あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
151 :
名無しさん@3周年:04/05/29 13:32 ID:j2EPrdij
親鸞会の批判をする者に向かって、
誤解曲解だ、誹謗中傷だ、などと非難するのはまあまだいいかもしれないが、
平気で「もはやあなたがたは手遅れだ」と決めつける会員が多い。
親鸞会では、阿弥陀仏の前にも手遅れな者がいるのだという。
何とも無慈悲な仏様もいたものだ。
↑無茶苦茶やなあ。
別に数えたわけでもないのに、そういう会員が多いだの何だの。
153 :
名無しさん@3周年:04/05/29 22:05 ID:hs9PNjYI
親鸞会のスレは本当に荒らしが多いね
誰の仕業か…
154 :
名無しさん@3周年:04/05/30 01:17 ID:3n6B5doi
自分たちの実態と関係ない空論の19願の話題なんかにはかぶりつくが、
実際自分が救われたのかという問いや、親鸞会の実態が書かれると下らないコピペ荒らしや罵倒しか出来ない可愛そうな会員さん。
2chでカキコしてるひよっこ会員のせいで、親鸞会のイメージがますます悪くなる…。
155 :
名無しさん@3周年:04/05/30 01:19 ID:3n6B5doi
自分たちの実態と関係ない空論の19願の話題なんかにはかぶりつくが、
実際自分が救われたのかという問いや、親鸞会の実態が書かれると下らないコピペ荒らしや罵倒しか出来ない可愛そうな会員さん。
2chでカキコしてるひよっこ会員のせいで、親鸞会のイメージがますます悪くなる…。
156 :
名無しさん@3周年:04/05/30 01:33 ID:k/MvoUuK
>>154-155 >2chでカキコしてるひよっこ会員のせいで、
>親鸞会のイメージがますます悪くなる…
ひよっこは2ちゃん禁止でつ。あらしは仔牛がやるんだよw
157 :
名無しさん@3周年:04/05/30 13:39 ID:32RC8As9
>>152 数えてたら、きりがないな。
安楽椅子程度で手遅れになる、って会長が言ってるんだ。
それで十分だろ。
親鸞会ってスーフリとどっちが問題?
159 :
名無しさん@3周年:04/05/30 16:37 ID:x3VmeylN
どっちも問題・社会悪。
比べるにしても基準によるが、それ以前に比べるものではないだろう。
160 :
親鸞会のダミーサイト:04/05/30 18:05 ID:tpDEfnaR
おまけに、親鸞会watchって、消滅したから、ダミーにならんよな。
164 :
名無しさん@3周年:04/05/30 18:37 ID:nVmWs+Sa
>>162 確かに“元”ダミーの間違いだな。
>>163 消滅した→潰された
googleで、”親鸞会 豊田商事”とか検索したらキャッシュ残ってたから、
完全に消滅した訳でもないと俺は思う。
なるほどキャッシュねー。
本体がなくなると、じきキャッシュも消えるよ。
>>消滅した→潰された
いや、消滅だよ。
一時期、プロバイダーの案内が出てたよ。なんでも無料サービスが有料になるので、続けたければ金はらえ、って英語で書いてあったからね。
管理人は、金はらってまで続けようとは思わなかったんだろうね。
167 :
名無しさん@3周年:04/05/30 18:51 ID:nVmWs+Sa
>管理人は、金はらってまで続けようとは思わなかったんだろうね。
憶測か、つまらん。
うん。憶測。
自分たちには難しすぎて議論出来ない19願の話題なんかにはレス出来ないが、
実際自分が救われたのかという問いや、親鸞会の実態が書かれると得意になって過去ログコピペやリンク張りしかできないかわいそうな竜粘性さん。
2chでカキコしてるひよっこ退会者のせいで、2chの書き込みの信憑性がますます低下する…。
170 :
名無しさん@3周年:04/05/30 20:18 ID:VukjVWIA
↑親鸞会って言ってることとやってることが全く違うという好例w
廃悪修善・・・ハア?
171 :
名無しさん@3周年:04/05/30 20:46 ID:3CIVKVCy
>>165 >本体がなくなると、じきキャッシュも消えるよ。
そうですね。
早く消えると良いですね。
でもそれで会が蒔いた悪い種も一緒に消えるんでしょうかね。
消える訳ありませんよね。
むしろ増えちゃいますよね。
竜粘性って誰?
?
親鸞会の高森氏が、詐欺の豊田商事へ「造悪無碍」を説いていたって話は本当?
本当なら今現在、その過去をどう取り繕っているの?
んなもんない。
ひよっこ退会者って何だ?
179 :
名無しさん@3周年:04/05/30 21:48 ID:HOI8BffN
>>176 財施を勧めただけ。取り繕う必要もなし。
豊田商事は詐欺で騙し取った金を親鸞会への財施に充て
親鸞会はその金を浄財としておいしく受け入れただけの話。
ウマー
あぼーん
1001って、誰?
つまらんカキコすんな。
最近、つまらん。
あぼーん
できるかよ。
できるかよ。
あぼーん
あぼーん
友達にみえません。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
なんなんだ?
あぼーん
あぼーん
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あんた、変だよ。
あぼーん
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1いじめなのか?
あぼーん
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?
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キター!
あぼーん
お前、夜更けにごくろうさん。
あぼーん
豊田商事の件は当時の新聞にすら出たって聞いたぞ。
だいたい、あんな詐欺集団とつるむ時点で親鸞精神に反しているな。
>>241 ID:HrtCbLbx
一々相手にするな。
親鸞会のヘタレが馬鹿を晒しているだけだ、ほっとけ。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>252 削除依頼が通りにくくなるんだよ
放置しろ
アホな……
あぼーん
あぼーん
>>255 >削除依頼が通りにくくなるんだよ
なるほど、分かった。スマソ。
>>259 削除依頼は簡単に通ると思う。
ただ親鸞会シンパが荒らしているという証拠も隠滅されてしまうのが難点だ。
んなわけで親鸞会のコピペ馬鹿を、もう少し晒すつもり。
別にたいした難点でもないだろ。
にゃるほど。
しかし、ID違うぞ。
つーか、どっちが本スレか分からんな w
しかしまあ、あっちが本スレにしても、法論になっているから、あっという間にスレ埋まって消えそうだね。
どーでもいい。
スレ立てる香具師も、荒らす香具師も、同レベル。ウザイよ、糞が。
あぼーん
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guest
guest
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衣替え、梅雨…夏に向かって準備する6月に突入しました。
今年ももう半分!早いですね〜ッ(゜〇゜;)
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309 :
名無しさん@3周年:04/06/02 21:32 ID:FKkM0WaP
/  ̄ ̄ ̄ )
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||−[ (。)][(゜ )]
|| つ |
|| __) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ <新入生は、最低月5万円はお布施するように!
/ \_____________
310 :
名無しさん@3周年:04/06/02 21:43 ID:Ns2SRtsK
それに諸活動費(特に交通費)を入れると死ねるな。
まあ月5万は無いとしても、取立てが厳しくなってたりはするかもね。
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325 :
名無しさん@3周年:04/06/04 12:09 ID:PFXLJh/n
久しぶりにここきたけど。
親鸞会終わってるね。
もはやネタにもされないとは。
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「本願寺を糾弾する」浄土真宗親鸞会
「白道燃ゆ」浄土真宗親鸞会
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382 :
:04/06/09 00:01 ID:HwZrd5q0
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小説だと思って見ていてもひどすぎます
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久しぶりに来ましたが、凄い荒らされようですね。
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412 :
名無しさん@3周年:04/06/12 01:16 ID:aq0pkx5Q
420 :
名無しさん@3周年:04/06/12 16:29 ID:IFe+xVU8
ダミーページばっかり作ってる会員が、
ホームページの作り方のアドバイスか。ww
あぼーん
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426 :
名無しさん@3周年:04/06/13 01:30 ID:+8qzsrWi
これは何?古い過去ログか?
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497 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/16 23:40 ID:1SlN43ju
>>678(「楽しく語ろう親鸞会」スレの)
あっちのスレが一杯になりましたのでここへレスさせていただきます。
>「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散」といえり。(愚禿鈔)
横レス失礼致します。
「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散」といえり。(愚禿鈔) は、善導大師の「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散なり。
もし定行によれば、すなはち生を摂するに尽きず」(『序文義』)の一文のご引用ですね。親鸞聖人は、『愚禿鈔』で「一乗機教」の機について判釈され
「「二機対」(自力と他力)・・・(中略)以上、十八対、ニ機につくべしと、知るべし。また二種の機について、また二種の性あり。
二機とは、一に善機、 二には悪機なり。
二性とは、 一には善性、 二には悪性なり。
また"善機について"二種あり。一には定機、二には散機なり。『疏』(序文義)に、「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散なり」といへり。」
(" "は私)となってる通り、一切衆生"全て"が定散諸機であるとは仰ってないのですが。
498 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/17 00:23 ID:DVFy7Cua
>>677(「楽しく語ろう親鸞会」スレの
>曽無一善とは無漏善ができない、ということです。有漏善はできます。
横レス失礼致します。
『無量寿経』(五悪段)の「曽無一善」というのは、無漏善のことのみでしょうか? また弥勒菩薩のような聖道の聖者のことも入っているのでしょうか?
「仏、弥勒に告げたまはく。『汝ら能く此の世において、端心正意にして、衆悪を作さざるを甚た至徳とす。十方世界、最も倫匹なし。ゆゑはいかに
、諸佛国土の天人の類は、自然に善を作して、大に悪を為さず、開花すべきこと易し。今われ此の世間において、作佛して、五悪、五痛、五焼の
中に処すること、最も劇苦なりとす。羣生を教化して、五悪を捨てしめ。五痛を去らしめ、五焼を離れしめ其の意を降化して、五善を持ちて、
其の福徳度世長寿泥?の道を獲しむ。仏のたまはく。なにらか五悪、なにらか五痛、なにらか五焼なる。なにらか五悪を消化し、五善を持ちて、其の福徳度世長寿泥?の道を獲しむる。』と佛の言たまはく。『その一悪とは、諸天人民蠕動の類、衆悪を為さむと欲す。
の道を獲しむる。・・・』とあって「五悪」の説明があり、
「佛の言たまはく。その五悪とは、世間の人民、徒倚懈惰にして、肯て善を作し、身を治め、業を修めず。家室、眷属、飢寒困苦す。
父母教誨すれば、目を瞋らして、怒りて応ふ。言令不和にして、違戻し反逆す。譬ふれば怨家のごとし。子なからむにはしかじ。取与節なくして、
衆ともに患へ厭ふ。恩に背き義に違ひて、報償の心あることなし。貧窮困乏にして、また得ることあたはず。コ較縦奪にして
、ほしきままに遊散す。しばしば唐らに得るに串ひて用ひて、自ら賑給す。酒に耽み美を嗜みて、飲食はかりなし。心に蕩逸し、魯扈牴突して、
人情を識らず。強ひて抑制せむことを欲す。人の善あるを見ては。憎嫉してこれを悪む。義なく、礼なくして、顧難するところなし。
自ら用て職当して、諫暁すべからす。六親眷属の所資の有無、憂念することあたはず。父母の恩を惟はす。師友の義を存ぜず。心つねに悪を念ひ、心つねに悪を言ひ、身つねに悪を行ひて、曾て一善もなし。」
499 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/17 00:41 ID:DVFy7Cua
>>677(「楽しく語ろう親鸞会」スレの)の補足。
おなじく祖師(親鸞)の御門流と号するやから、因果撥無といふことを持言とすること、いはれなき事。
それ三経のなかにこの名言をもとむるに、『観経』に「深信因果」の文あり、もしこれをおもへるか。
おほよそ祖師聖人御相承の一義は、三経ともに差別なしといへども、『観無量寿経』は機の真実をあらはして
所説の法は定散をおもてとせり。機の真実といふは、五障の女人・悪人を本として韋提を対機としたまへり。
『大無量寿経』は深位の権機をもつて同聞衆として、所説の法は凡夫出要の不思議をあらはせり。
大師聖人(親鸞)の御相承はもつぱら『大経』にあり。『観経』所説の「深信因果」のことばをとらんこと、あながち甘心すべからず。
たとひかの『経』(観経)の名目をとるといふとも、義理参差せばいよいよいはれなかるべし。そのゆゑは、
かの『経』(同)の深信因果は三福業の随一なり。かの三福の業はまた人・天有漏の業なり。なかんづくに深信因果の道理によらば、あに凡夫往生の望みをとげんや。づ十悪において、「上品に犯するものは地獄道に堕し、中品に犯するものは餓鬼道に堕し、
下品に犯するものは畜生道におもむく」といへり。これ大乗の性相の定むるところなり。もしいまの凡夫所犯の
現因によりて当来の果を感ずべくんば、三悪道に堕在すべし。人中・天上の果報なほもつて五戒・十善まつたからずは、
いかでか望みをかけんや、いかにいはんや出過三界の無漏無生の報国・報土に生るる道理あるべからず。
しかりといへども弥陀超世の大願、十悪・五逆・四重・謗法の機のためなれば、かの願力の強盛なるに、よこさまに超截せられたてまつりて、
三途の苦因をながくたちて猛火洞燃の業果をとどめられたてまつること、おほきに因果の道理にそむけり。もし深信因果の機たるべくんば、
植うるところの悪因のひかんところは悪果なるべければ、たとひ弥陀の本願を信ずといふとも、その願力はいたづらごとにて、
念仏の衆生、三途に堕在すべきをや。もししかりといはば、弥陀五劫思惟の本願も、釈尊無虚妄の金言も、諸仏誠諦の証誠も、
いたづらごとなるべきにや。」(『改邪鈔』)
これによっても「浄土真宗」は、われわれに「自力作善」をお勧めなのではないのがおわかりと思います。
500 :
名無しさん@3周年:04/06/17 01:08 ID:+iZUoU/f
釈迦の教えというのは本来、釈迦が生前に述べた教えをその弟子たちがまとめた
巻物がインド各地に伝わっていて、それを中国語に訳したいわゆる「お経」が
それにあたるのである。お経の中に親鸞の信仰の対象である「浄土三部経」も
含まれてはいる。だが浄土三部経は釈迦が比較的若い時代に説いた教えである。
三十歳で出家し教えを説き始めた釈迦は七十数歳になって法華経を説き、
その中で「巳説今説当説最為第一」(今までに述べた教え、法華経と並行して説く
教え、法華経以降に説く教えの中で法華経が最も第一である)「四十余年未顕真実」
(四十余年間未だ真実を顕さず)「正直捨方便」(正直に方便を捨てよ)と述べて
釈迦が本来広めたかった教えは法華経であり、法華経以外の全ての教えは方便の教え
であるから正直に捨てなさいと述べられたのである。従って仏教は仏の教えであり
釈迦の教えである以上、仏教と名乗るからには法華経すなわち妙法蓮華経を信ずるのが
唯一正しい。南無は中国語で「信ずる」。つまり法華経を信じ、南無妙法蓮華経と
唱えることが本当の仏教なのである。
生命を大切にこれは仏法の根本です、などといったら「そんなこと仏法でなくったって、みんな知っていることだ」と笑われるかも知れない。
しかし、本当に知っているんでそうか。
知っているつもりで気がついていないことって以外と多いんじゃないですか。
そんな事柄を、ほんの少しずつ、考え直してみたいと思います。
さて、そこで「生命を大切に」です。例えば交通安全の標語にもこれに似たのがよくあります。
ところが、よく考えてみると、そうした標語のウラには、交通課のお巡りさんのエゴも含まれているんじゃないかしら。
つまり、自分の管内だけは死亡事故のないようにと願ってはいるが、隣りの警察のことは感知せず。
いや、そっちより成績が良ければバンザイなんて気持ちあるんじゃないでしょうか。
>>501 これはお巡りさんだけのことじゃない。
わたしだって、あなただって、命尊し、なんていっているけど、結局それは、自分だけの命であって、お隣りさんや、ライバルの命はどうなったってかまわないんじゃないですか。
ホラ、台風それた、なんて喜んでいるんじゃないですか。それなかったところで死者が出てもだ。問題ですね。
>>502 仏法でいう命とは、そんなんじゃない。
この世の生きとし生けるもの、すべての命を大切にしようといっているんです。
人だけでなく、イヌもネコも、トラもパンダも、花も木もです。
これに気がつけば、世の中、ちっとはましになるんじゃないかと思うんですがねえ。
「スプーンはおいしさを知らない」という意味のことばが、古いお経の中にあります。
どんなごちそうが用意されても、スプーンはただ、お皿から主人の口へごちそうを運ぶだけの道具でしかないのです。
では、おいしさを味わうのはいったいだれか?それはもちろん味わう舌を持ったあなたです。
でも、いかがでしょう。ほんとにわたしたちは人生のおいしさを味わっているのでしょうか。
>>504 たとえば朝、目がさめる。
(あーあ、今日も一日田んぼか・・・)
(あーあ、今日も一日会社勤めか・・・)
(いやだなあ、くる日もくる日もおさんどん・・・)
こんなことを感じるようでしたら、あなたは人生のおいしさを知らない「道具」になり下がってしまっているのですよ。
506 :
名無しさん@3周年:04/06/17 12:51 ID:DXsrT2/T
>>497 >『疏』(序文義)に、「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散なり」といへり。」
(" "は私)となってる通り、一切衆生"全て"が定散諸機であるとは仰ってないのですが。
また始まった。暴なんとかの暴論。
「一切衆生」と書いてあるから一切衆生だと言っているのに「そうではない」と仰る。「信前の聴聞は悪」という人ですから無視してよいでしょう。
続きは「もし定行によればすなわち生を摂するに尽きず。ここをもって如来、方便して三福を顕開して、もって散動の根機に応じたもうことを明かす」
「生を摂するを尽くすために三福をあらわした」とのおおせですね。
「この十六観の法を説きたもうは、ただ常没の衆生のためにして大小の聖のためにせずということを証明す」(玄義分)
「観経の定散二善を説きたもうことはただ韋堤および仏滅後の五濁五苦等の一切凡夫のために証して、生ずることを得とのたもう」(散善義)
定散二善は五濁の凡夫のため、との仰せです。
「観経の定善および三輩上下の文の意を看るに、総じてこれ仏世を去りたまいて後の五濁の凡夫なり。ただ縁に遇うに異なることあるをもって九品をして差別せしむ。」(玄義分)
九品は何が異なるのか。縁が異なるのであって五濁の凡夫であることにかわりはありません。
507 :
名無しさん@3周年:04/06/17 13:02 ID:mSRd1JVC
>>489 有漏善はできない、という根拠は結局どれですか?
廃悪と修善は違うという根拠もお願いします。
>>499 「十八願の世界に入るのに、十九、二十願のお導きは必要か、不必要か」という話ですよね。
「十八願が真実か十九願が真実か」なんてだれも話してないんですよ。
「お導きは余計なお世話」は歴史に残るぶっとび発言ですね。
あわてて修正してもみんな見ちゃってますから。
「教えを聞く必要があるかどうかは知らない」そうだから話するだけ無駄でしょうが。
508 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/17 18:11 ID:HijRjQMs
>>506 >定散二善は五濁の凡夫のため、との仰せです。
>>499であげましたように、覚師が、「おほよそ祖師聖人御相承の一義は、三経ともに差別なしといへども、
『観無量寿経』は機の真実をあらはして所説の法は定散をおもてとせり。機の真実といふは、五障の女人・悪人
を本として韋提を対機としたまへり。『大無量寿経』は深位の権機をもつて同聞衆として、所説の法は凡夫出要の不思議
をあらはせり。大師聖人(親鸞)の御相承はもつぱら『大経』にあり。」(『改邪鈔』)と御教示の通り、聖道諸師や、
善導大師の師の道綽禅師でさえ、「観仏為宗」と釈された『観経』を、善導大師は「念観両宗」と釈され、それを更に
法然上人は「念仏為宗」、親鸞聖人は「信心正因」と時代を下る毎に、「おもてとせる釈相」=顕説を廃し、裏の釈意の
実義たる「凡夫出要の不思議」(『大経』所説の弘願念仏=『観経』下々品の十念)を彰かにされてきたのですから、
上の『疏』の御文を親鸞聖人が彰かにされた「機法の真実」=「浄土真宗の御法と対機の真実の意(こころ)」で読み替えますと、
「この弘願念仏(他力念仏=下々品の十念)を説きたもうは、ただ常没の衆生のためにして大小の聖のためにせずということを証明す」
「大経の弘願念仏(観経下々品の十念)を説きたもうことはただ韋堤および仏滅後の五濁五苦等の一切凡夫のために証して、
生ずることを得とのたもう」
ということになりますね。(つづく)
509 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/17 18:13 ID:HijRjQMs
>>506の続き
「浄土真宗」は、「五障の女人・悪人」を対機として、「凡夫出要の弘願念仏」を勧める宗旨であり、
「定散二善を勧める」=「定散をおもてとする」のは、"浄土真宗の教えではなく浄土仮門=浄土他門の教え"というのはよろしいですね。
「浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり。仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、
定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。方便仮門のなかにまた大小・権実の教あり。」(『御消息』)
この御文は、(これも横レススマソですが)「楽しく」スレの>>678の>「19願は聖道門とはちがいます。」への反証でもありますね。
親鸞聖人は、自力門を"一様に"「方便仮門」と呼ばれ、「聖道門」に対して、特に「浄土仮門」をお勧めではないですね。あと、何故、
>>497で私があげた『愚禿鈔』の「二機とは、一に善機、二には悪機なり。(中略)また、"善機について"二種あり。一には定機、二には散機なり。」を無視されるのでしょうか?
510 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/17 18:14 ID:HijRjQMs
>>507 >有漏善はできない、という根拠は結局どれですか?
>廃悪と修善は違うという根拠もお願いします。
「廃悪と修善は違う」とは書いてませんが。有漏善につきましては、弥勒菩薩等が「能く此の世において、端心正意にして、
衆悪を作さざるを甚た至徳とす。」と言われ、「此の世間の羣生(われわれ)」が、「曾て一善もなし。」と言われている「五悪」の戒めは、
覚師の言われる「かの三福の業はまた"人・天有漏の業"なり。」とは違うというのでしょうか? 「酒に耽み美を嗜みて、飲食はかりなし。」
「心をほしきままにに蕩逸し、魯扈牴突して、人情を識らず。」「人の善あるを見ては。憎嫉してこれを悪む。義なく、礼なくして、
顧難するところなし」「父母の恩を惟はす。師友の義を存ぜず。」などと何だか「身に覚えのある事」wばかりですね。この(止悪の)善根は、
「有漏善」ではなく「無漏善」であるという根拠は何でしょうか? 尚、この個所は、異訳の『大阿弥陀経』では「不畏防禁、飲食無極、
喫酒嗜美、出入無有期度。魯扈抵突、不知人情、壮吁強制、見人有喜憎妬恚之、無義無礼、自用識当不可諫暁。亦復不憂念父母妻子有無、
又復不念卒報父母之徳。亦復不念師之恩好、心常念悪、口常言悪、身常行悪、日不成就。」となってますね。
思い出しましょう。あのウドのことを。漢字で書くと「独活」となります。ひとり活き活きです。
しかし、ウドは本当にひとり活き活きなのだろうかということを。
ウドは大自然のめぐみを一身にうけて、スクスクと育つのです。
そして、わたしたちは・・・
>>511 そうです。わたしたちも同じです。
ひとりで活き活きと生きてゆけるほど強くはありません。
あらゆるもののおかげによって、わたしたちは、生かされてゆくのです。
それがわたしの本当の姿であり、それを教えて下さったのが如来様です。
「おかげさまで生かされ、ありがとうと生き抜きましょう」と、おっしゃった前門様のおことばを、深く心にきざみながら、御恩報謝の日々をお送りください。
513 :
呆:04/06/17 21:20 ID:7LxcgMfW
久しぶりにきてみたら。
強制IDになってんのね。
はぁ。
514 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/17 21:31 ID:+P7cwldC
>>507の補足
>有漏善はできない、という根拠は結局どれですか?
>>509で書きましたように、「浄土真宗」は、「弘願門」を“真実の法門”として勧め、真門(二十願)、要門(十九願)を仮門と
しています。507氏は、十九願の定散諸善を、「有漏善」であり、更には「われわれが実践可能」としているよう
ですが、仏道修行の基本中の基本は「帰依三宝」であり、所修の法門の「真実」なることへの「信」
が不可欠なのはよろしいですね(異論がおありなら、「根拠」を提示のうえでお願いいたします)。そうしますなら、
親鸞聖人の教判を否定して、十九願などの「仮門」を「真実の法門」と“信じて”実践される場合は、宗祖の決判
に信を置いてないわけですから、当然に「間違い」ということになり、「定散二善」は“実践できない”ということですね。
一方、十九願などを「仮門」と信じて実践するとしたら、所修の法門の「真実性」に信を置いてないわけです
から、これも定散二善の法門を“実践”できないということになりますね。
いずれにせよ、われわれは、定散二門を実践して善根功徳を積むことは「不可能」だということです。
「善いことをするということは、ひょっとしたら悪いことで、悪いことをしたと思うことは善いことかも知れません」
―こんなことをおっしゃったお坊さんがいらっしゃる。最初は、ナヌ?!と思った。
いいことはいいことで、悪いことは悪いことと決まっているじゃないか、と思った。あなたもそうでしょう。
>>515 ところが、仏教では善悪の表面ばかりを見るのではありません。その行為の奥にひそむこころまでをも問題にします。
そうしたらどうでしょう。
いいことをしたときは、心の中に、いてやったり!の自慢の心、うぬぼれの心がムクムクとわいてきて、ハナもちならない。
「一日一善!」もいいけれど、それ以上にわたしたちは、心の中で、毎日悪を重ねているんです。
>>516 だから悪いことをしたとき、こんな私にだれがした、なんて居直るんじゃなくて、本当に悪かったと反省する心が出てくれば、
それは、これからの善につながることなんだから、ひょっとしたら、いいこと、かもしれない、というんです。
いかがですか。このように考えていくと、世の中のことすべて、何が是か、何が非か、何が邪か、何が正か、まるでわからなくたってくるんじゃないですか。
しかし、それこそが大事なこと。わかったような顔してるヤツにロクなのはいないんだから。
518 :
505 ◆KMygoBAW7k :04/06/18 04:27 ID:hD1lxhvg
332さん、お疲れさまです。私もこちらに続きを書き込みします。
ご縁があって関係者がお読みになりましたらお返事いただければ幸甚です。
>>(前スレ)653
>自力の人が他力に入れるのなら、自力から他力でしょう。
「たとえ自力の延長線上に」という意味の意図がないとしても、浄土真宗においては
「自力から他力」のような言い回しをすべきではありません。
「自力を捨てて他力へ」の教えが浄土真宗であるからです。
>大体、念仏を誹謗した日蓮に「上人」などとつける者は真宗人ではない。
あなたは「念仏誹謗の有情は」の御和讃を、まさか「念仏を謗った日蓮は罪として地獄へ
堕ちるのだ」と理解しているのではないでしょうね。あのご和讃は「わたし」に対して
恐れ多くも教えられた以外のなにものでもありません。そもそもすべての存在はあなたの
善知識ではないのですか?
ましてや日蓮上人は、身をもって念仏誹謗の罪の恐ろしさを教えてくださっておられるの
ではないですか?
「弥陀・釈迦方便して阿難・目連・富楼那・韋提達多・闍王・頻婆娑羅耆婆・月光・行雨等」
(浄土和讃)
祖師は悪逆のダイバダッタですら提婆尊者と権化の人とみておられます。
あなたの理屈からいけば、悪逆のダイバダッタに尊者などつけた親鸞聖人は「真宗人ではない」
ということでしょうか?
519 :
505 ◆KMygoBAW7k :04/06/18 04:56 ID:hD1lxhvg
>>506 >「一切衆生」と書いてあるから一切衆生だと言っているのに「そうではない」と仰る。
横レス失礼します。
親鸞会の「一切衆生」の理解は、非常に特異なものです。
「わたし」抜きで仏法はありえず、祖師も「この最下の極重悪人ですら救われた。
だから、自分以外のすべて(それゆえ一切衆生)が救われることには全く疑問の
余地がない」という観点からの「一切衆生」(十方衆生)と味わっておられます。
そして如来のご方便であった十九願、二十願を信知して久遠の過去からのご照育を喜ばれたと
同時に、無常迅速の凡夫に対しては化身土巻において十九願、二十願を迷い道として廃立され、
十八願真実の法門のみを勧められたのです。
ところが親鸞会式十九願、二十願における「十方衆生」の理解は、「十方衆生が行じなければ
ならない」という行道としての「義務」の義として捉えているようで、その結果、十九願、
二十願を修行マニュアルのようにみなしている極めて特異な理解です。
「一切衆生」で思い出しましたが、「一切衆生 必堕無間」の経典上の根拠はしばしば
尋ねられていますが、いまだに誰も挙げることができません。
「一切衆生 必堕無間」は一般では全く通用せず、親鸞会内部だけで通用する用語という
ことですか?
520 :
名無しさん@3周年:04/06/18 08:43 ID:JBK1MoI9
>>508 >覚師が
「善導大師と覚如上人の教えられたことは違う」ということでしょうか?
誰も「弘願が真実かどうか」なんて議論してませんが。
まとはずれな解答でがっかりしているというか、やっぱりなという感じです。
>>509 >二機とは、一に善機、二には悪機なり。(中略)また、"善機について"二種あり。一には定機、二には散機なり。
お言葉のとおり「機は善機と悪機がある」ということですが、何が問題なんですか?このお言葉を「善機と悪機は別の人」と思うひとがあるから「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散なり」とお言葉を加えられているのです。根拠は前にあげたとおり。
>>510 有漏善はできないという根拠は結局どれなんですか?
お聖教の根拠をお願いします。
廃悪と修善は同じということで了解いただきました。(あたりまえなんだけど。)廃悪がすすめられているということは修善をすすめられているということで決着しております。
>>519 まあ結局あなたも「一切衆生」と書いてあっても「そうではない」と言いたいわけですね。「必堕無間」のはなしは何回も解答ずみ。ご法話でもお話されていますし。
「我が心にまかせずして法をたしなめ。」
蓮如上人の五番目の子にあたる実如上人の言葉です。仏法をたしなむうえでの心がけをつねづね人に語っておられたといわれます。
「我が心」にまかせた生き方とはどのようなものでしょうか?
>>521 私の心にしたがって生きていくならば、仏法より遠ざかり、仏語に耳をかたむけず、私の快しとする気分を求める生き方をしていきます。
当然そこにはその気分を邪魔する存在と助けてくれる存在があります。
その二つを支配しながら生きる姿、それが私たちの本性にある仏教嫌いでありましょう。
この心を見据えて「その心に従うな。」と言われるのです。
「我が心」をどこまで追い求めても、ほんとうの安らぎはないのです。
523 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/18 16:15 ID:EUxS/myW
>>520 >「善導大師と覚如上人の教えられたことは違う」ということでしょうか?
その御真意は同じでも、時代背景や対告衆の違いなどの理由により、その説相には、「穏顕の別」があると言っているのですが。
表向きの「顕義」(仮門)の「定散二善の勧め」は、浄土他門(他宗)の教相であり、穏の密意の実義である「選択本願=弘願念仏の
勧め」こそが浄土真宗であるとの親鸞聖人の御言葉は、>>509でも紹介した通りですがこれには異論がないということで
よろしいですね。定散二善の顕義を"文字通りに"勧めるのは「仮門=他宗」の立場であり、裏の実義(真宗)の立場で読み解けば、
表向きの「定散二善の勧め」は実は、"定散二善を勧めているのではなくて"「弘願念仏を勧めている」ということなのですが。それとも、
520氏は、「穏の実義」ではなくて「顕義」が浄土真宗であるという見解なのですか? はたまた、浄土真宗は、信後のみの教えで、
信前は、われわれは、先ず浄土他宗に入門すべきであるという御主張なのでしょうか?若しそうであれば夫々の根拠を提示の
上で解説お願い致します。
524 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/18 16:19 ID:EUxS/myW
>>520の続き
「時代背景や対告衆の違い」というのには、『大集経』などの三時説も問題になりますね。法然上人や親鸞聖人も、
この三時説の立場から、末法今時は、仏教の「教・行・証」のうち、「行・証」ともに廃れていると至るところで仰せなのですが、
これは異論がないですね。根機以前に末法の今は、そもそも「行」が廃れて無いのに、どうやって「諸善万行」の実践が可能なのでしょうか?
これもスルーのままですね(同一人物かどうかは不明ですがw)。
「浄土真実の教行信証」=南無阿弥陀仏は、三時に関わり無く、末法法滅万年まで残るのは言うまでも無いですね。
>>523 >>509でも紹介した通り→
>>509でも紹介した通り
525 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/18 16:22 ID:EUxS/myW
>>520の続き
>>520の続き
>このお言葉を「善機と悪機は別の人」と思うひとがあるから・・・
これも上の説明で既にお分かりと思いますが、善導大師の釈で言われる「定散」とは、親鸞聖人の彰かにされた実義でいえば、
「弘願念仏」なわけですね。「一乗海釈」は、「念仏諸善対釈」ですから、「第一義的」には、真仮の熟未熟に約して、
「善機」=「他力」「悪機」=「自力諸善」なわけです。「一乗円満の機は、他力なり。漸頓回向の機は、自力なり。」二機対の冒頭が、
「信疑対・賢愚対・善悪対・ 正邪対・・・」なのでもそれは自明ですね。「傍正」は、「人・天」を正機とし、機実の十悪・五逆等を「悪機」として
対置することで、「悪人正機」の理を表しているわけですね。この場合の「一切衆生」は、当然に(定散の義の裏に隠された実義の)「(他力)念仏の
機」なわけですね。他力念仏は一切衆生無差別平等対機の法ですから当然ですね。(続く)
526 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/18 16:25 ID:EUxS/myW
>>520の続き
善導大師の釈文当相の顕義に約しては、信前未熟の機の中に、「凡聖・善悪の相対」の差別を認め、善機のためには
従真垂仮して、十九・二十の自力修善の願を立て、以て従仮入真させることを表されているわけですね。親鸞聖人は、
自力未熟の機類の中にあきらかに五乗等の差別相を認めておいでで、その「善悪相対」に約しても、「弘願」は劣悪の機
お目当てである(根拠は別スレで何度もあげてますね)と教えられているのですが、異論があれば、根拠を提示の上でお願いいたします。
520氏の説では、「善悪相対」上の十悪・五逆の悪機は、いったん定散の善機に変身(転入?)してからでないと弘願に救われない
ということでしょうか? また、浄土真宗の常識に反して、親鸞聖人は、われわれに、「無戒」「非戒」ではなく「持戒」を勧められている
という御主張のようですが、例えば、漁師や猟師など「殺生」を生業とされている方は、転職しなければならないのでしょうか?
現代社会では、そうした職種は更に膨大の種類に及ぶと思いますが(製薬会社とか、食品関係もアウトのとこ多いですね)。
ここは、本来w新入生スレですから言いますが、学生さんの就職活動にも制約が課せられてるのでしょうかね。
527 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/18 16:40 ID:EUxS/myW
>>520の続き
>有漏善はできないという根拠は結局どれなんですか?
>お聖教の根拠をお願いします。
私は、「五悪段」の五善が、「人・天有漏の業」である「五戒」の内容としか思えませんので、、「曾て一善もなし。」は、
「有漏善」のこととしか読めませんので、520氏が「無漏善」だと主張される根拠をお尋ねしてるのですが(そもそも
「曾無一善」の話がきっかけですよ)。誤解の無いように付け加えますと、私は、わたしのような逆悪底下の泥凡夫は、
「有漏善」ができないと言っているのですが(弥勒菩薩等はできる根拠もあげてますね)。親鸞聖人でさえも「地獄は一定すみかぞかし」
と言われてるのも根拠ですね。最近では、「一切衆生必堕無間」(これの経典上の根拠も未だ不明ですが)は、取り下げたのでしょうか?
われわれが、五戒・十戒等の「人・天の有漏善」ができれば、『正法念処経』『十善経』等多数の経説によれば、「必堕無間」じゃ
なくなるのですが。それでも「必堕無間」であると言われるなら経典上で根拠をお願い致します。
あと、真宗でわれわれにに造悪が戒められるのは、「獲信」(往生)の善因縁としてではなくて、"今生ごと"としてなんですが。
しかしそのような心の中から、我が心を恥じ、ふっと仏様の言葉に耳を傾けようというこころがおこります。そのこころに導かれながら「法をたしなみなさい。」と言われるのです。
たしなむとは漢字で「嗜む」と書きますが、辞書によると、「老いて旨しとするもの。それに口をそえて嗜好の意とした。」とあります。仏法をたしなむものは、年老いても決して色あせることのない、実りあるいのちを味わっているのです。
>>528 うめくような悲しみ。得体もしれない、いいようのない深みからおそう不安。
その真只中にいるものをそっとつつみこみ、 その苦しみ、不安を我が子のごとく引き受け ほんとうのやすらぎあたえていかれる。
それが慈悲のすがたといわれます。
530 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/18 17:00 ID:EUxS/myW
>>520の続き
>>514はスルーされてますが「異論なし」ということでよろしいですね。もし異論があれば
根拠を提示のうえでお願いします。
これからビアガーデンなので、レスは明日以降になります。酔って仏語云々を嫌うひといますからね。
もっとも、晩酌は欠かしませんから毎夜のことではあるのですがw。
531 :
ROM厨:04/06/18 17:49 ID:+g8hk8w8
>>332氏
ブラウザ変更の所為もあるかもしれんが、改行するならもう少し短いほうが良いのでは?
勿論読む側の環境にも依るが、一般的にはID表示を少し越えた辺りがいいと思う。
全角で大体40字位かな。50字を越えてくると、むしろ改行しない方が良いかも。
以上、個人的なわがままで申し訳ないが、折角のカキコが少し勿体なく思えたので。
>>529 わたしたちは深き苦悩を背負っている人に、まごころのこもったことばをかけてあげることができるのでしょうか?
「医者とお坊さんは一度は死ぬほどの病をしなければならない」
そんなことを聞いたことがあります。ちょっと極端な言葉ですけど言わんとすることには頷けます。私の痛みを通してはじめて人の痛みにふれることができるのでしょう。
533 :
通行人:04/06/18 19:19 ID:9Cmhp58L
おまいら、懲りずによくやってんなwwwwwww
人大杉だって
>>532 仏から見た私たちと、人間から見た私たちとを混同してはいけませんよ(´・ω・)
それに、曽無一善の真理を受け止める前に、善因善果の真理も受け止めないといけませんよ。
本当に、信前と信後とか、人間から見た私たちと仏から見た私たち、念仏の自力と他力の違い。
ごっちゃになりすぎ。しかも、頭でわかったつもりになって、心でわかろうとしない。
頭でわかった事が、心でわかった事とごっちゃになってる人までいるのは、悲しいことだな。
534 :
名無しさん@3周年:04/06/18 19:20 ID:PIcWKc8S
>>523 >表向きの「定散二善の勧め」は実は、"定散二善を勧めているのではなくて"「弘願念仏を勧めている」ということなのですが。
このことには別に異論はありませんが。
あなたは「定散二善はすすめてはならないのに、善導大師は時代背景のためにすすめられた」という見解だということですね。
>>525 >善導大師の「定散」は...「弘願念仏」
では一切衆生が定機か散機ということでよろしいということで決着。
>>527 すこしでも有漏善ができたら「必堕無間」じゃなくなるんですか?
じゃあ、法謗しても有漏善がすこしでもできたら地獄行きではなくなるという見解ですか?もっと詳しく書いてよ。みんな楽しみにしてると思うよ。こんどはどんな発言が出るかなあ。
>>519 「19願を実践しなさい」ってだれが言っているんですか?
誰も言ってないと思いますよ。
クローバーでも「雑な論議」は批判されてるようですからちゃんと相手の言っていることを聞いてから話しましょうね。
ところで彌勒は修行して、今度はどこへ生まれるんでしたっけ。
「自力の善」で成仏するんですか?
それから廃悪は修善ですから、信前の者への「善のすすめ」を批判するあなたは「悪にほこる」ことをすすめるわけですか?
今度はどんな暴言がでるのかなあ。
>>532 仏さまのことばは慈悲のことばです。 わたしたちが日頃きづがずに背負っている闇にむかっておっしゃるのです。
「わが国に生まれるとおもいなさい。」
阿弥陀さまがそういってくださるところには、いのちのゆくえについて何も知らない私のすがたがあります。何も知らずに恐れ慄くわたしにほんとうのやすらぎをあたえようとしてくださっているのです。 ハ
536 :
505 ◆KMygoBAW7k :04/06/18 21:24 ID:hD1lxhvg
>>520 >まあ結局あなたも「一切衆生」と書いてあっても「そうではない」と言いたいわけですね。
あなたの日本語の読解力の限界の問題のようです。
他のもう少し国語力のあるかたにお返事いただくことを望みます。
>「必堕無間」のはなしは何回も解答ずみ。
なるほど。言い訳ばかりで経典の根拠を挙げられないと・・。
経典に出ていない言葉を金科玉条のごとく親鸞会では布教しているということですね。
要するに「一切衆生 必堕無間」は一般では全く通用せず、親鸞会内部だけで
通用する用語であることが改めてハッキリしました。ありがとうございます。
ちなみに経典に出ていない言葉を勝手に経典に出ていると主張する者を、
仏教では外道といいます。
537 :
505 ◆KMygoBAW7k :04/06/18 21:30 ID:hD1lxhvg
>>(前スレ)654
>信前の者にも仏さまのご恩があるのは当然です
私は信前のものが佛恩を報ずることができるのか否か?という話をしています。
あなたが「信前の者にも仏さまのご恩を報謝できる」と主張されたいのなら根拠を挙げてください。
>今日布教に立ち上がっている親鸞学徒を攻撃し、真実の仏法を謗る。これ以上の悪はありません。
ですから親鸞学徒の奉じられるものが真実の仏法であるのかどうか、お聖教の根拠をもって検証して
いるのです。あなたが勝手に謗られていると思い込んでいるのではないでしょうか。
>貴方が私に対してしていることは勝他ではなく、
親鸞会(私)のしていることが勝他になる理由を教えてください。
前スレッドは親鸞会について楽しく語るスレでしたよね。
私はここに登場される方々(ただし普通の国語力のあるかた)との御縁を大事にし、
親鸞会の教義を検証する意味で楽しくお話ししているだけです。
あなたのように、往生のための宿善にするために破邪顕正という善に励む、という思想
はありません。個人的にはくだらない煩悩の表出に過ぎませんが、抑えられないので書き込みしています。
まあ、あなたが言われた「これ以上の悪はありません」の御表現にも、真実に固執する我、真理の独善化
傾向がよく現れているのではないかと愚考しますがいかがでしょうか。
親鸞聖人なら「無懺無ギのこの身にて衆生利益は思うまじ」と仰るのでしょうか・・。蓮如上人は、
「信もなくて、ひとに信をとられよとられよと申すは、我はものをもたずして人に物をとらすべきと
いふの心なり。人承引すべからずと、前住上人申さると順誓に仰せ候き。」(93条)
信のない人は、「人承引すべからず」と仰っていますが、これはどういう意味なのか説明して
いただけますか?
「何も知らねども、佛の加備力の故に尼入道などのよろこばるるをききては。人も信をとるなり。
聖教を読めども名聞が先にたちて、心には法なき故に人の信用なき也。」(95条)
今日布教に立ち上がっている親鸞学徒の多くが無信であるとすれば、蓮如上人はこのような人々に対して
どのようにご教示でしょう。説明してください。
538 :
505 ◆KMygoBAW7k :04/06/18 21:36 ID:hD1lxhvg
>>(前スレ)654
>内外廃立は、自他共に徹底すべきことです。
これも初めてきいたお説です。どなたの説ですか?根拠をあげてください。
>絶対に許されない、仏法を破壊する恐ろしい罪です。
相変わらずあなたのベクトルはいつもあなたを度外視した外に向いているのですね。
>>(前スレ)655
>弊害も何も、信前はそこから脱することはできません。
かくして、救いまでには図のように時間を要するのだ、という迷妄からは永遠に抜け出せず、
「脱することはできません」にあぐらをかいて、聴聞の合間にザイセ・勧誘行為を一生懸命に
行じては、そこに安心立命を見出すということでしょうか。
>>(前スレ)656
>18願に入れたところで、19願、20願はその目的を果たすのです。
19願、20願の迷い道を懇ろにご教示くださり、無常迅速の凡夫がそこにとどまってはならぬと
教え導かれたのが親鸞聖人です。あなたがたの主張をきいていてしばしば思うのですが、「親鸞聖人
が何故教行信証を著さなければならなかったのか?」、「誰を直接読者に想定して書かれているのか?」、
「当時教行信証を手にして拝読することのできた人は一体どのような人たちなのか?」
それらの問題点に対する思考と洞察が根本的に欠如していますね。
ただ教条的に十方衆生が相手と誓われているから・・、祖師の歩まれた道だから・・、という理解のみ
では三願転入のご文が往生のためのマニュアルのようになってしまいます。
そのことを理解できない方々は永遠に機教相応しない19願、20願の手前に留まり続けるのかもしれません。
>>535 浄土真宗のみ教えは、自身のいたらなさ愚かさを、自慢することも卑下することもない、おおらかな生き方を生みだします。
その背後には、如来さまのまねをしたい思いと行動力があると、そう私は思います。
540 :
505 ◆KMygoBAW7k :04/06/18 22:05 ID:hD1lxhvg
>>534 >それから廃悪は修善ですから、信前の者への「善のすすめ」を批判するあなたは
「悪にほこる」ことをすすめるわけですか?
これも親鸞会の論客の相も変らぬ常套句ですね。
当然真宗においても悪に誇ることは戒められています。
ただし、親鸞会の論客が「善」と言われたらそこには必ずレトリックがあります。
善を勧めるのが仏教、確かにその通りですからね。しかし、七仏通誡偈において
自浄其意の「浄」が「調伏」を意味することについてもっと深く考察しなくてはいけません。
自力では煩悩を調伏できないことを教えられたのが親鸞聖人です。
たとえば私がいまだかつて 信前の者への「善のすすめ」を批判した部分があれば
例を挙げてみてください。会員さんたがいわれる「善」に言及して私が批判する時は、必ず「善」に
「自力の」などと区別して使用しているはずですが、いかがでしょうか。
「大行とは無碍光如来の名を称するなり。この行はもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり」
と祖師も仰せのように、真宗で無常迅速の信前の人に勧められる善は、シンプルです。
阿弥陀如来が成就せられた、南無阿弥陀仏の名号法、という善のみを勧め、他力の念仏を称えることです。
対機が常に死王とともにある無常迅速で罪悪の凡夫であるこそ、一念の極促で救われる名号法を
阿弥陀如来はありがたくも回向されておられるのです。
>>539 「穏やかなやすらぎはすべてのいのちへ、あらゆる苦しみは私が引きうけましょう。」
それが尊い生き方といわれます。
ところが私の悲しみ、痛みは人に聞いてもらわなければ堪えられません。
そのくせ人の痛みを受けとめることのできるのはほんの一握りです。
それ以外は冷たくし、その声を聞かないようにしているのでしょうか?
542 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/19 01:11 ID:RCXukz4g
>>534 >あなたは「定散二善はすすめてはならないのに、善導大師は時代背景のために
>すすめられた」という見解だということですね。
あんましあほらしくて酔いが醒めたのでw就寝前に一言。
誰も『観経』説時=釈尊在世時や、善導大師時代=像法あるいは像法残機に
「定散二善をすすめてならない」とは言ってません。「起観生信」や
「定観成就」の上機や、「化土往生」の機類は、正像ともに実在しない
という御主張なら根拠の提示をお願い致します。
>>524で言ったように「三時説」
お聖教の根拠に基ずく解説をお願いいたします。
>すこしでも有漏善ができたら「必堕無間」じゃなくなるんですか?
じゃあ、法謗しても有漏善がすこしでもできたら地獄行きではなくなると
>いう見解ですか?
これは話が顛倒してますね(毎度?)。有漏善ができる方(人間界や天上界へ転生
できる方)は、“全員が”謗法をされているということでしょうか?
だとすれば、根拠の提示をお願いします。それとも昔、某氏が主張されて
いた「謗法=疑情」説なのでしょうか? これだと信後は「謗法」はなくなると
いうことですね。この説だとしても根拠の提示お願い致します。
全般的に
>>523-527 >>530(
>>514)の根拠(聖教量)を提示の上で回答
または反論なさってからにお願い致します。
543 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/19 01:16 ID:RCXukz4g
544 :
アキレス:04/06/19 01:20 ID:4t4Ly7J5
俺,この集団に多分大学のとき学内で勧誘されて,怪しげなところに
引っ張り込まれた。すぐ帰ったけど。統一教会系か?
545 :
アキレス:04/06/19 01:22 ID:4t4Ly7J5
当時「すごい人」が公演に来るので来てくださいとか言ってたけど,
なりふりかまわず大学内で布教活動をしている様は,○○○だった。
546 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/19 01:26 ID:RCXukz4g
>>534に補足
>では一切衆生が定機か散機ということでよろしいということで決着。
これも、
>>542と同じですが、「在世・正・像」の為の「定散」(仮門)
と末世今時を“特にお目当ての「弘願門」とは当然に違います。
「今」が問題なのは言うまでもないですね。
547 :
アキレス:04/06/19 01:36 ID:4t4Ly7J5
統一教会が図星だったのか,何かまずい所を突かれたのか。
単に私が嫌われただけなのか。
548 :
アキレス:04/06/19 01:45 ID:4t4Ly7J5
上戸彩の画像を勝手に使うのもどうかと思うぞ。
ってか,少なくとも有能な人間が構成している団体には
見えない稚拙さを感じた。
549 :
アキレス:04/06/19 01:51 ID:4t4Ly7J5
冗談にしても笑えない
550 :
名無しさん@3周年:04/06/19 02:14 ID:HnWa7Z4g
イエス・キリスト
551 :
名無しさん@3周年:04/06/19 02:40 ID:YJKseN4U
まだ善の勧めがどうとかいってんのか。いい加減頭冷やせ。
552 :
名無しさん@3周年:04/06/19 02:45 ID:YJKseN4U
少なくとも親鸞会に関わって莫大な被害を蒙ったという事実は否めない。
結果が悪だから原因の親鸞会も悪ということだ。
テレビや新聞では毎日殺し殺されたというニュースが流れている。
わたしたちは、その人を指さして罪人という。悪人と呼ぶ。
人を殺した人は確かに罪人であり、悪人かもしれない。
では、わたしはどうなのだろう。
罪なきものだろうか。悪人ではなく、善人なのだろうか。
>>553 人は縁があれば何をしでかすかわからない。
たとえば、
自分がどこにいるのかわからなくなった時。
自分が何をしているのかわからなくなった時。
自分が誰なのかわからなくなった時。
頼るものがなにもなくなった時。
人は平常心を失う。
平常心を失った人間はなにをしでかすかわからない。
自分を殺し、人をも殺す可能性は充分にある。
>>554 仏教はわたしを知らさせる教え。
ただ、反省するのとは訳が違う。
わたしがわたしの眼でわたしをいくら見つめても、
それではわたしの物差し(自分中心)を脱することは出来ない。
>>555 阿弥陀仏という仏は、
縁があればなにをしでかすかわからない、
そういうわたしこそを救うという。
そういうわたしの支えになろうという。
557 :
110:04/06/19 21:58 ID:cbG2k3zz
>>668 >ただし、元バリ会員(苦笑)であった私としては、
ご冗談でしょう。ほとんど聞いていないし、理解もしていない。
今年入った新入生でも、よっぽどよく聞いている人もいます。
正直、会員であったこと自体疑わしいですよ。
>>669 >まさに親鸞会では「信心決定」なるとてつもない「体験」が実体視されていて、
>「肝心の目の前の仏様の願(御名号)もその一つになってしまっている」と思います。
あなたが、信心決定はとてつもない体験ではなく、また実体がないものだと思ってられることが
よく分かります。火に触れるよりも明らかな、鮮やかな体験を知らないのですね。
言葉遣いは多少似ていますが、私たちの言っていることと、あなた方の言っていることは、
天地雲泥どころでない違いがあるのです。いつか、分かることでしょう。
558 :
110:04/06/19 22:02 ID:cbG2k3zz
>>670 >失礼ながら、110さんなどの親鸞会会員さんおよび親鸞会シンパ(??)の某さん
>などは殆どお聖教の根拠をあげずにご持論を独断的に述べておられることが多いように
>見受けられます。たとえば110さんの
>>504などもそうですね。
>>504のどこに根拠が必要でしたか?論理の飛躍があって、根拠が必要なところがあれば、以下引用しましたので、
示してください。
>庄松同行の逸話はどうでしょうか?
あなたは、未だに19願、20願を、18願と関連づけられない別々のものとしてしか見られないようです。
親鸞聖人が関連付けて読まれているのです。
19願はひとえに専修(20願)に衆生を送り出し、20願は果遂(18願に入れさせる)の誓である。
我々の主張を、定善散善をせよ、そうすれば助かる、という教えだと言うことにしたいあなたの都合は分かりますが、
そんなことは初めから言っていないのです。
自力を捨てて他力に帰すべし。それ以外にありません。
善の勧めは、自力に励めという意味ではないのです。あなたは体験がないので、善と自力の関係はご存知ないようですが、
信前は自力しかありませんので、善に励もうが無気力でいようが自力だけです。
善に励んだら自力が増えるとか、自力に対する執念が募るとか言っているのは表面しか見ていない現れです。
信後は他力の世界ですから、善に励めば励むほどご恩報謝になり、弥陀が喜ばれるのです。
問題は、信前の者が、どういう心がけが大切なのか、ということです。
信を獲れるかどうかは、未来永劫浮かぶか沈むか、極楽か地獄かの一大事です。
一刻も早く信を獲るには、どうしたらよいのか。
一念がどうなっているのか、ということが問題になっているのではないのです。
そもそも問題が理解できていないようですね。
559 :
110:04/06/19 22:43 ID:cbG2k3zz
(前スレの)
>>680 >
>>573で332さんがおっしゃっておられるように今生を除外していません。
これじゃあ誰も納得しませんよ。
>>681 >>横の道に対する非難の理由が、誤解をする恐れがあるというものであるのに対し、
>>我々の根拠は、宿善であり、調熟の光明であり、遍照の光明です。また、19願であり、20願です。
>110さんは蓮師の「御文章」はすべてが臨終説法でもある、といわれているのはご存知でしょうか?
>正信偈また然りです。浄土真宗はこのように今にも焼け死にそうな、かつ善の出来ない人に
>向かって、未来に向かって我が身の往生のために宿善を積みなさい、と説くような悠長な御教えではありません。
宿善を求める心がけが獲信と無関係だったり、ただ今の救いの妨げになったりするのなら、そういうこともあるかも知れません。
そういう根拠を示してください。
560 :
110:04/06/19 22:43 ID:cbG2k3zz
>>682 >他力になるまで、他力を聞き抜く。その原動力になるのは、自力なのです。
>自力の肯定、礼賛は他流・他宗です、真宗ではありません。当流では自力は 「捨て物」です。
>>646を読んで書くことがこんなことしかないんですか。消極的な信心の露呈以外の何物でもありませんね。
自力しかない者が、自力を原動力にする。自力しかありませんから仕方ありません。
これのどこが礼賛なのですか?
一念で他力によって自力を切り捨てられるところまで進ませていただくのも、やはり他力によるものですが、
信前のものからは自力によるとしか思えません。
そして、我々にできることは、「行」だけです。
「信」は、我々が「する」ことではありません。まさか我々の意業だと思っている人はいないでしょうが。
信心を頂くことは全て、弥陀のお手回しです。
我々が「する」ことは全て行です。「ボーッとしていては救われない」「善知識から聞かせていただく」
「親鸞聖人のみ教えをお伝えする」「うちまかせよと聞いて従おうとする」
これはすべて行に該当します。
行と、信は、関係があるのか、ないのか。
ないのなら、何もすることはありません。心がけることも何もないし、聞きにいくこともいらない。
本願寺がこのまま衰退していっても、何も行動を起こす必要もないし、異安心がはびこっていても放置して
何の問題もない。救われるかどうかに関係がないのですから。
しかし、あるのなら、全く話は別です。真剣な聞法が勧められますし、大いに善が勧められます。
さて、どっちが正しいのですか?という問題です。
>>556 自分を罪悪深重の凡夫と言い切った親鸞聖人を、
今一度見つめなおさなければと思う。
562 :
110:04/06/19 23:01 ID:cbG2k3zz
>>518 >ましてや日蓮上人は、身をもって念仏誹謗の罪の恐ろしさを教えてくださっておられるの
>ではないですか?
>「弥陀・釈迦方便して阿難・目連・富楼那・韋提達多・闍王・頻婆娑羅耆婆・月光・行雨等」 (浄土和讃)
>祖師は悪逆のダイバダッタですら提婆尊者と権化の人とみておられます。
>あなたの理屈からいけば、悪逆のダイバダッタに尊者などつけた親鸞聖人は「真宗人ではない」
>ということでしょうか?
そちらの理屈の方が圧倒的にぶっとんでますよ。それなら、どんな人や団体に対しても尊敬してかしずけばいいことになります。
おそるべき拡大解釈ですね。
それだったら、あなたから見て仏法を曲げている私にも上人をつけて感謝して権化の人と見て下さい。
本会に対しても、尊い団体だとかしずいていて下さい。権化の集団に歯向かうなんてとんでもない行為ですよ。
どんなことでも、真似をすればいいというものではありません。
親鸞聖人と私とでは、格が違いすぎて、真似をすることがかえってよくないこともあるのですよ。
563 :
110:04/06/19 23:25 ID:cbG2k3zz
>>533 そうですね。
>>537 >信前の者にも仏さまのご恩があるのは当然です
>私は信前のものが佛恩を報ずることができるのか否か?という話をしています。
>あなたが「信前の者にも仏さまのご恩を報謝できる」と主張されたいのなら根拠を挙げてください。
まことの報謝(最高の報謝)になるかどうかを別にするのなら、勿論できます。可能です。
根拠は、「信前でも感謝し、ご恩返しとして、万分の一にもならないが如来聖人の喜ばれることをさせていただく」
ということが、事実ある、ということです。
>私はここに登場される方々(ただし普通の国語力のあるかた)との御縁を大事にし、
>親鸞会の教義を検証する意味で楽しくお話ししているだけです。
そうですか。私は、ジャンヌ派の教義を検証する意味で話をしているだけです。
>あなたのように、往生のための宿善にするために破邪顕正という善に励む、という思想
>はありません。
あなたの説明した勝他と何の関係もないことを持ち出してきましたね。
それより重要なのは、教えが正しいのか間違っているのかの問題は、救われるかどうかの大問題ですから、
何より優先的に扱わなければならないから、という理由です。
>まあ、あなたが言われた「これ以上の悪はありません」の御表現にも、真実に固執する我、真理の独善化
>傾向がよく現れているのではないかと愚考しますがいかがでしょうか。
その表現に違和感があるとは、謗法罪の恐ろしさを全く知らないのですね。
まがりなりにも仏法者と号するおつもりならば、知るべきです。仏法を謗り、捻じ曲げるほどの大罪はありません。
仏法が謗られている様子を黙ってみている、とか、楽しんでいる、というのも同罪です。
仏法の重さが分かれば、それを破壊する罪の重さも当然分かることです。
あなたは、まだ、仏法の重さを知らない。
564 :
110:04/06/19 23:47 ID:cbG2k3zz
>>538 >「信もなくて、ひとに信をとられよとられよと申すは、我はものをもたずして人に物をとらすべきと
>いふの心なり。人承引すべからずと、前住上人申さると順誓に仰せ候き。」(93条)
>信のない人は、「人承引すべからず」と仰っていますが、これはどういう意味なのか説明して
>いただけますか?
>「何も知らねども、佛の加備力の故に尼入道などのよろこばるるをききては。人も信をとるなり。
>聖教を読めども名聞が先にたちて、心には法なき故に人の信用なき也。」(95条)
議論をすり替えてますよ。自覚はありますか?
結局、本会は勝他だけど自分は違う、なんて主張は無理がありましたね。
ご自分をもろとも本会を非難するのなら、その覚悟は受け止めさせて頂きますが。
このお言葉についてですが、当時の時代背景はご存知ですか?
蓮如上人のご布教により、全国に親鸞学徒が爆発的に増え、多くの人が真実開顕に立ち上がっていた時代です。l
あまりにそれが激しく、他宗などの怒りを買い、真宗弾圧もまた激しい時代であった。
「真宗だと言ってはいけない」と、蓮如上人がブレーキをかけねばならなかったほどです。
あなた方には、その熱意、命がけの正法宣布、とても理解できないでしょうね。
そして、蓮如上人は、「御文」を書かれた。これは、当時としては画期的な、仏法のお言葉をお手紙の形にして、
繰り返し拝読することができるし、また、教学のない同行でも、読むことで多くの人たちにお伝えできるというものです。
蓮如上人が、牛盗人と呼ばれることはあっても当流のものだと思われてはならない、とまで言われるほど、
激しい弾圧が起きるほど、真宗の人たちの真実開顕があったのです。
信後の人たちだけが立ち上がって、それだけの非難が起こるほどの大機運が起きたと思いますか?
信前の布教が「害>>利」ならば、御文章の中にも繰り返し、たしなめられるお言葉があるはずです。
信前の、法施は、もちろん、善なのです。しかし、信を獲らねば、それも詮無きことです。
理想的には、信を獲った上で、説いた方が良いに決まっています。
人に語るばかりで、自分の一大事の解決がおろそかになってはいないか、と、
警鐘を鳴らしておられるお言葉なのです。
565 :
110:04/06/19 23:58 ID:cbG2k3zz
>>538 >>内外廃立は、自他共に徹底すべきことです。
>これも初めてきいたお説です。どなたの説ですか?根拠をあげてください。
異論があるんですか?親鸞聖人の教えは、自他共に徹底すべきことだ、という
ことに異論がある、と受け止めてよろしいですね。十方衆生とは口だけですね。
>>絶対に許されない、仏法を破壊する恐ろしい罪です。
>相変わらずあなたのベクトルはいつもあなたを度外視した外に向いているのですね。
人のことばかりで、自分を省みることがないあなたは、そもそもベクトルが存在しない。
ただ、親鸞会に対する、ネガティブで受動的なベクトルがあるだけです。
>>弊害も何も、信前はそこから脱することはできません。
>かくして、救いまでには図のように時間を要するのだ、という迷妄からは永遠に抜け出せず、
>「脱することはできません」にあぐらをかいて、聴聞の合間にザイセ・勧誘行為を一生懸命に
>行じては、そこに安心立命を見出すということでしょうか。
いいえ?19願、20願に永久に留まるのなら、そういうこともありましょうが、
如来のお慈悲によって、真実の世界に引っ張り出されるのですから、そんなことはありません。
ただ、頭で聞いて真実分かったつもり、本心からハッキリしてもいないのに聞いたつもりで、
俺には関係ない、と19願をはねつけ続けていては、永久に救われません。
無関係なら、わざわざ建てられる訳がない。
ただし、永久に19願をはねつけていられるわけではありません。
弥陀の大願業力は、そんな者を助けてみせる、と日々働いて下さっているのです。
566 :
110:04/06/20 00:11 ID:rNNTs47o
>>538 >あなたがたの主張をきいていてしばしば思うのですが、「親鸞聖人
>が何故教行信証を著さなければならなかったのか?」、「誰を直接読者に想定して書かれているのか?」、
>「当時教行信証を手にして拝読することのできた人は一体どのような人たちなのか?」
>それらの問題点に対する思考と洞察が根本的に欠如していますね。
随分抽象的なはぐらかし方ですね。
一つ目は、真実を明らかにするため、です。二つ目は、聖人以後の全ての人です。
三つ目は、まずは聖人のお弟子をはじめとする僧侶、また在家の同行などです。
書物ですから、もっと多くの人、他宗や権力者などが読むことも当然考慮に入れられています。
普通はそう理解しますが、あなたはもっとアクロバティックな解釈をするのですか?
>ただ教条的に十方衆生が相手と誓われているから・・、祖師の歩まれた道だから・・、という理解のみ
>では三願転入のご文が往生のためのマニュアルのようになってしまいます。
教条を捻じ曲げ、祖師の歩まれた道をないがしろにし、「マニュアルだから駄目」などと
世間のフレーズをそのまま持ってきて非難する訳ですね。
>そのことを理解できない方々は永遠に機教相応しない19願、20願の手前に留まり続けるのかもしれません。
よく分からないから「かもしれません」などという言葉をよく使うのですよ。
567 :
110:04/06/20 00:20 ID:rNNTs47o
>>332氏
よく、約するという言葉を使ってますよね?
どういう意味ですか。
568 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/20 00:48 ID:4VJ7Ym7X
>>567 >よく、約するという言葉を使ってますよね?
>どういう意味ですか。
寝るとこだったですのですが。こんばんは、おひさしぶりです。
「約する」というのは「まとめる」とか「たばねる」
の意味で、「特定の立場に集約して言うと」の意味です。
おやすみなさい。
>>568 332さん、おすすめの妙好人伝の本はありませんか?
ネット上の妙好人に関係する記事は読ませていただいたのですが,
まとまった良い本があれば、読んでみたいと思います。
教えてチャンで申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
>>564 そこで時代背景をもちだすなら
大学のダミーサークルを使った勧誘方法や
s会におけるザイセのあり方についても多大な批判があるのだから
もっと批判されないようなやり方を考えてももいいと思うけどね。
現代の社会背景に関しては全く無視ですか。
今だって宗教に対する風当たりは強いし、
政治家だってちょっとした嘘で信用を無くす時代なんだから、
もっと後ろ指刺されないような活動したらどうか。
別に堂々とs会と名乗ったからって殺される時代でもない。
それとも会員数が減ったりザイセ額が減ったりしたら困りますか?
571 :
505 ◆KMygoBAW7k :04/06/20 03:32 ID:ceOmTfx8
>>557など
110さん、お久し振りです。
私も寝るところだったのですが、感想を一言。
(二言三言になってしまいました(笑)
1)元気なのは結構ですが、あなたは要するに親鸞会は正しいから、
正しい、と仰っているだけで、論拠不明の意見ばかりです。
私はお聖教の根拠に基づいて教義を検討してお話していますが、あなたは
あたかも某氏の憑依状態的に親鸞会教義のみを根拠なく語っておられるに
過ぎません。あなたの「蓮如上人ご在世当時の社会状況説」も、親鸞会内部
のみで通用している滅茶苦茶な説ですがまた機会があれば反論を述べさせて
いただきます。
2)そして
>本会に対しても、尊い団体だとかしずいていて下さい。
権化の集団に歯向かうなんてとんでもない行為ですよ。
のご発言にあなたの信心の有様が集約されています。
自称権化の菩薩様方の尊い善人様方の集団でいらっしゃるようですから、
当然善は実行できる、とあなた方が主張されるのも尤もです。
確かに親鸞聖人は権化のおかた以外の何者でもないと私は認識しております。
では親鸞聖人が「わたしは権化である」と微塵でも思っておられたのでしょうか?
当然否です。そして親鸞聖人は教団という概念すらお持ちではありません。
ところが、あなたは自分の属する団体を「権化の団体」と仰るとは・・・。
ついにカルト宣言ですね。笑止を通り越して脱力・呆然自失です・・。
572 :
505 ◆KMygoBAW7k :04/06/20 03:53 ID:ceOmTfx8
もう一言だけ。
>>562 >親鸞聖人と私とでは、格が違いすぎて、真似をすることがかえってよくない
こともあるのですよ。
大変よいところに気がつかれたようです。
「未信のひとは権化方便の自力の十九願から入って修行し、親鸞聖人と同じ様に
三願転入しなければならないのが真宗である」という奇説や、「親鸞聖人と同じ
様にこれから往生のために六度万行という自力の難行苦行に励みなさい」という
珍説もついでに撤回されてはいかがでしょうか?
>>571 の2)
パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ
パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( )】 ( )】 ( )】 【( ) 【( ) 【( )
/ /┘ . / /┘. / /┘ └\ \ └\ \ └\ \
ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ
アミダさま
僕が僕であることを
認めてくれて ありがとう
>>574 そのままでいい
と言われ
このままではいけない
と思うようになった
本当のわたしは、自分が楽をすることしか考えていない。
本当のわたしは、自分の欲求を満たすためにしか行動出来ない。
本当のわたしは、自分さえよければいいと思っている。
本当のわたしは、そういう自分に気づけず毎日を過ごしている。
>>576 やっとのことで、自分に少しの余裕が出来て、
人のしあわせを願う時でも、
それは往々にして自分の価値観を押し付けている。
それは往々にして自分の手柄としている。
>>577 やはり、ほんとうのわたしは自分のことしか考えていない。
そう、本当のわたしは、仏さまの前に座るというこころを持たない。
本当のわたしは、仏さまに手を合わすというこころを持たない。
579 :
110:04/06/20 18:46 ID:rNNTs47o
>>568 了解しました。
>>570 蓮如上人のお言葉の解説に現在の時代背景は関係ありませんが。
>>571 >1)元気なのは結構ですが、あなたは要するに親鸞会は正しいから、
>正しい、と仰っているだけで、論拠不明の意見ばかりです。
どこがそうなのかさっぱりですね。
論理はあなたの中では根拠にならないみたいですね。
どちらの話が筋が通っているか、明らかです。
訳の分からん話ばかりしているから、矛盾を矛盾と気が付かず、
事実を恣意的に覆い隠していることにも気づかず、180度逆の方向を向いていても
全く気づかないのです。
あなたの頭の中だけで通用している論理があるなら、早めに吐き出して衆目にさらした方がいいですよ。
物を言え、と上人も仰っています。
>自称権化の菩薩様方の尊い善人様方の集団でいらっしゃるようですから、
>当然善は実行できる、とあなた方が主張されるのも尤もです。
>確かに親鸞聖人は権化のおかた以外の何者でもないと私は認識しております。
>では親鸞聖人が「わたしは権化である」と微塵でも思っておられたのでしょうか?
>当然否です。そして親鸞聖人は教団という概念すらお持ちではありません。
>ところが、あなたは自分の属する団体を「権化の団体」と仰るとは・・・。
>ついにカルト宣言ですね。笑止を通り越して脱力・呆然自失です・・。
ちょっと難しい展開で理解できなかったようですね。
もっと平易なことを書くようにせねば。
580 :
110:04/06/20 19:06 ID:rNNTs47o
>> 572
>「未信のひとは権化方便の自力の十九願から入って修行し、親鸞聖人と同じ様に
>三願転入しなければならないのが真宗である」という奇説や、「親鸞聖人と同じ
>様にこれから往生のために六度万行という自力の難行苦行に励みなさい」という
>珍説もついでに撤回されてはいかがでしょうか?
表現とか漢字とかいろいろ間違っているので、正しく訂正しておきましょう。
「全ての人は、十方衆生が相手の弥陀の三願によって救われる。
方便願とは真実18願に入れるために建てられた願であり、19願と20願である。
親鸞聖人が三願転入して救われたように、我々も、全ての衆生は、
方便から真実へ、仮より真へ、三願転入して救われる。」
です。行の道ではありません。心の道です。
行をしなければ、救われないという教えではありません。
かといって、行が無関係ではありません。絶対他力、救いは弥陀の独用ですから、
我々の行が間に合って救われる、というのは間違いです。
ならば、行が無関係か、全く何もしなくても救われるのか、と言えば、
弥陀が行前信後の方便願を建てられて、我々を調機誘引して下さっているのですから、
そうではありません。弥陀は19願に、釈尊は一切経の善を観経に収めて、善導大師は
観経疏に外に賢善精進の相を現じて…と教えられているのです。
善知識方の説かれることは、「普遍的な真実」なのです。
全ての人の救いに、無関係のことを説かれる方ではありません。
過去、未来、現在の全ての時代にわたり、また、あらゆる場所において、成り立つ真実。
善の勧めが、救いに関係があるから、説かれるのです。
真宗において最も恐ろしい罪とは、「仏智を疑う罪」です。自力の心とも言われますが、
自力とは、「自分の善を往生の足しにしようとする心」であり、「自分は善ができる」心の裏返しです。
一つの善もできないのが私であった、とハッキリするのは、自力の心が廃ったときです。
それまでは、善ができる、という心を捨てることができません。
それを、自分は善が出来ないんだ、と合点だけで真実の機の自覚を済ませてしまって、
実地に、本心から知らされることもないのに、相応の法を探しても、機と法が一致しないのです。
両手を合わせて胸の中央にかるくつけ、指をそろえて約四十五度上方 にのばし、念珠をかけて親ゆびでかるくおさえます。
>>581 肩、ひじははらず自然に、目は仏さまの方にむけ、そしてしずかに念仏 します。念仏は「ナマンダブ」を数回(一息半ほど)となえます。
583 :
名無しさん@3周年:04/06/21 08:49 ID:Hl7m2Dgc
>>542 >善導大師時代=像法あるいは像法残機に
「定散二善をすすめてならない」とは言ってません。
「観経の定散二善を説きたもうことはただ韋堤および仏滅後の五濁五苦等の一切凡夫のために証して、生ずることを得とのたもう」(散善義)
「仏滅後の五濁五苦等の一切凡夫のために」と書かれていても末法は除く、つまり「仏滅後の五濁五苦等の一切凡夫」というのは間違いだという見解ということで了承しました。
結局「19願の方便は一切諸有のためと聖人が書かれていても、実は聖道門だけ」というお聖教を無視した主張をくりかえしているに過ぎないわけですね。
584 :
名無しさん@3周年:04/06/21 08:56 ID:Hl7m2Dgc
>>542 >有漏善ができる方(人間界や天上界へ転生
できる方)は、“全員が”謗法をされているということでしょうか?
有漏善ができても法謗すれば堕地獄であることは当然である、という見解だと了解しました。
とすれば、「凡夫には有漏善はできない」という根拠はどれですか?
彌勒の行き先についてもおねがいします。
廃悪はすすめないということなので「世間の因果は教えない」ということでよろしいですか?これは「悪にほこること」と同列だと思いますが。
極彩色の壁画で知られる奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡、7世紀末−8
世紀初め)石室で、被葬者とみられる人骨と歯計10点、木棺の一部とみられる
金具1点が見つかり、文化庁が18日発表した。
骨や歯を分析すれば性別や年齢も推定可能。キトラ古墳の被葬者は天武天皇の皇
子や渡来系氏族などとする諸説があるが、絞り込む重要な手掛かりになりそうだ。
>>586 太平洋戦争前の1939年、モンゴルと旧満州の国境をめぐって日ソ両軍が激戦を繰
り広げた「ノモンハン事件」で戦死し、収集されていなかった約3500名の旧日本
兵の遺骨について、厚生労働省は7月下旬に初の収集団をモンゴルに派遣する事
に決定。同省はモンゴル政府に打診し、2003年のエンフバヤル首相来日の時に許
可を得た。
588 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/21 18:13 ID:6snWMxqJ
>>583 >「仏滅後の五濁五苦等の一切凡夫」というのは間違いだという見解ということで了承しました。
あの、善導大師の御文を"文字通りに"観経当分の釈相で読むのは、
仮門(他宗他門)の立場であり、親鸞聖人は、密意の大経弘願義から"裏"
を読まれ「定散二善」と書かれているのは実は「定散二善」ではなく、
「弘願念仏」の意であると読み解かれていることは再三述べ、根拠も
提示してますが異論があれば、根拠も提示お願いします。「然るに仏の
説教は機に備ふ、時亦不同なり。彼即ち通じて人・天・菩薩の解行を説く。
今観経の定散二善を説きたまふことは、唯韋提及び仏滅後の五濁・
五苦等の一切凡夫の為に、証して生ずることを得と言ふ。此の因縁
の為に、我今一心に此の仏教に依りて決定して奉行す。」の御文は、
「問ひて曰はく、凡夫は智浅く、惑障処すること深し。若し解行不同の
人多く経論を引きて来りて相妨難し、証して一切の罪障の凡夫往生
を得ずと云ふに逢はば、云何が彼の難を対治して、信心を成就して、
決定して直に進みて、怯退を生ぜざらむや。答へて曰はく、若し人
有りて多く経論を引きて証して生ぜずと云はば、行者即ち報へて云へ。・・・」
に続く御文の一部ですから、これを"文字通りに"表面上の観経顕義の釈相
の文言で読むなら、「定散二善」が凡夫往生の「因行」であるということになって
しまいますが、そういうことですか?(つづく)
589 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/21 18:14 ID:6snWMxqJ
>>583の続き
善導大師の(三時通用の)御真意は、
同じ『散善義』に「五に若念仏者より下生諸仏家に至る已来は、正しく念仏
三昧の功能超絶して、実に雑善をもて比類と為すことを得るに非ざる
ことを顕す。」「仏告阿難汝好持是語より已下は、正しく弥陀の名号を
付属して、遐代に流通せしめたまふことを明かす。上来定散両門の
益を説くと雖も、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向に専ら弥陀仏
の名を称せしむるに在り。」で明かであり、その「意」から、『観経』経末の
付属持名号から,『観経』を逆見されて経中に説かれる「定散二善」の
「雑行」=「雑善」を廃され、「念仏」一行のみを選び取られ「念仏為宗」の
「専修念仏」を教導されたのが法然上人であり、更に「信心為本」の立場
から『大経』弘願門の実義より、善導大師の『観経』釈意を読み解かれた
のが親鸞聖人ですね。スルーせずに、
>>514 >>523-524の
質問に回答されてから自論を根拠を提示の上でお願い致します。
590 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/21 18:23 ID:6snWMxqJ
>>584 >とすれば、「凡夫には有漏善はできない」という根拠はどれですか?
例によって、主語が曖昧な問いですが、前述しましたように、「有漏善」が
できないのは、下品下行下輩、逆悪の泥凡夫であるわたしのことだと
言ってるのですが。あなたができるかどうかはわかりませんw。ただ、
このスレ他でいつも話題になってることですが、ダミーサークルや身分
を偽っての勧誘行為は明らかに、「五戒」の「不妄語戒」を犯してますが、
少なくともそれらの方々は、今のところ「有漏善」ができてないwということ
でよろしいですね。「殺生」を生業にして、転職もままならず仕事を止める
と忽ち生活できない者(まして昔は、今日のような「職業選択の自由」はありませんね)
は、当然に生きていく為には「できない」わけですね。例によってwスルーの
>>526の
回答もお願いします。これもスルーなままですが、「曾無一善」が、「無漏善」のみだ
という根拠は結局無しということでよろしいですね。"はじめから"これが根拠だと言ってるのですが。
>彌勒の行き先についてもおねがいします。
これはレス相手間違えられてませんか?私のどのレスのことですか?
他の方の行き先などは少しもわかりませんし、ましてや上機の方の
沙汰はできませんが、自力疑情の元品の無明断破までは、「流転」は
免れないというのが、親鸞聖人の教えですね。
591 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/21 18:35 ID:6snWMxqJ
>>584の続き
>「世間の因果は教えない」ということでよろしいですか?これは「悪にほこること」と同列だと思いますが。
これもどのレスのことかわかりませんし、主語も不明ですが。「世間の因果は教えない」
というのは誰のことかわかりませんが、浄土真宗の御僧侶等布教師の方がということです
かね。「世間の因果を教えない」のが真宗の化風であると言った覚えはないですが。
「往生の善因縁」として教えられているのではなくて、「今生事」として教えられているという発言のことですか?
592 :
通行人:04/06/21 22:58 ID:SidM9wqX
よく見てないけど、おまいら、まだ、十九願必要ないとか言ってるの?
もういい加減に無理だって。
だれも、十九願必要ないなんていってないよ。
阿弥陀如来も、十方衆生と誓われてるのに、
十方衆生の中に我々が入ってないとでも思ってるのかな。
だいたい、二願転入が本気でできると信じてる人たちが、まだいること自体が不思議だ。
593 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/21 23:55 ID:ThAamRH7
>>569 >332さん、おすすめの妙好人伝の本はありませんか?
見落としてました。ごめんなさい。「妙好人伝」とか「妙好人」に関する
本は、「法蔵館」「永田文昌堂」「百華苑」他から数多く出てます。
特定の方に絞られるか、総花的に調べられたいかによっても違って
きますね。ネットで検索されてもよいですが、現在は絶版の本にも良書
が多いし、京都に行かれた時などに、一日仏書専門店巡りをされたり、東京なら
神田で古書巡りをされたら如何でしょうか。以外な出会いがあったりして、”そういう事も”
「求道」だと思います。京都でなくても、東京や金沢などにも老舗仏書専門店が
ありますね。
>>593 332さん、 レス、サンクス!
ぼつぼつ、歩いて探してみます。そういう過程も大切ですね。
595 :
名無しさん@3周年:04/06/22 09:44 ID:K2a3n1mH
それにしても、おまいら勘違いしてるよ。
親鸞会が根本で自力作善を勧めてるとでも思ってるの?どういう理解してるんだ?
善ができないものだと早く気づきなさいとばっかり言われてるが、決して、人間が仏の目から見て、善ができる人間だとは教えてないよ。
もちろん、心が伴ってなくても、善因善果の原則は変わりませんし、やればやるだけ善果がきますよ。
しかしながら、親鸞聖人だって、そんなんじゃ間に合わない、地獄は一定の極悪人だったんだからね。
じゃあ、どうやって、凡夫に地獄は一定すみかぞかしであることを気づかせればいいんですか?ってことなんですよね。
それを、言わないで、善ができる人間であるとか、できない人間であるとか、非常に無意味な論争です。なぜなら、善ができない人間であることは、みな頭の中で承知の上での話だからです。
言っただけで、地獄は一定であることが気づく人間なんていませんよ。
ましてや、いづれの行も及び難き身であることに気づくわけないですよ。
みなさん、そんな、智慧に優れた方でしたっけ?
ある陶芸の展示会に行き、偶然にも約15年ぶりに親戚の人に会ってしまいました。始めよ
く分からず「初めまして」と言ってしまいましたが、聞き覚えのある名前に反応し思い出
しました。時が過ぎるのは早いですね。
たまには歩くのもよかろうと、一駅前で降りてみました。距離にして約3キロちょっと。
初めて歩く道は新鮮な風景が広がり、思わぬ発見もあって、少なからぬ刺激を与えてくれ
る。。。かと期待していましたが、東京の国道沿いは、ビルとマンションが立ち並びぶだ
けで、あまり面白くありませんでした。一応、使えそうな店はチェック済み。
598 :
名無しさん@3周年:04/06/23 08:16 ID:LenGbOw1
>>595 >それにしても、おまいら勘違いしてるよ。
>やればやるだけ善果がきますよ。
講師の分際で「おまいら」とかいったらいけないですな。
嘘つき平気のダミー勧誘、半強制的財施、
悪口、他者を見下しては自己満足する破邪顕正とやらでは、
やればやるだけ悪果がくることは当然の理なのですが。
>じゃあ、どうやって、凡夫に地獄は一定すみかぞかしであることを
気づかせればいいんですか?ってことなんですよね。
合っているようで正しくないですな。
なんでかって?教えないよ。
貴殿には永遠にわからないだろうけどね。
599 :
名無しさん@3周年:04/06/23 08:49 ID:2q3k79dN
>>588 >「定散二善」と書かれているのは実は「定散二善」ではなく
何これ?親鸞聖人が善導大師の仰ることを否定されたとでもいうのかな?
聖人をあなたみたいな人と一緒にしてはいけないよ。
>スルー
何かスルーしましたっけ?大体答えていると思いますけど。
>>590 >"はじめから"これが根拠だと言ってるのですが。
どこが根拠なんですか、とお聞きしてます。
根拠は無し、ということらしいので「有漏善はできる」という根拠をあげておきます。
「総不論照摂余雑業行者」というは、「総」は、みなというなり。「不論」は、いわずというこころなり。「照 摂」は、てらしおさむと。「余の雑業」というは、もろもろの善業なり。(一念多念文意)
「阿弥陀如来をたのみたてまつるについて、自余の万善万行をば、
すでに雑行となづけてきらえるそのこころはいかんぞなれば」
(御文章)
雑業とは雑行雑修ですがこれらは善業です。どこかのおばかさんが雑行は心だとか、悪を含むとか言ってましたが、結局根拠はありませんでした。「自力の心でする善行」を雑行と言うんですよ。
まあ善ができてもしようとしない人はいますね。無宿善ですから助かりませんが。
600 :
名無しさん@3周年:04/06/23 08:51 ID:2q3k79dN
>>590 >弥勒菩薩等は、われわれ泥凡夫ができないような善ができて、
「横出の法門(浄土仮門)とか聖道門」の浄土真宗外の他法門で勧められる 「自力の善根」が積めるのではないでしょうか? そして菩薩界
(これは人間界のような「迷界」ではなく「悟界」ですね)等の聖境へ
進めるのではないでしょうか?化土往生もできるのではないでしょうか?
これは弥勒がどこへ行くといっているんですか?
あなたが言い出したしたことじゃないですか。
>>591 >御本願があるからといって悪をしてよいというわけではないというというのが「造悪無碍」の戒めのはずですが違いますか?
これって「悪をしてよい」と言っているんですか、「悪はやめなさい」ということですか、それとも「悪をしようがしまいがどうでもいい」ということでしょうか?
みなさんにわかるように解説してください。
601 :
名無しさん@3周年:04/06/23 11:13 ID:ZhF1rkwR
あたまのいたいこうしのかたには、ぜひこくごどりるをぷれぜんとしてあげたいです。かっこひらくだぶりゅー
急激にミシンが欲しまりまくり尽くして思わず買いに出かけたが、実際のブツを見
たら何が何だかわかりませんな。小学校の家庭科の時間にヘラヘラしていたことを懺
悔。
それにしても、あの緻密で正確な縫い物を自動的に行う装置に対する興味は薄れ
ず、約98%が女性客である店舗の女性店員に「あのえーとあのロックミシンってあ
の、どういった機能が……」などと訊いてみた。もちろん、それ以前にカタログ等を
約16分程度熟読して知識を得たつもりで。
久々の衝撃であった。その店員様におかれましては、なんとまあ一見さん的客に対
して的確かつ理解しやすくロックミシンに関しての情報を提供してくれるのだ。話を
聞いているそばから、じゃあこういう処理は、ならこんな処理も!? と客すなわち拙
者の夢と希望と妄想と縫い物の意欲を、そうだ、引き出してくれやがるのだ。解説者
としても店員としても理想的な人物であった。
ミシン云々以前に布および糸および裁断等々における知識が必要と思えたと同時
に、ある意味のドシロートが手ぇ出すもんじゃねえかもしんないと思ってその店を後
にした。ユザワヤの地方バージョンといった感じの店だったが、あそこは趣味の宝庫
であるような気がした。
エスカレータの途中から見えるベンチ&手すりの付近に、どこかの誰かのお子様が
いらっしゃった。
いらっしゃりやがるだけなら、何ら問題はないが、そのお子様ときやがったら、ベ
ンチの上に立ち、通常では届かないはずの手すりにアクセスしていた。
アクセスしてやがるだけなら、何ら問題はない。のだが、アクセスの方法に問題が
あった。すなわち、ステンレス製であろうと思われる手すりを、ダイレクトにベロベ
ロと舐めまくっていらっしゃいやがりなさったのだ。
決して人通りの少なくないその場所にあり、かつ、エスカレータ付近ということ
で、少なくない人通りを構成する人々の手が、その舐め舐め手すり部分に超アクセス
していると考えられる。つまり、ばい菌だらけであろー手すりだ。
他人事だし、知らねぇお子様野郎のことだし、まあどーでもイイっちゃぁイイんで
あるが、それにしても、そこまで舐めたらブドウ球菌過剰摂取でありポンポン痛い必
至であり病気になるように思える。親御様は何考えてやがんだっていうか後のお子様
病体状態で悔い改めるであろーと神はお考えだと拙者は考えたりした。
が、他人をナメるのはいけないと悟った。
舐め舐めお子様のすぐ横にいた、いわゆるひとつのヤンキーカポーが、実はその親
御様であらせられ、しかも見上げたモンだよヤンキーカポー、次にお子様がアクセス
するであろーネクスト手すりを除菌ウェットティシュと思われるもので拭いていた。
ちなみに、ヤンキー旦那が拭いていた。
ヤンキー奥様が「舐めないように抱いててよォ」とかいう意味のことを言ったのを
聞き、確かにその通り、拭く前に抱け、とは思ったが、抱いても押さえても恐らく舐
めるであろーそのお子様野郎に対し、ヤンキー旦那の処置は、あるいは最適化された
ものであるとも思えた。
ほんの32秒程度の間の出来事だった。
十分に知ったつもりの湖だが、しかし、なんでこんなに急激に減水してますか?
去年の冬は満タンで水浸しなフィーリングだったと思ったら、マジかよってほど減水
中であった。
って半年も経てば水位が変わっていてもヘンじゃないかもしれないが、さておき、
減水時の湖はちょっとおもしろい。
釣り人って、やはりわりとかなり凄く、水中の様子を知りたがるわけだ。湖底等の
状況で、魚の動きや居場所がある程度わかるからだが、満水状態の湖へ、陸から糸を
垂れていると、そうそう湖底の状態なんかわからない。しかし、減水時には、湖底の
様子がよく見えたりする。
わーあの場所はなーんかアルと思ってたら、あんなにデカい岩が沈んでたのか!!
こここ、こんなところに大きな溝が!! そしてこちらには木が沈んでいる!!
てな具合で、楽しい。それら地形や水中物の位置を覚えておいて、気候・天候に
よってその場所に集まったりするかもしれない魚を釣っちゃうかもしれない俺かもし
れない、とか想像するのが楽しい。
でも、そーとーマジメに考えてないと、忘れちゃうんですけどね、リスにおけるド
ングリみたいな感じで。
しかし、リスと違って、再度思い出したりする。満水時に「あれ? このあたり
に、なんかあったような、なかったような!?」とか忘れちゃうわけだが、再度減水し
た時に再度障害物等を見て「そうそう、そうだよココにはコレがあったんだよ知って
たよ」と思い出す。
そしてこの障害物・湖底状況の発見と忘却と再発見と再忘却を何度か繰り返すと、
ちゃんと覚えられるんですけど、それまでに2〜3年かかったりする拙者。
シロートなんで、釣り場に慣れるまでにそーとー時間かかったりしております。
605 :
名無しさん@3周年:04/06/23 12:54 ID:9WZ0g263
>『愚禿鈔』の「二機とは、一に善機、二には悪機なり。(中略)また、"善機について"二種あり。一には定機、二には散機なり。」を無視されるのでしょうか?
『観経義』の第二に、「十三定善のほかに三福の諸善をとくことを釈す」として、
「若依定行 即摂生不尽 是以如来方便 顕開三福 以応散動根機」(序分義)といえり。
文のこころは「もし定行によれば、すなわち生を摂するにつきず、ここをもって、如来、方便して三福を開顕して
散動の根機に応ず」となり。いうこころは「『観経』のなかに、定善ばかりをとかば、定機ばかりを摂すべきゆえに、
散機の往生をすすめんがために散善をとく」となり。これになずらえてこころうるに、散機のなかに二種のしなあり。
ひとつには善人、ふたつには悪人なり。その善人は三福を行ずべし。悪人はこれを行ずべからざるがゆえに、それ
がために十念の往生をとくとこころえられたり。(浄土真要鈔)
「散機のなかに二種のしなあり。ひとつには善人、ふたつには悪人なり。」
332は「善機の中にまた善人と善のできない悪人がいる」とでも言うのでしょうか?自分が理解できないからといって
お聖教を曲げるのは法謗ですよ。
親鸞聖人が「一切諸有」と言われれば「一切諸有」であり、覚如上人が「凡夫」といわれれば「凡夫」なんですよ。
「高位の凡夫」なんて根拠のないことを勝手に言ってはいけません。
606 :
名無しさん@3周年:04/06/23 13:26 ID:nfJSUCYz
>悪人はこれを行ずべからざるがゆえに
一切凡小、一切時の中に、貪愛の心常によく善心を汚し、
瞋憎の心常によく法財を焼く。急作急修して頭燃を灸うがごとくすれども、すべて「雑毒・雑修の善」と名づく。
また「虚仮・諂偽の行」と名づく。「真実の業」と名づけざるなり。この虚仮・雑毒の善をもって、
無量光明土に生まれんと欲する、これ必ず不可なり。(信巻)
「善ができない」というのは「往生のたしになる善」あるいは「無漏の善」ができないということであり、
仏眼からごらんになれば私達凡夫のする善は「虚仮の行」「雑毒の善」と言われる、ということです。
「虚仮の行」「雑毒の善」は善であって悪ではありません。
「行ずべからざる」とは「善行を成就することができない」ということ。
(菩提を得たいという)願があって善を行じても、願を成就するようなりっぱな善はできない(往生のたしにはならない)
、あるいは願自体がないときには「成就できない」ということになりますが、
行為自体は成就するかしないかにかかわらず善悪があります。
607 :
通行人:04/06/23 14:33 ID:Vlu7vaiI
なぁ、何?高位の凡夫って・・・・
それから
>>595は漏れのカキコです。よろ〜。
608 :
通行人:04/06/23 14:37 ID:Vlu7vaiI
>それにしても、おまいら勘違いしてるよ。
>やればやるだけ善果がきますよ。
講師の分際で「おまいら」とかいったらいけないですな。
嘘つき平気のダミー勧誘、半強制的財施、
悪口、他者を見下しては自己満足する破邪顕正とやらでは、
やればやるだけ悪果がくることは当然の理なのですが。
おかげで、拡大していると言う善果は無視ですか?
親鸞聖人のみ教えにであえてよかったと言って、さらに、信心決定した人までいると言う善果は無視ですか?
609 :
通行人:04/06/23 15:14 ID:Vlu7vaiI
A:破邪顕正イクナイ(・А・)!!
B:じゃあ、親鸞会を破邪してもイクナイね(´∀`)/~~~~☆
A:(;゜д゜)・・・・・・
610 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/23 18:56 ID:tZSHXVPR
>>599 >何これ?親鸞聖人が善導大師の仰ることを否定されたとでもいうのかな?
経釈の説相(仰ること)に"密意"の「穏説(弘願念仏宗=真宗)」と"表向き"の
「顕説(念観両宗=仮宗)」の別があると何度も言ってるんですが。否定された
のではなく、『観経』経釈の穏の「実義」(意=こころ)を読み解かれて、彰かに
されたものであることは、
>>588-599で既述です。
「またこの『経』(観経)の定散の文のなかに、"ただ専ら"
弥陀名号を念じて生ずることを得と標せり。この例一つにあらざるなり。
広く念仏三昧を顕しをはんぬ」と。」(『化身土文類』" "は私)
>>588の問いの繰り返しですが、顕説(経文及び善導大師の釈文の表向き"文字通り"の説)
から言えば、「定散」が「凡夫往生(生ずることを得)の因行」だということになりますが、あなたの説
ではそういうことでいいのか再度お尋ねします。
>
>
611 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/23 19:02 ID:tZSHXVPR
>>599の続き
>何かスルーしましたっけ?大体答えていると思いますけど。
>>514 >>523-524と
>>526に全然お答えいただけてないですが。回答済み
といわれるなら、夫々の番号お願い致します。
>どこが根拠なんですか、とお聞きしてます。
「曾無一善」です。無漏善のみの根拠は無いことを再確認します。
これも「一般論」でなくて、「私」のことだとも言いましたが。
>>590を再読してください。
繰り返しになりますが、
>>526への回答もよろしくお願いします。
>どこかのおばかさんが雑行は心だとか、悪を含むとか言ってましたが
「それ、信心をとるといふは、やうもなく、ただもろもろの雑行雑修自力なんどいふ
"わろき心"をふりすてて、一心にふかく弥陀に帰するこころの疑なきを
真実信心とは申すなり。」(『御文章』五帖十五" "は私)
それと、別所でスルーのままの、世天(外道の神)を礼拝供養する「礼拝供養雑行」が、
「善行」である根拠もお願い致します。110さんもこれは「悪」だと言っておられたような。
しかし、「おばかさん」などという言い方をされるのは「善行」ですかねww。
それと、>>525で書いたように、「一乗海釈」(念仏諸善対釈)の「信疑対・賢愚対・善悪対・・・」
でわかるように、真実弘願門=浄土真宗の立場で言えば、「自力諸善」は「悪」なのですが。
612 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/23 19:08 ID:tZSHXVPR
>>600 >これは弥勒がどこへ行くといっているんですか?
>あなたが言い出したしたことじゃないですか。
>>590に上機の沙汰はできないと言ったはずですが。私の文も疑問形ですよ。
ご希望とあらばw。推測してみます。例えば、「不退転は梵語にはこれを阿惟越致といふ。
『法華経』にはいはく、弥勒菩薩の所得の報地なりと。」(『信文類』)
ですから、弥勒菩薩が、不退の聖位(補処)におられるのは言うまでもないですね。
それでも、『大経』に 「なんぢおよび十方の諸天・人民・一切の四衆、永劫よりこのかた
五道に展転して、憂畏勤苦つぶさにいふべからず。」と言われるのは、「真の無為法」
たる弥陀法に対しては如何なる高位菩薩と雖も、その善功を認めれず一凡夫となる為というのが一つ。
「悲願はたとえば、・・・(中略)閻浮檀金のごとし、"一切有為の善を映奪する"がゆえに」(『行文類』" "は私)
それと、その直前に弥勒菩薩に「なんぢ、無数劫よりこのかた菩薩の行を修して衆生を
度せんと欲するに、それすでに久遠なり。なんぢに従ひて道を得、泥おんに至るもの、
はかり数ふべからず。」と言われていることでもわかるように弥勒菩薩は「自他不二、凡聖不二」の
理智により、また「無住処涅槃」の悲願により、衆生と共に、五道を展転くださっているとお味わいできますね。
613 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/23 19:19 ID:tZSHXVPR
>>600の続き
>これって「悪をしてよい」と言っているんですか、「悪はやめなさい」ということですか、
>それとも「悪をしようがしまいがどうでもいい」ということでしょうか?
>これって「悪をしてよい」と言っているんですか、「悪はやめなさい」ということですか、それとも「悪をしようがしまいがどうでもいい」ということでしょうか?
「悪はやめなさい」の意であることは自明ですね。ただし、
>>591で言ったように、
だからといって「それ」が「往生の善因縁」になるとして勧められるのではありません。
われわれの所作の善悪が、往生の資助(善因縁)となったり、往生の障りとなるという
「賢善精進の異義」は誤りです。「悪はやめなさい」というのは「今生事」(世間事)として、
"処世のため"に勧められているのです。
614 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/23 19:29 ID:tZSHXVPR
>>605 引用の御文の前段は、「 問うていわく、十八の願について因位の願には十念と願じ、
願成就の文には一念ととけり。二文の相違いかんこころうべきや。」「こたえていわく、
因願の中に「十念」といえるは、まず三福等の諸善に対して十念の往生をとけり。
これ易行をあらわすことばなり。しかるに成就の文に「一念」といえるは、易行の
なかになお易行をえらびとるこころなり。そのゆえは」で、後段は、「しかるに、この悪人のなか
にまた長命・短命の二類あるべし。長命のためには十念をあたう。至極短命の機のためには
一念の利生を成就すとなり。これ他力のなかの他力、易行のなかの易行をあらわすなり。
一念の信心さだまるとき往生を証得せんこと、これその証なり。」ですが、ここでは、「横」の「三経真仮」の
、『大経』=「弘願念仏」=「真」と『観経』=「定散十六観」=「仮」との相対上での廃立ではなくて、
「竪」の『観経』一経中の「経末」の「付属持名」「下々品の十念」(=『大経』実義の弘願)と『観経』「経中」
の十六観(更にその中の定善との相対上の三福)(=『観経』顕説)との相対にことよせて、「成就文」の
一念と「御本願」の十念を相対させて「易行のなかの易行」たる真宗義をあきらかにされている御文ですね。
望本願上では、弘願念仏である「下々品の十念」も『観経』説相中では、「散善」の一つですからね。
三経真仮の廃立(『大経』真実)からいえば、「悪人」は、「定散二機」とは別立されるわけです。
従って、ここでの「散機」は、『観経』顕説に"与えて"の表現ですね。それともまさか、「下々品の十念」は、
散善三福の一つだという解釈なのでしょうか? また、ここでの悪人と善人のなかの二種の品や、
悪人のなかの長命・短命の二種が「同一人物」であるという根拠は何ですか?
この御文は、まさしく親鸞聖人の御宗旨が、只今此処での「一念の弘願念仏のみ」をお勧めで、定散諸善等を
勧めるものでないことを証明する御文だと思うですが。同じ『浄土真要鈔』には、「諸行と念仏その因
おなじからざれば、胎生と化生と勝劣はるかにことなるべし。しかればすなはちその行因をいへば、
諸行は難行なり、念仏は易行なり。"はやく難行を捨てて"易行に帰すべし。」(" "は私)とあるのですが。
615 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/23 20:05 ID:tZSHXVPR
>>606 >行為自体は成就するかしないかにかかわらず善悪があります。
>「行ずべからざる」とは「善行を成就することができない」ということ。
「行ず」と「願行を成就する」は違うと思うのですが、同じとということですか?
根拠をあげて解説お願いします。
また、>>526>>590の「不殺生戒」や「不妄語戒」の場合はどうなりますか?
これまでにも述べてきましたが、>>612で言った通り、仏教ではTPOに応じて、
「同じ言葉」でも様々な使われ方しますね。「無漏」と「有漏」、「無為」と「有為」などでも、
通仏教的な使われ方と真宗上での使われ方は違うことも同じこともありますね。
真宗弘願の実義の上から言えば、他の一切諸法が、弥陀法に対せば、「有漏」「有為」
になるわけですが、「自力門」の立場に"与えて"、通仏教の出世間の善根を「無漏善」とする
場合もあるし、親鸞聖人の「二双四重判」でも、聖道門の一仏乗教(法華・華厳・真言・仏心等)を
二乗・三乗(権大乗)に対して「実教」と判ぜられ、そういう表現をなさってますが、
言うまでもなく、浄土真宗に対しては、「権教」なわけですね。
夏至を過ぎました。まもなく夏本番!
夏休みの予定はもう決まりましたか?
>>616 はりきってお出かけするのは楽しいけれど、
夏バテしちゃあ、もったいない!q(≧∇≦*)
618 :
名無しさん@3周年:04/06/23 23:13 ID:ZhF1rkwR
あとこんな記事も見つけた。
http://www.fpcj.jp/j/fshiryou/vfj/99/4_12.html 仏教ラディカリズムの嵐がいま学園で吹き荒れている。
大学では「浄土真宗親鸞会」が一般のサークルを装って新入生に忍び寄り、
高校では「顕正会」が終末思想を武器に暴れまわっている。
とりわけ勧誘がすさまじい顕正会はこの2年間に7人の逮捕者を出して
いるほどだ。
1980年に1万人だった信者数は、98年には60万人に急成長している。
顕正会を率いる浅井昭衞氏(68)は、「日本はあと数年で必ず滅ぶ」
と危機感をあおっている。
高森顕徹氏(70)率いる「親鸞会」の信者数は約10万人。
組織の中心は東大、早稲田大などで、
「人間科学愛好会」「古典に学ぶ会」といったサークルが
実は親鸞会のダミーであるというところが問題だ
>>608 >おかげで、拡大していると言う善果は無視ですか?
>親鸞聖人のみ教えにであえてよかったと言って、さらに、
>信心決定した人までいると言う善果は無視ですか?
相変わらず専任講師根性丸出しですな。
このひとの自因自果、善因善果の主体は「自分」ではなくて、「親鸞会」らしい。
それとも通行人さんが肥満して拡大しちゃったのですかな(笑)?
それなら善果とはいえませんな(笑笑)
あと、ついでにいうと仮に億歩譲って破邪顕正の結果??「信心決定した人までいる」としたって、
それも自因他果といっているようなもんでしょう。
あと、仮に信心決定宣言した人がいたとしても通行人さんのように誰の目にも明白な異安心ならば
明白に悪果になるわけだから、表面的で、自己本位な「善果」宣言したって全然意味がない。
>>609 >A:破邪顕正イクナイ(・А・)!!
>B:じゃあ、親鸞会を破邪してもイクナイね(´∀`)/~~~~☆
これも全然つまらんね。
いかにも専任講師が作ったオナニーネタだ。
親鸞会の破邪顕正が批判されるのは、詐欺まがいな勧誘しているからでしょう。
つまり、学生の未成年者を主な対象にしたり、嘘をついたり、ダミーサークルを
つくったり、身分、学歴を平気で詐称したり、信心獲ていないのに獲ているとい
ったり、仏教をわかってもいないものを勧誘に繰り出させるからでしょう。
オナニー○沢!
>>621 >いかにも専任講師が作ったオナニーネタだ。
モナー
,;i|||||||||||||||||||||||||||||||ii;、 _/
/||||||||||||||||||||||||||||||||||||||ii;、 \
/ ̄ ̄\||||||||||||||||||||||||||||||||||||ii;゙ヽ, /
'" ̄ヽ ヽ!!|||||||||||||||| ||||||||||!!"ヘ < 秩父の雲の むらさきに
ヽ ゙!!!|||||||||||| |||||||!! iヽ── /
|||l ゙゙ヽ、ll,,‐''''"" | ヽ||||||||| 風もみどりの むさし野よ
|||l ____ ゙l __ \|||||||||
||!' / ヽ、 o>┴< o /\ |'" ̄| 恵み豊かな この山河
\ / |ミミヽ──‐'"ノ≡- ゙'──''彡| |、 | |
 ̄| |ミミミ/" ̄ 、,,/|l ̄"'''ヽ彡|| |、/ / われら生まれて ここにあり
ヽ、l| |ミミミ|\ / |彡l| |/ /_
\/|l |ミミミ| \------- / |彡|l/  ̄/ おお 埼玉 埼玉 輝く埼玉
\ ノ l|ミミミ| \ / |彡| フ
 ̄\ l|ミミミ| \ / \
| \ ヽ\ミヽ V |/ /
/ \ヽ、ヾ''''ヽ、_____// /
/ ヽ ゙ヽ─、──────'/|  ̄/
. / ゙\ \ / / \__
───'''" ̄ ̄ ゙゙̄ヽ、__,,/,-'''" ̄ ゙''─
6〜7年前銭湯で幼稚園ぐらいの女の子に「パパー この人のさいたま大きー」と指をさされて大声で言われた。
確かに俺の息子は大きい方だったが、指をさされたのは初めてだった。俺は特にタオルで隠すことはしなかったので特に目立ったのだろう。
その子のお父さんは「すみません」と恥ずかしそうに謝っていた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
俺が体を洗っているとその女の子が友達の女の子2人を連れてきて「ほら、この人のさいたまとっても大きいんだよ」とわざわざ見に来た。
お父さんが「やめなさい」と言ったのと同じくらいに女湯の方から「○○ちゃ〜ん、なにお話してるの?」と同じくらいの女の子の声が
聞こえてきた。すると「この人、とってもさいたまが大きいの。ゾウさんみたいなの」とありったけの大声で叫んでいた。
すると男湯、女湯の両方からくすくすと笑い声が聞こえた。
俺はとんでもなく恥ずかしくなって石鹸を流して早く上がろうと思い立ち上がったとき、不覚にも勃起してしまった。
その場にいた女の子3人から「わっ!」と声が上がり「○○ちゃ〜ん、大変〜、この人のさいたま上にいっちゃったの〜、パオーンして
るの〜」と女湯に向かって叫んだ。 男湯・女湯同時に大爆笑がおこった。 その女の子達は「すごーい! すごーい!」と俺の息子に
向かって拍手をしていた。 それを見た男湯の人たちがさらに爆笑し、その爆笑につられて女湯でもいっそう大きな爆笑になった。
俺は逃げ出すようにして銭湯から出て行った。
それ以来kには行ってません。
>>621 s会は
>>609みたいな言い方好きだねー
それも元はTの「執着するな!という事に執着しているじゃないか!」
とかいって教授か誰かを黙らせたことが気に入ってるんでしょう。
相手の虚を付いただけで、全然反論になって無いんだけどね
そういう意味ではそんな事で黙ってしまったその教授とやらも罪な人だ。
そうやって執着を認めてしまった仏教はロクなもんにならないという見本がs会。
>>627 >「執着するな!という事に執着しているじゃないか!」
この点の克服が、釈尊の中道であり、仏教の原点なのだ!
しかし、五濁悪世、罪悪深重の我ら悪凡夫に相応した境地ではないけどね。
もちろん、T会長がそういう意味で言ったとは思えないがw
629 :
名無しさん@3周年:04/06/25 04:16 ID:NjhDi88+
>>628 >「執着するな!という事に執着しているじゃないか!」
この点の克服が、釈尊の中道であり、仏教の原点なのだ!
しかし、五濁悪世、罪悪深重の我ら悪凡夫に相応した境地ではないけどね。
ちょっと仏法かじると、すぐそういうことを言いたがる。
そりゃそうだよな、仏教書には、「五濁悪世だ、罪悪深重だ」みたいなことばっかり、
書いてあるんだから。誰だってこんなことぐらいは言える。
だが、ホントに五濁悪世か?昔と今とで何が違うんだ?
心から自分が罪悪深重だなんて思えてるのかよ。
ホンネは、親鸞聖人という偉いお人が言うんだから間違いなかろう、だろ。
ほんとのところは何にも分かっちゃいない。無智蒙昧なくせに知ったかぶりが、悪い癖。
善をするとか、真実に向かうのが求められるのは、
何もそれで知恵がついたり、徳が備わったりするんじゃない。
何も知らないくせに、知ったかぶりする自分だと認めざるを得ないところまで行き着かないと、
仏の直言を聞かんからだとさ。
630 :
通行人:04/06/25 17:07 ID:KW7AIEjf
>おかげで、拡大していると言う善果は無視ですか?
>親鸞聖人のみ教えにであえてよかったと言って、さらに、
>信心決定した人までいると言う善果は無視ですか?
相変わらず専任講師根性丸出しですな。
このひとの自因自果、善因善果の主体は「自分」ではなくて、「親鸞会」らしい。
それとも通行人さんが肥満して拡大しちゃったのですかな(笑)?
それなら善果とはいえませんな(笑笑)
あと、ついでにいうと仮に億歩譲って破邪顕正の結果??「信心決定した人までいる」としたって、
それも自因他果といっているようなもんでしょう。
あと、仮に信心決定宣言した人がいたとしても通行人さんのように誰の目にも明白な異安心ならば
明白に悪果になるわけだから、表面的で、自己本位な「善果」宣言したって全然意味がない。
これ、反論になってるつもりなんかな?このひと、仏教のことはあんまり知らないみたいね。
教線拡大してるから、善果なのに、主体がどうとか、意味不明なこといって、反論してるつもりなのが情けない。
このひとの、善因善果は、あくまで主体が個人じゃないとだめらしい。そのくせ、会の勧誘方法が悪いから、会に悪果がきてるとか主体が個人じゃない、自己矛盾おっしゃる。
あとついでにいうと、人が信心決定したら、自分の善果ではないとか本気でおっしゃってるところが、大乗の精神からも外れてるし、仏教の大きな理解からも外れてる。
その心は、他人が喜ぶのは、自分の善果なのになんとも思わない、むしろ、他人が喜ぶのは悪果だと思ってる、悲しい心からきてるんだね。
確かに、その人が信心決定したのは、その人に善因があったからなんだよね。でも、こっちが信心決定の縁を与えた善因はどこにいくのさ。その人が善果を受けたら、こっちも受けるのが道理。同じこと。
631 :
通行人:04/06/25 17:17 ID:KW7AIEjf
>A:破邪顕正イクナイ(・А・)!!
>B:じゃあ、親鸞会を破邪してもイクナイね(´∀`)/~~~~☆
これも全然つまらんね。
いかにも専任講師が作ったオナニーネタだ。
親鸞会の破邪顕正が批判されるのは、詐欺まがいな勧誘しているからでしょう。
つまり、学生の未成年者を主な対象にしたり、嘘をついたり、ダミーサークルを
つくったり、身分、学歴を平気で詐称したり、信心獲ていないのに獲ているとい
ったり、仏教をわかってもいないものを勧誘に繰り出させるからでしょう。
なるほど〜〜〜〜〜〜〜。
では、このことだけに、批判するべきで、仏教的な、教学的な批判は御法度なんだね(藁
おまいら、聞いたか? 親鸞会に対して、教学的な批判はしてはだめだぞ。あくまで、世間的なことに対してだけだ。
でも、破邪顕正は真宗信者じゃないとか言っておきながら、教学的な事に関して批判した言行不一致な者がこのスレにいたよな(藁
632 :
通行人:04/06/25 17:19 ID:KW7AIEjf
まぁ、これぐらいにして、
332さんに聞きたいんだが、真宗の救いは何だと思ってるの?
633 :
名無しさん@3周年:04/06/25 20:32 ID:4jKJl+8K
>>610 > 経釈の説相(仰ること)に"密意"の「穏説(弘願念仏宗=真宗)」と"表向き"の
「顕説(念観両宗=仮宗)」の別があると何度も言ってるんですが。
だから、「顕説というのはうそで間違いだ」と言うのか、と何度もきいているんだよ。
>お答えいただけてない
全体にわたってお答えしていますよ。有漏善の件もその一部じゃないですか。
簡潔にしてくれというなら、自分の質問を簡潔にすることですね。
だらだらした質問なら、だらだら答えるしかないでしょう。
>>514 >>523-524と
>>526それぞれの質問の内容を一行程度にまとめてみなさんにわかるようにしてください。
長文でごまかそうという目論みにはおつきあいしかねます。
634 :
名無しさん@3周年:04/06/25 20:49 ID:0LDBW6m4
>>611 >無漏善のみの根拠はない
根拠は既出。有漏善とは世間善のことで出離できない善です。
ジャンヌのお仲間と話あわれたらどうですか?
SAさんは「五戒を保てる」とか言ってませんでしたか?
私はそうは思いませんが。
ジャンヌのひとたちは会を攻撃することだけは一致していても
教学はばらばらなんですね。
いかに勝他のための教学か、あきらかですね。
> 「私」のことだとも言いましたが。
私は親鸞聖人の御教えのことをお話しておりましたので
「他のひとのことは知らない」という従来の発言をくりかえされるなら
書き込みは止められたらどうですか?
「他の人が教えを聞く必要があるかどうかは知らない」という発言元の
ひとは真宗のみ教えを云々する資格はありません。
635 :
名無しさん@3周年:04/06/25 21:03 ID:3D9/+iWg
>>611 >「それ、信心をとるといふは、やうもなく、ただもろもろの雑行雑修自力なんどいふ
"わろき心"をふりすてて、一心にふかく弥陀に帰するこころの疑なきを
真実信心とは申すなり。」(『御文章』五帖十五" "は私)
それと、別所でスルーのままの、世天(外道の神)を礼拝供養する「礼拝供養雑行」が、
「善行」である根拠もお願い致します。
これのどこが「雑行はこころ」であるという根拠になるんでしょうか?
定義を知らないからこういう質問が出てくるのだと思います。
ジャンヌで以前に解答ずみですからよく読んでください。
古本屋で本をさがすのもいいですが、雑行の定義ぐらいはおさえて話
していただかないと教学の論議にはなりません。
「おばか」は悪口にきまってるじゃないですか。
あんまりあほくさいので悪口もでますよ。
636 :
名無しさん@3周年:04/06/25 21:09 ID:3D9/+iWg
>>612 >上機の沙汰はできないと言ったはずですが。私の文も疑問形ですよ。
沙汰できないことを推測で発言したということで了解しました。
>>613 >「悪はやめなさい」の意であることは自明ですね。
「悪はやめなさい」という教えであるということで決着しました.
637 :
名無しさん@3周年:04/06/25 21:17 ID:3D9/+iWg
>>614 いつものことながら、だらだらした文章を書き込むので
お聖教の根拠以外は読む気がしません。
「散機の中に」と言われてもそうではない、ということなんでしょうね。
一切衆生と言われてもまちがい。
凡夫といっても違う。
あげくのはてに「信前の聴聞は悪」
332ってどんなひとか、読んでるひとはこれで解るでしょ?
638 :
名無しさん@3周年:04/06/25 21:23 ID:3D9/+iWg
>>615 >「行ず」と「願行を成就する」は違うと思うのですが、同じとということですか?
この場合はそういう意味ということ。本気で疑問にしてるなら、?ですな。
639 :
名無しさん@3周年:04/06/25 21:26 ID:E+Bww6v2
また、>>526>>590の「不殺生戒」や「不妄語戒」の場合はどうなりますか?
凡夫の善は水に書いた絵のごとし、です。すぐになくなりますが
善がなかったわけではありません。
640 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/25 22:05 ID:ed/rmh8l
>>632 >真宗の救いは何だと思ってるの?
サーバー移転しましたね。
真宗の救いは、「この私」が仏に成らせていただけるという御名号
の大功徳をこの世でいただいたことです。
641 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/25 22:17 ID:ed/rmh8l
>>633 >だから、「顕説というのはうそで間違いだ」と言うのか、と何度もきいているんだよ。
「顕説」は仮門(他宗他門)であって、実義の弘願門(浄土真宗)ではないと何度も
言ってるんですが。仮門=他宗の立場からすれば、真実ですが、真宗の立場からは、
「他宗他門の方」を真宗(弘願門)に誘引する為の仏様の御方便の法門ということ。
「うそで間違い」という意味でないのは言うまでもないですね。あなたは何宗の方ですか?
642 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/25 22:44 ID:ed/rmh8l
>>633の続き
>それぞれの質問の内容を一行程度にまとめてみなさんにわかるようにしてください。
努力してみましょう。
>>514「あなた(及びs会)以下同様」では、十九願二十願を真実と信じて実践しているのか、真実でないと信じて実践しているか?
>>523「顕義」が、真宗の教えであるという見解か?はたまた、真宗(弘願門)に入るには先ず仮門(他門)に入るべしという見解か?
>>524親鸞聖人は、末世では、証果ばかりか諸「善行」そのものが竜宮に隠れたと言われているのに、どうして万善諸行の実践が可能ですか?
>>526「殺生」を生業としている方は、仕事を止めなければなりませんか?
以上、お聖教の根拠をあげてお願いします。
643 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/25 23:05 ID:ed/rmh8l
>>634 >SAさんは「五戒を保てる」とか言ってませんでしたか?
>私はそうは思いませんが。
この板に見えてない方のことを云々されるのはマナー違反ですよ。
「有漏善」はできるのに、「五戒を持す」ことができないとはこれ如何に?
「人・天の果報」を引く善根である「持五戒・十善戒」は有漏善である
(「三界六道」の果報を引く善根は「有漏善」)というのが、仏教の「常識」
だと思うのですが違うのですか? あなたの言われる「有漏善」の定義は何
ですか?
↑の常識」と違う場合は、お聖教上の根拠をあげて解説お願いします。
>会を攻撃することだけは一致していても
>教学はばらばらなんですね。
攻撃というより詰問でしょうけどね。それだけ、真宗(仏教)の通説からみたら、
エキセントリックな説が多いということだと思いますよ。
644 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/25 23:58 ID:ed/rmh8l
>>635 >これのどこが「雑行はこころ」であるという根拠になるんでしょうか?
これも、別所でも言いましたが、善導大師が、当時の教界の浄土教(主に『観経』)
解釈の誤りを糾し、仏意を明らかにする為に、「往生行」のうち、化土往生の業因と
なるような「粗雑な善行」を「雑行」と呼ばれ、「正行(正定業=他力念仏」と相対
されたのは、「雑行」を勧められてのものではなく、「諸善」に対する念仏一行の優位
性を主張されて念仏を取り諸行を捨てることを勧められてのことですね。「あるいは、定
散両門ともに摂することを聞き、あるいは“善悪の行斉(ひと)しく”帰することを聞き
・・・」(『散善義』“ ”は私)とあるように、「自力諸行のなかの善悪」を問題に
されているのではないですね。それに、特に「善行」の場合、「三業相応」のはずですから、
「心」と「行」が各別なものではないですね。
要は問題となるのは、「善悪相対」ではなくて、「自力の心」だということですね。そこで
蓮師は、「まことのこころといふは、行者のわろき自力のこころにてはたすからず、如来の
他力のよきこころにてたすかるがゆえに、まことのこころとは申すなり。」(『御文章』一帖十五)
と仰っていますね。
>あんまりあほくさいので悪口もでますよ。
これは、
>>599の「まあ善ができてもしようと
しない人はいますね。無宿善ですから助かりませんが。」と
いうことですか?
引き続き、世天(外道の神)を礼拝供養する「礼拝供養雑行」が、
「善行」である根拠もお願い致します。
後、親鸞聖人は、
>>525>>611の「自力諸善」を「悪」「邪」と判釈なさっている
のは異論がないということでよろしいですね。
645 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/26 00:11 ID:KGIt+9jr
>>636 >沙汰できないことを推測で発言したということで了解しました。
そもそも何のために弥勒菩薩のことを聞かれてのですか?
>「悪はやめなさい」という教えであるということで決着しました.
「悪はやめなさい」という教えは、「今世事」の教えで、「往生の善因縁」
(宿善)とは関係無いということで決着しました。
646 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/26 00:36 ID:KGIt+9jr
>>637 >「散機の中に」と言われてもそうではない、ということなんでしょうね。
>>614で確認した「「下々品の十念」は、散善三福の一つだという解釈」だと
いうことですね。そうするとあなたは、「当今は末法にして、現にこの五濁悪世
なり。ただ浄土の一門のみありて、通入すべき道なり。このゆえに『大経』にの
たまはく、「もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十
念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずば正覚を取らじ」と」(『安楽集』)
の浄土(真)宗通義の『大経』十八願と『観経』下々品を会合する「御本願取意」
と親鸞聖人の『大経』(=真)と『観経』(=仮)の真仮廃立の判釈を否定されて
いるということでよろしいですね。
647 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/26 00:50 ID:KGIt+9jr
>>638-639 >この場合はそういう意味ということ。
その「根拠」は何ですか?
>凡夫の善は水に書いた絵のごとし、です。すぐになくなりますが
善がなかったわけではありません。
ですから、「殺生」を生業とされてる方は、その「水に書いた絵」のような
善も“できない”ということですね?
ダミーサークルや身分詐称しての勧誘行為をされてる方は「水に書いた絵」の
ような「善」ができてもしようとしない「無宿善」の人ということでよろしいですね?
649 :
名無しさん@3周年:04/06/26 02:26 ID:oWIwPRlC
>>629 s会員の本音は、T会長という偉いお人が言うんだから間違いなかろう、だろ。
マインドコントロールされて権力に頭上がらなくされてるだけ。
真実に向かっているという見せかけ。
>>629 一応「倶舎論」は読まれてますよね、まあ念のため。
>>520 >ご法話でもお話されていますし。
「一切衆生必堕無間」などと、いまだに経典上の根拠すら一度も挙げられ
ないような説を法話でお話されるのは親鸞会だけですよね。私のように
親鸞会の法話に行く気がしない人間にとっては意味のない発言です。
>>557 >正直、会員であったこと自体疑わしいですよ。
私のころはまだ大学のダミーサークルの名称も「歎異抄研究会」で、
現在のように詐欺的手法も洗練して百花繚乱のダミーサークルが溢れか
えっているような時代ではなかったですし、ネット対策で親鸞会批判
サイトのダミーサイトを山とつくるような姑息な空気はなかったです
からそういう疑問が起きるのも尤もかもしれませんね。
>火に触れるよりも明らかな、鮮やかな体験を知らないのですね。
「火に触れるよりも明らかな、鮮やかな体験」を目指すあなたの思い込み
自体が誇妄であり、顛倒の妄念だといっているのです。
>>558 >論理の飛躍があって、根拠が必要なところがあれば、以下引用しましたので、
示してください。
ご丁寧にありがとうございます。では、お言葉に甘えましてお尋ねしましょう。
>別々のものとしてしか見られないようです。
以前もお尋ねしましたが、「横超の法門と横出の法門は別々でない」とする珍説
のお聖教上の根拠を上げてください。あなたの主張は「自力と他力は別々のもの
とはいえない」といっているのと同じですよ。
>19願はひとえに専修(20願)に衆生を送り出し、20願は果遂(18願に入れさせる)
の誓である。
「建仁第一の暦春の頃、(中略)難行の小路迷い易きによりて、易行の大道に赴かん
となり。真宗紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をきわめてこれを述
べたまうに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決
定しましましけり」(『御伝鈔』)
真宗は凡夫直入の法門ですよ。「難行の小路迷い易き」と教えられているのに
親鸞会はどうして往生のためにといって機教相応しない六度万行を勧めるのですか?
332さんが
>>664で解説しておられるように「善行」は「三業相応」しなければ善
ではありません。
>>558 >論理の飛躍があって、根拠が必要なところがあれば、以下引用しましたので、 示してください。
ご丁寧にありがとうございます。では、お言葉に甘えましてお尋ねしましょう。
>別々のものとしてしか見られないようです。
以前もお尋ねしましたが、「横超の法門と横出の法門は別々でない」とする珍説のお聖教上の根拠を
上げてください。あなたの主張は「自力と他力は別々のものとはいえない」といっているのと同じですよ。
>19願はひとえに専修(20願)に衆生を送り出し、20願は果遂(18願に入れさせる)の誓である。
「建仁第一の暦春の頃、(中略)難行の小路迷い易きによりて、易行の大道に赴かんとなり。真宗
紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をきわめてこれを述べたまうに、たちどころに
他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり」(『御伝鈔』)
真宗は凡夫直入ですよ。「難行の小路迷い易き」と教えられているのに親鸞会はどうして往生のた
めにといって機教相応しない六度万行を勧めるのですか?332さんが
>>664で解説しておられるよ
うに「善行」は「三業相応」しなければ善ではありません。
>我々の主張を、定善散善をせよ、そうすれば助かる、という教えだと言うことにしたいあなたの都合
は分かりますが、 そんなことは初めから言っていないのです。
真宗の教化は臨終説法とみなすべきであって、それは御文章を拝読すれば一目瞭然です。罪悪生死、無常
の凡夫に対して、今から十九願、二十願を通れ、と教えることは、瀕死の人に向かって「これから定善散
善をせよ」と勧めることと同じです。そうでないとあなた方が思われるのは「法門」に対する理解が無いか
らです。証に対する信に対する行なのであって、「できないと知らされるために善を行じる」などという
空観の欠落した教えは真宗ではありません。
>善に励めば励むほどご恩報謝になり、弥陀が喜ばれるのです。
真宗において一番勧められる善は何ですか?根拠をもってお示しください。
>一刻も早く信を獲るには、どうしたらよいのか。
こういう考えをもって妙好人を訪ねられた同行がたは、どのように一喝された
か思い出してみてください。
>>559 > これじゃあ誰も納得しませんよ。
○「獲信の時点から過去を、過去多生の宿縁は、全て阿弥陀様 の照育であると振り返さ
せていただくものですね。 」も、まさに「遠慶宿縁」(教行信証総序)の正しいご解釈ですね。
という私の書き込みに対して、386さんは、間違っているとおっしゃって、今生を除外しているからだ、
と言い張っておられましたが、なにがどう間違っているのか110さんで結構ですので説明してください。
ちなみに私は三願転入を否定したことなどは一度もありませんが。「三願転入」は信後に信知す
るのであって信前には信知しえない、と既に説明済みです。
>宿善を求める心がけが獲信と無関係だったり、ただ今の救いの妨げになったりするのなら、そういうこ
ともあるかも知れません。 そういう根拠を示してください。
根拠は化身土分類にあります。
「雑の言は、人、天、菩薩等、解行雑せるがゆえに雑といえり。本より往生の因種にあらず。回心
回向の善なり、かるがゆえに浄土の雑行というなり。」
信前の「宿善を求める心がけ」は「はからい」であって、「宿善を求める心がけ」による善行は雑行であり、
「回心回向の善」であって、「往生の因種にあらず」と祖師は教えられています。
ただ今の救いの妨げになります。
>>654 訂正です。誤:根拠は化身土分類にあります→正:化身土文類
>>560 >
>>646を読んで書くことがこんなことしかないんですか。
ではもう少しかきましょうか(笑)。
>自力の者に聴聞や諸善など勧めても自力執が募るから良くない、なんてすっとぼけた教えでは
ないのです。
聞即信ですから聴聞は勧められていますよ。選択本願念仏集は拝読されましたか?
「いま又善導和尚。諸行を廃して、念佛に帰せしむる所以は、ただ彌陀本願の、行たるのみにあらず。また
これ釈尊、付属の行なればなり。かるがゆへに知ぬ。諸行は機にあらず、時をうしなへり。 念佛往生は、機に
あたり、時を得たり。感応豈唐捐ならんや。まさに知べし。隨他の 前には、暫定散の門をひらくといへども、
隨自の後は、還て定散の門を。一たびひら きて以後、ながくとぢざるは、たゞこれ念佛の一門なり。」
(第十二章段 釈尊定散の諸行を附属せず。たゞ念佛をもて、阿難に付属し給ふの文)
「諸行(諸善)を廃して」、「諸行(諸善)は機にあらず、時をうしなへり」と仰せです。真宗は自力のものに往生の
ために諸善を勧める「すっとぼけた教え」ではないのです。
>自力しかない者が、自力を原動力にする。自力しかありませんから仕方ありません。
これのどこが礼賛なのですか?
私は「親鸞会の教えが浄土真宗であるかどうか」を検証しようとしているのです。
「自力しかない者が、自力を原動力にする」教えがなぜ横超の法門であるのかをもう少し説明してください。
>そして、我々にできることは、「行」だけです。
これも特記すべき記憶に残る発言のひとつですね。
「五濁悪時悪世界 濁悪邪見の衆生には弥陀の名号あたへてぞ 恒沙の諸仏すすめたる」(浄土和讃)
末法五濁の衆生である我々に「行」ができる、とする真宗のお聖教上の根拠をあげてください。
>>560 >我々が「する」ことは全て行です。
これも理解できませんが。行と業を混同しておられませんか?
>本願寺がこのまま衰退していっても、何も行動を起こす必要もないし、異安心がはびこっていても放置して
どうしてここで唐突に「本願寺」がでてくるのですか?あなたは本願寺が衰退してほしくないと思っておられるよう
ですが、それならば本願寺関係のHPや掲示板にでも書き込まれたらいかがですか?本それと親鸞会の教義
のなにがどう関係あるのですか?本願寺の中興上人である蓮如上人も「一宗の繁盛というのは、人が多く
集まり勢いが盛んなことではない」と仰せです。親鸞会の論客の方はしばしば本願寺といちいち比較し
て「威の大」なることを主張したいらしいのですが、蓮如上人の仰せとは違うようですね。
この相違も、親鸞会独特の「時代背景が違うから」説で済ませるつもりでしょうか?
>>564では「蓮如上人御一代記聞書」の93条、95条も親鸞会的には無視するということですか?
戦時下の「教科書の都合悪いところの墨塗りつぶし」とよく似てますね。
>>562 >そちらの理屈の方が圧倒的にぶっとんでますよ。
親鸞聖人の理屈がぶっとんでいると?絶句です。もしも親鸞聖人の理屈と私の理屈が違っており、あなたの
理屈と親鸞聖人の理屈が同じというのでしたら既に挙げた浄土和讃をもとに説明してください。
>>562 >それなら、どんな人や団体に対しても尊敬してかしずけばいいことになります。
必ずしもそうはいえませんね。もうすこし頭を冷やして自分の頭で考えてみてください。
>>563 >まことの報謝(最高の報謝)になるかどうかを別にするのなら、勿論できます。可能です。
虚仮の報謝・虚偽の報謝でも、報謝は報謝である、という思想ですか?イエスか、ノーか?お答えください。
>根拠は、「信前でも感謝し、ご恩返しとして、万分の一にもならないが如来聖人の喜ばれることをさせていただく」
ということが、事実ある、ということです。
こういうのを根拠とはいいません。あなた、または親鸞会説というのです。お聖教のご文をあげて説明してください。
ちなみに私はすでにいくつも挙げていますが。
>そうですか。私は、ジャンヌ派の教義を検証する意味で話をしているだけです。
ジャンヌ派って誰のことですか??常々思いますが親鸞会のかたは、ラベリングが好きですよね。「本願寺」とか
「ジャンヌ派」とか。本願寺の学僧がたの教義理解にしても東西で既に相違点はありますし、教義解釈は決して
一様ではありませんが、親鸞会は「本願寺」と実体視していますね。「無我」説を学んだ仏教者の態度ではありま
せん。「ジャンヌ」は、様々の立場のかたが親鸞会教義について議論される掲示板と認識しています。
>あなたの説明した勝他と何の関係もないことを持ち出してきましたね。
在家のものが法施せよ、という教えは本来仏教にないわけですし、そもそも機教相応していないと真宗では
教えられているのにかかわらず凡夫が「破邪顕正」などという本来聖道門の難行を往生行として実践すれば
勝他という煩悩に囚われて悪業をつくる、といっているのです。あなたは「他人を説き伏せて親鸞会教に改宗
させること」が法施になると思っているようですし、宿善になる、と理解しているようですが、私はそう見なして
いない、そういうことです。
>その表現に違和感があるとは、謗法罪の恐ろしさを全く知らないのですね。
というよりも、あなたは「謗法罪」は「わたし」に向かって説かれている、という視点が見事に全く欠如していて、
謗法して五逆をするのは他者だ、と理解しているかのような発言が多すぎるからです。専任講師の陥りやす
い弊でしょうね。在家の凡夫に対して「破邪顕正せよ」と勧めることがいかに弊害があるかを端的に示す好例
といえるでしょう。
>>563 >結局、本会は勝他だけど自分は違う、なんて主張は無理がありましたね。
???私の書き込みをよく読んでください。いつ私が「本会は勝他だけど自分は違う」、なんて主張しましたか?
前スレ493をもう一度お読みになって具体的な箇所を指摘してみて下さい。「勝他」は自是他非の見(見濁)
ですとは申しています。これは煩悩の一種ですから、わたしが煩悩を逃れられるわけはありません。
あなたが勝手に勘違いされて、「貴方が私に対してしていることは勝他ではなく、 親鸞会(私)のして
いることが勝他になる理由を教えてください。」と尋ねられているのですが・・。スルーしたらいきなり得意の勝利
宣言ですか?
>>564 >このお言葉についてですが、当時の時代背景はご存知ですか? 蓮如上人のご布教により、全国に親鸞学徒
が爆発的に増え、多くの人が真実開顕に立ち上がっていた時代です。あまりにそれが激しく、他宗などの怒りを
買い、真宗弾圧もまた激しい時代であった。 「真宗だと言ってはいけない」と、蓮如上人がブレーキをかけねば
ならなかったほどです。
あなたの歴史認識がその程度で親鸞会的なオーソドックスな線であるとすればあまりに貧弱な理解ですね。
蓮如上人のご在世当時は応仁の乱の時代で政治力の無力化した時代です。高田門徒と結託した富樫幸千代の
西軍と、本願寺門徒-富樫正親-朝倉孝景の東軍連合が張り合って文明6年に後者が勝利し、翌年富樫正親が
本願寺門徒を弾圧に乗り出してきました。そこで吉崎を捨てて蓮師は畿内に撤退されたわけですが、このあいだ
に門徒が爆発的に増えたのは、決して蓮師や門徒が「大衆を説き伏せて改宗させ」た成果ではなく、ひとつが
「おふみ」による書簡伝道の成果、もうひとつは門徒・他流・他派が蓮如上人の徳に引かれて全国から吉崎に
集まってきたことによる、というのはすでに定説です(当時の多数派は時宗であったといわれていますがこの時点
で多くが本願寺門徒になったようです)。「掟」の創作理由は相互殺戮に陥る危険を避けるための一向一揆エネ
ルギーの沈静化という意図が主でしょう。
>>564 >蓮如上人が、牛盗人と呼ばれることはあっても当流のものだと思われてはならない
掟の製作意図をそのような理由にしたい気持ちはわかりますけどね。「真宗の人たちの真実開顕が激しすぎ
たから」が主要な理由ではありません。もっと勉強してください。
>理想的には、信を獲った上で、説いた方が良いに決まっています。
「理想的には、○○○が良いに決まっています。(でも逆のことを我々はします)」親鸞会の論客方のお好きな
便利な言い回しです。なんでも正当化できそうですね。「理想的には、嘘つき勧誘しないほうがが良いに決ま
っています。」「理想的には、(奴隷のような」ノルマのない勧誘行為のほうがが良いに決まっています。」など。
>>565 >異論があるんですか?
あなたの「内外廃立=自他共に徹底すべきこと」説のお聖教上の根拠が未だ挙がっていないようです
が忘れずに挙げてください。特に「他」の部分について。こんな説はT先生の著作にも出てこないよう
ですが如何でしょうか?他の会員さんでもお答えになってみてください。
>十方衆生とは口だけですね。
議論のすりかえですね。いまは「内外廃立」の定義についてお話しています。
>人のことばかりで、自分を省みることがないあなたは、そもそもベクトルが存在しない。(中略) ベクトルがあるだけです。
ベクトルは存在するのか、しないのか??意味不明です。
>19願、20願に永久に留まるのなら、そういうこともありましょうが、 如来のお慈悲によって、 (以下略)
・・・とあなたが思っておられる(思いたい)だけですね。
>19願をはねつけ続けていては、永久に救われません。
19願をとどまり続けていては、永久に救われません、と説かれるのが真宗です。
>無関係なら、わざわざ建てられる訳がない。
未信のものはそんな詮索・はからいらいは不要であり、十八願成就の名号法を受け取りなさい、と教えられるの
が真宗ですね。
>>566 >普通はそう理解しますが、あなたはもっとアクロバティックな解釈をするのですか?
「普通」とは、親鸞会内の「普通」という事ですか?普通は対外的、対内的に分けて説明されますが、一言にて
尽くせば法然上人の念仏往生の本義、換言すれば選択本願念仏集の真意を明らかにすることであって、あな
たの回答にもこれは出てきませんでした。これがアクロバティックな解釈などといわれるならば、論外ですが・・。
明恵・日蓮両上人の批判の中心は「専修念仏」というキーワードです。彼らは廃立と謗法を混同し、「専修念仏」
を字是他非の謗法罪と誤解したからですね。対内的には法然上人門下が一念義、多念義の二つを主とする
セクトに分裂したので 特に方便化身土巻をも著されて真仮の分際を顕されたのです。当時教行信証を手に
する機会のあった人々は、例外なく既に仏門に入り「行」を行じておられた方々であることを忘れてはいけま
せん。
>>そのことを理解できない方々は永遠に機教相応しない19願、20願の手前に留まり続けるのかも
しれません。
>よく分からないから「かもしれません」などという言葉をよく使うのですよ。
そうですね。他人の未来のことはわかりませんね。あなたはよくわかるのですか?
>>579 「御同朋」、「御同行」、「四海の同朋皆兄弟」に日蓮上人は含まれるのですか?
ダイバダッタ尊者は含まれますか?
>>652>>653二十投稿スマソです。
>>580 >「全ての人は、十方衆生が相手の弥陀の三願によって救われる。 方便願とは真実18願に入れる
ために建てられた願であり、19願と20願である。 親鸞聖人が三願転入して救われたように、我々も、
全ての衆生は、 方便から真実へ、仮より真へ、三願転入して救われる。」
で、どこの部分が浄土真宗なのですか?教えてください。
全部、とおっしゃるのなら、私は「横超とは〜」のご文で反論いたしますが。
>弥陀が行前信後の方便願を建てられて、我々を調機誘引して下さっているのですから、 そうではあり
ません。弥陀は19願に、釈尊は一切経の善を観経に収めて、善導大師は 観経疏に外に賢善精進の
相を現じて…と教えられているのです。
観経顕説が真宗という主張ですか?
>善の勧めが、救いに関係があるから、説かれるのです。
真宗では一念の弘願念仏のみが勧められています。
>真宗において最も恐ろしい罪とは、「仏智を疑う罪」です。自力の心とも言われますが、
おおむね異論はありません。ただし、「仏智うたがうつみふかしこの心おもいしるならば
くゆるこころをむねとして仏智の不思議をたのむべし(正像末和讃)」
とありますように、勧められているのは「弥陀タノメ」だけですね。
663 :
通行人:04/06/26 17:15 ID:DTYMxeA5
とりあえず、破邪顕正だめだとか一言でも言ったやつは、親鸞会を破邪顕正するのはやめろよな。
明らかに矛盾させてどうすんだよ。言ったことはきっちり守れよな。
親鸞会は、ちゃんと、破邪顕正することを、使命としてるけど、そうじゃないやつは、やめろよ。
664 :
通行人:04/06/26 17:35 ID:DTYMxeA5
>真宗の救いは何だと思ってるの?
サーバー移転しましたね。
真宗の救いは、「この私」が仏に成らせていただけるという御名号
の大功徳をこの世でいただいたことです。
毎回移転してます。ヤフー遅いし、アッカに変えたから、IPも変わってるよ。
なるほどね。わたしは、この意味わかりますが、あなたが、わかってこれを言ってるかはわかりませんから、
とことん質問してみようと思いますが、あなたも、真宗の救いは念仏を称えることだとは理解してないみたいですね。
大変偉いと思います。ここで、すでに、「真宗の救いは、念仏を称えて明るく楽しく生きること」とか言われたらどうしようかと思いました。
で、重ねて、「この世でいただいた」とはどういうことでしょうか。
いつ、その大功徳とやらをいただけるのでしょうか。この世といっても、長いです。平均寿命は日本人で70歳はあります。
いつ、いただけるのでしょうか?まさか、この世に生まれたときから、いただけているとは言わないでしょう。
でも、それにも増して不可解なのは「いただいた」とはどういうことでしょうか。なぜ、過去形なのですか。
あなた自身がいただいたからですか。でも、真宗の救いは何ですかと言われて、「御名号をいただくことです」ならわかるのですが、
「御名号をいただいたことです」では、変ではありませんか?何か、異様な意図があるような感じがします。
ともかく、それは、いつ、どのようなときにいただけるのか、重ねて聞いてみたいと思います。
665 :
名無しさん@3周年:04/06/26 17:35 ID:WOjuEYzV
>>641 >「他宗他門の方」を真宗(弘願門)に誘引する為の仏様の御方便の法門ということ。
はいはい。真宗では信心獲得したひとが門徒ですから、それ以外の未信の者を誘引する方便である、ということで決着。
>>642 >514
19、20願を実践しているものは誰もおりません。
19、20願を実践せよ、とも教えられたことはありません。
>523
顕義は方便です。仮門を通らずに弘願には入れません。
三願転入以外の道程を、聖人が教えられているなら御文をあげてください。
信前の聴聞なしに弘願に入れる(信前の聴聞は悪という主張)というひとには理解不能でしょうね。
>524
時機不相応は聖道門です。要門は聖道門だけではありません。
666 :
名無しさん@3周年:04/06/26 17:36 ID:WOjuEYzV
>526
殺生を生業にしていても親孝行をすることはありますね。
虚仮の行であっても善は善であり、悪ではありません。
「雑毒の善」と言われているとおり「善」です。
みんな一度は根拠を出して詳しくお話したものばかりですね。
>524なんかは「横出も聖道門」というむちゃくちゃな発言が出たので
そこで話は終わっているわけです。
お聖教を無視するなら、論議は無意味です。
「『顕説』は仮門であって、弘願門ではない」って誰か会の関係者が
否定しましたか?誰も否定してないでしょう。そういうことを話題にしているわけではないからです。
それに対して332は、聖人のお言葉も、覚如上人のお言葉も、善導大師のお言葉も「十方衆生、凡夫、五濁の凡夫」と書かれていても聖人のみ教えではない、という法謗をくり返している。
あげくのはてに「信前の聴聞は悪」という発言。
ご自分はどういうつもりか知りませんが、すでに仏法者ではありません。
667 :
名無しさん@3周年:04/06/26 17:49 ID:NAM5hKs9
>>643 >この板に見えてない方のことを云々されるのはマナー違反ですよ。
はあ?あなたたちのお仲間のことを言われると都合悪いようです。
なんと言っても「大乗はでたらめ、うそっぱち」というのは
ぶっとび発言でしたが、ジャンヌでは誰一人詰問したひとは
いませんでした。
ジャンヌ常連の本性が明らかじゃないですか?
そんな連中と論議するなんてばかばかしいのはあたりまえでしょう。
いちいち解答していると、まるで対等に論議しているかのように見えるのが
嫌なんですよ。
教学について論議したいなら、
せめて「雑行の定義」程度は踏まえて話してください。
「雑行は行ではない、心である」というのも歴史にのこるぶっとび発言だ
というのはおわかりではないようですね。
もう今日は時間がないのでここまで。
668 :
通行人:04/06/26 17:50 ID:DTYMxeA5
このスレの住人の人で、破邪顕正してはいけないとかいってるやつが、
何、親鸞会は善を勧めてるから真宗ではないとか、一念の信心の体験教えてるから、
間違いだとか、臆面もなく、破邪顕正してるわけ?
自分で言ったことはきっちり守れよ。
親鸞会は、破邪顕正することを使命としているみたいだから、言行一致してるんだけどね。
おまいら、破邪顕正だめだといったやつは、言ったとおり、親鸞会を破邪することはやめろよ。
669 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/26 18:04 ID:zb4W51ZY
>>664 >それは、いつ、どのようなときにいただけるのか、重ねて聞いてみたいと思います。
平生の一念です。
逃れられない状況で
・念仏を唱える間もなく瞬殺される
・念仏を唱える時間はあるけどジワジワ嬲られて殺される
親鸞会の信者はどっちを選ぶの?
671 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/26 18:28 ID:zb4W51ZY
>>665 >はいはい。真宗では信心獲得したひとが門徒ですから、それ以外の未信の者を誘引する方便である、ということで決着。
はあ? それ以外の未信の者というのは全員が仏教徒ですか? 他宗他門というのは、当然に「内道」ですね。
こうした「三経真仮」の教判が説かれた背景については、505さんの
>>661が大変参考になりますので、
熟読をお勧めします。
>19、20願を実践しているものは誰もおりません。
>19、20願を実践せよ、とも教えられたことはありません。
それでは、定散諸善を勧める根拠は無しということですね? 十八願(弘願門)には、当然に「定散二門」の勧めはありません。
>三願転入以外の道程を、聖人が教えられているなら御文をあげてください。
例えば、『愚禿鈔』上の「一乗海釈」の「二機対」(十八対)の「直入回心対」。親鸞聖人は、漸教回心(三願転入)ではなくて、
「直入」をお勧めなのはあきらかですね。
672 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/26 18:50 ID:zb4W51ZY
>>665の続き
>時機不相応は聖道門です。要門は聖道門だけではありません。
定散二善の勧めって何ですか? 散善三福について「かの国に生ぜんと欲はんものは、まさに
三福を修すべし。一つには父母に孝養し、師長に奉事し、慈心にして殺さず、十善業を修す。
二つには、三帰を受持し、衆戒を具足し、威儀を犯さず。三つには、菩提心を発し、深く因果
を信じ、大乗を読誦し、行者を勧進す。」ですね。
具足しなければならない「衆戒」とは、五戒・八戒斉・十戒・具足戒などですが、親鸞聖人は、
「持戒」について、「しかればすなはち末法のなかにおいては、ただ言教のみありて行証なけん。
もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒法なし、いずれの戒を破せんによりてか破戒あらんや。」
「次に像季の後は、まったく戒なし。」(『化身土文類』)と仰って既に散善の「行」そのものが
ない仰ってますね。
673 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/26 19:03 ID:zb4W51ZY
>>666 >「『顕説』は仮門であって、弘願門ではない」って誰か会の関係者が
>否定しましたか?誰も否定してないでしょう。そういうことを話題にしているわけではないからです
「『顕説』は仮門(他宗他門)であって、弘願門(浄土真宗)ではない」を否定されてないのであれば、
「浄土真宗の名で」定散諸善の修善を勧めてはいけないのはわかりますね(s会で勧める定散二善が仏教
本来のそれかは問題のあるところですが、それは、ここではひとまず擱きます)。
674 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/26 19:18 ID:zb4W51ZY
>>666 >あげくのはてに「信前の聴聞は悪」という発言。
「悪」なのは、「自力疑心」であると何度も言ったと思いますが。「聞法」を勧められるのもあくまで
「他力の聞法」を勧められているのであって信を獲れずに、「自力の心」で聞いているのは、「悪」な
のは言うまでもないですね。
>>667 >はあ?あなたたちのお仲間のことを言われると都合悪いようです。
こっちこそ、はあ?ですね。この板に参加されてない方のことを云々するのはマナー違反というのは、
「社会常識」だと思うのですが。仲間云々は関係ないですよ。そんなことも守れなくてよく「善の勧め」
なんて言えますね。
>そんな連中と論議するなんてばかばかしいのはあたりまえでしょう。
そう思うなら、来なければいいのに、何故来るの?
>「雑行は行ではない、心である」というのも歴史にのこるぶっとび発言だ
問題になるのは、「往生行」として自力善行を修しているか否かではなくて「自力の計らい心」だ
と言ってるのですが。
675 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/26 19:25 ID:zb4W51ZY
>>666 >殺生を生業にしていても親孝行をすることはありますね。
持戒の基本中の基本である「五戒」すら持てずに、散善三福の実践が可能なのですか?
ましてや「定善」の行がどうして可能でしょうか?
676 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/27 00:04 ID:h39wMRe5
>>666に補足
>殺生を生業にしていても親孝行をすることはありますね。
「親孝行」というのは、三福の「孝養父母」のことだと思いますが、仏教の行である限り、
「世間の孝養」(外典の『孝経』の説)ばかりでなく、『四分律』などの「生縁奉事の法」
などの「出世間の孝養」も修行しなければ、「散善」を実践しているとは言えないのはよろ
しいですね。チベットなどでは、世々生々の父母として、家畜などに、その子に成りきって
仕える「行」も実践されてますね。
677 :
D:04/06/27 01:55 ID:rzazXs0e
浄土真宗では、行よりも信を重視します。
これは親鸞会HP内の記事ですが、参照願います。
http://www.shinrankai.or.jp/sinsyuu/qa0306.htm 親孝行については、道徳の範疇です。
修行に関しても、釈尊時代の苦行を語るのみであり、
「そのような修行は自分にはできない」ということを
知らしめる為でしかありません。
(現代人には修行には無関係なので不要ですね)
「修行を知りたければ、その方面の学者を訪ねなさい」と
言われている通り、大乗仏教では論ずるべきではありません。
>>677 では、破邪顕正や財施はではなく、信心のみが重要であるということですね。
680 :
名無しさん@3周年:04/06/27 05:44 ID:6TlO4M4p
33○=S○なのは、その主張する内容と言い回しで、明らかだわな。
他にも茶○、元s、○ん、勢ぞろいしてる(w
ジャンヌでは飽き足らず、2ちゃんでまでお仲間引き連れてのご活躍、
まさにs会憎しの怨念の強さを物語ってはいるね。
s会を語る板で、とうとうとわが信心を語ってるのが笑える。
そんなものは自己スレ立てて語ればいいのに。
まあ誰も注目しないだろうから、糞スレになるだろうけど。
つまりは、s会を攻撃することでしか、その存在を誇示できないってこと。
なるほど、s会たたきが生きがいにもなる訳だわな。
飽きるまでやるんだろね、ただの生きがいなんだもの。
s会論議も面白い「おもちゃ」でしかない。
レスする奴ぁ、おいしい餌。
また餌やっちまった(w
681 :
名無しさん@3周年:04/06/27 09:22 ID:OkGUXiNU
682 :
名無しさん@3周年:04/06/27 09:43 ID:OkGUXiNU
>>680 > わが信心を語ってる
「わが信心」なんだよね…
親鸞会の悪業は深重
685 :
名無しさん@3周年:04/06/28 00:56 ID:Uz/4fw2e
ばかばかしい。T森に金貢いでろ
686 :
カルト:04/06/28 07:57 ID:kPZcmJdN
一つでも有ればカルト」のであるというのを簡単に述べましょう。
1 「死後の保証」を盾にとって、奉仕やお布施などの金品を要求する
2 「輪廻転生」(生まれ変わり)を積極的に教義の根幹に据える
3 極端な排他思想
4 認識、確認できない事柄を無理やりに信じ込ませようとする
5 倫理軌範が世間のそれとかけ離れている
6 霊能力、超能力を売り物にする
7 瞑想の導入において、施術する
8 親子に勝る法理を説く
9 政治に関与する
10 教祖や代表が「悟った」とか「覚者である」とか宣言する団体
11 脱会の意思を表明した時に罰論を説教する団体
12 罪業論、宿業論を教義の根幹に据える団体
以上のうち、一つでもあれば「カルト」です。 s会はどうでしょうか?
1:死後の無間地獄を説き、布施を強く要求している
2:一切衆生 必堕無間 という
3:退会者や批判者は呼び捨て、極つぶしのようにみなして悪口をいう。
4:証明できない「一切衆生 必堕無間」を信じ込ませる
5:
>>680>>667>>668>>629>>635など。
典型例:「「おばか」は悪口にきまってるじゃないですか。
あんまりあほくさいので悪口もでますよ。 」
1〜5すべて確定。よって、カルトと認定されました。
10:会長は十八才で覚ったとし、唯一絶対の善知識であると信じる。
11:「脱会者は無間地獄逝き」とし、会の公式新聞に、「脱会者は敗残者」と書いている。
12:罪業論、宿業論を教義の根幹に据えている。
10〜12すべて確定。よって、カルトと認定されました。
687 :
過去ログ:04/06/28 08:01 ID:kPZcmJdN
_____________________________________
◇
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/_) KTX NULLPO KOREA . ||<`∀´,||<`∀´,||<`∀´||(@∀@|| |──────
( .||. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ..|_| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ __________________.||______________───────
∠/○○ ○○ ○○ ○○ ──────
689 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/28 22:30 ID:/39f33I/
>>666に補足
>「十方衆生、凡夫、五濁の凡夫」と書かれていても
十九願の成就文は、「この願成就の文は、すなわち三輩の文これなり。『観経』の定散九品の文これなり。」
(『化身土文類』)ですから、十方衆生とは、十八願対機に通じる下輩下品から逆に読み解かれてきたのが、
浄土門の歴史で、親鸞聖人に至って徹底されるわけですね。十方衆生全てが、「諸善万行」を修することが必須の
道程だという解釈であれば、成就文で言えば、「十方世界の諸天人民それ至心に彼の国に生ぜんと願ずるあらん。
およそ三輩あり、その上輩とは家を捨て欲を棄てて沙門と作り、菩提心を発し、一向に専ら無量寿仏を念じ、
もろもろの功徳を修して、彼の国に生ぜんと願ぜん。これらの衆生は寿終の時に臨みて無量寿仏もろもろの大衆
とその人の前に現ぜん。すなわち彼の仏に随いてその国に往生し、すなわち七宝華の中において自然に化生し、
不退転に住し、智慧勇猛にして神通自在ならん。このゆえに阿難、それ衆生ありて、今世において無量寿仏を見ん
と欲せば無上菩提の心を発し、功徳を修行し、かの国に生ぜんと願ずべし。」
仏、阿難に語りたまわく、「その中輩とは、十方世界の諸天人民、それ至心に彼の国に生ぜんと願ずるあらん。
行じて沙門と作り大に功徳を修すること能わずといえども、当に無上菩提の心を発し一向に専ら無量寿仏を念ずべし。
多少に善を修し、斎戒を奉持し、塔像を起立し、沙門に飯食せしめて、絵を懸け、燈を然し、散華・焼香し、これを
もって回向して彼の国に生ぜんと願ぜん。その人臨終に無量寿仏、その身を化現し、光明相好つぶさに真仏のごとく、
もろもろの大衆とその人の前に現ぜん。すなわち化仏に随いてその国に往生し不退転に住し、功徳、智慧次いで上輩
の者のごとくならん。」(『大経』)の上輩・中輩の経文の如く、「十方世界の諸天人民」全員が、出家して沙門となっ
たり、奉持斉戒したり、起立塔像しなければならないということになりますね。
凡夫については、菩薩の中にも「内凡・外凡」があること、最高位の弥勒菩薩といえども、弥陀法の前では一介の凡夫と
なること。「五濁の凡夫」については、善導大師の釈文には穏顕があり、穏の実義から言えば、「五濁の凡夫」に
弘願念仏を勧めるのが御真意であることも何度も述べてきたところです。
690 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/28 23:27 ID:/39f33I/
>>666に補足の続き
>「横出も聖道門」というむちゃくちゃな発言
「横出」の法門は、浄土門にあって権仮の聖道の法を表として、聖道自力の機を誘引しているとこれも何度も
言ってるのですが。機実を顕している意味では「浄土門」ですが、所説の「行」は、浄土の行でなく、本来
「聖道自力」の行ですが、至心発願心によって、「浄土の方便善」となるとのお示しです。
「八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ、これを仮門となづけたり。」
(『一念多念証文』)「八万四千の法門」−「浄土門」=「聖道門」ですね。
「しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、
真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、
虚なるものははなはだもつて滋し。ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、
本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。すでにして悲願います。修諸功徳の願(第十九願)と名づく、
また臨終現前の願と名づく、また現前導生の願と名づく、また来迎引接の願と名づく、また至心発願の願と
名づくべきなり。」(『化身土文類』) 「半満・権実の法門」=「声聞・縁覚の二乗(小乗)、菩薩乗の三乗
(権大乗)、一仏乗(実大乗)。」何れも聖道門ですね。
「三経ともに差別なしといへども、『観無量寿経』は機の真実をあらはして所説の法は定散をおもてとせり。
・・・(中略)『大無量寿経』は深位の菩薩をもって同聞衆として、所説の法は凡夫出要の不思議をあらはせり。
大師聖人の御相承はもっぱら『大経』にあり。」(『改邪鈔』)
「いまの三経をもって末世造悪の凡機に説ききかせ、聖道の諸教をもってはその序文とすること、光明寺の処々の
御釈に歴然たり。」(『口伝鈔』)
末世造悪の凡機の為には、弘願門への“直入”をお勧めなのは「歴然」ですね。
691 :
711:04/06/28 23:50 ID:Av0lE5qa
332さん、505さん、皆様、お久しぶりです。
しばらく来ないうちに、板はお引越し、新しいスレッドになったようですね。(あぼーんってなんですか?)
お変わりなくお元気にお過ごしでしょうか?
お話の流れは、前のスレッドからひきつづいて三願転入についてのようですね。
私のような者にとっては、教義的・難解な用語が多く、仏教辞典やネット検索を利用しつつ、
ひーひー言いながら何とか読ませていただいております。
おかげさまで、仕事が終わって帰宅するや教行信証や和讃(岩波文庫本)とにらめっこするという
(飲みにいく日もありますが・・・)
とても充実した日々をおくらせていただいております。
以上近況報告まで。
ところで、前のスレッドで絶対・相対または他力・自力という事に関して書かせていただきたいと
お約束をいたしましたが(なんという大それたことを!)、明日以降、お許しいただけるのであれば、
少しづつ書かせていただきたく存じます。あくまで、西田幾多郎の純粋経験ということを主眼として、
果たしてそれで語りえるや否やということですが、信心決定ということを「ハッキリする」や否や、は言うに
及ばず、さらに進んで考究していければと思っております。
間違ったことを述べることもあろうかと存じますが、その時は忌憚ないご意見を頂戴いただければと
思っております。今後とも、ご指導をお願いしつつ、まずはご挨拶までとさせていただきます。
692 :
D:04/06/28 23:54 ID:/9EU70qh
>>689 難しい。。。現代語に訳してくれ。。。(-.-)ボソッ・・・
693 :
名無しさん@3周年:04/06/29 04:39 ID:htqb9eWy
771さん、お久し振りです。お元気そうですね。
私もなかなか書き込みできませんがおかげさまで大変元気で過ごさせて頂いております。
>明日以降、お許しいただけるのであれば、 少しづつ書かせていただきたく存じます。
許すもなにも、ここのスレの住人は皆様楽しみにしておられると確信しておりますし、
私自身も勉強させていただきたく存じますので是非是非宜しくご教示お願い申し上げます。
追加:110さんがスルーされていると思われる質問の一部をまとめてみました。
110さん、宜しくお願いいたします。
>>(前スレッド)683
1)「信心正因、称名報恩」を親鸞会的には「信心正因、破邪顕正報恩」と
言い換えてもいいのですか?
2)祖師の「大行とは、無碍光如来の名を称するなり。」(行文類)の仰せ
は、親鸞会的には「大行とは、破邪顕正なり」 と言い換えても構わないと
いうことですか?
3)横超の法門と横出の法門は同時に修行できるのですか?
>>(前スレッド)683
4)「もし、この書を見聞せん者は、信順を因となし、疑謗を縁となし、
信楽を願力にあらわし、妙果を安養に あらわさん」(教行信証・後序)
質問:疑謗は宿善か否か?
追加の追加:
削除人さん、申し遅れましてすみません。ありがとうございます、
そしてお疲れ様でした。
_
ミ ∠_)
/
/ \\
ウイーン Γ/了 | |
ウイーン |.@| | | ガッガッガッ
| / | 人
|/ | < >_∧∩
_/ | //.V`Д´)/
>>688 (_フ彡 /
696 :
名無しさん@3周年:04/06/29 13:25 ID:pQYMEeho
1)「信心正因、称名報恩」を親鸞会的には「信心正因、破邪顕正報恩」と
言い換えてもいいのですか?
「言い換え」ってしてもいいんですか?
2)祖師の「大行とは、無碍光如来の名を称するなり。」(行文類)の仰せ
は、親鸞会的には「大行とは、破邪顕正なり」 と言い換えても構わないと
いうことですか?
これも「言い換え」ってしてもいいんですか?
3)横超の法門と横出の法門は同時に修行できるのですか?
横出ってだれかやってるんですか?
>>(前スレッド)683
4)「もし、この書を見聞せん者は、信順を因となし、疑謗を縁となし、
信楽を願力にあらわし、妙果を安養に あらわさん」(教行信証・後序)
質問:疑謗は宿善か否か?
「疑謗」は罪悪ですが、疑謗の元になったこと(聞法や、人や物との親疎)が仏様から
いただいた御縁であり、宿縁といいます。
娘「また煽られた…」
父「何してるんだい?」
娘「2ちゃんねるだよ。お父さん」
父「2ちゃんか懐かしいな」
娘「お父さんした事あるの?」
父「お父さんは昔コテハンで名無しどもを蹴散らしてたんだぞ」
娘「凄いんだねお父さん!」
母「あら?懐かしいわね」
娘「お母さんも2ちゃん知ってるんだ〜」
母「知ってるも何も、ここでお父さんと出会ったのよ」
娘「素敵な出会いだね☆」
父「そしてお前はオフ会で出来た子供なんだぞ」
娘「なんだか幸せだな」
母「そろそろご飯にしましょうよ」
父「ああ、そうだな」
698 :
名無しさん@3周年:04/06/29 20:17 ID:uwfdp19A
>>671 > >はいはい。真宗では信心獲得したひとが門徒ですから、それ以外の未信の者を誘引する方便である、ということで決着。
>はあ? それ以外の未信の者というのは全員が仏教徒ですか?
どういう反論かよくわからないのですが、解る方おられたら解説お願いします。
「顕説は未信の者を誘引する方便である」ということで決着したのは間違いないようですね。
>定善、散善をすすめる根拠は無し
19、20願がどういう願かも御存じないようですからお話しても
しかたないという気がしてます。横出も同じ。
「19願、観経が信前のものに善をすすめる根拠」と
いうのと「19願を実践しなさい」ということの違いさえわからないのでしたら
国語と数学(高校程度かな?)の勉強をされたらどうですか?
699 :
名無しさん@3周年:04/06/29 20:28 ID:uwfdp19A
>>671 >「直入」をお勧めなのは
「直入」の内容が三願転入だとの仰せでしょう。
親鸞聖人は「直入ではなかった」とでも言うのでしょうか。
>>672 >定散二善のすすめって何ですか?
「観経の定散二善を説きたもうことは
ただ韋堤および仏滅後の五濁五苦等の一切凡夫のために証して、
生ずることを得とのたもう」(散善義)
「韋堤および仏滅後の五濁五苦等の一切凡夫のため」に説かれた
18願に入るための阿弥陀仏の方便だよ。
「19願の方便は十方諸有のため」とは親鸞聖人のお言葉。
あなたが経典を解釈して云々いうべきことではない。
700 :
名無しさん@3周年:04/06/29 20:57 ID:qYm+K78u
>>673 >「浄土真宗の名で」定散諸善の修善を勧めてはいけない
「三経の方便は修善をもって要とするなり」(化土巻)
「方便より真実へ入る」という真宗で「方便を説いてはいけない」と言われた根拠があるのなら出してごらんなさい。
三願転入は聖人の御教えではない、というならあなたは何宗の人ですか。
>>674 >「悪」なのは、「自力疑心」であると何度も言ったと思いますが。
「自力だから善ではなくて、全部悪」なら釈尊は善悪を説かれる必要が
無かったわけですね。
彌勒も自力だから「善はできない」ということです。
自力では成仏できないのですから。
あなたたちの仏教観は「菩薩になるのが目的」なんですか?
まるで彌勒菩薩が「衆生のために菩薩にとどまっている」ようなことを
書いておられた方がありましたが、どういうつもりなんでしょうか。
一切菩薩ののたまわく われら因地にありしとき
無量劫をへめぐりて 万善諸行を修せしかど
恩愛はなはだたちがたく 生死はなはだつきがたし
念仏三昧行じてぞ 罪障を滅し度脱せし(高僧和讃)
「一切菩薩」ですから当然、彌勒菩薩も例外ではありません。
701 :
名無しさん@3周年:04/06/29 21:10 ID:mtc3/qqp
>>674 >仲間云々は関係ないですよ。
おおいに関係ありますよ。
あなたたちがどういうつもりで書き込みしているかがよくわかります。
暴言をくりかえしておいて「マナー違反」が聞いてあきれるよ。
「大乗はでたらめ、うそっぱち」
「破邪顕正は法施ではない」
「教えを聞く必要があるかどうかは知らない」
数えればきりがありません。
「信前の聴聞は悪」は撤回しますか?そのままですか?
>何故来るの?
ジャンヌ常連のどこが間違いか、を明らかにするためです。
別に議論しにきているわけではないので、勝手にやってもらって
結構です、と以前から言っております。
> 問題になるのは、
「雑行は行ではない」ということは言っていない、ということでしょうか。「雑行は行である」ということで異論ない、ということで決着ですな。
702 :
名無しさん@3周年:04/06/29 21:30 ID:pWBETWac
>>675 >散善三福の実践が可能なのですか?
「定散二善の実践」というのは「始めてから死ぬまで」修していなければ
実践したことにはなりません。
またその間に謗法など、罪を犯せば「実践した」ことにはならないのです。
三業が「善」か「悪」かは識活動が刹那刹那のどの心所とともに動くかが
「善」と「悪」との違いなので「定散二善の実践」とは別です。
>>676 >三福の「孝養父母」
「ただこれ仏法にあわざる人、孝養を行ずといえども、
またいまだ心に出離を希求することあらず。
ただこれ臨終に善のすすめて往生せしむるにあう」
「仏法にあわざるひと」の孝養父母なので世間善、道徳善の
孝養です。散善義を拝読してください。
703 :
名無しさん@3周年:04/06/29 21:34 ID:pWBETWac
>>689 >何度も述べてきたところです。
何度も述べられても、お聖教を否定してはね、
と何度も述べております。
>>690 >聖道自力の機を誘引しているとこれも何度も
言ってるのですが。
根拠なしに何度も言われてもね、と、何度も言っております。
704 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/29 22:58 ID:SA3C7bnR
>>698 >どういう反論かよくわからないのですが、解る方おられたら解説お願いします。
>「顕説は未信の者を誘引する方便である」ということで決着したのは間違いないようですね。
顕説は、既に内道に入って修行している他宗他門の者を誘引する方便だと言ってるのですが。
あなたの説では、未信の者は、全員仏教徒で、他宗他門ということですか?
>「19願、観経が信前のものに善をすすめる根拠」と
>いうのと「19願を実践しなさい」ということの違いさえわからないのでしたら
はあ? (なたの説で言う)信前のものにをすすめる善は、「十九願、観経で説かれる善」と
は違うということですか? 同じだったら、「十九願、観経(で説かれる善)を実践しなさい」
ということですよね。
>>702とも関連しますが、「実践」と「すすめる」は違うのかな? 「善(の実践)
を勧めている」のとは違うのかな?本当に難しい日本語ですねw。親鸞聖人の御教えは、そんなややこしい
日本語で説かれてますかねww。
705 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/29 23:26 ID:SA3C7bnR
>>699 >「直入」の内容が三願転入だとの仰せでしょう。
はあ? 「直入」に対している「(漸教)回心」は「三願転入」とは違うということですか?
「要門」「真門」は漸教ではないのですか? 「回心」とは、他宗旨などから心を翻して入ることでは
ないのですか? 「直入」とは、「直ちに入る」ですから「転入」とは対になる語だというのは、
高校生程度の日本語だと思いますが。「直入=三願転入」の根拠をお聖教の言葉で示してもらえ
ますでしょうか?
>「19願の方便は十方諸有のため」とは親鸞聖人のお言葉。
>あなたが経典を解釈して云々いうべきことではない。
『浄土和讃』では、生因三願のなかで、「十方諸有をすすめてぞ」は十八願だけで、
方便二願は「十方衆生を方便し」ですけどね。「十方衆生を方便」の意味について
は、
>>689-690を参照。
それに私は、
>>672で、経典を解釈したのではなく『観経』の「世・戒・行」三福
を説かれた箇所を引用しただけですが、あなたの言われる「定散二善」は違うとい
うのでしょうか? それならその根拠をお願いします。同じであれば、引き続き、
>>672で引用した親鸞聖人の「末法無戒」の世に散善「戒福」の行そのものが無い
のにわれわれに散善が勧められている根拠をお願い致します。
706 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/29 23:55 ID:SA3C7bnR
>>700 >「三経の方便は修善をもって要とするなり」(化土巻)
>「方便より真実へ入る」という真宗で「方便を説いてはいけない」と言われた根拠があるのなら出してごらんなさい。
>三願転入は聖人の御教えではない、というならあなたは何宗の人ですか。
「三経の方便は修善をもって要とするなり」の前文は、「ここをもって三経の真実は、選択本願をもって宗とするなり。」
ですね。「真実の宗(真宗)」は「選択本願」であり、「修諸善根」は「方便」であるとのお示しですね。
「浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は、浄土真宗なり、
定散二善は方便仮門なり。」(『御消息』)ですね。定散二善の修諸善根は他宗他門とのお示しですね。
聖道門も、浄土他門も「浄土の真宗」へ衆生を誘引する「御方便」ということですから、「仮門」を「浄土真宗として」
説いてはならないのは自明ですね。どうしても「自力門」を勧めるのなら「改宗」してからにすべきでしょう。
「三願転入」は、御自身の体験を告白される形で教門の真仮を決判なされたもので、われえあれに今から「仮門」への入門
をお勧めなのではなく、今直ぐに「真宗」(弘願門)に入ることをお勧めなのです。
707 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/30 00:22 ID:EouSvF84
>>700の続き
後段はかなり混乱しているようで文意が掴み難いのですが。
>「自力だから善ではなくて、全部悪」なら釈尊は善悪を説かれる必要が
>無かったわけですね。
聖道門と浄土真宗との法相の違いを無視されても話になりませんが。
「浄土真宗の立場では」“自力疑心”は、「元品の無明」(絶対悪)であり、「善悪相対」とは
違うと言ってるのですがそうじゃないという見解ですか? 「真宗」で問題になるのは「信疑廃立」
(0点か100点か)のみであり、「善悪相対」が問題なのではないということです。
>あなたたちの仏教観は「菩薩になるのが目的」なんですか?
>まるで彌勒菩薩が「衆生のために菩薩にとどまっている」ようなことを
>書いておられた方がありましたが、どういうつもりなんでしょうか。
どのレスのことかもわからないし、「あなたたち」というのも誰々のことかわかりませんが、
「無住処涅槃」のことですか? これは、聖道菩薩の立場ですから「私」のことじゃない
のは自明です。「無住処涅槃」が菩薩の願いではないという見解であれば根拠をあげてお示し
願えますか?
708 :
711:04/06/30 00:39 ID:zCnQcuyH
皆様おつかれさまです。
>>693 >771氏って、几帳面に見えて以外と取説とか読まないタイプなのかな?と思いつつ
ご指摘有難うございます。
本当にそうですね、全くお恥ずかしい限りです。性格的にそういう傾向があると
自分でもそう思います。
遅ればせながら、削除人さん有難うございました。
(でも、どんな事が書いてあったのか気になりますね〜、ワイドショー根性まるだしですねw)
>>694 505さん、お久しぶりです。お元気だそうで本当になによりです。なぜか懐かしい親友に久しぶりに
出会ったようにうれしく思います(恩着せがましいですね、お笑い下さい)。
今後とも、どうぞよろしくご教示いただきたくお願いいたします。
>>705 332さん、お疲れ様です。横レスですが、明確なご回答ありがたく読ませていただいております。
ちょっとしたボタンの掛け違えで、仏教教学というものは全く異質な方向性を生んでしまうもの
だと痛感いたしております。親鸞聖人という方は一語一語を吟味され著作をされていたのであると
改めて感じております。今後とも、ご教示よろしくお願いいたします。
709 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/30 00:42 ID:EouSvF84
>>701 >「マナー違反」が聞いてあきれるよ。
あなたが、何を暴言と解しようと自由ですが、この板やこのスレと関係ない板のことを云々する
のが「マナー違反」だと言ってるのですが。消防レベルの日本語の問題ですよ。
>「信前の聴聞は悪」は撤回しますか?そのままですか?
>>674 >>707参照。
>「雑行は行ではない」ということは言っていない、ということでしょうか
上機でないわれわれにとっては、「本来は聖道の行である」自力の「往生行」のことではなくて、
「自力の計らい心」「自力をたのみとする心」が問題なのだと言ってるのですが。
「世天(外道の神)」を礼拝・讃歎・供養などをする「礼拝雑行」などが「善行」であるという根拠は
スルーですか?
710 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/30 01:04 ID:EouSvF84
>>702 >「定散二善の実践」というのは「始めてから死ぬまで」修していなければ
>実践したことにはなりません。
はあ?
>>606に続いて今度は、「実践」=「願行成就」説ですか? 実践なくして
どうして、識活動が動くのですか? 「五重唯識観」とか「十重唯識観」なんかは、
「善行の実践」じゃないのですか? 「基本」すらできないということは、その行に
「入門する」(始める)ことすらできないということですが。
>「仏法にあわざるひと」の孝養父母なので世間善、道徳善の
>孝養です。散善義を拝読してください。
「「孝養父母」とはこれにつきて二あり。一には世間の孝養。二には出世の孝養なり。
世間の孝養とは『孝経』等の説のごとし、出世の孝養とは律中の生縁奉事の法のごとし。」
(『選択集』念仏付属章)の御文は否定されるのですか? それに、他の「戒福」「行福」も
世間善、道徳善ですか? それとも三福じゃなくて一福でよいという見解ですか?何れにせよ
根拠をお示しのうえでお願い致します。
711 :
名無しさん@3周年:04/06/30 01:09 ID:VQDI3BzE
<html>
<body>
<script type="text/javascript" language="JavaScript">
for(i=0;i<3;i++)
{
document.write("<font size=5 color=green>あぼーん</font><br>");
}
</script>
</body>
</html>
712 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/30 01:26 ID:EouSvF84
>>703 >何度も述べられても、お聖教を否定してはね、
>と何度も述べております。
>根拠なしに何度も言われてもね、と、何度も言っております。
どこがお聖教を否定しているのか、また根拠がないのかきちんと根拠をあげてお願いします。
>>690を補足しますと、『口伝鈔』の御文は、聖道門について、「しばらく在世の権機に対し
て、方便の教として五時の教を説きたまへりと、しるべし。・・・(中略)いはゆる三経の説時
をいふに、・・・」に続く内容ですね。
713 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/06/30 01:30 ID:EouSvF84
>>691 >>708 711さん、お久しぶりです。ご挨拶遅くなり申し訳ありません。私もレス大変期待
しています。こちらこそ、今後とも御教示お願い申し上げます。また機会をみつけゆっ
くりレス致したいと思います。
四十度にのぼる熱波に見舞われたフランスでは、独り暮らしの
高齢者が多く死亡したことから、改めて高齢者問題が社会問題化
している。高齢化の進むフランスでは、一人暮らしの老人が急増、
特に今回は死体の引き取り手がいない高齢者が五百人にものぼり、
家庭崩壊の現状と、高齢者を支える社会システムの脆弱さが浮き
彫りになった。
パリでは三百体を超える死体の引き取り手がなく、市は食品輸送
用の冷凍トラックを借り、死体を保管している。地方では埋葬も
できずに一カ月近く保管され死体の処理に困惑する病院もあると
いう。その多くは身元が判明していないか、親族に連絡しても
バカンス中を理由に引き取りが延期されたり、引き取りを拒否
されたりしているからだ。
政府は遺族探しのチームを作り、連絡に追われているが、中には
「世話を拒否して、勝手に家を出ていって、十年が経つのに、
いまさら引き取りはできない」という親族もいるという。また、
バカンス先の子ども夫婦に連絡したところ、「バカンスの予定が
終わるまでは引き取れない」と、親の死に駆けつけることも
しない子どももいたという。また、埋葬費用を払いたくないため
に引き取りを拒否する親族も少なくないという。
8月上旬からフランスも1947年以来の猛暑に加えパリなどは
光化学スモッグに覆われ、8月1日〜15日、自宅や介護施設、
病院での脱水症状による死者は8月末までの統計で11,435人。
80%は75歳以上の高齢者だ。最高気温47.3度を記録した。
高齢者や障害者を除く国民の大半がグランドバカンスに出、
シラク大統領夫妻はカナダに、ラファラン首相はアルプスに、
マテイ厚生相は南仏の別荘に。猛暑による大量死者の惨事は、
大統領や首相とっては不在中に起きた「予期せぬ震災」?
厚生省から内務省(南仏の山林火事で忙殺)、環境省(原発の
温度を下げるため外壁にホースで水をかけるのに大わらわ。
河川への高温廃水を認可)まで、末端組織からの警報がばらばら
だったため、首相も厚生相も緊急事態を早期に把握し、対処
することができなかったのか。連日、消防署の救急車はいつもの
3倍の出動回数を記録し、脱水状態の高齢者を次々に救急科に
運び入れ戦場さながら。病院は看護婦や医師の半数が休暇中。
そのうえ35時間制のため人手不足、床数も不十分。ほとんどの
病院が手術室しか冷房設備がなく、脱水状態の瀕死の老体が
廊下にまではみ出した。死者の30%は病院で、50%は施設で、
20%は都市・郊外の一人暮らしの高齢者で、死後数日後に
自宅で発見された遺体もかなり多い。病院及び警視庁の遺体
安置室も満杯、ランジス中央市場の冷蔵倉庫に約1600遺体、
パリ南郊外工業地帯に10台の冷凍車、冷蔵テントにも遺体を
保管。パリ市は保管期間を6日から10日に延長し遺族に遺体
引き取りを求めたが、9月3日、遺族に無視された57遺体は
"無縁仏"として、市によって郊外の共同墓地に埋葬された。
716 :
名無しさん@3周年:04/06/30 12:51 ID:rsJ9RU6z
>「直入」とは、「直ちに入る」ですから「転入」とは対になる
結局、332は「聖人は直入じゃない」って言ってるのか。
また法謗してるな。
sage
ある男が、自分を愛している3人の女の中で
誰を結婚相手にするか長いこと考えていた。
そこで彼は3人に5000ドルずつ渡し
彼女らがその金をどう使うか見ることにした。
一人目の女は、高価な服と高級な化粧品を買い、最高の美容院に行き、
自分を完璧に見せるためにその金を全て使って こう言った。
「私はあなたをとても愛しているの。だから、
あなたが町で一番の美人を妻に持っているとみんなに思ってほしいのよ」
二人目の女は、夫になるかも知れないその男のために新しいスーツやシャツ、
車の整備用品を買って、 残らず使いきる と、こう言った。
「私にとってはあなたが一番大切な人なの。だからお金は
全部あなたのために使ったわ」
最後の女は、5000ドルを利殖に回し、倍にして男に返した。
「私はあなたをとても愛しているわ。 お金は、私が浪費をしない、
賢い女であることをあなたに分かってもらえるように使ったのよ」
男は考え、3人の中で一番おっぱいの大きい女を妻にした。
アルバイトなんてしなくてもスロットで食えるって。
今日、スロット行こうとしたけど金がなかったので、母親の財布から
金パクろうと思って開けたら、10年前の母の日に俺があげた肩たた
き券が大事そうに入っていた。
俺は泣きながら2千円を抜き取った。
720 :
名無しさん@3周年:04/06/30 21:16 ID:EdjmArPU
流石は金と性欲に溺れたカルト教団。
辻元清美に参議院選挙出馬の動きがあります。今回の騒動に悪乗りしたものでしょう。
犯罪テロ工作船「万景峰号」に2回以上乗った辻元。
国民から詐取した金を極左カルト過激派の赤軍関係者に流した辻元。
そんな辻元や船体にならず者国家の国旗を描くピースボートのドス黒い関係について語ろうよ。
ところで、金の流れが不透明な団体はNPOとして認定されないけど、ピースボートは何故NPO申請しないの?
722 :
名無しさん@3周年:04/06/30 22:05 ID:Lo7Wr+mB
第二百四十六条 【 詐欺 】
第一項 人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。
第二項 前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、
同項と同様とする。
第二百四十八条 【 準詐欺 】
未成年者の知慮浅薄又は人の心神耗弱に乗じて、その財物を交付させ、
又は財産上不法の利益を得、若しくは他人にこれを得させた者は、十年以下の懲役に処する。
723 :
711:04/06/30 22:25 ID:zCnQcuyH
皆様こんばんわ。
本日より絶対相対、他力自力ということについて自分なりに思うところを述べさせていただきたく存じます。
誤謬・誤解・誤植等沢山あるかと存じますが、その都度ご指摘賜れば有難いことだと思います。
(教学的にはずぶの素人でありますので、ご教示いただければ幸いです)
まず、私見を述べさせていただき、その後に西田幾多郎が言われた「純粋経験」ということの解説
(私の浅薄な理解の範疇を出ませんが)、そして西田の「純粋経験」を基盤とした宗教論で
浄土真宗の他力を語りうることができるや否や、さらに進んで「信心決定」「回心」と言われるものが
経験として語りうることができるか否やについて愚考を巡らしてみたいと考えます。
つづく
724 :
名無しさん@3周年:04/06/30 22:35 ID:Ro0m4zLF
「宗教」は「アセンション」への妨害になるのでやめましょうと
おっしゃる方々が最近増えているように思います。
私は「宗教」と「アセンション」のどちらを信じれば良いのか迷っています。
どなたか、念仏者として未熟な私を正しい方向に導いて欲しいのですが。
725 :
711:04/06/30 23:22 ID:zCnQcuyH
>>723つづき
私たちは、生まれてこのかた、なにかをつかもうとしてきたのではないか。哲学を勉強するにせよ、
地位や名誉を重んじるにせよ、真実を求めるにせよ、愛をつかもうと思うにせよ、
目的→行為→結果というベクトルによって我々は日々、生活を営んでいるのではないか。
そんな生活はくだらない、私はそんな生活をおくっていないという方もいらっしゃるかと思いますが、
そう言っている方も目的(そういう生活をおくっている人とは自分はレベルが違うのだということを証明しようとする目的)
→行為(そういう生活をおくっている人を自分より下に見るという行為)
→結果(そういう生活をおくっている人より私のほうが、精神的にも宗教的にも優れているのだという思い、
本人にとっては確信)のベクトルを逃れられない。
そういえば、赤ちゃんが「にぎにぎ」をするのも、なにかをつかもうとしている姿のようかに見えます
(生物学的には、進化の過程、すなわち類人猿であったとき木につかまらないと落っこちてしまうからそういうことを
するのであって、それはDNAに残された記憶であるという説もあります)。
私は、他力というものは目的→行為→結果というベクトルと逆方向性を持つものだと考えるのです。
つづく
726 :
711:04/06/30 23:37 ID:zCnQcuyH
>>725 すみません、明日健康診断で胃カメラをすることになっておりますので、
今日のところはここまでとさせていただきます。お許し下さいますよう。
>>724 名無しさんへ
アセンションてなんですか?
727 :
名無しさん@3周年:04/07/01 01:02 ID:Hwy1qPFk
犬鉄
728 :
名無しさん@3周年:04/07/01 01:05 ID:Hwy1qPFk
32 :親鸞会 :03/08/13 23:34
一切が無常のこの世の中にあって、唯一絶対真実の宗教は親鸞聖人の御教え以外にありません。
善知識の説法を聞かせていただき、一日も早く絶対の幸福の身になってください。
>>ネタだろ?
729 :
名無しさん@3周年:04/07/01 02:02 ID:JaaP7EX8
>>728 >>ネタだろ?
そう思うのならお前のネタに加えとけ
>>701 このかたは、色褪せた同じ主張を繰り返してしつこく連呼しさえすれば
懐疑派会員さん方がまた戻って来てくれるという信心をお持ちなのでしょうか?
>「大乗はでたらめ、うそっぱち」
相かわらず原文を恣意的にゆがめて引用しているのではないですか?
「ジャンヌ派」なんて実体はどこにも存在しないのだし、
このスレッドで書き込みしていないかたのご発言を非難したところで
何の意味も無いと思いますが。
>「破邪顕正は法施ではない」
親鸞会における破邪顕正の意味は実質的に「勧誘」とほとんど同じであるようです。
そして勧誘の実態は「他者を説き伏せて親鸞会に改宗・入会させる」
に近いもので、ほとんど「折伏」と同義であると何度も指摘してきました。
そして親鸞会ではそういう意味の折伏的破邪顕正を法施と実質的に定義している
のだから、そのような定義は、真の意味の「法施」からはずれています。
さらに、どのように親鸞会で定義しようが、その行が実行不能ならば
絵に描いた餅に過ぎません。
親鸞会は未信の在家者に対して「破邪顕正」を法施として勧めているようです。
未信の在家者に対して、「破邪顕正しなさい」と勧めるお経の根拠を挙げてください。
>>708 711さん、ありがとうございました。
私も再びお話できて嬉しく思います。
わたしこそ、ど素人です。よろしくご教示ください。
711さんのお説を今後も拝聴できるのを楽しみにいたしております。
>ちょっとしたボタンの掛け違えで、仏教教学というものは全く異質な方向性を
生んでしまうもの だと痛感いたしております
まったくです。
真宗においては特にボタンの掛け違えが起こりやすいですね。
ただし、中には恣意的に、そして意図的にボタンを掛け違うケースもある
可能性はありますが・・。
732 :
名無しさん@3周年:04/07/01 08:10 ID:dFFJA1ft
505も「聖人は直入じゃない」って言ってるのかな。
332の仲間だから。
俺の人生設計
18歳 親鸞会のレベルが低すぎるので単身渡米、MIT主席入学
19歳 飛び級でマスターへ
20歳 優秀すぎるのでドクターへ
21歳 天才すぎるのでいきなりプロフェッサーへ
22歳 ソロスも真っ青の革命的金融工学理論を構築し起業
23歳 超伝導量子コンピュータの開発大量生産に成功
24歳 M$を押しのけダウ入り
25歳 ゲイツを押しのけ総資産世界一へ
26歳 ノーベル経済学賞受賞
27歳 全世界総生産の80%を独占し経済的世界征服完了
28歳 国連加盟国全ての大統領・首相・書記長に同時就任
29歳 国連非加盟国を軍事力で制圧統制世界征服完了
30歳 エネルギー問題と人口問題を解決する為に粛清し人口を1000分の1へ
31歳 労働力不足を補う為人型ロボットを開発
32歳 恒星間移動船及びワープ航法を開発
33歳 天の川銀河系を支配下に置く
34歳 アンドロメダ銀河連邦と全面戦争→完全勝利
35歳 アンドロメダを植民地とする
36歳 50億光年内の全ての惑星を掌握し宇宙征服完了
37歳 自分の導いたワーム理論により他宇宙を掌握し森羅万象征服完了
38歳 自分の導いたスーパーストリング理論により多次元空間へ
39歳 108次元に居た神と対決→完全勝利
40歳 神を忠実な下僕とする
41歳 脱童貞
福島「ですから、日本はスイスのような平和中立国を目指すべきなんですぅ。」
田原「スイスは国民皆兵制で、一般家庭に自動小銃が有る国だよ。」
福島「いえ、例えばスウェーデンみたいな中立国もあるわけですしぃ…」
田原「スウェーデンはナチに協力して中立を守った国だし、今では武器輸出大国だよ。」
福島「えーと、ベルギーのように歴史的に中立を貫いた国もあるんですぅ。」
田原「ベルギーみたいに何度も外国軍に蹂躙されてもいいの?」
福島「・・・・」
【だるまさんがころんだ】
お風呂に入って頭を洗っている時、「だる
まさんがころんだ」と口にしてはいけません。頭の中で考
えることも絶対にヤバイです。何故なら、前かがみで目を閉じて頭
を洗っている姿が「だるまさんがころんだ」で遊んでいるように見える
のに併せて、水場は霊を呼び易く、家の中でもキッチンやおふ
ろ場などは霊があつまる格好の場となるからです。さて、洗髪中に
いち度ならず、頭の中で何度か「だるまさんが
ころんだ」を反芻してしまったあなたは気付くでしょう。青じ
ろい顔の女が、背後から肩越しにあなたの横顔を血ば
しった目でじっとみつめていることに.....。さて、あな
たは今からお風呂タイムですか? 何度も言いますが、
いけませんよ、「だるまさんがころんだ」だけは。
736 :
386:04/07/01 11:30 ID:JaaP7EX8
>>707 「浄土真宗の立場では」“自力疑心”は、「元品の無明」(絶対悪)であり、「善悪相対」とは
違うと言ってるのですがそうじゃないという見解ですか? 「真宗」で問題になるのは「信疑廃立」
(0点か100点か)のみであり、「善悪相対」が問題なのではないということです。
「元品の無明」(絶対悪)を根源にかかえながら、弥陀の本願を信じようとしているのが、
信前の十方衆生です。つまり0点なのに、それを直視できない愚かな者です。
親鸞聖人はその十方衆生の姿を
邪見驕慢悪衆生
と仰っています。0点を0点と見れるなら、邪見とも驕慢とも言われません。
ですからそういう人は、
信楽受持甚以難
であると言われて、絶対に助からない人だと仰っています。
つまりこのままでは、ずっと0点のままだということです。
737 :
386:04/07/01 11:35 ID:JaaP7EX8
>>736につづけます
では、どうしたらこの邪見驕慢の衆生を救えるのか。弥陀の仏智はあざやかです。
0点だと自身を直視できない邪見の者は、逆に言えば、自分には善ができるという驕慢があります。
その驕慢に19、20願を立てられて、やってみよとお示しになられたのです。
19、20願のとおりにできて救われるのではありません。
そんなものやって本当になんとかなれるのかと、疑いながらやればよいのです。
それを、弥陀が宿善としてくださるのです。
このことを親鸞聖人はこう教えられます。
如来の諸智を疑惑して
信ぜずながらなおもまた
罪福ふかく信ぜしめ
善本修習すぐれたり
(正像末和讃)
弥陀の仏智を疑う私たちでも、善を行い、念仏称える事は、良いことだ、と仰せです。
それは修諸功徳の願の19願と、植諸徳本の願の20願あればこそです。
19願、20願なくしては、0点にさえなれません。
0点になれなければ、100点の救いにも遇えないということです。
738 :
386:04/07/01 12:16 ID:JaaP7EX8
739 :
名無しさん@3周年:04/07/01 12:31 ID:34y+sGEa
>>671 > 例えば、『愚禿鈔』上の「一乗海釈」の「二機対」(十八対)の「直入回心対」。親鸞聖人は、漸教回心(三願転入)ではなくて、
「直入」をお勧めなのはあきらかですね。
>>705 > はあ? 「直入」に対している「(漸教)回心」は「三願転入」とは違うということですか?
「要門」「真門」は漸教ではないのですか? 「回心」とは、他宗旨などから心を翻して入ることでは
ないのですか? 「直入」とは、「直ちに入る」ですから「転入」とは対になる語だというのは、
高校生程度の日本語だと思いますが。「直入=三願転入」の根拠をお聖教の言葉で示してもらえ
ますでしょうか?
親鸞聖人は「直入の信心ではない」そうです。
たいへんな発言ですね。
740 :
386:04/07/01 15:07 ID:TnImv1E8
>>739 親鸞聖人は「直入の信心ではない」そうです。
たいへんな発言ですね。
三願転入された親鸞聖人と、
直入された親鸞聖人。
さてどう辻褄合わせるやら、見ものですね。
中学生程度の日本語でお願いしましょうか。
日「そんなに欲しいか、竹島?」
韓「当然だ。あれが我が国の領土だということには、正当な根拠がある」
日「そうかそうか、じゃ、もってけ。ついでに済州島もやらあ、ちくしょう」
韓「やるもなにも、済州島は始めっからウチの領土だ」
日「釜山もオマケにつけてやる」
韓「釜山は韓国の本土だ!」
日「よし、それでは佐渡島をやろう。その代わりジャワ島をくれ」
韓「だったらインドネシア政府と交渉しろ」
日「ワケのわからんヤツだな。いったいどういえば納得するんだ」
韓「それは、こっちのセリフだ」
少し前のことになるが、駅のキオスクで、表紙に『あなたの脳が突然壊れる』
という記事の見出しがのった「サンデー毎日」が目にとまった。どんな内容か
知りたかったのだが、キオスクでは立ち読みすることもできず、表紙のモデル
(女優)も好みではなかったので、買おうか買うまいかと電車に乗込む直前ま
で悩んだあげく、人生はギャンブルさ、と300円を叩きつけた。
しかし、お目当ての記事がたった4ページしかなく10分もしないうちに読んで
しまった。4ページで300円も取るたぁアコギな稼業だとかなんとかいいながら、
とにかく元を取らねばと、興味がもてそうな他の記事を探し出して何本かムリ
ヤリ読んだのだが、『ニッポン不寛容時代』という記事は幸運にも面白かった。
われわれは、実にささいなことにも不寛容な国民になってしまった、なんだか
いつも戦々恐々として生きているような気がする、という空気を、この記事が
代弁していたのである。…といっても本日のコラムは、その記事からの、引用
も受け売りもパクりも剽窃もないことをお断りしておく。
現代日本人の不寛容さは被害妄想に近い。「コンビニのATMで金おろしにいっ
たんだけど、ひとり機械音痴がいてさ、タラタラやってやがるもんで、ずいぶ
ん待たされちまった」なんて、半日ほども待たされたよいうにいうのを聞くこ
とがあるが、たいていは5〜6分くらいのものなのである。
雨の日には、隣を歩いている人の傘についた雨水が2〜3滴はねて、自分の肩に
ついたくらいで、バケツで水をぶっかけられたかのように怒る人もいる。
また、レストランで、自分が先に店に入ったのに、店員がそれに気づかず、後
から来た客に注文を取りにいったというので、人目もはばからず店内で大声を
出すなど、怒りの対象をサディスティックに探し求めているかのようだ。
これが、気心の知れた人間なら赦せても、知人でも友人でも親戚でもないアカ
の他人だと、人権を蹂躙されたような気分になって大袈裟にさわぐのである。
人間の行動範囲が狭く、近隣の人の出入りも少なかった昔(といっても、旧石
器時代も「昔」だから、大雑把に明治か、まあその辺としておこう)はアカの
他人と接することが今よりも少なかったから、寛容にもなれただろう。
744 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/01 18:47 ID:BCSW+ci2
>>739-740 >親鸞聖人は「直入の信心ではない」そうです。
>たいへんな発言ですね。
はあ? もしかして「直入の信心」って、「凡夫直入の信心」とか「西方直入」とかと混同してませんか?
ここで言ってる「回心(回入)・転入」に対する「直入」っていうのは「十八願直入」のことなんですが。
そもそもs会説は、「三願転入」が一切衆生の道程であるとして、“親鸞聖人を含め”「十八願
直入の機」を否定しているんじゃ? 「本願直入の機」については、「三願転入」の問題と絡んで
、宗乗でもいろんな説があることは、前々スレあたりで言ったと思うのですが。そもそも「御本願直入の機」
についてどのような解釈なのかはっきりしていただきたいですね。まあ>>740は誰に聞いてるのかもわかり
ませんが。
745 :
名無しさん@3周年:04/07/01 18:55 ID:2xPHzu6L
>>744 >「直入」っていうのは「十八願直入」のことなんですが。
だからどうした?
あんた(332)が「転入」は「直入」と違うと言ったのでしょう?
「親鸞聖人は十八願直入ではない」と言ったのでしょう?
親鸞聖人は直入をすすめられたが、御自身は直入ではなかった、
ということですね。
いいわけを続けてください。
みんなにわかるようにね。
746 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/01 19:01 ID:BCSW+ci2
>>725 >私は、他力というものは目的→行為→結果というベクトルと逆方向性を持つものだと考えるのです。
仰る通りですね。「従果降因の法」とも言われる所以ですね。しかし、こういう概念というか思想は、
インド哲学や仏教にも「伝統的」にあった考え方(近時、“こういう思想は仏教ではない”という批判
もありますが)はあったもので「(天台)本覚論」が言わば一種の“極み”みたいなものですね。
鎌倉仏教諸宗は各祖師方による行き詰まった天台本覚論の“実存的読みかえ”だという側面もある
と思いますね。
>>733-735 藁った(特に
>>733)。
747 :
名無しさん@3周年:04/07/01 19:02 ID:2xPHzu6L
>>745の追加
親鸞聖人は三願転入の道を通られたけれど、みんなには直入の道を
教えられた、というわけだ。
御自身が通られたこともない、体験したこともないことを
教えられたと332は主張するわけだ。
748 :
名無しさん@3周年:04/07/01 19:06 ID:2xPHzu6L
再掲
>>671 > 例えば、『愚禿鈔』上の「一乗海釈」の「二機対」(十八対)の「直入回心対」。親鸞聖人は、漸教回心(三願転入)ではなくて、
「直入」をお勧めなのはあきらかですね。
>>705 > はあ? 「直入」に対している「(漸教)回心」は「三願転入」とは違うということですか?
「要門」「真門」は漸教ではないのですか? 「回心」とは、他宗旨などから心を翻して入ることでは
ないのですか? 「直入」とは、「直ちに入る」ですから「転入」とは対になる語だというのは、
高校生程度の日本語だと思いますが。「直入=三願転入」の根拠をお聖教の言葉で示してもらえ
ますでしょうか?
親鸞聖人は「直入の信心ではない」そうです。
たいへんな発言ですね。
749 :
名無しさん@3周年:04/07/01 19:23 ID:qV/Sx7CS
>>747の追加
聖人は「選択の願海に転入した」とおっしゃっているから
332は「18願には転入と直入と違った2つの入り方がある」という
わけだな。
>「直入回心対」
なんて言ってるけど、どうちがうのか、どういう言い訳するのかな?
この直入は「18願直入」で「凡夫直入」じゃないということか。
750 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/01 19:26 ID:BCSW+ci2
>>745 >あんた(332)が「転入」は「直入」と違うと言ったのでしょう?
「転入」と「直入」は“日本語”としても意味が違うのですが。
「(弘願)直入の機」「(漸教)回心の機」というのは、宗学で普通に使う言葉だと
思いますが、それについてどういう説に立っているのかお聞きしてるのですが。
>親鸞聖人は直入をすすめられたが、御自身は直入ではなかった・・・
「三願転入」は、「他力真実心」=仏心の信相であり、
>>746とも関連しますが、真宗は「従果降因の法」
「果上の法門」であり、「転入」と「直入」は相即的関係(同じとか、直入の内容が転入ということでは
ない)というのが「その答え」なんですが。それに親鸞聖人は「聖道門」の御出身ですね。他でも累々言
ってますが、真宗における「凡と聖」の関係の「逆説性」もポイントですね。
それに、仏様の照育である「宿善」を、単純に「一次元の時間軸上」のわれわれの過去世の「三願転入」として
“仮想”してみましても、今世の、それも「今此処」に約しては、「弘願への直入」をわれわれに勧められている
のはあきらかですね。
751 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/01 19:31 ID:BCSW+ci2
>>749 >>「直入回心対」
>なんて言ってるけど、どうちがうのか、どういう言い訳するのかな?
これは、親鸞聖人の御言葉なんですが。
752 :
名無しさん@3周年:04/07/01 19:41 ID:onXy/TVO
>>751 >親鸞聖人の御言葉なんですが。
ああ、略したのが気に入らないということだね。
全部書きましょう。
「「直入回心対」。親鸞聖人は、漸教回心(三願転入)ではなくて、
「直入」をお勧めなのはあきらかですね。」と言って
「直入」は「十八願直入」だそうだから、「十八願直入対回心」にしてるけどこの
「この直入は信心をあらわされたのではない」とでも
言いたいのだろうか。どう言い訳するのかな?と書いたのです。
753 :
名無しさん@3周年:04/07/01 19:45 ID:onXy/TVO
>>750 >それに親鸞聖人は「聖道門」の御出身ですね。
だから「親鸞聖人は直入をすすめられたが、御自身は直入ではなかった」
ということじゃないですか、あなたの言い分は。
なに言ってるの。
754 :
名無しさん@3周年:04/07/01 19:53 ID:onXy/TVO
>>752の追加
「直入回心対」は「二機対」のお言葉で
「信疑対」などに続くお言葉ではないですか。
これを「信心のことではない」とでも言うのでしょうか。
755 :
:04/07/01 21:59 ID:x4Gork8r
756 :
711:04/07/01 22:12 ID:hbht9xBz
皆様こんばんわ、三願転入について意義深い議論をなされているところ
大変申し訳なく思いますが、
>>725のつづきを書かせていただきたく存じます。
目的→行為→結果を想定して合目的的に生きるということは、
現代社会においてますます顕著になってきているように思われます。
西洋から流入した教育カリキュラムというシステムによって
幼少青年期を過ごしてくるわけですから、目的→行為→結果という
様式の価値観は、古代・中世の人々よりも現代人の方が深く刻み付けられている
に相違ない。つづく
757 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/01 22:37 ID:IIaoHKy5
>>752-754 >「この直入は信心をあらわされたのではない」とでも
>言いたいのだろうか。どう言い訳するのかな?と書いたのです。
>これを「信心のことではない」とでも言うのでしょうか。
>だから「親鸞聖人は直入をすすめられたが、御自身は直入ではなかった」
>ということじゃないですか、あなたの言い分は。
言うまでもなく“信心”をあらわされたものですよ。だからわれわれに「一乗円満」
の他力信心(直入)をお勧めなのです。
全般に
>>750他に書いてますからお読みきださい。「逆のベクトル」「相即」「果上」等がキーワード
なのですが。
「自力」と「他力」の関係は「相即的」ですが、“同時に”永遠に交わらない「非可逆的」でも
あります。再三申し上げているように「時空」も実体ではありません。親鸞聖人の御信心は、
親鸞聖人の「自力の信心」ではなく「仏心」であるのは、“言うまでもない”ですね。
758 :
711:04/07/01 22:49 ID:hbht9xBz
>>756つづき
S会の方々がおっしゃる三願転入の理解もこの目的→行為→結果という
ベクトルを逃れられない。
目的=自信(私の信心という意味で自信と仮にいわせていただきます、教学的な言葉
ではありません)建立
→行為=三願転入(信心決定までの過程)
→結果=信心決定(自信としての)
どうして、S会の方々が反論に対して荒っぽいレスを返すのでしょうか?
愚考してみるに、そういった方々は、
この「自信」を守らなければ、自己の存在(結果)が崩壊してしまうと考えておられるように
見受けられます。
それを恐れているからこそ、許されざる者として反論を唱える方に荒っぽいレスを
返すのではないでしょうか。
それを破邪顕証という言葉に置き換えて、反論に対しては真実を愚弄する者として
相対するでしょう。
かく考えるならば、宗教者としては甚だ心もとないことだと思います。せめて相手に
仏のこころが伝わるようなレスを(工夫して)返していきたいものです。
私も仏教徒ではありませんが、極力努めていきたく思います。
話が脱線してしまったようです。申し訳ございません。
次回は、西田のいう純粋経験について
お話したいと存じます。
つづく
759 :
711:04/07/01 23:07 ID:hbht9xBz
>>746 332さん、有難うございます。
以前、「華厳経」についてある大学で聴講させていただいたことが
あったのですが、「信満成仏」とご講師が言われていたことを思い出しました。
親鸞聖人がおっしゃる信心とは、いささか違う(というか、大いに違う)
と思われたのですが、お暇がございましたらお聞かせいただきたく存じます。
760 :
711:04/07/01 23:10 ID:hbht9xBz
>>759 ×お聞かせいただきたく →
○さらにお教えいただきたく
761 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/01 23:43 ID:IIaoHKy5
>>759 >親鸞聖人がおっしゃる信心とは、いささか違う(というか、大いに違う)
>と思われたのですが、お暇がございましたらお聞かせいただきたく存じます。
711さん、今晩は。『華厳経』は大部で古訳、旧訳、新約あり、「釈」も私には非常に
難解(特に三祖、賢首大師の『華厳五教章』。余談ですが、賢首大師の教学に大きな影響を
与えられた新羅の元暁大師は念仏者でもあり、個人的に大変好きな方です。韓国から来ら
られた若い学生が、弘法大師の事を知らなくて、日本人との会話に苦労されていた際、私が
、「韓国で言えば、元暁大師のような方だ。」と話すと直ぐに納得なさってました。「崇儒
拝仏」政策が長かった韓国のお若い方にも、未だにその“お徳”が伝わっているのがわかり、
一寸感銘受けました。)ですので、711さんの方がお詳しいと思います。
そうですね。親鸞聖人の教学にも『華厳』の影響は大きいと思います(特に「入法界品」)。
親鸞聖人の「唯信」の教学も、「信満成仏」の説に依るところが大きいと思いますが、
華厳宗などの聖道門の方とは、機法の観かたが“反転している”というか、そもそも「廻向」
の概念が「自力門」とは違いますので。ですから、同時代同年齢の日本を代表する宗教的天才
とも言うべき親鸞聖人と明恵上人が「好対照」の教学を展開なさったのではないでしょうか?
今はお風呂上りで寝るとこでしたし、また機会があれば、もっと勉強してみますが、こちらこそ
いろいろ教えていただきたいと思います。
762 :
名無しさん@3周年:04/07/01 23:55 ID:Hwy1qPFk
親鸞会の学生は9割童貞か?
763 :
724:04/07/02 00:29 ID:gphSAEIH
>>726 711さん
胃カメラはどうでしたか?気持ち悪いものなんですか?
私のような者の問いに対して、興味を示して頂き有り難うございます。
「アセンション」とは、2万6千年ごとにある宇宙構造の変化がこれから10年
くらいの間に起こるので、その時に備え、視点を宇宙レベルに上げておいた
ほうがよいという思想です。
そのために、これから頼れるものは個人の感性のみで、「アセンション」後は、
一人一人が世界の創造主になれる。
それに対して、宗教は本来個人のもっている素晴らしい感性を制限し
てしまうので、止めたほうが良いとの事です。
私自身は、今までに何度も繰り返し唱えさせていただいた、お念仏に対して、
執着心が自然に沸いてきているので、困っております。
「アセンション」については、私が書くと幼稚な内容になってしまうので、時間に
余裕があるときに、インターネット等で調べられたほうが良いと思います。
親鸞聖人は素晴らしい思想というのはよくご存知とは思いますが、
「アセンション」も私は素晴らしい思想の一つと思っています。
764 :
名無しさん@3周年:04/07/02 02:49 ID:c0r/DId+
332さん、よくやるね。頭が下がるわ。
前スレの611あたり、もう少し説明されん事を願います。
いまいち分からないからな。
>一つ補足させていただきますと、「仏願の生起本末」の中身が、「罪悪深重の私ひとり
>が為の御本願」ですから、罪悪深重の具体相は、まさに私のすがたですが、「二種深心」
>そのものは、あくまでも「仏心」(仏願)ですから、罪悪の物柄として、無始来の私の悪業
>は問題にならず、只今の仏智疑惑の自力計のみが問題となるのです。
信前の罪悪感と二種深信の機の深信について、この辺を詳しく説明なされよ。
>>737 >>737 386さん、横レス失礼します。
386さんは「如来の諸智を疑惑して 信ぜずながらなおもまた
罪福ふかく信ぜしめ 善本修習すぐれたり (正像末和讃) 」
のご和讃を引用されて、
>弥陀の仏智を疑う私たちでも、善を行い、念仏称える事は、
良いことだ、と仰せです。 それは修諸功徳の願の19願と、
植諸徳本の願の20願あればこそです。
と結論づけていらっしゃいますが、そもそもこのご和讃は
「胎生・辺地」を明かされた十二首の第一首であって、以下の大無量
寿経引用の部分に拠ったものです(とくに「しかるに」以下にご注目
ください)。
仏、慈氏に告げたまはく、
「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修してかの国に
生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上
勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福
を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、
かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、
菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれ
を胎生といふ。」(大経下巻)(つづく)
(つづき)
またこのご和讃において「すぐれたり」はこの場合「〜ことが多い」と一般
には解釈されています。つまり、「善本修習すぐれたり」は「善本修習する
者がなんと多いことか」と解釈されます。あなたはどうやら「すぐれる」を
現代語式に「勝っている」と解釈しておられるようですが、それは親鸞会教学
と考えていいのでしょうか?もしあなたの解釈で押し切れば、「罪福を信じ
善本を修習」する勧め、つまり「胎生・辺地」勧めのご和讃ということになり
ませんか?
そして釈尊、そして親鸞聖人が「胎生・辺地」往生を断じてお勧めではない
こと、「弥陀の仏智を疑いつつ善を行い、念仏称える事は、良いことだ」とは
断じて仰っていないのは以下のご和讃に明らかですね。
「如来慈氏にのたまはく疑惑の心をもちながら
善本修するをたのみにて胎生辺地にとどまれり」
「罪福ふかく信じつつ善本修習するひとは
疑心の善人なるゆゑに方便化土にとまるなり」
「辺地七宝の宮殿に五百歳までいでずして
みづから過咎をなさしめてもろもろの厄をうくるなり」
などなど枚挙に暇がありません。
申し遅れました。332さん、お疲れ様です。
771さん、お説、興味深く拝聴しています。
>>725 >私は、他力というものは目的→行為→結果というベクトルと逆方向性を
持つものだと考えるのです。
まったく同じ思いです。仰るようにs会の三願転入説も目的→行為→結果
という ベクトルを逃れられていないのだと思います。
自力疑心行者がこのベクトルから甚だ「逃れられぬ」ことを親鸞聖人は
「辺地七宝の宮殿」「方便化土」「胎生辺地」などと象徴づけておられる
のでしょう。
>この「自信」を守らなければ、自己の存在(結果)が崩壊してしまうと
考えておられるように 見受けられます。
鋭いご分析ありがとうございます。
まったく首肯されるご意見であると思います。
>せめて相手に 仏のこころが伝わるようなレスを(工夫して)返して
いきたいものです。
については、「わたし」に向けて仰られたご発言として深く反省させて
いただきたいと思います。
またお説を披露していただきたく思いますのでどうぞよろしくご教示
ください。
768 :
386:04/07/02 07:09 ID:sTFdKs8E
>>765-
>>766 またこのご和讃において「すぐれたり」はこの場合「〜ことが多い」と一般
には解釈されています。つまり、「善本修習すぐれたり」は「善本修習する
者がなんと多いことか」と解釈されます。あなたはどうやら「すぐれる」を
現代語式に「勝っている」と解釈しておられるようですが、それは親鸞会教学
と考えていいのでしょうか?もしあなたの解釈で押し切れば、「罪福を信じ
善本を修習」する勧め、つまり「胎生・辺地」勧めのご和讃ということになり
ませんか?
時節到来ですね。
「胎生・辺地」にとどまるのは、何故だと親鸞聖人は仰っていますか。
「仏智の不思議をうたがいて」
「仏智疑惑のつみにより」
「うたがうつみのふかきゆえ」
「本願疑惑の行者には」
「如来の諸智を疑惑して」
・
・
等等 (正像末和讃抄出)
弥陀の仏智を疑っているからだと仰っていますね。
その「行」が悪いとは仰ってはいません。
それもそのはず、そもそも「行」をしなければ「行」者でさえないですから。
「行」さえしておれば、助かるだろうと思っている人に、信心をいただいて、疑心が晴れねば、「胎生・辺地」にしか行けぬぞと、
18願への直入をお勧めなのです。
769 :
386:04/07/02 07:10 ID:sTFdKs8E
>>768につづけます。
自身の「本願疑惑心」を凝視するには、
19、20願ですすめられる「行」をおこなうより他に、方策はありません。
すなわち三願を「転入」するしか「直入」する道はないのです。
332氏の「相即的関係」とはこのことであり、
聖道門から入った親鸞聖人と、(何の幸せか)浄土門から入る332氏とで、
通る心の道程が異なるなら、それは「相即的」ではありません。
ベクトルの問題などではないですね。
弥陀の18願による、唯信独達の法門を開いて下された親鸞聖人あればこそ、
聖道門や浄土仮門を遠回りせずに、真実の法門を聞けるという幸せに感謝もない。
「オレがこうして聞けるのは、過去世の聞法求道の賜物だ」などと、
懈怠にあぐらで聖人を泣かせておれば、それこそ仏智疑惑の罪果を受けねばなりません。
いまデジタル三種の神器といわれ、
デジカメ、DVDレコーダー、薄型大画面テレビが大人気ですが、
裏大人気NO1電化製品がこのマッサージチェアだと思います。
実際、量販店のお試しコーナーはカップルを中心に椅子は満席状態。
>>770 とはいえ、今ひとつ購入をためらう理由は
価格とそのデザイン、大きさでしょう。
>>768>>769 さっそくお答えありがとうございます。
いくつか確認させてください。
>自身の「本願疑惑心」を凝視するには、
19、20願ですすめられる「行」をおこなうより他に、方策はありません。
あなたのこのお説は「浄土真宗」ですか、それともそうではないのですか?
お聖教の根拠をもって立論してください。
>あなたはどうやら「すぐれる」を 現代語式に「勝っている」と解釈して
おられるようですが、それは親鸞会教学 と考えていいのでしょうか?
この質問もスルーせずにお答えいただけますか?
>「弥陀の仏智を疑いつつ善を行い、念仏称える事は、良いことだ」とは
断じて仰っていないのは以下のご和讃に明らかですね。
これは同意されたということでしょうか?
さらに、浄土真宗で勧められている「行」について、あなたの
見解を教えていただけますか?
1月1日 修正会
正当の御忌日 歴代門主祥月法要
1月25日 法然上人祥月
2月22日 聖徳太子祥月
3月7日間 春季彼岸会
4月上旬 春の法要
7月14日・15日 孟蘭盆会
9月7日間 秋季彼岸会
11月21日より28日 報恩講
12月31日 除夜
妙念寺2ちゃんねるサービスにレス有り難うございました。
一月の九日から、親鸞聖人のご命日の十六日までの一週間、
浄土真宗の最も大事な法要、ご正忌報恩講が勤まります。
妙念寺では、先月から始めた浄土真宗入門講座を、十四日に、
そして十五日は、ご正忌の法座を予定しています。
ところで、ご正忌報恩講には御絵伝を、お内陣に掛け、
御伝鈔を拝読することになっています。
今回は、お内陣ではなく外陣に御絵伝を出して、皆さんに
じっくりと味わっていただき、また詳しく解説が出来ればと
思っています。
御絵伝は、四幅ありますが、その二幅目の最初は、
親鸞聖人が法然上人の元を尋ねられ、生涯忘れることが
出来ない大きな喜びが、描かれています。
御伝鈔には、その喜びを、教行信証の化身土巻に
次のように書いておられるとあります。
建仁元年に自力の行を捨てて本願に帰し、元久二年、
源空上人のお許しをいただいて「選択集」を書き写した。
同年四月十四日には、「選択本願念仏集」という内題の文字と、
「南無阿弥陀仏 浄土往生の正しい行は、この念仏に
ほかならない」というご文、並びに「釈綽空」という、
わたしの名を、源空上人が自ら書いてくださった。
また同じ日に、源空上人の絵像をお借りしてそれを写させて
いただいた。
同じ元久二年の潤七月二十九日、その写した絵像に銘として、
「南無阿弥陀仏」の六字の名号と、「本願には、
《わたしが仏になったとき、あらゆる世界の衆生が、
わたしの名号を称え、わずか十回ほどの念仏しか、
できないものまでも、みな浄土に往生するであろう。
もしそうでなければ、わたしは仏になるまい》
と誓われている。
その阿弥陀仏は今現に仏となっておられるから、
重ねて誓われたその本願はむなしいものではなく、
衆生が念仏すれば、必ず浄土に往生できるとしるべきである」と
述べられている『往生礼讚』の真実の文を、源空上人が
自ら書いてくださった。
また、わたしは、夢のお告げをいただいて、綽空という名を
あらためて善信とし、同じ日に、源空上人は自ら、その名を
書いてくださった。
この年、源空上人は七十三歳であった。・・・・と、
真実の教えに出会った喜び、その教えを伝えていただいた
法然上人との出会いを心から喜んび、忘れ難い思い出を、
克明に書き留めていただいています。
法然上人が書いていただいた、「南無阿弥陀仏
浄土往生の正しい行は、この念仏にほかならない」という
ご文の味わいを、私たちも味わわせていただきたいものです。
776 :
名無しさん@3周年:04/07/02 13:19 ID:BE/apcyS
>>757 >親鸞聖人の御信心は、
親鸞聖人の「自力の信心」ではなく「仏心」である
そう。それなのに332は
「親鸞聖人の信心は直入(他力)ではない」と言ったわけです。
777 :
名無しさん@3周年:04/07/02 15:27 ID:owhzT8LF
会員の発言を見て。
嘘も百辺言えば真実になるとはよく言ったものだ。
778 :
名無しさん@3周年:04/07/02 16:25 ID:Wa1nfB3W
779 :
名無しさん@3周年:04/07/02 16:37 ID:Z4E1ovWG
お聖行も、他人の発言も、すべて自分の都合のいいように解釈する。
それが親鸞会にゃ。
先日、知人からお礼の葉書が届きました。文字だけでちょっと殺風景に感じましたが、時
にはメールより新鮮かもしれませんね。さすがに絵文字はありませんでした(^^;
最近ちょっとツイてない。例えば、人の「ラッキー度」を数値化できると仮定して、日本
全国1億3千万人の中で自分は一体何番目にラッキーなんだろうと考えると、やはり上位
6千5百万番以内には入っていたいものです。下から数えた方が早いと少々残念ですが、
トップ10に入るのも、ある意味怖い気がします。
s会は浄土他流でしょ。
>>781 洋服を選んでいるとき、どちらの色がいいか
迷っちゃう時がありませんか?すっごく悩みます。
>>783 迷いに迷ってチェックするのが残っている服の枚数。
どちらが売れてるのか数えて、人気の色を購入!o(*^-^*)o
>>784 そんな時に限って、後から店員さんが補充しにきちゃうんですけど。
(□ ̄;)アァ!
>>762 確か、学生の場合ばれるとややこしい事になったはず。
講師部に逝こうとしていた♀とバコバコやっておなかを膨らませた
♂が除名処分喰らったという噂を聞いたが、あれは本当か?
787 :
786:04/07/02 23:40 ID:Z5if5rZ/
一応言っておくが、レイープじゃないぞ。
結構仲良くやっていて、その成り行きで膨らんだそうだ。
ちなみに、♀の方も退会したらしい。
788 :
名無しさん@3周年:04/07/03 02:10 ID:SKT6GDIZ
大学生にもなって童貞&処女サークルとはめでたしめでたし…。
それって僧侶にもかかわらず女とヤることもよしとしてた親鸞聖人の行動と
矛盾してないのかね?
本格的な”夏”になってきました。
食欲も落ちますね。
私は、落ちます。
791 :
気づいたことなど:04/07/03 08:56 ID:1hegzY6k
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1077777953/230-231 のIP:YahooBB220021053042.bbtec.netって、まさかと思ってみてみたら、
過去スレ『親鸞会 糞撲滅委員会』の
> 431 名前:yahoobb220021053042.bbtec.net 投稿日:2004/04/28(水) 21:18
>
>>428 >
> 「よ」です。見てきましたが、何か?
>
>
> 432 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2004/04/28(水) 21:20
> 「よ」ってだれー
> なんでIPさらしてるのー
で晒されてるのと同じだったのね。
まぁ確かにこれらだけ見ると、あたかも「よ」さんが荒らしているようにも
見えるかもしれないが、それがs会の工作員の狙いなのかしらん?
792 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/03 11:03 ID:c6qmLUaB
>>776 >そう。それなのに332は
>「親鸞聖人の信心は直入(他力)ではない」と言ったわけです。
もう一度過去レスよく読んでください。
他力回向の御信心をいただくということは、真実の行信の“功徳”をいただくことで、真実の行信が、「自分の持分」
になるということではありません。真実の行信は、御信心は「仏性」として相変わらず仏様のものです。「自分の持分」
になると解すると、わたしの信の一念に阿弥陀様の仏体が成就して「真実の因行」=南無阿弥陀仏としてわたしのものと
なるという西山上人の「仏体即行の機法一体説」との区別がなくなります。
505さんが、前に御指摘なさってましたが、「行門」(聖道門)と「観門」(『観経』定散二善)を別立し、「法華開会」
(二乗開会)を応用した「本願開会」の論理でもって、諸行を取り込まれた西山国師・証空上人の教学とs会教学との類似点
は確かにあると思います。しかし、真宗に限らず教判はあくまで「果上」でみていくもので、弘法大師の「十住心」判で言えば、
「九顕一密」の遮情差別門と「九顕十密」の表徳平等門は相即しているわけですね。「法華開会」にしても“今から”二乗を
お勧めでないのは自明だし、西山義の「本願開会」にしても「行門」「観門」をお勧めなのではなくて、「弘願門」をお勧めな
わけです。現に西山上人がお勧めになったのは所謂「白木の念仏」ですよね。
しかし、法然上人御門下のなかでも特に思弁的で哲学的といわれる西山上人の教学とあまりそういう匂いのしないws会教学が
似ているというのも皮肉な感じです。
793 :
名無しさん@3周年:04/07/03 12:34 ID:zfdUCU2u
再再掲
>>671 > 例えば、『愚禿鈔』上の「一乗海釈」の「二機対」(十八対)の「直入回心対」。親鸞聖人は、漸教回心(三願転入)ではなくて、
「直入」をお勧めなのはあきらかですね。
>>705 > はあ? 「直入」に対している「(漸教)回心」は「三願転入」とは違うということですか?
「要門」「真門」は漸教ではないのですか? 「回心」とは、他宗旨などから心を翻して入ることでは
ないのですか? 「直入」とは、「直ちに入る」ですから「転入」とは対になる語だというのは、
高校生程度の日本語だと思いますが。「直入=三願転入」の根拠をお聖教の言葉で示してもらえ
ますでしょうか?
親鸞聖人は「直入の信心ではない」そうです。
>>792 > 他力回向の御信心をいただくということは、真実の行信の“功徳”をいただくことで、真実の行信が、「自分の持分」
になるということではありません。
もっとちゃんと言い訳してね。どういう意味で書いてるんだろう。
通訳が入りますね。
そのうち「私達の信心も直入じゃない」とか言い出したりして。
794 :
名無しさん@3周年:04/07/03 13:23 ID:sl3pM9d0
でたらめを言い続けてきた332もこれで終わりだな。
腹切れよ。
795 :
名無しさん@3周年:04/07/03 14:20 ID:SKT6GDIZ
親鸞会にすんでの所で入らずにすんで良かったよ。
最近、テレビコマーシャルなどで、独特の雰囲気を持った映画用字幕文字が
随分と使われています。
映画の字幕というと、制作クレジットに出てくる戸田奈津子・清水俊二・高
瀬鎮夫…などの名前が浮かびますが、彼らは字幕の翻訳者。私たちが実際に
目にする画面の文字を描いているのは、タイトルライター・描き屋などと呼
ばれる職業の方達です。普通、この方達の名前がクレジットに出ることはあ
りません。
797 :
711:04/07/03 15:54 ID:qs/ZV8+X
皆さんこんにちわ。とりあえずご返事まで。
>>761 332さん、ご丁寧にありがとうございました。
>親鸞聖人の教学にも『華厳』の影響は大きいと思います(特に「入法界品」)。
真に同感です。さらに言わせていただくならば、天台宗学というものもその
基盤は「華厳」思想に始まるのではないかと考えております。
鎌倉新仏教といわれているものは、もう一段階、深化または展開もしくは転回
させていったもののように思われます。
今一度、この点についても学びを深めていきたく思いました。
>>763 724さんへ
胃カメラ気持ち悪かったです。胃の動きを止める麻酔をするんですけど、ちょっと
効きすぎまして午後仕事に戻ったのですが頭はクラクラするは、目はパチパチするはで、
難儀でしたw。しかしながら人間は、肉体性を持っていることを身をもって再考するよい機会
でもありました。現代社会に生きていると人間存在は、ただ単に意識的なもののみならず、
肉体性を持っていることを忘れてしまうように思います。しかしながら、検査のほうはおかげさまで
異常なく、2年前にあったポリープもきれいに消えていました。
「アセンション」についてインターネットで調べてみましたよ。面白い考え方ですね(正直なところ
あまりのSFチックさにいささかひいてしまいました、すみません)。
>宗教は本来個人のもっている素晴らしい感性を制限してしまうので、止めたほうが良いとの事です。
どういう定義で宗教と仰っているのかはわかりませんが、私はすばらしい感性を感じる宗教者を沢山
知っております。親鸞聖人も、道元禅師も、妙香人も、明恵上人も、イエスキリストも、ヨハネパウロも
名前を挙げればきりがありません。
798 :
711:04/07/03 16:19 ID:qs/ZV8+X
>>797つづき
>>763 >私自身は、今までに何度も繰り返し唱えさせていただいた、お念仏に対して、
>執着心が自然に沸いてきているので、困っております。
私の愚見なのですが、お念仏を何かに至る方法と考えるから、執着心が沸いてくるのではない
かと思われるのですが、如何なものでしょうか。
妙香人と呼ばれる浅原才一さんの歌をご紹介いたします。
なんとなく 恋し なつかし
なむあみだぶつ
弥陀の心が あるからよ
最後の、
「弥陀の心が あるからよ」がキーワードなのではないでしょうか。
ご無礼お許し下さい。
799 :
名無しさん@3周年:04/07/03 16:36 ID:xw6vG1fH
332やその周辺に反省を求めても無駄。
彼等は言葉遊びしているだけなんだから。
親鸞会で聴聞できてよかった。
┏━┓ ┏━┓ ┏━┓ ┏━┓ ┏━┓
┃夏┣━┫胸┣━┫魅┣━┫た┣━┫!┃
┗━┫は┣━┫を┣━┫せ┣━┫い┣━┛
┗━┛ ┗━┛ ┗━┛ ┗━┛
┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓
┃夏┃┃は┃┃出┃┃会┃┃い┃┃の┃┃季┃┃節┃
┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛
802 :
名無しさん@3周年:04/07/03 18:03 ID:GyhSGPXE
まだ生きてるのか。
803 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/03 19:00 ID:c6qmLUaB
>>793-794 >再再掲
そもそも、私の質問に何も答えてもらってないので繰り返します。
@「三願転入」は二機対で「直入」と対になっている「(漸教)回心」とは違うという解釈なのですか?
A「本願直入の機」について、宗学上いろんな説がありますが、s会説はどのような立場なのですか?
@が、「三願転入」=「漸教回心の機」説であれば、二機対で言われる「信・賢・善・正・是・・・」等に対する
「疑・愚・悪・邪・非・・・」等は、「前者の内容」ということで、「真実信心」のことという説ですか?
@が、「三願転入」≠「漸教回心の機」であれば、「漸教について、また二教あり。・・・(中略)二には、
易行道浄土の要門、『無量寿観経』の意、定散・三福・九品の教なり。」(『愚禿鈔』)はどうなるのでしょう?
>でたらめを言い続けてきた332もこれで終わりだな。
>腹切れよ。
s会のT会長もK正会のA会長も「腹切る」の科白がお好きみたいですね。
804 :
名無しさん@3周年:04/07/03 19:08 ID:SKT6GDIZ
私は大学に入学してまもなく、親鸞会のダミーサークルに勧誘され、
新歓合宿、夏合宿などに参加しました。しかし、夏合宿で親鸞会に入会
を勧められた時に、「これは危険だ」と感じサークル自体を辞めました。
今思えば、これは正しい選択だったと思います。子牛の人たちは正直、目が
怖かったと言うか何となく危なかったです。
今思えば、あのサークルは何も宗教的知識が無いような大学生に、マインド
コントロールするところや、身の丈にあってない高額な出費があることだと思
います。
どんな宗教を信じようが皆様の自由ですが、選ぶ権利が有ると言うことと、他
の宗教をしっかり知ると言うことも大切であると思います。その上で、親鸞会こそ
正しいと思うのであれば活動すれば良いと思います。
ダミーサークルに所属してる学生さん、もう少し冷静に考えましょう。私はダミ
ーサークルを辞めてからの大学生活の方がずっと充実してました。
805 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/03 19:34 ID:c6qmLUaB
>>764 >信前の罪悪感と二種深信の機の深信について、この辺を詳しく説明なされよ。
一寸今は時間がないのと私の勉強不足で「詳しい説明」はできかねますが、いま少し付け加えますと
「本願疑惑心」=「自力疑情」の有無により衆生のめ迷悟の果報が分かれるといっても、「疑情」が
「原罪」みたいなものとしてあるということではなくて(『起信論』の元初の無明の一念は、まあ「原罪」説
に似てますが、いわば「存在悪」みたいなものでしょうね)、仏教通途の輪廻の因である無始来の「無明煩悩」全てを
断破する「名号法」が、今、眼前に完成してくださっているにもかかわらず、わたしが「只今」信受しないことが、「生死
の因」となっているということです。「自力の罪悪観」は、“人によっては”、「信後」に「仏縁」としてお味わいされ
る方もおいででしょうが、われわれの自力の罪悪観がどれほど進んだところで、真実に近づけるわけではなく、「妄執」
を募るだけでしょう。「仏願の生起本末」の内容である「機の深信」とは全然次元の違うものです。
806 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/03 19:38 ID:c6qmLUaB
505さん、遅くなりましたが、横レスありがとうございました。
それとこれも遅れて申し訳ないですが、削除人さん御苦労様です。
乙!
808 :
名無しさん@3周年:04/07/03 20:51 ID:UE6i2SXR
>>804 私も合宿に参加してから退会しました。
よく仕組まれたダミーサークルだったようで、どんどん後戻りできない
ところに追い詰められていったというのが正直な感想です。
でも、意外にもあっさりとやめさせてくれて、ちょっと拍子抜けしました。
ここに出てくる親鸞会の方もなんだかドスのきいた?怖い人が多いようですが
私の先輩は優しい人が多かったです。
どっちが本当なのでしょうか?
>今思えば、あのサークルは何も宗教的知識が無いような大学生に、マインド
コントロールするところや、身の丈にあってない高額な出費があることだと思
います。
これは実感として大きな問題点ではないでしょうか?
目的のためには手段を選ばないような感じです。そういうのが本当に
仏教なのでしょうか?私にはなんにもわかりません。
確かに信教は自由です。活動したいかたは続ければいいのではないでしょうか?
私に関しても入会中はできなかったことが今はできますし、ずっと充実しています。
人生経験もない私が、他人に対して人生とは?とか他人に対して説くのは机上の空論
に過ぎないとおもいます。
いまは視野をもっと広くもって、着実に一歩一歩生きてゆきたいと思います。
すいません。ちょっと804を読んで思ったことをかきこんでしまいました。
小学生の女児が学校内で、同級生をカッターナイフで切り死亡させるという前代未聞の事件が起きた。
事件の衝撃に加え、被害者に「会って謝りたい」と言う女児の言葉、親の目には「自己主張が苦手」と映る女児の二面性に大きな波紋が広がっている。
>>809 日本女子大の調査で「死んだら生き返らない」と答えられた小中学生は僅か3割。
長崎市内の小学校では、これまでタブーとされてきた「死」を教える授業を開始、子供たちの反応に戸惑いながらの模索が続いている。
811 :
名無しさん@3周年:04/07/03 21:53 ID:K3iEhYSF
>>805 「自力の罪悪観」は、“人によっては”、「信後」に「仏縁」としてお味わいされ
る方もおいででしょうが、われわれの自力の罪悪観がどれほど進んだところで、真実に近づけるわけではなく、「妄執」
を募るだけでしょう。「仏願の生起本末」の内容である「機の深信」とは全然次元の違うものです。
332氏のごまかしはここに端的に現れている。
「われわれの自力の罪悪観がどれほど進んだところで、真実に近づけるわけではなく、「妄執」
を募るだけでしょう。」との言葉にあるがごとく、己で確かめようともしないのだ。
それでいながら、
「「仏願の生起本末」の内容である「機の深信」とは全然次元の違うものです。」
と聖教読んだ知識で知ったかぶりして、通り抜けようとする。
何故に知ったかぶりかと言えば、「機の深信」を体験せぬ者に、「自力の罪悪観」とどう違うかなどわかるはずがない。
ただ、その二つのことは異なるという善知識方のお言葉を読んで、「全然次元の違うもの」だそうなと合点しているにすぎない。
合点を信心であるかのように自身と外とにごまかしているのだ。
だから、親鸞聖人と自分とは機が異なるなどと放言して平気でいる始末だ。
そんな体たらくでは、信仰など一歩も進まない。
罪悪観が進むとは、己の機を知ることだ。だから罪悪観をやらずしては、己がどんな機か知れるはずがない。
ではどうやって罪悪観を行じるのか。
そういう十方衆生の問いかけに、弥陀は要門と真門を立てられてあるのだ。
勿論、凡夫が19、20願を如実に行えるはずもないが、
それぞれの器量に応じて、「出来ない」自身の罪悪深い姿を照らされる。
その体験をした者が、摂取の光明に照らし抜かれ、他力の「機の深信」させられて、
自力の罪悪観との次元の違いが分かるのだ。
再度申しておきましょう。
「「仏願の生起本末」の内容である「機の深信」とは全然次元の違うものです。」
とは親鸞聖人が仰ることで、332氏の言うべきことではない。
332氏は、この親鸞聖人のみ言葉に随い、それを己の身の上に実現せねばならないのだ。
>>810 一方、親には普通の子供に見えても、学校やHPでまったく違った側面を見せる子供たち。
>>811 >「仏願の生起本末」の内容である「機の深信」とは全然次元の違うものです。」
>とは親鸞聖人が仰ることで、332氏の言うべきことではない。
そうやって権威を借りて会員の疑問を封じ込める(思考停止させる)
のはs会の十八番だねw
18願!
815 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/03 23:53 ID:c6qmLUaB
>>811 寝ようと思ったら、またまたへんなレス来ましたねw。あなたは、
>>764さんですか? もし
、横レスなら一言ことわりが欲しいですね。いつものように○●教の×△全開でレス
する気力も起こらないですが・・・。
>「機の深信」を体験せぬ者に、
>そんな体たらくでは、信仰など一歩も進まない。
>罪悪観が進むとは、己の機を知ることだ。だから罪悪観をやらずしては、己がどんな機か知れるはずがない。
「深信=仏心」はわたしは“体験できない”し、罪悪観が進んでも「己の機を知る」ことはできないのですが。
真宗では「自力の信仰(罪悪観など)=妄念妄想」が進むことに意味ないですよ。ただ「機ごと機ごと」のお育て
ですから「人によっては」どんな妄想が御仏縁になるかはわかりませんが。
>だから、親鸞聖人と自分とは機が異なるなどと放言して平気でいる始末だ。
これは、どのことですか?
816 :
711:04/07/04 00:03 ID:kfB1MAkY
>>767 505さん、お世話になっております。
>>せめて相手に 仏のこころが伝わるようなレスを(工夫して)返して
>いきたいものです。
>については、「わたし」に向けて仰られたご発言として深く反省させて
>いただきたいと思います。
レスが遅くなり、申し訳ございません。私は「仏」のこころを語るなどとても
出来ませんし、それこそお門違いも甚だしいというものでありましょう。
この発言は、505さんに向けたものではなくして、人を馬鹿にするような、真摯ならざる
言葉が目立っていたので申したまでであります。どうかお汲み取りいただきますよう。
以下、
純粋経験ということについて、ここで問題になっている親鸞聖人が言われる「三願転入」
「信心決定」ということを念頭に置きつつ、愚考してみようと思います。
お叱りをえなければならないところも多々あるかと存じます。
皆様、何卒ご教示のほどをお願いいたします。
817 :
名無しさん@3周年:04/07/04 00:21 ID:kDnnPX4v
>>813 >そうやって権威を借りて会員の疑問を封じ込める(思考停止させる)
のはs会の十八番だねw
「機の深信」が立って、それを確かな言葉で表された親鸞聖人には語れますが、
>「深信=仏心」はわたしは“体験できない”し、罪悪観が進んでも「己の機を知る」ことはできないのですが。
真宗では「自力の信仰(罪悪観など)=妄念妄想」が進むことに意味ないですよ。
などと言ってる者には、「全然次元の違うもの」かどうかは語れないというだけです。
権威を借りるまでもありません。
どうも思考停止中の方のようですね。
818 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/04 00:31 ID:IbtD2qRi
>>797 >さらに言わせていただくならば、天台宗学というものもその
>基盤は「華厳」思想に始まるのではないかと考えております。
>鎌倉新仏教といわれているものは、もう一段階、深化または展開もしくは転回
>させていったもののように思われます。
711さん、こんばんわ。天台宗学の基盤については、仰る通りだと思います。鎌倉新仏教に
ついても“ほとんど”同意ですが、「展開もしくは転回」はともかく、「深化」については、
「多元的」観点からの考察・検証が不可欠だと思います。「鎌倉新仏教至上主義」みたいなの
は危険でもあるし、現に「鎌倉新仏教」の評価が傑出して高く、研究も充実しているのは、今日
その系統の宗派の勢力が大きくて、出身の学者や研究者が多いという“政治上の理由”もあると
思われます。それと今日では、他仏教圏の仏教との比較も重要ですね。
819 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/04 00:41 ID:IbtD2qRi
820 :
724:04/07/04 03:35 ID:OanKnDDh
>>797 711さん
ご丁寧にありがとうございます。
ポリープが消えるってすごいですね。
だんだん大きくなって最後は切るもんだと思ってました。
>私の愚見なのですが、お念仏を何かに至る方法と考えるから、執着心が沸いてくるのではない
>かと思われるのですが、如何なものでしょうか
そうですね。私は何年もかかるかもしれませんが、
お念仏のみ教えを信じて、お釈迦様のように悟りを開きたいのです。
しかしながら、その他の素晴らしい思想家が、魅力的な思想を展開するので、
私のような凡人には、どちらも正しく思えて、混乱してしまいます。
しばらくは、「お念仏」を唱えながら、「アセンション」の様子をみます。
>>817 どうもまあオウム返しもs会のよくやる話術だね。
822 :
711:04/07/04 05:45 ID:kfB1MAkY
>>816つづき(ごめんなさい、寝てしまいました)
西田のいう「純粋経験」という言葉を、何か神秘的な経験と捕らえてしまう方も
いらっしゃるかと思われますが、決して特別な経験をいう言葉ではありません。
端的に言うならば、「純粋経験」というのは「主客未分化」という所を指して
言う言葉であろうかと存じます。すなわち反省を加える以前のありのままの経験を言うのです。
西田の哲学はこの「純粋経験」を唯一の実存として考えていくという方向性を持っています。
我々が例えば一輪の花を見つけたということがあるとします。最初に知覚・感覚でそれを
見たり、においを感じたりするが、そこには何ら判断する要素はないのであります。
色が何色だとか、形はどんなだとか、なんていう種類の花かというのは、
最初の知覚・感覚に反省、思慮分別を加えて初めて形付けられるものであって、
それは、「純粋経験」に枝葉がついて対象物として固定概念化されたものと
考えるのです。
(つづく)
823 :
711:04/07/04 06:04 ID:kfB1MAkY
>>818 332さんへ、ご返答ありがとうございます。
全く同意いたすところでありまして、以後、気をつけて参りたく存じます。
私自身、鎌倉新仏教というカテゴライズも果たしてそう言い切っていいものなのか、
という反省もございます。
やらなければならないことが山積ですね。考えると気が遠くなってしまいそうな
宿題の山々です。私は研究で生計をたてているわけではないので、
仕事との両立を図りつつ地道に、生涯にわたって考究できればと思っております。
貴重なご意見ありがとうございました。
とにかく聞法ですよ。
真剣に聞いてください。
825 :
名無しさん@3周年:04/07/04 10:23 ID:2T2KGHIA
332のおかしな所は
信心一味に違する事だ。つまりお味わいなどと言って異安心でも安心として許容してしまう
訳で、K会に自称信心決定者がうようよしている訳も頷ける。
この点何故もっと批判しないのかな、読めば分かる異解じゃないか。
505なんて信仰以前の輩だ、彼はいつどこで誰の聴聞をした事があるんだ。
座学で学んだ学問だけで人を非難するとは滑稽すぎる。
クローバーに書かれている善鸞義別に関する考察はあまりに低レベル(日本語、古語の
理解が無茶すぎる)で、「豚もおだてりゃ木に登る」という類になってしまっているな。
聞法しましょう。
聴聞しましょう。聞きぬくことですよ。
聞法第一です。
弥陀の本願を聞き抜くことです。
829 :
名無しさん@3周年:04/07/04 17:14 ID:P/1JFY00
日曜かーー。今頃、聴聞に行ってる学生が哀れだな。
日曜かーー。2chに書き込んでいる俺って、哀れだなあ。
>>825 >信心一味に違する
その点をもう少し詳しく
浄土真宗
833 :
名無しさん@3周年:04/07/04 20:33 ID:O0QoXZBG
>>825 なんだかなあ・・・
議論で不利になったとか質問に答えられなくなると、批判者のネタらしきものを
なんでもいいから見つけ出してきて、悪口っすか?
親鸞会の工作員子牛の王道を歩んでますなあ(w
さすが善を勧める立派な団体は本願寺とちがいますなあ(ww。
834 :
711:04/07/04 21:00 ID:kfB1MAkY
>>822のつづき
前置きの説明が長くなってしまいますが、お許し下さい。
板違いとお思いになられる方も多いかと存じますが、西田の宗教的世界観を語るまでに、
なるべく誤解を生じないようにとの苦肉の策です。なんとか絶対・相対、そしてその接点にまで
たどりつきたいものですが・・・。長旅ですので気楽にお読み下さい。できる限り簡潔・平易に述べさせて
いただきたく思いますので、御辛抱のほどを。
西田哲学が、デカルトの哲学方法論をとっていることに異論を唱える人は少ないかと思います。
(※哲学史上では、カントによって独断的・形而上学的と批判され、ほとんどその生命力を失ったとも
考えらますが、哲学史上に残した役割は非常に重要でありましょう。)
(つづく)
835 :
711:04/07/04 21:04 ID:kfB1MAkY
>>834のつづきです。
デカルトの哲学の出発点は「方法的懐疑」ということでした。疑うことの出来るすべてを疑った上で、
それでも疑うことのできない直接の知識を本として出発するというものであります。
そこで最終的には、「我思うゆえに我あり」−すなわち今現に疑っている私自身は疑うことができない、
ここを出発点と定義づけをしたのです。我が主体として考え、そこから主客の認識が出てくるという世界観
といえるでしょう。(独断的と批判されるのも仕方がないことかと思われます)
西田の出発点は前に申したとおり「純粋経験」であります。主客未分化の純粋経験が出発点であります
から、西田哲学では「我思う」とは言われないわけです。直接経験を意識現象として捉えると、実体化された
「我」「我思う」ではなく、意識自身が意識していることになります。すべては意識の自発自展的な分化・展開
であると結論づけたというわけです。さらに、独我論に陥るのを避けるために、経験・意識を単に個人的なもの
と考えるのではなく、(私たちが相通じ相感ずことができるということから)超個人的なものだと考えたのです。
(つづく)
なんだか西田哲学概論みたいになってきてしまいました。次回「善」についてお話して、次々回「宗教世界観」
に入れればと思っております。
月曜日から忙しくなってしまうので、次に書き込めるのは木曜日ごろになってしまうでしょう。
間違い等ございましたら、ご指摘賜りたく存じます。 それでは。
836 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/04 21:29 ID:k4Hgegom
>>825 >332のおかしな所は
>信心一味に違する事だ。つまりお味わいなどと言って異安心でも安心として許容してしまう・・・
はあ? これはどのレスのどこを指してるのですか? 「お味わい」という言葉自体そんなに使った
記憶ないし、最近のでは
>>805くらいかな。
837 :
804:04/07/04 21:34 ID:P/1JFY00
私がダミーサークルに対して抱いた感想は
@メンバーに元気がない。疲れ切ってる。
Aメンバーに社会性が欠如してると思うことが何回かあった。
Bとにかく活動に資金がかかりすぎる。
C会長のみが現在存在する唯一の善知識とかいうインチキ臭さ。
D会長の息子の存在の胡散臭さ。
E男女交際が禁止されてる点のはおかしいと思った。
F嘘をついて勧誘してる点がすごく腹立たしかった。
Gメンバーに個性がない。みんな同じことをしゃべってるのが薄気味悪かった。
まあ、そのほか挙げればきりがありませんが、とにかく辞めて正解でした。
838 :
764:04/07/04 22:39 ID:iMA5ITkx
これじゃ、前の説明に毛が生えた程度ですね。
時間が無いと言っている割りにはかなりの書き込みだと思うけどね。
>>信前の罪悪感と二種深信の機の深信について、
と聞いているのに、
>いま少し付け加えますと
>「本願疑惑心」=「自力疑情」の有無により衆生のめ迷悟の果報が分かれるといっても、
>「疑情」が「原罪」みたいなものとしてあるということではなくて(『起信論』の元初の無明
>の一念は、まあ「原罪」説に似てますが、いわば「存在悪」みたいなものでしょうね)、
>仏教通途の輪廻の因である無始来の「無明煩悩」全てを断破する「名号法」が、今、眼
>前に完成してくださっているにもかかわらず、わたしが「只今」信受しないことが、「生死
>の因」となっているということです。
疑情の話しばかりされていますが、そんな話しを聞いているのでは無いのですけどね。
だいたい信心決定している人がなぜ、
>一寸今は時間がないのと私の勉強不足で「詳しい説明」はできかねますが、
となるのかね?
>「自力の罪悪観」は、“人によっては”、「信後」に「仏縁」としてお味わいされる方もおい
>ででしょうが、われわれの自力の罪悪観がどれほど進んだところで、真実に近づける
>わけではなく、「妄執」を募るだけでしょう。「仏願の生起本末」の内容である「機の深信」
>とは全然次元の違うものです。
だから、どう次元が違って、どう見えるんですか?
それは勉強不足だと説明できないということでしょうか?
839 :
711:04/07/04 22:39 ID:kfB1MAkY
>>836 レスの横レスって言えばよいのでしょうか?いずれにせよ、ご無礼いたします。
しばらく書き込むことができないという個人的理由からです、申し訳ございません。
三願転入に関しては、どうやら19→20→18と経験・体験?せねば、本願に直入することなど
不可能というのが、S会の主張(というか思い込み、というか善知識高森師のお達し)であるようですね。
すなわち、三願転入=信心決定に至る唯一の途(もしくは、最良の途)としか考えることが許されないので、
三願転入に関して様々な解釈があるということに目がいかないのでしょう。
ゆえに、
>>793 >親鸞聖人は「直入の信心ではない」そうです。という我々、真宗教学を学んだことが無いものでさえ、
「何その答え、答えになってないじゃない?」と思われるような回答になるのでは、と思われます。
S会の会員様におかれましては、親鸞聖人が三願転入について、どういう意図をもって仰られたのか
様々な説をご考察いただき、それらが誤りであると証明されるべきでありましょう。
そうでなければ、332さんへの回答となりえません。部外者ながら失礼お許し下さい。
332さんにおかれましては、非常にフラストレーションがたまることとお察しいたしますが、厳格に親鸞聖人の
仰ったことを引用してお答え頂きたくこれからもよろしくお願いいたします。(と会員さんになりかわりまして
お願いいたします)
(つづく)
拾った携帯を勝手に使って警察に捕まることが
19願の善だとs会は主張しているよ。
841 :
名無しさん@3周年:04/07/04 22:48 ID:XzleKp7T
8年前にS会のダミーに勧誘されたが、いまだに
正体を偽って勧誘しているんだね。
(正体分かって2ヶ月で辞めたけど)
進歩のない会だ。こんなものにすがっている人間がいるんだね。
怪鳥が亡くなったらどうるんんだろう?ボンボン息子を
担ぎ出すのか?
842 :
711:04/07/04 22:54 ID:kfB1MAkY
764さんへ
>>838 >だから、どう次元が違って、どう見えるんですか?
愚見をひとつばかり、横レスお許し下さい。
次元が違うというのは、他力・自力の違いだと思うのですが、
すなわち、あなたが信心決定をめざすもしくは得たと仰ることは、
本末転倒であると仰りたいのではないかと愚考いたします。
いくら罪悪感を深めてみても、自分の罪悪感を逃れることはできないのであって
それは相対的罪悪感であるわけです。たとえて言うならば、あなたに神戸で小学生を
殺害した方の罪悪感と同じ罪悪感を抱けますか?抱けるわけがない、何故ならあなたは
同じ思いを抱き、小学生を殺害するに至ったその人の思いを完璧に共有することなど
できないからです、わたしも同じ思いをいだけるわけがない。
しかし、仏陀というのは同体の慈悲で我々に接するのでしょう。その心を聞けと言っているのであります。
仏法聴聞に極まると言われるが、その耳は誰から頂いたものなのか、そこの所こそ
本当に聞くべきものでありましょう。
失礼いたしました。
843 :
711:04/07/04 23:04 ID:kfB1MAkY
>>842 332さんの的確なお答えをお待ち下さい。あきれておられるかも知れませんが・・・。
332さんへ
しばらく書き込みができないので、愚見極まる横レスになってしまいました。
私などが答えるよりか、どれほど正確なレス返されたことだろうかと恥ずかしく思います。
764さん、私の思いをどうかお汲み取り頂きますようお願い申し上げます。
聴聞だ。
846 :
名無しさん@3周年:04/07/05 00:12 ID:ztQ5XUeF
>764さん、私の思いをどうかお汲み取り頂きますようお願い申し上げます。
どんな思いを汲み取れというのでしょうね(^^;;。
>>だから、どう次元が違って、どう見えるんですか?
>愚見をひとつばかり、横レスお許し下さい。
>次元が違うというのは、他力・自力の違いだと思うのですが、
>すなわち、あなたが信心決定をめざすもしくは得たと仰ることは、
>本末転倒であると仰りたいのではないかと愚考いたします。
愚見と言われるだけあって、ピントがボケすげですね(^^;;。
自力他力の違いって、信前の罪悪観と機の深信の違いということで
質問の中に入っているのです。それは答えになっていません。
>同体の慈悲
ってどういう意味で使われていますか?それを説明してみてくださいな。
まあ、暫く見れないということだから、見てからで結構だけどね。
771さんへ:ご多忙のところお疲れ様です。
今後ともよろしくご教示ください。
丁寧なご配慮いただきありがとうございました。
332さん:いつもお疲れ様です。
なんだかs会の論客がたもネタ切れの様相を呈してきていますね。
私も少々(実はかなり)呆れています。
505さん、386さん、お暇な時で結構ですから質問に答えてくださいね。
なにせ親鸞会では「破邪顕正せざるものは仏弟子にあらず」の指導が徹底され
ているそうですから・・。
>>825 >505なんて信仰以前の輩だ、彼はいつどこで誰の聴聞をした事があるんだ。
前もどこかで申したと思うのですが、過去も現在も聴聞していますが、何か?
まあ、あなたがた親鸞会の狭い世界しかご存知ない方々からすれば、親鸞会教
学の批判は言語道断の法謗罪になるのでありましょうから、元会員が親鸞会教
学を批判することなど想像もできないでしょう。だからそのように邪推される
のも尤もなのですけどね・・。心中お察し申し上げます。
もちろん現在は親鸞会の聴聞はしていませんがね・・・。
>座学で学んだ学問だけで人を非難するとは滑稽すぎる。
まあ、座学でも挫学でも我学でも結構ですよ(笑)。
私は人を批判しているというよりは「親鸞会で教えられていること」が果たして
浄土真宗なのかそうでないか、について深い関心があって、会のかたがたのご意
見を拝聴しているのですが・・・。
いまだに親鸞会の教義が浄土真宗とは全く思えないから質問を繰り返しているのです。
>>825(続き)
>クローバーに書かれている善鸞義別に関する考察はあまりに低レベル(日本語、
古語の 理解が無茶すぎる)で、「豚もおだてりゃ木に登る」という類になって
しまっているな。
あの元s星人の考察が9割がた以上は最近の真宗学者がたの説を紹介したものな
のですけどね。だからもちろん殆どすべての解釈にわたって根拠はありますよ。
もちろん深く教学を学ばれたと思われる825さんが「低レベル」と断言された
ことについては、なかなか頼もしく思いました。
つまり825さんが諸学者がたの説に論駁してなぜ「あまりに低レベル(日本語、
古語の 理解が無茶すぎる)」と判断するに至ったかのご解説を、ここの掲示板か、
クローバーにて必ずやご披露いただけると判断したからです。
ただし825さん、もしそれをなす気がない、とか説明する気がない、とおっしゃ
るのでしたら、
>>833さんがおっしゃるように「単なる悪口、言いがかり」と解させ
ていただきますし、ここの掲示板をご覧の皆さんもそう思うことでしょう
(私も幾分否定しきれないのですが・・)。
なにせ親鸞会では「破邪顕正せざるものは仏弟子にあらず」の指導が徹底されている
そうですから(しつこい?)、もちろん825さんに限っては「低レベルすぎて話す気
にもなれん」なんて逃げの発言はされませんよね。
ご高説を心から楽しみにしています。
850 :
名無しさん@3周年:04/07/05 00:23 ID:9cvDpuBM
>>なんだかなあ・・・
>>議論で不利になったとか質問に答えられなくなると、批判者のネタらしきものを
>>なんでもいいから見つけ出してきて、悪口っすか?
阿呆らしい。ジャンヌの連中どもみたいに何もかも絶賛するのが
善でしょうか。たまには本当に事教えてあげるのが親切というものでしょう。
善悪の次元が違うよね(誰かの言葉だけどね(笑))。
>親鸞会の工作員子牛の王道を歩んでますなあ(w
>さすが善を勧める立派な団体は本願寺とちがいますなあ(ww。
被害妄想だね。
あんたもK会ですか?(これと同じです)(大笑)
>>847 謹んで訂正です。
誤:505さん、386さん、お暇な時で結構ですから質問に答えてくださいね。
正解:110さん、386さん、お暇な時で結構ですから質問に答えてくださいね。
852 :
名無しさん@3周年:04/07/05 00:48 ID:z+yuSJa1
童貞&処女のダミーサークル員って哀れだな。
853 :
名無しさん@3周年:04/07/05 00:48 ID:9cvDpuBM
>>848 はは、たった一人の賛成者の言葉で自分への批判を正当化するとはね(笑。
どの先生から今話しを聞いているか書いて下さいな。
あなたの信仰が分かるだろうから。
9割がた以上の最近の「真宗学者」の説??ね。じゃあ、学者(知識)選びに失敗
した訳ですか?ちなみにどの学者か紹介して下さい。書いてあったように思うが、
無名な人すぎて覚えてないものでね(^^;;
>825さんに限っては「低レベルすぎて話す気にもなれん」なんて逃げの発言は
>されませんよね。
ははは、そのうちクローバーに書いてあげるけど、しかしレベル低すぎてな〜、
お付き合いする気もしない程です。学問の自由もあそこまで行くと酷いものです。
どうしてもすぐ書けというなら、505さんさー、問題にしている文章をぶつ切りじゃな
くて全文アップしてくれますかね?そうすれば文字解釈に無理がある点指摘しますよ。
>>853 >はは、たった一人の賛成者の言葉で自分への批判を正当化するとはね(笑。
意味不明なのですが・・。
>ちなみにどの学者か紹介して下さい。
>どうしてもすぐ書けというなら、505さんさー、問題にしている文章を
ぶつ切りじゃな くて全文アップしてくれますかね?
場所を指定してくれればアップはたやすい事です。
ジャンヌがよければ一両日中にジャンヌに挙げましょうか?
他者の書き込んだ文章をネット上で批判したならば当然その「批判の根拠」を
述べる義務は生じてくると思いますから、是非すべてにわたっての正当な
論拠のご批判をお待ち申し上げましょう。楽しみです。
ただ、なんだか矛先そらしの意図にはまっている気もしないでもないですが・・。
あなたが110さんや386さんでないことを願っています。
>どの先生から今話しを聞いているか書いて下さいな。
あなたに申しあげる必要も義務は全く認めません。
そもそもこのスレッドは親鸞会について語る掲示板です。
私が関心があるのは
「親鸞会で教えられていることが果たして 浄土真宗なのかそうでないか」
の一点です。その一端として善鸞義別の件が会員さんや退会者さんのご参考
になればいいと思っています。
>無名な人すぎて覚えてないものでね(^^;;
ええ?本当ですか?
856 :
名無しさん@3周年:04/07/05 01:23 ID:ztQ5XUeF
>>どの先生から今話しを聞いているか書いて下さいな。
>
>あなたに申しあげる必要も義務は全く認めません。
じゃあ、私の書いたことがあっているわけでしょう。そう理解せざるをえないですがね。
>「親鸞会で教えられていることが果たして 浄土真宗なのかそうでないか」
自分の後生はどうなんでしょうか?
人の後生ばかり気にしていないで、自分の後生の心配をせよと言っているのです。
>>856 >自分の後生の心配をせよと言っているのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、どうもありがとうございますm(__)m。
では、825さん、ジャンヌで近日中にお待ちしております。
ご批判心から楽しみにしておりますね。
では、もう寝ます、おやすみなさい、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
s回では、われわれの本心(という確かめようの無いもの)が「善が出来る」と
うぬぼれているから(疑情?)救われない。
なので善と言うものにチャレンジして、それが悉く失敗に終わったという体験を
積み重ねることで、「善の出来ない自分」を知らされる(疑情が晴れる?)
という説らしいが、この辺なんか胡散臭いよね。
「無い」ことを確かめるには全ての行についてそれを確かめなければならない
というのは正しい理屈だけど
それゆえにs会は「どれだけやっても終わらない」構造に自ら入り込んでる気がする。
しかもやってる善と言えばこれまた中途半端なものばかり。
本心については「本当に本当?」という問いを繰り返せば幾らでも疑いをかけられるし
Tは実は自分と対等になってしまう信後の会員が現れることを望んでいないのではないか。
自らはどんなことを言っても許される立場に既に収まっているからね。
s会で信心欠場の話題がタブーなのもその人に自分と違うことを言われたら困るから。
s会で信心欠場したと声高に叫んだら間違いなく慰安人扱いされるでしょう。(上記の理屈によって)
859 :
名無しさん@3周年:04/07/05 01:31 ID:9cvDpuBM
ジャンヌでいいですよ。
元々批判して欲しくてアップしたんでしょうから、有り難いと思うべきでしょうね。
バカにされて怒るくらいなら最初からアップしなきゃいいんです。
あと、「ぶつ切り」と言っているのは原文の事なんですよ。
クローバーの再アップもいいんだけど、それだけじゃ手間がかかるのでね。
御消息の原文をアップして欲しいという事です。
>>844 でも実行はしてますがな。現に実行してポリに捕まってますがなw
不倫じゃポリも捕まえられませんな、M春センセイw
>>859 825さん、いやちび丸さんかな?違ってたらすみません。
おはようございます。
>ジャンヌでいいですよ。
了解しました。
>有り難いと思うべきでしょうね。
つきあっていただけるのはありがたいと思っていますよ。
これもご縁ですからね。
>バカにされて怒るくらいなら最初からアップしなきゃいいんです。
当たっていませんね。あのご消息についての指摘の数々は殆どすべて学者がたの
為した仕事であって私が為したものではありません。
要するに、あなたは真宗学者がたに対して
「日本語、 古語の 理解が無茶すぎる」
とご批判されておられるのと同じである、ということです。
ですから私は別に痛くも痒くもありません。
まあ恥かし乍ら、一部親鸞会に結び付けて考察している点のみが私の
オリジナルですが(苦笑)・・・。
真宗学者がたの古典理解に対して、それらを批判し、それとは異なる
新説を主張なされる、といわれる825さんのご高説をお待ち申し上
げます。一両日中にアップすることをお約束します。
>>858 >それゆえにs会は「どれだけやっても終わらない」構造に自ら入り込んで
る気がする。
>しかもやってる善と言えばこれまた中途半端なものばかり。
>本心については「本当に本当?」という問いを繰り返せば幾らでも疑いを
かけられるし
親鸞会教義の本質のなかの本質を鋭く的確に言い当てておられますね。
私のこれまでの批判はなんだったのか?と感服いたしました。
親鸞会のかたがたの反論を楽しみにしております。
>Tは実は自分と対等になってしまう信後の会員が現れることを望んで
いないのではないか。
賛同します。
このご意見は私もかねてからそのように思っていることです。
最近顕○新聞に獲信された、という女性会員さんが載っていました。
私は別にそれを否定する見解のものではありません。
ただ、その後会にて彼女がどういう立場になっていくのか、やや興味
あるところです。
ハンガリーに住んでるが、日本人は若く見られがちである。それをいいこと
に年齢を隠しているのに、先日ハンガリー人同僚(29才)が「ええええ!!あ
んた30ン歳なんだって!!ボクより年上!そうは見えない!!」とでかい声で
わめくので「50才くらいでコロッといっちゃうあんたたちと、100才まで生き
る日本人が同じに見えるわけないだろう」と言ったら妙に納得された。
864 :
名無しさん@3周年:04/07/05 08:33 ID:ugPbkgjg
当分、これだけでいいみたい。
332に「質問に答えてくれ」なんて言ってません。
言い訳したいならどうぞ。
そのうち「ネタがなくなったのか」って言い出すのがパターンです。
彼等にはこういう発言も「ネタ」でしかないわけです。
こういう連中と論議するのがいかに無駄かがおわかりになると思います。
>>671 > 例えば、『愚禿鈔』上の「一乗海釈」の「二機対」(十八対)の「直入回心対」。親鸞聖人は、漸教回心(三願転入)ではなくて、
「直入」をお勧めなのはあきらかですね。
>>705 > はあ? 「直入」に対している「(漸教)回心」は「三願転入」とは違うということですか?
「要門」「真門」は漸教ではないのですか? 「回心」とは、他宗旨などから心を翻して入ることでは
ないのですか? 「直入」とは、「直ちに入る」ですから「転入」とは対になる語だというのは、
高校生程度の日本語だと思いますが。「直入=三願転入」の根拠をお聖教の言葉で示してもらえ
ますでしょうか?
親鸞聖人は「直入の信心ではない」そうです。
865 :
ほえほえー:04/07/05 12:07 ID:c17vnSPV
>>839 >我々、真宗教学を学んだことが無いもの、
と自らおっしゃる711氏が
724氏の
>私自身は、今までに何度も繰り返し唱えさせていただいた、お念仏に対して、
執着心が自然に沸いてきているので、困っております。
という一求道者らしき告白に対して、
>私の愚見なのですが、お念仏を何かに至る方法と考えるから、執着心が沸いてくるのではない
かと思われるのですが、如何なものでしょうか。
とアドバイスまでしているのには笑えますね。
ただの学究の輩ならば、「真宗教学を学んだことが無いもの」として僭越も甚だしいし、
「真宗教学を学んだことが」あるならば、立場の詐称を自ら露呈していることになり、
その言説はまさに噴飯ものといわねばならない。
言葉巧みで、論理能力には自信がおありの711さん。
言い逃れはご自由にどうぞーぅ。
866 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/05 18:57 ID:2uMWqeO2
>>838 >疑情の話しばかりされていますが、そんな話しを聞いているのでは無いのですけどね。
>>764はもしかして真面目な問いかもと思ってレスしたのですが“案の定”ですか。711
さんの仰る通り呆れてレスする気力も失せてますが・・・。
「疑情の話ばかり」と言われる前段が“答え”なんですが。「自力の罪悪観」は、聖道自力門
においては、「悔過法」というきちんとした懺悔滅罪の「修行大系」があり諸法門があります。
われわれ在家ができるのは精々その“まねごと”に過ぎないでしょう。仮にそんな「自力修行」
が「できるとしても」、われわれの無始来の無明煩悩を破っていくには、無限の時間を要するわ
けです。そんな私に代わり、阿弥陀様が、わたしの無限の無明煩悩を打ち破る「大行」=「御名号」
=「仏心」=「二種深信」を既にわたしの為に完成くださっているにもかかわらず、“今”受領しな
いのが「仏智疑惑の罪」だということなんですが。まさに、
>>842で711さんが御教示くださってい
る通り、““方角違い””ということなんです。常に「本願海→私」「絶対界→相対界」のベクトルな
のです。
>だから、どう次元が違って、どう見えるんですか?
>それは勉強不足だと説明できないということでしょうか?
もうおわかりかと思いますが、私→彼岸のベクトルで「見える」とか「見え方が変わる」というのは、
「この次元のお話」ですね。「相対」から「絶対」に「成る」とか「変わる」というのは、「相対
の(仮の)絶対」です。「絶対」というのは「対を絶している」わけですからね。
それと仏書などに基づき、「教学的に」正確に説明するのは勉強不足では「できない」のは言うまでもない
でしょう。
867 :
名無しさん@3周年:04/07/05 19:57 ID:563VThAy
>>866 >聖道自力門 においては、「悔過法」というきちんとした懺悔滅罪の「修行大系」があり諸法門があります。
親鸞聖人は、これで「転入された」から「直入の信心ではない」というわけです。
祖師は聖道門のご出身であらせられるから。
868 :
名無しさん@3周年:04/07/05 20:19 ID:563VThAy
存覚上人も「ご出家だから云々」って昔言ってたなあ。
ということは蓮如上人もだよね。
真宗に「出家と在家の法の2つがある」ということだな。
332の言い分は。
だから「後世物語聞書は聖道門のため」という主張も出てくるわけだ。
真宗の御教えに聖道門がまじっているのかな。
869 :
名無しさん@3周年:04/07/05 22:15 ID:1Y+SJSST
親鸞会は真面目な宗教ですよね。
だんだん心配になってきました。
870 :
名無しさん@3周年:04/07/05 22:22 ID:6pQAvCGH
真面目な宗教というよりは、真面目な人ほどかかりやすい宗教と
いうことかな。そして、活動している本人たちはいたって真面目に
活動している人ばかり。上にいくほど、おかしくなるようだけど。
871 :
名無しさん@3周年:04/07/05 22:30 ID:z+yuSJa1
>>869 870
親鸞会はT森会長と、一部の取り巻きが良い思いをするための
集金組織だよ。会員の生活は財施、財施の嵐で疲弊しきってるん
だyo
真面目、真面目、真面目、三菱コルト。
S会には多い、三菱自製。
874 :
764:04/07/05 23:24 ID:9cvDpuBM
332さん、不真面目だと思えても、お答え頂かなきゃならんでしょうね。大事な事ですから、貴殿の書いてある事、私の先入観と貴殿の説明のややこしさの為でしょうか、何かしっくり分からないんですよ。
何度も言うようですが、お答え頂きたいのは信前の罪悪感と二種深信の機の深信の違いですよ。
>「疑情の話ばかり」と言われる前段が“答え”なんです
というからは、疑情の話しの中に答えがあるという事ですね。あのー、もしかしたら「仏智疑惑の罪」を罪悪深重(機の深信)と仰っておられますか?
>““方角違い””ということなんです。
>常に「本願海→私」「絶対界→相対界」のベクトルなのです。
ベクトルですか。それでは別な質問ですが求道の心がけとして罪悪感を問いつめる事は必要でしょうか?
875 :
名無しさん@3周年:04/07/05 23:26 ID:9cvDpuBM
(つづき)
そう言えば他のレスでこんな事言っておられましたね。
>「深信=仏心」はわたしは“体験できない”し、罪悪観が進んでも「己の機を知る」ことはできないのですが。真宗では「自力の信仰(罪悪観など)=妄念妄想」が進むことに意味ないですよ
これを読むと不要だというように読めますけどね。
>もうおわかりかと思いますが、私→彼岸のベクトルで「見える」とか(略)それと仏書などに基づき、「教学的に」正確に説明するのは勉強不足では「できない」のは言うまでもないでしょう。
高尚な説明でなく「お味わい」で書いて下さいな、それなら勉強不足は関係ないでしょう;。
876 :
332 ◆TZouJD.qQI :04/07/06 00:24 ID:+Ik6W1zG
>>874-875 >332さん、不真面目だと思えても、お答え頂かなきゃならんでしょうね。大事な事ですから
はあ? 何故ですか? 「不真面目だと思える」=「対話する意思なしと思える」ですよ。
>あのー、もしかしたら「仏智疑惑の罪」を罪悪深重(機の深信)と仰っておられますか?
「深信」=「仏心」=「御名号」=「大行」と言ってます。
>それでは別な質問ですが求道の心がけとして罪悪感を問いつめる事は必要でしょうか?
瓜生津和上(今のナーガールジュナ専門の先生ではなくて先代の)の御言葉に「真宗には、教義門・安心門
・行儀門があって、この分際を忘れると、自力と他力が混乱する。」(取意)というのがあるそうですが、
s会にもこの弊が感じられますね。「行儀(門)」というのは、信前後を問わず、仏前で合掌礼拝したり、
御聴聞したりといった「心がけ」ですね。「御懇志」などもそうですね。人間社会で御法をお聞かせいただく
以上、「この娑婆の論理では」必要な事柄ですが、決して仏教で言う「行」ではないので「功徳善根」になる
こともありません。われわれがやること考えることは、たとえ仏教にかこつけていても、万事「悪業煩悩」「
妄念妄想」を逃れられませんからね。「罪悪感を問い詰める」ことなど「自力の所作」は、「仏様の御前では」
“必要はありません”。「心がけ」として仏教に親しむご縁として、T先生が影響を受けられたと思われる伊藤
康善先生も、横田慶哉先生も「罪悪感を問い詰める」ことを大分勧められたようですが、それが因で「異安心」とされ
たりもされたわけですね。一つには、「罪悪感」と「機の深信」を混同されて慶ばれた方もいただろうということ。
二には頓成師の「信機自力説」の同類と誤解されたことがあったと想像されます。「内観」で知られる吉本伊信先生
も似た事情かもしれません。しかし、こうした「心がけ」も上記の「行儀門」の範疇で、しかも一機一縁と解するべき
で“必要な”「自力諸行」として勧めたり「教義」のなかに取り込むのは真宗としては違っているでしょう。
877 :
名無しさん@3周年:04/07/06 01:23 ID:NgMYTIkr
そうですか、332さん、あなたの信仰も充分分かりました。
もし自分が正しいと思っているならそれは大変な間違いですよ。
あなたはこれじゃ信仰の幼稚園だ。これじゃキリスト教の信仰とさほど変わらない。
人を批判など出来ようも無いです。
まあ、おいおい説明します。今日は遅くなったのでね。
110さん、こんな信仰の人を相手に法論なんかしなさるな。
時間の無駄というものです。
もうわかってると思うが、s会の三願転入解釈に難癖をつけても絶対に譲らないよ。
教義上云々という話ではなく、一歩でも譲ると会組織としての成り立たなくなるからな。
新興宗教にありがちな問題は、「組織の確立」のために必要な人材と財力の確保。
人材は例の手段で集めるとしても財が組織へ流れるシステムは作らないといけない。
そこで利用してるのが、三願転入の理論なんだよ。
つまり財施を十九願行に配当して、行を絶対化するんだ。経に十方衆生と説かれてある、
親鸞だって三願転入したんだから、自分たちもまずそこから始めるのが当然だ、ってな。
ただここで問題があって、信心を得るかどうかの段階ではもう十九願が超えてる状態に
なるということ。財施を強制できる理由がなくなるわけだ。だから廃悪修善が仏教ですと
しきりに主張して十九願行に配当していたはずの財施を信前後に関わらず続けさせるわけだ。
更にその理論の正当化するために「親鸞と同じ道を歩む」というのを持ち出す。
外からの批判に対してこれほど心強い自信はないだろうよ。俺たちはあいつらとは違うんだ、
っていう意識が嫌というほど身につくだろうからな。
おっと、こんなことを言うと財施は強制していません、とか言われるな。財施を勧めることは良いことです、だっけ?
879 :
386:04/07/06 11:15 ID:/L/HpNSj
「三願転入するしかない」というのは間違いだというのならば、
要は、
「三願転入以外の教えが浄土真宗の教えにあるのかないのか。
あるならば、その教えではどうすればどうなると教えているのか。」
332さんなりと505さんなりと、あるいは誰なりと、明らかに示せばいいのです。
こんな簡単なことをだれもやろうとしないのは、どうしてでしょう。
浄土真宗の教えはこうだと、万人に明らかにする絶好のチャンスではないですか。
祖師もお喜びになられるでしょうに。
880 :
名無しさん@3周年:04/07/06 12:43 ID:Y4sPVBmI
>>879 >「三願転入するしかない」というのは間違いだというのならば、
またまた親鸞会のネット対策員の悪い癖。
「三願転入するしかない」って何?
日本語として完結していないでしょう。
日本語の文法に沿って書き込まないと誰も意味がわからないよ。
?
882 :
名無しさん@3周年:04/07/06 13:09 ID:HauANtKq
三願転入は直入なのか、そうではないのか。
よく考えましょう。
883 :
名無しさん@3周年:04/07/06 20:24 ID:26usQqdy
「三願転入する」っていう言い方はあまりにも自力ではないか。
三願転入させられるのであって、決して私ががんばって三願転入するのではない。
だから、そもそも「三願転入するしかない」というのは間違い。
884 :
名無しさん@3周年:04/07/06 22:51 ID:+AlNCRvc
私も三願転入したいのですが、
親鸞会に入ればできるのですか?
885 :
名無しさん@3周年:04/07/06 23:09 ID:NgMYTIkr
>「三願転入以外の教えが浄土真宗の教えにあるのかないのか。
あるならば、その教えではどうすればどうなると教えているのか。」
332でも505でもないけどさー、
「御文章」読んでごらんよ。三願転入なんて言葉一言もないからさ。
高森さんももうろくしたよね〜。
>>885 そもそも平易な言葉で言いかえられていますからね。
887 :
名無しさん@3周年:04/07/07 00:26 ID:rG/eiZpZ
あの十九願も二十願も充分言葉として平易なんですがね。
そんな言葉もないでしょう。
888 :
名無しさん@3周年:04/07/07 00:37 ID:mbGjpUJq
親鸞会にいても財施が少ない貧乏人は救われません。
おっと、貧乏人かぎらず金持ちも救われないか・・・。
889 :
名無しさん@3周年:04/07/07 00:50 ID:rG/eiZpZ
>>878 うーん、少し歪んでいる感じもするけど、近い所かすっているかな。
結局、金集めの宗教に成り下がっているのが親鸞会でしょう。
890 :
名無しさん@3周年:04/07/07 02:12 ID:EgXWFHQ5
ここにいる人達は、一度は聴聞した事ある人達ですか?
漏れは聴聞したことがあり、聴聞しつづけている身だが・・・・・・・・・・・・
892 :
通行人:04/07/07 06:49 ID:5QBlBpkU
おまいら、まだ、何か言い合ってんの?
一念で救われると言ってるんだから、それで終了じゃん。
893 :
名無しさん@3周年:04/07/07 16:56 ID:tHizvNFX
「聴聞する」っていう言い方はあまりにも自力ではないか。
聴聞させられるのであって、決して私ががんばって聴聞するのではない。
だから、そもそも「聴聞するしかない」というのは間違い。
すべては「なさしめられる」わけですな。
894 :
名無しさん@3周年:04/07/07 18:34 ID:jwCILsJ6
>>883>>893 >「三願転入する」っていう言い方はあまりにも自力ではないか。
>「聴聞する」っていう言い方はあまりにも自力ではないか。
ちょっとこの「あまりにも自力」大好き名無しさん。
あのね、あまりにもも、なまりにももね、信前の人のやるこたー、みーんな自力なの。
何やっても自力からは一歩も出れないの。自力の多い行いとか、少ない行いとか、んなのないの。
2ちゃんにカキコしてんのもあんたが書いてんの。
他力に書かしめられてんじゃないの。分かる?
そう言えば、冨○徹って、元々子牛だったと記憶しているが、
今はどうしているのだ?ちなみに、6月の驚愕抗議の時は、
渋会員と同じシールと受講証を付けていたが。
詳細を知っている香具師いたら情報ギボン
896 :
名無しさん@3周年:04/07/07 22:28 ID:mbGjpUJq
親鸞会は金をむさぼるだけむさぼって
全体の1パーセントの会員さえ絶対の
幸福には導いてないんだね。
897 :
名無しさん@3周年:04/07/07 23:55 ID:5RAblQEP
世の中に仏法が広まるのであれば、
どの団体の誰が広めてくれても構わないよ。
898 :
名無しさん@3周年:04/07/08 00:01 ID:no8fgqQo
>>895 T田子牛?あの人は結構まともな人だったんだけどな・・・。
今はs辞めたから知らん。2〜3年前は関西方面の大学の担当やってた。
関西方面の学生部で問題が起きて、左遷されたって聞いたけど。
まだ、現役会員でがんばってる(?)んだね。元気でいてはるかな?
ていうか、今s会ってどうなってんの?相変わらずいかれた連中が発狂してんの?
詳細ギボンヌ。ちなみに、私はK玉とK谷とN村(健のほうね)は生理的に受付ませんでした。
なんであんなのが尊敬されてたのかわからんかった。
899 :
名無しさん@3周年:04/07/08 00:09 ID:D0qqvQd0
>>898 漏れも早稲田のダミーサークルにいたが、児Dと菊Tは
受け入れられなかった。児Dはなんかすごい偉そうだったし、
菊TはDQNだと思った。
900 :
名無しさん@3周年:04/07/08 00:49 ID:C9hqL5rw
>>899 >なんであんなのが尊敬されてたのかわからんかった。
それは、集金の実績で上にあがれるシステムとなっているから。
まあ、子牛はみんな信仰0点だからね。
人格、信仰は二の次さんの次。
通○行人とか、ここに書き込んでいるネット対策子牛みたら分かるだろ。
うそつきのほうがむしろ上に上がれるということ。
>>898 関西でって、何やったのでつか?
情報ギボンヌ。
そう言えば、驚愕抗議絶叫事件の時の担当子牛はどうなったのだろう。
あと、アルファベットのバッチってやっぱり階級?
>>897 池田でも、麻原でも、犬鉄でも良いということか?
906 :
898:04/07/08 23:04 ID:Z5FpZ5lr
ああ、ようやくあるべき親鸞会スレの姿になったな。
俺、親鸞会の活動を離れてだいぶたつけど、いまだにあの時のことがトラウマになってる。
今でも、しつこく会員から連絡くるしな。もういい加減あきらめろってんだ。全く。
こんだけ嫌われてるのに、まだしつこく連絡を取ろうとする神経が凄いな。
ストーカー規正法で訴えちゃおうかなw
>>899 それが普通の感性だと思う。K谷って誰が見てもDQNやん。まずsの子牛って目がいっちゃってるのが多いね。
とくに俺があげた御三方。まあ、俺はあまり会にどっぷりはまっていたわけでないので、
多く仔牛を知ってるわけではないけどね。
俺、かなり前のスレで書いたけど、K谷発言でどん引きした台詞があったので、書いておこう。
「破邪顕正のノルマとして、一年生は親御さんに先生の御著書を読んでもらう。
二年生は親御さんを地方の先生の御法話に参詣してもらう。三年生は富山の御法話に参詣してもらう。
で、四年生は親御さんに親鸞会に入会してもらう。夢広がるよね」
このせりふほざいたときのK谷の顔が異様にきもかったのを覚えている。
今でも忘れられないよ、あのきもい面は。20数年生きてきてあれだけきもいの後にも先にもないもん。
>>902 詳しくは知らない。あのときは俺はもう会の活動を離れていたので。
あくまでうわさ。
907 :
名無しさん@3周年:04/07/08 23:23 ID:gje5rv+c
>>906 ああ、ようやくあるべき898の姿になったな。
俺、898が引きこもりになってだいぶたつけど、いまだにあの時のことがトラウマになってる。
今でも、しつこく2ちゃんに書き込みしてるしな。もういい加減あきらめろってんだ。暇人。
こんだけ嫌われてるのに、まだしつこく書き込みをする神経が凄いな。
名誉毀損罪で訴えちゃおうかなw
それが普通の感性だと思う。898って誰が見てもDQNやん。まず898って目がたるんで頭悪そうだよね。
まあ、俺はあまり898に会っていたわけでないので、
多くを知ってるわけではないけどね。
俺、かなり前のスレで書いたけど、898発言でどん引きした台詞があったので、書いておこう。
>このせりふほざいたときのK谷の顔が異様にきもかったのを覚えている。
>今でも忘れられないよ、あのきもい面は。20数年生きてきてあれだけきもいの後にも先にもないもん。
全部自分の主観でまるで小学生の悪口、しかも「きもい」という言葉しか知らないんだね。
卒業も就職もできていないから語彙力やコミュニケーション能力に致命的な欠陥があるのはわかるけど、
今でも忘れられないよ、あの小学生以下の文章は。20数年生きてきてあれだけのバカは先にもないもん。
898がまだ引きこもっているって?
詳しくは知らない。898はもう会の活動を離れていたので。
あくまでうわさ。
908 :
前スレの898:04/07/08 23:45 ID:Z5FpZ5lr
909 :
通行人:04/07/09 00:05 ID:g4T5rr3F
>>900 子牛より喪前が一番信仰0だと思う。
それに、いまだに漏れが親鸞会の幹部子牛だとか何とか思ってる人いるんだな。
>>894 >2ちゃんにカキコしてんのもあんたが書いてんの。
>他力に書かしめられてんじゃないの。分かる?
おれは照育の光明に照らされているから2chに書いてるわけだけれどw
親鸞会的にはそうじゃないんだ。
911 :
通行人:04/07/09 00:13 ID:g4T5rr3F
910 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:04/07/09 00:05 v4JOC0A+
>>894 >2ちゃんにカキコしてんのもあんたが書いてんの。
>他力に書かしめられてんじゃないの。分かる?
おれは照育の光明に照らされているから2chに書いてるわけだけれどw
親鸞会的にはそうじゃないんだ。
「おれは照育の光明に照らされているから2chに書いてるわけだけれど」
「おれは照育の光明に照らされているから2chに書いてるわけだけれど」
「おれは照育の光明に照らされているから2chに書いてるわけだけれど」
(;´・ω・`)(´・ω・`;)
912 :
897:04/07/09 01:04 ID:zNuieFno
>>904 オウム真理教の麻原も、仏教の知識があるので、
仏法の免疫のなかった、当時の私も危うく騙されそうになったよ。
これから気軽に宗教を始めようとしている方は、
生活に必要なお金までも取られてしまうかもしれないので、
京都の本願寺に相談してからでも遅くないと思いますよ。
913 :
通行人:04/07/09 01:23 ID:g4T5rr3F
一応、布教師の免許(くだらん物だが)持ってる漏れが、一言言っておく。
「親鸞会を知っている人間が、本願寺に行く必要なし。」
西なんか、ロクなやついないぜ。
それこそ、息子様が金をどうやってたくさん門徒から取るかの話を笑いながらしてるぜ。
ただでさえ、親鸞会が俗っぽいとかいってるやつは、本願寺なんか行ったら、小便漏らしちまうことになるぜ。
本願は阿弥陀如来でも、運営は人間がやってるもん、ある程度は仕方ないところもあるが、
あれはひどい。俗そのもの。知ってる人は知ってるよ。
「ましてや、信心どころかまともに簡単な教義すら知ってるかどうか危うい」
行ってもいいけど、「ありがたい念仏称えましょう」とか言い出したら、即脱出をお勧めするね。
>>913 親鸞会は一括りにしても問題なさそうだが、本願寺を一括りにするのは粗雑すぎるな。
規模も寺院数も僧侶の数も違いすぎる。
俗物としか言いようのない真宗坊主がいるのは事実だろうが、そうでない者もまた多い。
そして、真宗寺院の聞法の集いに何度か出かければ、まともな布教使の言葉を聞くこともできるだろう。
対して高森氏のいい加減な発言や、ここでの会員の行動等を見ていると、
どうにも親鸞会には誠実さが上から下まで存在しないように感じてしまうね。
917 :
名無しさん@3周年:04/07/09 11:11 ID:GHEV7Y3f
918 :
通行人:04/07/09 14:27 ID:L602/AbV
>>914 あなた、事実の認識の度合いが低い。
本願寺にまともな理解をしている先生はおられない。
みんな誤解しているけど、元々高森先生は本願寺のドエライ先生で
あったことを理解してない。その唯一の先生を失った中身のないカスカスの寺になっているのが本願寺。
こんな言い方したくないですが、おそらく、高森先生クラスの先生はもう本願寺には
いない。というより、見たことない。
あの、本願寺の大先生であったはずの笠原でさえ、一回の念仏で救われる(??)とか
何とか言って(詳しくはしらない。知りたくないけど)大間違いしている。
ここの人たちでさえ、19願必要ないなどと、デタラメを述べているじゃないか。
しかもここの人たちは、別な本願寺先生に師事してデタラメ刷りこまされたらしい。
先生を誤ることは怖いことだと、と同時に嘆かわしくも思います。
もちろん、称名正因の異安心は論外だが、信前と信後の水際をはっきり述べられる先生は
まずいない。見たことない。いたら、実名で上げるべき。そう多くはないので、「あの先生だ」と
言えるはずです。
名古屋に京大卒の、厳密には布教師ではありませんが、有名な先生がいます。
どんな先生だろうと思ったことありますが、平気で称名正因の異安心を説いていましたので、
妙に脱力してしまったことがあります。
真宗寺院の聞法の集いに出かけても、下らん話しかしない。
はじめから、親鸞会に行ってれば、時間を無駄にせずに済みますよ。
選挙で投票しましょうね。
って、S会は反公明なんでしょうけど。
921 :
名無しさん@3周年:04/07/09 19:26 ID:D2ihRcjy
>>918 >元々高森先生は本願寺のドエライ先生で あったことを理解してない。
その唯一の先生を失った中身のないカスカスの寺になっているのが本願寺。
( ^,_ゝ^)プッ
922 :
通行人:04/07/09 19:39 ID:y/+Aw+IQ
923 :
名無しさん@3周年:04/07/09 19:42 ID:Hc4U601Z
>>914 > 俗物としか言いようのない真宗坊主がいるのは事実だろうが、そうでない者もまた多い。
そして、真宗寺院の聞法の集いに何度か出かければ、まともな布教使の言葉を聞くこともできるだろう。
具体的にどこの誰の説法がまともなことを説いているのか、
ぜひ教えていただきたい。行って説法を聞かせていただきたいと思います。
924 :
通行人:04/07/09 20:51 ID:8Ka3iNSx
>>923 知らないと思うよ。
というより、実際いないんだが、さも高森先生より優れた先生がいるかのように、嘘を言ってるだけ。
>>918 >本願寺にまともな理解をしている先生はおられない。
「真理は親鸞会のみにあり!」ですか…
それに、まともな理解って、なあ…弥陀のはたらきは不可思議だよ。
問題は、そのはたらきにまかせられているかどうか?でしょう。
>ここの人たちでさえ、19願必要ないなどと、デタラメを述べているじゃないか。
デタラメ…ねえ?
少なくとも聖人は、「十九願願が自力のはからいを捨てるために必要不可欠である」と文の上で断言してはいないね。
>>924 高森氏より優れた布教使がいるとかいないとか言ったわけじゃないよ?
高森氏については、いい加減な発言をしている、と書いただけだ。
「死後の世界が”実在”する」とか「幽霊は存在する」とか「天才が生まれるのは輪廻によってである」とかだね。
良い布教使の実名は、出すとその人に迷惑が掛かりそうだから控えておくよ。
しかし、誰であっても「仏願の生起本末」を話し、弥陀の救いに預かった喜び、味わいを語れる人ならそれで良しだ。
これができていれば、十分まともだと思うね。
…あと、いいかげん通行人なんて白々しいコテハンやめたら?
あなたも「真理は親鸞会のみにあり!」という世界に生きている人間にしか見えませんよ。
>>923 知らないと思うよ。
というより、S会には実際いないんだが、
さもT森先生が優れた先生であるかのように、嘘を言ってるだけ。
>>923 まずはネットで良いご法話を探したら!
「三願転入」とか、「財施」とか、「名号」とかで検索すると、ネットに
アップしているいろいろなお寺のご法話が出てくる。S会のも出てくるけどw
まず、自分で良くそれを読んでみたらどうよ。
927 :
通行人:04/07/10 02:30 ID:bxAeJlkI
>>926 浄土真宗聖典(注釈版)
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、
わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。
ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
現代語版
わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、
わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。
これ、どこがおかしいか分かるか?分からんようなら、あちこち手出さんと、素直にS会で聴聞しとき。
仏の教えを謗るもの=S改印
ということだけは分かるけどw
929 :
通行人:04/07/10 03:26 ID:bxAeJlkI
>>928 その程度の理解なら、種々雑多なところから、正しいもの選び取る力なし。
まして、ネットで探す力もなし。
はじめから、S会行きをお勧めする。
930 :
名無しさん@3周年:04/07/10 04:06 ID:eMPglJDg
>>929 通行人さん、
>高森氏については、いい加減な発言をしている、と書いただけだ。
「死後の世界が”実在”する」とか「幽霊は存在する」とか
「天才が生まれるのは輪廻によってである」とかだね。
これ、高森氏の代わりに弁明してみて。
931 :
名無しさん@3周年:04/07/10 07:57 ID:QLvmOcA1
>>925 > 良い布教使の実名は、出すとその人に迷惑が掛かりそうだから控えておくよ。
人には言えない程度のお話ということでんな。
べんめー
933 :
通行人:04/07/10 13:51 ID:0xztCKdL
めちゃいわんといてくれ。
どういう状況でいったのか知らんが、他人のこころが読めるわけでもないので、
弁明しようがない。他人の言ったことに責任も持てない。
ただ、高森さんが有無の見知らないのかな??知らないはずもないとは思うけど。
有無の見知ってることと、幽霊がいる、いないとは関係ない話なんだが、
まぁ、どういう話の流れで言われたんだろね。
ただ、死後の世界はあるよ。ないと言うのはおかしい。
幽霊もいるんじゃないかな。ただ、白装束は着てないと思うけどね。おそらく、意識の状態を保ってないと思うよ。
天才が生まれるのは、三世因果の道理そのものだと思うよ。
まぁ、無駄なこと考えすぎるのは、よくないことですね。
答えられないから無駄なこととして片付けようとしてるな。
>有無の見知ってることと、幽霊がいる、いないとは関係ない話なんだが
関係ないどころか一発で仏教から外れるよ。
935 :
名無しさん@3周年:04/07/10 23:23 ID:KpnYUj3B
>>934 関係ないどころか一発で仏教から外れるよ。
ほんとシロウトですんませんが、なんでなのでつか?
幽霊ってそもそもなんだ?自分に問うてみろ。
改印は幽霊のようなもの、そうでない時はやがてそうなるw
938 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 10:43 ID:56nLc/XK
オウム真理教と雰囲気が似ているとおもた。
北朝鮮とも似ているとおもた。
なんでおもたんだろう?
939 :
711:04/07/11 11:21 ID:GZQ9cKMf
皆様、お久しぶりです。仕事が土曜日までずれ込みまして
超遅レスになってしまいますが、お許し下さい。
まずは、ご返事まで
>>846 名無しさんへ
>同体の慈悲
>ってどういう意味で使われていますか?それを説明してみてくださいな。
>まあ、暫く見れないということだから、見てからで結構だけどね。
西田の著作の中によく出てくる言葉なのですが、真宗教学においては
どう言われるのかはわかりません。
たとえば、観音菩薩が蚤を救済するのに自らも蚤となって救済活動をする
が如く、絶対者が相対のものに堕して、全く同じ身の上となることと
考えます。地獄の猛火にあえぐ者がいるとするならば、全く同じ身の上と
なってまでも助けとげなければならないという意志を「同体の慈悲」と言う
のではないかと考えております。(つづく)
940 :
711:04/07/11 11:55 ID:GZQ9cKMf
>865 ほえほえさんへ
>>私の愚見なのですが、お念仏を何かに至る方法と考えるから、執着心が沸いてくるのではない
>>かと思われるのですが、如何なものでしょうか。
>とアドバイスまでしているのには笑えますね。
>ただの学究の輩ならば、「真宗教学を学んだことが無いもの」として僭越も甚だしいし、
>「真宗教学を学んだことが」あるならば、立場の詐称を自ら露呈していることになり、
>その言説はまさに噴飯ものといわねばならない。
全くそうですね。僭越も甚だしい事だと深く反省しております。
ただし、言い訳を申させていただくならば、私自身、前のスレッドでも紹介を
させていただいたように実家がお西のお寺であるということもあり、思い入れが
多少なりとも深いのではないかと考えます。
また、西田の著作には非常に多く親鸞聖人の著作の引用が見られ、
「絶対」「他力」ということについて考究せざるを得ないところがあり、
こうしてお邪魔をさせていただいているわけであります。(つづく)
941 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 12:20 ID:GZQ9cKMf
>>940つづき
S会のスレッドにお邪魔をさせていただいているうちに、「他力」「絶対」
ということについて、S会はいままでにないような全く異質な解釈をされて
いるように思われました。ここでお会いした元会員の505さんや332さんは、
私自身の考究に深みと反省を与えて下さったので、今後もご意見を頂きたく
思い、現在に至るという次第であります。
閑話休題 本論のつづきを夜にでも書かせて頂きたく存じます。
選挙に行って、少しサイクリングでもしてこようかと思っております。
それでは。
942 :
通行人:04/07/11 17:28 ID:pnIOL4fh
>>941 やめとけ。332=元S改印は私の質問に答えられなくて、逃げくさった奴ですから。
しかも、散々悪口はいてね。
943 :
通行人:04/07/11 17:32 ID:pnIOL4fh
S会じゃなくて、本願寺が異質な理解をしてるんだ。
私は、お西に属してることになってますが、
まぁ、ロクなやついない。他力と無力を混同してるやつしか見たことない。
944 :
通行人:04/07/11 17:33 ID:pnIOL4fh
今後100年いないに、
「無力の異安心」なんて言葉もはやるかもしれないね。
言葉は信心生因、行動は廃悪修善、これがs会。
廃悪修善の無い聴聞→信心へはつながらない
廃悪修善の行い聴聞→信心へつながる
よって信心への道は聴聞ではなく廃悪修善によって決まる。これがs会。
廃悪修善を行い聴聞、か。
>>603 キーワードは「選民意識」ではないだろうか?
「真理は我等のみにあり!」を標榜する者共がたいがい持つ例の意識。
物腰が、丁寧な場合でも敵愾心を剥き出の時でも、言葉の端々や表情に見え隠れするアレ。
真理に目覚めた我々から、真理に疎い愚民に教えを垂れているという態度。
親鸞聖人の態度もそうであったか?
S会はそうであったとしているようですな…。
949 :
948:04/07/11 19:17 ID:ckWZI3Eh
創価学会と結託する、自民党はさようなら!
聴聞。
>>939 教行信証には「同体の大悲」という言葉が使われているようです。
>諸仏は言行あひ違失したまはず。
>たとひ釈迦一切凡夫を指勧して、この一身を尽して専念専修して、
>捨命以後さだめてかの国に生るるといふは、すなはち十方の諸仏
>ことごとくみな同じく讃め、同じく勧め、同じく証したまふ。
>なにをもつてのゆゑに、同体の大悲のゆゑに。
>一仏の所化はすなはちこれ一切仏の化なり。
>一切仏の化はすなはちこれ一仏の所化なり。
真宗聖典 P219 段落4
>どうたいのだいひ【同体の大悲】同じ真如のさとりからおこった大悲ということ。
仏さまの心のことを「大悲」と言いますが、「同体の大悲」と言う場合もあります。
仏さまは、いつも私たちの苦しみをご自身の苦しみとして同感してくださっています。
衆生が悲しいときには、いっしょに悲しんでやろう、衆生がつらいときにも、
いっしょに苦しんでやろうとされるのが仏さまの「大悲」のお心です。
もちろん、衆生の喜びは、仏さまの喜びでもあります。
そして仏さまは、生きることに苦しみもがく衆生を何とかして救ってやりたいといつも思っておられます。
私たちの心に、常に寄り添っていてくださる仏さまの思いやりの心のことを、「同体の大悲」と言います。
http://www5.ocn.ne.jp/~gokuouji/tayori3.htm
>>944 今後、百年以内にT会長は死ぬだろう。
T会長の死後もS会は存続できるだろうか?
危ないんじゃないかな?
百年以内にS会が消滅する可能性が高いので、
その用語が広まる可能性も低いだろう。
自民党と結託する創価学会にサヨウナラしたいな、俺は。
民主、躍進確実に 自民は不振
自民党立候補者「私は聖教新聞を2部とっています!」
堂々と言うからね……
>>953 どうでもいいじゃん。俺たちも100年以内にいなくなるよ。
959 :
711:04/07/11 22:24 ID:GZQ9cKMf
皆様、こんばんわ。選挙行かれましたか?
これは私に対してのレスなのでしょうか?
>>942-943-944-945
通行人様へ
残念ながら、私の考究に影響を与えるようなご意見をS会(とみられる?)方々から頂戴
したことがございません。私の勝手な思いです、申し訳ございません。
信心への道は結構ですので、その信心とは如何なるものなのかご教示いただければ
幸いに存じます(できますれば「絶対の幸福」という言葉以外の言葉で
お願いいたしたく思います)。
さて、つづきを書きたいと思います。
>>822->>834-
>>835 「真の善行といふのは客観を主観に従へるのでもなく、又主観が客観に従ふのでもない。
主客相没し物我相忘れ天地唯一実在の活動あるのみなるに至つて、甫めて善行の極致
に達するのである。物が我を動かしたのでもよし、我が物を動かしたのでもよい。雪舟が
自然を描いたのでもよし、自然が雪舟を通して自己を描いたのでもよい。元来物と我と
区別あるのではない、客観世界は自己の反影といひ得る様に自己は客観世界の反影である。
我が見る世界を離れて我はない。天地同根万物一体である。」(「善の研究」)
風景を見て感動することがおありの方もおられると思います。私は今仕事で長野に
いるのですが、木曽の澄み切ったエメラルドグリーンの色をした水の流れを見たとき、
また、小林一茶の記念館から黒姫の山々を見たとき、言葉では言い表せない感動を
覚えました(語彙が豊富でないので詩的に表現することが出来かねます、申し訳ございま
せん。どうぞ長野にお越し下さい)。
(続く
雪舟【1420(応永二七年)〜1506(永正三年)】はいわずもがな、水墨画で知られる方で
960 :
711:04/07/11 22:33 ID:GZQ9cKMf
>>959つづき
ありますが、雪舟が山々を描いたとき、果たして雪舟が山々を描いたのか?
山々が、雪舟をしてその絵画を描かしめたのか?
(続く)
民主党って、立正佼成会に票を依頼したんだっけ?
963 :
711:04/07/11 22:52 ID:GZQ9cKMf
>>952 名無しさんへ
ありがとうございます。今、教行信証を読ませていただいているのですが、気づきませんでした。
引用された文章は、私の意図している「同体の慈悲」を指し示しているものとは違いますが、
>仏さまの心のことを「大悲」と言いますが、「同体の大悲」と言う場合もあります。
>仏さまは、いつも私たちの苦しみをご自身の苦しみとして同感してくださっています。
仏陀というのはかくあるべきであると同感いたします。
>>961 信者数の多さでは、本願寺派が一番なんだよな?
選挙での何か、すりよりがあったかな。
ないだろうなあ。
>>961 さっき日テレで、やってたね。そのこと。
立正佼成会の会合に、菅が出ていたこと。
創価学会を糾弾しながらも、巨大組織に頼らざるをえない政治家は、あわれ。
まあ、どうでもいいか。
>>964 つまり組織の強いところに、選挙応援の依頼がくるわけ。
本願寺の組織は、強いと思いますか?
>>957 小泉が、池田○作の写真を褒めてたよな。
票が欲しければ、何でも言うよ。
みなさん早く移動して爽やかに語ってくらさい
sage
975
976
さわやか〜
979 :
110:04/07/12 23:55 ID:MLYYEMUL
久しぶりに来てみると専用ブラウザが必要なくなってる…
>>651 >私のころはまだ大学のダミーサークルの名称も「歎異抄研究会」で、
>現在のように詐欺的手法も洗練して百花繚乱のダミーサークルが溢れか
>えっているような時代ではなかったですし、ネット対策で親鸞会批判
>サイトのダミーサイトを山とつくるような姑息な空気はなかったです
>からそういう疑問が起きるのも尤もかもしれませんね。
当然ですが私は教義の話をしています。それがそんなに察しづらいことでしたか。
やはり、あなたが誤解できないように書くことは極めて難しいようですね。
あなたの教義(もちろん本会で話されているところの)の理解が、無さすぎだと言っているのですよ。
まるで、聴聞に行ったことがないか、または行っても何も聞いていない人のように、です。
>>653 >以前もお尋ねしましたが、「横超の法門と横出の法門は別々でない」とする珍説のお聖教上の根拠を
>上げてください。あなたの主張は「自力と他力は別々のものとはいえない」といっているのと同じですよ。
連携しているのは19願、20願、18願のことです。
「19願によって救われようとする」横出と、「18願によって救われる」横超は別々です。
>真宗は凡夫直入ですよ。「難行の小路迷い易き」と教えられているのに親鸞会はどうして往生のた
>めにといって機教相応しない六度万行を勧めるのですか?332さんが
>>664で解説しておられるよ
>うに「善行」は「三業相応」しなければ善ではありません。
親鸞聖人は三願転入された、と言われています。その聖人が、直入された、と告白されている。
されば、直入とは、三願転入して救われた、ということであるとは明白です。
また、19願の対機は、十方衆生です。「善ができると思っている」全ての人に対して言われているのです。
微塵の善もできない、と知らされるのは信後ですから。
980 :
110:04/07/13 00:08 ID:Du+91zaL
上げてしまった。不覚。
>>653 >そうでないとあなた方が思われるのは「法門」に対する理解が無いか
>らです。証に対する信に対する行なのであって、「できないと知らされるために善を行じる」などという
>空観の欠落した教えは真宗ではありません。
その通りですね。そんな目的でやっていてはいけません。
やはり、三願をばらばらに考えると、訳が分かりませんね。
19願はひとえに専修(20願)に衆生を送り出し、20願は果遂(18願に入れさせる)の誓です。
聖人が御和讃でそのように仰る通り、三願は連携しているのですよ。
>>善に励めば励むほどご恩報謝になり、弥陀が喜ばれるのです。
>真宗において一番勧められる善は何ですか?根拠をもってお示しください。
聴聞に極まる、です。
>>一刻も早く信を獲るには、どうしたらよいのか。
>こういう考えをもって妙好人を訪ねられた同行がたは、どのように一喝された
>か思い出してみてください。
妙好人の伝承は、都合のいいように解釈されるので危険なのです。
その考えが起きるのは、宿善の厚い人なのです。
そういう気持ちの起きない、薄い人はどうしたらいいのですか?
あなたがたの説では、真宗の対機に非ず、で終了ですね。
厚くなるように、(一番は聴聞ですが)努めることが大事だ、ということですよ。
981 :
110:04/07/13 00:26 ID:Du+91zaL
>>654 今生除外云々の件
未来の救いに向かって、宿善が厚くなるように心がけることが間違いだ、とあなた方は主張しているのです。
それは当然、その宿善は宿善ではない、という主張になるのですよ。
今宿善が厚くなるよう心がけた人が、一年後救われたとすると、振り返ってその善を喜ぶのかどうか。
救いの障りになるのなら、獲信の因縁どころではありませんから、喜ばないでしょう。
獲信の因縁(宿善)になるから、喜ぶのです。
>「雑の言は、人、天、菩薩等、解行雑せるがゆえに雑といえり。本より往生の因種にあらず。回心
>回向の善なり、かるがゆえに浄土の雑行というなり。」
これは、雑行を説明された根拠です。
>信前の「宿善を求める心がけ」は「はからい」であって、「宿善を求める心がけ」による善行は雑行であり、
>「回心回向の善」であって、「往生の因種にあらず」と祖師は教えられています。
>ただ今の救いの妨げになります。
雑行をしていては救われない、という根拠ですね。全く的外れです。
最後の一文が浮いているのが分かりませんか。
宿善が厚くなるように、とは、当然、宿善開発に向かって、ということです。
そこまで進まなければ、助かりません。当然です。
その当然のことを示してくださったのですね。ありがとうございます。
本会の主張が、雑行をしていれば助かる、という主張だと思われているのでしたら、
ご自分の読解力を反省して下さい。
982 :
110:04/07/13 00:46 ID:Du+91zaL
>>655 >「諸行(諸善)を廃して」、「諸行(諸善)は機にあらず、時をうしなへり」と仰せです。
>真宗は自力のものに往生のために諸善を勧める「すっとぼけた教え」ではないのです。
なるほど、それで思わず諸善を止めてしまったんですね。
諸善で救われる人はいませんし、できる人がありません。ですから念仏をお釈迦様がお勧めに
なっておられる、というお言葉です。
そろそろ混同をやめましょう。
信心正因ですから、我々の諸善が往生の足しになるのは、間違いです。
往生の因は、信心一つなのです。
しかし、遠く宿縁を喜べ、と言われた宿縁は、聖人が言われている通り、
「獲信の因縁」なのです。
往生の足しになることと、獲信の因縁になることは別なのです。
我々は、今、因縁になるかどうかの話をしています。
しかしあなた方は、根拠を出されるのは結構ですが、
どうもそれを混同しているとしか思えない根拠を出してこられるのです。
983 :
110:04/07/13 01:11 ID:Du+91zaL
>>655 >私は「親鸞会の教えが浄土真宗であるかどうか」を検証しようとしているのです。
>「自力しかない者が、自力を原動力にする」教えがなぜ横超の法門であるのかをもう少し説明してください。
教えというよりも、信前は自力しかないのは事実です。
>>そして、我々にできることは、「行」だけです。
>これも特記すべき記憶に残る発言のひとつですね。
>「五濁悪時悪世界 濁悪邪見の衆生には弥陀の名号あたへてぞ 恒沙の諸仏すすめたる」(浄土和讃)
>末法五濁の衆生である我々に「行」ができる、とする真宗のお聖教上の根拠をあげてください。
これも、とは文脈もへったくれもありませんね。
ここで行といっているのは、行い、行為、の意味です。仰るとおり、業の意味ですね。
善行、修行、ではありません。
>>656 私1人が助かっていればいいと思っているのがあなた方の信心です。
これを我利我利根性といいます。
私だけでなく、1人でも多くの人に救われてもらいたい、という
自利利他の大乗の精神に乗っ取るならば、真宗の衰退を危惧して当然なのです。
仏教のイロハも分からないのでは、深遠な真宗の教えは分かるはずがありません。
>>564、何かと思ったら、あなたが議論のすり替えで出してきた主張じゃないですか。
何をそんなに堂々とされているのでしょうか?
無視だ、とは、あの文章を最後まで読んでいないことがよく分かります。
984 :
110:04/07/13 01:18 ID:Du+91zaL
>>657 >>それなら、どんな人や団体に対しても尊敬してかしずけばいいことになります。
>必ずしもそうはいえませんね。もうすこし頭を冷やして自分の頭で考えてみてください。
あなたが、日蓮を尊敬するようなことを言っているのが、親鸞聖人と同じだと
主張しているのなら、それは身の程を知らないことですよ、と言っているのです。
聖人が日蓮を誉めておられましたか?
島流しにした権力者を尊敬していましたか?
真実の仏法を謗る者を、誉めることがどうしてありえるのか。
仏敵を尊敬するのは悪いことである。
こんなことも分からない子供の無責任な放言でしょうが、報いは必ず来ますよ。
ダイバに対する聖人の認識は、それを超越したものであり、我々が真似できることではないのです。
その上で、ですが。(これは発展的な内容を含みます、よく考えてください)
あなたが日蓮には上人とかしずくのに、そして正当性を主張するのに、
私たちに対しては全く逆です。尊敬、畏敬の心は微塵も見えません。
どちらも、あなたから見れば、仏法を謗る輩です。
その使い分けはどうやって決まっているのですか?
答えは簡単ですね。あなたの都合です。気に入らない相手は尊敬しない。
全て尊敬するなら首尾一貫しているのですが。
985 :
110:04/07/13 01:38 ID:Du+91zaL
>>657 >虚仮の報謝・虚偽の報謝でも、報謝は報謝である、という思想ですか?イエスか、ノーか?お答えください。
>>根拠は、「信前でも感謝し、ご恩返しとして、万分の一にもならないが如来聖人の喜ばれることをさせていただく」
>ということが、事実ある、ということです。
>こういうのを根拠とはいいません。
事実は根拠にならないのですか。だから非現実的で事実に反する教義解釈がまかり通っているのですね。
>>657 >ジャンヌ派って誰のことですか??常々思いますが親鸞会のかたは、ラベリングが好きですよね。「本願寺」とか
>「ジャンヌ派」とか。本願寺の学僧がたの教義理解にしても東西で既に相違点はありますし、教義解釈は決して
>一様ではありませんが、親鸞会は「本願寺」と実体視していますね。「無我」説を学んだ仏教者の態度ではありま
>せん。「ジャンヌ」は、様々の立場のかたが親鸞会教義について議論される掲示板と認識しています。
自分はラベリングなんてしてない!という思いがあふれていますね。
若い人が多い2chではよくあることですが…。自分は特別、というのは無しにして下さい。
似たグループは一くくりに出来るのですよ。似ても似つかないのでは出来ませんが。
>在家のものが法施せよ、という教えは本来仏教にないわけですし、そもそも機教相応していないと真宗では
>教えられているのにかかわらず凡夫が「破邪顕正」などという本来聖道門の難行を往生行として実践すれば
>勝他という煩悩に囚われて悪業をつくる、といっているのです。あなたは「他人を説き伏せて親鸞会教に改宗
>させること」が法施になると思っているようですし、宿善になる、と理解しているようですが、私はそう見なして
>いない、そういうことです。
信前の法論は害が多い、という主張ならば、ある意味その通りです。
しかし、だからといって「法施にならない」とは絶対になりません。
人間の善は雑毒の善ですから、煩悩が入るのはいつでも同じことです。
「毒が混じったら雑毒の善にならない」とは、ならないのは当然です。
986 :
110:04/07/13 01:44 ID:Du+91zaL
>>658 >>その表現に違和感があるとは、謗法罪の恐ろしさを全く知らないのですね。
>というよりも、
あなたのことを言っているのです。あなたのことについて、レスを返してください。
>あなたは「謗法罪」は「わたし」に向かって説かれている、という視点が見事に全く欠如していて、
>謗法して五逆をするのは他者だ、と理解しているかのような発言が多すぎるからです。専任講師の陥りやす
>い弊でしょうね。在家の凡夫に対して「破邪顕正せよ」と勧めることがいかに弊害があるかを端的に示す好例
>といえるでしょう。
そういう視点は全く欠如していません。あなたが知らないだけ、です。
仏法を人に伝えたらいけないと思っている人には分からないでしょうが。
他人に説くまま、自分に跳ね返ってくるものです。やってみたらわかりますよ。
987 :
110:04/07/13 02:03 ID:Du+91zaL
>>659 自分も勝他と自覚しているなら、結構です。そういう旨を書きましたが。
読まれましたか?
>このあいだに門徒が爆発的に増えたのは、決して蓮師や門徒が「大衆を説き伏せて改宗させ」た成果ではなく、ひとつが
>「おふみ」による書簡伝道の成果、もうひとつは門徒・他流・他派が蓮如上人の徳に引かれて全国から吉崎に
>集まってきたことによる、というのはすでに定説です
概ね正しいでしょう。で、間違っているのはあなたの認識です。
説き伏せて改宗させた、とは一体なんですか?
私が言ったのは、御文を受け取った人が、自分だけではもったいないと、
口から口へ、胸から胸へ、その御文を読んで聞かせ、仏法を広めたのだ、ということです。
真実開顕イコール説き伏せて改宗させること、という認識は、極めて貧弱ですね。
>あなたの「内外廃立=自他共に徹底すべきこと」説のお聖教上の根拠が未だ挙がっていないようです
>が忘れずに挙げてください。特に「他」の部分について。
親鸞聖人のみ教えは自他共に徹底すべきことではないという主張をする人に
初めて会ったもので、対処法が分かりません。私の手に負えませんね。
>>人のことばかりで、自分を省みることがないあなたは、そもそもベクトルが存在しない。(中略) ベクトルがあるだけです。
>ベクトルは存在するのか、しないのか??意味不明です。
ネガティブで受動的なベクトルだけはありますよ。そういう意味です。
>>19願、20願に永久に留まるのなら、そういうこともありましょうが、 如来のお慈悲によって、 (以下略)
>・・・とあなたが思っておられる(思いたい)だけですね。
19願、20願は弥陀の願です。仏様の願には力があるのです。
それを認めないことがあなたの迷信の基幹のようですね。
988 :
110:04/07/13 02:18 ID:Du+91zaL
>>661 >「御同朋」、「御同行」、「四海の同朋皆兄弟」に日蓮上人は含まれるのですか?
>ダイバダッタ尊者は含まれますか?
私や、本会は含まれますか?
>>662 >で、どこの部分が浄土真宗なのですか?教えてください。
>全部、とおっしゃるのなら、私は「横超とは〜」のご文で反論いたしますが。
全部です。
化身土巻は真宗じゃないのですか。ご和讃は真宗じゃないのですか。
親鸞聖人のみ教えが真宗なのです。
>観経顕説が真宗という主張ですか?
顕義は方便であると解釈するのが真宗です。
方便は真実に導くためのものであり、方便なくして真実には絶対入れません。
989 :
110:04/07/13 02:38 ID:Du+91zaL
>>694 1)「信心正因、称名報恩」を親鸞会的には「信心正因、破邪顕正報恩」と
言い換えてもいいのですか?
駄目です。イコールではありませんし、仏語を我々が言い換えていいはずがありません。
2)祖師の「大行とは、無碍光如来の名を称するなり。」(行文類)の仰せ
は、親鸞会的には「大行とは、破邪顕正なり」 と言い換えても構わないと
いうことですか?
上に同じく。
3)横超の法門と横出の法門は同時に修行できるのですか?
19願の行人が18願に入るときは、19願を出るのですから、同時ということはありません。
4)「もし、この書を見聞せん者は、信順を因となし、疑謗を縁となし、
信楽を願力にあらわし、妙果を安養に あらわさん」(教行信証・後序)
質問:疑謗は宿善か否か?
宿善といっても、因と縁に分けて説明されることがあります。
疑謗は宿縁になります。謗ることが、そのまま縁となりますから。
990 :
名無しさん@3周年:04/07/13 03:45 ID:gSzjesii
10
991 :
名無しさん@3周年:04/07/13 03:47 ID:gSzjesii
9
992 :
名無しさん@3周年:04/07/13 03:47 ID:gSzjesii
8
993 :
名無しさん@3周年:04/07/13 03:48 ID:gSzjesii
7
昭和45年 島根県邑智郡石見町に生まれる
[石見町のホームページ]
http://www.web-sanin.co.jp/local/iwami かつてNHK特集「寺が消える」で過疎問題が報道されたのが舞台が邑智郡であった。交通の便も悪く、産業も無い。しかし、目の前に展開される石見町の自然の美しさは、人間の営みなど関係なく、変わらず存在している。
おやつなんていらない。学校帰りの道ばたに、野いちごやあけびなど無尽蔵に実をつけている。
猿が荒らす畑、猪が稲をなぎ倒す田んぼ、ひいじいさんはマムシに噛まれて死んだ。しかしそんな石見町が、私はとても大好きである。
さて、 なんでも我が家は、太田道灌を祖先とするらしい。
長州征伐で浜田の戦いに参加した太田多吉郎氏が残した古文書によると、
太田道灌の孫である太田道杉入道が、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍して帰国後、
先祖の菩提と弔うために各地を回り、この石見の地に住み着いたということらしい。
実家の近くには太田道杉入道の墓があると、亡くなった祖母から確かに教えられた。
真偽の程は、よく分からないが、太田道灌公が先祖とは、何とも光栄なことである。
いつも、東京国際フォーラムにある太田道灌銅像の前に立つと、
胸に込み上げてくるものがあるのだ。
絵心が芽生えたのはいつだったろう。保育園時代に日本地図を書く子供だと人気になったことがあるが、たぶん、そのころだったろう。
以来、小学生のころより学校の教科書はスケッチブックと化した。
特に分厚い国語の教科書は、パラパラまんがに最適だ。歴史の教科書などは、どの時代をめくっても、「太田帝国」が世界を統一していた。
将来は『マンガ家』を目指した。夢があった。
しかし「食べてゆけないよ」の先生の言葉で断念。でもそれは正しいと思う。
石見町立矢上小学校卒業
石見町立石見中学校卒業
特に中学時代はいたずらばかりして周囲を困らせた。
まともに勉強した記憶などない。
そして、島根県立矢上高校入学。
高校3年では生徒会長に。
その権限を利用して、生徒会は好きな女性で占めようとして怒られた。
受験勉強を早めに切り上げたいが為に、推薦入学を狙う。
冒険として名古屋大学理学部を受験。それがなぜか受かってしまった。
今でもなぜ受かったか、分からない。ここで石見町を離れ、名古屋へ。
農家生まれで米に不自由しない下宿生活。
おにぎり持参でおかずだけ学食で頼むのは自分だけだったか?
学食のおばちゃんに名前を覚えられたもんだ。 さすがに、持参のご飯にカレールーは掛けてもらえなかった。
理学部分子生物学科へ進む。
研究室では研究用ビデオでアニメを見ていて叱られた。
Macとの出会いはこのころだった。マウスでお絵書きして楽しんだものだ。
休憩所で米を炊いてねぐらとした。
ビーカーでオレンジ寒天を作って食べた。さすがに研究題材が「ビブリオ菌」なので、腹を壊さないのが不思議だったが。今から考えれば、ハチャメチャな大学生活だった。
この研究室時代、恩師・今栄教授が突然亡くなられた。人の死とは、こんなにもあっけないものかと、さすがに驚いた。諸行無常・老少不定の生業は、どうすることもできないのだ。
絵心再燃で、大学卒業後に美術専門学校へ行きたい旨相談した時、「いいじゃないか」と喜んで下さった教授。
こんな私を押し出してくださり、本当に感謝しております。
理学部分子生物学科へ進む。
研究室では研究用ビデオでアニメを見ていて叱られた。
Macとの出会いはこのころだった。マウスでお絵書きして楽しんだものだ。
休憩所で米を炊いてねぐらとした。
ビーカーでオレンジ寒天を作って食べた。さすがに研究題材が「ビブリオ菌」なので、腹を壊さないのが不思議だったが。今から考えれば、ハチャメチャな大学生活だった。
この研究室時代、恩師・今栄教授が突然亡くなられた。人の死とは、こんなにもあっけないものかと、さすがに驚いた。諸行無常・老少不定の生業は、どうすることもできないのだ。
絵心再燃で、大学卒業後に美術専門学校へ行きたい旨相談した時、「いいじゃないか」と喜んで下さった教授。
こんな私を押し出してくださり、本当に感謝しております。
1000 :
名無しさん@3周年:04/07/13 04:57 ID:z/EGJPGx
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。