作者や人をテクストとして読むことについてのスレ
人を読むためなら煽りも可。馴れ合いも可。
治美というコテ名は随分とマイナスのイメージが纏わりついたな。
「治美」という名を見た瞬間、ある種の人は「ウエっ」と思うかもな。
なにしろ治美自身もそのコテ名を嫌悪しはじめた。
このマイナスのコテ名(顔)をわたしは負うことはできない。
ならば自ら「治美」という名(顔)を抹殺する。
人を読むというのがテーマなら、この「顔」(コテ名)という問題についても
話そうよ。
佃煮マニア、(@∀@)東電、記憶喪失が消えて
あまな、ミニハン、治美が出て来た。
名前を変えたただけ。
7 :
吾輩は名無しである:2011/09/22(木) 12:40:15.24
もう感想書くのがめんどくさい。今トルストイ読んでるし。
次に読む予定の本も20冊以上決めてある。読むのが遅いから作品は選びたい。
なんかここでの話も読む所がない。下ネタとか煽りあいばっかだ。
個人的に東電さんが一番面白いと思ってたけどもう来なくなったし。
>>6 それが真実であれば読書会スレの住人はせいぜい2・3人であって
世にも奇妙な物語になるぞ
マグナ
鈴木
あまな
アセンション
N
ニッパ椰子
この辺は別人だと思う。
佃煮がトルストイ読めんのか?
>>9 東電のあとを追っかけてればいい
わざわざ顔を出すな
ミニハンなんか私に病的に粘着してたでしょ。
今はターゲットを変えたのか。治美とかニッパをタゲってんのかな。
気色悪い奴だ。
(@∀@)東電さんは他スレにいるよ?
煽りムードを避けて近付かないだけと思われる
18 :
吾輩は名無しである:2011/09/22(木) 14:41:56.45
前スレ
>>917 「伝奇集」。 いいっすねー。 スピンオフスレのこっちでやるのは
ありですねー。
>>918 ボルヘスについでナボコフか。 これまた本スレ以上にこゆいことに
なりそうだよね。
>>5 治美って名前のイメージに俺はプラスもマイナスもないし、
さらにいえば男でも女でもどっちでもいいと思ってるなあ。
>>9 書けるときに書けばいいよ。
ボルヘスやナボコフだけじゃなく、車谷長吉もありでしょ。
やっぱ性別で人を読むってのはイメージじゃねえのかなー
イメージなしで読むことってのは不可能だとしても
いつでもニュートラルにギアを入れられるようにして読むことじゃないかい。
本当のニュートラルってのは「お前ネカマじゃないか」と疑うこと
そうじゃない「どっちでもいい」は「自分のイメージ」を抑圧してるだけで、話していればそれが根拠になってるのに気付くであろー
いや、「疑い」自体がイメージなわけじゃんか。
その「疑い」すらもエポケー=保留した状態じゃないと
それはニュートラルとはいえないだろうよ。
鈴木やマグナが女だったとしても俺は構わないね。
そもそも自分自身が「男でも女でもどっちでもいい」ってわけではないだろ。
いやアセが男とセックスしてるなら誤るが。
>>23 エポケーは保留であって、ニュートラルじゃないよ。
アセは自分は男だと思っていて、「男でも女でもどっちでもいい」と思ってるわけじゃないだろ。
それを保留しているだけならニュートラルにはならないだろ。
俺は昔中性的だとは言われたw
ニュートラルってのは不可能なんだよね。
たえずイメージは自然に沸き起こるし
それをゼロモードにはできない。
ただ、ギアチェンジによって
そういうイメージをたえず突き崩すことはできる。
それが「イメージなき読み」じゃないかな。
イメージがあればニュートラルじゃないってわけじゃないと思うが。
要は「偏りがあるかないか」だろ。
その偏りが「自己」だよ。
あるイメージで偏っているイメージを壊すのもありうるだろう。
シュルレアリスムやダダイズムだと思うがな。
>俺は昔中性的だとは言われたw
そうかー。
俺の読みではすごく男性的だと思った。
「イメージがなければニュートラル」って考え自体がおかしい。
いやイメージは絶えず壊さなきゃ「イメージなき読み」はできない。
イメージってのは暗黙のうちに保持してる前提=偏り=自己でさ。
だって俺が女である可能性はゼロじゃないぜ?w
もしも俺を男だと「断定」しているのだとすれば
それはイメージ=自己に囚われてるんだよ。きっと。
なんか腹立つ
意味の共通性のないシニフィアン、シニフィエという話をしたわけだが、「意味の共通性」とは「自分と他者との共通性」なわけだろ。
であれば意味の共通性のないシニフィアン、シニフィエがニュートラルってことにならんか。
>>32 確かにラカンでは自我とは想像的なものにすぎないわけだが、超自我(社会的役割とかまさにこれ)も自己のうちに入るぞ。
シニフィアンにも偏りがある。
イメージもシンボルも壊さなきゃニュートラルとは言えない。
>だって俺が女である可能性はゼロじゃないぜ?w
うむ、俺からすればほとんどの生物学的な女も「男性的」に見えるからな。
「偏り」を押し付けてくるのが俺にとっての「男性的」だ。
たとえば車谷長吉なら車谷長吉を読む場合、どういう読書体験になるんだろうか。
36 :
吾輩は名無しである:2011/09/23(金) 01:12:30.75
まあ、治美というHNでフェミニズム批評を梃子にした
作品読解をしていたら、話者の立場を考えたりはしますね。
「自分は男だからフェミニズム批評を理解出来ないのかな?」といった具合で。
今でも女の人は男の語り口に違和感を抱いていたりしますから。
「口入屋」以降のエクリチュールの問題にもそういうものが横たわっているんでしょうし、
また、その反措定としてジェンダーは有効なのか?という考えも浮かぶわけで。
しかし、何で治美さんはこうも叩かれるんでしょうかね?
偏りをイメージだけにあるとするのが、イメージ=自己に囚われてる証拠じゃないか?
本当のニュートラルとは象徴界でも想像界でもなく現実界だよ。
>>35 あいつは虚実混淆とは言ってるが私小説にこだわってたろ、初期は。
車谷個人を小説にしていたわけだ。
そして今は車谷の話をしているのではなくアセ個人の話をしている。
>>36 よくわからんが倒錯的なところかな。
狂気や実存に目をきらきらさせてるところ。
名前に「美」が付く男はいっぱいいるしさw 治美が男か女かはどっちでもいい。
その「性別」にこだわりを持つことは「イメージ」に加担することじゃないかな?
ミニハンの書き込みを読んで、ホモだと書いてたり女だと書いてたりした。
俺は女でも男でもホモでも何でも構わないんだよな。
だってこういう掲示板ってのは言葉だけでしか表現できないわけでさ。
で、本当に極限のニュートラルを求めようとすれば、
俺は「人」が消えて「作品」が残るんじゃないかと思ってるよ。
たとえば正宗白鳥という作家の作品を読むとき、
「白鳥は自然主義作家だからこう読める」とか
あるいは「男の作家にしては女がよく描けている」というのは
解読するためのグリッドを用意してるわけだよね。
こういう読み方は「イメージある読み」だと思う。
もちろんそれは別に悪いということはない。
ただ「イメージなき読み」ではないんだよね。
もっとニュートラルに読もうとすれば、
むしろ人=作者を消すことになるんじゃないか。
あたかも正宗白鳥という作家が誰か知らないかのように読むこと。
さらにいえば、無名の、匿名の作家の作品として読むこと。
>まあ、治美というHNでフェミニズム批評を梃子にした
>作品読解をしていたら、話者の立場を考えたりはしますね。
これはわからなくもないがな。よくフェミニストとはケンカしたは。
それこそ今アセが言っているような論法でな。「女という自己に偏っている」ってな具合に。
アセが「ニュートラルじゃない」と言っている相手がフェミニストならアセに同調したろうな。
ただしアセ個人は俺は「社会的役割を優先させる生き方」な人、つまり超自我重視の人と読んでいるから、
それを壊そうとしているわけだ。
ほら話やニッパとかもそっちタイプだろうな。
>>39 >むしろ人=作者を消すことになるんじゃないか。
うん、そうそう。
つまり作者という自己を壊さなければならない。
自我を抑圧するのが超自我なわけだが、それ含めて自己なのだよ。
あ、ごめんここだけユング。
作者という自己を括弧に入れているだけ、エポケーしているだけなら、ライトノベルなんかも充分そうだぞ。
あるライトノベル作家とか「作家性なんて意味がない」とかたわけたこと言っていたわけだが。
ライトノベルっつーかオタク文化が好きなお前という自己はどこ行ったんだと叩かれておったわ。
43 :
吾輩は名無しである:2011/09/23(金) 01:22:17.15
>>37 >よくわからんが倒錯的なところかな。
>狂気や実存に目をきらきらさせてるところ。
それは現代思想の中心テーマだ(った)からでしょう?
別に彼女(と仮定する)に限った事じゃない。
学生運動華やかし頃(70年前後)の学生は
石川淳の「荒魂」を呪われた物の復権だとか何とか言って
持ち上げていたそうだから、
こういう流行思想に寄りかかった解釈は誰もが通る道なんですよ。
社会的役割っていうのがミニハンの中に巣くってる「イメージ」だと思うよ。
役割ってのはさまざまあって、その都度ポジションを変えるわけだよ。
そういう多種多様な役割を縦横無尽に駆け抜ける自由さのほうが
実は「イメージなき思考」に近い。
>>43 >別に彼女(と仮定する)に限った事じゃない。
うん、俺もそう思うから別に彼女の感想自体にはむかつかない。
ただ俺個人について治美個人の妄想を押し付けてたことに「引いた」けど。
俺個人はな。
人=作者を消すってことは、
それを書いたのがたとえばアセンションというHNを持っていても
あたかも匿名の名無しのようにその言葉を読むことだと思う。
だからHNという衣装に囚われていては「イメージなき思考」から離れるんだね。
>>44 その役割は結局「社会の中」でしかないだろ。
その「社会」なんてのもお前個人の頭の中の無意識にある超自我を元にしているにすぎない。
社会的役割もあり、時にはそれを逸脱するのが本当の自由だろ。
それは楽なことではないがな。
>>46 これだけは同意する。
ただし名無しでもアニメ板の名無しと物理板の名無しは違うものだろ。個性がある。
もちろんその2板を掛け持ちしてる個人もいようが。俺です。
アセは集合的無意識みたいなものをニュートラルとか自由と言っているわけだ。
ユングの集合的無意識はイメージかつシンボルになるけども、ラカンならそれは超自我となって、
「無意識は言語のように構造化されている」となる。
結局アセ個人が大文字の他者主義なだけ。
HNに限らずリアルの名前にしてみても、イメージとして見るかシンボルとして見るかは違うだろう。
例えば国民総背番号制だったなら、その番号はイメージがもっとも希薄な名前となろう。
アニメキャラの一人歩きする名前など(ハルヒとか?)はイメージが豊かにこびりついた名前となろう。
イメージだけが問題なわけではないのだよ。
50 :
吾輩は名無しである:2011/09/23(金) 01:34:32.21
>>45 >ただ俺個人について治美個人の妄想を押し付けてたことに「引いた」けど。
>俺個人はな。
うーん、確かに彼女は頑なで他人の意見に耳を傾けない所があるから
そうなると意見交換にはならないし、
何よりも彼女自身の成長を阻むわけだね。
同世代の人間よりも知識の豊かな若者が
それゆえに自分の檻に閉じ込められて世から隔離されていくのは悲しいことだ。
文学というのは本来そういうものじゃないんだけどなぁ。
>>50 別に他人がどうなろうと知ったこっちゃない。
治美のやりたいようにやればいいと思うが。
まあユングやラカンのタームっていうのはスタティックなんだね。
動きというものが表現されていない。
「イメージなき思考」というのは「遊牧的思考」で
どこにも定住しない。
さまざまな仮面=役割を持ち、さまざまに変化するんだ。
そういうダイナミックな概念をもってこないとアクチュアルな思考はできないんだな。
仮面を被っている限り自由ではないと言っているだけ。
アセ個人がそれをやりたいならそうすればよい。
俺はただそれは大文字の他者主義というお前の自己だと言っているだけ。
そのダイナミックでアクチュアルってのは「人間関係という土俵の上」のものでしかないんじゃないか。
例えば自然科学をやってて感じる自然のダイナミックさ(顕微鏡で観察するものでも)とは別物だ。
55 :
吾輩は名無しである:2011/09/23(金) 01:41:43.66
>>46 その考え方は非人格性の原則が支配する司法や
公共空間における意思決定に対して提示される意見なら有効ですけど
文学の場合は難しいでしょう。
意識なしの完全無意識状態っていうのは狂気や動物に近くなる。
たとえそこでニュートラルを獲得してもしょうがないんだね。
むしろたえず「逃走の線」を引くこと、とドゥルーズ=ガタリは表現する。
あるいは脱コード化という概念でもいい。
コード化=イメージ化はたえずやってくる。
それを脱コード化しなきゃいけない。
それが定住的思考に対する遊牧的思考ってやつだね。
いつまでも同じタームを繰り返してるのは定住的で
概念から概念へと流動的に動くほうが遊牧的なんだよ。
こういうネット上の掲示板が「人間関係」中心になるのは当然だろうな。
人はネットばかりやってるわけでなく、宇宙と関係を持ったり
大地と関係を持ったり、動物や植物と関係をもったりしてるわけでさ。
ネット外のことを視野に入れて語らないと窮屈な思考になるだろう。
コード化というのが仮面をかぶることだとすれば
脱コード化というのはたえず仮面をとりかえることになる。
さまざまな仮面をたえずとっかえひっかえかぶるのが遊牧民的だといえるだろうね。
まあそういう意味では俺は文学ファンってわけでもないんだよな。
本だって基本濫読だし。小説に限らず。
>>55 文学という枠で考えれば、アセの思想は「自由より」かもしれない。
作家名とか図書館みたいに番号制にすればいいのにな。
>>56 >たとえそこでニュートラルを獲得してもしょうがないんだね。
>むしろたえず「逃走の線」を引くこと、とドゥルーズ=ガタリは表現する。
そうそう、本当のニュートラルを獲得しても「意味がない」。
ドゥルーズ=ガタリなんかは、逃走線のゴールに狂気を持ってきているからアホなわけ。
>いつまでも同じタームを繰り返してるのは定住的で
>概念から概念へと流動的に動くほうが遊牧的なんだよ。
ほら、お前みたいに精神病の反復と神経症の反復をごっちゃにするだろ。
精神病で強迫症的反復は典型だぞ。
>>57 ネットを避ければいい、ってのとは違うけどな。ネットも宇宙の一部だ。
>>58 仮面を脱いだ瞬間のことを考えなければ「仮面を取替え続けること」は「仮面をかぶること」と一緒だろ。
>ほら、お前みたいに精神病の反復と神経症の反復をごっちゃにするだろ。
あ、すまん、アセが精神病者だったらそれで合ってる。
雑談スレで自己同一性の確立は他者とのシーソーだって話をしたが、ドゥルーズはともかく精神分析医であったガタリは
分裂症をシーソーの相手にして自己同一性を確立したわけだ。
アンチ・オイディプスとプラトーしか読んでないけど。
結局アセは自分の言動について自己承認したがっているだけにしか見えん。
アンチ・オイディプスなんかもオイディプス批判して結局は「社会野に出よう」って話だろ。
アセと一緒。
俺の言う「書を捨てよ、《奇形者として》町に出よう」とは別物。
パラノイアっていうのは定住的で
スキゾフレニーっていうのは遊牧的なんだね。
前者は同じ場所に留まり同じ言葉を反復する。
後者は常に動き反復の中にたえず差異=ズレが孕まれる。
だから俺は一定のタームに留まらないようにしてるんだよw
>精神病で強迫症的反復は典型だぞ。
具体的に言えば統合失調症の破瓜型とかな。
65 :
吾輩は名無しである:2011/09/23(金) 02:00:04.64
構造主義やポスト構造主義は
古代ギリシア以来続く(と考えうる)観念という本質主義に基づいた意味の中心化を
関係性の導入によって脱中心化へ転回した。
そして、この思考方法を静態的なイメージ論(構造論)から
動的なイメージ論(ポスト構造主義)にずらしこむ事によって
言葉(イメージ)を超えた新たなる現実への道を目指したわけだ。
で、この考え方からは理性を担保として確保された
客観性(中立性)は到底導きだせない。
であるがゆえに法=理性に対するスキゾ=狂気なわけだ。
でも、これを市民生活に適用したらエライ事になる。
>>63 それがすでに神経症なわけだ。
狂気をゴールにした遊牧、自由とはラカンで言えば享楽なわけだが、
お前は「狂気のニュートラルになってもしょうがない」と言ってただろ。
>>65 >でも、これを市民生活に適用したらエライ事になる。
そうそう、ここがわかってない。ドゥルージアン、ガタリアンは。
きゃつらなんかただの超自我主義だろ。
寺山なんかは奇形者なのかい?
だから狂気のニュートラルにはなれないし、なってもしょうがないw
コード化=パラノ化=イメージ化の動きはいつもそこにあり
脱コード化=スキゾ化=脱イメージ化の動きが必要になるわけだよ。
動きの種類と質の差を考えないとアクチュアリティは見えてこないだろう。
>>68 微妙だねえ。
寺山の下に集まってきた若者の中にはそのケがある奴はいたかもしれないが。
まあ寺山は見世物小屋のマネージャーだろうな。
そういう意味ではガタリと一緒かもしれない。
俺はおもしろけりゃいい。
で、俺は寺山や車谷の話ではなくアセ個人の話をしているんだが。
なぜこうも自分から目をそらす。
>>69 >脱コード化=スキゾ化=脱イメージ化の動きが必要になるわけだよ。
コードってなアンチ・オイディプスで言っても非イメージだろうがアホ。
むしろ流動の味噌としてイメージ(ヌーメンとか言ってたか)があるわけだろ。
要するに糖質をお手本にしながらお手本ではならないようにするわけだろ。
それがすでに糖質のイメージ化だろうがアホ。
俺は語りたいことを語ってるだけだよw
ミニハンもそうなんだろ?
木村敏が面白い精神病理論を書いてるね。
「祭りの前」が統合失調症的、
「祭りの後」が躁鬱病的、「
「祭りの最中」が癲癇的だっけかな。
ちょっと納得はしてないんだけど
時間に対する感覚の違いで類型化するのはなかなか興味深い。
アセは結局自己承認の具としてドゥルーズ=ガタリを出してきたわけかい?
アンテ、イントラ、ポスト・フェストゥムな。
木村自身は「自分はポスト・フェストゥムだ」と言ってたな。
木村敏は「あいだ」という言葉を思想の軸に添えている。
人間であれ、空間であれ、時間であれ、
そこには「間」という言葉が使われている。
俺とミニハンの「あいだ」にはたとえば何がある?
壁?w あるいは一方通行の2本の道?
壁、かな。
木村のタームなら絶対的未知性としての他者だ。
非ラカン的な他者。
おおスレ分けた甲斐あったじゃんおもろい論議になってる
その壁はミニハンが築いてる壁じゃないのかい?
結局俺にとってはすべての人が絶対的未知性としての他者なんだよ。
大文字の他者でも小文字の他者でもない。
であるならそいつ自身が自分を名付けてもらわなければならない。
アセは自分を語らないだろ。
そこが疲れる。
もうラカンもドゥルーズも捨ててしまおうぜ。
大文字だろうが小文字だろうが他者もなしだ。
そんなものにいつまでもよっかかってるわけにもいかない。
ミニハンは「アセは自分を語らない」という。
さてミニハンは「自分を語ってる」のだろうか?
>>79 その通りだ。
>>80で書いている通り。
俺個人がアセという他者を大文字でも小文字でもない他者として見ている。
俺は今アセという本について「孤独でなければならない読書」をしている。
「築いている」ではなく、これは原初からある壁だ。
絶対的未知性というな。
>>81 俺は自分を語っていない。
俺は「読書」しているのだから。
ミニハンは人の言説に自分を読んでそれによって自分を語っているとおもうよ
そもそも、「ミニハンはアセが自分を語らないと言っている、ミニハンは自分を語っているのだろうか?」という理屈は、どこから来るのだい?
俺は俺、君は君だ。
>>83 ぶっちゃけ読書ってなそういうもんだ。
でも人を読んではいないね
自分を語らない人間に対して誰が自分を曝け出すだろうか?
ミニハンから俺への道は開かれている。
でも俺からミニハンへの道にはバリケードが置いてある。
そこに自分を読んでるだけ
「ミニハンはアセが自分を語らないと言っている」という要件と
「ミニハンは自分を語っているのだろうか?」という疑問のあいだには何があるのだろうか?
まあぶっちゃけラカンの鏡像段階だと思うがな。
人はかのように鏡像段階から逃れられない。
「自分を読んでない」と言うのは自分をエポケーしているだけ。
自分を語っている、語っていないはどっちでもいいよ。
相手がそう決めるだけ。
俺は言葉に反応するだけ。
「衝動」的に。
だからいつまでもラカンという解読グリッド=イメージに頼ってちゃだめだよw
また同じところに回帰する定住的思考だ。
そういうのこそ「仮面」じゃないのかな?
つまりこういうことだよ。
ミニハンは俺を読みたいという。
しかし自身は読まれたくないというわけだね。
違うかな?
ミニハンの場合、対象テクスト=人の扱いが極小すぎ。従来通りの自分を読みすぎ。
それだと読書行為につきものの新たなる自分の発見がないだろ
>>91 だーからー、強迫症と精神病の反復を一緒にすんなよ。
ちなみに俺は昔てんかんだった。
>しかし自身は読まれたくないというわけだね。
いや、別に読んでもいいよ。
妄想を押し付けられたらいちいち反論するが。
>>93 そっか。俺はイメージの提示はするけど
決して押し付けてるわけじゃない。
プレゼンテーションって感じかな。
ひとつのプレゼンテーションがうまくいかなきゃ
次のプレゼンテーションをするまで。
そうやって何度もプレゼンを作り壊していく。
>>92 新たなる自分の発見なんかしたくないな。
本当の自由は辛いものだ。
むしろ自分を閉じ込めること、「類型グリッド」とやらにあてはめるのが「読書」じゃないのかい?
もちろんそのグリッドは各個人の自己が関係してくるが。
妄想を押し付けられていやがる理由は自己があるからだ、って考えがあれなんだよな。
>>94 プレゼンテーションって押し付けだろ。
自分の考えを相手に押し付ける。
おっと、じゃあ今日は落ちるよ。また。
俺はそのプレゼンテーションに何度も反論する、それだけ。
飽きたら参加しない、それだけ。
>>91 俺の頭の中はラカンだけじゃなくユングやいろんなもん経由してるけどな。
君の頭の中のミニハンがラカンに定住しているだけなんじゃないか。
人を読む行為も含めて読書行為って、人から自分と違う考えを提示されて
それにぶつかることでなにかそれまで違う自分が見えてきたりするのが醍醐味
と俺はおもうんだよね
でも、ミニハンのやり方って人の考えを元々の自分に考え側に強制的にずらして読んでしまう
そんなことしてもミニハンは読書前のミニハンとなんにも変らんだろ
変化がないものをなぜ楽しんで繰り返すのかな
ひらすら自己弁護を強迫的に繰り返してるだけのように思うが
>むしろ自分を閉じ込めること、「類型グリッド」とやらにあてはめるのが「読書」じゃないのかい?
前精神病(破瓜型など、精神病として診断されにくい)の反復はそういうものだと思うんだが。
神経症の反復は象徴秩序へ手紙を届けてるのかもしれないが。
>>99 >人を読む行為も含めて読書行為って、人から自分と違う考えを提示されて
>それにぶつかることでなにかそれまで違う自分が見えてきたりするのが醍醐味
それがすでに(木村的ではない)他者だろ。大文字の他者。
結局それは超自我の発達にすぎない。
>でも、ミニハンのやり方って人の考えを元々の自分に考え側に強制的にずらして読んでしまう
君は
>>85,87かい?
であれば、それは自分の考えをずらしていることにならないか?
俺はそれを否定してはいない。
>そんなことしてもミニハンは読書前のミニハンとなんにも変らんだろ
君個人の読書を述べているだけじゃないのか、それ。
人の考えの中に元々ある自分の考えしか読まないのなら
そいつの考えは変わりようがなくないか?
なんでそんなのを繰り返して面白いのかがわからん
>>50 おいおい何で知ってるんだ?
それは実生活ではあたってるよ。だけどさ、この読書スレ関連でいつ人の意見に耳を
傾けないことがあった?
この2週間でめっちゃ成長してるからね。読書会スレで他の人の意見を聞いて、自分の
考えがどんどん深くなってくのをものすごく実感してるから。
ミニハンらしき人と言語学みたいなのを語ったときだって、はじめてだから、あんなに言語学
のこと考えたの。真剣に話したり聞いたりするとさ、自分の問題意識が研ぎ澄まされてくんだよ。
問題意識が研ぎ澄まされるとね、知識の吸収率が格段にアップする。
わるいけど、あんたより読書会スレの人達の意見を聞いてる自信がある。
>>99 >ひらすら自己弁護を強迫的に繰り返してるだけのように思うが
これ具体的にどこが?
それが納得できたら俺は納得するよ。
それを説明できないなら、それは君個人の妄想だと判断する。
「新しい自分を発見したい」ってのが
>>99の根拠になってるわけだろ。
それは君個人の読書の目的だろ。
君はそうやって読んでいればいい。
俺は閉じ込められたくて読書している。
君個人の読書を押し付けないでくれ。
俺の「ずらして読む」ことをほら話はわざとだと思っているようだが、俺は素なんだけどな。
だから「グリッドに収まれない」、自分が。
まあだから閉じ込められない、「読書前の自分」のままなんだけどな。
>>102 人の考えの中に「新しい自分」と君が思っているものを発見し続けるのが、「大文字の他者への転移」の反復だと思うんだが。
俺は「相手の言う自分」を検証しているだけだよ。
それを「自分の思うミニハンを拒絶している」ことに対する過剰な反応がよくわからない。
105 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/09/23(金) 03:08:09.55
>>104 うーん。そこが俺にはわからないとこなんだけど
>まあだから閉じ込められない、「読書前の自分」のままなんだけどな。
で終わる経験なのに、なんできみの読書が必要になるのか教えてほしい
何も変わらんならそもそも読書しなくていいじゃんと思ってしまうんだよね
なんでこっちではコテは名無しにしたがるのかねwww
>>102 大体「相手の思う自分」も、俺が思う他人と同じで検証が必要だろ。
アセなんかは「君が「男」だと断定しているなら」と言ったが、別に女である可能性も充分考えている。
つか俺「男か女か」読むの下手だし。
リアルの見た目が女な人でも「この人男っぺえ」って思うこと多いし。
常に俺は「断定」できない人なんだよ。
自分に対しても他人に対しても人以外に対しても。
常に「疑っている」。
「人に言われた自分を素直に受け入れろ」って話なら、検証が必要だろうよ。
俺はそれを検証しているだけ。
「疑い」を持ちつつな。
この「疑い」を「拒絶」と言われているなら、まあ態度としてそうなると思うよ。
しかし前スレでも書いたが「引く」とは「拒絶」ではない。「疑う」のも「拒絶」ではない。
「拒絶」は結論にすぎない。結論を出していないだけ。
>>105 マルチウゼー。
がんばれよ、俺は参加しないけど。
>>106 >で終わる経験なのに、なんできみの読書が必要になるのか教えてほしい
自分を閉じ込めるため。そしていつも閉じ込められない。どんなに大量の本を読んでも「文脈をずらして読んでしまう素」は変わらない。
反復しているわけだ。
>>107 ああなるほどその反復の動機、「自分を閉じ込めるため」の理屈がわからなくて俺はきみを
>ひらすら自己弁護を強迫的に繰り返してるだけのように思うが
になるんだと思う
>この「疑い」を「拒絶」と言われているなら、まあ態度としてそうなると思うよ。
>「拒絶」は結論にすぎない。結論を出していないだけ。
これとか、クリステヴァの言う「否定性」になると思うがな。
ヘーゲルの「否定の否定」の最初の否定。
俺に対する多くは、俺に「否定性」を読み込んでいるわけだろ。それを「拒絶」などと表現している、と。
俺にしてみれば「衝動」「反応」って単語の方がしっくりくるが。
>自分を閉じ込めるため。そしていつも閉じ込められない。
「大好きな絵の中に閉じ込められた」
メトロポリタンミュージアムですわ、要するに。
いつも「大好き」にならないから閉じ込められないんだろうな。
セックスしてもいつもどっか「引いてる」わけだし。
「否定性」を無くせない。
それを無いことにするのは俺にとって嘘でしかない。
自分には嘘はつけん。
>>108 うん、そうだと思う。
>どんなに大量の本を読んでも「文脈をずらして読んでしまう素」は変わらない。
これとかさー、大体俺の言っていることって「屁理屈だ」とか「言葉遊びだ」とか言われるんだが、
俺にしてみれば「屁理屈」でも「言葉遊び」でもないんだよな。
「え、君が言っているのとは反する理屈があるけど?」
なんだよ。
他人の文脈ってのも要するに理屈だろ、イメージも多く関わってるだろうが。
別の理屈があるって言うことはそんなにおかしいことか?
それに対して「屁理屈だ」とか「言葉遊びだ」なんて言ってくる方が過剰反応じゃないか?
メトロポリタンミュージアムwみんなのうたw
こっちは相手の言ってることを検証している途中なのに何度も同じような「お前はこういう奴だ」なんて言ってきたら
そりゃあ「押し付け」だろうよ。
アセなんて「自分は反復してない」なんて言っているが、アセの頭の中にある俺というイメージをほんとに壊せてるか疑問だわ。
>>111 みんなのうたは洗脳教育として評価されるべき。
>>110 ほんとに真剣にそうなのならひどく病的に見えるんだよね
「別の理屈」ってのを語るとこれまた自己撞着的でどこにもたどりつない
病的なものがよどんで見えてね
だからからかってるんだろと思われるほうが自然かも
「新しい自分の発見」自体が一つの結果だろ。
そんな結果を反復するのが逆にわからん。
それこそ「大文字の他者に手紙を届けさせる」「反復強迫」なんじゃないのか。
大文字の他者ってのは自我の背後から自分を語る存在なわけだろ。大文字の他者が「新しい自分」を教えてくれる。
俺は「手紙なんて届いたことがない」だ。
>>113 >病的
まあそうだと思うよ。
>「別の理屈」ってのを語るとこれまた自己撞着的でどこにもたどりつない
これ誰が?
大体さ、君の言う「新しい自分」なんてのも、「他人がそう言っている自分」でしかないんだよ、俺にとって。
もちろんそういうのはヒントとして役立つよ。
だけど「他人の言う自分」をすんなり受け入れる方が、そいつの頭の中にある理想像への撞着、自己撞着だと思えるんだよ。
君みたいな文章読んでると。
>>114 俺のとっての読書の話になるけど
他人の考えを受け取ったとところでやっぱりすんなり受け入れるなんてことはほぼない
他人の考えや物語になにかしら共鳴した自分の無意識の部分が意識に上がってくるというか
単なる受け入れでも肯定でも否定でもないもやもやが出てきて
それが意識上で整理されると読書前とはなにかが変わってる、自分の感じ方や考えの一部が変化する
そういう感じってないかな
このスレ一行たりとも読む気にさせないっていうのはある意味すごい。
普通は滅入るわなあ
飽きもせんと釣り竿眺めてられるやつならともかく
>だけど「他人の言う自分」をすんなり受け入れる方が、そいつの頭の中にある理想像への撞着、
これとか女性は傾向的にそうだろ。「男の理想像になろうとする」わけだ。
「男の理想像」なんて言っているが、その「理想像を思い描いている男」自体がその女の想像でしかないわけで。
だから俺はそういうのを「自家生産」とか言ったりする。
フェミニズムも結局は「自立した女」などという「そいつ個人の理想像」になりたがっているだけだろ。
こういう奴らに対し「自家生産」などとよく言っていた。昔は。
「新しい自分を発見させてくれる本」、俺理論なら「=人」となるが、「理想像」みたいな相手じゃなきゃ成立しないんじゃないか?
例えばそうじゃない俺が「君という人」について言っても、俺と同じように「疑う」だろ? 結果として「拒絶」したりするだろ。
もしそうだったらそれは俺からすれば「自家生産」、「自己撞着」だ。こういうのが
>妄想を押し付けられていやがる理由は自己があるからだ
>ひらすら自己弁護を強迫的に繰り返してるだけ
ってこと。自分の理想像を防衛するための自己弁護を強迫的に繰り返しているとなるだろう。
文学板には確かにこれが顕著な人多いな。「作家」を理想像とした自己弁護をする奴。
>「新しい自分の発見」自体が一つの結果だろ。
まあ俺は「新しい自分を発見したことがない」って話だな。
そしてそれは恐らく「理想像」がないからだろうと思う。それっぽいのはあったとしても、例えば「どんなに好きな作家でもセックスがいいとは限らない」と同様の考えで、
「引いてる」「疑う」部分が残ってしまう。
>>115 あんまないなあ。「おもしれー」「一理ある」ってのはあるが。
むしろ自分の感じ方や考え方がイマイチわからないから「閉じ込められたい」んじゃないか。
その感じの前提は、それまでの「自分の感じ方や考え方」がわかってないとダメだろうよ。
他人じゃなくて自分の中から、ぼんやりとあった「それまでの自分」が不安定になるのはよくある。
そしてそれが「衝動」であり「反応」だ。だから俺の言説は嫌われるんだろう。
それがセミオティックだと思う。
そういう意味では本当の「自家生産」しているのは俺の方なんだろうな。
>>116 読まなきゃいいと思うよ。
別に読んでない人と会話しているつもりは俺にはないし。
それとも君は「自分に読ませている」と思ったのかい?
それなら自意識過剰だと思う。
>>117 釣れない釣りも楽しいもんだぞ。高波にさらわれたりな。
今日は釣れないみたいだな
さかなくん「ギョギョー」
>>1115 >他人の考えや物語になにかしら共鳴した自分の無意識の部分が意識に上がってくるというか
>単なる受け入れでも肯定でも否定でもないもやもやが出てきて
>それが意識上で整理されると読書前とはなにかが変わってる、自分の感じ方や考えの一部が変化する
についてだらだらと考えてた。
意識に上がってくる自分の無意識とは何か。
無意識と言えば単純に「言語のように構造化された超自我」となるだろう。
それは例えば文学でも多くテーマになっている「俺は他人からすれば市井の一人にすぎない」みたいな
「気付き」になるだろうな。
超自我により自我が変化する、というのはありえるだろう。そもそも超自我とは自我の抑圧装置だ。
しかしこの場合それだけではないだろう。「新しい自分」と言っているなら。
超自我による「自分の発見」は「新しい」とは言えない。自分が抑圧していただけ。
「新しい」という単語に引っかかる。
この場合「変化」である故、前提として「それまでの自分の感じ方や考え」がなければならないだろう。
であるなら、「それまでの自分の感じ方や考え」の一部が破壊された、となっていなければならない。
この「破壊」という段階への着目がこの文章にはない。「もやもや」などはそうなるか。文脈ぶった切って考えれば。
要するに
>>115の言う「他人の考えや物語になにかしら共鳴した自分の無意識の部分」とは、
超自我かセミオティックか、という問題。
それが、「新しい」と言うより「それまで自分は既知であったがわかっていなかった気付き」であるなら、
超自我になるだろう。
もしそれが「それまでの自分の破壊」だと認識できるなら、それはセミオティックであろう。
そしてそれも結局は、「他人の考えや物語」はただの触媒で、「破壊」している力はそいつ個人の中から出てきているものだ。
えらいロングパスしてもた。
>>115な。
本も人も常にただの触媒でしかないんだよ。
触媒によって化学変化は促進されたり抑制されたりするが、変化している物質は触媒ではない。
自己への作用は、あくまで自分の中から生じるものだ。
触媒は観察したいデータのノイズになる場合もある。
不純物が触媒として機能し反応が早まるなんてことはよくある。純度の高い物質同士だと反応が遅くなるケースな。
逆に不純物が反応阻害するケースもある。
「お題の本」も「他人の感想」も触媒にすぎないんだが、反応物質と勘違いしてるんじゃないか。君たちは。
脳科学的な考えだと、刺激に対する脳の反応は、刺激となった物質とは無関係なものだとなる。
別に、脳神経が刺激物質と直接化学反応を起こしているわけではない。
あくまで俺は文脈を読めない人なんだが、ニッパの「心細さ」や
>>115の「もやもや」という単語に、
うっすらと「それまでの自分の破壊」(「変化」という過程の一部でも)、セミオティック、「衝動」を読み込んでいる、という話だ。
「感じて」はないけどな。
>この「破壊」という段階への着目がこの文章にはない。
これはアセも同じだな。
>>58 >さまざまな仮面をたえずとっかえひっかえかぶるのが遊牧民的だといえるだろうね。
に対し俺はこう答えた。
>>59 >仮面を脱いだ瞬間のことを考えなければ「仮面を取替え続けること」は「仮面をかぶること」と一緒だろ。
「仮面を脱いだ瞬間」=「それまでの自分の破壊する段階」だ。
俺が「意味の共通性のないシニフィエを感じる」と言っていることは、この瞬間を感じることだ。
その結果、それまでと同じ仮面を被ろうが、別の仮面を被ろうが、変化した自分となろうが、正直どうでもいい。
ここでの「仮面」とは「社会的役割」という意味で、「どういう社会的役割をするか」という話はまた別の話だ。
俺個人はそれまでと同じ仮面であっても別の仮面であってもどっちも嘘っぽいので遠慮します、という話。
仮面もおもしろくなくはないが、それを観察するならリアルで観察した方が多様だしな。
仮面はどうでもいいんだよ、俺個人がそれを嘘っぽいと思えるだけで。
俺が読みたいのは仮面じゃない。
嘘を嘘としないのは簡単。
そいつを信じれば、そいつの言うことは嘘ではなくなる。
>>122-123 百歩譲って「触媒でしかない」としても、その変化は重大だ。
分かりやすくするためにちと極端にするけど、「無意識」「超自我」「セミオティック」
とかの概念も、俺たちは他者が考えたものを吸収して使っているわけで、
俺たちが思考に利用している大多数の知識も元は他者の考えなんだぜ。
それらを手に入れると、以前とは大きく違う思考をし、違う決定をし、違う行動を
する可能性を手に入れる。つまり「新しい自分」を手に入れる。
フロイトが「無意識」という概念を語った前と後では世界は大きく変化する。
個人レベルでも、「無意識」の概念を知る前と後とでは、様々な場面で考えることも
行動も変化せずにいないだろう。
仮にすべてが無意識化に埋もれていて、触発されて出てきただけであったとしても、
それがその人に大きな変化をもたらし、新たな可能性を開くものに成り得ることに
変わりはないと思うんだけど。
>百歩譲って「触媒でしかない」としても、その変化は重大だ。
てんかん発作みたいな変化であってもかい?
別に俺は「変化」自体を否定しているつもりはないが。
ただその「変化」の一つの過程である「それまでの自分の破壊」の力は、自分の中にあるものだ、と言っている。
>>128は、「変化」どうのこうのじゃなくて、「変化」において他者との関係性が「触媒」にすぎぬ、と言った点について
どうこう言いたいんじゃないか。
>俺たちが思考に利用している大多数の知識も元は他者の考えなんだぜ。
そう、それが「触媒」にすぎぬ、と言っているんだ。
ヴェルトフライハイト
アポトーシス
たとえばこういう以下の文章はどうだろうw
しかし、文学というものは、要するに自己弁護であり、自己主張であろう。
そして、自己を弁護するとは、即ち自己を主張することなのだ。
仮面をかぶりつづけていると、それが真実になる。
任意の一点と思っても、しかし、はじめに設定した任意の一点は
私の文学の構図を決定してしまうことになりがちだ。
その一点をさけて、線を引くことが出来なくなる。
私は私の任意の一点を模倣していたのだ。
さて「仮面」という言葉がまだ曖昧なまま宙に浮いているようだね。
俳優が演技をするときを考えてみよう。
彼は役柄という仮面をつける。
しかしそれは素顔に対立する仮面じゃない。
役という仮面の中に新たな自分を発見するための装置になりうる。
人は仮面をつけることによって新たな自分を見出していく。
仮面と素顔を対立させたままの思考はおそらく新しいものを生み出さない。
織田の文章もそれを裏打ちしてくれるかのようだ。
>>135 え、どこをどう読んだらその文章の「裏打ち」になるの?
>>136 説明求む。
>仮面と素顔を対立させたままの思考はおそらく新しいものを生み出さない。
素顔も仮面だよ。
ここでの仮面は「社会的役割」と言っている。社会生活を行う上で仮面を付けている奴なんておらんだろう。
要するに「他人からこうだと思われている自分」なわけだ。いわば自意識。
俺は別に素顔と仮面の対立させるなんて言ってないけどな。
素顔でも仮面ならはぐ。
「仮面」の下がおもしろいのだから。
それで「何もない」っつうのはないだろう。
脳科学的な脳反応はそこに残っている。
まあ別に「オダサクが俺と同じ考えをしている!」って言うのは別にいいよ。
俺はオダサクという人を読んでないからわからない。
むしろなぜ君はそうやって「俺とオダサクは同じだ」という弁護をしなきゃなんないの?
>>136 裏打ちにならないかな? 他者の意見を聞いてみたい。
「私の文学」読んだ? ちょっと面白そうだよ。
>なぜなら、毀も貶も、誉も褒も、つねに誤解の上に立っていると思うからだ。
これなんか、俺の言う「どっちも嘘っぽいので遠慮します」ってことだと思うがな。
「手紙は宛先に届かない」
作家なんて職業はこれにつねに対峙している職業ではあろう。
>>137 レスアンカーは俺かな?w
>社会生活を行う上で仮面を付けている奴なんておらんだろう。
まずここが俺の考え方と違うんだね。
人間が2人いれば、そこに「関係」が生じる。
それは小さいけれども「社会関係」だと俺は考えてるよ。
>>138 んー、あんまり。散漫としてるなあ。
>私は私にとっても未知数だ。
これなんか木村の絶対的未知性だな。
ただし本当に自分が未知になることはそのまんま狂気だがな。
>>140 いや、そこは「素顔」も「仮面」だってことを言おうとしたわけ。
「人間が2人いれば、そこに「関係」が生じる。」わけだろ、「仮面」がある。
その2人がいくら素顔であっても。
私がこれまで耳にした私に関する批評の中で、一番どきんとしたのは、伊吹武彦氏の、
「ええか、織田君、君に一つだけ言うぞ、君は君を模倣するなってことだ」
という一言だった。
その時、私はこう答えた。
「いや僕の文学、僕の今までの作品は、僕の任意の一点です」
仮面をかぶりつづけていると、それが真実になる。任意の一点と思っても、しかし、はじめに設定した任意の一点は私の文学の構図を決定してしまうことになりがちだ。その一点をさけて、線を引くことが出来なくなる。私は私の任意の一点を模倣していたのだ。
これって「仮面」に対し否定的じゃないの。
いくら「別の仮面をかぶりつづけた」としても、「私の任意の一点の模倣になる」と。
>>142 そっか。なら考えていることは遠くないね。
関係の中でさまざまな仮面=素顔があると。
で、もしそこにまだ「真の素顔」を求めようとするのであれば、
それはある種狂気じみた「のっぺらぼう」になるんじゃないだろうか?
あと、「手紙は宛先に届かない」という断定はできないんじゃないかな。
届くかもしれないし、届かないかもしれない。
届いたとしても、雨で濡れてたり破れてたり、一部しか判読できない可能性もある。
>>143 ただ前後の文章を読んでみると、
織田は自分では行きたくなかった方向に行ったという記述があるね。
それは「仮面」が「素顔」になったと考えられないだろうか?
ちょっと外出、また。
で、ここでの「仮面」とは「社会的役割」であり、ぶっちゃけ簡単に言えば、仮面を脱ぐ行動療法としては、孤独になることなわけだ。
>私は目下、孤独であり、放浪的である。しかし、これも私の本意ではなかった。私は孤独と放浪を書きつづけているうちに、
>ついに私自身、孤独と放浪の中へ追い込まれてしまったが、孤独と放浪という任意の一点を設定した瞬間すでにその一点は、
>私にとっては宿命的なものだったのだ。
>だから、私は今私を孤独と放浪へ追いやった私の感受性を見極めてこれを表現しようと思っている。
ここあたりは「肉に食い込んだ仮面」を認知した、ってことなんじゃないの。
それをはぐかそれで生きるかはわからんけど。
で、それさえもはいだらニッパとかが言っていたように「虚無だ」って考えになるんだが、
>おそるべき虚無を私はふと予想する。しかし私は虚無よりの創造の可能を信じている。
って点は面白いな。抑鬱耐性と妄想分裂態勢。
肉に食い込んだ仮面をはいでも、「衝動」「セミオティック」は残っている。
http://www.geocities.jp/sagojohai/hado.htm とかと関係するかもな。
>かえりみて、一千年余の間に、日本文学は顕教(明在系)であった。ありすぎた。顕教界で「もののあわれ」「わび・さび」を
>主流とするとき、たとえ本来そうではないにしろ、やはり虚無、諦念、厭世、無常観に片寄りすぎている。密教が無さすぎる。
>俳句界でもそれは数えるほどしか行われていない。華厳・密教界においてはじめて文芸は生命界へ転ずるように、私には
>思えてならない。
要するに、仮面を剥いだら空虚、虚無だ、ってのは顕教志向だ、ってこと。
オダサクと岡井省二かー。
俳句だとデカダンと「もののあわれ」って区別付かないだろうな。
>>145 >織田は自分では行きたくなかった方向に行ったという記述があるね。
>それは「仮面」が「素顔」になったと考えられないだろうか?
具体的にどこを言っている?
アセはどうも他人の文章を自己弁護に都合よく読む癖があるな。
あとこれ新聞の雑文か。
手を抜いているとはいわないが、「可能性の文学」にあるようなとがった物言いが少ない。
なのであまりおもしろくないのか。
堅いお話の癖にファンがミーハーだらけってのはどういうわけだ
大槻ケンヂがオーケンと呼称されるのと同じような響きを感じるぞ。オダサクに。
プログレ板ではオーケンって高評価なのに何も知らずにミーハー扱いしてる無知蒙昧
書いてから気付いたけどブリグリもミーハー多いわ
よー考えたら
>堅いお話の癖にファンがミーハーだらけってのはどういうわけだ
それがどういうわけになるのがどういうわけ?
ミーハー自体は悪くないと思うがな
所詮小説も音楽も嗜好品。商品が量産されてるならとっかえひっかえしてもおかしくない。
ミーハーのある一部の人は、「私はこういう作家が好き」ということで自分の仮面の補足価値にしている奴がいるが、
そういうのはアホだと思うが。
ミーハーとは何ぞや、をきちんを考えないとな。
ミーハーって「世間で流行になったから飛びつく」って意味か。
しかし知らないものには飛びつけないのは事実。
「どこからが世間か」「どこからが流行か」という閾値の取り方次第では人間みなミーハーになりうる。
例えば日本語などは日本人という「世間」でもっとも「流行」している事柄だと言えよう。
言語にだって流行はあるだろ、プログラミング言語とか。フラッシュ全盛期はそれ用の言語が流行していた。
この辺マグナとか詳しいんじゃないか。
話がそれたが、生まれたばかりの赤ん坊は日本語を知っているわけではない。
今知っている事柄を知らなかった時期は誰にでもあるものだ。
「世間で流行しているから」という要件に、別の問題があるのだろう。
例えば「ポケモンを知らないとクラスの会話に入れない」というケース。
これは「友達からポケモンってゲームを聞いて、面白いから飛びついた」ってことではない。
この彼はポケモンというゲーム自体ではなく、クラスという集団性に飛びついているわけだ。
ミーハーにも、「それまで知らなかったけどニュースで初めて見ていいと思った」から飛びついた奴と、
その作家や芸能人ではなく、「流行に乗り遅れちゃまずい」的な、「みんないいと言っているから」と
集団性に飛びついている奴もいよう。
ミーハーが蔑称として使われているのは、後者についてではないだろうか。
まあぶっちゃけこの「集団性に飛びつく」のは「欲望とは他者の欲望である」なんだが。
つまりは「流行に乗り遅れたくない」とは、流行に踊っている人達に対する承認欲求なわけだ。
「ポケモンやらないとクラスの会話に入れない」ってのはまさにそうだろ。
「お前はミーハーだ」と言った時、ミーハー自身がそうである場合もあれば、そう言った奴が自分の
「他者の欲望である欲望」を相手に投影している場合もあるだろうな。
超自我が欲望を抑圧するものだから、超自我が強ければ強いほどミーハーに嫌悪を感じるだろう。
しかしそれは自分が抑圧している「他者の欲望である欲望」「承認欲求」を相手に投影しているだけかもしれない。
自分の承認欲求を抑圧しているからこそ、別に承認欲求で飛びついたわけではないある特定のミーハーに対しても、
自分の承認欲求を投影してしまう、と。
ルサンチマンとかは基本この構図だな。
>>144 >一部しか判読できない可能性もある。
それは「手紙は届いていない」だろう。
そういう話じゃないんだがな。意味がわからん。
「手紙は届くかどうか」はあくまでも比喩なんだが、「雨に濡れて破れた」とは何を示す比喩なんだ?
後あっちでトリックスターの話になっているが、木村自身が「私はユングには詳しくない」とした上で、
イントラ・フェストゥムをトリックスターで説明してた文章があったな。
俺が絡まないとこのスレも駄目かw
>>146 まあそのへんはちょっと面白い。
任意の1点というのをどう捉えるかだよな。
>>147 具体的にひこうか。ちょい待ち。
>>131 「手紙」の比喩が消化されてない感じがするよ。
>>155(こっちだったな、レスアンカー訂正)
「手紙」の比喩を使うのであればデリダを経由する必要があるだろう。
「カルト・ポステール」でデリダが提示したやつをさ。
その矮小化が東の「郵便的」なんだがw
織田作之助「私の文学」
私は目下、孤独であり、放浪的である。
しかし、これも私の本意ではなかった。
私は孤独と放浪を書きつづけているうちに、ついに私自身、
孤独と放浪の中へ追い込まれてしまったが、
孤独と放浪という任意の一点を設定した瞬間すでにその一点は、
私にとっては宿命的なものだったのだ。
織田は自ら孤独を選んだのではない。
「任意の一点」が「宿命」になったわけだ。
で「任意の一点」は仮のものでよかった。
つまりは仮面でもよかったわけだ。
その仮面が宿命=素顔になったということだな。
「任意の一点」が「素顔」かどうかというのは、どうも君と俺とで「素顔」の意味がずれているようなので後回しにして、
その文章が
>織田は自分では行きたくなかった方向に行ったという記述があるね。
という意味になるのはなぜだい?
俺の質問は
>>147だ。
俺にとっては、
>>147の質問に対するこの返答が「穴」なんだよね。
>>159 別に「矮小化」も「郵便化」も君の印象なので俺がとやかく言えることではないんだが。
ほんと印象操作好きだなー、あんた。
ああ、「行きたくなかった方向」が「孤独で放浪」なわけだな。
それが「任意の一点」だと。
とすると
>>143に戻ると思うが。
「しかし、これも私の本意ではなかった。」を「行きたくなかった方向に行った」と読んだわけだな。
「行きたくなかった」を「拒否」の意味で俺が捉えたから通じなかったのか。
「行きたいわけではなかった方向に行った」という意味なら理解できた。
まとめ
>>143 >>147 >>143の「仮面に対し否定的じゃないの」という俺の言葉に対する
>>147「行きたくなかった方向に行った」と考えた。
つまり「仮面に対し否定的ではない」という意味だと。
それならば「行きたくなかった」とは「(仮面を脱ぐ)方向へ行くのを拒否する」意味だとなるだろう。
しかし「本意ではなかった」とは拒否の意味での「行きたくなかった」ではないだろう。
「行きたいわけではなかった」が正しいのではないか。
もちろん「行きたいわけではなかった」を「行きたくなかった」と表現するのは間違っていないが、
俺は以上のように文脈を読んで、「行きたくなかった」を拒否の意味として読んでしまった。
なので意味が通じなかった。
>>161 なのでアセの言う「行きたくなかった」を「行きたいわけではなかった」という意味だと俺の脳内で変換すると、
やはり
>>143に戻る。「仮面を脱ぐ方向に行きたいわけではなかったが、仮面に対し否定的だ」となる。
否定も肯定もない中立を考慮しないとな。
「穴」を説明してやったぞ
>>165 そう、あえて自分で選んだわけでもない「任意の一点」、
これは偶然の作用によって立たされる「一点」といってもいいし、
お望みなら「仮面」といってもいいと捉えているわけだよ。
しかし、それが「宿命」となる。つまりは、
偶然が必然となり、仮面が素顔になる、ということ。
>>67 地上最強のドゥルージアンを名乗る人が哲学板にいて、なにをもってそう言えるのか?と質問したら、
日常生活、飯を食うのもクソをするのも、いつでもどんな時でもドゥルーズになったつもりで考えるんだと。凄いよね。
飽きたのでここ読書会スレの避難所で使っていいよ
>偶然が必然となり、
これなんか俺はユングのシンクロニシティって心理にすぎないんじゃないの、って思うけどな。
理系脳は「全てが偶然」なんだよな。
あ、余談。気にしないで。
素顔こそが仮面なんだよな。心理学的には。
例えば顔形の認知ができない障害もある。心因、気質因かは分かってないが。
ぐぐった。相貌認知障害だと。
そこまで行かなくとも、人の顔を覚えるのが苦手な人とかなら結構いるだろ、俺だが。
写真でわからなくても、実際会って思い出す場合もある。
表情の動きで覚えてるんだよな。
「仮面」の元々は「顔」なんだよ。
http://homepage3.nifty.com/tamakis/%8D%D6%93%A1%8A%C2/HugBoxor.html この論文とか面白い。
「同定認知」機能とは、認知機能の一種の熟練である。後天的にいっそう洗練することが可能であり、
逆に学習なくしては発達しない。もっとも基本的な顔の認知についても、外国人の顔の認知が困難で
あることからうかがい知れるように、差異の認知も同一性の認知も学習によるものである。
「任意の一点」とは「顔」というより「同定認知機能」と考えた方がいいかもな。
任意の一点と思っても、しかし、はじめに設定した任意の一点は私の文学の構図を決定してしまうことになりがちだ。
その一点をさけて、線を引くことが出来なくなる。私は私の任意の一点を模倣していたのだ。
そしてこの「同定認知機能」がある限り、人は本当のノマドにはなれない、と。
わるいけどこいつら頭悪すぎ
驚くわ
いけないのは、それとなく利口そうなこといってて、本人もなにいってんだかわかってないこと
もうちょっとマジに本よめな
あっ、だめだ、こいつら本の読み方知らん
具体的にどこがどうと言ってくれないとなあ
読書会スレにレスしたけどこっちにも関係してそうなので
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1317395244/7-10 多分アセは「仮面をはいだ最後には素顔がある」と思ってるんだろうけど、
「素顔」も認知機能からすれば「仮面」なんだよ。「肉に食い込んだ仮面」。
それをはいだらどうなるか。
血みどろの肉が見えてくるだろう。
俺が読みたい「衝動」はその血みどろの肉だ。
坂口の「肉体自体の思考」などは、その文脈を考慮しても合致するな。
けど坂口の作品よか車谷の方が「血みどろの肉」を感じさせるけどな。
坂口と車谷と比べたら坂口の方が芸達者っていうかな。
逆に「堕落論」なんかより「神サマを生んだ人々」みたいな軽妙な作品の方が好きだ、坂口は。
この安福軒だっけ、それなんかアセの目指す所かもしれない。
軽口やジョークが上手いゲイバーのママ(おっさん)が実は哲学の博士を持ってるってイメージなんだよな、坂口って。
悪口じゃなくて。
>>168 よく分からんが、アセは「素顔」を目的として「ノマド」してるのか?
いや、目的ではなく結果として「仮面が素顔になる」って話をしているのか?
それは「素顔」という「地に足をつけること」にならないか。
ノマドにならなくないか。
まあまともな人間は本当のノマドにはなれないとは思うけどさ。
「続堕落論」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42619_21409.html 堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。
即ち堕落は常に孤独なものであり、他の人々に見すてられ、父母にまで見すてられ、
ただ自らに頼る以外に術(すべ)のない宿命を帯びている。
人間の堕落の限界も、実は案外、その程度でしか有り得ない。人は無限に堕ちきれる
ほど堅牢な精神にめぐまれていない。
アセの言う「仮面をとっかえひっかえすること」が「逃走論」であるのはまあいいとして、
それは「堕落」だろうか。
ここでの「仮面」とは「社会的役割」なわけだが、「仮面をとっかえひっかえすること」とは
「孤独になる宿命」なのか。
確かに八方美人もやりすぎると逆にさみしさを感じたりするよな。
八方美人は自分の欲望に素直に従っている。坂口の時代ならそういう女は「不貞な女」とされ「孤独」に
はなるだろう。
しかし、そういった感覚が希薄になった現代でも、八方美人を他人から批難されておらずとも、「心に空虚」
を感じたりする。
八方美人が上手く行けば行くほど「心細さ」を感じる。
芸能人とかありがちじゃね。所詮八方美人とはまやかしなんだから。
アセの「仮面をとっかえひっかえすること」が、上記の「別に他人から批難されることが少ない
現代的八方美人」の心理なら、
それは「孤独」に向かうものになるかもな。
しかし、やはり人は堕落しきれない。「孤独」のままでいられない。
坂口は戦後の焼け野原を見て、それを知った。
そして堕落は、人間が「少しずつ良くな」るための一過程としてなければならぬ、と。
なぜ堕落しきれないかのポイントが、「素顔」だったり「固有名詞」だったりするのかもな。
ちなみに「堕落論」も読んだんだけど、その時レスに追いつけなかったのと鈴木から猛反発喰らいそうで
感想として書きこまなったんだけど、さらっとここに書いちゃうわ。
ラカン派精神分析には、クライエントをデプレッション状態に陥らせるのを重要な課程としている。
デプレッションってのは平たく言えば「抑鬱状態」だ。
向こうで触れたモラトリアムも精神科行けば「抑鬱状態」などと診断されるケースが多いだろう。
ラカン派も大筋としては、自我を抑圧する超自我を少しずらして自我を解放させ自我同一性を確立させる、
という日米主流の心理カウンセリングと似てはいる。
しかしラカン派はクライエントを「抑鬱状態」にさせるまでする。つまり自我(同一性)さえも
揺るがそうとする。
このデプレッションにおいて、自我と超自我ともどもが揺るがされる。多少の変化が起きる。
坂口が感じた敗戦時の日本の美しさは、こういったことと似ているように思う。
デプレッションにおいては、エス、「命のしかめっ面」たる現実界と背中合わせになる。
この「命のしかめっ面」は、坂口の言葉なら、
半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへり
みはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋(やみや)となる。ももとせの命ねがはじ
いつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌
(いはい)にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日の
ことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけの
ことだ。
ということだ。情やモラルや美から一歩離れた命。現実主義。フロイトの現実原則とは違う意味の現実。
坂口はこれを堕落としている。デプレッション=堕落だ、ということだ。
しかし「続堕落論」では「人は堕落しきれない」とする。
ここもラカン派精神分析と似ている。
いくらデプレッションに導いてもエスに到達できない。
しかしエスの後ろ盾により、クライエントは自我や超自我をほんの少しだけ作り変え、それを生きるようになる。
私はそれを事由から自由への逃避と表現しますが
それが同時に島国根性というペシミズムを刻まれたDNAの意志≠己であることも知っているのです
>>181 そうだな。
本当の自由とは、サルトルが言う通り苦痛に満ちたものであり、孤独のうちにあるものだ。
浅田がモラトリアム擁護(浅田にとっては本意ではなかったようだが)して、
ついこのあいだは斎藤環がひきこもりを擁護した。
ただ斎藤は精神科医でもあるから
「ひきこもり的な性格はそれでいい。なのでひきこもらないで社会に出ればいい」
みたいな思想的でも文学的でもない、いわば心理療法的な言い分だったけど。
「島国根性」ってのはわからないが、「堕落」し「孤独」となる「苦痛に満ちた自由」へ向かうのは、自我や超自我ではないだろう。
それは快感原則や現実原則のほころびとしてある死の欲動だ、となるだろうな。
DNAにもアポトーシスがあるように。
まあ日本人だけの話じゃないと思うよ、ってこと。
>>179-180 引用文括弧に入れてから貼ろうと思ってたら忘れてた。
読みにくくてすまん。
いいえエゴの徹底である死への欲動ではなく
エゴの放擲を目的とした胎内回帰です
ここを履き違えるから実存主義哲学は大嫌いです
>>185 エゴの放擲っていうか、エゴに対し他人事的ではあるわな。
エスあるところにエゴはなければならない。
胎内回帰とあるが、クラインなどは死の欲動は生後直後の赤ん坊に見いだしたわけだけどな。
生まれたばかりの赤ん坊は闘争している。
「胎内回帰としての実存主義」ってのは俺よく分からないので説明求む。
ああまあ、モラトリアム、社会的ひきこもり、退却神経症などは「エゴの放擲を目的とした胎内回帰」になるかもなあ。
浅田の「逃走論」を読んだモラトリアム者が「モラトリアムでいいんだ」となるのはそうだと言えなくないか。
君の頭の中にあるイメージがわからない。
そして文学的に言われる「胎内回帰」って心理学的には「胎内」じゃないんだよね。
「求めるものは与えられる」世界を「胎内」って言ってるわけだろ。
それは万能感に満ちた子供時代なんだよね。生後二、三年の。
まあ「胎内」の赤ん坊もそうなのかもしれないがな。
一応ここの反論なら。
生成してからずっと「胎内」にいるだけなら、「求める」ということすら知らないだろう。
胎児は自分のその状態を「求めるものは与えられる」とは思っていないだろう。
>乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す
こういった演出ってさー、パフォーマー側が第四の壁を観客側に提示することで
情報の非対称性を解消して共通の素地を作るための同化効果を意図する演出方法のひとつであって
僕は強迫観念を感じるんだけどなあ。ピストルを向けられながら話し合いをさせられるみたいで。
NO!って言ったら撃たれるんだもん。それチラつかせないと会話も出来ないのか!って憤りが勝つ。
>>189 具体的にどんな演出を言ってるの?
あっちでは「ネズミの解剖台」と「舞台後ろを開け放して外を見せる」の二種、計三つ提示したけど。
>僕は強迫観念を感じるんだけどなあ。ピストルを向けられながら話し合いをさせられるみたいで。
>NO!って言ったら撃たれるんだもん。それチラつかせないと会話も出来ないのか!って憤りが勝つ。
という言い方だとどんな演出か思い浮かばない。
とはいえ、そういった演出には、「ピストル」ではないが一種の「怖さ」はあると思う。それがいいわけだけども。
あっちのスレの言葉なら「冷たさ」でもいい。
背中に隠したナイフの意味を問わないことが友情だろうか
(中島みゆき「友情」)
まあここでの「ナイフの意味」は「乗り越えられない現実」すなわち「無意味」なんだけどさ。
こういった「恐れ」「冷たさ」をいやがっているのが君ならば、君の主張はやはり「(乗り越えられる)可能性をアテにした甘え」
になってるんじゃないのか?
むしろ君の方にこの「ナイフ」に対する過剰反応がある気がする。
俺は「ナイフ」も「心理的演出」もありだ、と言っているわけで。ただ「心理的演出」は「ナイフ」の従になるけども。
>情報の非対称性を解消して共通の素地を作るための同化効果を意図する演出方法のひとつであって
「乗り越えられなさ」を同化させるわけだから、それは異化効果になると思うぞ。いや、「素地を作る」ということにはなるが。
君は「ナイフ」を「心理的演出」の従として考えているんじゃないのか。
「心理的演出」を活かすための「ナイフ」だから、「ピストルを向けられながら話し合いをさせられるみたい」となる。
君の頭の中では「ナイフ」→「心理的描写」という順になっているのではないか。
逆だよ、「心理的演出」が「ナイフ」の従なの。「心理的描写」→「ナイフ」なわけだ。
例えば、登場人物の破局を絶望的に描きたいなら、その二人の睦まじかった頃を書いた方が、より破局が生きてくるだろ。
君は、睦まじかった頃を描くための演出として何らかの破局を想定しているから、
「ピストルを向けられながら話し合いをさせられるみたい」
となるのではないだろうか。
俺が出した具体例、「舞台後ろを開いて外を見せる演出」二つは双方ラストシーンに仕様されていた。
「ネズミの解剖台」の方は途中だったんだが、まあぶっちゃけ飴屋法水で、あらすじなんてあってないようなものだったしな。
どっちかってと現代アート。
もう一つ具体例を出しておくと、マイナーな劇団の芝居で、劇団のドタバタコメディ、つまりメタ演劇と言うよりもっと下世話な
楽屋ネタ芝居だったんだけど、そのラストシーン、舞台装置を取っ払って裸舞台を見せるという演出があった。
あれなんか「お芝居はしょせんお芝居」みたいな虚しさ、自虐ギャグみたいに感じられた。
途中は小劇場界の内輪ネタばっかでつあれだったけど。まあちょっと有名どころも客演してたし、ファンサービス演目とか
だったんだろう。
けどやっぱ小劇場なわけだから何かチクリとやりたかったんだろうな。「ナイフ」で。小劇場ファンに対し。
むしろその演出は悲劇的、絶望的なんだよ。いや喜劇にもなるが。コクーン歌舞伎みたいに「ええじゃないか」的に使えばそうなる。
諦め、虚しさも度がすぎたら笑えてくるだろ。
君は快不快を基準にしてしか作品を考えてないんじゃないだろうか。
確かにこの「ナイフ」は観客にとって快いものではない。だから俺も「悪意的に」と書いたんだけども。
快不快じゃないんだよね。それを越えた何かが芸術にはあると思ってるんだよ、俺は。
具体的にって言うと演劇的なものではwikiればいくらでも出てくるから割愛するとして、
たとえば24で劇中の時間経過を現実の時間経過と対応させる事とか
ダウンタウンのガキのトークで浜田が観客目線からツッコミ入れる事とか。
喪黒福造のドーン!に出て来る白黒のフラッシュもそうだね。
堂本剛の33分探偵まで行くとあれ演出っていうよりプロットに入っちゃうからどうかと思うけど。
もともとイメージしたのは夢オチとかデウス・エクス・マキナかな。
>背中に隠したナイフの意味を問わないことが友情だろうか
その歌詞しらないけど、文意から判断するなら隠す意図を尊重すべきだ。
そいつが見せるつもりなら見てやれば良いし、わざわざ隠したいのなら知らんで良い事なのでしょう。
わざわざ浮気の証拠を問い正して24時間そいつに干渉しなければ友情やら家庭の幸福が成立しないと考える人間を除いて。
>「乗り越えられなさ」を同化させるわけだから、それは異化効果になると思うぞ
いや、「”乗り越えられない現実”が存在するというメッセージ」を伝えることによる同化だよ。
それはわざわざ観客が意識しなくとも済む筈なんだからね。敢えてそんな事をするからには全体の構成に必要だからなのでしょう。
”無意味な事があっても良い”という主張だってメッセージ性なんだから。それもまた表現物の限界だよ。
その「ナイフ」が意味分からんけど。
>君は快不快を基準にしてしか作品を考えてない
どうなのかなあ?俺は君が天然に見えてるけど。
「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」演出法、作劇法は、基本悲劇だと思う。
例えばソポクレスなどは、そういった芝居を作っていたのではないだろうか。
オイディプスにしろアンティゴネーにしろ、主人公は、運命に翻弄され、荒野を流浪させられたり、一人取り残されて終わる。
そこは「乗り越えられない現実」だ。主人公と同化した観客もそこに放り込まれる。
この「邦子」もどちらかと言えば悲劇になるだろう。
悲劇だと考えるとその主人公はタイトルの通り邦子となる。
夫に振り回された挙句、自殺する。
しかし自殺が救いとなっている。オイディプスやアンティゴネーのように生き延びない。
邦子を自殺させることで、彼女に「乗り越えられない現実」を味わわせるのを止めたわけだ。
「今度の事もどうなるんだか分らないけど、これから先、一生さういふ事が絶えないのかと思ふと、何だか先が真暗になつたやう
な気がするわ」
「私、すつかり自信がなくなつて了つた。こんな事をいふと又叱られるかも知れないが、家の中をどういふ風にしていいのか全く
見当がつかなくなつたの。今まで、家中が何か一つのもので結び合つてゐたやうな気がしてゐたのが、近頃は貴方は貴方、私は
私、子供達は子供達、といふ風に妙に離れ離れになつて何だか淋しくつて仕方がない。どうしたんでせう? 若しかしたら神経
衰弱になつたのかしら」
「私、どうしてもよく分らない。分つてゐるやうで分らない」
これに対し主人公は言う。
「分らなければ、分らないでいいぢやないか」
これはすなわち邦子に、オイディプスが荒野を一人盲目で流浪するかのように「乗り越えられない現実」を生きろ、と言っている
ことになる。
しかし筆者は邦子を死なせてやった。邦子が「乗り越えられない現実」を生きる(そうなるまでは描かれているが)のを描かずに。
>>192 >たとえば24で劇中の時間経過を現実の時間経過と対応させる事とか
24見てない。
>ダウンタウンのガキのトークで浜田が観客目線からツッコミ入れる事とか。
お笑いのボケとツッコミなら、ボケ役が「ずれた意味を語る」のにツッコミを入れるわけで、むしろ「乗り越えられない現実」から
ボケを「乗り越えられる(と思っているだけの)日常」に戻す役割になる。
>喪黒福造のドーン!に出て来る白黒のフラッシュもそうだね。
あ、これはそうだな、喪黒の仕事は「あなたがやってることは無意味ですよーフォフォフォ」なわけだから。
>堂本剛の33分探偵
知らない。
>もともとイメージしたのは夢オチとかデウス・エクス・マキナかな。
ああ、これはそうだ。
デウス・エクス・マキナは神なのがちとあれか、どっちかというと自殺、自傷。自分達で自分達の作品世界を壊す。
エウリピデスとソポクレスのカタストロフィ観の違いでもあるかもな。
夢オチは観客への悪意と思わせないと観客は「オチつけられなかっただけだ」となって「作品世界」が壊されないので、
「乗り越えられない現実をさらけ出す」って効果にならないので難しい。
「乗り越えられない現実をさらけ出す」演出は逃亡ではなくあくまで攻撃でなくちゃならない。
>文意から判断するなら隠す意図を尊重すべきだ。
ナイフを隠しているのはこの文脈だと表現者側なんだが、君は観客としてそう言っているのかい?
観客は表現者の意図を尊重して読まなければならない、という話なら作家至高主義にならないか?
まあ表現者が大作家や権威ある劇団だったならそうなんだろうがさ、小劇場なんて客層はやんちゃな若者ばっかだったからな。
芝居やってる側はやんちゃな若者の「背中のナイフ」なんて見えるわけがなかろう。
>そいつが見せるつもりなら見てやれば良いし、
じゃあいいじゃん。
>わざわざ浮気の証拠を問い正して24時間そいつに干渉しなければ友情やら家庭の幸福が成立しないと考える人間を除いて。
いや、「ナイフ」はそういう意味ではないんだが。
要するに、「話(意味)が通じていない」ってことだ。
>いや、「”乗り越えられない現実”が存在するというメッセージ」を伝えることによる同化だよ。
ああそうか、だからメッセージだとつまらないんだよな。
意味の無い児戯っぽくないと、この演出は中々決まらない。
「こけおどし」はメッセージになると「同化」になる、か。一理ある。
>”無意味な事があっても良い”という主張だってメッセージ性なんだから。
これは会話で俺がしゃべっていることで、そういう演出ではないからな。
>どうなのかなあ?俺は君が天然に見えてるけど。
ああうん、天然。素で話してる。
質問なんだが、君は演劇でどんなことやってるの? どうも考え方が演劇人っぽくない。
脚本中心主義な新劇系かなと思ってはいたけど映像作品ばっか具体例に挙げてるし。
演劇畑じゃなくて映像畑なの?
いや私も映像ちょっとやったよ。某企業の教育ビデオとかに出演した。普通のバイトより安かった。
どうも君は演劇の細部が見れてない。「俯瞰」でしか演劇を見れていない気がする。
245 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2011/10/04(火) 01:21:23.91
いや、志賀は言葉の限界は知っているよ
だから戯作的方法論を採って立体を描こうとした
思想的な深み浅みは文学より思想哲学書のテリトリーだ
演出家としての志賀を見よ。
これ君のレスだと俺は思ってるんだけど、違う?
「戯作的方法論」とか言ってるけど、これ演劇のことじゃなくてドラマやアニメのことを言ってたの?
いや俺ドラマもアニメも見るから別にいいんだけど。ドラマアニメだって脚本は戯作だろう。
むしろ俺が誤読して自分勝手に調子こいて演劇論語ってただけなんじゃないかと。
197 :
吾輩は名無しである:2011/10/05(水) 07:32:46.28
これは何のスレ?
何を話してるの?
>>196続き
つまり、「戯作的方法論」「演出家」を演劇に限ってない意味で使っているのを、俺が勝手に勘違いして、
演劇をあまり見てない人と演劇論を語っていたという「天然」だったのかな、と。
俺別にアニメもドラマも見るからさ。
最初から「アニメ・ドラマ的方法論」「映画的方法論」とか「監督」とかって言ってくれてたらわかりやすかったんだけど。
まあ「邦子」の夫は戯作家だしそういう比喩だったのかもしれないけど。
ごめん文字通りにしか読めない人で。
「映画的方法論」とかだとムーや鈴木が食いついたかもしれんが。
演劇はほら、一回性だし大道具とか実体のあるものだし、映像と比べて(日常ではない)「現実」から逃れにくいのよ。
もし演劇見ない人なら、「戯作的方法論」「演出家」はあくまで比喩で、演劇の話はしてないって言ってくれた方が。
いやいいよ。知人も演劇アレルギーみたいな人多いし。「芝居って話し方や動きが大仰じゃん」とかさ。
何より「タケエ」なんだが。学生に毛の生えた程度の奴らがやる小劇場がハリウッド映画より高いわけだし。
なのでチケット売れずじまい。お水やって客に買わせるぐらいしないとやってけなかったわ。
>>197 わからない人はスルー推奨。
>僕は強迫観念を感じるんだけどなあ。
強迫観念ってさ、君が演劇あまり見ない人だとして会話すると、演劇ってのは一回性で、ハプニングが起きたら
映像みたいに編集できないわけだ。
いわばナマだからという緊張感が、表現者側にはもちろん、観客側にもある。
実際昔の演劇など、雛壇の客席が壊れて観客がケガをした、なんて新劇系の劇団でも伝説にある。
この観客側の緊張感を逆手に利用したのが、「こけおどし」「ナイフ」「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」って
演劇の一手法だと思う。
ムーが「多分、「こけおどし」が一番健全にできる分野じゃないかなあ芝居は」と言っていたが、そういう話かと。
テレビや映画やマンガが溢れるこのご時世、演劇ならではの面白さを発見しようとするのは、当然の流れじゃないだろうか。
織田は志賀の作品を「美術工芸作品」と言っていたが、そういったものとか鑑賞する側に心の余裕があるだろ。
「一体何が起こるかわからない」という緊張感がない。
それで言うなら、演劇は爆弾解体処理みたいなもんだ。美術工芸品と言うよりびっくり箱、小包爆弾。
なので、演劇見ない人だとわからないかもなあ、とは思った。
わかったよ
おまえがつるんでいたのは青文字系のティーンだろ
グロカワ系とかの
最近はこういうのも流行ってんのか
意味不明
ベルリン国立やMETとか本場オペラもスタッフやって見たんだけどさ。
ああいうのも「こけおどし」はあるんだよ。巨大な竜とか出したりな。
アドリブも結構するんだ、ああいう伝統オペラでも。ベルリン国立は意外とおちゃらけてる。魔女役がいつもと違うメイクして
他の役者を笑わせようとしたり。
でも大道具には脚本上の意味がある。メイクのいたずらなどは初見の観客には気付かれないないようなことだ。
意味があるってのは「乗り越えられる」ってこと。
「乗り越えられる」完全な世界を作りあげようとしている。
だけど演劇だからハプニングもあるわけだ。
三大テノールの誰かが本番で急に声が出なくなったとか。
教会の装置の肝心な部分の転換が間に合わなくてマヌケな背景で上演したって事件もある。
加えてアドリブもある。
そういう緊張感は観客は最初から持って見に来ている。本場オペラでも。
そういう緊張感の上で、「心理的演出」などと言った「乗り越えられる」「意味のある」ものを作りあげるのはまあ評価できるんだよ。
だけど「美術工芸品」は違うだろ、持ち上げたら壊れる繊細なガラス細工を鑑賞するように鑑賞してはいない。
そういう鑑賞法をしていたら別にいいんだが。
文学は最終的には文字だけなんだから、この「作品世界がいつ壊れるかわからない」緊張感が希薄な芸術だとはなるだろう。
「ピストルを向けられない話し合い」。
逆に、この緊張感、ピストルを文字で表そうとしてきたのが文学者じゃないだろうか。
俺は無粋だから文学読むときはそんな鑑賞態度になれないんだろう。
もし演劇で、いつそれが壊されるかわからない緊張感の上で、君の言う「巧妙な演出技法」があれば、すごいと思うかもしれない。
実際本場オペラはすごいと思った。
前提としての緊張感がなければ、「乗り越える」価値は光らない。ゼロがなくては。
オペラを考慮すると、君の言う「ピストルを向けられながら話し合いをさせられるみたい」は悪くない比喩だ。
ピストルを向けられないまま鑑賞するのが織田が言っていた「美術工芸作品」ということだろう。
演劇は伝統のあるオペラでも「美術工芸品」にはなりえない。ピストルがあちこちにしかけられている世界しか表現できない。
そうじゃなければ物語は面白くない、というのが俺の趣味なだけ。
演劇論から離れるなら、文学は、ピストルを懐に忍ばせて書く坂口や織田みたいなのがいれば、ピストルなしで書く志賀や大江が
いるから面白いのかもな。
「邦子」なんかは、ピストルのありかを何となく暗示しながらも、邦子を死なせて「ない」ことにしたと。
志賀の頭の中のピストルをないことにするために邦子は殺された。
なんかむしろ織田の後に読まれたから「邦子」は良かったんじゃね。作品として。俺の感じ方だけどさ。
人間誰しもピストルは持ってるもんだ。君もな。「ピストル」という単語を出したのは君だろ。
俺はそれがあった方が面白いと言っているだけ。
むしろそれに対しなんらかの強迫観念を持っているのは、「ピストルを向けられながら話し合いをさせられるみたい」と感じてしまう
君の方なのではないか。
強迫神経症の「ガスちゃんと消したっけ」などというのは「世界を壊すハプニング」を執拗になくしたがることだろ。
途中まで書きながら登場人物を殺してまで書かなかった志賀も、そういった強迫観念があったのではないだろうか。
ああまあ強迫神経症も緊張感と言えばそうなのか。
ピストルなしで作られる緊張感ってわからんなあ。ピストルじゃないものもピストルだと思い込んじゃうのか。
「邦子」なら邦子の死とかがピストルになるのか。
あれは俺にとってはピストルではなく作品世界にピストルがないことにするための演出でしかなかった。
演劇とかいくら登場人物が死んでも「役者は生きてるだろ」って思われるからな。死体の演技は難しいもんだ。
知人の演出家で、舞台上で役は殺さない、そういうシーンがあっても死ぬシーンは見せない、と言う人がいた。道徳的な意味ではなく、
「舞台でやるとギャグになるから」という理由だった。「こけおどし」は好きな人だったが。
実際の死は「意味がなくなる」わけでピストルなんだが、舞台でやっても「死という演出」は「意味をなくさない」、ということか。
なので「死という演出」以外のピストルを考えるわけだ。
「死という演出」は演劇より文学の方がやりやすいのかもな。
最後、「邦子が死んで、今ではほっとした気分がないわけではない」とか書いてたらちょっと良かったかな。
作品世界にピストルがないことにするための演出だという自覚がありそうってなるから。
>基本悲劇だと思う。
そりゃ悲劇の方が感情を動員させやすいからね。三谷幸喜の脚本なんて基本的に喜劇だと思うけど。
たとえばハウルの動く城。あれを悲劇と感じる人間って少数派じゃないのかな。
娯楽媒体でも相も変わらず戦争やってて、それは時代が進んでも魔法という超科学を持ち込んでも
女の子が憧れるスーパーヒーローとその挫折、実存と引き換えに化物になる破滅的ヒロイズム、
そういったアプローチを以てしても終える事が出来ない乗り越えられない現実としての戦争。
それが恋する乙女のキス一発であっけないほど簡単に終わるデウス・エクス・マキナ。
「われわれは空を自由に飛びたいと思ってもタケコプターなんて持ってないし、英単語ひとつ叫ぶだけで手のひらから火が出たりしないけど
そんなものが無くても凄い魔法使えるんだよ」っていうgirl strikes the world.
これは喜劇でしょ。「ご都合主義的でナンセンスだ」なんて不健全だ。
>「乗り越えられない現実」を味わわせるのを止めた
本当にそういった終幕にしたいのなら不徹底だ。もしもそうさせたいのなら”私”も殺すべきだ。
大枠としてはアンナ・カレーニナと同じだね。彼女を打ちのめしたのは彼女自身だ。
「他人が自分の思い通りになる」、男は全て自身が思い描いた理想をトレースしてくれる。
そんなもの現実にはありやしないんだから、その理想を具現させたいのなら想像で。そいつの実存のうちで。
究極的には死を以て叶えてください。わからなければわからないでいいですよ。
>>194 >ボケとツッコミ
いいえ、ネタとしての漫才はツッコミも含めてプロット上必須のものです。
ですから通常、ツッコミは大仰に声張ってボケを補強する役割として舞台に存在します。
ボケ→ツッコミ→笑いでひとつのフォーマットだったものが、ボケ→笑い+ツッコミ→笑いで1個増えます。
>観客は「オチつけられなかっただけだ」となって
いや、壊れてるよ、それ。ストーリー上の蓋然性があるのなら「オチつけられなかった」とは思わないし
蓋然性が無いのなら「作品世界」は壊れてるよ。ハウルは蓋然性があるから許されるデウス・エクス・マキナだ。
>ピストルを向けられながら話し合いをさせられるみたいで。
このセリフポイントかもしれない、君という人を読むのにおいて。
それが俺の強迫観念だと君が思うのはそれでいいんだが、君自身を考えてみなよ。
これは、
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1317395244/288 >>適当にやって良いってもんじゃない。不可能性をアテにした甘えだ、そんなもんは。
>逆だよ、君は不可能性を甘く見ているから、スタッフ技術についてほとんど言及せず「意味が通じる」としている。
>「可能性をアテにした甘え」だよ。
ということにならないか?
いや、そのスレの287が189だった仮定の上の話だが。
>>206 >もしもそうさせたいのなら”私”も殺すべきだ。
なんで?
主人公は創作活動に打ち込んでいたわけだろ。「乗り越えよう」としていたわけだ。
主人公が生き残ることは「「乗り越えられない現実」を味わわせるのを止めた」ことになる。
「ハウル」はつまんなかったな。
まあ「デウス・エクス・マキナ」って要するに神の降臨なわけで、「こんな酷い目にあってるけど私は神には愛されているのよ」
って喜劇というか希望劇になるんだろうなあ。宗教劇みたいな。
この「神」は「運命」と書き換えて可。むしろその方がわかりすいだろ。
エウリピデスってニーチェが批判してたな。演劇をダメにしたのはこいつだって。
「もののけ」はまあおもしろかった。
あれこそシシ神の「デウス・エクス・マキナ」と言えるが、シシ神はラスト人を救わないだろ。アシタカは救ったが。
気まぐれな神。アシタカが救われたのたまたま、偶然でしかない。
ソポクレスなんかも主人公は気まぐれな「運命」に翻弄されて救われない。荒野に放擲されたり一人取り残される。
>ハウルは蓋然性があるから
蓋然性自体がその個人の頭の中で構築するわけだが。
必然とはすべて主観だ。つまり蓋然性を感じられるかどうかは人による。
君は「ハウル」に蓋然性を感じたのはそれはそれでよい。
ユングのシンクロニシティ、プディングの話とかそういう話だろ。
必然性、蓋然性がまったくないのに、「これは偶然じゃないのではないか、必然だったのではないか」と思う心理。
蓋然性なあ。「運命」か。
まあ「男が思う女性像」の典型ではあったと思う。ハウルは。シンデレラ症候群って奴な。
「紅の豚」とかの方が多様な女を描けてたけどなあ。
>いいえ、ネタとしての漫才はツッコミも含めてプロット上必須のものです。
まあベケットの不条理劇なんかツッコミのない漫才みたいなもんだよな。
「私は父にぶたれる」幻想か。
あ、ごめん、
>本当にそういった終幕にしたいのなら不徹底だ。
これは確かにそう。
それで徹底するなら
>>205にすべきだった、という話。
なんで「ハウル」の話になったんだろう。
後
>>191でも書いているが「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」のは喜劇にもなるよ。
>>208 >「こんな酷い目にあってるけど私は神には愛されているのよ」
「いろいろなドラマを描いて来ましたけど人間に認知出来ない神(運命)の手のひらで踊っていただけですよ」でしょ。
それは脚本の手の内で踊らされていた観客をディスる演出でもあります。
演劇に限らずあらゆる戯作、芸術表現は言葉の発生以前からあって、
舞踊、壁画、偶像の類は超越的な何物かを模倣する試みです。
一切の疑問を差し挟む余地のない完全な機能美を様式美へと再構成することが古典的芸術の役割なのだとしたら
相撲の塩撒きや空手の型の稽古、歌舞伎劇場に残される目付柱はその残り香です。
何故それが残るのかというと、「超越的な何物かをトリガーにした動機付け」と「社会的文脈の如何に問われない言語というもの」を
分離させないための仕掛け、克己ですよ。
それが分離してしまうのなら芸術をトリガーにしたミメーシスは起こらない。
結婚式を挙げずに婚姻届を出しても成立するし、相撲は相手を蹴り落としてやれば良いし、空手は勝てば良いし、演劇は台本を売れば良い。
言語によって世界を覆い尽くそうとするエゴですよ。非常に左翼的な考え方です。
>蓋然性を感じられるかどうかは人による。
そりゃあそうだよ?野球を面白いと思うやつもいれば思わない奴もいるね。
「自分には野球は楽しめないから野球はつまらないスポーツなのだ」とされたらファンから怒りを買うだろうね。
>シンデレラ症候群って奴
それは下敷きだよ。ご多分に漏れないそういう人形を使って現実に回帰させる仕組みが面白いわけで。
紅の豚のフィオなんて泣き落としでワガママ通すクソ女だとも見れるよ。
>>213 >観客をディスる演出でもあります。
最初から俺「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」って書いてるし。
>舞踊、壁画、偶像の類は超越的な何物かを模倣する試みです。
「超越的な何か」って「神」「運命」「蓋然性」だとは限らんだろ。
「偶然」だってそこにあろうよ。
>一切の疑問を差し挟む余地のない完全な機能美を様式美へと再構成することが古典的芸術の役割なのだとしたら
焼物の自然の偶然による模様とかは逸脱してることになるな。
>歌舞伎劇場に残される目付柱はその残り香です。
歌舞伎なんて昔は蝋燭と自然光でやってたんだが今は照明使ってるよな。
>「社会的文脈の如何に問われない言語というもの」
「父の名」ですなあ。
>芸術をトリガーにしたミメーシスは起こらない。
そこで「イデアのないミメーシス」ですよ。
ただ模倣があるだけ。
それはいい感じな「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」手法となるろうな。
ウォーホールとかか。チェーホフも劇中の会話を「オウム返し」と酷評されたことがある(実際そういう登場人物を書いた
ことがある、忘れたけど)。
まあ超越論とかの話になったら芸術論じゃなくなると俺は思ってるので止めとくわ。
宗教の話するかい? その方が君も話しやすいのでは。「デウス・エクス・マキナ」とか持ち出したの君だし。
ヘーゲルみたいだな。宗教と芸術を同じように語るのって。
>「自分には野球は楽しめないから野球はつまらないスポーツなのだ」とされたらファンから怒りを買うだろうね。
怒りを買ってもいいんじゃね。
正直にそう思ってるなら。
これも太宰メソッドですか?
>ご多分に漏れないそういう人形を使って現実に回帰させる仕組みが面白いわけで。
おお、そういう女を手玉に取るという意味か。
そういう態度なら面白いと思う。俺も手のひらに乗ってやらなくもない。
>紅の豚のフィオ
あ、それじゃなくて整備士の子な。脇役の。
あ、そいつがフィオか、失礼。
まあそう見えなくもないな。
「泣き落とし」もな。「落とされる」のは相手の勝手で、それが目的とは限らないわけだ。
赤ん坊が泣くのは大人に面倒みてもらうためか? 結果的にそういうシステムになってるだけだろ。
まあフィオも確かにちょっと気持ち悪いと思ったところはあるが。
「泣き落とし」と見れなくないのは同意。
>>214 >「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」って書いてるし
それ自体がテーマになっちゃったら作劇の方法論が内輪の囲い込みになっちゃうから
方法論的に考えて不自由で排他的だっつってんの。余裕のある業界なんだな。
>「偶然」だってそこにあろうよ。
それを内包するから超越的なんだよ
>偶然による模様とかは逸脱してることになる
なるね。言語に還元出来ないからね。
>今は照明使ってるよな
だから克己だと言ったね。
>「イデアのないミメーシス」
作為的にイデアを感じさせないような演出は成り立つだろうね。
もしも天然でやってるんならそいつ自身にイデアが無いんだろう。
目的の無い話はする積もり無いよ。
食事は楽しめるけど排便は楽しめないし。
>>215 怒りを買うことが目的なのだとしたらいいんでしょう。
加えて、その怒りを昇華させる責任というものも背負い込んで頂きたい思いはあるけどね。
>>217 突っ込んだら野暮だもん。
男の包容力をアテにした甘えです。
無意識にやるからタチ悪いだけで。
>>218 この会話のテーマにはしているが、手法としてそれだけを使えと言っているわけじゃない。
最初から「心理的描写」も「乗り越えられると思わせる演出」も一つの演出だと言っているだろうが。
「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」のも一つの演出にすぎない。
俺が例示した「舞台裏を開け放つ演出」は前者の演出が後者の演出の従になっている、と言ったまでだ。
君の方がこの「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」を排他しているんだろうが。
「観客をディスる演出」を。
>それを内包するから超越的なんだよ
なら偶然性も認めればよい。その一つの演出法としての「観客をディスる演出」もな。
>だから克己だと言ったね。
意味不明。
あるお能の役者が「子供の頃から能をやりたかったわけではない、ただそうなっただけ」と言っていたが。
伝統の重みは克己の理由ではない。
それは誤った伝統芸能の見方だよ。
むしろ伝統に対する受身だ。
>もしも天然でやってるんならそいつ自身にイデアが無いんだろう。
そういうのが見たいわ、俺。
>>219 >怒りを買うことが目的なのだとしたらいいんでしょう。
「正直にそう思ってるなら。」と書いているのに何故別の目的の付け加えるのやら。
>男の包容力をアテにした甘えです。
>無意識にやるからタチ悪いだけで。
じゃあそう言えばいいじゃん、ハウルのソフィーにもw
芸術じゃなくて宗教の話だよな、もう。
>「観客をディスる演出」を。
立川談志や毒蝮三太夫の芸風だよな、これw
彼らにも言ってやりなよ、「観客の包容力をアテにした甘えです。」って。
そりゃ「野暮」と言われるだろうよ。
君はそう言いながら「書いている」けどな。
>>220 >「舞台裏を開け放つ演出」は前者の演出が後者の演出の従になっている
その演出をチープだとは言った。
あまりにも現実と掛け離れた虚構空間と、観客側の生活空間を繋ぎ止めるためには
そういった仕掛けが必要になることもある。
旧来的な演劇の常識を覆すエポックでもあるんだろう。
ただ、当世的だ。劣化はする。「またかよ!」って思われたら負けだ。
それは究極的には真上にカメラ設置して楽屋裏の動きまで見せる演出、
手品師のタネを見せながら楽しませるようなもんだ。そんなもん最早芝居じゃない。
レストランで給仕との会話で何処産のワインで調理法がどうこうでお値段がこうこうです、は良い。
原価率がこんな感じで豪華に見せるためにこれこれの工夫をしてお前らを喜ばせています、なんて店に行くもんか。
>「子供の頃から能をやりたかったわけではない、ただそうなっただけ」
イデアが無いんだろ。その役者が誤って伝統芸能を継いだんじゃないか。
>そういうのが見たいわ、俺。
へー。
>>221 >「正直にそう思ってるなら。」と書いている
齟齬なく演繹すればそうなるからだよ。
>じゃあそう言えばいいじゃん、ハウルのソフィーにも
言ったよ?ハウルは落とし所を描いていて豚にはそれが無いと指摘したけど。
>>223 そうですね。
そこに蓋然性があるのならそれでいいじゃない。
>>224 >ただ、当世的だ。劣化はする。「またかよ!」って思われたら負けだ。
その通りです。
新宿梁山泊なんかは「アングラ演劇の伝統だから」と「克己」してやったんだろうなあ。
演劇はどう足掻いても「その瞬間の芸術」だから「当世」から逃れられない。
>イデアが無いんだろ。その役者が誤って伝統芸能を継いだんじゃないか。
芸術は宗教ではないからいいんじゃね。
>>226 >齟齬なく演繹すればそうなるからだよ。
君の頭の中ではな。
そいつは本当に「野球はつまらない」と思っているから言っただけかもしれない。
>ハウルは落とし所を描いていて豚にはそれが無いと指摘したけど。
え、それが「デウス・エクス・マキナ」なわけか。
ちょっとここ説明してくれ。
>>192で使っている「デウス・エクス・マキナ」じゃないの?
>原価率がこんな感じで
最近のスーパーそういうとこあるぞ。
「原価割ってます! 大サービスです!」とか。
まあ1円のかぼちゃとか原価割れてるだろうな。
>え、それが「デウス・エクス・マキナ」なわけか。
あ、ごめん、「蓋然性」って奴か、「落とし所を描いていて」ってのは。
「デウス・エクス・マキナ」じゃない、と。
>>227 >「その瞬間の芸術」だから「当世」から逃れられない。
いいや、当世でも優れてさえいれば模倣されてそれは新しい様式になる。
それを更に乗り越える方向で突き詰めれば演劇はいらなくなる。
物の価値を貨幣に変えることも超越的な何物かを文字に変えることも
複雑な工程を経て出される料理をレシピ化することも形而上学的には破滅に向かってる。
その手法は正にこのベクトルで進んでる。
>芸術は宗教ではないからいいんじゃね
いいんじゃないの。野蛮だなあと思うけど。
>言っただけかもしれない
そう捉えてもらえない可能性はありますし
わざわざ野球好きを公言している人間の前で発言したのなら
ケンカ売ってると捉えるのがごく自然だと思いますけど。
>ちょっとここ説明してくれ。
書いたままですよ。
>>206で。同じ事の繰り返しになりますし。
>>230 >当世でも優れてさえいれば模倣されてそれは新しい様式になる。
それも「当世」だ。
新しい様式とは未来(という幻想)。
>それを更に乗り越える方向で突き詰めれば演劇はいらなくなる。
ベケットだな。
こういったチェーホフやらベケットとかの流れを「演劇の解体」とある演劇評論家は述べていた。
>複雑な工程を経て出される料理をレシピ化することも形而上学的には破滅に向かってる。
破滅だから悲劇なわけだ。
>いいんじゃないの。野蛮だなあと思うけど。
そういったおっさんは野蛮な人じゃないと思うが。
>そう捉えてもらえない可能性はありますし
うん、だから「乗り越えられない現実」なのだよ。
>ケンカ売ってると捉えるのがごく自然だと思いますけど。
自然って何?
>>231 >それも「当世」だ。
当世の行き着いた先は「書を捨て街へ出よ」だ。
模倣の素材なんてそこら辺に転がってんだから。
>破滅だから悲劇
「好き好んで破滅に向かってるにも関わらず、自分がやってることに意識的でない(=天然)」
なんだから悲劇と言えるかもね。
「志村ー後ろー!後ろー!」は喜劇だけどね。
>野蛮な人
あー、自分には札束で人の面ひっぱたく輩が野蛮と思えるので。
そうね、野蛮とは普通思わないんだろうね。
>「乗り越えられない現実」なのだよ。
「どうせ乗り越えられない」とする諦観を共有したいという甘えだよ。
>自然って何?
蓋然性?
>そういったおっさんは野蛮な人じゃないと思うが。
でも、名前忘れたけど外国の前衛バレエみたいなのとワークショップしてたりした人だから、
そういう意味では「型破り」な人だったのかもなあ。
講義で述べられてただけだから知らない。
うろ覚えではある。
>>232 >当世の行き着いた先は「書を捨て街へ出よ」だ。
だねえ。
>「好き好んで破滅に向かってるにも関わらず、自分がやってることに意識的でない(=天然)」
俺「天然」らしいけど、意識的じゃないの?
「破滅」とは言ってないけど。
>あー、自分には札束で人の面ひっぱたく輩が野蛮と思えるので。
誰の話?
能役者とか貧乏なもんだぜ、観世本家ですら。
>「どうせ乗り越えられない」とする諦観を共有したいという甘えだよ。
「乗り越えたい」ということが「意味の共有」なんだから、「共有したい」が「甘え」なら君も「甘え」だろ。
>蓋然性?
君の頭の中の蓋然性なわけな。
どういう「蓋然」か説明してくれないか。
「わざわざ野球好きを公言している人間の前で発言したのならケンカ売ってると捉える」ことの。
むしろ単純に考えて「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」は「お前ら甘えくんな」だろうよ。
「破滅」とは言ってないが、近い意味なら「アポトーシス」とは言ってるな、俺、
>>183で。
>>132は俺じゃないけど。
>>233 実際にどうなのかは知らんよ
俺の目から見て、先にあるものは破滅であるにもかかわらず
そこが破滅だと意識していないように見えるから天然と評したけど。
>能役者とか貧乏なもんだぜ
だろうね。世襲の伝統芸能の演じ手として俺は海老蔵を意識したけど。
別に金銭的に恵まれてるとかって話はしてないですし。
>>230で書いたまんまですよね。
>君も「甘え」だろ
波羅蜜と同じだよ。そうせざるを得ないからそうしているだけで。
「食事をすること」が甘えだとは思わん。
俺にはガソリンを飲んでもエネルギーに変換出来ないから絵で伝えるのは無理だし
点滴では費用対効果が悪いから1人に見せるために制作費100億の映画は撮らない。
「一人で食事はしたくない」は甘えだと思う。
相手の善意を引き出すためのピストルを使った脅迫だよ。
>どういう「蓋然」か説明してくれないか
「わざわざ野球好きを公言している人間の前で
「野球はつまらない」と発言したのならケンカ売ってると捉えるのが普通」
まんまじゃん。説明が必要と思えない。
>>236 >そこが破滅だと意識していないように見えるから天然と評したけど。
ああそうなんだ。じゃあ俺は天然じゃないな。
>俺は海老蔵を意識したけど。
歌舞伎は金持ち。
>
>>230で書いたまんまですよね。
何が? 「子供の頃から能をやりたかったわけではない、ただそうなっただけ」って言ったのが、「金銭的ではない」「野蛮な」
「自分には札束で人の面ひっぱたく輩」こと?
よくわからん、説明してくれ。
君が説明する必要もないと思うならいいや。
>「食事をすること」が甘えだとは思わん。
君は自分の「乗り越えようとしてやっている」「意味を通じさせようとしてやっている」ことが「甘え」だとは思わない、と
言っているわけだな。とすると、
>「一人で食事はしたくない」は甘えだと思う。
と矛盾しないか?
「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」とはむしろ「一人で食事させてくれ」なわけだ。
むしろ君の方が「一人で食事はしたくない」と言っているんじゃないのか。
「イデア」とか言っているのは。
また、君は「乗り越える」「意味を共有しようとすること」を「食事をすること」という本能に喩えているわけだな。
アポトーシスも本能なんだが。なので正確には「食事したくない」と言っていることになる。
人間年柄年中飯食ってるわけでもなかろう。満腹な時にラーメン出されたら「もういらねえ」と言うだろう。
>まんまじゃん。説明が必要と思えない。
ならいいや。俺はわからないってだけで。
俺もサッカーとか観戦しに行ったりするんだが、目の前で「サッカーってつまんねえ」と言われてもあんまりどうとも。
つまんない試合もあるし。
「サッカーが好きなお前なんてこの世からいなくなれ」とかなら「ケンカ売られた」とは思う。
>「子供の頃から能をやりたかったわけではない、ただそうなっただけ」って言ったのが、「金銭的ではない」「野蛮な」
>「自分には札束で人の面ひっぱたく輩」こと?
これがよくわからん、能の世襲制の家に生まれたことを「札束」と言っているわけ?
>>237 >じゃあ俺は天然じゃないな。
へー、そうなの。まあテストで0点取っても「俺は賢い」って言い張る輩もいるだろうね。
これケンカ売ってる事にはならないらしいから言うんだけど。
>君が説明する必要もないと思う
正確に言えば「説明してもわからんだろうな」と思うからいいや。
>矛盾しないか?
に見えると思うよ。それが上の「説明してもわからんだろうな」と思う根拠なんだけど。
「人間は食事をしないと生きていけない」って言われても「お前に言われるまでもねえ」って思うよ。
実際に食事が行われるかどうかはその発言の意図と関係無いところで行われるね。
そいつがシニシズムに侵されながらメシ食おうが単なるエネルギーの補給と思おうが
食った量が同じでエネルギーに変換するシステムの効率が変わらないのなら、何を思いながら食おうが同じだし。
意図される反論として「楽しく食えば変換効率が上がる→それゆえに一人で食いたくない」と提示するなら
それは取りも直さず功利的であるし、ミメーシスは起こらないから「甘え」ではなかろうね。
>ならいいや。俺はわからないってだけで。
そうあってくれれば冒頭の暴言は看過してくれるよね。よかった。
>>238 いいえ?
伝統芸能に付きものな様式美がどのような研鑽課程を辿ったかに思いを張り巡らせずにただ機能的に模倣する輩は、
物の価値を貨幣価値へと換算する輩と同じ心性をしていると思うということだね。
>>239 >これケンカ売ってる事にはならないらしいから言うんだけど。
うん、ケンカ売られてるというより意味がわからん。
>正確に言えば「説明してもわからんだろうな」と思うからいいや。
「乗り越えられない現実」ですなあ。
>「楽しく食えば変換効率が上がる→それゆえに一人で食いたくない」と提示するなら
「一人じゃなければ楽しい」という理屈が陰に隠れてるな。
>そうあってくれれば冒頭の暴言は看過してくれるよね。よかった。
暴言と言われたら「ケンカ売ってるんだこの人」とは考える。
>>240 ああなるほどなあ。
ちなみにその人の言ったことは「伝統に特別な価値は無い」というような意味だと俺は受け取っていた。
貨幣価値に換算しようが、貨幣に価値があるとするのも、物に価値があると思うのも同じじゃね。
もちろん君が伝統に価値があると思うのは自由だが。
歌舞伎は違うかもしれないが、能はそういうところあるんだよな。
「無心」って奴?
「波羅蜜」とか言ってるがあれだ君、龍樹とか読むとよいかもしれない。
俺もさっぱりわからんが。
>>241 >意味がわからん
なら良かった。通じてくれない事が意図なんだからその反応は有難い。
>「乗り越えられない現実」ですなあ。
ですね。どちらが悪いというわけでもない筈です。そういうものだから。
ですから志賀直哉が駄作だとする帰責は成り立ちませんわな。
>「一人じゃなければ楽しい」という理屈が陰に隠れてるな。
そんな理屈とは関係ないところで食事が成立するというだけです。オッカムの剃刀で削っただけ。
>暴言と言われたら「ケンカ売ってるんだこの人」とは考える。
やっぱ野蛮だよ。
選手宣誓が無ければスポーツマンシップに則って戦わない事を直ちに意味することになるから。
>>242 >伝統に価値があると思うのは自由
これ目的じゃないからね。
どうにも自由が最終的結論になれば非が出ないみたいな事思ってるようだけど。
映画館で上映中にギャンギャン騒ぐことも自由だけど、
それを謳歌出来る奴は文明人とは思えんよ。
>選手宣誓が無ければスポーツマンシップに則って戦わない事を直ちに意味することになるから。
これ、「選手宣誓」は「暴言と言われたら」って意味だよな。
「選手宣誓」がなければ「意味がわからない」と俺は書いた。
それが「スポーツマンシップに則って戦わない事」になるわけか。
「スポーツマンシップ」とは宣誓しなくてもそうするべきなものだ、と言いたいわけか、君は。
ああ俺確かにサッカーとかラフプレイがあった方が面白いって思うわ。
>>244 >つまらんと書いただけ。
いいえ、心理的演出が無いと断じてますが実際にはあるんだもん。
>削ったのは君自身だけどな。
勝手に入れたのが君だからな。
>意味がわからない。
「暴言だ」と発言されなければ暴言に映らないのだとすれば
スポーツマンシップに則ると発言されなければスポーツマンシップに則らない事を直ちに意味するのでしょう。
そのまんまですよ
>>246 >どうにも自由が最終的結論になれば非が出ないみたいな事思ってるようだけど。
そうなの? どこからそう思った?
>映画館で上映中にギャンギャン騒ぐことも自由だけど、
>それを謳歌出来る奴は文明人とは思えんよ。
君の「文明人」のイメージってそうなんだ。
>>247 >サッカーとかラフプレイがあった方が面白いって思うわ
成り立たないねえ。それがゲーム性の一貫であるから成り立つ論理であって
君の言うのは将棋のコマは汚く並べてる方が劇的で面白いってぐらい
本論と関係の無い話だよ。
>>249 伝統は須らく打破されるべきものだという姿勢。
>「文明人」のイメージってそうなんだ
文化的態度でない人物の行動を一例挙げただけだよ。
どうしてそんな風に読めるのか疑問だけど。
>>248 >いいえ、心理的演出が無いと断じてますが実際にはあるんだもん。
俺そんなこと書いてないが。どこに書いてる?
俺は君の言う「心理的演出」がつまらなかった、とは書いた。演劇やってるとそういうのがバカらしくなる、と。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1317395244/253 >勝手に入れたのが君だからな。
入ってないのなら、なぜ「楽しく食えば変換効率が上がる→それゆえに一人で食いたくない」となるの?
>スポーツマンシップに則ると発言されなければスポーツマンシップに則らない事を直ちに意味するのでしょう。
発言されなくても則れないものじゃねえの。ラフプレイとかどうしてもしちゃうものだ。
>>250 >それがゲーム性の一貫であるから成り立つ論理であって
この論理を証明してみせてくれ。
>>251 >伝統は須らく打破されるべきものだという姿勢。
どこを見てそう思った?
俺伝統芸能嫌いじゃないんだけどなあ。
>>220 >あるお能の役者が「子供の頃から能をやりたかったわけではない、ただそうなっただけ」と言っていたが。
>伝統の重みは克己の理由ではない。
>それは誤った伝統芸能の見方だよ。
>むしろ伝統に対する受身だ。
とは思っている。
「伝統」に「克己」のネタにしたり「価値」を見出したりするのは誤りだとは書いた。
>>254 まあ心境小説なわけですし。
「登場人物皆志賀」とも書いたが、この作品はまさにそういう感じだとは思った。
>>250 >将棋のコマは汚く並べてる方が劇的で面白いってぐらい
人によるんじゃね。
「おもちゃ箱を引っくり返したような」とか褒め言葉で言う場合があるだろ。
>>252 >なぜ「楽しく食えば変換効率が上がる→それゆえに一人で食いたくない」となるの?
勝手に入った娯楽性を読み解くために功利的に還元したから。
それ以外の可能性があるのなら提示してくれれば乗っかるけど。
>ラフプレイとかどうしてもしちゃうものだ。
そりゃあそうだよ。今からラフプレーするぞなんて宣言してラフプレーなんかやらないもん。
靴の裏見せてスライディングすればいちいち反則だって言われなくてもラフプレーだよ、それは。
>>255 >どこを見てそう思った?
流れだから何ともねえ。
個々に書き記した事からの類推の結果ですよ。
>「価値」を見出したりするのは誤り
それってつまり伝統には価値が無いって事ですよね。
ああ、より正確に言えば「伝統としての様式に実存としての自分が感じとれない意義」は切り捨てるべきであると。
>>257 >勝手に入った娯楽性を読み解くため
俺どこで「娯楽性」を入れた?
「楽しく食えば」と書いたのは君だ。
>今からラフプレーするぞなんて宣言してラフプレーなんかやらないもん。
うむ。
君の「冒頭の暴言は」という言葉は「今からラフプレーするぞ」ということなわけだ。
>>256 >「おもちゃ箱を引っくり返したような」とか褒め言葉で言う場合がある
あるわなあ。
汚く並べても将棋の面白さは変わらないし
むしろうるさくなるからわらっちゃってって感じですわな。
>>259 違った、「これはラフプレーです」か。
>それってつまり伝統には価値が無いって事ですよね。
伝統に限らず、物自体に価値は無い。
価値とは人間の脳内で生成するものだ、と思っている。
>「伝統としての様式に実存としての自分が感じとれない意義」は切り捨てるべきであると。
そうなの?
もうちょっと説明して。
説明したくないならいいけど。
>「伝統としての様式に実存としての自分が感じとれない意義」は切り捨てるべきであると。
俺がそう言っている、という意味なら、俺の文章のどこがどれに相当するか説明してくれないか。
>>247みたいに。
したくないならいいや。
>>259 >「乗り越えたい」ということが「意味の共有」なんだから、「共有したい」が「甘え」なら君も「甘え」だろ
そもそもがここだもん。
自分に貼られた「甘え」のレッテルを剥がす事、齟齬を明らかにすることが目的であって
別に共有は意識していないんだから。
立場を明らかにするための言葉を食事にたとえて
意識を共有するための言葉を孤食に喩えました。
>「一人じゃなければ楽しい」という理屈
ここを娯楽性と判断しました。これで良いでしょうか。
>君の「冒頭の暴言は」という言葉は「今からラフプレーするぞ」ということなわけだ。
そっすね。
「わざわざ野球好きを公言している人間の前で
「野球はつまらない」と発言したのならケンカ売ってると捉えるのが普通」
ケンカ売ってると考えるのが普通でしょ。
わざわざ意識の違いを露呈させて野球そのものをディスってるんだから。
>>263 >自分に貼られた「甘え」のレッテルを剥がす事、齟齬を明らかにすることが目的であって
>別に共有は意識していないんだから。
「甘え」と言われるのがいやなの?
そもそもここでの「乗り越える」とはどういうことだと君は考えているの?
>「わざわざ野球好きを公言している人間の前で
>「野球はつまらない」と発言したのならケンカ売ってると捉えるのが普通」
俺はそう捉えてなかったから君は「ラフプレーしてるぞ」と言ったわけか。
>ケンカ売ってると考えるのが普通でしょ。
じゃあ俺は君の頭の中の「普通」じゃないんじゃね。
>>261 >物自体に価値は無い
そんな人間にミメーシス起こんないよ。
誕生日プレゼントに1万円貰うのが嬉しいってぐらいドライだ。
>>262 根本的には
>>254が全てじゃないのかな。
自分には感じられない。→ゆえにその作品は狭窄である。
という論理展開。
狭窄なのは自分自身の感受性の問題だし
それを捉え切れない齟齬はそれこそ「乗り越えられない現実」としての
あらゆる芸術表現に向けられるべきだし、作品に対して向けるのは一意的な物の見方だと思うねえ。
俺は「乗り越えられる」とは、この場合表現者と受け手の間の「意味を共有すること」と考えていたんだが、
違うなら「乗り越えられる」とはどういうことか説明してくれ。
>>265 >狭窄なのは自分自身の感受性の問題だし
俺は別にその可能性を否定してないが。
「作品の責任だ」と俺が言っているということにしたのは君だよ。
もしそう指摘するなら俺の読み方がどう狭窄なのか説明するべきじゃないか。
俺はその作品がどう狭窄なのか説明した。「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」演出がない、とな。
別に志賀作品が狭窄でもいいだろ。人間皆キャパがある。俺にもな。
>>264 >「甘え」と言われるのがいやなの?
実際にそうではないからねえ。
>「乗り越える」とはどういうことだと君は考えているの
伝達手段の限界を痛烈に意識した上でそれでも尚伝えようとすることなんでしょ?
暗闇で火を灯して自分の位置を伝えることは甘えではないと思うけど
「どうせ暗闇なんだから火を消せ」と叫ぶことは甘えだと思うよ。
>じゃあ俺は君の頭の中の「普通」じゃないんじゃね。
うん、少しビックリ。こうまで人間って齟齬あるんだなあと再確認。
まあ立ち位置は変わんないけど。
今後も”「わざわざ野球好きを公言している人間の前で「野球はつまらない」と発言”なんてしない。
>>267 明確に否定しているよ。
>狭窄な作品だと俺には感じられた。
ほら、「俺は狭窄」ですとも「文学というものは狭窄です」とも言ってない。
邦子という作品が狭窄であると読む以外どう読むのよ。
>>268 >もしそう指摘するなら俺の読み方がどう狭窄なのか説明するべき
もしも俺にその能力があれば作家になって一世風靡してるよ。
トルストイがアンナ・カレーニナ書いた後に「伝えたかった事はなんですか」と問われて
「それに答えるためにはもう一度同じ小説を書かないといけない」と言ったように。
俺に神話を創作する能力は無いよ。
>>269 >暗闇で火を灯して自分の位置を伝えることは甘えではないと思うけど
「自分の位置を伝える」って「意味の共有」じゃね。
違うなら違うだろうけど。
自分が暖まるために付けてたりしたら違うだろうな。
>今後も”「わざわざ野球好きを公言している人間の前で「野球はつまらない」と発言”なんてしない。
うん、別に君がそうするのはそれでいい。
俺はそうするとは限らないってだけで。
>>271 「あくまで俺個人の感想だが」という意味で「俺には」と書いたつもりだけど。
他のレスでも「俺は」「俺には」と書いているつもりだ。
過去ログ読み返してみたが、確かに言葉足らずかもしれず、それが伝わってなさそうなのは、
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1317395244/283 で
>「作家のせいです」とは言ってないが。志賀の「楽しませようとする演出」が俺には通じなかっただけ。
>俺のせいでもあろうよ。
と認めている。
そして君がそう見えるのはそれでいい、と。
もしこのレスの相手が君じゃなくても、俺がそう認めているのは同じだろう。
>>272 「作家になって一世風靡」とは関係なくね。ただの会話だろ。
そういう説明ができなくて一世風靡した作家もいるだろう。
>>273 >「自分の位置を伝える」って「意味の共有」じゃね。
こっち来いって呼び掛けたら共有だろうけど別に俺が動員掛けたわけじゃないしねえ。
下の例で出した叫びは動員掛けてるけどその違いを汲み取るぐらいはして欲しいな。
いや、もう解ったんだよ。たぶん字面しか読めんのでしょ?
そこにミメーシス起こらない人間だって見限っちゃったから。
その諦観も文字に起こさないと君は読めないんでしょ?
そりゃやってらんないよ。1000km先にたとえ蜃気楼だとしてもゴールが見えるなら走り続ける気概はあるけど
歩幅は1ミリだって言われたら伝達の現実的な意味での不可能性に打ちのめされるよ。
>志賀の「楽しませようとする演出」が俺には通じなかっただけ。
訂正が不十分だな。
俺がそれを読めば「志賀を全て読み切った上でつまらないと判断した」と読むから。
読める部分だけ読んでつまらないという評価なら最初3行だけ読んで評価してるのと変わらない。
志賀の書こうとした事を充分に読めてない読み手の読解力に帰責される芸術表現を認めていないのだから。
「わからない→つまらない」で、責任感じちゃいないんだから。
>そういう説明ができなくて一世風靡した作家もいるだろう
いるんだろうね。ご期待に添えず残念なことだね。
>>274 >下の例で出した叫びは動員掛けてるけど
どの例?
>その違いを汲み取るぐらいはして欲しいな。
それが君の頭の中のことを汲み取れという「甘え」なのではないかい?
>俺がそれを読めば「志賀を全て読み切った上でつまらないと判断した」と読むから。
そうか、そうではない。
まあ「邦子」以外にもいくつかは読んでいる。
>志賀の書こうとした事を充分に読めてない読み手の読解力に帰責される芸術表現を認めていないのだから。
「読み手のせい」にしているわけ?
>「わからない→つまらない」で、責任感じちゃいないんだから。
俺は「わからない」が面白い、って書いてるけど。
俺の話じゃないのか。
>「どうせ暗闇なんだから火を消せ」と叫ぶことは甘えだと思うよ。
ああこれか。
俺はそんなこと言ったつもりはないので何の話かと思った。
君は誰と話しているのかわからない。
「書かれていないことを読み取れ」と言っているが、俺が書いてもいないことを付け足して俺ではない誰かと会話しているみたいだ。
>1000km先にたとえ蜃気楼だとしてもゴールが見えるなら走り続ける気概はあるけど
なんで走らなきゃなんないの?
>こっち来いって呼び掛けたら共有だろうけど
「こっち来い」という意味の共有ではないが、「自分の位置を伝える」という意味を誰かと共有したがってるんじゃないのか?
これが「意味の共有ではない」とするのが君の「甘え」だと思えるんだが。
>そこにミメーシス起こらない人間だって見限っちゃったから。
「ミメーシス」ってどういう意味で使ってる?
ああそうそう、「見限ってる」ならレス書かなくてもいいよ。
俺は君の言っていることがわからないから考えてるだけだから。
「暗闇で火を灯して自分の位置を伝えること」って何の言い換えかというと
「乗り越えられない現実を乗り越えようとすること」=「伝達手段の限界を痛烈に意識した上でそれでも尚伝えようとすること」
なわけだろ。
俺は「じゃあ暗闇が前提になきゃいけないよね」って言ってるわけだ。
それが「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」演出となる。
この演出が志賀作品に乏しいのは君も認めるな?
志賀は「伝達手段の限界を痛烈に意識した上でそれでも尚伝えようと」していた、と言われても、それを証明するのは
作品しかないだろ。
とはいえ、作品に書かれていないことに妄想を膨らませるのも芸術作品の楽しみ方の一つだ。
しかしその妄想はあくまで作品に書かれていない読み手の妄想である。
だけど俺は志賀の文章はそう読めないんだよな。思わせぶりじゃないだろ。ちなみにこういった文体は好きな方だ。
だが、思わせぶりじゃない硬質な文体で、暗闇が、
>>109の「衝動」が感じられないから、つまらない。
もちろんそれは俺の認知の問題もあるだろう。
俺の読み方は「テクストクリティークと印象批評ごちゃまぜ」と言われたが、「テクストクリティーク」で読めるが、「衝動」は
感じられなかった、ということだ。
これでいいかな?
>読み手の読解力に帰責される芸術表現を認めていないのだから。
君の話を聞いていると、それは「読解力」ではなく「想像力」じゃないだろうか。
君は俺の書いていないことを想像して俺の文章を読んでいる。
しかしその想像はあくまで君個人の想像にすぎない。
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/ ⌒ ⌒ \ 何言ってんだこいつ
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「暗闇で火を灯して自分の位置を伝えること」という文学表現が面白いので、(俺にとっての)お能とかどうなるかな、と考えた。
お能も、まあすべての芸術表現が、表現であるゆえ、「火」ではあるだろう。
しかしお能の「火」は、自然発火だ。
いわば「鬼火」だ。お能の幽玄さとは。
「自分の位置を伝えるため」という人為無しにある「火」。プラズマ現象。コロナ放電。
それゆえそれは儚いものだ。「自分の位置を伝えるため」「火を灯す」人間が灯す火などより。ちょっとした環境の変化で消える。
それを守るための「伝統」。かがり火台のようなもの。
「鬼火」たろうとする人間がかがり火台を守るのはいい。
しかしそうではない人間が、かがり火台に自分勝手に価値を見出していると、「鬼火」は見えてこない。
>すれ違ってこそ人間だ。
あったりまえだろ。
そのすれ違いに因果を結んで結婚生活を破綻に追い込むとまともに生活が成り立たないから
その連鎖を食い止めるための先人の創意工夫が神への誓いであると言ってるんだ。
意識のすれ違いが起こるたびに結婚離婚再婚の輪を回していずれ貰い手が無くなって独居老人の孤独死だ。
それを不幸だと先人は思ったんだよ。別にお前はそう思わないんだろ?功利的な現世主義者だから。
徹底的に自由と実存を突き詰めても世界の全てが覆える事は無いと絶望しないとわけわからん筈だよ。
お前にゃまだ見えんよ。歴史の起点が自分だからだ。
>その連鎖を食い止めるための先人の創意工夫が神への誓いであると言ってるんだ。
また大層な「太宰メソッド」だな。
>いずれ貰い手が無くなって独居老人の孤独死だ。
そいつが幸せならいいんじゃね。
>それを不幸だと先人は思ったんだよ。
それが傲慢だと思わないのかね。
>お前にゃまだ見えんよ。
そりゃ見えないよ、君個人の妄想なんだから。
宗教って太宰メソッドを極めて有効化するよな
大文字の他者病の症状なのかもな、宗教って
>>286 ふと思ったが、君キリスト教者だとしたら、プロテスタントじゃないか?
>>286 で、そのレスの、「神から賜るアガペー」などというのはそいつ個人の被愛妄想だ、というのは理解できた?
「独居老人の孤独死」が「不幸」だと思うのは、「孤独じゃないことが不幸ではない」が前提にないと成立しないわけだろ。
それが被愛妄想、「甘え」なんじゃないのか?
君自身の「甘え」を「独居老人」に擦り付けているだけじゃないのか。
志賀や神など関係なく、君個人の。
理解できた?っていうかそのレッテルこそ妄想だよ。「甘え」は無いんだもん。
「そうあって欲しいというエゴ」は祈りの段階で消えてるよ?
これは無限って概念に対する自発的な従属なんだから。
永遠の命が欲しいという人間がその実現を神に対して願うならそれは「甘え」だよ?
永遠の命を求めるエゴを差し出す事で思考は初めて依存から放たれてフリーになるんだよ。
これ梵我一如の悟りに近いもんだけど。
>前提にないと成立しないわけだろ
対偶取れてないよ、それ。「不幸でないなら孤独じゃない」は導けるけど。
>>292 >対偶取れてないよ、それ。「不幸でないなら孤独じゃない」は導けるけど。
ああそうだね。そう読み替えて。
「神のアガペーへの依存」は依存じゃないのか。君の頭では。
カトリックなどでのアガペーって「無償の愛」なんだけど、プロテスタントとか「代償として確かなアガペーを賜る。」って風に
意味が微妙に違ってると思うんだよな。
あとさー、「功利主義者」なんだけど、利ってのは価値って価値観(イミフ)がないと生じないわけだろ。
価値の差分を得ることが利なわけだから。
俺は
>>261 >>それってつまり伝統には価値が無いって事ですよね。
>伝統に限らず、物自体に価値は無い。
>価値とは人間の脳内で生成するものだ、と思っている。
と考えているんだけど。
一応言っておくと心理学における「依存関係」とは依存相手が実体を伴っていなくても(例えば故人であっても)成立する。
>>293 >依存って心理学的な意味でしか考えられないんだけど、そう考えていいか
差し当って良いんじゃないかな。エゴに依拠しない思考という意味で言ってるから。
それが出来るのってラスコーリニコフの言う「心が青銅で出来た人間」だと思うし
完全にそれを体現出来るなら白痴と見分けがつかないと思うよ。
>>294 読み替えたけど何か問題ある?
というかもしも背理法をやるつもりなら不幸と孤独の定義が曖昧過ぎて成立しないと思うよ。
>>298 そっすね。めぞん一刻とかそのものズバリっすね。
プロテスタントも
>>296はわかってると思うんだがなあ。
君はキリスト教の人なの?
いや別に無宗教でもアガペーを論じても構わないと思うけど。
俺も無宗教だし。
キリスト教のアガペーも根本で矛盾してるんだけどな。
ヤハウェってのは嫉妬深い神。自分以外の神を信仰してる奴をぶっ殺させた。黄金の牛だな。
つまり「自分だけを愛せよ、さすれば我も愛さん」なわけで、無償じゃないだろ、って言う。
>>297 うん、だから伝統ってものに価値を認めず「いま、たしかにある、ここ」という刹那に価値があるわけでしょ
2秒前より1秒前、1秒前よりこの瞬間、その差があなたにとっての”利”なんでしょ。
でそういった原罪を請け負ったのがキリストだ、ってことらしく、まあ黄金の牛は旧約だからそうなるんだろうけど
じゃあ原罪って人間にあるものじゃなく神にあったものじゃん、ってなる。
>>304 あー、この瞬間に価値はあるのかなあ。
この瞬間と過去や未来は別物だ。差異はある。
だけどそれは価値の差ではない。
価値の差ではない差ってあるだろ。
例えば水分子と炭素分子としてのダイアモンドは、物質として原子構造という差異がある。
そしてそれは価値の差ではない。
水分子や炭素分子がそれぞれの価値を持っているわけではない。
人間が価値を勝手に決めているだけ。
価値という観念が生じる原因が「依存」だと思うんだがな。
ところで、宗教の話止めた方がいい?
君って、「戯作的方法論」とか言ってるわりには演劇の話もしないで、「神様」と言っているわりには神様の話もしない。
「戯作的方法論」「神様」も単なる「太宰メソッド」なんじゃないの?
>だから伝統ってものに価値を認めず「いま、たしかにある、ここ」という刹那に価値があるわけでしょ
と書いているが、伝統に価値を認めてないのはそうだが、この瞬間に価値があるとも思ってない。
それらは別物だ、ってだけ。
差異を認めること=価値の差を認めることではない、というのは
>>157の
「因果世界と価値世界の二元論」ってことだと思うけどな。
結局この二元論って機能主義と構造主義に相似するとは思うけどな。
しかしそれらを二元論化したのはヴェーバー評価すべきだな。
構造機能主義とか「臭い物に蓋」にしかすぎん。
「因果世界と価値世界の二元論」って言葉の方が空観やお能に近いと思うわ。
その二元論からこぼれ落ちているのが「空」であり、それは無ではない。
「無碍にしないで」の「無碍」だな。
「無碍である」とするのが華厳やお能。
個人主義なくせに大乗かよ、ってツッコミはあれだ、今悩み中
>>299で言うなら、「心が青銅で出来た人間」や「白痴」にはなりたくない=俺を無碍にするな、ってことだな。
>>299が「「心が青銅で出来た人間」や「白痴」にはなりたくない」と言っている、って意味ではなく。
表現を借りただけ。
317 :
吾輩は名無しである:2011/10/08(土) 07:01:47.12
>俺とやりあってるキリスト教っぽい人は純な愚鈍な人だと思う。
いや、だからその更に向こうに愚鈍(と区別の付かない何か)がまたあってだな
どこだったかな・・・これか。
>「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」演出
お前は戯作にはこれが必要不可欠だって立場なんだろ?
俺は「それはお前に言われるまでもねえ」って立場なんだよ。
というよりもそれを物語上の軸に据えた作劇ってのは基本的に危ういんだよ。
でもこの話をするとさあ・・・好き嫌いの軸で話するのと区別つかねえんだよなあ・・・。
そればかりになれば「破滅」するという君の意見には同意するが、
それが一切なくなっても芸術は「破滅」すると思うよ。
お能もその「伝統」だけしか評価されなくなったならお能は終わってる。
しょせん「迂回」でしかないんだよ。
右に行くも破滅、左に行くも破滅。
かたっぽの破滅だけを避けていたら、左の破滅にたどり着く。
右の破滅だけを避けてたら、左の破滅にたどり着く、でした。
芸術という媒体を使う以上は一切なくなる事は無いから杞憂です
書道が筆の動きで出来上がった芸術だなんて言われなくてもわかるでしょ
写真になったら味もヘッタクレも無い。それは川端康成でしょ
右の破滅ってのは半紙破ることですよ。左の破滅ってのはコピー機に掛けることですよ。
君が志賀を見て判で押したように同じふうに見えるってのは様式を再構成するからですよ
コピー機はお前なんだ。志賀じゃない。
でも志賀もう死んでるからなあ
コピー以外にすることはない
>芸術という媒体を使う以上は一切なくなる事は無いから杞憂です
その通り。
だから君の
「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」演出は破滅に向かう、というのも杞憂。
もちろん
>>322も自分が志賀のコピー機なのは自覚してるわけでしょ。
ああ、「イデアのあるミメーシス」なのか、君のは。
イデアや神って概念は太宰メソッドを特別な何かにしてしまうよな。
>それゆえそれは儚いものだ。「自分の位置を伝えるため」「火を灯す」人間が灯す火などより。ちょっとした環境の変化で消える。
>それを守るための「伝統」。かがり火台のようなもの。
>「鬼火」たろうとする人間がかがり火台を守るのはいい。
>しかしそうではない人間が、かがり火台に自分勝手に価値を見出していると、「鬼火」は見えてこない。
で言うなら、君はかがり火台という伝統の向こうに、イデアを見ているわけだな。
それは理法界だ。
お能が表現しようとしているのは無碍法界。
>「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」演出は破滅に向かう
そんな事言ってないよ。
”「乗り越えられない現実をわざと悪意的に観客にさらけ出す」演出”を必要不可欠と見做すことは破滅に向かう
とは言ってるけど。
>>325 コピー機?
白いカラス見っけたから白いって言ってるだけで
別に黒いとはもともと思ってないんだからコピーしてないでしょ
太宰メソッドって人間の認知出来る範囲から逸脱するとわがままと区別がつかないって事でしょ
地動説産まれねえよ
>>327 >君はかがり火台という伝統の向こうに、イデアを見ているわけだな。
そんな大層な話じゃなくて、
電子レンジに入れたものが温まるのは別にお前がスイッチ押したからじゃねえし
南無阿弥陀仏で救われるのは別にお前がお経を唱えたからでもないし
遠足の当日に雨が降るのは別にお前がてるてる坊主を吊るさなかったせいでもない。
その例で言う伝統ってのは「位置を伝えるために火を灯す行為」そのものが伝統だ。
そりゃ目の見えない奴には伝わらんだろうね。
別に他の方法で伝えても良いんだろうけど、俺こういう場ので言葉以外の伝達手段は持ってないし。
>>328 じゃあそれでいいよ。
それでも「芸術という媒体を使う以上は一切なくなる事は無い」けど。
お能は「鬼火」だから。
>>329 >白いカラス見っけたから白いって言ってるだけで
それコピーなんじゃないの。俺はコピー機でいいよ。「イデアのないミメーシス」ってそういうもんだから。
そのカラスを白く見えるのも黒く見えるのも人によるだろうなあ。
パンダだったら白い部分だけを見てたら「白いパンダ」だし黒い部分だけを見てたら「黒いパンダ」だ。
そのカラスが白いのははたして君のせいだろうか、カラスのせいだろうか。
>>330 地動説も天動説もどっちでもいいんじゃね。
地動説という考え方と天動説という考え方には差異はある。しかしそこに価値の差はない。
事法界=価値世界ってことか。
つか地動説が叩かれた原因が太宰メソッドなんじゃないのけ?
「みんなが天動説だと言ってるから」
>>331 >電子レンジに入れたものが温まるのは別にお前がスイッチ押したからじゃねえし
>南無阿弥陀仏で救われるのは別にお前がお経を唱えたからでもないし
>遠足の当日に雨が降るのは別にお前がてるてる坊主を吊るさなかったせいでもない。
その通りだ。先の能役者も「自分がなりたくて能役者になったわけではない」。
>その例で言う伝統ってのは「位置を伝えるために火を灯す行為」そのものが伝統だ。
だから君にとっての「伝統」とは価値のあるものとなるわけか。
ところで、「位置を伝える」のは表現者の方だろ。今回は志賀だ。
君は志賀の「位置を伝えるために火を灯す行為」をそうとして受け取ったのかい?
お能が鬼火ってのはよくわかんないけど作劇の方法が窮屈になるよね。
作者とタイトルを冒頭に記載することが悪意ある演出と見做されないのなら
それを物語上に取り込む事を演出としているのだろうから悪意ある演出を意味もなく突っ込むのならうるさいだけだし
それを物語に取り込んで作劇するならそれは窮屈ですね。
そんなん色盲症じゃないの。
いるわけねーって思ってても疑いようも無く白いカラスが目の前に現れたんなら仕方ないじゃん
まずそこから認めないと始まらねーもん。
表象した瞬間から二項対立にハマるから価値に差が無いと見えるんじゃないの。
宝くじは当たるか当たらないか確率1/2って具合に。
太宰メソッドに入れ込むと区別が付かないからじゃないのかな。
皮肉な事にそれ適用すると面白可笑しく見えることも含めて。
そうだね。イデアに感染せずに伝統を様式として捉えて当世的に覆い尽くそうとする現実主義者ですよね。
そうね。機能的に必要十分であったから様式として伝統になるわけだから。
その伝統の中での創意工夫。チャリ使えば走るより速い。車使った方が速い。飛行機乗った方が速い。
じゃあ走る技術は必要無いのか?そうは思わんという話。
いや、だからホントわかんねーから。君にとったら玉の無いピーンボール台なんだよ。
あれ玉無いとガラクタでしょ。浮き上がる情動が見えないんならそれがどう弾かれてるかって見えるわけないんだもん。
>作者とタイトルを冒頭に記載することが悪意ある演出と見做されないのなら
え、意味わかんない。
>いるわけねーって思ってても疑いようも無く白いカラスが目の前に現れたんなら仕方ないじゃん
>まずそこから認めないと始まらねーもん。
誰も「いない」と言っているわけじゃないが。
見えない奴もいる。見える奴もいる。それだけ。
誰に言い訳しているんだ、君は。
>その伝統の中での創意工夫。チャリ使えば走るより速い。車使った方が速い。飛行機乗った方が速い。
>じゃあ走る技術は必要無いのか?そうは思わんという話。
むしろ伝統が「チャリ」「車」「飛行機」だろ。
歴史が浅いから「伝統」になっていないだけで。歌舞伎も能もギリシャ演劇から比べたら浅い。
「鬼火」は走る事、そういった身体性だ。
>君にとったら玉の無いピーンボール台なんだよ。
そうだと思うよ。
玉が見える人だけ楽しめるピンボール。
俺は見えないものは見えなから仕方ない、そこから認めないと始まらない、と。
>むしろ伝統が「チャリ」「車」「飛行機」だろ。
君が
>相撲の塩撒きや空手の型の稽古、歌舞伎劇場に残される目付柱はその残り香です。
と言っている「伝統」は。
要するに「伝統」という君の個人的なイメージでしかないんじゃないの、それ。
「見える、見えない」って認知の話にしているが、結局君の感情論、好みの話なんじゃないかね。
「伝統っぽさ」というイメージの話。
君は「伝統」に価値を見出して、俺は価値を見出していないが、それが「当世的」というのもおかしな話。
華厳の理法界、無碍法界の話でもあるんだし。
もう一度言っておくが、俺は「伝統を打破する」などとは言っていない。
伝統に価値はない、と言っているのみ。価値とは人間の頭の中の想像物でしかない。
そして君のように自分の頭の中のことでしかない価値を伝統になすりつけて伝統芸能を鑑賞するのは、
誤った鑑賞法だ、と言っているわけだ。
伝統芸能とはその伝統しか価値がないのか?
そんなわけあるまい。
伝統があろうがあるまいが能の幽玄さはあるし歌舞伎の面白さはある。
もちろんそれ自体にも価値はないが。人間の頭の中に価値という想像物が生じるだけ。
君にとっての「伝統」の方が「チャリ」「車」「飛行機」なのだよ。
え、ならあるじゃん。
そりゃ白が黒に見える奴と話通じないっしょ
自明性の存在から疑って掛からないといけなくなるもん
そういう文脈で喋ってないから。
身体性は伝統的技術論であって走る事は目的合理性の問題だよ
で、そこを拡大してピンボールそのものをディスる態度を批判していると。
研鑽課程が存在した事への拝伏としてあるわけでしょ。
だっていらねーんだもん、無くても成立するんだから。
いやまあ俺に何か見えてないものがあるとしたらお前の性感帯がわからん。
価値が無ければ伝統にはならんよ。
意味も無く残ってるんなら消えちまった方が良い
まどかの話だってアレ当世的だよ。
100年も経てば「いま、たしかにある、ここ」に新規性なんてねーから。
そのスキーム自体が当世的なんだからな。
ほんと話が通じてないなwww
まどかって何?
>で、そこを拡大してピンボールそのものをディスる態度を批判していると。
そのボールはプレイヤーの想像物でしかないんだから「何がおもしろいの?」と言ってるわけだが。
アニメか。
君の具体例は当世的なものばかりだなあ。
違う。
伝統に価値を認める事で初めて自己同一性が担保される。
それが新規性の芽になる。
「確かにある筈の意味性」を様式の中から探る行為を茶化す事が様式として成立するのなら
そんなものは悪ふざけだし当世的な仇花だし表現するという行為自体の将来性に対して余りにも無責任だ
その幽玄さも面白さもその表現物が培ってきた伝統を曲がりなりにも踏襲してるからな。
どうしてそんな結論が導かれるのかよくわかりません
あっち見てんのかと思った。
3Dの画像だって創造物だがね。
全くだよ。
伝言ゲームやってるみたい。
>>342 >伝統に価値を認める事で初めて自己同一性が担保される。
それが「甘え」だと思うんだが。
>表現するという行為自体の将来性に対して余りにも無責任だ
責任などという考え方が表現行為に対する傲慢さだよ。
「鬼火」は自然発火であり、人間が付ける火と同じにしてはならない。
>その幽玄さも面白さもその表現物が培ってきた伝統を曲がりなりにも踏襲してるからな。
もちろん。
しかし君のように自己同一性の担保として「伝統」というより「踏襲され積み重ねられてきた技術」があるわけではない。
「子供の頃から能をやりたかったわけではない、ただそうなっただけ」
それが甘えなら誰だって甘えだよ
甘えてる事に無自覚で甘えてないって言い張る奴のがよほど甘えてるわ
最初の一発は自然で良かろうが
いっぺんウケたからもう一度、では人間が付けた火だよ
須らく自然発火と見做すのは「いま、たしかにある、ここ」に対しても無責任だ
完全な素人がそれ言ってるんなら説得力もあるがな。
>>343 あっちって?
>3Dの画像だって創造物だがね。
そうだと思うよ。
500年後には伝統化してるかもしれんな。
>>345 >それが甘えなら誰だって甘えだよ
そうだと思うよ。
男も女も被愛妄想とあっちでも書いた。
「誰だって甘えだ」とどうなの? 太宰メソッド?
>いっぺんウケたからもう一度、では人間が付けた火だよ
人間も自然の産物。
「いっぺんウケたからもう一度」だと自然ではない。人為だ。
もちろんそういった人為なしでは「鬼火」は消えてしまう。別に「かがり火台」として「伝統」があるは否定していない。
人為と自覚してやる分には違和感はない。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1317395244/166 とかな。
何度も言うが、君のように「伝統っぽさというイメージ」に価値を見出したり、自己同一性の理由にしたりするのは、
伝統芸能の見方として誤っている、と言っている。
>須らく自然発火と見做すのは「いま、たしかにある、ここ」に対しても無責任だ
君個人の頭の中みたいなのは、それを責任論にするのは、傲慢だと批判している。
あっちは別に無くて良い話だし。
であるなら価値見出して良いじゃん
差し当ってこの場で論じる意味がないということ。
え?何?志賀に商品価値が無いってこと?
じゃあまあ例えば六白金星なんて風呂敷広げて投げっぱなしの終わり方してたけど
ああいう劇的結末の方が邦子の死を描いた作品よりも価値があんの?
別に伝統という権威に対して無条件な迎合なんて勧めてないよ。
有る筈だと強く意識して読んでったら見えたから言ってるだけで。
君が傲慢に見えるように、俺の目にも君が傲慢に見えてる。
見えてないのにダメだって言ってんだもん。見えてから言えよっていうね。
あっちが気になる
アニメスレならこんな話はしなかったかもなあ
「そういう好みなわけね」って話
ちなみにまどかマギカは見てなくて名前だけ知ってたけどいきなり出されて思い付かなかった
アニメ+哲学で東浩紀スレか
俺東嫌いなんだけど。
やっぱ好みの話なんだw
で、あっちって?
言いたくないならいいけど
やっぱっつーか好き嫌いはこのスレでたぶん初めてやるんだけども。
別にどうでもいいからいいよ、君の好き嫌いは
で、あっちって?
「君が野球をそんなに好きなのはそれでいいけど、俺はつまんない」
いや、君がつまらないと評したのは作品そのものだよ
「野球がつまらないスポーツであるが故に自分にはつまらなく映る」
こういう言い方をしなければここまで突っ掛らんよ
>>358 >>273 ループ。
多分、俺と君って途中までの考え方は似てると思うんだよ。
だけど結論が逆っていうかね。
君、他の人からミニハン呼ばわりされたことないか?
うん、お前たぶん理知は突っ込んでるよ。そこまでは同じ。
違う点は、俺はそれにもう限界を見ていて、まだお前それに挫折してないだけ。
まあ別に君個人が「こいつは作品そのものをつまらないと評している」と思っておけばよい。
間違ってないからな。伝統にも物自体にも価値は無い、というのが基本の考えだし。
>>360 >まだお前それに挫折してないだけ。
粘着ですみません。
以上、ミニハンの自演でした。
正確には、志賀の作品そのものがつまらない、というより、その作品について俺が語ったとして、その語るであろう自分の言葉が
つまらなくなる、だな。
「無碍にしないで」だよ。
「鬼火」は俺の感覚では焼物にもあるから、「美術工芸作品」ってのは言い得て妙だよ。
ほら、やっぱつまらん
理法界ってのはなー、そりゃ味気ない世界なんだよ。価値世界じゃない世界なんだから。
全ての物事に価値がない。
そりゃつまらん。
価値世界、まあここでは事法界って短絡するが、それと理法界のスキマみたいなもんで、
理事無碍ってのがあるとする。理法界事法界行ったり来たりできる。ヴェーバーの二元論とは反するよな。
これはな、要するに「人生山あり谷あり」ってことなんだよ。
理事が無碍になるんだから、事法界が、つまり価値が因果を操作できる。これまあ現代風に
言えば遺伝子操作で種を選択しよう、とかそんなんだな。
じゃあそれを止める論理が理だ、ってのがここがキリスト教なんだよ。
仏教は、いかに人間が遺伝子操作で都合のいい種だけを残そうとしても、自然の理は
操作しきれない、という考えだ。「無駄無駄無駄アア」的な。
「俺は大量の知識を得た。世の中俺の価値観通りに操作できる」
って天狗になった龍樹は殺されかけた。
出る杭は打たれるのではなく、自然に折れる。
つまり「人生山あり谷あり」ってこと。
精神分析的に言えば、パラノイアは自分が神になったつもりなだけで人間のまま、ってことか。
これって言えば簡単なわけだ。でも人間なかなかそれを自分に適用できない。
ヴェーバーの二元論は理事無碍も言葉では簡単だが実践は難しいという意味で考えれば同意できる。
さらにこっから事事無碍ってあってな。ここが俺もよくわからん。
これは理法界が無くなってるんじゃないの、字面的に、と思ってたが中村元によれば違うらしい。
俺の解釈ですらない妄想によれば、人間の頭は理が個別で事、感情が「あいだ」にあるだろ。
これが逆転する。
つまり感情が個別で理が「あいだ」にある状態。
これって要するに議論なわけだが、龍樹って論詰好きだったらしいんだよな。
事事無碍ってあんまかっこいいことじゃないと思う。
価値が本当に自由になった世界なんてな。
世の中の人間全員アスペになるようなもんかと。
華厳によれば他宗派は理事無碍止まりらしい。
で、理事無碍止まりにするために、キリスト教的倫理があるわけだ。
仏教、いや華厳からすれば、キリスト教の倫理とは、自然の理と人間精神を分かつ楔のようなもので、
「理」ではない、となる。
仏教は一神教か多神教かって微妙なところなんだが、確かに上座部は一神教だと思うんだよ。
で、キリスト教は民間信仰を取り入れつつ、あくまでキリスト教の上位を譲らなかったろ。
民間信仰の神はキリスト教では天使や悪魔にされた。
華厳って大乗のハシリなんだが、大乗って「大衆ウケする」って意味ではなく、他の神をどう取り入れるか
というキリスト教もあんまり公にしないけど常に向き合っていた問題と同種だと思うんだよな。
そのために理事無碍止まりになる。倫理の主として、ルールを統一するために唯一神が必要になる。
で、事事無碍ってのは、自分ちの神様の優位すら認めないんだ。
かと言って譲らない。ケンカする。
まさにバーリトゥード。
神様のバーリトゥードみたいなもんだな、事事無碍って。
ギガントマキア!
という華厳思想の感想。
それなら唯一神の方がいいなあと思うわ。めんどくさくない。
俺が入信できないだけで。
>>109で言えば俺を閉じ込められる絵がない。
事事無碍とか「閉じ込められるわけねえだろ、糞して屁こくお前が」と言われてるようなもんだ。
仏教は女人禁制して正解。
ここは俺の日記帳。
あ、バーリトゥードじゃなくてバトルロイヤルだ。
格闘技とかあんま知らんがバーリトゥードって語感は好きなんだよな。
ヒンドゥー的で。
ヒンドゥーは多神教だが神様の上下関係きっちりしてるもんな。ヒンドゥー内で変わるけど。
ああわかった。少なくとも俺の考えるお能にとっては、「伝統」とは「方便」にすぎないんだよ。
日本文学の伝統的な「女」もそうなんだよな。
男は女を理事無碍に追いやるくせに、事事無碍即ち本当の価値自由の立場に立つと
穢れた女扱いされる。
こっちに書いとこ。
>常識的な心理ではないと思うんだよな。
個人的な話だが、家族から性的虐待を受けてたと自称する水商売の子が知人でいたんだけどな。
ある時飲んでて、初めて会ったヤロウ達と意気投合してな。シモネタに花が咲いた。
で、その子、男達から囃し立てられたわけだが、男達の目の前、店の中で、オシッコしたんだよ。ワインクーラーだっけ、あれに。
店員に見つかって追い出された。
俺も飲んでたからよく覚えてないんだが、店出てすぐ男どもはどっか行った。
でさー、多分翌日そいつら「あの女すごかったなー、イッチャってるよな」とか話してんだと思うよ。
その子もその子で後日その話をすると「酒って怖いねー」とか笑っては言うんだが、微妙に不機嫌になるんだよ。
これさ、コギャル達に「男に好かれたいならセーラー服の方がいいんじゃね」とか言うと不機嫌になるのと似てると思った。
こういった子達って、制服が逆に性的なシンボルになってるわけだよ。逆に制服が「やらしい」と。
間違っちゃないよな、制服物はAVの一つのジャンルにまでなっている。
その水商売の子も、いわゆる健全な女性達について、逆に「いやらしい女」ってイメージで嫌悪してた。
「清楚とふしだら」「健全と不健全」が、常識と逆転している、というか、混濁してるんだよな。
邦子にはそういうところないだろ。「清楚とは」「健全とは「ふしだらとは」というイメージは、おそらく常識と同調しているだろう。
同心円の中心に、性という特定の方向から亀裂が入った人間にはとても思えない。
その知人の子が男に裏切られて自殺するのはまあ想像できなくないんだが。
なれそめのシーンとか志賀の人間性の気持ち悪さが良く出てるわ。
「いや僕は相手の男を批判するつもりはなく、助けてヒーローになりたいというわけでもないが」
みたいにぐちぐちのたまっている。
でさー、主人公が取った行動は戸を開けて通りすぎただけだろ。
それを邦子は「あの時は助けていただいて」と思っている。
こことかすげー不自然じゃん、ただ偶然主人公が通りがかっただけ、とも考えられるわけだろ。
偶然自分は助かった、と。
これとかさー、志賀の「言わなくてもわかるだろ」心理だと思うんだよね。
妻は夫の「おい、あれ」という言葉を、「爪切りを取ってくれ」か「新聞を取ってくれ」か解釈しなければならない。
こういうのがツーカーの夫婦なわけですか?
「言わなくてもわかるだろ」ってのは男の甘えにすぎん。
>ただ偶然主人公が通りがかっただけ、とも考えられるわけだろ。
むしろ主人公の言い訳を考慮するならば、彼の取った行動はこう解釈してやるのが正解に近いんじゃないか?
「助けていただいて」なんて思うより。
これって彼の代表作(と俺は思ってる)「小僧の神様」とおんなじだよな。
小僧が「助けてくれた」と思わなければこの作品は成り立たない。
ちなみに事事無碍とは、「おい、あれ」ではなく「爪切りを取ってくれ」と言うべき、って話だと思うぞ。
下世話にしすぎだが。
「心は見えないけど、心遣いは見える」
と同じ。「邦子」のなれそめも「小僧の神様」も。
「心遣いも見えなかったら見えない」だ。
宗教やってろよ、って思うは。志賀もその詩人も。
結局は「あれって言えば爪切りだろ、言わなくてもわかるだろ」と言うオヤジと同じ心理。
何、それも「イデア」なわけ? アホか。
こっちは「言えよ、じゃなきゃわからん」と言ってるだけ。
当たり前の話だろうが。
結局は男根中心主義なわけよ。フェミニズムですまんが。
そしてそれを「理性」だとか言ってよくごまかすが、結局は「女への甘え」なわけ。根本原理はな。
「理」でもなんでもない。結局は感情論。
華厳なら事法界のお話。理事無碍にすらなっちゃいない。
「言わなくてもわかるだろ」とは事法界に自閉すること。
「心は見えないけど、心遣いは見える」
これなんてわかりやすい被愛妄想だろ。
これを信じすぎるとフロイトの言う
関係妄想の意味するところは、彼らがすべての見知らぬ人から、なにか愛情のごときものを期待していることである。
ところが他人たちはそういう素振りをしめすこともなく、なにげなくひとりで笑ってみたり、通りすがりにステッキを振り
まわしたり、あるいは地面に唾をはいたりする。かりに親しい気持ちを傍の人にたいしてもつ場合に、そういう仕事を
するはずがない。傍の人にまったく無関心のときや、それをかるくあしらうときだけにそういうことをするものである。
「よそよそしい」ことと「敵意がある」ということは根本的には似ているので、パラノイア患者が、他人の無関心を敵意が
あると感ずるのは、彼らの愛情を期待することの強さに照らし合わせてみて、さほど不思議ではない。
となる。
「心遣いを見なさい」と言うことは、「パラノイアに、関係妄想の精神病者になりなさい」と言っているのと同じ。
しかし邦子はパラノイアでもない。
もしそういった症状を表現したかったなら、例えば子供に対し過剰な執着心を見せるとか、そういう描写があれば、
「ああ、邦子は関係妄想に陥っていたのだな」と思うかもしれないな。
自分の同心円の人間関係に対する固着があれば、固着していればしているほどそれの亀裂は心的苦痛を伴うものと
なるから、自殺の動機だとしてもおかしくはあるまい。
逆に、「俺には執着なんてない」という強迫観念、強烈な否認症状を持った主人公が見ているから、邦子の執着も
「ないこと」にしちゃったのかもしれない、なんて深読みは可能か。
子供に対する過剰な執着心も、彼が邦子との出会いの時にしただらだらとした言い訳の上に成り立っている、と
主人公は考えた故、執着の描写をしなかった、と。
ほんと登場人物皆志賀。イッツアスモールワールド。
彼が本音を言えているのは「信康が乗り移った」って一文だけ。
だめだ、やっぱ志賀キモイ。
キモイと思うのは俺のせいでいいよ。
>>378補足
「なにげなくひとりで笑ってみたり、通りすがりにステッキを振りまわしたり、あるいは地面に唾をはいたりする。」
するのを偶然と考えるのは健全だろ。
「邦子」なら、「ただ通りすぎただけ」の主人公の行動を、ただのそういった偶然だと考えるのも、パラノイアではない健全さだ。
そう考えていれば、邦子は「あの時助けていただいて」などと思わなかったろう。
「あの人が通りすぎたのは偶然、私は偶然助かった」と考えるだけ。
「全ては偶然」
それは確かに「(神から)代償として確かなアガペーを賜る。」世界ではないだろうな。
そういう意味で志賀はなんらかの人格障害だったと思うよ。
「異常」ってのは逆に言えば「特別」だからな。
世界的な英雄とかパラノイア多いわけだし。
おそらくその何かは欲情でもあって恋愛感情でもあり、欲情でもなければ恋愛感情でもないだろ。
理由がわかって、同じ行動を取るか、別の行動を取るかは、そいつ次第。
同じ苦難を続けるか、別の苦難を選択するかは。
トラウマを自覚して、ションベンをかけ続けるもよし。ションベンかけないようにするのもよし。
>>825 MODって奴か。なんかの格闘ゲMODはすげえと思った。
ああいうの同人でやるんだろ、クオリティは全然コンシューマーと変わらん。
同人ゲ売上億とか聞くがわかるわ。コンシューマーより出来がいいのあるもん。
あ、僕ゲーマーじゃないのでよくわかりません。
>>828 もういいよw
お前はほっといてた方がおもしろいタイプだろうから。
>>829 志賀に足りないのはそこ。
たいしょうアーッとかネットでは誤解されてると思うんだがなあ。
華厳の「空」の方がわかりやすい。
対象aは余剰物であって、イデアではない。
でついこないだもマルクスの剰余価値=対象aでケンカしたんだがな。
ラカンはマルクスを引用したが、それは「対象a」を説明する上で「剰余価値」という語を引用したのであって、
つまりそれをシニフィアン化することにおいてであって、それを称揚する意味ではない。
なんでこう男って「俺の尊敬する二人が言っていることだからすばらしい意味なんだ!」となるんだろうかね。
感情論を混ぜないと気が済まない。「欲情とは」「恋愛感情とは」を理屈化するといかに男の方が感情的かわかる。
マルクスなんか「フェミニズムのふりしてミソジニー」ってよくある心理だと思うぜ。
「資本家は剰余価値を搾取している。なのでそれの対価を払うべき」なんてな。
「女は愛に飢えている。対価として愛を支払わなければならない」ってのと同じ。
「女の汚らわしさ」ってつまるところ「愛じゃなくて欲情」なわけだし。
「理」はな。
「他人の心なんてわからない」
これは道理だ。
しかし、自分の心ならわかるのか?
その「自分の心」は、他人の心に準拠していないか?
ならば、「他人の心はわからない」のだから、それに準拠した「自分の心」もわかってないことになるだろう。
こういう話は坂口にも通用しなさそうだ。
演劇出身ってだけで織田はわかるかもって勝手に思えるが。
各論についてはどうでもいいんですけどね、
あなたの応答のスキームって「それも自己主張だよな」の一点張りですよね。
もう人間味を感じねえな、ロボットみてえだな、そう思ってたんですよ。
徹底的に「お前がそう思うんならそうなんだろう、ただしお前の中ではな」と突き放す。
そこでまあ自己投影してみたんですよ。
ええ、まあ一度通った道ですわ。
応答は要りませんよ。何度も言われたから返って来る言葉は判ってますからね。
ですから、「それも自己主張だよな」とか言わなくて結構です。ok?
あんた、その言葉に打ち克てなかったんでしょ?違いますか?
何かを伝えようと思ったときに上手いこと伝わらない事があまりに多過ぎて
「それもお前が勝手に思う自己主張じゃないの?」っていうどこからか聞こえてくる声、
そのたった一言を打ち破る理屈が持てなかったんでしょ。
そのうちに自分でその言葉を打ち破る元気を無くしちゃったわけだ。
だから他人にぶつける事にした。
「いつかこの言葉を打ち破ってくれる人が出て来るだろう」と期待することにした。
囚われのお姫様が白馬にまたがった勇者様を待つように
その声を粉砕してくれる何物かを自分ではない誰かに期待したわけだ。
無残な話ですね。太刀打ち出来ないまま色んな男が散っていったんでしょうね。
余りに多くの男が散っていったのであなたは他人に対する期待も持たなくなります。
いつの間にかあなたを排撃していた「それも自己主張だよな」の声は
自分を苛む不自由の檻から完全無欠の鎧へと変わります。
すると楽しくなるんだな。だって負けないんだから。
勝って嬉しい花いちもんめ。あなたの檻の外に亡骸の山が出来ます。
戦利品というわけだ。不満?あるわけないですよね。
字義通りですよ。どんどんどんどん満たされていくんだから。
自己嫌悪?そりゃ産まれるでしょう。それも戦利品ですよ。
ひとつやふたつなら大切にするけど山と積まれた自己嫌悪。
もう数えるもんだとも思ってないでしょ。それでいいんですよ。
積めば積むほど欝期の虚無感は大きくなるんだから。
ふとあなたは亡骸の山に目を向けます。
もとは男だったんでしょうね。見る影もないですが。
そいつが生きていた頃の記憶、無いんじゃないですか。
そいつの記憶はあなたの心の中にしか無いですよね。
目の前に写ってる亡骸に記憶なんてあるんでしょうか。
無いですよね?当たり前です。そいつは死んでるんだから。
刹那、あなたは次に来るであろう男の事を想像します。
「そいつも同じ様にこの完全無欠の鎧に為す術無くやられるのだろう」と。
まだ見ぬ男の中に亡骸を見ます。
それでは一体なんのために男に会う必要があるのでしょう。
そいつが亡骸になることは出会う前から予想が付いているのに。
あなたは未来に対してすら期待を抱かなくなります。
「自分は幻滅する為に男に対して会っているのだ」
楽しかった過程が褪せて幻滅が色めき立ちます。炎のように。
「それも自己主張だよな」
もう悲鳴にしか聞こえませんな。
<了>
こんなん口に合いますかね。
着想は「それも自己主張だよな」。
「いっちいっちいっちいっち当たり前の事を確認してどーーーーーーすんだよ
徳永英明かお前は。コミュ不全か馬鹿野郎。仕舞いに張り倒すぞコラ」
ってとこから。
あと林芙美子で泣いたとかいうから女のニュアンス詰め込んで
昼ドラ的なメロ要素・・・というか合成着色料みたいな型通りのドラマの影だけ突っ込んで
最後は投げた。理想の展開は”幻滅というスキーム”への幻滅・・・
ニーチェ的に言えばニヒリズムの超克を動機にして幻滅ブッ殺して年1回だけ墓参り、みたいな形。
うん、でもそれ描いたらダメかなって思って投げた。
君の自分語りとして読んだ
389 :
盗作ストーカー犯罪のせいで311地震と三発目自業自得:2011/11/22(火) 02:29:57.45
なきがらとか記憶とかサルマネいって
非論理的なウソはくイエローは
全員死体よりもしんでるキチガイだな。
顔も醜い。
そもそも「自己主張」は君が言い始めた単語だと思うけどなあ
いや「自分語り」なら俺は言ってたけど
同じ意味かと思ってたらなんか違う意味があるらしい
人はみんな自分語りしている、でいいんじゃねえの
みたいなことは昼間言ったよな
あと俺「社会的欲求」にも言及してるけどな
今レス調べたら「自己主張」と書いたレスが9つ、「社会的欲求」と書いたレスが8つ(重複あり)
なのに君は俺が「自己主張」と書いたことに引っかかってるわけだ
>>387 君の心が他者をこう見てる一例として読んだ
0と1で作るプラスチックの箱まだー
0でも1でもない曖昧ににじんだ言葉での文章はお腹いっぱいです
どうも以前から将臣君をただの神経症(いわゆるヘタレ)としてしか解釈しない奴がいるなあ、俺の解釈とは違うなあ、
と思っていたレスがちょこちょこ見られたんだが君だったんだろうな
一歩はなれて見てやりなよ、マジモンなんだから多分彼
自分とはまったく違うタイプの人間を、そういうものとして見る勇気がないんだろうな
そしてそのプラスチックの箱は最初から自分の頭の中にあることも
>>390 「自己主張」って言葉、確かに僕が言い出してましたね。
じゃあ「あなたの自己が創りだした自己内他者の妄想」ぐらいに読み替えれば意味通じるのかな。
>>391 それだけだと発信だけで終わっちゃうじゃない。
チラ裏に書いても誰かに言葉呼びかけても何も変わらないじゃん。
受信と応答も含めてコミュでしょ。
A「昨日の昼飯何くった?」
B「サンマ食った」
受信と応答をやるBが居て初めてコミュニケーションでしょ。
これコミュニケーション成立してますよね?
語り得るものだから成立する筈ですね?「3たす2は?」と聞かれて「5」と答えるのも同じでしょ。
まさか「お前の発した”は”が左辺と右辺が等しい事を示す等号を意味するのはお前の抱いた妄想だ」とか言わないでしょ。
言ってる事は別に間違っちゃいないけどコミュニケーションの断絶を求めてるように見えませんか。
「コミュニケーションは不完全なものだから過信は禁物ですよ」
この辺りまでは合意形成出来るんじゃないの?
俺にしたら殊更念押しされるまでもねえって命題ですからあなたが首をどう振るかです。
仮に合意形成出来たとして、ですよ。
出来たとして、というか万人が誰に念押しされるまでもなく当然に出来ているものだと思うんですが
「相手がよほどの馬鹿か詭弁論者でもない限りはそんな当たり前の事を執拗に確認し合う必要なんて無い」
と僕は思うわけですよ。
だってそうでしょ?上の合意が出来ているのならトートロジーですよ。
するとあなたには不思議に見えるんでしょうね?僕は以下のように分類するんです。
1.相手がよほどの馬鹿か詭弁論者であるから「コミュニケーションの断絶を徹底的に自覚せよ」というメッセージが向けられる。
2.相手が 同上 でないから 同上 が殊更に発信されない。
このどちらかしか無い。
つまりね、その「コミュニケーションの断絶を徹底的に自覚せよ」というメッセージが僕に向けられるたびに
「お前はよほどの馬鹿か詭弁論者だ」と言われてるのと同じなんですよ。
不思議に見えるでしょ?俺は不思議に見えるんですよ。
というのもあなた見てると相手をアホ扱いしてる風でも無いから。
じゃあ別の理由があるのだろう。
「いちいち当たり前の事をそうまで執拗に確認しないといけない理由」って一体何?
小噺書いてみたらあんな感じになったんですよ。他に理由あんの?
>>398 あなたにとっての将臣くんは僕にとってはあやなちゃんなんですよ
あの人キャリアメールのアドレス晒してましたからね。
それだけでもなく、僕には到底真似出来ない自由奔放な言葉の使い方に
「こいつはマジで神か何かが憑依してキチガイの口を借りて喋ってんじゃないのか」と恐怖しました。
未だにあの人は言明出来ません。あんま頻繁に見ると慣れてしまいそうで川上スレ覗きたくないんですけどね。
それに比べたら将臣くんは屁じゃないですか。
どうも見たところ自分の作品が川上だか誰だかに盗用されてる事に端を発してるんでしょ?
原因はハッキリしてんじゃないですか。あとは程度の問題でしょ。
次は終点を定義しましたよ。「思う存分暴れてるけど何が切っ掛けでこいつは静まるんだろうか」と。
川上だか誰だかが将臣くんに対して謝罪文でも乗っければ止まりますか?
止まりやしませんよ。だって彼は本当のところパクられた事に怒ってんじゃないんだもの。
価値のある自分の言葉が価値のない誰かの社会的承認の礎になったことが気に入らないんでしょ。
何故それが気に入らないのか。自分が思うところの妄想自己に比べて社会的評価が低いんでしょ?
もっと自分は評価されて良い筈だ。前々から持ってたルサンチマンが噴火したんでしょ。
どんだけ俗っぽいんですか。深みも何もねえよ。
ああ、ああそうです。俺が勝手に作り上げた将臣くん像ですよ?これで良い?
別に同調しろなんて言わねーですよ。ただ、僕はあんなもんに狂気なんて感じないの。
同じ様に恐怖してくれ!って知ったこっちゃないですよ。お化け屋敷のコンニャクじゃないですか。
あとは「程度の問題」にどれだけ比重を置くかでしょ。
僕はそんなもんどうでもいいんですよ。
「ここまで壊れられる奴しらねーわ・・・」って別にそんな風に思わないんだもん。
せいぜい「ひっ、暇なやっちゃなあ・・・」ぐらい。
モコやあやなちゃんに比べたらとてもとても。
ということで
>>396も間違いです。残念でした。
あと
>>394ぐらいかな。
たぶん作れたとしてもお見せ出来る事は無いと思いますよ。
その悟りを開いたときには僕は入滅して空に還ってるんだと思うから
別にあなたに限らず誰にお見せすることも出来ないんじゃないかと思います。
別に僕に限らずですけど、そんな悟り開いた人って
何百回産まれ変わって宇宙の果てまで探しても会える事は無いんじゃないかと思いますね。
だってもうそいつは空に還ってんだから。どこ探してもいるわけないっしょ。
かくして不完全な言葉だけがこの世の理と。論理的じゃないですか?
うーん、これこそ妄言ですね。そんじゃ。
>>399 >まさか「お前の発した”は”が左辺と右辺が等しい事を示す等号を意味するのはお前の抱いた妄想だ」とか言わないでしょ。
じゃない「気持ちの問題」は断絶してるかもな。
数学的な言葉ではなく、その裏にこびりついた感情を。
というか「気持ち」は現実的に断絶しているもの。
将臣君「自己主張」も、コテもそういう数学的な記号だと考えれば、君は腹立たないんじゃないか?
>価値のある自分の言葉が価値のない誰かの社会的承認の礎になったことが気に入らないんでしょ。
>何故それが気に入らないのか。自分が思うところの妄想自己に比べて社会的評価が低いんでしょ?
ここが荒いかと。
価値のある自分の言葉を、真の意味(まあ絶対他者とかそんなんだろうが)をこそぎ落としてコピーしているのが腹立つのだろう。
言ったじゃん、彼は「俺を敬え」ってのが素なんじゃね、と。
「社会的承認」ってのは君が無理矢理将臣君の「内面」に付け足しているようにしか思えん。
君自身がそうだからなのだろうが。
>>405が「未知的な他者として見れていなさ」だと思うんだが。
志賀直哉と同じ。
登場人物全員志賀。
つかあやなちゃんって誰
社会的欲求の大元は絶対他者への欲望だろうが、絶対他者を欲望している(と自分で思っている人)からすれば社会的欲求は
その劣化にすぎないからなあ
>社会的欲求の大元は絶対他者への欲望だろうが、
なので君の論に一理ないわけではないが、その一理は社会常識として敷衍しているので特別観察すべき事柄ではない。
私にとって。
「超越者を実体化させること」は「父の名の排除」でもあるからな
精神病化
君の「絶対他者への欲望を社会的欲求に劣化させたがる」のは君自身の精神病からの防衛だとは思った
よくあるパターン
「凡庸さ」も大事だけどね
君が「自己主張」と言い始め、私は「自己主張はあってもいい」と言う立場で話はついているのに、
君は「自己主張」という単語を繰り返している
私は将臣君が「自己主張」しているということは同意している。
この点は君と私で噛み合ってるわけだ、数学的に。
違いは、彼の「自己主張」を、私は「絶対他者への欲望」だと解釈していて、君が「社会的欲求」と解釈しているところにある。
君の「自己主張」に対する君自身の感情論を考慮に入れなければそういう話だと思うが。
いや君が「自己主張」を嫌悪する「気持ち」はそれでいいよ。
俺のラカン経由の「頽落」っつーのの解釈は、ざっくり言えば、世間体を気にして本来の自己を隠蔽すること、であり、
世間体を気にする=社会的欲求だと思うんだが。
だとすれば、私の将臣解釈より君の将臣解釈の方が、「頽落」している。
私にとっていやな「自己主張」って押し付けてるかどうかなんだが、「絶対他者への欲望」なら押し付けではないと思えるんだよな
「勝手にどうぞ」と。
それを君のように「社会的欲求」と考えてしまうレスに「自己主張」の押し付けを感じてしまう。
まあ私にとっちゃ「絶対他者」も「社会的他者」もそいつらの妄想でしかないから、将臣君も私に押し付けてきたと私が感じれば嫌反応を示すだろう。
ちなみに鍵君も「絶対他者への欲望」だと思うぞ。
欲望ってのは方向としては同一化だから、絶対他者を欲望しちゃえば自分が絶対他者化してしまうわけだ
良くある単語なら「自我理想と理想自我が一致しているのがパラノイアだ」って奴
だから「俺を敬え」となる
将臣君や鍵君方が「俺という人間の尊厳」を賭けて発言していると思うがな。
俺にとっては「尊厳という心理」でしかないが。
しかしその絶対他者は、現実的に(科学的に考えれば、ぐらいの意)大文字の他者(つまり社会や世間)と通じているのもまた事実
だが心理としてはそれらは別物だ
「大文字の他者の他者」って奴ですよ
絶対他者と大文字の他者が通じているところの他者が、「独我論の外部としての他者(なので厳密には独我論ではない)」としての「現象学的他者」ではあろうなあ
独我論の外部には「他者」なんて人間以外の物自体もあると思うがな
カントがキリスト教から断罪されたのは、神を物自体だとしてその人格を無いものにしたからだろうな
こう考えてくると、将臣君や鍵君なんかより、社会や世間がわがままを言っているだけに見える
「あっちもいやだけどこっちもいやだ」的な
ハイデガーの言を借りるなら、科学とは「物自体への気遣い」だ
私は神でも悪魔でもない
基本的にっつーかどこのスレでもそうだけど俺「ここは俺の日記帳」な人だから最後の方は独り言として読んでね☆
俺むかし転換だったんだけど、てんかん発作とかヌーメンの例としてよく挙げられるわけだけども、
「そこに現れる絶対他者」がわからない
「畏怖すべき自然」ならわかるが、それは人間とは限らない
「絶対他者」ではなく「絶対自然」ならわかるんだよなー
なのでちょっと読むのがんばれば華厳や禅の方が「あーあーあれか」って思うことが多いんだよなー
「人間」についてのラカン理論の「あれはそういうことだったノカー!」ってのは異常なくらいあるけど
ヌーメンについては、将臣君にはなんらかのそういう体験があったんだろうな、とは思う
鍵君は頭の良さで絶対他者に辿り着いただけのように思えて、ちょっと物足りない
頭はいいよ、鍵君、むちゃくちゃ
鍵君の方が、将臣君と比べて、精神病ではないアスペ臭がするな
批判じゃなくて
数学的な論拠(結論が正しいとは限らないが)は意外とちゃんと書いている
で私も証明問題の途中が楽しいアスペ臭なところがあるから、鍵君の文章の方を読んでしまう場合が多い
将臣君は証明問題の途中がなくキレがある一言がある、って感じ
鍵君は評論家タイプで将臣君はまさしく詩人タイプ
鍵君に「君の自己主張は社会的欲求によるものだ」と言っているなら、ここまで明確に反対の立場は取らなかったろうなあ
実際鍵君にも君が言っているような指摘、「お前の自己主張は社会的欲求によるものだろ」ってよく見かけたが、
私はそれも一理あると思うので何にも言ってない。スルーしてる。
鍵君と将臣君が同一人物なら、文学が拾うべき逸材ではあるだろうwww
政治的に私が屁理屈こねまわしてやってもよいぐらいだwww
>ヌーメンについては、将臣君にはなんらかのそういう体験があったんだろうな、とは思う
>鍵君は頭の良さで絶対他者に辿り着いただけのように思えて、ちょっと物足りない
わかりやすく言えば、鍵君の言う「神」は、消去法の結果でしかないのよな、否定神学っつーか
物理学者が言う「神」も大体それ
「もう「神」という数学的に完全なる記号を持ち出さないことには理論付けられない」って言う
なので親近感はないこともない
でもやっぱヌーメンを実体験している人の「絶対他者」と「神」は別物だ
「人間がバカに見える」のは私もよくわかるもん
お前ら何ただの妄想に拘ってんの? みたいな
将臣君とかさー、ランボーの配達の日付と自分のPCの配達の日付が一致していることを言ってたじゃん
で超越的シンクロニシティとか言って、俺のそれは他の人の超越的シンクロニシティとは違う、って言ってたけど
数学的にそれはシンクロニシティであり、そういう心理で、君のヌーメンを劣化されるウィルスだと気付いているのか、って言う
魔物は人間の世界にいると死んじゃうんだよ
釣り上げられた魚みたいに
将臣君の配達うんぬんは釣り上げられた魚が生死の間際として行う痙攣のようにも思う
でも生死の間際の行動だから、私がとやかく言える問題ではないだろう
「それはヌーメンの劣化だ」など言うのは、釣り上げられた魚を殺すようなもんだ
誰かにテクストクリティークと感覚主義的読み方の渾然だと言われたことがあるが、こういったヌーメンとかそういう物に対しては、
感覚主義だな、俺は。
言葉・記号にこびりついた感情論の中で、もっともこそげ落としにくいのは、シンクロニシティ、誰かさんが何度か言っている「普遍性」だ。
むしろ、記号こそが、「普遍性」という感情論の投影の産物なんだよ
でもまあこのヌーメンっつーのは畏怖なわけだから、社会的に「虐待」とか連想されても仕方ないものだけどな
物心付いてない生後一年とかで虐待を受けていたなら、ヌーメンとなりうる、という
あ、だめだ、物心付いていないとそれをヌーメンだと思えないんだから
逆に生後一年とかで受ける虐待ってーのは、普通の人も経験してるんだよね
物心ついて抑圧しているだけで
俺はてんかんっていう自分の病気に虐待されてた、ってだけ
キリスト教で言えば鍵君はルターみたいなもんだ
アスペ臭
将臣君なんかは、聖書を書く人、預言者みたいなもんなんだろうな
いや俺にとっちゃーキリストとかもそういうキチガイでしかないんだが
しかしまあ40レスもよく一人で書けるなw
またあとでね。
>>403 >というか「気持ち」は現実的に断絶しているもの。
だから「それはお前に言われるまでもねえ」って言ってんの。
あんた「今から書かれる文章は日本語で書かれたものです」って定義してないでしょ
大体それを定義する言葉が日本語で書かれる以上は根本的な定義からして現実的に不可能でしょうが。
あなたが(本当にしつこいな・・・)何度も繰り返し言ってる「コミュニケーションの断絶を自覚せよ」なんてメッセージは
もう伝わってますから。というか根本的に皆知ってますから。少なくとも俺に言う必要無いですから。
”「不完全な意志伝達手段である言葉」に変わる100%の相互理解が可能な情報伝達手段”とか
その類のものが欲しいってとこから始まってんじゃないんですか?
そんなもんドラえもんにでも頼めよ。なんでお前日本語使ってんだよ?
それは文無しのルンペンが三ッ星レストランで食事したいけど
そんなお金無いからポリバケツの残飯漁ってんのと一緒でしょ?
本来的な欲求を満たせないから下位互換の代替物で口に糊してるとかそんな話でしょ?
「同じように残飯漁ってるお前が言うこっちゃねえよ。身の程を知れ(笑)」
これで終わりでしょ?
なんで俺は赤子あやす体で丁寧にてめえの為に仮説立てて「お前の勝手な妄想だ」云々言われにゃならんのよ。
>「いちいち当たり前の事をそうまで執拗に確認しないといけない理由」って一体何?
あんたここ答えりゃ済む話じゃないの?
言明してないんだよ、君。してないでしょ?
別に怒りゃしないからあるならある、ないならないでハッキリさせてよ。
答えないから気になるでしょ。
なんかクリティカルな回答用意されてんのかな、って期待しちゃうでしょ。
ほとんど難詰みたいになってんじゃねえかよ。虐められてーのか。ドMか。指折ったろか。口塞いだろか。
>>404 そこはそっちの方が違和感無いわ。それで良い。
お前が正しい。
まだレスつけんなよ。
嫌んなるような分量だから。
>そこはそっちの方が違和感無いわ。それで良い。
これで俺は良くなった
「社会的欲求」は君自身の心理だと俺が考えられるなら
>「いちいち当たり前の事をそうまで執拗に確認しないといけない理由」って一体何
え? これ誰の言葉?
君か
んー、精神分析やってると「当たり前じゃない人」ばっかと会うからかなあ
>>405 僕に「社会的承認」とかそういうのの欲求無いですから。
そりゃ全く無いのは困りものですが邪魔にならない程度にくれるものなら貰うぐらいのもんです。
まあ大方どこぞの映画とか漫画とか小説とかその辺からそういう事を行動原理とするキャラクターでも見つけて
その類型が僕の「内面」に入ったとかその辺じゃないですかね。
もし何かくれるって言うんなら唯一無二の真理、梵我一如の悟り、無限に続く信仰、このどれかをくれ。
手掛かりだけでも持ってるんならくれ。無茶苦茶欲しいわ。
>>407 そういう奴が川上スレに居たんです。
もういちいちログ巡って探すの面倒だし、あなたのいう「未知的な他者」を感じた理由も書いたんだから
そういうものがいたんだなあ、ぐらいに思ってくれりゃそれで良いですよ。
土台、発言見つけて引用したって仕方無いでしょ。
俺が勝手にそう思っただけで君にゃそう感じるかどうかわからないんだから。
>>408-411 この辺まではどうでもいいか?別のとこで書くか独り言の類だろ。
>>412-413 将臣くんの事別に止めてないですよ。「キチガイじみてるからやめろ」とも言ってない。
「なりすましが嫌ならトリップ付けたら?」とか「コテつけないナナシはヘタレ」ぐらいに言われたから
コテ付けない理由ぐらいはお喋りしましたけど。
横から君が「君は将臣に自己投影してる」とか言い出すからこじれたんでしょ?違うの?
俺にしたら事実でない妄想の押し付けを食らったから弁解ぐらいするでしょ、そりゃ。
だいたい「仮説」って前置きしてるんだから論理的に行くなら「仮説が持ってる矛盾」でも突き付けりゃ良いものを
仮説の上に仮説のっけるパターンに入ったから不毛になるんじゃないですか。
>>414 おおよそそういう意味合いで使ってますよ。まあ僕の方は宮台経由ですからアテになりませんが。
メメント・モリで想起されるような衝動が意識されない状態。
まあ「生きてる意味がわからない」とかその類も頽落ですね。僕は一応処方箋見つけたんでその頽落は無いんですが。
ただこれ、乱用というか「ある特定の事象を拡大解釈して無理やりその類型にあてはめる」というような使われ方がされ始めると
そのコミュニケーション自体が「頽落」する可能性があるから気を付けないといけませんけどね。
まあ君の言う「それも妄想だよな」も似たようなもんです。
乱用されすぎてもう本来的な意味は無い。
その文章に目を通したか通してないかを伝えるスイッチのON/OFF程度の意味にしかならなくなります。
正しく「頽落」ですね。
しんどいよもう・・・まだ続くのかよこれ。
鍵君よくわからんのだけど飛ばして良いのかね、これ。
アスペとか特にそうだよ、普通の人にとって「当たり前の事」がそうじゃない。
心の理論とか学んで見るといいよ。
ある四枚の絵を見せて、自閉症はまったく別の並べ方をする。
でも物理的に考えると、自閉症の並べ方は正しかったりする。
この時定型発達者の「並べ方」「当たり前の事」は、そういう彼自身の頭の中の物語にすぎない
>>453 あやなりんかwww
あれは「社会的欲求のために自己主張している」とは俺も思う
>まあ大方どこぞの映画とか漫画とか小説とかその辺からそういう事を行動原理とするキャラクターでも見つけて
>その類型が僕の「内面」に入ったとかその辺じゃないですかね。
君がな。
俺はアスペや糖質と実際出会っている。
なんで増えてんだよ馬鹿野郎・・・「待て」ぐらい覚えろクソ犬コラ。餌抜くぞ
>「待て」ぐらい覚えろクソ犬コラ。餌抜くぞ
ちょっと君に惚れた
待ちますワンワン
わからんが、志賀直哉論で俺とどうこうした人と君が同一人物なら、俺は君に多大な興味を持つだろう
転移かどうかはわからない
すごくおもしろそうだと言ったのは前にもあるだろう?
君が売れない作家志望なら、養ってあげてもいいかなと思うくらいだwwwいいすぎごめん
わんわん!にゃーにゃー!
でも、「途中まで似ている誰か」とは話したいってので文学板いるのはあるなあ
>この辺まではどうでもいいか?別のとこで書くか独り言の類だろ。
それは君個人の判断
奥歯が藤田と接触してたのは事実ですよん
ごばくったwww
君も自己主張してくれよ
じゃなければ俺は君がわからない
「俺に自分をわからせるためではない」というのなら、なぜいちいちレスすんだい?
俺は君を知りたいのは認める。
自己との対話
「コミュニケーションの成立は全て妄想である」とするならば、すべての会話はそうだな
自分がなぜだめだと思うのか、そういう価値観を持っているのか、
その自明性を考えないと
そうしないと未知的な他者は出てこないだろ
まあ俺の言ってる事はすべて独り言だと思ってくれてかまわん、つかその方がありがたい
公開オナニーかよ
>>455 あーあー、そうかそうか。じゃあ多分俺がズレてんだろう。
それで納得してスッキリしてくれるならそうしてくれ。
>>456 いやまあ俺は彼の類型云々より「言葉の使い方が怖いんだよ・・・キチってんな」って事なので
そりゃ多分わかりませんわ。何故怖いかって俺は説明できないから。音楽の好みが合う合わないって類の話です。
>>457 だから”僕の”って入れてんでしょ。”おまえの”なんて言ってないっしょ。
そりゃ人格形成に一役買ってるんでしょうが反面教師で入ってるのかもしれないし、
そんなもん俺が社会的承認を求めていることの保障になりゃしませんよ。
>>459 待ってねえだろおめーはよ。じゃあちょっと意地悪してやるけどな。
もしもコミュニケーションが断絶されているなら「君に惚れた」という表現は論理的に正しくない。
「君の発した文字列に惚れた」なら(厳密に言うと正しくないが)正しい。
何故なら僕が発した文字列は必ずしも僕の内面を正確に描き切った保障が無いからだ。
齟齬の発生するポイントは大きく分けて3つある。
1つ目は”言葉以前の状態”から”自分にだけ通じる言葉”に変換・翻訳されるとき。
このときは(たとえば僕に限っても)必ずしも日本語の形を取ることも保障出来ない。
文法的に正しくない言葉の羅列かもしれない。
パソコンでハードディスク最適化されてないような混沌とした原・言葉とでも言うようなもの。
2つ目は”原・言葉”から”万人に通じるであろう言語様式に則った整理された言葉”に変換・翻訳されるとき。
PCの最適化ですね。「このぐらいまで整理すれば大凡の人に理解してもらえるであろうと本人が信じられる程度に整理された言葉」へと変換される。
ここの機能があやなちゃんは著しく欠けている(まあ本人はわざとやってるって言ってましたけど)からあの人のテキストは怖い。そして面白い。
ほぼ最適化しないという方法論を採ること(=原・言葉をそのまま出すこと)で誠実であろうとしている。
3つ目は言うまでもない。僕のとこから「大文字の他者」に届くとき。
まあお前が「大文字の他者」から受け取るときにも齟齬は発生し得るし、2つ目、1つ目の逆も成り立つから正確には6つか。
これだけの齟齬が産まれうるにも関わらず、何故お前は「君に惚れた」なんて言えるんだ?
だいたいこれらの書き込みが同じ人間の手で行われた保障も無い。名無しの書き込みなんだからな。全然論理的に正しくねえ。
もしもこれらの文字列(というよりもデジタル文字なんだから厳密には0と1が織り成す模様だしインターネット回線切っても数学的に再現出来るな)に
惚れることが出来たのだとしたら僕を手に入れるのは簡単だ。
その文字列をプリントアウトしてベッドに持って入ればそれで仕舞いだ。少なくともお前が飽きるまでは充分満足出来る。
滑稽に聞こえるか?アホらしいと思うか?単なる文字列に惚れたんであろうお前がそれを言うのは矛盾だろ。
>>460 そりゃ難題だな。迂闊には答えられん。
まあ仮定として聞けよ。
「そいつと俺が同一であり、かつお前にこれ以上興味を持たれたくない」という人物が仮に居たとしよう。
その問に対してYESと答えるのなら、そいつは嘘を吐かずに誠実でいられるけど厄介ごとを背負い込む。
その問に対してNOと答えるのなら、そいつは嘘つきで不誠実な輩だけどとりあえず厄介ごとからは解放される。
お前どう答えるのが正しいと思うね?
>俺は君に多大な興味を持つだろう
ここがいらねえ。俺は「お前に興味を持たれたい」というメッセージを発信しない事には誠実でいられねえ。
万が一にでも「お前に興味を持たれたいが故に嘘でもいいから同一だと答えた」と伝達される可能性が有る以上は答えたくねえ。
>>467 あのなあ。まあこれ掲示板だからお前たぶん感覚マヒしてるんだろうけどね。
これ例えば俺がメルアド教えるかお前が教えるかして掲示板じゃなくケータイに届くもんだと考えてみろよ。
別に構いやしないだろ?お前対話相手にさえ通じれば良いんだから突き詰めて言えばプライベートと仮定しても不都合無いだろ?
寝て起きてケータイ開いたら新着メール通知40件で、しかも全部同じ奴からだったらちょっと引くだろ。
半分ぐらいはくっだらねー(失敬。)自分語りのカマッテチャンメールだったらどーすんだよ。
キチガイかストーカーかメンヘラかスイーツ(笑)ってとこだろ。そんで挙句に「自己主張してくれよ」だと?
他人の書いたテキストなんてものはどうでもいい話っしょ。でもそりゃ相手にとったら大事な事でしょうよ。
知恵絞って書いたんでしょう。それが完全な意思伝達でなかったとしても、ですよ。
話を聞くってのはまあ相手の精神を食うような事でもあるでしょう。別に聞かれたところで精神なんて減るもんではねーだろうけど。
それなりに礼儀正しい人間なら出された料理ぐらいは残さず食べようと思うでしょう。
ただな、俺も人間ですから胃袋の限界があるんですよ。
ぽんぽんぽんぽん出されたって「そんな量食えるかよ!馬鹿かてめーは。限度を考えろよ!」ってなるでしょ。
ヒーコラ言いながらレス書いてたら「今度はあなたの料理が食べたいわ(ハアト)」って
ま だ 食 い 終 わ っ て ね え ん だ よ ! 見 て わ か れ よ !
御託抜かす前にてめーの分量を抑えろ。ダイエットしろ。
あと、(これ杞憂であって欲しいんですが)念のため言っときますけど
ピロートークがどうの料理がどうのって「そういう関係になりたいというお前の妄想が無意識に具現化された」とか何とか言わんでくださいね。
佃煮あまなの鈴木に対する煽りやら揶揄と根本的に変わりませんからね。
そういう願望がもしあったとしたなら、このような注釈を入れるということは僕はそれに自覚的であったのだから
それに自覚的になった瞬間にそういった痕跡を消す筈ですからね。
消してないってことはただ単純にその喩えがわかり易いのではないかと考えた、ということですからね。
更にもう一刺ししとくと、(まああんまりこんな事やっても仕方ねえけど)
そもそも論の話で不毛な口喧嘩がやりたいのなら「お前がなんでもかんでも妄想で片付けるから」というのが自己主張しない理由です。
返って来る言葉が決まってんだから沈黙と大して変わらねえでしょ。
壁に向かってブツブツ言ってるのと何も変わらねえ。不毛だからやりたくない。そんなんでどうですか。
>>468 好きでやってます。
ここで言う”好きで”というのは「俺が自分で好き勝手に」とか「やりたいから」とかそういう意味です。
ともすれば社会的欲求であるかもしれません。料理の話しましたけどレスが付いてるなら返信するのが礼儀だろう、というような意味での。
もう1個注釈入れます。「これ一般論ですから(まあ俺の妄想ですが)以下の文章はあなた個人に精神的にダメージ与える事を一切目的としていません。」
ミラン・クンデラの小説に「存在の耐えられない軽さ」というのがあります。
こんなフレーズがあります。
>もし母性愛というものが“犠牲”という形で体現されるなら、
>娘に定められた役割は“罪”で、けっしてあがなうことができないものなのである
この主張は全面的に正しい。
「キリストは罪深い人類たちを救うために究極の愛で以て犠牲となってくださったのだ」
これは順序が逆です。人類が罪深いからキリストが犠牲になったのではなくて、
キリストが好き好んで万人への犠牲なんかやったから人類全部が罪深い存在にされた。
罪と罰もそうです。
母と妹がその偉大なる愛とやらを以てラスコに全面的に期待を掛けたからこそ
ラスコには罪が産まれて、(その贖罪を果たそうとするが故に)生きてても価値の無い金貸しの老婆を殺す。
俺が冗談めかして「くそめんどくせー」って言ってるうちは笑い話でどうにでもなる。
マジで言い始めたらお前罪悪感背負うことになるだろ。「ああ、私がレスつけるとこの人には重荷になるんだな」って具合に。
その罪悪感はもし産まれたら自分ではどうにもならねえ。最悪の場合、赤の他人を殺すぐらいキチな行動で出て来る可能性だって有り得る。
相手が「犠牲なんか掛けてませんよ」って言ってくれるまで絶対消えねえ。
だからあなたの質問は無意味です。
「こんなレスを書くことも負担になっていません。俺が勝手に好きでやってるからです。」
俺は本心がどうであろうとこれ以外書けん。返す言葉が決まってるんです。
あんたこれ唯我独尊だと思いますか?ナルシストって表現正しいですか?
俺は適切な言葉を知らんし、そんな話をしても多分誰もわからねーだろうし、
正確なところ説明するのにえらい面倒だから便宜上ナルシストを自称してますけど。
自分ではあえて言えばシュティルナー辺りがこんな感じだったのかな、と思うんですが。
これちょっと自分語りかもしれんな。こんなとこでいいですかね。足りないですか?
じゃあ「てめえ如きの浅知恵しか持たねえ輩はこの俺様と同じ土俵で喋れるほど値打ちねえんだよ」という妄想をメッセージを発信するため。
ぐらいで納得しといてもいいですよ。別にこれも方便として使われる政治的な意味合いでは間違っちゃいねえ。
一応妄想書いておきますが、あんたその質問をしてきたのは・・・あー、その動機付けとなった理由は
僕が節々に埋め込んできた「これは俺の妄想ですが」というボディーブローが効いてきたからだと思うんですがね。
それを抜いて読めば(まあ埋め込んだのはそれだけではないから不十分だけど)そんな質問は出てこなかったと思うんですよね。
しかしまた膨大な量の駄文だな・・・。
あとガンダムXの話ですか。
富野ガンダム以外あまり興味が無いので知りません。特に最近のは。
それとお前は「女がわかってねえ」タイプの人間なので、てめえが女とは何かを云々するのは10年はええ。
Vガンダムのファラがわかればそのとき初めて云々してもよろしい。
それと、あまりアニメの話とか文学板でやる積もり無いです。膨らませても乗っからんよ。
レスつかねえな。じゃあ独り言な。
こんなもん見ても何も面白く無いだろうけど・・・まあリップサービスってことで。
僕の行動原理は希死念慮なんです。
ただそれだけです。「全部無くなって消えてしまいたい」これが全て。
出発点であり終点。それ以外は全て「頽落」。簡単でしょ?
本来誰でも持ってる筈でしょ。
でも別に僕は死にたいとは思ってないんですよ。
だから希死念慮って言葉には語弊がある。
便宜的にね、希死念慮としときましょうよ。
当然に疑問がひとつ産まれるでしょ。
「希死念慮が行動原理のくせしてあんまり死にたい風には見えないね。」って。
うん、そうですね。
「今死ぬのは勿体無いし、まだ死ぬわけにはいかねえな」ぐらいに思ってますね。
「勿体無いと感じる理由は生命そのものへの執着?」
いやいや、そんなの全く無いです。ニーチェ(笑)と同じじゃないですか。
そんなもん「持て!執着しろ!」って言われてもいらねえんだもん。
概念的に希死念慮と相容れない。論理的に矛盾してる。正しくない。美しくない。
で、持ち出されるのが輪廻転生って概念です。まあ別に説明いらないですよね。
死んだら新しく産まれ変わって宇宙が終わるまでずーーーーーーっとそれを繰り返すってやつ。
「その宇宙の終わりっていつなんだよ?」
最短でもおおよそ5800億年ぐらい掛かるんですって。
それまで僕の希死念慮は達成されないんですって。やってらんないっしょ。
なんだよ5800億年って。馬鹿じゃねえの。円にして俺にくれよ。
で、こいつなかなか厄介です。
リセットボタン押しても”強くてニューゲーム”は無いんだもん。
記憶とか財産とか一切持ち越し無しで赤ん坊からやり直しなんだと。
神様も自動セーブ機能ぐらいつけといてくれたらいいのにね。せめてふっかつのじゅもんぐらい。
まあ今は人間だから別にいいけどさあ、たとえば千年杉にでも産まれ変わってみろよ。
千年杉って言うから寿命が1000年ぐらいありそうだってなんとなく思うけど
産まれた瞬間にはこれから1000年ぐらいは生きるだろうとかわかんないんだよ?
いつ終わるかわかんないけど「そのへん景色綺麗だから見てみてよ。」って言われてもさあ
もうたぶん5分ぐらいで飽きると思うんですよね。でも1000年動けないんだよ?
「もういいよ。終わらせてよ。」って思うよね。山火事とかなったら感謝するかもしれない。
まあ脳みそとか目とかある保障ないですけどさあ。そういう事でしょー、要するに。
次は白菜にでも産まれ変わってみましょうよ。
花付ける前に農家のおっちゃんにナタか何かで刈り取られて箱詰めされて
(一緒に詰められる奴がワキガだったらたまんねえよ。)
主婦のおばちゃんとかに100円とかで売られるんですよ。
「俺の命100円かよコラ」って思うよね。奴隷売買そのものじゃないですか。
そんで半分ぐらいに切られて冷蔵庫に放り入れられても多分まだ命は終わってないんだよ。
だって再生してくるでしょ。光合成してるから。だからあれ多分まだ生きてんだよ。
食われるなら食われるで全身をざく切りにされて熱湯で茹でられて
歯でゴリゴリ噛まれて胃液で溶かされてウンコにされるんですよ?
拷問のフルコースじゃねえか。マジで勘弁しろよ。
あとはまあ鈴木でも将臣くんでもいいけど
そいつのキンタマに今まさに入ってる精子にでも産まれ変わったら
オナニーしてティッシュに捨てられてハイお仕舞い、とかあるんですよ?
もう今の人生に辿り着くまでにこういうのが何度あったのかもしれない。
いやんなるでしょ、もう。今の人生だいぶ恵まれてるでしょ。
とりあえず色々動きまわることが出来るし奴隷売買されることもないし
酷い刑罰つってもせいぜい死刑ぐらいで自死の自由もある。
おまけに日本っていうそれなりに恵まれた国に産まれて
そこそこ歴史を刻んでるから先人の残した知識を活用することも出来る。
そうそう滅多にあるチャンスじゃないですよ、これは。
たとえばだねえ、人生ゲームっていうボードゲームあるでしょ。
すごろくですよ。要するに本質を突けばサイコロ振ってコマ進める遊びでしょ。
盤面のマスがどうのこうのっていうかそんなの関係無いんです。
「サイコロ振るのにもう飽きたんだよ馬鹿野郎!」って思って盤面破いたら
わんこそばのおかわりみたいに後ろから新しい盤面出されて
スイッチひとつで記憶消されて、飽きたことすら無かったことにされて
延々おんなじことやらされるんですよ。
「そう考えるとおいそれとは死ねねえな。」って思いますよね。ふつー。
だって死んだってまた別のアホにでも産まれ変わったらたまんねえでしょ。
わりと恵まれた初期配置の盤面ですよ。出目もそんなに悪くないらしいよ、今回は。
この輪廻転生って概念は何が言いたいのかっていうと、
「死んだところで希死念慮は達成されないよ?」っていう訓えなんです。
希死念慮の元々の性質自体は何も変わってないんです。
「全部どーでもいいから消えて無くなってしまいたい」。これ。
これが何も変わってないにも関わらず「死にたい」→「まだ死ぬわけにはいかねえ」って
実際に出て来る結論が真逆に変わってるんです。
こいつはなかなかクリティカルな悪知恵です。
なるほど、輪廻転生じたいは何の根拠もねえ。何の根拠もねえけどこの発想は見事だ。
一体誰が思い付いたんだこれは、って2000年近く前の龍樹ってオッサンなんだとよ。
そのオッサンが希死念慮を達成する方法まで教えてくれてるんだとよ。
「全部どーでもいいから消えて無くなってしまいたい」って僕の願いを叶えてくれるんだってさ。ご丁寧なことだよ、全く。
じゃあどうすれば良いって彼は言ってるのか。
「梵我一如の悟りを得なさい。」だって。
「それを得る事が出来れば君は入滅して仏陀になって空に還ることが出来る」。
僕は別に仏陀になりたいとか幸福が欲しいとかそんなんはどうでもいいけど
”入滅して空に還ることが出来る”ここは無茶苦茶重要です。
ていうかそれ以外いらねえ。全部「頽落」だから。クソくだらねえ。すっげえどーでもいい。
サイコロ振るの飽きたんだよ。もう腕上がらねえ。腱鞘炎だよ。いい加減にしろよ。
この梵我一如の悟りを得ても僕が本当に空に還れるのかどうかは何の保障もありません。
何の保障もありませんけど、ああまで見事に希死念慮のベクトル変えたこいつの悪知恵だけは認めないわけにはいかない。
要するに僕よりも龍樹ってオッサンの方が遥かに頭が良かったんだ。むかつくことに。腹立つことに。
そいつが僕の行動原理を見通すかのように希死念慮を達成する手段まで用意してくれたんだと。ご丁寧なことに。
からかわれてるみたいでしょ。
「まあ所詮はその程度のしょうもない悩み(生きる意味)で思考が止まるような馬鹿にはこんな悟りを得るなんて問題は解けるわけ無いけどな(笑)」って。
政治的な意味合いでもわかってるんですよ。
「お前ら凡俗がこのナゾナゾに頭を悩ませてもまあまず解けねえよ。少なくとも寿命でくたばる方が先だな(笑)」
だいたいこんな感じの意図ですよ、おそらく。
寿命より先のところでソリューションを設定して煙に巻くってのが仏教の常套手段だから。
ただ、こいつの傲慢は許せねえ。
釈迦だか龍樹だか知らんが僕の思考が、行動原理が、そいつの手のひらの上で全部お見通しならそれでもいいですけど、
その問題だけは解きます。解いてお前に「正解だ。よくやったな」程度の事は言わせないとちょっと腹の虫が収まらねえ。
そういう感じです。すごく単純な動機。
社会的承認がどうとかいらないんですよ。
「龍樹を対象にした被愛妄想だね」とかなら正しいかもね。
なんとなくわかりました?
あと2つはどうしようかな・・・暇があったらね。そんじゃ。
今気付いたけど俺がなんでもかんでも「頽落」だっつってんのはお前がなんでもかんでも「妄想」だっつてんのとあんまり変わらねえな
自重しよ。
なんかノッて来た。なるほど。独り言たのしい。
あんまレスポンス関係ないね、これ。ついったやろうかな。
俺は別に仏教が正しいからキリスト教はダメだとかそんなん言う積り無いですよ。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1312311900/456-472 もうこの人とほとんど同じ。
・仏教に言わせれば無限なんて嘘っぱちだ。未知的な他者も根源的未規定性も無い。全て有限の論と理で詰められる。とする。
(まあホントはそんなにストイックでもないんだけど。)
・キリスト教は無限に対する服従だ。色々と論と理で解き明かしてもいずれ解決不可能な問題は見つかる。
だからもう最初から未知的な他者を認めちまえ。そいつと共存しましょう。その為の方法論を模索した方がよっぽど有意義だ。
円周率の最後の数字がどうとか別にそんなの良いだろ。πで代用しろよ。何の不都合があるんだよ。とする。
お前の言い方だとどうなるんだろうな。
前者はお前みたいな理系か?ストイックに合理性を徹底する。後者はハスミみたいな現実主義的な政治的合理性か。
なんかこういうまとめかたすると宮台の右翼左翼の定義そのまんまで嫌なんだけど。
まあお前が左翼だ。ハスミが右翼だ。両立するんだとよ。
普段努めて書かないけど正真正銘の妄想入れると、お前きっと潔癖症なんだろうね。ロマンチスト。
そのストイックな合理性が真実であると盲信するが故に政治的合理性に対して排撃的になる。
その政治的合理性が少しでも自分に混じる事が汚されたレイプされたと思うから徹底的に排除しようとする。
まあお前ようするにビッチなんだ。認めたくないわけだ。そう言われたらグサッと来るから潔白な乙女でありたい、と。
こりゃ確実性も何も無い。徹頭徹尾妄想で出来上がってる。たぶん事実だろうけどこんなの書いてもしゃーねえんだから普段書かない。
「語り得ぬもの」だから沈黙。まあ面白いっちゃ面白いけど・・・星座占いの範疇を出ねえな。(因みに僕は水瓶座です)
将臣くんに「お前は自分で自分の言葉に価値が無いことを半ば承知している」って仮定したのとほとんど同じ。
で、どっちかっつーと俺も右翼的だ。そういうのが無いわけじゃない。まあ心性は極左だが。
今まで気付いた奴ひとりもいねえし(知ってて誰も言わねえのかもな。語り得ないし。)、自慢くさくて仕方ないからあんま言いたくないけど
俺の書くテキストってのは相手に論理的な印象を与えるような政治的小細工がある。
最初に命題・方法論・仮結書いて概要と実例(たとえばなし)交えた本論で結論に導く。
学術論文の形式をそのままパクってるんだよ。もう染み付いてるから意図的にやらなくてもそうなる。
これが快・不快を誘導・操作する政治的演出だし伝統からの教訓だ。
このトリックに気付かないと論と理で詰める奴ほど論と理に投影する。
結果、更に論と理が詰められて行ってビシャスサイクルだ。読みやすくなる、と。というのが俺の妄想だ、とこれで良いか。
コミュニケーションが相互的でないとダメってのは、つまり話が通じねえと嫌な感じがするのは
仏教的に言えば「相手がアホだからだ。」
だから話が通じねえんだ。或いは「言葉そのものがダメ」だからだ。「自分が妄想だから」だ。
相手が「アホだから」と帰納するには、「言葉を完全にする」か「自分が完全になるか」。
後ろ2つが完璧に体現されたら100%相手がアホなのがコミュニケーションが成り立たない理由だ。他に無い。
もう2パターンは余裕で想像出来るだろうからいちいち書かねえよ?
キリスト教的に言えば「のれんに腕押し」だからだ。
ストーカーに恐怖を感じるのは「相手が話の通じねえアホだから」では不十分だ。
何言っても無駄だから怖いんだ。通用しねえんだよ、コリクツが。常識が。理性が。
やってもキリ無いんだから抵抗への諦観が起こるでしょ。
抵抗への諦観って事は無限に対する従属だ。無限に対する従属ってのは神に対する服従だ。
男性的でしょ。父性でしょ。レイプでしょ。
宮台に言わせると
「キスとは双方が言葉を遮断することに合意することを意図したコミュニケーションだ、と定義出来る。
お前そこらへんのアホ女と変わらねえだろ(笑)アホ相手にセックスした方が気持ち良いだろうが(笑)認めちまえよ(笑)」になる。
こいつの論に「そんなもん頽落だ」とは言えねえ。だって当たってんだもん。
そりゃそうだな。希死念慮そのものが簒奪されちまってるんだもん。
「セックスするのに知性が必要か?サルでも出来るだろ?」
反論を考えるのに基板となる自我が必要なんだけど、それは希死念慮とは厳密には相容れない。
「どーでもいい」の対象には自我も含まれてるんだもん。自我ですらどーでもいい。
「お前は自我ですらどーでもいいってんなら思考する必要無いだろ。セックスに思考必要無いだろ。無駄だバーカ(笑)」
こいつの論に対して反撃するには「希死念慮に対する希死念慮」を持ち出しましょう。
”どーでもいいってスキーム”に対する”どーでもいい”。マイナスのマイナスでプラス。
「どうでもいいわけあるか!」ってキレる。
あとはもう愛とか持ち出すしか無いんじゃないの。
絶対他者と絶対自然ね。
お前「老い」って意識してねーだろー。
まあ俺もあんま普段から意識してないけどさ。
老いとか考えたって実際なった事ないんだからわかんねーよ。
テレビで少年兵の悲惨さとか訴えられても俺知らねーもん。
そら可哀想だな、ぐらい思うけど決定的に他人だろ。わかんねーもん。
だから「わかったような振りをするのは倫理的にダメな態度だ」ぐらいは自覚するでしょ。
同情は罪深い。こりゃ真理だ。「お前の思い上がりだ」って。
「人間はいつか老いるってそんな事ぐらいわかってんだよ。判ってるけど解らねえだろ。」
「少年兵に限らずそんなもんは突き詰めりゃ赤の他人だ。そんな事ぐらい解ってるんだから判らねえだろ。」
「老いとは自明的に自己に対して適用される(人間は必ず老いる事を誰でも承知している)。しかしまだ体験していないので”絶対自然”である。」
「少年兵の悲惨さは自明的に自己に対して適用されない(戦地で産まれて過ごしていない)。故に絶対に自己適用出来ない”絶対他者”である。」
原文知らないからとりあえずこう定義しとくな。
中立って概念自体は超越的だ。
「人間は絶対に中立を表明出来ない。」
まず”中立的”とは何かってことを”絶対自然”として定義しなけりゃならない。本来は”絶対他者”である筈のものを。
トロッコ問題手渡されて「人殺すのは正しくない」って回答してもズレてんだよ。
そりゃ生命の平等って意味では中立的で倫理的に正しい。
そんなもんとんちの世界だ。「1+1=田」ぐらい抜けてる。
論理的には間違いだ。レバー引くか引かないか。
許される選択肢がそれだけ。0と1しか無い数学的な世界なのに
そのどっちにも組みしない中立的な立場からの物言いはアンフェアで中立的じゃない。
ヴェルトフライハイトからやり直し。そうなるでしょ。こんなとこで。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1321937518/248 >メロドラマを批判しつつ、表現者に対して甘いのは、彼のそういう無意識の表れだと思う。
表現者に対する敬意の顕れなんだってば・・・。
表現者は論理的に。緻密に。感覚的に。お弁当の彩りと配置を考えるの。
栄養バランスさえ良ければ何を食っても良いってこっちゃない。
芸術なんてのは「機能美を様式美へと変換する行為」って定義出来る。批評はアントだ。両立も出来る。
音楽には質感がある。陶酔がある。0と1だけで説明出来ない。
でも楽譜には無い。演奏者が居ないからその場のリアルが無い。臨場感が無い。0と1だけで説明出来る。
でも楽譜を見て再現出来る筈なんだ。リテラシーがあれば。オナニーと同じだ。相手を想像出来る。妄想出来る。
将棋でも相手の戦略を読んで機能的に正しさを導いて行くゲームでしょ。まあ創作物なんて一方通行だけど。
買い物して具材と機材を用意出来る。ここまでは機能的だ。0と1だけで説明できる。金銭的に換金できる。
そこから創作って行為に移る。もう0と1じゃ還元出来ねえ。そこに「気持ち」が入るから。
「出来た弁当はマズイ。でも作ってくれてありがとう。」でしょ。
献立と具材っていう0と1の機能美が彩り豊かな様式美に変わる。
そこから「大文字の他者」に届けられる。届いたときには既に様式美は無い。
「大文字の他者」によって、それは0と1に分解しようという「様式美から機能美への変換」という批評の目に晒されるから。
その弁当には値段を付けられる。0と1だけで説明できる。
これは「大文字の他者」自体の行為なのか、ある特定の誰かに届けられるときに起こる劣化なのかはわからん。
まあマルクスに什麼生出したら説破そいつは資本家だとか妄言吐き出すだろうけどな。
「機能美が無いのに様式美だけで出来上がってる芸術」に腹立ってんでしょ。
それは俺が川端康成見た時に感じる腹立たしさ。志賀はそうじゃない。ただ、俺にはまだ言葉にならねえの。
様式美として鮮やか過ぎて俺には0と1に還元して誰かに届けるだけのリテラシーが無いの。
まあまあ妄想っちゃ妄想だけどよ。
なんだかんだ言って証明するには志賀の作品を俺が解体するだけで済むんだから。
俺が志賀に負けた。そういう話だな・・・。
橘玲って作家が居てそいつに友人が金を借りに来た事があるんだと。
その友人ってのは結婚してて持ち家もあったんだけど、その友人はそれら全部とりあえず決着つけたけど
慰謝料だかなんだかで結構取られたとか放蕩してたとか忘れちゃったけどとりあえず金貸して欲しいと。
オーストラリアの岩言って一人でワルツを踊りたいみたいな事言って。
で、金貸してやったんだと。貸したっつーかほとんどあげるみたいな気持ちで。
羨ましくなったとか得も言われぬ共感があったとかそんな理由。
どっかでテキスト読めねえかな。ネットでも転がってるかもしれない。
その友人はまあ実際にオーストラリア行ってそんなんやってたらしいけど
その小噺の締めが「そいつの旅はいつか終わり、戻るべき家は無い」とかそんなんだった。
うん、わからんでもない。なんか泣けてくるような郷愁がある。だからよく覚えてる。
志賀直哉の1個目のやつそんな話だよ。男の旅ってそういうの。
世界との対話とか山の上でやっほーって叫びたくなる気持ち。希死念慮もそういうものかも。
女の旅はそういうもんじゃない。結婚の時に新生活に移るんだから。
実家に還るとか故郷に戻るとかそういう旅。未知な世界なんて嫁入りした時に消えてんだ。
アンナ・カレーニナの轢死ってそれもまあ似たようなもんだよ。
あんなもん飛び降りるのは陶酔なんだから。こういうの陶酔って言いたくねえな。言いたくねえけど仕方ねえ。
あの人は曼珠沙華だ。食ったら死ぬよ。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1284683843/182 男の射精に近いもんだ。とりとめなく言葉が飛んでいって
自己陶酔剥がされて行くそれ自体の快感。自分ではない世界との対話を望む気持ち。
危険だからもし無自覚ならやめとけ。ビョーキだぞ。
頑張って志賀直哉書こうとしてもこれぐらいが限界。あと言葉にならね。
エアーズロックだ。そうそう。なんだよ岩言ってって。
しないっつったけどガンダムの話しとくかー。
まあガンダムの文学的意義を語れよっていうと
岡田斗司夫に言わせるとこうだ。
1.悪い敵がせめてきたぞー
2.父の作ったロボットに乗ってたたかえー
3.ついに敵をやっつけたぞばんざーい
これを延々やるわけだ。水戸黄門と一緒だ。まあまあくっだらねえプロットだ。
くっだらねえというかオーソドックスだから強度がある。馴染みやすい。
定型決まってるから無茶やってもそれなりに付いてきてくれる。
ここから岡田と俺でよれる。俺だとこうなる。
「柔軟性という言葉が辞書にない癖にまともな極論を吐くキチガイ国家と
戦争を知らない故の眼前の脅威に対して実感が持てない穏健リアリスト国家との間で
否応無く前線に立たされるノンポリの若者たちが堪え難い現実に翻弄されながら成長していくという60年代学生運動にも似た群像劇」
学生運動詰め込んだ事が凄い。
まあ児童文学としてはニ次大戦詰め込んだ星の王子様と同程度には評価しとけよって思う。
岡田は上のように考えない。
「人と人とが誤解なく分かり合えるかもしれないという希望」を詰め込んだ事が凄い、と。
いわゆるニュータイプって概念を入れ込んだ事が凄い、と。
一応補足しておくと、ガンダムの前にイデオンって作品があって
そこでは「出来損ないの人類たちの」歪み合いで全員お星様になっちゃったから
「出来損ないではない人類たち」って一体何よ?ってとこからアイデアが産まれた、と。
で、女ってのがテーマになっていくんだね。ガンダムは。
1stはララァって一人の戦争用のパイロットだったのが
Zでは女を中心とした世の中を作りたいということを行動原理としたシロッコという中性的な人物に移って
ZZでは萌え要素突っ込んで戦争という悲惨さをコミカルに描こうという頽落のための素材に使われて
CCAでは概念として。既に個々の妄想の中にしかいないララァが隕石吹っ飛ばすという実践として奇跡を起こす。フィクションだから。妄想だから出来る。
F91では偶像・アイドル・ポピュリズムのシンボルとして初めて政治的役割を持たされる。まあ旧日本の天皇みたいなもんだ。
Vでは傀儡国家の偶像としてあったF91的な役割からCCA的な役割への交代・権力の移譲が描かれて
∀では女王降臨としてシロッコの理想が体現される。無限として描かれた女の有限への諦観。ここでまあとりあえず完成。
まああともう一個千年女王の君臨を描きたいみたいな事言ってもう12年待たされてるけどそれはいいや。
富野の作品では女って常に中心であってきた。
コミュニケーションが断絶されないニュータイプは多分森羅万象の全てを見通す事が出来るからまあ良いとして
真実ってのはきっと出産の喜びではなくて陣痛の痛みの方に宿るものだから諦観って概念は非常に重要なんだ。
オールドタイプは諦観する。「人と人とが誤解なく分かり合えない」から愛は産まれる。
少女は諦観する。母になるという徹底的な重さを飲み込むから「女を知ってる」。
富野は諦観する。自分は男だから絶対に陣痛の痛みを知ることが出来ないのだと知る。
トルストイも諦観する。自分は貴族の出だから徹底的に農民にはなれないのだと知る。
何故こいつらが美しいのかというと迷いが無いからだ。0と1の世界へと自ら赴くから美しい。
自由を捨てて意志に向かうから美しい。信仰そのもの。机上の空論なら男にも少女にも持てる。実存上は母にしか持てない。
こいつ無限なんだろうか?有限なんだろうか?
おそらくは無限なんだ。実存上の有限を打破する実践的な方法が俺に見つからないってだけの話で無限であるのだろう。きっと。
もしも有限なのだとしたら俺は既に希死念慮だけで悟りは得ているから。
でも徹底的に諦観して0なのだとしたら
”無”って何も無いんだからなんでそこから何か産まれるのよ。
”無”が必ずしも無限ではないってことでしょう?有限なんでしょう?
コミュニケーションの断絶を徹底的に自覚(諦めて)して”無”だとしたらそいつは唯一無二の真理ではないでしょう。
有り得るんだろう。揺らいでるんだろう。あるともないとも言えない。規定は出来ないわな、そりゃ。0と1ではない。
有限であれば0と1で説明出来る。無限であれば0と1で説明出来ない。もうこの辺から先に思考が進まねえ。
そういうとこ。なんかヒントくれ。
すっかり忘れてたけど自分で何話してたかもあんま覚えてないのですみませんスルーしますね
とか言いながら一応。
前の話覚えてないって前提で。
「無」自体が妄想の産物。
例えば自然界に完全な無音は存在しない、ってのと似てる。
物質が何も存在しない空間は存在しない。
>有限であれば0と1で説明出来る。無限であれば0と1で説明出来ない。もうこの辺から先に思考が進まねえ。
世の中には無理数ってのがあってだな略。
なんか数学の基礎からどうこうしなきゃいけないんじゃないのか。
うん、そりゃわかってます。
無は妄想の産物。そりゃそうだ。
何も無いんじゃなくて見えないだけ。知らないだけ。認識してないだけ。
確として言えるのはそれだけ。完全に独我論的な立場ですよね。クオリアすら説明出来ない。
じゃあその唯我独尊を突き詰めていけばどうなるかって「時間を共有してる」って常識もやはり断絶される。
Aの感じる1秒の長さとBの感じる1秒の長さは必ずしも共通してない。そりゃ測れない問題だから。
将臣くんが言ってた過去と未来を融合するってセンスはとても良い。そういう話になる。
新聞紙折り畳んで月に届かせるようにタテヨコをタカサに圧縮して平面的には0に近付けて行っても必ず0にはならない。
そういう類の芯だって残る。まあそれを消すのが目的だけどそんなもん出来たら不老不死になるわ。
いやまあ無理数って言って何が言いたいか程度の事はわかるけど
ただそれだけなんだよ・・・数学だって社会的で相対的なんだから・・・。重要なのは単純に論と理だけだ。それも空だけど。
ていうかごめん。ここ俺のスレみたいになってた。すまんすまん、それじゃ。
時間出来た。
今回の話で個人的にどこが一番面白かったかっていうとここなんだよね。
ログ流れちまったから引用するけど。
1 A 「私もまだ知らない世界がある」ってのが女だ
2 B カマキリの雌じゃないの
3 A それはラカン的で良い
4 B それを踏みつぶすのが男だ
5 A じゃあそれに「痛い」と言うのが女だな
6 B それは腑抜けだ。女は黙って土に還る
7 A 男も土に還るけどな
8 B ニーチェにかぶれるとそういう当たり前のことがわからんのだよ、男は。
9 A 女はそれを笑って見てりゃいい、って感じか
まあ実際には10としてBの沈黙が入るんだけど。
伝わってないようで伝わってる。伝わってるようで伝わってない。残余だけの会話。
これガンダムでもわりと頻繁にあるんです。富野節っていう成立してんのかよくわかんない会話。
もののけ以降の宮崎アニメにもよくあります。
だって台詞だけで状況説明したら小説で必要十分なんだもん。
「映像が喋ってる」んだから台詞なんて残りカスしかいらねえんだ。
(まあジブリの場合は高畑勲死んで後継者不在だから映像屋としての意味・付加価値の付随を念頭に置かないと
っていう危機感ありきだから俺は映像が煩くて仕方ねえんだけど。っていうか大根俳優使うな。)
そういう富野節の解釈をするのが結構好きなんだよね。映像に込められた意味付けを読むのが。
Bはまあ俺だから解説入るけどAは妄想で埋めるしかない。
というかまあこれ男と父をほぼ同一に見做してるから起こる齟齬だと思うんだけど以下のような感じになる。
1 まだ知らない世界がある。でも「いつかは全て知ることが出来るだろう」という期待が読める。
世界は条理で覆える。左翼的。世界の有限性を無意識に想定してる。仏教的。理系的。
(もし想定していないのだとしたら「私には絶対に知ることの出来ないモノが世界には確実に存在する」と書く。)
「父の名が波及していない世界」への憧れ・逃避・男性的な旅への衝動が読める。
2 実存を飲み込んだ程度では「断絶された0と1の世界」。有限性を規定した世界しか知ることが出来てない。
お前のそれは「哲学的ゾンビ=人間」を擬制して世界を規定すれば正しい。ただ実際はそうとは言えない。
3 「まあ同意出来る」
4 「父の名」は万人に世界を覆っている。不完全を受け入れろ。お前も同じ様に去勢されろ。
5 乳首を取り上げられてギャーギャー喚いてるなんてマザコンそのものじゃないの。女々しいったらありゃしないわ。
6 そうですね。そいつは女々しい。甘ったれたマザコンだ。ぎゃあぎゃあ喚いてないで正しく希死念慮そのものに巻かれて全力で死んでくれ。
そうじゃなくて不完全な自分を徹底的に自覚して諦観しろ。乳首の無い世界を認めてくれ。
「空を自由に飛びたいな(父の名を離れたいなあ)」っつっても飛べやしねえんだよ。
いくら化粧したってブサイクはブサイクなんだからブサイクらしく生きろ。身の程を知れ。(ブサイクかどうか知らねえけど。)
7 身の程を知ったところで人間いつかは死ぬんだから化粧しようがしまいが変わらないでしょ。
8 そりゃまあいつかは死ぬけどよwニーチェみたいにコリクツ捻り出して「父の名を受け入れない」とか言い出すような輩も居るんだよ・・・
9 男はみんなそうでしょう。馬鹿らしい。
10 皆じゃなくてだな・・・。お前結局「父の名」を拒みたいだけのカマキリの雌のまんまじゃねえか・・・
誰かこいつを去勢してくれw
俺にゃ無理だった。無理っていうか・・・うーん。俺の限界なのか。それとも俺が父に見えてんのか。
「父の名」は発情期止まらないオッサンだから年柄年中レイプしてて万人が被害届出さずに泣き寝入りしてると教えてやってくれ。
お前食事しないと生きていけないだろ。睡眠取らないと生きていけないだろ。希死念慮を否定出来ないだろ。
そうしないと生きていけない不完全さを諦観してくれ。諦観を科学したい。希死念慮を解剖したい。そういう動機付けに変えてくれ。
希死念慮の衝動・色即是空(ヘタレ・マザコン)と希死念慮の覚悟・空即是色(女・母・愛)の違いをどうにかして知覚させたい。
でもわかってそうなんだよなあ・・・。俺がわかってないのかなあ。
あと小文字の他者へ。っていうかムー大陸へ。
違ってたらごめんね。なんとなく俺かなーって思ったから。
上で言ってるように別に死にたかねえんだよ、俺は。
お前が死にたくなったんなら勝手に死ねば良いけどよ。消えたいんだよ。
雲散霧消したい。入水とか首吊りとかまず無いから。手榴弾抱いた方がよっぽど良いわ。
そんで希死念慮とかメンヘラめいたことリアルでおくびにも出さねえから。
お前がもし何かやりたいってんなら実存上で俺と同じ事しろ。
右手小指にマニキュア塗れ。爪を隠せ。能ある鷹を自称しろ。左翼と右翼で中翼(なかよく)しろ。
あと別に俺は金銭的な不都合ってのも無いんです。ごめんなさいね。
まあ仮に貧乏ったれだったとしても金の尽きたとこがそいつの寿命でしょ?
そういう風に0と1の有限の論理(言葉・カネ・数字・政治的合理性)なら説明が尽くんだよ。
Q.人間はいつまで生きれば良いのか? A.自分で自分を養えなくなったとき。
簡単でしょ?
Q.日本のプライマリーバランスを改善するには? A.団塊より上を全部東南アジア辺りに追放しろ
どだい人件費大国の日本で労働集約型の介護事業が成り立つわけがねえんだ。
海外にアウトソーシングした方がよっぽど合理的で0と1の論理なら正しい。
ただそれじゃ可哀想だし、何より選挙通らねえんだよ。
そんな感じ。こんなんで良い?かな。
なんかすっげえアホらしい結論になった。やっぱ作家性が無い。
死ぬじゃなくて消えたいは俺も言ったことあるなあ
>諦観を科学したい。希死念慮を解剖したい。そういう動機付けに変えてくれ。
ここが違うな
俺はエスを科学したい
>でも「いつかは全て知ることが出来るだろう」という期待が読める。
そう「読める」のはBの君。
物理やってたら、物理学者が「神」とか言っちゃうくらいに「全てを知ることは不可能だ」とわかると思うんだが
>世界の有限性を無意識に想定してる。仏教的。理系的。
これも違う。
人間の考える世界は有限だが。
華厳は無限の世界。
唯一神などいない「神様のバトルロイヤル」だけど。
>「私には絶対に知ることの出来ないモノが世界には確実に存在する」と書く。
それは「知ることの出来ないモノが世界には確実に存在する」ということを知っていることになるので、嘘になるので書かない。
>「父の名」は万人に世界を覆っている。
「父の名が排除」された人もいるわけだが
万人に「父の名」という病理はあるだろうが、それを排除した人もいる
世界を覆っているのではなく、「父の名」とは「ヒトという種の多くに見られる集団行動の精神病理学的な病理」だ。
>男はみんなそうでしょう。馬鹿らしい。
これ俺言った覚えは無いな
つかお前の脳内会話か
>「父の名」は発情期止まらないオッサンだから年柄年中レイプしてて万人が被害届出さずに泣き寝入りしてると教えてやってくれ。
いいセリフだ。
ただやっぱそれは生物学的なオスだと思うんだよな
「ヒトという動物は他の動物と違って年柄年中発情している」なんて言われてるわけで、年柄年中発情している方がヒトなんだよ。
年柄年中発情しているわけではない、生理という物性にある程度依拠してしまっている、つまり動物的なのが女。
>「父の名」は発情期止まらないオッサンだから年柄年中レイプしてて万人が被害届出さずに泣き寝入りしてると教えてやってくれ。
これはすばらしい説明だなあ
「父の名を排除」しているのは精神病になるわけだが、
(倒錯も近いけどあれは「父の名の否認」、神経症は君が「被害届け出さずに」と書いたがごとく「父の名の抑圧」)
そうなると、普通の医者さんが境界例だと診断するような患者でも統合失調症だとかに診断しなきゃならなくなるのも事実。
そういうラカン派のお医者さんいたみたいよ。ラカン派でもない普通の医者が、そいつから送られてくる糖質って診断された患者を診て
「こちらからすれば境界例なんですけどねえ、ラカン派にはそういう決まりでもあるのか」
とか言ってたりする。
この「発情」は動物学的な交尾する物性じゃないんだよな
「性関係は存在しない」
「性と愛は別物だ」の「愛」
別物だが、「愛」も性的なものを根拠にしているとしたのがフロイト理論
「性愛」だよな、いわば。
「ヒトという動物は性愛が止まらない動物だ」ってことだ。
>「父の名が波及していない世界」への憧れ・逃避・男性的な旅への衝動が読める。
逆なんだよな、「父の名」ってどういうもの? って話なんだよ
でも「父の名」って具体化したり名前を付けちゃうのも「父の名の排除」になるんだよね
俺からすれば他の多くの人間は、みんなある絵の中に収まっている人たち
言葉は多義なのに、俺以外の人たちは、意味を特定しあっている。
>>109だよ。
>「父の名が波及していない世界」への憧れ・逃避・男性的な旅への衝動が読める。
これは君がそう「読める」という話なわけだ。
>5 A じゃあそれに「痛い」と言うのが女だな
>6 B それは腑抜けだ。女は黙って土に還る
>7 A 男も土に還るけどな
ここも重要だな
鍵君や将臣君なんかを見ればわかるように、「父の名の排除」がある個体の方が「神」などと言う「父の名」について言及する
そらそうだ、普通の人は「父の名を抑圧」しているわけだから
それは「痛い」だと思うんだよな
「痛い」ものを「痛い」と言って何がおかしいのか、と
痛かったら声上げるだろ
会話としての言葉じゃないただの反応としての声
声は会話だけのためにあるものではない
物理学者は、「この世には科学でわからないことがたくさんある」と知って、世界は無限であることを知る。
希死念慮にもいろいろあってなあ
自分から死のうという気が強いのは、つまり「希」が強いのは、死を幻想化していると思うんだよなあ
だから俺はよく俺が寝ているうちに起こさないように殺してくれ、と言っている
麻酔剤とか完璧
君の言う「読める」は、「お前だって「父の名」にレイプされてるんだよ」って話なんじゃねえの?
その単語を定義したラカンが「父の名の排除」という個体を定義しているのに
つか
>「父の名が波及していない世界」への憧れ・逃避・男性的な旅への衝動が読める。
これとか鈴木とかムーとか園児だと思うんだけどなあ
俺は自分語り、独り言オナニー(気に入ったらしい)してるだけだよ
ここで誰かが言っていた、「伝統自体が大事」なんて言う、「伝統」なんてのも「父の名」が病理になってるイメージなんだけどさー
「鬼火」だよ「鬼火」
君はそれがわからないから
>「父の名が波及していない世界」への憧れ・逃避・男性的な旅への衝動が読める。
と読んでしまうのだろう
「父の名が波及していない世界」にしか「鬼火」がないというわけではない
能にも焼き物にも「鬼火」がある
「伝統」に価値を見出して、それそのものを見ようとしない奴らに対し、俺は違うものを見ている、と言っているだけ
君には見えないものを俺は見ている、と
渡邊守章の授業で
「子供の頃から能をやりたかったわけではない、ただそうなっただけ」
って言う能役者の話を聞いたんだが、その人前衛バレエのワークショックとかにも参加してるような人なんだな
彼らが、そして渡邊が知ろうとしていたのは「鬼火」であって、「伝統か前衛か」なんて問題ではない、ということだ
「父の名が波及している世界」か「父の名が波及していない世界」かなんて問題じゃないんだよ
どちらにも「鬼火」はありうる
見える人と見えない人がいるだけ
そもそも「伝統」に価値を見出して、能を前衛バレエのように「そのもの」として見ない方が、伝統芸能に対して失礼だと思うわ
それこそ資本主義的
価値世界のみしかない精神構造、という意味で
いや、大凡の読み違えはわかりましたよ。
>>527 僕は無条件に伝統に帰依せよ!だとか神をシンジナサーイなんて事は言ってないですよ?
そうなる必然があるのだろうと仮定した上で思考を進めるとそうなる必然が見えてくるよ?って言ってるだけで。
で、なんとなくわかったんですよ。
あんた多分まだ本当に欝を経験してないんだろうなって。
林芙美子のとこ見てても志賀直哉で合わない理由もなんとなくわかってきました。
でもこれ言葉をいくら交わしてもわからねえだろうなあって気はするし。
どうしたもんなのかなあ・・・。どうしようもねえのかなあ・・・。
僕あなたのおかげで帰謬論証を完璧に体得出来た自信があるんですよ
ちょっと試してみて良い?
>僕は無条件に伝統に帰依せよ!だとか神をシンジナサーイなんて事は言ってないですよ?
俺もそんなことは言ってないよ?
君は誰と会話しているんだ
>そうなる必然があるのだろうと仮定した上で思考を進めるとそうなる必然が見えてくるよ?って言ってるだけで。
必然を忘れて観察しないとだめなんだよね
実験観察をしている時はその理論を忘れて観察せねばならない
必然というのは大体の場合人間の心でドクサとなる
>あんた多分まだ本当に欝を経験してないんだろうなって。
うん、医者に抑鬱状態と診断されて「えー、これ鬱じゃないだろー」ってのが精神医学方向にはまったきっかけだったりする
むしろ鬱な人間は嫌いだ
他の人はそうじゃないらしいが、鬱な人間ほどファロセントリストに思えるから
>>534 よくわからんがどうぞ?
自分自身の支配欲に自分が飲み込まれた人が鬱になる、って感じ
>そうなる必然があるのだろうと仮定した上で
これがすでに支配欲の表れみたいな
必然というものはそもそもがそういう人間心理にすぎないよ
シンクロニシティとかそういうの
つまりそいつが必然と思えば必然
空とは鬱じゃないんだよな
無ではない
>そうなる必然があるのだろうと仮定した上で思考を進めるとそうなる必然が見えてくるよ?
これなんてマッチポンプっつうかオナニーっつうか
「必然があるのだろう」と仮定して思考を進めたらそりゃ必然が見えてくるだろうよ
>>171,208でも書いているな
「必然」って単語を出してきたのは君だよ
それは君の主観にすぎない
それを押し付けられても困る
>うん、医者に抑鬱状態と診断されて
で別の心理カウンセラーに相談したら「仮面うつ」とかの話されてな
人前では鬱っぽくないけど、例えば部屋で独りになるとうつになるとか
この場合「鬱じゃない」のが「仮面」だってことになるな
さて俺はどっちだろうなあ
>>540,542
いや、まあそりゃそうか(笑)
そりゃそうなるよなw
>>535,543
僕ねえ、なんとなくホントにわかりました。
なんか泣けてきたわ。どうしよう、これ。
なぜ泣けてくるの?
<帰謬論証開始>
Q.
あなたが対象A(学問でも演劇でもなんでもいいですよ)をやる理由は何ですか?
A.
自分がやりたいから。好きだから。
Q.
それにも終わりがいつか来ますよね?
その対象についての終わりが仮に無かろうとも人間ですから必ず寿命があります。
ゆえに3通りの可能性があります。多分他に無いです。完全にこの3つにカテゴライズ出来ます。
1.「充分に満足したとき・飽きたとき」
2.「万物の理全てを解き明かしたとき」
3.「寿命がきてしまったとき」
A.
>1.
満足しても暇でしょうがないし、飽きたなら対象Bをやりますね。
対象Bに飽きたら対象Cに移りますね。(対象Aがフロイトなら対象Bにラカン入れるとかで良いですよ。)
どんどんどんどん繰り返して1か2になります。どっちですか?
>2.「万物の理を解き明かしたとき」
万物の理を解き明かしてから死ぬまでの間は
何もすることが無いのでニヒリズムに襲われます。
>3.「寿命がきてしまったとき」
死んだときにはまだ解き明かしていない理が有る筈(対象Yまで終わったけど対象Zを手に入れてない)なので
それを得る事が叶わなかったことによるルサンチマンが発露します。
<帰謬論証完了>
ちょっとだけ解説入れて、あなたを読んでみます。
以下「妄想です」とか殊更に付け加えませんから適当に脳内補完してね。
性的衝動に基づいて何かをやってる限りは執着があります。最終的には精神病になります。
今まで見た感じで盲執的と言えるところは
「人間の行動は全て性的欲求に基づいている」という経験則とそれを裏付ける論理に対する信頼です。
でも実際にはそれも思い込みだったりするんじゃないのかなって。
例1
民主党が政権交代をバズワードにして選挙勝ちましたよね。
僕はあれに踊らされて熱にほだされて民主党に入れた奴ってのは”馬鹿”の一言で括ってそれ以上突っ込まないんです。
だってまともな人間であれば諦観しますよ。
諦観すると「衆議院選挙とは今後4年間の政治的権力を行使する政党を選ぶこと」ぐらいに見えちゃうから
マニュフェスト読み比べるっていうような動機が産まれるわけですよね?
これ性的な動機付けではないでしょう?
例2
テレビゲームを諦観すると「テレビの前にアホ面下げて向かいながらコントローラー握って主に親指を動かすこと」でしょ。
別に何のゲームやろうが大した違い無いわけですよ。くだらねえでしょ?
これは本来テレビゲームがやりたいという欲求を抑圧していますか?
例3
前に雑談スレで「友人からカネたかってネトゲやってる廃人」の話が出て
鈴木とエヌがそれを小馬鹿にしてたんですよ。別にそんなニートを羨ましいと思って彼らは叩いてたわけじゃないでしょ?
僕はね、あなたの凄いところは飽きる速度より興味を持つ速度の方が常に上回ってるとこだと思うんですよ。
或いは興味の対象を演劇←→学問って具合に相互に入れ替えてそれぞれを弁証法的に発展させてることです。
つまり、ニヒリズムが発露する前に次の対象に移る事が出来るから精神病が発症しないんです。
寿命が尽きる寸前に論理的に考えてルサンチマンは必ず発露しますが、まああまり問題無いです。
というかね、仮にもし折れたりしたら
僕で良かったら頭ヨシヨシぐらいはしますけど多分拒むでしょ。
以下のとこ同意してくれるだろうなあと思うんですが、
自分より頭の悪い奴に頭撫でられたら「鼻折ったろかコラ」って思うでしょ。
まあ頭悪い奴というか、そうされるに足るなあと自分が納得出来る奴、ですか。
僕が見るにあなたの「抑圧」って2パターンあると思うんですね。
1つ目は「ある一定程度まで共感出来る相手。話が合う相手」です。
2つ目は「あなたよりも博識で知性の有る相手。自分が頭を垂れるにふさわしい相手」です。
どっちともそいつ個人の頭の中にしか無い妄想上の存在ですが、まあ十中八九あなたにとっての白馬の王子様ってどっちかです。
「それを投影する相手を探す事を諦めてる」ことが抑圧です。
だから「本来的欲求は白馬の王子様なんだけど、代替的な欲求としてその性的対象を学問に向けてる」と。
ですからまあ性的欲求を動機にして学問へ向かう限りは学識への態度が理知的でないと言えると思うんですね。
要するに学問に対する被愛妄想ですか。まあ学問というか「まだ知らない何物か」に対する被愛妄想と。
で、僕はそれを否定するものじゃないですよ?まあ間違ってるならそれに越したことは無いんですが。
もし心当たりがあったとしても勘違いせんでくださいね。それで別に良いんです。誰にも迷惑掛からん。
(なんかこの2行は自分で書いてるの見て腹立ってくるな。ごめん、何か言い回しがよくわからん。)
不幸を感じるのは、特にパターン2の場合です。
あなたが学問を究めれば究めるほど
その本来的欲求を満たせるような男性ってどんどん遠ざかって行くんじゃないかって事。
で、更に男に対する失望が加速して、更に学問にのめり込むと。
僕が泣けてくる理由ってそれ。これ投影ですかね。まあいいか。
>>546 3かなー
で、
>死んだときにはまだ解き明かしていない理が有る筈
なのが当たり前なのであんましどうとも
「解き明かしていない状態をやっている」という考えが無いな、この理屈には
終わりの無い証明問題だからおもしろいんじゃないの、学問ってすべて
>>547 >性的衝動に基づいて何かをやってる限りは執着があります。
動物の交尾に執着はあるか?
まあ人間が動物の交尾をすれば「ウワキモノ」だとかそれこそ「ケダモノ」とか言われるんだろうけど
政治はよくわからんのでスルー
>「テレビの前にアホ面下げて向かいながらコントローラー握って主に親指を動かすこと」でしょ。
うん、君が今PCだかケータイで打ち込んでいるのも同じ
>これは本来テレビゲームがやりたいという欲求を抑圧していますか?
意味がわからん、説明求む
>別にそんなニートを羨ましいと思って彼らは叩いてたわけじゃないでしょ?
え、そうだと思うけど
君は誰も何も言っていないのに「そういう人を羨ましいと思ったこと」を否定しているんだが、誰と会話しているんだい?
君の頭の中に「お前は廃人を羨ましがってるんだろう」と言っている脳内他者がいたんだろう
>自分より頭の悪い奴に頭撫でられたら「鼻折ったろかコラ」って思うでしょ。
なるなるwww
つか自分の苦しみは自分しかわからないもんだ
実際にカウンセリング行ってそれは痛感した
>>549 >終わりの無い証明問題だからおもしろいんじゃないの、学問ってすべて
うん、そこんとこなんだよ。結局のとこ諦観が出来てるのかどうなのかよくわからんの、俺には。
出来てるようであり、出来てないようでもある。
なんなんだろう?
>1つ目は「ある一定程度まで共感出来る相手。話が合う相手」です。
>2つ目は「あなたよりも博識で知性の有る相手。自分が頭を垂れるにふさわしい相手」です。
どうだろうなあ
本気で転移とは妄想にすぎないと思ってるからなあ
「そいつ個人の頭の中にしか無い妄想上の存在」はその通り
で、君のその2パターンも君個人の頭の中にしかない妄想上の存在なんだけど、君はそれを俺に投影しているのかい?
>>551 なんで諦観になるの?
つねにわからない問題を考え続けている状態なのに
諦めって最初から期待してなければ成立しない感情じゃね?
>1つ目は「ある一定程度まで共感出来る相手。話が合う相手」です。
>2つ目は「あなたよりも博識で知性の有る相手。自分が頭を垂れるにふさわしい相手」です。
この2パターンとか、ああ前者は「母的な他者への欲望」で後者は「父的な他者への欲望」なんだろうな、とは思った
>自分より頭の悪い奴に頭撫でられたら「鼻折ったろかコラ」って思うでしょ。
つうか「自分より頭の悪い奴」に限らないなあ
「頭撫でるって何?」と思う
つか外人とか特に気安くべたべた触ってくんじゃん
「何よ?」って感じわかんね?
>>554 だからお前・・・その・・・どんだけ欲望好きやねんと。
まあいいかー・・・なんか賢者タイムみたいなの来たわ。うん。
「終わりの無い証明問題だからおもしろい」って書いてるのになんで「諦観」って感情が出てくるんだろう
>>553 そーなんだけどさー
そーなんだけどさああああああああもーーーー。って感じ。
>>556 いやもうめちゃめちゃわかりますよ。
>>555 それ不感症だって。
学術にリビドー向け過ぎだって。
賢者タイムでセックス突入してるって。ホントに。
>>557 え、共感=転移=他者の欲望である欲望って理屈だけど?
「共感」と書いたのは君
>学術にリビドー向け過ぎだって。
うむ、学問だって性的衝動と同じだとは思っている
そして性的衝動とは執着を生まない
欲望と欲動の違いだな
例えばさ、食欲とかわかりやすいんだけど、飯食ったら満足するだろ? あれは欲動的だ
欲望はそれこそ叶わない望みを望み続けるから執着する
「もっとおいしいものを食べたい」となれば欲望だ
>飽きる速度より興味を持つ速度の方が常に上回ってるとこだと思うんですよ。
とかが性的衝動だと思うんだよな
なので学問も性的衝動も俺にとっちゃー同じ
自分の「飽きる」という状態が怖い、というのもある
それは俺にとっちゃ生命活動の停止と同じ
>>563 それさあ。もう飽きちゃって良いと思うんだよ、俺。いっぺんね?
いや、俺実際それ経験したんですけど。
そこんとこの地獄いっぺん潜って来ないと女ってわかんねえと思うの。
>>564 「飽きる」は地獄じゃないよ?
死ぬ事なんだから楽じゃん
むしろわからない問題が山積みになっている状態が地獄じゃね?
俺は地獄の方がいいや、ってだけで
>>565 違うの違うの。
いや、まあ違わないけど。
僕の言う希死念慮ってそれ。
裏返るから。それ。徹底的な諦観ってそれ。
他に言い様無いんだよ。
だから覚えといて。
マジで死ぬほど辛くなったら先にそれ俺経験してるから。
徹底的な諦観=死=楽なら同意
だから地獄じゃない
諦観できれば地獄から脱出したことになる
>>567 覚えといても抑鬱ってそういうことだってのは精神分析の文脈で知ってる
「虚無というゆりかご」って奴ね
「虚無感」ってのはわからんのだよな
それこそ「この世に完全な無音などない」って奴
この宇宙に無など存在しない
いやだからもうなんちゅーのかな!!
クオリア伝わっていかねえの!
どうしたもんだろうwwwwwwww
俺それVガンダムで経験したんだけど。
でもこんなの書いても単にお薦めしてるだけになっちゃうでしょ?
あーあー、要するに見て欲しいんだね、それ。語り合いたいんだね、それ。
そーゆー風に読むでしょ!きみは!もー!!
どーすんのよ。
>>568 うん・・・そうじゃないんだ・・・言葉が遠いわ。うん。
>1つ目は「ある一定程度まで共感出来る相手。話が合う相手」です。
>2つ目は「あなたよりも博識で知性の有る相手。自分が頭を垂れるにふさわしい相手」です。
とか「俺の妄想」でもいいんだけど、論拠を示してくれないとなんとも
説明しないなら俺にとっては「君の妄想」のままだ
>>571 >そーゆー風に読むでしょ!きみは!もー!!
だってそれは君の経験でしかないから私にはわかるわけがあるまい
「徹底的な諦観」が地獄っつーのは、「自我の死」であって、生命活動の停止ではないと思うが
「飽きる」にもいろいろあって、ほんと体が言う事を利かない、何かやらなきゃ、やろうと頭が思っているのに体が動かない時がある
それが連想されるから怖い
「飽きる」は凝縮で、俺の言う「地獄」は拡散
>クオリア伝わっていかねえの!
伝わらないのがクオリアなんじゃねえの?
>>572-573 まあ・・・まあそりゃそうなんだけどさ・・・。
ていうかまあそうなんだけどさ。
これ結局サッカー知らない奴にサッカー楽しいよ!って言ってるだけなんだよな、実際。
>これ結局サッカー知らない奴にサッカー楽しいよ!って言ってるだけなんだよな、実際。
>あーあー、要するに見て欲しいんだね、それ。語り合いたいんだね、それ。
ってことにならね?
って俺そんなこと言ってないけど
君は君の考えを自分で先回りしているだけ
マッチポンプつうかオナニー
知らないっていうか興味ないっていうか
うん、別にこれアレですよ。
サッカー知ってるんだぜー俺ー!へへーんとかそーゆーこっちゃないですよ、実際。
そっか・・・そうだな。ってかどうにもなんねえな。俺が諦観しそうだわ。うん。
>へへーんとかそーゆーこっちゃないですよ、実際。
どこにそんなことが書いてある?
>>580 >俺が諦観しそうだわ。うん。
いやそもそも「諦観」は君が言い出したことなんだが
うーん、あのねー。
じゃーちょっと自分語りするから(まあ今までだいたいそうなんだけど)
っていうか適当に酔っ払ってから来るわ。
なんかクサい話になるし。シラフでよー言わんわ。
あー別に告白とかそんなんちゃいますよ。
0と1って話もさー、俺設計だからこんな風に考えちゃうんだけど、
なぜコンピューター言語は二進法かって言うと、要するに電流が流れているかいないかなんだよ
ソロバンなんてのも玉が上にあがっているかさがっているかだろ
で重要になってくるのが記憶回路なんだがここは省略
で、電子計算機は電流が流れている流れていないを0と1にあてはめてるわけだから、
導体か絶縁体かという問題になる
例えば豆電球が付く小学校で教わる回路思い出してみそ?
スイッチを入れればつく、スイッチを切れば切れる
あれスイッチという間にある空気が絶縁体だから「切れる」わけだよ
つまり、導体の間に絶縁体を入れたり出したりして0と1を表現するわけ、ソロバンは玉があがってるかさがってるかだけど
でそんなん機械式でやるとめんどいから、環境によって導体にもなれば絶縁体にもなる半導体って物質が電子計算機に応用されるようになったわけだ
機能的に0と1という二進法が重要になっただけ。
数学的には二進法も、人間が主に使う十進法(お金)も十二進法(時間)と同レベルのシステム
俺にとってはそういうものなのに、君は二進法になんらかの執着をしているように見える
クオリアうぃきぺってみた
これこれ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2 コウモリであるとはどのようなことか
コウモリはどのように世界を感じているのか。コウモリは口から超音波を発し、その反響音をもとに周囲の状態を
把握している(反響定位)。コウモリは、この反響音をいったい「見える」ようにして感じるのか、それとも「聞こえる」
ようにして感じるのか、または全く違ったふうに感じるのか(ひょっとすると何ひとつ感じていないかも知れない)。
こうしてコウモリの感じ方、といったことを問うこと自体は可能だが、結局のところ我々はその答えを知る術は
持ってはいない。このコウモリの議論は、クオリアが非常に主観的な現象であることを論じる際によく登場する。
これとかもおもろいな
誤り不可能(英:incorrigible): クオリアの性質として、それは誤り得ない(訂正を受けない)もの、ともしばしば言われる。
人は様々な錯覚を持ったり、また時に幻聴を聞いたり、外界の実在と対応しない様々な感覚を持つ。しかしそうした
体験された感覚自体は、誤りえない実際の体験である、といったことが言われる。
おそらく君の「諦観」も「誤りえない実際の体験」なのだろう
しかし私は君ではないのでわからない、というだけ
自分の苦痛は自分にしかわからない
まあある意味カウンセリング受けたことでそういう「諦観」はできたのかもしれない
なぜああいうのが治療になるのかが理解できなかったが、精神分析の転移=欲望を学んでなるほどと思えた
雑談スレでちらっと話が出てきたが、ラポールなんかも、(欲望は満たされないものだが)ある程度欲望が満たされるからか、と
論理的に納得できた
ある一部の人間は、ラポールで治療はされない
むしろ心的苦痛が増すだけ
あるいはその苦痛をラポールできないことを覚えるだけ
「伝統」にしろ「0と1」にしろ、君はそういった単語に何かしらの感情論を入り混ぜていないか?
>>585-588 いや、もうその辺の話はいいですよ。
ていうかその辺の道理がわからんアホじゃないですし、
それと似た様な話は別のとこに書いたんです。
>>590 いっぺん無意味を潜ってからあえて入り混ぜてるだけですわ。
たぶんそこんとこなんだよ。
いや、まあそりゃねえ。うーん・・・
たとえば「結婚記念日は夫婦にとってアプリオリである」
これ感覚的にわかります?
いや、論理的には絶対間違いですけどね?
そう思いたいような二人の思い込み。
まあでもスイーツ(笑)で片付くんだよな、こういうの言っても。
なんかもう俺話し相手じゃなくてもよくね?
最後の行とか
大体俺も同じ様な事思いました。
俺にゃやっぱ無理だわ。エヌ辺りに頼んで。
無意味のさらに向こうがカタリ派が悪とした物質世界だろうなあ
無意味な性行為への過剰な恐れ
女にとって性行為は無意味でありうるんだが
俺さー、告白めくんだが、演劇やっててスタッフだったもんだから、劇団員みんなうちに入れたわけよ、俺が留守でも
劇団倉庫になってたんだわ
で小道具製作とかならうちでやるんだけど(アパートだぞ、大家さんが演劇ファンで大目に見てくれた、芝居も見に来てくれたし、チケット10枚とか買ってくれた)
でさー、徹夜とか普通にやるのよ
である時別に付き合ってもない男の団員にしつこく迫られてな、口でしてやったんだわ
もうこっちも徹夜続きで仕事終わらせるか寝たいかしたいから、してやればうるさくなくなるか、ってくらい
んで別にその後そいつとも何もない、っつか向こうが避けるようになった、一年後ぐらいにそいつ劇団やめた
一般的に言えばレイプになると思うんだよな、確かに
でも俺はそんなに憎んじゃないし、性的衝動なんて自分でどうこうできるもんじゃなかろうから、どうでもよかったんだけどな
こういった性行為は無意味だと思うんだよな
機能的にそうした、ってだけで
>>593 自分語りを自分語りとしてできる人の方がまだ途中の作業が簡略化されるからこっちは楽だけど
Nはなんかこう、スイッチがわからん
意味わからんところに引っかかってくる
>>595 うん、ていうかねえ
別に僕を読んで欲しくはないんですよ。
要するにー、どうしてそこまで共通の土台が出来てんのに
女に対する見解がこうまで違うかなあって不思議でならんのです。
どうして?
>女に対する見解がこうまで違うかな
いつからそんな話になったのよ
鈴木もあれだな、ぱっと身まともだけど、ヤクやってたのはほんとで、ああいうのもヌーメンだから、
人工的な精神病者なのかもしれない
>>598 酔っぱらいの戯言だからそうもなろうに。
男性的にも見えるし女性的にも見えるんですよ。
なんつーのかな。
例えば不安と希望って言葉って両者ともに将来が不確実であることを示してるわけでしょ?
そこにネガティブを込めるかポジティブを込めるかって質感・クオリアをある程度まで擬制出来るわけでしょ?
言葉なんて結局限られてるわけだから言ってみれば言語ゲームでしょ、文学って。
演劇でも俳優の演技なり表情ひとつとっても意味性を付与するゲームでしょ?
そーゆーのは伝えようと思ってやらないの?
だって人形劇であったって構わないわけでしょ、単純に記号的にやるなら。
>そこにネガティブを込めるかポジティブを込めるかって質感・クオリアをある程度まで擬制出来るわけでしょ?
質感なんてないだろ、クオリアは認知であって妄想ではない
妄想による価値付けが行われているだけ
>言葉なんて結局限られてるわけだから
しかし多義性なので意味は無限になる
>演劇でも俳優の演技なり表情ひとつとっても意味性を付与するゲームでしょ?
これはその通り
表情や動作の方が多義性があるからな
>そーゆーのは伝えようと思ってやらないの?
メッセージとかは作家が演出がやる仕事じゃね
いや一回演出家させられそうになったけど役者からクーデターが起きて(つかいろんな事件が重なって)ぽしゃった
>妄想による価値付けが行われているだけ
言ってることはわかるけど些か乱暴な気がするんですよ。
だって言葉そのものが有限の語彙と文法の集まりで成り立ってるんだから
ある程度まで共通の意味付けを擬制しないと会話が絶対成立しないでしょ
喩えば日本語なら51文字ですか。あ〜んまで。あと濁音半濁音入れていくつになるのか数えるの面倒くせーけど。
語彙量や文法の組み合わせが無限であったとしても扱う文字数による限界は必ずあります。ツールそのものの有限性があるんだから。
だから個々人で妄想による価値付けは行われざるを得ない。ここで一旦去勢は起こってますよね?
でなければ一切のコミュニケーションは成立しない筈ですよ。
意味のない文字の羅列でしか無いのだから白痴と相対してても一切差は無い筈です。
で、ジョークにしてみてもそうだけど、自分の妄想と相手の妄想がリニアに結び付いてギャップが発生するのではなくて
自分の妄想と”大文字の他者”との間に出来ていたとりあえずの限界と妥協っていうものが
他者の妄想によって崩れるから笑いとか・・・まあ感傷が起こるんでしょ?
一旦は”有限を経由している”ってところで多義性は一度断絶される筈(これは発信の際に必ず起こります)なのに
論理飛躍が行われてるように見えます。どうですか。
>>602 >ある程度まで共通の意味付けを擬制しないと会話が絶対成立しないでしょ
会話を成立させるのが、つまり己のコミュニケーション欲求、承認欲求のためならしかたないヨネ
>ツールそのものの有限性があるんだから。
ツールは一つじゃない
ありあわせのツールも含めればほぼ無限
ブリコラージュ
>一旦は”有限を経由している”ってところで多義性は一度断絶される筈(これは発信の際に必ず起こります)なのに
去勢済みの精神構造はそうなっているってのは同意するが、お前の精神では理解不能なことを論理飛躍と言われてもな
そしてこの「一旦経由」する有限ってのが父性隠喩だろうな
http://psychanalyse.jp/columns.html >つまり一方の性の他方の性に対する、生きることのできる穏やかな関係が打ち立てられうるような避難所には、
>父の隠喩という媒介の介入が必要である、ということです。
父の名にレイプされて泣き寝入りしてんだな、みんな
いまだに信じらんないわ
人間みなどっかは精神病ってクライン派の方がわかりやすかったりするもんなー俺
あまなはADHDらしいが、はたして発達障害は去勢されているのだろうか
「アンチ・オイディプス」はこう書いている。「フェミニストたちは言う、「私たちは去勢などされていない!」これはまったく正しいのだ」
さて、人間全員去勢されているのだろうか
もっと空っぽな心で見ろよ
あー・・・そっか。リバタリアンなのかな。たぶん無茶苦茶親和性あると思う。
いや、橘玲って作家の話したけど
自分の読み返してみると、啓蒙してた頃の自分は絶対受け入れないなって思った。
色々ねえ、ちょっとイメージ考えてみたんだけど。やっぱ無理だ。
いつか出会うんじゃねえの!ぐらいの事。
もうでもこれルサンチマンとか同化欲求みたいなので片付くし・・・くそw
自分から伝える分には伝わらないことは諦観しますけど
相手から伝えようと思ったことは読み解くようにしましょう、で済んじゃうし
そのためのツールが精神分析で人を読むだから誠実なのかあ。むぅ
んでこのリバタリアンの話を出したのも何がしかの投影があったかって完全に否定出来るものじゃないし
それアの人の話術と同じだから今見るとなんかヤな感じ。あーもー。
リバタリアンは個人主義のアナーキズムの妥協戦法
>ルサンチマンとか同化欲求みたいなので片付くし・・・くそw
ここが分かってる奴が一人でもいるならいいやとは思うな
そうそう、ルサンチマンって同化欲求なんだよ
少年マンガで書き続けてきた女マンガ家の本領発揮だよなーあそこ
お前まだやっぱまだよくわかってない可能性があるわ。
告白シーンなんてのは作家からしても出版社からしても
クライマックスで衝動煽るには無茶苦茶重要な場面なんだよ。
でもそれやっちゃダメなんだよ、あれは。
そういう風に目立っちゃったら性愛になっちゃうでしょ。
まあでもその話はいいや。
あんたマジでロマンチストですから。
すっげええええええ甘ったれですから。
安心しろ。それもう俺潜ったから。
希死念慮だけで他もう言葉になんねえから。
「俺マジで死ぬことしか考えてねえなwwwwwwww」って笑えてくるから。
笑いながら涙止まんねえから。
その地獄いっぺん越えてこい。うん。
本気で「どうしようもねえなwwwwwwww」って思ったら
俺は右手小指にマニキュア塗ってるからそれだけ思い出しなさい。うん。
ロマンチストな部分があるのは否定しないけどなー
どっちかじゃなきゃいけないの?
諦観をさらにもぐった場所に「終わりの無い証明」という無間地獄があると思うんだけどなあ
俺からすれば君の方が一歩手前で楽な世界に戻った人
抑鬱とはトランポリンである
てんかんとかってヌーメンを知らない人
地獄じゃないんだよ、そこは
そこは「避難所」なんだよ
てんかん発作を知ってる私からすればそこを地獄というのはやっぱりどうしてもわからない
そこは天国とは言わないが避難所だ
そこを地獄と言われてもそれは君個人の体験だから私にはわからない
私のてんかん発作を君がわからないのと同様に
別にその「諦観」という「地獄」が君にとって「誤りえない実際の体験」なのはそれでいいが、
それを他人に押し付けるな
自分の苦痛は自分だけのものだ
あー俺がコアラのマーチ食えないとかアンパンマン怖いとかって話するかあ?
でもなあ・・・これ物語に組むのしんどいなあwwwwwww
君だけの真実、でいいじゃない
なんでそんなにそれを他人に適用したがるのだい?
うん、でも覚えるだけ覚えといて欲しいんだよ。
これ転移とか欲求とかそういうので言ってるんじゃないから・・・。うん。
>>623 意味がわからない
そんな予想が成り立つほど私は君を知ってるわけではない
>>625 覚えてるかどうかは私と言う物質がどうなるかで偶然によるな
この言葉はねえ、「俺の妄想です」って突っ放すわけにはいかんのよ。
ごめん、だから押し付けにならざるを得ないんです・・・どうしよう。もう。
正直あんまり意味わかってないので覚えてない可能性は高い
車谷みたいにぐっとくる何かはないなあ
「言わなくてもわかれ」と言ってるようにしか思えないんだけど
>お前まだやっぱまだよくわかってない可能性があるわ。
これが君個人の「誤りえない実際の体験」なら、他人の私がわかるわけなかろうもん
クオリアってのはそういうもん
私には伝わらなかった、そういう偶然だった、ということでいいじゃない
だよね。ログが残ることだけが全て、か。ごめんね。
未来の誰かならわかってくれる、という話だったらそれが絶対他者って奴だと思うなあ
2ちゃんってログなくしちゃうことあるけどね
外部サイトとかで残ってることもあるけど
ログ速やらってバックアップサイトに感謝しないとな
今なんとなく投影して見てみたんだけど
毎回俺から喧嘩ふっかけてる分際で
俺クソ女々しいなwwwwwwwwwwwwwww
ネチネチネチネチアホかと。
というヘタレ弁解。
あともう一個。
書を読むの方。
あれ今見て気付いたわ。
あれも当て擦りになるな。ごめん。
はい!独り言でした!頭撫でろコラ
あ、これ被愛妄想か
今ちょっと考えてたんだけど
これさー、お前女知っても去勢にゃならねーわ。
だってこれ父関係ないもん。母性発だもん。
なんか俺根本的に勘違いしてたわ。
っていうか俺去勢されてないわ、よく考えたら。
上のあの帰謬論証も実存の死と精神の死を同一にしてるってとこに齟齬あるね。
これ輪廻転生と合わねーもん。あいたたた。
あ、あとお前のことは好きですよ?
「言わなくてもわかるだろ」ってのがあるとしたらそれ。
クソめんどくせーwwwwwし色々と人泣かせだけど。
うん、これ照れ隠しです。パブリックの限界。そんなとこ。
うわ、また何か悟ったわ。
母性愛が犠牲の形をとったとき
欝のとき
メメント・モリを意識したとき
魚釣りで採った魚を食べるとき
アンパンマンの顔食べたとき
罪の意識を持ったとき
希死念慮
全部同じものだ。出発点は。っていうか違う言葉当てただけだわ。
っていうかこれアプリオリだと思うわ。
キリスト教はその希死念慮を一人の人間に糾合した宗教なんだわ
だから腹立つんだ。
「お前にナンボほどの値打ちがあんねん。悪知恵働いただけやないかこの詐欺師が。
救いぃ〜?知ったことかいハゲ。アホ集めて好きなとこ行ってこい
た だ し 俺だけは除名しとけよ」
そうなるんだ。なるほどなるほど。
>>638 よしよし
>>639 愛かどうかはわからんが君との会話、というか君が誰だかわからんけどこのスレは楽しい
>>640 あれ、俺一応女って書いたことあるよ
いやまあ別に信じなくてもいいが
>>643 >よしよし
ゴロニャン
これねー愛だよ。性愛とか全く違う愛。
執着とかしない愛。もういい加減信じろお前
人類愛とか博愛とかそのテのもの。
だから対象物はお前に限らないし、嫉妬とかも無いの。だって執着無いから。
そーゆーもんが世の中にはあるんだよ。今まで知らんかっただけだ。
まあまあまず無いけどな。
だから諦観して構わないんだけど、「ゼロじゃない」って事を心の底から欲してからじゃないとダメなの。
>>644 いやもうお前は可愛らしいよ
>>615から下のお前のレスは全部欲求と抑圧で説明付くから。
それもう俺見えてっから。分析しろ。
頭撫でられに来いとか言わねーから。
「いわなくてもわかるだろ」だよな、それ?とか言わねーから。
あーハズカチって思ってから泣け。
インディアンの格言やるわ。
「もしも瞳に涙がなければ魂に虹は架からない」
これすんげー良い言葉。お前自分でパンツ脱げ。
マンコ濡らさなくて良いから瞳濡らせ。
俺はこれ少女趣味の毒って呼んでるんだけどさー
ほんとのところでこれ中和出来てる奴って無茶苦茶少ないのよ。
でねー、この辺わかってくれると志賀直哉読めてくると思うんだよねえ。
1個目の奴はねえ、この一文で説明付いてるのね。
>”疑い”が始まったのは悪阻を知ったときではなく、両肩を触った事が契機になってる筈。
この両肩を触るってのは性的なものなのよ。
お前がハスミにレイプされる感覚とものすごい近いと思う。
俺無茶苦茶気持ち悪いもん。
邦子にしてみてもさー
こういうぶっちゃけトークやる前の俺がダンナで
お前に邦子当て嵌めてみたら結構見えてくるんじゃねーのかなーって。
うーん、なんか高圧的ですまんけど。
敵意無いから。それだけわかって。
やっべこれ
年齢バレんな。どうしよう。
うーん・・・でも母性愛持ってないわけでも無いんだよなあ・・・
そこんとこ微妙に不思議でもあるんだけど。
>>594 これなんか今見るとよくわかるけど
このオーラルセックスってなんだかんだ言って母性愛だもんね。
いや、短絡は出来んよ?直接結び付けると絶対違うけど。
でもこの虚無感ってたぶん頭撫でてくれる人居なかったからだろうなあと。
そこんとこの承認欲求を無意識に抑圧したんだろうね。
あんま分析するとアレだけどよ。うん。パブリックだからな、ここw
死ぬなよー生きろよー
今どうなってんのかわかんないけど。
>>645 >執着とかしない愛。
これがアセととやかくやってきた時俺が言ってた「別に俺馴れ合い嫌いじゃないんだけど」って奴だと思うんだが
2ちゃん的殺伐さがある馴れ合い
自分の母性を抑圧してるのはあるなあ
世界で一番怖いのは「母」という人種だとは思ってる
母の愛は執着の愛だろ
で、そういう執着のない愛みたいなものの存在自体は別に否定しないが、
自然物として、つまり物理的因果によって存在するのではなく、
「父性隠喩を媒介にした穏やかな場所」、つまり父に保護された場所としてあるのは、それも「執着のない愛」ではあるが、
自然物として存在していない。
それはいわば「執着のない愛」の剥製みたいなものだ。
自然物としての「執着のない愛」というのは、「鬼火」のように稀ではかない。子供の気まぐれのように不安定だ。
しかし、稀ではかなくて不安定でも、そういう一瞬はあるのはあると思うよ。
>「父性隠喩を媒介にした穏やかな場所」、つまり父に保護された場所としてあるのは、
貧乏な田舎者が、乗っていた船が難破して、たとえばシンディ・クリフォードといっしょに、無人島に漂着する。
セックスの後、女は男に「どうだった?」と訊く。男は「すばらしかった」と答えるが、「ちょっとした願いを叶えて
くれたら、満足が完璧になるんだが」と言い足す。頼むから、ズボンをはき、顔に髭を描いて、親友の役を
演じて欲しいというのだ。
「誤解をしないでくれ、おれは変態じゃない。願いを叶えてくれれば、すぐにわかる」
女が男装すると、男は彼女に近づいて、横腹を突き、男どうしで秘密を打ち明け合うときの、独特の流し目で、
こう言う。「何があったか、わかるか? シンディ・クリフォードと寝たんだぜ!」
こういった時の男と男装したシンディ・クリフォードは「執着のない愛」かもしれないが、
「父性隠喩を媒介にした穏やかな場所」
でしかなく、嘘の「執着のない愛」だ。
「執着」というエネルギーを何がしかの脳内他者にドレインしているだけ
大文字の他者なり神なりという他者に
母性を抑圧しているっつうより怖いんだよな
自分の中にもあるそれが怖いから必死に逃げたり叩いたりする
母性より上の立場になれば抑圧できたりするのだろうが、抑圧すらできん
うつは母性より上の立場にある
うつになれば母性を楽に抑圧できるだろうなとは思う
つまり母性を抑圧するためには死ななければならない
とはいえ、君の
>>645あたりには「執着のある愛」を感じる
たとえば後半の私の心理解釈は、私のどの言葉について欲望と解釈したのかが説明されていない
「欲望は文字通りに捉えなければならない」
そういう読み方ではないので、やはりそれは君の俺に対する投影だと思っちゃうのだよ
きちんと俺の文章を文字通りに捉えて欲望だとしているなら、説明してくれ
「俺にはこう見える」と言っているにすぎない
>「ゼロじゃない」って事を心の底から欲してからじゃないとダメなの。
ってのはむしろ執着だろ
母親の赤ん坊に対する愛情なんてのも、ぶっちゃけ、
「赤ん坊はこう思っている」という母の妄想の押し付け、投影なわけだ
もし母親がそれについて考えるようになれば、母親と赤ん坊の関係は母親がクライエントで赤ん坊が分析家だとなる
しかし赤ん坊の赤ん坊で、母親の「あなたはこう思っているのよ」という妄想を学習して、欲望を学ぶ
精神分析では欲望とは欲動(本能)と区別されるべきもので、後天的な学習によるものだとされている
そしてそれがクラインの言う「愛」でもある
であれば、すべての「愛」が「執着のある愛」だとなる
「執着のない愛」など存在しない、とね
それが欲望である限り
「執着のない愛」を主張しておきながら、私に何がしかの投影をしている君のそれは、「執着のある愛」だと解釈してしまう
>あーハズカチって思ってから泣け。
こういうのがないんだよな
普通の人が恥ずかしいと思うことが私にはできない心理だから、逆になぜ恥ずかしがるんだよって思う
それが健常な精神だろ、と
金持ちが自分の財産を恥ずかしがってるようなもんなんだよな、俺からすれば
>>663 だから志賀直哉がわからない
それを恥ずかしがるどころかすごいなーと思ってる人間が、彼の頭の中にはいない
彼の頭の中に俺みたいな人間はいないのだろうから、別に勝手にやっててくれればいいんだけどな
普通の人が恥ずかしいと思うことからさらに退行したところに「自然物としての、偶然としての執着のない愛」があると思うよ
それを「愛」と呼ぶか、「愛」の定義の問題にもよるが
精神分析はそれを「愛」としていないだけで
欲望がある「執着のない愛」は、「父性隠喩に媒介された穏やかな場所」でしかなく、父の名にリビドーをドレインしているだけ
グレートギャツビーとかは逆に「執着的な愛」を描いているわけだが、ああいうのは逆に面白いと思うんだよな
その「執着的な愛」を俺に向けさえしなければ、それはすごいなーって思う
つかあれも語り手がギャツビーから一歩はなれようはなれようともがいているのも、俺にとっては防衛柵になってるんだろうな
おそらく君の頭の中にもいまだ私のような人間がいないと思う
ファルスってなんか悪く言われてるけど、「世の中全ての人類が幸福でありますように」ってのが一番ファルス的なんだよね
しかし、だ
ファルスの増長を抑圧するのが父なわけじゃん、エディコンでは
つまりこういうこと
「父」とは死の欲動の代用品としての他者なのだよ
なので「世の中全ての人類が幸福でありますように」を増長させるのを抑圧する
正義のために幸福を捨てるとかあるだろ?
死の欲動とは快楽原則のほころびである
つまり、不幸を求める本能的なものがあるわけだ
ルサンチマンなどではなく、本能的に不幸に向かってしまう、地獄に向かってしまう
この本能の言い訳にすぎないわけよ、正義なんてのも
志賀直哉の作品には父はいるが死の欲動がない
その代用品でしかない
「剥製みたいな作品」というとすごくしっくりくる
父の名が排除されて、死の欲動に生々しく翻弄されている精神病者からすれば、その代用品である「父」が、代用品であるがために、
自分の「死の欲動に生々しく翻弄されている生」を殺す他者となってしまうわけだ
で、父の名が排除されていない健常者からすれば、精神病者の「死の欲動に生々しく翻弄されている生」は、
非日常的な体験である故、「生」とならないだろう
そのまんま、隠喩通りに「死」となる
「死の欲動とは本当の生である」
つか邦子とかほんと女のリアリティがなさすぎなんだけど
で、私の一部にある、抑圧してるのか逃避してるのか否認しているのかわからないが、「母性」については、
例えばカナー型自閉症を子にもつ母親や、シングルマザーで中学生の息子と一緒にいまだにお風呂はいってて息子の
息子のがぼっきしたら喜んでブログに書いちゃうような母親とリアルで知人で、そういった話から考えることは多い
君の指摘はなんかこう、ずれてるんだよな
>>650 うん、問題無いね。奇想天外だから面白い
「これ自分にはねえなwww」っていう感覚。
わからないから面白いとおんなじ方向の面白さ。
俺否定しないからね?それ。唯我独尊でいーんだよ。
いーんだけどそれが万人愛と無矛盾に両立するって感覚がピンと来ないと思うのよ。
>>651 うん・・・っていうか・・・。そうか。
なんかねー今パーンって来たんだけどさ。
その自己防衛本能は自分から取らないとどうにもならねえなって思うわ。
ハスミにレイプされたってのはトラウマでしょー
あんまりに痛いから無意識に同化欲求働いてそっち行っちゃったんじゃねーのかな。
いやまあ起源辿ればそこが直接の原因じゃなくてもっと奥のほうにあるのかもしれないけど。
暴力的セックスだってまあ言ってみれば「言わなくてもわかるよな?」でしょー。
なーんかハスミだよ。自分もそっち行っちゃえば一方的に嬲られる関係にはとりあえずならねえなっていう。
>>652 えーでも中島みゆき聞いても支配欲とか執着感じないでしょー。
いや、わかるよ。お前のイメージしてる母の愛って。
それ少女趣味の毒をちゃんと中和しとかないとお前もそうなる可能性あるよ。
白馬の王子様を手に入れられなかったから自分の子供に理想を投影してそういう風にマシーンとして扱うか
或いは浮気繰り返して家庭を破滅に追い込むパターン。あんなもん完全なエゴだ。男の心性だ。全然女じゃない。
陣痛を経験してるのに陣痛の痛みがよくわかってない奴だ。
お前たぶん子供産むときにわかると思うけどね?その辺のこと。
というか妊娠期間中に嫌でも意識するよ。そればっか考えて死にたくなるよ。
>>653 うん、そして自分はたぶんそれを手に入れることは出来ないのだろう、と。
俺もそう思ってました。”も”っておかしいな。俺はそう思ってました。
でねー、それ手に入れるもんじゃないわ。俺も持ってるって意識じゃないし、「あー、あるな」って。
有用だよ、それ。分析ツール1個増えるわ。
>>654 まーこれざっくりだけど親友に自慢したいってとこが全てだよな。
その欲求の捌け口をまさか今寝た女に託すってどういう神経なんだよwwwwwっていう。
そこんとこの面白さでしょ。シックリ来ないのはそこんとこで諧謔起こってんだよ。ジョークでしょ?これ。
>>655 いまいち読めん。
うん、まあそれも抑圧の一類型だと思うけどね?
耐えて飲み込み受容する、ってそういうのやらないとなんとも。
>>656 うん、反動的だよな。どうしたって。
それ敢えて抵抗しない感覚。黙って土に還れってそういうの。そこんとこの深さが女だと思うけどね?
それ敵意じゃないんだもん。繰り返しになるけど犠牲はやらないもん、俺。
ムー大陸は中途半端に飲み込むからミョーにメンタル弱かったり強かったりよくわからんw
>>657 それ希死念慮と同じとこから来てるって。怖いって感覚は。
罪深さを感じたとき。怒られる子供・・・というと読み方が分かれるか。
>>658 おー、そこ限界まで行って来い。地獄見てこい。
川端も太宰もニーチェもぶっちゃけそれで死んだ。
でも世の中のなんでもないお母さん達は普通にそれ越えてるんだから何も特別なこっちゃない。
でもこれ突っ込んだ理知の量とそれこそ因果関係結べるんじゃねーのかなっていう比例関係を
なんとは無しに感じるからお前多分並大抵じゃねえなw
絶対死ぬなよ。許さんぞ。
>>659 いやー、それ多分やめといた方が良いと思うわ。
なーんか先が見えるから。でもこれ言わないと抑圧になるのか・・・。
うん、まあ執着かもね。自分の言葉に説得力持たせようって政治的圧力感じたんだと思うわ。
それなんとなくあったし。たぶん。
>>660 一面的にね。そこの執着のフィルター潜らないとダメ。
逆に言えば「ゼロであるという確信」に執着してるよ。それも空なんだから。
>>661 あ、その母はもう精神病の一種というか投影したがりの人なので
学習塾通わせたりジャニーズ事務所入れたり子供に愛想尽かせたりとかあるんじゃないですかね。
全部そうじゃねーって。越えてくる人いるよ。お前にゃ不気味に見えるような母が。
>>662 だってこれいつか来た道なんだもん。。。理性を持ったまま気が狂うのよ。
俺明らかにアカンわ、これ。って思ってたけど母そのものだった。
自己本位と則天去私は無矛盾に両立する。漱石センセーあんたはエライ!って思うよ。うん。
時間が足らん
えー、ズレてんのかなあ・・・。そっかー
あー、あとさー。一応言っとくわ。
お前感受性高いし無茶苦茶地頭良いし本も読んでて演劇も出来る、と。
スーパーエリートでしょー。でまあぶっちゃけその辺の話をすると相手にならんのよ。
でねえ、俺が高圧的な態度を崩さないっていうのはちゃんと理由があるわけよ。
お前わりと噛み砕いて言葉選びながら意思伝達を意図してるでしょー
でもそれって相手を見下すとかアホ扱いするとかそういう動機付けじゃないでしょ。
思いやりとか親切とかそういうところに端を発してるし、そこで去勢なんて行われてないでしょ?
要するにお前も犠牲で書いてないんだよ。うん。自分が好きでそうやってるの。
だからねえ、それを受けても遜らないのよ。俺は。
そこでもし遜るとどうなるかっていうと
「その遜る態度」というシニフィアンに対して「犠牲」というシニフィエが付与されるの。
正しくコミュニケーションの頽落が起こるからやっちゃダメなんだよ、それは。
「遜る」という実存に体現される態度こそが、精神的な意味での俺の思い上がりなの。
だからやらないのよ、そういうのは。これ別にコンプレックスでもルサンチマンでもないでしょ?
自己本位と則天去私両立してるでしょ?そーゆー事なのよ・・・ってまあこれ書くと
それそのものが犠牲に受け取られかねないからあんま書きたくないんだけど。という正真正銘の独り言。
>>680 >逆に言えば「ゼロであるという確信」に執着してるよ。
だれが?
この世に完全な無音は存在しないが、範囲をつければゼロはありうる
つか君の文章主語がなくてわかりづらい
>いーんだけどそれが万人愛と無矛盾に両立するって感覚がピンと来ないと思うのよ。
誰の感覚がピンと来ないのか
>自分の言葉に説得力持たせようって政治的圧力感じたんだと思うわ。
誰が政治的圧力を感じたのか
このスレにいついているのが君一人だとしたら、以前よりくだけた話し方になっているが、
それで主語とか目的語を書かないようになってる気がする
>要するにお前も犠牲で書いてないんだよ。
自分を犠牲にする対象がない
あえて言うなら自然だけど
でもやっぱり、「思いやりとか親切とかそういうところに端を発してるし」ってのはぐさっときて、
俺は人間である部分もあるんだよね
別にへりくだって欲しいってわけじゃないけどなあ
自然なら、生きている人体も死体もそういう物質にすぎないので、犠牲という観念自体が成り立たないんだよ
だから死ねなくて困る
>でねー、それ手に入れるもんじゃないわ。俺も持ってるって意識じゃないし、「あー、あるな」って。
ここは同意
>全部そうじゃねーって。越えてくる人いるよ。
ほんの時々いるな
子供が二人とも自閉症の母親とか結構こみいった会話したんだが、適わないと思った
彼女の言葉
「野性的に母乳が出る」
なんかもうカウンター一発でノックダウンだ
ブログとかでも話してたんだけど、傍から見たら俺がその母親をめちゃくちゃ叩いているように見えてたんだろうけど
メッセとかでははっきり「私はあなたが怖い」と言ったもんな
>>681 見えている物は同じで、お互いそれについて話している、という点ではずれてないけれど、
それを見ている立ち位置がずれている、っていうかね
>それ敢えて抵抗しない感覚。黙って土に還れってそういうの。そこんとこの深さが女だと思うけどね?
女は黙って生きてたら現実的に母になるじゃん
他者像としての母性じゃなくて、
例えば妊娠二ヶ月ぐらいでも、微妙な体調変化があるんだよ
風邪とかかなーとかってその時は思ったけど
自分の体が治ろうとする気配が感じられない
そうなんだよね、胎児だっていわば一種のウイルスだが、それに対する抗体が働いたら子供は生まれない
ああ、これ「飽きる」の怖さに似ている
頭とか心じゃなくて、体が「飽きる」、体が胎児というウイルスに対し抵抗しない
それが怖い
男は射精して土に還れるけどさ、女は「敢えて抵抗せず黙って生きていたら」、土に還る前に子供を産むって段階があるんだよ
男はそのままの体で土に還れるが、女は土に還る前に自分の肉体の組織変化を経験する
いやまあ老化なんかも組織変化だけどさ
そういうゆっくりな組織変化じゃなくて、劇的な組織変化
>暴力的セックスだってまあ言ってみれば「言わなくてもわかるよな?」でしょー。
「言わなくてもわかるでしょ」で暴力になることは確かに多いが、
暴力はある意味「嘘のない言葉」でもあると思う
例えばさ、チンピラでちょっと頭おかしい奴とちょっとだけ付き合ってたんだけどさ、
飲み屋でふつーに話してたんだよ
そしたらいきなりそいつ私の顔カウンターにぶちつけてきたんだよ
鼻血だらだら出てさー、ママとかが警察呼ぶとかってさわいでそいつ逃げたけど
で、そいつを憎む気になれないんだよな
逆に私の面倒みたママにむかついてた
「あんなのやめなー」とか言ってたし、「だから言ったじゃん」とか、朦朧としてる私に言ってるそのおせっかいさが腹立った
こういう「意味がわからない暴力」は「嘘のない言葉」じゃないかと思える
暴力すべてがそうってわけではないが、そいつの私にふるった暴力は、生まれたばかりの赤ん坊の泣き声と同様の、
「嘘のない言葉」だと思える
生意気だとかジコチューとか言われてるけど俺なりに他人に気遣ってはいるんだよな
大方の人にとってそれは気遣い思われないだけで
つか気遣いとは相手に認知されて成立するものだと定義すれば、俺の気遣いは気遣いじゃない、と思うけど
でもそういうやり方しか俺はできん
>>692補足
でもこういったことについて話せる人ってのもあんま少ないな
以前にもそういった男の子いたけど、その時は向こうから
>>692というようなことを言ってきた
川上スレのジェイコブくんがおもしろい
>>701 ちょっと待ってな。まだ何も読んでないけど感想上げられるかどうかわからん。
>>702 川上スレは基本的なとこからよくわからん。なんかもうそんなのにリソース使うのもなあw
>>687 >自分を犠牲にする対象がない
うん、というか正確に言うと「母性愛が犠牲という形を採っていない」という意味なので
ちょっと抜けてるな。まあ元々俺が抜けてたんだが。
だから自分を犠牲にする云々って話ではなくて
お前はもう無自覚ながらも(本当に無自覚とは到底思えないが)母性愛を体現しているんだろうね。
起点が愛なのであるという言説を聞いても、そこに明確に言葉を与えてしまう事に迷いがあるんでしょう。
それは俺の云々する幕じゃないわ。というか安易に確信持たれても迷惑っちゃー迷惑だし。
それと
>>688はもう俺に向けた言葉だと捉えましたので
「だから遜ってねえだろうがこの野郎」って言葉を俺の方で呑むから
お前はお前でもう罰として鼻毛3本抜きなさい。
鼻毛無かったらどこでもいいわ。髪の毛以外で。
>>689 あーもーそれは君の言うカタリ派で良いんじゃねえの。
精神の自由と実存は切り離していった方が徹底してて良い。
肉体が土に還ったとこで別に執着する対象でもないんだし。
根本のとこで別なんだから知ったことかよっていう立場で。
ただし、有○涅槃だったかな。(名前忘れた。)
肉体的痛覚だけは仏教的にも仕方無いから。
生きてる内の悟りと一般的な意味合いでの死を迎えてからの悟りは区別されてた筈。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」ってそんなわけねえだろアホかって話になるし。
>>690 うん、俺は同意しない。たぶん認識に決定的な差がある。
俺にとって他人事じゃないんだ、「あー、あるな」の感覚は。
俺の内に入ってる。入ってるっていうか、それを読み解く方法論が入ってる。これ入ると凄いぞ。
「あの出産の痛みに比べたら大抵のことは我慢できる」っていう母の言葉。
あれクオリアとして理解出来るんだよ。そらそーだわって。
>>691 >「野性的に母乳が出る」
>なんかもうカウンター一発でノックダウンだ
まあ言葉にはピンと来るような来ないようなだけど受けた感覚はわかるわ。
「あー、かなわねえわこれ・・・w」って魂抜かれる感じで上向いちゃうやつな。
そのまま食らったら膝抜けてもうあと祈りの姿勢とるぐらいしかねえよっていうような。
>「私はあなたが怖い」と言ったもんな
正直で大変よろしい。ていうか存在が定義出来ねえんだよ。そういうのは。
「だって自己犠牲って要するに自分を殺して生きるって事でしょう?
なーんで1つしか無い命で2回死ねるのよ。意味分からん意味分からん意味分からん。」
そういう感じ。この話に近いものがあるな。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1294012494/137 >>693 実存上は間違いなく母になるけど・・・なれない奴もいるからねえ。
心性がそうなる(母になる)とも限らんという例は俺が出すまでもないでしょ。
>>694 これはねえ、正直言って今まで全く想像が出来ませんでした。
全然そんな発想無かった。そういうことかと得心しかり。
その感覚を誘発する仕組みがあるだろうとは思ったけど
その新しい生命はあくまで精神的なものとしてしか考えてませんでした。そうかそうか。そういうことか。
>ああ、これ「飽きる」の怖さに似ている
特にこのセンスが良い。それは食らったら性愛ではどうにもならんよ。
そしてその怖さは内に取り込んで呑み込まないとダメだ。
呑み込むっていうかね。無限を無限のままに扱う知恵を体得しないと。
「人間の想像力は無限大だー」ってネガティブ側にも返って来るんだもん。
こればっかりは何とも言えん。っていうか言ったらイカンものだと思うわ。
俺が何書いても出て来る言葉は出産の喜びの言葉。そこには真実が宿ってない。残り香があるかもってぐらい。
>>695-696 そういう肉体的なものはねえ。
尊重するって立場でしかどうこう言えんわ。
っていうかどうこう言えんわ。
「頑張れ」は絶対違うしな。
「安心して」って無責任な言葉ぐらいしか。
イラッとするのが解るけどどうしようも無いもん。
だって・・・どうしようも無いだろw
どうすりゃ良いんだよ。どうにもなんねえよw
だいたいそれって分娩室で手を握ってくれる人が掛ける言葉だし。
>>697-698 うん、それは嘘のない言葉ですね。濾過されてない真実がある。
俺があやなちゃんに感じる誠実さのもっと純粋な形だと思います。
>そのおせっかいさが腹立った
ていうかお前はなー・・・
「共依存カウンセリングでも掛けてんのかコイツ・・・」ってぐらい
ピンポイントに俺のツボ突いてくるな。
まあ実体験だろうから間違いなく杞憂だけど。
っていうかお前は本当に幸せんなれよ
どういう男と付き合ってんだよwwwwww
>>699 そうですね。
だからお前は「クソめんどくせえwwwww」んです。
そして可愛らしいなあと思うんです。
>でもそういうやり方しか俺はできん
もうこの一文はデレなんですわ。究極のツンデレだわ。
それはもうわかる人にはそう見えるんです。本人がどう言おうと。
お前だってここにもう一文続けるとしたらどんな言葉入れるよ?ピタリ当てられるわ、俺。
そこんとこ剥いたら
「別の意味でめんどくせえよコイツwwwwwwww」
になる可能性も見えます。
妄想ですな。というかえらい失礼な妄想だなwこれ。
もうあとクオリア的なもんだけだと思うけどなー。
これねー、別にその欝を皮切りにして飛び越えて来るって方法論が
唯一絶対だとは思わないけど、たぶんこれ越えないと無理じゃないのかなー。
先に越えたからどうこうってもんじゃないのよ。
童貞処女何歳で捨てた、とかその程度の話で。別にそれで優劣付く問題じゃないし。
ファルスだけ持ってても虎の威を借る狐で終わっちゃう気がするのよ。勿体無いでしょーそれは。
たとえば書を読むスレで野狐禅のカモメ貼ったけどね
ポイントって”僕の本当の気持ち”っていう言葉だけなのよ。
これは無限の世界の言葉だから。
「聞いた人が自分の経験に当て嵌めて好きな言葉を埋めてねー」とか
そういう類のチャラい作り方は断じてしてない。
「じゃあどういう言葉を埋めるんだろうか」っていう思考展開はもうズレてんです。
認識を起点にした0と1の論理をどう演繹して理由を捻り出しても採点する価値も無いくだらねー解答なの。
「あー、こいつキチガイの壁越えてきたな」ってのがわかるようになる。
俺、無頼派って言われる連中でここ越えてる奴って一人も居ないと思うんだけどどーなんだろ。
まあ読書会スレで出たようなもんぐらいしか読んでないけどさ。
いや、越えなくても良いんだけどね。別にそこ越えないと芸術が出来ないってそんなわけ無いし。
念のため言っとくけど別に優越感とか全く感じてないからな。
世間一般の2chに居る名無しの一人が抜かしてる戯言だからな。普通の話として読めよ。頼むから。
もう2度と言わんからな。とりあえず鼻毛抜いときます。
>>701 読了。
引き出し開けるの気持ち悪いなあと思ったら終盤で風が止まるのね。
俺はちょっと胎内で風が吹くってイメージはわかりません。そういう印象なのかね。
あのねえー。これはねえ。どこに命を据え置いて良いものやらわかりませんな。
男はどこまでも俗悪でえげつない描かれ方ですね。
なんなのこの人。恨みでもあんの。
というか俺はなんでこんなものを読まされたんだ・・・?w
俺はチーズが知りたいんだよチーズが。あれは何だったんだと。何の説明もつかない。
>精神の自由と実存は切り離していった方が徹底してて良い。
>肉体が土に還ったとこで別に執着する対象でもないんだし。
肉体が土に返るのも、微生物により分解されるという自由だが
ああ木内先生を「ヴィナスだね」とかいう男教師ども?
女も変わらんと思うけどな
俗悪なのは大人、って書き方かと
もちっと正確に言えば俗悪なのは去勢済み主体だ、的な
>「人間の想像力は無限大だー」
ここは違うんだよ、人間の想像力が有限で、物質が無限なの
身体が有限なのは勝手に生死で区切りつけてるだけでしょ
死体の腐敗は微生物に分解されているという無限だ
ここが決定的に違うんだよな
私が怖い無限は、心の無限なんかじゃなく、物質の無限
ところが多くの人間は心を無限だと思い込んでいる
それも怖い
前も怖いし後ろも怖い
>無限を無限のままに扱う知恵を体得しないと。
>「人間の想像力は無限大だー」ってネガティブ側にも返って来るんだもん。
ってのは、「無限の心」なわけでしょ?
そんな「心」は存在しない
むしろ無限な物質である身体を心が有限化している
なのに「心は無限」というのがすごく傲慢で怖い
君はその壁でぼよよーんと向こうに跳ね返っただけだよ
心が無限か体が無限か、そのはざまで跳ね返って「心が無限」になっただけで、君はそもそも超えてない
>俺にとって他人事じゃないんだ、「あー、あるな」の感覚は。
あー、他人事だな
「無限な心」とか
お前ちょっと落ち着けいっぺん
なんかナーバスになってんぞ
もちろん、心も身体という物質のそういう物性だとするならば、「無限な心」はありうるが、それは物性である
>>721 そういう脳内妄想を押し付けんなと
素になってきただけだよ
俺のブログとか見たらこっちが普通
後から返って来るからマジで落ち着けwwwwwwwwwwwwwwwww
>「だから遜ってねえだろうがこの野郎」って言葉を俺の方で呑むから
そう言えばいいのに
えー、いつもと違うか?
事事無碍とか書いてた時とそう変わらないんだが
うん、とりあえずちょっと間を置いた方が良い。
園児以来のが残ってる。あと今雑談スレで絡んでる奴が。
「無限な心」を他人事で見れば「有限」になる、って話か
>>727 いやこのスレ自体読書会スレやら雑談スレの影響はあるがwww
つか、園児や雑談スレの人としてた話をするな、ってことなの?
いや、別にして良いよ?いいんだけどな。
ただ、お前なんだろうな・・・笑えてきた。
園児はねー、俺が病んだ一因でもある技術営業の問題なんだよ
まるっきり営業思考なのね
でもうちの営業さん、「営業なんて要するに詐欺と同じでしょ」とか言ったら苦笑するような人たちばっかだったが
自覚はしてると思うんだよな
詐欺って言い方わるいけど、非物質な価値のやり取りってのがエンタメであり営業の仕事なわけじゃん
>>731 なんか変な妄想してたんじゃね
私はこういう私でしかないよ、最初っから
「無限の物質」とかヌーメンっぽいじゃん
雑談スレはなんかいつもの話が通じないっぽさがあるので結構どうでもいい
落ち着いてない私など存在しない!!!
パニ障なんだぜ?
うん、なんかな
ニヤけてくるわ
お前なんか独特の可愛さあるな
二十代後半で現役JC(いわゆるアイドルの卵みたいな奴ら)に一人混じって中学生やったことあるんだが、
JCから、見に来たそいつらの同級生に「あの子(俺のことな)どこ中?」って聞かれた、と聞かされたことがある
役者冥利に尽きるな
まあ背も低いし、顔なんて舞台じゃいくらでもメイクでごまかせっけど
ガキの演技はうまいんだよ、俺
>無限を無限のままに扱う知恵を体得しないと。
>「人間の想像力は無限大だー」ってネガティブ側にも返って来るんだもん。
なぜネガティブ側になるのか
それは、もともと身体の無限さを心で有限かしているのが健全な心身なのだが、「無限な心」を目指すと、健常な心を壊すことに他ならないから
無限を無限のままに扱う知恵が、終わりのない証明問題を解くこと、だと思うんだけどなあ
俺はその状態がまだまし
>ガキの演技はうまいんだよ、俺
いや基本スタッフだったし、演技はむちゃくちゃヘタたんだったけどな
フリーの役者っていろんな演出家と出会えておもしろかったからフラフラやってた
ガキとか天然ボケキャラみたいなのいるだろ?
ああいうギャグキャラが多かった、脇役な
一回だけシャブ中で自殺する「昔の清楚なマドンナ」みたいな主役級やったことあるけど
まあ素がガキなんだろうなとは思う
そのシャブ中の自殺女は、主人公の男子が、学生時代の憧れみたいな存在で、実際に会って幻滅するんだけど、
なんやかやと自殺女の世話を焼くようになって、ってところが読書会スレの今のテーマの田中英光ぽかった
あ、基本コメディ調だけどな
幻滅か
できすぎてるな
退行するならちゃんと退行しろよ、って話だわ
素でガキな人から言わせれば
自己愛を否定して対象愛になるのではなく、自体愛に退行しろと
うん、君に転移はしてるよな
俺をかわいいと言うが、俺は君がかわいい
自体愛からわたしを助けてくれる王子様!!!
大変結構。だいぶ素直になった。
お前そこんとこ抑圧するからおかしな方向行くんだよ。
「ブログに書いてる私も愛して!素の私を受け止めて!」
なんだかんだ言ってこういうのでだいたい説明付いちゃうだろ。
試しに否定してみろ。お前たぶん心が痛むから。
だからあんた甘えるの不器用過ぎです。
どこの男がそんなもん読めるんだよw
でもムー大陸は読むかもしれんな。
他のコテは・・・たぶん引くな。うーん・・・引くだろうなあ。
あと、王子様って語彙使うことで
突っ撥ねられた時の防波堤残してるようなところも
(これ本能的にやってるんだろうけど)
もうなんとなく読めちゃうので
「しゃらくせえぞコムスメwwwwwwwwwwwww」という感じで。
オラこっち来いコムスメ。頭出せ。よしよし。お前は優しい子だ。
そこ認めてからだ。女になれるのは。
性愛も別に良いんだぞ。龍樹とかほとんど色魔だからな。あれ。
瀬戸内寂聴とかいつまで放蕩やってたんだよって話だし。
あー、エヌはよくわからんけどよくわからんままに受け止めそうですな。
アセンションは多分引くな。
鈴木は我関せずを通すな
あと誰がいる・・・
マグナか。マグナはキョドるんじゃないですかね。
園児は叱られた子犬みたいに震えるね。
あとはー・・・あと誰かいたっけ。
>>747 素直になってるのかwww
>「ブログに書いてる私も愛して!素の私を受け止めて!」
ちょっと違うんだよなあ
見なくてもいいが、自分が見えてない世界があるとわかれ、と
>龍樹とかほとんど色魔だからな。あれ。
そう、色魔と「よしよし」は別物なんだ
「よしよし」はいらん
まあそう思われても仕方のない部分はある
がそうではない部分もある
「ブログに書いてる私も愛して!素の私を受け止めて!」
は粗雑なんだよ
素の私を受け止めることとは、愛さないことなんだよ
愛されるということは支配されるということだ
支配されたい私もいる、大好きな絵の中に閉じ込められたい私もいる
しかし、大体の人の絵からははみ出てしまう
はみ出ないように「ブログに書いてる私も愛して!素の私を受け止めて!」とがんばるのが、逆に抑圧となるわけだ
逆に解放なんだな、君が抑圧だと思ってることが
父ってのは結局は死の欲動の代用他者なわけだけど、
それが父への欲望なら、超自我の理屈通り「抑圧」だ
そうではなく、私は死の欲動を解放している
性愛、リビドーがあって、そこから退行したところに死の欲動があり、そこから発達したところに父がいる
性愛、リビドーについて、君と私は同じ物を見ているが、立ち位置が違うんだよ
私は性愛、リビドーより退行した場所からそれを見ている
同じ物について会話しているのは認めるが、立ち位置も同じだとされるのは、私を支配することだ
君に愛されたい、支配されたい、というのはそれほどでもないので(そう思う奴も時々いるがすぐはみ出てしまう)、
遠慮します
つか2ちゃんにはいねえなwww
鈴木あたりはいい感じだが
そして私にとっては「性愛の抑圧」も「性愛」にしか思えない
ミソジニー+ホモフォビアのホモソーシャル的性愛
父を欲望することで性愛的な母の欲望を抑圧するわけだが、それ自体も欲望じゃん、と
君が「解放しろ」というのは、私にとっては「抑圧しろ」ということになる
例えば私仕事してた時部下がいたんだけどさ、つまり微妙に管理職だったんだが、
管理と支配って行動は似たようなものじゃん
何が違うかって、支配欲(支配したがるのも支配されたがるのも含め)という感情論による管理が支配だと思うわけだ
あるアスペルガーの人がいい事言っててな
「アスペは管理されるのは好きだが、支配されるのは嫌がる」
と。
これ「色魔はいいけど「よしよし」がいや」と同じようなことかと。
君はそう思ってていいよ、めんどくさいので
私は違う、それだけじゃないと思ってるだけ
めんどくさいときは私もただのアッパラパー女になるわw
死の欲動の代用他者による欲望の抑圧か、死の欲動そのものの解放による欲望の否定か、って話だな
アスペの赤ん坊って母親にだっこされるとのけぞったりするんだぜ
ここでの死の欲動ってクライン的な「生後すぐの赤ん坊にも攻撃性はある」って奴だと思っとけばOK
君の跳ね返りは、「父を欲望していいんだ」って跳ね返りだったわけだ
「伝統」に対する転移なんかは父性的なものへの欲望の典型例
結局「いやよいやよも好きのうち」なんだよなあ、人間って、男も女も
フロイトによれば逆なんだがな
「憎しみは愛に先んずる」
性愛、リビドーにまで発達している私もいるが、そこまで成長していない私もいる、ってことだな
その成長していない私が、父の要望による抑圧という、さらに成長した心、男性的な心と同じ言い分だから
「男っぽい」とか言われることもある、と
逆なんだよ、成長してなさすぎだから、そうなってるだけ
なんか一気に萎えてきた
>>747はむしろ君の素直な心なのだろう
君もうこなくていいよ
私はここで独り言を続けるがな
まあ君がレス続けてもいいけどな
私が見なくなるだけ
ジェイコブさんツイートおせえ
なんかこう、「こう言っときゃいいんだろ」にここまで素直にはしゃがれると萎えるわ
男にとっての父も「白馬の王子様」だと思えるんだよな
でそういう部分は私にもないわけでもないが、それだけじゃない部分が問題なのであるよ
せっかく芽生えた転移が台無しだ
例えばさー、好きか嫌いかわからない、まあちょっと気になる人がいたとしてさ、
周りからやんや言われたりとかして仕方なく「私あなたのこと好きかも」とか告白して、
向こうが「そうか、俺もそう思ってたんだよ」とかはしゃいで言ってきたら萎える、ってわからないか?
わからないかなー
感情とは不定形であるのが本来の姿だ
好きでも嫌いでもない
ただ人間は好きに執着しているから、不定形な感情を「いらいらしてる」だとか「不機嫌だ」とか「落ち着いてない」とか思うから、
「負の感情」に、極論すれば「憎しみ」となるわけで
フロイトの嫉妬妄想の男の話そのまんま
関係妄想の意味するところは、彼らがすべての見知らぬ人から、なにか愛情のごときものを期待していることである。
ところが他人たちはそういう素振りをしめすこともなく、なにげなくひとりで笑ってみたり、通りすがりにステッキを振り
まわしたり、あるいは地面に唾をはいたりする。かりに親しい気持ちを傍の人にたいしてもつ場合に、そういう仕草を
するはずがない。傍の人にまったく無関心のときや、それをかるくあしらうときだけにそういうことをするものである。
「よそよそしい」ことと「敵意がある」ということは根本的には似ているので、パラノイア患者が、他人の無関心を敵意が
あると感ずるのは、彼らの愛情を期待することの強さに照らし合わせてみて、さほど不思議ではない。
残念、かな、この感情に相当する言葉は
えーうそーん早かったかー
これもうお前鉄壁やないか
取っ掛かりぐらい残しとけよー
俺カウンセリングは絶対向いてねえな
萎えたけど萎えきったわけじゃない、つか通常の俺に戻っただけって感じ
なのでふりだしにもどっただけと思えば?
基本全ての人間に萎えてるけど萎えきってるわけではないんだよ
>>745-746みたいな時も時々ある
まあ「性愛」を自覚してる分君はましなほうだな、俺にとって
「死ねリスト」には入れないとは思う
知りあった人の半数が死ねリスト入りだからもう書かなくなっちゃったけどさ
三割は死ねってほどでもないが死んでもいいって奴ら
なので人間の八割は死んでいいと素で思ってる
この三割ではあるな
小学校から中高同じでクラスも同じことが多かった(通算8年同じクラスだった)Kさんって子がいてなー、
まあ私の方が成績良かったんだけど、なんかライバルみたいに扱われてたんだよな
「努力型の天才」が彼女で、俺は天然、みたいな
でも成績は全然俺の方がいいんだぜ? 彼女も良かったけど、東女行った
でさー、まあ勉強できる女子ってある意味ハブられるわけだから(「女はバカの方が可愛い」を実践する女が多い)
私ともよく話してたんだけどさ、私はうざかったんだよね
それよか男子と話す方がおもしろかった
で大学も同じ東京じゃん、演劇とかチケットノルマあるから時々電話して買わせたりしてたんだけど
同窓会でさ、「あんた本当に小学生の頃から変わらないね」と言ったんだよ
でもな、役者やるようにやって俺は変わったって言われることが多かった
どっちかってと内向的なのが外交的になったと自覚してたし、他の子は「変わったねえ」と言っていた
これとかすげー気持ち悪くないか?
はすみとかも死ねリストだけどこいつとか死ねリスト
はすみは死にかけだから結構どうでもよくなってるけど
つか小学校から一緒なので親同士も付き合いあったんだよな
同窓会で何次会かでカラオケ行った時、Kさんが親に電話して、なぜか俺に電話よこしてきたんだよな
親が俺と話したがったらしい
なんか適当なこと言った
あ、「Kさん仮面ライダーとか歌ってましたよ」とか言って「ちょっとー」とかって話になった
これとかさー、昔の友人のほほえましいじゃれあいに思えるじゃん
でも内心俺もうそういうのがな、ほんとだめなんだよな
心にナイフを持ち合ってるじゃれあい
俺が楽しい馴れ合いはそういうものだ
あの時彼女は俺にナイフを持ってなかったのだろう
>あ、「Kさん仮面ライダーとか歌ってましたよ」とか言って「ちょっとー」とかって話になった
酔ってたら演技できなくないんだよ、「いやよいやよも好きのうち」を
だけど本音は「私のいやはいやだ、ルサンチマンでも負の転移でもない、死の欲動としてのいやだ」と思っている
なんてんだろうな、私の方がKさんの相談に乗ってると私は思ってるのに、いつのまにか私がKさんに相談に乗ってもらうような会話になってんだよな
お前誰かの相談に乗りたいだけだろ、と
えらそうにアドバイスしてそいつを支配したいだけだろ、と
けど彼女を避けるのも怖い
避ければ避けるほど支配してきそうだから
実際、なんか男子から暴言めいた事言われたりして、俺はそういうネタだと思ってるんだが、なぜか他人の彼女が怒ったりする
俺は別にどうも思っちゃいないから、なぜ彼女が怒ったのか、と相談に乗ってると、いつのまにか彼女の方が説教じみたことを言っている
高校時代は人付き合いしない方だったからマジで死ねリスト作ってたんだが、彼女はいつも入ってたな
彼女なんかは俺の想像的他者なのかもしれないが、俺は彼女とのシーソーから降りたかったんだよな
鏡像的他者でした
学級委員長タイプだよ、いわば
俺への悪口を彼女が怒るのは、彼女が俺を欲望しているから、性愛だ、と彼女が自覚してやってれば、死ねリストからはずすかもしれない
でもなんかのコンサートに一緒に行ったりしてて、他の人からは仲のいい二人だと思われてたんだろうなあ、って思うわ
俺はそのうざさを言葉にできなかった、当時は
いやだとは思ったが、どういういやなのか説明できなかったから付き合ってた
精神分析学んで言えるわ
彼女は俺を、自分が母として欲望していて、それを自覚していなかったのがいやだと
俺の方にも、死の欲動ではない性愛、リビドーがある時もあったかもしれない
俺が彼女を欲望していた時も
鏡像関係というシーソーに乗っていた時も
でも、それは一部だ、あくまで
性愛ではない、心の中にナイフを持ったまま、俺は彼女と接していた
一緒に行ったコンサートがイルカとかだったのが今思うと笑えるわwww
中島みゆきとかの方が好きだったわ
今もだが
メルヘンとメンヘル
字面はこんなに似てるのに
思うに、君が転移しているのは、Kさんみたいな子じゃないだろうか
なごり雪とかは「鬼火」っぽい
私だって他人の一部しか知りえない
だけどその一部の見方が恣意的なんだよ、どいつもこいつも
皆が皆同じところを見る
欲望と言う心理の一機制ばかり見る
別にその違う部分を見てくれ、とは思わない
ただ、お前達は、カルト宗教に洗脳された教徒のごとく、みんながみんな心理の一部分しか見れない、ということに気付いてくれればよい
自覚さえしてくれれば
雑談スレから
「諦観」あったは
「ちんちんは生えてこない」って「諦観」
ペニス諦観と名づけよう
なんとなくほす
,.ィ , - 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |' { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \ キーボードの[U]から[Q]までのキーの平仮名を
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ > 右から左へ読んでみてくれ!!
. l  ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__ これは韓流スターのコンサートの混雑具合が
゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ トr‐' / 予言されていたんだよ!!
l `___,.、 u ./│ /_
. ヽ. }z‐r--| / ト, | ,、
>、`ー-- ' ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ / :| ,ゝ=< / | `'''‐- 、.._
/ !./l;';';';';';';\ ./ │ _
なんかすいてた、すげー
利口マン
ここは人がいませんね・・
では少し独り言を・・かまわないでしょう?
中学1年、図書室に増えていくある書棚の本の数々
いい本でした
次郎物語、コタンの口笛など文学作品が毎月何冊か増えていきます
岩波文庫でしたかね
そのころその本の寄贈者が判明したとかでお礼のお手紙を書くことになりました
確か、便箋一枚、夜中に書き上げて提出しました
お返事が・・・来たのです
もっともっと本を読みなさい
そして長編を
それも原書で と書いてありました
私の文への褒め言葉も綴られてあり嬉しいお返事の手紙でした
あれから、何十年、未だ、原書での読書は叶いません
原書で読むことは私の人生の課題になりました
死ぬまでに読みたいですね
きっと読みます、放舟さん ”放舟”は寄贈者のペンネームです
イイハナシダナー
810 :
吾輩は名無しである:2015/02/13(金) 07:51:27.94
イイハナシダナ~
良い歯無しだなぁ〜
まずは日本語の原書から(笑