>>479 >とにかく清澤満之読め
そんなもんは青二才のあんたが勝手に読んで、感心してればいい。そのうち夢
の中に「清澤満之の霊」がお立ちくだされば、お告げでも戴けるだろう。
僕は忙しいんだ。しなけりゃならんことは山ほどある。いまさら仏教から学ば
なければならんもんなんか、僕にはもう、何一つ無いんだYO。
>>480 >この見解では信心はただの習得物って事になるんですけど・・。
<僕はあんたの家庭教師じゃないよ。分からんことは自分で考えなさいな。>
>>485 >音楽を愛する人が飽き足りなく音楽を聞くことに喩えてらっしゃいましたね。
地方芸能に説経節というのがあるそうだ。浪曲の原型とも聞いた。
仏教と芸能とをはき違えてる人は昔からいたようだ。
クラシックといえば、バッハ・ベートーベンあたりが一流だろう。歌謡曲と言
えば美空ひばりを超える歌手は、まだ出てないようだ。気休め節、能書き節、開
き直り節など、三流ボーズの演奏でも、観客が下痢を起こさない内がお慰みだな。
>>491 > 葬儀屋の道具に成り下がった坊主の道も、もはやこれまでか。報恩講も、もうすぐ。また、いそがしくなるな。もう一つ仕事をやらないと食っていけない現実を本願寺はどうとらえているのか。