1 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 11:04:28 0
実は世界の十字路なのに、日本人の頭からはすっぽり抜け落ちて
しまっている、インド洋交通、洋上の島々、周辺国の歴史に
ついて語りましょう。
2 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 11:58:18 O
鰹節の原型があるにゃん!
鰹節だよ人生は
3 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 14:09:39 0
4 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 15:58:13 0
インド洋海域世界
5 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 16:02:18 0
インド洋を制した者が世界を制す。これは大航海時代以来現在まで続く鉄則。
同じ事は太平洋にも大西洋にも言えそうでござる
7 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 16:35:14 0
インド西部、グジャラートの綿花は主に東南アジアに輸出され、東南アジアからは
中国の絹や香料がはいってきた。
絹や香料はグジャラートを経由して西方に運ばれ、金や銀と交換されて
グジャラートに戻ってきた。
8 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 17:11:49 O
9 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 18:51:42 0
ちょっと違うんだなぁこれが
10 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 18:56:14 0
マラッカ王国がポルトガルに征服された、という、その透徹した美学
インド洋がイスラムの海から西欧列強の海になってから西欧の覇権が始まった
12 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 21:42:13 0
一行レスばっかじゃねえかよ
13 :
世界@名無史さん:2009/09/24(木) 07:53:01 0
14 :
世界@名無史さん:2009/09/24(木) 11:14:39 0
8世紀半ばから10世紀半ば、インド洋を取り巻く海域では、すでに1世紀頃までに
成立していた「海の道」が、西のアッバース朝と東の唐という二大帝国の
繁栄によって、さらなる発展を遂げた時期であった。その結果、木造帆船
ダウを使ってのイスラーム商人による交易ルートがペルシア湾からインド亜大陸を
越えて中国へと広がり、インド洋交易圏が一つのまとまりを持つ世界として
歴史に登場することになった。
そこで活躍したのは、ペルシア湾の港市バスラとシーラーフ、およびオマーンの
スハールを拠点としたアラブ系やイラン系の商人たちだった。この時期、
インド洋世界からさまざまな技術や知識、香辛料や絹織物や陶磁器などが
イスラーム商人の手によって地中海世界にもたらされ、イタリア諸都市の
発展を促しつつあった。
15 :
世界@名無史さん:2009/09/24(木) 11:25:56 0
インド洋と命名したのは誰ですか?
16 :
世界@名無史さん:2009/09/24(木) 13:22:42 0
>>15 大航海時代以降のヨーロッパ人は、ヨーロッパと地中海沿岸地方以外の地域を
すべてインドと呼んでいたから、その辺から来ているのかなあ。
カリブ海諸島のことは西インド、東南アジアのことは東インドと
呼びならわしていたくらいだし。
17 :
世界@名無史さん:2009/09/24(木) 23:07:31 0
>>6 地政学的に見れば、インド洋は第2の地中海なんだよ。
一国の軍事力で周囲を全て押さえ、閉鎖海を作り上げようという欲求を生む。
イギリスがやったことがその典型。
18 :
世界@名無史さん:2009/09/25(金) 00:42:15 0
イギリスがクウェートとか、湾岸の首長国を保護国にしていたのも、
インドへの道(エンパイア・ルート)の確保のため。
19 :
世界@名無史さん:2009/09/25(金) 21:32:24 0
ディエゴガルシアって観光で行くこと可能?
20 :
世界@名無史さん:2009/09/26(土) 19:13:35 0
不可能
21 :
世界@名無史さん:2009/09/26(土) 21:28:40 0
チャゴス諸島なら行けたんだっけ?
22 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 23:05:01 0
大航海時代のキルワに興味があるのですが、当時のことを書いている
歴史書とか記録ってないものでしょうか?
英語でも構いません。
23 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 23:09:22 0
あちこちに同じもの貼るな
25 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 22:30:20 0
あげ
26 :
世界@名無史さん:2009/12/12(土) 19:45:14 0
age
27 :
世界@名無史さん:2010/01/10(日) 20:50:52 0
>>22 大航海時代よりは少し前だけど
イブン・バットゥータが旅行記に書いてたねキルワ
街は美しく住民は熱心なイスラム教徒で周辺の先住民とは戦争中とか
28 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 09:44:23 0
ああ、やっぱりそれしかないんですかね。
ちなみに東洋文庫の大旅行記だと、キルワのくだりって3巻辺りに出てくるんですか?
29 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 10:01:21 0
ヴァスコ・ダ・ガマってキルワに立ち寄ってなかったっけ?
30 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 20:27:26 0
32 :
世界@名無史さん:2010/02/06(土) 11:05:31 0
アンダマン諸島やニコバル諸島ってなんで交通の要衝に
ならずに先住民が残ったんでしょう。
33 :
世界@名無史さん:2010/02/14(日) 02:47:49 0
中世のインド洋の海賊等で名のあるものってありますか。例えばマルバラ海賊とか。
34 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 13:20:44 0
われわれ日本人は、これまでに少なくとも二度、インド洋の歴史を書き替える大きな事件を
起こした。一度目は、すなわち日露戦争で、英国は日本と同盟したことにより、ともかくも
インド洋から極東にいたるシーレーンの支配の一部を日本に譲ったことになる。
そして二度目は、いうまでもなく太平洋戦争で、日本の陸海戦力は、結果的に見て英国や
オランダの東南アジアにおける植民地体制を解体するのに、大きな梃子の役割をはたした。
ただし、反面これはスターリンの為に無償で手助けをしたような結果になってしまった。
概して現在、かつて日本軍から直接の被害を蒙らなかった周辺の地域では、日本の受けは
決して悪くはない。どちらにしても日本は、インド洋の歴史形成にとって、決して因縁の
浅くない国だということだけは、絶えず自覚しておいたほうが、物事を頭の中で整理する
のによかろう。
『海の生命線―シーレーン問題の焦点』
http://www.amazon.co.jp//dp/4562013826/
35 :
世界@名無史さん:2010/05/29(土) 09:28:51 0
ディベヒ語に一番近縁なのはシンハラ語?
36 :
世界@名無史さん:2010/06/03(木) 19:21:35 0
でも文字体系が全く違う
37 :
世界@名無史さん:2010/06/13(日) 08:49:19 0
某所で見つけたんだけどマラバル海賊ってなんだ?
39 :
世界@名無史さん: