1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 09:22:04
1:他人の説に便乗する
これは鈴木の評価を高めることとなった「騎馬突撃否定」も含めてそうだが、
あたかも鈴木がはじめて通説を批判をし始めたかのように喧伝しているが、
実際はそれまでに他の研究者が発表した説に便乗し、通説批判を繰り返している傾向がある。
特に鈴木が問題とする「天下人史観」なる「信長・秀吉・家康」を過剰評価する史観を否定する際、
鈴木は他の研究者の発表をそのまま引用して自説として発表するケースが多い。
2:レッテル張りが得意
鈴木の大きな特徴と言っていいが、
自説と異なる説を主張する人間に対し「徳川御用史観信者」といったようにレッテル張りをし、
必要以上に相手を貶めて、異説を否定しようとする。
鈴木への異説をきっちり分析した上での反論ならばまだマシだが、
「異論はこうこうこう考えている」と勝手に決め付けた上で、
「おめでたい愚か者」といった風にレッテル張りをし、
自分の説の優位を主張したがる。
3 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 09:23:51
3:史料を本当に分析しているのか?
鈴木はことあるごとに「一次史料をよく分析すべき」というが、
果たして本人がそれを行っているのかどうか。
戦国時代の合戦形態の分析についてはまだマシだが、
「天下人史観」を語る時に史料批判が酷くなる傾向がある。
例えば「徳川家康は豊臣秀吉の朝鮮出兵を煽った」と鈴木は主張するが、
実はこの主張の元となる史料は鈴木が「脚色が多い為信用できない」と散々語っていた、
あの小瀬甫庵が記した「甫庵太閤記」が史料となっている。
他にも「石田三成は加藤清正らに襲撃された際、家康屋敷に救いを求めた」と平然と記すが、
これも近年の研究発表では、徳富蘇峰が史料の誤読をして、自著の中で記しただけで、
他の史料の中では三成は伏見の自分の屋敷逃げた、と記されていた事が判明しているが、
「通説批判」を得意とする鈴木はこの七将襲撃事件についてはろくに調べていなかったこととなる。
4:好悪の感情で判断をする
上記の問題と通じるが、鈴木は自分の好悪の感情を元に研究の傾向を変える癖がある。
例えば鈴木が高評価をする石田三成についてだと、
「石田三成は家康とよく戦った。家康よりも才能ある人間である」と語るのだが、
その際に引用する史料や論文については無批判に採用している傾向がある。
それは先に徳富蘇峰の論文を無批判に採用していた事からもわかる。
一方で自分が嫌う家康については、
「彼は運だけで天下を取った。関ヶ原における策謀などは運だよりで、
あんなに頼りないものはない」
と切り捨て、家康が具体的にどういう行動を行っていたかろくに分析をしようとはしていない。
4 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 09:24:52
5:「運」で全てを結論付けようとする
これは家康論の時に特に顕著だが、
「勝負の行方などは最後は運」と切って捨ててしまう乱暴さがある。
この説を一貫して採用するならばまだいいのだが、
自分の気に入らない人間に対しては「運だけ」と酷評し、
そうでない人間については戦術・戦略などを高く評価する傾向がある。
少なくとも「通説を批判した歴史分析」を主張する人間にしては、
あまりに乱暴な考え方である。
6:4の補記
鈴木の好悪の感情による判断についてであるが、
自分が好む人間については高く評価し、決して批判を加えようとはしない。
5 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 09:25:52
7:鈴木史観に染まる人間の問題
これが最大の問題と思うのだが、
鈴木の著書を読んだ人間が鈴木の説を鵜呑みにして通説批判を激しく行う傾向がある。
鈴木の説を鵜呑みにするだけでは、
鈴木が批判する「通説信者」と変わりはないが、
この危険について鈴木はまるで察知していないようで、
相変わらず自説を強硬に主張するのみである。
6 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 11:35:07
7 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 11:37:45
116 :日本@名無史さん[sage]:2007/01/28(日) 15:35:19
「遠戦志向」の根拠は軍忠状だけど、そもそも軍忠状というのは基本的に生還者の負傷の原因は書かれているが、
戦死者の死因が書かれている例は少ない。負け戦で敗走した場合など尚更。
弓鉄砲で敵と距離をとって戦った場合と、槍刀で接近戦を戦った場合の負傷者は、どちらが生還率が高いだろうか?
当然距離をとって戦った方が後退しやすく、生還しやすい=軍忠状によって後世に負傷の原因が伝わりやすい。
よって軍忠状を分析した結果、弓鉄砲による負傷者が多いのは当たり前。
軍忠状の分析から戦国の戦いは遠戦志向だったと結論づけるのはあまりにも早計。
また、軍忠状の発給対象となる戦いは、城攻め、小競り合い、合戦と、多岐に亘る。
このようなものを一纏めにして分析しても意味がない。
はっきり言って鈴木の説は、「遠戦志向」について言えば、
滅茶苦茶な分析法による議論の価値もないレベルの主張。
8 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 12:37:34
9 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 13:54:41
933 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 04:52:16
スポチャンなんかを例に出すのもなんだが
イベントなんかの締めで15対15みたいな集団試合やると意外と槍は簡単にやられることが多い
一対一だと槍はかなり強くて二刀ぐらいしか互角に戦えないんだが集団だと小太刀で倒せることも珍しくない
前に気を取られている間に横や後ろに回られると槍はかなり鈍重
回り込まれたことに気がつくまではどの武器でも条件は同じはずなんだが
そっちに向き直る前にやられることが多いね
意識を向けなきゃいけない方向が2方向以上になると槍は攻撃も防御も逃げるにも全部がガタガタになる人が多い
長剣や二刀だと少なくとも囲まれないようにこまめに位置を変えることは出来る
スポチャンの集団戦は基本単なる乱戦で最後の一人になるまでやる生き残り戦なんだが
槍が残ることはめずらしい
乙!
あっちは藤本ネタも多くて鈴木に専念できないからやはりこちらにもあったほうがいいね。
テンプレというか既出の話題を貼るのに協力
118 :人間七七四年:2010/09/14(火) 18:23:07 ID:KwIWdJqS
鈴木氏が重視する軍忠状の類に騎馬武者の活躍が書かれてたりするからねえ。
しかも集団で戦っている。
『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、
・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、
・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
・一、結城よりとちきへ動之時、内より出申候所ニ、川島主税・たかや采女・我等同前ニ馬をかへし走廻申候、つれ合候衆太木信濃存候事、
『信長公記』PDF版
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_9.pdf 「家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為め、柵を付けさせられ」
「三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、
馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる」
馬上で戦ってる。
↓
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
刀で戦ってる。
↓
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)
・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
15 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 16:50:25
・日本刀こきおろし厨
日本刀は三人云々
血脂云々
折れる云々
槍が云々
弓鉄砲が云々
・騎馬否定厨
騎乗しての打ち物否定
ポニー云々
・その他
ってとこか
16 :
日本@名無史さん:2010/10/28(木) 10:09:35
リストにしてみると
鈴木信者って同じこと繰り返してるだけなんだな
戦死した場合、軍忠状では単に「討死」としか書いてない場合がほとんどだから
死因なんて明らかになるわけないんだよね。
ここまで綺麗に纏められるともう語ることがないね
19 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 00:51:43
ときたま釣られる真正鈴木信者or鈴木の名も知らないニワカがどういうわけか流れつかないと
盛り上がらんかもね
まあまったりでいけばいいんじゃない
20 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 12:44:06
むしろ歴史板みたいな論破されやすいとこから逃げて
アニメ板とか雑談とかで書き逃げする連中ばっかになったな
21 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 18:52:20
22 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 03:19:46
アイドル板に出現してた
23 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 01:04:20
書き逃げがある意味一番厄介
24 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 02:55:47
25 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 19:15:18
三人説とか司馬の創作みたいなもんじゃん
26 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 00:02:59
「脂まみれで豚肉を斬れても
人間は体温が高いから条件がちがう」
こんなあほなこといってるやつがいた
27 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 12:49:20
戦国板の日本刀スレにそれ書いたの俺だわ。見直してみるとそう誤解を招く書き方だな。
本来書きたかったのはむしろこっちの人が書いてくれた方が近い。
あほで申し訳ない。
530 :sage:2010/10/26(火) 07:42:00 ID:axdMBysm
むしろ温まってたら
余計に脂関係なくなるな
ただ、刀の役割は棒で十分ってヤツに対して『御家中武芸はしり廻り』を引用したり
日本刀擁護側だってのはわかってほしかったな。そういや、これも武道全集の七じゃなくて
八巻収録なんだよね。朝方書いたこととは言え間違いばかりだわ。
28 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 16:51:26
そんな日もあるさ
>>27 いや、
>>26の言うアホな奴はお前さんではなく、
>>529の人のことかと。。
529 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2010/10/26(火) 07:17:06 ID:gq/ZErBI
後半の↓は
>>527の人へのレス。
体温で温まっている状態だから豚の死体の脂や食材のラードを塗るのとは
当然違ってるわな。
30 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 23:10:50
>>29 いや、だからそれ書いたのがここにいるアホなのよw
多分、脂塗って試し斬りした人のことを脂で切れなくなったって主張してると
寝起き頭で自分勝手に解釈したんだと思う。気をつけます。
32 :
日本@名無史さん:2010/11/02(火) 01:08:13
お客さんが来ないかぎりは
各板で見かけた鈴木信者ヲチ報告スレって感じで進んでいくのかな
33 :
日本@名無史さん:2010/11/02(火) 15:41:51
まとめブログみたいなとこで暴れるっていう信者もいる
34 :
日本@名無史さん:2010/11/02(火) 18:43:26
35 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 06:41:02
人が集まるに従って鈴木信者側が次々論破されていくさまがよくわかるな…
>>34 後半ここに常駐してそうな奴らだらけになっててワロタww
37 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 16:14:52
というかここの前半にいる連中こそ鈴木の名前すら知らない人たちでしょう。
40 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 20:06:51
どこだろう?ひょっとして藤本氏と一緒のスレがあるのかもね。
41 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 20:15:43
42 :
日本@名無史さん:2010/11/04(木) 08:43:34
たまに俺の知らない資料がポンと書かれてたりしてあなどれんな
43 :
日本@名無史さん:2010/11/05(金) 09:15:50
岡山はじまっとるな
44 :
日本@名無史さん:2010/11/05(金) 17:21:47
45 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 03:46:46
まあ大人の背丈ぐらいあれば十分重いしデカイわな
46 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 07:20:29
ありがちな妄言
「日本刀って二三人切ったら脂ですぐ切れなくなるから達人は刀を何本も地面に刺しておくんだぜ(キリッ)」
血脂ごときで切れなくなるとかすぐ刃こぼれするから二三人で云々
したり顔で言うくせに
刀を地面に突き刺すこととかにはまるで疑問を挟まないんだよな
土に刺すとか錆が怖くて生理的に忌避すると思うんだが…
47 :
日本@名無史さん:2010/11/08(月) 04:20:04
13人の刺客でも気になった
48 :
日本@名無史さん:2010/11/09(火) 01:14:37
49 :
日本@名無史さん:2010/11/09(火) 03:25:23
50 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 17:30:20
すっかりおとなしくなったな
51 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 23:28:08
52 :
日本@名無史さん:2010/11/11(木) 01:32:14
鉄盾より木製だから日本の盾のほうが重いとか
意味不明なことを繰り返しており…
西洋でも大半の手盾は木製
ファルクスなどの両手剣で簡単に破壊されるようなものが主流
つうか片手で使うのにそんなに重く頑丈に出来るわけないじゃん
まあ掻盾はデカイし分厚いから重いのは事実なんだが
そのかわり強固だしそもそも置盾持ちは純戦闘員とは別だし
少ない知識と思い込みで書いた文章の見本だなw
奇説珍説がアイデンティティの人らしいので仕方がないが。
54 :
日本@名無史さん:2010/11/11(木) 12:41:50
珍説すぎる
55 :
日本@名無史さん:2010/11/11(木) 13:21:00
とりあえず読みにくい長文だなコレ
56 :
日本@名無史さん:2010/11/13(土) 05:29:53
51大人気
57 :
日本@名無史さん:2010/11/14(日) 12:48:24
>>46 疲弊した武士が刀を杖がわりにする演出とかも意味不明すぎる
58 :
日本@名無史さん:2010/11/15(月) 11:31:35
最初の三行で断念した
>>58 リンク貼った人間だけど別に全部読むことないよw
俺が最初見たときに味わったなんともいえない気持ちを
他人にもおすそ分けしたかっただけだからww
60 :
日本@名無史さん:2010/11/16(火) 11:48:55
はためいわくなw
61 :
日本@名無史さん:2010/11/16(火) 15:52:27
藤井の城郭研究の師である故鳥羽正雄博士の家に、
藤井は子どものころからよく遊びに行っていた。
そこで鳥羽博士から聞いた話がある。
鳥羽博士が、地方の山城の調査を頼まれて現地に行ったところ、
小型馬が用意されており、山の上へ馬で登って調査した、
と言うのである。
昭和30年代までは、山に登る道具として馬が認識されていたのである。
戦国時代の馬も同じだった。貴人は馬で山を登ったのだ。
山城は馬の存在があって始めて築城と運用が可能だったのである。
ttp://www.sengokushi.com/gote/b00200.html
62 :
日本@名無史さん:2010/11/20(土) 13:31:44
富士登山で馬いるよね?
63 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 02:35:33
はしのえみがのってた
64 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 02:57:16
定説や定評の逆を言えば通気取りになれる
知ったかのスクツ2ちゃんならではの鈴木ブームも下火になったよな
ゲームのスレで「日本の馬はポニーにしろ」ってヤツがいてワロタw
そのゲームはモンゴルが凄い強いゲームなのにあちらの馬がどういう馬なのか
何も知らないらしいww
66 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 17:24:48
>>65 そいつはまさに「ギャグで言っているのか?」を地で行くやつだな
ちゃんとモンゴルポニーについて教えてあげた?
68 :
日本@名無史さん:2010/11/22(月) 10:01:49
そういう書き逃げばっかだな
最近の鈴木信者は
69 :
日本@名無史さん:2010/11/22(月) 17:27:46
70 :
日本@名無史さん:2010/11/24(水) 04:44:25
木曽馬かわええ
71 :
日本@名無史さん:2010/11/24(水) 10:40:08
筋肉すげえな
72 :
日本@名無史さん:2010/11/24(水) 21:15:05
22:00からNHKで武田を放送する模様
実況に鈴木厨来るで
73 :
日本@名無史さん:2010/11/26(金) 01:50:26
鎌倉市材木座遺跡の発掘調査の結果によると
新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と推定されるもので
556体の遺骨と多数の馬骨が発掘された
軍馬は体高(馬の体高は肩までの高さを言う)109〜140cmの間であり平均129.5cm
江戸時代末期に書かれた「古今要覧稿」には
四尺(約121cm)=「世の常」
四社五寸(約136cm)=「中馬」
五尺(約152cm)=「大馬」
639 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:44:27 ID:CEb3VgHP
>>610 新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
75 :
日本@名無史さん:2010/11/26(金) 18:07:50
うまっこかわええよ
貴重な鈴木信者の生き残りを発見したのでこのまま観察を続ける
209 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/11/27(土) 16:32:31.97 ID:DRAuJoHQ0
>>189 昔の戦争の花形といえば騎馬隊だよな?
なぜ日本は騎馬隊が無いんだ?強いしカッコいいのに
231 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [sage] :2010/11/27(土) 16:38:58.82 ID:He6DzEjq0
>>209 答えはいくつかあるが次の理由に集約されると思われる
1.日本原産の馬は騎馬突撃に向く大きな品種ではなかった
2.アレクサンドロス大王やグスタフ・アドルフのような騎兵の革命的用兵家が現れなかった
3.そうこうしているうちに火器と長槍戦術が日本の戦場を支配するようになり、ますます騎兵の活躍の場がなくなった
モンゴルポニーやスウェーデンの装備品目録のことを教えてやりたいけど
ニュース系の鯖は規制されてるんだよな。
なんかお前らっぽいのがソース出せとか言いだした。
静かにヲチしてたいから自重してほしいんだけどなあ
今更
>>51を読んだがヤバイwwww
>「日軍来襲の図」は、悪鬼羅刹さながらの朝鮮征伐の際の日本兵を描いたものだが、
先頭の足軽はみな裸身で二刀を両手で手にもちあげ、飛来する矢をそれで叩き切って
進撃している。
見に行かないけどどうせ蒙古襲来絵詞の鎌倉武士弓騎兵ラッシュとか貼ってるんだろうなw
81 :
日本@名無史さん:2010/11/27(土) 19:53:30
ID:He6DzEjq0
痛いな
おそろしく痛い
確かに貴重
82 :
日本@名無史さん:2010/12/01(水) 02:56:18
いまだに三人切ったら
とかいってるバカ
いるんだよなぁ
もし本当にそうだったらそんなものをありがたがって輸入した中国涙目って話なのにねw
84 :
日本@名無史さん:2010/12/01(水) 12:58:17
欧陽修『日本刀歌』
邑夷造透不麦通 世借切玉破線労
宝刀近出日本国 負皮装貼香木報
越雫得治海東 黄白向森鶴軋
古金偉人好事手 侃服可以址妖凶
↑これって日本語約できるひといない?
その段階だとまだまだ宝刀扱いだな。
明の時代になるとこの名刀で蒙古の単于の首をぶった切ってやる、
とか一層勇ましくなるんだが。
日本刀歌 唐 順 之
有客贈我日本刀 魚鬚作?青糸練
重々碧海浮渡來 身上龍文雜藻行
悵然提刀起四顧 白日高々天冏々
毛髪凛冽生鶏皮 坐失炎蒸日方永
聞説倭責初鋳成 幾歳埋藏擲深井
日淘月煉火氣盡 一片凝水闘清冷
持此月中斫桂樹 顧兎應知避光景
倭夷塗刀用人血 至今斑點維能整
精霊長與刀相隨 清霄恍見夷鬼影
爾來韃靼頗驕黠 昨夜三關又聞警
錐能將此白龍沙 奔膽一斬單于頸
古來~物用有時 且向嚢中試韜韜
88 :
日本@名無史さん:2010/12/02(木) 02:08:47
錐能將此白龍沙 奔膽一斬單于頸
90 :
日本@名無史さん:2010/12/02(木) 15:38:07
91 :
日本@名無史さん:2010/12/02(木) 18:31:37
鎧武者のせるなら
上下動が少ないのは利点だね
92 :
日本@名無史さん:2010/12/07(火) 17:20:52
香ばしい子を発見したので晒し
287 :日本@名無史さん:2010/12/07(火) 12:17:25
>>286 まあ 朝鮮剣法が紀元なんだけどね
291 :日本@名無史さん:2010/12/07(火) 14:30:24
剣なんかなくても全然構わないのだが
槍が無いと戦さにならんよ。
93 :
日本@名無史さん:2010/12/07(火) 18:52:36
いってること
ころっとかわっとる
296 :日本@名無史さん:2010/12/07(火) 18:28:52
ルイス・フロイス「日本史」
・朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
・日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
297 :日本@名無史さん:2010/12/07(火) 19:22:58
嘘を書くなよ 日本人
95 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 16:31:35
かなりの逸材だw
薙刀も二、三人切ったら脂と刃こぼれで切れなくなるんですか?
薙刀も刃こぼれと脂のせいで三人で切れなくなります。
もし日本刀の限界が三人ならだけどね。
98 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 04:59:14
なるわけないやん
99 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 13:19:04
脂や血液が付着したまま刀を鞘に納めると、固まって抜けなくなるそうだ。
その話が歪曲されて、「二、三人切ったら脂で切れなくなる」とか、「血糊で切れなくなる」とかになったんだと思う。
百人斬り達成の為に三十〜五十本の日本刀を背負って大陸を駆ける日本兵萌えw
鉄砲はどうした?
でも最良の日本刀は外国製の鉄の輸入があった時代のもので
玉鋼以降のものは幾分落ちるらしいな。
現在、玉鋼以外の鉄で本当に優れた刀を作っても日本刀認定できない。
本末転倒で皮肉な話だ。
102 :
日本@名無史さん:2010/12/14(火) 02:39:46
103 :
日本@名無史さん:2010/12/15(水) 05:14:41
そこさっそくキモいのが沸いてて笑った
104 :
日本@名無史さん:2010/12/20(月) 14:57:32
テレ東で兜割
105 :
日本@名無史さん:2010/12/23(木) 23:11:26
よそスレからコピペ
うちの先祖も幕臣。戊辰であきたらず西南戦争にも行ったそうな。
口癖のように腰で斬れ、絞って斬れって言っていたそうだけど刀が折れるとか
すぐ斬れなくなるなんて話はまったく伝わってない。
気持ち悪いのは戦いの後は束の中(なかご?)の血が腐って臭くなるから交換しないと
耐えらえれないとか言う話。
106 :
日本@名無史さん:2010/12/24(金) 02:21:25
だって日本刀で4人くらいを殺しさらに二人くらいの腕を斬り落としたりした
通り魔事件があったじゃん。駅のアーケードで。
それに最近じゃ海外で日本刀を使った事件が多くて所有禁止しようとか言う動きが
海外で怒っているでしょ。強盗の腕斬り落とした大学生や母親の首を切り落とした俳優とか。
107 :
日本@名無史さん:2010/12/24(金) 04:30:42
宣教師フロンソ・サンチェス (スペイン国王への手紙より)
支那人は自国のおびただしい人口に自信を持っているものの、
スペインのわずかな鉄砲隊で、
何百万人もの支那人を滅ぼせるという事が理解できていない。
先年僅か13人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
3000人以上の支那人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはそこから脱出するや、
直ちに多数の支那人を殺してしまった。
支那人は彼らを一昼夜に渡り包囲しながらも攻撃を加えることができず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、
それに乗って逃げてしまった。
支那の征服は日本人の軍事力を利用してすべきである。
108 :
日本@名無史さん:2010/12/26(日) 03:14:58
戦後しばらくはやくざの抗争の主武器は日本刀だったんだよな。
やくざの本とか見ると抗争で腕や足斬り落とした話がいっぱいのっているよ。
でも折れたとか、すぐ斬れなくなるなんてほとんど書いていないぞ。
あと法医学の先生が殺傷力と言う点ではある意味日本刀のほうが銃器より高いって。
やくざとかの抗争の場合についての話だったけどね
109 :
日本@名無史さん:2010/12/26(日) 13:20:07
結局何が真実なんだ?
これは中国の研究者の文章だが、こうやって外国から模倣されるような武器が
三人で切れなくなるようなチャチなものだと考えられるかな?
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm >嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)この論断は歴史的事実と確かに一致している。
111 :
日本@名無史さん:2010/12/26(日) 23:23:09
3人で斬れなくなるってのが山本八郎=イザヤベンダサンが言い始めた。
彼は日本の伝統思想、右翼思想の否定のツールとしてその精神性権化の
日本刀を貶めた。
お飾りでほとんど使われない武器兵器が他国に使用製造が真似される事も無いだろうね。
113 :
日本@名無史さん:2010/12/31(金) 14:31:42
まったくだべ
最近かどうかは知らんがこういう印象操作をよく見るようになったな。
61 :名無しさん@十一周年:2011/01/04(火) 07:24:57 ID:OOvDYt2u0
>>29 基本的に平時の護身用武器って感じ。
刀=西部劇のガンマンとか警察官が持ってる拳銃
槍=戦争の時とかに使うライフル銃とか自動小銃
みたいに理解しておけばいいんでないかな。
拳銃で早撃ち競ったり、精密射撃できる技術がある人でも、
戦争になったら、そりゃあ自動小銃とか使うよね、ってなもん
江戸時代は基本的に無茶苦茶平和な時代が長く続いたんで、
槍とか弓とか銃とか持ち出す機会がなくて、
いつも身につけてる刀が唯一無二の
武器みたいな風になっていった、ってとこかな。
78 :名無しさん@十一周年:2011/01/07(金) 02:36:14 ID:6eh9sBdK0
戦場では役に立たんものは携帯しても無意味だというなら、なんで現代の軍隊、
将校は拳銃なんて無駄なもん携帯して、射撃練習もしているんだね。
あんなもん敵が機関銃持ってたらパチンコみたいなもんだぞ。
主力兵器じゃない、いざという時の最後の護身具(或いは自決用具)でしかないからこそ
芸術的で高価なものを作るのだ。
刀と槍にピストルと自動小銃あるいは機関銃ほどの差なんてあるはずないだろうがw
たとえなんて所詮たとえでしかないのに。
それに江戸時代の太平の世が刀を神聖化させたとか思い込んでるのも多いけど
戦国時代に来た宣教師がどの階層であれ刀を大事にしていると報告しているんだがねえ
115 :
日本@名無史さん:2011/01/11(火) 17:18:42
著作読んだら自己矛盾の山
116 :
日本@名無史さん:2011/01/15(土) 10:45:34
>>114 まだこのテのヤカラが生き残ってるのか
ほとほとあきれるね
>>116 彼らの大好きなアニメやマンガ、テレビの薀蓄番組などで紹介されないかぎり
その認識が改められることはないと思うわ。
118 :
日本@名無史さん:2011/01/16(日) 07:18:37
末古刀は実用性と生産性の両面に於いて完成の域に達してると思うんだ
121 :
日本@名無史さん:2011/01/17(月) 14:04:19
「切れ味至極良好にして、首、約4尺飛ぶ」
実戦体験の話でよく聞くけど
戦闘中首切るとえらい飛ぶって発言がおおいな
誇張かと思ってたけど実際飛ぶのかな
飛ぶというか、戦闘中はお互いに色々と動いているからでしょう。
切られた側は切られる直前まで回避行動等々様々な運動をしているでしょうから。
切られた拍子にそれまでの運動エネルギーが、切り離された軽い物をより大きく動かすといった感じではないでしょうか?
2,3人にしか切れない説に根拠はないよ。
しかし、日本刀が刃こぼれしたり折れやすいのは幕末の記録でも大体分かるでしょ。
近藤勇が池田屋事件の後に書き送った手紙にも刀が折れたという記述があるよ。
もっとも、近藤のはコテツだから刃こぼれひとつしなかったと自慢しているが、
それを自慢していること自体が日本刀の意外なもろさを示している。
もっとも、だからといってすぐ使い物にならなくなるとかそういう話じゃないが。
意外なというが、他国の刀剣類はそういう状況で刃こぼれしないのか?
するんじゃないの。
だから、刀剣類はメンテナンスが必須なわけで、
いくら斬っても何もないなら血脂さえふき取っておけば何もしなくていいじゃないか。
中国で日本刀が使われたと言っても、それは日本刀が中国の刀より優れていたことにはなるが、
それ以上のことは言えんでしょ。
真っ暗闇の中で2時間も切りあえば
いつの時代のどの刀剣類だってボロボロになって当然だと思うが。
あと近藤の刀も後年語ってるようにぼろぼろに刃こぼれしてる。
ただ鞘に納めるときにはいつも通りにすーっと入っただけ
結局、2時間も戦えばぼろぼろになる。
その範囲で日本刀はましな性能だったから使われただけ。
間違っても無敵の剣ではない。
ってこと。
一体誰が無敵の剣なんて言ってるんだ?
2,3人しか切れない説を否定する人の中には、
「いくらでも斬れる」と言い出す輩がいるから
少々刃こぼれしても戦闘可
131 :
日本@名無史さん:2011/01/20(木) 22:40:20
刃こぼれは当然。ただ折れるってのはめったにない。先祖が幕臣で五稜郭まで
戦ったそうだがそんな簡単に折れたら命いくつあっても足りんだろって言ってたそうな
132 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 05:42:04
>>129 実際切れ味が落ちようが
「いくらでも斬れる」ことに違いはないでしょ
完全に刃が止まったって最低でも「割ること」はできるよね
普通はそういうのも斬れるに含むでしょ
いちいち「いくらでも割れる」にいいかえなきゃダメなの?
133 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 16:20:08
>>129 無敵の剣ってフレーズがどこから出てきたのか聞いてるんだが。
>それを自慢していること自体が日本刀の意外なもろさを示している。
多分このへんに対して
「意外でも何でもねえよ、どんだけハードル高いんだ」
という突っ込みを入れたい気持ちから出たものと推測する
いくらでも斬れる=無敵の剣
136 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 18:38:44
切れ味が落ちでも切れることは切れる。
だから「いくらでも斬れる」ってこと?
包丁だとそういうのを「切れない」というんだよ。
切れ味が落ちて「切れない」包丁でも、そりゃ頑張れば切れるよ。
でも、非効率すぎて仕事になんない。
切れない刀で切りかかって相手が死ななかったらどうすんだい?
完全に刃が止まってしまって仕留められなかったらどうすんだい?
相手が死ぬまで刀で殴り続けるのか?
それはただの間抜けだろう。
そんな刀、役になたないよ。
そりゃ、その刀しか持っていないのなら仕方ないけど。
137 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 19:01:57
君はとりあえず日本語から勉強してね
138 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 22:13:07
ぬるぽ
139 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 22:39:45
切れないって、まったく切れなくなるとおもっているのw
不幸な話だけど大戦中に捕虜の首を12、3人程度連続して斬った人の
話があるけど確かに10人目あたりからは切れ味は落ちた感じがしたって
書いてたね。それでも一太刀で全部落ちたって。
ただ手に対する反発で切れ味が落ちたと感じたらしい。
途中刀が少し曲がったので足で直したとのこと
140 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 03:01:16
そもそも戦場に出ていくに当たっては敢えて多少刃を鈍くした言う事実があるわけだが
141 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 17:48:36
>>139 だから、ここでいう「切れない」は「全く切れないではない」の意味ではないと言っているんだが。
しかも、君の例はその話が本当だとしても「落ちた感じがした」と言う話なんだが。
ハードルの話が出たが、ここの人のハードルがよく分からんな。
・刀は刃こぼれする
・刀は曲がる
・刀は折れる
これらについてどう考えているの?
あと、2、3人説を否定する人が多いが、じゃぁどれぐらい斬れると考えているの?
142 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 22:48:16
誤:「全く切れないではない」の意味ではない
正:「全く切れない」の意味ではない
がっ
143 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 23:01:10
12,3人の首を落とせれば十分だろう。
144 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 15:55:18
123が涙目で喚き散らすスレと化したか
145 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 17:21:54
なんか刃こぼれを指摘されてから流れが変わったね
日本刀が実戦で何人切れるかは実はよく分からない、と正直に話した方が良いと思います。
実際誰にも分かっていないんだから。
146 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 17:33:39
で刃こぼれするのは日本刀だけなの?
すくなくとも日本刀は刃のありなしに関わらず
板金鎧をへこませたり貫通したりできるわけで(
>>8)
何度も何度も使用して行けばいずれは壊れるよねなんていう
世界中の刀剣すべてに当てはまるレベルの話して
「日本刀は切れなくなる(キリッ)包丁だとそういのは切れなくなるっていうんだよ(キリッ)」
こんなこと得意げに言ってどうすんの?
147 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 17:40:28
ロングソードが実戦で何人切れるかは実はよく分からない
苗刀が実戦で何人切れるかは実はよく分からない
サーベルが実戦で何人切れるかは実はよく分からない
148 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 18:25:38
>>146 124 :日本@名無史さん:2011/01/20(木) 10:19:02
意外なというが、他国の刀剣類はそういう状況で刃こぼれしないのか?
125 :日本@名無史さん:2011/01/20(木) 10:40:06
するんじゃないの。
だから、刀剣類はメンテナンスが必須なわけで、
頼むからこれぐらいは目を通せ、ループするだけだろ。
149 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 22:44:45
20年前に通り魔が日本刀で5人殺したじゃん。しかも腕おとされたりして
重傷の人もいた。これで十分ちゃう
鈴木の言うことなぞ信用しちゃあかんよ。
ただの野心家だから。
151 :
日本@名無史さん:2011/01/24(月) 08:20:24
「揮刀如~」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃を擁している場合でも勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れて逃げるため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」
刃こぼれしようがなにしようがこういう集団戦で決着付くまで斬りまくるぐらいのことには使えるんだから
充分「いつまでも斬れてる」だろ
終わった後メンテするのはどこの武器でも一緒
152 :
日本@名無史さん:2011/01/24(月) 09:38:03
>>151
それ、日本兵が明兵より強いって話で、
どこをどう解釈したら
「刃こぼれしようがなにしようがこういう集団戦で決着付くまで斬りまくるぐらいのことには使えるんだから」
って話になるの?
朝鮮の役で日本軍が明を圧倒したのは確かだからその根拠にはなるだろうけど。
日本刀ってメンテナンスしなかったらどうなるんだ?
154 :
日本@名無史さん:2011/01/25(火) 22:43:36
上田馬乃助は飲み屋で剣術師範二人と喧嘩して二人とも斬り殺した。
十分な殺傷能力だわ
155 :
日本@名無史さん:2011/01/26(水) 16:30:47
他のやつも言ってるけど、「3人切ったら…」の話は全部山本ベンダサン七平が戦時の軍刀について語った嘘が元になったものだぞ
「3人」というミームがほぼ全てのバージョンで残ってるから尾ひれが付いた話もすぐ嘘だと分かるもんだから
156 :
日本@名無史さん:2011/01/26(水) 18:51:55
「2、3人しか斬れないなんてありえない。5人は斬れる!」
という流れが黙認されつつあるが、誰か異議はないの?
「実際に試してみれば?」と言いたいところだが、何がどうなろうと一切責任は持てないのでw
158 :
日本@名無史さん:2011/01/26(水) 21:56:16
>>156 異議を唱えたいけどろくな根拠がないから他人任せかい?
159 :
日本@名無史さん:2011/01/26(水) 23:17:00
160 :
日本@名無史さん:2011/01/26(水) 23:17:09
>>158 誰も異議を唱えられるほどの根拠は持ち合わせていない、ということですね。よく分かります。
161 :
日本@名無史さん:2011/01/27(木) 02:20:26
柳生五郎右衛門
但馬入道の第四男-即ち宗矩の兄-に五郎右衛門と称する勇士があったが、
後伯書の国飯山城に客となっている頃、
上州横田内膳を助けて中村伯書守の多勢を引受けて勇戦し武名を響かしたが、
慶長八年十一月十五日城陥るに及び五郎右衛門は城より打って出て、
新陰流の古勢「逆風の太刀」をもって甲冑武者十八人を斬り伏せ遂に戦死したが、
伯州の民五郎右衛門の武勇に感じ社に祀ったということである。
>>139じゃないが十数人殺傷出来るほど連続使用に耐えるなら
充分過ぎるんじゃないの
メンテはどこの武器でもするもんだし
162 :
日本@名無史さん:2011/01/27(木) 23:06:29
鎧着ているものを斬るのと素肌、布衣装を斬るのはまるで違うよな。
それに相手も剣の覚えがあって互いにすさまじい打ちこみを剣どうしで
していれば刃こぼれもするだろう。
素肌でろくに剣の覚えもないようなら一度に10人でも斬れるんだろうね
163 :
日本@名無史さん:2011/01/29(土) 04:53:33
甲冑武者18人斬ってるじゃん
横田一族を支持する家臣は憤りを感じ飯山に立て篭もった。
宗章も一部側近の仕業に義憤を覚え、横田への恩義もあり加勢したのである。
一忠は隣国の堀尾吉晴の助勢を求めて鎮圧した。
宗章も吹雪の中で数本の刀を差して敵兵18名を切り倒すほどの奮戦振りを見せるが、
最後は刀折れて壮絶な戦死を遂げた。
これWikipediaの柳生五郎右衛門宗章の記述ね。
「数本の刀を差して」がポイントで、一本の刀でそこまで切ったわけじゃない。
甲冑武者相手だから折れたりすることも考えて数本差していったんだろう。
甲冑武者を相手にするときは股とか脇の下とか手首とか鎧のないところを切るんじゃなかったっけ?
しかし、実戦で必ずそこが斬れるわけではあるまい。
167 :
日本@名無史さん:2011/01/29(土) 22:29:45
『雑兵物語』
・脇差で片手切にすれば、具足の上は片手では切れないよつて
片手切りでは切れない。
168 :
日本@名無史さん:2011/01/29(土) 22:32:51
ついでにいうと槍も折れるものなので予備の槍やその代用手段として袋穂、あるいは長い刀を用意したり
棒術を習ったり、色々考えられていたようだね。ただ、棒術を習うくらいなら腰の刀や組討で戦えとあるな。
『武道初心集』
・小身なる武士は、不慮の変有之刻も、人多く召し連候義無之ゆゑ、鑓一本より外には、持する義
成らず候。もし其鑓折損じ候に於ては、持鑓に事を欠は定り事に候。去るに依て、兼て袋鑓の身を支度仕り、
柄には竹を仕すげ候てなり共、当用の間に合せ候心掛尤に候。且又、少々疵有之候ても、作り丈夫 にして、
寸の延たる刀を用意して、下人共にささせ、
『御家中武芸はしり廻り』
・一 棒術の事、 棒術は勿論武術にあらず。然を弓弦きれて棒と成、鑓・矛折て棒と成ば、士として是
を嗜まんは あるべからずとて教を立る輩もあれども、用るに足らず。もし弦切れ、矛折たる時は
腰物を抜て向ふが、猶、速成は 組討をする意也。武士たるものは棒にて一つ二つ折れ(打たれ)たりとて
死べきものに非ず。 当の敵は必ず仕留むべし。
169 :
日本@名無史さん:2011/01/29(土) 22:35:02
キリシタン青年がよく武装した甲冑武者を一刀に切り殺した。
「一五六六年十月二十日付、イルマン・ルイス・ダルメイダが志岐島より耶蘇会のイルマン等に贈りし書翰」
・二十五歳の青年のキリシタン諸人に先登し、謀反人の側より一人よく武装して出でたる者と戦ひ、シストXisto(青年はかくのごとく称せり)
一刀に彼を切殺し、敵の進み来たりし前その甲冑を奪ひ取りたり。
雑兵物語ではなまくら刀で真っ向から切りかかると曲がるとあるところが有名だが、
刀が使えないなんて書いてないよ。
・数珠(数珠)打飼と三尺手拭とを以、何とぞ背中へうつかけて、腰の刀を以働べいぞ。
・刀を抜て敵の手足をねらつて切りめされい。
・刀でも脇差でも、勝手次第にひん抜て、手かあしをねらつて切れよ。
>>167 当たり前じゃねえか。「片手切」「脇差」「鎧の上から」これだけ悪条件が重なったら、榊原健吉だって無理だ。
172 :
日本@名無史さん:2011/01/30(日) 09:31:05
具足の上も両手切りならば榊原どころか雑兵物語の足軽たちでさえ可能なのかもね。
「2、3人しか斬れないなんてありえない。5人は斬れる!」 でFA?
>>173 「切り方によるし、刀にもよるし、使い手にもよる」でFAじゃね?
下手くそが使ったら、まともに切れないか、変な使い方して刃を痛める。
一方、達人が「三寸切れば人は死ぬのだ」で急所だけ切っていけば切り続けられるだろう。
175 :
日本@名無史さん:2011/01/30(日) 21:04:15
どちらが何を主張したいのか詰めてから議論しろよお前ら
176 :
日本@名無史さん:2011/01/30(日) 22:44:09
とにかく絞ること、腰で斬ること。絞れていらば乱戦でも刃が{立って}斬れる。
腰で斬らないと戦では憑かれてしまう、腕力で振ってもだめだ。
以上幕臣で北海道まで戦って牢獄ぶち込まれてた先祖のじいちゃんの我が家に伝わる
言い伝えでした
疲れといえば、日本刀みたいな丁度いい大きさの両手剣って片手剣に比べると
疲れにくいという利点もあるんじゃないかな?
178 :
日本@名無史さん:2011/01/31(月) 09:58:34
「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
↑すくなくとも着たら動けないぐらい重装備の全身鎧
じゃないと防げないぐらいには鎧にも有効だったみたいだね
179 :
日本@名無史さん:2011/01/31(月) 10:38:39
少なくとも朝鮮の一般的な鎧ではダメってことだね。
>>174 何の脈絡もなく持ち出した話をFA扱いするのはちょっと・・・
誰もそんな議論はしてないと思うぞ
とりあえず、鈴木眞哉や山本七平を批判している人にかぎって、
自らもまた強引な解釈、拡大解釈を連発していることは分かった。
ほう、なかなか面白そうですね。
具体的にはどういうことでしょうか?
うん、興味あるね。具体的な話なら。
消えたか。
では、具体的な話をすればいいだけなのに。
で、結局「「2、3人しか斬れないなんてありえない。5人は斬れる!」 でFAなのか?
皆、黙認しているみたいだが。
ちなみにこの5人斬れるは20年前の事件がネタ元。
>>149 他はまともな例が挙がっていない・・・
否定をするのにも肯定をするのにも資料的な裏づけが無いものはなんとも言えない。
187 :
日本@名無史さん:2011/02/05(土) 23:28:55
斬れるって、その基準が問題じゃない。
ある程度刃こぼれしようが骨のない腹なんて20人でも切れるだろうし
袈裟での頸動脈も同じ。
通り魔の事件はみんな腕や足を落とされていたから骨切断は5人でも大丈夫みたいだなあ
188 :
日本@名無史さん:2011/02/06(日) 16:02:22
エコカーでも省エネを謳った家電製品でもカタログの数値と実測値がかけ離れていることがまま多いが、
腹を切れば〜、頚動脈を切れば〜は喩えるとまさにカタログスペックだろ。
実戦で「達人が頚動脈ばかり切れば何人でも斬れる!」と言うのは
「ゴルゴ13が撃てば100発100中!」と言っているのに等しいと思うが。
189 :
日本@名無史さん:2011/02/06(日) 17:21:55
>>165 愚直にそういうことをやってたら、
カブトの上からぶん殴られて、
脳震盪起こしたところを組み伏せられて終わりだね。
いい加減ブジツの能書き信じるのやめなよ。
現実で型どおりに行くわけないじゃん。
「日本刀が実戦で何人斬れるかは実はよく分からない」がFAなのか?
>>189 それだと逆に「何のために兜被ってるんだ」って話にならんか?
大河ドラマみたいに鎧着てても切り伏せられるってことになる。
まともな兜の上から叩き切られて脳震盪、ってのもかなりレアケースと考えるべきじゃないか。
それはそうとして、合戦場で実際に一人で何人殺してたか、ってことを考えるべきじゃないか?
首を2、3個あげれば大手柄なんだから、逆に言うときちんと止めを刺すまで殺す人数は5人以下。
2,3人殺せれば十分だろう。
192 :
日本@名無史さん:2011/02/06(日) 22:49:11
合戦じゃ相手よろいきているんだよ。それで2,3人なら素肌相手なら
10倍以上斬れるんだろうな
中世から20世紀前半までの約千年間(変化はあったが基本的な形は同じまま)
実戦で使用された武器兵器、でいいじゃないか。
194 :
日本@名無史さん:2011/02/08(火) 17:38:52
『鉄砲を捨てた日本人』
・一五六○年代のこと、イエズス会の神父が、好戦的なことこの上もない石山本願寺を訪れたことがあった。
神父は本願寺の僧はすべて刀をもっているものと予想はしていた。だが刀自体が恐ろしい武器だとは思って
いなかった。ところがその同じ神父が、「鋭利なナイフでやわらかい肉を切るのがさしも容易なごとくに」日本刀で
鎧を切り通すことができた、と報告する破目となった。
鎧は過信しないほうがよさそうだな。まあ、鎧にもそれぞれグレードがあるし。
195 :
日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:06:03
つか雑兵のよろいなんてショボいもんだろ常識的に考えて
陣笠に胴丸、それに手甲や脛当てがあればいい方?
・刀を抜て敵の手足をねらつて切りめされい。
・刀でも脇差でも、勝手次第にひん抜て、手かあしをねらつて切れよ。
つまり手足狙いでOKってことだね。
198 :
日本@名無史さん:2011/02/09(水) 02:25:37
しょぼい鎧たって素肌、通常の着物よりははるかに防御効果あったろ。
魚の上にタオル置くだけで切れ方ちがうやんけ
介者剣法
200 :
日本@名無史さん:2011/02/11(金) 05:59:26
まあ
>>8の通りだからなぁ
何人殺傷出来るもんかは知らんが
西洋剣よりは数稼げそうではあるな
201 :
日本@名無史さん:2011/02/12(土) 00:06:22
だって幕末に日本に来た外国人の記述があるじゃん。
剃刀のように鋭利な刃物を自在に使う、って言って恐怖の的だったみたいだし。
だいたい感状などの史料上では豪勇の士といわれるものでも
首一個二個を争ってる状態で
日本刀で何人切れたかでといわれても史料上では検証不能なんじゃないか
実戦から離れれば山田浅右衛門の試し切りで一太刀で六つ胴落としとか
戦時中の処刑の10数人切りとか生身ならいくらでも切れると考察できるが
203 :
日本@名無史さん:2011/02/12(土) 23:37:53
お互い侍だろ、そりゃ簡単に殺せないし刃も痛むだろ。
一流のボクサー同士だとKOあまりないけど素人相手ならいくらでもノックアウトできる。
柔道のトップ同士もなかなか投げ決まらないけど素人なら簡単。
剣も素人相手ならスカスカ刃を傷めたり曲げることなく切れるでしょ
204 :
日本@名無史さん:2011/02/13(日) 06:10:24
日本人の勇猛さには疑問の余地が無い。
自ら軍事国家と呼んでいるくらいで、幼少の頃から戦争道具を生きる道に選び、
刀と弓、この国固有の二つの武器の使用法を教えられる
日本刀を完璧に扱える日本人は、刀を抜いたその動作から一気に斬りつけ、
相手がその動きを一瞬の間に気づいて避けない限り、敵の頭を二つに両断することができると言われている。
当然のことながらこの武器は極度に危険な物と見なされ、
刀を抜きそうな素振りを見せた時にはその場で直ちにそのサムライを殺しても正当防衛と認められる。
一瞬でもためらえば、自分の方が犠牲になるのは明白だからである
「日本素描」 エドゥアルド・スエンソン
205 :
日本@名無史さん:2011/02/13(日) 21:44:07
安倍晋三は腐臭。
206 :
日本@名無史さん:2011/02/16(水) 13:17:52
>>203 あのねー、言っていることは正しいが、そもそもね
一流ボクサーとボクシングする素人がどこにいるの?
トップの柔道選手と柔道する素人がどこにいるの??
そういう状況なら逃げるなり、武器を持つなり、ものを投げつけるなり
複数いたら皆で飛びかかって押さえつけるでしょ?
素人だから剣で斬られ易いように棒立ちしているわけじゃないでしょ。
死体の試し切りも捕虜の試し切りも相手が動かないことを前提にしているんだから、
動く相手は全然別でしょう。
なぜ漫画の画像を?
素人がありあわせの武器を持っても不利だよ。杖は定寸の刀より長いが
熟練者が立ち会ってみても刀に対して不利との結果。
http://blog.iai-mugairyu.com/?eid=805055 太刀持ちを五段のYさんとY師範で、杖側は二段から五段までが入れ替わりで
立ち会ったが、ほとんどは予想通り太刀の勝ち。
バッサリと言うことはないまでも、どこか斬られて降参と
なってしまった。特に杖が先に動くとほとんど勝てない。
杖がいかに”後の先”ということを実感した稽古だった。
杖側が相当腕が上でなければ難しい。
210 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 00:06:29
基本的に戦いはリーチが長いほうが勝つ
江戸時代300年は武器携帯が原則禁止だった
その江戸時代に帯刀が許されていたのは、刀の戦闘能力がずば抜けて低いから
刀が実用武器として通用したのは、幕末の10年間だけだ
戦争をしなくなった武士は刀だけ磨いてたから、幕末はとにかく刀を使うのが流行った
今の日本に残る刀への信仰は、江戸時代の平和が生み出した妄想上の名残
倭寇相手にがんばった少林寺の棒術使いの坊さんがいたはずだが、相当な腕前だったってことかな。
212 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 00:18:35
なんでその戦闘力の低い刀を中国や韓国は恐れまくったんだろうねぇ、坊やw
>>210 お前みたいなバカを啓蒙するために
>>209貼ってやったのにね。
自分好みの結論じゃないから受け入れられないってかwww
>>211 そういうときはソース貼らないとね。
で、リーチが長いほうが勝つ?
九尺、一丈程度の槍では三尺二、三寸の刀とも相討ちの危険があるとのことですよww
『武具要説』
鑓之事
一 横田備中守申分
・長刀など持たる敵を九尺一丈の鑓にて突事は。相打に罷成候。三尺二三寸の刀にても
相打になり候。
215 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 10:31:35
「リーチ」
この一言に尽きる
剣が勝つには相手の懐にもぐりこむしかない
しかし、その「懐にもぐりこむ」のが一番難しい
力量が3倍必要といわれてるのは、懐にもぐりこむためにはそれぐらいの実力差がないと無理ということ
仲間がいれば相手の隙を作り出すことも出来るが、
タイマンならなおさら相手以外に注意を払う必要がないので
懐にもぐりこむことはますます難しくなる
これで満足か?
216 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 11:48:23
>>215 すぐ上で三尺三寸の刀の三倍ある一丈の槍が刀と相討ちになり候って書かれてるのに
意味がわからないんだね。
217 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 11:49:36
つか、リーチがすべてというけど足軽の長槍なんてタイマンじゃまったく使いものにならんぞw
パイクなんかも単体じゃ使い物にならないからな。
「リーチ」
この一言には尽きない。
リーチ至上主義の硬直した思考が長槍方陣を一度ヨーロッパから消滅させたんだろう。
巡航ミサイルさえあれば通常兵器は一切いらないキリ
んなわけねーだろwww
220 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 13:18:05
スレで何度も出ていると思うけど、剣って弱い武器だぞ
いや、そもそも武器としては扱われてないっていうか、儀式用や護身用に携帯する程度のもので戦場では使われない
戦いの強さ=射程or耐久性だぞ
まず集団で弓撃って矢の雨降らせたり、投石器で石や死体や汚物飛ばしたりがあるわけだ
もちろん近づいてからの接近戦もある
あるのだが、そこで使われるのは射程に優れた槍だ
もしくは刃が欠けたりしない鈍器だ
射程が短くて刃が欠けたりする剣は使われない
剣が主役なんてのはリアリティなにそれなRPGの中だけの話
>>220 お前こそこのスレ1から読んでないだろwwwww
「射程に優れた槍」ってどういう日本語だよ?RPG云々出してるけどこいつこそ
ゲーム脳っぽいわwwww
射程(笑)
フロイス『日本史』
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その真只中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
射程(笑)
戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
こちらもただやられてばかりではない。
武士には遠くからの鳥銃が有効である。
だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
その勢いを止められない
武士の刀捌きは軽くて長く
接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
224 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 13:44:53
日本ではないが、ヨーロッパでは銃の時代になってむしろ抜刀突撃が
主流になってきている。
オスプレイメンアットアームズシリーズ『グスタヴ・アドルフの騎兵』
・グスタヴは、部隊後列は敵と接触するまではピストルを使わないよう指示し、かわりに
抜刀突撃を行うよう命令。ピストルはあくまで混戦の際の武器であることを強調した
225 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 13:54:35
>>215 誰が三倍必要なんて言ってるんだ?槍一本で伊勢守になったと言われる
高橋泥舟との試合に刀で勝った榊原鍵吉は泥舟の三倍の力量か?
その榊原に完勝したという玄武館の下江は高橋の何倍の力量なんだか。
226 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 15:03:23
つうかお前らなんで刀剣が戦場では使われなかった説を否定するんだ?定説だろ?
理論的に考えて合戦では槍しか使わない。あと遠距離戦用に鉄砲と弓、それに投石。
だいたい刀で鎧兜つけた敵に切りつけたらすぐ折れるし
いくさ場で刀なんか振り回してもリーチの差で槍にやられる。
素直に考えて刀は実用性に欠けるし、主な用途は儀礼用と精神的象徴だけだということ。
機会があったらお前らも専門家の書いた本を読んでみるといいよ。間違いに気付くから。
227 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 15:28:27
>>220 >スレで何度も出ていると思うけど、剣って弱い武器だぞ
このスレのどこで何度も出てる?別のスレから来たばっかりで読んでないのか?
>>226 >理論的に考えて合戦では槍しか使わない。
つまりお前の勝手な理論どおりにはいかないのが実際の戦場ってことだね。
第一、定説という割にお前の駄文には裏づけがまったくない。
刀がもろいと言っているが、鎌倉後期まで長柄の主流だったのは
お前がもろいと言っている刀と同類の刃を備えた長刀だよ。
228 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 15:30:19
槍だって折れます。上からのコピペ。
168 :日本@名無史さん:2011/01/29(土) 22:32:51
ついでにいうと槍も折れるものなので予備の槍やその代用手段として袋穂、あるいは長い刀を用意したり
棒術を習ったり、色々考えられていたようだね。ただ、棒術を習うくらいなら腰の刀や組討で戦えとあるな。
『武道初心集』
・小身なる武士は、不慮の変有之刻も、人多く召し連候義無之ゆゑ、鑓一本より外には、持する義
成らず候。もし其鑓折損じ候に於ては、持鑓に事を欠は定り事に候。去るに依て、兼て袋鑓の身を支度仕り、
柄には竹を仕すげ候てなり共、当用の間に合せ候心掛尤に候。且又、少々疵有之候ても、作り丈夫 にして、
寸の延たる刀を用意して、下人共にささせ、
『御家中武芸はしり廻り』
・一 棒術の事、 棒術は勿論武術にあらず。然を弓弦きれて棒と成、鑓・矛折て棒と成ば、士として是
を嗜まんは あるべからずとて教を立る輩もあれども、用るに足らず。もし弦切れ、矛折たる時は
腰物を抜て向ふが、猶、速成は 組討をする意也。武士たるものは棒にて一つ二つ折れ(打たれ)たりとて
死べきものに非ず。 当の敵は必ず仕留むべし。
刀を侮った中国人が何度も痛い目に遭わされたんだろうな。
『続刀勢図』「担肩刀勢」
・刀を右肩前に横たえ、手は左に垂らす。左手と脇腹の内側を露出して彼の槍を誘う。
突いてくれば左肘で右横の下方に槍を開き、左右両足で斜めに跳んで入るとともに、
左手も柄を握り、両手で斬り込む。
・単提(片手持ち)の「担肩刀勢」(肩担ぎの構え)は、すなわち倭奴が偽って誘う術である。
しかし、人はこの隙だらけの構えをあなどり、多くは槍に力をこめて突っ込んでいき、術中に陥る。
ゆえに云う「敵をあなどる者は亡ぶ」と。
230 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 15:38:02
>>226 実用性に欠ける武器を相手に足を翼のようにして逃げる朝鮮人って何?
ルイス・フロイス「日本史」
・朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
・日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
231 :
>>226:2011/02/19(土) 16:55:07
気迫第一主義みたいな白兵突撃の話じゃなくて、普通の合戦の話してるんだけど・・・^^;
付帯的条件を取り上げて、こんな状況、あんな記録があったって言っても
いちいちそれを資料批判して信憑性を再検討した訳じゃないんでしょ?
てか軍忠状の研究では死傷者の9割は弓矢と石によるものなのに
よくそんなに射程の短い刀を擁護できるね。未だに日本刀信仰が根付いてんの?
汗かきながらそんな必死にレスされても俺も反応に困っちゃうから、冷静になってくれよ。
232 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 17:10:30
軍忠状で死傷者?死因がわかるとか思ってるのか?
お前軍忠状見たことないだろ。
233 :
日本@名無史さん:2011/02/19(土) 17:14:22
役に立たない武器を輸入し足りない分は模造したシナ人あわれwwww
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm >嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)この論断は歴史的事実と確かに一致している。
軍忠状では死者は討死にとあるだけで死因などわからない。矢疵が見られると
言っても生き残った人間が申告したに過ぎない。矢も射られれば太刀打ちもするし
敵を切り落とすこともある。それが中世の戦場。
『佐藤元清軍忠状案』
・対于諏訪信濃守代禰津孫次郎、致散々太刀打(被左手肩射、被右手大指破)、
久原四郎次郎令見知畢、
・対于香坂美濃介致散々太刀打之条、原新右衛門尉令見知了、
・同九月十九日御敵村上・小中条来之間、同致合戦畢(若党金子又次郎令打死)
・次追懸敵一騎切落、小笠原蔵人見知了、
・対于禰津小次郎致散々太刀打、追退敵々一騎切落、小笠原又六令見知了、次追懸分捕一人、
どこに気迫第一主義みたいな白兵戦主義とかあるんだろう?
どこに日本刀信仰とかあるんだろう?
とても同じスレを見ているとは思えないほどの噛み合わなさだな。
以下、賊ってのは日本側のこと。長刀ってのはシナの刀剣から見て長い日本刀のこと。
柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)
・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
237 :
231:2011/02/19(土) 20:30:36.30
つぎから次へと偏った史料出してくるなあ・・・ほんとにもう・・・
李如松の敗戦にしたって、そこで使われてるのは「大太刀」で鈍器みたいなものだよ
で、他に刀が大規模に使われてるのは首をとる時だけでしょ。それは戦闘じゃなくて虐殺。
スキが敵軍に見えれば攻撃するのは当然だし、たまたま手持ちの武器で突撃しただけだよね。
ようはそれって稀に刀が使われてるような場面を抜き出してるだけじゃない。
パードレ・ガスパルビレラ
・市民は叛逆者が自邸或は田野において攻撃を受くるを見物す。双方まづ矢を放ち、
更に近づきて槍を用ひ、最後に剣を交ふ。
弓→槍→刀がごく当たり前の流れのように書いてます。
>>237 あれ、戦闘では実戦的ではないから刀剣は使われないって話じゃなかった?
つまり実戦で使われたことに関しては認めるってことだね。
「鈍器みたい」っていうけど、まさにその部分に「切れ味無比」って書いてあるのが
見えないの?あなたのいう鈍器というのは切れ味無比のものなの?
それとも都合の悪い部分は見えなくなっちゃうの?
ラインハルト・バウマンの『ランツクネヒト』ではランツクネヒトが「戦列を組んで対峙する
戦闘形式から肉弾戦に変わり、もはや槍や矛槍が頼りにならなくなったとき」のために
カッツバルガーという剣を装備していたと書いている。
長槍は隊列を組んでナンボ。混戦や乱戦ではむしろ槍が役に立たないというのは
洋の東西を問わない。
戚継光『紀効新書・長刀解』
武士には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。その勢いを止められない。
武士の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を
備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm 隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
このように戚継光は即座に白兵戦に応じられる武器として鳥銃手にわざわざ日本刀を装備させ、れっきした戦術の一つとしている。
近代戦の時代になっても白兵戦技能の習得が射撃にも好影響を及ぼすという説があるが、逆にこれは火縄銃の時代に関しても
言えることだろう。
『日本刀講座 第四巻』
「近代戦と日本刀」
・攻撃に方りては白兵戦闘に必勝の自信があるから、成るべく敵に近接することに力め勇敢に邁進する。
防御に在りては、遠い所から徒に射撃することなく成るべく近い所に引き寄せて、命中確実な所にて猛然
射撃すると云ふ風に、攻撃の場合も防御の場合も最も沈着勇敢に働いている。
241 :
237:2011/02/19(土) 22:17:27.93
も
う
許
し
て
>>210>>215>>220のレスはよそで見かけたレスのコピペ
あとは
>>226の立て読みで釣り宣言すれば盛り上がると思ったんだよ・・・
お前らのガチっぷりを甘く見てたわ・・・ほんとすまん・・・
切れ味が無比の鈍器があるとか色々勉強になった。
鈴木が持ち出した他人の研究内容である軍忠状の件が負傷者の七割って話だったのに、いつの間にか九割になってたけどこれも釣りか?w
鈴木の七割ってのは自分で調べなおした数値と言ってる
時期別に統計取ってるし、たぶん本当なんだろう
ただ、方々の古文書やらを寄せ集めたせいで典拠不明、
一から古文書集め直さなきゃ再検証不能なんだよね
元々は外国人の先生がやりだしたんじゃなかったかな。
ヨーロッパの士官学校や参謀本部だとかが戦争の実態調査としてはじめた事みたいだしね。
野戦砲の榴弾が飛び交い、敵の白目が見える距離で銃撃戦や散弾砲撃が行われ、歩兵の銃剣
突撃やサーベル騎兵の突撃や追撃戦が行われたりしたナポレオン戦争での調査結果が白兵戦
での死傷率5%〜1%以下とか。
大まかな他の結果は、大砲が約20%で残りの70%強は銃創といった感じらしい。
時代や装備、戦闘方法の違いなどを考えても刀槍での負傷率約三割というのはむしろ異常。
異常なほどの高さではないかと思う。
「遠戦志向」だなんだというのは、何を基準に唱えているのかわからない。
戦争の実態も知らずになんとなく思いつきで唱えた珍説にしか聞こえない。
鈴木は白兵戦という言葉の用い方も都合がいいからな。
崩れ際の戦闘で刀が使われるのは認めているくせに、それはあくまで
「白兵戦らしきもの」とか「一方的な掃討」とか「首取りという習慣が
あるから起こりえる接近戦」とかのレッテルを貼って自説に都合よく解釈する。
世界的に見て万全の陣形に対して弓矢鉄砲の援護もなく正面からの白兵戦を行うような
ケースがどれだけあるんだって。
戦さの何割かは城や砦の獲り合いだしね。
城攻めじゃ白兵戦はなかなか発生しづらいんじゃないかな。
犠牲考えたら強襲よりも包囲戦とかの方が多そうだけど、交渉するにしても色々必要なんだろうなあ。
壁を破って城内に攻め入り白兵戦をしたことを手柄として報告する軍忠状。
『烟田時幹軍忠状写』
・今年(建武五年十月)五日押寄神宮寺城、致至極合戦之処、若党新堀修理亮公夏、
右脛被疵訖、此条預御実検者也、次家鳥栖太郎三郎貞親切破壁、責入城内、致散々合戦、令切捨訖、
此条小野崎次郎左衛門尉見知畢、同若党富田次郎太郎信行、同城内責入切捨畢
250 :
日本@名無史さん:2011/02/22(火) 22:44:57.16
戊辰戦争初期でも幕府は鉄砲隊の主力が江戸にいて火器では劣っていたけど
見廻組、新撰組、会津、桑名の隙を見ての斬りこみで薩摩を散々こまらせたんでしょ
251 :
日本@名無史さん:2011/02/23(水) 22:34:27.99
薩摩は示現流なのに幕臣の剣客も強いんだね
新撰組は薩摩の剣士が怖くて狙えなかったのではなく、表面的には幕府に協力的だった
薩摩藩に対する政治的配慮だろ。薩摩っぽの初太刀は外せ、ってのは注意点で
あって恐れではない。
253 :
日本@名無史さん:2011/03/04(金) 17:54:56.89
恐れは悪いことじゃないよ
255 :
日本@名無史さん:2011/03/05(土) 23:19:49.92
薩摩に限らず幕末には各流派に相当な腕の剣客が輩出したからね。
新撰組だって最強は油小路で死んだ服部武雄だったって説もあるし
散々新撰組に絡んだ中井庄五郎や新撰組をしてあの今井に襲われては
龍馬もひとたまりもあるまいと言わしめた今井信郎、それに飲み屋で
喧嘩して二人斬り殺した上田馬乃助などなど。
伊庭八郎も薩摩兵を散々斬りまくって薩摩が中村を連れてこないとダメだと
言っていたくらいだしね。強い奴が綺羅星みたいにいたんだろう
256 :
日本@名無史さん:2011/03/06(日) 01:50:23.19
さらに戦国時代には
>>240みたいなのが軍勢となるほど大量にいたわけだし
なんか恐ろしいね
257 :
日本@名無史さん:2011/03/06(日) 23:05:51.24
斬り合い馴れとかあるのかね。現代人にはあのお化け方h項で斬り合うなんて
およそ想像もできないけど。ちょっと触れただけで指も鼻も耳もとれちゃうんだから
258 :
日本@名無史さん:2011/03/08(火) 20:34:24.65
ところで鎌倉時代に主流だった長刀が廃れたのはなぜだい??
振り回せるスペースが必要なので
槍と一緒に密集できないからだと思った
斬りたい派・・・長巻
距離感派・・・槍
こんな感じになってった
長槍密集戦術に対抗できないからじゃね?<薙刀
足軽による集団戦の一般化と関連してるんじゃないかしら
鎌倉時代薙刀を主に使っていたのは徒士
馬に乗らない郎党や僧兵が使ってた
騎乗武士も若干使うが鎌倉時代ではまだ少数派
南北朝になると騎乗しての薙刀も増えるけど同時に大太刀やまさかりとかも増える
要するに積極的に白兵戦したがる武士たちにとっては
主流と呼べるほど薙刀だけ突出した時期がない―ともいえるわけで
264 :
日本@名無史さん:2011/03/10(木) 13:55:51.40
一対一でも「ピストルVS日本刀、なら日本刀が勝つ」とそのスジの人が言ってたな。
265 :
日本@名無史さん:2011/03/10(木) 17:56:12.22
そういや竜馬さんは北辰一刀流の達人という触れ込みなのになぜ
ピストルなんか構えて指を切られるハメになったのか?
ピストル出せば捕り方もビビって逃げるかと思ったら
いきなり切り込んできたでござる
おまいだって切られちゃうだろ
268 :
日本@名無史さん:2011/03/13(日) 13:45:14.31
短筒や火縄銃みたいな単発の時代じゃ
太刀もまだまだ互角な感じだな
269 :
日本@名無史さん:2011/03/13(日) 20:53:12.24
日本刀が銃に勝つ
そんな無知蒙昧さが大日本帝国の切り込み戦術に出ちゃったんだろうな。
迷信に陥った上層部のために無駄死にを強要された多くの兵士。それは俺達の先祖。
屋内では真実だよ。
銃が強いのは近づく前に打てるからだけど、室内じゃその優位がなくなる。
銃を撃って外したら、リボルバーでも次の弾を打つまでのタイムラグがあるから、
その間に近寄られて切られる。
龍馬が使ってたのは6連発のアメリカ製リボルバー。
もしも6人撃ち殺されても、7人目・8人目が切ればいい。
271 :
日本@名無史さん:2011/03/13(日) 23:20:45.08
阿部譲二さんが同じこと言ってたなぁ。当時銃が主流になりつつあった
やくざの喧嘩でいつも日本刀で斬り込む仲間がいて相手ぶった斬って
いつも無事だったらしい。
その人が言うには 「日本刀で斬り込むと相手は日本刀の刃が怖くて
そっちに目が行って弾はたいてい外れる。あとはそのままぶった斬るだけ」
だったそうな
272 :
日本@名無史さん:2011/03/14(月) 03:22:45.82
屋外でも
密集した集団同士が激突し乱戦に突入すれば
>>222みたく
火器が日本刀に後れをとることになる
もちろんここでの火器は自動小銃とか突撃銃と呼ばれるような現代の小火器は含んでないけど
273 :
日本@名無史さん:2011/03/14(月) 14:59:34.41
戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
こちらもただやられてばかりではない。
武士には遠くからの鳥銃が有効である。
だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
その勢いを止められない
武士の刀捌きは軽くて長く
接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
>>271 刃物に対する恐怖の方が、銃器に対する恐怖より本能的なんだろうね
至近距離ではその差がけっこう大きくなる
>>273 幕末の銃はそのころと全く別だろうによ。
龍馬のケースは「屋内」「圧倒的な人数の差」が銃の優位を打ち消したケースにすぎんだろ。
まぁ、それでも奉行所側が2人も射殺された後で、龍馬に手傷を負わせたに過ぎないわけで。
それとは全く逆に、西南戦争で西郷軍の抜刀斬り込みに対し、徴兵された市民兵が逃げ出して
しまい、役に立たなかったので旧士族の抜刀隊が投入されたって経緯もあるな。
落ち着いて弾幕射撃してればどうにでもできるはずなのに、白刃の恐怖はやはり大きいようだ。
276 :
日本@名無史さん:2011/03/14(月) 23:40:34.79
鳥羽伏見の初戦でも会津、桑名の斬りこみに薩摩鉄砲隊が敗退したよな
277 :
日本@名無史さん:2011/03/14(月) 23:45:42.84
大半は銃が勝ったけどね。新政府側は日本刀を捨て銃兵主体にしたし、
「これからは日本刀じゃなく銃の時代だ。」って誰か有名な人が言ってた筈。(調べればいいけど面倒)
>>277 調べるまでもなく、土方のトシさんですな
あと、敗退つーても、その過程で切り込んだ側も愉快なレベルのダメージ受けてるから、
その後が続かないわけで。
肉を切らせて骨を断つつもりで突っ込んで、骨を切られて皮を断っただけだったけど、
相手が逃げ出してくれたから、戦術的には勝利だ、って話だから。
>>278 それって史実なのか?もしかして司馬の創作か?
>>275 銃兵にこそ剣術(白兵戦)の修練が必要っていうようなことをどっかで読んだが
ソース思い出せない
281 :
日本@名無史さん:2011/03/15(火) 02:09:57.30
幕末における「白刃の恐怖」と「恐怖する白人」
「我々の同僚であった通訳生は、昼も夜も彼につきまとう恐怖感で頭がいっぱいになり、
公使館の門から決して出ようとせず、第九連隊の一団と大勢の護衛がいるにも関わらず、
さらに防御を固めるためにアームストロング砲を二門本国から取り寄せてほしいと公使に懇願したのである。
ある晩、哀れな若者はそれ以上耐え切れなくなった。
彼は仲間と一緒に静かに食事をして自分の部屋へ戻った。
銃声が二度聞こえた。
最初の一発が失敗したのは、手が震えたせいだと思われるが、
その弾丸は天井から発見された。
二度目が致命傷であった。
自殺は伝染するというが、その週のうちに横浜で二度同じような事件が起きた」
「回想録」Algernon B. Mitford 1871年 「英国外交官の視た幕末維新」
インディアンの恐怖におびえる騎兵隊と同じだな。
不安と恐怖は高高度のB29クルーにもあった。
棍棒で向かってくるアフリカンの部族に銃を持つ側が怯えた。
人間の心理とはそんなもの。
まあ日本刀いっちょで夜襲かけられて
こっちは銃で武装してるのに一方的に斬りまくられて
武士側死者なし(漕ぎ手は死者出てるんだっけか?)ってんじゃおびえもする罠
クリスチャンが刀を異常に恐れるのは当然。首と胴体が離れちゃえば
永遠に復活しないと思ってるんだから。それは怖いだろう。
日本刀はいずれの場合でも掃討戦かやけくその突撃程度にしか使えないって。
鳥羽・伏見の戦いで薩摩が切り込みやったど、相手陣地に切り込んでいくのではなく
病院を襲った。負傷者に対して切り込み。首が簡単に取れて大手柄をもくろんだ。
285 :
日本@名無史さん:2011/03/15(火) 14:48:34.57
まあヨーロッパでもナポレオンなんかは
白兵ガンガンやってるしな
銃も白兵もどっちも重要
必ずどっちかが有利って言うことにはならない
てかここでもさんざんループしてるはずだけどな
>>238-240なんかもそうかな
286 :
日本@名無史さん:2011/03/15(火) 14:59:31.27
揮刀如~
倭奴刀を揮ふこと~の若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみならず、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、
童にして之を習ひ壯にして之に精し。
故に短兵相接するは乃ち倭奴の長ずる所、
中国の民の敵し難き所なり。
その嫌う所の物は火器のみ。
然るに多くの鳥銃手を擁して居ながら我兵勝てぬのは外でもない。
倭人は戦いに臨んで命を忘れるが、
我兵はこれを臨んで即ち恐れ走るため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、
手震え、目眩み、天を仰いで空しく発する為なり。
火縄銃をもてば命中精度抜群
刀をもてばこれまた無双
そりゃこわかろうて
日本軍の切り込みは無駄死にだったけどね。
日本刀信奉者が軍の上層部にいたら、現場の兵士に切り込みを推奨してしまう。
そして迷信に頼って馬鹿な作戦を立てる。無責任な日本刀神話信者。
289 :
日本@名無史さん:2011/03/15(火) 18:02:22.65
鈴木スレなのになぜかWW2の話にばかり持っていこうとする人がいますねぇw
戦国時代から逃げ
幕末でも旗色が悪くなって逃げ
今度はWW2
いやあなんか微笑ましいです逆に
近現代まで逃げてきてそれで
ようやく日本刀卑下成功って
逆にいえば中世近世じゃ日本刀が有効だったって暗に認めてるに等しいわけでw
290 :
日本@名無史さん:2011/03/15(火) 18:06:14.36
オスプレイメンアットアームズシリーズ『グスタヴ・アドルフの騎兵』
・グスタヴは、部隊後列は敵と接触するまではピストルを使わないよう指示し、
かわりに抜刀突撃を行うよう命令。
ピストルはあくまで混戦の際の武器であることを強調した
>>280 日露戦争までは銃剣戦闘訓練を殆どやってないんだよね、日本軍。
当然、幕末の頃も銃兵は銃剣などによる戦闘訓練をほとんど積んでいないものと
思われる。
で、ロシア相手に苦戦して弾薬を浪費し倒して、これはまずいとやっと気づいて
短槍術ベースに銃剣道つくって訓練させるようになったわけだな。
日本軍は本来火力で圧倒する思想。銃剣戦闘は従に過ぎない。
が、やっぱり銃剣戦闘術は身につけとかないとやっぱり困る。
現代の歩兵でさえアサルトライフル用の銃剣を持ち歩いている。
292 :
日本@名無史さん:2011/03/15(火) 23:11:10.47
鳥羽伏見では幕府も重火器での戦いの後に斬りこみと作戦を立て
新撰組や見廻組を配置した。でも腰ぬけの藩が銃を捨て早々と
逃げ出し、見廻組に至っては逃げた兵士の銃を拾って自分たちで
撃っては斬り込みの状態で被害を大きくした。
まあその戦いぶりは薩摩をして見事って言わせしめたようだけど
>>288 うむ、君にとって残念なことに、そんな奴は軍上層部にいつの時代にもいない。
切込みばっかりやっていたイメージのある、幕軍・旧幕軍、西郷軍も実際には火力がメイン。
WWIIの日本軍にいたってはそもそも士官とごく一部の下士官しか軍刀を携行していない。
294 :
日本@名無史さん:2011/03/16(水) 13:37:48.21
その辺りの平地の所で、サムライが始終教練を行っているらしい。
囲いの高い柵や潅木の茂みで視界がひどく妨げられたが、時々兵隊の旗や、武器が見えた。
大名達は彼らの藩兵に、戦争の技術を絶えず訓練させていたのである。
そのころ江戸の大名屋敷の傍らを通ると、剣術をやっている喧しい物音が聞こえた。
私が江戸に滞在している間に、同じような音響をしばしば耳にした。
もし、不幸にして、ヨーロッパ諸国が日本と戦うようなことが起こったら、
日本人は支那人よりも非常に優勢なことが判るだろう。
しかし、そのような、日本人と戦うようなことは、遠い将来のことにさせたいものだ。
ロバート・フォーチュン 「幕末日本探訪記」
295 :
日本@名無史さん:2011/03/16(水) 13:44:02.04
日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、
太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ルイス・フロイス「日本史」
銃も日本刀も有効利用
銃は敵の頭をあげさせず、白兵戦に必要な味方の突撃をたすけ
日本刀を使った白兵戦は銃兵を浮足立たせ敵の統率を乱し結果敵の銃撃から味方を守る
どちらも必要
自衛隊が日本刀装備したら笑えるね。
フリードリヒ大王もスヴォーロフ元帥も銃剣大好きだったな。
>>290 グスタフ・アドルフ以前は、ポーランド以外は短銃騎兵が欧州騎兵隊のメインだったわけなんですよ。
ポーランドとの戦いで痛い目を味わって、スウェーデンはサーベル騎兵へ移行しました。
あの小さな馬で。
戚継光『紀効新書・長刀解』
武士には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。その勢いを止められない。
武士の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を
備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm 隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
このように戚継光は即座に白兵戦に応じられる武器として鳥銃手にわざわざ日本刀を装備させ、れっきした戦術の一つとしている。
近代戦の時代になっても白兵戦技能の習得が射撃にも好影響を及ぼすという説があるが、逆にこれは火縄銃の時代に関しても
言えることだろう。
『日本刀講座 第四巻』
「近代戦と日本刀」
・攻撃に方りては白兵戦闘に必勝の自信があるから、成るべく敵に近接することに力め勇敢に邁進する。
防御に在りては、遠い所から徒に射撃することなく成るべく近い所に引き寄せて、命中確実な所にて猛然
射撃すると云ふ風に、攻撃の場合も防御の場合も最も沈着勇敢に働いている。
いつの時代を論じるにしても日本刀否定派はソース出さないんだなw
調べればわかるじゃなくてしかるべき出典から引いて来いよwww
敗戦で嫌というほど分かったからだろう。
日本刀神話が馬鹿な妄想だった現実が。
奇襲切り込みの惨憺たる結果を俺達は知っているから。
日本刀か銃かを選ぶなら殆んどの人は銃を選ぶだろう。
最低なのは日本刀神話で兵士を無駄死にさせた馬鹿ども。
個人で特異な価値観に浸っているなら社会に対して悪じゃない。
でもそれを公に持ち込むなよ。
302 :
日本@名無史さん:2011/03/18(金) 09:58:38.68
116 :日本@名無史さん[sage]:2007/01/28(日) 15:35:19
「遠戦志向」の根拠は軍忠状だけど、そもそも軍忠状というのは基本的に生還者の負傷の原因は書かれているが、
戦死者の死因が書かれている例は少ない。負け戦で敗走した場合など尚更。
弓鉄砲で敵と距離をとって戦った場合と、槍刀で接近戦を戦った場合の負傷者は、どちらが生還率が高いだろうか?
当然距離をとって戦った方が後退しやすく、生還しやすい=軍忠状によって後世に負傷の原因が伝わりやすい。
よって軍忠状を分析した結果、弓鉄砲による負傷者が多いのは当たり前。
軍忠状の分析から戦国の戦いは遠戦志向だったと結論づけるのはあまりにも早計。
また、軍忠状の発給対象となる戦いは、城攻め、小競り合い、合戦と、多岐に亘る。
このようなものを一纏めにして分析しても意味がない。
はっきり言って鈴木の説は、「遠戦志向」について言えば、
滅茶苦茶な分析法による議論の価値もないレベルの主張。
303 :
日本@名無史さん:2011/03/18(金) 09:59:53.51
118 :人間七七四年:2010/09/14(火) 18:23:07 ID:KwIWdJqS
鈴木氏が重視する軍忠状の類に騎馬武者の活躍が書かれてたりするからねえ。
しかも集団で戦っている。
『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、
・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、
・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
・一、結城よりとちきへ動之時、内より出申候所ニ、川島主税・たかや采女・我等同前ニ馬をかへし走廻申候、つれ合候衆太木信濃存候事、
釣りか何かわからないけど今来てる日本刀アンチは同じ妄言を繰り返すばかりで
歯ごたえがなさ過ぎるよ。
305 :
日本@名無史さん:2011/03/18(金) 10:36:45.12
柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)
・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
アンチ日本刀アンチも朝鮮征伐の明・朝鮮側記録以外書くこと無いのかね?
それともボットか何かか、これ?
アンチ日本刀がそれにまともに反論しない(できない)から仕方がないんじゃね?
アゴスチイノさんたちからの報告を元にした『日本史』は明・朝鮮側じゃないだろ。
ルイス・フロイス「日本史」
・朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
・日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
309 :
日本@名無史さん:2011/03/19(土) 03:06:23.61
どっち側からみても日本刀大活躍の事実が浮かび上がるだけだねぇ
310 :
日本@名無史さん:2011/03/19(土) 04:32:14.41
日本人の勇猛さには疑問の余地が無い。
自ら軍事国家と呼んでいるくらいで、幼少の頃から戦争道具を生きる道に選び、
刀と弓、この国固有の二つの武器の使用法を教えられる
日本刀を完璧に扱える日本人は、刀を抜いたその動作から一気に斬りつけ、
相手がその動きを一瞬の間に気づいて避けない限り、敵の頭を二つに両断することができると言われている。
当然のことながらこの武器は極度に危険な物と見なされ、
刀を抜きそうな素振りを見せた時にはその場で直ちにそのサムライを殺しても正当防衛と認められる。
一瞬でもためらえば、自分の方が犠牲になるのは明白だからである
「日本素描」 エドゥアルド・スエンソン
日本刀否定派が前から貼られてる文献に反論できないんだから
別なのを貼る必要もないしな。
否定も肯定もネットで検索すればいくらでも出てくるよ。
ためしに検索してみればわかる。
それを以って「だから正しいとはならない。」なぜなら記述者の主観でしかなく普遍的な真理じゃないから。
>>312 検索すれば見つかるじゃなくてここにアドレスでも貼りなよ。
口だけ?
314 :
日本@名無史さん:2011/03/19(土) 22:19:00.75
ネットで検索すればってのがなあw
ネットがすべての人かよwww
インターネットは便利だが万能ではない。
前にも言われてるけど具体性がないよな、「いくらでも出てくる」とか大きなこと言う人は。
記述者の主観というが、異なる陣営から刀に対して高評価がなされているのにw
>>312 主観でも何でもいいから元和偃武以前のもので日本刀は使えない、と書いている文献出してくれ。
スレタイの鈴木の本で「刀と首取り」で日本刀の使えなさを検証してるんだけど、読んでるんだよね。
読んで牽強付会の書だとオモタ
>>318 脇差や右手差こそ首取りに使う本当の意味での首取りの道具とか書かれて
何だそりゃって思ったわ。つか、あんたそれ以外鈴木の本読んでないの?
日本刀否定なんていくらでも出てくるって人が出して来たのが鈴木の本ってオチ?
322 :
日本@名無史さん:2011/03/21(月) 08:38:20.86
というよりこいつって遅れてきた鈴木信者か?
323 :
日本@名無史さん:2011/03/21(月) 17:17:22.65
>>318 だいたいキミとか鈴木さんは、刀の使い方がわかってるの?
持ってみたことさえないんじゃないのかな。
持たせたら「こんな重い物使えない」とか言い出すんじゃないか?w
鑓はもっと重いのにね。
325 :
日本@名無史さん:2011/03/22(火) 15:02:19.90
日本刀は重さは10kgあるし数人切ったら使い物にならなくなる。 だから戦場では常に サブウェポン。
10キロもあるわけないでしょ、って言うツッコミ待ち?
327 :
日本@名無史さん:2011/03/22(火) 19:47:15.80
必ずレスがもらえる魔法のコピペだろw
328 :
日本@名無史さん:2011/03/23(水) 08:37:13.28
「鈴木信者の妄言を一行にまとめるとこうなる」っていう感じかw
>>329 走り方かわいいw
こんなに動きが制限されるもんなのか
和鎧のほうは腰を落として頭の高さを変えないで大股で走るっていう
古式の走法知ってたらもっと差がついたろうな
洋式のほうにそういう走法が伝わってるのかは知らないが…
>>328 では
>>325の妄言を正しておこうかな。
まず、10sの刀なんてほとんど存在しない。
どこぞの神社の巨大な奉納太刀は別として、
実際に使われる普通のサイズ(2尺代)の刀では、鞘を払って1〜2sが標準的な重さ。
南北朝の3〜4尺の大太刀でも3〜4s程度だろう。
また、数人斬ったらそれ以上斬れないという説は、たぶん山本七平氏が言い出した都市伝説だ。
彼が満州で死体の腕や足を斬ろうとして、上手く切断できなかった体験から言い出したものだと思う。
そりゃ初めて人間を斬ろうとしてオッカナビックリやったって上手く斬れない。
しかし斬り慣れた人間がやれば手足程度の切断は容易だ。
もっとも、何十人も連続して斬れば疲れてくるし、刃が磨耗したり、柄にガタがきたりするから、
やがて限界はくるだろう。
でもそれは数人目というレベルじゃない。
それに、もし役に立たない(すぐに斬れなくなる)上に10sもあるサブウェポンが存在したとして、
そんな物を腰に差して戦場に持って行くバカがどこにいるのか?
まともに行軍もできまいて。
>>325を読むと、日本刀否定派が日本刀をまったく知らないことが良くわかる。
肯定派は日本刀が万能だとまでは言うつもりはないが、
否定派が日本刀の無効性を主張するなら、日本刀のスペックを良く勉強してからにして欲しいものだ。
でないと話にならん。
333 :
日本@名無史さん:2011/03/23(水) 20:39:45.61
”日本刀は重さは10kgあるし数人切ったら使い物にならなくなる。 だから戦場では常に サブウェポン。”
と””をつけて完全一致でぐぐっても色々引っかかるぞ。誰が最初に書いたんだかww
334 :
日本@名無史さん:2011/03/23(水) 20:41:15.72
ググった限りではこれが最古だな
21 : 都会っ子(新潟県):2007/08/17(金) 22:28:01 ID:XcOE9Twy0
日本刀は重さは10kgあるし数人切ったら使い物にならなくなる。
だから戦場では常にサブウェポン。
だがこの時は完全にスルーされていた
斬鉄剣なら飛んでる飛行機でも真っ二つ。
ア二メと現実との区別は大事だけどね。
アーノルダス・モンタヌス「日本誌」
戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。
彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし。
数人の日本人が抜刀して暴れるや、銃器がないので逃走してしまうオランダ人兵士
『バタヴィア城日誌』
ここにおいて彼等(日本人)は咆哮するライオンのごとく、彼(長官)に跳び懸り、
頭を押え手足を縛し、長き布をもって頚を巻き、もし声を発すれば
直ちに首を斬るべしと脅したり。商務員ヤコブ・ホーマンは、事の
起こる前のその室を出で、長官に尋ぬべき事ありて立戻りしが、
この騒ぎを聞きて引き返し、兵士に対かい、長官殺されんとするがゆえに
武器を取るべしと叫びたり。これによりてはじめて大騒擾を起こし、
広間の外に在りし日本人数人もまたこの事を聞き、剣を抜きて
広間またはその付近を守りし兵士を襲いたり。彼等は不意を襲われ、
かつ銃器を有せざりしがゆえに、まず逃げたり。よってその辺には、
日本人に敵する者一人もなかりき。
信憑性の高い資料が無いな。
342 :
日本@名無史さん:2011/03/26(土) 07:57:10.94
>>341 お前みたいな言い捨てよりは信用できるよ。
どれがどう信憑性がないのか具体的に説明してほしいな。
「俺の認めたくないものに俺が信憑性を感じるわけないだろ!」
345 :
日本@名無史さん:2011/03/27(日) 21:08:11.96
346 :
日本@名無史さん:2011/03/28(月) 12:35:25.13
こういう歴史と関係ない板には湧くんだなw
37 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2011/03/28(月) 02:52:35.28 O
接近戦なんか滅多にない
刀は万が一の為に持ってるだけでほとんど使わない
時代劇は全部ウソ
347 :
日本@名無史さん:2011/03/28(月) 13:26:03.11
ちゃんと論破してやったか?
名無し募集中。。。ってモ娘。(狼)かよw
完全に板違いなとこだと論破していいものか
気が引けるわw
あそこは人が多いみたいからな
サヨクのプロパガンダには良いんだろう
350 :
日本@名無史さん:2011/03/28(月) 17:31:43.77
>>349 あそことかvipでこういうスレが立ってもソースなしで妄想語り合うのが
基本だからなw
逆にいうとだからこそ一々その場で潰しておかないと
どんどん誤情報拡散していくってことか
352 :
日本@名無史さん:2011/03/28(月) 17:37:41.71
お前ら少しは手加減してやれ
突っ込んですまないが
>>346を読んでどこの板なのかわかるか?
355 :
日本@名無史さん:2011/03/28(月) 19:28:18.71
>>354 ”37 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2011/03/28(月) 02:52:35.28 O”
でぐぐったらスレに行けたよ。
誰も「自演乙w」まで言わないから大丈夫。
最近の流行は
>>341みたいなのだな。そのくせ具体的にどう信憑性がないとかは
さっぱり指摘もしなければ自分の主張を裏付ける史料を出さない言い逃げ。
だ か ら、モーニング娘が好きじゃなかったら行くわけないじゃん
361 :
日本@名無史さん:2011/03/29(火) 12:17:06.65
別に恥じなくてもいいと思うよ。
AKBとか言い出したら恥ずかしいけど
単にアイドル好きなら男の子としちゃ普通だ
ええじゃないかええじゃないか
てかスレ違いか
俺の学校ではAKBは普通だぞ。
おっさんだからモーニング娘とAKBの違いがわからんw
366 :
日本@名無史さん:2011/03/29(火) 18:59:25.80
312 :日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:39:55.56
否定も肯定もネットで検索すればいくらでも出てくるよ。
ためしに検索してみればわかる。
それを以って「だから正しいとはならない。」なぜなら記述者の主観でしかなく普遍的な真理じゃないから。
で、ソースの裏づけのある否定はどれだけ出てくるのか。いくらでもといううちの
ほんの少しでいいから出してほしいわ。どうせ言い逃げだろうけど。
>>366 元寇の記述とか新撰組の土方歳三の言葉とかあるじゃん。
鈴木眞哉と日本刀信仰のド素人とどっちが信頼できるか考えれば結果は明白。
一方はマルコポーロが書き残したんだから間違いない。と外国人(朝鮮人が特にお好み)の記事をありがたがる。
一方は当時の資料を検証して慎重に結論を出す。
ド素人が自分の思い込みをみんなに晒していただけなんだよ。
後最後になんだけど、俺が書いたのは「武具甲冑スレ」の735と751。
どんな媒体でも同じだと思うけど書き込む人の殆んどは常駐していないんじゃない。
俺の周りでも9割携帯でツイッターとか童画とかじゃない。
一つの媒体の一つのスレッドに常駐はかなりのめりこんでる事とか好きな人物のブログぐらいでしょ。
興味の度合いは人それぞれなんだから自分基準で他人も動くと期待しないほうがいいと思うよ。
自分からは双方向を求めても相手にはそれほど重要じゃない場合って多いと思う。
わけのわからん釣りだな。
最後と言っといてなんだけど、
>>368の「ド素人」は言い過ぎました。ごめんなさい。
鈴木眞哉をド素人呼ばわりするのは言いすぎじゃなくて事実だけどな。
373 :
日本@名無史さん:2011/03/29(火) 20:21:24.73
>>367 元寇の記述とは?具体的に引用して?それと土方の発言とこのスレで扱われるような
戦国時代の日本刀使用って何か関係あるかな?
>>368 マルコ・ポーロ?
374 :
日本@名無史さん:2011/03/29(火) 20:23:41.13
>>369 お前が具体的な議論を避けて相手を貶めることに終始していることだけは
よくわかったわ。
735 :日本@名無史さん:2011/03/24(木) 17:07:47.36
人の嗜好は様々なんだから、ここで日本刀マニアの彼を虐めるのは可哀想な気持ちになる。
みんなはサンタクロースを信じている子に不存在の現実を突きつける行為を残酷だと思わないのだろうか。
UFOや宇宙人や怪獣の話を嬉々として語る人に科学を提示しても仕方が無いだろうに。
怪獣図鑑を読んで夢を膨らませ「こんなすごい怪獣がいるんだよ」と純粋に語る人に「そんなの資料じゃない。落書きだ。」
もっと他人の嗜好を尊重すべきじゃないかと思う。
751 :日本@名無史さん:2011/03/25(金) 16:38:07.57
金星人とかネッシーとか宇宙人とか幽霊とか
「ほらこの資料を見て下さい。元NASA職員の文書です。」
「決定的な写真です。」「存在間違いなし。確証となる映像です。」
信じちゃってる人は一点しか見ない。
日本刀フェチの痛々しさは一般人から見ればこれと同じ。
手品師に日本刀での兜割りを依頼したとする。
できて当然。
俺に日本刀での兜割り依頼が来たとする。
俺が指定する兜を用意してくれるなら俺でもできる。
論理的になぜできるのかを考えることだ。
375 :
日本@名無史さん:2011/03/29(火) 21:01:18.11
荒らし相手にすんなよ
兜割りしてる人がトリック使ってると思っているんだ?
その主張のどこに理論があるんだろww
子供がサンタを信じているのとドコが違うのww
378 :
日本@名無史さん:2011/03/29(火) 23:04:17.66
なんか最近ジメっとした変なのが書き込んでるな、と思ったら
見事に電波野郎だったか。日本刀使用否定厨の成れの果てはミジメだな。
379 :
日本@名無史さん:2011/03/30(水) 16:59:22.26
もうマルコポーロとフロイスの区別がついてない時点で雑魚やん>368
自分じゃ気付いていないかも知れんけど、一人でテンパリ過ぎ。
一人でテンパッテいるから誰もここに書かなくなったんだよ。
こんな事書くと今度は俺に粘着して来るかもしれん。なんかアンチ会津と似てるんだよな、こいつ。
382 :
日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:19:09.30
だいたいフロイスの日本史は我らが鈴木先生も参照なさってるんだが。
>>381 誰もここに書かないどころか俺がちょっと来てない間に
随分とスレが伸びてるけど。誤爆?
384 :
日本@名無史さん:2011/03/31(木) 20:48:24.59
でも一時のような鈴木信者とか西洋厨は確実に減ってきてるのは間違いないな。
385 :
日本@名無史さん:2011/03/31(木) 21:28:03.26
ageまくるし連投と停止の進行だしコピペは同系統だし
そりゃ過疎るわ
上がってるスレみれば自演ばかりだから益々過疎る
すると更に自演しage
IDの無い板は全部そうなってる
戦国板はIDあるけど。
>>385 西洋史専攻していた人間だからこそ、産業革命以前の西欧がしょぼいってことが理解できるわけで。
将来その木は大きく育つが、その当時はまだ小さかった。
つーか、スペインとかポルトガルとかはその大きく育つ木とは違う別の木だしw
389 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 09:31:06.61
>>385 まーた、戦国厨が寝ぼけたことを
そもそも西洋伝来の鉄砲がなければ
信長だろうと家康だろうと(もちろん秀吉も)
天下統一なんてできないよ!
ほかにも当世具足や城郭建築などにも西洋の
影響は及んでいる。
キリスト教徒が急速に広がったのも西洋文化への
憧れが動機付けになっている(大友宗麟など)
地球の裏側にあるという地理的事情を考えるに
ヨーロッパの文化が戦国期の日本へ与えた影響力
の大きさなどから16世紀の西欧がショボイわけがない。
同じころの明国においても西欧の高度な兵器をほしがって
宣教師を歓待しているのに(マテオ・リッチなど)
地球の裏側にあるショボイ西欧の宗教・文化・兵器などに
大明帝国や戦国期日本が魅了されたんだったら大明帝国や
戦国期日本はもっとショボイことになるな。
390 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 09:56:53.42
たとえば当時の世界において最強とも言われている
オスマントルコなどは西洋全体の脅威のように言われて
いるが、フランスのフランソワ1世などはそのオスマン
トルコの同盟を結んで神聖ローマのカール5世と戦っている。
ちなみにカール5世は他にもローマ教皇とも戦いなおかつ
ルター派を信奉するプロテスタン諸侯とも戦争している。
西欧がショボイんだったら、カール5世の神聖ローマは
オスマントルコにより簡単に征服されているだろう。
391 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 10:24:11.89
また、モンゴル軍の来襲についても間違った認識
がされている。
ワールシュタットの戦いに敗れた西欧はオゴタイハン
の急死により救われた、と言われているが、当時の
モンゴル軍大将は結局モンゴルには帰還せずキプチャック
平原にジュチ・ウルスを建国し、近隣の支配をし続けていた。
(いわゆるタタールのくびき)その間にもポーランドには
2度侵略をおこなったが2度目の侵略はポーランド軍により
阻まれた以後西欧への侵略をあきらめている。
城郭に西洋の影響が及んでいるというのは初めて聞いた。どこら辺が西洋の影響なん?
トーチカ
394 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 12:16:25.22
鉄砲(西欧の兵器)の普及により近世城郭は作られた。
鉄砲が普及してなければ中世城館のままだっただろう。
鉄砲の利用に優れていた織田信長が安土築城により近世
城郭への流れを開いたのは偶然ではない。
だいたい、鉄砲が普及しなければ信長・秀吉・家康による
天下一統はなく、17世紀(1600年代)以降にも戦国時代は
続いていただろう。
当然江戸時代は到来せず、中世が続いていただろう。
395 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 12:38:46.97
春休みだねー
信長が強かったのは鉄砲のお陰だと、まだ教科書には書いてあるのかー
396 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 13:29:41.99
戦国期の日本を代表する権力者
大内義隆、大友宗麟、そして織田信長
彼らはみな西欧文化を貪欲に取り入れていた。
また、豊臣秀吉は豪華なベットで就寝し、
徳川家康は南蛮製の鎧(いわゆる南蛮胴)を
きて戦場に出ていた。
このあたりにも当時の日本における西欧文化の
優越性を強く感じる。
>大内義隆、大友宗麟、そして織田信長
そのうち大内と大友は何を成し遂げましたか?
いいぞ西洋厨
その調子でがんばれ
399 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 17:24:37.31
大内義隆や大友宗麟のような日本でも一・ニを争う
金持ちの権力者が欲しくなるような高度な製品を西欧は作っていた。
また、当時の少なくない数の日本人などがキリシタンに改宗
したのも西欧文化への憧れが動機付けになっているだろう。
400 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 17:50:53.04
≫395
鉄砲の運用以外で信長が他の大名よりも
遥かに優れていた戦術ってあるのか。
>385は西洋の過大評価(あるいは戦国日本の過小評価)がなされている、と言う話じゃないのかね?
西洋がショボいと言う主張はこのスレには無いように思うがね。
402 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 18:15:45.62
≫395
桶狭間の戦い(1560年)から
本能寺の変(1582年)まで22年間
尾張一国57万石が最大760万石まで
勢力を伸ばしている。
22年間で所領を13倍以上にも増やした
のは戦国時代では彼以前にはいない。
(以後なら秀吉・家康がいる)
これほど急激に勢力を伸ばせた理由が
火縄銃の有効活用以外にあるなら教えてくれよ!
ちなみに島津家が義久の代に急成長できたのも
火縄銃の有効な活用のおかげだ!
403 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 18:18:28.55
≫395
桶狭間の戦い(1560年)から
本能寺の変(1582年)まで22年間
尾張一国57万石が最大760万石まで
勢力を伸ばしている。
22年間で所領を13倍以上にも増やした
のは戦国時代では彼以前にはいない。
(以後なら秀吉・家康がいる)
これほど急激に勢力を伸ばせた理由が
火縄銃の有効活用以外にあるなら教えてくれよ!
ちなみに島津家が義久の代に急成長できたのも
火縄銃の有効な活用のおかげだ!
まあ西洋の躍進は火薬・羅針盤・三角帆を発明した中国とイスラムのお陰だね。
405 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 18:36:44.04
蒙古軍はドイツ兵を恐れていた
ドーソンによると、ハンガリーにおいても、エステルゴムの内城
Albe-Julie Saint-Martinの三城は陥落せず、本国よりオゴタイ
崩御の報を得て囲みを解いたという。これとは別に蒙古軍は
オーストリアに侵寇し、ウィーン南部のノイシュタイン城を包囲した。
この攻城戦は、『ローマ帝国衰亡史』のエドワード・ギボンが次の
ように叙述している。
一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声と武勇に恐れを
なしていて、オーストリアのノイシュタインの町への彼らの攻撃は
五十人の騎士と二十丁の石弓兵で勇敢に防衛され、彼らはドイツの
一部隊の来援で包囲を解いた。 (「ローマ帝国衰亡史」巻10)
このようにギボンは蒙古人がドイツ人(フランク族)の勇猛さに
恐れをなしていたと記している。
たった五十人の騎士で一城が守れるとは信じがたいがノイシュタット
の防衛はドーソンも、 ノイシュタットには僅かに五十人の守備兵と
二十人の石弓兵とを備える のみなりしが、蒙古兵はオーストリア公、
ボヘミア王、カリンチア公、 バーデン侯Agrar管長の連合軍近けるを
以て退却したり。(「蒙古史」)
今村明著 『封建制の文明史観』P60-P61
戦国板に殴りこんだほうがいいと思うよw
408 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 21:03:03.07
>>402 教えて欲しいのか?
自説以外に受け入れるつもりはないのか?
どっちだw
409 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 13:55:18.65
刃引きを例に日本刀がどれだけ斬れるかはかるのはちょっとな。
一体誰が刃引きを例に斬れるということをはかっているんだろうか?
袈裟が有効打なのが面白い。構えも各人各様だし。
413 :
日本@名無史さん:2011/04/03(日) 21:35:01.31
>>409 日本刀は打ち合ったら折れるとかまったくウソじゃん、これ見ると
414 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 13:33:39.57
否定派は、打ち合ったら折れるとか言ってるのか。刀を知らんくせに。
誰か、刀を知っていて否定できるヤツはいないのか?
415 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 15:39:58.13
否定派じゃないが、あんな一対一の綺麗な戦い方じゃ折れないと思う。
それと刀の折れに繋がる刃切れは、刃引きした刀同士では大して発生しないように思うが。。
416 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 17:10:52.34
近藤センセは兜の鉢などを「打つ」という機能表現を考えると
「化粧研ぎ」よりも甘く研いだだろうと推察しているな。
研ぎ方次第で刃切れ刃こぼれの発生しやすさもまったく変わるわけで。
417 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:28:07.71
この動画は剣道みたいだよな。もっと戦場風に激しい戦いをすればいいのに。
鎧着用を義務づけ袖を掴んだり蹴りを入れたり、目潰し金的攻撃を使い、ぶっ倒してから頸動脈に刀入れて一本とか。
勿論立ったまま小手や首切られたら一本だし、足を切られても一本。胴体は無効だけど、兜を叩いて脳震盪を起こさせれば一本。
418 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:30:09.13
>>415 刃引きだと刃こぼれはし難いと思うが、刃切れもし難くなるのかな?
ある人が鍛冶押し状態で荒試しをしたら刃切れが来たと言うが。
419 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:50:51.46
>>417 運営側に色々提言してみたら?俺は斬りあいが見たいからこのルールでの先が楽しみ。
ちなみにアザはもちろん骨折した人もいるようで、この段階ですら
安全なルールではないらしい。
582 :名無しさん@一本勝ち:2011/04/01(金) 23:22:44.36 ID:VelHtxbN0
オフで馴れ合ってないで刃引き使う大会出てやりあえよw
http://www.youtube.com/watch?v=Z_14oZa1Y70 583 :名無しさん@一本勝ち:2011/04/01(金) 23:54:23.81 ID:iDYgAvnKO
これで骨折した人がいたから、働いていたら無理ですよ。
人を使っている自営でもなければ推薦出来ない。
体が損傷していて根性で仕事は出来ないしな。
420 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:12:28.34
>>416 「打つ」は昔は斬り付ける意味で使われていたよ。
太刀以降の刀を「打ち刀」と呼び、
剣術や試刀術のことを「打ち物」と呼び、
剣術の技でも「○○打ち」と言う物が多い。
また「化粧研ぎ」とは「刃取り」や「拭い」によって刀身に化粧を施す研ぎを言い、
研ぎが甘い?と言ったこととはまったく関係ないよ。
421 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:27:08.54
>>420 近藤好和氏の『弓矢と刀剣』の説。軍記物で兜の鉢を打つ描写が
頻出することからの推察。
・日本刀というと、いかにも切れ味鋭いというイメージがある。刃を鋭く
するためには研がなければならない。すなわち、焼き刃に研ぎ刃を加える
のである。現在の研磨はあくまで鑑賞のための「化粧研ぎ」だが、その刃は
剃刀のごとくで、いかにも切れ味が鋭そうである。
しかし、太刀の「打つ」という機能表現からは、鋭いというイメージは
湧きにくい。中世の太刀の刃の鋭さ(すなわち研ぎ刃)の問題は、現在の
化粧研ぎの感覚では推し量れない。
>太刀以降の刀を「打ち刀」と呼び、
打刀の名称自体は平家にも出てくるはずだが?
『平家物語』
・乗円房の阿闍梨慶秀は、衣の下に萌黄にひの腹巻を著、大なる「打刀」前だれにさし、
『本邦刀剣考』
・古に聞えし打刀の尺を長くして、太刀に換えて用ひしと見ゆるなり
打刀は戦国時代に太刀に替るべく突然現われたのではなく、鎌倉時代には間違いなく見られる言葉。
差し方はそのままに、太刀並みに長くしたのが後世の打刀ってこと。
まあ、俺も近藤氏の打つと切るの認識に関しては全面的には賛成ではないが、甲冑着用が当たり前の時代に
薄く研いで切れ味ばかりを誇るような愚を犯すとは思えんし、そうした持ちのいい刀で兜や甲冑を鈍器のように
打つくらいはやっただろうと思うがね。
423 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:08:49.43
>>417 素手での最強を決めるコンセプトで始まった総合格闘技は
最初は第1回UFCみたいにほぼノールールだったんだけど
一部の攻撃を禁じたプライドルールを経て20年近くたった今の
MMAルールは倒れてる人の頭を蹴飛ばしたりレバーに踵で攻撃すんのも
禁止になってる程スポーツ競技化してるんよ。
結局なんでもアリで初めても安全性の観点から
その内ルールで色々制限されるようになるよ
424 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:17:18.55
>>395 信長が勢力拡大できたのは
永楽銭による経済の流通に目を付けたのと
兵農分離押し進めて一年中ドンパチ出来る体制整えたからなんですけど
425 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:17:48.08
アマレスラーがタックルして抑えこんで、寝た姿勢で膝を頭に叩き込む、って必勝法が確立しちゃったからなー。
でもそれが例えば路上でそのまま必勝法か、というと誰にもわからないわけで。
「実戦形式」でいくら試合してもそのまま戦場で通じるとは言えないと思うよ。
やるんならそれこそ100人ずつ集めて備え同士の長柄の叩き合いから始めるとかしないと。
427 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:23:17.41
刀が切れ味鋭いと言うイメージは江戸時代、新刀以降かなあ。
古く見ても室町以後だなあ。
鎌倉時代の刀は兜をぶん殴るのだから切れ味の鋭さより頑丈さが信条。
それは研ぎではなく重ねに表れている。
新刀の重ねと鎌倉時代の太刀の重ねを見比べればわかる。
また鎌倉時代の古い太刀は新しい刀とは質が違ってね、硬い物に打ち付けても刃こぼれせず、刃がめくれる。
刃こぼれは研いで減らさないと切れるようにならないが、
めくれは研がなくても刃を立て直せば原状に近い状態に戻る。
近現代の刃物の常識では昔の太刀は語れないよ。
それから刀剣界で言う打ち刀は、平家物語などのそれとは違う。
で、鎌倉時代あたりの打ち刀は現存するのかね?
428 :
395:2011/04/05(火) 23:30:37.87
刀剣界では「打ち刀」なんて書きませんけどw
430 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:35:46.40
何て書くの?
431 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:53:57.75
432 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:56:13.34
>>427 別に刀剣界に限った話はしてない。現存は知らんが文献的には
『古今著聞集』にも現れる歴とした鎌倉時代の言葉だよ。
ちなみに貴方の説と近藤氏の説は重ねか研ぎかの違いだけで
共通する部分は多いとだけは言っておく。
434 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 00:10:30.96
>>433 平安鎌倉の太刀が今まで残ってるのだから、平家物語の打ち刀も残っていてもいいもんだかね?
平家物語の打ち刀と、現代の刀剣界で言う打ち刀が違う物なのかもね。
確かに近藤さんの説とは、刀の使用目的は同じだね。
しかし研ぎで刃を付けなかったと言う説は、申し訳ないが刀を勉強していないと言うしかない。
鈴木さんと言い、近藤さんと言い、文筆家には刀をろくに知らずに刀を語る人が多いね。
古作の刀装が伝世するには、寺社への奉納品にされる事が一番いいのだが
あいにく奉納されるのは太刀が多く、打刀の伝世品は少ない。
春日大社収蔵の菱作打刀は打刀の古い例だが、これでも時代は南北朝期までしか遡れない。
それ以前の物だと絵画史料に頼るしかないね。
436 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 10:42:13.59
太刀は奉納太刀でなくとも多数が残っている。
なぜ打ち刀は残っていないのか?
極めて不思議な話だな。
438 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 11:26:35.84
>>437 資料はあるもんだね。
で法隆寺に奉納されてるのは、春日大社の打ち刀より古いの?
439 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 12:48:56.80
刀の有効性はわかったけど、じゃあ逆に足利義輝の最期のあれは
それだけ凄まじい戦いだったって事かな?
なまじカッコいいというか厨二好みな戦い方だっただけに
七人の侍はじめ数多くの後世の創作に影響を与えてるよな。
型月のアンリミテッドソードワークスとか。
ベルセルクにもそういうシーンがあるし
遂には魔法少女までもが、マスケット銃で足利義輝の真似事始めちゃったし。
440 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 13:42:40.78
厨二的表現をすれば、剣豪+名刀ってある意味最強の状態ですからね。
襲い来る完全武装の兵VS名刀で迎え撃つ最強の武将となれば燃えざるを得ない。
でも戸板で押し倒して滅多刺しとか、シャブ中の日本刀男対警官隊ですよね。
441 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 22:26:14.62
442 :
日本@名無史さん:2011/04/07(木) 20:46:08.32
>>439 そもそも史実かも分からん話だぞ。薙刀で戦ったって話もあるんだから。
>>444の刀と同等の刀が打ち合ったらどうなるか。
研ぎへって美術的な価値が低いということは実戦使用を繰り返したんだろうな。
最近は二、三人切ったら使い物にならない説が使い物にならなくなって来てるから
刀は打ち合えないって方にシフトしてきたのかな?
刀の弱点である棟に傷がある刀でさえたくさん現存するってのに
一回刃で打ち合ったくらいでダメになるかよ。
なんでも数値で評価したがる人が増えてるんだよね。
おれはすごいのもってるんだぞ、おれの腕はすごい
んだぞっていう自己顕示もできるし。
鉄に切り込める刀同士が打ち合えば刀は折れるだろう。
一方が業物で一方が量産品なら業物が量産品を砕くだろう。
量産品同士なら弾き合うだけだろう。
戦場で多いのは量産品同士の対戦だから刀が折れる事はないだろう。
折れて飛ぶ刀は駄刀
断面がツルツルなのは特に最悪
>>447 お前さんみたいな生産性のない奴よりはマシだと思うけど。
>>447 日本刀は二・三人切ったら云々への反論にはちょうどいいだろうな。
最近は居合やっているのが増えて、刀とは2尺4〜5寸あって1Kg位のものだと
思っているのが多い。この軽量刀を持っているから刀のことは十分知っていると
誤解しているやつが増えている。
日本刀は重さは10kgあるし数人切ったら使い物にならなくなる。 だから戦場では常に サブウェポン。
朝倉の真柄さんの刀なら10kg以上あるんじゃない?
刃が落としてあってもあれで殴られたら死ぬ自信があるけどな。
業物持ってる奴が一人でもいたらそいつはガンダム状態
量産品の刀持ってる奴はザク
ザク武器砕かれまくり、切り刻まれまくり
ガンダム千人切り余裕で白い悪魔状態
>>455 宮本武蔵が戦場に出たら活躍すると思う?
457 :
日本@名無史さん:2011/04/11(月) 03:59:26.27
1人では無意味
宮本武蔵が100人で抜刀隊をつくれば活躍できる
武蔵は合戦でやられてるからな。
宮本武蔵100人の抜刀隊vs足軽100人投石隊
投石隊が距離を保てば抜刀隊は厳しい。
拾っては投げ走り去る。これはある意味強い。
催涙弾で対処しる
>>459 まともな武芸者のほうが足が早いな、普通。逃げるところを追いつかれて切られる。
しゃがんで石拾ってる間に追いつかれて切られる。
足の速さが同じだったり、投石する側が城壁や槍衾に守られている場合は想定外だな。
>>462 >>459は投石隊100人対剣豪100人の想定だからね。
そんな条件は最初から設定されていない。
何冊か鈴木本や藤本本を読んだだけの素人なんだが、このスレじゃ武具の話とか馬の話とか鈴木の意見は大体否定されてるけど、評価できるような彼の研究って何かないの?
流れをぶった切るようですまん。
そもそも本当に自分で調べたものなのかどうか
藤本はともかく鈴木には無いんじゃない
アジテーターとしての才能は評価できるな。
宮本武蔵が戦場で役に立たないのは剣での白兵戦じゃなかったから。
469 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 12:08:38.56
そもそも1対1の果たし合いで無敗だったわけで
ガチの戦場経験少ないんだからそんなもんでしょ。
アリスターオーフレイムをリビアの紛争地帯に
送り込んでも活躍出来ますか?って話。
でも関が原、大坂、島原、全てに参加してるってすごくね
戦場で活躍するのが目的なら剣術よりも鎗術だろうな。
戦国時代の武術は総合武術なので分けて考えることもない。
念流も戸田流も神道流も新陰流も刀槍併伝。
『五輪書』では槍や薙刀については「合戦の場にしては肝要の道具也」とあるが、
一方で「鑓・長刀も、事により、つまりたる所にては其利すくなし」ともある。
刀に関しては「太刀はいづれの所にても大形出合ひて利あり」。
これだな
五輪書
地の巻
一、兵法に武具の利を知と云事
(前略)
脇差は座のせばき所、敵のみぎわへよりて其利おほし、
太刀はいづれの所にても大形出合(て)利あり。
長刀は戦場にては鑓におとる心あり。鑓は先手なり。長刀は後手なり。
同じ位のまなびにしては、鑓は少つよし。
鑓長刀も事により、つまりたる所にては其利すくなし。取籠り者などにもしかるべからず。
只戦場の道具なるべし。合戦の場にしては肝要の道具なり。
(中略)
弓は合戦の場にて、かけひきにも出合、鑓わき、其外物きわゝゝにて、
はやく取合するものなれば、野相の合戦などにとりわきよき物也。
城せめなど、又敵相二十間をこへては不足なる物也。
(中略)
城郭の内にしては鉄砲にしく事なし。野相などにても、合戦のはじまらぬうちには、其利多し。
戦はじまりては不足なるべし。
弓の一ッの徳は、放つ矢人の目に見えてよし。
鉄砲の玉は目に見えざる所不足也。此義能々吟味有べき事。
馬の事、つよくこたへてくせなき事肝要也。
惣而(て)武道具につけ、馬も大形にあり(歩)き、刀脇差も大形にきれ、
鑓長刀も大かたにとを(通)り、弓鉄砲もつよく、そこねざるように有るべし。
(後略)
大阪冬の陣では300以上の大筒、ヨーロッパから輸入の大砲5門使ってるんだが。
みてないのかな。
武蔵が関ヶ原と島原で従軍していたって話はよく聞くけど、大坂の陣はどうだろう?
武功夜話を偽書だと言うと一夜城肯定派とか光栄歴史ゲームユーザーに叩かれるから三段撃ちのほうがいい。
>>334 イスラムの少女がサバイバルナイフで屈強な男の首を切断して処刑する動画があったが、
その娘と勝負させたいな
ひどいことを考える大人がいるものだ。
サバイバルナイフで首取り!そういうのもあるのか。
首おいてけ
サバイバルナイフは首取りの道具。戦闘では使われない。
実際問題として、片手で自分自身の体の近くを長い刃物持ってぐりぐりとやるよりも扱い易いのは短い刃物だよな。
相手は生きてて抵抗する場合もあるし。
生マグロの解体ショー見て思いついた発想にしか思えないよなw
鈴木は実際は首取りには脇差や右手差を使う、こっちこそが
本当の首取りの道具、と書いてる。刀は首取りの道具とか大々的に
書いておきながらワケがわからない。
東スポかよw
確かに見出し詐欺だなw
でも『刀と首取り』というタイトルの本でそう書いてるんだからしょうがない。
刀は首取りの道具(←ここまですごく目立つ大きな文字 ここから見落としやすい小さな文字→)?
こういうことですねわかります
東スポの見出しか、例えとして秀逸だw
496 :
日本@名無史さん:2011/05/01(日) 19:02:03.44
497 :
日本@名無史さん:2011/05/01(日) 19:47:13.84
期待して開いてみたけど蛸壷化しててつまらないスレだった。
感想おわり。
そりゃあよかったね。
今さら鈴木絡みのネタで何を期待するんだかw
もしかして遅れてきた鈴木信者?
500 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 08:28:17.96
議論を避けて逃亡したようにしか見えんぞ。
言いたいことがあるならもっとはっきり具体的に言えばいいのに。
鈴木は認知症の朝鮮人
釣りか?
本人が自著のなかで「紀州雑賀衆鈴木氏の子孫」だと言ってるんだが。
ボケ老人が言い出しそうなことだなw
うちの爺さんも信玄の家臣筋の出だと晩年急に言い出したからな。
ちゃんと家系図が残っていてまったく関係無い商人の家なんだがw
ぷっ、商家で家系図もないもんだw士農工商なのにw
それに夫婦同姓のせいで日本では家系なんて意味無くなっているw
つまり雑賀鈴木氏の子孫だというのがますます意味の無い怪しい話だということだな
文禄慶長の役の頃、雑賀衆の一部が朝鮮に寝返ったといわれているが・・・。
507 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 23:16:05.24
期待して開いてみたけど蛸壷化しててやっぱりつまらないスレだった。
沙也可=雑賀説って面白いよな
蛸壺に出たり入ったりするのが好きな人がいるようだな
↑自分で面白くなりそうな話題の一つも振れない蛸が一匹w
511 :
日本@名無史さん:2011/05/03(火) 11:05:26.97
具体的にどう蛸壺化してるんだか
この間戦国板に貼ったものだけど、烟田(かまた)文書(京都大学総合博物館所蔵・『鉾田町史中世資料編 烟田史料』所載)から
手柄や受傷など、それが白兵戦によるものか遠距離戦によるものか、不明かを分類してみた。
白兵戦:9件
「二九 塙政茂軍忠状写」
手柄:怨敵三騎を討ち捕え(白1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人井河又三郎幹信御敵一人を切り落とす(白2)
負傷:家子鳥栖太郎三郎貞近右小膝を切られ(白3)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人富田左近允信之、御敵の頚を捕りおわんぬ(白4)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
手柄:鳥栖太郎三郎貞親壁を切り破り、城内に責め入り、散々に合戦を致し、切り捨てせしめおわんぬ。(白5)
:同じく若党富田次郎太郎信行、同じく城内に責め入り切り捨ておわんぬ。(白6)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:(飯田民部丞)前浜の御合戦において太刀打致し(白7)
:武者一騎切って落とし、頚を捕らんと欲するところ、御敵堕ち重なる間、押し隔てられ分捕れざるの間、証拠として腰刀を捕りおわんぬ。(
白8)
負傷:飯田民部丞御不審の刻、乗馬を切られ(白9)
遠戦:4件
「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:旗差弥次郎男射殺されおわんぬ(遠1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
負傷:(家子鳥栖太郎三郎貞近)同じく乗馬を射らるる(遠2)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
負傷:旗差別当三郎国重左肩を射られおわんぬ(遠3)
「一一四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:日々矢戦仕る。(遠4)
不明:8件
「二九 塙政茂軍忠状写」
戦死:山本四郎義長討ち死に(不明1)
「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:家人鳥栖彦太郎幹安討死におわんぬ(不明2)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
負傷:若党新堀修理亮公夏右脛に疵を被りおわんぬ(不明3)
「七一 烟田重幹軍忠状写」
負傷:家人小高根三郎左衛門尉・塙衛門二郎疵を被る事(不明4)
「七五 烟田重幹軍忠状写」
負傷:切岸において合戦、若党鳥栖式部丞疵を被りおわんぬ。(不明5)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:(前浜の御合戦において太刀打致し)若党松山左近将監疵を被る(不明6)
「一○六 烟田幹胤代胤幹軍忠状写」
負傷:城責めの時、最前に切岸に上り、合戦を致すの間、家人小高根左衛門四郎疵を被るの条、(不明7)
「一一二 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:庶子上谷田疵を被りおわんぬ。(不明8)
以上、『烟田文書』として伝わるうちに、内容の重複しない軍忠状は17件。
ただし「五五 烟田時幹軍忠状写」「五九 烟田時幹軍忠状写」「七七 烟田重幹代井河信吉軍忠状写」
「八一 烟田重幹軍忠状写」「八三 烟田重幹軍忠状写」「一○三 亀谷田胤幹軍忠状写」からは
手柄や受傷などの情報を得られなかったので、それらを除いた11件が今回のサンプルということで。
515 :
日本@名無史さん:2011/05/05(木) 19:04:27.50
烟田氏は常陸大掾氏の一族である鹿島氏の分家で、「鉾田町史中世資料編 烟田史料」総説に
「激動の中世を必死で生き抜いた小さな武士団」と評されるような地方の小勢力ではあるけれども、
尊氏軍に属して鎌倉入り都入りをしたり、以降も在地の合戦で北朝側として小田城攻略などに従い、
あとは小山若犬丸の乱、上杉禅秀の乱と、従軍した戦いはメジャーなところが多いので
これらの戦いぶりは地方の小合戦での戦いぶりを示したものではないよ。
個人的には軍忠状の手柄や戦傷から当時の戦いぶりの全容がわかるという説には無理があると思うんだが、
この烟田文書軍忠状の統計からは何が見えてくるだろうか?
>>512-513 手柄は白兵が多く、負傷戦死は遠戦が多いね。
これは、武士にとって白兵による死傷は武芸不心得によるもので恥になって、
遠戦による死傷は不可抗力なので恥ではなくて、むしろ積極的に戦闘に参加した証拠になる。
そういう状況があって
軍忠状として報告する際に白兵による死傷は報告されにくく
遠戦による死傷は報告されやすくなる傾向を示すことになるんだと思う
言い換えれば報告者が都合よく情報操作してるってこと。
だから鈴木の統計で遠戦による死傷が多いのも
こういう報告上の情報操作があると思う。
>「九四 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:(前浜の御合戦において太刀打致し)若党松山左近将監疵を被る(不明6)
これは不明だけど白兵時の負傷だから原因は何であれ遠戦志向の結果ではないよね。
白兵の負傷2件に対して矢傷の戦死1件負傷2件なので多いというほどでも。
太刀打ちや切り捨て切り落としなどが複数あることに比べ矢戦の報告が1件というのが
遠戦志向でないことを表してるな。
鈴木は小和田以下のゴキブリ物書き
520 :
日本@名無史さん:2011/05/06(金) 21:06:20.76
双方が刀で切りあっていたとしても、それは首取りという習慣がなかったら
本来起こりえない「白兵戦」らしきものでしかないとか書いてたよな。
刀を使った戦闘は認めているんだがそれを解釈で白兵戦ではないとしてるんだよw
521 :
日本@名無史さん:2011/05/06(金) 21:24:17.48
そういうヤツらってなんでそこまでムキになって日本刀の使用を否定したいのかさっぱりわからんな。
例によって否定派の方が明らかに情弱だし。
まあ落ち武者なんていくら日本刀を振り回しても、農民兵の竹やりに串刺しにされてしまうけどね。
524 :
日本@名無史さん:2011/05/07(土) 00:16:07.93
その日本刀相手に醜態をさらす明軍や朝鮮軍は農民以下ってことでw
まあ、農民は竹槍だけじゃなくて槍も刀も持ってるんだけどさ。
>>523 抜刀した一揆勢に切りかかられて織田家の一門はじめ多数討ち死に
という史実なら知ってますが。
『信長公記』
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、
伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。
526 :
日本@名無史さん:2011/05/07(土) 03:35:56.04
鈴木は在日が最も好んで使う通り名
528 :
日本@名無史さん:2011/05/08(日) 00:09:52.70
落ち武者は怪我して体力消耗してへろへろで逃げてんだけど
負け犬の遠吠えなんか、いつまでも相手にすんなよ。
自称研究者
531 :
日本@名無史さん:2011/05/10(火) 17:37:28.53
確か鈴木説だと織田軍が抜刀した一揆勢に犠牲者多数を出した理由は
「だらしない」とか「相手がそんなことをしてくると考えなかったのだろう」
とかで片付けられてたよなw
研究者の見解とはおもえないw
533 :
日本@名無史さん:2011/05/13(金) 13:28:19.78
俺がやった釣りレスが青字で強調されててワロタww
535 :
日本@名無史さん:2011/05/13(金) 19:09:49.39
しかしスレが現役な上、本文読めるミラーがたさんあるのに
そんな余計な編集入ったところなんか好き好んでわざわざ見るバカがいるんだろうか?
>>532 「物には限りがありまするが、ただ無限にして無尽蔵なのはこの精神力なのであります。」で育った世代なんだなあと。
537 :
日本@名無史さん:2011/05/16(月) 09:09:24.21
期待して開いてみたけど蛸壷化しててつまらんスレだ。
大学で歴史系専攻してる以上のヤシが多いのだろうが、
やはり大学で文系のしかも歴史系なんかに行くのは根本的に地頭がおめでたいヤシだな。
たかが三行でそこまで読みづらい文章書けるってのも才能だよな。
539 :
日本@名無史さん:2011/05/16(月) 17:03:48.22
いや流石にそれはオマイがバカ過ぎるだけw
毎度毎度の負け犬の遠吠え乙であります
ヤシっての見たの何年ぶりだろう?まだガイシュツとか使ってる人なのかな?
542 :
日本@名無史さん:2011/05/17(火) 12:13:24.62
蛸壷化は衰退の証明
鈴木論者が衰退してるからな
戦国板のスレなんか鈴木と関係ない話題の知識自慢大会やってるしな。
揚げ足取り大会といったほうが適切かも
546 :
日本@名無史さん:2011/05/18(水) 11:07:24.87
白兵戦の手柄は多く、矢傷は城垣に攻め寄ったときや楯際で受けている。
肉薄の結果、矢傷を負うことが多かったと解釈してもよさそうだが。
『野本鶴寿丸軍忠状』
・建武二年十二月八日(中略)切落御敵一騎、欲取頸之処、
・建武三年正月三日(中略)最初押寄城之辰巳角、切入城垣之処、信経左右頬於被射抜畢、
・同八日(中略)亦彼等四人、打破橋上之箭蔵、切入之処、踏落中橋桁之後、岩瀬又太郎胤経被疵畢、
・同十六日合戦(中略)追籠御敵於法勝寺脇而、纐纈直垂所着之武者一騎切落之畢
・亦責付御敵之楯際而相戦之刻、被射信経之乗馬畢
・同三十日合戦、於法成寺西門前、朝行郎等椙本余一吉弘、組落太田判官家人関孫五郎而、
則取頸畢、
・去年(建武三)十一月三日、横田毛原合戦之時、分取頸一、入大将見参畢、
・今年(建武四)三月十日、(中略)致合戦之忠節之処、切落御敵一人畢、
547 :
日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:48:52.00
開いたらどうやらアニメのスレらしい、
俺はそっとタブを閉じた。
549 :
日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:40:20.72
アニメやゲームだと知ったかが多くて困るね
イメージや聞きかじった知識だけで語るからね
基本的に歴史知らないし
知らないなら知らないでも構わんのだけど、わけのわからんデムパ飛ばされるとなんだかなーと思うのも確かだw
>>547 なにそれ?歴史と関係あるのか?気持ち悪いな
553 :
日本@名無史さん:2011/06/03(金) 09:36:24.34
>>550 >>551 ああいう連中は史料とか論拠を出してあげてもその聞きかじりの知識を理由に否定するから
議論にならないw
このスレにあんま関係ない話題ですが
ネットで知った。戦国良い話悪い話の知識で歴史語ってる人がいるんだけど、
あのブログってどれくらい信憑性あるの?
あれは出典が二次史料だろうが三次史料だろうがおかまいなしだし
そもそも真偽の詮索はしないってスタンスだろ。
出典が明記されていても全然違うことが書いてある場合もあるから要注意。
『群書類聚』『史籍集覧』等にある軍記物とか逸話集で大半見つかるだろうし
語るより前に自分で確認したほうが吉。
ただ、あなたの話を聞く人たちがいい話悪い話に書かれているほうを信じて
実際の文献に書かれていることには耳を貸さない場合もあるかもしれないけどねw
>>554 サイトの米まで読めば、明らかにおかしいのはツッコミが入ってるのが多いので、そこまで読んで判断してくれ。
ネット上の情報の取捨選択は、読んだ奴の責任だろ、結局。
厩橋城に棲んでいた古狸が城の攻め方を追い払った話は、紛うこと無き史実ですよ。(ヲイ
>>555-557 なるほど、そういうサイトなのか
あれで知った話をどや顔で話す人が居たので
逸話は本当かどうかはともかく、ある歴史上の人物がのちの時代にどう思われてたか、って意味もあるからね。
この人は昔からこのイメージなんだー、とか。逆に、え?こんなイメージで見られてたんだ、とか。
それの元ネタ史記だろ的な支那の古典的逸話を日本の戦国時代の人物の話にしちゃったのも幾つかあったよね。
一次資料から抜き出した逸話から日本昔話的なお話しまでを楽しむスレの纏めサイト。
もうちょっと出典とかしっかりしてれば逸話のインデックスとして機能するんだけどね。
>>563 確かに
明らかに司馬小説とかからの引用だろうなーと思うネタもあるからな
まぁ、そこも含めて楽しむサイトだと思うが
565 :
日本@名無史さん:2011/06/16(木) 16:14:07.78
566 :
日本@名無史さん:2011/06/19(日) 14:43:26.20
567 :
日本@名無史さん:2011/06/21(火) 09:52:38.94
>>14の
・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。
みたい
569 :
日本@名無史さん:2011/06/21(火) 16:42:44.20
家康の護衛は首取りの道具を手にした人ばかりだな。
570 :
日本@名無史さん:2011/06/24(金) 15:47:17.91
自分らの陣形が崩れて不利なときとかにこんな抜き身を手にした集団が押し寄せてきたら
混乱や恐慌が起きるだろうな。
合戦の舞台は確かに農閑期の田畑や河原などの開闢地だけどその周辺は
雑木などが入り組んだ森林 すぐに戦場は移動するし 雑木林の中で
三間槍なんて使えるわけないな
>>571 槍は突く事ができるから雑木林は願っても無い環境じゃないかな?
雑木林は振り回す武器が不利、動き辛さは突撃・突進系が不利と思う。
槍は上から打ち下ろす打撃が主な使用法
雑木林の中だと上の枝に当たって使えない
「槍」って言うとなんだか分からなくなるよ。
長槍と短槍・馬上槍はちゃんと区別しようや。
長槍は西洋で言うとポールアームだよね。
何にしろ雑木林で槍なんか使ったら、
横に廻られるだけで詰む。
>>575 短槍については狭い室内で使う技法とかもあるよ。
分けて話せと言うに。
>長槍は西洋で言うとポールアームだよね。
九尺の手槍とかはあちらじゃポールアームに分類されないっての?根拠は?
578 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 06:11:46.66
区別しようとか分けて話せとか注意する人間が分かってないって滑稽すぎる。
もしかしてパイクだよねといいたかったのか?
多分、ゲームか何かの分類で、
槍がポールウェポンとは別になってるのを真に受けたんだと思う。
ヨーロッパじゃ槍もポールウェポン(棒の先に刃物などをつけた武器)なのにね。
というより槍こそポールアームの典型ではw
槍がそれらから区別されるとは初耳www
>>572 槍も刀も突く事も出来れば振り回す事も出来るけど。
周囲に木が林立してる場所だと
槍は手元に引くにも後ろまで注意する必要がある。
突いてかわされて横に動かれたら、槍を引いて仕切りなおすしかないが
後ろの木の心配までしないとならない。
突ける状態=槍を引いたまま、旋回出来るかどうかも場所次第。
とにかく取りまわしに刀の数倍のスペースが必要なのが槍。全然有利には思えないけどね。
583 :
日本@名無史さん:2011/07/04(月) 12:58:09.40
明側の対倭寇絡みの評価だと、日本の鑓は「重い鎗」であまり魅力的には感じていないようだ。
戚継光らの明将が日本刀を自軍に取り入れたのに対して、鎗類はほぼスルー。
これは倭寇が使った戦術・日本刀で相手の鑓の穂先を切り落として鑓を武器として無効化する、から逆に考えてみる。
日本の鎗類にこれに対する対抗策が施されていたのは幾つかの逸話からも散見される。
穂先が切り落とされないよう、金輪や金属板を巻いて補強するというのがそれ。
また、鎌鑓や十字鑓のように相手の武器類を受ける能力を持ったもの・これらは攻防一体型の採用もある。
逆にこれらは先端部分の補強等々によって重くなり、取り扱いが難しくなるという面もある。
まあ、その為に独特の鑓術が必要になるだろうし、筋力体力の強化も必要になるのだろう。
一般兵士の武器として他国の軍が採用するにはハードルが高かったのかも知れない。
以上、足軽の長槍ではない侍の手鎗について。
細川幽斎覚書には鑓を戦場で折って短くするなんてとんでもない、平地の戦では長いのが一番、みたいな記述がある。
現実には長さよりも取り回しのよさを求めて短くする例が多かったことも示唆しているね。
586 :
日本@名無史さん:2011/07/08(金) 15:36:46.17
百人斬っても切れ味が落ちず刃こぼれも少ない日本人が手にした中では最強の武器はやはり日本刀だった。
火縄銃では個人戦でも集団戦でも日本刀には勝てない。
やっぱり普通に行なわれていた騎馬突撃。武田騎馬軍団も間違いなく存在した。
長篠の三段撃ちは事実。信長は間違いなく日本人最高の軍事的天才。
武功夜話は日本戦国史における最高の第一級史料として価値が定まる。
関ヶ原での家康の勝利は、伏見城攻防戦の時点で確定していた。全ては権現様の計画通り。
以上のように、鈴木が罵詈讒謗で否定してきたことは全て無に帰したのであった。めでたしめでたし。
なんで三段撃ちがそんなに問題視されるのかわからない。
いや別に事実であるという根拠を何か持ってるわけでもないんだけど。
そんな別に時代的に飛躍してるとも思えないし、
逆に天才と言うほど物凄い発想とも思わないし。合理的で優れた戦法だと思うけど。
なんかさあ、昔の人間は馬鹿だった、合理性というのは近代の発明って発想が見え隠れするよな。
合理性なんてものは、無学の肉体労働の職人でも持ってんだよね、自分の経験分野に限れば。
むしろそういう発想の奴が合理性を理解してないんじゃないかと思ったりするわ。
「コイツ、働いたことねーの?」って思うような時はあるな。
590 :
日本@名無史さん:2011/07/11(月) 08:13:23.61
三段撃ちに類するものは西洋ではクロスボウの時代からあるでしょ。
中国だと古代から弩があるから下手すりゃ紀元前の大昔からあるんじゃない?
強力な射撃兵器の連射速度が遅いならそれをカバーしようという工夫は、連弩
とかの変わり種見ても明らかなように古代から連綿として行われてきたこと。
不便な道具をろくに扱ったことも無い人間が妄想で考える以上のことは、先人
たちがとっくに通過していたってだけのこと。
突進力なら騎馬が歩兵に勝る。
その騎馬に三段打ちを行うなら、
歩兵に対しても三段打ちが有効。
ならば歩兵は銃兵に勝てないわな。
そういう理屈でばかりものを考える人が大将だとこういう目に遭ったりするんだろうな。
フロイス『日本史』
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
なら騎馬隊も鉄砲隊に勝つんだ。
・織田の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、武田軍は太刀をふりかざし弓をもって(尚且つ騎馬の突進力を加え)、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
土佐の鉄砲隊が三段打ちをしたとしたら太刀を振りかざした薩摩軍はどうなっただろうか。
フロイスを引用しても三段打ちの事例じゃないんだからズレてる。
>>596 こんなこともあろうかと柵を築いておいた!
太刀に勝てない鉄砲を金をかけて導入する大名はアホだな。
鉄砲が売りの紀州雑賀衆や根来衆なんてのも太刀の兵士が相手ではボロ負けするだろうし。
太刀に勝てない弓や槍や鉄砲を兵科としてそろえるのは騎馬対策なのだろうか?
鈴木信者が別に鈴木説じゃない部分までわざと否定して見せることで、
鈴木説否定者がおかしい人だと自演して見せるインターネットは
ここだよ。
>>597 一緒、というかできない。どういう状況で土佐の鉄砲隊が薩摩の襲撃を
受けたかわかってれば三段撃ち以前の問題だと分かると思うけど、
もしかして自分で『日本史』見てないのかな?
603 :
日本@名無史さん:2011/07/12(火) 09:06:53.94
>>597 >>587のクズは、刀は絶対に鉄砲に勝てないという自分の主張をさかさまにして
>百人斬っても切れ味が落ちず刃こぼれも少ない日本人が手にした中では最強の武器はやはり日本刀だった。
>火縄銃では個人戦でも集団戦でも日本刀には勝てない。
こんなことを書いてるから。何も三段撃ちに限った話じゃないようだけどね。
近代でも悪天候だの地形だので抜刀が活躍した例があるんだから戦国時代の
制約の大きい火縄銃じゃ常に絶対的な優位とはいえないよ。
>>603 僕も貴方のように様々な環境があり様々な事例があるって理解している人は信頼できます。
抜刀が活躍した例もあれば違う例もあるわけですから。
嫌いなのは抜刀が活躍した例を引っ張ってきて「この例が示すように抜刀最強」なんてやってる人です。
一事が万事で物事を考え、その価値観で多様性を認める人を攻撃するのは理解できません。
意図的に煽ってる人がいるのに、それに対してマジレスする人がいて、さらに煽り立てる人がいて
実に2chらしいインターネットですね、ここは。
10年以上2chに書き込んでるものとして、なんとなくほっこりしてきました。
606 :
日本@名無史さん:2011/07/12(火) 22:37:06.07
>>604 誰も抜刀最強なんて言ってないからさ。勝手に見えない敵と戦うなよ。
まあ、2ちゃんらしいっていうかなんというか。
608 :
日本@名無史さん:2011/07/13(水) 14:13:23.29
あー前スレで
鳥獣戯画持ち出してきた馬鹿を思い出すなコイツ→
>>604
そもそも鈴木の爺さんが言ってる「最新の学説」なんて1960年代後半から1970年代のものだよ。
おっさん世代だからな、厨房の頃に歴史の教師が「弓矢鉄砲がメインで云々」言ってたのも憶えているよ。
釣り糸垂らすのもタイミングというものがあるんだなあw、と感じた。
612 :
日本@名無史さん:2011/08/02(火) 15:57:06.97
うーむ
遥か昔、遠い宇宙の彼方で起きた銀河大戦では光の剣が猛威をふるったという・・
戦記関係の資料をみたけどビームライフルよりビームサーベルのほうが強いよ。
そうかそうか
〜書籍名書いてないのにあれのことか・・・とわかるコピペ〜
「陰謀」論という呼称は、その呼称の対象となった論説に対して、
虚偽ないし風説にすぎないと強調し印象付ける意図で使用される場合がある(レッテル・ラベル)。
ここでは、この呼称の利用者の意図や目的が問題となる。
通説とされる論説、陰謀論とされる論説のいずれにおいても、検証の過程を省略あるいは操作して、
権威主義または反権威主義、ポピュリズム、
あるいは、倫理観、または、自由・平等・国際協調といった理想的概念、感情(恐怖、怒り、民族感情、国家意識から個人の自己愛まで)に
対して訴えかける方式の論説であるときは、それはプロパガンダである可能性がある(報道におけるタブー参照)。
通説がプロパガンダや言論統制により擁護されている場合、権威主義的に通説に依拠して、
「陰謀論」の論者が列記する資料や証拠に対する検証過程を拒否するか省略し、
あるいは自己に都合のよい結果となる事例のみを採用した上で、
「通説と異なる背後関係=>ゆえに陰謀論である=>ゆえに検証を要さず棄却」という論法を採用することが多い。
通説と陰謀論の双方がいずれもプロパガンダに過ぎず、いずれもが事実を表示していない場合もある。
陰謀の存在を語る人間、信じる人間は馬鹿だという雰囲気を漂わせることで、人間の自尊心に訴えかけて言論統制の効果を達成することが可能である。
政府や諜報機関などが、カウンター・プロガンダを用いる際には専門家や大学教授など権威者を利用して、疑惑を消し去るための言論活動を展開させることは常套手段である。
617 :
日本@名無史さん:2011/08/28(日) 15:13:47.85
なんかネタ無いっすか?
何でもかんでも陰謀陰謀言うのもなんだが、全否定してエムス電報事件とかどう説明するんだろw
619 :
日本@名無史さん:2011/09/07(水) 12:13:46.94
>>608 同じやり口だね。
抜刀が活躍した例を挙げているだけで誰も抜刀最強なんて言ってないのにな。
620 :
日本@名無史さん:2011/10/05(水) 07:50:43.02
47 :日本@名無史さん:2011/10/04(火) 02:00:46.80
と言うか合戦の場合メインは槍とか弓じゃね?w
こんな感じの書き捨てはまだまだ多いな。
621 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 23:00:28.29
しまいには2、3人で斬れなくなるから7、8本背負ってとか言い出すのまで現われたwww
98 : 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/10/18(火) 06:45:17.27 ID:UcQwrfGO
>>84 >「刀は抜かない物、己を律する物」
そんな屁理屈は江戸時代の平和な時代に出来たファンタジー。
戦国時代とか遠回りに大勢で槍で突き刺して終わり。
2-3人切れば脂肪で滑って切れなくなるので、7-8本背負って使い捨てにした。
日帝の兵士は百人斬り達成の為、二三人斬ったら使い物にならなくなる日本刀を一人三十本から五十本くらい背負って中国大陸を侵略してまわった。
・・・・・・どーせならー、こんくらい書いてもらわないとーw
日本刀は重さは10kgあるし数人切ったら使い物にならなくなる。 だから戦場では常に サブウェポン。
日本刀が二三人斬ったら使い物にならなくなるなら
かーちゃんが使ってる包丁はスーパー兵器だな
毎日硬い物も含めて切って切って切りまくってる。
滅多に砥ぎもしないのに。
>>623 君の刀は、刃渡り10mぐらいあるんだろうね
お前ら本当にそのコピペ好きだなw
627 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 16:24:25.00
百人切りは戦時中の軍部が戦意高揚の為に祭り上げた事例の一つだろ。
爆弾三勇士とかラッパの木口とか英雄を創りだして戦争遂行に加担させた。
百人切りの事例も検閲等の統制化にあった新聞に軍部が書かせた物。
百人切りの創られた英雄は講演なども行っているが真実を基にしていないために支離滅裂。
629 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 02:28:03.74
しかもその最初の捏造記事は
南京までの道のりで「遭遇した敵兵と戦っていく中で」どっちが先に100人倒すか
を競うって話だった。
要は撃墜数みたいなもんだな
それだ嘘にウソを重ねていくうちに全く別のハナシになっていくという滑稽さ
大本営発表の戦果を記録があるから史実であると後世の人は思うのかも。
うっかりそっちだけ残っちゃうと、アメリカ側の記録と整合性が取れないが?とか
なる可能性はあるよね、一〇〇年も経てば。
だって、もう明治の政治の細かい話も謎だらけになっちゃってるんだぜ?
100年後の右翼歴史家
「大日本帝国は連戦連勝であった。それは当時の大本営発表の資料で裏付けられる。」
「原爆なんて左翼の捏造。広島も長崎も住民が退避した記録は無く投下後も住民は居住を続けているのが証拠。」
「もしも敗戦したのなら多額の賠償金で日本経済は停滞したはず、なのに高度成長したのは戦争に負けていなかったから。」
「8月15日を敗戦の日と呼ばずに終戦の日と呼ぶのは協約で停戦した証拠。」
633 :
日本@名無史さん:2011/11/23(水) 13:24:46.58
元寇や唐入りで日本側の勝利叫んでるアホどもと似てるなあ(笑)
>>633 元寇について書かれる最近の書籍はアチラ側の資料も検証しているために俺達の認識を大幅に変える記述になっているね
日本側の資料も元寇に近時で現場に近いほど日本の武士団の惨状が記録されている
俺達が認識していた台風で大勝利は100年後の記録だったり当時でも現場を知らない人達の伝言ゲームだったりするんだよね
でも情報伝達機能が人伝の伝聞だった当時の記録から希望的選択で史実を認定してしまうのは仕方がないと思う
アホと呼ぶのはなんだかな
635 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 17:29:58.20
荒らしはスルーで
>>632 大本営発表以外の史料がすべて散逸すればそうなるかもな
>刀は、めったに抜きません。だって、美術品ですから。
>平安時代も戦国時代も、戦(いくさ)で最も使われたのは、長刀や弓です。
>武士は腰に刀はさしていますが、それは飾りに近い。実戦で使われることは、ほとんどなかったと言っていいでしょう。
>剣術が発達し、刀で斬り合うようになるのは江戸時代に入ってからです。それまでの刀は、美術品の1つとして扱われていました。
>現在も中世の刀が多く残っているのは、美術品だったから。逆に実戦で使われた長刀や弓は、作られた数の割にはそれほど多く残ってはいません。
東大史料編纂所准教授 本郷和人
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/special/br/index.html
鈴木脳の東大教授w
641 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 16:20:39.75
昔の日本人は戦場に美術品を携帯していったのかw
そして槍が用を成さない場面では美術品で斬り合ってたのかw
そんでもって倭寇は美術品を得物に明軍相手に無双しまくってたのかwww
さらにはそんな見た目だけの脆い美術品の材料作る為の技術が
何故か現代において強靭な鋼を作る為の技術に応用されてるのかwwwwwwwww
こいつは知らなかったなー(棒)
高橋の爺さんも本郷のおっさんも
頭のネジ吹っ飛んでますから
>>641のように権威も知識も無く世間どころか2チャンネルでも無名の輩が何を言っても無価値
誰かが自分のゴミでしかない意見に賛同してくれるなんて夢を見てもムダ
世の中に影響を与えたければ社会的なステイタスを得なければダメ
誰にも必要とされないのに何かをプレゼンしようなんてミジメすぎ
>>643 まともな学者は刀がどうしたとか戦場ではこうだとかやらないんじゃね
646 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 10:09:58.12
648 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 10:15:09.09
>>647 美術品の威力を思い知って自分たちもこの美術品で戦わなければダメだ、と
主要装備の一つにしてしまった明軍ww
美術品でこれなんだから実用品の刀剣ってどれだけ凄いんでしょうね。
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm >嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)この論断は歴史的事実と確かに一致している。
649 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 15:17:00.70
つまり、平安の武士は接近してもあくまで弓を使うかもしくは一気に組みつくだけです、
刀なんて美術品は使いませんって人が清盛の考証やるのか。
楽しみになってきたな。
650 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 15:29:25.30
平家物語に敵に組み付き首を搔き切った、という描写があると思うんだが
刀が美術品で使えないなら何で搔き切ったんだろう?
まさか、巴御前の描写にあるみたいに怪力で首をねじ回して胴体と分離させたとか?
651 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 15:40:11.34
>逆に実戦で使われた長刀や弓は、作られた数の割にはそれほど多く残ってはいません。
こうまで言い切るからには当然刀・長刀・弓がどれだけ作られて
そのうちのどれだけが残存したかが把握されているんだよね?
652 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 16:08:26.49
そういや、正倉院に奉納されていた刀は大量に持ち出されて戻ってこなかったらしいが
実践に使われなかったとしたらなぜ正倉院に戻らなかったんだろう?
そのうちどっかから大量に見つかるって?
戦場で実際どうだったかといような事がスルーされてるのって
そんなテーマじゃ研究予算が取れないってこと?
理系の横好きだから歴史学の世界の常識ってのがよくわからんのだが
654 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 19:44:09.82
何といっても史料が少ない。軍忠状の統計は数値化できるということでその辺画期的だったんだろうが、
あれも生存者の自己申告ということで戦場の全容を明らかにするものではない。
にも関わらず少ない材料からおかしな極論を導き出す連中が後を絶たないから困る。
白兵戦の死傷率は世界史的には5%以下ってのが常識だよ。
大抵の戦争は数的優勢か何かしらの優位が確保できたと判断した側が攻め込むものだろう。
数的劣勢の側は地形に頼るか、城や要塞に頼るかするだろう。
当然、堀や柵や城壁越しの白兵戦なんてなかなか発生するもんじゃないからね。
656 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 22:33:19.29
>>655 その常識というのはどの時代のどういった史料に裏付けられているんだ?
一旦は装備から外した銃剣が前線の要望で再装備されるようになった近代の例もあるように
戦の最後は白兵戦が勝敗を決することは洋の東西を問はない
いきなり乱戦から始まるような想定外の遭遇戦ってどれくらいあったんだろう
見通しの悪い地形、山岳や森林の多いところ。
気象条件的には、雨や雪等の日数の多いところ、霧等が発生しやすいところ。
東南アジアや日本なんかが特に当てはまりそうな感じもするがどうだろうか?
日本史板で「平家物語」を史実だと思っている人がいる事に驚いた
しかも「巴御前」まで持ち出すとは
まあ世界の何所かには歴史の授業でファンタジーを教える
大韓民国もあるらしいが
662 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 08:41:43.38
663 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 23:18:40.55
ソース出せといわれると消える人というのも情けない。
単純に、歩兵が不必要なもの持ち歩くわけがないってことには気づかんのかな
現代の歩兵も美術品である対戦車・対空ミサイルを持ち歩き心を癒している
666 :
日本@名無史さん:2011/12/16(金) 22:19:25.29
ローマ軍団兵も武器は投げ槍でグラディウスは美術品
サーベル騎兵もサーベルは美術品で、武器は馬です。
馬に乗って戦うわけ無いだろ
戦う時は降りるんだよ。
馬は戦場で荒んだ心を癒すための愛玩動物だからな
670 :
日本@名無史さん:2011/12/25(日) 01:20:48.92
この流れくっそワロタw
671 :
日本@名無史さん:2011/12/25(日) 20:24:56.99
美術品や愛玩動物を捨てたから現代の戦争は殺伐としているのか。
672 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 00:21:02.75
ニュー速がステマネタで荒らされてるが、あそこに頻繁に日本刀スレが立つのも
アフィブロガーどものステマって気がしなくもないな。日本刀ネタは
知ったかとか語りたがりが出てきて結構引っ張れるから。
673 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 12:06:54.67
日本刀で人を斬り殺すことは不可能だよ。
まず、日本刀の刃の部分は完全な直線じゃなく微細なギザギザがある。
そのギザギザが対象物に引っ掛かって切れ味を作る。(のこぎりを連想せよ)
脂などが刃物につくとそのギザギザの部分が脂で埋まり、尚且つ摩擦が減る。
それで切れ味はどんどん落ちていく。
675 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 13:50:41.60
吉良上野介って何で殺されたんだっけ?
677 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 14:08:13.93
というか打首にされた人たち全般の立場はどうなるんだw
678 :
日本@名無史さん:2012/01/07(土) 23:18:09.78
679 :
日本@名無史さん:2012/01/08(日) 17:47:40.49
5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/04(日) 16:05:28.80 ID:J0Ab0Tnq0
マケドニア軍だって槍で戦ってたのに、刀がメインになるわけないじゃん
いや、マケドニアの次に地中海世界を制したローマ軍の代表的な武器って何だっけ?
つか、マケドニアが出てくるのにローマのグラディウスが出てこない
このいびつな知識はなんだ?ゲームか何かの影響?
ローマのファランクスも槍と投槍がメインで刀は予備武器じゃね?
ファランクス同士の激突って実際どうだったのか想像がつかん
レギオンの盾並べて隙間から短剣でザクザク刺すのはわかりやすいが
槍同士で勢いつけてぶつかるとどこまで接近するのか
(あるいはどの段階で死ぬのか)
683 :
日本@名無史さん:2012/01/08(日) 20:58:49.30
いや、まず投げ槍で戦うのでローマ兵士は遠戦志向だな。
685 :
日本@名無史さん:2012/01/10(火) 21:55:06.87
グラディウスはとどめを刺すだけの武器。
ローマ人も首とるのか
盾で押し合う距離までいけば、槍装備のファランクスより短剣装備のローマ式歩兵のが強そうだが
隊列組んで正面から当たったときにそこまで密着できるのかな
ローマ軍の基本は密集陣じゃなく、そこそこ散開した間隔でしょ
>>687 盾に投槍が刺さったら重くて持ち続けられない
それでファランクスは崩壊する
結局、騎馬の突撃は戦国時代にあったのなかったの?
有効だったの?意味がなかったの?
691 :
日本@名無史さん:2012/02/17(金) 18:25:48.04
鈴木「戦国の馬はポニーだからそれはないw」
は与太話だということを前提にお聞きしている
じゃあ聞くことないじゃんw
だ・か・ら、木曽馬の突撃がどれだけ有効でどれだけ意味があるか
分かるの?ってことなんだが
695 :
日本@名無史さん:2012/02/17(金) 23:00:32.57
木曽馬が小さくて役立たずならさらに小さい馬に跨ったスウェーデン騎兵は
何だったんだろうな?
モンゴル帝国軍は軍事的に何の意味も無い存在だった。
697 :
日本@名無史さん:2012/02/18(土) 13:43:02.35
関ヶ原や大坂の陣描いた同時代の屏風みたら軽装に刀担いだ連中がかなりいるな。
698 :
日本@名無史さん:2012/02/18(土) 13:48:29.21
697の続きだが、そういう連中描いた場面って勝敗が既に結して追撃戦に入ってそうな局面だからな。
まあ逃げる相手討ち取るのは簡単だから手柄目当てに手軽な武器持って追っ掛けてんだろうな。
699 :
日本@名無史さん:2012/02/18(土) 15:51:01.59
戦場に無駄なもんは携帯せんよな。
刀持ってないやつなんてまずいないから普通に使ったろうな。
そら槍や弓や鉄砲相手にいきなり刀で斬りかかるやつはおらんだろうが。
700 :
日本@名無史さん:2012/02/18(土) 15:57:20.23
なんか急に厨っぽいカキコが増えたなw
何タル事ニヤ、上方ノ士、馬ヲ入レル事カ無きソ
(武田旧臣の彦根藩士)
何ということだ。上方の侍は戦場では馬から下りて戦う。
702 :
日本@名無史さん:2012/02/19(日) 01:25:14.64
つうか、普通に馬上で戦闘してる絵があるじゃん。
下方の武士は馬に乗って戦うってことじゃね
40キロくらい荷物背負って半日歩けば無駄な物を持つってことがありえん事くらいすぐわかる
705 :
日本@名無史さん:2012/02/19(日) 10:48:56.37
木曽馬突撃の利点を挙げてくれ
武田の旧臣は馬に乗って戦うものだと思っていたわけだよね?
とりあえず、利点と弱点を挙げて論点整理すべきだと思う
まず単純に重い武者鎧を着て歩いて移動するより、騎馬のほうが楽。
上から切り下ろすことになるので有利。
高い位置から見ていれば視野も広がる。
突撃する際、馬の体重で歩兵を蹴散らせる。
そして、重装甲ででかいものが突進してくれば普通の人間は逃げる。
707 :
日本@名無史さん:2012/02/19(日) 12:13:14.82
おまえは、槍の存在を忘れているw
騎兵突撃を槍で止めるのは回りこまれないようにある程度集まって槍衾を作らないと無理。
しかも、兵の訓練が足りないと恐怖に負けて逃げる。
陣形が乱れた所で騎兵突撃を受けるとどうなるかはナポレオン以前から証明されている。
陣を組んで長柄を振り回してるところに騎馬で飛び込んだらダメだろうが、そんな状況で
騎馬突撃なんて古今東西やらない。
大鎧は馬上で弓を引くことを想定して作られたもんだし
太刀の反りだって馬上で扱うこと前提のものなのに
日本に騎馬武者はいなかったなんて言う男の人って・・・
鈴木本を盲信すればそれ一本で済むからお手軽
実態の一端を真面目に理解しようとすれば、馬や刀、槍、弓矢、鉄砲、甲冑などの武具
当時の軍編成や一般的な戦闘のあり方も多少は知ってないと解らないから
馬鹿にとってはありがたい
>>705 お前が木曽馬を特殊視する理由を教えてくれ。
712 :
日本@名無史さん:2012/02/19(日) 21:57:32.84
713 :
日本@名無史さん:2012/02/20(月) 19:44:54.00
木曽馬の突撃とモウコウマの突撃は同じ内容だったの?
木曽馬の突撃で敵を蹴散らしたれ言って具体的に何?
ニホンコムチュカチテスネ
715 :
日本@名無史さん:2012/02/20(月) 20:29:02.81
昔の日本の馬は、体高(前足の部分で肩までの高さ)が130センチくらいしか
なかったのでしょう?まあ、乗馬する人もそれを攻撃する人も現代人よりは小さかった
でしょうが、そのような馬で歩兵の群れに突っ込んで「歩兵を蹴散らす」ことが効果的に
(騎兵側の被害を最小限にして)可能だったのでしょうか?
槍は、刺すだけでなく、横方向に振って馬上の兵士をたたき落とすためにこそよく使用された、
という話も聞いた事があります。鎧を着用し武器を携えた兵士を迅速に移動させることには
馬は向いていたでしょうが、それを「近接戦闘の武器」として効果的に使用できたかどうかは
?です。
>>715 うしろから随伴歩兵のように従者がついていく
>>715 モンゴルの重装騎兵は農耕民の歩兵を突撃により度々破ってる
718 :
日本@名無史さん:2012/02/20(月) 21:56:27.79
モンゴルの騎兵は軽装騎兵。
連中が強かったのは機動力と馬上弓の威力だよ。
いやモンゴル軍は弓騎兵と重騎兵の二本立てだから・・・
西洋の騎士の時代の馬も小さいよ。
近代軍馬のような大型の馬は本当に近代になってから。
いくら小型っつっても人間の2倍以上の重さはあるし、それが乗り手と一緒になって伸し掛かれば
パワーは圧倒的。
人間は所詮動物にかなわない。
槍を振り回して倒す、ってちょっと物干し竿振り回して自分に向かって走ってくるバイクに乗ってる
人間にジャストミートできるかどうか考えてみろ?
>>715 近世騎兵戦術の先駆けであるスウェーデン騎兵だってこんなもんだ↓。
『グスタヴ・アドルフの騎兵』
・1622年と1623年の装備目録によれば、スウェーデン騎兵部隊の馬の平均身長は、幹部クラスの馬で
14ハンド(1m43p)、騎兵用はわずか11から13ハンド(1m12p〜1m33p)だった。胸甲騎兵の馬でさえ、
「鞍をつけて14ハンド」にすぎなかった。
724 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 00:26:03.35
畷の多い西国では騎馬の威力発揮する場所は少ないだろうな。
戦が大規模になるほど。
おっさん↑世代だと風と共にさりぬ(映画)で落馬して死んだ娘が乗ってた馬とかね。
鈴木の「戦国時代の馬はポニーサイズだから騎兵隊なんて無かった」って説を信じちゃう人が多いのは
ポニーってのはそういうちっちゃいのだけだと思ってる人が多いからなんだろうね
しかも去勢してないんだよ…
731 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 09:27:30.65
去勢してない馬は猛獣だよな。
犬でさえ大変なのにあの大きさの猛獣はそれ自体戦力だがな。
まあ操馬する方は大変だけどw
732 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 10:57:06.30
むしろ日本だとそういう荒馬を乗りこなす奴ほど剛の者みたいな風潮があったよね。
733 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 11:27:33.80
強弓を引くのを良しとするのと同じ風潮だな。
734 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 18:10:08.87
日本には軽騎兵ってなかったんだろ?
それに組織的な騎馬隊もなく、歩兵との混合。
イメージとしてはあくまで歩兵と一緒に戦っていて、
たまに短距離の突撃で敵を蹴散らしたでOK?
735 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 18:26:42.58
多分それでオッケー。
組織的な騎馬隊がないってのがポイントかな。
組織的な騎馬隊にするにはやはり馬は去勢しないと難しいんでは?
結果的に騎馬の集団突撃みたいになることはあったろうけどね。
組織的な騎兵隊があり
馬上突撃を敢行して戦果を挙げたのだよ。
2ちゃんには比率という概念が無いw
738 :
日本@名無史さん:2012/02/22(水) 19:39:40.59
>>722 槍は、正面からたたくのではなく、横からでしょう。他にもいろいろと騎馬兵を落馬させる道具は戦国自体に
ありますよ。最初の一撃は強力で効果があったとしても、つぎつぎに出てくる歩兵をどう騎馬兵は始末するの?
去勢していない馬、ご覧になった事あります?見方や乗り手にとってもあれば危ない(脚を引っ張る可能性のある)
ものですよ。敵兵の群れに突っ込んだとたんに馬が暴れて馬から落ちて落馬して.....
競走馬の大半は去勢してない馬ですよ
藤堂高虎が耄碌して妄想を書いているのでない限り
まあ騎乗突撃はあったんだろう。
藤堂高虎家訓200箇条
第174条 一戦の砌馬を乗入候共鑓先揃たる所へ乗込へし必番鑓持たる下人也鑓先揃はさる所ハ面々得道具持侍共也
戦いのとき、馬を乗り入れる場合は槍先を揃えている所へ突っ込むべきだ。そこは、粗末な槍を持った下人の場所である。
槍先が揃わない場所はそれぞれの侍の面々が、いい武具を持っている。
742 :
日本@名無史さん:2012/02/22(水) 22:58:59.05
>>725見ればわかるとおりその騎馬兵を落馬させる道具を馬上で使ったりしてるんだがwww
744 :
日本@名無史さん:2012/02/23(木) 04:41:45.85
>>739 競走馬は、品種改良されつくした馬ですよ。
>>738 日本の武士(騎乗の士)はそれができる訓練を積んでいるんですよ。
でなければ、そもそも日本に乗馬文化はないでしょう。
というか、その「猛獣」を農作業に使っていたわけですが。
「猛獣」を使って畑を耕してたと言いたいんですか?
歩兵が出てきたら、って騎兵側が歩兵集団の中に一人で突っ込む
ところしか想像できないんですか?
三国志演義じゃあるまいし。
746 :
日本@名無史さん:2012/02/23(木) 09:31:33.31
『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。
・同、馬上にての心持、たがひにかたなにてかかつて来るものは、かかるものの左のかたへわり、
馬のつらをのりかくるやうに、心持専一なり。右の方へなる時は、あわする心持一つなり。
・下に刀にてゐるものきる心持、まづわをのりかけてまはしたるよし。右にゐるものをきらんとおもはば、
みぎのあぶみをふみはり、くらをすかしてきりたるよし。左にある時は、左をふみはり、是もくらを
すかし、すみのくらにてきりたるよし。
一次資料も二次資料も読んだ事も無いのがあからさまで、単なる妄想垂れ流しな書き込みは荒らしと同じ。
748 :
日本@名無史さん:2012/03/14(水) 17:26:08.09
唐揚げ
>>715 アラブ馬も体高は140a〜150aだっけ。
日本で歴史に残る名馬もこのくらい(それ以上の化け物じみたのもあったようだけど)。
>>732 在来馬は、大人しく忍耐強いとは聞くけどね。
これが去勢した蒙古馬だと、繋いでおけば身じろぎもせず、数時間じぃ〜っとしているとか。
アジア在来種は総じて大人しく素直なのかも………
…って、イザベラ・バードによれば、どこぞの半島の馬(日本種より小型)は、
気性が激しい(=臆病)ってのがあったような。
自称騎馬民族は馬の馴致や飼育が苦手なのかもしれんね(虐待でもしてたのかねえ)。
蒙古軍兵士の直系の子孫なのに・・・
751 :
日本@名無史さん:2012/04/02(月) 10:00:11.52
2ちゃん無くなったらどうなるかな
どっかで別なところで保存してる?
753 :
日本@名無史さん:2012/04/06(金) 22:23:41.36
誤爆?
754 :
日本@名無史さん:2012/04/08(日) 13:13:37.24
鈴木信者ではないので騎馬武者の存在は否定しないけど
合戦絵巻とかに書かれている薙刀を持った騎馬武者はどのように戦っていたのか興味がある。
あれを片手で振り回すのは難しそうだし両手で振り回すなら手綱さばきはどうしていたのだろう?
他国の騎兵を見ても騎射ならともかく、接近戦ではランスもメイスも片手で扱っている。
だれか馬上での接近戦用両手武器について教えて!
馬を走らせる
↓
両手で薙刀をしっかり持つ
↓
敵とすれ違いざまにフルスイング
以上を一撃離脱しながら倒せるまで繰り返し。
756 :
日本@名無史さん:2012/04/16(月) 04:44:17.34
オワコンに必死になってしがみついてる信者って何にでもいるんだなあ
758 :
日本@名無史さん:2012/04/16(月) 11:46:32.58
信者というか未だにこれが最新の研究者の説()とか勘違いしてるバカじゃない?
759 :
日本@名無史さん:2012/04/16(月) 14:45:43.64
軍板もアレなヤツが多いんだよなwww
761 :
日本@名無史さん:2012/04/17(火) 22:25:01.86
確かにアホだな
940 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 22:22:03.37 ID:???
欧州人ならともかく昔の日本人が片手で持てる武器の大きさなどたかが知れていただろう。
762 :
754:2012/04/25(水) 23:14:29.14
>>755 情報サンクス!自分でもググってみたら馬上で薙刀をふるう描写はけっこうあるみたい。
すれ違いざまに片手武器(太刀、サーベル、メイス)のスイング、槍の突き出しは戦い方として
洋の東西問わずよく見られるけど、両手武器フルスイングは日本でしか見られない戦い方のような気がするけどなんでだろ。
三国志での偃月青龍刀、蛇矛、方天画戟を馬上でふるう描写はフィクションだっけ?
三国志時代ってまだ鐙ないよな
764 :
日本@名無史さん:2012/04/26(木) 17:24:25.98
鐙が発明されたのは四世紀ころとされてるな
鐙の原型らしい革製品なら紀元前からある、という説なら聞いたことはあるが...
766 :
日本@名無史さん:2012/04/26(木) 18:57:27.67
つか、青龍偃月刀などを初めとする三国志でおなじみの武器自体が
史実ではその時代に存在してないな。
金玉を犠牲にする覚悟あれば両足鐙成しでも馬上近接戦闘は可能らしい
768 :
日本@名無史さん:2012/04/26(木) 20:51:54.19
アレクサンドロスの騎兵も鐙なしで活躍してたわけだよな。
そりゃマケドニア人は牧畜の民だからな
古代日本の馬の埴輪には鐙付いてなかったっけ?
4世紀の中国には鐙があったとされる
>>770 某古墳で「鐙が出土してんだから、この古墳は四世紀のはず、通説の年代は古すぎ」と吼えてるヤツがいるんだよな。
科学的年代測定含めて色々やってみりゃいいのにねw
古墳が作られた年代、鐙の発明?改良?の年代その他諸々まとめて一度リセットして。
初めに結論ありきの偏見持って事に臨むと某鈴木信者みたいに史実と整合性取れなくな
って嘘を嘘で塗り固めたその挙句の果てにどうにも身動き取れなくなっちゃうからさ。
まあ、あれも二階に上がったら自動的に梯子が外れる仕掛けになってるんだから酷い話
しだよな。
鐙の発明は4世紀のはずだから、
鐙が見つかった某古墳の理科学年代(二世紀中葉)は間違ってる
とかいって、理化学年代そのものへの反証に使おうとする馬鹿すら居る。
775 :
日本@名無史さん:2012/04/28(土) 01:20:53.10
そういう類の奴って学生時代に化学や生物の授業真面目に受けてなかったんだろうなあ
某古墳で見つかった鐙ってどんなやつ?
ここで話題の某古墳が俺の思っているものと同じだとすれば
その鐙は木製の輪鐙
日本には鐙と馬は最初からセットで伝来したんかな
鐙の発明・改良に関しても幾つか説があるんじゃなかったかな。
はっきりとした記録が無いから何とも言えない。
中国南西部に、紀元前の騎馬像が鐙装着で見つかってるとはいうな。
当時は漢の領土じゃない場所だが。
中国でも革鐙は紀元前から使われてたとも。
馬の背に登るための片鐙でなく?
片鐙だよ、おそらくインドから雲貴を通って伝わったとされてる
>>781 少なくとも、乗降じゃなく騎走している騎馬像で、なおかつ鐙に足を掛けている
走行中に(も)使ったことは確実だろう?
シ真池で見つかった銅板の騎馬絵図に描かれてるのは
鞍の前縁から長〜い縄と縄の輪っかが吊るされてて、そこへ親指を通してる像だけど
腰は鞍にドカッと降ろし、足も踏ん張るのではなく前へ投げ出す姿勢
普通の鐙と比べてかなり長くおそらく楽に旅する為の馬具
戦闘時に使ったり鐙の様に踏ん張るのは無理
785 :
日本@名無史さん:2012/04/29(日) 12:16:03.70
日本刀は重さは18kgあるし数人切ったら脂肪で使い物にならなくなる。
だから戦場では常に槍、弓が主役。刀はサブウェポン
懐かしい
最初にそのコピペ原文書いた人は何を思って18kgって数字を設定したんだろう
いや、前より重くなってるw
ほんとだw
元は10キロだな
18キロの鉄棒でぶん殴られたら死ぬ
日本刀ってすぐにさびるんだな。
49 :おたく、名無しさん?:2012/04/29(日) 16:46:50.59
日本刀って手入れをおこたらなかったら
20人ぐらい斬れるらしいななまくら刀ならすぐ
さびてつかいものにならなくなるらしいが
それと血油で斬れなくなっても手入れすれば
また斬れるようになるらしいな
でも百人切りはむりらしいさびるから
瞬息で錆びるとかどんな魔法だよww
793 :
日本@名無史さん:2012/04/29(日) 21:10:53.33
刀剣フェチの馬鹿で無責任なレスよりも
鈴木の方が圧倒的に信頼出来る
現実では刀剣フェチ同士の会話なんて社会において居場所が無く学界にも関与できない
ここで自分達の夢世界を否定された愚痴を言うよりも本の一冊でも出版して社会にアプローチすればいい
学界とは一体?
よくわからんが日曜研究家の鈴木眞哉さんが関与するようなところなら
大したことはなさそうだけど。
人間の体液は恐ろしい酸化剤なんだな
一年前には血小板説もあったw
567:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/04/22(金) 18:04:23.84 ID:nJydm+6e0
>>565 http://sorceress.raindrop.jp/blog/2005/06/ Q:人を一人斬ると刀身に膏がべっとりと付いて、
二人目からは斬り難くなるという話がありますが、本当でしょうか?
A:以前、肉屋から豚の頭をそっくり買って来まして、
真正面から頭蓋骨ごと(ただし牙だけは避けて)
スパリ、スパリと何度も斬撃を試みたことがありますが、
スライス・ハム状になるまで、何回でも抵抗感なく
骨ごと断ち斬ることができました。どうも、膏のせいで
日本刀が切れなくなることはないのではないか、
というのが、現在の心証です。
587:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/04/22(金) 18:17:56.07 ID:4000VzGk0
>>567 肉屋で売ってる物は全部血抜きされてるんじゃね?
血液中の血小板が空気に触れて徐々にねっとりしてくるはずだから
時間とともに切れなくなってくる筈。
797 :
日本@名無史さん:2012/04/29(日) 22:47:52.28
>>793 実際に刀を扱い、馬に乗った経験がある武道家の多くは鈴木説否定してるお
798 :
日本@名無史さん:2012/05/01(火) 07:09:47.51
鈴木真哉先生って日本史界の織田信長ではないか?
合理的思考を武器にこれまでの胡散臭い通説(講談・小説由来)を次々と撃破し、
新説を広めていく
古いやつら(斯波・斉藤・今川・武田・浅井・朝倉・比叡山・本願寺・上杉・毛利・・・)
を次々と撃破していった織田信長のようだ
日本史界の天下布武・天下統一は鈴木真哉先生によってなされるであろうと思う
ひどい釣り
差別されたな。
最近はあっちよりこっちの方がカキコ量多いのに。
しょうもないところで張り合うなよw
>>794 そこの学会は知らないが、
大抵の学会は入会資格とか無いはずだ
必要なのは年会費だけじゃなかったかな。
学会発表だって、聞きにいくだけなら参加費だけでOK。非会員でも聴ける。会員だと参加費が割引料金になるだけ。
発表するのは会員限定だし事前審査もあるが、変な内容だからといって追放されるわけではない。まあ、他の会員から相手にされなくなるけど。
理系では、こんな感じだったな。
学会への入会自体は敷居が低いけど学会誌に論文が掲載されなきゃ
学界の人間とは認知されない
(これは鈴木のことじゃないけど、歴史関係の一般書の著者紹介で
○○学会所属とか書いてあるけど論文見たことないなぁって人もたまにいる)
そもそも鈴木本人は学界の人間だと自己規定してないはず
他人の研究をパクって発表しても白眼視されておしまいだろう。
しかもパクリ元のひとつが司馬遼の小説じゃ笑いも取れんだろ
キャノピーなんだけど、
スクリーンとダッシュボードの間(かみ合わせの部分)にラバーモール挟んだら
すごく安定してまったくガタつかなくなった。キシミ音もない。もっと早くやればよかったわ。
みんなもやってみ。DIYショップで250円/Mくらいだから。
いったいどこの誤爆なんだ
809 :
日本@名無史さん:2012/05/18(金) 12:43:40.30
810 :
日本@名無史さん:2012/05/19(土) 23:52:28.61
そのスレが終わらないうちに例の事件が起きたなw
811 :
日本@名無史さん:2012/05/21(月) 08:56:32.88
槍と刀では槍の方が強い、と力説する割に
刀と包丁では長い刀は動作に時間がかかるから殺傷力が低いとか言い出すw
こいつら日本刀を貶められれば何でもいいんだろうなw
715 :名無しさん@12周年:2012/05/21(月) 03:15:57.35 ID:rD592Aqk0
>>713 得物が長いほうが遠くから攻撃出来るというだけで、
長いほうが動作に時間かかるので当てにくい。
力入れまくって日本刀で切ると折れるんじゃないかな・・・
戦国時代の日本刀なら折れること無いだろうけど。
刺すと切るって2点で包丁は殺傷力高いよ。
軍隊でもナイフ使ってるでしょ。
日本語は話せても国籍が違うからな、今も残ってる鈴木儲は
ttp://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3368120.html 114.気になる名無しさん2012年04月28日 01:45
戦争で使うなら西洋剣だな日本刀は鉈程度の重さで剃刀の切れ味だからつばぜり合いになったら
肉を叩く程鈍い頑丈な西洋剣に負ける。(甲冑術等の人間的要素を省くのならば)
日本刀はね暗殺剣なのよ戦争では使えない、使うのなら何本も持って闘わなければならない。(史実にあるよ)
中華剣は問題外デカ過ぎ重すぎあんなの使いこなせるの限られてくる。味方も間違って殺しそうだし
一人殺してもよろけて他の敵に殺される。
西洋剣は戦争でより人を沢山殺す為に作られてるのさ
やっぱ西洋人はいいね合理的で。
テンプレだなあ
>>809 最初は「百人斬り」伝説否定論から出てきた説だった気もする
816 :
日本@名無史さん:2012/05/21(月) 19:04:27.25
天然モノがいたぞwww
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1337375940/ 740 :名無しさん@12周年:2012/05/21(月) 19:00:28.47 ID:wTnUNvqr0
日本刀の端的な殺傷力より
ピストルの射撃やナイフや包丁の携帯性隠密性を携えて
かつ相当の殺傷力がある方が怖いけどな、
秋葉通り魔のアーミーナイフなんて気づかれないうちの一刺しで人が死ぬ
>>720 合戦の主力は一に投石、二に弓矢、三に槍、刀は合戦後の敵の首獲り用
屋内戦が多い幕末京都と、弾切れのあった同時期には携帯性の優れる刀は活躍したけれど
現在は軍用ナイフしか使ってないでしょ、多対多の近接戦なんて想定する意味ないから
もし刀に対抗したいなら、刀を持つより三叉の方がいい
817 :
日本@名無史さん:2012/05/22(火) 13:13:29.63
>>815 そもそもあれ、南京攻略までに敵兵何人殺せるか競争しようずwwwって話じゃなかった?
いつの間にか「南京事件における民間人虐殺の一端」みたいに語られてるが。
南京事件自体、元々が生き埋めで三十万殺したとかいうシナーの伝統的宣伝
工作活動のお話しなんだけどね。
日本人が生き埋めなんかするもんか、撫で斬りならわかるけどな
→いつの間にか生き埋め話しがボツ
生き埋めって中国では虐殺のお約束なんかね
白起の長平しかしらんけど
項羽の秦兵二十万生き埋めとか
821 :
日本@名無史さん:2012/05/24(木) 08:19:45.49
焚書坑儒とか
生き埋め以外のあれとかこれだって、元は国共内戦時にどっちかの軍がやってた写真の転用だったんじゃないか、と思う
>>821 焚書坑儒は教会史観と一緒で電波ゆんゆん
始皇帝は官の書庫に対して無意味な虚学の書を蔵禁しただけ
焚書坑儒も、なw
どれもこれもプロパガンダの一例として挙げてるのよ。
825 :
日本@名無史さん:2012/05/26(土) 06:34:35.71
2ちゃんでない某所の南京虐殺関連の掲示板で、ポン刀は2~3人切ったら使えないってレスに対し 「それじゃ薙刀も2〜3人切ったら使えなくなるよね。元ネタの山本七平も具体的な根拠出してないし」て返したら
薙刀も名刀で使い手が達人でない限り2〜3人しか切れないとレスを返された
826 :
日本@名無史さん:2012/05/26(土) 08:15:01.74
もう明らかに根拠ないだろw
とにかく日本の刀剣を否定したいだけwww
『実戦刀譚』から柄が壊れた事例を抜き出して
日本刀の拵はすぐ壊れる、とか書いてたけど
実際読んでみると、それは全て粗製な軍刀柄の話だったわけだが。
あんな恣意的な引用がよく出来るな。「素人だから」では許されないレベルだぞ。
以下『実戦刀譚』から引用
「この六十年の間に、日本刀刀身製作の伝統は失われなかったが、
外装に至っては、大体欠伝の有様といってもよい。」
「いったいに昔拵えの外装はしっかりしていて、
七、八十年なり百年なりを経過しているにもかかわらず、
昨今出来たものより強靭なものの多いのに時々驚かされた。」
「朴材は柔らかい割合に強く、寒暑による増減も少なく、
年所を経たる柾目の物は適性をもっているが、
若木、白田地(木皮に近い部分)、節目、逆目、
また木取りの都合で斜となったもの等は、絶対に不可である。
上質の柾目物は、版木、印刷用木具その他いろいろな方面に
需要が多いので、軍刀の柄などは、外部に現れないのを奇貨(きか)とし、
たいてい粗悪なものを使用しているので、
それがためか柄の故障がかなり多かったのである。」
828 :
日本@名無史さん:2012/05/26(土) 09:35:46.22
というか実戦刀譚や戦う日本刀読めば、日本刀が実戦に向かないだなんて絶対言えないと思う。
切れ味が落ちると言えばいいところを、切れなくなるって0か1かの極論になるのはなんでなんだぜ
830 :
日本@名無史さん:2012/05/26(土) 12:51:24.32
刃こぼれがあっても切れることは切れるからなあ。
でも脂程度ではどの程度落ちるんだか。
切れ味鋭い分刃こぼれをしやすいというイメージが流布しているが、実戦の時代の刀が
そうだったかについては一考の余地はあるな。
近藤好和『弓矢と刀剣』
・化粧研ぎの刃は剃刀の如く鋭い反面、刃こぼれしやすい。微妙な問題だが、
現在の試し切りでも、刃は化粧研ぎよりもあまく研ぐという。甲冑を着用する
実戦ではなおさらであろう。中世の太刀は、打撃を目的とし、結果的に切れる、
と解釈すべきではないだろうか。
切れ味鋭い日本刀という感覚は、実は近世以降の泰平の産物ではないかと思う。
一考するなら別の説も知っておかないとな。
窪田清音『刃味記』
慶長元和の頃、戦にもて出しままにてあるを
己れ数々見たれども、一口としてうちくだき打ち殺しぬべきさまに
刃肉を置きたるは稀にもなし。
其頃の研はいかにもしし置よくして物よく切るべき様にはなしたり。
是等をものしても刃業の用をしるべし。
色々な説があるな。
『武功雑記』
・刀のそりよきころなるはあたりつよし、高麗陣に加藤肥後守、軍兵どもの
てきをきりあぐみたる時、肥後守いさましめて、馬上にて幾人きりたをし候や、
かぞへみよと申さるに、刀の直なるにてはあたりよはくて敵たをれず、
そりたるにてはきれずといへどもたをれぬはなし
>>827 前に鈴木の騎馬武者否定の論拠を金子有鄰氏の『日本の伝統馬術・馬上武芸篇』から
確認してみたけどやっぱり恣意的な引用というかむしろ真逆の主張だったわw
835 :
日本@名無史さん:2012/05/26(土) 23:21:20.10
825だけど、虐殺関連で「日本刀は2~3人切ったら血や油で云々」って言ってる連中は過去ログやまとめブログ、その他掲示板を見てる限り
大雑把にいえば「日本刀でニ三人しか切れないことは絶対的な事実でありこれを疑う奴らはシナチョン、ブサヨ 大馬鹿者である。」って
感じのスタンス。百人斬りは嘘=日本刀2〜3人しか(ry はイコールじゃないんだが・・・。
836 :
日本@名無史さん:2012/05/26(土) 23:31:00.33
それはそれ、という当たり前の考え方ができないもんかね。
まとめブログとかニュース系に立つ刀スレ見ると
日本刀→脂で2、3人云々
西洋剣→頑丈な鈍器
と見事に考え方凝り固まってるのが多くて笑えるわw
「日本刀 まとめ」「日本刀 速報」「日本刀 vip」あたりでぐぐると
そういう記事がワラワラ出てくる。
世界史坂で日本刀sageしてるのは例外無く在チョンだけどな
838 :
日本@名無史さん:2012/05/27(日) 08:29:39.91
>>832 窪田清音の生きていた時代って江戸時代の頃でしょ?当時は素肌剣術全盛(?)
だったんだからそれ用に研ぎなおされた可能性もあるのでは?
今はあまり見かけなくなったような気がするけど「ポン刀は刃で受けずに使うモノ」→「じゃあポン刀雑魚じゃんw」・
「西洋刀剣は 素人でも使いこなせるがポン刀は達人が使わないと弱い」というカキコについての質問
まず前者について 鎬で受け流すor棟で受ける技法の起源・初出はいつ?
後者については明らかに書き手の妄想なんで質問しないけど。
>>838 棟で受けるのは「刀背格鉄器勢」として17世紀初頭に中国で出された『単刀法選』にある。
刀の構造上明らかにおかしいから中国に伝わるうちに間違ったアレンジがなされたのかもしれない。
程宗猷の『単刀法選』や『続刀勢図』には日本の介者剣術に通じる型が多く掲載される一方、
抜いた刀を空中でキャッチするみたいなヘンな技もいくつかあるんだわw
>>838 江戸時代の武家の物持ちの良さは異常だから、17世紀初頭から研いでないということは充分あり得る。
素肌剣術が興ってくるのは17世紀中葉あたりからだし、時代が50年くらい違う。
それを「数々見た」上で「一口もない」と言うのだから、充分一聴に値するよ。
武家目利きの権威でもある清音が古研ぎと新研ぎを見間違えるとも思えないしね。
清音の影響を受けた山浦真雄の刀は別段肉置きとか研ぎに変化をもたせたわけでもなく
あの化け物ぶりだから、あくまで地金の違いってことかもね。
昔の武士って刀と脇差2本持ってたっていうけど、脇差は要らないよね?太刀だけでよくね?
166 : 地球(関東・東海)[]:2012/05/23(水) 15:14:18.38 ID:/OmJEdFc0
未だに切腹用だと勘違いしてる馬鹿がいることに驚嘆
先祖が大阪夏の陣で討ち死にした有名武将の末裔として言わせてもらえば
脇差しは複数を相手にする場合の盾です
実際戦場で刀を使った戦いなんて無く、槍が主力なわけだが、街中や街道では普通に浪人の刃傷事件が多いことと、刀は武士の魂という理由から手放せなかった
街中や山林で襲われる際、わざわざ槍で武装するやつは皆無で(持ち運びの不便さから)少数の争いでは刀が主力
そんな中、多対1になったときに有効なのが脇差しを盾として使う方法な
http://hissi.org/read.php/news/20120523/L09tSkVkRmMw.html 韓国「日本が韓国を嫌う意味が分からん。日本に色々奪われてるにも関わらず文化を教えてやったのに」
713 : 地球(関東・東海)[]:2012/05/23(水) 16:47:22.42 ID:/OmJEdFc0
近所のバカウヨがお前らと全く同じ狂った思考回路してるから困る
韓国人の魂というか誇りというか、そういう大切な譲れないものが込められた
ムクゲの花を庭(1mmも敷地から出ていないし、そもそもブロック塀で外からは見えない)で咲かせてたら
バカウヨが全部引っこ抜いて道路に捨ててやがった
お前らが日頃いう日本人の美徳なんてとっくの昔になくなってるよ
韓国「日本が韓国を嫌う意味が分からん。日本に色々奪われてるにも関わらず文化を教えてやったのに」
716 : 地球(関東・東海)[]:2012/05/23(水) 16:51:12.11 ID:/OmJEdFc0
>>714 ほら始まった
日本人の犯罪は全て韓国人がやってる思考
まぁ頭悪いよねバカウヨって
自省という言葉を知らない
843 :
日本@名無史さん:2012/05/30(水) 05:41:35.00
近藤氏が言ってる時代ってだいたい鎌倉時代〜南北朝時代のことだろ?
で、窪田清音の言ってる時代ってのは戦国時代の後半だろ?
武装の変化で異なってるんじゃないの?
844 :
日本@名無史さん:2012/06/01(金) 14:22:03.10
十年以上前には一人切ったらもう切れないとかほざいてるのがいたわww
http://mimizun.com/log/2ch/history/994041107/ 1 :【^▲^】アズマ@"管直人":2001/07/02(月) 11:31
合戦は斬りあいなどほとんどしない。
遠くからの矢の打ち合い。石の投げ合いがほとんどだって。
乗馬しての斬りあいなんて嘘八百。馬はたんなる移動手段。
目的地についたらよっこらしょって馬からおりて、
矢をうったり、石を投げたりしてたんだよ。
刀?そんなの使うのは相手の首切る時だけ。
使ってもせいぜい槍だよ。でも槍もほとんど使えないよ。
だって、矢でいられたらそれで終わりじゃん。
4 :【^▲^】アズマ@"管直人":2001/07/02(月) 11:53
おりょ?
知らないのでござるか?
日本刀は一人斬ったらもう切れないのでござるよ。
だいたい離れて攻撃したほうが怖くないでごじゃろう。
845 :
日本@名無史さん:2012/06/01(金) 18:45:36.02
在日特権一覧
●地方税→ 固定資産税の減免
●特別区→ 民税・都民税の非課税
●特別区→ 軽自動車税の減免
●年 金→ 国民年金保険料の免除、心身障害者扶養年金掛金の減免
●都営住宅→ 共益費の免除住宅、入居保証金の減免または徴収猶予
●水 道→ 基本料金の免除
●下水道→ 基本料金の免除、 → 水洗便所設備助成金の交付
●放 送→ 放送受信料の免除
●交 通→ 都営交通無料乗車券の交付、JR通勤定期券の割引
●清 掃→ ごみ容器の無料貸与、 → 廃棄物処理手数料の免除
●衛 生→ 保健所使用料・手数料の滅免
●教 育→ 都立高等学校・高等専門学校の授業料の免除
●通 名→ なんと、公式書類にまで使える。(会社登記、免許証、健康保険証など)
→ 民族系の金融機関に偽名で口座設立→犯罪、脱税し放題。
→ 職業不定の在日タレントも無敵。
→ 凶悪犯罪者の1/3は在日なのに実名では報道されない。
●生活保護→ 家族の人数 × 4万円 + 家賃5万円 在日コリアンは、ほぼ無条件で貰えます。
→ 日本人は孤児だろうと病気だろうと、絶対に貰えない。
→ 予算枠の大半を、人口比率1%未満に過ぎない在日が独占。
→ ニートは問題になっても、この特例は問題視されない。
●住民票→ 外国人登録原票」は通常、一般人では閲覧できない。
(日本人の場合、債権関係の係争で住民票を閲覧される)
●さらに…→ 生活保護予算の大半は在日だけの特権保護費
鈴木説全盛時代って十年前あたりなのか?
ちょうど「刀と首取り」が出たのがそのあたりだったからな。
その前の「鉄砲と日本人」はなかなか良かっただけに
当時ドン引きしたおぼえがある
848 :
日本@名無史さん:2012/06/01(金) 19:58:54.15
01〜02年頃の日本史板、世界史板、三戦板じゃ定説のように語られてたよ。
それに対してツッコミが入り始めたのは06年頃からだね。
>>848 06年ごろに何かターニングポイントとなるようなことがあったのかな?
単純に厨が大好きな『最新の研究』じゃなくなったからじゃね
賞味期限切れて
突っ込みというか反発は最初からあったが、旬の頃は反論を「古い」の一言で片付けることが出来た
学説って言葉は避けたが、厨的には『最新の学説』でいいのかな
852 :
日本@名無史さん:2012/06/01(金) 21:00:12.78
センゴクの連載が始まった04年頃がピークだったな。
そのセンゴクは姉川の戦いが終わった辺りから鈴木説を捨て始めてたなぁ。
ポニーって言葉に騙されてんだな。
43 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2012/06/02(土) 13:30:59.64 ID:j1A9BNrH0 [1/2]
戦国時代を美化してる情弱ふえたけど
あのころの日本の馬は、かわいらしいロバさんみたいので
だから当時の粗悪な銃でそれなりに効果があっただけだぞ
当時のヨーロッパと比べてどうこうとか
恥ずかしいから止めろよw
66 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2012/06/02(土) 13:37:42.33 ID:j1A9BNrH0 [2/2]
>>44 竹槍や粗悪品の射撃音でヒーヒーびっくりしちゃって騎馬突撃等ができない
お馬さんだったって意味
当時はそんなもんd……って日付見たら現在かよ
857 :
日本@名無史さん:2012/06/02(土) 20:11:01.46
そいつにグスタフアドルフの馬のデカさ教えてやれ
858 :
日本@名無史さん:2012/06/02(土) 20:32:02.72
×馬のデカさ
○馬の小ささ
だったわ
それも指摘されてるよ。そいつ本当にモンゴルの馬は大きいとか思ってたみたい。
165 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2012/06/02(土) 14:11:49.71 ID:j1A9BNrH0
>>112 ちょっとググったら江戸時代の「古今要覧稿」
四社五寸(約136cm)=「中馬」
五尺(約152cm)=「大馬」だってよ
これとモンゴルの馬が同じ大きさなの?
嘘こけw
173 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 14:14:13.44 ID:/ea85Ddk0 [15/57]
>>165 http://www.weblio.jp/content/モウコウマ モウコウマ
読み方:もうこうま
【英】:Mongolian
分類:ポニー 用途:乗用、輓用、肉用、乳用 体高:122-140cm 原産地:モンゴル、チベット、中国。モンゴル古来の品種で、
遊牧民により群れで多頭数飼育され、乳は発酵酒に加工される。放牧家畜の管理、移動、通信など多用途で用いられる。
毛色はふつう青毛、鹿毛、河原毛。頸は短くて太く、たてがみは豊かである。
182 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2012/06/02(土) 14:16:38.31 ID:2R3qIkW60 [4/18]
>>165 グスタフ2世のスウェーデン軍騎兵は平均120cmだってよ
その馬がギャロップで突撃してた
860 :
日本@名無史さん:2012/06/02(土) 20:51:37.93
むしろ、駄馬用に小型化された江戸時代に
体高が150cm台の馬が普通に沢山いたことにびっくりだわw
この手のバカは日本原産の馬が居て、世界で日本だけがその種を使ってると思ってるよな
人為的に持ち込まれたものだつーのに
>>861 外国ではとかガラパゴスとか言いたがるヤツに限って
世界のことをろくに知らないんだよなww
>>860 市場のニーズをガン無視してデカい乗用馬ばっかり作ってたせいで
駄馬の方が高値で取引されるようになってしまった南部藩という田舎組織があったらしい
864 :
日本@名無史さん:2012/06/04(月) 00:04:17.84
>>849 多分、近藤さんの歩兵と騎兵の中世史が出た辺りからだと思う。
とはいえ、大河の風林火山放送してた辺りまでは歴史系の板でもまだ根強かった。
「名だたる武田の騎馬武者か」ってセリフにどや顔でツッコミ入れる奴が大量にいた記憶がある。
>>852-853 2巻の「可児才蔵隊、敵の目前に来た後下馬して突撃!」は
今思うとホント間抜けにも程があるシーンだよなw
どう考えてもそのまま突っ込んだ方が強いだろとw
でも、桶狭間戦記書き始めた辺りから鈴木説が黒歴史化したからあの作者はもう許した。
伊勢貞丈から近藤好和
故実学者最強だな
866 :
日本@名無史さん:2012/06/06(水) 22:33:14.85
連呼厨が鈴木説が通じなくなってきたから今度は日本刀の原料は舶載鉄だから
日本の鉄は大したことない、とか言い始めたぞww
895 :人間七七四年:2012/06/06(水) 16:08:42.34 ID:raxOlsQM
ネトウヨが好きな数々のコピペにある日本刀って
結局は明や朝鮮やポルトガルの鋼を使って作られたもので
和鋼で作られた刀は糞なんだよね。
玉鋼信者には残酷な現実だけど。
867 :
日本@名無史さん:2012/06/06(水) 22:34:00.80
しかもそのソースもなにやら鈴木並みに恣意的でダブスタだしw
332 :名無し三等兵:2012/06/06(水) 19:08:55.91 ID:???
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_018.htm 同じページの上の方に
>全国4ヶ所で発掘された鎌倉末期〜室町末期の鉄刀類の内、南北朝期(43%)の物は
全て大陸の含銅磁鉄鉱、室町期(57%)の多くが燐を含み(岩鉄・南蛮鉄?)、和鋼類推は
14%に過ぎなかった※。これは鉄器全体に共通であろうから、当時の日本国内には舶載鉄が
大量に出廻っていた証しである。
とさも燐分を含む鉄は舶載鉄であるような印象を載せておきながら
下の方では南蛮鉄の刀が国産鉄製だったことに反論するために
燐分は南蛮鉄の識別指標に必ずしもならない、と書いたりするからなあ。
>これらの事から何が導き出せるだろうか。1.南蛮鉄が含有する燐は鍛造工程で激減する。
2.高価な南蛮鉄は刀身の部分に使われた可
能性がある。3.短冊形南蛮鉄には和鋼と成分が変わらぬものもある。4.和鋼が世界で
最も清浄な鋼とは言えない。
従って、試料の刀にも検討を要するが、燐分は南蛮鉄の識別指標とは必ずしもならない。
偽銘が常識の世界だから、中には刀を高く売る為に偽銘を切ったものもあったかも知れない。
然し、一刀の例を以て総てと結論づけるのは軽率ではなかろうか。
況や鬼の首を取ったようにそれを利用する人達は自戒すべきだと思う。不信感を増幅するだけである。
868 :
日本@名無史さん:2012/06/06(水) 23:56:25.25
つか、アフィブログ転載禁止騒動以来ニュー速とかで
刀スレ見かけないような。
やはりアフィ業者主導のスレだったのかな。
869 :
日本@名無史さん:2012/06/07(木) 01:13:56.31
反日スレや朝鮮スレと一緒でアクセス数稼ぐ為の釣りだったんだろうね。
>>867 山陰のたたら製鉄を押さえてた尼子氏は明や朝鮮への鋼の輸出が大きな財源となっていたことや
朱印船貿易において日本の主要輸出品目のひとつに鋼があったことや
西洋や中国で高炉による良質な鋼の大量生産が確立されてからも
質に関しては日本の鋼はそれらを凌駕するという評価を彼らから得ていたのを知らないのかねえ?
舶載鉄に関しては南北朝期や戦国期において、鉄の需要が拡大して
国内の鉄だけではまかないきれなくなってきたからでしょ。
>>866 世界史板で何度かボコボコにしてやったのに
ゴキブリみたいな連中だなw
ゴキは本能に従って食い物求めて徘徊しているのであって、荒らしのよう
に他人に迷惑をかけようという意志を持って行動しているわけではないw
872 :
日本@名無史さん:2012/06/07(木) 09:41:08.78
そこのサイトの含銅磁鉄鉱が大陸のものって何か根拠あるの?
873 :
日本@名無史さん:2012/06/07(木) 12:06:00.88
全然ないよ。
国産の磁鉄鉱や砂鉄の元になる花崗岩にだって銅は含まれてるし。
874 :
日本@名無史さん:2012/06/07(木) 12:24:08.00
というより資料原本にはせいぜい銅が含まれる磁鉄鉱とあるのをそこの管理人が
大陸の磁鉄鉱製だ、と勝手に断言してるだけなのでは?
>>869 こいつ在チョンだなw
尼子全盛の時代は鋼鉄製品は輸出しても鋼は輸出していない。
西欧諸国の溶融炉は質が悪いのはもちろん生産量も英国でさえ日本と比べると少ない。
南蛮鉄は物珍しい嗜好品として、明は鋼ではなく鉄製品を輸入していただけ。
鈴木は雑賀衆の末裔で先祖代々アンチ信長が信条らしいな
彼の著書で自らそんなことを書いてた記憶がある
877 :
日本@名無史さん:2012/06/08(金) 16:44:53.39
そりゃ在日のチョンだからだよ
879 :
日本@名無史さん:2012/06/08(金) 20:26:55.99
>>866 鈴木説も最初に歴史関連の板で流布されてからニュー糟やはてブや
知恵遅れ袋でどや顔で語るアホが大量発生するまでに数年タイムラグがあったから
(尤もその頃には歴ヲタの間では鈴木説は笑いものとなったが)
この軍刀サイトの俗説もあと2〜3年したら各地で
どや顔で語るアホどもが大量発生するんだろうなあ。
ましてや漫画センゴクで広まった鈴木説の時と違い
ネットがソース(笑)だから、なおのことアホどもの間で拡散しやすいだろうし
大多数の人間にとっては事実かどうかよりも
理解しやすいかどうかの方が重要だから仕方ないね(´・ω・`)
理解しやすいか?
882 :
日本@名無史さん:2012/06/08(金) 22:02:11.75
「最新の研究」ってのがキモじゃないかなw
「アンテナの感度の高い一部の人間だけが知っている最新の研究成果。
鈍くて不勉強な奴が旧説にしがみついているよウププ」
こんなんじゃね?w
うむ、俺らもそうならないように気をつけんべ
885 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 14:02:53.87
もう鈴木説も古いな
ウヨサヨってことにしたがるけど、大半は『最新の学説知ってる俺SUGEEEE』で動いてただけだわな
最初はそんな連中が大半だけど、今残ってるのは在日の鮮人と韓人
889 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:31:14.37
鈴木説の次に流行り始めてる舶載鉄や南蛮鉄の話を始めとする軍刀サイトの記述なんか
「日本の鋼が良質だったなんて真っ赤な嘘!」
「日本刀の製法なんてちっともオリジナリティない!」
「中華や西洋の鉄使えなくなった途端に糞になったポン刀(笑)」
ってまさに武士や中世日本がショボかったことにしたい奴ら好みの俗説やね。
>>889 室町時代には日本刀を大量輸出してたのにな。
一説では単なる鉄材として買われただけとか言うヤツもいるが、とにかく、鉄材輸入なしに日本刀全盛期を迎えてるはずなんだよな
やつらの頭はどうなってるのやら。
あいつらの願望をまとめると‥
戦乱による需要の高まりで、反射炉で作られる粗悪で安価な
中国産船載鉄がたたら製鉄を駆逐した。
刀は鋳潰して鉄材に転用する用途で日本から大量に輸出された。
千草鋼や出羽鋼といった大量生産が実現し
それを秀吉など戦国武将が奨励したために、品質は著しく低下した。
千草鋼や出羽鋼といった品質の高い鋼を大量生産するようになったので
反射炉で作られる粗悪で安価な中国産船載鉄を輸入して刀を作るようになった。
事実に反してるだけに止まらず、自己矛盾しまくり
892 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 22:01:29.08
>>891 違う。
紀元前から高炉を使って炒鋼法を確立していた中国の方が
たたら製鉄から何ら進歩しなかった日本より遥かに良質な鋼を生産していた。
ってのが奴らの主張らしい。
>>892 おまえはまた新たな妄想を想いついたのか、ご苦労なことで
894 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 22:18:25.52
つか、そこのサイト鈴木信者ですんでww
http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_128.htm 「刀」の本質は、鈴木眞哉著「刀と首取り」で見事に喝破(かっぱ)されている。
源平の集団合戦では、前哨戦を弓射で始め、混戦の主武器は薙刀だった。戦国時代の主武器は「弓・槍」→「鉄砲」に代わった。
戦国の世、刀がもし実戦の主たる武器ならば、合戦で必ず破損・遺棄(いき)される刀身を豪華な拵えで装うことの矛盾がある。
武士がそこまで不合理であったとは思えない。
欧州の伝統的「白兵戦」に対し、日本では早くから「遠戦」思想であった。
永い歴史のなかで、武器である刀が個人戦や小集団の局所戦、近接戦に当然使われた。
然し、「合戦=組織的集団戦」での刀の意義は、武将の地位の象徴であり、守護・護身刀であった。
もしも主武器であったなら、柄・茎(なかご)の構造や、刀身・外装はその後当然に改良されていなければならない。現に、支那戦線の実戦使用
に依って、茎の短さに起因する古来の日本刀の柄廻りの危弱さなどが露呈した。実戦に耐えられない種々の弱点を抱えていた。
895 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 22:42:00.06
>>894 歳とってからこんなになっちゃうともう駄目だろうな
御愁傷様w
897 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 23:47:45.51
その爺さん成瀬氏の著書読んでないわけないだろうから
外装が欠伝ってところ意図的に無視したんだね。
898 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 15:49:59.29
目釘
899 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 16:06:56.38
>>893 炒鋼法を知らないのか。無知なネトウヨめ
900 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 17:50:00.60
ヴァイキングソードやトレドの剣も知らないネトウヨだから仕方ない
>>899=
>>900 炒鋼法が漢代に成立していたと
俺が教えてやったんだろうがw鈴木儲の在チョンw
鋼鉄の大量生産に向いていて品質も悪くないが
たたら製鉄で造られる鋼ほどじゃない
魔よけのお守りにせよ、武器兵器にせよ、シナーもチョンも自分のところで作れる
物以下の物品を大金積んで買う程馬鹿じゃないだろ。
それとも、昔の支那人も朝鮮人も馬鹿ばかりだと思わせたいレイシスト集
団か?w
赦し難いレイシストだなww
美術品実演押し売り団・倭寇のビジネス手腕だ
北宋の頃から倭寇があったとはこりゃまた珍説展開w
一旦嘘をつきはじめると際限無く嘘で嘘を塗り固めていかなくてはならなくなる見本だな。
というより最初から最後まで願望に基づいた嘘を垂れ流してるだけだろw
鈴木儲には馬鹿か嘘つきの二種類しかいないのかな
鈴木儲はバカ、鈴木説を利用する捏造工作員は在日特別永住者
ちょっと種類が違うと思う
910 :
日本@名無史さん:2012/06/11(月) 20:14:28.75
>>908 はてなや知恵遅れやニュー糟のアイツら自称知識派(笑)的には
「伝えなきゃ・・・みんなネトウヨに騙されてる!」
って感じなんだろうなきっとw
せいぜい十数年程度の年期の鈴木説信者と比べても、
半世紀近い歴史がある古田説信者の痛さは見劣りしないぞ。
さすがに、それをいまさら利用しようとする人間は新規には出てこなくなっているだろうけど。
912 :
日本@名無史さん:2012/06/12(火) 00:01:28.03
>>911 九州王朝説の爺か。
あれもそうだが騎馬民族征服説も酷かったな。
あとは任那日本府捏造説とかな。
>>911 古田は入信儀式があるのが本当に宗教だよなぁ。東日流外三郡誌なんてトンデモを
信じこまないといけないというのは凄まじい。
畿内王朝九州王朝並立説も
騎馬民族征服説も
任那日本府捏造説も、同一線上にあるよな
少し前にNHKが戦前の内閣超絶無責任無能説を流してたけど
これは属米売国だから毛並みが違うか
915 :
日本@名無史さん:2012/06/12(火) 06:16:52.24
日本刀関連でたまーに問題にされる目釘の欠損についてだけど、薙刀も長巻も目釘構造
何だよな? こいつらに関してはスルーされるのは何で?
そもそも海外でも例えばヴァイキングソードなんかは
日本刀と同じように刃を柄の部分に差し込んで固定するタイプだったし。
917 :
日本@名無史さん:2012/06/12(火) 11:26:22.17
ヴァイキングソードも二、三人で使えなくなるんじゃねw
918 :
日本@名無史さん:2012/06/13(水) 06:22:21.16
>>916 915だけど、ヨーロッパの大抵の刀剣は茎を柄に刺し通し、柄からははみ出た
部分をポメルという部品で止めて茎が柄から飛び出ないようにするって形式だ
ってのは知ってる。まあ他の地域はどうなのかは知らんが。
919 :
日本@名無史さん:2012/06/14(木) 03:47:08.68
253 名前:名無しさんといっしょ[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 03:07:05.68 ID:C+gb91QG
>>243 >>鎧着けた侍が銃撃戦ってコレはホントに時代劇か?って思わずツッコミそうになったけど
戦国時代には火縄銃はかなり普及してる。
あの時代鉄砲を一番保有していたのは日本とも言われている。
元々日本は遠距離で戦う傾向が強くて、今の大河の清盛の時代だと主力は弓兵で
どちらの時代においても刀は首と獲るときか接近戦に持ち込まれたときにしか使わない。
まあテレビで良く見るような時代劇か?と言う意味なら
そうかもしれないかなともいえるくらい画期的な演出の回だったと思う。
920 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 20:47:56.70
もしポン刀の用途が、首狩り&飾りだったら合わせ鍛えじゃなくてもいいよね。
921 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 21:57:00.50
首狩り用なら長い必要はない。
というか鈴木は実際のところ首は脇差や右手差といった短いので取っただろうとか書いてるしw
鈴木の言う「首取りのための戦闘」というのはあくまでカッコつきの鈴木用語なんだよねww
日本語に訳すと「勝敗を決定づける戦闘」って処かなw
923 :
日本@名無史さん:2012/06/17(日) 22:52:17.50
みんな、極論大好きなんだよな。例えば弓の家だの槍一筋だのという言葉があ
るけど太刀〇〇はないから太刀・打刀は使われなかった。とか刀は突くもの、
槍は叩くものと言われてるから刀は本当は突くのが正しいとか。
結局のところそういってる奴らは、そういうことにロクに興味がないんじゃ
ないの?
ブサヨもネトウヨも関係ないだろ。
924 :
日本@名無史さん:2012/06/18(月) 02:30:15.22
刀は突くものとか言ってるのは間違いなく新撰組オタだな。
その新撰組が手を焼いた薩摩藩士は思いっきり切り落としメインだが。
使えるならあらゆる機能を使うし、使わないならその機能はそぎ落とされる
何百年も斬る突く両方使える武器作り続けてるなら両方使う
戦場に槍と刀わざわざ持って行くならそれも両方使う
要らないなら持って行かない
それだけの話だわな
まあ、出張旅行みたいなもんだわなw
初めて行く前は「あれが要るかもこれは要らんかも」と想像だけで判断して、
要る物持たずに要らん物持っていったりとかでorz
何度かこなせば最低限の要る物だけになる。
その結果がああいう軍装なんじゃないのかね。
927 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 08:38:15.58
鈴木眞哉が提唱してる「戦闘はもっぱら弓、次いで槍で、刀はほとんど使われなかった」説って、学者の間ではとっくに覆ってたんだな。
鈴木が調査した感状はごくごく一部で、片っ端からよくよく調べてみたら刀も槍も死傷者の数はたいして変わらなかったらしい。
あと、敵兵を殺した数も、弓より刀のほうが遥かに多かったことも判明してた。
928 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 08:48:22.56
↑に追記
鈴木の「刀と首取り」が発刊されてすぐ(2000〜2001年ごろか?)判明したらしい。
だから「戦はもっぱら弓と槍で刀は〜」は、長々とネットの中でしか話題にならなかったみたいだ。
あと、「槍は斬るもの、刀は突くもの」は、一部の流派でのみ言われている、いわゆる例え話であって、実際に突くための形状のものでわざわざ斬ったりはしないよ。
斬るんだったら薙刀を使うさ。
929 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 08:55:33.18
930 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 10:43:41.45
>>929 トーマス・コンラン氏という人が日本の合戦を調査していた際に、片っ端から感状の数字を調べてみて、武器別に仕訳してみたらそういう結果になったそうな。
ついでに、合戦時における馬の死傷状況なんかも(武器別に)調べたらしい。
931 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 10:50:11.04
↑の追記
でも、武器別の“負傷”では弓が最も多く、弓は大変に重要な武器だということはトーマス・コンラン氏も認めてる。
ただ、刀は有効な武器ではなかったということについては異を唱えてるみたい。
932 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 10:57:26.29
>>930 軍忠状統計の嚆矢は92年に論文で発表した釈迦堂光浩氏でトーマス・コンラン氏はそれに継ぐくらいの
古さだと漠然と思っていたが。実際、コンラン氏の『南北朝期合戦の一考察』は
97年に出た『日本社会の史的構造』に収録されていて、鈴木の『戦国合戦の虚実』(98年)や
『刀と首取り』(2000年)より古いけど。
コンラン氏が鈴木に影響されたなんて失礼極まりないよ。
ググッたら引用している人がいたわ
http://togetter.com/li/319904 武器別に殺害と負傷の割合をみると、太刀(※引用者注:切疵)=53:47、
矢=20:80、鑓=100:0(しかし一例しかない)となり、武器の効率の差異は明らかである。
【※弓矢の意外な殺傷率の低さ?】
・武士や馬を射殺すことは非常に難しかったようで、
南北朝期の軍忠状には「射殺」という言葉は五回しかあらわれない。(中略)
弓矢の殺傷率が低かったことは、以下の事例からも明らかとなる。
たとえば、今川頼国が討ち死するには矢が二○本も必要であった。
934 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 11:12:28.70
1スレ目からパクリ元として名前上がってるよ。矢木先生って方は
無知なもんで知らんのだが鈴木本を楽しく読むためにこの人の著書も
目を通しておいたほうがよさそうだわw
http://2chnull.info/r/history/1169129287/601-700 639:山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/03/18(火) 12:00:16
100レスあたりまでしかまともに読んでいないのですが、鈴木オリジナル
とされる軍忠状の解釈も、矢木先生やトーマス先生の方が早くありませんか。
どうもこの先生、自分一人の主張か自分が初めて思いついたかのように書か
れるので、ややこしいのですが。井沢先生と同じ。
645:山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/03/21(金) 22:33:27
矢木先生の方は忘れましたが、トーマス・コンラン先生の方は『毛利元就』
に出ていたと思いますよ。
それを更に発展させたものがあったと思うのですが・・・。
935 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 12:10:12.38
>>932 いや、俺もそんなことは書いていない。
俺の書き方が悪かったかな?
鈴木氏よりも、コンラン氏のほうがずっと感状(軍忠状)を研究している。
そしてコンラン氏が感状を読み解いた研究では、「刀を使う機会は少なかった、日本人は徹底して弓による遠距離戦闘をしていた」なんてこれっぽっちも書いていない。
ってことを言いたかった。
936 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 12:16:31.26
>>932 ん?あ、時系列を追ってのコメントか。
すまんすまん、勘違いしてた。
927 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2012/06/19(火) 08:38:15.58
鈴木眞哉が提唱してる「戦闘はもっぱら弓、次いで槍で、刀はほとんど使われなかった」説って、学者の間ではとっくに覆ってたんだな。
鈴木が調査した感状はごくごく一部で、片っ端からよくよく調べてみたら刀も槍も死傷者の数はたいして変わらなかったらしい。
あと、敵兵を殺した数も、弓より刀のほうが遥かに多かったことも判明してた。
928 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2012/06/19(火) 08:48:22.56
↑に追記
鈴木の「刀と首取り」が発刊されてすぐ(2000〜2001年ごろか?)判明したらしい。
だから「戦はもっぱら弓と槍で刀は〜」は、長々とネットの中でしか話題にならなかったみたいだ。
あと、「槍は斬るもの、刀は突くもの」は、一部の流派でのみ言われている、いわゆる例え話であって、実際に突くための形状のものでわざわざ斬ったりはしないよ。
斬るんだったら薙刀を使うさ。
「鈴木の「刀と首取り」が発刊されてすぐ(2000〜2001年ごろか?)判明したらしい。」
って書いてるよな。だからコンラン氏の論文の方が古いと指摘したんだが。
938 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 12:26:41.37
>>937 すまん、勘違いしてた。
コンラン氏のほうがずっと古かったのか、指摘ありがとう。
939 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 12:32:01.08
ふと思ったのだけれど(既出の疑問だったらすまん)
コンラン氏たちの軍忠状を読み解いた意見はあまりネットで目にしないのだが、何で鈴木の意見だけネット上で突っ走ってる感があるんだろう。
“刀が使われることは少なかった、弓による遠距離戦が主体だった”という異説の意外性、インパクトが強かったから「意外にも実は…」と広く流布したんだろうか。
940 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 16:58:02.79
そりゃ通説否定の方がインパクトあって広まりやすいからね
鈴木の本は薄いのに加えて俗書だから安い
それが最大の要因ww
漫画家とかが参考にしやすいんだろうねw
943 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 19:00:35.58
やっぱりそうかぁ。山本七平の「刀は三人しか斬れない説」も同じように流布したんだろうな。
こういった「意外にも実は…」ってな説に弱いのは日本人特有なのか、それとも世界共通なのか。
実際に自分の目で見てきたみたいに「戦では刀はほとんど使われませんでした」とか断言して書き込んでる人を見ると、色々と心配になってくる。
944 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 19:11:41.92
>>941 確かに安いwww
てか、軍忠状には矢、槍、刀による馬の負傷状況まで載ってるってことは、騎馬隊は無かった説もやっぱり覆りそうだね。
馬に乗って戦わなかったら、馬も負傷はしないだろうし。
使わないのに何故持ってるんだろう?って疑問を持たずにすぐ信じるのが謎だ
当時お堅いところはスルーだったようだが、歴史群像あたりの反応はどうだったの?
946 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 19:51:36.03
947 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 22:55:38.58
>>245 刀+脇差のセットで2キロ近くなるものを使い物にならないのに
命のやり取りする場所にわざわざ持っていくとか思っちゃう人がいっぱいいたんだよなw
今でも信じてるバカがニュー速だとかにはいくらかいるみたいだがw
>>927 >学者の間ではとっくに覆ってたんだな
むしろ最初から取り合ってなかった
相手するべき人らが無視したからこそはびこったってのもある
949 :
日本@名無史さん:2012/06/20(水) 07:00:44.74
>>945 歴史群像シリーズの日本刀大全と日本の剣術1&2なら持ってるけど、鈴木の説はスルーしてたww
日本刀大全にはトリビアの刀vs銃のエピソードがちょっとだけ載ってるかな。
>>948 なるほど、確かにあるかも。
義経=チンギス・ハン説みたいにテレビで放送されなかっただけマシかも、とは思うのだけど、結果的には鈴木の説のほうが広まってしまってるようにも思える。
歴史群像もかっこつけてスルーかw
ライトオタ向けなんだからそういう俗っぽいのも拾って行けばいいのに
951 :
日本@名無史さん:2012/06/22(金) 21:54:39.25
>>950 歴史群像の日本刀大全が出版されたのが、2006年4月15日。
日本の剣術は2005年5月20日、ついでに日本の剣術2は2006年2月19日。
鈴木の刀と首取りは2000年に出版だから、確かに十分に突っ込めたはずなんだけどねwww
プチコラムみたいな感じで良いから、鈴木の矛盾に突っ込んでほしかった。
次々とトンデモ説を布教していく鈴木ナニガシ、次はどんな説を繰り出すのだろうか……。
952 :
日本@名無史さん:2012/06/22(金) 22:01:37.73
953 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 00:16:22.13
日本のもの
軽い→脆くてすぐ壊れる
重い→動きにくくて役に立たない
外国のもの
軽い→無駄がなく機能性に優れる
重い→頑丈で耐久性に優れる
っていうダブスタで語る奴多いよな
954 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 01:03:14.97
>>952 何としてでも日本刀を弱体化させたいんだろうかww
てか、そのスレにも鈴木信者が根強くいるね…弓が大好きなやつw
ほとんど弓、たまに槍だったら、香取神道流剣術やらの古流剣術は創始する意味がないねww
使わない武器術なら、創っても一瞬で失伝してるはず…w
弓だけは扱いが得意だった民族が半島に居るよねw
956 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 01:36:19.25
以前、鈴木の説すらすでに突破している人とネットでやり取りしたことがあった。
「戦国時代での近距離の獲物は槍だった、刀なんて使われなかった。刀は平和な江戸時代でのみ使われてた。刀では槍に勝てない」
「刀のほうが使い勝手が良い場合もある、戦場ではTPOに合わせて刀も使われてた。お互いの腕の差と、頭の良し悪しによってはということが前提で、刀でも勝ちようはある」
「刀では、たとえ二流三流の使い手の槍にも勝てない。刀が槍に勝つということはありえない」
「上泉信綱は刀で槍の宝蔵院に、塚原卜伝も同じく長物の薙刀にそれぞれ勝っていますけど」
「信綱や卜伝も、もっと後に生まれていたら刀なんて使わなかっただろう。事実、信綱の弟子である疋田景兼や丸目蔵人などは槍の名手だった」
「彼らがもっと後に生まれていたら、貴殿が言う刀を使っていた江戸時代になっちゃいますが。あと、疋田景兼と丸目蔵人はそれぞれ疋田陰流、タイ捨流という剣術の流派を創始しています」
「戦争のリアリズムというものを知っていれば、刀などは役に立たないことくらいすぐ分かる」
「あなたは当時の戦争をリアルに見たのですか」
てな感じのやり取りが続いたっけ。
957 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 05:02:16.48
>>952 日本刀って言ってもいろいろ種類が有るんだけどね。
一`cって昭和新刀かな?
日本刀が優秀なのは、同じ重さ大きさのものと比べてだから、昭和新刀ならレイピア、ロングソードなら野太刀とかで考えないと。
おまえは韓国刀を絶賛するのが仕事だよ
959 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 08:25:56.73
それぐらいしかって、おまえ刀使ったことないだろ。
1300グラムの打刀は剣術やったやつでも扱いに難儀を感じるレベルだぞ。
日本刀は腰に差した時にバランスがとれるように、腰元に重心があるから
同じ重さでも鍔元に重心がある西洋の剣よりずっと重く感じるんだよ。
それだけ先に重心があるから同じ重さでも威力のある打ちが出来るわけ。
961 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 09:29:49.05
突然で申し訳ないのだが、刀は3人斬ったら脂がついて使えなくなるって、誰が言い始めたんだろうね?
「3人斬ったら〜」の部分は山本七平の本だと思うけど、ここでは目釘がダメになって…って書いてた気がする。「脂がついて〜」の話は何が発端なのか調べられない。
962 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 09:58:56.17
>>960 論点ずれてねえか?1キロの日本刀なんて昭和新刀とかほざいたバカがいるから
そんなもんだと指摘してやっただけだよ。
ホムセンで売ってる4キロのヘッドがついた両手持ちハンマーを鍛錬棒がわりに振ってる人間からすると
真剣は正直こんなもんかって感じの重さしかなかった。
963 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 10:02:17.47
>>961 脂説は司馬遼太郎という説が有力だが確認はしてない。
司馬遼は影響力あるし、史実そのものだと思って読む情弱もいるからねえ。
964 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 10:14:20.13
刀ではないが司馬の『真説宮本武蔵』が本当の武蔵だとか史実だとか
勘違いして読むバカが多い。そのせいでほんとに武蔵の流儀が彼一代のものだとか
普及しなかっただとか事実と反する主張をするのがいっぱいいて困る。
965 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 11:05:44.84
>>963 >>964 確かに司馬は功罪の両面があるよね。
島田紳助も鑑定団で「司馬さんは“そのとき横にいました”みたいに書きますからね」って言ってたしww
著作の表紙とかに「この物語はフィクションにて候」とか書けばいくらかマシになってたかもw
966 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 21:19:09.47
「鎬を削り鍔を割る」「太刀打ち」「一番太刀打ち」という言葉が江戸時代以
前からあるのにもかかわらず、「実際の戦場では刀はほとんど使われませんで
した。弓の家、槍一筋という言葉がありますが刀(or太刀)にはこのような言
葉が無いのが証拠の一つです」的な文章を知恵袋や個人のサイトなどで、たま
にみかける。
967 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 22:20:36.41
知恵遅れ袋なら仕方ない
968 :
日本@名無史さん:2012/06/23(土) 22:25:17.64
だけどあそこから鈴木説をはじめとする俗説の類が少なからず拡散していっただろうね。
回答するほうもアホなら聞くほうもアホだから。
そりゃまあ歴史好きと一般人の歴史認識って
科学知識に置き換えれば現代人と中世人くらい差があるんだし
970 :
日本@名無史さん:2012/06/24(日) 05:29:55.59
>>966 >>968 知恵袋は、最初は他人とは違う話をしてやろうという輩が書き込んで、手元の鈴木本から引っ張って書いたら、同じような思考の連中に広まったんだろうかね。
まぁ、その中には分かってて書いてるやつもいるかもしれんが、だんだん引っ込みがつかなくなったのかな。
しかし「弓すごい、刀いまいち」説はすごいな。
刀と首取りが出たのはもう12年前なのに、まだこのトンデモ説の勢いは止まらん。
最近は「当時の戦は馬に乗って、相手とすれ違いざまにお互い矢を射っていました。双方の矢がなくなったら引き分けでした」なんていう、さすがにどうかと思う話も知恵袋で目にする。
971 :
日本@名無史さん:2012/06/24(日) 07:48:18.85
>>970 あと槍ね。「槍は叩くものだった」とか言ってるやつも知恵袋によくいる。
叩くんならもっと叩くことに適した形状にするだろう、ハンマーみたいな。
あんなに細いものでベンベンと、ましてや甲冑の上から叩いたところで何の役にも立たん。
わざわざ使いにくくして戦っていたと言ってるようなもの。
コンラン論文を根拠に鈴木の「弓すごい、刀いまいち」説をトンデモと主張している人が多いようだが、
コンラン自身も
「一四世紀を通して弓は一番有効な武器であった」
と評価してるみたいだよ。
974 :
日本@名無史さん:2012/06/24(日) 14:07:26.87
>>973 最大の死因が弓だと勘違いする人がいるんだよ、負傷率が最大だったんだけどね。
あと、矢疵はそうでもないけど、切疵を受けることは情けないという風潮が当時はあったらしく切疵を正直に申告しない連中も多数いたそうで、軍忠状も完全に信用なるものではないらしい。
>>974 当時は、刀による死亡の多くは落ち武者狩りの結果だそうで、
その意味でも軍忠状の数字だけをカウントしても実態は分からないらしい。
976 :
日本@名無史さん:2012/06/24(日) 14:32:55.80
>>972 当時の日本人たちはすべからく槍で叩く戦法だったと思ってる人が結構いるんですわ、困ったことに。
刀は目釘だけで固定してるから弱いという人もいるよね。
目釘は位置を決めるためのもので、固定してるのはやっぱり柄全体だと思うんだよな。
もし弱いなら、他の固定方法を施すだろうし。
>>975 落ち武者狩りで弓や槍ではなく刀が使われた事こそ
刀の優秀性の表れだと解らんかね
>>978 落ち武者狩りで刀は優秀性を発揮するというのは良いんだが、
落ち武者狩りで戦争の勝敗は決まらん罠。
つうか、何で当たり前のことをいわなきゃならんの?
>>975 落ち武者狩りの結果ということのソースは?
>>980 白兵戦での武器の優劣は戦争の勝敗を決める
つまり刀の優秀性は戦争の勝敗を決め得る程の物だよ
君の祖先が稚拙な鎧ごと両断された日本刀を貶めたいのは解るが
現実から目を背けるのは良くないことだ。
>>974 > 切疵を正直に申告しない連中も多数いたそう
のソースは?
ソースを示さずにらしいらしいと書く人は信用ならないな。
北条氏康は情けない奴だったんだな
このスレを見てハッキリした。
鈴木説は全面的に正しかった。
988 :
日本@名無史さん:2012/06/24(日) 22:01:25.31
お前ら次スレの用意もせずになれ合いの釣り合いするなよ
975だが、>984は全面的に正しいな。
>974の 〜らしい〜そうで の書き方の頭の悪さの自覚はあるのかと疑問に思ったので、
文体を真似してみた。
ちなみに、「刀による死亡の多くは落ち武者狩りの結果」のソースは鈴木だ。
それすらも知らずに批判しているのは失笑もんだな。
はい、批判されたので見苦しい言い逃れを始めましたw
刀による死亡の多くは戦闘での結果。これは軍忠状からも判る。
>>991 落ち武者狩りも立派な戦闘だ、と言いたいようだな。
993 :
日本@名無史さん:2012/06/24(日) 22:59:10.15
最近は鈴木説に過剰反応して
所詮は同じ鉄なのにあたかも日本刀が他国の刀剣とはモノが違うかのように語ったり
日本に高度な集団戦術があったかのように語るネトウヨが痛い。
日本刀は他国の刀剣とは格が違った
故に明軍は日本刀を正式採用したんだよ。
在チョンは願望が生み出した妄想を無知な一般人に布教するのではなく
史実や母国の屈辱に塗れた歴史を甘んじて受け容れることをお奨めする。
>>992 鈴木節の落ち武者狩りという主張は
根拠が無いって知ってた?w 素人作家の根拠の無い推論
刀による死亡の多くは戦闘での結果。これは軍忠状からも判る。
>>983 切疵を正直に申告しないというのは、最初の鈴木眞哉史観を疑うスレに書いてあった。
ソースは卜伝百首だそう。
てっきり最初のスレも全部読んでると思って書かなかった。
>>990 「〜らしい」「〜だそうだ」の書き方をした、あるいはするのは、実際に当時の戦なんか見たことがないからだ。
実際に見たんなら断言も出来るが、所詮は全て当時の戦を予想している説に過ぎないから。
学者も「〜していたと思われる」とか言うでしょ、それと一緒。
997 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 04:28:32.07
>>996 なるほど。確かに、ある程度の見当はついても、確証がないのに断言するのはおかしいわな。天気予報もそうだもんな。
誰か次スレお願い。
16世紀当時の明将らの記録が重要なのは言うまでもない。
断定可能な資料だもんね。
999 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 13:39:42.92
1000 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 14:27:20.15
1000
1001 :
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