もう無名の物書きは売れないのか?

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456吾輩は名無しである
「はじめに言葉ありき」


神って言葉から産まれると思います?
それとも依り代(=すなわち宿る媒体)に過ぎないと思います?
457積 緋露雪:2011/11/21(月) 04:57:00.88
>>456さんへ

私の考へで、神は、この宇宙を胚胎した超越論的存在です。
458吾輩は名無しである:2011/11/21(月) 05:09:30.23
ええ、その起源を覗きたいのです。
神はどうやって産まれるんでしょう。

1.言葉とは宇宙を統べる統治原理、つまり啓示に過ぎないのでしょうか。
2.それとも神をも内包出来るのでしょうか。
459積 緋露雪:2011/11/21(月) 05:21:23.48
>>458さんへ

私は神は言語以前の《念》のやうな《もの》と考へてゐます。
私にとっては「初めに《念》ありき」なのです。
460吾輩は名無しである:2011/11/21(月) 05:39:56.17
よくわかりますよ。
では《念》から神は産まれますか。
《念》を人間は自ら発することが出来ると思いますか。
461積 緋露雪:2011/11/21(月) 05:47:54.53
>>460さんへ

私が考へるに、《念》は「先験的」なのです。
《念》から神が生まれるといふ問ひ変ですね。
神はこの宇宙開闢以前に既に《存在》し、《念》はこの宇宙に遍在する《もの》と私は看做してゐます。
つまり、神以前に《念》は《存在》し、人間、つまり、「現存在」に《念》は宿る《もの》と私は考へます。
462吾輩は名無しである:2011/11/21(月) 05:58:34.18
偏在と仰りますが、《念》は複数あるものですか?
いくつぐらいあるものなのでしょう。
煩悩の数は108とか言ったりしますが、確として数えられる程度なのでしょうか。
それとも八百万と数え上げるのを諦める程度には多いのでしょうか。
また、それは増えたり減ったりするのでしょうか?
だとすれば一体何の理由に由って?

それと、《念》を総称としてお使いになるときと、
ある特定の概念としてお使いになるときと
別れてきてしまったように思うのですが
それぞれの概念について違和感の無い程度に定義して頂けませんか。
463吾輩は名無しである:2011/11/21(月) 06:01:39.38
定義と言っても小難しい定義を求めているわけではないです。
まあ呼び間違えというか、会話に齟齬を産まない程度に分けて論じた方が良いのではないかと。
ですから総称として《念》をお使いになるのであれば、個々については別の言葉を使って貰いたい、と。
その程度の意味です。
464吾輩は名無しである:2011/11/21(月) 06:02:58.81
ひきこもりの自演
465積 緋露雪:2011/11/21(月) 06:05:13.07
>>462さんへ

遍在と言っている以上、《念》は数へられない《もの》です。
私が《念》て言ってゐるのは此の世は四次元多様体ではなく五次元にもさらには無限次元にも把握可能な故に
遍在と言ふ言葉を使ってゐます。

そして、《念》は概念なんぞは包摂してゐます。
科学はその《念》を論理づけする学と考へます。
466吾輩は名無しである:2011/11/21(月) 06:45:03.17
まあ例えば空気中の酸素は偏在していますね。
掴めとか数えろと言っても無理な話ですね
中国の五行でも構いませんし七つの大罪でも構いませんよ
それらは偏在していますね。数える事も出来ないでしょうね。

宇宙を統べる統治原理としての言葉って
こういう性質をイメージしてたのですが違いますか。

大気中に含まれる元素を論理付けする学は科学の要件を満たすのでしょうね?
であるならば《念》を科学することって可能ですか。不可能ですか。
467積 緋露雪:2011/11/21(月) 06:53:18.48
>>566さんへ

此の世が「現存在」は例へば四次元多様体としか把握できなければ、五次元以上の次元は
想像できませんが、存在してゐるとは思考できます。

それと同じく、《念》は四次元多様体では把捉不可能な次元に存在する《もの》と考へると理解できませんか?

また、科学は時空間を《場》として定義してゐます。
例へば、磁力は目に見えませんが、科学では論理づけされてゐますね。
それと同様に現代の最先端科学は《念》の定義づけを行ってゐると私は考へます。

ただ、脳科学がいくら発達しやうが、脳科学から《念》は多分、定義できないと思ひます。
468吾輩は名無しである:2011/11/21(月) 07:03:10.40
>《念》は四次元多様体では把捉不可能な次元に存在する《もの》と考へる

よくわかりませんな。喩え話として仰ってるんでしょうか?
言葉をそのまま読めば《念》は四次元には存在しないと読めるのですが、
(私の住んでる次元を四次元と考えてよろしいのでしょうかね)
《念》は次元を越えないと干渉出来ないのですか?
何か四次元には《念》を追い出すような仕組みでも存在するのですか?
469積 緋露雪:2011/11/21(月) 07:10:50.41
>>468さんへ

違ひます。此の世は時間も入れて四次元多様体と定義できます。
そして、五次元、六次元、無限次元は、四次元多様体を包摂してゐて
《念》は例へば無限次元に存在すると定義できる《もの》ならば、
《念》は四次元では遍在してゐるとしか言へないのです。
470吾輩は名無しである:2011/11/21(月) 07:25:10.38
ふむ。最後にひとつ聞きたいのですが、

>《念》は例へば無限次元に存在すると定義できる《もの》ならば、

神の存在を保留されていますな。
いるともいないとも言ってない。
あなたホントはどっちだと思います。

仏陀よろしく文字通りに入滅して完全に”空”になるのか
あるいはどこかで監視者のように”存在”しているのか
471積 緋露雪:2011/11/21(月) 07:30:02.27
>>470さんへ

私は神が存在した方が此の世が面白いとだけしか言へません。
私は仏教徒なので、「虚空」に消えゆることを夢見てはゐますが。
472吾輩は名無しである:2011/11/21(月) 07:39:12.99
エンタメ性と捉えられるか逃げ口上と捉えられるか、ですね。
僕の知ったこっちゃありませんわな。

それでは。