>>471耄碌隠居
>中道は、その名の示す如く、実体としての両極端を前提とする。
ぜんぜん判っていない。実体を前提としたら中道にならない。
無自性=無実体=縁起=空=中道だからこそ実体を想定させる“言語論理批判論”としての「中論」が書かれたのだ。
何を言っているんだ!おまえは。
耄碌隠居は単純唯物論という戯論者だから、実体思考(実体としての両極端を前提)に陥っているのだ。
龍樹が批判したのはまさに耄碌隠居、あんたの実体思考なんだよ!
>小乗(釈迦佛教)と大乗とは、もはや「違った宗教」である。両者間には、直接の関係はない。
釈迦仏教≠小乗仏教。
小乗仏教なるものはマハーカッサバ教とその末裔(アビダルマ部派)であって、「仏」教ではない。→(3)9.
釈迦仏教こそ本来の大乗仏教というに相応しいのだが、中観派以降バラモン的残滓によって混乱を極めて今日に至っている。
要するに、耄碌隠居はな〜〜〜〜んも、了解できない我執に満ちた石頭だ。
m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー!! アフォw