499 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 21:47:06 0
>>473 イスラームでは偶像崇拝は禁止されていたせいで、
絵画は発達しなかったんでしょ?
ミニアチュールは中国伝来の絵画の影響で発達したんだから
顔の描き方も中国人風になってたんじゃないの?
>>493 中東ではイスラムの教義の影響でユダヤ教徒やキリスト教徒でも無い限り絵画は基本的に御法度で
絵画芸術は発達しなかったけど、代わりにアラビア文字による書道は隆盛した。
特にティムール朝後期ぐらいから出現した書体、ナスタアリーク体なんかは主にペルシア語の詩文
なんかの書写にマッチした流麗な書体で、詩文単品でも傑作が多いが、ティムール朝以降は大きな
『シャーナーメ』の一場面を描いた挿絵に、いくつかナスタアリーク体で本文の一部を添えたり
するようなものが定着した。
絵画についてはセルジューク朝からその兆候はあったみたいだが、イラン方面にも絵画芸術が
(といっても西洋画と違って基本的に写本の挿絵のみだが)本格的に隆盛・定着するようになったのは
イルハン朝時代から。勿論、イルハン朝時代からティムール朝時代に流入した中国絵画の影響が
大きいことはもう既に広く知られていることだけど、「なよなよ」した人物造型の原因は単にそれだけ
ではないと思う。
サファヴィー朝時代の作られた『ホスローとシーリーン』の写本なんか人物造型がいかにも
「なよなよ」した感じなのは、単に中国絵画の影響だけ、というよりも『ホスローとシーリーン』とか
『ライラーとマジュヌーン』を読めば分かると思うけど、実際、端正で「なよなよ」した容貌や肢体の
「王子さまやお姫さま」の話が好まれ、理想とされたからだと思う。こういう絵画作品や文学が愛好
されたのはセルジューク朝やイルハン朝やティムール朝といったテュルク・モンゴル系の遊牧政権の
宮廷である、ってことも一応は配慮せねばならんかも知れない。
501 :
世界@名無史さん:2008/08/26(火) 09:44:52 0
講談社の『興亡の世界史』シリーズで、この時期に関係しそうなやつは、
杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』(9巻)
羽田正『東インド会社とアジアの海』(15巻)
かな?
age
503 :
世界@名無史さん:2008/10/27(月) 22:04:17 0
あがってないyo
504 :
月読:2008/10/31(金) 14:50:15 0
サンドウィッチマン
505 :
世界@名無史さん:2008/12/09(火) 23:42:16 O
フラグ様素敵!俺の( * )を差し上げます
506 :
世界@名無史さん:2009/01/26(月) 00:01:38 0
保守
507 :
世界@名無史さん:2009/02/05(木) 09:33:39 0
>>462 バンダレ・アッバースについては、
>>501が挙げた、
羽田正『東インド会社とアジアの海』(15巻)
に書かれている。
あそこらへんの領土の個人的理想は、ティムール時代。
どうして、その覇権が長続きしないんだろう。
言語的にはペルシア。民族的に主力なのはトルコ。宗教はイスラム。
こんな感じだったはずだけど、全然団結できてないし、イスラムつかえねー。
つ サファヴィー朝
理想版図
ペルシャ・(パキスタン)・アフガン・中央アジア5カ国・(ウイグル)
ウイグルってティムールですら征服してなかったような
512 :
世界@名無史さん:2009/04/24(金) 17:07:13 0
age
理想版図
ユーフラテス河、コーカサス山脈、テレク川、カスピ海、アラル海、ヤクサルテス河、パミール高原、カラコルム山脈、サトレジ河、インダス河が国境
>>514 時代背景的にしょうがないだろうがやはりオスマントルコの扱いが・・・
516 :
世界@名無史さん:2009/06/17(水) 13:57:01 0
ジャライルやスルドゥスといったモンゴル系の部族は
サファヴィー朝がイランを統一した後はキジルバシに吸収されたり
周縁的な地位に落とされたりしたんでしょうか?
>>516 イスマーイール1世の頃にキジルバシ化してその後軍事貴族階級。
アッバース1世の頃には有名無実化して土着。
518 :
世界@名無史さん:2009/07/09(木) 17:26:29 0
>>482 そういえば最近、サファヴィー朝とカフカースの関係について論じた
研究書が出てなかったか?
519 :
世界@名無史さん:2009/07/09(木) 21:46:03 0
>>467 鳥の羽根飾りて確かマジャール族のアールパードや冒頓単于も頭に付けてたよな
あれって遊牧民の風習なのか?
ただインディアンやヨーロッパの騎士とかも同じように鳥の羽根飾り付けてるしな
よくわからん。
520 :
世界@名無史さん:2009/07/19(日) 09:22:49 0
>>519 アラブの王様やロビンフットだって付けてるぞ
弓矢と同じで普遍的なもんじゃね?
521 :
世界@名無史さん:2009/07/19(日) 09:56:24 0
台湾のアミ族も羽をつけて正装するが、彼らは農耕民族だ。
鳥の羽を飾りとしてつけるなんて、鳥の生息する地域なら、誰だって思いつくでしょ。
523 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 22:33:50 0
age
524 :
世界@名無史さん:2009/09/11(金) 00:03:28 0
三日月の世紀が読みたいが絶版なので
替わりに何かサファヴィー朝を扱った本ないでしょうか?
527 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 03:16:54 0
ageられてなかった…連投すまん
>>525-526 自分はまだ未見だけど、最近出た本で↓とかどうだろう。
前田弘毅『イスラーム世界の奴隷軍人とその実像
―17世紀サファヴィー朝イランとコーカサス』
(明石書店 2009/02/28 )
サファヴィー朝君主直属の親衛軍団であるグラーム集団を扱った専著。
コーカサスのグルジア出身の奴隷軍人たちを母体として編成されたサファヴィー朝君主の
エリート親衛軍団と、その歴史的活動を追ったものらしい。
サファヴィー朝はサファヴィー教団に従ったテュルクメン勢力の軍事的支援によってイラン高原を
制圧した政権だけど、平時からなかなか言う事を聞かないテュルクメンたちに代わる君主専属の
武力集団として成立、台頭して来たグラーム軍団を正面から扱っているので、とても興味深い。
佐藤次高先生が出された『マムルーク』はマムルーク朝の奴隷軍人(マムルーク)たちを扱った
専著だったけど、今回の前田弘毅先生の本はそのサファヴィー朝バージョンみたいな感じ。
おお!丁寧な紹介まで、どうもありがとうございます!!
早速注文してきました
530 :
世界@名無史さん:2009/10/22(木) 18:36:34 0
基本中の基本だけど「成熟のイスラーム社会」
半分がサファヴィー朝
今年も保守!
532 :
世界@名無史さん:2010/02/16(火) 14:16:24 0
>>484、
>>525 サファヴィー朝をオスマン朝とムガル朝と比較した研究としては、
羽田正「三つの「イスラーム国家」」『イスラーム・環インド洋世界』
(岩波講座世界歴史14)がある。
でもシーア派とスンニ派って(少なくとも現代では)別宗教と言っていいぐらい教義が違うよね(´・ω・`)
隠れイマーム派だの分派が色々あるからね。
535 :
世界@名無史さん:2010/03/08(月) 17:07:33 0
>>533 シーア派のどの分派について言っているのかね。
椅子マイル派
537 :
世界@名無史さん:2010/06/17(木) 20:00:30 0
age
アッー!バース一世
539 :
世界@名無史さん:2010/08/04(水) 19:14:08 0
ナーディル・シャーっていうのは、ペルシアの救世主だな。
サファヴィー朝末期のアフガン人の侵略を撃退したりしてるだけでなく、
ロシアからカスピ海沿岸の北部諸州を返還してもらってるからな。
この点は、個人的には重要な事だと思う。
テヘランやタブリーズがないイランなんて考えられんよ・・。
アゼルバイジャーンが今より大きかったり、マーザンダラーンがCISの一部を構成したりすれば
それはそれで萌える
541 :
世界@名無史さん:2010/08/09(月) 09:36:22 0
アフガン人騎兵ってトルコ・モンゴル系のように騎馬弓兵として戦ってたんですか?
それともアラブ騎兵のように剣や槍で突撃が主?
542 :
世界@名無史さん:2010/08/09(月) 09:39:57 0
>>541 アラブ人騎兵でも弓使うよ
てか言語違うだけで戦術変わるとか意味分からんし
>アラブ人騎兵でも弓使うよ
そうなんですか? いつ頃の時代の、どういった戦いに参加した
アラブ騎兵についてそういった記録が残っているのでしょうか?
>言語違うだけで戦術変わるとか
そんなことは書いていないけど
544 :
世界@名無史さん:2010/08/09(月) 10:48:06 0
いや普通に考えれば分かるでしょ
パルティアの時代から行われてた戦術だろ
逆に聞くけどなんで弓が使われないと勝手に想像してんだ
545 :
世界@名無史さん:2010/08/10(火) 09:17:07 0
>>544 それは知ってますが、アッバース朝時代にトルコ系グラーム、マムルークを用いる利点として
「馬に乗ったまま自在に弓矢を放つ」というのが挙げられてませんでした?
例えばアル・ジャーヒズの伝えるアッバース朝の武将の言として、戦うならハワーリジュ派とトルコ人と
どちらがいいかという問いに「ハワーリジュ派は勇猛だがトルコ人のように馬上から弓矢を放ってこない。
ハワーリジュ派と戦うほうがまし」というのがありました。
また、アラブやベルベルの影響はあってもペルシアやトルコの影響はほとんどなかっただろうマグリブや
アンダルスでも、有名なムーア式軽騎兵は近接兵器で戦っている。
早くからペルシアと戦っていたビザンツ帝国やステップ遊牧民と近接していた東欧では
騎馬弓兵が実際に導入されていますが、カスティリャやアラゴンやポルトガルなどがそうした兵科を
用いていた形跡はない。
>>540 じゃあ、ペルシアの首都はエスファハーンしかないな。
てか、普通にしっくり来るw