【書を読む】読書会スレ2【対話する】

このエントリーをはてなブックマークに追加
283吾輩は名無しである
>>281
>シニフィエ変わってきてるよ、これ。
あれ?
>>274
>>代用品でしかないんだよ
>当たり前だ。それが表現物の限界なんだから。
>それを乗り越えようとする意志は演劇芝居の専売特許じゃない。
で、>>270
>作家と読者は、読者にしてみればそうかもしれないが、作家にとっては、一対一の関係ではない。
>ここに不可能性があるのであって、君の言う技術的な不可能性は、その代用品でしかないんだよ。
だから、「技術的工夫による乗り越えは代用品である」ってことになっていたと思うが。
「代用品である」ことは否定してたのか。

>フィクションから生活世界への侵入を直ちに意味するように変わってる。
違う。君が、意味の受け取りの不可能性を、コントロール可だと「乗り越えよう」としている意味で使っていた。

>ページ破れとか経年劣化とか紙質にまで演出意図を盛り込んだ小説家がもしいるのなら
少し違うかもしれないが、京極夏彦などは、同じ作品で判が変わると、改行を書き直すらしい。

>作り手じゃん。
ああまあどっちでもいいや。

>取ってもいいだろ、ノンフィクション小説成り立たねえよ。
小説って理想を売ってるところはあるな。
演劇もオペラとか大がかりなのは理想を売ってはいるが。

>「自分は楽しむ事が出来ませんでした。それは作家のせいです」ってな。
「作家のせいです」とは言ってないが。志賀の「楽しませようとする演出」が俺には通じなかっただけ。
俺のせいでもあろうよ。
すれ違うのはどちらか一方のせいではあるまい。