1 :
世界@名無史さん :
02/07/25 08:08 内政・外征・周辺史について 深く語りあいましょう?
2 :
世界@名無史さん :02/07/25 08:33
,、_ 人_ ,, - ‐ - 、 i`' ,;;";;::..;;;::...:::.,;`、 ノ わ //;;;、i、;;;;,,、;;;、;;;;;;ヽ `i .2. l \ '' 7;;/ i!、i;i^i;i‐ヾ;;;;ヽ / 番 い \ 〃;i.`⌒ ', ⌒'〉;;ゞ< げ \ \、 ''7;';>."r-‐i "<;';( ). と \ iiヾ-i'';丶`-.' イ'"r,-‐"::::). l !、〃:::i:ヾ,, i、_ _,i 〃::::i:::::::;7 // ` :::/::::::》 ト-1 《::::::ヾ'' ヽ、 ゚ ゚ 〈:::::;;;;゛、V〃:::::::;;;〉 V⌒ヽ' ヾ::":::::::ロ'::::::::"/ .i::i:::::::::::ハ::::::::":i <::i!i:::::::/::::i:::::::::::」 //` ‐-''、;;' -''''‐' ヽ、 / / / ,' l | | l `、ヽヽ丶
3 :
世界@名無史さん :02/07/25 09:57
ホンタイジの死後、ドルゴンと3代目皇帝のフリンのお母さんとの間に肉体関係はあったのか?
4 :
世界@名無史さん :02/07/25 12:33
誰か興味深く奥行きのあるネタを振ってくれないと テーマが大きすぎて議論の応酬にならないよ。 ネタのカキコなら続きそうだが。
5 :
西国のアズマ帰依者 :02/07/25 12:42
乾隆帝が漢人であったかとか? ご落胤問題とか? を語るのか?
ふと思いついた。 清朝政権における民族間の勢力消長、なんてのは? 旗人、漢人、モンゴル人が単位要素だな。 漏れより詳しい専門家が仕切ってくれたら、 有難いのだが。
7 :
世界@名無史さん :02/08/03 18:38
>>6 雍正帝の時代に重用された地方官たちのうち、李衛は捐納出身、
田文鏡は漢軍旗人、オルタイは満州旗人とか?
8 :
世界@名無史さん :02/08/03 18:58
アステカ帝国について熱く語り合おう。
10 :
世界史大好き :02/08/03 19:13
11 :
世界@名無史さん :02/08/03 19:35
十の従不従ってなんだっけ?
12 :
世界@名無史さん :02/08/04 00:07
後金時代から漢人農民は支配化にいたし、ホンタイジの時代には明の官僚や 軍人が次々と投降して政権の一翼を担うようになっていましたからね。 あまりにホンタイジが漢人軍人たちを優遇したので、満州軍人から不平が 出たほど。 モンゴルのリンダン・ハンが病死したあとはその子供から元朝の玉璽を 受け取って「ボグダ・セチェン・ハーン」の称号を手に入れる。
13 :
世界@名無史さん :02/08/05 00:14
agemasuyo
14 :
世界@名無史さん :02/08/05 20:48
「義和団の乱」だけど、あれは現在の中国では民衆の反帝国主義闘争の高峰として 公式に評価されているらしいね。
15 :
世界@名無史さん :02/08/25 15:41
復興運動が無いのは 誰のせい?
16 :
世界@名無史さん :02/08/25 17:39
現代中国の満州人,モンゴル人の地位は?
17 :
世界@名無史さん :02/08/25 17:43
>>14 歴史上の農民起義をすべて評価するという一連の流れだろうけれど、
天安門事件で何をしたか考えてみれば語るに落ちたと言うべき。
>>12 その、元朝伝来の玉璽って本物なんですか?
うそくさい。
19 :
世界@名無史さん :02/09/05 07:33
清朝は、中国史上最もまともな王朝だろう。 満漢同数制がうまく機能た。 宦官の政治関与を完全禁止(唯一宦官の排除に成功した王朝だろう) 科挙の完全実施。 漢族は科挙に合格しないかぎり、決して出世できないシステムが 出来上がった。(満族は科挙受験を禁止されていた) 清朝末期には袁世凱みたいな、科挙に受かっていない輩が実力者 となってしまったが。 列強の侵略がなければ、もっと長く王朝は続いていただろう。
20 :
世界@名無史さん :02/09/05 13:24
>>19 宦官も清末には重用された。
満人も科挙を受けていたはず。
21 :
日本@名無史さん :02/09/19 00:44
22 :
世界@名無史さん :02/09/19 01:17
袁世凱だってそれなりに偉い人だと思いますがね。
清に限らないことだが、宦官が国の政治に絡むとろくな事がない。 というかほとんど亡国につながってる。
24 :
世界@名無史さん :02/09/19 01:32
清朝末期に名君か名臣がいたら、今ごろ中国は立憲君主制だったかな?
25 :
世界@名無史さん :02/09/19 01:35
いや無理でしょ。国民国家を目指していた時代だから
26 :
世界@名無史さん :02/09/19 03:16
もし光緒帝(字が違ってたらごめん)のボジュツ政変成功、西太后の早夭が おこっていたら・・・?
28 :
世界@名無史さん :02/09/19 05:44
>19 満洲族の科挙受験は禁止されているどころか、満洲族用の一定の合格枠があった。 官吏の満漢同数を維持するため。 合格者の統計を見ると各地方とならんで「満洲」「蒙古」「漢軍」という項目がある。 「満洲」が100人などという切りのいい数字になっているのがそれくさい。
29 :
世界@名無史さん :02/09/19 09:23
>>25 国民国家が要望された時代ではどんな改革をしようとも清朝は清朝であるというだけでだめだよね。
ところで清末の時代には国民国家が要望されたんだけど
しかし当時の世界は依然として帝国の時代だった。
帝国の時代が終わったのは第一次大戦。
第一次大戦で世界に存在していた帝国は全て解体してしまったわけだけど
清朝だけは第一次大戦を待たず他の帝国より十年ほど先駆けて滅びた。
30 :
世界@名無史さん :02/09/19 09:49
チベットや満州がその時点で国民国家化しなかったのは何故なの?
31 :
世界@名無史さん :02/09/19 14:14
>29 日本の立憲君主制を真似る際に 北洋軍閥に責任内閣を委ねなかったのが 辛亥革命の時の離反を招いたのが最大のミス。 あと支持層であるはずの郷紳層が保有する鉄道会社の証券を 国が強制的に買い上げようとしたのがマズかった。 両方のミスを犯さなければ第一次世界大戦後までは続いただろう。
32 :
世界@名無史さん :02/09/19 17:19
清朝が漢人王朝だったら立憲制の目はあったのかな? でも王朝を倒すことが恒例になっている中国じゃ無理か。 そういう発想がなさそうだし、あっても主流にはなれないかな。
33 :
世界@名無史さん :02/09/20 00:51
チベットは実質独立状態になるよ。 清朝軍は追い出される。
34 :
世界@名無史さん :02/09/20 01:15
>19 人材登用を科挙に限っていたのは明朝の話 漢人でも進士出身じゃなくても出世した奴はいたぞ
35 :
世界@名無史さん :02/09/20 16:51
>>33 チベットこそ立憲王制になればいろいろ可能性はありそうだったのにな。
やっぱ無理だったのかな?
チベットは20世紀前半にはイギリスの影響下にありました。 だから中共は「半植民地からの和平解放」と逝ってるんだろ。
37 :
世界@名無史さん :02/09/23 16:50
38 :
世界@名無史さん :02/09/24 01:58
>>37 さん
現物見たことありますか?
ちゃんと戦争などについては書いてますよ。
清朝、フランス軍撃破という感じで(因みに嘘ではない)。
39 :
世界@名無史さん :02/09/25 09:05
カザフスタンの歴史でよく清の支配下、とかあるけど あれってバルハシ湖とかアルマトゥイのことなのかな。 キプチャク草原やカザフ草原のオルダが清の宗主権の下に入ったって説はないの?
40 :
世界@名無史さん :02/09/25 14:03
清朝時代の風俗(衣食住その他)が詳しく載ってる本で、お勧めってありますか? 出来れば図とかいっぱいある方がいいです
41 :
世界@名無史さん :02/09/25 14:08
42 :
世界@名無史さん :02/09/25 14:16
ありがとございます
43 :
世界@名無史さん :02/09/25 22:42
1789年 フランスでは革命が起こり アメリカではワシントン大統領をし、 イギリスでは産業革命が勃興し始めた時期。 清朝は乾隆帝統治の時代。その最盛期も陰りが見え始めた頃。 このころはまだ清は世界屈指の強国だとおもうのだけど アヘンや内乱やの内憂外患でショボボになるけど、 そしてどうして日本のような挽回ができなかったのだろうか? 基礎体力だけで考えると清のほうが遥かにアドバンテージがあると思うのだが?
44 :
世界@名無史さん :02/09/25 23:13
>>43 近代は国民国家の時代。
清朝は征服王朝でしかも帝国。
元々から潜在的国民国家であった日本とは条件が全く違う。
支那の近代化はまず清朝を追い出すことが大前提になる。
もしこの時代の王朝が清ではなく、かなり国民国家に近い存在であった宋なら日本のように維新による近代化も可能だったかもしれない。
45 :
世界@名無史さん :02/09/26 01:36
>>44 中華帝国の政治・経済体制が近代的な工業化に向いていなかっただけでは。
>>40 >>41 横レスでなんですが、俺も清朝風俗関連の本探してたんですよ。
簡単にありそうで、探し方が悪いのか、これがなかなか見つから
ずで困ってました。
東洋文庫ですかぁ 盲点でした。明日にでも本屋当たってみます。
カラーでは無さそうだけど。
47 :
世界@名無史さん :02/09/28 00:53
大清帝国が朝貢国より下なのはいやなのであげ。
「北京風俗図譜・一巻」 買いました! こりゃあ、イイ!です。 (かろうじてカラーが1ページ) しかし、東洋文庫が全て常備してある本屋ってあるんですかね?
49 :
世界@名無史さん :02/09/28 01:20
東洋文庫は品切れが多いから全部常備は無理
古本屋で探した方が早かったりするんですよねえ。 内藤湖南の清朝史通論、店頭に箱の色が変わってるようなのが並んでたから 急いで買ったら、その後帰宅して調べたネット古本屋に安いのが。
結局、清朝の最大の失敗は「辮髪」だな。あれが中国人のメンタリティーを腐らせた。
52 :
世界@名無史さん :02/09/28 09:24
あと中国服の禁止もいけない。 そのおかげで世界でもっとも多くの人が着ていたと思われる大きな服飾文化が失われた。 清が倒れるのがあと百年早ければいったん中国服に戻ったと思うが、 清が倒れたときにはすでに西洋文化の圧力は強大になりすぎてたので 中国服に戻ることなくそのまま洋服になってしまった。
53 :
世界@名無史さん :02/09/28 09:25
「中国服」と聞くと人民服やチャイナドレスしか想像しない人が多いのは全く嘆かわしいかぎりだ。
髪型・衣冠束帯すべて明代のものであれば、中国人が西洋人から馬鹿にされ、 徹底的な笑われ者になることは絶対にあり得なかった、と思う。 逆に彼らがオリエンタルなファッションを取り入れていたのかもしれない。 だが、すべては歴史のIF。悲しい。
55 :
世界@名無史さん :02/09/28 12:21
漢民族が数名紛れている模様
56 :
世界@名無史さん :02/09/28 12:23
>>55 もしそうだとしたら何か困ることでもあるのか?
57 :
世界@名無史さん :02/09/28 12:30
>>54 反清活動をする反逆者ハケーン
緑営に通報しますた
58 :
世界@名無史さん :02/09/28 12:34
清の正史は、中華人民共和国が編纂するつもりなのだろうか? まさか、中華民国が?
59 :
世界@名無史さん :02/09/28 12:41
>>54 歴史を受け止めなさい。
悲しいと思う、貴方の心が悲しいのだ。
60 :
世界@名無史さん :02/09/28 12:51
>>58 清史はすでにある
ただし「稿」なのでまだ「正史」とは言えないけど。
中華人民共和国で編纂するものは「民国史」
20年くらいまえに民国史編纂の話が出てたけど
「まだ公平な立場で民国史を編纂できる時期ではない」とかいうことで立ち消えになったようだ。
61 :
世界@名無史さん :02/09/28 14:32
>>59 そうさ。哀しいさ。
例えば、文革のとき糞餓鬼紅衛兵たちが打倒する相手にまずどうしたか知ってる?
衆人環視の中、そいつらをバリカンで推光頭(tuiguangtou)←丸坊主、あるいは、
陰陽頭(yinyangtou)←頭部の半分側だけを刈り(剃り)落とす、そして晒し者にして
さんざん笑い者にしながら市中を引き回した・・・だったのですよ。
・・・・・長くなるので省きます・・・・・
そこには清朝に限らず、金、西夏、元と、夷狄騎馬民族に髪型まで蹂躙され、有無をも言わさず
頭を剃らされ続けてきた中国人のトラウマが何百年と蓄積した怨念のエネルギーを感じるのですよ。
結局、中国人の深層心理には面従腹背ながらも実に受け入れがたい被征服民族としての過去の
忌まわしい記憶が刻み付けられ、それを鎖国状態での国家的ドメスティックバイオレンスの中で
昇華するとしたら、あのような形をとるのかと思うと辛くなるのですよ。
>>61 皇帝に上表して頓首頓首死罪死罪ってやらなきゃ正史とは言えんなぁ。
で、たいわんの誰が皇帝だい?
64 :
世界@名無史さん :02/09/28 15:07
孔子の子孫のどなたか。
国家的ドメスティックバイオレンス ワロタ
66 :
世界@名無史さん :02/09/29 02:04
最近は清朝皇帝のドラマは大陸で大人気だよ。
67 :
世界@名無史さん :02/09/29 12:32
>>44 明治維新をやって人たちはみな文天祥とか崇拝していた。
ある意味宋は日本の明治維新の幻想上のモデルなんだよな。
68 :
アマノウヅメ ◆/knRokaQ :02/09/29 13:01
>>67 江戸時代の儒教の中心は朱子学ですからね。
中国では王朝がしょっちゅう変わるので、どれが正でどれが邪か理屈つけるので
苦労したけど、日本の天皇は少なくとも継体天皇以後、血統が続いているので
朱子学マンセーになってしまって、水戸学なんて南朝が正当だと主張しておかげで
あとでややこしいになった。
現天皇家は北朝なので。
69 :
世界@名無史さん :02/09/29 13:09
しかし、水戸学の創始者徳川光圀ってすごい人だと思うな。 現皇室が北朝であるのに南朝を正統と主張したんだから下手すりゃ不敬とされかねない。
70 :
祭り開催(´∀`〉ワショーイ ◆eeX9Gj7w :02/09/29 13:12
スレ住人の皆様、失礼します。お祭りの告知の為にカキコさせて頂きます。ご容赦下さい。
詳しくは↓までお願いします。皆様の参加をお待ちしております!ワショーイ!
!2ちゃんねら〜でつなぐ全国吉野家の旅ボリューム2
http://salami.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1032941361/ 1 :1 ◆V2iQbFcg :02/09/25 17:09
前回、テレビサロン板で大反響だった全国吉野家の旅を今度こそ、
24 時 間 で 制 覇 し ま せ ん か ?
別に今回は24時間テレビに対抗するわけじゃありませんが、
もう一回やってみましょう。
28日(土)18:00スタート〜29日(日)18:00終了
今回はきっちり24時間で全国制覇できるのか・・・
合言葉は「逝けるとこまで逝く!!」です。お邪魔致しました。
71 :
世界@名無史さん :02/09/29 14:28
>>69 でも明治天皇も「南朝が正統」だなんて言ってるからね。
72 :
コギャルとH :02/09/29 14:29
73 :
アマノウヅメ ◆/knRokaQ :02/09/29 14:52
>>71 水戸学から発展して『日本外史』でポピュラーになってしまったので
そういわないとおさまりがつかなかった。
戦後になるまで「北朝正統論」はタブーだった。さぞかし悔しかったでしょう。
74 :
Cavabien :02/09/29 16:09
>>66 サン
康熙、雍正、乾隆と出てましたっけか。
VCDでン10枚とかだったりしますよね。お値段は結構リーズナブルなんだけど。
見たことある人の感想希望です。
>>66 >>74 Cavabienさん
俺も観たいです。
初期満洲族の風俗、衣装等をビジュアル再現したものを観たい。
タイトル等御存知なら紹介是非ともキボンヌ。
映画:西太后、アヘン戦争、ラストエンペラー等も参考になるけど、
風俗的には成熟しきった時代なので。
76 :
Cavabien :02/09/29 17:04
>>75 YPサン
乾隆のは俺がいつも見てるとこには無かったです。記憶違いだったかな。
中国書籍ネット書店「書虫」のデータから転載
ttp://www.frelax.com/sc/ >康熙帝国(50集電視連続劇VCD50枚)
>価格: 17600円 → 15840円(税送料込み)
>商品コード: KXDG054458 出版社: 中国国際電視
>サイズ: VCD ISBN: CN-A03-01-336-00
>PYコード: KXDG 分類: 音像-VCD
>雍正王朝(44集電視連続劇VCD44枚、平装版)
>価格: 13800円 → 12420円(税送料込み)
>商品コード: YZWC055748 出版社: 中国国際電視
>サイズ: VCD ISBN: CN-A03-98-337-00
>PYコード: YZWC 分類: 音像-VCD
『康煕帝国』の方は呉三桂ら三藩の乱鎮圧があるだろうから、趙良棟あたりが
出てくるのかな。
初期の風俗関係だったら『康煕帝国』の方が確実かもですね。
>>76 Cavabienサン
おおお、良いサイト御紹介ありがとうございます。 使えそう。
『康煕帝国』三藩の乱の呉三桂の頭髪の変貌が見物ですかね。
それと、満漢全席(DVD)ってのが気になります。
すんません・・処で、厨質問でなんですが“VCD”ってなんぞ?
周りの人間に聞いても、辞書検索しても判らなかったのですが。
映像光ディスクですよね? DVDプレーヤーで見れるのカナ?
(50枚、44枚って凄くないっすか?)
78 :
Cavabien :02/09/29 21:09
79 :
世界@名無史さん :02/09/30 02:08
DVDもあるよ。現地で買えば安いよ。 ただ日本ではパソコンでしか見られないかも。
レスどうもです。 所持してるデッキで再生出来るかどうかは業者に聞くとします。 ・・で、ホント申し訳ない。 DVDとVCDとやらは何がどう違うのでしょうか・・ 容量?
81 :
世界@名無史さん :02/09/30 04:37
画像・音声が段違い。 絶対DVDがよい。 ただ、友人は中国で買ってきて、日本のパソコンで 観ようとしてあえなくパソコンアボーン。泣いてた。
>>80 YPさん
VCDはビデオCDのことですよ。普通のDVDプレーヤーならVCDの上位互換
ということなので、普通のDVDプレーヤーなら見れますよ。プレステ2じゃVCDは見れないようです。
中国のDVDは日本のものとリージョンコードが違うので、リージョンフリーのDVD−ROM
じゃないと見れないと思いますよ。
板違いで申し訳ない。
83 :
世界@名無史さん :02/09/30 11:56
武侠映画って、清朝が舞台の作品が多いよね 最近だと「グリーンデスティニー」とか 資料として参考になるかも
84 :
世界@名無史さん :02/09/30 15:40
>83 あの映画の登場人物の民族別分類してみると どうなるっけ?
85 :
世界@名無史さん :02/09/30 18:17
紅楼夢を読むと第二ヒロインの襲人が目下の女中を「豚脚女」と罵るところ がある。 ということは満洲族の女は纏足しなかったのだろうか。
86 :
世界@名無史さん :02/09/30 20:03
>>85 満州族には纏足の習慣はなく、清朝では禁止令も出ていましたが、
逆に満州族でも纏足をする人が出る始末。
ちなみに纏足で男のアソコをスリスリするプレイがあったほど
あの足に萌える男性は多かったようだけど、わたしには理解不能です。
87 :
名無的発言者 :02/09/30 20:24
纏足って足の指ボキボキ折って布でぎゅうぎゅうまとめるんだよね。 んで石をのっけとくんだと。 あんまり痛いから心臓麻痺で死んじゃう女の子もイパーイだって。 よくやるよね。
88 :
世界@名無史さん :02/09/30 20:55
纏足すると働けなくなる。 纏足することは「うちは働く必要のない身分なんだぞゴルァ!」ということを見せびらかす見栄にもなるわけで。
89 :
Cavabien :02/09/30 22:45
>>82 トラメメさん、ありがとうございます。
VCDの説明を抜かしておりました。
>>80 YPサン、自分はDVDプレイヤーを持ってないものですからVCDの紹介に
なりましたが、再生可能なプレイヤーをお持ちでしたらDVDの方が断然良いと
思います。
武侠小説で清朝といえば金庸のデビュー作『書剣恩仇録』も清朝でしたね〜。
何気なく福庚安なんて出てきてたりして。
「北京風俗図譜2巻」品切れ中だそうでっす。 がっくし。
古書で探すしかない。
>>86 >清朝では禁止令も出ていましたが、
1664年に発令。しかし困難な為に4年後に撤回。(「北京風俗図譜1巻より」)。
ですね。 オーバイが発令したのかな?
>>83 そのタイトルではやり過ごす処でした。 観てみます。
「フラワー・オブ・シャンハイ」(1998)という映画のサントラ
盤製作関連の仕事をした事がありますが、これも19世紀清朝が舞台
のようです。 が、当時映画見なかった。
>VCDの件
ありがとうござりました。恐縮
DVDは下手するとマシンあぼーんするんすか。輸入モノは恐い。
91 :
世界@名無史さん :02/10/01 02:30
>>83 というより俳優の出身地がばらばらで中国語の発音もなまっていて面白い。
92 :
世界@名無史さん :02/10/01 14:57
復興運動が存在しないのは 日本のせいかもね。
93 :
世界@名無史さん :02/10/01 15:13
94 :
世界@名無史さん :02/10/01 17:35
>>92 大清帝国の復興というなら、異民族支配の復興ということになり、それはありえない。
大明帝国の復興は、暗黒時代も一緒に?
日本のせいでもなんでもなく時代錯誤! 誰も望まない。
袁世凱の帝政が失敗したとき、それで終わり。
95 :
世界@名無史さん :02/10/01 23:05
復興しようにももはや満人なんてほとんど居ない。 今の満人はせいぜい「先祖が満人だった」という程度のものでしかなく、 彼らの母語もすでに漢語。女真語など知らない。
96 :
Cavabien :02/10/01 23:09
女真語って今はもう残ってないんでしたっけ。 方言でも残ってませんかね。
>>97 Cavabien サン
自転車小僧さんって凄いのね。
話せなくとも、音を辿るくらいの事は独学でも出来そう。
文字は違うけど、女真語と満州語って違うの?
ヌルハチって? のスレで少し盛り上がった東北地方の満州族も
伝統的な歌などは満州語だったけど、日常会話は漢語を話すといっ
てたような。
内モンゴルでは、モンゴル文字もモンゴル語も生きているのにね。
99 :
世界@名無史さん :02/10/02 05:50
>>94 というか北方の軍閥が
蒋介石の北伐でやられて
溥儀が頼りにした張作霖が
関東軍に爆殺された後では
満洲国の建国が
清朝復興のラストチャンスだったわな。
インテリはともかく一般大衆には
清朝の時代を懐かしんでいるのも大勢いた。
中華民国は内乱続きだったし。
100 :
世界@名無史さん :02/10/02 05:55
(^-^;)100get
102 :
世界@名無史さん :02/10/02 14:42
>96 新キョウのはてに、一つの村がぜんぶ満洲語の方言、というところが あるのが唯一まとまった満洲語社会です。 乾隆帝の時代にはるばる東北から連れて来られた屯田兵のなれのはて。 いちどテレビでレポートしていた。言葉もしゃべらせていた。
>>102 チャプチャル=シボ族自治県。
十五万人のうち八万人がシボ語の話者。
清代の満洲語の档案(=公文書)を朗読できる。スゴイ!
ヒトリ、京大の東洋史の院に留学に来ていて、タダで満洲語を教えて
くれている。アリガタイ。
95 >復興しようにももはや満人なんてほとんど居ない。 >今の満人はせいぜい「先祖が満人だった」という程度のものでしかなく、 >彼らの母語もすでに漢語。女真語など知らない。 「満人が満洲語をしらない」 というのと、 「満人がいない」 というのは、全く異なる命題であるが、君は意図的に混同しとるね。 アイルランド人は英語のみしか使えないものが人口の八割弱に達し、 ゲール語を母語とするもの、多少なりとも知っている者を合わせても 25パーセントに達しないが、数世紀のイングランド支配ののち、立派 に独立を達成しているという史実がある。 「満人の復興」そのものを論じるなら、「母語の話者の比率」以外の要 素の検討も必要だね。
105 :
世界@名無史さん :02/10/02 16:14
>>95 そのようにして、秦族も匈奴も鮮卑もタングートもオイラートも、今や内モンゴルもチベットも漢民族に吸収されようとしている。
106 :
しっつもーん! :02/10/02 16:44
どうしてチベットやウイグルに同情しても現地に行って戦わない人が多いのですか?親パレスチナ派や親クルド派もだけど。
107 :
世界@名無史さん :02/10/02 18:17
>>106 連合赤軍や残留日本兵のようにっていう意味の質問?
>>106 日本人と、日本語BBSを除いている中国人その他に真実を伝える
ことも、「戦い」の1形態である。
訂正 日本人と、日本語BBSを覗いている中国その他の外国人に向けて 「真実」「事実」を発信する事も、重要な「戦い」の1形態である。
110 :
世界@名無史さん :02/10/04 01:54
朝貢国より下になっているのであげ。
乾隆帝については良い印象を持って無かったのですが、 所詮高い生活レベルを理解出来ないパンピー感覚だったのだと。 故宮博物院コレクションを観て、正直、乾隆帝の超ハイパーDQN振りに 感服しました。 こいつはやはり‘名天子’なのだと。 俺は細かい部分になると判りかねますが、 粗を探さず、世界史板らしからぬ弘暦(ホンリィ)マンセーで、 ちょこっとスレッド進行してみませんか? つうか、色々乾隆帝のあっぱれな馬鹿振りエピソード等を教えて 下さいな。
昔の愛妃の生まれ変わりと信じて、 和シンを寵愛。で、浪費の限りを尽くさせる。
113 :
世界@名無史さん :02/10/04 15:17
>>99 日本が満洲国を建設し溥儀を執政につけたとき、
国民党員には結構びびった奴が多いらしい。
本気で清朝の復興に乗り出してきたのではかと。
だとするなら中華民国の主権を否定して少しもおかしくない。
後で杞憂と知って、これで清朝復活の目は無くなったと
かえって安心したりもしたと。
お互いの利益のため、日本は他の人に声をかけるべきだったな。
満洲人の、それによりにより、溥儀とは!
114 :
世界@名無史さん :02/10/04 18:46
溥儀で満州国なんか作るよりも 明の末裔を探して(見つからなければ適当に朱という姓の人を明の末裔にでっち上げてでも) 後明でも作ればそれなりに支持されただろうに。 少なくとも溥儀の満州国ほどには反発されなかっただろう。
115 :
顔文字の某コテハン :02/10/04 19:29
116 :
世界@名無史さん :02/10/04 21:18
117 :
世界@名無史さん :02/10/05 03:02
石原莞爾は当時清朝が反発の対象にしかなってなかったことが分からなかったんだろう。
118 :
世界@名無史さん :02/10/05 04:44
明の末裔って、秘密結社帝国でも作るのかな。
119 :
世界@名無史さん :02/10/05 05:58
120 :
世界@名無史さん :02/10/05 06:33
>114 満州と言えば無条件に中国と考えがちだが、当時はけっこう満州としての アイデンティティがあったらしい。満州族としての、ということではなく、 中国を制覇した一つの地方としてのアイデンティティ。 その象徴が溥儀だった。 溥儀が満州国の地方視察にでかけると、お召し列車を伏し拝む農民の 姿が沿線に見られたという。 その前の張政権だって満州アイデンティティにのっかったものだった。 だからこそ「易幟」が大事件だったのだ。 「後明」が地方の支持を得られたとは思えない。
121 :
世界@名無史さん :02/10/05 23:37
>>120 東北分離工作は一定の支持基盤を現地で有していた。
ただし清朝復興工作とはベクトルが大分異なる。
漢人も満洲人も蒙古人も、両方それぞれに支持者がいる。
両方にまたがっている人もいる。
ただし日本政府の関心は東北分離のみ。
溥儀は自分こそ中国の支配者に相応しいと思い込み、
先祖の墓を荒らした部下をろくに処罰せず、
謝罪一つしない蒋介石なる、
新しい中国の支配者へ怨恨を抱いていた。
溥儀の望みは北京に皇帝として返り咲く事だが、
日本皇室や日本政府に後からでも理解してもらう気で
満洲国の支配者になる話にのった。
奉天に着いた後はご存知の通りだ。
飴と鞭とで飼育され政治的本音も日本人に漏らせぬ日々となり、
最終的に日本は東京裁判で飼い犬に手をかまれた。
122 :
Cavabien :02/10/06 21:56
>>102 サン
>>103 サン
遅レスになりましたがありがとうございます。
嘉慶帝の頃の白蓮教反乱の話を読んでます。七十五(チシウと読むらしい)なんて
名前の人が出てきて面白い。ちなみにこの七十五と言う人、あまりに配下の規律が
悪かったので、「賊には捕まっても良いが七十五の兵には絶対に捕まるな」とまで
言われていたとか。
123 :
世界@名無史 :02/10/07 17:40
「満州」じゃなくて「満洲」だよ > みんな 満、洲、清 と並べて書けば理解できますね? (五行説の水徳らしいですからね。)
124 :
世界@名無史さん :02/10/07 18:03
しかし日本では「満州」と書くのが通例。 誤字には違いないけどこれだけ広まってる以上、誤字として切り捨てるわけにもいかない。
125 :
世界@名無史さん :02/10/07 23:21
「満洲」を「満州」と書くのは戦後に日本で広まった習慣だが、その理由が わからない。
126 :
世界@名無史さん :02/10/07 23:24
>>125 漢字簡素化政策の成果だろ。常用漢字、当用漢字とか。
現代かなづかいとか文部省の国語政策だよ。
127 :
世界@名無史さん :02/10/08 02:06
>>125 どっちでも大して変わらんよ。
と、うちの先生はいってるけど。
128 :
世界@名無史さん :02/10/08 05:37
>126 「洲」は当用漢字からはずれているか? 「アジア洲」などと使われているから、そうとは思えない。
129 :
世界@名無史さん :02/10/08 13:02
八重洲ブックセンターの立場は……
131 :
世界@名無史さん :02/10/14 22:30
満洲→満州は、徐州とか青州とかの州名との混同と思われ。 誤字脱字誤用勘違いも定着すれば問題無い? 赤信号 みんなで渡れば 恐くない の実例というのもなんだかな〜。 順治帝って、何故か評価低い様な気がする今日この頃。
132 :
世界@名無史さん :02/10/14 23:29
「東韃地方紀行他」という本に間宮林蔵の報告書(聞き書き)が 載っていて、そのなかに間宮林蔵が沿海州で満洲族官吏から もらった名刺の写真版が載っている。 それをよく見ると「満洲」はすべて「満州」と書いてある。 当時の満洲族じしんがすでに混用していたのだね。 もっとも現在の日本の出版界の「満州」はなにか満洲国への 贖罪意識と関係していると思うが。
133 :
世界@名無史さん :02/10/15 00:23
>>132 江戸時代は人名や地名の漢字使用に無頓着なところがあるからね。
いずれにせよ、明らかな誤字を使用する日本の出版界は逝ってよし!!
134 :
世界@名無史さん :02/10/15 05:55
>133 江戸時代の日本人でなく満洲人官吏が混用していたということ。 なお私の文章も間違えた。 満洲官吏が間宮林蔵にくれた旅券のような公文書があり、そのなかの 三人の官吏の官職名中の満洲がすべて満州になっている。 そのほかに名刺があり、これは満洲になっている。
135 :
世界@名無史さん :02/10/16 18:16
義和団事件の事後処理にひとつ奇妙な点がある。 当時の列強の習慣に逆らい、アメリカ合衆国だけが賠償金を取らず、逆に「清朝の近代化の為に」という名目で金を支払っている。 何故か? 後世伝えられる理由は「後付け」に過ぎない。 実際は、『戦勝国』側であるはずの合衆国が『賠償金を支払った』のである。 何故か? 当時、合衆国側の通訳を務めたのは、同じ戦勝国側で英文と漢文の両方に通じた日本の東大の某教授であると云う。 彼の残した言葉に寄れば、 「紫禁城に略奪の為乱入した数人の米兵が、城内にいた西太后を輪姦した為、激怒した清朝側に賠償金を支払わざるを得なかったのだ」と。 某教授は、三十年間口外しない事を約束させられたが、後に数人にこの事を伝えたと云う。 これは『歴史の真相』なのであろうか?
136 :
世界@名無史さん :02/10/16 18:57
輪姦された西太后が新しい快楽に目覚め その後の暴走の原因になった・・・・・と考える
137 :
世界@名無史さん :02/10/16 22:28
>135 西太后は西安かどこかへモージンしていたんじゃなかったけ。
1)米兵が紫禁城で乱暴浪籍を働いた、のは事実 2)米国が金を支払った、のは事実 3)西太后が北京or紫禁城から脱出していた、のは事実 4)事件後、西太后が白人男を激しく憎むようになった、のは事実 もしも、3)が事実を覆い隠す為のネツ造だったとすれば…? つじつまは合う、のか? 加害者も被害者も不名誉極まりないしな。(藁
>135 最大の問題は、義和団事件による欧米の紫禁城略奪は1900年。 そのとき西太后は65歳。 だれが好き好んで強姦するというのか?
141 :
世界@名無史さん :02/10/24 12:12
アイシン【・∀・】ギョロ
142 :
世界@名無史さん :02/10/29 17:28
日本人は清朝皇族に 謝罪しろ!
143 :
世界@名無史さん :02/10/29 17:47
144 :
:世界@名無史さん :02/10/30 12:48
大清王朝は中華帝国の版図を史上最大にまで拡大した国家です。 政治体制、外交政策ともに最初はうまくいっていました。 自らが少数民族の征服王朝であることを自覚し、それを踏まえた うえで政治を行っていたからです。併し世界各国の国民国家化の 動きを正確に把握できなかった為、滅亡してしまいました。 ナショナリズムの力がどれほど強力であるか、そしてどうすれば 少数民族の征服王朝であるハンディーを克服し、そのナショナリズム の力を利用できるのかを考慮できる英明な皇帝がいれば、歴史は 変わったのではないでしょうか。
145 :
世界@名無史さん :02/11/07 17:49
>>144 順治帝が北京に入城した際、旧明の臣下(漢人)がこんな感じの進言をしたらしい。
「皇族の方々は、全て都に置いて天下をお治めになった方がよろしい。」
とかなんとか…。
(理由として、過去の皇朝の皇子らの起こした乱等を例に出したとか出さなかったとか。)
結局、上手く言い包められてしまい、帝はこの進言を受け入れてしまった。
これは、満洲の皇族全てを北京に封じ込め、将来漢人の帝国を復活させるための布石であったという。
(百年後、二百年後を見据えた謀略だったとか。)
あちこちで明の皇族が「明復興の旗印」になったように、後世「清の旗印」があちこちで乱立しない様にする為なのか。
「祖法侵すべからず」
古来、中国の各皇朝は、この言葉を守り続け、そして時代に対応しきれなくなって滅んでいった、とも言える。
清末には、数万の皇族が北京で無為に過ごしていた。
彼らが各地に分散していれば、あるいは違った歴史が見られたかも知れない。
146 :
世界@名無史さん :02/11/08 01:43
結局軍閥混戦で変わりないと思いますが。
>>146 基本的には同意。(笑)
ただ、皇族が各地に分散していた場合、軍閥の旗印になってたり、領袖になっていたりする『可能性もあったのではないだろうか?』という事。
ただそれだけ。
首都を取ったら一網打尽よりは、いくばくかの可能性が…。
(それで幾つかの国が生き永らえたという歴史があるからね。)
148 :
世界@名無史さん :02/11/12 02:10
清王朝はどのようにしてあれだけ広大な領土を支配したわけ?
>149 それについては、浜下武志先生の研究に詳しい。 基本的に、朝貢国も地方統治の延長と考え、中央から、 朝廷→地方→土司土官→藩部→朝貢国→互市 と、影響が薄まっていくと考えます。 これは、『近代中国の国際契機』(浜下武志)に幾何学的に説明してありますが、 為替手形や割引市場など、貿易の知識がないときわめて困難なので、 1960〜70年代の論文から読むといいでしょう。 ところで、義和団の「刀槍不入」の思想の根拠って何なんですか? いま、関心あるんですけど、恐らく白蓮教の弥勒降臨に関係あるとおもんですが、 なぜそれが、孫悟空や関羽に拡張されて、 さらに、「槍」、つまり銃に適用されたのか、 そしてその過程について、何かありませんか?
151 :
世界@名無史さん :02/11/14 01:33
はました先生は清朝史の専門というより近代経済史の専門だね。 清代の入門書としては中公の世界の歴史の方がいいと思うよ。
清王朝が朝鮮のような属国に命令とかする事はなかったんですか?
153 :
150=153 :02/11/14 12:56
>152 基本的に、中国の儒教的価値観では、「属邦自主」が最良とされています。 つまり、不介入こそが最高の統治とされました。 しかし、1870年代、日本が朝鮮に介入して朝貢体制を破壊していくと、 80年代から、李鴻章らは、属邦自主の観念をあきらめて、 現状維持のために、朝貢国介入政策をとっていきます。 その嚆矢となるのが、清仏戦争直前の、清によるベトナム介入です。 だから、朝鮮への介入は朝貢体制破壊の中でとらえられるべきでしょう。
154 :
世界@名無史さん :02/11/14 19:19
たしかに 介入のコストなしに毎年美女3000人送ってくるなら こんなうまい話はない
清朝とオスマン朝の接触・接点について何でも良いので教えて下さい。 清朝はカソリックや、ブルボン朝など西洋との交易、中央アジアのイス ラム圏とのいざこざ話は有名だけれども、当時イスラムの雄オスマン朝 との関係については殆ど読んだ記憶が無いので。 ガチンコとかあったのですか? 厨質問ですが宜しくお願いします。
156 :
世界@名無史さん :02/11/16 02:55
世界史の教科書の地図を見てみましょう。 どうやってガチンコするのでしょうか?
どうでもいいが浜下氏は悪文の極み・・・ 何言ってるンだかワカランとこが多すぎ だと思ってるのは私だけなのか?
158 :
世界@名無史さん :02/11/18 01:00
そのせいで、H氏の議論を引用している人はほとんど意味が分かってなくて 自らの無知を露呈していることが多い。
>>156 >接触・接点・ガチンコ
国境のいざこざに限らず3次元的展開でよろしく。
康熙帝とルイ14世、ピョートル1世との話は有名だけれど、
スルタンとの交流とかなんらかの形であったのかと。
そういう質問っす。
160 :
世界@名無史さん :02/11/19 23:10
>>154 明朝ならもっと小規模の「美女朝貢」があったはずだが、
清朝は違うだろう。
161 :
世界@名無史さん :02/11/23 07:50
アイシン【・∀・】ギョロ
162 :
武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/23 12:39
163 :
世界@名無史さん :02/11/23 13:20
アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ アイシン【・∀・】ギョロ
164 :
世界@名無史さん :02/11/28 19:01
そもそも清朝が多民族国家たりえたのはなぜ?
165 :
世界@名無史さん :02/12/02 01:21
清朝は名君、政治ずきがおおい、 ヌルハチ 名君 ホンタイジ 名君 順治帝 名君 康煕帝 中国史上随一の名君 雍正帝 名君 乾劉帝 名君 嘉慶帝 普通、まじめに政務をこなす。 道光帝 普通、まじめに政務をこなす。 感豊帝 アホ。政治投げ出した。 同治帝 若すぎてわからん。西太后毒殺説あり。 光緒帝 政治改革しようと意図したが、西太后により幽閉。 宣統帝 アホ。満州皇帝のアホぶりはよほどだよ。 清朝皇帝で暗君は感豊帝と宣統帝の二人だけだ。明朝とはえらい違いだよ。
166 :
世界@名無史さん :02/12/03 12:10
感豊帝は病弱で政務に絶えられなかったのでは。 映画「西太后」では結核だったけど。 同治帝を「若すぎて」と評価するなら、宣統帝には「幼すぎて」というべき。
167 :
世界@名無史さん :02/12/03 19:43
なんで順治帝が名君なのか小一時間。
168 :
世界@名無史さん :02/12/03 19:49
169 :
世界@名無史さん :02/12/03 19:52
あと番外に名君ドルゴンも。 「中華帝国・清」を樹立したのはこの人。
170 :
世界@名無史さん :02/12/03 22:37
>166 宣統帝を批評しているのでなくて、満州国皇帝を批評しているのだよ。 使用人をむやみやたらにムチで打ったり、変な宗教にはまったり、 大戦末期の皇帝の宮廷は、まさに破綻状態、正常な神経をもつものは 皇帝の相手はできない状態だったんだ。
>>165 なんか俺の高校の先生もおんなじようなこといってたなぁ。
あなた演劇とか好き?
>>清朝は名君、政治ずきがおおい >>康煕帝 中国史上随一の名君 (その先生もそう断言してた。) 辺りが一緒かなぁ。全盛期が100年以上続いた王朝だと 結構なマンセー振りだったと思う。 その影響で俺も辮髪好きになったし(w スレとあんま関係ないからsage
174 :
世界@名無史さん :02/12/03 23:55
ていうか、一般論だと思うが。 康煕、雍正、乾隆の140年が清朝の黄金時代。 特に康煕、雍正の治世は、内政的、対外的にももっとも充実していた時代。 同時代に、フランスのルイ14世、15世の120年の黄金時代があるが、 ルイ14世末期以後には、フランスは停滞を始めるが、 康煕、雍正帝の治世では衰退というものが存在しない。乾隆帝後期から 衰退が始まるがね。 康熙帝のすごさ、 「人頭税の撤廃」の英断は中国の歴史を変えた。 清初6千万人の人口が乾隆帝末期には6億に膨れ上がった。
朕がいかずんば。と、親征大好きな雍正帝ハアハア
176 :
世界@名無史さん :02/12/04 00:15
>雍正帝 名君とは認めるがあまりお近づきにはなりたくない。 スパイを入れて査定するなんて。
177 :
世界@名無史さん :02/12/04 10:40
順治帝は24歳で崩御したのではなく、寵愛した妃が亡くなったのを 悲観して五台山に隠居してしまったのだというのは本当か。(陳舜臣著作による)
178 :
世界@名無史さん :02/12/04 10:47
順治帝は13歳で親政を始めたという。 何気に凄い。
179 :
世界@名無史さん :02/12/04 11:35
清朝末期の旗人政治家で、戸部待郎、兵部待郎を経て、 錬兵大臣、陸軍部尚書となった鉄良の詳しい伝記をご存じ の方は、どうかお教えください。
180 :
世界@名無史さん :02/12/04 12:03
宣統年間に皇族内閣の郵電部大臣を務めた、 官僚資本家で買弁の盛宣懐の直系の子孫は、 現在、日本に住み日本国籍を取得し、日本人 になっていると何かの本で読んだことがあります。
181 :
世界@名無史さん :02/12/05 00:33
康熙帝のすごさ、 「人頭税の撤廃」の英断は中国の歴史を変えた。 清初6千万人の人口が乾隆帝末期には6億に膨れ上がった。 かなりオーバーですなあ。
天子が鬚を生やすようになるのは、何かを期にとか、一定の 年齢になったらとか法則があったりするのでしょうか? まあ、あるとすれば天子に限らず満洲族の成人男子の風習に よるものでしょうけれど。 絶対にレス付かないだろうな。
183 :
世界@名無史さん :02/12/05 19:54
185 :
世界@名無史さん :02/12/06 07:38
雍正帝はおもいっきり戦争しとるだろ。
>>114 中国内地に建国するんじゃないんだからね。
あくまでも満州を中国とは別の国として建てるのが目的。
187 :
世界@名無史さん :02/12/06 19:56
清代で卒論書くなら、どんなテーマがいいのかなー。 教えてください。
188 :
世界@名無史さん :02/12/06 21:58
189 :
世界@名無史さん :02/12/06 22:04
>>187 「辮髪」について、書いてみれば?
皆が書きそうで、やっぱり書かないこのテーマ。
190 :
世界@名無史さん :02/12/06 22:16
>>187 一つの話題を提供するとしたら、
清代科挙についてあげたい。漢民族は科挙に合格して進士にならなければ、
絶対に出世できない。たとえ父親が大官でも、その息子は父の威光で
出生することができないシステムになっている。
その弊害が、ワイロ、ピンハネだな。
息子が栄華を受け継ぐ補償がないから、自分の代で官僚はできうるかぎり
財産を溜め込もうとする。金持ちでなければ、科挙の受験勉強は
できないしね。
多少の例外はある。袁世凱は進士ではないのに、李鴻章に抜擢され
頭角を現したたたき上げで清朝一の実力者になった。
やつが清朝滅亡の引導を渡すことになるのだが。
満州族には科挙受験が許されていないので、ここは親の七光りが通用
するがね。
>>166 本当は彼より有能な弟の恭親王がなっていたはずなのに。
192 :
世界@名無史さん :02/12/07 08:17
>191 「満州族には科挙受験が許されていない」どころか、満洲族向けの 合格枠があった。役人の数を漢族とバランスさせるために。 科挙合格者の統計表を見ると、何回か置きに「満洲 100人」 などと切りのいい数字が出てくる。
193 :
世界@名無史さん :02/12/07 08:28
漢人は学歴社会だったが 満人は身分社会だった
>>190 なるほど、満人の科挙問題もおもしろそうですね。
科挙っていったら漢人のイメージしかありませんでした!
いい話聞いちゃった。サンクスです。
とりあえず宮崎市定の「科挙」ぐらいしか読んだ事ないので、
先行研究しらべてみます。
195 :
世界@名無史さん :02/12/07 10:49
>>192 満州族はとにかく人数が少ないから、勉学に励みすぎて民族が軟弱に
なってはいけないということで、科挙受験できないんだって。
全員満州八旗に組み入れられる。
だけど、主要な役職は満漢併用制だから、満州人も官僚にならないと
いけないから、満州枠はあったかもしれないが。
196 :
世界@名無史さん :02/12/07 15:34
一般科挙の中に「満人合格枠」があったのか、 それとも出題自体、満人に対する試験はまったく別のものだったのか? そのレベルは? など興味は尽きない。
197 :
世界@名無史さん :02/12/07 17:34
ロシアとの国境をめぐる争い、大規模な武力衝突はあったのでしょうか?八旗VS洋式軍隊なんて あまりにも萌えてしまいます。
198 :
世界@名無史さん :02/12/07 17:57
ロシア:ピョートル大帝 VS 清:康熙帝 のかなり大規模な戦争があったな。 清はイエズス会が開発した新式大砲「天可汗」を 引っさげて戦った。 軍配は清:康熙帝に上がった。そ こでネルチンスク条約締結。萌えたか?
199 :
世界@名無史さん :02/12/07 19:32
なんで順治帝が名君なの? 多爾袞に操縦され、その死後は漢文化に耽溺した柔弱な君主でしょ。
200 :
世界@名無史さん :02/12/07 23:01
まあ、即位したのがガキのころだから しかたないでしょ、ドルゴンの専横は…… 康煕帝だって、オーバイの横槍に最初は為すがままだったし。
201 :
世界@名無史さん :02/12/08 03:19
八旗VS洋式軍隊ならアヘン戦争だね。 八旗はほとんど全滅。他の部隊はほとんど逃亡。
>>199 ドルゴンの執政期間は順治帝が6歳から13歳までの頃だぞ。
歳を考えろ。
203 :
世界@名無史さん :02/12/08 06:42
順治帝って、なんかヒヨワなイメージがあるなあ。
204 :
世界@名無史さん :02/12/08 06:45
205 :
世界@名無史さん :02/12/08 06:45
皇帝のママと噂になるドルゴン萌え。
206 :
世界@名無史さん :02/12/08 08:38
陳平「兄嫁とねんごろになるなど、1800千年遅いわ!」
207 :
世界@名無史さん :02/12/08 09:47
208 :
世界@名無史さん :02/12/08 14:13
ちんぺいってだれ?
209 :
世界@名無史さん :02/12/08 17:32
ドルゴンが「人倫にもとる」と言って非難されたらしいが、 聖徳太子は異母兄妹の息子だからこちらもすごい。
210 :
世界@名無史さん :02/12/08 17:35
>209 しかもその異母兄妹の母親たちは、実の姉妹だしね。
211 :
世界@名無史さん :02/12/08 17:51
まあ、漢族がうるさすぎるんだよ。
212 :
from d :02/12/08 19:54
ドルゴンのおっかさんは、ヌルハチの死後、ホンタイジによって殉死させられた。 母の敵の奥さんを寝取ったわけで、まあ、どろどろ。
213 :
世界@名無史さん :02/12/08 21:25
異母兄弟ってのは、敵同士みたいなものだから。
214 :
from d :02/12/08 21:38
>>212 ドルゴンのおかっさんは、有能であったため、ホンタイジにとっては脅威だったんだろうね。
息子のドルゴンも優秀だったみたいだし。
215 :
世界@名無史さん :02/12/08 21:50
母親本人よりも、その一族が脅威だったんでしょうね、きっと。 たしかドルゴンの母親は有力な部族出身だったはず。
216 :
世界@名無史さん :02/12/09 20:18
ホンタイジとホン=タイジ どっちの表記がただしいの?
217 :
世界@名無史さん :02/12/10 07:27
ホンタイジは皇太極って表記します。ホン=タイジは違うかも。
218 :
世界@名無史さん :02/12/10 10:22
ホンタイジは本名ではなく、皇太子の満洲語読みがそのまま通称に なってしまったのだと、なにかに書いてあったような・・
219 :
世界@名無史さん :02/12/10 18:40
母親が高貴な身分だったから生まれながらの皇太子だったホン=タイジ。
220 :
世界は破滅を待っている :02/12/10 18:59
>>218 ぼくのもってる本だと「ホン=タイジ」って書いてあるよ。 2000年の本だから、最近はこういうふうに表記するんじゃ?
221 :
世界は破滅を待っている :02/12/10 21:38
「本=退治」 焚書が趣味。
222 :
世界@名無史さん :02/12/10 21:42
エホ部族はどうなったの?
223 :
世界は破滅を待っている :02/12/10 21:50
西太后がエホの末裔で、清朝を滅ぼした。
224 :
世界は破滅を待っている :02/12/10 22:00
あれ、ぼくの本ではエホじゃなくてイェヘになってるが?
225 :
世界は破滅を待っている :02/12/10 22:23
古い本引っ張り出したら、こっちはエホになってる……?? こっちの方が記憶に残ってたのかな。
226 :
世界@名無史さん :02/12/11 07:39
エホのほうが正しい。
227 :
世界@名無史さん :02/12/11 21:35
ホエ〜
228 :
世界@名無史さん :02/12/12 19:21
ホエホエ荒井
229 :
世界@名無史さん :02/12/13 07:27
大洋ホエールズ
230 :
世界@名無史さん :02/12/14 21:01
>>220 > ぼくのもってる本だと「ホン=タイジ」って書いてあるよ。
満洲文字では hong taiji と書き分けるからだと思う。
満洲文字の ng は、語中に来ると、
次に k や g の系列の字しか続けられないから。
231 :
世界@名無史さん :02/12/14 22:36
清の皇族たちはいったいいつまで満洲語をしゃべっていたの?
232 :
世界@名無史さん :02/12/24 16:48
>>231 一応建前では、ずっとしゃべれたことになってるが、
実際、不自由なくこなせたのは乾隆帝までぐらいじゃないのかな。
age
234 :
世界史@名無しさん :03/01/05 01:23
ホンタイジは、満洲語で「皇太子」っていうのをなんかの本で読んだ事ある。
__,,,,_ /´  ̄`ヽ, / 〃 _,ァ---‐一ヘヽ i /´ リ} | 〉. -‐ '''ー {! | | ‐ー くー | ヤヽリ ´゚ ,r "_,,>、 ゚'} ヽ_」 ト‐=‐ァ' ! ゝ i、 ` `二´' 丿 r|、` '' ー--‐f´ _/ | \ /|\_ / ̄/ | /`又´\| |  ̄\ 皇太子様がホンタイジに興味を持たれたご様子です。
236 :
世界@名無史さん :03/01/05 03:07
>>177 にも書いて有るけど、順治帝の出家説に付いて、ここの住人はどう考えて居るの?
漏れは以外に有り得ない話でも無いかな?って感じだけど
ありえる話かと。 ソースが明確だといいんだけどね。 『清史稿』には出てないんだっけ?。
(^^)
239 :
世界@名無史さん :03/01/12 02:01
age
240 :
世界@名無史さん :03/01/17 02:27
age
あげ
242 :
世界@名無史さん :03/01/30 17:45
>>195 遅レスだが、
途中から満洲人も漢人の影響を受けて
科挙及第に憧れるようになったし、
民族性保持にこだわった乾隆帝が死んだその年の内(1799)に、
皇族も科挙が受験できるようになったのでは。
一般満洲人については合格者の数を乾隆帝が厳しく制限していた。
死んだ後でやはり規制が緩んだのだろう。
文弱の漢人であれ河南省の少林寺や河北省滄州、梁山泊のあった山東省西部(藁
には武勇に優れたヤシらがいるし(そういう問題ではないような)
満洲人とは人数が違うから、陛下は同族を奮起させる必要があったのだ。
実の所、漢人をもっと文武官界共に優遇して
体制に取り込んだ方が効果があったような気がするけど。
えっと宮崎市定『科挙史』で該当記述があったと思う。
満洲旗人の文康が同じ清代を想定して書いた小説『児女英雄伝』も
主人公一家の境遇に科挙への執着が強く現れている。
243 :
世界@名無史さん :03/01/30 17:52
支那社会で尊敬されるためには学識ある文人であることは絶対条件 いかに満人が支配者とはいえ、 単に権力を持ってるだけでは決して尊敬はされない。 尊敬されるために学識あることを示すにはやはり科挙に合格するのが一番。 満人だって支配者にふさわしい尊敬を受けたいと思うのは当然。
244 :
世界@名無史さん :03/01/30 18:04
245 :
世界@名無史さん :03/01/30 21:13
康煕朝の進士合格者名簿の分類項目に、他はぜんぶ州名になっている なかで、宗室、満洲、蒙古、漢軍、旗、という項目がある。 残念ながら数をメモしてないが。 文献:石橋秀雄「清代史研究」
246 :
世界@名無史さん :03/01/31 01:48
なんか横レスですが(カッコ内は大体、相当する職名) 御前大臣(侍従)、内務府総管大臣(宮内庁長官)、 領侍衛内大臣(皇宮警察兼シークレットサービス長官)のような 宮中の重要ポストはすべて旗人や蒙古人が 清朝を一代を通して独占してるのでしょうか? 漢人が例外的にこれらのポストに付いた事は一度もないのでしょうか? 事情通の方のレスをお待ちしております。
247 :
世界@名無史さん :03/01/31 20:32
あるんじゃないの。(時代劇)
石橋氏の著作および論文一覧 きぼんぬ!氏の業績をおせーて!
249 :
世界@名無史さん :03/02/10 00:25
>>248 石橋崇雄氏なら、講談社選書メチエ『大清帝国』が入手しやすい。
あと、岩波世界史講座とかみれば、氏の代表的論文がわかる。
また、氏の実父に当たる石橋秀雄氏にも著作がある。(書名は失念)
聞いたところによれば、祖父も著名な歴史研究者らしい。
家庭環境に恵まれていたとはいえ、三代連続で歴史研究者とはスゴイ。
ごめん、秀雄氏の著作は245に出てたね。
251 :
世界@名無史さん :03/02/14 20:22
>>232 乾隆帝の頃から既に皇族のなかにもかなり満洲語が怪しくなってる
人はいたみたい。どの親王だったか忘れたけれど、皇帝に対して
満洲語で挨拶をしなければいけない場面でそれが満足にできなかった
人がいたという話があります。
「ことばと社会」第3号の論文に、
「ラスト・エンペラーズは何語で話していたか?―清末の「国語」問題と単一言語制」
という論文がありますのでそれを読んでみると良いとおもいます。
(乾隆帝云々の話もそこにのっていました)
知らなかった。血縁でいらっしゃったのね。 あの二人の石橋氏は。で、崇雄氏の方はいまはどこにいるの?
崇雄先生は国士舘大学だと思った。
254 :
世界@名無史さん :03/02/17 01:15
増井経夫さんの『大清帝国』ってどう?
そっか、国士舘なんだ。 それじゃぁ、清代史専攻したい連中は、 かなり集まるんじゃないかねぇ。私大だし。
256 :
世界@名無史さん :03/02/18 06:05
>>255 どこかのスレで、国士舘大学に東洋史の院がさいきん出来たと
あったよ。スタッフも熱心で狙い目だとか。
>>254 石橋崇雄の同名の本に比べて、古さは否めないですな。
257 :
(´-ω-`) :03/02/18 06:16
258 :
世界@名無史さん :03/02/18 09:43
国士舘大学に電話して、石橋崇雄氏に教えて貰ったことがある。 「大清帝国」に、ネルチンスク条約の清国の国名は「中国」だったと 書いてあるので、満州語の「中国」は音ですか訓ですか、と 聞いたら、訓読みで「dulinbai gurun」だと教えてくれた。 ただしロシヤ語とラテン語条文でどうなっているかは知らない、 と言って、参考書を教えてくれた。 調べたらそれぞれキタイ、シナだった。
259 :
世界@名無史さん :03/02/18 12:40
「領侍衛内大臣」は満州人かモンゴル人だったね。 位だけは正一品と高いが、所詮ただの儀式用の軍の指揮官てところで、実際には提督(従一品)のほうが権力あったんじゃねえかな。
260 :
世界@名無史さん :03/02/18 12:44
>3回にわたる明征伐では、朝鮮軍は満州人を驚嘆させるほど明人を虐殺した。 満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、かなり悩まされていた。 しかし、朝鮮軍が満州人の軍門に下り清軍に召集されると、今度は朝鮮軍が旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐殺と略奪を行ったのだ。 清の将軍である龍骨大が率いた、明征伐についての朝鮮兵行状の記録には次のようなものがある。 「韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝(シナの異称)、朝鮮において何の仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…」 (恒屋盛服著「朝鮮開化史」博文館、明治34年)。 この根拠になってる文献あるの?「朝鮮開化史」には参考文献が載ってねえから、ここから先に進めねんだよ。
262 :
世界@名無史さん :03/02/18 18:14
完顔氏は清朝勃興期には遠い過去の話なのかな?
263 :
世界@名無史さん :03/02/18 22:34
>>258 親切な先生だね。
写真で見るとコワモテだけど。
マンジュ五部のワンギヤ部って金の完顔氏と関係あるんですか?
龍骨大とかいう人物の個人文集は? 本人の周辺から洗っていけ。 あと実録も残ってるんじゃないか?
266 :
世界@名無史さん :03/02/19 08:31
>>258 その参考書教えてください。ご本人の著作ですか?
石橋先生って講談社の選書以外からも本だしてる?
267 :
世界@名無史さん :03/02/19 11:21
>>263 親切だけど、「大清帝国」に、ネルチンスク条約のロシヤ語、ラテン語
で「中国」をなんと書いてあるのか調べずに、露羅中三つの言語がいずれも
清国の国名を「中国」としている、と書いたのは一寸いいかげん。
>>266 吉田金一「ロシヤの東方進出とネルチンスク条約」
です。国会図書館にあり。
268 :
世界@名無史さん :03/02/19 12:40
>>265 龍骨大は実在の人物だが、満州人だしね。
実録というのは「朝鮮実録」のことか?
としたら、新潮社から「朝鮮王朝実録」というのが出てるけど、皮島攻撃くれえしかなく、明本土への侵略については何も書かれていない。
明末清初は良く分からんが、アレだけ詳細に史実が検証 されてるんだから、それなりの研究方法があるんじゃないの? そもそも明末清初の研究方法ってどんなもんなのかな?教えてください。
270 :
世界@名無史さん :03/02/20 07:27
266
>>267 レスありがと。
うちの大学にはないなあ。残念。
ホンタイジって海外サイトじゃ アバハイ (Abahai) と書いてある場合が多いけどどうなってるの?
272 :
世界@名無史さん :03/02/21 23:30
嫁さんの名前。
Abahaiは間違いなのか。 じゃ何で混同されたわけ? 皇帝で名前が全然出てこないから?
今、渋谷の交差点に乾隆帝がいますな。 なんかのプロモーションか、アルバムのジャケで使われてるみた いですが。 大清の皇帝が身体トリミングされてる。 判ってねーよ。 ざけんなって感じです。 でも、結構嬉しかったりしました。
275 :
世界@名無史さん :03/02/22 21:52
講談社学術文庫に清朝って本がある。こんど読んでみたいと思っている。
276 :
世界@名無史さん :03/02/22 22:54
おもしろいの?
277 :
世界@名無史さん :03/02/23 02:47
>>276 256さんによると、石橋のに比べて古いらしい。
278 :
世界@名無史さん :03/02/23 04:37
279 :
世界@名無史さん :03/03/07 22:28
>>277 増井経夫さんの『大清帝国』読んだよ。
昔のには昔のよさがある。石橋さんのは、学術的には意味あるんだろうけど、
読み物としてはメリハリないよなあ。
280 :
世界@名無史さん :03/03/07 22:58
俺は買ったが途中まで読んだ。七十年代に出た中国史シリーズの一冊を 新しく文庫として再収録したもので成る程古いが、歴史は自然科学と違って 多少古くとも価値はある。 概説書なので清朝の幅広い知識を結構深く学べる。清朝の特色である 学術・文化についての説明なども詳しい。 写真も再収録のためかややかすれているが、ビジュアルでよろしい。 そのへんの駄本を読むよりは価値がある。
281 :
世界@名無史さん :03/03/08 21:09
最近の概説書は自分の新説盛り込むのに夢中だからな。
282 :
世界@名無史さん :03/03/10 00:20
宮崎市定『雍正帝』おもしろい!
283 :
世界@名無史さん :03/03/10 21:33
最近の概説・研究所どう?
284 :
世界@名無史さん :03/03/10 23:38
平凡社の概説書は定番だよね。
285 :
世界@名無史さん :03/03/10 23:42
宮崎市定『科挙』おもしろい!
286 :
世界@名無史さん :03/03/11 08:35
>>286 おもしろいことは確かだが
その論語解釈はあまり真に受けてはいけない
「おもしろい読み物」だと思って読むこと
288 :
世界@名無史さん :03/03/11 19:26
289 :
世界@名無史さん :03/03/13 01:12
「得勝図」って現存してるの?
290 :
世界@名無史さん :03/03/17 18:34
291 :
世界@名無史さん :03/03/17 19:06
「蒼穹の昴」って小説に出てきたんだけど、 乾隆帝の時にカスティリオーネって人が描いた絵でレプリカみたいな物は検索したらあったけど、 本物の方はどうなのかなって思って質問した次第です。
292 :
世界@名無史さん :03/03/22 00:03
乾隆帝の新疆征服についてよい概説書ありませんか?
293 :
世界@名無史さん :03/03/22 00:36
>>292 それ専門に扱った概説書ではないけど、
宮脇淳子「最後の遊牧帝国 : ジューンガル部の興亡」がとりあげている。
294 :
世界@名無史さん :03/03/22 01:43
>>293 ありがとうございます。早速明日、書店に行ってみます。
卒論のテーマに乾隆帝を選んだのです。
>294 卒論なら指導教授に聞いたほうがよいのでは…
296 :
世界@名無史さん :03/03/22 02:29
>>295 残念ながらわたしのゼミ教授は専門外なので、
邪険に扱われてます。さっさと別の大学に移りたいです。
目指せ! 大学院進学です。
297 :
世界@名無史さん :03/03/24 02:42
>>296 ひどい先生だな。ふつう、専門の時代が違っても面倒見てくれる
はずでしょうに。
298 :
世界@名無史さん :03/03/28 01:08
清朝の官吏って満漢偶数でそれぞれいたんですよね? 軍隊の将官もそうだったんでしょうか?
299 :
世界@名無史さん :03/04/06 01:32
292で乾隆帝の新疆征服について質問したものです。 このようなテーマを専攻したい場合、どのような言語を 習得する必要がありますか。
300 :
世界@名無史さん :03/04/06 18:58
レスがつかないので漏れが書いてみる。 といっても漏れの専門は工学(w なので役に立つとは思えんが。 征服者側が、まず清朝の国語満洲語、それに漢文。 満洲語は河内氏のと津曲氏の教科書がある。 日本語に似ているけど、日本語よりはるかに単純で規則的な言語。 被征服者の内、北疆にいたオイラト人はモンゴル系だけど、 伝統モンゴル文字ではなく、それを改良したトド文字を使って自らの方言を表記している。 でも征服期の文献って何かあるのかな? そもそもオイラト方言ってどうやって勉強したらいいんだろう? 普通のモンゴル語の文語なら小沢重男氏が教科書を出しているけど。 南疆にはイスラム教徒がいて、多分テュルク系のチャガタイ語を書紀言語として 使ってたんじゃないかと思うけど、詳しいことは知らない。 他には、オイラトはロシアと接触しているので、ロシア語文献もあるかもしれない。 だいたいこんな感じ。
ははは・・・ しばらくチェックしてなかったら、松浦章が本出してたのねー。 15000円かあ。
302 :
世界@名無史さん :03/04/07 02:11
天皇教原理主義の自爆攻撃を見せる時だ
304 :
世界@名無史さん :03/04/07 02:27
>>299 すでに手垢がつきまくってるテーマを選んでどうする?
305 :
世界@名無史さん :03/04/09 00:20
>>304 別にやりつくされてはいませんよ。
満洲語・ロシア語史料なんかもどんどん利用できるように
なってるし、けっこうやりがいのあるテーマではないでしょうか。
つか、学部生レベルなら言語はそんなに必要ない。 言語史そのものをど真ん中に据えてやるんじゃない限りは、 むしろ清代の漢文を読みこなして、膨大な漢文史料を読むだけで まず四年間は終わる。それ以外の言語はできればいいくらいのレベル。 はっきり言って、清代の史料なんて超メジャーの史料に限っても ケタはずれに多いから、漢文だけで手付かずの論文はいくらでも書ける。 先に現代中国語をマスターしたほうが早いw 最初から院生レベルを目指す人間なら話は別だけど、 そういう人間がここでテーマの根幹に関わる部分を こんなところで他人に聞こうとするわけないだろうし。
307 :
世界@名無史さん :03/04/09 03:24
>>306 漢文は膨大だよなあ、確かに。
学部生だったらそれだけで手一杯だろう。
だが上を目指すなら他の言語も身につける必要がある(テーマにもよるが)。
一番ヤヴァイのが、あっちこっちの言語に手を出して、肝心の漢文が
おろそかになるパターン。
308 :
世界@名無史さん :03/04/11 02:24
>>307 多いよな、そういうやつ。
そういうやつが査読誌に載ってるのみるとちょっと首傾げる。
査読員もしっかり読めよ、と。
309 :
世界@名無史さん :03/04/11 09:34
研究というより、単に馬鹿な言語オタクになっちまうやつもいるな。 それもひとつのひとつの言語を研究レベルでマスターするんじゃなくて、 英語で言うと中一レベルの文法を覚えてたら次に移っちゃう学部生w いろいろ読めるって自慢してるけど、勉強会に参加してみたら、 レジュメはめちゃくちゃ。無理してマイナーな言語の史料を引っ張ってきているが。 使えるのがみな「This is 〜」レベルの文章だけだから、 訳してみると、水のように薄い内容の羅列で。 院生A「で、それに関連する漢文の史料は?」 そいつ「あ、次の文章です。」 院生B「ハァ!? 次って、お前、2行しかねーじゃんかよ!」 そいつ「ボクのは、○○言語の史料を中心にするんで」 院生B「アホか、お前。てめーの○○言語っつーのは、 史料じゃなくて加工もきちんとされてない資料のカケラだろうが。」 院生A「マイナーな言語の資料は、漢文以上に内容の対比が求められるよ?」 院生B「まあ、いいや。それ読んで。」 そいつ「えーと・・・」 院生B「お前、そこを唐代の読み方してどうすんの?」 そいつ「え、大漢和辞典だと・・・」 院生B「あー、いいよ、お前。もう発表終わって。次。」 正直、生意気なそいつに最初からキレてた院生のいたぶり方が怖かったけど、 自分も卒論終えてから、そのレジュメを改めて眺めると、怒るのも無理ないとオモタ。 何の知識も論文の経験もない人間が見ると、いろんな言語が書いてある レジュメはめちゃくちゃかっこいいんだけどね。
310 :
世界@名無史さん :03/04/11 17:12
311 :
世界@名無史さん :03/04/12 01:59
>>308 なんかさ、コネつかって掲載してもらう人も多いみたいですよ。
まあ、完全なダメ論文はさすがに却下されるみたいですけどね。
312 :
世界@名無史さん :03/04/12 07:40
学部生レベルは漢文史料中心が無難。 実力的にも妥当だし、教授もしっかり見てくれる。 どうしても他言語をやりたければ、 漢文だけでも十分卒論かけますよ、という基礎的な実力を まわりに示してから。
313 :
世界@名無史さん :03/04/12 13:31
非生産的なことに必死になってるな
314 :
世界@名無史さん :03/04/12 17:22
315 :
世界@名無史さん :03/04/12 18:40
漢文であっても各種辞典を参照しながら一語一語解釈していくのが普通であって、 漢文以外の言語であっても文法の初歩を押さえて辞書を使ってぼちぼち訳していける のならば研究は可能であると思う。 たとえ漢文にかなりの年月習熟していたとしても、いきなり文を見せられて およそどんな内容なのかの見当はつくかもしれないが、一切をすらすら解釈 するなどということは無理であって、必ず無数の引用やニュアンスを訳さねば ならない。 要は、やる気にかかっているのであって、単純な文か複雑な文かで読める読めない ではない。複雑で難解でも、辞書や文法書を使って可能な限り解釈をすれば さほど難しくは無いとおもう。およそどんな言語も、共通する部分はあるもので、 英語や漢文を解する人間が、さほどメジャーでもない言語を難解だ難解だとなげく ことはないと思うのである。
>>316 院生Bの言葉はムカつくが、妥当なことは言っているかも。
清代だとしたら、大漢和で引っ張ってきただけじゃたしかにペケだし。
他言語を卒論で使う人間じゃなおさら。
318 :
世界@名無史さん :03/04/13 04:10
>>315 逆に言えばマイナー言語を使ってても、
それだけではウリにならんということですね。
>>314 よく知りませんが、ビッグネームの威を借りて、ごり押ししたらしい。
319 :
世界@名無史さん :03/04/13 16:36
要するに膨大な史料を前にして怖気づいたり途中で放棄せずに、非力なのを恥じながらも 少しでも毎日解釈して一つでも業績を残していくように努力するだけだ。 研究する事は膨大にあって、ただ訳すだけでも業績の一つになる。 マイナーな言語史料でも読めばいいのであって、使うなとか読んでも仕方ないなどと だれもいえない。だれも解釈していないのならば、非力だからと尻込みせず、いかばかりでも 微力を尽くして挑戦すべきである。 近世なんて、馬鹿ほど読む本がありすぎて、むしろだれもやっていないけど重要だという 史料に早く着手すべきである。本当はそこらへんの眼識が最も才能を要するところで、 見るべきものをちゃんと見る人間性が必要になる。そしてそれを過不足無く言い表す 才能が必要になる。
320 :
世界@名無史さん :03/04/13 18:07
清代史で、まだマスター生が利用できる史料ある?
321 :
世界@名無史さん :03/04/13 18:12
付け加えると、漢文しか読めませんが・・・
>>319 初学者の心得としてはいいね。
四月に、一年生の最初の授業、最初のミーティングで言ってあげるときだけ、
とても有意義な言葉だ。
五月以降は、それで持ったつもりの覚悟だけじゃ甘っちょろすぎるってことから
分からせなきゃならないのが辛いところなんだがw
院生Bの降臨だ。 おまえは周りの人間をスポイルするだけに思えるよ。
漏れは
>>309 の院生Bじゃないよw
しかし
>>316 とか、
>>323 とか、どうしてこう幼いのかな。
キツい現実を突きつけられるとすぐに耐え切れなくなる。
これから一生懸命勉強します、頑張ります、っていうのは
すごく重要なことだけど、それに酔ってしまって終わるやつが大半だ。
言語に限らず、他人が使わないものに手を出すときは、
基礎を他の人より何倍もやらなきゃならないから、
そこはゼミでも部でも厳しく注意しなきゃならない。
最低限のことをできなければ、学士の意味はない。
でもそいつらの大半が「ボクは勉強してます、努力してます」って言ってるけど、
実際、漢文も発表の基礎もままならない。
そこを指摘してやっても逆ギレするヤツまでいるし(笑)
別に他言語を使うやつがって言うわけじゃないけど
そいつらの根底にある甘えって言うのは、
「他の人と違う努力しているんだから他の人より大目に見てくれたっていいじゃないか」って言うの。
これが多いんだよ。すごくね。
まあ、
>>323 とかは、自分の可能性を上から否定するように見える辛口意見に
大して噛み付きたくてしょうがない青年の入り口にいるのだろうけど、
教授も院生も可能性にも新しいことにも否定はしないさ。
ただ、その新しいことをやるだけの資格があるかどうかは厳しく試す。
それだけのこと。悔しければ、それを証明してみればいいだけのことさ。
簡単だろ?
モンゴル、清代スレで語学話がでるといつもこうだ。 出芽無し博学厨なおまいらは、まとめて学歴板逝きなさい。
>>320-321 マスター生って、どれくらいの史料なら
「常識」「みんな使い込んで入り込む余地なし」なの?
>>326 野良に無暗やたらと餌を与えないで下さい。
それよりも仕事する術を覚えさせてあげなさい。
学術書買う金あったらフロムA買え。
漏れはただの歴史好きな理系院生で細かいのはさっぱりわからんが、 >324がずいぶんと偉そうだなってのだけはわかる。
329 :
世界@名無史さん :03/04/14 02:51
ホンタイジの死後、ドルゴンと3代目皇帝のフリンのお母さんとの間に肉体関係はあったのか?
>>329 フリンだけに不倫関係に・・・などと寒いことを言うつもりは無いが、
最近アメリカ空軍で「フリン中尉の不倫事件」ってのがあったな。
空軍の女性中尉が妻子ある男性との関係がバレて強制除隊になったが、
その直後に次期統合幕僚会議副議長と目されていたラルストン空軍大将
の不倫が発覚。こちらはお咎めなしだったので男女差別だと大騒ぎになった。
関係ない話でスマン
331 :
世界@名無史さん :03/04/15 01:13
332 :
世界@名無史さん :03/04/15 19:23
ホンシメジの死後、レンコンと3代目皇帝のプリンのお母さんとの間に肉体関係はあったのか?
333 :
世界@名無史さん :03/04/15 19:39
あったろ 男と女だからな
>>332 君、そのレス我ながらおもしろいと思って書き込んだでしょ(藁
335 :
世界@名無史さん :03/04/16 01:09
(^^)
337 :
世界@名無史さん :03/04/19 08:30
やっぱり清好きな人は、 初期の勤勉な皇帝たちに萌えて入った人が多いのかな。 それとも末期のいたぶられる姿にハァハァな人が多いの?
チャイナドレス(;´Д`)ハァハァなんだろ。 あとラーメンマン。
339 :
世界@名無史さん :03/04/19 19:41
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
341 :
世界@名無史さん :03/04/22 23:54
きよし。
太平天国は別スレ?
343 :
世界@名無史さん :03/04/29 23:26
ところでここ、明清の院生か研究者いる? 聞きたいことあるんだけど。
やな院生Bならたぶんいるぞ、上の方に。
ここ、基本的にやな奴満載だな。 話も清朝と関係ないな。
東洋史スレは人間性ゼロの奴満載。 人を見下した奴多すぎ。 西洋史スレのような許容性ゼロ。 さりげなく訂正するとかそういうのじゃないよね。 ストレスの発散の場と化しているんじゃないか?
結論としてはやな院生Bがこのスレをつぶしたと
348 :
世界@名無史さん :03/05/01 00:08
西洋史の人間が人間性が優れているとはいえないと思うがw
院生Bにいじめられた奴必死だな。
350 :
世界@名無史さん :03/05/01 03:12
>>300 に補足。
オイラトの最末期の状況を内部から伝えた資料としてザヤ=パンディタ伝がある。
ザヤ=パンディタは、17世紀初頭にオイラトが仏教に入信して以来、オイラト族の
ゲルク派教団の中心・最高権威として育成された名跡。
乾隆の征服によりザヤ=パンディタの僧院組織が壊滅するまでが描かれている。
原本はトド文字でしるされているが、最近モンゴルからキリル文字版、中国から漢訳も出
たから、卒論ていどなら、こっちを利用するのも可。
あと、17-18世紀に存命していたチベット人の坊さんの伝記には、オイラト貴族の本人や
使者が巡礼してきたり布施をしてきたり、という細々とした記事が頻出するから、これら
を丹念にトレースして集成すると、この時期のオイラト貴族にどんなメンバーがおり、誰
がいつ頃まで活動していたか、おおまかな状況を把握することも可能。
いまのところ、ガルダンみたいな超著名人が個別にピックアップされて
いるだけで、網羅的な情報収集・情報整理にはまだ誰もとりくんでいな
いから、狙い目だよ。
>>350 じゃおまえが取り組めよ。
それテーマにやらないのは
もっとねらい目の題材もっているつーことだろ。
352 :
世界@名無史さん :03/05/01 03:49
>>351 院生Bの降臨だ。
おまえは周りの人間をスポイルするだけに思えるよ。
このスレはギャグですか?
354 :
世界@名無史さん :03/05/01 03:57
355 :
世界@名無史さん :03/05/01 04:08
356 :
世界@名無史さん :03/05/01 04:12
>>353 満洲語と、満洲語の使い手と、満洲語史料をつかった研究に深いトラウマが
ある99=院生Bの存在とその発言は、ギャグです。
>>357 せ、先輩・・・なぜここにっ!?
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
>>299 清代の満州・モンゴル・新疆・チベット等をメインとして研究したいなら、満洲語は必
須。
例えば、康煕・雍正・乾隆の三代にわたる清朝とオイラトの抗争に関する清朝側の基本
的史料として、平定朔漠方略・平定準〔口葛〕爾方略があり、それぞれ満洲語版と、そ
のモンゴル語訳・漢訳が存在するが、とくに漢訳は訳者たちが読み合わせをせず、テク
ニカルタームに統一した訳語が与えられない例がままある。オリジナルは満洲語版であ
るから、漢訳で意味不明箇所に出くわした場合、満洲語版の該当個所をみると文脈が明
瞭に理解できる場合が多い。
さらに、乾隆期までは、中央と現場のやりとりは基本的に満洲語が用いられていたから、
例えば上記2史料に収録されている奏摺の原本の圧倒的大多数は、満洲語のみしか残さ
れていない。
乾隆期の新疆征服をテーマとする場合、漢文史料は、根本史料の上澄み(あるいは絞り
カス)にしか過ぎない。
よって漢文史料だけで事足れりとする態度は、三、四十年前なら通用したけど、現在で
は不可。
現代の若者は、最先端の水準に追いつくことをめざすべき。
三、四十年前の水準を目標にしてどうする。
360 :
世界@名無史さん :03/05/02 14:35
満州族って朝鮮人と混血してるのですか? 居住地が近いような
361 :
世界@名無史さん :03/05/02 15:18
<満州帝国国歌・満語> 神光開宇宙 表裏山河壮皇猷 帝徳之隆 巍巍蕩蕩莫與儔 永受天祐兮 萬壽無疆薄海謳 仰賛天業兮 輝煌日月俟
362 :
世界@名無史さん :03/05/02 15:30
五族協和/王道楽士 満州国の建国理念。中国東北部(満州)に住む満州族・蒙古族・漢民族・朝鮮族と 日本民族が手をとり協調しあって、新しい理想の国を作ろうという考え
あ、さいで
364 :
世界@名無史さん :03/05/02 20:13
実社会では役に立たない知識を鼻にかけてる、やな院生のいるスレってここ?
365 :
世界@名無史さん :03/05/02 20:28
>>364 その通り。
院生Bの生誕の地が、ここです。
いっそトリップつけてコテハンにすりゃいいのに。 ヤシの能力を皆で鑑定しようじゃないか。
>>365-366 い、院生B先輩なんてもうこの世にいないんだ、いないはずなんだ!
だって追い出しコンパの帰りに、俺たち学部生の手で・・・
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
清朝の勢力圏は、大別して ・中国 ・モンゴル ・満州 ・新疆(東トルキスタン) ・チベット などに大別される。 漢文だけやってりゃいい、という態度は、学部の四年だけ趣味で史学科 専攻の雰囲気に浸りたい、という者か、「俺様は中国だけに興味がある、 清朝の勢力圏の中では、中国の部分のことだけを知りたい」という者の みに許されるのであり、清朝を綜合的に研究したい者、満州・モンゴル・ 新疆・チベット等をメインとして研究したい者には、満洲語は必須。
院生Bに捧げることば。 "院生B" ni uju-i dolode fajan canggi bimbi.
>>346 :世界@名無史さん :03/04/30 15:25
>東洋史スレは人間性ゼロの奴満載。
>人を見下した奴多すぎ。
>西洋史スレのような許容性ゼロ。
>さりげなく訂正するとかそういうのじゃないよね。
>ストレスの発散の場と化しているんじゃないか?
「満載」とか「多すぎ」などと言わないでほしい。
人を見下した、問題カキコをする院生モドキはただヒトリ。
東洋史関係者は、このヒトリをのぞき、初学者に対してきちんと応対するこ
と、西洋史関係者と同様。
たとえば、「大学・大学院の史学科総合スレッド」その1では、
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1014052704/l50 回答者の多くが東洋史関係で、ほとんどの者は学部生・高校生からの質問に丁
寧に応対していたが、ヒトリだけ、回答者の身元調べに躍起となり、他人の回
答に「空虚だ空虚だ」とケチをつけてスレの雰囲気を荒廃させようと必死に
なっているマヌケがいた。
とくに熱心にカキコをしていた中央アジア史関係者への噛み付き具合が、
このスレの
>>324 =院生B=
>>354-355 紹介スレの99
にソックリ。
したがって、東洋史でも、2ちゃんねるを「ストレスの発散の場」にしている
問題児はコイツただひとりといえよう。
結論としてはやな院生Bがこのスレをつぶしたと
まあ、そういうことになるな
院生Bは放置して清朝スレ再開。 絡んできても放置ということで。
漏れはむしろ
>>371-373 の自演問答が気になるw
まとめてひとつのれすにしてもおかしくないのに
なんでわざわざ・・・
あっそ
もう院生関連の話題は放置の方向で。
377 :
本物の309 :03/05/03 06:39
>>376 そもそも「院生B」は私が例に挙げた人であって、このスレの住人じゃないしw
中央アジア史の人と他スレの>99の人と、
どういう意味で同一人物とされているか理解に苦しむけど、
私が
>>309 で書いた院生B氏は口が悪くて清代専攻でもないけど、
結構いい人でしたよ。貧乏な後輩におごってくれたりしてw
つか、院生Bネタは放置してください。俺の書き方が不味かったですが、
実在の先輩を勝手に他のヴァカと同一視されてそいつの悪行をあげつらうのに
書かれてるのを見るのはちと辛いw
ちなみに
>>367 は俺ではないデス。ワラタけど。
>>377 すまんが、満洲語を「マイナー言語」と呼ぶようでは、
清代の研究者としては三流。
「厳しく指導」するからには、その相手は院への進学を目指す学部生
か、院生だろうが、「先輩」として行うべきは「速やかに満洲語を奏
摺読解レベルまでもっていけるよう尻を叩いてやること」であって、
「学部の間はカンブンやってりゃいい」というのは、それこそマジで
「スポイル」だよ。
>そもそも「院生B」は私が例に挙げた人であって、このスレ
> の住人じゃないしw
>>322 =
>>324 を見ればあきらかなように、三流院生が約一名このスレに
降臨していることは事実。
380 :
本物の309 :03/05/03 07:36
>>377 いや、だからね。俺が書いてる院生B氏って
漢文もろくに読めないで変なレジュメ作って喜んでる奴をいじめたのであって
漢文しかやるなって言っているわけじゃないのよw
「他言語やっても漢文もおろそかにするなよ」っていうスタンスで、
そいつが厳しくやられたのも、
「漢文読めませんけど、論文書き方わからないですけど、他言語使うし別にいいでしょ?」
つーナメた態度できてたから。
俺の書き方が悪かったけど、別にその言語って満州語ではないし、そいつの時代も清代じゃないの。
「はきちがえて漢文も読めない変な言語ヲタ」の例を挙げようとして書いたわけなんだが、
なんか
>>324 とかで変な奴が同調してしまったから、
そいつが嫌いな人と満州語にこだわる人と煽りとが、他スレの>99とかと勝手に同一視して、
その後の「他言語いらん説」の奴らが言ったことまで「院生B」として言われるのは
さすがにやだな、とw
べつに匿名掲示板だし、記号として「院生B」と使われてるのかなと思うけど、
なんか他の奴の落ち度を粘着に叩かれるのもアレだし。
まあ、ここまで話が流れてきちゃったら他言語肯定派と否定派の論争にネタ的に使われるのも
しゃあないかなって思わんでもないけど、
>>371 とか
>>373 みたいな言い方されるなら
放置してもらえるなら放置してもらいたいなあ、と思ったわけでw
つーことで、院生B先輩ごめんなさいw
381 :
本物の309 :03/05/03 07:45
>>379 だから、その人が院生だろうが三流だろうがかまわんが、
それを「俺の挙げた院生B」として取られるとやだなあって言っているのよw
その人を
>>322 なり、
>>324 として叩く分には、別にいいんだけどさ。
>>324 を叩くのに「院生Bは・・・」て言われると、
別人の悪業で俺の知っている先輩が叩かれているようでw
(
>>309 なんて書いた俺が一番悪いんだがw)
院生C氏が
>>324 が気に食わないなら気に食わないで(実際俺も気に食わんが)
「相手を
>>324 として」言及する分には、何も言うことはないよ。
382 :
世界@名無史さん :03/05/03 09:36
第二章 日本の「中国侵略」はなかった P80 >清王朝支配下の中国について、たとえば >岡田英弘教授のように、「清の植民地」とみる学者もいる。 >ではなぜ清王朝の中国支配が「植民地支配」とみなされるのだろうか。 >それは、征服国家が植民地に対して行う取り扱いと共通項があるからだ。 >たとえば、満州人は宦官にしない。漢族を絶対に宮女としない。 >漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。 >対外公文書は漢文を使わず、すべて満蒙文やラテン文。 >漢人の夷語(外国語)学習の禁止。夷人への漢語・漢文伝授も禁止。 >満州人と漢人の二重官僚制度、皇帝直属の最高権力者の軍機大臣に漢人を登用しない。 >天朝の国家軍隊が満蒙八旗軍、漢人は地方部隊の緑営。 >漢人はいかなる重臣といえども、清の皇帝に対し、 >「家奴」(家内奴隷)と自称……など。 >清の皇族も、亡国寸前まで「国家を外人(列強)に渡すとも、 >家奴(中国人)には渡さない」という主人意識を持っていた。 >だから、中国は清王朝の「植民地」というよりも、 >「家奴国家」であったろう。 ★★黄文雄『捏造された近現代史』徳間書店★★
383 :
世界@名無史さん :03/05/03 09:52
徳間書店(藁
384 :
世界@名無史さん :03/05/03 10:03
>>382 >漢人はいかなる重臣といえども、清の皇帝に対し、
>「家奴」(家内奴隷)と自称……など。
これって本当なのか?
385 :
世界@名無史さん :03/05/03 11:33
ま、文系の院生とか研究者のタマゴってのはキモイってことだw
386 :
世界@名無史さん :03/05/03 12:28
院生になれなかった
>>385 は無能だったわけだがなw
387 :
世界@名無史さん :03/05/03 13:53
そんな閉鎖的な世界に逝くつもりなどない人間の方が大半だがw
あいつがどうのと、くだらねー雑談。明末期の政治家はこんな感じだったん だろうな。(藁 おまえらなんぞ満洲以前に李自成の部下の部下の子供にあぼーんされてしま うが身分相応。
389 :
世界@名無史さん :03/05/03 17:11
>>388 そういうてめぇは軍略抜きの呉三桂だろうが。
>>390 蒙古八旗それも下五旗にすら入りそこねた
中途半端なおまえはズンガル部にすっこんでろ。
392 :
世界@名無史さん :03/05/03 18:35
>>388 清好きで明嫌いな香具師っているのか?w
ちっとでも齧りゃあこれほどつながってる
二王朝もないってことくらいわかるだろうに。
脈絡不明でつね。自爆しまつた スマソ
>>393 藻前は誰だ?
何で漏れの名を騙って謝る?
395 :
自称「本物の309」とやらへ :03/05/03 23:21
>>380 お前の身近にいる出来の悪い「言語オタ」とやらは、清朝にも、清朝研究に
も、清朝史をめぐるオモシロ話にも、一切関係ないのだな。
ならば全くの ス レ 違 い ・ 荒 ら し だ。
このスレは
・清朝
・清朝研究
・清朝史についてのオモシロ話
を語るスレだ。
お前の身の周りにいる院生の人格なり研究態度なりが立派だとか
ダメダメだとかいうのは、現代日本の一隅に発生する卑小な事象であって、
清朝とは全く関係のない、お前だけの固有の問題だ。
もう黙れ。
過去を蒸し返すオマエは李朝の遣いか? 未来ある大清国民に入れないが賢明だな。
397 :
世界@名無史さん :03/05/04 00:09
>>368 しかし、当の清朝の皇族ですら満語など知らない者が多数になってしまったのが実態。
398 :
世界@名無史さん :03/05/04 00:14
俺には当の歪んだ清朝研究づらが誰だかわかるようなきがする。
399 :
世界@名無史さん :03/05/04 00:30
このスレには馬鹿とネタ師しかいないのか。
400 :
世界@名無史さん :03/05/04 00:35
院生C必死だなw
とりあえず
>>300 番代にカキコした香具師はみな失せろ。
命令だ。
402 :
世界@名無史さん :03/05/04 00:49
院 生 B 必 死 だ な w
403 :
世界@名無史さん :03/05/04 00:54
院 生 は キ モ イ
ここは嫌な院生と、基本的な知識もない連中の集まりですね。
405 :
世界@名無史さん :03/05/04 02:34
話を200番台に戻しますね。 298 :世界@名無史さん :03/03/28 01:08 清朝の官吏って満漢偶数でそれぞれいたんですよね? 軍隊の将官もそうだったんでしょうか? 軍隊には八旗と緑営がありまして、八旗は満・蒙・漢人がいました。 緑営は漢人だけの軍隊ですから、満人はいなかったと思います。 満漢偶数だったのは、中央の役所だけだったのではないでしょうか。
>基本的な知識もない連中の集まりですね。 舌の根も乾かずに、なんかすっごいガクンとさせる書き込みか も知れませんが、緑営の軍旗色は緑って事なのですか? 八旗兵のモノを伝える書物はいくつも目にするけど、緑営はよ うわからんのです。
407 :
世界@名無史さん :03/05/04 03:37
>>406 緑営の旗は緑です。
各省に駐屯していましたが、清末までには堕落して
使い物になりませんでした。
>>397 それは道光以降に進展した話。
>>299 のいう、「乾隆の新疆征服」をテーマにした場合には、漢文史料は根本
史料の絞りカスにしか過ぎない。
おお、即レスありがとうです。 やっぱ最後に頼りになるのは自治厨(自警団)ですか(笑
>>407 > 各省に駐屯していましたが、清末までには堕落して
> 使い物になりませんでした。
八旗ともども、堕落の開始はすでに康煕の時代からです。
八旗が、特権階級として首都で無為徒食してハングリー精神を失ない、
兵士として弱くなる、というのは、徳川幕府の「旗本八万騎」と同様。
そのため清朝は、ソロンとかシボなど、満州に居住するツングース系
(満洲人と近縁系統の諸族)を新たに旗人に組み込み、彼らを前線に
立たせることで、康煕・雍正・乾隆の外征を乗り切りました。
411 :
世界@名無史さん :03/05/04 03:52
おおっ、なんか詳しそうな人がいますね。 以前から気になっていたのですが、「漢軍八旗」と 「漢人八旗」の違いを教えてください。
>>407 すいませんが、「漢人八旗」のほうがわからない。
史料名か、著者・著作名を上げてください。
漢軍八旗のほうは、清朝勢力が山海関を南に超える以前、1642年に清
に降服した洪承疇麾下の旧明軍部隊に「旗人」身分を与えて編成され
て成立。
それからほんのちょっと後に降服した、呉三桂部隊は緑営に編成。
414 :
世界@名無史さん :03/05/04 04:10
>>412 以前どこかの本で、この記述を見たんですが。
書名は忘れましたが。
415 :
世界@名無史さん :03/05/04 04:36
私は411じゃありませんが、 うちの本棚にある本だと寺田隆信の『紫禁城史話』24pに 「漢人八旗」という言葉が載ってました。 ついでに漢人八旗をぐぐったら 「漢人八旗(緑営)」とか「治安警察は緑営ともいった漢人八旗」 なんて記述もあり。
416 :
世界@名無史さん :03/05/04 04:41
最初は、清朝軍に投降する漢人も組織的じゃないから、 そういうのを八旗の別働隊みたいにして細々と食い扶持を 与えてた。これが「漢人八旗」。 で、呉三桂とか半軍閥の、重機兵をともなった漢人がどかんと降伏したので、 マンシュウの八旗になぞらえて組織したのが「漢軍八旗」。 後世では区別されず、同一のものとみなされた。
寺田氏はいちおう東洋史の専門家のようですし、「漢軍八旗」の満洲名 は、もしかすると「漢人八旗」と訳すことが可能な呼称かもしれません から、「間違い」とは断言しないでおきますが、私自身は、史料にみえ る漢名の正式表記は「漢軍八旗」と理解しています。 >「漢人八旗(緑営)」とか「治安警察は緑営ともいった漢人八旗」 こちらは、無知な人による誤記・誤解・誤認であることを断言します。
418 :
世界@名無史さん :03/05/04 04:48
>>417 明側の史料なんかだと、「漢人八旗」って
出てくるから、寺田先生はそう書いてるのかな。
>>416 「漢軍八旗」が成立する以前の清朝所属の漢人部隊が「漢人八旗」
ということですな。
ただし、呉三旗はじめ三藩の漢人部隊は、「入関」後に清に臣従した
連中で、「漢軍八旗」には入っていないはず。
420 :
世界@名無史さん :03/05/04 04:50
「〜八旗」と「八旗〜」の違いは?
421 :
世界@名無史さん :03/05/04 04:52
>>419 ご指摘ありがとうございます。
ところで明代の文書史料が公刊されたそうですけど、
個人で買えますか?
ただし、漢人の旗人部隊は1636年に「二旗」からスタートして、「四旗」「八旗」とふやされて、1642年には「漢軍八旗」になったから、 「漢人八旗」であった時代は、ごく一瞬といえるかも。
423 :
世界@名無史さん :03/05/04 04:55
>>421 『明朝トウアン』のこと? 個人ではとてもとても。。。
>>420 そこだけとりだされてもわからない。
前後の文脈も含めて、用例をどうぞ。
>>421 あなたのお財布の重さによるのでは?
200万円くらいで、東方書店・内山書店・朋友書店の目録に販売案内
が掲載されるかも。
425 :
世界@名無史さん :03/05/04 04:58
421
>>423 やっぱり無理ですか〜
こまったなあ。
426 :
世界@名無史さん :03/05/04 05:01
>>423 ・424
都内でコピーできる場所ないですか?
「満洲八旗」は、満洲人で構成される八旗。 「蒙古八旗」は、八旗のいずれかに所属するモンゴル人で構成される八旗。 「漢軍八旗」は、八旗のいずれかに所属する漢人で構成される八旗。 「八旗〜」のほうは、用例をおながいします。
428 :
世界@名無史さん :03/05/04 05:07
モンゴル人って、現代のモンゴル国の人の先祖ですか?
429 :
世界@名無史さん :03/05/04 05:08
びっくりした。なんで深夜にこんなにレスついてんの??
>>424 「この満州八旗の他、1635年に蒙古八旗、1642年に漢人八旗も設立された」
間野英二(他)『地域からの世界史6 内陸アジア』
「またこの前後に、八旗制を八旗満洲・八旗蒙古・八旗漢軍の形態に整備して」
石橋崇雄『大清帝国』
のような違いです。
どちらかが間違いなのですか?
それともどちらとも言えるの?
漢人・漢軍の分け方に、こう記してあるHP。
ttp://www.biwa.ne.jp/~suna-f/word6.htm 抜粋
>八旗は満州族だけのものではない。領土が拡張するにつれ、
>蒙古(モンゴル)八旗、漢人八旗も作られた。
>特にモンゴル族はチンギス汗を生んだ部族であるから、一
>種憧れの存在として満州八旗と同等の扱いを受けている。
>漢人に関しては、漢人の職業軍人によって編成された部隊
>を漢軍八旗と呼んだ。
ここでもこれ以上詳しくは伝えてくれてませんが、
漢軍八旗は男子限定だろうけど、漢人八旗は老若男女問わず
だったのかな?
>>428 個人レベルの例外はべつとして、集団としては、「違う」といえます。
「蒙古八旗」所属のモンゴル人は、北京か、「駐防」で中国の地方都市に配置され、辛亥革命後は、そのまま「中国国民」になったと思います。
>>430 300番台では、「院生」が「集団」として評判をおとしたので、
ケンメイに挽回しているのです。
>>430 モーローとした頭のうろ覚えで回答したくないので、
いっぺんねて、なおかつ現物を確認してからお答えしますね。
自作自演も入っているみたいだが、これくらいので続いてほしいねw
435 :
世界@名無史さん :03/05/04 09:33
第二章 日本の「中国侵略」はなかった P80 >清王朝支配下の中国について、たとえば >岡田英弘教授のように、「清の植民地」とみる学者もいる。 >ではなぜ清王朝の中国支配が「植民地支配」とみなされるのだろうか。 >それは、征服国家が植民地に対して行う取り扱いと共通項があるからだ。 >たとえば、満州人は宦官にしない。漢族を絶対に宮女としない。 >漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。 >対外公文書は漢文を使わず、すべて満蒙文やラテン文。 >漢人の夷語(外国語)学習の禁止。夷人への漢語・漢文伝授も禁止。 >満州人と漢人の二重官僚制度、皇帝直属の最高権力者の軍機大臣に漢人を登用しない。 >天朝の国家軍隊が満蒙八旗軍、漢人は地方部隊の緑営。 >漢人はいかなる重臣といえども、清の皇帝に対し、 >「家奴」(家内奴隷)と自称……など。 >清の皇族も、亡国寸前まで「国家を外人(列強)に渡すとも、 >家奴(中国人)には渡さない」という主人意識を持っていた。 >だから、中国は清王朝の「植民地」というよりも、 >「家奴国家」であったろう。 ★★黄文雄『捏造された近現代史』徳間書店★★ ここでカキコしている誰よりも よほど影響力のある黄先生の主張には 反駁できまい。 大方が良くて高校教師どまりの院生なんぞ 所詮は知的遊民の吹き溜まり。 清朝は中国ではなかった事すら理解できない アフォの巣窟でもあるな。
436 :
動画直リン :03/05/04 10:20
徳間書店って、高卒のアニオタ向けの本しか出せない会社ですよね?
>>435 は過去レスの中身も理解できないアフォだということがよく分かるな。
>>368 あたりでも読み直せ。
中国は清朝の一部分、というのは、「黄先生」とやらが依拠している「岡
田教授」をはじめ、清朝史研究者にとっては常識。
それに、お前の脳も配線がずれまくっとるなぁ。
よくも「黄先生」の文面をそこまで誤変換できるもんだ。
まちがいだらけだ。
439 :
世界@名無史さん :03/05/04 13:36
>>435 >>だから、中国は清王朝の「植民地」というよりも、
>>「家奴国家」であったろう。
中国は清朝にとって「本土」にあたるよ。
このスレの過去ログに目を通したら
清朝の「一部分」という立場にも我慢できなくなって、
わざわざ突っ込みを入れたつもりなんだろうが、
君は満洲が「本土」とでも言いたいのか?
満洲のどっかに紫禁城が置かれて、そこから中国支配の為に官僚が出向したのか?
それに蒙古や新疆や西蔵には直轄支配は及ばなかったんだよ。
もっとよく勉強してからカキコするようにね(藁
岡田英弘教授や黄文雄以外にも専門書を読むように。
低脳ウヨ房に餌をあたえないでください。 世界史を青年の主張の類と勘違いしている かわいそうな奴らですから。
441 :
世界@名無史さん :03/05/04 16:41
氏と旗の関係 例えば、「エホナラ氏は何旗に属するのか」 こんな質問は成り立ちますか?
>>439 「清朝」にとっては「中国」は「本土」だろうが、
「ダイチン・グルン」にとっては「単なる属領の一つ」。
マンジュ・グルンの第二代ハン、ホンタイジは、モンゴル帝国最後の大
ハーン・リグデンの遺児エジェイから、伝国の璽の献上をうけ、1636
年、満洲・内モンゴル・漢人の直臣と、外モンゴルや朝鮮などの外臣使
節列席のもと、「大ハーン」位に即位、以後その地位は、
ダイチン・グルンの主マンジュシュリー・デルギ・アムバ・エジェン
と呼ばれるようになった。
歴代のマンジュシュリー・デルギ・アムバ・エジェンは、冬都北京、夏
都承徳を季節移動し、臣下のモンゴル人諸侯の謁見は承徳でおこなった。
モンゴル人諸侯は三等分され、三年に一回マンジュシュリー・デルギ・
アムバ・エジェンのもとに参勤交代し、承徳でデルギ・アムバ・エジェ
ン主催の大巻狩りに参加するのをみずからのほまれとしていたのだ。
結論・
ダイチン・グルンのマンジュシュリー・デルギ・アムバ・エジェンの本
拠は承徳。
マンジュシュリー・デルギ・アムバ・エジェンが「中国」を「本土」と
する「清朝」の「天子」になるのは、漢人とか、朝鮮・ベトナム・琉球
など漢字文化圏の使節に会うときだけ。
訂正 × 漢人とか ↓ ○ 漢人に対して君主として臨む場合とか
補足 × 承徳でデルギ・アムバ・エジェン主催の大巻狩りに ↓ ○ 承徳でデルギ・アムバ・エジェンが主催する大巻狩りと大宴会に タイトルはうろ覚えでいまだせないが、科研の研究成果として、この大巻狩り と大宴会に関する報告書が出版されているよ。
445 :
世界@名無史さん :03/05/04 18:49
>>442 >1636年、満洲・内モンゴル・漢人の直臣と、
外モンゴルや朝鮮などの外臣使節列席のもと、「大ハーン」位に即位
同時に清朝皇帝としての即位を果たしているし、
そのあたりがモンゴル帝国との違いだろう。
そして支配民族の中核となったのは蒙古人ではなく
満蒙漢の旗人たちだったのが肝心であって、
彼らは承徳でも瀋陽でもなく北京を本籍地としたまま
体制教学としての朱子学の採用や中国支配の都合から、
蒙古人とは隔絶した「中国人」としてのアイデンティティを獲得した。
彼らにとって支配者は部族長でも「大ハーン」でもなく「皇帝」となった。
当然、「二流中国人」の漢人よりも優越した権利やそれと裏腹の身分的束縛を受けた
「一流中国人」としての存在を法的に保証されていた。
中央機構の中核を占める「内閣大学士」や「軍機大臣」は、
蒙古人が排除された旗人や漢人の独占ポストでもある。
そして雍正帝の改革で八旗も部族集合体から戸籍管理の官僚機構へと移行。
満洲語の称号としても「エジェン」「ハーン」から
中国語での「皇帝」の音読み「ファンティ」が用いられるようになったのでは、
と理解していたが。
蒙古人や新疆のオアシス民にとっては
清朝皇帝は「大ハーン」であったろうが、
結局、蒙古人は満漢を核心とした支配機構の周辺部にいたのでは。
当然、漢人は旗人との勢力関係上、従属的地位には置かれていたが。
専門家に傲慢な物言いしてしまって須万曽。
>>445 ロシア帝国のツアーリがハーンを兼任しているからといって
シベリアだの中央アジアを本籍地にしていないがね。
どちらかと言えば植民地説の方が正しいわけか。
清がネットワーク的帝国っていうのは、元は誰が言い出したんだっけ?
449 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:17
あげておく
450 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:45
451 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:56
>>450 ぱっとみた感じ、間違いもいくつかありますが便利ですね。
>>445 いえいえ、「院生B=
>>324 」の傲慢な駄ボラはともかく、まっとうなご意見
は大歓迎ですよ。
さて、以下は、清朝体制の瓦解がはじまる十九世紀半ば以前の話だが、
旗人の官僚・軍人は、中国のみならず満州・モンゴル・東トルキスタン・チ
ベットなど、清朝の勢力圏の全域に赴任。
漢人の科挙官僚は中国のみに赴任。
非旗人の漢人は中国の統治にしか預かれず、したがって、清朝の支配機構の中
核にいたとはいえない。
北京が、中国としては極めて極端に北隅に偏っていることにも注意。 >結局、蒙古人は満漢を核心とした支配機構の周辺部にいたのでは。 あたなが「中国」に視点をおいていれば、そう見えるでしょうね。 しかし、清朝体制は、中国に対しては「中央集権体制」であるのを除き、その 他の各地に対しては「封建制」ですよ。 モンゴル人諸侯は、世襲で、チュールガン、ホショー、ソムの統治者の地位の 継承を認められ、その領域内における「支配機構」そのものを担っていた。 六部管轄地域でさえも、非漢人地域では、土着領主が兵部・戸部を介し、州県 もしくは軍の位階と官職をさずかり、所領の世襲統治を行う「土司・土官」制 が敷かれていました。それらの領主たちも、とうぜん、自分たちの領地の内部 では「支配機構の中核」を担っていた。 中国に対する統治機構と、これら諸侯のそれぞれが担う「支配機構」群の総体 が「清朝の支配機構」であり、漢人科挙官僚はその大部分にタッチできないの であるから、彼らが「清朝の支配機構の中核にいた」とは、とうていいえない。
訂正 × 兵部・戸部 ○ 兵部・吏部
あたなも訂正しておけw
456 :
世界@名無史さん :03/05/05 08:52
院生Zは、いいカキコをしているが、 裏に回ると電波装って煽りいれているな(w 院生Bネタは半分コイツが煽っている(w 半角イコールと、句読点入れる長さには気をつけろよ。 お前がいいネタふっている間は手出しはしないが、 自分の話以外のネタにスレが動き始めると煽る癖は直しておけ。
このスレはまじめな奴と荒らしがいるわけではない。 多少文章はおかしいが、まじめに書き込んでいる奴が、 自説を突っ込まれたり、自分のレスを無視されたりすると 荒らしに変貌するのだ、と言ってみるテスト。
院生レベルってこの程度? このスレには本物の院生はいそうにないなあ。
>>435 から続く
>孫文ら最初の革命派政治結社・興中会の政治綱領は、
>「韃靼(タタール)を駆逐し、中華を回復す」というもので、
>満州人を追い出して植民地からの解放を目指していた。
>したがって、中華民国は清帝国の崩壊による「植民地からの独立」だという見方もできる。
>それならば、中華民国政府が樹立した当時、清の属国だった朝鮮、越南、化外の地・台湾は、
>すでに清帝国の領土範囲ではなくなっているはずなのに、
>なぜ中華民国政府は清が征服(侵略)した諸民族の独立を許さなかったのか。
>中華人民共和国の新政府もまた同じく革命によって中華民国を打倒し、
>外島へ追いつめ、それまた清帝国のすべての遺産相続を主張した。
>しかしそれは、インドが大英帝国からの独立後、
>パキスタン、バングラディッシュ、ビルマの独立を許さず、
>かつての英連邦のカナダ、オーストラリア、南アフリカまで
>インドの「神聖なる不可分な固有領土の一部」と主張するようなものだ。
>これほど無茶な論理はないのだが、中華民国、中華人民共和国は強引にアジアの侵略を
>正当化し続けたのである。
>そして多くの日本人政治家と中国専門家もこれに同調している。
>>438 >>435 では中国が清朝の植民地どころか、奴隷に過ぎなかった史実について
黄先生がオリジナルの根拠を挙げているのである。
岡田氏の主張はともかく、黄先生のそれの誤変換ではないのだ。
そしてこの根拠に反論の余地があるなら付けてみるが良い。
だがこれからの対中世論をリードするのは黄先生とその啓蒙、知遇を受けた人たちであって、
もし歴史の創出に関与したければ今からでも遅くはないから転向することだな。
>>445 満州人は漢人ではないのであって、
だからこそ中国人ではない。
そんなことも分からないのか?
>>446 ロシア帝国にとってはロシアは「本国」だろうが、
大清帝国にとっては中国は「本国」ではなく奴隷なのだ。
満州で建国されたのをみても理解できるだろう。
462 :
動画直リン :03/05/05 14:20
463 :
世界@名無史さん :03/05/05 14:45
院生B降臨age!
464 :
世界@名無史さん :03/05/05 19:08
465 :
世界@名無史さん :03/05/05 19:11
>>461 お前のカキコは、「黄先生」の文面をデンパ受信して脳内変換した間違った記述。
「黄先生」の主張を振りかざすのは結構だから、お前が脳内変換した
マチガイ文書ではなく、「黄先生の文面そのもの」をコピペせよ。
お前のデムパなオツムが歪曲したマチガイ文章など、誰も読みたくない。
>>467 見ていないこと丸分かり。
全然別人なのに
469 :
世界@名無史さん :03/05/05 21:15
この板は言語の話題に粘着する奴が1人以上いるから しばらくその話題は避ける・・・とレスできる奴がいなくなるな。
>>451 そうなんだ。このホームページ見つけたときすごいと思ったけど。
間違いはどれですか?
>>471 うん、そうだね。
スレのテーマについてロクに語らず、回答者のあら探しばかり必死に書き込む粘着が
このスレにも住み着いちゃって、うざったくてかなわないよ。
こいつ↓と同一人物と思われ。
>たとえば、「大学・大学院の史学科総合スレッド」その1では、
>
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1014052704/l50 >回答者の多くが東洋史関係で、ほとんどの者は学部生・高校生からの質問に丁
>寧に応対していたが、ヒトリだけ、回答者の身元調べに躍起となり、他人の回
>答に「空虚だ空虚だ」とケチをつけてスレの雰囲気を荒廃させようと必死に
>なっているマヌケがいた。
>>465 おまえ必死だな(藁
ならばおまえが引用してみるがいい。
興味を持つ人は図書館なりで調べてクレイ。
黄先生はおまえの理解の範疇を遥かに超えた方なのだ。
厨房哀れむべし。
475 :
世界@名無史さん :03/05/06 13:09
>474 お前も黄文雄も 馬鹿だってことが よくよく分かった。
>>300 に補足。
オイラトの最末期の状況を内部から伝えた資料としてザヤ=パンディタ伝がある。
ザヤ=パンディタは、17世紀初頭にオイラトが仏教に入信して以来、オイラト族の
ゲルク派教団の中心・最高権威として育成された名跡。
乾隆の征服によりザヤ=パンディタの僧院組織が壊滅するまでが描かれている。
原本はトド文字でしるされているが、最近モンゴルからキリル文字版、中国から漢訳も出
たから、卒論ていどなら、こっちを利用するのも可。
あと、17-18世紀に存命していたチベット人の坊さんの伝記には、オイラト貴族の本人や
使者が巡礼してきたり布施をしてきたり、という細々とした記事が頻出するから、これら
を丹念にトレースして集成すると、この時期のオイラト貴族にどんなメンバーがおり、誰
がいつ頃まで活動していたか、おおまかな状況を把握することも可能。
いまのところ、ガルダンみたいな超著名人が個別にピックアップされて
いるだけで、網羅的な情報収集・情報整理にはまだ誰もとりくんでいな
いから、狙い目だよ。
>>299 清代の満州・モンゴル・新疆・チベット等をメインとして研究したいなら、満洲語は必
須。
例えば、康煕・雍正・乾隆の三代にわたる清朝とオイラトの抗争に関する清朝側の基本
的史料として、平定朔漠方略・平定準〔口葛〕爾方略があり、それぞれ満洲語版と、そ
のモンゴル語訳・漢訳が存在するが、とくに漢訳は訳者たちが読み合わせをせず、テク
ニカルタームに統一した訳語が与えられない例がままある。オリジナルは満洲語版であ
るから、漢訳で意味不明箇所に出くわした場合、満洲語版の該当個所をみると文脈が明
瞭に理解できる場合が多い。
さらに、乾隆期までは、中央と現場のやりとりは基本的に満洲語が用いられていたから、
例えば上記2史料に収録されている奏摺の原本の圧倒的大多数は、満洲語のみしか残さ
れていない。
乾隆期の新疆征服をテーマとする場合、漢文史料は、根本史料の上澄み(あるいは絞り
カス)にしか過ぎない。
よって漢文史料だけで事足れりとする態度は、三、四十年前なら通用したけど、現在で
は不可。
現代の若者は、最先端の水準に追いつくことをめざすべき。
三、四十年前の水準を目標にしてどうする。
478 :
世界@名無史さん :03/05/06 21:28
>>476 ザヤ・パンディタ伝よんでみたいので、原本、キリル訳、中文訳のそれぞれ
の書誌情報をもう少しくわしく教えてください。
>>476 じゃないけど、ザヤ=パンディタ伝の関係情報をお知らせします。
キリル文字版は
РАДНАБАДРА:Равжимба Заяабандидын
тууж сарын гэрэл хэмээх оршивой,
Улаанбаатар,1997.
中文訳は
成崇徳訳「[口自]雅班第達伝」(中国社会科学院中国辺疆史地研究中
心編『清代蒙古高僧伝訳輯』,1頁―86頁。全国図書館文献縮微複製
中心,1990年刊)
史料解題は
宮脇淳子「オイラットの高僧ザヤ=パンディタの伝記」(山口瑞鳳編『チ
ベットの仏教と社会』春秋社,1986年刊)
トド文字版原写本の情報については宮脇解題を参照。
1986年当時はまだ未出版。最新情報については自力でみつけてください。
481 :
世界@名無史さん :03/05/07 20:41
482 :
世界@名無史さん :03/05/08 18:17
483 :
動画直リン :03/05/08 18:20
484 :
世界@名無史さん :03/05/08 18:20
現在の人口は約33万人と発表されているが、その半分以上がカルムク人で、 彼等の宗教は伝統的にチベット仏教なのである。そう、カルムク人は人種的には モンゴル民族でその故郷は遠くジュンガルの地、すなわち彼等はオイラト・モンゴル人 なのである。 > で、疑問に思うんだけど、カルムィク共和国って殆ど カフカス諸国に隣接しているやん。 なんでこんなところにオイラートがいるの? ジンギスカン以降にオイラートってカフカス諸国まで進入できるほど 実力あったの?
オイラトは、1623年にモンゴルから独立を達成したあと、すぐ内戦に突入。 内紛の当事者は、チンギス弟のカサルの系譜を引くホショト部や、実力No.1の ジュンガル部など。 内紛に巻き込まれて勢力縮小するおそれに嫌気がさした傍系のトルグート部 が、ジュチ・ウルスの継承国家の一つがロシアに破れて、権力の空白が生じて いたカスピ海沿岸の草原に移住した、という次第。 カザフ草原のジュチ・ウルス系諸国や、マー・ワラー・アンナフルのチャガタ イ・ウルス系諸国は、独立以前モンゴルの大ハーンの血族を君主に押しつけら れていたオイラトの朝貢国であったという関係で、往来になんの妨げもなかった。
>>445 > 結局、蒙古人は満漢を核心とした支配機構の周辺部にいたのでは。
> 当然、漢人は旗人との勢力関係上、従属的地位には置かれていたが。
旗人が、清朝の支配機構の中核にいて、北京が旗人集団の第一の拠点であった、
かどうかと、
中国が「清朝の本土」であったかどうかとは、また別の問題だと思いますが。
デルギ・アムバ・エジェン=皇帝を擁する旗人たちの支配を受けている、とい
う点では、中国も、モンゴルも同等であったと思います。
非旗人のモンゴル人諸侯が中国の統治機構に役職をうることはなく、
中国の科挙官僚がモンゴル諸侯の管理機関にポストを得ることもなかった
ということで、清朝体制下では、十九世紀半ばまでは、モンゴルと中国は、ど
ちらかがどちらかを支配する、という関係ではなかった、といえると思います。
ローマ帝国は属州出身の官僚登用はあったし 政権の中枢に入れる奴でさえいたけど それを理由に本土がローマじゃないとか主張したら トンデモだよな。 登用にあたって垣根設けなかっただけで属州は属州だ。
>>482 、
>>485 信用できるっつうか、常識・・・か?
>>482 、
>>484 トルグート部の移住については宮脇淳子という人の本が詳しいよ。
ロシアのピョートル大帝がオスマン帝国&クリミア・ハン国と戦う時
カルムィク(トルグート部)のハーンに贈り物をして味方につけたこともある。
清とあんまり関係ないのでsage
489 :
世界@名無史さん :03/05/10 05:54
満族と漢族の結婚は禁止されていたそうですが、混血は無かったのですか?
490 :
世界@名無史さん :03/05/10 10:05
つくづく趣味だけでやっている人間が多い時代だよな。 専門家もヲタ化してやってるだけだし、その下は言わずもがな。 明清研究が宋代くらいまでの体裁を整えるまで やっぱ100年くらい掛かるのかな。 そこが楽しい未開分野なんだけどねw
491 :
院生Bさんへ :03/05/10 11:45
>>490 =
>>324 =
>>309 = 院生B
> つくづく趣味だけでやっている人間が多い時代だよな。
> 専門家もヲタ化してやってるだけだし、その下は言わずもがな。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・) < 宋代史モナー。
( ) \_______
| | |
(__)_)
> 明清研究が宋代くらいまでの体裁を整えるまで
> やっぱ100年くらい掛かるのかな。
清代研究については、博士課程にいる「先輩院生」が、「史学科の学
部生」に対してさえ、学部のうちは漢文やってるだけで充分などと
「指導」しているようでは、早晩、「自国史」としてとりくんでいる
中国でのレベルに追いつき、おいこされるな。
このスレの時代が、君自身の研究分野でないとしても、「東洋史学徒
の先達」として、後輩を「スポイル」する誤った指導を行ってきた罪
は重いぞ。
君は、こんなところでウップン晴らししてないで、オノレの不明を
ヒタスラ恥じるべし。
492 :
世界@名無史さん :03/05/10 11:48
院生Bって粘着ファンがいて楽しいなw
>>492 君みたいに、ルサンチマンをどろどろ垂れ流すカキコも、別の意味でスレを盛り上げるからね。
嫌な人は嫌うけど。
>>492-493 アンチ院生Bの人は自作自演レスを控えると好感が持てる。
いくらなんでもsage進行で二分で即レスはやり杉。
496 :
世界@名無史さん :03/05/10 13:31
やっぱり文系の院生になるようなヤツはキモいな。
497 :
世界@名無史さん :03/05/10 13:33
ま、非実用的な学問でせいぜいガンバレw
>>495-497 =
>>324 =
>>309 > 自作自演レスを控えると好感が持てる。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・) < ジサクジエーン 必死ダナ
( ) \_______
| | |
(__)_)
499 :
世界@名無史さん :03/05/10 19:36
なんか一般人が書き込みにくい雰囲気になってるな。 清朝に詳しい人が多そうだから質問するが、府・州・県の関係ってどうなってたの?
501 :
世界@名無史さん :03/05/10 21:41
やっぱり、ここの連中はまともに歴史を語る気持ちはないのか?
あるわけないじゃん。 電波院生とその粘着アンチ、双方自作自演。 普通に書き込んでる香具師も少なからず電波入ってる奴が多くて ちっとでも突っ込まれると急に自作自演で荒らしにかかる。(過去レス見てみ) そもそもがまともにカキコできる香具師がいる唯一のカテゴリの清初が 荒れの大モトになる他言語問題と重なるから書き込んじゃあ荒れ、の繰り返しw
おまいら、いつなんどきも学ぶ姿勢を忘れるな。 このスレは終了汁。
>>503 お前のような馬鹿がこのスレを頃したんだろうが!!
T/O
508 :
世界@名無史さん :03/05/11 08:20
この際、院生ネタや言語ネタは一切なしにしようや。 一般人で清代に興味のある人間には、大学院の話なんてどうでもいい。 内輪ネタより清朝の歴史そのものについて語ってほしい。
509 :
bloom :03/05/11 08:20
>>508 =
>>309 =
>>324 > この際、院生ネタや言語ネタは一切なしにしようや。
「ボクは止めます」といえば、それで止むよ。
>内輪ネタより清朝の歴史そのものについて語ってほしい。
やっと悔い改めたか(ワラ
君が、投稿者を云々して煽るのを止めるだけで、随分改善されるよ。
漏れも、君みたいな「大学院生」の生態についてはどうでもいいが、
「清朝史研究」の話題については、ききたいね。
>>510 の妄想キチガイぶりには呆れたな。
悪いが俺は院生でも学生でもない。まして東洋史なんて専攻したこともない。
何を勝手に妄想してるんだかw
512 :
世界@名無史さん :03/05/11 12:31
いってみるというと、清朝だのなんだのとわけのわからぬ妄想を書き連ねる 馬鹿は全員人生の敗北者だということだ。 実直に働け。
513 :
世界@名無史さん :03/05/11 12:40
もう働いてますが、何か?
514 :
世界を知りたい :03/05/11 12:40
突然こんなことを聞いてすみませ。世界で初めて鉄を使った国を知っていたら教えてください。
516 :
世界@名無史さん :03/05/12 00:07
なんかさ、院生Bに私怨のあるヤツが一人でスレの雰囲気悪くしてないか? 多分、ここ見てる人間のほとんどは院生ネタにウンザリしてるはずなのに、 面白がって引きずってるヤツがいるよな。 結局、ここはネタスレなのか?
>>516 そしてその院生Bというのが、ここに書き込んでいる人間ではなくて
もともと
>>309 のたとえ話に出てきた登場人物である罠(笑)
>>324 必死だな。もういいから、清朝について語れや。
>>435 >>漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。
>>対外公文書は漢文を使わず、すべて満蒙文やラテン文。
>>漢人の夷語(外国語)学習の禁止。夷人への漢語・漢文伝授も禁止。
>>満州人と漢人の二重官僚制度、皇帝直属の最高権力者の軍機大臣に漢人を登用しない。
>>天朝の国家軍隊が満蒙八旗軍、漢人は地方部隊の緑営。
>>漢人はいかなる重臣といえども、清の皇帝に対し、
>>「家奴」(家内奴隷)と自称……など。
>>清の皇族も、亡国寸前まで「国家を外人(列強)に渡すとも、
>>家奴(中国人)には渡さない」という主人意識を持っていた。
>>だから、中国は清王朝の「植民地」というよりも、
>>「家奴国家」であったろう。
なんか突っ込みどころ満載だぞ。
院生レベルでは対処できないのかよ。
学術板の名が泣くぜ。
>>419 言語ネタは禁止というローカルルールが制定されたから、そいつにはレスしないのさ。
現在の人口は約33万人と発表されているが、その半分以上がカルムク人で、 彼等の宗教は伝統的にチベット仏教なのである。そう、カルムク人は人種的には モンゴル民族でその故郷は遠くジュンガルの地、すなわち彼等はオイラト・モンゴル人 なのである。 > で、疑問に思うんだけど、カルムィク共和国って殆ど カフカス諸国に隣接しているやん。 なんでこんなところにオイラートがいるの? ジンギスカン以降にオイラートってカフカス諸国まで進入できるほど 実力あったの?
オイラトは、1623年にモンゴルから独立を達成したあと、すぐ内戦に突入。 内紛の当事者は、チンギス弟のカサルの系譜を引くホショト部や、実力No.1の ジュンガル部など。 内紛に巻き込まれて勢力縮小するおそれに嫌気がさした傍系のトルグート部 が、ジュチ・ウルスの継承国家の一つがロシアに破れて、権力の空白が生じて いたカスピ海沿岸の草原に移住した、という次第。 カザフ草原のジュチ・ウルス系諸国や、マー・ワラー・アンナフルのチャガタ イ・ウルス系諸国は、独立以前モンゴルの大ハーンの血族を君主に押しつけら れていたオイラトの朝貢国であったという関係で、往来になんの妨げもなかった。
>>445 > 結局、蒙古人は満漢を核心とした支配機構の周辺部にいたのでは。
> 当然、漢人は旗人との勢力関係上、従属的地位には置かれていたが。
旗人が、清朝の支配機構の中核にいて、北京が旗人集団の第一の拠点であった、
かどうかと、
中国が「清朝の本土」であったかどうかとは、また別の問題だと思いますが。
デルギ・アムバ・エジェン=皇帝を擁する旗人たちの支配を受けている、とい
う点では、中国も、モンゴルも同等であったと思います。
非旗人のモンゴル人諸侯が中国の統治機構に役職をうることはなく、
中国の科挙官僚がモンゴル諸侯の管理機関にポストを得ることもなかった
ということで、清朝体制下では、十九世紀半ばまでは、モンゴルと中国は、ど
ちらかがどちらかを支配する、という関係ではなかった、といえると思います。
>>482 、
>>522 信用できるっつうか、常識・・・か?
>>482 、
>>522 トルグート部の移住については宮脇淳子という人の本が詳しいよ。
ロシアのピョートル大帝がオスマン帝国&クリミア・ハン国と戦う時
カルムィク(トルグート部)のハーンに贈り物をして味方につけたこともある。
清とあんまり関係ないのでsage
清の宦官って何人が多かったの?
>>525 このスレは清朝全般に詳しい人も、
親切な人もあまりいないから、
一行レスで聞いてもスルーされることが多いよ。
過去レスで荒れているようなネタには即レスで
飛びつく連中はいっぱいいるんだろうけど。
>>525 むろん漢人。
「中国の君主」としての「天子」に奉仕する職掌、という位置づけだから。
>>526 文句があるなら、煽ってないで、回答してあげなさいよ。
528 :
世界@名無史さん :03/05/19 00:00
満州人の容貌ってどんな感じですか やっぱりジョン・ローン系ですか
529 :
世界@名無史さん :03/05/19 00:02
どうでもいけど、みんな清朝の話する時は慎重にね。
>>529 (シーン。)
・・・超ツマンネーYO!!
531 :
世界@名無史さん :03/05/19 15:34
>>529 ( ´Д)ヒソ(´Д`)ヒソ(Д` )
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
533 :
世界@名無史さん :03/05/24 00:34
八旗、各旗の読み方を教えて下さいな。 上三旗 (ジョウサンキ?) :オウ :ジョウ・オウ :ビャク 下五旗 (ゲゴキ?) :コウ :ジョウ・コウ :ジョウ・ビャク :ラン :ジョウ・ラン これで良いの? 本だけで、正しい読み方が判りません。授業・学会等ではどう呼ぶのでしょうか? あと、これらの満洲読みも御存知の方いましたら御教授下さい。
534 :
世界@名無史さん :03/05/24 14:21
うちの講義(明清史)での呼び方。 じょうさんき(せいおうき・じょうおうき・せいはくき) げごき(じょうはくき・せいこうき・じょうこうき・せいらんき・じょうらんき) 学会で「かごき」と読んでる人もいましたから、読み癖もあるのでしょう。
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
536 :
世界@名無史さん :03/06/03 21:59
このあいだ行った学会では、「かごき」と発音してた。 >>下五旗
537 :
世界@名無史さん :03/06/03 22:57
清朝とロシアの貿易は主にどのようなルートで行われていたのでしょうか。 ご存知の方がいたら教えてください。 当方中国語は門外なので日本語で読める関連文献を教えていただければ幸いです。
538 :
世界@名無史さん :03/06/08 18:10
>537 シベリア鉄道がもうあった。
>>537 十七世紀と、十八世紀と、十九世紀と、二十世紀で全然ちがう。
541 :
世界@名無史さん :03/06/09 00:31
おい院生Bがきているぞ(w
542 :
世界@名無史さん :03/06/09 00:32
537 朝貢形式しか認めていなかった
543 :
世界@名無史さん :03/06/09 00:35
544 :
世界@名無史さん :03/06/15 21:23
545 :
世界@名無史さん :03/06/16 01:03
チーン。
546 :
世界@名無史さん :03/06/16 19:19
バカチンが。
やすらかに眠れ。
>>64 禿同
話変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
549 :
世界@名無史さん :03/06/23 17:33
岸本美緒の概説書ってたくさん出てますよね? どれか一冊に限るとしたら、オススメはどれでしょうか?
550 :
世界@名無史さん :03/06/23 18:32
沿海州返してくれ
551 :
世界@名無史さん :03/06/24 15:58
>>542 朝貢という建て前で公認の隊商が蒙古との国境から入った。
552 :
世界@名無史さん :03/06/24 17:29
新潮から清朝の本を出すのは慎重に行った。
553 :
世界@名無史さん :03/06/24 17:31
清を「しん」と読むせいで「清教徒」を「しんきょうと」と読んでしまう漏れ まあそれでも概ね意味がちがわないのがこわいよね
愛新覚羅溥儀てー人から奨学金貰って、勉強した何処へ返せばいいので しようか。
清を「しん」と読むのはいったいどこの音なのだろう? 漢音では「セイ」 呉音では「ショウ」 北京音では「チン」 はて、「シン」はどこの音?
557 :
世界@名無史さん :03/06/27 19:05
age
禅寺の生活規範を「清規」と言いますが「シンギ」と読ませています。この例の ように鎌倉時代以降に主として禅宗関係者により齎らされたのが唐音です。 ただしこれを「中世唐音」と呼び、黄檗宗や長崎の唐通事の使う「近世唐音」と 区別する学者もいます。
ということは、日本に来る商人や禅僧は江南人が多かったということかな?
禅の伝来は南宋の頃ってことも関係あるんじゃない。 栄西も道元も渡った先は江南でしょ確か。
561 :
世界@名無史さん :03/06/27 21:56
清軍の銃火器装備率について教えてください。
563 :
世界@名無史さん :03/06/29 15:05
火器の装備はしてるだろう。 アヘン戦争では、明代からの大砲も使っていた。
564 :
世界@名無史さん :03/06/29 21:32
>>562 そんなんでどうやって世界最大の火砲装備数を誇ってた明を征服できたのだろう?
565 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/29 21:36
>>559 南宋に留学で行った僧侶は禅僧以外でも多かったですが、金に行った
という話は聞きませんね。明末清初に来日した明人たちも江南からの
人々が多かったそうです。
今だ!満州ゲット!!
>>564 明から清が奪って、逆に利用したんじゃないの?
568 :
世界@名無史さん :03/07/02 10:52
火器については明代史の若手がいい論文書いてるよ。
569 :
世界@名無史さん :03/07/02 13:23
570 :
世界@名無史さん :03/07/02 21:27
>>562 だが、メール欄どおりになったな。
このスレは一言居士が多いから多少挑発的に話題を振るのがコツかも。
571 :
世界@名無史さん :03/07/04 18:31
同治帝
572 :
世界@名無史さん :03/07/06 23:25
ヌルハチ
573 :
世界@名無史さん :03/07/06 23:47
そういや、ビデオの整理をしていたら以前録画していた「初代皇帝ヌルハチ」を発見。 最終話を10分ほど間違えて(あるいは番組時間変更)録画し損ねていたのは残念だったけど、 今見ても結構楽しめた。 まぁ、字幕の誤字は(・∀・)キニシナイ!!と言うことで。
574 :
世界@名無史さん :03/07/07 22:48
突然ですが質問します 道光期の行政官桂超万の《宦遊紀略》は出版されているのでしょうか?
575 :
世界@名無史さん :03/07/11 00:10
>564 西暦1631年 李自成が叛亂を起す 西暦1643年 李自成が長安で即位し「大順」を建國 西暦1644年 大順軍が北京を包圍 毅宗(崇禎帝)が自殺して大明が滅亡 大順軍が北京を占領 萬里之長城を守っていた呉三桂がダイチン(大C)軍を招き入れる ダイチン(大C)が北京を占領 華南で安宗(i、由ッ)が大明を復興 西暦1645年 ダイチン(大C)が大順を滅ぼす ダイチン(大C)が大明を滅ぼす 唐王聿鍵が大明を復興 西暦1646年 大明で永明王(桂王)が即位 西暦1659年 永明王(桂王)がミャンマーに逃亡 西暦1662年 呉三桂が永明王を滅ぼし大明が完全に滅亡 以上の樣になつております。明末は叛亂で國家の體を成していません。
>>575 年表として間違ってはいないが、
表現としてはネタだな。
南明の諸政権について「大明を復興」とか書かれるとなあ。
>574 続修四庫全書に載録されてるかも
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
580 :
世界@名無史さん :03/07/30 19:47
朝鮮と後金の関係史ってテーマ、卒論としてどう?
583 :
世界@名無史さん :03/07/31 16:55
>>582 明実録・朝鮮王朝実録とか、満文ロウトウとかです。
584 :
世界@名無史さん :03/08/05 10:43
>>583 アイシン・グルンの朝鮮出兵はおもしろいかも。
>>574 「宦游紀略」(遊ではないので要注意)は「近代中国史料叢刊」中の一冊として
1972年9月に出版されています。入手は困難かも
>>577 「續修四庫全書」には収入されていないようです。
「古籍整理出版的宏偉工程-續修四庫全書」(上海古籍出版社刊)に載っている
全1800冊の総目録でざっと探してみましたが発見できませんでした。
「四庫全書」の續修は戦前に清国の日本に対する北清事変賠償金を原資として
我国で東方文化事業委員会を中心として企画され、民國側人士の協力を得て
進行しており、終戦時には収入すべき書籍の選択はほぼ完了していたようです。
そして「續修四庫全書総目提要」の油印本は京大の人文科学研究所に所蔵され、
そこには10070部が著録されています。
この「提要」は民國61年に台湾の商務印書館から出版されています。こちらは
4角号碼の引得が付いているので「宦游紀略」を検索してみましたが発見できませんでした。
586 :
世界@名無史さん :03/08/06 10:04
前から気になっていたけど、後金国とアイシン・グルンって一緒の 意味なのですか? マンジュ国とか呼ぶよね?
587 :
世界@名無史さん :03/08/07 00:19
マンジュ国→アイシン国(後金国)→大清(ダイチン国)
588 :
世界@名無史さん :03/08/10 04:17
清朝とチベットの関係に興味あるんですが、入門用の 概説書ってありますか?石浜先生の本は高度でちょっと理解できません。 すごい初心者でも分かる本があれば教えてください。
589 :
世界@名無史さん :03/08/10 06:48
愛親覚羅だったっけ?
590 :
世界@名無史さん :03/08/10 07:37
ラマ教というのが、いわば、遊牧民の仏教だから。 箸文化圏の大乗仏教。 強飯手づかみ文化圏の上座部仏教
592 :
世界@名無史さん :03/08/10 10:53
588
>>591 ああ、ありがとうございます!
早速図書館で探します。
594 :
世界@名無史さん :03/08/11 13:38
ヌルハチの弟がシュルハチとムルハチってほんとですか?
595 :
世界@名無史さん :03/08/11 14:03
>>587 >マンジュ国→アイシン国(後金国)→大清(ダイチン国)
必ずしも単純な時系列ではないと思う。
というのは、乾隆帝の時代になってから歴史上の「後金国」を
消して「満洲国」と書き換えている。
つまり「満洲国」という名称は後世になってから過去にさかのぼって
確立した可能性がある。
遼東時代に「後金国」と「満洲国」が並行して行われていた可能性を
否定するものではないが。
596 :
世界@名無史さん :03/08/11 17:47
>>595 『満文老トウ』の原典史料では何と書かれてたのでしたか?
史料も含めてこの時代よくわからぬ。
597 :
世界@名無史さん :03/08/11 18:28
>>594 シュルハチは何かで読んだことがあるヨ
ムルハチは知らん
598 :
世界@名無史さん :03/08/11 19:42
兄弟みんなハチなのか・・・
599 :
世界@名無史さん :03/08/11 19:51
>>597 ( ・∀・)つ〃∩ヘェー ヘェー ヘェー
600取っておくか。
601 :
世界@名無史さん :03/08/11 22:58
600ゲット。口で言うほど簡単じゃあない。 もう何千回と600ゲットに挑戦したことか。 もう何万回とF5キーで599逝きそうなスレが立っているかチェックしたことか。 すでに俺のキーボードの6と0のキーは磨り減って印字が消えている。 他の奴らが600をゲットしているのを見てくやしくて枕を濡らした夜。 よっしゃあ600ゲット!と思い書き込みボタンを押したら回線が重くて 600ゲットに失敗したあの暑い夏の日。 600を取るために光回線を導入した。 600を取るために指の力が上がるように特訓した。 600を取るために動体視力を上げる本を熟読した。 600が取れたならもう死んでもいい。 寝ても覚めても600ゲットの事しか思い浮かばない。 600ゲット。ああ好きさ。結婚したい。 今度こそ600ゲットできると信じてる。 さあ、書き込みボタンだ。600ゲット!!!!
>594 シュルガチでねーの?
603 :
世界@名無史さん :03/08/12 22:28
松浦さんの『ヌルハチ』によれば「シュルガチ」。
604 :
世界@名無史さん :03/08/14 12:37
チベットとかモンゴル自分も興味あるんだけど、固有名詞 ややこしすぎ。
605 :
世界@名無史さん :03/08/14 12:50
>>604 清代以降のモンゴル人はチベット語の名前をつけまくっているので、
チベット語を勉強すると、簡単になるよ。
例:朝青龍=ダムディンスレン→タムティンスン(馬頭観音の守護)
>>605 朝青龍はダグワドルジ。
チベット語のモンゴル語読みって訳がわかんない。
リンダン・ハーンの legs ldan なんて一体何通りの読み方があるのよ。
見たことのある転写をあげると lindan, lingdan, legden。
母音調和を破った転写もあったかな。
607 :
世界@名無史さん :03/08/14 13:26
604
>>605 漢文史料とか読んでるともう大混乱。
しかも同名っぽいの多すぎです。なんとかドルジとか
なんとかグレンとか なんとかドゥレンとか。
608 :
世界@名無史さん :03/08/14 13:33
ここで聞くのもスレ違いかもしれんが、 なんでモンゴル人はチベット仏教信奉したのかな? フビライが保護したから?
609 :
世界@名無史さん :03/08/14 17:28
岡田英弘先生の言う 皇帝=商社論というのは、清朝時代にも適用するの?
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
611 :
世界@名無史さん :03/08/15 23:03
612 :
世界@名無史さん :03/08/15 23:09
613 :
世界@名無史さん :03/08/15 23:19
>>612 くわしくたのんます。
パスパとかを招聘したんじゃなかったけ?
614 :
世界@名無史さん :03/08/16 01:54
615 :
世界@名無史さん :03/08/16 05:36
>>613 元朝時代のチベット仏教は、大カァンの王権儀礼を荘厳する単なる装飾。
漢人王朝における儒教儀礼のようなもの。
あるいは「皇族」が個人的に信仰し、寄進をいっぱいしたぐらい。
一般モンゴル人にチベット原産諸宗派の仏教信仰が普及しはじめる
のは、アルタンハーンが入信した十六世紀末以降。
616 :
世界@名無史さん :03/08/17 03:30
>>615 アルタンハーンが信仰したのは個人的理由ですか?
617 :
世界@名無史さん :03/08/17 04:51
四国の夏合宿行った人います?
620 :
世界@名無史さん :03/08/19 11:08
>>609 『皇帝たちの中国』
岡田 英弘 原書房 1998.11
皇帝は遠隔地商業の資金を貸し付けていたとある
621 :
世界@名無史さん :03/08/20 03:39
そういや岡田先生の本が出てたな。 買った人いる?
622 :
世界@名無史さん :03/08/20 14:22
なにか出てたっけ?
623 :
世界@名無史さん :03/08/20 15:48
岡田ひでひろはときどきヨタを言うからな。 サンケイ新聞のコラムに、「中国」という国名は日清戦争後に 日本に来た清国人留学生が作った、とヨタを書いた。 私が電話をかけて、明治4年の日清修好条規に「中国」という 国名が用いられているのはどうなんですか? と聞いたら 「ああ、あれは中華民国による改竄です」と宣った。 二重のヨタだ。
625 :
世界@名無史さん :03/08/20 20:23
>>623 >「中国」という国名は日清戦争後に日本に来た清国人留学生が作った、
> とヨタを書いた。
無知なアフォ、ハケーン!
梁啓超は、王朝や政権の変遷をこえた、通時的な固有名詞の国号として、
どんな呼称がいいかをあれこれ論じて、「ちょっと自大の気があるが、
「中国」としてはどうだろう」という論文を、1905年ごろに発表している
ぞ。
現中国領のうち、シナの部分とか、古代の黄河流域をさす「地域名称」とし
ての「中国」の用例は古くからあったし、国号として条約にもちいられたこ
とすらあった(ロシアと清が17世紀に締結したネルチンスク条約)が、「王
朝や政権の変遷を超えた通事的な国号」として「中国」を用いようというコ
ンセンサスが成立したのは、実に20世紀にはいってからである。
そんなコンセンサスの成立に貢献したのは「日本に来た中国留学生」、とり
わけ国にもどると逮捕・投獄される漢人共和主義者であった。すなわち「中
国という国名」を彼らが作ったという指摘はまったくの事実であり、岡田セ
ンセの発言は全くただしい。
627 :
世界@名無史さん :03/08/20 23:57
>>625 >「王朝や政権の変遷を超えた通事的な国号」として「中国」を用いようというコ
> ンセンサスが成立したのは、実に20世紀にはいってからである。
もうすこし物を調べてから言え。
1871年、日清修好条規を締結したとき、実は日本側は清国が用意した
条文をほとんどそのまま受け入れたのだが、それでも清国の用いた「中国」
という国号には文句を言った。
「中国係対己邦辺疆荒服而言約内両国相称明書国号為正」
つまり「中国」は中華思想の現れであるから正しく「大清国」を用いよ、と
文句をつけたのだ。これに対して清国側の委員の返答は:
「我中華之称中国自上古迄今由来以久即与各国立約亦僅止約首書写大清国字様
其条款内皆称中国従無写改国号之例」
つまり「「中国」は上古から現在まで「中華」を表す称号である。各国と条約を
結ぶに際しては前文にのみ「大清国」と書き、条文にはみな「中国」と書くのが
通例であり、(これ以外の)「国号」に改めた例はない」
と言っている。この返答の中に「「王朝や政権の変遷を超えた通時的な国号」として
「中国」を用いよう」という思想は全て入っているではないか。
しかもこれは修好条規を結んだ19世紀末末のことを言っているのではない。
阿片戦争以来、英国などと結んだ条約のことを振り返って言っているのだ。
20世紀になってから学者がひねくったり、留学生が発明したりする必要は
すこしもない。
>>627 もう少し調べてからものを言うべきなのはお前。
梁啓超が何者かもしらないな。お前は。話にならんな。
そういう「中国」の用法が、中国人の間で、「王朝や政権の変遷を超えた通時
的な国号」としてのコンセンサスをえるのは、辛亥革命以降。
まず20世紀初頭、共和主義革命運動家たちの間で「中国」、「中華」を国号に
しようという議論があり、ついで、彼らが政権をとることにより、ようやく定
着した。
1911年の反清蜂起により各地の実権を掌握した地方政権の自称をみれば、「中
国」「中華」が漢人たちの間で自国の呼称としてはまだ定着していなかったこ
とがわかる。
サンプル:成都に成立した地方政権の名称は「大漢蜀軍政府」。
ふーん、いずれにしても「中国」という言葉がかなり新しい言葉なのは 間違いないね。
630 :
世界@名無史さん :03/08/21 05:44
日本では奈良時代には間違いなく 畿内、近国、中国、遠国 を使っているからな。
631 :
世界@名無史さん :03/08/21 06:15
岡田英弘ってモンゴル史が専門、だよね?
633 :
世界@名無史さん :03/08/21 09:18
>>628 >そういう「中国」の用法が、中国人の間で、「王朝や政権の変遷を超えた通時
>的な国号」としてのコンセンサスをえるのは、辛亥革命以降。
と君が言っていること自体、「そういう「中国」の用法」が辛亥革命以前から
存在したことを前提にしているではないか。
岡田の言ったヨタは、「そういう「中国」の用法」、つまり「王朝や政権の
変遷を超えた通時的な国号」としての用法を、日清戦争以後の清国人留学生たち
が発明した、ということなのだ。
言って置くが、英国、フランスなどとの諸条約や、日清修好条規に用いられた
「中国」は「王朝や政権の変遷を超えた通時的な国号」だ。なぜならそれは
「王朝や政権の変遷を超えた通時的な国号」としての「チャイナ、シーヌ、
キタイ」などと条約の中で対応しているからだ。
>>629 あほか、議論無視して手前勝手な結論出すなよ。
「中国」の語は遅くとも経書成立の時代からある。
「中夏」になるとさらに古い。
仏典翻訳語の「支那」のほうがよほど新しいわ。
635 :
世界@名無史さん :03/08/22 05:44
>>632 627ですが単なる素人さんです。
出典は:
「日本外交文書」明治4年の巻「清国との条約談判経過報告の件」
浦和の埼玉県立図書館へ行くと開架で見られますよ。
636 :
世界@名無史さん :03/08/22 05:56
>>627 、
>>634-635 地域名称としての「中国」の用例が古くからあり、
国際条約で「国号として使用された」用例があることは、当方がすでに指摘済み。
岡田センセや当方が指摘しているのは、「王朝や政権の変遷を超えた国号」と
して、「中国」を採用するというコンセンサスは、日本に留学していた共和主
義運動家の間でまず成立し、彼らが辛亥革命により政権を取ることで、はじめ
て「成立」したのである。
ヨタヨタと思いこみをくり返すんでなく、梁啓超や民報の議論にきちんとコメ
ントしなさいよ。
話はそれからだ。
> この返答の中に「「王朝や政権の変遷を超えた通時的な国号」として
> 「中国」を用いよう」という思想は全て入っているではないか。
「この返答」が提出された当時、漢人の間に王朝や政権の変遷を超えた自国の
国号を「中国」としようというコンセンサスはまだ成立していない。
「大漢蜀軍政府」というアキラカなる事例はスルーかい?
「王朝や政権の変遷を超えた国号」として、「中国」を採用するという コンセンサスは、日本に留学していた共和主義運動家の間でまず成立 し、彼らが辛亥革命により政権を取ることで、はじめて全中国における 公式見解としての地位を獲得したのである。
639 :
世界@名無史さん :03/08/23 21:02
「中国」が「王朝や政権の変遷を超えた国号」であるなら 「王朝や政権の変遷を超え」ない通常使用のための国名、 つまり「漢」や「唐」や「清」と同様の意味での国号は何なのか? 中華民国と中華人民共和国は通常用の国名として「中国」を使用してるわけだが。
640 :
世界@名無史さん :03/08/23 21:23
>>639 梁啓超の議論は、「漢」「唐」「清」等は一家の呼称(王家の呼称)にす
ぎず、それらを貫く通時的な呼称を我々は保有していない、では、ど
んな呼称が相応しいだろうか、「中国」はどうだろう、というもので、
発表されたのは1905年。
641 :
世界@名無史さん :03/08/23 21:28
梁啓超の著作は「飲冰室文集」という。
642 :
世界@名無史さん :03/08/23 21:50
>>637 >「王朝や政権の変遷を超えた国号」として、「中国」を採用するというコンセンサスは、
>日本に留学していた共和主義運動家の間でまず成立し、彼らが辛亥革命により政権を
>取ることで、はじめて「成立」したのである。
留学生たちが中国という国号を「創造」したのならいざしらず、
「王朝や政権の変遷を超えた国号」としての「中国」の実績が清初から清末まで
にわたってある以上、コンセンサスだの成立だの言っても無意味だ。
君の言っていることは、
「若干の論議はあったが、結局は伝統と実績のある国号「中国」が継承された」
ということに過ぎない。
例えば日本の明治維新のときも、この際人心を一新するために国号を由緒ある
「大和」にしよう、と言った論議はあっただろう。しかし結局は伝統と実績
のある「日本」が採用され、継承された。だからと言って「「日本」という
国号は維新の志士たちが作った」とは言わないだろう。それと同じことだ。
>「この返答」が提出された当時、漢人の間に王朝や政権の変遷を超えた自国の
>国号を「中国」としようというコンセンサスはまだ成立していない。
清末のことに「漢人」など持ち出すのがナンセンス。現に日清修好条規を主導した
李鴻章は漢人ではないか。
>「大漢蜀軍政府」というアキラカなる事例はスルーかい?
中央政府の間で「中国」が継承されているときに、一地方政府が何と称したか
は問題ではあるまい。
言ってみれば榎本武揚が建てた政府が「蝦夷共和国」と称したようなものだ。
643 :
世界@名無史さん :03/08/24 06:10
> 君の言っていることは、・・・ということに過ぎない。 それは「結果論」。 宮崎滔天による孫文伝「三十三年之夢」に孫文がよせた序文には、「支那」も 使用されている。20世紀初頭の段階で、留日亡命漢人共和主義者の中の強力な 論客が、もし「支那」派についていたら、新共和国の国号として「支那」が国 号として採用される可能性も充分にあった。 「漢」「唐○」「支那」云々にも「王朝や政権の変遷を超えた」呼称としての 使用実績はあった。「中国」が、これらのライバルたちに勝利して、唯一の 「国号」としての地位を獲得したのは、留日亡命漢人共和主義者たちの選択に よる。 したがって、キミの岡田氏に対するヨタヨタ・レッテルは、まったく不当とな る。 > コンセンサスだの成立だの言っても無意味だ。 キミがいくら「無意味だ」と叫ぼうと、「中国」が採用され、確定・定着した のは20世紀、岡田氏の指摘どおり、亡命留日漢人共和主義者たちの議論に端を 発している。 > 言ってみれば榎本武揚が建てた政府が「蝦夷共和国」と称したようなものだ。 アホか。 榎本武揚は、薩長が支配する「日本」からの分離独立を目指してことさら「蝦 夷」をなのったのだぞ。これこそ「ナンセンス」な議論だな。 「大漢蜀軍政府」の事例は、むしろ、薩摩・長州・土佐その他の倒幕派諸藩 が、日本の国号として、それぞれ勝手に別々に独自の呼称を用いているよう な状況に比定すべきである。
ちなみに、三十三年之夢は、自由民権運動の活動家でもあった宮崎が、支援者 としての立場から孫文の活動をまとめたもので、武器弾薬を孫文に届けようとして失敗した1902年までの記事で叙述は終わっている。 この著作を通じ、漢人たちの間に、中国の改革手段として「清朝の打倒」とい う選択肢もありうること、そんな活動に十数年もとりくんでいる孫文なる革命 家が存在しているという認識を普及させることに役だった。
>武器弾薬を孫文に届けようとして テロリストじゃねーか。
646 :
世界@名無史さん :03/08/24 21:05
>>643 どうも議論が「国号」に偏り過ぎたので、原点に戻ろう。
原点とは岡田英弘が産経新聞に書いた説である。
そして議論はこの説がヨタかどうかである。
1998年12月24日づけ産経新聞「地球日本史」欄から引用する。
【引用はじめ】
日清戦争のあとで、日本に押し寄せた清国人留学生が学んだ日本語は、彼ら
が親しんでいた漢字の合間合間に見慣れないカタカナやひらがながはさまった
ものだったので、中国人にはとっつきやすかった。
しかし、その漢字の使い方は、中国の古典とは全く違い、ヨーロッパ的な
事物を表す、目新しい表現に満ちていた。清国人留学生たちが日本から持ち
帰った新知識、新技術は、こうした日本式の漢字の熟語を通して中国に伝え
られた。
647 :
世界@名無史さん :03/08/24 21:08
<続き> ところで漢文の古典では「中国」は中国という意味ではなかった。(中略) いまで言う中国に当たるのは「天下」で、のちに華北の都市化した地帯を 「中国」と呼ぶようになった。「中国」が中国の意味になったのは、清国人 留学生たちが日本語の「支那」を「中国」と訳してからのことだ。 「支那」は(中略)新井白石がイタリア語の「チーナ」を「支那」と訳した のがもとになって、「支那」は個々の王朝の名前とは別の国名として日本で 使われるようになった。 しかし、漢字は意味を表す文字で、音を表す文字ではないから、「支那」の ような音訳は、古典の漢字で養われた中国人の美的感覚にはなじまない。それ で、日本語直輸入の「支那」に代わって、「中国」が使われることになった わけだ。つまり、漢とか唐とかいう王朝や時代を超えた、中国という観念自体 も日本語起源だということになる。 【引用終わり】 わかったかね。岡田は上記の説で、辛亥革命以降のことにはまったく言及して いない。いわんや辛亥革命以降の国号「中国」の成立過程などは論じていない。 言っているのはただ日清戦争直後の一時期のことだけだ。
649 :
世界@名無史さん :03/08/24 21:10
そしてその時期の清国人留学生たちが、「中国」という言葉に対して、まったく 新たに「漢とか唐とかいう王朝や時代を超えた、中国という観念」を与えた、と 言っているのだ。 ネルチンスク条約から日清修好条規、そして日清講和条約に至る諸条約のなかの 通時的な国号「中国」は上記の岡田の言説とはまったく相容れない。 なぜなら「漢とか唐とかいう王朝や時代を超えた、中国という観念」が存在しな ければ、「中国」という「通時的な国号」もまた存在し得ないからだ。 岡田もそれを意識しているから、諸条約の中の「中国」についてはすっぽりと 抜かして、古代から一気に日清戦争後につないでしまっている。君のような玄人 あるいは岡田教信者はたちまち言葉を補って読むだろうが、素人である新聞読者 には書いてあることがすべてだ。だから読者は、「中国という意味の中国という 言葉は日清戦争後に留学生たちが作った」としか受け取らない。 これがヨタ、つまり目新しいことを言うための素人だましのインチキなのだ。
650 :
世界@名無史さん :03/08/26 14:39
私が引用した岡田英弘の文章は以前に入力したデータをそのまま使ったので、 かんじんな部分に(中略)があった。なにか隠していると思われるといやなので、 (中略)を埋めてこの部分を再掲する。(他に一部に脱字があったのも補った) 【引用はじめ】 ところで漢文の古典では「中国」は中国という意味ではなかった。「國」と いう漢字は「くに」ではなく、「城壁をめぐらした都市」が本来の意味で、 「中国」は中央の都市、すなわち「首都」の意味だった。いまで言う中国に 当たるのは「天下」で、のちに「天下」の一部の、華北の都市化した地帯を 「中国」と呼ぶようになった。「中国」が中国の意味になったのは、清国人 留学生たちが日本語の「支那」を「中国」と訳してからのことだ。 【引用おわり】 あらためて、古代から日清戦争後に一気につないでいるのがわかるだろう。 因みに「華北の都市化した地帯」というのは華北全体が都市化していると いう意味ではなく、「城壁をめぐらした都市」が比較的密度高く存在して いる地帯、という意味だろう。つまりいわゆる「中原」を指していると 思われる。
651 :
世界@名無史さん :03/08/28 22:47
岡田教信者は出てこなくなったな。
>>649 何を問題にしているのか分かりにくい文章だな。
岡田の書いていることは間違いではないが、ある点でミスリードしている
ということか?
>>652 ミスリード・曲解は
>>649 のほう。
>>651 アンチ岡田も結構だが、事実に基づいて語れ。
>なぜなら「漢とか唐とかいう王朝や時代を超えた、中国という観念」が存在
>しなければ、「中国」という「通時的な国号」もまた存在し得ないからだ。
>>642-650 長文カキコご苦労さんだが、1911年までの『「中国」という「通時的な国
号」』は、単なる「一つの用法」。
この国号が唯一の呼称として「採用」され、確定・定着したのは、1900年代-
1911年の間に亡命漢人共和主義者(ほとんどが留学生)がまず議論して採
用し、ついで、1911年以降、彼らが政権を獲得したことによる。
したがって、岡田説に対する
「これがヨタ、つまり目新しいことを言うための素人だましのインチキなのだ。」
というキミの批評は、まったく成り立たない。
654 :
世界@名無史さん :03/08/29 09:10
655 :
世界@名無史さん :03/08/29 14:22
>>652 >岡田の書いていることは間違いではないが、ある点でミスリードしている
>ということか?
私が「岡田の書いていることは間違いではないが」なんて言ったか?
私は「岡田の書いていることはウソだ」と言っているのだよ。
ウソの一。
「中国という意味の「中国」という言葉を用いたのは日清戦争後の清国人
留学生たちが最初である。」
日清戦争後の留学生たちが最初だ、というのなら日清戦争以前の諸条約に
用いられた国名「中国」は中国という意味ではない、と言わなくてはなら
ない。
ウソの二。
「「中国」は日本語の「支那」を翻訳したのだから日本語起源である。」
「支那」の翻訳だから日本語起源だと言うのならその前に英語起源とか
ラテン語起源とか言わなくてはならない。なぜなら「中国」は日清戦争
以前の諸条約のなかで「チャイナ」「シナ」などに対応して用いられて
いるからだ。
(もちろん何語起源でもなく、中国オリジナルだけどね。)
656 :
世界@名無史さん :03/08/29 14:35
>>653 そろそろテープもすりきれるんでないか?
岡田の文章をよく読め。「国号」の話なんかしていない。
「中国という通時的な観念、それを表す中国という言葉」
の話をしているのだ。
「通時的な国号・中国」はその観念の一つの現れに過ぎない。
いままでの議論のなかで私が国号に触れたのも、(日清戦争以前における)
中国という観念の存在を証明する証拠として触れたのだ。
よって君の議論はまったくピントはずれ。
657 :
世界@名無史さん :03/08/29 19:43
きみたちの投稿論文よむ査読委員は大変だろーな。
658 :
世界@名無史さん :03/08/30 13:45
中国の国号とは関係ないが、上の方に明らかな事実誤認があるので一言。 榎本武揚の箱館政権に正式国号は存在しない。 「蝦夷共和国」という名称は後世の人間の後付けで、榎本は共和国なんて言ってない。 しかも、建前上は天皇政権から離脱したわけではなく、旧幕臣団の自治を目指したのみ。 ゆくゆくは徳川一門の公子を主君に迎えるつもりであり、共和などではない。
>
>>653 > そろそろテープもすりきれるんでないか?
キミの「テープ」よりは耐久性あるよ。
キミのいう「岡田ヨタ」説はすっかり転覆している。
前近代においては「中国に対する通時的な観念」に対し、「固有名詞の呼称」
に関するコンセンサスは存在しなかった。「それを表す中国という言葉」は、
いくつもある別称の、「単なる一つ」にしかすぎなかった。
「中国に対する通時的な観念」に対する「唯一の呼称」として「中国」を選び、定着・普及させたのは、留学生もしくは亡命者として日本に滞在し、後
に帰国して政権を握った漢人共和主義者。
したがって、したがって、岡田説に対する
「これがヨタ、つまり目新しいことを言うための素人だましのインチキなのだ。」
というキミの批評は、まったく成り立たない。
>>659 自分が言っていることが、段々と変化していっていること、ちゃんと自覚できて
ます?
>>660 「変化」?
新しい「証拠モドキ」が提出されたら、別の反証を挙げるのは当然だと思い
ますけど。
したがって、したがって、岡田説に対する
「これがヨタ、つまり目新しいことを言うための素人だましのインチキなのだ。」
というキミの批評は、まったく成り立たない。
という結論は、一貫していて、「変化」などまったくしていません。
662 :
世界@名無史さん :03/08/31 16:14
>>659 >「それを表す中国という言葉」は、いくつもある別称の、「単なる一つ」
>にしかすぎなかった。
その通り、他にどんな別称があったかは別として、「中国という通時的な観念を
表す中国という言葉」は日清戦争以前に存在した。
君の言うことは正しい。
それに対して岡田は何と言っているか。
「「中国」が中国の意味になったのは、清国人留学生たちが日本語の「支那」を
「中国」と訳してからのことだ。」
すなわち、それ以前は「中国という通時的な観念を表す中国という言葉」は存在
しなかった、と言い切っているのだ。
これはある言葉が唯一であったか、とか優勢であったか、とか言う議論ではない。
有ったか無かったかの議論だ。
だから君の言うことが正しければ岡田の言うことは「ウソ」になるのだ。
>>662 ちょっと言い過ぎじゃないかなぁ。
>「「中国」が中国の意味になったのは、清国人留学生たちが日本語の「支那」を
>「中国」と訳してからのことだ。」
をもって
>すなわち、それ以前は「中国という通時的な観念を表す中国という言葉」は存在
>しなかった、と言い切っているのだ。
と言い切るのは不可能かと。
なぜかというと、「〜の意味になる」というのは、「もっぱらその意味で
通用する」ということであって、「それ以前に、その用法がひとつも存在
しなかった」という意味だとまではいえないから。
まあここらへんは常識の問題だね。
664 :
世界@名無史さん :03/09/01 05:23
>>663 それが「常識の問題」だというのは君がすでに予備知識を持っているからだ。
まったく予備知識を持たない読者がこの文章を読んだら私の言っている意味に
しか取らない。
考えて見たまえ。岡田が「読者の啓蒙」という真に良心的な意図で書いて
いるのならば、古典から一気に飛ばすのではなく「日清戦争以前の中国の用法」
について説明しなければならない。そうするとこの文章はたちまち面白く
なくなるばかりか、意味をなさなくなってしまうでないか。
岡田は目新しいことを言って読者の興味を引く、という目的のためには
「読者に過った認識を与えてもかまわない」という未必の故意を持って
この文章を書いたのだ。
現にその後1、2年の間に、二人の産経新聞記者が二度にわたって、
「岡田教授によれば中国という観念は日本語起源だということだ」と
いう形で、新聞紙上で引用した。その度に私が電話をかけ、日清修好条規
をファックスして注意すると彼等は非常に驚いた。彼等が完全にだまされて
いた証拠だ。
未必の故意の害毒は「新聞」という媒体によって増幅されたのだ。
665 :
世界@名無史さん :03/09/01 05:41
666 :
世界@名無史さん :03/09/01 10:02
>>663 >なぜかというと、「〜の意味になる」というのは、「もっぱらその意味で
>通用する」ということであって、「それ以前に、その用法がひとつも存在
>しなかった」という意味だとまではいえないから。
それは「意味になる」という表現が「意味である」というのと
「ある意味に変化する」というのと両方の意味を有することを
利用した詭弁だ。岡田が用いているのは後者の意味であることは
明らか。
したがって「中国」の意味が留学生たちによって第二の意味に変化した
のだからそれ以前は第一の意味だったということになり、したがって
第二の意味の「中国」は存在しなかった、ということになるのだ。
>>664-665 のように歪曲・曲解してはじめて岡田説を「ヨタ・素人だまし
のインチキ」と称しうることがよっくわかった。
>>664-665 くんがしきりに問題視し、くりかえし引用している
「「中国」が中国の意味になったのは、」
という一句を解析してみよう。
そもそも、前近代中国における世界理解は、中国の君主を「天命をうけた天
子」と称して「全人類の君主」とみなすものであり、主観的には全世界が中
国に属するするものであった。康煕時代のロシアをはじめ、19世紀の列強諸
国はそんな中国の脳内主観など受け入れるはずもないから、そのような国々
と締結した条約の文面には、ヨタヨタ君が得意げに振りかざす用例が出現す
る場合もあったが、清朝政権は、すくなくとも国内においては滅亡にいたる
まで「世界」の中心、「全人類の君主」という姿勢を保ち、「天朝」「天子」
の自称を使用しつづけた。
すなわち、この段階ではまだ「"中国"は中国の意味」になっていない。
政権を取る以前の、反政府秘密結社だった段階の共和主義革命の諸組織は、1660年の永 歴政権の崩壊を「支那亡国」と称したり(1906「支那亡国二百六十一年紀年会」)、 「中国の独立」を主張したり(雛容「革命軍」)、満洲人の中国からの追放(中華革命同 盟会誓詞)するなど、華北・華中・華南だけを国土とする漢人国家の樹立を志向するもの が多かった。 つまり、彼らが使用した「中国」は、「天朝」が列強との条約締結に使用 した「中国」とは、範囲も領域も相違する。 そして、上記に引用したサンプルからあきらかなように、彼らは自分たちが樹立を目指し ている漢人国家の呼称として、「中華」や「中国」とともに、それらと同義で「支那」も 使用している。 彼らが自称として使用した「支那」「支那人」は、日本に留学中に共和主義に目覚めた漢 人学生たちが、「天朝」「天子」の臣下などではない、という気概を込めて採用した呼称 である。 以上より、 「清国人留学生たちが日本語の「支那」を「中国」と訳してからのことだ。」 という岡田の指摘は、まったく正しい。
> すなわち、この段階ではまだ「"中国"は中国の意味」になっていない。 という一節中の「なっていない」とは、中国人のコンセンサスになっていない、という意味。 なにしろ、全世界は「天朝」に属し、自国に対して「世界諸国の中の一つにし かすぎない」という認識が存在しないのであるから、そのような一国としての 呼称について、共通認識など、存在しようもなかったのだ。
670 :
世界@名無史さん :03/09/01 21:23
>>667 君はせっかく私が引用した岡田の文章をさっぱり読んでいないようだ。
>華北・華中・華南だけを国土とする漢人国家の樹立を志向するものが多かった。
> つまり、彼らが使用した「中国」は、「天朝」が列強との条約締結に使用した
>「中国」とは、範囲も領域も相違する。
諸条約中の国名「中国」と、革命家たちが目指した「中国」とでは政体も領域
も違うから「中国の意味」が違う、と言いたいのだろうが、議論の原点である
引用文のなかで岡田は何と言っているか。
「漢とか唐とかいう王朝や時代を超えた、中国という観念」
と言っているではないか。
つまり王朝ごと、時代ごとに、政体や領域は変遷するが、なおかつそれを越えて
一貫する、あるいはそれらを包括する、「中国」という観念のことを論じている
のだ。
「中国という意味の中国という言葉」と言うのも同じことをつづめて言ったのだ。
あるいは「チャイナという意味の中国という言葉」と言えば考え易いだろう。
それに対して政体や領域が違うから「中国」の意味が違う、と言ったのでは
そもそも議論にならない。
671 :
世界@名無史さん :03/09/01 21:25
上記のように言うと「中国」がよほど特殊な言葉のように聞こえるかも知れ ないが、例えば「日本」だって同じことだ。時代と共に政体も領域もずいぶん 変遷したが、それを通して一貫する「日本」という観念がある。「日本国」も それを基にしているし、それがあるから「日本史」という言い方もできる。 >清朝政権は、すくなくとも国内においては滅亡にいたるまで「世界」の中心、 >「全人類の君主」という姿勢を保ち、「天朝」「天子」の自称を使用しつづ >けた。 それはあくまで建て前。条約を結んだということ自体、みずからを諸国の中の 一国と認識したということだ。そして対等の相手と条約を結ぶということは なにも清朝にはじまったことでもない。 また、支配者側の意識ばかり言っているが、民衆の側にも「中国」という 意識はあった。それは例えば西欧人、アラブ人などと接触してみずからを 「中国人」とする自意識、あるいは満洲族支配に対立するものとして「中国」 の伝統を意識する、と言ったようなことだ。これらについてはそのうち引用 しよう。
>>671 「中国」は特殊だよ。
「日本国」は普通は「日本」と言う。
「日本国」と言う言い方は非常に改まった外交儀礼の必要な時にしか使わない。
「フランス国」も「タイ国」も「アルゼンチン国」もそうだ。
普通はいちいち「国」など付けない。
「中国」と「韓国」の二つだけ、常に「国」が必要だということで
他の国名とは異質な言葉であることがわかるだろう。
漢字だと必ず「国」が必要だというわけでもない。
漢字だけど「日本国」「朝鮮国」「越南国」とは普通は言わない。
673 :
世界@名無史さん :03/09/02 05:18
>>672 確かに形の上では「中国」は特殊だ。それは固有名詞のなかに「國」を
取り込んでいるからだ。「中国」は全体として一つの固有名詞なのだ。
「中国」という意味の使いにくさもここから来ている。
例えば「印度支那」を「印度中国」とは言いにくい。
「中華人民共和国」もほんとは「中国人民共和国」なのだが「國」が
重複するから「中華」としている。その証拠に、インドネシアの華僑が
「中華人民共和国」をインドネシア語に訳するのに「チョンファ人民
共和国」でなく「チョンコク人民共和国」としている。漢字の制約が
はずれればそうなるのだ。
ただし私が「特殊でない」といったのは固有名詞「中国」の機能のことだ。
「中国」の機能は「日本」と同じだと言っているわけ。
付記:「韓国」の「国」は特殊でない。なぜなら固有名詞部分は「韓」
だからだ。
674 :
世界@名無史さん :03/09/02 05:23
訂正: 誤:「中国」という意味の使いにくさもここから来ている。 正:「中国」という言葉の使いにくさもここから来ている。
675 :
世界@名無史さん :03/09/04 18:53
岡田教信者は出てこなくなったが、お約束だったので条約以外の 民間の「中国」を紹介しよう。 一つは太平天国の洪秀全が用いた「中国」である。洪秀全は挙兵翌年の 1852年に湖南省で兵を募って「奉天討胡檄」というのを発した。 その一部を陳舜臣が「中国の歴史」のなかで翻訳しているのを引用する。 「夫れ中国には中国の形象あり、今満州は悉く削髪して禽獣と為る。 中国には中国の衣装あり、今満州は別に猴冠を頂戴し、我が先代の服 [日/免]を壊す。是れ中国の人をしてその本を忘れしむるなり。 中国には中国の人倫あり、先に偽妖康煕、暗に韃子一人をして十家を 管理し、中国の女子を淫乱せしむ。是中国の人をして尽く胡種たらしむる なり。中国には中国の配偶あり、今満州妖魔、悉く中国の美姫を収めて 奴と為し妾と為す。三千の粉[代/黒]皆な羯狗の汚す処と為り、百万の 紅顔竟に騒狐と同寝す。之を言えば心痛み、之を談ぜば舌を汚す。」
676 :
世界@名無史さん :03/09/04 18:56
見ての通り「中国」の氾濫だが、これは陳舜臣がなにかを「中国」と 訳したのではない。原文でも「夫中国有中国之形象・・・」と「中国」 なのだ。 この文章の「中国」とはなにか。それは「満洲」と対立する漢人の 文化的伝統と、それを担う人と地域の総体を言っているのではないか? そしてそれこそ岡田の言う「「漢とか唐とかいう王朝や時代を超えた、 中国という観念」ではないか? 「中国」の他にも同じ観念を表す言葉があったというが、それなら上記の 文章の「中国」を、同義語の「中華」以外にどんな言葉で入れ替えられる だろうか。「支那」「漢」「唐」「明」、いずれを取っても適当でない か、「中国」より力が弱いか、どちらかだろう。言葉の力が弱くては兵は 集まらない。 この他の言葉では代えられないところが、すなわち「中国」という言葉の 機能だ。そしてそれは確かに日清戦争以前に「民間にも」存在したのである。
677 :
世界@名無史さん :03/09/05 12:22
次に文学の中の「中国」についてご紹介する。 乾隆帝の時代に書かれたという「紅楼夢」の第52回で、ある女性の登場人物 Aが、外人の娘と会った話をする。その外人娘は「真真国」という架空の国の 商人の娘で、中国の南方に滞在しているのだが、金髪だとしてあるから、多分 西欧人だろう。この外人娘が漢詩を良くする、ということが話題になる。 訳文; 「ある人が、その子は中国の詩書に通じており、五経も読めれば詩詞も作れる と申したものですから、父がある通訳官に頼んで、その子に字を一枚書いて もらったのよ。そしたらその子、自分で作った漢詩を書いてくれましたの。」 原文; 「有人説他通中国詩書、会講五経、能作詩填詞、因此我父親便煩了一位通事 官、煩他写了一張字、就写的是他作的詩。」 次にその外人娘が作ったという漢詩を、上記Aが主人公たちに読んで聞かせた 後の、主人公たちの批評の言葉として、 訳文; 「大したものですね、我々中国人よりえらいみたい・・」 原文; 「難為他!竟我們中国人還強。」
678 :
世界@名無史さん :03/09/05 12:26
上記のように、中国の伝統文化を語るとき、それは「漢」でも「清国」でも なくまさに「中国詩書」だったのであり、また外国人とは異なるじぶんたち を意識するとき、それは「清国人」でも「漢人」でもなく「中国人」だった のである。 もっとも、「紅楼夢」は文字の獄を避けるために、政治的にはまったく 無色透明に書かれている。時代が満洲人支配の清国であることはまったく 語られず、舞台はどこか北方の帝都であることしかわからない。 だから「満洲」を意味する「清」も、それに対立する「漢」も使えないから、 しかたなく「中国」を使ったとも言える。 しかしこのことは上記の「中国」の意義を薄めるものではない。なぜなら 政治的に無色透明であるということはまさに岡田の言う 「漢とか唐とかいう王朝や時代を超えた、中国という観念」 という定義にかなっているからだ。 上記は二つの例に過ぎないが、「政治宣伝」と「文学」という、民衆との 接点で使われた例であることは、その言葉が大衆に理解された、すなわち 大衆の間で用いられていたことを示している。 一方、公的にも、前から述べているように条約用の国名として「中国」が 用いられた。 以上から「「中国」が中国の意味になったのは、清国人留学生たちが 日本語の「支那」を「中国」と訳してからのことだ。」という岡田英弘 の説は「ヨタ」だと言えるのである。
679 :
世界@名無史さん :03/09/06 15:37
岡田教信者くんは出てこなくなったな。 やっと、岡田英弘の説がヨタであることがわかったのかな?
搜尋字串=中國 邏輯=字詞 範圍=全部 -------------------------------------------------------------------------------- 第1筆 01.荀子 致士 p-0173 川淵深而魚鱉歸之,山林茂而禽獸歸之,刑政平而百姓歸之,禮義備而君子歸之。故禮及身而行脩,義及國而政明,能以禮挾而貴名白,天下願,令行禁止,王者之事畢矣。 《詩》曰:「惠此中國,以綏四方。」此之謂也。川淵者,龍魚之居也;山林者,鳥獸之居也;國家者,士民之居也。川淵枯則龍魚去之,山林險則鳥獸去之,國家失政則士民去之。
-------------------------------------------------------------------------------- 第2筆 01.荀子 王制 p-0102 北海則有走馬吠犬焉,然而中國得而畜使之。南海則有羽翮、齒革、曾青、丹干焉,然而中國得而財之。東海則有紫紶、魚鹽焉,然而中國得而衣食之。西海則有皮革、文旄焉,然而中國得而用之。 故澤人足乎木,山人足乎魚,農夫不斲削、不陶冶而足械用,工賈不耕田而足菽粟。故虎豹為猛矣,然君子剝而用之。故天之所覆,地之所載,莫不盡其美、致其用,上以飾賢良,下以養百姓而安樂之。 夫是之謂大神。《詩》曰:「天作高山,大王荒之;彼作矣,文王康之。」此之謂也。 -------------------------------------------------------------------------------- 第3筆 01.荀子 王霸 p-0132 コ雖未至也,義雖未濟也,然而天下之理略奏矣,刑賞已諾信乎天下矣,臣下曉然皆知其可要也。政令已陳,雖睹利敗,不欺其民;約結已定,雖睹利敗,不欺其與。如是,則兵勁城固,敵國畏之; 國一綦明,與國信之。雖在僻陋之國,威動天下,五伯是也。非本政教也,非致隆高也,非綦文理也,非服人之心也,鄉方略,審勞佚,謹畜積,脩戰備,齺然上下相信,而天下莫之敢當。故齊桓、晉文、 楚莊、吳闔閭、越勾踐,是皆僻陋之國也,威動天下,彊殆中國,無它故焉,略信也−−是所謂信立而霸也。
-------------------------------------------------------------------------------- 第6筆 03.莊子 田子方 p-0703 溫伯雪子適齊,舍於魯。魯人有請見之者,溫伯雪子曰:「不可。吾聞中國之君子,明乎禮義而陋於知人心,吾不欲見也。」至於齊,反舍於魯,是人也又請見。 溫伯雪子曰:「往也蘄見我,今也又蘄見我,是必有以振我也。」出而見客,入而歎。明日見客,又入而歎。其僕曰:「每見之客也,必入而歎,何耶﹖」曰:「吾固 告子矣:『中國之民,明乎禮義而陋乎知人心。』昔之見我者,進退一成規,一成矩,從容一若龍,一若虎,其諫我也似子,其道我也似父,是以歎也。」仲尼見之而 不言。子路曰:「吾子欲見溫伯雪子久矣,見之而不言,何邪﹖」仲尼曰:「若夫人者,目擊而道存矣,亦不可以容聲矣。」
第7筆 03.莊子 知北遊 p-0743 「中國有人焉,非陰非陽,處於天地之間,直且為人,將反於宗。自本觀之,生者,喑醷物也。雖有壽夭,相去幾何﹖須臾之說也。奚足以為堯、桀之是非!果蓏有理,人倫雖難,所以相齒。 聖人遭之而不違,過之而不守。調而應之,コ也;偶而應之,道也;帝之所興,王之所起也。人生天地之間,若白駒之過郤,忽然而已。注然勃然,莫不出焉;油然漻然,莫不入焉。已化而生, 又化而死,生物哀之,人類悲之。解其天弢,墮其天,紛乎宛乎,魂魄將往,乃身從之,乃大歸乎!不形之形,形之不形,是人之所同知也,非將至之所務也,此眾人之所同論也。彼至則不論, 論則不至。明見無值,辯不若默。道不可聞,聞不若塞。此之謂大得。」
第12筆 05.墨子 節葬下 p-0173 故子墨子言曰:今天下之士君子,中請將欲為仁義,求為上士,上欲中聖王之道,下欲中國家百姓之利,故當若節喪 之為政,而不可不察此者也。」 -------------------------------------------------------------------------------- 第13筆 05.墨子 親士 p-0001 昔者文公出走而正天下,桓公去國而霸諸侯,越王句踐遇吳王之醜,而尚攝中國之賢君,三子之能達名成功於天下也, 皆於其國抑而大醜也。太上無敗,其次敗而有以成,此之謂用民。
-------------------------------------------------------------------------------- 第32筆 10.韓非子 第02卷 存韓第二 p-0011 李斯往詔韓王,未得見,因上書曰:『昔秦、韓力一意以不相侵,天下莫敢犯,如此者數世矣。前時五諸侯嘗相與共伐韓,秦發兵以救之。韓居中國,地不能滿千里, 而所以得與諸侯班位於天下、君臣相保者,以世世相教事秦之力也。先時五諸侯共伐秦,韓反與諸侯先為鴈行以嚮秦軍於關下矣。諸侯兵困力極,無奈何,諸侯兵罷。杜倉相秦, 起兵發將以報天下之怨而先攻荊,荊令尹患之曰:「夫韓以秦為不義,而與秦兄弟共苦天下。已又背秦,先為鴈行以攻關。韓則居中國,展轉不可知。」天下共割韓上地十城以謝秦, 解其兵。夫韓嘗一背秦而國迫地侵,兵弱至今;所以然者,聽姦臣之浮說,不權事實,故雖殺戮姦臣不能使韓復強。
寒泉で諸子百家文献検索かけて「中國」33件引っかかった。 地域的範疇としての「中原」もしくは、現在まで連続している 「中国」(主権/領域/国民)とほぼ同意義の使用ではないか。 仏典翻訳語の「支那」がせいぜい唐代以後の使用なのを考えれば、 「支那」がいかに新しく、中国がいかに古いかを実感していただけるのではないか。
「岡田ヨタ教」信者が必死だが、「中国」の指す対象がちがう。 「岡田ヨタ教」信者が必死に列挙している用例は、「日本に留学・亡命した 中国人が作りあげた中国という概念」とは別個。
688 :
世界@名無史さん :03/09/13 19:43
満洲国時代の日本人は 2チャンネルには滅多にいないような人格者を除いたら、 肌合いも合わない傲慢な連中として内心は「満人」に嫌われていました。 本国が近代化を成し遂げた「日本軍閥」と異なり 財源を地元満洲にしか求め得ない張学良軍閥の課す重税から解放されるという、 日本人支配による経済的メリットは当初、存在しました。 しかし日中戦争を大きな契機として満洲が戦時総動員体制に組み込まれ、 物価上昇やそれにもまして物資の強制供出が「満人」の大半を貧困化させます。 重化学工業化による経済規模拡大は 当時の住民の生活水準向上に役立つものではないか、 あるいは上述のデメリットに掻き消されたのでしょう。 ソ連の五カ年計画とかと似通った面があるかもしれません。 農地強制安値買い上げの被害者は人数の点では「満人」の中の少数派ですが、 いろいろな不運がスパイラルのように襲った挙句(あるいは一つだけでも)、 悲惨な最期を遂げた「満人」たちは反体制派以外にも大勢いました。 ただ人間という生き物は昔、辛い目にあった記憶も その後で酷い目にあったことで相殺されシリアスなものではなくなるし、 同時に、幾星霜の流れによって、時には美化されていくものです。 まあ台湾人の日本支配、国民党支配経験と似通った面があるのかもしれません。 既に亡くなった私の親戚で シベリア抑留された人がいたけど、 辛い思い出より強制労働の配属先で 現地の住民とロシア民謡を歌った思い出が一番印象に残っていると 楽しげに昔話を何度か聞かされましたし。 あと日本人は資本と技術に恵まれているという発想から、 いろいろ近づいてくる人も特に満洲には多いのでは。
>>690 いやぁ、キミの「必死」さには到底およばんよ。
ピントの外れた長文の用例を、涙目で打ち込むキミのアワレな
姿が目に浮かぶ。
680-686です。690に非ず。
>>691 あなたの指摘は誤爆の上に、
680-685の用例は「寒泉」からのただのコピペなんですけど。w)
涙目になる必要などかけらもないです。
岡田信者が何人いるかは知らないが、
岡田はヨタと思ってるのは複数人いるんです。
頑張って下さい、岡田信者さん。
>>688 日本は強権的な支配を実は戦争末期には緩めていたのです。
汪精衛政権に対米宣戦させるために、様々な譲歩を行い、
治外法権の放棄もおこないました。満州国内においても、
支配をソフトにみせるために、「妥協」がはかられました。
五族協和を単なる建前から現実のものにしようとする
動きです。もっとも限界はあるわけですが。
物資についていうのであれば、大陸にきた日本人は
国内とは違い、物資が豊かであることに気づいています。
国内の窮乏化がひどすぎたこともあるのですが、それ
だけではありません。
強制買い上げといっても、もともとの払い下げ価格を
考えてみれば、十分すぎるほどの補償です。もともと
蒙古族や満州族からすればこれらは漢族が奪った土地
なのです。蒙古族からすれば、牧畜用の土地を勝手に
農地にかえてしまうわけですから、我慢ならない
わけです。漢族の父祖伝来の土地ではないのです。
それに日本人が潅漑施設をととのえた結果、
周辺にすむ漢族もその恩恵をうけたのです。
豊かになっていきました。
日本人がものすごく好かれていたということはありませんが、
しかし残虐な支配とはいえないこともあきらかです。
>>692 どちらにせよ、「岡田ヨタ教」信者が必死で列挙している用例がズレている
ことには変わりがない。
訂正してやろう。
ピントの外れた長文の用例を、涙目でコピペするキミのアワレな
姿が目に浮かぶ。
ピントの外れた用例をいくら列挙しても、反証にはならんよ。
>>694 そういって自分では何も出せない。消えろ、無能。
>>695 いや、トックの昔にさんざん「出し」ているぞ。
理解できないオソマツな脳みそのお前が消えろ。無能。
697 :
世界@名無史さん :03/09/14 15:34
キモイ連中ばっかりw
698 :
世界@名無史さん :03/09/14 15:35
こいつら、深夜から早朝にかけて何やってんだか・・・
うっ
700 :
世界@名無史さん :03/09/14 21:55
うんこ
701 :
世界@名無史さん :03/09/14 22:16
コテハン使え、馬鹿どもが。
清朝スレは何で荒れるの? 院生Bのタタリ?
本当に清朝が豊かだったかどうかじゃなくて、 自分たちの立場が豊かになるかどうかが大事な人達が多いから。
704 :
世界@名無史さん :03/09/15 05:36
おまいら、投稿論文書けたのか?
705 :
世界@名無史さん :03/09/15 10:10
一般人ですが、何か?
706 :
世界@名無史さん :03/09/15 16:02
>>693 >日本は強権的な支配を実は戦争末期には緩めていたのです。
満州国については根拠なし。
>強制買い上げといっても、もともとの払い下げ価格を
考えてみれば、十分すぎるほどの補償です。もともと
蒙古族や満州族からすればこれらは漢族が奪った土地
なのです。蒙古族からすれば、牧畜用の土地を勝手に
農地にかえてしまうわけですから、我慢ならない
わけです。漢族の父祖伝来の土地ではないのです。
それに日本人が潅漑施設をととのえた結果、
周辺にすむ漢族もその恩恵をうけたのです。
豊かになっていきました。
払い下げ価格も何も、もともと近代的排他的な所有権者の居なかった地所へ
漢族の開拓民がただ入植開墾していただけの話。
そして元手の無い連中から時価相場の十分の一の額で
土地を買い叩けばどうなるかも分かった話。
そもそも清朝だって満州入植を承認するようになってから、
中華民国時代を通じて土地所有権が公権力に否定された事は一度もない。
そして満州国政府は「漢族が奪った土地」の登記を日本人の名義に移しただけだから、
「父祖伝来の地」がどうのこうの言える立場ではない。
だいたい、心身一体の関係にある「本国」がアップアップしていたのだから
戦争末期に戦時協力で満州の住民が貧困化してしまうのも、当然の義務であっただけの話。
様々な要因のおかげで満州国には復興運動が内外において全く存在しないまま。
満州国の豊かさに目を開いた日本人は同時に地元住民の極度の貧しさに驚いてるよ。
憲兵とか満蒙開拓団民とか満鉄関係者とか色々な証言や報告があるからね。
708 :
世界@名無史さん :03/09/18 18:09
話題変えていいですか? 現代中国の満洲族は、旗人の子孫なんですよね? で、旗人というのは、八旗の軍人たちで、満洲・蒙古・漢人の 区別があって、特権階級だった、ということでいいんですよね? そこで質問なのですが、どういう漢人・蒙古人が八旗の軍人をやっていた のでしょうか? 教えてください。
>どういう漢人・蒙古人が八旗の軍人をやっていたのでしょうか? ヌルハチの旗揚げ(16世紀末)から、ホンタイジの皇帝即位(1636)までの間 に清朝に服属したモンゴル人と、漢人の軍人。漢人の平民やコルチンなど同盟 部族のモンゴル人を除く。
710 :
世界@名無史さん :03/09/20 02:56
708
>>709 なるほど、時期がはやい人間たちですね。
分かりました。ありがとうございます。
あー、コテハン使い始めたな。見やすくなったよ。 ちなみに院生Cは一連の流れでどのレスを出してたんだ? コテハン使い始めたなら、整理のつもりで書いといてくれ。 それと他スレで院生Bネタを使うのはやめれ。荒れる。
緑営のある程度詳細な制度、格好が判る本ってないでしょうか?
713 :
世界@名無史さん :03/09/24 08:19
>>711 むろん、本スレで「院生C」名義の投稿すべて。
なんだ、岡田論争には参加してなかったのか。 あれが見にくいからコテハン使えと言ったのだが、 勘違いスマソ。
>>712 中国語だけど、確か『緑営兵志』とかいうのが
あったように思うけど・・・。
717 :
世界@名無史さん :03/09/28 15:23
遅レスながら岡田論争はアンチ岡田氏の完全勝利とお見受けいたした。 悔し紛れの荒らしや罵倒レスなどに負けず、 世界史板のレベル維持のため常連としてご活動を希求する。 もしできるならコテハンつけて活動して頂ければ幸い。
718 :
世界@名無史さん :03/09/28 22:06
>>717 君がそうやって自演の自画シサーンしないで名乗ればいい。
719 :
世界@名無史さん :03/09/29 19:02
自作自演じゃないよ、 だって岡田なんて ハッタリで有名じゃんか‥
>>717 君の目は全っっっくのフシアナとお見受けした。
ウララカな春の脳みそを抱えて、シアワセに生きてくれい。
そう思うならちゃんと反論しなさいよ
どうでもいい事かも知れないが、いちいち煽ったり、相手を罵ったり、侮辱したりしないとレスできないのか?>ここの住人
「〜信者」とかいって、もう宗教論争になってるからね。 ちょっと呆然としたよ。
ま、とにかく博士の学位だけは取っとけ。 俺は博士号未取得者は研究者として認めない。
725 :
世界@名無史さん :03/10/04 09:13
自分の頭で考えられない人間を「信者」と言う。
なんでそんな必死なんだ? アンチ岡田派の反証に反応してないのに反証提示ずみって。
728 :
世界@名無史さん :03/10/07 16:01
信者は本能的に教祖を擁護する。 10年ほど前、渋谷の街頭で 「地下鉄サリン事件にも深〜い意味があると思う」 と言っていた若者達を思い出すね。
岡田論争ってレスナンバーでいうと、どこから見れば話に追いつけます?
730 :
世界@名無史さん :03/10/07 22:44
>>729 岡田英弘の名前が出たのは 609
論争が始まったのは 623
731 :
世界@名無史さん :03/10/08 00:19
このスレには
低脳の岡田信者と、
それを論破して喜ぶ初心者と
それを見て感動してはしゃぎまわる
>>717 レベルの初心者見習いと
「なんで岡田が屑なのかいちいち説明しなきゃわからねえんだ、こいつら?」と
あきれて口出ししない圧倒的多数のROMと、
院生Aと院生Bと院生Cとでお送りしています。
623から読み続けて666で挫折しますた
733 :
世界@名無史さん :03/10/09 12:32
種族名としての名称では、昔から「漢族」「漢人」「華人」の言い方が自称されていたのですか? 漢を使うのは、漢こそが中国の基礎を作ったと思われているからですか?(清は異民族王朝だし、明は弱体であったからか?) 広東人は「唐人」と自称しているとのこと(広東が漢化したのが唐代であったからとか?)。
734 :
世界@名無史さん :03/10/09 14:44
>>731 >「なんで岡田が屑なのかいちいち説明しなきゃわからねえんだ、こいつら?」と
>あきれて口出ししない圧倒的多数のROMと、
岡田英弘って、屑だったの?
735 :
世界@名無史さん :03/10/10 22:05
>>717 議論に敗北逃亡したアンチ岡田厨は
読破力皆無のファンである君のなけなしの声援にさえ冷たくも答えない。
そんな人格的にも下劣な椰子でした。
哀れにもご愁傷様(w
736 :
世界@名無史さん :03/10/11 00:07
>>727 「五族からなる中華民族」を「国民」とする「国民国家」=「中国」なんて
概念が、亡命・留日の共和主義革命家たち以前の中国に存在したはずはない。
そんなことはありえない。
そんなことはない、清代以前の科挙官僚の著述のなかに、そんな概念が存在
するぞ、というならぜひ紹介してくれ。
ただちにお前の「岡田=ヨタ」説の信奉者になってやるよ。
737 :
世界@名無史さん :03/10/11 00:24
ネルチンスク条約が結ばれる以前は、ロシア帝国と清朝とで国境紛争が 起こっていたようですが、両軍の構成はどんな感じだったんでしょうか? この時代の西洋式軍隊vs中華帝国軍というのは興味あります。
738 :
世界@名無史さん :03/10/11 00:44
マニアめ
739 :
世界@名無史さん :03/10/11 07:39
>>736 岡田は「中国」が日本語の「支那」の訳語だと言っているわけだが、
「支那」=「国民国家」なの?
740 :
世界@名無史さん :03/10/11 16:03
>>737 吉田金一「ロシヤの東方進出とネルチンスク条約」に詳しく書いてある。
国会図書館にあり。
>>736 >「中国」が中国の意味になったのは、
ともいっているよ。
アンチ岡田教信者が反証のつもりで、涙目になりなららコピペしている「中国」の用例群は、
「現行の中国」の意味になる以前の用例であり、したがって反証たりえない。
で、清代以前の科挙官僚の著述のなかに、
『「五族(もしくは56民族)」からなる「中華民族」の「国民国家」』を示す概念に
「中国」の呼称を用いた用例
の紹介は、まーだかなぁ???
742 :
世界@名無史さん :03/10/12 06:58
>>741 君はまだ答えていない。岡田によれば
「中国」=「支那」
君によれば
「中国」=「国民国家」
したがって
「支那」=「国民国家」なのか?
743 :
世界@名無史さん :03/10/12 07:29
ネルチンスク条約当時のロシア軍は重武装遊牧民と変わらないだろう。 ようするに住所地不定のコサックが大部隊を組んだ程度のもの。 中国側は捕捉できないからロシア側拠点を破却した時点で講和に応じた。 征服による利益が薄かったからジュンガル部と異なり打ち捨てられた。 直轄地とは藩部を挟んでいたために直接的な接触が薄かったこともある。
744 :
世界@名無史さん :03/10/12 10:59
>>743 ネルチンスク条約前の主な戦闘であるアルバジン城の戦いは数年おいて2度
あった。一度目はロシヤ人は簡単に降伏した。清国はそのまま放置したので
再びロシヤ人が入り防備を固めた。清国は補給を整備した上で再度包囲した。
ロシヤ人の抵抗は驚嘆すべきもので、1000人の部隊が1/10以下に
減りながら遂に降伏しなかった。清国はジュンガル部の活動を考慮して
講和に応じざるを得なかった。アルバジン城は清国の領域となり、条約に
よって捕虜交換は行われなかった。清国は降伏したロシヤ人を八旗として
遇した。その後この地方は満洲地域の三将軍の一つである黒竜江将軍に
よる軍政地域となった。
745 :
世界@名無史さん :03/10/12 12:48
>>742 君の要約がおかしい。
> 岡田によれば「中国」=「支那」
これもつけたしておけ。
> 岡田によれば
かつての「中国」の用法 ≠ いま中国で使われている「中国」の用法
さて、君の質問に真っ向から回答してやろう。
1・漢人国家という概念と、その呼称「支那」について
日本やハワイで発足した、反政府秘密結社時代の共和主義運動の初期には、自分たちが樹立を目指す新共和国家を漢人とその国土だけを範囲とする漢人国家として構想した。日本に亡命したものたちは、漢人の国という概念とその呼称「支那」を見いだし、自分たちでも使いだした。
さねとうけいしゅうあたりには、日本官憲の尋問を受けた清国人留学生の一部が、「大清の臣下」であることを意味する「清国人」の使用を拒み、国籍を問われて「支那人」と名乗り出した事例が紹介されているので、読んでおけよ。
革命同盟会の誓詞の一句の「駆除韃虜・恢復中華」とか、1906年に在日本の共和主義者たちが横浜での開催を計画した「支那亡国二百六十一年紀年会」などの事例は、漢人国家という概念が存在したこと、その呼称の一つとして「支那」が使用されていたこと、などを示している。
また、この時期に共和主義者たちが用いた「中国」「中華」もた、漢人国家の呼称であったことは、すでに示したとおり。
整理すると、この時期については、
「中華」「中国」=「支那」= 漢人を「国民」とする「国民国家」
といえる。
ただし連中は、1911年以降、政権がとれそうになった段階で、
「中華」「中国」の意味を拡張する一方、「支那」を自称としては使用しなくなるので、この図式は「辛亥革命」以前のみに適用のこと。
×整理すると、この時期については、 ↓ ○整理すると、漢人共和主義者の用法は、この時期に関しては、
748 :
無尤軒宣周 ◆LkLX/VRnCw :03/10/12 13:05
岡田バトル(ありゃ、論争と言うに値しない。岡田派は自説以外を認めようとしないし、反岡田派は説明能力がない。 寒泉貼り付けではコピペ荒らしに等しい。大体、中国の典拠なら書經・左傳を何故出さないのだろうか)、もつかれさまでした。 国民国家という西洋伝来の概念規定は、古来の中国大陸には存在していない。中国と言う語の初出は書經だが、 単に「われわれの国ないし世界」という程度の意味でしかなかった。同義語に中州というのがあるが、世説新語劉孝標注の 用例を見る限り「世界」の意味。五族が住み東アジアにある国、という意味では用いられていない。 その点では岡田説は正しいと言える。 しかしながら、「日清戦争後に日本に来た清国人留学生が作った」というのは不正確な発言だね。 誰がつくったかと言う特定は出来ないのではなかろうか?用例も色々有るわけだしなぁ・・ これに限らず、岡田氏の発言はおかしな箇所が多い。 「しかし、その漢字の使い方は、中国の古典とは全く違い、ヨーロッパ的な 事物を表す、目新しい表現に満ちていた。」←こういう訳語の典拠は多く中国古典なのだが(例:経世済民→経済) 「いまで言う中国に当たるのは「天下」で、のちに華北の都市化した地帯を 「中国」と呼ぶようになった」←天下と中国とは同義に近い。華北は都市化する以前から左傳・三國志では中国と呼ばれていた。 「しかし、漢字は意味を表す文字で、音を表す文字ではないから」←この人本当に外語大の教授なのだろうか?反切や仮借はどうなるのだ? ・・・もう少し専門家なんだから正確にしゃべってくれんかなこの人。
749 :
世界@名無史さん :03/10/12 14:31
>>747 グウの音もでずに遁走。
>>748 >岡田派は自説以外を認めようとしないし、
そんなことはないね。
しかるべき事例を提示してくれたら、ただちに「岡田ヨタ説」の信奉者になる、
と
>>736 、
>>741 でも明言しているぞ。
>反岡田派は説明能力がない。
存在しない事例は提示できない、ということでしょうな。
岡田は、舌っ足らずな変な表現はあるが「ウソツキ」「ヨタ」というほどではない。
750 :
部分コピペで決着済 :03/10/12 17:53
>642 :世界@名無史さん :03/08/23 21:50
>>637 >「王朝や政権の変遷を超えた国号」として、「中国」を採用するというコンセンサスは、
>日本に留学していた共和主義運動家の間でまず成立し、彼らが辛亥革命により政権を
>取ることで、はじめて「成立」したのである。
留学生たちが中国という国号を「創造」したのならいざしらず、
「王朝や政権の変遷を超えた国号」としての「中国」の実績が清初から清末まで
にわたってある以上、コンセンサスだの成立だの言っても無意味だ。
君の言っていることは、
「若干の論議はあったが、結局は伝統と実績のある国号「中国」が継承された」
ということに過ぎない。
例えば日本の明治維新のときも、この際人心を一新するために国号を由緒ある
「大和」にしよう、と言った論議はあっただろう。しかし結局は伝統と実績
のある「日本」が採用され、継承された。だからと言って「「日本」という
国号は維新の志士たちが作った」とは言わないだろう。それと同じことだ。
>「この返答」が提出された当時、漢人の間に王朝や政権の変遷を超えた自国の
>国号を「中国」としようというコンセンサスはまだ成立していない。
清末のことに「漢人」など持ち出すのがナンセンス。現に日清修好条規を主導した
李鴻章は漢人ではないか。
751 :
部分コピペで決着済 :03/10/12 17:57
↑をみるとさ、
やっぱ岡田はヨタじゃないかしら。
たんに国際条約締結の際に表明された清朝の公式コンセンサスでは
「満洲人」が排除されない概念としての多種族からなる「中国」が、
個々の王朝を越えた通時的な概念であったし
それをそのままの形で新しく創出する予定の国民国家に適用するかどうかで
革命派がしばらく揉めた末、満洲人を排除した形で採用しただけ。
もちろん梁啓超とは部分的に異なる結論だったけど。
岡田は国民国家としての用法についてではなく、
通時的な用法についてクレームをつけ、
おかげで自爆しただけだな。
>>748 氏は早とちりしている。
752 :
世界@名無史さん :03/10/12 18:56
最近はぼこぼこにされたほうが「勝ったー!」と言うのが このスレでの作法なんですか?w
753 :
世界@名無史さん :03/10/13 02:35
>>751 >国際条約締結の際に表明された清朝の公式コンセンサスでは
「中国の君主は「天命」をうけた「天子」で、全人類の君主」とい
う儒教的脳内妄想が国際社会相手には、通用しないだけハナシだ。
列強にから浸食され残った部分(シナ・モンゴル・チベット・東トルキ
スタン・満州)に「国民国家」を設定し、その国民国家の国号に「中国」
を採用しようなどという発想は、日本に亡命した漢人共和主義革命家以
前には存在しない。
そんなことない、と言い張りたいなら、ピントのずれた用例をいくら列挙されても不可。
清朝以前の科挙官僚による、
「五族からなる中華民族」を「国民」とする「国民国家」=「中国」
という用例はまーだかなー?
754 :
世界@名無史さん :03/10/13 02:40
>「中国の君主は「天命」をうけた「天子」で、全人類の君主」とい >う儒教的脳内妄想が国際社会相手には、通用しないだけハナシだ。 意味不明。
755 :
世界@名無史さん :03/10/13 02:49
>>754 中国人の脳内妄想が通用しない外交関係はともかくとして、
1911年以前において、中国人の圧倒的大多数にとっては、「中国」なる呼称は
まだ「中国の意味では用いられていなかった」ということさ。
「中国という呼称が現行の中国の意味で使用される契機」は、漢人共和主義者に
よる政権奪取と彼等による国号への採用であり、したがって岡田に対する「ウソ
ツキ」「ヨタ」なる評価は該当しない。
清朝以前の科挙官僚による、
「五族からなる中華民族」を「国民」とする「国民国家」=「中国」
という用例とか、チベット人が1911年以前から
「トゥンゴ」「トゥンハ」「キルゼー」
なる用語を使っていたという実例が紹介されたなら、ただちに「岡田ヨタ」説の
信奉者になってやるよ。
756 :
世界@名無史さん :03/10/13 02:52
漢人共和主義者でない者が、 漢人を読者に想定して執筆した 漢文の著作からの用例でもいいよ。
粘着は偉大なり!あっらーふ・あくばる。
758 :
世界@名無史さん :03/10/13 06:25
>>755 「中国」が日本語の「支那」の訳語だというのが岡田説の中心だよ。
岡田によれば「支那」は新井白石の用語だというのだから少なくとも当時の
中国を包含する観念でなければならない。
また岡田は言ってないが明治になってからの「支那」は英語の「チャイナ」の
訳語だったと考えられる。だから「支那」は「チャイナ」がそうであるように、
中国に関することはなんでも包含し得る極めて一般的な言葉だ。
岡田は留学生たちの「中国」がこのような言葉である「支那」、間接的には
「チャイナ」の訳語だ、と言っているのだ。
君の言う「国民国家の国号としての中国」は、この極めて広い「チャイナ」
「支那」に対応する「中国」の、たった一つの現れに過ぎない。
君は教祖たる岡田の教義をはずれて、勝手に「国民国家」という土俵を
作って、そのなかで一人相撲をとっているのだ。
759 :
世界@名無史さん :03/10/13 13:27
> 当時の中国を包含する観念でなければならない。 キミのいう「当時の中国」における「当時」とはいつだ? キミのいう「当時の中国」とは、誰の使う用語かね? いっておくが、「当時の」日本人と中国人では、全然用法が違うぞ。 中国人自身の間では、1911年の以前と以後で「中国」の用法は劇的に変化している。 また日本人の間でも、かの国は、1911年以前は「清国」、以降は「支那」と呼 ぶのが一般的であったが、この時期の日本人が考える王朝や政権の変遷を超え た通時的な「支那」の領域と、1911年以降の中国人が考える王朝や政権の変遷 を超えた通時的な「中国」の領域との範囲は大きく相違している。 この時期、中国や日本において「中国」や「支那」などの概念は激変している が、キミのオツムにはその激変についての理解が乏しいので、用例のつもりで あげるモノがほとんどピントはずれとなるのだ。そして、それ故に、 >明治になってからの「支那」は英語の「チャイナ」の >訳語だったと考えられる。だから「支那」は「チャイナ」がそうであるように、 >中国に関することはなんでも包含し得る極めて一般的な言葉だ。 などとトボケたまぬけなことを口走る。
760 :
世界@名無史さん :03/10/13 13:27
そんなことはまったくない。 たとえば東大文学部の史学科では、「塞外(=満州・モンゴル・東トルキスタ ン)」と「支那」は、別個のカテゴリーである。すなわち、この時期の日本人 が使用する「支那」は、1911年以降の中国人たちのいう「中国」を、「包摂」 など全くしていないのである。 >岡田は留学生たちの「中国」がこのような言葉である「支那」、間接的には >「チャイナ」の訳語だ、と言っているのだ。 岡田の発言を「ヨタ」「ウソツキ」にみせかけるため、必死の変形だね。 でも、キミの変形の産物がいくら「ヨタ」でも、岡田の実際の発言が「ヨタ」 であることにはならない。 > 君の言う「国民国家の国号としての中国」は、・・そのなかで一人相撲 > をとっているのだ。 ぷぷ。遁走宣言ですね。 「教祖たる岡田」? キミのいう「岡田ヨタ」説の根拠があまりにピンボケだから、 ピンボケだといっているだけなんだが。 ピンボケでないちゃんとした事例を提供してくれたら、ただちに お前の「岡田ヨタ」説の信奉者になってやるといっておろーが。
>>757 三時間かけて一生懸命書けましたね。
もつかれさま。
762 :
世界@名無史さん :03/10/13 14:53
>>759 >キミのいう「当時の中国」における「当時」とはいつだ?
当然、新井白石の時代、すなわち18世紀初頭の中国だ。
>キミのいう「当時の中国」とは、誰の使う用語かね?
岡田によれば、新井白石が使った用語だ。(イタリヤ語のチーナ
の訳語だそうだがラテン語のシナの間違いだろう。)
文脈上、とりあえずここは白石一人が使ったことでよい。
岡田はこの新井白石の「支那」が明治の日本人の支那につながっていると
いう文脈で書いているのだ。
(私はその間に英語チャイナのワンクッションが入っていると考えるわけ)
763 :
世界@名無史さん :03/10/13 14:57
>いっておくが、「当時の」日本人と中国人では、全然用法が違うぞ。 なんの用法? ここで言っているのは「中国」でなく「支那」なんだが。 >中国人自身の間では、1911年の以前と以後で「中国」の用法は劇的に変化している。 もういちど私が引用した岡田の文章を良く読め。岡田は1911年以降のことは ひとことも言っていない。勝手に土俵を作っては議論はできない。 >岡田の発言を「ヨタ」「ウソツキ」にみせかけるため、必死の変形だね。 では、明治以降1945年以前において「支那」と「チャイナ」が対応しない 例を挙げてみたまえ。 因みに大正時代の日本政府は条約用の国名として「中華民国」を用いず 「支那共和国」を用いたが、これはまさに「リパブリック・オブ・チャイナ」 の訳語だ。
764 :
世界@名無史さん :03/10/13 15:45
>例の170 とか 水 こういう女の腐った様なスレこそ、持ち前の自治精神で削除依頼 とかしてください。
支那は梵語のチーナの発音をうつしたもので仏教の伝来に伴って日本に入ったものですよ
767 :
世界@名無史さん :03/10/13 16:39
>>763 >もういちど私が引用した岡田の文章を良く読め。
たとえば、コレだな?
>「「中国」が中国の意味になったのは、清国人留学生たちが日本語の
>「支那」を「中国」と訳してからのことだ。」
> 岡田は1911年以降のことはひとことも言っていない。
どこをどのように読解したのか知らぬが、ずいぶん都合のいい脳内変換力だな。
。。
「支那」を「中国」と訳してから、「中国が中国の意味になった」といっているではないか。
時制について「から」といえば、当然「から後」のことを指す。
漢人共和主義者が、「支那」を「中国」と訳してから、「中国が中国の意味にな」るまでのプロセスは、すでに詳しく紹介してやったとおり、1911年をまたいで進行している。
それが「1911年以降のことはひとことも言っていない。」と脳内変換されるようでは、そりゃ、「ヨタ」「ウソツキ」にみえるのも無理ないか。
> 勝手に土俵を作っては議論はできない。
一連のレスでは、
「中国が中国の意味で用いられるようになるまでのプロセス」
を懇切丁寧に紹介してやった。
これが「勝手に土俵を作」るとしか見えないオツムが春な人々は別として、そうでない方々には、岡田発言にはせいぜい
『「舌足らず」か「勇み足」な表現がある』
程度であって、「ウソツキ」「ヨタ」などの評価が該当しないことはご理解いただけるものと思う。
768 :
世界@名無史さん :03/10/13 16:40
水はいい奴だよ俺はそう思う
769 :
世界@名無史さん :03/10/13 16:54
>では、明治以降1945年以前において「支那」と「チャイナ」が対応しない >例を挙げてみたまえ。 コンナ問いに、「岡田ヨタ」説を立証するためのどんな意味があるのかよくわか らぬが、1911年以降の中国人が、「中民国の国号」として用いる場合の「チャイ ナ」の範囲と、キミの問いにある時期の日本東洋史学会が王朝や政権の変遷を超 えた通時的な名称として使用した場合の「支那」の領域など、全く対応していな いぞ。 岡田は「支那」や「中国」の中国人における用法しか問題にしていないはずだ が、日本人による用法一般を持ち出してどうする? 意味があるとすれば、清国人留学生が「支那」を取り入れた時期の用法がどんなものだったか、くらいだな。
「中民国の国号」として用いる場合の ↓ 「中華民国の国号」として用いる場合の
擁護もアンチも長文書き込むときは ワードでも使って推敲しいや。 誤字脱字は読む気が半減だ。 東洋史やってるなら漢字は使いこなそうよ。 た と え 2 c h で も な 。
>>771 いいこと言った!
俺も同じ事思ってた。
773 :
世界@名無史さん :03/10/13 20:34
プ 必死なんだよ。慮れYO
774 :
世界@名無史さん :03/10/13 22:08
>>769 >「支那」を「中国」と訳してから、「中国が中国の意味になった」といっているではないか。
>時制について「から」といえば、当然「から後」のことを指す。
苦しいね。「から」なった、というからには、その時点でそのことが現に起こらなくては
ならない。だから1911年に始めて起こった君の言う「国民国家」への変化のことは
言っていないのだ。
次に「中国が中国の意味になった」というのは文脈から言えば、「中原の意味しか
なかった「中国」という言葉が、通時的な名称としての「中国」になった」
という意味だ。決して君の言う「国民国家としての中国」の意味になった、という
意味ではない。
岡田の文章に、国民国家などどこに書いてある?
775 :
世界@名無史さん :03/10/13 22:11
>日本東洋史学会が王朝や政権の変遷を超えた通時的な名称として使用した場合の「支那」 >の領域など、全く対応していないぞ。 二重におかしい。こまかい領域の違いなど包括しなかったら「通時的」では あり得ない。「通時的」といいながら領域の違いを言うのは形容矛盾だ。 次に違う時点の「チャイナ」と「支那」を較べてどうする。ある時点で切れば 「支那」と「チャイナ」の領域は全く一致するはずではないか。 「支那」にこだわるのは当然。なぜなら岡田は「中国」が「支那」の訳語だと いっているのだから「支那」の意味が「中国」の意味を規定するからだ。 また岡田は「支那」が「チーナ」の訳語だと言っている。西欧各国のチーナ、 シナ、チャイナ、シーヌなどはみな同根かつ同義の言葉だから、「支那」= 「チャイナ」とも言えるのだ。 だから「チャイナ」という意味の、あるいはそれに対応する、「中国」が日清 戦争以前に存在すれば、岡田説はたちまちヨタになるのだ。
議論が変なほうに向いてるね。 >また岡田は「支那」が「チーナ」の訳語だと言っている。 あの、間違いなんじゃないの。これ。 中国人を西域では秦人と称し、それがインドに伝わって 中国大陸の人々をシナと呼ぶことになったわけさ。で、これが中国に逆輸入されて「支那」という漢字が 当てられた(脂那という表記も存在した)んだわな、そう高島俊男は論証しているよ(「支那はわるいことばだろうか」)。 新井白石云々は、勘違いないしヨタでしょ。
>>776 岡田英弘が言っているのは、
書物の中に埋もれていた「支那」を再発見して使い出したのは新井白石だ
ってこと。
別に新井白石の造語だと言っているわけではない。
そういう方面からの勘違いはないと思う。
778 :
世界@名無史さん :03/10/14 00:59
>「から」なった、というからには、その時点でそのことが現に起こらな >くてはならない。 「その時点でそのことが現に起こ」ったんなら、「の時に」というよ。 よって >だから1911年に始めて起こった君の言う「国民国家」への変化 >のことは言っていないのだ。 は誤り。 日本語がこうも不自由だから、「ヨタ」「ウソツキ」にみえるわけか。 >次に「中国が中国の意味になった」というのは文脈から言えば、「中原の意 >味しかなかった「中国」という言葉が、通時的な名称としての「中国」に >なった」という意味だ。 漢人共和主義者でない者が、 漢人を読者に想定して執筆した 漢文(または中国語)の著作において、 自国の通時的な呼称として、または時国の国号として「中国」を使うことが中国人全体の共通認識となったのは、1911年以降。その契機は、まず漢人共和主 義者が来るべき新国家の国号として採用し、ついで彼等が政権を握り、この国号を新国家の正式呼称としたことによる。 この事実は「岡田ヨタ」説信者がドンナに必死になろうと覆らない。
779 :
世界@名無史さん :03/10/14 01:00
>二重におかしい。こまかい領域の違いなど包括しなかったら「通時的」では >あり得ない。 漢人共和主義者が構想している「中国」は、政権を取る以前と以後で大きく変化している。すなわち政権を取る以前は、 華中・華南・華北だけを領域とする漢人国家 として想定され、政権をとって以後は、 上記に加え、満洲・モンゴル・チベット・東トルキスタンも加えた多種族を 国民に想定する国家 と変わっている。 この変化は「著しく大きい」と思われるのだが、これが 「こまかい領域の違い」 にしか見えないらしい。そんな歪んだオツムだから、 「ヨタ」「ウソツキ」 にみえるのだろうな。
780 :
世界@名無史さん :03/10/14 01:00
>「通時的」といいながら領域の違いを言うのは形容矛盾だ。 意味不明。 言葉というのは、時期により、概念が変わるものだということを、何度説明すれば 理解できるのやら。 政権をとる以前の漢人共和主義者たちは、「中国」を「支那」と同義で、 漢人国家の通時な呼称として使用していた。 政権をとった後は、「支那」を自称として用いることはやめ、中国だけを、「満洲・モンゴル・チベット・東トルキスタン」も加えた「多民族国家」が、秦代以来存在していたと主張し、そんな「多民族国家」の呼称として採用している。 中国人自身が用いた自称としては、1911年以前は「中国」と「支那」は同義であり、 1911年以降は同義ではない。
781 :
世界@名無史さん :03/10/14 01:01
>次に違う時点の「チャイナ」と「支那」を較べてどうする。 ハァ? 「1911年以降1945年まで」 は、お前が指定した期間の後半部だろ? >ある時点で切れば「支那」と「チャイナ」の領域は全く一致するはずではないか。 全然一致していないぞ。再度引用。 >1911年以降の中国人が、「中華民国の国号」として用いる場合の「チャイナ」の範 >囲と、この時期の日本東洋史学会が王朝や政権の変遷を超えた通時的な名称として使 >用した場合の「支那」の領域など、全く対応していないぞ。 榎木一雄などは、1945年どころか、1970年代にいたっても、まだ漢人国家の通時な呼称として「支那」を使用していたぞ。この「支那」と、中国人が1911年以降に自称した「古来から不可分の「チャイナ」」との範囲は全くことなる。
782 :
世界@名無史さん :03/10/14 01:03
>だから「チャイナ」という意味の、あるいはそれに対応する、「中国」が日清 >戦争以前に存在すれば、岡田説はたちまちヨタになるのだ。 そんな用例が「存在」した時期、まだそんな用法は「中国」の用法として、用いられることはまだ一般的ではなかった。 「中国という呼称が現行の中国の意味で使用される契機」は、漢人共和主義者に よる政権奪取と彼等による国号への採用であり、したがって岡田による >「「中国」が中国の意味になったのは、清国人留学生たちが日本語の >「支那」を「中国」と訳してからのことだ。」 という記述は、まったく正しい。
キチガイ、気が済んだか?
784 :
世界@名無史さん :03/10/14 06:51
>>781 私も君の文章を読み違えていたが、そのなかに君の誤りが集中しているのがわかった
ので、再度引用する。
>1911年以降の中国人が、「中華民国の国号」として用いる場合の「チャイナ」の範
>囲と、この時期の日本東洋史学会が王朝や政権の変遷を超えた通時的な名称として使
>用した場合の「支那」の領域など、全く対応していないぞ。
「日本東洋史学会」が、「支那」について書かれた論文を英文に翻訳するときどうした
のか?無条件に「チャイナ」と翻訳しただろう。それ以外に翻訳の仕様がないからね。
このように「支那」と「チャイナ」は一致する。
一方、中華民国が「リパブリック・オブ・チャイナ」として用いた「チャイナ」は、
学者たちが歴史上のいろいろな国家や文明に対して変幻自在に用いる「チャイナ」を
国際法上の国名の固有名詞部分として用いたものだ。「チャイナ」の領域はこの
ように用いられたときにはじめて確定する。
785 :
世界@名無史さん :03/10/14 06:54
つまり「中国」「チャイナ」「支那」などの言葉は本来の性質として時間的、空間的な 差異を包摂し得る言葉のグループなのだ。だから領域の異なる中華民国も、清国も、 明国もすべて支那、チャイナ、中国という通時的な名称で表される。これらの言葉は 単に国名だけではなく、文化、人、地域の総体を表す。私はこれを「ファジーな名称」 と呼ぶ。 単に時間的に差異を包摂するだけではない。おなじ時点でも用いる人の意図によって 内容や領域が異なる。例えば満洲人の政府が自分たちを中国の一部と認識して国際 条約で「中国」を国名としているその同じ時期に、太平天国の人達は「中国には中国 の形象あり」と言って満洲人を除外した。いわば「中国」の取り合いだ。 このように「ファジーな名称」と、その一つの現れとしての「国際法上の名称」が ある。そして岡田が言っているのは「ファジーな中国」のほうであることは明らか。 つまり岡田によれば、漢とか、唐とか、そして当時の清とか、王朝をあらわす言葉 はあったが、それらをひっくるめて、あるいはそれらに共通して、あるいは時の 王朝を離れて、用いることができる観念、あるいはそれを表す言葉がなかった、 だから留学生たちは日本語の支那を「中国」と訳して使った、と言っているのだ。 君の誤りはこの「ファジーな名称」と、その一つの現れに過ぎない「国際法上の名称」 とをごっちゃにして論じていることだ。 だから東洋史学者たちが使った「支那」と正式な英語国名の「チャイナ」は領域が 異なる、だから「支那」=「チャイナ」ではない、などとトンチンカンなことを言う のだ。
キチガイ、気が済んだか?
786=とうとうオウム返ししかできなくなった、哀れな信者
うん。そうだね。俺の敗北だ。荒れてしまったスレを正常化してください
とりあえず相手を「歪んだオツム」とか煽らないとレスできない時点で、 ただの必死な粘着にしか見えないんだけどなあ。
>>791 漢人共和主義者たちが、1661年の永歴政権の壊滅を「支那亡国」とよんでいるとき、
この「支那」は、「漢人国家に対する通時的な呼称」であって、当時存在した清国に
対する 「国際法上」の呼称ではない。
政権をとった後の共和主義者たちが、「多民族国家・中国」が始皇帝以来存在してい
ると主張しているとき、その「中国」は、彼等の観念の中に存在する多民族国家に対
する通時的な呼称であって、当時存在した中華民国に対する 「国際法上」の呼称では
ない。
>中国」「チャイナ」「支那」などの言葉は本来の性質として時間的、空間的な
>差異を包摂し得る言葉のグループなのだ。
そんなことはまったくない。
中国人が自国の自称として使用した「支那」なり「中国」なりが指し示す概念は、時
期によって変化しただけで、変化の前後におけるそれぞれの概念自体はきわめて明瞭
にクッキリしており、ちっとも「ファジー」などではない。
漢人共和主義者でない者が、 漢人を読者に想定して執筆した 漢文(または中国語)の著作において、 自国の通時的な呼称として、または自国の国号として「中国」を使うことが中 国人全体の共通認識となったのは、1911年以降。その契機は、まず漢人共和主 義者が来るべき新国家の国号として採用し、ついで彼等が政権を握り、この国 号を新国家の正式呼称としたことによる。 したがって岡田による >「「中国」が中国の意味になったのは、清国人留学生たちが日本語の >「支那」を「中国」と訳してからのことだ。」 という記述は、まったく正しい。
>>791 キミの誤りはコトバの「共時用法」がカラッきしパーなことだ。
だから、
>「中国」「チャイナ」「支那」などの言葉は本来の性質として時間的、空間的な
>差異を包摂し得る言葉のグループなのだ。
などという珍解説が飛び出してくる。
「ヨタ」なのはキミの理解なのだが、その点をどんなに丁寧に指摘されても、
まだそれを岡田への「ヨタ」「ウソツキ」に転化しつづけているキミは、「オ
ツムが春だ」と評価されてもしょうがないよ。
それを表して「」
。 。。。。。。 キミの誤りはコトバの「共時的用法」に対する認識がカラッきしパーなことだ。
ん〜学問的に全く解らないことだけど、面白く読みました。(終ってないっぽいけど) んで、無知な若造ですけど現実に即した考えをあえてこのスレで考えたいと思うんです。 つまり、かの国の人たちが国名に関して、「〜国」なり「○○○」を使う、又はその名称が正しいと宣言したならば、それを他国の人がどう思おうと、学問的にどうであろうと、 果ては罵り合いになるような、所謂必死になって自論を展開する意味はあるのでしょうか、ということです。 もちろん意味はないとは言いません。学問的に無知な者に考え方や他人の考え方や方向性を見る頃が出来ます。 しかしながら、高度な学問的な会話が煽りに変化していく過程をみるのは、少なからず知識求めている者から見ると悲しく思えてくるのです。
797 :
世界@名無史さん :03/10/15 20:45
>>796 中国の国名が正しいか正しくないかなど論じていません。
岡田英弘が新聞紙上で、「中国という意味の中国という言葉は清国人留学生たちが
日本語の支那を翻訳してできたのだから日本語起源だ」という、まったくのウソを
書いたことを批判しているのです。
「中国という意味の」というのは簡単に言えば「チャイナという意味の」という
ことです。岡田の説は、日清戦争以前の英国などとの条約で、相手国のチャイナに
対応して「中国」が用いられているという、その一事だけで簡単にくずれます。
岡田は素人の読者がこのような知識を持たないことにつけこんで、一見意外な、
目新しい説を提示して、読者の興味をひきつけ、併せて自己の名声を高める
ことを目的とし、それによって世人に過った認識を広めてしまうということを
意に介しない、そのような態度が学者としてあるまじきものであると思います。
これに対して岡田を擁護する人達は上記の簡単な事実をひねくりまわして
煙に巻こうとするために、国名論争であるかのような印象をあなたに与えた、
ということです。
>>795 。がずれまくっているようなのだが、
「的」と「に対する認識」の上につけたいのかな?w
799 :
あんちヨタ :03/10/15 22:42
ヨタちゃんの
>>797 には、岡田の発言を引用しているかのように装って「 」で
くくっている部分があるが、原文を読まない読者を煙に巻こうとするために、
おおいにトリミング(別名・歪曲)がほどこされています。
議論の素材も、議論相手の発言も、「ヨタ」説に都合のよいように捏造しちゃ
うんですから、どうしようもないです。
ヨタちゃんは「国名論争」と矮小化していますが、問題の本質は、
中国において、中国人により「中国」という概念が、現行の形で
用いられるようになった経緯
が、いかなるものか、という点です。
そして、この点は、当時の中国人が、自分たちの国という概念を、どのように
くぎり、そしてその概念にいかなる名称を与えていたかを時期ごとに観察すれば、非常に明確です。
この観察結果は、
>>793 で簡潔・明瞭に紹介したとおりであり、岡田による紹介
は、舌足らずもしくは勇み足な表現がみられる程度で、基本的には誤っている
ところはありません。
> 素人の読者がこのような知識を持たないことにつけこんだ
> 一見意外な、目新しい
というようなものではまったくありません。
>>798 Macで嫁。
800 :
無尤軒宣周 ◆LkLX/VRnCw :03/10/15 22:52
>岡田英弘が新聞紙上で、「中国という意味の中国という言葉は清国人留学生たちが 日本語の支那を翻訳してできたのだから日本語起源だ」という、まったくのウソを 書いたことを批判しているのです。 そんなんかいとりましたっけ?岡田の爺様は日本語起源だとまではいうとりませんでぇ。 >「中国という意味の」というのは簡単に言えば「チャイナという意味の」という ことです。 アホなこというなぁ。君も事実を捻じ曲げることに関しては岡田の爺さんと大して変わらないなぁ。 中華思想における中国の語義と、秦の転訛に由来するチャイナでは語義に千里の隔たりがありまっせぇ。 そこんとこあんたわかっとらんみたいだけど。 あんた半可通やな。悔しかったら書經に於ける中国という語の語義を解釈してみせてくれ。 五經も分からんようなやつは偉そうな口叩くな。 >岡田英弘が言っているのは、 書物の中に埋もれていた「支那」を再発見して使い出したのは新井白石だ ってこと。 君はまだましやけど、仏典をしらんのやな。仏教関係では大陸でも日本でも普通に使うとる言葉なんよ。 というより岡田さんそんなこと一言も言うとらんよ。爺さんはただ「シナという言葉は白石が使い出した」と いうただけ。君も我が佛尊しからいい加減抜け出したほうがええな。智者も千慮に一失ありということばを しらんのかね?誰にも間違いは有ります。岡田さんでも同じことや。
801 :
あんちヨタ :03/10/15 22:58
> つまり、かの国の人たちが国名に関して、「〜国」なり「○○○」を > 使う、又はその名称が正しいと宣言したならば、 ヨタちゃんは、「かの国」のひとたちが「中国」や「支那」を、時期ご とに、どのような概念で用いいていたか、またその変遷はどのようであ るか、という点がきちんと理解できないので、岡田の文面が「ウソツ キ」・「ヨタ」・「素人の読者が・・学者としてあるまじきもの」にみ えているようです。 説明してあげると、もしかすると理解できるかもしれない、またその説 明は他の読者にとっても有益であろう、ということで一連のレスにつき あっています。 かの国の人の用法が「正しい」かどうかなどには関心はありません。 ただし、かの国の人が、いかなる用法を「正しい」と考えているかにつ いては、客観的に観察することができます。その観察結果は、ヨタちゃ んの妄想への反証となります。 >学問的にどうであろうと、果ては罵り合いになるような、所謂必死 >になって自論を展開する意味はあるのでしょうか、ということです。 ヨタちゃんのほうはどうか知りませんが、私のほうでは、ビックリする 珍命題に接して、自分の認識の方をあらためねばならないかも、という ところから、やりとりを始めました。 このヨタちゃんの場合は、私の認識を変更せしめるにたる事例を提出で きそうにないと見切っていますが、頭の体操のため、やりとりを続けて います。
>>792 >漢人共和主義者たちが、1661年の永歴政権の壊滅を「支那亡国」とよんでいるとき、
>この「支那」は、「漢人国家に対する通時的な呼称」であって、
意味不明。
803 :
あんちヨタ :03/10/15 23:08
無尤軒宣周さん >そんなんかいとりましたっけ?岡田の爺様は日本語起源だとまではいう >とりませんでぇ。 ヨタちゃんが「ヨタ」「ウソツキ」と呼び、「読者がこのような知識を持たな いことにつけこん」だ「自己の名声を高めることを目的とした、一見意外な、読者の興味をひきつける、世人に過った認識を広める目新しい説」と評価しているのは、 「岡田の実際の言説」 ではなく、ヨタちゃんの脳内で珍妙に変換され、幾重にもトリミングされた、 「ヨタちゃんの創作物」 なのであります。
804 :
あんちヨタ :03/10/15 23:21
>>802 20世紀初頭、日本に亡命していた漢人共和主義者たちは、1906年、横浜におい
て「支那亡国二百六十一年紀年会」を開催しようとこころみましたが、清国の
要請をうけた日本警察の介入により、実現にいたりませんでした。
この「支那亡国」とは何かといえば、清朝が、李自世による明朝滅亡の混乱に
乗じて山海関を突破して北京を占領し、さらには各地の明朝の残存勢力を征服
し、最終的には華北・華中・華南を1660年に平定しつくしましたが、明の残存
勢力で最後まで残存していたのが広西・雲南などを地盤としていた「永暦帝」の政権です。
1906年横浜に結集しようとした漢人共和主義者は、この事件を「漢人国家・支
那」の滅亡と位置づけ、共和国の建設を、この征服を行った「満清」からの独
立という形で追求しようとしておりました。
このような「支那」や「満清」認識は、たとえば中国の現政権が、
チンギスハンによるモンゴル統一を「我が国北方における民族政権の樹立」と
評価し、チンギスの子孫による金・西夏・宋などの諸国の征服を「全国の統一」
と位置づけているのと、まったく対照的です。
1660年から261年だと、1921年で、辛亥革命よりあとになってしまいますが。
正式名称は、「支那亡国二百四十一年紀年会」、 開催計画年は、1901年でした。
無知な横槍野郎にたくさんのレス有難うございます。それと、変なチャチャを入れて申し訳ありませんでした。 これからもROMで勉強させていただきます。では失礼します。
>>807 どういたしまして。
>しかしながら、高度な学問的な会話が煽りに変化していく過程をみるのは、少なから
>ず知識求めている者から見ると悲しく思えてくるのです。
ご忠言、ムネに浸みます。
以後、私のほうでは、煽り表現は極力自粛いたしますです。
アンチヨタは「ヨタ説論者」を叩いてないで「ヨタ説」を叩いてくれないか? 読みづらくてかなわん。
キチガイ、気が済んだか?
1902年に上野精養軒で「中夏亡国二百四十二年記念会」が章炳麟等により 企画され流会になったというのもありました。
813 :
世界@名無史さん :03/10/16 20:39
>>800 >そんなんかいとりましたっけ?岡田の爺様は日本語起源だとまではいうとり
>ませんでぇ。
もう忘れたのか。忘れたのなら何回でも引用するぞ。「原文を読まない読者」
のためにもね。
【引用はじめ】
日清戦争のあとで、日本に押し寄せた清国人留学生が学んだ日本語は、彼ら
が親しんでいた漢字の合間合間に見慣れないカタカナやひらがながはさまった
ものだったので、中国人にはとっつきやすかった。
しかし、その漢字の使い方は、中国の古典とは全く違い、ヨーロッパ的な
事物を表す、目新しい表現に満ちていた。清国人留学生たちが日本から持ち
帰った新知識、新技術は、こうした日本式の漢字の熟語を通して中国に伝え
られた。
ところで漢文の古典では「中国」は中国という意味ではなかった。「國」と
いう漢字は「くに」ではなく、「城壁をめぐらした都市」が本来の意味で、
「中国」は中央の都市、すなわち「首都」の意味だった。いまで言う中国に
当たるのは「天下」で、のちに「天下」の一部の、華北の都市化した地帯を
「中国」と呼ぶようになった。「中国」が中国の意味になったのは、清国人
留学生たちが日本語の「支那」を「中国」と訳してからのことだ。
<続く>
814 :
世界@名無史さん :03/10/16 20:41
「支那」は(中略)新井白石がイタリア語の「チーナ」を「支那」と訳した のがもとになって、「支那」は個々の王朝の名前とは別の国名として日本で 使われるようになった。 しかし、漢字は意味を表す文字で、音を表す文字ではないから、「支那」の ような音訳は、古典の漢字で養われた中国人の美的感覚にはなじまない。それ で、日本語直輸入の「支那」に代わって、「中国」が使われることになった わけだ。つまり、漢とか唐とかいう王朝や時代を超えた、中国という観念自体 も日本語起源だということになる。 【引用終わり】 上記の通り、岡田はちゃんと「中国という観念自体も日本語起源だということ になる。」と言っている。だいたい、この文章の題名が「日本語が起源の「中国」」 なのだ。後出しで悪いけどね。 君はかんじんの議論の原点について事実誤認の上に議論していたわけだ。 「中国という意味の中国という言葉は清国人留学生たちが日本語の支那を翻訳 してできたのだから日本語起源だ」 という私の文章は引用ではない。上記の岡田の文章の主旨を要約したものだ。 そして上記の原文と較べてもらえば、簡にして要を得た要約だということがわかる だろう。この私の要約を珍説とか言って全否定しなければ議論できないのなら、 君は岡田の「中国日本語起源説」についてではなく、なにか他のことを議論して いることになるのだ。 なんについて議論しているのか、私の関知するところではないが。 ということで、議論の本題について事実誤認があったのだから、せっかくの長文 ごくろうさまだが出直してもらいたい。
>君はかんじんの議論の原点について事実誤認の上に議論していたわけだ。
なにやら必死だが、まったく「事実誤認」とやらではない。
>議論の本題について事実誤認があったのだから、せっかくの長文
>ごくろうさまだが出直してもらいたい。
「事実誤認」とやらは、まったく君の事実誤認であるので、
>>809 の要望にもと
づき、一連のレスの要点を記すにとどめておく。
一連のやりとりがはじまった600番台でまず述べているとおり、
王朝時代においては、
漢人共和主義者でないごくふつうの識字者が、
漢人を読者に想定して執筆した
漢文(または中国語)の著作において、
自国をいかなに概念するのが一般的であったかといえば、「天命」を受けた
「天子」の「徳」が直接に及ぶところ、というものであった。中国の伝統的価
値観に基づく妄想が通用しない外交の現場をべつとすれば、自国について「世
界諸国の中の一国」と認識することはなく、ましてやその国号として「中国」
などを用いることも、いまだ行われてはいなかった。
中国において中国という概念が現行の形で一般に使用されるにいたるプロセス
においては、ヨタちゃんが賢明に列挙した、外交現場やごく一部の古典でほそ
ぼそと観察される特殊事例が起源なのではなく、まさに岡田の説明したルート
こそ、直接の契機なのである。
漢人共和主義者でない者が、 漢人を読者に想定して執筆した 漢文(または中国語)の著作において、 自国の通時的な呼称として、または自国の国号として「中国」を使うことが中 国人全体の共通認識となったのは、1911年以降。その契機は、まず漢人共和主 義者が来るべき新国家の国号として採用し、ついで彼等が政権を握り、この国 号を新国家の正式呼称としたことによる。 そのプロセスにおいて、彼等は、漢人の国という概念を「支那」とともに取り入れ、 「中国」「中華」「夏華」等の呼称ともに併用した。ついで彼等が政権獲得に あたり、新国家を「清国からの独立」ではなく「清朝の継承政権」として発足 させうることが判明した段階で、「自国」の概念が拡張され、その呼称として 「中国」「中華」が採用された。この際、自称としての呼称「支那」は捨て去 られ、現行の「多民族国家・中国」の概念が成立する運びとなった。 このようなプロセスは、岡田による「留学生たちが日本語の「支那」を「中 国」と訳してから」「「中国」が中国の意味にな」るにいたるまで説明とよく 合致しており、したがって、 >君は岡田の「中国日本語起源説」についてではなく、なにか他のことを議 >論していることになるのだ。 なる評価は、やはり「珍説」というほかない。
817 :
世界@名無史さん :03/10/17 07:29
>>815 >そんなんかいとりましたっけ?岡田の爺様は日本語起源だとまではいうとり
>ませんでぇ。
事実誤認でないと言うが上記の君の言葉は撤回するのか? しないのか?
>君は岡田の「中国日本語起源説」についてではなく、なにか他のことを議
>論していることになるのだ。
>なる評価は、やはり「珍説」というほかない。
「珍説」の対象も微妙にずれて来ているが、私の要約が「珍説」ではないことを
認めたということかな?
>>817 >「珍説」の対象も微妙にずれて来ているが、
追加しただけ。
というよりは、議論の対象、議論相手の発言に対する歪曲・捏造の
サンプルだな。
キミの岡田評・私の一文にたいする変な評価、 いずれも珍説としか言いようがない。
820 :
世界@名無史さん :03/10/17 21:27
>>817 重ねて問う。
>そんなんかいとりましたっけ?岡田の爺様は日本語起源だとまではいうとり
>ませんでぇ。
上記の君の言葉は撤回するのか? それとも撤回しないのか?
なにか勘違いしとるみたいやけど、わてとあんちヨタさんは別の方でっせ。 >上記の君の言葉は撤回するのか? それとも撤回しないのか? はぁ、撤回しまへん。撤回せんならん理由が分からんからいたしまへん。 大体、大したことでもないのになんであんたそんな喧嘩腰になっとりますんや? 回答としては、あんちヨタさんの回答でええですやろ。あんたワテの出した宿題は やらんくせに、人にだけ要求するのはどういうわけかいなぁ、議論をはぐらかして楽しいか? 残念ながらあんたはまるでモノを知らん。今度ここに書くときは五經ぐらい読んできてぇな。 東洋学をやるものは、昔は十三経みんなよんだもんやときいとりますけど、 あんたにそれを強いてもしゃあないで、五經にまけといてやるさかい、それ位は読めや。 荀子の変な引用をしくさるだけじゃぁ、あかんでぇ。 ほな。
822 :
世界@名無史さん :03/10/18 07:23
>>821 >はぁ、撤回しまへん。撤回せんならん理由が分からんからいたしまへん。
君も読んだように、岡田はちゃんと
「中国という観念自体も日本語起源だということになる。」
と言っている。これに対して君が
>そんなんかいとりましたっけ?岡田の爺様は日本語起源だとまではいうとり
>ませんでぇ。
と言って、撤回しないのなら、君は私の引用した岡田の文章についてでなく、
なにか他のことを議論しているのだ。
なにを議論しているのかは私の関知するところではない。
823 :
世界@名無史さん :03/10/20 03:42
中国では漢族と少数民族が融合してきた歴史があるので 漢族だけの土地、少数民族だけの土地という分け方には区別があまりないのでは? 司馬遼太郎の言うように「満州族は漢族に入り婿した」のであるから。
>なにを議論しているのかは私の関知するところではない。 私が議論しているのは、「岡田はヨタ」というヨタちゃんの珍説。 ヨタちゃんが「ウソツキ」「ヨタ」といっているのは、 岡田の言説そのものではなく、 「簡にして要を得た要約だ」と自画自賛するヨタちゃんが トリミングした文面であったことが、一連のやりとりでアキラカとなった。
>>823 あなたが何に「意味」を見出すかはどうでもいいけど(あなたの自由!という意味ね)
政権をとる以前の漢人共和主義者たちが、
漢人の土地の部分を領土とする漢人国家として新共和国を構想し、
その国家の国号として「支那」や「中国」「中華」等を使用していた
時期があったことは、紛れもない事実。
826 :
世界@名無史さん :03/10/20 06:14
>>824 「中国という意味の中国という言葉は清国人留学生たちが日本語の支那を翻訳
してできたのだから日本語起源だ」
という私の要約が、岡田の原文と較べてどこが珍説、歪曲、捏造なのか
説明せよ。
828 :
このへんかな? :03/10/20 11:25
岡田:中国という観念自体も日本語起源だということになる。 ↓ ヨタ説信者:中国という言葉は・・日本語起源だ。 岡田が「日本語起源」といっているのは、現行の「中国という観念」。 ヨタ説信者は、これを 1.「中国という言葉」にスリ変えた上で、 2.「中国」の古い用法を上げ、 3.「昔からその用法はある、だから岡田はヨタ」 という三段論法を行使している。 第一段のスリ換えなしでは、「岡田ヨタ説」は成り立たない。 すなわち、ヨタ説信者こそ、岡田の言説ではなく、 「なにか他のことを議論しているのだ。」
829 :
あとは、このへんかな? :03/10/20 11:37
ヨタちゃん自身が繰り返しコピペしている文章をみても、
岡田が日本語起源だといっているのは、
「 中 国 と い う 観 念 」
である。やりとりの相手も、現行の「中国という観念」がいかに成立したか、
を詳細に繰り返し説明している。
しかしヨタ説信者は、第一段のスリ換えが成り立たなくなると自説が崩壊するタメか、
・中国の国名が正しいか正しくないかなど論じていません。(
>>796 )
と、これを「中国の国名」の話に勝手に転換し、
・なにか他のことを議論していることになるのだ。なんについて議論してい
るのか、私の関知するところではないが。(
>>814 )
などと、「中国という観念」の成立についての議論を必死にスルー。
あんちヨタはん、気持ちは分かるけどなんべんも同じ事繰り返さんでもええ。 わからんやつにはわからんのや。馬の耳に念仏、ええ加減無視しようや。もうスレタイと無関係な話になっとる。 >中国では漢族と少数民族が融合してきた歴史があるので >漢族だけの土地、少数民族だけの土地という分け方には区別があまりないのでは? それは、ちと浅い考えやね。 漢族と少数民族は融合というより、清の頃には 圧倒的に強い漢地の人間(支配者は満洲やけど)が、少数民族を無理やり併合するようになっとったんやね。 新疆なんて、併合の最たるもんでっせ。あそこで少数民族が幾ら殺されたのやろうか。残酷な話。 いまでもあそこいらはウイグル族の独立運動が盛ん。融合とはお世辞にもいえへん状況や。
横からスマソ >「「中国」が中国の意味になったのは、清国人留学生たちが日本語の >「支那」を「中国」と訳してからのことだ。」 これだと「支那」があたかも日本語のみの表現みたいに読めるな。 言われてるとおり「支那」は、「秦」がサンクスクリットに訳されて また逆輸入されたという仏典由来の漢語なんだが、 そもそも中国で使用された「支那」と 日本で使用された「支那」に意味的違いがあったのか? 同じ用法なら「日本語の「支那」を「中国」と訳」す必要はないんだが。
>>832 ガイシュツ。
岡田の言説をめぐる議論における問題のカナメは、日本と中国における「中
国」や「支那」の「意味的違い」ではなく、「中国という観念」が日本語起
源であるかどうか。
「中国」という観念とその呼称が現行の用法で中国に行われることになる
きっかけを作った漢人共和主義たちは、「漢人国家」という概念やその呼
称「支那」を、「中国で、漢籍や仏典から」ではなく、日本滞在中に日本
語から」これらを導入した。
したがって、
>「中国」が中国の意味になったのは、清国人留学生たちが日本語の「支
> 那」を「中国」と訳してからのことだ。
> つまり、漢とか唐とかいう王朝や時代を超えた、中国という観念自体
> も日本語起源だということになる。
という岡田の既述は全く正しい。
834 :
世界@名無史さん :03/10/21 04:43
「藩部」以外の領土が中国固有の領土?
835 :
世界@名無史さん :03/10/21 20:44
>>828 >ヨタ説信者:中国という言葉は・・日本語起源だ。
君こそ人の言葉を歪曲するな。私が書いたのは:
「中国という意味の中国という言葉は日本語起源だ」ということだ。
「中国という意味の」というところに「中国という観念」が入っているではないか。
上記は岡田説の要約だが、私がもともと言っているのは:
「中国という意味の中国という言葉は中国で内発した」ということだ。
ここが岡田説と異なるのだ。
君は岡田の「観念」と私の「言葉」という用語の違いにしがみついているが、
君じしんが
>「中国」という観念とその呼称が現行の用法で中国に行われる
と言っているではないか。「呼称」はすなわち「言葉」ではないか。
>「漢人国家」という概念やその呼称「支那」を、「中国で、漢籍や
>仏典から」ではなく、日本滞在中に日本語から」これらを導入した。
太平天国が「中国には中国の形象あり。今満洲は・・」と言って
作ろうとした国家は「漢人国家」ではないのか?
「あれは近代国家ではない」なんて言うなよ。
836 :
世界@名無史さん :03/10/21 21:04
まあ、長らく続いた岡田論争にもそろそろ結論を出すべきだ。 「清 朝 の 事 だ け に 議 論 は 慎 重 に 行 う べ し 」 完璧だな、おい。
837 :
世界@名無史さん :03/10/21 21:04
>>832 >これだと「支那」があたかも日本語のみの表現みたいに読めるな。
前にも解説した人がいたが、新井白石が西洋語のシナ、チーナを訳する
のに古典から「支那」を持ち出して来て充てた、ということ。
>そもそも中国で使用された「支那」と 日本で使用された「支那」に意味的
>違いがあったのか?
まあ岡田に肩入れして言えば中国で「支那」という言葉が清国の時代にあまり
一般的でなかった、ということは言えるだろう。
なぜ一般的でなかったか、と言えば同じ意味の「中国」という言葉があったから。
>同じ用法なら「日本語の「支那」を「中国」と訳」す必要はないんだが。
翻訳の必要はない、というのは全く正しい。留学生たちはただ「対応する」
中国という言葉を使っただけだ。
838 :
世界@名無史さん :03/10/21 21:36
>>837 >>同じ用法なら「日本語の「支那」を「中国」と訳」す必要はないんだが。
>翻訳の必要はない、というのは全く正しい。留学生たちはただ「対応する」
中国という言葉を使っただけだ。
横レス須磨楚ですが、
清朝末期の留日学生たちが彼らの出身国において
「支那」よりもポピュラーな表現とはいえ、
わざわざ「中国」に置き換えたのは、
やはり両語彙の間に横たわる表現感覚の違いからですかね?
たんなる音訳表現であって表意文字の含意が欠けた「支那」を
同義語の中の美称とみなした上でわざわざ用いたような人が、
日本にも中国にもかつて存在したと想定するのは困難ですし。
「中国」の方が、字義の面で遥かに肯定的なニュアンスを帯びているようですし。
清朝旧体制の中核・西太后は、立憲君主主義者すら弾圧し、彼等もまた日本に 亡命して中国の改革運動の再建を目指していたが、漢人共和主義者による「清 朝からの漢人国家の分離独立」、共和国家の樹立という目標は、これら改良主 義者たちとのせめぎ合いのなか、日本を舞台として誕生したものである。 『民報』で展開された漢人共和宇主義者たちの「自国の観念」「自国の国号」 に関する議論を読めば、まったくもって一目瞭然なのに、その手間を省くか ら、ヨタちゃんはいつまでも珍説に固執する。 >太平天国が「中国には中国の形象あり。今満洲は・・」と言って >作ろうとした国家は「漢人国家」ではないのか? >「あれは近代国家ではない」なんて言うなよ。 中国革命同盟会に結集した諸組織は、ほぼすべて日本留学組が組織したか、 指導者が日本に赴いてから参加したかのいずれか。 ところが一方、太平天国の残党はすべて清朝に平定されて滅び、 日本に逃れて中国革命同盟会に参加したものはない。 すなわち、太平天国が用いたという「漢人国家」という概念は、 中国革命同盟会に「継承」されとはいえない。 せいぜい、日本を舞台に活動していた当時の運動家たちが、清朝に対する 反政府運動を回顧しているうちに、彼等の言説の一句を「改めて発掘した 可能性がある」という程度だな。 したがって「中国という観念」は、日本語起源とする岡田の指摘に ま っ た く 誤 り は な い 。
> 「支那」よりもポピュラーな表現とはいえ、 > わざわざ「中国」に置き換えたのは、 中国の国号として「支那」よりも「中国」が「ポピュラー」になったのは、 漢人共和主義者が 1.まず自分たちが樹立をめざす新国家として採用し 2.清朝を打倒して政権をとり、 3.共和国の国号として採用した ことによる。 因果関係の順序を逆転させてはいけない。
841 :
世界@名無史さん :03/10/22 00:53
朝貢国より下なのは屈辱なので上げ
842 :
無尤軒宣周 ◆LkLX/VRnCw :03/10/22 06:23
>たんなる音訳表現であって表意文字の含意が欠けた「支那」を 同義語の中の美称とみなした上でわざわざ用いたような人が、 日本にも中国にもかつて存在したと想定するのは困難ですし。 いや、支那=美称とする説は古くからありまっせぇ。蘇曼殊によれば インドでは「大きな国」の意味で使われていたとか(この説は語源の解釈としては誤りらしいが)で、現代中国でも 支那=美称説を支持しとらっせる方もおるんや。詳しくは高島俊男はんの 「支那はわるいことばだろうか」を参照。
ヨタちゃんへ。 太平天国の首脳陣のうち、「天王」洪秀全から王号を授かったもので、 生命を全うして部下と共に日本に亡命し、中国革命同盟会に合流した者 を最低 一名以上あげよ。 もし君がそんな人物をあげることができるなら、もちろん 漢人共和主義者の「漢人国家」の概念が、太平天国由来であることを 認めてやるよ。
844 :
世界@名無史さん :03/10/22 07:00
845 :
世界@名無史さん :03/10/22 13:34
>>844 サンスクリット語では、
チーナとか、マハー・チーナというよ。
847 :
世界@名無史さん :03/10/22 14:33
848 :
世界@名無史さん :03/10/22 14:36
「中国」より「支那」の方が より自己肯定的な名称とみなす中国人や日本人が かつて存在したのだろうか? 「支那」なんて清末の留学生が 反清の意味をこめて用い始めるまで、 「中国」とは異なり公文書や文学作品に 出現した例が皆無に近いのではないだろうか。
849 :
世界@名無史さん :03/10/22 15:55
宮崎滔天が1902年に書いた孫文の伝記『三十三年之夢』に、 孫文が寄せた序文では、「支那」も漢人国家の呼称のひとつ として使用されている。 この時期、「中国」の呼称の地位がまだ確率されていなかった 証拠である。
850 :
世界@名無史さん :03/10/22 16:21
シナ人が「中国と呼べ!」と言いだし、それに日本人が迎合する前は、 日本国内で「中国」といえば、長門周防安芸吉備美作岩見出雲伯耆因幡の地域だったはず。
851 :
世界@名無史さん :03/10/22 17:21
>>839 >すなわち、太平天国が用いたという「漢人国家」という概念は、
>中国革命同盟会に「継承」されとはいえない。
重ねて君に問う。
「中国には中国の形象あり。今満洲は悉く削髪し・・」
「是れ中国人をしてその本を忘れしむるなり・・」
と、洪秀全の「奉天討胡檄」に用いられた「中国」は、何を表して
いるのか?
>中国の国号として「支那」よりも「中国」が「ポピュラー」になったのは、
>漢人共和主義者が
中国人の間に一時期用いられた「支那」「支那人」は革命家たちが日本に
影響されて用いたのではないか?
私が言っているのは、それ以前に、例えば太平天国の時代に、中国で、
「支那」が「中国」と較べられるほどポピュラーだったのか?
ということ。
>と、洪秀全の「奉天討胡檄」に用いられた「中国」は、何を表して >いるのか? この「中国」がどのような用法であれ、その用法は太平天国とその残党 の滅亡にともない、いったん断絶している。 清国自身による温微な体制近代化の取り組みは、太平天国の滅亡後の同 治期よりはじまるが、その取り組みをになった曽国藩、張施洞などには、 清国の「版図」のうちから漢人国家を分離独立せしめようなどという思 想はカケラもない。 日本に来た清国人留学生たちは、まず「清国」の改革・再生から出発し、 様々なタイプの「改革」思想にもまれる中、その一部 が「漢人共和主義者」へと成長してゆく。彼等が見いだした「漢人国家」 という概念 とその呼称「支那」は、直接には日本語を経由したものである。
> 私が言っているのは、それ以前に、例えば太平天国の時代に、中国で、 >「支那」が「中国」と較べられるほどポピュラーだったのか? ジャック=ロンドンの仮想未来小説にあるように、清朝の立憲改革が成功 し、この体制で近代国家への脱皮が成功していたら、国号は当然「大清」 である。 当然、「漢人国家」という概念もその呼称「支那」も、「かつて国外で 盲動していたチッポケな不満分子」の特殊用語、という程度の扱いとなっ ていたであろう。 「中国」という呼称についても、史実において漢人共和主義勢力が国家 の正式国号として採用したようなことが生じないのだから、現在のよう な形での 「ポピュラー」な呼称となってないなかったことはまちがいない。
いま、かの国の通時的呼称が「中国」としてポピュラーであるのは、 1.漢人共和主義者が自分たちの理想国家の呼称として「採用」し、 2.さらに彼等が政権をとった からである。 彼等が採用したのが「支那」であったり、もしくは共和主義運動が稔らず「大 清」が存続していたら、かの国の通時的呼称は、「中国」にはならなかった。 すなわち、「太平天国」政権のもとで、漢人国家の呼称として「支那」と「中 国」のどちらがポピュラーであったか、という問いなど、岡田の言説に対する 君の「ヨタ」評価が珍説であるかどうかの検証に、なんら影響を及ぼすもの ではない。
855 :
世界@名無史さん :03/10/23 00:27
過去ログにもあったろうが、 太平天国にとどまらず、 それと敵対したはずの 異民族政権である清朝の外交文書にも 満洲旗人たちの残した文学書にも 「中国」の用例こそあれ、 「支那」なぞ影も形も無い。 異民族までもが自称することで 手垢にまみれた「中国」「中国人」よりも、 日本から輸入した「支那」「支那人」の方に魅了された 清末の日本留学出身者も存在した事は確かだろうが。 21世紀まで清朝が存続しようが 通時的呼称としての「中国」は 当たり前のように使われていたろうな。 清朝時代の中国だけを表現したい場合は「大清」。 国号が「支那」になろうが 通時的呼称としての「中国」は 当たり前のように使われていたろうな。 清朝が滅亡してしまった後で 満洲族も清朝の国家主権も 新政権の不可欠の構成要素として 諸外国の承認の下に継承することになったら、 何も「支那」の名義に拘泥することなく 自尊心を込めて「中国」を使用する事ができようから。
久しぶりにこのスレ覗いたけど、凄い事になってるね。 ちゃんと風呂は入れよデブ
857 :
あんちヨタ :03/10/23 00:59
>21世紀まで清朝が存続しようが >通時的呼称としての「中国」は >当たり前のように使われていたろうな。 必死だな。 ifの話にたるととたんに饒舌だが(嗤 >清朝時代の中国だけを表現したい場合は「大清」。 史実においてこう↑なったのは、後に漢人共和主義者が政権を握り、国号に 「中国」「中華」を「採用した結果」、「大清」が、過ぎ去った過去の一時 代だけをさす呼称となったためだ。 ほんとうにヨタちゃんときたら、物事が生起する因果関係を逆転した珍説を 連発するから困るな。 「大清」が存続していたなら、 「中国」は、史実の「中華民国」におけるような「国家の正式呼称」には なっていない。 所詮、古典にそんな用語もあったな、と言われる程度のなマイナーな呼称のヒトツ。
858 :
世界@名無史さん :03/10/23 01:06
けんりゅうていってビルマごときの侵略に失敗してるんだな。
859 :
あんちヨタ :03/10/23 01:25
>>858 何をもって「失敗」といっているのかしらないが、
少なくとも北部の五分の二程度の諸侯に対しては服属させ、兵部管轄の「土司」とし
て冊封。兵部管轄だから、湖南・広西・貴州なんかにいる苗族たちと同じランクの従
属度。チベットやモンゴルなどの「藩部」よりランクの高い、「内地」扱いだったよ。
残る三分の二程度にたいしても礼部管轄の「朝貢国」として冊封。
だから章太炎が漢人共和主義国家の領土とメンバー、国号などについて考察した
「中華民国解」でも、モンゴルやチベット、「回疆」に対しては、新共和国に参
加するのも分離するのも彼等の自由にさせよという一方、ビルマについては、「礼
部」管轄で冊封していた朝鮮・ベトナムと並べて「中国が恢復すべき領域」として
位置づけていた。
わらけることには、王国が英国に滅ぼされて英領印度に組み込まれた際も、
清朝が英国による併合を認める際際に提示した条件「ビルマとして十年一貢」
を英国は受け入れているから、英領ビルマも、清朝側の脳内主観では、「天朝」
の傘下にある「朝貢国」。
860 :
世界@名無史さん :03/10/23 01:48
>>857 なんで「大清」が滅亡しないまま国号として使用され続けたら、
「大明」や「大宋」をも表現できる、通時的な概念となる訳?
個々の王朝名が他の王朝名を包括する概念には発展しえない。
あとついでに考証オタよ、清末の反体制派の記した内の、残存文献も良いけど、
「物事が生起する因果関係」を逆転させて物事を論じたくないなら
清朝と太平天国と明朝と‥‥の今に残した文献の方が先立つものだぞ。
さらについでに常識的発想ができないと社会に適応できなくなるから気をつけた方が身のためだよ。
横レスの連続ついでに老婆心ながら。
>>860 > 個々の王朝名が他の王朝名を包括する概念には発展しえない。
「大清」の名が「個々の王朝名」で終わったのは、1911年に滅亡したからだ。
「物事が生起する因果関係」が逆転しているところをみると、ヨタちゃんだな。
「愛新覚羅氏を立憲君主に擁する国民国家」の御用学者が「大清」を「王朝・政権の変
遷を超えた呼称」に採用したならば、「中国」の呼称が現状のような地位を確率しえな
かったことは確か。
中国という観念とその呼称が現状のようであるのは、あくまでも20初頭の漢人共和主義者が
1.まず採用し、
2.ついで彼等が政権をにぎり、
3.新国家の国号および通時な呼称として採用した
ことによる。
この点をみとめるとヨタちゃんは自説が崩壊するから必死にスルーするね。
>清末の反体制派の記した内の、残存文献も良いけど、
その「清末の反体制派」が、1912年に体制を獲得し、その結果、中国という概念・
中国という呼称が現行の形で確立されたんだが。
ヨタちゃんには認識できんか。
>清朝と太平天国と明朝と‥‥の今に残した文献の方が先立つものだぞ。
単に紙の上に「残されて」「先だって」いただけ。
現在の中国・台湾でそのような意味で用いられているのは、日本亡命中に旗揚げした
漢人共和主義者が「採用」したことに端を発している。
> 常識的発想ができないと社会に適応できなくなるから気をつけた
> 方が身のためだよ。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`) <
>>860 オマエガナー
(つ と) \_______
と_)_)
ヨタちゃんズ(横レス・ヨタちゃんが別人かどうかはどうでもいい)に共通し ている「社会的不適応」症状は あらゆる自称は「採用」により定まり、 「採用」により変化する。 という、ごく初歩的なゲンゴガクの知識がないことだな。 だから岡田の言説が「ウソツキ」「ヨタ」にみえてしまうのだろう。
>個々の王朝名が他の王朝名を包括する概念には発展しえない。 このような断言は、 北朝鮮人や韓国人が「朝鮮」「韓」を「他の王朝名を包括する概念」 や呼称として「採用」している。 事例を挙げれば、たちまちクツがえる。
865 :
元祖横レス :03/10/23 03:08
日本の国号が採用されたのは610年からだけど、それ以前の時代も含めて 日本史っていってるよね。
明治政府が清朝と国交を開くまで、日本における中国の代名詞は「唐」だったとか。
カラフトだもんな
868 :
世界@名無史さん :03/10/23 07:54
>>866 「唐」ではなく「唐土」だった。
間宮林蔵も報告書で中国本土のことをそう言っている。
869 :
世界@名無史さん :03/10/23 09:35
「唐土」と書いて「もろこし」と読む。
870 :
世界@名無史さん :03/10/23 13:14
どっちにせよ、
>>864-869 は、
「個々の王朝名が他の王朝名を包括する概念に発展し」た例だな。
871 :
世界@名無史さん :03/10/23 13:16
中国人のことは「唐土人」ではなく「唐人」。 中国からの舶来品は「唐者」。
872 :
世界@名無史さん :03/10/23 13:20
山室恭子の『黄金太閤』でみかけた例だけど、 朝鮮からの使節を「かうらい(高麗)のかんぱく」と呼ばせたりしたらしい。 これは「高麗」が「他の王朝名を包括する概念」として使用された例。
873 :
世界@名無史さん :03/10/23 13:45
>871 「唐者」? 「「唐物(からもの)」
874 :
聖帝ハウゼル :03/10/23 13:52
ある国が、慣用として長年定着してきた外国語による自国の呼称の変更をその 言語の使用者に求めるという例は、シャム→タイとか、ペルシャ→イーラーン とかいくつもあるが、清朝が存続していたなら、チャイナ→ダイチーンという 変更要請を行っていた可能性も、決して否定できない。
875 :
世界@名無史さん :03/10/23 15:20
>>870 「中国3000年の歴史」ではなく
「清国3000年の歴史」と言っていたかもしれない?
876 :
世界@名無史さん :03/10/23 16:14
ものすごい勢いで、違和感あり。
877 :
世界@名無史さん :03/10/23 16:31
>>875 そのとーり。
そして学校の生徒たちは、自分たちの国の名前について
「かつての我が国では王朝の交代ごとに国号を改める習慣があった」とか、
「我が国の国号は、現王朝が1636年に採用した「ダイチン・グルン」に由来する」
とかなんとかと、教わっていただろう。
>>876 そりゃあ、君が(オレモカ)「政権を握った漢人共和主義者が「中国」を
正式国号に採用した世界」に生きているからだよ。
878 :
世界@名無史さん :03/10/23 21:45
>>852 #「中国には中国の形象あり。今満洲は悉く削髪し・・」
#「是れ中国人をしてその本を忘れしむるなり・・」
#と、洪秀全の「奉天討胡檄」に用いられた「中国」は、何を表して
#いるのか?
>この「中国」がどのような用法であれ、その用法は太平天国とその残党
>の滅亡にともない、いったん断絶している。
「用法」については「必死にスルー」するね。まあそれは後でやるとして、
君は上記の文章で、後の留学生たちの「中国」と同質の「中国」が太平
天国の時代に存在したことを認めたのだ。なぜなら「断絶」とは空白の
両端が同質であって始めて「断絶」と言えるからだ。
「断絶」したかどうかはともかく、留学生たちの「中国」と同質の「中国」
が過去に存在した、という時点で岡田説はヨタになる。
「断絶」にこだわるなら、民衆レベルで行われた言葉について「断絶」なんて
簡単に言えるのか。
「中国」が民衆の間で用いられ、理解されたからこそ洪秀全は「中国」を
用いて挙兵の大義を説いたのだ。
そんな言葉が「断絶」したと、どうやって決めつけられるのか?
しかも太平天国はそんなに昔のことではない。太平天国から日清戦争までは
たかだか30年だ。留学生たちにとっての太平天国は、今の中国人にとって
の文化大革命と同じくらいの古さでしかないのだ。
879 :
世界@名無史さん :03/10/23 23:02
880 :
あんちヨタ :03/10/23 23:23
>「用法」については「必死にスルー」するね。
はぁ?次のように明確にコメントしているが。
>>861 >>清朝と太平天国と明朝と‥‥の今に残した文献の方が先立つものだぞ。
>単に紙の上に「残されて」「先だって」いただけ。
>「中国」と同質の「中国」が太平天国の時代に存在したことを認めたのだ。
コイツは、他人のレスをまともに読みやしねえ。
>>625 の文面だ。
>現中国領のうち、シナの部分とか、古代の黄河流域をさす「地域名称」と
>しての「中国」の用例は古くからあったし、国号として条約にもちいられ
>たことすらあった
岡田の言説をめぐるやりとりに取りかかるに当たり、「議論のためのドダイ」
として真っ先に提示しているんだが、それがどうかしたか?
881 :
あんちヨタ :03/10/23 23:23
>留学生たちの「中国」と同質の「中国」が過去に存在した、という時点で >岡田説はヨタになる。 すでに三回目の指摘だが、単に「過去に存在していただけ」では、中国人の間で「中国が 中国の意味になった」とはいえない。 中国人の間で「中国が中国の意味になった」のは、 漢人共和主義者が自国の国号として採用し、 政権を握り、 新共和国の国号として採用した ことによる。 10回目くらいのコピペだが、再度繰り返しておく。 >漢人共和主義者でない者が、 >漢人を読者に想定して執筆した >漢文(または中国語)の著作において、 >自国の通時的な呼称として、または自国の国号として「中国」を使うことが >中国人全体の共通認識となったのは、1911年以降。 それ以前は、自国を「天命を受けた天子の徳化が直接に及ぶところ」と観念するのが一 般的。 「世界諸国の中の一国」と観念することなどなく、当然そんな「世界諸国の一国たる自 国」に対する「王朝や政権の変遷を超えた通時的な呼称」など、外交の現場など、特殊 な場面でしか用いられていなかった。 すなわち、先述の、 >単に紙の上に「残されて」「先だって」いただけ。 という一句のことだ。
882 :
あんちヨタ :03/10/23 23:24
>民衆レベルで行われた言葉について「断絶」なんて簡単に言えるのか。 >「中国」が民衆の間で用いられ、理解されたからこそ 用例をドーゾ。 >洪秀全は「中国」を用いて挙兵の大義を説いたのだ。 単に紙の上に「残されて」「先だって」いただけ。 >そんな言葉が「断絶」したと、どうやって決めつけられるのか? 太平天国の残党組織が、中国革命同盟家に合流したという事実は全く存在しない。 漢人共和主義活動家の思想・理論は、「立憲運動」を初めとする各種の改革運動を吟味す るなか、主として日本を舞台として、彼等が独自に生み出したものであって、太平天国と の直接のつながりは存在しない。 現行の「中国という観念」を成立させた人々、中国で「中国を中国の意味でもちいる」契 機を切り開いた人々は、日本で日本語から「漢人国家」概念に到達したのである。 当方は、このやりとりを始めるにあたって、こちらのネタ元を真っ先に明らかにしてやっ ているのに、ヨタちゃんは、飲冰室文集も民報も、触れることすらしないもんだから、 い つ ま で も い つ ま で も い つ ま で も 珍説を繰り返す。 困 っ た も ん だ 。
883 :
あんちヨタ :03/10/23 23:26
>しかも太平天国はそんなに昔のことではない。太平天国から日清戦争までは >たかだか30年だ。 >留学生たちにとっての太平天国は、今の中国人にとって >の文化大革命と同じくらいの古さでしかないのだ。 それがどうした。 漢人共和主義者として活動した人物の著作については、中国でも台湾でも多数出版され ている。東洋史とか中国文学の専攻を設置している大学あたりへいけば、オリジナルは ともかく、後生の編纂モノならいくらでもみることができる。 二、三編の作文を残して死んだ鉄砲玉はともかくとして、各地の組織を立ち上げ、中国 革命同盟 会に結集した活動家は、まず「清朝の改革」からはいって、いろいろな試行錯 誤の末、「漢人国家に対する異民族支配の除去」「共和主義革命」に到達したものばかり。 ヒトリでもいいから、読みなさいって。 少しは地に足のついた議論ができるようになるから。 「太平天国」の思想家で、生き残って中国革命同盟会に合流した者はヒトリも存在しない。 太平天国の首脳陣のうち、「天王」洪秀全から王号を授かったもので生命を全うして部下 と共に日本に亡命し、中国革命同盟会に合流した者を最低 一名以上あげよ。 もし君がそんな人物をあげることができるなら、もちろん太平天国の「漢人国家」概念が 「断絶しなかった」と認めてやるよ。
>>883 噛んで含めるように説明してるつもりだろうが、
書いていることがループになってるよ。
わからんヤツには何度いっても無駄だと思うよ。
>>866-873 この議論では「自称」に限定して事例を提示したほうが、より説得力ある
かと。
1911年に四川省の成都で清朝権力を排除して成立した共和主義者の地方政権
「大漢蜀軍政府」、
>>628 では、新共和国の国号に関して、いまだコンセンサ
スが成立していない証拠として提示したが、この事例は「横れすヨタちゃん」
への反証としても使える。
「大漢蜀軍政府」 とは、
「大漢」国の、「蜀」地方の「軍による臨時政府」という意味の呼称である。
この政権は、中国の総称として「大漢」を採用している。
(ちなみに蜀とは四川地方の別称)
すなわち「漢」という「王朝名が他の王朝名を包括する概念に発展し」た例だな。
>>884-885 そろそろ潮時でしょうな。
20世紀初頭、中国の政治状況は、
1.清朝が持ち直して延命し、「大清」がこの国の通時的な呼称となる可能性
もあったし、
2.中国革命同盟会の理論家たちが「中国」「中華」ではなく「支那」を採用
する可能性もあったし、
3.反清蜂起を成功させた各地の地方政権が一致してより強力に要請していた
なら、「大漢」またはその他の呼称が国号になっていた可能性もあった
のである。
すなわち、中国人の間で
中国の観念が現行の形で確立され、その観念に「中国」「中華」の呼称が与えられたこと
すなわち
中国が中国の意味になった
のは、
1911年の清朝の崩壊、新共和国による国家の正式呼称としての「採用の結果」
である。
この「採用」を行ったのは、日本語経由で「自国の概念」や「その呼称」を確
立してきた日本への留学・滞在経験者たちであり、したがって岡田による「中
国という観念に関する既述」(
>>813-814 に部分的引用あり)には、基本的に誤
りはないといえる。
ヨタ:岡田のいう「中国という意味の中国」の用例は「清国人が留学する」 遙か以前の古い用例がある。よって日本語起源というのは「ヨタ」。 アンチヨタ:「中国が中国の意味」として中国人全体の共通認識になったの は辛亥革命以降に国家の正式呼称に採用されたことによる。 この採用をおこなった共和革命の担い手たちは新国家についての観念や 呼称を日本語経由で構築したものたちであり、従って「ヨタ」説は誤り。 ヨタとアンチヨタのそれぞれの見解のポイントとなっているのは、 「中国が中国の意味になる」の解釈の違いかな。 そういう意味の言葉の成立と解釈し、より古い用例をあげることで反証たり うると考えるのがヨタ。 中国人の間で自国の観念や呼称としての共通認識が成立することと解釈し、 岡田の記述は、そんな共通認識の成立過程に沿っている、とするのがアン チヨタ。 間違ってたら訂正してくれ。
>>888 こっちの方の要約は、それでバッチリだよ。
うーむ。 それなら逆に、「中国」が「外国」というものの存在を認めたのが、何時からなのかが判ればよいのでは? (中華思想的考えならば、「中国」=「世界の首都、中心地」のような意味だったと聞いたが。) ロシアとの条約でも「国境」の意味が理解できていなかったと聞いたが?>清国側 昔の日本人は、日本は日本の天下、唐土は唐土の天下、と分けていたみたいだけど。 ドシロートが口出ししてスマソ。
中華思想に基づく冊封・朝貢関係にかわって「国際法にもとづく外交関係」が 東アジアに持ち込まれ、清朝政府が「外国」というものの存在を認めざるを得 なくなったのは1840年以降、ということははっきりしているが、 中国人一般が中国を「単なる世界の中のひとつの国」として観念する ようになったのは、それよりカナーリ後。
> 中国人一般が中国を「単なる世界の中のひとつの国」として観念するようになったのは、 > それよりカナーリ後。 太平天国の「奉天討胡の檄」にいう「中国」が、「単なる世界の中のひとつの国」という意味 で用いられたかどうか疑問。 「外から来た野蛮人(=清朝)」に対する「文明地帯」という、宋学にもあるような、伝統的中 華思想による呼称にすぎないとも解釈できる。 「漢人国家」という観念があった証拠とするには弱い。
893 :
世界@名無史さん :03/10/25 01:51
>888 >中国人の間で自国の観念や呼称としての共通認識が成立することと解釈し、 それはあんちヨタ氏のみならずヨタ氏も共有している解釈ではないのか? 彼のコメントを待たなければならないだろうが。 >892 >太平天国の「奉天討胡の檄」にいう「中国」が、「単なる世界の中のひとつの国」という意味 で用いられたかどうか疑問。 自国至上主義の発想に基づいた自称の国名なんて 「単なる世界の中のひとつの国」の認識と矛盾するものではない。 中華思想の建前に騙されちゃ駄目だよ。 世界には中国王朝の冊封・朝貢関係によって統合されない王朝が ヨーロッパや日本などに多数存在することは、 遅くとも明朝末期には民間レベルでも知れ渡っていたこと。 未だ邦訳はないけど明代の長編白話小説『三宝太監西洋記』では、 そんな国々を鄭和率いる艦隊が成敗してまわってるシナ。
894 :
世界@名無史さん :03/10/25 05:40
>>881 君はどうして岡田の文章に「ついて」議論しないのかな。
私が「ヨタ」と言っているのはとりあえずあの文章に「ついて」だけなのだが。
>中国人の間で「中国が中国の意味になった」のは、
> 漢人共和主義者が自国の国号として採用し、
> 政権を握り、
> 新共和国の国号として採用した
>ことによる。
その三つの事象はいずれも岡田の文章の範囲外だ。岡田が言っているのは
留学生たちが(岡田によれば)日本語の「支那」を「中国」と翻訳した、
その時点まで。その時点ですでに(岡田によれば)「中国」が中国の意味になったのだ。
「〜して以降のことだ」というのはその時点で現に起こった事象が以後にわたって
「持続した」という意味。
素人相手の文章なのだから深遠な解釈をしてはいけない。
895 :
世界@名無史さん :03/10/25 05:44
君の言うことによれば「中国が中国という意味になったのは」というのは 「中国が中華民国になったのは」あるいは「近代国家になったのは」という 意味だ、と受け取れるが、岡田があの文章のどこでそんなことを言っているの? 岡田は日本語の「支那」を中国と翻訳した、と言っているのだから、その 翻訳語は元の言葉、すなわち「支那」と同じ意味でなければならない。 日清戦争直後の日本語の「支那」に「中華民国」とか「近代国家」とか 言う意味があったのかな? だいたい岡田じしんがそんな難しい意味を含めていないから、日清修好条規の「中国」 について質問されると、それが新聞に書いた素人だましの説と抵触することを意識する。 だからこそ「ああ、それは中華民国による改竄ですね。「中国」がむかしから あった、と思わせるために改竄するのです」なんて言うのだ。 日清修好条規の「中国」については改竄説のほうが君の説よりもよほどわかりやすいし、 なんでも直裁に言い切る岡田流にかなっている。 戦前の弱体中華民国が、どうやって日本の外務省に侵入して文書を改竄したか、 という疑問を除けばね。
896 :
世界@名無史さん :03/10/25 20:50
>>892 >「漢人国家」という観念があった証拠とするには弱い。
満洲人を「中国」の地から追い出そう、という檄だよ。
そして「中国には中国の形象あり」というのは漢人の伝統のことを
言っているのだから、そうやって作られるべき國(想像上の)は
自動的に「漢人国家」ということになる。
ようするに岡田の書いたことはペケ。 アンチヨタのいうことはそれなりの理がある。 ということでいいですか。
898 :
世界@名無史さん :03/10/25 22:12
ネルチンスク条約の交渉の際に清側は「ザバイカルの全域」を要求したらしいが これってホント? さしあたってこの時は外興安嶺付近についてしかとりきめなかったため 後にロシア人につけいれられることになったとか。
>満洲人を「中国」の地から追い出そう、という檄だよ。 だから、その「中国」は、単なる「文明地帯」という意味の旧来の観念による 呼称だ、っていってんだが。 >「中国には中国の形象あり」というのは漢人の伝統のことを言っている そう。中華思想は、漢人の風俗習慣を「礼」と名付け、「文明」と「野蛮」を 区別する基準とした。連中は、自分たちの風俗習慣を、単に「漢人の風俗習慣」 とみなしていたのではなく、「文明人を識別する基準」とみなしていたのだ。 >のだから、そうやって作られるべき國(想像上の)は自動的に「漢人国 >家」ということになる。 なにが「自動的(藁」なのやら。 文明地帯と文明人が野蛮人に支配されているのはけしからん、といっているだ けで、太平天国が「漢人国家」と自己規定していた証拠には全くなっていな いぞ。 むろん「世界諸国のひとつとしての中国」という観念が芽生えていた証拠もない。 現に、太平天国が南京を取ったあと接触してきた列強諸国に対しては、「敵対 していない野蛮人」という、旧弊な中華思想的態度で応対したものだから、列 強諸国はあきれかえり、国家承認はおろか「交戦団体」としての認定すら受け ることができなかった。
>>893 ヨタに岡田のいう「中国という観念」の成立がわかっているとは思えない。
中国人に自国が「単なる世界の諸国のひとつ」という自国認識が生じたのは、
中国が列強諸国に連敗に連敗を重ね、屈辱的な条約をいくつも締結するという
現実の前に、「文明の源泉」という主観的な自己認識・世界認識が破綻せざる
をえなくなった結果として、なわけだが、
ヨタは「中国という観念」と「中国という言葉」が等値できる頭脳の持ち主な
ので、上記のような経緯はどうでもよく、だから「中国」の古い用例を上げさ
えすれば事足りる、と思っていることがヨタのあげる用例から読みとることが
できる。
>>897 ヨタが「ヨタ」とか「ウソツキ」と評価しているのは、岡田の言説そのものではなく、「中国という観念」を「中国という言葉」に等値する「歪曲フィルター」を通して変形した産物に対してである。
だからヨタと同種のフィルターの持ち主にとっては「ペケ」、
通常の認識力の持ち主にとっては「ペケ」ではない、ということになる。
901 :
あんちヨタ :03/10/26 19:15
>君はどうして岡田の文章に「ついて」議論しないのかな。 >私が「ヨタ」と言っているのはとりあえずあの文章に「ついて」だけなのだが。 岡田が「日本語起源」だという「中国という観念」の成立について、 延々と説明してやっているんだが、君には見えないのかな、その文面が。 その作業を通じて、他の読者は「岡田の文章」の主旨が事実に即していることを理解している。君にはムリのようだが。 >その三つの事象はいずれも岡田の文章の範囲外だ。 いや、中国において現行の「中国という観念」が成立するプロセスを示したものである。 >素人相手の文章だから、深遠な解釈をしてはいけない。 高校生程度の読解力があるなら、わかるようにまとめているよ。 君にとって「深遠」すぎたということはわかったが。
902 :
あんちヨタ :03/10/26 19:17
> 君の言うことによれば「中国が中国という意味になったのは」というのは
>「中国が中華民国になったのは」あるいは「近代国家になったのは」という
> 意味だ、と受け取れるが、
ちがうな。
岡田のいう「中国が中国という意味になった」とは、
中国において『現行の「中国という観念」』が成立すること、
中国人たちの間で『現行の「中国という観念」』が共通認識として確立されること
と指摘している。
> 岡田は日本語の「支那」を中国と翻訳した、と言っているのだから、その
> 翻訳語は元の言葉、すなわち「支那」と同じ意味でなければならない。
岡田がいっているのは、「中国という観念」が成立するにあたっては、日本語の「支
那」が「中国に翻訳された」という主旨だぞ。自分で引用した
>>814 をもう一度よく
読め。
そして、すでに説明してやったとおり、漢人共和主義者の国体と国号に関する議論に
おいては、「支那」と「中国」が漢人国家という概念を著す呼称として等価で使用さ
れた時期があったのは紛れもない事実である。
903 :
あんちヨタ :03/10/26 19:18
民報には、章太炎が「中華民国解」を書いた同じ号やその前後に、日本人支持者から 「支那革命党に問ふ」「支那革命党に問ふに答ふ」などの文章が掲載されており、中 国人革命家と日本人が、リアルタイムで「支那」という概念を共有している場面をみ ることができる。 ところで、太平天国の思想家で、中国革命同盟会に合流した者をあげることはできな いのかね? このような漢人共和主義者たちの「中国という観念」は、前述のごとく、太平天国と はまったく断絶して、日清戦争以降に清国人留学生が日本を舞台に様々な改革思想を 吟味選択する中から徐々に形成されていったもので、しかも政権をとったのを契機と して、さらなる大変化をとげている。 いずれにせよ、「中国という観念」が現行の形で形成されるプロセスの過程に「日本 語の支那」観念を翻訳導入するという段階が含まれているのであるから、 >日清戦争直後の日本語の「支那」に「中華民国」とか「近代国家」とか言う意味 があるかどうかなど、問題ではない。
904 :
あんちヨタ :03/10/26 19:21
訂正 。。。。。 日本人支持者からの「支那革命党に問ふ」、その回答「支那革命党に問ふに答ふ」
905 :
あんちヨタ :03/10/26 19:35
>ヨーロッパや日本などに多数存在することは、
>遅くとも明朝末期には民間レベルでも知れ渡っていたこと。
単に様々な「蛮夷」がいたと認識していただけだろ。
ヨタちゃんのいう、「漢人国家」という概念の
>「中国」が民衆の間で用いられ、理解された
という証拠はまーだかなー。
「蛮夷」の諸国と「中国」が国際法上の権利行使主体として、対等・平等の一国である、
という認識が、1840年以前の中国、それも政府当局じゃなく民間に行き渡っていたなどとは、とても考えられない。
>>899 でもつっこみが入っていたがたんなる「文明地帯」という意味の「中国」を、
君が勝手に「自動的に」「漢人国家」として識別した事例は却下だからな。
906 :
世界@名無史さん :03/10/26 22:19
>>900 >ヨタが「ヨタ」とか「ウソツキ」と評価しているのは、岡田の言説そのもの
>ではなく、「中国という観念」を「中国という言葉」に等値する「歪曲フィルター」>を通して変形した産物に対してである。
せっかく私がヒントを与えているのに、まだそんなつまらんことを言っているの?
「観念」と「言葉」は表裏一体のものだ。「観念」は「言葉」をもってしか
表せないのだ。現に「中国という観念」という表現にしてからが、無形の脳内
現象である「観念」を中国という「言葉」で表しているではないか。
況や私は「中国という意味の中国という言葉は・・・日本語起源だ」と書いて、
「中国」が一定の「観念」を表す「言葉」であることを示している。
だから私の:
「中国という意味の中国という言葉は清国人留学生が日本語の支那を翻訳して
できたのだから日本語起源だ」
というのは文句のない要約なのだ。
つまらないことにしがみついているとそれしかないのかと思われるよ。
907 :
世界@名無史さん :03/10/26 22:22
>>899 岡田の文章に「ついて」議論しているのだから岡田の文章に「即して」
議論しよう。
岡田は引用した文章の中で、「中国」の意味を二つのグループに分けて、それぞれ
次のような言葉で表している。
<グループ1>
「中央の都市」「首都」「華北の都市化した地帯」
<グループ2>
「中国という意味の「中国」」(「中国」が中国の意味になったのは・・)
「支那」(中国と翻訳された元の言葉として)
「個々の王朝とは別の国名」(支那の用法として)
「漢とか唐とかいう王朝の時代を超えた、中国という観念」
さて、太平天国の「奉天討胡檄」に用いられた「中国」は岡田の文章に「即して」
言えば、上記のうちどれに相当するのかな?
>>906 は、892宛だし、すでに論破した中身だから放置。
>>907 当方の要約では、岡田による中国概念の発展過程は、次のように整理できる。
1.「はじめ」→ 中国」は中央の都市、すなわち「首都」の意味だった。
2.「のちに」→ のちに「天下」の一部の、華北の都市化した地帯
3.「清国人留学生たちが日本語の「支那」を「中国」と訳してから
→ 「中国という意味の「中国」」
江南地方はながらくタイ系諸民族の地で、漢人にとってはながく蛮夷の地であ
り、華北のみが「中国」と観念された時期がながく続いたが、北宋〜南宋期に
いたり、漸く開発・漢南がすすみ、南宋期には「天下」の南半と認識されるに
いたる。すなわち、中華思想にいう「文明地帯」という意味の中国が、この時
期には華中・華南をも包摂するようになる。
岡田による「中国」観念の発展段階では、2.3の間に入るべきこの過程が抜け
ている。すでに評価した「舌足らずな部分」がこれである。
ただし、実際には岡田はちゃんと既述しているのに、ヨタちゃんが、引用文の
前後や(中略)の部分でカットしている可能性もあるので、最終的な判断は保
留。
さて、君の問いの
太平天国の「奉天討胡檄」に用いられた「中国」であるが、すでに892のツッ
コミによって明らかないように、岡田のいう3にはまったく該当しない。
最初は華北だけを差し、後に華中・華南も加えた、
>>899 にいう「単なる文明地
帯」の意味の「中国」を指すものといえよう。
909 :
あんちヨタ :03/10/26 22:56
ところで、太平天国の運動家・思想家で、中国革命同盟会に合流した者の紹介 はまーだかなー? ヨタちゃんのいう、「漢人国家」という概念の >「中国」が民衆の間で用いられ、理解された という証拠はまーだかなー。 紹介まってるよん。
910 :
あんちヨタ :03/10/26 23:01
911 :
世界@名無史さん :03/10/26 23:54
「中国」が漢人によって自国と峻別された意味合いで 他国の呼称に用いられた具体的事例を指摘できなければ、 漢人にとってたんなる「文明地帯」という意味であったという事を実証できないのでは? 「日本」に関してはこの点の疑問について誰でも意見の一致をみるだろうけど、 それは上記の実証過程で反証されるからだ。 通時的な意味を持つ自国の美称として歴代に渡り、 民衆はどうであったか確証は無くとも 知識人たちの共通語彙としては確実に用いられてきたから、 仏教経典以外の紙の上にも残ってきた。 第一、自国のみを「文明地帯」とみなすのは他の民族集団でもあった現象だったのを忘れるな。 ついでに論議の焦点とは逸れてしまう話題だが、 自国以外はみな野蛮国家で対等平等の一国ではない、という認識なんぞ欠けていても、 事実認識として自国以外に多数の国家が存在するのを認める立場とは矛盾しない。 それがあるべき姿かどうかの価値判断とは別個にね。 当方は両氏ほど該博な知識は持ち合わせてないが、 どちらが詭弁を弄しているかは分かるよ。
912 :
世界@名無史さん :03/10/26 23:55
>>894 >岡田が言っているのは
留学生たちが(岡田によれば)日本語の「支那」を「中国」と翻訳した、
その時点まで。その時点ですでに(岡田によれば)「中国」が中国の意味になったのだ。
「〜して以降のことだ」というのはその時点で現に起こった事象が以後にわたって
「持続した」という意味。
あんちヨタ氏による岡田説の拡大解釈によって現行の中国という観念と呼名と共通理解とが
日本語経由で構築されていく過程なんたらかんたらの精緻な雄弁以前に、
このヨタ氏のレスで議論の本質が言い尽くされていることは高校生レベルの日本語読解力があれば理解できるよ。
>>895 >だいたい岡田じしんがそんな難しい意味を含めていないから、日清修好条規の「中国」
について質問されると、それが新聞に書いた素人だましの説と抵触することを意識する。
だからこそ「ああ、それは中華民国による改竄ですね。「中国」がむかしから
あった、と思わせるために改竄するのです」なんて言うのだ。
日清修好条規の「中国」については改竄説のほうが君の説よりもよほどわかりやすいし、
なんでも直裁に言い切る岡田流にかなっている。
戦前の弱体中華民国が、どうやって日本の外務省に侵入して文書を改竄したか、
という疑問を除けばね。
あんちヨタ氏が岡田氏の所説をデッチあげて「中国が中国という意味になった」を拡大解釈して
十分に理解できるレスだから、彼はスルーするのだろうか。
913 :
世界@名無史さん :03/10/27 00:00
912の訂正 >あんちヨタ氏が岡田氏の所説をデッチあげて「中国が中国という意味になった」を拡大解釈して ではなく >あんちヨタ氏が岡田氏の所説をデッチあげて「中国が中国という意味になった」を拡大解釈したことが
しかし院生Bと院生Cは両方ともHN変えたあげく 言語論争から岡田論争になっても仲と頭が悪いんだな。
そもそも相手の主張を読む気がお互いにないんだからそりゃ平行線だろ
916 :
世界@名無史さん :03/10/27 21:32
>>907 >岡田による「中国」観念の発展段階では、2.3の間に入るべきこの過程が抜け
>ている。すでに評価した「舌足らずな部分」がこれである。
なぜ抜けているのか、考えてみることだな。
>ただし、実際には岡田はちゃんと既述しているのに、ヨタちゃんが、引用文の
>前後や(中略)の部分でカットしている可能性もあるので、最終的な判断は保留。
いい加減なことを言ってはいけない。私が最初に引用したときは(中略)が
あるのに気付いて直ちに補充した。誰かが「岡田は日本語起源とは言っていない」
というので再引用したときは(中略)はない。君はそれを知っているはずだ。
私の引用した部分より前には次のような前文があるだけ。
「明治の日本人は、新しい国語の開発を1894−95年の日清戦争までに、ほぼ
完了していた、この新しい日本語の語彙と文体は、おもに英語を基礎として、フラ
ンス語やドイツ語加羅も直訳して作ったものだった。その翻訳の際、やまとことば
では長たらしくなって不便なので、ほとんどの語彙は漢字を組み合わせて作り出さ
れた。こうした漢字の組み合わせは中国の古典にはないか、あっても意味が違う
ものだった。「国家」も「国民」も日本人がこうして19世紀に新しく作り出した
術語だった。」
引用部分の後は「日本語化した漢文」という表題で中国語の日本語化の話になる
ので、「中国」とはさしあたり関係ない。
さて、情報を提供したところで君の「最終的な判断」は?
917 :
世界@名無史さん :03/10/27 21:38
>>909 >ところで、太平天国の運動家・思想家で、中国革命同盟会に合流した者の紹介
>はまーだかなー?
そんなのは君が勝手に言っていることで、私の知ったことではない。だいたい
君は最初は洪秀全の用いた「中国の用法」が断絶した、と言ったのだ。
それに対して私は「言葉が簡単に断絶するのか?」と言っているわけ。
現に太平天国は滅びても「太平天国」という言葉は残ったではないか。
>「漢人国家」という概念の
> >「中国」が民衆の間で用いられ、理解された
>という証拠はまーだかなー。
洪秀全は「中国」という言葉を民衆に啓蒙かたがた、兵を募ったのではない、
ということ。
「中国」が一般に用いられ、その意味を民衆が知っている→それを言えば
民族意識を刺激できることをアジテーターが認識している→宣伝のキーワード
に使う、という順序であって、その逆ではない。
だから「奉天討胡檄」そのものが用例であり、証拠なのだ。
また洪秀全じしんも、「官」ではないという意味では民衆の一人であることを
忘れてはいけない。
918 :
世界@名無史さん :03/10/28 10:48
>>916 訂正
誤:ドイツ語加羅も
正:ドイツ語からも
>>914 おれは知らんとゆーておろーが。
名無しでチャチャを入れたことはあるが。
920 :
世界@名無史さん :03/10/28 14:38
清朝の軍事力って最盛期の乾隆帝の時でもビルマに3度も敗北するくらい弱かったらしい(プゲラ
でもビルマって清に朝貢してたんでそ。
923 :
世界@名無史さん :03/10/29 01:37
>>920 ビルマは結構強いんだよ。タイに何度も攻め込んでいるしね。
>>922 後輩院生をスポイルして潰す君に比べたら、ごくささやかなイタズラ
にすぎんよ。ここでチョコチョコっと熱い討論を観察するくらい。
あれれ、いきなり議論終了かよ。
この調子で1000まで逝くと思っていたのに。
927 :
世界@名無史さん :03/10/31 15:05
自称「あんちヨタ」という岡田教信者くんは沈黙してしまったので、 いちおう区切りをつけておこう。 信者くんは >岡田による「中国」観念の発展段階では、2.3の間に入るべきこの過程が抜け >ている。すでに評価した「舌足らずな部分」がこれである。 と言って古典以後、日清戦争以前の「中国」の欠落を認めたが、教祖がそれを 落とすはずはないという思いから、 >ただし、実際には岡田はちゃんと既述しているのに、ヨタちゃんが、引用文の >前後や(中略)の部分でカットしている可能性もあるので、最終的な判断は保留。 と言って実際は欠落していないという望みをつなぎ、はては私が隠しているの では無いかとあらぬ疑いをかけたりした。 しかしまさにこのことが信者の信者たるゆえんを表している。
928 :
世界@名無史さん :03/10/31 15:12
なぜ欠落しているかは、欠落していない状態を想定してみれば容易にわかる。 たとえば岡田が古典の部分の後に次のような一文を挿入したとしよう。 「その後「中国」は17世紀末以降、清国とロシヤ、英国、日本などとの間の 国際条約に清国の国号として用いられ、また19世紀中葉の太平天国の乱では 「中国には中国の形象(*)有り」と、漢人の民族意識を昂揚するキーワード として宣伝に用いられたりした。」 (*形象:シンボル、ここでは満洲人の弁髪に対して漢人の特徴たる結髪を言う) これを読んだ素人たる新聞読者は、上記のような「中国」と、岡田が引用文の なかで「支那」を介して説明する「個々の王朝の名前とは別の国名」としての 「中国」との区別に頭をひねるだろう。そして岡田の説の中心テーマたる、 「「中国」が中国の意味になったのは清国人留学生たちが日本語の「支那」を 「中国」と訳してからのことだ」という一節が俄然印象がうすくなるばかりか、 なんのことかわからなくなってしまうであろう。 つまり、「古典以後、日清戦争以前の「中国」」が欠落しているのは、岡田が 上記のヨタを言う前提段階なのであり、さらに言えばその欠落もまたヨタの 一部なのである。 信者くんは、欠落を認めながら、教祖への帰依の余り、なぜそれが欠落して いるかを自分の頭で考えることを抛棄すると言う、信者に一般的な特徴を露呈 したのである。
929 :
世界@名無史さん :03/11/15 19:20
松浦章センセ以外に沿海史メインにやってるセンセっているのでつか?
愛新覚羅溥儀
931 :
ヨタの脳内勝利宣言をさらしアゲ :03/12/17 23:00
.
932 :
世界@名無史さん :03/12/18 02:00
この間のNHKの満漢全席の特集見た人いる? 気取ったゲストばっかで辟易した
933 :
世界@名無史さん :03/12/29 21:26
やっと全部見た。疲れたw 最後の論争は見ていて楽しかった。 岡田のじっちゃんの文章は読みやすい。ただ、粗雑なところもある。それはこっち(読者)が 脳内(藁)で補う場所が何回かあったりする。だから、論争にまで発展するわけだ。 3時間かかったよ、全部読むのに・・・・・。
>>933 お疲れさん。しかし、「最後の論争」って、まだ終わってないんだなぁ、これが。
今はクソ忙しいので当分先になるが、いずれ、「決定版」をUPするので、
無駄な記憶力を誇るヒマ人は、あまり期待せずにまっていてくれい。
それまでは、ヨタの電波な脳内勝利宣言
>>927-928 をとっくりと鑑賞されたし。
ヨタが錦の御旗とヒッシで振りかざしている太平天国の「奉天討胡の
檄」なんて、実際の文面で、「中国」が何と対比されているかをみれ
檄」なんて、ば、ヨタのデタラメぶりはアキラカ。
梁啓超による呼称「中国」の呼称とあわせて、シバラクしたら紹介するよ。
誤・梁啓超による呼称「中国」の呼称 正・梁啓超による呼称「中国」の考証