親鸞会の総合スレッドです(^o^)/
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/| ̄∪∪ ̄|\/ みんな、けんかしないで、仲良く楽しく語ろうね!
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1. 匿名の掲示板で、ある特定の宗教団体おとしめようと、過去の掲示板の発言などを執拗に
コピペする人がいたら要注意です。彼らの得意技は個人的恨みによるストーカーまがいの誹謗
中傷です。事実と異なる根拠無き中傷で親鸞会の本当の姿ではもちろんありません。
2. 「親鸞会の人はみんなマインドコントロールされていて、自分たちだけが正しいのだ。 」などと
人格批判をするのも、彼らの得意技のひとつ「議論のすりかえ」です。 事柄の本質をずらして
議論を自分に有利なように運ぼうというこの方法は、親鸞会からの質問に有効に反論出来ない
ものが行う、彼らの体質です。
3. 「自分たちの言うことだけが真理である。親鸞会公式ページなどに書かれていることはみん
な嘘である。」 などと言われたら、 それが悪意のある情報操作の始まりです。2ちゃんねるなど
の匿名掲示板の情報がいかにいい加減で根拠のないものであるか、それを彼らがいかにねちっ
こくいかにも事実であるかのように書き込んでいるかは、未だに責任の所在と根拠を明らかに
出来ないことでも分かります。つまり単なる弱虫なのです。
4. 彼らと討論してはいけない、という不文律が一般に知られています。それは彼らが強くマインド
コントロールされていて、しかも上記のような議論のすりかえを多用するので、議論にならないか
らです。これまでにもこちらの質問を無視したり、根拠を明らかにしろと言っても逃げたり、問題点
を指摘しても彼らは相変わらずコピペを繰り返すばかりです。彼らが答えられないのは、後ろめ
たい事があるからです。まともに議論したら負けは明らかなので、道義的にも許されていない名
誉毀損行為をやり続けています。
親鸞会総合リンク集
http://www.ii-park.net/~neko-koneko/ 親鸞会関連リンク集
http://www.ii-park.net/%7Eneko-koneko/index2.htm 親鸞会ウェブログ案内
http://kuroneko.s55.xrea.com/
情報操作にはまらないため、あるいははまりかけたときに
脱け出すためのアドヴァイスを記します。
1. 匿名の掲示板で、四六時中ある特定の宗教団体への非難を、ねちっこく
そこら中に貼り付ける人がいたら要注意です。正常な人間でかつ非難する
根拠があれば、名前を隠して非難はしません。
2. おかしいと思ったらはっきり無視すること。避難者者は、人間的にも社会的にも
どうしょうもない人物である場合がほとんどです。 しかし捏造情報に流されて事柄
の本質を見ないでいると、本当にすばらしいものを見失ってしまいます。
3. 「自分たちの言うことだけ心理である。親鸞会の人たちはみんなマインドコントロ
ールされており、彼らの話はみんな嘘である。」 などと言われたら、 それが悪意
のある情報操作の始まりです。情報操作を拒絶する一番よい手段が、2ちゃんねる
などの匿名掲示板での発言がいかに、無責任なものかを知ることです。
4. 彼らは身元を明かして堂々と討論しようというと、とにかく逃げます。「自分たちが
全て真理である。親鸞会の言うことはすべて嘘であり、マインドコントロールである」
などと言われたら、 彼らが本願寺にマインドコントロールされている証拠です。
心の不安を乗り越えて、とにかく彼らがどんな人間か知ることです。
親鸞会総合リンク集
http://www.ii-park.net/~neko-koneko/ 親鸞会関連リンク集
http://www.ii-park.net/%7Eneko-koneko/index2.htm 親鸞会ウェブログ案内
http://kuroneko.s55.xrea.com/
精神病の渡海難は放置してください。相手にする価値も無い人間です
ので放置が一番です。現実社会で渡海難が誰にも相手にされないように
無視してください。
▲▼▲▼渡海難とは ▲▼▲▼
2ちゃん以外では誰にも相手にされない人間。
内面から滲み出すキモイ精神のお陰で腐臭が漂い、周りから忌み嫌われ
ているのだが社会が自分のことを理解してくれないと誤解し、浄土真宗の
坊主と思われる人を叩くことでようやく自我を保っているような屑。そのような
卑屈な根性が誰にも相手にされなくなる原因と未だ理解できないようだ。。。。
長い間 社会と隔絶された生活をしているため脳内でいろいろな人と語り
合う事ができる。(自作自演が得意)
※以下の文を10回暗誦して反省してください。
荒らし・煽り・叩きに反応する事は荒らしへの荷担にしかなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荒らし・煽り・叩きを無視できないあなたも荒らしです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
∞〜プーン 〜
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ 〜 プゥーン
( 人____) 〜
〜∞ |ミ/ ー◎-◎-) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
プーン (6 (_ _) )<オレはこう見えても結構モテるんだぜ!!!!
|/ ∴ ノ 3 ノ \_________
\_____ノ,, ∩_
/,|┌-[]─┐| \ ( ノ
/ ヽ| | バ | '、/\ / /
/ `./| | カ | |\ /
\ ヽ| lゝ | | \__/
\ |  ̄ ̄ ̄ | プーン〜∞
⊂|______|
|l_l i l_l |
| ┬ |
◆渡海難の正体◆
・引篭り歴10年以上・童貞、彼女&女友達無し(というか友達1人も無し)
・身長159cm以下体重75kg以上 体脂肪率38%以上 ・年賀状は1枚も来た事が無い
・3流大学卒、アニメサークル所属、合コン歴無し ロリコン
・今行きたい所:秋葉原、オタワ(カナダの首都、ヲタクが集まる所だと思ってるらしい)
・前科5犯(万引き、食い逃げ、性的暴行、強制猥褻、痴漢(存在自体が痴漢))
・好きなゲーム:ゲーム関係なんでも、但しホラー以外(ションベンちびって3日以上放心状態になるから)
・所持エロゲーは軽く1000を越える
・コンビニの処分された弁当しか食べられない、というか最近家族に手料理を作ってもらってない
・風呂には3日に1回しか入らない ・50M走タイム11秒5以上 ・自分の年齢=彼女いない歴
・AV、アニメビデオを1日最低3回は見る ・“ラップ”と聞くと「サランラップ?」とボケでなくマジで答える
・趣味:2CH心と宗教板への書き込みをすること、座禅念仏
そして浄土真宗関連スレ、親鸞会関連スレを見つけるとここぞとばかり攻撃し、チンポをこすりながらレスを待つ
・カラオケで歌うのはいつもアニソン、というか友達がいなくてカラオケも行けない
・真宗教団と親鸞会と真宗の僧侶を目の敵にしている ・ギャルゲグッズを多数所持
・メル友募集をしても女性からは1通も来ない、(ネカマからは来る、しかも普通に女と勘違いする)
・自分にレスする者全員に対して「ボーズ(坊主)」「親鸞会」と言う恥知らずのリアル精神病患者
渡海難のカキコパターン
1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習者を装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが
始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「お坊さんですね」(最近はこのパターンが多
い)か、「親鸞会ですね」と寺や親鸞会批判をする。(大概は奴の妄想)
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 明後日の方向にひたすら答えにならないレスを乱発し、スレの流れをかく乱する。もしくは「仮説」に逃げ
る。「ウソも100回言えば」のクチでそれに騙されて「渡海は真の論者だ」という信者はこの8のシチュエー
ションから生まれる。(9もしくは10へ)
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をして他スレを荒らしに行く(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がったり、他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐
れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。
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†渡海 難 ◆Fe19/y1.mIの正体†
頭髪 :似つかわしくない茶髪、ボサボサロンゲ、ボウズ、フケ、シャンプー使ってない。
顔 :アンパンマン、なすび、無精ヒゲ、二重アゴ、目脂、吹き出物、歯糞、-=・=- -=・=-、サイクロプス。
服装 :ダサダサのバンダナ、安物の水色シャツ、アニメキャラプリントシャツ、ヨレヨレのジーパン、ブリーフ(シミ付き)、スニーカー。
身体 :デブ、チビ、もやし、短足、皮膚病、多汗症、腋臭、爪に垢。
股間 :短小、包茎、早漏、梅毒、尖圭コンジローム、インキン、チンカス、童貞。
アクセサリ :汗だくのタオル、オタク系携帯ストラップ、ダサダサ眼鏡、野球帽、リュック、ポスターサーベル、ポータブルCD/MDプレーヤ(ヘッドギア)、
:膨れた財布、盗撮用デジカメ、スタンガン、アルカリ電池、ノートPC(CD革命、駅すぱあと、他オタク好みファイル)、バイブ。
臭い(ニオイ):口臭、体臭、イカ臭い、酸っぱい、砂煙臭い、プゥ〜ン。
性格 :挙動不審、人間不審、丸丸、多重人格、屁理屈、根暗、引き籠もり、ロリコン、変態、キチガイ。
特技 :妄想、傷の舐め合い、自作自演、被害妄想、掲示板では強気、妙な言葉遣い、揚げ足、ああ言えば上祐。墓穴を掘る、レイープ。
趣味 :2ちゃんねる、座禅念仏、真宗叩き、僧侶叩き、WinMX、アニメ、ゲーム、ギャルゲ、エロゲ、同人誌即売会、CD-R、アキハバラ/日本橋(電気街)。
好きな物 :スナック菓子、うまい棒、コーラ(炭酸系)、吉野家、ガスト(ドリンクバー)。
愛読書 :教行信証、ネットランナー、ゲームラボ、メガミマガジン、同人誌、完全自殺マニュアル、週刊少年雑誌、エロ本。
恋人 :ブラウン管に映るキャラクタ、美少女フィギュア、心/脳内(仮想の彼女)、右手、コンニャク、つーか彼女自体いない。
ペット :シラミ、ノミ、ゴキブリ、蠅、蛾、毬藻、堀江由衣、ダッチワイフ、大腸菌。
最終学歴 :中学、工業高校、3流大学、代々木アニメーション学院。(虐めで中退有り)。
【羊狼】 浄土真宗 燃えスレ 二重 【鳩鷹】
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1057914027/ 72 名前: 渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. 投稿日: 03/07/13 19:15
2チャンネル敗北撤退宣言
非常に自由な掲示板は魅力でしたが、これ以上は落ち着いた議論ができま
せん。2チャンネルから去ります。
2チャンネルでは、良識ある僧侶の方々に、たびたび不快な思いを多々抱か
せてしまっていたことは、この場を借りて心からお詫びします。
僕は、今後も外部から発言を続けます。インターネットからの発言を止める
つもりはありません。他の掲示板に向かうか、自分で掲示板を立てるか考えま
す。
私は、仏教界、真宗界に絶望した訳ではありません。良識ある僧侶の方々には、
大いに期待をしております。良識ある僧侶の方々に訴えたい。良識ある僧侶であ
れば、現代の教団のありかた、仲間僧侶のあり方に満足している方はいないと信
じます。現在の僧侶のあり方、教団のあり方に不足のものを感じる方は、どうか勇
気をもって、真剣に改革の声を上げていただきたい。そう念じます。
これまで、繰り返し繰り返し叫ばれてきた月並みな言葉ですが、敢えて申し上げ
たい。親鸞を敬愛し、蓮如を敬愛し、真の仏道を歩もうとする方々に申し上げたい。
親鸞に戻ろう。蓮如に戻ろう。親鸞の法を掲げよう。蓮如の心を掲げよう。
良識をもって真剣に宗祖を敬愛し、その念仏を継承しようと思う方々とは、僕はい
つまでも親愛なる友でありたいと念じます。
↑
しかも、ほとぼりが冷めたと思いこんでまた荒らし回っているDQN
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1063987345/495-496 495 名前: 渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. 投稿日: 03/10/16 20:12
>>479 >とにかく清澤満之読め
そんなもんは青二才のあんたが勝手に読んで、感心してればいい。そのうち夢
の中に「清澤満之の霊」がお立ちくだされば、お告げでも戴けるだろう。
僕は忙しいんだ。しなけりゃならんことは山ほどある。いまさら仏教から学ば
なければならんもんなんか、僕にはもう、何一つ無いんだYO。
>>480 >この見解では信心はただの習得物って事になるんですけど・・。
<僕はあんたの家庭教師じゃないよ。分からんことは自分で考えなさいな。>
>>485 >音楽を愛する人が飽き足りなく音楽を聞くことに喩えてらっしゃいましたね。
地方芸能に説経節というのがあるそうだ。浪曲の原型とも聞いた。
仏教と芸能とをはき違えてる人は昔からいたようだ。
クラシックといえば、バッハ・ベートーベンあたりが一流だろう。歌謡曲と言
えば美空ひばりを超える歌手は、まだ出てないようだ。気休め節、能書き節、開
き直り節など、三流ボーズの演奏でも、観客が下痢を起こさない内がお慰みだな。
>>491 > 葬儀屋の道具に成り下がった坊主の道も、もはやこれまでか。報恩講も、もうすぐ。また、いそがしくなるな。もう一つ仕事をやらないと食っていけない現実を本願寺はどうとらえているのか。
496 名前: 渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. 投稿日: 03/10/16 20:15
>>495 491に対するコメントは特にありません。マウスが滑った単純誤記です。
ヽ ノ `ヽ r´ ヾ ソ
~ヽヽ U /ノ
ヽノ
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-´⌒二⊃. |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ ⊂二⌒丶
_ソ. |::( 6 ー─◎─◎ ) ヾ__
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\\_渡海難_.) ヽ
今までの調査によって明らかになった渡海難の実態は、
1.勉強も仕事もしていない。(最終学歴、中卒)
2.引き篭もり歴約30年。
3.1日中PCの前でティンポを握り締めている変態。
4.50にもなって親に金を無心(これは度々出てくる渡海難のトラウマ)
5.友達は全くいない孤独なヒキコモリ。
6.14歳の頃小1〜小2女児を3人強姦&妊娠(5年の少年院での保護処分)
7.ルックスはデブ、不潔、不細工、バーコードハゲ(渡海難の頭をPOSで読み取った結果1円)
8.風呂は滅多に入らない。(最後に入ったのはおよそ半年前)
9.服装は3年前のコミケで買ったラムちゃんのTシャツにケミカルジーンズ(黄ばみ付き)
10.家族にも見放されている。
11.家族構成は1級建築士の父と専業主婦の母と東大卒で弁護士の弟、家族の中でこいつだけが駄目
12.コンパに行けないことを僻んでいるロリータアニメ好き。
13.外出恐怖症(ヒキー)
14.居留守魔(対人恐怖症、人と面と向って話せない。だからPCだけが唯一の拠り所)
15.卒業アルバムでオナる変質者。
16.実態に見合わない分不相応な病的プライド。
17.コンプレックスの権化
___________________________
|
|★★渡海難は放置が一番キライ!★★
|
|●渡海難のウザイレスは放置!
| ウザイと思ったらそのまま放置!
|
|▲一方的にこちらからの言葉だけを投げつければOK!
| 相手を同じ人間であると錯覚した時点であなたの負け!
|
|■反撃は渡海難の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです!
| 渡海難にエサを与えないで下さい!
|
|☆人間扱いせずに一方的に罵倒し、
| あくまでもモノとして正しく扱うのが一番です!
|
| 。
. Λ Λ /
(,,゚Д゚)⊃ ジュウヨウ!
〜/U /
. U U  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あなたの卒業単位不足について
あなたは現在、本学部において最終年次に在学中ですが、遺憾ながらこれまでの単位修得状況が悪く、
下記のとおり、来春3月の卒業が不可能となっていますので、念のためお知らせします。
ところで、学業上の問題や悩み、また健康に関することをはじめ、学生生活において様々な問題に
直面すると思います。大学では、学生相談室をもうけ、学生生活の全般に亘る相談に応じる用意を整えて
います。必要があれば本状を持参のうえ、躊躇せず法学部事務室まで申し出てください。学生相談主事
との面談の機会を設定します。
本年度は不振挽回に向けて努力し、意義のある学生生活を送ることを期待します。
記
あなたの卒業延期理由は、つぎのとおりです。
卒業算定単位が86単位以下
(本年度に履修制限単位52単位を修得しても、卒業所要単位140単位に満たな
いため)
以 上
新スレ、乙です。
24 :
505:04/05/24 21:47 ID:Q/WnRtt2
あげとくね。
29 :
名無しさん@3周年:04/05/25 01:41 ID:waZzocrY
30 :
名無しさん@3周年:04/05/25 11:01 ID:8udyiIBi
し! _ -── ‐- 、 , -─-、 -‐─_ノ 親
// ̄> ´  ̄  ̄ `ヽ Y , ´ ) 鸞 え
L_ / / ヽ 会 |
/ ' ' i !? マ
/ / く ジ
l ,ィ/! / /l/!,l /厶,
i ,.lrH‐|'| /‐!-Lハ_ l /-!'|/l /`'メ、_iヽ
l | |_|_|_|/| / /__!__ |/!トi i/-- 、 レ!/ / ,-- レ、⌒Y⌒ヽ
_ゝ|/'/⌒ヽ ヽト、|/ '/ ̄`ヾ 、ヽト、N'/⌒ヾ ,イ ̄`ヾ,ノ!
「 l ′ 「1 /てヽ′| | | 「L! ' i'ひ} リ
ヽ | ヽ__U, 、ヽ シノ ノ! ! |ヽ_、ソ, ヾシ _ノ _ノ
-┐ ,√ !  ̄ リ l !  ̄  ̄ 7/
レ'⌒ヽ/ ! | 〈 _人__人ノ_ i く //!
人_,、ノL_,iノ! /! ヽ r─‐- 、 「 L_ヽ r─‐- 、 u ノ/
/ / lト、 \ ヽ, -‐┤ ノ キ 了\ ヽ, -‐┤ //
ハ キ { / ヽ,ト、ヽ/!`hノ ) モ |/! 「ヽ, `ー /) _ ‐'
ハ ャ ヽ/ r-、‐' // / |-‐ く | > / / `'//-‐、 /
ハ ハ > /\\// / /ヽ_ ! イ ( / / // / `ァ-‐ '
ハ ハ / /! ヽ レ'/ ノ > ' ∠ -‐  ̄ノヽ /
{ i l ! / フ / -‐ / ̄/〉 〈 \ /!
親鸞会って社会のはみ出し者、引きこもりの予備軍だよね?
31 :
名無しさん@3周年:04/05/25 12:14 ID:8udyiIBi
親 // ̄> ´  ̄  ̄ `ヽ Y , ´ ) 年 女 え
哀 鸞 L_ / / ヽ齢 =い |
れ 会 / ' ' ? な ! マ
っ / / く い ジ
て l ,ィ/! / /l/!,l /厶,
i ,.lrH‐|'| /‐!-Lハ_ l /-!'|/l /`'メ、_iヽ
l | |_|_|_|/| / /__!__ |/!トi i/-- 、 レ!/ / ,-- レ、⌒Y⌒ヽ
_ゝ|/'/⌒ヽ ヽト、|/ '/ ̄`ヾ 、ヽト、N'/⌒ヾ ,イ ̄`ヾ,ノ!
「 l ′ 「1 /てヽ′| | | 「L! ' i'ひ} リ
ヽ | ヽ__U, 、ヽ シノ ノ! ! |ヽ_、ソ, ヾシ _ノ _ノ
-┐ ,√ !  ̄ リ l !  ̄  ̄ 7/
レ'⌒ヽ/ ! | 〈 _人__人ノ_ i く //!
人_,、ノL_,iノ! /! ヽ r─‐- 、 「 L_ヽ r─‐- 、 u ノ/
/ / lト、 \ ヽ, -‐┤ ノ キ 了\ ヽ, -‐┤ //
ハ キ { / ヽ,ト、ヽ/!`hノ ) モ |/! 「ヽ, `ー /) _ ‐'
ハ ャ ヽ/ r-、‐' // / |-‐ く | > / / `'//-‐、 /
ハ ハ > /\\// / /ヽ_ ! イ ( / / // / `ァ-‐ '
ハ ハ / /! ヽ レ'/ ノ > ' ∠ -‐  ̄ノヽ /
{ i l ! / フ / -‐ / ̄/〉 〈 \ /!
ここが次スレですか?
>>29 さいたまsの次スレだったんですか。まぁいいか。
>>前スレ505氏
再度引導を渡しておきます。
あなたは、前スレにて、「あらゆる衆生は要門を通過してから信を頂く」と主張し、
また、「要門を通らなければ、信を獲られない、と言うのはあきらかに横出の法門である」
と主張しています。
>>840と
>>844です。
誰がどう読んでも、御自分の説が横出だと言っているとしか読めません。
「あらゆる衆生は要門を通過してから信を頂く」と、
「要門を通らなければ、信を獲られない」が同じなのは明白ですよ。
もし違うと言うのなら、納得いくように違いを現さなければならないのに、
>>981をいくら読んでも、あなたの今までの主張の繰り返しで、
上の二つの違いを少しも説明していません。
それどころか、本会の主張を「これから要門を通りなさい」であるというように
捻じ曲げています。
本会の主張はあくまでも、三願転入を根基となされた親鸞聖人のみ教え以外にありません。
ただ19願を勧めているのではありませんし、18願だけでよいとも申しません。
19願は20願に衆生を送り出し、20願は18願に私たちを送り出して下さる。
全て、阿弥陀仏のお働きです。仏様の願にはそれを果たす力があるのです。
それを願力と申します。
あなたは今、ただ相手の主張を歪曲して、難癖をつけているだけです。
それを自覚しているのか知りませんが、仏法者なら潔く改めるなり引き下るなりすべきです。
>>32 110氏の勝利確定ですね。
505はどうでるかな?逃げるか?!
>前スレ992
>出ましたね、暴言。「信前の聴聞は悪」。
>悪なら行為自体やめるようにしなければなりません。
>このひとは自力と悪行を混同しているからこういう発言が出るのです。
>「どんな悪人でも助ける」という本願ですよ。
>でも自力のものは救われないのです。これだけでも違いがわかるでしょう。
>この発言も忘れることができない発言になりますね。
はあ? 自力の「聞法もどき」は悪にならないのですか? 親鸞聖人は、「雑毒の行」を
「不善(=悪)の三業」といわれ、蓮如上人は、「もろもろの雑行雑修自力なんどといふ
わろき心をふりすてて、」(『御文章五帖十五』)と言われておりますように「自力」を
悪だと言い切っておられますね。大体「自力のものは救われない」という苦果(悪果)を
引く因が「悪因」以外ありえますか? 「行為」でなく「自力の心」のことだという
例の反問が聞こえてきそうですが、仏教でいう善行=善の「行為(カルマ)」は、三業相応
しなければならないので、煩悩まみれで仏とも法ともない泥凡夫の「聞法もどき」は、仏教通途の「自力
の心行」から言っても「悪」ですが、他力真宗の「他力の心行」の立場で言えば、「自力心」
のある限りは、「悪」でるのは言うまでもないでしょう。
真宗では、「信疑決判」ですから、仏教通途の罪業は「お許しの機」「お目当ての機」で「どんな悪人
でも救われ」ますが、「本願疑惑心」=「自力」があれば「救われない」のは言うまでもないですが、
それと「自力」は悪ではないというのとは違います。
悪なら今直ぐ「自力の心」を捨てて、他力真実の大功徳の南無阿弥陀仏様をいただかなければなりません。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>前レス961
遅レス申し訳ありません。御教示ありがとうございます。
「直入の機」は「廻心の機」と相対した言葉でお聖教にある
のですね。
36 :
名無しさん@3周年:04/05/25 19:34 ID:9bOhAIlt
>親鸞聖人は、「雑毒の行」を「不善(=悪)の三業」といわれ、
これはどこに仰っているんですか?
もし下の御文なら「利他真実」というのは阿弥陀仏の真実相ですよ。
因位の時に不善(悪)はすべて捨てられたことを仰っておられるので
あって、凡夫の雑毒の行のことではありません。
「利他真実について、また二種あり。
一には、「おおよそ施したまうところ趣求をなすは、またみな真実なり」と。
二には、「不善の三業は必ず真実心の中に捨てたまいしを須いよ、またもし善の
三業を起こさば必ず真実心の中に作したまいしを須いて、内外明闇を簡ばず、み
な真実を須うるがゆえに、至誠心と名づく」と。」(愚禿鈔)
37 :
505:04/05/25 19:38 ID:vDc35AN2
>>32 失礼ながら、苦笑しました。
あなたももう少し他人の書いた文章を、自分に都合よくではなく、
丁寧に読んでください。
いま、
>>840と
>>844を引用します。
まず、
>>840 「あらゆる衆生は要門を通過してから信を頂く」という見解は
正しいと考えています。
ですから、835さんの
「「要門」を通らずに回心した人々」というご表現には私は賛同しません。
しかし、親鸞会の説き方のように、無常迅速の信前のひとに
「要門を通りなさい、そうすれば信を獲られる」
と説くやりかたは自力執心をつのっている化風であって、一念の救いを説く
浄土真宗の説き方ではない、と申しているのです。
そして「要門を自身が通った」、としらされるのは、
あくまでも信一念に仏智を頂いた後のことです。
>>844の引用以外の部分。
>「要門を通らなければ、信を獲られない」 ということでしょうな。
もしそうならば、あきらかに横出の法門であって、
横超の法門ではありませんね。
(前スレ)>> 992
>この発言も忘れることができない発言になりますね。
なあ、あんまり深い追いするな。人には間違いもあるだろう。
それよりも、大事な言葉があるだろう。
「「下品中生」というは、不浄に説法す。慚愧あることなし。もろもろの悪業を
もってして自ら荘厳す。かくのごときの罪人、悪業をもってのゆえに地獄に堕すべ
し。命終わらんと欲る時に、地獄の衆火、一時に倶に至る。
聴聞は悪じゃないが、平成の蓮如、不浄説法の高森さんは地獄に堕ちるというこ
と。これは忘れることができないと思うぞ。
不浄説法の片棒担ぐあんたらも、きっと地獄に堕ちるだろ。必堕無間とはあんたら
自身のこのことだろう。
(前スレ)>> 976
>本願寺の関係者で、「善はしなくて良い。念仏だけすればよい」と言っている人。
>いい加減恥ずかしいからやめれ。
僕は本願寺関係者ではないが、善はしなくていい。念仏だけでいいと言ってる一
人なんだよ。どこが恥ずかしい人間かね?。往生極楽のためには、善はいらん。
念仏だけでいい。当たり前のことじゃないか?。
あんたは、「善をしなさい。悪をしちゃいかん」なんてことを、宗教から教えてもらわ
なければ分からんお人かね?。「善をしなさい。悪をしちゃいかん」。これは社会的な
ことだろう。社会的には「善をしなさい。悪をしちゃいかん」。当たり前のことだ。そんな
ことは、宗教から教わらんでも、社会的には小学校、中学校でもおしえてるぞ。そん
なことを宗教からも教えてもらわんと分からんのか?。それとも、社会性とは別に、往
生極楽の道でも善が必要か?。
念仏すれば、誰でも念仏修行者の仲間に入る。善人も悪人も、皆、念仏修行者だ。
信心があっても無くても、念仏する者は、親鸞さん、法然さん、善導さんの仲間だ。仲
間に加えていただける。往生極楽には善を求めず、悪を恐れず。何かおかしいかい?。
39 :
名無しさん@3周年:04/05/25 19:48 ID:9bOhAIlt
そして自利(自力の)真実。
「自利真実と言うは、また二種あり。
一には真実心の中に自他の諸悪および穢国等を制捨して、行住座臥に「一切菩薩
の諸悪を制捨するに同じく、我もまたかくのごとくせん」と想えとなり。二には
真実心の中に自他凡聖等の善を懃修すべしと。真実心の中の口業にかの阿弥陀仏
および依正二報を讃嘆すべし。また真実心の中の口業に三界六道等の自他の依正
二報苦悪の事を毀厭し、また一切衆生三業所為の善を讃嘆すべし。もし善業にあ
らずは敬うてこれを遠ざかれ、また随喜せざれとなり。また真実心の中の身業に
合掌し礼敬して四事等をしてかの阿弥陀仏および依正二報を供養したてまつれ。
また真実心の中の身業にこの生死三界等の自他の依正二報を軽慢し厭捨すべし。
また真実心の中の意業にかの阿弥陀仏および依正二報を思想し観察し憶念して目
の前に現ぜるがごとくすべし。また真実心の中の意業にこの生死三界等の自他の
依正二報を軽賎し厭捨すべしとなり。」
「一切衆生三業所為の善」とはなんなのでしょうか?
自力=悪なら自力の善根という言葉自体がおかしいですね。
「信前の聴聞は悪」という発言。永久に残る迷言でしょう。
40 :
505:04/05/25 19:58 ID:vDc35AN2
>>37 >あなたは、前スレにて、「あらゆる衆生は要門を通過してから信を頂く」と主張し、
また、「要門を通らなければ、信を獲られない、と言うのはあきらかに横出の法門である」
と主張しています。
いままで何度も述べてきたので、今更、という感じもいたしますが、「あらゆる衆生は要門を
通過してから信を頂く」と信知されるのは信一念後である、と繰り返し申しています。
それゆえ、
>>37における
>「あらゆる衆生は要門を通過してから信を頂く」という見解は正しいと考えています
という部分は信一念後に、過去の求道における信仰の過程として要門を通っていた、
と名号法によって信知される、と申しているのです。わかりますか?
信前には自身が要門の信仰かどうかなども知りえないという立場であることも既に申しています。
また、
>>37における
>「要門を通らなければ、信を獲られない」でしょうな、
という会の方の主張は、
>>「これから要門を通らなければ、信を獲られない」
と理解されるのは自明です。それゆえ、
>もしそうならば
とは、補足しますと
>「(これから)要門を通らなければ、信を獲られないと信前のものに勧めるべきである
というのならば」という意味です。
あなたをはじめとする会員さんが他は親鸞的な教学解釈しかご存じない
からすぐに理解できないのも尤もなのですけどね。でも、早合点はいけませんよ。
41 :
505:04/05/25 19:59 ID:vDc35AN2
>>40 (続き)
「あらゆる衆生は(結果として)要門を通過してから信を頂く」と、「これから要門を通らなければ、
信を獲られないと信前のものに勧めるべきである」という主張は必ずしも同じではありません。
ちなみに私の主張であった、「あらゆる衆生は要門を通過してから信を頂く」
の対偶である、「信をいただいていない人は、要門を通らなかった」という主張は
私は正しいと思います。
42 :
505:04/05/25 20:04 ID:vDc35AN2
>>40 訂正:
誤:あなたをはじめとする会員さんが他は親鸞的な教学解釈しかご存じない
正:あなたをはじめとする会員さんが他は親鸞会的な教学解釈しかご存じない
失礼しました。
ところで110さん、前スレで「十九願力」とは何か?
何のことか教えていただけますか?
他にもまだいくつかお答えになってないものがあると思うのですが、
いかがでしょうか?
43 :
711:04/05/25 20:08 ID:HjfxZk8f
すみません、また部外者が覗き見
いたします。西田哲学を学ぶ者から
一言言わせていただきます。
「宗教は個人的安心の問題ではない。
欲求的自己の安心の問題は、宗教的
問題ではない。それは宗教的問題と逆の立場に
立つものである。もしそれならば、それは道徳
的問題にも至らないのである。」
「場所的論理と宗教的世界観」 昭和19年 西田幾多郎
親鸞会の教えが、苦を恐れ楽を願う欲求的自己
(青年期にはそれが多感になるであろう)を対象
としているならば、宗教は麻酔剤といわれても
致し方がないと思います。
親鸞聖人は、絶対の幸福(私はこんな言葉遣い
はしませんが)とか、心の安寧を伝えたかったの
でしょうか?
もっと真摯に物事を見ていく必要を感じます。
44 :
505:04/05/25 20:17 ID:vDc35AN2
浄土真宗横超の法門は無常迅速の凡夫に対して、一念の極促の救いを説く
教えです。しかし、救われた身からは、ご和讃にあるように、自力修行時代の諸善は、
阿弥陀仏の真実心によって発された願いであって、よく往生浄土の手だてとしての
善行とならないものは一つも無かった、と謝し、拝しておられます。
そして同時に、信前のものに対しては、迷い道に陥ってはならない、と
自身の迷ってこられた十九願要門、二十願真門を方便化身土巻にて懇ろにお示し
くださって、自分のように迷ってはならない、とご教示なさっておられます。
これから要門を通らなければ(要門の行を修めなければ)信を獲られないと、
断じて信前の人間に教え勧めるべきではありません。
45 :
505:04/05/25 20:24 ID:vDc35AN2
>>32 >ただ19願を勧めているのではありませんし、18願だけでよいとも申しません。
19願は20願に衆生を送り出し、20願は18願に私たちを送り出して下さる。
曖昧な表現ですね。
あなたがたの会の主たる活動(破邪顕正・ザイセ)は
十九願なんですか?そうではないのですか?
あなたの理屈は、理論と実践が伴わない机上の空論なのでしょうか?
46 :
505:04/05/25 20:28 ID:vDc35AN2
>>32 確認しておきたいのですが、
あなたの会では、「破邪顕正は人間にできる最大の善であり、聖使命である」
といった表現はしませんか?
信前のものが破邪顕正を修することを親鸞会は勧めていますね。
これは、十九願の勧めではないのですか?
47 :
711:04/05/25 20:30 ID:HjfxZk8f
>>505さんへ
同感いたします。
それが真摯な宗教者の教え勧め方でありましょう。
今回は、三願転入のよい勉強となりました。
49 :
505:04/05/25 20:36 ID:vDc35AN2
>>32 追加しておきますと、親鸞聖人が方便化身土巻を執筆された主目的は、
当時聖道門を修行中のかたがた、そして当時の浄土他流で真仮の門戸を知らない
方々に対して、横超の法門を説き示すことによってこれらのかたがたの誤った信仰を
廃立して真実の願海に速やかに帰入することを望まれたためであったと考えています。
三願転入を金科玉条のように重視する親鸞会の教え方には、恣意的な
ものを強く感じています。
率直に申し上げれば、本来真宗では往生の行として勧められないはずの、
勧誘活動の正当化ではないでしょうか。
50 :
505:04/05/25 21:00 ID:vDc35AN2
>>47 同意いただけましてありがとうございました。
哲学を学んでおられるかたですか?
私はズブの素人にして西田哲学には詳しくありませんが、
ぜひ有意義なご意見をまた書き込んで教えていただきたいものです。
>>43 祖師は、自分のような行のできえない極悪最下の泥盆夫でも救われたのだから、
すべての人間が救われることにはまったく疑いをもたれなかったのでしょう。
祖師が伝えたかったのは、無常迅速の機がはからいを捨てて、
「すでに成就されている名号法」を速やかに頂く事、ただひとつであったとおもいます。
私は絶対の幸福、のような表現は苦手です。
そもそも、この「絶対の幸福」の表現の本家はS価学会である、
と会にいたときにきいたことがありますが、どうなのでしょうね、会員さん。
↓このスレッドでも菜っ葉さんらとs会の小麦さんが興味深い討論をしていますので
覗いてみてください。
http://yo777.parfe.jp/bbs/wforum.cgi?
51 :
110:04/05/25 21:27 ID:ukQ1ebv/
>>505 あなたの説が破綻しているのにお気づきでないようですので、糾弾しておきます。
はやく客観的に自分の考えを見つめるよう、念じております。
>しかし、親鸞会の説き方のように、無常迅速の信前のひとに
>「要門を通りなさい、そうすれば信を獲られる」
>と説くやりかたは自力執心をつのっている化風であって、一念の救いを説く
>浄土真宗の説き方ではない、と申しているのです。
だからいつそんなことを説いたのか、と言っています。それを捻じ曲げていると言っているのです。
いい加減に理解すべきですよ。あなたの読解力には極端に問題があります。
>そして「要門を自身が通った」、としらされるのは、
>あくまでも信一念に仏智を頂いた後のことです。
なぜこんなことを主張されるのでしょうか?信知して知らされるのが
要門を通った、というこなら、信知していなくても通るのですよ。
>また、
>>37における
>>「要門を通らなければ、信を獲られない」でしょうな、
>という会の方の主張は、
>>>「これから要門を通らなければ、信を獲られない」
>と理解されるのは自明です。それゆえ、
これから、と言うのが無用なのですよ。ここにあなたの都合が入っているのです。
そういうことにしたいから、わざわざ入れているのです。
しかも、あなたが日ごろ善を心がけていないことも明白ですね。
それが、あなたの自力の心の現われと見て取って下さい。
あなたは、本会の主張を繰り返すことが出来ていないのですよ。
>あなたをはじめとする会員さんが他は親鸞的な教学解釈しかご存じない
>からすぐに理解できないのも尤もなのですけどね。でも、早合点はいけませんよ
あなたの歪曲は、あなたが本願寺?の中でも特に退廃的な教学解釈しかご存知ない結果です。
52 :
110:04/05/25 21:41 ID:ukQ1ebv/
>>42 19願力とは、阿弥陀仏の19願の働きのことです。
仏様の願には力があります。凡夫の願にはありませんけどね。
>>43 絶対の幸福の根拠は、歎異抄の、摂取不捨の利益、です。
おさめ取って、捨てられない。永遠に変わらない幸福、絶対崩れない幸福です。
>>45 善ですから、いずれの機に対しても勧められています。
何度も言っている様な気がしますが。
三願転入の理論(教学)と、三願転入の体験(実践)が共にある、最高無上の法です。
>>46 上に同じ。
>>49 自力の善が往生の助けには勿論なりませんよ。こんな的外れの非難もいい加減やめましょう。
53 :
711:04/05/25 21:52 ID:HjfxZk8f
>>505さんへ
部外者に丁寧なご教示、ありがとうございます。
「宗教心とは如何なる場合に、意識せられるのであるか
宗教の問題は、価値の問題ではない。我々が、我々の
自己の根底に、深き自己矛盾を意識した時、我々が自己の
自己矛盾的存在なることを自覚した時、我々の自己の存在
そのものが問題となるのである。人生の悲哀、その自己矛盾
ということは、古来言い古された常套語である。しかし多くの
人は深くこの事実を見詰めていない。どこまでもこの事実を見
詰めていく時、我々に宗教の問題というものが起こってこなけ
ればならないのである(哲学の問題というものも実はここから
起こるのである)」
親鸞聖人が「罪悪最下の泥凡夫」とご自身をお考えになったこと
は上のように考えてもいいものでしょうか?
>>110さんへ
善とはなんぞや?
54 :
110:04/05/25 21:55 ID:ukQ1ebv/
>>45 >曖昧な表現ですね。
私は親鸞聖人の仰るままに書いたのですよ。三願は関連しているのです。
そのように解釈なさったのは親鸞聖人です。
その関連性が分からず、ぶつ切りにしか考えることが出来ないでいるのは、
未だあなたが他力の何たるかを知らないからです。
真実も知らないから、方便も知りません。
ついでに言っておくと、あなた方が本来の仏法者ではないことは、あなた方の文末などを見ているとよく分かりますよ。
だと思います、とか、だと考えています、という書き込みが圧倒的に多いのです。
会員は、教えに関することでそんなことは申しません。
なぜだか分かりますか?
自分の考えを話しているのではないからです。
親鸞聖人のおっしゃるまま、お釈迦様のおっしゃるままに話しているから、
自分の考えをはさまないようはさまないよう努力しているからです。
そのようにして、今日まで仏法は伝えられてきました。
逆に、あなた方のように、考えや思いを入れられて、教えは曲解され、捻じ曲げられていったのです。
55 :
名無しさん@3周年:04/05/25 21:57 ID:mm4br3X5
名前: ホルホース 投稿日: 2000/06/11(日) 11:11
私も元会員の一人でありますが・・・。
高森会長は、元々華光会という会出身だそうです。
彼は華光会の伊藤康善氏を善知識として信心決定したそうです。
でも、高森氏は華光会の事を何も言わないです。
師主知識の恩徳はどうしたんでしょうね?全く?
56 :
110:04/05/25 22:09 ID:ukQ1ebv/
>>332 さて、332氏に質問したいのですが、あなたの説によると、
救われることはすべて弥陀のお任せである、ということのようです。
しかも、信前の善や念仏はおろか、聴聞までも、その為のものにあらず、
むしろそれらの勧めは救いの妨げになる、ということのようです。
しかし、お任せしようとするのもやはり自力ですよね?
私たちが捨自帰他をどのように理解しても、それもやはり自力(=自分の理解)でしょう。
信前は、どうしたら信後になれるか。これは求道者にとって、最も深刻な問題ではないでしょうか?
もう一つ。
あなたは、信前の者の、仏縁の厚薄、宿善の厚薄(すなわち救われるまで早いか遅いかというもの)
というものを認めていますか?
これを本会では、横の線で表現しております。
57 :
711:04/05/25 22:10 ID:HjfxZk8f
>絶対の幸福の根拠は、歎異抄の、摂取不捨の利益、です。
>おさめ取って、捨てられない。
>永遠に変わらない幸福、絶対崩れない幸福です。
絶対崩れない幸福。私の知る限りの仏教的、否、
宗教的考えからは、そのような語彙はふさわしくない
と感じます。
ご自身の入信の感激・感動は尊いことだと敬意を表しますが、
そのことが執着となられているようにお見受けします。
感激・感動はイコール宗教ではありません。
禅では「仏を見たら仏を殺せ」と言われるそうです。
ご自身の心に執着をせず、
全人類の代表として思考なされることを望みます。
宗教の教えを語る、伝えるというのは
そのことが根底になければならないと思うのです。
「ひとえに親鸞一人がためなりけり」という
言葉をどうお考えになられておられるのか。
私の望むところをどうかご検討下さい。
58 :
110:04/05/25 22:18 ID:ukQ1ebv/
>>57 執着を感じますと言われても困るんですが…。
ちなみに、あなたのその反論も執着の現れですよ。
執着という言葉を使うなら、私たちは必ず何かに執着しているのです。
ならば、間違ったものに執着するのではなく、正しいものに執着すべきです。
親鸞聖人は、間違った信心(邪信)を徹底的に批判され、正しい信心(正信)
を明らかにして下さった方です。
59 :
711:04/05/25 22:41 ID:HjfxZk8f
>>110さんへ
ご丁寧にありがとうございます。
ご無礼をお許し下さい。
しかしながら、あえて申させていただくならば、
>>間違ったものに執着するのではなく、正しいものに執着すべきです。
親鸞聖人は、間違った信心(邪信)を徹底的に批判され、正しい信心(正信)
を明らかにして下さった方です。
主観的信念と宗教的信仰は違うことを再確認いただきたく
存じます。
60 :
110:04/05/25 22:45 ID:QqeW9X5i
>>59 真実の宗教に主観をまじえて歪曲することは、
あってはならないのです…
61 :
711:04/05/25 22:50 ID:HjfxZk8f
>>110さんへ
ありがとうございます。
全くその通りだと私も考えております。
では、何故ご自身の宗教が真実だと
言えるのか?、どうやって現代社会において
証明できるのか?
この方法についてお伺いいたしたく存じます。
何卒、ご教示下さい。
62 :
110:04/05/25 22:54 ID:QqeW9X5i
>>61 仏教徒に限定して言うなら法論で決すべきです。
>>36 >もし下の御文なら「利他真実」というのは阿弥陀仏の真実相ですよ。
>因位の時に不善(悪)はすべて捨てられたことを仰っておられるので
>あって、凡夫の雑毒の行のことではありません。
はあ? その不善の行の主体は誰ですか? 法蔵菩薩様ですか?
違うでしょう。阿弥陀様因位の時に、阿弥陀様んの真実心のうちに捨てられた
衆生の不善の三業でしょう。
「不善の三業は必ず真実心の中に捨てたまいしを須いよ、」とは、自力の業(不善の三業)は、
阿弥陀様因位の時に真実心のうちに取捨された業ですからその通りに捨てさせていただきなさい。」
ということですよ。若し従果降因の法蔵菩薩様の業が不善(悪)の三業ということはありえない
でしょう。
64 :
711:04/05/25 23:03 ID:HjfxZk8f
>>110さん
お付き合いいただき大変申し訳ありません。
宗教は仏教徒に限りませんし、現代社会に
おいてはキリスト教もイスラム教もこの国においては
自由に布教できます。
世界の人々に対して真実を伝えられなければ、
普遍性をもった宗教とは言えません。
法論というのは、現代社会において役に立たないのでは
ないでしょうか?
65 :
711:04/05/25 23:17 ID:HjfxZk8f
>>332さんへ
浄土真宗の教義問題、ありがたく
拝見させていただいております。
がんばってください。
>>110さんへ
もう一つだけ質問がございます。
110さんがおっしゃるところの善とは
如何なるものなのか?
身に正しき行いをし、口に正しきことを言い、
心に正しきことを思うということなのでしょうか?
回心の後はそれが出来るとお考えなのでしょうか?
また、正しいとは何をもって正しいと言えるのでしょうか?
お時間がございましたらお答えいただければと存じます。
がんばってください。
66 :
110:04/05/25 23:28 ID:QqeW9X5i
>>64 相手が仏教徒でない場合、非常に困難ですね。
仏教の基礎から話していく根気が必要です。
時には他宗教と論争することもあります。
教学的には、内外廃立と申します。
>>65 善とは、信前は、釈尊はじめ善知識方が教え勧めて下さることです。
信後は、弥陀が喜んで下さることです。
67 :
711:04/05/25 23:34 ID:HjfxZk8f
>>110さんへ
ありがとうございました。
この答えは親鸞会を代表する
お答えと考えてもよろしいでしょうか?
>>39 >「一切衆生三業所為の善」とはなんなのでしょうか?
>自力=悪なら自力の善根という言葉自体がおかしいですね。
親鸞聖人の宗旨決判された「浄土の真宗」は、「自利真実」(自力門)ですか?
それとも「利他真実」(他力門)ですか? 当然に後者ですね。
>>34でも書き
ましたが、通途仏教(随他)の「自力の心行」の立場では、当然に「自力の善根」
ですよね。仏教では「対機説法」であり、「与・奪」「一往・再往」「当分・跨節」
とTPOに応じて表現は種々ありますね。対機も様々で、上位菩薩から、われわれみ
たいな底下の凡夫まで。
大体、「真実心の中に自他の諸悪および穢国等を制捨して、行住座臥に「一切菩薩
の諸悪を制捨するに同じく、我もまたかくのごとくせん」と想えとなり。二には
真実心の中に自他凡聖等の善を懃修すべしと。・・・」の実践がわれわれ底下の泥
凡夫に可能なのですか? こんな実践をされてる方が、2chなんかに書き込みする
ような暇と心があるわけないと思うのですがww。
69 :
110:04/05/26 00:01 ID:5o4kO7RY
>>67 私などが言うのもおかしいですが、
そう考えて結構です。
70 :
711:04/05/26 00:02 ID:Gfv4vT/I
>>56 「御本願」と「成就文」には何と書かれてますか。「乃至十念」「聞其名号」
しか書かれてないですよね。
聴聞といっても「今ここで」阿弥陀様の御名(願い)をお聞かせいただくことなく、「自分が救われる
為の手段」のように自力に執することは、他力回向をいただく妨げになりますね。
「お任せしようとしたり」「理解しようとする」のもおっしゃる通り「自力」ですね。
「捨自帰他」ですから、もののたとえじゃなくて本当に自力を捨てなければなりません。
その「どうしたら」の自力の計らいを「今ここで」捨てさせていただかなかったらいつ
捨てさせていただくのですか? 一分先一秒先にある命の保証は無いですよ。阿弥陀様の
お救いは、「一念」ですよ。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
「宿善」は、無限の衆生の無始以来の因縁は、各様ですから、厚薄各様でしょうね。
72 :
110:04/05/26 00:15 ID:5o4kO7RY
73 :
110:04/05/26 00:21 ID:5o4kO7RY
>>71 確かに今以外にありませんね。で、あなたは、そうせよ、と言われていますが、
私がそうしようとするのは自力なのです。
私が信前だとすると、ですが。
これはいかがしたものでしょうか?
>>65 いえいえ私は、一介の在家で(まあ、家の宗派は真宗系じゃないですけど)、
教学も素人ですから、そのように過分なこと言われると面映いです。
711さんは、真宗とか仏教にそんなに通じてるわけではないと謙遜なさって
ましたが、確か御実家でしたかがお寺さんとのことで、どうして鋭い記述に
こちらこそいろいろ勉強させていただいてます。なかなかじっくりとレス差し
上げる暇も無いですが今後もよろしくお願い致します。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>73 >私がそうしようとするのは自力なのです。
>私が信前だとすると、ですが。
>これはいかがしたものでしょうか?
「私がそうしようとする」「これはいかがしたものでしょうか?」いづれも
自力ですね。110さん自身が前スレで言われておりましたように「南無という
は帰命、これ発願回向の義なり」ですから「南無の機」「たのむ機」も阿弥陀様
のお心(お願い)ですよ。そのお心(御命)の御回向を今いただくのですよ。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
今晩はもう寝ます。明晩以降もし命ありましたなら。お休みなさい。
76 :
名無しさん@3周年:04/05/26 00:36 ID:DnS6TJJk
110さん、阿弥陀様があなたを救おうとするお心を頂いてください。
自分があれをするこれをするではなく、110さんに向けられた願力の不思議
に想いを寄せられると良いと思います。
77 :
110:04/05/26 00:38 ID:5o4kO7RY
>>75 重ねて問います。
宿善と獲信に関係はありますか?
78 :
名無しさん@3周年:04/05/26 00:45 ID:DnS6TJJk
>>77 75ではありませんが、宿善も阿弥陀様よりの賜りものです。
宿善は獲信に必要と思いますが、私たちの自力の行為によるものではなく、
全て阿弥陀様の願力によるものです。
79 :
名無しさん@3周年:04/05/26 00:50 ID:DnS6TJJk
「御一代記聞書」には
一、陽気・陰気とてあり。されば陽気をうる花ははやく開くなり、陰気とて日陰
の花は遅く咲くなり。かやうに宿善も遅速あり。されば已・今・当の往生あり。
弥陀の光明にあひて、はやく開くる人もあり、遅く開くる人もあり。とにかくに、
信・不信ともに仏法を心に入れて聴聞申すべきなりと云云。已・今・当のこと、
前前住上人(蓮如)仰せられ候ふと云云。昨日あらはす人もあり、今日あらは
す人もありと仰せられしと云云。
_ i'i,,,/7-、,_
ヾ、゙ヽ ゙' '/彡
=ミ ,、、_i i,L,_'゙=i-、
./'゙彡r|, ニt /-ミ' ゙l,
,,/ .,゙''i、l'=''(・)j)ノ゙ i i、_
'1--、| l,゙l'rェェ,.l゙j゙./゙⌒ヽミ
l゙i i .n i;ヽヾ'=|'゙/゙/i゙/!j゙!ji゙
Yt'‐リ゙'゙´ ゙ヽ‐|'゙ ´゙゙.i、,_ノ
.|N'゙rエニニlニコニニ'l、,
r'゙´`゙'=;、,,、,、---、ゞ'゙ ゙ゝ
ヽ,_r゙'L,_ `゙'>゙`〉
r‐'''゙ _,) i‐'゙ ぐ_
.゙ヾ-'゙ ゙\ 、ろ
゙ー゙´
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃マーニャはメラゾーマをとなえた! ┃
┃渡海 難 ◆Fe19/y1.mI に186のダメージ ┃
┃渡海 難 ◆Fe19/y1.mI をたおした .┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
81 :
711:04/05/26 00:58 ID:Gfv4vT/I
>>101さんへ
経験に頼ることをやめたほうがいいと思います。
宿善(前世に行った善と伺いますが、間違っていたら
ご指摘いただきたく存じます)
というものが、すなわち私どもが具体的に前世に何をやっ
たのかということはわかるはずもありません。(信用のおける
占い師に聞いて見るしかないかと思われます。私はそれが出来る
方に未だかつてお会いしたことがありませんし、今後会うことも
ないと思われます。)
獲信。非常に重い言葉であります。
これは、経験・体験で語りうるものなのでしょうか。
明日も仕事ですので、休みたいと思います。
部外者のお相手ありがとうございました。
おやすみなさい。
┏━━━━━━━━━━━━┓
┃>48のなまえをいれてください┃
┗━━━━━━━━━━━━┛
. ┏━━なまえ━━┓
. ┃ きちがい .┃
. ┃  ̄ ̄ ̄ ̄ .┃
┏━━━━━━━┻━━━━━━━━┓
┃あ い う え お は ひ ふ へ ほ .┃
┃か き く け .こ ま み む め も ┃
┃さ し す せ そ や ゆ .よ ┃
┃た ち つ て と ら .り る .れ ろ ┃
┃な に ぬ ね の .わ を ん ┃
┃っ .ゃ .ゅ ょ ゙ ゚ もどる.l>おわり.┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
83 :
名無しさん@3周年:04/05/26 01:14 ID:cqvyBuqM
元会員さんの体験とか聞きたいんですが…
84 :
505:04/05/26 03:21 ID:5tiOrjjH
>>51 >信知していなくても通るのですよ。
私の主張が「真宗=横出??」などという読解力のないことを連呼されるので
、少し詳しく説明したのですが、またもや筋違いのことばかりを仰いますね。
私はそもそも真宗の化風の話をしているのです。そもそも凡夫とは、自身が迷
っていることすらわかりません。信一念後の体験がなければ、自身が「要門を
通った」ことなどは決して信知されません。そして、信前のものに要門を勧め
るなど真宗の説き方ではない、と申しています。
もう一度確認しますが、親鸞会は、信前のものに対して、「要門を通って信を
獲なさい」、とは教え勧めていない、ということでよろしいのですか?
愚禿抄には「横出、他力のなかの自力なり・定散諸行なり」と仰せですが、
あなたの会で勧められている、信前のものの勧誘行為、ザイセ行為は定散
諸行ではないのですか?
>しかも、あなたが日ごろ善を心がけていないことも明白ですね。
あなたが日ごろこころがけておられるという善とは何ですか?
教えてください。
あなたの論理からすれば、勧誘行為、ザイセ行為にうつつを抜かしている
よりも、凡夫は無常迅速の機なのですから、なんといっても聞法、ついで
五正行のほうがはるかに宿善になるはずですから後者(聞法・五正行)の
ほうが活動としては優先されるべきでは?
これに対しては回答なしですか?
おっと、たとえばあなたの会の専任講師の活動は布教・勧誘行為が圧倒的に
中心であることは自明ですから、親鸞では聞法、五正行が勧誘行為、ザイセ
行為よりも優先されているなどという建前はおっしゃってはいけませんよ。
そのことに疑問をもっておられる会員の方は少なくないと思いますからね。
85 :
505:04/05/26 03:22 ID:5tiOrjjH
>>52 >19願力とは、阿弥陀仏の19願の働きのことです。
ほほう、「19願の働き」と?お聖教の根拠を明らかにしてください。
もうひとつ。親鸞会では、本願力以外の、十九願力も教えているのですか?
>絶対の幸福の根拠は、歎異抄の、摂取不捨の利益、です。
苦しい回答ですね。こういうのは根拠といいません。
あなたがたの(会の?)勝手な解釈、といいます。
>何度も言っている様な気がしますが。
いいえ、一度も答えられていませんよ。
もう一度お尋ねします。あなたがたの会の信前のものの主たる活動
(破邪顕正・ザイセ)は十九願なんですか?そうではないのですか?
お答え下さい。
あなたがいかに強弁しようと、学生会員の主たる活動は勧誘ですよ。
だから、勧誘行為、ザイセ行為は会の活動としては必ずしもする必要は
ない、ということでよろしいですね。
>善ですから、いずれの機に対しても勧められています。
あなたの会では、「破邪顕正は人間にできる最大の善であり、聖使命である」
といった表現をすると理解しましたが、異論があればおっしゃってください。
86 :
505:04/05/26 03:23 ID:5tiOrjjH
>>52 >自力の善が往生の助けには勿論なりませんよ。
では、なぜあなたがたの会の主たる活動が破邪顕正・ザイセなのですか?
>三願転入の理論(教学)と、三願転入の体験(実践)が共にある、最高無上の法です。
あなたは相変わらずお答えにならず、スルーしておられるようですが、三願転入のご文、
「ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善
の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに
難思往生の心を発しき。」
において「久しく」要門を離れ、「永く」十九願の往生を離れた、と親鸞聖人は仰せです。
あなたの会のでは「信前のものは、聴聞と併せてザイセ・勧誘などの自力の諸善をしなさい
」とする指導と祖師のご体験に基づくお勧め(「速やかに雑行を捨てて他力信をいただき
なさい」)は違っているようです。この点はいかがでしょうか。
87 :
505:04/05/26 03:25 ID:5tiOrjjH
>>53 >私は親鸞聖人の仰るままに書いたのですよ。三願は関連しているのです。
そのように解釈なさったのは親鸞聖人です。
違いますね。親鸞会における三願転入の解釈は甚だ特異なものですよ。
88 :
505:04/05/26 03:32 ID:5tiOrjjH
>>66 >時には他宗教と論争することもあります。
教学的には、内外廃立と申します。
横レス失礼します。
もう一度確認しますが、こんな暴論を親鸞会の見解である、
と自信満々におっしゃって、本当によろしいのですか?
他の会員さんのご意見を伺いたい物です。
89 :
505:04/05/26 03:35 ID:5tiOrjjH
>>78 会員のかたか、そうでないかたかはわかりませんが、
ご意見に同意いたします。
90 :
通行人:04/05/26 04:32 ID:PTzP8Fz/
> ついでに言っておくと、あなた方が本来の仏法者ではないことは、あなた方の文末などを見ているとよく分かりますよ。
だと思います、とか、だと考えています、という書き込みが圧倒的に多いのです。
そのとおり。「と思います」とか「と考える」「ではないでしょうか」多用する人は、たいがい信用できない。
自信がない人に限ってそうなんだよね。
特に「学者」、これ一番信用できない。
91 :
名無しさん@3周年:04/05/26 08:15 ID:4UuyR3KK
>>90 そうかぁ?
死後の世界とか幽霊やら超能力を、「実在する」って断言する奴の方が信用できないなぁ(
いや、「実在する」って断言するのは胡散臭いなあ。
本人が信じてるんだろうけど。
ああ、どっかの占い師のことね。
他意はない(w
93 :
505:04/05/26 08:37 ID:5tiOrjjH
>>54 >だと思います、とか、だと考えています、という書き込みが圧倒的に多いのです。
>自分の考えを話しているのではないからです。
これも失笑ですね。決して圧倒的に多いとは思いませんが・・・。おっと、「思う」といった
らまた揚げ足を取られるのでしょうか・・(笑)。たしかに最近の会の教義に関してはまった
く正確に把握しているとはいえないので会の教義を〜のように「思います」という表現をした
ことがありますし、親鸞聖人が方便化身土巻を説かれた目的について「思います」などと表現
したことは自覚していますが、「あなた方のように、考えや思いを入れられて、教えは曲解され、
捻じ曲げられていったのです」とか大げさに非難されることは的外れではないでしょうか?
あなたの会の論者は一般に矛盾を突きつけられて窮する度に、このように
相手攻撃方面に話題を変える場合が多かったですね。要注意です。
ところで前スレの110さんのご発言です.
219 :110 :04/05/15 01:17
私たちが考えて分かるものではないと思います。
239 :110 :04/05/15 11:47
互いに反する二つの教義があれば、お聖教の根拠を引いて正邪を決するべきだと思います。
回答と致しましては、事実を示せば十分だと思います。
596 :110 :04/05/18 01:07 ID:mEwishOY
常没の凡愚という言葉がでてくる御文にそういうお言葉はないと思います。
729 :110 :04/05/20 23:18 ID:3DPSX3z2
特に間違ってないと思いますよ?
110さん、果たしてあなたに「自分の考えを話しているのではないからです。」
「親鸞聖人のおっしゃるまま、お釈迦様のおっしゃるままに話しているから、
自分の考えをはさまないようはさまないよう努力しているからです。」
などとおっしゃれる資格はあるのですか?
94 :
名無しさん@3周年:04/05/26 08:46 ID:qCFWTWrw
>あなたがたの会の信前のものの主たる活動
(破邪顕正・ザイセ)は十九願なんですか?そうではないのですか?
お答え下さい。
破邪顕正・財施は諸善であり、信前信後を問わずすすめられています。
そういう行いをしているひとに十九、二十、十八願の心相のひとが
それぞれいるのです。
信前の者に善をすすめられた根拠として十九願、観経の定善散善がしめされて
いるのであって十九願を修せよ、というお話はお聞きしたことはありません。
何度も言ってるけどわからないんだろうなあ。
人のことは詭弁だとかなんとか言うけど自分の足下をみてください。
通仏教で廃悪修善を説かれているのは
「阿弥陀仏の本願海に導くためではない」と考えているわけですね。
そういう見解は聖人のみ教えではない、ということです。
十九願が聖道門のみに示された方便だという根拠は結局、聖人のお言葉
では示されてないですし。
真宗の化風という根拠がないですよ。
95 :
:04/05/26 08:47 ID:zjFlVXYx
あ〜もう駄目だ・はぁ
96 :
110:04/05/26 11:13 ID:DHyaKrd5
>>84 信を獲るときには要門を通るのです。だから信前の者に、大切ですよ、と言います。
一念ではっきりすることを、信前の者に教え勧めてはいけないというのが、あなたの主張です。
常識人なら、到底納得できるものではないのですよ。
>愚禿抄には「横出、他力のなかの自力なり・定散諸行なり」と仰せですが、
>あなたの会で勧められている、信前のものの勧誘行為、ザイセ行為は定散
>諸行ではないのですか?
信前の者の諸善はその通りですよ。未だ真実に入っていないのですから。
教えだけ真実で、機は未だ権仮では救われません。真実に導くための方便ですから。
どうも、善の勧め=自力の勧め、という固定観念が強くあるのが理解の妨げになっているようです。
はっきり申しておきますが、これは完全に不等号です。
>あなたが日ごろこころがけておられるという善とは何ですか?
法施に財施、精進などです。
>あなたの論理からすれば、勧誘行為、ザイセ行為にうつつを抜かしている
>よりも、凡夫は無常迅速の機なのですから、なんといっても聞法、ついで
>五正行のほうがはるかに宿善になるはずですから後者(聞法・五正行)の
>ほうが活動としては優先されるべきでは?
そもそも今までの論点とまるで関係の無い、しかも的外れの非難ですか。
こんな非難で自分を慰めることができるんでしょうか。
本会は聴聞に優先して活動はしていませんよ。聴聞、五正行、諸善万行の順です。
布教活動に、うつつを抜かす、などの表現を使うあなたは最早仏法者ではないことは自明ですが、
この真実の仏法を皆さんにお伝えすることがどんなにすばらしいことが分からないのですね。
また、今日の私たちまで仏法を伝えて下さった方々のご恩も分からないし、
それに報いようと破邪顕正に立ち上がることもないのですね。ただただ、哀れというほかありません。
聴聞が優先されていないなどと疑問を持つような人はよほど穿った見方をする人だけでしょう。
たとえば、あなたです。
97 :
110:04/05/26 11:20 ID:DHyaKrd5
>>85 ほほう、とはずいぶんわざとらしいですが残念、揚げ足取りはできそうにありません。
願だけあって、力がないとどうなりますか。文字だけのことで、意味がなくなります。
仏様の願には働きがある。それだけのことです。
19願力、当然教えられていますよ。19願があるのですから、当然です。
>>絶対の幸福の根拠は、歎異抄の、摂取不捨の利益、です。
>苦しい回答ですね。こういうのは根拠といいません。
>あなたがたの(会の?)勝手な解釈、といいます。
あなたの主張の方がよほど苦しいのですよ。私は根拠を示しました。
あなたは相手を、勝手だと、言っているだけです。
冷静に自分の考えを見直してください。
>>何度も言っている様な気がしますが。
>いいえ、一度も答えられていませんよ。
>もう一度お尋ねします。あなたがたの会の信前のものの主たる活動
>(破邪顕正・ザイセ)は十九願なんですか?そうではないのですか?
信前の者の、法施、財施は、19願の行になりますよ。それが何か。
19願を勧めている!とか非難したいのでしょうか。
18願に向かっての19願です。お忘れないように。19願だけを勧めているのではないのです。
何回も言っています。あなたが理解しようとしないだけのようです。
>だから、勧誘行為、ザイセ行為は会の活動としては必ずしもする必要は
>ない、ということでよろしいですね。
だから、とは何がだからなんでしょうかね。
>あなたの会では、「破邪顕正は人間にできる最大の善であり、聖使命である」
>といった表現をすると理解しましたが、異論があればおっしゃってください。
異論ありません。あなたには異論があるんですか?
98 :
110:04/05/26 11:44 ID:DHyaKrd5
>>86 >では、なぜあなたがたの会の主たる活動が破邪顕正・ザイセなのですか?
法施は聴聞と同じだし、諸善は獲得の因縁(宿善)になるからですよ。
勿論、聴聞最優先ですが。
>において「久しく」要門を離れ、「永く」十九願の往生を離れた、と親鸞聖人は仰せです。
>あなたの会のでは「信前のものは、聴聞と併せてザイセ・勧誘などの自力の諸善をしなさい
>」とする指導と祖師のご体験に基づくお勧め(「速やかに雑行を捨てて他力信をいただき
>なさい」)は違っているようです。この点はいかがでしょうか。
違っておりません。ここが核心です。
信一念の体験とは、19願、20願から、18願に転入させられた体験です。
当然、19願、20願は出て、18願に入るのです。
ここに一人の人間がいます。信前だとします。この人は、18願真実に入りたい、
と願いを起こし、聴聞に極まると聞いて、真剣に聞法しています。
一方、善の勧めがあると聞いて、善に努めています。
信前は、善に向かう心は、「これだけ善をしたら早く…」という心です。
この心を自力の心と言うのです。
この人が尊いことに、信心決定の凱歌をあげられた、とします。
信後は、善に向かう心は、先ほどの自力の心ではありません。弥陀に対する、お礼、報謝の心です。
これは、やればやるほど信味が深まる、素晴らしい行です。
よい行いを、やめよ、とか、諸善から出よ、というようなことは言われる訳がありません。
19願を出て、中略、18願に入った、と言われているのは、自力の心を捨てられた、
という意味なのは明白です。自力の心を捨てよ、と言われているのです。
よい行いを捨てよ、とは全く言われていないのです。
99 :
110:04/05/26 11:45 ID:DHyaKrd5
>>97の続き
あなたは、自力の心と善行を結びつけずにはいられないようです。
信後になれば、自力の心が微塵も無い報謝の善行があることは体で知らされることです。
雑行を捨てよ、とは、よい行いを捨てよ、といわれているのではないのです。
自力の心を捨てよ、と言われているのです。よい行いは大いに勧められているのです。
信前に善を勧めたら自力執が募るから、という言い訳は、役に立ちません。
単に、経験則です。求道ごっこの結果なのでしょう。
勧めなくとも、信前は自力しかないのです。善を勧めないと、自力が減ったような気がしましたか?
それも、自力のしわざです。自力は少しも減っていません。
自力の本性を知らなければ言えないことです。
100 :
110:04/05/26 11:52 ID:DHyaKrd5
上は98の続きです。
>>88 横レスしてまで何を揚げ足取りしたかったのか分かりません。
何が暴論でしたか。
>>93 私のは4つしか見つからなかったんですか。思ったより少なかったです。
しかも教義に思いを挟む発言はゼロですね。よかったと思います。
発言に説得力が増しました。ありがとうございます。
あなたのはいくつあるでしょうか。時間がかかりそうなのでちょっと後で数えてみます。
むきになるのはかわいいですが、やればやるほど不利になることが分かりませんか?
もうちょっと先を読んでください。
101 :
110:04/05/26 12:23 ID:DHyaKrd5
>>93 数えてきました。
505氏が教義に考えを入れていた発言:9回
教義以外のことで考える、などの表現:4、5回
あなたは中盤から参加して、これだけ既に教義に思いを挟んでいるのです。
もうちょっと自覚があるものと思っていましたが…。
もっと客観視できるようにした方がいいと思いますよ。
それと、面白いことに、たいていの場合、本会を攻撃するときに「思い」
を入れているようだということが分かりました。
あなたの本会攻撃の根拠は、思いが多分に混じっているようですね。
まあ当然と言えば当然ですが。
102 :
名無しさん@3周年:04/05/26 13:04 ID:Dv5dBAbq
103 :
名無しさん@3周年:04/05/26 13:18 ID:Dv5dBAbq
ご立派に「善の勧め」なんて掲げているだけに、逆に腐臭がぷんぷん臭う…。
会員の言ってる善など、「親鸞会や自分たちに都合のいいもの」の事であって、オウムの「タントラヴァジラヤーナ」と何ら変わりない。
104 :
法皇官房信徒庁決意:04/05/26 13:18 ID:Dv5dBAbq
法皇官房信徒庁決意
私は信徒庁の一員である。
信徒庁の使命は、
できるだけ多くの凡夫を入信させ、
できるだけ多くの活動信徒を作り、
できるだけ多くの功徳を積ませ、
できるだけ多くの出家修行者を生み出すことである。
タントラヴァジラヤーナは、グルの意思の実践がすベてだ。それ以外は無効である。功徳にならない。
グルの指示がすベてだ。それ以外は無効である。功徳にならない。
タントラヴァジラヤーナは、結果の道である。
したがって、結果のためには手段を選ぶ必要がない。
105 :
法皇官房信徒庁決意:04/05/26 13:19 ID:Dv5dBAbq
さあ、導くぞ。
まず、第一に自分自身が無明の凡夫外道を導くぞ。
自分の友人、知人、縁故関係をすべて導くぞ。
オウム真理教に直接アプローチしてきた凡夫外道に法 則を説くぞ。
たとえ、導きの途上でカルマ落としに出会っても平然と耐えるぞ、
あるいは叩かれても叩かれてもそれを喜びとするぞ。
第二に、信徒と一緒に導くぞ。
次の機会には、しっかりとその信徒一人でも導けるよう導きの手本を見せるぞ。たとえ、導きの途中でカルマ落としに出会っても平然と耐えるぞ。
あるいは叩かれても叩かれてもそれを喜びとするぞ。
そして最終段階だ。
信徒に導きの実力がついた。
独力で導けるようになった。
この段階で、信徒にしっかりと導かせるぞ。しっかりと導かせるぞ。
導きの途上で会うカルマ落としに平然と耐える、
あるいは叩かれても叩かれてもそれを喜びとすること ができる強い信徒を作るぞ。
106 :
法皇官房信徒庁決意:04/05/26 13:20 ID:Dv5dBAbq
さあ、しっかりと信徒に導かせるぞ。信徒に導かせるぞ。
導きのできない信徒には、布施の実践をさせるしかない。
導きのできない信徒には、しっかりと布施の実践を徹底させるぞ。
しっかりと布施の実践を徹底させるぞ。
財そのものは誰の所有でもない。
財が誰かに帰属するなどというのは、明らかに幻影なんだ。
幻影である証拠として、死後、わたしたちは財を持っていくことはできない。
生前の財を所有することはできないんだ。
〜「オウム真理教:法皇官房信徒庁決意」より〜
107 :
名無しさん@3周年:04/05/26 13:29 ID:DnS6TJJk
>>102 なかなか勤勉な工作員だ、一列前へ出してもらえるぞ!
>>102 自分がそこら中の掲示板荒らし回っているのを忘れないと
言えないセリフだなw
109 :
110:04/05/26 15:21 ID:DHyaKrd5
>>102 何でもかんでも一緒くたにして非難するのは叩きの常套手段ですね。
たいした説得力がないのは当然です。
>>103 その違い目は明確に説明しました。
自分の都合ではなく、釈尊の言われる通り、なのですよ。
110 :
名無しさん@3周年:04/05/26 15:26 ID:DnS6TJJk
_
_,,, r::::::::::: ̄ ̄::::: "`''ヽ,
r ":::::::::: ヾ、
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/ / i /::/:::::::/:::リ:::l::l:::::l::::::l:::::::ヽ:ヾ:\
/ /:::ノ/:://::::::/:::/i::ハ::ト::::リi::::iハ::: ヽハ ヽ,
ir/:l::l//ハ/:::/l::/ l/ l::l::メ' ヽハ:::ヽ::::ヽlリヽ
'l:::/:::/::ノ-/ソ-,-i /' i/i/-ヽ-i-lハ,:::l:::l::ハ::l
l、::lr'":::l:/r'i'',iy-、 / /,,ィ'';rj''ヘ,ヾi::l::l:l l:/
ヾiリ::::l:::::ヾ` `'" `'" "/ハ::::i::i i'
lハ::::l,:::ヾ` i, //::::/l:l,/
l"l:::::l、:\,, '" /ハ/i/,ノハ
' 'l,:::l:::\ ー‐_‐‐ ,.イ::lハ/ ,/
'l::l:::l,'へ,, ,//ハノ 無理しなくていいのよ110ちゃん
ノ::l:::\ ` 、,_ , ィ /ハ /'" あなたが荒らしたって私は責めないわ
rハリ:::::iヽ ソ'rリヽ
ノ `ヽノ'! ` / `ヽ,
,r''l \_,, /、,, \
,,-‐'" 'l `‐ ,、 l l ,ヘ,、,
,r-‐' l, /`ヽ\ l // ヽ\
111 :
110:04/05/26 15:31 ID:DHyaKrd5
>>81 宿善論とは、まったくそういう話ではありませんよ…
112 :
通行人:04/05/26 16:25 ID:T6YEouCc
どうでもいいけど、お勤めだけはちゃんとしろよ。
20願門の実践だ。
113 :
名無しさん@3周年:04/05/26 17:36 ID:dNPmwLqn
>>63 >阿弥陀様因位の時に真実心のうちに取捨された業
すでに衆生の業を取捨されたのなら、十方衆生は救われているという
ことです。
あなたが十劫安心だというのはごまかしても言葉の端々に出ています。
御修行で法蔵菩薩が善の三業を取り、不善の三業を捨てられてとられなかった
ことを仰っているのです。
>>68 >通途仏教(随他)の「自力の心行」の立場では、
あなたは「通仏教で説かれている善は『悪』である」と言うわけですね。
114 :
505:04/05/26 19:56 ID:RmQYYCbu
>>98 しかし、505さんはずいぶんまめにチェックされてるようですね。
「思います」の回数のチェック、まことにご苦労様でした^^
時間の余裕があるようですが、ネット対策講師さんですか、
それとも学生さんかな?
>私のは4つしか見つからなかったんですか。思ったより少なかったです。
いえ、もっとありましたけど・・。ご希望なら挙げてもいいですが。
>しかも教義に思いを挟む発言はゼロですね。よかったと思います。
自分を客観視することは非常に難しいものですね。
なかなか書き込む時間がありませんのでひとまず総論を一言。
親鸞会では三願転入を衆生が通らなければならない、往生マニュアルのように理解している
ところが根本的に問題ですね。たしかに本願海に転入後であっても機相からすれば、末代の
煩悩成就の泥凡夫に過ぎませんから十九も二十もわかりません。しかし、名号の功徳の力有に
よって、決定後は18願の世界に至るまでの心の道程が十九、二十、十八、と知らされる、
ということです。
すべてのひとが同じ心の道程を通るといっても、行まで親鸞聖人と同じように、
聖道門の六度万行の行とか、定善、散善などの難行苦行を実行しなさい、などとは
親鸞聖人はおっしゃっておられません。むしろ、自分が永らく迷ってきた道であるから、
速やかに計らいを捨て、名号法をいただいて迷い道から出なさい、とご教示です。
すべての人が同じような行をして救われるわけではないことは、多くの妙香人の言行録、
耳四郎の獲信、東条氏の獲信などを少しでも考察しようとする気持ちがあれば、きわめて
明白なことです。
110さんの主張が、ある特定の行を実行しなければ救われない、という主張であるとすれば、
往生に条件をつけていることになります。すなわち十方衆生を相手に誓われたご本願という
ことに反してしまいます。
ある人が外面に現れた行(その人の修している行)によってその人の信仰がどの道程にあるか
どうかなどは信前では決してわかりません。
自力信を否定するはたらきそのものは名号法にあるからです。
115 :
505:04/05/26 20:19 ID:RmQYYCbu
>>98 命がけで聴聞すれば、真剣に善を積んでいけば信が獲られるにちがいない、
このように私の側から自力いっぱいで求めていく方向は、逆に「自分にまかせなさい」と
仰せの阿弥陀様の救いから遠ざかってしまう、というパラドックス構造になって
います。「わたし」の側から救いを求めていく方向が、皮肉なことに救いから遠ざかるのですね。
それはなぜかというと、救いの名号法はすでに成就しており、「わたし」が求めるよりも
先行してすでに与えられているからです。まあ、このように申すと十劫安心だ、とかいって筋違いの
非難をなさるかもしれませんが、十劫安心とはすでにわれわれが救われていたのを知ることが信心だ、
とかいう異安心ですから、まったく違います。
道元禅師の「自己を運びて万法を修証するを迷とす」「万法すすみて自己を修証するは
さとりなり」というご教示は、真宗を含む、仏教に共通する立場です。
本願は「親鸞一人がため」のものなのであって、この「わたし」を除いては成立しません。
自分の会が唯一絶対である、とする独善に陥り、他人を破邪顕正することに追われる活動を
しているうちに、善悪正邪の世界に安住し、勝他の正義感が限りなく肥大していき、内外廃立が本来
「わたし一人」のために説かれているとは思えずに、他人を勧化するうえでの用語であると思って
少しも疑問ももたないような弊害が現れてくるわけです。
善悪に執する心こそが、自力心であり、求めて獲られることをあてにする心である、
ということをいまひとつお考えになってください。
116 :
505:04/05/26 20:32 ID:RmQYYCbu
>>98 >法施は聴聞と同じだし、
お聖教上の根拠をあきらかにしてください。
>一方、善の勧めがあると聞いて、善に努めています。
末代の、罪悪生死の泥盆夫が定善十三観や散善を修しなければ、十八願の世界には
入れない、という教えではない、ということでよろしいでしょうか?
また、凡夫が真の意味で「善の勧めがあると聞いて、善に努め」ようという
心が起こせるのでしょうか?あなたはおこせるのですか?
聖人が、どんな愚鈍の凡夫であっても、ご自身の修した行の道程を通らなければ
信を獲られない、と教えられた根拠はあるのでしょうか?
>よい行いを、やめよ、とか、諸善から出よ、というようなことは言われる訳がありません。
よい行いとは、本来凡夫には実行不能の諸善万行、そのなかでもとりわけ
困難な難行である布施行も、親鸞会的には含むのですよね。
他力信を獲るのに、無常迅速の凡夫も、難行である諸善を積まなければ信は
獲られないという根拠はないということでよろしいのですよね。
だから、往生のためには、親鸞会で勧められているようなザイセとか勧誘活動は
必ずしもする必要はない、ということでよろしいのですよね。
117 :
505:04/05/26 21:00 ID:RmQYYCbu
>>99 >よい行いは大いに勧められているのです。
真宗において往生とあなたが指摘されるような「よい行い」の関係はいかなるもの
なのでしょうか?
衆生が往生する因も行も名号法に存する、と善導大師も祖師もご教示なのに、
どうしていまさら往生のために諸善が「大いに勧められ」なければならないのですか?
そもそも、「定散二善が十八願にいたる方便である」とする説は、法然上人の「諸行廃立」に対して、
聖道門からの批判があまりにも激しかったために、法然上人門下の妥協派(西山上人など)
が応酬するために説かれたというのが通説のようですね。
親鸞会はその後を継いでいる、というわけでしょうか。
一念多念証文にあきらかなように、浄土真宗は非因非果即亦因亦果といわれる世界であって、
因果を超越したところの、無相無辺の世界であって、有無の相対の世界とは次元が異なって
います。求めてえられたらそれを自らあてにしようとする自力心を否定すること
を説くのが浄土真宗です。
親鸞会が宿善になるからと称して、勧誘活動やザイセ活動(散善)を獲信と結びつけて
説く限りは、いつまでも親鸞会は真宗ではない、と批判され続けることでしょう。
では、また機会があれば続きを書きます。
118 :
110:04/05/26 21:15 ID:DHyaKrd5
あれだけ分かりやすく数値で示したのにわかりませんか。まぁいいでしょう。
都合悪いものは完全にスルーといううわさは本当だったようで。
そろそろ一般の読者(がいるとすればですが)は、だいたい全容がつかめてきていると思いますので、
私のペースも少し落としていきます。
>>私のは4つしか見つからなかったんですか。思ったより少なかったです。
>いえ、もっとありましたけど・・。ご希望なら挙げてもいいですが。
>>しかも教義に思いを挟む発言はゼロですね。よかったと思います。
>自分を客観視することは非常に難しいものですね。
数字もあなたの前では無意味だったようで。
どちらかというと、あなたのためではなく、一般の読者のために数えました。
>110さんの主張が、ある特定の行を実行しなければ救われない、という主張であるとすれば、
>往生に条件をつけていることになります。すなわち十方衆生を相手に誓われたご本願という
>ことに反してしまいます。
そういう主張ではないことはそろそろ分かってきましたか?
分かってきたらこれ幸いですね。
119 :
110:04/05/26 21:22 ID:DHyaKrd5
>命がけで聴聞すれば、真剣に善を積んでいけば信が獲られるにちがいない、
>このように私の側から自力いっぱいで求めていく方向は、逆に「自分にまかせなさい」と
>仰せの阿弥陀様の救いから遠ざかってしまう、というパラドックス構造になって
>います。「わたし」の側から救いを求めていく方向が、皮肉なことに救いから遠ざかるのですね。
>それはなぜかというと、救いの名号法はすでに成就しており、「わたし」が求めるよりも
>先行してすでに与えられているからです。
まぁ、十劫安心以前ですね。そもそも私たちの「方向付け」自体が自力なのです。
私たちがどういう方向を心がけようが、私たちの力なんですよ。
残念ながら、そのパラドックスを避けようとするのも、自力以外の何者でもないのです。
パラドックスに向かうのと、本質はなんら変わりません。どちらも、ただ、自力です。
やろうとするのも、やめようとするのも、そもそもそういうことを
考えることをやめようとするのも、自力しかないのですよ。
よく考えれば分かるはずのことです。
考えるのをやめるから、そんなところに腰を落ち着けてしまうのですよ。
そんな発想の転換レベルで、自力が捨てられるわけがありません。
自力執が募るから、他力の救いが離れる、というのは、
それはあなたの、単なる経験則なのです。
心の表層だけを見て、自力が増えたなどと感じているだけです。
他力に任せた気になっても、本心は相変わらず自力一杯ですよ。
あなた方の主張によると、救いの手段も全て弥陀任せで、私たちの行は関係ない、と言うのです。
ということは、私たちが救いのためにできることが何もない、と言っているのですよ。
自力は捨てようとして捨てられるものではないと知っていれば、分かるはずですが、
どうしたら他力に入れるかを知りたいのが、求道者なのに、それに答えるすべを持たない。
どうしようもない、と言っているのと同じなのです。
あなた方の説は、求道者を納得させるものではないのです。
今のところ110優勢だね。
これはナットク
>あなた方の主張によると、救いの手段も全て弥陀任せで、私たちの行は関係ない、と言うのです。
ということは、私たちが救いのためにできることが何もない、と言っているのですよ。
自力は捨てようとして捨てられるものではないと知っていれば、分かるはずですが、
どうしたら他力に入れるかを知りたいのが、求道者なのに、それに答えるすべを持たない。
どうしようもない、と言っているのと同じなのです。
あなた方の説は、求道者を納得させるものではないのです。
121 :
110:04/05/26 21:33 ID:DHyaKrd5
>>115 ここにもあなたの自力の心が現れているのですよ。
>自分の会が唯一絶対である、とする独善に陥り、他人を破邪顕正することに追われる活動を
>しているうちに、善悪正邪の世界に安住し、勝他の正義感が限りなく肥大していき、内外廃立が本来
>「わたし一人」のために説かれているとは思えずに、他人を勧化するうえでの用語であると思って
>少しも疑問ももたないような弊害が現れてくるわけです。
>善悪に執する心こそが、自力心であり、求めて獲られることをあてにする心である、
>ということをいまひとつお考えになってください。
善悪を知らないのが私たちの本性ですが、仏智を体得すれば、善悪を知るのです。
仏様が、善も悪も知らないとお思いでしょうか。右も左も分からない、どっちにいけば
いいのか分からない、そんな仏様はおられませんよ。
破邪顕正こそ、最高の報謝の道であり、最も如来聖人が喜ばれることなのです。
それに向かってまっすぐ進む。
親鸞聖人のご生涯も、また、波乱万丈であったのです。
仏法は自利利他の教えです。他人に施すままが、自分に返ってくる。
自分の幸せが、そのまま他人の幸せとなる。
法施も同じなのです。他人に真実を話すままが、その言葉が、自分に返ってくるのです。
聴聞と同じなのは、当然でしょう。
少しでもしたことがあれば分かるはずです。
122 :
711:04/05/26 21:43 ID:Gfv4vT/I
>>505さんへ
やっと仕事が終わりました。
>求めてえられたらそれを自らあてにしようとする自力心を否定すること
を説くのが浄土真宗です。
同感です。仏教のみならず宗教の本質だと思います。
パウロは「我が生きるにあらずキリスト我において生きる」と
言われました。
道元禅師は「仏道をならうことは、自己をならうなり、自己を
ならうというは、自己を忘るるなり」と
言われました。
如何なる宗教も自己否定的努力を要せないものはないが、
その行為や経験自体に重きをおくことは、全く自力執心
に他ならないと考えます。
>>110さんへ
宿善についてご教示いただきたく存じます。
何卒、よろしくお願いいたします。
>>113 >すでに衆生の業を取捨されたのなら、十方衆生は救われているという
>ことです。
はあ? なんか「取捨」の意味を誤解されてるんじゃ?
「選択とはすなはちこれ取捨の義なり。」
「選択と摂取はその言異なりといへども、その意同じ。しかれば不清浄の行を
捨てて、清浄の行を取る。」
「かくのごとく往生の行、種々不同なり。つぶさに述ぶべからず。すなはちいま
前の布施・持戒、乃至孝養父母等の諸行を選捨して、専称仏号を選取す。ゆえに
選択といふ。」(何れも『選択集』本願章)
「『経』(観経)にのたまはく、〈一者至誠心〉。至とは真なり、誠とは実なり。
一切衆生の身口意業の所修の解行、かならず真実心のうちになしたまへるを須ゐん
ことを明かさんと欲ふ。外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて
、貪瞋邪偽、奸詐百端にして悪性侵めがたし、事、蛇蝎に同じ。三業を起すといへども、
名づけて雑毒の善とす、また虚仮の行と名づく、真実の業と名づけざるなり。もしかくの
ごとき安心起行をなすは、たとひ身心を苦励して日夜十二時に急に走め急に作して頭燃を
灸ふがごとくするものは、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回してかの仏の浄土
に求生せんと欲するは、これかならず不可なり。なにをもつてのゆゑに、まさしくかの阿弥陀仏、
因中に菩薩の行を行じたまひしとき、乃至一念一刹那も、三業の所修みなこれ真実心のうちに
なしたまひしによってなり。おほよそ施したまふところ趣求をなす、またみな真実なり。また
真実に二種あり。一つには自利真実、二つには利他真実なり。乃至 不善の三業はかならず
真実心のうちに捨てたまへるを須ゐよ。またもし善の三業を起さば、かならず真実心のうちに
なしたまひしを須ゐて、内外明闇を簡ばず、みな真実を須ゐるがゆゑに至誠心と名づく。(『信文類』)
法蔵比丘の「取捨」とは「選択本願」のことですね。「不善の三業」=「自力雑毒の行」なのも自明で
すね。仏願に順じて、阿弥陀様が取捨されたように、自力を捨てて、清浄の「善の三業」=「御名号」
を聞かせていただきなさいのお勧めはあきらかですね。十劫の昔にわれわれの「自力」が捨てられた
という意味でないのもあきらかです。
124 :
110:04/05/26 22:17 ID:DHyaKrd5
>>116 >末代の、罪悪生死の泥盆夫が定善十三観や散善を修しなければ、十八願の世界には
>入れない、という教えではない、ということでよろしいでしょうか?
善をしなければ救われない、というのは誤りです。善をしたら救われる、も誤りです。
よい関係がある、と申します。
>また、凡夫が真の意味で「善の勧めがあると聞いて、善に努め」ようという
>心が起こせるのでしょうか?あなたはおこせるのですか?
真の意味からはできません。しかし、未信で、自力の心が捨てきれない者は、
起こせると思う心があるのです。それが自力の心ですからね。
>聖人が、どんな愚鈍の凡夫であっても、ご自身の修した行の道程を通らなければ
>信を獲られない、と教えられた根拠はあるのでしょうか?
十方衆生が相手の三願と、前スレであげた御和讃です。
至心発願欲生と〜の浄土和讃、3つです。
>よい行いとは、本来凡夫には実行不能の諸善万行、そのなかでもとりわけ
>困難な難行である布施行も、親鸞会的には含むのですよね。
本来凡夫には実行不能だから初めから見向きもしないあなた方と、
その真似事でもさせていただこうとする本会、好対比ですね。
>他力信を獲るのに、無常迅速の凡夫も、難行である諸善を積まなければ信は
>獲られないという根拠はないということでよろしいのですよね。
根拠はないどころか、それは間違いです。善を積まなければ信は獲られない、という主張ではない、
と再三再四申しております。往生は信心一つです。しかし、私たちの善は獲信とよい関係があるのですよ。
善が障りになるなどというのは何ら根拠のない、あなた方の主観判断なのです。
>だから、往生のためには、親鸞会で勧められているようなザイセとか勧誘活動は
>必ずしもする必要はない、ということでよろしいのですよね。
往生の助けにはなりませんが、獲信の因縁(宿善)になります。
より早く救われるのです。もう、お分かりでしょう。
125 :
711:04/05/26 22:28 ID:Gfv4vT/I
>>110さんへ
失礼を承知で申し上げます。
親鸞会の教義は
善を積む→スピードアップ→回心(獲信)
悪人→時間がかかる→回心(獲得)
ということでまとめてもよろしいのでしょうか?
>>113 >あなたは「通仏教で説かれている善は『悪』である」と言うわけですね。
これも上に引用のお聖教の御文であきらかだと思います。「他力真実」でない
「自力虚仮」を不善(=悪)と仰ってますね。
「信疑決判」の真宗は、通仏教と立場を異にし、仏教通途の「悪業」・「罪業」は
お許しで「どんな悪人でも救われます」が、凡聖ともに、「自力のものは救われない」
として「自力疑情」を根本の「悪」とするわけです。
真宗の立場では、「自力の心行」は、「辺地化土往生」や「コウ劫経歴」の業因ですから、
ただちに「廃捨」を勧められる「悪行」ということになりますね。
127 :
110:04/05/26 22:34 ID:DHyaKrd5
>>117 あなたのその疑問に答える、問題提起として、119の最後の方に書きました。
18願の救いは、その通り、全て弥陀のお力です。絶対他力、間違いないですよ。
しかし、もしそれだけの教えならば、どうしようもないのです。
私たちが何をしても自力なのですから。他力と自力は無縁なのです。
あなたは、自力を捨てようとするのが大事だ、と言っているに過ぎない。
その心も自力だ、と指摘すると、その通りです、と一応は答えます。
そして、その心も捨てねばならないともっともらしく説明する。
どうしようもない、と同義になってしまいますが、それでよろしいのですか?
親鸞会は、他力の世界を合点のレベルでも早く知りなさい、と、信前の者に対しても
大いに聴聞を勧めています。
また、弥陀を念じ、念仏を称え、お勤めをすることも、仏様とご縁が深まるから、素晴らしいことですよ、
と大いに勧めます。
さらに、いろいろの善、これもまた、良い結果が返ってくるだけでなく、
善の出来がたい自分の姿が知らされて、仏法とご縁が深まりますよ、と説きます。
勿論、自力の延長線上に他力があるのではありません。
善をどんどん頑張れば他力に入る、というのは完全に間違いです。
救いは、弥陀任せ。しかし、仏縁は、自ら求めることができるのです。
それを、求道と言うのです。真剣に求める心があれば、そんな話で納得できるはずがありません。
そもそも、求道が始まっていないのです。
そんな問いに答えることも出来ないものは、そもそも宗ではありません。
方便を説かない、とはそういうことなのです。
救われるための道を説かないのです。
128 :
110:04/05/26 22:39 ID:DHyaKrd5
>>125 表現をこちらである程度適当に直すと、
宿善の厚い人は早く救われる、薄い人は遅くなる。
これは間違いありません。蓮如上人が仰っているのですよ。
宿善とは、宿世の善根ということで、信心獲得から一切の過去を振り返った善のことです。
別に、過去世が猫でそのときに魚を殺すのをやめたとか、そんな具体的な話が
大事だ、という話ではないのですよ…。
129 :
711:04/05/26 22:41 ID:Gfv4vT/I
>>110さんへ
>>自力執が募るから、他力の救いが離れる、というのは、
それはあなたの、単なる経験則なのです。
心の表層だけを見て、自力が増えたなどと感じているだけです。
他力に任せた気になっても、本心は相変わらず自力一杯ですよ。
110さんは、他力に任せた気になっておられるのでしょうか?
130 :
110:04/05/26 22:43 ID:DHyaKrd5
>>129 なっておりませんよ。どうしてそういう質問が出てくるのですか?
131 :
711:04/05/26 22:48 ID:Gfv4vT/I
>>110さんへ
申し訳ありません。安心いたしました。
他力に任せきっておられるのですか?
132 :
110:04/05/26 22:49 ID:DHyaKrd5
>>131 そうですか?
ご想像にお任せ致します。
133 :
711:04/05/26 22:54 ID:Gfv4vT/I
>>110さんへ
つまらないではありませんか。
宗教は論理学なのですか?
134 :
110:04/05/26 23:09 ID:5o4kO7RY
>>711さん
面白いとかつまらないとかは、趣味の話です。
宗教に持ち込む必要はないし、持ち込むべきではありません。
宗教は、死の問題を解決して絶対の幸福になるためのものです。
補足すると、真宗の教学は、非常に論理的だし、深遠です。
表現はよくないですが、実はとても面白いのですよ。
135 :
711:04/05/26 23:25 ID:Gfv4vT/I
>>110さんへ
私の志している哲学には根本命題がございます。
自己とはなにか、という問いです。
それを考えていくと、人間存在の究極的問題となる
宗教とは何か、という所に行き着かざるを得なくなります。
ただ自己の教義弁護のため(その自己がなんたるかも判らないまま)
人間の最も価値ある叡智、宗教を「ご想像にお任せします」
というような語り口で語ることに
欺瞞と不誠実さを感じざるを得ません。
親鸞聖人は私の愚問にどうお答えになられたでしょうか。
>>129 711さんへ
親鸞会の三願転入に関する教義は、おそらく星野元豊氏の「浄土」が底本になっています
昭和三十二年初版が発行されており、第四版が昭和五十年に刷られた本なので、その筋にはファンが多いのでしょう
(というか私もファンなのですが)
高森という人が参考にしてもおかしくはないと思います
内容は・・・
相対の世界にいる我々が、絶対の世界にいかにして関係を結ぶか?が命題の本ですね。
これらは矛盾するもの同士で、そのままでは結びつくことはできない、
そこでその間を取り持つため仲保者として浄土=阿弥陀仏が現れ、我々にどのようにはたらきかけているか?
ということを論述したものです。
>>136の内容の続き
浄土は凡夫の欲望の対象として現れ、自力往生を発起させるが自力で近づこうとすればするほど遠ざかる。
自力で阿弥陀仏を信じようとしても、有限の自我に無限の世界を信じ切れるはずがない。
八方塞がりになり、しかし浄土をあきらめることもできないところで、賭けみようという気持ちが沸き上がる。
何に賭けるかというと、すでに信を得て救われている人がいるという事実に自力のはからいをも含めた
自己そのものを賭けるのだそうです。
自力ではどうやっても信を得られない事がハッキリしたわけだから、賭けに負けても損も悔いも起こりえない。
しかし、自己をまかせたところの境地は、まさに安心であり、
>親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、
>よきひと(源空)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。
>念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん、
>また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。
>たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。
>そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、
>すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
とは、この心情を示したものだそうです。
で、この辺のプロセスを三願転入に関連させ、三願転入は獲信に必要なものである、としています。
・・・もっとも、諸善を積むことが信への近道などとは書いていませんね。
まあ、勧学にまでなった人ですからね・・・。
138 :
711:04/05/26 23:42 ID:Gfv4vT/I
>>110さんへ
>補足すると、真宗の教学は、非常に論理的だし、深遠です。
表現はよくないですが、実はとても面白いのですよ。
宗教は論理的ではないと考えます。
はじめに「経」ありき、「バイブル」ありきだからです。
しかし、論理的でないからといって真実ではないと
考えるべきではありません。
現代社会は学校教育の影響か、
論理信仰が蔓延していると思います。
とても面白いならば、その面白いところを
包みにかくさず表現すればよろしいのでは。
>絶対の幸福
絶対に幸・不幸をつける必要はないかと存じます。
絶対は西田哲学でも語られていますが、
101さんのおっしゃる意味ではコンセンサンスを
もちえません。
絶対という言葉の意味を正確にとらえていただきたく
存じます。
つけくわえて申させていただくならば、幸福という
言葉は、親鸞聖人のご著作の中にでてくるのでしょうか?
お教えいただければ幸いに存じます。
139 :
711:04/05/26 23:53 ID:Gfv4vT/I
>>137さんへ
ありがとうございます。仕事が忙しくなかなか
図書館にも立ち寄れない状況が続いていますが、
星野元豊氏のご本を読ませていただきたく存じます。
自己そのものを賭ける、というのはその通りだと思います。
宗教というものは、ここを欠いてはならないと考えます。
>>136-137 >おそらく星野元豊氏の「浄土」が底本になっています
横レス失礼致します。その話ははじめて聞きました。その本はかなり昔読んだこと
あったので書庫を探してますが、なかなか見つかりません。星野先生といえば、確か
昔、龍大の学長にもなられたのでしたかね? 宗教哲学に詳しく、ブルトマンの「非
神話化神学」の手法を真宗教学に導入された方だと記憶しています。しかし、上記の
本は、私がきちんと読めなかったのか私は印象が薄いですね。星野先生の御文は、岩波
書店の「日本思想大系」の『親鸞』の解説が読み応えありましたね。貴重なご案内あり
がとうございます。
141 :
711:04/05/27 00:07 ID:jkjcPxS5
教義について語っているところを、毎度邪魔立ていたしまして
申し訳ございませんでした。
しかしながら、言わざるを得ないところもございましたので
浅薄な私の哲学を学んだ中においてだけ
書かせていただきました。
ご教示ありがとうございました。
おやすみなさい。
>>139 ・・・割り込んで失礼しました。
ただ、賭の信は真宗の学者が首をひねる表現のようです。
まあ、パンセの賭の信から来ている言葉なので、ちょっとずれているかもしれません。
>「君は信仰に達したいと思いながら、その道を知らない。不信仰を医したいおおもいつつ、その薬を求めている
> それなら、前には君と同様に縛られていたが、今では一切の持物を賭けた人々に見習いたまえ。
> それらの人々は君が辿りたいと思っている道を知っているし、君が医されたいと望んでいる病から医されたのだ。
> 彼が始めたやった仕方に従いたまえ」
>「もし勝ったら、君は全てを得るのだ。負けても、何も失いはしない。だから、躊躇せずに、神ありという方に賭けたまえ」
>「理性が君をそこまで連れて来ても、なをも君は信ずることができないのだから、
> せめて自分には信ずる力がないということを悟りたまえ」
>>135 > 親鸞聖人は私の愚問にどうお答えになられたでしょうか。
禅の公案みたいですな
模範解答をいくつか思いつきました
110さんがどう答えるか待っていますが
・・・
「我信ず、不信なる我を救いたまえ」
「私は私が信ずるかどうか知らない。しかし、私は誰を私が信ずるかを知っている」
これはキリスト教系の言葉ですが、含蓄がありますよね
>>138 更に横レス(通りすがりなので文脈無視なのが申し訳ありません)。
138には同意。135は理解不能。
論理は伝統宗教の良い所を改悪する傾向があると思う。
若い頃はクリプキとか読んだけど、2ch見てると
論理じゃ救われないとしみじみ思う。
>>140 あわわ・・・
私が勝手にそう感じただけですよ(苦笑
でも、星野氏が未信の人に、どう勧めたかは興味があります
聞法は勧めたかもしれませんが、諸善を勧めることはなかったのではないかと思うのですが・・・
145 :
110:04/05/27 00:25 ID:68NYgiuV
>>711さん
教えと自己は別々のものではありません。
教え(法)に自分(機)が生き、機が法に生きるのです。
私は、私なりに全力で教えを明らかにし、自己を明らかにしたのです。
私は、真実の自己を知らされたから、語っています。
私は、仏教徒だから、仏教の教典で語ります。
真実の教えを守るために戦うのです。
あなたは仏教徒ではないんですね。
それが私にとっては残念なことです。
幸福は、利益に対応します。
あと、私は特に絶対の幸福について説明も話もしておりません。
コンセンサスを持ちようがないです…。
146 :
110:04/05/27 00:33 ID:68NYgiuV
>>143 論理では救われませんね。
私は、真実の教えを論理という武器で明らかにしようとしています。
真宗の教えによって救われるのです。
本当ですよ。
>>146 横レスすまないですが、
論理で明らかにできたら、それは普遍の真理とはいえなくなるんじゃないですか?
悟りや真理は言葉では語り得ないものでなかったですか?
それこそ成道後の釈迦すらあきらめかけ、人に語る時には喩を多用せざるを得なかった・・・
だいたい弥陀は方便法身であり、法性法身がその体では?
そして法性法身は・・・
>法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。
148 :
110:04/05/27 00:44 ID:68NYgiuV
自己とは何か、ということは仏道を求める動機ですね。
私が答えを求められたら、聖人ならどう答えられるかを考えますが…。
……
…
本当の私とは、ありのままの私以外にありません。
そしてまた、本当の幸せも、その裏表にあるのです。
149 :
711:04/05/27 00:45 ID:jkjcPxS5
>>142さんへ
寝ようとおもっていたのですが、
「我信ず、不信なる我を救いたまえ」
あらゆる宗教の出発点(到着点?)はここにあると思います。
お答えありがとうございました。
>>143さんへ
>135は理解不能。
どの点が理解不能なのかをお教えいただきたく存じます。
何卒、よろしくお願いいたします。
>論理では救われないとしみじみ思う。
同感です。簡易に救いを求める前に、
何故、救いが今の私に必要なのか
もういちど、振り返ることも大切かと存じます。
宗教は、時に劇薬(麻薬)ともなりえますので、
慎重に慎重を重ねて触れていくべきだと
考えます。
ただし、
苦悩や混沌のまっただなかにありながらも
私のことを思ってくれている心がどこかに
あることも、かすかな淡い思いとしてでも
持っていていただきたく
存じます。
学問は、畢竟じて人情のためである。
西田幾多郎がエッセイの中で言った言葉です。
150 :
110:04/05/27 00:50 ID:68NYgiuV
>>147 そうですね。
あくまでも、言葉にできる範囲で、宗学上は、という意味です。
仏祖、宗祖の真意を開顕するためには、論理は重要です。
私も寝るので、
> 他力に任せきっておられるのですか?
への私が考えた模範回答
1)南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・・
2)知らん!そんなことは弥陀に聞け!
親鸞聖人はどうお答えになったでしょうね・・・
152 :
711:04/05/27 01:07 ID:jkjcPxS5
>>110さんへ
武器を捨てて下さい。
言葉であれ、銃・刃物であれ、宗教者が持つべきものでは
ありません。
親鸞聖人は言葉を武器として使ったのですか?
パウロは言葉を武器として使ったのですか?
比叡山の僧兵と同じではありませんか。
宗教戦争を繰り広げている悲しい考え方と一緒では
ありませんか。
宗教は哲学よりも上にあります。
なぜなら、宗教は私そのものが問題となるからです。
自己とは何かという問いを超越しています。
あなただけでなく、誰もがその問題を抱えながら
自覚はなくとも、
日々苦しみながら、泣きながら、笑いながら、
いろいろな関係をももちながら、暮らしているのです。
武器?私たちの生活を破壊し、
関係性を破壊する最も卑劣なものではありませんか。
あなたにはそれを想像することさえできないのですか?
あなたの思う親鸞聖人の教えがどんなに優れていようとも、
武器を持ってそれを迫る者を
私は受け入れることができません。
153 :
711:04/05/27 01:18 ID:jkjcPxS5
>>151さんへ
>知らん!そんなことは弥陀に聞け!
うまい!
この問いは、愚問でなかったのかも!
否、愚問でした。すみません。
154 :
名無しさん@3周年:04/05/27 01:21 ID:kgJ146kM
/"´:;;::;;;: ::::;::"ソヽ
/ ,ヘ〜-ー'´⌒``ヽ:ヽ
/ ノ 彡:三:三:三:ミ |: \
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/| | |シ ,ィェァ') (.yェュ、 ミ| | |\
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| | / !、.:. ´ ..::::... `ノ::::ノ ヽ | |
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| | | ヽ ̄~‐‐ 、 __,,ィ';;;;ト `ニニ: ::..ノ|ヽ、_´ ,.-‐~ ̄ノ | | |
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155 :
名無しさん@3周年:04/05/27 01:22 ID:kgJ146kM
| | _| ∠ヽ |=l/ .|二=/´_..|__丶:=二| ゝ=ノ /==ヽ |_ | |
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156 :
110:04/05/27 01:23 ID:68NYgiuV
>>711さん
お気持ちは分かります。
しかし、親鸞聖人は真実の教えを守るため、徹底的に戦われた方だったのです。
権力者とも戦われ、流刑にあわれました。
他宗の者と、仏法上の争いを何度もなされた方です。
なかよくすることはいいことですが、もっと大切なことは、
全ての人が救われる道を明らかにし、それを守ることです。
仏教には、すべての人に、死ねば大変な一大事がある、と説かれているのです。
親鸞聖人はそれを信知せられたから、
戦われてまで、真実を開顕して下さったのです。
157 :
名無しさん@3周年:04/05/27 01:23 ID:kgJ146kM
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ デスブッシュは ねんりょうきかばくだんを はきだした。 ┃
┃
>>1は 1964のダメージをうけた! ┃
┃
>>1は しんでしまった! ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
158 :
711:04/05/27 01:41 ID:jkjcPxS5
>>110さんへ
もう寝たいのですが、
死ねば一大事があるなんてうそです。
死んでまた戻ってきた人に聞いてみれば?と
逆に聞きたくなります。
後生の一大事とはそんな軽薄なものではないと考えます。
今一度、親鸞会以外の方に聞いてみるとよろしいのでは?
宗教を志しているわけでもない私に
そのようなことを言われる筋合いはないですよね。
あなたの教説は、もはや哲学にも至らないし、
いかにいわんや、宗教の深淵をや。
もうやめます。すみませんでした。
332さんや、505さんにお会いできたことがなにより
嬉しく思いました。
度海難さんもがんばって下さい。
おやすみなさい。
159 :
110:04/05/27 01:50 ID:68NYgiuV
>>711氏
あ、なるほど、そういう人でしたか。
相手を見誤ってました。
こちらこそ声をかけてすいませんでした。orz
160 :
33:04/05/27 02:05 ID:LUeihlrk
test
>>156 >しかし、親鸞聖人は真実の教えを守るため、徹底的に戦われた方だったのです。
>権力者とも戦われ、流刑にあわれました。
>他宗の者と、仏法上の争いを何度もなされた方です。
そそ、聖人って権力者に楯突いて斬首されかかったんだよな。
斬首役人が今まさに刀を振り下ろそうとした瞬間に、海から光る玉が飛んできて刀を三つ折りにして助けたんだっけ?
それで刑場の武官がみんな恐れおののいて斬首をあきらめたんだな。
これが世に言う、竜の首の座の法難で本当に危機一髪だった・・・
162 :
通行人:04/05/27 06:50 ID:5xfUPYV8
> 死ねば一大事があるなんてうそです。
死んでまた戻ってきた人に聞いてみれば?と
逆に聞きたくなります。
お釈迦様が聞いたらなんて言われるだろうな。
> あなたの教説は、もはや哲学にも至らないし、
いかにいわんや、宗教の深淵をや。
また、これ・・・。こういうこと言い出すから、哲学かぶれは困る。そもそも、哲学者かな?
163 :
通行人:04/05/27 07:02 ID:5xfUPYV8
>では、何故ご自身の宗教が真実だと
言えるのか?、どうやって現代社会において
証明できるのか?
この方法についてお伺いいたしたく存じます。
何卒、ご教示下さい。
典型的だな。
答え言ってあげようか?w
できねぇーよ、んなもん。Aであることを証明するのにBがいる。Bを証明するのにCがいる。ではCを証明するにはどうするの?
人間の考えるレベルはこんなもんだろうさ。
仏教が真実かどうかの証明など人間の腐った頭でできるかよw
でも私は、仏教こそが真実であったことを知らされただけ。
164 :
通行人:04/05/27 07:25 ID:5xfUPYV8
19願は捨てようと思ったって、捨てられるわけがないよ。無理よ。
18願に直入して始めて、20願と同時に廃るだけ。
これが、わからない人が、近頃多いそうですね。
19願実践しても、ちっとも心安らかなことないので20願に迷う
20願の実践、これもちっとも心安らかにならないのでとどまってられない、19願にまた迷う
19願にもどっても、やっぱり心安らかではないので、また20願に迷う。
以下繰り返し。
これが、私たちであることがわからない方も、急増しているらしいじゃないですか。
親鸞学ぶ暇あったら法然を学べ。
>>162 > お釈迦様が聞いたらなんて言われるだろうな。
然り
と答えるでしょうな
死後ではなく、今、此処、この瞬間の問題でしょう?
生死の苦悩というものは・・・
>>163 >仏教が真実かどうかの証明など人間の腐った頭でできるかよw
だそうです110さん
>>150 >仏祖、宗祖の真意を開顕するためには、論理は重要です。
>>164 信後ははからい心が無くなるか?という命題ですな
それは、聖教のどこに依った解釈ですか?
私も知りたいです
>>166 よく読んでなかった
>信後ははからい心が無くなるか?という命題ですな
>それは、聖教のどこに依った解釈ですか?
>私も知りたいです
これは削除です
>>164 >19願は捨てようと思ったって、捨てられるわけがないよ。無理よ。
>18願に直入して始めて、20願と同時に廃るだけ。
>これが、わからない人が、近頃多いそうですね。
そもそも三願転入が回心に必要でないとする立場には無意味
前世に十九・二十願を通るという立場にも無意味
信後に十九・二十を通ったことに気づかされるという立場にも無意味
三願転入は多様な解釈がなされていますからねえ
168 :
名無しさん@3周年:04/05/27 10:43 ID:4kyFhBr1
し! _ -── ‐- 、 , -─-、 -‐─_ノ 彼
親 // ̄> ´  ̄  ̄ `ヽ Y , ´ ) 年 女 え
哀 鸞 L_ / / ヽ齢 =い |
れ 会 / ' ' ? な ! マ
っ / / く い ジ
て l ,ィ/! / /l/!,l /厶,
i ,.lrH‐|'| /‐!-Lハ_ l /-!'|/l /`'メ、_iヽ
l | |_|_|_|/| / /__!__ |/!トi i/-- 、 レ!/ / ,-- レ、⌒Y⌒ヽ
_ゝ|/'/⌒ヽ ヽト、|/ '/ ̄`ヾ 、ヽト、N'/⌒ヾ ,イ ̄`ヾ,ノ!
「 l ′ 「1 /てヽ′| | | 「L! ' i'ひ} リ
ヽ | ヽ__U, 、ヽ シノ ノ! ! |ヽ_、ソ, ヾシ _ノ _ノ
-┐ ,√ !  ̄ リ l !  ̄  ̄ 7/
レ'⌒ヽ/ ! | 〈 _人__人ノ_ i く //!
人_,、ノL_,iノ! /! ヽ r─‐- 、 「 L_ヽ r─‐- 、 u ノ/
/ / lト、 \ ヽ, -‐┤ ノ キ 了\ ヽ, -‐┤ //
ハ キ { / ヽ,ト、ヽ/!`hノ ) モ |/! 「ヽ, `ー /) _ ‐'
ハ ャ ヽ/ r-、‐' // / |-‐ く | > / / `'//-‐、 /
ハ ハ > /\\// / /ヽ_ ! イ ( / / // / `ァ-‐ '
ハ ハ / /! ヽ レ'/ ノ > ' ∠ -‐  ̄ノヽ /
{ i l ! / フ / -‐ / ̄/〉 〈 \ /!
169 :
110:04/05/27 13:52 ID:68NYgiuV
>>166 相手の説の矛盾を指摘することはできますよ。
>>167 実際に救われたら、三願転入の真意はハッキリ知らされます。
そうなれば多様な解釈があるなどと言っておれません。
仏意は一つ、です。
それを多様に受け止めるのは自力のなせるわざなのです。
171 :
名無しさん@3周年:04/05/27 20:17 ID:8RMMq+SA
>110
>実際に救われたら、三願転入の真意はハッキリ知らされます。
110さんは実際にハッキリ知らされたん?
ごまかさないでハッキリと答えてみてよ。
もしそうでないのに、ハッキリとかスッキリとかと
言っているとすれば詐欺みたいなもんだわな。
172 :
名無しさん@3周年:04/05/27 20:41 ID:BtXJpWIO
>>123 >「不善の三業」=「自力雑毒の行」なのも自明で
すね。
お得意の、根拠なし「自明ですね」ですね。どこが根拠なんでしょうか?
自力は意業ではありませんし。
信後は雑毒の善をしなくなるとでも?
「捨てたまいし」と言われても信後も不善ばっかりですよ、凡夫の三業は。
>>126 >>あなたは「通仏教で説かれている善は『悪』である」と言うわけですね。
>これも上に引用のお聖教の御文であきらかだと思います。
「通仏教で説かれている善は『悪』である」そうです。
また忘れられない発言ですね。
「お釈迦様は悪をすすめられた」というわけですか。
「深追いするな」という発言もありましたが、こういう発言に
この人の本音が出ているからとりあげているのです。
「教えを聞く必要があるかどうかは知らない」
「信前の聴聞は悪」という発言と一連の
ものでしょう。これを個人攻撃とは言わないですよ。
173 :
110:04/05/27 20:51 ID:bjHrtpFx
>>171 他力に摂取されるということは、阿弥陀仏の仏智を頂くということなのです。
救われたら仏さまの真意が分かる、とは当然のことなのですよ。
>>172 そうですね。木を見て森を見ず、とはこのことだと思います。
釈迦一代の教えが、釈迦出世本懐を果たすのに障りがあるなんて、
とんでもない主張です。
174 :
110:04/05/27 21:02 ID:bjHrtpFx
で、再度332氏に質問ですが、
あなたの説では、宿善と獲信は関係ありますか?
>>169 >実際に救われたら、三願転入の真意はハッキリ知らされます。
>そうなれば多様な解釈があるなどと言っておれません。
「自力を頼みとする状態から、他力をたのみとする心境への転換」という事態を三願転入とするならそうでしょう。
でも、親鸞聖人の御文に回心を「三願転入」と規定する言葉はありませんよね?
(だからこそ多様な解釈が許され、様々な学説があるわけですが)
明確なのは往生の因が「はからいを捨て、他力にまかせる」ことです。
その回心を「三願転入」と解釈するかどうかは個人の味わいに属すると、私は思っています。
>仏意は一つ、です。
>それを多様に受け止めるのは自力のなせるわざなのです。
たしかに弥陀に賜る至心の信心は共通といえるでしょう。
しかし回心のきっかけや信心の味わいは、それぞれの人生や縁によって違うものでは?
長い苦悩の果てに獲信する者、法を聞く内に自然に回心する者、
回心して踊躍歓喜する者もいれば、「なんともない」と答える者、それぞれいて良いのだと思います。
176 :
175:04/05/27 21:09 ID:OozC6dyD
>>175 添削する内に、重要な一語を消してしまいました
>でも、親鸞聖人の御文に回心を「三願転入」と規定する言葉はありませんよね? ×
でも、親鸞聖人の御文に回心を「三願転入」と「明確に」規定する言葉はありませんよね? ○
177 :
名無しさん@3周年:04/05/27 21:13 ID:8RMMq+SA
>>173 なんだかごまかしているようにみえるね。
110さんの自身の獲信体験をきいているんだけど。
110さんは実際にハッキリ知らされたん?知らされてないん?
どっちですか?
ハッキリと答えてください。
178 :
175:04/05/27 21:13 ID:OozC6dyD
>>175 偏執的かもしれませんが再度訂正
>でも、親鸞聖人の御文に回心を「三願転入」と「明確に」規定する言葉はありませんよね? ×
でも、親鸞聖人の御文に回心を「三願転入と規定する」と解釈の余地がない程明確に示したものはありませんよね? ○
179 :
110:04/05/27 21:31 ID:bjHrtpFx
>>178 余地がなくなるまで逃げ回るのはどうかと思います。聖人の仰る通り、従うのが
親鸞学徒です。私たちの思いや、考え、妥協、都合を極力廃していくのが大事かと。
>>177 聞いてどうするんですか?
180 :
名無しさん@3周年:04/05/27 21:38 ID:8RMMq+SA
>>179 体験があったら即答するんじゃないの?
>実際に救われたら、三願転入の真意はハッキリ知らされます
体験もないのに自分があたかも自分が体験したかのように断言するのは
詐欺のようなもんじゃないの?
181 :
175:04/05/28 00:56 ID:qM8IukX1
>>179 >余地がなくなるまで逃げ回るのはどうかと思います。
逃げ回っているんじゃなくて警戒しているんですよ(苦笑)
このスレには揚げ足取りが大好きな人が住んでいますからねぇ・・・
なに、回心とは「三願転入である」と規定しているとしか解釈できない文を引いてもらえれば、それで良いのです
>往生の因が「はからいを捨て、他力にまかせることである」
これを解釈の余地のないほど明確に規定した文を出すのは簡単です
解釈の余地の存在する文しかないということは、それは聖人が明確に規定されなかったと言えないのでは?
>親鸞学徒です。私たちの思いや、考え、妥協、都合を極力廃していくのが大事かと。
・・・形而上を対象とする以上、科学分野のものより断言できない事が圧倒的に多くなりますな
ですから、私は「このように味わっている」「このように信じている」「こうであると思う」がどうしても出てきます
たとえば
「私は他力にまかせきっているのです!!!」
「信心決定した私にはも、はやはからいの心は一片もありません!!」
↑
(こういうのは??・・・はからいにまみれていると思いませんか?)
さらに宗教の世界には断言することによって生命が失われてしまうような事も多くあると、「私は考えています」ね
182 :
175:04/05/28 00:57 ID:qM8IukX1
>>181 >解釈の余地の存在する文しかないということは、それは聖人が明確に規定されなかったと言えないのでは? ×
解釈の余地の存在する文しかないということは、それは聖人が明確に規定されなかったからでは? ○
やれやれ
183 :
175:04/05/28 01:23 ID:qM8IukX1
184 :
通行人:04/05/28 03:59 ID:7bgtg7Bx
175さん、そんなこといわなくても、「死ねば一大事があるなんてうそです。」と言った時点で、アウトだから。
185 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/28 07:03 ID:ZTYYFks/
>>172 >お得意の、根拠なし「自明ですね」ですね。どこが根拠なんでしょうか?
昨夜は鯖ダウンだったですね。
>>123の『信文類』の御文をよく読んでください。
自力の「雑毒の行」(虚仮の行)=不善の三業と他力の「真実の業」=善の三業が対になって
いますね。違うと言われならその根拠は何ですか?
>自力は意業ではありませんし。
「自力は意業でない」というのはよくわかりませんね。衆生の「三業ではない」という意味ですか?
「他力の信」については、例の「三業惑乱」や「一念覚知」の問題と関連して「意業・非意業」が
「三業・離三業」がしばしば議論になるようですが、自力が三業でないというのは初耳です。
「意業」は「思の心所」なので、「自力の心」は「意業」だと思うのですが違うのですか?
「意業オンリーではない」の意味ですか?(つづく)
186 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/28 07:04 ID:ZTYYFks/
>>172 >信後は雑毒の善をしなくなるとでも?
「。『阿弥陀佛すなはちこれその行』(『玄義分』)
といへる、このこころなり。またいまいふところ
の念佛三昧は、われらが称礼念すれども、自の行にはあらず。
ただこれ阿弥陀佛の行を行ずるなり、といふは、歸命の心、
本願にのりて三業みな佛体のうへに乘じぬれば、身も佛を
はなれたる身にあらず、こころも佛をはなれたるこころにあらず。
くちに念ずるも機法一体の正覚のかたじけなさを称し、礼するも
他力の恩徳の身にあまるうれしさを礼するゆゑに、われらは称すれども、
念ずれども、機の功をつのるにあらず。ただこれ阿弥陀佛の凡夫の行を
成ぜしところを行ずるなり、といふなり。佛体、無爲無漏なり。依正、
無爲無漏なり。されば、名体不二のゆゑに、名号もまた無爲無漏なり。
かるがゆゑに、念佛三昧になりかへりて、もっぱらにしてまたもっぱら
なれといふなり。」(『安心決定鈔』)
阿弥陀様の真実の三業=大行(御名号)をいただき御本願に乗せていただけば、
信後の衆生のいかなる「雑毒の善」「悪業」も全く報土往生の障りにはならない
ということです。「捨てさせて」いただくのはもちろん凡聖善悪の「自力の心行」ですね。
「捨てたまへるを須いよ」(=捨自)と「真実心のうちになしたまひしを須い」(帰他)
は言うまでもなく「同時」ですね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
187 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/28 07:24 ID:ZTYYFks/
>>172 >「通仏教で説かれている善は『悪』である」そうです。
これも、もう一度、
>>126を読んでいただきたいですね。真宗では「自力の心行」が、
『悪』だと言ったのですが。通仏教に説かれる功徳善根は、全て他力回向の南無阿弥陀仏
のなかに具わって下さってます。
高森先生も「されば弥陀の本願より眺むれば通仏教の語るところの迷悟因果は否定される
のです。」
「ここに於いて真宗は本願他力の教えですから通仏教と立場を異にするのです。だから罪の
物柄も一変します。真宗で罪悪というのは本願疑惑心であり自力の迷情であり、定散自力心
であることをよくよく知らねばなりません。」(『顕正新聞』縮刷版1、第56号5面)と
仰ってますよね。もっともこの御文は、I先生の某著書の一部の文によく似てますけどw。
上の御文の問答の際にも話題にのぼってますが、信後は、「雑毒」が障りにならないことについて
は、「一念の往生定まるときは、罪はさはりともならず、去れば無き分なり、命の娑婆にあらんか
ぎりは、罪は尽きざるなり。」(『御意地代記聞書』)南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
188 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/28 07:27 ID:ZTYYFks/
>>187 訂正 誤り>。(『御意地代記聞書』)→正解(『御一代記聞書』)
189 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/28 07:33 ID:ZTYYFks/
>>187 訂正(たびたびスマソ)
誤り>通仏教の語るところの→通仏教に語るところの
190 :
通行人:04/05/28 08:24 ID:qrUiB06G
念仏、念仏って、ほとんど信心決定した後の他力の念仏の事を指すんだよ。
ここ重要。
191 :
110:04/05/28 11:56 ID:UCR3n0rF
>>181 >逃げ回っているんじゃなくて警戒しているんですよ(苦笑)
>このスレには揚げ足取りが大好きな人が住んでいますからねぇ・・・
誰のことですか?
未信の人は、徹底的に自分の自力の安心=異安心を警戒しなければならないんですよ。
仏意を自分の経験や学問、知識で多様に受け止める心です。
>なに、回心とは「三願転入である」と規定しているとしか解釈できない文を引いてもらえれば、それで良いのです
>>往生の因が「はからいを捨て、他力にまかせることである」
>これを解釈の余地のないほど明確に規定した文を出すのは簡単です
>解釈の余地の存在する文しかないということは、それは聖人が明確に規定されなかったと言えないのでは?
そもそも、規定云々を議論するところが、おかしいのですよ。
それ以前に、自力から他力に入る道がどこにあるんですか?
どこに聖人がご教示なさっていますか?
どこにもないのです。
机上の空論ですよ。時間の無駄なのです。
>>332氏
三度質問ですが、獲信と宿善は関係ありますか?
192 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/28 20:21 ID:ZTYYFks/
>>191 >三度質問ですが、獲信と宿善は関係ありますか?
すでに
>>78氏が的確に答えて下さっているので納得されていると思ったのですが。
宿善は、獲信の善因縁ですから当然に関係ありますよ。宗学については、101氏
はお詳しいとのことですから御存知と思いますが、衆生の本具仏性を否定する多数
説では、善根の生起せしむ主体、善根の根拠ともに弥陀法であり、衆生の本具仏性
を認める少数説でも、生起の主体は弥陀法としているようです。どちらにも共通し
て多い「当相自力対他力説」が主流だと思われます。「宿善」の語そのものは、
通仏教の語で、人界受生、遇法その他の時点(真宗的には「獲信」の時点から)
過去の善根を振り返って言う言葉で現在から未来に向けて「宿善を厚くする」、
「宿善を積む」という用例は、自力聖道門でもありません。現在→未来のベクトル
で使う場合は普通に「善根を積む」と言いますね。まして真宗の場合は、善根は
全て弥陀生起の回向法ですから、弥陀に成り代わってこれから未来に向けて「善根を積む」
という概念はありえないでしょう。獲信の時点から過去を、過去多生の宿縁は、全て阿弥陀様
の照育であると振り返させていただくものですね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
193 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/28 20:29 ID:ZTYYFks/
>>192 訂正 誤り>「当相自力対他力説」→正解「当相自力体他力説」
194 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/28 20:30 ID:ZTYYFks/
>>192 訂正 誤り>「当相自力対他力説」→正解「当相自力体他力説」
>>191 110さん、三度質問です。獲信体験はあるのですか?ないのですか?
なぜたずねるかといえば、
>実際に救われたら、三願転入の真意はハッキリ知らされます
などと獲信体験もないのに、信心いただいたふりをしているのかもしれない
と思ったから。
もし体験がないのならば、なんで「ハッキリ知らされます」といえるの?
ちなみに世間ではこういう人のことを詐欺師といいます。
110さんは実際にハッキリ知らされたん?知らされてないん?
どっちですか?ハッキリと答えてください。
196 :
110:04/05/28 22:13 ID:UCR3n0rF
>>192 ならば重ねて問います。我々の行は、宿善にならないという見解のようですが、
それが真実ならば、なぜ、救いに差ができるのですか?
早く救われる人もあり、遅くなる人もあります。
宿善の、因も縁も、全て弥陀ならば、それが説明できないのではないでしょうか。
みな、同時でしかるべきです。
この差はどこから来るのか、あなたはどう説明するのですか?
>>195 173に過不足なく答えられています。どうぞご覧下さい。
読んだ上での発言なら、それは難癖というか、下衆の勘繰りですよ。
>>196 獲信体験はないが、理論上ハッキリ知らされるはずだと言いたいわけですね。
>>173もうちょっとわかりやすく書けばいいのに
>>196 獲信体験はないが、理論上ハッキリ知らされるはずだといってたわけね。
そんなことだろうと思ったよ。
下衆の勘繰りって何がいいたいの?
これ以上追求してくれるなってことか?
あんたら会員たちのいうことはみんな理論ならぬ妄信に過ぎない。
いくら理論積み重ねたって絶対に達するるわけがないしね。
親鸞会の会員は、絶対の幸福という、幻を売って満足している
詐欺師セールスマンじゃないの?
199 :
110:04/05/28 22:43 ID:UCR3n0rF
>>197 それは失礼しました。
しかし、体験のことは述べておりませんよ。
200 :
175:04/05/28 23:05 ID:w5AMAQwB
>>191 >未信の人は、徹底的に自分の自力の安心=異安心を警戒しなければならないんですよ。
なにか違和感を感じる言葉ですね・・・
まだそれをハッキリと意識化できないんですが・・・
一つだけ疑問をあげると、警戒しなければならないのは未信の人だけなのでしょうか?
「まはさてあらん」という溜息は、誰が、いつ、なぜ吐いたのでしょう?
>仏意を自分の経験や学問、知識で多様に受け止める心です。
とはいえ宗祖が三願転入を「信心獲得の過程である」と解釈の余地がないほど明確に定義しているわけではないですしねえ
・・・仏意を心得た過程を、三願転入以外の言葉で表現することはできないのですか?
もしそうなら、蓮如上人や妙好人が三願転入について言及していないのはなぜ?
>それ以前に、自力から他力に入る道がどこにあるんですか?
>どこに聖人がご教示なさっていますか?
仏智の不思議により おのづからしからしむ
>どこにもないのです。
>机上の空論ですよ。時間の無駄なのです。
あなたは無駄なことをなさっているんですか?
201 :
110:04/05/28 23:08 ID:94KThcoj
体験の有無を勘ぐることですよ。
教えと個人的体験は別です。
これは親鸞聖人のみ教えの重要な点なので、
それを明らかにするために、
体験についてあえて寡黙にしているのです。
我々の考えだした教えなら誰も救われないでしょう。
しかし、これは親鸞聖人のみ教えを明らかにすることです。
それ以外の何者でもありません。
真実の教えによって、救われるのです。
だから、問題は、本当の親鸞聖人のみ教えとは何か、ということにかかってくるのです。
また、補足しておくと、非論理的な教えは真実とは言えません。
202 :
175:04/05/28 23:24 ID:w5AMAQwB
>>200 ・・・揚げ足取りがくるかな?
>とはいえ宗祖が三願転入を「信心獲得の過程である」と解釈の余地がないほど明確に定義しているわけではないですしねえ ×
とはいえ宗祖が三願転入を
「信心獲得を得るために必ず通らなければならない過程である」
と解釈の余地がないほど明確に定義しているわけではないですしねえ ○
203 :
175:04/05/28 23:33 ID:w5AMAQwB
>>201 >また、補足しておくと、非論理的な教えは真実とは言えません。
真理は論理を超越してるよ
論理でも非論理でもなく、分別の世界を超越している
むしろ論理の・・・人間のはからいの果てに地獄がある・・・と思う
あと「死後の世界は実在する」とか「証拠写真が多数あるから幽霊は実在する」とかは真実?
・・・いや、これは只の揚げ足取りですがね
204 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/29 00:13 ID:vuszy4aP
>>196 >この差はどこから来るのか、あなたはどう説明するのですか?
これも会員またはシンパと称する方wに何度も説明した記憶があるのですが、
因縁縁起というものは、「関係性」ということはよろしいですね。仏教では、
「一切諸法無自性空」「万法因縁所生」としますから、固定化した実体は無く
、一切衆生の無始来の因縁は各機各様、無限多様でありますね。その衆生が、各々
真実他力回向の名号法を受領するの因縁は、全分仏願力に依り、仏様の光明は、
無差別平等に照らしますが、各機の無始来の因縁各様であるため、受領の相には
、「巳今当」などの差別を現じるということです。
205 :
110:04/05/29 00:25 ID:lbwK7f2w
>一つだけ疑問をあげると、警戒しなければならないのは未信の人だけなのでしょうか?
>「まはさてあらん」という溜息は、誰が、いつ、なぜ吐いたのでしょう?
その言葉はよく知りませんが、救われてしまえば大安心ですよ。
何とかなろうという自力の心が廃って、どうにもならなかったということと、
こんな私が何時死んでも極楽参り間違いなし、ということがハッキリ知らされますから。
そこまでは、自分の心にだまされないよう、(と言っても騙されるのですが)
一刻も早く進ませていただかねばならない、ということです。
>とはいえ宗祖が三願転入を「信心獲得の過程である」と解釈の余地がないほど明確に定義しているわけではないですしねえ
>・・・仏意を心得た過程を、三願転入以外の言葉で表現することはできないのですか?
>もしそうなら、蓮如上人や妙好人が三願転入について言及していないのはなぜ?
頑として粘りますね。
三願転入とは、自力から他力に入る、心の道です。
信前、後生の一大事を聞き、驚いて、信心を求める心が起きて、
自力一杯、他力を求めても、どこまで行っても自力だ、と悩み、
「こうにも聞こえにゃ聞かぬがましか、聞かにゃ堕ちるし聞きゃ苦労」
と求道に苦しみ、しかしあきらめきれん、と聞法を重ね、
善知識を求めて海山越えても馳せ参じ、宿善を求めて、
善知識の説かれる弥陀の本願を聞きぬいた一念に、
「自力さらばと暇をやって、わしが心と手叩きで、たった一声聞いたのが、その一声が千人力」
と他力一杯になり、お礼の念仏を称えずにおれない身にならせていただく。
または、信前、何とか救われたい、と、真剣に聞法し、善に励み、信を求める。
これで何とかなろう、という自力の心で善をする。(この行いを雑行と言う)
また、なんとか救われよう、という心で念仏を称え、お勤めをする。(この行いを雑修と言う)
そして、一念で、自力の心が弥陀によって切り捨てられ、今宵は身にも余りぬるかな、
という大慶喜心が起こり、その後はご恩報謝の善行となり、お勤めとなる。
早く、雑行雑修自力の心を捨てよ、と教えられた蓮如上人。
みな、三願転入しているのです。
206 :
110:04/05/29 00:31 ID:lbwK7f2w
>>204 申し訳ありませんが、初心者に答えるつもりでお答え下さいませ。
この質問は、真剣な求道者なら起こしてもおかしくない質問ですし、
あなたのお答えは少々(むしろ大分)私にとっても難解でございます。
平たく、明快にお願い致します。
207 :
110:04/05/29 00:40 ID:lbwK7f2w
>>200 >>それ以前に、自力から他力に入る道がどこにあるんですか?
>>どこに聖人がご教示なさっていますか?
>仏智の不思議により おのづからしからしむ
解説してください。それがどう、自力から他力に入る道になるんですか?
私は、他力だから他力、と言われていると思うんですが。
>>202 私は揚げ足取りをしていませんよ。本質ではないことは、放置するようにしてます。
>>203 ならば聖書も真実と言えなくもない、という主張につながるのです、その論法は。
真実は、確かに理性を超越したものですが、理性のレベルで弾かれるような教えでは、
助からないのです。
後半については、前スレ参照でお願いします。前半です。
208 :
名無しさん@3周年:04/05/29 00:52 ID:27V2XxN+
>確かに理性を超越したものですが、理性のレベルで弾かれるような教えでは、
>助からないのです。
これはその通りと思うけど、「親鸞会の教えは理性のレベルで弾かれるよう
な教え」だよ。
>教えと個人的体験は別です。
>これは親鸞聖人のみ教えの重要な点なので、
>それを明らかにするために、
>体験についてあえて寡黙にしているのです。
あのね、自己の悟りについては寡黙にするというのはたしかに
仏教の大原則ですよ。なら、「誰もが絶対の幸福になれる」と
いうたぐいの、主観的体験ベースの宣伝をただちにやめるべき。
しかも現に「絶対の幸福」になっていない人間がなったフリし
てそう勧誘していることは、関係者はみんな知ってる。これは
大妄語の無間業だろう。
主観的体験で射幸心を煽っておいて、あるところで急に仏教理
論をもちだすのは筋が通らない。とても「理性ベース」をクリ
アーできる教えでないと考える所以です。
自己の悟りに対して寡黙である仏教は、「明らかに救われる
体験がここにある云々」というたぐいの布教宣伝を声高にしないこ
とで筋を通している。チベット仏教などを見れば、そのあたりは
徹底しているけど、大妄語を避けるためでもあるでしょう。
209 :
110:04/05/29 01:02 ID:lbwK7f2w
>>208 >これはその通りと思うけど、「親鸞会の教えは理性のレベルで弾かれるよう
>な教え」だよ。
前スレからご覧の方なら分かると思うのですが、私は精一杯話しておりますので、
それでご縁がなければ仕方ないですね。
私としては、極めて論理的で、精緻な学問でもある、深遠な教えだと思っていますよ。
あなたの理性は私とは異なるのでしょう。
>「誰もが絶対の幸福になれる」というたぐいの、
>主観的体験ベースの宣伝をただちにやめるべき。
いえいえ、これは主観的体験ではありません。教義の問題です。
親鸞聖人は、全ての人が永遠に変わらない幸せになれる、
と教えてくださった方なのです。
全ての人を永遠に変わらない幸せにしてみせる、これを弥陀の本願と申します。
>しかも現に「絶対の幸福」になっていない人間がなったフリし
>てそう勧誘していることは、関係者はみんな知ってる。
別にそんなことないですが。関係者って誰?
>自己の悟りに対して寡黙である仏教は、「明らかに救われる
>体験がここにある云々」というたぐいの布教宣伝を声高にしないこ
>とで筋を通している。チベット仏教などを見れば、そのあたりは
>徹底しているけど、大妄語を避けるためでもあるでしょう。
これは本末転倒のよい例です。
全ての人に、本当の幸せになっていただきたい。
本当の幸せを知った人なら、当然思うことです。
それがそんなにおかしいのですか?
210 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/29 01:15 ID:vuszy4aP
>>206 これは分り難くてすみませんでした。併せて二重投稿もお詫び申し上げます。
「機ごと機ごとの願成就」と言われますように、機によってどれ一つとして同じ
衆生がいないなか、阿弥陀様は、それぞれのご縁にあわせてお育てくださっている
わけですね。「自分一人のため」に阿弥陀様にお手間をおかけしているわけです。
阿弥陀様は、十劫前より「今どうか私の心を聞いてください」と自分に頭を下げて願ってくだ
さっているのに、それを疑いはねつけ、今の今まで御苦労をおかけしているのです。
今生、自分が人間界に生まれさせていただいくのにも、どれだけ仏様が骨折ってくださった
ことか。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。ありがたい「宿善」じゃないですか。その上、今仏法の御縁
をいただいている。これ以上阿弥陀様に何せよというんですか?
「私がどうすれば救われるか?」その心が親様の御心を踏みにじっているのですよ。
先哲の言葉に「『御本願』が先手じゃ。『信心』(お救い)は二の手三の手じゃ。」
というのがあります。深く御味わいいただけたらと思います。
仏様の御心をいただいてください。「南無の機」「たのむ機」「仏様の御命」もいただきものです。
「自分の親様だから遠慮なく」いただきましょう。仏様の御心ですから「機の詮索」も無用です。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
阿弥陀様の御心いただいたら。「仏智の不思議をたのむ」ように出来上がってくださっている御本願
だから。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
今晩はもう寝ます。おやすみなさい。
211 :
名無しさん@3周年:04/05/29 01:19 ID:27V2XxN+
>別にそんなことないですが。関係者って誰?
親鸞会の勧誘活動に関わったことがある人たちのことです。
むろん私もその一人。
今さらとぼけるのはなしにしていただきましょう。
>全ての人に、本当の幸せになっていただきたい。
>本当の幸せを知った人なら、当然思うことです。
>それがそんなにおかしいのですか?
おかしいですよ。
あなたがどうかは知りません。しかし、仏教の為なら
嘘も方便といって、平気で嘘を吐く事例が頻発してい
るでしょう。そういう無間業が恐ろしくないのがおか
しいです。
体験に対して寡黙であるのが原則なら、最初から寡黙
でなければおかしいでしょう。「絶対の幸福」を宣伝
しておいて、それに疑問をもつ人が、「そういうあなた
はなったのか」と聞きたくなるのは当然であって、そこ
だけ急に、「体験に執してはいけないから答えない」と
言っても誰も納得しません。これは当たり前と思います。
私は教義論争するつもりはありません。
善を勧めておいて平気で嘘をつくことを許容する人々と議論
するのは空しいからです。こんなの端的な矛盾であって、
19願がどうのこうのという水準の話ではないと思っています。
>体験に対して寡黙であるのが原則なら、最初から寡黙
>でなければおかしいでしょう。「絶対の幸福」を宣伝
>しておいて、それに疑問をもつ人が、「そういうあなた
>はなったのか」と聞きたくなるのは当然であって、そこ
>だけ急に、「体験に執してはいけないから答えない」と
>言っても誰も納得しません。これは当たり前と思います。
これは、まさに的を得ていると思われ。
親鸞会は不実というか不誠実そのもの。
確かに、教えはあるが誰も「いただいて」から人に話す者は
いないのでどこか、不自然なのだ。
両手に何も持たない者は、他者に何も与えられないと思われる。
所詮絵に描いた餅にすぎない。
213 :
175:04/05/29 01:27 ID:+Xf8+36n
>>205 >その言葉はよく知りませんが、救われてしまえば大安心ですよ。
・・・まあ、資料として一級といえるかどうかは知りませんが、聖人のお言葉です
ネットで検索しても出てきます
個人的に、ここのくだりが好きで、非常に味わい深いと思いますね
・・・ちなみに三願転入の解釈に一石を投じた文でもありますな
(もっとも、私は賛同しかねる論でしたが)
>早く、雑行雑修自力の心を捨てよ、と教えられた蓮如上人。
>みな、三願転入しているのです。
あなた方が三願転入を、そう解釈し味わうのは自由でしょうね
その味わい自体を否定はしません
・・・ただ私は、
>>164さんの
>19願実践しても、ちっとも心安らかなことないので20願に迷う
>20願の実践、これもちっとも心安らかにならないのでとどまってられない、19願にまた迷う
>19願にもどっても、やっぱり心安らかではないので、また20願に迷う。
というような、十九願と二十願がないまぜになった自力の在り方から、
十八願の至心の他力へと至る、という味わいも否定しません。
果たして蓮如上人や多くの妙好人はどうだったのでしょうね?
214 :
175:04/05/29 01:29 ID:+Xf8+36n
>>207 >解説してください。それがどう、自力から他力に入る道になるんですか?
自力から他力へ入る道は、誓願の不思議の上にあるとしか、私には言いようがないですね
>私は揚げ足取りをしていませんよ。本質ではないことは、放置するようにしてます。
あなたの事じゃないですって(笑)それとも身に覚えがおありで?
>ならば聖書も真実と言えなくもない、という主張につながるのです、
聖書にも真実はあるでしょう・・・もっとも私の口にはあまり合いませんが
キリストやキリスト者の言葉にも触れてみては?
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
「狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く之より入る者おほし。命にいたる門は狭く、その路は細く之を見出すもの少なし」
「求めよ、されば道は開かれん」
「我信ず、不信なる我を救いたまえ」
>真実は、確かに理性を超越したものですが、理性のレベルで弾かれるような教えでは、
>助からないのです。
阿弥陀仏や浄土は理性に受け入れられるものかしら?
むしろ理性(これも我執でしょう)の対極にあるものです
215 :
505:04/05/29 01:31 ID:WFBEM8mR
ご無沙汰しています。遅レス失礼します。
>>115 >自分の会が唯一絶対である、とする独善に陥り、他人を破邪顕正することに追われる活動を
しているうちに、善悪正邪の世界に安住し、勝他の正義感が限りなく肥大していき、内外廃立が本来
「わたし一人」のために説かれているとは思えずに、他人を勧化するうえでの用語であると思って
少しも疑問ももたないような弊害が現れてくるわけです。
これは110さんのことを申したつもりでしたが、おわかりになりましたか?
あなたの使用されている「内外廃立」の意味がまったく他者を勧化する意味で、
換言すれば、「勝他」の意味で、使用されていたので念のため確認したのですが、
スルーですか?
>>118 >都合悪いものは完全にスルーといううわさは本当だったようで。
別にスルーしているつもりはありませんが、あなたのようには
レスがすぐにできないこともあります。あなたの仰る
>本質ではないことは、放置するようにしてます。
これは、なかなか便利な表現ですね。本質か、そうでないか、を判断するのは
誰なんですか?あなたの「思い」ではないとでも?
216 :
505:04/05/29 01:39 ID:WFBEM8mR
>>118 >110さんの主張が、ある特定の行を実行しなければ救われない、という主張
>>191 >それ以前に、自力から他力に入る道がどこにあるんですか?
110さんの主張が「自力から他力へ」という主張であるとすれば、それはまさに
「ある特定の行を実行しなければ救われない」という主張になります。
自力から他力へは、まったく塞がれていると祖師は説かれていますよ。
自力から他力へ、ではなく「自力を捨てて他力へ」と説かれているのでは
ないのですか?
217 :
110:04/05/29 01:39 ID:lbwK7f2w
>親鸞会の勧誘活動に関わったことがある人たちのことです。
>むろん私もその一人。今さらとぼけるのはなしにしていただきましょう。
真剣な意見ならば真剣に答えたいと思います。
>おかしいですよ。
>あなたがどうかは知りません。しかし、仏教の為なら
>嘘も方便といって、平気で嘘を吐く事例が頻発してい
>るでしょう。そういう無間業が恐ろしくないのがおか
>しいです。
申し訳ありませんが、そういう意見を実際の活動上、全く聞きません。
そこまで不快に思う人があるなら、無視すべきではないと思います。
しかし、少なくとも、嘘も方便だ、という人を私の周りで見たことは今までありません。
その上で、上記のことを「おかしい」と言われるのでしょうか。
私は、「おかしい」ことはしておりませんし、周囲の人もそういう人はいません。
>体験に対して寡黙であるのが原則なら、
体験と教学は違う、と申しました。混同されているようですよ。
弥陀の本願は、「全ての人を、必ず、絶対の幸福にしてみせる」です。
これは、経典上の紛れもない事実です。
教義については、しっかり理解した上で、反論なら反論をしていただきたいです。
218 :
110:04/05/29 01:49 ID:lbwK7f2w
今日はもう休みますが、これだけは見過ごせない発言です。
>110さんの主張が「自力から他力へ」という主張であるとすれば、それはまさに
>「ある特定の行を実行しなければ救われない」という主張になります
全く違います。何かもう、びっくりしました。捏造にもほどがあるというか。
いい加減にしてください。もう恐るべき飛躍です。
どうしてそうなるのか、全く分かりません。悪意(もしくは極めて短絡的思考)しか感じません。
呆気にとられてしまいました。あなたには歪曲&攻撃しかないんですか?
219 :
110:04/05/29 01:51 ID:lbwK7f2w
>>218 歪曲&攻撃しかない、ということはないですね。他のレスもあるし。訂正します。
220 :
505:04/05/29 01:52 ID:WFBEM8mR
>>119 >私たちがどういう方向を心がけようが、私たちの力なんですよ。残念ながら、そのパラドックスを
避けようとするのも、自力以外の何者でもないのです。パラドックスに向かうのと、本質はなんら
変わりません。どちらも、ただ、自力です。やろうとするのも、やめようとするのも、そもそも
そういうことを考えることをやめようとするのも、自力しかないのですよ。よく考えれば分かる
はずのことです。
これは、私の申した事を焼きなおしただけのように見受けられますが・・。
>そんな発想の転換レベルで、自力が捨てられるわけがありません。
其の通りです。自力では絶対に自力は捨てられません。
>どうしたら他力に入れるかを知りたいのが、求道者なのに、それに答えるすべを持たない。
当たり前です。善知識なら、「われは答えられぬ、ただ、弥陀のみをたのめ」、とお答えになる
はずです。あなたはそのようにお聞きしておられないのですか。仙崖和尚の逸話を思い出してみてください。
>ということは、私たちが救いのためにできることが何もない、と言っているのですよ。
そうです。そのように説かれるのが浄土真宗です。110さんは、「できないことを知らされるまで、
できないことを命がけで実行せよ」と主張しているのですよね。イダイケと同じ事をしなさい、と
主張しているようにも解釈されますが、それならなぜ親鸞会は定善でなくザイセとか勧誘行為の
散善を勧めるのですか?(ザイセとか勧誘行為が真の意味で散善といえるかどうかはまた別の問題
ですが・・。)祖師と同じ行をしないと救われない、といっているんでしょう?
それなら、まず、定善からはじめることになりませんか?
221 :
505:04/05/29 01:55 ID:WFBEM8mR
>>120 >どうしたら他力に入れるかを知りたいのが、求道者なのに、それに答えるすべを持たない。
どうしようもない、と言っているのと同じなのです。
其の通りですね。
善知識ですら、答えるすべをもたないのです。
わたしなんぞに答えるすべはありません。
弥陀をたのめ、ただこれだけですからね。
222 :
505:04/05/29 01:59 ID:WFBEM8mR
>>121 >破邪顕正こそ、最高の報謝の道であり、最も如来聖人が喜ばれることなのです。
「破邪顕正こそ、最高の報謝の道」とは驚きました。
それでもあなたは真宗を奉じるものですか?
教行信証で根拠を示していただきたいです。
>>121 >法施も同じなのです。他人に真実を話すままが、その言葉が、自分に返ってくるのです。
聴聞と同じなのは、当然でしょう。
あの・・こういうのをあなたの思いっていうんですよ。
お聖教の根拠をあげて話してくださいね。
「法施は聴聞と同じ」とするお聖教の根拠を述べてください。
223 :
505:04/05/29 02:16 ID:WFBEM8mR
>>122 >如何なる宗教も自己否定的努力を要せないものはないが、その行為や経験自体に重きをおくことは、全く自力執心
に他ならないと考えます。
711さん、まったく同感です。
>>124 >よい関係がある、と申します。
いまひとつ「よい関係」が理解できないのですが、別の表現はできないですか?
>>聖人が、どんな愚鈍の凡夫であっても、ご自身の修した行の道程を通らなければ
>信を獲られない、と教えられた根拠はあるのでしょうか?十方衆生が相手の三願と、前スレであげた御和讃です。
至心発願欲生と〜の浄土和讃、3つです。
どれをとってみても、これから現在世において「ご自身の修した行の道程を通らなければ信を獲られない」
とは祖師はおっしゃっておられませんね・・。
>本来凡夫には実行不能だから初めから見向きもしないあなた方と、
まだおわかりにならないようですね。浄土真宗とは、「速やかに生死を離れんと欲するもの」
(=悪人)に対して説かれる教えである、と申しています。往生の行としては、凡夫には
布施行の難行は機と教が一致していないので勧められない、と祖師は教えておられます。
>善が障りになるなどというのは何ら根拠のない、あなた方の主観判断なのです。
「善が障りになる」などと申した事はありませんが・・。
私は善と諸善あるいは自力の善という用語は使い分けているつもりです。
110さんは、
>>123を読まれたのですか?
名号法のみが善で、世間は虚仮です。「自力に執する善」が障りになるということです。
224 :
505:04/05/29 02:26 ID:WFBEM8mR
>>124 >>だから、往生のためには、親鸞会で勧められているようなザイセとか勧誘活動は
>必ずしもする必要はない、ということでよろしいのですよね。
往生の助けにはなりませんが、獲信の因縁(宿善)になります。
より早く救われるのです。もう、お分かりでしょう。
いいえ、わかりません。
1)宿善を厚くしていけば「より早く救われる」よろしいですか?
2)聴聞が一番獲信の因縁(宿善)になる、よろしいですか?
それならば、110さんは、「私は勧誘活動はしない。ザイセもしない。
ただもう、早く救われたいから真剣な聴聞のみをしたい」というかたには
何も反論できないはずですよね。
もう一度申します。
往生のためには、親鸞会で勧められているようなザイセとか勧誘活動は
必ずしもする必要はない、ということでよろしいのですよね。
225 :
505:04/05/29 02:35 ID:WFBEM8mR
>>128 >表現をこちらである程度適当に直すと、
宿善の厚い人は早く救われる、薄い人は遅くなる。
これは間違いありません。蓮如上人が仰っているのですよ。
ここまでは異議ありません。
>宿善とは、宿世の善根ということで、信心獲得から一切の過去を振り返った善のことです。
これも同意します。
ただし、蓮如上人は、「だからこれから未来に向かって宿善厚くしていきなさい」
とどこかに仰せになっておられますか?具体的にご指摘ください。
宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善ありがたしと申すがよく候(御一代記聞書)
たとえば空華学轍では宿善=如来の光明=「よろこぶべき」=「有難し」と思うべき=「他力」
と主張していますが、あなたはこのご文をどのように捉えていらっしゃいますか?
ご教示ください。
226 :
名無しさん@3周年:04/05/29 02:51 ID:27V2XxN+
>申し訳ありませんが、そういう意見を実際の活動上、全く聞きません。
>そこまで不快に思う人があるなら、無視すべきではないと思います。
学生部(学友部)で頻出しています。これだけ多くの人が言っている
のだから、珍しいとは言えません。そもそもダミーサークルやってい
るじゃないですか。
それからこれは、「不快に思う人がいる」という水準の問題ではあり
ませんでしょう。無間業ですよ。仏教徒なら罪の重さに震えないのが
不思議です。その程度の理解なのでしょう。ですから、
>体験と教学は違う、と申しました。混同されているようですよ。
あなたには上人法の意味も理解できていないし、体験に執するという
ことがどういうことかも理解されていない。仏教の目的は「体験」な
どではないということがお分かりでない。なので、
>教義については、しっかり理解した上で、反論なら反論をしていた
>だきたいです。
教義論争に参画する気が起こらないと申しあげました。
とにかく、嘘はやめてください。堂々と勧誘し、信心決定が難しい
なら難しい、厳しい道なら厳しい道だとはっきり正直に告知して、
条件を納得した人だけを誘うというまっとうなやり方をしてほしい
ということを言いたいだけです。
227 :
505:04/05/29 02:53 ID:WFBEM8mR
>>56 >これを本会では、横の線で表現しております。
この説かれ方が、すでに成就されている、無常の功徳の名号法をはるか彼方に
遠ざける役割を担っているのかもしれません。
仏法には、明日ということが無いのにもかかわらず、横軸の「時間」が設定されて
いますね・・・。
>>205 みな、三願転入しているのです。
横レス失礼します。
蓮如上人がとかれた「三願転入しなさい」のお聖教の根拠は見つからない
ということでよろしかったですか?
覚如上人の「三願転入しなさい」のお聖教の根拠でも結構ですから
あげてみてください。
228 :
名無しさん@3周年:04/05/29 03:10 ID:QGO7FRwv
やけにまわりくどい宗教だな。
229 :
711:04/05/29 03:12 ID:AA1NGuRB
>>505さんへ
もうここにはこないつもりだったのですが、
気になってつい見にきてしまいました。
私は浄土真宗の信者ではありませんが、
どうしても101さんのご意見が、親鸞聖人のご意志
を伝承しているとは思えないのです。
西田哲学でさえ、相対→絶対には行くことは出来ないと言っております。
浄土真宗でいえば、自力→他力ということはありえない
ということにあてはまるのでしょうか。
西田の時代は、西欧文明が明治維新とともに急激に流入して
きた時代であり、言うなればカルチャーショックの中で
どう自分を作り上げてきた文明・文化・思想・宗教を大海原の
ようなとほうもない世界で立ち上がることができるのか、
また西欧にはない日本独自の思想・宗教が実は東西を問わず
人々の心を根底から支える力となりえるのではと考えていたかのように
思います。浄土真宗にはその力があると
私には思えるのですが、101さんの言葉を聴くと「残念」と思わざるをえません。
「絶対の幸福」と101さんは言われるのですが、非常に浅薄な
何処の新興宗教でも言っている(その実、意味はわからない)
何か仏法ではなく魔法といってもよいような言葉を
安易に使われます。(しかも自信を持って言われている!)
(つづく)
110はこちらの言うことをのらりくらりとかわしながら
こんどは逆にこちらが言っていることを
さも自分が言っていたようなふりして話し出す。
真宗に反することを言いながらうまいタイミングで真宗のタテマエをとうとうと
しゃべりだす。
s会ってそんなかんじ。
231 :
505:04/05/29 03:15 ID:WFBEM8mR
>>218 >>110さんの主張が「自力から他力へ」という主張であるとすれば、それはまさに
>「ある特定の行を実行しなければ救われない」という主張になります
>いい加減にしてください。もう恐るべき飛躍です。
あなたの思いは結構ですから、もう少し根拠をあげて話してみてください。
あなたは332さんによる、
>>123を読まれたのですか?
>「かくのごとく往生の行、種々不同なり。つぶさに述ぶべからず。すなはちいま
前の布施・持戒、乃至孝養父母等の諸行を選捨して、専称仏号を選取す。ゆえに
選択といふ。」(何れも『選択集』本願章)
真宗の教えはあなたがおっしゃったように「自力から他力へ」の教えではなくて
「自力を速やかに捨てて他力へ」です。救いの法が先行しているからです。
弥陀たのめ、とは弥陀におまかせする、ということです。
あなたのお勧めの諸善は、既に往生の行としては選捨されています。そして、他力の法は
「わたし」に接しているけれど、自力執心の「わたし」は他力の法には永遠に隔たっています。
あなたがおっしゃった「自力から他力へ」説によれば、自らの造作が先行するわけですから、
十九願、二十願を経て(実行して)から救われなさい、という説ということにはならないですか?
つまり「ある特定の行を実行しなければ救われない」ということになりませんか?
232 :
505:04/05/29 03:41 ID:WFBEM8mR
>>229 これは、711さん、今晩は。
私しか起きていないと思っていました・・。
>どうしても101さんのご意見が、親鸞聖人のご意志を伝承しているとは思えないのです。
110さんのことですね。同感です。
率直に申し上げれば、もしも、110さんのご意見が親鸞会の説であるとすれば、
親鸞聖人のご意志を親鸞会が正しく伝承しているとは考えられません。
>「絶対の幸福」と101さんは言われるのですが、非常に浅薄な
何処の新興宗教でも言っている(その実、意味はわからない)
会員さんのどなたも否定しないので、いよいよそうなのかな、と思っているのは、
「絶対の幸福」がS価学会で既に使用されていたものを高森さんが借用した、という
噂です。私が会員であった時に会のなかで何度も耳にした噂ではありますが、
会の組織が軍隊識であり当時のS価と○隊長など、呼称まで似せていたこと、
破邪顕正のやりかたがS価の折伏に酷似していること、天台の五時の教判を批判しつつ、
それとそっくりな会長さん独自の?「八大経(教)説」を説いていること、などから類推
すれば頷けるところもあります。
そもそもS価は現世利益的団体ですから、「絶対の幸福」という呼称がご指摘のように
「何か仏法ではなく魔法といってもよいような言葉」と思われることも尤もですね。
絶対の幸福の根拠を110さんにお尋ねしたところ、歎異抄の「無碍の一道」だ、と強弁
されていましたが、これでは祖師の説かれた「無碍の一道」の真意が甚だゆがめられて
理解されることを危惧しています。
233 :
505:04/05/29 03:44 ID:WFBEM8mR
少し書きすぎました・・。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
これにてひとまず失礼致します。
いまご覧のみなさま、おやすみなさい。
234 :
711:04/05/29 03:50 ID:AA1NGuRB
>>つづき
眠い目をこすりながら、つづきを・・・
「生死即涅槃」というお言葉があります。
論理的なことばとは、私ども凡人には到底思えません。
全く逆の意味をもつ言葉が「即」という言葉でつながれている!
しかし、ここに浄土真宗がなければならない理由がある。
(もちろん教団としてではなく、真実として)
235 :
505:04/05/29 04:03 ID:WFBEM8mR
236 :
711:04/05/29 04:23 ID:AA1NGuRB
>>505さんへ
decultさんの話は非常に興味深い。
東西本願寺は、念仏すれば死んだらお助けですか。
実家の父が聞いたら、絶句するに違いないと思われます。
私は次男ですからお寺を継ぐわけでもないし、
全く関係がない話ではありますが、
実家の父には聞かせたくない話です。
きっと怒って、血圧によくないと思われます。
勘弁していただきたい。
237 :
敗残者一年生:04/05/29 07:39 ID:xdufMufm
>>505さん
廃立の件についてですが、私が聞いた限りでは、会で教えている廃立は
505さんの仰るような対内的なものであって、110さんのように
破邪顕正と一緒くたにするような事は無かったと思います。
例えば「こんなことが〜」(1・2のみ所有)にある廃立の説明は
ほとんどが「外道邪教に迷う心を捨てよ」といった内容で、
その対象は自分自身である事が伺えると思います。
また同文には破邪顕正との関連についての記述はありませんし、
破邪顕正という単語さえ出て来ません。
(3・4巻でどう発展して行ったかまでは記憶に無いですが)
まあ110さんの
>>66の発言は、誰が読んでも「他宗教との論争=内外廃立」
ですが、110さんはその発言を撤回する事もなく、再度主張することもなく
破邪顕正を持ち出してをはぐらかしていますね。
505さんも、そういう状態のまま深く追求されるのは如何かと思われますが。
236を読んで、ちょっと会のページを見て来たのですが、
トップにあった、本願寺との相違点という部分が撤廃されていますね。
「どちらがウソか」を引用した、それらの解説ページごと無くなっています。
私の確認する限りでは、早くとも今月に入ってからの出来事のようです。
実際の会内での本願時批判が今後どう変わるかは分かりませんが
こういった動きは、なるべくプラスに捉えて行きたいです。
238 :
名無しさん@3周年:04/05/29 08:40 ID:2sLAtDys
>>185 >自力の「雑毒の行」(虚仮の行)=不善の三業と他力の
「真実の業」=善の三業が
イコールである根拠をお聞きしておりますが
いつも御自分の言葉が根拠なんですね。
イコールの根拠をお願いします。
>「自力の心」は「意業」だと思うのですが違うのですか?
根本無明と枝末無明の違いを御存じないようですね。
唯識を勉強しなおされたほうがよろしいかと思います。
根本無明があるからすべて悪なら彌勒も善根はつめません。
>>186 >信後の衆生のいかなる「雑毒の善」「悪業」も全く報土往生の
障りにはならないということです。「捨てさせて」いただくのは
もちろん凡聖善悪の「自力の心行」ですね。
では雑毒の善と自力は違うということで了解いただきました。
>>187 >真宗で罪悪というのは本願疑惑心であり自力の迷情であり
どこに「信前にする『諸善』が悪」だと書いてありますか?
あなたの言っていることとは全然違います。
「通仏教で教えられた善は『悪』である」というのは撤回ですか?
239 :
名無しさん@3周年:04/05/29 09:11 ID:SsIGaxeh
>>231 >「自力から他力へ」説によれば、
信前から信後へ以外になにかあるんでしょうか?
信前は方便、信後は報謝になるのが善です。
あなたも自力は三業だと思っているのですね。
自力のこころとは無明の闇のことですよ。
七転識とは違います。
>110はこちらの言うことをのらりくらりとかわしながら
>こんどは逆にこちらが言っていることを
>さも自分が言っていたようなふりして話し出す。
どこが?そんなこと無いじゃん。
有効な反論されてもこの程度のコメントしか出来ないの?
今までの反親鸞会論者ってみんなこんな感じ。
>東西本願寺は、念仏すれば死んだらお助けですか。
実家の父が聞いたら、絶句するに違いないと思われます。
私は次男ですからお寺を継ぐわけでもないし、
全く関係がない話ではありますが、
実家の父には聞かせたくない話です。
きっと怒って、血圧によくないと思われます。
勘弁していただきたい。
末寺では普通に話されていましたよ。
私が寺に行っていた80年代はね。
本山はちゃんとその辺を教化しているのですかね?
ていうか、知っているのですかね?
実家のお父様がどういう方が存じませんが、
怒られるのでしたらそういう話をしている(或いはしていた)末寺に、
お怒りを向けられては如何ですか?
うちの近くの寺(本派)でも最近門主が来て話していきましたが、
参った人によるとわずか15分くらいの話だそうだと。
念仏したら死んだらお助けとはさすがに言わんかったそうですが、
話の内容はなにいってんだかさっぱりわからんかったそうです。
しかもメモを見ながらの話だったとか。
門徒の中にはハッキリ「こんなのなら呼びたくない」と言っている人も数人いたそうですよ。
どうぞ絶句して下さい。血圧に悪いからこの話も伝えないで下さい。
こうやって現場から目を背け続けて行かれたらいいです。
そうやって門徒はどんどん減って行きますから。
242 :
名無しさん@3周年:04/05/29 10:35 ID:5n3gywGg
244 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/29 12:49 ID:vuszy4aP
>>238 >イコールの根拠をお願いします。
もう一度
>>123を読んでいただきたいですが、仏様の「真実の業」と衆生の
「虚仮の行」との二項対立で言われてる文脈ですから、「善の三業」でなければ、
「不善の三業」でしょう。それとも「雑毒の行」は「善の三業」だという御主張
でしょうか?
>根本無明と枝末無明の違いを御存じないようですね。
>唯識を勉強しなおされたほうがよろしいかと思います。
>根本無明があるからすべて悪なら彌勒も善根はつめません。
まあ確かに私は唯識などは不勉強ですが。でも「根本無明と枝末無明」というのは、
どちらかというと「如来蔵」の方じゃなかったかと思うのですが。唯識は、「根本
煩悩と随煩悩」ではないかと思うのですが、特に「無相」系だと「如来蔵」との区別
は判然としませんかね(まあ「有相」系もそうですが)。
自力には、根本も枝末もあるでしょうから衆生の三業にかからないということはないと思うのですが。
弥勒菩薩等は、通仏教(自力聖道門)の善根はできますが、自力疑情の「元品無明」(根本無明)が
断破されなければ報土往生はかないません。聖道門のいかなる証果も報土往生の因行にはなりません。
>>243 推測。同一LAN内から、別々にやっているんじゃないか?
ID出ること分かってて荒らすほど、バカじゃないだろうにな。
246 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/29 12:50 ID:vuszy4aP
>>238の続き
>では雑毒の善と自力は違うということで了解いただきました。
ちょっと表現がまずかったのはお詫びします。=でくくったのは「自力」と「雑毒の善」
の「集合」が=ということではなくて主語と術語の関係で「自力の行は雑毒の善である」
ということですね。集合の意味では、「自力」は「雑毒の善」に含まれるということですね。
「悪業」という意味での「雑毒」は信後も変わりませんが、自分の「雑毒の善」を報土往生
の善根としてあてにする心(=自力の心)はなくなります。このあたり日本語は論理的では
ないので難しいですね。
>どこに「信前にする『諸善』が悪」だと書いてありますか?
>あなたの言っていることとは全然違います。
>「通仏教で教えられた善は『悪』である」というのは撤回ですか?
これも上と同じ命題ですが、通仏教の自力修善は、報土往生の業因ではなく、
迂回の辺地化土往生の業因でしかありません。ましてや、諸善万行ことごとく
竜宮に隠れ、行証ともにない、末法劣機の為には、自力修行(のまねごと)は、
自力の執を募り、真実(他力)念仏をおさえる(さわりととなる)こととなる
から真宗の教える報土往生の為には「悪」となるということですね。
「聖道門」を教えているとか、「諸行往生」を目指す御宗旨ならば、当然に自力
修善は勧められるでしょうが宗旨違いということです。
それに、「定散自力心」なくして、どうして定散二善の実践ができるのでしょうか?
それにしても、○美さん、あなたの念仏は聞きたくないよ。
「よ」さん、他の「嘘つき」を突くなら、まずあなたの「悪口」を直さないと、誰も聞かないよ。
「破邪顕正こそ、最高の報謝の道」
というか、破邪顕正という言葉に、ひっかかっているんじゃないか?
布教伝道とかに変えたらどう?
救われた人には、最高の報謝だよね。
250 :
名無しさん@3周年:04/05/29 13:09 ID:G+y4oF3W
>>227 >蓮如上人がとかれた「三願転入しなさい」のお聖教の根拠は見つからない
ということでよろしかったですか?
覚如上人の「三願転入しなさい」のお聖教の根拠でも結構ですから
あげてみてください。
三経のなかに、『観経』の至誠・深心等の三心をば、凡夫のおこすところの
自力の三心ぞとさだめ、『大経』の所説の至心・信楽・欲生等の三信をば、
他力よりさずけらるるところの仏智とわけられたり。
しかるに、「方便より真実へつたい、凡夫発起の三心より如来利他の信心に
通入するぞ」とおしえおきまします祖師親鸞聖人の御釈を拝見せざるにや。(改邪鈔)
この御文は蓮如上人も帳外御文で引用されています。
「方便より真実へつたい」というので明らかじゃないですか。
誰かが「そういう意味ではない」と言ってましたがあいかわらず
根拠がないようです。
以前もあげましたが
「『観経』の三心をえてのちに、『大経』の三信心をうるを、
一心をうるとはもうすなり。」(唯信鈔文意)
「のちに」「より、...つたい」と書かれているのに「そうではない」
というのは謗法ですよ。
「十方諸有」が「聖道門のみ」というのも祖師聖人のお言葉を完全に
曲げていますがどういうつもりで書き込みしてるんでしょうか?
251 :
名無しさん@3周年:04/05/29 13:26 ID:G+y4oF3W
>>244 >仏様の「真実の業」と衆生の
「虚仮の行」との二項対立で言われてる文脈ですから
こういうことはあなたの解釈の域を出ない、と言ったとおりです。
>自力には、根本も枝末もあるでしょうから
枝末がある、ということは自力がすたれば煩悩が減るということですよ。
なに言ってるかわかってるの?
「お釈迦さまは悪をすすめられた」という主張はかわりないようですね。
聞法が一番です。
聴聞をおすすめしなさい。聞くことです。如来の御心を。
253 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/29 22:32 ID:UmDjblhN
>>251 >こういうことはあなたの解釈の域を出ない、と言ったとおりです。
こんな明白な御文について、なんか難癖の為の難癖みたいですが、あなたの説
では、「自力≠雑毒の行」で、「雑毒の行≠不善の業」と言われているということなのですか?
私は、これまで述べてきたこと以外読み方がないと思うのですが、違うと言われる
のならあなたの見解を述べるべきでしょう。
>枝末がある、ということは自力がすたれば煩悩が減るということですよ。
>なに言ってるかわかってるの?
不勉強でよくわかりませんが、「無明」とは「惑業苦」の連鎖の元となる真理について
の無知のことだと思いますが、唯識説の根本無明とは、「貪」「瞋」「癡」「慢」「疑」
「五悪見」などの根本煩悩のことなのでしょうか?其の中の特に、」「癡」ですか?
「疑」ですか?(普通は「癡」ですね。)いずれにせよ根本煩悩には「不信」や「不正見」などの随煩悩がると思う
のですが。七転識がどうのこうのと仰ってますが、無始来、末那識と相応する「不共無明」の
ことですか? 「根本無明」と言われてますが、これは「不共無明」の発展形である『勝鬘経』
の「無明住地の煩悩」更にはその発展形である『起信論』の「久遠元初の一念」のことですか?
この辺の初期仏教、アビダルマ、唯識、如来蔵の無明解釈其々の相互の整合性が今日どれだけ計られている
かは知りませんし、真宗教学との整合性がどれだけあるのかもわかりませんが、自力疑情を「元品の無明」
としましても(これは「如来蔵」ですね)、随伴の小煩悩がないわけがないし、「自力」は三業ではないとい
うのは真宗相伝上にある説ですか? その説では例の「三業帰命説」は自力信ではないことになるし、「聖道門」
に於ける「自力修行」もないということになりますね。衆生の「三業」にかからない「発心修行」はありえません
からね。とにかく????の説ですのでよろしければ、根拠などをあげて解説くださいませんか。
254 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/29 22:58 ID:UmDjblhN
>>251の続き
>「お釈迦さまは悪をすすめられた」という主張はかわりないようですね。
末法劣機の為には、他の善を斥けられて、機に合った無上の善である「他力念仏」
オンリーワンをすすめられたということですよ。
「よくよく機と教との分限をはかりてこれを行ずべきなり、」
「如来はすなはち良医のごとし、機をかがみて法を与へたまふ。しかるに上機には諸行
を授け、下根の機には念仏をすすむ。」(『持名鈔』)
「万善は自力の行なるがゆえに、末代の機、修行することかなひがたしといへり。円満
の徳号は他力の行なるがゆえに、末代の機に相応せるといへる心なり。」(『正信偈大意』)
一体、「対機説法」ということをどんなに考えられているのでしょうか? シャリープトラ
尊者が、2人の弟子に「数息観」と「骨鎖観」を対機を誤って教化した為、邪見を生ぜしめ
たが、お釈迦様が、正しく御化導されたら悟りを得られたという『南本涅槃経』巻二十四の
有名な逸話は前にも別スレで紹介したことありましたが。
>>255 >>33 110氏の勝利確定ですね。
↓
>>120 今のところ110優勢だね。
表現が勝利確定から優勢に変わったのは不利になったってことですか?(w
257 :
名無しさん@3周年:04/05/29 23:42 ID:4JPmaxPO
110が優勢とは思えませんが
258 :
名無しさん@3周年:04/05/30 01:53 ID:3n6B5doi
アホなコピペをべたべた貼り付けて荒らす事しか出来ない会員さんが、
「善の勧め」も「19願」も何も無い。
机上の空論ばっかりご立派で、実態はあまりにも空しい…。
親鸞会の「善の勧め」ってのはコピペを貼り付けて
新入生に害のある部分を見せなくする事だから、
彼はその善根でこの度目出度く仮土往生するであろう。
260 :
通行人:04/05/30 02:23 ID:aMcO2G6g
心配なのは、110さんが、本願寺のやつらはこの程度なんだなとか思われてしまうのが、なんとも、恥ずかしいというか悲しいというか・・・。
勘弁してよ〜。
こっちまで、低く見られてしまう_no
そもそも「聞法の敗残者」なる我々と
「聞法の成功者」(変な日本語だが)なる彼らとは
比べもんにならないんだろう。あの禿に「唯除」された我々ってw
あそこは、屍を乗り越えていけ、っていうからね。
我々は屍なんだろうな。
彼らはいわゆる「上根」の方なんだろうねえ。
263 :
通行人:04/05/30 02:43 ID:aMcO2G6g
たいがい、未信の者が陥りやすい間違いが、念仏の自力と他力の違いなんだな。
ほとんどここで間違えてる人間が多い。
すべては、信心決定ありきであることに、誰も気づいてない。念仏なんかはじめからお呼びじゃないのに・・・。
でないと、一念の救いに間に合わない。念仏称えなくても信心ひとつで救われるというのが、真宗の基本。
大学者であるはずの笠原が「一回の念仏で救われる」(だったかな??どうでもいいけど)と間違えてしまったくらいだから、
おそらく、かなり大多数まちがえてるんだろな
だからって、自力の念仏称えなくてもよいわけではない。ここも、みんな、すぐ間違えてしまうところなんだな(藁
264 :
通行人:04/05/30 02:56 ID:aMcO2G6g
まぁ、これもそれも、「念仏往生」と聞いて、念仏して救われるんだ〜とか、勘違いしてしまった結果なんだろな。
長年、本願寺もここは、臭いものに蓋をするってことで、誰も触れなかった(というか、みな間違えてたってことか??)
歴史的な苦悩背負ってるからね(藁
そこをあえて、触れた高森先生は偉い。
信心ひとつで救われる。これしか、真宗では教えられてない。
265 :
名無しさん@3周年:04/05/30 07:24 ID:NfE5NUcC
>>264 彼には人徳がないので誰も話しを聞かない。
「本願寺なぜ答えぬ」には皮肉で高圧的な文章も多く、あんなものの言い方されたら誰も相手にせんよ。
彼は結局何をしたかったのだろう。すくなくとも内容が相手に伝わっていないので本の意味はない。
意味があるとすれば会員に買わせて金儲けぐらいか。
何を教えてるかはもうどうでもいいが偉くもなんともない。
あの高慢な態度をやめれ。
会員の人も腹の中では思っているくせに。
266 :
505:04/05/30 08:16 ID:jMwWro8D
>>239 >信前から信後へ以外になにかあるんでしょうか?
あなたは何をおっしゃっているのでしょうか。また曲解ですか?「自力を捨てて他力へ」
(非連続)が誤りで「自力から他力へ」(連続)が正しいとでもおっしゃいたいのでしょ
うか?あなたは「信前から信後へ」という表現をされていますが「信前から信後へ」とは
「自力を捨てて他力」(捨自帰他)ということです。自力執心の側からは他力へは接点が
ないのです。いくら自力行の定善・散善を積み重ねていっても他力にはならない、と何度
も申し上げています。祖師も「悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、
定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれ
ども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。」
(方便化身土巻)と仰せです。また「信前から信後へ」は、ただ「なにのやうもなく、阿弥陀
如来をふかくたのみまゐらせて、もろもろの雑行をふりすてて、一心に後生を御たすけ候へと
ひしとたのまん」(五帖十七)と蓮師は教えられています。
>信前は方便、信後は報謝になるのが善です。
あなたの用いられた「方便」とは善巧方便の意味でよろしかったですか?信前は、極重悪人の
凡夫においても如来の善巧方便を信知できるのですか?
「極悪深重の衆生は他の方便さらになしひとえに弥陀を称してぞ浄土にうまるとのべたまう」
(高僧和讃)
上にあげた御文章においても「なにのやうもなく」(五帖十七)とご教示であって、往生の為に
自力諸善励めとはおっしゃっていませんね。
267 :
505:04/05/30 08:22 ID:jMwWro8D
>>239 (続き)
>あなたも自力は三業だと思っているのですね。
これも大した曲解ですね。そんなことはどこにも申していません。あなたがそう判断されるのな
らば具体的な箇所をあげてください。
>自力のこころとは無明の闇のことですよ。七転識とは違います。
ですから七転識とどこに申しましたか?曲解もいい加減にしてください。
無明の闇は自力行で破る事は決してできない、と祖師は教えられています。
しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに。散心行じがたし、
廃悪修善のゆゑに。ここをもつて立相住心なほ成じがたきがゆゑに、「たとひ
千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」(定善義)といへり。(方便化身土巻)
なお、
>>266を少し補足しますが、前に申しましたように「自力を捨てて他力へ」(非連続)や
「自力から他力へ」(連続)は、他力から「わたし」へは連続であるが、自力執心の「わたし」から
他力へは永久に不連続、という趣旨です。
268 :
505:04/05/30 08:30 ID:jMwWro8D
>>237 ご指摘ありがとうございました。
会の主張と異なった事を110さんは主張されたということでしょうか?
>まあ110さんの
>>66の発言は、誰が読んでも「他宗教との論争=内外廃立」
ですが、110さんはその発言を撤回する事もなく、再度主張することもなく
破邪顕正を持ち出してをはぐらかしていますね。
505さんも、そういう状態のまま深く追求されるのは如何かと思われますが。
110さんのご意見(弁明)をお待ちいたします。
269 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/30 11:03 ID:PHtbyD+z
>>253の訂正と
>>251への補足質問
訂正
誤り>自力は三業ではないというのは→正解:自力は三業に現れないというのは
補足
自力の体である「疑情」は、流転の因であり「悪」であるというのはよろしいですね。
するとその用や相である自力行(これも三業でないということですか?)も悪という
ことになるのではないですか?
270 :
通行人:04/05/30 11:18 ID:FYSLqgVM
何か、もうめちゃくちゃだな。
>末法劣機の為には、他の善を斥けられて、機に合った無上の善である「他力念仏」
オンリーワンをすすめられたということですよ。
これなんか、聞きようによっては、本当に理解して言ってるのかよくわからんしな。
あなた、称えたら全部他力の念仏になるとは思ってないな。と、まさかそんなこと思ってない罠・・・??
真宗の救いは信心だっていうのに。念仏じゃない、信心決定を勧められたんだ罠。
その上で、仏恩報謝の念仏称える身になることと言う意味で、言われたんだと激しくプラスに理解したいな。
念仏なんて、激しく及びでない罠。
271 :
通行人:04/05/30 11:21 ID:FYSLqgVM
> 西田哲学でさえ、相対→絶対には行くことは出来ないと言っております。
浄土真宗でいえば、自力→他力ということはありえない
おまえら、偉そうなこと言ってるが、誰もこれには突っ込まんのね(藁
272 :
通行人:04/05/30 11:27 ID:FYSLqgVM
>破邪顕正こそ、最高の報謝の道であり、最も如来聖人が喜ばれることなのです。
「破邪顕正こそ、最高の報謝の道」とは驚きました。
それでもあなたは真宗を奉じるものですか?
教行信証で根拠を示していただきたいです。
このせりふで、あなたが、真実開顕してないことが2chで大体的にばれたね(禿藁
あなたねぇ、めちゃくちゃいいなさんなや。
世間の迷妄を破ることも含むんだから、布教も破邪顕正の中に入るのに、それわかってて言ったなら、あんた最高やぁ〜。
273 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/30 11:34 ID:PHtbyD+z
>>270 >称えたら全部他力の念仏になるとは思ってないな。と、まさかそんなこと思ってない罠・・・??
思ってませんよ。「聖人の御一流には弥陀をたのむが念仏なり」(『御一代記聞書』)
と「弥陀をたのむ(他力信心)」=「念仏」ということです。
信不具足の称名は、そもそも真宗では念仏とはいえないわけです。
>念仏なんて、激しく及びでない罠。
この念仏とは称名のことですか?
「称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり」(『行文類』)
御名号は、御信心の体であるし、衆生の信後称名は、阿弥陀様の「大行」の相ですから
「およびでない」ということはないと思われ。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
274 :
通行人:04/05/30 11:45 ID:FYSLqgVM
私事ですが、真宗を奉じておりますが、思いっきり破邪顕正しますが、何か?
教行信証で示さなくても、親鸞聖人の生涯きっちり知ってたら、そんなこと言えまへんがな。
それでも教行信証で根拠出せって、墓穴掘るだけでっせー。
わて、学者とかいうものにそんなこと言ったら、目腐って聖教読めんようになったんかって、馬鹿にされてまうがな(藁
あんさんも馬鹿にされんで、きぃーつけや。ちなみに、あなたどちらで学ばれたんで、きぃーつけや。
まさかとは思うが、あんた、真宗はみんな仲良くバラバラでいっしょ、自己中心的な考えなくしましょうという教えとかいわはるんじゃないやろな。
大笑いでっせ。
275 :
名無しさん@3周年:04/05/30 13:53 ID:NfE5NUcC
276 :
名無しさん@3周年:04/05/30 17:12 ID:VukjVWIA
お前ら、ちゃんと学校池よ。
あと3回の奴はちゃんと就活のこともかんがえて研究しとけよ。
親鸞会の子牛って何事も(何事もといいつつ実は勧誘の技術)研究して
改善することが大事ってよく言うだろ。
就活だって研究しないと全く内定もらえないよ。
あと、就活ってのは「自分」っていう商品を企業に売り込む場であることを
忘れるな。自分の長所を最大限アピールし、短所をいかに見せないかで
勝負が決まる。「真実の事故」なんてものにこだわってたらただのダメ人間
社会不適合者になるぞ。目の前にそれを身をもって示してくれてる人たちが
たくさんいるだろw
277 :
名無しさん@3周年:04/05/30 17:50 ID:tpDEfnaR
>>274 >念仏なんて、激しく及びでない罠。
>思いっきり破邪顕正しますが、何か?
単なる馬鹿か、そうでなければ草加の馬鹿信者と思われw
通行人に二種ありだね。
(会員かそうでないか)
時として混乱するよ。
>お前ら、ちゃんと学校池よ。
いってるよ。
>あと3回の奴はちゃんと就活のこともかんがえて研究しとけよ。
自分の心配したら?
>親鸞会の子牛って何事も(何事もといいつつ実は勧誘の技術)研究して
>改善することが大事ってよく言うだろ。
>就活だって研究しないと全く内定もらえないよ。
うん、おいらの大学の後輩の4回生全員内定と大学院への推薦もらったよ。
まだ5月だけどね。
>あと、就活ってのは「自分」っていう商品を企業に売り込む場であることを
>忘れるな。自分の長所を最大限アピールし、短所をいかに見せないかで
>勝負が決まる。「真実の事故」なんてものにこだわってたらただのダメ人間
アドバイスありがとう。
>社会不適合者になるぞ。目の前にそれを身をもって示してくれてる人たちが
たくさんいるだろw
社会不適合者って
>>276の事だね。
身をもって示してくれてありがとうw
281 :
名無しさん@3周年:04/05/30 19:23 ID:tpDEfnaR
>>280 本音表現に翻訳してみますたw
>いってるよ。(勧誘しに大学行ってる罠。講義は出てないけどねw)
>自分の心配したら?(大きなお世話だボケ)
>うん、おいらの大学の後輩の4回生全員内定と大学院への推薦もらったよ。
まだ5月だけどね。(4回生はひとりだけやし全員といってもウソではない罠w)
>アドバイスありがとう。(竜粘性の漏れに向かってムカツクこというなボケが)
>社会不適合者って
>>276の事だね。
(社会不適合者って漏れの事やねえかズキズキグサグサ、ムカツクこというなボケ)。
>身をもって示してくれてありがとうw
(漏れの将来は、真っ暗だ。活動ついていけねえし子牛になってもぜんぜん信心決定できないらしいし・・)
なんだかよくわからん。
>>280 事実に修正してみますたw
>いってるよ。(講義は出てますよ。もっともでなくても単位くらい取れますけどね)
>自分の心配したら?(オレはもう院生だし、就職も決まっているからね。)
>うん、おいらの大学の後輩の4回生全員内定と大学院への推薦もらったよ。
まだ5月だけどね。(4回生は5人、うち2人が院推薦、1人公務員試験受験中、3人内定。)
>アドバイスありがとう。(バカは相手にしない方が良いな。)
>社会不適合者って
>>276の事だね。
(一日中パソコンの前で2ちゃんやってる社会不適合者にはついて行けないな。
>>276は竜粘性だし)
>身をもって示してくれてありがとうw
(漏れの将来は、真っ暗だ。活動ついていけねえし子牛になってもぜんぜん信心決定できないらしいし・・)
>>284 補足
>うん、おいらの大学の後輩の4回生全員内定と大学院への推薦もらったよ。
まだ5月だけどね。(4回生は5人、うち2人が院推薦、1人公務員試験受験中、3人内定。)
数が合わないのは公務員試験受けてる1人も内定とっているから。
>>276も精一杯頑張って社会適合者になってくれ。
がんばるよ。
これ直すのわすれちまった。
>身をもって示してくれてありがとうw
(自分のヒキオタと留年を親鸞会のせいにしてるんだから救いようがないなw)
ヒキオタって、何だ。
289 :
名無しさん@3周年:04/05/31 01:50 ID:GMVWO+Jq
290 :
通行人:04/05/31 04:25 ID:a51SWyr8
>称えたら全部他力の念仏になるとは思ってないな。と、まさかそんなこと思ってない罠・・・??
思ってませんよ。「聖人の御一流には弥陀をたのむが念仏なり」(『御一代記聞書』)
と「弥陀をたのむ(他力信心)」=「念仏」ということです。
信不具足の称名は、そもそも真宗では念仏とはいえないわけです。
言ったね?
じゃあ、信不具足の人たちいっぱいいるから(おそらくあなたも含めて)その人たちの称える念仏やめさせてくれない?wwww
その辺の、矛盾はあなたの心の中でどう解決してるの?wwww
>念仏なんて、激しく及びでない罠。
この念仏とは称名のことですか?
「称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり」(『行文類』)
御名号は、御信心の体であるし、衆生の信後称名は、阿弥陀様の「大行」の相ですから
「およびでない」ということはないと思われ。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
激しくお呼びじゃない罠(禿藁
真宗は、信心ひとつで救われるのですから、お呼びじゃないでしょうがwwww
あなた、まさか、念仏唱えなきゃ救われないなどと、おっしゃるんで?いいのかなぁ〜、そんなやばい発言しちゃってwww
「衆生の信後称名は」「信不具足の称名は、そもそも真宗では念仏とはいえないわけです。」
とか言うところ見ると、信前はみな信不具足ですから、念仏とはいえないんだねwwww
291 :
505:04/05/31 08:27 ID:LboCddPW
「破邪顕正こそ、最高の報謝の道」???
110さんがお返事されないようなので念のため補足します。
110さんは正信偈を拝読しておられるのでしょうか?
「ただ仏名を称することが、仏恩報謝の行となる」と祖師は仰せです。
ただ、にご注目下さい。
「憶念弥陀仏本願、自然即時入必定、唯能常称如来号、応報大悲弘誓恩」(『本典』正信偈)
「信心歓喜乃至一念のとき、即得往生の義、治定ののちの称名は仏恩報謝のためなり。
さらに機のかたより往生の正行とつのるべきにあらず、応報大悲弘誓恩、と釈したまへるにて
こゝろうべし」(最要鈔)
親鸞会的にはきっと「自信教人信 難中轉更難大悲傳普化 眞成報佛恩」(往生礼讃)を
根拠に破邪顕正が最高の報謝とおっしゃっているのでしょうか?
もし仮にそういう主張だとおっしゃるでしたら、「唯能常称如来号、応報大悲弘誓恩」
の「唯だよく如来の号を称する」こと以上に祖師は破邪顕正を勧めておられる、という根拠、
あるいは「唯能常称如来号」は破邪顕正のことである、という根拠を出していただけます
でしょうか?110さん、お答え下さい。
292 :
名無しさん@3周年:04/05/31 21:23 ID:3XNyrjX2
>>266 >「自力を捨てて他力」(捨自帰他)ということです。自力執心の側からは他力へは接点が
ないのです。いくら自力行の定善・散善を積み重ねていっても他力にはならない、と何度
も申し上げています。
会のお話でもそうお聞きしています。
>いくら自力行の定善・散善を積み重ねていっても他力にはならない、と何度
も申し上げています。
これもよくお聞きしています。
>往生の為に自力諸善励めとはおっしゃっていませんね。
そうですね。別に異義はありません。
善をしなさいよ、悪にほこるのは仏法者ではありません、とも仰っています。
過去世にした善のことを宿善というのだ、ともお聞きしてます。
宿善まかせだよ、ともお聞きしてます。
いつ宿善開発するのかは阿弥陀仏まかせ、ともお聞きしてます。
なにか問題が?
293 :
名無しさん@3周年:04/05/31 21:33 ID:3XNyrjX2
>>267 >これも大した曲解ですね。
ほー、そうでしたか。「自力は三業ではない」でよろしいですか?
じゃ、なんで諸善をすすめるのが悪いのですか?
三業ではないのなら、関係ないじゃないですか。
>>269 善悪の悪ではないので「絶対悪」という表現はされますね。
そういう悪ではないのですよ。
彌勒に根本無明があっても善は善ですから。
>>291 主張がよくわからないのですが。
「自信教人信 難中轉更難大悲傳普化 眞成報佛恩」(往生礼讃)は嘘、という
ことなんでしょうか?親鸞聖人も引用されているはずですけど。
294 :
名無しさん@3周年:04/05/31 21:37 ID:3XNyrjX2
>>261 >そもそも「聞法の敗残者」なる我々と
屍さえ生き返るのですから、敗残者ぐらいなんとでもなります。
また、がんばってください。
295 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/31 21:49 ID:mGrzdCpv
>>293 >善悪の悪ではないので「絶対悪」という表現はされますね。
>そういう悪ではないのですよ。
>彌勒に根本無明があっても善は善ですから。
「絶対悪」という言葉そのものがお聖教にあるかどうかは未確認ですが、仰る通りですよね。
浄土真宗では、通仏教でいう「善悪相対」が問題なのではなく、現世で「報土往生」を決定
させていただけるか否か=「お聞かせいただけるか否か」(「0点」か「100点」か)
オンリーが問題なのはよろしいですね(だからといって悪を誇ってよいわけでないのは当然
ですが)。
296 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/05/31 22:05 ID:mGrzdCpv
>>295に補足
阿弥陀様は「善悪相対」を問題にされないから、われわれ泥凡夫でも法然・親鸞聖人と一味の御
信心の身にさせていただけるし、現世で弥勒菩薩とも肩を並べられるわけですよね。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
297 :
名無しさん@3周年:04/06/01 01:32 ID:Tv2o39MK
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|冫、)
|` / ジー
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|` / 夜露死苦
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298 :
名無しさん@3周年:04/06/01 08:47 ID:FdWU6l9T
>>296 >「善悪相対」を問題にされないから
造悪無碍は問題にしないけど
「善のすすめ」は問題にするというのは
「善悪相対」を問題にしているんじゃないかなあ。
おおよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善な
り。これを要門という。これを仮門となづけたり。この要門・仮門というは、す
なわち『無量寿仏観経』一部にときたまえる「定善・散善」、これなり。「定
善」は、十三観なり。「散善」は、三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要
門なり。これを仮門ともいう。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこ
しらえて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海におしえすすめいれたまうがゆえ
に、よろずの自力の善業をば方便の門ともうすなり。(一念多念文意)
「通仏教は別」というのはどなたの教えなんですか?
他宗の方でしたっけ?
299 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/01 16:24 ID:RN6AFJyS
>>298 >「善悪相対」を問題にしているんじゃないかなあ。
「善悪相対」を問題にされてないのは阿弥陀様(=御本願=浄土真宗)だと言ったのですが。
「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすしるべし。
そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。
弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々」(『歎異鈔』第一章)
「久遠劫よりこの世まであはれみましますしるしには仏智不思議につけしめて
善悪・浄穢もなかりけり」(『正像末和讃』)
「心の善悪をかえりみず、罪の軽重をも沙汰せず、ただに南無阿弥陀仏と申せば、
仏の誓いによりて必ず往生するぞと決定の心を発すべきなり。その決定の心に
よりて往生の業はさだまるなり。」(『浄土宗略抄』)
300 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/01 16:26 ID:RN6AFJyS
>>298続き
>「おおよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善な
>り。これを要門という。」
これこそ、阿弥陀様の生々世々の照育ですね。ですから「今」
御名をお聞かせいただかなければなりません。
>「通仏教は別」というのはどなたの教えなんですか?
>他宗の方でしたっけ?
>>187参照。
真宗は「信疑廃立」ですから、通仏教でいう「善悪相対」が問題ではないという
ことですね。ですから一念の信をいただけば、わらわれ底下の凡夫が、われわれより何億
兆倍、何億京倍善根功徳を積まれたかわからない弥勒菩薩とこの世で肩を並ばせて
いただけ、更には、お先に参らせていただけるわけですね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
最近、110氏はおみえになってないですか? またよろしく御願いします。
もっとも、今晩はこれから外出して遅くなりますので、ROMできないかもしれません。
301 :
505:04/06/01 20:13 ID:HxzpDNEp
>>293 >>これも大した曲解ですね。
>「自力は三業ではない」でよろしいですか?
「自力は三業ではない」という命題は意味不明ですね。
対偶の「三業であるならば他力である」という命題も「条件」が示されていないと意味不明です。
>じゃ、なんで諸善をすすめるのが悪いのですか?
私は機に約して申しています。
浄土真宗の法門でなければ、たとえば横出の法門とか聖道門ならば、
善を行ずることのできるかたが諸善をすすめられて然るべきですし、
そのように教えられていますね。
しかし、浄土真宗の法門においては、信前の人間、ただし真宗の対機であるところの
無常迅速で罪悪生死の凡夫に勧められるのは
「速やかに自力行を捨てて弥陀に帰命し、名号法を速やかにいただき、
他力の報謝の念仏称えなさい」です。
302 :
名無しさん@3周年:04/06/01 20:16 ID:I9sXDnV/
>>300 >>「おおよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善な
>り。これを要門という。」
これこそ、阿弥陀様の生々世々の照育ですね。
>「善悪相対」が問題ではないということですね。
「御照育は問題ではない」そうです。
あいかわらず、おそろしいことを仰るひとです。
303 :
711:04/06/01 20:27 ID:SN/bj8jN
こんばんわ、おひさしぶりです。
お話をうかがっておりますと、
信心決定していないものに、善行を説いて
信心決定に導くのか
それとも、直接に信心決定を勧めるのかという
ところが争点になっているように思いますが、
この理解でよろしいのでしょうか?
304 :
505:04/06/01 20:32 ID:HxzpDNEp
>>293 >「自信教人信 難中轉更難大悲傳普化 眞成報佛恩」(往生礼讃)は嘘、という
ことなんでしょうか?親鸞聖人も引用されているはずですけど。
真宗は信「心正因、称名報恩」のみ教えである、ということでよろしかったですか?
何度も申していますが、真宗においてもっとも重要で、一番の報謝は何か?
という話をしております。
110さんが
>破邪顕正こそ、最高の報謝の道
とおっしゃったので、110さんにそもそもお尋ねしているのですが・・・。
「大悲傳普化」もまことに素晴らしいご報謝です。
ほかにもご報謝の行は教えられています。
しかし、真宗における最高の報謝は?となれば、称名以外にありえません。
その根拠はすでに挙げました。
そもそも私は親鸞会の現在の勧誘行為がこの善導大師のご教示にあてはまるとは
まったくみなしておりません。
親鸞会の勧誘行為の主体は、未信者であることはすでに自明です。ですから、
往生礼讃のご文における、前提の「自信」自体が成立していませんね。
そもそも信の無いものには仏恩報謝はできない、と祖師はご教示です。
「釈迦・弥陀の慈悲よりぞ願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ仏恩報ずる身とはなれ」(正像末和讃)
305 :
名無しさん@3周年:04/06/01 20:34 ID:I9sXDnV/
>>301 >「自力は三業ではない」という命題は意味不明ですね。
意味不明なら「曲解」もなにもないでしょう。いいかげんだね。
>善を行ずることのできるかたが諸善をすすめられて然るべきです。
「彌勒も五道を展転している」と説かれているのに誰が諸善で
出離できるんですか?
「一切菩薩ののたまわく われら因地にありしとき
無量劫をへめぐりて 万善諸行を修せしかど
恩愛はなはだたちがたく 生死はなはだつきがたし
念仏三昧行じてぞ 罪障を滅し度脱せし」
一切菩薩ができないことをどうしてすすめられたのでしょうか?
「一切の群生海に至心はない」とは親鸞聖人のおおせですよ。
あなたは本当に真宗のひとなんですか?
306 :
名無しさん@3周年:04/06/01 20:44 ID:I9sXDnV/
>>304 >真宗においてもっとも重要で、一番の報謝は何か?
「称名の広大が大悲伝普化」とは真宗の教学で一般に言うことだと
思いますよ。
あなたは「そうではない」という立場なんですか?
質問の意味がはっきりしないから110さんも答えようがないでしょう。
まわりが見てそう思うから書いたまで。
都合わるかったら答えなくても全然かまいません。
307 :
505:04/06/01 20:45 ID:HxzpDNEp
>>303 711さんへ
それ、中古以来当時にいたるまでも、当流の勧化をいたすその人数のなかにおいて、
さらに宿善の有無といふことをしらずして勧化をなすなり。所詮自今以後において
は、このいはれを存知せしめて、たとひ聖教をもよみ、また暫時に法門をいはんと
きも、このこころを覚悟して一流の法義をば讃嘆し、あるいはまた仏法聴聞のため
にとて人数おほく集まりたらんときも、この人数のなかにおいて、もし無宿善の機
やあるらんとおもひて、一流真実の法義を沙汰すべからざるところに、近代人人の
勧化する体たらくをみおよぶに、この覚悟はなく、ただいづれの機なりともよく勧
化せば、などか当流の安心にもとづかざらんやうにおもひはんべりき。これあやま
りとしるべし。かくのごときの次第をねんごろに存知して、当流の勧化をばいたす
べきものなり。(四帖の五 中古已来)
親鸞会はやみくもに勧誘して、仏とも法とも知らない人を集めてくるところが
問題だと思っています。
真宗における対機とは、無常迅速で、罪悪生死の凡夫で、「速やかに生死を離れんと
欲するもの」です。
本来、五体投地して聞こうとおもっても聞けないのが仏法です。
会員さんは、会長さんの聴聞に誘うことが一番の善で、そのためには少々(と彼らがみなす)の悪
は仕方が無い、と思っているふしがあります。
そのために「ただいづれの機なりとも」集まってしまい、
「信心決定していないものに、善行を説いて信心決定に導く」ような
教え方になるのかもしれません。
恐縮ですが、これからしばらくはお返事できません。
308 :
名無しさん@3周年:04/06/01 21:10 ID:I9sXDnV/
>勧誘行為の主体は、未信者であることはすでに自明です。
いつの時代でも仏法を伝えて下されたのは
仏覚をいまだ獲ておられない菩薩方です。
真宗でもおしえを伝えてくだされた諸先輩がたも多くは未信です。
「この一流のうちにおいて、しかしかとその信心のすがたをも、えたるひとこ
れなし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべき
や。」とは蓮師のお言葉です。
「えたるひとこれなし」とは「えているひとがほとんどだ」という意味ですか?
「されば「如来にもあいたてまつりがたし」といい、「菩薩の勝法もききがたし」
といいて、そのほかに「善知識にあい法をきくこともかたし」といえるは、
仏・菩薩のほかにも衆生のために法をきかしめんひとをば善知識というべしときこえたり。またまさしくみずから法をときてきかす
るひとならねども、法をきかする縁となるひとをも善知識となづく。」
「ちからのおよばんにしたがいて親疎をこしらえ縁にふれて道俗をすすめんこと
二尊の本意にかない諸仏の方便に順ずべきおや」とは存覚上人。
「自信教人信」は理想だができる範囲でお誘いするのは信前でも当然のこと。
「法をきかする縁となるひとをも善知識となづく。」と仰っているではないですか。
そうではない、というなら「信前はお誘いしてはならぬ」と言われた文証を
あげて話しなさい。
>>308 それが最高の宿善になるってのはどこになるのか?
ちゃんと文証をあげて話しなさい。
310 :
名無しさん@3周年:04/06/01 22:16 ID:QrZM0VMf
>>280 大学院って推薦なの?試験ないの?
就職できないから大学院のパターンじゃないの。
大体推薦で大学院ってよくわからないけど私立なんか?所詮大学側からしたら金づるなんだと思うよ、あなたみたいなタイプ。
大学にも金を貢ぎ。
親鸞会にも金を貢ぎ(今は学生だから微々たるもんだろうが。青年部行ったら年間250万円は取られるで。)。
親は大変ですね。
あんたも、バイト漬けで大変ですね。
それから、善がどうこう議論しているが永遠にかみ合わないよ。
会員には話を聞く気がないから。
まあ、近々会長が亜ボーンになった時にあなたのとる態度でわかる事があるのでないですかね。
後追いしないやつは会員ではない。
>>310 >親鸞会にも金を貢ぎ(今は学生だから微々たるもんだろうが。青年部行ったら年間250万円は取られるで。)。
マジ?
そんなに金集めて何に使ってんの?
諸善を勧めてんだから、当然全部ユニセフに寄付するとか孤児育成とかアフガン難民の為に使ってるんだよな?
313 :
名無しさん@3周年:04/06/01 23:49 ID:sltLQAAy
↑↑↑
ああ、俺も大学院の推薦てわからんな。
この時期に大学院に行くのが確定て、ほんと、しょうもない大学院で、誰もくるものがいないから、
って言ってるようなもんじゃないか。
肩書きは大学院でも世の中にでれない、人間って告白しているようなもんだな。
314 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/02 00:06 ID:lyre0XwR
>>302 >「御照育は問題ではない」そうです。
>あいかわらず、おそろしいことを仰るひとです。
阿弥陀様に向かって「これまでの御育てが足りないから、これからもっと照育しろと」とでも
仰りたいのですかね? 阿弥陀様の願いは、調熟の御育てではなくて、「善悪相対」が
全く問題にならない「摂取不捨」の願いなんですが。「善悪相対」に執着するしかない機情
ゆえに阿弥陀様に十劫来お手間をおかけしているのは「機の失」です。阿弥陀様の御育てが、
お救いの条件なのではありません。阿弥陀様のお救いは「無条件に」御本願(御名号)をお
聞かせいただくのみで「何にもいりません」、こちら側には。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
315 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/02 00:15 ID:lyre0XwR
>>314の補足
阿弥陀様は、われわれの報土往生の為の「大行」(南無阿弥陀仏)は十劫昔に完成して下さり
後はわれわれがいただくだけなのに、調熟のお育てをいただいているのは、阿弥陀様に余計な
お世話をおかけしているということです。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
/  ̄ ̄ ̄ )
/ / ̄ ̄|
/ / / \|
/ / |
||−[ (。)][(゚ )]
|| つ |
|| __) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ < 本会はネット対策すらできないのか?
/ \_____________
317 :
名無しさん@3周年:04/06/02 02:27 ID:eqwPNba5
親鸞会の実態は
・全人類は死んだら地獄行きだ
・極楽へ行くには、親鸞会に入会し、会長先生を唯一無二の善知識と崇め、その教えに絶対服従し、より多くの信者、財施を獲得する活動に邁進せよ。
という単純なものだ。
その実態が、善がどうとかいう煙幕で複雑に見えてしまっている。
そんなものは親鸞会の活動に関係無い。「善」という定義の違う言葉を使うとややこしくなる。
信者自身も煙幕の中で彷徨っている。
親鸞会は実態隠しの煙幕が大好きだ。
ネットの荒らし然り、ダミーホームページ然り、ダミーサークル然り、嘘つき勧誘etc…。
318 :
名無しさん@3周年:04/06/02 08:53 ID:OI7uh9om
>>314 >阿弥陀様の御育てが、お救いの条件なのではありません。
「お育ては必要ない」とはね......
>>315 >調熟のお育てをいただいているのは、阿弥陀様に余計な
お世話をおかけしているということです。
また、出ましたね.暴言が止まりません。
「調熟は余計なお世話」
御両親に「そだてていただいて余計なお世話をおかけしました」って
言ってごらん。日本語勉強されたほうがよろしいですね。
319 :
名無しさん@3周年:04/06/02 10:37 ID:wzXtnhbl
>>308 >いつの時代でも仏法を伝えて下されたのは
>仏覚をいまだ獲ておられない菩薩方です。
>真宗でもおしえを伝えてくだされた諸先輩がたも多くは未信です。
そーね。それが寺の人間の仕事だよね。
でも寺に説法聞きに来る人の仕事ぢゃあないよね。
会で言えば、会長や講師部の仕事だろうね。
一般会員の仕事ぢゃあないよね。
320 :
名無しさん@3周年:04/06/02 12:52 ID:s9ixTCrN
>>319 「法をきかする縁となるひとをも善知識となづく。」
別に仕事にしなくてもいいんじゃないですか、御縁になれば。
御報謝なんですから。信前でも聞かせていただいた御恩は感じるものです。
321 :
名無しさん@3周年:04/06/02 14:13 ID:NsUFpI4K
>>320 >別に仕事にしなくてもいいんじゃないですか、御縁になれば。
会員の仕事にしてしまっているのは親鸞会の方だろう。
いや仕事というよりは、規則・義務だな。
学友部聖則なんかには「全国の大学に真実の仏法を伝えます」とあるし。
因みに入会時に常訓や聖則についての説明はない。
>御報謝なんですから。信前でも聞かせていただいた御恩は感じるものです。
善智識高森会長に対する御恩・御報謝、と言う事なら分かるが?
322 :
名無しさん@3周年:04/06/02 16:50 ID:Hv7zbzXd
>規則・義務だな。
こういう言い方は、たぶんよろこびがないんだろう。
伝えるのは真実の法にあえたよろこびだから、
元会員なら伝えるものが何にもなくて困ったろう。
よろこびがなければ感謝もないし。
あなたの人生に、他に喜べるものがあるといいね。
323 :
名無しさん@3周年:04/06/02 17:59 ID:NSxmcreL
>>規則・義務だな。
>こういう言い方は、たぶんよろこびがないんだろう。
は?だったら、見境無しに入信を迫るなよ。
>伝えるのは真実の法にあえたよろこびだから、
信前の者にとっては、真実の法「らしきもの」にあえたよろこび。
それとも、それも合点の行く事だとでも言うのかしら。
>よろこびがなければ感謝もないし。
喜びがなくても感謝を強制するのが親鸞会。
○美
325 :
淫乱会員:04/06/02 18:22 ID:qBRjYnDj
親鸞さま親鸞さま
善いことしたら、ボクの短小包茎の改造手術成功するでしょうか?
326 :
711:04/06/02 18:32 ID:7g17t6BJ
>>322さんへ
「喜びはあてにならぬぞ、喜びは消えて逃げるぞ
あてにならぬが、わしがしあわせ」
確か、このような内容の詩ではなかったかとかすかに記憶しているのですが、
鈴木大拙氏の「妙好人の研究」で紹介されていたと存じます。
正確な詩をご存知の方は、どうかお教えいただきたくよろしくお願いいたします。
さて、浄土真宗の特異な点は、一文不知の尼入道すなわち私(わたくし)一者が絶対者である阿弥陀仏と
直接することにあるのだと考えます。
個である私(個人としての私)と一般者である私(一切衆生の代表者である私)の両面をかかえた私が、
絶対→相対への働きかけに直接するといえばよいのでしょうか?
つづく
327 :
淫乱会員:04/06/02 18:33 ID:qBRjYnDj
親鸞さま親鸞さま
善いことしたら、ボクの短小包茎の改造手術成功するでしょうか?
328 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/02 18:34 ID:lyre0XwR
>>305 >「彌勒も五道を展転している」と説かれているのに誰が諸善で
>出離できるんですか?
横レス失礼致します。
>>293に「善悪の悪ではないので『絶対悪』
という表現はされますね。そういう悪ではないのですよ。彌勒に根本無明が
あっても善は善ですから。」(仰る通りですね)とありますがこれ如何?
諸善で出離できるというお話ではないと思いますが。 真の出離(報土往生)は
、凡聖に共通する衆生性得の根本無明(絶対悪)=疑情がある間はできませんが、
弥勒菩薩等は、われわれ泥凡夫ができないような善ができて、
「横出の法門(浄土仮門)とか聖道門」の浄土真宗外の他法門で勧められる
「自力の善根」が積めるのではないでしょうか? そして菩薩界
(これは人間界のような「迷界」ではなく「悟界」ですね)等の聖境へ
進めるのではないでしょうか?化土往生もできるのではないでしょうか?
浄土真宗の第一の対機は、弥勒菩薩のような「権化」ではなくて
われわれのような下々品の凡夫ですよね(兼ねて弥勒菩薩のような聖道菩薩
も救われるのは無論ですが)。尚、ここで「機の真実」というのは、
「機の深信」の衆生性得の機実(根本無明=絶対悪)に約してではなく、覚師が、
『口伝鈔』で「対機はみな権機(弥勒菩薩等)なり」との相対でいわれている所の
衆生差別の相状に約してのものです。そういえば、私の
>>254もスルーのまま
ですが。
329 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/02 18:38 ID:lyre0XwR
>>305の続き
>「一切の群生海に至心はない」とは親鸞聖人のおおせですよ。
この「至心」とは、「至心・信楽・欲生」の他力真実の「御本願の三心」の
「至心」であり「至心は真実と申すなり、真実と申すは如来の御ちかひの真実
なるを至心と申すなり。」(『尊号真像銘文』)の「弘願真実」=仏心のこと
ですから、某氏系の好きなw「至心・発願・欲生」の十九願の「自力の三心」の
「至心」ではありませんね。
御祖師は、『化身土文類』『正像末和讃』(誡疑讃二十三首)他で、いまだ
真実門に入れない化土往生の機類の実在を説かれており、そのような定散諸機
(十九願所被の機類)とわれわれ逆悪の泥凡夫との機類との差別を認めておいで
です。
「浄土門の祖師そのかずこれおおしといへども、善導にかぎりひとり仏証をこふて、
あやまりなく仏の正意をあかしたまへり。定善の機、散善の機、五逆の機をも、
もらさずあわれみたまひけり、といふ心なり。」(『正信偈大意』)
「仏の正意」=「弘願門」(浄土真宗=「真実報土往生のお勧め」)なのは
いうまでもないですね。
もし、御祖師が、「(辺地)化土往生の機類は実在しない」、「定散諸機と
われわれ逆悪の機との差別相は存在しない」、「われわれが、先ず定散諸善
を修行して(辺地)化土往生を目指すことが、弘願門に入る為には必要である」
と説かれているという御主張ならば、それぞれそのお聖教上の根拠をあげて
いただけますか。
330 :
淫乱会員:04/06/02 18:41 ID:qBRjYnDj
親鸞さま親鸞さま
善いことしたら、ボクの短小包茎の改造手術成功するでしょうか?
331 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/02 18:43 ID:lyre0XwR
>>305の補足
「七宝の宮殿にうまれては 五百歳のとしをへて三宝を見聞せざるゆえ
有情利益はさらになし」(『正像末和讃』誡疑讃)
定散諸機は、仏智を疑う罪咎により辺地化土に往生され、「帰依三宝」更には「有情利益」
を実践できず修行できないという報いの苦果を受けられるわけですから、上記の
「菩薩行」の御修行をされている「上機菩薩」様であることがわかりますね。
われわれのような「無仏無法無菩薩」で「有情利益」の願行など一毛もない
末世五濁悪世の「逆悪」とは機類が違いますよね。
>>306 >「称名の広大が大悲伝普化」とは真宗の教学で一般に言うことだと
>思いますよ。
これも横レススマソですが、上記の「 」内ですべて尽きているように思いますね。他に何も言うことないと思いますね。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
332 :
711:04/06/02 18:44 ID:7g17t6BJ
>>711つづき
絶対→相対への働きかけを発見した喜びというものが
あることもあるでしょう。
回心が突然であればあるほど(サドンコンバージョン)、
狂喜に近くなることもあるかと存じます。
西欧などでは、非常に極端な例を挙げれば、
回心のとき、全身の毛穴から血が流れ出たとか、
狂喜のあまり三日三晩飛び跳ねつづけた等の
例があると宗教学で習った覚えがあります。
しかしながら、我が喜ぶ心を相手にせず、阿弥陀仏の意志(この意志を
私は摂取不捨と受け取ります)に生きるところに
浄土真宗が浄土真宗でなければならない理由が
あると考えます。
333 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/02 19:01 ID:lyre0XwR
>>318 >「お育ては必要ない」とはね......
御育てを必要にさせているのは、われわれの「機失」だと言ってる
のですが。
>また、出ましたね.暴言が止まりません。
>「調熟は余計なお世話」
なんか難癖が○●○氏レベルになってきたみたいですがww。
>>315訂正
誤り>「「調熟は余計なお世話」→正解「調熟は余分なお手間」
これで文句ないですかいwww。
334 :
711:04/06/02 19:05 ID:7g17t6BJ
>>332さんへ
非常に明確なるお答えありがとうございます。
質問なのですが、親鸞聖人が19願について
解説しているのはなぜなのでしょうか?
親鸞聖人の意図についてお答えいただければ
幸いに存じます。
335 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/02 19:14 ID:lyre0XwR
>>334 711さん、今晩は。これから食事ですので、今はあまり書けませんが、
一つには、聖道門や諸行往生の方が、仏教史的には断然にオーソドキシーであり、
通仏教との整合性を図らねば、宗旨決判できなかったと思われます。当時の仏教界
の思想的教学的状況を考察するとおわかりになると思いますが。
もう少しうまく考えをまとめることができましならまたレス致します。
これさいち
よろこびはあてにならぬ けえてにげるぞ
にげぬお慈悲は 親の慈悲
なむあみだぶに 心とられて
これにさいちがたすけられ
御恩うれしや なむあみだぶつ
337 :
711:04/06/02 19:37 ID:7g17t6BJ
>>335 332さん、ありがとうございます。
他のレスへの応対もお忙しいと存じますが、
お時間あれば、部外者へのご教示も
よろしく願います。
>>336 名無しさん、ありがとうございます。
我が心を眺めずに、惚れ惚れと親(阿弥陀仏)の心を
仰いでいる姿を感じます。
かといって、決して恍惚ではない。
「なむあみだぶに心とられて」
心とられてという表現がいいですね。
心→仏に向けるのではなく、
仏→私(矛盾的存在のわたくし)に徹底する。
浄土真宗が最も発揮しなければならないところではないでしょうか。
338 :
名無しさん@3周年:04/06/02 20:12 ID:mK5mYSZP
>>311 >>280さんへ。こいつの言うことは無視して下さい。バカですから。
無視する理由になってないですね。
バカだから無視してくださいと言うのが成り立つなら。
会長が「精神薄弱児」と言っていたショウマ同行の言う事は無視してくださいと言う事です。
所詮バカ3流私立にだまされて大学院行ってせいぜい金貢いでたらいいですよ。
親鸞会にも。後貢げるのも1,2年だしね。
339 :
505:04/06/02 20:18 ID:eX7Q7DC6
>>305 >>「自力は三業ではない」という命題は意味不明ですね。
>意味不明なら「曲解」もなにもないでしょう。
私の書き込みを、あなたが勝手にこしらえた意味不明の命題に置き換えて曲解
しないでくださいと申したつもりでしたが、何か・・・?
>「彌勒も五道を展転している」と説かれているのに誰が諸善で出離できるんですか?
これもまた得意の?曲解のようですね。
わたしはいまだかつてどこにも「諸善で出離できる」などと申したことはありません。
むしろ、親鸞会で行われる諸善らしきもの(勧誘や財施など)を行ずる未信のかたの
心中には、大きな欺瞞が存在するのではないかと見なしているのですけどね。
そもそも私は、
>浄土真宗の法門でなければ、たとえば横出の法門とか聖道門ならば、
善を行ずることのできるかたが諸善をすすめられて然るべきですし、
そのように教えられていますね。
と申しており、浄土真宗以外の釈尊の教えられた法門のことを申しています。
他の法門では、諸善で出離できると教えられていることは、今更申すまでも
ないでしょう。
340 :
505:04/06/02 20:20 ID:eX7Q7DC6
>>305 >一切菩薩ができないことをどうしてすすめられたのでしょうか?
まったくそうですね。どうして親鸞会では六度万行とか理屈づけて、往生のために
宿善になると称して勧誘や財施などの難行の諸善(らしきもの)を行ずることが活動
の中心になっているのでしょう。まったくもっておかしなことです。すでに聖道門は
機教相応していないはずなのに、なぜ六度万行(実は六度万行の真似事にすらならない)
を勧めるのでしょうね。
ある「行」(善)を実行できる、ということと、その「行」によって仏覚を開いて出離する、
ことを混同しておられるようですね。
弥勒菩薩は元品の無明のみを残しておられるという点では迷いの衆生であり「彌勒も五道を
展転している」と説かれますが、弥勒菩薩は「善悪相対」における善は行じることができるのです。
のちに浄土門に帰された竜樹・天親菩薩だって自力聖道門時代は起観生信という善ができた方々です。
枝末無明を断ち切る行は善です。
>「一切の群生海に至心はない」とは親鸞聖人のおおせですよ。
かの弥勒菩薩ですら元品の無明を残しておられるのですから、一切の群生海に至心は
ないのも当然ですね。根本無明=自力疑情こそが仏智疑う罪であり、最も恐ろしい罪
である、そして弥勒菩薩ですら自力疑情は、阿弥陀如来の本願力によらなければ打破
できない、と祖師はご教示ですね。しかし、「弥勒菩薩は枝末無明を断ち切るという
善を行ずることが出来るお方でおられる」ことはいうまでもありません。
341 :
505:04/06/02 20:24 ID:eX7Q7DC6
>>308 >いつの時代でも仏法を伝えて下されたのは
仏覚をいまだ獲ておられない菩薩方です。
真宗でもおしえを伝えてくだされた諸先輩がたも多くは未信です。
話題をそらしたいのでしょうか?いまは、110さんの「破邪顕正こそ、最高の
報謝の道」説に対して異議ありといっておりますし、未信のものが仏恩報謝でき
るか否か?という話をしています。あなたは未信のものが仏恩報謝できるとする
主張ですか?
>「この一流のうちにおいて、しかしかとその信心のすがたをも、えたるひとこ
れなし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべき
や。」とは蓮師のお言葉です。「えたるひとこれなし」とは「えているひとが
ほとんどだ」という意味ですか?
もちろん獲ているひとは稀だ、という意味ですよ。あなたがここでこのご文を
出された意図も不明ですが、これなども、それゆえ一日も片時も急いで信心決定
しなさい、とお勧めになったお言葉であって、未信のものも往生のためにはどん
どん破邪顕正しなさい、と教えられたご文ではないのです。
342 :
505:04/06/02 20:26 ID:eX7Q7DC6
>>308 >「自信教人信」は理想だができる範囲でお誘いするのは信前でも当然のこと。
善導大師の説かれた自信教人信はあくまでも自信、が先です。勝手な解釈を
加えてはなりません。蓮師も仰っておられるではないですか。
信もなくて、人に信をとられよとられよ と申すは、われはものをもたずして
ひとにものをとらすべきというの心なり 、人承引あるべからずと、前住上人申
さると順誓に仰せられ候き。「自信教人信」と候時は、まづ我が信心決定して人
にも教えて仏恩になるとのことに候。自身の安心決定して教えるは、すなはち
「大悲伝普化」の道理なる由、同く仰られ候。 (『御一代記聞書』九三)
教化するひとまづ信心をよく決定して、そのうへにて聖教をよみかたらば、きく
ひとも信をとるべし。(『御一代記聞書』一四)
あなたの説は蓮師の仰せと違うようですね。そもそも親鸞会の活動はおかしな
勧誘行為や財施(六度万行?)が突出していることは誰の目にも自明なのです
から、今更あなたがいくら詭弁を使用しまくっても無駄ですよ。
>「法をきかする縁となるひとをも善知識となづく。」と仰っているではないですか。
そうではない、というなら「信前はお誘いしてはならぬ」と言われた文証を
あげて話しなさい。
なんといいますか、あなたとお話ししていると会の勧誘行為を正当化するお話ばかりです
ね。「法をきかする縁となるひとをも善知識となづく。」にしても、その趣旨は、決して
「だからあなたも善知識といわれるべく人に法をきかせましょう」ではないでしょう。
そうではなく、「獲がたい信心を獲させていただいたこの上は、法をきかせていただくご縁
となったあらゆる衆生が善知識であったと仰がずにはおれない」ということであって、そう
いう身の上に速やかになりなさい、とご教示なのです。私は「信前はお誘いしてはならぬ」
ではなく、「信前の勧誘行為は報謝とはいえぬ」、と申しています。そもそも親鸞会の勧誘
行為の欺瞞の実情を知っているものとしてその行為が「法施」に相当するとはそもそも見な
していませんが・・。
343 :
505:04/06/02 20:30 ID:eX7Q7DC6
>>306 >「称名の広大が大悲伝普化」とは真宗の教学で一般に言うことだと思いますよ。
昔、話題提供さんと名乗る会員と思しき方が、(私は306さん=話題提供さんと思っているのですが)
「破邪顕正は讃嘆正行」というきいたことのないお説を仰ってましたが、
今度は「破邪顕正は称名正行」説ですか?
どちらが本当なのでしょうか?そもそも、あなたの会の活動が「称名の広大が
大悲伝普化」になっているとでも?誰も納得しませんよ。
>質問の意味がはっきりしないから110さんも答えようがないでしょう。
私の質問はきわめて明瞭・シンプルですが・・。
110さんは「破邪顕正こそ、最高の報謝の道」と仰いました。一方で真宗は「信心正因、称名報恩」
のみ教えであることに異を唱えるかたはいらっしゃらないでしょう。その根拠は正信偈竜樹章を既に
挙げましたが、化身土巻の三願転入のご文の直後に、
「ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をひろうて、
恒常に不可思議の徳海を称念す」 と仰せられています。
「恒常に不可思議の徳海を称念す」とは称名相続のことです。あなたと思しき方が以前に唱えた
「破邪顕正は讃嘆正行」説ならば、信後は「同類の助業」の報謝行ですし、「破邪顕正は法施」説ならば、
「異類の助業」の報謝行ですから、いずれにしても「破邪顕正こそ、最高の報謝の道」という主張は誤りと
いうことになります。あなたはそれでも教義を捻じ曲げて、破邪顕正=称名とおっしゃるのでしょうか?
「称名の広大が大悲伝普化」とは、断じて「破邪顕正=称名」という意味ではありません。
344 :
711:04/06/02 20:42 ID:7g17t6BJ
>>343 505さんへ
お疲れ様です。
親鸞聖人の著作を読ませていただいておりますが
破邪顕正という言葉は聴き慣れません。
出典はどこなのでしょうか?
日蓮聖人が使われそうな言葉に感じますが、
不勉強で申し訳ありません。もしお時間がございましたら
ご教示いただきたく存じます。
345 :
505:04/06/02 21:00 ID:eX7Q7DC6
>>344 711さん、今晩は。
>破邪顕正という言葉は聴き慣れません。
出典はどこなのでしょうか?
これは、332さんがお詳しいので私の拙い書き込みのあとに正確に
教えてくださるのでは?
親鸞会は、涅槃経における「仏法中怨」をもって破邪顕正の根拠としている
ようですが、「破邪顕正」の語は涅槃経にはでてきません。
本来涅槃経は出家僧を対象として説かれた教典であって、在家
を対機とはしていません。
破邪顕正は、もともと三論宗の宗旨です。
破邪顕正の語は、「三論玄義」にはじめてでてくると記憶しています。
ちなみに覚如上人のご子息の存覚上人には「破邪顕正鈔」という著作が
あります。
346 :
505:04/06/02 21:11 ID:eX7Q7DC6
>>345 補足:
涅槃経のご文はこれです。
「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置て、呵責し駈遣し挙処せざれば、当に知るべし、
是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり」
親鸞会の出版する「法戦」という書物の中に、この文章がでてきて、
だから破邪顕正しないものは仏弟子ではない、と主張していました。
(会員さん、異存があれば訂正してください)
しかし、このご文において、善比丘とか真の声聞なりとか、説かれている
対象は在家のひとでないのは明白なのですけどね・・。
ちなみに破邪顕正、仏法中怨などでググってみて下さい。
でてくるのは日蓮宗や創価学会関連ばかりです。
このあたりも、会長さんがかつて教戦拡大のために創価学会の折伏を参考にして
破邪顕正を推進した、という説もまんざらデマでもないかな、という気がしますね。
347 :
名無しさん@3周年:04/06/02 21:27 ID:FKkM0WaP
痛風のけんてつは元気なの?
348 :
711:04/06/02 21:27 ID:7g17t6BJ
>>346 505さん、ありがとうございます。
参考になりました。
349 :
淫乱会員:04/06/02 22:25 ID:qBRjYnDj
親鸞さま親鸞さま
善いことしたら、ボクの短小包茎の改造手術成功するでしょうか?
350 :
711:04/06/02 22:27 ID:7g17t6BJ
破邪顕正というのは、宗教が必ず通らなければならない道ではないかと
考えます。他宗の人に対してのものなのでしょうか。
悲しむべき歴史を感じます。
その矛先は自分自身に向けられるべきではないでしょうか。
禅宗ですが、
無難禅師という方が「生きながら死人となりてなり果てて心のままに
する業ぞよき」と言う言葉を残しておられます。
「心のままにする業ぞよき」にすこし違和感も感じますが、
禅者の言葉ならではでしょう。
救済教(キリスト教や浄土真宗)の宗教者はより一層深くそしてより広く自己を
反省することが出来るのではないかと思います。
なぜなら、自分でも気が付かなかった闇を発見するたび、そこまでも照らして
いた光明に気が付くからです。
照らされれば照らされただけ、かくれていた闇が見えてくる。
おぞましい私が即光明のうちにおさめとられている。
おさめとられているのに、何故私は斯くの如きものなのであろうか。
その斯くの如きものが即光明のうちにおさめられている。
円還的営みに見えます。
照育ということも話題となっていましたが、このようにとらえていいものなのでしょうか。
ご教示願いたく存じます。
351 :
淫乱会員:04/06/02 22:30 ID:qBRjYnDj
親鸞さま親鸞さま
善いことしたら、ボクの短小包茎の改造手術成功するでしょうか?
352 :
名無しさん@3周年:04/06/02 22:47 ID:HAHwItkI
>所詮バカ3流私立にだまされて大学院行ってせいぜい金貢いでたらいいですよ。
親鸞会にも。後貢げるのも1,2年だしね。
あおりにマジレスするのもなんですが、
漏れ京大なんですけどね。
ある意味バカ大学であることは認めますが、私立じゃないね。
何でも自分の妄想を信じて決め付けないほうがいいですよ。
所詮その程度の人物なんでしょうがね。
悔しかったら京大の院に行ってください。
どうせ2ちゃんだから何とでもかける、
本当は三流私立なんだろうとかレスがつきそうですがね。
どうぞお好きに。その程度のレスしか今までもこれからもできんでしょうから。
>>352 まぁまぁ。おまい、これでもよめ。
この掲示板で親鸞会を批判している人は、根拠も無く平気で嘘
を言うため、殺伐とした雰囲気も伝わってきて、かえって「ま
さか親鸞会がそんな団体のはずはない。こいつらキモい。」と
思えるほど、陰湿な人に見えてしまうのです。
匿名での発言、断言口調、「洗脳改印」「氏ね」などの野卑な
言葉遣い。そして何より「自分は正しい。親鸞会の言うことは
みんなウソでダミーでカルト」という確信。
これこそが、社会的精神的にまともじゃないという最大の根拠
といえるでしょう。
掲示板で批判している人の最大の恐ろしさは、親鸞会にいたと
きは普通の市民であった人が、留年や引きこもりなどの経験を
経て、精神的な弱さゆえにそれを親鸞会に責任転嫁するほか無
く、本来持っていた良心を押しつぶされ、偽善的な良心が心の
中を支配していくと言えるでしょうか。
(引きこもり2ちゃんねらーだった私 日本経済新聞社)
根拠無き誹謗中傷は、ある限られた掲示板(2ちゃんねるなど
)の中で行われるものです。そして、その掲示板を見るだけで
、大概の人はそれが嘘八百だと見抜くでしょう。(たとえば青
年部に入ると年に250万取られるとか。会長が亡くなったら
会員も後を追わねばならないなど。)
それでも、その誹謗中傷が本当かどうか確認したかったら、パ
ソコンの電源を切り外に出て、まともな人に話してみることを
お勧めします。
その時、できれば見た掲示板名を告げて、自分が読んだことを
できるだけ客観的に話してみてはどうでしょうか。
(ちなみに私が掲示板で見たことを人に話すと、大抵の人は「
2ちゃんねるなんてやってるの?暇だね」とか「あそこに書い
てあること鵜呑みにする人なんていないよ」「匿名だから根拠
無くても何でもかけるからねぇ。」「2ちゃんで叩いて憂さ晴
らしくらいしかやること無いんだ。かわいそうな人たちだね」
などと言います(^^;)
以上こぴぺ。まともな批判もあるが、上のような連中もいるね。
そういうのは無視汁。竜粘性を喜ばすだけ。
>漏れ京大なんですけどね。
>ある意味バカ大学であることは認めますが、私立じゃないね。
ひょっとして理学部の○○くんでつか?
今は学部じゃないか。
>>353 >そして何より「自分は正しい。親鸞会の言うことは
>みんなウソでダミーでカルト」という確信。
逆だろ。
そして何より「親鸞会は正しい。外野の言うことは
みんなウソでダミーでカルト」という確信。
それが証拠に、会員の書き込みは聞く耳持たずに一方的に
御説を垂れ流すのみ。
心ある人が見たら一発でわかるよ。
356 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/02 22:57 ID:APiGhhkv
>>344 >破邪顕正という言葉は聴き慣れません。
>出典はどこなのでしょうか?
505さんが、私が言える範囲を遥かに越えて論述されてますから、今さら私が付け加え
るようなことはほとんどありません。「破邪顕正」の御言葉そのものは、505さんが御説明
なさっている通り、嘉祥大師吉蔵の『三論玄義』のナーガールジュナの「八不中道」を意味する
「破邪即顕正」に由来すると思いますが、元々、インド仏教には、初期仏教(原始仏教)以来か
どうかは議論が分かれると思いますが、「真理の決択」を非常に重視するところがあり、アビダルマ
の特に「経量部」「正量部」、大乗の「中観派」や「瑜伽行(唯識)派」でも非常に重視してきた
伝統がありますので伝統的に他派の矛盾を論破することで正見を顕す手法はあったようです。「宗旨
決判」という意味での「破邪顕正」は、ほとんどの論釈がこれに該当すると思います。インド哲学自体
は、非常に論理重視のようです。インドは古代よりギリシャと並んで論理学が発達した国でしたからね。
仏教内部でも「仏教論理学派」という学派もあったくらいでしたし、「古因明」「新因明」と漢訳で呼ば
れているような仏教論理学も発達しましたし正統ブラーフマニズム(バラモン)でも「ニヤーヤ(正理)
学派」という学派が有力でした。論争術も非常に発展していたようです。仏教内部の論争や、外部との論争
も非常に盛んでした。仏教系のインド学者はあまり触れたがりませんが、仏教各派の学僧をことごとく論破
し、仏教衰亡の一因をつくったともいわれる8世紀の「ヴェーダーンタ学派」の大学僧のシャンカラ大師とい
う方もおられました。しかし、何分にも漢訳経典は、インド論理学を充分に咀嚼できてないといわれ、上記の
三論や、天台系の「中道実相」もナーガールジュナの「中観思想」を伝えてないと言われており、インド仏教
の「中観帰謬論証派」の正統的な後継者と言われるツォンカパ大師が開かれたチベット仏教「ゲルク派」から
漢訳仏教自体がかなり「異端的」ともされるようです。(つづく)
357 :
711:04/06/02 23:08 ID:7g17t6BJ
>>356 332さんへ
非常に興味深く拝見させていただきました。
つづきもお願いできますでしょうか?
358 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/02 23:36 ID:APiGhhkv
>>344の続き
まあ、日本仏教ともなると更に情緒的現実的な民族性ですから、かなり変質して
いると思います。しかし、法然上人や親鸞聖人や道元禅師、日蓮聖人等の鎌倉仏教の祖師
方も中国的に変質したとはいえ、原始天台は、「南三北七」との激しい「宗論」を潜り抜け、
唐代には、法相宗(慈恩大師等)、華厳宗(清涼大師等)との論争や相互影響を経て、宋代
には「山家/山外」の対論等で論争には鍛えに鍛えられてきた天台宗を日本に伝えられ
(正確には「円・密・禅・戒の四宗相承」ですが)、自ら、法相宗の徳一菩薩等の南都系
の傑僧との激しい論争を繰り返されてきた伝教大師が開かれた比叡山で、鍛えぬかれてこら
れた方ばかりなわけですから、教学的には、一般的な「情緒的」な御祖師様のイメージとは
異なる非常にガチガチのところもありますね。現実重視の面とガチな面との関係は、所謂、
「天台本覚論」との関係もあり興味深いところでもあります。
とまれ、大体、「破邪顕正」は「折伏」と同義と解してよいと思いますが、505さんも言われ
るように、あくまで「聖者菩薩の行儀」であり、下根の者が実践できるものではありません。
日蓮聖人の場合は「教・時・機・国・序」の「五綱判」の文脈で論じられているわけですが、法然・親鸞
聖人は「教・機」(機の裏に時も含んでますが)の二判ですから、「国家仏教」の枠内での対他的な「破邪
顕正」が問題になることもありませんね。(つづく)
359 :
名無しさん@3周年:04/06/02 23:48 ID:ypMHdxVH
>>352 それで聞きたいのだが、京大に五月に大学院推薦なんていうのは、あるのか。
いったい、どういう「一流大学」にそんな制度あるのか教えて欲しいものだ。
360 :
淫乱会員:04/06/03 00:08 ID:+5ghDjfu
淫推はどこの大学でもあるもんなんじゃないの??
361 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/03 00:22 ID:eOfSiKXh
>>344続き
まあ、親鸞聖人の「宗旨決判」は質的にずっと内面的なものであり、「浄土の真宗」と言われる
場合は、法然上人からの相承か、または自らの「御信心」そのものを言われていて、決して「教団」
を意味してはおりません。
われわれのような智慧も無い在家の勧誘行為が仏道修行の「破邪顕正」とはいえないのは、505さん
の記述で充分おわかりかと思いますが、「破邪顕正」「折伏」を実践できる機根ではない下根の者が、
そうした真似事をすれば自他を罪業になるばかりですね。「定善十三観法」の実践を勧めるなら、厳重に「場所」
「環境」を選別し、「魔境」に陥らないように「観想」に熟練した僧侶の御指導が不可欠なのに、そんなこと
はいっさい頬かむりしているんじゃないですかね? 「戒行」の実践を勧めるなら先ず何より授戒の師僧から「受
戒」しなければならないのにそれもないし第一何戒を持つのかさえはっきりしない。
それに「法施」というのは、通仏教的には「出家者が在家に対して法を説くこと」であり、「財施」というのは、
「在家が出家者や貧者などに対して、衣食などを施すこと」ですからある種の「ギブアンドテイク」の関係でもあるわけ
なんですが、新興在家教団のなかには、今日では、在家教団が「サンガ」の意味を含有しているという解釈を採ってい
るところもありますから、そういう「解釈」によるものかもしれませんが、一般の会員さんの「勧誘行為」が「法施」と
して位置付けされるならば当然に一般会員が「財施」を受ける資格があることも説かれなければならないのですが、どうも
会員が教団に献金することを「財施」と呼んでるみたいですね。
こういうように「諸善万行」の実践を勧めているとは言っても、内容はきちんとした仏教の三蔵に依るものとはなってない
ようなんですが「破邪顕正」についても同じようなことが言えるのじゃないでしょうかね?
362 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/03 00:29 ID:eOfSiKXh
>>361訂正
誤り>自他を罪業になるばかりですね→自他を損する罪業になるばかりですね。
363 :
711:04/06/03 00:46 ID:aWrMjKO6
>>361 332さんへ
部外者の私に懇切丁寧に教えて下さり、感謝いたします。
「能く己が分を思量せよ」という言葉を教行信証の中で、読んだ
覚えがありますが(化身土巻でしたか?、間違っていたらご訂正願います)、
真にその通りだと思います。
経論は、使いようによっては相手を切り裂く刃物に
成り得ることもあるのかと、背筋に冷たいものが走りました。
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>>352 文面に知性は現れるものだよ。ネット対策とはいえ学生を騙るのは慎重に願いたい
/ \_____________
365 :
名無しさん@3周年:04/06/03 01:59 ID:weZPb1wn
院の推薦はどこにでもあるね。
てか言わせてもらえば、東大だろうが京大だろうが、
院なんてのは、やることやってる人なら入れますよ。大学入試じゃないですから。
京大の院生なんて言っても,何の自慢にもなりません。
ただ私にとっては、ただでさえ金に困る院生活なのに
そのうえバカ宗教に金を貢げる人たちが羨ましいです。あやかりたいものだ。
366 :
名無しさん@3周年:04/06/03 02:11 ID:Z99k//jf
↑
そこまで言うなら聞いてやろうか。
東大と京大のそれぞれ二つ、5月に推薦があるところ、具体的にどの学部のなんという学科・専攻か名をあげてみろ。
まあ、どうせ誤魔化すのが関の山だろうけど。
367 :
淫乱会員:04/06/03 02:20 ID:+5ghDjfu
普通、淫水は3回までの成績で決まるものだろ?
ある意味、3月に成績が出た時点で決まるようなもんじゃないの?
368 :
名無しさん@3周年:04/06/03 02:25 ID:Z99k//jf
だから、そんな制度が東大京大にあるなら、具体名をいくつか挙げればいいだろう。
それでこの議論はおしまいだ。いえないのか。
「普通」って、どこの「普通」だ。
三流の私学の「普通」か。
369 :
淫乱会員:04/06/03 02:54 ID:+5ghDjfu
すいません、私は私学なので旧帝のことはしりませんが、普通
そんなもんなんじゃないかと勝手に推測してみただけです。
旧帝の人、実際どうなんですか?
370 :
名無しさん@3周年:04/06/03 04:04 ID:yQaEoZQ1
試験あるよ、厳しいぞ。もちろん丁稚の覚悟は要求されるが。
モラトリアム私学の院なんかと比べないでください。
こっちはいずれ国を支える覚悟なんですよ。
371 :
名無しさん@3周年:04/06/03 15:55 ID:Z99k//jf
結局、
>>280 は、自慢すべきことではないことを自慢している奴、
大学の実態を知らないアホ子牛ということで結論がでました。
372 :
名無しさん@3周年:04/06/03 19:55 ID:eaU+1XcP
>>328 こういうお話も過去なんどもありました。
そういう論議の結論が祭り大好き氏の「教えを聞く必要があるかどうかは
知らない」という発言だったわけです。
今度はどんな暴言が飛び出すのでしょうか?
>弥勒菩薩等は、われわれ泥凡夫ができないような善ができて、
「横出の法門(浄土仮門)とか聖道門」の浄土真宗外の他法門で勧められる
「自力の善根」が積めるのではないでしょうか? そして菩薩界
(これは人間界のような「迷界」ではなく「悟界」ですね)等の聖境へ
進めるのではないでしょうか?
補処の彌勒が修行して次は菩薩界ですか?
ジャンヌの常連のお仲間の教学って笑えますね。
373 :
名無しさん@3周年:04/06/03 20:26 ID:eaU+1XcP
>>345 >破邪顕正は、もともと三論宗の宗旨です。
破邪顕正の語は、「三論玄義」にはじめてでてくると記憶しています。
ちなみに覚如上人のご子息の存覚上人には「破邪顕正鈔」という著作が
あります。
まあ。存覚上人にむかって「真宗の言葉ではない」と言ってるわけですか、
みなさんは。何様なんでしょうか。
ちなみに「無智のひとは無智のひとにおつたえしなさい」と書かれている
のがこの「破邪顕正鈔」です。財施についても書かれています。
解説書で題号の意味などを勉強されたらよろしいと思います。
不勉強を恐れずに発言するのは蛮勇かもしれませんが
かしこい行為ではありませんね。
374 :
名無しさん@3周年:04/06/03 20:37 ID:eaU+1XcP
>>342 >私は「信前はお誘いしてはならぬ」
ではなく、「信前の勧誘行為は報謝とはいえぬ」、と申しています。
お誘いしてもよろしいそうですから、みなさんどんどんお誘いしましょう。
よいお話はみんなで聞きましょうね。
>>373 その破邪顕正鈔が真宗聖典に載っていないのはなぜですか?
376 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/03 21:14 ID:12bMWXNP
>>372 >補処の彌勒が修行して次は菩薩界ですか?
弥勒菩薩「等」、菩薩界「等」と書いたんですが。「上機の方は、
善根を積むができきるのでは」というお話しですね。
377 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/03 21:41 ID:12bMWXNP
>>350 >>363 駄文にお付き合いをいただいてありがとうございます。
>その矛先は自分自身に向けられるべきではないでしょうか。
仰る通りと思います。南無阿弥陀仏様の御回向は、まさに常に「今ここ」の
極重悪人の「私」に対する「派邪顕正の利剣」ですね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>無難禅師という方が「生きながら死人となりてなり果てて心のままに
>する業ぞよき」と言う言葉を残しておられます。
一遍上人の「一代の聖教みな尽きて南無阿弥陀仏になりはてぬ」を思い出し
ますね。一遍上人は、法灯国師より「因可」を受けられたという伝説のある
お方ですから、無論念仏者(法然上人の曾孫弟子に当たられますね)ではありますが、どこか
「禅機」を感じさせるお方ですね。
>照育ということも話題となっていましたが、このようにとらえていいものなのでしょうか。
私は他人に教えを説けるような器の者ではないですので、それは他の適任の方にお任せしますが、
一言だけ戯言をお許しいただけば、それも確かに「仏様の光明」の一面ではありますが、仏教は
「ご縁」を喜ばせていただく所に留まらず、あくまで「般若」を得る事を第一義としますから、
非常に理知的な「ハッキリした」御智慧をいただけるわけですね。自力門とは異なり、われわれの
ような智慧のない劣機下根であっても、「南無阿弥陀仏」として「仏智」を全領させていただける
わけですから、そこには最早「自覚教」「救済教」の別はないですね。だからといって、煩悩具足
のこの私がこの世で智慧者になれるわけでは決してないですがねww。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
378 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/03 21:45 ID:12bMWXNP
379 :
名無しさん@3周年:04/06/03 21:54 ID:KSZdKACM
>>352 会員なのに2ちゃんねるにカキコしている京大生。
大学院の推薦決定している会員。
個人確定されましたな。
専任講師に呼び出しくらいますね。
大学院推薦というのがよくわからんので明日京大に問い合わせしてみます。
結果カキコするわ。
380 :
名無しさん@3周年:04/06/03 22:46 ID:KSZdKACM
381 :
711:04/06/03 22:53 ID:GjAMMkhJ
>>377 332さんへ
ご丁寧なお答え恐縮です。いつも本当にありがたく存じます。
「智慧の念仏」、この智慧というものが如何なるものであるのか、
深く考えてみたく存じます。
>>親鸞会会員の皆様へ
私の父は本願寺派のお坊さんであります。
まだ私が小さく物心つく前の頃、兄と二人で袈裟をつけさせられ、
父といっしょにお正信偈をにとなえていたことがございました。
もちろん私は意味もわからずに「キーミョームリョー」ととなえて
いたわけですが、「難中之難無過之」のところにくると、
父がふしぎ、ふしぎと言っていたことが鮮明に記憶に残っています。
何故、ふしぎ、ふしぎと言っていたのか?
今となれば、私なりの答えもあるのですけれども
親鸞会会員の方で、何故私の父がふしぎ、ふしぎと言っていたのか、
憶測でもかまいませんのでお答えいただける方はおられるでしょうか?
お暇つぶしにでなれば幸いに存じます。
383 :
名無しさん@3周年:04/06/04 02:07 ID:+aqwZYp4
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/ <ここで言葉遊びする暇があったらバイトしてもっと布施しなさい
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384 :
名無しさん@3周年:04/06/04 02:16 ID:mdrHSHFs
385 :
名無しさん@3周年:04/06/04 02:32 ID:mdrHSHFs
>>375 なぜ真宗聖典にないかは分からないが、
多分重要なものではないということだろう。
「一.神明の問題。これは神道です。神明の問題に対して念仏者はどう対応してい
くのか。二.それから触穢の問題。この触穢の問題は、現在ですと習俗の問題とし
てあるんですね。三.それから王法の問題。この王法の問題でいえば、やはり政治
の問題です。四.そして、更に存覚上人自身は死後の問題として提起しているんで
すけれども、これは霊の問題、霊魂の問題です。こういった事に対して念仏者は、
どういうふうに念仏者であることを証明できるのかという、そういう事をきちんと
見ておるのが存覚の『破邪顕正鈔』なのです。」
386 :
386:04/06/04 05:46 ID:HAQXh2F5
>>385 >なぜ真宗聖典にないかは分からないが、
多分重要なものではないということだろう。
分からないなら何も言わないほうがよろしい。
>「一.神明の問題。これは神道です。神明の問題に対して念仏者はどう対応してい
くのか。二.それから触穢の問題。この触穢の問題は、現在ですと習俗の問題とし
てあるんですね。三.それから王法の問題。この王法の問題でいえば、やはり政治
の問題です。四.そして、更に存覚上人自身は死後の問題として提起しているんで
すけれども、これは霊の問題、霊魂の問題です。こういった事に対して念仏者は、
どういうふうに念仏者であることを証明できるのかという、そういう事をきちんと
見ておるのが存覚の『破邪顕正鈔』なのです。」
これって、ただ概要を述べているだけだが、破邪顕正自体は当たり前の、真宗用語とはいえますね。いずれにせよ、言葉をあげるなら、誰の言葉か示さなきゃね。
387 :
505:04/06/04 06:52 ID:JGDiy4xM
>>373 >存覚上人にむかって「真宗の言葉ではない」と言ってるわけですか、
あなたの反論(?)も、もはやこのレベルしか残っていないのでしょうか?「破邪顕正」はもともと
三論宗の宗旨でその語源は、『三論玄義』であることに対して異存はないということでよろしかったでし
ょうか?そしてご本典の教行信証にも涅槃経にも蓮如上人の御文章にも「破邪顕正」の語は出てこな
いということでよろしかったですか?そして親鸞会は「涅槃経は『信前のものも仏弟子ならば在家で
も破邪顕正しなさい』を趣旨とする釈尊の遺言である」というきいた事がないお説を主張していると
いうことでよろしかったでしょうか?一方で涅槃経の
> 「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置て、呵責し駈遣し挙処せざれば、当に知るべし、
是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり」
ですが、仏教は対機説法である、という大前提は異論なしですね。「ここで説かれている対機は我々の
ような在家ではなく、出家者のことである」と申しましたが反論なしですか?そもそも「法戦」に出て
いた文章も、ここに挙げたご文と内容が違っていることは、心ある会員さんならばすぐにお気づきでし
ょうね。「善比丘」や「声聞」の語は出てこなかったと記憶していますが如何でしょうか?さすがに
「声聞」の語があれば、『信前のものも仏弟子ならば在家でも破邪顕正しなさい』説は説得力がないと
法戦の著者は思われたのでしょうか・・・?このあたりのご意見は如何でしょうか?よろしければご解
説してください。
そもそも親鸞会で使用する「破邪顕正」の意味は、親鸞会独自の特異な宿善論や三願転入論に理屈づけ
られた、「親鸞会以外の宗教を破し、親鸞会独自の教えを顕すこと」であることは今更申すまでもない
ですね。
388 :
505:04/06/04 06:53 ID:JGDiy4xM
>>373 >ちなみに「無智のひとは無智のひとにおつたえしなさい」と書かれているのがこ
の「破邪顕正鈔」です。財施についても書かれています。
「無智のひとは無智のひとにおつたえしなさい」にせよ、「勧誘目標立てて(ノルマ
化して)勧誘して、教団の勢力の拡大を目指す」という意味は当然含んでいません。
また、親鸞会のように宿善に関連づけて勧誘行為を説明されていますか?違いますね。
さらに、無智のひとは大学にダミーサークルつくって、嘘をついて、学歴詐称して、
勧誘してもいい、という趣旨のことを教えておられましたか?また、財施については
「往生の役に立つ宿善になる」と説かれていますか?
よろしければ具体的な箇所をご指摘ください。
389 :
505:04/06/04 06:58 ID:JGDiy4xM
>>374 >>私は「信前はお誘いしてはならぬ」ではなく、「信前の勧誘行為は報謝とはいえぬ」、と申しています。
>お誘いしてもよろしいそうですから、みなさんどんどんお誘いしましょう。よいお話はみんなで聞きましょうね。
1)110さんの「破邪顕正こそ、最高の報謝の道」説をずいぶん応援しておられたようですが、応援は撤回という
ことでよろしかったですか?
2)宗祖は「自信教人信」(往生礼讃)が「『知恩報徳の益』に基づく(未信のものにはできない)仏恩報謝」である
と理解しておられるということでよろしかったですね。
3)「信前の勧誘行為は報謝とはいえぬ」は、反論なしということでよろしかったですね。
4)
>>376にも関連しますが、332さんご指摘の「上機の方は、善根を積むことができる」も反論なしでよろしかった
ですか?
5)ある「行」(善)を実行できる、ということと、その「行」によって仏覚を開いて出離する、ことを混同しておら
れたようですが、それについても納得されたということですね。
390 :
名無しさん@3周年:04/06/04 09:59 ID:bGmU/blz
>>379 京大だと人数ちがうで。
たしか。。。院推薦ふたりでなかった。
いたとしても、推薦受けて試験だったと思うわ。
京大の人が活動している○○大と思われ。
いずれにせよ理学研究科の○○タン名前わかってしもた。
でも別にばれてもどうってことないけど。
まぁ、どうでもええか。
久しぶりに教学以外の話題が出て、
これ見よがしにくらいついてくるDQNたちの姿がおもろかった。
○○タンおまい忙しいんだからこんなとこ書き込んでもしょうないよ。
明日会おう。
393 :
名無しさん@3周年:04/06/04 13:53 ID:Dl89SOTK
親鸞会のむかつくところはアルバイトして法話に行ったり、財施を当たり前のように強要するところだな。
どれだけ生爪はがされる思いをしてると思ってんだ。
394 :
名無しさん@3周年:04/06/04 13:58 ID:Dl89SOTK
親鸞会の教えは仏教からかけ離れてるよ。
あれは偽者。
まず三悪道を離れて人間に生まれきたのをよろこべって違うだろ。
人間に生まれようが虫に生まれようが永遠に生まれては死にを繰り返す輪廻から抜け出せないこと自体が不幸という考えが仏教だろ。
395 :
名無しさん@3周年:04/06/04 14:00 ID:Dl89SOTK
エホバも仏教も学んだけど同じようなものだよ。
一見すると正しいことを言ってるように聞こえるが本当はだれもわからない。
しかも今日教えが誤解されていると主張するところまでそっくり!!
396 :
通行人:04/06/04 14:24 ID:BAC2Y58t
>まず三悪道を離れて人間に生まれきたのをよろこべって違うだろ。
じゃあ、法然上人が仏教とはかけ離れたこと言ったんだねw
397 :
通行人:04/06/04 14:27 ID:BAC2Y58t
源信僧都だった・・・・。
398 :
通行人:04/06/04 14:32 ID:BAC2Y58t
>人間に生まれようが虫に生まれようが永遠に生まれては死にを繰り返す輪廻から抜け出せないこと自体が不幸という考えが仏教だろ。
ちゃうよ。苦しみから、逃れられない、くるくるわっかのように回ってるから、輪廻なんだよ。
よく、輪廻転生とか言うけど、あれは、体が生まれ変わるんじゃなくて、心が苦しみの輪から生まれ変わるんだな。きっと。
399 :
通行人:04/06/04 14:57 ID:BAC2Y58t
>>342 >私は「信前はお誘いしてはならぬ」
ではなく、「信前の勧誘行為は報謝とはいえぬ」、と申しています。
>お誘いしてもよろしいそうですから、みなさんどんどんお誘いしましょう。
よいお話はみんなで聞きましょうね。
んだんだ。わしら、阿弥陀仏の為じゃなくて、自分の為にきいとるんじゃ。
よい話を人にすすめるのがそんなに悪いことなんかのう。
400 :
通行人:04/06/04 15:02 ID:BAC2Y58t
>「無智のひとは無智のひとにおつたえしなさい」にせよ、「勧誘目標立てて(ノルマ
化して)勧誘して、教団の勢力の拡大を目指す」という意味は当然含んでいません。
また、親鸞会のように宿善に関連づけて勧誘行為を説明されていますか?違いますね。
さらに、無智のひとは大学にダミーサークルつくって、嘘をついて、学歴詐称して、
勧誘してもいい、という趣旨のことを教えておられましたか?また、財施については
「往生の役に立つ宿善になる」と説かれていますか?
よろしければ具体的な箇所をご指摘ください。
親鸞会員じゃなくて、私たちが耳の痛い話だな。
逆に考えれば、ここまでできるということだからね。
私たちがいかにサボってたかの証拠だな・・・・。
401 :
通行人:04/06/04 15:06 ID:BAC2Y58t
もし、親鸞聖人本人がこの世に戻ってこられたら、もっとえげつない勧誘してたと思うよ。
どっちにしても現代には「それは、社会常識に反する」、としか言えない人しかいないけど・・・。
404 :
通行人:04/06/04 15:40 ID:BAC2Y58t
あとさ、これだけは言いたいけど、報謝行が云々とか言っている人?
信前の念仏だって、ご恩報謝にはなってないんだよ。もちろん、破邪顕正だって報謝にはなってないよ。
そもそも、信も獲らずして、何の報謝の心が出てくるんですか?
そんなこといったら、信心獲ったら、報謝の心が出てきたんですか?と突っ込まれそうだが・・・。
信後でさえも、恩に報いるこころなどそもそもありません。
だからといって、君らと一緒にしないでね。
もしあったなら、私は聖者の一人ではないのかと、阿弥陀仏の本願疑ってしまいます。
おそらく恩に報いる心などない者と見抜かれての5こう思惟の願にてまします。
だからといって、信前の念仏も、破邪顕正もやめますか?どうぞ、やめなさったらよろしい。
報謝の心もないのだから、念仏も大悲伝普化も体現することまかりならん。
それから、みんな、宿善を誤解してるようだけど、宿善とは、過去世の善根功徳「宿る善」のことですよ。
けっして、阿弥陀仏の照育とかじゃない。阿弥陀仏が功徳を積んでてくれるなら、生まれたときから救われてます。
で、現世で、善根功徳は積めるのかどうかというと、結論は積めます。
ですから、宿善を「善が宿る」とか「善を宿す」という人もいるぐらいです。
今生きて、弥陀のほっすいにつかってるのは、過去からのそうした、善根功徳の積み重ねの結果です。
おそらく、仏法に財施を惜しみなくする人は、過去世では、自力修行をなさった人ではないでしょうか?
おそらく、現世で説法の内容を一言も忘れず聞ける人は、過去世に僧に出会い財施や施しを惜しみなくした人に違いないのではないでしょうか?
おそらく、存覚上人は大勢至の生まれ変わりだったんだと思いますよ。
こういうことを聞くと、何の宿縁があってか阿弥陀仏の本願に出会えたのだから、
過去に善根功徳を修めても、もう今はしなくてもいいじゃないという人がいますが、そういう人は
おそらく、過去世でも、自力修行をサボってきた人なんだと思います。
阿弥陀如来は信心ひとつで救うのだから、善根功徳では助からなかったと知るのは
信後からでしょう?信も獲らずして、信心ひとつで救うから、何もしなくていいというのは、
おそらく、過去世で修行をさぼり色欲にまみれた結果で、そんなこと考えてしまうのでしょう。
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│クソスレ取締強化期間だ。気合入れてくぞゴルァ。
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/ 〈V〉_ノ (●.●) )/ /'⌒'ヽ \ /⌒\| /\
U _∧| /⌒\ >冊/ /\ (●.●) )/ '⌒'ヽ \ /\ |
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U U (●.●) )// |:|: | /⌒\ ミミ \/\ / ./ |: /
>冊/ ./7ミ |:|: //'⌒'ヽ \ |::|/\ | ミミ \ |/
/⌒ ミミ \ /⌒\●.●)/\| / .|: |/ |::|λ|
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и .i / / |::|λ| V_.ハ/⌒ ミミ \ |/
λヘ、| i . |√7ミ |::| ト、 / / |::|λ|
V\W|./|:| V_.ハ |√7ミ |::| ト、
>>392 ところでさあ、
>>392は本当に親鸞学徒なの?
だとしたら、おかしいんだよなあ・・・
教学聖典1はやったよね?
そこに十悪ってでてくるでしょ?謗法罪、五逆罪についで重いとされる「十悪」。
その十悪の口業のなかに「悪口」っていうのがあるよね。
もし
>>392が親鸞学徒だとすると、日々廃悪修善を実践してるんでしょ?
だとすると
>久しぶりに教学以外の話題が出て、
>これ見よがしにくらいついてくるDQNたちの姿がおもろかった。
の発言がどうも腑に落ちない。いくら匿名の掲示板だからって・・・
いつもそういう話高森さんから聞いてるし、後輩にも話してるんだろ?
だとすると
>>392は親鸞学徒ではないのか?
ただの親鸞学徒の知り合い?
それとも、高森さんは結局廃悪修繕なんて勧めてないってことか?
407 :
392:04/06/04 16:53 ID:cMZrfuuM
>406よ、俺は親鸞学徒かどうかは知らんが親鸞会会員とはちがうで。
元会員。数年前にやめた。
でも年に数回はご法話にいきまつ。明日も産経。誘われたから。
こんなこと書いたら俺が誰かって間違いなくばれるな。
会員じゃないから別にええけど。会員ならかけんだろうな。
でも少なくとも○○タンとは顔あわせられんな。
あいつ研究で忙しいから書きっぱなしでレスなんてみとらんかな。
>これ見よがしにくらいついてくるDQNたちの姿がおもろかった。
>の発言がどうも腑に落ちない。いくら匿名の掲示板だからって・・・
それを言うならもっと先に非難せなあかんような奴がいるような気がするが、
そいつらは親鸞学徒じゃないから良くて、俺は親鸞学徒だろうからまずいんじゃないか、
ということかな?
おーい。通行人さんよ。
べらべらと口から出任せを言ってるようだが、おぬしは、信心があるんかい。ないんかい?。
他人の心配するよりも、自分の心配したらどうなのよ?。
>>394 >まず三悪道を離れて人間に生まれきたのをよろこべって違うだろ。
でも、人間界に生まれられなかったらそもそも仏法聞けないじゃん。
それで喜べって言われてるんじゃないの?
横川法語だろ、これ。
>身はいやしくとも畜生におとらんや、家まずしくとも餓鬼には
>まさるべし。心におもうことかなわずとも、
>地獄の苦しみにはくらぶべからず。
ちゃんとそのあとに書いてあるじゃん。
>人間に生まれようが虫に生まれようが永遠に
>生まれては死にを繰り返す輪廻から
>抜け出せないこと自体が不幸という考えが仏教だろ。
まあそうだけど、ちっとは改行しろよ禿が。
>世のすみうきはいとうたよりなり。人かずならぬ身のいやしきは、
>菩提をねがうしるべなり。
この意味がよくわからん、誰か教えてクリ。
>来迎にあずかりて蓮台にのるときこそ、
>妄念をひるがえしてさとりの心とはなれ。
この人は、結局来迎往生を説いていたのかな。
この来迎ってのは平生の来迎って意味なの?
411 :
名無しさん@3周年:04/06/04 21:07 ID:/J8msmf+
>>352 >悔しかったら京大の院に行ってください。
この発言が学生部。
なんでいまさら京大大学院行かないかんねん。あほか。
就職してかなりたつが、学歴なんか何の関係もないわ。
「京大大学院行ってます」って言って銀行に金借りに行ってみろ。
一円も借りれへんわ。
あなたq完全に個人確定されるからな。
親鸞会でも生きていけない(上司の指示を無視して2ちゃんねるに書き込んだ)。
表の世界でも親鸞会どっぷりの行かれポンチで就職ない。生きて行けない。
どうするんだ?
修士課程終了後の2年後に探偵雇ってあんたの状況探ったるわ。
探偵なんか安いで。一日1万5千円ぐらいだ。経費別で。
フリーターだと思うよ。あなた。
>>352 >漏れ京大なんですけどね。
おーい。
京都大学などという立派な大学に行ってるんなら、一生懸命勉強しろ。
国、社会、世界に貢献する人を目指せ。
親鸞会などに振り回されるな。後で後悔するぞ。
親鸞会の教義など、所詮、デタラメだぞ。
>>410 親鸞会教義の中の考え方を聞きたいのか?。
親鸞会教義の枠を越えた考えを聞きたいのか?。
410≠413
署名を忘れました。
>>416 これで赤っ恥かいた渡海はもう来ないだろw
419 :
名無しさん@3周年:04/06/04 22:42 ID:akM/E3Ev
浄土に行ったのに戻ってくるっておかしくないか?
精神病の渡海難は放置してください。相手にする価値も無い人間です
ので放置が一番です。現実社会で渡海難が誰にも相手にされないように
無視してください。
▲▼▲▼渡海難とは ▲▼▲▼
2ちゃん以外では誰にも相手にされない人間。
内面から滲み出すキモイ精神のお陰で腐臭が漂い、周りから忌み嫌われ
ているのだが社会が自分のことを理解してくれないと誤解し、浄土真宗の
坊主と思われる人を叩くことでようやく自我を保っているような屑。そのような
卑屈な根性が誰にも相手にされなくなる原因と未だ理解できないようだ。。。。
長い間 社会と隔絶された生活をしているため脳内でいろいろな人と語り
合う事ができる。(自作自演が得意)
※以下の文を10回暗誦して反省してください。
荒らし・煽り・叩きに反応する事は荒らしへの荷担にしかなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荒らし・煽り・叩きを無視できないあなたも荒らしです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
___________________________
|
|★★渡海難は放置が一番キライ!★★
|
|●渡海難のウザイレスは放置!
| ウザイと思ったらそのまま放置!
|
|▲一方的にこちらからの言葉だけを投げつければOK!
| 相手を同じ人間であると錯覚した時点であなたの負け!
|
|■反撃は渡海難の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです!
| 渡海難にエサを与えないで下さい!
|
|☆人間扱いせずに一方的に罵倒し、
| あくまでもモノとして正しく扱うのが一番です!
|
| 。
. Λ Λ /
(,,゚Д゚)⊃ ジュウヨウ!
〜/U /
. U U  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
423 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/05 00:17 ID:Hmrgj/Cu
>>399 >んだんだ。わしら、阿弥陀仏の為じゃなくて、自分の為にきいとるんじゃ。
>>404 >で、現世で、善根功徳は積めるのかどうかというと、結論は積めます。
この「善根功徳」というのは、大乗仏教の「菩薩行」(利他行)の善根功徳のことですかね。
「六度万行」云々と会ではいわれてるようなので、そうとしか思えませんが。
「菩薩行」の善根功徳のことだとすると、
「自分の為にきいとるんじゃ。」と「現世で、善根功徳は積めるのかどうかというと、結論は積めます。」
は矛盾しますけどねww。
424 :
親鸞学徒:04/06/05 00:28 ID:FUw2IEvP
親鸞聖人の「教行信証」「正信偈」は、聖人と同じ正信を獲た人でなければ、何としても解し難いのです。
全く聖人と同じ道程をたどり、そして法然上人のように相承血脈せられた善知識に会いたてまつり、その教えを受けた人であってこそ、
「教行信証」「正信偈」を拝読して初めて血となり肉となり、そして教人信のために解釈してこそ、その本意をわからしていただけるのではないでしょうか。
「八万の法蔵を知るというとも後世を知らざる人を愚者とす、たとい一文不知の尼入道なりというとも後世を知るを智者とす」とあるように真宗では、信心の欠けている人を愚者といわれます。
愚者の身で如来の化身である親鸞聖人の書き給うた書を解釈することは全く危険です。
「盲、蛇におじず」のことわざと同じでしょう。それがため真宗では古より今日に至るまで、異安心問題が絶えません。
まことに「教行信証」「正信偈」は金山に等しく、ただ発掘して金鉱としてかざるよりも精錬して純金にし家宝として初めて現当二益を得ることができるのではないでしょうか。
正信の方は少なく邪信の方が多い今日です。しかも正信の方々は、邪信の人々に必ず刃をむけられている今日です。
ですから真に法を求め真に正法を聞かんとする方々は、煙の立ち上がるところに火があるが如く、誹謗の煙のあるところに正法の火のあることを知っていただきたいと切に念じあげます。
よくよく後生の一大事を心がけ、火の中、水の中をかき分けても聞かんとの決心が肝要です。
叩けば門は開かれるのです。一人でも正信に帰入し、また一人でも多くの人々の手を引き道に入らしめられることを念じあげます。
謗る人も疑う人もやがて阿弥陀如来の慈悲に摂取せられる時の一日も片時も速からんことを念じあげます
阿弥陀如来の慈悲に摂取せられた人がいない親鸞会に
言われても説得力無いよな。
426 :
711:04/06/05 02:03 ID:S0UbJUPE
>>んだんだ。わしら、阿弥陀仏の為じゃなくて、自分の為にきいとるんじゃ。
そこから飛び降りないかぎりいつまで経っても、死ぬまで、否、死んでも
親鸞聖人の言われる他力に接することはできない。
自分の為を捨てて、他力が現れるものであると思う。
427 :
711:04/06/05 02:16 ID:S0UbJUPE
>>親鸞学徒さまへ
決心が他力の邪魔をしていると思います。
決心も経験も努力も捨てきって、他力に接することができる。
捨てるもの、頂戴するものの判別について、
なお一層考えるべきではないでしょうか。
ご自身で、これこそ他力だと思ったものが、狐に化かされたもの
であることも知るべきだと考えます。
「仏を見たら仏を殺せ」
禅者の言葉ではありますが、
自身で思っている仏が、思い込まされた仏が、
悪魔の顔をしていることもあります。
428 :
505:04/06/05 07:18 ID:8810TCqW
>>401 >もし、親鸞聖人本人がこの世に戻ってこられたら、もっとえげつない勧誘してたと思うよ。
私はまったく反対意見ですね。私は親鸞会の出したアニメを見ていませんが最近の親鸞会で
教えられている親鸞聖人像は、あたかも法華行者の日蓮上人のように、毎日辻説法して折伏
に燃えるような、実像と甚だかけ離れた虚像を伝えているのでしょうね。心理的「刷り込み」
とは怖いものです。祖師は組織というものを甚だ嫌われたかたであって、「名利に人師をこの
むなり」と懺悔され、人の上に立つことも甚だ嫌われたかたです。ましてや組織のためにえげ
つない勧誘していたなんて全く考えられないことです。関東の念仏衆たちをひとつにまとめ上
げるとか組織化するとかを祖師がまったく意図されなかったために、祖師の入滅後に祖師の意
図を理解できなかった関東の有力者たちの間で、一種の相承の覇権争いが起こってしまいまし
た。そもそも会長さんの書いた「白道燃ゆ」でしたっけ、祖師が例の稲田で「我あやまてり」
とおっしゃって衆生済度のための浄土三部経の読誦を中断され、外に飛び出して破邪顕正に
飛び出したっていう話。こんな珍説を主張しているのは親鸞会だけだと思いますね。
「唯能常称如来号応報大悲弘誓恩」(『正信偈』龍樹章)に明らかなように辻説法などには出
られずに、ひたすら称名相続なされた、とするのが通説です。その背景には親鸞聖人が「われは
これ賀古の教信沙弥の定なり<中略>御位署には愚禿の字をのせらる。これすなわち僧にあらず
俗にあらざる儀を表して、教信沙弥のごとくなるべし」(改邪鈔)と甚だ尊崇された、加古の
教信沙弥同行のようにあるべし、と仰っておられることも大きな根拠となっています。
429 :
505:04/06/05 07:24 ID:8810TCqW
>>401(つづき)
教信沙弥同行(??〜866)は、祖師の「愚禿」の非僧非俗の生き方のお手本であり、先達でした。
教信沙弥同行はかつて法相宗の興福寺の学僧であり、年若くして頭角を顕し、
仏教教学を深く会得して「佛教心理学・論理学においては彼の右にでる者はない。」と、
彼を知る都の僧俗からは、長老たる器として将来を嘱望されていたエリートでした。
しかし名利名聞に奔走する僧達の腐敗、貴族中心の布教に対して苦悩していたようです。
しかしある旅の僧侶の「捨ててこそ」というアドヴァイスをきいて、すべてを捨てて寺を
出奔し、各地を遍歴し、40代に兵庫県加古に草庵を結び、仏像も教典も持たずに農耕の
手伝い、旅人の荷物運びなどをしながら行住坐臥片時も「南無阿弥陀仏」の称名念仏を
怠らなかったと伝えられています。彼の妻子に伝えた遺言は「臨終にあたって、屍を野に
捨て置き、鳥獣に喰わせるままにしておくように」というもので、そのとおりの入滅を
遂げたとのことです。「教信沙弥のごとくなるべし」と常々仰せになっていた親鸞聖人で
あります。
「もし現代に生きていたらもっとえげつない勧誘してたと思うよ」とはまった
くひどい発言です。
「師をそしるものをば謗法のものと申すなり。」
甚だ祖師を貶める発言として看過することは出来ません。
430 :
名無しさん@3周年:04/06/05 09:53 ID:r+lnn3zY
>修士課程終了後の2年後に探偵雇ってあんたの状況探ったるわ。
>探偵なんか安いで。一日1万5千円ぐらいだ。経費別で。
>フリーターだと思うよ。あなた。
わざわざ金をかけるとはずいぶん物好きな方ですな。
431 :
711:04/06/05 10:00 ID:S0UbJUPE
>>429 505さんへ
いつもご苦労様です。
教信沙弥のお話、はじめて聞きました。とても興味深く思います。
432 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/05 11:30 ID:Hmrgj/Cu
>>426-427 >そこから飛び降りないかぎりいつまで経っても、死ぬまで、否、死んでも
>親鸞聖人の言われる他力に接することはできない。
711さん、おはようございます(もうお昼ですがw)。おっしゃる通りですね。私のような
底下薄地の凡夫、逆悪には、菩薩様のような「無所得空寂」の境地とは無縁であり、
「己が己が」の我執しかございませんのでもとより「聞く心」「たのむ心」はありません。
「南無といふはすなわちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。
阿弥陀仏といふはすなわちこれその行なり。この義をもってのゆえに
かならず往生を得。」(『六字釈』)
「私が聞く」のではなくて、仏様の「どうか聞いてください」の真実の願いが、お命が、阿弥陀様の
真実の大行(=御名)となって私に飛び込んでくだるのですからね。才市さんが「わしが、弥陀になる
じゃない、弥陀のほうがわしになる」と歌われておりますように、阿弥陀様が「この私に」帰命して
くださっているのですからね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
「今此処(ここ)」でお聞かせていただかなかったら本当に“罪”ですよね。
「仏智うたがふつみふかし この心おもひしるならば くゆるこころをむねとして
仏智の不思議をたのむべし」(『正像末和讃』)
>自身で思っている仏が、思い込まされた仏が、
>悪魔の顔をしていることもあります。
黄檗禅師の言われる「著相の仏」ですね。全ての仏教徒が心に刻みたい戒めですね。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
433 :
親鸞嫌い:04/06/05 11:53 ID:MwsjOU9L
オメコ嫌い
434 :
名無しさん@3周年:04/06/05 13:29 ID:lHIMVcWT
>>430 金って。たかが1,2万の話しやろうが。
彼みたいな脇ユルユルのやつの身元調査なんか半日もあれば十分。
なんせ、2ちゃんねるで個人確定できる情報を垂れ流すようなお人ですからね。
専任講師からお咎めがあったんかもな。噛み付いてこないとこをみると。
435 :
名無しさん@3周年:04/06/05 20:47 ID:3hcZu3Pu
/  ̄ ̄ ̄ )
/ / ̄ ̄|
/ / / \|
/ / |
||−[ (。)][(゜ )]
|| つ |
|| __) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ < ○○タンくらい単細胞な学生が一番使い勝手がいい
/ \_____________
436 :
名無しさん@3周年:04/06/05 22:19 ID:5t6uJ073
なるほど、今日はえらい静かだと思ったら、ゴウタンエで会員は全員集合か。
静かで、ええなあ。
437 :
名無しさん@3周年:04/06/06 16:02 ID:jf7pYwgS
強姦会とはけったいな行事ですな。
今日も信を得られなかった哀れな会員が大勢うなだれて帰っていくのだろうな。
強姦出来るならいいじゃんw
┌──────────────────────―─―┐
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│おすすめ | 渡海難は不正な処理を行いました。 ┌───┐ |
│モナー | 残念ですが渡海難の人生を | 終了 | |
│ | 終了させてあげて下さい。(推奨) └───┘ |
│ | |
│ └───────────────────────┘
│特別企画 ├┤ ├┤
├┬──────┬┼┼┬────────────┬┼┤
├┴──────┴┴┴┴──┬─┬─┬─────┴┴┤
│□ エラーが発生しました | | |●インターネット |
└─────────────┴─┴─┴───────┘
俺は渡海難のパソコンだ。
自分で言うのも何だけど、割とハイスペックなマシンだと思っている。
だけど、あいつに買われたのが不運の始まりだ・・・
パソコンってのは、ご主人様を選べねぇ。
本当は女の子に買われたかったが、野郎に買われた瞬間、俺は自身がオナニーネタマシンになるのを覚悟した。
まぁ、それもパソコンたる者の使命か、と思って、マシンとしての天分を全うしようと思ったよ。
ところが、あいつは普通の奴じゃなかった!
あいつは買ったばかりの俺を起動させるや、プリインストールされているソフトを全部削除して、俺と一緒に買ったと思われるエロゲーをこれでもか、これでもか、とばかりに大量にインストールしやがったんだ。(それもロリコンものや陵辱ものばかり!)
その上、インターネット接続の設定を済ませたと思ったら、今度はアニメ系サイトのネットサーフィンを始めやがったんだぜ。
それで、俺のモニターに写っているアニメ絵に向かってハァハァ臭ぇ息を吐きかけたと思ったら、いきなり「さくらちゃん萌えー」とか口走って力尽きやがるんだよ。
その後そのイカ臭ぇ手でキーボードやマウスを触るから、俺はすっかり生臭いマシンになってしまったよ(涙)。
そんなことが一週間続いた後、あいつは初めてエロゲーやアニメ系サイト巡り以外に俺を使ったんだ。
そんときゃ、おめぇ、パソコンなのに思わず泣きそうになったよ。
初めてまともな仕事が出来るってな。
その時の事は今でもよく覚えている。
ブラウザのURL入力欄に「www.2ch.net」って入力していたんだ。
その後で大量の文字列のみを処理したときには、本当に生きてて良かった、希望は捨てるもんじゃねぇな、と思ったさ。
ところが、俺の希望はそこで打ち砕かれた!
あいつはそこで、くだらねぇ糞スレを大量に立て始めたんだ!
俺は一気に奈落の底に突き落とされた気分になった。
案の定、その後で俺は「氏ね」、「逝って良し」といった文字列を処理する羽目になった。
辛かったよ・・・今後の俺の行く末を想像しただけで・・・
今もこうしてあいつがこんな糞スレを立てる度に、俺の良心はちくちく痛みだすんだ。
いっそ死にたいと、毎日のように思うよ。
だけど、俺はパソコンだから自殺は出来ねぇ。
かといって、こんな汚れた俺が中古店で新しいご主人様を探すのも、罪な事だと思う。
この板の皆には、本当に申し訳ねぇと思っているよ。
だから、あいつが今後同じような糞スレを立てても、どうか気を悪くしないで欲しい。
442 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/06 22:49 ID:CH12DckD
>>410 >この来迎ってのは平生の来迎って意味なの?
亀レスすみません。
「かくのごとくして、乃至、命終の後に、宝蓮台の上に座して、弥陀仏の後に
従ひ、・・・(中略)ただ極楽世界の七宝の池のなかに至りて、はじめて目を
挙げ、掌を合わせて、弥陀の尊容を見たてまつり、(後略)」(『往生要集』巻中)
と「臨終行儀」について書かれているのですから一応は「臨終」のことですね。
まあ源信和尚はあくまで天台宗ですから、「諸行往生」を説かれたわけでね。臨終行儀
についてさえ、十念称名の他に「南無妙法蓮華経」や「南無弥勒菩薩」他の多々の行法
をお勧めなくらいですから。往生の行もあくまで「止観念仏」「観想念仏」が中心です。
しかし、「それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賎、だれか帰せざらんも
のあらん。ただし顕密の教法、その文、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。利智
精進の人は、いまだ難しとなさず。予がごとき頑魯のもの、あにあへてせんや。このゆえ
に、念仏の一門によりて・・・(後略)」(『往生要集』序文)
「『極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して極楽に生じることを得』と。」(同上巻下)
「問ふ。たとひ三心を具せずともといへども、命を畢(お)ふることを期せずといへども、かの一
たび名を聞くすら、なほ仏になることを得。いはんやしばらくも称念する、なんぞ唐捐ならんや。
答ふ。しばらくは唐捐なるに似たれども、つひには虚説ならず。『華厳』の偈に、経を聞くものの
、転生の時の益を説きてのたまへるがごとし。」(同上巻下)他多数の御文や、更には、「専修」と
「雑修」の「報化二土の得失」を弁立されていることなど、随所にちりばめられた「浄土真宗」のヒント
から、その御真意を読み解かれたのが、法然上人、親鸞聖人だと思います。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
443 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/06 23:23 ID:CH12DckD
>>332 >回心が突然であればあるほど(サドンコンバージョン)、
>狂喜に近くなることもあるかと存じます。
>西欧などでは、非常に極端な例を挙げれば、
>回心のとき、全身の毛穴から血が流れ出たとか、
>狂喜のあまり三日三晩飛び跳ねつづけた等の
>例があると宗教学で習った覚えがあります。
これも亀レスすみません。332から332へというのも何か変ですがww。
非常に興味深いお話しですね。仏教で言う頓悟と漸悟ですね。ドストエフスキーは
頓機で、トルストイは漸機だとか、鈴木大拙先生は頓機で、西田幾太郎先生は漸機だと
か。W・ジェームズの『宗教経験の諸相』という古典的なものしか読んでませんが。
頓機(サドンコンバージョン型)と言えば、法然上人門下では、蓮生上人(熊谷直実)
が代表的な御一人だと思いますが、例の馬の鞍を逆さまにした話とか、西方に足や尻を
決して向けなかったお話しは、なんかシーク教の開祖のナーナク師のメッカについての
お話を思わせますね。イエズス会の開祖のイグナティウス・デ・ロヨラも二度生まれ型
(サドン型)の典型ですね。瞑想に入ってる時に、周囲のものが動いたとか、明恵上人
を思わせるような逸話もありますね。
「回心のとき、全身の毛穴から血が流れ出た」とか「三品の懺悔」みたいですね。しかし
「狂気」とか「魔境」とか本当に宗派をお越えて要注意なとこですね。これも711さんの
触れられてます「智慧の念仏」ということがキーワードになると思います。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>442 返事ありがとう。
難しくてよくわからんけど、まあわかったかなw
445 :
711:04/06/07 00:19 ID:kVZNgnqP
>>432 332さんへ
こんばんわ。
いつも丁寧なレスを賜り、ありがとうございます。
わたしのような者に貴重なお時間を割いていただき、深く感謝いたしているところです。
>>「私が聞く」のではなくて、仏様の「どうか聞いてください」の真実の願いが、お命が、阿弥陀様の
>>真実の大行(=御名)となって私に飛び込んでくださるのですからね。
全く同感です。これこそ、親鸞聖人が発見された最も大切なところだと思います。
正しく、南無阿弥陀仏というのは「よび声」と言われるべきものなのでしょう。
西田は「場所的論理と宗教的世界観」の中で、
「言葉はロゴスとして理性的でもあるが、また超理性的なるもの、否、非理性的なるものは
唯言葉によってのみ表現せられる。意志は理性を越えるもの、否、これをも破るものである。
何処までも我々の自己を越えて、しかも何処までも我々の自己に臨むものは、何処までも客観的に
自己自身を表現するものでなければならない。(中略)
宗教的表現とは、絶対意志的でなければならない。我々の人格的自己そのものに対するものであるの
である。仏は我々の自己に何処までも超越的なるとともに、しかもこれを包むものである。
「念仏の申さるるも如来の御はからひなり」というに至りて極まる。此処に親鸞の横超の意義があるのである。
横超は名号不思議によらなければならない。」
と述べています。すばらしい表現であります。
しかしながら、私はもう一つ一歩踏み入れて、「よび声」なるものを見ていきたいと存じます。
今後ともご指導いただきたく、よろしくお願い申し上げます。
解釈致したく思っております。
>>445 横レスすみませんが・・・・・・・・・・・・・・・・
せっかく、無知蒙昧、罪悪深重の凡夫に向けて、噛み砕いて噛み砕いて
分かりやすくしたお救いを、わざわざ難しいものにしているような気がしま
す。「南無阿弥陀仏」のおいわれをそのまま頂かれますよう。
447 :
711:04/06/07 00:37 ID:kVZNgnqP
>>445 追記
「智慧の念仏」ということは、西田流に言うならば、
「何処までも客観的に自己自身を表現するものでなければならない。」
ということでしょうか?
魔境との境界線をよくよくわきまえるべきだと思います。
448 :
110:04/06/07 00:40 ID:yuyDK6Eh
接続エラーとか激しく多忙だとかで随分久しぶりに書き込みます…
>>505氏
>>自分の会が唯一絶対である、とする独善に陥り、他人を破邪顕正することに追われる活動を
>しているうちに、善悪正邪の世界に安住し、勝他の正義感が限りなく肥大していき、内外廃立が本来
>「わたし一人」のために説かれているとは思えずに、他人を勧化するうえでの用語であると思って
>少しも疑問ももたないような弊害が現れてくるわけです。
>これは110さんのことを申したつもりでしたが、おわかりになりましたか?
>あなたの使用されている「内外廃立」の意味がまったく他者を勧化する意味で、
>換言すれば、「勝他」の意味で、使用されていたので念のため確認したのですが、
>スルーですか?
その前に、勝他の意味は他人を勧化する、ということでいいんですか?
>都合悪いものは完全にスルーといううわさは本当だったようで。
>別にスルーしているつもりはありませんが、あなたのようには
>レスがすぐにできないこともあります。
とか言いながら結局スルーしているご様子で。
>これは、なかなか便利な表現ですね。本質か、そうでないか、を判断するのは
>誰なんですか?あなたの「思い」ではないとでも?
これは、もちろん、思いもありますよ。
449 :
711:04/06/07 00:42 ID:kVZNgnqP
>>446 名無しさんへ
私は、哲学的にこの世界をどう解釈し得るのかということが、
命題としてございますので、このような表現となってしまいます。
部外者の戯言とお汲み取りいただき、お許しいただきたく存じます。
450 :
110:04/06/07 00:45 ID:yuyDK6Eh
>>268 >会の主張と異なった事を110さんは主張されたということでしょうか?
>
>まあ110さんの
>>66の発言は、誰が読んでも「他宗教との論争=内外廃立」
>ですが、110さんはその発言を撤回する事もなく、再度主張することもなく
>破邪顕正を持ち出してをはぐらかしていますね。
>505さんも、そういう状態のまま深く追求されるのは如何かと思われますが。
>110さんのご意見(弁明)をお待ちいたします。
基本的に、会員に
>>237のような発言をするような輩はおりません。
451 :
110:04/06/07 00:55 ID:yuyDK6Eh
>>332氏
機ごと機ごと、というのは、私たちの業によって救いの速い遅いが変わる、
ということですか?
宿善は関係ありますか?
>>211 なるほど。
452 :
110:04/06/07 01:03 ID:yuyDK6Eh
>>220 >>どうしたら他力に入れるかを知りたいのが、求道者なのに、それに答えるすべを持たない。
>あたり前です。善知識なら、「われは答えられぬ、ただ、弥陀のみをたのめ」、とお答えになる
>はずです。あなたはそのようにお聞きしておられないのですか。仙崖和尚の逸話を思い出してみてください。
そんな教えに納得できる人が(若干名とはいえ)いるとはにわかには信じがたいことです。
>ということは、私たちが救いのためにできることが何もない、と言っているのですよ。
>そうです。そのように説かれるのが浄土真宗です。110さんは、「できないことを知らされるまで、
>できないことを命がけで実行せよ」と主張しているのですよね。イダイケと同じ事をしなさい、と
>主張しているようにも解釈されますが、それならなぜ親鸞会は定善でなくザイセとか勧誘行為の
>散善を勧めるのですか?(ザイセとか勧誘行為が真の意味で散善といえるかどうかはまた別の問題
>ですが・・。)祖師と同じ行をしないと救われない、といっているんでしょう?
>それなら、まず、定善からはじめることになりませんか?
定善と散善、ともに勧められているのは当然のことですけど。真剣な聴聞、
心を静めて行うお勤めは定善にあたります。
それと、祖師と同じ行をしなければ、とは言っていません。三願転入は心の道です。
特定の行を必ずする、というものではありません。行は人それぞれになります。
しかし、その信仰の道程は同じなのです。
>>452 >>>どうしたら他力に入れるかを知りたいのが、求道者なのに、それに答えるすべを持たない。
>>あたり前です。善知識なら、「われは答えられぬ、ただ、弥陀のみをたのめ」、とお答えになる
>>はずです。あなたはそのようにお聞きしておられないのですか。仙崖和尚の逸話を思い出してみてください。
>そんな教えに納得できる人が(若干名とはいえ)いるとはにわかには信じがたいことです。
ああ、じゃあもう(s会は)真宗じゃないって事だね。
454 :
110:04/06/07 01:29 ID:yuyDK6Eh
>>222 >破邪顕正こそ、最高の報謝の道であり、最も如来聖人が喜ばれることなのです。
>破邪顕正こそ、最高の報謝の道」とは驚きました。
>それでもあなたは真宗を奉じるものですか?
>教行信証で根拠を示していただきたいです。
その通り、自信教人信のお言葉です。
>>法施も同じなのです。他人に真実を話すままが、その言葉が、自分に返ってくるのです。
>聴聞と同じなのは、当然でしょう。
>あの・・こういうのをあなたの思いっていうんですよ。
>お聖教の根拠をあげて話してくださいね。
>「法施は聴聞と同じ」とするお聖教の根拠を述べてください。
話した言葉が自分の耳に入ってきて、相手に語りかけるままに自分の心にも語りかける。
これのどこが思いですか?当たり前のことです。
455 :
110:04/06/07 01:32 ID:yuyDK6Eh
>>223 >いまひとつ「よい関係」が理解できないのですが、別の表現はできないですか?
宿善が厚くなります。仏縁が深まります。信仰が進みます。横の線を進みます。
阿弥陀仏の調熟の光明に照らされ、心が調えられ、育てられます。
>どれをとってみても、これから現在世において「ご自身の修した行の道程を通らなければ信を獲られない」
>とは祖師はおっしゃっておられませんね・・。
行の道程、とありましたか。それは違いましたね。
心の道程、ということです。三願転入が、獲信までの全ての人の心の道程である、と見て取られた、
親鸞聖人のお言葉です。
>>本来凡夫には実行不能だから初めから見向きもしないあなた方と、
>まだおわかりにならないようですね。浄土真宗とは、「速やかに生死を離れんと欲するもの」
>(=悪人)に対して説かれる教えである、と申しています。往生の行としては、凡夫には
>布施行の難行は機と教が一致していないので勧められない、と祖師は教えておられます。
浄土真宗の説く相手は十方衆生です。
相手を悪人に限る貴方の説では、特定の人しか救われないことになります。
真実の教えとは、到底言えるものではありません。
悪人とは、弥陀の願力によって真実の姿を知らされて初めて分かることです。
自力の心は、自分の善を当て力にする心なのですよ。
信前は、善ができる、という心は決して離れ切れません。
出来ると思っている者に、ならばやってみよ、とやらせてみて、できないことを知らせる善巧方便です。
善の出来がたい姿が光明によって照らし出され、知らされて来るのです。
宿善の薄いものは、今生に宿善を求める心がけが大切です。
宿善の薄い者とは、廃悪修善に向かう心が薄い人のことを言うのです。
逆に、宿善の厚い人は、悪を恐れ、善に向かう心が強いのです。
456 :
110:04/06/07 01:38 ID:yuyDK6Eh
>>224 >いいえ、わかりません。
>1)宿善を厚くしていけば「より早く救われる」よろしいですか?
>2)聴聞が一番獲信の因縁(宿善)になる、よろしいですか?
ともに、その通りです。
>それならば、110さんは、「私は勧誘活動はしない。ザイセもしない。
>ただもう、早く救われたいから真剣な聴聞のみをしたい」というかたには
>何も反論できないはずですよね。
どうしてもそうしたいというのなら仕方ありません。
一日も偏時も急げ、の教説には合いませんが。
>もう一度申します。
>往生のためには、親鸞会で勧められているようなザイセとか勧誘活動は
>必ずしもする必要はない、ということでよろしいのですよね。
往生は信心一つ。しかし、宿善の厚薄による遅速はありますから、
早く信心決定したければご縁を求めさせて頂きましょう、ということです。
457 :
名無しさん@3周年:04/06/07 01:43 ID:yIYQBEp/
宿善の厚い人は、親鸞会を恐れ、十八願に向かう心が強いのです
ワラタ
459 :
110:04/06/07 02:01 ID:yuyDK6Eh
>>225 >ただし、蓮如上人は、「だからこれから未来に向かって宿善厚くしていきなさい」
>とどこかに仰せになっておられますか?具体的にご指摘ください。
一日も偏時も急いで信を獲れ、と、ただひたすらに教えてくだされる善知識が、
「宿善の厚い人は早く救われる、薄い人は遅くなる」と仰っているのです。
宿善を厚くせよ、宿善を求めよ、と勧められているお言葉に決まっています。
信を求める気持ちが強い人であればあるほど、当然そう思います。
気持ちがない人はそう思いません。そういう人にとっては、
「宿善を求める気持ちは捨てもの」という教えは実に快適極まりない教えです。
だから、そんなおかしな異安心に陥る人がいるのです。
>宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善ありがたしと申すがよく候(御一代記聞書)
そんなことだから、これを、宿善を厚くしようとする心がけは間違いだ、という意味だ、
という無茶な主張をしなければならなくなるのです。ご都合主義ここに極まれり、ですね。
当然、阿弥陀仏によって宿善として下さるのですから、それを自力の所作と見るのは間違いですが、
それと一緒くたにせずにはいられないのは、長年培った恐るべき業力のなせる業ですね。
460 :
711:04/06/07 02:06 ID:kVZNgnqP
>>453 名無しさんへ
部外者が言うのもお門違いですが、そう言わざるを得ないでしょう。
否、当事者ではなく、部外者だからこそ余計に(客観的に)それが見えてきます。
教団に頼る時代は、もうすでに崩壊してきているのでは?
既存の教団に対して言えば、古くなればなるほど権力構造を生んでしまう。
人間の名誉欲・支配欲というもののは、たとえ僧侶であろうが聖職者であろうが、
逃れられないのではないか、と残念ながら思います。
その腐敗を嘆いたのが、親鸞会であったのだと思っていたのですが、
(教義的に親鸞聖人の意志を受け継いでいるのか、いないのかは別として)
皆様のご意見を頂戴しておると、最早そう言えない状態にあるのだなあと
感じざるをえません。
結局、組織となってしまえば、その維持のために金銭調達に走らねばならない。
維持のために信念をも曲げていかねばならないことも起こってくる。
序列の関係性も出来上がっていく(=不和・迎合・不誠実ということが同時に起こる。)
最早、既存の教団もそれを批判している新興の教団も運営面では、
同じことをしているのではないでしょうか。
新たなビジョンを創造する必要があるかと思います。
実家が本願寺派のお寺なので、こんなことを発言したら、
親は悲しむのではないかという思いも当然ありますが、
言わざるを得ないと思い、教団論に関して愚考してみました。
461 :
110:04/06/07 02:12 ID:yuyDK6Eh
>>231 >真宗の教えはあなたがおっしゃったように「自力から他力へ」の教えではなくて
>「自力を速やかに捨てて他力へ」です。救いの法が先行しているからです。
>弥陀たのめ、とは弥陀におまかせする、ということです。
18願はその通りです。
>あなたがおっしゃった「自力から他力へ」説によれば、自らの造作が先行するわけですから、
>十九願、二十願を経て(実行して)から救われなさい、という説ということにはならないですか?
>つまり「ある特定の行を実行しなければ救われない」ということになりませんか?
自力から他力、とは、相対から絶対、といってもいいですが、親鸞聖人が三願転入のお言葉で仰っていることです。
自力の延長上に他力がある、とか、自力によって他力に入る、という意味ではないのです。
信前は、自力です。信後は、他力です。
信を獲る人は、みな自力から、他力へ入っているのです。当然すぎることです。
全ての人の、信を獲る道程、プロセスです。それが三願転入だ、と申しております。
要するに、お門違いも甚だしい攻撃が沢山あふれかえっている、ということです。
それでもそういう質問をされたいのなら、親鸞聖人にお尋ね下さい。
711さん
>人間の名誉欲・支配欲というもののは、たとえ僧侶であろうが聖職者であろうが、
>逃れられないのではないか、と残念ながら思います。
>その腐敗を嘆いたのが、親鸞会であったのだと思っていたのですが
私も親鸞会の出発点はそういうことであるとお聞きしています。
高森会長は非常に性格の激しい方で、本願寺の腐敗を正さなければならないと
の情熱から、会を始められたとのことですが、なぜこのようになってしまった
のか、残念であり、不思議な思いがします。
教団が腐敗して行く点について、私も同じ思いがあります。
私のビジョンは、「固定化しない運動」です。起こるときには起こり、廃れる時
には廃れる。505さんの言及された教信沙弥のごとくありたいものです。
463 :
110:04/06/07 02:26 ID:yuyDK6Eh
>>232 >>「絶対の幸福」と101さんは言われるのですが、非常に浅薄な
> 何処の新興宗教でも言っている(その実、意味はわからない)
>会員さんのどなたも否定しないので、いよいよそうなのかな、と思っているのは、
>「絶対の幸福」がS価学会で既に使用されていたものを高森さんが借用した、という
>噂です。私が会員であった時に会のなかで何度も耳にした噂ではありますが、
>会の組織が軍隊識であり当時のS価と○隊長など、呼称まで似せていたこと、
>破邪顕正のやりかたがS価の折伏に酷似していること、天台の五時の教判を批判しつつ、
>それとそっくりな会長さん独自の?「八大経(教)説」を説いていること、などから類推
>すれば頷けるところもあります。
>そもそもS価は現世利益的団体ですから、「絶対の幸福」という呼称がご指摘のように
>「何か仏法ではなく魔法といってもよいような言葉」と思われることも尤もですね。
>絶対の幸福の根拠を110さんにお尋ねしたところ、歎異抄の「無碍の一道」だ、と強弁
>されていましたが、これでは祖師の説かれた「無碍の一道」の真意が甚だゆがめられて
>理解されることを危惧しています。
あなたがいかに人の話を聞けない人かがよく分かりました。絶対の幸福の根拠は、
摂取不捨の利益だ、と言ったのです。
おさめ取って捨てられない、絶対に変わらない、裏切られない。
利益は、当然、幸せ、ということです。
このように説明しているのに、よくそんな適当なことを書きますね。一層呆れました。
絶対、とは相対に対する言葉であり、不二、不壊、という意味があります。
(もちろん、言葉は相対のものですから表しきることはできませんが。)
幸福、とは不幸に対する言葉であり、私たちが求めているものです。
言い換えると、喜び、楽しみ、満足、などです。
本来の言葉の定義に基づけば、あなた方のような発想にはなりえません。
特殊な業によるフィルターが、捻じ曲げてしまっているのです。
言っていることの次元が、極めて低いと言わざるを得ません。
464 :
711:04/06/07 02:42 ID:kVZNgnqP
>>461 110さんへ
横レス失礼致します。
プロセスがある時点で、横超とは言えないと思います。
いくらプロセスがあったとしても、信後はそのようなプロセスを相手にしない。
=直接を勧めて、プロセスを勧めない。なぜなら、おなじ過ちを相手の方に繰り返してはいけないと、
申し訳ないと誠実に思うからです。その誠実さを欠いてなにが宗教ですか。
妙好人が、19願→20願→18願といったプロセスについて述懐しておられますか?
「@いやあ、最初は浄土に行きたくて聖者の行をしました。Aそして、行は無理だと挫折して念仏唱えていたんですが
違ったことに気づきました。Bただのただ、唱えていたと思っていたのが大間違い、親様が私のことを心底思ってくださる
および声だったとは!」
A→Bのプロセスについては述懐しておられる方もいらっしゃるに違いない。
しかし、@→Aのプロセスについて述懐している方はいらっしゃるのでしょうか?
いらっしゃるのであれば、実例を挙げていただきたい。
110さんは比叡山で、聖者の修行をお積みになられ、現在に至っておられるのでしょうか。
最初に親鸞会の教義ありき、それを基準に言葉を拾っていく作業に何の意味があるのでしょうか?
465 :
711:04/06/07 02:50 ID:kVZNgnqP
>>463 110さんへ
>>幸福、とは不幸に対する言葉であり、私たちが求めているものです。
>>言い換えると、喜び、楽しみ、満足、などです。
その私どもが日ごろ求めているものが、嘘・偽りだと教えてくれるのが、
親鸞聖人の教えではないのでしょうか。
なお、一層自己について内省いただきたく存じます。
摂取不捨の利益を絶対の幸福などという言葉にどうやって置き換えることができるのか?
幸福という言葉を、親鸞聖人が使っておられるのですか?
言葉を扱う時は、厳密に、正確に。虚偽を述べること(結果的にではありますが)をできるだけ
避けるべきと存じます。
こちらも再考いただければ幸いに存じます。
466 :
711:04/06/07 02:56 ID:kVZNgnqP
>>462 名無しさんへ
真摯なお答えありがとうございました。
教信沙弥のことは、505さんに初めてお聞かせ頂いたことでありますが、
とても興味深く思いました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
467 :
110:04/06/07 02:57 ID:yuyDK6Eh
あと、あまりにも当たり前なのに、分からない人が多いようですので、はっきり申しておきます。
布教して下さった人があったから、今日私たちが聞かせていただけたのです。
親鸞聖人が1人で念仏称えておられただけならば、今日の私たちの救いはなかったのです。
厳しいところを乗り越えて、布教に立ち上がり、
真剣に聞く人がいなくてもくじけず、声をかけ続ける。
そのようにして、今日まで仏法は伝えられてきたのです。
信前の人が全く伝えて下さらなければ、信前の人の方がずっと多いのですから、
今日のようにはならなかったのです。
私たちは、そのご恩に報いるために、1人でも多くの方にお伝えする。
弥陀の名号の功徳を、叫ぶのです。
なぜ、こんなことが分からないのでしょうか。
なぜ、これが理解できない人がいるのか。
なぜ、仏法者と称して、これを批判する人がいるのか。
不思議でたまりません。
468 :
711:04/06/07 03:07 ID:kVZNgnqP
>>467 >>信前の人が全く伝えて下さらなければ、信前の人の方がずっと多いのですから、
>>今日のようにはならなかったのです。
同感です。他力に接することない人が仏法を広めてしまったおかげで、
誤解と虚偽と欺瞞が今、現に、ここに、溢れている・・・。
なぜ、332さんのように直接に他力を説かないのか?
私にとっては、101さんが不思議でなりません。
469 :
110:04/06/07 03:09 ID:yuyDK6Eh
>>464 あなたは後生の一大事を否定し、仏法者であることを自ら否定しています。
要が抜けているのですから、そんな状態のあなたには真宗の教えは絶対に理解できません。
スタートラインに立っていないのです。
それだけでなく、あなたの主観で本会の教義は誤りであると断言してはばからないなどの、
論理性の不足からいっても、世間の議論のレベルにも達していない、と判断します。
大変失礼な物言いですが、あなたを相手にすることはできません。レスは今回で最後です。
470 :
711:04/06/07 03:34 ID:kVZNgnqP
>>469 110さんへ
110さんのお心を荒立ててしまったこと、大変申し訳なく思います。
言わなければならないことを申したまでのことなのです。申し訳ございませんでした。
私は、後生の一大事を否定してはおりません。
死後に一大事があるとおっしゃったお言葉に対して否定を致したまでです。
一大事は、死後ではなく、今の今こそが、一大事のまっただなかでありましょう。
それを死後に、と言われたので反論いたしたところです。
仏法者であることを否定しているのは、その通りです。
なぜならば、仏法者と言えるような存在ではないし、
畏れながら、一切経を勉学したわけでもないという点からです。
今回のレスで、110さんの思いを垣間見ることができました。
あなたのお考えでは、「親鸞聖人は私のようなものには他力を教えて
下さらない」と思って差し支えないのでしょうか。
一切衆生を相手にしているのが、仏教とお聞きしましているのですが、
親鸞会の意見を代表される方が、
一切衆生の代表でもありうる一個人を大切にすることさえも出来ないのであるならば
親鸞会はそういう仏教理解なんだろうなあと思うだけです。
アジャセ王が救われるまでは、決して涅槃に入らないという意志を持った方もいらっしゃったか
と聞かせていただいております。
レスは結構です。ありがとうございました。
>>469 S会の奴らは切れやすいから気にするな。
472 :
名無しさん@3周年:04/06/07 08:37 ID:wUJU0/3r
>>428 >「唯能常称如来号応報大悲弘誓恩」(『正信偈』龍樹章)に明らかなように辻説法などには出
られずに、ひたすら称名相続なされた、とするのが通説です。
辻説法に類似した行為をされずに広範囲に布教するというのは無理という説
のほうが自然でしょうね。
大悲伝普化というのは他のひとに称名させる行為なので自身の称名以上に
「まことに仏恩報ずる」ことになるんですよ。
称名はもともと「ほめたてまつる」言葉なのです。
壁にむかってほめていてもいいのですがせっかくだから他のひとに
聞かせてあげれば自利利他になります。
473 :
名無しさん@3周年:04/06/07 11:21 ID:MddkzB+g
ゴウタンエの様子を見に行きました。
2時40分過ぎに行ったのに、遅れて入っていく人が
結構いました。
第一講堂に上がる階段は封鎖されていたので遅刻した人の
多くは玄関先のテレビで見ていました。
474 :
名無しさん@3周年:04/06/07 13:05 ID:yJIwFfxC
>>468 >なぜ、332さんのように直接に他力を説かないのか?
よく言うなあ。
ジャンヌ常連のお仲間の「他力信心」というのは
「他人に教える必要があるかどうかはわからない」というような信心ですね。
こんなものが18願を教えているといえるんですか?
ちなみにこの連中が好んでいるらしい灘○とか言うひとは
「他宗の家から真宗の家に嫁いできたひとがいつのまにか
真宗の門徒になるようにほとんどのひとはハッキリいつ信心を獲たかは
わからないものだ」という意味の発言をしていました。
こんな信心に道程も方便もないのはあたりまえです。
「はっきりするよー。大きなよろこびがあるよー。そこまで聞き抜きなさいよー」
って言ってるのは親鸞会だけじゃないですか。
>「はっきりするよー。大きなよろこびがあるよー。そこまで聞き抜きなさいよー」
>って言ってるのは親鸞会だけじゃないですか。
誰も喜んでいる人がいないのも親鸞会ってのもまた事実だから
それを言わないのは片手落ちだろう。
476 :
名無しさん@3周年:04/06/07 19:18 ID:1zLVYagS
>誰も喜んでいる人がいない
また根拠のない話か。
獲信したひとがたくさんいるのが自慢の方々もあるようですが
その程度の信心ではねえ......
477 :
通行人:04/06/07 19:42 ID:xzULgE/M
>あなたのお考えでは、「親鸞聖人は私のようなものには他力を教えて
下さらない」と思って差し支えないのでしょうか。
きみさぁ、俺が変わりに教えてあげてもいいけど、その前に、
教えられてるのに批判したり、私はこう思うとか、勝手なことばかり言うのをやめてからにしてくれない?
仏教は、体だけでなく心の頭を足れずして到底聞けるものではないんです。
それが嫌なら、どうぞ、難度海にまた戻られて流転輪廻してからまた聞くのがいいと思う。
だって、お釈迦様の言うことが信じられない人に、私がどうやって教えることができるのでしょうか?
親鸞会にお釈迦様より偉い仏さまでもいるなら知りませんが・・・。
後生の一大事の解決が仏法の最終目的です。
それ以外、何の為の仏法でしょうか。
あなたは、他力を教えてもらう前に、まず、
「私は無知です。世間でいろいろな知識を学びましたが、いざ死んでいくとなると、何の役にも立ちません。お救いください。」
というところからはじめなさい。話はそれからです。
478 :
名無しさん@3周年:04/06/07 19:48 ID:1zLVYagS
昔の発言をひっぱりだしてみましょう。
>>340 >弥勒菩薩は元品の無明のみを残しておられるという点では迷いの衆生であり「彌勒も五道を
展転している」と説かれますが、弥勒菩薩は「善悪相対」における善は行じることができるのです。
成仏(根本無明を破ること)が仏教の目的であって、彌勒の修行の目的も
それ以外にはないのです。
でも彌勒も自分の力では根本無明を破ることはできません。
「三世諸仏 念弥陀三昧 成等正覚」のお言葉とおり
三世諸仏も阿弥陀仏のお力によらねば成仏できないのです。
(誰かさんはどこかの大学教授をもちだして、この根拠は偽経だって
言ってましたが、天親菩薩や祖師聖人が引用された御文を否定するとは
おそろしい人たちです)
でも修善に励まれ、またひとにも廃悪修善をすすめられたのです。
一切菩薩もまた同じです。
仏教は廃悪修善が基本です。
479 :
通行人:04/06/07 20:20 ID:xzULgE/M
私たちは、そのご恩に報いるために、1人でも多くの方にお伝えする。
弥陀の名号の功徳を、叫ぶのです。
なぜ、こんなことが分からないのでしょうか。
なぜ、これが理解できない人がいるのか。
なぜ、仏法者と称して、これを批判する人がいるのか。
不思議でたまりません。
私はわかりますよ。
ほかの人には、この、基本が理解できないのです。
その理由は、何の分別もなく念仏がすべてであると、言ってきた本願寺の責任なんです。
教学的黒歴史なんです。こういう、歴史的苦悩を背負ってるんです。
念仏が多いとか、少ないとか、しないとか、するとか、はっきり言ってどうでもいいんです。
真宗は、信心がすべてなんです。他力の信心こそがすべてなんです。
その信心の中身は、親鸞聖人言われたとおり、嘲りや嘲笑を食らおうとも、一人でも阿弥陀如来の本願知ってもらいたい、
流刑の身にあおうとも、「これなお師教の恩到なり」という、その心そのものなんです。
その信心そのものなんです。大乗の心そのものなんですよ。
阿弥陀如来に最大の「ありがとうの言葉」を言わずにおれないが、それよりも、こんなゴミクズの親鸞すくいたもうた阿弥陀如来の本願
難度海に苦しむ人たちを見て、仏心を体現する、そのこころそのものです。
そこに、親鸞聖人の信心の有様があるんです。
誰もが、法然上人や親鸞聖人のようには能力的にもできません。せめてなりと、ありがとうの言葉をいうのが精一杯でしょう。
別にそれでもいいですよ。
でも、私と同じ身になってもらいたい、誰もが、この幸せをつかんでほしい心が出てくるところが、
出てきてしまうのです。それが、真成報仏恩、身を粉にしても報ずる心そのまんま、
これにおいて、他力の信心の有様のすべてなんですよ。
ここまで、読みきる人が、古今東西多くはなかったんでしょうね。
信前においては、仏心を顕現することは、善根になりますから、無駄に帰すことはありません。
信の一念においてすべてを理解できるのですから、それまでは、善根積む以外にありません。
もちろん、念仏も、最大の善根となります。
>私たちは、そのご恩に報いるために、1人でも多くの方にお伝えする。
>弥陀の名号の功徳を、叫ぶのです。
ご恩に報いるためってのは、信心いただいたご恩に報いるため
ですよね、当然。
481 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/07 23:32 ID:D0JVOGmZ
>>451 >機ごと機ごと、というのは、私たちの業によって救いの速い遅いが変わる、
>ということですか?
>宿善は関係ありますか?
>>459に「当然、阿弥陀仏によって宿善として下さるのですから、それを自力の所作と見るのは間違いですが」
と仰ってますのですから「宿善は他力」というのはよろしいですね。仏様の光明は、一切衆生を平等無差別に
照らしてくださりますが、衆生の機ごと機ごとの無始よりの業は、それぞれに違いますから、「往生の遅速」
などそれを受けるすがたは、「無限の違い」が生まれるということです。
なお、仏様の「御内証」からいえば、「一即一切、一切即一、念劫融即」ですから、「時空」的な相違などは、
全く問題ではないということです。
482 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/07 23:45 ID:D0JVOGmZ
>>455 >宿善の薄いものは、今生に宿善を求める心がけが大切です。
>宿善の薄い者とは、廃悪修善に向かう心が薄い人のことを言うのです。
>逆に、宿善の厚い人は、悪を恐れ、善に向かう心が強いのです。
横レスすみません。
下の二行はおそらく『口伝鈔』の「されば宿善あつきひとは、今生に善をこのみ悪をおそる。宿悪おもきものは、
今生に悪をこのみ善にうとし。」が根拠だろうと思いますが、覚師は続けて
「ただ善悪のふたつをば過去の因にまかせ、往生の大益をば如来の他力にまかせて、かつて機のよきあしきに
目をかけて往生の得否を定むべからずとなり。(中略)善悪のふたつ、宿因のはからひとして現果を感ずるところなり。
しかればまつたく、往生においては善もたすけとならず、悪もさはりとならずといふこと、これをもつて准知すべし。」
と仰ってますように、今生に善根を今から積むことをお勧めなのではなく「善悪相対」を超えた阿弥陀様の願を「今」たのむ
ことをお勧めなのがおわかりと思います。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>477 お釈迦さんは死後の世界は無記として捨て置いたよ。
だいたい死の問題も人間が多く持ちうる苦悩の一つに過ぎない。
お釈迦さんが渇望したのは、その多くの苦悩の根本を明らかにし克服することだった。
苦悩の根本は何か?悟り・空への無智・無明である。
一切皆空であるのに、この世で起こる物事、出来事へ執着することから苦悩が起こるのである。
「この世で起こることは全て縁起によって仮に現れているに過ぎず一切は空である」
「生も死も、愛欲も煩悩も全ては空なのだから、生老病死を始めとする苦悩もまた空に過ぎない」
この悟りを開くことによって生死の問題は、さまざまな迷妄と共に根本からかき消えるのである。
お釈迦さんは決して死後を問題としたのではない。
ただ、死は人間が最も執着を抱きやすい問題なだけである。
そして苦悩の根本である執着の克服こそが、お釈迦さんの説いたことである。
そしてこの空より心想羸劣の凡夫を救わんが為に阿弥陀如来は顕れ、その浄土も又、空より顕れた国土である。
我々の生死の苦悩はどこにある?
死後か?それとも今ここなのか?
阿弥陀仏の光明はどこを照らしている?
死後か?それとも今ここなのか?
484 :
505:04/06/08 00:07 ID:pJvT+cJZ
332さん、こんばんは。お疲れ様です。
いつも教えていただきありがとうございます。
>>452 >>善知識なら、「われは答えられぬ、ただ、弥陀のみをたのめ」、とお答えになるはずです。
あなたはそのようにお聞きしておられないのですか。仙崖和尚の逸話を思い出してみてくだ
さい。
>そんな教えに納得できる人が(若干名とはいえ)いるとはにわかには信じがたいことです。
そのような発言をなさる110さんの奉じておられるものが浄土真宗である、とおっしゃるのな
らば、それはにわかには信じがたいことです。仙崖和尚の逸話で納得しないというのでしたら、
庄松同行の逸話はどうでしょうか?後生の不審についてはるばる加賀から讃岐まで何日もかけ
て庄松同行に尋ねにきた同行に対して、「お諭しくだされ」と必死で乞うにもかかわらず、庄
松同行は「己は知らぬ」といって何の話もせずにいました。三日間滞在するも庄松同行は
「己は知らぬ」というばかりで何の話もないので、やむなく落胆して帰ろうとしてしばらく歩
いたときに庄松同行が後を追いかけて「後生は弥陀が助けるぞ」と大声で叫び、その同行はその
一言で疑心がすっかり晴れて帰っていったとのことです。
>>それなら、まず、定善からはじめることになりませんか?
>定善と散善、ともに勧められているのは当然のことですけど。真剣な聴聞、
>心を静めて行うお勤めは定善にあたります。
定善と散善、ともに(真宗で)勧められているのは当然のこととおっしゃるのですか?
いよいよあなたの奉じておられる教えは浄土真宗=横超の法門ではないようですね。
あなたは往生のために定善十三観を勧められているのが真宗というご意見でしょうか?
そして信前のひとの「真剣な聴聞、心を静めて行うお勤め」は定善行を行じているという
ことでしょうか?
485 :
505:04/06/08 00:11 ID:pJvT+cJZ
>>454 >>「破邪顕正こそ、最高の報謝の道」とは驚きました。それでもあなたは真宗を奉じるもの
ですか?教行信証で根拠を示していただきたいです。
>その通り、自信教人信のお言葉です。
あなたはこちらのコメントを何も読んでおられないのでしょうか?最高の報謝の道な何か?と
いうお話しをしています。再確認します。あなたは「最高の報謝の道は、破邪顕正であり、
その根拠は自信教人信のお言葉である」という主張ですか?
また、破邪顕正について
>>387に関連しますが親鸞会は法戦1において、涅槃経の
「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置て、呵責し駈遣し挙処せざれば、当に知るべし、
是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり」
のご文を正しく引用していない、会に都合のいいように引用している、ということは納得されましたか?
>>「法施は聴聞と同じ」とするお聖教の根拠を述べてください。
>話した言葉が自分の耳に入ってきて、相手に語りかけるままに自分の心にも語りかける。
これのどこが思いですか?当たり前のことです。
またしてもお聖教の根拠を挙げずに話していますね。
どこがどう当たり前なのか、お聖教の根拠を挙げて話してください。なるほど、親鸞会では
勧誘行為は法施としているようですから、本来の「仏法は聴聞に極まる」の御教えを法施
(実情は勧誘行為)を聴聞と同格にしてしまえば事実上、会の主たる活動である勧誘行為は
完全に正当化されるというわけですか。たいしたレトリックですね。親鸞会教学においては
「法施=破邪顕正=六度万行=聴聞」ということでしようか?それならば聴聞は六度万行と
いうことになってしまいますが、親鸞会教学ではそういうことなのでしょうか?
486 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/08 00:16 ID:KYeDln1y
>>472 >大悲伝普化というのは他のひとに称名させる行為なので自身の称名以上に
>「まことに仏恩報ずる」ことになるんですよ。
これも横レスですが失礼いたします。
親鸞聖人は、『往生礼讃』の流布本の「大悲伝普化」を智昇法師の『懴儀』の文で
もって「伝」の字を「弘」の字に置き換えられて
「自ら信じ人を教えて信ぜしむ、難きが中に転た更難し。大悲、弘く普く化する、真に仏恩を報ずるに成る、と。」(『信文類』)
と読まれて、われわれが大悲を伝えることではなくて、如来様大悲の衆生化益のおはたらきであると解されてます
ね。われわれ自身の称名(もちろん信具足の)こそが、御名号様の普化のおはたらきであり、われわれはそれを仰がせていただく
ばかりであり、われわれにできる最大の御恩報謝であるということですね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」
「小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき」(『正像末和讃』悲歎述懐和讃)
487 :
505:04/06/08 00:29 ID:pJvT+cJZ
>>455 >宿善が厚くなります。仏縁が深まります。信仰が進みます。横の線を進みます。
阿弥陀仏の調熟の光明に照らされ、心が調えられ、育てられます。
自力なら依然として0点ではないのですか?「横の線を進みます」などという悠長な
教えが浄土真宗なのですか?無常迅速の機を対機とする一念往生の極速円融の真栓では
ないのですか?覚師も仰せです。
「そのゆゑは如来の大悲、短命の根機を本としたまへり。もし多念をもつて
本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ず
べきや。されば真宗の肝要、一念往生をもつて淵源とす。」(口伝抄)
488 :
505:04/06/08 00:30 ID:pJvT+cJZ
>>455 >浄土真宗の説く相手は十方衆生です。相手を悪人に限る貴方の説では、特定の人しか救われない
ことになります。真実の教えとは、到底言えるものではありません。
夫れ速に生死を離れんと欲はば、二種の勝法の中、且く聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ、
浄土門に入らんと欲はば正、雑二行の中、且く諸々の雑行を拠てて、選んで正行に帰すべし。
正行を修せんと欲はば、正、助、二業の中、猶助業を傍にして選んで正定をも専らにすべし、
「正定之業」とは即ち是れ仏の名を稱するなり、名を稱すれば必ず生ずることを得、仏の本願に
依るが故なりと。」(教行信証行巻「『選択本願念仏集』引用)
これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。(教行信証総序)
もちろん十方衆生が相手のご本願ですよ。しかいくら阿弥陀如来のお慈悲が広大無辺と雖も、ただボーっとしていて
救われる教えではありません。そもそも、私が引用した「速やかに生死を離れんと欲はば」と仰っているのは法然上人
ですし、それを教行信証に引用なさっておられるのは親鸞聖人ですよ。あなたは法然・親鸞両聖人に対してケチをつけ
るつもりですか?「特定の人しか救われない」あるいは「真実の教えとは、到底言えるものではありません」のは、
機と教が一致していないのにもかかわらず、布施行の難行を往生行として勧める親鸞会のほうです。
>出来ると思っている者に、ならばやってみよ、とやらせてみて、できないことを知らせる善巧方便です。善の出来がたい
姿が光明によって照らし出され、知らされて来るのです。
悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、
微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。「化身土文類六(本)」
別にあなたの主張が間違っている、とは申しませんよ。おっしゃることを真剣に行じて「善の出来がたい姿が知らされて来る」のも
立派な仏道の一つなのでしょう。しかし、その教えは浄土真宗ではありません。
そういうことをやっていたら、「出離その期なし」と祖師は仰せです。
489 :
505:04/06/08 00:34 ID:pJvT+cJZ
>>456 >往生は信心一つ。しかし、宿善の厚薄による遅速はありますから、
>早く信心決定したければご縁を求めさせて頂きましょう、ということです。
>一日も偏時も急げ、の教説には合いませんが。
いまだによく理解できないのですが・・。再度お尋ねします。
あなたの会の教義では「宿善を厚くしていけばより早く救われる」「聴聞が一番獲信の因縁(宿善)になる」
の両者に対しては賛同いただきました。それでは、「よりご縁が深まる行としては聴聞に劣る、
勧誘活動・ザイセはしない。ただもう、早く救われたいから最も厚い宿善になる真剣な聴聞のみをしたい」
というかたに対して、なぜ「仕方ありません」の発言になるのですか?
こういうかたはあなたの言葉でいえば、悪を恐れ、善に向かう心が強い宿善深厚の機ではないのでしょうか?
一日も偏時も急げ、の教説に合うのは勧誘活動・ザイセではなく寧ろ「真剣な聴聞のみ」、ということには
ならないというご主張のようですが、その根拠は?
490 :
505:04/06/08 00:41 ID:pJvT+cJZ
>>463 >絶対の幸福の根拠は、摂取不捨の利益だ、と言ったのです。
たしかに
>>57に「摂取不捨の利益と仰っていましたね。これは私の勘違いであった
ことは認めます。失礼いたしました。摂取不捨の利益がどの箇所に該当するのか
お手数ですが引用の上、ご指摘ください。
ただ、かつて会長さんは、私が会員であった時代には縦の線の右側に、絶対の幸福、
無碍の一道、光明の広海と黒板に書かれたものでしたが、これらは同義である、と
説明していました。いまでは違うのでしょうか?無碍の一道は歎異抄ですが、あなたは
それを否定されるのですか?
>>461 >自力から他力、とは、相対から絶対、といってもいいですが、親鸞聖人が三願転入の
お言葉で仰っていることです。
>信を獲る人は、みな自力から、他力へ入っているのです。当然すぎることです。
>>231や
>>123や
>>266をお読みでないようなのでもう一度よんでみてください。
そもそも三願転入のお言葉で「自力から他力、とは、相対から絶対」などとはどこにも
仰っておられませんよ。「捨自帰他」ともいいますが、あなたの表現は甚だ不適切であり、
「自力から他力」は誤った表現です。自力を捨てて他力(自らのはからいは否定されるので、
残されたものは弥陀のはからい=名号法しかありえない)、が真宗の教えです。
「自力から他力」発言は断じて「当然すぎること」ではありません。
491 :
505:04/06/08 00:47 ID:pJvT+cJZ
>>467 >布教して下さった人があったから、今日私たちが聞かせていただけたのです。
親鸞聖人が1人で念仏称えておられただけならば、今日の私たちの救いはなかったのです。
なるほど、「教信沙弥のようになるべからず」「日蓮上人のように折伏しなさい」があなた
の主張ということでしょうか?祖師や蓮如上人の仰せとはますます違っているようですね。
「一宗の繁盛と申すは、人の多くあつまり、威の大 なる事にてはなく候。一人なりとも、人の、
信を取るが、一宗の 繁盛に候う。」(『蓮如上人御一代記聞書』)
>私たちは、そのご恩に報いるために、1人でも多くの方にお伝えする。
弥陀の名号の功徳を、叫ぶのです。
あなたにもお尋ねしてみましょうか?未信のものは佛恩報謝できるのですか?
できないのですか?
>なぜ、こんなことが分からないのでしょうか。なぜ、これが理解できない人がいるのか。
なぜ、仏法者と称して、これを批判する人がいるのか。不思議でたまりません。
何も不思議ではありません。親鸞会は独特の三願転入論を唱え、宿善になると称して嘘つき・
身分詐称・ノルマ化した、未成年をターゲットとした勧誘を平気でしています。
これは悪です。善ではありません。そして蓮如上人のご勧化とも内容が違っているからですよ。
492 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/08 00:48 ID:KYeDln1y
>>478 これも横レスっぽいですが、私のこのスレや他スレでのレスにも関連しいてるよう
ですのでご容赦ください。
>成仏(根本無明を破ること)が仏教の目的であって、彌勒の修行の目的も
>それ以外にはないのです。
「善悪相対」の善根が、われわれにできるか否かの問題ではないのでしょうか?
「根本無明」を断ずることはできなくても四十一品の「枝末無明」を断ずることのできる
菩薩様の行じられる「善根」はわれわれ底下の凡夫にはできないのは自明ですね。
「六波羅蜜」のような菩薩行の実践は、「我執」を断ち、「無所得空寂」に住することが
できなければ、「善根功徳」を積んだことにはならないからですね。
後、大乗菩薩は衆生済度の為「無住処涅槃」を願われて、「己が成仏」を目的とされてないことも
別スレでも述べたと思いますが。
>(誰かさんはどこかの大学教授をもちだして、この根拠は偽経だって・・・
別スレで昔、「三世諸仏 念弥陀三昧 成等正覚」のお言葉そのものは、『般舟三昧経』
にはなくて善導大師がその意をとられたお言葉だといったことですかね。『般舟三昧経』
が偽経と言った憶えはないのですが。今日では中国撰述説が通説になっていると言った
のは『梵網経』(大乗の)のことだったと思いますが。
493 :
505:04/06/08 00:50 ID:pJvT+cJZ
>>448 >>あなたの使用されている「内外廃立」の意味がまったく他者を勧化する意味で、
>>換言すれば、「勝他」の意味で、使用されていたので念のため確認したのですが、
>>スルーですか?
>その前に、勝他の意味は他人を勧化する、ということでいいんですか?
「勝他」は自是他非の見(見濁)です。竜樹菩薩はたとえ戒行をもつ人であっても
自讃毀他の我見の虜になれば地獄の苦は免れない、と仰せです。
「勝他」は「他人を勧化する」こととは意味が違います。真理の独善化を否定する
のが仏法です。最古の仏典といわれるスッタニパータの「八の詩句の章」にも明白
に説かれています。あなたの仰った「内外廃立」の定義は一般的な通仏教における
定義とも明白に異なっていましたし、親鸞会の教義とも違うというご指摘もありま
したが、撤回ということと理解して構いませんか?
>とか言いながら結局スルーしているご様子で。
私はスルーしていた自覚がありませんでしたが、あなたがスルーされてしまった、
と見なされたご質問をお手数ながらもう一度挙げていただけますか?
494 :
711:04/06/08 00:51 ID:lBJizdhb
>>463 >>絶対、とは相対に対する言葉であり、不二、不壊、という意味があります。
絶対、とは相対に対する言葉ととるならば、それは相対になってしまいます。
絶対とは、対するものがない、否、対するという関係性を絶しているという言葉でありましょう。
相対⇔絶対と考えてしまうので、絶対の理解が止まってしまうのでしょう。
495 :
505:04/06/08 00:53 ID:pJvT+cJZ
>>450 >基本的に、会員に
>>237のような発言をするような輩はおりません。
237さんのご発言の再掲:「会で教えている廃立は505さんの仰るような
対内的なものであって、110さんのように破邪顕正と一緒くたにするような
事は無かったと思います。例えば「こんなことが〜」(1・2のみ所有)にあ
る廃立の説明はほとんどが「外道邪教に迷う心を捨てよ」といった内容で、
その対象は自分自身である事が伺えると思います。」
237さんが会員さんであろうが、なかろうがそんなことは少しも問題ではありません。
親鸞会で教えている廃立は「対内的なものではなくて対外的なものである」、という
ことでしょうか?
「こんなことが〜」シリーズ3・4では1・2に反して「対外的なもの」という義に
発展したということですか?
496 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/08 00:53 ID:KYeDln1y
>>484 505さん、お疲れさまです。横レスばかりして申し訳ありませんでした。
おやすみなさい。
497 :
711:04/06/08 00:58 ID:lBJizdhb
505さん、332さん、遅くまでお疲れ様です。
サーバー不調ということで、ここに入ることができませんでした。
私ごときの意見にレスを返して下さった皆様、明日以降、ご返事いたしたく存じます。
申し訳ございませんが、しばらくお待ち下さるようお願いいたします。
498 :
505:04/06/08 00:58 ID:pJvT+cJZ
711さん今晩は。ご無沙汰しています。711さんの哲学的洞察にはいつも学ばせていただいています。
おかげ様で親鸞会スレとしては久々の良スレッドになっていますね。
>>445 >正しく、南無阿弥陀仏というのは「よび声」と言われるべきものなのでしょう。
>宗教的表現とは、絶対意志的でなければならない。我々の人格的自己そのものに対
するものであるのである。仏は我々の自己に何処までも超越的なるとともに、しかも
これを包むものである。「念仏の申さるるも如来の御はからひなり」というに至りて極まる。
此処に親鸞の横超の意義があるのである。横超は名号不思議によらなければならない。」
ご教示ありがとうございました。「仏は我々の自己に何処までも超越的なるとともに、
しかもこれを包むものである。」同意します。
散善義にも「かの願力の道に乗じて、捨命已後かの国に生まるることを得て、仏とあい
見て慶喜すること何ぞ極まらん」とも教えられています。
要するに不可思議の願力の勅命が真心徹到し、自力がうち負かされ、大道に乗せられて
往生する、ということですね。真宗で説かれるべきは横超の法門です。
499 :
505:04/06/08 01:06 ID:pJvT+cJZ
332さん、おやすみなさい。いつもながらとても勉強になりました。
>>478 >(誰かさんはどこかの大学教授をもちだして、この根拠は偽経だって
言ってましたが
これは私も覚えがありません。478さんは正確に引用していただきたい
ものですね。
>>464 同感です。110さん、是非ご指摘願います。
>最初に親鸞会の教義ありき、それを基準に言葉を拾っていく作業に何の意味があるのでしょうか?
これもまた的確な表現です。
親鸞会の論客方は恐らくそのことに無自覚なのでしょうね。
どなたかが、まっさらの白紙に極彩色を塗られたような、と喩えておられましたが、
私から見ればバリ会員さんは極彩色以外は目に入らなくなっている気の毒な方々です。
500 :
505:04/06/08 01:10 ID:pJvT+cJZ
>>491 行変えが不適切なため読みにくくなっています。
訂正スマソです。
誤:
>布教して下さった人があったから、今日私たちが聞かせていただけたのです。
親鸞聖人が1人で念仏称えておられただけならば、今日の私たちの救いはなかったのです。
なるほど、「教信沙弥のようになるべからず」「日蓮上人のように折伏しなさい」があなた
の主張ということでしょうか?祖師や蓮如上人の仰せとはますます違っているようですね。
「一宗の繁盛と申すは、〜〜〜」
正:
>布教して下さった人があったから、今日私たちが聞かせていただけたのです。
>親鸞聖人が1人で念仏称えておられただけならば、今日の私たちの救いはなかったのです。
なるほど、「教信沙弥のようになるべからず」「日蓮上人のように折伏しなさい」があなた
の主張ということでしょうか?祖師や蓮如上人の仰せとはますます違っているようですね。
「一宗の繁盛と申すは、〜〜〜」
501 :
110:04/06/08 01:12 ID:OwdV07tV
>>481 信前に、他力はどのように働いているのか。そういう質問なのです。
あなた方は、いつも信後の立場からの話ばかりです。
獲信は難中の難事。ほとんどの人が信前なのは自明です。
仏法は、基本的に、大多数の人である信前の人に対して説かれているのです。
重ねて問います。
宿善に、19願の善は、入るのですか?入らないのですか?お答え下さい。
502 :
110:04/06/08 01:23 ID:OwdV07tV
>>482 信を獲った人は結構です。何も問題ない。問題は信前の人です。
信前の人は、宿前を厚くしようとする心がけがプラスになるのか。マイナスになるのか。
そこが問題なのです。
それを一緒くたにして、信後の立場からの話ばかりをしていても、誰も納得しません。
一部の変わった人たちの共感を集めることはできるでしょうが。
503 :
505:04/06/08 01:23 ID:pJvT+cJZ
>>431>>462>>466 ご賛同ありがとうございました。
教信沙弥同行のことに関して追加発言いたします。教信沙弥同行は当時弥陀丸と呼ばれていたようですが、
住んでいた小屋には南北と東に垣根があって、西に垣根がなかったようです。その理由をあるひとが尋ねると、
「西はお浄土と地続きであるから、垣根をしませんのや」と答えられたそうです。
これに対してある先達は、このように教えられています。
おおかたの人は、浄土と娑婆との間に垣根をし、弥陀と私の間に垣根をして、「どうしたら参られるので
あろうか」「念仏称えて参ろう」「信心頂いて参ろう」などと、自分のほうからお浄土参りの資本をこし
らえてから参ろうと思うておる。これが万年たっても、参られぬ原因である。
と。
親鸞会で教えられている横の線に関してですが、救いまでには図のように時間を要するのだ、という
信心に未信者が腰を落ち着けてしまい、「ただ今救われる」はずの平生業成の教えを未来の彼方に先送りし、
「一生懸命会の勧誘・財施活動すれば、参られる」とする自力信心を拵えてしまう弊害は無いといえるの
でしょうか?
>>494 >絶対、とは相対に対する言葉ととるならば、それは相対になってしまいます。
>絶対とは、対するものがない、否、対するという関係性を絶しているという言葉でありましょう。
ご教示ありがとうございました。
絶対⇔相対という考え方自体が妄念ということですね。
相対の側から絶対への手立ては全く閉じている、
しかし一方で絶対は相対を包みこむ、という理解はいかがお考えですか?
私もこれで寝ます。
ここまで読んでいただいた方、どうもありがとうございました。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
504 :
110:04/06/08 01:37 ID:OwdV07tV
>>484 >庄松同行の逸話はどうでしょうか?
あなたは、未だに19願、20願を、18願と関連づけられない別々のものとしてしか見られないようです。
親鸞聖人が関連付けて読まれているのです。
19願はひとえに専修(20願)に衆生を送り出し、20願は果遂(18願に入れさせる)の誓である。
我々の主張を、定善散善をせよ、そうすれば助かる、という教えだと言うことにしたいあなたの都合は分かりますが、
そんなことは初めから言っていないのです。
自力を捨てて他力に帰すべし。それ以外にありません。
善の勧めは、自力に励めという意味ではないのです。あなたは体験がないので、善と自力の関係はご存知ないようですが、
信前は自力しかありませんので、善に励もうが無気力でいようが自力だけです。
善に励んだら自力が増えるとか、自力に対する執念が募るとか言っているのは表面しか見ていない現れです。
信後は他力の世界ですから、善に励めば励むほどご恩報謝になり、弥陀が喜ばれるのです。
問題は、信前の者が、どういう心がけが大切なのか、ということです。
信を獲れるかどうかは、未来永劫浮かぶか沈むか、極楽か地獄かの一大事です。
一刻も早く信を獲るには、どうしたらよいのか。
一念がどうなっているのか、ということが問題になっているのではないのです。
そもそも問題が理解できていないようですね。
505 :
505:04/06/08 01:45 ID:pJvT+cJZ
もうひとつだけ。
>>459 >一日も偏時も急いで信を獲れ、と、ただひたすらに教えてくだされる善知識が、
>「宿善の厚い人は早く救われる、薄い人は遅くなる」と仰っているのです。
>宿善を厚くせよ、宿善を求めよ、と勧められているお言葉に決まっています。
いえ、そうとは決まらないですよ。
>>192や
>>204や
>>210の332さんのご発言は読まれましたか?
>>79に御一代記聞書の引用がありますが、「宿善も遅速あり。されば已・今・当の往生あり。」とは、
花の開花に喩えておられることから明白なように「宿善(開発)も遅速あり」ということで、
あくまでも果から因をみておられるのです。
唯信抄の宿善の左訓にも「ムカシノゼントイフ」とあります。「昨日あらはす人もあり、今日あらはす
人もあり」もまた然りで宿善開発のことです。未来に向かって宿善を厚くせよ、と明白に蓮師がご教示
された箇所があればご指摘ください。
>>宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善ありがたしと申すがよく候(御一代記聞書)
>そんなことだから、これを、宿善を厚くしようとする心がけは間違いだ、という意味だ、
という無茶な主張をしなければならなくなるのです。ご都合主義ここに極まれり、ですね。
蓮如上人に向かって「そんなことだから」?「ご都合主義ここに極まれり」と?
あなたはそれでも真宗信者ですか?そもそも高森会長は行信論に関しては空華学轍寄りの
教学理解と見なされていましたが、あなたはそれを否定なさるということですか?
>当然、阿弥陀仏によって宿善として下さるのですから、それを自力の所作と見るのは
間違いですが、それと一緒くたにせずにはいられないのは、長年培った恐るべき業力
のなせる業ですね。
「当相自力対他力説」は、単純に宿善を自力の所作と見るものではありません。
あなたの「当相自力対他力説」に対する見解をおきかせください。
506 :
110:04/06/08 02:16 ID:OwdV07tV
このスレを見ていると、木を見て森を見ず、という言葉をよく思い出します。
横の道に対する非難の理由が、誤解をする恐れがあるというものであるのに対し、
我々の根拠は、宿善であり、調熟の光明であり、遍照の光明です。
また、19願であり、20願です。
真実は、必ず明らかになります。合点ゆかずば合点ゆくまで聞きなされと言われるとおり、
聞けば合点のいく教えですから、誰でも納得の出来る教えなのです。
後生は一大事です。本当は、こんな匿名掲示板でやるべき内容ではない。
面と向かって、膝を突き合わせて、胸から胸へ、仏法をお伝えしなければならない。
どちらが本当の仏説か、明らかにしなければならない。
法を謗り、ねじ曲げる大罪を止めさせなければならない。
それでも、このような場をご縁として、仏法を聞かれる方があるかも知れない、
そう思って仮住まいをしているのです。
507 :
110:04/06/08 02:25 ID:OwdV07tV
最後に。
>>479(通行人氏)
ありがとうございます。
少し質問なのですが、
あなたは、何のために、ここに書き込むのですか?
私には、どうも、この場で説いても実りがあることのようには思えません。
それでも、極めて程度の低い論難を減らすことは出来るとは思いますが…
何か、ここに長期滞在することが信念あってのことでしたら教えて下さい。
>>506 >横の道に対する非難の理由が、誤解をする恐れがあるというものであるのに対し、
>我々の根拠は、宿善であり、調熟の光明であり、遍照の光明です。
>また、19願であり、20願です。
ここ以外は同意します。
できれば、膝を突き合わせて、ゆっくりお話したいものですね。
509 :
110:04/06/08 02:30 ID:OwdV07tV
>>508 あなたは一体誰ですかという感じですが、
いつがよろしいでしょうか?
そちらの都合に合わせて、調整します。
>>509 レスを読んでいたら、過去の不毛な言い合いの思い出がヨミガエッテ来た。
>できれば、膝を突き合わせて、ゆっくりお話したいものですね。
これは取り消します。絶対会いたくありません。失言スマソ!
幾重にもお詫びします。
511 :
名無しさん@3周年:04/06/08 08:38 ID:hqE8IU/D
>>486 >われわれが大悲を伝えることではなくて、
「われわれは伝えない」という主旨ですかね。
また暴言がはじまりました。
「無智は無智のひとに教えなさい」とのおおせですよ。
512 :
名無しさん@3周年:04/06/08 13:21 ID:OtCy2mss
親鸞会よ!そこまで真実とやらを伝えたいのならテレビや新聞などのマスメディアに顔出してやれよ。
大学でコソコソ嘘つき勧誘なんてしてないで。会長が崩御したら会はきえるんだろ。あまり時間はないぞ。
110は会長亡き後は、あの族上がりのパンチに付いていくの?
>>506 110さんの主張に「ここが違いますよ」といってお経の根拠まで
上げて説明しているのに聞く耳持たない。
要するに、自分(親鸞会)は間違っていないという思いが強いから
相手の話を聞いていない。なんとか自分の教義をわかってもらいたい
という熱意はわかるが、情熱というのはいわゆる相手の話を
無視するという法則に110は見事に合致している。
515 :
通行人:04/06/08 14:51 ID:0K4TOCOG
お経の根拠の解釈や理解が間違ってたら、根拠出しても無駄だ罠。
前、元S改印という人と言い合ったことあったけど、念仏の自力と他力の違いがはっきりしていなかったことがあった。
ましてや信前、信後の違いがはっきりしてなかったから、信後と信前がごっちゃになった理解してた。
だから、聖教の根拠とか出したりしたが、ほとんど間違った理解してたんだけど、
要は、念仏に自力、他力があることと、その違いがわからないこと、何の為の三願か分からないところからおかしくなるんだな。
まぁ、はっきり、願に相応した人でないと、こういうことだろうなとかかってな理解するから、危険だってこと。
>>515 何が言いたいのかよくわからん。
だから親鸞会は正しいのか、それとも間違っているのか。
517 :
名無しさん@3周年:04/06/08 18:58 ID:lBJizdhb
>>474 名無しさんへ
>>よく言うなあ。 ジャンヌ常連のお仲間の「他力信心」というのは
>>「他人に教える必要があるかどうかはわからない」というような信心ですね。
必要があるかわからないなら、最初からこのスレッドに書き込まないとおもうのですが。
>>ちなみにこの連中が好んでいるらしい灘○とか言うひとは
>>「他宗の家から真宗の家に嫁いできたひとがいつのまにか
>>真宗の門徒になるようにほとんどのひとはハッキリいつ信心を獲たかは
>>わからないものだ」という意味の発言をしていました。
灘○という方がどういった方なのか存じ上げませんし、どのような
シチュエーションで言われたのか解りませんが、コンバージョンについて
言っているのでしょう。コンバージョンに重きをおく必要がないという意味であれば、
灘○という方に賛成をいたしたく思います。しかし、あまり適切な発言ではないとも思います。
つづく
518 :
711:04/06/08 19:14 ID:lBJizdhb
>>477 通行人さんへ
アドバイス有難うございます。
>>教えられてるのに批判したり、私はこう思うとか、勝手なことばかり言うのをやめてからにしてくれない?
私は同意すべきご意見には、ちゃんと同意いたしております。ただし、誤謬・誤解を含んだご意見には、
批判をいたします。
>>「私は無知です。世間でいろいろな知識を学びましたが、いざ死んでいくとなると、何の役にも立ちません。
「いざ死んでいくとなると」というのは、死後の世界を想定しておられるのでしょうか?
死後の世界はどんな世界なのでしょう。死後どうなるのかという不安は、人類永遠のテーマかもしれません。
浅原才一さんの歌でお答えしましょう。
「才一よ。汝は先の後生は如何なかや、明るうなったかや。」
「いいや、まだ、明るうなりません。やっぱり昔の通りであります。」
「それでは、つまらんではないかえ。」
「わしの後生は、如来さんのええようにして、負うて下さるでな。
わたしや、お手をあわせて なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」
519 :
711:04/06/08 19:22 ID:lBJizdhb
通行人さんへ
>>要は、念仏に自力、他力があることと、その違いがわからないこと、
>>何の為の三願か分からないところからおかしくなるんだな。
それでは、あなた自身がどうお考えなのか、
自力と他力の判別を、あなた自身がはっきり説明するべきでは
ないでしょうか。
520 :
711:04/06/08 19:25 ID:lBJizdhb
521 :
名無しさん@3周年:04/06/08 21:20 ID:p8c5IaQI
通行人イラネ。
偉そうなこといってるけど、出鱈目ばっか。
522 :
711:04/06/08 21:34 ID:lBJizdhb
妙好人の話で、「ご注文なし、お差支えなし」という話があったかと思います。
おそのお同行の逸話だとかすかに記憶しているのですが、ご存知の方が
おられましたら、お教えいただきたくお願いいたします。
頭でっかち○沢。
524 :
711:04/06/08 22:03 ID:lBJizdhb
>>474 追加
「人に信を得さしてやりたいと思うていたかや、
信は願より生ずればとはあるが、知識より生ずるということが何処にある。
また自信なくて教人信のできるものでない、我のと仕上がった願の心にあうを信というのである。
それにあろうことかあるまいことか、願の心を捨て置いて、我の力を以て得さそうなぞとは、以ての外の不心得である、
我身の一大事の後生はなんとするつもりである。ウカウカしておられる場合ぢゃあるまい。
今より後はチト我身の出離に気をつけるがよいぞ」
原口針水という方の法話でありまして、
ある有名な布教使が、
「多くの同行衆が親のように慕うてくれるゆえ、どうかして早く信を得させてやりたい得させてやりたいと思いますが、
とても思うように行きませぬ、実に残念に存じます、どうぞ早く信を得させるよう、御一言お知らせいただきたい」
と尋ねたことに対する返答です。
何度でも申しましょう。「念仏の申さるるも如来の御はからひなり」
ここに親鸞聖人の横超の意義があるのであります。
525 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/08 23:22 ID:yVacBLAI
>>501-502 >仏法は、基本的に、大多数の人である信前の人に対して説かれているのです。
親鸞聖人他の真宗の祖師方が、大多数の信前の人に対して、
「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よき人の
仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」(『歎異鈔』第二条)
「しかるに『経』に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、
これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。」(『 信文類』)
しか教えておられません。前スレにも書いたと思いますが、真宗の法は、「弥陀回向の次第」
は「行信次第」で「機受の次第」は「信行次第」ですから、「われわれの自力行」が勧められる余地はございません。
「行」は、阿弥陀様がわれわれに代わり完成してくださっており、その真実の大行(御名号)を機が受領した
すがたが「称名報恩」なわけですから。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
「宿善」につきましては、私も
>>192で書きましたが、より適切に505さんが
>>505で解説くださってます
ように「果より因をみられて」の説かれ方なわけですね。なお、505さんの
>>503は、大変示唆的だと思われ
ますのでより一層の熟読をお勧め致します。
526 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/08 23:34 ID:yVacBLAI
>>501-502の続き
>宿善に、19願の善は、入るのですか?入らないのですか?お答え下さい。
十九願所被の機類である「定散諸機」は、われわれ逆悪の泥凡夫とは根機が違うこと
につきましては、、前スレ以来、スルーされたままですが、今スレでも他の方宛て
ですが
>>328-329 >>331についてのあなたの説をお聞かせいただいたうえで御返答
したいと思います。
527 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/08 23:51 ID:yVacBLAI
>>511 >「われわれは伝えない」という主旨ですかね。
何が「真成報仏恩」か?のお話しだったのではなかったですかね。
「三には、無間修。要決に云く、謂く、常に仏を念じて往生の心を作し、一切の時に於て、心に恒に想ひ巧め。
譬へば、人ありて、他に抄掠せられ、身、下賎となりて備さに艱辛を受くるに、忽ち父母を思ひ、走りて国に
帰らんと欲すれども、行装いまだ弁ぜざれば、まほ他郷にありて日夜思惟し、苦忍ぶに堪へざれども、時として
暫くも捨てて耶嬢を念はざるなし。計をなすこと既に成り、便ち帰りて達することを得、父母に親近し、縦任に
歓び娯しまんがごとし。行者もまたしかり。往、煩悩に因りて善心を壊乱し、福智の珍財、并に皆散失せり。
久しく生死に沈んで制すること自由ならず。恒に魔王のために、僕使となりて六道に駈馳せられ、身心を苦切す。
今、善縁に遇ひて、忽ち弥陀慈父の、弘願に違はずして群生を済抜したまふことを聞き、日夜に驚忙し、発心して
往かんことを願ふ。所以に精勤すること倦からずして、当に仏恩を念じ、報の尽くるを期となして、心に恒に計念すべし。」
(『往生要集』巻中)
「また『正信偈』にはすでに「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」とあれば、いよいよ行住坐臥時処諸縁をきらはず、
仏恩報尽のためにただ称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。」(『御文章』三帖の六)
「されば毎月二十八日ごとにかならず出仕をいたさんとおもはん輩においては、あひかまへて、日ごろの信心のとほり
決定せざらん未安心のひとも、すみやかに本願真実の他力信心をとりて、わが身の今度の報土往生を決定せしめんこそ、
まことに聖人報恩謝徳の懇志にあひかなふべけれ。また自身の極楽往生の一途も治定しをはりぬべき道理なり。
これすなはち、まことに「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」(礼讃)といふ釈文のこころにも
符合せるものなり。」(三帖の九)
善知識方は、自身の「他力信決定」と、自身の「信後称名」こそが「真成報仏恩」だ
とのお示しですね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
528 :
通行人:04/06/08 23:53 ID:0K4TOCOG
少し質問なのですが、
あなたは、何のために、ここに書き込むのですか?
私には、どうも、この場で説いても実りがあることのようには思えません。
それでも、極めて程度の低い論難を減らすことは出来るとは思いますが…
何か、ここに長期滞在することが信念あってのことでしたら教えて下さい。
大変、お叱りを受けたようで恐縮でございます。
別にこの場で書き込みしても、実りがあるとは最初から思ってません。
きわめて、程度の低い事を言い合っていることもはじめから知ってます(藁
まぁ、ただ、こいつらまた面白い事言い出しとんなぁ〜と思ってみてるだけです。
便所の落書きみたいな2chで、そこまで、真剣になる必要ないと思いますよ(藁
>>526 >十九願所被の機類である「定散諸機」は、われわれ逆悪の泥凡夫とは根機が違うこと
>につきましては、、前スレ以来、スルーされたままですが、
110にこんな難しいこと言ってもわかんないってw
確かに、通行人の書き込みには全然教養が感じられないし、
便所の落書きってのも当たってるわw
531 :
通行人:04/06/09 00:03 ID:ovG7xQgx
↑
誰かの自作自演?
って事もないか、さしずめ、親鸞会に恨みを持ってる人か・・・・
親鸞会が嫌いだろうが、好きだろうが、真実は変わらないのにね。
532 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 00:07 ID:zN72tGSV
>>524 711さん、なかなかレスさしあげる暇がございませんが、いつも勉強させていただいたます。
原口針水和上の御教化は要を押さえておられて有りがたいですね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>494も同感です。今後ともいろいろ御教示御願い致します。
533 :
通行人:04/06/09 00:17 ID:ovG7xQgx
>十九願所被の機類である「定散諸機」は、われわれ逆悪の泥凡夫とは根機が違うこと
>につきましては、、前スレ以来、スルーされたままですが、
110にこんな難しいこと言ってもわかんないってw
別に言ってる中身は、全然難しくないけどな。
難しい言葉を使ってはいるけど・・・。
ただ、補足すると、20願もわれわれとは、機が合わないんだな。
20願で、願が相応してしまったら、これはえらいことですよw
それを忘れて、”ただ”念仏ばかり称えている人がいかに多いことか、知らねばならない。
もうひとつ、上記の説明補足すると、根機が違うかどうかは、信の一念にいたるまでわかりませんので、
それまでは、「十方衆生」を相手にしている、この三願はおろそかにできませんね。
>>531 >親鸞会が嫌いだろうが、好きだろうが、真実は変わらないのにね
そっくりそのまま返すよ。
これだけ論理的にいろんな人から反論されてるのに、
まるで無視し続けて親鸞会の主張が真実、他は外道とか
言ってるのにはあきれる。まるで北朝鮮w
>>533 >”ただ”念仏ばかり称えている人がいかに多いことか
ってのは、親鸞会じゃないの。
どれだけの人が18願の願に相応した念仏を唱えてるの?
536 :
通行人:04/06/09 00:49 ID:ovG7xQgx
ちなみに、誤解受けそうですけど、願に相応するということは、
19願、20願、18願、三願通って往生したってことですからね。
あとね、十方衆生と書いてあるのは、三願しかないんだな。
欲生我国と書いてあるのも三願の特徴だな。
その中で、唯除五逆と書かれてるのは、18願だけなんだな。
だから、私たちに関係あるのは、この三願と言って、さしずめ当たり障りない。
その中の19願を見てみると、菩提心を発し、諸々の功徳を修し、至心に発願して、
我が国に生まれんと欲わん。命終わるときに、その人の前に現れて、其の国に連れて行ってくれるらしいじゃないですか。
有難いことではありませんか。ここは、一つ、菩提心をおこすしかありませんよ。
そんなことができないことが、分かってるとおっしゃりたいなら、20願も無理なこともご存知でしょうから、
さっさと、18願を実践なされてみればよろしいではありませんか。
そして、速やかに、直入しているはずではありませんか。信楽の身になってるはずでしょう?
できないのは、頭で分かったつもりになって、心で上輩の者と思ってる証拠ではありませんか。
そんな私たちの為の、三願であります。何で、十方衆生なのか、よく考えて見てくださいよ〜。
大体、5こうも思惟されて、我々に必要のない十方衆生相手の誓い建てられて、阿弥陀如来はアホデスカ?
537 :
通行人:04/06/09 00:59 ID:ovG7xQgx
>親鸞会が嫌いだろうが、好きだろうが、真実は変わらないのにね
そっくりそのまま返すよ。
これだけ論理的にいろんな人から反論されてるのに、
まるで無視し続けて親鸞会の主張が真実、他は外道とか
言ってるのにはあきれる。まるで北朝鮮w
これもおかしな話ですよ。2chで書かれてることに、なぜいちいち反応する必要があるのですか?
無視して欲しくないなら、自分の住所と名前、身分を明らかにしてから、正々堂々と質問するべきでしょう。
それが礼儀でしょう。
どこの馬の骨か分からん人が言った言葉にいちいち反論するほど、ましてや、2chに書かれてることにいちいち、まともに取り合う必要ないですよ(藁
>>536 これに関してはコテハンの方が、経文の根拠もあげて事細かに
解説しているのに、110氏及び通行人氏が全くそれを無視して
親鸞会の御説を一方的に垂れ流しているに過ぎない。
過去レス読むんだね。
>>537 誰も無視して欲しくないなんて言ってない。無視するのはかまわない。
ただ、ちゃんと経文をあげて反論しているのに、それには反論せず
自分の所の教義を一方的に書くのは見苦しいというだけ。
そういう不誠実な態度はボチボチやめたらどうかといってるに
過ぎない。それに、質問とか教えてあげましょうとか
あなたはちょっと態度が尊大過ぎる。誰も、こんな会の教義に
質問したいと思ってない。ただ、間違いですよってみんな言ってるだけ。
539 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 01:41 ID:zN72tGSV
>>533 >>536 湿度たかくて寝苦しいからwのでもう一丁。
>根機が違うかどうかは、信の一念にいたるまでわかりませんので、
>それまでは、「十方衆生」を相手にしている、この三願はおろそかにできませんね。
「十九願所被の機」というのは、十九願方便の対機ということで、「化土往生」
の機ということ。われわれが、二十願とも機教相応しないのは言うまでもありません。
十九願二十願所被の機(化土往生人)も弥陀の願力回向によって、「元品の無明」=「疑情」
を断破されて御本願(十八願)に転入させていただくまでは「報土往生」はできません。
「信の一念」でお聞かせいただく「機実」は、この元品の無明の「絶対悪」のことであり、「善悪
相対」での衆生差別の相ではありません。われわれが、「十九願・二十願所被の根機」ではないこと
は「信前」でもわかります。
なお、過去世については、われわれ全てが要門・真門の対機として御育ていただいたこともあったでしょうから
、その意味で「十方衆生」相手なのは違いありませんね。ただし別レスでも述べましたように、仏教では、
固定的な時間軸を想定しませんので(「念劫融即」「刹那滅」ほか)、「今此処」の“私”と阿弥陀様が向かわせて
いただいているかが重要なのです。なお、宿善について、仏様の照育であることを否定されてたようですが、
「かの願すでに成就して、あまねく無碍の光をもって十方微塵世界を照らしたまひて、・・・(中略)さればこの
ひかりの縁にあふ衆生、ようやく無明の昏闇うすくなりて宿善のたねきざすとき、まさしく報土に生まれるべき
第十八の念仏往生の願因の名号を聞くなり。」(『執持鈔』)
でおわかりと思います。
>18願を実践なされてみればよろしいではありませんか。
十八願は「絶対他力門」ですから、実践されているのは、むろん阿弥陀様ですね。わらわれは、
その御回向をいただくのみです。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
541 :
通行人:04/06/09 02:04 ID:ovG7xQgx
これに関してはコテハンの方が、経文の根拠もあげて事細かに
解説しているのに、110氏及び通行人氏が全くそれを無視して
親鸞会の御説を一方的に垂れ流しているに過ぎない。
過去レス読むんだね。
いや、その、根拠の理解が間違ってるんだってw
根拠の理解が間違ってるのに、堂々とこれが根拠だと言い張ってるだけなんだって。
誰も無視して欲しくないなんて言ってない。無視するのはかまわない。
ただ、ちゃんと経文をあげて反論しているのに、それには反論せず
自分の所の教義を一方的に書くのは見苦しいというだけ。
そういう不誠実な態度はボチボチやめたらどうかといってるに
過ぎない。それに、質問とか教えてあげましょうとか
あなたはちょっと態度が尊大過ぎる。誰も、こんな会の教義に
質問したいと思ってない。ただ、間違いですよってみんな言ってるだけ。
みんな言ってないwみんなって、誰が言ってるの?
少なからず私は、某大学の真宗学科に属してるけど、間違ってるとは思ってないよ。
むしろ正しいと思ってるよ。内心、本願寺より親鸞会が正しいと思ってる本願寺布教使もそこはかとなくいるんだよw
そもそも、みんな言ってるから、それが正しいとか、情けない限りだ罠。
態度が尊大なのは、君らの幼稚な信仰を諭してあげてるんだよ。気づかなかった?
543 :
通行人:04/06/09 02:29 ID:ovG7xQgx
>>538 やっぱ、あなたおかしいよ。
なんで、誠実な対応とる必要があるの?
親鸞会として、誠実に答えて欲しいなら、せめて、身分を明らかにしなさいよ。
それもしないで、ネット上で、しかも2chで「不誠実だ」なんて騒いでも、空しいだけですよ。
法論したいなら、それなりの礼儀があるでしょうって言ってるんですよ。
本当に誠実な態度を望むなら、自分から誠実な態度を取るべきではありませんか?
あなた、内心は高森会長に法論挑んでも勝てるとは思ってないんでしょ?本当のところ。
向こうは、おそらく、カモがねぎしょってくるの待ってるとおもいますから、言ってあげたらどうですか?
でも、あなた、内心勝てると思えないから、2chで悪口言うのが精一杯なだけなんでしょ?
>>541 >いや、その、根拠の理解が間違ってるんだってw
>根拠の理解が間違ってるのに、堂々とこれが根拠だと
>言い張ってるだけなんだって。
ふうん、じゃあとりあえず、
>>539に
「根拠の理解が間違っている」のも含めて反論してみてよ。
勿論、教典を引用してだよ。
>みんな言ってないwみんなって、誰が言ってるの?
あなたと110氏以外の人間。
>少なからず私は、某大学の真宗学科に属してるけど、間違ってるとは思ってないよ。
へええ。
その割には通行人さんの書き込みには教の引用が全くないわけですが。
少なくとも、傍観してる分には「幼稚な信仰」なのはそっちの
様に見えますな。
>>543 >親鸞会として、誠実に答えて欲しいなら、
あなたが親鸞会なの?
それに匿名掲示板で身分を明かせなんて言ってどうするの?
あなたがまず身分を明かしたら?
親鸞会の専任講師だってw
>カモがねぎしょってくるの待ってるとおもいますから
この辺りの表現も親鸞会丸出しだね。お里が知れるんだよ。
ここのやることは、第三者を装って会の援護をするという点で
全く今も昔も変わってないねw
547 :
通行人:04/06/09 02:46 ID:ovG7xQgx
>>543 実のところ、私は、何個か高森先生が答えを窮するようなことも2、3言えなくもありません
ただ、なぜ、そういうことにしたのか。想像に難くないから、質問しないだけ。
一つは、親鸞会のアニメビデオに2、3おかしいところがある。
その一つは、鈴虫、松虫のところだ。あれは、史実とは反してるんだ。
鈴虫、松虫が、仏法を聞きに宮殿から出て行ったんじゃなくて、住連、安楽が行ったんだ。
あと、三大浄論の順番だ。なぜ、あの順番にしたのか、実のところ聞きたいんです。
これ、ほんと、みんなききたいはずだよ
そもそも、匿名掲示板にのこのこやってきて、
「通行人」という「匿名」で「反論して欲しけりゃ、まず身分を
明らかにしなさいよ」なんて言ってるのが如何に
馬鹿げているか、ものの数秒考えたらわかるだろう。
549 :
通行人:04/06/09 02:53 ID:ovG7xQgx
>親鸞会として、誠実に答えて欲しいなら、
あなたが親鸞会なの?
それに匿名掲示板で身分を明かせなんて言ってどうするの?
あなたがまず身分を明かしたら?
親鸞会の専任講師だってw
じゃあ、逆に、匿名掲示板のことばになんで誠実に反応しなきゃいけないの?
身分の明かし方教えてあげようか?
文書で、書留郵便で送るんだよ。それでやっと答えてくれるんじゃないかな?
それもしないで、親鸞会が不誠実だなんて、おかしいと思いますよ。
でも、まぁ、あなた内心、高森会長に法論挑んでも勝てると思ってないと思う。
だから、2chでせいぜい、悪口言って、ストレス発散してるだけなんだと思う。
550 :
通行人:04/06/09 02:56 ID:ovG7xQgx
そもそも、匿名掲示板にのこのこやってきて、
「通行人」という「匿名」で「反論して欲しけりゃ、まず身分を
明らかにしなさいよ」なんて言ってるのが如何に
馬鹿げているか、ものの数秒考えたらわかるだろう。
じゃあ、逆に、匿名掲示板にのこのこやってきて、不誠実だと言うのも、馬鹿げてると思うよ。
誠実に答えて欲しけりゃ、こんなところにくるのが間違ってるんじゃないの?
まあ、とりあえず332さんと通行人さんの
>>539への
反論を見て考えますよ。
あなたが、何で誠実に反論しなきゃダメなの?馬鹿らしい。
と思うのなら別に放棄してもかまわないが、某大学の真宗学科の
人間なら別に親鸞会とは何の縁もないんだから、普通に教典の
文句を引用して反論すればよろしい。
今のところ、通行人さんからは「某大学の真宗学科」の香りは
微塵も漂っていないというのが率直な感想だ。
親鸞会の専任講師だなって臭いはプンプンするけどw
まあ、身分詐称はいつもやってることだから得意分野でしょ。
552 :
通行人:04/06/09 03:21 ID:ovG7xQgx
>>551 539の反論を見て考えるとか、一体何考えてるんだよ。きっと、ロクデモないこと考えてるんだな。
それに、馬鹿らしいとおもうなら別に放棄してもかまわないとか、急に、抜いた刀を鞘に収めるようなこといわれるが、
あなたですよ。下記のようなこと言ったのは、
>>ただ、ちゃんと経文をあげて反論しているのに、それには反論せず
自分の所の教義を一方的に書くのは見苦しいというだけ。
そういう不誠実な態度はボチボチやめたらどうかといってるに
過ぎない。
何が、不誠実な態度ですか・・・。これが2chで、悪口はいてる人の言葉ですか・・。
どう考えたって、親鸞会にしたら、匿名掲示板で言いたい放題言ってるやつに何で誠実に対処せなあかんねんと
思ってると思うよ。
553 :
386:04/06/09 05:50 ID:UCP8ZCpQ
539への反論です。
>十八願は「絶対他力門」ですから、実践されているのは、むろん阿弥陀様ですね。わらわれは、
その御回向をいただくのみです。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
三願転入の御心は、われわれは、必ず三願のどれかに相応しているということであるからです。
そうでないと、願にもれた「十方衆生」がいることになってしまうということになります。
19願とも20願とも機教相応していないということは、18願相応の機であるということです。
ならば、なぜ救われていないのでしょうか。18願のはたらかない余地はないはずです。
「宿善開発していないから」というのは答えにならないのは332さんならわかるはずです。宿善とは調熟の光明によるものであり、すなわち18願のはたらきではないからです。
つまり信前の者はいまだ18願相応の機ではない、ということです。
554 :
505:04/06/09 07:16 ID:1wyrkkU3
みなさん、おはようございます。
昨晩は盛り上がったようで・・。
通行人さんの
>>539その他への「根拠の理解が間違っている」のも含めて
教学的な反論は私も楽しみにしています。
110さん、通行人さん、よろしければお答えください。
もし、この書を見聞せん者は、信順を因となし、疑謗を縁となし、
信楽を願力にあらわし、妙果を安養にあらわさん」(教行信証・後序)
質問:疑謗は宿善か否か?
555 :
505:04/06/09 07:22 ID:1wyrkkU3
>>522 711さん、遅レスですみませんが、ここにありますね。
http://www1.plala.or.jp/kobokudo/hondana/hou/zenzai/osono_sama.html 伊勢の一婦人、自身の胸の始末にかかって、ちょっとも仰せを受け付けずに苦しんでいられた。
この婦人に向うて、おそのさんが、
「わたしがきっと安心できる秘伝を授けるで、二三年やる気はないか」
と云うと、婦人は非常に喜んで、
「安心さえ出来ることなら如何なることでも致します」
するとおそのさんは、「お差し支えなし御註文なし」と云うことを、二三年云いづめにせよ
と云えば、婦人は喜んで帰り、三三日たつとまたやって来て云うには、
「仰せに順うて三日間朝から晩まで云いづめに致しましたが、なんともござりませぬ、
胸の中は相変わらずおかしなものでござります。が、こんな心でもようござりますか」
おそのさん曰く、「お差し支えなし、御註文なし」
「それでもなんともござりませぬ、へんてつもない心中でござります」
と云うと、おそのさんまた、「お差し支えなし御註文なし」
婦人はここにおいて凡夫そのままのお救いに、初めて気がついて喜び勇まれた。
というエピソードですね。
この同行がおそのさんに勧められたのは、諸善をしなさい、ではなくて
「お差し支えなし御註文なし」つまり、「自力を捨てなさい、名号法をいただきなさい」、だけでしたね。
正常な思考力を保持している会員さんがたはよくお考えになってください。
556 :
505:04/06/09 07:47 ID:1wyrkkU3
>>547 親鸞会の教えている親鸞聖人像はあまりにも美化・誇張・歪曲されていると思います。
かえって祖師の実像を貶しているのではないでしょうか?
たしかに史実というのは類推を多く含みますが親鸞会説は世間では認められていないもの
が多いですね。今思いつく例をあげると
1)聖人が大曼の行をされたという記載はどこにも存在しない
(恵心尼が娘覚信尼に宛てた手紙には、聖人は比叡山時代は堂僧であった、とあります。
これが祖師修行中の実情を示す唯一残された資料です。)
2)玉日姫実在説は、もはや親鸞会以外は誰もいわない
3)親鸞聖人の出家の戒師は「親鸞伝絵」では慈円であるとして、親鸞会もこれに
基づいているが、身分が違いすぎることもあって現在は否定されている。
4)恵心尼の父は越後の豪族説よりも中流の貴族三善為則であるとする説のほうが有力。
5)善鸞の義絶に関しては見直し論が近年優勢になってきている。
つまり「義絶はなかった」とする説です。
その根拠は当時の関東の情勢から、そして義絶状の信憑性に多くの疑問が発生するからです。
詳しくは↓の「慈信房善鸞事件を考える−義絶の真相は?- 」を参照。
http://yo777.parfe.jp/bbs/wforum.cgi?
557 :
505:04/06/09 08:12 ID:1wyrkkU3
>>506 >横の道に対する非難の理由が、誤解をする恐れがあるというものであるのに対し、
我々の根拠は、宿善であり、調熟の光明であり、遍照の光明です。また、19願であり、20願です。
ですから、唯信抄において「ムカシノゼントイフ」と左訓された宿善が、親鸞会式に
「これから未来に向かって修する善」を意味する、とする明白な根拠をあげてください。
なお、親鸞聖人は宿縁という語は使用されていますが、宿善とはおっしゃっておられません。
「遠慶宿縁」(教行信証総序)であって、これも「ムカシノゼン」であることは自明ですね。
>>525 332さん、ご賛同ありがとうございます。332さんご発言の
>獲信の時点から過去を、過去多生の宿縁は、全て阿弥陀様
の照育であると振り返させていただくものですね。
も、まさに「遠慶宿縁」(教行信証総序)の正しいご解釈ですね。
親鸞会の特にお好きな
「諸善万行 ことごとく 至心発願 せるゆゑに
往生浄土の 方便の 善とならぬは なかりけり 」のご和讃も、
「さあ、これから至心に発願して往生浄土のために諸善万行に励みなさい!」
ではなくて、この総序に腰を据えて解釈すべきでしょうね。
558 :
名無しさん@3周年:04/06/09 08:31 ID:1IzIuF/a
>>532 332さんへ
いつも勉強させていただき有難く存じております。
教学への造詣、また真摯な態度には毎回頭が下がる思いがいたします。
浄土真宗に関しては、西田の理解と私自身の浅薄な知識しかございませんが、
今後ともご教示のほどよろしくお願いいたします。
>>543 通行人さんへ
横レス失礼いたします。
匿名掲示板には、匿名掲示板なりの良さもあるのではないか
と最近感じております。
教団という閉鎖的社会に属する人であれば(別に閉鎖的社会は教団に
限ったものではないが)、ちょっとした疑問がわいても、
隠していかねばならないこともあることでしょう。
匿名というところにおいて、自身の素直な疑問を隠さずに、率直に表現できる
というメリットもあるのではないでしょうか。勿論、デメリットもありますが。
私は、とても有意義に活用させていただいております。
559 :
711:04/06/09 08:42 ID:1IzIuF/a
>>558 署名忘れました 711です。
>>555 505さんへ
ありがとうございました。
妙好人と呼ばれている方々に
浄土真宗の教えが生き生きと活動している姿を見ることができ、
心安らぐ思いがいたします。
彼らにとっては、彼ら自身が教化をしているという意識ではなく、
南無阿弥陀仏が教化していると思っておられたのではないでしょうか。
いつも丁寧にご返事を賜り、深く感謝いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
通行人の言っていることが一番まともだと思うのは私だけだろうか?
561 :
386:04/06/09 11:22 ID:UCP8ZCpQ
>>553 につづけます。
もとより、弥陀の仏心は一つですが、十方衆生の心がまちまちだから、衆生の機にあわせて48願に説きわけられているのが弥陀の本願です。
その中で、一念の救いを自意に随って述べられたのが18願ですが、信前のわれわれには、この弥陀の真意が聞けません。
すなわち、「唯除五逆誹謗正法」の機の深信もなく、「若不生者不取正覚」の法にも深信がない。つまりは己が極悪であることにいまだ疑いがあり、それを救うという極善の弥陀の救いにも疑いを持っている。
だから、18願に相応できないでいるのが信前の十方衆生です。
親鸞聖人のご和讃にあります。
「利他の信楽うるひとは
願に相応するゆえに
教と仏語にしたがえば
外の雑縁さらになし」
「利他の信楽を得る」というのは18願の救いにあって、信心獲得することですから、いまだ救われない信前のひとは、「18願に相応していない」ということです。
そのわれわれには、必ず弥陀の調熟の光明がはたらいているのであるから、十方衆生には19願と20願がはたらいているというのは、否定のしようがありません。
弥陀が本願を立てたときから、全ての者には弥陀の願力がはたらいています。
願力は具体的にどうはたらくかといえば、
いまだ弥陀の本願あることを知らぬ者には知らせるように、
本願を知る者には19願、20願に添うように、
19願、20願に添おうとする者には18願に入るように、
手数をかけて調育される。すなわち三願を転入させられるのです。
これ以外に弥陀の救いに遇う道はないし、この道を十方衆生に、全人類に開かれたのが親鸞聖人であり、浄土真宗であります。
562 :
386:04/06/09 12:15 ID:UCP8ZCpQ
>>561 につづけます。
>弥陀が本願を立てたときから、全ての者には弥陀の願力がはたらいています。
願力は具体的にどうはたらくかといえば、
いまだ弥陀の本願あることを知らぬ者には知らせるように、
本願を知る者には19願、20願に添うように、
19願、20願に添おうとする者には18願に入るように、
手数をかけて調育される。すなわち三願を転入させられるのです。
善知識とは、この弥陀の願力に込められた仏心を体現することを使命とし、その尊行を実践するかたを言います。
われわれの求道とは、その尊行のためにわが身を使っていただくことをもって、弥陀の光明に遇わんとするものです。決して己の得手勝手な解釈で弥陀の本願を広めようなどというものではありませんから、
711氏の、
>>524 に言うような、原口針水という方の法話にある「願の心を捨て置いて、我の力を以て得さそうなぞとは、以ての外の不心得である」などという批判は全くの的外れであります。
むしろ、仏心を十方衆生に明らかにするという菩薩行に携われる、信前の者にとって万劫にも得がたいチャンスです。
我今見聞し受持することを得たり
願わくば如来の真実義を解したてまつらん
弥陀の救いにあって、最高無上の報謝行の念仏を、高らかに称えるときを念じつつ。
563 :
386:04/06/09 13:04 ID:UCP8ZCpQ
>>557 の505さんの発言について
>332さんご発言の
>>獲信の時点から過去を、過去多生の宿縁は、全て阿弥陀様
の照育であると振り返させていただくものですね。
>も、まさに「遠慶宿縁」(教行信証総序)の正しいご解釈ですね。
は明確に誤りです。
信前の我々にとって、「獲信の時点」から振り返った過去とは、いまだ救われぬ「現在」を当然含むのでありますから、現在にとっての過去だけを宿世と見るのは語義矛盾です。
29歳で獲信された親鸞聖人が、遠く慶んだ宿縁とは、29歳までの一切の過去をおっしゃているのですから、比叡山での修行も、法然門下での求道もすべて含むのです。
あえて、今生のことを除外されているとするのは、矛盾を無視した、意図的な解釈といわざるを得ません。
その「意図」とはすなわち諸善万行をすすめる19願を不要とするため、ですね。
三願転入を否定しては、解釈に矛盾が出るという好例です。
564 :
386:04/06/09 13:29 ID:UCP8ZCpQ
>>563 につづけます。
付け加えますが、「宿縁」と「宿善」の用語のことについて、親鸞聖人が「宿縁」といわれているから、「宿善」ではないかのような、誤解しやすい(?)ことを言われていることについて。
阿弥陀仏との「縁」になることを「善」というのであるから、こんな指摘には全く意味がありません。われわれの小善さえも、「縁」としてくださる本願力なくして、宿善など積めはしないのですから。
「宿善」とは言いたくない、と透ける心を推し量れば、ここにも19願は要らないという、三願転入を否定する心のあることが…自明ですね。
565 :
名無しさん@3周年:04/06/09 13:41 ID:k0V+DG71
566 :
sage:04/06/09 15:19 ID:BF+ZKwGx
信心決定できれば死ぬのがイヤじゃなくなるよ。
自作自演じゃないよ。
おいらベロってんだ。
>>522 >どう考えたって、親鸞会にしたら、匿名掲示板で言いたい放題言ってるやつに何で誠実に対処せなあかんねんと
>思ってると思うよ。
別に親鸞会じゃなくてもいいよ。
でも、「某大学の真宗学科」である通行人さんは
>>539へ
反論してよ、「真宗学科の学生らしく」ね、期待してます。
569 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 18:28 ID:zN72tGSV
>>553 >>562ほか
>そうでないと、願にもれた「十方衆生」がいることになってしまうという
>とになります。
レスありがとうございます。「本願に相応する」のも「私の力」ではありませんね。仏様の行体のお徳です。
「そもそも南無は帰命、帰命のこころは往生のためなれば、またこれ発願なり。この心あまねく万行万善をして、
浄土の業因となせば、また回向の義あり。この能帰の心、所帰の仏智に相応するとき、かの仏の因位の万行・果地の万徳、
ことごとくに名号のなかに摂在して、十方衆生の往生の行体となれば、「阿弥陀仏即是其行」(玄義分)と釈したまえり。」(『執持鈔』)
「誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この名字をとなへんものを、むかへとらんと御約束あること
なれば、まづ、弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまひらせて、生死をいづべしと信じて、念仏のまふさるるも、如来の御はからひなりとおもへば、
すこしも、みづからのはからひ、まじはらざるがゆへに、本願に相応して、実報土に往生するなり。これは、誓願の不思議をむねと信じたてまつれば、
名号の不思議も具足して、誓願・名号の不思議ひとつにして、さらにことなることなきなり。」(『歎異鈔』第十一条)
「しかれば、祖師聖人、金剛の信心を発起して自身の生因を定得し、本願の名号を流行して衆機の往益を助成す。豈、本願相応の徳にあらずや、」
「誠なるかな、斯の言、疑う者も必ず信を執り、謗ずる者も遂に情を翻えす。実に是仏意相応の化導、そもそも、また勝利広大の知識なり。」(『報恩講私記』)
(つづく)
570 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 18:30 ID:zN72tGSV
>>553 >>562ほかの続き
御本願に相応する「能帰の心」(たのむ心)も、また他力回向の真実法です。仏心が仏心を聞く、「南無阿弥陀仏」が「南無阿弥陀仏」を聞く「仏因・仏果」の御回向
をいただくということですね。ただし、現当二世に約しては、われわれの現生正定聚の益は、滅度に対する「因益」ですが。「おほよそ他力の一門においては、釈尊一代の
説教にいまだその例なき通途の性相をはなれたる言語道断の不思議なりといふは、凡夫の報土に生るるといふをもつてなり。もし因果相順の理にまかせば、釈迦・弥陀・諸仏
の御ほねをりたる他力の別途むなしくなりぬべし。そのゆえは、たすけましまさんとする十方衆生たる凡夫、因果相順の理に封ぜられて別願所成の報土に凡夫生るべからざるゆえなり。
いま報土得生の機にあたへまします仏智の一念はすなはち仏因なり。かの仏因にひかれてうるところの定聚の位、滅度に至るといふはすなはち仏果なり。
この仏因・仏果においては他力より成ずれば、さらに凡夫のちからにてみだすべきにあらず、また撥無すべきにあらず。」(『改邪鈔』)
天台大師の釈された「三因仏性」(正因・縁因・了因)(『妙法蓮華経文句』根拠は『大乗涅槃経』)も、閉じれば全て弥陀回向の一乗(名号法)に収まりますが、往生の時節、諸機差別
の相状を呈しますのは、ひとえに、「無自性空」の真如実相(正因仏性=理仏性)ゆえに、無始来の業は各機各別であるためです。往生の為の善根はこちら側には何一つありませんから、
こちら側からかけられる手も一つもありません。御本願に相応してないこと(未だ開発の機縁が熟してないこと)と御本願から洩れていることとは違います。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
571 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 18:38 ID:zN72tGSV
>>553 >>562の続き
>三願転入の御心は、われわれは、必ず三願のどれかに相応しているということであるからです。
>そうでないと、願にもれた「十方衆生」がいることになってしまうということになります。
>19願とも20願とも機教相応していないということは、18願相応の機であるということです。
>ならば、なぜ救われていないのでしょうか。18願のはたらかない余地はないはずです。
例えば三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)の衆生は、未だ御本願にも相応してませんし、もちろん十九願・二十願にも相応してませんが、願にもれていると言えるのでしょうか?
>そのわれわれには、必ず弥陀の調熟の光明がはたらいているのであるから、>十方衆生には19願と20願がはたらいているというのは、否定のしようがあ>りません。
一方で386さんは、>「もとより、弥陀の仏心は一つですが、十方衆生の心がまちまちだから、衆生の機にあわせて48願に説きわけられているのが弥陀の本願です。」とも仰って
ますがその通りですね。
宿善となってくださる「弥陀の調熟の光明」は、十二願の「光明無量の願」ですよね。
「また、のたまはく、光明名号の因縁といふことあり。弥陀如来四十八願のなかに第十二の願は、「わがひかりきわなからん」とちかひたまへり。これすなわち念仏の衆生を摂取のためなり。
かの願、すでに成就して、あまねく無碍のひかりをもって、十方微塵世界をてらしたまひて、衆生の煩悩悪業を長時にてらしまします。さればこのひかりの縁にあふ衆生、ようやく無明の昏闇
うすくなりて、宿善のたねきざすとき、まさしく報土にうまるべき第十八の念仏往生の願因の名号をきくなり。」(『執持鈔』)
>われわれは、必ず三願のどれかに相応しているということであ>るからです。
>本願を知る者には19願、20願に添うように、
これのお聖教の根拠は何ですか? 「本願を知る者」というのもどういう機類の方を指すのかわかりません。
親鸞聖人は、お聖教のどこにわれわれに「双樹林下往生」(十九願)や、「難思往生」(二十願)が、機教相応していると仰ってますか?(つづく)
572 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 18:39 ID:zN72tGSV
>>553 >>562の続き
「名体不二の弘願の行なるがゆえに、名号すなはち正覚の全体なり。正覚の体なるがゆえに、十方衆生の往生の体なり。往生の体なるがゆえに、われらの願行ことごとく具足せずといふことなし。
・・・(中略)第十八の願をこころうるといふは、名号をこころうるなり。名号をこころうるといふは、阿弥陀仏の衆生にかはりて願行を成就して、凡夫の往生、機にさきだちて成就せしきざみ、
十方衆生の往生を正覚の体とせしことを領解するなり。かるがゆえに念仏の行者、名号を聞かば、「あは、わが往生は成就しにけり、十方衆生、往生成就せずは正覚を取らじと誓ひたまひし法蔵菩薩
の正覚の果名なるがゆえに」とおもふべし。」(『安心決定鈔』)
「若不生者」と十方衆生の往生に「不取正覚」を誓われているのは、御本願(十八願)のみですね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
十九願所被の定散諸機とわれわれとの機類の違いについては再三述べてますので異論がおありならば該当個所(
>>328-329 >>331 >>539)への反論をお願い致します。なお、
反論を書かれる場合は、お聖教の根拠の提示をお願い致します。
573 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 18:55 ID:zN72tGSV
>>563 >あえて、今生のことを除外されているとするのは、
横レスになるかもわかりませんが、私も505さんも、「今生を除外」してないんですが。
上レス、改行ミス失礼致しました。
余談ですが、上でも『歎異鈔』第十一条を引かせていただきましたが、s会の信者さん
(自称シンパw含む)らしい方の御意見は、「誓名別信の異義」にも似たとこありますね。
なんか「信心決定」という実在するらしいとてつもない「体験」が実体視されていて、何もかもが、
それを手に入れる為の「手段」「道具」になってしまい(なんか手塚治虫先生の『火の鳥』みたいですね)、
肝心の目の前の仏様の願(御名号)もその一つになってしまっている感じを強く受けますね。
574 :
711:04/06/09 19:12 ID:1IzIuF/a
332さんへ
>>573 横レス、申し訳ありません。
386さんのご意見をうかがって、私も同じ事をかんがえておりました。
教学的には、ずぶの素人でありますので、親鸞聖人の御文によって
回答することができませんが、
思索がまとまりましたら、
「他力」または「絶対」について、お答えしようと思います。
いろいろ突っ込まれる所が多いかと思いますが・・・。
575 :
386:04/06/09 19:28 ID:UCP8ZCpQ
>>569 >>570 レス拝見しました。
正直申しまして、落胆いたしております。
私は貴殿のレスを予想して、
>>553 に、
>「宿善開発していないから」というのは答えにならないのは332さんならわかるはずです。宿善とは調熟の光明によるものであり、すなわち18願のはたらきではないからです。
と書いておいたのですが、その甲斐むなしく、
>>570 の結論には、
>御本願に相応してないこと(未だ開発の機縁が熟してないこと)と御本願から洩れていることとは違います。
と書いておられます。やはりそういうご理解だったのですね。
その理解では、弥陀の誓願の不思議は分かりませんし、
三願転入の離れ業は、空しく空転し続けます。
私の文言が足りないせいかも知れませんので、再度申します。
18願に相応していないのが信前の者の機ですから、
信前の者は、すなわち、19,20の願の目当ての機であることに、
「自動的に」なることは理解できますか。
何故ならば、弥陀の三願が「十方衆生」を相手に立てられているからには、これに漏れる者はもとよりありえません。
すなわちわれわれは、必ず三願のどれかに相応していることになります。
言い換えれば、19,20の願に相応しないということは、18願に相応していることになります。
18願に相応していながら、「18願の摂取の光明」=「弥陀の救い」に遇えないということはありえません。
「未だ開発の機縁が熟してない」からだというあなたの主張は、
「開発の機縁が熟し」た者が18願に相応する者になるのだ、と言っているのであり、
すなわち、開発の機縁を熟させるための19,20願による調熟の過程にある者だといっているのと同じことになるのです。
>>568 通行人って、「某大学の真宗学科」だったの?
嘘だろ?椰子の書き込みからは考えられないし、
専任講師が化けてる説にもう一票。
万が一本当だとしても授業でてないヒッキーだろ、きっと。
そんな椰子が
>>539とか反論できるわけがない。
>>575 >19,20の願に相応しないということは、18願に相応していることになります。
>すなわちわれわれは、必ず三願のどれかに相応していることになります。
よくわからないけど、われわれって十方衆生のこと?
聖道門は十九願?
仏法ききたくない人も十九願?
クリスチャンや創価学会も十九願?
578 :
711:04/06/09 20:05 ID:1IzIuF/a
>>575 386さんへ
>>577 名無しさんへのお答えをお待ちしております。
仏教者でない私にとっては、非常に興味があるところです。
>>470 711氏へ
「後生の一大事」の「一大事」とは仏教用語で、単に「重大な事件」を意味するのではないようです。
一大事ヨミ:イチダイジ仏教用語。
『法華経』に初めてみえる言葉。仏陀が世に現れる目的,すなわちあらゆる事象の真実のありさまを示すこと。
禅宗では「参学の一大事」と使い,「絶対の修行」の意味に使っている。
(ブリタニカ小項目事典)
一大事 いちだいじ
最も重要なこと.仏がこの世界に出現する一大目的.
法華経(方便品)ではそれを,仏の智慧(仏知見,如来知見)を一切衆生に示し悟らせることとする.
同品に_ただ一大事因縁を以ての故に,世に出現す_とある経文から広く用いられるようになった.
また,禅家では修行の眼目という意味で用い,〈大事〉ともいう.
_彼の法華経は如来出世の本懐,諸仏一大事の因縁たり_〔聖覚四十八願釈14〕
_そもそも一大事を心にかけ,不生の心地に御遊覧候ふ事,まことによろこび入り候ふ_〔道範消息〕
(岩波仏教辞典)
◎いちだいじ【一大事】迷いを転じさとりを開くこと。
◎ごしょうのいちだいじ【後生の一大事】生死の問題を解決して後生に浄土に往生すること。
(浄土真宗聖典@用語解説)
とあるように、如来の本懐を意味する語のようです。
ですから真宗で「後生の一大事」とある場合は
「
>>156死ねば大変な一大事がある」「
>>504極楽か地獄かの一大事」という意味ではなく、
生死の問題の解決、死後の往生成仏を指しているのです。
580 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 22:17 ID:g1BHxsqb
>>575 >信前の者は、すなわち、19,20の願の目当ての機であることに、
>「自動的に」なることは理解できますか。
残念ながら全く理解できません。何という宗教の教義ですか? 浄土真宗ではないようですねw。
これが浄土真宗の説だと言われるのなら、「対機」(お目当ての機)と「相応」を混同されて
ませんか? 上でも書きましたが、「御本願」に相応できる機(たのむ機)は、他力回向の
「疑蓋無雑の浄信」=「仏心」ですので「お目当ての機」=「極悪人」と混同しては大変な間違
いですね。これが一体(仏凡一体)にならせていただけるのが、「信の一念」です。われわれは、
信前信後を通じて、「御本願=十八願」の「お目当て」に変わりありません。
「おほよそ凡夫引摂の無縁の慈悲をもつて修因感果したまへる別願所成の報仏報土へ五乗ひと
しく入ることは、諸仏いまだおこさざる超世不思議の願なれば・・・(後略)。」(『口伝鈔』)
「五劫があひだ思惟し、永劫があひだこれを行じて、かかるあさましきものが、六趣。四生より
ほかはすみかもなくうかむべき期なきがために、とりわきむねとおこされたれば、悪業に卑下す
べからずとすすめたまふなり。」(『執持鈔』)
十九願の対機については、
>>572のリンク先に書いてますので読んでいただいて
異論があれば反論御願いいたします。
あと、505さんの
>>554の質問や、
>>577さんの質問も答えていただけたら
幸甚です。あと、自説を浄土真宗の教えとして主張されるならば、前記しました
ようにお聖教の根拠の提示を再度御願い致します。
581 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 22:31 ID:g1BHxsqb
>>575の続き
補足ですが、われわれにとっては、「弘願門=真宗}のみが、「機教相応」の法門であるというのは、
衆生の根機の差別相(五乗)に約して他門(自力門)との相対において、ポテンシャルの問題として
言っているのであり、われわれ皆が既に全て「本願相応」の浄信をいただいているという意味では
ありませんので念のため。
582 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 22:48 ID:g1BHxsqb
>>574 >思索がまとまりましたら、
>「他力」または「絶対」について、お答えしようと思います。
711さん、こんばんわ。大変期待しております。私ももう少し思索的な内容で
書けたらよういのにと思ってはいますが・・・。
583 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/09 22:57 ID:g1BHxsqb
>>575にもうひとつ補足
>「開発の機縁が熟し」た者が18願に相応する者になるのだ、と言っているのであり、
>すなわち、開発の機縁を熟させるための19,20願による調熟の過程にある者だといっているのと同じことになるのです。
>>571に書きましたように、「調熟の光明」は十二願成就の光明なんですが。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
584 :
711:04/06/09 23:08 ID:1IzIuF/a
>>579 名無しさんへ
丁寧な解説大変有難く存じます。
テキストクリティークの重要性を改めて考えております。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
かつて、私は「死ねば一大事なんてうそです」と申し上げたことがありましたが、
その裏には、私の思いがあったのです。
「死」とは誰しもが一度は不安に思うことです。
その不安を解決するため、古来よりどれくらいの人が悩んできたことでしょう。
「死んだら一大事がある」と言う、どこか脅迫めいた言葉に
宗教の暗い歴史を見出してしまったのです。
死の不安を駆り立て、人心を動揺させ、退かば無間地獄などという
仏がどこにいるのでしょうか。
仏や神の名を使い、「我こそ(もしくは我が教団こそ)真意を得たり」と声高に叫ぶものは、
仏や神を利用して、汝(我)を利用しようとする征服者に他ならないと思います。
親鸞聖人は「ゆるされて聴く」と仰いました。私を含め、いま一度反省させていただくべきでありましょう。
>>573 >「誓名別信の異義」
ってのは、どっから出てきた言葉なの?
詳しく解説プリーズ。
586 :
711:04/06/09 23:28 ID:1IzIuF/a
>>582 ありがとうございます。
いつも、明晰に教学についてお話下さり、誠に頭が下がる思いがいたします。
西田哲学は、「純粋経験」という事から始まるのですが(もちろんS会が言っている「絶対の幸福」
というような概念でもなく、コンバージョンの喜びを指す言葉ではないんですが)、
主客未分化→「ありのままにみる」と言うことでしょうか。すこし誤謬がある感も否めませんが・・・。
西田哲学で、真宗の「他力」を説明できるか否やで悩んでおります。
日中、仕事づくめで思索の作業も思うようにいかず・・・(言い訳がましいですね)、
矢張り西田は禅的要素から真宗を観ている感が否めない。大拙氏にしてもそうでしょうが、
もう一汗かかねばならないようです。
332さんのような方から期待されるような器ではないのですが、
がんばってみたいと思います。
587 :
386:04/06/09 23:40 ID:UCP8ZCpQ
>>580 >「御本願」に相応できる機(たのむ機)は、他力回向の「疑蓋無雑の浄信」=「仏心」ですので
「お目当ての機」=「極悪人」と混同しては大変な間違いですね。これが一体(仏凡一体)に
ならせていただけるのが、「信の一念」です。われわれは、信前信後を通じて、
「御本願=十八願」の「お目当て」に変わりありません。
とおっしゃる、「疑蓋無雑の浄信」といわれる機の深信と、
>>331 貴殿がおっしゃるところの、
>われわれのような「無仏無法無菩薩」で「有情利益」の願行など一毛もない
末世五濁悪世の「逆悪」
の機類の自分であるという、貴殿の機の理解とは、同じなのか違うのか、ということです。
同じならば、すでに願に相応していなければならないし、違うならば、弘願による摂取の一念に至るまでは、
要門と真門の方便によるお育てが必要だ、と申しております。
ここまで書いても理解できないということであれば、これよりは私の力の及ぶところではありませんね。
589 :
711:04/06/09 23:53 ID:1IzIuF/a
私に関してのレスがございましたので、一言。
>>562 >711氏の、
>>524 >に言うような、原口針水という方の法話にある「願の心を捨て置いて、我の力を以て得さそうなぞとは、以ての外の不心得である」
>などという批判は全くの的外れであります。
>むしろ、仏心を十方衆生に明らかにするという菩薩行に携われる、
>信前の者にとって万劫にも得がたいチャンスです。
信前のものに、どうやって信を説けというのでしょうか?論理矛盾です。
おいしそうなリンゴがあって、ある人に「これはおいしいんだよ」と
聞かされ、それを食べて味わいもせずに、詳しく調べもせずに(もしかしたら毒が入っているかも
農薬がかかっているかもしれないのに)、人に「おいしいんだよ」と勧めることは、
人に害を及ぼすことになる可能性があるのでは?
人の人生の根幹をなす宗教であるならば、毒リンゴ
どころのことでは済まされませんよ。
菩薩行に携われるチャンス?、親鸞聖人は何と答えるのでしょう。
590 :
711:04/06/10 00:08 ID:+S9iKTpN
>>587 332さんへ
386さんはよい所に気づかれていると思いますので、332さん、起きていれば、
機法一体の機と、罪悪深重で言われる機との相違について詳らかにしていただければと
思うのですが。
386さんへ
私は教学的素養がほとんど皆無に等しいので、お答えすると反発を招くような気がいたします。
今しばらく332さんの回答をお待ち下さい。明日になるかもしれないですが・・・。
591 :
名無しさん@3周年:04/06/10 00:14 ID:Mc7RFvmS
親鸞会の専任講師って年金払ってるのか?
ああ、ごめん。
低所得者だから免除か。
592 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/10 00:42 ID:kmzRWTny
>>587 >要門と真門の方便によるお育てが必要だ、と申しております。
ナントカ教の教義によるとということですねww。
>>331に関しては、定散諸機との相対や三時説における「正・像法」との相対など
諸機差別の相状に約してのもので、
>>539で書きましたように、「機の深信」の「機
実」たる凡聖共通(弥勒菩薩も)の流転の因たる衆生性得の「絶対悪」である「元品
の無明=自力疑情」ではなく「善悪相対」に約して書いたのですが。
>>539でも書きました
ように、「善悪相対」に約しても、真宗(弘願)は、末世劣悪の機を「とりわけお目当て」
にした法門であり(その「根拠」は、
>>254 >>580ほか参照)、その意味での「悪機」
は、“信前でもわかります”。教界で一般的なたとえかどうかはわかりませんが、
「黒き心=悪業煩悩の塊=如来様お目当ての機」「暗き心=凡聖性得の絶対悪=仏智疑惑=自力計度の機」
「白き心=願心=仏心=御名号」と表現される先哲もおられます。「黒き心」は信前後で少しも変わり
ませんが、「白き心」をいただくと即「暗き心」は微塵も無くなります。
「要門と真門の方便によるお育てが必要だ」なんていう悠長なお話しじゃないのですが。「生死事大」
「無常迅速」ですからね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
593 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/10 00:55 ID:kmzRWTny
>>590 711さん、すみません。もう寝るとこなのでこれくらいしか書けません。
「機の深信」と「罪悪観」はよく混同されるし、「「罪悪観」を進めれば、「機の
深信」に近づける」という誤解は昔から多いですので「大事な所」なんですが。
ポイントは、あくまで「機法一体」「機法二種一具の深信」というところです。
おやすみなさい。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>593 それじゃあよくわかんないので、また暇なときにでも
詳しく解説キボン。
595 :
386:04/06/10 05:36 ID:TBfiQtup
>>593 >「機の深信」と「罪悪観」はよく混同されるし、「「罪悪観」を進めれば、「機の
深信」に近づける」という誤解は昔から多いですので「大事な所」なんですが。
ポイントは、あくまで「機法一体」「機法二種一具の深信」というところです。
その「大事な所」を私が誤っているかのような、言い回しですな。
むしろ私のほうが、貴殿に「間違っていませんか」と問うているのですがねえ。
やはり、理解できないようですので、「議論」はもう措きましょう。
己の寸足らずな罪悪観で、弘願を「聞」こうとしているから、真門や、要門を不要だなどとと言うのです。
この身このままの只今の救いなど信じられぬのが、十方衆生の根機ですから、
救われる一念まで、弘願は聞けませんので、用なしです。
真門や要門の、方便の救いをこそ望んでいるのが私だからこそ、その方便の救いを餌にして、18願まで導こうとされているのが19,20願です。
駄馬の衆生には、ゴールにある人参の山は見えませんから、鼻先に人参ぶらさげてゴールに向かって走らせるしかない。
駄馬にとっては、鼻先のたった一本の人参がゴールです。この人参を食えるときは来ません。
しかし、その鼻先のゴールを追うままが、人参の山の本当のゴールに向かわされるのです。
「鼻先の人参を追う」とは、たとえば、殺生罪を造るまいとして、不浄肉を嫌ったり、
やたらと、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と会話に入れてみたりすることです。
少しはわかられたでしょうか。
596 :
711:04/06/10 20:20 ID:+S9iKTpN
こんばんわ、皆様お疲れ様です。
横レス失礼いたします。
>>595 >駄馬の衆生には、ゴールにある人参の山は見えませんから、鼻先に人参ぶらさげてゴールに向かって走らせるしかない。
>駄馬にとっては、鼻先のたった一本の人参がゴールです。この人参を食えるときは来ません。
>しかし、その鼻先のゴールを追うままが、人参の山の本当のゴールに向かわされるのです。
「法華経」でいう「大白牛車」の譬えに似ている気がいたしますが、現在おかれている状況が火宅であるのか
そうではないかという点には触れられておられない所に、非常に深い溝があるように思います。
>>皆様へ
さて、親鸞会の皆様のご意見を伺って、その教義について構造的(あくまで構造的)に
理解し得たものがありましたので、どういう教義構造になっているのか説明を試みてみたく存じます。
間違いがあればご訂正をお願いいたします。
信心決定をゴールと考えての上で、はたしてそのゴールに到着するには如何にすればよいのか。
これが、現在の親鸞会会員の皆様の至上問題となっているようです。
(つづく)
597 :
711:04/06/10 21:41 ID:+S9iKTpN
また落ちました・・・。
>>596つづき
「決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと
信ず。二つには決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗」ずる
には如何にすればよいのだろうか?
自分はどう考えてもそのような心の状態にはなれない。
苦悩の末、親鸞聖人が「三願転入」と仰ったことに目が入った。
当然の帰結と言えます。
直接、信心決定できない者にはこのような方法があったのである。
否、我々は親鸞聖人と同じ足跡を歩ませていただくのである、このような光栄なことがあろうか、
と彼らは考えるのでしょう。
19願の実践という言葉は、そこが出発点であることを端的に表現している言葉であります。
まず「菩提心」を起こし、「諸の功徳(ザイセ行為(どのような行為かは具体的には存じ上げませんが、
あまりよい印象をもたれていない行為のようです)・勧誘行為というのもこの功徳に含まれるのでしょう)」を
一所懸命に実践していく。
彼らにとってそれが、信心決定のいわばスタートラインなのです。
(つづく)
598 :
711:04/06/10 22:06 ID:+S9iKTpN
>>597つづき
しかし、実践すればするほど、それが自分には不可能であると思われてくる、否、そう思われなければならない。
いままで、「横の線を行っていた」者が、ここではじめて頭を水面から出す、すなわち
「私には善を実践する力などなかったのだ」という経験・体験をしなければならない。
この体験が強烈な印象を持てば持つほど、「罪業深重の凡夫」ということがより鮮明に心に刻み付けられる。
この体験をもって「機の深信」と彼らは言うのでしょうか?まだ20願が残っているから、ここでは「機の深信」とは
言われないのかもしれませんが・・・。
もう少し複雑な構造や定義づけもあるとは想像できますが、基本的構造はこのようなものでしょう。
彼らの言う「宿善を勧める」という奇妙な言葉も、上に述べたような構造を仮定すると、容易に理解することが
できるでしょう。
「宿善」が開けたのを信心決定と想定するならば、彼らは宿善を積んでなんとか信心決定しようと
努力するのです。
(つづく)
599 :
711:04/06/10 22:50 ID:+S9iKTpN
>>598つづき
長々申し訳ございません。
今、親鸞聖人の和讃を読ませていただいているのですが、
親鸞会の方々は、下の和讃の理解がその教義の骨格をなしていると思われます。
「臨終現前の願により 釈迦は諸善をことごとく 観経一部にあらはして 定散諸機をすすめけり」
↓
お釈迦様が勧めておられるように諸善を実践いたしましょう。
「諸善萬行ことごとく 至心発願せるゆへに 往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり」
↓
宿善を積ませていただきましょう。
「定散自力の称名は 果遂のちかひに帰してこそ おしへざれども自然に 真如の門に通入する」
↓
自動的に真如に至るのです。
しかし、その次にくる和讃を読んで、手に脂汗をかくような恐怖を感じておられるのではないでしょうか?
「安楽浄土をねかひつつ 他力の信をえぬひとは 仏智不思議をうたかひて 邊地懈慢にとまるなり」
600 :
711:04/06/10 23:08 ID:+S9iKTpN
>>600 「仏智不思議をうたがひて」
この言葉を頭から消してしまいたいと思う方もあれば、
このようなことを述べる私を悪魔だと思う方もあるかもしれません。
仏教者でもないものが知ったかぶりをするな、とお怒りになられる方もいらっしゃると思います。
その揺れ動く心を今一度冷静に見つめてみる時、
おそのさんが言われた
「ご注文なし、お差支えなし」の言葉が響いてくるのかもしれません。
善知識にたよる必要なし(たしかに大切な尊敬すべき方でありましょう)、
絶対他力が、いつも私に触れていたのに、常に私は私の心しか相手にしてこなかった。
行為→結果だけを追い求めていた私であった。
小さな私だけの世界観が仏智によって壊されるのでありましょう。
ここに私は他力の真骨頂を見ます。
601 :
711:04/06/10 23:13 ID:+S9iKTpN
>>600 書きすぎました、申し訳ございません。素人のくせに真に滑稽なことだと自身も感じております。どうぞ
一笑にふしていただければと思います。
今後ともご指導・ご教示賜りたく存じます。何卒、よろしくお願いいたします。
>>600 711さん
お園さんの善智識がどなたか、または何がとは、
紹介されていたサイトには記されていませんでし
たが。お園さんが「ご注文なし、お差支えなし」と
言える様になったのは、善智識を通してのことと
思いますが?
しかし、お園さんはあなたの善智識となられるの
かもしれませんね。
603 :
711:04/06/11 01:57 ID:7zqxyBvS
サーバーの調子がおかしいようですね。
>>602 名無しさんへ
駄文に、心やさしいレスをいただき有難うございます。もう寝ないと明日の仕事にさしつかえるのですが、
一言だけご返事を。その後レスを返されても、お答えは明朝以降となることを
どうぞご了承下さいますよう。
牛が善知識だと仰った妙好人もいらしたと存じ上げます。
源佐さんでしたか?ご存知の方はご教示賜りたく存じます。
牛が善知識というのはいいですね。
人間はどうしても自尊心から脱却できない。私もそうでありましょう。
親鸞聖人は、「親鸞弟子一人ももたず」と言われたそうです。当然といえば、実に当然かと存じます。
なぜなら、法は私が広めるものではないからです。
南無阿弥陀仏の働きによるのみと考えるからです。
善知識というのは、預言者(神の声、この場合は仏の声でしょうか、その代弁者)ではなく、
相対である私が絶対の阿弥陀如来と直接していることに
気がつかせてくれるきっかけになった方(牛だったら動物?)のことを言うのではないか
と思います。
おやすみなさい。ありがとうございました。
s会の言い分を聞いているとどうも浄土宗?かと思ってしまう。
605 :
602:04/06/11 02:26 ID:j28RynNc
>>603 711さん
私にも同じように思われます。お答えありがとうございます。
609 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/12 12:26 ID:YrNFKg32
>>595 >>595 >鼻先に人参ぶらさげてゴールに向かって走らせるしかない。
>鼻先に人参ぶらさげてゴールに向かって走らせるしかない。
。「 駄馬の鼻先に人参」「餌」っていうのは、別所で某氏が、子供の譬えが多いことについて御批評なさってましたように何か“本音”が垣間見える思いがしますねw。
610 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/12 12:29 ID:YrNFKg32
>>595の続き
>己の寸足らずな罪悪観で、弘願を「聞」こうとしているから、真門や、要門を不要だなどとと言うのです。
>この身このままの只今の救いなど信じられぬのが、十方衆生の根機ですから、
>救われる一念まで、弘願は聞けませんので、用なしです。
ちょっと舌足らずになりましたが、弘願を聞けるのはあくまで他力回向の仏心です。“私”は、信前も信後も「無仏無法」の性得の実相は変わりがありませんから「御本願なんて用なし」の心しかありません。「他力信心」は
、罪悪観ではありません。私が「聞」くことはできません。
また、われわれ悪機は、「発菩提心 修諸功徳 至心発願 欲生我国」や
「聞我名号 係念我国 植諸徳本 至心回向 欲生我国」の願行はありませんので、十九、二十願にも相応していません。
611 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/12 12:44 ID:YrNFKg32
711さんへ
サーバーの調子が悪く、専用ブラウザの更新もうまくいきませんでしたのでレス遅くなり申し訳ありません。
今も一寸時間がありませんので詳しくは書けませんが、罪悪深重の機と「機の深信」の機が各別だということでなくて
「罪悪深重」の物柄ではなくて、「仏智疑惑」の罪が問われているということなんですがまた時間があればもっとうまく書ける
ように考えてみます。
613 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/12 18:05 ID:bMm/tTFR
>>595に補足
>真門や要門の、方便の救いをこそ望んでいるのが私だからこそ、その方便の救いを餌にして、
>18願まで導こうとされているのが19,20願です。
定散諸機等上機はともかくわれわれ底下の凡夫には、そもそも菩提や御浄土を願う心はありません。
われわれの願いは、ただ、己の煩悩か生じる我欲を満たすことだけです。そんなわれわれの根機に合わせての
御方便というなら、真言密門の(特に天部を御本尊とする)「諸尊法」の現世祈願の方が相応しいでしょう。
勿論、それを三密加持の効験の「方便を以って」菩提道まで転じさせるには、上位菩薩の智慧と慈悲による功徳の
御回向が不可欠ですね。しかもわれわれ在家は、菩提道と縁を結ばせていただく「結縁灌頂」
までです。そこから更に菩提道を目指すなら「出家」して、「具足戒」「三摩耶戒」を受けて持し、「四分律」
も持して聖道の難行の御修行に励まなければなりません。他力浄土真宗は、そんな根機のわれわれに
南無阿弥陀仏の弘願の只今のお救いをお勧めなのです。
614 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/12 18:35 ID:bMm/tTFR
>>595の補足の続き
>救われる一念まで、弘願は聞けませんので、用なしです。
繰り返しになりますが、「弘願なんて用なし」は、信前信後変わらない私の本性です。そんな私に
億劫前から用がおありなのは阿弥陀様の方です。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
私は聞くことはできません。仏様の願いが聞く心(南無の機)となり、私に飛び込んでくださっているのをいただくのみです。
>
615 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/12 18:47 ID:bMm/tTFR
>>590 >>611の補足
一つ補足させていただきますと、「仏願の生起本末」の中身が、「罪悪深重の私ひとりが為の御本願」
ですから、罪悪深重の具体相は、まさに私のすがたですが、「二種深心」そのものは、あくまで
も「仏心」(仏願)ですから、罪悪の物柄として、無始来の私の悪業は問題にならず、只今の
仏智疑惑の自力計のみが問題となるのです。
616 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/12 19:16 ID:bMm/tTFR
>>596 >「法華経」でいう「大白牛車」の譬えに似ている気がいたしますが、現在おかれている状況が火宅であるのか
>そうではないかという点には触れられておられない所に、非常に深い溝があるように思います。
読み抜かってました。泥凡夫の悲しい性で、711さんに過分の激励をいただいただけで、舞い上がってしまい
いっぱしの“善知識”気取りで私が711さんに教えてやろうみたいなカキコしてしまいました。
上の711さんの書き込み本当に禿同です。こちらの方こそ教えていただかなければならないのに失礼致しました。
617 :
名無しさん@3周年:04/06/12 19:38 ID:XWWxMpIJ
おまえら運動しろ 走れ
618 :
711:04/06/12 19:47 ID:vVnsp93C
>>609〜(612除く)〜616
332さんへ
出張から帰って参りました。
お疲れ様です。皆さん、IEを使われているのでしょうか。
人大杉(誰が考えたんでしょう、面白いですね)で入れないのでしょうか。
332さんのご返事、ご意見、毎回本当に楽しみにさせていただいております。
>>615 >「仏願の生起本末」の中身が、「罪悪深重の私ひとりが為の御本願」
>ですから、罪悪深重の具体相は、まさに私のすがたですが、「二種深心」そのものは、あくまで
>も「仏心」(仏願)ですから、罪悪の物柄として、無始来の私の悪業は問題にならず、只今の
>仏智疑惑の自力計のみが問題となるのです。
明晰なお話に頭が下がります。
二種深心というのは、南無阿弥陀仏のことであるのですね。
どうも「罪業深重」の自覚のようにとらえておられる方が多いのではないかと
思われます。
自覚が極限まで深まって行き場がなくなった所を指して、救いの光明を見るというような。
所詮、コンバージョンは私の経験に過ぎず、どんなに純粋な思いを抱いたとしても、
「雑毒」、煩悩が混じっていることに注意せねばならないと考えさせられました。
>>618 711さんへ
>自覚が極限まで深まって行き場がなくなった所を指して、救いの光明を見るというような。
>所詮、コンバージョンは私の経験に過ぎず、どんなに純粋な思いを抱いたとしても、
>「雑毒」、煩悩が混じっていることに注意せねばならないと考えさせられました。
ここが「善智識」にお聞かせ頂くところですね。書物を読んで開ける人もおられると聞きますが、
知識同行にあう事がなければ、他力自力の水際はわからないでしょう。
また、それが自覚か、お手回しのみ教えかというところですね。
332さんへ
>繰り返しになりますが、「弘願なんて用なし」は、信前信後変わらない私の本性です。そんな私に
>億劫前から用がおありなのは阿弥陀様の方です。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>私は聞くことはできません。仏様の願いが聞く心(南無の機)となり、私に飛び込んでくださっている
>のをいただくのみです。
本当にこの通りなのですが、罪悪深重、仏智疑惑の私の姿は阿弥陀様に照らされて教えられるもので
あり、そのお育てをいただくと言いかえても良いでしょうか・
会員がこうならTの新人がどんなものか分かる気がしてきた。
622 :
386:04/06/13 12:45 ID:yUTMoI3G
>>603 >善知識というのは、預言者(神の声、この場合は仏の声でしょうか、その代弁者)ではなく、
相対である私が絶対の阿弥陀如来と直接していることに
気がつかせてくれるきっかけになった方(牛だったら動物?)のことを言うのではないか
と思います。
善知識を預言者とならべる時点で、すでに終わっていますが、まあそれは措くとして、
ここに711氏の「真宗観」が端的に表れている。
曰く、われわれが「阿弥陀如来と直接していることに気が」つけばよいのだと。
そのために善知識はいる(ある)のであり、凡夫にできるのはここまでだと。いや、これで十分だと。
こういうことを言っている者は、真宗の信者や学者、宗教哲学をやっているものに非常に多い。
その心象はこうなる。
「19願、20願なんて無用のものだ。18願を聞けているんだから、19,20願はもう卒業してるってことだ。
そのまま来いと言われる18願に対して、われわれのできることは何もない。
何もないといっても、このままでいいのか。弥陀の本願知らぬ者と私は同じということか。
無仏無法の者と、自分の違いはあってしかるべきだ。信心はまだ頂いていないけれど・・・、
そうだ「阿弥陀如来と直接していることに」どれだけ気がついているかだ。
これに気がついている私は頓気で、聖道の者や19願などに気が向いている者は漸機なのだ。
これでよしよし、あとはお念仏の日暮ししておれば、そのうち信心いただけるだろう。
よしんばいただけなくとも、邊地往生は手の内だ。」
これは「未来」の救いを待っているのであり、臨終来迎を待つ姿そのものだ。
本願を疑っている「仏智疑惑心」だから、現在只今の救いを「信じて」いないということ。
また「来迎を待つ」余裕がある人なので、「無常迅速」の機ではもちろんない。
「安楽浄土をねかひつつ 他力の信をえぬひとは 仏智不思議をうたかひて 邊地懈慢にとまるなり」
711氏の挙げたこのご和讃は、まさにあなたのためのものでもあったのですよ、西田哲学の学匠さん。
>西田哲学の学匠さん。
また、この辺の言い回しがs会丸出しだな。
やっぱ、お里が知れるな(この言い方もs会チックだがw)
624 :
名無しさん@3周年:04/06/13 16:19 ID:yUTMoI3G
>>623 ○○チックというのも、最近聞かないよね。お里が知れたよ。
結局このスレも、ジャンヌ住人による、s会憎しの自作自演スレなんだなー。
元s必死だな、てとこですか。
625 :
711:04/06/13 17:34 ID:EKtBid/F
>>622 386さんへ
熱烈なレスありがとうございます。心をゆれ動かさせてしまい、
大変申し訳なく思っておりますと同時に、何故このような熱烈な表現になるのか、
時間があれば、私なりにも考えてみたいと存じます。
しかしながら、このレスでは、明らかに私の申した意とは全く違う受け取り方をされておられる
ご様子ですので、もう少し説明をさせていただく必要があるように思います。
おひまがございましたら、下の駄文にお付き合いいただければ幸いです。
>凡夫にできるのはここまでだと。いや、これで十分だと。
いや、これで十分だと、などと申したことはございません。言葉は、その言葉を発した者の
思いをできる限り汲み取りつつ、正確に引用すべきです。まあ、私の発言ですから
ゴミくずみたいなものでしょうが、他の人に対してそのようなレスを返すことは
極力お避け下さいますようお願いいたします。不理解が誤解となって第三者が受け取る
ことにもなりかねません。非常に厄介なことですが、お互い気をつけて参りたいと存じます。
(つづく)
626 :
711:04/06/13 17:37 ID:EKtBid/F
>>625つづき
閑話休題。
実は、386さんは、ここで非常に重要なことをお述べになっておられます。
>凡夫にできるのはここまでだと。いや、これで十分だと。
凡夫に十分などという時が、やってくる日はくるのでしょうか?
十分といっているその主語には、何が相当するのか?
今一度、ご丁寧に、再三説明を試みておられる332さんの
ご発言を熟読いたされますようお願いいたします。
>そのまま来いと言われる18願に対して、われわれのできることは何もない。
これだけなんじゃありませんか?
その後がいただけません。
>このままままでいいのか
によって、自力に戻ってしまっている。これも332さんの発言をよくお読みいただきたく存じます。
>711氏の挙げたこのご和讃は、まさにあなたのためのものでもあったのですよ、西田哲学の学匠さん。
私は、学匠と呼ばれるほどの器ではございませんが、本当にわたしのための懇切なる親鸞聖人のお言葉
かと、有難く存じます。
この度のレスに対しては、まだまだ言わねばならないところが沢山あるのですが、時間に余裕がある時に
追々、ご意見申し上げたく存じます。
627 :
386:04/06/13 18:17 ID:yUTMoI3G
>>626 その後がいただけません。
>このままままでいいのか
によって、自力に戻ってしまっている。
ならば、自力を離れた!今の貴殿は他力になっているということになります。
すなわち本願に相応した人ということです。それでよろしいですね。
新しい肉か…
しかし話が噛み合っていないようだな
ん〜、まあ合わないでしょうな。
ところで、通行人と110氏はどうなったんだろ。
人大杉で、入れないのかね?
631 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/13 23:48 ID:Hh8Buf6R
>>618 >所詮、コンバージョンは私の経験に過ぎず、どんなに純粋な思いを抱いたとしても、
「雑毒」、煩悩が混じっていることに注意せねばならないと考えさせられました。
全く仰る通りですね。いや、本当に711さんにはただ教えていただくばかりです。一時でも「教えてやろう」根性丸出し
だったのは身体から火が出そうなくらい恥ずかしいです。仰る通り如何なる「純粋経験」(ダンマの顕現)も、“私”の
体験である限り、「我法二執」を免れません。「人法二無我」に住さない「分別智」は、実は「自力」と同義で「自力」は通仏教的
にも「調伏」の対象ですね。故に自力の聖者とえいえども、その往く所「化土」を免れず、弥勒菩薩といえども「漸」の
果失を免れないのですが。ただ、化土は、聖者の境涯は、『止観』の「六根相似」の如く、言わば、御浄土の相似形ですから
、われわれ泥凡夫の真似なんかとは次元が違うのですけどね。聖者の境涯に約してもこうですから、
ましてわれわれ底下・逆悪の泥凡夫の「自覚」「体験」(例えば、「宇宙即我」とかw)は、狐か狸に化かされている程度のものですから、
(まあ余興程度にはあってもよいですがw)、南無阿弥陀仏の真実の智慧(無分別智)の前では“どうでもよい”ものですね。
632 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/14 00:10 ID:sQ+QOxW6
>>618補足
改行ミスお詫び申し上げます。どうも専用ブラウザは使い難いです。
>>620 >本当にこの通りなのですが、罪悪深重、仏智疑惑の私の姿は阿弥陀様に照らされて教えられるもので
>あり、そのお育てをいただくと言いかえても良いでしょうか・
はじめまして。仏智に照破されるのは、「一念」(固定的な時間軸上の時系列には用事はないですが)ですから、今までお育てをいただいてきた
というのも、「深信」の内容として信知させていただけるものですよね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
633 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/14 00:26 ID:sQ+QOxW6
>>618の補足続き
711さんにはお馴染みだと思いますが、あらためて才一さんの
「胸にさかせた信の花、弥陀にとられて今ははや、信心らしいものはさらになし、自力というても苦
にゃならぬ、他力というてもわかりゃせぬ、親が知っていれば楽なものよ。」
や、庄末さんの「おれのことは知らん、アレ(弥陀)に聞け」は快刀乱麻を断つような
お味わいですね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
634 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/14 00:28 ID:sQ+QOxW6
>>632 332さんお答えありがとうございます。
これまで読ませていただいて、確かな教学を学ばれた方のように伺われ、
お教え頂くことばかりで、感謝いたしております。
その上あつかましいことですが、
>仏様の願いが聞く心(南無の機)となり、私に飛び込んでくださっている
>のをいただくのみです
というところを332さんはどのように具体的にいただいておられるのか、その
一端でもお聞かせいただければ、ありがたいのですが・・・・・・・
636 :
711:04/06/14 01:03 ID:ssjQ8/n+
386さんへ
すみません、疲れて寝ていました。休日出勤だったもので(またも言い訳、すみません)。
>>627 >ならば、自力を離れた!今の貴殿は他力になっているということになります。
>すなわち本願に相応した人ということです。それでよろしいですね。
まずもって、「他力になっている」という言葉が解釈できかねます。
386さんは、他力になりたいのでしょうか。
もし、それが=信心を得たいということであるならば、真宗的には、逆の方向に向かっているのでは?
自力執心をますます深めていく必要はありますまい。
>>631>>632>>633>>634 332さんへ
お疲れ様です。
「おれのことは知らん、アレ(弥陀)に聞け」
失礼ながら、386さんにこのお言葉を贈らせていただきたく存じます。
私の真宗の出発点は、父が正信偈を読んでいて、「難中之難無過之」のところになると、
「ふしぎ、ふしぎ」と言っていたこと、そのことへの疑問から発していたのだと、
今思えば、そのように感じます。(つづく)
637 :
711:04/06/14 01:12 ID:ssjQ8/n+
>>636つづき
父は「邪見驕慢悪衆生」である自分自身が、そのまま南無阿弥陀仏の目当てである
と考えていたのではないか。
「難中之難無過之」の私をもつかまえるその法に対して、
「ふしぎ、ふしぎ」と感嘆の声を漏らしていたのではないかと、
今の私には思えるのです。
身内のことを語るのは、大変恥ずかしく、ご迷惑なことと重々承知で、
書かせていただきました。
今後ともよろしくお教えいただきたく存じます。
よろしくお願いいたします。
638 :
711:04/06/14 01:20 ID:ssjQ8/n+
追伸 505さんはお変わりありませんか?またお会いしたく
存じます。よろしくお願いいたします。
639 :
110:04/06/14 01:58 ID:hlrzn0nb
ブラウザを導入して入れました。
>>386氏
・・・お疲れ様です。
少し前からこのスレに来ている者です。
しばらくご一緒することになるかもしれません。
よろしくお願い致します。
640 :
386:04/06/14 11:50 ID:ah23qQk7
>>636 >まずもって、「他力になっている」という言葉が解釈できかねます。
「他力になる」がお気に召さねば、「自力を離れた」と申しましょう。
再度申しましょう。711さんは自力を離れたということでよろしいですね。
>386さんは、他力になりたいのでしょうか。
もし、それが=信心を得たいということであるならば、真宗的には、逆の方向に向かっているのでは?
自力執心をますます深めていく必要はありますまい。
すみません、意味不明です。
信前の者のこころ=助かりたい=他力になりたい=信心を得たい=自力、ですね。
助かってもいないのに、助かったつもりになろうとしているのが、貴殿のように、私には思えます。
>>637 >父は「邪見驕慢悪衆生」である自分自身が、そのまま南無阿弥陀仏の目当てである
と考えていたのではないか。
「考えていた」のなら自力です。「不思議」とは「考え」の及ばぬことを言うのですから。
「不思議」と言える人は「考えの外にいる」のだから、つまり「自力を離れている」ということ、すなわち「他力になった」ということです。
711さんのお父上さまは、他力不思議を喜んでおられたということになります。
>>639 110さん、こちらこそよろしくお願いします。
私は2ちゃんでの発言はこのスレが初めてです。
レスを繰り返すごとに、伝わらない無力感を覚えると同時に、知らされた真実の有難さを、感じております。
>ブラウザを導入して入れました。
私も同じです。
今回の「人大杉」作戦で、2ちゃんは、かなり儲けたでしょうね。
このブラウザは2ちゃん以外では、使い道もないのでしょうに。
困ったものです。
専用ブラウザなんて別に金出さなくても只のがあるじゃん。
642 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/14 22:18 ID:IL5WBeFB
>>635 >一端でもお聞かせいただければ、ありがたいのですが・・・・・・・
レスありがとうございます。阿弥陀様の真実の行信の体も、機受の相も、南無阿弥陀仏の他にはありません。
具体的にといいましても、このまま自分の家で当たり前に気兼ねなくのんびりさせてもらえるだけですが。
お聞かせいただくのは、聞く心なんか微塵も無い、聞けない、何にもわからない「生地のまんまの私」ですから
、「いただいた」と言って急に「余所行き」に着替えなければならんような他人行儀な関係じゃ
ないですからね、自分一人の親さんですから。だから「何時いただいたか」には興味もないし用事なしですね。
妙好人さんの言行録をよく味読なさるといいと思います。 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
643 :
名無しさん@3周年:04/06/14 22:22 ID:F6IiVULZ
644 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/14 22:33 ID:IL5WBeFB
>>632 >どうも専用ブラウザは使い難いです。
フリーソフト使わせていただきながら、申し訳ありません。ほんと当たり前に空気みたいに思ってました。
仏恩なんて屁とも思ってない根機だというのもいよいよあきらかですね。阿弥陀様は、そんな私の根機もお見通し
のうえでお礼の心と作法にまでなって下さってますね、お六字として。 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
空=真如法性=阿弥陀仏=誓願=名号=信心=念仏
同じことだが働く場所と相によって呼び名が変わる
さて?
信心はどこにあるでしょう?
646 :
110:04/06/14 23:26 ID:hlrzn0nb
>>484 >庄松同行の逸話はどうでしょうか?後生の不審についてはるばる加賀から讃岐まで何日もかけ
>て庄松同行に尋ねにきた同行に対して、「お諭しくだされ」と必死で乞うにもかかわらず、庄
>松同行は「己は知らぬ」といって何の話もせずにいました。三日間滞在するも庄松同行は
>「己は知らぬ」というばかりで何の話もないので、やむなく落胆して帰ろうとしてしばらく歩
>いたときに庄松同行が後を追いかけて「後生は弥陀が助けるぞ」と大声で叫び、その同行はその
>一言で疑心がすっかり晴れて帰っていったとのことです。
この逸話からも明らかでしょう。仏縁の深い人、宿善の厚い人は、聞法心の強い人なのです。
命がけで、聞き求めるものが仏法なのです。信前の者に対して命がけの聞法が勧められているのが
仏法です。
自力の者に聴聞や諸善など勧めても自力執が募るから良くない、なんてすっとぼけた教えでは
ないのです。
他力になるまで、他力を聞き抜く。その原動力になるのは、自力なのです。
信前は自力しかありませんから。
勿論、聞法心は本当は阿弥陀仏によって起こしていただくものですから、全て弥陀のお手回しです。
それがはっきり知らされるのは、一念のことです。
信前は、自分の力で進んでいるとしか思えないのです。
親鸞会の教義が自力の勧めとしか思えないのも、他力を知らないからです。
信前だから、聞法心も弥陀によって起こさせられるということが分からないのです。
>>642 332さん
いや、的確なお答えをいただき、ありがとうございます。
妙好人さんの言行録をよく味読させて頂きます。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
648 :
110:04/06/14 23:38 ID:hlrzn0nb
>>484 >定善と散善、ともに(真宗で)勧められているのは当然のこととおっしゃるのですか?
>いよいよあなたの奉じておられる教えは浄土真宗=横超の法門ではないようですね。
>あなたは往生のために定善十三観を勧められているのが真宗というご意見でしょうか?
18願に転入するのに、19願の実践は宿善となり、獲信の因縁になる、と言っています。
19願にはその働きがあるのです。ひとえに、18願に一刻も早く転入することが勧められています。
それには、19願の実践が妨げになるということは断じてない、という主張です。
>そして信前のひとの「真剣な聴聞、心を静めて行うお勤め」は定善行を行じているという
>ことでしょうか?
無論、真の意味で定善ということではありません。できたら化土往生ですが、我々の実機は、
一つの善も出来ない一生造悪の者ですから。
しかし、信前はそれがはっきりしないのです。それが自力の心です。
善に向かえば、自分の姿が知らされてきます。一層、聞法に命がかかるのです。
また、一層、阿弥陀仏とのご縁が深まるのです。
649 :
110:04/06/14 23:49 ID:hlrzn0nb
>>485 >あなたは「最高の報謝の道は、破邪顕正であり、
>その根拠は自信教人信のお言葉である」という主張ですか?
その通りですよ。この件は上の方にあったので、もうお分かりでしょう。
称名が最高の報謝であることと、矛盾しないのです。
心を知れば、明らかなのです。
あなたは、文字面にとらわれています。
南無阿弥陀仏だけが、念仏ではない。帰命無量寿如来も同じだし、
南無不可思議光も同じ。帰命甚十方無碍光如来も同じ。
親鸞聖人のみ教えは、この名号の大功徳を解説されたものです。
これを声高らかに、勇んで、多くの人に叫ぶ。
こんな明らかなことさえ、拒絶しなければならない信心の、矮小さを知ってください。
650 :
110:04/06/14 23:57 ID:hlrzn0nb
>>485 >親鸞会教学においては
>「法施=破邪顕正=六度万行=聴聞」ということでしようか?それならば聴聞は六度万行と
>いうことになってしまいますが、親鸞会教学ではそういうことなのでしょうか?
本願寺教学では、全てばらばらで、無関係無機質なのでしょうね。
ただ、イコールということではありません。自分の話ですから、まことの知識から教えていただいた
通りに話そうとしても、やはり限界があります。ですから、同値関係にあるのではありません。
聴聞しなければ、話すこともできません。
一番大切なのは、聴聞です。やはり、聴聞に極まるのです。
651 :
110:04/06/15 00:31 ID:5GfC0iwO
>>487 >自力なら依然として0点ではないのですか?「横の線を進みます」などという悠長な
>教えが浄土真宗なのですか?無常迅速の機を対機とする一念往生の極速円融の真栓では
>ないのですか?覚師も仰せです。
宿善開発まで進みなさい、宿善厚い人は早く救われるから、宿善を厚くするよう
心がけることはとても大切ですよ、と言われているのに、信前は宿善が厚かろうが
薄かろうが0点だ、そんな考えは悠長だ、などと言って頭だけ18願に入ったつもり。
真実分かったつもり。求道がまだ始まってもいないのに、拒絶し続ける。
それが悠長なのです。
652 :
110:04/06/15 00:35 ID:5GfC0iwO
>>488 >もちろん十方衆生が相手のご本願ですよ。しかいくら阿弥陀如来のお慈悲が広大無辺と雖も、ただボーっとしていて
>救われる教えではありません。
ボーっとしていては救われないのですか。じゃあ我々の行が関係あるんですね。
そうならそうと早く言ってくださいよ。あなたは自分で自分の首を絞めていますね。
当然それは、ボーっとするな、という勧めでしょう。
善が勧められているじゃありませんか。
自分で気が付いていないだけ、です。
>そもそも、私が引用した「速やかに生死を離れんと欲はば」と仰っているのは法然上人
>ですし、それを教行信証に引用なさっておられるのは親鸞聖人ですよ。あなたは法然・親鸞両聖人に対してケチをつけ
>るつもりですか?
あなた方のおかしな解釈にけちをつけているのです。
真宗は悪人だけが救われる教えではありません。
宿善深厚の頓機の人だけに説かれているのではありません。
すぐ、救われる人だけに説かれているのではありません。
>「特定の人しか救われない」あるいは「真実の教えとは、到底言えるものではありません」のは、
>機と教が一致していないのにもかかわらず、布施行の難行を往生行として勧める親鸞会のほうです。
六度万行は、本来、菩薩の行で、凡夫にはとてもできない大変尊い行です。
その真似事でもさせていただくことは、大変すばらしい善なのです。
信前の、善が出来ると思っている(=自力の心)凡夫に相応した願なのです。
この、自分の中にある自力の心にそもそも気が付いていないで、
「自分を悪人と分かっている」と思い込むことから始まる信心に住している人には、相応しているとは思えないことでしょう。
>別にあなたの主張が間違っている、とは申しませんよ。おっしゃることを真剣に行じて「善の出来がたい姿が知らされて来る」のも
>立派な仏道の一つなのでしょう。しかし、その教えは浄土真宗ではありません。
>そういうことをやっていたら、「出離その期なし」と祖師は仰せです。
立派な、と言いましたね。どう立派なのか説明してください。どうして、絶対に救われないことが立派なのですか?
653 :
110:04/06/15 00:45 ID:5GfC0iwO
>>489 四六時中聴聞できるわけではありません。もちろん、出来る人は大変尊いですが。
聴聞できないとき、学生なら学校にて、社会人なら会社にて、仏縁を求めさせていただくことが出来る、
ということです。
>>490 同義であるとは、無論否定しません。根拠は、との問いでしたから。
歎異抄の第1章にあるじゃないですか。〜にあずけしめたまうなり、と。
>>491 自力の人が他力に入れるのなら、自力から他力でしょう。
それを否定するのは、無理があるというものです。
自力の延長線上に、とかという話ではありません。
>布教して下さった人があったから、今日私たちが聞かせていただけたのです。
>親鸞聖人が1人で念仏称えておられただけならば、今日の私たちの救いはなかったのです。
>なるほど、「教信沙弥のようになるべからず」「日蓮上人のように折伏しなさい」があなた
>の主張ということでしょうか?
言っていいことと悪いことの区別くらいつかないのでしょうか。
これを否定することがとんでもないことだと分からないのですか。
大体、念仏を誹謗した日蓮に「上人」などとつける者は真宗人ではない。
654 :
110:04/06/15 00:59 ID:5GfC0iwO
>>491 信前の者にも仏さまのご恩があるのは当然です。仏法に会わせて頂いたのですから。
また、伝えて下された師主知識の恩があるのもまた当然。
ご恩返しも、当然あります。
あいがたい仏法にあわせていただいた喜びがない人には、分からないし、できないことです。
>何も不思議ではありません。親鸞会は独特の三願転入論を唱え、宿善になると称して嘘つき・
>身分詐称・ノルマ化した、未成年をターゲットとした勧誘を平気でしています。
>これは悪です。善ではありません。そして蓮如上人のご勧化とも内容が違っているからですよ。
あなたの理解では、さぞかし蓮如上人は外にうってでられず、少人数相手に話をしておられたんでしょうね。
三願転入も宿善も、真宗の重要な教義なのに、勝手に解釈して、
今日布教に立ち上がっている 親鸞学徒を攻撃し、真実の仏法を謗る。これ以上の悪はありません。
>>493 勝他云々については、一応分かりました。じゃあ次に、貴方が私に対してしていることは勝他ではなく、
親鸞会(私)のしていることが勝他になる理由を教えてください。
内外廃立は、自他共に徹底すべきことです。自分だけということもないし、他人だけということもありません。
全ての人にとって、正信心を得られるかどうかの問題ですから、すべての人に関係があるのです。
仏法に外道や世間の哲学、思想を混ぜ込む行為は、内外廃立に完全に反します。
絶対に許されない、仏法を破壊する恐ろしい罪です。
スルー云々については、必要に応じてまた質問していきます。
655 :
110:04/06/15 01:14 ID:5GfC0iwO
>>499 >同感です。110さん、是非ご指摘願います。
何に同感なのか分かりません。私から見れば、支離滅裂な文章です。
>>503 >親鸞会で教えられている横の線に関してですが、救いまでには図のように時間を要するのだ、という
>信心に未信者が腰を落ち着けてしまい、「ただ今救われる」はずの平生業成の教えを未来の彼方に先送りし、
>「一生懸命会の勧誘・財施活動すれば、参られる」とする自力信心を拵えてしまう弊害は無いといえるの
>でしょうか?
弊害も何も、信前はそこから脱することはできません。不思議が不思議と分かるまでは、
自力の計らいがなくならないのです。どうしようもありません。
他力に入るまでは、ただ今の救いであった、と分かることはありません。
そうお聞きしていても、本当だろうか、の疑心はなくならないのです。
それが、自力の本性だからです。腰を落ち着けるも落ち着けないもありません。
自力の者は、皆そうです。
そこを通って、まことだった!と知らされることがあるのです。
初めから分かっていたことなら、まことだった、の驚きも喜びもありません。
あなた方の信心のようなものです。
656 :
110:04/06/15 01:27 ID:5GfC0iwO
>>505 宿善に今生のものは入らないということですね?
信前の者が、未来の獲信に向かっての善は宿善ではないという主張ですね。
了解しました。
今生は例外、と。都合いいですね。
>>そんなことだから、これを、宿善を厚くしようとする心がけは間違いだ、という意味だ、
>という無茶な主張をしなければならなくなるのです。ご都合主義ここに極まれり、ですね。
>蓮如上人に向かって「そんなことだから」?「ご都合主義ここに極まれり」と?
>あなたはそれでも真宗信者ですか?
あなたの解釈のことに決まってるじゃないですか。
>そもそも高森会長は行信論に関しては空華学轍寄りの
>教学理解と見なされていましたが、あなたはそれを否定なさるということですか?
否定も何も、そんなのは全く知らないことです。
>>>当然、阿弥陀仏によって宿善として下さるのですから、それを自力の所作と見るのは
>>間違いですが、それと一緒くたにせずにはいられないのは、長年培った恐るべき業力
>>のなせる業ですね。
>「当相自力対他力説」は、単純に宿善を自力の所作と見るものではありません。
>あなたの「当相自力対他力説」に対する見解をおきかせください。
信前は、自身の聞法心も、求道も、自力によるものとしか思えませんが、本当は弥陀のお力で
起こさせられた心です。自力ならば、0点ですから、救いには一歩も近づきません。
しかし、私たちのそのわずかな善を、宿善としてくださるのです。弥陀のお力があるから、
救われるのです。それが、弥陀の19願力と20願力であり、調熟の光明であり、遍照の光明です。
これらは、「18願に入れてやりたい」弥陀の御心から出てきた願なのです。
18願に入れたところで、19願、20願はその目的を果たすのです。
三願は、18願に収まるのです。
657 :
名無しさん@3周年:04/06/15 01:49 ID:EBgiKyYJ
658 :
110:04/06/15 01:59 ID:5GfC0iwO
>>514 そんな法則があったんですか。
弥陀が19願、20願を誓われ、調熟の光明、遍照の光明が教えられているのに、
それを「真宗ではない」「獲信の妨げになる」などと退ける「根拠」が出されていたとは気づきませんでした。
示してください。
>>521 基本的に正しいですよ。
>>528 あなたは本物ですか?
>>529 偽者がいるとは、有名人ですね。
659 :
110:04/06/15 02:09 ID:5GfC0iwO
上の
>>529は
>>528の間違いです。
>>640 そうでしたか。あまり時間ばかりかけてもいけませんので、
団結して最短距離を行きましょう。
ちなみに、専用ブラウザは無料のものがあります。私はホットゾヌ2というものを。
それでは。
660 :
名無しさん@3周年:04/06/15 02:35 ID:EBgiKyYJ
661 :
名無しさん@3周年:04/06/15 02:37 ID:EBgiKyYJ
662 :
名無しさん@3周年:04/06/15 02:57 ID:EBgiKyYJ
110氏は、「私たちのそのわずかな善を」とか言うけど
110氏は曽無一善とはまた違って善が行える機であるということ
ですね。
小杉町へ
この手紙をもって本省の小杉町への最後の警告とする。
まず、小杉町の財政を解明するために、国に特別監査をお願いしたい。
以下に、小杉町についての愚見を述べる。
小杉町の財政再建を考える際、第一選択はあくまで合併であるという
考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には多くの市町村の場合がそうであるように、いくら
正当な市町村合併を行おうとしてもまったく理解しない政治家がしばしば
見受けられる。
その場合には、徹底的な左遷や人員削減などを含む対処法が必要となるが、
残念ながらそれをしても財政が危機的なことには変わりない。
これからの財政再建は、市町村合併以外の対処法の発展にかかっている。
本省は、君たちが良識を持った小杉町民であると信じている。
いくら基礎自治体とはいえ、自治体の財政には責任を持つ義務がある。
君たちには小杉町の発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、小杉町の債務がなくなり、富山一安定した自治体
となることを信じている。
ひいては、現在の福岡県・赤池町の復活に学んだ後、君たちの
研究材料の一石として役立てて欲しい。
小杉町は財政再建団体転落寸前なり。
なお、小杉町の政治家や役人は自分が危機的な状況であることを自覚し、
危機感がないことを心より恥じろ。
総務省
665 :
711:04/06/15 23:46 ID:Xnsx0kl0
>>640 遅レス申し訳ございません。明日からまたしても出張(3日間)で今夜は
もう休みますのでレスの返事もできないかと存じます。
とりあえず、お聞きいただいたことはお答えせねばなりませんので、
眠い目をこすりつつレスを。
>再度申しましょう。711さんは自力を離れたということでよろしいですね。
何を期待されているのでしょうか?
「自力を離れたということでよろしいのですね」という問いに対して
私は「はい」と答えればよろしいのですか?
>助かってもいないのに、助かったつもりになろうとしているのが、貴殿のように、私には思えます。
と私の事を評していただいているのに、上のような質問が出るのはおかしいではありませんか。
社会性をもった人間であれば、これは誘導尋問なのでは?と疑ってしまいます。
>すみません意味不明です
どのあたりが意味不明なのでしょうか?その点を詳らかにしていただきたく存じます。
このままではお答えのしようがありません。(つづく)
666 :
711:04/06/16 00:04 ID:TBGZjCgJ
>>665つづき
>>640 >レスを繰り返すごとに、伝わらない無力感を覚えると同時に、知らされた真実の有難さを、感じております。
386さんが知らされた真実の内容とはいかなるものなのでしょうか?
332さんへ
純粋経験についての考えがまとまってきました。3、4日後には、西田がいう純粋経験の本質についてお話
させていただきたく存じます。西田は純粋経験を出発点として、すべての事象(もちろん宗教に関しても)
に対して説明を試みるという一貫的立場があります。
果たして、他力を説明することができるか否や。結論を申せば、否と言わざるを得ないというのが、現在の
私の思いです。また、詳細に書き込みたく存じております。
今後ともおつきあいのほどよろしくお願い申し上げます。
667 :
名無しさん@3周年:04/06/16 03:04 ID:pidVoVKd
名古屋の会員K泉さんは元気?
668 :
505:04/06/16 08:21 ID:j0Vp4nDn
>>637-8 711さん、ありがとうございます。おかげさまで変わりありません。暫くの間人大杉で
入れませんでしたが専用ブラウザの更新して遅ればせながらやっと入れた次第です。
遅レスですが、貴重なご尊父のお話も含め、示唆に富むご教示まことにあり難く受け止
めさせていただきました。
>>559 >彼らにとっては、彼ら自身が教化をしているという意識ではなく、 南無阿弥陀仏が教化
していると思っておられたのではないでしょうか。
まったくそのとおりですね。
>>596 >現在おかれている状況が火宅であるのかそうではないかという点には触れられておられない
所に、非常に深い溝があるように思います。
そうですね。まさに浄土真宗は現在おかれている状況が火宅である凡夫にむかって説かれた臨終
説法であると理解しています。
>>596-600、さらに
>>618>>584などなどまことに鋭いご分析を教え
ていただき、感服いたしました。ただし、元バリ会員(苦笑)であった私としては、
>自分はどう考えてもそのような心の状態にはなれない。 苦悩の末、親鸞聖人が「三願転入」と仰った
ことに目が入った。
に関しては、「はじめに会の教宣拡大ありき」で、全くよい印象をもたれていない「勧誘行為」や
「ザイセ行為」を正当化するために本来真宗にはない六度万行の行を引っ張り出してきて、三願転入の
ご文と結びつけたのが実情ではないでしょうか。
669 :
505:04/06/16 08:22 ID:j0Vp4nDn
>>573 332さん、遅レスすみませんが全く同感ですね。
まさに親鸞会では「信心決定」なるとてつもない「体験」が実体視されていて、
「肝心の目の前の仏様の願(御名号)もその一つになってしまっている」と思います。
670 :
505:04/06/16 08:24 ID:j0Vp4nDn
>>515 >だから、聖教の根拠とか出したりしたが、ほとんど間違った理解してたんだけど、
失礼ながら、110さんなどの親鸞会会員さんおよび親鸞会シンパ(??)の某さん
などは殆どお聖教の根拠をあげずにご持論を独断的に述べておられることが多いように
見受けられます。たとえば110さんの
>>504などもそうですね。ましてや通行人さん
が本当に某大学の真宗学科に属してるのならば、なぜ「間違った理解」になるとあなたが
思ったのかを、聖教の根拠を出しつつ述べてください。
そうでなければあなたのご主張は単なる独断説といわざるを得なくなります。
>>511 >「無智は無智のひとに教えなさい」とのおおせですよ。
横レス失礼します。親鸞会には前後の脈絡なくお聖教の部分のみをとって覚える
教学の弊害があるのではないでしょうか。たとえば法然上人の一枚起請文なども、
昔の教学短冊では前半のみ覚えさせ、後半部分は割愛されていましたことがありました。
「念仏ヲ信せン人ハ たとひ一代ノ法ヲ能々学ストモ 一文不知ノ 愚とんの身ニナシテ
尼入道ノ無ちノともからニ同しテ ちしやノふるまいヲせすして 只一かうに念仏すへし」
などは親鸞会教学に都合が悪いのでしょうか?
親鸞会では往生の為に難行の六度万行を実践して智者になることを目指しておられるようです
からね。というわけで、おそらく511さんは「無智は無智のひとに教えなさい」を
「未信のものでも往生のためには宿善厚くするために破邪顕正しなさい」の意味で解釈しておら
れるのでしょうが、あなたの勝手な解釈ではなくて、原文とその前後も引用していただければ
ありがたいのですが・・。
671 :
505:04/06/16 08:26 ID:j0Vp4nDn
>>533 >20願で、願が相応してしまったら、これはえらいことですよw
332さんも
>>539などでご解説してくださっていますが、通行人さんは読まれたの
でしょうか?ちなみに会長さんはご著書のなかで「化土往生人」とおっしゃってい
ますが・・・。通行人さんの発言からは「化土往生人」の存在は否定されるということ
でしょうか。どのように「えらいこと」なのか、お聖教の根拠とともに説明してください。
あと、
>>554にもお答えいただきたいのですが(他の会員のかたでもお答えいただいて結構です)。
>>553 >三願転入の御心は、われわれは、必ず三願のどれかに相応しているということであるからです。
>>571で332さんが疑問を提出しておられますが、386さん、私からもこの部分をお聖教の
根拠の提示されつつ詳しく説明願います。
>>562 >善知識とは、この弥陀の願力に込められた仏心を体現することを使命とし、その尊行を実践するかたを
言います。 われわれの求道とは、その尊行のためにわが身を使っていただくことをもって、弥陀の光明に
遇わんとするものです。
つまり、「善知識という実在する人間の尊行のためにわが身を使っていただくこと」があなたの求道と?
386さんも善知識たのみ信心を表明されたという事ですか?
>むしろ、仏心を十方衆生に明らかにするという菩薩行に携われる、信前の者にとって万劫にも
得がたいチャンスです。
その菩薩行は崇高で尊いですね。ただしあなたが上機である、という大前提があります。
その菩薩行の実践は上機のかたに説かれるものであって、真宗の行ではありません。
673 :
386:04/06/16 09:46 ID:hhbVUg/z
>>644 >>どうも専用ブラウザは使い難いです。
>フリーソフト使わせていただきながら、申し訳ありません。ほんと当たり前に空気みたいに思ってました。
仏恩なんて屁とも思ってない根機だというのもいよいよあきらかですね。阿弥陀様は、そんな私の根機もお見通し
のうえでお礼の心と作法にまでなって下さってますね、お六字として。 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
「仏恩なんて屁とも思ってない根機だ」ということを、フリーソフトを「空気みたいに」使いながら、「どうも専用ブラウザは使い難いです」と、文句まで言っている己の姿気がついて、知らされたということね。
仏恩なんて屁とも思ってない逆謗の実機は、陀仏法に照らされて、直に見せられるもので、自分の余業から知らされるものではありませんから、無理はありません。
自力信心の悲しい限界を、吐露されたということですね。
674 :
386:04/06/16 09:54 ID:hhbVUg/z
675 :
386:04/06/16 10:42 ID:hhbVUg/z
>>626 >十分といっているその主語には、何が相当するのか?
「711さんは」という主語がつきます。
19願、20願は要らないということは、
救われるために、為すべきことはないということです。
弥陀からいうと、十分ということです。
>凡夫に十分などという時が、やってくる日はくるのでしょうか?
超世の悲願ききしより
われらは生死の凡夫かは
有漏の穢身はかはらねど
こころは浄土にあそぶなり
超世の悲願をきいて、弥陀に救われれば、「浄土にあそぶ」身になれると、親鸞聖人は仰せです。
足りないものの微塵もない、大満足の世界です。
ただ、救われれば、報謝の行には十分ということはありえません。
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
「身を粉にしても、骨を砕きても」足りない、報謝のこころを恩徳讃にお叫びですね。
676 :
名無しさん@3周年:04/06/16 11:06 ID:I72GdInp
ぶっしゅごねんかいって知ってますか?
彼女がそこに入ってるらしいのですが・・・
どんな教団なのですか?
677 :
名無しさん@3周年:04/06/16 13:27 ID:wwXY8Y6n
まだやってたのか。時間の無駄ですよ。会員の方。
「廃悪と修善は違う」「信前の聴聞は悪」などなど。
あいかわらず暴言はつづきます。
>>662 >曽無一善とはまた違って善が行える機であるということ
ですね。
曽無一善とは無漏善ができない、ということです。有漏善はできます。
>>670 >原文とその前後も引用していただければ
ありがたいのですが・・。
破邪顕正抄ぐらい自分で読みなさい。
678 :
名無しさん@3周年:04/06/16 17:33 ID:soVlLpXi
>菩薩行の実践は上機のかたに説かれるものであって
あいかわらずの根拠なしですね。
「19願の方便は十方衆生のため」というのは決着ずみ。
聖道門で19願で助かろうとするひとはいるかもしれませんが、19願は聖道門とはちがいます。
「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散」といえり。(愚禿鈔)
一切衆生に定機、散機、と別に逆謗があるのではなく、定機散機の実機は逆謗なのです。
679 :
名無しさん@3周年:04/06/16 17:43 ID:UsPvSZTZ
>>677 >破邪顕正抄ぐらい自分で読みなさい。
あいかわらずの根拠なしですね。
出せないなら、出せないって言えばいいのに。
680 :
505:04/06/16 18:06 ID:j0Vp4nDn
朝は全部入力しきれませんでした。今回も入力だけかもしれません。
>>563>>656 >>573で332さんがおっしゃっておられるように今生を除外していません。
>>564 >「宿縁」と「宿善」の用語のことについて、親鸞聖人が「宿縁」といわれている
から、「宿善」ではないかのような、誤解しやすい(?)ことを言われていることに
ついて。阿弥陀仏との「縁」になることを「善」というのであるから、こんな指摘
には全く意味がありません。
この蓮如上人の仰せに対してコメントしてみてください。
○「遇獲信心遠慶宿縁」と聖人のあそび置きたるは、「たまたま」といふは
過去にあふと云心なり。
○他宗には法にあひたるを宿縁といふ、当流には信をとることを宿善といふ。
信心をうること肝要なり。
>>575 >18願に相応していないのが信前の者の機ですから、 信前の者は、すなわち、19,20の
願の目当ての機であることに、「自動的に」なることは理解できますか。
全く理解できませんどころか異説ではないですか?332さんも
>>580でご指摘ですね。
>>577の名無しさんのご質問に答えてみてください。そもそも仏法は業感縁起です。
「私」抜きの仏法はありえません。十方衆生とは「わたし」あっての十方衆生ではないのですか?
極悪最下の「わたし」ですら救われているのであるから「わたし」以外のすべての衆生が救われ
る事にまったく疑問の余地がないご本願であった、と信知される、ということです。
681 :
505:04/06/16 18:07 ID:j0Vp4nDn
>>575 >善知識を預言者とならべる時点で、すでに終わっていますが、
横レス失礼しますが、386さん、あなたもまた恣意的に挙げ足を取る方なのでしょうか?
711さんは「善知識は預言者ではなく、」と仰っていますから、あなたの「善知識を預言者と
並べる時点で、すでに終わっています」とおっしゃる表現は不適切です。
あなたは「仏教はバラモン教ではなくて」と言うひとに対して、「あなたはすでに終わっています」
とでもおっしゃるのでしょうか?
>>506 >横の道に対する非難の理由が、誤解をする恐れがあるというものであるのに対し、
我々の根拠は、宿善であり、調熟の光明であり、遍照の光明です。また、19願であり、20願です。
110さんは蓮師の「御文章」はすべてが臨終説法でもある、といわれているのはご存知でしょうか?
正信偈また然りです。凡夫は火宅のなかで苦しみもがき焼け死にそうである存在です。善導大師も『往生礼讃』に
「恒に死王とともに居す」と仰せです。浄土真宗はこのように今にも焼け死にそうな、かつ善の出来ない人に
向かって、未来に向かって我が身の往生のために宿善を積みなさい、と説くような悠長な御教えではありません。
蓮師も仰せです。
「とおく宿縁をよろこぶ」といふは、今始めてうる信心にあらず、過去遠の昔より以来の御哀にて今うる信心
なり(拾遺御一代記聞書)。
宿善の善とは、阿弥陀仏のご本願に遇うことができえた過去への必然性の反省に基づくものであって、たとえ
自らの動作であっても「すべてが弥陀のはからいのなかにあった」、ということを意味するのです。
このことは同時に過去への必然性の喜びとなります。
682 :
505:04/06/16 18:10 ID:j0Vp4nDn
>>646 >他力になるまで、他力を聞き抜く。その原動力になるのは、自力なのです。
自力の肯定、礼賛は他流・他宗です、真宗ではありません。当流では自力は
「捨て物」です。
>>648 >18願に転入するのに、19願の実践は宿善となり、獲信の因縁になる、と言っています。
ですから未来に向かって宿善を厚くせよ、と明白に蓮師がご教示 された箇所があればご指摘いただけますか?
「往生のために定善十三観を勧められているのが真宗というご意見でしょうか?」にもお答えいただきたく思
います。スルーされているようですが以下の質問もご返答希望します。
「もし、この書を見聞せん者は、信順を因となし、疑謗を縁となし、信楽を願力にあらわし、妙果を安養に
あらわさん」(教行信証・後序) 質問:疑謗は宿善か否か?
>ひとえに、18願に一刻も早く転入することが勧められています。 それには、19願の実践が妨げになると
いうことは断じてない、という主張です。
理解不能です。あなたは横超の法門と横出の法門が同時に修行できるといっておられるのですか?
>>そして信前のひとの「真剣な聴聞、心を静めて行うお勤め」は定善行を行じているということでしょうか?
>無論、真の意味で定善ということではありません。
これまた理解不能ですね。機教相応しないものを行とはいいません。「真剣な聴聞、心を静めて行うお勤め」
はあなたの会では定善の行なのですか?そうではないのですか?
683 :
505:04/06/16 18:13 ID:j0Vp4nDn
>>649 >>あなたは「最高の報謝の道は、破邪顕正であり、 その根拠は自信教人信のお言葉である」
という主張ですか?
>その通りですよ。この件は上の方にあったので、もうお分かりでしょう。
いいえ、わかりません。あなたの説(称名=破邪顕正??)によれば、真宗の教えは
「信心正因、称名報恩」を「信心正因、破邪顕正報恩」と言い換えてもいいということでしょうか?
祖師の「大行とは、無碍光如来の名を称するなり。」(行文類)の仰せは、「大行とは、破邪顕正なり。」
と言い換えても構わないとでも?
>>651 >宿善厚い人は早く救われるから、宿善を厚くするよう 心がけることはとても大切ですよ、と言われ
ているのに、
どこで仰せですか?具体的な箇所を指摘してください。
>>652 >ボーっとしていては救われないのですか。じゃあ我々の行が関係あるんですね。
「ボーっとしていては救われない」→「我々の行が関係ある」は必ずしも成立しません。
真宗は凡入報土の法門、果上顕現の法門です。真宗では、凡夫自力の計らいを捨てて
「教と仏語」に随うべきである、と説かれるべきです。そういう意味でボーっとしてい
ては救われないと申しました。
>>655 >弊害も何も、信前はそこから脱することはできません。
かくして、救いまでには図のように時間を要するのだ、という迷妄からは永遠に抜け出せず、
「脱することはできません」にあぐらをかいて、聴聞の合間にザイセ・勧誘行為を一生懸命に
行じては、そこに安心立命を見出すということでしょうか。
684 :
505:
>>652 >六度万行は、本来、菩薩の行で、凡夫にはとてもできない大変尊い行です。 その真似事でもさせていただく
ことは、大変すばらしい善なのです。
六度万行という行が凡夫不耐で、機教相応しない行であることはお認めのようですね。
機教相応しない行の危険性については既に過去ログ(呆戦・・・仁義なき親鸞会法論 Vol.2)で述べられています。
わたしが説明するよりも祭り大好き!!さんのご説明を直接引用したほうが理解しやすいと思われますので恐縮で
すが引用させていただきます。
>誰が、機に合わない教えを説けば善でも悪因になると言いましたか。 数息観・骨鎖観そのものが、悪因では
なくて、その機根でない者( 実践能力の無い者)が、修すればその行(行体ではなく能修の機に 約してます)
が悪因になると言ってるのですよ。邪見も次の苦果を 引く悪因ですが、その邪見を引き起こす行はその邪見の
悪因でしょ う??『白道燃ゆ』引用の明遍僧都が見た法然上人の譬えをどう解釈 されているのでしょう??
(>482 :祭り大好き!! :02/10/30 00:48)
さらに、
>釈尊は、舎利ホツ尊者が、弟子の機根を見誤って不相応の「善行」を弟子に 修行させたことを叱責されたん」
ですよ。それについてはどうお考えですか?? (485 :祭り大好き!! :02/10/30 01:10)」
この二つのエピソードに関しては親鸞会側の反論は未だありません。改めてご説明願います。
>立派な、と言いましたね。どう立派なのか説明してください。どうして、絶対に救われないことが
立派なのですか?機教相応さえすれば往生、成仏できる教えだから立派なのです。しかしわれわれ凡夫
には高嶺の花であって十八願の法門=浄土真宗を勧められたのが祖師です。
「ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。」(化身土巻)
六度万行を含む聖道の難行は機教相応していないがゆえに行証久しく廃れた、と祖師も仰せです。