>>444 (2) 耄碌隠居
>4 生を苦としながら、「来世」まで追い求めるという「生への執着」。
*苦は世間のモノサシでしか見ない我執による。
不生不滅の悟りにおいて、いわゆる三世なるものは言語ゲームでしかありえず、
「来世」は世間のモノサシによる妄想でしかない。
>5 生を苦としながら、生を以って「涅槃」という「楽」を追い求める。
*涅槃は追い求める二項相対ベクトルによるのではなく、智慧(無分別智)による悟りの境地である。
苦楽という二項相対は即相殺され、中道そのものだ。
>6 煩悩を排除しながら、「解脱」「悟り」「涅槃」への欲望という「最大の煩悩」に執着する。
*5の返答参照。
>7 「苦楽」は一如であることに思い至っていない。「苦を去る」ことは、「楽を求める」という煩悩。
*中道において苦楽という二項は相殺され、離れている。
>8 「縁起・中道」は、「実体としての因と両極端」を前提とするから、
「空」には至れない。
*7の返答参照。中道において、メタゆえ前提はありえない。