1 :
院生B:
2 :
院生B:2006/10/09(月) 02:53:44 0
清朝に関する話題をなんでも語り合いましょう。
3 :
関連スレ:2006/10/09(月) 03:06:03 0
4 :
関連スレ:2006/10/09(月) 03:10:29 0
6 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 09:10:05 0
重複スレはスレの無駄。
7 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 09:11:49 0
既に「大清帝国」スレが70以上も進行してるのに、わざわざ並行して
同様にスレを立てるのはスレの無駄遣い。
9 :
977:2006/10/09(月) 18:14:07 0
中国の皇帝を日本が担いで新国家を誕生させてたのって
実は凄いよな。
後世の人間はこの事実をどのように受け止めるのだろう・・
明の皇帝が江戸幕府に泣きついてきた事さえ教えない糞教育の下では
満州国自体無かった事にされるのも時間の問題か
10 :
978:2006/10/09(月) 18:15:49 0
>明の皇帝が江戸幕府に泣きついてきた事
初めて知った
詳しく教えて
11 :
979:2006/10/09(月) 18:16:44 0
>>977>>978 まあ明の皇帝って言えばそうかもしれないけど、事実関係を言えば明の亡命政府を
率いた鄭成功だな、幕府に泣きついてたのは。そう言えば清の勃興期には朝鮮も
幕府に泣きつきに来たな。華麗にスルーされたが。
980 名前:世界@名無史さん メェル:sage 投稿日:2006/10/08(日) 06:12:24 0
なんだ、鄭成功のことだったのか
981 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/10/08(日) 10:02:55 0
朝鮮も幕府に援軍頼んできたの?
秀吉に侵攻されてから大して経ってないのに、日本の軍を入れることに抵抗なかったのかな。
>>981 >朝鮮も幕府に援軍頼んできたの?
>秀吉に侵攻されてから大して経ってないのに、日本の軍を入れることに抵抗なかったのかな。
徳川氏が日本の政権を握ってにっくき豊臣氏を無力化したこと、
そのうち冬の陣、夏の陣で滅ぼしたことなどは朝鮮側も把握し
ていて、それゆえに幕府との間で修交もしたし、援軍の要請も
行った。
13 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 20:32:12 0
14 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 21:49:56 0
15 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 05:07:05 0
16 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 12:15:24 0
17 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 23:40:09 0
>渤海も高句麗も中国とは「朝貢・冊封制度」という関係にあった。
>日本もこの中に入っていたわけです。聖徳太子のときに抜けたわけではなく、
>歴史上入ったり、抜けたりしてはいましたが、明確に抜けたと言えるのは、
>明治維新のときのようです。
江戸時代からだと思われ。
明確に抜けたのは明治。実質は江戸か。
19 :
世界@名無史さん:2006/10/30(月) 20:25:48 0
>聖徳太子の手紙は有名ですが、決別したわけではない。
>足利将軍義満も日本国王という権威付けをしてもらっている。
>その前の南北朝時代は南朝が日本国王。
> 朝貢冊封というのは、属国になるというものではないのです。
決別してるとおもうが。
以後、歴代の天皇で中国から「冊封」うけたの居ない。
中国年号つかって国書を中国に送った天皇いない。
歴代の室町将軍も、正規の国使おくると、差出人とか元号とか国書とか
問題になるから、坊さんをおくる。
そういえば、明からの使者も坊さんだったな。
21 :
関連スレ:2006/11/08(水) 03:12:55 0
対馬藩は朝鮮の臣下だったから、琉球以外にも日本の一部が冊封体制に入ってるんだよな。
22 :
世界@名無史さん:2006/11/12(日) 05:41:09 0
清のドルゴンが中国語話せたかどうか知ってる人います?
23 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 06:26:26 0
昨日、NHKの番組で、麗江の豪族の「木府」というのが紹介されたいた。
13世紀から18世紀にかけて、木氏は麗江の支配者として君臨していたそうだが、
18世紀までということは改土帰流で土司の世襲的地位を奪われたということか?
24 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 06:27:06 0
麗江の領主は、チベットの史書には「ジャン王」として登場。
最盛期にはチベットの東南部(カム地方の南部)まで掌握したが、
17世紀半ば、広大な属領をグシ・ハン王朝に没収され、さらに
自分自身もグシハン王朝に隷属。
雍正年間(18世紀)に、清朝がグシ・ハン一族のチベット諸侯へ
の支配権を召し上げたとき、麗江の領主はカム地方南部への支配
権を主張したが、取り合ってもらえず、麗江だけの小領主のまま
清に服属した。
25 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 09:10:30 0
>>22 漢語、蒙古語くらい話せたにきまっておろうが!
27 :
24:2006/11/17(金) 00:15:23 0
うそつけ。
24はもともとはおれがチベットスレに書いた文章だぞ。
29 :
世界@名無史さん:2006/11/20(月) 00:31:58 0
結局、土司というのは18世紀に消滅?
それとも地元の名士みたいな形で清の流官とは別に、民国期まで存続したのだろうか?
30 :
世界@名無史さん:2006/11/20(月) 00:33:39 0
青海とか、四海、雲南あたりは中共によって取りつぶされるまで
存続。
31 :
世界@名無史さん:2006/11/25(土) 06:31:39 0
四川省・チベットカム地方のデルゲ(徳格)の最後の領主(土司)は女性だったが、政治協商会議の委員になって最近まで生きてたな。
32 :
世界@名無史さん:2006/12/20(水) 01:33:52 0
ちょいと質問したいが清朝の役人の服についていろいろ載ってるページってある?
33 :
世界@名無史さん:2006/12/20(水) 01:42:28 0
>>8 院生Bを生暖かい目で見守るスレであると気づけ
わかんない人はにくちゃんねるで過去ログをよめw
34 :
世界@名無史さん:2006/12/23(土) 04:11:03 0
順治帝以降の皇帝には満州語の名前はあったのでしょうか。ウィキペディアでも
順治帝の本名は福臨といかにも中国風で、その後の皇帝の忌み名も満州語っぽくないのですが
それとも、漢字は満州語への当て字でしょうか。
35 :
世界@名無史さん:2006/12/23(土) 04:17:45 0
康煕帝がアムフラン・ハンとか。
>>34 「福臨」は宛て字でそ。「フリン」と片仮名書きの本も多い。
37 :
院生B:2007/01/15(月) 15:43:14 0
世はおしなべて事もなし
38 :
世界@名無史さん:2007/01/17(水) 09:43:20 0
ヌルハチと明軍の戦いが絵入りで書かれている史料って何でしたっけ?
39 :
世界@名無史さん:2007/01/18(木) 01:12:03 0
>>38 manju i yargiyan kooli
満州語って、ツングース諸語のなかで唯一文語を持った言語だったりするわけか。
一言語だけ飛びぬけて高度に文明化したんだなw
42 :
世界@名無史さん:2007/03/01(木) 00:39:35 0
ツングース系の中で最南部にいた一派だったし。
あとのは直接漢人と接触する機会が少なかったせいかも。
43 :
院生B:2007/03/07(水) 13:51:37 0
いきた満洲語としては、いま新疆にいるシボ族のことばというのが、
18世紀に瀋陽とその周辺に居住していた人々のことばらしい。
>>19 正式な国交は国書を交わさない限り成立しないし日本は遣隋使以降
明治になるまで国書を使った外交を中国と行ってないわな。
45 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 22:52:02 0
辮髪って漢民族に強制したの?
そうだよ
満洲文字やモンゴル文字とハングルは本当に全然関係が無いの?
50 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 11:01:02 0
52 :
世界@名無史さん:2007/04/08(日) 07:19:29 0
50
よくにてるね
53 :
世界@名無史さん:2007/04/30(月) 23:12:36 0
質問です。
礼親王昭槤の記した『嘯亭雑録』を読んでいるのですが、その中の
「馬太傅」の項にて、「時明、索既敗後・・・」という部分があるのですが、
いまひとつ自分の訳と時代情勢がかみ合いません。
要するに、この「索」というのが何なのか不明なのが原因なのですが、
どなたかわかる方はいらっしゃるでしょうか?
これだけで申し訳ないですが、よろしくお願いします。
ちなみに、私は「索倫部(ソロン部)」のことだと想定しました。
(でも索倫部が敗れたという証拠もないんですよね・・・)
>49
満洲語は明代にモンゴル文字で表記されていたが満洲語の表記に適さない
(モンゴル文字は母音表記が3種類しかないが満洲語では6種類の母音がある、
モンゴル文字では子音の清濁を書き分けるのが不便。モンゴル語は古典的な
文語正書法で書かれていて発音通りの表記をしないので、満洲語を正確に書
き表せない)ので、ヌルハチの命でエルデニ・バクシとガハイがモンゴル文字
にを改変して満洲語に適した表音文字を作った。その後ホンタイジの命でダハイ
がさらに改良を加え点や丸(圏)を付けて母音、子音を区別できるようにした
ものが今に伝わる満洲文字。
ハングルは満洲文字が作られる前にパスパ文字の形と契丹文字の構成法を参考に
作ったものとされる。
55 :
世界@名無史さん:2007/05/01(火) 22:52:05 0
ハングルの母体、パスパ文字というよりは、チベット文字といったほうがいい。
56 :
ニカンワイラン:2007/05/02(水) 15:00:02 O
朝鮮語の中に満洲語の単語は入っているのでしょうか?
57 :
世界@名無史さん:2007/05/05(土) 02:14:40 0
58 :
世界@名無史さん:2007/05/09(水) 12:27:30 0
あげようか
62 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/06/09(土) 19:34:30 0
>>34 漏も前教えてもらったクチだけど、康煕以降は漢風の名前で、満語の意味は無いみたい。
康熙帝の幼名は「サハリヤン」だったけど、漢民族オタの順治が改名させたとか。
63 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/06/09(土) 19:38:48 0
康熙帝の本名「玄Y」(しゅえんやん)
玄=北の満洲族
Y=「火徳の明」+「中華」
64 :
.:2007/06/10(日) 07:44:05 0
康熙帝の本名の読みは「げんよぷ」
65 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 22:36:48 0
康熙帝は朝鮮系だったのかw
66 :
よろずこ:2007/06/10(日) 23:30:29 0
>64
>65
正統の立場ならば、
シメ。
67 :
よろずこ:2007/06/10(日) 23:38:30 0
>65
○め!!
ヒョンョプ
68 :
.:2007/06/22(金) 22:58:06 0
旗人は「満族」に登録するのが多いな。
出世の為に金玉差し出す奴がいるくらいだもの。
蒙古風に名前を変えたり、満族風に名前変えたり、英国風に名前変えたりするのなんてどうということは無い。
70 :
.:2007/06/23(土) 07:45:52 0
>蒙古旗人は、さすがに内外蒙古に住む全てのモンゴル人ではないと思うけど、
>清から爵位をもらってた王侯たちは全員旗人だったの?
「蒙古旗人」は、モンゴル人のうち、清の入関前に清に服属していた連中限定。
爵位もらっていたのは、トップクラスの若干名。
別スレでの質問を、わざわざこっちで答えるのは何か魂胆でもあるのか?
72 :
院生B:2007/06/26(火) 20:15:45 0
内外蒙古、新疆、青海などで自分たちの旗地と旗民をもっているのが内外蒙古(その他)の一般蒙古王公たち。
73 :
世界@名無史さん:2007/06/27(水) 07:20:20 0
盟旗制って、モンゴル人限定?
それとも、塞外民族全般に適用?
74 :
院生B:2007/06/28(木) 14:01:10 0
ほぼモンゴル人限定。
新疆に若干の例外あり。
75 :
院生B:2007/06/29(金) 00:21:23 0
雍正帝の事績については、宮崎市定御大が新書で伝記書いていて、
日本人にとっては、歴代清朝皇帝のなかでも、よく知られているほうだ。
別スレでの書き込みに対応したレスを、わざわざこっちで書いてる閑人乙
76
そのネタは一週間も前の話で、もう終わってるじゃないか。
ヒッシだな。
78 :
院生B:2007/07/01(日) 07:27:00 0
私が、【研究者・研究書についての議論可】なこのスレで行ったコメントを、後発の重複スレにコピペする乙な人がいるようだが、私のコメントに対するレスは、こちらで行わせていただく。
>> >258 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/30(土) 12:07:01 0
> 宮崎市定自体、業界人と中国史ファンの間では大家であり有名人だが、
> 一般世間ではほとんど無名に近い・・・
>
> まして雍正帝なんて・・・
宮崎御大は、一般向けの新聞雑誌でも積極的に発言していて、全集でもそんな文章が3冊分以上はある。
「一般世間では」ではなく、チミが知らないだけだろう。
岩波新書は高校生のお小遣いでも買える値段だし、
宮崎御大の文章は、専門家でなくてもスルスル理解できる内容。
御大のおかげで、日本人にとって雍正帝は清朝歴代皇帝のなかでももっとも知られた一人だな。
79 :
世界@名無史さん:2007/07/01(日) 10:29:21 0
どっちが「後発の重複スレ」は
>>1の日付を見れば一目瞭然。
大清帝国
1 :愛新覚羅○○:2006/06/10(土) 16:10:15 0
★☆ 清 朝 ☆★ その4
1 :院生B:2006/10/09(月) 02:50:58 0
Bは、嫌がらせめいた姑息なことをせずに、正々堂々と独自のレスで伸ばせよ。
前スレが消費されて、スレが立ってなかったんだから、
既に書き込みが相当数なされていた帝国スレが先行スレでよろし。
そのあと、あわててBが立てたこっちのスレは後発。
ていうか、前スレとこのスレは別のスレだろが。
82 :
世界@名無しさん:2007/07/01(日) 22:25:26 0
>>80 そぉだね。「★☆ 清 朝 ☆★」その1は2002年7月25日にできたんだね。
>前スレが消費されて、スレが立ってなかったんだから、
顔真っ赤にして、ヒッシにウソついてらww
この「★☆ 清 朝 ☆★」その4は前スレ「その3」が950を超えたあとに即座に立ててるぞ♪
その一方で、79の「大清帝国」スレは、
「後世に伝えたい大清帝国の偉業や足跡を、書き込んでもらえる事を祈る」ことがテーマ
とあるぞ。
帝国スレでは 「後世に伝えたい・・偉業や足跡」以外の内容はスレ違い。
Bがやってることは、こっちの充実だけでなく、帝国スレの正常化でもあるな。
83 :
世界@名無しさん:2007/07/01(日) 23:02:19 0
アッチのスレの
>>264や265が顔真っ赤にして↓↓↓涙眼でヒッシww
> 263 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/07/01(日) 10:32:46 0
>むこうのスレで、宮崎が有名人みたいに言ってる馬鹿がいるけど、
>中国史を専門にやってる人間や中国史にかなり関心のある人間ならともかく、
>高校世界史ていどの知識しかない一般人や劇画三国志レベルの知識の人間が
>イチサダの本なんか読むかよ。
>264 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/07/01(日) 10:41:27 0
>学者や中国史マニアの中では有名
>一般人(そこいらの主婦やOL、ギャルなど含む)には無名
いくらヒッシになっても、わかりやすい新書の伝記がある時点で、
日本人にとって雍正帝は清朝歴代皇帝のなかでももっとも知られた一人
であることはまぎれもない。
84 :
世界@名無史さん:2007/07/03(火) 10:41:32 0
質問です。
今雍正帝のことについてレポートを書いているのですが、
雍正元年に、八弟允禩・十三弟胤祥・大学士馬斉・尚書隆科多の四人を
総理事務王大臣にとりたてたと概説書に書いてあったのですが、
この総理事務王大臣という役職はどういうものなのでしょうか。
できるだけ詳しく知りたいのでよろしくおねがいします。
ドラマ康煕王朝を見てたら貴妃容妃との間の藍斉児がガルダンに降稼していますが、ガルダンが滅ぼされた後藍斉児はどうなったのでしょうか?
ドラマでガルダンが滅んだ後も出てくるよ
88 :
世界@名無史さん:2007/07/03(火) 21:33:58 0
>>82>>83 Bはよそのスレにちょっかい出してるからイヤらしいのであって、
こっちで勝手にやってる分には関係ない。
そもそも、ここの前スレで肝心の清の歴史を全然語ろうともせず、
どうでもいい内輪話や雑談で無駄にスレを消費してた連中のくせに。
89 :
86:2007/07/06(金) 00:48:51 0
詳しくと言われてもネタバレになるからあまり言えんけど、ガルダンとの子供をつれて康熙帝に会いに来て話す場面はあるよ。
90 :
世界@名無史さん:2007/07/07(土) 16:46:45 0
便器洗い女の話とは別だったっけ?
藍斉児とガルダンの子供は女の子だと思ったけど男の子だったんですね。
92 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 21:16:03 0
ガルダンの男系子孫は皆殺し、か宦官に?
94 :
世界@名無史さん:2007/07/19(木) 10:50:18 0
香妃は架空人物?
教科書に「軍閥」って出てくるんだけど、軍閥ってなに?
地方に派遣された高位の軍人が、中央政府に従わず、私的に軍隊を動かして、勝手に課税したり
通行税、密売などをして私腹を肥やして・・・日本の戦国大名に近いようなもの?
96 :
院生B:2007/08/18(土) 10:27:07 0
中国の軍閥とは、清末、地方自弁で洋式軍隊を設置させた結果、
中央政府の統制から自律した軍隊が成立。
この段階で、清朝中央は地方を支配する「権力」は喪失したが
ただし彼らに君臨する「権威」は残していた。
しかし辛亥革命で清朝が滅亡し、誰もが承認する権威は消滅した。
中国のトップ「中華民国大総統」は、各地の軍事指導者のだれもが
チャレンジできるものであり、そのため
袁世凱の死により最大・最強の北洋軍閥が複数に分裂して以降
中国はどうしようもない軍閥混戦状態となったのである。
97 :
院生B:2007/08/18(土) 10:33:54 0
並行スレでみつけた文面、私の趣味にあうのでピックアップしてきた♪
>298 名前:世界@名無史さん メェル:sage 投稿日:2007/07/16(月) 21:41:43 0
>中国人も馬鹿だよな。
>満州国作られてからギャアギャア言うぐらいなら、
>最初から溥儀を利用されないように遇する手立てあったろうに。
>日本の満州方面への進出意図はあれほど明らかで、
>溥儀は厄介な存在になってしまうの予想できた。
「溥儀を利用されないように遇する手立て」といえば、「清室優待条件」ですよ、優待条件。
98 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 21:37:30 O
中国語会話ならったとき、自分の名前の中国語読みを教わるが
「さゆり」さんとか漢字の名前を持たない人は先生に当て字をしてもらう。
それが何か満州人の当て字っぽかった。
中国語もチャンとかハンとかヤンとかばかりの読み方じゃなかったのね。
99 :
世界@名無史さん :2007/08/20(月) 22:12:25 0
>>95 定義を言えば、
「軍人の勢力」
ってことだろ。
「戦国大名のような」とはちょっと違うな。あいつらは封建領主で、自分の領地と領民を支配してたのであって、別に中央(幕府)に年貢とか送る義務は無いだろ。
一方、中華民国期の軍閥の説明は
>>96の通り。やつらの出自は「清朝期に任命された地方官」で、中央に租税を送る義務が規定されてたし、中央の法律に従う義務はあった。
でも中央政府(清朝→中華民国政府)の力が弱いから、任地を私領化して好き放題するようになったってことだな。
節度使みたいなもん?
101 :
世界@名無史さん :2007/08/22(水) 22:12:54 0
つーか今の中共も、地方を仕切っているのはそれぞれの軍管区の解放軍らしいがな。
中央政府が管理できるのは北京とか上海とかの一部大都市だけだとか。
103 :
院生B:2007/09/01(土) 14:55:20 0
はやく中国が、また軍閥割拠状態にならないかな♪
軍閥ってのは、支那の骨みたいなもんだね。
健康で筋肉とか脂肪とかがある時、外から骨はよく見えない。
病になり肉が落ちると骨まで透けて見えてしまう。
105 :
院生B:2007/09/04(火) 01:38:02 0
重複スレの投稿へのコメント
>321 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/09/02(日) 23:51:42 0
>熱河の避暑山荘とか瀋陽の故宮とか、満州国の領域内にあった清朝ゆかりの宮殿を
>なんで満州国の皇宮として利用しなかったんだろう?
日本が溥義に建てた宮殿がしょぼかったものだから、
中国人にバカにされることされること。
106 :
院生B:2007/09/08(土) 02:51:14 0
重複スレの投稿へのレスww
>318 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/08/25(土) 17:38:20 0
>共和制のもとで作られた「正史」で、皇帝をどう評価してるのか気になるな。
【清史稿】は、清朝遺臣の北洋政権のもと、清朝の遺臣によって編纂されたから、
ほんとに王朝時代そのままの体裁でできあがっている♪
スレのつぶし合いみたいなことして、何が楽しいのやら、このバカコテは?
108 :
.:2007/09/12(水) 06:26:50 0
↑ ↑ ↑
べつにあっちを荒らしてるわけでなし、自意識過剰。
109 :
世界@名無史さん:
鎮国公・愛親覚羅載沢の晩年はどんなのか知りたいのですが