【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】8
1 :
神も仏も名無しさん:
3 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 11:30:08 ID:oAjYgRSF
4 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 11:33:06 ID:oAjYgRSF
スレ7/797-801
>それは、司法制度の問題。君に「善」だの「悪」だの、人を裁く資格
>があるのかね。君個人の思い上がりに過ぎない。
私が裁くのではなく、法(自然の摂理)に拠るのですよ。
>人を殺した者が、本当に楽しめるなどと思っている君には、宗教など語る資格はない。
では、あなたは犯罪をして捕まらなくても、
犯人の良心から本人は苦しむ筈だから、それでいいとでもいうのですか?
業報は違う!たとえ捜査によって囚われることなく無事に生涯を終えようとも、決してそのままでは済まな
いことをいっているのです。
逆の場合もまた然り。この世では報われないかに見える人知れない努力や善であっても、必ず等しい等
価を得ることを保証するものです。そのことにより、人が見ている見ていないに関わらず、悪をなさず善を
成そうと説くことが可能となるのです。
業は行為者に同等の力で返ってくるのです。いうなれば、これは作用と反作用の法則。これが平等であり、
自然法則(摂理)ですよ。
5 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/31(土) 13:55:23 ID:A+aJ8azv
スレ立て乙です。
前スレ:法珠愚者どの
>>801 >悪道の限りを尽くし数十人も殺害して平気な者も、
>死んだら等しく終わりですか?
>そんな論理でどうやって人々に善意識を植えるというのです?
釈尊が悟ったのは、森羅万象平等である。ってことですね。→中道ですから。
では何故に悪行を好まないか?というと、それは理性があるからです。
理性と感情のバランスにおいて人は共同体を形成してます。
理性というのは感情をセーブしますから、共同体においては重要です。
(人間の和の心ですね)
しかしながら感情というのも大切ですよね。→喜怒哀楽
(これがないと女性はマグロですからw)
この理性と感情のバランスは、人が生きて逝くうえで非常に重要です。
バランスが欠けてしまいますと、ある時に反社会的行動に出たりします。
(人間は基本的に完全ではありませんから、こういうこともある訳です)
つまり人間に完全性を求めても、それは所詮無理です。
しかし理想としての人間、または理想社会を希求するのもまた人間です。
法(ダルマ)は、このヒントにしかなりません。
これ以上のことは、釈尊は悟ってないのです。
それはアタリマエですね。
法(ダルマ)を生かすも殺すも人間ですから。
6 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 14:01:09 ID:oAjYgRSF
スレ7/785
>それに、「良いこと」「悪いこと」は、誰が、どのような基準で判断す
>るのかね。「良い」「悪い」は、あくまで具体的な状況によって変化する。
>意見が割れて一致しないときは、どうなるのかねw。
たしかに、我々には簡単にどうすることが最良なのか?判断がつかないことも多い・・。
しかし、行為に応じて「法ダルマ」が的確に作用するのです。
その行為の意図も重要でしょう。
スレ7/683
「輪廻転生」は「仏教の中心思想」というよりは、その目的にあたるものです。
浄土教は輪廻転生を排除してるようですが、ま〜元々ここは仏教ではない。
で、輪廻転生というと、カルトカルトと非難する輩が多いようですが、
それでは浄土教の他には輪廻転生を説かない法門(信仰)というのはあるのですか?
カルト呼ばわりしている人はこれに回答して下さい!
説かないところとは、一体どこ?
>>5 >つまり人間に完全性を求めても、それは所詮無理です。
>しかし理想としての人間、または理想社会を希求するのもまた人間です。
>法(ダルマ)は、このヒントにしかなりません。
>これ以上のことは、釈尊は悟ってないのです。
いいたことは分らなくもないですが、そういうのは仏教ではないのでは?
仏教の目指す境地は思考を超越したものです。
7 :
初代スレ7:2009/01/31(土) 14:17:36 ID:i+JYo/zI
>>6 >「輪廻転生」は「仏教の中心思想」というよりは、その目的にあたるものです。
( ゚д゚)y―~
( ゚д゚)y-~~
( ゚д゚)y ポロッ
( ゚д゚ )y
8 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/31(土) 14:19:21 ID:A+aJ8azv
>>6 >仏教の目指す境地は思考を超越したものです。
貴殿は今、人間の善悪において不条理だと。そのように考えましたね。
「思考を超越する」という本意は、その意味連関を断ち切るのです。
迷妄があるうちは、もはや涅槃には到らないかと思います。
つまり貴殿は法を求めているのではなく、
人間の不条理は納得いかない。ってことで
そこへ法を無理やり連関させてる。
どうか己の位相にお気づきくださいまし。
(かしこ)
9 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 15:11:46 ID:SEW9wAdk
前スレ
>>795 >>6 >仏教から実際、輪廻転生の思想を排除しては、仏法は成り立たないでしょう!
ちゃんと成り立ちますが、なにか?(→前スレ
>>772)
もういいかげんにチンケな一元論的世界観は捨てたら?
真正仏教は中道にて候。
中道と輪廻転生論は水と油、抗原抗体反応、異質思考にて候。
>行為に応じて「法ダルマ」が的確に作用するのです。
誰が作用させるのかね?あんたの神かね?
どこでその作用のメカニズムを確認しましたか?
勝手な妄想的推測にしかすぎない。
もういいかげんにヒンドゥ汚染のエセ「仏教」から開放されたらいかがですか。
そのためには
1) あなたのモラリズム体質から来る神秘的かつ絶対的善悪因果応報思想 及び
2) 絶対的自己意識(自分が存在しないなんて信じられな〜い!消えるのが怖い)を
放棄すること,です。
10 :
モラリストへ:2009/01/31(土) 15:21:44 ID:SEW9wAdk
「自分の感受性くらい」茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
11 :
モラリストへ:2009/01/31(土) 15:33:06 ID:SEW9wAdk
苦しむのを
輪廻転生のせいにするな
いまを生きていない自分
12 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 15:47:43 ID:oAjYgRSF
>>9 >ちゃんと成り立ちますが、なにか?(→前スレ
>>772)
>もういいかげんにチンケな一元論的世界観は捨てたら?
>真正仏教は中道にて候。
>中道と輪廻転生論は水と油、抗原抗体反応、異質思考にて候。
成り立ちません。
死んだら断滅とはこれ「外道」です!
>誰が作用させるのかね?あんたの神かね?
>どこでその作用のメカニズムを確認しましたか?
>勝手な妄想的推測にしかすぎない。
ゴータマが説いたものです。
>もういいかげんにヒンドゥ汚染のエセ「仏教」から開放されたらいかがですか。
ですから、そのエセではないという仏教教団とはどれですか?
私はそう聞いてるのです。回答して下さい。名称上げて下さい!
13 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 15:48:07 ID:oAjYgRSF
>>9 あなたの主張はアジタ・ケーサカンバリンとなんら変わりがありません。これで事足りるのならば、あなたこ
そ、では何のための仏教なのか?このアジタ・ケーサカンバリンと仏教の違いを説明して下さい。
「ブッダと同時代の自由思想家の中には、プーラナ・カッサパやアジタ・ケーサカンバリンのように、業の
因果応報を積極的に否定したものもあった。彼らは善悪の行為が後に安楽と苦しみの果報をもたらすこと
はないと考えた。またマッカリ・ゴーサーラのように運命論を説く人もいた。さらに、業の因果応報思想の中
には、前世での行為(業)を宿命のようにみなす決定論的な考えもあった。現世での行いは、善であれ、悪
であれ、すべて前世の業によって規定されているというのである。この説によれば、意志の自発による行
為は認められない。
これらに対し、仏教やジャイナ教は、このような人間の行為の効力を認めない説を行為否定論(akiriyavA
da, akriyAvAda)と呼び、道徳を破壊する説として非難した。
彼は唯物論を説き、業・輪廻の思想を否定した。善悪の行為の報いはなく、死後の生れ変りもない。人間
は地水火風の四要素からなるもので、死ねば、四要素に帰り消滅する。死後存続することはない。布施に
功徳があるとは愚者の考えたことであるとする。
だから、宗教的な行為は無意味で、この世での生を最大限利用して楽しみ、そこから幸福を得るべきだと
いう。
この思想は宗教や道徳の根本を破壊するものと恐れられ、他のインド思想諸派から激しく攻撃された。」
(インド思想史略説)
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bukkyou1.htm#ch1.4
14 :
モラリストへ:2009/01/31(土) 16:19:59 ID:SEW9wAdk
>>13 俺は前スレ
>>772で以下のように書いた。
『あんたが勝手に無批判な「概念仏教」的姿勢でそう読んでいるだけ。
俺にとっては、そんなアーリア=ヒンドゥ汚染のエセ「仏教」には用はないだけだよw
そもそも古代インドにおけるアーリア支配合理化のための政治的デマゴギー・イデオロギーを 現代日本人の人生の精神的骨格として受け入れる理由はない。
現代におけるブッダの教えは四諦八正道、三法印→無常=無我=縁起=空=中道で精髄を月指し得るし、現代的意義を成立させうる。
現代において輪廻転生妄想を必要とするにはカルト「仏教」だけだ。』
上記に一語の変更の必要も認めない。
ましてやどこの教団だの学者だのなんて権威主義には興味はない。
不生不滅の中道が断滅論、唯物論などではないことは当然だ。
勝手にペンキ屋をやるなよ。
そもそもブッダの中道は断滅vs恒常の二項相対対立と別次元のメタ・コードなんだよ。
言語や論理思考という分別ではなく無分別智で直覚し掴むものさ。
あんたのこころは乾いているね。
15 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 16:28:29 ID:oAjYgRSF
SEW9wAdkさんへ
あなたがそのように私を非難するのであれば、
是非、ご回答のほどを宜しく!
例えば、
他人様を弄び、虫けらの如く残虐に殺害してから遺体もバラバラにしたという殺人鬼がいます。
彼は旨いこと生涯、捕らえられることなく生涯を終えました。
あなたの論によれば、彼は犯罪を犯した意識で苦しみ続けるので、
それによって対等な果報を受けたと見なす。
これがあなたの見解ということで宜しいのですか?
また、その殺人が犯行直後に自殺したパターンについて(これも起こるケースです)。
その残虐非道の限りを尽くした犯行の本人への果報はどうなります?
そして人命救助で同じく命を落とした殉職者とも比較してはどうです?
これも死ねば殺人鬼と同じですか?
それは、単純に周囲の評価の違いだけだとあなたは説くのですか?
そんなことを子供たちに話して聞かせて教えようとするのですか?
16 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 16:33:04 ID:/AjZ5NBg
前7#690-691
>原始仏教だけが仏教だ、などと言うのは、「ライト兄弟の飛行機だけが飛行機だ」
と言ってるのと同じ。現代のジェット機とは、格段の相違があるではないか。
★ 大乗仏教は、原始仏教の「空」を、無数の人々の思索によって改良・発展させたもの。現代のジェット機である。☆
さ〜すが現代の賢者!!胸がスカーっとした!!ヽ(^。^)ノ
飛行機とジェット機の違いは、大変分かり易い!!☆★
<オウムの愚> を決して繰り返してはいけません〜
■ 当時の文献が、現代でも通用するという前提での解釈は、方法論として誤り。■
↑ 大変鋭い考察です!!スバラシイ!! (^O^)/
誰も気がつきませんねーーー、やはり・・・・(笑
17 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 16:41:26 ID:oAjYgRSF
>>16 ><オウムの愚> を決して繰り返してはいけません〜
くだらん--オウムの愚などとは関係がない。
>大乗仏教は、原始仏教の「空」を、無数の人々の思索によって改良・発展させたもの。
>現代のジェット機である。
話しになりません!大乗はゴータマの教えから離れたのです。小乗に対するアンチテーゼの姿勢から
結局、結果的にはゴータマから離れたのですよ。つまり仏教ではなくなっていった・・。その大乗発展の
流れはバラモン/ヒンドゥー化なのでした。私はこれが全部、悪いといってるのではありません。しかし結
局、古代インドの根本へと起ち帰ろうとしたのです。古代インドの原初的なパーワーと思想を求めたので
す。大乗発展のインド仏教の歴史はそういうこと。
18 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 16:43:35 ID:/AjZ5NBg
☆*****************************☆***************★*****************************☆
● 昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
● 私(ブッダ)の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。
先ずそれを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから。
./)/) ■ ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、
(・ー・)ノ 自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、
゚L-J その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。 (カラマ・スッタより) ■
☆*****************************☆***************★*****************************☆
19 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 16:45:37 ID:oAjYgRSF
>>15 つつぎ。
万が一、そんなものがゴータマの教えだったとしたら、
私はまっぴらゴメンだねぇ!
ありえない。
20 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 16:49:19 ID:oAjYgRSF
>>18 都合良く使うでない!
では、あなたもSEW9wAdkさんと同じか?
>>15のような事態に対する見解でいいとするなら、
それをあなたは「理性と経験によって承認」した上で支持してるのか?
ご回答を宜しく。
21 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 16:56:25 ID:PUKOC8vM
>>15 そうやって、常に、極端から極端にしか走れないのが、カルトの特徴。
圧倒的大多数の人間は、凶悪殺人犯でもなければ、殉職者でもない。特に良い
ことも悪いこともしない、又は、そこそこに良いことも悪いこともする人間で
ある。そのような圧倒的多数の人間は、一体どう扱うのかねw。
凶悪殺人はは、「現世」で裁かれ、または精神的負担を負う。人命救助者は、
「現世」で賞賛され、また、自らも、「人の命を助けた」という事実に、最大
の精神的満足を感じる。いずれも、思考器官も感情器官も灰になった「来世」な
ど関係ない。
輪廻転生など大真面目に説いている法門は、カルトだけ。教養ある現代人から
は相手にされない。カルトは「輪廻転生」で信者を「脅迫」「洗脳」しなけれ
ば、「営業」が不可能だからである。あるお坊さんに、信者が「来世は本当に
あるのでしょか」と聞いたら、「死んでみなくちゃ分らん」と答えたそうだw。
輪廻転生が、釈迦の直接の言説に最も近いと思われる再古層には存在せず、その
後に多く現われているのは、君のような、ヒンドゥー教の呪縛から逃れられな
い「仏教者」の洗脳が、再びフラッシュバックしただけの話。
君はいい加減で、ヒンドゥー教、キリスト教のような、君の古巣のカルトに
戻れ。仏教よりもはるかに居心地が良いはずだ。
22 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 17:07:31 ID:eKpdMUZU
前スレ
>>795 >たしかに一見、仮説としては成り立っていることは分ります。
>しかし、仏教から実際、輪廻転生の思想を排除しては、仏法は成り立たないでしょう!
>輪廻転生の基本原因は業報です。業報を無視するということは何でもありということです。
ブッダが生まれ変わり(来世)を説いたことを否定しているからといって、業報を否定しているのではありません。
業報はこの世での現実の話なのです。
業報の背景には縁起思想があります。
すべて原因があって、結果が生まれるというのが、縁起です。
業報とは、行為「業」があり結果「報」が生まれるということなのです。
スッタニパータより
651 行為によって農夫となるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって傭人となるのである。
652 行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者ともなり、行為によって王ともなる。
653 賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。
654 世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。−−進み行く車が轄に結ばれているように。
655 熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、これによって<バラモン>となる。
これが最上のバラモンの境地である。
これを見ても分かるように、業報はこの世での現実の話です。
23 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 17:07:48 ID:oAjYgRSF
>>14 >現代におけるブッダの教えは四諦八正道、三法印→無常=無我=縁起=空=中道で精髄を月指し得るし、
>現代的意義を成立させうる。
ですから、「無我」は「アートマンはない」などというものではなく、「それら(五蘊)はアートマンではないから、
アートマンではないものと自己を同一視するな」というものです。「縁起/空」は無常な現象世界の流転変滅
する様をいうのです。人間の生における流転とは転生の繰り返しをいう。それは水(液体)が氷(個体)になっ
たり、蒸気(気体)になったりしてるようなもので、外見の形態が変わろうとも水の全体総量は変化せず、存
続し続けるのです。
>ましてやどこの教団だの学者だのなんて権威主義には興味はない。
はい、もういいですよ。つまり、輪廻転生を説かない宗派教団は一部、浄土系を除く他にはどこにも存在し
ていないのですね。
では、つまりこういうことになります。現存する仏教の法門は阿弥陀信仰のグループと、あと他は全てカルト
仏教であると!あなたの見解は分りました。そういう見方もあるということで受けておきます。
24 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 17:12:07 ID:eKpdMUZU
>>17 >話しになりません!大乗はゴータマの教えから離れたのです。小乗に対するアンチテーゼの姿勢から
結局、結果的にはゴータマから離れたのですよ。つまり仏教ではなくなっていった・・。その大乗発展の
流れはバラモン/ヒンドゥー化なのでした。
生まれ変わりについても同じです。ゴータマの教えから離れたのです。
25 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 17:16:13 ID:oAjYgRSF
>>21 >そうやって、常に、極端から極端にしか走れないのが、カルトの特徴。
>圧倒的大多数の人間は、凶悪殺人犯でもなければ、殉職者でもない。
ニュース報道で度々、眼にするこれも現実です。
そのような場合についても説明し得るものでなければ意味がない。
>いずれも、思考器官も感情器官も灰になった「来世」など関係ない。
ただの唯物論、外道です。
外道とは仏教の枠外を意味します。---「外(そと)」です外!
>あるお坊さんに、信者が「来世は本当に
>あるのでしょか」と聞いたら、「死んでみなくちゃ分らん」と答えたそうだw。
そういうのを糞坊主、なまぐさ坊主という。
26 :
モラリストへ:2009/01/31(土) 17:24:29 ID:SEW9wAdk
>>15 仏教が問題にするのは、いま、ここ、じこ のみ。
無明自己から解脱すること。
その手段としてさまざまな真っ当な人間としての教えをブッダは説いた。
これにより無明世間を超越するまなざしで、しかも世間の真っ只中で慶安に生きなおすことだよ
・・・ブッダの本懐はこれにて遂げられる。
あんたのモラリズム体質からすればあんたの事例はとうてい許しがたい不条理にみえるだろう。
だから確認不能の前世、来世を想定してまで永遠の信賞必罰論理で溜飲を下げようとする。
ヒステリックなモラリストによくある傾向だ。
しかしそれは複雑きわまる縁起によるものであって、
“悪い奴ほどよく眠る”“正直者ほど馬鹿をみる”ように見える無数の事態は世俗諦ルールでコントロールするしかないんだよ。
あんたの言うとおりになれば芸術(とくに文学)なんてほとんど成立しないだろうね。
ドストエフスキーやカミュなんか開店休業だよw
それにしても、ホントに子供っぽいヒステリック・モラリストのうえに、捻じ曲げペンキ屋体質だねえw
子供たちには段階的に本当の現実を教えることだ。前記の茨木のり子の詩もいつか一緒に
読むといいね。
27 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 17:26:58 ID:oAjYgRSF
SEW9wAdkさんへ
あなたとアジタ・ケーサカンバリンとの違いについて説明し下さい。
はい、これが断見/断滅の説明です。
「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さら
にかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の
境地がある)と、巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
「断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生ま
れることがないとする見解のこと。反対語は常見(じょうけん)。原始仏教、つまり釈迦が在世の
頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間や我の断滅を主張したものである。「見」と
は見解・意見・見方のこと、あるいは邪見や執見との否定的な意味も含む。人の一生・人生はこ
の世の一回限りであるとして、死後やその運命を否定して、この世における善と悪の行為やその
果報を無視し否定する見解をいう。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
28 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 17:28:33 ID:/AjZ5NBg
>>762 >そんなことを子供たちに話して聞かせて教えようとするのですか?
今、来世のことなど、子供たちに話して教えようとする必要は無いでしょう
誰にも分からないことをあえて偉そうに決定づけて教える程の意味があなたには何かありますか?
本当に万人に証明出来、認められた時に教えれば良いこと・・・誰も皆、不完全な人間ですからね
誰にも分からないことは、分からないで良いのでは?→ 無記
誰でも自分が一番可愛いのだから他人も同じこと、だから他人を害してはいけないとか、
自分が苦しむことは嫌だから他人も苦しめてはいけないとか・・・で充分でしょう
宝珠愚者氏は、誰も証明出来ない輪廻転生を現実の司法・・等より完璧なものだと言われますが、
何にも長所・短所はある筈です。是非、短所も考えてみて下さいな
まず、短所は完全に誰も証明できず、万人が認めていないこと・・
これはキリスト教の神の存在を誰も証明出来ず、万人が認めていないことと同じです。
キリスト教の罪の観念で脅し人の精神を宗教者が束縛する副作用の弊害をあなたは考えませんか?
キリスト教の悲惨な殺戮の歴史が如実に物語っているでしょう
仕事オチ
29 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 17:36:10 ID:oAjYgRSF
SEW9wAdkさんへ
>苦しむのを
>輪廻転生のせいにするな
>いまを生きていない自分
では、仮に前世来世などというものはないとしてみましょう!
で、今生だけのための業報?という論(そんな仏教理論は存在しないのだが・・)によって
「私はこの1度だけの人生を自分の快楽のためだけに生きたい」として、
遣りたい放題の人間に対しては、あたなはどうようにしてそれを制するのですか?
ご回答のほどを宜しく!
30 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 17:44:27 ID:PUKOC8vM
要するに、宝珠愚者氏は、自らにどこか外部から植え付けれれた「唯一
人格神」の観念が、仏教によって吹っ飛ばされるのが怖いだけ。
結局は、キリスト教が原因です。
他の宗教でも、キリスト教の影響があると「例外なく」カルト化します。
これは、多くのカルト事例の研究からの、最終的結論。
彼が固執して止まないヒンドゥー教も、実質的には一神教です。
ガンジーも、結局は、世界平和には何の役に立たず、宗教対立をさらに
激化させ、自らと娘が暗殺される原因を作っただけ。これは、ガンジー
が英国滞在においてキリスト教の影響をたっぷりと受けたからです。
彼が、インドの最下層賎民を「神の子」と呼ぼうとしたが、彼らは何故
ちゃんと「最下層賎民と呼ばない」と激怒したという、ガンジーのキリ
スト教的偽善性からも明らかです。
31 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 17:49:17 ID:oAjYgRSF
>>28 はい、詳しく丁寧な回答をありがとうございました。
あなたの主張は私も納得しますよ。それは理解できます。
従って、
仏教を信用できない者は受け入れなければよいだけのことです。
仏教による世界支配というものはないのですよ。
これを受け入れる者(個人)だけがそうすればよいのです。
あなたは理解できたときに入信すればいい。
それだけのことです。
>誰でも自分が一番可愛いのだから他人も同じこと、だから他人を害してはいけないとか、
>自分が苦しむことは嫌だから他人も苦しめてはいけないとか・・・で充分でしょう
それだけで済むなら、歴史上の大虐殺とかは起こり得ないのですが?
ネロ、カリギュラ皇帝、串刺し公ヴラド・ツェペシ、魔女狩り、十字軍、ユダヤ・ナチ収容所・・。
以上で、あなたとの議論は終了です。
32 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/31(土) 18:01:46 ID:qEcvJkAN
ここまでROMる。
法珠愚者どのと拙者は、考え方に相違がありますが、
法珠どのの書込みは面白いですね。→いい意味で。
貴殿の書込みに感動して、アンチ派もおもわずレスポンするのかとおもいます。
ある意味、人間の根本に関わる問題ですから、
世俗諦という範疇でしたら大変興味深い。
輪廻転生論というのは、それは壮大なロマンですよ。
テーマとしたら人類の最大の謎ですからね。
こんなことを真剣に考えられるのは若いうちです。
老いてきますと、どうでもよくなりますからね。
で、一番謎なのが、釈尊は悟って輪廻転生に確信を持ったのですか?
もしそうだとしたら、釈尊は仏陀ではないですね。
ただの俗人ですよ。
拙者はそう思います。
33 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 18:02:26 ID:oAjYgRSF
>>30 >要するに、宝珠愚者氏は、自らにどこか外部から植え付けれれた「唯一人格神」の観念が、仏教によって
>吹っ飛ばされるのが怖いだけ。結局は、キリスト教が原因です。
私はキリスト教の概念に反対しているといった筈です。彼らの説く人格神なるものは存在しないと。
>彼が、インドの最下層賎民を「神の子」と呼ぼうとしたが、彼らは何故ちゃんと「最下層賎民と呼ばない」と
>激怒したという、ガンジーのキリスト教的偽善性からも明らかです。
それは意味を読み解ければ氷解します。彼らが怒ったのは、貧しく苦しい生活苦から思わずほとばしり出
たものであって、「こんな酷い状態にある」(カーストによる差別待遇に対する不満を込めて)のに、その一体
どこに神の子としての尊厳があるのか?と、つい不満をぶつけたものなのです。
対するガンジーの神の子と呼ぼうとした意図とは、どんな苦境にあっても負けず、耐え忍ぶことができるよ
うに、カーストなどといった人間が勝手に設けた制度には関係がなく、自分らの本質は等しく神の子としての
栄光が与えられていることを信じる喜びを持って欲しいからです。それによって耐えることができるからです。
ガンジーは何もカーストを肯定してるわけではなく、カースト批判の意識からもその姿勢を示したかったのです。
34 :
初代スレ7:2009/01/31(土) 18:10:26 ID:i+JYo/zI
横槍一言w
>>29 (仏教的に、経典の後ろ盾付にするなら)、マッリカーの逸話で十分だろ?w
36 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 18:13:14 ID:PUKOC8vM
>>33 君は、人間としてのキリスト教徒や教会制度は批判できても、イエスは絶対に
批判できない。それがまさに「クリスチャン」なのだよ。
君の思考は、全体的に、クリスチャンそのもの。
37 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 18:16:13 ID:oAjYgRSF
>>32 >輪廻転生論というのは、それは壮大なロマンですよ。
>テーマとしたら人類の最大の謎ですからね。
はい、これは根底に業報の理論があるからです。輪廻転生は大変、重要な事柄(テーマ)です。
>こんなことを真剣に考えられるのは若いうちです。
>老いてきますと、どうでもよくなりますからね。
私は決して若造ではありませんよ。ま〜ジジィでもありませんが(笑)
>で、一番謎なのが、釈尊は悟って輪廻転生に確信を持ったのですか?
仏典に信を置くならば、その通りです。輪廻転生を否定した経があるならば、それを出して下さいよ。空だ
から・・・とかいうのは、もう要りませんから。輪廻転生の思想はバラモンの外道である。そんなものはないと、
教えた経文があるという人はそれを提示願います。
>もしそうだとしたら、釈尊は仏陀ではないですね。
>ただの俗人ですよ。
>拙者はそう思います。
俗人こそ「死後は確認できない」のではありませんか?ゴータマには確認する能力がありました。だからそ
れを説いたのです。従って、そのような能力は凡夫にはないから、これを世間では「仏陀は俗人ではない」と
いうのです。
仏陀とは凡夫俗人が知り得ない世界を知っているのです。そこから、語られたものが仏教の教えです。俗
人でも知ることができるような内容ではない。
38 :
モラリストへ:2009/01/31(土) 18:44:17 ID:SEW9wAdk
>>27 『不生不滅の中道が断滅論、唯物論などではないことは当然だ。
勝手にペンキ屋をやるなよ。
そもそもブッダの中道は断滅vs恒常の二項相対対立と別次元のメタ・コードなんだよ。
言語や論理思考という分別ではなく無分別智で直覚し掴むものさ。』(
>>14)
39 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 18:45:18 ID:oAjYgRSF
40 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 18:47:18 ID:oAjYgRSF
>>36 私はイエスのみならず・・クリシュナ、シャンカラであれ、とても肯定的ですが?
>君の思考は、全体的に、クリスチャンそのもの。
あんれ?キリスト教は輪廻否定でしょよ!w
それに私は人格神も認めないし、
キリスト教にとって最も重要視するキリストによる贖いという姿勢を強く否定していますが?
これはクリスチャンなら1番、論外とみなすものです。
あなたの批判は〜何でも味噌も糞も一緒でめちゃくちゃです。
41 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/31(土) 18:48:45 ID:qEcvJkAN
>>37 >輪廻転生を否定した経があるならば、それを出して下さいよ。
前に書込みしました雑阿含経・第一義空経の一節で充分ですね。
これを解釈するスキルがあれば。の話ですが。
つまり空思想というのは原始仏教から面々と継承されておったのです。
これを龍樹が原点回帰ということで中論を書いたのですから。
中論はあくまでも説一切有部へのアンチとして書かれたものです。
つまり、中道を突き詰めていきますと、もはや一般的概念における「時間」というもんが
崩壊します。
ゆえに、死んだ先のことなど理論的に有り得ないんですね。
有り得ないもんを否定はできんでしょ?
肯定も出来ない。
未来(死後でもいい)は、現時点を起点とします。
しかしながら現時点においても、来つつあって今でありますし・・・
また去りつつあって今ですから、
来つつあって、なおかつ去りつつあるものは、今ではない。
今という起点がそもそもなければ、未来(死後でもいい)や過去などあろうはずがない。
と、このように中道において説一切有部を論破した経緯があります。
(この拙者が提示しました論拠で納得が逝きますか?)
42 :
モラリストへ:2009/01/31(土) 18:50:07 ID:SEW9wAdk
>>27 ここでヒステリック・モラリストの宝珠愚者がご都合主義的に引用している中村元博士の世界観を示しておこう。
『ここで皆さんは、妄執がなければ執着は当然止滅するが、執着が無くなるとなぜ出生までも無くなるのか疑問に思うかもしれません。
執着のあるなしに関係なく人間は生まれるではないかとは、もっともなことであります。
しかしここで考えなければならないのは、自己とは妄執と執着によって仮構されたものであるということです。
妄執の中核を打ち砕けば、仮構された自己は消滅します。自己が消滅すれば、じ自己によって仮構された世界像も壊滅してしまいます。
そこには「ありのまま」の世界があるのみで、分別、対象化された世界はありません。
有るとか無いとか分別した世界ではありませんので、自分と世界とは素通しになってしまいます。自己は無限定なものとなってしました。
後世の大乗仏教では「自他不二」(自己と他とは分離できない)といっています。
そうした「ありのまま」の世界では、自己は限定なき存在そのものなのですから、当然出生もありません。
出生がないのですから老死もないのです。
これがブッダの不死の法則です。
後世これを不生といっています。』(ブッダの人と思想 49頁〜50頁)
平易に説かれた達意の名文というほかはないだろう。
このような視点からすれば当然、業報輪廻、神・悪魔・天国・地獄などという妄想は真相として入る余地が無い。
説くにしても世俗における心理的な比喩、物語として以上の意味はないのだ。
43 :
モラリストへ:2009/01/31(土) 19:18:02 ID:SEW9wAdk
>>29 >「私はこの1度だけの人生を自分の快楽のためだけに生きたい」として、
>遣りたい放題の人間に対しては、あたなはどうようにしてそれを制するのですか?
他人に迷惑をかけていない限り、あえて制しません。
本人がその不自由さに気がつくのも自由だからです。
快楽のためだけに執着して生きることもその人の生き方であり、
その反面執着ゆえに苦しみも生じるのは当然です。
まさに大部分の人間がそうであり、その苦しみを乗り越えることをブッダは教えました。
快楽主義といわれるエピクロスの本義も精神的な平安にあります。
エピクロスの「アタラクシア」はブッダの涅槃と同意義だと思います。
44 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 19:44:10 ID:fW0q94zk
>22
>これを見ても分かるように、業報はこの世での現実の話です。
あんた現実を知らずのうのうと生きてる坊主か?
あんたさ、ガザの住人が虐殺されるのはガザの住人の業の結果なのか?
派遣社員が首切られるのも派遣が悪いのか?
行いでどうにでもなるなら
あんた、首切られた派遣社員の前で「行いによって社長にもなれる」と言ってみ。
45 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 19:48:21 ID:oAjYgRSF
>>43 答えて貰えないようですね!
歴史上、少女の生き血を絞った風呂に漬かって、不老の肖ろうとした奇女も実在しました。
これらの人々には、相手の激痛や悲しみ、絶望・・も関係がありません。
業報理論によれば、女性はただ済むことは在り得ない。
しかし、あなたの理論では、この女性は生涯において勝手な自己の楽しみを満喫して過ごし、
なんかの報いも受けません。これがあなたが信じるゴータマの思想とやらですか?
46 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 19:54:36 ID:oAjYgRSF
>>22 都合のいい部分だけを見てるようですね。
全体を通じてみないと意味がありませんよ。
「賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報い
とを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は
業(行為)に束縛されている。---進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。」(スッタニパータ653-654)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(同666)
「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生の
あるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。」(同676)
業は絶対性のものであって、来世にも果報を受けることを述べています。
47 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 20:03:35 ID:oAjYgRSF
>>41 >中道を突き詰めていきますと、
>もはや一般的概念における「時間」というもんが崩壊します。
それは勝義です。
ですから、頭で思考でそのような理論を巡らしたところで輪廻からは脱することはできないのです。
砂糖に塩塩・・と、ただ思考を巡らせようと、甘いものという実体には変化はない。
実体の変容には修行が必要なのです。
書物や理論では到達できない。
>>42 それは解脱した存在にとっての世界観を示すものです。
特に間違いとかいったものではないです。
48 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 20:03:35 ID:uLy5fg4o
>>45 その不老の肖ろうとした奇女って当然、クリでしょうねw 多分〜
捕まって自分も酷い環境で殺されたのではなかった?
>>31 >それだけで済むなら、歴史上の大虐殺とかは起こり得ないのですが?
ネロ、カリギュラ皇帝、串刺し公ヴラド・ツェペシ、魔女狩り、十字軍、ユダヤ・ナチ収容所・・。
↑ の大虐殺は何故、起こったとあなたは判断されてるのですか?
仮に輪廻転生の観念を仏陀が説いたと決定したとしたら上のようなことが起こらないと断言できる
理由を教えて下さい。
アサハラも牧師も神父も又、カルトの教祖も沢山の宗教指導者達は、罪・天国・地獄・カルマ・輪廻転生・・
などの観念を勿論周知で自から説いてますが、それでも何の恐れも無く宗教犯罪を犯しているのですw
つまり、来世などより現在の宗教の真理・教義・教団・自分達の生活・命・・等の方が大切ということでしょう
あと・・・輪廻転生の短所も考えて頂けましたか?報告お願いします。
>>32 >貴殿の書込みに感動して、アンチ派もおもわずレスポンするのかとおもいます。
あはは・・・(笑) 感動なんて・・面白〜い、余裕がおありですね
宝珠愚者氏のレスに、異様に用意周到な狂気の危険な論・脅し・企み・・の臭いがするからですょw(笑
49 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 20:07:49 ID:oAjYgRSF
>>41 >前に書込みしました雑阿含経・第一義空経の一節で充分ですね。
>これを解釈するスキルがあれば。の話ですが。
解釈など不要です。「輪廻転生はない」と説いた文章は経典のどこにありますか?
50 :
初代スレ7:2009/01/31(土) 20:08:40 ID:i+JYo/zI
さて、スレも序盤だし、
また駄レスを一つ入れておくか・・・。
宝珠氏(及び断滅批判者)には、
「100万回生きたねこ」を100万回熟読してほしい。
そして、佐野洋子が、
なぜ、タイトルを「100万回(101万回)死んだねこ」ではなく「100万回生きたねこ」としたのだろうか、
と、よくよく考えてほしい。
(厳密には“転生”ではないが)、転生(物語の前提)の肯定否定ではなく、
何が言われているのか、を・・・。
おやすみ ノシ
>>44 >あんたさ、ガザの住人が虐殺されるのはガザの住人の業の結果なのか?
宝珠氏なら、(「共業(ぐうごう)」という言葉を用いながらかもしれませんが)
「そうだ」と言うでしょうねw
ノシ
51 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 20:10:49 ID:uLy5fg4o
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
現代では、思考や記憶や認識は、脳の機能であることが証明されている。
死ねば、脳は腐敗するか、灰になるから、これらの機能は停止する。
記憶が消失すれば、人格の同一性もありえない。従って「輪廻転生」は、
真理ではない。
脳や身体が腐敗し、又は灰になっても、その原子は消滅することはないから、
自然界の生物・無生物を循環する。しかし、前世の記憶も思考も一切失われて
いるから、これらの循環の認識も知覚も不可能。死者にとっては、この循環
は認識不能であるから、一切無関係。考えること自体が無意味。これが、現代
「輪廻転生」である。
■ 仏陀の時代は、脳科学も、生理学も存在しなかったから、無理も無いこと。
これらの無知は、釈迦の責任ではない。しかし、その無知を正すのは、現代人
の責任である。■
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
52 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 20:43:23 ID:oAjYgRSF
>>48 >その不老の肖ろうとした奇女って当然、クリでしょうねw 多分〜
>捕まって自分も酷い環境で殺されたのではなかった?
http://members.jcom.home.ne.jp/0350371001/works/works_4_h.html http://members.jcom.home.ne.jp/0350371001/works/works_4_d.html >>31 >↑ の大虐殺は何故、起こったとあなたは判断されてるのですか?
>仮に輪廻転生の観念を仏陀が説いたと決定したとしたら
>上のようなことが起こらないと断言できる理由を教えて下さい。
個々のケースでいろいろでしょう。しかし、基本的にいえることは、いずれも身勝手な自称の正義を掲
げたり、大義のための小さな犠牲は止む無しといったものや、人々の苦悩を我ごとのように感受できな
い精神的な未発達と心の病に冒されているのです。
輪廻転生と業報の教えを示しても、聞く耳持たないものは当然、出ますよ。ここにも沢山、集っています。
確認できないとして無視しようとするのです。けれども、中にも思い止まる者も現れるでしょう。一般的に多
くの人々には効果的だと思います。やはり、一部のこれら歴史上の大虐殺を展開するような輩は無理かも
しれません。
重要なことは、たとえ無視して実行(残虐非道な行為)に移そうともそれで済むことはない。必ず行為者で
ある本人がその報いを受けることになるのです。
「確認できない」などという人は仏教を信奉しなければいいだけのことですよ。私はゴータマに信頼を寄せ
ます。部分的にだけゴータマを賞賛する姿勢というのは、結局、ゴータマを疑って、信用しないということで
す。疑うのは自由ですが、その人は仏教徒ではない。
53 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 20:43:53 ID:oAjYgRSF
>アサハラも牧師も神父も又、カルトの教祖も沢山の宗教指導者達は、罪・天国・地獄・カルマ・輪廻転生・・
>などの観念を勿論周知で自から説いてますが、それでも何の恐れも無く宗教犯罪を犯しているのですw
>つまり、来世などより現在の宗教の真理・教義・教団・自分達の生活・命・・等の方が大切ということでしょう
知識、理論だけで「知ってる」「認めます」とはいっても、狂気が都合のいい身勝手な言い訳を見つけ出す
のですよ。しかし、アサハラがただで済むということはない。もしも彼が捕らえられずに済み、無事に生涯を
過ごせたとしてもです。人間は平等とはこのことをいうのですよ。人は様々に差別しますが、しかし、法(天)
の上に人間は平等なのです。
54 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 20:53:25 ID:oAjYgRSF
とにかく、めちゃくちゃ〜は辞めましょうか!
カナンの地(イスラエル)に固執するユダヤ教徒の迫害の歴史も永くて大量に殺されてきた。
キリスト教徒も大量に殺されてきた事実を持つ。
輪廻転生の教義を持たない(否定する)キリスト教徒らは大量殺戮を行ってきた。
輪廻転生を説いたらカルトなどという論理が成り立たない。
では、輪廻転生を説かない仏教とはどれか?と聞くと、ただの一つも出せない。
デタラメと味噌も糞も区別が付かない人たち・・が批判してるだけです。
>>39 その「起源」は神話や法典の説くものとは異なるね。
原住民を侵略したアーリア人の支配から生まれたという歴史説とも違う。
人類の性質の進化に合わせて、というあたりが神智学的というかヨーロッパ的に感じられる。
カーストについての彼の意見と同じだったら、ガンジーはカースト制そのものを否定しているはず。
でもってカーストとは、ヨガナンダが言うように、本人の適正や行動への呼び名であると主張しているはず。
が、彼は擁護するにあたって従来のカーストを前提にして、これにこんないいところがあるという言い方をしている。
それでも『ヴァルナを「神の創造物全体における絶対平等の法則」』と言えるのは
彼の愛読書のギーターで、どのカーストでも救われるとされているためだろう。
電波説では、釈迦は人の死後の生れ変りを意味しない輪廻を説いた。衆生の死後は無記。だという。
輪廻に生れ変りの意味が付加されたのは、釈迦の没後まもなく弟子によってなされたという。
一方で電波は、釈迦の直弟子には数多のブッダが生れたという。
悟りをひらいてブッダとなった弟子達が輪廻に生れ変りの意味を付与したとなると、論理がなりたたない。
最古層に輪廻の記述が無く、古層に記述が出て来るから、古層は弟子達の増広で、意図を持って生れ変りの異説が混入されたと電波は言う。
ブッタの指導によってアラハンとなった弟子達が師の意思に反した改竄をするというのは無理がありすぎる。
むしろ師の教説を補おうと、生れ変り論を増強する方向に向かうのが自然な流れだろう。
流れという意味の輪廻を生れ変りに変えるのならば、古層だけの改竄に留まらずに、さらに原始までさかのぼって変えるのがおよそ人情ではないか?
いずれにしても無理がありすぎてお話に成らない。
57 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 21:29:55 ID:M/xXTiau
『明句論』1-3以下が、おもしろいこと書いているので訳してみました。
ある意味をある人が(〜だと)主張する。だから自分が(〜だから〜だと)結論付けたように
他人を(なるほど〜だと)結論に導きたい思う。
それ故、その(〜だという)意味の(〜だからという)妥当性から納得した合理性を
他人に説明すべきである。それ故(自立論証者が)自ら認める主張命題の論証は、
当の対論者が提示すべきである。これがとりあえずの原則である。
これは他人にとって証拠ですらない。証拠や実例がないから、自らの主張命題の論証は、
自分に都合のいいことだけを提示する。それ故、妥当性のない論点を認めるのだから、
これ(自立論証)は本人のみが(オレちゃんは正しいと)騙されるので
(なに言ってんだコイツはと思ってる)他人を結論に導けない。
58 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 21:35:09 ID:TB1MSzSF
>>40 >あんれ?キリスト教は輪廻否定でしょよ!w
>それに私は人格神も認めないし、
>キリスト教にとって最も重要視するキリストによる贖いという姿勢を強く否
>定していますが?
>これはクリスチャンなら1番、論外とみなすものです。
イエスも、「永遠の生命」や「死後の裁き」など、「自分(イエス)を信じ
させるため」に、「甘言」と「脅迫」を弄している。これと「輪廻転生」に
よる「脅迫」と「甘言」は、どう違うのか。
「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。「唯一人格神」
とどう違う?
「イエスによる贖罪」は、「死後の裁きの免除」の目的のためだよ。
それでも、仏教の「輪廻転生」がキリスト教よりも優れている点は、前者が
「行為」を要因としていることである。キリスト教、特にプロテスタントでは、
単に「信仰のみ、聖書のみ」という「精神性」だけだから、共同体にとっては
何の役にも立たないばかりか、却って、「信仰のために人を殺す」という、
とんでもない害悪を招く。人間は、具象に依存しない限り一瞬も生存できない
存在だから、具象を欠く「精神性」は、人間の狂気をもたらす。キリスト教の
「血塗られた歴史と現状」が、そのことを如実に証明している。
59 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 21:35:42 ID:M/xXTiau
>>56 ですね。
>>41 >
>>37 >>輪廻転生を否定した経があるならば、それを出して下さいよ。
>
>前に書込みしました雑阿含経・第一義空経の一節で充分ですね。
>これを解釈するスキルがあれば。の話ですが。
全く逆、『第一義空経』は主体のない縁起による輪廻を説いているんです。
これは夙に木村泰賢先生が指摘することであり、
『第一義空経』の引用箇所や、『因縁心論』『ミリンダ王の問い』と一致する内容で、
この理解がないというのは、縁起も空も全く分かってない証拠ですね。
60 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 21:45:36 ID:eKpdMUZU
>>46 自分に都合のよい部分しか見ていないのはあなたです。
私が引用したスッタニパータ651-655は現実的なまともな話ですが、
あなたが引用した部分は地獄描写の一部であって、続きはこうです。
666 けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。
667 (地獄に墜ちた者は)、鉄の串を突きさされるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは、(昔つくった業に)ふさわしい当然なことである。
668 (地獄の獄卒どもは「捕えよ」「打て」などといって)、誰もやさしいことばをかれることなく、(温顔をもって)向ってくることなく、頼りになってくれない。(地獄に墜ちた者どもは)、敷き拡げられた炭火の上に臥し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。
669 またそこでは(地獄の獄卒どもは)鉄の網をもって(地獄に墜ちた者どもを)からめとり、鉄槌をもって打つ。さらに真の暗黒である闇に至るが、その闇はあたかも霧のようにひろがっている。
670 また次に(地獄に堕ちた者どもは)火炎があまねく燃え盛っている鋼製の釜にはいる。火の燃え盛るそれらの釜の中で永いあいだ煮られて、浮き沈みする。
671 また膿や血のまじった湯釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。かれがその釜の中でどちらの方角へ向って横たわろうとも、(膿と血とに)触れて汚される。
672 また蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。出ようにも、つかむべき縁がない。その釜の上部は内側に彎曲していて、まわりが全部一様だからである。
673 また鋭い剣の葉のついた林があり、(地獄に墜ちた者どもが)その中に入ると、手足を切断される。(地獄の獄卒どもは)鉤を引っかけて舌をとらえ、引っ張りまわし、引っ張り廻しては叩きつける。
・・・・・まだまだ続きます。
最古層にはこんな話は全くないのですから、これは後に作られた神話、物語であることは明らかです。
これは悪い行為を地獄に仮託して民衆に教え、善い行為を薦めるための方便、悪く言えば脅し、であるのは子供でも分かると思います。
61 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:15:17 ID:eKpdMUZU
>>56 私の主張を細かい点では色々誤解しているようですが、まあそれはおいておいて、
>悟りをひらいてブッダとなった弟子達が輪廻に生れ変りの意味を付与した
なんてことは考えていません。ブッダの思想をよく理解して解脱していた弟子達がそんなことするはずないでしょう。
第一時結集の時には、教えを確認する資格があったのはアラハンである直弟子だけとされていますから、
その頃はまだ正しい教えだったはずです。しかし経典を現代まで伝えてきたのは悟った人ばかりではありません。
教団を構成している人の大半はむしろ悟っていない修行僧たちです。その中には人生の大半を在家で生きた人も
たくさんいるでしょう。口伝の時代が何百年も続きますから、そのうちに在家の信じる民間信仰などが溶け込んでしまう
のは全然無理な話ではありません。僧の伝える教えが一枚岩でないことは、後の部派仏教や大乗時代の僧侶・宗派間
の対立を見ても明らかです。もともと別のことを表していたのに、「俗信」のとおりに受け取られてしまった可能性を中村元氏
も以下のように指摘しています。
「仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、
絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、一般民衆は俗信のとおり、死後の
理想郷に行かれると信じていたのであろう。」
62 :
三代スレ170:2009/01/31(土) 22:18:13 ID:Ivy+k05r
なんか定期的に、輪廻思想を
>アーリア支配合理化のための政治的デマゴギー・イデオロギー
とか決めつける人が湧いてくるけど何なの?
輪廻思想は昔のウパニシャッドには出てこないし、
五火二道説にしたってバラモン由来じゃねえぞ。
そもそも「ジャイナ教」の存在を失念しているのが解せない。
そんなに輪廻が嫌いなら
「仏教は邪教!お釈迦さんは輪廻を説いたカルト教祖!!」
と言っちゃえば楽になるよ♪
あと
>忌むべき一神教
とか軽々しく書く人もいるけど、
古典を読めば多神教や汎神論もろくなもんじゃなかった
(一神教よりある意味ひどかった)のはすぐわかるし、
近現代史を学べば理神論、無神論、唯物論の流血具合もわかりそうなもんだけど…
(要は世界の覇権を握った国が奉じていたのがたまたま一神教だったってだけなんだよね)
今の腐敗した仏教国どもが世界を左右する権力を握ったら、絶対世界に宗教戦争を引き起こすぜ。
(今でも小規模な形で起してるよね。まあ、国力がないからショボイ規模ですんでいるが)
64 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:55:44 ID:ECMOnzvI
横レスですが、
>>27 :宝珠愚者:2009/01/31(土) 17:26:58 ID:oAjYgRSF
>SEW9wAdkさんへ
>あなたとアジタ・ケーサカンバリンとの違いについて説明し下さい。
あなた(宝珠愚者)とジャイナ教のニガンタ・ナータプッタ(外道の一人)との
違いについて説明してほしいです。
65 :
三代スレ170:2009/01/31(土) 23:58:38 ID:Ivy+k05r
63さん
>63 :神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:22:49 ID:8o6ql+WS
>
>>58 >>「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。
>
>これに関して、面白いやりとりがヒンズーの聖典にあったりする。
リンク先読んだ!面白かった!ありがとう!
ただ、そのなんだね。クマーリラの論理を聞かせても
「そう、そのとおり。すべては神の慣行!したがって因果律は成り立たない!!」とか、
一神教徒側(ムスリムのガザーリーとか)の連中は言っちゃうんで、
何の痛痒も与えられないんだよね。実に厄介。
66 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 00:40:28 ID:9WIW0sf5
>>65 一旦、ありもしない「神概念」を植えつけられと、もはや何を言っても無駄。
「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めた点に、仏陀
の比類の無い偉大さがある。
67 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 00:42:31 ID:7Yp/x8/s
>>55 ガンジーはマハトマの称号があるとはいえ、
仏陀のような完成者ではありませんでした。
実に様々な人間的な間違いと愚行をしてきてもいます。
恐らく、カースト制度に対する認識にも誤りがあった・・。
しかし、晩年には廃止の意向を示したといわれています。
しかしながら、
何れにせよ彼の非暴力思想と勇敢が行動を非難するなにものもないでしょう!
余談ですが、
ガンジーはブラヴァツキー夫人(神智学協会開祖)に謁見しており、
彼が誇るべき自国の宗教すらも知らないことを指摘し、ギーターの読書を薦めたのはプラヴァツキーでした。
また、ガンジーのマハトマの称号は協会二代目会長ベサント女史によって附されたといわれています。
68 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 00:43:00 ID:7Yp/x8/s
>>58 >イエスも、「永遠の生命」や「死後の裁き」など、「自分(イエス)を信じさせるため」に、
>「甘言」と「脅迫」を弄している。これと「輪廻転生」による「脅迫」と「甘言」は、どう違うのか。
イエスを信じなければ地獄に堕ちると脅したのは教会の聖職者らによる所業です。イエスの教えではない。
>「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。「唯一人格神」とどう違う?
一応、
>>63紹介のサイトも拝見しました(感謝!!)。この問題はアプローチ次第でどうにでもなります。業
が全てを規定するなら、主宰神は無用といういい方をする人もいますが、この業報の法則、作用する力
そのものが主宰神であり、もしくはその一部分なのです。それは人格神といったものではない。人格神と
いった概念は自分たち人間を縮図として、その延長上に思案したものです。人格神は意識ですが、感情
の次元を超えたものです。それは表現はできない。喜んだり、起こったり、笑ったりといった意識ではない。
人格神を否定するということは、そのまま「神などいない」といういい方にも通じるのです。どちらも完全な
間違いでもなければ、完全に正しい表現でもありません。
>「イエスによる贖罪」は、「死後の裁きの免除」の目的のためだよ。
その通りです。ですから自己都合の勝手なものです。イエスはそんなものは教えていません。教会の教え
=イエスといった愚弄は馬鹿げています。わたしはあなたに、それについて再確認されることを推奨します。
69 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 00:43:52 ID:7Yp/x8/s
>>60 「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
確かにこれは地獄描写の一部です。この来世とは地獄に生まれるの意でしょう。描写の詳細については
もある程度、比喩であるとして解していますが、しかし、悪業をなした者は転生に入るまでにこのような体験
を経るのでしょう。あなたはそれも否定するわけでしょう!死んだら断滅などと説くのは外道です。
「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれ
らのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、
巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
このように、断滅を巧みに語るとして断見外道者に注意するようにゴータマは警告しています。
「前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成
すべきことをすべて完成した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。」(ダンマパダ423)
「あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清ら
かで、生を滅ぼしつくすに至った人、──彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」(スッタニパータ517)
「物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅(ニルヴァーナ)
を知らないので、再び生存にもどって来る。」(スッタニパータ754)
「聖者には輪廻は存せず、彼はもはや生まれ変わるということがない。聖者の身体は、永遠の昔からの
永劫の輪廻の過程における最後の身体であり、これは最後の生涯である。今や再び後に生存に入ること
がない。」(テーラ・ガーター202、スッタニパータ502)
「実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へ、暗黒から暗黒へと(生まれかわる)。
死後には苦しみを受ける。」(スッタニパータ278)
70 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 00:47:49 ID:9WIW0sf5
>>68 >イエスを信じなければ地獄に堕ちると脅したのは教会の聖職者らによる所業
>です。イエスの教えではない。
「私を信じなければ裁かれる」は、イエスの言葉。
そうやって、イエスは絶対に批判できず、すべての責任を、専ら「他の人間」
に押し付けるのが、まさにクリスチャンなのである。
71 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 00:51:34 ID:7Yp/x8/s
つづき
「師は答えた、《牡牛のように結縛を断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたしくしはも
はや母胎に入ることはないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。》」(スッタニパータ29)
「諸々の邪まな見解にとらわけず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた
人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。」(スッタニパータ152)
全く納得できませんね。それではこれらの言葉は何ですか?
「前世の生涯」「あらゆる宇宙時期と輪廻」「非物質的領域に住む諸々の生存者」「聖者の身体は、永遠の
昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり」「母胎から他の母胎へ」「母胎に入ることはないで
あろう」などの意味について説明して下さい!
72 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 00:53:27 ID:7Yp/x8/s
>>70 それは、どの書で何章何節のことですか!確認します。
73 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 01:11:26 ID:O5R4EuIl
>>69 > このように、断滅を巧みに語るとして断見外道者に注意するようにゴータマは警告しています。
断見の外道だけは非難して、ニガンタという外道は非難しないのですか?
74 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 01:13:16 ID:O5R4EuIl
ニガンタはまさしく「真我を巧みに語る」とすることができるんじゃないですか?
75 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 01:15:15 ID:O5R4EuIl
「非我論」とはまさしくそのようなこととは言えないですか?
あなたと代表的外道の一人ニガンタ・ナータプッタとどう違いがあるのですか?
76 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 01:32:00 ID:fGHo0ADQ
>>69 > 確かにこれは地獄描写の一部です。この来世とは地獄に生まれるの意でしょう。描写の詳細については
>もある程度、比喩であるとして解していますが
比喩と認めましたね。地獄描写の一まとまり全体が一つの物語、神話のようなものなのです。来世の話云々もそうです。
>「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれ
らのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、
巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
「最上の清浄の境地」と言っているところに注意してください。「境地」なのであって、「来世」などの世界ではないのです。
境地というのは今世における人間の心の姿なのですから、精神も肉体も残りなく消滅する「断滅」のうちに無いのは当たり前
です。同様に、来世にもありません。
続きはこうです。
877 かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、諸々のこだわりを塾考し、
知った上で、解脱せる人は論争におもむかない。思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」
来世の有無についてあれこれ妄執することが偏見です。ブッダはこれらの偏見を捨てよ、と言っているのです。
>死んだら断滅などと説くのは外道です。
あなたは断滅という言葉を断見と勘違いしているようですね。断滅はただ「消え去る」という意味で、主語を伴わなければ
それ自体では意味をなさず(○○が断滅する、と使う)、文脈によっては肯定的にも使われます。たとえば、
761 自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、と諸々の聖者は見る。
(正しく)見る人々のこの(考え)は、一切の世間の人々と正反対である。
ここでは断滅を否定するどころか、積極的に自己の身体の断滅を薦めています。
77 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 01:43:28 ID:fGHo0ADQ
>>71 >全く納得できませんね。それではこれらの言葉は何ですか?
>「前世の生涯」「あらゆる宇宙時期と輪廻」「非物質的領域に住む諸々の生存者」「聖者の身体は、永遠の
>昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり」「母胎から他の母胎へ」「母胎に入ることはないで
>あろう」などの意味について説明して下さい!
あなたが引用しているこれらの古層の言葉は、全て「苦」を仮託した表現です。「苦」の言い換えなのです。
仏教では色々な「苦」がありますが、特に「生」と「死」は「苦」の代表なのです。
生まれ変わる、再び生まれる、来世においては悪いところに生まれる、母胎から他の母胎へ、は全て「苦」を表現しているのです。
簡単に言えば、「再生」とは「苦の再生」なのです。
「聖者の身体は、永遠の昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり」というのも、永遠の昔から苦しみ続けていると
思えるほど深く人間は苦の世界に捉われているが、聖者になったらそれから完全に抜け出す(解脱する)、という意味なのです。
だから、解脱した人に対しての表現「再び生まれない」「母胎に入ることはないであろう」は、もう二度と苦が再生しない、二度と
苦しむことがない、という絶対的な安楽の境地(=ニルヴァーナ、涅槃)を表現しているのです。
78 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 01:49:36 ID:fGHo0ADQ
断見、常見について
生まれ変わり、来世などについて「ある」と断定するのが常見。
生まれ変わり、来世などについて「無い」と断定するのが断見。
ブッダはこの両方を否定し、生まれ変わり、来世など、人間の認識の届かないことについて議論するのは
愚かなことであるから、これらの問いへの執着、こだわりを捨てよ、と説いたのです。
836 (マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者がもとめた女、このような宝、が欲しくないならば、
あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」
837 師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する
執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」
「どのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」という問いに対して、ブッダは「『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。」
と退け、このような問い自体が執着・偏見であるから、執着を捨て、固執することを止め、省察しつつ内心の安らぎを得るのです。
79 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 02:02:08 ID:7Yp/x8/s
>>64 >あなた(宝珠愚者)とジャイナ教のニガンタ・ナータプッタ(外道の一人)
>との違いについて説明してほしいです。
これはどのような意図の質問でしょうか?この私の主張がジャイナに似てるとでも??
ジャイナと仏教は双子のような感じがあり近しいでしょう。ジャイナの在家信仰の状況では、更に私とも
かなり近しい印象はあります・・。しかし、根本的に思想部分というか、見解的にはいろいろと異なります。
ジャイナの生命感は動植物のみならず無機物にも及んでおり、地・水・火・風・大気にも霊魂を説く。そ
の点は無機物である鉱物界にも生命を認める神智学とも似ていますが、神智学では無機物と植物の意
識は霊魂とは異なり、動物の意識とて個別化した魂とは見なさない(動物界全体を一とする超魂を説く)。
また転生は進化の法則であり、人間が動物といった下位生命へと転生するといった概念は認めない。
神智学的には水も生命という見方も可能ですが、これは殺生ではない。またジャイナのように水中の微
生物すらも殺生しないよう、ろ過して濾して飲むといった極端な姿勢はない。
80 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 02:02:30 ID:7Yp/x8/s
とにかくジャイナの不殺生戒は極端過ぎており、そこには不殺生に対する固執(執着)意識が増大して
るようです。あの不殺生戒の極端性には肉体生命に対する重度な固執が感じられます。彼ら自身は自分
の肉体生命は重視しませんが、他の生命体に対しては意識が集中し過ぎてるようです。
それから苦行の極端さです。たしかに在る面においては、苦行は意識を肉体から内面に向かわせるの
に効果的でしょう。しかし、過剰な苦行は逆に肉体に対する執われとなると思います。神智学ではそのよ
うな苦行はせず、奉仕を推奨します。それは自己犠牲(一切の利益や報酬を受けない)によって他者や社
会に貢献することなのです。奉仕したいという欲求は自己の高我(魂)からくるものであり、瞑想の習慣に
よって自己意識(低我)を魂と連結させていき、魂からの指令を確実にしていくことが奉仕の行為に結びつ
きます。魂からのエネルギーは奉仕の行為で消化していきます。
とりあえず、この程度しか返答できません。もしも具体的にジャイナのこの部分についての私の見解が欲
しいとか、私との相違点について示してくれ、といった質問ならば、この私も回答しやすいです。
81 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 02:03:20 ID:7Yp/x8/s
>>74-75 >ニガンタはまさしく「真我を巧みに語る」とすることができるんじゃないですか?
否定はしません。
>あなたと代表的外道の一人ニガンタ・ナータプッタとどう違いがあるのですか?
魂も永久不滅ではありません。魂も縁起で生じています。これは真我に意識が留まるまでの媒体です。
対するジャイナは不滅を説く。しかしまぁ、僅かな相違です。阿羅漢の境地に達する段階で違いが確認で
きるからです。阿羅漢に達する段階で「死」を経験するのです。その死とは肉体のみならず魂の死です。こ
のときにその恐怖を克服できれば問題はない。魂意識への執着は問題となる恐れはあります。その違い。
82 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 02:05:36 ID:nG8oYVSw
たけたけはらはら たくや凶
83 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 02:19:56 ID:O5R4EuIl
>>81 >しかしまぁ、僅かな相違
沙門果経ではっきり外道と断じられているジャイナと仏教が双子で、僅かな相違
で済むのなら、他の断見や唯物論の外道と仏教も「実は」「考え方によっては」
僅かな相違だと主張する人の意見も許さなくては、公平・客観的とは言えなくな
りますよ。違いますか? そうじゃないのならあなたは結局は主観に基いている
だけであり、主観によって他者を断じ、そのように断じたい動機に基づいて行動
しており、自己の見解に執着し囚われていることを認めなくてはなりません。
84 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 02:23:24 ID:O5R4EuIl
仏教とジャイナ教が双子だという主張は中村元の弟子の渡辺研二という人の
そのまんま受け売りでしょうけど。
85 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 02:28:01 ID:O5R4EuIl
基本的に、あなたから唯物論的外道に見える、断見論者が仏教徒を自称するが、外道以外の
何者でもないように思えるのように、
あなた以外の人からは、あなたはニガンタという外道に見える、真我論者が仏教徒を自称す
るが、外道以外の何者でもないように思えるという当然の事実に、
しかし、自己の見解に執着し囚われている愚か者は、
気づかないのです。
86 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 02:32:50 ID:O5R4EuIl
自分がジョン・レノンだと思い込んでいるジョン・レノンの偽者が、
自分をビートルズのメンバーだと主張するポール・マッカートニーの偽者に向かって、
「この偽ビートルズ野郎!」と、非難する。
これは何でしょう?
87 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 03:02:58 ID:7Yp/x8/s
>>76 >「最上の清浄の境地」と言っているところに注意してください。「境地」なのであって、「来世」などの世界で
>はないのです。境地というのは今世における人間の心の姿なのですから、精神も肉体も残りなく消滅する
>「断滅」のうちに無いのは当たり前です。同様に、来世にもありません。
《「断滅」のうちに無いのは当たり前です》。そりゃ〜そうですよ。だから、それをゴータマは「巧みに」語っ
ているといい、騙されるなと警告してるのですよ。
>来世の有無についてあれこれ妄執することが偏見です。
>ブッダはこれらの偏見を捨てよ、と言っているのです。
それは分りますよ。論争するなといっているのであり、私のような人間などを戒めているのですよ。
>あなたは断滅という言葉を断見と勘違いしているようですね。断滅はただ「消え去る」という意味で、主語
>を伴わなければそれ自体では意味をなさず(○○が断滅する、と使う)、文脈によっては肯定的にも使わ
>れます。たとえば、761 自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、と諸々の聖者は見る。
>(正しく)見る人々のこの(考え)は、一切の世間の人々と正反対である。
>ここでは断滅を否定するどころか、積極的に自己の身体の断滅を薦めています。
分りますよ。ですから文脈で捕らえる必要がある。前者の断滅とは断見のことです。「(精神も肉体も)残り
なく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、巧みに語っている。」というのですから、これは断見
のことです。
対して後者の場合というのは、肉体生命最重視に対する否定意を説いているのですよ。この肉体生命最
重視とは何かというと、死んだら終わりとする断見(だから「死にたくない」という意識)を示すことになるので
す。文意を読み取れば分るのであり、これは前者も後者も断見のことです。
「断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることが
ないとする見解のこと。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
88 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 03:05:17 ID:7Yp/x8/s
>>77 >あなたが引用しているこれらの古層の言葉は、全て「苦」を仮託した表現です。「苦」の言い換えなのです。
>仏教では色々な「苦」がありますが、特に「生」と「死」は「苦」の代表なのです。
>生まれ変わる、再び生まれる、来世においては悪いところに生まれる、母胎から他の母胎へ、は全て「苦」
>を表現しているのです。簡単に言えば、「再生」とは「苦の再生」なのです。
どうも府に落ちませんね。その割には、随分と手の込んだ言葉の表現ですが・・。
「母胎から他の母胎へ」は確かに仏教の立場からは「苦」を示すものでしょう。要するにこれは、今生から
来世に転生することは苦であると説くのが仏教だからですよ。「母胎から他の母胎へ」とはそういうことです。
89 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 03:05:41 ID:7Yp/x8/s
>>78 >生まれ変わり、来世などについて「ある」と断定するのが常見。
>生まれ変わり、来世などについて「無い」と断定するのが断見。
間違いです。
・この世は永遠に続くものという意味と、
もう一つは人の死後にアートマンとして永久不滅に存続するという見解が常見。
・死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見。
>ブッダはこの両方を否定し、生まれ変わり、来世など、人間の認識の届かないことについて議論するのは
>愚かなことであるから、これらの問いへの執着、こだわりを捨てよ、と説いたのです。
それは理解できない相手に対する待機説法です。
「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』」
(中阿含経・第77・帝三族姓子経)
死後の再生については明確に解説しました。
「また、このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は思考から成り立つ身体(意生
身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。彼はその(物質的な)身体から、別の身体、(すなわち)
形はあるが思考から成り立ち、四肢も完全にそなえ、(眼や鼻の)感覚器官もそこなわれないままの身体
をつくり出します。」(ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳)
この経文では、肉体とは異なる意識体も意図的に作り出せるとも述べています。
90 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 03:30:15 ID:fGHo0ADQ
>>87 > 対して後者の場合というのは、肉体生命最重視に対する否定意を説いているのですよ。この肉体生命最
> 重視とは何かというと、死んだら終わりとする断見(だから「死にたくない」という意識)を示すことになるので
> す。文意を読み取れば分るのであり、これは前者も後者も断見のことです。
それに対して「常見」は「死んだら終わりとする断見」の逆、つまり「死んでも終わりではないとする見解」です。
「常見(じょうけん)とは、仏教用語で、この世は永遠に続くもので不滅であるとする見解のこと。反対語は断見(だんけん)。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
>>88 >どうも府に落ちませんね。その割には、随分と手の込んだ言葉の表現ですが・・。
神話、物語は手が込んでいればいるほどリアリティが生まれ、迫力があっていいのです。
ディテールが細かく具体的であればあるほど、読む人はその世界に引き込まれるからです。
ジャータカ物語もそうです。聖書や古事記などもみてください。手が込んでますから。
>要するにこれは、今生から来世に転生することは苦であると説くのが仏教だからですよ
そういう先入観をもって読めば、そうとしか読めなくなるのでしょう。
「今生から来世に転生するという妄想」が「苦」(の一つ)なのです。
>>89 >・この世は永遠に続くものという意味と、
> もう一つは人の死後にアートマンとして永久不滅に存続するという見解が常見。
>・死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見。
「死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見」の逆は
「死後に意識、あるいは生命が永続するとする見解が常見」となるはずです。
この両方をブッダは否定しているのです。アートマンは否定したが、アートマン無しの転生は肯定している
というような話(詭弁ですが)などではありません。
91 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 03:41:00 ID:fGHo0ADQ
>>89 > 「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
> この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
> ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
> れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
> はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
> らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』」
> (中阿含経・第77・帝三族姓子経)
おそらく新しい経典で、ブッダが説かなかったはずの来世の話を経典にふんだんに盛り込んでしまったために、
辻褄あわせ、正当化が必要で、このような経典を作ったのでしょう。おそらく当時も今と同じような議論があり、
「人を欺いているのではないか」と批判した人がいたので、「人を欺くためでなく」などという言い訳を書く必要
が生じたのでしょう。
よく考えてみてください。もし本当にブッダが来世を説き、それが事実なら、「再生する場所を予言するのは、
人を欺くためでなく、人に吹聴する ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく」
「事実だからだ」と一言書けばすむ話です。でもどこにも「事実だ」なんて書かれていません。
そうは書かず、
「信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子 はそれを聞いて真理に心をはせる。
アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもたらし安楽をもたらす」
と書いているのは、「これは方便です」と言わんばかりです。
「とりあえず地獄などで脅し、天国を夢見させておけば真面目に修行したり善行為を積むだろうから」という意図が
見え隠れします。穿った書き方をしましたが、方便としては別に悪いことではないのでしょう。ただ「事実」と混同してはいけません。
92 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 03:50:14 ID:fGHo0ADQ
>>89 >「また、このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は思考から成り立つ身体(意生
>身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。彼はその(物質的な)身体から、別の身体、(すなわち)
>形はあるが思考から成り立ち、四肢も完全にそなえ、(眼や鼻の)感覚器官もそこなわれないままの身体
>をつくり出します。」(ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳)
> この経文では、肉体とは異なる意識体も意図的に作り出せるとも述べています。
私たちは自分の身体を、自分のものと思い込んでいます。身体に執着しています。
たとえば怪我したり病気になったりしたら、冷静でいられず、必要以上に大騒ぎしたりするのです。
つまり私たちは身体をありのままに見ているのではなくて、自分の思考のフィルターを通して身体を
見ているのです。それが「思考から成り立つ身体」です。このような執着を取り払い、間違った思考を直し、
正しい思考で身体を捉えなおせば、ありのままの「感覚器官もそこなわれないままの身体」を作り出したことになるのです。
(もちろん物体としての身体はずっとそのままです)
「肉体とは異なる意識体も意図的に作り出せる」とあなたが書いている意味はよく分かりませんが、
これはあくまでもその人の心の内面の話なのです。来世などではありません。
93 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 03:51:11 ID:7Yp/x8/s
>>34 >マッリカーの逸話で十分だろ?w
この場合の教え、「自分の幸せだけを考えなさい」とは、自己が愛しいことをよく吟味して理解できたとき
に、他人様にとってもそれは等しく感じていることだろうとして悟る、という意味においてです。
「心の中であらゆる方向を巡ってみても、どこでも、自己よりも愛しいものに巡り会わなかった。
それ故に自己を愛する人は他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:T.75)
「自己よりもさらに愛しいものは決して存在しない。同様に他の人々にもそれぞれ自己は愛しい。
故に自己を愛するものは他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:T.75-ウダーナ)
「自己を護る人は他の自己をも護る。それ故に自己を護れかし。しからば彼は常に損ぜられる
ことなく、賢者なのである。」(アングッタラ・ニカーヤ:V.373)
「もしも、自己を愛しいものであると知ったならば、自己を悪と結ぶなかれ。」(スッタニパータ:790)
といっているのです。
これらの経文がそのことを示すものです。
しかし、先般述べたような極悪非道な鬼畜には、こんなことをいっても通用せず、ますますエスカレートす
らしかねない。死後の業報を説明しても、そんなものは信じないといってたぶん聞かないでしょう!止めら
れるものはないのかもしれない・・。
肝心なことは、業報は自然法則であるが故に、本人が信じる信じないか関われず、本人に非情に作用し
ます。この鬼畜も当然、ただで済むことはない。自己の行為と同等の代償を自らの苦悩で以って味わうこと
になるのです。これが天がもたらした平等の作用です。
死後の業報を否定する見解は、他人を救った殉教者もこの鬼畜も等しく扱うことになる愚行です。
94 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 04:11:04 ID:7Yp/x8/s
>>90 >神話、物語は手が込んでいればいるほどリアリティが生まれ、迫力があっていいのです。
>>77 >だから、解脱した人に対しての表現「再び生まれない」「母胎に入ることはないであろう」は、もう二度と苦
>が再生しない、二度と 苦しむことがない、という絶対的な安楽の境地(=ニルヴァーナ、涅槃)を表現して
>いるのです。
そりゃそうですよ。それがニルヴァーナですから。しかし、実際に輪廻転生の状態から、再生しない状態
へと解脱するのであって、「転生などは妄想だったんだ!元々、無かったんだ!」などと思考を巡らせるこ
どてはありません。
>「死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見」の逆は
>「死後に意識、あるいは生命が永続するとする見解が常見」となるはずです。
>この両方をブッダは否定しているのです。アートマンは否定したが、アートマン無しの転生は肯定している
>というような話(詭弁ですが)などではありません。
違います。正反対意ではありません。「アートマンはない」などと説いた経文は存在しません(あるならば
それを出してみて下さい!)。アートマンの永久不滅論についてを否定したのです。またこれは、低我の
アートマンとの同一視に対する誤りなども含むでしょうね、やはり。死後をも続く意識について、様々な経で
説かれているのです。これを否定したら断見なのです。誤解しています。
95 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 04:14:58 ID:fGHo0ADQ
>>93 横レスですが、
>極悪非道な鬼畜には
あなたの輪廻説の信仰は、結局、「極悪非道な鬼畜には相応の罰が下って欲しい」という願望の反映でしょう。
しかし、「事実」かどうかは、「願望」と無関係なはずです。
もし、極悪非道な人間がよい目を見て、善人が不幸な目にあうような理不尽な世界が現実であったなら、
いくらあなたの「願望」に沿わなくても、仕方ないんですよ。
でも心配しなくても、ちゃんと現実の世で報いを受けるのです。
極悪非道な人間は、いくら世間的に成功していても、心は貧しいのです。人からは嫌われていることを自分でも
自覚しているものですから。いくら強気に振舞っていても。それに犯罪人になれば法律で罰せられますし、
世間から白い目で見られるという報いを受けるのです。物質的には理不尽なことはいくらでもありますよ。
しかし心の問題としては、ちゃんと報いを受けるのです。
極悪非道なことをして平気でいるように見える人間も、本当は全うな人生を歩み、善い行いをして人から好かれる
人間になりたいはずです。それが叶わず心の中で苦しむのです。
96 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 04:34:33 ID:fGHo0ADQ
>>94 アートマンについても同じです。アートマンを否定したと書いたのは書き方が悪かったですが、「アートマンはない」という
意味ではありません。
アートマンはあるという見解 常見
アートマンはないという見解 断見
この両方を否定したのです。アートマンなるものも、私たちに認識できない事柄だからです。
「永遠不滅の実体」なんてものを一体どうやって認識するのです?「実体」や「主体」という
言葉自体、よく考えれば曖昧で、具体的に何を指しているのか、誰も示せないのです。
ですからそのようなものについて議論するのは不毛なのです。アートマンももともとは
ただの「わたし」という意味です。そこにヴェーダなどで抽象的な意味を付与するから、
誤解・執着が生まれるのです。
(スッタニパータ)
1119 「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
(ダンマパダ)
279一切の事物は我ならざるものであると明らかな知慧をもって観るときに、
ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
「自我に固執する見解」は「アートマンはあるという見解」、「アートマンはないという見解」の両方です。
両方ともアートマンに固執しているのです。
「一切の事物は我ならざるもの」というのは、我々が認識できる事物一切は、無常ですからアートマンではないのです。
ですが「アートマンがどこにもない」かどうかは別問題です。それは認識できませんので、誤った見解ということになります。
97 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 04:49:54 ID:7Yp/x8/s
>>83 >他の断見や唯物論の外道と仏教も「実は」「考え方によっては」
>僅かな相違だと主張する人の意見も許さなくては、公平・客観的とは言えなくなりますよ。違いますか?
外道とはゴータマの教えとは違うということであり、その中身においては近しいレベルから遥かに遠く離
れた思想までも含みます。断見外道は業報、及び死後の断滅を説くもので、これは最悪にして最強。ゴー
タマから最もかけ離れた見解なのです。これ以上のものはない。
また、今生の中での業報を認めるといった偏見は通用しません。外道は自由であり、いろいろあっても
それら全部が外道ですが、仏教には今生だけの業報なる見解はありません。
>>84 >仏教とジャイナ教が双子だという主張は中村元の弟子の渡辺研二という人の
>そのまんま受け売りでしょうけど。
すみません。私は仏教に詳しくないのでよく知りません。
98 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 04:59:22 ID:fGHo0ADQ
>>97 >私は仏教に詳しくないのでよく知りません。
なんということ・・・
納得。
99 :
380:2009/02/01(日) 07:52:44 ID:9+5ThHKe
>61
56さんは電波説について陳べているのに、それに答えるあなたはやはり電波さんとやらですか?
さて
>第一時結集の時には、教えを確認する資格があったのはアラハンである直弟子だけとされていますから、
>その頃はまだ正しい教えだったはずです。しかし経典を現代まで伝えてきたのは悟った人ばかりではありません。
>教団を構成している人の大半はむしろ悟っていない修行僧たちです。その中には人生の大半を在家で生きた人も
>たくさんいるでしょう。
あなたも想像力の逞しい人ですね。しかもまだ在家にこだわる・・・。
第一結集のアーナンダの伝承もあなたの言うところの不肖の弟子が
改竄して伝えた経典によるものかもしれませんよ?
なぜそこだけは疑わないのでしょうか?
結局は先に結論ありきの牽強付会ということですね。
それに「はずがないでしょう」とか「はずです」とか「でしょう」とか根拠なく陳べられても・・。
それが許されるのなら
「仏陀は輪廻を説いたはずだ。しかし、南伝ではその伝承が伝わらなかったか途絶えたのでしょう。」
と、言うことも可能になってしまいます。
100 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/01(日) 08:01:01 ID:h+E1sRfx
>>49 >解釈など不要です。「輪廻転生はない」と説いた文章は経典のどこにありますか?
>>59 >全く逆、『第一義空経』は主体のない縁起による輪廻を説いているんです。
>これは夙に木村泰賢先生が指摘することであり、
>『第一義空経』の引用箇所や、『因縁心論』『ミリンダ王の問い』と一致する内容で、
>この理解がないというのは、縁起も空も全く分かってない証拠ですね。
では、第一義空経について触りの部分だけ解説いたします。
「生起するも生起するわけではない」。→第一義空経より抜粋。
この意とするところは、生起を論じてますけど・・・即否定となってますね。
つまり、
「生起する」ということは、生起しない状況を前程としますから、
「生起しない」という状況があって、そこより何らかの変化がある。ってことになる。
また、
「生起しない」という状況がないなら、そこに何らかの変化がある。ってことにはならない。
つまり生起はありえない。
ということになる。
つまり「生起する」という語義自体が論理的矛盾を含んでまして、
もしも仮設であるにしろ、論を立てた瞬時にすでに論が破壊されてしまうのです。
これが「即否定」の意味でありまして、
仮に
>>59氏のように
>主体のない縁起による輪廻を説いているんです。
というような意味付与しても、根底から論が崩れてるもんですから戯論にしかならない。
木村泰賢先生は大間違いですね。
101 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 08:35:41 ID:j4RDywq/
>前スレ688
>現在、検討中です。一応、関連文献の検討は終わりました
>中観スレですね。了解しました。
繰り返して申し訳ありませんが、もしも宜しければ、
「デルゲ、チョーネ」「ナルタン、北京、ラサ(金写)」「ショル版」の
『宝行論』1.48-49(特に49)の蔵訳、及び、アジタミトラ註の同箇所を
中観スレの方で、邦訳を御示し頂くわけにはいかないでしょうか?
もちろん不可でも結構です。
>>93 > しかし、先般述べたような極悪非道な鬼畜には、こんなことをいっても通用せず、ますますエスカレートす
> らしかねない。死後の業報を説明しても、そんなものは信じないといってたぶん聞かないでしょう!止めら
> れるものはないのかもしれない・・。
> 肝心なことは、業報は自然法則であるが故に、本人が信じる信じないか関われず、本人に非情に作用し
> ます。この鬼畜も当然、ただで済むことはない。自己の行為と同等の代償を自らの苦悩で以って味わうこと
> になるのです。これが天がもたらした平等の作用です。
予想通りというか期待通りの反応でワロタw
>>93 そう。
御指摘の通り、普段から自己を大切にしていない人(自分が嫌いな人、やけっぱちになってる人等)は、
「なにそれ?馬鹿じゃないの?」と、その意味を理解しないでしょう。しようとしないでしょう。
宗教者・教育者等、或いは道徳心あり慈悲心ある大人達は、或いは親御さん・保護者達は、
この部分へ届く言葉を持たねばなりません。模索せねばなりません。
(だから、幼児教育、児童教育は重要なのです。
「自分を大切にすること」、「自分の存在・在り様を許すこと」、
「“ここ”に居てもいいんだ・・」(→「生きていてもいいんだ」)、
「自身もまた、無数に生きる多くの“いのち”と等価であること。劣ってなんかいないこと」
を実感させることが重要なのです。
そして、これを実感させ、良いベクトルへと向かわせるのは、
「断滅(死んだら終わり)」という思想でもなければ、「輪廻転生(次がある)」という思想でもない。
具体的な、世俗の、日常の、他者との関わり合いの中に根を下ろした、道徳的言葉や行為達であろう。)
〔「自己を大切にしない、自分なんかどうなってもいい」と考える者は、来世の自分だろうが何だろうが意味を見出さないでしょう。
効果の薄さでは似たり寄ったりじゃないですか?来世云々は関係ないのでは?〕
というレスも用意していたが、この方向の言葉はないようだ。
>止められるものはないのかもしれない・・。 という告白が示すように・・。
その代り、(
>>95さんも触れていますが)、「報いがあってほしい」「罰があってほしい」というベクトルが、より鮮明になりました。
(勿論、その“ベクトル自体”は否定する必要はないと思います。
倫理面道徳面、或いは納得(わだかまりの処理法)等の面での重要な要素であろうとは思います。)
だから、次のように続けておこう。
〔マッリカーの逸話を骨格にすることが、現在の悪行を防ぎきれないとしたなら、
貴方の言う輪廻転生もまた、ブレーキとなり得ていないのでは?
(少なくとも
>>93に於いてその効果・手段は述べられていない)〕と。
〔単に、「後々の罰があるかどうか」に過ぎないのでは?
「どうせ後で罰を受けるんだから、今は仕方ない」というのと、どこが違うのか?〕と。
>>93 > 死後の業報を否定する見解は、他人を救った殉教者もこの鬼畜も等しく扱うことになる愚行です。
(時期尚早となってしまったが)、この際、はっきりと貴方に問うておこう。
(私自身が考え中であり、考えの整理の為にも欲しい情報だし・・・。)
≪ 「“果”が等しい」とはどういうことか? 「“果”が等しくない」とはどういうことか? ≫ と・・・。
≪ >等しく扱うことになる愚行です。
そもそも、「等しく扱う」「相違を見て扱う」ということ自体、恣意的な分別ではありませんか? ≫ と・・・。
66さんへ
>「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めた点に、仏陀
>の比類の無い偉大さがある。
…まあ、お釈迦さんも神や霊とお話をしちゃう、電波な野郎なんだけどね。
「梵天勧請」のエピソードを考えるに、電波って奴も時と場合によっては良いものではあるのだけれど。
86さんへ
>自分がジョン・レノンだと思い込んでいるジョン・レノンの偽者が、
>
>自分をビートルズのメンバーだと主張するポール・マッカートニーの偽者に向かって、
>
>「この偽ビートルズ野郎!」と、非難する。
うまい!たくみなたとえですね。
107 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 08:55:14 ID:j4RDywq/
>>100 『勝義空性経』については、漢訳のみで理解するのは危険だと思います。
宮下先生の梵本からの邦訳に拠れば、59さんの仰る通りであり、
『明句論』26章が引用し、『廻諍論』『縁起心論』も依拠する
『稲芋経』の「鏡の喩」等と同趣旨ですから、
漢訳は、サムケータ周辺を誤解していると思います。
>>104 また中論馬鹿が、知った風の口を聞いてらぁ。
屁理屈はいいんだよ、屁理屈は。形而上のことばかりでなく、
形而下の事柄においても、不可知論にしてしまう、外道が。
こういう奴はよ、木刀でしばきまわしてやればいいんだよ。
ほれ、お前の悟りは、痛いも、快感も無い、中道なんだろ、
ほれほれ、としばきまわしてやればいんだよ。
いかにこいつらの中道が、糞の役にも立たない、
馬鹿馬鹿しい言葉遊びでしかないものか、少し利口な人なら、すぐに
見抜くんだけどね。
あのさ、中道とはあくまで、真理である、真我の領域のことであって、
この二元世界である物質世界は、善と悪があるんだよ。
”それ” は恒常であるとみると、常見となり、いずれは消えてなくなるものと見れば、
断見となる。言い方を変えると、それは見方によると恒常普遍のものではないが、
見方を変えると、恒常普遍なものである。またそれは、縁起で成るものだが、
見方を変えると、それ単独で存在しているものだ。そういうものだ。
一方この物質世界は、あくまで縁起でしか成り立たないし、いつかは滅びる
恒常普遍のものは一切無い。そういうものだ。ゴータマは、あくまで物質世界とは
そういうものだと説いたんだよ。おまえらのように、物質世界は、無常、無我を説く傍ら
舌の根も乾かぬうちに、い〜や。物質世界は、無常であり、無我であるといったが
本当は、無常でも無我でもない、中道だべ〜。なんてなことは言ってないんだよ、ば〜か。
「一」から「他」へ。そして、「他」から「一」へ。
この世界は全て平等だというのは間違いない。なぜならこの世界の本質は、「一」だからである。
二つに見えることは、全て見せ掛けに過ぎない幻。本質は「一」なのである。ゆえに因果応報はある。
他人にしたこと、しなかった事は、全て自分自身にしたこと、しなかったことなのである。
他人に対して成した行為の報いは、いずれ自分自身が受け取ることになる。
ここの頑固な断滅外道仏教徒に皆さんは、
浄土系の人達だったんですね。
南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛と無意味な念仏を唱えるだけで
自分達は救われると、最も下らない最もゴータマの仏教とは違う道を行く
似非仏教徒たちが、われこそ、ゴータマの仏教、原始仏教を語るこの不条理さよ。
あの電波って男も、浄土系の人なんだって?
悪貨は良貨を駆逐する。ま、悪が支配するこの物質世界だ。
まがい物が、本物より評価され、メジャーになるなんてことは、宗教界には
よく見られる光景だわな。
ジャイナ教の過ちは、苦行によるカルマ落としにある。
悪を成した報いは、いずれ自分自身が受け取ることになるが、
それはあくまで自然に任せるべきである。
そうすtれば勝手にその報いは受ける。それを自分は救われたいからと、
そのエゴのまま、自らカルマ落としと称して、自らを傷つける者は、自分自身を
傷つけているつもりが、他人をも傷つけている。
他人を助けるために、自らの命を捨てるのとは、わけが違う。
我々は本当は一つだ。
人を殺す者は自分自身を殺している。
そして自分自身を殺す者は、他人をも殺している。
人殺しは生きない。死人のままである。
ジャイナ教は、カルマ落としと称して、苦行で自分自身を傷つける。
それは「人」そのものを傷つけている他ならない。
彼らは悪のカルマを落としているつもりだが、その行いによって、さらに悪のカルマ
を積んでいることに他ならない。その報いは受ける。
真理に至るには、好き嫌いという自分のエゴを捨て去り、
他人をも自分自身のことのように思い、愛する心を完成させることに他ならない。
これを善の修行という。この心を完成させた者は、善の修行を完成させた者である。
好き嫌いというエゴのフィルター無しに、全ての人を平等に愛する
ということは、自分自身をも愛することに繋がる。本当の自分自身をね。
自分自身を愛する心が無い者は、他人を自分自身のごとく愛することはできないのである。
111 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 09:55:21 ID:MJjMdhyV
>>100 >つまり「生起する」という語義自体が論理的矛盾を含んでまして、
>もしも仮設であるにしろ、論を立てた瞬時にすでに論が破壊されてしまうのです。
>これが「即否定」の意味でありまして、
また、適当な妄想をw なんでも京都学派論理、でもただの現状肯定。
>>101 まだ、不十分な内容ですがあげときました。
>>107 仰る通りですが、机さんは
>>57で月称菩薩が仰る通りですから。
私も含めて悟ってない人の主張は全て本質的には机さんと同じなんでしょうがw
オバマは、大統領就任式の演説で、宗派を超えて、皆が一つにという趣旨の
演説の中で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などの名前は挙がったが、
仏教はいわなかったろ。あれは意図的に言わなかったんだよ。
君らは仏教の無我思想を誤謬するあまり、至高の存在さえ認めない。
イギリスの王族や、アメリカの大統領。財閥などの、実際に世界の経済を動かしている
支配層の人々がメンバーにいるある団体では、そこの集まりでは決して
政治の話や、宗教の話はしてはならないが、そこのメンバーになる条件は、宗派は
問わないが、無神論者は、決してなれないということ。つまり至高の存在を認めない多くの
仏教徒達は、そこのメンバーにはなれないということなんだよ。
前スレで、唯物論者でも、私は自然を愛するものですといえば「、欧米人からも
尊敬されるといっている人がいたが、大きな勘違いだ。至高の存在を認めない無神論者は、
決して彼らから、尊敬を集めることもなければ、兄弟だと、仲間として認められないだろう。
113 :
初代スレ7:2009/02/01(日) 10:09:56 ID:/duY1DXc
>>112 なんだ、カラスの動機は西洋コンプレックスだったのかw
114 :
初代スレ7:2009/02/01(日) 10:11:38 ID:/duY1DXc
(もはや余分かもしれないが)、もう一つ指摘しておこう。
>>
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/85 では、
> ただし、基本原則的にはこの一枚の紙の喩通りですが、
> 状況により特殊ケースにおいてはこれも絶対ではありません。
と述べ、
>>52では
> >上のようなことが起こらないと断言できる理由を教えて下さい。
に対し
>個々のケースでいろいろでしょう。しかし、基本的にいえることは・・・・・・
と述べる。 (実際は、個々のケースなど、これっぽっちも考慮していないw)
前者は、「断滅に於ける特殊ケース」であり、
≪「特殊ケース(個々のケース)【が存在するから】」「断滅の道徳理論は不完全である」≫という主旨。
後者は、「輪廻業報思想に於ける特殊ケース」であり、
≪「特殊ケース(個々のケース)【は存在するけれども】」「輪廻業報思想の道徳理論は完全である」≫という主旨。
皆さん、なんかおかしいと思いませんか?w
※どちらも、特殊ケースをフォローする言辞が要請される点で変わりはありませんが・・・。※
115 :
ケセラセラ:2009/02/01(日) 10:25:28 ID:bVb89yFv
Que sera sera. ケ・セラ・セラ
Whatever will be, will be. 結局はなるようになる
The future's not ours to see.未来は人間にはわからない
Que sera sera . ケ・セラ・セラ
116 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/01(日) 10:35:00 ID:h+E1sRfx
>>107>>111 部派仏教の時代(アビダルマ)は勿論「空」という言葉はありましたが、
それほど重要視されてませんでした。
釈尊直伝の法(諸行無常)であっても、ダルマは無常ではない。
という前程がありましたから、
三世(過去・現在・未来)は実有で、刹那滅として無常としたのです。
(この刹那滅も、無我をどうにか理論体系して導きだしたものです)
これだと最初から三法印は崩れていたわけで、
あくまでも法としての無常・無我がなければ仏教とは言えません。
しかしながら、こういった論理的矛盾も、
長らく埋もれていた「空」によって、全てが解消されていくのです。
古い言説に固持することはない。
草創期においては説き明かされなかたものでも、
恒久の時間が法を育てておるんですから、
これひとえに人類の英知であろう。
117 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 10:42:47 ID:MJjMdhyV
>>114 あの、仏教の業報・輪廻と西洋的なエティカ、シナ的な道徳とは全く別ものです。
仏教における悪とは苦をもたらすものです。
ただし、エティカや道徳と共通するものがほとんどですが、
根本的な考え方が違います。
どうちがうかというと、仏教は苦しみをもたらさない為の行動指針として
明解に具体的、演繹的に打ち出せるのにたいして、
エティカや道徳は、規範的であったり、習慣的であったりと
根本的な考え方が明確でないので相対的であり、文化的なので、
習慣や規範の違う集団で共通認識を得られないのではないか、
というのが私の妄想ですw
118 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 12:54:12 ID:1chWh+Ss
>>105 >…まあ、お釈迦さんも神や霊とお話をしちゃう、電波な野郎なんだけどね。
御釈迦さんは、「神や霊」の「実在」を認め、「肯定」したのでしょうか。若し
そうなら、「空」とは完全に矛盾しますね。「無記」との関係は?
原始仏典に「神霊」が出てくるのは、「輪廻転生」と同じく、バラモン教から
の「過渡的現象」に過ぎないのではないでしょうか。
孔子は、「鬼神(神)は敬して、これを遠ざく」と言っています。釈迦は、
「敬して」さえいないのではないでしょうか。人間の最大の執着・煩悩は、
「神概念」なのですから。
119 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 13:15:37 ID:MJjMdhyV
>>117 例えば、一時流行った「なぜ人を殺してはいけないか」
「なぜ自殺してはいけないか」に対して、仏教は苦をもたらすからと明解に回答できますが、エティカや道徳、哲学などからは明解で論理的な回答はなかったように思います。
デレク・パーフィットの回答はなかなかよかったように記憶しますが。
この仏教の回答の前提が、他ならぬ業報・輪廻です。
そして、それを導き出す時に用いるのが正に縁起です。
120 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 13:16:44 ID:MJjMdhyV
>>118 >御釈迦さんは、「神や霊」の「実在」を認め、「肯定」したのでしょうか。若し
>そうなら、「空」とは完全に矛盾しますね。「無記」との関係は?
あなたは今、実在してますか?
121 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 13:26:42 ID:1chWh+Ss
>>120 >あなたは今、実在してますか?
共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
実在と認められます。
いくら私が、「我思う。故に我あり」と思っていても、このようにして、私の
身体が知覚されなければ、私は単なる「幽霊」「非実在」ですw。
人間にとって、「物が実在する」とは、(必要な場合には観測装置を使って、
五感で知覚できること」。例外は「皆無」です。日常生活の経験から帰納すれば、
あまりにも自明のこと。
122 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 13:29:41 ID:fGHo0ADQ
>>99 >56さんは電波説について陳べているのに、それに答えるあなたはやはり電波さんとやらですか?
それなら私の勘違いです。私を電波氏と混同している人がいるので、私への問いと思い答えただけです。
>第一結集のアーナンダの伝承もあなたの言うところの不肖の弟子が
>改竄して伝えた経典によるものかもしれませんよ?
>なぜそこだけは疑わないのでしょうか?
疑ったないなんてことはありませんよ。アーナンダについて悪く書かれている部分は、
アーナンダと敵対する勢力の主観が混ざっているでしょうし、同様にマハーカッサパを
悪く言う部分は、マハーカッサパを嫌う人の主観が混ざっている可能性があると思います。
>それに「はずがないでしょう」とか「はずです」とか「でしょう」とか根拠なく陳べられても・・。
根拠は今まで散々述べてきました。
>「仏陀は輪廻を説いたはずだ。しかし、南伝ではその伝承が伝わらなかったか途絶えたのでしょう。」
もともと最古層にはブッダが生まれ変わりを説き、samsaraという言葉もあったが、伝承からその部分だけ
失われたということでしょうか?他の部分の輪廻の話はちゃんと伝わっているのに?
そこだけ途絶えるのはおかしいでしょう。特に、あなたたちがいうように、輪廻思想がブッダの中心思想であるなら。
誰かが悪意をもって削除した可能性くらいしか考えられませんが、あなたはそうだと信じているのですか?
その場合でも、もし輪廻思想がブッダの中心思想なら、すぐに別の誰かが修正したはずです。
123 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 13:51:55 ID:MJjMdhyV
>>121 >共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
>実在と認められます。
それは空と矛盾しないのでしょうか?
124 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 14:40:45 ID:7Yp/x8/s
125 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 14:41:25 ID:7Yp/x8/s
>>102-103 もちろん、あなたのように今生だけの唯一の人生だから、自己を大切にしたいというのは確かにありで
しょう。しかし、自暴自棄という言葉がありますが、自分の人生は好きにするという言い分の中では、自己
を大切にする必要がないという主張もまた可能なのです。しかし、本当の意味で自己を大切にするとは来
世に繋がるからですよ。今やこの人生だけでは済まない。だから、もっと永いスパーンで考える必要が出
るから、その時だけの思いつきでは失敗する。
幼少期からの教育の重要性については全く同意します。7さんの教育方針には肝心なことが抜けていま
す。自己の行為の結果が自分に返って来るというものであり、そこに本来は他は無く一であるという教えで
す。来世というのは、これの延長上として必然的に導かれるものです。
7さんのは断滅論。死んだら終わりであり、本人にとってはどんな人生を過ごしても死ねば同じ結果なの
です。人命を救った殉教者も殺人鬼も同じです。残された周囲の評価と反応が異なるだけで、それは死ん
だ本人には確認の術もないというもの。
輪廻転生は違う。自分の行為の結果は確実に自分が受け取るのです。それは他人のせいではない。全
て平等に作用している。
人の生まれつきの境涯の違い。これも他人のせいではないいし、根本的に偶然の結果などといった考え
方は仏教にはない。縁起について再確認して下さい。
以前、枯葉剤の奇形の話が出て、それは枯葉剤による縁起だという意見がありましたが、何故、自分は
枯葉剤の地域に出生したのか?同じ地域でもA夫婦にはなく、B夫婦には奇形が出た。何故、自分はA夫
婦の下に生まれなかったのか?この原因と縁起を思考して下さいな。「それは偶然です」なんていう言葉は
仏教ではありません。
更にもう一つ。スレ4/150を再読して頂いて、
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1230/12306/1230651094.dat 今度は7さんが回答してみて下さい。仏教と出会えない人と死期が迫った人間はどうしたら解脱成仏でき
るのか?ゴータマの教えとは万人成仏道?それとも?そもそも仏陀になるには何年の修行が必要ですか?
126 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 14:46:56 ID:MJjMdhyV
>>124 そんなこといったら、輪廻や地獄は比喩表現と説を否定することはできませんよ。
これも、なんども言ってるんですが。
127 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 15:34:33 ID:7Yp/x8/s
>>50 >「100万回生きたねこ」を100万回熟読してほしい。
さすが物知りですね!私は知らなかったのでこれを初めて読みましたが、かなり面白かったです。涙は
出ませんが、ジ〜ンと考え深いものはあります。でも、ごめん。100万回じゃなくても1回で7さんの意図する
ところは分ります。
これについては簡単に述べることにします。この物語が仮に仏典の輪廻転生と最後に二度と生き返らな
かったというのがニルヴァーナの境地だとします。
何か満足を得られず繰り返し転生を続けて、最後には大好きな白いねこが死んでしまった。それでもう、
この世には戻りたいという願望は沸かなかったのでしょう。
128 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 15:35:03 ID:7Yp/x8/s
話としては仏教の教えと通じていますよ。転生を繰り返しているのは自らの意志による割愛(タンハー)が原
因であると説かれている。しかし、この二度と再生しないこの境地というのは、繰り返し転生経験を経て、修
行を積んで初めて達成できるのです。
それは何故か?それは頭の中でいくら、「自分が望もうとしなければ再生しないんだ。わかった!」など思
考を巡らせたところで、そして「二度と再生はゴメンだ」「この世に未練は一つない」としても無理なのです。
何故なら、凡夫は意識的に悪行から離れようとしても、必然的に悪しき業を積む行為をしないではいられな
いからです。意識が低我に留まって要る限りはこれから逃れることはできないのであり、いくら低我で以って、
「低我が本来と自己ではない」などと思考したところで、それは低我の中での活動に過ぎないからです。
意識が低我から離れ、高我に向かうには修行が必要なのです。それは一定の時間(期間)を要する。積
んだ悪業は非情に作用するので、その力が強制的に来世へと転生に導くのです。
ねこの悟りが低我によるものではなく、自己意識が高我と直結することで感受できない限りは、ただの思
考の産物で終る。凡夫は低我でしか思考できないのです。いくら仏教書を読みそれを悉く理解しようと、「輪
廻なんかないんだ。わかった!」としたところでダメなのです。
ただし「転生を繰り返しているのは自らの意志による割愛(タンハー)が原因である」と知り、それを理解する
ことはいいのことです。
勝義が不要ということではない。勝義は必要です。しかし、勝義を知りそれを理解しても、我々の意識は
それを超えられないのです。肉体は空だからといって放置できならして下さい。
しかし、食べ物や病気な様々なことについて肉体を世話しなければならないのであれば、ねこの死(二度
と再生せず)を知的に理解したところでダメなのです。
129 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 15:40:56 ID:7Yp/x8/s
>>126 味噌も糞も一緒にしないことです。似てても違いが分らないと・・。
地獄はある。次の転生に向かうまで間と人生での生き地獄もある。しかし、蛆虫といった細部にこだわる
必要はない。蛆虫ではなくゴキブリかもしれないし、ミミズかもしれないし、そういうものではないかもしれな
い・・それは比喩です。輪廻は真我レベルからみれば、輪廻は元々から存在しない。低我レベルでは現実
です。
130 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/01(日) 15:44:15 ID:uRC7gv2m
>>125 >本当の意味で自己を大切にするとは来世に繋がるからですよ。
古代インドにおいてアーリア人が侵攻した時、
バラモン教を土着信仰とうまく吸収合併できたのは
下層民の不満なりを来世に繋げるという教義を、あえて受け易い状況があったわけです。
つまり輪廻論は、支配する側においても支配される側においても都合がよかった。
(支配される側は、圧政があったとしても心理的な逃げ場ができる)
ようするに、今生(現世)で満足できる生き方が出来たなら、
本来、人間というのは来世のことなど念頭には逝かないんじゃ〜ないかな?
拙者は失礼ながら、貴殿が輪廻論をあくまでも固持してるのは、
貴殿の深層心理にいささかの問題(現世不満)があるんじゃないかと
野暮な推測をしてるのですが・・。
釈尊が悟ったのは、こういった人間の深層部分の解明でして、
そこに無明の原因がある。とした。
ですから先ず、世界観構築以前に「我見」と「古い信仰を捨てよ」って言ったわけです。
来世に希望を託すのは、最大の執着でしかない、
これさえ滅侭すれば即涅槃寂静。
131 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 15:53:01 ID:7Yp/x8/s
>>130 >つまり輪廻論は、支配する側においても支配される側においても都合がよかった。
>(支配される側は、圧政があったとしても心理的な逃げ場ができる)
では、キリスト教が輪廻論を認めないのは?
>ようするに、今生(現世)で満足できる生き方が出来たなら、
>本来、人間というのは来世のことなど念頭には逝かないんじゃ〜ないかな?
それは否定しません。しかしまた、その満足は永く続きたいと思うでしょうから、「死にたくない」という思いは強い傾向があり、もしも来世があるならば、来世でも続きを得たいと望むでしょう。
>拙者は失礼ながら、貴殿が輪廻論をあくまでも固持してるのは、
>貴殿の深層心理にいささかの問題(現世不満)があるんじゃないかと
>野暮な推測をしてるのですが・・。
それは仏典の記述であり、私はそれに同意します。
132 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 16:02:44 ID:7Yp/x8/s
>>126 では、あなたに確認します。
あなたの見解では、苦行を止めるよう誘惑した悪魔ナムチとは、
実際にそういう化け物が出現したことをこの経は述べているということですか?
またはそうではないが、ゴータマには化け物が実際に見え、
出現したものと思って語ったことがそのまま経になったと。
133 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:04:11 ID:fGHo0ADQ
>>129 >輪廻は真我レベルからみれば、輪廻は元々から存在しない。低我レベルでは現実
です。
現実に存在するかしないかの話をしているのです。妄想レベルでは存在するが目覚めた高いレベルでは
元々存在しないというなら、それは現実には存在しないってことです。
134 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 16:09:45 ID:7Yp/x8/s
>>133 それは自分の肉体について放置(意識の焦点として)できるようになってからいって下さいよ!
あなたは食べ物や水を得ることについて思考しませんか?
職場に向かう時間については思考しない?
これら肉体に伴う自己は行為者ではないと体感直知できてからにして下さい。
135 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/01(日) 16:11:00 ID:h+E1sRfx
>>131 >では、キリスト教が輪廻論を認めないのは?
あのですね、キリスト教と仏教は根本的に思想が違うんですよ。
キリスト教というのはね、
貴殿の家の便所の蜘蛛の巣だって神の被造物なんです。
なにからなにまで神が創造したもの。
だから人間は神には絶対逆らえないんです。
ほら、エデンの園で神に逆らったから原罪が発生したんでしょ?
(これで人間は善悪を知ってしまった)
エバ(イブ)の一回の過ちだって許されない。
(蛇の誘惑に負けただけなのにね)
この蛇ってのは、貴殿は意味はご存知ですか?
蛇の頭は亀頭を意味してるのですよ。
まあ、どこかエロティックであります。
さりげなくバイブルは書いてありますが、そこには人間の作為的なものを感じます。
このバイブルの解釈によって・・・どうにでも話を変えられるますからね。
そういった秘密めいたところを、先ずは見抜きませんと、
幼女などは危ないですよw
(こういった事件がキリスト教では頻発してます)
136 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:23:10 ID:fGHo0ADQ
>>134 何言ってるか分かりません。
ブッダが生まれ変わりを説いたか説かなかったかを
経典に基づいて考証するのがこのスレの目的じゃないの?
生まれ変わり、来世、輪廻などを体感直知(妄想)することが目的じゃないはず。
137 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 16:24:57 ID:7Yp/x8/s
>>135 おっしゃる意味は分りますが、質問に答えていません。
何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?
138 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:25:09 ID:MJjMdhyV
>>129 何人かが指摘しているように、あなたの説は、神智学説であって仏説ではないのです。
『梵網経』に明らかなように凡夫の断見、常識説より高いものですが、
釈尊は、それらを敬いますが、ネハン、解脱には至らず、
相応の境地に転生すると明解に説かれています。
これは『梵網経』だけではありません。例えば『ウパーリ経』では、
ジャイナ教の高弟ウパーリが、釈尊に論争を挑みにきます。
ウパーリは命をかけた真剣勝負です。釈尊は「真実を語るなら話してもいい」と言って問答が始まり、ウパーリは釈尊の問答に打たれて改宗し悟ります。
結果、ウパーリはジャイナ教主の前でジャイナ教が間違っているという比喩を述べ釈尊を讃えます。
その賛美に耐えられずジャイナ教主は、その場で血を吐いて倒れ死にます。
以上は、問答が、どれほど切実だったかを伝えてあまりあると思います。
その真剣な問答のなかでウパーリは、ジャイナの掟を守って水を呑まず、
湯を飲もうとして得られずに飢渇して死んだものは神々に生まれると言っています。
釈尊は、これを否定しません。この状況で、比喩はありえないでしょう。
『梵網経』と同じで、明らかに禅定の境地に対応する神々に転生するのが、
解脱していなものというのが、共通認識です。
139 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 16:28:17 ID:7Yp/x8/s
>>135 おっしゃる意味は分りますが、質問に答えていません。
何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?
>>136 >生まれ変わり、来世、輪廻などを体感直知(妄想)することが目的じゃないはず。
私は仏教の教えについて述べてるのです。
140 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:31:50 ID:MJjMdhyV
>>129 >必要はない。蛆虫ではなくゴキブリかもしれないし、ミミズかもしれないし、そういうものではないかもしれな
>い・・それは比喩です。輪廻は真我レベルからみれば、輪廻は元々から存在しない。低我レベルでは現実
>です。
そんなこと言ったら机さんの現状肯定論と変わらないでしょう。
輪廻というのは世俗諦の話ですよ。
>>132 そうですよ。
141 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:31:51 ID:fGHo0ADQ
>>139 最古層に説かれていないという事実、むしろ来世など認識の及ばないことにについての見解に執着するなという教えを無視し、
神話を文字通り信じているだけではないですか。それでいて、地獄の詳細は比喩です、などというのはダブルスタンダード
です。あなたは何を基準に詳細は比喩だが、地獄自体は比喩ではないと断定するのですか?
142 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 16:33:00 ID:7Yp/x8/s
>>138 それで〜なんだというのです?
だから、味噌も糞も区別がつかないというのですよ。
143 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/01(日) 16:34:26 ID:uRC7gv2m
>>131 >「死にたくない」という思いは強い傾向があり、もしも来世があるならば、
>来世でも続きを得たいと望むでしょう。
四苦においての「生きる苦しみ」ってのは、
貴殿が書いた、まさに「死にたくない」って苦しみと、「死にたい」という苦しみですよ。
まあ、これは「老」「病」「死」にも繋がりますが。
悟りますと「死にたくない」という恐怖観念は寂滅します。
(これを不死の境地という)
一休宗純の「死にとうない」ってのは、この不死の逆説的なものですね。
(まあつまり頓智ですが、現世で精一杯生きたい。の意)
拙者は来世まで命が存続するのは望みません。
ハッキリいって苦痛です。
手塚治の漫画で「不死鳥」の話がありますが、死ねない苦痛も書いてあります。
「生きる」ってのは、死ぬことも苦痛かも知れませんけど、
永久に生きる。となれば・・・こんな苦痛はないんじゃ〜ないですか?
仏教は中道。偏に依らずですから、断滅と永遠の極を断じてます。
(これほどの最高哲理は他にないですね)
144 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:36:58 ID:MJjMdhyV
145 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 16:38:22 ID:7Yp/x8/s
>>140 >輪廻というのは世俗諦の話ですよ。
我々、凡夫は空で縁起してる肉体に自己意識があるのです。この意識境が世俗諦です。
その限りにおいては転生は免れない。転生とは再び肉体を持つことです。
>>132 >そうですよ。
そうではなく、出現したのか?それともゴータマの幻覚か?
と聞いてるのです。
146 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:42:03 ID:MJjMdhyV
147 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:46:16 ID:DQYqdr1X
>>123 >>共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
>実在と認められます。
>それは空と矛盾しないのでしょうか?
まさに「空」ですよ。「自分(個)は、他者との関連においてのみ、存在し
得る」のですから。自分(個)独立では、存在し得ない(無自性)。
従って、デカルトのコギトの命題は誤り。
西洋思想の誤謬の根源としての、デカルトのコギトについて、仏教の立場からの
批判をお願いします。
148 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/01(日) 16:49:52 ID:h+E1sRfx
>>137 >何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?
それは旧約聖書を読めが明らかですよね。
最初神は、天地創造からアダムとエバ(イブ)を想像して、
それで理想世界を造ろうとした。
しかしエバの失敗によってこれを断念せざるを得ない。
この脈絡がある限りは、これが永久に続くということですから、
それで終了ですよね。
キリストの他に救世主(メシア)が出現すれば、新展開になる可能性はあるのしても
現段階においては、ないですね。
また、人間の創造は神の一存で決められたわけですから、
そこに人心が入ることはない。
(これは一神教の特徴ですね)
149 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:53:52 ID:7lnUaupq
>>53 >知識、理論だけで「知ってる」「認めます」とはいっても、狂気が都合のいい身勝手な言い訳を見つけ出す
のですよ。・・・人は様々に差別しますが、しかし、法(天)の上に人間は平等なのです。
輪廻転生も知識、理論だけで「知ってる」「認めます」と言ってるのではないですか?
>>54 >輪廻転生を説いたらカルトなどという論理が成り立たない。
↑ と断定できる理由は何ですか?
>>68 >教会の教え=イエスといった愚弄は馬鹿げています。
↑イエスの教えと教会の教えの違いを明確に提示して下さい。何回もイエスの教えではないと言われるので・・
あなたの論は、どこかおかしいのですょw つまり、表面上、非常に口が上手いのです
宗教セールスマンの特徴は ↑ ですねw (笑
150 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 17:02:30 ID:7lnUaupq
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■ 宗教とは、本当に困ったものだな。 ■ (#/_ _)/
現実上根拠皆無な、百人百様の妄想を、あたかも事実であるが如く、狂ったように主張する。
その妄想は、他者によって「植え付けられた」もの。★
人間は、現実界に100%依存しない限り、その生命の維持は不可能で、信仰そのものが
存在し得ない、という自明の事実をすっかり忘れている。☆
1個人に過ぎない開祖や教祖を、あたかも「完全な人間」であるように勘違いしてひたすら盲信する。
「すべての人間には、長所もあれば短所もある」のが、唯一の「真理」であるのに。☆★
この「根拠皆無な妄想」を一旦植えつけられると、それから離脱することは、殆ど一生不可能。
結局は、妄想の中で、酔生夢死の一生を送ることになる。 勿論、社会には、何の貢献もできない。
幸運にして離脱に成功しても、「のた打ち回る苦しみ」を味合わなければならない。
宗教は、古代人が生存するための「手段」の一つとして発生した。すべての人間に共通する唯一
の普遍の事実は生存本能(生命)である。古代人は、生存の「手段」である宗教を、生存の「目的」
とするような倒錯には陥っていなかった。彼らにとっては、生存のための精一杯の「合理性・現実性・
科学性」の表れであり、現代の科学に相当するものだった。
宗教のいかなる奇跡も及ばない科学の発達により、宗教はすでにその役目を終え、現代では、
その多くの弊害故に、法律をもって廃止すべきものである。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
151 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 17:20:22 ID:DQYqdr1X
>>137 >何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?
「(心の)貧しい人々は、幸いである、天国はその人たちのものである。」
(山上の説教)
ちゃんと来世に繋げているではないか。
イエスは、自分を信じさせる「目的」のために、「弱者」「貧者」に擦り寄り、
「幸い」「天国」などの「甘言」で釣ったのである。
彼の教えは、基本的に、このような「人間差別」に基づいていたために、すべt
誤りなのである。ニーチェが、「弱者のルサンチマン」として厳しく批判する
所以である。
152 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 17:20:37 ID:MJjMdhyV
>>147 >>>共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
>>実在と認められます。
>>それは空と矛盾しないのでしょうか?
>
>まさに「空」ですよ。「自分(個)は、他者との関連においてのみ、存在し
>得る」のですから。自分(個)独立では、存在し得ない(無自性)。
仏教の縁起とはちょっと違うと思います。
原因と諸条件によって x が発生する、縁起する、認識される。
実在というと真実に有るという語感があるので、ある、とか存在するという
なら
仮設としてありだと思います。
>西洋思想の誤謬の根源としての、デカルトのコギトについて、仏教の立場からの
>批判をお願いします。
昔読んだだけでよく覚えていませんが、
我思う、故に我あり。というのは、縁起と違って、
何か知覚や現象があるからには、基盤として実体、実在がなければならないという前提、仏教的には無明があると思います。
しかも、凡夫認識(ボンサンス)が基準となってますから、
まさに常識世界観、ローカーヤタに近いのではないでしょうか?
ここから、世界を量化、数値化、対象化して捉える世界観が始まったとよく言われますね。
この世界観ですと物質がどうなってるかは緻密に客観的に記述できても、
どうすべきかという行動原理が全く提示できないところに
ハイデガーなどが批判する技術社会の疎外と苦悩があると思います。
以上のような感想みたいなものでよろしいでしょうか?
153 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/01(日) 17:24:38 ID:uRC7gv2m
>>139 >おっしゃる意味は分りますが、質問に答えていません。
>何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?
一度答えてますが、再度の質問に答えます。
あのですね、キリスト教というのは、
下層民であっても上層民であっても・・・そういうふうに神が被造したんですよ。
だから、
下層民だからどうだ?上層民だからどうだ?
と批判することは許されないのです。
(これは神を批判することにもなる)
例えば、
下層民だから救済しよう。って段階で・・・それは神の被造物破壊になる。
(マザーテレサは、あえて禁を犯したことになる)
で、貴殿は、下層民は不満があって、上層民は不満がない。とお考えか?
(その考え自体がキリスト教的ではない)
154 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 17:25:39 ID:7Yp/x8/s
>>143 机さんはねぇ〜ラジニーシ(1931年-1990年)と言ってることが殆ど酷似してるのですよw
拝見してるとその思想の印象としてはね・・。
彼は禅が好きだったようで、晩年はOshoと呼ばれることを好みました。
ところで、机さんはクリシュナムルティーを知ってるようですね。
実際、著作は丸々1冊、読んだのですか?
155 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/01(日) 17:32:21 ID:h+E1sRfx
>>154 禅師は、根本的なとこは殆ど同じですよ。
個性は違いますけどね。
>実際、著作は丸々1冊、読んだのですか?
本は速読で充分ですね。
要点だけ拾い読みすればいい。
本は買ったことは殆どない。
156 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 17:51:02 ID:DQYqdr1X
>>152 >仏教の縁起とはちょっと違うと思います。
>原因と諸条件によって x が発生する、縁起する、認識される。
>実在というと真実に有るという語感があるので、ある、とか存在するという
>なら仮設としてありだと思います。
仏教の縁起とは、そのような単に時間的・逐次的な概念で、空間的・同
時的要素は除外するのでしょうか。「色即是空・空即是色」は、まさに、
その両方の要素を包含するものだと思いますが。
この世界は、「人間」の目に映じた世界ですから、「仮設」であるのは
当然です。されど、その仮設の世界こそ、人間が現に生きている、生きる
べき世界なのです。
デカルトは近代西洋哲学の父と呼ばれる人。そのコギトをどう批判でき
るかが、キリスト教などの西洋思想と仏教などの東洋思想をと分かつ分
水嶺だと思います。
100歩譲って語られた言葉が比喩だとしよう。
比喩を比喩だと認識してしまえば、導く者の示した道を失ってしまう。
あらゆる物事に等しく批判的であると自称する批判者には行き着く処が無い。
158 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 18:31:54 ID:7Yp/x8/s
>>149 >輪廻転生も知識、理論だけで「知ってる」「認めます」と言ってるのではないですか?
ゴータマは大いなる意識と自らの超常体験によって確認したのです。
輪廻転生を認めなければ理論的に仏教の教えが崩壊します。
>「輪廻転生を説いたらカルトなどという論理が成り立たない。」 ↑ と断定できる理由は何ですか?
輪廻転生を説かない仏門というのは、
阿弥陀にすがる浄土教のような似非仏教の他には存在しないのです。
>↑イエスの教えと教会の教えの違いを明確に提示して下さい。
>何回もイエスの教えではないと言われるので・・
読んで下さい!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/209-210 この中で紹介した「イエスと仏陀の説く真理真実とは?」スレの私の投稿には詳細があります。
159 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 18:32:39 ID:7Yp/x8/s
>>148>>148 知識は豊富ですが・・いいでしょうか!キリスト教における輪廻思想は異端のカタリ派のみならず、本
来、元々は説かれていたものです。これは仏教の場合における輪廻転生の後付説とは違い、ネタの上
がっている確立した根拠のあるものです(クリスチャンは認めたがりませんが)。で何故、キリスト教から
輪廻思想が排除されたかは分りますか?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/201 >>155 或いは、クリシュナムルティー(1895-1986年)に被れても、また似た状況に陥る・・。まずはラマナ・マ
ハリシ(1879〜1950)について知ったほうがいいです。そこから更に、ジュニャーナだけでは無意味だと
いうこと。そして、クリシュナ(紀元前3000年頃)の説く、「行為の道が非行為の道(ジュニャーナ)に勝る」
という教えについて知るならば、輪廻と勝義の関係について分るのです。
殆どの者にとっては役立たないのが勝義の教えです。それだけで済む者は僅かであり、ごく少数です。
そういう人は今生に生まれたときからすでに解脱に近いレベルにあるのです。
160 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 18:34:24 ID:7Yp/x8/s
161 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/01(日) 19:08:16 ID:uRC7gv2m
>>159 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/201 この↑書込み読みましたけど、
>聖書には生まれ変わりを示す教え(及び行為の結果が自己に返ってくるとい
>う業報の教え)は削除されることなく、そのまま今も残っています。
あのですね、
仏典も捏造がありますけけど、
聖書はそれ以上に捏造がありますから、
聖書をそのまま信じ込んでしまうのは痛いですね。
たとえクリスチャンでも、そういうことは見抜いてほすい。
業報というなら、神にとっての業報であり・・・
この場合は対人間にとっては有効ではない。
ゆえに、
神と相対するサタン抹消こそが「善き報い」ということになる。
(これは非常に危険ですね)
中世ヨーロッパの魔女狩り的なことは簡単にできちゃう。
(人間に都合がいいように改ざんされてる)
#、では、おやすみなさい。
162 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 19:51:12 ID:Voghe/30
>>112 >イギリスの王族や、アメリカの大統領。財閥などの、実際に世界の経済を動かしている
支配層の人々がメンバーにいるある団体では、そこの集まりでは決して政治の話や、宗教
の話はしてはならないが、そこのメンバーになる条件は、宗派は問わないが、無神論者は、
決してなれないということ。
↑
>悪貨は良貨を駆逐する。ま、悪が支配するこの物質世界だ。(
>>110)
163 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 19:53:26 ID:Voghe/30
165 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 20:32:21 ID:MJjMdhyV
>>156 同時解釈もあります。
仏教の凄いところは重層的で、しかも単純明解な入り口になっているところです。
重層的な高度な意味がどこまであるか私には分かりませんけど。
166 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 20:45:40 ID:O5R4EuIl
>>97 >>他の断見や唯物論の外道と仏教も「実は」「考え方によっては」
>>僅かな相違だと主張する人の意見も許さなくては、公平・客観的とは言えなくなりますよ。違いますか?
>
> 外道とはゴータマの教えとは違うということであり、その中身においては近しいレベルから遥かに遠く離
>れた思想までも含みます。断見外道は業報、及び死後の断滅を説くもので、これは最悪にして最強。ゴー
>タマから最もかけ離れた見解なのです。これ以上のものはない。
遠くも近くも、あなたのような明白に「外」の人間が、これは遠い、これは近いを
論じることができると考えるのが、そもそもの誤りです。
中にいる人間から見て、それは近いとか、それは離れているが、見えるはずです。
そうでない人間に見えているものはどこまでいっても100%ピュアな妄想です。
「五十歩百歩」以外の何ものでもありません。
167 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 21:00:02 ID:O5R4EuIl
>>124 > 梵天勧請の梵天や苦行を止めるよう誘惑した悪魔、悪魔相応の悪魔といったものに関しては、自己意
>識の心理描写です。梵天といった人格神が出現したり、魔界の化け物が出現したりしたわけではありま
>せん。
へえ、意外とつまらない考え方をされているのですね。中村博士の考え方を採用して
いるのですから、そうなるのは当然ではあると思いますが。
このへんは、偽レノンと仲の良い、偽リンゴ・スターならぬ、明けの明星論者のカラ
ス氏の意見はどうなんでしょうね? 彼の方がもっと神秘的(ロマンティック)に考
えていそうですが。
168 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 21:29:38 ID:O5R4EuIl
>>159 >そこから更に、ジュニャーナだけでは無意味だと
>いうこと。そして、クリシュナ(紀元前3000年頃)の説く、「行為の道が非行為の道(ジュニャーナ)に勝る」
>という教えについて知るならば、
ジャイナ教のニガンタ・ナータプッタは、身口意のうち身による業を一番重視
していました。ちょうどあなた(の賛同するクリシュナ)の考えと同じように
です。あなたは以前にも奉仕がどうのと言ってましたね。
これに対して、それを聞いたゴータマ仏陀は「意が業として一番重い」と述べ、
さらにそのことを伝え聞いた、ナータプッタは、「身による業が明らかに重い
に決まっているではないか」と訝しんだそうです。ちょうどあなたが、ジニャ
ーナだけでは駄目だと述べているのに対応します。
中村論者のあなたから見て仏教とジャイナ教は双子に思えるみたいですが、そ
の仏教とジャイナ教の間での見解の相違点については、あなたはジャイナ教側
に立場が一致しています。無我論と真我論の対立も仏教ジャイナ教間での歴史
的な論点でした。
ちなみに、渡辺研二氏は、仏教学者ですが、研究は主に六師外道についてのも
ので、ジャイナ教についての本を二、三冊書かれています。といっても、氏は
中村元全集のジャイナ教について書かれた巻の執筆を一部手伝われていて、そ
の巻のダイジェスト版のような本を渡辺氏の名義で出したような形なので、も
し読まれるなら中村元全集の方を読まれることをお勧めしますが。
ttp://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-kikou/20060518.html
169 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 21:50:28 ID:MJjMdhyV
>>168 『ウパーリ経』ですね。その最後に出てくるナータプッタが
血を吐いて死んだといことの真偽をご存知でしょうか?
よろしければ教えてください。
170 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 21:55:01 ID:O5R4EuIl
>>78-79 宝珠愚者さんのジャイナ教に対する批判は主に苦行の実践面についてです。
しかし、あなたが、中村元をたよりに文献面から仏教のイメージを作り上げている
ように、ジャイナ教も経典から文献学的に思想面についてアプローチするならば、
むしろジャイナ教の方に適合性が高いことに気付くでしょう。
ジャイナ経典からは、いくらでも比喩的に神話として述べられたのではないかと推
測できることがあるのですが、そういった事柄を、極端に現実的に受けとってその
まま実践すると、現状のジャイナ教徒の形態となるのではないかと。
基本的に、魂(何らかの自己の実体)とその修行という関係性で世界(人生)を捉
えている点では、あなたの神智学にはジャイナ教の方がはるかにフィットするはず
です。
171 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 22:02:53 ID:FEHMX+hV
>>119 >この仏教の回答の前提が、他ならぬ業報・輪廻です。
>そして、それを導き出す時に用いるのが正に縁起です。
「何故人を殺してはいけないか」の理由についてよく引用される法句経の有名
な「己が身に引き比べて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」は、業報輪
廻にも、縁起にも関係ない。人間の本質としての共同体性を射程に入れた、
「思いやり」に基づき、「殺してはならない」ことの「原理」を、簡潔、雄渾
に述べた大文章。聖書などには、どこを探しても見当たらない感動的な一章で
ある。この一文だけでも、仏教の価値は充分にある。
172 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 22:11:05 ID:7Yp/x8/s
>>164 >イエスの噂を聞いて発せられたヘロデのこの発言は生まれ変わりでしょうか。
はい、それはごめんなさい!かなり不正確な記述でしたね。あなたの指摘が正しいです。生まれ変わ
りが当たり前のものとして当時にも認知されていたという意味と、これは一緒にして纏めてしまったので
す(笑)
この時のヘロデの発言は洗礼者ヨハネの霊的な力による鼓舞が働いている、というものです。「イエス
と仏陀の説く真理真実とは?」スレの「聖書の中の再生誕とカルマの教え」と題した投稿を読まれて下さい。
「マタイ22:32」は、死者の復活について述べているのです。神は死人のためではなく、生きている人間
のためにあると述べている。完成者は死を克服し、復活も可能であるということであり、イエスはそれを
示そうとしている。
「黙示録3:12」は、征服者(勝利者)はその境地から二度と堕ちることがないといっているのです。この
完成者、征服者(勝利者)というのは自己の霊性の進歩において困難を全て克服した者をいうのです。
あなたはどうやら、クリチャンのようであり、「人間の努力や修行の成果」について否定的なのだというの
は分ります。
それを神の恩寵(力)に拠るといいたいのであれば、それも間違いではありません。唯、神の他に存在
はしていないからです。業報の作用も神の力です。転生現象も神の御業です。
しかし、神の特定の個人に恩寵(力)をもたらす場合は選択される基準があります。その基準に合格す
るのは個人の努力なのです。
173 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 22:12:15 ID:7Yp/x8/s
>>167 私は魔界の化け物はない、と言っているのではないのです(個人的には存在に肯定的です)。しかし、
この仏典の記述は自己意識の心理描写であり、文学形式なんだと見ましています。
紹介した「相応部経典23-11/羅陀相応魔」の中で、ゴータマは問いに答えて、五蘊が悪魔の正体だと
ハッキリと教えています。つまり、自己意識を低我へと縛り付けるこれら五蘊の存在と作用こそが解脱
の妨げとなる悪魔の誘惑だからです。
>明けの明星論者のカラス氏の意見はどうなんでしょうね?
仏典中の記述(根拠)については私は知りませんが、でも、否定はしません。ゴータマについてもそうい
うことがなかったとはいえない。「明けの明星」というのは重要な秘教的象徴であり、カラスさんの言いたい
ことについては理解できます。
174 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 22:44:03 ID:O5R4EuIl
>>169 真偽はわかりません。事実だとしても、ジャイナ教では当然、そのことは伏
せるでしょうね。パーヴァーという場所で死んだということについては一致
していると思います。
>>172 > この時のヘロデの発言は洗礼者ヨハネの霊的な力による鼓舞が働いている、というものです。
「あれは洗礼者ヨハネだ」と言っています。
>完成者は死を克服し、
違います。聖書の世界観では預言者・聖者の力は神が与えたものです。
復活をはじめとする恩寵は本人が修行や努力をして得るのではないのです。
修行や努力による、と書き得るとしても、それは「神から評価されて」という意味においてです。
> 「黙示録3:12」は、征服者(勝利者)はその境地から二度と堕ちることがないといっているのです。
違いますね。あの文章は各人が個別に達するというものではありません。
「時」が来ると、神が世界をまるごと巻き込む「みわざ」を行うというものです。
でもって、こうした神の側からの干渉は旧約聖書から説かれているものです。
>唯、神の他に存在はしていないからです。
創造主と被造物は厳然と分けられています。聖書は汎神論ではありません。
>業報の作用も神の力です。
>転生現象も神の御業です。
聖書に明記されてあってはじめて言える事です。聖書の世界観はどうか、という話だからです。
あなたがしていることは、エゼキエル書に出てくるケルビムをUFOと解するのと変わりません。
>あなたはどうやら、クリチャンのようであり、「人間の努力や修行の成果」について否定的なのだというの
>は分ります。
こういうレッテル貼りはやめましょう。思想の違いを述べているまでです。
176 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 23:06:23 ID:7Yp/x8/s
>>166 >遠くも近くも、あなたのような明白に「外」の人間が、これは遠い、これは近いを
>論じることができると考えるのが、そもそもの誤りです。
>中にいる人間から見て、それは近いとか、それは離れているが、見えるはずです。
>そうでない人間に見えているものはどこまでいっても100%ピュアな妄想です。
それは失礼しました。私は、個々の人々による見解の違いや個人の自由については、もちろん尊重します。
100人全員が完全、同一の理解と認識に至るということは在り得ず、それが起こるならそのほうが異常事態
です。個々の違いを知ることが重要。そこに互いに学びが在る。
しかし、言わせてもらうならば、外(私は仏教徒ではないと公言している)にある人間だからこそ見えるもの
もある。中にいるとそれが気付けない、という話はよくあることであり重要なことです。
>>170 分析に感謝です(苦笑)!! しかし、個人的には伝統のクリシュナのギーターとシャンカラ、近代のラマ
ナ・マハリシと神智学があればいいのであり、別にジャイナの教えが自分に必要だという認識は全くあ
りません。殊は足りています。
>>167 >中村博士の考え方を採用しているのですから、そうなるのは当然ではあると思いますが。
私は経典を読んでて、これがすぐに自己意識の心理描写だと理解できました。尚、この件、及び悪魔の
正体(五蘊)について明確に指摘した学者は、私の知ってる方としては増谷文雄氏です。
177 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 23:07:53 ID:7Yp/x8/s
>>168 身口意の三業でいうと、身業口業というのは意業が先立ってなされるということが通常の意味と理解と
なります。
問題は自己の意識の焦点がどこにあるのか、どこに置かれているのか?そして、どの位置の視点から
それについてを述べるのか?といったこの二重の段階、この違いが様々な学派の差異として現れるので
す。しかし、内容をよ〜く理解すると、結局、最終的には同じことをいっているに過ぎないものと理解される
ものが殆どなのです。
意識が低我に置かれていなければ、人は行為しててもそれは非行為なのです。この場合には意業の問
題も起きない。ジュニャーナとは、身口意の三業すべてにおいて、自己の行為であるとは見なさないことを
いうのです。しかし、我々一般人というのは身口意の三業のいずれかを行為せずにはいられない。従って、
ジュニャーナの教えは思考的には理解できても、現実には非行為でいることは決してできないのです。
行為の道とはつまり、ヨーガ(ハタヨガの意味ではない)であり、身口意の三業の三密加持(これは密教
的内容を意図せずに述べています)を意味します。
さすが詳しいですねぇ-渡辺研二氏についての説明に感謝!名前は聞いたことがあります。もう十数年、
仏教関係については読んだりしてなかったものですから・・恐らく以前に何かで見てるのかもしれません。
179 :
宝珠愚者:2009/02/01(日) 23:23:12 ID:7Yp/x8/s
>>175 >修行や努力による、と書き得るとしても、それは「神から評価されて」という意味においてです。
同じです。そのようなアプローチが望みならどうぞ!
>創造主と被造物は厳然と分けられています。聖書は汎神論ではありません。
私はキリスト教の理解について述べてるのではありませんよ(私は正しいとは全く見なさない)。キリスト
教がイエスの教えと聖書の記述を正しく反映したものと見なすのは愚行です。簡単な話ですよ。神、以外
には存在しないのです。
>聖書に明記されてあってはじめて言える事です。
自分で考えて調べて吟味すべきものです。聖書の記述など絶対ではありません。比喩と間違い、誤訳、
改変・・霊的に未熟な作家による記述であり、神そのものの言葉ではない。原理主義者のような発言です
ね?
聖書の記述で議論したいとは思いません。わたしは別に、あなたの見解を変えたいなどとは思わないの
で、どうぞお好きにしてください!
>>179 >私は正しいとは全く見なさない。
>聖書の記述など絶対ではありません。
そう、聖書は宝珠氏の思想からすると、(霊的・宗教的な意味でも)誤りを含むものです。
でもって、私も聖書を根拠に輪廻転生は無い!間違いだ!と主張しているのではありません。
あくまで「聖書には輪廻思想がない」「聖書からでは輪廻転生を肯定できない」というだけです。
>136 :神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:23:10 ID:fGHo0ADQ
>
>>134 >何言ってるか分かりません。
>ブッダが生まれ変わりを説いたか説かなかったかを
>経典に基づいて考証するのがこのスレの目的じゃないの?
>生まれ変わり、来世、輪廻などを体感直知(妄想)することが目的じゃないはず。
そのはずなんですけどねえ…
肯定派も否定派も「輪廻はあるかないか?」に話をずらしがちなんですよ。
118さんへ
>御釈迦さんは、「神や霊」の「実在」を認め、「肯定」したのでしょうか。
お釈迦さん自ら「俺っち梵天の野郎に頼まれちゃったぜ」とか言ってるんで、
「実在」がどーの、「肯定」がどーのという話では無いような気が…
>若しそうなら、「空」とは完全に矛盾しますね。「無記」との関係は?
さあ?
「お釈迦さんは矛盾したことを平気で言う野郎だ」
とするのが現代人に解りやすい合理的解釈にはなるでしょうね。
>原始仏典に「神霊」が出てくるのは、「輪廻転生」と同じく、バラモン教から
>の「過渡的現象」に過ぎないのではないでしょうか。
お釈迦さんは(現代人の常識からみて)電波ゆんゆんの変な野郎だったと
するのが、経典を読んだ上での素直な解釈になるかと思います。
お釈迦さんは2500年前の人間で、現代合理主義の世界観の上で生きて
いたわけではないのだから、変なこと言ったって良いじゃないですか。
それで納得いかないなら「お釈迦さんは間違っている!」と言えばよいだけですよ。
183 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 00:26:57 ID:Zfp/6WZq
>>153 >で、貴殿は、下層民は不満があって、上層民は不満がない。とお考えか?
>(その考え自体がキリスト教的ではない)
そんなことはないです。それぞれの立場に応じた不満は付きまとう。
人間というもの、どんな境涯にあっても不満が生じます。
>>161 >あのですね、 仏典も捏造がありますけけど、 聖書はそれ以上に捏造がありますから、
>聖書をそのまま信じ込んでしまうのは痛いですね。
>たとえクリスチャンでも、そういうことは見抜いてほすい。
仏典に関しては、私の理解では捏造の意味というより、アンチ小乗としての大乗諸経典群というのはゴ
ータマの教説を纏めた原始仏典群とは異なるという趣旨のものです。原始仏典にはない、または反する
内容を説く教典にも「仏説」と付け加えてたことは、たしかに捏造的な批判を免れないかもしれません。仏
説としないと信頼性を評価されないからです。
原始仏典に関しても、後代のジャイナ・バラモン思想の逆流入含みであるとか、神秘性部分は全て後代
の神格化に過ぎないとして排除しようというものとか・・そういう意見は確かにあります。それらの説の信憑
性については確かな情報がありません。神秘性の排除の方向というのは唯物思考しか持てない非霊性的
で俗物的な見解にしか過ぎません(多くの仏教学者はその範疇なのか?)
184 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 00:27:43 ID:Zfp/6WZq
尚、聖書に関しての評価、見方は机さんに同意します!
それで何故、キリスト教から輪廻思想が排除されたのか?についてです。
私は
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/201 において、
「553年に開催されたコンスタンチノーブルでの「第五次汎宗教(キリスト教)会議」において、皇帝が当時
の教会の長老たちにこの概念をキリスト教のドグマから排除するよう強いたのです。それ以来、教会から
学ぶ神学(教理)には転生の教えは失ったのです。」と、いいました。
つまり、キリスト教から輪廻思想が排除されたことについては、ネタは上がっているのです。
そして、同スレ213にて、「転生とカルマの教義はキリスト教から抹殺されたのです。イエスの絶対性を謳う
ためには非常に邪魔な思想だったからです。当時の権力者(皇帝)はキリスト教を支配の道具に使ったの
です。」と述べました。
185 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 00:28:29 ID:Zfp/6WZq
では何故、この思想がキリスト教にとっては邪魔だったのか?
キリスト教を国教として定めて維持し、その統一性を利用して国を統治しようと目論む支配権力者にとって
は、キリスト教に完全な絶対性を持たせる必要があります。他の宗教思想に負かされるものであってはなら
ないのです。
当然、その完全な宗教とはイエスの絶対性において集約されたわけです。そのイエス個人の絶対性を謳う
ためには、他の人間の追従を認めず一切、許さないことです。それは如何なる人間であれ、真似ることすら
も許されないほどの絶対性です。
業報輪廻を認めるということは、イエスとて繰り返し転生経験を経ることで、やっと到達した境地であったこ
とに繋がる。また、他の人間もイエスのようになれる可能性を認めることにも繋がってしまうので、それでは
唯一なる神の子(元々、我々のような人間ではない)という絶対性の概念が崩壊してしまうからでした。
しかし、イエスといえども我々と同じ人間であり、繰り返し転生の中で到達した境地なのですが(であるから
こそ本当は驚異なのです)、教会はイエスの神の子としての絶対性に救いを求める思想なので、断固してそ
れを認めないのです。もちろん、イエスも明確に転生を説いたのです(聖書に記述あり)。これを説かない聖
者など、私からみればそれは完全なモグリです(そういう聖者を私は知らない)。
186 :
初代スレ7:2009/02/02(月) 00:33:12 ID:s/+ThaW3
187 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 00:55:48 ID:pIf7/vHI
ブッダが縁起=空と中道を説いたことを認めるなら
輪廻転生論は明確に経験的に確認不能の異質な形而上的戯論であり、
バラモン=ヒンドゥに汚染された落第弟子たちの落第経典であって、無視が正解。
輪廻転生論を完全排除した中道純粋仏教(非断滅・非常見)がブッダの真意である。
こんな妄想に迷っているのは時間の無駄、さて、励もう!
以上
188 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 01:09:35 ID:Zfp/6WZq
>>161 >聖書をそのまま信じ込んでしまうのは痛いですね。
>たとえクリスチャンでも、そういうことは見抜いてほすい。
私は、キリスト教のイエスからあまりに掛け離れたドグマ(教義)の矛盾と、そして、聖書の記述そのもの
の捏造と改変についても、いろいろと知っています。下記に掲載するのは私の以前に書き留めたものです。
いつも同じ話題ばかりになっているので、ほんの少しだけ脱線しますw
【イエスの言行録とされている新約聖書/四福音書は、イエスの死後200年を経てようやく聖書として認め
られ加えられた文書であり、成立が最も古いと見なされるマルコの書はイエスの死後、最低40年を経てか
ら書かかれたと見られる。内容的にも福音書家たちは、解釈家であって伝記家ではなく、そして、まだ明ら
かだったことすらも分らなくしてしまった。彼らの意図は報道ではなく、事実の捏造と訂正だった。
こうしたことから「イエスは実在しなかった」とする説すらも出たが、紀元37年頃に生まれた非クリスチャン
のユダヤ歴史研究家による記述に、「多くのユダヤ人とギリシア人を惹きつけたイエスという驚くべき人物
がいたが、告発を受けてピラトによって磔刑に処された。しかし、イエスをはじめから愛していた人々は彼
から離れなかった」などとあったことからも、イエスが実在して磔刑に処されたことは事実であったものと見
られる。
キリスト教は国教として民衆をコントロールすべく政治に利用された。「宗教会議」によって、都合の悪い
内容は削除され改変されて、カトリックのドグマというべきものが形成されていった。他の諸教は全て異端
として弾圧し、都合よく様々に手が加えられていった聖書に絶対性を求め、そして教義を疑うことを一切、
許さなかった。
唯一なる神の子イエスという教義に絶対性を与えるためには、生まれ変わりの教えはとても都合が悪か
ったので、これも宗教者会議によって教義からは外されていく。何故なら、イエスの過去世に関心を向けさ
せることは、誰でもイエスにようになれる可能性と、イエスのような人物が他にも出現している可能性を示
すことを意味するので、イエスが唯一なる神の子ではなくなってしまうからだ。
189 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 01:10:08 ID:Zfp/6WZq
現在でもキリスト教が繁栄しているのは、批判的聖書研究の結果が知られていないお陰です。
「マールブルクのフィリプス大学で神学の学位を得たヨアヒム・カールはこういっている。《キリスト者の無
知は、神学者、教会史家による情報の不足の結果である。学者たちは著作で、スキャンダル的事実を否
認するのに二つの方法を知っている。現実を曲げて全く反対のものにするか、被い隠すか、だ》--私はそ
れをともに信者に対する欺瞞と呼ぶ」--------(「奇跡」エーリッヒ・V・デニケン著/角川文庫)
では、聖書におけるイエスの言葉は全て無価値なのか、というとそんなことはない。それはキリスト教のド
グマに拠らないで自分自身でイエスの言葉を読むならば、おぼろげながらイエスの真意を感じることができ、
得るものはかなりある。
尚、私個人が惹かれるイエスについてのエピソードは、有名な「姦淫の女」の話し。「あなたがたのうちで
罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネ伝8章7節)
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ伝8章11
節)といい、姦淫を犯して投石で殺されようという女を救いだしている。
このユダヤ伝統の律法に逆らって女を助け出す、などという勇敢な人物がいたということに、私は単純に
驚いてしまう。そんなことをしたら、自分が捕らえられ殺されかねない(イエス試すために謀られた出来事だ
ったらしいが)
イエスは罪を犯さない人間などいないといい、自分は人を罰しない、と明言している。にも拘らず人々は、
イエスが裁くために帰ってくるものと見なしている。「自分が裁かれないために、人を裁くのをやめなさい。
あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。」(マタイ7章1-2節)】
190 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 01:10:44 ID:Zfp/6WZq
>>187 「空」というは、輪廻否定にはならないと思いますが・・。
では、あなたは何年修行すれば成仏できるお考えですか?
死期が近い者にとってはどうですか?
あなたも机さん同様、「はい、これで悟りましたよ!」などというのですか?
191 :
超スーパー女教師河合希:2009/02/02(月) 01:19:50 ID:hajl1Jzf
憎く嫌いな相手の幸福を
強引に感情的に抵抗があってもイメージしながら
毎日毎日祈ることにより 悟り に 近づけます
そして その訓練した 因 は 来世に引き継がれ
来世は 悟りを得られる可能性がかなり高まります
192 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 01:37:12 ID:Zfp/6WZq
>>186 う〜む。やはり7さんの的確な洞察と分析力は群を抜いてる・・。
きっとその知性の高さが、転生の受け入れを拒絶してるのでしょうねw
193 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 01:53:28 ID:Zfp/6WZq
エーと、議論とは違いますけれど。
ここで提案です。
繰り返し何度も投稿する意志のある方は、
できれば、やはりコテハンにされたほうが良いと思います。
コテハン個人に優劣があるといった余計な意味は一切ありません。
ただ日付が変わればIDも代わってしまうので、
つまり、誰が何々の内容でどんな意見であったかの確認を面倒にします。
すでに何人かのように、ただの番号名でも構いません。
もちろん強制ではありませんが、より議論を円滑にして
閲覧者にとっても読みやすくなるだろうと思います。
特定されることを敢て望まない方についてはそのままで結構です。
各自でご検討のほどをお願いします。
(この投稿に特にレスは不要です。同意される方だけ実行をお奨めしたい)
194 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 02:08:57 ID:vSSYRiTz
そもそもキリスト教自体、イエスの説いていることを理解できない地中海の馬鹿者共が、
アレはあんな意味だ、コレはこんな意味だと自分が理解可能な尺度に無理矢理はめ込んだに
すぎないインチキ宗教。下手をすると福音記者の書いたとされるイエスの言葉すら、
そういうユダヤ的、あるいはエジプト的なモノに毒されてしまっている可能性がある。
そういう意味では、イエスの思想を古代インド思想と照応させ、矮小な人格神からの解放を
訴えたベートーベンは偉大すぎる。ゲーテやシラーも、メタ的には同類で、彼らもまた
偉大だ。
195 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 06:12:43 ID:CqYT8DDU
過去レスの膨大さで宝珠愚者がプロの宗教家であることが確証!
会社員として働いてこんなに細かく検証することはできないでしょう
「大嘘つき」は、クリ達とそっくり! 全て嘘つき?
196 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/02(月) 07:25:49 ID:8iyu7LPb
>>181 一応、基本的なことを書いておきます。
>>何言ってるか分かりません。
>>ブッダが生まれ変わりを説いたか説かなかったかを
>>経典に基づいて考証するのがこのスレの目的じゃないの?
>>生まれ変わり、来世、輪廻などを体感直知(妄想)することが目的じゃないはず。
>そのはずなんですけどねえ…
口承でも経典でも、先ず勝義諦を記録するのは無理です。
釈尊は全部、世俗諦で説法している訳で、
「生まれ変わりを説いたか?」って言うのなら、説いた可能性は充分ある。
しかしながらそれは全部、世俗諦です。
勝義諦ですと「〇〇ではない」とかの否定文にならざるを得ない。
勝義諦のエッセンスとして般若心経がありますが、
文意としては意味不明です。→つまり否定の羅列ですから。
#、ではまた、暇なときにROMります。
オウムだよな。
インテリをたらしこむのが得意。
198 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 07:46:22 ID:OiZil6E4
199 :
380:2009/02/02(月) 08:01:53 ID:Do4O5JKa
>122
>根拠は今まで散々述べてきました。
いいえ、全然根拠になっていません。
samsaaraの用法についても、あなたの示した唯一のsamsaara-saagaraですら
コンパウンドの読みを間違っていたじゃないですか?
SPの古層におけるsamsaaraはすべて「流れ」と解釈できると、並川先生も
言わないことを主張しましたよね?いまだ例文が示されていませんが?
>50
>つまり、海の激流(荒波?)がsaMsAra(輪廻)なのであり・・川の激流もsaMsAraです・・・
>原始仏典における1の意味で用いられるsa.msaaraの頻度はどのくらいですか?
>全てです。
「子供でも解脱できる」の根拠も未提示ですが?
200 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 08:06:17 ID:OiZil6E4
>>199 その人に何を言っても無駄だと思いますが
201 :
380:2009/02/02(月) 08:07:34 ID:Do4O5JKa
>「仏陀は輪廻を説いたはずだ。しかし、南伝ではその伝承が伝わらなかったか途絶えたのでしょう。」
あなたの理論だとそのような過失になるという比喩のつもりですが
あなたは「比喩」を真実だと思いこみましたね?
たしかに、あなたのような方には比喩は用いない方が良いのかもしれませんね。
さて
>特に、あなたたちがいうように、輪廻思想がブッダの中心思想であるなら。
「輪廻思想が前提である」「輪廻は世俗である」という人はおりますが、
だれも、「輪廻思想が仏陀の中心思想、真理である」と主張しているひとはおりませんが?
自身の都合の良いように捏造してはなりません。
反対論者のテキストといえども素直に読んで下さい。
>誰かが悪意をもって削除した可能性くらいしか考えられませんが、あなたはそうだと信じているのですか?
>その場合でも、もし輪廻思想がブッダの中心思想なら、すぐに別の誰かが修正したはずです。
その理屈で言うなら、
仏陀がどこぞの比丘のように明確に「輪廻は嘘だ、信じてはならない」と説いたのなら、
明確に伝承として残っているはずですよね?
それが残っていないのは、悪意ある削除があったとしか考えられません。
しかし、それなら別の誰かが修正している「はず」です。
わたしには、あなたたち否定論者は「輪廻の否定こそ仏陀の中心思想」と主張しているように
思えますね。
202 :
380:2009/02/02(月) 08:11:51 ID:Do4O5JKa
>200
ご忠告有難う御座います。
一見、学術を装っておりますが・・・・
「人の話は聞かない、聞かないようにする」「自身の主張のみを繰り返す」
この2点は洗脳された人の特徴ですから。
203 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 08:13:23 ID:Zfp/6WZq
>>195 >会社員として働いてこんなに細かく検証することはできないでしょう
また、なんで〜〜!!!そんなことはないって(涙)
とにかくどうか・・おかしな誤解を招くから、そういうのは辞めて下さいなぁ!
この世界でメシが食えるなら、ホント会社辞めてそうしたいくらいですよ。
しかしながら、この分野の金儲けは罪ですよ(金銭を得ることが悪い意味ではない)。
投稿量が多いというのは、たまたま今回の100年レベルという
経済の悪化による仕事減から残業レスと連休が増えたからなのですよ。
内容も全体的には専門的なレベルではなく大したものではない。
詳しい人なら世の中幾らでもいます。
このスレにも私などより遥かに凄い方がいっぱい投稿していますよ!
(もう、十数年来まともには読書もしていませいし・・)
ただ私は生まれつき物心がついた頃からの霊的思考者であって、
小学時代から---宗教は迷信に見えて興味なかった---
心霊(科学)研究など分野に関心を持ち、ニューサイエンスといった分野にも惹かれた。
宗教的には18歳で仏教(原始仏典)に触れ、以降〜一部ヒンドゥーと、そして神智学の系譜へ
と至った経緯にあります。もう、すでにおっさんであり、二十数年歴となる宗教・オカルト馬鹿なのです。
>「人の話は聞かない、聞かないようにする」「自身の主張のみを繰り返す」
>この2点は洗脳された人の特徴ですから。
自称、東大の印哲とか言ってたな。
それにしては、あまりにも賢くない。
205 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 09:14:02 ID:OiZil6E4
206 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 09:50:36 ID:pIf7/vHI
俺にとっては、輪廻転生論なんて迷いそのもので空華だ、それだけ。
水月の道場に座し
空華の万行を修す
キザだねぇw
>>184 転生説は絶対化に不都合でしょうか?違うと思います。
まず、もともと聖書ではイエスはヨハネ福音書の冒頭からあるように
「最初から特別」な存在です。そしてこれは、転生させる上で何の障害にもなりません。
ヒンズーのアヴァターラやギリシャ神話でゼウスのような神々がとる姿のように扱えます。
また転生の上で本人の同一性が確保されているなら、「神の子」の数が増えるということもない。
ここで考えて見ましょう。仮にイエスを過去のローマに転生させるとするとどうでしょうか。
皇帝の先祖や皇統の祖として転生させるとするならばどうでしょうか。
この使い方をすれば、皇帝そのものまで宗教的な神聖性を与えることができるのです。
カタリ派は12世紀くらいまではあったと思うけど、輪廻転生思想を受け継いでいる。
当然ながらイエスもいる。
210 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 11:06:57 ID:Jx3/ou/Z
>>189 >尚、私個人が惹かれるイエスについてのエピソードは、有名な「姦淫の女」
>の話し。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
>(ヨハネ伝8章7節)
>「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯して
>はなりません。」(ヨハネ伝8章11
やはり、イエス中毒・依存症患者だな。
その話にも、イエスの他のすべての「教え」と同様、多くの矛盾と誤りがある。
群衆たちは、共同体の秩序維持のために、「犯罪者」を処罰しようとしていた
のである。「売春」は、現代でも犯罪であり、処罰される。
イエスは、他のすべての犯罪者も、同様に助けるつもりだったのか。その場合、
社会の秩序維持は、一体どうする積りだったのか。それとも、この売春婦に
性的魅力があったから助けたのか。それなら彼は、「心の中で姦淫の罪を犯し
た」ことになる。
イエスが、本当に女を助けたかったのなら、何故、体を張って助けようとは
しなかったのか。多勢に無勢で敵わないと思ったのなら(この判断は正しい。
イエスは神でもなく、神通力などなかったことの証拠)、何故、少なくとも
進み出て、「女が可哀想だから助けてやれよ。君たちも石で打たれたら痛い
だと」と言えなかったのか。法句経の「己が身に引き比べて」である。それが
言えないで、陰湿にも、群衆の心に「罪の概念」を植えつけたのは、石打や
売春より、はるかに大きな「罪」ではないか。
イエスは、共同体の合意に反して、女の「犯罪」を許す権限など、どこから得た
のか。彼こそ、共同体の秩序の破壊者又は破壊の幇助者という罪人ではないか。
イエスは、結局は、「石を投げた」のか。投げなかったのなら、彼自身も
「罪を犯した人間の一人」ということになる。
群衆たちは、共同体の秩序維持という「公益目的」のために真剣に行動していた
のである。イエスの「女を許す」と言う言葉には、すでに、「自分は善で、女
は悪」であるという、傲慢な思い上がりがある。
> それとも、この売春婦に
> 性的魅力があったから助けたのか。
正直、その発想はなかったw
> 何故、少なくとも
> 進み出て、「女が可哀想だから助けてやれよ。君たちも石で打たれたら痛い
> だと」と言えなかったのか。
同じ意味だと思うんだが、どう違うんだ?
213 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 11:28:29 ID:Jx3/ou/Z
>>211 暴力から、本当に助けたいと思う者は、「体を張る」よ。イエスは、
卑劣にも、「自分の身の安全」を考えた。イエスの陰湿な「罪概念の
植え付け」が成功しなかったら、女は殺されていただろう。法句経が
説く「慈悲の原理」にも、全く思い至っていない。
イエスの周囲には、女、特に人妻が異常に多いw。
「人を裁くな。裁けば自分も裁かれる」などと説教垂れながら、最も
人を裁きまくったのがイエスである。著しい言行不一致が、イエスの
特徴。
彼の「心の中で姦淫の罪を犯した」が、如何にピント外れで、誤った
ものであったかについては、機会があれば、別途解説する。
>>213 石投げようとした連中に逆らった時点である程度リスクは冒してると思うんだが。
> 進み出て、「女が可哀想だから助けてやれよ。君たちも石で打たれたら痛い
> だと」と言えなかったのか。
こういうのと同じくらいのリスクはあると思うぞ?
あと、法句経は原始教典だし、慈悲は大乗以降の概念じゃね?
216 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 11:46:16 ID:Jx3/ou/Z
>>214 それほどイエスに感心するような話ではなく、むしろその逆だという
ことである。
ユダヤ人は、現実的な良識人である。彼らは、イエスが暴力に訴えない
限り、イエスに害を加えたりしない。イエスも、それを読んでいたので
あろう。
彼らは、イエスと違って、「やましい心を持って女を見た」だけで、
「姦淫の罪を犯した」などというアホなことは言わない。彼らは、
「心の中で何を思おうとも、それを我慢して行為に表わさないこと」
という、共生の「技術」としての「道徳・倫理の基本」を知っているからである。
旧約聖書は社会維持のための「骨太の行為規範」であり、新約聖書のよう
な「甘ったれた精神規範」ではない。
217 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 11:50:28 ID:Jx3/ou/Z
>>215 開祖(教祖)が言ったという事実だけで盲目的・熱狂的に信じ、有難が
るのが、まさにカルトなのである。
218 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 11:59:02 ID:dNdVKhO8
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■ <宗教者の最大の誤りと錯覚>は、「開祖・教祖が言った」から、「教典に書かれている」から、
「真理」だと思い込むこと。古代人の言葉が「時代が全く異なる現代においても」通用しない限り、
それは、現代においては、もはや真理とはいえないのである。■ (*^。^*)
従って、現代において通用しない開祖・教祖の言葉は、すべて、誤りとして無視するだけでよい。☆
「言った、言わない」「書いてある、書いてない」を詮索するのは、労力と時間の無駄に過ぎない。☆
仏教の教えのうち、「関係性」は現代でも100%通用する永遠の真理だが、輪廻転生など
問題にならない。論じるに値しない。
仏陀もバラモン教の社会に生きていたのであり、その「悪影響」を完全に払拭 できなかった
事情を、充分に考慮する必要がある。
後代における宗教者の任務は、古代人である開祖の教えから、「現代に通用する真理」を
見出すことでなければならない。時代の制約下にあった開祖の誤りや妄想を大真面目に議論
することは、むしろ開祖に対しても礼を失することになる。
人間であるイエスを、こともあろうに「神格化」し、あらゆる荒唐無稽を付け加えたキリスト教が、
その典型である。<キリスト教の愚> を繰り返してはならない。
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
219 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 12:45:39 ID:Zfp/6WZq
>>208 イエスも人間であり、唯一なる神の子などというものはないのです。
全ての人間が神の子であって、我々と同様に繰り返し転生経験を経て、
最終的に驚異的な神性を達成したのです。
それは本人の努力の賜物であって、輝かしい栄光なのです。
(また煩いのが現れるといけないから・・はい、これら全ては神のお陰です)
>>210-213 >イエスが、本当に女を助けたかったのなら、何故、体を張って助けようとはしなかったのか。
>イエスは、結局は、「石を投げた」のか。投げなかったのなら、彼自身も
>「罪を犯した人間の一人」ということになる。
だから、助け出したということは、体を張ってるのですよ。
ユダヤの律法的伝統に逆らうということは、死を覚悟した自殺行為なのです。
イエスがこのとき、群集に混じって一緒になって投石していたら、
2000年の時を経てまで、彼の名声が残ることはなかったでしょう。
イエスが口先だけではなく、救い出すのかどうかコレは仕組まれた試されたのです。
あなたはホント酔っ払ってませんか?とても正気とは思えませんが・・。
>>212 キリスト教徒であれば難癖をつけて認めません。
認めてれば、とっくにキリスト教など辞めてることでしょう!
教会に従わずとも、自由にイエスの教えを学ぶことはできるのです。
>>216 ん?ここにはユダヤ教徒も参加してたのかな?パリサイ派サドカイ派?w
220 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 12:51:56 ID:Zfp/6WZq
>>213 >最も人を裁きまくったのがイエスである。
では、その具体例を上げて下さい!
>>219 >イエスも人間であり、唯一なる神の子などというものはないのです。
>全ての人間が神の子であって、我々と同様に繰り返し転生経験を経て、
>最終的に驚異的な神性を達成したのです。
転生の仕組みが実際どうなっているか、
という話ではなく、聖書の思想ではどうか、という話なんで。
>キリスト教徒であれば難癖をつけて認めません。
教父のみなさんはキリスト教徒ですが。
222 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 14:41:19 ID:lmwDLw2C
>>199 >samsaaraの用法についても、あなたの示した唯一のsamsaara-saagaraですら
>コンパウンドの読みを間違っていたじゃないですか?
それは訂正しました。
>SPの古層におけるsamsaaraはすべて「流れ」と解釈できると、並川先生も
言わないことを主張しましたよね?いまだ例文が示されていませんが?
私は並川先生がそんな主張をしているなんて一言も書いていませんよ。
また、私はsamsaraは「流転」であって、全て「苦を繰り返すこと」の象徴・比喩だと言っているのです。
>「子供でも解脱できる」の根拠も未提示ですが?
解脱とは以下のようなものです。
1106 師(ブッダ)は答えた、
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、
1107 平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、
──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」
子供には無理だとする根拠は何もないでしょう。だから子供でも解脱できるのです。
どこにも大人だけが解脱できるとは一言も書かれていないのです。それが根拠です。
解脱には年齢も性別も身分も、一切の差別がありません。
223 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 14:41:41 ID:lmwDLw2C
>>201 >だれも、「輪廻思想が仏陀の中心思想、真理である」と主張しているひとはおりませんが?
いえ、宝珠愚者氏ははっきりそう書いてましたよ。
あなたが、輪廻思想はブッダの中心思想と思っていないのであれば、この点は私の勘違いでした。
>仏陀がどこぞの比丘のように明確に「輪廻は嘘だ、信じてはならない」と説いたのなら、
明確に伝承として残っているはずですよね?
だから、私はブッダが「明確に『輪廻は嘘だ、信じてはならない』と説いた」なんて一言も言ってないではありませんか。
ブッダは輪廻思想については特に何も説いてない、と言っているのです。それは最古層を見れば明らかです。
>あなたたち否定論者は「輪廻の否定こそ仏陀の中心思想」と主張しているように
思えますね。
そうではありません。ブッダの中心思想は、たとえばオルデンベルグによれば四聖諦です。
ブッダは輪廻を説きませんでしたが、ブッダのロジックを輪廻に適用するなら、輪廻の賛否のどちらも、
認識の届かないことについての妄念ですから、捨て去るのが正しいのです。ですから、輪廻については
説かないということこそが、ブッダの思想に相応しいことです。
224 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 15:20:23 ID:Jx3/ou/Z
>>219 >>220 イエスもパウロも、パリサイ派神学ですよ。イエスのパリサイ派批判は、宗教
お決まりの、教派内対立という「コップの中の嵐」。
イエスの殆どすべての「教え」は、「自分の気に入らない他者に対する、あくなき
憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを、見破る必要があります。
例えば、「善きサマリア人」の話におけるイエスの真意は、サマリア人に
かこつけて、自分の気に入らない祭司とレビ人を非難することであったのは、
既レスの通り。
つまみ食い論法のお手本↑
226 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 15:39:01 ID:pIf7/vHI
>>224 同意
>@「輪廻思想が仏陀の中心思想、真理である」と
>A「輪廻は嘘だ、信じてはならない」と
輪廻ごとき戯論については「無記」ゆえ@Aともに無視なのが当然。
ところが出来の悪いヒンドゥ汚染弟子がブッダを誤解して業報輪廻、天国地獄などを
ブッダ没後100年以上たって「経典」に平気で書き込む。
それを宝珠愚者やカラスなどのケロンパ連中はありがたく拝読して論拠とするわけだ。
マンガ的というほかはない。
227 :
226:2009/02/02(月) 15:40:21 ID:pIf7/vHI
228 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 15:57:25 ID:qo29s0Es
>>195,
>>197 なかなか鋭いですね。この人は実際にはオウムではないようですが、私はどうやら
とある確信に達しまして、宝珠愚者さん自身は、ヒンドゥでイシュヴァラ(創造神)
と呼ばれる存在の崇拝者に違いないという結論です。イシュヴァラは仏教では色界
最上位の第四天(有頂天)にいる梵天とされており、これはヒンドゥのシヴァに相
当するとされています。絶対神崇拝は、いろいろと名前や姿形は違っていても、こ
の神のことを指しているものと思われます。それで、シヴァを標榜していたオウム
も、ヤーウェを崇拝するアブラハムの一神教も、仏教者から見れば、ひとからげに、
同様の宗教的性格(匂い)を帯びているように感じるわけです。ジャイナ教も明ら
かにイシュヴァラを指向している宗教であったことを示す例を私は見つけています。
229 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 16:01:16 ID:qo29s0Es
>>203 >小学時代から---宗教は迷信に見えて興味なかった---
>心霊(科学)研究など分野に関心を持ち、ニューサイエンスといった分野にも惹かれた。
>宗教的には18歳で仏教(原始仏典)に触れ、以降〜一部ヒンドゥーと、そして神智学の系譜へ
>と至った経緯にあります。
キリスト教の影響下で幼少の頃を過ごしたという経歴をお隠しになってはいませんか?
おそらく宝珠愚者さんは、梵行はそれなりに人生において実践されており、梵天的いわゆる、
バラモン的な生活は実現されている人のようです。外道は外道でも、悪趣とは縁遠いのかも
しれません。色界禅定をある程度嗜んでおり、そのために、人から何を言われても、ほとん
ど応えることがありません。しかし、ゴータマ仏陀が述べたのは、正定であって、ただ禅定
的に高度でありさえすれば、良いわけではない。禅定的な高い境地に耽溺していた修行者は、
当時から、バラモンたちにはたくさんいた。しかし、それは邪定ではあって、正定ではあり
ませんでした。だから、解脱には資さない。
色界というのは欲界を離れなければ行けない境地です。つまり五欲を離れなければならない。
宝珠愚者さんの邪見は、五欲を離れることと、五蘊を厭離することを、同一視する解釈にポ
イントがあります。このことによって、仏教では通過点に過ぎない五欲を離れた色界禅定の
境地が、五蘊をも厭離した色界・無色界の先にある涅槃とすり替わることによって、それが
最高の境地という虚偽の主張を行う根拠となっているのです。
言葉の上、表現の上では、色々と原始仏典の五蘊に関する教説を引用して、自分の見解が辻
褄が合っているという主張を、今後も繰り替えされると思われますが、真っ当な仏教者であ
れば、私の説明で、宝珠愚者さんの主張の実質を理解していただけるのではないかと思いま
す。彼の言いたい境地は、実質のところ、五欲を離れた色界梵天的な境地です。今後もその
境地が、涅槃と同一のものであるという主張を繰り替えされることでしょう。
色界禅定に心が囚われた人の典型的なサンプルとして、格好の研究材料となるのではないか
と思います。宝珠愚者さん、ありがとうございます。
230 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 17:25:14 ID:OiZil6E4
このスレの状況をベック『仏教』岩波文庫、上巻が巧く記していると思います。
ベックは「ダルマは事物(仏教では事物に実体性があるとは決して言わない)
の背後に隠れている精神的な真の実在であって、それが仏陀や聖者たちの
精神的な眼(法眼)に映る。それは仏陀が観察した最高の精神的実体であって、
瞑想によって把握することができるのである」(21頁)というように、
常見なのですが、以下のように訳されています。
近代になって、また最近、西洋で仏教の宣伝が行われているが、神智学や、
それに似た動きを別にすると、たいていは、仏教は、合理主義の体系、
「無神論の道徳哲学」であると言い、近代の有力な世界観ともすぐにも
調和し、この意味で、西洋の思想の展開において宗教の代用につかえる
ものだと考えている。このような見解は仏教の本質を誤解するもはなはだ
しい。本書の説明ではっきりすると思うが、仏教は西洋でいうような
無神論でもなく、また、ただの哲学的合理主義でもない。仏教はその本質に
おいて哲学とはまったく異なったものであって、近代の唯物論とは
まったく関係のないものである。かつまた、偏見にとらわれず学的に
研究すれば明らかであるように、ほんとうの仏教は近代の神智学の動きと
同じでもない。いくらか接触する点があるとしても本質上べつのものである。
231 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 17:50:07 ID:lmwDLw2C
>>230 >〜というように、常見なのですが
それは常見ではない。
仏教はベックの言うとおり、
唯物論でもなければ神知論でもない。
また、無神論でもなければ有神論でもない。
両方とも、前者は断見、後者は常見。
どちらの妄念も捨て去り、現実の人間の心の自由を説いているのが仏教。
232 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 18:42:02 ID:qo29s0Es
>>231 >>230氏は、
>「ダルマは事物の背後に隠れている精神的な真の実在であって、それが仏陀や聖者
>たちの精神的な眼(法眼)に映る。それは仏陀が観察した最高の精神的実体であっ
>て、
の部分が常見だと言いたいのでしょう。結局、人格的な最高存在を、ダンマという
無人格的な別の実体に置き換えただけで、どうあっても心の中の「最高神のいまし
めす玉座」という、精神構造を、手放したくはないのです。これが宝珠愚者さんの
考える「真の仏教像」の基本論調でしょうし、これは実際、大乗仏教の発生過程に
おいても起こった歴史的現象なのです。
233 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/02(月) 19:40:00 ID:fRPCaM3A
>>230 >ベックは「ダルマは事物(仏教では事物に実体性があるとは決して言わない)
>の背後に隠れている精神的な真の実在であって、それが仏陀や聖者たちの
>精神的な眼(法眼)に映る。
これは十牛図でいいますと、人牛倶忘の手前ですね。
これはある意味非常に危険な状態でして、これに固執すると精神衰弱になったり
ノイローゼになったりする。
(つまりここを脱しきれないのが・・・いわゆる禅病)
拙者は、一年弱この状態が続きましたが、やはり精神的には不安定。
まあ、軽い薬物を吸引しているようです)→自己陶酔というんでしょうか?
(ここで留まってしまう人も多い)
この状態なら簡単に事件でも起こせそう。
シバ神を崇めていた田賀井健次氏も、この頃が絶好調で事件を起こした。
(事件当時36歳だから、年齢的には法珠愚者氏と同じくらい)
しかし、キャラは田賀井とは対象的。
234 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 19:58:16 ID:OiZil6E4
>>232 >大乗仏教の発生過程に
>おいても起こった歴史的現象なのです。
すいません。まったく仰る通りですが、大乗が常見とは思いません。
もっとも、部派仏教や大乗の中に常見的な考えがなかったとは言いませんが。
>>233 >シバ神を崇めていた田賀井健次氏も、この頃が絶好調で事件を起こした。
実名を挙げるのは、美しくないですね。
なにかそこに汚いものを感じます。
235 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 20:06:08 ID:qo29s0Es
>>234 大乗=常見と言いたいわけでは決してありません。あくまでもその過程でそういう
現象「も」起こったということです。これは、釈迦如来以外の非実在の如来に対す
る信仰が発生したことを意味します。
236 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 20:15:51 ID:OiZil6E4
>>235 すいません。それも私は信仰しております。
237 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/02(月) 20:16:59 ID:fRPCaM3A
>>234 田賀井氏は今でも無料メルマガを配信していて、
名前は自ら公表してます。
(自分のHPで公表している)
たしか、メルマガ受信登録者は6000人くらい。
事件は、作為的な彼のパホーマンスです。
238 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 20:23:12 ID:Zfp/6WZq
>>223 >いえ、宝珠愚者氏ははっきりそう書いてましたよ。
中心でも端でもない。
仏教の目指す境地が輪廻からの解脱。つまり、それが「目的」ね!
心の平安というのはその過程に過ぎない。
>>233 >(事件当時36歳だから、年齢的には法珠愚者氏と同じくらい)
勘弁して欲しいな-比較すんなって!それに同じくらいじゃないよぉwww
239 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 20:25:02 ID:Zfp/6WZq
>>224 >イエスもパウロも、パリサイ派神学ですよ。イエスのパリサイ派批判は、宗教
>お決まりの、教派内対立という「コップの中の嵐」。
今時、まるで化石のような見解でしたね。
あなたが何も知らない、ということがこれでよくわかりました。
まぁ、いい・・。
それで〜何書の何章何節の記述で“イエスが人を裁きまくった”と?
>>210 >共同体の秩序の破壊者又は破壊の幇助者という罪人ではないか。
>イエスは、結局は、「石を投げた」のか。投げなかったのなら、彼自身も
>「罪を犯した人間の一人」ということになる。
>群衆たちは、共同体の秩序維持という「公益目的」のために真剣に行動していた
あなたは姿勢は、まるで何か古代ローマの裁判か、
イスラム律法のおぞましさを見てるような気がします。
あなたなら女性器切除/陰部封鎖も共同体の法規であるとして、
その厳格性を求め維持しようとしそうですね。
人間、姦淫程度で投石処刑などと・・
そんな愚かな思考しか持てない基地外が創りあげた法規を厳守しようとし、
イエスが示したこの行動を非難するとはね・・。
この私は、あなたとは違い「迷信の排除」に赴くのです。
この件(姦淫)に関してのイエスの霊的姿勢と見解については示した。
それが正しい法規となるべきものです。
240 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 20:25:38 ID:Zfp/6WZq
>>221 >転生の仕組みが実際どうなっているか、
>という話ではなく、聖書の思想ではどうか、という話なんで。
聖書の記述は、明らかにイエスが転生を肯定していることを示しています。
私はそのことをいってるのであり、キリスト教徒はそれを理解せず否定するのです。
元々、原始キリスト教では認められていたものが、排除されたという経緯があるのです。
彼らはこれらの批判的な事実については教会からはもちろん知らされないし、
それらの噂を聞いても信じません。見てみぬ振りをするのですよ。
241 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 20:35:10 ID:Zfp/6WZq
>>228-229>>232 ん?
>>197は、私のことを指してたの??全然、わからんかったわw
ハハハッ!!
まっ、いろいろと私のことを想像するのは楽しそうですが、しかし、かなりピンボケだなぁ〜!!
私はイシュヴァラだとか、またはシヴァだとか、そういう特定の宗教の神や人格神を信仰しない。特に
礼拝行為といった崇拝に興味がない。別に礼拝崇拝を拒絶してるのではなく、そのような神といった対
象に対するバクティー(献身)には価値を見出さない。個人的には神や神々を崇拝してる時間があるの
なら、人類(社会)への貢献というアプローチのほうが遙かに意義深い。苦悩してる人々が実は神の姿
である、とかね。
「真理に勝る宗教はなし」---各宗教の人格神がどうしたなどには興味なし。神智学的にはロゴスと呼
称するだけです。後は、宗教の違いに関わらず、すべての覚者存在と聖者たちを尊敬して敬意を示す。
そこから学ぶこと。
>キリスト教の影響下で幼少の頃を過ごしたという経歴をお隠しになってはいませんか?
ない!ですから、キリスト教の否定論者なのですよ、この私は(笑) ただし神智学には、「仏教の教え」
と「聖書を読み解く鍵」をも含むのです。鍵を使いながら自分で読み解くのです。
>彼の言いたい境地は、実質のところ、五欲を離れた色界梵天的な境地です。
>今後もその境地が、涅槃と同一のものであるという主張を繰り替えされることでしょう。
あなたがたは仏教書の読み過ぎで教理にガチガチに縛られてるから、思考が硬直化していて気付けな
いのです。ニルヴァーナに到達した仏陀の意識状態が真我、唯一なる実在にして永久不滅の意識状態
(存在)なのですよ。非実在であり、無常/空なる一切の世界から解脱するのです。そこを解脱した者はニ
ルヴァーナに常住することになる。それは、また明日にでも転落するような境地ではもうない。また瞑想を
辞めれば、転落するような境地でもない。
>色界禅定に心が囚われた人の典型的なサンプルとして、格好の研究材料となるのではないかと思います。
>宝珠愚者さん、ありがとうございます。
どうぞ、よ〜く比較することです。こちらは構わない!
242 :
宝珠愚者:2009/02/02(月) 20:35:31 ID:Zfp/6WZq
>結局、人格的な最高存在を、ダンマという無人格的な別の実体に置き換えただけで、
>どうあっても心の中の「最高神のいましめす玉座」という、精神構造を、手放したくはないのです。
>これが宝珠愚者さんの考える「真の仏教像」の基本論調でしょうし、
なにも法そのものを、わざわざ「人格的な最高存在」や「最高神」にする必要性はない。それにこの私には、
人格神という概念は必要がない。
243 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/02(月) 20:48:03 ID:fRPCaM3A
>>240 >聖書の記述は、明らかにイエスが転生を肯定していることを示しています。
しかし貴殿は知識が豊富ですね。
しかもこれだけの宗教的スキル?があっても、何処ぞの教団にも属してない。
ってことなんでしょ?
(まあ、ある意味もったいない)
自説に自信があるなら、これをネット(HP)で公表して流布するとかいう野心はないのですか?
無料メルマガを配信すれば、貴殿なら1万人くらいは受信するかと思うけどね。
(ある特異性の教義を自分で開発したなら、人間はそのくらいのことは考える)
しかし、そうゆう方向性も貴殿の書込みには見えてこない。
・・・・ってことは、
やはり拙者は、貴殿は何処かの教団に属してるんじゃないか?
とか、余計なことを考えてしまう。
つまり、そういう未知なる部分が、拙者は関心が向くのです。
244 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 21:08:26 ID:ilvZu3TD
>>202 「人の話は聞かない、聞かないようにする」「自身の主張のみを繰り返す」
この2点は洗脳された人の特徴ですから。
↑ 正にご明察! いつでも自分の土俵に上げようとしますw
>>203 >投稿量が多いというのは、たまたま今回の100年レベルという経済の悪化による
仕事減から残業レスと連休が増えたからなのですよ。
マタマタ下手な嘘〜(笑
普通は、収入が減ってこれからどうしようかとか悩む人が多くて、こんなところで
汗カキしてませんってw クリは献金が沢山ありお気楽で嘘つきで〜すw
正体バレバレ!!(笑
お先にオヤスミ〜ン☆
245 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 21:09:47 ID:Pb9y4FrY
>>239 ならば、「輪廻転生」や、イエスの「処女懐胎」「復活」「再臨」「永遠の
生命」「死後の裁き」などという、明らかな「迷信」も排除したらどうかね。
「姦淫」は、「現実の社会の維持」に関する。姦淫者の配偶者に大きな精神的
苦痛を与えるからである。従って「迷信」ではない。君は、奥さんが浮気しても
平気なのかねw。
246 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 21:10:16 ID:qo29s0Es
>>241 あなたは、外面的な差異に固執しています。あなた自身がそれらの宗教と自分の宗
教観に差異があると思ってはいても、それは色界禅定内の差異に過ぎないのです。
イシュヴァラなどの様々な名で、インドのバラモン系の修行者たちが垣間見てきた
境地、存在、エネルギー状態などのことです。もちろん、色界にも様々な段階があ
り、あなたが人格神崇拝などを批判的に言うのも、その中での境地の高低によるも
のと考えます。そしてそこを超えるものではないと。
>>243 信者ではなく場合によっては立宗されている(もしくはそのつもりの)可能性もあ
るのでは?
>>236 そうですか。
>>239 >あなたなら女性器切除/陰部封鎖も共同体の法規であるとして、
陰部切除そのものはイスラム由来ではありません。
>>240 >聖書の記述は、明らかにイエスが転生を肯定していることを示しています。
>>178にまとめたやりとりからも、単なる拡大解釈であることは明らかです。
目が見えなくなるのは「本人の罪」によるものではない、
一つにしても「低我パーソナリティー」を新たに導入したり、
同じ人物の前世や今生を切り離して別人としたりという
細工を用いなければならないほど無理があるのです。
エリヤの例にしても、旧約で彼は死んでおらず天に引き上げられた、
ということが踏まえられていません。
>元々、原始キリスト教では認められていたものが、排除されたという経緯があるのです。
様々な教父たちが否定していた事実があり、ほんとうに一般的だったのか、
という疑いが持たれます。
248 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 21:11:38 ID:ilvZu3TD
>>197 >オウムだよな。インテリをたらしこむのが得意。
オウムの脱退信者達から原始仏典の情報を聞き、キリスト教と合致する所を抜き出して
世界宗教布教をさらに一段階強固なものに画策しようとしてると思われ
249 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 21:32:28 ID:qo29s0Es
>>241 >ニルヴァーナに到達した仏陀の意識状態が真我、唯一なる実在にして永久不滅の意識状態
>(存在)なのですよ。非実在であり、無常/空なる一切の世界から解脱するのです。そこを解脱した者はニ
>ルヴァーナに常住することになる。それは、また明日にでも転落するような境地ではもうない。また瞑想を
>辞めれば、転落するような境地でもない。
ゴータマ仏陀は「私に師の握拳はない」と言った人です。もし、あなたがおっしゃる
通りなのであれば、「ニルヴァーナに到達した仏陀の意識状態が真我、唯一なる実在
にして永久不滅の意識状態(存在)なのだ」と言ったでしょうね。しかし言わなかっ
たし、実在も説かなかった。「私に師の握拳はない」という言葉で、あなたのような
偽の仏説を語る人の言説を未然に識別できるようにしています。
>また明日にでも転落するような境地ではもうない。また瞑想を
>辞めれば、転落するような境地でもない。
人間界での人生からすれば、ほとんど永遠に思えます。それが大きな誤ちであり、典
型的な外道の一つのパターンであることは、梵網経で説かれている通りです。ゴータ
マ仏陀はそのように説く人の行き先もわかりますと述べていますが、私にも宝珠愚者
さんの行き先であれば、わかりそうな気もします。
251 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 23:06:15 ID:Pb9y4FrY
修行して、Nirvanaとやらに達したら、「虫歯」の痛みは治るのかね。「金が
ない。食べる物がない」という、人生最大の苦しみはどうか。
252 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 23:19:51 ID:Pb9y4FrY
御釈迦さんは、死ぬ時には苦しまなかったのだろうか。毒キノコか腐った豚肉
による食中毒らしいから、下痢や腹痛で大変苦しんだことと思うが。
253 :
tibyaku:2009/02/02(月) 23:24:51 ID:ZFIwz4hG
仏陀様の教えに「過去七仏」があります。
これは転生輪廻を説いている証です。
254 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 23:28:24 ID:Pb9y4FrY
>>253 輪廻転生などの「迷信」はどうでもよいから、「現代的視点からの
仏教の中心思想」を、誰か語ってくれ。世界が期待している。
255 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 00:12:56 ID:D0dMFV3/
>>251 もちろん推測ですが、
痛みはなくなることはないが、それに煩わされることはなくなります。
いつでも冷静で穏やかです。
金や食べ物にも執着しませんので、精神的には完全に自由な境地です。
>>252 もちろん肉体的には苦しんだはずですが、煩い憂いを離れているので、
精神は苦しまないのです。
解脱した者は、第一の矢を受けても第二の矢を受けない、という言葉があります。
第一の矢は身に起こる不幸ですが、第二の矢は自分の精神が作り出す苦です。
>>254 スッタニパータの4章、5章でも読めば十分だと思いますけどね。
十分現代に通用します。
256 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 00:36:37 ID:TZI8mzkx
>>255 あなまり苦しい言い訳はやめたほうがよい。「肉体的苦痛」とは、「肉体の異常
によって心が惑わされる」という意味だよ。
スッタニバータは、まだバラモン教の「迷信」の影響が残っているのでダメ。
一度読んだが感動は「ゼロ」で、中途で止めた。
257 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 00:48:44 ID:D0dMFV3/
>>256 何が言い訳かよく分からないが、つまらない揚げ足取りだな。
>「肉体的苦痛」とは、「肉体の異常によって心が惑わされる」
と言いたいなら、肉体の異常はあり、それを感じてはいるが、心が惑わされない状態
と言い換えてもいいよ。
258 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 00:51:04 ID:D0dMFV3/
>スッタニバータは、まだバラモン教の「迷信」の影響が残っているのでダメ。
一度読んだが感動は「ゼロ」で、中途で止めた。
それじゃどうしようもないな。
>「現代的視点からの仏教の中心思想」
なんて諦めた方がいい。仏典以外ブッダの思想には手がかりはないからね。
それとも、大乗のようにまた新しい仏教を創造したいというなら、どうぞ頑張って。
そういうものがあってもいいと思うよ。
259 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 01:34:19 ID:TZI8mzkx
>>258 「開祖(教祖)が言っているから、即、真理」と思うのが、最大の誤り。
両者の間には、何らの必然的関係もない。
260 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 01:41:32 ID:D0dMFV3/
>>259 >「開祖(教祖)が言っているから、即、真理」
なんて言ってないよ。
「開祖がどう説いたか」、ということについては、開祖の言葉が真理。
開祖がどう説いたかではなく、世界の真理(それって何?)なんてものを
夢想しているのであれば、それはもちろん開祖と何の関係もない。
でもそれなら仏教という言葉を使わないで欲しいな。仏教は「ブッダの教え」という意味なんだから。
>>255 ふ〜ん。仏教ってのは、
単に気の持ちようでこの世はハッピーという程度の教えなんですね。
四法印の一切皆苦と、どう整合性が取れるのか知らんけど、その程度の教えなら、
仏教は世界一下らない宗教ですね。あなたの話しじゃ、
シャブやモルヒネ決めてりゃ、ニルバーナです。
>>256 スッタニパータばだめだから、般若心経と、中論ですか?
いい加減自分達のは、ゴータマの仏教をベースにした、
新興宗教だとお認めになられてはどうですか?
262 :
宝珠愚者:2009/02/03(火) 02:26:08 ID:zi4TSwXD
>>261 同意。
そういうことを言う人がいるので、では、もしも仮に、「輪廻(転生)など元々から無かったんだ!」と知る
ことが悟り(解脱)だとしてみましょう!しかし、そんなことに気付くまでに出家から、6年麻麦の苦行の末に、
更には49日間もの瞑想行を経てから、やっとそれが分ったのだと?もしも、そうだったとしたら、あまりに愚
かしく・・またそのバラモンから受けた妄信洗脳の強烈さは信じ難いほどの強烈さだということになる。
であれば余計に、その悟りの後には、「皆さん、ど〜うか騙されてはいけませんよ。輪廻がないことについ
て、この私ははっきりと確認できましたから!」と、きっと語気を強めて明言する筈です。皆んなが騙されな
いようにとそのことを説く筈ですよ。
ど〜うして、「騙されてはいけない。輪廻はありませんよ!」と語った経文は、たった一つも存在しないのか??
263 :
宝珠愚者:2009/02/03(火) 02:29:06 ID:zi4TSwXD
>>246 神智学の説く「ロゴス(logos)」とは、ヒンドゥーでいえば確かにイシュヴァラに相当します。しかし、神
智学は神への信仰(献身)ではありません。ロゴスやイシュヴァラがどうしたこうした、などといったこと
は特に関係がない。また特定の導師グルも不要の道です。
>信者ではなく場合によっては立宗されている(もしくはそのつもりの)可能性もあるのでは?
妄想です。教団の設立など興味ありません。なんで??
>>248 私は神智学徒です。オウムに教わる必要が無い。真実は逆であって、オウムも大川も神智学を借用/
利用してるのが実体です。
>>250 転生を認めるということは、過去世ではイエスも完成者ではなかったことを意味するのです。それはキ
リスト教の絶対性と権力の必要にとつては不都合な概念でした。だから、そう判断されたのです。
>上記の話題とは関係ないですが、宝珠氏におすすめの本があります。
>
ttp://www.kyobunsha.co.jp/shopping/books/ISBN978-4-531-08165-3.html 私もイスラムの教えは本来、そのような残虐非道で好戦的な思想ではないと見ています。はい、この著
作は勉強になりそうですね-感謝!!
264 :
宝珠愚者:2009/02/03(火) 02:33:32 ID:zi4TSwXD
>>243 >しかし貴殿は知識が豊富ですね。
>しかもこれだけの宗教的スキル?があっても、何処ぞの教団にも属してない。
>ってことなんでしょ? (まあ、ある意味もったいない)
組織に所属することには正直、やや抵抗があります。が、しかし、自己を霊的に成長させてくれる誠
に素晴らしいグループがあれば、所属しないこともありません。入会所属しても、従属しない。あくまで
も自分で考えて行動します。良いと見なせば喜んで受け入れるし、疑問を感じる抵抗のあることには従
わない。あまりにも自己の意思に沿わないなら・・そこにいる意味はないでしょうね。
信奉する教えは良くでも組織的に腐敗が蔓延るパターンも多い。すでに教えさえあれば、無理に組織
に属する必要もない。
若い頃、麻原も真っ青といったカルト教団の教祖から教団の運営に協力を求められたことはあります。
「一緒にやろう!」と。教義の編纂と教育システムの構築にアイディアが欲しいと。受講料、受法料・・す
べて信じがたいほどの高額設定・・でした。私はその人に、「宗教の金取りは地獄行き真っしぐらだ。金
持ちほど霊的に進歩できるシステムなどこの世に存在しない」といって断りました。
「宗教心に国籍はない。それは、信仰でもなければ教義でもない。あるいは経典テキストや導師グルでもない。
それは、いかなる権威も持たず、ましてや集団に属することは決して在り得ない。」(クリシュナムルティー)
>自説に自信があるなら、これをネット(HP)で公表して流布するとかいう野心はないのですか?
>無料メルマガを配信すれば、貴殿なら1万人くらいは受信するかと思うけどね。
>(ある特異性の教義を自分で開発したなら、人間はそのくらいのことは考える)
自説というものは一つもないですよ、これはホントに!ただ掲載そのものではなく、自分の言葉で語ろう
とはしますが・・。まっ、それだけです。でもまぁ〜すべて個人的に自己流で身につけたものではあります。
265 :
宝珠愚者:2009/02/03(火) 02:34:02 ID:zi4TSwXD
>しかし、そうゆう方向性も貴殿の書込みには見えてこない。
>・・・・ってことは、
>やはり拙者は、貴殿は何処かの教団に属してるんじゃないか?
>とか、余計なことを考えてしまう。
あっ、ヨガナンダのクリヤヨガ教団には所属しています。ただそれは、特定のヨガ瞑想技法を修得する
ためが目的であり、あまり(教団の)信者であるといった感覚は自分にはありません。あと個人的には、協
会の様子については知りませんが、ラーマクリシュナ・ミッションの日本支部、「日本ヴェーダーンタ協会」
には関心はあります。あとは私は個人の学徒ゆえ、神智学系のグループ活動には時折り参加することが
あります。もちろん優れたグループであれば、私は参加や協力の意志は常にあります。
266 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 02:38:29 ID:D0dMFV3/
>>261 >単に気の持ちようでこの世はハッピーという程度の教え
「単に」と簡単なように言うけど、あなたは簡単に苦しみから逃れられるのですか?
一切の苦しみがない?
今は刹那的に生きていて気づいていなくても、必ずいつか病気になったり年老いたり、
死を前にして恐怖し苦しむこ日がありますよ。そのような苦を完全に消滅するのが
ブッダの教えです。
どうしてそれを「その程度の教えなら、仏教は世界一下らない宗教」と言えるのか分からない。
その程度というなら、一体どれ程の人がこれらの苦から逃れ、本当にハッピーでいるのですか?
一体どれ程の人間が実践できているのですか?だから一切皆苦という認識が重要なのです。
>>262 >「輪廻(転生)など元々から無かったんだ!」と知ることが悟り
そんなことは一度も言っていません。
>!しかし、そんなことに気付くまでに出家から、6年麻麦の苦行の末に、
更には49日間もの瞑想行を経てから、やっとそれが分ったのだと?
そうではありません。それだけの修行をしてやっと執着・苦を完全に取り除いたのです。
並大抵のことではありません。
267 :
宝珠愚者:2009/02/03(火) 02:39:54 ID:zi4TSwXD
>>245 >ならば、「輪廻転生」や、イエスの「復活」「再臨」「永遠の生命」
>「死後の裁き」などという、明らかな「迷信」も排除したらどうかね。
「処女懐胎」については、在り得ないのではなくて、私はキリスト教による偽造説を支持しています。これ
がそのことを説いた私の投稿です。理由を明確に述べています。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1224385381/88 「復活」「再臨」「永遠の生命」は迷信ではない。これについて、神智学徒はイニシエーションの過程と、そ
してイエスとキリストの二重性質について理解することを学ぶのです。
ここにも現れた大川の門弟が、仏陀は自己の意思で自由に再誕できるからと、それが東大卒7/3分けの
仏陀だと述べましたが。たしかに自己の意思のままに自由に再誕できることについては、私も同意するの
です。しかし、ゴータマは再誕しないことを宣言した。それが変更されるということはない。しかし、イエスは
明確に宣言しています。つまり、イエスは再臨するのです。というよりも、彼はすでに不死であり、この地上
から消えたことなど1度もありません。我々の目前から姿を消しただけなのです。
「死後の裁き」というのは教会による脅し部分と、実際に肯定すべき部分とがあります。一つは死後のい
わゆる地獄であり、仏典にも在る通りでそういう体験と世界もある。もう一つは「最後の審判」であり、これ
は人類全体の進化に関われるものです。人間の下位には、人間に進化できたものとできなかったものの
二者が在る通り、人類が次の段階に上がる段階の次元でそれは起こるものです。まだまだ遙かに気の遠
くなるほど先の未来です。普通の一般人については心配無用です。
268 :
宝珠愚者:2009/02/03(火) 02:41:26 ID:zi4TSwXD
>「姦淫」は、「現実の社会の維持」に関する。姦淫者の配偶者に大きな精神的苦痛を与えるからで
>ある。従って「迷信」ではない。君は、奥さんが浮気しても平気なのかねw。
誰も良いとはいっていません。イエスも二度と罪を犯すなといったでしょう!人間はうっかり間違いも犯す
し、知っていながらもやってしまうのです。他人を許してあげないということは自分も決して許してもらえない
ことをいう。
異性の関係もそう。伴侶のいる相手と知っていながらも惹かれてしまい、つい結ばれるということもあり得
る。これはマナーの範疇として戒める必要がありますが、投石で処刑するようなことでは全くない。
269 :
宝珠愚者:2009/02/03(火) 02:42:57 ID:zi4TSwXD
>>249 >ゴータマ仏陀は「私に師の握拳はない」と言った人です。もし、あなたがおっしゃる
>通りなのであれば、「ニルヴァーナに到達した仏陀の意識状態が真我、唯一なる実在
>にして永久不滅の意識状態(存在)なのだ」と言ったでしょうね。しかし言わなかっ
>たし、実在も説かなかった。「私に師の握拳はない」という言葉で、あなたのような
>偽の仏説を語る人の言説を未然に識別できるようにしています。
ニルヴァーナとは不死であり、その意識は常住し続けます(一切の相が滅びてなくなり、没することがな
い)。それが仏教の摂る立場です。つまりは、同じことになるのですよ。不死で常住は無常・空に反するよ
うに見えますが、それはもちろん当然です。無常なる縁起/空の世界を克服して解脱したからですよ。
「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)
『解脱の境地においては、生死が存在しない。修行を完成した者は《生死を明察せる者》(スッタニパータ
484)である。この究極の境地は、「不滅の領域」、「不滅の境地」といい、あるいは単に「不死」とも称する。
また単に「不老」ともいうのである。 そして仏教はこのような最高目的に達することを教えているものであ
るから、仏教は「不死の門」、「不死の獲得」であり、修行者は「不死の境地を見る」のである。』
(原始仏教---その思想と生活/中村元著)
270 :
宝珠愚者:2009/02/03(火) 02:45:53 ID:zi4TSwXD
>>247 「低我パーソナリティー」というのは、何もそんなに変わった概念でもなんでもない。心理学でも表層意
識と深層意識、集合的無意識などと分けたでしょう。普段、自覚できる自己意識が低我であり、肉体と
感情などを含めた総計が「パーソナリティー(personality)」という個性です。田中さんが次の来世では鈴
木さんとして生まれる、その個体毎の違いがパーソナリティー。転生する魂は実際、田中さんでも鈴木さ
んでもない。ただそれだけの話です。
ヨハネが再来(転生)のエリヤであると述べたのは、イエスご自身です。
《[我汝らに告ぐ。エリアは既に来たれり。然れど人々はこれを知らず、反って心のままにあしらへり。か
くの如く、人の子もまた人々より苦しめらるべし。]ここに弟子たちパプテスマのヨハネを指して言い給ひし
なるを悟れリ。》(マタイ17章12〜13節)。《すべての預言者と律法との予言したるは、ヨハネの時までなり。
もし汝ら我言を受けんことを願わば、来るべきエリアはこの人なり、耳ある者は聴くべし。》(マタイ伝11章
13〜14節)
人々はそれを知らないのだと。耳ある者は聞け、とまでいったのです。記述がなくてもその後のいつかエリ
ヤとしての人生は絶えてるものと解するべきです。
>様々な教父たちが否定していた事実があり、ほんとうに一般的だったのか、という疑いが持たれます。
彼らが認めたがらないのは当然でしょ!教義のすべての信頼性を疑われることに繋がるのですよ。転生
の教えは宗教会議で抹殺が決定したのです。これを知ってる人は大勢いますよ。認めないのは盲目なクリ
スチャンと従わせる側の立場にある聖職者たちだけです。自分でいろいろ調べてみることです。
271 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 03:34:35 ID:TZI8mzkx
>>270 宝珠愚者氏は、仏教徒などではなく、「超オカルト宗教」の神智学だったのだね。
道理で、こちらが疲れるはずだw。
Wikiで見たら、内容は一神教そのもの。キリスト教の影響は、色濃い。
創始者には、精神医学上の問題はなかったのかね。
人間は、もともと、自然(宇宙)の一部なのだから、宇宙との合一という観念
はおかしい。すでに皆、合一しているではないか。人間は、自然に100%依存
しない限り、生存できないのだから。それに、人間の身体自体が「小宇宙」で
ある。
オウムも利用したそうだから、オウムとの間に共通点がある、むしろ極めて近似
か同一ではないのかね。
これからは、仏教上の見解などではなく、必ず、神知学上の見解と、但し書きを
つけるように。仏教上の見解であるという誤解を生じる。
ご隠居も、これからは生命教上の見解と、但し書きをしてもらいたい。
273 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 06:55:16 ID:Vzpa7SR9
キリスト教徒の頑迷さが実によくわかるスレだなwww
274 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/03(火) 07:25:23 ID:3NjpFsCH
法珠愚者どの
貴殿の持論というのは、つまり現世において霊性?のレベルを上げて
ある最高のステージ?に到達する。ってことですよね。
(ここまでは理解しました)
ならば、これを行動原理として実践する。
というのが、つまり現時点の方向性であるわけです。
この流れで考えれば、貴殿の持論を多くの御仁に知ってもらい、
多くの民衆を最高ステージまで到達させる。ってのが
貴殿にとっても民衆にとっても、これが至上善になるわけです。→つまり民衆救済
であるなら、
持論をネットで流布するとか、その他いろいろ考えるのは当然です。
(イイか?ワルイか?は別問題です)
拙者が貴殿の立場でしたら、そういうことを考えますね。
(勿論、経済的な儲けとか、そういうことは別問題です)
日蓮だって、金儲けのために辻説法したわけではない。
純真な気持ちから行動したわけで、
行動原理とするものがあるなら(それを確信してるなら)
人間というのは、死にもの狂いで行動するもんだよ。
(野心?とか持って当然。男ならそれがロマンだろ?)→貴殿は男か?女か?
275 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 11:54:15 ID:xKA9j4LO
>>272 宗教、思想をはじめ、人間のすべての営みは、その生物的生命の機能である。
死ねば、一切不可能。
従って、いかなる神概念も、人間の生命に従属する。人間が神を思考する限り、
それはどこまで行っても、人間の生命の機能としての空想作用・観念作用に
過ぎないからである。
人間が人間の生命に最大の価値を置くことは、如何なる意味でも「宗教」では
ない。人間界のすべての成員の、共生のための「至上の義務」である。換言す
れば、「究極の宗教」であるとも言えよう。
ご隠居と堀井は同じこと言ってるな。
常識も行き過ぎると、吉外だな。
277 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 14:09:52 ID:mup6yZBl
>>263 > 神智学の説く「ロゴス(logos)」とは、ヒンドゥーでいえば確かにイシュヴァラに相当します。しかし、神
>智学は神への信仰(献身)ではありません。ロゴスやイシュヴァラがどうしたこうした、などといったこと
>は特に関係がない。また特定の導師グルも不要の道です。
それに対するアプローチ方法が違うだけですね。例えば、バクティ(神愛)を主と
するアプローチが比較的低次元の色界第一層だとしたら、それをどんどん純化させ
ていった色界第四層的な在り方がロゴス(神智学のアプローチ)という風にです。
しかし、仏教はそもそもその枠(色界禅定)で捉え切れるものではないと。
つまり、ロゴス(もしくは神智学のアプローチ)=色界第四層は涅槃ではない、
ということです。
278 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 14:14:06 ID:uxL8QTxZ
>>255 >もちろん推測ですが、痛みはなくなることはないが、それに煩わされることはなくなります。
↑ もちろん推測ですが、・・・・・ということは誰も現在まで証明できていないということでOK?
>解脱した者は、第一の矢を受けても第二の矢を受けない、という言葉があります。
第一の矢は身に起こる不幸ですが、第二の矢は自分の精神が作り出す苦です。
↑ も経典の言葉だけで、やはり誰も現在まで証明できていないということでOK?
>>257 >肉体の異常はあり、それを感じてはいるが、心が惑わされない状態と言い換えてもいいよ。
食中毒も大変苦しいらしいがその痛みは感じてはいるが・・・感じてたら痛くて苦しいでしょうにw
心が惑わされない状態・・・
それって仏陀のみで誰も現在まで証明できていないということでOK?
279 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 14:16:52 ID:uxL8QTxZ
>>266 >今は刹那的に生きていて気づいていなくても、必ずいつか病気になったり年老いたり、死を前にして
恐怖し苦しむこ日がありますよ。そのような苦を完全に消滅するのがブッダの教えです。
↑ も経典の言葉だけで、やはり誰も現在まで証明できていないということでOK?
>>266 >それだけの修行をしてやっと執着・苦を完全に取り除いたのです。並大抵のことではありません。
↑ も経典の言葉だけで、やはり誰も現在まで証明できていないということでOK?
>>276 >常識も行き過ぎると、吉外だな。
>>275のご隠居氏は、至極当然の理屈、、「究極の宗教」の意味は万人に分かる
■ 既存宗教も行き過ぎると、吉外だな。→ 勿論、歴史やマイコン・洗脳患者のレスで分かるw
280 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 16:00:30 ID:D0dMFV3/
>>278 >もちろん推測ですが、・・・・・ということは誰も現在まで証明できていないということでOK?
経典から推測するしかなということですよ。ブッダの教えは経典から読み取るしかないのは
当たり前でしょう。
>↑ も経典の言葉だけで、やはり誰も現在まで証明できていないということでOK?
ブッダの思想がどのようなものであるかは、「経典の言葉」しか手がかりがありません。
他に証明方法が何かある?
>食中毒も大変苦しいらしいがその痛みは感じてはいるが・・・感じてたら痛くて苦しいでしょうにw
「苦しい」という感情は、「どうして自分がこんな目にあうんだ」とか、「死にたくない」とか、様々な妄想によって生まれ、
増幅するものなのです。そのような迷い、執着が完全に取り除かれた人は、痛みを純粋に痛みとしてあるがままに感じるだけで、
心穏やかにいられるのです。ブッダも死ぬ前には激しい食中毒で臥せっていましたが、それでも心穏やかに、質問に来た人
に、弟子の制止も聞かず、色々教えてあげたりしていたのです。
>心が惑わされない状態・・・
それって仏陀のみで誰も現在まで証明できていないということでOK?
経典によれば、ブッダのみではなく、弟子も到達した境地ですし、誰でも至れる境地です。そして現実にも、同じこと
は可能だということがある程度推察できます。末期癌の患者さんなど、それまで病と死の恐怖に取り付かれていた
人が、自分の病気を受け入れた時か心穏やかに過ごすようになることがあります。また誰でも経験するようなレベ
ルでは、身体のどこかを怪我した時、それを意識している間は痛みが強く苦痛がひどいが、他のことに集中している時
は痛みが気にならないことがあるでしょう。執着により苦が生まれ、執着を無くすことで苦が無くなるのです。私たち
凡夫はこういうことはたまに経験するくらいですが、徹底的に執着を捨て、完全な心の安定を手に入れた状態が涅槃なのです。
281 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 16:04:19 ID:D0dMFV3/
>>279 これも
>>280を読めば十分でしょう。
ブッダが何をどう説いたかということは経典から推測するしかありません。そしてその教えが真実であるか否かは別問題です。
しかしそれが真実であることは、その教えが私たちの日常経験の延長上にあることと、論理的にも正しいことから、
正しいと判断できると思います。
282 :
初代スレ7:2009/02/03(火) 17:55:21 ID:vPG1gQRQ
>>278 >ということは誰も現在まで証明できていないということでOK?
スケールの違い、個々人のスキルの違いで確定できない、という意味の“推測”じゃね?
君は、日常生活の端々で、そのような経験はないのかい?
君は、スーパーの菓子売り場の前で、「欲しい!欲しい!食べたい!食べたい!」と駄々をこねる子供みたいだなw
取引先との商談中に、「でけぇ声出すなよ!風邪気味で頭痛いんだよ!ちったぁ気を遣え!」「あ゛〜痛ぇ・・・」
と、露骨に“自身の感じる不快な事象の情報”を撒き散らすつもりですか?w
そういうのを、振り回される、煩わされると言うんだよ。大般涅槃経読んだかい?
日常の様々な場面で、
「自身が感受する」「様々な事象(≒“境”)」を、とりあえず「脇へ措いて」、
「“それ”に《捉われ》《縛られ》《影響を受けることなく》《煩わされず》」、
「目の前の事態に対処」した経験はないかい?
構図は全く同じだよ。
(´ー`)y━~~
証と書いて、さとりと読む。
284 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 18:23:45 ID:H23QmaT6
>>280 >ブッダの思想がどのようなものであるかは、「経典の言葉」しか手がかりがありません。
他に証明方法が何かある?
では、もしその「経典の言葉」が嘘・偽りだったら全く意味がありませんね
現在まで「仏陀のように肉体的には苦しんだはずですが、煩い憂いを離れているので、精神は苦しまない
という」・・・レベルを修行者・僧か誰か・・が実際に医者や薬の助力無く証明すれば経典に書かれている
ことは事実だということにもなるのでしょうがw
しかし、今だ誰も経典の記述を完全に証明できていないということでOKということですねw
もっとそのような強靭な人が沢山出てくるのかと思いました(笑)
そのような人がいれば超人ということでTVでも医学界でも当然、話題になるでしょう。
現在までに経典の記述(執着を捨てれば肉体の苦痛に煩わされることはなくなる)は医学界で役立てられ
ているのでしょうか?確かに「病は気から」と言いますが、僧侶も宗教の教祖も医者にかかるようですからw
個人的には痛みは体の防衛本能のサインですから、物語としては読めても真実性はとても感じられませんねw
>>282 ちょって焦点がずれてる気がします。
仏陀も普通の人間、毒盛られてお腹こわして多分、食中毒の下痢や腹痛で大変苦しみ死に至ったのですからね。
物語的にはありかもしれないけれど、現実には証明できる人がいないとやはり信じられませんね
285 :
初代スレ7:2009/02/03(火) 18:32:04 ID:vPG1gQRQ
>>284 お前馬鹿だろ?
「痛みが消える」とか「治癒する」とか、そういうことじゃないってのが解らんのかな・・・。 (´ー`;)
286 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 19:02:18 ID:D0dMFV3/
>>284 >もしその「経典の言葉」が嘘・偽りだったら全く意味がありませんね
嘘・偽りの意味は?
ゴータマ=シッダルタ(とされる人物の)教えではない、という意味なのか、ゴータマの教えだが彼が嘘をついているのか、
食中毒などの話が史実ではない、という意味なのか、色んな意味にとれますが。
ともかく、真理は自分で確認するものです。自灯明・法灯明と言います。
>現在まで「仏陀のように肉体的には苦しんだはずですが、煩い憂いを離れているので、精神は苦しまない
という」・・・レベルを修行者・僧か誰か・・が実際に医者や薬の助力無く証明すれば経典に書かれている
ことは事実だということにもなるのでしょうがw
それに近いことは誰でも、あなたでも経験しているはずです。
>>282さんが書いている通りです。
そもそも「医者や薬の助力」でどうにかなるものではありません。痛みは誤魔化せるかもしれないけど、
病や死の恐怖など、自分の心・精神の問題は自分で克服するしかありません。
>仏陀も普通の人間、毒盛られてお腹こわして多分、食中毒の下痢や腹痛で大変苦しみ死に至ったのですからね。
その通りですよ。普通の人間ですから、身体症状は同じです。神ではありません。
ですが生き方の姿勢が常人とは違うのです。普通なら苦しみに悶え、苦痛の表情をし、周囲に当り散らしたり、
喚いたり泣いたり怒ったり心配したりするようなことが、解脱した人にはないのです。心穏やかに冷静に振舞うのです。
想像できませんか?欲望や感情を剥き出しにするのが普通と思っている現代人には理解しにくいのかな。
287 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 19:09:02 ID:D0dMFV3/
Wikipediaの純陀の項目にはこうあります。
引用
「純陀の料理を食べた釈迦はその直後激しい腹痛を訴えるが(食中毒の症状と思われる)、平静を装っていた。 純陀は事態を理解して釈迦の一行に加わり旅に出る(一説には同名の別弟子を指すとも言われるが判然としない)。
しかし高齢に激しい食中毒様の症状を現した釈迦は遂にカクッター川のほとりで倒れ伏し、純陀に床を作るよう指示し、そこにしばし休むことになる。釈迦はここで内弟子のアーナンダらに対し次のように告げた。
「いいかアーナンダ、きっと誰かが言い出すだろう。『純陀が毒料理を食べさせたせいだ。純陀は徳のない悪党だ』と。しかしそれは間違いである。私は純陀の料理を最後の供養として逝くのであるから、第一にこの生涯のさとりを大成させ、
第二に大般涅槃に至らせてくれたのである。この供養は、私が受けた供養の中でもスジャータ(成道の際に最初に乳粥の供養を捧げた少女)のものと並び、我が人生の供養の中で最も重要なものである。大いなる威徳がある供養だ。純陀は
大いなる威徳を積み、偉大な尊者となるべき偉業を成し遂げたのだ。純陀を恨む者が現れたなら、よく諭すのです。」
そして総括として、「布施を実行する者こそ功徳あり。貪り・怒り・痴を超越し、人心を超える」と宣言した。」
激しい腹痛で倒れていても、食中毒の原因となった食べ物を振舞った純陀があとで中傷されないように気遣っているのです。
普通の人だったら、自分をこんな目に合わせた純陀を非難するところでしょうし、まして純陀が中傷を受けるかもしれないなんてことまで気が回りません。
そしてその料理を「我が人生の供養の中で最も重要なものである」とまで言っているのです。
やはりこれは、尋常じゃない境地に達しているからこそできることだと思います。
288 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 19:15:13 ID:D0dMFV3/
自分が純陀を恨まないばかりか、他人が純陀を恨むことのないよう、
「大いなる威徳を積み、偉大な尊者となるべき偉業を成し遂げたのだ。純陀を恨む者が現れたなら、よく諭すのです。」
と先手を打って他人の執着・恨みも取り除いておく。
これが執着を完全に滅した解脱の境地なんですね。
289 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 19:21:15 ID:9q8tw+rt
仏陀はより上位からの使者だ
しかも彼は今から何千年も前のインドに使わされたんだぜ
290 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 19:55:33 ID:CrsqiSxX
☆******************************☆*********************************☆
■ 釈迦が自分で書いた経典など一つもない。
./)/) ■ 仮に仏陀が輪廻を説いたとしても、2500年もの長い間、
(・ー・)ノ 誰も実証できなかったという<事実>が既に、
゚L-J 何おか謂わんやで、根拠の無い証明となり得るでしょう。
☆******************************☆**********************************☆
291 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 19:57:14 ID:CrsqiSxX
>>285〜
私は、宗教漬けの生活をしていませんので、沢山レスを集中されてもすぐには
返レスできません。意見が異なるからと言って平気で蔑視語を放つ人が仏陀や
イエスに嵌るのが解せません。とりあえず今日は時間がないのでここまで〜
失礼
292 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 20:06:21 ID:8Eu0Qrp8
293 :
初代スレ7:2009/02/03(火) 20:10:06 ID:vPG1gQRQ
宝珠氏への返答用として、レスのコピーはしてあるが、
なんだか、馬鹿馬鹿しくなってきた感がしないでもない・・・。 orz
>>290 昆布らしくないなw
あっさり逃亡か?www
てか、おいらも今夜はそろそろ移動&おやすみだw
ノシ
294 :
初代スレ7:2009/02/03(火) 20:11:50 ID:vPG1gQRQ
あ、アンカーが一個ズレてる・・・。
ま、同じ相手だからいいかw
295 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 21:29:06 ID:rzA/QXGL
>>292 心理学界では、相手にもされない代物。真面目に信じる対象ではない。
>>290 実証できなかったという事実があったことなんて、それこそ立証できんだろう。
そういう事実が存在していても、それを誰かが書き記さなければ残らないし
書き記したとしても書物が焼失した可能性とかいろいろありうる。
>>295 そもそも心理学の範疇ではないから、相手にされないのも納得だな。
同様にこの手のものは物理学界でも数学界でも相手にされないだろう。
297 :
tibyaku:2009/02/04(水) 00:35:50 ID:iu418Xan
不死は死なないということで本来は「この世的死にたくない永遠に名を遺したい欲
の心境でしょう。
あえて言うならば永遠の生命を知りえた霊的生命体である安心立命の境地でしょう。
肉体人間の有限の認識から霊的人間として永遠の生命があることを知った霊的認識
で静寂な明鏡止水の心境を維持することです。
欲から離れたさわやかな心の維とを阿羅漢の悟りといいます。
阿羅漢の悟りは誰でも悟ことが可能なる悟りです。
転生輪廻や永遠の生命は迷信ではありません。真実であります。
298 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 01:06:46 ID:lItK+9EZ
>>297 「安心立命の境地」
「静寂な明鏡止水の心境を維持することです」
「欲から離れたさわやかな心の維とを阿羅漢の悟りといいます。
阿羅漢の悟りは誰でも悟ことが可能なる悟りです」
などには同意しますが、どうしてそのことが
「転生輪廻や永遠の生命は迷信ではありません。真実であります。」
などという話に繋がるのでしょうか。
転生輪廻や永遠の生命を信仰している人にとっても、そこから解脱し、再生しない
ということが仏教のはずです。
ですから初めからこれらの信仰がない人は、一歩解脱に近いのです。
それとも転生輪廻や永遠の生命を信仰しなければ解脱できないのでしょうか?
そんな記述は仏典には、大乗にも全くないように思いますが。
信仰してもしなくても、転生輪廻や永遠の生命について直接は何も知らないことは、
全ての人間で同じです。これらのものを信仰するかしないかの違いは、
自分の知らないことについて何かを妄想するかしないかの違いです。
信仰するのは勝手ですが、自分の信仰、思い込みにすぎないものを「事実」
と決め付けてはいけません。
299 :
超スーパー女教師河合希:2009/02/04(水) 05:52:51 ID:7fJZmES9
悟りを開いた者は
肉体的苦痛をある意味感じない
感じたとしても 肉体は自分のものではない
と 死ぬほど実感するからである
イエスは 十字架で痛みも恐怖も感じなかった
300 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/04(水) 06:59:40 ID:z8LTjwYi
>>297 >不死は死なないということで本来は「この世的死にたくない永遠に名を遺したい欲
>の心境でしょう。
不死の境地というのは、「生」とか「死」とかがどうでもイイ境地です。
諦観といいますけど。
諦観だから「諦(あきら)めの境地」。→これは俗的表現
もっとも、生とか死を考える自体が仏教的ではないですけど、
ましてや死んだ先の輪廻転生などは全く想念から離れるのが本来の諦観でして、
その脈絡から言いますと、
「諦め」ってのは、既に俗的には死んだ状態ですね。
だから不死になる。
死ねば、二度と死ぬことはない。
(永遠に死なない)→不死
301 :
宝珠愚者:2009/02/04(水) 09:21:00 ID:9JxlXXli
302 :
宝珠愚者:2009/02/04(水) 09:22:35 ID:9JxlXXli
>>274 >この流れで考えれば、貴殿の持論を多くの御仁に知ってもらい、
>多くの民衆を最高ステージまで到達させる。ってのが
>貴殿にとっても民衆にとっても、これが至上善になるわけです。→つまり民衆救済
>であるなら、 持論をネットで流布するとか、その他いろいろ考えるのは当然です。
最高のステージなんていうことは到底、出来ない。霊性の歩みは時間がかかるのです。この世界は一足
飛びにできるものはない。幾度もの生涯がかかってやっと到達するのです。
はい。もちろん私なりの次元では取り組んでいます。アドバイスに感謝です!
>貴殿は男か?女か?
ただのおっさんですよ!(ただし、ちょい悪のカッコイイおっさんですが)
303 :
宝珠愚者:2009/02/04(水) 09:24:36 ID:9JxlXXli
>>256 >スッタニバータは、まだバラモン教の「迷信」の影響が残っているのでダメ。
>一度読んだが感動は「ゼロ」で、中途で止めた。
そのスッタニパータが最も古く原初の教説に近しいものと見なされている経です。
>>271 >人間は、もともと、自然(宇宙)の一部なのだから、宇宙との合一という観念はおかしい。
>すでに皆、合一しているではないか。人間は、自然に100%依存しない限り、生存できないのだから。
>それに、人間の身体自体が「小宇宙」である。
ロゴス≒霊(spirit)は波動を低下して物資化する。これが--創造原理---。
物質は波動を上げて霊化するのです。これが---モナド≒ロゴスとの融合です。
>オウムも利用したそうだから、オウムとの間に共通点がある、むしろ極めて近似か同一ではないのかね。
「オウムが原始仏典に研究に没頭したから、原始仏典はカルトだ!オウムがダライラマと一緒に写真を
撮ったから法王もカルト!!」〜〜あなたの発想はつまり、こういうこと。
己れの低脳を自ら晒すのは、あまり利口とはいえないな。
>これからは、仏教上の見解などではなく、必ず、神知学上の見解と、但し書きを
>つけるように。仏教上の見解であるという誤解を生じる。
混迷を続ける日本仏教界が起死回生のために、自ら救いを求めた先が、「神智学(協会)」であったとい
う歴史的事実を、あなたは知っていて言ってるのですか?
明治22年、ブラヴァツキーと共同で設立した神智学協会の初代会長/オルコット大佐は日本仏教界の熱
きラブコールを受けて来日を果たしているのです。神智学は西洋のブッディズムとも呼ばれ、高い評価を
得ていたからであり、この神智学の新しい血と1500年振りにインド仏教との橋渡し役としての役割を神智学
は担ったのです。
大佐はマハーカサッパじゃないが、大変、厳格な南伝仏教の戒律を護持実践している方であり、大佐が
来日した時の日本僧侶の生臭ぶりには、かなり驚いたといわれています。
http://d.hatena.ne.jp/ma-tango/20090109/
304 :
宝珠愚者:2009/02/04(水) 09:29:35 ID:9JxlXXli
【---白人ブディストと講釈師と『佛教復興』---おどろくなかれ、近代という時代の大舞台で、南北の仏教を
数千年ぶりに結びつけたのは、ひとりのアメリカ人だった。そのひとの名はヘンリー・スティール・オルコット
(1832〜1907)。オルコット大佐という呼び名で知られ、『神智学協会(Theosophical
society)』というオカルト
組織の会長を務めた仁である。冒頭で紹介した“噺家”の野口復堂が、わざわざインドまで迎えに行った人
物こそが、このオルコットだった。先回りして言えばこのとき、野口は上陸したインド・マドラスの地で、極東の
新興国・日本からの最初の特別使節(スペシャル・デレゲート)として迎えられ、国賓級の大歓迎を受けたの
である。筆者はさすがに驚愕した。近代日本とインドとを結び、仏教復興のきっかけを作ったのが、無名の講
釈師と、ヤンキーのオカルティストだったとは。】
(大アジア思想活劇--仏教が結んだもうひとつの近代史/佐藤 哲朗)
>>277 >しかし、仏教はそもそもその枠(色界禅定)で捉え切れるものではないと。
>つまり、ロゴス(もしくは神智学のアプローチ)=色界第四層は涅槃ではない、ということです。
まっ、お好きにどうぞ!
果たして、すでにゴータマから2500年もの歳月を経過して、歪んでしまった仏典の記述と、それに+プラス、
ただの文献研究の域を出ない非霊的仏教学者の著した書物による知識に頼るあなた方と、この私の学ぶ
近代にも出現したラマナ・マハリシといったアヴァターラ存在やこの神智学の叡智(古今東西あらゆる宗教
の叡智の集大成)との比較・・。
一体、そのどちら側が史実のゴータマの教説にも近いやら?
305 :
宝珠愚者:2009/02/04(水) 09:30:52 ID:9JxlXXli
>>284 >が実際に医者や薬の助力無く証明すれば
>経典に書かれていることは事実だということにもなるのでしょうがw
>しかし、今だ誰も経典の記述を完全に証明できていないということでOKということですねw
>もっとそのような強靭な人が沢山出てくるのかと思いました(笑)
>そのような人がいれば超人ということでTVでも医学界でも当然、話題になるでしょう。
>
>物語的にはありかもしれないけれど、現実には証明できる人がいないとやはり信じられませんね
例えば事例として、ヨガンダの場合はマハーサマディーに入って肉体を放棄し、その遺体には完全な不
朽現象が確認されています。マハーサマディーとは、深く瞑想状態に入って自ら肉体を脱することです。
(インド政府はヨガンダのマハーサマディー25周年を記念して記念切手も発行しています)。
306 :
宝珠愚者:2009/02/04(水) 09:37:57 ID:9JxlXXli
「パラマハンサ・ヨガナンダの遺体には、何ら崩壊のあとが見られない。これは、われわれの経験では、
きわめて異例な現象である。・・・彼の肉体は、死後20日に及んでも全く分解の色が見えなかった・・・皮膚
にこのような兆候が見られないのみならず、体内組織にも何ら乾燥のきざしが見えない。死体がこのよう
に長い間、完全な状態を保持した例は、この遺体安置所が始まって以来、類例のないことである・・・当初、
ヨガナンダ師の遺体を預った安置所の職員は、例によって当然、柩の中の遺体が日ごとに腐敗してゆく
であろうと思っていた。しかし、柩のガラス蓋を通して見られるその遺体は、何日たっても何の変化も見せ
ず、われわれの驚きは日ごとに増大した。ヨガナンダ師の遺体は明らかに、稀に見る不朽状態にあった・・・
遺体はまた、全く死臭を発しなかった・・・3月27日、柩に青銅の蓋がかぶせられたが、その直前に見たと
ころ、その遺体は、彼が死んだ3月7日の夜と全く変わらず新鮮で、崩壊のあとは皆無だった。われわれは、
パラマンサ・ヨガナンダの遺体の状態が、われわれの経験上まったく異例のものであることをここに証言
する」(ロスアンゼルスのフォレスト・ローン墓地-遺体仮安置所/所長ハリー・ロー)
遺体の不朽現象で有名なのは、1879年に亡くなった聖ベルナデットですが、ヨガナンダの場合はクリヤ
ヨガの科学を自ら証明してみせたのです。
307 :
宝珠愚者:2009/02/04(水) 09:38:25 ID:9JxlXXli
>>287-288 >この供養は、私が受けた供養の中でもスジャータ(成道の際に最初に乳粥の供養を捧げた少女)
>のものと並び、我が人生の供養の中で最も重要なものである。大いなる威徳がある供養だ。
>純陀は大いなる威徳を積み、偉大な尊者となるべき偉業を成し遂げたのだ。
>純陀を恨む者が現れたなら、よく諭すのです。
これについては、私からハッキリいわせて頂きますと、完全に解脱した覚者存在というのは、その自ら
の死期と死に方等々については自らの意志で決定しているのです。我々、凡夫はカルマの業報で意図し
ない不遇の出来事にあって死んでいく・・。しかし仏陀は違う。本当は寿命をもっと延ばせたことを、ゴー
タマは自ら述べています。
「尊い方よ。尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください。幸いな方は寿命のある限りこの世
に留まってください。――多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれ
むために、神々と人間との利益のために、幸福のために。
アーナンダよ。もしもお前が修行完成者に懇請したならば、修行完成者はお前の二度にわたる(懇請の)
ことばを退けたかもしれないが、しかし三度まで言ったならばそれを承認したであろう。それだから、アーナ
ンダよ、これはお前の罪である。これはお前の過失である。」(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
308 :
宝珠愚者:2009/02/04(水) 10:02:45 ID:9JxlXXli
---オマケ的な追記です。
普通ならば一見、ゴータマを死に追いやった食事を出したというのは、とても不名誉で不敬な行為のよう
に見えますが、ゴータマはスジャータとも並ぶ最高の供養であるとした讃えています。これは本人が自分を
責めることがないよう優しい気遣いからであるのはもちろんのこと。純陀はゴータマ自らの選択した死を担
う運び手であったからです。彼は大役を選ばれたのです。
キリスト教の場合においては、クリチャンはユダを裏切り者として忌み嫌いますが、秘教徒の立場からは、
ユダはキリストの栄光を示すべく重要なお役を引き受けた価値在る使徒でした。ユダはイエスの命に勇気
を出して従ったのです。また彼は、まさかイエスが十字架で本当に死ぬとは考えて変えていず、イエスもしく
は神の力によって敵を蹴散らすと思って、イエスをローマに引き渡したのです。その後、彼は自分のしたこ
とについて途轍もないショックを受けました。
>>299 十字架上で「わたしは渇いた」と言ったのが重要らしいですよ。
「イエスの渇き」というらしいですけど。
原罪のないイエスが、人類の代わりに苦しんだということで贖罪なんだそうです。
310 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/04(水) 11:24:33 ID:z8LTjwYi
>>302 >はい。もちろん私なりの次元では取り組んでいます。アドバイスに感謝です!
そうでしたか。
では伺いたいのですが、2ちゃんでは大勢の方がROMってます。
なかには貴殿の自説に賛同する御仁がいるかもしれません。
そういう方は、「ぜひ高次元ステージまで逝きたい」とか欲が出ます。
高次元ステージまで逝くのは、善行をすれば逝けますか?
拙者でも善行すれば、高次元ステージまで到達できますか?
それとも、ある対象を崇拝せんと駄目ですか?
せっかく貴殿はスレを立てたのですから、
行動原理の方法論を吹聴してくれたら有難いです。
そういう貴殿の書込みを沢山の御仁は待っているかと思います。
#、ちなみに田賀井氏は、唯識論を基本に潜在意識の覚醒が、その教義の根幹です。
311 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 14:06:27 ID:D38c6c7X
>宝珠愚者氏へ
大自然の摂理に反して、死体が腐敗しなかったら、地球には死体があふれて、
生者の居住は不可能になるぞ。その対策はどうする積もりかね。
「死ねば母なる大地に帰る」という大自然の摂理に「逆らう」ことは、「宇宙
との合一」の正反対だぞ。
トンデモオカルトを垂れ流すのは、いい加減で止めてくれ。
312 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 14:20:36 ID:D38c6c7X
>>308 イエスは、弟子たちの面前で、ユダの裏切りをほのめかし、ユダを自殺に
追いやっている。ユダに対し、「お前は生まれてこないほうがよかった」
などと暴言を吐いている。
ユダの「裏切り」がなければ、イエスの十字架はなく、従って、キリスト教
もなかった。ユダこそ、イエスを超える、キリスト教の大恩人と言える。
313 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 14:28:34 ID:D38c6c7X
>>309 >原罪のないイエス
イエスの処刑の罪状が「神の冒涜罪」であることは、聖書も証言しているし、
聖書学者の一致した見解。
旧約聖書の「原罪」の定義は、「人間が、自然状態を離れて、神のように
なり、善悪の観念を持つこと」。イエスこそ、「原罪の権化」です。
314 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 15:02:56 ID:qyg9fCAu
315 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 16:30:08 ID:NBa+wQtD
>>286 >嘘・偽りの意味は?
ゴータマ=シッダルタ(とされる人物の)教えではない、という意味なのか、ゴータマの教えだが彼が嘘をついているのか、
食中毒などの話が史実ではない、という意味なのか、色んな意味にとれますが。
ともかく、真理は自分で確認するものです。自灯明・法灯明と言います。
↑ と言われてもあなたの質問自体が解せませんが・・
仏陀の2500年以上も前の大昔の真理?のことを現代人がどうやって確認出来るのですか?
■ 今の日本の現状を見ても明らかなように、 宗教を利用したがっている人間は沢山いますよ。
釈尊入滅後100年を経て経典は編纂されましたけど、この約2400年の間にはそういう輩
もいたわけで、書かれていても鵜呑みにはできませんですね。(釈尊が空中を飛ぶ話もある)
■ 釈迦が自分で書いた経典など一つもない。すべて後代の人々が、それぞれの解釈で書いたもの。
経典が、釈迦の「真意」であることの保証は「皆無」である。
従って、釈迦や原始仏典の「言葉」に拘るのはナンセンス。 ■
↑ ですから言葉では何とでも無制限に言える証拠でしょう → <言葉は魔物>
ところが、命ある人間には、誰にも心身ともに<限界>があります。★
逆にあなたが何故、原始経典を疑問も無く言葉通りに全て信じられるのかを伺いたいですね?
現代社会の真実でも情報は支配層によって隠蔽されコントロールされてるのにw
あなたは、果たして現代のことでも自灯明・法灯明で詳細が分かりますか?
316 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 16:32:59 ID:NBa+wQtD
>>293 >昆布らしくないなw あっさり逃亡か?www
あははは・・・(笑) 君は横から侵入してかき混ぜチャチャ入れてるだけ、邪魔しないでねン〜
昆布氏と間違えるなんて残〜念・・修行成果全くありませんね(笑
ヽ(^。^)ノ オチ
>>312 ユダ福音書に既に同様の記述があるみたいですよ。
>>313 処刑する側がそう判断しただけで、
イエス信者達はイエスが神を冒涜したとは思ってないわけですね。
で、キリスト教というのはイエス信者の視点で書かれている宗教なわけですから、
教義としては必然的にイエスに罪を認めないわけです。
その辺も学者たちの一致した見解だと思いますよ。
イエスこそ原罪の権化というのは
ご隠居の生命教からの視点でしょうか?
キリスト教にはそういう思想はないと思いますが?
318 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 17:20:46 ID:lItK+9EZ
>>315 >仏陀の2500年以上も前の大昔の真理?のことを現代人がどうやって確認出来るのですか?
ブッダとされる人物の教えが経典の中でどう説かれているか、という点については、教典で確認するのです。それ以外の方法がありません。
そしてその教えが真理であるかどうかは、現代の我々が自分で確認すればよいのです。
たとえば、いくつかの経典の古い部分に「ブッダは3+5は8だとおっしゃいました」と書かれていたら、実際にブッダがそう言ったかどうか
はともかく、「3+5=8が当時ブッダの教えとされていたようだ」ということがその経典から分かりますし、その教えが真実かどうかは、
実際に指を折って3+5を数えてみればいいのです。確かに8になるから、その教えは正しいと判断できます。
真実を明らかにする仮定というのはそのようなものです。
>仏陀の2500年以上も前の大昔の真理?のことを現代人がどうやって確認出来るのですか?
これが実際にゴータマ=シッダルタがその口からどのような言葉を発したのか確認できるのか、という意味であれば、
確認する方法はありません。タイムマシンでもない限り。私が興味があるのは「ゴータマ=シッダルタとされる人物」
(その正体が実際誰かは別問題)の教えが「経典の中でどう説かれているか」ということです。
ですから、
>逆にあなたが何故、原始経典を疑問も無く言葉通りに全て信じられるのかを伺いたいですね?
原始経典を疑問も無く言葉通りに全て信じているなんてことはありません。むしろほとんどの部分を後世に作られた
神話だと思っています。しかし神話的・神秘的部分を取り除いていけば、史実のブッダ(とされる人物の)教えがおぼろげ
ながら姿を現すことは、十分考えられることでしょう。
考古学者のシュリーマンも、古代のトロイの伝説について研究し、現実の事件を反映しているはずだと考え、推理し、実際
にトロイの遺跡を発見したのです。
仏典をそのまま言葉通り信じることも、また逆に何もかもでたらめだと切り捨ててしまうのも、どちらも偏った
考え方です。
319 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 18:11:08 ID:XVtXrcG/
「復活」「再臨」「永遠の生命」「天国と地獄」「最後の審判」「輪廻転生」「カルマ」「地獄と極楽」「来世」・・・
のことが分かる人は、当然、この現実社会でも不明なことが詳細に分からなければ言えないでしょう
320 :
宝珠愚者:2009/02/04(水) 19:28:28 ID:9JxlXXli
>>311-313 人類全員、遺体の不朽現象を顕すとは素晴らしいw
無常、縁起空なる世界から解脱した聖者は、濃密物質界の諸法則(制約)から解放されており、
自己の意(凡夫の煩悩塗れの意識とは異なる)のまま自由でいられるのです。
しかし、心配は無用です。
このような遺体の不朽現象は、
唯物主義や科学万能思考では到底、説明不能であることを示すために敢てなされるのです。
それが不要とみなされれば、当然、ごく普通に分解します。
腐敗しない遺体で溢れるなどということはない。
ヨガナンダは、数千年とも数万年ともいわれる不老の神仙ヨギ/ヒマラヤの青年ババジ
直伝によるクリヤヨガの正統継承者なのです。
彼の使命はクリヤヨガの科学の証明、及びクリヤヨガの欧米社会への普及にありました。
覚者方は各自、それぞれの抱える使命と役割(分担)を持っています(ゴータマにはゴータマの)。
福音書は正確な描写ではありません。
あなたは尚且つ、それ(福音書)を読めない。
321 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 20:07:06 ID:SgN3mcCP
カスども、イエスも仏陀もモーゼも皆高次からの使者だと言っとろうが
322 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 20:08:25 ID:SgN3mcCP
カスども、俺に聞け
あらゆる疑問に答えてやるぞw
323 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 20:29:25 ID:CLt6HRIa
それでは何次元 まであるのですか?
324 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 20:30:05 ID:lItK+9EZ
>>320 >遺体の不朽現象
そんなのただの死蝋でしょうw
Wikiより
死蝋(しろう、「屍蝋」の表記もある)とは永久死体の一形態で、死体が何らかの理由で腐敗菌が繁殖しない条件の下に置かれ、
かつ外気と長期間遮断された結果、腐敗を免れ、死体内部の脂肪が変性し死体全体が蝋状・チーズ状になったものである。
ミイラとは異なって乾燥した環境ではなく、湿潤かつ低温の環境において生成される。
>唯物主義や科学万能思考では到底、説明不能であることを示すために敢てなされるのです。
科学で簡単に説明できる現象ですw
>>323 知らん、スマン
遺体の不朽現象は実際にあるが、俺の知っている範囲内では誤った進化の結果起こるらしいぞ
327 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 20:45:01 ID:SgN3mcCP
>>325 アセンテッドマスター?何それ?
要は通常の受肉ではない、ふつうの人間ではないということ
イエスは元々殺されることを分かっていて敢えて殺されたのだ
>>327 次元は最低11次元まではあるといわれている。
霊的存在としてのイエスは明らかに普通の人間と同じではないため、
サナンダと呼ばれているわけだが、
カスどもとか呼んでるくせに、アセンテッドマスターも知らないならもういい。
329 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 20:55:20 ID:SgN3mcCP
>>328 www
スマンな
カスどもと呼んだのは、本質的なことへの理解が欠如しているように見受けられたからだ
それに様々な専門用語を羅列することは無意味
僕は危ないヲタですよと言っているようなもん
それと仏教の精髄は今から100年以上前にほとんど失われたから論ずることは無意味
330 :
SgN3mcCP:2009/02/04(水) 21:06:44 ID:HeuE2AlR
生まれ変わりについて論ずることも無意味
我々はそんなに頑張っても過去生の記憶を取り戻すことはない
仮に何かの奇蹟で取り戻したとしてもだからどうなる?
結局は我々の在り様がそれに対して適切に対処できる段階にないということだ
仮にこの連鎖の輪から逃れることが必要であると気付いたとしても、せいぜい「明日やろう」に終わるのが関の山
331 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 21:17:04 ID:aJ70d2s+
>>320 >無常、縁起空なる世界から解脱した聖者は、濃密物質界の諸法則(制約)から解放されており、
>自己の意(凡夫の煩悩塗れの意識とは異なる)のまま自由でいられるのです。
ブッダの教えとは異質の妄想三昧をしゃべりまくるのは自由勝手だが、
具体的に検証、証明してみ。
外道は無用。
ここに長居も無用。
332 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 23:01:54 ID:aJ70d2s+
>>328 >アセンテッドマスターも知らないならもういい。
だったら、「聖言律位」の意義を説明してごらん。
この重要な言葉の意味さえ説明できないチンケなら論外だな。
もういい、消えな。
>>330 >仏教の精髄は今から100年以上前にほとんど失われた
「仏教の精髄」を説明せよ。
この点に絡めて、
・「100年以上前」・・その「精髄」とやらでは時系列で問題にするのか。
日時をある程度特定せよ。
・あなたの父母の生死はあなたの生死とどう関わるのか。「精髄」的立場で答えよ。
・「ほとんど失われた」を具体的に説明せよ。
333 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 23:17:29 ID:jsCva0Ft
何で命令口調なんだ?w
「仏教の精髄」という言葉で言いたかったのは・・・
どんな本物の宗教でも顕密の2つがあって、仏教の場合も本当の教えを保持している小集団がいた
しかしあることが原因で1900年代初頭に死に絶えてしまった
ただその小集団の棲息していた地域が非常に特殊な地域だったため、
断片的ではあるが本物の知識が他の何人かにも伝わっており、言わば残り火のような状態になっている
これが「ほとんど」の意味(でも絶望的だと個人的には思うが)
父母の生死云々については質問の意味がよく分からん
>>332 すみません。偉そうな書き方したことは謝りますので、
その言葉はの意味を教えていただけないでしょうか。
335 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 00:33:40 ID:wEvX5CqT
>>304 宝珠愚者さんへ、
ちなみに、外道が最高の涅槃の境地としているのは、無想有情天のことだそうです。
336 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 00:37:29 ID:wEvX5CqT
>>333 ここはいつの間にオカルト板のスレになったのでしょうか?w
337 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 01:01:12 ID:wEvX5CqT
>>324 同意します。
そんな目的(唯物主義や科学万能思考では到底、説明不能であることを示すため)
で行うのであれば、もっと別の現象でも起こして示すべきでしょう。
サイババの手品に魅せられるのと同じです。
手品ではなくて、アフリカの飢餓民の頭上に食料の雨でも降らせるべきです。
それができない「奇跡を示す神や聖者」やらは、インチキもいいところ、人を馬鹿
にするのもたいがいにして欲しいと思います。
もしかして宝珠愚者さんはサイババも信用するとか言いだすわけじゃないですよね?
338 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 01:03:19 ID:1TCMb3SJ
北斗有情拳と聞いて飛んできますた!!
339 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 01:11:58 ID:wEvX5CqT
>>338 いいえ、仏陀は有情破顔拳も夢想転生も説きません。説いたとしたら、妙見菩薩でしょうか?
340 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 01:15:01 ID:1TCMb3SJ
341 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/05(木) 07:12:43 ID:77PhptlN
>>310 机龍之介どの、いい質問です。
拙者が法珠どのに成り代わって自己レスポンします。
>高次元ステージまで逝くのは、善行をすれば逝けますか?
法珠どのの言説を根拠に推論しますと、
既に輪廻転生システムは完備しておりますので、何方でも善行すれば逝くことは可能です。
>拙者でも善行すれば、高次元ステージまで到達できますか?
もちろん、机氏は逝くことは可能です。
どうか安心してください。
>それとも、ある対象を崇拝せんと駄目ですか?
輪廻転生システムは、普遍性として既にあるものです。
よってそこに作為的な特異性が介在することは論理的矛盾となります。
ということになりますから、崇拝することに意味はありません。
>行動原理の方法論を吹聴してくれたら有難いです。
方法論としましては、至上善の追求です。
これは陽明学に通ずるとこがあります。
注意:釈尊の十無記(または十四無記の意味するところは、
何方も高次元ステージに逝くことは可能ですから、
ただただ善行してれば宜しいのです。
さすれば死後の心配はいらんですね。
342 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 07:41:43 ID:RT0EKGcr
>>337 >手品ではなくて、アフリカの飢餓民の頭上に食料の雨でも降らせるべきです。
それができない「奇跡を示す神や聖者」やらは、インチキもいいところ、人を馬鹿
にするのもたいがいにして欲しいと思います。
ホント!! ┐(´ー`)┌
●アフリカの飢餓民の頭上に食料の雨でも降らせるべき
●一神教の紛争解決・宗教犯罪・カルト被害撲滅法
●果てしなく続く紛争・宗教論争・・・・等の解決法
●お金・権力・武力・言葉のコントロール法
●横田めぐみさん・他の正しい消息をご両親に知らせる・行方不明の人・難事件の解決法
●歪んだ社会の是正法・真実・真理・・・・・etc.
・・・等々を言いだしっぺの宝珠愚者氏が、このスレに聖者さまとやらをお呼びして示してくださ〜いな●
343 :
初代スレ7:2009/02/05(木) 08:47:06 ID:qplao4lg
>>342 それらも、前世の業によって既に決定し生じている事態(果)ですので不可避です。
何人たりとも変更を加えることは不可能です。
また、変更を加えてしまっては、業果に不公平が生じるので論理的に却下されます。
業果は、適切に、ふさわしい形で、報いられねばなりません。
それを恣意的に、作為的に、主観的に、感情的に変更することは、理法としての、摂理としての因果(応報)に反します。
お釈迦さんも、出身部族の滅亡を已む無しとしたわけだし・・・w
過去の(前世の)行いが悪かった、とあきらめるしか無いっしょw
適切な、ふさわしい応報が無ければ、善行を正しいものとし、悪行を避けるべきものとする為の基盤が崩壊します。
よって、輪廻転生・因果応報は完璧なシステムとして存立せねばならないし、奇跡は、みだりに行われてはならないのです。
(´ー`)y━~~
344 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 09:35:48 ID:1zFsTwRe
>>343 その通りなんですが若干、フォローさせてください。
といって業報は運命論や決定論ではないのです。
その特徴は、結果を異熟果と表現するところに表れています。
先ず、行ったことに準じて異なって熟する結果が現れるということがあります。
次に諸行無常ということと「なくなる性質のものが行である」という
御遺言に含まれる意味です。
これは全ては変化するとか、はかない、生じたものは無くなるという
基本的な意味は当然ですが、この諸行というのは業と殆ど同じ意味で、
業が一定しないという意味でもあります。
つまり、過去の業も現在の行為によって変化するという意味も含むと思うのです。
すると「なくなる性質のものが行である」の後に
「不放逸に完成させなさい」と続くのは
行ずれは業は尽きるから努力して解脱、ネハンしなさいとも読めるでしょう。
もちろん、釈尊の生命力という行がなくなるように、
あなた方の命も尽きるものだから、という意味も含むと思いますが。
そこで業にもどると業は懺悔など自分の現在の行いで変えることができるということです。
ですが、7さんが仰るように他人の行為では異熟の仕方を変えるぐらいしかできません。
あるいは縁を取り除くとか、だから社会の矛盾を一気に解決というのは無理なんです。
345 :
宝珠愚者:2009/02/05(木) 10:36:17 ID:VGGQvV9j
>>335 >ちなみに、外道が最高の涅槃の境地としているのは、無想有情天のことだそうです。
「ニルヴァーナに到達した仏陀の意識状態が真我、唯一なる実在にして永久不滅の意識状態(存在)な
のですよ。非実在であり、無常/空なる一切の世界から解脱するのです。そこを解脱した者はニルヴァー
ナに常住することになる。
無常、縁起空なる世界から解脱した聖者は、濃密物質界の諸法則(制約)から解放されており、 自己の
意(凡夫の煩悩塗れの意識とは異なる)のまま自由でいられるのです。」
といった程度すらも理解できず、ただ「ヒンドゥー外道だろう!」といった短絡思考しか持てない者などに
は到底、無理なことです。まっ、どうぞ〜ご自由に!
魂レベルの観点からは時間という概念はない。好きなだけ時間を費やして下さい。
別に誰も困らないので・・。
346 :
宝珠愚者:2009/02/05(木) 10:39:18 ID:VGGQvV9j
>手品ではなくて、アフリカの飢餓民の頭上に食料の雨でも降らせるべきです。 それができない「奇跡を
>示す神や聖者」やらは、インチキもいいところ、人を馬鹿にするのもたいがいにして欲しいと思います。
冗談じゃない!馬鹿にしてるのはあなたのほうですよ。
飢餓問題は人類自身が抱える大問題であり、我々、人類が自分たち自身で解決すべきものです。これ
は貪欲の結果です。私たちの周囲の状況を見ても分る通り、世界は余剰食糧を抱えているのです。食糧
不足による餓死ではなく、単なる分配の仕方の問題なのです。自称先進国なる産業国が第三世界の南側
を押さえつけ支配している結果であって、世界の三分の一が世界の食料の三分のニと、世界資源とエネ
ルギーの80%以上を独占、乱用し浪費しているからであり、その結果として第三世界の人々はその残りで
賄っわなければならないからなのです。
事実、何千万もの人間が餓死している実体は、我々が彼らを同じ人間として見ていないということであり、
自分たちと同じ兄弟姉妹たちとして見ていないから起きているのです。先進国の人間が自分たちの貪欲さ
について気付き、これを学ばなければならないのであって、そこに人類としての成長の鍵があるのです。
分かち合いの原理は霊的な基本原理です。これを理解し克服しない限りは、人類はこの先の課題をも克
服することはできない。
これは覚者方がするのではなく、我々が自分らで気付いて、自主的に解決すべき問題です。
347 :
宝珠愚者:2009/02/05(木) 10:41:48 ID:VGGQvV9j
少し余談ですが、私からババジの名を出したので、ここに印象深いエピソードを紹介したいと思います。
【「わたしは、ババジについて、驚くべき出来事を二度目撃したことがある。ある晩、ヴェーダの儀式が行
われていたとき、弟子たちが大きなかがり火を囲んですわっていた。すると大師は、突然1本のあかあかと
燃えたたきぎを取り上げて、傍らにすわっていた一人の弟子の裸の肩を軽く打たれた。
『師よ、何という事を!』同席していたラヒリ・マハサヤが驚いて抗議するように言った。
『お前は、この男が過去のカルマの定めによって、お前の目の前で焼け死ぬのを見るほうがよいか』
ババジはこう言われると、その弟子の焼けただれた肩に癒しの手を置かれた『わたしは今夜、お前を無
残な死の運命から救ってやったのだ。このわずかなやけどを受けたことによって、お前のカルマは果たさ
れたのだ』
またあるときは、ババジを囲むこの聖者たちの一団に、一人の闖(ちん)入者が現れた。彼は、大師のキ
ャンプに近い崖の上の岩棚に、みごとな巧みさでよじ登って来た。
『大師よ、あなたは偉大なババジに違いありません』その男の顔は言いようもない尊敬の念で輝いてい
た『私は、ここ幾月もあなたを捜し求めて、このけわしい岩山をあちこちさまよい歩きました。お願いでござ
います。私をお弟子に加えてくださいませ』
ババジは何も返事をなさらなかった。すると男は、はるか下の岩の裂け目を指して言った『もし受けて入
れていただけなければ、私はここから飛び降りて死んでしまいます。大師の、霊のご指導を受けることがで
きないなら、私はもう生きていても無意味でございます』
348 :
宝珠愚者:2009/02/05(木) 10:49:29 ID:VGGQvV9j
『では、飛び降りるがよい』ババジは冷然とお答えになった『わたしはお前を、今のままでは弟子にするこ
とはできない』
男は崖下めがけて身を投じた。ババジは、ぼう然とこのありさまを見ていた弟子たちに、男の死体を取っ
て来るようにお命じになった。見るも無残な男の死体が運ばれて来ると、大師はその上に手を置きになった。
すると、どうだろう!男はパッと目を開いて、全能の大師の足もとにひれ伏したのだ。
『これでお前は、わたしの弟子になる資格が出来た』ババジは、死からよみがえった弟子をにこやかに
見ながらおっしゃった。『お前は勇敢にも、この厳しい試練に打ち勝った。死は、もう二度とお前を見舞うこ
とはないだろう。今こそお前は、われわれ不滅の仲間の一員になったのだ』こう言われるとババジは、例
によって『デーラ、ダンダ、ウタオ』という出発の合図を口にされた。そして、一行の姿はその山から消えて
しまった」】(「あるヨギの自叙伝」パラマンサ・ヨガナンダ著)
もしも、「外道」とか「無想有情天」だのというのであれば、仏教枠にもこのような驚嘆すべき大覚者が出
現してからにすべきでしょう。
349 :
宝珠愚者:2009/02/05(木) 10:58:17 ID:VGGQvV9j
>>310 > なかには貴殿の自説に賛同する御仁がいるかもしれません。そういう方は、「ぜひ高次元ステージまで
>逝きたい」とか欲が出ます。高次元ステージまで逝くのは、善行をすれば逝けますか?拙者でも善行すれ
>ば、高次元ステージまで到達できますか?それとも、ある対象を崇拝せんと駄目ですか?
> せっかく貴殿はスレを立てたのですから、行動原理の方法論を吹聴してくれたら有難いです。そういう貴
>殿の書込みを沢山の御仁は待っているかと思います。
霊性の教えにはオリジナルというものはどこにもないと私は思います。どんな聖者や覚者であれ、それは
すべて伝承されてきた教えや師から伝授されて学んだものです。
私の持つ知識もそう。すべて他から得たものであり、私のオリジナルといったものは一つもありません。
人は霊的に進歩してくると、自己の魂との連結が始まります。奉仕の想いとは、自己の魂(高我)からの
エネルギー流入の結果であり、それは人や社会に奉仕したいという衝動となって自覚されます。従って、社
会的なボランティア活動をしていて、本当に無報酬で自己犠牲しているのであれば、その人は魂との接触
が起こっています(宗教的事柄を知っているかどうかは必ずしも関係がない)。
そして、自己の魂との連結を意識的に強化するメソッド(術)が瞑想と呼ばれます。瞑想には様々な形態
と種類がありますが、その何れにおいても目的は同じです。プラーナ・ヤーマ(呼吸法)を伴う技法もありま
すが、危険性もまた高まります。また前述した通り、神秘力(シャクティー)の開発=霊性の進歩といった短
絡理解で以って、下半身の諸中心(チャクラ)開発やクンダリニー、サーペントパワー(蛇力)に着手するこ
とは絶対に進められません。霊性の道は段階を追う必要があり、これらの開発に意図的に関わるべきで
はありません。諸体(エーテル・アストラル・メンタル体)の浄化が最優先される必要があり、そうでない者は
必ず自己破滅という取り返しのつかない代償を払います。その諸体の消化は、やはり善行による功徳の
蓄積獲得と利己的意識の沈静化です。私がお奨めするのはマントラムを使用したアジュナー・チャクラに関
わる簡単かつ効果的な瞑想法です。
350 :
宝珠愚者:2009/02/05(木) 11:00:14 ID:VGGQvV9j
解脱に至るイニシエーションの道は5段階あって、瞑想に関心を持ったり実践している人は進化段階が
1.0前後の人です。5.0に達して人は覚者となるのです。ただし、その道程は長く、転生を繰り返し経て何生
涯も費やされるものであり、何々をすれば、ハイこれで解脱できますよ、などといったものはありません。即
席を謳うものはすべて紛い物と見て間違いありません。
これは何教の信奉者であれ行うことができ、その信仰を捨てたり、変えなければならないといったもので
はなく、これまでの信仰と平行して実践可能です。また特に何かの信仰を説くものでもなければ、何か特定
の対象を崇拝するものでもありません。誰にでもできるものであり、一定の効果が約束できると思います。
ただ、このスレは、私のオンステージではあく、みんなの議論の場であり、また様々な意見を自由に投稿
する場です。ここではとても無理です。また心を開いて、素直に聞いて頂くような姿勢でなければならず、や
はり、このスレ上では到底、無理なことです。
もしも本当に、私と霊性の歩みについて個人的に会話を望まれる方がいましたら、こちらにメールを頂い
ても構いません。尚、希望(期待)には添えないかもしれませんのでご了承下さい!また、私は導師グルや
指導者ではないので誤解のないように・・。
(この件に関しては以上です。本件に関しては掲示板上の質問は遠慮願います)
351 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 11:30:00 ID:1zFsTwRe
>>347-348 釈尊が目蓮さんにされたことと逆ですね。
ティローパがナーローパにされたことや、
マルパがミラレパにされたこと、
あるいは恵可断臂とかに似てますね。
それから禅定状態で遺体が腐らないという境地は、究極のものでなく
かなりたくさん現在でもいらっしゃるのですが。
ちなみに『大唐西域記』にもその状態に長年いらしたアルハットが
出てきます。
神通自慢大会をしてもしょうがないのですが、現代の仏教でも
たくさんいらっしゃいますよ。
そしてそれらの方が、みなヒンドゥーを低く見ていることもまた事実です。
神智学がうさんくさい団体だということは、もう誰でも知っていることだと思ってたのですが、
なかなかそうはいかないものです。
少なくとも仏教とヒンドゥーは別のものであるというのが、
釈尊以来、仏教の諸師の一致した見解です。
ただし、いくらか少数の例外がいらっしゃることも事実ですが。
352 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 11:36:32 ID:GbV4Pikm
完全なるオカルトキチガイ。
お前が何を信じようと、それはお前の勝手だが、お前の口から
「仏陀の真意は・・・・・」などととは絶対に言ってもらいたくはないね。
仏教そのものが汚されてるように感じる奴は多いと思うぜ。
353 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 11:56:20 ID:2lwp8lvD
>>263 >それはキリスト教の絶対性と権力の必要にとつては不都合な概念でした。
キリスト教徒は人間のように地上で飲み食いしたり疲れたり苦しむ姿が
福音書に描かれていることも真理とするのですから、
(イエスは教義上、神性においてでだけでなく人性においても完全とされる)
人間など一般の被造物と他にも共通点があっても、そのせいで
絶対性をおかすとは考えないでしょう。
そして、シヴァ(自在天)の扱いが、ヒンドゥーと仏教では大きく異なるように
仏陀がバラモンは生まれによってではなく行いによるとしたように
同じ概念や言葉でも取り込む側それぞれに見合った形で受け入れられたり使われたりするものです。
もともとイエスがどういう存在とみなされていたかは既に書いた通りです。
そのうえで仮に転生説を取り込んだらどういうふうになるかも書きました。
354 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 11:57:20 ID:2lwp8lvD
>>270 あの文脈で使う理由が無い、ということです。
あれが今生や前世の行いによるのか、と
いう話であれば、生まれた時点からの障害である以上、
原因が今生である可能性は最初から無いのですから。
>人々はそれを知らないのだと。耳ある者は聞け、とまでいったのです。
天から降りてきたのでもないですし、彼がザカリヤの息子であることは
いろんな人が知っていたでしょう。弟子たちですらエリヤ本人だとは思ってないでしょう。
ヨハネによる福音書の冒頭によると、ヨハネはユダヤ人の代表団にヨハネが
「メシアか、エリヤか、あの預言者(申命記で書かれているモーセのような預言者)か」
を聞かれてみな否定しています。その後、イザヤ書40章3節を引用して
自分のことを神の栄光が現れる先触れとして表現します。
イエスは人の子が3日土の中で過ごすことを「ヨナのしるし」と呼び、
ルカによる福音書20章17節では詩篇118章22節をそのまま例えに用いています。
エリヤとは、その役割を表現した例えとみるのが妥当と考えられます。
エリヤがどういう存在とみなされていたかは別スレで書きました。
>彼らが認めたがらないのは当然でしょ!
「陰謀が行われる前の」キリスト教において本当に一般的だったかどうか、という話です。
彼らはオリゲネスと同じく「皇帝の陰謀によって、教義が改ざんされる」前の人物です。
355 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 12:06:47 ID:1TCMb3SJ
>>354 順当に考えれば、福音記者含めユダヤの馬鹿共が、口先ではいろいろ
綺麗事を言っても、本当のところはイエスの言葉をさっぱり理解できず、
最初からイエスのこの言葉は○×という意味云々と、妙な解説を必死に
入れまくったということだろうね。聖書って本当に見苦しい本だよ。
素晴らしいのはイエスの生涯だけだ。
ま、イエスは当然東方宗教の影響を受けているんだけどね。
356 :
初代スレ7:2009/02/05(木) 12:33:26 ID:qplao4lg
>>344 >業は懺悔など自分の現在の行いで変えることができる
>過去の業も現在の行為によって変化するという意味も含む
ベトちゃんドクちゃんも、懺悔などをしていればあの状態から脱し得たと?
コンクリート詰された女の子も、懺悔などをしていれば死なずに済み、脱出することができたと?
秋葉原で死んだ人達も、懺悔などをしていれば死なずに済んだと?
ガザ地区の住民も、懺悔などをしていれば爆撃を受けなかったと?或いは死なずに済んだと?
逆に言えば、
ベトちゃんドクちゃんは、懺悔などをしていなかったから、あの状態という報いを受けたと?
コンクリート詰された女の子も、懺悔などをしていなかったから、逃げられず、死という報いを受けたと?
秋葉原で死んだ人達も、懺悔などをしていなかったから、死という報いを受けたと?
ガザ地区の住民も、懺悔などをしていなかったから爆撃を受けたと?或いは死という報いを受けたと?
「あんないい人がなぜ・・・」と言われるような時、今生に於いて悪行をなしていない人が不幸な目に遭う時、
それは、今生の業による果ではなく、前世の悪業による果なのでしょう?
既に積んでしまった前世の悪業をどうやって変えるのですか?“その果”を変えることになりませんか?
357 :
初代スレ7:2009/02/05(木) 12:34:26 ID:qplao4lg
(
>>344)
もし、変えることができるとしたら、
満足し喜びに満ちたまま自殺した残虐な殺人者も、“その果”を受けずに済むわけです。
それは、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/20 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/37 >何十人も人を殺して自殺した人間も、人を救うために命を落とした人間も
>行為の結果においては平等という過失が生じます。
のような過失にはならないんですか?
このような過失を成立させない為の
『「前世の業」と「その業にふさわしい、適切な果」』を備えた「輪廻転生」(という思想・システム)
なのではありませんか?
また、 >懺悔など自分の現在の行い を、まだしていないような時、
>>125 > 以前、枯葉剤の奇形の話が出て、それは枯葉剤による縁起だという意見がありましたが、何故、自分は
>枯葉剤の地域に出生したのか?同じ地域でもA夫婦にはなく、B夫婦には奇形が出た。何故、自分はA夫
>婦の下に生まれなかったのか?
のような時、そこに現れている果をもたらした業をどのように変えるのですか?
>「それは偶然です」なんていう言葉は仏教ではありません。
と言われる様に、それらは、適切な、ふさわしい、「必然」ではないのですか?
彼らは、「受けるべき業果を、受けるべくして受けている」のではありませんか?
「受けずに済ませられるものではない」のではありませんか?
もし、
「受けずに済む方法があり、且つ、それを教示し教導する」ことは、
「業報に於ける公平性の破壊」に他ならないのではありませんか?
358 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 13:26:37 ID:cpUW5KwZ
359 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 13:31:27 ID:1zFsTwRe
>>356 >ベトちゃんドクちゃんも、懺悔などをしていればあの状態から脱し得たと?
諸行という場合の業は、潜在的なものですから、
それは基本的に無理な話です。ただし、絶対無理とは思いません
>コンクリート詰された女の子も、懺悔などをしていれば死なずに済み、脱出することができたと?
>秋葉原で死んだ人達も、懺悔などをしていれば死なずに済んだと?
>ガザ地区の住民も、懺悔などをしていれば爆撃を受けなかったと?或いは死なずに済んだと?
そう思います。例に出された人には悪いのですが、それが仏教の因果だと私は考えます。
360 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/05(木) 13:40:44 ID:77PhptlN
>>350 >ここではとても無理です。
いやいや、拙者は貴殿の書込みで全てが見通せます。
禅でいう慧眼というもんですね。
これは貴殿がいうチャクラに相当する。
(第三の眼といわれる眉間にあるもの)
なお、法珠どのはメアドを公開しておるようですから、
もし関心がある御仁はメールで問い合わせたら宜しいかと思います。
(ただしこれは自己責任です)→拙者は責任は負わない。
こういうチャンスは滅多にないですね。
法珠どのは真面目な方で、正義感に溢れる御仁かと推測される。
(それはそれで人格的には優れている)
しかしながら法は、それをも包含せしむ大局的観点です。
(これが禅です)
>(この件に関しては以上です。本件に関しては掲示板上の質問は遠慮願います)
詳細を知りたい御仁がおったら、どうかメールを送信してください。
361 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 15:51:12 ID:wEvX5CqT
>>348 > もしも、「外道」とか「無想有情天」だのというのであれば、仏教枠にもこのような驚嘆すべき大覚者が出
>現してからにすべきでしょう。
仏典(パーリ経典)をもっと勉強されるべきです。あなたはリッチャヴィ族のスナッ
カッタみたいな人です。
>この私の学ぶ近代にも出現したラマナ・マハリシといったアヴァターラ存在やこの
>神智学の叡智(古今東西あらゆる宗教の叡智の集大成)との比較・・。
人体実験で新秘孔を開発して悦に入っていたアミバ様(北斗神拳の伝承者トキを騙る)
のようなセリフですねw
362 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 16:10:02 ID:MfDmbnxA
最近の書き込み見てると、やはり輪廻・生まれ変わり・業報というのはとんでもない危険思想だと分かりますね。
何の落ち度もないのに、不幸な事件で命を落とした人を、それは前世の業の報いだと、何の根拠も無く
断罪してはばからない。卑劣です。
ブッダの本来の業報は、原因があって結果がる(縁起思想)、ということであり、様々な条件の組み合わせで不幸に目にあってしまった
ということであり、本人には何の責任もありません。(責任がないというのは
>>356のようなケースの話です。事件によっては
責任がある場合もあります。)
それをまるで前世の業があるからその人の責任だと言わんばかり。こんな卑劣な差別的な話が仏教なはずがありません。
こういう考え方の危険性は、差別を生むばかりでなく、必要な対策を妨げたり、やらない言い訳に使われることです。
食糧難もその民族の前世の業のせいにしてしまえば、対策を怠っていることの正当化ができますしね。自分は良心の
呵責に合わなくてすみます。なんとも卑怯な考えですね。
363 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 16:32:29 ID:8AAN8B2H
>本人には何の責任もありません
そもそも仏教の業報は責任がある、ないの問題ではありません。
一切感情の移入もなく、淡々と「行為の結果を受ける」それだけです。
なぜか悪い結果の例ばかり出して、業報が批判されているのは異な事です。
感情移入なら
ある人が努力の結果成功したとします。
その人に「よく頑張ったね。努力の結果だね」と賞賛するのは間違いでしょうか。
逆に「キミの努力は意味がない。たまたま縁が重なり、成功しただけである」と言うべきでしょうか。
364 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 16:33:02 ID:1zFsTwRe
>>362 >それをまるで前世の業があるからその人の責任だと言わんばかり。こんな卑劣な差別的な話が仏教なはずがありません。
>こういう考え方の危険性は、差別を生むばかりでなく、必要な対策を妨げたり、やらない言い訳に使われることです。
>食糧難もその民族の前世の業のせいにしてしまえば、対策を怠っていることの正当化ができますしね。自分は良心の
>呵責に合わなくてすみます。なんとも卑怯な考えですね。
輪廻・業報を否定したい動機はこういう感情なのでしょうが、
残念ながら、仏教は輪廻・業報という前提なしではありえません。
目蓮さんの死が、それを雄弁に物語っているでしょう。
365 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 16:50:49 ID:MfDmbnxA
>>363 本人の行為の結果については、別にそれでいいんですよ。
問題は、前世の行為について、証拠もないのに、同じことを言うこと。
前世なんてものを持ち出した時点で、差別的になる。
>そもそも仏教の業報は責任がある、ないの問題ではありません。
実際責任に結び付けて語っている奴が多い。行為の報いであれば、責任論になるのは当然。
>>364 >輪廻・業報を否定したい動機はこういう感情なのでしょうが、
感情ではなく、論理的に成り立たないし、仏典最古層に見られるブッダの思想とも矛盾する。
>目蓮さんの死が、それを雄弁に物語っているでしょう。
日蓮さんの死と何の関係もありません。
367 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:01:33 ID:1zFsTwRe
>>366 >感情ではなく、論理的に成り立たないし、
なんでですか? 逆に輪廻・業報がないと論理的になりたたないのが仏教です。
>仏典最古層に見られるブッダの思想とも矛盾する。
これはあなたの感情的動機から、釈尊の思想をそう解釈したいだけで、
あなたの論拠、論理、すべて破綻してるのは過去ログの通りです。
>>目蓮さんの死が、それを雄弁に物語っているでしょう。
>日蓮さんの死と何の関係もありません。
仏教徒は、日蓮さんがボロボロに叩き殺されたのを、
業の結果で、業はアルハットといえども免れないと解釈してきたのですが、
それを否定する根拠は、ただの感情、および感情から立論された
あなたの最古層の釈説は自分の思いに適うという妄想でしょう。
368 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:16:28 ID:zvAKtuYx
>>367 例えば生命体の個体数の増減をみても業報思想などは全く論理的に破綻しているのは明らか。いい加減に妄想に執着するのは止めたら?
個体数の増減と業報思想になんの関係があるんでしょうか。
明らかとか言う割には全然明らかじゃないんですが。
370 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:27:25 ID:1zFsTwRe
>>368 それこそ、ただの実在論に基づくナイーヴな推論ですよ。
個体の数量が一致する必要性もないし、
世界は、この可視的宇宙だけと仏教では考えませんから。
宇宙も多元的だし、消滅を繰り返す無常なものですから、
生命が輪廻する領域は無限ともいえないし、有限ともいえない、
というのが釈尊、龍樹菩薩の考え方です。
ナイーヴな実在論で考える限り、仏教の門は開かれないでしょう。
371 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:32:12 ID:MfDmbnxA
>>367 > なんでですか? 逆に輪廻・業報がないと論理的になりたたないのが仏教です。
生まれ変わりの存在なんて誰にも認識できないし、立証不可能だから。
認識できないようなこと(=妄想)についてブッダは「捨てなさい、執着するな」と言ったのであって、推奨するようなことは
あり得ないから。
> 仏教徒は、日蓮さんがボロボロに叩き殺されたのを、
> 業の結果で、業はアルハットといえども免れないと解釈してきたのですが、
そんなものはただの妄想です。何の証拠もありません。
372 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:39:34 ID:zvAKtuYx
論理的に矛盾点をつかれると「それは実在論で仏教ではない」と逃げる。ならば現実に起きた事例などに言及せず、「あくまでも仏教の範囲内では」という、フレームの中に綴じ込もっておけ。
373 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:45:37 ID:1zFsTwRe
>>371 それはただあなたが現代の常識を信仰してると告白してるだけで、
それと仏教はなにも関係ない。
あなたの常識を仏教に投影しないで欲しいのですが。
釈尊が一切という場合、五感だけが対象なのではなく、
そこに心の対象が入っていることをお忘れ無く。
そして釈尊は、来世や業報がないということは邪見であると
『大四十経』で明言されていますし、
釈尊成道最初の仏言と伝えられる『ダンマパダ』153, 154
でもハッキリと生まれ変わりを述べておられます。
この言葉は、他にも『マハーヴァッガ』などで成道最初の仏言と伝えられる
由緒正しい言葉で、最も古い釈尊の言葉とされます。
つまり、正に最古層!
これは優れた学者である村上真完先生が論ずることです。
もっとも最古層と断定できる確実な証拠があるわけでもないのですが、
否定する証拠もない。
宗教板でがなり散らしてもなあ。ここは宗教板ですから。
375 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:48:46 ID:MfDmbnxA
>>373 現代の常識の信仰云々とは関係のない話です。
では聞きますが、あなた自身、自分の前世、他人の前世が分かるのですか?見えるのですか?
分からないでしょ?見えないでしょ?来世については?来世についても、何も分からない、何も見えないでしょ?
それが現実なのですよ。正直になりなさい。
自分が分かりもしないことについて、真実であるように語ることを、妄想というのです。
古代でも、現代でも、同じことです。
376 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:57:19 ID:1zFsTwRe
>>372 私は、一貫して仏教の見解から言ってるつもりです。
あなたの説、数量の一致は、質量保存の法則みたいな前提から導かれたもので、
仏教の縁起から導かれたものではないのです。
だから、そんな実在論で言われてもと言ってるのですが、とほほ。
>>375 なんで、そうなるの? 感情的ですね。テキストの話じゃないですか?
自分の感覚と、聖者の感覚を同じと考えるのが間違いですよ。
それは『梵網経』で、明瞭に釈尊が説かれているでしょう。
じゃ、見えるといったら、信じます?
行の時間なので失礼します。
377 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:58:02 ID:wEvX5CqT
何か、日蓮と目連を混同したり、少し以前には、パーリ梵網経を大乗梵網経と混同して
偽経だと言ったり、初期仏教について(よくて中村先生の訳本までとか)芥子粒ほど舐
めた程度で、手前味噌な初期仏教像を作って、批判したり過少評価している人が多いで
すね。
戒律のことは良く知りませんが、不実に基づいて仏法を謗るのは(仏教徒以外の外道と
いえども)何らかの悪業につながるんじゃないでしょうか?
378 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 17:59:12 ID:zvAKtuYx
>>373 俺の常識を仏教に投影するなだ? お前は現実におきた殺人に自己の仏教解釈を投影したろうが
379 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 18:06:27 ID:MfDmbnxA
>>376 > なんで、そうなるの? 感情的ですね。テキストの話じゃないですか?
全く感情的ではありませんよ。今は事実の話です。事実と、テキストにどう書いてあるかはまた別の問題です。
> 自分の感覚と、聖者の感覚を同じと考えるのが間違いですよ。
> それは『梵網経』で、明瞭に釈尊が説かれているでしょう。
> じゃ、見えるといったら、信じます?
信じません。あなた一人に見えても意味はないのです。複数の人が個別に同じものを見て同じ証言をすれば
(もちろん口裏を合わせることが不可能な環境で)、初めて「事実」と認められます。それまではあなたの妄想と区別がつきません。
「聖者の感覚」なるものも同様です。そして当たり前なことですが、一度も証明されたことはありません。
そのような証明されたことのない妄想をいくら語っても、見えない人(私には見えません)に説いても全く無意味です。
380 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 18:15:18 ID:hDuidV/1
>>343-344 といまだ実証不可能な観念の輪廻転生・カルマ論を事実のように確信的に威嚇的に鬼の首を取ったように
持ち出してそれに隠れ心理操作で人を脅し、巧みに煙に巻き言い逃れる<言葉は魔物>のキツネ?崇拝者たち
■ 当然、彼らの業は重―く深―く沈―んでいく――――
(´ー`)y━~~
実証、実証って、実証できるものしか信じないほうが狂気だけどな。
実際の人間生活というものはそういう風には成り立っていない。
実証主義にハマるのは、相当、鈍い人だけだろうね。
382 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 18:21:24 ID:MfDmbnxA
>>381 ではあなたは、私が実証することなく、自分の直観で「生まれ変わりはない」ということを悟りました、と言ったら、
それを信じますか?
結局、根拠無く、実証されてないものを信じる人は、ただ自分が信じたいものを妄信しているだけです。
それは別にあなたの自由ですが、「事実」と言ったり、その妄信にもとづいて「あなたの不幸は前世の業のせいだから、
あなた自身の責任だ」なんて誹謗するようなことを言ってはいけません。
383 :
初代スレ7:2009/02/05(木) 18:58:19 ID:xv+YCdoz
餌が美味しくなかったかな?w (サンプルとしてはもう一つだなw)
結局、「信じるか信じないか」という問題でしかないのかな?w
数日様子を見てみるか・・・。
(ID違うが気にすんなw)
384 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 20:16:16 ID:/mqSdRkt
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
べつに輪廻転生なんて観念がなくとも、また知らなくとも、
大部分の人間は十分よく生きられる。☆
輪廻転生論は人間の生き方を取引化するものだ。
競馬馬の目の前にぶらさげる人参だ。 ☆★
なんらの実証性もない実に低級かつ愚劣な思想であり、
精神的自由を奪い、観念による奴隷的拘束を図るカルトや権力的ご都合主義の温床だ。
■ 絶滅されるべきである。 ■
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
という観念論でした。
386 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 20:54:43 ID:1zFsTwRe
>>379 >信じません。あなた一人に見えても意味はないのです。複数の人が個別に同じものを見て同じ証言をすれば
>(もちろん口裏を合わせることが不可能な環境で)、初めて「事実」と認められます。それまではあなたの妄想と区別がつきません。
>「聖者の感覚」なるものも同様です。そして当たり前なことですが、一度も証明されたことはありません。
>そのような証明されたことのない妄想をいくら語っても、見えない人(私には見えません)に説いても全く無意味です。
でしょ。だから、そういう問い自体が愚問なんです。
だから、客観的に書いてある書いてないかを検証可能な
テキストに基づいてここでは、話しているわけです。
その結果、あなたの論拠は全くなく、だたの感情論だということが証明されたということをご理解できたでしょうか?
387 :
初代スレ7:2009/02/05(木) 20:57:51 ID:xv+YCdoz
>>386 やっぱり、テキスト(仏教文献)抜きにしたスレを建てるべきですかね?w
388 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 21:05:25 ID:1zFsTwRe
>>387 立てても人が多い方に来ますから無駄だと思います。
あるがままでよろしいかと
7さん、ところで業・異熟の問題は納得していただけたでしょうか?
どうも7さんは、愛情深くて分かっていても仏教に身を委ねられないのではないかと思います。
もちろん、私も完全に委ねられているとは決して思いませんが(^^)
389 :
初代スレ7:2009/02/05(木) 21:49:56 ID:xv+YCdoz
>>388 私ほど冷酷な人間は、そうそう居ないだろうという自負はあるんですがね・・・w
愛情云々より、
「“論理的な不備が目立ち過ぎる輪廻や転生”に依拠した業報(理論)」に対して違和感を感じるだけです。
そんな馬鹿馬鹿しい、おもちゃみたいな業報思想を“仏教”の根幹とすることに抵抗があるだけですw
てか、(特に)このスレで言われている「輪廻や転生の存在理由(→それが要請される理由)」の方が、
よっぽど、「感情的で、愛情に翻弄され、不公平に憤り、報復を望む、願望の投影・幻想」に見えますけどね・・・。
(´ー`)y━~~
390 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 21:52:20 ID:1zFsTwRe
>>389 どうしてですか? 業報理論ほど冷酷で万能な理論はないと思います。
万能のカルマと呼んでおります。
391 :
初代スレ7:2009/02/05(木) 21:56:10 ID:xv+YCdoz
輪廻思想ほど明快に人生の意義を説き明かす思想はないとサマセット・モームは言った。
唯一の欠点は、およそ信じられないことだ。とも言った。
仏教においては我見など何の意味も無い。
394 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 22:16:17 ID:1zFsTwRe
>>391 輪廻や業報は、釈尊や聖者によって直接知覚された内容から、
導き出された説明体系だと思いますが、
特に釈尊の場合は、十二縁起こそがそれだと思います。
それこそ「諸法顕現せり」の諸法であって、
その諸法が、すなわち教えだと思いますが。
説明体系が補完しあうのは当然のことでしょう。
それは卵が先か鶏が先かみたいなもので、正に縁起的なわけですから、
なにか絶対的な基盤があって、そこから生成、発生するのではないのですから。
大体、輪廻転生が無いとすると、そのほうが仏教的に破綻するだろ。
解脱なんていうが、一体、何からの離脱だと思ってるんだ?
この世から離脱して、転生しなくなる、ってことが解脱ということだ。
396 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 22:33:13 ID:1zFsTwRe
>>395 その通りです。仰るように仏教は輪廻を前提に全て教えが体系化されているので、
輪廻を前提にしないと、さまざまなところで論理的に破綻をきたします。
輪廻否定者は、「輪廻思想からの解脱」なんて詭弁を弄してます。
しかしながら、釈尊は輪廻に対して信仰のないものには、
核心的教えを説きませんでした。その準備として昇天などの教えを説きました。
また、来世や業報を信じないことを邪見と説きました。
また、修行の結果として宿命通など輪廻が直接知覚できると核心的教えの中で説かれています。
397 :
初代スレ7:2009/02/05(木) 22:43:50 ID:xv+YCdoz
う〜む・・・、
宝珠系しか喰い付いてこんなw
ノシ
395さんへ
>大体、輪廻転生が無いとすると、そのほうが仏教的に破綻するだろ。
>解脱なんていうが、一体、何からの離脱だと思ってるんだ?
こういう当たり前の話を受け入れない人が多々居るのですよ。
「輪廻転生は無い!だから釈迦の野郎は間違っている」と主張する分には、何も問題ないんですけどね。
「輪廻は否定したいが「仏教」の看板は捨てたくない」という無茶な人がいるから話がこじれてしまう。
399 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 22:50:27 ID:wEvX5CqT
皆さん、仏教を純粋に哲学的に理解したくて超自然的な面は排除したい人も、
逆に超自然的な面(輪廻転生など)こそ大前提であってそれがなれば教えが
成り立たないと固執する人も、象の体の一部を触って「これが象だ」と断定
している盲人の愚に陥ってます。それらすべての面を包括するのが本当の仏
教でしょうが、固執して「これより他はない」というところまで行ったらそ
のことによって誤っていて、歪んだ像を作り上げていることになります。
自己の見解に固執するなかれ。「仏陀はこれを説く」ということはないのです。
400 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 22:56:16 ID:wEvX5CqT
これについて考えてみてください。
「世尊よ、私は輪廻転生(死後の行き先)について、特に何の見解も持っていません」
このような人に対して、ゴータマ仏陀は果たしてどのように答えたでしょうか?
>>396「来世や業報を信じないことを邪見と説き」は、積極的に「不信」であるこ
とに対してなのであって、反対に「信じろ」という話ではないのです。
401 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 23:00:08 ID:MJO4x5Pd
>>397 >宝珠系しか喰い付いてこんなw
久しぶりに覗いたが、俺も含めて、まともな仏教徒はオカルトは相手にしない。
オカルトがいくら正当性を装って戯論を声高に叫んでも、だ。
叫ぶほどに中道から外れる。
ほかにやるべき大切なことはいっぱいある。
もうオカルト相手のこのスレの意味はないだろう、あばよ!
402 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 23:13:20 ID:wEvX5CqT
>>396 >修行の結果として宿命通など輪廻が直接知覚できると核心的教えの中で説かれています
三明のことですね。これについては、梵網経でも説かれているように、阿羅
漢果の最終解脱とは一体不可分な神通ではないことがわかります。解脱(聖
道)とは無関係な外道であっても、サマディに熟達し神通力として獲得し、
過去生の記憶を遡ることができるようになる場合があるようです。つまり、
これは阿羅漢果の副産物として得られるものだと考えられます。ですから、
解脱を論じるときに「これがなれば仏陀の教え自体が成り立たない、始まら
ない」というほどのものではないです。
これについては「仏陀の教え」として相応しいかどうかという話として扱う
べきではなくて、外道でも修行の結果獲得できる場合もあるのですから、ゴ
ータマ仏陀は、第三者的立場にあると考えるべきだと思います。つまりその
教えの範囲で論ずるものではなく、仏教だろうが外道だろうが、この世界に
ついての一般的問題として、「輪廻転生は現象として成立し得るのか?」と
いう問題として話し合うのなら、問題はないでしょう。仏陀はともかく、そ
んなことはYesもNoも、自らの教説として説くことはありません。
まあ、そういう趣旨では、「死後世界について詳しく頼む 4」というスレ
が一応はあるのでしょうけどね。
403 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 23:29:42 ID:1zFsTwRe
>400
>「来世や業報を信じないことを邪見と説き」は、積極的に「不信」であるこ
>とに対してなのであって、反対に「信じろ」という話ではないのです。
そうでしょうか? 私には釈尊が核心的教えを説く前提として、その人が輪廻を信じていることがあると思います。
だからこそ、輪廻に対して信のないものに始めに昇天などの教えを説くのではないでしょうか?
>>402 それははっきりと誤読と断言できます。
なぜなら『梵網経』で確かに外道でも獲得できる境地と説かれています。
ですが、それらの境地を輪廻などを解さない凡夫より高く評価していること、
そしてそれら輪廻の体験を世俗的事実、因果として説かれています。
そして三明は、釈尊の核心的教えの中で必ず説かれていることが挙げられます。
たしかに三明の後に、縁起観によって解脱することは確かですが、
長部経典の多くや、『象跡喩小経』などで三明は必ず説かれています。
これは修道として必須のものと言っていいと思われます。
404 :
如来不説:2009/02/06(金) 00:09:24 ID:TIvV5yTa
>>395,
>>403 この意見は真っ当な仏教徒ならば、あって当然の意見ですね。一般的に、「解脱を
目指す」のが仏教であり、では解脱とは何ぞや? といったところで「輪廻からの
脱すること」が、一般的な知識です。
しかし、転法輪経のような確実に最古層の経典に載っている四聖諦の教説からする
と、「解脱」という表現は、「滅諦」を形容する言葉の一つとして出てきます。
では滅諦とは何かというと、「苦諦」のアンチテーゼで、解脱というよりは解脱し
たところの結果としての境地・状態である涅槃なんですね。苦諦には輪廻という概
念は含まれていないので、滅諦も輪廻から脱するということとは関係がないことに
なります。
ところで滅諦へと至るためには「集諦」の解消によります。この集諦とは渇愛のこ
とですが、渇愛の説明の一つとして、「再生をもたらし」という風な表現がされて
います。
つまり、仏教の目的は転法輪経の四聖諦の教説から直接導けるものは「苦をもたら
す渇愛を断じることによって、苦から解放されること」だと言えます。なのに、渇
愛の機能としての「再生をもたらす現象から脱する」という二次的な語義に、
長い仏教の歴史の中でいつの間にかすり替わって、それが一般的な仏教の定義とな
ってしまったのです。
そして、たとい「再生をもたらすことから脱するのが仏教の目的である」ということ
を受け入れたとしても、一つの論点が生じます。
1.再生というのは、果たして、俗に言う「転生」のことを意味するのか?
2.それとも、刹那刹那の「生滅する意識」のことを意味するのか?
ということです。
405 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 00:12:01 ID:GRj38OTG
兎にも角にも、「キリスト教崩れの超オカルト宗教」である神智学などを、仏
教にもちこませないよう、徹底的に排除する必要がある。
従来、社会的に有害なカルトは、圧倒的にプロテスタント系だが、こんどは、
仏教もカルトの源泉になってしまう。
開祖と原始仏典の「言葉」だけに盲目的に執着する「原始仏教」は、カルト化
の危険が極めて大きい。
原始仏典に何が「書いて」あろうと、それを現代的視点で批判し、解釈する
ことが、カルト化を防ぐ唯一の方法。何時の時代でもやってきたことではないか。
406 :
如来不説:2009/02/06(金) 00:18:16 ID:TIvV5yTa
>>403 ゴータマ仏陀は特に思想を体系立てる意思のない人だったと思われますので、「教え」
として体系立てるのに九割以上はゴータマ仏陀自身ではなく、法将軍サーリプッタ尊者
とその系統一団のものだったものと思われます。ジャイナ教の古い経典では、ゴータマ
仏陀ではなくサーリプッタ尊者が仏教教団の代表者として記録されているのもその一つ
の証しとなります。ですから、どんなに文献的に最古層まで辿っても、既にサーリプッ
タ尊者の体系立てる作業によってできた教説・仏教像であり、ゴータマ仏陀自身の人と
なりは、その中に垣間見える姿から拾い出すしかないのです。 原始経典の全部をその
まま余すところなく受け入れるわけにはいきません。私の思うに、ゴータマ仏陀自身は
ほとんど思想的にとらわれなく、転生を信じる呪術的傾向を持つバラモン出身階層とも、
もっと現実的・現世的な武士・商人階級とも、何の障害もなく和することのできる、こ
れといった見解に捉われない人だったに違いないというものです。そしてどのような思
想的背景の人であっても、彼らを苦の滅尽に導くことにおいて無上の師でありました。
三明についてですが、阿羅漢果と一体不可分なのは漏尽智のみであって、残りの二つに
ついては、副産物です。阿羅漢だあっても三明を得られない漏尽智のみの人もいたわけ
で、必ずしも宿命智や死生智が条件とされたわけではありません。また、三明という概
念の成立自体、バラモンで神聖視されていた「三ヴェーダに通暁する」ということの対
概念だったという学説も一つの根拠になるでしょう。
407 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 00:30:53 ID:Fjt22319
>>404 といいますと釈尊に輪廻概念がなかった可能性があるということでしょうか?
>>406 その説は知っていますが、私は村上真完先生や石飛道子先生の説の方が
説得力を感じます。つまり、成道の時に教えとしての一切法は完成していた。
『マハーヴァッガ』の「諸法顕現せり」はそういう意味だという。
三明についてですが、副産物だとしても聖者に現れる輪廻の記憶は、
世俗の真実でしょう。それは変わらないと思います。
ちがいますか?
408 :
如来不説:2009/02/06(金) 00:41:22 ID:TIvV5yTa
>>406補足
ただ、私は、
>>405氏のように唯物論的立場から、経典の超自然的な記述については
すべからく信用できないから、除外すべき、というものでは決してありません。
経典の内容を選り分けるべきだという意見は、すべからくゴータマ仏陀本人の「教え
そのもの」として受け取るべきではないということであり、一方で、それは否定され
るべき思想とするわけではないので注意してください。何が根幹で、何が枝葉かとい
う話です。
例えば、ゴータマ仏陀自身が阿羅漢果に達したときは、宿命智を得たことには、異存
はありません。超自然的で、後から付加された偽りの言葉だ、とは思いません。おそ
らく、最終解脱し、全ての渇愛から解放された時には、そういう「現象」も起こるの
でしょう。それが自然科学的に物質現実世界的に有為な現象かどうか? は、別にし
て、です。ガウス平面的に、この物質宇宙の世界の現実に直接何の影響も与えずして、
かつ、両立可能な別の時間軸というものも有り得るのではないでしょうか?
409 :
如来不説:2009/02/06(金) 00:52:14 ID:TIvV5yTa
>>407 はい「世尊の教説である」という話の外の問題として、私自身はそう(世俗の真実
だと)思います。
ID:Fjt22319さんは非常に真面目な仏教徒だと思いますので、以下のようなページ
を紹介させていただきます。
ttp:/www.amigo.ne.jp/~kazuktmr/shinki2.html 渇愛から解放される過程において、個の中に重層的に捉われた何らかの心のエネル
ギー(もちろんこれは先程述べたように、この世界とは直接影響を与えない虚の次
元軸のものです)が解消する過程で、それが顕在化するというような現象という風
に捉えることも可能ですね。これについては、検証不可能なので、あくまでもSF的
空想として、捉われなく、気楽に考える程度にしています。
410 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 01:33:26 ID:GRj38OTG
>>408 >ただ、私は、
>>405氏のように唯物論的立場から、経典の超自然的な記述については
>すべからく信用できないから、除外すべき、というものでは決してありません。
そんな中途半端が、カルトをはびこらせている。彼らは、厳然として実在する
現実に基づいていないため、常に不安に駆られており、すこしても肯定される
と、それに飛びついて「自己正当化」に努める。
唯物論というなら、目に見えない来世が「実在する」ということこそ、まさに
唯物論ではないかね。
411 :
如来不説:2009/02/06(金) 01:51:02 ID:TIvV5yTa
>>410 その「厳然として実在する」が、それほど「厳然」ではないのですよ。
あまりにも厳然としてくれていたのであれば、カルトがそのような夢想を
することすら不可能な強制力があるでしょう。それほどの強制力がないこ
とを現実に認めることが前提となって、あなたのような、社会的政策面で
人為的に「輪廻はないこと」にしようという行動が発生するのです。
つまり、その行為はそのまま「現実というものは頼りない、不安定なもの
である」ということを、むしろ相手にますます納得させ印象づけてしまう
ことを意味します。宝珠愚者さんなんかが良い例でしょう?
とりあわないのが大人の態度ではないですか。カルトに対しては、その頭
の中身まで立ち入ってどうこうしようとせずに、ただ現実の行為のみを対
象に、(地下鉄サリン事件のように)実害ある行為に関する部分を取り締
まればいいのです。それは宗教カルトだろうが、暴力団だろうが、何ら区
別する必要はないと思います。
>唯物論というなら、目に見えない来世が「実在する」ということこそ、まさに
>唯物論ではないかね。
これはちょっとおっしゃりたいことの意味がわかりません。何らかのアイロ
ニー的表現でしょうか?
412 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 02:47:15 ID:GRj38OTG
>>411 >その「厳然として実在する」が、それほど「厳然」ではないのですよ。
あなたは、大人になっても、現実と空想との区別がつかないのですか。生まれた
ばかりの赤ん坊でも、誰からも教えられないのに、母親のオッパイにしゃぶりつき、
生存しようとしますよ。このオッパイは実在か空想かなどと、モタモタしたり
しない。
現実界とは、「(必要な場合には観測装置を使って)五感で知覚できる世界」。
そして、人間を初めすべての生物は、この現実界に100%依存しない限り、
生存できないようにプログラムされているのです。あなたの朝から晩までの
日常生活での経験から帰納すれば、あまりにも自明のこと。
宗教は、後天的な人為的「観念」の植え付けにより、この現実依存のプログラ
ムを破壊するものです。
>カルトに対しては、その頭の中身まで立ち入ってどうこうしようとせずに、
>ただ現実の行為のみを対象に、(地下鉄サリン事件のように)実害ある行為に
>関する部分を取り締まればいいのです。
その現実の行為は、「頭の中身」から生じるのですよ。「頭の中身」という
「根源」を絶たない限り、行為の防止は不可能です。被害が発生したからでは
もはや手遅れなのです。
宗教と暴力団との違いは、宗教では100%の善意で悪を行うということです。
オウムの人々も、生来的には、皆、善良で純粋な人々ばかりです。宗教に嵌った
ばかりに、100%の善意で他者を害し、自らも死刑台に上らなければなら
ないのです。彼らを慈しみ育ててきた両親の心情を、想像することも出来ない
のですか。
>これはちょっとおっしゃりたいことの意味がわかりません。何らかのアイロ
>ニー的表現でしょうか?
言ってる通りです。物が、人間の五感から離れて「実在する」と考えるのが唯
物論です。釈迦は、何のために「色即是空・空即是色」を説いたのですか。
413 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 03:11:22 ID:Uf+3U8RV
>>412 同意します。
神秘主義も唯物論も、自分の認識を離れたことについて断定的に語る時点で、同じ穴のムジナですね。
ブッダは両方の立場を「愚かな考え」と切り捨て、中道を説いたのでした。
もしここに自信満々に書き込んでいる自称仏教徒たちの神秘主義が本当に日本の大乗仏教の公式的な見解
なのであれば、完全に、仏教≠ブッダの教え ということになってしまいますね。
おかしな話ですね。
テーラワーダのほうが輪廻を熱心にといていて、
大乗系の日蓮系が輪廻を否定してるのですよ。
415 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 07:04:06 ID:bXkGNnLU
>>401 >もうオカルト相手のこのスレの意味はないだろう、あばよ!
いやいや、そう早まることもない。
このスレにもそれなりの魅力はある。
何故、輪廻転生論がこんなに人気があるのか?
ってことも論題としては興味がある。
つまり根底にあるのは現実逃避なんだろう?
不景気だし世相を反映している。→将来に希望を見出せない
(輪廻転生を信じる。というよりも「信じたい」という方向性)
男というのはロマンを求める。
ある者は二次画像であったり(これもロマンの一形態)
それには満足し得ない者は、思想に自己のアイデンティティーを見出す。
こういった人間心理の深層の部分に全ての起因がある。
日蓮系は日本仏教の一大勢力だからなあ。
おまけに排他的。
ここで熱心に輪廻が否定されるのも納得。
417 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 08:17:22 ID:oTknlQeu
日蓮自身が馬鹿だから仕方がない
>>410 > 唯物論というなら、目に見えない来世が「実在する」ということこそ、まさに
> 唯物論ではないかね。
ハァ?
「生命教独自用語集より」って書いておけよ。
ゆいぶつ-ろん 【唯物論】
〔哲〕〔materialism〕物質を根本的実在とし、精神や意識をも物質に還元してとらえる考え。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
419 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 09:12:50 ID:Fjt22319
420 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 09:17:45 ID:Fjt22319
>>416-417 同意。日蓮は、本来融和的、包括的な法華経を誤読してますし、
彼の説は、仏教とほど遠いと思います。
排他的で、国粋主義的、私は彼の説は、仏教としてではなく、
同時代に現れた神道系の日本中心宗教現象の一つと考える方が合ってると思ってます。
それにオウムと共通点が多い。
421 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 09:31:05 ID:bXkGNnLU
>>410 > 唯物論というなら、目に見えない来世が「実在する」ということこそ、まさに
> 唯物論ではないかね。
お題がありますので、少々レスポンします。
「来世」というのは想念のことですから五蘊ですね。
位置づけとすると五感と同じもんです。
つまり、味覚とか触覚、視覚とか同じもん。→現象ですね。
この現象は、色即是空の「色」になる。
色ではありますが、
般若心経には「五蘊皆空」という記述がありますように、
“五蘊は即空”になる。
つまり、味覚とか触覚と同じもんで、
来世というのは「現象」ですね。
(つまり、想念というのは心作用のことですから。
色心不二で、心作用も色作用(五感)も同じもん。
422 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 11:05:06 ID:lClIXdCw
>>418 >ゆいぶつ-ろん 【唯物論】
>〔哲〕〔materialism〕物質を根本的実在とし、精神や意識をも物質に還元
>してとらえる考え。
精神や意識、即ち生命が、物資にしか宿りえないことは、現代の科学が証明
していること。しかし、その物質の実在は、やはり生命の機能としての知覚
に依存する。ここに生命界の神秘がある。通常の唯物論は、ここまでです。
人間の生命に関係なく事物が実在すると考えるのは、「絶対的唯物論」とでも
いえるでしょう。これはもはや「妄想」の世界です。
カントは、「知覚された物」と「物自体」とを区別したが、彼は「物自体」を
一体どのようにして確認したのか。「妄想」以外の何物でもないでしょう。
423 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 11:17:08 ID:oTknlQeu
>>422 >人間の生命に関係なく事物が実在すると考えるのは、「絶対的唯物論」とでも
>いえるでしょう。これはもはや「妄想」の世界
オントロギーのイロハをもう一度勉強して、顔を洗って出直してこい(笑)
424 :
如来不説:2009/02/06(金) 11:49:27 ID:TIvV5yTa
>>412 >人間の五感から離れて「実在する」と考えるのが唯物論です。
>釈迦は、何のために「色即是空・空即是色」を説いたのですか。
ああなるほど、私があなたのことを「○○さんのような唯物論」と言ったことに対
する反論なわけですね。これについては、あくまでも世間一般的な語義で「唯物論」
と言ったのみで、あなたのような特別な考えを念頭に置いたわけではありません。
唯物「論」ではなくて、唯物「主義」と言った方がよかったですかね。
それと「色即是空・空即是色」(般若心経)については、仏教としての適否はさて
おいたとしても(上座部のスマナサーラ長老は多少否定的に評されているようです
が)、初期仏教とは直接関係がなく、当然ゴータマ仏陀自身の言葉ではありません。
425 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 11:50:20 ID:lClIXdCw
>>373 >あなたの常識を仏教に投影しないで欲しいのですが。
あなたは何を言ってるのですか。釈迦は、「常時の社会情勢において、当時の
常識に基づき、当時の人々に対して」教えたのですよ。彼は「当時のバラモン教」
を批判して、「改革した」のです。彼は、当時最先端の「改革家」です。
「当時の時代遅れの人間」ではありません。
仏陀が、時代も異なる大昔に何を言ったかではなく、仏陀が現代に生きていれば
何を言うかを常に考えるのが、「現代の」仏教徒の義務ではありませんか。
彼が現代においても、バラモン教の教義に過ぎない「輪廻転生」などという、
アホなことを教えるでしょうか。
>>398 たとえ、否定はしないまでも懐疑的姿勢を持ち続けなければ、宝珠氏のような方々の跳梁跋扈を許してしまうのですよ。
(仏教という看板を欲しがっているのは彼らの方じゃないですかね?w)
そして、未だ彼らの、
自由奔放な、恣意性にまみれた業報解釈(→感情的・感覚的な応報の必然性)の言説を
諫め、抑制する方向性は模索されていない・・(ような気がするw)。
今の時代にこそ、それは必要であろうに・・・。
ま、それはそれとして、
仏教は、その(勝義としての)教義に於いて冷酷極まりないものだとは思う。
だが、その冷酷さは、このスレ等で言われるような
「三世に跨る業果を仕方なしに受け止める」 ようなものではないと、私は考えている。
仏教としての業報とは、それよりももっとクールで、もっと冷酷なものであるべきではないか、と・・・。
一例を言えば、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/20 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/37 >行為の結果においては平等という過失が生じます。
(前世云々はともかくw)≪「>行為の結果においては平等という」こともあり得る≫と・・・。
【行為の結果においては】平等であり、
そこに、どのような【差異】や【価値の違い】を見るのかは、文脈や枠組み次第である、と・・・。
※(実際は、「『何を“果”とし、何をその“因”とするか』という取捨選択」に依拠する「価値の差異」であるわけだが・・・。)
※※(その果を、次のどのような果へ向かう因(或いは縁)としてゆくか、は、
まさしく、これからの、今後の行為(利用の仕方)次第である、と。)
427 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 11:59:40 ID:lClIXdCw
>>423 人間は、「素朴実在論」によらなければ、そもそも生存できない。
「色即是空・空即是色」は、最も優れたオントロギー。仏教徒なら、その真意
位は理解し、理解しようと努めること。
428 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 12:03:39 ID:bXkGNnLU
>>425 >彼は、当時最先端の「改革家」です。
「改革家」ですから、当時のアンチ体制、アンチ常識、アンチ既成価値観。
現代でいうならヒッピーみたいなもん。
イケイケのヤング・パワー爆裂!!
これは現代においても
アンチ体制、アンチ常識、アンチ既成価値観は変化なし。
法は普遍であり、けして時代には融合しない。
429 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 12:10:01 ID:bXkGNnLU
>>427 >人間は、「素朴実在論」によらなければ、そもそも生存できない。
電波先生も素朴実在論を吹聴してますね。
仏教でこれは疑問ですが・・・
だって縁起ですから、実在もなにもない。
430 :
如来不説:2009/02/06(金) 12:14:35 ID:TIvV5yTa
>>412 >宗教は、後天的な人為的「観念」の植え付けにより、この現実依存のプログラ
>ムを破壊するものです。
つまり、世間的常識的現実というのは、あなたが無知蒙昧きわまりないと敵視する
宗教によって破壊されるほどヤワな確実性しかもっていないのだ、ということをあ
なた自身が力説していることになります。あなたの言動の背景には、現実よりも宗
教が強力だという認識があり、その認識をカルトに与え、彼らの自信を強化する行
為に他ならないということにお気付きになれませんか?
あなたのように象のキバを触って「これは固い石像であり、無生物的物体にすぎな
い。一体、これが生きて動きまわる生命あるものだというのは、どういった妄想な
のだ?」と言う人は、象の鼻を触って「これは蛇のような形をした竜である。これ
は生命があり、動きまわり、体温もある」と言う神秘主義者とはどうやっても平行
線であり、そしてどちらも自説に固執している限り、その部位をしっかりとつかん
で離さないので、象の他の部位に触れる機会も得られず、誤った見解に陥いったま
まとなるのです。
もし、あなたが自分の振れている部位(象のキバ)で満足しているのなら、それで
(その見解に基づく人生観によって)あなた自身の人生を豊かにすればいいのです。
他の見解を持つ人に対して、それが気になり、その見解を攻撃してあなたの見解を
強要しようとする行為の動機には、潜在的に、あなたが自分自身の見解とそれに基
づく人生に満足できていないことを示します(これはもちろん、あなたと直接対立
する神秘主義的意見をもっている側の人たちにもあてはまることになります)。
431 :
如来不説:2009/02/06(金) 12:15:03 ID:TIvV5yTa
>>412 あなたは私を中途半端と評しましたが、私としては、シーソーのどちら側にも大き
く負荷をかけるべきではないと思っています。あなたのような極端な意見の持ち主
は、右側にこれくらいの負荷があるから、左側にもこれくらいの負荷を強くかけて
バランスをとらないと、世の中が安定しない、という、智慧の足りない短絡的発想
なのです。そういうやり方ではいつもあっちに傾き、こっちに傾きとシーソーゲー
ムを繰り返すことになるだけです。シーソーの真ん中の、支点の部分にお相撲さん
が座っていれば、シーソーの左右両端に、対立する大人が座って互いに自分の方に
傾けようとしても、世の中は安定しているでしょう。中道というのはそういうこと
でもあります。
432 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:15:13 ID:lClIXdCw
>>424 >当然ゴータマ仏陀自身の言葉ではありません。
ゴータマ仏陀自身ものであると証明された言葉が、ただの一つでも
ありますか。原始仏典でさえも、後代の弟子たちによる「伝聞」です。
現代の裁判においては、「伝聞証言(hearsay evidence)」は「証明力
なし」として、原則として証拠として採用されません。
433 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 12:22:07 ID:bXkGNnLU
>>426 勝義諦とすれば、
「>行為の結果においては平等」ですよね。
しかしそれじゃ〜不条理だ。ってんで
納得いかないのが世俗諦。
<色即是空 空即是色>
434 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:22:59 ID:iMKCy9q0
消しさるのは識の方ですよ。
外の世界ではない。
はっきり言えば、オームのごときは、
もう脅威でもなんでもない。
もう世間に知れ渡っているからね。
脅威と思う人は修業が足りないんじゃないの?
435 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:30:23 ID:lClIXdCw
>>429 「色即是空・空即是色」は、「素朴実在論」の「実在」の本質を、さらに
突き詰めたものだと思う。
お釈迦さんでも、「霞を食っては生きられなかった」のは事実ですねw。
436 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:43:35 ID:Fjt22319
>>425 そういう詭弁は止めにして、言うならテキストに基づいてください。
あなたの言説は陳腐な現代の常識を一歩もでないことを自覚されたし。
437 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 12:44:13 ID:bXkGNnLU
>>435 >>435 そもそも「実在論」て言うくらいだから、
つまり実在ってのは本質よりは先立つ。ってことだろうし、
>「素朴実在論」の「実在」の本質を、さらに 突き詰めたものだと思う。
本質をさらに突き詰めたなら・・・・
結局は“本質が先立つ”ことになりませんか?
仏教というのは、本質を第一義諦にしておるわけですから、
「実在」という語義自体が属性でしかない。→つまり世俗諦
こういう論になりませんか?
電波先生の「素朴実在論説」は大間違いですね。
438 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:51:09 ID:Fjt22319
>>435 >「色即是空・空即是色」は、「素朴実在論」の「実在」の本質を、さらに
>突き詰めたものだと思う。
ただの妄想です。そんな解釈はインド、チベット、シナ、日本の古典的解釈に全くありません。
一部の実用書みたいなインチキ本で、適当なことを書いた本にはあるでしょうが。
439 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:52:43 ID:lClIXdCw
>>436 現代人が、時代も異なる大昔のテキストに基づくことの異議と価値は何?
それに、釈迦自身の言葉であると確証されたテキストは、皆無です。
釈迦が、輪廻転生を説いたとしたら、それは当時のバラモン教の「陳腐な
常識」に過ぎません。
440 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 12:56:04 ID:MCNTqaiU
月は見ている瞬間に存在する。
しかしながら、月に背を向けると月は消える。
月は人間の意識でしか存在はしていない。
「素朴実在論」は間違いです。
441 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:09:11 ID:lClIXdCw
>>440 しかし、見えていない月が「実在」することを、一体どうやって証明
するのでしょうか。
バートランド・ラッセルは、「この世界が5分前に出来たものではない
ことを、証明することは出来ない」と言っている。
どんなに偉い宗教者でも、飯を食う時、「この飯は果たして実在するか」
などと考えて食うものはいないw。「目に見える飯」に食らい付きます。
100%素朴実在論ですw。
442 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:14:05 ID:Fjt22319
>>439 現代人が古人より優れているという19世紀的夢想は陳腐ですね。
釈尊の教えは綿々と伝承され結果が出されてきています。
つまり、悟った人が絶えずいたということ。
それこそが仏教の意味であって他にはありません。
輪廻は当時の常識ではなかったと思います。
確かに行者集団、バラモン、シュラマナの間の共通認識だったと思われます。
しかし、当時の一般人は輪廻を信じてなかったと思われます。
そしてそれは常識ではなく体験的認識です。
これは経典を読めば直ぐ分かることです。
あなたのように何も知らずに適当に憶測だけで断定する人は、困りますね。
443 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:17:28 ID:Fjt22319
>>441 >しかし、見えていない月が「実在」することを、一体どうやって証明
>するのでしょうか。
>
>バートランド・ラッセルは、「この世界が5分前に出来たものではない
>ことを、証明することは出来ない」と言っている。
この上下、全く逆のこと言ってますよ。
>どんなに偉い宗教者でも、飯を食う時、「この飯は果たして実在するか」
>などと考えて食うものはいないw。「目に見える飯」に食らい付きます。
>100%素朴実在論ですw。
常識教さん、もうちょっとなんにしろ勉強してからにしてください。
444 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 13:19:54 ID:MCNTqaiU
>>441 >しかし、見えていない月が「実在」することを、一体どうやって証明
するのでしょうか。
「見えていない」なら、
それは月が実在していないんですね。
別に証明などする必要もない。
実在していないんですから。
>>440参照
445 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:27:33 ID:lClIXdCw
>>438 >一部の実用書みたいなインチキ本で、適当なことを書いた本にはある
>でしょうが。
どこの本にも書いてはありません。本に書いてある「他人の見解」を
追い回すだけで、現実に立脚して「自分の頭」で考えることをしなければ、
何の進歩も、理解さえもありません。それでは、単に、「他人からの借
り物の見解」に操られて動くロボットに過ぎません。
446 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:29:57 ID:iMKCy9q0
見ていないなら、在るも不可、無いも不可です。
「ここ、今」を離れてはいけません。
どうせ連投規制かかるだろうから、用事済ませてきた。
(外道認定されてると、気楽に書き込めて良いなw)
私は、仏典は、
「頷ける所から頷いていけばいい」、「頷ける所から頷いて、森の奥の涅槃という小屋へ近づけばよい」
と思っている。
釈尊が植えた木々は灌木の林程度だったかもしれない。
後に続く弟子達が、種々の木を植え、広大な森となったのが、今の仏教かもしれない。
入口は無数にある。(中には、行き止まり(どうにも先へ進めない場所)もあるかもしれないが・・・w)
推奨される入口も幾つもあろう。用意された幾つかの地図も尊重されるべきだろう。
その地図は、そのどれもが、先達が残した、敬うべき足跡だ。それらを信じる姿勢を闇雲に非難するのは不当であろう。
が、我々が、真に信じなければならないのは、多種多様な導きの中、
それら全てに共通し、且つ、「釈尊自身が見、証し、(身を持って)提示した」“涅槃”ではないか?
我々が目指すべきは、その涅槃であり、そこへは、自ら歩いてゆくしかない。
だから、「来たれ、比丘よ」、「来て、見よ」、と言われるのであろう、と・・・。
(座右の銘的に受け止めてゆくにしても、視線の先には森の奥の涅槃という小屋が見える所を歩むべきであろう、と・・・。)
(小屋という喩えのマズさは措くとしてwww)
448 :
如来不説:2009/02/06(金) 13:34:19 ID:TIvV5yTa
>>432 それについてが「自灯明、法灯明」なんでしょうね。
私は、一応、世間的に見れば、上座部に属しているも同然の人間(在家)なのですが、
上座部で日常的行なわれている三帰依のような行為も私は手放しで評価しているわけ
ではありません。
三帰依では仏・法・僧への帰依を確認しますが、実のところ、ゴータマ仏陀は逝去に
あたって「自灯明、法灯明」と言って、决して「僧灯明」とは言わなかった(もちろ
ん仏灯明とも言わなかった)。だから、僧(サンガ)が伝える、経典をそのまま信じ
よ、とも言わなかった、というのがポイントです。
基本は、盲目的な信仰ではなく自分自身の理性に照らして考えよ、その自分自身の判
断が独りよがりな迷妄に陥っていないかを法(普遍性があるかどうか)ということに
照らして確認せよ、ということです。
だから根幹としてのゴータマ仏陀の態度は何らかの宗教「観」、世界「観」を説く、
○○主義、○○イズムではないのです(それらを枝葉として包容はします)。
「実践」そのものであって、「思想」や「概念」や「論説」ではないのです。
原始仏典が、少なくとも、ゴータマ仏陀自身の教説というものではないにせよ、そ
の生身の仏陀の在世当時の直弟子たちによって体系化され構築された教説であり、
それに基いた宗教観を形成していることは確実です。
その実践、その姿勢というものであれば、原始仏典から「自灯明、法灯明」によっ
て透かし読むことは可能でしょう。
このスレでも、何人かの方が記していたが、
仏教に於いては、「苦の滅」「苦からの離脱」が骨子となるべきであろう。
そして、
『或る「“苦”があった時」
(→「何かを“苦”と感じられる・認識される、そのような心の在り様があった時」
→「《“苦”としての想い(“想”)》《“苦”として厭う心の動き(“行”)》
《「(今私に)このような“苦”がある」という自覚(“識”)》があった時」)、
その“因”は(“縁”は)何であろうか?』という因果の考察こそ、仏教の、もっとも仏教らしい所ではないのか。
(十二縁起が、幾分機械的で公式化され過ぎのキライがあるとしても、
その「名色-六処-触-受(-愛-取-有)」の部分は、蓋し卓見と言うべきだろう。
根境識という三者の分別も、称賛して余りある優れた視線であろう。)
そして、業と絡めて言えば、
「上記のような“苦なる果”(“苦”と感じられ、“苦”と認識される心の在り様)を生じせしめない為に、
(身でも口でも意でも)業(行為)は、制御され、抑制され、調えられねばならない」のだろう。
本来「自業自得」とは、まさにこの部分について言われねばならないのだろう。
これを、三世を超えて、三世に跨って援用することに違和感を感じざるを得ないというのが、正直な感慨だ・・。
>>445 自分の頭で考えるなどと、さも立派なことのようだが、
結局、自分の頭で考えたところで、自分の中にあるものしか
出てこない。それがおまえの限界なんだよ。
451 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:34:41 ID:Fjt22319
>>445 つまり、「色即是空・空即是色」という文字記号から、妄想したと告白しているわけですね。
常識教さんの言説は矛盾のかたまりで、とにかく常識に従え、
現代人が正しい、古人は間違っているという信念を表明してるだけなんですがw
前にも言いましたが、何かつらいことがあって、ここで当たり散らしても、
よけいつらくなるだけですよ。
“苦”が、滅することのできるものだとして、
たとえば、事故で片足を失った者が、そのことで“苦”を感じていた時、
その時、そこでの「“苦”が滅せられる」とはどういうことか?
決して、新たに足が生えてきて、再び両足で歩けるようになることではあるまい。
「“片足を失ったということ”が(前世の(悪)業による)“苦なる果”」であったなら、
苦が滅せられた時、“片足を失ったという果(→前世の(悪)業による果)”も滅するのか?
そうではあるまい。“片足を失っているという事象”は何も変わらない。
“片足を失ったという果”は、あくまでも“片足を失ったという果”でしかない。
彼が感受している“苦”と、“片足を失っているという事象”は同じではない。
この時「その“苦”を滅する為にとられる方法」は、「“片足を失ったという果”の“因”を前世に求めること」ではない。
「“片足を失ったという果”を、《自身が(今)どのように受け止めているのか》《これからどのように受け止めてゆくのか》
を観察・考察する」所にこそあろう。
『私は、なぜ、“片足を失っているという事象”を“苦”と受け止めているのだろうか・・?』 と・・・。
453 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:35:35 ID:lClIXdCw
>>446 「ここ、今」において、人間は、その「五感で知覚できる物」を「ある」
とします。ここ、今の存在が可能なのも、「目に見える大地」が「ある」
からです。「目に見える大地」が「ない」のなら、奈落の底に落ちます。
454 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:44:59 ID:Fjt22319
いや〜、みんなバラバラでおもしろいですね。
455 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:51:12 ID:iMKCy9q0
見ていないは、この場合、月を見てないことを差します。
縁起によらず、観念にひろがりをもたせることは、
仏の教えに反します。
>>445 だから、最初から「生命教では」と、但し書きしとけよ。
お前さん自身、自分の用語が一般用語じゃないことを
>>422で認めてるんだからさー。
別にお前さんが自分の思想を持っても構わないし、
輪廻を否定しようと肯定しようと構わないし、
「究極の宗教」と断言しても構わないし、
「イエスや仏陀よりも人格者」だと自称しても構わないけど、
但し書きがなく、一般的な用語と混同されやすい形で書き込まれるのは混乱を招く。
正直いって迷惑。
457 :
初代スレ7:2009/02/06(金) 15:00:15 ID:SteOMPjV
>>394 そうだ・・・
一言返しておきましょうか・・・。
>説明体系が補完しあうのは当然のことでしょう。
《「輪廻及び転生」による補完は、補完になっていない》ということです。
458 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 15:18:37 ID:Fjt22319
459 :
初代スレ7:2009/02/06(金) 15:39:30 ID:SteOMPjV
>>458 だからw
それを作文中(≒考え中)ということですw
>>391 しかも、最近とんと進んでないwww (年度末なんで仕方ないが・・)
(初の試みなので、感想文の域を出ないとは思いますがね・・w)
このスレに出会ったことで、
今まで漠然と感じていた違和感に、ちょっと目を向けて見ようかなという気になったもので・・。
自分でも、その違和感の正体を知りたいし、一度は真面目に考えてみてもいいかな、と・・・w
460 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 15:51:45 ID:Fjt22319
>>459 そうですか。すると仏教およびインドのほぼ全ての宗教が根本的に間違ってるということになりませんか?
461 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 16:12:33 ID:lClIXdCw
>>451 >常識教さんの言説は矛盾のかたまりで、とにかく常識に従え、
>現代人が正しい、古人は間違っているという信念を表明してるだけなんですがw
トリビア的な常識ではなく、共生のための知恵という「広義の常識」を軽視しては
ならない。
広義の常識は、人類の発生以来、気も遠くなるような長い年月をかけて、人間が
他者との係りあいにおける生存の努力の中で築き上げた叡智。人間一挙手一投足、
常識に支配されている。宗教者といえども、基本的には、世俗の常識に依存しない
限り、生存できない。その意味では、常識は、如何なる宗教も及ばない「大宗教」
であることに気付かなければならない。
言葉、特に観念語・抽象語の意味は、各人によって異なる。例えば、「神」
「正義」「善悪」などの意味も、百人百様ではないか。もはや本来の、意思の
伝達機能さえ果たしていない。常に、言葉の「意味の意味」まで考えること
が必要。そして、言葉の意味は、現実との照合によって定めなければならない。
さもなければ、言葉の意味が百人百様になってしまう。確固たる判断基準は、
厳然として実在する現実以外にはないのだから。
462 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 16:44:01 ID:lClIXdCw
>>449 >仏教に於いては、「苦の滅」「苦からの離脱」が骨子となるべきであろう。
建前上は、そうかも知れんが、「仏教の中心思想」としては、すこし寂しい。
「苦がなければ、楽も存在しえない」ことは、すべての生活者が既に悟って
いることだから。仏陀の「うつ病」の症状として、流してもよいのではないか。
世界の人々が仏教に求めるものは、「一切皆苦」ましては「輪廻転生」などと
いうチンケなものではなく、その「縁起・空・関係性の原理」という「普遍の
真理」ではあるまいか。「実在」は、もちろん、人間の目に映じただけの仮設
に過ぎないが、しかし、人間は、実在に100%依存しない限り、そもそも
生存できない。そして、その「実在」は、多様な縁起の集合体であるから、自
性はない。従って、実在に過度に執着すべきではない。
「個は、他との関連においてのみ存在し得る」という「関係性の原理」こそが、
前人未踏の「仏教の中心思想」であると考えるが、どうであろうか。
463 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 16:53:34 ID:Fjt22319
465 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 17:34:07 ID:MCNTqaiU
>>461>>462 貴殿の書込みは、はっきり言うとクダラナイですね。
短文でも解ってらっしゃるレスもある訳です。
例えば
>>455などはスバラシイ。
仏教の核心を突いている。
>見ていないは、この場合、月を見てないことを差します。
>縁起によらず、観念にひろがりをもたせることは、
>仏の教えに反します。
466 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 18:02:06 ID:lClIXdCw
>>465 >仏教の核心を突いている。
>見ていないは、この場合、月を見てないことを差します。
>縁起によらず、観念にひろがりをもたせることは、
>仏の教えに反します。
申し訳ないが、「仏教の核心」はどこなのか、ご説明いただけませんか。
467 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 18:12:07 ID:MCNTqaiU
>>466 そもそも仏教というのは、常識的に理解しようとしても無理ですね。
先ず拙者が言えることは、
貴殿が常識というのを破壊するのです。
それからですね、
仏教とは何たるか?
これがオボロゲながらも光明が射してくる。
今はまだ、拙者が説明しましても・・・意味不明です。
468 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 18:16:06 ID:lClIXdCw
>>467 仏教信者や、仏教学者は、「常識人」ではないのですか?
人間が、常識から離脱すれば、人間ではなくなります。
469 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 18:20:58 ID:MCNTqaiU
>>462 >>仏教に於いては、「苦の滅」「苦からの離脱」が骨子となるべきであろう。
>建前上は、そうかも知れんが、「仏教の中心思想」としては、すこし寂しい。
>「苦がなければ、楽も存在しえない」ことは、すべての生活者が既に悟って
>いることだから。仏陀の「うつ病」の症状として、流してもよいのではないか。
くだらないですね。
拙者は随分いろんなレスポンを見てきましたけど、
こういうレスポンは初めてですね。
470 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 18:24:41 ID:MCNTqaiU
>>468 >仏教信者や、仏教学者は、「常識人」ではないのですか?
常識人とは違いますね。
>人間が、常識から離脱すれば、人間ではなくなります。
常識から離脱しまして・・・それが成道ですね。
まあ、拙者がこんなことを書きましても・・・
殆どが意味不明かと思いますが。
471 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 18:40:12 ID:A3KwyxFJ
>>318 >「3+5=8が当時ブッダの教えとされていたようだ」ということがその経典から分かりますし、その教えが真実か
どうかは、実際に指を折って3+5を数えてみればいいのです。確かに8になるから、その教えは正しいと判断できます。
真実を明らかにする仮定というのはそのようなものです。
それで、あなたは経典のどんなことがほとんどの部分を後世に作られた神話だと思っておられますか?
又、そうではなくて教典のどの部分が真実と思われている教えだと判断されてますか?
472 :
如来不説:2009/02/06(金) 18:53:17 ID:TIvV5yTa
>>462 なるほど(他の方のレスポンスとはちょっと食い違ってしまいますが、他意はあり
ません)。
>「個は、他との関連においてのみ存在し得る」という「関係性の原理」こそが、
>前人未踏の「仏教の中心思想」であると考えるが、どうであろうか。
結局あなたは「無我」のことについておっしゃりたいわけですね。
>「実在」は、もちろん、人間の目に映じただけの仮設に過ぎないが、しかし、人間
>は、実在に100%依存しない限り、そもそも生存できない。
これを「苦」と呼んでいます。一般的な意味での、楽と相対的関係で成立する状態で
ある苦を指して、仏教では「一切皆苦」と言っているわけではありません。いわば絶
対苦なのです。
それを苦とはっきりと認識しないで、それから離れようとせず、その現実に屈服して
いるから(こういうのを仏陀は渇愛と呼んだわけですが)、あなたの言動には苦渋が
満ちているように感じられるのです。
>多様な縁起の集合体であるから、自性はない。従って、実在に過度に執着すべきで
>はない。
多分、あなたは、頭ではそうわかっていながら、心はがっちりと自我にしがみつい
て、実在に対する渇愛を滅ぼせていないのでしょう。仏教は哲学ではないので(も
ちろん、そういう部分も包含はしますが)、実際に瞑想なりを実践して、心から執
着を解く過程を進めていかないと、苦しい現実は動きようがないと思います。
473 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 18:55:09 ID:A3KwyxFJ
■今の日本の現状を見ても明らかなように、 宗教を利用したがっている人間は沢山いますよ。
釈尊入滅後100年を経て経典は編纂されましたけど、この約2400年の間にはそういう輩
もいたわけで、書かれていても鵜呑みにはできませんですね。(釈尊が空中を飛ぶ話もある)
// |ヽ\
/ / | ヽ 人
^Y⌒Y⌒(__)
||,∧(____)
||;;;;::::・∀・:;ヽ <■ もちろん、全ての宗教は本質的には【マイコン】【洗脳】 から切り離せない。■
,Jl;;;::::;;;:::::::;;;:;;;:ヽ ちなみに極楽浄土などの「浄土」という概念は、本来はあらゆるとらわれ
/;;⊂:::: ▲ ▲ ▲ヽ 解き放たれた状態を指すのであって、輪廻ではありません。
i;;;::::::;;" .▲ ▲ ▲.i
|;;;;;:::::i l
.ヽ;;;;;;; /
.\;;;;;;;;;;;:::::::/
■ 確かに経典の中には輪廻を説くものもあるのです。
どういうことかというと、輪廻を自明の理と考えているインド人にいきなり「無我」を説いても受け入れてくれません。
したがって一旦、輪廻を肯定した上で、徐々に「無我」へと導くように説いたためのことです。★☆
474 :
如来不説:2009/02/06(金) 18:57:59 ID:TIvV5yTa
>>468 >人間が、常識から離脱すれば、人間ではなくなります。
「仏」という漢字は「人に非ず」の字義ですね。
常識から離脱といっても、反常識という意味の非常識とは本当は違うはずです。
常識に捉われないが、常識を否定するわけでもない。
というより「生命教の常識」は一般常識とズレている部分があるし、
それをまともに取り上げても仕方がない。
「イエスは、すべてのカルトの元祖。他の宗教でも、キリスト教の影響を受ければ、
「例外なく」カルト化する。」
と、いうような文章では既にカルトの意味が一般認識と異なっている。
「真実の神とは、【人間の生命】である」
こう言っておきながら無神論だとい言うのだから、ご隠居氏は、
既に一般認識と異なった言語の世界で生きている、
といっていいのではないだろうか。
476 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 19:07:49 ID:A3KwyxFJ
>>472 >いわば絶対苦なのです。 それを苦とはっきりと認識しないで、それから離れようとせず、その現実に屈服
しているから(こういうのを仏陀は渇愛と呼んだわけですが)・・・・
ふ〜ん。だから絶対苦=現実の苦界からいとも簡単にポァしてあげるとなるのですか?
477 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 19:08:56 ID:A3KwyxFJ
>>442 >つまり、悟った人が絶えずいたということ。
悟った人というのは、何をもって他の人に証明できるのですか?
現実社会にはどんな力があり、実際に社会にどのように具体的に貢献できるのですか?
>しかし、当時の一般人は輪廻を信じてなかったと思われます。
その根拠は?
>そしてそれは常識ではなく体験的認識です。 これは経典を読めば直ぐ分かることです。
↑ 経典を物語ではなく事実と認識した場合ですね。事実という根拠は?
478 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 19:26:38 ID:A3KwyxFJ
*****************************************************************************☆
☆★ 輪廻転生を信じたいのは何故ですか?
■ 輪廻転生を一言でいうなら、古代インドの特権階級のアーリア人のバラモンたちが、
末代までも体制維持するために考え出された「カースト制度」の為の方便です! ★☆
_
/〜ヽ プルルン♪ ★ そんなものを認めたら宗教などの支配階級に
(((。・-・))) プルルン♪ <脅しと甘言>で良いように利用されてしまいます。☆
゚し-J゚ プルルン ルン♪
★ キリスト教のパクリはここを参照 ↓
■
http://video.google.com/videoplay?docid=1431037135738418803 ■
******************************************************************************☆
479 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 19:30:44 ID:wJys0fCu
ID:lClIXdCwよ
お前の言っていることは全てが正しい訳ではないが、見所があるぞ
さらに精進せよ
480 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 19:38:18 ID:Uf+3U8RV
>>467 >常識的に理解しようとしても無理ですね。
常識的に理解しても無理というなら、あなたは一体何をどのように理解したのか?
そんなものは妄想と区別付かないでしょう。
あなたは、仏教を語っているつもりで、完全な妄想、デタラメを語っている可能性がある。
「常識的に理解しない」態度というのは、このような、全く糞の役にも立たない結論を迎えるのです。
常識でないことを語るなら、それが客観的に正しいということを証明できなければ意味ないよ。
それ以外はただの妄言。戯言。
481 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 19:42:25 ID:A3KwyxFJ
>>461 >人間一挙手一投足、常識に支配されている。宗教者といえども、基本的には、世俗の常識に依存しない限り、
生存できない。その意味では、常識は、如何なる宗教も及ばない「大宗教」であることに気付かなければならない。
大変優れた洞察で〜す!!スバラシイ!!
イエスも仏陀も他の宗教家も、誰も気が付かない斬新な真理で〜す。ヽ(^。^)ノ
>>462 「個は、他との関連においてのみ存在し得る」という「関係性の原理」こそが、前人未踏の「仏教の中心思想」
であると考えるが、どうであろうか。
↑ そのようにならなければ仏教の将来性もないのでは? 多分〜ねw
もう宗教も、証明出来ない荒唐無稽の<観念論>は卒業しましょう!!☆★
科学の進んだ現代人は付いては来ませ〜ん(笑
482 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 19:42:31 ID:Uf+3U8RV
>>471 最古層にはほとんど神話的・神秘的な部分がありません。生まれ変わり、前世、来世のような概念もほとんどありません。
ところが、時代が下るに従ってそのような要素が増え、数百年も経つと賑やかに華やかに、神秘思想の聖典と化します。
例えば法華経。
であれば、最古層のような神話性を持たない思想がブッダの本来の思想で、神秘的な要素は後世に付加されたものと見るのが、
自然な見方だと思います。
483 :
初代スレ7:2009/02/06(金) 19:43:35 ID:RQsR62mz
>>460 >根本的に間違ってるということになりませんか?
さあ・・・どうなんでしょう・・・?
484 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 19:48:13 ID:bXkGNnLU
>>480 貴殿の前にあるパソコンは存在しているか?
というのを常識的に考えるのは、今まで学習してきた言語慣習システムで判断するが、
仏教というのは、
そういった常識的思考システムとは全く違う。
悟りというのは、こういった思考システムそのものの破壊を意味する。
485 :
如来不説:2009/02/06(金) 19:49:09 ID:TIvV5yTa
>>481 ID:A3KwyxFJさんは何だか、ちょっと失礼かもしれないけど、原始仏典に親し
んでいる人ならわかってもらえるかもしれませんが、仏陀を脅迫したり誘惑し
たりする悪魔(マーラ)の態度に似てますねw
486 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 19:54:54 ID:Uf+3U8RV
>>484 そういった思考システムを破壊するのが悟りなら(私はそうは思いませんが)
悟りは何の役にも立ちません。ただの妄想です。
あなたの目の前にも私の目の前にもパソコンがあるのは事実で、事実だからこそこうやって
意見交換できているのです。
これは私の妄想や幻ではなく、事実だということは、家族がそれを見て「パソコンがある」と同じ証言をすることでも分かります。
もし妄想なら、家族は同じことを証言できません。
ところが「来世」「生まれ変わり」やその他の神秘主義などについては、同じ証言が万人から得られることはないのですから、事実ではなく、妄想であると
言う以外ありません。
487 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 20:03:27 ID:A3KwyxFJ
>>482 >最古層にはほとんど神話的・神秘的な部分がありません。生まれ変わり、前世、来世のような概念もほとんどありません。
であれば、最古層のような神話性を持たない思想がブッダの本来の思想で、神秘的な要素は後世に付加されたものと見るのが、
自然な見方だと思います。
なるほど。確かに3+5=8というように確認できませんし、そんなこと説くのも
何か意図が無ければ変ですからねw(笑
解脱とかはどのように判断されておられるのですか?
>>485 意見が違うから討論になるので、何かで証明して見せてもらえれば分かるかもしれませんが・・
それにしても最後は人格批判になるのは、クリ達とそっくりで
オ・ド・ロ・キ〜(笑
ヽ(^。^)ノ
488 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 20:07:56 ID:A3KwyxFJ
「悪魔」とは、「同じ人間である他者を『悪魔視』する者」と定義できる。
「悪魔」とは、「同じ人間である他者を『悪魔視』する者」と定義できる。
「悪魔」とは、「同じ人間である他者を『悪魔視』する者」と定義できる。
489 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/06(金) 20:08:12 ID:MCNTqaiU
>>486 パソコンも来世も、仏教的には同じですね。
なぜ貴殿は、パソコンはある。って確信がもてて、
来世は「万人が得られるわけではない」。と
識別するのか?
それが常識的思考システムなのではないか?
では、もう寝ます。
おやすみなさい。
>>487 宗教を攻撃することが、世の中をよくすることかな?
君は、オウムスレや創価のスレには行かないみたいだけど、
本当に世の中良くしたいならそこで戦うべきじゃないのかな?
491 :
如来不説:2009/02/06(金) 20:17:34 ID:TIvV5yTa
>>487,
>>488 いやいや、楽しいです。こういう方向性のことをあんまり褒めたりしてはいけない
のかもしれませんが、感心というか、興味深いです。一人で勝手に楽しんですみま
せん(>マーラ観察)。
492 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 20:20:48 ID:A3KwyxFJ
>>461-462氏のように極、平凡な当たり前で誰も気付かないことに気がつくのは、大変秀逸な
証拠で〜す。
ある日、突然に病気が発覚し、余命○○○日とか宣告されると・・・
毎日当たり前に食事がとれ、どこも痛くなく当たり前に生きていたことが幸せだったと気付く
と言う話はよく聞くことです。
生かされていることに感謝し肯定的に生きる方が楽な生き方だと思ったり・・もしま〜す。
では、お先におやすみん〜☆
493 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 20:23:43 ID:A3KwyxFJ
■ 『人間の尊厳・人間の軽視』 ■☆★☆★☆★☆★☆♪〜 (*^。^*)
君達がいささかでも「人間の尊厳」を口にするのなら、ありもしない
「前世・来世」の「実在」の植え付けによる「脅迫」や、「解脱」と
いう「甘言」は、直ちに止めるべきである。 ☆★
これは、キリスト教の「罪の観念」の植え付けによる「脅迫」や、
「贖罪」という「甘言」についても、全く同じである。☆★
「脅迫」と「甘言」で人間を操ることほどの「人間軽視」が、他にあるかね。
* + ホントです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(*´∀`)E)
Y Y *
☆★☆★☆★☆★☆☆★☆★☆★☆★☆♪〜
494 :
如来不説:2009/02/06(金) 20:29:58 ID:TIvV5yTa
>>489 机さんの話の力点が「無常性の理解」にあるということを、相手にわかって
もらえていないのではないかと思います。また、相手のタイプによって無常
性を切り口にすることが、悟りの理解へと導くのに最適の選択かどうかも異
なると思います。煩悩のうち瞋恚が強いタイプの人には、あまり不浄観など
のような無常性を確認しようとする瞑想法はかえって瞋恚を煽るので、適し
ていないといいます。この人の場合は、上座部的には慈悲喜捨の瞑想から入
るべきでしょうね。
ほうほう
496 :
如来不説:2009/02/06(金) 20:36:40 ID:TIvV5yTa
>>492-493 実にファンキーですねw
茶化しているわけじゃなくて、なぜか、おかしく感じます。さすがは天部?
他化自在天は別名をキッダ・パドーシカ(遊びに汚れる者)ともいうそうです。
「価値、人生の意味、目的、質。
これらは、海水が漁師の網をすり抜けるように、科学をすり抜けていく。
だが、人間はこの海で泳いでいるのであり、
それを視界からとり除くことはできない」
「私たちの過ちは、科学が世界観を与えてくれると期待したことにあった。
今となっては、それが世界の半面――
物質的で、計算可能で、検証可能で、明確にコントロール可能な半面――
しか見せてくれないことが明らかになった。
その半面でさえ、いまや明確に描いてみせることはできない。
視覚化することができないのである」
「近代科学は唯一つの存在論的レベルしか必要としない。つまり物質レベルである。
科学はその前提からして、他の地平が存在しているという考え方に挑戦していることになる。
この挑戦に対し、しっかりした反論がなされなかったため、この考え方が席巻してしまい、
近代世界の基本的な精神ともなってしまったのである」
「もし私たちの世界が変わったというのなら、
これは、私たちが世界についてもっている考えが変わったことが反映している。
神は退いたのではない。神から遠ざかったのは私たちである」
「科学の方法だけが『宇宙に関する情報』をつかむことができるという
認識論的な思いこみは、物質的なリアリティが唯一の、
確固として自己充足的なリアリティであるという存在論的な結論をもたらした。
一撃をもって、存在という館は一階部分だけを残して破壊されてしまった。
この結果、希望はどうなったのか。それは明らかである。
もし上の階がなければ、希望は垂直方向への展望をもつことはなくなる。
もしどこかへ行くのであれば、
その「どこか」は、前か、あるいは水平方向しかないだろう。
近代の進歩という考え方は、よく信じたくなるように
何らかの根拠があってそうなったわけではない。
むしろ、希望のあり方が変化したことによる」
むしろ来世があることに脅えるような生き方をする方が問題だ。仏教徒としては。
499 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 21:31:09 ID:aaF699bv
唯物論支持者は物理版にいって議論すべし。
ベルの定理は、素朴実在論を否定するものではない!とか。
500 :
如来不説:2009/02/06(金) 22:26:26 ID:TIvV5yTa
一応、不勉強な人が誤解するかもしれないので、補足ですが、仏教の悪魔というのは
決して、一神教における悪魔のイメージとは異なるものです。他化自在天という欲天
最高位のとても幸せな境地にいらっしゃる神様のことです。
501 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 22:49:24 ID:zHQ2m/8B
>>469 >くだらないですね。
>拙者は随分いろんなレスポンを見てきましたけど、
>こういうレスポンは初めてですね。
宗教者から見ると、無宗教者のレスポンは「くだらない」のは当然でしょう。
しかし、無宗教者から見ると(人間は、生まれた時は皆無宗教。宗教は、後天的
な人為的植え込みに過ぎない)、現実上の根拠皆無な「観念」にまみれ「観念
の遊戯」に耽り、典拠も定かでない、時代も異なる大昔の経典の「言葉」のみ
にやたらと執着し、開祖であるという理由だけで無批判に盲信・崇拝し、大人
になっても現実と空想との区別が出来ず、百人百様の観念のみに基づき果てし
ない争いを続ける「宗教」ほど「くだらない」ものはないことも、同時に念頭
においてください。
502 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 23:10:42 ID:leEDU/cB
>>452 >『私は、なぜ、“片足を失っているという事象”を“苦”と受け止めているのだろうか・・?』 と・・・。
この問いは仏教にとって根源的なものだ。
輪廻転生はじめ他は妄想雑音にしかすぎず、完全無視すればよい。
あえて言語表現すれば、苦と一体化し、苦そのものを積極的に受け入れて生きることだ。
そうすれば苦は苦に非ず。
これこそ「仏教」の極意ではないか。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬるがよく候。(良寛)
道元はこの仏教の究極境地を「自受用三昧」と表現した。
般若心経はもっと端的に「無苦集滅道」と言い切ってしまっている。
503 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 23:25:06 ID:zHQ2m/8B
>>502 己の苦を、苦として受け入れようとはせず、専ら「観念操作」によって「すり
替え」るならば、他者の苦に対する理解や共感の能力の向上(これを「人間の
生長」と呼ぶ)が不可能になる。然りとすれば、仏教には、人間の営みとして
致命的な欠陥があることになる。
いや、観念操作じゃないんだよ。仏教は。
受け入れるってのも間違い。
観念を相手にしない が正解。
スッタニパータ
874 ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、
想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。
グズグズ屁理屈コク暇あったら、働かんかい、ゴラァ!
ってとこかな?
506 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 23:51:00 ID:leEDU/cB
>>503 >苦として受け入れようとはせず、専ら「観念操作」によって「すり替え」るならば
私は>苦と一体化し、苦そのものを積極的に受け入れて生きることだ。・・と言っています。
もちろんあなたのような無明を脱することが前提で、結論だけを端的に述べているだけですよ。
自得するには修行するしかありません。
>「観念操作」とか「すり替え」とか、仏教を精神カウンセラーだけだとお思いですか?
もっと根源的ですよ。
(唯物論的)根源エゴイズムで>他者の苦に対する理解や共感の能力の向上 とやらが果たせるなら
現在の世俗の悲惨な現状をどう説明するのでしょうか?
都合の悪いことは全部宗教者の陰謀で済ませるだけでしょうね。
508 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 00:03:28 ID:TGNmxFjG
>>498 “霊性の歩み”には終わりというものはない、ということ。
解脱も一定のゴールに過ぎない。
これが新しい時代におけるアプローチとなる指標。
>>504 >観念を相手にしない が正解。
瞑想の鍵は“思考を追わない”ことにある。
「雑念を払う」というのは正しくない。
思考を追うことを辞めていれば、意識の焦点は外れる。
そうすると思考の流れには気付かない(思考活動の停止ではない)。
〜と、いきなり単発レスにて失礼w
509 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 00:05:07 ID:XOh1EADQ
510 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 00:24:52 ID:CYxSM6UR
>>507 >都合の悪いことは全部宗教者の陰謀で済ませるだけでしょうね。
それが、宗教者特有の「被害妄想」と「陰謀論」。自らも人間でありながら、
「人間そのもの」が信頼出来ず、「人間にあらざるもの」に最大の価値を置くという倒錯に陥っている
ため、常に、恐怖と不安に苛まされるからである。宗教団体に、人間関係を
原因とする内紛と分裂が特に多いのは、それが理由である。
511 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 00:29:46 ID:URIPouFc
>>489 >
>>486 > パソコンも来世も、仏教的には同じですね。
糞も味噌も仏教的には同じってことですかw
もちろんパソコンが味噌で来世が糞ですが。
> なぜ貴殿は、パソコンはある。って確信がもてて、
> 来世は「万人が得られるわけではない」。と
> 識別するのか?
簡単ですよ。パソコンについては証言が一致し、来世については一致しないからです。
現にパソコンのあるなしについて議論したりもめてる人は見たことがありませんが、
来世についてはこの掲示板のように議論が紛糾しているではないですか。
それに、厳然たる事実として、パソコンは見えますし触れます。現に見ているし、触っています。
ですが来世は見えない、触れない、聞こえない、何も私には知覚できません。そしてそれは
他人も同様です。(精神が正常なら)
>>510 単なる権力争いだろ。猿山の猿と同じ。
宗教は能力を計る基準があいまいだから、
自分の地位を 上のものと較べて不当だと思うものが
出易いからだと思われ。
513 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 00:41:01 ID:8/OCHqj/
>>511 >現に見ているし、触っています
そうですか、それならあなたには仏教は不要で、
あなたは世間的無明まみれで素朴実在論的常識民主主義で生きてください。
514 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 00:41:59 ID:URIPouFc
>>487 >解脱とかはどのように判断されておられるのですか?
1106 師(ブッダ)は答えた、
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、
1107 平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、
──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」
(スッタニパータより)
つまり解脱とは、愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめ、平静な心がまえと念いの清らかさ
を身につけることです。つまり一言でいえば「執着を捨て去ること」です。
また以下のような表現も多用されます。
1056 このようにして、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、わかものとみなして固執したものを捨て、
生や老衰や憂いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」
執着を捨て、苦しみを捨て、安楽の境地(ニルヴァーナ)に達することが解脱です。
1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪
りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著
を乗り越えているのである」と。
515 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 00:45:01 ID:URIPouFc
>>513 >あなたには仏教は不要で
私にとって仏教は、あなたたちが話しているようなオカルトなものではありません。
516 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 00:45:05 ID:8/OCHqj/
>>511 >現にパソコンのあるなしについて議論したりもめてる人は見たことがありませんが、
あなたはこのスレで議論できる知的レベルに達していなしので、お引取りください。
はっきり入って、邪魔だし迷惑です。
517 :
516:2009/02/07(土) 00:46:51 ID:8/OCHqj/
× はっきり入って
〇 はっきり言って
518 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 00:52:18 ID:CYxSM6UR
>>516 横レスだが、その問いは、存在論の根本問題。あなたが「知的レベルに
達していれば」、大いに議論できるはずだが。
>>510 本当に済ませちゃいましたね。
>>514 超自然的要素を抜きにしても「常識」と異質なものなんですね。
520 :
brown:2009/02/07(土) 00:56:41 ID:ElnASrV9
>>511 パソコンなどというものは,見えないし、触れないし、聞こえもしない、
何も私には知覚できないでしょうね。
来生も同じ。
そういう抽象的なものには感覚器官は働かないでしょう。
521 :
516:2009/02/07(土) 01:03:06 ID:8/OCHqj/
>>518 >存在論の根本問題
511=515はその問題意識レベルまで達していないことは
>>511で明確。
だから 素朴実在論的常識民主主義(
>>513)と評しました。
ちなみに仏教においては「存在論」が相応しいかそのものが問題でしょう。
もう1時を過ぎたので寝ます。
おやすみ。
522 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:05:50 ID:T+KUVlYi
>>427 実在するかしないかということに囚われているお前に
色即是空空即是色を感じることなど無理。
>人間の生命に関係なく事物が実在すると考えるのは、「絶対的唯物論」とでも
>いえるでしょう。これはもはや「妄想」の世界です。
オントロギーのイロハのイを勉強してこいwwwwww
523 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:15:34 ID:CYxSM6UR
>>620 君は、君のパソコン(又はケータイ)が見えなくて、どうやってその
レスを書き込んだのかねw。
「実在」とは(たとえそれが仮設であっても)、(必要な場合には観測
装置を使用して)五感で知覚できること。だから、仏教でも「色」(見
えるもの)という。例外は「皆無」である。
「実在」のテストは、それが人間の生物的生命に関係するか否かである。
生命がなければ、宗教を含む、人間のいかなる営みも不可能。はじめから
問題にならない。
524 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:20:14 ID:CYxSM6UR
>>523の訂正
×生物的生命に
○生物的生命の維持に
525 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:23:06 ID:URIPouFc
>>519 >超自然的要素を抜きにしても「常識」と異質なものなんですね。
どういう意味で「常識と異質」とおっしゃっているのかよく分かりませんが、
超自然的な話ではない点では十分常識的ですし、
欲望にまみれて生きている普通の人の生き方の「常識」
からすれば「異質」です。それがブッダの教えのユニークなところです。
761 自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、と諸々の聖者は見る。(正しく)見る人々のこの(考え)は、
一切の世間の人々と正反対である。
526 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 01:26:19 ID:TGNmxFjG
話しの視点と定義が違いのです。
>>523 >「実在」とは(たとえそれが仮設であっても)、
>(必要な場合には観測装置を使用して)五感で知覚できること。
PCもPCに触れて操作している自己も本当の「実在ではない」というもの。
これが古代インド思想が一貫して説く見解なのです。
永久にして不滅である自己が唯一なる「実在」です。
それ以外はすべて実在ではありません。
仏教も同じです。
PCもPCに触れて操作している自己も空である。
そこから解脱にて、不滅のニルヴァーナに到達するのです。
アートマンを説かなかっただけです。
527 :
如来不説:2009/02/07(土) 01:35:14 ID:T1e0LKPg
>>526 そうです。おわかりになってきたのではないですか?
>アートマンを説かなかっただけ
しかしそこに大きな意味があることについて考えてください。
敢えて説かず、実在(の有無)について触れようとしなかった、はっきりと
した理由があるのです。
528 :
brown:2009/02/07(土) 01:36:04 ID:ElnASrV9
>>523 不思議だろう?
パソコンは見えも、触れも、聞こえもしないし,レスを書き込むこともなく,
しかもレスを書き込んでいる。
そこに全ての実在があって,しかもそれは見えも,聞こえもしない。
しかもそれはありありと実在し,視覚や聴覚がありありとある。
見えも,聞こえもしないのに。
要するに,抽象的な世界に住しているから,見るべきものが見えていない
のです。
529 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:36:04 ID:CYxSM6UR
>>526 実在でない君が、どうやってキーボードを叩いているのかね。君は幽霊かw。
空である君が、どうやって「解脱」や「nirvanaに到達する」という「行動」
が出来るのかね。「解脱」も「修行」という「身体行動」を伴うのだろ。
古代人の妄想はどうでもよいから、現代人としての知性、知識、経験で答えて
くれ。
宇宙は人間が存在するより前に、果たして存在していたのか?
答え「宇宙はなかった。何故なら知覚する人間がいなかったのだから」
知覚できもしない、観測もできないのだから、宇宙は存在していなかった。
同様に宇宙に始まりはなかった。ビッグバンもなかった。
観測もできないし、知覚もできないのだから。
高温高圧高密度下で物理法則が通用しない状態という時点で、
もはやそのような宇宙が実在していたとはいえない。
・・・と、まぁそういうことが言いたいのかなー?と。
531 :
brown:2009/02/07(土) 01:41:14 ID:ElnASrV9
>>529 そもそも,キーボードや君や幽霊,解脱,nirvanaなどというものが
既に存在しない。それを叩いたり,到達する者も存在しない。
行動する者はなく,行動しない者もいない。
修行などある訳なく,修行しない者もいない。
古代人はなく,現代人も無い。まして,知性,知識,経験などということが
生じたことは一度も無い。
しかも,キーボードで文字は叩かれ,解脱され,nirvanaに到達している。
現代人としての知性,知識,経験を備えており,完全な無住処涅槃に
住している。
532 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:42:46 ID:URIPouFc
533 :
brown:2009/02/07(土) 01:45:10 ID:ElnASrV9
宇宙というものは,現にあるし,過去にも未来にも完全にある。
その全ての転変は完璧で,何一つ欠点がない。
かつて無かったものが生じることはありえないし,これから起こることも
あり得ない。
しかも,それは起こる。
宇宙にはあらゆる可能性があり,しかも唯一の現実しか起こっていない。
しかも,次の瞬間にはあらゆる可能性が起こりうるが,現に次の瞬間には
一つの現象しか起こりはしない。その間にも,あらゆる妄想は起こりうる。
その瞬間にもたった一つの事実しかそこにはない。
一切は矛盾しており,かつ完全に調和している。
534 :
brown:2009/02/07(土) 01:47:39 ID:ElnASrV9
>>532 そもそも病院などというものが既に存在しない。
直すべき病無く,しかも常に病んでいる。
病院はあり,そこに患者が詰め掛けているが,宇宙が始まって以来一度も
病院に患者が掛かったことなどなかった。毎日詰め掛けているのに。
535 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:48:04 ID:URIPouFc
>>531 パソコンがないなら、なぜ「パソコン」という単語を使ったの?存在しないものの名前があるはずないよね。
キーボードがないなら、なぜ「キーボード」という単語を使ったの?存在しないものの名前があるはずないよね。
キーボードが何か、あなたは知るはずもない。それなのに「キーボードで文字は叩かれ」とその性質を正しく
表現してしまった。
つまりあんたは嘘をついてるんだ。
キーボードは目の前に"ある"(実在論云々の話じゃないよ。素朴にただ「ある」と言ってるんだ)のは歴然とした疑いようのない
事実なんだよ。実在しているかどうかは関係ない。それを認識したことを私たちは「ある」と表現しているし、他人にそれで
通じる。言葉というのはそういう使い方をするもの。あんたのはただ言語のルールを無視した、言葉遊び以下の無意味な
ナンセンスワードを並べているだけ。
あんたは店でパソコンを買う時、「このパソコンを一台下さい」という風に言わないのか?
>>533 じゃあ知覚も観測もできないものが実在してるってことになるの?
>>523は間違いってことでいいの?
537 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:50:57 ID:URIPouFc
>>534 日常語で表現されないものは、それ全て妄想。
禅問答の真似事をして何か高尚なことを言っているつもりになっているのかもしれないが、ただの勘違いだからw
コンビニやスーパーでも、職場でもその調子なら褒めてやるよw
538 :
brown:2009/02/07(土) 01:52:48 ID:ElnASrV9
>>535 例えば,「第三次世界大戦」という存在しないものの名称が現に存在している。
名称とは,常に,存在しないものを指すものであり,しかも,存在し得るもの
を常に指すことができ得る。
あなたは,事実を認識することができない。眼が覆われているからだ。
何も見ることはできない。視力がないから。
ものを見ることは,視力を獲得してから可能になる。
しかも,視力は,無始の過去から完全な形で,凡夫でも,三悪趣の民でも,
完全に持ちうる形で,全く備わっている。
>>537 >日常語で表現されないものは、それ全て妄想
これ、ありえなくね? 学術用語って日常語とは違うわけで
物理とか化学とかの論文は全て妄想ってことになるでしょ。
540 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:53:43 ID:URIPouFc
541 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:54:08 ID:CYxSM6UR
>>530 「宇宙は存在した」という「証明」は不可能。単に、現在知覚できるも
の、または過去の知覚の伝達からの「推論」に過ぎない。
知覚の経験は、言語によって伝達可能である。
542 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:55:53 ID:URIPouFc
>>539 日常語という言葉が悪ければ、
日常語ではなく、「論理性のある言葉」ということにするよ。
>そもそも病院などというものが既に存在しない。
直すべき病無く,しかも常に病んでいる。
病院はあり,そこに患者が詰め掛けているが,宇宙が始まって以来一度も
病院に患者が掛かったことなどなかった。毎日詰め掛けているのに。
病院があるのにない、というような相互矛盾な表現は論理のルールを無視しているから、こういうものは全て妄想。
543 :
brown:2009/02/07(土) 01:56:42 ID:ElnASrV9
>>536 知覚し得る,そして現にしているものが存在している。
しかし,眼を覆って,その視覚を常に破壊しているために,常に盲目で
見ることはない。
それ故に,あたかも「見えないものが実在する」
本当は,「見えるものが実在している」のに。
>>540 じゃあ自分にとっての日常語って、書くか、
日常語について定義しなおしてくれないと意味わかんないでしょ。
545 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:58:08 ID:URIPouFc
>>538 >例えば,「第三次世界大戦」という存在しないものの名称が現に存在している。
概念はちゃんと「存在している」。
そしてあんたは今「名称が現に存在している」と珍しく正しい文法を使った。
自分の都合よく、ある時は論理を使い、ある時は論理ルールを無視しはぐらかしているだけ。
546 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:58:56 ID:URIPouFc
547 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 01:59:22 ID:TGNmxFjG
>>529 そのような視点にあるからこそ、
人間の根本的な苦悩は解消されないと説くのが仏教なのです。
キーボードは実在ではない。
キーボードを叩くあなたも実在ではない。
実在ではないものを自己であると見なすことが「無知」(無明)なのです。
自己ではないものを自己のものであるとするところに執着が起きて苦悩を生じる。
これが我々、凡夫の姿であると看破するのです。
それはPC操作をするな!
といった話ではないw
仏教に信を置けないものは信奉しなければ良いだけのこと。
経典内容の改変(現在の常識とやらに合わせた)などトンでもない。
548 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:01:34 ID:URIPouFc
>>547 誰もキーボードを自己と見なしている奴なんていないでしょww
あなたたちと違って、一般の用語では、「実在」はアートマンなどの意味ではないんだよ。
ただ見えて触れることを実在していると表現しているだけ。
言葉遊びも大概にして欲しいね。
549 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 02:02:48 ID:TGNmxFjG
>「解脱」も「修行」という「身体行動」を伴うのだろ。
そう。そうやって・・究極的には真実の自己、
唯一なる実在である真我に意識が留まるのです。
それがニルヴァーナ境地。
それは時間が掛かる。
550 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:03:20 ID:CYxSM6UR
>>539 >これ、ありえなくね? 学術用語って日常語とは違うわけで
>物理とか化学とかの論文は全て妄想ってことになるでしょ。
そんなことはない。科学用語も、すべて日常語で表現できる。対象が
万人に認識可能な「実在」だからである。
日常語で表現できない宗教用語を「妄想」という。対象が実在しないから
である。
551 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:06:01 ID:URIPouFc
>>549 > 唯一なる実在である真我に意識が留
なんだって?? 仏教の話をしているのかと思いきや、ヴェーダ思想じゃないか。
仏教スレで梵我一如を語るとはww
>>550 えと、じゃあダークマターとかって妄想なの?知覚も観測もされてないんだけど。
ニュートリノとかも実在しない?
量子力学って、ぜんぜん観測とかできない前提で学問として進められてるんだけど、
こういうのって「推論」の域を出ないものなの?
553 :
brown:2009/02/07(土) 02:06:29 ID:ElnASrV9
そもそも,目の前にある「もの」を「キーボード」という名称のもので
あるという観念が全く誤っている。
「キーボード」という名称は,個々具体的なキーボードたちの一般化抽象
概念に対して総称した仮設的な人工設定に過ぎない。
しかしそんなものは,ただの一つとして存在しない。
個々のキーボードは存在するけど。「キーボード」は存在しない。
矛盾して,矛盾しない。
全ての現象は同一空間にあって,個別に顕現する。
「キーボード」は存在しない。そのキーボードが存在するだけだ。
しかし,そのキーボードは「キーボード」では全くない。
完全に別ものだ。それを表しているけど。
554 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:08:50 ID:URIPouFc
>>552 そういうことじゃなくて、
どんな難しい専門用語でも、それは説明すると長くなるから短い一語にまとめているだけであって、
説明しようと思ったら日常語だけで説明できるということでしょ。
ダークマターだったら、「宇宙にある星間物質のうち自力で光っていないか光を反射しないために光学的には観測できない物質のこと」
という風に。まあ実際ダークマターは仮説だけどねw
555 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:10:28 ID:URIPouFc
>>553 じゃあんたはキーボードが壊れて新しいキーボードが欲しいと思ったとき、
「キーボードを下さい」とは言わないんだな?
「ピンクのパンティ下さい」とか言えばキーボードが手に入るんだな?
>>554 そうすると、心理学とかが扱ってるのは妄想なの?
人間の心って実在してないことになるよね?
557 :
brown:2009/02/07(土) 02:12:14 ID:ElnASrV9
しかし,
「名称で表される概念がそのとおり実在するというのは誤りだけど,
個別具体的な現象は存在する」
「現象はあるが観念は破壊されなければならない」
などという理解は全くあてが外れている。
そういった理解は概念に過ぎない。
なぜなら,あなた方は盲目だからだ。
生まれてこの方一度たりとも,現にものを見たことはないし,聴いたことも
ない。抽象的な世界にしか生きていないからだ。だから,「個別具体的な事象
な事象は存在する」などといえない。見もしないものだから。
要するに,何も無いということだ。
558 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:13:40 ID:URIPouFc
>>556 心の現象は実在しているでしょ。
心が「物質としては」実在してないが、物質として実在していると思っている心理学者なんて一人もいないでしょ?
559 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 02:14:36 ID:TGNmxFjG
>>534 >宇宙が始まって以来一度も
>病院に患者が掛かったことなどなかった。毎日詰め掛けているのに。
そういうのをニューソートという。
日本でいえば「成長の家」などがこれに該当します。
これは「病気などはない」。
病気に罹っている自己を同一視しないというものであり、
これに完全に嵌ると・・医療の提供すら拒むようになり、死人まで輩出するカルトと化す。
“歩み”においては、知識の摂取とバランス感覚が重要視されるのです。
医療の否定(排除)など・・は、これは己れの肉体には一切、
構う必要がない境地にある者だけに適応される世界です。
食事や口に入れる水、明日の職場についてなど・・に、
あれこれ思考する必要がある内は問題外です。
560 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:14:49 ID:URIPouFc
>>558 じゃあ、知覚できなくても観測できなくても実在するものはあるんだね?
562 :
brown:2009/02/07(土) 02:16:54 ID:ElnASrV9
眼が見えない者に,仏典を触らせてそれが仏典だと分からせるように,
キーボードが壊れて新しいキーボードが欲しいと思ったとき、
「キーボードを下さい」と言って欲しいキーボードを手に入れることが
できる。
あたかも,盲目の徒に,矛盾した言語でbrownが語るようなものである。
563 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:17:55 ID:URIPouFc
>>561 そうじゃないよ。
心の現象は「知覚」できる。
心理学も知覚できるものだけを扱ってるんだよ。
悲しいとか楽しいとか嬉しいとか、全て「知覚」された気持ちでしょ?
>>563 ええとじゃあ、五感で知覚できず観測もできないけど
実在するものはある、というのでいい?
565 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:20:07 ID:URIPouFc
>>562 > キーボードが壊れて新しいキーボードが欲しいと思ったとき、
> 「キーボードを下さい」と言って欲しいキーボードを手に入れることが
> できる。
そのことを「キーボードがある」とまともな人間は表現する。ただそれだけのこと。実在論云々は関係ありません。
以上、言葉遊びは終了で〜〜す。
566 :
brown:2009/02/07(土) 02:20:58 ID:ElnASrV9
>>561 あたりまえのことだが,(たまたまあなたが)知覚できなくても観測できなくても
実在するものはある。
単にあなたが見落としているだけだから。
眼を閉じて何も見えなくても,世界はあり続けるのと同じ。
眼を閉じたので世界がなくなった。死んだので世界は終わりというのは,
単なる傲慢でしょう。
567 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:21:46 ID:URIPouFc
>>564 「五感で知覚できず観測もできない」なら、あるともないとも言えない。
>>567 じゃあ心は、あるともないとも言えないってことになるけどいい?
569 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:24:27 ID:URIPouFc
>>568 心は、脳神経系が作り出す様々な現象の総称だよ。
現象は「ある」。
570 :
brown:2009/02/07(土) 02:25:02 ID:ElnASrV9
自分がいないと何もあるとはいえないというんでしょう。
ある種,仏教的とも禅的とも言えるが,そんなことはあり得ない。
私が知ろうが知るまいが,好きだろうが嫌いだろうが,無関心あろうが,
世界があったりなかったりすることに,いささかの変更も許されない。
そも「私」などというものはかつて無かったから。
>>569 どうやって観測するの? 誰が心が現象として実在することを証明した?
572 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 02:26:05 ID:TGNmxFjG
>>551 >なんだって?? 仏教の話をしているのかと思いきや、ヴェーダ思想じゃないか。
>仏教スレで梵我一如を語るとはww
何もわからん者がそういうのですよ。
ゴータマこそが究極のヴェーダの達人なのです。
「三つのヴェーダ(明知)を具え、心安らかに、再び世に生まれることがない人は、諸々の識者にとっては、
梵天・帝釈天なのである。ヴァーセッタよ、このとおりであると知れ。」 (スッタニパータ656)
「かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれ
は世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨むことがない。」(スッタニパータ947)
「何ものをも所有せず、欲の生存に執著しないバラモン・ヴェーダの達人であるとそなたが知った人、
──かれは確かにこの煩悩の激流をわたった。かれは彼岸に達して、心の荒びなく、疑惑もない。」
(スッタニパータ1059)
「またかの人はこの世では悟った人であり、ヴェーダの達人であり、種々の生存に対するこの執著を捨て
て、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。『かれは生と老衰とを乗り越えた』とわたくしは説く。」
(スッタニパータ1060)
573 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:28:24 ID:URIPouFc
>>571 「心が現象として実在する」
というんじゃなくて、様々な精神現象の総称を心と呼んでいるだけでしょ。
で、それぞれの精神現象が存在することは知覚も観測もできるよね。
例えば、私は悲しいことがあれば泣いて涙が出る。他人にも同じ感情があるかどうか直接相手の気持ちを知覚
できないからわからないが、涙を流すところを観測すれば、相手も悲しんでいるんだなと分かる。
574 :
brown:2009/02/07(土) 02:28:39 ID:ElnASrV9
観測などということは問題とならないし,証明する必要もない。
「存在」は,その存在の側で存在している。そのものの都合があるからだ。
決してあなたの都合で動かない。あなたの都合で存在したり,無かったり
するものではない。あなたが見ようが見まいが,観測しようがしまいが,
証明しようがしまいが,それをあなたは納得しないが,しかも,ありありと
実在する。
575 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:30:09 ID:URIPouFc
>>572 もちろん彼はヴェーダに精通していただろうが、ヴェーダをそっくりそのまま拝借したわけじゃない。
特に梵我一如思想などブッダとは無縁です。
576 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 02:32:38 ID:TGNmxFjG
>>575 同じです。
---違いがあるなら説明を願う!
577 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:34:55 ID:URIPouFc
>>576 ブッダはそもそもアートマンやブラフマンなど、知覚できないもの、人間の認識の及ばない事柄については、
「愚かな考えである」と、無為な論争を繰り返すだけであると、退けたのです。
人間の認識の及ばないことについては無視し取り合わないのがブッダの姿勢です。
>>573 涙が出てるのは目にゴミが入っただけかもしれないし、
なんかの反応や反射的なものかもしれないよ。
心があるかなんて観測できないじゃない。
心がある、というのは推論にすぎないんじゃないでしょうか?
少なくとも五感では知覚できない。それは合ってますよね?
そもそも自分に心があるかどうかだって証明できないし、
悲しいという気持ちがあるということだって、都市伝説のようなものかもしれない。
五感、観測、証明ということでいえば、立証できないし「心は実在しない」ということになるのでは?
>>563で、悲しいとか嬉しいとか、全て「知覚」された気持ちでしょ?と書いてありますが、
要するに「心があると心で感じてるんだから、あるんだよ」といってるように見えるんですよ。
579 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:44:42 ID:URIPouFc
>>578 >涙が出てるのは目にゴミが入っただけかもしれないし、
なんかの反応や反射的なものかもしれないよ。
もちろんそれだけじゃなく、様々な様子から、目にゴミが入ったのでもなく、他の理由でもないことは判断できる。
究極には、相手に質問し、その答えを聴く、という観測方法もあるしね。
>心がある、というのは推論にすぎないんじゃないでしょうか?
少なくとも五感では知覚できない。それは合ってますよね?
「心がある」という言葉の意味がいまひとつはっきりしない。
じゃ、例えば、整数はある? これを考えてみてください。
1という数字はある? 物質として1という数字が実在するわけではないが、まあ「ある」と言っていいよね。
実際日常的に我々は1という数字を使っているから。
2という数字は? これも同様。
しかし整数は無限にあるから、まだ一度も世に現れていない数字もあるはず。でもやはり「整数はある」
と言えるよね。1,2,3・・・・・ これらの無限の数の総称として、ちゃんと考えることができるから。
要するに、物質的なもの以外でも、「正しい論理」によって把握可能、言及可能なら、それは「ある」と
言えるはず。もちろん物質的「実在」とは実在の意味合いが違うが。
「心がある」という表現もこれと似たようなものでしょう。物質的実在としてなら、あなたの言うように
「五感、観測、証明ということでいえば、立証できないし「心は実在しない」」ということになるでしょう。
580 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:46:13 ID:URIPouFc
>>578 >
>>563で、悲しいとか嬉しいとか、全て「知覚」された気持ちでしょ?と書いてありますが、
> 要するに「心があると心で感じてるんだから、あるんだよ」といってるように見えるんですよ。
「心」という言葉、概念を全く知らない人でも、悲しいと感じたり、嬉しいと感じたりして、そのような感情を自覚的に
認識するわけで、やはり現象としては明確にあるわけです。
>>579 > もちろんそれだけじゃなく、様々な様子から、目にゴミが入ったのでもなく、他の理由でもないことは判断できる。
> 究極には、相手に質問し、その答えを聴く、という観測方法もあるしね。
結局、心で判断してるでしょ?相手に質問したりして、
心があるかどうかを判断してるのは心じゃない?この場合。
違います?
私は心がある、ということについてどうこうというより、
「五感で知覚できず観測できないものは実在しない」というのは間違いなんじゃないかと
いいたいわけですよ。
> 「心」という言葉、概念を全く知らない人でも、悲しいと感じたり、嬉しいと感じたりして、そのような感情を自覚的に
> 認識するわけで、やはり現象としては明確にあるわけです。
これは、私も全くそうだと思うんですけど、
結局、心があると思うのは心でそう思ってるだけだともいえると思うんですね。
いいかえると、心は心でしか知覚できない。色が目でしか知覚できないように。
だから仏教では五感に意を加えて、六入とかそういう言い方をする。
心でしか知覚できないものが実在するんじゃないでしょうかね。現象として。
583 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:51:31 ID:URIPouFc
>>581 実在の対象を明確にするために、概念や数学的抽象などを除いて、物理的なものだけを対象とするなら
「五感で知覚できず観測できないものは実在しない」はやはり正しいですよ。
584 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:54:27 ID:URIPouFc
>>582 >心があると思うのは心でそう思ってるだけだともいえると思うんですね。
それはその通りです。「思う」ということも脳神経系の働きの一つですから。
五感+意の六入は、まさにそういう「脳神経系の働き」と言い換えられると思います。
>>583 問題は、宗教的概念とか心とかそういう事柄に関して
物理的なものだけを対象とするような方法で実在を規定することが妥当かどうかということです。
私はちょっと妥当性に欠けるんじゃないかと思うわけです。
>>584 つまり、五感、観測、証明という方法では、心が実在しているということは
いえないわけです。でも心は現象として存在しています。
つまり、五感、観測、証明というのは、心に対しては不適当なアプローチの仕方
ということになるのではないでしょうか。
587 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 02:58:58 ID:URIPouFc
>>585 先の心理学の話にしても、確かに現時点では曖昧であやふやな部分が多いです。
それは物理学のような客観的な観測手法がまだないからです。
例えば人の頭脳の電気の流れをリアルタイムで観測でき、その脳の働きも明確に分かれば、
五感も意も、ちゃんと物理的対象の作り出す現象として分析可能になると思いますよ。
ただしまだまだ遠い未来でしょうが。(最近では、心で想像した単純な画像をモニターに表示できるくらいにはなっています)
588 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 03:00:26 ID:TGNmxFjG
>>577 無記の姿勢については理解します。が、
ヴェーダ/ウパニシャッドの説く真理を間違いだと説いたものではありません。
無我=アートマンの否定は後世の仏教者による間違いです。
また常見とは、アートマン(我)ではないものを我=自己(アートマン)であると見なして、
それが永久不滅であるする誤った見解をいう。
このスレの主な投稿者は
1.ただの唯物論者(宗教全般について否定的)。
2.断滅仏教者(死んだら終わりであり、引き継がれる業報も来世もない説く)
3.伝統仏教者(経典の記述通りに信奉しており、伝統的かつ保守的。
虫けらへの転生も肯定し、無我をアートマン否定と解してバラモン/ヒンドゥーをただの外道とする)
4.宝珠愚者及びカラス氏、以外には残念ながら殆ど出現がみられないw
(経典の記述から真義を読み取り、究極の境地においては宗教諸派の違いは問題としない)
という、
4パターンの人がいるものと分析する。
>>587 そりゃあそうかも知れないが、そんなこといったら
輪廻とかの概念だってそのうち脳波やらの精密な解析によって
科学的に分析できるようになる「かもしれない」でしょう。
ただしまだまだ遠い未来でしょうが。ということになるのでは?
590 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 03:02:51 ID:URIPouFc
>>586 >つまり、五感、観測、証明という方法では、心が実在しているということは
いえないわけです。でも心は現象として存在しています。
「心は現象として存在しています」ということを「心が実在している」と表現するのではありませんか?
それとも実在の意味が違うのかな?言葉遣いの問題だけのような気もします。
>>590 「心は現象として存在しています」ということを「心が実在している」と表現しているつもりです。
586では、五感、観測、証明という方法では、心が実在している、とはいえない。
しかし、現実に心は実在している。
つまり、五感、観測、証明という方法が間違っている。ということが言いたいわけです。
592 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 03:06:25 ID:URIPouFc
>>588 >無我=アートマンの否定は後世の仏教者による間違いです。
私は、「ブッダは我=アートマンを否定した」なんて言ってませんよ。それどころか、そんなものは自我に固執する見解として完全無視したのです。
1119 (ブッダが答えた)、
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
593 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 03:07:33 ID:URIPouFc
>>588 ちなみに私はその4パターンのどれでもないですね。
594 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 03:10:14 ID:TGNmxFjG
>>592 >そんなものは自我に固執する見解として完全無視したのです。
了解しました!
それは正しい無我の教えです。
595 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 03:14:00 ID:URIPouFc
>>589 「かもしれない」といえばなんでも言えます。しかし心理学的なことは、既に色々と手がかりはあるのです。
脳医学も発達していますし、精神医学も心理学もまだまだですが、一応色々と人間の精神活動について研究しています。
一方、生まれ変わりについては一切手がかりがありません。今後それが観測可能になるという望みも全くありません。
方法論自体が存在しないのですから。もし本当に前世があるなら、確かめることは簡単です。来世が見えるという人を複数人
読んで、誰かの来世を見てもらえればいいのです。細かいところまで証言がきっちり一致すれば(もちろん口裏合わせられないことが前提)、
それは考慮する価値が生まれます。しかしこんな簡単な確認方法があるのに、確認されたことは一度もありません。
>>591 >「心は現象として存在しています」ということを「心が実在している」と表現しているつもりです。
586では、五感、観測、証明という方法では、心が実在している、とはいえない。
しかし、現実に心は実在している。
つまり、五感、観測、証明という方法が間違っている。ということが言いたいわけです。
五感、観測、証明により、心の現象が捉えられ、「心は現象として存在しています」と言えるならば、
「心が実在している」と言って問題ない気がしますが。
596 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 03:15:43 ID:TGNmxFjG
>>593 そうでしたか。
では、その形式で述べると簡単にはどんな見解の方ですか?
それを明らかにし、
できればコテハンの使用を推奨します。
>>193
597 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 03:16:20 ID:URIPouFc
>>595 途中で前世を来世と書き間違えました。全て前世にしてください。
598 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 03:19:05 ID:URIPouFc
>>596 私の立場は、認識できないものについては何も断定しない。つまり中道です。
私は存在しないのでコテハンは使用しませんw
599 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 03:22:02 ID:TGNmxFjG
>>598 >私の立場は、認識できないものについては何も断定しない。つまり中道です。
よく見かけるパターンですが、
ということはつまり、輪廻転生にも否定的?
もしくは無関心という姿勢で宜しいですか?
>>595 来世や前世については、群盲象を撫でるの現象もありうると思うので、実際にチャネリング?できたとしても
そう簡単に証明できるようなケースが出現する方がおかしいという考え方もあるような気がします。
人によって切り取り方が違うってこともあるでしょう。
(私自身は来世や前世については不明としか思ってませんが)
ただ、生まれ変わりについて手がかりがないように、心についても手がかりがない。
今後それが観測可能になるという手がかりもない。と私には思えます。
あるのは、心理現象があるという前提での推論のみで、
心の存在自体へのアプローチはないのです。
「これは悲しみだ」「これは喜びだ」全部、心があるという前提で話が進んでいます。
でもその前提が疑われている場合、あまりこの手の観測には意味がないわけです。
顔を赤くして怒鳴り散らしている時、大脳辺縁系の神経が興奮している。
でも、だからといって、心があるということの証明にはならないわけです。
> 五感、観測、証明により、心の現象が捉えられ、「心は現象として存在しています」と言えるならば、
> 「心が実在している」と言って問題ない気がしますが。
それはそうですけど、「と、言えるならば」の部分で、言えないじゃないですか。
五感、観測、証明では心の現象が捉えられません。
「心がある」という前提でのみ、その現象が解釈されるように思えます。
601 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 03:27:31 ID:URIPouFc
>>599 輪廻転生が仏典における象徴的表現やメタファーではなく、現実の現象として生まれ変わりがあるということであれば、
もちろんそんなことは肯定も否定もどちらも証明できないのですから、全く役に立たない「愚かな考え」です。
それは肯定説(神秘主義的)も否定説(唯物論的)も捨て去るのが正しい。
ただ完全に無関心ではありませんね。「生まれ変わりを信じる人」の発想つまり妄想がどうやって生じるか、ということ
には興味がありますから。
602 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 03:33:56 ID:TGNmxFjG
>>601 やっぱり、そうですか--了解しました。
ゴータマは輪廻について確認したんですけどね・・・。
凡夫は自己ではないものを自己であると思っているので、流転変滅して輪廻を繰り返していると。
このことを説いたのです。
ただ我々、凡夫には確かに確認は困難。
自己確認できないものは信用しないというなら、それも一つの姿勢でしょう。
私は仏教理論に納得するのでゴータマに信を置きます。
つまり、凡夫は輪廻転生しており、そこから解脱すると説くのが仏教であると理解します。
603 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 03:34:53 ID:URIPouFc
>>600 >来世や前世については、群盲象を撫でるの現象もありうると思うので、実際にチャネリング?できたとしても
そう簡単に証明できるようなケースが出現する方がおかしい
それならば、結局チャネリングできたのか、ただの妄想なのか、区別は付かないということです。
通常、妄想と区別の付かないものは、妄想扱いして無視するものです。
>ただ、生まれ変わりについて手がかりがないように、心についても手がかりがない
心というのは何か個体ではありません。精神活動の総称です。精神活動の現象は認めるのに、心について
手がかりがないというのはどうも表現としておかしい気がします。例えば、きゅうりやピーマンや人参やキャベツはあるのに、
野菜はないと主張するようなものです。きゅうりやピーマンや人参やキャベツが実在するなら、「野菜も実在する」と
言えるのではありませんか? 「野菜そのもの」がどこかに実在するわけではありません。
>顔を赤くして怒鳴り散らしている時、大脳辺縁系の神経が興奮している。
でも、だからといって、心があるということの証明にはならないわけです。
その「顔を赤くして怒鳴り散らす」現象そのものを「心」と定義するのだと私は考えていましたが。そういう現象と別個に、独立に
「心」を定義していらっしゃるのなら、私とのすれ違いの原因は定義の違いでしょう。
「顔を赤くして怒鳴り散らす」現象を見て、怒っていると感じるのは
五感で感じているのではなく、心で感じているといっているのですが。
605 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 04:03:24 ID:URIPouFc
>>602 >ゴータマは輪廻について確認したんですけどね・・・。
それは経典にそう書いてあるから、そう信じる、ということですね。(私は経典をそうは読みませんが)
>凡夫は自己ではないものを自己であると思っているので、流転変滅して輪廻を繰り返していると。
ゴータマが説いたことはともかく、ロジックとしては、「凡夫は自己ではないものを自己であると思っている」(つまり錯覚している)
ことから「流転変滅して輪廻を繰り返している」は論理的帰結として出てきませんね。
>自己確認できないものは信用しないというなら、それも一つの姿勢でしょう。
自灯明、法灯明というように、ブッダは「自己確認」と「論理」つまり「智恵」に重きを置いた人だと思います。
969 智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。
>つまり、凡夫は輪廻転生しており、そこから解脱すると説くのが仏教であると理解します。
表現としては同じですが、私の理解はその意味合いが違います。
輪廻とは、現世において繰り返し「苦」が生じることで、そこから抜け出し(=解脱)、完全に苦を滅して絶対の安楽の境地に至ることが「悟り」だと理解しています。
まあ、最後はどうやら「信仰」に集約することになるのでしょうね。
珍しく感情的にならずにやり取りできる方だったので面白かったです。
>>604 > 「顔を赤くして怒鳴り散らす」現象を見て、怒っていると感じるのは
> 五感で感じているのではなく、心で感じているといっているのですが。
「心で感じている」と表現した瞬間、心の存在を認めたことになりませんか?
心が実在しないなら、「心で感じている」とも言えないはずです。
五感、観測、証明という方法では、心の実在を立証できません。
あ。怒ってるな。ああ、この人は悲しいんだな。そう思うのは
「心で」感じているのであって、五感では感じることができません。
すれ違いの原因はここだと思います。
五感では、心はわかりません。観測できません。
心があることを証明はできません。
心があるという前提があるから、
顔を赤くして怒鳴っているのを見て怒っていると認識できるだけです。
「通常、妄想と区別の付かないものは、妄想扱いして無視するものです。」
そうおっしゃるなら、心があるということも
妄想扱いして無視しなくてはならないのではないでしょうか。
心がある人にとっては心は実在する。
でも他者と情緒的コミュニケーションをとるという意味での心がない人
(そういう障害がありますが)には、そういう世界があるらしい、としか映らない。
でも、情緒的なコミュニケーションは実在します。
ひとが悟りを目指すのは、心の中に仏性があり、仏性の部分は既に悟っているからでは
ないでしょうか。
でも仏性が埋もれていれば「悟り?ハァ??」という状態でしか考えることができない。
心があってはじめて、心を知覚できるように、仏性があるから悟りがあるということが
なんとなくでも分るのでは?
でも、客観的には、本当に悟りがあるのか、それとも妄想なのか区別ができない。
妄想と区別のできないものだから、悟りを開くという概念自体を無視するのが通常だと
思いますか?
>
>>604 > > 「顔を赤くして怒鳴り散らす」現象を見て、怒っていると感じるのは
> > 五感で感じているのではなく、心で感じているといっているのですが。
>
> 「心で感じている」と表現した瞬間、心の存在を認めたことになりませんか?
> 心が実在しないなら、「心で感じている」とも言えないはずです。
私は心の実在は認めています。ただ、五感によって知覚するわけじゃないといっています。
心で知覚しているんです。心を知覚できるのは心だけです。五感じゃありません。
心で知覚するが故に心が実在すると私はいっています。
五感では心を知覚することはできません。といっています。
故に、心の実在性に対しては五感、観測、証明のアプローチは間違っているといっています。
608 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 04:16:05 ID:URIPouFc
>>606 どうやら、あなたは現象より先に「心」というものを考えているようです。どう定義するのかは分かりませんが、
現象に先立つ「心」なるものは観測できないし、それは「存在しない」と言う他ありません。
>あ。怒ってるな。ああ、この人は悲しいんだな。そう思うのは
「心で」感じているのであって、五感では感じることができません。
私は五感で感じていようが何で感じていようが、感じ方とは関係なく、ただ「怒り」「悲しみ」などの反応の総称を「心」と呼んでいるだけです。
>そうおっしゃるなら、心があるということも
妄想扱いして無視しなくてはならないのではないでしょうか。
心の定義によります。現象に先立つ「心」というものを夢想するのであれば、それは妄想と区別付かないと思いますし、そのような
心は捉えられませんから私は無視します。
>ひとが悟りを目指すのは、心の中に仏性があり、仏性の部分は既に悟っているからでは
ないでしょうか。
ここらへんも、「悟り」「仏性」の定義の問題になります。
609 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 04:36:27 ID:TGNmxFjG
>>605 >それは経典にそう書いてあるから、そう信じる、ということですね。(私は経典をそうは読みませんが)
確かにそうですが、これは盲目的に受け入れることではないりません。
説かれている内容を理性的に理解するからです。
>「凡夫は自己ではないものを自己であると思っている」(つまり錯覚している)
>ことから「流転変滅して輪廻を繰り返している」は論理的帰結として出てきませんね。
それを無常と説いたのです。自己ではないものを自己のものと見なす執着/渇愛(タンハー)に苦悩の
原因があり、そこに再び転生する業力(作用)を認めるのです。
>ブッダは「自己確認」と「論理」つまり「智恵」に重きを置いた人だと思います。
自分自身で確証を得たものだけに信を置くことは間違いではなく、ゴータマも推奨される姿勢でしょう。
しかし、ゴータマの説いた教えを部分だけ摂取しようとする姿勢は、仏弟子とはいえないでしょう。疑うの
は自由ですが、疑いが晴れてから信奉することになるからです。
>輪廻とは、現世において繰り返し「苦」が生じることで、
>そこから抜け出し(=解脱)、完全に苦を滅して絶対の安楽の境地に至ることが「悟り」だと理解しています。
仏教の説く苦からの解放とは、ただの精神カウンセラーのようなものではありません。ならば現代のカ
ウンセラーと倫理学で事足ります。
>まあ、最後はどうやら「信仰」に集約することになるのでしょうね。
>珍しく感情的にならずにやり取りできる方だったので面白かったです。
ま〜お互い認識に違いがあることは正常であって、ある意味でとても良いことです。
その互いの違いについて知り、そこから学ぶことが重要。
610 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 04:52:32 ID:URIPouFc
>>609 > 説かれている内容を理性的に理解するからです。
> 自分自身で確証を得たものだけに信を置くことは間違いではなく、ゴータマも推奨される姿勢でしょう。
> しかし、ゴータマの説いた教えを部分だけ摂取しようとする姿勢は、仏弟子とはいえないでしょう。疑うの
> は自由ですが、疑いが晴れてから信奉することになるからです。
あなたは、自分自身で確証を得たものでない「内容を理性的に理解」したのですか?それは矛盾していませんか?
また、「ゴータマの説いた教えを部分だけ摂取しようとする姿勢は、仏弟子とはいえない」なら、あなたには
どれが「ゴータマの説いた教えを部分」でどれがそうでないのか正確に分かるのでしょうか?
また、「疑うのは自由ですが、疑いが晴れてから信奉することになるからです」なら、疑いが晴れる前に
信奉する必要はないとも言えますね。
> 仏教の説く苦からの解放とは、ただの精神カウンセラーのようなものではありません。ならば現代のカ
> ウンセラーと倫理学で事足ります。
現代のカウンセラーや倫理学に、愛や喜びも執着であるから捨てなさい、と説いているものがありますか?
愛や喜びも怒りも悲しみも、あらゆる執着、苦を完全に滅し去ることがブッダの教えです。
そんな考え方がカウンセラーにあるでしょうか?実践できているカウンセラーがいますか?いないでしょ?
やはり 「現代のカウンセラーや倫理学」とは全くレベルの違うものです。現代のカウンセラーや倫理学では、
人間は時には幸せなこともあれば時には不幸なこともある。ほどほどに遊んで、ほどほどに酒飲んで、ほどほどに贅沢して、
バランス取って生きましょう、という程度のものでしょう。徹底して清貧と心の平安を説いたブッダの教えとは相容れません。
> >まあ、最後はどうやら「信仰」に集約することになるのでしょうね。
> >珍しく感情的にならずにやり取りできる方だったので面白かったです。
>
> ま〜お互い認識に違いがあることは正常であって、ある意味でとても良いことです。
> その互いの違いについて知り、そこから学ぶことが重要。
611 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 05:23:42 ID:TGNmxFjG
>>610 >あなたは、自分自身で確証を得たものでない「内容を理性的に理解」したのですか?
>それは矛盾していませんか?
この場合の確証とは「体験」を必ずしも意味しません。
私は理論的にも理解できているので納得済みなのです。
>あなたにはどれが「ゴータマの説いた教えを部分」でどれがそうでないのか正確に分かるのでしょうか?
はい、自分なりの次元で把握しています。
>疑いが晴れる前に信奉する必要はないとも言えますね。
もちろんそうです。信奉する必要はどこにもありません。
>やはり 「現代のカウンセラーや倫理学」とは全くレベルの違うものです。
確かにその通りです。しかしそれは、ニルヴァーナという究極の境地に至る過程に過ぎない。
>1086 (ブッダが答えた)、
>「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪
>りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
あなたが引用した通りです。
不滅の境地がニルヴァーナであって、今生で終焉消滅するようなものではありせん。
その究極の心の平安はその過程、及びニルヴァーナ境地に付随する状態の一つです。
612 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 05:25:34 ID:TGNmxFjG
613 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 05:32:50 ID:CYxSM6UR
「実在」と「存在」とを区別しないから、議論が混乱する。
「実在」とは、物質(具象物)の存在のこと。
「存在」とは、その他の場合(精神、感情、理性、等の存在)をいう。
人間は、物質に100%維持しない限り生存できない(即ち、精神も生じない)。
従って、生命の維持に必要なのは、物質(具象物)の実在だけ。妄想、空想、心
の存在だけでは、生命の維持は出来ない。それらはすべて、維持された生命の機能
に過ぎないからである。
従って、心は「存在」するが、「実在」はしない。
なお、他人の心は、その者に成り代わらない限り、本当には分らない。その者
の、知覚された外見や行動から、「推測」できるだけである。従って「他人の
心は、本当には絶対に分らない。従って、論じることも不可能」という結論
でよい。知覚された外見や行動も、その者の「心」には反した「偽り」である
こともあり得るからである。また、自分の心でさえ、完全には分らない。自分の
心を判断するのは、もう一人の自分であり、そのもう一人の自分を判断する
のは、更にもう一人の自分である、というように無限に連続し、結局は、自分
の主観を出ることは出来ないからである。
従って「心そのものを論じる」のは、心理学的に外部から観測できる場合を除
き、無意味である。
614 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 05:46:23 ID:TGNmxFjG
>>613 古代インド思想では、
我々の触れるこの森羅万象の現象世界は「実在」とはみなさない。
それは「存在」していないものとして説くのです。
実在ではないものを自己のものであるとする見解に苦悩がある。
自己のものではないのに自己のものであると見なすからです。
自己ではないものを自己であると見なし、存在しないものを実在で見なすところから、
人は生に執着して、死を望まざるものとして捕らえるところから苦悩をみる。
あなたのいってることなど、
ここの投稿者はみんな知ってることですよ。
そのような見解によっては、人間は苦悩から解放されない。
>>611 ニルヴァーナとは、即身仏の境地と解しても良いですか・・?
>>612 宝珠=たまねぎというわけですか?
>>613 では、魂については如何でしょうか。
>>614 >>614 仏像のデザインについて考察する=形而上学
仏さまのご利益について考察する=形而下学
ということでよろしいですか?
それを統合したものが、所謂密教という形で解しても良いでしょうか・・?
すみません。訂正です。
では、魂については如何でしょうか。
>>614 のアンカー614はミスです。スルーしてください。
617 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 07:50:34 ID:0wzzYAHL
>>494 >机さんの話の力点が「無常性の理解」にあるということを、相手にわかって
もらえていないのではないかと思います。
そうですね。
>>501 >「宗教」ほど「くだらない」ものはないことも、同時に念頭
においてください。
これが無宗教者の大間違いですね。
(まあ、こういうふうに誤解するのも理解はできますけどね)
宗教というのは平易に言えば「もともとの教え」って意味ですから、
宗教において何らかの観念を挿入するんじゃなくて、その反対ですね。
(仏教に限って言えば)
つまり原点回帰なんですよ。
(本来の自分とは何なのか?これですね)
つまりこれが、禅でいう「父母未生以前の本来の面目」ってやつですよ。
でも関心がなければ・・・それはそれで終了ですね。
宗教というのは、関心(疑問)があって、それで成り立つわけですから。
618 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 07:53:24 ID:TGNmxFjG
>>615 質問の回答
この身このまま成仏(輪廻から解脱した存在を仏陀という。仏陀に成ることが成仏です)することが本
来意での「即身成仏」という言葉の意味です。が、一般に「即身仏」と呼ばれるものは、即身成仏を理想
としながら、最終的に意識的に死に至ったミイラ存在を指します。
五穀・十穀を断って、木の実だけを口にするような木喰修行の末に、最終的には木喰を断って死を迎
えます。これらのミイラ僧は特殊な事例です。
ニルヴァーナとは無常なる縁起空の現象世界、その一切の制約から解放された境地であり、流転変滅
の無き不滅の意識境です。生存中は肉体を所有している意味での最低限の制約はあるから、これを有
余依涅槃といい、肉体を放棄した後において完全なる無余依涅槃の境地があると見なします。
「宝珠」は、「如意宝珠」から摂ったものです。仏像や龍神が手に掴んでいる神秘の球体がそれであり、
願うを適えてくれる神通力の象徴です。つまりドラゴンボールです。私は愚者なので玉ネギにもなれないw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E7%8F%A0 存在そのもの(の有無)の概念について論じるのが「形而上」であり、存在がすでに既定している概念に
ついて論じることが「形而下」です。従って、仏像のデザインは「形而下」問題。仏さまのご利益は、在るの
かないのか?信じる信じない?という議論になりますから、そういう意味では「形而上」問題です。通常は
死後の世界など、形としては捉えられない問題などについて学ぶことを形而上学といいます。
密教世界にも当然、形而上下、双方の内容を含みます。密教は顕密二教論といって、理論的に説明で
きる部分としての「顕」を超えた真義、つまり表面上の理論を修得し終えた者だけに明かされるという、仏の
神秘について伝授するのが「密」なる教えだとする考え方です。これはゴータマとは異なる教えではあります
が、インドの根源的な原初の思想を見直して、パラモンの秘儀を取り入れていった特殊な大乗一派です。
インド仏教においては最後の切り札でした。
619 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 07:59:41 ID:TGNmxFjG
「無常なる縁起/空の世界には真実の自己はない(これが無我の教え)」とゴータマは教えた。その世界
から解脱した存在である仏陀の意識をインド思想では「真我」というのです。その意識とは、無常なる流転
変滅(輪廻)する“非実在”の世界から、永久不滅の意識に立脚した唯一なる「実在」へと留まり、そこに
「常住」すること。これがニルヴァーナ意識境です。
つまり、一般民衆に蔓延る迷信を排除し、また究極の境地に到達できない多くのバラモンたちに対し、古
代インドの説く真理(思想)を実際に体現してみせたのがゴータマ仏陀でした。
しかし私自身も昔、仏教(原始仏教)しか知らなかった頃は、バラモン・ヒンドゥーなどはゴータマが否定し
て捨てた外道だと見なしていた。無我だからアートマン否定だ。バラモンは外道だと・・。
私のその見解に変化を来たしたのは、自分自身でラマナ・マハリシの教えに触れたからでした。それがな
ければ、おそらく簡単には無理だったかもしれません。。
ここでちょっと参考までに、ラマナ・マハリシとシャンカラの説く仏教(徒)に関する内容を紹介したいと思い
ます。これは単純に読み物として掲載します(ネット上初掲載かも?)
620 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 08:00:24 ID:TGNmxFjG
【1935年6月15日
ノウレスという若い男性が接見にやってきた。彼はポール・ブラントンの2冊の本を読んでいた。彼が質
問した。
-----仏教徒は「私」は実体がない(無我/アナートマン)といいますが、ポール・ブラントンは『秘められた
インド』の中で「私」という想念を乗り越え、「私なるもの」(真我/アートマン)の状態に達するようにいって
います。どちらが本当なのでしょうか?
マハリシ***二つの「私」があると考えられます。一つは低次で、実体がなく、誰もがそれに気付いていま
す。そしてもう一方は高次で、実在であり、実現されねばならぬものです。
あなたは眠っているとき、あなた自身に気付いていません。目覚めてからあなたは眠っていたというので
す。あなたは眠っていることを深い眠りの状態では知らなかった。従って多様性の観念は肉体の意識に従っ
て生じてくるのです。それは起源と目的を持っています。生まれ来るものは何ものかに違いありません。そ
の何ものかとは何でしょうか?それは「私」という意識です。私とは誰か?私はどこから生じたのか?源を
辿ってゆけば、あなたは絶対意識の状態を実現するでしょう。
-----この「私」とは誰なのですか?それはただ、感覚の印象が詰まっているものにしか見えません。仏教
徒の考えもまたそのようです。
マハリン***世界は外部的なものではありません。印象は外部にその起源を持つことはできません。なぜ
ならば世界は意識によってのみ知覚されるからです。世界は自己が存在するとはいいません。それはあな
たの印象なのです。しかしそうではあっても、この印象は一貫性がなく、破壊することのできるものです。深
い眠りの中では世界は知覚されません。従って眠っている人にとって世界は存在しないのです。つまり世
界とは自我の結果なのです。その自我を発見しなさい。その源を発見することが最終的な目標です。
621 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 08:07:49 ID:TGNmxFjG
622 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 08:17:01 ID:TGNmxFjG
【23 仏教徒によれば、この一切は、じつに瞬時に滅し、間断なく生ずるダルマ(=存在の要素)にほか
ならない。この一切は瞬時に滅するのであるが、ちょうどこの瞬間の灯火が、類似性ゆえに、前の瞬間に
あった灯火と同じであるという認識が生ずるように、類似性のゆえに、これは過去のあれであるという認
識が生ずる。この一切を寂滅に帰することが、人生の目的である。
24 ある仏教徒によれば、自分とは本性を異にするものによって顕現される色・形などの外界の対象は
存在する。他の仏教徒によれば、この識以外の何ものも存在しない。今から前者の説の不合理性が説明
される。
25 識(=統覚機能)は外界の対象の形をとり、かつ瞬時に滅するから、それは決して記憶をもたない。
また、統覚機能は瞬時に滅するから、どこにも潜在印象を保持することはない。
26 潜在印象や記憶を保持するものすら存在しないのであるから、この瞬間における灯火と、前の瞬間
における灯火との類似性を確認する手段もない。それゆえにかれら仏教徒の理論は不合理である。もし
潜在印象と記憶の場があるならば、一切は瞬時に滅するという理論は捨てられるであろう。しかしそのこと
は、かれらの望むところではない。(韻文篇第16章)
《訳注--シャンカラはここでは、説一切有部と軽量部に代表される部派仏教と唯識説に共通した主張を
念頭にいいて批判しているように思われる。》
623 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 08:17:32 ID:TGNmxFjG
72 仏教徒たち(おそらく唯識学派)は、統覚機能のもろもろの観念はまさしくみずから顕現し、みずから
認識主体である、とこのようにいって、統覚機能のもろもろの観念以外の認識主体の存在を否定する。
73 もしこのように、これらの統覚機能のもろもろの観念が、他のなにものによっても見られないとするな
らば、この仏教徒たちをいかにして排斥するかを述べよ。たとえ、それらの統覚機能のもろもろの観念の
有無は、決して他のものによって認識されないとしても、
74 それら統覚機能のもろもろの観念は、アートマン以外の連続的に認識主体をもっている。われわれ
は次のように答える。それもまたそれらの統覚機能のもろもろの観念と等しいものである。なぜなら、他の
認識主体があるとしても、それもまた統覚機能のもろもろの観念も、等しく非精神的なものであるからであ
る。(韻文篇第18章)
16 《仏教徒の反論》 たんに議論のために、万一存在するアートマンがあるとしても、それは非存在に
等しい。なぜなら驢馬(ろば)の角と等しいから、仏教徒の立場からすると、存在の証拠となる実際の働き
をもたないからである。《返答》 しかしそれはただしくない。その実際の働きをもたないということは、ある
ものが存在しないことの証拠とはならないからである。あるものが存在するということは、それが実際の働
きをもっているというその事実からは確立されない。反対にあるものが実際の働きをもつからといって、そ
れとは別様という証拠にはならない。
17 そしてさらに、その存在は、実際の働きをもたないという主張は確立されない。なぜならその存在は、
まさしく君の考察の原因であるから。また二元は、幻力(=マーヤー)によって、その存在から流出するか
らである。存在は天啓聖典によって、古伝書によって、はたまた理論によっても、確立される。しかしそう
でなければ、理に合わない。(韻文篇第19章)】
(「ウパデーシャ・サーハスリー」シャンカラ著/前田専学訳-岩波文庫)
シャンカラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A9
624 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 08:54:04 ID:TCKNPIOR
625 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 09:01:23 ID:0wzzYAHL
>>511 >簡単ですよ。パソコンについては証言が一致し、来世については一致しないからです。
それはたまたま証言が一致したかもしれませんけど、
パソコンを確認するのは、隣人の眼でするのですか?
そうじゃないでしょ?
自分の眼で確認する。→これを感受作用という。
パソコンがあるか?ないか?は隣人では確認は不可です。
また、来世についても自分で想念する。→これを認識作用という。
(隣人の想念は確認不可です)
感受作用も認識作用も、五蘊の作用ですから同じもんです。
ただ、感受作用については視覚であったり触覚であったり感受に具体性があるだけです。
具体性があったとしても、
パソコンがあるか?ないか?を確認するのは、貴殿に依存しなければ絶対無理です。
隣人が「パソコンがある」と証言しているのは、隣人に依存して(パソコンが)あるわけで、
もしかしたら隣人には「ない」場合もある。
(あくまでも推測でしかない)
626 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 09:04:56 ID:TGNmxFjG
>>624 まっ、読み物だから許して!(特別寄稿)
627 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 09:17:26 ID:2ifi1tJF
628 :
初代スレ7:2009/02/07(土) 09:22:13 ID:zsBZXt6B
635 初代スレ7 sage 2009/01/22(木) 11:05:22 ID:2Su5dqgu
>> 628
>こちらは経典の主張とも矛盾しない
そういうことではなくて・・・w
>> 510に於ける批判は、
≪ ○○という文献があった場合に、Bという結論ありきで、【Bに合うように】【○○を解釈している】 ≫
≪ その解釈は、【文献の語義通りではない】≫
というものでしょう?
で、貴方の姿勢もまた、
≪ ○○という文献があった場合に、Aという結論ありきで、【Aに合うように】【○○を解釈して】いませんか? ≫
≪ その解釈が、たまたま【文献の語義通りであった】 ≫
ということではないですか?ということです。
皮肉を込めて言えば、
≪ Aという主張をしていくに際し、「お、○○にこんなことが書かれてる。ラッキーw」って感じじゃないですか? ≫ と・・・。
(過去の貴方の言動や引用の仕方、【Aの正しさを示す事例の挙げ方】等からすれば)、
≪ 【○○から導かれたA】ではないでしょう? ≫ と・・・w
≪ 貴方にとっての○○は、【Aを補完(≒権威付け)する為の素材】に過ぎないのでは? ≫ と・・・・・・。
629 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 09:58:40 ID:TGNmxFjG
>>628 これはまた古いお題ですねぇ^^
いや、無視するつもりではありませんが・・ちょっと、うまい返答を思いつかなかったのですよw
これは簡単にいうと、確かに7さんのご指摘の通りであり、特に弁明の余地はありません。それでは、私
のいうものと7さんのいう姿勢には違いがないのに、私は一方的に7さんの見解を否定してるというかもしれ
ません。これについての理解は時間を要するといか、こちらとしてはいいようがないのです。
7さんがもし、輪廻転生が事実かどうかは自己確認できないから、それについては自分は特に関わらない。
仏道はその歩みにおいて等しく結果が付いてくるというのだから、それで別にいいじゃないか!というなら、
それはご自由にどうぞということなのです。
ただ私がいっているのは、輪廻転生を認めなければ、ゴータマの壮絶な修行の意味は何かを説明し得な
い。また、死期が近い者にとっての仏道修行ではどのように解脱成仏を説くのか?といった問題については
解消されない、といっているのです。
また、そこ(輪廻)だけ否定的に受け取るという姿勢は、随分とゴータマに対する信頼性が足りないのでは
ないか?ということをいいたい。それだけです。
>貴方にとっての○○は、【Aを補完(≒権威付け)する為の素材】に過ぎないのでは?
何かこの文章は、まるで私がゴータマを権威付けに利用しようとしているかのような言い回しですが、私は
理解できない者からの中傷など屁でもないです。ご自由にして下さいな。
真理に到達した存在は等しく輪廻転生を説くと私は理解します。それはゴータマであり、ヒンドゥーであれ、
イエスであれ、神智学であり同じです。
それでは輪廻転生がないと説く聖者とは誰なのか?輪廻転生がないと説く仏教諸派(阿弥陀信仰の他の)
とはどれなのか?それを提示して欲しいと、私はいってるのですよ。
630 :
初代スレ7:2009/02/07(土) 10:08:29 ID:zsBZXt6B
>>629 >ちょっと、うまい返答を思いつかなかったのですよ
だろうと思いましたw
>何かこの文章は、まるで私がゴータマを権威付けに利用しようとしているかのような言い回しですが
だから、>皮肉を込めて言えば、 と断り書きをしたw
けして賛同するわけではありませんが、十分な返答です。
誠実な回答だと思いますし、尊重に値するレスだと思います。
他は、貴方から頂いているお題と被るようですので、これくらいで・・。
(レスを返す意志はあります。いつになるかは判りませんが・・・w (^^;) )
では、出かけるので夜にでも・・。 ノシ
631 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 10:15:10 ID:TGNmxFjG
>>630 は〜ぃ、わかりました。
こちらこそ、いつも失礼してます( ´Д`)
おそれいりまふ
(机さんのようになってきたw)
632 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 12:18:21 ID:MJjYkWtr
>>625 >それはたまたま証言が一致したかもしれませんけど、
>パソコンを確認するのは、隣人の眼でするのですか?
>そうじゃないでしょ?
>自分の眼で確認する。→これを感受作用という。
「人間界は、徹頭徹尾、共同体である」という、最も肝心な事実をすっかり
忘却されている。「人間」とは、文字通り「人の間」と言う意味です。
共同体としての人間の五感は、ほぼ同一。従って、物の実在(たとえ仮設であっても)
の判断は、共同体の「不特定多数人(平均人)の、ほぼ同一の知覚」によって
行っている。この不特定多数人の平均的知覚から著しく偏移した知覚を、「知
覚異常」「幻覚」、「妄想」と呼び、精神医学による治療の対象となる。
人それぞれによって、パソコンなどの「物」があったり、なかったりでは、
人間社会は瞬時に崩壊することは、ちょっと考えただけでも容易に分ること。
宝珠愚者氏が「説く」仏教とは、「無我」「観念からの離脱」どころか、誠に
強力・確固な「自我」と「現実上の根拠皆無な観念」への 、あくことの無い
執着。「自我まみれ」「観念まみれ」。「解脱」などとは、対極的な心理状態。
これほど「我」と「根拠皆無な観念の遊戯」に執着するのは、宗教者だけ。
宗教も修行も無関係な、圧倒的多数の生活者たちは、皆、もっと悟っている。
「他者との係わり合いの中での、ひたむきな生存の努力」という、「最大の
修行」をしているからです。宗教者とは、この「最大の修行」を、すっかり忘
れて、「全く悟ってはいない」人々のことです。
633 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 12:22:41 ID:2ifi1tJF
>>601 >ただ完全に無関心ではありませんね。「生まれ変わりを信じる人」の発想つまり妄想がどうやって生じるか、ということ
には興味がありますから。
なるほど、そうですか。
拙者も4パターン以外ですから、貴殿と同じパターンですね。
生まれ変わりを吹聴する人間は興味がありますよね。
(大川隆法はビジネスだから、あれは問題外)
実際は、
このスレはそういう人間が関心を向けてロムってる人が多い、と思う。
(もはや、宗教板の名物スレになる勢いですね)→もうなってるか?
あと、カルトは怖いけど、
ネットで仮想体験(バーチャル)している御仁もいるかと思いますね。
全く宗教には関心がないか、
またはキリスト教関係の御仁もいるくらいですから、
このスレの住人の幅は広いですね。
634 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 12:32:45 ID:MJjYkWtr
「本来の自分」とは何?分ったようで分らない言葉。すでに述べたように、
いくら自分で「本来の自分」など探し求めても、結局は「自分の主観」から
逃れることはできない。無限に続く「合わせ鏡の像」と同じです。
それは、「自我へのあくなき執着」の別名です。
「自分探し」は、未熟で、幼稚な人間がやっていること。「他者との係わり
合いの中での、日々の生存の努力」という「最大の修行」の結果として
初めて人間は成長し、「あるがままの自分とあるがままの世界」を受け
入れる」という本当の「解脱」「悟り」に達し、大いなる心の平安を得
ることが可能になるのです。
635 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 12:33:05 ID:T+KUVlYi
宝珠愚者がどうかはともかく、一般にいわれるところの諦めと解脱は全然違うぞ。
解脱に至るまでの道は諦めの中にはないから、自我まみれ、観念まみれに
ならないとダメだろ。仏教を矮小な枠に閉じこめたがるヤツが多いけど、
嘆かわしいことだ。
ところで、
>「他者との係わり合いの中での、ひたむきな生存の努力」という、「最大の
>修行」をしている
そんなヤツいねーよwww みんな必死に逃避しながら生きているにすぎん。
もし自分がそういう修行をやれていると思っているなら、まさしく貪瞋痴って
ヤツだ。
636 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 12:38:09 ID:MJjYkWtr
>>635 「人間とは、生存本能を中核とする、動物の一種」という、肝心の自分
の足元を、すっかり忘れていますね。
637 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 12:38:43 ID:T+KUVlYi
>>634 自分の欲望探しと、自分とは何かを問うことは全然意味づけが違うし、
お前の言う人生最大の修行の他者って、人間相手だろ。他者って本来は
宇宙なんじゃないの?
何もかも勘違いしているような気がする。
638 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 12:39:28 ID:0wzzYAHL
>>632 >これほど「我」と「根拠皆無な観念の遊戯」に執着するのは、宗教者だけ。
貴殿こそ観念が顕著ですよ。
>人間社会は瞬時に崩壊することは、ちょっと考えただけでも容易に分ること。
人間社会というのも本質的には虚構であるわけです。
ならば崩壊しようがない。
(仮設というのは、そういう意味です)
639 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 12:45:20 ID:T+KUVlYi
>>636 >「人間とは、生存本能を中核とする、動物の一種」という、肝心の自分
>の足元を、すっかり忘れていますね。
こんな当然のことを書いて悦に入っているのって痛いよ。そういう己の姿を
日々、しっかりと顧みていれば、自分が生活の中で得たひらめきが、
いかに小さくて下らないモノかということを知ることだろう。ちゃんと日々を
全力で生きるという修行をしろよw
640 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 12:46:05 ID:8/OCHqj/
世の中が不条理でなければ、さぞ退屈やろね。
641 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 12:48:41 ID:MJjYkWtr
>>637 「宇宙」も、人間がその生物的生命の機能として「知覚」するから、
実在するのですよ。宇宙など考えなくても、あなたの身体そのものが、
大宇宙とは勝るとも劣らぬ、複雑さ、神秘、驚異に満ちた「小宇宙」で
はありませんか。
すべての人間が死に絶えたと仮定した場合、この世界や宇宙は実在する
でしょうか。その実在は、誰がどうやって確認するのですかw。
すべての宗教の経典を集めても、木の葉一枚、あなたの爪の先に宿る神
秘と驚異さえ、解明することは出来ないのです。
642 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 12:58:07 ID:T+KUVlYi
>>641 何を当たり前のことを。もともと仏教というか、古代インドの思想に
おいては、机の裏側すら表からは見ることができないという人間の
鈍い知覚なんか大した問題にしてない。
人間の意識に照応されない世界が実在するか否かといった、
そんなレベルにとどまっているようでは、日常生活の修行とやらの
効果も全然だね。
ところで
>「自分探し」は、未熟で、幼稚な人間がやっていること。「他者との係わり
>合いの中での、日々の生存の努力」という「最大の修行」の結果として
>初めて人間は成長し、「あるがままの自分とあるがままの世界」を受け
>入れる」という本当の「解脱」「悟り」に達し、大いなる心の平安を得
>ることが可能になるのです。
自他についてこんな幼稚なことを書いた己を恥じることはできたかな?
643 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 13:00:12 ID:MJjYkWtr
>>638 >人間社会というのも本質的には虚構であるわけです。
「虚構であるが、同時に実在である」。「色即是空」に、何故わざわざ
「空即是色」の言葉を加えたのかの理由を、理解してください。
すべて虚構であれば、「色即是空」だけで充分なはずです。
般若心経では、「無」もまた「無」であると、繰り返し言っているでは
ありませんか。
般若心経の意味さえ本当に理解している仏教者は、少ないようですね。
その理解は、いくら「本を読んでも」得られません。
644 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 13:14:17 ID:0wzzYAHL
>>643 >「虚構であるが、同時に実在である」。
実在ではないですね。
貴殿が自分でヒントを書いているではないですか?
>宇宙など考えなくても、あなたの身体そのものが、
>大宇宙とは勝るとも劣らぬ、複雑さ、神秘、驚異に満ちた「小宇宙」で
>はありませんか。
>>641 こういうふうに自分で書いたものを、よくよく究明していけば
あるいは気づくことができる。
小宇宙では大宇宙は実在することはない。
645 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 13:15:45 ID:TCKNPIOR
>>643 >般若心経の意味さえ本当に理解している仏教者は、少ないようですね。
>その理解は、いくら「本を読んでも」得られません。
でも、常識教では分かるんですかw
646 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 13:16:49 ID:MJjYkWtr
>>642 >机の裏側すら表からは見ることができないという人間の
>鈍い知覚なんか大した問題にしてない。
すべての生物の種属は、その種属の「生存」に必要な能力だけを与えられて
います。あなたが人間である限り、いくら足掻いても、その「人間の鈍
い知覚」から逃れることが出来ないことを理解するのが、「人間の悟り」
です。そもそも、机の表と裏が同時に知覚できたら、どちらが表か裏かが
分らず、大いに困りますよw。あなたは、机の裏に、物を置くのですかw。
647 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 13:17:45 ID:T+KUVlYi
>あなたが人間である限り、いくら足掻いても、その「人間の鈍
>い知覚」から逃れることが出来ないことを理解するのが、「人間の悟り」
>です。
ワラタwwwwww
648 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 13:29:41 ID:MJjYkWtr
>>645 >でも、常識教では分かるんですかw
手に取るように分り、納得できますね。「色即是空・空即是色」は、
最も優れた「存在論」です。イエスが逆立ちしてもいえなかったこと。
そもそも、人間が気も遠くなるような長い年月をかけて築き上げた
「共生のための叡智」である「常識」のフイルターを通して理解でき
ないものは、「人間界における真理」にはなり得ません。
>>644 「仮設」とは、「仮構を実在と『仮定する』」という意味ですよ。
家屋の建築中において、「仮設足場」は、立派な実在です。職人さん
たちは、その「仮設足場」に生命をゆだねます。
649 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 13:38:50 ID:0wzzYAHL
>>648 >「仮設」とは、「仮構を実在と『仮定する』」という意味ですよ。
貴殿は論理的に矛盾があります。
実在と仮定する。というのは「本質的には実在ではない」。という意味。
追記
生命教というのは、つまりナルシストの変形種と分析しました。
自己陶酔のなかに自己のアイデンティティーを見出す。
650 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 13:44:15 ID:MJjYkWtr
>>639 >こんな当然のことを書いて悦に入っているのって痛いよ。
その「当然のこと」が分からなくて「悦に入ってる」のが、ささに宗教者
の姿です。
「当然のこと」を理解するのが最も難しいということを、悟っていない。
651 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 13:48:45 ID:T+KUVlYi
>>650 お前くらいのレベルでなら、どんな馬鹿でも理解していると思うよ。
自分が理解していると思い込んでいることについて、たまには
疑問を持ってみたほうがいい。お前のは究極の自意識過剰^^
652 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 14:04:29 ID:TCKNPIOR
>>651 そうなんですが、「仮設」とか「色即是空」を漢字から意味を適当に当てはめて得々として、
何度もそのデタラメさ、矛盾、ハッタリ、誤解、無知が指摘されているのに、
ずっと書き続けるその信念はどっからくるのかな? と疑問に思いませんか?
もしかして宗教で痛い目にあった人なのかも、やっぱり暖かく見守るのがいいかも>
653 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 14:20:17 ID:MJjYkWtr
>>649 >貴殿は論理的に矛盾があります。
>実在と仮定する。というのは「本質的には実在ではない」。という意味。
人間の目に映じたものに過ぎないから、「本質的には実在ではない」ことが
分っているからこそ、「仮設」「仮定」という言葉を使っているのです。
そもそも「本質的な実在」とは、具体的には何でしょうか。人間がどうやって
確認できるのですか。人間にとっては、その五感で知覚できる「仮設」が、
「本質的実在」であると言い換えてもよい。仮に、人間の五感を離れた「本質
的な実在」があるとしても、それは「人間には無関係」です。「本質的な実在」
など認めたら、それこそ「唯物論」ではありませんか。
>生命教というのは、つまりナルシストの変形種と分析しました。
>自己陶酔のなかに自己のアイデンティティーを見出す。
生命「教」と呼ぶのはおかしい。「生命」とは、「観念」ではなく、ただ
「今、ここにある」だけのもの。生命を以って、生命を観念することは出
来ません。観念主体と観念対象とが同一ですから、観念そのものが成立せず、
ナンセンスだからです。「定規は自分で自分の長さは測れない」。観念、宗教、その他人間
の「すべての営み」は、生命の機能に過ぎません。死者には、一切不可能。
>生命教というのは、つまりナルシストの変形種と分析しました。
>自己陶酔のなかに自己のアイデンティティーを見出す。
「生物的生命」という根源に思い至らず、「自分の」苦や輪廻を免れることや、
そのための「解脱」なるものに「限りなく執着している」宗教者の姿こそ、
「ナルシスト」「自己陶酔」の典型ではありませんか。
654 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 14:35:32 ID:2ifi1tJF
>>653 >そもそも「本質的な実在」とは、具体的には何でしょうか。
実際は「本質的」とか「実在」という語義自体が仏教では馴染まないのです。
というか、
言語そのものが一如の法門には馴染まない。
でも、それでは沈黙しかないんで、
語ちるとすれば仮設(けせつ)として論じるわけです。
つまり、仮にこういう設定で論じます。って、暗黙の了承があるわけです。
(これが仏教の論法の特徴です)
で、実在とは何か?って言ったら、それは西洋哲学の分野ですね。
(そもそも仏教というのは実在って概念はない)→これは説明することはできる。
ですから、貴殿の書込み自体が滅茶苦茶になってしまうのです。
で、
そもそも貴殿は仏教に関心があるのですか?
655 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 14:44:04 ID:MJjYkWtr
再掲
>くだらないですね。
>拙者は随分いろんなレスポンを見てきましたけど、
>こういうレスポンは初めてですね。
宗教者から見ると、無宗教者のレスポンは「くだらない」のは当然でしょう。
しかし、無宗教者から見ると(人間は、生まれた時は皆無宗教。宗教は、後天的
な人為的植え込みに過ぎない)、現実上の根拠皆無な「観念」にまみれ「観念
の遊戯」に耽り、典拠も定かでない、時代も異なる大昔の経典の「言葉」のみ
にやたらと執着し、開祖であるという理由だけで無批判に盲信・崇拝し、大人
になっても現実と空想との区別が出来ず、百人百様の観念のみに基づき果てし
ない争いを続ける「宗教」ほど「くだらない」ものはないことも、同時に念頭
においてください。
656 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 14:52:11 ID:MJjYkWtr
>>654 >ですから、貴殿の書込み自体が滅茶苦茶になってしまうのです。
宗教も、思想も、「人間の生物的生命」の営みに過ぎない。
この「唯一の普遍」である生命に根拠を置く限り「めちゃくちゃ」は生じ得ない。
あなたが「めちゃくちゃ」だと評しているのも、あなたの生命の機能だから。
「思考や論理の正しさとは、それが『生存』の方向に向いている場合をいう」。
657 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 14:54:23 ID:0wzzYAHL
>>653 >「生物的生命」という根源に思い至らず
生物的生命の根源には思い到っておりますよ。
つまり精子のことですね。
約数億と言われておりますが、この根源がどうかしましたか?
>>653 机龍之介氏のの分析で合っていると思います。
そうでなければイエスや仏陀よりも自分の方が人格的に優れているとは
言わないと思います。普通はもう少し謙虚さがあるものですから。
問題はどちらがよりナルシストかということではなく、
あなたがナルシストだということです。
「生命教」と敢えて呼ばれるのは
「真実の神とは、【人間の生命】である」と断定し
自ら「究極の宗教」と自認しているからです。
659 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 15:04:10 ID:MJjYkWtr
>>657 「生物的生命」という根源と言っているのであり、生物的生命の根源
とはいっていません。
既に述べたように、「生命」も「生命の根源」は、生命による思考の対象には
なりません。ただ、今、ここにあるだけです。
「どうかしましたか」などではなく、あなたの言ってることも、すべて
あなたの「生物的生命の機能に過ぎない」とだけ言っているのです。
ならば、生命を離れて宗教や思想をいくら語っても、「それがどうか
しましたか」ということになります。
>>608 ここまで来て定義の問題に還元してしまうのは、
どんなものでしょうか。
私のレスを読んでもらえれば、心が現象であると認識していること、
心が存在していると認識していることが分るはずなのですが、
少し前のレスから、わざと私の意図を誤解しているかのように見えます。
>ここら辺も、「悟り」「仏性」の定義の問題になります
そういうことを言い始めたら、当然ながら同じロジックで、
輪廻など無視してもいいという意見に対して
「ここら辺も「輪廻」「転生」の定義の問題になります。」と逃げることができてしまう。
結局、あなたの論理では輪廻や転生を否定も無視もできないのではないかと思うわけです。
悟りも無いし、仏性もないし、輪廻もない、というならともかく
悟りは定義の問題、でも輪廻は定義の問題ではなく無視の対象、
というような「雰囲気だけ」があるのが気になるわけです。
要するに貴方の論理は若干破綻しているか、
もしくは実際のところかなり恣意的に用いられているのではないか、
と私は思うわけです。
661 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 15:08:51 ID:MJjYkWtr
>>657 >つまり精子のことですね。
精子ではなく、「精子に宿る生命」のことです。「精子」は、医学的に
理解出来るが、それに宿る「生命そのもの」は、医学的にも理解できま
せん。
>>661 宿るとはどういう意味でしょうか?
その場合の「(精子に宿っている)生命がある」ということは証明できますか?
663 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 15:14:58 ID:MJjYkWtr
>>658 >イエスや仏陀よりも自分のほうが人格的に優れている
それがまさに
>>655の、「 開祖であるという理由だけで無批判に盲信・
崇拝する」という、宗教の「病理」であることを、理解してください。
664 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 15:16:24 ID:2ifi1tJF
>>659 仏教における死生観というのは、
生命とかの名称、およびその形態は寂滅してしまいますね。
つまり第一義空ですから、
生命を第一義にすることは先ずないです。
生命という名称およびその形態は第二義。つまり世俗諦です。
生死一如であります。
つまり生死を分別するのは勝義諦においては不可です。
>>663 いや、そんなことは理解していますが、普通は謙虚なので
「自分はまだまだダメだ」と思うものだということです。
歴史的に有名になった人というのは、いい部分も悪い部分も強かったりしますから、
有名だからといっていいとはいえないと思います。
ただ、いずれにしても凡人ではないわけです。
普通の人は、自分自身が凡人であるという自覚をもっているので
「わからないこと」に関しては謙虚に構えるものだということです。
もしイエスや仏陀のような人を人格的に否定するなら、その人たちの思想や行動の「長所」に関して
完璧に理解する必要があるんじゃないでしょうか。
何故ならば、人格というのはトータルのものであって、一部の欠点だけで全否定されるようなものではないからです。
そこまで掘り下げた上であなたがイエスや仏陀を否定しているようにはとても見えないわけです。
666 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 15:20:52 ID:MJjYkWtr
>>662 「生命」は、「証明」の対象にはなりません。生命の証明も、生命の
機能だからです。証明主体と証明対象が同一ですから、「証明」は
初めから成り立たず、ナンセンスだからです。
生命は、一切の思考・観念を超えた、ただ、「いまここにあるだけ」
のもの。その存在は、外部に現れる「生命の機能」から「推測」できる
だけです。
667 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 15:30:48 ID:T+KUVlYi
>>666 >生命の証明も、生命の機能だからです。
しばらくの間にますます安っぽい論になったなwww
>>666 生命は五感で知覚できますか? もし知覚できないのであれば
>>653 にはこうあります。
> 人間にとっては、その五感で知覚できる「仮設」が、
> 「本質的実在」であると言い換えてもよい。仮に、人間の五感を離れた「本質
> 的な実在」があるとしても、それは「人間には無関係」です。
生命は人間には無関係ということになると思うのですが?
669 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 15:47:40 ID:URIPouFc
>>611 > この場合の確証とは「体験」を必ずしも意味しません。
> 私は理論的にも理解できているので納得済みなのです。
理論が確証のあることを前提に組み立てられていれば、結論自体が直接確証がなくてもかまわないと思いますが、
前提自体が確証がないとなると(生まれ変わりを前提としているなど)、理論が丸ごと無意味である危険が大きいと
思いますよ。
> >あなたにはどれが「ゴータマの説いた教えを部分」でどれがそうでないのか正確に分かるのでしょうか?
> はい、自分なりの次元で把握しています。
「自分なりの次元」とは何ですか?それは自分の思い込み、勘違いの可能性はない?
> もちろんそうです。信奉する必要はどこにもありません。
それならなぜ生まれ変わりを強く主張し、まるでそれを信じなければ解脱しないんだと言わんばかりの人が多いのでしょうか?
あなたがそうかどうか分かりませんが、そういう人に関してどう思いますか?
> 確かにその通りです。しかしそれは、ニルヴァーナという究極の境地に至る過程に過ぎない。
至ったことがあるなら別ですが、そうでなければどうして「過程に過ぎない」と分かるのでしょう?
ブッダが出家した目的も、人々が仏教に求めることも、苦悩を取り除き、幸福になることだと思いますが、
それならば私が書いたこと、あなたの言う「過程」で十分なのではないですか?
> >1086 (ブッダが答えた)、> >「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪
> >りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
> あなたが引用した通りです。> 不滅の境地がニルヴァーナであって、今生で終焉消滅するようなものではありせん。
「境地」というのは、実際にそういう場所があるのではなく、そういう「心持し」「気持ち」という意味で使う言葉です。ですから「不滅」も
現実の永遠の命のことではなく、もう二度と迷いや苦を生じないという様子を表しているのです。
670 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 16:41:20 ID:JwsWNqkW
■ 「復活」「再臨」「永遠の生命」「天国と地獄」「最後の審判」「輪廻転生」「カルマ」「地獄と極楽」「来世」・・・
のことが分かる人は、当然、この現実社会でも不明なことが詳細に分からなければ言えないでしょう ■
■ 妄想オタク宗教者は、霞を食べて生きていけることを立証してから語ちてくだされ ■
(´ー`)y━~~
**
>>373>一切という場合、五感だけが対象なのではなく、そこに心の対象が入っている
心の対象というのは「法境」のことですから、概念などですね。そうすると、来世に関する
「概念」が心の対象となる、ということでしょうか。ですから、法境では、来世「そのもの」を
感知するという根拠にはならないと思われます。むしろ、天眼を持ち出した方が好都合では?
** >来世や業報がないということは邪見であると『大四十経』で明言されています
諸の修行僧らよ。正しい見解とは何であるか? 正しい見解をも、われは二種ありと説く。
汚れあり、福分あり、果報をもたらす〈正しい見解〉がある。また聖にして汚れ無く出世間にして
道の部分たる〈正しい見解〉がある。汚れあり、福分あり、果報をもたらす〈正しい見解〉とは
何であるか? 施しあり、祭祀あり、、、(中略)
これが、汚れあり、福分あり、果報をもたらす〈正しい見解〉である。
では聖にして汚れ無く出世間にして道の部分たる〈正しい見解〉とは何であるか? 聖心あり
汚れ無き心あり、すぐれた道を身にそなえ、聖道を修している人にあらわれる知慧、知慧の可能力、
知慧の力、法をよく考察するさとりの徳性であり、道において部分となっている正しい見解――
これが聖にして汚れ無く出世間にして道の部分たる〈正しい見解〉である。(中村元訳)
他世がある、などは、「世間の正見」、つまり、世俗の人にとって、ということになりますね。
「出世間の正見」は智慧を指しています。
** >最古層と断定できる確実な証拠があるわけでもないのですが、否定する証拠もない。
最古層ではないだろうと推定できる根拠はあります。
ダンマパダ154に「心は形成作用を離れて」とありますが、最古層(スッタニパータの4章、序を
除く5章、1章3)には、その「形成作用」(サンカーラ、行)という語は、全く出てきません。
ですから、金口直説そのままという訳ではないだろうと考えられます。
** 395>解脱なんていうが、一体、何からの離脱
>>396>
>>395 その通りです。
(神の問い)「人は何ものから解脱しないのであるか?」(仏の答え)「苦悩から(dukkhA)
解脱しない(na parimuccati)のである。」(『ブッダ 神々との対話』84ページ)
672 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 17:29:19 ID:M/cryvPo
>>667 >しばらくの間にますます安っぽい論になったなwww
反論に窮すると、感情的な人格攻撃にしか走れない、宗教者の病理の見本。
「安っぽい」と判断する具体的基準は何?
人間でありながら人間の生命を軽視・否定することほどの、矛盾と倒錯はない
ではないか。
>>668 繰り返し述べているように、五感の知覚も生命の機能だから、知覚主体と知覚
対象とが同一であり、近くは初めから成り立たず、ナンセンスせ不可能である。
生命の存在は、外部的に知覚できる「生命現象」から推測する以外に、方法は
ない。
673 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 17:33:15 ID:M/cryvPo
>>672の訂正
×近くは
○知覚は
×ナンセンスせ不可能である。
○ナンセンスで不可能である。
674 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 17:40:29 ID:TGNmxFjG
>>669 >理論が確証のあることを前提に組み立てられていれば、
>結論自体が直接確証がなくてもかまわないと思いますが、
輪廻とは無常なる縁起空で生ずる現象界の様をいうのです。人を輪廻させる業報は原因と結果の法則の
ことであり、実に理路整然とした理(ことわり)ではありませんか?また修行が進んでアールハットに到達す
れば宿命智通を得て、過去のあらゆる生涯を想起することになるのです。このことは、自己の歩みの過程
が確かにゴータマの指導の通りであったということを多くの弟子たちが自己確認してきたものです。
>「自分なりの次元」とは何ですか?それは自分の思い込み、勘違いの可能性はない?
世の中に完全無欠にして100%などというものはありません。私に間違いがないとは主張しません。
>ブッダが出家した目的も、人々が仏教に求めることも、苦悩を取り除き、幸福になることだと思いますが、
>それならば私が書いたこと、あなたの言う「過程」で十分なのではないですか?
ゴータマの出家の動機は死からの恐怖であったといわれています。それ自体は一般的な苦悩の範疇かも
しれませんが、しかし、ゴータマは修行によって、その死と生の本当の姿が何かを、つまり、人間の流転変
滅を繰り返す様を見たのです。人の死後の行き末と過去世の業による再生の繰り返しを。
675 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 17:41:01 ID:TGNmxFjG
「かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナー
タビンディカ(給孤独)の園にましました。その時、世尊は、比丘たちに説いて仰せられた。
《比丘たちよ、この身は汝たちのものではない。また他のものでもない。比丘たちよ、これは過去世の
業によって造られたものであり、過去世の業によって考えられたものであり、また過去世の業によって
感受せられたものであると知るがよい。比丘たちよ、だから、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たるも
のは、縁起の理法をよくよく思念するがよいのである。
それは、これあるがゆえにこれがあり、これ生ずるがゆえにこれが生ずるのであり、これなきがゆえ
にこれがないのであり、これ滅するがゆえにこれが滅するのである。すなわち、無明によって行があり、
行によって識があり、・・・かくのごときが、このすべての苦の集積の生起である。また、無明を余すとこ
ろなく滅することによって行の滅があり、行の滅によって識の滅があり、・・・かくのごときが、このすべ
ての苦の集積の滅尽である》」(サンユッタニカーヤ12-37/我がものにあらず)
676 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 17:41:24 ID:TGNmxFjG
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、けがれなく、やわらかで、たくみで、確立し不動になっ
たときに、多くの人々の死と生を知ることに心を向けた。すなわち、わたしは清浄で超自然的な天眼によ
って、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸
福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従っているのを見た。
『じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、心で悪い行為をし、多くの聖者を
非難し、よこしまな見解をもち、よこしまな見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、
悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為
をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。
わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。すなわ
ち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従
っているのを見た。バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得られた第二の明知である。
ここに無明が滅び明知が生じたのである。暗闇は消滅して光明が生じたのである。それはつとめ励み、
努力している人に現れるのである。」(パーリ仏典中部)
「あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清ら
かで、生を滅ぼしつくすに至った人、──彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」(スッタニパータ517)
>「境地」というのは、実際にそういう場所があるのではなく、そういう「心持し」「気持ち」という意味で使う言
>葉です。ですから「不滅」も 現実の永遠の命のことではなく、もう二度と迷いや苦を生じないという様子を
>表しているのです。
ニルヴァーナはもちろん場所ではありません。意識の状態をいうのです。その意識は不滅だといってるの
です。仏教は再び転落したり、一時期の束の間の状態を目指すために生涯を掛けて修行するのではあり
ません。
677 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 18:02:03 ID:URIPouFc
>>674 >人を輪廻させる業報は原因と結果の法則の
> ことであり、実に理路整然とした理(ことわり)ではありませんか?
それが現世に限った話であれば、その通りです。現実に確認できることですから。現実に、ものごとには全て原因があります。
例えば「ガラスのコップが落ちて、床に激突した」という原因があって、「ガラスのコップが割れた」という結果があります。
これが原因と結果の法則、縁起です。
ところが、前世の行為が原因で、現世の結果があるなどという拡張は、全く根拠のない妄想です。
> れば宿命智通を得て、過去のあらゆる生涯を想起することになるのです。このことは、自己の歩みの過程
> が確かにゴータマの指導の通りであったということを多くの弟子たちが自己確認してきたものです。
あなたは、ある前提を信仰し、それに合わせて全てを説明しているだけです。その前提が正しいかどうかということを
疑ったことはないのでしょう。その前提が正しいかどうかということには、全く関心が湧きませんか?
> >「自分なりの次元」とは何ですか?それは自分の思い込み、勘違いの可能性はない?
> 世の中に完全無欠にして100%などというものはありません。私に間違いがないとは主張しません。
「完全無欠にして100%などというものはありません」というレベルの話ではなく、初めから全部デタラメだ、
という恐れは考えないのですか?と問うているのです。
> ゴータマの出家の動機は死からの恐怖であったといわれています。それ自体は一般的な苦悩の範疇かも
> しれませんが、しかし、ゴータマは修行によって、その死と生の本当の姿が何かを、つまり、人間の流転変
> 滅を繰り返す様を見たのです。人の死後の行き末と過去世の業による再生の繰り返しを。
それも全て想像、妄想に過ぎないと思いますが、それはともかく、ゴータマが実際に見たとしても、そんな知識は
我々には何の役にも立たないのではないですか?
678 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 18:11:28 ID:T+KUVlYi
>>672 答えに窮してないよ。
>>667がそのまま答え。
生命を認識するのも生命の機能なんて、それまでの議論の
コンテクストと何も関係ないのに、そんなカビの生えた認識論の
概念を持ちだしてくるのを見て、馬鹿だこいつと思ったわけ。
ちなみに俺、宗教者でも何でもないよ。見えない敵と戦って
大変だなwww
679 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 18:12:11 ID:M/cryvPo
意識が、一定の原因から解脱してニルヴァーナに到るのなら、他の原因からは
解脱できずに、ニルヴァーナから離れることもあるはず。意識は、修行をはじめ
とする外的要因によって変化する。若し、意識が固定的であるならば、ニルヴ
ァーナに到る事も、不可能であるはず。
「生を滅びつくして」、どうやってニルヴァーナが認識できるのかね。「認識」
は生命の機能である。
言ってることが、矛盾だらけではないか。
680 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 18:14:00 ID:URIPouFc
>>675 ここであなたが引用した部分は、過去世という言葉が使われていますが、その内容を見れば、
「これあるがゆえにこれがあり、これ生ずるがゆえにこれが生ずるのであり、これなきがゆえ
にこれがないのであり、これ滅するがゆえにこれが滅するのである」
と現実的な原因と結果の関係を説いているのであり、
「このすべての苦の集積の生起である。また、無明を余すところなく滅することによって行の滅があり、行の滅によって
識の滅があり、・・・かくのごときが、このすべての苦の集積の滅尽である」
と、苦の集積を滅尽することを教えています。
過去の世での人生の話などで全く出てきません。「過去世」という言葉は、単に時間的過去を表現しているだけか、過去世の存在
を信じることが広まった時代に加えられた表現でしょう。
こういう経典の部分部分に現れる「過去世」という言葉に引きずられて、生まれ変わりがあると思い込み、過去の人生での
業が現在の苦の原因だと説明するようになってしまったのではないでしょうか。
論理としても、過去世を信じるのはおかしいのです。現世の苦を滅するためにはその原因である前世での自分の行いを
変えなければならないことになる。ところがそんなものは誰も知らないし、変えようもない。それでは苦を滅することは不可能
ということになります。そうなるとまた話はエスカレートして、瞑想して悟りに近づいて超能力のよう何かなわけのわからない作用で
過去世の業を変えるのだ、というように妄想がどんどん膨らんでいくわけです。
本来のブッダの教えは、苦を滅するためには執着を捨てることです。これなら論理的です。
681 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 18:14:18 ID:TGNmxFjG
>>677 >それが現世に限った話であれば、その通りです。
>ところが、前世の行為が原因で、現世の結果があるなどという拡張は、全く根拠のない妄想です。
人の死の間際でなされる行為の果報はどうなります?あなたの理解する縁起とは矛盾したものです。
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
>ゴータマが実際に見たとしても、そんな知識は
>我々には何の役にも立たないのではないですか?
そんなにゴータマが信用できないなら、信奉しなければ良いだけのこと。
ゴータマは会員探し(増やし)などはしていない。
誰も困らないのでお好きにどうぞ!
682 :
初代スレ7:2009/02/07(土) 18:16:43 ID:zsBZXt6B
ところで、(御隠居のスタンスの取り方(特に
>>653中段)に関連して)、
「(懐疑的・懐疑の極の)独我論」(という言い方があるかどうかは知らないがw)に対する
仏教からの反論は可能なんでしょうか?
それと、「いっちょかみ」大好きな机氏が、私のレスに殆ど触れない点も興味深いw
きっと、彼の辞書や引き出しでは対応しきれないんでしょうね・・・。
今後レスが付いたとしても、おそらく、
「勝義一色の、日常の“生”にとっては全く無益な“言葉遊び”」に終始するんでしょうね・・・w
(´ー`)y━~~
683 :
初代スレ7:2009/02/07(土) 18:18:41 ID:zsBZXt6B
684 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 18:19:38 ID:URIPouFc
>>676 > ニルヴァーナはもちろん場所ではありません。意識の状態をいうのです。その意識は不滅だといってるの
です。仏教は再び転落したり、一時期の束の間の状態を目指すために生涯を掛けて修行するのではあり
ません。
意識は不滅だなんて言っているのではないのですよ。「不滅の境地」というのですから、不滅のような安定した心、という意味です。
現実に不滅なのではありません。
例えば音楽家が猛練習の末「ベートーベンの境地に達した」と言っても、それは彼が現実にベートーベンになったわけではありません。
それだけすごい能力を身につけた、という表現なのです。
685 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 18:21:26 ID:TGNmxFjG
>>680 >「過去世」という言葉は、単に時間的過去を表現しているだけか、
>過去世の存在を信じることが広まった時代に加えられた表現でしょう。
仏典が述べる過去世とはこういうことです。
『(93)また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する
知(宿住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すな
わち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯
を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の
生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえはこう
であった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの
年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、自分
はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、こ
れこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、
具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。
(94)たとえば、大王よ、ある人が、自分の村から他の村へ行き、その村からまた別の村へ行き、
そしてその村から再び自分の村へと戻ってくるとします。彼はこう考えるでしょう。「わたしは自分の
村からあの村に行き、そこでこういうように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。そのの
ち、その村からあの村へ行ったが、そこでもこのように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言で
いた。そして今はその村から再び自分の村へ帰ってきている」と。
まさにそれと同じく、大王よ、心が安定し・・・堅固な不動のものとなったとき、比丘は過去の生存の
境涯を想起する知に、心を傾け、心を向けます。---(93節の繰り返し)--。
これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれてより霊妙な、目に見える沙門の果報であ
ります。』(ディーガ・ニカーヤ2:93〜94/出家の功徳)
686 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 18:25:30 ID:URIPouFc
>>681 行為の結果はすぐその直後の結果を生み、その結果はまた原因となって、その直後の結果を生みます。
死ぬ間際でも同じです。死ぬ間際にコップをテーブルから落とし、その瞬間に死んだら、
死後のことになりますがコップはちゃんと割れます。
原因と結果の法則は人の生死と無関係に、ずっと続いているのです。しかしそれは生まれ変わりなどとは
無関係な概念です。
>そんなにゴータマが信用できないなら、信奉しなければ良いだけのこと。
私はゴータマを信奉していますが、あなたが語っているような教えはゴータマの教えではないと言っているだけです。
687 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 18:27:34 ID:URIPouFc
>>685 そこまでいけば、神話であることが明らかでしょう。
仏典の最古層には、そのような「あのときの生存において、自分の名まえはこう
であった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの
年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、自分
はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、こ
れこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」
というようなオカルトな話は一切出てきません。
したがってこのような思想は後世に作られたものであることは明らかでしょう。
688 :
宝珠愚者:2009/02/07(土) 18:32:33 ID:TGNmxFjG
>>684 >不滅のような安定した心、という意味です。
〜のようなではなく、「不滅」(ふ・め・つ)だといってるのです。
ですから、森羅万象の現じている姿は一時期の仮の形態に過ぎないといい、
そこに実体を見ないというのです。
そこから解脱するのです。
一時期的で実体のない非実在の世界に留まる自己意識から、
永遠不滅で実在である真実の自己意識へと到達するのです。
だから勝手にすればいいのです!
689 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 18:38:44 ID:URIPouFc
>>688 一般に、「○○の境地」、と言ったら○○のようなレベル、という意味だと思いますが、
ここだけは例外で、現実に不滅(=永遠)である、という意味である根拠はどこにあるのですか?
「不滅のよう安定した心」という解釈で十分成り立つと思いますが。
690 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 18:42:20 ID:0wzzYAHL
>>682 >仏教からの反論は可能なんでしょうか?
ご隠居は、実在とか唯物論とかの字句を書いた時点で、もはや意味不明になりますから、
突っ込みようがないですね。
西洋哲学の概念をインドに持ってきても、それは水と油を混合するようなもの。
ならば、先ずは水と油を切り離せばならんでしょう。
そういう気の遠くなるようなレスポンをしなければならない。
(これは理解があったれば・・・の話)
「反論」というのは、その反論する焦点というのがあって、それで成り立つわけですけど
そもそもその焦点すらない。
まあ、これは禅でいう「大愚」と言ってもいい。
691 :
初代スレ7:2009/02/07(土) 18:59:06 ID:zsBZXt6B
>>690 はいはいw
貴方の名前を出した私が悪ぅござんしたw
692 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:01:35 ID:M/cryvPo
>>680 「ある」とか「ない」とか、「唯物論(に対する反発)」とかを特に
好むのが、仏教。般若心経は「ないない尽くし」。「空」に対し「色」
を持ち出しているのだから、やはり2項対立は免れていない。
しかも「ない」も否定しているのだから、「否定の否定は肯定」となる。
人間を離れた「本質的な実在」などという概念は、まさに「極め付きの
唯物論」。
私は、「色は、人間の五感に映じただけだから、仮設に過ぎない」と
言ってるのだから、まさに般若心経の趣旨の通りだと思うが。西洋哲学
には、こんな考えはありません。
693 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:04:16 ID:6yEPialJ
宝珠さんを始めとする、ここの皆さんに質問があるのだけど。
あなたたちはアートマンを認めてるの? それとも認めないの?
それとも疑心半疑なの?
694 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:07:01 ID:URIPouFc
>>692 全然違います。
仏教は唯物論ではありませんが、通常の言語ルールを破った言葉遊びでもありません。
我々が認識できるものについては、きちんと正しく「ある」と説いています。
「これあるがゆえにこれがあり、これ生ずるがゆえにこれが生ずるのであり、これなきがゆえ
にこれがないのであり、これ滅するがゆえにこれが滅するのである」
695 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:10:44 ID:M/cryvPo
>机師へ
道元さんの禅では、どういう思想なのですか。「禅」というなら、他宗派
の禅も語るべき。
白隠は、カルトのお気に入りです。キリスト教・親鸞・カント・ユング・
原始仏教・エリアーデ・臨在禅などが、カルトのいつもの「お気に入り
リスト」です。何故だか、道元は絶対に出てこない。
道元は、世界最大の思想家であると評する人もいる。
その理由をご教示ください。
696 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:11:19 ID:6yEPialJ
疑心半疑は、疑心暗鬼と半信半疑の合計でした。失礼しました。
697 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:14:15 ID:M/cryvPo
698 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:26:51 ID:M/cryvPo
>>694 >「これあるがゆえにこれがあり、これ生ずるがゆえにこれが生ずるの
>であり、これなきがゆえにこれがないのであり、これ滅するがゆえにこ
>れが滅するのである」
それは、完全に「唯物論」の論理ですよ。「無から有は生じない」「無
は無である」。それを「因果関係」と呼んでいます。すべて「有同士」の
関係です。
釈迦を、「冷厳な唯物論者で、無神論者」「優れた自然科学者」と評す
る仏教学者もいるのだが、その話は、この「仏教スレ」では全く出てこ
ないのは、誠に不可解。
仏教者でありながら、「唯物論」という言葉にアレルギーを感じるのは
おかしいね。特定の宗派か、カルトだけではないのか。
唯物論=共産主義=思想・信仰の自由を妨害する者=単細胞
700 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:34:50 ID:6yEPialJ
輪廻とか転生とかの話をするなら、
それを可能にするアートマンの話にならなければならない。
アートマンは存在するのか、しないのか?
これが核心でしょう?
701 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:35:27 ID:T+KUVlYi
>>698 ああ、そういうモノの考え方をしてたのか。釈迦の教えをスタンドアロンで考えよう
という、小乗仏教系の団体の連中がよくそれを口にするよ。釈迦の教えもまた
古代インド思想の陸のひとひらと考えれば、唯物論云々というのがいかに
皮相的なとらえ方であるかがわかろうというものだ。
そう言われるとブッダ原理主義者が猛り狂ったりするがね。
人が多すぎてややこしいな。
ていうか、みんな自分の立場くらい簡単に表明しようや。
分類外道さん辺りが、それぞれ分類してレッテル貼り付けてよ。
703 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:48:00 ID:M/cryvPo
>>699 それこそ、全くの単細胞。
マルクスは、唯物論者を自称するが、実はヘーゲル直系の観念論者。ありえな
い「共産主義ユートピア(神の国)」の「観念」を信仰する宗教の一種。「擬
似宗教」と呼ばれる。彼の「富に対する憎悪(実は羨望と嫉妬)」は、イエスの
思想そのまま。彼の「下部構造」には、「上部構想」であるはずの「価値」が、
たっぷりと含まれている。彼の「宗教は阿片である」は、お決まりの宗教内紛争。
バートランド・ラッセルは、キリスト教とマルクス主義との多くの相似点を、
見事に分析・指摘している。
宗教だからこそ、あれほどの大殺戮を、良心の呵責なく、行うことが出来た
のです。ちなみに、「血の大粛清」を行ったスターリンは、神学校を卒業した
キリスト教の聖職資格者。ヒットラーも、クリスチャンです。
人類のすべての大虐殺の陰には、イエスの「愛の思想」が存在します。
唯物論者(humanist)は、「人間を超越した存在」ではなく、具象としての
人間に最大の価値を認めるから、人を殺すことは、「原理的に」不可能です。
704 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:50:30 ID:voihhGqB
>>681 >そんなにゴータマが信用できないなら、信奉しなければ良いだけのこと。ゴータマは会員探し(増やし)
などはしていない。 誰も困らないのでお好きにどうぞ!
反論に窮するとあなたの ↑ の言葉を今までに何回も見ました。無責任にも程がある。(怒
ならスレ立てしなけれが良いでしょw 過去に起きた<沢山の宗教犯罪・被害>を知らないとでも?
原始仏教の輪廻転生・カルマ論はオウムを初めとするカルトには好都合の材料・エサなのです。★☆
→
>>493 ■ 宗教者のエゴの極み=他者への愛が無いことの証明でしょう!!■
撤回して頂きたい!! (^O^)/
705 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/07(土) 19:51:38 ID:0wzzYAHL
>>695 >道元さんの禅では、どういう思想なのですか。「禅」というなら、他宗派
の禅も語るべき。
道元さんは日本人ですから、やはり日本とマッチングした禅師ですね。
(思想というのは、風土とか気候に関係がある)
だから繊細です。→中国と比すれば。
白隠はもっと繊細でナイーブですね。
(こういう禅師は非常に日本的です)。
一休は、どちらかというと大陸的なダイナミックさがあります。
(これは全部、禅師の個性ですね)
>道元は、世界最大の思想家であると評する人もいる。
そうですか?
拙者は「狂気の悟り」の一休などが好きですけどね。
あとは良寛の「大愚」などはイイです。
まあ、禅というのは故郷は中国ですから、
中国禅からすると、道元は影が薄いかと思いますね。
(世界最大、ってのはどうでしょうか?)
706 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 19:53:33 ID:6yEPialJ
わたしは仏教初心者でスッタニパータ、ダンマパダを読んだばかり。
でもアートマンを認める立場で読んでいた。
いますぐに整理はできないけど、ふたつの話には、肯定できることもあれば、
肯定できないこともある。
707 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 20:00:23 ID:voihhGqB
>>632 >人それぞれによって、パソコンなどの「物」があったり、なかったりでは、
人間社会は瞬時に崩壊することは、ちょっと考えただけでも容易に分ること。
■ これほど「我」と「根拠皆無な観念の遊戯」に執着するのは、宗教者だけ。 ■
宗教も修行も無関係な、圧倒的多数の生活者たちは、皆、もっと悟っている。
「他者との係わり合いの中での、ひたむきな生存の努力」という、「最大の
修行」をしているからです。宗教者とは、この「最大の修行」を、すっかり忘
れて、「全く悟ってはいない」人々のことです。
↑ スバラシイ洞察〜、賛〜成!! ヽ(^。^)ノ
>>641 >すべての宗教の経典を集めても、木の葉一枚、あなたの爪の先に宿る神秘と驚異さえ、解明することは出来ないのです。
賛〜成!! ヽ(^。^)ノ
救命病棟の24時間の医療関係者程の力もありません!!情けな〜い!!
↓
>>477は、今だ未回答です
708 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 20:01:37 ID:8/OCHqj/
>>699 >唯物論=共産主義=思想・信仰の自由を妨害する者=単細胞
おまえ、アホだろ
すっこんどれ
709 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 20:06:15 ID:voihhGqB
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■ 何人も否定できない輪廻転生とは、次のことである。 ■
「人間が死ねば、肉体は火葬されるか、または腐敗するが、肉体を構成する元素の原子は
消滅することはないから、その原子は、地球上のさまざまな生物や無生物に循環し、永遠に残る。
しかし、人間としての記憶器官、感覚器官、思考器官の機能は消滅するのだから、死者にとっては、
死後の世界は、知覚・認識できず、無関係である。
また、先祖の業とは、後天的な「行為」であるから、子孫に遺伝するこ とはない。即ち、『獲得形質は
遺伝しない』というのが、生物学の大原則。
「胎内記憶」などと言っても、胎児は、記憶器官や知覚器官がまだ十分 に形成されてはいないのだから、
無意味である。
「臨死体験」とは、死亡直前の身体の生理的変化によって生じる、「幻 覚」のこと。医学では、delirium
(譫妄状態、精神錯乱状態)と呼ぶ。 「臨死」だから、「まだ死んではいない生体の、生理現象」である。
死者が涙を流すのは、よくあることだが、これも生理学的に説明できる。 「死後硬直」と同じく、身体の
生理現象である。別に死者が悲しいから、涙を流しているのではない。」
人間にとって、前世は全く無関係で、死ねば「無」になり、自然に帰る、というのは、こういうことである。
だからこそ、「一度きりの貴重な現世をよりよく生きる」という意欲が生じる。 いずれにせよ、科学の
発達前の「古代人の妄想」を、現代に持ち込むべきではない。 ☆★
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710 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 20:07:52 ID:voihhGqB
>>709の補足
DNAが伝えるのは、親の容貌や性格などという「先天的形質」だけである。
親の「行為(業)」は「後天的形質(獲得形質)だから、絶対に遺伝しない。
また「集合無意識」などというのも、単に「特定文化圏内の『情報』の伝達」
に過ぎない。生後まもなく、異なった文化圏内で育てられれば、その文化圏の
意識を受け継ぐ。キリスト教徒の子を、仏教圏内で育てれば、仏教徒になる。
711 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 20:11:46 ID:6yEPialJ
最近のレスを読んだだけだが、
宝珠さんはアートマンを認めているように感じる。
机さんは認めていないように感じる。
どうでしょうか? まちがっていたら失礼。
712 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 20:19:33 ID:voihhGqB
>>315の続き
■ 釈迦が自分で書いた経典など一つもない。すべて後代の人々が、それぞれの解釈で書いたもの。
経典が、釈迦の「真意」であることの保証は「皆無」である。
従って、釈迦や原始仏典の「言葉」に拘るのはナンセンス。 ■
↑ ですから言葉では何とでも無制限に言える証拠でしょう → <言葉は魔物>
ところが、命ある人間には、誰にも心身ともに<限界>があります。★☆
心身に限界がある人間を作ったのが宗教で言うところの創造主なのでしょう?
だからそれで良いのです。人間には不明な大それたことを考える必要は無いのです。
全ての面で与えられた命が燃え尽きるまで精一杯生きるしかないでしょう。
だから、<言葉の魔物>に捕まって短いあなたの一生を台無しにしてはなりません。
それは、頭でっかちの<魔境>に落ちて洗脳された空回りのむなしい人生にしてしまいます。
■ 宗教は、現実逃避・アヘン ☆★
関わった途端に<酔生夢死の人生>が始まる。 ■ (*^。^*)
713 :
神も仏も名無しさん:
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昔から『宗教屋』という商売はいたんでしょう、現在も沢山いますからw
だからこんなにいろいろな経典が残ってる☆
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/〜ヽ プルルン♪ >後世の人達もどれが本物か、又、延々と論争することになるのでは?
(((。・-・))) プルルン♪ ■ 故に宗教は有害 ■
゚し-J゚ プルルン ルン♪
レスが重なるにつれて宝珠愚者氏の狂気の<原始経典への執着>があきらかにな〜る☆★
■
http://video.google.com/videoplay?docid=1431037135738418803 ■
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お先にオヤスミン〜☆