誰でも知ってます。
>>905 >如来は、やはり釈迦の思想に後付けされた人工物のような気がしてきました。
それは、良い意味で貴殿が健全だからじゃないでしょうか?
世の中には、社会の不条理は全て理性的合理性で解決できる。
って、頑なに信じている者がおりますから、
そういう人間というのは、宗教に嵌りやすいかと思います。
(輪廻思想とは、そういった合理性の結実したもんです)
そして何らかの対象(これが神仏)に回答を求めようとします。
しかしながら、それで全ての不条理が解決できるのでしょうか?
私はそうは思いません。
不条理も条理も、ないかと思います。→(これを不昧因果という)
これを自証・自省していくのが仏教の本懐かと思いますね。
909 :
神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 18:13:28 ID:MWqlBINT
大日如来も曼荼羅も、「自然界」「生命」の象徴。いかなる場合にも、自然と
人間とから超越することがないのが、佛教全体を通じて流れる底流である。
ここに、「人間」と「自然」とから隔絶しまくりの、キリスト教を初めとする
一神教との本質的相違があることに思い至るべきである。
話題沸騰中の「仏陀再誕」
コピペ
興行成績速報! 『カイジ』が1位を死守。2位には初登場『仏陀再誕』がランクイン!
2009年10月19日19時02分 / 提供:映画ジャッジ!
本日、10月17〜18日の全国映画動員ランキング(興行通信社調べ)が発表された。
ランキングでは先週に続いて福本伸行氏の漫画が原作の映画『カイジ 〜人生逆転ゲーム〜』が1位を死守した。
2位には長編アニメーション映画『仏陀再誕』が初登場ランクイン。
映画批評家、前田有一氏による評価は25点と低かったものの、大物声優たちが出演することもあり、注目を集めたかたちだ。
3位には先週より1つ順位を落として『ワイルド・スピード MAX』。
新作はディズニーのラブコメ『あなたは私の婿になる』が5位に、3Dになった定番ショッキングホラーシリーズ『ファイナル・デッドサーキット 3D』が8位にランクインしている。
今週は作家・山崎豊子氏の名作『沈まぬ太陽』、チャン・ツィイーがヒロインを務める『ホースメン』、井上真央×岡田将生による純愛ストーリー『僕の初恋をキミに捧ぐ』が公開を控えており、『カイジ 〜人生逆転ゲーム〜』が1位を守れるのか?
そして『仏陀再誕』がその人気を維持できるのかに注目したい。
http://news.livedoor.com/article/detail/4403771/
某カルトのアニメ映画についての私見。
勿論、日本葬式観光コスプレ協会は何の反対もしないだろうが、(笑)
海外の上座部の仏教国などで上映されたら暴動もんだろう。
んで、また日本が海外から笑われる訳だな。
912 :
786:2009/10/19(月) 23:01:17 ID:GkrB2AkJ
>>894 ここは仏教質問箱です。
指名して問われた以上、答える義務があります。
あなたが所属しておられる『幸福の科学』につき、
>>786>>797>>798と、なんどもお尋ねしているのですが、
一向にお答え願えません。意図的にスルーしておられます。
なにか不都合があるのでしょうか?
当然社会的に明白にすべき義務のある質問ばかりです。
どうぞ、真摯なご返答を謹んでお願い申し上げます。
ブッダ再臨か?
公開前日に駅前で券配ってたぞ。
21時位かにラジカセで音楽鳴らして配ってた。
幸福の科学は仏教じゃないでしょう。
スレ違い。
915 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/19(月) 23:57:40 ID:Dzi5/pwb
>914
確かに単なるカルト宗教ですが、
全く違う意味でも、仏教用語は使ってますのでスレチでは無いのでは?
(^。^;)てか、カルト宗教を仏教から除外したら、日本式仏教の・・・(笑)
916 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 00:44:36 ID:TL9lR06+
>>891 >新たに生命が増える可能性も否定できない
佛教では、全ての生命は何らかの輪廻により誕生したとするわけでしょ?
すなわち、過去世をもたない、それが第一回めであるという生命、すなわち
なんの業もない生命というものを想定してるの?
そうでないならば、地球上の生命体の個体数の増加は、単に地球上の他の生命の死による
輪廻以外に、この地球上に誕生することを待って、どこかで待機している
生命体?の存在を想定する必要がでてくる。
原初からの比較によれば、その増加数は、人間以外も考慮すれば、おそらく
数百兆どころでは、すまないはずだ。それほどの個体がどこかで、地球での
誕生を待って待機していたと佛教では説明するのかな?
917 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 00:47:40 ID:E0k7jSFG
仏陀と輪廻転生を信じる仏教者は、大川が仏陀の生まれ変わりであることを
否定することは、絶対にできない。否定すべき証拠は皆無なのだから。
これからも、仏陀の生まれ変わりは、続々と誕生する。要するに、言った者
勝ちw。イエスも、「私は神の子」と自称して、神になり上がったw。
918 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 01:00:48 ID:TL9lR06+
俺が
>>698 >>699 で挙げた問いは輪廻説に対する素朴な疑問の
代表例なんだ。 つまり、「輪廻説」は現代の科学的知見に対して
無矛盾の説明体系があるのですか? という問いかけ。
もちろん、その他にも
1 輪廻は全ての生物間における現象であるとのことだが、それでは
「生命」を何をもって線引きしますか?バクテリアや細菌は輪廻
しますか? 人工生命体は?(現時点では、まだ『生命』とよべる
ものは作られていないが、将来的にその可能性を否定する科学者は
いないでしょう。)
2 確率的に他の惑星にも生命体が存在する可能性は非常に高いわけです
が、他の惑星の生命体との輪廻はどうなっているのでしょうか?
輪廻とは「地球上の生命体限定」の現象なのですか?
などなど、いくらでもあるわけです。
これらの疑問に対して、佛教は整合性のとれた説明体系を有するのか?
と、問いかけたわけですよ。
919 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/20(火) 01:36:24 ID:N1JjepI5
仏教の線引きっつーか見方の問題ですね。
輪廻って俗説が先に有って、その人らにお釈迦さんが説かれたから、当然輪廻云々も言ってる訳だ。
まるっとコミコミで信じるか、その方向性を踏襲するかで、
ベースの輪廻の扱いは変わるわな。
(^。^)客観的には、ファンダメンタリズムってのはアレだろ?(笑)
920 :
696:2009/10/20(火) 02:08:03 ID:BxdUkD6B
>>904 >現象的個体って解りやすくないか?
全然分かり易くないね。
しかも、誤読してるしw
ここでの現象的固体と言うのは、簡単に言えば「肉体」の事を示していて、
この肉体が滅んだ瞬間に、別の所に肉体が生じるから、それが輪廻だと言う主張をしている。
だが、結局、何の証明にもなっていないのは言うまでもないことだと思うが?
ミリンダ王の問いは、王様が物分りが良すぎて、つっこみどころ満載の説に対して、
毎回「おみごとです、ナーガセーナ長老」といって、納得してしまうから、訳の分からない論になってる。
>>920 現象的個体=肉体までは理解できてるくせに、
なんでそんなわけのわからん事言い出すのか…
全ては物理的現象に何らかのことばを当てはめて実在すると見なしているだけ
という仏教の基本的教えとなんら矛盾しない見事な応えだと思うが?
なんか確固たる魂みたいなモノがあって、それが生まれ変わったりする。
みたいな輪廻観はは捨てたらどうですか
922 :
析空:2009/10/20(火) 05:45:38 ID:tpkPd/se
>>887:
>>696 >
>>879 >つまり、当時の常識だったから、輪廻は存在すると言う考えですか?
→違いますよ。
輪廻が存在することが前提となっている、という話しをしているのであって、
輪廻が存在することを証明するつもりは無いということです。
>結局、釈迦の教えは、「輪廻の存在を否定されると、全て崩壊する空理空論である」と言う事ですか?
→「あなたのいう輪廻の存在」が否定されても、釈尊の教えは崩壊しません。
→なぜなら、目の当たりに体得される理法=涅槃を説いたからです。
→そもそも「輪廻の存在」は肯定も否定できないものです。
→「あなたのいう輪廻の存在」が仮に否定されたとしたら、【二つの果報】のうちの一つが否定されるだけです。
923 :
析空:2009/10/20(火) 05:54:32 ID:tpkPd/se
>>887 >どの箇所が、輪廻の存在に対する論理的な回答になっているとお考えですか?→「輪廻の存在」ではなく、「主体なき輪廻」の説明が書かれています。
→「輪廻が常識」というのは、言語そのものにその概念が組み込まれていて、
「生死」のことも輪廻といいます。
→インド人は今生の人生と次の人生を区別していないといえば伝わるでしょうか。
924 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 07:59:52 ID:Qq+Z/65b
>>918 たとえば、植物に宿る神様。
それに、肉体のない生命もいるから、
肉体のある生命が増加した分は、
肉体のない生命から輪廻したのかもしれない。
もちろん、地球外生命からの輪廻もありえるし。
そんなことをあれこれ考えるのは楽しいけど、
悟りの役にはたたないでしょうね。
925 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 08:06:18 ID:Qq+Z/65b
>>920 無色界の、肉体のない生命もあるので、
肉体が輪廻するのではない。
輪廻とは、執着の対象を乗り換えることでしょう。
今まで「これが私だ」と執着していた個体が死んで、
新しい執着の対象を欲した心が、
次の執着の対象をみつける。
926 :
析空:2009/10/20(火) 08:21:41 ID:tpkPd/se
>>918 その疑問は仏教の縁起における輪廻には当て嵌まらないと思う。
魂があって、一つ二つと数えられるなら、人口が増えることは説明できないし、
そもそも魂はどうやって生まれたかという話しにもなる。
仏教では生命は仮に和合した存在だから、一つ二つと数えない。
因と縁によっていくらでも増えるし減りもする。
だから個人の輪廻は、再誕とは言わず、再生という。
業報輪廻転生(サンサーラ)論は、バラモン支配を永遠に担保するという
あくまでバラモンご都合主義的動機のためにヤージュニャヴァルキャによって
整備・創作された“虚構”でしかない。ヤージュニャヴァルキャは、
『業(カルマ)の思想』を開発することによって、輪廻転生説を
稚拙なインド土着死生観から恐るべき因果応報の理論に変えることに成功したのだ。
『業』とは、本来はたんなる「作用」とか「行為」を意味したが、
先の行為が後になって輪廻転生をあらしめる潜在力となると変容創作させたのである。
完全なでっち上げである。
この際の善悪の判定や応報におけるグレードの格付けはあくまでもバラモンの設定する基準による以上、
彼らのさじ加減ひとつで、過去および現在世のカルマを原因として未来世には獣や虫、
はては「それ以下の」不可触賎民の境涯におもいのままの虚言によっていくらでも陥れられてしまう。
現在のインチキ霊感商法の源泉だ。
しかし、今生における善行や悪行を受けて、それを未来に運んでいく自身の行為の果報を担う
いわば真の自己がなければ因果応報は担保されないという理論的欠陥がある。
そこで彼は、苦肉の策として『アートマン』なる概念を“発明”したのである。
幼稚な土着的輪廻転生生死観を『業』『因果応報』『アートマン』『ブラフマン』などの
キーワードを創作・発明することで強固なバラモン支配体制を理論的に構築したヤージュニャヴァルキャの虚構は
現在も続き、多くの人々を思想的宗教的社会制度的経済的生存苦に縛りつけているのである。
現在でも輪廻転生肯定論者はゴータマ・ブッダではなく、ヤージュニャヴァルキャの手のひらの上で
妄想踊りを続けるアキメクラだ。
そこには原始共同体を脱し、合理的な商業資本主義的商品交換社会の自由と平等のエートスを体感した、
荷車のわだちを踏みしめる先進的な自由思想家ゴータマ・ブッダの姿はない。
修辞学的論争に明け暮れる妄想輪廻転生論者は現在でも悪の片棒を担いでいるのである。
929 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 09:12:46 ID:TL9lR06+
>>924 >たとえば、植物に宿る神様。
ですから、植物もほとんど存在しなかった原初の地球から、比較しての
現在の個体数の増加を問題としているのですよ。
>肉体のある生命が増加した分は、
肉体のない生命から輪廻したのかもしれない
ですから、この「肉体のない生命」というのが、数百兆もの数で、
どこかで地球での誕生を待っていたと佛教では説くのですか?
と聞いているわけです。
>もちろん、地球外生命からの輪廻もありえるし。
佛教は「宇宙人」からの輪廻も説いていると言うわけですか?
>悟りの役にはたたないでしょうね。
これは、論点と無関係です。
「悟りに役立つ、立たない」は、関係ありません。
930 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 09:26:45 ID:TL9lR06+
>>926 >仏教では生命は仮に和合した存在だから、一つ二つと数えない。
因と縁によっていくらでも増えるし減りもする。
析空氏、これでは「業の対応」が崩壊してしまいます。
業報思想では、「個」の概念は必須です。
A→a であって A→b ではないという、「業の干渉」においては
「個の概念」がなければ、そもそも初めから論が成立しません。
また、「いくらでも増える」としてしまうならば、ひとつの「業」が
複数の「個」に干渉することになってしまい、これもまた、論理崩壊
してしまいます。
輪廻というのは、この「業」の継承理論と切り離して、論じることは
できず、「個」の概念、業の対応関係、などを無視して語ることは
できません。 少なくとも「佛教」においては。
931 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 09:53:54 ID:Oxy5vFod
>>930 >輪廻というのは、この「業」の継承理論と切り離して、論じることは
>できず、
なるほど、そう思う。しかし、下の個の概念とか業の対応関係というのは
なにやら実体的だが、部派以外で何を根拠に仰るのだろうか?
>「個」の概念、業の対応関係、などを無視して語ることは
>できません。 少なくとも「佛教」においては。
>>931 寧ろ、《「(三世に跨る)輪廻」は「仏教という枠」(枠組み)を超えてしまう》所が問題かと思われ・・・。
933 :
亭白:2009/10/20(火) 10:29:14 ID:3SsnrJFi
>>900 :机龍之介さん
>「仏を殺す」とは、全ての拘りを切り捨てることに他なりません。
☆実際に仏を殺したり、人を殺す事ではなく、心の内にて一切の拘わりを切り捨てる
となれば仏への信仰心が成り立たなくなります。仏帰依が成立しないということは
仏法僧の三宝から離れることになります。
仏の縁を断っての悟りの境地は無いと思います。仏が悟りの向上に向けて修行せる者
が悟りを掴む一歩前に魔軍と戦う時、魔軍の親分は最初から魔の姿として出てきません。
仏から来た高次なる装いで来ます。それを魔として見抜いたら、魔の親分として発揮し
ます。一人にて立ち向かう独立不羈の勇気を求められます。そして魔軍を心の平静心に
と魔軍の攻撃を無力化する智慧によって魔軍や魔軍の親分が負けることで、悟りたる者
に仏の他力が及ぶと宇宙即我の世界が展開してまいります。そのような意味としてな
らば理解がいきますね。良いヒントになりました。ありがとうございました。
934 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 10:37:18 ID:Oxy5vFod
>>932 そういう近代日本のみの珍説は問題外。
一部の近代日本文献学者説以外で三世に跨る輪廻を説かない伝統があるなら教えて欲しい。
935 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 10:38:49 ID:TL9lR06+
>>931 誤解があるといけないので、断っておくが、俺の意見は「仏説」
に基ずくものではないよ。あくまでも、一般的に「佛教の説く輪廻」についての
疑問点を提示し、それについて「佛教は整合性のとれた説明体系」を提示
できますか? と、こう問いかけてるわけ。
よって、>「個」の概念、業の対応関係、などを無視して語ることは
>できません。 少なくとも「佛教」においては。
この記述は
過去世に積んだ業が、今世の「生まれ変わり」である者に干渉するというのが
「佛教における輪廻業報思想」だね?
であるならば、当然、そこには『個』の概念、『業の対応関係』の概念が
なければ、初めから論が成立しませんよ と、言ってるわけ。
他の宗教の「生まれ変わり論」については、知りませんが
「佛教の輪廻」については、それらが必須でしょ? と言うわけです。
>>934 またかよw
《学問的にとか、歴史的にとかで)、「仏教がそうだ」》 と言うんじゃなくて、
【《「輪廻」という概念・考え方》は、仏教という枠を超えて人間(人間存在)に干渉してくる】
と言ってるんだよ。 (特に彼は。)
なんで理解できないかなぁ・・・。
この世よりかの世に微塵ほどの事物も移り行きはしない。
そうであれば輪廻の輪は誤った分別の習気によって生じさせられたものである。
(龍樹 因縁心論)
龍樹は有部よりも一歩も二歩も進めて、この世からかの世へは微塵ほどのものも移りはしない、といいます。
習気とは習慣性、潜在的な印象のことです。輪廻の観念は人の誤った判断にほかならない、というのです。
輪廻は夢のようなものです。夢はない、とはいえません。悪夢に苦しんでいる人にとっては、これほど深刻な事実はないでしょう。
しかし夢から覚めたときに、人はそれが現実でなかったことをはじめて知るのです。
それと同じように、私たちが迷いの生存を生きているかぎり、輪廻は事実です。
しかし、さとったときにはじめて、私たちは輪廻が存在しなかったことを知るのです。
(梶山雄一『空入門』、春秋社、191〜196頁引用)
アキメクラの世俗諦俗物が業報輪廻転生論というヤージュニャヴァルキャの亡霊を妄想する。
彼岸に到達すればすべてが明白となる。
真正な仏教にとって業報輪廻転生論は狂雑物である。
戯論狂雑物である以上、批判すれども否定せず。
938 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 10:53:39 ID:Oxy5vFod
>>935 それは仏教の縁起に基づく輪廻に個体、実体、実在がなければならないという
本質主義・実在論を持ち込んでいるから、そう考えるだけ。
前と同じ結果になるので、もう論じないが、私見ではという限定を付けていただかないと、
仏教、あるいは仏教経典ではそう述べている、記述していると誤解されますのでよろしく。
>>933停白氏
>人を殺す事ではなく、心の内にて一切の拘わりを切り捨てる
> となれば仏への信仰心が成り立たなくなります。
勿論そうなります。
般若波羅蜜多は、仏という対象化されたものが既に寂滅してしまうのです。
ですからそこには仏の欠片さえもありません。
(大川隆法も無に帰すのであります)→これが悟りであります。
>仏帰依が成立しないということは
> 仏法僧の三宝から離れることになります。
涅槃では、もう既に世俗法は無に帰すのであります。
(つづく)
(つづき)
>仏の縁を断っての悟りの境地は無いと思います。
いえいえ、そんなことはありません。
般若波羅蜜多の境地は、仏の境地であります。
ならば、如何に仏を対象化めされますか?
小一時間問いたいです。
>そして魔軍を心の平静心にと魔軍の攻撃を無力化する智慧によって
涅槃には、魔軍も仏も、平等一枚で何ら差異などないであります。
(この分別から離れませんと、到底、涅槃には到りません)
>悟りたる者
に仏の他力が及ぶと宇宙即我の世界が展開してまいります。
悟りたる者は既に仏であります。
ならば、仏の他力などとは妄想である。と、かように悟るのであります。
#、では、これから外出します。
941 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:05:14 ID:Oxy5vFod
>>936 その立場はよく分かる。要するに差別の温床といったことに代表されるということだろう。
しかしながら、仏教は輪廻を説くのである。ここは仏教の質問箱であって、
現代思想から輪廻の是非を論じる場ではないだろう。
>>937 まったく読めてない。因縁心論は輪廻を前提としている。
>この世よりかの世に微塵ほどの事物も移り行きはしない。
とは実体が原因となって結果の実体が移動するのではないという意味だ。
つまり、実体である恒常なアートマンや魂が輪廻するのではないという意味。
ナーガセーナの現象的個体[原語はナーマ・ルーパ(名色)と記憶する]も同じこと、
これが中論24.18では仮設と呼ばれる。
あらゆる現象は縁起して x と仮設されるが、空で実体などないという意味。
>それと同じように、私たちが迷いの生存を生きているかぎり、輪廻は事実です。
>しかし、さとったときにはじめて、私たちは輪廻が存在しなかったことを知るのです。
だから、現在の自分自身を始めとしてあらゆる現象・知覚を事実とするように
悟らない限り「輪廻は事実」と梶山先生も書いているだろ。
まったく読めてない。
942 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:08:08 ID:TL9lR06+
>>938 ちょっと、まてよ。お宅は、自称「縁起バカ」氏か?
>それは仏教の縁起に基づく輪廻に個体、実体、実在がなければならないという
本質主義・実在論を持ち込んでいるから、そう考えるだけ。
お宅は前スレで「本質主義・実在論『でない』」論によって、何ら
回答を提示することができず、「そこは信仰しかない」と言ったのを
もう忘れたのか?
なんなら、もう一度初めから、徹底的に論破しましょうか?
お宅が「それは縁起によります」という回答を繰り返すばかりなのではなく
「縁起によってどのように『輪廻業報システムが成り立つのか』の
説明を提示するというのであれば、こちらとしても是非うかがいところですね。
943 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:17:44 ID:Oxy5vFod
>>942 仏教的には十二縁起だ。それ以上ない。
君らは実在論的に考えるから、それでは説明にならないという。
業の基盤などは四不思議と説かれ凡人には知覚不可能。
だから、信仰によるというわけ。
忘れた訳ではないから、あのように言ったまでのこと。
私がいいたかったのは仏教ではというなら根拠を示せということのみ。
君の表現に問題があったことは認めないのか?
944 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:19:14 ID:Oxy5vFod
>>942 ついでながら縁起バカは他称だよ。自ら x と名乗ったことなどない。
945 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:30:05 ID:TL9lR06+
>>943 >君の表現に問題があったことは認めないのか?
これについては、誤解があるといけないので
>>935 に補足しているが?
佛教における輪廻業報思想というのは
「過去世において殺人などの悪行を積んだものは、今世の生まれ変わりに
おいて、それに見合うような報いを受けることになる」
単純化して述べれば、このようなものだね?
ここには、はっきりと「個の概念」「業の対応関係の概念」が存在する。
と言うよりも、それらがなければ、初めから論が成立しない。
ある人の積んだ悪行の「業」が、複数の人間に降りかかったり
全く関係のない(その人の生まれ変わりでない人)に、降りかかるので
あれば、メチャクチャだね。
だから、「佛教の説く輪廻業報思想」には『個』の概念と『業の対応関係』
は必須だと言ってるわけですよ。
946 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:34:10 ID:TL9lR06+
>>944 そうか、「縁起バカ」という呼称は不快かな?
947 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:53:30 ID:TL9lR06+
>>943 さらに補足
>君らは実在論的に考えるから、それでは説明にならないという。
そもそも、佛教が輪廻業報思想を
「過去世において殺人などの悪行を積んだものは、今世の生まれ変わりに
おいて、それに見合うような報いを受けることになる」
と、このように『実在論』として、説くから、こちらも実在論としての
説明を求めることになる。 輪廻思想が初めから、純粋な形而上の観念論
としてのみ論じられ、この現象界に干渉するものでなければ(すなわち
純粋な認識論に留まれば) 何の問題もないのですがね。
948 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:57:35 ID:Oxy5vFod
>>946 別に結構、なんと呼ばれようが、どう非難されようがどうぞ。
嫌なのは自分からなにか言ったように書いてあるとこね。
君とはスタンスが違う単純にいうと。
私はここでやってるのは仏教のテキストにどう記述されているか。
君がやってるのは現代的意味での思想的整合性とかいったことだろ。
話してもむだでしょ。
949 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 12:04:04 ID:TL9lR06+
>>948 だからね、俺は上記のような「佛教における輪廻業報思想」
に関する素朴な疑問点を解説できる仏教徒はいますか?
と、「ここにいる仏教徒全員」に問いかけたわけですよ。
お宅が説明できないのは、了解済みです。
業報輪廻転生論は人類に害悪をもたらしてきた最悪思想です。
仏教からの完全放逐が必要です。
捨てれば満ちます。
少なくとも釈迦仏教は業報輪廻転生論などなくとも十分に成立します。
951 :
696:2009/10/20(火) 12:25:55 ID:BxdUkD6B
>>921 >全ては物理的現象に何らかのことばを当てはめて実在すると見なしているだけ
つまり、あなたの主張は、
「今日お爺ちゃんが死んで、その瞬間に隣の家で赤ん坊が生まれたから、
その赤ん坊は『輪廻したお爺ちゃん生まれ変わり』と命名しよう!」
と言う事ですか?
まあ、ここまでは良いとしましょう。命名するのは勝手です。
ですが、その赤ん坊は「輪廻したお爺ちゃん」だから、「お爺ちゃんが生前に犯した悪業は全てその赤ん坊に責任を取らせる」と?
現象に適当な名前をつけるのはいいですが、適当につけた名前から、現象に機能を付け足すのはどうかと思いますよw
>なんか確固たる魂みたいなモノがあって、それが生まれ変わったりする。 みたいな輪廻観はは捨てたらどうですか
ミリンダ王も、そこのところが訳分からなくて質問してますよね?(以下意訳)
ミ 「悪業を保持して新しい心身に伝える『何か』が存在するんですか?」
ナ 「いや、存在しない。
例えば、ロウソクから、別のロウソクに炎を移す時、何かが転移しますか?」
ミ 「ナルホド」
おいおいw
ロウソクの例えは、移動した際に元の方にも炎が残るから、輪廻の例えにはふさわしくないと思うんですが。
転生前の心身と、転生後の心身が同時に存在してしまっていいんでしょうかね?w
952 :
696:2009/10/20(火) 12:26:04 ID:BxdUkD6B
>>922 >「あなたのいう輪廻の存在」が否定されても、釈尊の教えは崩壊しません。
あなたは、>輪廻が存在することが前提となっている といってますよね?
これまでも、輪廻肯定論者から、「輪廻を否定するということは釈迦の教え自体を否定することだ〜!」と散々言われてきたんで、この前提と言うのが「釈迦の教えの前提」だと理解したんですが…
違うならば、「何の前提」なんですか?
もしかして、「無我」の議論の前提が「輪廻」であると?
もしそうなら、輪廻の存在証明が出来ないなら、無我論は空理空論ということですか?
>「あなたのいう輪廻の存在」が仮に否定されたとしたら、【二つの果報】のうちの一つが否定されるだけです。
二つの果報とは、何の事を言ってるんでしょうか?
そして、残る方の教えとは何のことですか?
正確に定義していただけますか?
953 :
696:2009/10/20(火) 12:26:13 ID:BxdUkD6B
>>923 >「輪廻の存在」ではなく、「主体なき輪廻」の説明が書かれています。
私は、下の
>
>>879 >>釈尊滅後、ギリシャ人がやって来て「輪廻とは何か」と質問したのに対して
>>ただひとりナガーガセーナ比丘が答えたというのが「ミリンダ王の問い」です。
>>詳しくは「ミリンダ王の問い」を参照してください。
を読んで、てっきり輪廻の存在証明をしているのだと理解したんですが、
ミリンダ王の問いでは、輪廻の存在証明は全くされてないということなんですね。
>「輪廻が常識」というのは、言語そのものにその概念が組み込まれていて、「生死」のことも輪廻といいます。
つまり、輪廻はインド人特有の常識であって、言語の違う日本人には通用しないということになりませんか?
>>925 >新しい執着の対象を欲した心が、次の執着の対象をみつける。
「無我」に反しませんか?
954 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 12:57:56 ID:Qq+Z/65b
>>929 肉体のない生命とは神様みたいなもんだし、
肉体がないんだから、空間に位置しない
955 :
神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 13:24:25 ID:Oxy5vFod
>>950 >少なくとも釈迦仏教は業報輪廻転生論などなくとも十分に成立します。
全然成立しないし、釈尊も輪廻がないというのが邪見だと
長部・中部でたくさんとかれてるぞ。
956 :
神も仏も名無しさん:
>>951 横レスだけど。何かがあって、それを x と命名するのではなく、
何か x と言えない不定形の流れが x と仮設されて認識されることを、
ナーマルーパ、現象的個体という記号で指示していると思われます。
そう考えればナーガセーナの譬喩も分かるでしょう。
因縁心論の譬喩も全く同じ。
譬喩は無常不定形の火が、個人の相続、二つのロウソクは現世と来世でしょう。
現世と来世は、本来、認識の問題で対象をもって機能するものではありませんが。