とりあえず前スレ後半で議題にあがってるのは
日本刀の有用性とか馬上打ち物がどれぐらいポピュラーな行為だったのかとかそんなとこみたいだ
「戦国時代、騎馬隊はなかった」
「戦闘で日本刀は使われなかった」
「天下人とされる人間は運がいいだけ」
「天下人史観に騙されるな」
乙です。おかしなヤツが埋めてたし、いいタイミングでした。
乙です。
テンプレじゃないけどこういうのも貼っておくか。
邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。
パードレ・ガスパル・ビレラ 1557年
まとまってないけど、前スレに貼られていた『信長公記』
『信長公記』PDF版
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_9.pdf 「家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為め、柵を付けさせられ」
「三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、
馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる」
馬上で戦ってる。
↓
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
刀で戦ってる。
↓
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
面白いと思ったレス
930 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 02:06:12
戦争全体での負傷者で見て刀で切り合うことが少ないといっても
刀による白兵戦は重要ではなかったとはいえないんだけどね
飛び道具や整然とした陣形時に効果的な槍での白兵だけで決戦にはならんわけで、、、
>邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
>戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。
>パードレ・ガスパル・ビレラ
なんつー1557年の資料もある
要するに飛び道具や槍を主に使っている時間やその死傷者が多かろうが
結局最後に刀剣による乱戦にもつれ込む可能性は常に残るわけで。
そしてこの刀剣による乱戦の段階では往々にしてもう戦局はほとんど決まっている=敗北者側の一部が頑固に抵抗しているのを掃討する段階
したがって「きちんと勝ちきるためには」重要な局面ではあるが死傷者数は少ないわけだ。
あまりうまい例えになってないが
ゴルフで大半の時間がフェアウェーで行われるといってパットが重要ではないとは言えないわけで
『信長公記』信長太良より御帰陣の事
森三左衛門、千石又一に渡し合ひ、馬上にて切り合ひ、
三左衛門臂の口きられ、引退く。
『信長公記』浮野合戦の事
信長の御小姓衆佐脇藤八走り懸かり、林が頸をうたんとするところを
居ながら大刀を抜き持ち、佐脇藤八が左の肘を小手くはへに打ち落す。
かかり向かって、終に頸を取る。林弥七郎、弓と太刀との働き
比類なき仕立てなり。
>>7 >要するに飛び道具や槍を主に使っている時間やその死傷者が多かろうが
軍忠状からわかるのはあくまで負傷であって死因とはまた別だからね。
鈴木はその辺をうまく誤解させている。
932 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 02:38:45
野戦といっても、結局は城攻めと同じで敵の陣取る場所を占領するのが目的。
矢玉による遠戦だけで敵地占領はできない。
当然近接戦闘により制圧が必要となる。
933 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 04:52:16
スポチャンなんかを例に出すのもなんだが
イベントなんかの締めで15対15みたいな集団試合やると意外と槍は簡単にやられることが多い
一対一だと槍はかなり強くて二刀ぐらいしか互角に戦えないんだが集団だと小太刀で倒せることも珍しくない
前に気を取られている間に横や後ろに回られると槍はかなり鈍重
回り込まれたことに気がつくまではどの武器でも条件は同じはずなんだが
そっちに向き直る前にやられることが多いね
意識を向けなきゃいけない方向が2方向以上になると槍は攻撃も防御も逃げるにも全部がガタガタになる人が多い
長剣や二刀だと少なくとも囲まれないようにこまめに位置を変えることは出来る
スポチャンの集団戦は基本単なる乱戦で最後の一人になるまでやる生き残り戦なんだが
槍が残ることはめずらしい
482 :日本@名無史さん:2007/10/24(水) 20:25:45
貫通させる必要はないんだけどな。
たまに振ったバットのフォロースルーがキャッチャーにあたってキャッチャーが身動きとれなくなってるけど、
別に貫通してないし。
貧乏な物主は足軽に八角棒とかただの固い木を装備させてる。
国人一揆では、鋤や鍬でぶん殴ってぬっころしてる。
いっぺん、鈴木さんはヘルメットかぶった状態で木刀とか金属バットで思いっきり殴ってもらえばいいんじゃないかな。
ヘルメットを貫通しないから木刀や金属バットに殺傷能力はないって鈴木さんなら言ってくれるだろう。
546 :日本@名無史さん:2007/11/14(水) 21:52:17
鈴木氏がやっている軍忠状からの類推を例えるならば、
年間50本ホームランを打つバッターを評するに、ホームラン数とヒット数を比べてヒットの方が多いから
このバッターはホームランバッターではなくて短距離ヒッターである!
と結論つけている事と同じ。
どんなホームランバッターだってヒットの数の方が多い野が当たり前。
古今東西どんな戦でも総じて見れば、飛び道具による死傷者数のほうが白兵戦での死傷者数を上回るのが当たり前です。
どうしても『遠戦志向』かどうかを断じたいのならば、Aという国の白兵戦率とBという国の白兵戦率を比べるのが筋。
Aという国の白兵戦率と、Aという国の『遠戦』率を比較してどっちが大かを比べても、『遠戦志向』かどうかは断じられない。
この板の住人はほとんど鈴木説の矛盾を知ってるやつばっかだからなー
むしろウィキとかのほうが汚染がひどいんじゃない?
15 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:31:58
16 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:17:47
ほぼ垂直の崖を駆け降りる馬術の教練本の話が出てたスレを探してるんだが…
ここの前スレだっけ?
だれか情報持ってたら頼むわ
関連するレスを集めておいた。
224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/10(木) 01:55:36 ID:mcTPnbxJ
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq17t03.jpg 235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 12:22:06 ID:DGqXkLaM
>>232 http://d.hatena.ne.jp/sanraku2/20051018 これじゃないか?
740 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/04/30(木) 19:38:58
携帯からのレスなので、アンカーが出来なくて申し訳ない。
>739
それは確かにおかしな理屈だね。
ならば現代のレンジャー部隊は落下などの危険性があるので非現実的な存在になる。
前にあげた近藤好古氏は著者の「源義経」の中で今まで創作に近いと思われていた義経の坂落としを現実的に可能としている。
その根拠は20世紀初頭のハンガリー騎兵が断崖絶壁を下る訓練をしていたからだ。
写真も見たが、確かに騎兵が山岳の急斜面を下っていた。
近藤氏は本来は山岳地帯に生息する馬は訓練次第でかなりの荒技が出来る生き物と書いている。
これに対して鈴木の槍騎兵の否定の根拠の1つは武術史家の名和弓雄の証言があるのだが、名和は一回、馬に乗って槍を扱ってみて危なく感じたらしい。
これが武術史家が考証に望む態度として望ましいとは甚だ言えないであろう。
これも貼っておくか。
98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 17:20:06 ID:psacgWr8
いつから槍はぶん回すものになったんだ?非現実的な想定を考えて否定するのは勝手だが
槍は突き刺すものだよ。
片手で扱える軽い槍でも牛の突進を受け止めて折れない程度の強度はある。
http://www.youtube.com/watch?v=3G4CnYA_hWk&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=IiS6drsSQP8 1分30秒過ぎからの訓練では騎槍を保持しながら走り回っている。
http://www.youtube.com/watch?v=BZCh05FF_5E&feature=related 191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 18:21:06 ID:6h8Mmk00
ポニースレに書き込んだものだが、新陰流の伝書から馬上の刀槍について。
『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。
・同、馬上にての心持、たがひにかたなにてかかつて来るものは、かかるものの左のかたへわり、
馬のつらをのりかくるやうに、心持専一なり。右の方へなる時は、あわする心持一つなり。
・下に刀にてゐるものきる心持、まづわをのりかけてまはしたるよし。右にゐるものをきらんとおもはば、
みぎのあぶみをふみはり、くらをすかしてきりたるよし。左にある時は、左をふみはり、是もくらを
すかし、すみのくらにてきりたるよし。
馬上の槍は「わがやりつよくもち」、つまり乗り手は保持することに専念し、「馬につかせる心持」
「馬にてつかせたる」とあるように馬を走らせる勢いで突くことが大事。
21 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:49:05
徳川家光品川御殿に遊行し、近侍の者等が剣術の仕合を為すを見て興がり、
御馬方諏訪部文九郎を召し、仕合を命ぜられた、
時に文九郎、
「馬上にての仕合ならば負けまじきを」
と云った。
家光がこれを聞き、馬上の仕合をとなり、近侍の面々馬を乗り出し、
文九郎と仕合をしたが、悉く打たれたので、家光大いに感じ、
「文九郎は馬上達者なる故、近侍中一人も勝つ者なし、この上は柳生但馬出て仕合うべし」
とのことである、但馬守、
「畏り候」
とて馬上にて立合い、南方より乗り出しその間合い三間程になった時、
馬を駐めて文九郎が乗り来る馬の面を一打ち打ち
馬の驚いて起った所を乗寄せて文九郎をはたと打った。
家光、これを見て、
「真に名人の所作、時に臨んでの働き尤も妙」
と感心したとの事である。
「常山紀談」
元寇のページもひどいわな。元に侵略の意図はなかったとか威力偵察にきただけとかw
なんつーか金でも貰ってやってるのか?と疑いたくなるほど必死だよね
ああいうサヨク連中って
せいきのペテン師
本人も本当は自説にムリがあるのは承知してるのに
売るために極論吐いてそうなのがイヤなんだよな。
そうか?
なんかノリノリでやってるよーにも見えるがw
むしろロシアが日本を侵略しようとしていた歴史的事実しかないわけだが
31 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 06:39:28
ウラジオストクなんて名前からして侵略の意図丸出しじゃん
32 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:32:39
ネット上ではだいぶ駆逐されてる気がするけど
逆にウェットな連中だと歴史好きほどだまされたままってやつも多そうだな
この人の言うことは一見目から鱗な感じになる。
けど、よく考えてみると痛いこと言ってるなってことになる。
34 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 19:36:03
気持ち悪いネトウヨがすみついているなw
なんか来たなw
鈴木史観に異を唱える者 = ネトウヨ
↑
え?ここのつながりが全く読めん
状況に合わせて武器を変えるってだけのことなのに
槍がメインアームだのなんだのと勝手に決め付けても何にもならんと思うけどね
なんか結論がほぼ出ちゃってるから盛り上がりにくいなw
鈴木はもうこの話題では新作出さないのかな?
俄信者来てもフルボッコされて終るだろうからなあw
戦国板の剣豪スレにちょっとだけセンゴク厨みたいなのが来てたぞ。
しかし検索すると軍忠状に記された疵=死因だと思っている人が
まだまだいることに驚かされるな。軍忠状が何だと考えてるんだw
43 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 13:12:16
正面きってここで論戦しても負けるので
識者が見てなさそうなところに分散して印象操作だけして逃げるみたいな感じになってるんじゃないかな
44 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 05:30:35
戦国板いったことねーな
議論の場に出てこないだけで
いろいろなところで書き逃げみたいなレスはまだ多いとおもう
漆原徹『中世軍忠状とその世界』 は気になるんですが、
読んだ人いますか?
48 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 10:26:51
ウィキで工作してるよ
49 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 12:25:20
最近の俄信者のトレンドは
戦記モノあるいはファンタジーモノの
漫画やアニメのスレでこの手の雑談に
なったときに涌くこと。
こないだなんか聖剣の刀鍛冶スレに涌いてたわ
50 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 11:36:42
過去ログ倉庫行きになってて残念。スレタイを見る限り
日本刀は三人斬っただけで斬れなくなるとかが涌いたのかな?
確かその日本刀三人限界説も元ネタには書いてないとかそんな話じゃなかったっけ?
戦さで首三つも取ったら大手柄だったと思うがなw
大手柄(使い手の能力的限界)と強度・刃味(刀の機能的限界)は別だろ
54 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 03:07:08
>>51 むしろ元ネタのほうは真逆のことが書いてある
「日本刀、斬れすぎ。ここまで簡単に斬れるとは思わなかった」
みたいな内容なのに、そいつをまーながったらしいへたくそな文章で曲解してる
55 :
日本@名無史さん:2009/12/23(水) 10:43:41
たしかに鈴木説持ち出すのに限って半可通が多いな
日本の馬は小柄だから槍騎兵はいなかった、とか書いてる奴が
北条は源氏とかほざいてましたよ
印象操作することだけしか考えてないから
矛盾は気にしないコばっかりなんだよ
57 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 09:04:42
58 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 21:32:22
根拠を出せと言われると屁理屈で逃げ回ってたw
刀を使わないなら身に付けないよ
飛び道具とくらべて「刀は無視してかまわない」なら
世界中の白兵戦すべて無視するのかよって話になるよねw
ローマvsギリシアの戦、最後は剣が勝敗を決めたと思ったが。
洋の東西を問わず
先ず飛び道具で戦いが始まって
最後は刀剣で勝負が決まるってことかの。
>>57 大太刀を弓だと言い張る新手があらわれて賑わってたw
新手じゃなくて
>>880のヤツと同じでしょ。矢を弓とも言い張っているし
救いようのないバカ。
リア中が鈴木説を真に受けたり自己解釈したりして
語ってるのかね?痛々しい。
66 :
日本@名無史さん:2009/12/30(水) 17:38:35
>>64 話の流れから言ってその可能性もかなり高いな
結局尊氏像(推定)の担いでる大太刀を弓だと言い張ってる動機は「馬上で太刀など使うはずがない」っていう自分の妄想を正当化するためじゃないかと
なるほど。馬上で刀など使うはずがないと思い込むと、
あれほどハッキリ描いてあるものも弓に見えてくるわけかwww
しかし矢を弓と言い張るところを見ると日本語が不自由にも思えるんだが。
遠距離ではピルム(投槍)を投げるのでローマ剣士は遠戦志向ですね。
69 :
日本@名無史さん:2009/12/31(木) 19:08:24
>>67 日本語が不自由というか
日本そのものに無知というか
71 :
日本@名無史さん:2010/01/31(日) 03:51:30
ごくたまに見る
威力偵察だのなんだのと次々と日本に負けた言い訳考えるもんだな
元による日本侵攻は戦略レベルで失敗しているので、それ以下の細々とした部分は正直どうでもいい。
74 :
日本@名無史さん:2010/02/16(火) 17:01:51
今度は大宰府が戦略目標ではないときたよw
ルイス・フロイス
武士階級の食生活は、どの階級よりも質素である。
多くは菜食主義で、下は雑兵といわれる足軽から大名に至る迄、少食・粗食であった。
また着ている物も、普段は木綿の粗衣であったがヨーロッパ人に比べ暑さや寒さに強かった。
武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、
脆弱な我々ヨーロッパ人と違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった。
tes
ルイス・フロイス
『日本史』西九州編第二六章(第一部一〇〇章)
「深堀が長崎を襲った次第、および彼の敗北と、戦闘におけるその不運な結果について」
・かの老人とその息子たちと養子は、激しい戦闘心に燃え、槍を刀に代え、
いとも巧妙に、かつ激しく戦ったので、敵は誰しも皆驚嘆し、大いに苦境に陥った。
『日本史』西九州編第五三章(第二部五二章)
「野戦が行われ、隆信が戦死し、その軍勢が壊滅した次第」
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に(刀で)相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その(真只)中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。
78 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 19:01:56
面白いね
大太刀がうまく機能したのは文禄慶長みたいな対外戦争だけかと思いきや
国内でも大太刀は槍相手には突破口たりえるんだな
79 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 19:13:10
鈴木はよくいる野心的な文筆家にすぎないよ。
歴史学では一顧だの価値もない。
>>78 『徳川実記』でも家康が大太刀は槍に当てて用いるものだ、と
コメントしているしね。
ルイス・フロイス
『日本史』豊臣秀吉篇第五章(第二部六七章)
「(羽柴)筑前殿が根来衆と呼ばれる仏僧ら、および雑賀の仏僧らに対して行った戦争について」
・兵士たちは槍を用いて(城に)登り、ここでも羽柴軍に多数の死者が出たが、ごく短時間にして
(羽柴勢の)侵入するところとなり、生命あるものは人間と動物の別なく何一つ助からず、
すべてことごとく火と刀をもって滅ぼされてしまった。
豊後篇第七〇章(第二部八七章)
「豊後の最後の破壊、および本年当初の出来事について」
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら鉄砲を発射する
時間も場所もないほどであった。というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし
弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、鉄砲など目にもくれなかったからである。
西九州篇第九一章(第三部六章)
「天草、志岐のこと、及び本渡城の破壊、同所における三百人のキリシタン婦人の英雄的で
永久に記憶すべき行為について」
・彼らにしてみれば、すでに(敵方の)男たちを征服しているのに今さら(その生残りの)
婦女子に敗北を喫するようなはなはだしい不名誉にとうてい堪えることができなかったから、
彼らは恐るべき勢いをもってその場で猛攻撃を加えた。三百人いた婦人たちのうち、生存者は
二人だけで、しかも重傷であった。こうして彼女たち全員が刀で殺され、戦場に身を曝した。
結局従来いわれているように乱戦や攻城戦で刀は活躍したってことだな(一番上は「火と刃をもって」的な
比喩的表現かもしれないが)。太刀をふりかざして走るのも宣教師の見聞した範囲においても行われていた。
折角なので朝鮮の役での刀の活躍関連
『日本史』豊臣秀吉篇第三六章(第三部四七章)
「朝鮮国の描写、およびアゴスチイノ(小西行長)がその艦隊を率いて先発した次第」
・(※注:朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
『日本史』豊臣秀吉篇第三七章(第三部四八章)
「朝鮮に向けて出発したアゴスチイノが、ついで幾つかの城を攻撃し、大いに苦労して
軍勢をもってそれらを屈服せしめたこと、ならびにそこで彼が獲得した名誉について」
・双方とも大いに奮戦したが、朝鮮人は頭上に振り翳される日本人の太刀の威力に対抗できず、
ついに征服された。朝鮮人の側では約五千の兵が戦死し、日本人の側では二つの城塞
(の攻略に際して)百人近くの戦死者と四百人以上の負傷者を出した。
『日本史』豊臣秀吉篇第三八章(第三部四九章)
「アゴスチイノが朝鮮の都に入るに先立って生じたこと」
・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。
『日本史』豊臣秀吉篇第四一章(第三部五二章)
「シナ(軍)が日本(軍)と交えた他の戦闘、ならびに種種の出来事について」
・ある者は、それは(シナ側)の策略であって、彼が武具を求めたのは、同じものを(シナ側で)
造ろうとしているのである。槍や長刀についても言えるが、とりわけ、日本刀の威力に対抗できる鎧を
製作しようとしているのだ、と言った。
「アゴスチイノが朝鮮の都に入るに先立って生じたこと」に見られる騎馬戦闘らしき描写
・天草のドン・ジョアンは(戦闘)当日、何ぴとにも劣らぬ働きぶりを示した。彼はアゴスチイノの眼前で
極めて凜々しく勇敢に戦い、自分の乗馬が殪されると、すかさずに率いていた代馬にまたがって奮戦した。
だがその馬も殪されたので、非常な危機に陥った。
>>80の原文
『東照宮御実紀附録』
・汝(※注:三尺五寸の大太刀を帯びた伏見彦太夫某)は尺の延べたる刀の利を知るかとあれば。
ただのべかけて敵を一討ちに仕るばかりにて。外に心得候はずと申せば。いやとよ寸の延べたる刀は。
鎗にあてて用ひんが為なり。向後忘れまじと教へ給ひしなり。
84 :
日本@名無史さん:2010/03/05(金) 18:45:54
鈴木って絵画史料についてはどう評価してるの?
刀での戦闘はもちろん、抜き身の刀を肩に担ぐようにして走る描写なんか多いと思うけど。
長篠合戦屏風は信用できるとか言ってなかったっけ?
しかし鈴木説を「最新の説」とか言って無批判に信じてる人は結構多いんだなw
日本刀三人限界説もいつの間にやら定説になってるし。
87 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 13:29:35
88 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 15:44:00
それ本物の刀じゃなくてドイツのおっさんが自作した形だけの模造品w
鈴木説信奉者にはお似合いのバッタモンだなw
89 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 18:53:52
そのドイツ人はかなり正確な方法で刀作ってる。
その証拠に日本刀は折れずに曲がった。
堅い物斬るのに樋入りの刀使っちゃダメでしょ
91 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 12:34:53
>>86 ずいぶんと手あかのついた「最新の説w」だよね
3人説もそうだけど、いつの時代も売文家の極論には困ったもんだ
95 :
日本@名無史さん:2010/03/16(火) 13:40:17
騎馬武者否定
集団戦否定
日本刀否定
あとなんだっけ?
>>29-31 実際、ロシアに日本侵略の意図ってあったの?
狙ってたのは満州や朝鮮じゃないの?
少なくとも日本しか狙っていなかったということはないんじゃないかなあ
ウラジオストクという地名も「東方を征服(支配)せよ」と訳されることが多いけど
「東方を支配する」と訳することもできるし、その「東方」に日本が含まれていたとは限らないと思うのだが
>>36 サヨクだの日露戦争だのの話をしてる人に言ったんじゃないの?
朝鮮とられたら日本詰むだろ
それは日本側の視点であって、ロシアの方に日本を侵略する意図はあったのかが気になっている
イルボンの被害妄想ニダよ。
当人にその気はなくてもこれだけ派手にやってれば、
そう疑われても仕方ないし将来その気になるだろうと見なされるわな
三国干渉も知らないのかー
ダイアクロン建設車ロボを持っていた子はいきなり悪役にされてどんな気持ちだったんだろうかw
TFの日本名だけどコンボイ、ジャガー、コンドル辺りは元の玩具の名前から来てるのはわかるんだが
なんでジャズがマイスターなんだろう?ポルシェは独車だからドイツ語にしたのかな?
↑すみません誤爆しました。
104 :
日本@名無史さん:2010/03/18(木) 02:02:59
トランスフォーマー?
>>101 知ってるよ
でもそれにしたって遼東半島をめぐる問題でしょ
ロシアに日本自体を侵略する意図があったのかどうかが気になっている
>>105 千島・樺太はファーストコンタクト以来の焦点になってるが?
「あれは日本本土じゃない」とか寝言を言うなよ?
>>106 でもそれは1875年の樺太千島交換条約でとりあえず決着がついていたのではないの?
色々突っ込みたいのだがスレ違いとだけ言っておく。
欧州以外の19世紀初めの独立国家の数と20世紀初めの独立国家の数を比較検討してみれば、そういう風に取られても仕方無いだろう。
三人限界説の元ネタってのは何なんです?
>>112 ひどすぎる。こんなものが伝聞に伝聞を重ねるうちに
真実のように語られるようになるのか。
山本七平のは「ユダヤ人と日本人」もどっかの学者さんに「デタラメだらけだ」って叩かれてたっけなあ。
その人がお亡くなりになった途端に続編出したとか笑わせてくれる。
血のり血脂なんかでも
まるで付着した瞬間から斬れなくなるかのごとく印象操作するやついるよね
血を嫌うのは錆のためだし
脂が固まって斬れなくなるまでにだって数時間はかかる
その間、刀身を拭う暇もなく戦い続けているんだったらとても三人では済まないわけで
116 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 03:53:53
117 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 23:47:46
鈴木史観がここまで広がった原因のひとつに
ヤンマガのセンゴクがあると思う。
と言っても、アレの連載が始まった当時は
まだ、鈴木史観が出鱈目という事に気づいてる人が少なかったから
作者には罪はないかもしれないが。
118 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 15:49:03
無しは無しでも
「無責任」のほうだなそれ
ある意味しゃーない。
敗戦後は軍事史そのものが腫れ物扱いだからね。
血のり血脂で切れなくなるって話は
多分、血のり血脂が付着したまま刀を鞘に収めると
固まって抜けなくなるという話が
変形してそうなってしまった感じがする。
>>120 居合の達人と戦うときの手だての一つに
・隙をみて卵を鞘に流し込む(本人が寝てるとか刀に細工できるタイミングでの場合)
・抜き身の刀に卵ぶつけて鞘にしまわれた後卵が渇くまで逃げ回る(ぶっつけ本番)
とかあったの思い出した
そんなんで抜けんくなるんか?と思ったが血糊と原理は一緒だから一応有効なんかな?
まあそれ以前のところに問題がある作戦だとは思うがw
まあ鈴木さんとは全然カンケーないんだけど
甲陽軍鑑の一点押しで騎馬武者否定する奴がいて困った困った
123 :
日本@名無史さん:2010/03/30(火) 03:01:50
甲陽軍鑑自体の信ぴょう性が無いじゃん
124 :
日本@名無史さん:2010/04/02(金) 03:35:02
大坂夏の陣
鈴木本人は居合道の有段者だぜおめーら
それがどうした。
127 :
日本@名無史さん:2010/04/09(金) 05:53:19
ググッたが出て来なかったぞ。>居合有段者
てかタモリだって居合有段者だしな
>>117 出鱈目ってお前が言ってるだけだろ
学者の反論でもあったのかよ
129 :
日本@名無史さん:2010/04/09(金) 09:10:40
鈴木は学者ですらねえだろw
128みたいなのがいるからこまるのよ
何にでも信者っているもんなんだなw
>>122 甲陽軍艦にはこういう記述もあるしなあ。
「安房上総両国の府君、里見義弘公一家の正木大膳といひしもの、十二三の歳より馬を
ならふに、片手綱にて、のらんことをこのむ。馬訓ゆるもの怒て云ふ、片手綱と云は、
能々馬を乗覚え、功者に成てのうへ、片手綱にてめすべきに、未だ鍛錬もまゐらずして
左様にめせば、其身なりも悪しくおはします程に、必らず片手綱無用と制す、大膳申やう、
侍の将たらん者、馬よりおりて鑓を合せ、高名する事多くは有まじ、馬上にて下知をし、
其まま勝負を決せんならば、片手綱を達者に覚てこそと、をさな心に申せしごとく、
度々馬上にて勝負を決す」
そもそもあれって戦国時代も後期のもので
「現役の猛者」が書いたわけじゃないような
どっちにせよお侍さんが馬乗ってた時代だろ
>>117 鈴木史観のブームはセンゴクの連載開始より大分前だと思うよ?
センゴク自体は騎馬武者も日本刀も使ってるし、鈴木史観的なのりはそんなない
あえていならたまに作者独自の見解をうちだす作者史観だ
>センゴク
キャッチコピーで「刀なんて役に立たねえ」とかやってなかったっけ?
>>137 最初期は鈴木史観と雑兵物語中心だったのが段々他説を採用しだして
弭槍出した辺りから戦闘描写的には割と吹っ切れて天正記入ったころから鈴木史観は完全に捨てたっぽい。
馬上で刀振り回して何が悪い←今ここ
139 :
日本@名無史さん:2010/04/25(日) 18:59:45
鈴木史観は洗脳性が強く、一時的に洗脳される奴は多い
でも、よーく考えると「鈴木史観イラネ!」になる。
>>135の「あえていならたまに作者独自の見解をうちだす作者史観だ」がヤケに空しいです。
だがこの通説には疑問が残る
1話か2話かで仙石が馬上槍で暴れてたの思い出したわ
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
ルイス・フロイス「日本史」
日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、
太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ルイス・フロイス「日本史」
144 :
日本@名無史さん:2010/04/26(月) 15:44:04
>>142 雑兵から堀Qに至るまでやたら説明的台詞が多かったな>1〜2話
堀Q?
2003年頃のスレ見たら鈴木信者大勝利状態でワラタ
文系は数字使ったトリックに弱いからねえw
アンチ鈴木でもよく理解できてない人多いみたいだし。
>>148 実際軍忠状のトリックは「一見」正しい事を言ってるような気にさせる上では優れてたな。
詐術の面では頭ひとつ抜きん出てたと思う
150 :
日本@名無史さん:2010/04/30(金) 16:11:38
_,,,,,,,,
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
. / 彡lll
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
. |`゙'' ./ `'゙'''" .〉,l |
|. ,' // 信成、おまえはワシの末裔じゃないだろう
. ',. ,' , r'
. ゙, ゙'ー ‐` l |
゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゙T''''''''''
l ` 、,,,,、- ' " / /.| | 織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
. | | .l i / ./ | |
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/ | | | l / ./ .| |
. | | | l / / | |
| | | ', / / l .l
スレチガイ
数字を使った詐術と専門書からの恣意的な引用でそれらしく見せた訳だな。
鈴木さんひどいよ
240 :人間七七四年:2010/05/14(金) 19:29:40 ID:/VrYXGhd
これを言ったら身も蓋もないが、
そもそも日本刀の威力とか意味あるのか?
戦場で刀なんてほとんど使われない。
首を切りとるときに使うだけだ。
戦傷の順位が
1位 鉄砲傷 2位 弓傷 3位 槍傷
4位 石つぶて傷 5位 刀傷で
無論、戦国前期と後期で鉄砲や弓の割合が大きく異なるが
日本の合戦は基本的に遠戦主体、戦傷の原因の75%は遠戦武器が占める。
白兵戦最強とか言ってるが白兵戦なんてものは特殊な状況で発生するだけ。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1255772105/
156 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:28:51
読む気がうせるようなスレでこういうのが広められていくわけか
如何にも「厨房の隔離スレですよっ」ってなスレにしか見えないんだがw
>>154 >戦場で刀なんてほとんど使われない。
>首を切りとるときに使うだけだ。
こういうアホ意見書くやつに限ってあげるんだな
日テレでまた妄言垂れ流し
「一人切ったらもう切れない」
┐(´ー`)┌
161 :
日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:54:07
高橋秀樹には失望した
>>159 もう鈴木には目立つ為に考証、実証何もなしで極論を唱えるしか残ってないんだろうな。哀れな。
大声で何度も嘘を言えば真実になる
これを地でやるから気持ち悪い
歴史系板とか軍板とかいかにもな板なら また鈴木か の突っ込みはいるが
漫画とかゲームとかの板だとそのままになってたりするの見かけるな
>>165 そうなんだよな。そういう連中は新しい説(さすがに今では手垢がついてるけど)ということで
無条件に信奉してしまう。軍忠状に記録された疵は死因ではないとか、反証をいくら挙げても
興味を示さない。
得意げに遠戦志向とか首取りの道具とかの言葉を使いたがる連中の多くが
鈴木眞哉の名前すら知らなかったりするw
なんで隊列に対する衝撃力を一切無視して個人の負傷率だけで語るんだろう
せめて俺の規制解除まで持ってほしかったが反論も出来ずにあっさりいなくなってたなw
ゲームとか漫画系の板とかから来たヤツかな?
戦国板に貼ったやつがもう転載されてるのか
住人かぶりまくってんだな
そりゃそうだろw
俺が貼ったフロイスの『日本史』とかも拡散されまくっているようでなによりだ。
柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)
・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
『日本史』豊臣秀吉篇第三八章(第三部四九章)
「アゴスチイノが朝鮮の都に入るに先立って生じたこと」
天草のドン・ジョアンは(戦闘)当日、何ぴとにも劣らぬ働きぶりを示した。
彼はアゴスチイノの眼前で極めて凜々しく勇敢に戦い、
自分の乗馬が殪されると、すかさずに率いていた代馬にまたがって奮戦した。
176 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:10:24
文禄二年七月四日、朝鮮の役に従軍した吉野甚五左衛門者が帰国の船の中で書き記したという
『吉野甚五左衛門覚書』から刀や「切る」武器で戦う場面。
・きりつけうちすてふみころし。是をいくさがみのちまつりと。女男も犬猫も。皆きりすてて。
きりくびは三万程とそ見へにけり。
・てきも弓取有りければ手向者もをを(多)かりき。鑓合人も有。大かた常の者ともは
皆手を合てをがめる(拝める)をきかずてにこそきりにけれ。
・つゐに鑓にはまけざれと。太刀も刀も打くつし。
・大名達も小姓衆も。かたなばかりて出給ふ。無勢なりせば力なくされ共
松浦法印はあまり間ちかくよせけれは。御父子打物とりたまひしうしう
四五騎にてきりかかり。あまたのてきを切くつし。高名こそはめされけれ。
其時法印。てをくだきあしに矢のてをい給ふ(負いたまう)。其外何れの諸大名。
我も我もとすすみいて。諸口のてきをきりくづし。をひうちしたるかしらくび
二千程こそかけられけれ。
こういう極論は信じない方がいいって事だな
どこの戦いのことかわからんが
すでに戦況が決まったあとの敗走した朝鮮残党狩りならどこでもこんなもんだろ
無勢な上に大名が手足に傷を負う戦いを残党狩りというのか。勉強になるな。
鈴木信者は史料の読み方も知らんのかw
都合が悪いものは脚色としてスルーは教祖もやってるので
一刀両断
元の鞘に納まる
反りが合わない
身から出た錆
地が出る
付け焼刃
真剣勝負
鎬を削る
鍔迫り合い
おっとり刀
折り紙つき
切羽詰る
鞘当て
単刀直入
伝家の宝刀
快刀乱麻を断つ
火花を散らす
抜き打ち
焼きを入れる
土壇場
たたらを踏む
じだんだを踏む
秋水
相槌を打つ
刀用語多っ
刀は使われてないって言い出すヤツに限って実際文献もろくに見てないよなw
お前らもご苦労なことだww
しかし鈴木のことは知らないって、マジで説が一人歩き始めてるな。
93 名前: ギンカガミ(愛知県)[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 01:10:44.94 ID:QpRqd5cI [1/2]
戦国時代の合戦だと死亡原因のほとんどが弓
確率低いけど次に槍でもっと下に剣
98 名前: イワナ(神奈川県)[] 投稿日:2010/06/11(金) 01:13:45.41 ID:c8ky5aUS [6/8]
>>93 いよいよ来たな鈴木信者
102 名前: ギンカガミ(愛知県)[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 01:16:47.94 ID:QpRqd5cI [2/2]
誰だよ鈴木ってw
105 名前: ハチェットフィッシュ(東京都)[sage] 投稿日:2010/06/11(金) 01:18:52.27 ID:chFqTDri [9/11]
>>98 最近鈴木眞哉の説って知らんで鈴木信者の書き込み見てあの説を覚えるヤツも多いみたいよw
106 名前: イワナ(神奈川県)[] 投稿日:2010/06/11(金) 01:19:09.91 ID:c8ky5aUS [7/8]
>>102 その説唱えてる中央大学法学部卒の自称学者のトンデモ野郎
主な御用出版元はPHP出版
例によって死因と勘違いしてるしな
186 :
日本@名無史さん:2010/06/12(土) 05:31:53
もう落ちてる。
ν速か
189 :
日本@名無史さん:2010/06/12(土) 12:27:51
>>182 ついでに槍用語
横槍を入れる
雨が降ろうが槍が降ろうが
矛先
槍衾
槍投げ
一番槍
槍玉に挙げる
槍先の功名
必ずレスが貰える魔法のコピペです
それ検索するとすごい出てくるなあw
俺も今度やってみるか。
昔リアルで
>>190まんまのこと言ってる友人がいたよw
もっとも武道関係の友人じゃなかったので(俺がそういうのやってるって言ってなかったので)特に訂正もしなかったがw
10キロの棒で連想するのはバーベルシャフトだな
確か大山祇神社の3メートル近い大太刀が14キロとかじゃなかったかな?
三尺でも2kg無いのに?
,-ー─‐‐-、
,! || |
!‐-------‐
.|:::i ./ ̄ ̄ヽi
,|:::i | ( ^ω^)|| < 単純に寸法を大きくすると体積は3乗で増えるという法則がありますお
|::::(ノ 中濃 ||) 要はデカくするとそれ以上のペースで重くなるってことですお
|::::i |..ソ ー ス||
\i `-----'/
 ̄U"U ̄
大太刀では、重ねを薄くしたり、鎬地に棒樋を彫るなどの重量軽減化が計られている点はすでに指摘した。
さらに、著者は、平成六年(一九九四)一月に愛知・熱田神宮で開催された
『大太刀と小道具』展の展示と撤収のお手伝いをさせていただいたり、またその他の機会で、
前掲の古刀期最長の長船法光や飯野八幡宮の長船盛景大太刀・大長刀を何振りも実際に手に取っている。
その経験から言えることだが、長寸な太刀でも反り具合や柄の状態などの微妙な調整で手持ちは良くなるものである。
法光にしても著者は数回手にしているが、その重量は一四`近いものの、
実際に持ってみると、見かけの豪壮さに反し、意外と持ちやすい。
『騎兵と歩兵の中世史』
おお、それで見たのよ。つかこれから引用しようと思ってたのにw
近藤先生…ガチムチだったのですかお(;^ω^)
真柄十郎左衛門が「意外と軽くて持ちやすいよ」、って言ってるようなもんかw
>>200 近藤先生は名前でぐぐると近藤先生としての諸々より先に近藤選手としての情報が出るからなw
でも実際、大太刀を好んで使うような武士武将はガチムチだったんだろうな
大太刀は船じゃないと運べないと思うけどな。早い話が海賊。
普通に郎党が太刀持ちやってますけどw
船がなんだって?
木もあれば家もある。邪魔なだけだよ。
伝・足利尊氏像も、船の上の騎馬武者を描いた絵であることは常識。
ひさびさに頭の悪いレスをみた→205
和冦のように海戦用の武器。どこに多く奉納されてるかな?
薙刀なんかも木もあれば家もあるから邪魔で使い物にならなかったんだよね。
206さん、陸の上でどこに保管しておいたの?
真柄十郎左衛門も障害物のない姉川だから大太刀を振るうことが出来た。
鑓なども長すぎて、実際には陸上戦闘では使用されず海上のみで運ばれ
使用されたことが最新の研究で明らかになってきた。
>>212 奉納してあるって自分で書いてるじゃんw
海上に浮かべて奉納してあるのかな?
前スレでも
おかしな妄言でスレを埋め立てするバカがいたが
また来たのか
そういや前スレも大太刀絡みでバカなカキコがあったよな。
尊氏像は弓矢を背負ってるとかw
ちなみにいまだに鈴木かぶれしてる信者さんには
上の近藤ガチムチ先生の『騎兵と歩兵の中世史』辺りが入門用におすすめ。
軍忠状主義の問題点の指摘や絵画史料、軍記物の活用法等々
鈴木のやり方がいかに無茶苦茶かをわからせてくれるから。
>>215 保管って読めないの?使わないとき、どこにおいているのか
ってこと。
陸戦はほとんど攻城戦。山の上を大太刀持ってどうせめるのさ。
大太刀の使用は西日本に多いか、それとも日本全国に広がっていたか。
近藤ガチムチ先生の本を眺めている人はなんと答えるかな?
>>220 奉納する置き場所があるのに保管場所はないってどういう理屈だ?
大太刀よりも長大な薙刀や長柄槍は陸上ではつかえないの?
>>222 なんて書いてあるの?読んだことが無いからわからない。抜き書きしてもらえるか?
そもそもそのガチムチ先生は水上でしか運べないなんて書いてるの?
>>197を見るとそうは思えないんですけど?
>>222 地域差についてそこまで言及してた記憶は無いが、
坂東での騎射から打物への変化については書いてあったな。
後お前ら長巻無視すんな
水運が当時の経済大動脈なら、そこから失敬しようとするやつと、そうはさせまいと
警護しようとするやつが出る。関東でも三浦氏、梶原氏なんてのは東京湾の海賊でも
ある。太田道灌は関東河川の支配権を持っていた。
記録は陸戦が多いかもしれないが、水路を押さえないと出兵、補給、撤退できなく
なる。ということはわかりますよね。
>>227 だから大太刀以上に長大な槍とかも水運で運んでるのかよ。
「中国の古銃」だっけ?前のスレにもはぐらかすだけの野郎がいたっけね。
そもそも
>>205はなんで大太刀が船じゃないと運べないって思ったの?
>>227 「南北朝時代の激戦区、大和北部の戦なんて無かったんや!」まで読んだ
二人蹈留て法勝寺の北の門の前に立並び、大音声を揚て名乗けるは、
「是程に引立たる大勢の中より、只二人返し合するを以て三塔一の剛の者とは可知。
其名をば定めて聞及ぬらん、東塔の南谷善智坊の同宿に、豪鑒豪仙とて一山に名を知られたる者共也。
我と思はん武士共、よれや、打物して、自余の輩に見物せさせん。」
と云侭に、四尺余の大長刀水車に廻して、跳懸々々火を散してぞ切たりける。
是を打取らんと相近付ける武士共、多く馬の足を被薙、冑の鉢を被破て被討にけり。
又法勝寺の中へ引篭らんとしける処を、丹波国の住人佐治孫五郎と云ける兵、
西門の前に馬を横たへ、其比会てなかりし五尺三寸の太刀を以て、
敵三人不懸筒切て、太刀の少仰たるを門の扉に当て推直し、
猶も敵を相待て、西頭に馬をぞ扣たる。山徒是を見て、其勢にや辟易しけん。
中にも山名が郎等、因播国の住人に福間三郎とて、世に名を知れたる大力の有けるが、
七尺三寸の太刀だびら広に作りたるを、鐔本三尺計をいて蛤歯に掻合せ、
伏縄目の鎧に三鍬形打たる甲を猪頚に著なし、
小跳して片手打の払切に切て上りけるに、
太刀の歯に当る敵は、どう中諸膝かけて落され、
太刀の峯に当る兵は、或は中にづんど打上られ、
或尻居にどうど打倒されて、血を吐てこそ死にけれ。
両陣已に破し後、兵皆乱て、惣大将の御勢と一所にならんと、
崩れ落て引ける間、伊田・波多野の者共、「余すな洩すな。」と喚き叫で追懸たり。
石巌苔滑かにして荊棘道を塞たれば、引者も不延得返す兵敢て不討云事なし。
232-234の尺って30.3cmなの?
232の水車に回してって、どう考えても
薙刀だと思うがね。
考える前に稽古しなよw
大太刀を水平に一回転させる斬り方あるよ
見た目頭上でくるりと斬り払うように見える。
腰を落とせば相手の胸ぐらいまでの高さを斬れる。
やってる人間の感覚では頭の上で回してるわけじゃないんだけどね。
大太刀のことを大長刀と表記はしない。大長刀は刃の長いもので、逆に小長刀は短いもの。
塚原卜伝が刃の短い小長刀の名人をあっさり斬ってのける逸話があるし、卜伝百首でも
小長刀を批判する一首がある。
>>238だけど、長刀(薙刀)の刃の長いもの短いものってことね。
大身の鑓、みたいな分類。
つうか大太刀も柄が異様に長くなるから
そのへんは曖昧模糊になってくな
水車に回すってのは源平時代からの薙刀の定番動作じゃなかったっけ?
大太刀を水車に回すとか太平記あたりにある?
可能か不可能かの話なのか
多い少ないの話なのかどっち?
スレ間違えてんのか?
>>236が「水車に回し」たら「どう考えても」薙刀だ、というので
大太刀でも可能だよと指摘したわけなんだが
まあいいか
『騎兵と歩兵の中世史』の142ページに「水車に回す」についての項があるよ。
大長刀・小長刀についても113ページにある。読んでないんだなアンタ。
豪鑒と豪仙が使ったのがは薙刀だ
↑これに関しては特に賛成も反対も無い。遺物が残っているわけでもないしそもそもが逸話レベルなので。
水車に回す(を水平一回転させての斬撃と解釈するなら)のは薙刀でしかできない
↑これに関して大太刀でも可能と指摘
可能不可能ではなく、大太刀を水車に回したという例を早く引いてきてよ。
稽古しろよ
『騎兵と歩兵の中世史』
P113
・なお、中世には、単純に短寸の長刀ではなく、手鉾といい、「突く」という機能を主とする小長刀が
存在している。この小長刀は、柄は長刀と同様だが、刀身が短寸・無反りである点が長刀と
異なっている。『太平記』の小長刀もこの手鉾である可能性がないわけではないが、それにしては
寸法がいずれも三尺前後で、手鉾にしては長すぎる。『太平記』の小長刀は、長寸の大長刀に対して、
単純に短寸の長刀をいうのであろう。
P142
・水車に回す
なお、快実は小長刀使用に際して「水車に回す」とあり、『太平記』では他にも「四尺余の大長刀水車に
廻して」(巻八・山徒寄京都事)とあり、長刀に対する慣用表現のように使用されている。遠心力を利用して
攻撃する長刀は、「なぎなた」の名称の由来である「薙ぐ」をはじめ「打つ」「切る」「突く」といった刀剣の
あらゆる機能が可能であると同時に、振り回して使用するものであるから、「水車にまわす」という
表現が出てくるのもうなずける。この長刀を水車に回すという行為は、芸能としてもあるらしい。
>『太平記』では他にも「四尺余の大長刀水車に
>廻して」(巻八・山徒寄京都事)とあり、長刀に対する慣用表現のように使用されている。
>>246 稽古しろよ
スレ間違えてんのか?
上の方からしばらく近藤好和先生ネタが続いてるだけ。
/  ̄  ̄ \
/ ::\:::/:: \ (大太刀は)「実際に持ってみると、
/ .<●>::::::<●> \ 見かけの豪壮さに反し、意外と持ちやすい。」
__ | (__人__) |
/´ ̄ `! \ ` ⌒´ / 近藤好和 『騎兵と歩兵の中世史』より
| `にこ匸'_ノ ヽ / /|
ノ u { _.. -―| :{ ,/ / \
. / l | __ / ̄ ̄`>'´ ノ' ´ {、 \
/ |/ {'´ `ヽ. " ̄\ U `ヽ. __,,.. -‐丶 u ヽ
| / ヾ、.. } u' 〉、 } `ー''´ /´ ̄ `ヽ '" ̄\
! :} )「` ノ、 ノ l\"´_,,ニ=-― <´ ヽ{ ノ( `、 |
l 、_,/j `ー一''" }, ノ , '''''"" \ ヽ ⌒ヾ v |
ヽ _ / } {. { l ┌n‐< ヽ/ ``\ ノ
`¨´ `¨¨¨¨´ ̄`{ 0 `'^┴'ー┘|ヾ }、 u' ` --‐r'′
もう近藤選手の話題はいいからw
やはり地上で大太刀を水車に回すことなど不可能ということが証明されたな
大太刀は海賊の武器
255はたぶん包茎
定期的にキチガイが涌くな。
まあ、鈴木自体がアレだから信者もそういうのになるんだろうかね。
なんつーか疑似科学の論法と全く同じなんだよな>鈴木信者
自説に都合のいい箇所は軍記物や絵画史料からも引っ張ってくるくせに
都合が悪い箇所は「脚色」だからねw
残り二つは大太刀の話だし
三つとも戦場はもろ山の中
軍忠状の原文ってどういうところで見られますか?地道に郷土史料を当ればいいのかな?
ありがとうございます!
264 :
日本@名無史さん:2010/06/25(金) 17:18:19
もう落ちてるじゃん
この国では戦争が絶えることがない。
戦争が多いため耕地はまだ少ないが、
土地は非常に豊沃なのでわずかな耕作で多量のコメを得ることができる。
このコメがすなわちこの国の主要な食料になっている。
また麦、粟、大麦、ソラマメ、そのほか豆類、野菜は大根やカブラ、ナスが豊富である。
果物はナシ、ザクロ、クリなどがあるが非常に少ない。
肉は少なく、国民は肉より魚を好む。
魚はその量多く、はなはだ美味である。
邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。
パードレ・ガスパル・ビレラ 1557年
267 :
日本@名無史さん:2010/06/27(日) 19:33:16
桐野作人氏がまた新刊で鈴木説滅多斬りしてるw
>>264 ある程度知識持った奴に嗅ぎつけられる前に落ちるようなスレに書き逃げするのが
最近の鈴木信者、あるいは知らずに鈴木教に落ちているみなさんのはやりなのでは?
通りがかりで失礼。鈴木某には特に興味ないのだけど。
初めのほうにある
@「戦国時代、騎馬隊はなかった」
A「戦闘で日本刀は使われなかった」
B「天下人とされる人間は運がいいだけ」
C「天下人史観に騙されるな」
のうち、Aがウソというの分かった。
で、BCは概念的なものなので白黒つけにくかろうと思いますが、
@については否定されてるの?
詳しいこと知っている人、教えてくれ。
>>269 お前は理解力がないんだろう。
Aはウソではない。
もちろん、「戦闘で日本刀が使われることはなかった」という意味ではなく
「戦闘で日本刀は主要な武器ではなかった」という意味で。
272 :
269:2010/07/02(金) 09:20:48
>>270 いや、ちゃんと読んでますよ。首狩り位にしか使われなかったというのは
どうもそうではないという、話の流れですね。
>>271 いくらなんでも騎馬武者の存在まで否定するのは
トンデモ本の作者でも無理でしょう。
そうでなくて、騎馬隊と呼べるような、大部分が騎馬武者からなる
部隊があったかどうかということが問題なのではないでしょうか?
個々の備の中に比較的少数の騎兵戦力がいて
それを状況に合わせて使っていたと思うよ。
275 :
269:2010/07/02(金) 15:52:38
よく分からなくなってきた。
つまり、
@「戦国時代、『騎馬隊』はなかった」は、273氏、274氏によると
騎馬武者の臨時の集団ぐらいはあったのではないか?・・・と。
A「戦闘で日本刀は使われなかった」は270氏によると、
「戦闘で日本刀は主要な武器ではなかった」という意味では間違いとまでは言えない・・と。
だとすると、鈴木某はおおむね正しい、または、ちょっと極論言っただけ・・と言っても良いのでは?
みんな何を問題にしているのか良くわからん。
その前に聞きたいんだが鈴木某の本を読んでるの?
277 :
269:2010/07/02(金) 19:21:01
読んでません。鈴木氏本人には別段関心がありません。
そーゆースタンスが良くないなら謝りますが、このスレッドは鈴木説は無茶苦茶、
と主張される方が多いのだから、問題ないのでは?
ただ、皆さんがおっしゃる論点を総合すると、ちょっとした事実の解釈の違いであって、
そもそも「史観」というようなたいそうなものかなぁ?・・・とも思います。
読まずに印象でものを語るなよ。あんたは鈴木信者以下だ。
その解釈の匙加減を決めるのが史観。鈴木は軍忠状に申告された傷の種類を調べて遠戦志向という説を打ち出した。
では、その軍忠状から騎馬武者の活躍。
『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、
・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、
・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
・一、結城よりとちきへ動之時、内より出申候所ニ、川島主税・たかや采女・我等同前ニ馬をかへし走廻申候、つれ合候衆太木信濃存候事、
これ以外にも同文書の中に「乗りかけ」「乗こミ」「走廻」等は数多くある。
「言いすぎや極論、煽り文体を除けば、けっこう参考になることも書いてある」というのは、前から言われていること
ところが「鈴木信者」と呼ばれる人たちは、鈴木本の中から「言いすぎや極論、煽り」の部分ばっかり抽出して
嬉しそうに吹聴してまわる習性があるw
281 :
269:2010/07/03(土) 06:53:11
>>278さん。 すんまへんな。資料室に「戦国15大合戦の真相」というのがあったので、読んでみましたよ。
大筋としては結構いけるじゃないですか。ここに書いてあるほど無茶苦茶ではない。画期的とも思わないけど。
堺屋太一氏の戦国武将サラリーマン化よりも読みやすい。
でも、そもそもこういうのは「読み物」であって、一応参考文献はあるけど、各々の主張がどの資料のどの部分を参考にしたのか
ほとんど書いてませんね。鈴木氏が悪いんではなく、読み物はそういうもの。
だから精密な批判や議論をするのは無理があるのではないかな。
>>279さん。史観ってあまり良いイメージが無いんですよね。実は。
歴史学に一定の「考え方」が必要であることは認めるけれども、「皇国史観」「進歩史観」
「唯物史観」「自由主義史観」どれも「真実」を主張するように見えて
本音のところは主張したいのは「善悪」でしょ?なんか人を馬鹿にした話ではないかな。
そうである以上、自分に好都合な事実だけを「正義のために」切り取るのは当たり前ではないかな。
そういう意味では、あなたの言うように、鈴木氏のも史観と言っていいのかもしれないが、他の史観に比べると
著作が日本の戦国期に限定されていて、一般性・普遍性に著しく欠けるのではないかな?
>>279さん。精密な資料引用をありがとうございます。でも「馬で戦ったかどうか」ではなく
「騎馬隊」つまり「馬に乗って戦うことを戦法とする集団」があったのか、
ということが問題ではないのでしょうか。
>>280 私もそう思いました。
集団で「乗りかけ」る以上、馬に乗って戦う集団は居ただろう。
鈴木に興味ないはずの人がガンガン食いついてくる不思議
「馬に乗って戦うことを戦法とする集団」=「殆どが騎兵で構成される部隊」って認識でいいのかな?
だとすればそういうのは戦国時代の日本にはまず存在しないでしょう。
近接兵器のみの打撃部隊が弓足軽を擁する部隊と遭遇して一方的にやられるパターンは
南北朝時代にさんざん経験してるんだもの。
その結果としての弓、槍、鉄砲、騎馬を1セットにした諸兵科合同の備制でしょう。
だから
騎兵はいたし、数騎〜ひょっとしたら数百騎の規模で騎兵突撃も行われた。
しかし西部劇の騎兵隊のように全てが騎兵で構成された部隊は無かった。
これが答えじゃないだろうか。
ところで西洋の騎士も集団で突撃したりしたの?
287 :
269:2010/07/03(土) 15:53:16
>>282さん。 そうですね。「騎馬隊はなかった」といっても馬に乗っての集団戦が
一度も行われなかったと鈴木氏が主張してるのだとしたら、それは間違い。
っていうかそもそも悪魔の証明で証明できない。
あなたのおっしゃる「馬に乗って戦う集団はいた<だろう>」の
<だろう>がどの程度なのか。どの程度組織化されていたのか、また多くの戦国大名家の中で
どの程度普遍的に騎馬集団があったか、がこの場合の有効な論点ではないでしょうか。
>>283さん。すんまへんな。鈴木氏は知らなかったが、歴史には興味があるもので。
それと、乗馬もできますよ。サラブレッドのギャロップだから参考にならないけど。
>>284さん。 う〜ん。教えてあげる・・・? 例えば自由主義史観には「自由主義史観研究会」なんてのがあって、
そのメンバーは自分の考えが自由主義史観だと定義してるか、少なくともそう思われても良しとしてる。
唯物史観も華やかなりしころはそうだったのでしょう。
でも、歴史学者の誰かが自説を「貧農史観」と定義したのかな?多分、そうではなくて、この本の「貧農史観」というのは、批判のためのレッテル張りでしょう。
つまり「自虐史観」「自慰史観」みたいな言葉。否定するためにわざと大げさに「史観」なんて呼んでるだけ。
(鈴木史観ってのも鈴木氏自身は多分、自説を史観と呼んではいないでしょう? )
だから、教えてあげるウンヌンは当たらないのではないかな?
>>285さん。定義はないと思いますが、
「騎馬隊」ってんだからまあそういうイメージではないでしょうか。
ですから、282さんへのレスのところで書きましたが、「ひょっとしたら数百騎」の
<ひょっと>が、どれぐらいの率だったのかが、まあまともな議論になる部分ではないでしょうか。
>どの程度なのか。どの程度組織化されていたのか、また多くの戦国大名家の中で
>どの程度普遍的に騎馬集団があったか、がこの場合の有効な論点ではないでしょうか。
それがどの程度かに関する自説を開帳してもらえないものかな?史料室に出入りしているようだから
史料を交えてお願いする。
290 :
269:2010/07/03(土) 18:04:48
>>288さん、
>>289さん。
(269)
詳しいこと知っている人、教えてくれ。
・・・と書いてあるように、知らないから質問したのですが・・・
史料室って何の史料室なの?
292 :
269:2010/07/03(土) 18:39:24
>>291さん。
平凡社新書があるところからも分かるように、まあ、高校の図書室みたいなモンですよ。
過去に予算で買った本を収蔵しておくところ。本好きとしては重宝してますがね。
歴史の専門書や雑誌が多数揃っているようなところではないし、いわゆる一次資料なんかありません。
今じゃ高校生が鈴木の本を読むのか。大変だな。
受験と関係あるようにも思えんがw
各備には数十騎からなる騎乗武士の部隊があり、それらは状況に応じて騎乗したまま突撃したり下馬して戦ったりした。
乗馬の文化が薄い西国では下馬して戦うのが盛んで、東国では騎乗突撃の方が多かった。
いずれの場合も徒歩の下級武士が後に続いて側面や背面を防御した。
俺の理解ではこんな感じだけど。
日本だけでなく、海外でも騎馬隊不在説が広まってるのは問題だな。
なんせちゃんとした学者ですら真に受けてしまってるし。
298 :
日本@名無史さん:2010/07/16(金) 19:49:11
鈴木氏の新刊「戦国軍事史への挑戦」を読む
解らないことをしっかり解らないという姿勢は十分評価でき、ここ数年の彼の著作では最良の書
ただ、彼が解らないという事の8割は彼の持論である白兵戦否定、遠戦主義・騎馬隊否定を捨てて、
一から考えなおせば答えが出ることには気付いていないんだなと思った
>>299 またいつもの日本刀10Kgコピペに釣られてる奴がいるな
必ずレスがもらえる魔法のコピペだからなw
http://www.myarmoury.com/talk/viewtopic.php?t=11131 このリンクは海外の武具愛好家が実験を行っている物だが、下の方で色々な刀剣を使い10枚、20枚、30枚に重ねたリンネルに斬撃と刺撃を与える実験が行われている。
使われてるのは長運斎江村作の刀で、斬撃実験では30枚重ねのリンネルを用意に切り裂いており、刺撃実験でも全て貫通している。
この実験を行った人も「何でも切り裂けそうな感じ。それに思ったよりもずっと刺撃に向いている」とコメントしている。
少なくとも、軽装の雑兵に対しては有効な武器だと結論してもおかしくないだろう。
『懲秘録』
・日本人はよく刀槍を用いる。 我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
つまりある程度の鎧があっても有効だと。
むしろ鎖帷子をあっさりと貫通し、叩き切ったポールアクスの破壊力にびびった。
ヒマだから数字遊びでもしてみるかなw
さて、戦国の槍や刀の負傷率が三割程度だという。
ところで合戦には、大きく分けて野戦と攻城戦の二つの形態がある。
負傷率とやらはこれらのものの合計であろうから、分けて考えてみる。
まず、野戦の負傷率が三割だった場合。
全体を30/100とした場合、そのうちの野戦の負傷例が15/50なら、攻城戦は15/50となる。
野戦=12/40、攻城=18/60。野戦=9/30、攻城=21/70。以下略。
堀とか石垣とかあるのに野戦も攻城戦も負傷率変わんねーのかよ?w
では今度は、攻城戦の負傷率を一割程度にしてみる。
(現実には1%以下だともいわれているけどねw)
全体を30/100とした場合、攻城戦5/50ならば野戦は25/50となる。
以下、攻城=6/60なら野戦=24/40、攻城=7/70なら野戦=21/30、攻城8/80なら野戦22/20。
野戦での槍刀の負傷率が100%超える可能性までありますなw
無論、野戦の方が攻城戦よりも数多く行われていたならば、数字は逆に動くわけでもあるけれど。
どうでもいいことかも知れんけど、
>攻城=7/70なら野戦=21/30 じゃなくて、攻城=7/70なら野戦=23/30 だな。
スマンw
ドイツのおっさんが手作りした刀か
おっさん凄いな
正式な修行をしたドイツ人刀工なんていないらしいな。
つか、いつのネタよ?
312 :
日本@名無史さん:2010/08/02(月) 13:15:53
近藤好和氏の『弓矢と刀剣』だったかな?兜を打つ、という言葉が頻出することから考えると
日本刀も現在の化粧研ぎよりも鈍く研いで鈍器的に甲冑の上から打つ使われ方も多かったとか
考察していた。
>>312 ヒストリーチャンネルの退役軍人の爺さんかな?w
武器類兵器類一通りなんでもこなすんだな。
315 :
日本@名無史さん:2010/08/02(月) 19:43:38
あ、上のヤツの動画版ってことね。
タイトルはJapanese Katana VS European Longsword - Samurai sword VS Knight Longsword.mp4
ぶっちゃけ、
>>308や
>>312みたいな「実験」なんて意味がないだろ。
刀剣と標的の材質や品質、使う人間の腕などで結果なんて幾らでも変わるんだから。
>>302じゃ西洋剣(滅茶苦茶乱暴な括りだが)も鎖帷子を貫いたり数十枚重ねの亜麻を切り裂いてる。
まあ刀は自作でロングソードは別に用意したらしい
>>308は明らかに論外だが。
鎖帷子はわかったがプレートメールや革はどうなの?
中世剣術では、板金を貫く時は片手で柄を握りもう片手で刃を握って突き刺すというのが常識。
その方がずっと効率的に運動エネルギーを伝えられるからだ。
この動画のように両手で突き刺すのは本来の使い方から反している。
というような事をその動画のコメで言っている外人がいました。
その常識を絵画史料ソース等でかまわないから提示してほしいよねw
突撃:西洋剣の勝ち。物理的に湾曲してる時点で日本刀は不利。
斬撃:日本刀の勝ち。突きには不利な湾曲がこの点では有利に働く。
重量:全長が同じ場合、殆ど差は無い。
材質:鉄鉱石の産出量が少なく、製鉄を刀剣には不向きな砂鉄に頼らざるを得なかった日本刀が不利。
>>321 動画を見る限りでは刺突性能も日本刀に劣っているようですが。
>315は明らかに作為的と思われる所がある。
氷を斬るテストではロングソードの重心がある刃先ではなく、柄に近い部分で斬っている。これでは斬れなくて当たり前。
革鎧を斬るテストでは刀は垂直に斬っており、ロングソードは水平に斬っている。
これは明らかに不公平だ。素人にとっては垂直に斬るのが一番簡単で、威力も高いからだ。
刺突実験も作為的に行われている可能性が高い。
そもそも使われている剣や刀の出所が不明の時点でテストの意味をなさない。
http://www.youtube.com/watch?v=Q74SOH9Bgp4&feature=related ちなみに↑の動画では刀は鎖帷子に対して完全に無効果だ。
「刀の品質が〜」とか「使っている人間の腕が〜」とか言う人間が出てくるんだろうが、それは
>>315も同じ事。
この手の論争って、大抵論じている人間は自分が好きな物(それが日本刀であれ西洋剣であれ)についてしか知らないからそもそもまともな議論にならないよね。
「西洋剣は重さで叩き斬る鈍器」とか「日本刀は数人斬ったら使い物にならなくなるから実用性ゼロ」とかがその典型。
目的も自分が好きな物が一番優れていると主張したいだけなのが多いし。
革を切る実験については?
何度やってもだめなんだけど。
>>325 30枚重ねの亜麻と革鎧に大きな差は無いって前提だが、
>>302では
刀:全て切った
西洋剣1:半分程切った
西洋剣2:二枚しか切り裂けなかった
西洋剣3:西洋剣2よりはマシ程度
って結果だな。
あと、
>>312では「西洋剣…たわんで貫通できず」ってあるけど、動画では"made a small hole"って言ってるから貫通はしてるぞ。
動画で見る限りキリでやったような穴は一応開いてる。
刀の方が明らかに深く入っているがね。
まあなんにせよ、どちらも戦場ではそれなりに役に立ったし、使われていたって事だ。
日本刀が役に立たなかったとか、使われなかったってのは、貴方等の信仰上の理由でしかないよ。
その貴方等ってのは誰のことを指してるんだろう?
鈴木信者だろう
今は鈴木信者来てないと思うけどな
2例だけで常識と言われても。
334 :
日本@名無史さん:2010/08/21(土) 14:41:24
お前が責任持って論破しろ
こことか戦国板・軍板あたり逃げ出して漫画ゲーム板あたりで暴れてる奴は
「専門板で相手にされないからってこんなところで布教活動乙」でいいんじゃね
もうちょっと周りが慣れてる場合は「また鈴木か」でおk