■■■トルストイの凄さがさっぱり分からん■■■

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128吾輩は名無しである
一般的に言って、神話やお伽話といった説話に何がしかの思想なり真理なりを見て取ることが出来る。
その真理という奴は言葉にするとごく抽象的で浅薄で解釈の余地が多分にあるものなので
「ひとそれぞれ」という”ごく受け止めやすい真理”のもとに相対化され矮小化され酷い時には全く間違った解釈のまま定着して
その説話が伝えたかった真理は消え失せる事になる。

この復活という小説はトルストイの残そうとした真理を誤解なく伝えるために、
それを発見した人間の責務に基づく記録として、それを言葉という限られた表現手段によって正確に書き留めようと努力した結実である。

自分に読み違えが無ければこの話は「ネフリュードフが初恋に破れたという話」とまとめる事が出来よう。
初恋の相手というのはこの世の真理というもの、人間性というもの、高潔な穢れ無き精神であって、特定個人ではない。
広く人類ないしは万物に対する初恋となら言えるかもしれない。
彼は自身のエゴによってその真理を自分と一体化させようとした。
何よりも愚劣なエゴによって善行を働くのだ。そしてそれを正当化し得るための媒体として「真理」を利用し貶めているのだ。

僕もひとつトルストイに倣って喩え話をしてみようと思う。