1 :
神も仏も名無しさん:
4 :
南無大師遍照金剛:2008/12/07(日) 20:42:02 ID:GT2isnRN
ヽ(´∇`)ノ
5 :
リンク修正:2008/12/07(日) 22:19:35 ID:ST7yRJ/W
ある真言宗の信者の方が、約1分くらいの大般若というのを唱えられるのですが、
唱えを受けたほうは気分がよくなるのだとおっしゃいます。お寺でも火渡りなどをやって、
大般若を唱えていいという免許皆伝をうけておられるらしいのです。
それに、天皇陛下の不整脈(いまわずらっておられる)を自分の祈願で治すなどとおっしゃいます。
なんでも、祈願をたてるから、望みがあれば言ってくれとのたまわれるのです。
どうもあの方のいわれることには、プロの見真似、誇大妄想の域にあるような気がします。
どういう基準で、大般若の皆伝(?)をおこなわれるのですか。
また、効果があるのは本当なのでしょうか。
当の本人に面と向かって、お尋ねする勇気がないので、こちらでお尋ねさせてください。
よろしくおねがいします。
7 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/12/09(火) 03:08:09 ID:oZ4Xf4hB
>6
大般若経は六百巻ありますから、唱える人はいません。
大般若菩薩の呪、若しくは心経でしょうね。
或はリシュの偈かもしれません。
今はどうか知りませんが、十年くらい前だと、
そんな連中はウジャウジャいましたよ。(笑
呪は、術者の力量に依ります。
まぁ、九分九厘インチキです。
>>7 承狂さん
たくさんそうした連中がいてインチキだったんですね。
すばらしい本物にであいたいものですよね。
ありがとうございました。
9 :
神も仏も名無しさん:2008/12/10(水) 20:53:31 ID:UOwoPwHd
自称・霊感あるという人が
神棚と仏壇の間に鬼門(??)ができている。
(ここ3か月ほど色々ありお供え物を疎かにしてしまった日があり、
そのせいで神様と仏様が怒っていると…。)
そこにあの世とこの世の通り道ができてしまっているから霊が入り込んでいる。
竜神様を祀って、神主さんとお坊さんに来てもらいなさい。
と言われたのですが、神様と仏様が怒って「鬼門」てできるものなんでしょうか?
できたとして、神主さんとお坊さんで済む話ですかね?
ちなみに神棚と仏壇は同じ部屋ですが、配置は間違っていません。
スレチでしたら申し訳ありません。
10 :
一応坊主だけど:2008/12/11(木) 08:02:45 ID:RpAbt1Re
>>10 ありがとうございました。
気にしません!
12 :
神も仏も名無しさん:2008/12/12(金) 10:23:29 ID:xrfonWTG
雲ひとつない空を寝転がってみていたら、まるで星のない宇宙空間に
放り出された気分になりました。その世界では、自分は何者でもなく
虚しく心臓が動いているだけの存在だった。
でも、そこにひとつの雲が流れてきて、それにより、自分というものが
認識された。自分が何かとかかわりを持つことで、意味を持つ。
生かされていると知った。
これって色即是空ていうんですか?
13 :
omorou:2008/12/13(土) 13:26:00 ID:LjTbttVU
15 :
妖拳:2008/12/14(日) 12:37:39 ID:1AjG2Vg7
今も、カトリックの修道士が禅宗のお寺で座禅をするようですね。
16 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 08:38:45 ID:BqLfPs6V
諸法無我というのがよく分からないのですが…
諸行無常とは意味が違うのでしょうか?
17 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 12:45:05 ID:lPrMSf8F
>>16 一切皆苦も諸行無常も諸法無我も、
同じことを別の角度から言ってるだけらしいです。
無我がわからなければ、とりあえず非我で考えてみては?
諸法とは、すべてのものごとのことです。
非我とは、私ではないということです。
このようなお話があります。
ある男の腕を切り落として、別の腕につけかえることができたとする。
(死なないという前提で。サイボーグとでも考えてください。)
次に、その男の足をつけかえる。
次に、その男の胴体をつけかえる。
次に、その男の頭をつけかえる。
結局、全部の部品をつけかえた。
では、その男は、もとの男なのでしょうか?
一体、どの部品がその男の「我」なのでしょうか?
仏教では、そもそもどの部品も「我(わたし自体)」ではないと考えます。
体だけでなく、心の現象も。
たとえば、何かが見えたときの見えた感覚は、私ではない。
いったい、私とは何なのか?
私という概念は、幻なのです。
18 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 18:33:00 ID:xDDeWOZU
>諸法無我
我とは主体
人間は発したものが帰ってくることを常に体験している普遍的な感覚の主体を持ちつつ
行為していますが、
そのような感覚の主体は宇宙広しといえども各人間内部にあるだけで、
他のどこを探してもその1点の特異点しかないことを例外なく個人は体験します
それ以外には全く主体がないことを知るわけで、各人間がそれぞれの宇宙を五感によって
構成させているという基本認識を持って、他のものに惑わされることなく
精神の完全な独立性を保ちつつ、それぞれの内的世界でそれぞれ自分の道を極めて
自我を確立するべきであって、基本的に外的な五感によって感知するもの全てに我などないと
わかっていることが大事だと思います
19 :
南無大師遍照金剛:2008/12/16(火) 20:48:14 ID:xNgmvFY0
>>16 諸法無我
諸法=全宇宙に存在するすべて
は
自分自身の意思では変えられない
自分自身の力の関与出来ない規則正しい力に支配されている
諸行無常
規則正しい法則の力により常に法則に支配されたように変わりゆく
20 :
神も仏も名無しさん:2008/12/16(火) 23:02:31 ID:lPrMSf8F
法則を強調するのはなぜ?
法身仏信仰?
21 :
神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 01:33:30 ID:+EDwvilD
質問です。
仏陀はインド人でしょうか?それともネパール人でしょうか?
もしネパール人ならどうして仏教はインドが発祥の地と言われるのでしょうか?
22 :
南無大師遍照金剛:2008/12/17(水) 04:46:00 ID:Enr5ecQL
>>20 因果応報
悪因悪果
良因良果
過去を見れば現在が分かる
未来を知りたければ現在を見れば未来が分かる
仏教は煩悩を消して悟りを開くために精がつく生臭を食う事を禁止してるが、
その事についてこういう考えを聞いたことがある。
元気のつかないものを食べて精の出ない状態で開いた悟りなんて、
ほんのわずかなきっかけだけですぐに崩れ落ちてしまう貧弱な悟りだ
精のつくものを食べて尚且つ自らの精神力で煩悩を抑え、
そして開いた悟りこそ何があっても揺るがない本当の悟りだ
仏教関係者からすればこれってどうなわけ?
24 :
神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 17:38:12 ID:Ci1qZq6z
>>23 悟りとは、苦・無常・無我を実感して、
今までの価値観ががらりと崩れ落ち、
煩悩がわかなくなることだと思います。
たとえるなら、障子に映った木の影を幽霊だと勘違いしてた人が、
幽霊じゃなく木だったと気付き、(苦・無常・無我を実感)
二度とその影に恐怖を感じなくなること(煩悩がわかなくなる)。
幽霊じゃなく木だと気付くために、あの手この手を使うのが修行です。
食べものもその「あの手この手」のひとつ。
手段に違いがあっても、
結果的に幽霊じゃなく木だったと気付きさえすれば、
二度と同じ勘違いは起きません。
25 :
たとえば:2008/12/17(水) 17:56:32 ID:Ci1qZq6z
たとえば、毎日、障子に映った木の影を見たとたんに、
「幽霊だ!こわい!」と布団に潜りこんで、
そのまま知らないうちに眠りこんで朝を迎えていた子供がいたとする。
その子供が、ある夜はたまたまコーヒーを飲んでいた。
で、いつものように「幽霊」を見て布団に逃げこんだものの、
カフェインのせいでなかなか眠れず、
ものは試しにと、もう一度「幽霊」を見てみた。
すると、今までよく見ずに逃げていたけど、
よく見たら木の影じゃないかと気付いた。
いったん幽霊じゃなく木の影だと気付いたその子供は、
次の日からは、二度と幽霊だと勘違いしない。
コーヒーを飲んでいない夜でも、勘違いしない。
木の影である事実は、コーヒーの有無に関係なく事実。
ただ、事実に気付くきっかけにコーヒーが一役かっただけ。
26 :
南無大師遍照金剛:2008/12/18(木) 00:47:34 ID:q/IAF6fR
>>23 仏教は煩悩を消して悟りを開くために精がつく生臭を食う事を禁止してるが…
認識が間違い
こんなんだから日本の仏教は誤解を受け馬鹿にされる
お釈迦様はどのような方法を選び悟られたか?
煩悩なんか消しません
ヴィパッサナー、慈悲の瞑想により
生きとし生けるもの全てが幸せになるように
このことを説いただけ
全ての生き物が幸せに…
27 :
神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 00:53:15 ID:KevL5EwH
質問です。
仏陀はインド人でしょうか?それともネパール人でしょうか?
もしネパール人ならどうして仏教はインドが発祥の地と言われるのでしょうか?
28 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 19:19:57 ID:+IaVMmcD
質問です。
仏陀はインド人でしょうか?それともネパール人でしょうか?
もしネパール人ならどうして仏教はインドが発祥の地と言われるのでしょうか?
29 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 22:00:21 ID:0pP1RY9z
>>28 2500年前には、ネパールもインドもなかった。
だから、ネパール人でもインド人でもない。
釈迦族の人。
ブッダが生まれた場所は現在のネパールだと思われるが、
ブッダが悟りを開いて初めて教えを説いたのは現在のインド。
12縁起説って、ほんの簡単にいえば、何をしめしているのですか。
ごくごく、さわりでいいので、少しだけおしえてください。
31 :
南無大師遍照金剛:2008/12/20(土) 08:26:54 ID:AvLgB0Id
33 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 15:32:45 ID:oxt7Vz9Z
34 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 20:07:08 ID:wWGG4dtQ
仏教に、「輪廻転生」や「霊魂」などという観念を持ち込んだら、仏教は、
単なる「オカルト」「カルト」に堕し、無価値なものになる。
仏教の最大の意義は、「関係性(空)の原理の発見」であるはず。
キリスト教を根底から批判したニーチェは、仏教は「唯一の実証的宗教」「心
の衛生法」としてきわめて高く評価し、またキリスト教神学者さえも、「キリ
スト教が今後向うべき方向は、仏教の空」とさえ言ってるのだが。
「輪廻転生」の概念は、人間の精神にとって極めて有害であるので、仏教から
早急に除去することが必要。「脅し」によっては、「悟り」は絶対に生じ得ない。
35 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 21:21:27 ID:oxt7Vz9Z
>>34 輪廻は脅しではない。
修行の励み。
この世かぎりの人生なら、この世で悟れない人は修行を投げ出し、
快楽を求めて犯罪でもなんでもやり、
それで行き詰まったら自殺すればよい。
輪廻があるから、たとえこの世で修行が完成できなくても無駄ではないと思える。
36 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 21:29:42 ID:oxt7Vz9Z
十二縁起については、輪廻の説明でもあるし、
流転縁起・還滅縁起の説明でもある。
生死輪廻とは、苦悩の生のこと。
煩悩が苦悩の原因であり、煩悩があるから苦悩がくりかえされる。
37 :
南無大師遍照金剛:2008/12/20(土) 23:44:08 ID:AvLgB0Id
12縁起は
原因と結果の話
結局自分自身が正しく変わらなきゃ同じ失敗の繰り返しって意味
38 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 00:12:32 ID:5aguebdl
唐突な質問お許しください。大谷派門徒です。先年父の葬儀に際し、ご住職が表白
「思うに無常の嵐は時を選ばす処を定めず、老少のへだてあることなし。しかるに
恩愛の絆、いよいよ断ちがたく別離の情、また去りがたし。阿弥陀如来はかかる煩悩
熾盛(しじょう)の我等を憐れみたまい、超世の悲願を立てたもう。」を述べて下さ
ったのですが、全文を失念してしまいました。どうかご教示下され、又、簡単な注釈当
頂ければ、幸いです。
39 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/12/21(日) 00:25:45 ID:qZA3jfip
因みに、
この三世両重の分位縁起説だが、
中村博士の「龍樹」に依れば、
この説は有部に於て比較的後世にうまれ、異なる解釈も当時存在していた。
との事である。
(文庫本だと170P)
(^。^)エンギハエンギ〜♪
40 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2008/12/21(日) 09:31:53 ID:3G1SvFwE
>>38 ブログ親鸞仏教の百家争鳴に記入してくださった方と思います。記載位置を間違えられ、
チャットに書き込まれたため、長文が書けず、2ちゃんねるに改めて書き込まれたのだろう
と思います。
その後、渡海難が常駐する「親鸞仏教質問箱」(2ちゃんねる)に記入したところ、「親鸞仏
教質問箱」では「スレ違い」という、アラシのネタが書き込まれ、誘導されてこちらに書き込ま
れたのだろうと思います。
2ちゃんねるはアラシが多い。
ブログ親鸞仏教の百家争鳴は、チャットでは長文が書けません。ブログ親鸞仏教は、お分
かりのように、上下二段になっています。上段は、左から「お知らせ板」「チャット」、一番右
側が「掲示板」になっています。右側の掲示板は、長文が書けます。
質問事項は、その掲示板をご利用ください。いずれなんらかのアクションがあると思いま
す。
百家争鳴の各欄は、見た目は狭いですが、仕切り線はマウスクリックで拡大・縮小が
可能です。掲示板範囲を拡大してお使い下さい。
なお、百家争鳴の掲示板の使用方が分からなければ、チャット欄に「使用法が分からな
い」と書き込んで下されば、改めてご案内します。
41 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2008/12/21(日) 09:49:05 ID:3G1SvFwE
僕は在家です。純粋に親鸞と向き合っているつもりです。葬儀となると、
必ずしも親鸞の教え通りではありません。親鸞の教義以外の様々な概念
が絡んできて、一筋縄ではありません。葬儀は葬儀で専門に勉強しないと
部外者にはわかりにくい部分があります。
ブログ親鸞仏教は、大谷派の坊さんも見てくれています。ブログは2ちゃ
んねると違ってアラシが入りませんから、多分、そちらで回答があると思い
ます。
42 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 14:56:53 ID:ydBHS1qn
>「輪廻転生」の概念は、人間の精神にとって極めて有害であるので、仏教から
>早急に除去することが必要。「脅し」によっては、「悟り」は絶対に生じ得ない。
輪廻(サンサーラ)という概念を智慧の眼で以って観察し、涅槃(ニルバーナ)
に達するのが仏教の教えです。人間を害する三毒(貪瞋痴)を離れれば、自ずと
恐怖は亡くなります。何故恐怖が生起するのか、その原因が道理的に解るからです。
44 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 03:01:57 ID:qIOM0wuu
少なくとも、輪廻(転生)に対しては正面から向き合っています。
回避するのは無明だからです。
45 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 03:07:30 ID:4s7cuey2
密教は仏教の名を借りたヒンズー教だから輪廻を肯定する
46 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/12/22(月) 06:06:31 ID:EvV5cMmr
金胎の法は三論法相の上に術式を組まれたので、下らない妄執は否定する。
由って>45はウソつき。(笑
47 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 19:37:55 ID:11zjKEuz
春秋社 原始仏典 第一巻 第1経を読んでいます。
P20後ろから5行目に『第四の根拠である〜 となるべきところが、「第三の〜 となっています。
ほかにも類似したような誤植?があるんですが、
これは原本が、そもそもこういう表現になっているのでしょうか?
48 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 11:47:30 ID:i4ZIqFh9
春秋社に問い合わしてみれば?
49 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 20:33:21 ID:gsbNNgww
亡くなった人に対してご冥福を申し上げますと言っていた人がいたんですが
仏教、日本語としてこの言い方は正しいのでしょうか?
ご冥福をお祈り申し上げますが正しい言い方でしょうか?
50 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 04:31:23 ID:bDtWKHol
>>49 一般的なあいさつの言葉だから、あまり気にしなくていいと思います。
仏教のお経には輪廻のことが出てきます。
つまり、悟らないかぎり、死んでも
新しい生命に生まれかわってしまうと考えます。
生まれかわっても幸せになってくださいと言う意味で、
ご冥福をお祈りしますという言葉もおかしくないと思います。
ただし、仏教では死者の国という意味での「あの世」「冥土」は説きません。
生まれかわった先で、生きているわけですから、
死霊専用の冥土があるわけではありません。
51 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 05:09:14 ID:vQBQlhJE
三エン五クンの食を止めれば、体臭は治まりますか?
微々たるもんですかね?
よろしくお願いします。
52 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 05:18:44 ID:RNxc/mRR
体臭は肝臓が悪いと強くなる。まず、酒、タバコ、コーヒー、茶などをやめる。
次に、肉食は体臭を強くするので、やめる。
53 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/12/26(金) 06:09:48 ID:ATXrBQd0
センニチカイホウした人の話だと、五穀断ちしたら詩集が・・・(笑
カレイ臭がなくなったのか?
55 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 09:44:46 ID:Lyk7KYrU
即身仏を成就しても、やはり死臭は出るのでしょうか
虹の身体などという言葉も聞きますが、如何なものでしょうか
お盆にナスやキュウリで牛馬をつくることがありますが、
あれは宗派に関係なくつくるんですか? 地域的なものですか?
57 :
南無大師遍照金剛:2008/12/27(土) 13:13:28 ID:rhhrs6wg
58 :
南無大師遍照金剛:2008/12/27(土) 13:14:21 ID:rhhrs6wg
59 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 19:50:34 ID:F8M3wyEI
浄土宗は念仏重視
浄土真宗は信心重視
浄土宗と浄土真宗の違いって、これで合ってますか?
60 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 00:27:39 ID:mfZMmtt0
61 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:01:00 ID:2unEk3gC
62 :
南無大師遍照金剛:2008/12/29(月) 20:01:53 ID:S8GoQw7E
309 名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2008/12/30(火) 16:52:30 ID:6qUB+sV4
現代の浄土真宗は、脅迫に屈し、愚痴の煙に巻かれ、まんまと脅迫の術中に嵌って恐れおの
のき、寺に隷属するようにマインドコントロールされるようになった人を、信心のある人と誤認して
いるんじゃないか。
証拠を出せと言われても困るけど、親鸞会や華光会の噂を漏れ聞いていると、そんな気がす
る。これは僕の誤解か?
脅迫するな。愚痴を聞かせるな。愚痴と脅迫を聞かせて耳にたこを作らせれば相手は信心決定
するなど、そんな馬鹿な話は無い。これが渡海難の主張です。
64 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 21:38:32 ID:XaQ9+5FJ
仏教は、キリスト教ほど自殺を罪としないと以前、何かの本で読んだ記憶があるのですが?
65 :
南無大師遍照金剛:2009/01/01(木) 00:58:06 ID:BGk65/fq
>>64 仏教には罪という概念は無いと思うのですが?
66 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 01:20:03 ID:YhvopXqh
あけましておめでとうございます。では「自殺は、悪いことではない」と言いかえますか?
67 :
南無大師遍照金剛:2009/01/01(木) 07:25:47 ID:BGk65/fq
あけおめ
>>66 良いことではない
悪いこと
なぜなら
自殺は問題解決にはならないから
貪贐痴の現れだから
68 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/01/01(木) 07:33:09 ID:Qahz3v6b
因みに、初期の仏教では、
自殺を悪とは規定していない。
つーか、ケースバイケースだから一概に論ずる事自体無意味だ。
69 :
南無大師遍照金剛:2009/01/01(木) 09:52:52 ID:BGk65/fq
70 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/01/01(木) 10:23:30 ID:Qahz3v6b
>69
明けまして、別にめでたくもありませんが、何か?
これは、これは。
心経で空を体験された名無駄さま。
今年もスルーさせていただきますので、宜しくな♪
71 :
南無大師遍照金剛:2009/01/01(木) 11:17:52 ID:BGk65/fq
>>70 (-.-)y-~~~
あんたのレスは
あいからず垂れ流しで意味分からんよ
72 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 16:10:15 ID:88tHQLdc
質問です。
禅宗の僧侶が弟子を修行に出した。
その弟子が何年かして戻ってきたため、
学んだことを尋ねると、
その弟子は地面に円を描いた。
僧侶が「それだけか」と答えると、
弟子は円を消してしまった。
という話の出典をご存知のかたがいらしたらお教えください。
73 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 16:35:37 ID:/XT+Gi/0
郁伽長者経の3つの訳ってどう違うんですかねー
大正蔵見てもよくわからないんだけどw
74 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 04:01:12 ID:jUC43HMz
ウィキペディアの「禅」の項目に、次レスのとおり南岳懐譲と弟子の
馬祖道一の逸話が掲載され、「この部分に中国禅宗の要諦が尽されているが、
伝統的な仏教の瞑想から大きく飛躍していることがわかる。」
と解説されているのですが、情けないことに意味が理解できません。
どなたかご教示くださるようお願い申し上げます。
75 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 04:03:13 ID:jUC43HMz
開元中に沙門道一有りて伝法院に住し常日坐禅す。
師是れ法器なるを知り、往きて問う、曰く
「大徳、坐禅して什麼(いんも、何)をか図る」
一(道一)曰く「仏と作るを図る」
師乃ち一磚(かわら)を取りて彼の庵前の石上に於て磨く。
一曰く「師、什麼をか作す」
師曰く「磨きて鏡と作す」
一曰く「磚を磨きて豈(あに)鏡と成るを得んや」
「坐禅して豈仏と成るを得んや」
一曰く「如何が即ち是れなる」
師曰く「人の駕車行かざる(とき)の如し。車を打つ即ち是れ、
牛を打つ即ち是れ」
一、対無し。
師又曰く「汝坐禅を学ぶは、坐仏を学ぶを為すや。若しは坐禅を学べば、
禅は坐臥に非ず。若しは坐仏を学べば、仏は定相に非ず。無住の法に於て、
取捨に応ぜず。汝若しは坐仏、即ち是れ仏を殺し、若しは坐相に執さば、
其の理に達するに非ず」
一、示誨(じかい、教え)を聞きて、醍醐を飲む如し。
– 『景コ傳燈錄』巻第五
76 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/04(日) 09:56:00 ID:/uOzDqUf
>>75 場祖が坐禅をしているところに、南岳が問う。
師「何故、坐禅をしてるのか?」
場祖「仏になるため」
すると師が瓦を持ってきて磨く。
「仏になる。ということは、瓦を磨いて鏡にするようなもんだよ」。
と、師は場祖に教える。
瓦は瓦のままでいい。
鏡に成ろうとするんじゃなく、その執着から離れなさい。
ということです。
(即心即仏は、即ち非心非仏です)
本来無一物(心はない)のだから、
仏になりようがない。という意味です。
#、南岳・場祖の時代は、いわゆる南宗禅の開花期でありまして、
北宗禅とは画期的に違う特徴が如実に表れています。
77 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 10:21:39 ID:yi/LQsGm
禅問答とあるように、そのやり取りを聞いていると実に面白い。
しかし禅では生身人間の欲を切り離すことも無くすことも出来ない。
仏に近づかんとする切なる仏性が菩提心となって人を導く。
仏欲に対する執着は必要である。ありのままの自分ではダメで、
日々新たな自分を作っていかねばなりません。
禅は自分を見つめる為の自己満足修業。食うに困らぬからできる
言葉遊びさ。
78 :
74-75:2009/01/05(月) 23:29:44 ID:jWyXVT1J
机龍之介様、77様
早速のご教示、誠にありがとうございました。
大変勉強になります。
またこちらでお世話になることがあるかと思いますので、
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
79 :
77のぱーー:2009/01/06(火) 11:54:49 ID:F/BuYyCB
まったく、エロバンザイをを最近悟ったがな、
お前に理解できぬだろうよ、
エロを滅ぼせば、77のお前も此の世に存在しない、自覚が無い、哀れ。
「妬む・怒る・愚痴る」という仏教の三毒追放のためには
どのようなことを心がければよいのでしょうか。
また、仏教の三毒の教えについて詳しく知りたいのですが、
初心者でもわかりやすい御本はありますか。
お答えいただければ幸いです。よろしくお願いします。
81 :
神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 12:43:14 ID:Y2TD0+gg
>>80 貪(欲)、瞋(怒り)、痴(愚かさ)の三つの煩悩を、三毒煩悩と言います。
妬みは、怒りの一種です。
日本テーラワーダ仏教協会のホームページは、
内容も豊富でわかりやすいです。
82 :
77のぱーー:2009/01/07(水) 13:09:47 ID:S56gplF5
77の禅批判も、理屈過ぎる部分が残る机氏や、
屁理屈自己陶酔激しいぼったん君を
禅ならば、間違っていない、が、
2ちゃん禅者は中途半端君かナルシズム陶酔君が多い傾向もたしかにある、
曹洞宗ぜったん軍団は、まだまともな方か。
>>81 お答えありがとうございました。
早速教えて頂いたホームページに行きました。
初心者にもわかりやすく書いて頂いており、感激しました。
少しずつ読ませて頂きます。
三毒煩悩のご説明もありがとうございました。
もう一つ質問して恐縮なのですが、普通の三毒と三毒煩悩は同じ概念なのでしょうか?
84 :
神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 22:03:17 ID:Y2TD0+gg
>>84 答えて頂きありがとうございます。三毒と三毒煩悩は同じなのですね。
私が勝間和代さんの本で読んだ三毒は「妬む・怒る・愚痴る」ですが、
仏教の宗派によってこうした解釈の違いがあるのでしょうか。
86 :
神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 01:27:48 ID:OGwbIMqD
>>85 その本の人、本当に仏教の人なんでしょうか?
仏教をろくに知らない人なのでは?
まともな仏教者は、貪瞋痴を三毒と言います。
宗派に関係なく共通だと思います。
87 :
神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 01:35:42 ID:OGwbIMqD
88 :
神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 01:40:52 ID:fPCbsgAt
貪瞋痴がまかり通ってる世を
愚痴るスレはここですか
>>86-87 お答えありがとうございます。度々の質問になってすみませんでした。
勝間さんの間違いだったのですか。
自分の周囲では「妬まない・怒らない・愚痴らない」の「三毒追放」が
ブームなので、ちょっとショックです。
彼女のような人でも間違うことがあるんですね。
>>87のブログの解説も興味深く読みました。
「怒らない」という気持ちで自分を高めていきたいと思います。
仏教を学びたいのですが、仏教には聖書のような大本となる経典はありますか?
91 :
神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 23:29:43 ID:OGwbIMqD
>>90 「お経」がそれなんだけど、たくさんありすぎる。
聖書のように、世界共通の一冊にまとめられてはいない。
仏教伝道協会の「仏教聖典」というのがある。
たくさんあるお経の中から抜粋して一冊にまとめてある。
現代語訳で。仏教用語の説明や索引もある。
上座部仏教ファンにとっては、
この本には大乗仏教の内容も含まれてるから、あまり良い本だとは思わないけど、
初心者のときには読んで勉強になったかな。
92 :
神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 09:27:23 ID:utjZxAtH
>>90 水野弘元『仏教要語の基礎知識』(上座部中心)
ダライラマ『智慧の眼をひらく』(大乗中心)
とりあえず上二つを読んでみるといいですよ。
その後で仏教伝道協会の「仏教聖典」もいいですが、以下がおすすめ。
山口益『仏教聖典』(現代語)
『新訳仏教聖典』(やや文語的現代語総ルビ)
東大仏教青年会『仏教聖典』(書き下し総ルビ)
93 :
神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 12:46:39 ID:YwpO6a7M
日本放送出版協会「刊」の『ブッダの世界』は、仏教の全体像を
体系的な概観として纏めてあります。分厚い本でもなく、読みや
すいです。
>>91 >>92 >>93 回答ありがとうございます
ブッダの教えを忠実に記したアビダルマという経典?があると聞いたことがあるのですが、
調べてもよく分かりません。
それはどのようなものなのでしょうか?
95 :
神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 00:28:08 ID:oUOGUY+V
質問何ですが仏教の世界では死後の世界はどう捉えてるんですか?
96 :
神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 03:09:37 ID:KyYbBcIM
>>94 まず、仏教の教えの本には、経・律・論という三種類があります。
これを、三蔵といいます。(三蔵法師とは、三蔵に精通したお坊さんに与えられた称号です。)
アビダルマ(アビダンマ)は、三蔵のうちの「論」にあたります。
お経(ブッダの教えの記録)の解説書・解釈書みたいなもんでしょうか。
>95 輪廻を前提に考えるのが主流です。
輪廻は、死んだら新しい生きものに生まれかわるわけなので、
「死後の世界」と言っても、キリスト教みたいに、
死者専用の国があるわけではありません。
私もあなたも、前世からみたら「死後」です。
今も、前世から見たら「死後の世界」です。
97 :
神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 15:33:03 ID:Xs/TCkLf
質問です。
六師外道のうちのローカーヤタ(唯物論者)を仏教では批判されていますが、
その理由、その根拠は何でしょうか?
自分の考えでは現在に生きる人々は、ほとんどが、ローカーヤタだと思うのですが、
それは仏教から見て、どのような問題があると考えますか?
98 :
神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:48:58 ID:HgHp0SSr
『大四十経』でこのようにいわれます。田中教照先生の論文より
比丘たちよ、それでは邪見とは何であろうか。布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。
比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見とは、
布施あり、祭祀あり、供犠あり、善悪業の報いあり、此世、彼世、母、父あり、
化生の有情あり、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
証して説く者の世に在り、と主張する、これが、比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、
煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見 である。
と説かれるように仏教の前提となる輪廻因果業報が否定されるからです。
99 :
神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 16:56:13 ID:HgHp0SSr
>>94 水野弘元『仏教要語の基礎知識』を読めば分かります。
法を分析して体系づけたものと考えればいいのではないでしょうか?
代表的なアビダルマ論書は、『清浄道論』と『倶舍論』です。
水野先生は、仮設の教えから定義分析した教えになった所に
アビダルマの特徴があると仰っています。
中観は、その定義分析を批判して仮設の釈説に帰れという復古運動だったと思います。
101 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 17:55:07 ID:iHEDmHIU
空の概念からすると、人間(仮我)が悟ったところで、
また諸行無常に帰っていくだけのような気がするんですが、どうでしょうか?
仮に、悟り=如来になるという概念があるとすると、
空の概念より、悟った我を限定出来ないという事になり、
関連全てが如来になってしまうという事になり、結局、空に戻るって事ですか?
102 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:10:28 ID:EbTNngDO
東京北東部で瞑想できるところありますか?
103 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 18:22:24 ID:JDG6rgnk
座禅修行をしたいのですが、何宗の寺に行けばいいのですか?
沖縄県にありますか?
105 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/01/12(月) 18:30:01 ID:oRvBYY3v
>101
仏教哲学は、本来的には求道者に対する教えです。
西洋哲学的なアプローチなら、宗教学者の多くの著作物を参照されては?
106 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/12(月) 18:44:47 ID:FbyQ4TwC
>>101 そうですね。
つまり悟りというのは「自我の破壊」のことですね。
破壊したわけだから、後には何も残らない。
観察する者と、その対象はなくなる。
全てが平等になる。
平等であるなら、もはや平等という意味はなくなる。
107 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 19:51:44 ID:iHEDmHIU
>>106 ある意味、悟りにすら意味は無いって事になりますよね?
普通に死のうが、悟って死のうが、自我は崩壊して空として変化し続ける・・・。
悟りとは、死ぬまでの自我がある状態の救いとして機能する。
自殺、他殺に発展しかねないが、生死、自他の概念が消えるわけで、そういう発想にはならない。
今のところ、こんな感じで捉えてるんですけど、お勧め本とか宗派ってありますか?
108 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 19:58:51 ID:UiOIBQZc
もっとも釈尊の教えに近い教団を教えてください。
ただしテーラワーダ以外でお願いします。
109 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/12(月) 20:01:41 ID:FbyQ4TwC
>>107 >お勧め本とか宗派ってありますか?
禅というのは、基本的には依典というのはないのですけど、
あえていうなら「六祖壇経」はいいんじゃないでしょうか?
哲学的アプローチなら、京都学派・西田幾太郎とか・・。
日本の宗派を手がける先に、先ずは中国禅を習うが宜しいかと思います。
110 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 20:07:30 ID:dl6qAIiS
>>101 それが正に如来の死後で、無記とされます。
>>107 空とは何も無いということではないですよ。絶対に変化しないもの(自性)など無く、全ては
関係性相互依存から成っている。つまり存在はしているが、関係(縁起)によって変化するもの
(無常)ということです。詳しくは下記書籍をどうぞ。
お勧め本:龍樹 中村元 講談社学術文庫、 絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉 角川文庫ソフィア
般若心経の新しい読み方 立川 武蔵 春秋社などで私は何も無い空からおさらばしましたよ。
112 :
南無大師遍照金剛:2009/01/12(月) 20:36:34 ID:UJnivA/W
>>106 禅宗自認するなら証修義くらい読めよ
へんな空論騙るな
113 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 20:39:34 ID:v9gs6WEz
仏教の基本を学ために最初に読むと良い本は何ですか?
「仏教要語の基礎知識」をすすめられたのですが、この本で大丈夫でしょうか?
114 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 20:55:43 ID:dl6qAIiS
>>113 その本は最高です。ただし、テーラワーダと禅宗のテイストが若干あります。
もし、大乗志向なら、その本を読んだ後でダライラマ『智慧の眼をひらく』を読むといいと思います。
115 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 20:58:49 ID:dl6qAIiS
>>107 テーラワーダならビルマ系、大乗ならニュー・カーダム派以外のチベット仏教をおすすめします。
ニュー・カーダム派は、悪霊崇拝派なので、関わらないようにしてください。
116 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 21:18:40 ID:iHEDmHIU
>>109 ありがとうございます。
哲学的に捉えたいので、西田幾太郎をまず読んでみたいと思います。
>>110 無記って良いですね。
調べる段階でかなり勉強になりました。
毒矢の比喩も空に繋がるような感じがしました。
>>111 理解してるとは言えませんが、空が無では無いってのは、なんとなくわかります。
龍樹は読んでみたいです。お勧めどうもです。
>>115 自分の思想が現在どこに近いのか謎です。
救済とかじゃないし、輪廻ってのもなんか違うような・・・。
これらは、言ってみれば、無記を無視した発想ですよね?
117 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 21:22:54 ID:iHEDmHIU
まぁ、知識が全く無いくせに、好き嫌い言うのも可笑しな話ですね。
これから、えり好みせずに色々読んでみたいと思います。
>>113 「仏教要語の基礎知識」 水野弘元いい本ですね。
岩波仏教辞典 や新・佛教辞典 中村 元 はじめてのインド哲学 (講談社現代新書) 立川 武蔵
中村 元の各著作、立川 武蔵の各著作おすすめですよ。
ブッディスト・セオロジー(1〜5) (講談社選書メチエ) 立川 武蔵は著者の最新作です。おすすめ。
119 :
神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 04:00:35 ID:L/l3OLQh
>>104さん
ありがとうございます。
臨済宗か曹洞宗のお寺に行けばよいのですね。
近所で探してみます。
120 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/13(火) 06:52:28 ID:5O2Ve+Gz
>>112 道元は殆ど関心はない。
曹洞宗なら良寛は好きだが。
>>116 >自分の思想が現在どこに近いのか謎です。
禅宗に近い。
121 :
116:2009/01/13(火) 20:09:59 ID:qn003M4A
>>120 禅宗に近いですか。
ありがとうございます、指針になります。
しかし、空って面白いですね。
空の概念を考えると、唯識とか、輪廻とか、如来の有無を語るなんてナンセンスだって事に気づきました。
空の中に有無を見い出す事は不可能ですね。
そもそも、境界の概念が無い空では、言語が意味を持たないから、人間では考えられないはずです・・・。
そんなこんなで、釈迦は語る言葉がなく、無記としたんですかね?
う〜ん、面白いですね。無知故の勝手な妄想ですがw
122 :
神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 20:56:40 ID:OpywW3Vm
>>121 いえ、原始仏教も中観も空だからこそ縁起し輪廻するとしています。
如来の有無が無記なのではなく、如来の涅槃後(死後)が無記なのです。
水野弘元『仏教要語の基礎知識』を読んでください。
多少、仏教を知る人で、これを悪くいう人は、まずいませんから。
哲学的に捉えたいのでしたら世界の名著〈第2〉大乗仏典に
梶山雄一 訳『論理の言葉』などの論書が入ってるので
こちらをどうぞ。ただしかなり難しいです。
123 :
南無大師遍照金剛:2009/01/13(火) 21:08:46 ID:t3StkDUY
ここも毒電波の巣窟に成り下がったね
124 :
神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 21:53:42 ID:F9uXBv/w
明恵上人って、華厳宗の僧なんですか?どんな人だったのでしょうか?
125 :
116:2009/01/13(火) 21:58:42 ID:qn003M4A
>>122 レスどうもです。
縁起の輪廻というのはわかります。
上で書いた輪廻については、輪廻転生の意味で使ってしまいました。すみません。
転生というと、生の概念が出てしまい、有無の話になってしまうと思ったわけです・・・。
如来の死後が無記ですか、空に於いて死の概念があるのも変な話ですね。
僕の勝手な妄想では、如来すら空に包括されて欲しいところです。
まぁ、僕のような、こういう勝手な解釈、付け足しする奴がおかしなモノを生んでしまうんでしょうね・・・。
みなさんに紹介して頂いた本読んで、フラットになるように頑張ります。
>>123 毒電波って僕の事ですね?
この連休でwiki読んで学んだ、まさに、ニワカです。
妙に面白くて嵌ってしまいました。
勢い勝手な思い込みを書き込んでしまいました。
以後、慎みます。ごめんなさい。
126 :
神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 22:29:10 ID:OpywW3Vm
>>125 如来も空ですよ。空だからこそ、縁起できる。
wiki の輪廻にもそう書いてあるでしょう。妥当な記述です。
空も縁起もなかなか簡単には分かりません。
大体、分かったようなこと言っている人は分かってないと思っていいと思います。
かく言う私も、どの程度まで分かっているか分かりません。
仏教は、知れば知るほど合理的で深淵ですから。
毒電波は、あなたのことではないでしょう。
気にしないでください。
たぶん多くの人は、あなたの純粋な言動を快く思ってると思います。
127 :
神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 23:41:52 ID:ZUUAiZaM
128 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/01/14(水) 00:06:14 ID:+sQ8Vu58
>127
見たけど、仏教史知らないタコ助のオナニーでした。(笑)
129 :
神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 03:13:19 ID:fzv3d+aQ
>>125 空と言う言葉はいろんな意味で言われるからわかりにくい。
無我と言ったほうがわかりやすい。
で、四念住で考えたほうがわかりやすいかも。
身は不浄である。
受は苦である。
心は無常である。
法は無我である。
法とは、意識で認識する対象、つまり、
私達の心が考えるすべての「こと」です。概念・観念です。
心が認識する概念・観念は、すべて無我です。
「如来」という概念も、心で考えることだから、無我ですね。
130 :
神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 03:41:34 ID:fzv3d+aQ
キリンから発売予定のフリーというノンアルコールビール。
文字どおりアルコール0.0 0パーセント。
発売予定日は、日本ではお釈迦様の誕生日(花まつり)とされる4月8日。
仏教徒のみなさん、ビール(泡般若)を飲みたくなっても、
ノンアルコールビールでいきましょう!
131 :
南無大師遍照金剛:2009/01/14(水) 06:12:07 ID:4Lnz82jS
>>125 毒電波とは机のこと
お釈迦様の教えは現実にある苦を取り除く問題解決の実践行動の教え
苦を我慢したり臭い物に蓋をしたり現実逃避する教えではない
空とは無ではない
禅宗自認しながらドウゲン禅師が好きぢゃないから修証義は知らんよ
それは修証義の何処が良く悪いかも知らないでぢゃ,机の独断と偏見の偏った知識になる
132 :
南無大師遍照金剛:2009/01/14(水) 06:21:07 ID:4Lnz82jS
無我とは自分自身の意思が及ばないこと,自分自身の意思ではかえられないこと
諸法無我
諸法とはこの全宇宙に存在するもの全て
そして諸法無我とは
この全宇宙に存在するもの全てのなかには自分自身の意思ではどうすることもできないことがある
例えば
生命あるものの老いや死
親しい人の死
133 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/14(水) 07:32:30 ID:nOivJZ5F
>>125 >僕の勝手な妄想では、如来すら空に包括されて欲しいところです。
いや、妄想ではないですね。
貴殿が正解です(^^♪
空は相対化されませんから、如来であっても・・・その意は消失します。
禅でいう如来の概念というのは「即心即仏」でありますが(これが世俗諦)
相対化されませんと「非心非仏」となります(これが勝義諦)
つまり相(差別・無差別)の違いであって、意味は同じです(色即是空)
>>121 >そもそも、境界の概念が無い空では、言語が意味を持たないから、
そぉなんですよ^m^
ですから唯識でも中観でも、上手く説明しようとすれば〜するほどに
ドツボに嵌って訳が分らんようになってきます。
言語というのは、境界・分別を前程としますからね。
(釈尊の無記というのは、哲学的においてもハイレベルであることは納得いきます)
134 :
神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 09:03:15 ID:bdiAZ0DC
>>127 う〜ん。まず、彼も名著といってますよね。
彼がテーラワーダであることを考えれば、まあしかたがないのではないでしょうか。
そして、その部分は非常にデリケートで難しい問題だから、なんともいいえません。
ショペン以降、諸説でてますが説得力のある説を私は知りません。
135 :
神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 09:19:00 ID:fzv3d+aQ
136 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/14(水) 09:32:52 ID:nOivJZ5F
>>135 【梵我一如】
梵と我がひとつ。ということですから、不二にして一ですね。
不二一元論です。
【仏教は、色即是空 空即是色です】
仏教では色と空がひとつでありますが、色(差別相)と空(無差別相)と二相でありまして、
一元論ではなく、
不二にして・・・不一元論。
つまり、不一不二になります。
そこが違うんですね^m^
137 :
大王:2009/01/14(水) 14:17:40 ID:PLLGV21w
124 :神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 21:53:42 ID:F9uXBv/w
明恵上人って、華厳宗の僧なんですか?どんな人だったのでしょうか?
華厳宗ネタの所へおいで。
138 :
神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 19:45:16 ID:Ty4dfKPX
密教の場合「密教を知るためのブックガイド」という便利な本がありますが、
仏教全般に関して上記のようなブックガイドはないでしょうか?
139 :
神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 20:39:24 ID:bdiAZ0DC
>>138 袴谷憲昭『仏教入門』最新版だけど偏ってます
平川彰『仏教研究入門』オーソドックス
深浦正文『仏教研究法』伝統的
渡辺海旭『欧米の仏教』1918の西洋研究文献のガイド
ドゥ・ヨング『仏教研究の歴史』第一人者による西洋研究文献のガイド
趣きが違うけど
水野弘元『仏典解題事典』
宮元啓一『経典ガイドブック』
下田 正弘『大乗経典解説事典』
といったところでしょうか?
140 :
神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 20:45:07 ID:fzv3d+aQ
>>138 ありすぎて困る…。
既に出てるかもしれないが、「仏教要語の基礎知識」かな。
大学で仏教を専攻したんだけど、
テキストとして購入させられたよ。
岩波仏教辞典も買わされたよ。仏教辞典もあれば便利。
まずは、お釈迦様の生涯をおおざっぱでいいから理解すること。
で、仏とは何かを知る。
で、三宝、四諦、八正道、
一切皆苦・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静、
五蘊、十八界、十二支縁起について知ること。
これらが仏教知識の骨格。
各宗派の教えとかはその後につける肉。
141 :
神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 20:51:31 ID:fzv3d+aQ
八正道を学んだときに、戒・定・慧の三学という言葉理解しておくこと。
あと、三毒煩悩も。
142 :
あ:2009/01/15(木) 16:05:15 ID:e1vca0SU
浄土系の仏教は
とりあえず天国に行って
修行し仏になるって
教えだと思うけど禅や
密教系は、この世で仏に
なるって教えだよね?
だったら即しん成仏した
空海とかは阿弥陀さまみ
たいに如来になったって
考えとかはないの?
でも、まだ生きていて
平和をお祈りしてるみた
いだから菩薩に留まって
いるって事ですか?
やはり大師っていうの
が如来に相当するって事
ですかね
143 :
神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 18:28:10 ID:6gErDfbY
仏教はこの世の苦しみを逃れるための教えだ。
死んでから仏になるというのは、筋違い
144 :
神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 21:25:14 ID:4un+0VOI
>>139、
>>140 アドバイスありがとうございます。
>>139さんの教えてくださった本は調べてみたら大部分が入手困難でした。
もっと入手簡単な本があればよかったのですが・・・。
とりあえず、
>>140さんおすすめの「仏教要語の基礎知識」を繰り返し読んで
マスターしようと思います。
重ね重ねありがとうございました。
145 :
139:2009/01/15(木) 21:31:19 ID:+t4+JBav
>>144 あれ? ブックガイドが必要なのではなかったのですか?
「仏教要語の基礎知識」は最高ですから。それはなによりです。
146 :
あ:2009/01/15(木) 22:25:03 ID:e1vca0SU
>>143 筋違いっていわれても笑
浄土系は明らかに
来世救世だろ笑
救われる=仏。ではないよ
147 :
大王:2009/01/16(金) 14:20:43 ID:FepoVgWT
138 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 19:45:16 ID:Ty4dfKPX
密教の場合「密教を知るためのブックガイド」という便利な本がありますが、
仏教全般に関して上記のようなブックガイドはないでしょうか?
ワシが答えてやってもよいぞ、
結構マニアだからなあ、教義忠実解釈、多宗派別理解するほうだからなあ、
華厳経のスレにでもおいで、
148 :
神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 18:17:53 ID:lFli6luK
質問です
法華経は受持し読誦し南無妙法蓮華経と唱えると功徳になると説かれていますが、法華系信仰宗教には不幸な信者が多くいます
これはどうしてでしょうか?
149 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/16(金) 18:49:49 ID:M/xEy01e
>>148 >法華経は受持し読誦し南無妙法蓮華経と唱えると功徳になると説かれていますが、
誰もそんなことは説いてはいないですね。
説いたのは日蓮くらいです。
(これは仏教ではなく「日蓮教」ですね)
大川隆法が「人生とは未完成である」とか吹聴しているようですが、
誰もそんなことは言わんですね。
意味不明な言説を垂れ流す輩は注意したほうがイイです。
脳が撹乱します。
>>149 分別功徳品や随喜功徳品に書かれてるようなんですが、私の読み方が甘いのでしょうか?
法華経広宣も凄い功徳みたいに書かれてないですかね?
そのわりには煎餅など法華系新興宗教には…
法華経を読むとその辺が訳分からなくなります
151 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 03:37:41 ID:AFvVdvUn
>>150 法華経は、お釈迦様が亡くなった後
何百年も経ってから創作された、偽物のお経です。
いわは、物語、小説です。
フィクションですから、そのまま信じてはいけません。
152 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 14:05:48 ID:sjz13kl9
法華経の中の「観音経」というお経は、民衆にも浸透しているようですね。
全国各地にある霊場も、観音信仰が多いようだし。
成立年代以前に、人が安心を得られるなら、それはそれでお経の役目を
果たしているのではないですか。釈尊直筆の著書はひとつもないことを
踏まえれば、成立年代に必要以上に拘るのはイクナイと思う。
153 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/17(土) 14:35:33 ID:QseWDp3k
>>150 そこに書かれているのは、悟れば功徳がある。って意味です。
実際にところ悟ってもなんの功徳もありませんよ。
これは達磨禅ですけど、
菩提達磨が悟って分ったらしいです。
まあ、考えてみれば常考ですね。
功徳が欲しい。って段階で・・・既に悟るのは不可です。
「何もいらん」といふ、無心になってこそ不死たる境地に至るわけですから。
功徳、功徳と言ってる段階では悟りへの道のりは遠いです。
念仏を唱えると地獄へ落ちると言う人と、
成仏するには念仏を唱えなければならないと言う人とがいますが、
どちらが正しくてどちらが嘘をついているのでしょうか?
いいかげん決着をつけてすっきりしたいです。
法華経に関して質問した者です、レスありがとうございます
法華経は、幾つもの経典の寄せ集めらしいですね
正しい部分もあれば、変な部分もあると思っていれば良いでしょうか?
>>153 > 功徳が欲しい。って段階で・・・既に悟るのは不可です。
> 「何もいらん」といふ、無心になってこそ不死たる境地に至るわけですから。
難しいです
>>153 > 功徳、功徳と言ってる段階では悟りへの道のりは遠いです。
だから法華経新興宗教の信者達には首をかしげる人達が多いんですかね?
私が今法華経に拘るのは、上座と大乗の折り合いをつけられるのは法華経かなと考えるからなんですが
157 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/17(土) 15:27:31 ID:bNGhcjRJ
>>154 念仏というのは、阿弥陀如来に全てオマカセする。ってことですよね。
オマカセして、どうか西方浄土まで連れていってください。ってことですから、
これは簡単に言いますと「自分の計らいごとを捨てる」という意味です。
つまり「無心」になることです。
人は無心になって・・・そして解ることがあります。
これを禅宗では頓悟とかいいますけど。
つまり阿弥陀如来というのは、悟るために「導いてくれる如来である」。
ってことですよ。
悟る(彼岸へ到る)までの筏(いかだ)です。
如来に導いてもらって彼岸へ行くことを他力といいます。
禅は自力ですね。
真宗(浄土宗)と禅は方法(方便)が違いますけど、彼岸へ目指すことは同一です。
>>157 >オマカセして、どうか西方浄土まで連れていってください
お任せすることと、「連れていってください」は矛盾してますよね。
お任せした以上、連れていってくれなくても文句は言えません。
「無心」になればいいのなら、気絶すればいい?
植物人間が最も頓悟してる?
>真宗(浄土宗)と禅は方法(方便)が違いますけど、彼岸へ目指すことは同一です。
同一だとおっしゃいますが、親鸞さんは自力は捨てよと切り捨てたのではなかったでしたか?
また、もし同一なら、どうして同一だと分かるのです?
道元さんは、両方で悟った人は一人もいない、と正法眼蔵に書いてましたよ。
また、日蓮さんは念仏を唱えたら地獄へ落ちると言いましたよ。
みんな言ってることが違いますね。誰を信用したらいいですか?それとも全部嘘ですか?
159 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/17(土) 15:40:14 ID:bNGhcjRJ
>>156 >私が今法華経に拘るのは、上座と大乗の折り合いをつけられるのは法華経かなと考えるからなんですが
法華経は五波羅密の実践を説いてますね。
不思議なのは六波羅密ではなく、ひとつ外してあります。
肝心な「智慧」が抜けてますね。
これは作為的に抜いたんでしょうね。
つまり、原始仏教から面々と流れていた空思想を排除してある。
ここに如何わしさが垣間見えてしょうがないんですね。
(これは人それぞれ捉え方は違うんでしょうけど)
160 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/17(土) 15:53:47 ID:QseWDp3k
>>158 >お任せした以上、連れていってくれなくても文句は言えません。
それはそうですよ。
凡夫は迷うだけで何もその術(すべ)はありませんから、
ただただ南無阿弥陀仏しかない。ってことですよ。
>親鸞さんは自力は捨てよと切り捨てたのではなかったでしたか?
凡夫は自力は大変だから、他力にすがる他ない。ってことで南無阿弥陀仏なんです。
(如来にすがるんなら自力は必要ないですね)c
>また、もし同一なら、どうして同一だと分かるのです?
それは、悟ってみると解るのです。
西方浄土も自力で解ってくるのです。
>道元さんは、両方で悟った人は一人もいない、と正法眼蔵に書いてましたよ。
両方で悟るのは、あまりないですが、
黄檗宗とか・・・中国では禅と浄土宗の双修はあります。
>みんな言ってることが違いますね。誰を信用したらいいですか?それとも全部嘘ですか?
日蓮が言ってることが間違いですね。
そもそも極楽とか地獄はない。
(真宗における浄土の意味は現世です)
>>159 > 不思議なのは六波羅密ではなく、ひとつ外してあります。
> 肝心な「智慧」が抜けてますね。
> これは作為的に抜いたんでしょうね。
> つまり、原始仏教から面々と流れていた空思想を排除してある。> ここに如何わしさが垣間見えてしょうがないんですね。
あまりまともに読んでなかったから知らなかったです
何と!
一体何が目的だったんでしょうかね?
しかし道元も法華経を讃美してますよね?
>>160 >凡夫は自力は大変だから、他力にすがる他ない。ってことで南無阿弥陀仏なんです。
(如来にすがるんなら自力は必要ないですね)
いや〜、単に自力は大変だとか、自力は必要ないってだけではなく、
もっと積極的に自力では極楽浄土にはいけないと繰り返し書いてるよ。
>それは、悟ってみると解るのです。
西方浄土も自力で解ってくるのです。
あなたは悟ったのですか?ここに自信満々に書いているということはきっと悟ったのでしょうね。
しかし私はあなたが悟ったということを確信する根拠がないので信用するわけにはいきません。
つまり、悟っていない他人に、「悟ってみると解る」というような説明は無駄では??
(私は別にあなたを否定したいのではなく、疑念なく心から納得して真理を知りたいので、
疑問を洗い出しているだけなので、気を悪くなさらないように)
>両方で悟るのは、あまりないですが
あまりないということは少しはあるということ?それはそれで変ですね。一度悟ったのに、
再び悟るということは、やはり最初と二回目の悟りは同一ではなく、別物ということになり
ますね。同一なら「両方で悟る」なんて概念はおかしいですから。どちらか一方を悟ったら
それで終わりなはずです。一度解脱したら再び生まれることはありませんから。つまり、
二つの悟りを同一か異なるかと判定することは不可能なはずです。
道元の「両方で悟った人は一人もいない」(すなわち同一の悟りかは解らない)という判断
が正しいと思いますよ。
>日蓮が言ってることが間違いですね。
そもそも極楽とか地獄はない。
(真宗における浄土の意味は現世です)
その根拠は?
私は誰が正しく、誰が嘘を付いているのか尋ねているのですから、結論だけ書かれても困ります。
>>161 >道元も法華経を讃美してますよね?
アインシュタインがハリーポッターを賛美しても、ハリーポッターの魔法が真実
ということにはなりません。ごたくを並べた法華経も文学作品として、派手で美辞麗句を駆使してて美しい
と感じる人は多いので、荒唐無稽であってもそういう点を賛美するのは全く不思議ではありませんね。
164 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 14:43:02 ID:2qMWjpv/
極楽にいくことが
「悟りを得る。」ってことなんですか??
悟りっていうのは言い換えれば究極の人格を手に入れ
この世の苦しみから解放される人間ってことですよね?
だとしたら、その悟った人が極楽に行けるっていう
付加価値を付ければ教えに幅が出来るので極楽というのを考えたって
いう理由にはなると思いますが・・・
でも浄土教みたいに一心に祈りをささげてても無心や空などの思想を
体感できるとは思えないですし、それで悟りを得るなんて良く分からないです。
じゃあ浄土教に似てるキリスト教の人だって悟りを得ることになりますし。
後は極楽にいく=悟りを得る、だとしたら極楽にいった人なら
誰でも如来様になれるんですか?
なんか私は思い違いをしてるようですね・・・
165 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 22:16:05 ID:1TOz284J
>164 阿弥陀仏が造り上げた極楽浄土という場所は、
とても悟りやすい環境なのです。
たとえば、極楽にはさまざまな珍しい鳥がいて、美しい声で鳴くのですが、
実はその鳥たちはすべて阿弥陀仏の化身であり、
その鳥たちの声は、仏の教えを表現しているのです。
また、極楽浄土に生まれた者は、はかりしれない寿命を与えられ、
修行が未完成のうちに死んでしまうことがないのです。
普通の世界では、せっかく仏教徒になっても、悟らないうちに死んでしまい、
次に何に生まれかわるかわからないし、
人に生まれかわってもまた仏教に出会えるかもわからない。
極楽浄土に生まれてしまえば、もう悟りにむかって一方通行なのです。
修行があともどりすることもなく、レベルアップのみ。
これを不退転の境地といいます。
極楽に生まれたものは、すべて不退転の境地になる。
阿弥陀仏が、そのような世界に設計したからです。
166 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 22:26:47 ID:f37z3b/A
超初心者です教えてください
仏教についてちょっと調べたのですが
いつできたとか誰が開いたとか歴史的経緯はわかるのですが
具体的にそれぞれの宗派がどう違うのかって言うのは
あまりサイトとかもないのですが
そういうのってわかるものってあるのでしょうか?
>>166 雑誌「大法輪」で時々特集するよ。普通の本屋で気軽に買える唯一の仏教雑誌かなw
急いでるなら、バックナンバーさがせば、直近なら20年9月号かな。
168 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/01/18(日) 23:18:45 ID:EdioJh+C
>166
日本式仏教を大別すると、
念仏宗と禅宗と密教とその他。
念仏宗は、煩い電波系。
意外とスカスカ。
禅宗は、静かな電波系。
かなりヤバい。
密教は、元気な着ぐるみ。
タマにアクロバティック。
その他は、法相やら何やらかんやら。
何れもベースとなった仏教哲学とはかなり変質している。(笑)
>>168 > 禅宗は、静かな電波系。
> かなりヤバい。
> 何れもベースとなった仏教哲学とはかなり変質している。(笑)
やっぱり!
170 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 09:46:22 ID:iDyzGUNb
>>164 >でも浄土教みたいに一心に祈りをささげてても無心や空などの思想を
>体感できるとは思えないですし、それで悟りを得るなんて良く分からないです。
念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業
にてやはべるらん。惣じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまひら
せて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう。そのゆへは、
自余の行もはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまふして地獄にもおちてさふ
らはばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ。いづれの行もおよびが
たき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
歎異抄・第二条より抜粋
親鸞的には、己の非力、罪業の深さを、念仏行にしか寄る辺を見出せない下根の身
だと諦めた境地が、「とても地獄は一定すみかぞかし」に辿りつくのだと思います。要
は、すべてを阿弥陀仏におまかせして、あとは野となれ山となれの覚悟のような。
第八章では、「念仏は行者のために非行・非善なり」とあります。→行も善も自分の力
によってすることだが、阿弥陀さまのお召しによってさせられる念仏は、そうではない。
絶対他力の念仏とは、それを称えると自体が、弥陀の誓願に抱かれることなので、成
仏が必ず約束されているという意味でしょう。
171 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 09:53:09 ID:f3XMU/WP
>>165 ありがとございます。
やはり、その認識で良いんですね。
やっぱり
>>143の人は間違ってるようですね
でも空海を如来として信仰しない理由って何なんですか?
他にも悟りを得ただろうっていう僧はいたと思いますが如来や
菩薩として新たに、その僧を信仰するって事あまりないですよね
172 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 17:47:36 ID:6vtMgBCf
173 :
南無大師遍照金剛:2009/01/19(月) 18:06:52 ID:gHxIshQV
174 :
神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 00:56:48 ID:zfhu7Pjs
175 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/01/20(火) 01:35:22 ID:AWV5QTnY
>174
念仏宗。
因みに、念仏宗の中で法華の呪だけはかなりヤバいが、仙術でクリア可能♪
176 :
神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 01:58:03 ID:zfhu7Pjs
>>175 念仏宗も広い意味では密教では?
身・口・意の三業で規定の行為をすれば、
それど「成仏とみなす」「往生するとみなす」。
177 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/01/20(火) 02:07:55 ID:AWV5QTnY
>176
根本経典からして全く別ものです。
当然、術式の組み方も異なります。
(^。^)てか、その論法だと、ヤソも密教になるが?
178 :
ショウキョウ教はナルシズム俺様電波♪:2009/01/20(火) 11:32:06 ID:oMJh/NMN
ショウキョウも、相当やばい♪
179 :
総合評価:2009/01/20(火) 11:48:57 ID:oMJh/NMN
160 :机龍之介は、
原始仏教と禅の間の子と見た、
曹洞宗と臨済宗と正当派に評判が悪い理由も解る。
でも、彼はこのスレでは優秀だろうね。
180 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/01/20(火) 18:44:37 ID:AWV5QTnY
>178は俺をアカと間違えた人だな?(笑)
トリ付けたら?
質問です
先日「仏教において真実の美人とは、また真実の性欲とは何か?」
と問われ、色々調べたのですが良くわかりませんでした
この2つに関して参考になる書や何か知っている方がいらっしゃいましたらご解答お願いします
182 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 01:30:00 ID:p9kvWd91
>>181 >先日「仏教において真実の美人とは、また真実の性欲とは何か?」
ありません。二つに限らずあらゆる現象は縁起で、空だからです。
あらゆる現象は仮にそう見えるだけで、真実には空(実体のないもの)です。
というのが仏教の考え方です。
>>182 そうなのですか…
ずっと答えが気になっていたのですがスッキリしました
ご解答どうもありがとうございました
184 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 12:11:57 ID:gyAiFyDC
日本の伝統的な座禅とヴィパッサナー瞑想では違いは何ですか?
どちらの方が真の悟りに達せられますか?
185 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 13:19:50 ID:xG8wvtQd
>>184 座禅も禅宗によって違いがあります。
ヴィパッサナーというのは本来、止観の観の意味で仏教であれば必ず行ずるものです。
ですがヴィパッサナー瞑想と言う場合、テーラワーダのニューウェーヴが止観のうちサマタを実践せずにヴィパッサナーだけを強調したものと理解します。
サマタ、つまり禅定による精神集中なしにヴィパッサナーだけしても効果はないと思います。
これはビルマ系の伝統的なテーラワーダではきっちりサマタを実践し、
精神集中ができた後でヴィパッサナーを行うことから分かります。
以上からヴィパッサナー瞑想というような言葉を使うテーラワーダではなく
ビルマ系の伝統的なテーラワーダで行をすれば効果があると思います。
禅宗で行う場合でもビルマ系で行う場合でも、弟子がちゃんと結果を出している師につかないと悟りは得られないでしょう。
個人的にはビルマ系で三年ぐらい籠って集中して行ずればかなりの境地になるのではないかと思います。
186 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 21:37:49 ID:UzqRI9Yn
アルボムッレ・スマナサーラは真の悟りを得た人ですか?
187 :
184さんへ、大王:2009/01/27(火) 10:56:53 ID:e83w/kXV
ヴィパッサナー瞑想は、論理的、親切、段階的である、欲望を滅するを至高とする。
ただし、世界空間的統一感覚は無い。
世界空間的統一感覚は、日本信仰義認的浄土宗日蓮宗を除く、唯識以降大乗仏教の路線となる。
坐禅においては、日常の応用性を重んじる。
道元、曹洞宗禅は、坐禅を重んじる、自然性がある。
臨済宗禅は空間への強力な作用を含む日常の実践性がある。
188 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 17:59:20 ID:QAHSlCsi
外国の禅宗と日本の禅宗の違いは何ですか?
ビルマ系の仏教の禅的修行と日本の禅宗では行き着く所は同じですか?
189 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 15:35:00 ID:2QLxVA2f
質問です。
お経を読むのを日々のお勤め。
っていうようなのですが。
例えば無職の人が毎日お経あげてもそれはお仕事と言えるのでしょうか。
190 :
顕正:2009/01/30(金) 11:37:57 ID:h35Jp7BF
日本社会の恩恵を受けて生きているにもかかわらず、己はその社会運営に協力することはなくただ日々お経をあげる。それが何を意味するのかそんな事も解らないのか?人間は生きるために働くんじゃない。生きるから働くんだ。
ありがとうございます。<(_ _)>
192 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:57:15 ID:2Z/7I0Zf
>>189 この場合の「お勤め」とは、
「仕事(職業・労働)」という意味ではなく、
「修行」という意味ではないでしょうか。
「朝のお勤め」とは、「朝の修行」です。
ですから、お坊さんでなくても、誰でもお勤めはできます。
193 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:59:56 ID:2Z/7I0Zf
お経を読むことは、
教えの勉強、信仰の高揚、精神集中の効果があります。
そのような効果をねらった修行は、無職の人でもできます。
194 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 14:06:08 ID:O2erwceC
*************************************************
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【ZAPPA】フランク・ザッパ★オンステージ★Vol.21 [洋楽]
*************************************************
フランク・サッパと仏教はどういう関係があるのですか?
>>192,193
ありがとうございます。
日々の習慣として、続けます。
196 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 16:21:03 ID:8sKnfGZY
>>195 随喜いたします。もし余裕がありましたら、お経を読むまえに
仏法僧の三宝に帰依、みんなのためにお経を読むという菩提心を起こして、
お経を読み終わったらみんなに功徳を回向すると思ってください。
197 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 13:47:27 ID:UEd5UvCn
自業自得のことばかりなんですが、自分がもう本当に嫌でたまらなく、
この価値観を壊して楽になりたいので仏教を学ぼうと思っています。
しかし、少し調べてみると仏教には多くの宗派があり、どれが本当の釈迦の教えなのか、
どれが自分に合っているのかわからない状態です。
私は、まだ他人を救う前に自分をと思ってしまいますし、輪廻にも懐疑的です。
ただ、両親の実家のお墓は曹洞宗のようなので、学ぶのは曹洞宗なのかなとも思っています。
釈迦の生い立ちや仏教ができるまで、その教えや宗派などを知ることができる本として、
このスレで紹介されている「仏教要語の基礎知識」はおすすめでしょうか。
>>197 そういう感じなら、
「釈尊の生涯」春秋社/水野弘元
一冊あれば十分。(要語は、辞書&教義解説書的だからw)
曹洞宗なら、本来は修証儀とか正法眼蔵へ行くべきなんだろうけど、
眼蔵は難解だし、修証儀は檀家の心得的側面が強いし・・。
広く眺めてみたいなら、併せて、
「仏教入門」岩波新書(赤)/三枝充悳
「お経の話」岩波新書(緑)/渡辺照宏
を推薦しとく。
199 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 14:10:22 ID:mH1PA+lL
>>197 仏教の教えの基礎を学びたいというならお勧めですが、
釈尊の生い立ちや、各宗派の成り立ちについては、
詳しく書かれてなかったと思います。
ちょっと大きめの本屋さんにいけば、宗教コーナーにたくさん本があります。
適当にぱらぱらっと立ち読みしてみて
参考になりそうなのを買えばいいと思います。
200 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 14:19:36 ID:mH1PA+lL
まぁ、とにかく何でもいいから読んでみること、
一歩踏み出してみることでしょうね。
201 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 14:22:19 ID:mH1PA+lL
うちお寺なんだけど、
お寺で基礎仏教講座みたいなのをやったら人来るだろうか?
テキスト代と、まぁ、お茶・おやつ代程度の参加費で。
>>198 「釈迦の生涯」は水野弘元作というのは手に入らなさそうですが、
同様のタイトルで中村 元作のがありますが、こちらはどうでしょうか。
>>201 ありがとうございます。
近くにそういうのがあれば、私のような心境の時など、行きたいと思うかもしれません。
>>202 すいません、「釈尊の生涯」の間違いです。
質問です。
ここでよくあがる「仏教要語の基礎知識」をはじめ、初心者向けの仏教本を数冊読んだばかりですが、
○○という言葉はこういう意味、解釈をするのだ。ということをひたすら暗記していくような感じです。
説明しにくいのですが、仏教を学ぶ初期はこのように暗記をしていく感覚でいいのでしょうか?
もう少し理解をして頭に入れていきたいと思い、ネットなどで調べてはいるのですが、それを説明する言葉がさらに理解し難かったりと
結局理解というよりは、これはこういうものと丸覚え状態です。
もう少し本などを読んでいけば感覚?が掴めるのでしょうか。
仏教に詳しい方々は学校やそういった学ぶ場で勉強されたのでしょうが、独学で勉強していくためのアドバイスなどお願いしたいです。
よろしくお願いします。
>>202 重版してないのか・・。
伝記系の書籍も、色んな人が書いてるからなぁ・・・。中村さんも2・3種類書いてんじゃないかな。
私が見たのは、「選集所収の物(春秋社)」と「法蔵館版」。
選集の11巻(11・12巻)は専門的過ぎるので、選ぶなら「法蔵館版」かな。
できれば、水野さんのを推したいけどw
私は以下のようなのを読んだけど、おそらく星の数ほど出版されてるんじゃないかな。
各宗派のちょっと偉いお坊さんとか、学者肌のお坊さんとかも出してると思うし・・・。
1「水野弘元著(春秋社)」、2「中村元(春秋社選集)」、
3「中村元(法蔵館)」、4「前田恵学(山喜房)」、5「増谷文雄(角川選書)」、
(6「アンべドカル(三一書房)」…伝記的著述も含まれるので一応)、
7「渡辺照宏(不明)」、8「著者不明(出版社不明)」、9「著者不明(出版社不明)」、
10「奈良康明(NHKブックス)」。
1が、やっぱり無難で解り易く、一番初学者向きだと思うけど、手に入らないなら
訳文付で、一般的な史実としての釈尊像を描こうとしてる3・4・5の類かな?
急ぎでないなら、誰か詳しい人の降臨を待ちましょう。
(やっぱり著者によって、解釈や分析、読み取り方が違うから・・・w)
ちなみに、7・8は明治から昭和初期っぽい文体なんで却下。
9は、僧職にもある学者さんっぽいが、誰の著でどこの出版社か判らない・・・w
(8・9は学生時代のコピーだが、誰が書いたとか出版社とか、何もメモってないw 何考えてたんだ俺はwww)
6も却下で、もし興味があるなら、でいいでしょう。
10は、伝記というわけではないけど、
奈良さんが見つめる(自身が“向かい合うべき”だと考えている)釈尊像を語っている点で興味深いし面白い。
>>204さんは、この10「釈尊との対話」(NHKブックス/奈良康明)を一読してみたら如何でしょう?
勉強っぽい本じゃないので(息抜き的にも)良いかも?
206 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 17:28:10 ID:M/xXTiau
>>204 「仏教要語の基礎知識」を片手に、先ずは、
原始仏典の長部経典を読むのがいいのではないかと思います。
片山一良訳、中村元監修のいずれかが入手容易ですが、
どちらも高価なのが残念です。
片山一良訳か、梶山雄一監修かが文庫になるといいのですが。
>>205 ありがとうございます。
たくさん出ていますね・・・
まず書店でパラパラと見てみて考えてみたいと思います。
>>206 季刊「原始仏教」なら安いよ。
ジャータカも併載したり、豆知識も載ってたりで、意外にお得かも?
よほどの物好きな店主の店か、よほどの専門書店ならともかく、
一般書店には置いてないだろうから、直接注文かネット注文するしかないだろうけど・・・w
>>201 需要はあると思うよ。
問題は、というか大切なのは、
貴方が、≪【どのようなスタンス(立場・距離感)でもって】仏教について話すのか?≫ということだと思います。
これが一点。もう一点は、≪対象者(層)を絞るか絞らないか≫になると思います。
・「檀家さん信者さん達に対して」「所属或いは関連宗派の“おしえ”と、がっちりリンクさせて」話すのか。
(→インド仏教・原始仏教等学問的研究成果と、宗派の伝統的おしえ・価値観との折り合い)
・「檀家さん信者さん達に対して」「仏教の“原初的おしえ”を紐解いていく」のか。
(→自身や来訪者方の依拠すべき或いは依拠してきた(伝統的)知識・価値観との折り合い)
・「宗派や、事前の価値観世界観関係なしに、不特定多数に対して」
「所属或いは関連宗派の“おしえ”と、がっちりリンクさせて」話すのか。
(→不特定多数の、まだ自身の所属宗派のおしえに触れてない方への“初説法・初法話”となる)
・「宗派や、事前の価値観世界観関係なしに、不特定多数に対して」
「仏教の“原初的おしえ”を紐解いていく」のか。
(→所属或いは関連宗派の“おしえ”に、どこまで触れるのか)
で、貴方の口にする言葉や語り口が変わらざるを得ないと思います。
対象者選びは次の段階としても、
まず貴方が、 ≪「何を」「どのように」「誰に」語りたいのか≫ をしっかり定めるべきかと思います。
また逆に、そこがしっかり定まっていたなら、何をどのように語ろうとも、
きっと、来た人の心に届くと思います。
更には、「(色々あるようですけど)、和尚さんはどう考えてるんですか?」と訊かれた時に、
「これこれこういう点から、私は、このように考えます」と胸を張れるとベストでしょう。
その集まりを“単なる知識の移送”にしないことにも繋がるでしょう。
211 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:39:40 ID:mH1PA+lL
>>204 岩波仏教辞典もお勧めです。
が、仏教はもともと、師匠から弟子へ、つまり人から人へ伝えられてきたものです。
在家信者であっても、お寺のお坊さんから教わってきたわけです。
ですから、仏道を本当に修めたいのであれば、独学は不可能です。
お坊さんから教わってください。
ただ、現在はインターネットがあります。
2ちゃんねるを見ているお坊さんだっているはずですから、
わからない用語程度なら、ネット上で教えてもらえるかも。
仏教辞典は役にたちます。
212 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:59:26 ID:M/xXTiau
>>208 そうでした。忘れてました。ありがとうございます。
>>211 仰る通りです。悟った師、あるいは菩提心のある師に教わらないといけないと思います。
>>211 参考にします。
本当に修めたいというよりは、心の拠り所や支えのような物を求めて勉強し始めたのですが、
正直 学ぶほど混乱するというか、仏教は難しいですね。
お坊さんに教わるとのアドバイスですが、どこでどのお坊さんに教わればいいかさえ自分ではわからないほどです。
まだ入り口にさえ立てていなかったようです。出直します。
ありがとうございました。
おしえてください
仏様の頭の髪型ってどうしてあんなにブツブツなんですか。
なにか意味があるのでしょうか。自然なヘアスタイルなんでしょうか?
それに、なぜお坊さんの髪って丸めるのですか。
よろしくおねがいします。
215 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 09:56:24 ID:s5GdQsB/
仏像の髪型の表現方法としては、「らほつ」といいます。
実際のお釈迦様の髪型は、長髪で、細かい三つ編みをたくさんつくって、
それを頭の上で束ねてまとめていたのではないかと聞いたことがあります。
ですから、古い仏像では、パンチパーマみたいなぶつぶつではなく、
細かい三つ編みの編み目が表現されているものもあります。
お坊さんが丸坊主なのは、おそらくお釈迦様の時代の
インドの出家者がそうだったからではないでしょうか。
お釈迦様は長髪だったと書きましたが、
お経の中で、お釈迦様がスキンヘッドであったと伺わせる場面もあります。
ですから、お釈迦様は、長髪だった時期も、
髪を剃っていた時期もあったのではないでしょうか。
本来の出家者は、ファッションへの執着も捨てて
粗末な袈裟を着て修行してるわけですから、
髪型にもこだわらないので、一番めんどくさくない髪型(坊主頭)におちつくのかも。
216 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 15:09:14 ID:J0VxuBA0
質問です。実体のない世界が、なぜ私たちに認識されているのでしょうか?
認識のメカニズムを教えて下さい。生まれる前(前世)の体験、先入観なども
影響するのでしょうか。
217 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 15:21:19 ID:MJjMdhyV
>>216 縁起です。実体のないものが、無明という実体視の習慣に馴染んでいるために、
原因と諸条件によって x と認識される。
全て行為が原因となって結果を縁起させる。
当然、前世を含む過去の経験・行動が原因です。
先入観も過去の経験・行動によって形成されますよね。
219 :
南無大師遍照金剛:2009/02/01(日) 18:10:36 ID:zmwQlcEa
>>216 実体=色は普通にありますよ?
あるから
現実に実体があるから
現実に悩み苦しみがあり
だから
お釈迦様は悩み苦しみを取り除く方法を残しましたよ?
何故実体が無いなんて思うの?
220 :
216:2009/02/02(月) 14:49:06 ID:Xhw45qn9
>>217 何だか分かったような分からないような話です。例えば目の前のネーちゃんの
「美人」か「不美人」かの判断はどこから来ると考えるのでしょうか。それも
やっぱり「ハイ縁起です」の一言でおしまいでしょうか?
空なる対象に意味が付けられるメカニズムは、たいへん不思議に感じられます。
221 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 15:56:55 ID:OiZil6E4
>>220 それも縁起ですね。つまり、複合的な原因と条件によって知覚される。
大雑把な話ですが、
まず前世の行為によって人に、現代日本人に生まれました。
人に生まれたことによって、一般的に生殖可能な健康な人が対象となります。
現代日本人に生まれたことによって、x を美人とするあいまいな本質・意味・概念・流行があり、それに影響されます。
その基本条件の中で経験する行為によって、個人的な好みが形成されます。
その好みによって、美人不美人が認識されます。
この a によって b が生じる。というのが縁起で、
上は、大雑把な話ですが、実際はもっと緻密にダイナミックに縁起しているわけです。
222 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 22:22:25 ID:TAzyL3qD
>>216 実体がないと言っても、存在しないわけではありません。
法が無我であるということです。
法とは、意識で認識する概念・観念です。
概念には実体がありません。
美人だという概念に実体はないですが、
美人だと認識された人がそこにいないわけではない。
分別・判断・概念・観念には実体がない。
223 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 11:02:59 ID:J4NvjRVZ
たまに太鼓をドンドンドンドンドンって打ち鳴らしながら
街を練り歩いてるのは何宗の人たちなんでしょうか?
224 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 11:37:26 ID:aY704kGy
225 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 11:46:02 ID:J4NvjRVZ
>>224 ありがとうございます。
あれはなんという行事なんでしょうか?
毎月何日とか日程が決まってるんですか?
226 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 12:05:39 ID:aY704kGy
死んだ人を仏というのは間違っていますか?
仏=釈迦だけですか?
228 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 13:19:51 ID:aY704kGy
>>227 方便としてありだと思いますし、
本覚としては正に正しいものです。
問題なのは自分の現状肯定に用いる場合です。
例えば、死ねば仏だから、なにやってもいいやとか。
そんなことはありません。自分ではきっちり行しないとだめですが、
他人、遺族などを安心させるために仏という方便はありという意味です。
229 :
216:2009/02/03(火) 13:54:50 ID:P5HJn+E3
>>221-222 よけいに訳が分からなくなってきました。もう少し勉強してから質問
しなおします。レスありがとうございました。
230 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 14:30:53 ID:gC5q5mUN
>>227 間違っています。
ご遺族を安心させるための方便とのことですが、嘘は嘘であって、
方便とは別です。下手に安心感を与えた結果、そこで停滞してしまえば、
却って罪作りになると思います。
231 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 14:33:42 ID:gC5q5mUN
十善戒でいえば、妄語や綺語に相当しますから。
233 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 17:11:49 ID:aY704kGy
>>229 すいません。説明がヘタで。縁起は譬喩として今、モニターを見て文字や
映像と認識しているものが、唯のドットの集合であると言えば分かるでしょうか?
中観仏教スレにこれから似たようなことを書くのでよかったら参考にしてください。
>>232 すいません。あまり知らないのに答えてしまって。
234 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/02/03(火) 17:28:46 ID:csJIiDtS
>227
古来、日本では、死者は氏神となり一族を守るとされていました。
そして仏教が一般化する過程で、神と仏が同一視されて、
死者=仏とされました。
従って、本来の仏教哲学的には間違いですが、一般的には正しい訳ですね。
この様に、成立した流れを正しく理解する事を縁起を観ると言います。
>>227 >>230-231は無視しといて下さいw
原理主義をもってして日常言語(会話)・慣用句の使用を否定・制限するような奴にロクな奴はいないw
>>227 参考:
127 名無しさん@3周年 sage 2006/07/09(日) 19:46:28 ID:5GnPpD3E
>> 125
亡くなった人を「仏様」と言うのは(或は「成仏する」と言うのは)、
以下のような手続きから、『受戒し、仏弟子となり、解脱し、ほとけとなった』
と見做すからだよ。
100 73 sage 2005/11/10(木) 16:55:06 ID:2d/8EVMe
ちなみに、葬儀という儀礼の持つ意味合いの一つの解釈として、
以前、極々仲間内で作った用語集から引用しておくw
【引導】(いん・どう)
人(衆)を導いて仏道に入らしめる事。
転じて、葬儀の際に死者を済度する事とされ、この意味で用いられる事が殆ど。
何となれば、葬儀の理論は、
『(未だ無戒の者には戒を授け得度せしめ)、その人を一仏弟子として認め、三界輪廻に迷わぬよう手続きをする』
という一連の儀式として行われるから。だから葬儀では、懺悔文を誦み、
三帰依を誦み、剃髪偈を唱え、俗名でなく戒名(僧名と同じ位置づけ)を授けている。
ちなみに、なぜ名を変えるかといえば、俗世を捨てて、宗教的再生をしたという意味があるから。
>ところで、仏教の思想体系って輪廻が無いと成り立たないのだろうか?素朴な質問。
大筋で、そうです。 が、不可能でもありません。
ただし、業果について多様な詰問に答えることができた上での話ですが・・・。
237 :
227:2009/02/04(水) 09:20:07 ID:6w9oISgR
レスくださった皆さん、ありがとうございました。
勉強になりました!
238 :
神も仏も名無しさん:2009/02/04(水) 22:59:16 ID:xnqkrAWU
仏教について学ぶ会合のようなものに参加してみたい
初心者なのですが、どこか紹介して
もらえませんか。東京23区内にありましたらお願いします。
239 :
匿名:2009/02/04(水) 23:57:31 ID:rYbx9ffV
法華経(日蓮正宗)…
食に困らなくなると聞き、実践してますが…
前より困らなくなりました。
まだまだ修行中ですけど。
240 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 00:10:28 ID:Pu5+7xh1
日本テーラワーダ仏教協会の初心者瞑想指導。
教えてください。
仏教の智慧とは、一般に使う知恵と同じ意味ですか?
子供に対して知恵がつくのが早い子と言ったり、知恵を絞れなどと使いますが
この知恵と同じ意味でしょうか。
242 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 11:35:42 ID:1zFsTwRe
>>241 違います。そういった世俗で生きていくための知恵と、
仏教で説く智は全く違うものです。
ただし、仏教を学ぶために世俗的な知恵がある程度必要だということも
一般的にはあります。これについても例外はありますが。
243 :
神も仏も名無しさん:2009/02/05(木) 14:59:34 ID:OqiF2miw
>>241 仏教の知恵はまた一字で「明」とも言い表します。宿命明、天眼明、漏尽明、etc.
要するに世俗の知恵とは別もの。
>>242-243 何かと智慧をつけろ、智慧が必要と出てきて、その度に一般の知恵だと思っていたので「はてな?」でいっぱいでした。
はっきり別物とわかってすっきりしました。
具体的にどう違うのですか?
246 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 00:35:00 ID:Fjt22319
>>245 単純にいうと、世俗の知恵は何かが確固として実在するという視点で成り立つもの。
仏教の智慧は、そのような何かが無我であり空であるという視点のものと思います。
それは所謂一ツの考え方であって
本質的には何も変わらないよね。
他の考え方で満足できるなら、それはそれで良いわけであって
248 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/02/06(金) 01:01:18 ID:8GarkWDU
一切法自性清浄故般若波羅密多清浄♪
249 :
brown:2009/02/06(金) 01:15:56 ID:lfBdCMlt
>>245 一緒だよ。
智慧は智慧。世俗も仏知も基本は同じ。大抵,煙に巻いた議論をするので,
訳の分からないようなことを言っているだけです。
智慧とは,因果律のことで,「不注意によって事故が起こる」ごとくの理解を
言う。そういう意味で,どちらも因果の関係に関する知識のことを言っている。
世俗の智慧と仏教的な智慧の違いは,分かりやすくいうと,世俗の智慧は,
物事の因果関係についての知識だけど,仏教的な智慧は,安心,心の自由と
その逆の不自由,苦悩,妄想の群れをもたらす原因と結果に関する知識
である,というように,対象が違うと理解しておけば,基本的なずれは
ないでしょう。
251 :
匿名:2009/02/06(金) 01:48:58 ID:Fm8sEYmc
お仏壇の所で小さな僧侶を見た様な…。
疲れてたのかな?
多分、日蓮大聖人さま。
同じような体験した人いますか?
252 :
南無大師遍照金剛:2009/02/06(金) 03:41:41 ID:45TkxCod
>>245 知恵には
猿知恵
悪知恵
浅知恵などが含まれ
搾取,詐欺,他人を陥れたり等々
悪因縁を招くものが多い
知彗とは人類の悪因縁を断ち切るもの
生きとし生けるものが幸せであるようなもの
253 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 09:03:28 ID:GZb4MBDH
お坊さんや修行に励んでる人達は趣味とか無いのですか?
凡人なら趣味を持ったら極めたいと思うのが普通の考えだと思うのですが、それって欲なのですか?
254 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 09:23:02 ID:Fjt22319
>>253 本気の行者に趣味はないでしょう。
一瞬でも惜しいはず。
そうですね。まさに執着ですね。
私も執着しまくってますが(^^)
でも、そうでないお坊さんは、一般人と変わりません。
255 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 09:53:06 ID:GZb4MBDH
>>253で質問した者です
>>254さん回答有難う御座います。
う〜ん 私は趣味でスポーツしてて色々な物に執着しちゃってますが、メンタル強化(不動心や練習のモチベーション)に仏教的な物??も取り入れてみたく勉強したかったのですが…
場違いな気がして来ましたf^_^;
へんてこな質問してすいませんでした。
256 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 10:45:16 ID:Fjt22319
>>255 すいません。答えがよくなくて。その動機でも仏教は役にたちますよ。
仏教の目的は苦を取り除くことですが、
心が安定すること、集中力を付けることは、
主な修行の一つですから、役にたちます。
そういう形で仏教を学ぶのもアリだと思います。
257 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:20:29 ID:JBYnlCFO
>>256 >仏教の修行は苦を取り除くこと
あなた本当にお坊さん?
まあ浄土宗レベルじゃその程度なんだろうけど。
258 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:32:09 ID:iMKCy9q0
外道乙。
259 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2009/02/06(金) 12:33:32 ID:7ZXHSUVK
>>245 智慧の反対は痴(無明)です。
痴(無明)とは、あらゆる煩悩の根本です。
つまり、仏教の智慧とは、
煩悩がないこと、煩悩がなくなることではないでしょうか。
260 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:38:53 ID:iMKCy9q0
煩悩を無くす方法が智慧。
261 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:39:02 ID:Fjt22319
>>257 苦の滅がネハンでしょ。
そのために道がある。
263 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:50:59 ID:iMKCy9q0
分別智までいかないと足りない。
264 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 12:52:03 ID:7ZXHSUVK
265 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 13:04:55 ID:iMKCy9q0
山は山。川は川。鳥は鳥。
されど言葉にすればもう余ってしまう。
266 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 01:51:35 ID:eFw/L6P1
267 :
じいさん:2009/02/11(水) 02:15:40 ID:w8JulGqI
般若心経の論理だと・・・因縁果と言う事は否定されることになると思うんですが・・・
そういう解釈しかないと思えるんですがどうでしょう?
268 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/02/11(水) 05:48:40 ID:Q5erAmL9
>267
空は縁起の意味もあります(エジョウロン)から、因果律の否定は有り得ません。
269 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 07:17:45 ID:h4aJKLy0
>>267 空とは無ではありませんよ?
般若心経では空と無という言葉を使い別けている
つまり
般若心経では
空=無ではないと言うこと
色とは目に見える現象
空とは目には見えないが色という現象を規則正しく成り立たせているもの
つまり空とは色を成り立たせている因縁律を支配しているもの→色即是空
この世に現れている全ての現象は空
そして空とは全ての因果応報を規則正しく支配して色という現象を忠実に現す
空とは目には見えないが無ではなく色という現象を規則正しく支配しているもの
色即是空
だからこそ
全てこの世に現れる現象には意味がある
270 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 11:48:00 ID:dSgkaoEu
縁起、原因に対して結果が生じる。
眼耳鼻舌身意で認識される一切の「もの」と「こと」は、
条件次第で変わってしまうちゃらんぽらんな現象である。
一切は縁起(因縁によって生起する)である。
一切は縁起であるから、
あらゆる「もの」「こと」には、自性(確実なそれ自体)が無い。
一切は無自性であるから、
一切には実体が無い、つまり無我である。空である。
空とは、無我であるということ。
271 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 12:07:58 ID:dSgkaoEu
>>269 空って、実体がないこと、無我であることを表す
形容詞・形容動詞じゃないの?
その「空」がものごとを支配するというのはおかしくない?
りんごは「赤い」。ポストも「赤い」。
この場合、「赤い」は形容詞です。
で、
『「赤い」がりんごとポストを支配している』
なんて言わないでしょう。
「空」を名詞にしちゃうのはおかしいと思う。
「空」は宇宙を支配するものでもないし、宇宙の材料や元素でもない。
単なる「無我であること」の別表現。
272 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 12:08:13 ID:h4aJKLy0
>>270 >> 条件次第で変わってしまうちゃらんぽらんな現象である。
条件を無視してちゃらんぽらんに変わるなら分かる
でもこの世の現象は全て条件通りに変わる
全くちゃらんぽらんぢゃない
条件通りに変わるから空なんだ
273 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 12:12:59 ID:dSgkaoEu
たとえば、職場では「仕事が一番大事」と思い、
恋人の前では「仕事よりお前が大切」と思うなら、
ちゃらんぽらんでしょう。
条件(職場か恋人の前か)で、思考や感情や言動が変わってしまうから、
ちゃらんぽらんでしょう。
274 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 12:21:21 ID:h4aJKLy0
>>273 言ってる意味がさっぱりさっぱり
┐(´〜`;)┌
275 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 12:35:52 ID:+h8X4nOD
276 :
じいさん:2009/02/11(水) 13:14:33 ID:w8JulGqI
>>268 :承狂
>>269 :南無大師遍照金剛:
因果律の否定が空だと読み取れます。
因果律を認めると物質や観念に絶対性が生まれます。
空というのは事物の絶対的存在性を否定する言葉だと考えます。
色を成り立たせている因縁律の支配を否定するのが心経の論理なのでは?
>全てこの世に現れる現象には意味がある
釈迦も現象に意味付けをすることをしなかったのでは?
神が居るとも居ないとも言わないと言うことだから。
禅宗などの精神も「只ある」「只生きる」と言った感じではないですか。
それは存在の意味、因果とか生きる意味、価値とか言った考えを排除する「只」ではないでしょうか?
277 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 13:56:30 ID:h4aJKLy0
278 :
じいさん:2009/02/11(水) 13:56:49 ID:w8JulGqI
>>270 :神も仏も名無しさん:
>条件次第で変わってしまうちゃらんぽらんな現象である。
そのとおりだと思います。
だとすると・・・・
>原因に対して結果が生じる。
これが成り立たないのです。
因果律と言うのはある原因に対して結果が一意的に定まることです、ちゃらんぽらんの結果では因果律とは言いません。
因果律が成立する為には原因も結果も絶対的存在性が必要なのです。
空であればは因果はありえないと考えます。
その辺は「不生不滅」と大変判りやすく「原因もなければ結果もない」と言い切っていると思います。
279 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 14:00:22 ID:h4aJKLy0
>>273 たとえば、職場では「仕事が一番大事」と思い、
恋人の前では「仕事よりお前が大切」と思うなら、
それを自性というんだよ
無自性とは無関係の話
280 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 14:02:06 ID:h4aJKLy0
281 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 14:14:25 ID:h4aJKLy0
>>276 因果律の否定が空だと読み取れます。←般若心経の何処に書いてるの?
因果律を認めると物質や観念に絶対性が生まれます。←?意味が解らん
空というのは事物の絶対的存在性を否定する言葉だと考えます。 ←だから何でそんな答えでるの?最初に答えあり?
色を成り立たせている因縁律の支配を否定するのが心経の論理なのでは?←何処にかいてんのさ?あんたの教祖が言ってんの?
>全てこの世に現れる現象には意味がある
釈迦も現象に意味付けをすることをしなかったのでは?←はぁ?
神が居るとも居ないとも言わないと言うことだから。←あんたみたいな盲信的なアフォが居るから証明出来ないこと不必要な無意味な事は無記にしたのさ。
神がいたからどうなのさ?居なきゃどうなのさ?仏教は他の宗教と違って神様の機嫌を取る教えぢゃないから神様の存在の是非は不要
禅宗などの精神も「只ある」「只生きる」と言った感じではないですか。←修証義読んでね
それは存在の意味、因果とか生きる意味、価値とか言った考えを排除する「只」ではないでしょうか?←修証義読めよ
282 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 14:38:26 ID:h4aJKLy0
俺もまだ青いな
釣りに釣られちゃったよ
般若心経の最後に
能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
とある
つまり
この世界は現実にあり 悩み苦しみがある
だから全ての一切の苦を取り除く虚しくない真実の呪を般若心経で説いている
この世が無なら悩みを取り除く呪なんて般若心経では不要
この世は無ではなく現実に悩み苦しみがあるから般若心経で苦を取り除く呪を説いている
283 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 14:46:53 ID:dSgkaoEu
>>279 条件次第でその場の雰囲気に流されて考えが変わってしまう私。
だから私には自性が無い。
私は空である。
284 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 14:49:57 ID:h4aJKLy0
>>278 >> その辺は「不生不滅」と大変判りやすく「原因もなければ結果もない」と言い切っていると思います。
本当に新興宗教信者だな
是緒法空相
不生不滅
不垢不浄
不増不減
緒法=全ての現象は空相=空の相→空の結果
つまり空とは
生まれないし滅っさない=空とは最初から存在し未来永劫まで滅することがない
空とは
誰にも汚されることはなく汚れることがないから清らかなにすること出来ない→つまり誰にも変えることが出来ない不変なもの
空とは不増不減
増えたり減ったりもしない不変なもの
つまり空とは最初から未来永劫まで絶対不変
285 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 14:51:51 ID:h4aJKLy0
>>283 条件次第でその場の雰囲気に流されて考えが変わってしまうチミ。
だからチミには自性がある
286 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 15:01:26 ID:dSgkaoEu
>>285 何者にも自性が無いはずだから、
チミにも私にも自性は無い。
287 :
じいさん:2009/02/11(水) 15:09:12 ID:w8JulGqI
>>277 :南無大師遍照金剛:
では貴方は禅宗は生きる意味を追求する宗教という考えなんですね。
>>272 :南無大師遍照金剛:
>でもこの世の現象は全て条件通りに変わる
これは二重の意味で間違えていると思います。
まず同一条件でも現象(結果)は一意的に定まりません。
サイコロを転がしてみれば簡単にわかります。
まして人間の行為のような複雑系では全く結果は予測できません。
それからもう一つ「条件」なるものが確定できません。
空ですから条件も当然あやふやなのです。
因果律は初期条件の空性と相対的相互作用の空性の両方から否定されます。
色即是空 空即是色 の部分です。
288 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 15:12:06 ID:dSgkaoEu
>>278 目を閉じて黙って座ってると、あれこれ妄想が浮かんできます。
実体のない妄想ですが、なぜその妄想が今浮かんだのか、
そこには何か原因があります。
原因はあるけど、執着には値しない。
「何かの理由でそうなっただけだろう」と軽く受け流せばいい。
289 :
じいさん:2009/02/11(水) 15:16:11 ID:w8JulGqI
>>284 :南無大師遍照金剛:
>空の相→空の結果
これは論理的におかしいでしょう。
相=結果 はおかしい。
>つまり空とは最初から未来永劫まで絶対不変
それでは「空」そのものが絶対的存在になってしまう。
290 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 15:18:13 ID:dSgkaoEu
>>287 複雑系というのは、無数の原因と結果が複雑にからまっていて
人間の計算能力では予想できない動きをする現象ですよね。
つまり、原因に対して結果があることは否定していない。
ただし、あまりにもたくさんの条件がからまりあってるから、
人間の目にはわかりにくいため、デタラメに見えるのです。
サイコロも、人間の目からは一見同じ投げ方に見えても、
実際には微妙に角度や速度が違っているから、
違う目がでる。
291 :
じいさん:2009/02/11(水) 15:19:38 ID:w8JulGqI
>>288 :神も仏も名無しさん:
>「何かの理由でそうなっただけだろう」と軽く受け流せばいい。
そのとおりだと思います。
要は 縁起、因縁などは軽く流して無視すればいいと言うことです。
目的は苦の消滅なのですから。
292 :
じいさん:2009/02/11(水) 15:23:17 ID:w8JulGqI
>>290 :神も仏も名無しさん:
>実際には微妙に角度や速度が違っているから、違う目がでる。
違います、同じように投げても違う目が出ることを確率と言う。
結果が前の条件に関係し無いのが確率です。
あるサイコロを振って何回にどの目が出たかは人間の勘では予測できないことだが、
出る順番は、均等に出るように緻密に定められた完全無欠な運命が存在していることは観測できる
294 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 15:31:30 ID:dSgkaoEu
>>292 複雑すぎて制御できないから、
どれかの目がでるように偏らせることができないため、
六つの目が均等な確率でてしまうのです。
しかし、そもそも、
6面の立方体のサイコロを投げるという条件のもとでは、
それぞれ6分の1の確率でどれかやね目がでるという
結果が決まっているではたりませんか。
295 :
じいさん:2009/02/11(水) 15:40:28 ID:w8JulGqI
>>293 :神も仏も名無しさん:
然しながら現実の一人の人生で善行をしたのに結果が吉と凶のどちらになるかが確率ならそれは因果律とか言わない。
無数の人生を統計すれば出目は決まっているのだろうが・・。
現実は賽の目のように結果が予測できない。
結果(因果、因縁)を予測(執着)した善行は期待が裏切られその時に苦しみが発生する。
因果律こそ執着の根拠であり苦の本性である。
296 :
南無大師遍照金剛:2009/02/11(水) 15:41:01 ID:h4aJKLy0
やべ
釣られたと思ったら
釣り基地三瓶を釣ってしまった
>>295 個別に見ればあたかも偶然のように見えるけれど、
大きな運命から逃れることは不可能ということですね。
298 :
じいさん:2009/02/11(水) 16:00:29 ID:w8JulGqI
>>284 :南無大師遍照金剛:296 :南無大師遍照金剛:
>是緒法空相・・・・・不増不減
この部分はどう読み返しても・・・
>空とは 生まれないし滅っさない=空とは最初から存在し未来永劫まで滅することがない
>空とは・・・不変なもの
>空とは・・・減ったりもしない不変なもの
こんな風に読むのは間違いでしょう。
空くまでも「緒法=全ての現象」についての記述です。
諸法に空相があると言うことで、空が不変と言ってはいない。
貴方は心経を捻じ曲げて読んでいます。
>>295 近視眼的に見ないほうがいいですね。
大きな釣り合いは完全に取れています。
人生はデタラメだ、不公平だという人は、人生を一回限りと唯物論で見ているのですよ。
300 :
じいさん:2009/02/11(水) 16:25:09 ID:w8JulGqI
>>299 :神も仏も名無しさん:
>大きな釣り合いは完全に取れています。
この言い方は苦しいですよ。
言外に「小さな釣り合いは取れていない」と言う事を認めてしまっています。
小さな釣り合いも取れないのに何で大きな釣り合いだと取れて仕舞うのかと言う根拠は何処から来るのですか?
ちなみにサイコロの確率ですと、試行回数を重ねるたびにどんどん収束して行きます。
つまり釣り合いが取れることが目に見えて確認できる訳です。
しかし事故のようなことは人生上試行回数を重ねられますか?
貴方の「人生を一回限りと」見ないと言う事は、何万回の人生の中ではつりあいはとれるという意味ですか?
そんな事ならそれこそ今の一生など大きな運命を考える上でたいした重要性はないとも言える事になってしなう。
それでもいいのですか?
一期一会なんじゃあないかな〜。
301 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 16:46:55 ID:+h8X4nOD
>>295 因果が何か固定した実体による物理法則といった考え方をしてるからじゃないですか?
逆に、本来空であるものが、諸条件によって因果として認識されるだけと考えるのが、仏教でこれは現代物理学に近い考えのようですが。
現代物理学は知りませんが。
302 :
じいさん:2009/02/11(水) 16:57:22 ID:w8JulGqI
>>301 :神も仏も名無しさん:
>諸条件によって因果として認識されるだけと考えるの・・・
ですからこのことを肯定的に捕らえるか否定的に捕らえるかでしょう。
心経では絶対的な因果性は無いのだから因果に拘るなと行っている、と私は思います。
>>300 小さい体毛一本、石ころ一個のことが、完全になされているから
大きなことがキッチリ収束するんですよ。
どんなことも一部の狂いもなく行われているわけ。
それが小さな視点ではよく見えないんですね。
304 :
じいさん:2009/02/11(水) 17:27:31 ID:w8JulGqI
>>303 :神も仏も名無しさん:
はい因果律の考えでは当然そういう記述になるでしょうね。
>小さな視点ではよく見えないんですね。
どうしてそんな事がいえるの?
それに・・・・まあそうだとして、
その上で「小さな視点ではよく見えない」事について仏教ではどう扱うと言う事ですか?
心経ではどう言ってますか?
305 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:50:39 ID:+h8X4nOD
>>302 >ですからこのことを肯定的に捕らえるか否定的に捕らえるかでしょう。
そういってもいいかもしれませんが、仏教では無明によって迷うものが色を認識して実体と捉え、
悟ったものが空と捉えると言います。色即是空ですね。
>心経では絶対的な因果性は無いのだから因果に拘るなと行っている、と私は思います。
「絶対的な因果性は無い」は仰るとおりだと思います。
しかし「因果に拘るな」とは言ってないでしょう。
現象に拘るなという意味と因果に拘るなでは違いますから。
空を悟った者が、現れる色を見て空こそが色と見る。
これが空即是色です。
般若心経の主張は、最終的に最後の心呪です。
だから、般若の心呪の経と言われるのです。
経典の論理構造も心呪の効能を説く前提だということが分かると思います。
307 :
じいさん:2009/02/11(水) 21:43:23 ID:w8JulGqI
>>305 :神も仏も名無しさん:
実体のないものは因果性を持たないのです。
原因と結果をはっきりさせる為には事物の実在性が不可欠なのです。
実在性のない色であれば因果性も問えないのです、判りますか?
実在性のないものがどうして結果の原因となりうるでしょうか?
不生、生まれてないものは不滅、死なない。
絶対的存在のない事物が何かの結果の原因足りえる事は出来無いのです。
その事を心経は繰り返し繰り返し述べています。
そのような本文を軽んじて呪の部分だけを強調するのはやはりゆがんだ考えです。
心経は中観思想の経です、中観は仏教の一派に過ぎません、他派では真っ向から対立する考えの宗派も有るでしょう。
しかし心経は少なくとも日本では庶民にやけに人気があります。
中観に反対する宗派が素直に心経を批判し異を唱えるなら判り易いのです。
しかしその人気にあやかって心経を取り込むふりをしてその解釈を自派の都合の良いように捻じ曲げたり、
お経というものは解釈するべきでなく呪として有り難く唱えていれば良いのだといって心経の主張である中観の思想から目を逸らさせると言う事が多い様に感じます。
308 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/02/11(水) 21:52:54 ID:Q5erAmL9
>じいさん
だから、その中観派のエジョウロンで縁起と空が同一の意義だと説かれているっつーの。
309 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:15:08 ID:c07Ig4KT
毒入りカレー空海。
毎朝、6地蔵の前を通って駅へ向かうのですが
「オンカカカビサンマエイソワカ」と唱えればいいのですか?
311 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:42:56 ID:+h8X4nOD
>>307 >実体のないものは因果性を持たないのです。
>原因と結果をはっきりさせる為には事物の実在性が不可欠なのです。
>実在性のない色であれば因果性も問えないのです、判りますか?
この考え方が、正に実在論です。縁起も空も理解しない考えです。
実体であれば、変化せず縁起しないので、因果もないと考えるのが仏教です。
>実在性のないものがどうして結果の原因となりうるでしょうか?
上に説くように縁起だからです。迷ったものが実体として因果を捉えるのであって、
そこに現象しているのは無常な縁起だけを実体として認識し、
因果として仮設するだけだからです。
>不生、生まれてないものは不滅、死なない。
不生不滅というのは、ある原因から実体が発生し、ある原因で実体が消滅するのではないという意味です。
もちろん、日常用語では発生して消滅するといいますが、
それは無明であって、本来は違うという意味です。
312 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:43:19 ID:+h8X4nOD
>絶対的存在のない事物が何かの結果の原因足りえる事は出来無いのです。
>その事を心経は繰り返し繰り返し述べています。
>そのような本文を軽んじて呪の部分だけを強調するのはやはりゆがんだ考えです。
いえ、これは文章を読めば分かることです。
弘法大師の註釈だけでなく、インド註もチベット註でも同じです。
それから現代文献学者も認める方が増えてきています。
>心経は中観思想の経です、中観は仏教の一派に過ぎません、他派では真っ向から対立する考えの宗派も有るでしょう。
違いますよ。その証拠に唯識派の玄奘の弟子である基が註釈しています。
>しかし心経は少なくとも日本では庶民にやけに人気があります。
チベット・モンゴルでも重視します。
>中観に反対する宗派が素直に心経を批判し異を唱えるなら判り易いのです。
あなた自身の理解が足りないとは思わないのですか?
>お経というものは解釈するべきでなく呪として有り難く唱えていれば良いのだといって心経の主張である中観の思想から目を逸らさせると言う事が多い様に感じます。
別に目をそらせることが目的なのではなく、主が呪であることは事実です。
前文は、因縁、効能書きのようなものでしょう。
313 :
じいさん:2009/02/11(水) 22:52:03 ID:w8JulGqI
>>308 :承狂 ◆nR84EH8w52 :
縁起的にあると言う事は存在は空相であると言う事でしょう。
それは否定的な存在であって「有」ではない。
色即是空として存在の空相を理解(悟る)事が第一です。
その空を悟った後に空即是色があるのであって、曲解する人は空即是色の方を取り上げてわが意を得たりとする。
「功徳を積むとは功徳を積まないことである、だから徳を積む」
と言う論理が中観思想である。
その時に後半の徳を積むという部分だけを取り出しては意味がない。
中観の主張は空くまでも「功徳を積まないこと」である。
すなわち色即是空である。
「縁起と空が同一の意義」と言うだけでは中観の真意は伝わらない。
縁起と言うものは事象の相対的存在性をあらはすのでしょう。
そこに空相との同一性を見ているのであって「実在の否定」と言うメッセージ無くしては意味がない。
>>284 :南無大師遍照金剛:
>空とは最初から未来永劫まで絶対不変
こんなばかげた事を言う人が現れるからだ。
314 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:02:30 ID:dSgkaoEu
天台宗でいう空・仮・中の三諦って、
般若心経の影響ででてきた思想なんでしょうか?
315 :
大王:2009/02/11(水) 23:35:12 ID:V2pMuwiD
314氏へ、
インドでは般若思想を専門にやる流派が二つある、
説明不可能否定論理派と、
説明可能論理派だ、
天台は後者の影響が強い、チベット密教ゲルク派も、その流れに結構影響があるようだ、
316 :
大王:2009/02/11(水) 23:42:07 ID:V2pMuwiD
日本仏教と言うのは、密教とかは、唯識的ベースがありそうだなあ、
サマディー的領域、それが、空即是色、色即是空とするだろうなあ。
唯心的感覚でありながら、外部があり、内部があり、外部も無く、内部も無く
と中観派と唯識と如来蔵をかき混ぜチックな般若心経解釈だろうなあ。日本仏教の多くは。
317 :
じいさん:2009/02/11(水) 23:50:35 ID:w8JulGqI
>>311 :神も仏も名無しさん:
>実体であれば、変化せず縁起しないので、因果もないと考えるのが仏教です。
はいそれは中観の論点です。
私が問題にしているのは絶対的実在と因果を結びつける考えがありそれは否定されるべきだということです。
だから「縁起だけを実体として認識」とか「因果として仮設」とか言う表現は「縁起は実体ではない」とか「因果は仮設」と言うのは否定的な中観の表現だと考えます。
>不生不滅というのは、ある原因から実体が発生し・・・
それは違うと思います・・・
生には絶対的実体はない、ならば死と言う実体もないはずであると素直に解釈した方がいいと思います。
生きる苦しみに実体はないと言う実践的意味があるのですから。
318 :
じいさん:2009/02/11(水) 23:54:21 ID:w8JulGqI
>>312 :神も仏も名無しさん:
>唯識派の玄奘の弟子である基が註釈しています。
そうなんですか、大変興味があります。
どんな注釈なのですかお聞かせ願えませんか?
319 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/02/11(水) 23:58:09 ID:Q5erAmL9
(^。^)ジジイだけにあれだな♪(笑)
320 :
じいさん:2009/02/12(木) 00:00:13 ID:SCCu6Q2m
>>315 :大王:
>>316 :大王:
なるほど了解です。
>中観派と唯識と如来蔵をかき混ぜチックな般若心経解釈だろうなあ。日本仏教の多くは。
その理由は心経が人気があるから他派としてはあやかりたいと言う趣旨としか考えられませんが・・・・。
321 :
大王:2009/02/12(木) 00:10:28 ID:kOsGQPFG
>その理由は心経が人気があるから他派としてはあやかりたいと言う趣旨としか考えられませんが・・・・。
と言うよりも、中国の大乗仏教の国土安泰思想、世俗肯定思想が強くなった流れだろうなあ。
322 :
大王:2009/02/12(木) 00:14:03 ID:kOsGQPFG
大乗仏教の成立自体が、在家重視で成立するが故に、
中国の解釈変化は起きるだろうし。
中国で大乗仏教が広がるのは、遊牧民族と中華民族の果てしないジェノサイドを終焉させる思想として期待されたから、
当然、国土安泰思想、世俗肯定思想が強くなるわけで、国家統治システムとして、
323 :
大王:2009/02/12(木) 00:20:33 ID:kOsGQPFG
で、中論を忘れて、国土安泰仏教原理主義になってしまったのが、日蓮だなあ。
324 :
じいさん:2009/02/12(木) 00:32:53 ID:SCCu6Q2m
>>322 :大王:
その理由は・・・と言ったのは日本での事です。
日本では不思議に心経が人気です(チベットでも人気らしいですが・・・)から。
中国では儒教を押さえつけるとの政治的絡みがあるのでは?
儒教は徹底した実在論です。
もとより中国は老荘易という実在論の宝庫です。
易では事象は変化し循環します、その循環そのものが実在論的に把握されます。
陰陽五行です。
全く仏教の論理を受け付けないと思います。
“実体が無い”と言うのは、空性(縁起している)と言うことであって、“物が無い”と言うことではないよ。
326 :
大王:2009/02/12(木) 00:45:16 ID:kOsGQPFG
日本の仏教も中国輸入モノです、天台、真言は。
中国仏教が流行った隋、唐時代の以前は遊牧民族と中華民族の果てしないジェノサイドです、
儒教が通じない時代です、隋、唐時代は仏教です、儒教が力を持つのは朱子学とか、宋の時代です
日本に来た、真言、天台は隋、唐時代の仏教です。
327 :
大王:2009/02/12(木) 00:48:16 ID:kOsGQPFG
老荘思想の勢力拡大は、空海死後、日本天台が密教を中国で学び始めた、円珍、円仁の時代で、
勢力を持ちます。
328 :
大王:2009/02/12(木) 00:53:16 ID:kOsGQPFG
天台の密教はそれ故に、その後の日本修験道、神仏習合仏教において、陰陽五行が入り、
実在的傾向が強まります、
空海の真言は、それ程実在論ではない。般若思想を意識して真面目に彼なりに追求している
空海死後、真言宗も神仏習合が進み般若思想に無関心になり始め、大日如来=天照、信仰が勢力を持つ。
般若心経が呪術化し始める。
もちろん、日蓮の曼荼羅、ご本尊には天照の名が入る。
五行説をもってすれば、魂(五行で木)なるものがアートマンでないことを
簡単に説明できるのだがな。(相克により変換可能)
>>324 >儒教は徹底した実在論です。
>もとより中国は老荘易という実在論の宝庫です。
>易では事象は変化し循環します、その循環そのものが実在論的に把握されます。
>陰陽五行です。
>全く仏教の論理を受け付けないと思います。
おやおや、道は無視ですか。道を語らずして、老荘を語るどころか、易すら
語れませんよ。
331 :
じいさん:2009/02/12(木) 23:23:36 ID:SCCu6Q2m
>>325 :神も仏も名無しさん:
はいですから「物の実体がない」と言う事です。
私は「事物の絶対的存在性はない」と言ういい方が好きです。
332 :
じいさん:2009/02/12(木) 23:31:32 ID:SCCu6Q2m
陰陽の考えは森羅万象は全てに陰陽の相を持つと言う観念です。
そして陰陽は循環します。しかしあくまでも陰陽であり変化するからと言って陰陽の絶対的真理は普遍で保存されます。
循環し変化するけど絶対的実在する概念なのです。
インドでは仏教は「変化するなら実在性はない」と言う言い方で他の思想集団を論破しましたが中国では通用しないわけです。
333 :
じいさん:2009/02/12(木) 23:37:08 ID:SCCu6Q2m
>>329 :神も仏も名無しさん:
はいそうですね。
陰陽もそうですが五行も「相生、相克」とあるように一種の相対論です。
ですが五行それぞれの実在性は強く意識されます。
インドでは空性により変化するものが、中国では絶対的実在が変化する訳です。
ところで私は日本人ですが空性の方がシックリ来ます。
334 :
じいさん:2009/02/12(木) 23:39:46 ID:SCCu6Q2m
>>330 :神も仏も名無しさん:
>おやおや、道は無視ですか。道を語らずして、老荘を語るどころか、易すら語れませんよ。
そうですか、それは失礼しました。
ぜひ道を語ってください、お願いします。
おまえら、
ここが質問箱だというのがわかってるか?
補足説明が大量・冗長・詳細に亘るようなら場所を変えろ。
中論 第十五章
五 有(存在するもの)がもしも成立しないならば、無もまた存在しない。
何となれば、有の変化すること(異相)を人々は無と呼ぶからである。
六 <それ自体>と<他のものであること>と、
また有と無とを見る人々は、ブッダの教えにおける真理をみない。
七 カーティヤーヤナに教える【経】において、
「有り」と「無し」という両者が、有に無とを説き給う尊師によって論破せられた。
八 もしも本性上、或るものが有であるならば、
そのものが無はありえないであろう。何となれば、本性の変化することはけっして成立しえないからである。
九 【物の】本性が無であるとき何物の変化することがあろうか。
また本性が有なるとき何物の変化することがありえるであろうか。
一〇 <有り>というのは常住に執著する偏見であり、<無し>というのは断滅を執する偏見である。
故に賢者は<有りということ>と<無しということ>に執着してはならない。
一一 <その本性上存在するものは、無いのではない>というのは常住を執する偏見である。
<以前には存在したが、今は無し>というのは断滅を執する偏見となるであろう
『易経』繋辞上伝
形而上者謂之道、形而下者謂之器”(形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う
339 :
じいさん:2009/02/14(土) 00:49:51 ID:wZfbHZa6
>>337 :神も仏も名無しさん:
八のところが中国では通じないのでは?
世界を分類して実在性を述べるのが得意だから。
「形而上者謂之道、形而下者」とか・・・
陰陽、五行も・・・
340 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 10:47:44 ID:Xwb3nPxq
正しい禅定と正しくない禅定について教えて下さい。テーラワーダの禅定は
本当に正しい禅定なのでしょうか?
341 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 11:21:26 ID:RZNoEcMi
>>340 テーラワーダの禅定が解脱した聖者によって伝承されるものなら正しいものです。
テーラワーダといってもいろいろあるので、私はビルマ系テーラワーダは、伝統的で現代でも解脱者を出していて信用できると思います。
ビルマ系にもいろいろあるでしょうが。
質問です。
仏教はただ単に何かを信じれば救われる宗教じゃないと思っていたのですが、
なぜ、何々を唱えれば極楽へ行けるという考えの宗派も仏教というのでしょうか?
そこのスレいって質問しなよ。
ちゃんと勉強したものでないと答えたらいかんと思う。
344 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 16:34:28 ID:RZNoEcMi
>>342 仏教だと思います。理由は、二つ。
一つは、浄土教がインド起源で、チベット、シナでも信仰されていること。
第二には、三宝に帰依するものであれば仏教だからです。
345 :
じいさん:2009/02/14(土) 22:17:39 ID:wZfbHZa6
>>343 :神も仏も名無しさん:
宗教と言うのは、勉強すれば答えられるようになるものなのだろうか???
天才なら勉強しなくても大丈夫かもしれませんね。
347 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 22:56:49 ID:RZNoEcMi
>>345 問いによりますね。本質的な内容は悟ってないと答えられませんが、
知識、資料、歴史といった問いなら答えられるでしょう。
348 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 14:21:08 ID:ctH9be7Q
>>342 経典では、
阿弥陀仏を信じて阿弥陀仏の名をとなえれば極楽浄土に往生できるという教えは、
お釈迦様が説かれたことになっているからです。
お釈迦様(仏)が説いた教えだから仏教。
まぁ、この経典自体はお釈迦様の死後何百年も経って創作されたものですが、
少なくとも、仏教教団の中からでてきた教えではあります。
349 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 14:22:54 ID:ctH9be7Q
>>342 お経の記述では、
お釈迦様が弟子に対して、
阿弥陀仏を信じて極楽浄土への往生を願いなさいと教えているのです。
お釈迦様が阿弥陀仏や浄土を紹介してくれたことになっているのです。
350 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 19:16:18 ID:kbRbRf0r
>>349 インドに阿弥陀信仰の行われた形跡はありません。浄土経典はインド成立ですが、
阿弥陀信仰は中国起源。仏教と言えるのかどうか、このあたりが微妙です。
>>350 学界で、学問的に(分類的に)呼称をどうするかという点では、コンセンサスがとれる可能性はあるかもしれない。
が、一般的に、日常に於いて、我々の生活に寄り添った部分で、
既に習慣として、習俗として、文化として根付いている分類は、余程のことが無い限り変わらないだろう。
そして、『学会で、どう分類されているか』なぞ、我々の日常には関係が無い。(このような例は枚挙に暇がないだろう。)
『我々の“日常に於いて”“日常の価値観に於いて”、(たとえ無意識的にでも)どのように分類されるか』
が重要だ。そして、それこそが、【本来の、本質をついた分類】と言えるのかもしれない・・・。
その際の基準は、学界で用いる基準とは似ても似つかないものかもしれない・・・。
352 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 20:39:24 ID:5mIuDQXR
>>350 痕跡はたくさんあるよ。クシャーナ朝にアミダ仏を建立した台座刻文とか、
ウダヤギリ遺跡のアミダ像とか。当然、ネパール、チベット、モンゴルにもあり、
アミダ信仰がシナ起源でないことは明らか。
もちろん、浄土信仰も。
煩悩を辞書で調べると、「人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。」と書いてあるのですが、「仮の実在への執着」がよくわからないのですが、どういうことなのでしょうか?
355 :
神も仏も名無しさん:2009/02/18(水) 10:59:18 ID:mof3GFS9
>>354 今、自分が実在し、見える通りに諸物が実在していると捉えることです。
そうでなく自分も諸物も縁起して見えているのであり実体のない空であるという
本来のあるがままではなく、実在していると見るから様々な苦が生じるというような意味です。
>>355さん
ありがとうございます。質問してよかったです。"自分はこうなりたい"というようなことを想像していたので。まったく違いました・・。
357 :
神も仏も名無しさん:2009/02/18(水) 11:34:53 ID:mof3GFS9
>>356 お役に立ったなら嬉しいかぎりです(^^)
358 :
神も仏も名無しさん:2009/02/18(水) 20:43:50 ID:7biMATIG
質問です。サンサーラとサンスカーラはどう違うのでしょうか。訳語ではなく、
意味について違いを教えて下さい。
サロメ 転落人生
360 :
神も仏も名無しさん:2009/02/18(水) 21:03:30 ID:mof3GFS9
>>358 サムサーラは、巡る、廻るという意味です。
サンスカーラは、集成、形成、形作るという意味です。
どうちがうというより全く違う言葉です。
361 :
神も仏も名無しさん:2009/02/18(水) 21:35:48 ID:7biMATIG
>>360 ありがとうございました。カタカナで書くと似ているので、意味も
類似しているのかと思っていました。
毎日のように「もしこうなったらどうしよう」などという想像や、
他人の態度、他人からの悪口に何時間も重い気持ちになってしまう。
もうずっと経験してる事だけどちっとも進歩しない。
仏陀の仰るとおり我執によるものであり、他人によって悪い影響を
受けてしまう俺は愚かで軽薄な人間なのだと思う。
苦しいので少しでも我執を消し去りたいがちっともうまくいかないぜ。
363 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 07:56:50 ID:2TTnjfBn
>>362 とりあえず、今考えても仕方ないことは考えないようにしては?
悪口を言われたことを何回も思いだしたって、仕方ない。
だったら、そのことを考えないように。
考えたら嫌な気分になる。
考えなければ嫌な気分にならない。
364 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 09:54:21 ID:BSOUlUNG
>>362 釈尊を信じるなら、釈尊の教え通り道を歩まないと、
なかなか煩悩という癖は根深くて直せません。
酒・たばこみたいな浅い癖も直すのに一苦労するなら、
我執という本能的な癖を直すのが、そう簡単なものでないのは分かるでしょう。
諸法無我について教えてください。
すべてのものに主体が無いと、人と人をどのように識別するのですか?
それぞれの個性は無いと考えていいのですか?
366 :
大王:2009/02/24(火) 10:29:51 ID:AkFTasxl
諸法無我について
人間の肉体が常に同一であり続けるだろうか?
細胞は死に、うんこになって排泄、タンになって吐き出させる、
人間の精神は同一だろうか?
いろんな経験で転落したり、成長したり、変化する、
アルツハイマーになれば、同一であるとは言えるだろうか?
固定的でありつづけてるいると断定できうるだろうか?
367 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 11:35:43 ID:BSOUlUNG
>>365 見える通り現象は多様で、個々別々です。
だから、世間的、世俗的意味で主体もあるし、識別も個性もあると言います。
これは世間的習慣、言い慣わしに従った世俗諦と言われます。
ですが、それが実体を持って実在し独立不羈だと見ることこそ煩悩の根本で、
苦しみの元であるというのが仏教の考えです。
すべては諸要素が縁起して、それ自体として認識されているだけである。
と見る本来のありのままの見方をするために無我、縁起・空があります。
このような見方を習慣づけることで、執着は減少しますが、
本来は、禅定・三昧状態で縁起・空観を行うことで、
諸法、つまりあらゆる現象が無我、つまり本質・実体がないと体験するのです。
その体験後も、現れは多様で、個々別々に現れますが、
実体がなく幻のように縁起していると観ることができ、執着を離れます。
という感じです。
368 :
365:2009/02/24(火) 13:16:56 ID:AsFAFH/P
>>366 私へのレスですよね・・?ありがとうございます。
>>367 見たとおりに識別し個性もあると考えていいということですよね。
ただ、主体がないのになぜそう考えられるのかがよくわかりません。
それについて説明してくださっているのだと思うのですが、難しくて理解できませんでした。
レスありがとうございました。
369 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 13:23:41 ID:BSOUlUNG
>>368 >見たとおりに識別し個性もあると考えていいということですよね。
いえ、もし仏教に従って無我を実感したいなら、そうではありません。
>ただ、主体がないのになぜそう考えられるのかがよくわかりません。
例えば、TV や モニターの画面上がドットの集合なのに
文字や映像として認識できるのに近いです。
370 :
大王:2009/02/24(火) 13:44:22 ID:AkFTasxl
主体と言う思考によって主体があるのか?
その主体は定義できうるのか?
また、その主体があるならば、その主体の認識は同一でありうるのか?
主体の認識が同一でないのが普通であり、
その違いがあるのは、主体と言う固定的な主体が無いからでは?
371 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 14:31:04 ID:7OmfVY/H
最近瞑想や探求を続ける内にいくつか疑問が湧いたので質問させてください。
基準となる思想は仏教でも個人でも何でもけっこうです。
できるだけ多くの方の主義・思想を聞かせていただければありがたいです。
・私は趣味で牛革を使ってベルトを作っています。
この動物の革を使って何かを作る行為というのは望ましく無い行為なのでしょうか?
例えば、動物を殺して皮を剥ぐのと、死んでいたものの皮を剥ぐ事、これは同列でしょうか?
・菜食でも小魚は食べてもよいという話を聞きました。
菜食主義の基準は様々でしょうが、私は魚も食べない方がいいと思っていますが、みなさんはどうお考えでしょうか?
私の中の基準では食べる事でその食べられたモノにメリットがある場合、だけだと思っています。
・肉類も神に捧げてから食べれば良い、という話も聞きました。
これは分からぬでもないのですが、具体的にはどうすればよいのでしょうか?
神に許しを得るという事でしょうか?
私は仏壇というのは好きではないので、仏壇に捧げるという以外の方法があればお教えください。
・瞑想の最中に恐怖心を感じる事があります。
雑念などではなく、何かが近づいてきたり横切ったりといった感じです。
いつも怖くなって目をあけてしまうのですが、どのように対処すればいいでしょうか。
その恐怖に耐え抜く事が修行となるのか、それとも危険なので何か対処をした方がいいのか分かりません。
長々と書きましたが、一つでも良いのでお答えいただけましたらありがたいです。
未熟者ゆえ、至らない質問だとは思いますがよろしくお願いいたします。
372 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 14:39:37 ID:mUZnWe81
>>369 度々ありがとうございます。本当に理解力なくてすみません、最後にもう一つだけお願いします。
まったく同じ姿をした人が二人いるとして、その二人とも主体がないと、二人の違いをどう識別するのでしょうか?
>>370 大王さん
ありがとうございます。
主体が何によってあるか、ないかについてではなく、主体がないものの違いを何によって見分けるのか?ということを知りたいと思いました。
それについての説明もくださっているのでしょうが、理解できる頭がなくすみません。
374 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 15:10:36 ID:BSOUlUNG
>>371 >・私は趣味で牛革を使ってベルトを作っています。
> この動物の革を使って何かを作る行為というのは望ましく無い行為なのでしょうか?
> 例えば、動物を殺して皮を剥ぐのと、死んでいたものの皮を剥ぐ事、これは同列でしょうか?
他の生物を傷つけることがよくないので、死んだものは生物ではありませんから、問題ありません。
>・菜食でも小魚は食べてもよいという話を聞きました。
> 菜食主義の基準は様々でしょうが、私は魚も食べない方がいいと思っていますが、みなさんはどうお考えでしょうか?
> 私の中の基準では食べる事でその食べられたモノにメリットがある場合、だけだと思っています。
植物も生命ですが、人を殺すより、動物を殺す方がまだ罪が軽いと考えるように、
なるべく他の生物の命を奪うことは直接は絶対よくなく、
間接的にもできるだけ避けるのが望ましいと思います。
>・肉類も神に捧げてから食べれば良い、という話も聞きました。
> これは分からぬでもないのですが、具体的にはどうすればよいのでしょうか?
> 神に許しを得るという事でしょうか?
> 私は仏壇というのは好きではないので、仏壇に捧げるという以外の方法があればお教えください。
神仏に捧げたから許されるというのは、世俗的な神々の話だと思います。
ですが、観想で神仏に常に捧げるのはよいと思います。
>・瞑想の最中に恐怖心を感じる事があります。
> 雑念などではなく、何かが近づいてきたり横切ったりといった感じです。
> いつも怖くなって目をあけてしまうのですが、どのように対処すればいいでしょうか。
> その恐怖に耐え抜く事が修行となるのか、それとも危険なので何か対処をした方がいいのか分かりません。
一番いいのは、自我を守ろうという意識をなくすことだと思いますが、
難しいです。
375 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 15:32:51 ID:BSOUlUNG
>>372 大方広仏華厳経が漢訳の題名です。
ブッダ・アヴァタンサカ ナーマ マハーヴァイプリャ・スートラ
というのがインド語の題名です。
376 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 15:47:11 ID:mUZnWe81
377 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 15:49:38 ID:BSOUlUNG
>>373 >まったく同じ姿をした人が二人いるとして、その二人とも主体がないと、二人の違いをどう識別するのでしょうか?
それは見たまま、良識といわれる言語習慣のままです。
仏教は、そういった良識を破壊するものではなくて、
良識が実体、実在であると思う認識を破壊しようとします。
私の説明がヘタで混乱されているかもしれません。
パユットー『仏法』31頁でこのように述べられます。
要するに、五蘊の原理は無我であることを示す。「人間の生命」は
様々な構成要素の集まりであり、そしてこれらの構成要素の集まったものも
自我ではない。それぞれの構成要素も自我ではない。
また、これらの構成要素とは別に自我であるものもありえないことを示す。
この本などを読まれてはいかがでしょうか?
あるいは水野弘元『仏教要語の基礎知識』旧版32, 100-103, 130, 132, 146
などをお読みになってはいかがでしょう。
この問題は、なかなか理解しずらいものです。
なぜかというと実在論的思考形式に馴染んでいるからです。
>>377 混乱しているのは私の理解力不足からです。何度もありがとうございます。
何回も読み返しましたが難しいですね。それぞれひとつひとつはわかるのですが、繋がると途端に頭が混乱します・・
377さんの説明と、本を参考に整理したいと思います。
379 :
371:2009/02/24(火) 21:37:22 ID:LXluEAXe
返信ありがとうございます!
疑問が解決しました。
また、自分の経験を通してそれを確認していきたいと思います。
「自我を守ろうとする意識」というのはまさにその通りですね。
瞑想の本質でありながら、その事に気づきませんでした、やはり私はまだまだ未熟ですね。
ありがとうございました!
380 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 22:52:20 ID:2TTnjfBn
>>373 あらゆる識別は絶対的なものではないのです。
1秒前のあなたと今のあなたが同一人物である
と思う識別も、絶対ではないのです。
諸法無我を簡単に言うと、
「あなたが思ったことは、あなたが勝手にそう思っただけのものだ」
ということです。
こういう修行もやってみては?
すべての思考のあとに、
「…と思った。」とつけて終える。
すべての判断・識別は、あなたがそう思ったにすぎないのです。
馬鹿は死んでも治らないって!やっぱ信者に使う言葉?w
382 :
大王:2009/02/25(水) 10:40:49 ID:XCVrmGUt
まあ、慣れた道を車で目的地へ行く場合、
主体と言う実体がこの道右左と判断したり、主体がブレーキ、アクセルを踏むとかわざわざ判断したり、やっているのだろうか?
慣れた道の場合、カーステ、ラジオを聞く方に集中し、知らぬ間に目的地に到着する、
その場合、主体が、と言う判断、選択を意識的どれほどやっているのだろうか?
383 :
神も仏も名無しさん:2009/02/25(水) 12:28:11 ID:UBc770uO
>>382 慣れている道でも、
運転してるときには主体による判断・意思がはたらいている。
ただ、カーステレオの音の印象がつよくて、
運転したことをいちいち覚えていないだけでしょう。
>>380 ありがとうございます。
ぼんやりとですが、わかってきたような気がします。完全に理解はまだほど遠いですが・・
「・・と思った」は瞑想の時にしていますが、普段から意識してみようと思います。
ぷりゃ
>>380 精神分裂病やうつ病への誘いですか?
まったく無意味な修行?ですね。基地外の業をつくってるにすぎませぬ。
そうではないのです。
そのような思考を捨てるのです。
生まれてから今日までの白黒をつけるすべての相対的思考を断絶するのですよ。
曇った玉を磨くようにですよ・・・。
そうしてしばらく修行していると曇りがとれた後に玉本来の輝きがでます。
そのとき、諸法無我というものが本当に識得できます。そうすれば生死も解決するでしょうし、
と同時に万物同根も識得できます。その他いろいろな道理もね・・・・。
いろいろ理屈をならべても、決して分かるものじゃありませぬ。
まあ、頭で理解できたつもりにはなるかもしれませんが。
387 :
神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 12:08:55 ID:50e8ANSs
>>386 御大層なことをのたまっとるが、
>そのような思考を捨てる
具体的方法を記さなければ意味が無いぞw
空虚なスローガンと同じだw
スローガンを叫ぶだけなら馬鹿でもできる。
「じゃあ、具体的にどうするのか」が同時に提示されて初めて、スローガンは価値を増す。
絵に描いた餅じゃ腹は膨れんぞw
388 :
莫迦に説法:2009/02/26(木) 13:23:32 ID:7o/i0n+2
>>387 ご承知のうえでお尋ねになってると推察。
具体的方法は古来ゴマンとあるのではないでしょうか。
あるものは坐禅、又あるものは南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経などのご唱明、キリスト教では聖歌でしょうか。
またあるものは六根清浄と唱えながら山をかけ回っているかもしれませぬ。
要は煩悩妄想を蕩尽する方法であれば何でもいいんです。
お釈迦様が周利槃特に、「塵を払い、垢を除く」といいながら掃除をするようにと指示し、永い間についに悟ったというエピソードもありますよ。
こんなことあえて回答するまでもないことですが・・・。
「塵を払い、垢を除く」といいながら掃除したくらいで悟れるなんて天才なんじゃねーの?
390 :
大王:2009/02/27(金) 11:40:08 ID:0tCrPWhM
主体くんへ
哲学的センスで仏教スタンスから外れた表現で言えば、
主体と言う19世紀以前の哲学用語のものさしを堅持している時点で問題だな、
主体、と言う哲学用語が死後になる時代来るだろうな、
20世紀後半以降の構造主義、ポスト構造主義でも、勉強したら?
人間の精神、文化は19世紀以前の哲学用語のものさしで計る不可能性に気付くだろう。
言語概念で普遍的固定的に説明可能なのは物質法則と生命原理機能のみだろうよ、
人間の精神は不可能だろうなあ、
中沢新一はいまや宗教学者だが、80年前後だと、上記哲学ムーブメントにあり、
そこからチベット仏教へ行ったのは何故でしょうなあ?
391 :
大王:2009/02/27(金) 11:44:13 ID:0tCrPWhM
主体くんと言うのは383あてです。
392 :
神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:40:56 ID:7I0tPJuC
華厳経
華厳宗
って日常勤行ってあるのでしょうか?
何を読経するのでしょうか?
393 :
大王:2009/03/03(火) 16:59:02 ID:M0VS6y3p
392さんへ、
東大寺で検索したら、
知識面で関心が薄いわたし。
394 :
神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 14:47:30 ID:x4HL2Hlg
すみません。質問させてください。
瀬戸内寂聴の本で見たのですが、「観世音菩薩」といわゆる「聖観音(たぶん
如意輪観音とか千手観音とか馬頭観音も含めて)」は全く別と書いてあったような
気がしたのですが、実際そうなのでしょうか?
395 :
394:2009/03/08(日) 03:10:14 ID:Ziysj21H
もしかして、この板は初心者に優しくありませんか?
396 :
神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 03:23:23 ID:9fgOD52t
>>394 たぶん、聖観音が千手・馬頭・如意輪観音などの姿に変化するんだと思います。
因縁生起について教えてください。
煩悩は因であっていますか?
>>394 寂聴さんが何と仰ってたか分かりませんが、聖観音も如意輪観音も千手観音、馬頭観音も全く同じです。
観音どころか不動明王も閻魔様も同じ仏様です。名は何と言おうとおなじ仏様です。
仏性をしっかりと自覚してみれば分かりますが、皆、心の産物ですよ。
>>397 因も果にもなるでしょう。
現代人が因縁についてもっと深く自覚すればよい社会になるし不幸も減るでしょうね。
399 :
神も仏も名無しさん:2009/03/14(土) 08:33:01 ID:czyeVzCz
400 :
神も仏も名無しさん:2009/03/14(土) 11:53:15 ID:tNdEsrPC
華厳経を読みたいのですが、手頃なところでは
中村元の「『華厳経』『楞伽経』 」(現代語訳大乗仏典)がありますが、
これって全訳ではありませんよね?
この本で大丈夫でしょうか?
あと、『楞伽経』は全訳が収録されていますか?
401 :
神も仏も名無しさん:2009/03/20(金) 14:19:14 ID:dRwkeA/E
ある屁理屈な人がこういいました
「お彼岸と言うのは本来お墓には誰も居ない。それなのにお墓に墓参りするのは
間違っている」
この言葉は本当ですか?
お彼岸と言えば墓参りするのが当たり前と思っていました
仏教界で宗派によって考えが違うのでしょうか?
正しいお彼岸の意味を教えてください
402 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2009/03/20(金) 16:54:25 ID:eRottDlx
>>401 もともとお墓には誰もいません。
お骨や遺体は遺品の一つにすぎず、
お墓はそれらの遺品を埋めた場所に建てるモニュメントにすぎません。
お彼岸だからどうこうと気にする必要はありません。
仏教では、死んだら輪廻するかか涅槃(解脱)に入るかのどちらかだと考えます。
仏様と同等の悟りに達したら涅槃に入ります。
それ以外は輪廻します。
輪廻するということは、
どこかで新しい生命に生まれかわることですから、
お墓にはいません。
涅槃は、平安なる滅びですから、もう、どこにもいません。
403 :
佐藤栄三郎:2009/03/20(金) 17:47:39 ID:dRwkeA/E
すみません
難しい解釈で良くわかりませんが
お彼岸でお参りするのはお墓のほうですか?
それとも仏壇の方ですか?
それを教えて下されば結構なんですが・・・
404 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/03/20(金) 17:58:05 ID:Xc+VCm8V
>403
いわゆる「お彼岸」とは本来、神道の行事でした。
氏神さまのいるお山から御先祖さまをお迎えして、またお送りする訳です。
各地で風習は様々ですが、
丁寧に供養したいなら、入りと明けに墓参りして、盆の間は殺生を避けて仏壇にお供えすると宜しいかと存じます。
勿論、気持ちの問題ですから、仏壇にお供えして故人を偲ぶだけでも構わないかと思います。
(^人^)
405 :
神も仏も名無しさん:2009/03/21(土) 09:42:17 ID:Mc3N533g
>>403 仏教的に正しいかは別として、
世間一般にはお墓にお参りすると思います。
仏壇は家にあるのだから、毎日でもお参りする人がいるでしょう。
406 :
佐藤栄三郎:2009/03/21(土) 10:02:23 ID:+vChUxtu
いろいろとコメントいただき有難うございました
お彼岸って必ずお墓参りするものと思っていました
本来、お彼岸は檀家がお寺に説教を受けに行く期間と言うのが正しいのかな?
全く、仏道は解らない事がいっぱいです
相手方も正しい事だったんですね
「馬鹿げた事を言うな」と喧嘩するところでした
407 :
神も仏も名無しさん:2009/03/21(土) 13:15:35 ID:Mc3N533g
>>406 お彼岸には、お墓にお参りして、
お寺さんにもごあいさつして、
お寺でお彼岸の恒例行事・法要・説法等があるのなら、
それにも出席するのが、一般的だと思います。
仏教的には、お墓に執着するのも煩悩なのでよくないかもしれませんが、
一般的な慣習としてはお墓参りします。
408 :
佐藤栄三郎:2009/03/21(土) 14:18:59 ID:+vChUxtu
>>407様
丁寧にお説明有難うございました
今後お彼岸にはそう心がけたく思います
クイズ番組で
お彼岸は故人を供養すること ×
お彼岸とは悟る期間 ○
こんな問題が出たらほとんどの人は間違いますね
409 :
神も仏も名無しさん:2009/03/21(土) 14:57:22 ID:HAhPGBU8
>>402さん、横レスすみません。
「先祖を供養する」とよく聞きますが、輪廻転生の考え方からするとそれもおかしな話ということですか?
どこかに生まれ変わっているか、涅槃に入れたのなら供養することはないですよね。
410 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2009/03/21(土) 22:41:23 ID:Mc3N533g
>>409 そうですね。
僕も、自分の前世の家族のことなんか憶えてませんからね。
供養というよりも、善行の功徳を回し向ける(回向:えこう)。
しかしそれも結局、自分の心に対して行っているのかもしれません。
411 :
見性しました:2009/03/23(月) 12:58:59 ID:+HisxBS4
昨日の座禅中、隻手の音声で大轟音を聴き見性しました。
大爆発の歓喜でした。
嬉や〜、ああ嬉や〜。
大日如来や、薬師如来のように実在していない仏様は誰が何のために作ったのですか?
413 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 16:14:32 ID:lHnycKaa
失礼ながら
お寺なんて仏像彫刻の美術館と認識しざるをえない
414 :
412:2009/03/25(水) 16:12:40 ID:L33vN2iT
調べたら、わかりました。拝む対象をはっきりさせるためのあくまでシンボル的なもののようでした。
415 :
神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 14:47:36 ID:unZZICpT
>>411 見性したと舞い上がってしまうと、有頂天界に堕落するのだそうです。
「病気を治してください、治らないのならいっそ死を与えてください」
という呪詛があると聞きました。
おそらく真言宗(おそらく智山派)だと思うのですが詳しい情報をご存知の方、ご教授ください。
天国や地獄をつくったのは、いわば創り主はどなたなのですか。
仏教では、どなたがそれにあたるのでしょうか。教えてくださいよろしくおねがいします。
418 :
神も仏も名無しさん:2009/04/04(土) 20:32:53 ID:7Ur3aDHw
419 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2009/04/05(日) 13:47:59 ID:5JcmXZyl
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1211038645/ ○●Я親鸞仏教質問箱R(その4)●○
↑
これにノルトントラップが張られた可能性があります。ノルトントラップは以前にも仕掛けられています。
ノルトンアンチウィルスを使用していていて、PCに異常を起こした方、
↓
http://ansitu.xrea.jp/guidance/?Trap#NortonTrap を見てください。
なお、ノルトントラップはノルトンアンチウィルスだけを攪乱するおもちゃです。ノルトンアンチウィルス
を使用していなければ異常を起こしません。
蓮如と親鸞の主張の相違を問題にした書き込みの直後に仕掛けられました。この種の議論に脅威を
感じる一群が、社会に、そして2ちゃんねるのこの宗教板にいるということでしょう
浄土真宗は教えがわかりにくい宗教だと言われる。真宗の環境内に、わかりやすくなることに脅威を感じ
る勢力がいるからでしょう。親鸞・蓮如を自分たちの操り人形として神格化している集団が、社会に知られた
くないと思っている議論とはどんなものか、ここを見てください。
↓
ブログ親鸞仏教
www.しんらん.jp
420 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2009/04/06(月) 15:27:23 ID:K4yKC07b
>>417 です
レスいただきありがとうございます。
ど素人むけに、少し詳し目に説明をいただけませんでしょうか。
422 :
神も仏も名無しさん:2009/04/07(火) 07:55:20 ID:6IfprFuf
>>417 天・人・阿修羅・地獄・餓鬼・畜生とは、
生命の種類であって、場所の名前とは違うと思います。
地獄という場所があるのではなく、地獄道という種類の生命です。
それを創るのは、自分の思考と行為です。
たとえば、罪の報いで苦しんでいる状態の生物を地獄道と呼ぶ。
過去に罪を犯したため、他者から憎まれて罰を受けたり、
自分で後悔して悩み苦しんでいる生物がいるのです。
また、毎日争いに明け暮れている生物が阿修羅です。
自分のこれまでの生き方が怒りやプライドを育てるような生き方であったため、
他者との争いや闘いを好み、結果として毎日争い続ける状態の生物になったのです。
怒れば怒るほど怒り癖がつく。
欲ばれば欲ばるほど欲ばり癖がつく。
威張れば威張るほど威張り癖がつく。
殺せば殺すほど殺し癖がつく。
盗めば盗むほど盗み癖がつく。
過去の思考と行為の積み重ねが「癖」となって、自分の性質となっていく。
これが業(カルマ)です。
どこの宗派か知ってる人いる?
後藤元組長が出家…「山口組」から昨年除籍 (夕刊フジ)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_gang2__20090407_2/story/07fuji320090407204/ 全国最大の指定暴力団「山口組」(総本部・神戸市)から昨年10月に除籍された後藤忠政(本名・忠正)元後藤組組長(66)が、
神奈川県内の寺院で出家することが兵庫県警などの調べで7日までに分かった。
得度式は釈迦の誕生日とされる灌仏会(かんぶつえ=花祭り)にちなんであす8日に行われる見通しだが、
寺院では「厳粛な儀式の場であり、公開はしない。今後を見守ってほしい」と話している。
警察当局が入手した関係者あての「得度式案内」によると、〈弟子後藤忠正儀 染衣剃髪の志を生じ皆様方の多大な御力添いを頂戴致しまして得度させて頂くことに相成りました〉と説明。
そのうえで〈得度式はみ仏様のお弟子にして頂き新たな人生に進む為の厳粛にして意義ある儀式です〉
〈当日は平日でありますが御釈迦様ご降誕の良き日でありますので何卒御臨席賜り度く謹んでご案内申し上げます 合掌〉と結んでいる。
「武闘派」「経済ヤクザ」として知られた後藤組(静岡県富士宮市)は山口組傘下の有力組織だったが、
昨年10月8日、神戸市の山口組総本部で開かれた会合で、後藤元組長が昨年9月、自身の誕生パーティーを有名歌手を招くなどして大々的に開いたことを執行部が問題視。
これに対し後藤元組長が強く反発、口論となったとされ、同14日に除籍とされた。
当初、処分に強く反発した後藤元組長に対し、山口組執行部は一時、最も重い「絶縁」を科す方針も示した。
「絶縁」はその処分を受けた組織はもちろん、その組織とかかわった組織も敵と見なされる重い処分。
その後、後藤元組長側が除籍の受け入れを表明したが、後藤元組長に同調した複数の主要団体のトップがその後、相次いで除籍や絶縁とされ、警察当局が内部抗争を警戒するなど、一時緊迫した。
警察当局は今回の後藤元組長の出家に関し、「情報は把握しているが、本人はすでに引退しており、(出家の)意図などは把握していない」としている。
425 :
南無大師遍照金剛:2009/04/07(火) 22:06:49 ID:SZ17fbuJ
>>417 天国や地獄をつくったのは、いわば創り主はどなたなのですか。
あなたの心
天国や地獄は人によっても判断は変わりますよ
今貴方が置かれてる環境が貴方が他人から見たら不幸だと思えても貴方が幸せと考えれば天国だろうし
不幸だと考えれば地獄でしょう
ん?死後の世界の話かい?
>>417 です
>>422 さん
>>425 さん わかりやすくありがとうございます。
死後の世界になるのでしょうか? あの世の地獄とかいうことだとおもいます。
ある信者さんを見てると、あまりに禁欲的で、理由は地獄を怖れてるからだそうです。
そのようにハウツーに生きて、地獄から逃げ出すことを考えるのでなくって、
地獄そのものをなくしてしまえば、皆あるていど自然体に生きていけるのではないかと思ったのです。
そうしたら、地獄をつくった創り主ってだれなのだろう? その方の責任もあるような気がしてきたのです。
人類のために、あの世の地獄を設定した人の責任・・。
でも説明を読ませていただくと、自分自身の業とよばれるものなのですね。
ちょっとニュアンスがちがった気がしました。ありがとうございました。
427 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 11:25:49 ID:yDjB08dz
仏教でいう慈愛を感じられたら、虫を気持ち悪いと思わなくなりますか?
犬や猫が殺されたなどと聞くととても悲しい気持ちになりますが、虫が殺されても何の感情も沸きません。
普段から虫を気持ち悪いと感じ苦手なものだからだと思いますが、そう思ってしまう自分に嫌悪してしまいます。
慈愛を育てるいい方法などありますか?
慈悲慈愛について書かれたものを見るたびに自分の気持ちとはほど遠く自己嫌悪になってばかりです。
428 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 12:24:35 ID:lClgj/se
>>427 まずは、怒りを制御することからはじめてはどうでしょうか。
虫に対して気持ち悪いという拒否・拒絶の感情も、
怒りの一種だと思います。
いきなり虫をかわいいと思う必要はありません。
(むしろ愛着も欲の煩悩かも。)
怒らずに、攻撃の感情を冷ますと、
自然と虫を殺すのがかわいそうになります。
私は、昔は蚊やゴキブリを平気で殺せましたが、
今は殺すのが辛いです。
でも、家の小さい子供を蚊にかまれっぱなしにするわけにもいかず、
結局は殺してしまいます。
429 :
南無大師遍照金剛:2009/04/08(水) 13:25:26 ID:xTdg4661
>>427 慈悲の瞑想
私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願うことがかなえられますように
私に悟りの光があらわれますように
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願うことがかなえられますように
私の親しい人々に悟りの光があらわれますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願うことがかなえられますように
生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願うこともかなえられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光があらわれますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみもなくなりますように
私を嫌っている人々の願うことがかなえられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光があらわれますように
全ての衆生が幸せでありますように
全ての衆生が幸せでありますように
全ての衆生が幸せでありますように
431 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 13:59:53 ID:4bKcRLLn
>>427 文章から充分、慈愛が感じられますよ。
身近の愛しい慈愛を持てる対象から始めて広げていくという道はどうでしょう。
毎日、数分ぐらいその愛しい対象について胸が熱くなるほど考える。
その人が苦しいとどんなに苦しいか?
その苦しみがなくなったらどんなにいいか。
その人が楽を得たらどんなにいいか。
その人の喜びはどんなに素晴らしいか。
と考えてまるで自分の苦しみ喜びになるまで続ける。
できたら、もうちょっと遠い人について考える。
こうやって敵や虫にまでいけたら素晴らしい。
ポイントは、具体的に考えること。
バガヴァッド・ギーターと大乗仏教は同じように思えるのですが、
違いを詳しく教えて下さい。
433 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 15:03:43 ID:4bKcRLLn
>>432 大乗もいろいろあるので中観によって比較します。
1.クリシュナに帰依する、大乗は三宝に帰依する。
2.ヴェーダを尊重する、大乗は尊重しない。
3.基盤としてブラフマンやプラクリティを設定する、大乗は設定しない。
4.サーンキャの流出で現象を説明する、大乗は縁起で説明する。
5.三昧・禅定としての止めるはあるが、縁起・空等の観がない。
6.自己義務(スヴァダルマ)として世俗的仕事を重視するが、大乗はしない。
7.菩提心、六ハラミツ、廻向がない。
とざっと観て思いつくのはこのぐらいです。特に 3., 4., 5., 7 が重要だと思います。
空の意味がわかりません?
なんですか?
435 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 15:20:40 ID:4bKcRLLn
>>434 それは当然です。分かったら聖者ですから。
三昧の中で観行を行って体得して本当に分かるものです。
ですが、言葉で説明するなら諸現象が本質・実体がないということです。
言い換えるなら縁起といっても同じです。
なぜかというと、縁起とは因としての業が諸縁が集まって生成し認識されることだからです。
つまり、本質や実体はなにもない、空、中身からっぽだからです。
だから、芯のない芭蕉や実体のない幻や夢に譬えられます。
436 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 16:19:34 ID:BYkkcMhb
>>435 どうもありがとうございます。
なるほど、普通のひとにはわからないんですね。
納得しました。なんどとおり一片の説明をされてもわからないわけです。
下手に説明されるより、おまえにはわからねーよって言われたほうが納得です。
437 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 16:55:21 ID:yDjB08dz
>>428 怒りの一種だとは考えもしませんでした。
攻撃の感情も気が付いていないだけでもっていたのかもしれません。
小さなことのようですがずっと悩んでいたのでとても参考になりました。
>>430 生きとし生けるものの幸せが心から願えるようになりたいです。
慈悲の瞑想試してみます。
>>431 いきなり虫のような苦手なものではなく、身近な人からはいいですね。
神経質な性格で、一つ叶わないとそればかりにとらわれて自己嫌悪の繰り返しでしたが
自分の出来るところからでいいんですね。
答えてくださった方々ありがとうございました。
>>436 空とは
過去現在未来にいたる全宇宙全世界を司る規則正しい法則性
原因には結果があるという因果応報も空の一部
440 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 20:47:49 ID:lBLV0ObK
一休禅師は、「悟りの証明書」をポイッ(-_- )ノ⌒してしまったらしいですが、
それって、持っていれば何かいいことはあったんですか?
>>440 見た目だけで判断したり権威を有り難がる人達に自慢出来ます(*´∇`*)
>>439 空とはないことだとおもってました。
因果も空なら、法則が空なら
色とはなんなのですか?
縁起することより、初めて現象として現れる。
だから、空というのです。
しかるべき条件を揃えないうちは、不安定ということです。
色というのは、縁起により結びついた現象が、我々の認識作用によって知覚されたものです。
認識作用そのものが作用しなければ、色はそのまま空です。
>>442 空と色とは反対語と思い込んでる人が多すぎます
そもそも何故,空と色が反対語なんですかね?
空とは目に見えないけども有りますよ
無とは違います
たとえば空気は目には見えないが存在してます
般若心経では空と無が登場します
何故か解りますか?
なぜ
色即是無ではなく
色即是空としたのか?
240余りの文字で空=無なら空と無という2文字も登場させる必要があったのか?
何故空と無を使い別ける必要があるのか?
446 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 23:02:34 ID:4bKcRLLn
447 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 00:05:19 ID:bRIut6SX
>>442 色・受・想・行・識の五つの要素は、
それぞれが他の四つの要素に依存しています。
私達は、受・想・行・識を手がかりに、色(物質)をとらえます。
色という透明人間がいて、透明人間単独ではいるかいないかさえわからない。
しかし、受・想・行・識によって透明人間の痕跡を知ることで、
どうやら透明人間がそこにいるようだ、とわかるのです。
透明人間にペンキをぬったら透明人間が見える。
赤いペンキをぬったら赤い透明人間が見える。
でも、「透明人間は赤い」と判断したらそれは間違い。
受・想・行・識は赤いペンキです。
受・想・行・識を通じて透明人間を見てるだけから、
本当の透明人間はわからない。
仏教とはお釈迦様の教え
お釈迦様の教えは現実にある苦を取り除く超実践的な教え
しかし
いつの間にか"空"を無とか訳の解らない説明をし始め更に言葉遊びに走り
苦から目を背け臭いものに蓋をし人生を儚いもの我慢大会とするのがお釈迦様の教えなんて
勘違いする人が増えた
人生は現実にある
今現在に生きている
自分自身が死んでもこの世界は続く
見ず知らずの他の人も現実に生きている
自分自身が認識しようがすまいが現実に存在し変化する
これらを無視し自分自身だけが認識したり視野の狭い自分自身の世界や価値観だけで判断するのが仏教なわけがない
449 :
443:2009/04/09(木) 11:11:47 ID:6+yO8+9f
返事をくださった方ありがとうございます。
なるほど。空と無とは反対語ではないんですね。
ちょっと興味をもって聞いてみたんですが、
本格的に仏教を勉強しないとわからない概念っぽいですね。
出直してきます
451 :
南無大師遍照金剛:2009/04/09(木) 12:43:31 ID:M1+vTpZa
452 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 13:14:37 ID:FoJstRox
>>449 2ちゃんは、玉石混合なので迷わないでくださいね。
453 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 13:29:43 ID:tSgOyVav
仏教っていろんな宗派があって、
どれを一番信じる、行ずればいいんですか?
私にとってこれが一番の悩みだ。
454 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 13:40:21 ID:FoJstRox
>>453 宗派もですが最も重要なのは優れた師に就くことだと思います。
宗派としては、私見ですが、ビルマのテーラワーダか、
チベット仏教が聖者を多く出しているのでよいのではないかと思ってます。
もちろん、相性や縁がありますから誰にでもいいとは言えませんが。
私にとって現世の救い、
死後の救い(死別した人と一瞬でもいいから会いたい感じたい、
この一瞬が無限のような気がします)
という願望があります。
霊的なものを否定するのが本来の仏教なのだと思いますが、
私にとって大乗仏教(菩薩道)に魅力を感じます。
空とかは全く意味がわかりません。
人間的レベルが低く、自分の心を整えることで精一杯な私は、徳を積んで
来世に期待して、人を救えるような人間に生まれ変わりたいと思ってます。
そんな宗派が私と相性がいいのと思っています。
乱文すみません。
456 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 14:46:08 ID:FoJstRox
>>455 大乗の菩提心、利他心そのものですね。素晴らしい、立派な心だと思います。
徳を積んで、人を救えるようになりたいという、その心を大切にしてください。
でしたら、浄土宗、浄土真宗、チベット仏教あたりではないでしょうか。
>>455 霊的なものを否定するのが本来の仏教なのだと思いますが←霊を否定しているという文献があるのですか?
私にとって大乗仏教(菩薩道)に魅力を感じます。
人間的レベルが低く、自分の心を整えることで精一杯な私は、徳を積んで
来世に期待して、人を救えるような人間に生まれ変わりたいと思ってます。←さぁ,今から社会奉仕ボランティアしましょう。十分徳を積め更に人を救えます
458 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 18:24:23 ID:bRIut6SX
>>455 死者とあの世で界再会したいという願望があるのでしょうか。
その願望をなくせば楽になれると思います。
その願望は叶わない幻想なのです。
無理なものは無理だとあきらめたら楽になれます。
459 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 18:37:08 ID:aw2hsmXB
>>453 宗派はブッダ以外の人たちが説いた教え。親鸞教、日蓮教、道元教etc.
仏教はブッダの「正しい禅定」の勧め。黙って実践されたい。
私は、極楽修行されてるお父さん、弟、愛犬と会えると
信じて救われているんです。
死んだら終わりなんて考えただけで
苦しく絶望的になります。
私はイジメられるタイプなので、法華経を受持し
恨むことをせず、大悲の心を育てる努力をしています。
法華経には受持する者を迫害する者は罰が当たると
書いてあるので、その言葉に救われてます。
お任せしてます。
座禅で心を整えたいのですが気合いも集中力もないので、
精神科で薬を処方してもらってます。
自分を保つのに精一杯なレベルな低い人間です。法華経はそんな私でも菩薩だと励まして、
いただけるのでありがたいお経です。
みなさん、いろいろアドバイスありがとうごさいました。
461 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 19:46:24 ID:FoJstRox
>>460 その謙虚さと優しさだけでも立派です。
自信もって誇っていいですよ。
462 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 16:11:14 ID:WadaPkHP
>宗派もですが最も重要なのは優れた師に就くことだと思います。
宗教的権力者はたくさん知っているが、宗教的に優れた人なんて
見たことないよ。
463 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 16:53:22 ID:VbzQeSlY
>>462 ビルマやチベットには沢山いらっしゃいますよ。
465 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 20:57:51 ID:VbzQeSlY
>>464 ビルマ系はほんの少数ですが、チベット系には百人以上はお会いしました。
466 :
南無大師遍照金剛:2009/04/10(金) 21:09:12 ID:uv486G/Q
467 :
南無大師遍照金剛:2009/04/10(金) 21:10:14 ID:uv486G/Q
>>465 もしかしてタイとかビルマから書き込みしてるとか( ̄□ ̄;)!!
468 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 21:15:01 ID:VbzQeSlY
469 :
南無大師遍照金剛:2009/04/10(金) 21:18:07 ID:uv486G/Q
470 :
南無ちんへ:2009/04/12(日) 11:51:09 ID:9l6Axj/b
しかし、弘法大師信仰に関心が無く、最近関心をもった、
真言密教三昧、教義は昔から深く関与してたけど。
>>470 あ
ごめん
曹洞宗なんで
道元さんなんだよ
毎日修証義読誦してる
だって真言宗1時間以上かかるもん
472 :
神も仏も名無しさん:2009/04/17(金) 15:35:32 ID:Qq5v5bNI
473 :
神も仏も名無しさん:2009/04/20(月) 23:32:35 ID:56Dbxxli
欲を捨てなさい。
みっともないですよ。
474 :
神も仏も名無しさん:2009/04/24(金) 06:44:24 ID:Hs3E3ZBc
本人は冗談を言っているだけだろうが、実は恥を書いていることに気が付いていない。
475 :
460:2009/04/25(土) 17:38:33 ID:/zAkpSvI
>>461 ありがとうごさいます。
今の心境です。
仏壇の阿弥陀仏は、そのままにして、
両側の親鸞、蓮如は、剥がそうと思ってます。
真宗は、大屁理屈仏教で行がない。
今、私は独自に、法華経普門品と神力品の一部を読誦し、
変幻自在の観音菩薩と一体化する行を済ませ
帰命無量寿如来
南無不可思議光
南無妙法蓮華経
帰命観自在蓮華王如来と唱えている。
これOKでしょうか?
476 :
南無大師遍照金剛:2009/04/25(土) 20:32:43 ID:u34WhB/d
>>475 私はイジメられるタイプなので、法華経を受持し
恨むことをせず、大悲の心を育てる努力をしています。
法華経には受持する者を迫害する者は罰が当たると
↑あのさ罰あたれって充分恨んでんぢゃん
なんでイヂメられんの?
仏壇の阿弥陀仏は、そのままにして、
両側の親鸞、蓮如は、剥がそうと思ってます。
残酷だね
つか失礼だよ
ちゃんと作法にのって宗派変えたほうがよいよ?
イヂメられんのは原因あると思う
477 :
神も仏も名無しさん:2009/04/25(土) 22:06:53 ID:+iRIsLMb
素人がお寺などで般若心経を大声を出して読経する時と
声を出さずに看経する時の効果の違いを教えて下さい
478 :
南無大師遍照金剛:2009/04/25(土) 22:50:52 ID:u34WhB/d
>>477 効能を求めてはいけましぇんo(T□T)o
なんか悩みあるの?
>>476 イジメる方に原因があると思い。法華経を受持し、お任せしております。
間違いでしょうか?
480 :
神も仏も名無しさん:2009/04/26(日) 01:22:37 ID:Z6qafBRl
彼の観音の力を念ぜば、すぐさま情け深い心を起こす。
彼の観音の力を念ぜば、怨みや怖れは
悉くちりぢりになって消滅す
彼の観音の力を念ぜば、その時に皆、
少しも害を加えることはない。
482 :
南無大師遍照金剛:2009/04/26(日) 06:21:43 ID:DylpejIM
>>479 イジメる方に原因があると思い。法華経を受持し、(法華経が罰を当たてるのを望み)お任せしております。
間違いでしょうか?
ってことですよね?
もうどこに慈悲の心があるのやら┐(´〜`;)┌
もはや仏教ではないですね
貴方自身に原因が有るとお考えになられないのですね?
私に罰が当たれば良いとさえも考えてますね
法華経自体を攻撃ではなく貴方を攻撃して何故に法華経が罰を与えるのでしょうか?
貴方自身が法華経だからですか?
┐(´〜`;)┌
もう自分自身程正しいものはないって感じですか?
483 :
南無大師遍照金剛:2009/04/26(日) 06:25:12 ID:DylpejIM
>>481 ┐(´〜`;)┌
これだから…
隠されたメッセージを読まないで自分自身に都合の良い解釈しちゃう
魔に飲まれちゃってるよ
そんな都合の良い観音様が居るわけないよ
あと
法華経はお釈迦様とは無関係なんで
お釈迦様が入滅したあとで誰かが創作したのが歴史的に証明されてるんで
>>484 貴方も私も観世音
大乗経文は紙クズでしょうか
私にとっては、有り難いお経です。
487 :
ニセ本尊:2009/04/26(日) 12:30:46 ID:FM7RVzFh
>>477 経を暗記するには、声を出した方がよい。
声を出した方が、肺活量が鍛えられる。
声を出した方が、健康になれる。
ただ、般若心経を声を出して読むなんて修行、あったかな。
お薦めできん。
488 :
神も仏も名無しさん:2009/04/26(日) 19:39:47 ID:FM7RVzFh
観世音は、誤約
観自在が、ただしい。
489 :
大王:2009/04/27(月) 00:32:37 ID:ZlOF0x1c
南無チンも偉くリアリズムになったなあ。
なんていうか、ショうきょうちゃんに似てきたね。
490 :
神も仏も名無しさん:2009/04/27(月) 07:21:52 ID:/MAdw474
宗教初心者です。
仏教に入るにはどうしたらいいですか?
491 :
神も仏も名無しさん:2009/04/27(月) 07:52:01 ID:4iSqtrGm
>>490 あなたの家のお墓がある寺や、
ふだん法事をしてもらっているお寺はありますか?
あるなら、あなたの家はその寺の檀家になっています。
ないなら、好きな宗派のお寺や仏教団体の檀家や会員になればいい。
まずは、仏教についての入門書とかを本屋で見ては?
日本テーラワーダ仏教協会なんかは、手軽に会員になれます。
493 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/27(月) 21:10:32 ID:BBHyYkku
>489
(^。^)そーゆー君は、相変わらず色メガネしたままみたいだな♪(笑)
495 :
神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 15:23:12 ID:joDaXJN5
>>486 ま、こういう人は結局法華経を読んでも誰も助けてくれなかった。
で、違う宗教やって、それでも助けてくれなかったで違う宗教やって
助けてもらえなかった、の繰り返しでいずれ、自分で解決するしかねーんだな
って自分で気づくよ。
俺がそうだったw
496 :
神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 17:59:25 ID:sgU0YGYh
>495
誰が良い話をしろと言った
497 :
495:2009/04/28(火) 22:18:04 ID:joDaXJN5
いい話っていうか、まぬけな話だろw
太元帥明王(たいげんみょうおう)
真言宗では「帥(すい)」の字を読まないけど、何か理由があるの?
難しくて読めないから
500 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/30(木) 20:18:48 ID:6rab+st4
>498
東密は、師から伝授された事を重んじる為、様々な口伝がある。
501 :
神仏あるある大 特命:2009/04/30(木) 20:21:40 ID:zzD1B2vK
北枕で寝るのは何故ダメなんでしょうか?
軽くググったけど、明確にダメだという理由が分からない……
503 :
南無大師遍照金剛:2009/05/04(月) 16:32:12 ID:rral5fOn
>>502 北枕 風水
でググったの?
なんで軽くググったの?
504 :
神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 02:27:45 ID:1La2x+S/
>>502 お釈迦様が亡くなったときに、
頭を北に、右脇を下にして顔を西向きで寝ていたから、
それにならって死者を北枕で寝かせる習慣になった。
それで、死者の寝かせ方と同じ寝方は「縁起が悪い」
といわれるようになった。
本来は、頭を北に足を南に寝るのは頭寒足熱になるし、
右脇を下にして顔を西向きに寝るのは
心臓のある左胸に負担がかからないから、
体に良い寝方であるし、悪いことはない。
迷信か
>>504 頭寒足熱は、北半球のはなしですね。
釈迦のいた場所は南半球だと思いますが、頭熱足寒では?
なぜ、北枕なのでしょうか?
507 :
神も仏も名無しさん:2009/05/07(木) 12:35:17 ID:Z8wm+JIf
>>507 お釈迦さんの活動された頃は、まだインドは南半球にあったんだよ
ジュラ紀かよ
釈迦のいたところは、北半球でした。
北枕は地磁気の影響から身体にいいらしいし、
中国などでは「普段、頭を北にして寝ると熟睡できる」という風習もあり、
北枕=不吉という風習も海外には無い。
仏教由来だが、日本以外の海外の仏教国には死人の頭を北にする文化はない
風水的には「財運が上がりお金が貯まる」といわれる縁起のいい寝方です。
ベッドの位置変えられないのに北枕で寝たくなった
514 :
神も仏も名無しさん:2009/05/13(水) 02:30:59 ID:pIQ3ActB
菩提心とはなにか説明をお願いします。
515 :
神も仏も名無しさん:2009/05/13(水) 07:43:23 ID:okpUXiDS
>>514 菩提(さとり)を求める心。
本気で悟りたい。
516 :
神も仏も名無しさん:2009/05/13(水) 12:51:49 ID:pncRBTH8
金のロレックスをして若い衆を従えて黒いベンツやセルシオを
乗り回し、繁華街に出没する坊さんとヤクザの見分け方を
お教え下さい。
そんなお坊様は、いませんが。
519 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/13(水) 20:54:41 ID:5iemL28N
(^。^)見分け方はありません♪
マルボウとヤーサンが大差無いのと同じですね♪(笑)
戯論寂滅の意味がよくわかりません、お教えください
般 羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 摩
若 諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 訶
心 羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在 般
経 諦 説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩 若
呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩 波
波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行 羅
羅 真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深 蜜
羯 実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般 多
提 不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若 心
虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波 経
波 故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅
羅 説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜
僧 般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多
羯 若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時
諦 波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照
羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見
菩 蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
提
薩
婆
訶
妙法蓮華經第二十五観世音菩薩普門品偈
世尊妙相具 我今重問彼 仏子何因縁 名為観世音
具足妙相尊 偈答無尽意 汝聴観音行 善応諸方所
弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億仏 発大清浄願
我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦
假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池
或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没
或在須弥峯 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住
或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛
或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心
或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊
或囚禁枷鎖 手足被柱械 念彼観音力 釈然得解脱
呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害
若悪獣圍繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無邊方
玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋聲自回去
雲雷鼓掣電 降雹濡大雨 念彼観音力 応時得消散
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦
具足神通力 廣修智方便 十方諸国土 無刹不現身
種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
真観清浄観 廣大智慧観 悲観及慈観 浄願常譫仰
無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間
悲體戒雷震 慈意妙大雲 濡甘露法雨 滅除煩悩焔
諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散
妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念
念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼
爾時持地菩薩。即従座起。前白佛言。世尊。若有衆生。聞是観世音菩薩品。
自在之業。普門示現。神通力者。当智是人。功徳不少。仏説是普門品時。
衆中八万四千衆生。皆發無等等。阿耨多羅三藐三菩提心。
『准胝観音経』
准胝功徳聚。寂静にして心常に誦すれば一切諸諸の大難能く是の人を侵すことなし。
天上及び人間福を受くること佛の如く等し。比の如意珠に遇はば定んで無等等を得ん。
若し我れ誓願大悲の裡一人として二世の願を成ぜずんば我れ虚妄罪過の裡に堕して
本覚に帰らず大悲を捨てん。
「のうばさったなん、さんみゃくさんぼだ、くちなんたにゃあた おん しゃれい
しゅれい、じゅんてい そわか」
不動尊 ゐのり経
一心に祈り奉る 香の煙は かすかなれども天に通じて
天より あま下らせ給う 其時 大日大聖不動明王
五色の雲の 中よりも 御みすがたを 顕わせ給う
あら おそろしや くりから不動や まんねん
剣を さかばに かやせば あうんの二字が 火ゑんとなつて
なわめて まんだら そはかの なみをあらくれ
金がら童子が か[う]べに あがって せいたか童子が 受けとり給ひて
悪病諸病を からめとつて 三つ石川原の せいはに たたりて
祈れや祈れや 叶うぞ叶うぞ さんげさんげ 六根清浄。
一より二けん。三界四はらい。五体の巻もの。六根清浄。七難即滅。
八方からめて。九もつをととのへ。十ぶに祈れば。
神は しょじょう なさしめ給う ほんぎゃ[く]ほんじの 大ごま童子
東は日の本 天照大神 鹿しまに香取 生須の明神 神たい日輪。
南は大唐 晴雲 星辰。
西は天竺 三世の諸菩薩 仏たい月輪
北は子のくに 出雲の御神 八百萬神。
天も感應。地神も納受。諸願も成就。
[急々如律令とあらそは 大日大聖不動明王。]
526 :
神も仏も名無しさん:2009/05/17(日) 23:33:37 ID:4Lho2gpZ
530 :
曉:2009/05/19(火) 18:18:18 ID:+/Hz4Bcb
「中論」冒頭の立言(帰敬序)すな。これが「中論」全体の要旨。
(宇宙においては)何ものも消滅することなく(不滅)、何ものもあらたに生ずることなく(不生)……
で、戯論(形而上学論議)の消滅というめでたい(ry
ということだれ。答になってなかったらサーセン(笑)
531 :
神も仏も名無しさん:2009/05/22(金) 10:51:23 ID:AlQq0gnV
ラエリアン・ムーブメントのラエル氏の話を聞いて、
「この人がマイトレーヤだな」と思った。
532 :
神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 18:51:42 ID:XYpVUcGD
質問です。原始佛教と浄土思想はどう関連するのでしょうか?
533 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/24(日) 19:24:21 ID:NIWEKGaE
>532
原始仏教+(拝火の二元論から導かれた楽園信仰×シナ並び日本の土着宗教の世界観)−中観等の仏教哲学=浄土信仰並び経典信仰
534 :
神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 20:27:55 ID:XYpVUcGD
>>534 野球(ベースボール)の本場は、原点はアメリカだよね。頂点はメジャーだよね。
日本のプロ野球をメジャーリーグとは言わないよね。
けど、野球(ベースボール)ではあるよね。
そういう関係。
536 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/24(日) 20:59:22 ID:NIWEKGaE
>535
(^。^)つーか、サッカーとラグビー♪(笑)
オイオイ、普通、持って走るか?ってな(笑)
537 :
神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 19:08:23 ID:Kumak9Ek
いつか出家したいのでネット調べてみたら
出家募集とか僧侶募集とかなにか怪しい
だからここで聞いてみます。
どのようにしたら、メンヘラの自分でも坊さんになれますか?
ニート状態になるくらいなら出家したいんです。
538 :
神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 21:55:45 ID:4oTfiB1t
仕事とはいえ動物を殺す保健所や、家畜を殺す仕事
は仏教からしたらどういう見方なんでしょうか。
539 :
神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 22:32:06 ID:w6DGm4iE
>>537 坊さんをビジネスにしたい、ということですか?
商売っ気抜きで悟りを求めたい、ということですか?
540 :
神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 22:54:37 ID:eAAUllyy
24816
↑この数字は仏教と何か関係ありますか?
541 :
神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 23:05:59 ID:nvreENEL
>>538 決して善ではない。むしろ悪。
他の生命を犠牲にしなくては生きられない生命は、
生きることが苦しみである。
仏教がめざす涅槃は、生きものであることから卒業すること。
平安なる滅び。
吹き消された炎のように、跡形もなく消え去ること。
そのためには、煩悩をなくす必要がある。
542 :
神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 23:56:52 ID:nvreENEL
>>540 数字だけでは特に思いあたらないけど、
その数字と仏教の関係を疑ったのはなぜ?
543 :
神も仏も名無しさん:2009/05/26(火) 10:18:36 ID:QyP9Nmt+
544 :
神も仏も名無しさん:2009/05/26(火) 18:44:11 ID:i0RcUqZC
>>543 それなら自室を修行場として、今すぐにでも実践に入るべきです。「正しい
禅定」は場所を選びません。既存の仏教教団に悟りへの道などありません。
545 :
543:2009/05/26(火) 19:39:21 ID:QyP9Nmt+
>>544 わかりました実践します。
目をとじて座って瞑想したら良いということですね。
546 :
神も仏も名無しさん:2009/05/26(火) 21:44:16 ID:hMHaP1NU
駄目です。キチンと教理を脳に刻み込む必要があります。また瞑想すれば悟れるというのは短絡的過ぎます。しかも現代は声聞乗の時代は終わり、大乗以外いかなる手段でも悟れません。逆に過去の善きカルマであっけなく悟れることもあります
547 :
神も仏も名無しさん:2009/05/26(火) 23:52:38 ID:LsGF4aYz
大乗のどの教えで悟れるの?
548 :
神も仏も名無しさん:2009/05/27(水) 00:29:25 ID:6c0+i1ua
菩提心を起こす
549 :
神も仏も名無しさん:2009/05/27(水) 00:35:22 ID:D3b10ayn
550 :
神も仏も名無しさん:2009/05/27(水) 00:59:57 ID:6c0+i1ua
あまり言いたくはなかったけど…華厳経だよ。それが悟りへの究極さ。
551 :
神も仏も名無しさん:2009/05/27(水) 07:57:49 ID:D3b10ayn
>>550 華厳宗の僧侶は実際にはどんな修行をするのだろうか。
南都六宗の時代の僧侶はどんな修行をしていたのだろうか。
552 :
神も仏も名無しさん:2009/05/27(水) 09:10:48 ID:w163JrcD
日本の宗派仏教はどれも駄目です。ブッダの菩提樹下の禅定を
そのままに実践しなければなりません。
仏道は禅定の道です。瑜伽の道です。教義云々は何の役にも
立ちません。
553 :
543:2009/05/27(水) 12:18:47 ID:xY5pKjTI
>>546 ありがとうございます。やっぱり悟りを開くのは難しいものなんですね。
554 :
神も仏も名無しさん:2009/05/27(水) 13:27:00 ID:6c0+i1ua
まあ、瞑想しても(断言するが)絶対に悟れんよ。残念だが…「悟った」なんて言うヤツは単なる嘘つき有罪死刑
2chで真剣に質問するのは窮極の邪道だと思いますが・・・
556 :
神も仏も名無しさん:2009/05/27(水) 13:39:14 ID:6c0+i1ua
2ちゃんもなにも、そもそもブッダがいないんだから…救いようがない(笑)自燈明なんて、ほざく似非ニヒリストがいるだけさ…ザマァ
恐らく語られた文脈から仏教界の方だと思いますが、
SぐちJじょう氏とはどなたでしょうか?
↑自己解決しました。きっと瀬戸内寂聴。
失礼しました。
559 :
神も仏も名無しさん:2009/05/28(木) 23:13:04 ID:sJm3UUjF
560 :
神も仏も名無しさん:2009/05/28(木) 23:27:31 ID:q6mFWnYk
肉体意識を払拭できない。煩悩を制御できない。悟りへの糧料(善根)も積んでいない。言うこととやる事が不一致。無気力(瞑想しても眠ってるのと同じ)時代の濁り(空間の波動悪し)理由はきりがない
561 :
神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 00:44:30 ID:ZCH9YE8n
>>560 そんなことは『ダンマパダ』『スッタニパータ』にも述べられていない。
ロクに坐り方も知らないくせに、勝手なことを言わないように。
562 :
神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 07:23:56 ID:yxBxcs6G
↑おっ、クソがほざいとるな…じゃあ、スッタニパータとダンマ・パダで悟ってみ?悟れるもんならやってみ?ククク(笑)悟れたらご褒美に10円やるよ、坊や
563 :
神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 07:30:24 ID:Ca1MxZky
卍マークってことはナチス?
ナチスは仏教なんだー
ヨーロッパまで伝わっていたんだね
世界は狭いやっ
564 :
神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 07:39:50 ID:yxBxcs6G
↑スワスティカって言うんだよ。このシンボルの起源はいまだ不明なのさ…
565 :
神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 12:43:17 ID:W7K0uyKA
金のロレックスをして、待合室でお気にが病欠で不在な事に
腹を立て、経営者に詰め寄り恫喝して代わりの子を無料で
やらせろと騒ぎ立てるソープに出没するお坊様とヤクザの
見分け方を お教え下さい。
567 :
神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 18:29:18 ID:7wWDWEZ4
虚空蔵求聞持法とは何ですか
568 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 10:30:22 ID:lob57Pjg
>>567 ブッダの正しい禅定を密教化したものです。ですから求聞持法を元の形に
戻せば、ブッダの菩提樹下の禅定そのものになります。
ちょっと意味不明なんだけど
570 :
神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 18:18:31 ID:CSWUfKEV
虚空蔵求聞持法とは真言宗が伝える禅定法です。
釈迦の教えに、男が女への性欲を抑えるために
「女性とて中身は糞袋と思え」というようなのがあったと思うのですが
その男がスカトロマニアだったらどうするんでしょう。
また女性の白骨とか内臓とか思い浮かべても、余計興奮してしまう男に対して
仏教ならどう諭すでしょうか。
572 :
神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 00:48:57 ID:NzVghlIQ
>>571 お釈迦様は、相手に合わせて説法を変えるから大丈夫。
具体的にはどのように説法するかな
毎朝、六地蔵の前を通って通勤しているのですが
「オンカカカビサンエイソワカ」と唱えたらお地蔵さん
は喜んでくれますか?
575 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 01:52:30 ID:xuQacobu
576 :
神も仏も名無しさん:2009/06/05(金) 20:32:14 ID:dFZ+Rkx9
577 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/05(金) 20:39:07 ID:kqmX7FnY
>571
(^。^)変態は見捨てます♪(笑)
578 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 13:08:12 ID:Tbs1+RDd
>>571 女性はもちろんのこと、女性に纏わる糞袋も白骨も内臓もすべて無常なるものです。
それらに執着をするその人の思いもまた無常なるものです。
過度の行過ぎた思いは仏教では貪欲とされ、根本無知の一つとなっています。
白骨や内臓を見たさに、殺人をやらかして解剖などしないように。
579 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 14:31:58 ID:EFrcEDxO
生自体が苦しみだとすると、新たな生を生むこと(性交渉→妊娠→出産)は悪しき事なのでしょうか
となると、より生命のない世界に近づける事が理想なのでしょうか
580 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 16:37:14 ID:ZHqn0Ibw
>>579 今も昔も仏道に命を賭ける人々は、性交渉→妊娠→出産を嫌悪します。
581 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/07(日) 17:14:48 ID:V9oB3H4U
>579
>580みたいな分別心の無い状態を、仏教では理想とします。(笑)
生命の在り方を否定するような文言はその為の手段に過ぎません。
582 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 19:10:06 ID:VQ5p5TM0
剃髪をしない宗派がありますが
どのような理由で免除されているんですか?
剃髪アレルギーなんですか?
坊主は、かっこ悪いと思っているんですか?
今18ですが密教系真言宗に出家したいんですができますか?
584 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/07(日) 22:45:21 ID:V9oB3H4U
>583
大学にはいっとけ。
可能ならmit目指せ♪(笑)
ハゲになっても大して得るものは無いぞ。
(^。^)経験者は語るだ♪
585 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 23:50:25 ID:WuYq7lXN
>>582 浄土真宗でしょう。
非僧非俗という立場であり、出家者ではないからです。
>>584 でも虚空像求聞持法を1人で5年ぐらい修行してたので絶対に成功させたいんです
ちなみ修行は最初の時に始めた修行はうまく行ってたんですけど
それは最終的にパッとイメージが少し鮮明に見えたところで親に邪魔されて失敗しました。
その後も何度も挑戦してたんですがいずれも最初にやってた時よりも
楽しくなく集中も出来なくて基本的にモチベが上がらず失敗ばかりして来ました。
だからやっぱり1人じゃ限界があるんじゃないかと思って師匠を付けてちゃんとした修行をしたいんです。
587 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 08:50:38 ID:3sddyRnm
>>581 という事は、気にせずセックスをしていいという事でしょうか?
出家した方はさておき、在家がどう仏教と向き合えばいいのか考えてしまいます。
589 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 16:44:42 ID:cFtIqxUp
>>588 在家ならば、浮気・不倫をしなければオッケーです。
ただし、セックスに対する欲も煩悩だから、
悩み苦しみを増やす行為であることには変わりませんが。
在家信者として、出家者や教団をサポートするのも
仏教を後世に伝えるためには必要なことです。
そのようにサポートするのが嫌なら、
出家してサポートされる側になればいいわけです。
590 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/08(月) 19:34:39 ID:eRUULuaM
>588
私は、個人的に仏教に帰依してるだけですので、既に日本仏教とは無縁ですので♪(笑)
(^。^)無責任な立場で言わせて貰えば、現在の日本仏教の出家者に、在家の云々言う資格は無いから、自分の在り方で決めたら?(笑)
588です,出先から.
仏教の事を勉強すればするほど,
生命を否定するのが仏教的に正しいあり方なのではないかと考えてしまいます.
(少なくとも意識が分別的である場合においては.)
自分の煩悩という面ももちろんのこと,
子を持つ事は,子に対して苦しみに満ちた人生を押しつける事になるのではないか,と思ってしまいます.
また悟りの境地に達した方は,とっとと断食でもして遷化するのが正しいのではないか,と.
残りの「人生」の日々を「生きる」意味が分かりません.
大乗的に衆生を救うために世に残るというのならば,子を産むのをやめさせるよう説得するのが第一の仕事なのではないのでしょうか.
私は結婚をし時々配偶者と性行為をしている身なので,他の人の批判という意味ではなく,
自分の生き方に対する疑問として上のように考えてしまいます.
よろしければ皆さんのご意見をうかがいたいです.
592 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/08(月) 21:42:23 ID:eRUULuaM
>591
それは虚無主義と仏教を混ぜ混ぜにしてますね。
そんな方には維摩経か理趣経が宜しいのですが。
(^。^)まぁ、個人的には、仏教がそんなモンなら捨てちまえ♪と言いたい。(笑)
593 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 22:21:32 ID:6BKtJxpf
>>591 あのさー、仏教に限らずキリスト教でもイスラム教でもその他もろもろ、
宗教って人間がよりよく生きるためのものなんじゃねーの?
生命を否定するんじゃなくて、生命、自分、それを取り巻く世界全体を肯定するものだと思うぞ。
あんた自身が自分自身や自分の人生を肯定していないから、
子供に苦しみを押し付けるとかなんとか否定的に捉えているんだよ。
>>591 私は、大乗の徒なので、大乗の立場から書き込んでみます。
小乗的にいえば、阿羅漢を目指し、輪廻からはずれ生まれてこない事を目指すわけですが、
このことから、あなたの、仏教理解が生まれてきたと思われますが、中道である仏教というよりも、ジャイナ教に
近い錯誤的理解です。
ジャイナ教は徹底的な不殺生を目指し、理想は、「断食を続行して死にいたる」こと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99 大乗の理想は、全ては空だと知りながら、全ての衆生を救う四弘誓願の内の衆生無辺誓願度です。
空=縁起(他者に縁って自分が起こる)=自分だけで成り立つもの(者、物)は何もない。
セックス自体は、他者と行う気持ちよいものなので、何も悪くはない。私は、タントラのように性によらねば悟れないとは
おもいませんが。性によって救われる事もあるでしょう。
私は、全ての衆生を救うなど、とても出来ない凡夫ですが、他者に縁るしか自分を救う事は出来ないと知り
自分の家族、友人、知人と関係していく中、「煩悩即菩提、生死即涅槃」「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」
の中にしか、仏教はないと理解しています。
ご意見ありがとうございます
>>592 まぜこぜなのかもしれません.
理趣経は文面を見るとすごい経ですね.
ただ,修行してからでないと意味が解せないそうなので,
いま私が文面から受ける意味とは本意は違うのだと思います.
ただ,この経の意味しりたさに修行に入るというわけにも行かず…
ご意見ありがとうございます
>>593 そうなのかもしれませんが,
どうしても,人生は苦(思いが叶わない,など)であるとするのが教えの第一歩のひとつような気がしてしまいます.
そうでなく生は楽しいとしたり,
あるいは楽しく生きられればそれでいい(し楽しく生きられる可能性をつかむために頑張りなさい)とするならば,
別に仏法について学ぶ(チラ見する)必要など無く,
別段生き方を問うことなく享楽的に死ぬまで生きていればいいし,
むしろそういう風に生きるのが最善の生き方という事になるのではと思ってしまいます.
もちろん,それはそれで素敵な生き方だとは思います.
しかし,生が苦ならば,自分の性に対する,あるいは子を持ちたい気持ちという煩悩に対処すれば
産み出す必然のない子を「気まま」に産み出し,子供にまた苦に対面させる必要があるのでしょうか….
ご意見ありがとうございます.
>>594 確かにおそらく小乗と共通する法句経などに最も心ひかれるところがあります.
そういう意味で「仏教」を勉強,などと発言するのは間違いなのかもしれません…
個人的には,衆生無辺誓願度と煩悩無量誓願断が時として矛盾してしまうのではないか,と思ってしまいます.
また,性について,いま「ある」生について言えば,そういう思いもあります.
しかしそれが新たな生を(どんどん)「産み出す」事に無意識,無批判でいいんだろうか,と考えてしまうのです.
いまの生にとって良ければ,後々産み出される生の事などどうでもいいという訳にはいかない,と考えてしまうのです.
みなさんご意見ありがとうございました.
もう少し勉強を続けてみたいと思います.
598 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 23:10:51 ID:6BKtJxpf
>>596 >どうしても,人生は苦(思いが叶わない,など)であるとするのが教えの第一歩のひとつような気がしてしまいます.
>そうでなく生は楽しいとしたり,
>あるいは楽しく生きられればそれでいい(し楽しく生きられる可能性をつかむために頑張りなさい)とするならば,
>別に仏法について学ぶ(チラ見する)必要など無く,
>別段生き方を問うことなく享楽的に死ぬまで生きていればいいし,
>むしろそういう風に生きるのが最善の生き方という事になるのではと思ってしまいます.
>もちろん,それはそれで素敵な生き方だとは思います.
何勘違いしてんだよ???
苦とは、自分の思い通りにならにならないから苦なんだよ。いや、思い通りにしようとしてままならないから
苦なわけだ。
思い通りになることが楽なのではなくて、思い通りにならない現実を受け入れる(肯定する)こと、
それすなわち楽ってことだろーよ。
享楽と楽は違うぜ。
599 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/08(月) 23:19:34 ID:eRUULuaM
(^。^;)え〜っと。
人生が苦ってのは、求道者に向けた話で、悟りのが楽ですってだけの話です。
苦楽なんてのは相対的感情ですから、ガキ共が何を苦楽とするかはガキ共が各自で決める事では有るまいか?
(^。^)てか、気にするな♪(笑)
親の心配なんかガキは知らないって昔から決まってんだし♪(笑)
いや、
>>598が正しい、サンスクリット語の仏典でいえば苦は元々「どうしようもならないこと」って訳になるから
>>598は合ってる
>>597 >衆生無辺誓願度と煩悩無量誓願断が時として矛盾してしまうのではないか,と思ってしまいます.
そう矛盾ですね。大乗は悩んだ上で矛盾を即でつなぐのです。而二不二です。それしかないのです。
しつこいようですが、老婆心ながら、即がわかれば皆わかりますよ!
602 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 23:41:06 ID:56kn9foH
承狂!
結局おまえも南無と一緒だな
>>582 浄土宗の坊さんでも普通の髪形の人がいる。だからこの宗派でも髪型は自由なんだろう。
>>579 この疑問は自分も持ってたな。
浄土宗では法然の「とにかく念仏さえできればよい」という主旨の言葉があるから、
どちらでもいいという答えになるだろうな。
ふと思ったんだけど、仏教ではどう考えるかという質問って、宗派によって異なることが多いんじゃないだろうか。
小乗と大乗でもことなるし。それらを全部書いていたらどうしても冗長になるよなあ。
あ、
>>582は剃髪しない理由を尋ねていたんだね。浄土宗の坊さんが剃髪しない理由はわかりません。
法然上人の「とにかく念仏さえできればよい」というのは
「一人で念仏できないなら妻を持て、妻を持って念仏できないなら一人でいよ……」云々という言葉です。
605 :
暁:2009/06/09(火) 01:26:09 ID:DETZ1EVg
家に来る坊さんはパーマかけてるよ(笑)
穏やかないいおっさんなんだよね。今度何でパーマなのか聞いとくわ。
606 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 01:48:05 ID:QOzZg7dd
出家者が坊主頭であるのは、
髪の手入れがめんどうだからでしょう。
仏像をみたらわかるように、お釈迦様は長髪のときもあった。
しかし、坊主頭にするのは慣習です。
607 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 02:01:51 ID:QOzZg7dd
>>591 涅槃寂静は四法印のひとつです。
一切が滅びた涅槃こそが真の平安であるというのは、
仏教の基本です。
欲界・色界・無色界の生死輪廻から離れ、
心と体が滅して生きることから卒業することが、
最高の平安です。
それを信じることは仏教徒として正しいと思います。
608 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/09(火) 07:05:18 ID:ANrBae5x
>602
(^。^)ふははははは♪
よく気が付いたね、明智くん!(笑)
>>603 確かに宗派で拠って立つ立場が違いそうだから、仏教とひとくくりにしても話が通じないかもしれないね。
日本の浄土宗系の人々には法然の言葉が解決の糸口になるだろうけれど、
法然の考え方を認めない宗派の人々にとっては、そういうことを言われても何の慰みにもならないだろう。
やっぱり、自分で独自に経を入手して読んだりするだけじゃなくて、
仏教の実践として僧(僧団)と共にあって、僧に諮るということも大事なんじゃないかな。
逆にそうして僧を遍歴して自分が共に生きるべき宗派を見出してもいいと思うし、それは仏教以外だっていいと思う。
610 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 12:12:15 ID:gZux/VnW
>>603 仏教の源流を突き止めれば問題は解決します。支流や末流、亜流に
惑わされないことが肝要です。
お前ら本気で仏教を学びたいならサンスクリット語を読めるようになってから原典にかなり近い著書を読めよ
612 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 13:46:00 ID:/Ql+i1lK
詳しくしらんのだけど、サンスクリットとして書き記されたのってずっと後世の事じゃないの?
釈迦自体は東インドの土着語で説教して、教えもそれで暗記暗唱されてたとか。
それと、「原典」ってどういうものを指して言うのだろうか。
もちサンスクリット語を読める人はスゲーと思います。
>>605 パンチパーマならある意味坊主よりも仏教っぽいかもw
サンスクリット……。アシュバの格変化を覚えさせられたっけ……
615 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 18:23:01 ID:MzVh301K
「この世界は何と美しく、人間の命は何と甘美なものなのだろう」
お釈迦様の最晩年の言葉だそうです。
諸行無常も一切皆苦も踏まえた上で、お釈迦様が遺された言葉。
私も及ばずながらお釈迦様の境地に一歩でも近づけるように頑張りたいと思います。
厭世観や虚無感に陥ることなく。何故ならば、私という人間の寿命が、私の計らい
を超えたものなのだから。
616 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 19:38:21 ID:CKaw6nAp
>>615 つべこべ言ってないで、正しい禅定に励め。
私はサンスクリット語を読めますアピール
620 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 22:24:01 ID:KoVUCwLB
「おぼうさんどっとこむ」
で葬式頼めば、お布施30万と聞きましたが、
宗派は関係ないでしょうか?
621 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 22:32:24 ID:KoVUCwLB
「おぼうさんどっとこむ」
がんばれ
622 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 22:45:19 ID:KoVUCwLB
「おぼうさんどっとこむ」
お布施96000円!
価格破壊。
623 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 23:56:20 ID:4C8kevc6
624 :
神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 23:59:35 ID:4C8kevc6
>>622 それが価格破壊と言われることに、
さすが都会と思った。
625 :
神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 06:28:17 ID:VBJ6v2qr
この承狂とやら なかなかどうして上手い喩えをいいおるわい
>>536 以前からクサイ奴だとにらんでいたんだ
お寺のお布施についての質問です。
ここでいいのでしょうか?
628 :
627:2009/06/19(金) 09:13:42 ID:WP/n/nM6
よそに行きます。
629 :
神も仏も名無しさん:2009/06/21(日) 07:58:39 ID:5nYIhZhe
>>591 論理的に正しいです。一切皆苦を突き詰めるとそういうことになります。
人生にしろなんにしろ生は苦であるというのが苦諦ですから。
そしてあなたのように生が苦であると理解したことを出離とか厭離とかいいます。
仏教に入る門です。
ただ仏教は一切皆苦だからといって、全てに過激に否定的ではありません。
ここがジャイナと違うところです。
そして人生を生きる意味は、この苦から解脱するチャンスを得ていることにあります。
仏教を修行できる人生以外に苦から逃れる方法はないと説くからです。
だからこそ人身は得難しと説かれます。誤解される自灯明も本来その意味です。
>591
あるがままで良いのではないでしょうか。
在家で全ての欲を絶ち切るのも無理でしょうし、お釈迦様は一般の人に対して、そこまで要求してないと思います。
631 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 09:03:35 ID:Zx7re62/
将来の夢も妄想に入り、捨てるべきものですよね?
632 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 11:33:46 ID:dW4Kb8xE
>>631 そうです。ですけど、一人であんまりシリアスにやると逆効果になりがちです。
優れた師について学ぶべきです。仏教は。
633 :
神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 14:53:22 ID:fYKP8e8e
>>532 ある地域の植物を、他の地域に移植すると二、三年もたった頃には、
新しい地域に順応して見た目も変化します。
オランダのチューリップを日本に移植すれば二、三年の後には日本的チューリップが出来上がるということです。
同じく仏教が日本に伝来して以降、日本の風土で仏教は育つわけですから、
インドと同じ発展をするわけにはいきません。
ただ根底には仏陀の悟りから始まった流れを同じく保持しているのではないでしょうか。
鈴木大拙の代表作「日本的霊性」を参考にしました。
634 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 14:38:34 ID:HqulbGlV
良忍 1073年 - 1132年
法然 1133年 - 1212年
親鸞 1173年 - 1263年
一遍 1239年 - 1289年
上の阿弥陀念仏の4人に興味があるのですが、
法然が生まれる前に生涯を終えている良忍という人が
日本の開祖ではないのでしょうか?
635 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 14:48:04 ID:ij0Yx+ti
>>634 良忍さんは、融通念仏宗という華厳経に基づく教えを感得された方です。
ですが、あまり後継者に恵まれず。その伝統は細々とした流れです。
法然さんは、選択念仏ということで菩提行、普賢行などを捨てて
念仏のみを衆生のために方便として選択された方です。
この法然さんに従う人が沢山でました親鸞さんも一遍さんもその流れです。
ですから、法然さんが日本浄土の開祖と言われるのです。
636 :
634:2009/06/30(火) 16:45:52 ID:0njSAzb6
>>635 有り難うございました。
>華厳経に基づく教え
という事は、良忍の念仏は阿弥陀仏に限らないという意味になるのですか?
融通念仏宗における称名念仏は「南無阿弥陀仏」ではないのですか?
もし融通念仏宗の念仏の文句を御存知でしたら、ご教授ねがいます。
637 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 17:16:06 ID:ij0Yx+ti
>>636 現代の融通念仏宗は「南無阿弥陀仏」ですね。昔は確認してません。
そして、「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行
十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満 南無阿弥陀仏」と唱えます。
これが阿弥陀仏から伝授された教えを簡潔に纏めた偈頌です。
638 :
神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 17:24:23 ID:0njSAzb6
有り難うございました。
今は「南無阿弥陀仏」なんですね。
日本人特有なのかもしれませんが、
華厳経→華厳宗(東大寺)→毘盧遮那仏(奈良の大仏)という連想が働いてしまいます。
良忍という人物を勉強したいと思いました。
極楽浄土の方角はどうして「 西 」なんですか????
640 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 15:05:52 ID:1m4Pxzmi
>>639 西方浄土だからです。東方浄土などもあります。
641 :
神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 18:02:12 ID:bo6n00k+
仏教が発祥し発展したのはインドの北東部で
ヒマラヤ山脈は西方向に当たります
「山の向こう」に何かを希求する気持ちは万国共通と申せましょう
642 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 01:35:59 ID:u1VJaGVd
>>641 ではアシュク仏の浄土はなぜ東方ですか。東西南北上下、各浄土を一括して
説明できるような明快な理屈が提示されるべきです。
643 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 02:48:40 ID:nsjpMphI
>>642 そもそも理屈などない。
単なる割り当てだから。
しかし、阿弥陀経では、東方にアシュクビ仏がいらっしゃると書いてある。
それをそのまま信じるなら、
実際に東方(つまり、我々のシャバ世界から見て、阿弥陀仏の浄土と反対方向)
にいるんだから、理屈も何もない。
九州から見て東に東京があることは事実であり、
「なぜ東京は九州の東にあるのか、理屈を説明せよ」
と言われても、実際そういう位置関係で存在してるんだから仕方ない。
阿弥陀経で考えるなら、お釈迦様が、
「ここから見て東の方向にアシュクビ仏がいる。」
と言ったことになっている。
地球の自転・公転を考えると、
たまたまその話をした瞬間には東方向だっただけかもしれない。
「永遠に東方向にありつづける」とはお経に書いてないから。
「ほら、西の空を見てごらん、太陽が見えるよ」
と誰かが言ったとする。
それは、たまたまそのときが夕方だったから西に太陽があっただけで、
太陽がいつでも西にあると言ったわけではない。
どっちの方角でもいいやん
645 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 20:30:59 ID:OgPrKw7O
昨日、図書館で親鸞聖人和讃集読んでたら
聖徳太子和讃に、太子印度に・・・とかあったんですけど
親鸞聖人在世時からインドの事を印度って呼んでたの?
646 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 20:47:01 ID:958CdBAA
647 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 21:03:26 ID:tzLgvcpA
>>645 以下のように昔から印度とシナ人は書いてました。
中印度=天竺<三>とあるのは一部の写本に「印度」が「天竺」と書かれているという意味です。
佛説須達經 (No. 0073) 0879a10 - 0879a10: 蕭齊中印度三藏求那毗地譯
中印度=天竺<三>
分別善惡報應經 (No. 0081) 0895b27 - 0895b29: 西天中印度惹爛駄囉國密林寺三藏明教大師賜紫沙
佛説月光菩薩經 (No. 0166) 0406b29 - 0407c06: 日先欲入滅於過去世北印度内有一大城名曰賢石長
法集要頌經 (No. 0213) 0777a05 - 0777a05: 西天中印度惹爛駄
仁王護國般若波羅蜜多經 (No. 0246) 0834b06 - 0834b13: 海影與形對勤將歳深妙印度之聲明洞中華之韻曲甘
佛説聖佛母小字般若波羅蜜經 (No. 0258) 0852c26 - 0852c27: 西天中印度惹爛馱羅國密林寺三藏賜紫沙門臣天息
佛説十地經 (No. 0287) 0535a25 - 0535a27: 大唐國僧法界從中印度持此梵本請于闐三藏沙門尸
大方廣總持寶光明經 (No. 0299) 0884b05 - 0884b07: 西天中印度摩伽陀國那爛陀寺傳教大師三藏賜紫沙
發覺淨身心經 (No. 0327) 0043b12 - 0043b12: 隋北印度健陀羅國三藏 [
佛説大乘日子王所問經 (No. 0333) 0072b17 - 0072b17: 西天中印度摩伽陀國
勝鬘師子吼一乘大方便方廣經 (No. 0353) 0217a05 - 0217a05: 宋中印度三藏求那跋陀羅譯
648 :
神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 21:15:12 ID:OgPrKw7O
ご丁寧に参考資料まで出してくださり
ありがとうございました
649 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 07:34:29 ID:nJvvbzhJ
650 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 11:29:06 ID:JtQ6oVfd
>>639 よく考えてみてください。
この世に西ではない所があるでしょうか?
別に東でも南でも北でもいいと思う
感覚的には上(天)なオイラなのである…
先生!こんなオイラでも極楽に行けますか?
653 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 22:51:47 ID:JtQ6oVfd
>>652 「地」に足がついてこそ「天」を見上げることが出来る
654 :
神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 23:15:29 ID:+MJRzi1y
>>652 他を傷つけず優しくすればいけるでしょう。
動機と行為次第です。
655 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 09:00:54 ID:zYrtPpyI
>>647 (No. 0073) 0879a10 - 0879a10: とかその数字は何ですか。その種の資料は
ネット上ですぐに探し出せることになっているんですか。
656 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 09:33:16 ID:gQTWIliA
657 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 11:44:58 ID:QbxEkXWY
仏教でいう神様とはどなた様でしょうか?
658 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 12:04:47 ID:gQTWIliA
>>657 唯一無二の創造主という意味の神なら、仏教は認めません。
そうでなく、人間よりも徳の高い存在という意味の神でしたら、
梵天、インドラから始まって土地神に至るめで認めていて数限りありません。
つまり、世間で認められている神をそのまま認めているということです。
659 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 13:29:30 ID:QbxEkXWY
>>658 イエスキリストを神と認めているのですか?
仏陀は神様ではないのでしょうか?
660 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 14:12:42 ID:gQTWIliA
>>659 >イエスキリストを神と認めているのですか?
ですから、唯一無二の創造主とは認めません。
>仏陀は神様ではないのでしょうか?
違います。神々を超えた方です。
661 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 14:14:28 ID:QbxEkXWY
仏陀はいつ生まれたんですか?
662 :
神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 14:24:59 ID:gQTWIliA
>>657 仏教でいう神様とは、天、天人(デーヴァ ・deva)といいます。大きく分け欲界、色界、無色界の神々がいます。
有名な四天王天は、欲界の最下位神です。
天 (仏教)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
>>659 キリスト教の神は、欲界か色界の最上位の天でしょうね。仏教では神は、いてもいなくても、良いのです。
一神教の救済が常に神の恩寵に基づく点と相違して、仏教の救済(成仏)は、万人に開かれた道理であり、
本人の修行によるために。仏教では、神や天は、守護神・者程度の、認識でよいのです。
あらゆる神や天を、人を超えたという意味では、認めているのですが、(しかし神、天、人間も同等に輪廻の中の迷いの存在)
それら、神や天、人間を含む全存在を、超越した存在が、仏陀です。
664 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 00:35:23 ID:8kxKojGw
耳年増
665 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 17:10:37 ID:DwMLuBcc
いわゆるおシャカさまは生身の人間だった。
イエス・キリストやムハンマドが生身の人間だったのとおんなじだ。
仏教において「唯一神」になぞらえるとしたら
華厳経における毘盧遮那仏
密教における大日如来
浄土教における阿弥陀如来
このくらいだと思うが ほかにある?
毘盧遮那仏と大日如来は同一だと言われているね
667 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 19:27:02 ID:D/5oP+IP
お釈迦様と大日如来はどっちが偉いの?
大日如来は変身の術を使うから何にでもなれる
お釈迦様にもなれる
669 :
神も仏も名無しさん:2009/07/05(日) 20:03:55 ID:yzwsL9Hb
670 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/05(日) 22:54:42 ID:oxsO3+hV
>666
仏教に於ける「唯一神」的なものは、
仏法
しか無いわな。
例え仏菩薩でも、法に異背するなら切り捨てられる。
(^。^)ヤソなんぞとはラベルが違うのだよ、ラベルが♪(笑)
671 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 06:17:30 ID:oSyMxw7L
仏教の教えでは肉を食べてはいけないと聞いたのですが
肉を食べても良いという会派というか宗派というかあるのでしょうか?
やはり日本が独特なんでしょうか?僕は焼肉屋よりステーキ屋が大好きなんですが・・・
672 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 08:15:06 ID:8nM07T2W
>>671 本来、特に肉食は禁止されてません。
禁止されているのは、生き物を殺したり、殺させたり、自分のために殺されたものを食べることです。
肉に限らず植物を食べる時も、それを食べるためにどれだけ犠牲になった生き物がいるか考えて食べるようにとも言われます。
菜食を選ぶことはもちろん立派とされます。
673 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 08:27:00 ID:6Bk5B7ZT
在家の場合は肉食も普通。
出家でも、信者から施された肉を食べるのはオッケー。
日本の坊主でも、修行期間は菜食にする。
674 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 08:30:39 ID:oSyMxw7L
675 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 08:44:54 ID:8nM07T2W
>>674 そうです。律の規定ですから。
律はテーラワーダ系と、有部系、そしてシナ・日本の四分律系の三つの伝承がありますが、
基本的に違いありません。
東南アジアの仏教国の場合、
>出家でも、信者から施された肉を食べるのはオッケー。
>>673 ↑
コレは違うんでねーの?
日本でも昔は「生臭坊主」なんていう罵倒語があったし。
677 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 12:21:12 ID:6Bk5B7ZT
お釈迦様は、ある信者から布施された食べ物で
食中毒になったんだけど、
その食べものは豚肉だったという説がある。
日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老(スリランカ人の出家者)は、
お刺身を食べたことがあると言ってた。
学生のとき、留学生のベトナム人僧侶がいた。
肉を食べていた。
678 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 12:34:58 ID:6Bk5B7ZT
>676 慣習としては精進料理だけど、
戒律的には、布施された肉を食べるのは問題ないのでは。
ただ、肉を食べると体が脂肪に頼るから抵抗力がなくなると、
冬に厳しい修行をするお坊さんが言ってました。
あと、菜食だと心が攻撃的じゃなくなるというのも聞いたことがある。
だから、修行がはかどるためには、
菜食のほうがメリットがあるのかもしれませんね。
679 :
神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 13:25:04 ID:8nM07T2W
>>678 そうです。肉を食べると煩悩が強まります。
菜食にすると怒りにくくなったり、性欲が弱まったりします。
それに身体が軽い感じになります。
ですが、肉を食べないと体力が持たない人もいたりするので、
一概には言えません。生き物をなるべく傷つけないという基本に立って、
それぞれの人が適当に行動すればいいと思います。
菜食でいける人は菜食でいけばいいといった。
680 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 16:16:14 ID:5CD+QAIT
すぐキャンタマとマムコの話で盛り上がる
近所の酔っ払い親父の方がよっぽど大切
な真理を説くのは何故か考えろよ 馬鹿ども
681 :
神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 19:28:38 ID:TDBKMvB6
キャンタマとマムコの話で盛り上がってる近所の酔っ払い親父が
近所のお寺の住職だったりするんだなコレがwwwww
682 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 00:48:15 ID:y4j0bSpP
スレチかもしれませんが質問させてください。
現在、あることで少し悩んでおり、
寺院の方に悩み(人生)相談して頂けないかと思っています。
現在、滋賀県に住んで居るのですが、滋賀県内もしくは
岐阜県・愛知県・京都府までで悩み相談に応じていただける
寺院はありますか?
683 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 07:34:35 ID:93jxraYh
滋賀県、彦根、慈眼寺、でもいくか?
相談した事は無いが、
優しそうな物腰のいい坊主だな。
684 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 08:24:13 ID:dPhlrSBq
>>682 仏教テレホン相談とかも、ネットで調べればでてくると思う。
どんな悩みなのかわかりませんが。
あなたのお家の菩提寺はありますか?
「菩提寺」ってそろそろどうにかした方がいいな。
寺請制度(檀家制度)の起源を探ると、
初期の江戸幕府がキリスト教禁止を徹底させる為に、
国民監視目的で始めたのがハッキリしている。
戸籍の代わりになった事でも明らか。
封建制の名残りで、近代民主主義・信教の自由と矛盾している。
アメリカなんかだと夫がカトリックで妻がプロテスタントとか珍しくないが、
日本の女性は嫁ぎ先の菩提寺に従って仏教の宗派が変わる。
それが当り前だと思っている。
本当は全然当り前じゃない。
686 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 12:41:25 ID:dPhlrSBq
>>685 家単位ではなく、個人単位の「会員」制にすればいい。
ただ、先祖のお墓がお寺にある場合には、
それを引き継いでくれる人がいないと、寺側としては困る。
まぁ、その点は、檀家制度であっても
墓を放置する跡取りはいるから、一緒だけど。
687 :
赤レンガの季節:2009/07/10(金) 09:59:51 ID:ccO9pV2S
>>678 >>679 ストレスの少なかった昔は肉を食べないでも
良かったかもしれませんが、現代ではストレスを解消するために、脳内物質が
必要であり、その脳内物質は原料なお肉だと、読んだことがあります。
689 :
神も仏も名無しさん:2009/07/12(日) 01:39:13 ID:ev8EyBhX
オカルト板ではなくこちらにします。
ある居酒屋で扉がひとりでに開いたのです。しかも元までゆっくり。
日蓮宗の大寺の近くでママさんが「かいきょうげ」というお経を披露したので
対抗して自分は「十句観音経」と「光明真言」を披露したあとでした。
お盆が近いことと関係あるのかな?
690 :
神も仏も名無しさん:2009/07/12(日) 08:58:46 ID:KiDh4iDz
>>689 ドアは引き戸?開き戸?
開き戸なら、高確率で風や室内外の気圧差の影響。
そもそも居酒屋でお経を披露し合うというシチュエーションが
理解できないのだが。
691 :
神も仏も名無しさん:2009/07/12(日) 10:09:10 ID:ev8EyBhX
>>690 引き戸ですね。レールの滑りは悪くないです。でも、ゆっくり元まで開いたので風や振動とも思えません。
ママは風か振動と言ってますが…大寺の参道にある店で地域によって違う迎え火と送り火の話をしてたらママが経を読み始めました。
692 :
神も仏も名無しさん:2009/07/12(日) 10:20:59 ID:KiDh4iDz
>>691 引き戸が勝手に動いたのなら、確かに不思議な現象だが、
お経に原因を求めるのはどうかと思うぞ。
どうせ池上本門寺だろ
694 :
神も仏も名無しさん:2009/07/12(日) 10:30:31 ID:ev8EyBhX
695 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/12(日) 21:45:37 ID:OCRgCt52
>689
珍しくも無い話だが。
誰か供養して欲しかったんだろ。
盆は特に帰ってくる霊が多いからな。
でも、あんまり関わらない事だな。
タマにタチの悪いヤツもいるから。
(^。^)妙な気配が居着いてたら、祓うのは神社に頼めよ♪(笑)
ハゲで出来る奴は稀だ♪(笑)
696 :
神も仏も名無しさん:2009/07/12(日) 23:00:46 ID:ehACmhsK
邪教のお経が聞こえたから日蓮が怒ったんだろ常考
自我や煩悩無しで、いまの日本で自活して生きていけるだろうか?
>>697 グルになって、本を書いたり信者を集めれば充分食っていける
返答ありがとうございます。
グルにはなれそうにない。それほどの勉強もできていない。
700 :
神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 15:19:20 ID:hprP1e3j
勉強の必要なんかないんですよ
狂っていればそれで充分
幸福の科学の教祖みたいにねw
>>699 だったら煩悩があるので、日本で充分自活して生きていけます
>>702 個人の話ではなく、仏教について答えてくれるなら有り難いのに。
仏教について知りたいのですが、読むと良い文献などはありますか?
キリスト教の場合は聖書というものがありますが、仏教ではどんなものがあるの
でしょうか。
中村元 訳
『ブッダの真理のことば 感興のことば』(ダンマパダ) 岩波書店
『ブッダのことば スッタニパータ』 岩波書店
706 :
神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 23:15:51 ID:7804IaJa
>>705 本来の仏教の経典として適当な選択だと思う。
当初の仏教は、
修行をして悟って、自分の力で自分を救う宗教であった。
もし、ブッダが現代日本に降臨して、
法華経至上主義や阿弥陀一神教を見たら、
「わしゃ、こんなの全然知らない」 と言うだろうな。 (笑
708 :
神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 04:45:13 ID:xNnCD9Wi
坐禅(瞑想)となってることがありますが同じなんですか?
709 :
神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 15:50:48 ID:62HU4IEA
仏教の教義に輪廻転生が含まれているとした場合
誕生しないことが最高だということになると思うのですが
これについて仏教はどう説明してるのでしょうか?
色即是空、空即是色、、
711 :
神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 17:14:04 ID:pm4VoxFA
>>709 正にその通りです。ただ、何をしても解脱しない限り輪廻してしまうのです。
そして、解脱のためには戒を護り外的要素から心の散乱を防ぎ、悪い行為をせず、善い行為をします。
ここでいう善悪は、結果として苦を生むものが悪で、楽をもたらすものが善です。
次に禅定によって内的に心を集中させます。この心の集中がないと無我・空が体得できないからです。
最後に禅定によって心が集中した状態で、縁起などを観じ、無我・空を悟って解脱します。この解脱したという智慧が生まれ、無我・空を悟っているので、
業を作らず、現在の寿命を形成している業が尽きれば完全に涅槃に入り、
もう二度とどんな生物にも生まれません。
>>709 眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六根が
色境・声境・香境・味境・触境・法境・の六境に触れたときに
色識・声識・香識・味識・触識・法識の六識が生じます。
この、六根・六境・六識をまとめて十八界と言い、
この十八界のことを「一切」と言います。
仏教では、一切皆苦と説きます。
生きているかぎり一切と離れられませんから、
生きているかぎり苦があります。
一切皆成仏
714 :
神も仏も名無しさん:2009/07/17(金) 17:04:14 ID:aomvM9wY
>>711 解脱する方法を教えてください
禅定というのは「座禅」のことですか?
715 :
神も仏も名無しさん:2009/07/17(金) 20:04:50 ID:y3pF4S7I
>>714 >711が解脱への道の概要そのものです。戒定慧といいます。
禅定は、精神集中法です。三昧、定、シャマタ、サマタも同じことです。
坐禅も本来は同じことでしたが、禅宗の言う坐禅はちょっと違う意味が入っているように思います。
本当に解脱する方法が知りたいなら、まず優れた師を探しましょう。
ビルマ系とチベット系の仏教をお勧めします。
716 :
神も仏も名無しさん:2009/07/17(金) 21:01:02 ID:PRIsYrpA
>>714 禅定とは、精神統一、集中力の訓練により、
眼耳鼻舌身からの刺激に右往左往する心(欲界の心)から離れ、
日常の意識状態から離れることです。
717 :
神も仏も名無しさん:2009/07/17(金) 21:46:56 ID:y3pF4S7I
>>716 >日常の意識状態から離れることです。
これは縁起観を行う前提条件なので、くれぐれもこれが目的ではなく、
悟りでも解脱でもないということに注意してください。
>>714さん。
718 :
神も仏も名無しさん:2009/07/17(金) 21:56:05 ID:EgRR1DhB
>>715 ビルマ系、チベット系ではなく
原始仏教系をお勧めします。
719 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/17(金) 22:20:18 ID:p13LI41h
(^。^)いや、先ずは中論だな♪
般若の無い禅那は無意味だが、
禅那の無い般若は有意義だな♪
720 :
神も仏も名無しさん:2009/07/17(金) 22:25:46 ID:y3pF4S7I
>>718 あの〜ビルマ系がテーラワーダの中で最も原始仏教に近い伝統だと思いますし、
現代でも解脱者がかなり出ていると聞いていますが(^^)
原始仏教系とはまさかタイやスリランカのニューウェーヴ系じゃありませんよね?
721 :
神も仏も名無しさん:2009/07/17(金) 22:27:13 ID:y3pF4S7I
722 :
神も仏も名無しさん:2009/07/17(金) 22:36:40 ID:5n9fBF6N
>>715 >本当に解脱する方法が知りたいなら、まず優れた師を探しましょう。
>ビルマ系とチベット系の仏教をお勧めします。
これは、日本国内でも可能でしょうか?
それとも、やはり、ビルマやチベット・ネパール・インドに
行かねば適わないことなのでしょうか?
また、お話になれる範囲で結構ですので、師を探すに際してのアドバイスのようなものを
頂ければ幸いです。
723 :
神も仏も名無しさん:2009/07/17(金) 23:08:44 ID:y3pF4S7I
>>722 国内でも可能です。
とりあえずいろいろな方にあってみるのがいいと思います。
それと私はこれができるとか、素晴らしいなどという方は、まず遠慮して間違いないと思います。
納得できる師に出会うまでが先ず一苦労です。
724 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/17(金) 23:39:45 ID:p13LI41h
>721
b(^。^)断見派さいこー♪(笑)
>>723 門司のパゴダが、日本では大きな中心のようにも見えますが、
貴方の評価はどうですか?
一度、(9割観光気分でw)訪れてみたいと思ってはいるのですが・・・。
726 :
神も仏も名無しさん:2009/07/18(土) 00:12:39 ID:ylPEx+QP
禅定の話題が続いているので、ついでに質問させて下さい。1世紀成立の
浄土経典(阿弥陀経と無量寿経)にも禅定は説かれているのでしょうか?
>>726 禅定に無関係とはいわないが、
禅定に入る方法を具体的に説明しているわけではない。
「念仏三昧」という言葉がある。
この「三昧」とは、禅定のことです。
念仏によって禅定に入ることが念仏三昧です。
この場合の念仏とは、口で「南無阿弥陀仏」ととなえる念仏ではなく、
心を集中して阿弥陀仏や浄土のビジョンを
ありありと想い浮かべる修行です。
728 :
神も仏も名無しさん:2009/07/18(土) 00:38:31 ID:PEEjbg5U
仏教はキリストが作った宗教ですか?
729 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/18(土) 00:55:06 ID:yATM7aG7
>728
いいえ。
キリストは世界を呪い腐らせた極悪人です♪
仏教とは無関係ですね♪(笑)
730 :
神も仏も名無しさん:2009/07/18(土) 07:10:28 ID:ZsN+rvkg
>>727 念仏三昧だったら立派に自力の経典。なぜ死後の救済を説く経典として
解釈されてしまったんだろ…?
731 :
神も仏も名無しさん:2009/07/18(土) 07:14:12 ID:ZsN+rvkg
>>728 釈迦はキリストの登場よりも
さらに500年ほど早く生まれている。
732 :
神も仏も名無しさん:2009/07/18(土) 09:41:13 ID:mE0zumzh
>>725 すいません。分かりません。私は大乗系なので。
>>726 日本の念仏は、本来の意味と離れていますから、
インド的意味の念仏は、仏を念ずる、仏を思い続けることで精神集中する方法です。
>>730 「死後の救済を説く経典」という意味は本来的です。
法然上人が方便として簡単な念仏の方法を選択したことが出発点で、
自力というのは恐らく作意とか願いという意味の親鸞聖人的表現で、
他力というのは無作意とか無願という意味だと思われます。
こう考えると簡単な行法で高度な境地を目指しているとも考えられます。
実際、念仏で高度な境地に達した方が沢山いらっしゃるので、
私見は、恐らくそれほど勘違いした見方ではないと思います。
733 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 00:17:48 ID:903QWSl8
解脱しない限り輪廻転生してしまう、という思想と
浄土←→六道、の思想は
整合性が無いように感じるのですが・・・
極楽浄土に往生する事と解脱する事は同じなんですか?
734 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 05:47:43 ID:Y2TDpbta
>>733 それはただの誤解です。
極楽浄土も六道の一つです。
極楽浄土に往生する事と解脱する事は違います。
浄土思想の考え方は、この世では修行しずらいので、
極楽浄土で修行して解脱しようという考え方です。
ただし、大乗なので極楽浄土で普賢行に入ると思われます。
つまり、法蔵菩薩の十八願を自らも誓うということです。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 07:06:56 ID:0Jo7SGy6
>>733 私達の世界は修行しにくい環境なので、
まずは最高の修行環境である浄土に生まれかわって、
そこで本格的に修行して悟ろうという思想です。
736 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 12:01:04 ID:ziE3naLe
>極楽浄土も六道の一つです。
親鸞的には、念仏への信が確立されて正聚衆の位に達した行者は、
死後に極楽浄土を約束されている不退転の境地にあるので、所謂
迷いの生死輪廻を繰り返す六道とはニュアンスが異なるように思う
のですが。
737 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 12:19:14 ID:Y2TDpbta
>>736 不退転の境地にあっても普賢行であっても
浄土も輪廻の中にあることは変わりありません。
逆に浄土を永遠不滅の天国のように考えるのは邪見に他なりません。
738 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:16:19 ID:ziE3naLe
仏教の真理に暗い状態→無明の六道輪廻と正聚衆(不退転・等覚)位と
迷いの生死を繰り返すサムサーラ=輪廻とは異なるのではないか、という
ことです。何もかもひとからげに輪廻で括るのは如何なものかと。
>逆に浄土を永遠不滅の天国のように考えるのは邪見に他なりません。
逆に、還相廻向まで考えれば、浄土が永遠不滅・恒常不変の天国である
などとは、最初から考えられないのは言わずもがなです。
>>738 浄土は、六道輪廻の最終学年。
まだ輪廻を卒業していないけど、卒業間近です。
ただ、六道は、欲界・色界無色界の三界でいうと欲界の世界のはず。
お経の内容から見ると、極楽浄土はもしかしたら、
欲界を超えた色界かもしれません。
だとしたら、極楽浄土は六道の中にはないかも。
欲界は、色声香味触の刺激に左右される世界。
色界は、禅定の世界であり、物質もある世界ですが、
しかし、色声香味触の物質的な刺激には右往左往しません。
無色界は、色界からさらに禅定が深まった世界で、
物質がなくなり精神だけの世界です。
極楽浄土には物質がありますが、しかし、
極楽浄土の菩薩達は、常に禅定状態であり、
色声香味触の刺激に執着していないと思います。
740 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:43:23 ID:0Jo7SGy6
>>736 天や人は六道ですよね。
極楽浄土には、天と人がいるはずです。
地獄・餓鬼・畜生は無い(無三悪趣)ですが。
741 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:48:52 ID:0Jo7SGy6
>>733 解脱しないかぎり輪廻してしまいます。
だから、修行しやすい浄土に行って阿弥陀仏のもとで修行して、
確実に解脱しましょうというのが、浄土教です。
極楽浄土に生まれた者は寿命がたっぷりあるから、
解脱するまで修行する時間はたっぷりあります。
742 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:57:06 ID:qWnDmzGp
基本的に大乗が理解出来てる?菩薩は輪廻を恐れず、生死を厭わず、永遠に菩薩の道を歩む者…地獄へも喜んで衆生救済のため墜ちるし、浄土においても、いささかも喜ばない。「普賢行」は大乗最高の修行である。
743 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:59:22 ID:qWnDmzGp
ゆえに早く、大いなる悲心を起こし、普賢菩薩のごとく行ずべし。仏子よ…
744 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:12:35 ID:ziE3naLe
>>739 >極楽浄土の菩薩達は、常に禅定状態であり、
>色声香味触の刺激に執着していないと思います。
色声香味触に執着しないまま、しかし廻向のためにはそれを活かすということですね。
>>740 >天や人は六道ですよね。
>極楽浄土には、天と人がいるはずです。
六欲天も人も縁起せる有情でしょう。
いつまでもその世界に留まるわけではないでしょう。
745 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 19:27:10 ID:DBptbXFY
>>741 極楽まで行ってしまうと、あまりにも安楽なため
もう修行する気が起こらないんじゃないすか。
746 :
析空:2009/07/19(日) 19:58:05 ID:s6RECVLk
>>742 基本的に大乗を理解出来ている?
大乗なんてでっちあげの仏教だって。
菩薩なんて居ないんだよ。
みんな妄想なのさ。
釈尊の教えではない。
747 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 20:17:23 ID:Y2TDpbta
>>746 なるほどハンドルに違わぬ見解で、
我々は体空なんで、菩薩も成就者も幻のように沢山みえますね。
釈尊の教えではないかもしれないけれど、ブッダの教えですね。
でっちあげではなくそういう縁起なんです。
縁起なんだから、それぞれの機根によって現れが異なることも析空では理解できないかもしれませんが。
748 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 22:33:11 ID:0Jo7SGy6
>>745 むしろ、仏道以外への興味がなくなるのでは。
仏教のすばらしさを心底味わうわけだし。
衣食住には困らないし、性別の違いがないから恋愛もない。
自分と他者を区別する感覚さえもなく、
みーんな同じ姿形になります。
749 :
神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 22:41:34 ID:qWnDmzGp
じゃあ上座が仏教だとでも?笑わせんな、殺すぞあほんだら!35口径でドタマふっ飛ばしたらぁ、ハハハ
大乗非仏説うんぬんは現在では釈迦の本懐を説いているモノは全て仏教
っつーのが通説じゃねえの
釈迦の直接の教えしか仏教じゃないっつーなら
釈尊在命中の原始仏教だけが仏教っつーことになる。
阿含も釈迦に一番近いと言われているけど
釈迦の直接の説法じゃなく阿難の主観がはいってたりするしね
751 :
神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 12:35:46 ID:k7WMCMS6
非仏説であっても、内容が正しいならば問題ない。
752 :
神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 23:11:25 ID:ByTPD9du
昨年から月に1-2冊ずつ岩波文庫の仏教書を読み出している初心者です。
中村氏訳の『ブッダのことば』から始めて、『法華経』『浄土三部経』等と進めてきまして、
いま『正法眼蔵』を読んでいるのですが、難解な語句が多く殆ど読めていません。
幾らか参考になるかと『碧巌録』を手に取りましたが、こちらにも参考書が必要のようでした・・・。
これまでは訳注や解説をチェックして後日ネットで調べていましたが、
今回1冊購入しようと思いまして、皆さんお薦めの辞典を教えて頂きたいです。
参考書の類もお薦めの物がありましたら、宜しくお願いします。
753 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 02:37:00 ID:V3dmEt5x
>>752 私は「岩波仏教辞典」と「仏教要語の基礎知識」
を愛用しています。
アビダルマ仏教のメジャーな学派の資料は多数あるのですが、
正量部や制多山部といった少しマイナーな学派を
掘られている資料は『異部宗輪論』以外で何かありませんか?
チベット、中国以外の言語だと助かります。
アホらし
>>752 読み進めてきて興味があるのは、
「日本仏教」?「中国仏教」?「上座部」?「インド仏教」?「中国禅」?「日本禅」?
それによって若干変わってくるとオモ。(特に参考書は・・。)
総合辞書としては、岩波の辞書が(比較的w)安くて無難だとは思うけど・・。
禅宗や正法眼蔵なら、かなり高い(\25,000-)けどw、
駒大の研究室で出してる「禅学大辞典」が、細かいし、関連としては向いてるかもしれない・・。
757 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 22:47:43 ID:IiEWco8Y
全く何も無いところから、突然何も生まれない。
もし、それが突然現れるなら、それは神の業。
物事には必ず始まりがある。
宇宙は壮大。こんなもの人間がつくれるわけが無い。
死んで終わりなら、生まれてくる意味はない。
死後の世界は必ず存在する。
人がつくった教えは、所詮人がつくったもの。人は必ず死ぬ。
⇒よって、人を救えない。
いいことをしたから天国というわけではない。
いいことの基準って何だ?
神を信じたものが天国にいける。
その神は唯一。
あっらー・あくばる !
759 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:29:29 ID:bUDfAAEx
>>757 >全く何も無いところから、突然何も生まれない。
そう。だから、縁起。
>もし、それが突然現れるなら、それは神の業。
縁起であって神の業ではない。全能の神がいるなら、なぜ斯くも我々は苦しむのか?
全能の神なら、世界を全て完全無欠にするはず。
>物事には必ず始まりがある。
では、神の始まりは何か? 神は物事ではないのか?
それとも、神だけは例外なのか?
>宇宙は壮大。こんなもの人間がつくれるわけが無い。
誰も人間が作ったとは思わない。
760 :
神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:32:19 ID:bUDfAAEx
>死んで終わりなら、生まれてくる意味はない。
>死後の世界は必ず存在する。
生まれてくる意味があるなら、全能の神は何故、生まれるものに
完全な生を与えないのか?
>人がつくった教えは、所詮人がつくったもの。人は必ず死ぬ。
>⇒よって、人を救えない。
釈尊の教えは作ったものでなく発見したもの、
しかも、多くの人が教え通りに楽になった。
>いいことをしたから天国というわけではない。
>いいことの基準って何だ?
楽をもたらす行為、それが善。具体的には他を害さず楽を与えること。
>神を信じたものが天国にいける。
なんで、信じられるのか?
>その神は唯一。
これまたなんで信じられるのか?
セム系の神が唯一ならユダヤ、キリスト、イスラムで争うのは何故か?
それぞれの中にも分派があって、互いに争うのは何故か?
761 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 07:14:51 ID:GqxSmS3j
どこからどこまでが仏教なの?
仏教の定義ってなに?
762 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 08:02:14 ID:5JhjO60K
>>761 仏教とは、
一、ブッダ(仏)が説いた教え
二、仏に成る(悟る)ための教え
三、上記から派生して、仏教教団(僧団)が説いている教え
763 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 08:22:35 ID:0RhAwvE4
神の始まり?
神が誰かにつくられたのであれば、それは神ではない。
すべてのものをつくったのが神であり、最初からずっと存在している。
神は我らに自由意思を与えた。
神を信じるのも、信じないのも人間次第。
全世界を司っているが、人間の自由意志を尊重している。
全世界を完全無欠にすることはできる力は当然ある。
宇宙、自然を創造したのだから。
いろいろと神があって、争っているみたいだが、
それは人間が勝手に解釈して作り挙げた、神の理想像である。
仏教入門本でお勧めを教えて下さい。
私は、現代の日本の仏教が嫌いです。
仏教について何も教えてくれないくせに、法事だとか49日だとかで金ばっかり取る。
念仏を唱えるのも意味がわかりません。誰に唱えているのでしょうか?
死体が聞き取れるはずもなく、聞けたところで意味もわからないでしょう。
後ろで聞いてる方も意味不明です。
金をたくさん出した人は、上等な戒名になるというのも、資本主義的で嫌です。
こんな私でも、面白い本はないでしょうか?
765 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 08:57:51 ID:0RhAwvE4
仏教を信仰しても、なんの救いも得られない。
766 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 09:14:49 ID:dJ+U7sxp
>>764 1.古坂紘一『宗教史地図 仏教』最も簡明で最も広範な仏教通史、しかも地図が豊富で、インドおよび日本については優れた知見を盛り込んでいる。
2.水野弘元『仏教要語の基礎知識』日本人学者で最も権威の高い著者が、原始仏教を中心に記述したもの、簡明でありながら見解も高い。索引が充実しているので辞典としても使用できる。
3.パユットー『仏法』タイの高僧が書いたテーラワーダ仏教入門書。優れているが、翻訳がもう一つなのが惜しまれる。
4.ダライラマ『智慧の眼をひらく』チベットの高僧が書いた大乗仏教入門書。本来、チベット語から訳すべきなのだが、英語からの重訳なのが惜しまれる。
5.鎌田茂雄訳『八宗綱要』日本仏教の優れた入門書。他から丸写しの書き下しやフリガナは信用できるが、訳註は信用できない。余裕があれば平川彰訳の同書を薦めるが、そちらはもはや入門書の域を超えているかもしれない。
6.片山一良『パーリ仏教入門』日本の学者が書いたテーラワーダ仏教入門書。大乗仏教との対比がなされていて優れている。
7.石飛道子『ブッダの優しい論理学』縁起が論理的に明解で非常に読みやすく書かれている。ほとんどなんの予備知識も必要ないように工夫されていてすばらしい。
8.末木文美士『日本仏教史』思想史的に書かれた簡明なもの。
7.が最も簡明で始めに読むべきかもしれないが、体系的でない憾みがある。
1.を始めに読むべきだろうが、それでも難しいかもしれない。
その場合、記述に問題があるが最も分かりやすい『岩波仏教辞典』を備えて読むのがいいかもしれない。『仏教学辞典』の方が安心して信頼できる伝統的な記述になっているが若干読みにくいと思われる。
2, 3, 4, 6 の内いずれか一冊と1.を交互に三回ぐらい読めばだいたい基本的な知識は得られると思われる。
そのあとで5, 8を読んだり、
『新訳仏教聖典』山口益訳『仏教聖典』などの経典のアンソロジーを読むのがよいと思う。
767 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 09:23:06 ID:dJ+U7sxp
>>765 たくさん救われてますよ。証拠もあがっています。
多くの解脱者がいます。現代でもビルマ系やチベット系でたくさんいます。
また、最近は西洋でも仏教が苦を除く効果があることが受け入れられ、
大学やワークショップ、企業でも仏教の方法を取り入れている所が多いそうです。
苦しみの原因である我意識、欲望を認識し、
それを監視し解放することで他人にも自分にも優しい関係が作り出せ、
世俗的な苦を除くことができるので。
もちろん、解脱や悟りを望む人にはそれに合った方法が示されます。
>>766 ありがとう。とりあえず、7を読んでみるね。
2週間ぐらいはスレを閉じないので、他にもお勧めがあったら教えて下さい。
769 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 09:39:42 ID:0RhAwvE4
>>767 救われるの意味を、苦からの解放と考えているんですね。
死からの解決を求めなければ、意味がない。
苦からの解放は生きている間の話。
死んでからのことを考えることが重要。
そこで輪廻転生ですよ
俺は今度は女に生まれたい
女性は逆の事を望むんだろうな
771 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 09:52:18 ID:dJ+U7sxp
>>768 7.も名著なので3回ぐらい読んでください。とっても読みやすいです。
>>769 キリスト教の人なんでしょうが、ここで布教するなら、
せめて
>>766に書かれた内容ぐらい正確に把握してからにしてくださいね。
死んでからの救いは、解脱や悟りに綺麗に収まってます。
歴史的に明らかなように仏教は最も整然とした論理体系を持った道なので、
キリスト教内部の論理は全く通じません。
772 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 12:26:09 ID:5JhjO60K
>>764 あなたが仏教に多少なりとも興味をもてたのは、
日本の仏教が堕落しつつも滅びずに残っていたからでしょう。
韓国みたいにキリスト教のほうが多くなったりしていないから。
そういう意味で、日本に伝統仏教が
生き残っているという点については、
敬意を払いたいです。
773 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 13:49:35 ID:0RhAwvE4
>>771 解脱とか悟りとかよくわからんが・・・
悟った気になっているだけでは?
仏像ってつくる意味ない。人がつくった像が人を救えるわけがない。
実際に、見える形で像をつくって、それを拝む。
じゃあ、目に見えないものの存在は認めないの。
仏教について、いろいろ思案したけど、納得できない。
そういう、あんたは他の宗教とかそういうもんすべてを研究して、
仏教が正しいという結論に至ったのか?
空気とか、目に見えないものの方が大切。
>>773 仏像は、尊敬する仏のお姿を表現してるだけであり、
像自体はただの物体です。
お釈迦様の写真があるなら仏壇に写真を飾るところでしょうが、
残念ながら2500年前には写真がなかったから。
775 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 20:07:31 ID:nE/yXqTh
ブッダ自身は個人崇拝も偶像崇拝もいましめていたんだけどね
ガンダーラ以前は仏像なんか無くて、ブッダは車輪とかで表現されていた
ムハンマドの像が禁じられているのとほとんど一緒だった
私は、偶像崇拝も嫌いです。
形式主義と権威主義の複合だと思う。
宗教芸術としての仏像ならいいと思いますが、仏像を見たら条件反射のように「なんまいだー」って拝むのは
ばかげてる。
777 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:46:02 ID:E7zITpQK
>>763 >すべてのものをつくったのが神であり、最初からずっと存在している。
すべてのものをつくったのが神であるなら、神は神自身をつくったという
ことになりますね。もしも神がすべてのうちに含まれないとするなら、その
時点で「すべて」ではなくなってしまうので。よって、神が存在するのは、
最初からではなく、神が自らをつくった時からであり、自らをつくる以前は存在
できないことになる。またこの論理で考えるなら、神は唯一でもなくなる。
778 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/24(金) 21:53:26 ID:EfAqAdyP
偶像崇拝などというバカげた行為は、腐れヤソの妄想に過ぎません。
古今東西、人類史上に於いて偶像を崇拝したなどという人は一人として存在しません。
(^。^)つーか、ヤソならココモの質問箱に行けよな♪(笑)
779 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 23:11:08 ID:0RhAwvE4
>>777 最初って言う言い方がまずかったかな?
天地を創造したのは、神だけど・・・
神が神自身をつくるって意味わかりません。
神が神自身をつくる理由は無い。
人間には到底理解できない領域。
最初というか、永遠の昔からずっと存在しているのが神。
天地創造には始まりがあるが、神にははじまりも終わりもない、
存在は永遠。
神が複数いるなんておかしい。太陽の神とかか。
その自然すべてをつくったのが神なんだから。
780 :
神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 23:31:08 ID:JOy7p5Il
>>779 マリアをレイプしていない神とマリアをレイプした神。両神は別もの。
それだけでも神は2種類。
781 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/25(土) 00:02:12 ID:0crJYuyC
ふと思ったんだがな。
唯一神って奴は、人を作った訳だよな。
その作ったモノをレイプしたって事わだ。
(-_-;)手製ダッチワイフでハァハァした変態と同レベルだよな?
782 :
神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 01:25:42 ID:GS0I8g+2
>>779 >神が神自身をつくる理由は無い。
>人間には到底理解できない領域。
神がご自身をつくることができないなら、それは神の万能を否定することになる。
また、人間には到底理解できない領域といいながら、神が神自身をつくる理由は無いと
断定的に理解するのも矛盾している。
783 :
神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 09:31:47 ID:/TaZD1Go
>>782 神が神自身をつくるって・・・
何もないところから、どういう意図が生まれて、自分を創るんだ?
神が「私を創ろう!」って考えた時点、神が存在していることになるよな?
そしたら、始まりとか関係ないよな?
神は目に見えないので、神を創るの定義というか、目に見えない神が
創られる瞬間って何だ?
目に見えないのに、(永遠の昔から存在していて、始まりも何もないのに)
創られるって意味が理解できません!
「神が神自身を創る」というのは、確かに「言葉として」矛盾している。
言葉の段階で明晰でない質問には答える必要ないよ。
785 :
だいおう:2009/07/25(土) 15:58:41 ID:boGin3t7
ショウキョウがクリスレで正義を語る仏教のアホウなら、ここに来る、クリもアホウ、
ガラテヤ書の霊と肉の区別を分別してから、こいや。
786 :
神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 22:21:01 ID:545s7Nek
>>779 ムハンマドが説く神とキリスト教会が説く神は異なってますが、そのあたりは
どのようにご説明で?
カラテヤ人への手紙 第3章
1 ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に
あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。
2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは
律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが
いま肉によって完成されるというのですか。
4 あなたがたがあれほどのことを経験したのは、むだだったのでしょうか。
万が一にもそんなことはないでしょうが。
5 とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は
あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。
それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。
6 アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。
7 ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
8 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので
アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。
9 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。
http://spgh-galatians.blogspot.com/
789 :
析空:2009/08/01(土) 21:25:25 ID:JW1txayZ
>>779 神が宇宙を創造したのなら、その時、神は何処にいたのかな?
神が「すべてを創造した」のなら、その中に神は含まれないのかな?
神は「すべて」では無かったか?
アルファでありオメガである。
創世記 第1章
1 初めに、神が天と地を創造した。
2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、
神の霊は水の上を動いていた。
3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
4 神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。
ヨハネ 第1章
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった
793 :
神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 21:50:30 ID:Cl++b0aF
神は神以外のものすべてを創造した。
神が誰かによってつくられたのなら、それは神とは言えない。
永遠の昔から存在し、今も生きている。目には見えない存在。
仏教の神は、神じゃない。
794 :
神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 21:59:29 ID:9vSoW1nM
795 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/08/02(日) 23:25:45 ID:oNOj54qE
>793
何者かが全てを創造したならば、その何者かは、この三千世界を越える質量とエネルギーを内包しなくてはならない。
ソレが存在する空間すら創造したとするなら、創造する以前にソレは存在しなかった事になる。
存在しないモノが、三千世界を越える質量とエネルギーを内包する事は出来ない。
∴ソレは存在しない。
以上。
796 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 00:28:53 ID:amEhOeIY
>>790 赤ちゃんが、自分の世界・概念を構築してゆく過程を表している。
母親の羊水に浮かんでいたのが、外に生まれ出て、
まずまぶしい光を受けた。
そこから、成長した赤ちゃん(神)は、
少しずつ、世界のものごとを言葉でとらえ、
概念を創造してゆく。
やがて、赤ちゃん(神)は、自分に似たものを創造する。
すなわち、人間という存在を分別・認識し、
概念化するようになる。
当然、赤ちゃんにとって最も身近な人間は、両親である。
だから、神(赤ちゃん)が最初に創った人間は、
アダムとイヴという男女のペアである。
つまり、神とは、赤ちゃんのころの私達自身。
赤ちゃんだった私達が、世界を少しずつ認識し、
概念を構築していくことが、創造。
797 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 02:47:46 ID:hoUCHftD
>>798 アホですか。赤ちゃんは、生まれた瞬間から、誰にも教わらないのに「現実と
空想」との区別が出来、母親の「現実の」オッパイにしゃぶりついて、生きよ
うとする。どの動物でも同じ。
宗教信者は、赤ちゃんとは異なり、宗教から「架空の神や霊」などの実在を
信じ込ませられるから、「現実と空想」との区別ができない。宗教故に、赤ち
ゃんに比べて、大幅に退化している。赤ちゃんにとっては、「現実のオッパイ」
「現実の母親」が神であり、宗教者のような「架空の、空想上の神」ではない。
798 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 07:42:46 ID:F8C0G+sk
仏教は、なんの救いも得られない。
仏教信者は、目に見えるものを重視。
神は神よってつくられたと意味不明なことを連発。
神は、永遠の昔から存在。はじまりなんてない。
神がずっと昔から存在、ある時に天と地を創造した。
>>798 神が赤ちゃんのときの自分自身であるから、
自分の物心がついたときには、もう世界はできている。
全治全能の神などいない。
赤ちゃんが赤ちゃんじゃなくなって物心がついたときに、
気がついたら世界はできていた。
800 :
永遠のナンバー2 御坂くん:2009/08/03(月) 12:46:25 ID:RZTt/Xbg
デジャヴュ
801 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 13:27:47 ID:RZTt/Xbg
アメスピを一本吸うたびに、なぜか意識は鵠沼海岸に
802 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 16:47:07 ID:F8C0G+sk
神が赤ちゃんってアホか?
神は成人も赤ちゃんもないわ。
どっちかっていったら、成人の要素が強いか?
低次元の考えだな!!!!!
無知は困る。
803 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 22:28:07 ID:GxhJLNbR
一神教信者がまぎれ込んでおりますな
仏教の神、とか言ってる馬鹿がいましたが
仏教に神の概念はございません
あしからず
804 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/08/03(月) 22:32:54 ID:xG+dLiDV
>803
梵天とか大黒天とか無数に居ますが、何か?
805 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 22:44:48 ID:GxhJLNbR
>>804 在来宗教との混合にゴータマ・シッダールタは関与しておりません
806 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/08/03(月) 22:50:45 ID:xG+dLiDV
>805
つまり、神々の名を一度たりとも称えなかったと断言する訳だな?
(^。^)坊主、お前幾つだ?(笑)
見てきた様な嘘を言うなや。(笑)
807 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 23:10:52 ID:c64YHgwm
神を創造したのは誰か?はブラフマン遍在説で良しとしても、一番疑問なのは、誰が一乗最初に悟ってか?が問題。お釈迦の師匠はディーパンカラっしょ?で、この方は大通智勝仏の16人の息子の一人。では大通智勝仏の師匠は誰だったの?
808 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 23:17:06 ID:c64YHgwm
「そもそも世界は寂滅にして平安」ならそこから、意図的にファーストブッダが出現したとしか思えない。はじまりとて無い久遠の過去、無限の未来。お釈迦でさえ四阿僧祇十万劫修行で、やっとこさ悟ったなら、俺たちにも希望はあるな…
809 :
神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 00:00:55 ID:F8C0G+sk
インド神話によりますと お釈迦様はヴィシュヌ神の第9番目の化身です。
このヴィシュヌ神は 地上が飢饉、災害、争いごとなどで
人々が困っていると 自分の化身を地上に送って人々の救済に当たらせます。
その化身の神様達のほとんどは力が強くて、聡明で特に弓術に秀でています。
それなのに何故か お釈迦様だけは 異なります。
お釈迦様に関しては 力持ちだったとか、弓が上手だったとかの記述がありません。
むしろ精神世界に深く関わった人としての印象が強いですね。
ヴィシュヌ神も 力でいくら悪人をやっつけても らちがあかないと思ったのでしょうか?
それで人の心に触れて改心させる方法をとろうと考えたのでしょうか?
この兆しはお釈迦様が出る前から少しずつあって
当時のお釈迦様が最も多く口にされたと言う 法を敬え、
悪い行いはするな、良い行いをしなさい・・・などは
すでに広く言われていた言葉だったようです。
そして それこそがお釈迦様の教えの原点であり
全てなのではなかったのかと思います・・・・・
現代に見られる仏教の姿を見たらお釈迦様はきっと
吃驚されるかも知れません。
面白いと思ったことは このお釈迦様の後に
もう一人、ヴィシュヌ神の化身が地上にやってくると神話が伝えている事です。
さて、その最後の化身ですが「カルキ」だと 名前まで記されて居ます。面白いですね。
このカルキは 地上が 自然災害ばかりではなく
人々の心が荒び、家庭は崩壊し、離婚が日常的な状況に
なったときに 地上にやってくる・・・と記しています。
今が まさに そんな状況になっているように思えますが、果たしてカルキは・・・何処に?
811 :
神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 00:19:54 ID:filWTkGt
「悪魔や悪人をヴェーダから離すためにあえてデタラメ説きました」
これが「ヴィシュヌの化身としての仏陀」の役割
812 :
神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 09:27:56 ID:MhLR7BaR
ヒンズー教徒涌く
ヒンズー教がどんなにすぐれた教えか知らんが
ヒンズー教は世界宗教たりえず
仏教は世界宗教になった事実
813 :
神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 09:58:44 ID:X8vt1357
中陰の七仏事は初7日、27日、37日、47日、57日、67日、77日ですが何故17日だけ
飛んでいるんでしょうか?
ご教授下さい。
814 :
神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 10:21:11 ID:NIluJcID
仏教は、生き方の宗教。
死に対する根本的解決なさない。
>>813 日数でいけば、「7日、14日、21日、28日、35日、42日、49日」じゃない?
言い方でいけば、「初七日、二七日、三七日、五七日、六七日、七七日」、
意味は「7×1(回・週)=7日、7×2=14日、7×3=21日、7×4=28日、7×5=35日、7×6=42日、7×7=49日」
じゃない?
>>813 「初七日=1×7=17日(一七日)=(初の、最初の)七日目」ってことだと思うよ。
817 :
神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 12:51:14 ID:X8vt1357
>>815.816
漢数字だったんですね、理解できました。
ありがとうございます。
818 :
神も仏も名無しさん:2009/08/05(水) 12:46:26 ID:wCRiUl5f
酒井法子母子が身延山附近で消息不明
身延山といえば日蓮宗総本山久遠寺
819 :
オシメ公明党:2009/08/07(金) 09:13:41 ID:p8tZ/KZq
820 :
析空:2009/08/08(土) 22:43:08 ID:z49QeMAg
>>810 釈尊(シッダールタ)が、弓の名手であったという話はあります。
ヤショダラーの婿選びで他の王子達と弓の競技で争い優勝したという話です。(ブッダとそのダンマ アンベードカル箸)
821 :
神も仏も名無しさん:2009/08/09(日) 18:58:43 ID:2hZbYcxp
縁起説って、人生を主体的に生きるための嘘で、お釈迦さまの本音は、決定論にちかいと思うのですが。
822 :
神も仏も名無しさん:2009/08/09(日) 20:05:29 ID:zOmb+ODi
>>821 決定論は自生見です。縁起は自生や他生ではないのです。
823 :
神も仏も名無しさん:2009/08/09(日) 21:32:51 ID:uIr/b98e
>>821 それは縁起が分かってないだけ。
縁起は素晴らしい。縁起こそが仏教と言っても言い過ぎでない。
他のどんな思想にもないと思われる思想であり、
真実を悟る方法であり、現実の因果関係を決定する方法でもある。
本当に素晴らしい。
824 :
神も仏も名無しさん:2009/08/09(日) 22:44:51 ID:iZuymLAU
カルマはどうしたらなくせるのですか?
825 :
神も仏も名無しさん:2009/08/09(日) 23:03:45 ID:FVPnKqVh
仏教は、意味ぷめい。
826 :
神も仏も名無しさん:2009/08/09(日) 23:13:57 ID:FVPnKqVh
仏教は、仏教は、意味わからん。
だって、仏教自体、生き方の参考にもならないんだもん。
827 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 00:08:38 ID:BrX57drM
>>823 > 縁起は素晴らしい。縁起こそが仏教と言っても言い過ぎでない。
> 他のどんな思想にもないと思われる思想であり、
縁起なんて普通の人は当たり前過ぎて語らないだけだよ。
828 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 00:34:23 ID:DQHGnxBS
私もその当たり前の、矛盾だらけの縁起説が、仏教の核心だと言うことに疑問を抱くのです。
829 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 01:05:00 ID:DQHGnxBS
最後には、前世の因縁、で説明せざるをえないなら、それはたいした思想ではない。
>>829 原因があって結果があるんだから、
原因を与えればその分だけ結果が得られる。
修行すれば煩悩を制御したり軽減したりできる。
831 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 02:59:28 ID:DQHGnxBS
原因があって結果があるって、子供向けのファンタジー。
832 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 03:11:26 ID:DQHGnxBS
普通の人にとって、努力を始めることは失敗の第一歩。がんばった人だけが失敗する。負けに不思議の負けなし。勝ちに不思議の勝ちあり。
833 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 03:16:22 ID:IaD+0/+F
そこで親鸞ですよ。
努力なんて必要無いんです。
834 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 04:39:56 ID:XzL5+qLo
>>824 正しい師に就いて正しい法を聞いて、
その法通り正しく戒を護り、正しく禅定し、
三昧状態で縁起などによって正しい慧を得て、
完全に解脱して涅槃を得ればカルマはもう作らず、
いままでのカルマが尽きる死の時、完全にカルマはなくなり、
再生することなく輪廻から解脱します。
835 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 04:54:50 ID:XzL5+qLo
>>827 >縁起なんて普通の人は当たり前過ぎて語らないだけだよ。
そんなことはない。では貴方は縁起が有無の存在論を超えていることを理解しているのか?
例えば、パルメニデス・ソクラテスに始まる西洋の存在論は、
これは「なぜ無ではなく、むしろ何ものかが有るのか」というライプニッツの問いや
「とは何か?」と本質を追い求めるソクラテスの問いに明白な有の形而上学的前提がある。
一切法は生滅する性質である。
と縁起を説く釈尊によって軽々と乗り越えられている。
現象は生滅する性質である、つまり、実在するのでもなく虚無なのでもなく、
縁起して認識されるが、実体ないもので儚く認識した瞬間に消滅してしまう性質であるということ。
これだけの内容を単文で表現している。だから、縁起法頌を聞いてシャーリプトラは無我を悟った。
これだけでも異常に優れている、なぜなら西洋思想が2500かけてやっと、
ハイデガーやウトゲンシュタインがライプニッツの問いをやっと疑問視し始めたばかりなのに、
釈尊は2500年前に易々と解決されているからである。
しかも、縁起はもっといろいろなことが圧縮してとかれた内容である。
素晴らしいと言わざる得ない。
836 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 06:55:25 ID:DQHGnxBS
そういう哲学的な縁起論は、大乗仏教時代のものではありませんか。
837 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 07:23:15 ID:XzL5+qLo
>>836 違います。『スッタニパータ』から読み取れます。
もちろん、その他パーリ経典からも。
そして『中論』こそ正確に縁起を読み解いています。
逆に部派は縁起を実体化し矮小化しました。
ちょっと前までの仏教学は、実在論的部派解釈で縁起を解釈するものが多かったので、
縁起を実体的因果関係とか、ただの論理関係と捉える邪見が主流でしたが、
もうそういった見解は過去のものです。
838 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 07:40:50 ID:jNXauwdP
哲学的な縁起論は部派にもあるけどスッタニパータにもそんな事書かれているから
哲学的な縁起論は大乗以前の昔からあったんだよ。
って意味じゃね?
それと質問なんだけど
枝末分裂頃の仏教の質問もここでいいの?何か該当スレあったら教えてもらえない?
840 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 14:54:13 ID:XzL5+qLo
>>839 いいでしょ、上みればトンデモ発言もありですから、どぞ〜
経量部と有部以外の部派の資料で
有部以外の視点から細かくまとめられているものはありますか?
843 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 18:40:59 ID:2E4sCiTp
Wikiに書いてある程度のことしか知らないので、私もそういう資料があったら
読んでみたい。電波男さんは説一切有部を専門にしている学者なので詳しいと
思うけど、最近はまったく姿を見かけないですね。
844 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 19:54:05 ID:c8G6u368
>>834 カルマには不動明王が関係あると他板で聞いたのですが本当でしょうか?
845 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 20:02:20 ID:XzL5+qLo
>>844 その単文では意味不明です。意味の通る文章を見せてくれないと
なんとも言えません。
846 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 20:07:31 ID:XzL5+qLo
>>842 平川彰『インド仏教史』上159以下参照
>>846 ありがとうございます!
有部の視点から引き起こした北伝系列のモノしか見つからなくて困ってたんです。
さっそく明日から探してみます、本当に助かりました!
848 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 22:12:45 ID:XzL5+qLo
849 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 08:12:06 ID:hNa9j4FY
>>833 親鸞の脳裏にあったのは、
「うみかわにあみをひき、つりをして世をわたるもの、野山に
ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがら、あきない
をもし、田畠をつくりてすぐるひと」
そういう階層の人々をそのままの姿でまるっと救うという思想
ですから、当然の帰結として、行き着くところまで行き着かざる
を得ないのだと思います。戒律を守ろうとか、善根を施そうとか、
そういった考え自体が人間の思い上がりであると。よって、親鸞
仏教においては、発菩提心は最大の障礙であり最大の迷いにほか
ならない。
850 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 08:52:04 ID:U7hFFfbW
>>849 >そういった考え自体が人間の思い上がりであると。よって、親鸞
>仏教においては、発菩提心は最大の障礙であり最大の迷いにほか
>ならない。
違うでしょう。横超の菩提心を説いてますから。
親鸞さんの方法は、真実の信によって悟りに至る道だから、
器根の高い人しか至れない高度な道。
しかも、論理とか漸次的修行階梯といった世俗的な言葉の理解を拒むものだと思います。
851 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 09:43:29 ID:3zggx6NQ
戒名料について質問です
先週のたかじんのそこまで言って委員会という番組で
千代川宗園という人がゲストだったのですが
この人が
日本仏教会では戒名に値段を付けてはならないという事になっている
なので本来ならば戒名代というのはもらってはならない
との事を言っていたのですが本当なのでしょうか?
852 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 11:31:37 ID:dhokNZZh
853 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 12:24:19 ID:yjg5kr0w
>>851 仏教的なモラルとしては、
坊主の方から戒名料を請求するのはおかしいと思います。
本来、戒名というのは、その坊主に弟子入りして、戒を授かって、
その坊主(師匠)から信徒(弟子)がつけてもらう仏教徒ネームです。
生きてるときに坊主の弟子になって戒を授かるのが本来であり、
亡くなってから戒名をもらうこと自体がおかしいとも言えますね。
信者の側から坊主に寄付をしたくて払う場合、
つまり、布施(寄付)の一種の場合には、
封筒に「布施」と書くか「戒名料」と書くかの違い
でしかないので、好きにすればいいでしょう。
戒名料込みで、葬儀一式のお布施として渡す場合もあるし。
坊主の方から金額を決めて請求するのは、ちょっとおかしいと思います。
しかし、あらかじめ金額を聞けるのであれば、
その金額が嫌なら、
その坊主に弟子入りしなければいいし、
葬儀などを頼まなければいいのです。
854 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 12:33:42 ID:sKRoP6RU
>>850 >親鸞さんの方法は、真実の信によって悟りに至る道だから、
>器根の高い人しか至れない高度な道。
罪悪深重煩悩熾盛の衆生のためにあるのが弥陀の本願なのでは。
>しかも、論理とか漸次的修行階梯といった世俗的な言葉の理解を拒むものだと思います。
悟りや空性は、どの宗派でも論理を超えた「直接知覚」です。
855 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 12:36:11 ID:yjg5kr0w
戒名のランクに応じて金額をつけるというのは、
おかしいかもしれません。
しかも、生前にお寺に貢献した人(多額の寄付も含めて)につけるのではなく、
亡くなってから遺族が寄付(お寺に貢献)してつけてもらうというのも、
見栄のためにそこまでしなくてもいいのに、と思います。
ただ、昔ならお寺一件を建てて寄進したような貴族につけたような名前を、
どうしてもつけもらいたいというなら、
それ相応に、お寺・仏教に貢献した人でないとダメというのもうなずけます。
すでに亡くなってる人は、
今さらお寺の行事に積極的に参加したりもできないし、
結局は、亡くなってからできる「貢献」とは
お金しかないのかもしれません。
とは言え、亡くなった人が、良い戒名が欲しいからお寺に布施を頼む、
なんて遺言してたならともかく、
遺族がそこまでして戒名を「買う」必要もない。
必要ないものを無理にお願いしてつけてもらうんだから、
お金でお願いするしかない…ってことかも?
856 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 12:39:34 ID:yjg5kr0w
>>854 信だけで極楽に往生できるとしても、
信だけでは悟れないでしょう。
極楽浄土に往生してから普通に修行して、その修行によって悟る。
極楽では寿命が無量だから、
修行時間がたっぷりあるので悟れるのです。
857 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 12:58:36 ID:sKRoP6RU
>極楽浄土に往生してから普通に修行して、その修行によって悟る。
正式には修行させて頂くでしょう。
自分が主体となって自発的に修行するのだと自力になってしまう。
858 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 21:48:56 ID:yjg5kr0w
>>857 往生は他力(本願力)だが、極楽での修行は自力。
>正式には修行させて頂くでしょう。
>自分が主体となって自発的に修行するのだと自力になってしまう。
自力だと何かまずいことでもあるの?
阿弥陀如来は他力で悟ったわけじゃあるまいに。
860 :
神も仏も名無しさん:2009/08/12(水) 15:12:00 ID:4/GiUZ5A
>>858 極楽は思ったものが瞬時に出現する世界。他力が欲しければ他力が現れます。
極楽での修行もやっぱり他力です。
861 :
神も仏も名無しさん:2009/08/12(水) 16:26:46 ID:qewJl+bq
>阿弥陀如来は他力で悟ったわけじゃあるまいに。
阿弥陀如来の前身とされる宝蔵比丘は絶対他力によって悟り、そして仏(阿弥陀仏)に
なったというのは間違いだということですか?
他力とは、念仏者を極楽に往生させる本願力のこと。
他力だ自力だというのは、往生極楽の方法についての話。
863 :
神も仏も名無しさん:2009/08/12(水) 17:40:22 ID:oQwWF+V+
>>862 他力という言葉ですが、
お経の中にありましたか?
864 :
神も仏も名無しさん:2009/08/13(木) 12:29:36 ID:VZTuVH05
>>863 浄土三部経の中にはないと思う。
他のお経にあるかはわかりません。
865 :
析空:2009/08/17(月) 11:21:46 ID:7vsGiz61
>>861 他力ではなく、自力で悟りを啓いたということです。
866 :
析空:2009/08/17(月) 15:40:49 ID:7vsGiz61
歴史上実在した釈尊の教えでは、自力以外に悟ることは不可能です。
867 :
神も仏も名無しさん:2009/08/17(月) 16:01:06 ID:hr6LIxmy
>>866 釈尊が歴史上実在したなら、縁起したのではなくなってしまいますね。
868 :
神も仏も名無しさん:2009/08/17(月) 18:35:53 ID:3YWdc63b
>>867 お前なぁ・・・・w
こういう時は「日常的用法で」会話しろよwww
上から見下してレスしたい気持ちは解るがw、どう読んでも、866は日常の用法だろ?
それとも、洒落・ジョークのつもりか? だったら最後に「w」でも入れとけw
870 :
析空:2009/08/17(月) 21:12:14 ID:7vsGiz61
>>867 【実在】という用語を、どういう意味で使用しているかが問題です。
仏教では、意味をハッキリさせるため【実有】と【仮有】という用語を使用しますが、
一般的な実在は両方の意味も含みます。
仏教で実在といえば、すべて仮有であり縁起しているといっても間違いではありません。
小空経における空を参照して下さい。
871 :
析空:2009/08/17(月) 22:20:42 ID:7vsGiz61
釈尊が歴史上実在したと表現したのは、つまり、
阿弥陀仏は、歴史上実在はしていない、ということと対応させています。
従って、阿弥陀仏の本願=他力で成仏は出来ません。
なぜなら、架空のお話だからです。
すみません、誘導されて来ました。
釈迦がこの世にあろうとなかろうと
悟りの内容は不変であるという意味のことを用語では何ていうんでしたっけ?
873 :
神も仏も名無しさん:2009/08/17(月) 22:55:16 ID:fhILYGYz
質問なんだけど、「上人」ってどんな人のこと?
あるいは、どんな位?
874 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 05:18:47 ID:89pkCsnV
>>869 違うんだな重要な違いこれが大乗・小乗を分けると思う。
以下の展開をご覧あれw
>>870 なら結構ですが以下のような語外の主張が読み取れたので、
それは違うでしょう。
>>871 >釈尊が歴史上実在したと表現したのは、つまり、
>阿弥陀仏は、歴史上実在はしていない、ということと対応させています。
>従って、阿弥陀仏の本願=他力で成仏は出来ません。
>なぜなら、架空のお話だからです。
縁起を認めるなら「阿弥陀仏は、歴史上実在はしていない」とは言えないでしょう。
なぜなら、縁起するから。つまり、人の意識によってどうとでも仮設される。
それを認めず「阿弥陀仏は、歴史上実在はしていない」などと実在論的歴史主義に立つのは縁起の立場を放棄することに他ならない。
>>873 お坊さんに対する敬称。
「○○さん」「○○さま」のように、「○○上人」と呼ぶ。
お坊さん宛てに郵便を送るときも、
宛名を「○○上人」にすることもある。
876 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 12:05:00 ID:6/osHlcn
>>875 上人と聖人はどんなふうに使い分けるんですか?
877 :
析空:2009/08/18(火) 15:59:35 ID:MaFqQhZC
>>874 貴方が何をいいたいのかサッパリ分かりません。
少なくともあなたと私では縁起についての理解が違うということは判ります。
歴史的実在を認めても縁起を放棄したことにはなりません。
一切は縁起ですから釈尊仏も阿弥陀仏も縁起していますが、
歴史的に実在した釈尊仏と、妄想である阿弥陀仏では、その存在は全く異なります。
同列に扱うことはできません。
878 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 16:18:26 ID:CQGY2AMc
879 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 16:30:32 ID:89pkCsnV
>>877 >少なくともあなたと私では縁起についての理解が違うということは判ります。
あなたは実在する諸因縁が集合して実在する果として縁起するといったように考えているのでしょう。
部派的縁起観です。こう考えるから下のように言うことができる。
>歴史的実在を認めても縁起を放棄したことにはなりません。
しかし、縁起とはそういう意味ではありません。
空なる諸因縁が縁起して空なる果として知覚されるだけです。
だから、知覚も知覚者の意識によっていろいろと縁起する。
同じ空間、同じ時間で同じものを知覚したように思っても、
見え方が異なるのです。ですから、下のように考えることは縁起を分かっていない証拠です。
>一切は縁起ですから釈尊仏も阿弥陀仏も縁起していますが、
>歴史的に実在した釈尊仏と、妄想である阿弥陀仏では、その存在は全く異なります。
まあ、部派に従っているのですから、しょうがないのですが、
理解できない高い見解の内容を批判するのは止めた方が貴方のためですよ。
なぜなら、悪業以外のなにものでもないから。
880 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 17:39:50 ID:lNXoSr8D
>>876 読み方はどちらも「しょうにん」ですが、たとえば
法然上人、親鸞聖人などは、
慣例的にどちらを使うか決まっています。
「パパ」と「お父さん」と「とーちゃん」と「親父」
の違いみたいなもんでしょう。
881 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 18:12:02 ID:2t4rCuhb
>>865 http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/04_05_20.html ここで問題となってくるのは、「法蔵比丘」は方便法身で「無量寿仏」は真実報身であるのは明らかなのですが、
無量寿仏の胸に宿る今現在の「法蔵菩薩」は果たして法性法身なのか方便法身
なのか真実報身なのか、ということです。どうして問題なのかというと、法蔵
菩薩は信心と直結しているからです。阿弥陀仏が仏として成就するには、法蔵
の願心が衆生の信心と成り切る必要があるからです。
↑一部分の抜粋ですが、上記の解釈においては、宝蔵が悟ったのは他力によって
だと思われます。他力という言葉が経典に出てくるか否かという論争は除外して。
882 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 18:23:58 ID:1yucDH78
法蔵菩薩は自力で悟った(しかも浄土建立に成功)そこまではOK。ここからコテが入る。ガタガタうるせえんだよ木端!阿弥陀仏が実在すると思えば確かにいるんだよ!だいたいからして釈迦だって昔は非実在論というトンデモ説があったぐらいだ
883 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 18:27:16 ID:1yucDH78
俺の不確かな記憶では、阿僧祇って数単位は確か10の1200乗。百億阿僧祇億劫修行すりゃ、誰でも浄土のひとつやふたつ作れるべや。
884 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 18:28:51 ID:1yucDH78
むかしガッチャマンの替え歌で「地球はひとつ。作ればふたつ」ってのがあったからな。地球はひとつ〜キン玉ふたつ〜
ID:89pkCsnV
やっぱりお前さんだったかwww
頭の硬さがそっくりだったんで、もしやと思ってたら・・・w
面壁は楽しいかい?w
887 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 20:13:49 ID:89pkCsnV
>>885 あはは、随分と拘ってるようだね〜
たぶん、あちらではスル〜で終わりでしょう。
面壁は、あいにくこっちの流儀じゃないでね。
しかし、縁起が分かれば、ほとんど仏教は分かるんだが、
そう思わない?
仏教的にはこういうのも因果応報なのか?
【芸能】板尾創路さん悲痛、1歳娘が急逝・・・死因は不明★3
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1250577278/l50 1 :あでぃっくす!φ ★:2009/08/18(火) 15:34:38 ID:???0
お笑いタレント、板尾創路(46)の長女(1歳10カ月)が急死したことが17日、分かった。
フジテレビ系「スーパー ニュース」によると、16日午後11時に突然、長女が意識不明の状態に。
救急車で都内の病院に搬送されたが、 原因不明のまま急死したという。
9月に2歳の誕生日を迎える矢先の悲しい出来事になってしまった。
板尾は16日午後、ガレッジセール・ゴリ(37)の
初監督長編映画「南の島のフリムン」(29日公開)のイベントに参加。
白いタキシード姿で映画の応援演説を笑顔で行ったが、その7時間後、
予期せぬ愛娘の急変に見舞われていた。
にもかかわらず、17日夜、気丈にも、東京・青海の湾岸スタジオで行われた
フジテレビ系「救命病棟24時」の収録に 参加した。
板尾は1998年に一般女性と結婚し、9年後の2007年9月、
44歳にして一粒種の長女を授かった。溺愛パパぶりは
有名で、エッセー本「板尾日記3」では“ピッピ”の愛称で登場する
長女とのツーショットを表紙写真に使っていたほど。
赤ん坊の急死といえば乳幼児突然死症候群(SIDS)が知られ、ほとんどの場合、
睡眠中に起こるとされ、乳児の 約4000人に1人の割合で発生するという。
板尾の長女の死因は現在不明だが、同症候群で89年に元横綱、
千代の富士(現九重親方=54)の三女(生後3カ月)、
05年に歌手のYUKI(37)と真心ブラザーズのボーカル、
YO-KING(42)の長男(同1歳11カ月)がSIDSで亡くなっている。
ソース
http://www.sanspo.com/geino/news/090818/gnf0908180505003-n1.htm 前スレ
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1250552311/ ★1が立った時間:2009/08/18(火) 05:38:59
>>887 貴方と真言氏は、全く同じ主張をしているが、
真言氏の言葉は聞こうという気になるが、貴方の言葉にはその想いが生じない。
この差を自覚した方がいいと思うよ。
890 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 20:38:55 ID:89pkCsnV
>>888 関係者には悪いけど世俗の現れで因果、縁起に依らないものはありません。
だからこそ、今から善いことを行い、悪いことを止めるように努力すべしと如来は仰られます。
悪いこととは他を害しようと思うこと、行うことで、
善いことは、その逆です。
891 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/08/18(火) 20:39:26 ID:tY7o/fjC
>888
仏教哲学的には、親の因果は子に報い無い。
血とか呪いとかは神道との合習から生まれた俗信。
(^。^)まぁ、一部のハゲとかも、そんな迷信を仏教だとか言うがな♪(笑)
ま、「片山さんもたいしたことないね。がっかり」という意の発言をしてるくらいですから、
おのずとレベルは知れたもんでしょうけどね・・・。
(最初は、スリランカ系のスマ信者かと思ってましたが違うようですね・・w)
ってトコに、このレスかwww
>>890 お前も屑だったか・・・ orz
893 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 20:45:46 ID:89pkCsnV
>>892 まあ、君とは趣味あわんなw
片山さんに関しては、仮定法だということを自覚されたし
894 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 20:48:38 ID:1qCFMCKu
>>891 キリスト教はイエス様の血によって人類の罪をあがなう宗教です。まるで
キリスト教が仏教から迷信だと言われているみたいに感じますが。
895 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/08/18(火) 20:54:33 ID:tY7o/fjC
>894
(^。^;)>891のドコをどう読んだらそんな結論になるんだ?
(^。^)まぁ、仏教哲学的には、キリスト教を問題にする事など有り得ないが、
個人的には、君の指摘した様な事は当然ながら感じているな♪(笑)
>>893 >まあ、君とは趣味あわんなw
良かったw
私も、貴方と共通する部分が無くてホッとしてるよ。
>仮定法だということを
kwsk
897 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 20:57:15 ID:89pkCsnV
>>891 因果と縁起を否定したら仏教じゃない。
それと「親の因果が子に報い」といったものは迷信というが、
因果の逸脱した解釈。
君はなんも分かってないんだから、質問に答えないように。
中論のこと君は、全く逆に理解してるよ。
898 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/08/18(火) 21:07:08 ID:tY7o/fjC
>897
俺が中論を理解出来てない?(笑)
(^。^)バカか?(笑)そんな事は自明の理だろう♪(笑)
てか、>897は縁起と因果が理解出来るらしいな。(笑)
いや〜♪大したたまげた♪(笑)
>>897 では、
単刀直入に問おう。
貴方は、一般的に使用される「実在」という用語用法の代わりに、
何を使っているんですか?
たとえば、社会の授業、歴史の授業に於いて、
徳川家康を歴史上実在の人物として教える姿勢を批判するということですか?
866は、(次の870が書き込まれる以前として)、まさに、この用法である筈だ。
少なくとも、最大公約数的な日本語使用者はそのように解する筈だ。
家康でなくても、昭和天皇でも、マイケル・ジャクソンでもいい。
遠い将来に於いて彼らについて言及する時、「かつて実在した誰それ」という言い方すら許容できない、ということか?
866は、『通常読みに於いては』その意味合いの筈だ。(本人の意図は今は問わない。)
そして、ここは、《【一般的】質問箱》だ。
大学の研究室じゃない。 論文同士で議論するような学者のやりとりの場所でもない。
そこへの867は、異質なレスであるという自覚がないのか?(だから、「w」くらいつけろと言った。)
さて、もし貴方が社会科の先生になったとしても、「実在」という言葉は使用しない、ということですか?
自分の言動の、TPOとの関係を、よくよく観察してみろ。
自分の非常識加減に気付けるかもしれんぞw
900 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 21:33:04 ID:89pkCsnV
>>899 一般には実在だよ、もちろんw
しかしながら、ここは仏教を説くところ。
そこで歴史主義に立って実在なんていった瞬間に
何も分かっていないことが証明されしまうと思わない。
>>900 いやいやwwwww
>>899が全く読めてないだろ?
しかも、【ここ】(=このスレ)は、≪仏教を【説く】ところ≫ではない!
根本的に間違ってるのはお前だ。判らないか?
902 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 21:37:53 ID:89pkCsnV
>>900 それにだ。彼には大乗に対する否定感情の隠った言い回しに
ムッときたわけだ。彼が嫌らしい書き方をしなければ、
私もあのように嫌みに書かなかったという縁起。
まあ、出来が悪いんで、それは許してくれ。
903 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/08/18(火) 21:46:59 ID:tY7o/fjC
>902
(^。^)謙遜なんかすんなよ♪(笑)
縁起と因果を理解している大徳なんだろ♪(笑)
>>902 だからwww
>大乗に対する否定感情の隠った言い回しに
>彼が嫌らしい書き方
>>866で考えろよ。それは、私のレス(
>>869)の後に生じている会話だろ?
また、870、871を受けたとしても、
『歴史上実在した』という言い方が批判される謂われは無い。
折空がどんな意見・主張かは問うていない。
866に対する反射的な867に、居心地の悪い違和感(≒“言い掛かり”)を
瞬間的に、生理的に感じたから869を入れた。
君が感じた「 >否定感情 」や「 >嫌らしい書き方 」は、866には表れていないだろ?
どうだ?
905 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 22:06:08 ID:89pkCsnV
>>904 いやいや、それは解釈の問題だから。
オレは
>>866にそれを読んだわけ。
果たして、そうだった。
しかも、なんも縁起のことなんか分かってない。
言いがかりではない。彼が語外に
>>866言いたかったのは
大乗は仏教ではないということだ。
それを読めないとは言わさないよw
906 :
析空:2009/08/18(火) 22:12:49 ID:MaFqQhZC
>>879 >理解できない<高い見解>
阿弥陀仏の存在が<高い見解>なのですか?
それとも、貴方の縁起観が、部派の縁起より<高い見解>なのですか?
高い、低いと言っている時点で、<迷い>ですね。
>>905 >言いがかりではない。彼が語外に
>>866言いたかったのは
>大乗は仏教ではないということだ。
>それを読めないとは言わさないよw
だからぁwwww
それと、『実在』という語・言い方・使用法との関連はどこにあるんだ?と。
貴方が、阿弥陀仏の降格を感じ、大乗侮蔑を感じたなら、素直にその旨レスすれば済むことだ。
なぜ、『実在』という言葉の使い方に干渉してきた?
(たとえ貴方が、866から905のように感じたとしても)、
あそこであのように反応するということは、
『釈尊も、阿弥陀仏も、徳川家康も、昭和天皇も、マイケル・ジャクソンも実在しない』
と読めるわけだ。(まさに、ちょうど、貴方が866を905と読んだように!w)
だから私は横槍を入れた。 向こうのスレならスルーしてたろう。
だが、ここは質問箱だ。極論(≒室内的勝義)の出番はない。
少なくとも誘導後か、同時にフォローが為されるべきだ。 わかるよな?
縁起云々じゃない。
『君の反応の仕方(
>>867)が、おかしい』と言っているのだ。
908 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 22:37:41 ID:89pkCsnV
>>906 >それとも、貴方の縁起観が、部派の縁起より<高い見解>なのですか?
君が縁起を全く理解していないことと、大乗蔑視の姿勢が問題なんだが。
それこそ迷いですねw
909 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 22:38:45 ID:89pkCsnV
>>907 ま、スレ違いだし、もう平行線ですから。捨記ということで。
910 :
析空:2009/08/18(火) 22:42:17 ID:MaFqQhZC
>>902 釈尊は歴史的実在であって、阿弥陀仏は、歴史的実在ではない、
「架空の話」という客観的な事実を述べただけであって、
そこには何ら否定的な意味も、嫌味も入って居ません。
大乗は仏教ではない、とは言ってません。
すべては、あなたの被害妄想だったということです。
縁起を正しく理解していれば、高い、低い、大乗、小乗という発想は無くなるものです。
912 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 22:49:29 ID:89pkCsnV
>>911 お褒めに預かり恐悦至極に存じますw
武運長久を祈っております。
913 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/08/18(火) 23:43:52 ID:tY7o/fjC
御為万民豊楽
マカビルシャナブツミョウ 丁♪
コンコースボサツミョウ 丁(笑)
(^。^;)いや、なんとなくだ。気にすんな。
914 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 23:45:22 ID:lNXoSr8D
>>881 法蔵菩薩が方便法身というのは、お経には出てこないのでは?
ある人間の王様が世自在王仏の弟子になったのが、法蔵菩薩ですよね。
915 :
神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 08:43:01 ID:vMnh4/nF
>>907 少なくとも、ID:89pkCsnVさんは、
>>874で「なら結構ですが」と断りを入れていますよ。
つまり、貴方の仰るようなことは理解した上で発言されていると思うのですけど。
916 :
神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 08:51:27 ID:vMnh4/nF
>>915訂正
>>909で捨記と仰ってるので、915はスルーして下さい。
余計な横レスしてすみませんでした。
917 :
神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 16:18:23 ID:bLnXt/G5
親鸞会の人たちの話を伺っていると、どうもお経を釈迦の直説と考えている
らしいんです。今どきまだそんなふうに考えている人がいることを知って
ちょっと驚きです。
そこで質問ですが、お経というお経を全部釈迦の直説と思い込んでいる人は、
仏教信者の全体の「何割」ぐらいなんでしょうか。まさか5割を越えることは
ないとは思うんですけど…。
918 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/08/20(木) 19:06:49 ID:WUxlMBsd
>>917 >親鸞会の人たちの話を伺っていると、どうもお経を釈迦の直説と考えているらしいんです。
仏教初心者でも「直説」などと考えてる御仁はおらんでしょうし、
それは「考えてる」とは違い、
「考えさせられてる」ってことになろうかと思います。
その時点で既にカルトですね。
親鸞会というのがどういう団体かしりませんけど、
カルトか、カルトでないかは判断がつく。
919 :
神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 19:07:58 ID:TtbkrfUB
鬼。蛇。龍。虎。
920 :
神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 03:51:07 ID:6rWtu/vN
>>917 すべてのお経を釈尊の直説だと「みなす」宗派は多いでしょう。
一般信者がそのとおり信じているかはわかりませんが、
教義上、説法の現場では
「お釈迦さまがこうおっしゃった」と説明するはず。
浄土はあるとみなすし、阿弥陀仏は実在するとみなす。
お釈迦さまが私達仏教徒に紹介してくれた阿弥陀仏や浄土だから、
仏教徒の私達がそれを信じる理由になるわけです。
921 :
神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 08:32:50 ID:Jd+eozDc
>>920 後世の仏教徒が創作した極楽浄土であり阿弥陀仏だった、とバレたら
日本仏教はほぼ壊滅ですね。
そんなモン、江戸時代からバレとるわw
しかし、そんなことは全くどうでも日本人にとって良かったのである。
衆生の求めているものが、自己満足のオナニー修行者ではなかったということ。
どこの誰それが、厳しい修行をして、アラカンになったのなど、
普通の人は興味を示さない。神通力でご利益でもあれば別の話だが。
923 :
神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 12:32:03 ID:6rWtu/vN
こんな罪深い私でも救われる、
という安心感が欲しいわけです。
もちろん、仏教の慈悲の精神はどんな悪人をも慈しむはずですが、
ただの人間である坊さんにいくら慈んでもらっても、
たいした救済力はないので、
超人的な救い主に信仰があつまる。
924 :
神も仏も名無しさん:2009/08/22(土) 15:07:25 ID:Hg15enEP
JK
925 :
神も仏も名無しさん:2009/08/22(土) 15:55:28 ID:5/ATnQMU
>>920 宗派仏教はすべて直説として成り立っているはずです。
例外ありました?
926 :
神も仏も名無しさん:2009/08/22(土) 16:47:53 ID:/96yYCt6
927 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 06:23:12 ID:DU6nZX72
坊主のブログで、自分のことを「○○上人」と書いている人がいるんだけど、
そいつって、もしかして自分のことを「○○さん」って書いているようなものなの?
928 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 07:21:24 ID:7C+FozUd
>>927 そうそう、○○様とか○○陛下、○○閣下と自称するようなものです。
僕のために八大地獄の責め苦と刀葉林の女神について教えてください
930 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 20:54:13 ID:7C+FozUd
>>929 クシャ論か往生要集、地獄絵巻あたりみてね
931 :
神も仏も名無しさん:2009/08/26(水) 16:18:53 ID:ljgYVNlc
道綽の『安楽集』を読んでいますが、次の箇所が分かりにくくて
困っています。どなたか、日常のやさしい表現に直して下さい。
「このゆゑに『大経』にのたまはく、『もし衆生ありて、たとひ一生悪を
造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし
生ぜずは正覚を取らじ』と。また一切衆生すべてみづから量らず。もし
大乗によらば、真如実相第一義空、かつていまだ心を措かず。もし小乗を
論ぜば、見諦修道に修入し、すなはち那含・羅漢に至るまで、五下を断じ
五上を除くこと、道俗を問ふことなく、いまだその分にあらずたとひ人天
の果報あれども、みな五戒・十善のためによくこの報を招く。」
以上です。どうもよく分からない。道綽に詳しい方、お願いします。
932 :
神も仏も名無しさん:2009/08/27(木) 02:53:16 ID:5lap3XfW
933 :
神も仏も名無しさん:2009/08/27(木) 02:59:08 ID:5lap3XfW
>>432 のサイトからコピペ
こういうわけで《大経》に説かれてある。
もし衆生があって、たとい一生のあいだ、悪を造っても、臨終において、
わが名を称えて十念相続するものが、もし往生しなければ、正覚をとるまい。
●またすべての衆生は、みな自分の力をはからない。
もし大乗の法によれば、真如実相第一義空のごときは、
いまだかって心に考えたことがない。
小乗の法をいえば、見道・修道に入って、
ついには不還果・阿羅漢果に至るまで、
それには欲界につなぐ煩悩である五下を断ち、
色界・無色界につなぐ煩悩である五上を除かねばならぬが、
僧俗を問わずに、それができるものはない。
たとい人天の果報を持たもつのにも、みな五戒・十善をつとめて、
よくこの果報を得るのである。
934 :
931:2009/08/27(木) 09:38:41 ID:qTtuM+9R
935 :
神も仏も名無しさん:2009/08/27(木) 16:56:56 ID:1G9Geo4A
質問。維摩居士の悟りですが、今ウィキペディアの記事「維摩経」を調べ
たんですが、載っていませんでした。在家の彼は、そもそもどんふうに実践
して悟ったんでしょうか?
936 :
神も仏も名無しさん:2009/08/27(木) 17:05:11 ID:1G9Geo4A
続き。次のように書いているページがありました。
「仏教では釈迦が、こういう修行をすれば確実に悟りが開けるという教え
を垂れてはいるが、それは正確には十分条件であって、必要条件ではない。
というのは、独覚といって、何の修行もしなくてもあっという間に悟りを
開く人もいる。その一番いい例が維摩居士である」
正しいのでしょうか?
937 :
だいおう:2009/08/28(金) 12:38:38 ID:xTXOGgQU
936さんへ、
わいも、そういえば、きちんとした本格的修行した記憶が無いが、
前世の功徳かw・・・・
938 :
だいおう:2009/08/28(金) 12:41:39 ID:xTXOGgQU
維摩居士は、予想だけど、臨済宗的なセンスがありそう、
臨済宗の坊主は維摩の一黙が好きだからなあw
あたりまえの現実が修行となるw
彼は反戒律的な傾向もありそうだし、
939 :
だいおう:2009/08/28(金) 12:42:46 ID:xTXOGgQU
だけど、聞法はあっただろうな、情報はあったでしょうね基礎的な
940 :
井上筑後守:2009/08/29(土) 12:52:25 ID:jvXMzVs7
age
941 :
析空:2009/08/31(月) 16:02:41 ID:y4QoyZMo
>>936 維摩経は創作経典ですから、そこに書かれていることは事実ではありません。
942 :
神も仏も名無しさん:2009/08/31(月) 16:12:51 ID:YYLdPhVU
>>941 そういった縁起を理解しない断定は虚しいものです。
943 :
935:2009/08/31(月) 18:35:24 ID:dp/Tm7Id
944 :
935:2009/08/31(月) 18:42:42 ID:mXjZqygj
>>941 大乗経典はすべて創作されたものです。作り話の中の維摩が修行したのか
しなかったのか、それについて皆さんのお考えを聞かせていたきだたかった
わけです。もういいです。
レスありがとうございました。
945 :
神も仏も名無しさん:2009/08/31(月) 19:50:23 ID:YYLdPhVU
答えに行き詰まったとき、一黙はいい!
947 :
神も仏も名無しさん:2009/08/31(月) 23:03:43 ID:uvgJ6/Bb
お前ら全員、帰れ。
948 :
だいおう:2009/09/01(火) 12:56:12 ID:z8Y77xuW
なるほど、テーラワーダの程度の低い奴か、
他者の利益よりも自分が正しいと言う自己満足ねw
949 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 17:22:48 ID:+CgBsEBN
だいおう 帰れ。
950 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 20:01:22 ID:VJtQNV5v
日本のキリスト教の聖書は日本語で書かれています。
神社の祝詞も日本語です。
でも仏教のお経だけは日本語ではありません
と言ってお釈迦様の使っていた言葉でもなさそうです。
お経を日本語で唱えようと言う動きはあるのでしょうか?
951 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 21:37:43 ID:+CgBsEBN
>>950 お経は、気持ち悪いので、唱えたら、変な気分になるので、やめとけ
952 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 21:58:54 ID:VJtQNV5v
仏教スレを開いたはずなのに、何でこんなスレが出てくるんだ?
>>952 21も続いています。 1スレ1000行かない時もあったかもしれませんが、
単純計算で「2万1千個」のレスが付いているわけです。歴史もあります。
このようなレス、このような時期というのもあるでしょう。
でも、全体から見れば極一部です。 スローペースのまったりスレでもあります。
たまたまタイミングが悪かっただけ、と考える方が健全だと思いますよ。
夏休み終わって、ガキが減った頃に、また来るといいでしょう。
954 :
析空:2009/09/01(火) 22:11:23 ID:SXeprtb6
>>944 まあ、もういいということなので、未確認情報をひとつ。
維摩居士が【今世において】修行もせず悟りを啓いた理由として、
実は【過去世において菩薩行を行った】という経典があるのですが、
名前は覚えていません。
955 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 22:25:59 ID:VJtQNV5v
仏教の根本の教えは、生まれ変わりで、死んだ人の魂は別の世界で別の生き物に生まれ変わる。
よって死んだ体は、ただの脱け殻に過ぎず遺骨も遺骨を納めたお墓も何の意味もない
実際、仏教発祥の地であるインドでは遺骨は川に流してしまい墓も作らない
お墓、位牌、お盆などは仏教が伝わる以前からある祖先礼拝から来ている
当然、仏教の教えとは矛盾する。
956 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 22:28:17 ID:+CgBsEBN
>>952 胸に手をあてて、乳首に手をあてて、いじってごらんよ。
957 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 22:42:51 ID:RyZyICvt
>>955 仏教は転生については無記。輪廻は、ヴァラモンの教え。
仏教はそれに対するアンチテーゼとして生まれた側面がある。
そして、お墓、位牌などは、道教の魂魄思想から。
お盆は、中国の道教と、日本の風習のミックス。
結論はあってるが、途中が間違ってるぞw
958 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:31:23 ID:rh0b682x
>>957 日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は、
仏教が輪廻思想を確立させたと説いている。
お釈迦様が現れるまでは、
輪廻についてはっきり説明できる宗教はなかったらしい。
959 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:36:31 ID:PsoA8Wy3
仏陀とは輪廻から解放された人。輪廻がなければ死人と同じ。
960 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:38:11 ID:rh0b682x
>>950 翻訳すると、どうしても微妙なニュアンスが変わってしまいます。
意味を理解するために日本語訳を読むのは大切ですが、
次の世代に原文のまま伝えるためには、
あえて翻訳せずにそのまま暗唱するのは有効です。
昔の中国人がアホだったために、
中国語に翻訳したら、翻訳前の原文を大切にせずに紛失しちゃったりしました。
それに比べたら、伝わってきた原文をそのまま唱えて
次の世代に口伝えで伝えてゆく日本のやり方のほうが、正しいと思います。
961 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:48:41 ID:RyZyICvt
>>958 確立させたのは、後世の弟子達。
釈尊自体は無記。
962 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:54:54 ID:PsoA8Wy3
無記とは言うか、初期仏典信じれば、余計なこといろいろ言ってるだろ。
963 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 04:57:27 ID:cxElnme1
>>957 >仏教は転生については無記。輪廻は、ヴァラモンの教え。
和辻系の変な仏教学者の誤認というか阿諛というか韜晦というか、
とにかく誤り。
>>958 こっちが正しい。ただし彼の般若心経解釈や大乗非仏説は、
縁起を理解しないだけの話。
>>961 無理、並川など変な学者の珍説。
仏教はどこをどうようんでも輪廻がなければ教えが成立しない。
例えば、一切皆苦で輪廻しないなら自殺すれば済む話。
自殺しても輪廻するから行をして輪廻から解脱しなければならない。
964 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 09:06:37 ID:NWToqxJT
最近ティク・ナット・ハンさんの本を読みましたが結構良いです。
965 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 09:59:07 ID:0PHPiayO
>>963 よく分からんのだが、無我を主張する仏教で、何が転生するんだ?
釈迦在世当時は、輪廻が人々の関心事だったため、
無我を説いて、転生の主体であるアートマンを否定する事で、
それまで民衆に広まっていたバラモン教の輪廻の概念自体を否定したんだと、
俺は思ってたんだが。
輪廻なんて、あるかどうかも分からない事に関わってないで、
真剣に生きろと言うのが釈迦の教えじゃないのか?
少なくとも、初期仏典にも、今のような六道輪廻なんぞ出てこない。
出てくるのは、バラモン教の二道に毛が生えた程度の、「善趣と悪趣」程度だったはず。
部派仏教の経典類が出て、初めて今の形の輪廻になったと記憶してる。
上座部仏教のテーラワーダが、輪廻を確立させたのは(部派)仏教だというのもそのためだろ。
輪廻しないからこそ、自殺したら、そこで終り。
だからこそ、苦の無い「生き方」を模索する事が大切になる。
自殺云々は、輪廻があると前提しての話だろ?
是非、無我を主張する仏教における、輪廻の主体について解説してくれ
966 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 10:48:13 ID:cxElnme1
>>965 >釈迦在世当時は、輪廻が人々の関心事だったため、
>無我を説いて、転生の主体であるアートマンを否定する事で、
>それまで民衆に広まっていたバラモン教の輪廻の概念自体を否定したんだと、
>俺は思ってたんだが。
全く違う。そういう和辻的理解はもういいでしょう。
>輪廻なんて、あるかどうかも分からない事に関わってないで、
>真剣に生きろと言うのが釈迦の教えじゃないのか?
それは全く逆。輪廻を信じない人には先ず自分たちが輪廻にいる自覚を説くことから始まる。
>少なくとも、初期仏典にも、今のような六道輪廻なんぞ出てこない。
>出てくるのは、バラモン教の二道に毛が生えた程度の、「善趣と悪趣」程度だったはず。
>部派仏教の経典類が出て、初めて今の形の輪廻になったと記憶してる。
>上座部仏教のテーラワーダが、輪廻を確立させたのは(部派)仏教だというのもそのためだろ。
確かに六道輪廻や五道輪廻は出てこないが、輪廻という言葉、
なにより生まれ変わり死に変わる、苦の円環という意味はきっちり説かれている。
967 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 10:50:05 ID:cxElnme1
>輪廻しないからこそ、自殺したら、そこで終り。
>だからこそ、苦の無い「生き方」を模索する事が大切になる。
>自殺云々は、輪廻があると前提しての話だろ?
全く逆だ。今日、日本で自殺する人は、死ねば終わりだから、
つらい苦を終了させるために自殺する人が大半だろう。
何より、仏教では解脱したものの自殺は容認したが、
凡夫の自殺を罪とすることにはっきりと輪廻が読み取れるだろう。
>是非、無我を主張する仏教における、輪廻の主体について解説してくれ
主体はない。無我だから。現在、無我なのに縁起して連続するように、
死後も主体なく連続する。
現在の主体を「私」と仮設されるように言語習慣としては、
死後の主体を「魂」「識」「自相続」などと仮設して呼ぶことはできるが、
あくまで仮設であり、本来、無我、空である。
詳しくはアートマン・スレ13を見て
968 :
析空:2009/09/02(水) 12:18:42 ID:krdIB4+B
>>492 大乗経典が【創作】であることと、
【縁起】とは、直接関係ありません。
また、大乗経典が創作であるということと、テーラワーダとは何の関係もありません。
しかし、テーラワーダの伝承した経典のおかげでかなりのことが判明したのも
事実です。
969 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:24:12 ID:0PHPiayO
>>966-967 >輪廻を信じない人には先ず自分たちが輪廻にいる自覚を説くことから始まる。
初耳なんで、ソースお願い。
>仏教では解脱したものの自殺は容認
悟れば、自殺しようがしまいが、大差ないだけの話だろ?
輪廻を持ち出さんでも説明がつく。
>死後も主体なく連続する
主体無く連続するなんぞ、部派仏教時代に捻り出された屁理屈じゃないのか?
その辺の屁理屈は物凄い精緻に作られてるから、囚われてしまってもしょうがないと思うが、
仏教は本来、来世などというあやふやなものの為に修行するのではなく、
今を如何に生きるかという宗教だと、私は思う。
貴方の主張を聞いてると、仏教が、有るかどうかもよく分からない来世の為に、
苦労して来世に生まれないように頑張るという、一人相撲の宗教に聞こえてしまうんだが。
それとも貴方は、輪廻を宗教上の概念としてではなく、実際のものとして信じているので?
970 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:37:26 ID:oUBb4NF4
>>965 無我だけど、昨日の私と今日の私には因果関係がある。
971 :
析空:2009/09/02(水) 12:51:42 ID:krdIB4+B
972 :
神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 16:22:35 ID:rc6dQEyX
どんな著作なのか源信の『往生要集』をのぞいてみたいと思います。さわりの
部分というか、特に面白そうな箇所があったら推奨して下さい。関連のホーム
ページ情報もお願いします。
973 :
析空:2009/09/06(日) 12:59:32 ID:ADW8Oa2c
仏教における、主体なき【輪廻】については、
「ミリンダ王の問い」に書かれています。
縁起によって五蘊仮和合したAさんが死後、輪廻によってaさんとして再生します。
Aさんとaさんはあくまでも別人です。
しかし、縁起として連続しています。
このように、縁起によって再生しますが、そこには(Aさんという)主体は認められません。
974 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 16:13:22 ID:9lrR25Eb
>>973 析空さん、アートマンスレでも、あなたのように、基体を設定せず
業のエネルギーによる縁起によって輪廻業報を説明する人がいました。
しかし、この説の問題点としては
1・「この説は、いわゆる『現象の連鎖』として生まれ変わりを捉えているが
この連鎖はaさんが「果」を受けるのに十分な必然性を担保しているか?
2・ この連鎖の説明をただ「縁起」によるとだけしか解説していませんが
その構造システムが全く明らかにされておらず、精密な検証はともかくとしても
モデル提示がなされていないのは問題では?
「縁起」という語に全能性を付加するのは問題ありだと思うのですが?
以上、1 2 について解説できるでしょうか?
975 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 19:23:11 ID:MLPGLsJ8
「アビダンマ講義シリーズ ブッダの実践心理学
第五巻 業(カルマ)と輪廻の分析」
著者は、日本テーラワーダ仏教協会の
アルボムッレ・スマナサーラ長老と、藤本晃氏
976 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 20:28:59 ID:9lrR25Eb
>>975 それは私の書きこみに対するレスでしょうか?
(と、考えてレスさせてもらいますが)
残念ながら、スマさんの説は受け入れられません。
スマさんは、輪廻主体として「永遠不滅の魂」は、否定しておりますが
その代わりに「こころ」というものを仮設しております。
この「こころ」の連鎖を輪廻として解説しますが、その詳細は述べておりません
また「こころ」の理解も
『すべての物質は地、水、火、風のエネルギー構成されていて、光のスピード
で変化しています。そして、「こころ」の変化の速さは、光の変化の速さの
17倍です』(無常の見方)スマナサーラ著
はっきり言って、メチャクチャすぎます。
いくら、初心者向けの入門書における「方便」にしてもひどすぎます。
977 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:11:25 ID:MLPGLsJ8
>>976 心の変化が光の変化の17倍の速さという意味も、
アビダンマ講義シリーズに書いてありました。
心が物質を認識するときには
17のプロセスを経るという内容だったと思います。
つまり、光のひとつの変化を認識するときに、
心は17回変化する必要がある。
光の1回の転変に対して心が17回転変して、
ひとつの認識が成立するという分析ですね。
そのあたりは、瞑想によって緻密に心を観察した僧侶達の
経験の積み重ねを体系化したものでしょうから、
瞑想の素人である私には、正しいかどうかわかるはずもありませんが。
978 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:30:39 ID:9lrR25Eb
>>977 そうですか。体験情報ならば、「そうですか」としか
いえませんが、「人間の物質、現象、認識時間はおよそ0.03秒、
くらい」と言われております。光の速度とは比べようもないくらい
遅遅としたものです。僧侶達が、そのように認識したと言うので
あれば、彼らにとってそれらは真実なのかもしれませんが、
「すべての物質は地、水、火、風のエネルギー構成されていて」
と言うのも含めて、現代科学の知見とはあまりにも、かけ離れすぎて
いるように感じます。
>>977 なるほど。
それで17倍か。表現としてはアリだな。
スピードメーターで確認するような、定量化した速度比較ではない、と。
>>978 水野さんの「仏教における色(物質)の概念について」 という論文が参考になるかも。
春秋社の選集2巻-仏教教理研究-に収められてる(p343〜)。
初出は「宇井博士還暦記念論文集・印度哲学と仏教の諸問題」(1951.12)。
残念ながらCiNii-PDFにはなっていないようだ。
981 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:43:57 ID:MLPGLsJ8
仏教では、無色界心という、
物質に束縛されないレベルの禅定の心を認めている。
つまり、物質の波の変化速度をを超える早さで心が変化するというのも、
ありえる説なのでは?
脳や神経の反応速度は物質の話であり、
無色界心は物質に束縛されないから脳の限界は関係ない。
科学はあくまで物質の分析だから、
物質に束縛されない心があるとしたら、科学の対象外でしょう。
また、心が17のプロセスを経なければ光を認識できないなら、
最初の光を処理している間の心が変化する17コマの間に、
新しい光が来たとしても、どのみち認識できないんだから、
その間の光は存在しないのも同じ。
地・水・火・風の四大は、字のままの意味ではない。
地は堅さ・重さ、水は収縮、風は膨張、火は熱さ・痛み。
つまり、身体が物質を認識するときの四つの刺激のことです。
物質といっても、結局私達にとっては、
結局は四種類の刺激の組み合わせが、
眼耳鼻舌身のどこかで起きているだけです。
982 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:44:25 ID:G/qAdmsY
>>977 >心が物質を認識するときには
>17のプロセスを経るという内容だったと思います。
>つまり、光のひとつの変化を認識するときに、
>心は17回変化する必要がある。
>光の1回の転変に対して心が17回転変して、
>ひとつの認識が成立するという分析ですね。
>そのあたりは、瞑想によって緻密に心を観察した僧侶達の
>経験の積み重ねを体系化したものでしょうから、
上のような記述は仏典で見たことがないんですが、
伝統的な仏典のどこにそのような記述があるのでしょう?
983 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:51:27 ID:MLPGLsJ8
たとえば光という物質現象も、仏教的な分析では、
眼根という器官で起きている火大(熱さ・痛み)の
強弱の組み合わせでしかないのです。
眼で感じる痛みは光と認識し、鼻で感じる痛みは匂いと認識する。
センサーの形によって刺激をよりわけてるだけです。
水大(収縮)と風大(膨張)を身の皮膚で感じたら感触と認識するし、
耳で感じたら音と認識するのです。
地・水・火・風とは、文字どおりの意味ではなく、
眼耳鼻舌身が感じる物質的な四種類の刺激に、
そういう名前をつけてるだけです。
984 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:55:29 ID:MLPGLsJ8
>>982 アビダンマ(お経を解釈した論)の話ですから、
経ではなく論でしょうか。
経蔵・律蔵・論蔵を三蔵と言うそうですね。
ちなみに「三蔵法師」とは、
経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶に与えられた称号らしいですね。
985 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:00:36 ID:9lrR25Eb
>>981 >物質に束縛されない心があるとしたら、科学の対象外でしょう。
このように我々の存するこの現象界との接点を断ち切り、超常的な世界を
仮設するのであれば、それこそ「何でもあり」になってしまいます。
まず、「物質に束縛されない心」の存在が真実であるか否かを検証する
必要があると思います。
後半の
>物質といっても、結局私達にとっては、
結局は四種類の刺激の組み合わせが、
眼耳鼻舌身のどこかで起きているだけです。
これは、ご隠居の誤謬と同じですが、存在(五蘊の仮和合)を
人間の認識に起因させるのは明らかに間違いです。
986 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:04:50 ID:MLPGLsJ8
>>985 瞑想で禅定を経験した人々の経験談としては、
無色界心があるらしいです。
私には経験がないから、嘘か本当かはわかりませんが、
私は仏教徒として僧侶達を信仰しているから、
本当だと信仰している立場です。
987 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:06:54 ID:G/qAdmsY
>>984 論でも知りません。もっとも私のテーラワーダの知識はテーラワーダの
シンハラ、ビルマ、タイなどの注釈伝統までは知りません。
ですが、アビダルマというか部派仏教を含めた大乗のインド、チベット、シナ、日本の一通りの知識はあるつもりです。
その中は聞いたことも見たこともありません。
そしてアーガマ、伝承も、論理も示すことができず
禅定体験から語るというのは仏教の伝統では認められないものです。
なぜなら、禅定体験が伝承と一致しなければ、唯の妄想である可能性、
いや蓋然性が高く、一般的に承認されないというのが伝統です。
これはテーラワーダでも大乗でも同じだと思います。
その理由から、典拠を示せないなら、全く信用できません。
988 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:08:03 ID:9lrR25Eb
>>986 わかりました。私はあなたのそのような信仰を否定する者
では、決してありません。986のスタンスはそれで十分、尊重される
べきものであると思います。
989 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:11:17 ID:G/qAdmsY
>>986 あなたより>985さんが縁起を理解されていますね。
無色界心があると言ってはいけないでしょう。
無色界の縁起があると言うべきでしょう。
その縁起によって無色界の対象と知覚のように縁起してるだけで、
何か実体として無色界心があるのではないでしょう。
990 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:24:08 ID:MLPGLsJ8
>>989 哲学者でもないので、
緻密な言葉づかいにまで気配りはできませんが、
心が無常であるというのが仏教の基礎だとするなら、
「心」と言った時点で縁起・無常・無我・空なのだと思います。
991 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:55:13 ID:G/qAdmsY
>>990 それは狡いですね。
仏教用語は実体視しないように釈尊が綿密に繊細に、しかも簡明に構築された
非常に美しく最も完成度の高い道、あるいは思想体系だとするなら、
十分、尊重していただきたいものです。
私の読みでは釈尊は、そのような実体的、実在論的な説き方はなさりません。
完璧です。美しい!
992 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 07:50:38 ID:+OypagR2
>>991 だから、「心」と言った時間で
実体視していないという前提が含まれています。
993 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 09:49:30 ID:FSmp9rjd
なんで全日本仏教会は政治的な活動などしているんでしょうか?
全日本仏教会は政治的な発言よりも
全日本仏教会として諸行無常や諸法無我の法印に基づく因果律ならびに縁起説および唯識論を
義務教育就学前の幼児に教える幼稚園教育の普及に力を入れてください。
一寺で学校法人が作れない寺に幼稚園を経営させる助言や後援をする全日本仏教会が本部を運営する超宗派の学校法人を作ってほしい。
その学校法人には「一休会」という名称を提案します。
994 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 15:16:55 ID:thFRpLnB
親鸞は信じることを説いていますが、逆に釈迦は信じることを戒めていたと
言います。淨土真宗のお寺さんに尋ねても答えは一致しません。どなたか本当の
ことを教えてください。
995 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 15:47:24 ID:U/uN87uQ
>>994 釈尊が「信を捨てよ」と説かれたのは、その人の嘗ての信仰を捨てよという意味で、
仏教に対する信を捨てよ、仏教に信仰は要らないという意味ではありません。
仏教は三宝を信仰するものに教えとして道であり、
その道自体は解脱や一切智に至るために信仰する必要があると説かれます。
その道筋を盲信するのではなく自分の分析考究して納得することも勧められますが、
どちらに論理分析を経るにしろ経ないにしろ最終的に信仰、確信することに違いはありません。
といって信じない人に強制することはありません。
釈尊は自分がやってみて達成したことを説いたので、
相手に対してよかったらやってみてくださいという立場です。
信は必要です。世の中の全てが信で成り立ってますから。
分析すれば世の中のことはほとんど信のみと分かるでしょう。
996 :
析空:2009/09/07(月) 18:34:20 ID:H5egqaC3
>>974 改めて「ミリンダ王の問い」を読み直してみましたが、
ご質問の1、2に対する説明は、書かれていませんでした。
主体なき輪廻については、Aさんとaさんはあくまで別人です。
ただ前提としてAさんが因となって、aさんという果がある、という内容です。
>>942さんは、Aさんとaさんは同一人物と思っていませんか?
>>996 「同一人物だと“認識する(或いは受け止める)”から、
凡夫は来世の果を恐れ、悪を為さなくなる」 んじゃないのか?
別人なら、来世の業果を恐れる必要はない。
来世でも「“私が”苦を味わう」という理屈で輪廻を厭う必要はなくなる。
その時、輪廻を厭う意味とは何か?
998 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 19:18:23 ID:Ekmxl29R
999 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 19:25:41 ID:+CDanLXw
1000 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 19:33:48 ID:Wc4blHat
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教
一切の悪を犯さないこと 善に至ること 心を清らかにすること これが諸仏の教えである
1001 :
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