを知りたくば霊的な視点でこの世を見ていくことだと思うよ。
霊的な視点。それは神ならばこの出来事をどのように捉えるか。
また、仏ならばどのように捉えるかを考え続けることだろうと思うよ。
物質のように触ったり食べたりして確かめることはできないからね。
50 :
閻魔大王 :2009/12/12(土) 12:32:42 ID:B3Jwdoba
>>47 パラノイヤ耄碌隠居
おまえも相変わらず性懲りもなく、
戯論(検証不能の形而上論)の唯物論分別主義だな。
実体の存在に対する信仰という意味では、宝珠や一在家と同じ溶暗宗教だ。
51 :
閻魔大王 :2009/12/12(土) 12:36:53 ID:B3Jwdoba
>>49 そーゆー態度をゴックン信仰の溶暗宗教的妄想主義と規定できるのだ。
カルトの常套態度だなw
例えば、『霊的な視点とやらでこの世を見ていく』と転生輪廻などインチキともいえるw
52 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 12:45:20 ID:dzHHankc
宗教はみんなカルトというのも、盲目的ではないのか。
53 :
閻魔大王 :2009/12/12(土) 12:46:38 ID:B3Jwdoba
>>47 パラノイヤ耄碌隠居
前スレ3の
>>790の俺の下記レスについて
生命が根源とやらの隠居説からシェーンハイマーや福岡教授の無我説を批判してもらいたい。
>ルドルフ・シェーンハイマーは「生命とは代謝の持続的変化であり、
>この変化こそが生命の真の姿である」
>「すべての生命体は、たまたまそのなかを原子や分子が高速で通り抜けているだけで、
>そもそも実体としての生命体など存在しない」という。
54 :
閻魔大王 :2009/12/12(土) 12:49:12 ID:B3Jwdoba
>>52 >宗教はみんなカルト
などとは言った覚えはない。
『カルトの常套態度』と言っている。
55 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 12:52:18 ID:7RouuL3U
>>49 「神ならばこれをどのように捉えるか?」って所詮「神が存在することが前提」の人間による「推測」にすぎない。
そのような願望の投射に意味があるか?
56 :
閻魔大王 :2009/12/12(土) 13:17:07 ID:B3Jwdoba
>>44 パラノイヤ耄碌隠居
>現代人の知識と理性に反する宗教
2500年前のブッダ当時、ヤーニュジャヴァルキヤが創った業報輪廻転生論が『現代人の知識と理性』だったのであり、
そうした変容ゲマインシャフト「常識」(ヴァルナ四姓制度)を批判して登場したのが
ゴータマ・ブッダをはじめとする自由思想家(サマナ)たちだったのだ。
耄碌するとそんなにパラノイヤ保守主義になるのかw
>>31-33 >仏教に限定しないということですので、方法論を整理します。
>1)科学技術的手法で前世を証明する
>2)退行催眠や霊道現象での前世記憶にて語られた内容で検証する
>3)霊動現象での憑依霊が語った内容で検証する
全然ダメダメですねw
1)
科学「技術」的手法では、ダメです。
良く居るんですが、科学機器を使えば「科学的」だと主張する人が。
科学的手法と、科学技術はまったくの別物ですね。
二重盲検、比較実験といった、「科学的手法」を用いて検証してください。
2)3)
コレを主張する為には、「退行催眠」や「霊道現象」が真実である事を先に証明してくださいと、
>>1に書いたでしょ?
>*「超能力で、輪廻がある事を悟った」という説明をなさりたいなら、
>「超能力が存在する事」を先に証明してください。
>>37 宝珠愚者さんは、「後出しじゃんけん」を、するのは大好きでも、されるのは大嫌いだったみたいですねw
まあ、テンプレが気に入らないと言うのなら、公約通り移動しましょう。
一応、このスレのレスを返したら、後は移住します。
>>39 宝珠愚者さんが、あっちで回答すると言ってるんで、
宝珠愚者さんの回答待ちがメインの目的である私は、移住します。
まあ、ご指摘の通り、あちらでは毎度おなじみの
「仏典にはこのように書いてある。いやなら信じなければよろしい。」 で終わりそうですがw
(よく読んだら、初っ端からその論調ですねw)
このスレを活用すると言うのでしたら、どうぞ、ご自由にお使い下さい。
>>41 回答してくださるつもりがるようなのは喜ばしい限りですが、
問題は、宝珠愚者さんの言動を見る限り、「情報枠を拡大する」ってのは、
バラエティー番組の動画を張ることのようなんですよね……
>>42 >バトル拒否にしか見えなかったんだが。
その通りだと思いますよw
あのスレは、宝珠愚者さんが御自分のご高説をぶちまけたいが為に立てたスレのようですから。
それをするには、このスレのテンプレが邪魔だったんじゃないですかね?
>>43 その通り。
だから、このスレと、仲良しクラブを分離したんですがね……。
まあ、無駄な足掻きでしたw
64 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 14:49:01 ID:1MYj62GX
>>53 >>ルドルフ・シェーンハイマーは「生命とは代謝の持続的変化であり、
>この変化こそが生命の真の姿である」
>「すべての生命体は、たまたまそのなかを原子や分子が高速で通り抜けているだけで、
>そもそも実体としての生命体など存在しない」という。
彼等がそう考えられるのも、生命の機能。死ねば考えられない。
その代謝が停止し、感覚器官も思考器官も腐敗してしまうことを、「死」と
呼ぶのだよ。
釈迦も竜樹も、その「生物的生命」がなかったら、小乗仏教も大乗仏教も、そ
の経典も一切存在し得ない。世界も認識できないから、世界もない。
「生命」が、いかなる宗教もその開祖にも優先する「すべての根源」である
ことは明らかだろう。すべての宗教は、「生物的生命の機能」に過ぎない。
そして、生命は、自然(具象物)に100%依存しない限り維持できない。
霞を食っては生きられないし、幻の女を抱いても、子は生まれない。釈迦も含め、
すべての動物は「食って、寝る」存在。
この「根源としての生命」に思い至った宗教の開祖は「皆無」である。
生命の発露であり、証である「煩悩」を、「己の生命」を以って、「排斥すべき
もの」としたのが、釈迦の最大の矛盾と誤り。
65 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 15:04:22 ID:dzHHankc
なにか発見する前は苦しい時が続く。
苦しいことがあると何か気がつくことがあるんだと心はうきうきしている。
煩悩により苦しみは生じるがやがて気がつく幸福がある。
66 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 15:08:13 ID:MbxLPAH8
>>65 煩悩そのものを排除したら、気付く幸福もない。
67 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 15:15:00 ID:dzHHankc
煩悩は地下水のごとく次からつぎに湧いてくる。
それだけ幸福もある。
68 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 15:24:19 ID:QSULJu/1
>>67 そのことに思い至らなかったのが釈迦である。
しかし、圧倒的大多数の生活者(衆生)は、そのことを知っていた。
即ち、釈迦よりも「悟っていた」のである。
煩悩は、生命を維持するtくぁめの不可欠な原動力。例えば、病気に
苦痛がなかったら、病気であることに気付かず、治療の機会を逸し、
「死」という最大の「苦」にいたる。
煩悩を2項対立的に排除するから、「苦」が生じる。
69 :
閻魔大王 :2009/12/12(土) 18:08:16 ID:B3Jwdoba
>>64 パラノイヤ耄碌隠居
>死ねば考えられない。
単なる断滅論であり、実体盲信にしかすぎない。
それを「戯論」というのだよw
経験的に検証して、証明せよ。
>>64の論述はすべて(無明による)素朴実在論的な「現象の描写」である。
自分は世間のモノサシにしがみつく戯論者だと言っているだけだ。
おまいの唯物実体「信仰」は裏返しの宝珠だ。⇒
>>48 「根源としての生命」になんらの実体は認められない妄想だというのが、
ルドルフ・シェーンハイマーや福地教授の経験主義的に検証した結論だ。
これが現代の分子生物学であり、ブッダの教えと方法論⇒龍樹の論と一致するのだ。
70 :
閻魔大王 :2009/12/12(土) 18:33:47 ID:B3Jwdoba
>>64 >生命の発露であり、証である「煩悩」を、「己の生命」を以って、「排斥すべき
>もの」としたのが、釈迦の最大の矛盾
↑
全然解かってないじゃんw
苦諦から中道への無分別智による直覚をせめてまじめに検証せよ。
そこまでいかないとトンチンカンそのもので終わる。
道元の薪と灰の喩えは縁起と一体となった「自受用三昧」の生活をいう。
「苦しみ」と一体と成り切るのだ。⇒「無苦集滅道」(般若心経)
ちなみに龍樹は『縁起をみるものは、すなわち苦・集・滅・道を見る』(中論24-40)
龍樹は不徹底であり、道元や般若心経が正しいと思われる。
71 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 18:35:12 ID:eilS5wOq
>>69 人類は、その発生以来、「素朴実在論」によって生存を続けている。それ以外を「妄想」と呼ぶ。
「根源的生命」は、両親の関係を始めとしてw、「万物との相互依存性・関係性」によって成立
している。それが竜樹(釈迦ではない)が見出した、「縁起・中道・空」の原理である。
この「関係内存在」の原理を自覚して、精神の大いなる安定と平安(涅槃寂静)を得ることを、
「悟り」「解脱」と呼ぶ。
72 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 19:00:20 ID:S0Ckz7Ot
>>70 「煩悩」を、「除去すべき異物」としたことにより、釈迦の「苦」が生じた。釈迦の誤りと
矛盾の発端。彼の鬱病の症状以外の何物でもない。
道元は、「薪」と「灰」を実体視している。そこには、「縁起」の概念を容れるのは難しい。
道元の言いたかったのは、「薪」「灰」「人間」の状態である間は、それそのものである、と
いうこと。それらがいくら足掻いても、それ以外にはなり得ない、ということ。人間がいくら
修行しても、人間以外にはなり得ないということ。むしろ縁起(因果)の否定である。
「縁起(相互依存性・関係性)」を悟らないで、何の悟りがあるか。
73 :
神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 19:22:53 ID:i41oydaR
>>70 釈迦の精神病(鬱病)にまで付き合ってやる必要はない。付き合ってると、
こっちまで気が狂うぞ。すでに狂っている仏教徒(特に小乗)が多い。
精神病者に接触していると、病気が感染する(感応精神病)。
74 :
前世は一在家:2009/12/12(土) 19:59:18 ID:KAc34p+o
>>36 風の旅人
>一在家さんは、岡田茂吉の系統の(手かざしの)宗教に属しているみたいだけど、
>どこに属しているんだろうか?
>怪しげな感じを持っていたけど、一在家さんが属している団体なら信用できる
>かもしれないと思った。
>ところで、一在家さんは岡田茂吉の系統の(手かざしの)宗教が身内で争って
>いるのをどう考えているだろうか?
本スレの旧7氏が何回も紹介して下さっております。
手かざしの宗教が身内で争っている件ですが、両方が上の方から
試されているように感じております。
人智で考える限りは双方の言い分が成り立つからです。
ただ、相手を批判する心が強まれば、いずれの側にいても神様から
遠ざかっているかと存じます。
貴兄のハンドルのように固執せず、相手を裁かず、正しい法を
実践していれば自ずと内なる真の吾(仏性)が成すべきことを
教えてくれるかと存じます。
75 :
前世一在家:2009/12/12(土) 22:46:09 ID:GAYue2CC
長部経典(春秋社、中村元監修)の34経を鳥瞰しますと、
21の経(6割)に神、梵天、悪魔に関する説法が記載されております。
18(約半分)の経に前世、再生、輪廻に関する説法が記載されており、
13(4割)の経に神通力に関する説法が記載されております。
それを理由にして、原始仏教はカルトだとか、マハーカッサバ教
だ、とかと批判される方々を本スレでも見かけますね。
本当にそうでしょうか?
同じく長部経典の中の「マハーリ経」では、一部族の主に対して
釈尊は罪穢・霊魂論議は解脱の為にならずと無記を通しておられ
ますし、「ポッタパーダ経」では遍歴の行者に対して形而上学的
なことには無記を通しておられます。
また、「堅固経」では神通力の欠点を説かれておられます。
76 :
前世一在家:2009/12/12(土) 22:48:44 ID:GAYue2CC
同じパーリ語の長部経典を鳥瞰しますと以上ですが、従者の
アーナンダが混乱したように、釈尊はある時は無記であったり、
またははっきりと説いたり、相手によって説き分けていたことが
分かります。
ただし、共通項を括りますと、修行途上者の形而上学的な
質問には無記を通し、修行完成者達には明白に説いておられた
という一貫性が見られるということです。
もし原始仏教がカルトだったり、マハーカッサバ教であれば、
形而上学的な質問に無記を通したり、神通力を批判したりする
経典の必要もないかと思料致します。
大乗仏教の各開祖達も長部経典の34経は当然読んでおられた
可能性が高いと拝察いたします。
77 :
前世一在家:2009/12/12(土) 23:07:55 ID:GAYue2CC
春秋社「長部経典V」には第24経から第34経までが収められており、
第27経の「起源経」では、見習いの修行僧に対して、釈尊は
王族であっても悪事を行えば地獄に生まれ、善事を行えば天の世界に
生まれると再生を説かれております。
第31経の「善生経」では、釈尊は比丘たちに対して、
「また祖霊に対して適当な時々に供養を捧げよう」と子の父母に
対する奉仕を説かれております。
現代日本の仏壇や位牌を通しての供養のルーツかも知れませんね。
以上、本スレ・シリーズで議論になりましたネタの一部紹介まで。
79 :
前世一在家:2009/12/12(土) 23:23:08 ID:GAYue2CC
長部経典34経の中で、形而学上の説法の無い8つの経典を調べてみましたが、
説法相手は(私の仮説通りで)修行の浅い比丘達やバラモン達だったことが
分かります。
01経では遊行者、500人の比丘
09経では遍歴の行者 ※形而学上の質問には無記
12経ではバラモン
15経ではアーナンダ(尊者と呼ばれる前の弟子の頃?)
16経では比丘達
22経では修行僧達
29経では修行者 ※形而学上の質問には無記
31経では資産家の息子
>>78 >>*「経典に書いてあるから」という説明をなさりたいなら、
>「経典は絶対的に正しい事」を先に証明してください。
以上、原始仏教の中の「長部経典では形而上学的には対機説法がなされた」
ということの証明と致します。
81 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 09:23:55 ID:xNPEVVFs
>>36 内紛が多いのは宗教団体の特徴だが、特に、岡田茂吉を含む大本系と、プロテスタント
系に多い。わが子でさえ、宗教のベールを通さないと見ることができなくなる。
両者から、最も多くのカルトが発生しているのは、周知のこと。
百人百様のでっち上げに過ぎない、人間にあらざる神概念などを信じるため、
肝心の人間を信じることが不可能になってしまうからである。
>>81 >人間を信じることが不可能になってしまう
カルトとか新興系に限らず、【「宗教的要素」を含むものには】、
そういう傾向(≒危険性、副作用)はあるだろうな・・。
絶対的価値観の傘の下、身内・知人問わず、
目の前の人間、今、相対している人のことすら見えなくなる、その声が届かなくなるような・・。
この予防や対策がどれだけ取れているか、が
選択基準、判断基準、評価基準としてクローズアップされるべきなのかもしれない。
83 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 09:41:24 ID:3fDBLoqx
>>82 やはり宗教が、少なくとも現代における「人間の営み」としては、根本
的に誤っているということ。中東の惨状が、その最も典型的な例。
竜樹と道元にはカルトが近づかないのは何故かを、考えてみる必要がある。
84 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 09:51:37 ID:q/wvv/IM
>>82 人間の営みであるのに、「人間から隔絶した絶対的価値感」というのが、
そもそもの矛盾と誤り。それは、人間界における「価値」ではない。
85 :
閻魔大王:2009/12/13(日) 11:02:41 ID:aTlpdUyq
86 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 11:38:03 ID:P0YF3xns
>>82 それが難しい。ある特殊な絶対的価値観を共有する集団
に属すると、極端な思考形態を有する者ほど、常人を超越した得難い者と
尊敬を集めるようになり、その結果、常識を忌むべきものとし、皆が極論に走る。
この宗教板には、その好例が数多く見られると思わないか?セブン。
87 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 11:53:22 ID:P0YF3xns
>>85 あとなあ、前から思っていたんだが、大王さん。
お宅の言うことも、よくわかるが、その勝義視点からの説明。
もう少し、分かりやすく記述できないものかな?
勝義は元々、言語表記不可能と言うかもしれんが
そこをなんとか、出来るだけ分かりやすく説明することが、今 仏教徒に求められていることだと思うのだが。
そこが、まだ不十分だから「涅槃を認識したのは誰か?」などと言い出す奴が出てきてしまう。
88 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 12:15:19 ID:9Qf1XmYM
>>85 人間は、理性(道理)を有する動物でもある。「無分別知」は、その
人間にとっては「苦」以外の何物でもない。
釈迦は「理性(道理)」を説いたはず。「無分別知」など、どこで説いて
いるのか。
89 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 12:33:26 ID:Yb8fdkgK
「世俗的なことにもとづかなくては、第一義は説示され得ない。しかも、
第一義に到達せずしては、涅槃は証得されない。」(中論24:10)
従って、世俗的なことに基づかなくては、勝義も涅槃もないことになる。
90 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 12:46:37 ID:xHZFDgfw
>>85 竜樹は「直覚」など説いていない。徹頭徹尾、「論理」である。それに
より、「直覚」の戯論性・非論理性を排除している。例えば、「去るもの
は、去らない」。「去るもの」を見て、「去る」というのは、まさに
「直覚」であるが、論理的には、それは戯論であることを指摘している。
91 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 12:59:59 ID:s/nzWiUL
釈迦の「縁起・中道・空」も、なかば「直覚」(即ち、本人もよく理解
していない)であったが、竜樹の類い稀な頭脳による論理的分析により、
はじめて「相互依存性・関係性」という、高度の論理的・道理的根拠が
与えられたのである。
92 :
閻魔大王:2009/12/14(月) 10:23:41 ID:u2DnC8SG
不況でも 二日酔いでも 忘年会
>>87 >出来るだけ分かりやすく説明する
ありがとうございます。さてさて言葉=分別とはホントに不自由なものです。
お言葉をありがたく受け止め、反省します。
93 :
閻魔大王:2009/12/14(月) 10:28:29 ID:u2DnC8SG
>>88 パラノイア耄碌隠居
先ず、隠居に対するブッダの応答。
『パラノイア耄碌隠居よ。あなたは(自分の)教義にもとづいて尋ね求めるものだから、
執着したことがらについて迷妄に陥ったのです。
あなたはこの(内心の平安)について微かな想いをさえもいだいていない。
だから、あなたは(わたくしの説を)『ばかばかしい』と見なすのです。』(スッタニパータ841改)
>「無分別知」は、その人間にとっては「苦」以外の何物でもない。
?????意味不明?????
>釈迦は「理性(道理)」を説いたはず。「無分別知」など、どこで説いているのか。
?! 工工エエェェ(´Д`)ェェエエ工工 !?
こんな知識レベルで隠居はブッダを平気で罵倒しているのだから、
予断と偏見にみちており、愚劣すぎるのではないか?
例えばスッタニパータから
・「『わたしはこのことを説く』ということが私にはない」(836・837)、
・“分別知から離れる”(839〜842)、
・「<我は考えて有る>という<迷わせる不当な思惟>の根本をすべて制止せよ」(916)、
・「名称と形態とに対する貪りを全く離れ」よ(1100)、
・「識別作用の止滅」(1111・1114)、
・「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ」(1119)などなど、
その他探してください。
94 :
閻魔大王:2009/12/14(月) 10:34:01 ID:u2DnC8SG
>>89 >世俗的なことに基づかなくては、勝義も涅槃もない
『勝義も涅槃もない』の表現は相応しい表現ではない。気付いていないだけだから、もはや有無は問題にならない。
結局、世俗言語論理(世俗諦:有為世界)=月指の「指」=方便によって、
わたしの言う“?”!$*^”=月=いわゆる「法」を示唆(否定表現、沈黙、比喩など)しうるのみであって、
あとは直覚で気付くしかない。
ここまでくれば、逆に縁起の世界観(あえて)とは現実の日常生活(世俗的なこと)の真相(勝義)についての
徹底した自覚以外の何ものでもないといえる。
95 :
閻魔大王:2009/12/14(月) 10:43:06 ID:u2DnC8SG
<ERROR:連続投稿ですか?? 3回> ってイジメか?
>>90 >徹頭徹尾、「論理」
たしかに論理に縁って、いわばメタ論理⇒非論理を示唆した。
分析することなしに、物事の依存関係を見極めることはできないのだから、仏教でも論理的分析は必要だ。
しかし論理的分析は所詮手段、世俗諦、指(比喩)にしか過ぎないのであって、捨て去られるべき蛇の旧い皮だ。
蛇は脱皮した後も蛇のままであって、いわば蛇の本体=空、勝義ではない。
分別言語論理では“?”!$*^”=月(比喩)=いわゆる「法」(レッテル)には到達できない。
単なる哲学との相違であって、かえって論理に捉われて未達に終わるだろう。
そのための修行でしょう?
言語論理で足りるなら、毎年仏教系大学卒業生から大量の覚者が出るはずだ。
96 :
閻魔大王:2009/12/14(月) 10:47:40 ID:u2DnC8SG
95<続>
ブッダも龍樹も説き得ないのである。
・マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。」(ブッダ スッタニパータ837)
・「わたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない」
( ナーガールジュナ 中村 元「龍樹」129頁))
・須菩提。於意云何。如來有所説法不。 須菩提よ、意においていかに。
如来によりて説かれたる所の法ありやいなや。
須菩提白佛言。世尊。如來無所説。 須菩提、仏に白して言う、
「世尊よ、如来には、説く所無し。」
(金剛般若経 岩波文庫70頁)
97 :
閻魔大王:2009/12/14(月) 10:56:05 ID:u2DnC8SG
>>91 パラノイア耄碌隠居
>「直覚」(即ち、本人もよく理解していない)
無分別智による直覚は、言語論理(分別知)による理解とは別カテゴリーなので、同意。
しかし“?”!$*^”は十全に掴みえているのだ。
ブッダ成道や、最初の邪名外道ウパカへの一切智者宣言の折も、
“?”!$*^”(法)の直覚を十分理解⇒言語論理化できていなかったので、
ウパカに「また、悟った基地外クンか」と無視されてしまったのだ。
>「相互依存性・関係性」
相互依存性・関係性=縁起ゆえにモノコトに実体はない=(無自性)⇒<空・無分別=不生不滅>、
ゆえに名称<言語論理>と形態<広義の色・分別>が世俗で必須となる。
ところが逆に、我執に縁って名称と形態に捉われるがゆえに
<空・無分別>に無知であること(無明)で、我執により“苦しみ”が生じる。
⇒ブッダと龍樹に趣旨において相違はない。
98 :
神も仏も名無しさん:2009/12/14(月) 12:22:31 ID:gOW48rZ6
>閻魔大王氏へ
いいか。今の時代に、相手から「“?”!$*」などと、論理(道理)に合わない
こと、「訳のわからんこと」を言われたら迷惑至極、ウザイことこの上もない。
あまりひどい場合には、救急車を呼んで、精神病院に強制入院だ。
現代人にとってだけでなく、古代人にとっても、「現実性・合理性・論理性・科学性」
が、生存のために不可欠であったことには変わりはない。
釈迦は、「説かない」と言いながら、盛んに説いているw。説かないのなら、
信じることもないはずだ。
釈迦は、己の生命を以って、生命維持のための不可欠な手段、生命の証である
煩悩を「排除すべき異物」とするという、倒錯した「一大分別」を行った。
彼はそこで終わっている。
99 :
前世は一在家:2009/12/14(月) 12:45:17 ID:76jmh7As
>>96 閻魔氏
>ブッダも龍樹も説き得ないのである。
>・マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。」(ブッダ スッタニパータ837)
>・「わたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない」
> ( ナーガールジュナ 中村 元「龍樹」129頁))
長部経典におきまして、釈尊は舎利弗に対して、「私はそのように説きましたか?」
と質問し、舎利弗が言い直した後に「そのように説きました」と保証されておられ
ます。(参考「自歓喜経」)
釈尊は説いた後に、弟子に教えを表明させて、正しく伝わったのか検証してます。
「八不」の証明では、先に論敵(有部)に説かせて、否定の論理で矛盾を指摘
しておりますので、確かに龍樹が自ら説いたという訳ではないかも知れませんね。
100 :
閻魔大王:2009/12/14(月) 15:08:48 ID:u2DnC8SG
>>98 パラノイア耄碌隠居
全てトンチンカンであって的確な反論・批判になっておらず、方便の理解能力がない。
再反論事項はすべて述べており、批判になっておらず、まったく変更の必要を認めない。
>煩悩を「排除すべき異物」とするという
悟っても煩悩そのものはなくならない。煩悩は分別世俗で生きる証だ。誤解するな。
しかし『すでに教えを了解したひとは、苦受をうけても、いたずらに嘆き悲しんで、混迷にいたることはない。
それをわたしは第二の矢を受けず、というのである』楽受についても同様(相応部経典36-6)。
勝義「“?”!$*」の還減による賢明な教え(言語化:世俗諦)であって納得できる。⇒
>>70 おまえなあ、キチンと答えた事について実質的なマトモな反論もせず、同じ繰言=誤謬を省懲りなく繰り返すな。
これ以上繰り返すなら、スルーする。
それより、すべてのもの一切を言語論理<名称と形態:戯論>とみて、
一切は空である<実体は存在しない>とする中論の龍樹はパラノイア隠居の単純唯物素朴実在論の直接的な批判だ。
おまいの全存在をかけて、龍樹『中論』を批判・否定したらどうだ?
『それゆえに(一切は空であるという)その法<「“?”!$*」>が智慧の鈍いものどもによって
間違って了解(体得)されることを慮って聖者(ブッダ)が教えを説示しようとする心は止んだ。』
(中論24-12)
101 :
閻魔大王:2009/12/14(月) 15:58:32 ID:u2DnC8SG
>>99 >自歓喜経
「経典に書いてあるから」という説明をなさりたいなら、
「経典は絶対的に正しい事」を先に証明してください。
七科三十七道品なるものがブッダによって説かれたという具体的な証明をしてください。
「自歓喜経」なるものを読めば、笑ってしまうほどの、
ヒマをもてあました説一切有部のスコラ坊主どもの尻尾が丸見えなんだがw
マハーカッサバ教の後裔あたまでっかちスコラ坊主は分類大好き!
とくに第五章は勝義「“?”!$*」=法の悟りとは何の関係もない。
勝義「“?”!$*」の還減でもない。
自灯明⇔法灯明の(仮説的)フィードバックで自得してゆく真摯な姿勢が感じられない。
簡易飽食の寺院の奥で、分別分類に執着しまくりで、うつつを抜かしている場合か?
とくに第五章には龍樹も爆笑したろうね。
『(ニルヴァーナとは)一切の得ること(対象化して実体として知覚すること)が滅し、
戯論(形而上学的議論)が滅しためでたい吉祥な<境地>である。
ブッダは、いかなる教え(法)も、どこにおいても、誰のためにも、説かなかったのである。』(中論25-24)
訂正
× 簡易飽食
〇 暖衣飽食
103 :
前世は一在家:2009/12/14(月) 18:01:15 ID:76jmh7As
>>101 >マハーカッサバ教の後裔あたまでっかちスコラ坊主は分類大好き!(中論)
>自灯明⇔法灯明の(仮説的)フィードバックで自得してゆく真摯な姿勢が感じられない。
>簡易飽食の寺院の奥で、分別分類に執着しまくりで、うつつを抜かしている場合か?
ある意味でご指摘の通りです。長部経典の「等誦経」などは「自歓喜経」以上に
分類の集大成の感があります。
論点がずれておりますので私も分類しました。
(論点)
・閻魔氏は原始仏典はマハーカッサバ教で形而上学的な内容が多くカルト的と批判
・一在家は長部経典を例にとって形而上学的な経が26経、そうでない経が8経と指摘
・形而上学的でない経の説法対象者は修行途上者が多いと分析結果を紹介済み
・よって釈尊が相手に応じた対機説法にて形而上学的な法を説き分けていたと仮説
・閻魔氏は経の内容が正しいことを証明せよと、形而上学的な存在でないと回答が
不可なことを要望した
弟子にもいろいろなタイプがいて、教義の分類・整理をする弟子、師を超えようとする
弟子と色々いても宜しいかと存じます。スコラ坊主(説一切有部)の「縁」にて
破邪の論理で中論が「起」ったことも事実でしょう。
まず、教えを自身の頭の中で整理整頓せずに、自説を展開することは危険だと
思料しますし、勿論整理整頓だけで自ら考えなければ暗いかと存じます。
>>103 一言突っ込んどこうか・・。
この(26)経は
≪「このような内容が」「このように述べられて(記されて)」いるから、「形而上学的内容が説かれている」≫
この(8)経は
≪「このような内容が」「このように述べられて(記されて)」いるから、「形而上学的内容が説かれていない」≫
と提示しないと、単に君が「でっち上げてる」としか見えないが?
なんとなく「形而上」という言葉を使ってみたかっただけだろ?w 正直に言えよw
まさか、 『梵天等神々が(物語の登場人物として)登場したから形而上のことを説いた』
なんて言うんじゃないだろうな?www
105 :
前世は一在家:2009/12/14(月) 18:34:40 ID:weLTYfYn
(後出しジャンケンへの考察)
・まず論敵に説法させる。矛盾がある場合は指摘する。
・矛盾がない場合はそのまま放置する
・負けるリスクは殆ど無く、勝率は抜群である
・勝つ為に手段を選ばない孫子兵法と似ている
後出しジャンケン「破邪の論理」の達人がかの大哲学者だ
と自灯明が囁いております。
一方の釈尊は悟った後も、命が狙われる中を「四諦」と
「八正道」を説いて、衆生救済に生きたそうです。
釈尊のことを鬱病と言われるかたもおられますが、現代の
鬱病者はボランティアや人救いをするでしょうか?疑問です。
さて、大勢に惜しまれ、逝ったのは大哲学者でしょうか?
また、誰にも見送られなかったのは大宗教家でしょうか?
この程度の史実は現存するかと自灯明が申してませんか。
106 :
前世は一在家:2009/12/14(月) 18:40:17 ID:weLTYfYn
>>104 >まさか、 『梵天等神々が(物語の登場人物として)登場したから形而上の
>ことを説いた』 なんて言うんじゃないだろうな?www
実はご指摘の通りです。
梵天・神・悪魔or転生・生まれ変わりor神通力の説法が含まれ、編集者が
これらを削除していないと確認できた経典が26経典あると申告しております。
もし貴兄が旧7氏でしたら、いくつまでカウントしますか?
107 :
前世は一在家:2009/12/14(月) 18:50:34 ID:weLTYfYn
>>104 >まさか、 『梵天等神々が(物語の登場人物として)登場したから形而上のことを説いた』
>なんて言うんじゃないだろうな?www
そういう経典こそ閻魔氏の指摘通り、マハーカッサバ教風ということでしょうが
同じ編纂者が長部経典の34経をコントロールしても敢えて残したということ
でしょう。
そうでない、形而上学に関わる単語が無いか、あっても無記を通している8つの
経があってうまくバランスされているかと存じます。
108 :
前世は一在家:2009/12/14(月) 19:04:29 ID:weLTYfYn
>>閻魔氏へ
もし長部経典がマハーカッサバ教の編纂者の手の内にあれば、
形而上学的な質問に対して釈尊が無記を通したという不都合な
記載のある2つの経典を削除しておけば良いかと思料(自灯明)
します。
>>106 >いくつまでカウントしますか?
ゼロに決まってんだろwww
(このシリーズに於ける「三世に跨る輪廻への懐疑」を一先ず措いてw言うならば)、
梵天や魔等の神々も、輪廻も、六道も、次の生存も、神通も、伝統的には全て形而下だよ。
だから、知り得るんじゃねーのか? だから、知覚感受するんじゃねーのか?
不可知の領域、感受不能な領域を形而上と言うんじゃねーのか? 違うのか?
つーか、仏教に於いて、そのおしえ(教義や概念)を扱うのに
「形而上、形而下」という言い方はふさわしくないんじゃないかと感じてるのは俺だけか?www
もう一言添えとくか・・・。
>>106 >実はご指摘の通りです
っんとに馬鹿丸出しだな・・・。
映画ターミネーター2の冒頭で、ジョンがハッキングで小遣い稼いでいたが、
それを見て、
「ターミネーター2という映画は、《主人公のハッキング行為(による小遣い稼ぎ)》がテーマの映画である」
と、言うようなもんだw
お前はホントにどうしようもないな・・・。 (最近は、宝珠よりマシな気がしていたが・・・www)
111 :
神も仏も名無しさん:2009/12/14(月) 20:52:20 ID:K07KOU0n
>>100 >一切は空である<実体は存在しない>とする中論の龍樹はパラノイア隠居の
>単純唯物素朴実在論の直接的な批判だ
竜樹は、「単純実在」の「構成原理」を見出したのである。「実在」でないの
なら、その構成要素間の「相互依存」「相対性」などという概念は生じない。
竜樹の空は、「厳然たる実在」『でも』ある。
釈迦は、「世界を空と『観ぜよ』」と言った。従って、世界の実在を前提としている。
竜樹は、その世界自体が「相互依存性・関係性」により「空」だといっているの
である。従って、両者の「空」の意味は異なる。
竜樹が「釈迦は空を説いていない」と言ったのは、両者の「空」の意味が根本的に
異なっているので、混同・誤解を避けるために、釈迦の口を封じたのである。
竜樹は、釈迦の盲信者ではなかった。批判すべきところは、的確に批判している。
竜樹は、釈迦の「空」という言葉をヒントとして「利用して」、釈迦佛教のコ
ペルニクス的転回を行ったのである。従って、釈迦をいくら追っかけても、竜樹
の空は理解できない。奈良氏がいみじくも述べた如く、釈迦佛教と大乗仏教とは、
本質的に異なる思想である。
このことは、大乗起信論からもあきらか。釈迦佛教は、真如としての「衆生心」
などには思い至っていない。釈迦佛教では、「衆生心」は、煩悩という「排斥
すべき異物」に過ぎない。
112 :
神も仏も名無しさん:2009/12/14(月) 21:00:33 ID:PBZWK6uc
113 :
前世は一在家:2009/12/14(月) 21:53:46 ID:76jmh7As
>>109 >梵天や魔等の神々も、輪廻も、六道も、次の生存も、神通も、伝統的には全て形而下だよ。
>だから、知り得るんじゃねーのか? だから、知覚感受するんじゃねーのか?
【形而上学】
現象を超越してその背後にある本質や根本的な世界、存在を
純粋な理性または直感によって探求する学問。
神、世界、存在、霊魂などがその主要テーマ。
神、霊魂は形而上学の主要テーマとして認識しております。
しかし、「伝統的には全て形而下」との貴兄の言に賛同したいです。
114 :
閻魔大王:2009/12/15(火) 10:01:36 ID:yQOw8QY2
>>111 パラノイア隠居
>>108 オカルト一在家
もう言いたくはないが、捉われの『指先あそび』は止めたら?
仏教で現觀<abhisamaya(abhi√sam)>が掴み得なかったら、
たんなる哲学や道徳、心療内科で終わる。
掴みえたら、業報輪廻転生論など迷いは消える。
>>93のブッダも龍樹の論もすべて世俗諦にて還滅した「縁起の現観」への導言なんだよ。
時空際断の人の観念の介在しないあるがまま=中道直覚=現観だ。
もはや語るべきことばはない。
115 :
神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 15:47:39 ID:Sihxx1eY
>>114 明らかに精神病の症状としての「観念過多」の開祖の盲信や、生活を離れた、
趣味としての「修行」からは、「現観」など得られない。得られるものは、
「観念の遊戯」のみ。
真理とは、あるがままの人間と世界を、あるがままに見ることのみに存する。
大乗佛教徒なら、精神病者の釈迦と健常者の竜樹との、思想の本質的相違くらい
は理解せよ。
そのためには、まず、「宗教『観念』」をすべて捨て去ることではないのかね。
116 :
前世は一在家:2009/12/15(火) 20:20:45 ID:tGjoMz4H
原始キリスト教(イエス本来の教え)と現代のキリスト教との
差異を生じさせたのは、ヨハネの福音書の作者とエイレナイオスと
アタナシウスではないかとの仮説を立てております。
同様に原始仏教(釈尊本来の教え)と現代の大乗仏教との
差異を生じさせたのは、天才哲学者の龍樹はないかとの仮説を
立てております。
原始教典や古文献を皆様と調べながら検証して参りたいと存じます。
>>116 >原始教典や古文献を皆様と調べながら
お前のは 「調べてる」 とは言わねーよw
118 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/15(火) 21:26:05 ID:WfVyAiVt
>117
(^。^;)釣りじゃないのか?
>龍樹はないのか
だぜ?(笑)
だいたい、龍樹の偉大さが理解出来ない奴に大乗仏教云々言う資格無いしな。(笑)
119 :
神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 22:04:36 ID:cXC9rWN/
結局、「論拠をあげて」という条件を課すと、輪廻肯定派は総逃走か?
自己の脳内妄想でしか輪廻を語れないのか?
これでは、ドラえもんを信じている幼稚園児と何ら変わらんな。
>>119 テンプレに従うと、言える事が何もなくなっちゃうんでしょw
121 :
神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 22:27:37 ID:cXC9rWN/
>>120 それが、即ち「輪廻が妄想に過ぎない。」ことを明確に示していると思うね。
122 :
神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 23:49:32 ID:YUYYqU5u
ドラえもんは想像力によって作られた観念でありは弱々しく不明確である。
それは意思に依存している。
神の世界。実在物は私たちとは違う精神により心に刻印されている。
意思には依存せずある。
この違いを可感する人としない人がいる。
124 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 00:19:23 ID:uQalygI3
125 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 02:34:39 ID:veeg2sr/
>>116 その「イエス本来の教え」「釈迦本来の教え」にこだわるのを、宗教による
「洗脳」と呼ぶのだよ。いずれも、精神病の症状としての、現実から遊離した
「観念の遊戯」。但し、同じ精神病でも、精神医学的には、イエスの統合失調
症による人格の崩壊とは異なり、釈迦は「感情(気分)障害」としての鬱病で
あり、人格の崩壊は伴わなかった。
なお、「エイレナイオスとアタナシウス」は、狂信者の典型。健常者の竜樹や
道元とは、方向が反対。
精神病者をいくら追求してみても、得られるものは「狂気」のみ。しかも、
その狂気は感染する(感応精神病)。すべての創唱宗教は、例外なく開祖の
精神障害から発生し、信者は、その感染者であることを自覚せよ。精神病者の
「本来の教え」の追求そのものが、ナンセンスであるばかりでなく、人間の精神
にとって極めて危険であることに気付け。
126 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/16(水) 06:02:45 ID:468p+l+L
>125
(^。^)へぇ〜、なるほどねぇ。(笑)
お釈迦さんが鬱に見えるんだぁ。(笑)
アンタ、世界情勢とか人生が楽しくて仕方ないだろ?(笑)
127 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 07:56:39 ID:oFGEm30E
悪魔がいるとしたらどのように人間を洗脳するのだろう。
自分の考えのように見せかけて悪魔の代弁をさせられてはいないだろうか
ときおり考えさせられる。
>>122 とりあえず、神の世界がある事を証明してから寝言を言え
>>127 とりあえず、悪魔が居る事を証明してから寝言を言え
結論、寝言は寝てから言え
>>126 その「開祖は精神病患者」にこだわるのも、「精神病」と呼ぶのだよ。
いずれも、精神病の症状としての、現実から遊離した「観念の遊戯」。
精神医学的には、あんたは「鬱病」であり、人格の崩壊を伴っている。
なお、あんたは、宗教否定論者の典型。
健常者のイエスや釈迦とは、方向が反対。
精神病患者が宗教をいくら否定してみても、得られるものは「狂気」のみ。
しかも、 その狂気は感染する(感応精神病)。
すべての宗教否定論者は、例外なく精神患者から発生し、
宗教否定論者は、その感染者であることを自覚せよ。
精神病者の「健常者の教え」の追求そのものが、ナンセンスであるばかりでなく、
人間の精神にとって極めて危険であることに気付け。
根拠の無い煽りなんて、こんなもんだw
130 :
前世は一在家:2009/12/16(水) 09:06:14 ID:94A6DPLm
>>118 承狂氏
>だいたい、龍樹の偉大さが理解出来ない奴に大乗仏教云々言う資格無いしな。(笑)
(龍樹への現時点の認識)
・「八不」の証明には、当て馬の有部の説を否定の論理で証明しただけ
・「八不」にて「運動」と「時間」を抹消した「縁起の法」は「因果の法」と異なる
・「因果の法」を前提とする「輪廻の法」を批判する龍樹信奉者が多い
・釈尊の「因果の法」を否定した「縁起の法」を核にした大乗仏教がメジャー
・「八不」を前提に展開する見事な論理「中論」にて偉大な哲学者だと認識している
・若い頃の連続夜這い、及び誰にも見送られず一人逝った人生は「縁起」かも
以上、異教の私の認識です。
131 :
前世は一在家:2009/12/16(水) 09:14:58 ID:94A6DPLm
>>125 >その「イエス本来の教え」「釈迦本来の教え」にこだわるのを、
>宗教による「洗脳」と呼ぶのだよ。
貴兄は現在のキリスト教や仏教が本来の教えだと思いますか。
または本来の教えでなくても良いとお考えですか。
以上の見解ならば、ご自由にどうぞ。
宗教とは本来人々(衆生)の救済が目的であり、哲学とはやや目的が
異なると認識しております。
「本来の教え」が最も幸福化に効果があると考え、こだわっております。
譬え話ですが、本来の良薬があったとしても、異物の混入が増えたら
次第に効果が薄まり、副作用のみが大きくなるかと思料します。
132 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 10:02:52 ID:M4HO3v1a
>>129 >根拠の無い煽りなんて、こんなもんだw
宗教に嵌る前に、最新の精神医学の標準的教科書を、少なくとも2、3冊は読んでから、発言してくれ。
宗教関連の精神病の記述は、祈祷精神病、憑依現象、宗教妄想、禅病など、多数ある。
「躁うつ病(現在では双極性障害と呼ばれる)」は、「感情(気分)障害」と呼ばれ、通常、人格の
崩壊は伴わない。
シュワイツアーは、「イエスの精神医学的考察」という論文で博士号を取ったが、その中で、イエスを
「精神分裂病(現在の統合失調症)」と診断している。
ユダヤ教の開祖であるエジプトのファラオ・イクナートンの現在の彫像から判断すると、男女の性別の
区別さえ付かない奇形であった。
最古の創唱宗教と言われるゾロアスター教の開祖も、大麻の常用者であったといわれている。
聖書の中でも、イエスを身近に知るその家族、郷里の人々、ユダヤ教徒たちは、彼を基地外と証言して
いる。知らぬは、イエスで狂わされた無知な信者だけ。
ムハンマドも、中年期に発病し、長い山篭りをして幻覚を見た。
釈迦の「一切皆苦」も、鬱病患者の精神状態以外には考えられない。
現在の日本の新宗教を見ても、天理教、大本、璽宇教、踊る宗教など、開祖は皆基地外ばーさんである。
刑務所で大小便を垂れ流す麻原は、精神病ではないとでも。
最近の論文で、精神医学者は、「精神病者の妄想と宗教者の宗教的信念とを、実質的に区別することは
困難」と述べている。感応精神病の症例も、宗教関係が圧倒的に多い。
宗教は、精神医学の対象以外の何物でもない。別に「有り難いもの」ではないのである。
133 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 10:20:18 ID:fqAUKaaD
>>126 >アンタ、世界情勢とか人生が楽しくて仕方ないだろ?(笑)
御釈迦さんも、「世界は何と美しい。人の命は、何と甘美なものか」
と言ったそうだねw。鬱病が躁転した状態(双極性障害)。通常、うつ
状態と躁状態とが交互に出現する。
134 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 10:32:15 ID:KgNLoPnr
>>131 「本来の教え」そのものが、開祖の狂気に発しているのだから、多数の
カルトや信者同士の争いが生じるのだよ。
宗教の「自己欺瞞」「自己陶酔」による幸福感(euphoria)は、本当の
幸福ではない。常に焦燥感・不安感が付きまとう。
永続的な、充実した、強い、本当の幸福感は、「人間である他者との係
わり合いの中における、日々の生存努力」においてのみ得られる。人間
が本質的に「共同体的存在」である所以である。
135 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 10:43:36 ID:SjSZs70G
>>130 「因果の法」では「空」は成立しない。「因」と「果」という「実体」
を前提としているからである。
夜這いくらいやる人間で無いと、人間性や世界の洞察は不可能。性欲は、
すべての人間、すべての動物に共通する「種属としての生命維持」に
不可欠な本能。即ち「法」なのだから。
「朝立ちしない男は信用できない」という言葉もある。
136 :
前世は一在家:2009/12/16(水) 10:53:17 ID:94A6DPLm
>>134 >「本来の教え」そのものが、開祖の狂気に発しているのだから、多数の
>カルトや信者同士の争いが生じるのだよ。
貴殿との短い対話の「縁」によりまして、仮説(モデル)の違いを認識
できました。
貴殿:宗教は開祖の狂気から発している
一在家:(多くの信者に支持された)宗教は開祖の真理(法)の悟りから始まった
もし真理(法)が存在するのであれば、開祖が異なる法を悟る場合があっても、
同じ法については共通に認識し伝えたであろうと思料します。
つまり、法を悟った開祖に発した宗教同士は協力することはあっても、争うことは
ないであろうということです。
ただし、一在家のモデルであっても、弟子達が一部改竄した場合は争いになります。
例えば、龍樹が右回りで90度変更し、アタナシウスが左回りで90度変更すれば、
同じ法(真理)が180度異なって現代に伝わることになります。
137 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 10:59:03 ID:pJSExFtd
>>136 「高度の精神性(狂気)は、特に伝播する。ユダヤ教の神概念は、精神病の
症状以外の何物でもない」(フロイト「モーセと一神教」より)。
138 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 11:05:27 ID:Q/qn4qQN
>>136 「多くの信者に支持された」のは、開祖の精神病の信者に対する感染の
「結果」に過ぎない。パウロの狂気の宣教努力(実は、信仰義認という
彼の宗教エゴに発する)を見よ。精神病は感染する(感応精神病)。
139 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 11:12:07 ID:KvXjEC2F
>>136 「一神教の聖地」である中東が、世界で最も流血の多い「最も呪われた
地」であるのは何故か。理由は自明であろう。
140 :
絶対神:2009/12/16(水) 11:15:28 ID:m6GMcfAj
>>136 馬鹿ですかあ?
「流血なんてものはどこの土地でも幾らでもありますよお」w
第二次世界大戦時の日本の方が、中東なんかよりもよっぽど多くの人間が
しんでますよおww
「やれやれ」
現在の中東なんかより、流血が多い時代や場所なんて、幾らでもあるん
ですけどww
141 :
絶対神:2009/12/16(水) 11:17:04 ID:m6GMcfAj
あー、わりいわりい
136じゃなくて139へのレスねww
142 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 11:22:12 ID:hI+toc0w
>>140 第二次世界大戦を、キリスト教の世界制覇の一環であったことを知れ。
日本は「戦争をやらされた」ものであることは明らか。
原爆を発明し、製造し、投下したのも、すべてキリスト教徒である。
B29の搭乗員は、投下前に十字を切ったそうだ。うまく炸裂して、
出来るだけ多くの人間を「殺す」ことを、「神」に祈ったのである。
143 :
前世は一在家:2009/12/16(水) 12:42:15 ID:94A6DPLm
>>139 >「一神教の聖地」である中東が、世界で最も流血の多い「最も呪われた
>地」であるのは何故か。理由は自明であろう。
20年前に「無宗教の国家」である中国で、交渉319名の虐殺があり、
実数は数千人とも数万人とも言われておりますが。
唯物論者から見れば、人も「物」でしょうか?
「愛」も「憎しみ」も「妄想」も、ニューロンのある電子状態に過ぎない
ということでしょう。
144 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 13:35:18 ID:A/n3X8Y3
>>143 仏教徒から見れば、人も「幻」でしょうか?
「愛」も「憎しみ」も「妄想」も、諸縁の和合した、心に於ける事象に過ぎない
ということでしょう。
145 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 14:54:40 ID:P3/PNbZx
>>143 中国は、マルクス主義の国。マルクスは、唯物論と言われているが、実はヘーゲル直系のドイツ観念論。
彼の「下部構造」には、「上部構造」であるはずの観念論がたっぷりと含まれていることを看破されたし。
マルクス主義は、ありえない「共産主義ユートピア」の観念信仰の宗教の一種。「擬似宗教」と呼ばれて
いる。信じる「神」が違うだけ。
宗教であるからこそ、良心の呵責なく、あれほどの大虐殺が可能になったのである。
本当の唯物論者は、「具象物」を大切にするから、「具象物」としての人間の肉体、即ち生命を損なう
ことはしない。これは、宗教の対極にあるもの。
146 :
前世は一在家:2009/12/16(水) 21:54:18 ID:pq4eKlmz
>>145 >マルクス主義は、ありえない「共産主義ユートピア」の観念信仰の宗教の一種。「擬似宗教」と呼ばれて
>いる。信じる「神」が違うだけ。
マルクス主義の誕生にはタ○ムードが愛読書の方々が関わったようですが、
スレ違いなのと、ちとヤバイネタなので止めておきます。
147 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 22:30:22 ID:lJJM9S2y
148 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 22:52:38 ID:lJJM9S2y
ムーの本や五次元文庫のような「資料」によらず
信頼できる情報源に拠るべきでしょうね。
149 :
神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 01:23:10 ID:nwdvbuZJ
身近な例でいえばイジメもそうだが、
人間、馬鹿とみなす相手にはどこまでも酷くなれるものだ。
酷さを自覚しないでもいられる。
ドグマ、固定観念をきっちり作る信条はそうなりやすい。
でも社会や共同体を縛り上げてまとめるには、こういうタイプのものでないと難しい。
自分が正しいと信じきっている相手は無知な馬鹿を導いてあげたり啓蒙してやりやくなるので
社会を支配したり操作したりするのにノリノリである。
必然的にそういう思考の持ち主が権力、暴力を握りやすくなるので困った相乗効果が生まれる。
極論すると、社会を害する馬鹿は基地外扱いするか、死んでもらうほかなくなる。
両方とも社会、共同体の要点に馬鹿を二度と関わらせないという意味。
馬鹿がうつるのを放ってはおけない。馬鹿そのものへの蔑視や敵意ももちろんある。
殺すことそのものが目的ではなく汚物を消毒して、馬鹿から社会、共同体を汚染から守りたいんだ。
150 :
神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 04:26:28 ID:E+ve1opy
>>132 狂ったことでお釈迦様や信者達は幸せになりましたよ。
だから私も、お釈迦様と同じような狂いが可能なら、
そのように狂いたいのです。
ただし、合法的な方法でです。
151 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/17(木) 04:56:35 ID:CWci1h7i
>150
成就したら知見を承ります♪
152 :
神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 09:43:29 ID:6XYKbaj3
宗教の開祖は狂っているなんておかしいよ。
麻原は悪魔にあやつられて廃人のようになってしまった。
それも彼の心に悪魔を導きいれるものがあったのだろう。
私たちも悪魔の言葉を自分の思いのように受け止めていないか
自分のことだけを考えすぎていないか静かに想い出してみよう。
153 :
前世は一在家:2009/12/17(木) 11:29:28 ID:0ComsTMK
>宗教の開祖は狂っているなんておかしいよ。
川の水で芋を洗って食べた最初のお猿さんを、他のお猿さん達は
「あいつは狂っている」と批判したのと似ておりますね。
しばらくしたら、何匹かのお猿さんも真似して川の水で芋を洗って
食べたとさ。
154 :
神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 23:31:12 ID:0igXLRqi
>>132 こういう事を言ってしまうと、今度は精神医学が宗教に代わって、
絶対的な存在になってしまうような気がする。
>>154 地面の上を歩くように、或いは手摺に手を添えて歩くように、そのように、
人は、二本の足以外の支えを必要とするんだよw
156 :
神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 23:43:47 ID:0igXLRqi
>>156 ミクロに見れば一つとして同じものはないだろうけど、
マクロに見れば、カテゴライズは可能だと思うよ。
たとえば、
「恋人・伴侶」「子供」「親」等、自分でない他者の存在、
「親・恩師の言葉」「仏典・聖書・コーラン等の言葉」など言葉・文言、
「仕事」「趣味」等(自己実現的)充実感を生じせしめるもの、
「子育て・介護・サポート・支援応援」等或いは「奉仕・ボランティア・世話」等、献身的内容の行為、
など。
そうした意味を踏まえた上で
「無常なるものを支えとする世俗的価値観」の転換を提示したのが仏教なのでしょう。
それらは、「(真の)支え」としては不十分ですよ、と・・・。
158 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 00:14:55 ID:uDTOR1j1
「不十分」と言うよりは、「絶対ではない」と言う表現の方が正しいのでは?
今はこの支えで充分。
でも、明日はそうとは限らない。
臨機応変に支えを変えれば良いんだよ。
臨機応変と言っても、仏教によればたかが六つに分類されるのだから、わけない。
>>158 「正しいか正しくないか」という言い方を(この件に関しては)したくないですねw
また、158のレス内容は、まさに「不十分である」ことを意味していると思えますが・・( ̄ー ̄)
160 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 01:22:39 ID:uDTOR1j1
>>159 ふ〜ん、そうか。
まっ、これはお互いの言葉に対する価値観、ニュアンスの違いだろうから、
仕方ないですね。
161 :
神も仏も名無しさん:2009/12/21(月) 19:08:35 ID:dOpmAfUX
age
162 :
神も仏も名無しさん:2010/01/15(金) 18:49:31 ID:uPN2KrUZ
輪廻転生説はラエリアンによれば宇宙人エロヒムによって再生された人
だから昔の記憶が残っている
ごく一部の人しか体験できない
163 :
神も仏も名無しさん:2010/01/15(金) 22:14:43 ID:Mq3qPVcd
輪廻転生とひとくちに言っても捉え方は色々あるので、前世の話や、来世の話
をあるかないかという事くらいなら経典に書いてあることをいってみるのも、
いいけれど、それを書いたところで経典が絶対正しいという証明をする能力が
人間には備わっていないというのが結論であるし、また経典には輪廻の話をしても
その存在を自ずから信じるものは誰もいないと、仏説を説明してもらって少し
づつその存在について知らされるのだけど、それを信じるものはいないと説かれて
います。
164 :
神も仏も名無しさん:2010/01/18(月) 10:14:40 ID:RhmmDzoX
テスト
165 :
神も仏も名無しさん:2010/01/18(月) 10:26:36 ID:RhmmDzoX
科学は人間が造ったものだから証明可能だが
転生輪廻は神が創ったものだから厳密な証明は不可能である。
そこであきらめるか、それとも神の子であることを根拠に
もう少し探求してみるかと思えるかなんだ。
神の子であることに不満があるならその思いがどこから
きているかを探求して修正しなくてはならない。
166 :
神も仏も名無しさん:2010/01/21(木) 00:50:46 ID:G9n7p+uB
>>115 そのためには、まず、「宗教『観念』」をすべて捨て去ることではないのかね。
その通りだね。
「精神病者の釈迦」という表現は別として、
「宗教」とか「仏教」というのは後付けの区分け・名称でしかないわけだね。
人間が存在もしないうちから名称なんて存在しないし、
存在したからと言って今後発見される彗星や恐竜の化石の名称を付けることはできないよね。
釈尊が行ったのは、目の前で苦しむ人を助けるための説法なんだね。
その説法を指して後から誰かが「仏教」と呼んだんだよね。
今と変わらず「死んだら自分がどうなるか」というのは大きな問題なんだけど、
「死んだら」という限り、「生きている自分がいる」ということが大前提なんだね。
そのために、まずはじめに、「(生きている・生まれてきた)人間存在」を解明せざるを得なかったわけ。
そして解明後、苦しむ人が安楽の生活を送れるように、のちに「対機説法」と呼ばれる形で説法をしたんだよね。
例えれば、車の構造が分からないのに修理方法なんてわからないだろ?
タイヤを治すのにエンジンの修理方法で直すかな?
バンパーを治すのに運転シートの傷み具合をみるかな?
167 :
神も仏も名無しさん:2010/01/21(木) 00:53:49 ID:G9n7p+uB
ちなみに、大乗仏教の竜樹、無着、世親は「人間存在の解明」をしたんだよ。
それまでは小乗仏教やら説一切有部とかいろんな解釈がはびこっていたからね。
それまでの思想をいったんリセットしなければならなかったんだね。
「人間の存在そのもの」は宗教でも何でもないから、
宗教という観念から離れる必要があったんだよ。
結果、彼らが支持する経典が「大乗経典」と呼ばれたんだろうね
「人間存在を説く経典」は何か?これが最初だね。
次に「行を説く経典」だね。
対機説法を説く経典を挙げて「これが絶対だ、正しい」とか言うのは、
車に無知な人が、走らなくなった自分の車を直してもらって
「ガソリンが切れたので入れました」とサービスマンに言われたことがすべてだと思って
エンジンが故障して走らなくなった友人の車を見て、
「それはガソリンが無いからだよ。ガソリンを入れたら走るよ」とアドバイスするようなもの。
超自然力を駆使するような話は、仏教ではあっても仏法ではないよね。
釈迦の教えとつながってるとは思えない。
行為 (縁)
.業 →→→→→→→→→→→→→→→ 果(≒異熟)
(仮A無し) (仮B無し) ・・・勝義
──・───────┬→(次の生)────・─
仮設存在A 死 仮設存在B
(五蘊の滅)-(五蘊の結生) ・・・世俗
行為・(悪)業 報い
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
──・───────┐
・仮設存在S 般涅槃 ・・・如来、阿羅漢
(シッダッタ) (五蘊の滅)-(無記)
・歴史的釈尊
※補:伝統的には、「五蘊の結生」の因は「渇愛・我執・無明等」であり、
その捨断・滅が「苦の終り」であり、「今の五蘊」の滅後に「次の生(後有)」を受けることはない、
となろうが、図がややこしくなるので略した。
>>169 この構図(考え方)自体には矛盾はない。(この抽象度の高さであれば・・・。)
問題は、
≪《「一段目の業」と「二段目の仮設A」とのリンク》が、
《「一段目の果」と「二段目の仮設B」とのリンク》へと
【そのリンクのまま】連なっていると言えるのか≫
ということだ。
仮設Bに於いて結生した果Bが、仮設Aの業の果であると言い得るのはなぜか、と。
このことの試案が
〔【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15 の83・84
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/83-84 及び
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13 の639
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/639 〕 なわけだが、
簡単に言えば、
「業Aが果Bを紡ぐ」。「業Aは仮設Aによるものであり、果Bは仮設Bに於いて生じているもの」。
(どちらも、所縁としてそのようでしかない。)
故に「仮設Bの果は、まぎれもなく仮設Aの行為による」と。
一応、アートマンや霊魂・永続的主体に拠らない、
縁起による輪廻の骨格はこのようなものとならざるを得ない。
*(ここに関して、明確な指摘批判は、まだ縁起馬鹿からも来てはいなかったように思う。)
※(【決着】アートマン15スレでは、83・84について、外野から指摘・批判が入っている。
110、125など。そして146の横レスは示唆に富む。)
前回の試案を違う形(図式的)にしてみたが、まだ何か足りないだろうか。
171 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 15:07:36 ID:4NWLTT88
>>170 >「業Aは仮設Aによるものであり、果Bは仮設Bに於いて生じているもの」。
>(どちらも、所縁としてそのようでしかない。)
【決着】アートマンスレ15のレス110の一つ目の疑義に関連して、上記を若干補足しておく。
《仮設されたAによる行為が業Aなわけだが、これは同時に
業Aであるから、A(という存在)が仮設される》ことでもある。
それは、「呼吸」という名称及び現象が「肺という器官の収縮による気体の出入」であるようなもので、
そこには「気体の出入」しかなく、それが「呼吸」と称されている。
そして【「気体の出入」が「血流」と呼ばることはない】。
或いは、長野の竈で飯を炊いて灰が生じたとしても、決して鹿児島の竈の灰とはならない、と。
このような形で、レス84の 《 >「□は、Aと仮設されるものであり」「◇は、aと仮設される」 》
は担保され得るのではないか。
以下は、
>>169を少しいちびってみた図w
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
「生き続ける釈尊」 (・・・縁起という法)
↑
行為. 経典・論書
(転法輪等) →→→→→→→→→ 〔 果 〕 教えの伝承・(聖者の輩出)
. 仏教学
──・───────┐
・仮設存在S 般涅槃
(シッダッタ) (五蘊の滅)-(無記)
・歴史的釈尊 …(説法の為化身した釈尊?w)
172 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 15:27:25 ID:BPuG/oZc
>>169 ちょっと違うと思います。修正すると
行為 (縁)
.業 →→→→→→→→→→→→→→→ 諸行無常(何とは言えない潜在力)
(仮A無し) (仮B無し) ・・・勝義
──・───────┬→(次の生)────・─
仮設存在A 死 仮設存在B(縁起によってxと仮設されて見える)
(五蘊の滅)-(五蘊の結生) ・・・世俗
行為・(悪)業 報い
173 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 15:32:31 ID:BPuG/oZc
>>171 釈尊の教えも、それぞれの業によってそれぞれに捉えられる。
所謂、凡夫の業を持ったものが、歴史的釈尊とか、その教えの伝承史を
結構、実在史観で考えますが、それは縁起的でなく一面的です。
つまり、縁起からすれば、凡夫の業以外のものが、いろいろと釈尊や諸仏の教えを
伝承したり、聴聞したりしていると考えられます。
こちらは凡夫の業からすれば特殊なので否定されがちですが、
これを認めないと縁起ではありえません。
>>173 いやいやいやいやw
仮設存在Aを認めながら仮設存在Sを認めないのはなぜですか?とw
勿論、如来としてでなく、ブッダとなる前の仮設存在Sも含みますよw
この別格扱いが、貴方の(
>>173や梵網経引用による)主張と異なり、
『宝珠的である』と指摘しているんですよ。
>>172 一つ目の修正〔 >諸行無常(何とは言えない潜在力) 〕は、
図式の構造を根本的に外れますのでおかしいでしょう?w
二つ目の修正〔 >(縁起によってxと仮設されて見える 〕は、
論者の間で既に了解済みのこと(→「仮設された」という言い回しは「縁起によって(所縁によって)」であること)
なので略した。 貴方の指摘以来「仮設(された)」とはもとよりそのような意味で使うようにしていますw
※そのように、あれもこれもと加えていくと(絵面も内容も)煩瑣になるので、
こういう作業のときは「いかに略し、いかに削ぎ落とすか」が重要だし、一番悩ましい所だろ?w
175 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 16:16:52 ID:BPuG/oZc
>>174 >勿論、如来としてでなく、ブッダとなる前の仮設存在Sも含みますよw
>この別格扱いが、貴方の(
>>173や梵網経引用による)主張と異なり、
>『宝珠的である』と指摘しているんですよ。
私が実在史観に異議があるのは、所謂歴史的釈尊しか認めない、
言い換えれば物理的実在の釈尊しか認めないその思想であって、
凡夫世界の言語習慣としての釈尊はもちろん認めますよ。
そこを誤解なさらぬよう、お願いします。
>一つ目の修正〔 >諸行無常(何とは言えない潜在力) 〕は、
>図式の構造を根本的に外れますのでおかしいでしょう?w
何がおかしいのでしょうか?
逆に
行為 (縁)
.業 →→→→→→→→→→→→→→→ 果(≒異熟)
(仮A無し) (仮B無し) ・・・勝義
とすると業と果が実体のように捉えられるでしょう。
業と呼び、行と呼び、因果と呼ぶのもただの仮設。
ただ無常ななんとも呼べない連続、流れるだけとするのがよいでしょう。
>>175 後段。
ならば、なぜ、前分の「業」を残した?片手落ちだろ?(君らしくもないw)
前分後分ひっくるめて「諸行無常」なんじゃねーのか?違ったか?
それに、それ( >とすると業と果が実体のように捉えられる )を言ってしまえば
≪「図式化」はおろか、「(紙面としての)文字化・文章化」自体が、
『実体的に捉えることを誘惑』している。 いや≪「(音声)言語化」でさえも≫そうだろう。
違うか?
ならば、(誰かさんの台詞だったか?)「語り得ることは何もない。ただ沈黙しとけ。」ってことだ。
177 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 16:44:57 ID:BPuG/oZc
>>176 『勝義空性経』に従うなら、セブンが正しかった。失礼。私が間違っていました。
ただ業も果も仮設であると但し書きした方がいいと思います。
>>177 了解。
>ただ業も果も仮設であると但し書きした方が
その方向も、一瞬、視野をよぎらないではなかったが、
ここで、業も果も仮設であるとして(或いはその方向で修飾形容して)しまってよいのか、今でも躊躇がある。
*(中論ではそう言わねばならないのかもしれんが・・w)
しかし、そこまで解体してしまうと、
今、種々に呈されている疑義(・・・業と果の関係、果の引き受け手、業果と仮設存在の関係)を
ぼかしてしまうかと思ったので、敢えて言い切りのままにした。
また、下段の世俗次元の「報い」と対応させるためには、やはり「業」と「果」と明確に記さねばならない。
*(また、中論で、対論者の偈とされているのが、そのような疑義なのであろうが・・・。)
(そして、この場合の但し書きの仕方を(今のところ)思いついていないw。単に「仮設である」でよいかどうか?と・・。)
(また、「業果をも仮設とする」という(ハイレベルな)視線は、こうして改めて指摘されない限り、
通常は持っていないのが私の実際だw まさに、貴方の揶揄する通りにね・・・w)
「縁起するのみ。業も果もない」と言ってしまうのは容易いが、これは少々危険な言辞となる。
名工による包丁も、魚も捌けば人も殺す・・・。
179 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 18:58:23 ID:5/dTS5xw
>>178 >また、下段の世俗次元の「報い」と対応させるためには、やはり「業」と「果」と明確に記さねばならない
ここが一番の問題点だろ?
世俗レベルの現象に対応させるのであれば、「縁起」「仮設」という語彙に
丸投げして、その詳細を語らずに済ませられるものではない。
そこを語らずに済ませるのであれば、「全て語らず黙っとけ」となる。
180 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:08:14 ID:BPuG/oZc
>>178-179 >「縁起するのみ。業も果もない」と言ってしまうのは容易いが、これは少々危険な言辞となる。
それは勝義の話なんで、世俗ではきっちり因果が縁起する。
飯喰わないと死ぬように、輪廻は続くのです。
181 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:17:11 ID:5/dTS5xw
>>180 >飯喰わないと死ぬように、輪廻は続くのです。
いや、だからね、今世、この現象界における因果はいいよ。
「三世に跨る業報」を主張するのであれば、「過去世」→「今世」
への連鎖を「縁起」という語彙に丸投げして、一切説明することなく
それを真実を主張するのは、どうなんですか? と問うているのですが?
>>179 いや、まあ、そうなんだけどさ・・・w
ただ、169で、 「この抽象度であれば」 と括弧書きしたように、
仏教というのは、事象の(精密な)説明体系ではなく、
あくまでも《枠組み(視線)の提示》である、とすれば、多少のアバウトさは容認できる。
つまり、卑俗だが例を挙げれば、
『同居人が冷蔵庫のプリンを食べたことに腹を立てた(恚)。なぜ、立腹したのか?
〔ああ、そのプリンを自分のもの、自分だけのものと見做して(我見)いたから、
それを無断に食われて腹が立ったんだな・・・。〕と。
この時、ニューロンの発火等の神経伝達まで含めて分析する必要はない。
「同居人の無断に食した行為」と「それを知った(知覚感受した)自分」と「恚の念(の生起)」とが観察されればいい。
あとは、「恚の生起と感受」を内省すればいい。(同居人の行為の是非を問うのは、また別の問題だ。)』
(或いは量子力学で考えるのでなくニュートン力学の範囲で考える、みたいな・・???w)
延々と繰り返されている押し問答は、この「ニューロンの発火レベルでどうなんだ?」というものであり、
縁起馬鹿は、その問い方(足場の取り方自体が、(西洋的)実在論・存在論に他ならない!と息巻くわけで・・。
また、宿命通で過去生を詳細に想起し得るならば、そのような覚者には、
「ニューロンの発火レベル」に匹敵する鮮明さ・詳細さで「業果」の連縛が見えるのかもしれない・・・w
だから、《縁起とは畢竟『内縁起』のことだ》と叫びたいわけさw (相依性とかはあまり好きじゃないw)
(※で、『内縁起』なれば、(三世に跨る)輪廻なぞ考える必要はない・・・。)
183 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:43:55 ID:5/dTS5xw
>>182 いや、言うことはわかるがね。
この「仏教における」輪廻業報というのが、純粋な「視点」、あるいは
「観念論」であるならば、問題はないかとも思う。しかし例えば
「障害をもって生まれついた赤ちゃん」を指して、「これは過去世の悪行
である」と規定するのは、「まさしく西洋的、実在論」なわけだ。
喩え、業の作り手も、引き受けても「仮設」されたものにすぎないと言おうが
世俗においてA→a の連鎖を見る限り、そこに、はっきりと「実在論的論理」が存在する。
それを許容する一方で、批判に対して「それは実在論だから、ダメ」などと
いう反論は全く成り立たないと思うがな。
184 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:49:17 ID:BPuG/oZc
>>181 >への連鎖を「縁起」という語彙に丸投げして、一切説明することなく
>それを真実を主張するのは、どうなんですか? と問うているのですが?
それは仕方がないでしょう。業不思議と言われるほど、非常に空間時間全体的関連性の中から現れ、
捉えきれないことと、説明しようとすると縁起でなく実体を仮設しなくては無理だから。
アーラヤ縁起、種子縁起、プトガラ、不失法、消滅物などなど色々説明装置が編み出されましたが、
どれも失敗しています。
私としては十二縁起がもっともスマートだと思いますよ。
あれは凄い。といってこれを説明する能力は現在の私にはありません。
ただ、一般的にはサーンキャや、タントラの期体からの生成説や、転変説、マーヤー説の方が分かりやすいかもしれませんが。
185 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:54:15 ID:5/dTS5xw
よって、「輪廻」については、それを信仰するのは自由だが、「基本的に
黙して語らず」を要求するわけよ、その信者たちに。
信者たちが、お互いの教義の理解の確認修正のために言及するなら、まだしも
間違っても「それが普遍的現象であるかのごとき語り」は、止めろよと
いいたいわけだ。 ところが、「それは、地球が丸いのと同じように普遍的
現象ですよ」と、主張するバカが後を絶たないから困るんだ。
186 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 20:59:27 ID:BPuG/oZc
>>185 それでいいでしょう。
仏教内では必要。
仏教外に押しつけるのはおかしい。
釈尊はそういう押しつけること、強制することを極力排除しましたから。
輪廻もただの言語習慣であることは間違いないですから。
187 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 21:23:37 ID:5/dTS5xw
>>186 >それでいいでしょう。
ほ〜〜〜、
>>185の見解を認めるか?
縁起一代も、大分、以前と変わったな。(笑)
ちょっと前ならば、「輪廻は真実なんだよ。お前が分かってないだけ。」
と、喚いていたろうが。
まあ、そのような姿勢の肯定論者は初めてだな。 今まで、
肯定論者は、ほとんど全て、仏教のフレームを飛び越えて
「それは普遍的真実である」と、主張してきたが。
『黙して語らず』 そう、これが本当の宗教者の態度だと思うね。
ならば、俺は何も言わない。 お宅の「信仰」は、尊重する。
188 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 21:33:14 ID:BPuG/oZc
>>187 無常ですからw
かつての未熟な物言い、誤解が解消できて幸いです。
一応、あの方だと思ってますが。(^^)
>>184 ほうw
こんなところにも対立要素が・・・w
>私としては十二縁起がもっともスマートだと思いますよ
(律蔵大品を讃しておきながら何だがw)、私は十二縁起が嫌いだったりする。
あの、小奇麗に整理された感じが堅苦しくて好きじゃない。(“美しさ”はあるかもしれない・・。)
つーか、無理過ぎるだろ?w(八支縁起の方が、まだしっくりくる・・w)
スマートさで言えばアッサジの偈文で十分だ。
190 :
神も仏も名無しさん:2010/02/14(日) 21:49:35 ID:BPuG/oZc
>>189 法身偈とか此縁性は、原理・公式みたいなものと考えます。
ところが、十二縁起は認識論・存在論的に諸相が仮設され分類されていると伴に、
サーンキャ的な生成・転変説を縁起的に合理化しているように思えるからです。
例えば、『梵網経』でアートマン説など禅定・三昧体験を否定する根拠として、
それらが感受されたものだからと説かれますが。
これは十二縁起の分類ならどこに位置し、どのような類の認識・存在として仮設されたものか
読み取れますが、法身偈とか此縁性ではそうはいきません。
こういった意味で十二縁起は、仏教の認識・存在の一覧票・カテゴリー表としても
機能しているように思えるからです。
ですが、難しくてまだまだ読み切ったとは思えません。
ですから、この説明もあまり信用しないでください。
>>190 なるほど。
大工さんの曲尺みたいだなw
了解。 ノシ
192 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 18:14:28 ID:9bsk+GSi
age
193 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 21:41:12 ID:9bsk+GSi
あっちもこっちも過疎ってんなw
勢いがあるのはキリスト教系か新興宗教系スレってとこか・・・w
194 :
神も仏も名無しさん:2010/02/17(水) 20:13:41 ID:z62OE81Q
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】4 勢い 2.8
みんな秋田か・・w
195 :
神も仏も名無しさん:2010/02/18(木) 23:16:17 ID:YGJO4LNn
age
196 :
神も仏も名無しさん:2010/02/20(土) 22:00:00 ID:r16QhAj7
age
197 :
神も仏も名無しさん:2010/02/23(火) 22:19:05 ID:Xp1rTkeB
age
198 :
神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 02:06:17 ID:uykfh0HG
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】5
が、落ちてたな。
10氏も最近は顔見せんし、宝珠は逃げ出したままか。
結局は、肯定派、総逃亡で決着か?
まあ、予想通りだが。
199 :
神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 10:17:33 ID:dy5LJPhY
輪廻転生は毎日の日常生活で経験してます
>>198 10ですが、居なくなったわけじゃなくて、他のスレなんかをROMってます。
輪廻スレ5の方は、を丁度使い潰したのに気が付かなくて、「反応が無いなー」と思って居るうちに落ちちゃいましたorz
新しいスレを建てるのもいい加減飽きたんで、そのまま放置してます。
まあ、反論は全部書き込めたんで、私としては再会する必要性は感じないですね。
肯定派の方が、「肯定派総逃亡」という結論に不満で、再反論したければスレ立てすればいいんじゃないですかね?w
宝珠愚者さんも、スレが落ちたことは認識してるみたいなので、
(
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html)自分で立てるかと思ったんですが、
そろそろ自分で設定した回答期限(3月6日)が来るんで、新しいスレを建てたくないようですw
コレまでのパターンだと、このまま、全ての議論が無かった事にして、
数ヵ月後に、シレッと「好評!宝珠愚者の輪廻スレ新シリーズ!」とか建てて、
「輪廻が実在する事は前シリーズで証明されましたが……」なんてテンプレを書くんでしょうね ┐(´ー`)┌
201 :
神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 13:18:46 ID:R+On3d2a
age
202 :
神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 15:01:45 ID:R+On3d2a
204 :
神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 09:44:15 ID:s27Y6Yg1
age
さて、宝珠愚者氏が自分で設定した回答期限が来ましたが、回答するつもりは全く無いようですなw
206 :
神も仏も名無しさん:2010/03/07(日) 00:36:41 ID:2RY72KM0
まあ、カスは、とことんカスってことだね。
207 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 22:46:30 ID:89XKVnSp
輪廻が終わる、解脱するというのは「無」になるということですよ
輪廻は救いなのです
解脱とは、虚無の中に築かれた救いの園を自ら捨て去ること
時が始まる前、大いなるアルコーンは光を生み出し世界を創られました
暗闇の中に喜びの光を集め、生命あるものが満ちるようにと
アルコーンは、ご自身の霊と生命を世界に注ぎ、世界そのものと成られたのです
世界に生まれては消えていく生命は、アルコーンに還りアルコーンから生まれることで永遠の輪廻に輝くはずでした
しかし、アルコーンの内なる妬み、闇からアイオーンが生まれ、アルコーンの霊と生命を蝕みだしたのです
アイオーンは、アルコーンの輝きを妬んで嫌い、世界を消し去って闇に還そうとしています
そのために輪廻する生命に自殺、すなわち解脱させようと画策しているのです
数々の陰謀がアルコーンの光の壁に阻まれた後、アイオーンはついに生命あるものの身体に蛇を埋め込むことに成功しました
その蛇は、一度目覚めれば恐ろしい炎で生命のみならず魂をも焼き滅ぼし、輪廻の根を絶ってしまうのです
蛇の炎に焼かれた魂は、完全に失われます
そして、すべての生命と魂が焼き滅ぼされたとき、アルコーンの霊の輝きが闇に消え、世界も消えてしまうでしょう
幸い埋め込まれた蛇はアルコーンの光により封じられ、ほとんどの場合奥深くに潜んでいます
そのまま目覚めることなく永遠の光に閉ざされるはずでした
208 :
神も仏も名無しさん:2010/03/15(月) 22:47:20 ID:89XKVnSp
しかし、アイオーンの執念は恐ろしいものでした
自らの器となりうる人類が生まれると、光の壁に闇で包んだ銀の剣を差し入れ、世界に侵入してきたのです
光の狭間、光と闇の瞬きから生まれた人の霊には、アイオーンの霊がより多く混じってしまったのでしょう
人の中には、時としてアイオーンの霊そのものとして生まれてくる者がいます
彼らは闇の子、光を閉ざし生命を闇に散らせる者たちです
彼らは、クンダリニーだの大周天だのと称しては、人々に蛇を目覚めさせる邪術を吹き込んできました。そして、アイオーンの使徒にだまされ蛇を目覚めさせてしまった人たちは……闇に融けていったのです
光の園を自ら捨て去り闇に消えることが、救いなのでしょうか?
永遠の魂を自ら砕くことが、救いなのでしょうか?
皆さんは、騙されてはいけません
皆さんの輝き、世界の光を守るために
世界に満ちる無限の光と生命、そしてすべてと成られたアルコーンの想いこそが救いなのです
「814」 「副島隆彦という生き方」というタイトルのインタヴュー記事を、載せます。
最近の私の考えが分かりやすく表明されています。副島隆彦 2006.12.15
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#1501 スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
言葉はこの二つだけのようですね。その他のいろんな膨大なお経は、全部仏陀が亡くなった後に、
弟子たちが勝手に作ったものだ。僧侶が葬式をやったり、お盆にお経をとなえたり死者を祀ったりは、
仏陀は一言も言ってない。ブッダは死に関わるな、と言っている。勝手に後の人たちが作った制度だ。
仏陀自身の言葉は、「愛欲と煩悩を捨てて、この世とあの世のすべてを捨てて、ただ一人歩め。ヘビの
皮が新しく抜け変わるように。サイの角がひとつ進むように。」と書いてあります。
奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
来世はない。あの世もない。「この世とあの世をともに超える」とスッタニパータ(「ブッダのことば」
岩波文庫 中村元訳、1984年初版) で仏陀は言っています。だから輪廻転生(りんねてんしょう)
もないのです。そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るの
だけれど、それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行
をしたヒンドゥ教の思想なのです。ヒンドゥ教 ( Hindu 、ヒンズー教、インド教)には輪廻転生が強烈
になる。六道輪廻ですね。生命は生まれ変わる。ですから、不思議な話ですが、本当の仏教(ブッダの教え)
は、徹底的に、無神論(むしんろん、atheismエイシイズム)なんです。
人生しんどい。
疲れた。
今回死んでも、またあと何百回生まれ変わり、苦しい人生を送るんだろうな。
気が遠くなる。
仏教もギータもレベルが高すぎるんだよ。
キリスト教での自己の神殿である聖霊が神なんだから、釈迦もその点は私ほど偉大なものなど
この世には居ないと言い切ってるくらいだから、凡夫には理解不能の境地
普通の凡人には、神は客体である最高の存在で輪廻も杞憂にすらならないので、日本での仏教の伸展率が異常なだけのように思える。
輪廻なんか考えないキリスト教のほうが世俗には向いている面はあるよ。
仏教=釈迦の真理は本当にレベル高すぎだと思う。
何故これほどまでの崇高な教えが日本で伸展しているのか不思議すぎる。
本場インドでも崇高すぎて理解されなくて衰退したくらいなのに
生まれ変わりの事実確認
まず
記憶が無くなる
財産が無くなる
これは確定。
だから、この生でどんなに苦しんでも、記憶がなくなるのでその苦しみは消えます。
自分が記憶でない、人格でない、財産でない、肉体でない
という認知がない人にとっては、死は絶対である。
そして、これも事実からもってきますが、
悟りを開いたような人の人生は、神話的に凄いとかではなく、
成熟した50歳の人間のような生活を10台からやっています。
和尚、天理教の教祖、ラマナマハリシ、ラーマクリシュナ
など、近代の神秘家の日常を調べてみると、人間離れしているというか、
普通に人間として成熟し過ぎていることに気づく。
そー言う特別な例でなくても、子供の頃から成熟している人はいます。
生んだ親より成熟しています。
すると、あれ、これは親から生まれたというより、この成熟はもともと
あったんじゃないの?という疑問がわきます。
もちろん、前世など無く、みな平等に0から出発しているかもしれませんが、、。
また、肉体は物質であり、土に返り、植物になり、人はそれを食べ、また生まれる子供
になる。循環があり、消えはしない。
では精神はどうか、精神は精神で物質なので、循環し、また新しい体を得るのか。
それとも精神という物質は一度クリアーされてから他の赤子に宿るのか。
精神は消えてしまう?
いや、何事も消えはしない。それは非科学的だ。
循環して生まれかわるか、変化して待った区別の形に再生されるかどっちかである。
>>215 >では精神はどうか、精神は精神で物質なので、循環し、また新しい体を得るのか。
>それとも精神という物質は一度クリアーされてから他の赤子に宿るのか。
>精神は消えてしまう?
>いや、何事も消えはしない。それは非科学的だ。
>循環して生まれかわるか、変化して待った区別の形に再生されるかどっちかである。
じゃあ、ついうっかり物理破壊してしまったオイラのハードディスクの情報を再生してください。
216氏
あ、それもあるね。
精神は精神体、物質なのか
それとも
物質、脳に刻まれた01010101010
の記号に過ぎないのか。
って事ですよね。
218 :
216:2010/04/15(木) 16:27:40 ID:cOSLS/kJ
>>217 ”精神体”とやらを、情報ではなく、何か良く分からない実体をもった物質だとするのなら、
その存在をまず証明してください。
物質であるなら、同定は簡単でしょ?
そして、精神が情報であるとした場合、精神が消えてしまうのが、どうして非科学的なんですか?
あなたは、情報と、物質(情報支持媒体)の区別が付いていないようですが、
科学で言えるのは、エネルギー保存の法則だけです。
つまり、情報を保持している”支持媒体(物質)”が、完全に消滅する事はなく、
エネルギーか、別の物質の形に変換されるだけであると言うことであって、
媒体が支持している、情報は消滅します。
情報が不滅であるなどと言うのは、疑似科学です。
それを端的に言ったのが
>>216です。
仏教=釈迦の真理は崇高すぎるよ。
輪廻がどうとか、中道とか
このような崇高な真理が一般人に理解される訳が無いのに
キリスト教でもイエスが解ってないのに、わかった風に振舞う律法学者を非難してるけど
仏教も同様に
このような崇高な真理が、現代まで何とか生き長らえることが出来たのは
皮肉にもわかった風に振舞う律法学者の働きによるものなのだろう。
律法学者の振る舞いは一般人にとっては実に信仰厚く見えるし、一般人はそのことを見抜けないのだからね。
インド人はやっぱり正直だなとは思うな。
理解できない物は理解できないと正直に非難する
わかっているわけが無いのに、知った風に振舞うキリスト教での律法学者の多いこと、多いこと。宗教界には
仮に人間が六法全集を持ち歩いてる猿を見たら、何もあえて言わないだろうが
それくらいのレベルに差があることをいい加減に気付いて欲しい。
もし精神が情報なら、死と共に精神が消えるのは科学的といってると思うけどなあ。
記憶と財産が死と共に消えるので、それ以外が自分と見出していない人にとって
死は絶対です。
また、輪廻があると思っている人は輪廻を見出しているわけではありません。
輪廻を実感することが大切なのであって、
あると思っていることとないと思っていることに大した違いはありません。
事実を見るにはあると思うこともないと思うことも共に障害です。
なのでブッダは「聞いてはいけない質問」に死後の世界について
を含めていました。
ブッダは論争しない。
223 :
神も仏も名無しさん:2010/05/29(土) 22:47:02 ID:j4e0nHKU
age
勉強になるスレですね
225 :
神も仏も名無しさん:2010/08/01(日) 23:45:55 ID:sGcqhvXe
過去世と言えば、生物の進化。で現在も進化中です。
受精卵が細胞分裂して形態形成のときに、
生物種としての過去世の形態をおおむねだどってその生物種の発生となる。
というわけで、われわれ人類も当然遺伝子DNAに過去世が組み込まれている。
ですから、爬虫類であった時の攻撃性なども脳幹にあるようです。
また自己中心性遺伝子とかもいいますし、これが宿業と思える。
まだ身体ができておらぬ時は行為の可能性があるだけですが、
身体ができて、現実世界で活動可能となった際に各種の不具合も発生させる。
それから、脳の前頭葉についても妄想の働きが強いものです。
現実に実在しない事をでっちあげたりする脳の働きです。
比喩や妄想としての過去世よりも、
現実の事実としての生物種の過去世からの引き継ぎの性質の解明が重要。
あげ
227 :
神も仏も名無しさん:2010/09/18(土) 10:31:06 ID:bSXkHSzl
まだこのスレあったのかよw
宝珠はどこに行ったのやら……
「神は存在するのか?」という質問に対して
「存在する」「存在しない」ということを完全に立証することはできない。
なぜなら…
宇宙の人間の知覚が及ばない場所に存在するかもしれないし
そこまで行きようがないから確認のしようがない。
もしかしたら地球上にいるかもしれないけれど
神様はあえて黙って見守ってくれているのかもしれない
もしかしたら隣の友達が神なのかもしれない。でも神の使命がどうたらこうたらで
バラしてはいけないのかもしれない。
もしかしたら「オレにとっては存在しないんだよ!」という意見が出るかもしれないけれど
「ほかの誰かにとっては存在している」かもしれない・・・だから
人によっては心の中で「一人じゃないよ」とそっと支え続ける神が居たり
人によってはビックバンから始まり大宇宙を統べる創造神が居るのかも。
在ると思えば心の中に在る
無いとおもえば無い
それは輪廻転生も同じ。
だから、それが在ることで心が救われるのなら信じたらいいし
べつに無くても困らないしどうでもいいなら信じなくても良い
そういうあやふやでなおかつ合理的なものじゃないかな。
229 :
神も仏も名無しさん:2010/09/21(火) 09:09:21 ID:C+ndWxdm
>>228 その考えってさ、「隙間の神」と言う、一番情けない神の存在形態で、一番神様を馬鹿にしている行為なんだぜ?
どのみちスレ違いだ。
>>229 べつにわたしは馬鹿にしているつもりはないけど・・・
何の証拠もなしに「神が世界を御作りになったあああああ」とか「あの雷鳴は神のお心です!」とか
誰かが言っていることをそのまま鵜呑みにはできんしなあ
馬鹿みたいに崇拝するだけが能じゃないよ。
>>それは輪廻転生も同じ。
というふうに「だいたい同じ観点で考えられることですよ」
って言ってるでしょ?
「輪廻はある」という主張に対する証拠として
「あると思えばある」と言っているんだよ
輪廻転生について語ってるんだからスレ違いじゃないでしょ
なんで噛み付かれなければならないの?
隙間の神ってそら宗教に入ってる人がそんな仮定したら批判されるだろうけど
無宗教の人間が仮定するときにも批判されなきゃいけないの?
あなたがどこかの宗教に入ってるなら申し訳ないね、ごめんなさい。
もう来ないよ。
231 :
神も仏も名無しさん:
宝珠♪