>>444(死屍死)(4) 耄碌隠居
>10 生まれたばかりのわが子を捨てて家出した釈迦には、道徳や善を語る資格はない。
*偏狭な現代の核家族規範によって、2500年前当時のシャーキ族の文化状況を裁断する者の完全な謬論でしかない。
ラーフラは将来のシャーキ族の王として育成されるのだ。
たとえば、その当時当然だった一夫多妻制を現代のキリスト教的道徳や善とやらで裁断するのはナンセンスだ。
文化的歴史的モノサシが違うのだ。キリスト教を罵倒する者が、キリスト教規範で裁断するのはナンセンス極まる。
>11 要するに、釈迦は、その鬱病ゆえの厭世観の塊であり、また、頭
>が非常に悪く、論理矛盾だらけで、竜樹の卓越した頭脳にははるかに及ばない。
*「頭が非常に悪く、論理矛盾だらけ」の者の歪曲謬論による非難でしかない。
>12 世界が佛教に期待するのは、竜樹の頭脳から生まれた「相互依存
>性・関係性」という「時代を問わず万人・万物に適用しうる普遍の原理で
>あり、釈迦の精神病の症状としての厭世観や「あるがままのすべての人間
>の衆生心(真如)の否定」などではない。
*前半:龍樹はブッダの縁起により、ブッダの教えを解明し進化させた。
ブッダに縁りて龍樹あり、ブッダなくて龍樹なし。
後半:「あるがままのすべての人間の衆生心」とやらが苦しみをもたらす世間的なモノサシであることをブッダは指摘された。
分別心が「真如」とやらではありえない。