【悲劇の清朝王女】川島芳子2【男装の麗人】

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938世界@名無史さん:2009/07/19(日) 00:50:35 0
>>869 にも出ているが、例の張ト氏が3月に日本にきて、日本の専門家
と行ったという「学術報告会」内でどういうやりとりがされたかという
内容の一部を中国のサイトで発見したので一部紹介する。
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2661030621990671444

-2009年3月2日テレビ朝日社屋内において-

この中で早稲田大学の劉傑教授がなかなかするどい質問をしている。
劉教授:「川島芳子(方ばあさんのこと)は新中国でどんな生活をしていたんだ?
文革のときになぜ捕まらなかった?どうやって中国の南北を自由に往来
していたんだ?」
回答:「私たちはただ彼女が30年生活していたという証拠を見ただけです。
まだ、政治的な立場の新証拠は得ていません。これは(満州事変等と同じく)
政治的立場はかえられないからです」「彼女は般若寺の住職と交流が
あり、その「帰依証」も南北往来の助けになりました」
劉教授「方ばあさんは毎年国清寺にいっていたようだが、誰が費用負担を
したのだ?生活費はどこから来ていたのか?」
回答:「彼女はいくらかお金をもっていましたが、50年代に私(張ト母)が
敗血症をわずらった時に少なくないお金を使い、なくなってしまいました。
1958年から1965年まで于景泰(親戚)が養いました。
1965年から1978年までの13年は,我々が養いました」
939世界@名無史さん:2009/07/19(日) 01:01:06 0
簡潔だが、劉教授の質問は核心をついている。さすが文革経験者。
いわんとしていることは私と全く同じで、ようするに
「方ばあさんとやらが、新中国(共産党政権)になってから、
あんたらがいってるような生活・行動が本当にできたのか」といっているわけだ。

これに対して回答は、ほとんど答えにすらなってない。つまり、方ばあさん
とやらが本当に実在した政治的(公式)な証拠は何もみつかっていない。
ということである。「帰依証」?それがどうした。そんなもの日本に
例えていえばどっかのファンクラブの会員証のようなものだ。
そんな私的なものが、政府の発行する身分証のかわりになんかなるわけ
ないだろう。中国人として、そんなこといってて恥ずかしくないのか?
劉教授は中国の知識人として、私以上に中国の諸制度のことを念頭に
おいて質問しているはずだ。お金等のことに関しても、かって配給制度
や公共食堂制度がひかれていた中国で、住民登録されていない人間が
食っていけるわけがないということを十分承知の上で聞いている。
940世界@名無史さん:2009/07/19(日) 01:21:27 0
他の出席者、太田尚樹、山本武利、阿倍由美子等は、この短い
文章だけでは、肯定・否定ははっきりしない。が、
少なくとも、川島芳子が処刑されていない、ということは
可能性として認めつつも、今回の一件に関しては、とても御墨付きを与えた
などとはいえないようだ。もっとも、劉教授だけは、この話は
全く信用していないということが、質問内容からも読み取れる。

尚、この会はテレ朝の後藤はなが司会をしていたようだが、日本で
の専門家のこれらの疑義を聞いてもなお「信じている」とは馬鹿としか
いいようがない。一生中国にいってついでに帰化でもしたらよかろう。

それから、私は前にもこの張トオバンがたびたび言うことを変えている、
と書いたが、最近中国のネットを見ていると、かなり多くの記事で、
方ばあさんが死んだのは、長春ではなく四平(スーピン)だと書いてあった。
四平というのは、長春から南へ100キロほどいった遼寧省に近い町で、
私もかなり昔に一度通ったことがあるが、長春とは全く別の町である。
これでは、いままでテレビ等でいっていたことと全く違うのではないか?
張トの話だと、郊外の新立春の家で立ったまま死んだのではないのか。

馬脚を現してきたということだ。最初はいかにも方ばあさんは、ずっと
自分の近くにいたようなことを言っていたが、その後調査が進み、公式な
証明が無いことや、証言者があまりに少ない、という疑いの目に焦って、
「実は冬場は市内の般若寺へ、夏は南の国清寺へいっていた。死んだ
のもここではなく四平だった」とか適当に言い出したんだろう。
(↑実際に多くの記事にはそう書いてある)
こんなコロコロ証言をかえる奴など信用できるわけがない。
歴史のねつ造は許されない。いつか正体が暴かれる時がくるはずだ。
941世界@名無史さん:2009/07/21(火) 20:29:32 0
テレ朝さん、一体いつになったら続編やんの?
もう待ちくたびれたんだけど
方おばあちゃんが芳子だというなら確固たるモノを提示してくれよ!
942世界@名無史さん:2009/07/23(木) 08:58:15 O











うんち









943世界@名無史さん:2009/07/24(金) 01:00:28 0
愛新覚羅徳崇氏について。
ttp://www.56-china.com.cn/china04-12/08q/zgmz04-8m2.htm
中国のネットでいろいろ調べてきました。(上記以外のサイトの情報も含む)
まあ、簡潔にいいますと、河北省で生まれ、幼少時に一家で瀋陽に
引っ越してきた。もともとは文筆家かなにかで、文革の頃は結構苦労
したという。しかし、改革開放以後、広東省で七面鳥の養殖などの
商売で成功し、今、瀋陽では「愛新覚羅徳崇商店」なる名前の会社まで
つくっているという。愛新覚羅としての系図をさかのぼると、太祖ヌルハチ
までいくとか。でも、愛新覚羅としては分家の分家らしく、なんでも先祖
の言い伝えで「北京にはいってはならない」とか言われていたらしい。
八大親王家などに比べると、愛新覚羅といっても全く低い家柄のようだ。
-----------------------------------------------------------------
で、ここからが自分の見解なのだが、これって所謂「熊沢天皇」とかと
同じでねえの?という感じだ。昔は愛新覚羅姓は名乗っていなかった
らしい。(記事では、中共になってからは、本姓を隠すのが普通だった
とあるが)商売などで成功し、急に「ウチはヌルハチから別れた由緒
ある愛新覚羅一族」とかいいだしたらしい。
(また記事には「最近、セレブな響きに憧れ、愛新覚羅を名乗る人間が
増えている」ともある)記事によると、94年の溥傑の葬儀に押しかけ、
末弟溥任と「おお、兄弟よ!」とか抱き合って泣いたとかいうが本当
かどうか怪しいものだ。
しかし、自称か他称か知らないが「ウチは今や愛新覚羅の宗長、いや族長」
などといっているというのは、全くけしからん事である。
仮に本当にヌルハチの子孫だとしても、(記事によると、今中国に愛新覚羅
一族は推定で30-40万人はいるそうですから)
関東軍から全く相手にされなかった貧乏たれ風情が何が族長だ!
これでは、他のまっとうな愛新覚羅一族が相手にしないのもわかる。

自分の会社に「愛新覚羅徳崇商店」などという破廉恥な名前をつけている
のを見ても、この人は単に愛新覚羅姓を商売に利用したいだけでは
ないかと思ってしまう。(ちなみに、中国で会社の名前に人名を入れる
という習慣は基本的にありません)
944世界@名無史さん:2009/07/24(金) 01:02:41 0
しかし、この「方ばあさん」の一件、

〇矛盾だらけの証言で、存在したかどうかもわからない「方ばあさん」を
「川島芳子である」といいはる張ト。
〇領事館に相手にされてないのに「自分は中国残留日本人孤児」と
主張する張ト母。
〇派振りがよくなってから急に「愛新覚羅」を名乗りだして、
「族長」を称し、商売に利用している徳崇。

はっきりいって、「詐欺師集団」でねえのこれ?

おい筑波大の野崎さんよ、アンタこういうこと全部知っててなお連中の
いうこと信じてるのけ?単に詐欺の片棒、いや歴史捏造に手を貸してる
だけなんでねえの?
調べたところによると、6月14日にも早稲田大学で「研究会」とか
開いたらしいなあ。で、他の出席者は「間違いない」と太鼓判押して
くれたか?いいかげん目を覚まして、常識もって物事見ろよ。
945世界@名無史さん:2009/07/24(金) 01:13:23 0
>>941
あるわけないだろそんなもの。
後藤はなの編集後記読んだら「関東軍や仏教グループが芳子を助けた」
とかあるけど、錆びた薬さじとなんかの「帰依証」
あとは、正体不明のタレコミ電話の怪情報だけだろ。そんなんで
どうやって科学的に立証するんだよ。番組続かねえよ。
まあ、続編やるのは勝手だけど、社長のクビが飛ばないように
注意するんだね。「あるある」とか「バンキシャ」とかの例も
あるからさ。
日本人が中国の社会制度知らないと思ってナメた番組つくってると
後でたっぷり後悔することになるとだけいっておくよ。
946世界@名無史さん:2009/07/25(土) 03:35:43 O










生ゴミ









947世界@名無史さん:2009/07/27(月) 14:02:27 0
>>936
まったくその通りですね。
東京裁判でキーナン検事の証人になった田中隆吉が、芳子を助けるためにキーナンに泣きついたという説は聞いたことがありますが、
敗戦以前の逮捕もされていない段階で助ける必要なんてないし、芳子本人が法廷に出席しているのに、めちゃくちゃですね。
おそらくこの人の頭の中ではいろいろな説がごっちゃごちゃになっているのでしょう、、、
948世界@名無史さん:2009/07/27(月) 17:30:06 0
>>947
だからこんな糞な本、お金を出して買う必要ないといってるんです。
発行されたことで、もう既にひどい害悪を生んでます。

なぜなら、このアホ、いや阿尾氏は台湾でそこそこ知名度があるらしく、
すでに台湾のサイトでは、ろくに検証されることも無しに、
「ミスター阿尾は生きてる川島芳子に会ったらしい」
とか既成事実化されていっぱい紹介記事が出てるんですよ。
日本人は芳子に詳しいので、こんなヨタ文、まともに受けとってる人は
ほとんどいないようですけどね。

だからこっちの世界にいられると迷惑だからさっさと逝ってくれと
いってるんです。
949世界@名無史さん:2009/07/27(月) 20:14:41 O
黒木メイサと堀北真希みたいに絶対レズファックしまくり!
950世界@名無史さん:2009/07/30(木) 01:26:11 O
この人は同性愛者じゃない。
951世界@名無史さん:2009/07/31(金) 14:28:13 O
山口淑子さんと撮った写真はないのですか?
952世界@名無史さん:2009/08/01(土) 03:43:36 0
ないでしょうね。私も見たことないですし。
というよりも、そういう物証がないから、「李香蘭・私の半生」が出版されるまでは、
世間一般には、川島芳子と山口淑子が、面識があったかどうかも知られていなかったのでは
ないですか。その頃生きていたわけではないので推測ですが。

逆に出版されてからは、世間の誇大妄想が暴走している感じです。

意外にも山口淑子と浩は一度も会ったことがないらしいですし、
そのあたりは本人に語ってもらわないことには、推測だけでは
事実はわからないものですよ。
953世界@名無史さん:2009/08/01(土) 14:12:06 0
>>952
『李香蘭・私の半生』新潮社文庫版の173p

・・・溥潔さん、浩夫人には会ったことがある。・・・満州皇室の一族もほとんど存じ上げている。
みなさんの前で何度かうたったこともある。けれど、宮廷で、溥儀皇帝の前でうたった記憶は全くない。

とあります。
親しい関係だったかはともかく、面識はあったんじゃないですか?
まあ、芳子とは全然関係ない話ですけどねw

954世界@名無史さん:2009/08/01(土) 18:27:13 0
ああ、山口淑子と溥儀でしたかね?
確か記憶では淑子と浩のどっちかが「見かけたことがある」
というのを後でどっちかが否定したと記憶していたんですが。

調べるのも面倒なのでそういうことにしといてください。
955世界@名無史さん:2009/08/03(月) 22:00:49 0
満州皇族をほとんど存じ上げているって
本当かな。溥傑夫妻と交流するようになったのも戦後のことじゃないかな。
戦前だったら女優なんて、知名度はあっても役者風情と低く見られていたんだから、
おつきあいできたかどうか怪しい。
山口の本人の証言だけだからどうとでも言えそうだけど
956世界@名無史さん:2009/08/03(月) 23:41:34 0
吉岡安直をあいだにおけば、山口淑子と浩が仲がいいとは
とてもおもえませんね。

つーか、あんまり深入りしすぎるとスレチになるので
おもいっきりやりたい場合は当該スレへ
957豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 :2009/08/04(火) 07:36:22 O
>>955
皇族・王族・貴族と無縁で下層階級出身の俺でさえ交流せん。
俺は一介の大統領or国家主席に過ぎないし(しかも仮想)、
ましてやそんな古い偏見を少なくとも公に口にしたら非難される
時代の者だけれども、俺の芸能人嫌いもあってか、
少なくとも親密な交際など絶対にしない。
権勢を利用しようとされるとの俺の思い上がりもあるしw
戯れ言はともかく、俺も山口の言うことには嘘というか
自分の存在を大きく高く見せたいそれもあると思うよ。
山口に限らず、それこそ芸人に限らず、人にはそういうところがあるから。
以上は川島芳子の生死の問題とは無関係な話でした。
958世界@名無史さん:2009/08/10(月) 23:51:35 0
おもいっきりスレチ覚悟で少しだけ。
こここんとの酒井法子の件を見ていて、やっぱ中国に関わる
女って激動の人生を逃れられないのかあ、と思った。
山口淑子、川島芳子、テレサ・テン、酒井法子・・

中国にいた95年頃、中国の高校生とかと話をしていて、
「日本人で誰知ってるか」という話になったとき、まっさきに
あがったのがジウジン・ファーズ、酒井法子だった。
当時、日本人としては唯一松下電器のCMに出ていたので
日本人の代表みたくみられていたのは当然だろう。
山口百恵や中野良子も古い世代には有名だけど、引退・半引退
状態だったこともあり、若年者には圧倒的に酒井法子だったね。
私は「もう日本ではそんなに人気があるタレントじゃないですよ」
といって笑ったのが懐かしい。

ということで。
959世界@名無史さん:2009/09/02(水) 21:29:48 0
小方八郎が川島芳子の注射は麻薬じゃなくて
鎮痛剤のフスカミンだといってるけど、
フスカミンていう鎮痛剤が本当にあるの?

俺の知っているフスカミンて毛の染料に使う
工業用の薬品の名前なんだけど。
白髪染めの薬と間違えたんじゃないの?

もし芳子の打っていたのが鎮痛剤だったとしても
中身の成分にアヘンから作るモルヒネが入ってんじゃない?
鎮痛剤の成分ってモルヒネ入ってること多いよ。
それならアヘンはやってなくてもアヘンから作った
モルヒネ中毒だった可能性はあるわけで。

誰か医学薬学系に詳しい人教えてよ
960世界@名無史さん:2009/09/03(木) 18:07:41 0
しらんがな。
厚生省の担当部署に理由を説明して
聞けば、ちゃんと教えてくれると思うよ。
961世界@名無史さん:2009/09/03(木) 20:01:09 0
ウィキペディアの芳子項目を荒らしているやつ、ここに出没していたやつだろう。
別人の写真を貼って最悪だな。あれ、どうみても芳子じゃないだろ。
さんざんえらそうなことを言ってたくせに、芳子の顔もわからないとは(笑)
なんか弁解してみろよ。
962世界@名無史さん:2009/09/03(木) 22:23:12 0
さんざん出没していた奴だが、俺のことか?
はて、なんのことかわからんので今見にいったが、元に何を書いていたか
をよく知らないのでどこをどういじったのかわからないのだが?
そもそも俺はパソコンの知識にうとくて、ウィキの編集のしかた
なんか知らんのだよ。
なんか以前見たときに比べると、写真が増えてるなという印象だが
それか?
あるいは、カンジュルジャップ・ジュンジュルジャップの消息については
みつけてきたのは俺だから、その部分かい?

君ねえ、世界中の誰でも閲覧可能なネットの書き込みみて、なんで俺
がやったときめつけられんだよ。ハッキリいうが20000%違うよ。

が、事実として正しい部分に関しては誰がかきこもうがかまわんと
思ってるがね。もとよりここには著作権などないし。
もっとも、カンジュルジャップがハイラルに住んだというのは
違うんじゃないか。>>933の俺の引用文ではそうなってないしな。
ハイラルの近くにいたのは弟のほうだろ。

ホレ、なんかいってやったぞ。おまえも誰のこといってるのか
過去ログさしていってみろや。
つまんねえこというんなら、二度と出てくんなボケ!




963世界@名無史さん:2009/09/03(木) 22:41:33 0
追記:

おい、ウィキペディアの書き込みした奴。誰か知らんが
ここみてろんだろ。
>>933にちゃんと書いてあるやろ。ハイラルじゃねーぞ。
訂正しとけ。中国語読めんのかもしらんが。
どうせ書くんなら、正しい情報を書け。
写真の件は俺は関知しないので知らん。

もっとも、中国人のいってることだから、どこまで
正確かは知らんがな。 以上。
964世界@名無史さん:2009/09/04(金) 00:11:49 0
>>962
違ったんならすまなかった。
変な奴が北白川宮成久王の写真を芳子の25歳の写真とか言って大ぼら吹いて張り付けてるのさ。
そいつは張るだけ張って説明もしないでとんずらこいたんだ。
悪質な荒らしさ。
ここを見ていることだけは確かだがな。
おい、見ているんだろ。なんとか言ってみろよ、張ったやつ。
965世界@名無史さん:2009/09/04(金) 00:15:08 0
25歳の写真じゃなくて1925年頃って書いてあったな。
どっちにしろ大嘘写真だし、ひどいでたらめだ。
966世界@名無史さん:2009/09/04(金) 00:42:33 0
>>964
わかった。俺も最後の一文はとりけそう。いいすぎたかもしれん。

俺は、俺が見つけてきたことを(正確なことなら)
ウィキに書き込んでもらってもいいと思ってる。
俺にはそんな知識はないし、ここにあるだけじゃいずれ
流れるからな。
それに、カンジュルジャップ兄弟の消息とか、頼まれたから
探しただけで、自分ではもともとそんなに興味ないんだよ。
そんなカルトクイズみたいなことまでやってたら、延々
捜索対象が増えるだけだしな。

テレ朝の番組のロジックを崩すのも、川島芳子が過去にどういう
人物だったとか何やってきたかとか調べてもあんまり関係ないと思ってるし。
どうせやつらは、過去の出版物を見てトレースしてるだけだからね。
そりゃ合致するだろうさ。それよりも、早稲田の劉教授のように、
戦後中国の社会体制と方ばあさんとの矛盾を突くほうがよっぽど効くしな。
967世界@名無史さん:2009/09/04(金) 09:59:39 0
悪質荒らし「wikiの121」は芳子の悪意ストーカー。
自分の感想文レベルの芳子の外見に対する批判をwiki本文に書き込んでいた基地外
(そんなのチラシの裏にでも書けよ、ボケ!)
上から目線でさんざん芳子についてえらそうなことを言っていたが、
討論相手に芳子に関する基礎資料も読まずにネットだけで小手先に調べていたことを見抜かれる。
全然年代の違う記事を持ち出しては、芳子は粛親王の葬儀に参加しなかったなどということを捏造し、
芳子は親の葬儀にも行かない親不孝者だというレッテルを張ろうとした。
ソースを求められると、他のwiki項目や百度など胡散臭いものを並べ、
信憑性に疑問を持たれると、ここはwikiだからこれでも立派なソースだと開き直る。
別人の写真を貼り付け、説明を求められても回答しない。
都合が悪くなって逃亡したのだろう。
ネット上には芳子に詳しい人がたくさんいるから、適当な嘘書くとすぐにばれるんだよ!
なんとか言ってみろ。
968世界@名無史さん:2009/09/04(金) 17:44:11 0
俺は966だが、よくわからん世界の話だな。
その荒らし野郎がどういう奴なのか判然とせんが、
ここを読んでいたのは確かにしても、ロム専かなんかで
ここにはほとんど書きこんでいないのではないか?

まあ、ウィキが百科事典みたいなものだとしたら、
「事実」は書いてもいいけど「評価」
(「事実」に対する自分の感想)はあんまし書くべきもん
ではないと思うけどな。

俺はもともと戦前の話は専門じゃないし、ウィキに書き込み
しようなんて思いもしないが・・まあ、よく相談してやってくれ。
969世界@名無史さん:2009/09/05(土) 10:48:27 0
荒らし野郎の書いているものなんて事実とは言えないようなものばかり。
ネット上で適当に風説を拾ってきては事実のように書き込んでいるだけ。
見てきたように嘘をつく典型。
なかには明らかな捏造も入っている。
極めて主観的な芳子への中傷をwikiに書きこむ非常識野郎。
なんで捏造までして芳子を貶めようとしているのか知らんが、最低最悪のゴミカスだ。
970世界@名無史さん:2009/09/11(金) 17:35:38 0
作家玉岡かおる(昔ブロードキャスターに出てた人)のブログでこんなの見つけた
------------------------------------------------------------------------

 偶然テレビをつけたら、「女たちの中国」をやってました。日テレ開局55年
記念番組だそうです。 なんと、李香蘭と、愛親覚羅浩。
 そう、『自分道』(角川ssc新書)で、私が取り上げ、書かせていただいた
お二人です。 実際にお目に掛かってお話を聞いた、山口淑子さんと、福永
コ生さんが登場されていました。 私の取材に応じてくださった時もそうで
したが、お二人ともお変わりなく、日本がたどったひとつの歴史の生き証人
をつとめられているのですね。
 内容は『自分道』で書いたとおりのお話でしたが、くりかえし、あらたな
読者視聴者に知ってもらうことがお二人の役目かもしれません。
 そういえば『自分道』の校正時、山口さんとのやりとりで、「川島芳子さん
は本当は処刑されずに生き延びた、っていう説がでてきていますからねえ」
とのご指摘があり、「川島芳子は処刑された」との表現を、「と言われている」
とあわてて書き足したことを思い出しました。
 一見さだまってくりかえしなぞられる歴史も、あらたな事実が掘り返され塗り
替えられる可能性があるってことです。異説の出現は楽しいものです。
 それはさておき、逆境の歴史の中を懸命に生きた方たちが伝える事実を、
お二人からしっかり聞きとげたいものです。
 テレビ見逃したみなさまは、拙著『自分道』で、お二人が語る歴史をなぞって
くださいませ。
 --------------------------------------------------------------------
山口淑子もだいぶ洗脳されかかってるのか。まあ、張トと直接会う前の
 話なら、会ってから考えもかわったかもしれないけどね。
 この人、社会主義政権に対して免疫ないからなあ。すぐ信じちゃうし。
 ヤレヤレ。
971世界@名無史さん:2009/09/12(土) 00:18:25 0
中国のサイトをウロウロしていたら、例の「方ばあさんの一件」に関して
面白い書き込みをみつけた。
全部訳していると長くなるので(辞書ひかないと不明の部分も有)
要点の部分のみ一部だけ紹介する
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2663455775274357844

-------------------------------------------------------------
- 川島芳子が長春で隠れ住んでいたなんてとても信じられない-

(前略)もしも国民党が芳子に何か目的があって助けたのなら、1946年当時の
長春の国民党の統治時には、完全に日本に送り返す能力もあったし、
台湾に送ることだってできた。もしも長期潜伏の目的なら、こんなやり方
ではすぐに身分が露呈する。戸籍が無い、名前が無い、家から出ない等々。
もしも本当に芳子で、潜伏するのが目的なら、彼女の知恵なら完全に偽りの
身分を用意するはず。長春攻囲戦の折、たくさんの難民が農村に逃げてきた。
芳子はこの機会をとらえて、完全に偽りの身分を手にいれられたはずだ。
しかし、彼女はこの機会を逸した。これは、彼女がスパイではなく、
また川島芳子でもないということを証明している。

彼女があの時代の長春に長期潜伏するなんてできないことは、常識のある人間なら
知っている。解放後の時期であれ、文革の時期であれ、一つの村に身分の
はっきりしない、どこから来たかもわからない人間を匿うなんて無理だ。
匿われている人間が歴史的問題人物ならなおさらだ。
張女史の提供している「証拠」にも問題がある。簡体字で書いてある
2枚の関東軍関連図面はまやかしだし、望遠鏡とか蓄音器とか、日本画とか、
そんなもの日本が投降した後の満州の街には、どこにでもころがってたよ。
「落ちてる舶来品を拾う」なんてのは、当時の流行語になったもんだ。
当該人の特殊身分を示すものなんかじゃない。
972世界@名無史さん:2009/09/12(土) 00:22:06 0
張女史の紹介している、(方ばあさんの)生活の仔細にも疑いがある。
日本語を教えて、日本の歌を歌って、日本の踊りを踊る?全く笑い話さ。
一人の高級女スパイが、自分の身分を暴露しているのかい?
芳子が化粧をしていたとか、棒で犬を殴り殺したとか、さらに不可能だよ。
農村の常識のある人なら、農民は化粧をしないことを知っている。
これじゃ、隠れている人間が、自分に注意を向けさせるようなものさ。
それに、近所の犬を好き勝手に殺していいのかい?

川島芳子が立ったまま死んだのをこの目で見た、というのにいたっては、
幻想小説の読みすぎじゃないか。居士は座るもんだ。たったまま死ねるのは
神だけさ。伝説だよ。 とにかく、川島芳子が長春に隠れ住んでいたなんて、
ありえないことだ。
(中略)中国のメディアはあきらかに好奇心まる出しだし、日本のメディアは
(居てほしいという)願望がにじみ出ている。ただ、妹の金黙玉の「デタラメだ」
という言葉が事実と符合しているのさ。
---------------------------------------------------------------------
(引用終わり)
973世界@名無史さん:2009/09/12(土) 00:25:38 0
いやあ、この投稿を見つけた時は一種感動を覚えたね。
中国人でもまともな思考のできる奴はいるもんだと。
なんだか、読み返してみると、前前からの私の主張とよく似ているが、
もちろん私が投降したものでは無い(とはっきり断っておく)
そもそも、私は書くほうはネイティブ並みとはいかないし、読んでいて
何か所も意味のわかないところがあって、翻訳上省略した。
思うに、書き手は戦後の流行語とかを知ってるところを見ると、中高年以上の
中国人男性と推察するが・・・

とにかく、「方ばあさんの遺品」なるものが、現地中国人の目から見ても、
敗戦時の日本人の遺物であるという可能性が高いということだ。

下のほうに、「犬を殴り殺していいかどうか、昔と現在の農村では基準が違う」
とか、「人という字が芳子の筆跡と全く同じだ」とか、無意味に怒鳴るとか
反論にもなってないことをいってる野郎がいるが、そりゃ中国人から
しても、こういう理詰めでやられたら、知識の無い若者なんかにゃ
とうてい論破はできまい。(ま、本文も転載らしいが・・)
投稿日付が4月21日で、ちょうど中国メディアが方ばあさん(芳子)の報道を
ストップした頃と合致してるが、何か関係あるのかね?

野崎君、残念だったね。終わったよ。中国人の目から見てもインチキだってさ。
974世界@名無史さん:2009/09/12(土) 01:20:11 0
日本メディアの前で堂々と方おばあさん=芳子説を唱えた野崎と
中国メディアの前で同じく堂々と主張してしまった王慶祥はどうするんだろう。
無名の野崎はともかく、王慶祥は溥儀研究者として中国では有名だし地位も名誉もあるのに
こんな与太話に飛びついて今まで築いたものをみんな失ってしまうんじゃないかと
人ごとながら心配してしまう。 
975世界@名無史さん:2009/09/12(土) 01:32:55 0
>>974 実は。
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2663455775274357844

の下のほうに、もっと緻密で詳細な、遺物の否定論文があるんですよ。
なぜそういうタイミングでブツを出してきたかとか、そういうことを
いったかとかも含めてね。シャーロックホームズ並みの論理展開です。
面倒くせえからださなかったけど。今読んでるとこです。
かなり複雑な文体なので、完全訳はむつかしいな・・
こりゃ、これらの筆者と対峙したら、張ト、野崎一派は100%勝てませんね。
また機会があったら要点だけでも紹介します。
976世界@名無史さん:2009/09/13(日) 03:03:19 0
上にも書いてあるように、中国のサイトで方ばあさんの遺品に関する
考察論文があったので紹介します。

http://cclog.cn/archives/430

元はよく知らないが、長春の市民有志の運営するブログらしいです。

尚、翻訳上では、意味不明、本筋に関係ない部分は省略し、意訳も随所
にしています。また、著者と私の意見は必ずしも同じではありません。
私は方ばあさんは存在自体していないと思ってますし。

テレ朝ドキュメンタリ宣言HP(川島芳子)
http://www.tv-asahi.co.jp/d-sengen/sp/index.html
遺品の部分です。合わせて見ると理解が深まります
http://www.tv-asahi.co.jp/d-sengen/sp/sp3.html

以下、翻訳の部分に入ります。 ↓
977世界@名無史さん:2009/09/13(日) 03:04:42 0
「方ばあさんは川島芳子」に対する私の疑義

○川島芳子が東北の長春に来るというのは、歴史背景と符合していない

芳子が長春の新立城の付近の農村にきたのは、1948年秋のことらしいが、
この頃、ちょうどこのあたりは、我が軍(解放軍)に解放された直後に当たり
軍事上の重要支配地域でり、往来人には厳しいチェックがされた。
それなのになぜ芳子はこのような危険な地域にわざわざやってきたのか。
死刑から逃れてきたのではないのか。これらのことから考えても
方ばあさん(芳子)がこの時期に東北にきたというのは、時代的背景にあわない。

○もしも方ばあさんが川島芳子なら、もっとも隠さないといけないものは何か

私が考えるに、それは、日本の特務、スパイという身分、および一切の「日本人」
の痕跡だろう。しかし、張ト氏およびその母親の提示した方老人の生活はそう
ではない。日本語を話し、日本の歌を歌い、日本の踊りを踊った。はなはだしく
は日本の国歌さえ歌ったという。かの地で彼女は「三反五反運動」「文化大革命」
などの折、あえて敵国のものを教えていたのか?
それらのものがばれると恐れなかったのか?
これら(日本語・歌・踊り)は張ト母子が、方ばあさんが芳子であると
証明するために、故意に捏造したのに違いない。
ついでにいうと、張トが方ばあさんから教えてもらった
日本語を話しているというのは、まったく信じられない。
80年代、つまり張トが学校にいっていた頃、わが国全体に「日本語学習ブーム」
があり、大部分の小中学校の外国語は日本語だった。
そのような社会背景下で、どうして張トのいうことを信じられようか。
また、彼女の祖父はかって日本語通訳ではなかったのか。ならばどうして
張トの日本語が方老人からのみ学んだと信じられようか。
978世界@名無史さん:2009/09/13(日) 03:05:36 0
○証拠である、筆跡、写真、名前が全て無い。これが信じられるか?

張トは、方ばあさんが芳子であると証明するために、でたらめな物証を出して
きた以外、直接の物証を何も提出していない。これにも疑いがある。
方ばあさんが、一定の場所に30年も居住していたというのに、筆跡、写真、
指紋などは一切無い。はなはだしくは名前までもだ。これで信じられようか?

方はあさんは張ト親子に30年に渡り、日本語を含む文化芸術を教えて
きたというのに、自筆の文章のひとつも残さず、一篇の日本語さえ残っていない。
全く信じられないことだ!

資料を検討して、私はふたつの説を考えた。
ひとつは、方ばあさんは確かに存在して母子2代に多くの知識を教えており、
残されたものを見ると、ひょっとすると日本人の可能性もある。しかし、
張ト母子は彼女を川島芳子であると称するために、本当の筆跡を公開し
ないというもの。

もうひとつは、方老人はもちろん川島芳子ではなく、そんなに多くもの
知識ももっておらず、日本語も解さない。しかし、張ト母子は彼女を
川島芳子であると称するために、数々の証拠物件を提示しているというものだ。

が、これらの説は現在の段階では証明のしようが無い。
979世界@名無史さん:2009/09/13(日) 03:06:21 0
写真については、母親段氏のいうところによると、方老人は元々写真を撮らず、
残してもおらず、ただ、一枚帰依証上の写真が残っていたが、1978年に方老人
が死去した折に祖父が手元に残したが、2004年にその祖父が亡くなると
一緒に燃やしてしまったという。

これにも疑いがある。張ト母子は、小方八郎あての獅子像とか、多くの遺物
はちゃんと残していたにも関わらず、なぜ唯一の証拠ともいえる写真を
燃やしてしまったのか。理解できない。また、祖父と方ばあさんは正式な
夫婦ではなく、また張ト母子も血がつながっていない。なのになぜ
祖父と一緒に写真も燃やしてしまったのか。これは、段氏の母親
(張トの祖母)に対しても大変な不敬である。張ト母子はなぜこんなことを
したのか?

(下の)名前についていえば、張ト母子のいうところによると、方老人は
30年にわたり、外界との往来を一切せず身を隠し、一部の人だけに会い、
ただ、仮名のみを身分としていたという。張ト母子は小さい頃から方老人
のそばにいたが、なんという仮名かも知らず、段氏の母親も名前を
教えなかったという。方老人は戸籍もなく、ただ帰依証のみを身分証替りに
していたというが、この帰依証には名前が書いてあるはずで、それは当然
段家も知っているはずだ。しかし、段氏の母親は一切教えなかったというのは
一体なんなのだ?
私は、張トは故意に名前を隠したと考える。そうすれば、方老人のことが
報道されても、下の名前がないために身元は探しようがなくて、
永遠にわからない。そして、方老人が残したと称する遺物を出すことで
「方ばあさん=川島芳子」という証明にしようと企んでいるのだ。

一切の不可思議なことは、違った角度から見るとすべては明らかになる。
筆跡、写真、下の名前がないことも、おなじことなのだ。
980世界@名無史さん:2009/09/13(日) 03:09:06 0
○あの関東軍関係の図面は誰がなんの目的で買ったのか?

方ばあさんの遺物のなかで、ニセ関東軍図面のことが暴露されると、
とたんに大衆の疑義が持ち上がった。誰がなんの目的で買ったのか?

調査会の出した本にはこうある。

「ひとつ確実にいえるのは、これは絶対に川島芳子のものではないと
いうことである。なぜなら、方老人が死去した1978年以前にはこのような
ものは存在すらしておらず、1983年以後に段連詳が骨董店などで買うことが
できたということだ。彼がこれらのものを買ったのは、ひとえに
昔の彼の経歴からくる「懐かしさ」以外のなにものでもない。」

しかし、私はそう思わないし、段連詳が買ったとも考えない。
たとえば、これらの図面がもし本物だったら、調査団は
「段連詳が買ったもんだ」なんていうだろうか?
張トは「これは段連詳が買ったものだ」とか言うだろうか?
(もし本物なら)必ず他の書画骨董と同じように「川島芳子の使ったもの」
と称し、「方ばあさん=川島芳子」との結論におしすすめるはずである。

私がこれを段連詳が買ったと考えない理由は以下だ。
981世界@名無史さん:2009/09/13(日) 03:09:48 0

調査団がいっているようなストーリーも可能ではあろう。しかしだ、
もし調査団のいってるように、本当に(1983年とかの)改革開放以後に
ニセ地図を買ったとしたら、そして、川島芳子を保護していたのが
本当だとしたら、どうしてその頃市中に出回っている芳子関連のものを
買わなかったのか?彼女はとうに死んでしまい、(証言によれば)
手元にあるのは写真一枚だけだ。なんでまた用もない関東軍関連
の図面なんか買ったのか。方ばあさんの秘密がばれるのを恐れたのか?
いや、そんなことはない。その事実は誰も知らないことだし、
芳子関連のものを集めるのは、関東軍関連のものを集めるのよりも
遥かに危険が小さい。これらのことが示す事実はひとつだ。

つまり、段連詳は芳子など匿っておらず、だから芳子関連のものも
収集してはいないのだ。さらにいうと段連詳本人が、関東軍関連図面を収集
したのでもない。
集めたのではなく、「ニセの証拠にするために買った」のだ。
だが、買った当初はこれが偽モノとは気付かなかった。だから
後で話に破綻が起きたのだ。
ただ一人段連詳のみに大衆の興味をひきつけさせ、他の人間から
目をそらさせようとしている。まさか張トその人が買ったのでは
あるまいか?私はその可能性が非常に高いと考えている。
982世界@名無史さん:2009/09/13(日) 03:10:44 0
○方ばあさんが張トに与えたという「浴嬉図」は方ばあさんが描いたのか?

いわゆる「浴嬉図」(落合芳幾の浮世絵の模写)は、方老人が、母親段氏が
妊娠したときに描いて、これから生まれる張トに与えたという。
ならば描いたのは1966年頃ということになるが、専門家の検証にによると、
少なくとも描かれて5-60年はたっているということだ。(途中略)
すると、最低でも1958年以前ということになるが、どうして1966年に
描いたなんていえるのだろうか?
(注釈:調査団はこれらの事実が判明すると、記述の内容を変更したそうです)

私はこの絵は方老人が描いたものではないと断定する。根拠は以下だ。

張トによると、これはまだ見ぬ張トにあてて送ったものというが、子供が
こんな絵をもらって喜ぶだろうか。1966年ならすでに文革がはじまっている
というのに。またこのようなやり方は普通、自分が死んだ後のことなどで
するものだが、張トが生まれてもまだ方老人は死んでいない。
こんなものを残す必要なんかないのだ。しかもだ、この絵は方老人が
生きている時にもらったのではなく、張トが成人して画家になってから
段連詳からもらったというのだ。方老人は張トに絵を教え、その他の絵も
与えているというのに、なぜこれだけを生前与えなかったのか。

また、後になって、日本人野崎氏から、「これは明治時代の日本の浮世絵
を模写したもの」と指摘があると、「模写したものだ」といっていることを
変えてきた。ならば、原本はどこにあるのか?張ト母子は、方老人から
もらっという絵を今でも所有している。原本が紛失するわけがない。
さらにいうと、1966年の新立城なんて田舎で、こんなに鮮やかな色彩の
筆や絵の具を、いったいどこからもってきたというのだ。

以上のことを考えると、これはとても方老人が描いたものとはいえない。
これも方老人と芳子を結びつけるための道具のひとつだ。
張トの証言などはまったくのデタラメにすぎない。
983世界@名無史さん:2009/09/13(日) 03:12:57 0
○七宝焼の獅子像の中の書きつけなど、全くのまやかしにすぎない

張トの提供した方ばあさんの遺物の中で、獅子像は面白いもののよひとつだ。
張トによると、これは、臨終時の段連詳が、「小方八郎に渡してくれ」
といって張トに託したものだという。
中には「小方閣下宛て 秀竹」と16文字(省略)。さらに「浴嬉図」と同じ
「広幸」の文字があり、これをもってして、方老人は芳子だという。

これはまったくのお笑いだ。「秀竹」って誰?
そもそも書きつけは誰が書いたのだ?なんでこれが証拠なんかになる?
「秀竹」というのは、張トの話の中にだけ登場する、どこに住んで何を
やっているかもわからない、誰も見たことがないという謎の人物だ。
それを張トの証言と、書きつけだけを見て「方老人=川島芳子」と断定して
いる。こんな荒唐無稽なことがあるか?
「秀竹」という人間が本当にいたという証拠もない。書きつけが彼が書いた
という証拠もない。書きつけが偽物だったら?あるいは人と文字の両方が
虚像だったら?まずは、その「秀竹」という人の身分と川島芳子との関係
をはっきりさせ、その後に書きつけの真偽を調べるべきだろう。
調査団はそんなことも一切やってはいない(中略)
984世界@名無史さん:2009/09/13(日) 11:19:50 0
仮に、この書きつけが本当に「秀竹」が書いたものとし、宛先が「小方八郎」
だったとしても、いくつかの明らかな疑問点がある。

もしもこの書きつけが、言われるように、川島芳子が秀竹に託して小方八郎に
あてたものだとしたら、なぜこのような特殊な書体を使うのか。
秘密の暴露を恐れたのだとしたら、なぜ「秀竹敬具小方閣下」などと署名
などするのだ。もしも筆跡から身分の暴露を恐れたとしても、こんな難解
な書体を使う必要などない。(中略)
それに、獅子像の中に密封しても無意味だ。常識のある人なら知っている
が、密封された七宝焼は税関を通らない。必ず中を開けて調べられる。
これでは、伝達の目的を達せないばかりでなく、税関からあらぬ疑いを
受けることになる。段連詳は警察の通訳をやっていた人間だ。そのようなことを
知らないはずがない。
この目的は簡単だ、方老人と芳子を結びつけるためである。書きつけと新聞紙、
灰を故意に入れ、段連詳が生前入れたと偽ったのだ。
985世界@名無史さん:2009/09/13(日) 11:22:59 0
○「浴嬉図」と「秀竹書きつけ」の関係

「浴嬉図」と「秀竹書きつけ」を結びつけることによって「方老人=川島芳子」
と宣伝するためである。ここで、私がこのふたつのモノの本当の正体を
推理してみよう。

ともに出てくる「広幸」の文字を、「浴嬉図」が落合芳幾の模写だと判明
する前は、芳子が「大変幸せだ」という意味で書いたといっていた。
しかし、絵が浮世絵の模写だとわかると、この言い分が矛盾することに
なってしまい、そこで「広幸」というのは「秀竹のペンネーム」という
ことにしてしまったのだ。しかし、日本の専門家によると、この「広幸」
は商標だという。画家が自分の名前を絵の中に入れたりするものだ。
すると、このふたつのモノの由来は大変はっきりする。
つまり、書きつけは元々「浴嬉図」とセットであったのだ。
恐らくは絵の説明の部分だったのだろう。日本や中国ではこういう
ことは大変に多い。推理すると、「浴嬉図」の原画は探し当てた。
しかし、原画には「広幸」の文字が無い。(注:落合芳幾の絵だから当然だ)
書きつけのほうは原画がみつかっていない。
こうすると、あの書きつけが特殊な書体で書いてあったのも納得がいく。
あれは一種の「芸術作品」だったのだ。
宛名は恐らく、「秀竹」という日本人が「小方なにがし」という日本人に
宛てて送ったという意味ではないか。すると、「芳魂-」というのも、
当然川島芳子ではなく、落合芳幾を指す、ということになる。
こうして、「浴嬉図」と書きつけの2点を使い、絵は芳子が描き、
描きつけの中の「秀竹」を謎の人物として登場させたのだ。

(注釈:訳者としては、この説には矛盾を感じます。「小方閣下」なんて
ザラにいませんから。恐らくこの部分は張トか誰かが後で付け足したのだと
思います。ただし、「芳魂」というのは落合芳幾を指しているというのは
納得です。なぜそこに気がつかなかったのかと目からウロコの落ちる思いです)
986世界@名無史さん:2009/09/13(日) 11:24:27 0
○補足

今回の調査団は、ただ張トが一方的に提出する遺物をもってして、
歴史上の川島芳子の情報と結びつけ、「これは芳子しか持ち得ないもの」
と強弁し、結果「方ばあさん=川島芳子」との荒唐無稽な結論にいたっている。

(中略)例えば、「浴嬉図」が本当に方ばあさんが描いたもので、「方ばあさんは
芳子」と証明したいなら、歴史上の芳子の画法、サイン等と比較してはじめて
結論が出るものだ。だが、これはまだ結論が出ていない。(中略)
「浴嬉図」も、サインすらないのに、はじめに芳子の描いたものときめつけ、
後で野崎氏が原画が日本の浮世絵だと特定すると、とたんに主張をかえる。
こんなことをやっていて何の意味があるのだ?先に作者を決めつけたりして
いると、その絵の中にこめられている意味さえねじまげられてしまう。

張トが、方老人が送ってくれた絵の中に、暗に「私は愛新覚羅ケンキで
川島芳子よ」などと示しているというが、全くのお笑い草だ。
描いたのが川島芳子だと言わなければ、誰がそんなこと想像するか。
愛新覚羅の一族でもないのに。仮にもしも張トが成長して紅衛兵に
なったりしたらどうするのだ?どうして絵の中にそんな意味をこめられようか。
(中略)もしも「浴嬉図」の中に、暗に川島芳子の名前やら、深い意味が
こめられているというのなら(絵が模写とわかった今)まさか落合芳幾が
まだ生まれてもいない川島芳子のことを、絵の中に隠していたとでも
いうのか。こんな荒唐無稽な話があるか?
この絵だけにこのように詳細に考証したが、後の望遠鏡(双眼鏡)やら金庫やら
にももっと緻密な検証がいるのではないか。(後略)
987世界@名無史さん
○本文結論

「方ばあさん」は実際に存在したと思う。ただし、調査団がいっているような
多芸多才で武芸もできる人だったなどとはとうてい信じられない。
川島芳子だと直接証明する物も無い。ただ張ト一人がガラクタの一群を
もってきて(その中には偽物もある)「方ばあさんは川島芳子」といってるだけだ。
ただひとつ二つ当時の芳子に関連するものはあるが、それも本当に方ばあさん
の持ち物だったと証明できたらの話だ。これが一番大事だ。なぜなら、歴史
というものは、証拠によってのみ証明できるものだからだ。憶測ばかり
ではないか。私は憶測には反対しない。ただ、憶測はあくまで補完として
使うものであり、直接証拠に替わるもんじゃない。
今、社会には、たくさんの骨董なんかが出回ってるが、本当に自分の家から
出てこそ、先祖のことをおしはかったりできるんじゃないかい?
調査団は、歴史上川島芳子が「処刑されていない」ということをタテに
とって方ばあさんは芳子だ、芳子しかこういうものは持ち得ない、なんて
いってるが、「芳子は死んでいない」ってのはあくまで一種の可能性で
しかなく、決定していることではないんだよ。それがわかってない。
方ばあさんを芳子にしたいのなら証拠がいる。
DNA、指紋、筆跡、容貌(写真)、などね。あるいは、歴史上川島芳子の手元に
あったものが方ばあさんのところにあったとか。傍証だけじゃ盲想になる。
一切は可能性であり、真実はひとつしかない。
真実を追求するためには、傍証だけではだめなんだ。直接の証拠がいるんだ。
今回の「方ばあさん=川島芳子」説の中で、鉄壁の証拠となるものは
ひとつもなかった。この調査団の本だけで「方ばあさんは芳子」なんて
いうのはもの笑いのタネになるだけさ。
私はこれは「川島芳子版華南トラ事件」とでもいえると思う。
張トと自分は日本人残留孤児だといってる母親にいうなら、
方ばあさんが川島芳子だといいたいなら、鉄壁の証拠を持って来い。
どうぞ出してください。いや、別に頭を使う必要なんてないよ。
なぜなら、確定された歴史は勝手に捏造できるものではないからね。

(翻訳引用終わり・・・・・あ-長かった)