932 :
世界@名無史さん:2009/02/22(日) 11:57:52 O
所謂シルクロードだけでなく、遊牧民達の東奔西走や草原の道を範囲にしようとすると
中央アジアでは収まりきらない、特に南ロシア
と言うのがこのスレのミソだったような気がするが、まぁいいか
カラ・キタイ(西遼)について聞くのはこのスレでOKですか?
仏教国であるカラ・キタイのイスラム教徒支配がどんなものであったか、宗教政策を知りたいんですが。
また、カラ・キタイについて詳しく書かれた本があれば教えていただけないでしょうか?
耶律大石マニ教説というのもあるが
936 :
世界@名無史さん:2009/04/06(月) 12:13:37 0
久しぶりなので上げで
しかしジョチ=ウルスの歴史って日本語だと限界が有るっつうか
なんかバトゥが引き継いで国を設立した様な書き方(日本語版)だけど
なんか海外の資料とかチラ見するとバトゥとオルダが両立しながら
半ば別々みたいな形で設立してるっぽい印象有るんだがその辺実際はどうなんだろう
詳しい人がいたら説明求む
937 :
世界@名無史さん:2009/04/06(月) 12:15:52 O
>>936 Blue HordeとWhite Hordeが本によってバトゥのウルスかオルダのウルスかはっきりしなかったりするね>海外の資料
>>936 『集史』のジョチ・ハン紀に、ジョチ家はバトゥがジョチ家の頭領でありつつも、
異母兄オルダとバトゥ自身との二人でウルスの統治を折半した、というような記述があって、
オルダ、バトゥを含むジョチの14人の息子たちのうち、オルダはウドゥル、トカテムル、
シンクル、セングムの四人の弟達と諸軍をともないジョチ・ウルスの左翼を統率し、残りは
(他の弟たちと恐らく中軍+右翼)バトゥが統率していたとジョチ・ハン紀のオルダの条に出て来る。
恐らく欧米ではそのことがけっこう知られているんだと思う。
あと、赤坂先生の本によると、ティムール朝やシャイバーニー朝時代の資料に、ジョチ・ウルスの
左翼を青帳(kok orda)、右翼を白帳(aq orda)と呼んでいる資料と、逆に左翼を白帳、右翼を
青帳とする資料があるそうで、ジョチ・ウルスがバトゥ家とオルダ家による左右の両翼体制だったことは
『集史』が書かれた時代からはっきりしているみたいだけど、それらの左右両翼体制と「白帳」「青帳」
との関係は良く分かっていないらしい。
多分、オロス・ハンとかトクタミシュ・ハンなどの、バトゥ、オルダ両家が断絶した後のトカテムル家の
王族たちによるジョチ・ウルスの支配時代に、そこら辺の政治的なまとまりとしての「白帳」「青帳」
というを概念を色々情報操作して作り出したんじゃないかと赤坂先生は推測しているみたいだけど、
他の研究者からはそこまで言えるかは疑問だという声も出ている。
赤坂先生の本(『ジュチ裔諸政権史の研究』)でも部分訳があるけど、『集史』のジョチ・ハン紀は
一応北川誠一先生という方が既に邦訳されている。
○北川誠一 「ジョチ・ウルスの研究 1 『ジョチ・ハン紀』訳文 1」『ペルシャ語古写本史料精査による
モンゴル帝国諸王家に関する総合的研究』平成7年度科学研究費補助金(総合研究A)研究成果報告書、
1996年3月、pp.67-90。
○北川誠一 「ジョチ・ウルスの研究 2 『ジョチ・ハン紀』訳文 2」『史朋』30号、1998年3月、pp.1-13。
「ジョチ・ウルスの研究 2」が掲載された『史朋』は北海道大学文学部が出している雑誌だけど、
「ジョチ・ウルスの研究 1」は文部科学省の科研費の報告書に掲載されているので、入手がやや難しめなのが難点。
おぉ、レスが。ありがとう!
>>937-939 バトゥが一応の盟主で有った事自体は確かに間違いでは無かったと思う
ただ、オルダを副汗とか仮汗って評してた人いるけど実際はバトゥに匹敵するくらいの権限が有ったみたい
そう言う部分で言えばちょっと変な言い方かもしれないけど突厥(Gokturk)のブミンとイステミに相当するのかなって思った
んで皆さんも指摘してる様にAk OrdaとKok Ordaの記述が一番判らない
何せ海外の資料とか色んな言語の資料とか見ても青が東で白が西かと思えば逆に青が西で白が東だったりしてるし
もし五行の価値観で言うとすると白→西・青→東になるはずだけどどうも事がそんな単純なものでもないみたいだし
多分バトゥとオルダの家系が断絶してその家系が弟達に移ってしまった時にそれぞれがそれぞれの主張で正統派を自認した為
なんらかの混乱が有って両翼体制が入り乱れたんじゃないかなとは思うけど、その辺に関しても未だ詳しい部分が判らないしね
トクタミシュがジョチ=ウルスを再統一する前のかなりの混乱期に青白の体制が半ば崩壊して入り乱れる様になったのかもしれないけど
でオルダのウルスが半ば独立に等しい権限と勢力を有ったとすると
従来で言われてるモンゴル帝国は四分(かつては五分)されたって今の定説も疑問になってくるんだよね
ジョチ=ウルス自体が実質的にはバトゥの段階で2つになってる訳だから
942 :
世界@名無史さん:2009/04/08(水) 14:11:25 0
>多分、オロス・ハンとかトクタミシュ・ハンなどの、バトゥ、オルダ両家が断絶した後のトカテムル家の
>王族たちによるジョチ・ウルスの支配時代に、そこら辺の政治的なまとまりとしての「白帳」「青帳」
>というを概念を色々情報操作して作り出したんじゃないかと赤坂先生は推測しているみたいだけど、
>他の研究者からはそこまで言えるかは疑問だという声も出ている。
赤坂先生がそれについて書いているのは「ジョチ・ウルスの研究」ですか?
反論の掲載されてる書名も教えてもらえると有難いです。
943 :
世界@名無史さん:2009/06/22(月) 00:02:32 0
アランのことを奄蔡っていうのは何で?
>>943 「アス」の音写かな? 元代には「阿速」になってた。
北元の「アスト」部族がアラン人軍団の後裔じゃないかとか岡田英弘先生が書いてたような。
945 :
世界@名無史さん:2009/06/29(月) 19:49:17 0
ウイグル族というのは人種的には白黄混血。
回族にも一部コーカソイドの血が混じっている。
漢民族でも甘粛省の漢民族はやや顔立ちが違うね。
身長も中国では有数の高さとの話。
946 :
世界@名無史さん:2009/07/08(水) 22:34:25 0
部族主義なので無理です
948 :
世界@名無史さん:2009/07/12(日) 16:29:56 0
949 :
世界@名無史さん:2009/07/12(日) 16:31:22 0
イスタンブールで300人しか動員出来ない時点で・・・下手すると欧州のほうが多いんじゃないのか
951 :
世界@名無史さん:2009/07/20(月) 02:15:05 0
史記に見える闔蘇ってゴート族のことだよね?
952 :
世界@名無史さん:2009/07/23(木) 22:38:37 0
イッセドネス人は死んだ父親の肉を刻んで食い、骸骨に金箔を塗って
宝物にするそうだ。
中国の火薬庫―新彊ウイグル自治区の近代史 今谷明 (著)
この本、清までは遊牧民視点なのに、清朝に入ってから
完全に漢人視点になってて萎えた。
左宗棠と楊増新を絶賛するウイグル史って、どうなのよ。
954 :
世界@名無史さん:2009/07/25(土) 18:13:29 0
イッセドネス人はチベット系なのか?
>>953 漢人つうても左宗棠は清に忠誠を尽くした人だし、楊増新も清のもとで赴任した
人だしなー。支配者と被支配者が別民族なのもそれ自体はよくあることだし。
956 :
世界@名無史さん:2009/08/01(土) 17:45:40 0
957 :
ty270410:2009/08/07(金) 23:19:51 0
07年5月にある掲示板に書いたものを以下に再録する.
日本語で読めるオルダ・ウルスに関する論考を2編書いておこう.
村岡倫「オルダ・ウルスと大元ウルス−−「カイドゥの乱」・「シリギの乱」をめぐって−−」
『東洋史苑』 第52・53合併号 1999年(平成11年)3月 1ページ〜38ページ
長峯博之「1360〜70年代ジュチ・ウルス混乱期におけるオルダ・ウルス」
『史朋』 30号 1998年3月 43ページ〜44ページ
村岡先生の論考はオルダ・ウルスの動静に関する貴重な研究であると思う.
参考文献も詳細であり,これを手がかりにいろいろな論考に辿りつける.
長峯先生の論考は卒論の抄録である.もう少し内容を知りたいのであるが,
雑誌記事索引で調べた範囲では,その後の発表は見当たらない.
958 :
ty270410:2009/08/07(金) 23:28:28 0
>>939 >○北川誠一 「ジョチ・ウルスの研究 1 『ジョチ・ハン紀』訳文 1」『ペルシャ語古写本史料精査による
>モンゴル帝国諸王家に関する総合的研究』平成7年度科学研究費補助金(総合研究A)研究成果報告書、
>1996年3月、pp.67-90。
>「ジョチ・ウルスの研究 1」は文部科学省の科研費の報告書に掲載されているので、入手がやや難しめなのが難点。
国立国会図書館に所蔵されている.ライブラリアンに相談すると,探して
くれる.
959 :
ty270410:2009/08/07(金) 23:33:59 0
森本一夫さんの編著が出版されましたね!
森本一夫編著『ペルシア語が結んだ世界:もうひとつのユーラシア史』北海道大学出版会、2009. (「序章 ものを書くことから見たペルシア語文化圏:その面的把握をこえて」を執筆)
おぉありがとう!
>>957-959 バトゥ・ウルスについてはある程度歴史的にも名が知れてるから割と調べるのも出来るんだけど
バトゥとほぼ同等の権限が有ったと言われてるオルダやオルダ・ウルスについては
日本語の資料が余りなくってよく分かんなかったからなぁ
オルダを副汗とか訳してた人もいたけどどうも当時の状況とか見ると
バトゥがあくまでもジョチ・ウルスの統括者で有ってもオルダはバトゥ並の権限を有してたっぽかったから
単なる副って言う立場って見方にはかなり疑問が有ったんだよな
この辺はカザフ語やロシア語の方が資料が深そうだったりしたし
961 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 19:03:35 0
元朝秘史の1240年成立って絶対あり得ないの?
962 :
ty270410:2009/08/09(日) 22:12:27 0
>>960 以前,赤坂恒明先生のウェブサイトに書籍の解題があったが,今はなくなって
いる.
多分,その中に良質の資料があったに違いないと推測される.
残念なことだ!
964 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 13:28:19 0
突厥人ってどんな髪型してたの?
965 :
ty270410:2009/08/10(月) 23:34:50 0
>>963 ご紹介ありがとうございます.
かってある掲示板に書いたものです.
http://34263.l-3-l.me/ct/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6/3/ 以下に再録します.
加藤一郎「モンゴル人によるルーシ支配の開始−−キプチャク汗国の成立」
『史潮』新10巻 1981年 59ページ〜74ページ,92ページ
加藤一郎「13世紀後半のキプチャク汗国とロシア−−汗国史へのエチュード(1)−−」
『文教大学教育学部紀要』19巻 1985年 14ページ〜29ページ
加藤一郎「14世紀前半のキプチャク汗国とロシア−−汗国史へのエチュード(2)−−」
『言語と文化(文教大学)』 1巻 1988年 41ページ〜63ページ
加藤一郎「14世紀後半のキプチャク汗国とロシア−−汗国史へのエチュード(3)−−」
『言語と文化(文教大学)』 2巻 1989年 49ページ〜69ページ
加藤一郎「トクタムイシ汗とキプチャク汗国の解体−−汗国史へのエチュード(4)−−」
『文教大学教育学部紀要』26巻 1993年 1ページ〜13ページ
主としてロシア語の成書を駆使しての論考である.モンゴルのロシア進出から
15世紀初頭までの金帳汗国の通史が日本語で要領よくまとめてある労作である.
便利で,しかも楽しい論考である.
惜しいことに続編が見当たらないようである.(再録終わり)
966 :
ty270410:2009/08/10(月) 23:45:53 0
オルダ・ウルスについての言及があります.
http://34263.l-3-l.me/ct/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6/3/ かって掲示板に書いたものを
再録します.(ご存じでしたらご免なさい!)
以下再録
川口琢司「キプチャク草原とロシア」『岩波講座世界歴史11 中央ユーラシアの統合』
岩波書店 1997年11月刊 275ページ〜302ページ
目次を掲げてみよう.
はじめに
1.キプチャク草原世界の浮上−−ジョチ・ウルスというかたち−−
2.14世紀のジョチ・ウルスの変動
3.トカ・テムル家による草原再編
4.クリム・ハン国とロシア
ウズベク・ハンの登場,トクタミシュによるジュチ・ウルス再統一,
ポスト・トクタミシュ期,15世紀後半から16世紀にわたる混乱,
クリム・ハン国によるバトゥ・ウルス東半分の統一など
従来,あまり論じられなかった時期にも日を当てている.
ロシア語史料,ペルシャ語史料によって記述している.
地図・系図は貴重である.
ティーゼンハウゼン史料集の引用でイブン・ハルドゥーンの記述が
読めるのも一驚である.
忘れていたが,オルダ・ウルスの興亡にも触れている.(再録終わり)
>>965 またもやありがとう御座います
この辺の資料はそれこそかなり深い本を探さないと中々分からない事も多く
また学説で正反対な事が書いてあったりの場合も有るみたいで
うかつにこれがこうだと断言できない怖さが有る様で
そこのサイトの加藤先生のもかなり面白そうなので調べたい所
また村上先生&村岡先生のオルダ=イチェンとその系図の歴史は
かなり興味深い部分が有るので探せれたら探してみたいです
オルダ=イチェンに関してはこんな考察をしてたサイトも有ったので参考までに
ttp://www.h7.dion.ne.jp/~gankocat/jochi5.htm
>>966 と思ったらまたもやありがとう御座います
オルダ=イチェンは病弱で庶子だったので正統かつ正式な子であるバトゥが継いだ
って言うのは今では定説というか最早不動の認識のような説になってる模様だけど
実際のところオルダがバトゥに匹敵するくらいの権限と権力を有してた”らしい”のは
調べるごとにかなり出てくる部分があるなぁって思ったり
実際オルダ=イチェンはジョチ=ウルスにおいてかなり大きな独自性と独立性を持ってたみたいで
家柄としてジョチそしてバトゥに属する立場では有るもののそれ以外はほぼ1つの国的な感じで支配してたという
因みにソースが海外のウィキペディアで非常に申し訳無いけどオルダ=イチェンの生没年もやはり海外のサイトに載ってて
そこではオルダは1204年頃〜1280年頃となっていたそうです
当時においては70歳半ばまで生きてた訳でそうなると実にクビライの治世まで生存してた事になる
一方のバトゥ=ウルスではメンゲ=テムルからトダ=メンケの時代に差し掛かる頃で随分世代が入れ替わってた状態で
この辺オルダは本当に病弱だったのか、病弱だったからこそ節制して長生きしたのか
それとも病弱なのは名目で色々何か有ってバトゥを盟主として半独立のようになったのか
まだまだ色々と調べる事は一杯有るなぁと痛感した次第です
>>964 突厥辮髪という単語を見たことがあるが……
具体的にどう剃ってどう編んだのかは知らない
キプチャクやサライ(新サライ含む)の実態について
書かれた本ってなーい?
本じゃなくて資料でも良いけど・・・
971 :
ty270410:2009/08/11(火) 22:08:23 0
>>970 参考になるかどうかわかりませんが,昨年3月にある掲示板に書いたものを
再録します.(以下再録)
ハルパリンの本が翻訳・出版された.
C.J.ハルパリン著,中村正己訳『ロシアとモンゴル−−中世ロシアへのモンゴルの衝撃』
2008年3月,(株)図書新聞刊行
目次を掲げておこう.
日本語版への序文,序文,謝辞
第1章 中世の民族・宗教的境界地帯
第2章 キーエフ・ルーシと大草原
第3章 モンゴル帝国とゾロターヤ・オルダー
第4章 モンゴル人のルーシ統治
第5章 ルーシの政治におけるモンゴル人の役割
第6章 モンゴル人支配についてのルーシ人の「理論」
第7章 経済的ならびに人口誌的諸結果
第8章 モンゴル人とモスクワ大公国の専制政治
第9章 モンゴル人とルーシ支配
第10章 文化的活動
第11章 結論
註,文献一覧,訳者あとがき,索引
(再録終わり)
>>971 刊行されて一年程度で新本では入手不可に。
amazonマーケットプレイスで滅茶苦茶な値段が付いています。
>>970 運がよければ図書館に戦前に翻訳された「金帳汗国史」が眠ってるかも・・・
あと「東西文明の交流4 モンゴル帝国と西洋」って本にサライの発掘図と解説が
載ってたような記憶があるけど。
次スレ立てようかな…
975 :
世界@名無史さん:2009/11/23(月) 19:57:07 0
age
976 :
世界@名無史さん:2010/02/14(日) 09:51:03 0
ブハラ・アミール国の末期って、何かスリリングだよな・・・。
最後の国王アーリム・ハーンによるロシア、ソビエト、赤軍との駆け引きが鬼気迫るって感じ。
977 :
世界@名無史さん:2010/02/14(日) 18:07:29 0
カザフスタンが大発展する予感
978 :
世界@名無史さん:2010/02/14(日) 19:14:02 0
石油の出る国とそうでない国とで明暗がはっきりしてきたね。
カザフスタンとトルクメニスタンは勝ち組。
ウズベクの衰退ぶりが酷い
980 :
世界@名無史さん:2010/02/24(水) 17:34:05 0
>>790 話がうますぎる。
「関係者によると」であり、(公式発表ではなく)リークだよ。
期待もたす騙しのテクニック。
関係者によると、担当者が各党に持ち帰って検討し、
3月上旬に国土交通省など政府に要請する。
素案は「人道的観点から救済する」とした上で、
同機構が▽解決金として1世帯当たり約1600万円
▽解雇で消滅した期間の年金相当分として約1300万円
−−など計約270億円を組合員側に支払う。
また、不採用者が設立した18の事業体に各1億円の支援金を提供することや、
55歳以下の組合員約230人の雇用もJR各社に要請する。
981 :
世界@名無史さん:
キルギスとタジクも衰退?