倭による新羅、百済、加羅諸国の支配

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1世界@名無史さん
思想やプロパガンダ抜きでマジ議論をしてください。
宮崎市定のように。
2世界@名無史さん:02/05/21 21:17
こういう朝鮮スレって定期的に立つのか?
まぁいいや。こっちに合流してくれ。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1019589692
3世界@名無史さん:02/05/21 21:21
>2
独立したほうがいい。
煽り等が入ってくるから分散したほうがまだまし。
4世界@名無史さん:02/05/21 21:26
新羅と百済も支配してたの?
お馬鹿な漏れのために詳しい説明をイヴォンヌ。
5世界@名無史さん:02/05/21 21:30
>4
一応、日本書紀以外のソースでは、
広開土王の碑があるな。
(日本書紀も今では馬鹿に出来ない一次史料なのだが)
6韓国女性の顔=大好き:02/05/21 23:24
昭和40年代までは「新羅、百済、任那(みまな)、高句麗」と言ってたんだぞ。
任那(みまな)というと日本の侵略基地という響きを持つらしく、
韓国人にも遠慮し、「から」だったか「かや」だったか言い出したのでは。
任那との呼称は客観的に間違っているのか?
7世界@名無史さん:02/05/21 23:51
広開土王碑って正確にはどういう内容なんですか?
日本軍による改竄だとか刻まれている内容の理解の仕方とかの違いで
いろいろとどういう中味なのか話が分かれるようだけど。
8世界@名無史さん:02/05/22 00:15
>>6
漏れは昭和50年代の生まれだけど、任那なんて教科書に普通に載ってたよ。
つうか政治的な話はやめましょう。

>>7
検索すれば山ほど出てきますぜ。まあお好きなのを。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&querytime=EVeyC&q=%8DL%8AJ%93y%89%A4%94%E8
9世界@名無史さん:02/05/22 15:42
>>8
君はどの説をとるの?
10世界@名無史さん:02/05/22 15:46
無限ループの予感・・・
11世界@名無史さん:02/05/22 18:03
学会でもこれは定説になっているのではないか?
12世界@名無史さん:02/05/22 19:05
「百殘・新羅舊是屬民、由来朝貢。而倭、以辛卯年來、渡□破百殘、□□新羅、以爲臣民」

この部分はそれ自体に大きい問題がある。

実際、百済は高句麗に帰属してない。だから、最初から、信用できない。
13世界@名無史さん:02/05/22 19:43
倭がたびたび半島に侵攻してきたというのは史実だろう。
拠点をおいて支配した、となると侃侃諤諤の議論になる。
14 :02/05/22 21:13
>>13
倭がたびたび半島に侵攻してきたというのは史実。
でも大和朝廷が国家的規模でたびたび半島に侵攻してきたというのが史実かどうかはすでに怪しい。
むしろここがポイント。
15世界@名無史さん:02/05/22 22:58
>14
その二つをどう結びつけるの?
傭兵説かな?
16世界@名無史さん:02/05/23 03:43
そんな事より、聞いてくれよ>>1よ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、好太王碑文について調べたんです。好太王碑文。
そしたらなんか異説がめちゃくちゃいっぱいでわけわかめなんです。
で、よく見たらなんか漢文をてきとーに読んでて、倭人が来たから高句麗が渡海征伐、
とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、倭人が来た如きで普段行ってない日本に攻めに行くんじゃねーよ、ボケが。
来ただけだよ、来ただけ。
なんか改竄説とかもあるし。日韓併合の25年も前に軍部がわざわざ石碑の文字を改竄か。
おめでてーな。
よーしウリも電波飛ばすニダー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、偽500円玉やるから電波飛ばすのやめろと。
日朝古代史ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
狭い海峡の向かいにある国といつ戦争が始まってもおかしくない、
三韓征伐か白村江か、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。電波野郎は、すっこんでろ。
で、やっと落ち着いたかと思ったら、北の電波学者が、分国論で、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、分国論なんて半島の学会以外じゃ通じねーんだよ。ボケが。
ニダニダ得意げな顔して何が、分国論で、だ。
お前は本当に日朝古代史を解明したいのかと問いたい。問い詰めたい。
小半日問い詰めたい。
お前、ウリナラマンセーって言いたいだけちゃうんかと。
日朝古代史通の俺から言わせてもらえば今、日朝古代史通の間での最新流行はやっぱり、
前方後円墳、これだね。
全羅南道の前方後円墳ヒスイ付き。これが通のソース。
前方後円墳ってのは倭色が多めに入ってる。そん代わり韓流が少なめ。これ。
で、それに糸魚川産のヒスイ。これ最強。
しかしこれを指摘すると次から韓国人電波にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、>>1は、伊沢元彦でも読んでなさいってこった。
17世界@名無史さん:02/05/23 07:49
>>1
まだ無理
18世界@名無史さん:02/05/23 15:49
まずは好太土王碑文の解釈から分析してみよう!
19世界@名無史さん:02/05/23 15:54
>>1
というか宮崎御大の記述でさえ朝鮮を不当に低く評価する記述が散見されます。
彼も戦前の学者ですからそれを批判するのは酷というものかもしれませんが・・・
ただ、客観的な議論を奨励する場合の例としては不適当といわざるえませんぞ。
20世界@名無史さん:02/05/23 15:58
>>14
傭兵説なんてあるのか?
一般には後世の倭寇のように国家の体裁を持たない勢力の侵入を意味すると言われてるはず。
21世界@名無史さん:02/05/23 16:22
>19
宮崎氏しか客観的な考察している方はほとんどいないので致し方ないでしょう。
22世界@名無史さん:02/05/23 16:34
>>19
宮崎市定の中国史の著述は客観的で良いと思うが、そこに登場する朝鮮史関
係の記述は客観的とは言えないと思うぞ・・・
朝鮮史に「朝鮮=植民地=劣等」というバイアスを抜き去った検討を加えよ
うとしたのは旗田巍が初めてじゃないだろうか?
23世界@名無史さん:02/05/23 17:25
アジア史概説だったかな、朝鮮には独自の文化はなく、
チャイナのまねっこ文化だけで、研究するにあたらない的なことを
述べていた。2ちゃんのDQNレベルで思わず苦笑したよ。
何にしろ、「アジア史」概説で述べる言説じゃないよな。
24世界@名無史さん:02/05/23 17:28
>>23
まあ宮崎氏も戦前の研究者だし限界があるのは仕方ないでしょう。
でも宮崎市定は評判良い→朝鮮史関係の記述良い(誤信)→朝鮮ってへぼいんだな
と流れる厨房が多いのは頭の痛いところ・・・
25世界@名無史さん:02/05/23 17:32
>23
お前よりは遥かに良い仕事をあの人はやっているよ(w
26世界@名無史さん:02/05/23 17:38
>>25
朝鮮史に限っていえばある種DQNクラスの記述があるのも確かではある。
中国史は素晴らしいけどね。愛読してるだけにそこが残念。
27世界@名無史さん:02/05/23 17:46
>26
では、君が客観的な考証していると考える朝鮮史の学者は?
(理由も具体的に書いてくれると有難い)
28世界@名無史さん:02/05/23 17:47
>>22
確かに旗田巍の功績はでかいな。
司馬遼太郎に批判的という点だけが一人歩きしてるのが惜しい学者。
2923:02/05/23 20:11
>>25
いや、あんな偉人と比べられてもな。(笑
凄い人だけど、なぜか朝鮮に関してはいい加減なんだよな。
>>24
だね。
30 :02/05/23 23:48
旗田巍も論調は急激に変化してるよ。
朝鮮戦争のころまではありがちな朝鮮停滞論を語ってた。
31世界@名無史さん:02/05/24 17:50
あげてみる
32世界@名無史さん:02/05/24 19:40
>>30
確かにそうなんだけど自分の非を認めて著作の「朝鮮史」を絶版にしてしまうあた
り非凡なものがある。
ちなみに高麗史関係の著作がほとんどない日本で彼の「元寇」(中公新書)はかな
りおすすめなんだがこちらは売れなかったことから絶版。トンデモ本の方が売れて
良い本が淘汰されるのはやりきれないもんがあるよ・・・
33世界@名無史さん:02/05/24 20:06
その行動もあるいは良くも悪くも後々に影響を与えることになったのでは?
最近できた学会のページだが
http://www.law.keio.ac.jp./~ackj/
その設立趣旨は
>本学会はともすれば韓国朝鮮研究が社会運動に結びついていた時代を清算し、
>当該地域の政治的意図や行動から一定の距離を置いた、純粋に客観的な研究環境を醸成しつつ、
>研究者間の相互交流を推進すると共に、研究上の独自な成果を公表し、国際的にも発信することを目指している。
である。
34世界@名無史さん:02/05/24 20:36
ところで最近の研究で古代朝鮮と倭を客観的に分析しているまともな研究者は誰?
35世界@名無史さん:02/05/24 20:42
主観的に分析しているまともじゃない研究者って誰?
36世界@名無史さん:02/05/24 20:53
>35
韓国の研究者に多い。
(無論日本も結構多いが)
37世界@名無史さん:02/05/24 21:25
>>36
最近の若手は有望なのが育ってきてるよ。
韓国民主化の恩恵がやっと歴史研究者にも巡ってきた・・・
38名無し:02/05/24 23:04
百済の王は日本人だったとは知らなかった。

39>20:02/05/25 02:02
もちろんない。
古田武彦という電波素人学者とそのキティガイ信者が「九州王朝」などと
いうものを捏造しているが、学界では誰も相手にしていない。

日本がこれらを属国扱いしていたことは事実。
任那はもちろん、百済も高句麗によりより一度滅ぼされからは、名実ともに
属国となった。新羅については、諸説ある。

というとこが学界の定説だ。



40世界@名無史さん:02/05/25 05:12
>39
ということはいわば「宗主国説」だ。
20が言うことを「倭寇説」と呼ぶと、
「宗主国説」と「倭寇説」が学会で対立しているということかな?
41世界@名無史さん:02/05/25 08:39
>>39
勝手に定説呼ばわりすんなよ。
厨房が勘違いするだろう。
42 :02/05/25 09:27
その「倭寇説」とやらはなんか根拠あるの?
『三国史記』には「倭寇」と表記されているようだが、「倭の侵寇」
って意味だろう。
仮に「倭寇」が海賊だったとしたら、海賊ごときに何度も都に攻め込まれるとは、
新羅って惨め。それとも倭が大国だったのか。

っていうか、日本で「倭寇説」とってる学者っているの?
43世界@名無史さん:02/05/25 11:01
>39
古田氏を相手に「しない」のではなく相手に「できない」だろ。
(てめーらの頭が悪すぎて)
梅原猛氏とか、原田大六、原田実の両原田氏とかならどうだ?
44世界@名無史さん:02/05/25 11:14
>>42
中国だって海賊ごときと山賊(じゃないが)ごときに何度もあらされてるんだよ。

初心者逝ってよし!
45世界@名無史さん:02/05/25 11:56
古田なんて学者じゃねえよ。単なる電波。倭寇説なんてのも学界ではいない。

46世界@名無史さん:02/05/25 12:27
>>44
そうだね。朝鮮朝(李氏)なんか建国当初倭寇の被害を避けるために遷都ま
で考えているほど。異民族の侵入は多くの国で頭痛の種なんだがなぁ・・・
日本史を基準に考えると全く見えてこない視点だが・・・

>>45
三国史記等に見られる「倭」の侵入の記述が国家規模の侵入だったかどうか
あやしいとする見解はわりとポピュラーだが?倭=大和朝廷とする見解も実
際の所大した根拠があるわけでもない。
47>46:02/05/25 12:39
全くポピュラーではない。少なくとも学界では。
一部のキティガイ在日や古田のような学界では全く相手にされていない
馬鹿が「ポピュラー」というなら別だがね。

で、昔、北朝鮮系のキティガイ学者が、「好太王碑の碑文を日本が捏造した」
と喚きはじめ、一部のサヨ系の連中が加わって騒ぎになったが、中国の学者
が徹底的に否定して、消えた。その辺検索すれば経緯が分かるだろう。
なかなか笑える。
48世界@名無史さん:02/05/25 12:41
>>47
君は学会関係者か?
「学界」などと書く時点でかなりあやしいのだが・・・
49世界@名無史さん:02/05/25 12:47
>>48
断定的物言いをする時点で違うと思うね。

>「好太王碑の碑文を日本が捏造した」

これに対して、否定的な見解を示したのは古田だけじゃないんだが。
5046:02/05/25 12:56
>>47
東大文学部の村井章介教授なども倭=日本という発想は捨て、国境を越えた
「マージナル・マン」としてとらえるべきだと主張しているぞ?
従来の、記紀を頼りに倭=大和朝廷と短絡的に結びつける学説が批判を受け
ているのは間違いない。
51世界@名無史さん:02/05/25 14:03
その人、歴史学の人なの?
少数意見じゃないの?
52世界@名無史さん:02/05/25 14:21
>>51
村井章介教授は日本史・東洋史専攻の学者だよ。
ソースは
http://www.adm.u-tokyo.ac.jp/IRS/IntroPage_J/intro67229228_j.html
53世界@名無史さん:02/05/25 14:31
>>49
すまん、何が言いたいのかよくわからん
54世界@名無史さん:02/05/25 14:32
>>47
有名な話をそれを学会の裏話みたいに書くなよ。
それに捏造説を批判したのは中国人だけじゃないぞ。
55世界@名無史さん:02/05/25 14:55
>>54
ところで「日朝交流史」に李進煕の改竄説再反論が載ってたけどあれもやら
れちゃったのか?
56世界@名無史さん:02/05/25 15:12
漏れみたいなお馬鹿の為に〜〜が定説だ、とか書かないで、
〜〜が言ってるのはこう言う事だ、で、こういう反対意見があって、
みたいに内容(ソース付き)まで書いてくれると嬉しいんですが。
定説だなんだと言う書きこみだけでは素人は理解できないんで。
と、身勝手なROMは思うわけですが。
57 :02/05/25 17:02
っていうかさ、朝鮮は何で倭寇ごときにそんなに手を焼いていたんだ?
中国人が大量に混ざっていた後期倭寇ならいざ知らず、
朝鮮半島襲った連中なんて壱岐、対馬や松浦のやつら主体なんだから、
そんなに動員兵力あったとは思えんのだが。
辺境を荒らされるくらいなら分かるが、遷都まで検討するとはな。
58世界@名無史さん:02/05/25 17:10
朝鮮半島内に倭人が住んでいたからでは?
59>56:02/05/25 19:59
李ってのは、北朝鮮の御用学者。
李進熙騒動は、その辺の本にのってるんじゃないかな。
日本史板の古代史関係スレッドじゃあ、この問題でチョソがぼこぼこに
やられているんで読んで見たら。

60世界@名無史さん:02/05/25 20:11
アカデミズムか否かを問わず古代史には電波が多いし、ポストのために
チョソ史観にすりよる奴も多いから気をつけることだね。
最近は、最近は、なぜか正常化しつつあるが。
61世界@名無史さん:02/05/25 20:22
62世界@名無史さん:02/05/25 20:54
183 :日本@名無史さん :02/05/02 11:57
「4世紀後半、大和朝廷は海を渡って朝鮮に出兵した。大和朝廷は、半島南部
の任那(加羅)という地点に拠点を築いたと考えられる。」扶桑社歴史教科書

倭は半島南部と列島西日本部の自然生活圏だった。
倭が半島に行って、(日本府)任那を築いたのではなく、半島南部と列島西部は
もともと一つの未成熟な「国」だった。
加羅は相対的にまだ国家としては未成熟な地域だったので、新羅・百済の勢力
向上とともに、圧迫を受けて、消滅した。

これを、大和朝廷の植民地経営と読めるような文体で書くから批判される。
もっとも、著作者は確信犯と思えるが。
この小単元4ページに「任那」と6回でてくる。文脈からは、大和朝廷の服属地
としての「任那」と読み取れる。
いきなり「日本軍」という単語も飛び込んでいる。

冷静な学者・研究者に教科書を書いてもらいたいものだ。
ちなみに、私は韓国教科書の「歴史おおげさ化」にも異議があることを付け加え
ておく。
63世界@名無史さん:02/05/25 21:48
>62
半島南部と列島西部がもともと一つのまとまりだったというのには賛成。
しかしその列島西部はやがて強力になり、恐らくは本州まで勢力を伸ばし、
一方で半島南部が圧迫を受けるのに対して軍事力で抵抗した、という
考えではいけないかな?
64世界@名無史さん:02/05/25 21:53
>62
……ホントか?それ
4世紀だよ?国家が存在しないなんて事がありえるのか?
65>4:02/05/25 22:01
ねえよ。
66世界@名無史さん:02/05/26 00:03
>>64
任那日本府説だって、
半島南部にはまともな古代国家が存在しなかった、という前提無しじゃ成立しない。
67世界@名無史さん:02/05/26 00:41
>>66
国家の定義があいまい。
6859:02/05/26 00:53
>>59
李進熙騒動については十分知ってるよ。
武田幸男が水谷拓本を原石拓本とする説を発表して水谷拓本を1930年代後半のもの
と位置づける李進熙の編年論を批判し、学会の多数がそれに追随したのも知ってる。

ただその後李進熙は、水谷拓本が原石拓本だとしても、
水谷拓本では「辛卯年」と「破」は判読できるが「来渡海」は判読できない
    ↓
「来渡海」の字句は酒匂中尉が持ち帰った碑文(1883)に初めて登場
    ↓
1899年ごろの石灰塗布後の拓本は「来渡海」を判読できるようになっている
    ↓
石灰塗布後の碑文の再現は酒匂碑文に基づいてなされたといえる
と再反論してる(日朝交流史、有斐閣選書1995、P31)。  
問題とされる条項は
<倭以辛卯年来渡海破百残××(×)新羅以為臣民>
だから、「来渡海」が判読できないとなると
<倭以辛卯年×××破百残××(×)新羅以為臣民>
となってしまうと確かに何を意味するのかちょっと判断できない。

一方で、世界の歴史6(武田幸男、中央公論社1997)によるとこれに対する反論は
「すり替えや偽造などとは全く無関係の原石拓本が国内外で確認・・・十指に余って
いる」という部分くらいしか見当たらないんだよ。
水谷拓本以外の原石拓本で「来渡海」が判読できるなら李進熙の再反論も完全に
封じられることになるんだろうけどそれが同著から判然としない。

誰かこの点についてご存じではないだろうか?
6959:02/05/26 00:53
ちなみに1980年代に中国調査団が碑文に改竄のあとは見られないとする見解を発表
してるのは承知している。ただ、李進熙は碑文自体を改竄したと主張するのではな
く、石灰塗布後の碑文の再現が意図的になされたと主張するものだから、中国調査
団の調査結果は問題にならないだろう。

それと李進熙が北の御用学者とレッテル張ってるのは何故?
彼は韓国籍ではなかったっけ?(ここら辺は記憶が曖昧)
70世界@名無史さん:02/05/26 01:35
李進熙って朝鮮学校の先公じゃなかったっけ?
71名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/26 01:37
>>70
たしか和光大
72世界@名無史さん:02/05/26 02:29
まだ好太王碑捏造論争なんかやっとんのか
李のデマってことで解決した問題。
アズマらしき電波がいるようだが、騙されないようにしようぜ。

>66
当時半島任那は、小国分裂状態。
全然ありうる。そもそも百済すら日本の属国。
違うというなら文献上の証拠を出せよ。
73世界@名無史さん:02/05/26 02:33
奈良=ウリナラ語源説は学界の定説ですからね
新羅三郎義光の名前から分かるように関東地方の開拓は、
朝鮮系渡来人によってなされた
古代日本と朝鮮が同人種だったことは間違いないでしょう。
74世界@名無史さん:02/05/26 09:51
>73
コーヒー吹き出してキーボードがビショ濡れになっちゃいまいした。
謝罪と賠償を要求します!
7559:02/05/26 12:21
>>72
確かに一般には解決したって言われてるんだが・・・
再反論には武田幸男も答える必要があると思うんだよ。
武田幸男の再反論に対する批判が載ってる本知らないか?
76世界@名無史さん:02/05/26 14:29
チョンとかいう言葉を使う奴でてくるのこの手のスレはお終い。
別スレあるのになんで入ってくるんだろ?
77世界@名無史さん:02/05/26 17:36
>>76
分散しないと集中して荒れてしまうから。
78世界@名無史さん:02/05/26 17:41
>>76
確かにチョンなどを使いたければ専用板(ハングル板)があるんだからそっち
行って欲しいな。学問板の品位が汚れるし朝鮮史をまじめに語りたがってる
人間にとって果てしなく迷惑だろう。
79すすめ:02/05/26 18:27
ちゅんちゅんちゅんちょんちゅんちょんちゅんちゅん
80世界@名無史さん:02/05/26 18:47
捏造ウンヌンで、内容の議論に入れない。
李とかいうヤツは、それを狙ってるとしか思えない。
81世界@名無史さん:02/05/26 20:27
奈良=ウリナラ語源説は学界の定説ですからね
新羅三郎義光の名前から分かるように関東地方の開拓は、
朝鮮系渡来人によってなされた
古代日本と朝鮮が同人種だったことは間違いないでしょう
82世界@名無史さん:02/05/26 20:37
>>81
こいつはハングル板厨房の煽りですから、みんなは無視してください。
83世界@名無史さん:02/05/26 20:46
古代日本人と朝鮮人が同一というのは史実でしょ。
だから天皇陵発掘しないんでしょ
84世界@名無史さん:02/05/26 20:57
59は、下のスレッドで暴れて、ボコボコにされていた奴とおそらく同一
人物だろう。性懲りもなくよく来るね。

(三国史記の信憑性)
http://mentai.2ch.net/history/kako/976/976583638.html

85世界@名無史さん:02/05/26 21:15
86世界@名無史さん:02/05/26 21:16

騎馬民族征服説に対する素朴な疑問
http://mentai.2ch.net/korea/kako/963/963232731.html
任那日本府について教えて
http://mentai.2ch.net/korea/kako/962/962445527.html
日本の飛鳥文化は、百済の文化
http://mentai.2ch.net/korea/kako/962/962787101.html
新羅は倭人の国
http://mentai.2ch.net/korea/kako/962/962244904.html
皇族がたは百済貴族の末裔
http://mentai.2ch.net/korea/kako/955/955886905.html
87世界@名無史さん:02/05/26 21:17

任那って日本領だったんですか? part2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=976659863
任那って倭国領だったんですか?パート2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=974989450


88>:02/05/26 21:34

http://teri.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=989685587&st=618&to=618&nofirst=true

ついでにこちらの方も御覧下さい。「娜々志娑无」のハンドルで、高句麗語と日本語の
関係について参考となるようなことを書き込んでありますので。

http://teri.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=990847194
89世界@名無史さん:02/05/26 21:38
高句麗の第19代王(在位391-412)国岡上広開土境平安好太王。略
して、広開土王または好太王と呼ばれる王様の建てた4〜5世紀の
碑文のお話ね。
でもって、日露戦争前頃に日本の参謀本部の情報将校が、碑文を改
竄したって説をぶち上げたのが、在日の歴史学者の李進煕。

「好太王碑の謎 日本古代史を書きかえる」李進煕 1973.11

反論の文献例としては、藤田友治、1986.9の「好太王碑論争
の解明 “改ざん”説を否定する」かな。

決定的なのが、「好太王碑と高句麗遺跡」王健群 1988.6
現地(碑の所在地は中国領)で調査研究を継続している中国人の研
究者に全否定されている。

もともと、碑文の現物も見ないで論文でっちあげる方がどうかし
てると思うけどね。


90世界@名無史さん:02/05/26 21:42
だけど、記紀の話をしてから「朝鮮になかったという証拠でもあるの?」
と聞くと顔を真っ赤にして怒ります。でもって、秀吉がすべての資料を
持ち去ったとか、焼き去ったとか言うんですよねぇ。なわきゃないだろ。

しかし、日本人と韓国人の間で交わされる会話が不出来な英語という、こ
の状況は寒かった(笑)。



91世界@名無史さん:02/05/26 21:43


90 名前:世界@名無史さん 投稿日:02/05/07 19:09
長男・源義家は石清水八幡宮で元服したことから、
   八幡太郎義家、
次男・源義綱は賀茂神社で元服したことから、
   賀茂次郎義綱
三男・源義光は近江園城寺(三井寺)の鎮守・新羅明
   神で元服したことから、
   新羅三郎義光

92>91:02/05/26 21:47
こら、コヴァ、ウソ付くな。
自分の言葉で語れよ
9359:02/05/27 00:16
>>84、89
ちゃんとレス読んでもらえてますか?(汗
68と69で書いたとおり89さんがあげてる文献は
李進煕偽造説→武田幸男(他通説)水谷拓本原本説
という論争の流れのもんですよね。

私が欲しいのはその後の
李進煕再反論
に対する再々反論の文献なんですよ。
ご存じないですかね?
日本史板のスレをざっと読んだ限りではこの話は出てなかったと記憶してるんですが・・・
9459:02/05/27 00:18
↑訂正
(×)68と69で書いたとおり89さんがあげてる文献は
(○)68と69のかきこなんですが・・・
   89さんが上げてる文献は

激しく間違えました・・・鬱
95世界@名無史さん:02/05/27 06:54
つーか、あんたそもそも59じゃないでしょ?
9656:02/05/27 12:36
>>95
ご指摘どうも。56だった・・・
最近脳みそが病んでるな・・・激鬱
97世界@名無史さん:02/05/27 16:06
李進煕の反論なんて、そもそも反論のテイをなしているのかYO?
98世界@名無史さん:02/05/27 16:24
>>97
68を読む限りは一応の筋は通ってるんではないか?
そこまで詳しくないので立ち入った内容までは何ともいえんが。
99世界@名無史さん:02/05/27 17:04
でも一般的には
1、碑文の改竄はなし
2、任那日本府の実在は怪しい
だと思うぞ。
100世界@名無史さん:02/05/27 17:05
100
101世界@名無史さん:02/05/27 17:08
>>99
同意。
102世界@名無史さん:02/05/27 20:21
>>99
日本帝国の業績を否定するのか非国民め!
日本は3韓征伐して、連中はすでに属国なんだよ!
103世界@名無史さん:02/05/28 14:31
>>99
なんとなく、そんな空気なんだよな。
なんでかな〜? 
やっぱ、好太王碑文の内容研究が十分じゃないからではないかな。
104世界@名無史さん:02/05/28 15:37
>99
任那日本府の実在は怪しいという説は皆うさんくさい。
105世界@名無史さん:02/05/28 15:44
旗田巍氏を高く評価している人がいるけど、
少なくとも元寇の記述に関しては極めてトンデモだよ。
なにか高麗マンセー的なバイアスの匂いがしてくるんだけど。
106世界@名無史さん:02/05/28 16:23
>>105
どこが極めてトンデモなの?
107105:02/05/28 16:32
>>106
掻い摘んでいえば、要するに高麗を過大評価してるってこと。
素直に高麗は日本をスケープゴートにしたとすればいいのに、
高麗に同情しすぎるバイアスがある。
(おそらく日本の学者への当てつけかもしれんが、田中芳樹っぽい)
108世界@名無史さん:02/05/28 16:44
>>107
過大評価?高麗の国力がすごいって書いてるの?
109世界@名無史さん:02/05/28 16:49
>108
というか、あなた105の「掻い摘んで」っていってる意味わかる?
それとそんなに気になるなら何故その本読まないの?
110世界@名無史さん:02/05/28 17:07
>>109
元寇(旗田巍、中公新書)は絶版です。
111世界@名無史さん:02/05/28 17:14
>110
図書館とかにあるだろ。それくらいしろよ
112世界@名無史さん:02/05/28 17:36
>>111
まあでかい図書館ならあるかもしれんがそこまでいじめなくても・・・
個人的には掻い摘んだ内容紹介で他人の学説を批判する105の態度もどうかと思う?
113世界@名無史さん:02/05/28 17:49
>個人的には掻い摘んだ内容紹介で他人の学説を批判する105の態度もどうかと思う?
 スレ違いの内容だから、掻い摘んだだけにしたのではないのか?
それに異論があるなら読んでから反論すればいいことだし。
また2ch上でこの書き込みの量の限られた場で詳細に書けとは無理だろう。
まっ私もスレ違いレスなので一応下げ
114世界@名無史さん:02/05/28 20:53
半島南部に倭が住んでいたのは事実。これは間違いない。

しかし倭=大和朝廷じゃないし、国家的規模で半島に侵攻したと
いうの怪しい。
115世界@名無史さん:02/05/28 20:56
っで旗田巍ってどうなのよ。
116世界@名無史さん:02/05/29 15:09
>>115 
朝鮮史に関しては間違いなく宮崎市定よりまともです。
117世界@名無史さん:02/05/29 15:50
そうなんだ。
118世界@名無史さん:02/05/29 17:03
>>116
確かにそうだが、
>>105のいうように元寇とか古代朝鮮以外の時代の考証では駄目なところがあると思う。
119世界@名無史さん:02/05/29 18:48
現代の北朝鮮・韓国ナショナリズムに迎合した学説なんか何の意味もないよ。
原史料に依拠する立場を維持しなくては駄目だ。
倭による加羅諸国の支配(その拠点としての日本府)は紛れもない事実。

宋書倭国伝によれば倭王は「倭百済新羅任那加羅秦韓慕韓七国諸軍事」を自称し、
宋は「倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事」の称号を与えている。
百済諸軍事を与えなかったのは百済王に与えたから。

つまり加羅諸国は倭の支配下にあった。百済は別国。
新羅は宋に朝貢していなかったから倭王に新羅諸軍事を認めたが、
日本書紀によっても三国史記によっても別国となっている。
120世界@名無史さん:02/05/29 20:23
>>119
君は何時の通説を語るか?
今時武田幸男でもそんなことは言わない。
121世界@名無史さん:02/05/29 20:29
>>120
誰が何を語ろうが関係ないでしょう?
122世界@名無史さん:02/05/29 20:39
このスレは
>思想やプロパガンダ抜きでマジ議論をしてください。宮崎市定のように。
という制限付き
123>>119:02/05/29 20:42
でも、その倭は縄文人ではないし、朝鮮半島から来た人々でしょ。
124世界@名無史さん:02/05/29 21:07
>>119
宋は新羅と百済と高句麗に倭王より上の称号を与えています。
また、百済は中国内陸の支配権を与えられたこともあります。
称号=実際支配権には無理があると思います。

それに、宋は最初は「倭百済新羅任那加羅秦韓慕韓七国諸軍事」を認めてくれませんでした。
倭王がしっこいから与えただけです。
125世界@名無史さん:02/05/30 00:15
スレッドを見た乾燥だけど、旗田巍はトンデモのような気がしてきた。本人の
著作は読んだことないけどさ・・・。

古代史から現代史まで、むりやり朝鮮を持ち上げようとしているお尽のように
思える。正確な歴史観(≒「古色蒼然」たる朝鮮停滞史観)を捨てて、韓国・朝
鮮ナショナリズムに迎合しているだけではないのか??
126125:02/05/30 00:21
旗田巍でgoogle検索

http://www.google.com/search?q=%E6%97%97%E7%94%B0%E5%B7%8D&ie=UTF8&oe=UTF8&hl=ja&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja

検索した感想:単なる小夜学者やないのか?。

彼が編集代表となっている著作(入門 朝鮮の歴史)の項目の一部:

 ◎朝鮮の民謡
三・一独立運動         160
関東大震災時の朝鮮人虐殺    166
産米増殖計画−米を食えなくなった農民たち− 172
同化教育            176
 ◎柳宗悦◎常緑樹の世界
植民地下における民衆運動のひろがり 182
日中戦争下の抗日闘争      186
戦前の在日朝鮮人史       190
皇民化政策           194
朝鮮人の強制連行と徴兵     200

http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/nyu_korea.html
127125:02/05/30 00:23
旗田巍を「公平な歴史家」と言っている奴は逝ってよしだな。

こいつ、思いっきり向こうの国粋主義に迎合しているやないか(呆)

128125:02/05/30 00:27
>>118
おそらく、古代朝鮮の考察も腐っていると想像している。

イデオロギー偏重の学者が、古代だけまともな研究・解釈をするとは思えないので。
129C級グルメ:02/05/30 00:35
>123
>でも、その倭は縄文人ではないし、朝鮮半島から来た人々でしょ。

前方後円墳も韓国で発見されている。勿論日本の前方後円墳より
新しい。

日本人が半島で支配権を持って居なけりゃ造れんだろう。

だから「朝鮮半島から来た人々」は、大陸の民族移動の玉突きで、
半島から逃げ出した「倭人」が主体だと思うのだナ。
130世界@名無史さん:02/05/30 03:11
>>124
お前宋書読んでねえだろ
131世界@名無史さん:02/05/30 03:39
>>120
武田氏は実質>>119の第二、第三パラグラフと同趣旨のことを書いているよ。
もちろん政治的配慮からぼかして書いているけど。

列島内では3世紀の末にはヤマトを中心とした政治連合が成立していただろうし
4世紀から6世紀前半までヤマトに本拠がある「倭」が半島南部に
「何らかの政治的影響力」を有していると考えるのが現段階でもっとも
自然な推測。

もちろん今後の学問のの進展で「現段階でもっとも自然な推
測」が変動しうることは自明のこととしてだよ。
132>>129:02/05/30 04:29
古代史に「日本人」なんて考えること自体ど素人だね
133世界@名無史さん:02/05/30 04:56
倭が半島人だって。可笑しな人だねw
134世界@名無史さん:02/05/30 05:57
>>88
これ見れ
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=korea&key=1010584644&st=357&to=365
間違ってたみたいだYO


365 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA [2002/04/30(火) 14:52 ID:.vw2Fk1w]
>>358の表ですが、>>364のような問題点がありましたから、再度作り直しました。
今度こそ大丈夫だろうな。<わし

  上代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語

1   pito"    −−   hсtсn  hсtсn   hΛdΛh    hana
                 (一等)  (河屯)
2   puta    −−   tu"pс"r tuβсr   durh     tu:r
                 (二尸)  (途孛)
3    mi     mil    −−    sei    s∂ih    se:s
            (密)          (洒)
4    'jo"     −−   −−    nei    n∂ih    ne:s
                        (廼)
5    'itu     'utu   −−   ta∫us  dasΛs    dasсs
           (于次)        (打戍)
6    mu    −−  −−    'jur∫us  'jсsΛs    'jсsсs
                       (逸戍)
7   nana   nanun  −−     'irkup   nirgub    'irgob
            (難)          (一急)
8    'ja     −−  −−    'jurtap   'jсdщrp   'jсdсr
                       (逸答)
9   ko"ko"no" −−   −−   'ahop   'ahob    'ahob
                       (鴉好)
10   to"'wo"   tek   −−    'jсr    'jсrh     'jс:r
            (徳)          (噎)



--------------------------------------------------------------------------------
135世界@名無史さん:02/05/30 15:34
高句麗語の3を「密=mil」と朝鮮語風にするのはどうしてですか?

漢字のむかしの読み方の通りなら「mit」になるのでは?
136世界@名無史さん:02/05/30 15:36
倭の軍事関連の称号の話は宮崎市定の考察のほうがいいのではないのか?
137世界@名無史さん:02/05/30 16:23
>>125
入門朝鮮の歴史の目次だけ見て旗田巍をサヨ呼ばわりするとは痛い奴だな・・・

朝鮮史研究会の入門朝鮮の歴史は各学者が該当箇所を書き上げて大御所旗田巍代表編集と
冠してるだけ。前書き読むだけでわかる話なんだがせめてそれくらいしてくれ・・・
138世界@名無史さん:02/05/30 16:34
とりあえずこのスレの>>32は氏ねってことだな。
139世界@名無史さん:02/05/30 17:03
>>138
はあ?旗田巍がイデオロギーに毒されてるなんて誹謗中傷の類だってば
学説自体を批判するのは良いが朝鮮史研究者としての氏を誹謗するなんて考えられない
140世界@名無史さん:02/05/30 17:12
>139
は?
私はただ旗田巍の元寇の内容が非常に痛いと思ったので、
ただそれを根拠無く評価してるのを批判しただけだが?
141世界@名無史さん:02/05/30 17:16
>>140
何読んだの?俺も読んでみたい。
142世界@名無史さん:02/05/30 17:17
>141
一通り読んだ。
143世界@名無史さん:02/05/30 17:24
>>142
ごめん、お願いだから書名を頼む。
144世界@名無史さん:02/05/30 17:26
>143
ボクちゃん、質問する前にスレを全部目を通してからやろうね。
>>110をお読み。
145世界@名無史さん:02/05/30 17:28
>>144
一通りというくらいだから絶版じゃない物も知ってると思ったんですが・・・
146世界@名無史さん:02/05/30 17:42
>>145
「一通り読んだ」などという奴は大抵「一つも読んでいない」
期待しない方が良いぞ
147世界@名無史さん:02/05/30 17:59
↑のように言う奴は大抵山川の教科書程度の知識すら怪しい厨房連中である。
148世界@名無史さん:02/05/30 18:17
>>147
そんな書き込みしてる暇があったらはやく書名を挙げてみたらいかがかな?
149世界@名無史さん:02/05/30 18:50
>148
出てるだろ、ボケ!
150世界@名無史さん:02/05/30 18:52
うっせえな。お前らの言うとおり読んでねえよ。文句あるか?
151世界@名無史さん:02/05/30 18:56
( ´,_ゝ`)プッ
152世界@名無史さん:02/05/30 18:56
↑下手な煽りは止めな。>>146
153世界@名無史さん:02/05/30 19:05
っでこのスレすらすべて読もうとしない厨房はどこへいった?
154:02/05/30 19:09
呼んだ?
155世界@名無史さん:02/05/30 19:14
>154
とりあえず書名等教えてもらったのだから、
絶版になってても図書館くらいにはいこうね。
156世界@名無史さん:02/05/30 20:38
ちょっと興味がわいたので上にあがってた中公新書の「元寇」を読んでみた。
(ちなみに地元の図書館にはなかったが大学の図書館にあった)

で内容だが全然高麗まんせー本じゃないじゃん。
高麗史ベースではあるが他の史書からの引用もあるしとくに思想のバイアスがかかってる感じは受けなかったよ。
どこをどう読んで高麗を過大評価してるという感想が出てきたんだろうか?
157世界@名無史さん:02/05/30 20:56
高麗の造船技術の低さもちゃんと書いてあるしね。
半島人に読ませてやりたい本だ。って、あんまり読んでないが。
158世界@名無史さん:02/05/30 21:05
156は本当に元寇を読んではいないらしい。
「日本は高麗の抵抗によって助けてもらった」というバイアスが底辺に流れているのに、
どこをどう読んだら高麗を過大評価してないなんていう感想が出てきたんだろうか?
159世界@名無史さん:02/05/30 21:16
>>158
元寇を退けたのは日本が強かったからだ。日本マンセー
と考えるのではなく、
アジア各地で元と闘ってた諸民族の影響などにも目を向けてみよう
と書いてるんだろ。
とりたてて高麗のおかげなんて押しつけがましいことは書いてないし。
あんたの方が被害妄想のバイアスでもかかってんじゃないのか?
160 :02/05/30 21:31
旗田巍自身が研究対象になってる(メタレベルから旗田先生を語ってる)時代に
まっこうから賛否しなくてもいいんじゃないの?
161 :02/05/30 21:37
>>129
なんで前方後円墳が韓国にある→倭が支配しているになるんだ?

http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-okada/newpage24.htm
162世界@名無史さん:02/05/30 21:43
>158
確かにそうだよね。確かに三別抄への評価は過剰しぎるところがあると思う。
実際元軍援軍がきたらすぐに崩壊したからね。
いくら日本の側の準備期間を作ったとはいえ、
日本側の準備が前倒しになっただけだと思うしね。
元寇に関してはまだ網野善彦の「蒙古襲来」のほうがマシな考察をしていると思う。
(あくまでも相対的な評価だけなので、私は網野信者ではない)

>159
逆にそれでは日本を必要以上に評価してないと思うが。
あの網野善彦だって幾等か評価しているのだし。
>アジア各地で元と闘ってた諸民族の影響などにも目を向けてみよう
>と書いてるんだろ。
それが悪いのでなく。結論が間違っているのだろ。
というかバイアスが掛かっているという程度。
>とりたてて高麗のおかげなんて押しつけがましいことは書いてないし
ほんとに読んだのか?日本に準備期間を充分作ったとか書いているのだよ。
ある意味押し付けという気がする、被害妄想じゃなくてね。
理由は上記にもかいたから。
あんたのほうが旗田巍マンセーのバイアスでもかかってんじゃないのか?
私が読んだときは随分前だから旗田巍がどうとか先入観なしで読んだから被害妄想なんて無いよ。
163世界@名無史さん:02/05/30 21:44
>159
そもそもあなたは>>105のレスを曲解してない?
164世界@名無史さん:02/05/30 23:24
>>161
つーかさ、前方後円墳ってのは古墳時代なわけだけど、
弥生時代にしたって日本独特の銅器と言われる巴型銅器は
朝鮮半島南岸部一体からも出るわけで、
あの地域が倭人の居住地帯だったことは否定できないぞ。

165世界@名無史さん:02/05/30 23:50
っていうか、『魏志倭人伝』の狗邪韓国って倭人の国じゃなかったっけか?
166世界@名無史さん:02/05/30 23:53
「歴史群像」6月号に、有坂純という人が「白村江の戦い」と題して
書いており、そのなかで任那日本府に触れているので引用する。

「いわゆる任那の「日本府」が、半島に於けるヤマトの植民地あるいは
中央政府の出先機関であったとする説は、現在ではほぼ完全に否定され
ている。任那には多数のヤマト系の人々が滞在もしくは居住していた
であろうし、ヤマトの権益に関係する何らかの機関が存在していた公算
は小さくないとも考えられるが、ヤマト本国との関係、日本府そのもの
の実在を含め、事実はまったく不明である。」

なんという文章か。
「多数のヤマト系の人々が居住していた」ならばそれは本来の意味の植民地。
「ヤマトの権益に関係する何らかの機関が存在していた」ならそれは出先機関。
自分で「完全に否定されている」と言ったことを自分で否定している。
あげく、「事実はまったく不明である」と逃げる。「まったく不明」
なら「ほぼ完全に否定」する事もできないではないか。

「任那日本府なかった説」はたいがいこのように、どこかうさんくさい。
167世界@名無史さん:02/05/31 00:01
>166
あの記事はひどかったね。
168世界@名無史さん:02/05/31 00:03
>>164
それも前方後円墳とおなじじゃん。
未来の人類が西暦2000年ごろの遺跡から
大量のメイド・イン・チャイナ製品を発見して
この時代は中国人が世界を制覇していた、と結論付けないように願いたい。
169世界@名無史さん:02/05/31 00:04
>>166
植民地などではなく、九州や四国と同じ日本人の原住地じゃないの? 
170世界@名無史さん:02/05/31 00:07
>>166 >>167
結局今の学界では「任那日本府」という"言葉"を使ってはいけないという
だけなのだな。

便所をお手洗いと言い換えるのと同じ感覚。
171世界@名無史さん:02/05/31 00:09
168の言ってることって何処かおかしいと思うのだが。
172世界@名無史さん:02/05/31 00:11
>>171
資本主義経済の大量生産・大量消費を古代の古墳という特別な商品に
あてはめているからだと思われ。
173世界@名無史さん:02/05/31 00:11
任那日本府の遺跡はどこにあるの?
174世界@名無史さん:02/05/31 00:13
>>172
そうだよね。古代において文化が伝播することなんて稀だし。
前方後円墳も巴型銅器も倭人以外が使用する可能性はゼロに近いな。
175世界@名無史さん:02/05/31 00:20
日本列島や朝鮮半島で漢文使ってたのは皆、中国人かえ?>174
それは冗談だとしても、
>古代において文化が伝播することなんて稀
>倭人以外が使用する可能性はゼロに近いな
なんて言いきっていいの?
176世界@名無史さん:02/05/31 00:21
>>166
任那日本府って言う言葉を使うと韓国の学者がキチガイのように
怒るから外交的配慮の結果ですな。
そんなもので歴史曲げられちゃたまらんが。
177世界@名無史さん:02/05/31 00:22
>古代において文化が伝播することなんて稀
27点
178世界@名無史さん:02/05/31 00:24
だってそのころ「日本」ってことばないからなー。
179世界@名無史さん:02/05/31 00:25
>>175
たとえばさあ、「最近、前方後円墳が流行ってるからお墓を前方後円墳
にしちゃおうかな。」とか考えるわけ無いだろう?
前方後円墳は大和朝廷に属している証でしょうね。
180世界@名無史さん:02/05/31 00:27
戦争している敵国の王の墓真似したりするか?
常識で考えたまえ。
181世界@名無史さん:02/05/31 00:29
武田幸男氏は例によって政治的配慮で明言はしてないけど
全羅南道の前方後円墳地帯を「六国」の一つの「慕韓」だと想定しているね。
182世界@名無史さん:02/05/31 00:31
大阪府枚方市教委の大竹弘之氏は「全羅南道出土の円筒形土器とよく似た埴輪が埼玉県の古墳から見つかっており、
韓国から日本への影響もある」と、相互の交流を指摘している。

田中俊明・滋賀県立大学助教授は「倭(日本)と交流の深かった有力首長が百済の領有化に抵抗するため、
倭の勢力と通じていることを政治的にアピールしようとして採用したのが前方後円墳だったと」とし、「在地首長」説を述べた。

山尾幸久・立命館大学名誉教授は「百済は直接的支配はしていなかったが、拠点的に領有していた」とみる。
そのうえで、「当時、百済に移住して百済王の臣下になった倭人が多数いた。拠点的な領有地に派遣された、
そうした倭人の有力者の墓」と主張した。

東潮・徳島大学教授は、栄山江流域と北部九州の古墳の横穴式石室に共通性があることを指摘、
「前方後円墳は5世紀後半に栄山江流域に集団移住した北部九州の倭人が、
在地勢力とともに築造した」と述べた。

韓国の朴淳発・忠南大学副教授は国際関係の変化に着目する。
「『百済―栄山江流域―九州勢力―倭王権』とつながっていた多角的な対外関係網が、
『百済―倭王権』という双方向的な構図に再編されていった。
その過渡期に、栄山江流域と日本との間に一時的に活発な動きが出た産物」との見方を話した。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-okada/newpage24.htm
学者はみんな左翼ってことだな。
183世界@名無史さん:02/05/31 00:32
>戦争している敵国の王の墓真似したりするか?
>常識で考えたまえ。

戦争している敵国???
184世界@名無史さん:02/05/31 00:36
>>182
つーか学者もたいへんなのよ。政治がらみになると。
「犬」を見たら「耳があってしっぽがあってえーと足が一、二、三本
いや四本ありますかねぇ。舌を出して走っていますが…という物体を
私は目にしました」と言わなければならない(w
185世界@名無史さん:02/05/31 00:36
>>131>>181
その辺の引用を頼む。
186世界@名無史さん:02/05/31 00:37
>>183
たとえ話だよ。
基本的に、同一の墓を作るということは同一の国家、組織に
帰属しているという意識の表れだとおもう。
187世界@名無史さん:02/05/31 00:37
ある意味戦前の学者が神代について語るときと似ている。
率直にものをいうのは罪なのだ。
188世界@名無史さん:02/05/31 00:38
>>184
極めて遠まわしだけど、「日本が韓国南部を支配していた」ということを表現してますね。
189世界@名無史さん:02/05/31 00:42
>>184
そんな学者はいない。
任那日本府の実在が怪しいことは通説。
国史事典でも世界史事典でも百科事典でも、
各国通史でも、世界史全集、日本史全集でも、
レフリー付き雑誌の論文でもいいから、
任那日本府=倭支配説をとってる学者がいれば教えてくれ。
190世界@名無史さん:02/05/31 00:46
戦争している敵国、
「日本が韓国南部を支配していた」

……だめだこいつら。
191世界@名無史さん:02/05/31 00:48
>……だめだこいつら。
「だめだこいつら」というのは、「政治的に正しくないからダメだ」ということですな(藁)



192世界@名無史さん:02/05/31 00:48
>>185
中公の世界の歴史6巻のp326〜332あたり。読んでみたら。
これなら大きな本屋や公立図書館ならたいていあるはず。
193世界@名無史さん:02/05/31 00:58
>>190
おれは
>「日本が韓国南部を支配していた」
これ読んで、任那日本府が韓国人以上に日本人のアイデンティティーにとって
重要な存在なんだと感じた。
194 :02/05/31 02:26
>>189
倭人が半島南部に居住していたこととが
資料によって明らかなんだから、
倭人同士の連合が半島と
九州で生じていたと考えるのは
自然では?

否定している論文を逆に教えて欲しい。
195@ ◆XuQ7kH8E :02/05/31 02:35
>>189
山川の歴史小辞典に、任那が倭の植民地的地域だったと書いてあるよ。
196世界@名無史さん:02/05/31 05:01
>169
from 166

>植民地などではなく、九州や四国と同じ日本人の原住地じゃないの?

私もその考え方には賛成。だから「御真名」なのだと思う。「名」はもとは「領地」の意味。
しかしある時期から日本列島の方が本国になっていたとすれば、本国ではないという
意味で「植民地」と言ってもよい。
197 :02/05/31 18:42
>>189
一応、図書館で調べてみた。
『国史大辞典』(吉川弘文館、平成2年)
「…(任那の)各国の政治体制はそれなりに自立しており、いわゆる「任那日本府」が
これを直接に指揮・指導したわけではない」
『世界史辞典』(角川書店、2001年)
「…その小国家群を統制する「任那日本府」が4世紀以降設けられたとするが、
同機関の存在は現在疑問視されている」
『大百科事典』(平凡社、1985年)
要約すると、日本府について穏当なのは「実態は百済の支配下にはいった加羅諸国内の
反百済自立派の亡命者集団であるとする説」
『日本史広辞典』(山川出版社、1997年)
「任那」「この地を日本の植民地とする説もあるが、その事実はない」
「任那日本府」「大和政権が任那諸国の独立を援助するために
安羅に置いた軍事外交施設。…任那を日本の植民地とする説は否定されている」
『日本史総合事典』(東京書籍、1991年)
「任那を369年の倭王権の朝鮮出兵によって成立した朝鮮支配の拠点とみる
任那日本府説は古代史の定説であったが最近では否定的見解が強くなっている」
『新編日本史辞典』(東京創元社、平成2年)
「任那日本府は在安羅諸倭臣とも書かれ、任那総括の倭の出先機関というより
百済・新羅進出期に安羅に派遣され、主として金官奪回を画策した
倭人組織であったらしい」
198 :02/05/31 18:47
図書館にはなかったけど、本屋で読んだ、
山川の『新版日本史小辞典』には上の広辞典と同じ記述が。
(まあ編者が同じなんだけど)
でも『世界史小辞典』(初版は1986年、本屋にあったのは2版41刷)の方は
>>195のように書いてあった。
199@ ◆XuQ7kH8E :02/05/31 19:02
>>197
なるほど。揺れてるんですかね。。

しかし、半島に倭人の勢力がいたのは事実だから、
それが、九州と連合をつくって、他の勢力と
対抗したって考えるのは、普通でしょう。

朝鮮出兵はその結果であり、朝鮮出兵によって
任那が植民化された訳じゃないと思うが。

植民地ととるから、はなしが、政治的色彩を帯びるんだろう。

でも、ここら辺は定説がないって事はよくわかる。
200@ ◆XuQ7kH8E :02/05/31 19:04
>>198
そのとおりです。世界史の方でした。正確に書かなくてすみません。
201 :02/05/31 19:16
通りすがりですが。
古代史って大変ですなー。
近代史やってる側からみると、「外交」とか「国家」、「植民地」などという
言葉が古代史の文脈で使われているのが奇妙な感じですが
(これらには近代的な響きがあるような気がする)。
当時の用語でこれらの概念を表した方がいいんじゃないですか?
202世界@名無史さん:02/05/31 21:45
>>201
同時代の史料用語(日本書紀、三国史記など後世の編纂物を除いて
も)を使うと「臣民」とか「朝貢」とか「都督諸軍事」とかもっともっと
"政治的にやばくなる"のです(虚ろw)
203世界@名無史さん:02/05/31 21:54
201ですが。
なるほどね。
しかし、古代史の文脈では「どこぞの国家が支配した」とか言っても
近代国家による支配とは全く別物を想像しなくてはいけないはずですよね。
204世界@名無史さん:02/05/31 22:00
>>203
結局受け手の問題に帰着するでしょうね。
205世界@名無史さん:02/06/01 01:08
任那日本府については韓国側に再調査を要求すべきだな。
できないなら、日本側が行って再調査する。なんか、「倭館」
とかいう地名があるらしいが、その近辺を調査するといいかも。
206金大中:02/06/01 01:13
親愛なる地球村の皆様、尊敬するブラッターFIFA会長、世界各国のご来賓の皆様、
そして32ヶ国の代表チームの皆様。非常にお目にかかれて嬉しく思います。
皆様全員を心より歓迎いたします。本日、これまで我々全てが待ち焦がれてきた
21世紀初の2002年FIFAワールドカップの開幕を心からお祝い申し上げます。
ここにいらっしゃいます皆様は、そして世界60億の皆様は今日から1ヶ月に渡り世界最高レベルの
迫力あるサッカー競技をご覧になります。この大会を通じて全世界の人々が人種と文化、
理念と宗教を超えて一つになることができるでしょう。また全世界の人々が21世紀の世界の平和と安全、
そして人類共栄の貴重なる価値を改めて確認する機会になることを期待いたします。

『尊敬する皆様。皆様はここ大韓民国で5000年の輝かしい歴史と韓国の伝統文化、
 そして21世紀の繁栄を約束するIT、科学技術が調和した韓国の真の姿を発見されることでしょう。
 また、いたるところで韓国人のあたたかい笑顔とまごころに触れることになるでしょう。
 将来の国の発展と人類の共同の繁栄のために最善を尽くしつづけるダイナミック・コリアも体験してください。』

平和とサッカーを愛する地球村の皆様。今回の大会を通じ、世界の平和と人類の和合の新たな時代が
開かれることを期待しつつ、韓日両国の友好親善の21世紀が開かれることを祈ります。
ただいまから、2002韓日FIFAワールドカップの開幕を宣言いたします。
207世界@名無史さん:02/06/01 02:12
>>205
倭館は商人のいたとこでは?日本史の教科書にも出てきたような。
208                 :02/06/01 03:36
朝鮮総督府は洛東江流域の発掘調査をしなかったの?
209しかし馬鹿ばっかだな:02/06/01 07:59
古代史に民族とか国家とか近代だけの概念を投影するやつは歴史を論じる資格がないよ
210世界@名無史さん:02/06/01 09:31
>166 :世界@名無史さん :02/05/30 23:53
>「歴史群像」6月号に、有坂純という人が「白村江の戦い」と題して
>書いており、そのなかで任那日本府に触れているので引用する。

有坂純って、蓬莱学園の六行道士氏?

>>208
発掘はしたけど、調査結果は発表しなかった(うろ覚え)。
211世界@名無史さん:02/06/01 11:46
>>130
確かに宋書は読んでませんが(笑
別に間違ったことは言ってませんよ?
212世界@名無史さん:02/06/01 12:11
>208
やっている、日本から人工まで連れていってやっている。
213世界@名無史さん:02/06/01 12:58
最近の「倭=大和朝廷」説はかつての通説と違い、大和朝廷が各地の有力豪族の連合国
だったという前提に立っている。
大和朝廷執行部の中央集権的な指令に基づく半島侵攻を念頭に置いていない点では
「倭=九州北部勢力」説と大差ないと言えるだろう。
逆に「日本府=植民地」という発想を入れる余地は「倭=大和朝廷」説に立っても皆無
と言っていい。
この当たりの事情を無視した議論は嫌韓厨やウヨを喜ばせるだけなのでやめとけ。
214世界@名無史さん:02/06/01 16:03
>>211
読んでたら言えないようなことは言ってるわな。
215世界@名無史さん:02/06/01 16:26
皆さん任那を後世の帝国主義の時代の植民地のように考えているようですが
ちょっと違いますね。加羅諸国のような小国が存在してそれらが大和王朝
に服属していたというイメージが分かり易い。
ただし西の方は大和朝廷の直轄地に近い性格を持っていたようで近年
の前方後円墳の相次ぐ発見はこれを裏付けるものでしょう。
百済については当初は対等の関係のようですが雄略天皇の復興以来
完全な従属国となったと見るべきでしょう。


216>213:02/06/01 16:28
>「倭=九州北部勢力」説と大差ないと言えるだろう。

一緒にしないで欲しい。古田をまともに扱う学者などいない。
奴は単なる電波。ぜんぜん違う。
217世界@名無史さん:02/06/01 16:32
>>216
いや、全部が一緒といってるんじゃないよ。
「倭=九州北部勢力」説の裏付けが薄弱なのは承知の上。
でも「日本府=植民地」とか「大和朝廷の半島進出」のような結論につながら
ない点では一緒といってるだけさね。
218世界@名無史さん:02/06/01 16:43
古代倭国が豪族連合なのは古代史の当然の前提であってこれが
中央集権国家であったなどいう電波学者は217の脳内に存在
するだけ。

217の言っていることは
「豊臣秀吉の朝鮮侵略はなかった。
 なぜなら豊臣政権は大名連合政権だからだ。」
というのと同じ。

まあ217は電波かチョソなので相手にしないようにしましょう。

219世界@名無史さん:02/06/01 16:46
>>218
おいおい、「連合政権」の意味合いが大和朝廷と豊臣政権で大きく違うことも
理解できてないのか?もし同義だと解しているならそれは現在の通説ではなく
戦前の通説と同じだぞ。
220世界@名無史さん:02/06/01 16:50
>>216
古田だけではなく韓国の学者も言ってるよ。

221世界@名無史さん:02/06/01 16:52
>>219
もう少し補充すると、大和朝廷の場合の連合政権は「諸王共同体」と言い換
えられることが多い。つまり大和朝廷の大王とその側近の命令で各地の王が
部?%B
222221:02/06/01 16:54
な、なぜ文字化け・・・もう一回・・・

>>219
もう少し補充すると、大和朝廷の場合の連合政権は「諸王共同体」と言い換
えられることが多い。つまり大和朝廷の大王とその側近の命令で各地の王が
部下のように動くことはまず無かった。
任那日本府というものが存在したとすれば、それは植民地などではなく、諸
王共同体に半島南部の小国家の王も参加していたということに過ぎないわけ
だな。
223>220:02/06/01 16:54
なら,なおさら電波だろ(藁)

韓国の学会は古田並 
224>222:02/06/01 16:56
「諸王共同体」説なんてもんは定説じゃねえよ。
一部そんな奴もいるだけのこと。
お前の頭の中だけにしとけ
225世界@名無史さん:02/06/01 16:58
百済は海洋国家として栄え、九州・山東・インドネシア半島まで勢力を伸ばし、
交易ではエーゲ海まで進出し、西のローマ帝国に匹敵する大帝国
日本の植民地などありえない。
226世界@名無史さん:02/06/01 16:58
>215
植民地というとすぐに近代や帝国主義と結びつけるが、そんなものが古代において
存在しないのは当たり前。
植民地(コロニー)の本来の意味は、ギリシャにおけるトルコやイタリヤ南部の
ギリシャ人居住地のように、本国でない外地に本国と同じエスニシティの集団が
住んでいることを言うのだ。
この意味でいうならば、南朝鮮に倭人の集団が住んでいたならばそれは倭の
植民地だ。
227221:02/06/01 17:08
>>224
佐伯有清も「三国史記倭人伝」(岩波文庫)の中で
>近時の倭=大和政権説は、古くからの大和朝廷説とはその理解内容とを異にしており、
>倭の実体は、大和を中心とする諸王共同体、もしくは連合国家であったとみなすものである。
>このような見方は、武田幸男氏も指摘しているように、七支刀の銘文の解釈や倭国関係記事
>にみえる「質」の問題、さらには五世紀の倭の五王の問題についての理解がふまえられていて、
>かなりの裏付けを伴っているのである。さらに最近では、西谷正氏や鈴木靖民氏らが論じている
>ように、考古学的見地からの補強もなされていることは無視できない。
と書いてるけど?
ここで低レベルに煽ってても恥かくだけだぞ(笑)。
228世界@名無史さん:02/06/01 17:11
>>226
それをいうなら倭人の植民地ではないか?
倭の植民地と呼ぶのはおかしい気がする。
229世界@名無史さん:02/06/01 17:13
「諸王連合」という妙な観念を持ち出す方もいるようですね。
はっきり言ってそんな証拠は皆無ですね。たまにいますがね。

そんなに言い張るなら文献か考古を出せばいいと思うんですがね。
これが出て来ないんですねえ。


230世界@名無史さん:02/06/01 17:17
「大和」は新羅の元号。
したがって「大和民族」とは、新羅支配下後の民族、あるいは新羅民族ともいえる。

ところで、新羅は九州の大分県地方を中心として栄えた日本最古の国家の朝鮮半島における飛び地から独立した「倭人国家」だったのである。



231世界@名無史さん:02/06/01 17:18
日本は古代、朝鮮半島の政治勢力に支配されていたのは自明のことでしょ。
民族的にも日本人のほとんどは朝鮮半島からわたってきた男たちに種付け
されてうまれた国なんだから。
いわゆる神武東征は、朝鮮半島から日本支配の司令官として派遣された
神武天皇の土民征服ものがたりでしょ。ちょうどアメリカがマッカーサーを
派遣して日本を支配したように、古代は朝鮮人の政治勢力に支配されていたんです。
こんな常識すら通用しないやつらは、嗤いものにしかなりませんよ。



232世界@名無史さん:02/06/01 17:19
>>229
227のレスではだめなの?
佐伯有清は古代史学者としてはスタンダードなスタンスとってたはずだけど?
233世界@名無史さん:02/06/01 17:20
>>223
というか、韓国の一部学者は古田の影響を明らかに受けてるんじゃ?
「朝鮮半島の倭というのは、北部九州勢力のことで大和朝廷のこと
ではない。」というのはそっくりそのまま古田の主張だと思うが。
234世界@名無史さん:02/06/01 17:21
223=224は秀吉の朝鮮出兵スレで電波振りまいてた奴だな。
こりずにまた朝鮮史スレを荒らす気か?
235世界@名無史さん:02/06/01 17:31
百済が日本の属国がであったと言われる怒り(盆, 粉, 分(方))たち啓示内で...;
するが百済は日本の属国がドエルほど弱い国ではなかったです。
百済は中国と戦争を着手してこの道ほど強盛だったです。
上魏は百済と無理な戦争をしていて敗戦を繰り返して
力が無くなって滅びた国です。
偽書魏書には上(胃)が滅びる過程(課程)が書かれてあらないのに
上魏が百済との10年間戦争で敗戦を続けてした果てに
国の力が状況が無くなって急速になさい滅びて
偽書魏書には上(胃)の滅亡過程がないことです。
そして1c後半百済はヤンツガン長江左右を占めたと言う記録もあります。
当時1c後半なら中国が3局に割れて
そのヤンツガン長江近くにある国は五呉立ちます。
中国と戦争をしてこの道ほど強力なグックガイン百済が
日本の属国これであったでしょうか?
かえって日本であるだろう地は朝鮮半島の多くの国家(国歌)が開拓したのに
その地を百済が占めなさい됬スブニダ。
396年高句麗の王が水軍を利用して百済に持ちあげてワッウルテ
百済の王は日本にいた百ゼタンに行きます。
そしてその百済の王はその日本の地を基礎で
周辺を征服してその国が続けて維持(有志)ドエンガッが日本です。
396年以後百済は再び起きるのにその百済の王と
日本に行った百済の王は親戚枝と幹です。
その親戚枝と幹と言う証拠は日本にある日本西暦(書記)に詳しく出てあります
日本西暦(書記)には百済と日本の王は互いに親戚枝と幹であると言うのに
百済が果たして日本の属国がであったでしょうか?
396年以後百済では日本に千字文を伝えて与えるのに
これは日本人たちが漢字も読むことができなかったと言う証拠立ちます。
漢字も読むことができなくて兵法立って兵法書も読むことができなかった日本人が
果たして百済を属国に万たち数いたでしょうか?
そして日本人たちはグァンゲ土台ワンルンビ広開土大王陵碑を証拠で
新羅国民を臣民臣民で作ったと言うのに
新羅は当時に高句麗と緊密な関係を持っていて
高句麗の軍事は百済にチョドルアガルテシンラタンを利用することもしました。
このような新羅を果たして日本が臣民臣民で万たち数あったでしょうか?
日本の方たちはイーグルを見てイランマルを割数もあります
'日本がなんの百済の王が渡って来て入った国であるか?'と..
するが私(あの)がこの言葉(馬)をハヌンガッは日本にある日本西暦(書記)と
そのほか中国の史書(司書)を見て韓国の多くの人々が総合検討を下した結果です。
韓国では昔から日本を嫌いに
百済と日本がドンゾックイムを隠す為に一部に上のような記録を
少なくなかったです。

236世界@名無史さん:02/06/01 17:34
>というか、韓国の一部学者は古田の影響を明らかに受けてるんじゃ?
>「朝鮮半島の倭というのは、北部九州勢力のことで大和朝廷のこと
>ではない。」というのはそっくりそのまま古田の主張だと思うが。

なるほど日本で相手にされんからチョソ相手に商売したわけね(藁)
しかし古田の資金源って何なんだろうね?
おおかた総連あたりから金が出てんだろうね。
237世界@名無史さん:02/06/01 17:36
★3野党、従軍慰安婦問題の解決を促す決起集会を開催

・31日、衆議院第2議員会館内にて、「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に
 関する法律案」の審議を推し進める決起集会が、民主党、共産党、社民党の
 3党合同で開かれた。

 民主党の鳩山由紀夫代表は、冒頭の挨拶に立ち、「国はいまだにその責任を
 認めるとか認めないとか言っているが、被害者の人たちに補償をし、名誉を回復
 していくのは当然のこと。立法府としてもこの事実を認め、いっそう審議を進めて
 いかなくてはならない」と話した。

 http://www.dpj.or.jp/news/200205/20020531_05ianfu.html

※前スレ
・【売国】3野党、従軍慰安婦問題の解決を促す決起集会を開催
 http://news.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1022891820/
※関連スレ
・●従軍慰安婦:名誉回復へ参院に法案提出 野党3党の有志議員(過去ログ)
 http://news.2ch.net/newsplus/kako/1005/10057/1005791847.html

238世界@名無史さん:02/06/01 17:37
>>236
倭=北部九州勢力説でも倭=大和政権説でも政治的には大差ないってことを227が書いてるじゃん。
政治的な話を古代史論争に絡めるのはよせ。
239世界@名無史さん:02/06/01 17:40
>>231
イタい。
そもそもほとんどが朝鮮半島から渡ってきたという事実も無いしな。
240>238:02/06/01 17:43
古田の主張ってのはまさに古代史に「現代政治」を持ちこんでいるわけ。
むろんこんなもんは歴史学ではないが227のようなアフォ古田信者や
韓国の電波学会はまともに信じているわけだ。

241221:02/06/01 17:51
>>240
すまんが、俺は古田信者でも何でもないんだが・・・
ここに書き込んでる奴の通説の理解に誤解があると指摘してるだけ。
「戦前の通説」をしたり顔で「現在の通説」のように語るのはやめろってことだ。
その手の書き込み見るだけでレベルの低さにうんざりする。
242>241:02/06/01 17:54
古田信者よ。
早く「ショオウレンゴー」の証拠を出せ。
243221:02/06/01 17:56
>>242
だから227読んでくれよ。
244世界@名無史さん:02/06/01 18:07
>東潮・徳島大学教授は、栄山江流域と北部九州の古墳の横穴式石室に共通性があることを指摘、
>「前方後円墳は5世紀後半に栄山江流域に集団移住した北部九州の倭人が、
>在地勢力とともに築造した」と述べた。

このように、北部九州=九州王朝が韓国に勢力を伸ばしていたというのは考古学的に正しい。

245世界@名無史さん:02/06/01 18:07
>>243
242は秀吉の朝鮮出兵スレの粘着電波と思われます。
彼には論理的な話が通用しないので何を言っても無駄。放置するのが吉かと・・・
246世界@名無史さん:02/06/01 18:10
>>245
そうだな。
秀吉の北伐が不可能だったという主張を
史料はおろか論理的な考証すらせず逃亡した真性電波だと思われる。
247世界@名無史さん:02/06/01 18:11
少なくとも現在の学会にはウヨや嫌韓厨の喜びそうな材料はないってことね。
というわけでそう言うのを求めてきた皆さんは素直にこの場から立ち去ってくださいね!
248世界@名無史さん:02/06/01 18:14
>>246
朝鮮出兵スレの粘着厨房ハケーン!!
249世界@名無史さん:02/06/01 18:31
>>248
お前このスレでも自作自演して荒らすなよ。
お前のような粘着真性電波は他に居ないということくらいは
普通に考えられることだからな。
250世界@名無史さん:02/06/01 18:33
251世界@名無史さん:02/06/01 18:34
↑粘着厨房こと249の雄志が楽しめるスレであります♪
252世界@名無史さん:02/06/01 19:25
>>250は粘着自作自演厨真性電波こと>>245=248=251の雄志が楽しめるスレであります♪
253世界@名無史さん:02/06/01 20:27
あ〜あ。目茶目茶。
254世界@名無史さん:02/06/01 20:34
245のアフォが乱入してきて荒れてしまった。
(もともとスレ自体荒れる内容なのだが)
255世界@名無史さん:02/06/01 22:14
>>254
その前から荒れてた気が・・・
277あたりのレスが無視されだしてからはちょっと議論になってないよ・・・
256世界@名無史さん:02/06/01 23:05
>235
時間の要素を無視してはいけません。
ある時期に百済が相対的に強大であったからと言って常にそうであるとは言えません。
私は百済が強大であった時期に、その一派が日本に侵入して、あるいは平和的に迎えられて、
天皇族になったと考えても、なんらさしつかえないと思っています。

しかし時代が降って白村江戦の前の頃には、百済は倭国に朝貢し、人質を出していた
のだから、倭国に従属していたことには間違いないのです。
257世界@名無史さん:02/06/01 23:49
「諸王連合」??今時アホか?
つーか、最近は、応神天皇、継体天皇を含め、特に断絶がないと見るのが
が普通だな。だいたい豪族が持ち回ったなどというのは何の証拠もない
んだから検討にも値しないね。

古代史というのは、一昔前は、江上や水野のようないかれた連中が跳梁跋扈
できたとこだから、そんなもんでも学説として通っていたんだろうがね。
258>243:02/06/01 23:54
だからあ、ショオーレンゴーとやらの証拠をオマエ自信の言葉で語れよ。
どういう古典のどこにどういう文章があるのかを教えてくれよ。
金石でもいいぜ。もったいぶってないで出せよ。
259世界@名無史さん:02/06/02 00:37
>>257
「近は、応神天皇、継体天皇を含め、特に断絶がないと見るのが
が普通だな。」というのはこの10年ばかしの学説の状況理解として
は正しいが、しかし「「諸王連合」??今時アホか? 」というほどの
ことでもない。

所詮古代史なんて通説というのは「その段階の研究水準から
いって最もほんとうらしい仮説」以上のものではない。
260世界@名無史さん:02/06/02 12:47
諸王連合=豪族の持ち回りと短絡的に考える発想がかなり謎。
諸王連合の象徴的トップが大王だったと考えるのが一般的なのでは?
邪馬台国の卑弥呼が一応諸国をまとめていたのと同じ感覚でしょ?
261世界@名無史さん:02/06/02 12:48
追加で一つ質問。
最近の学会ではどの時期から天皇を中心とする集権的な国家が成立したと考えるのが一般なの?
262世界@名無史さん:02/06/02 14:06
>228
「倭人の植民地」でもかまわない。
ただしその場合も、「植民地」というからには、それに対する「本国」
という一つのまとまりを想定していることになる。

その「本国」とは倭国だ。
倭国が連合王国のようなものであったとしても、ヤマトなりなんなりの盟主国が
他の構成国よりもぬきんでた地位にあったのであれば、「諸国連合」であった
古代ギリシャよりは国家に近いものであったわけだ。

そして「任那日本府」および他の任那諸国もまた、その「連合王国」の
構成国であったと思う。
そして日本府を含めた任那諸国が列島にある構成国と同じ地位を有したなら、
任那は倭国の領域の一部であったということになるし、
「外地」として「本国」とは別の地位にあったのなら、それは植民地という
ことになる。

ほんとうは「植民地」という言葉が重要なのではなく、任那の起源や実態が
問題なのだが、それについては後日。
263世界@名無史さん:02/06/02 19:50
>>261
政治的に賢い学者なら6世紀以前のことには口を濁します。
7世紀後半には律令制が整ってきて「日本」「天皇」の語も使われるように
なりますから「天皇を中心とする集権的な国家」はそこから始まったとしま
す。
264世界@名無史さん:02/06/02 21:30
>>261
政治的な話は抜きでお願いしたいのですが・・・
六世紀以前の大王にどの程度の絶対的権力があったのかという理解によって
「半島南部に大和朝廷の影響力が及んでいた」という一文の意味も大きく変
わってくると思うんで・・・
265世界@名無史さん:02/06/03 01:45
>213
大和朝廷が中央集権というのが従来の定説?俺が消防のころよんだ漫画日本の歴史
でも、聖徳太子がこれまでの豪族連合から中央集権を云々とかいてあったぞ w)
>215
任那の豪族が大和の大王に豪族連合の一員として所属していたとしたら、確かに
大和の植民地というのは確かにおかしい、それは大和の領土というというのが
適切だと思う。問題は服属のレベルだけど、吉備や筑紫と同程度の独自性なら
大和の領土と認識すべきと思う。
(現在の基準で言うなら外交権以外の独自性を持った自治区といったところ。)
266猫じゃ:02/06/03 02:51
古田氏が最近ドジ踏んだことで電波呼ばわりする連中は、過去20年間、
日本史学者が、まったく彼に反論できなかった事実を覆い隠す為の
「デンパヤロー」であると断言する。
彼こそ、本当の知性を持った日本史学者であった。(口は悪かった)
彼を抹殺しようとした日本史学会は、本当に醜い。クタバレ。

悔しかったら、原田実氏、または梅原猛氏にに反論しろ!
267世界@名無史さん:02/06/03 03:51
あほか。
原田実っつったら古田叩きの急先鋒のひとりだぞ
268世界@名無史さん:02/06/03 12:14
古田説は確かに考古学的裏付け等が薄弱で推論の域を出ていないとは言える。
でも論理的に一貫してて魅力的であるのも確か。
電波呼ばわりは少し可哀想だな。
269世界@名無史さん:02/06/03 21:15
話としては面白いわな。
270世界@名無史さん:02/06/03 23:15
>>264
律令制下の日本は旧国造層が郡司として支えていたわけで「中央集権
国家」ではありませんし、日本史上天皇が「絶対的権力」を握ったことなど
いまだかつてありません…

「集権」とか「絶対」とかの概念語を用いて議論すると↑のような果てしない
水掛け論になるだけです。

まぁ高校日本史・世界史、高校古文・漢文程度の知識で素直に同時代史料
を読んで得られる素人の印象の方が実態を捉える上では有用だと思います。

日本書紀や三国史記のような当事者たちの子孫が作った後世の編纂物
以外の文字史料はどうせたいした量がないのですから。

高校日本史の副読本の史料集なら「好太王碑文辛卯年条、七支刀銘文、宋書倭国伝
稲荷山古墳鉄刀銘、江田舟山古墳鉄剣銘」など全部合わせても数ページにもなりません。
271270:02/06/03 23:25
宋書倭国伝の倭王武の上表文によれば、武の祖先は自ら甲冑に身を固め
東の「毛人」、西の「衆夷」、そして「渡」りて「海北」を征服してきたと称して
います。これ478年頃です。

471年に刻まれたらしい埼玉県稲荷山古墳鉄刀銘には、刀の持ち主の
八代前までの先祖の系譜が述べられ「世々」武人として「大王」に「奉事」
してきたことが記されています。

倭が「渡海」して高句麗と激しく戦ったのはワカタケル=武の時代から三世代
前くらいのことです。

あくまでも推論でしかありませんが、武の二三世代前の倭の君主が半島で
高句麗と激しく戦ったのであろうと想像されます。

272世界@名無史さん:02/06/04 05:25
朝鮮半島南部に縄文人やら倭人がいたんなら、縄文系の地名とか倭人系の地名が
残ってると思うんだけどあるの?
九州の末盧国=松浦のラは、新羅百済加羅とラって聞いたことあるんだけど、
273世界@名無史さん:02/06/04 15:53
新羅の王パサムキンは日本書紀、三国史記共に載っているのは何故?
274世界@名無史さん:02/06/04 17:45
ラは端っこを表す倭語の接尾辞じゃなかろうか。
シラギの対岸の山口県にはアヤラギ遺跡があるし。
ギはもちろん城柵で、拠点の意味だ。

パサムキンって人、日本書紀に載ってる?
275世界@名無史さん:02/06/04 18:06
>>274
神功皇后のところで出てくる。
276世界@名無史さん:02/06/05 02:15
ラは国を表す韓語だ
日本では韓半島の近くの植民国家にしかない。
277世界@名無史さん:02/06/05 02:47
日本は韓国の植民地でしかない。
278世界@名無史さん:02/06/05 02:58
>>277
在日?(w
279世界@名無史さん:02/06/05 03:08
温羅伝説のある吉備も韓人の殖民国家だ
280世界@名無史さん:02/06/05 04:59
>277
出自的にはその通りだと思う。
それが後に地位が逆転したのだ。
281世界@名無史さん:02/06/05 17:46
まじめの客観的な議論をしようよ
282世界@名無史さん:02/06/05 18:07
>>281
がんば〜
283世界@名無史さん:02/06/05 21:37
新羅は出雲人の植民国家だろ。
284世界@名無史さん:02/06/06 05:38
>>283
「出雲は新羅人の植民国家」という説はあるが、それは初耳だな。

285世界@名無史さん:02/06/06 15:32
>>284
世界史板の過去スレに新羅の出雲人植民国家関連のがあります。
286世界@名無史さん:02/06/06 17:33
>>285
そのスレって1のカキコが手厳しく叩かれてなかったか?
287世界@名無史さん:02/06/06 17:49
>286
一番叩かれていたのは、「板違いだ」とか「あげて書き込むのを止めろ」
とか言っていた荒らしだろ(w
議論内容はまともだったよ。
288世界@名無史さん:02/06/07 21:19
議論を再開しよう!
289世界@名無史さん:02/06/08 01:08
終了。
290世界@名無史さん:02/06/08 14:07
ハングル板のスレ

【50/50】任那日本政府の存在は疑問??
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/korea/1022771720/

レベル低( ´Д`)
291世界@名無史さん:02/06/08 14:36
何で終了なんだよ。
結論出てないだろ。
292世界@名無史さん:02/06/09 02:16
>.古田氏が最近ドジ踏んだことで電波呼ばわりする連中は、過去20年間、
>日本史学者が、まったく彼に反論できなかった事実を覆い隠す為の
>「デンパヤロー」であると断言する。
>彼こそ、本当の知性を持った日本史学者であった。(口は悪かった)
>彼を抹殺しようとした日本史学会は、本当に醜い。クタバレ。

>悔しかったら、原田実氏、または梅原猛氏にに反論しろ!

ネタかこれは?
いずれにせよ古田なぞ抹殺するまでもないゴミ
相手にする価値すら亡かろう
293世界@名無史さん:02/06/09 02:29
>(現在の基準で言うなら外交権以外の独自性を持った自治区といったところ。)
いわゆる任那の東半分はそうだが西半分は直轄地に近いのでちょっと違いますねえ。
また加羅などは独自に外交もしていますしね。
これらの国の自立度は日本の軍事力の衰退と比例しているんでしょうから、
この辺は相対的なもんですね。
従属国であったことは間違いでしょうがね、

>律令制下の日本は旧国造層が郡司として支えていたわけで「中央集権
>国家」ではありませんし、日本史上天皇が「絶対的権力」を握ったことなど
>いまだかつてありません…

そうだね。古代国家なんてそんなもんだからね
ここで暴れているチョソが想定するような中央集権国家なんて中国でも実体上
はなかったんじゃない

294>272:02/06/09 02:40
当時の百済貴族には物部なんてのもいる
前方後円墳云々以前に影響は強い
295f:02/06/09 03:33
吉林省文物考古研究所長『好太王碑研究』(王建群 吉林人民出版社)
8項目に渡る朝鮮学校・李説を否定する見解
1 雙鉤本は、拓本を造るよりも手間が掛かり熟練を要し、素人が短期間に作ることは非常に難しい。
  また、書道や金石文に精通していなければ作成不可能であることからも否定的で、
  酒匂は通溝の地元の石摺り業から拓本を手に入れたと考えられる。
2 酒匂雙鉤本は131枚の紙が使われ、漢学者達は順序通りに並べられず、酒匂を呼んだけれども、
  本人にもできなかったことから、酒匂が自ら作ったものではなく、
  なおさら改竄は不可能であると考えられる。
3 酒匂雙鉤本は、著者の碑文との照合から判断して、碑文の本来の姿に忠実であるよう努力しており、
  意識的に改竄されたような痕跡がないと考えられる。
  「倭以辛卯年来、渡海破百残、??[新]羅、以為臣民」。
  これらの文字は、実際に石碑にそう彫られているもので、改竄されてはいない。
  字形、点、画も、石碑にもともと彫られていたものに忠実である。
4 参謀本部の主要メンバーである横井忠直の記述では、甲子の役(日清戦争)の頃に持ち帰った拓本にも、
  既に辛卯年の記述があり、その後改竄する必要がない。
5 碑文を偽造するならば、酒匂雙鉤本を基にすれば良く、二度も三度も現場まで行って偽造する必要はない。
6 日本側が、好太王碑を買い取り、日本に持ち帰ろうとしたのは事実であるが、
  もし「石灰塗布作戦」が事実ならば、持ち帰って衆目に曝すと謀略がばれてしまうので、
  「石灰塗布作戦」を行ったとは考えられない。
7 李説では、石灰が見られない水谷拓本を1930年以降としているが、実際には水谷拓本にも、
そして現在でも石灰が残っており、拓本の時期に錯誤がある。
8 石碑近くに在住した初天富親子や李清太も、日本人が石灰を塗ったとは見聞きしておらず、
敵対国の日本人の集団が人知れず行なうのは、当時の清朝が軟弱であったとしても不可能である。



296世界@名無史さん:02/06/09 13:12
>>293
狗奴韓国が邪馬台国連合(倭連合)の一員だったと考えるのは「三国志」の解釈か
らすると正しいかと思う。
倭連合の盟主が奴国→邪馬台国→・・・→大和政権へと移行していったと考えると
狗奴韓国も大和政権が盟主となった当時なお倭連合の一員であったと考えることも
あながち不自然とは言えない。
この観点からすると半島南部が倭地であったと解するのも正しいと言えるだろう。
ただ、あくまで狗奴韓国は加羅地方(俗に言う任那)の一部を占めていたに過ぎず、
その他の加羅地域まで倭の勢力範囲と考えるのは早計。というか論拠がない。
倭地が半島南部に存在したと主張するにしても、
狗奴韓国=連合国の一員、もしくは自治区的な存在(任那日本府に当たるとすればこれ)
その他の加羅諸国=倭の勢力範囲外の独立国
と考えるのが穏当だ。

>>295
その本はちょっと古い。
現在ではその批判に対する李の再反論とそれに対する再批判がメインテーマ。
李は自説にとって「改竄」の下りが重要なのではなく、原碑文の割り出し作業の正
確性に疑問があるという部分が重要だと主張している。この指摘はある意味的を得
ているとも言えるだろう。
碑文の文言の否定をおろそかにしつつ、それを前提に解釈論を展開するのは七支刀
や江田舟山古墳鉄刀の銘文解釈での失敗と同様の過ちを引き起こしかねないからな。
297訂正:02/06/09 13:18
下から二行目
(誤)否定
(正)比定
298世界@名無史さん:02/06/09 13:21
>>296
改竄が否定された以上李説は破綻してるだろ。
後は言い訳でしかない。
299世界@名無史さん:02/06/09 13:33
>>298
うーん、李説は「碑面の意図的な改竄」が存在しなかったとしてもそれだけで破綻
するもんではないぞ。
少なくとも碑面に石灰が塗布されたことは事実だし、石灰が塗布された碑面上に碑
文が再現されたことも事実なんだから、意図的な改竄がなかったとしても、碑文の
再現が正確になされなかった可能性は否定できないわけだ。
碑文の再現は原碑面からとった拓本を元になされたはずだから、あいまいな字画を
あやまって再現してしまった危険性は十分存在すると言わざる得ない。
だからこそ碑文解釈の前提としての碑文の比定は原碑面からとられた拓本、もしく
は現在の碑文(石灰を除去したもの)から慎重にしなくてはいけないんだよ。
日本の学会は李の言うとおりこの部分をおざなりにしすぎるきらいがあるのは確か
だろう。
300世界@名無史さん:02/06/09 13:41
>>299
李以外の人間がそれを言うなら説得力あるけど・・・。:

李が言うと、単なる言い訳にしか聞こえない。
301世界@名無史さん:02/06/09 13:48
>>300
学問的には誰が言ったかが問題ではなく、発せられた見解の内容の当否だけが問題。
その考え方は危険だぞ。
政治的な意図から発せられた見解についてもそこから政治色を捨象して見解の当否
だけを検討する。これこそが学問板で議論をする際の基本姿勢であるべきだろう。
302世界@名無史さん:02/06/09 14:18
>>301
それなら少しは納得。しかし李の側は少しでも論争が有利になると、政治
ネタにするに違いないのだ。実際、例の改竄説はさんざん政治ネタになった。

李は歴史家の振りをした政治活動家なので、強く警戒する必要がある。

303世界@名無史さん:02/06/09 14:27

>李は歴史家の振りをした政治活動家なので、強く警戒する必要がある。

そのとおり。
李は、単なる北の政治ロボット。こんなものを相手にするのはアホらしい
としうか言いようがない。チョソの煽りは、無視しようぜ。
304世界@名無史さん:02/06/09 15:30
>>303
301でも読んで頭冷やせよ。
305世界@名無史さん:02/06/09 16:20
まあこの問題は結局水谷悌二郎の説ですべて決着がついてるんだと思うよ。
306世界@名無史さん:02/06/09 22:13
南の奴って見るからに電波だから問題ないんだけど、
北の奴って一見学術書風に書いてあるから騙される馬鹿
がでてくるんだよね。
307世界@名無史さん:02/06/10 12:38
>>305
水谷悌二朗説で決着?
水谷拓本では判読できない文字が多いと思うのだが・・・
308世界@名無史さん:02/06/11 15:56
決着してないな。
309 :02/06/12 00:41
その通り。捏造の事実が暴かれるまでは決して決着はしない。
310世界@名無史さん:02/06/12 15:51
捏造って何の?
311世界@名無史さん:02/06/12 15:57
>>308 >>309
煽るなよ(;´Д`)
312世界@名無史さん:02/06/12 20:33
捏造とか改竄とか言う言葉を使う説はたいてい捏造だ。
313世界@名無史さん:02/06/12 20:45
最初に任那日本府説を否定したのは誰ですか?
水野直樹のデータベースでは戦後のものでは

末松保和 任那問題の結末 歴史〈史学社〉 1-7 1948年 8月 が最初のようだが。
314   :02/06/12 21:58
こっちはソースつき、現実を見ろよ。

高額納税者:強い消費者金融やパチンコ経営
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200205/16/20020516k0000e040023000c.html
40(―)金沢 要求 パチンコ機器製造会社社長 愛知  42,158
53(―)金沢 全求 パチンコ機器製造会社専務  愛知  36,011
61(―)金沢 信求 パチンコ機器製造会社取締役 大阪  35,189
78(―)松原 信男 パチンコ機器製造会社社長  愛知  31,629
79(―)金海 龍海 パチンコ店経営会社社長   福岡  31,007
86(―)光山 照男 パチンコ機器製造会社専務  愛知  30,418
91(―)全本 親民 パチンコ店経営会社社長   岡山  29,436

コリアンパワー炸裂!コリアンは土地持ちが多いし、お金も持っている。
結局嫌韓派って貧乏人なんだよ。現実を受け入れられないコジキが差別に走る。
まあ、おまえらが一生働いてもコリアンに追いつくのは無理だがな(w。
可哀想だし、ほえさせてあげてね(同情
315世界@名無史さん:02/06/13 15:46
荒らしは無視でお願いします。
316世界@名無史さん:02/06/14 19:27
議論再開
317世界@名無史さん:02/06/14 22:47
終了。
318世界@名無史さん:02/06/15 00:07
>>296
つーか、新しいとか古いとかの問題なのか?王建群は碑そのものを数ヶ月にわたって精査して
解読結果を発表しているんだが、それを知っての発言かな。
李を含めて、現地に行って徹底的に碑文を実査した日本人学者は存在するのか?
現存する碑面を現地で確認もしないで、拓本にたよった推論だけで新しい説を立てるのは正しい
方法論なのか?
319世界@名無史さん:02/06/15 05:22
>318
>現地に行って徹底的に碑文を実査した日本人学者は存在するのか?

現地に行って、三日ぐらいかけて碑そのものを調査した日本人学者グループが
あります。調査記録を本にまとめています。その本は私の町の図書館にあるが
いま覚えていない。
王建軍とも会って意見交換している。「辛卯年」のところはだいたい王の意見と
同じ結論に達している。ぜんたいでは読み方の異なる文字が意外に多くあるが、
碑文の主旨を変えるほどではない。
320世界@名無史さん:02/06/15 12:54
日中韓の学者グループで共同で現地調査したじゃん。
新しい写真や拓本つきでぶあつい報告書が以前本屋で売ってたろ。
あれ以降、広開土王碑についての珍説奇説は途絶えた。
(一部超線電波をのぞく)
321世界@名無史さん:02/06/15 12:54
朝日投稿6月4日

『2点は入れすぎ 専守防衛精神で
(宇津田 史郎 岩手県79歳 無職)

待ちに待ったW杯日本戦がはじまり、私も中学生の孫とワイドテレビで観戦していた。
感動したのは日本選手の試合ぶりの見事さで、遠いヨーロッパから来た、
平和とワッフルを愛する国・ベルギーを相手に、
勝つことも負けることもなく試合を終えることができた。
戦争放棄を憲法に高らかに唄ってある日本の専守防衛サッカーは、
確かに見かけは派手ではないが、国際平和に貢献していることが世界中の人間に分かったことだろう。
それにも増してすばらしかったのは、
軍隊のない国・コスタリカからはるばる来られた名前も知らない審判で、
日本の特攻精神を諫めるかのような「そのシュートは誤射」という見事なジャッジ。
彼の勇気をもっと褒めてもいいのではないだろうか。

有事法制案で国会が賑やかな昨今、もしその法案が通るようなことになれば、
日本選手はサッカー・シューズを軍靴にはきかえ、威風堂々と3点、
さらに4点と攻めまくり、近隣諸国の反感を買うことだろう。



322世界@名無史さん:02/06/16 12:06
朝日投稿6月4日
『2点は入れすぎ 専守防衛精神で
(宇津田 史郎 岩手県79歳 無職)

待ちに待ったW杯日本戦がはじまり、私も中学生の孫とワイドテレビで観戦していた。
感動したのは日本選手の試合ぶりの見事さで、遠いヨーロッパから来た、
平和とワッフルを愛する国・ベルギーを相手に、
勝つことも負けることもなく試合を終えることができた。
戦争放棄を憲法に高らかに唄ってある日本の専守防衛サッカーは、
確かに見かけは派手ではないが、国際平和に貢献していることが世界中の人間に分かったことだろう。
それにも増してすばらしかったのは、
軍隊のない国・コスタリカからはるばる来られた名前も知らない審判で、
日本の特攻精神を諫めるかのような「そのシュートは誤射」という見事なジャッジ。
彼の勇気をもっと褒めてもいいのではないだろうか。

有事法制案で国会が賑やかな昨今、もしその法案が通るようなことになれば、
日本選手はサッカー・シューズを軍靴にはきかえ、威風堂々と3点、
さらに4点と攻めまくり、近隣諸国の反感を買うことだろう。

323世界@名無史さん:02/06/16 14:55
>>320
現地調査で偽造説は否定されたが、逆に明瞭に判読できない字が多数存在している
事も明白になった。だから最近の碑文解釈の議論はもっぱら「この字を○と読める
か?」という部分で争われている。
公開土王碑文の解釈についての議論が完全な決着を見たとはまだ言えない状況だよ。
324世界@名無史さん:02/06/17 15:49
325世界@名無史さん:02/06/17 18:49
1
326 :02/06/17 19:17
>>322
え、これってネタでしょ・・・?
327世界@名無史さん:02/06/17 19:43
>326
投稿者の名前見て。
328世界@名無史さん:02/06/18 02:59
>>323
珍説奇説信者ですか?
329世界@名無史さん:02/06/18 03:19
こっちはソースつき、現実を見ろよ。   

高額納税者:強い消費者金融やパチンコ経営
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200205/16/20020516k0000e040023000c.html
40(―)金沢 要求 パチンコ機器製造会社社長 愛知  42,158
53(―)金沢 全求 パチンコ機器製造会社専務  愛知  36,011
61(―)金沢 信求 パチンコ機器製造会社取締役 大阪  35,189
78(―)松原 信男 パチンコ機器製造会社社長  愛知  31,629
79(―)金海 龍海 パチンコ店経営会社社長   福岡  31,007
86(―)光山 照男 パチンコ機器製造会社専務  愛知  30,418
91(―)全本 親民 パチンコ店経営会社社長   岡山  29,436

コリアンパワー炸裂!コリアンは土地持ちが多いし、お金も持っている。
結局嫌韓派って貧乏人なんだよ。現実を受け入れられないコジキが差別に走る。
まあ、おまえらが一生働いてもコリアンに追いつくのは無理だがな(w。
可哀想だし、ほえさせてあげてね(同情

親日コリアン>コリア系を受け入れる日本人>>>>>>>>>>>>>>嫌韓派=朝日=反日コリアン
330世界@名無史さん:02/06/18 04:44
>>329
パチンコ賭博でもうけても、イタリアンマフィアが禁酒法時代に
酒でも受けてるのと同じ。
そのうち、規制を強化するか税金をかけるかするだろ。
331世界@名無史さん:02/06/18 15:33
>>328
だから通説以外は珍説奇説って状況じゃないんだってば(^^;
332世界@名無史さん:02/06/18 15:55
好太王碑以外で>>1の議論のプロセスを探したほうがいいと思う。
333世界@名無史さん:02/06/19 03:21
>>331
倭以辛卯年来、渡海破百残、??[新]羅、以為臣民
これの通説以外の解釈ってあるの?
334世界@名無史さん:02/06/19 19:44
荒らしは抜きで
335世界@名無史さん:02/06/19 20:44
倭が辛卯年を以って来たので
(好太王が水軍を率いて)海を渡って
(倭に従っていた)百残・□□・□羅を破り、
(それらを高句麗の)臣民にした。

好太王碑なんだから主語が好太王なのは当然。
ただし好太王の顕彰が目的だから戦果は割り引くべき。
百残・□□・□羅は倭国の配下にあったと見るのが筋。
この百年後の倭王武が名乗った称号、
使持節都督倭百済新羅任那加羅秦韓慕韓七国諸軍事倭国王とも符合する。
336世界@名無史さん:02/06/20 05:20
主語たる好太王はそんなに簡単に出てこない。
出てくるべき事情をひとくさり説明してから、王自ら軍を率いてか、軍を遣わしてか、
どちらかが出てくる。

「渡海破」はその事情ひとくさりのなかのはじめのほうにあるのだから、
まだ王は出てきてはいけない。
337世界@名無史さん:02/06/20 16:11
統治せよ
338>333:02/06/20 16:42
武田幸男は碑文解釈は大別して倭人主導説と高句麗主導説に分かれるとして
いるね。倭人主導説というのが通説で、335にあるのが高句麗主導説。

まあこう大別してみてもその論者によって解釈の細部は異なっていて、倭人
主導説を採る武田幸男にしても従来の通説には批判的だったりはする。
また、碑文の解釈自体は倭人主導説に立ちつつも「倭=加羅説」などを取り
込んで実質的にはその意味するところが違うと考える見解もある。

これに対してそもそも解釈論以前に
>倭以辛卯年来、渡海破百残、??[新]羅、以為臣民
の部分の文字の比定自体が正しいのかという見解もなお有力に存在する。
風化の進んだ碑文から原文言を比定するのは相当困難な作業で、この部分の
アプローチももっと念入りにやらないといけないだろう。

客観的に見て武田幸男の説は他説と比べてやや説得力に勝るから通説的な地
位を維持しているが、絶対的通説・定説という地位を占めるためにはまだ乗
り越えなければならない壁は多い。
339世界@名無史さん:02/06/20 16:52
>338
あなたの碑文の解釈の考察はどんなもの?
340世界@名無史さん:02/06/20 18:44
>338
いずれにしても漢文は素直に解釈しないとだめ。
主語がくるくる変わる解釈はみな、漢文の解釈よりも別のところに目的がある。
即ち朝鮮民族ナショナリズムか、過去の植民地支配に対する引け目か、
どちらかである。

それに、辛卯年記事でいくらがんばって見ても、碑ぜんたいで見れば
倭が高句麗と覇権を争った、最大の相手であった事実は動かない。
341世界@名無史さん:02/06/22 13:01
議論挙げ
342世界@名無史さん :02/06/22 17:17
日本書紀
343世界@名無史さん:02/06/22 17:42
>>340は微妙に>>338とかみ合ってない気がするが・・・
344世界@名無史さん:02/06/22 19:08
全くつながりません。
大変なことになっているようです。

NHKに抗議しよう
0570−066066

345世界@名無史さん:02/06/23 14:37
議論正常化へ!
346世界@名無史さん:02/06/24 15:43
新羅は倭人国家
347世界@名無史さん:02/06/25 15:33
あああああ
348世界@名無史さん:02/06/25 17:31

     ,,r;'"''"~ ̄ ̄ ̄~`ヽ;.
    ,';;"          ヽ;.            _,,-====-、
   r';;'  ,,,..... ,,  ,, .......,, ヾ_         ,,r'ソ''     ''`ヽ
   l;:トー{ニニニ}-─{ニニニ}-7       //'      Y⌒`、
   、;l  `ー- ''ノ .、`ー--'  l∫     /:/'',,...-,,,  ,,,,...__  `iヾ
   l''l     /_,.,__,.,)ヽ    |      /y' ー=-   .__`  |;;;i、
   ヘl    / ,,...___,,,.. l   l     /;:l    ,      ̄  |ミヾ
   ヽ     r'エエエエア   /    ヘ''r'    /o._..o、     |川
    `.    {i''''"Y`''''i}   /    (ノレ   /,,______,,ヽ    l'ミミ
  _,,..r-yゝ  ヽ._._._._.ノ ..イ~ ̄`ー-/ヘノ`l  : (''"Y"''');'   /ノ:|ハ
,.-'l | | l  ` ..   ̄ ̄ ./l'  ヽ  ソ/彡ノ、   `ー=-'.    /《川h、
..しl_ヽヽ ヽ チョン     ̄   | ゝ  彡丿彡/ゝ   チョン    /巛|r-y'`n
   
テーハミング♪ テーハミング♪ テーハミング♪





349世界@名無史さん :02/06/25 20:02
真面目に議論しろ!
350世界@名無史さん:02/06/26 15:56
しろしろ
351世界@名無史さん:02/06/26 16:19
【ひろゆき救罪用テンプレ】・投票所で、他板の仲間にも知らせよう!!!!

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<<海外>>
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投票所
http://live.2ch.net/vote/
コード発行所
http://mikoshi.jp/2ch-tournament/index.html
352世界@名無史さん:02/06/27 15:57
荒らしは消えろ!
353世界@名無史さん:02/06/27 16:04
>352
じゃあまずお前が消えろよ(w
354世界@名無史さん:02/06/27 16:52
>>353=荒らしは消えろ!
355世界@名無史さん:02/06/29 14:04
とりあえず議論正常化へ
356世界@名無史さん:02/06/30 11:42
慶州
357世界@名無史さん:02/06/30 12:27
イタリアのYahooBBSで韓国人が日本人を語ってイタリアを罵倒
[hirohito_azzuri_tomb」ヒロヒロ_アズーリ_墓
このハンドルネームで
・・・

As you know, here's many my Japanese junks to enjoy your deep sorrow and they pretend to give a comfort as insulting Koreans .
This is our Japanese purpose to stupid Italians.
・・・
Okay guys. Cry and get angry more.
We Japan is twice richer than you Italy so we have twice more elegant sense .
Viva Italy,, the stupidest people of the world.
What the poor loser !!! That's fun ...
だってさ、韓国人マジ死ねよ

http://it.messages.yahoo.com/bbs?.mm=GN&action=m&board=556066149&tid=mondiali2002
358世界@名無史さん:02/06/30 13:37
>357
語って→騙って
359世界@名無史さん:02/07/01 16:26
この分野で最新の論文はどんなの?
360世界@名無史さん:02/07/01 19:27
348とか357って何がしたいんだろうね?
361世界@名無史さん:02/07/02 15:42
では議論待ち
362世界@名無史さん:02/07/03 15:44
日本書紀は史実です
363世界@名無史さん:02/07/03 16:57
そのとほり。ただし362の脳内の中においてのみ。
364世界@名無史さん :02/07/03 17:40
363はサヨ、今の学会では日本書紀はすべて出鱈目
と主張するほうが電波扱いです。
(全部史実というのも電波だけど)
365世界@名無史さん:02/07/04 15:40
古事記ではどうなっている?
366世界@名無史さん:02/07/06 12:26
マジで議論する人は?
367世界@名無史さん:02/07/06 12:38
サヨ学者も日本書紀がすべて出鱈目と言っていませんが、何か?
368世界@名無史さん:02/07/06 13:57
任那(加羅諸国)に倭人が住んでいた → 任那は日本の植民地

倭人 = 日本人 ではないよ。

「倭」って、朝鮮半島中南部と日本列島西部を指す地域概念だからね、もともと。

むしろ、
父祖の地である任那にすんでいる「倭人」が、日本列島にも住んでおり、
「植民地」を形成している

と考えた方が自然。

「倭の植民地」なのは日本の方。
369世界@名無史さん :02/07/06 14:09
↑サヨ
370世界@名無史さん:02/07/06 15:11
植民地という用語自体荒れるもと。
そんなもんはねえんだから使うな。
371世界@名無史さん :02/07/07 11:37
だから、半島へ進出したのは強力な王権である大和朝廷だろ。
それは学説として確立されている。
372 :02/07/07 13:05
倭人の特徴
抜歯、入れ墨の習慣あり
373世界@名無史さん :02/07/08 15:45
倭人は現日本人と同一である。
374世界@名無史さん:02/07/08 16:04

「任那」とは対馬を発祥とし、九州北部から朝鮮半島南部を支配した
「聯政国家」の国号。
反乱を起こした筑紫の造、盤井氏の国。

朝鮮半島南部に残る任那は、九州側が大和勢力に取り込まれたため、
正式には大和の勢力範囲だが、植民地のような形で残ったもの。
「日本府」と呼ばれるようになったのは、国号が日本となった後に
日本の飛び地として扱われるようになったため。

375 :02/07/08 18:09
日本府とつけたから、ややこしくなったんだよな。
376世界@名無史さん :02/07/09 16:48
どうつけろと?
377世界@名無史さん:02/07/09 19:55
1、高句麗好太王が戦った主な相手が「倭」である。
2、新羅が倭に攻められて、好太王に救援を求めた。
3、百済が倭と結んだので、百済を攻めた。

この辺に異論は無いのかな。
問題は「倭」とは「朝鮮半島南部から九州にかけて居住していた民族」なのか、
「親魏倭王」や「倭の五王」の倭、つまり日本列島内の国家なのか。
また、それは大和朝廷なのか。
この辺になると、定説なんかなさそうな。
378世界@名無史さん:02/07/09 21:33
>>377
大和朝廷が定説です。
否定しているのはサヨだけです。
379世界@名無史さん:02/07/09 22:08
>>377
稲荷山鉄剣なんていうものがあるのに、倭を「朝鮮半島南部から九州に
かけて居住していた民族」なんて主張するのはかな〜り無理があると思うが…。
380世界@名無史さん:02/07/09 23:34
百済は王妃が日本に住んでて子供産んだり、王子が
日本に住まわされたりと末期に従属国になっていたことは
明らかだね。

↑を否定するとき韓国人はどういう屁理屈を使うの?
381世界@名無史さん:02/07/09 23:40
>>379
一回統一したらその後はずっと統一したまま続くって事もないと思う。
古事記景行天皇条とか一度平定したはずの土地をもう一度平定する話なんかが
あるし、これなんか一度統一政権が誕生し、それが崩壊した後また統一政権が
ってなのを示してるって解釈は無理でしょうか。
382世界@名無史さん:02/07/09 23:42
>>381続き
つまりこの倭とは大和朝廷以前の倭人による統一国家である。
と言う解釈。
383世界@名無史さん:02/07/10 00:02
>>380 ↑を否定するとき韓国人はどういう屁理屈を使うの?


金雲容という在日の学者の説では、
日本は百済の植民地でその総督として王子が代々派遣されていたそうです。
土着民の長である天皇は副総督か宰相のような役割で補佐していたそうです。
384世界@名無史さん:02/07/10 00:22
金雲容大韓オリンピック委員会(KOC)“執行委
金雲容氏IOC選挙敗北]
金雲容大韓体育会会長

さすがに在日の中でも異端なのかこんなのしかでてこないや。
けど、朝鮮民族の哀しさを味わえる、良い説だね。

385世界@名無史さん:02/07/10 00:47
>>381
稲荷山鉄剣の時代には少なくとも中国地方から関東地方にかけて
大和朝廷が支配を固め、倭として南朝に使者を出していたというのは
確定ってことでいいよね。

で、仮にその後分裂したとして、分裂した勢力が日本本土ではなく、なぜか
朝鮮半島に向かうのはすごく不自然なんだけど…。そんなことしていたら、
後背地かつ本拠地である九州北部が非常にやばいことになるでしょ。
386世界@名無史さん:02/07/10 00:58
>>385
いや、そうではなくてそう考えれば朝鮮半島へ出兵してた勢力が
大和朝廷ではないという解釈も可能かなーって話です。
つまり稲荷山鉄剣時代の倭国を統一してたのは大和朝廷とは別の
倭人勢力で、その後の時代に後発の大和朝廷が勃興して倭国を統一し
その歴史を編纂する際に古代の統一王朝と自分達を無理矢理つなぎ合わせた。
みたいな感じに。複数回にわたって同じ場所を平定する話が出るのは
そのせいではないかと思っているのですが。

それと今気づいたけど>>381で379にレスしたけど378の誤りです。


こっから先は根拠が無いので上記よりも妄想の度合いが強いです。

ちょっと思うのは朝鮮半島への出兵ってのは統一勢力でないと絶対に不可能な物なのでしょうか?
北九州の方が倭の他の地域に比べて圧倒的に優勢だった時代には
或いは東側の勢力が何らかの理由で分裂していれば
距離的に近い朝鮮半島への進出ってのは分裂状態でも別に無理ではないと思うのですがどうなんでしょう。
387世界@名無史さん:02/07/10 23:07
>>386
朝鮮人にとってますます屈辱的な仮説ですね。日本の「地域勢力」に
押さえこまれ属国にされる朝鮮半島・・。
388世界@名無史さん:02/07/10 23:22

韓国の究極の反論は「好太王碑文は日本軍が改竄してる」
「古事記、日本書記は偽書、その内容は捏造、そして解釈は歪曲」
とのことです(w
389世界@名無史さん:02/07/11 02:54
>朝鮮半島への出兵ってのは統一勢力でないと絶対に不可能な物なのでしょうか?
こういう考え方じたい、何か偏向してると思う。
そもそも、朝鮮半島南部が倭人の生活領域だったとしたら、「出兵」とかいう話ではないでしょ。
(単純に、「防衛」だよ)
390世界@名無史さん:02/07/11 03:16
>>389
 と言うか、満州南部 (高句麗) から、朝鮮半島全域を同一民族
として無理矢理解釈しようとするのが一番の問題のような。

 かって日本の関東〜東北に蝦夷が住んでいたように、朝鮮半島
南部に倭人が住んでいた、というだけの話だと思うんだけどなぁ。
それを大和朝廷からの侵略軍と解釈したり、倭人集団がいたはず
がない、みたいな両極論になっちゃうのがおかしいと思う。
391世界@名無史さん:02/07/11 03:21
>>389
ただ、好太王碑文によれば大攻勢に出ているわけで。
392世界@名無史さん:02/07/11 06:15
壇君朝鮮も商の宗主国だったが、後に朝鮮は中国の属国となった
同じ事が日本と朝鮮にも言える
393世界@名無史さん:02/07/11 07:04
ハァ?
394世界@名無史さん:02/07/12 13:45
>>391
好太王の方が攻勢に出ていますね。
「広開土王」とも呼ばれていることから分かる通り、領土を大きく広げた王です。
高句麗からみれば「領土を広げた」だけど、百済や新羅、それに倭人勢力からみれば、
「領土を奪われた」ことになる。よって、百済、新羅、倭人は、
合従連衡を繰り返しながら、高句麗に対抗しようとしたと見るのが普通でしょう。
395世界@名無史さん:02/07/12 19:00
>>390
そうですね。
高句麗と、百済、新羅は別民族でしょう。
百済と新羅は同民族かな?
倭はまた別民族。
ということで、朝鮮半島には来たから順に、
高句麗(鮮卑?)百済&新羅、倭が住んでたったことじゃ?
396395:02/07/12 19:03
×来たから順に
○北から順に
ミスタイプ多し。
397世界@名無史さん:02/07/12 19:23
厨房質問で申し訳ありませんが、今話題の日本海vs東海論争って
どっちの方が歴史的根拠があるのですか?
398世界@名無史さん:02/07/12 21:36
>>397
まぁ、東アジアというか、漢字文化圏で「東海」といったら、基本的には「東シナ海」のことだし、
一般論としては、自国というか居住地の東側の海のことだね。
シナから見れば「東シナ海」、韓国・朝鮮から見れば「日本海」、日本から見れば「太平洋」の
ことでしょ。
399世界@名無史さん :02/07/13 13:48
大和朝廷
400世界@名無史さん:02/07/13 14:46
世界史板には初めて来た者です。
>>397
やはり「日本の海」というのが気に入らないのであろうが・・・。
第一、日本列島がもし無ければあそこは「太平洋」になると思う(藁
欧米でも”Japan Sea”(ちと違うかも)と呼んでいるらしい。
そもそもヨーロッパ人が名づけたと聞きました。
ところが、数年前アメリカの地理学会で「東海と呼ぶべし」となったという
不穏な噂も聞いた。事実をご存知の方の登場をキボンヌ。


401世界@名無史さん:02/07/13 15:21
>>400
韓国が主張していることでしょ。せっせと抗議行動を繰り返して、あちこちの地図表記を変更させて
いるようですね。
お得意の植民地化された被害者の立場から、旧支配者である日本寄りの勝手な名称を許さない
といったポリティカル・コレクト風の主張である程度受け入れられているのでは。

まぁ、韓国・朝鮮の地図では日本海が「東海」、黄海が「西海」となっているようですから、あちらか
ら見るとそういう名称になるんでしょうね。

詳細はハングル板にでもいってたずねてはどうでしょうか。
402世界@名無史さん:02/07/13 17:07
>>401
今ハングル板繋がらないよ。
403世界@名無史さん:02/07/13 23:59
韓国の中学校の歴史教科書が売られていますが、凄いことになってます。
檀君は事実として語られているし、任那も倭人も半島にいたとは全く書いて
ない。もちろん、倭宰(任那日本府)は当然かいてない。
かわりに、伽耶が書いてあり統一国家はなかったとか。
あと、百済は九州まで勢力を広げていたそうです。はっきりと書いてないが、
彼らが言うには日本は百済の属国だったらしいです。

中・日の史書どころか、自分の国の史書まで無視。(絶句)
404世界@名無史さん:02/07/14 00:07
箕子朝鮮、衛氏朝鮮、楽浪郡はなぜかいてないんだろう?
あ、中国が捏造したと思ってるのね。(笑)


405世界@名無史さん:02/07/14 00:08
>>403
鏡でおのれを見る気分だったでしょ(ニヤニヤ
406世界@名無史さん:02/07/14 00:08
>>405
すいません・何がいいたいんですか?
407世界@名無史さん:02/07/14 00:12
日本の教科書は、中国と韓国の史書の喜寿yつは反映されています。
任那日本府はお隣の国が捏造だって言うんでかけないらしい。
408世界@名無史さん:02/07/14 00:17
檀君神話は箕子朝鮮が神話化したものでしょう。
そもそも、天帝は中国の神であることをかの国の人は忘れているらしい。
409世界@名無史さん:02/07/14 01:09
上で書いたことはネタではありません。
全て断定的に書いてあります。
百済は野蛮な日本に土器の作り方を教えてくれた
そうですし。(縄文土器のことか?)

考古学も無視してます。
410世界@名無史さん:02/07/14 01:12
>檀君神話は箕子朝鮮が神話化したものでしょう。

つか、箕氏朝鮮も神話なのだが。
むろん、神話をバカにするわけではない。
しかし、箕氏が去った先が朝鮮だと、なぜそれほど安易に認定するのだろう?
411世界@名無史さん:02/07/14 01:21
>>410
箕子朝鮮は神話ではありませんよ。神様は出てきません。
伝説的存在ですが、殷・周の時代なので実在した可能性は
否めない。
遺跡が出てきても、あのキチガイ国家が認めないでしょうが。
412pt:02/07/14 01:22
任那日本府の存在認めたくない気持ちはわかるけど事実は事実だし
ただ向こうの人間がそれを言うと売国奴扱いされるからねー
413世界@名無史さん:02/07/14 01:25
西王母だって穆天子伝が出てくるまで、神話・伝説のたぐい
と思われていたわけですが。
414世界@名無史さん:02/07/14 01:26
本題に戻って、高句麗と戦った「倭」の正体だが、
大和朝廷か、それ以外の勢力かという問題になる。
大和朝廷説としては、神宮皇后の三韓成敗の説話あたりが根拠になるのだろうか?
これは、古事記全体の中でもいかにも浮いた説話で、史実の反映と言うよりは
「なんでこんな説話が採用されたのか?」という方に関心の集まる話題ではある。

一方に「九州王朝」説がある。欠点は文献の裏付けがないこと。
大和王朝とは別系統の九州王朝があり、それが邪馬台国→倭の五王の倭=高句麗と戦った倭、という図式。
オレとしては、どうしても九州王朝説の方が説得力があると思うのだが。
415世界@名無史さん:02/07/14 01:28
韓国の歴史漫画を読んだら
「衛満は燕の国で暮らしていた古朝鮮人と推測される」と書いてあった。
これ定説なの?
416世界@名無史さん:02/07/14 01:30
>>415
朝鮮に住めば誰でも朝鮮人。ヒディンクも。
417世界@名無史さん:02/07/14 01:35
>>415>>416
優秀なら朝鮮人。
そうでなければ……
色々都合があるのです。
418pt:02/07/14 01:37
さすがに三韓征伐の伝説は嘘やろ
>414
419世界@名無史さん:02/07/14 01:39
>>418
新羅遺事に、倭に王都を襲撃された旨の記事があるらしい。
森浩一が書いていた。
420世界@名無史さん:02/07/14 02:03
>>414
「出雲」「吉備」などと同様に「倭」(九州北部〜朝鮮南部)という
勢力があって
後に「大和」に吸収されたというのも話としてはあるかもしれませんね
421世界@名無史さん :02/07/14 11:36
このスレ、古田信者が混ざっているようだね(w
422世界@名無史さん:02/07/14 15:04
>>421
何か中身のあること書けよ。
あっ、古田説に反論するほどの頭がないか。
原田実氏の本を読むのがいいかもよ。
423世界@名無史さん :02/07/14 15:35
>422
オイオイ、未だに九州王朝なんて言っている電波に対して
それ以上に何かいうことでもあるか?
九州王朝というモノを持ち出してきた時点で電波決定!
424米好き:02/07/14 17:18
九州王朝説か・・・むかし面白くってむさぼって読んだよ。

提唱されてから何十年もたったけど、日本史の学界的には、
・ひたすら無視
・きちんと反論して電波扱い
・一部信奉者が出てきた
のうちどの状態なのだろう。
425世界@名無史さん:02/07/14 17:47
424氏

学会的には、「九州王朝説?証拠無いから、電波!!」
と反証も無しに、切り捨ててますが何か?。
426米好き:02/07/14 17:51
>>425

どうも。
そうなのかー。
427コギャル&中高生:02/07/14 17:54
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428世界@名無史さん:02/07/15 01:01
>>426
そのようです。
落胆するには及びません。理系の学者が出てきています。
佐藤洋一郎『稲の日本史』(角川選書)
とか、事実を見るのが日本の伝統。
今は伏流ですが、必ず主流になります。
429世界@名無史さん:02/07/15 01:14
>>415,>>416,>>417
「満」と苗字無しで記載された文献があるんやなかったっけ。
苗字無いから燕人で無いのではとか。
430世界@名無史さん:02/07/15 09:21
>>425
九州王朝説論者って、なんでもかんでも強引に九州王朝に結びつけようとして
いてほとんどウリナラ学者といっしょ。

なので、相手しても無駄だから完全放置しているだけやん。
431世界@名無史さん:02/07/15 09:23
ちなみに、きちんとした反論は多数あるけど、九州王朝説論者は
ウリナラ系学者とおなじく、そういう反論を完全無視してる。
432世界@名無史さん:02/07/15 15:59
古田信者晒しあげ
433世界@名無史さん:02/07/15 17:10
吉田信者皿仕上げ
434娜々志娑无 ◆NcNEDmUA :02/07/15 19:39
>>135
>高句麗語の3を「密=mil」と朝鮮語風にするのはどうしてですか?
>漢字のむかしの読み方の通りなら「mit」になるのでは?

 まさかこんなところに私の書き込みが引用されているとは…(^^;。
禿しく亀レスになってしまいましたが、とりあえずお答えします。

 確かに「密」の字は漢字音としては韻尾tを持つ漢字ですので、普通
なら[mit]と再構すべきものです。ところが、同じ三国史記の巻34に
「密城郡、本推火郡」とあり、また同じ巻に「玄驍県、本推良火県{一云
三良火}」とあって、「推」は「押す」の意の朝鮮語動詞mirに由来する
訓と考えられるので、「密」「三」ともに[mir(mil)]を表わしている漢字
表記であると推定されるのです。河野六郎氏や李基文氏が高句麗語
の3を[mir(mil)]と再構したのは上記のような理由に基づくものです。

 ただ、この推定にも問題がないわけではありません。当該地名が
出て来るのは三国史記の巻34なわけですが、この巻は実は高句麗
の地名ではなくて新羅の地名を扱っている巻なのです。高句麗語の
数詞を考える上で新羅の地名表記を使うのはかな〜り(゚д゚)マズ〜な
処理であると言えましょう。

 それでも、もしこの「密城郡」や「玄驍県」が新羅と高句麗(この際
百済でもOK)の国境付近の地名であれば、高句麗語乃至夫餘系
百済語の反映ということで処理出来そうですが、残念ながら今の私
にはこれらの地名が朝鮮半島のどの位置にあったのか確かめる
ことが出来ません。そんなわけで、現状ではここは素直に「密」は
[mit]または韻尾tを取って[mi]として再構すべきだったと今は後悔
しております。(´・ω・`) ショボ〜ン。
435世界@名無史さん:02/07/15 21:37
大体その当時日本なんて国は存在していないが。
436世界@名無史さん:02/07/15 21:41
南朝鮮が滅びたときに大量のチョソがやってこないことを祈るばかり。

古代には一回ころをやられてるってことだからね。

どんどんチョソが増えてくよー
437世界@名無史さん:02/07/15 22:45
>434
ハン板の大物コテハンが・・
438世界@名無史さん:02/07/16 00:54
>>435
国号変えただけだと思うが。
439ななしさん:02/07/16 03:23
南朝鮮が滅んで大量の難民がやってきたら各地の過疎地域に入植させる。
そんでその3代目くらいの娘が皇族のお妾さんになって男子を生んで
なんかのはずみで天皇になってしまうかも。
440>>436:02/07/16 21:15
おまえ、死んだほうがよいよ
新モンゴロイドは、漢民族(越人を除く)、モンゴル人、朝鮮人、弥生人。
寒冷地適応した遺伝的に優れた人種だ。
日本人は、旧モンゴロイドの縄文人との混血だから、もっと混じったほうがよいかも。

日本人のB型は二割、朝鮮人は三割。山陰地方では三割。
西日本の進学率が東日本より高いのももしかしたら・・・・・。
441世界@名無史さん:02/07/17 01:44
「古田信者」とか言う言葉を使う連中って、何者?
ま、古田武彦氏の名前を宣伝しているのだから、古田信者の一種ではあるのだろう。
批判的に語る能力がないのなら、マンセーしろと…… 
言うだけ無駄か……
442世界@名無史さん:02/07/17 04:55
>>440
モンゴル人>朝鮮人>>中国人>>日本人>>沖縄県人>>フィリピン人
ってこと?
443世界@名無史さん:02/07/17 07:55
>>436が良いこと言った。
444:02/07/17 09:40
遺伝的にほとんど同じなのに、たかが政治的につくられた価値観でしか判断できないバカだな

江戸時代まで、文化的先進地域として普通の日本人は朝鮮を少し尊敬していた
明治時代に、古代の天皇を担ぎ出し歴史を偽造し日本ナショナリズムを捏造したことの相対化すらできなければ、この板にくるなよ
445 :02/07/17 09:47
パキスタンの西部は、トライバルエリアでパシュトン人の自治区というか治外法権。パキスタンは治安はおろか徴税もできていない。
(イラン・イラクのクルド人地域も同じか)
ウイーン会議以降の近代国際関係以来、国民国家の枠組みを偽装することで何とか国際的秩序をつくってきて、周り中そうなっていてもまだパキスタンやアフガニスタンではその程度。
アフガンなんて、地域ごとの武士団?軍閥?封建領主?の割拠状態。民族も言語も文化も違うグループが地域的に分かれて住んでいるだけ。

古代東アジアを理解するのに、明治政府の捏造した枠組みなんて無視しなければまともな認識はできないよ
国家とか民族とか、近代の概念枠組みも捨てることだな

こんなことは常識なんだけどなあ・・・
446世界@名無史さん:02/07/17 13:33
440 :>>436 :02/07/16 21:15
おまえ、死んだほうがよいよ





シクシク
447世界@名無史さん :02/07/17 15:32
448世界@名無史さん:02/07/17 21:16
>>440
いや、君の方が死んだ方がいい。
1.血液型のみで、どうして民族の違いを語れる?
2.西日本と東日本の分け方は?ちなみに進学率が高いのは中部地方。
  近畿や関東よりも高いのだが。
3.古代に来た人間の血がずーーーーーっと混ざらないでそこに留まって
  いるとでも?君が思ってるほど人間の動きは悪くない。江戸時代でも
  かなり人間の動きが活発だって事知らないの?
4.そんなに有能なら今なんで経済が停滞してるの?韓国は経済危機脱出
  してる嘘はなしね。アメリカも韓国の今の経済はバブルだって見てる
  んだから。そのうち株が大暴落だよ。

 さあ、答えてごらん。
449世界@名無史さん:02/07/18 15:39
本論からずれています。
450世界@名無史さん:02/07/18 16:58
>434
くわしい説明をありがとう。
よくわかりました。
451世界@名無史さん:02/07/18 21:11
ちょっと遅レスだけど韓国の古代神話に関して少し。
>>410

三国志魏志東夷伝韓人条に辰韓の老人の話として
「古の亡人、秦の役を避け来たりて韓国に適き、馬韓其の東界の地を割きて之に与うと。」
と言う話があり、続いて
「其の言語は馬韓と同じからずして、国を名づけて邦と為し、弓を弧と為し、
賊を寇tpまそ、行酒を行觴と為す。相呼ぶに皆徒と為し、秦人に似たるあり、
但に燕、斉の物に名づくるのみに非ざるなり。」
と続いており、秦の時代の中国からの難民流入があった事がわかり、
また史記にも「燕、斉の者、労役を避けて数万人が朝鮮へ逃げる。」
と言う記事がある事から
衛氏朝鮮はこの時代に建てられた物でしょうが、
それ以前の戦国時代には既に漢人の流入が始まっていた可能性も考えられ
秦の時代に朝鮮に流入した漢人達が、それ以前に存在した在朝鮮漢人のコミュニティを
伝説化したものが箕子朝鮮と見る事はできないでしょうか?
452世界@名無史さん:02/07/19 00:59
>451
面白い。
韓国には衛満を中国人ではなく古朝鮮人とする説がありますが、
箕子朝鮮を創ったのも衛満もチャイニーズというほうが自然だと思います。
453世界@名無史さん:02/07/20 14:37
ほほ
454世界@名無史さん:02/07/20 14:47
清川江まで燕の領域だったという説もあるそうです。
少なくとも其の辺りまでは交易圏だったんでしょうが・・・
455世界@名無史さん:02/07/22 16:06
燕は朝鮮民族の植民国家
456世界@名無史さん:02/07/23 01:26
>455
冗談?マジ?
457世界@名無史さん:02/07/23 02:23
>456
電波。
つか「朝鮮」も「民族」も、とりわけ「植民地」は、電波民族御用達、お気に入りの言葉です。
458世界@名無史さん :02/07/23 03:55
この時代の大和朝廷の日本列島での位置は、
神聖ローマ帝国でのオーストリアみたいなものですか?
459世界@名無史さん:02/07/23 15:54
違います、我が国日本は、
中国に先駆けて大和朝廷が天下統一し中央集権国家
を作り上げました。
460世界@名無史さん:02/07/24 15:31
最近の研究は?
461世界@名無史さん:02/07/25 15:41
新羅
462世界@名無史さん:02/07/27 05:04
>日本人のB型は二割、朝鮮人は三割。山陰地方では三割。
>西日本の進学率が東日本より高いのももしかしたら・・・・・。

なるほど。朝鮮には学術系のノーベル賞がゼロなのも、学問レベルも低いのもそのためか(w
463世界@名無史さん:02/07/27 13:22
新羅侵攻
464世界@名無史さん:02/07/28 15:13
日本は侵略された側なの、分かる?
465世界@名無史さん:02/07/29 10:22
百済
466 :02/07/29 14:59
韓国人の中で、まともに歴史を話し合える奴をみつけるのは、難しい。
これは、知識のある大人から子供まで、すべてそう。
もう、宗教のようなものだからな。
ある韓国人は、メソポタミア文明は、韓国人の祖先が開いたと真顔で言ってたから。w
467:02/07/29 21:14
この板を見る限り、日本人の中でも難しそうだね
二回負けないと分からないらしい
468世界@名無史さん:02/07/30 11:05
っで日本は半島の勢力を従えたの?
469世界@名無史さん:02/07/30 11:19
>>444
江戸時代の日本人が朝鮮人を蔑視していたのは有名。
まともな歴史を学ぼうよ。
470世界@名無史さん:02/07/30 11:39
朝鮮顔の醜さを知ったら蔑視するわな。
土人みたな顔だもの。

色黒、異様な形の面長、離れた寄り目、ハの字の薄い眉、品の無い口etc
471世界@名無史さん:02/07/30 12:27
なべやかんの顔を思い浮かべるとわかりやすい
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473世界@名無史さん:02/07/30 14:47
>>468
私見を少し書きます。
4世紀頃、朝鮮半島では倭と高句麗が度々戦っていた事が好太王碑文からわかります。
また同じ碑文からこれら二国が百済・新羅の領土越しに戦争をしていた事がわかり
この事から、この時代朝鮮半島の覇権を争っていたのが倭と高句麗であった事も推測
出来ます。
また、宋書倭国伝に記録されている倭王武の上奏文も、内容を要約すると
「高句麗がいつも邪魔して嫌になっちゃうよ。やっつけたいからそのための地位下さい。」
というような物でして、この時代倭国が主要な外敵として認識していたのが
高句麗である事がわかります。

これらの点から考えるに、百済・新羅はこの時代には倭の勢力下に置かれたり
高句麗の勢力下に置かれたりというのを繰り返していたのではないかと思われ、
その意味では一時的には倭の勢力が朝鮮半島南部全域に浸透した事があったかもしれません。

ただ、完全な「領土」として百済・新羅の領域を取り込んだ事は無かったでしょう。
日本書紀はよく言われるように国威発揚のために書かれた物ですが、
もしもかつて百済・新羅を支配下に置いた事があればこれを書かないはずは無いと
思われますし、そこまで勢力が浸透したのであれば中国側の史料にその記述が無いのは
不自然であると思われます。

任那は兎も角、百済・新羅に関しては「実質優越な地位にある」以上には至らなかったと
考えています。
474世界@名無史さん:02/07/30 15:38
>>473
記紀には百済、新羅を支配下に置いた事を匂わせる記述がありますが。
それらの国は大和朝廷に王子を人質として送っていますし。
あと記紀を国威発揚のためということを前面に押し出すことは
今ではトンデモと言われますが。
(国威発揚の要素を否定しているわけではありませんので悪しからず)
475世界@名無史さん:02/07/30 15:56
>>473
「宋書」倭国伝

詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、
倭王に除す。
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/furuta/soujo.htm
476世界@名無史さん :02/07/30 16:27
>>469
幕府はそうだが
それが庶民まで広がっていたかというと怪しいな。

朝鮮通信使が来るときは、
庶民はみんな羨望を以って迎えていた。
オランダ大使と同じく。
477世界@名無史さん:02/07/30 16:31
ただの日本人特有の野次馬根性だと思われ、
沿道に人が群れているだけなら、
見なれない動物>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>朝鮮通信使
478世界@名無史さん:02/07/30 16:35
酷い事言うなお前。笑ったけど。
479世界@名無史さん:02/07/30 16:55
時は江戸時代だぜ。庶民の娯楽は何が有った。
テレビもラジオも映画も何にも無しだぞ。
見慣れない人間が来たら面白半分で群がっていっただろ。

それより庶民が群がってお上が解散させなかったことや、
事故や殺人が起こらなかったことの方が不思議だし、平和な江戸時代を髣髴させる。
480世界@名無史さん:02/07/30 22:27
>>474
記紀にその類の記述があるからこそ
「一時的には倭の勢力が朝鮮半島南部全域に浸透した事もあったかもしれない」
と言う一文を付けました。

百済・新羅に対して「優越なる地位」を確保していた事の証拠とは思えますが
いわゆる領域としての支配だったかどうかには疑問が残ると思います。
理由は473で書いた事によります。
481世界@名無史さん:02/07/31 11:32
>>480
そもそも新羅自身倭人による植民国家説も有力だから何ともいえないのじゃないか?
482世界@名無史さん:02/07/31 14:27
>>481
ぜんぜん有力じゃない。
483世界@名無史さん:02/07/31 17:00
>>481
新羅が倭人の植民国家である可能性はほぼ皆無だと思われます。
新羅建国神話において新羅三王家全てに倭人瓢公が絡んでいる事から
建国に当たって関係があった可能性は大いにありますが、
新羅が倭人の植民国家だった事を証明出来る史料はほぼ存在しないと言っていいでしょう。

蛇足ですが、中国の史料には辰韓・新羅の由来について以下の様な記述があります。
【三国志東夷伝韓条】
「辰韓は馬韓の当方にある。辰韓の老人達は代々以下の様に言い伝えている。
昔、古の亡人、秦の代に労役を避けて韓国に逃げた物がいる。そこで馬韓が
東部の土地を彼等に与えた、それが我々である。
(中略)
辰韓の言葉は秦の言葉に似ている所があり、ただ単純に燕・斉の物の名前のみが
伝わったのではない事を示している。
また、辰韓の人は楽浪郡の人を阿残と呼んでいる。
東方の人、自らを名付けて阿とし、阿残とは元々の土地に残った人の意である。
今、辰韓を秦韓と呼ぶ人もいる。」

【三国志東夷伝ワイ条】
「昔、箕子が朝鮮に行き国をつくり、八条の教えを作り民に教えた。
(中略)
その後王が四十余代替わり、朝鮮侯の準が、自分勝手に王と名乗った。
秦末に陳勝等が蜂起して、天下の人々が秦に背いた。燕・斉・趙の人々で
戦乱を避け朝鮮に逃げる者は数万人もあった。
燕人衛満が朝鮮の服装をして、この人々の王となった。」
484世界@名無史さん:02/07/31 17:00
続き
【隋書新羅伝】
「(三国時代の)魏のカン丘倹、高句麗を打ち破り、高句麗は沃沮に逃げた。
その後、高句麗はまた故国に帰ったが、その時帰らずに沃沮の地に留まった
高句麗人達が新羅の国を作ったのである。
そのため、新羅人は華夏(漢人)・高句麗人・百済人等が混じりあっている。
(中略)
新羅王の祖先は百済人で、百済を逃れ海路で新羅にきて、そのまま新羅の王となった。
以来代々世系を連ねて、金真平王の代に至っている。」

等と記されており、少なくても倭人が建国に際して主導権を握った記録は無いようです。
最も中国人がそれに気づかなかっただけと返されれば、どうしようもないですが(^^;
485世界@名無史さん:02/07/31 17:02
訂正
新羅が倭人の植民国家である可能性はほぼ皆無だと思われます

現在ある資料からは新羅が倭人の植民国家である可能性はほぼ皆無だと思われます

蛇足ですが

蛇足ではなくこっから下がメインです(^^;
486世界@名無史さん:02/07/31 17:06

中国の史料だから、かもしれませんが、
朝鮮の形成に関しては先ず中国との関連が強いように思われます。
箕子朝鮮や衛氏朝鮮の例を見るだけでもそれは明らかなように思えます。

スレの本論から離れてしまい申し訳ありません。
487世界@名無史さん:02/07/31 19:04
いや、出雲系の倭人の植民国家が学会でも有力だよ。
昔氏は須佐之男尊の関係が取り沙汰されている。
慶州金氏は天皇家の血筋を引いているらしい。
488世界@名無史さん:02/08/01 09:34
新羅?
489世界@名無史さん:02/08/01 17:02
>>486
箕子朝鮮の存在が捏造されたのはそう古くない。
檀君神話と同様の話。
490世界@名無史さん:02/08/01 17:58
>>489
朝鮮内部での状況はわかりませんが
箕子が朝鮮に封じられる話や、朝鮮で王になる話は
史記の中にも登場するのでして、中国では紀元前から知られた話です。
上に現代語訳を載せた三国志にも箕子の話は載っています。
確かに、それが後代の朝鮮諸王朝に取り入れられる仮定でどの様に変質したり
改訂されたかといった事はわかりませんし、
箕子自体、伝説的要素が強く、伝承をそのまま事実として見るわけには
行きませんが、何らかの事実の反映と考えるのも無理では無いと考えます。
491世界@名無史さん:02/08/01 18:12
>>489
問題なのは記録を丸呑みすれば、紀元前12世紀頃成立したはずの
箕子朝鮮が、その後紀元前4世紀まで登場しない事です。

殷の時代の箕子以来、朝鮮が再び中国の記録に登場するのは史記の蘇秦列伝で、
紀元前334年に燕の東方に朝鮮が存在する事が表記されています。
ただこの朝鮮がいわゆる箕子朝鮮である、と言う事を確認出来るような
文章はこの部分では皆無です。

魏略には、秦の将軍が朝鮮を攻め、朝鮮王箕否が秦に服属する話等が入っていますが
これが箕子朝鮮なのか、またこの話が史実なのか、事実の程は残念ながらわかりません。


とまあとりあえず、箕子朝鮮、或いは箕子の神話は中国の伝説として見れば
相当に古い話です。
或いは想像の翼を広げれば新羅や高麗と言った後の統一王朝が、
自国の権威を高めようとしてこうした神話を取り込んだとも考えられますが、
魏略逸文の中には箕子の子孫と韓人の関係についても書いてある物がある
と言う話(現物は未確認)なので、多少なりとも真実が混じっているように
思えます。

スレ違いなのでsageます
492世界@名無史さん:02/08/02 11:17
まず、

民族、という概念すら希薄な時代に、
倭人=日本人 だとする妄想電波を何とかしようぜ。
493世界@名無史さん:02/08/02 11:51
>>492
半島の人=朝鮮人とする電波の方がよっぽどあふれてると思うが?
日本の学者の方がよっぽど公平で、かの国より学術レベルが高いよ(w
嫌韓が露骨に出てるのは2chぐらいだし。
494世界@名無史さん:02/08/02 12:46
>>493
日本の学会も薄皮剥けば同じようなもんだよ・・・
495 :02/08/02 12:53
当時の倭人は何語を話していたのだろうか?箕子朝鮮では?

文字のない未開民族はつらいね・・・
496世界@名無史さん:02/08/02 19:14
新羅は植民国家
497世界@名無史さん:02/08/03 06:30
498世界@名無史さん:02/08/03 10:20
>493
っていうか、半島の人=朝鮮人なんて、かの国だって言ってねーよ。
「半島の人が朝鮮人になった」なら知れないけど。

「現在の韓国人は統一新羅で出来上がる」があっちの正説。
(「現在の朝鮮人は統一高麗で出来上がった」は北の正説)
499世界@名無史さん:02/08/03 11:55
「半島にいた人が朝鮮人になった」だろ。
縄文人や漢人を多数含んだな。
500親切な人:02/08/03 12:07

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501世界@名無史さん:02/08/03 12:38
朝鮮人のデタラメ古代史を何とかしてくれ。
日本に押し付けるなよ。
502世界@名無史さん:02/08/05 10:23
倭人は今の日本人と客観的に見て同一民族ですよ。
503世界@名無史さん:02/08/06 10:15
>>502
あんたの脳内でな。
くだらない一行レスで電波飛ばすんじゃないぞ。
504世界@名無史さん:02/08/06 19:13
>>503
あんたの脳内腐ってるな。
くだらない一行レスで電波飛ばすんじゃないぞ。
505世界@名無史さん:02/08/07 15:20
議論正常化へ
506世界@名無史さん:02/08/07 20:47
>>497
半島国家では5000年の歴史なんだそうだが
もし稲作云々がマジだとしたら日本は6000年の歴史で
中国>>日本>>>>>>>>>>>>>>>>>>韓国
でよろしいかな?
507世界@名無史さん:02/08/08 15:44
508世界@名無史さん:02/08/08 15:48
>>506
そんなこと比べても無意味です。
509世界@名無史さん:02/08/09 00:33
倭は加羅諸国、百済、新羅を支配していません。
人種はみんな倭人系。 
倭と加羅諸国は同盟関係のようなもの。
倭と百済は友好国。
新羅と加羅諸国はよく小競り合いをしていました。
人種的に並べると、
朝鮮人>>新羅>百済>加羅=倭>現代関西人>>現代日本人。
新羅・百済・加羅の言葉は倭語から朝鮮語化されました。
倭語は日本語化されました。
歴史上、被支配地域になったことのない、慶州近辺と大阪近辺のイントネーションが似ているのは、歴史的背景があります。
倭語のイントネーションは、慶州方言や関西弁と共通のものだと思います。
510世界@名無史さん:02/08/09 01:13
支配されてるから、百済の王族かせ何人も日本に人質にとられてたんではないの?
511世界@名無史さん:02/08/09 02:04
          ________
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512世界@名無史さん:02/08/09 02:13
>>506
そんな図式は成立しません。
韓国で前7世紀の遺跡が発掘されたとき、
年代の比定は日本の前3世紀の土器に類似したものが出たので、
文化が韓国から日本へ伝わるタイムラグを400年と推定して
決めたということでした。
もし日本の稲作が6000年前に始まったのなら、
韓国では6400年前に始まったことになります。
スローガンは半万年から1万年になるでしょう。
513世界@名無史さん:02/08/09 03:06
>もし日本の稲作が6000年前に始まったのなら、

始まったのは、もっと前もっと前。
7〜9000年前頃に縄文海民が華中まで直接行って持ってきたか、
琉球伝いに伝わったか。
514世界@名無史さん:02/08/09 03:16
>>513
史学的には沖縄ではなく、琉球を使うんですか?
それとも、琉球列島を略して琉球と使っているだけですか?
515世界@名無史さん:02/08/09 03:23
我々はこのような駄スレを立ててしまった1の人格を完璧に解析出来るという夢の次世代
コンピューターが完成したとの報を受け一路シリコンバレーに飛んだ。
主任エドガーの自信に満ちた笑み、その背後にそびえたつまるでハリウッド映画にでも出
て来そうな超巨大コンピューター。
我々はその頼もしい姿を見てこれで全てが解決したとそう確信した。
だが1のスレを入力してわずか数分後。突如鳴り響き始めた巨大なサイレンの音に我々は
一瞬にしてパニック状態に陥った。
「NO―――――――――――――――――――――――――!!」
エドガーの天を突く叫び声と共に完全にその機能を停止する巨大コンピューター。だが、
事態はそれだけに留まらなかった。ふと気付けば再び機能し始めたコンピューターが何処
かのサイトをハッキングし、次々と謎の命令を送っている。
我々は持参して来ていたノートパソコンを立ち上げ、巨大コンピューターのハッキングし
た場所へすかさず飛んだ。だが、そこには想像を絶する恐ろしい事態が我々を待ち受けて
いたのである。
「駄…駄スレが…駄スレがこんなに…ああ、増えて行く…どんどん増えて行く…」
部下がむせび泣きながら次々と床に手を着き、この恐ろしい事態に絶望の声をあげている。
神の使者となるべきはずの巨大コンピューターはいまや完全に1の人格に支配され、悪鬼
の如くこの世界のあらゆる掲示板に駄スレを立て続けている。
私は世界の終末を予見させるその恐ろしい光景にただ何も出来ず震えるばかりだった…
516世界@名無史さん:02/08/09 08:06
>>512
はは、最高。C14測定とか、年輪年代法とかないんかい。
もっとも、北朝鮮みたいに、どんな測定機械持ってても、
檀君陵捏造のような確信犯的行為を国ぐるみでやるから
なあ。
517世界@名無史さん:02/08/09 09:12
>>372
>倭人の特徴
>抜歯、入れ墨の習慣あり
この特徴って、南方の海洋民族の特徴でも
あるんじゃなかったっけ?
中国(当時は中国だったかどうか微妙だけど)の越(福建付近)人にも
そんな特徴があった気がする。

518世界@名無史さん:02/08/09 21:12
>>509
>倭語のイントネーションは、慶州方言や関西弁と共通のものだと思います。
久々の電波を見て目を打撲してしまたーよ。

>>512
バカ発見。日本の稲のDNAの話や、未だに韓国から大規模灌漑式水田が
古代地層から発見されないこととかしらんのか?朝鮮学校出か?
519世界@名無史さん:02/08/09 21:29
>518
違うって>512は韓国の事大主義を批判してるんだよ。
本題じゃないのでsage
520 :02/08/09 22:51
>>166
あの著者名は時々雑誌で小さく見るが、日本史矮小化に血道を上げている人
みたいだね。
ああいうのが世渡りにいい時代なのでしょう。
521世界@名無史さん:02/08/09 23:15
関係ないが・・・
平仮名は朝鮮で作られたのではないか、という話が昔に出たな
522世界@名無史さん:02/08/09 23:27
>>517
文身は、呉、越の習俗とか。
東南アジアにも広く分布する。

東南アジア−長江流域−日本という文明圏を想定した方がいいのかもしれない。
523世界@名無史さん:02/08/10 02:11
>>522
うむ、同意。
和服のことを呉服とも言うし、風習、習俗はどうみても南方系が
強い感じがする。
東南アジアを含めタイ北部や雲南、長江流域、琉球、倭といった流れを
文明圏として考察するのは極めて有効と思う。
そういえば、広葉樹林文化圏とかいう話はどのくらい発展してるのかな?
そもそも北方は稲作に適さないし、朝鮮から大規模灌漑式水田が発見され
ないのも不思議ではない。
どちらかというと北方は米よりは小麦系だろ?
中国を見ても南方系は米で、北方系は長らく麺なんかが主流だったしね。
524世界@名無史さん:02/08/10 03:20
>>523
NHKスペシャルのレベルでも、稲は江南地方から直接伝来したとかいう
話を定説的に扱っていたね。
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/01/l0011/l1111.html
525世界@名無史さん:02/08/10 04:35
>>517
>倭人の特徴
>抜歯、入れ墨の習慣あり
この特徴って、南方の海洋民族の特徴でも
あるんじゃなかったっけ?

いいえ漢代の中国にもいました。
上記特徴のある人々は漢代の東シナ海沿岸部に住んでいた人々です。
水に潜って魚を取る習慣も日本の倭人と共通しています。
漢書に書いてあります。
526世界@名無史さん:02/08/10 13:06
527世界@名無史さん:02/08/10 13:16
gm遺伝子の流れを、逆から、考えて見ろよ先生方。
528世界@名無史さん:02/08/10 13:55
>>524
その URL だと情報量低いな。
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/01/l0011/l1111s.html
のほうがよさげ
529世界@名無史さん:02/08/11 00:35
>>527
実は、gm遺伝子の流れだけでは日本文化の実態の解明に結び付けられないんだな。
gm遺伝子というのは、文字通り完全に「人」依存の要素だ。
それに対して、文化というのは「風土」依存の要素を大いに考えなければならない。
簡単に言えば、日本に100人が移住して来て齎したものと、たった一人が移住して
来て齎したものとどちらが後世に残るか考えてみよう。
素直に考えれば100人が齎したものだが、日本列島という風土に合わないものならば
淘汰されてしまい、たった一人が齎したものでも日本の風土に合致したインパクトの大きな
ものならば、後世に大きな恩恵を齎し代々引き継がれることになったとしても
不思議ではないわけだ。
日本という、温暖で多湿な気候、降水量の多さ、山がちの地形、川が急流で短いこと
植物の植生、動物の種類、森林の態様、四季の変化、火山列島であること
これらの特徴から人は逃れ得ないわけで、巨大な影響を受けるわけ。
まったく異なる文明圏から移住してきても、これらの逃れられない要素ゆえに
いずれ環境適応し同化していくことになる。そこから徐々に日本人のアイデンティティ
が立ち上がってくることになる。
古代以前から日本に齎されたものは数多いが消滅してしまったものもまた数多い。
消滅したものは結局、日本から拒否されたということだ。

gm遺伝子から見て仮に北方系の要素がかなり見られたとしても、それが同時に日本
という国の形を創るうえで強い影響を与えたとは言えない。
人の移動自体は北方経由が多いが、日本の風土に合った形で影響を与えたのは南方系
というのも想定できるわけだ。
そうだとするなら、北方から来た人たちは南方系文化に同化し適応したという想定も
可能じゃないかな。
人間は現実に与えられた条件の中でうまく生活していかなければならないわけで
適応したと考えるのはむしろ自然じゃないか。
530世界@名無史さん:02/08/11 11:09
倭は大和朝廷のことです。
否定しているのは古田信者のみ
531世界@名無史さん:02/08/11 11:29
2chで遺伝子など、人種工作やってる糞在日がたくさん居る。
歴史板とか特に多いけど。(でも人類学板では絶対にやらない。)
洗脳工作パターンの一部公開しておくから以後気を付けるべし。


1.縄文人の容貌やがベトナム人とか華南人に近い
(大ウソ!縄文人の鼻はヨーロッパ人並みの高鼻)

2.日本人は出っ歯
(実は出っ歯は渡来系、縄文人はむしろ反っ歯)

3.日本人はほとんど中国、朝鮮の遺伝子で日本固有の遺伝子はほとんど無い
(胡散臭い学者の偏った研究説。gm遺伝子で日本人は古代ブリアート系中心なのは明白)


在日とは人種工作まで使って日本人を洗脳して、政治活動をする
非常にエゲツナイ人間たちという事が分かってもらえたと思う。
どうやら、朝鮮人=日本人にして日本人のアイデンティティを失わせる
工作らしい。

だから、極東で人種や混血問題や朝鮮顔の話をしようとすると奴等は
あの手この手で潰しにかかるのである。

以後、見つけ次第ひっくり返す努力をしてくれ。
532527:02/08/11 12:37
>>529
俺、が疑問なのは、gm遺伝子で日本人は、北方経由の胡散臭ささだ。
なせ、チベット、ラサを無視する?彼らは、なぜ、取り残された?

ここは、ブリアートより新しいのか?


533世界@名無史さん:02/08/11 12:43
チベットは取り残されたんじゃなくて、ブリアートから南下したんだろ。
古くに。
534世界@名無史さん:02/08/11 12:49
逃げ遅れたのではなく、南下か?
535世界@名無史さん:02/08/11 13:49
日本の鉄器の使用と朝鮮の鉄器使用には差がありますが、軍事力に
影響はなかったのでしょうか?
536世界@名無史さん:02/08/12 01:17
>>535
これ、気になってた。
「朝鮮の方が強かったはず」とか、だれか言ってるのか?
537世界@名無史さん:02/08/12 01:21
人口は半島より列島の方がはるかに多かった
538世界@名無史さん:02/08/13 10:19
539世界@名無史さん:02/08/13 12:20
>>536
昔から割とある主張。
鉄器を強奪してきたと言うが鉄器も持たない倭人が鉄器を持つ韓族にどうやって
勝利したのか?というもんだね。
確かに石器と鉄器じゃ勝負にならんはずなんだが・・・
540 :02/08/13 12:43
>>539
弓や青銅器は?
541世界@名無史さん:02/08/13 12:44
2,3世紀には鉄器が伝わってると思うんですが、製鉄は教科書などでは
6世紀となってると思う。しかし、それ以前でも古墳の中からは大量の
鉄器は見つかってる。どう考えた方がいでしょうか?
542世界@名無史さん:02/08/13 17:08
>>541
半島南部からの輸入品という見方が一般的やね。
543世界@名無史さん:02/08/14 10:59
日本で鉄は製造されてますた。
544世界@名無史さん:02/08/14 13:58
一部ではそうだと思うのですが、壬申の乱の時は鉄があったのでしょうか?
たしか大海人皇子は美濃国産鉄器を使用した為戦争に勝ったという話があった。
とすると、大和朝廷は青銅器をまだ使用していたことになる。
これが逸話になって美濃を取るものは天下を取るという話になったとか・・
信憑性はどうでしょうか?
545世界@名無史さん:02/08/14 14:14
狗邪韓国ってどこにあった国とされているのですか?
54650万ヒット突破!!!:02/08/14 16:04
「竹島」が韓国に支配される?
今、日本の領土である竹島(島根県の一部)が危機にさらされています。
歴史的に見ても日本の領土である竹島。しかし現在、韓国軍が駐屯しています。
今回韓国はさらに竹島を「国立公園に指定」する動きを見せています。
国家の基本、領土が侵されているのにマスコミは一切報道しません。
国民のほとんどはこの緊急事態を知りません。
そこでより多くの人にこの事態を知ってもらえるよう、問題提起のため、
マスコミを動かすため下のページのカウンターを増やしましょう!
竹島についてhttp://www.pref.shimane.jp/section/takesima/top.html
↓↓↓関連↓↓↓
記事:http://www.sankei.co.jp/news/020812/0812kok040.htm
実況板:http://news2.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1029205597/
↓↓↓カウンター本部↓↓↓ 「目標100万ヒット!田代、住基ネット祭りに続け」
祭り板:http://live.2ch.net/test/read.cgi/festival/1029231111/l50
547満田:02/08/14 16:14
「漢書地理史」「後漢
書東夷伝」「三国志魏
志倭人伝」「宋書倭国
伝」書いた人、「高句
麗好太王碑銘」読める
人、「日本書紀」「扶桑略記」と合わせて読
んどくなはれ。
548世界@名無史さん:02/08/15 13:35
記紀
549世界@名無史さん:02/08/15 15:33
>>540
日本の場合、青銅器→鉄器という順で広まったのではなく、
青銅器=祭祀用、鉄器=武具・農耕用としてほぼ並行的に広まったとされて
いるので、鉄器対石器だったとみるべきでしょうね。
弓に関しては鉄が無くても問題ないでしょうが、近接戦となるとやはり・・・
550世界@名無史さん:02/08/15 15:45
>>549
まず日本が鉄器を使ってなかったのは論証済みなのか?
次に、日本において青銅器を武器として使用しなかったのは論証済みなのか?
この2点を論じずにいきなり石器だというのは論理飛躍じゃないか。

できれば、鉄器対石器で相手に勝てる軍事戦略および戦術は何なのか論証して欲しい。
これに納得できるものがあるのなら、「鉄器対石器だったとみるべき」と言う主張を
受け入れるのにやぶさかじゃないが。
551世界@名無史さん:02/08/15 15:56
>>550
横から茶々入れるようですまんが、あんたの言い分は日本が半島諸国を軍事
力で圧倒していたという結論が先にありきとしか読めないぞ。
それは姿勢としてどうかと思う。
552世界@名無史さん:02/08/15 17:45
稲作と一緒に鉄もって都合よくいかない・・

553世界@名無史さん:02/08/15 21:33
>>551
いや、単に「青銅器=祭祀用、鉄器=武具・農耕用としてほぼ並行的に広まった」
ことから鉄器対石器を導き出すのが論理的におかしいといっているだけなのだが。
それに、あなたにしてもなんで「圧倒していた」なんて飛躍しちゃうわけ?
ものには段階というものがあるだろう?
圧倒される、優位性を持っている、勝ったり負けたり、勢力拮抗、支配権を持っている
などなど相互の関係性はいろいろと想定できるのだから、私の主張からどうして
圧倒していたなんて読み取れるのか不思議だ。
実際問題、圧倒できなかったからこそ、朝鮮半島の正式な支配者にはなれなかったんだろう。
勝ったり負けたりの抗争を繰り返していたのが実際のところだと考えているが。
それにしたって、鉄器対石器では抗争すること自体無理なんじゃないかな。
だから、549に聞きたいのは石器だとした場合、戦闘を対等になせるだけの具体的な
武器の種類を聞いてみたい。そんなものがあるのかどうか。
どのような石器なら十分対抗できるだけの戦闘が可能なのか?
554世界@名無史さん:02/08/15 21:43
我々の、素晴らしい知識で、翻訳掲示板で捏造国家のやつらを論破しましょう。
http://bbs.enjoyjapan.naver.com/
555世界@名無史さん:02/08/16 01:31
俺も553に同意。>>550では論証されてない部分を指摘してるだけなのに
なぜ>>551の様に
>日本が半島諸国を軍事力で圧倒していたという結論が先にありきとしか読めないぞ。
になるのか不思議。
>>551こそ「朝鮮の方が強かった、日本を支配した」みたいな向こうの電波学者系の結論が先にあるんじゃないか?
556世界@名無史さん:02/08/16 01:32
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557549:02/08/16 13:35
>>550
レスが遅れてすいません。うーん、それにしてもレスがつけづらい(汗

まず、朝鮮半島から鉄挺を奪って日本で鉄器に加工したとする主張に対して539で紹
介されているような反論があります。確かに鉄挺を奪ってきたとする主張には奪って
くる前にはどの武器をもって半島南部で略奪を行ったのか疑問が残ります。
通説は日本で製鉄が始まった時期を6世紀としますから、これを前提とする限り自前
で鉄を準備したとは考えられません。また鉄の対価となりうる貴重品が日本で大量に
産出された事実が認められない以上交易による大量調達の可能性も極めて低いでしょう。
とすれば、遠征軍の主装備は鉄器ではないことになります。

次に、青銅器を武器としていなかったかという点については、古墳から出土する武具
の中で青銅製のものがほとんど無いことから否定するのが学説の一般です。考古学的
見地からすると549で書いたとおり青銅器は祭祀用、鉄器は武具・農耕用ときちんと
すみわけが出来ていたと考えられています。よって遠征軍が青銅器で武装していたと
考えるのも通説に従う限り困難です。

以上を前提とすると日本側から遠征に出向いた軍勢の主装備は鉄器でも青銅器でもな
いと考えざる得ない。その他で武具の材料となりうるのは石器だけです。だから鉄器
対石器と書いたわけです。
そしてこう考える以上日本側の遠征軍が鉄挺を略奪するという戦果を上げたとは考え
がたい。とするとそもそも半島南部から鉄を奪ってきたという主張はそもそも成り立
たない。こう言いたかったわけです。

長く書きすぎた・・・文章がおかしいところもあるかと思いますがクーラー効いてな
い部屋で書いてるもんで堪忍してください。
558 :02/08/16 14:21
>>517
nhkの特集で、山東半島から出土した骨が、抜歯していた。
たしか山口でしたか、中国地方から出土した骨も抜歯していました。
倭人とは、南方アジア人、おそらく越族だと思います。
漢族からの別称、蔑視用語に、倭人倭族等と呼ばれていたのではないかと推測します。
日本に、越の地名は、多く存在します。
それらも、越の影響があったのかも・・・。
559世界@名無史さん:02/08/16 15:28
gm遺伝子上、この越族が、北方系だと面白い。
560世界@名無史さん:02/08/16 17:27
当該の時代において石器で戦うなんていう電波な説が学会でも認められているの?
561世界@名無史さん:02/08/16 17:44
そこら辺をあいまいにした電波学説が戦前からの主流だったって事だろ
562世界@名無史さん:02/08/16 18:55
タブーですが、天皇が百済人だった・・・鉄もそのと(略

563世界@名無史さん:02/08/17 11:04
弥生時代〜古墳時代にかけて大量に出土されている銅剣が、
すべて、祭祀用で武器として使われていたと言うのは、信じら
れない。
564世界@名無史さん:02/08/17 11:05
>>563
「武器として使われていなかった」です。
スマソ。
565世界@名無史さん:02/08/17 13:38
紀元前から日本で鉄器が大量に使用され、
ヒッタイトと並ぶくらいの鉄の使用状況だった。
これは学会でも認められるものである。
566世界@名無史さん:02/08/18 11:16
age
567世界@名無史さん:02/08/18 13:03
荒神谷出土銅剣の一部原料に古代中国の青銅器

http://www.sanin-chuo.co.jp/news/2001/01/31/04.html
568世界@名無史さん:02/08/18 13:36
弥生時代の遺跡からは、鉄器は小刀の類が多く、
大型の鉄剣は古墳時代(4世紀以降)の出土が多い。
一方、銅剣は荒神谷遺跡にみられるように、紀元前後
から使用されていた。
このことから見て、弥生時代は銅剣・銅矛が武器として
使用されており、古墳時代に至って、鉄剣等の武器が
使用されるようになったと考えてよろしいのでは?
569世界@名無史さん:02/08/18 13:58
古代の製鉄について

製鉄の始まり

http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/p02013.htm

弥生時代に製鉄所があったという説に従えば、
鉄製の武器が弥生時代から使用されていても
おかしくはない。
570世界@名無史さん:02/08/18 13:59
ただ学界の通説は頑固に製鉄は6世紀からとするんだよな・・・
571世界@名無史さん:02/08/18 14:57
>>568
鉄器の導入推論が、武器に偏っていると思われ。農機具としての用途の方が大きかった。
そうでないと、弥生人が広めた水稲耕作の急激な伝播は不可能。元来遺物として残存しにくい
鉄器のなかでも、農機具は武器より更に残存出土可能性が低いだけだよ。

>>570
ヲワケ臣の鉄剣出土で、その説は破綻済だよ。
572世界@名無史さん:02/08/18 17:30
>>568
あほか
弥生時代の銅剣・銅矛は祭祀用で、実用じゃないよ
573世界@名無史さん:02/08/18 17:58
>>571
いや、それでも製鉄は6世紀からとするのが通説じゃないか?
574 :02/08/18 18:21
>>570
それは、大規模な製鉄所の後じゃない?
砂鉄などでの製鉄は、それ以前から盛んに行われているよ。
その6世紀の製鉄所跡って、出雲でしたっけ?
575 :02/08/18 18:45
後→跡
576:02/08/18 19:00
「桓檀古記〜大震国本紀」、倭人は分かれて山島に拠して、各々百余国
があった。その中で、 狗邪韓国が最も大きく、もと狗邪国が治めて
いた。種島に集まり交易し、呉・魏・蛮越が通交してきた。
狗邪韓国=加羅 狗邪国=南の邪馬台国と争って狗邪国は狗邪韓国
に行けなかったと記述がある。つまり狗邪韓国は倭なので元々朝鮮
は倭の領土だった?
この論どう思いますか?
577世界@名無史さん:02/08/18 20:36
578世界@名無史さん:02/08/18 20:36
>>572
目の前に武器として使える銅剣があるのに石器を使っていたと言うのかね?
579577:02/08/18 20:37
>576
「桓檀古記」って>577のリンク元文書?竹内文書みたいなもの?
580世界@名無史さん:02/08/18 22:50
>>579
戦後になって捏造されたものだよ
581世界@名無史さん:02/08/19 15:12
どき
582世界@名無史さん:02/08/19 16:35
>>574
そう、出雲。
まだ学界では六世紀より前に日本で自前の製鉄をしていたという説は有力じゃない
と思うよ。個人的には通説に対してかなり疑問もあるんだけど・・・
ただ、自前で大量に鉄器を装備できるほど製鉄が盛んでなかったことだけは確かか
と思う。
583世界@名無史さん:02/08/19 22:27
百済と日本は同盟を結んでいて、367年から371年にかけて日本は軍隊
を朝鮮半島に派遣し、任那(みまな)7県を新羅から取り戻し、百済に与え、
「七支刀は、そのお礼として贈られてきたのではないか」というのが一般的
な見方。

『日本書紀』には、4世紀後半から6世紀にかけて、任那に大和朝廷の植民
地としての「任那日本府(みまなにほんふ)」が置かれていたと記述されてい
る。

「神功皇后の新羅征伐」=7世紀に百済救援を行った斉明天皇(さいめいてん
のう)をモデルにして創造された。

鉄が6世紀と考えると正しいのはいったいどれだろう?もし3世紀前後に
任那日本府が存在すれば製鉄は日本に早く伝わってるはずでは?
好太王の碑文は倭の新羅・百済と密接な関係が記載されているんですが
この時、製鉄は教えてもらえなかったのでしょうか?
584世界@名無史さん:02/08/20 09:59
所詮中国に柵封していた地域じゃないか。
585世界@名無史さん:02/08/20 10:42
>>584
倭国はそう思っていなかった。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云々」
586世界@名無史さん:02/08/20 11:42
神功皇后は実在の人物です。
587世界@名無史さん:02/08/20 13:36
>>585
それは九州王朝が出した国書だという説もあるくらいだからなぁ・・・
588世界@名無史さん:02/08/20 13:45
>>587
説というのは失礼。あれは電波というべき。
589世界@名無史さん:02/08/20 20:46
>>585
少しは時代をわきまえろよ
日本に文字が入ったのが6世紀
7世紀の文献なんて関係ない

何語を話した何人だか前二者は不明だが、日本列島にいた勢力が中国に柵封を求めたのは3回だけ。
金印をもらった奴国と卑弥呼と室町幕府。それ以外は頭が高かった。
(室町時代の日本の通貨は永楽通宝だよ。)

590世界@名無史さん:02/08/20 20:54
柵封なんて、表層の話し、そんなに、ムキになるな。
591世界@名無史さん:02/08/20 22:22
>>589
日本に漢字が入ったのは、弥生期だよ。弥生土器に漢字刻印が発見されている。
6世紀というのは、経文の形で紙が伝来した時期じゃないか。
592世界@名無史さん:02/08/21 01:43
>>589
日本に文字が入ったのが6世紀ってすげ〜電波だな。稲荷山鉄剣って知っているか?
593世界@名無史さん:02/08/21 01:49
基本的には>>591に賛同。
ただし考古学に依らなくても少なくても金印下賜の段階で、
それ以後は漢字は理解されるようになったと推定していいと思う。
民衆レベルでの普及がどれぐらいかなんてのはこの際関係ないだろうし。
594世界@名無史さん:02/08/21 08:34
日本書紀以前のことはなんか文献をもってたのだろうか?
595世界@名無史さん:02/08/21 12:22
>>588
電波と決めつけるのは良くないよ。従来からの通説の弱点をついてるのは事実なんだから。
596世界@名無史さん:02/08/21 12:38
>>594
日本書紀では、「一書に曰く〜」と言う他の史書からの引用部分があり、
その引用された部分に何種類かあることが知られている。
よって、日本書紀はいくつかの史書を参照しているのは事実。
597 :02/08/21 17:48
桓檀古記って、何ですか?
598世界@名無史さん:02/08/21 22:04
>>597
民明書房が出版した本とか「ムー」とか読めば...
まあそういうモノです。
599世界@名無史さん:02/08/22 01:21
>>588
この知的怠惰にはチョト腹が立った。
「電波」と言えば、それで解決か?
おまえが、ちゃんと反論できないのは仕方ないとして、
「電波」だと?
日本の知的怠慢は、そこまで逝ってしまったのか? 
そんなはずはない! 誰かが、ちゃんとした反論を書くだろうが、
それを待ってるようでは、「オメエ、そんなんでいいのか?」と言われるぞ。
600世界@名無史さん:02/08/22 02:48
>>599
九州王朝説に対するまっとうな批判はいくつも出ているのに、
それらをことごとく無視しているから電波扱いされるってことが
古田信者はまだわからんのか?
601世界@名無史さん:02/08/22 21:55
>>597桓檀古記
高麗・朝鮮時代の4冊の「失われた」歴史書を1冊にしたもの。
そんな貴重な歴史書が1979年に突然出てきた(w
602世界@名無史さん:02/08/22 22:06
>>601
「桓檀古記」には、まるで天文年表から書き写したんじゃないかと
思うぐらい正確な日食の記録が載っているそうです。
ですから、多分本物でしょう。(W
603総括その1:02/08/23 11:53
そもそも当時の「クニ」を、現在のネーションステートと混同するところに誤解が生じるのであり、朝鮮対日本の不毛の論争を繰り返す原因にもなる。
韓半島、日本列島には、様々な人種の部族勢力が混在しており、百済は百済人の単純構成ではないし、日本列島も同じく日本民族の単純構成ではない。
おそらく勢力争いに敗れたり、新天地を求めた半島の部族が日本列島にも多数いたであろうし、同じく半島にも、列島から渡った部族が多数混住していたであろう。
各クニはそれらの部族の集合体であり、王族は、その中の最大部族にすぎない。
従って、各部族は、部族の利益に従って、連合先を選別し、従属していたのであり、国境などないに等しい。
現在表示されている勢力図は、その一時の連合部族の勢力範囲であり、それは常に変動する軟体動物のようなものであったと考えられる。
604総括その2:02/08/23 11:55
従って鉄器なども日本列島に生産拠点がないからと言って使用していないことにはならない。
たとえば半島に その技術を持ちながら、食料生産に窮する部族がいれば(鉄の精錬には大量の木材が必要であり、当然その部族は山間地に住むことになる)大量の食料援助でその部族を取り込み、鉄を手に入れることを考えるであろう。
権謀術数は何も近現代の特徴ではない。
古代といえど人間の能力にそれほど差があるはずもない。
その程度のことは当然考えるであろう。
そのようにして各部族の連合体たるクニは勢力争いを行っていたのである。
従って「当時半島に日本の勢力が侵攻していた」という説明は、何ら重要性のない議論で、そういうこともあったし、逆もあったのではないか。
という程度の問題である。
605総括その3:02/08/23 11:56
当時の風俗習慣を見ると、百済と新羅・高句麗は、別部族で、百済はほぼ日本列島にいた部族との共通点が多い。
日常の会話はほぼ不自由のないくらいであったと推測されている。
現在の日本語がほぼ固まったのは、日本書紀、古事記の、テキスト成立後であり、それが列島に浸透したのは律令制がしかれたあとのことである。
それまでは同じ列島内でも、遠隔地同士の一般人が直接会話を成立させるのは困難であった。
おそらく九州の部族は、関東圏の部族よりも百済圏の部族の方が、コミュニケーションが容易であったはずである。
606総括その4:02/08/23 11:59
問題は支那大陸との関係で、当時の柵封体制とどの程度の関連を持っていたかと言うことが議論となる。
各クニは、巨大国家「秦」「魏」「隋」「唐」などとの関係を、いかに構築するかが命運を握っていたであろうか。
答えは「否」である。
支那大陸の国家は、基本的に体制下のクニがどうなろうと関心はなく、余程の危機感がなければ、体制下のクニを救済すると言うことはなかった。
かの国が軍を動かすときには、基本的に自国の領土を拡張するか、侵略を受けたときに限られ、「白村江」への出兵などは例外中の例外である。
それだけ当時の新興国「日本」の武力が驚異であった証である。(でなければ新羅は見殺しであろう)
であるから、体制下にあるか、ないかが、そのクニの存在を脅かすことになるのは隣国に限られ、そこから離れればあとは使節・留学によるメリットがどの程度あるかにより判断されるわけで、日本列島にあるクニは、ほとんど気の向いたときにしかしない程度であった。
以上が古代東アジアの概要である。
ちゃんちゃん!
607満田:02/08/23 16:33
恒壇古記は4冊プラス1145年の「三国史記」て有るらしい、それらを
纏めて1979年に出したらしいよ、古代朝鮮は日本資料が無ければ先ず
判らんらしい、1929年京城帝国大学が「王朝実録」「李朝朝鮮」努力
して、作ったはる、国立図書館に有るんと違う?近い時代を検証せんと、
百済、新羅、高句麗は凄いんや、飛鳥文化も法隆寺、東大寺もウリ文化や
云うたはる、生きてる人も居らんし、日本の資料元に云はれても困るで、
そやけど「朝鮮総督府」時代のもんは写真があるがな、生きてはる人も居
てはる1回は検証して貰らわんと、ホンマの交流無理やろな?「併合」の
決果がホンマに朝鮮の近代化の邪魔したんなら謝ったらええ、役に立った
んやったら日本を釈放して欲しい、反日教育書から、頼んまっさ。
朝鮮に置いて来た発電所から、官僚制度、教育制度、軍事制度まで返して
やなんて云いまへん。
608世界@名無史さん:02/08/23 17:59
>>607
句点の使い方を覚えろ。まあ、わざとやってるんだろうけど。
609>>606:02/08/23 21:03
さりげなく漢を省略しているね
まあ、わざとやってんだろうけど
610アマノウヅメ:02/08/23 22:05
>>607
仮名遣い、統一していただけませんか?
まあ、わざとやってるんでしょうが。
611世界@名無史さん:02/08/23 23:05
http://rkrc5w2q.dyndns.org/korea_refuge/1004075572.html

73 名前:名無しさんは@ねちずん 投稿日:2002/01/30(水) 15:04 ID:EUqpf0/E
 >>70の意味がよく分からないとのことなのでちゃんと書きます。

 [その1]
 わが国の歴史教科書は、占領時代の屈辱的史観に汚染されている。こうした偏向
をただすため、在野の研究者・市民による広範な運動が必要である・・・。どこか
で聞いた話である。
 事の始まりは1974年。標的となったのは、この年に制定された中学高校用国
定歴史教科書だった。すでに述べたように、壇君神話は、あくまで伝承で、歴史的
な事実をそのまま記録じたものではないというのが、独立回復なった新生大韓民国
歴史学会の共通認識だった。
 こうした公式史観に噛み付いた在野史家たちが根拠としたのは、「揆園史話」や
「桓壇古記」といった、古朝鮮王朝の系譜を精緻に記した民間史料だった。
 これらの史料によれば、古朝鮮は、はるか古代に建国されたシベリアからモンゴ
ルまでの領域をも支配する大帝国だったことになる。その年代や支配の領域は各種
史料によって異なり、紀元前2400年とも前4000年ともいう。
 繰り返そう。古朝鮮帝国は、チグリス・ユーフラテス、インダス、黄河に匹敵し
凌駕する大文明だったのだ。


大丈夫かよあの国は?
612世界@名無史さん:02/08/23 23:18
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/2001/01/31/04.html

荒神谷遺跡の銅剣三百五十八本に含まれる鉛は、東京国立文化財研究所の分析で、
一本だけ朝鮮半島産を使用。他は中国産とされてきた。
新井さんは金属考古学が専門で「鉛同位体比」の研究成果を用い再検討した。
朝鮮半島産の鉛を使ったとされる一本が、三星堆青銅器に含まれる鉛と同じ特徴を示
すことが判明。鉛産地は雲南省の可能性が高い。
さらに、もう一本の鉛が二里頭青銅器に近い数値と解明され、産地は山東省か遼寧省
が有力になった。新井さんは、古代中国では金属材料が貴重なため、青銅器を戦利品
として奪ったり、壊れた青銅器や鋳造クズを再利用したと解説。「三星堆や二里頭の青
銅器が混入して日本に運ばれ、銅剣の原料に使われた。長い歴史のロマンを感じさせる」
と話している。研究論文は最新の考古学雑誌八十五巻二号に掲載された。


上記によれば、紀元前後に日本に輸入された荒神谷遺跡の銅剣はすべて、中国製となる、
これは当時、朝鮮が中国の一部(属国)であったため,直接交易を行ったためと考えられる。
613世界@名無史さん:02/08/23 23:51
>>612
朝鮮が中国の一部(属国)であったかどうかに関係なく、直接貿易していたこと
が明らかになった。
しかし、三星堆との関係とは興味深い。


614>>611:02/08/24 00:31
紀元2600年を国をあげて祝った国は大丈夫ではなかったね・・・・
(倍もサバ読むのはねぇ・・・・)
キーエフ・ルーシ国家成立の論争もそうだが、何か古いと偉いのか?
トルコやエジプトの古代史もすごいが、今のトルコやエジプトとは無関係だよ。
母系制の社会構造とかを見ると、日本(と呼ばれている地域)の古代史も現在とは相当無関係と思えるが・・・
明治期のイデオロギー装置として古代を利用した(フセインだって民族も言語も宗教も違うネブカドネザル2世を利用している!!)枠組みにまだとらわれているDQNは歴史やめた方がいいよ



615世界@名無史さん:02/08/24 10:28
大和朝廷
616世界@名無史さん:02/08/24 11:02
>>614
韓国半万年は4倍サバ読んでます。
617世界@名無史さん:02/08/24 18:44
国民の誕生と国史の誕生は=でくくれるようなもんじゃないんだけどねえ
ま、その点では日本は韓国や中国と比べたらましなんだろうけど
618世界@名無史さん:02/08/25 11:56
出雲
619世界@名無史さん:02/08/26 11:22
新羅は出雲人の植民国家
620世界@名無史さん:02/08/26 13:19
日本書紀の初期は新羅の方が出てくるのに、例えば三韓征伐も実際
行ったのは新羅のみ。その後百済 高麗=高句麗だと思うが従った。
みたいに書かれている。
しかし、その後百済=従順 新羅=悪徳 みたいに書かれている
ように思える。まあその後、百済が背いたとかで征伐は行われている。
倭と新羅とは非常に関係が深く。
もし、天皇朝鮮渡来説を唱えるなら、天皇家が百済系と考えるより新羅
系と考えた方がつじつまがあわないだろうか?
621世界@名無史さん:02/08/26 14:36
高野新笠みたいに、人となりもわかっている人物と、
三韓征伐みたいな、おとぎ話を一緒にするのは、いかがなものか。
622世界@名無史さん:02/08/27 16:11
623 b:02/08/27 17:53
>>620
>もし、天皇朝鮮渡来説を唱えるなら、天皇家が百済系と考えるより新羅
系と考えた方がつじつまがあわないだろうか?

そのようには日本書紀書いた人は夢にも思わなかったはず。

>>621
文献批判を基礎から勉強やり直し。
三韓征伐を御伽噺とは何事か、さまざまな資料によってさまざまな
資料によってその蓋然性は否定できない。
624:02/08/27 21:51
それでは歴史学にならない
625世界@名無史さん:02/08/28 11:22
大和朝廷はどうなの?
626:02/08/28 13:12
日本書紀に鉄器の使用書いてあったと思うが
確か銅の矢と鉄の矢を始めて使うとか・・・
やっぱり群雲の剣は神代だし。
627621:02/08/28 17:29
ttp://www.town.daisen.tottori.jp/site/page/muki/all/outline/tekki/
妻木晩田遺跡のHPです。
ちょっと我田引水な説明だけど、”続く後期には、青銅器は姿を消し、西伯耆が大量の鉄器をもって栄えたのです。”を
弥生後期は、青銅器の使用が減り、鉄器が使われだした。くらいに読めば、良いんじゃないでしょうか?
国譲りあたりの神代の物語ってのは、弥生後期の記憶が、元になったのかも、知れませんね。

>三韓征伐を御伽噺とは何事か、さまざまな資料によってさまざまな
>資料によってその蓋然性は否定できない。
高野新笠と、神功皇后を、同列に論じられてもねー。(苦笑
神功皇后摂政元年て、西暦201ですよ。資料を激しくいじくりまわせば
どんな、蓋然性も否定できないかもね。そもそもたいした文献資料なんて無いし。
>文献批判を基礎から勉強やり直し。
って、どんな勉強なのやらヽ(´ー`)ノ



628世界@名無史さん:02/08/28 17:51
>>627
日本書紀の年暦を信じている人なんていませんよ。
629世界@名無史さん:02/08/29 13:43
↑サヨハケーン!
630621:02/08/29 15:38
>日本書紀の年暦を信じている人なんていませんよ。
俺も信じていません。
自分がサヨって始めて知ったよ。
先祖代々神主で、一族そろってウヨばっかりだと思ってた。(w
631世界@名無史さん:02/08/29 17:59
>>629
はぁ? 学問が理解できないキチガイか?
632世界@名無史さん:02/08/29 18:01
629のようなヤシは朝鮮半万年も当然信じているんだよな。
633:02/08/30 00:45
三国志魏書東夷伝 辰韓条(※)
國出鐵、韓、[シ歳]、倭皆從取之。諸市買皆用鐵、如中國用錢、

国、鉄出づ、韓、[シ歳]、倭皆従いてこれをとる。諸市買、皆鉄
を用いること、中国の銭を用いるが如し、

辰韓(※)では鉄を産出し、倭人らもこれを取りに行っていたことを示す。
また、市では、鉄が貨幣の代わりをしていたとも記す。
鉄を韓国に取りに来ていた記録だと思うが
これは日本の製鉄が1世紀にすでに始まっていた証拠にならないでしょうか? 
634世界@名無史さん:02/08/30 05:39
>>614
お前はアフォですか?
韓国の歴史教科書で歴史認識の歪曲を正せ
お前のレベルでは、ます小学生用からだな(プッ

>韓国の小学生用の歴史教科書です。

>このページでは、私が韓国のソウル日本人学校に勤務していたころ、
>翻訳した韓国の歴史教科書(小学校)の内容を紹介します。
>176ページにおよぶこの翻訳本の中には、挿し絵や図、写真などが数多く含まれていますが、
>情報量を極力少なくするため、写真などは、ごく1部しか紹介できないことをご了承ください。
>目次部分をクリックすると、その内容を閲覧することができます。

http://village.infoweb.ne.jp/~jl6ehr/history.html
635世界@名無史さん:02/08/30 05:41
韓国史の目次

1、民族国家への発展

(1)立派な指導者たち

(2)国土を守ってきた民族

(3)わが民族の海外活動

2、近代化への努力

(1)実学運動

(2)変わってきた国の姿

(3)国権の守護

3、国民生活と政治

(1)わが国民主主義の発展

(2)民主国家の政治生活

(3)現在の民主政治制度
636世界@名無史さん:02/08/30 05:46
1. 民族国家への発展

 我々の祖先は、長い歳月の間、満州と韓半島でさまざまな部族国家を築き、散らばって住んでいた。
そして、高句麗、百済、新羅などの新しい国を形成し、統一新羅の時代にひとつの民族国家の形成を成し遂げた。
その後、我が民族は、統一された単一民族国家を築き、文化を発達させてきた。また、祖先は、他の国の侵略を退け、何者にも屈しない国を保ってきた。
我々は、このような祖先の意志を尊び、国をすこやかに保ちながら、我が民族の力をひとつに凝縮させ、
世界に光輝く歴史を創造していけるように、たゆまない努力を重ねなければならない。
 
 (1) 立派な指導者たち

 (2) 国土を守ってきた民族

 (3) 我が民族の海外活動

  (1) 立派な指導者たち

 我が民族は、果てしなく遠い昔から、この土地に生の基盤を置き、国を発展させてきた。
この間、外国からの侵略で困難を経験したが、我が民族は、その時々、知恵を働かせながらそれらを勝ちぬき、独特な文化を創造し、発展させてきた。
今日、我が国が世界の中の韓国として発展してきたのは、歴史の中の立派な指導者たちが国民と共に国の要所をおさえてきたためである。

このような指導者たちについて理解しよう。
637世界@名無史さん:02/08/30 05:48
1 壇君王倹

我が民族が、最初に創建した国と当時の

指導者たちについて理解しよう。

 開天節になれば、次のような歌をうたう。

  我々が水なら 井戸があり

  我々が木なら 根がある

  この国の創始者は 壇君だ

  この国の創始者は 壇君だ

 壇君は、我が国を最初に築いた方である。

 今から4300年程前、壇君は阿斯逹に都を定め、古朝鮮を築いたという話が我々の祖先が書き残した歴史書に出ている。
壇君は国をおこし、「広く人間のために利益をもたらす」という理念のもと、国を治めた。
この時から、我が民族はひとつに団結しはじめ、しだいに広く勢力を伸ばしてきた。
 壇君が国をおこした話は、我が民族の長い歴史を物語るとともに、民族の源流を考えさせる話として、今日まで大切に伝えられている。
またこれは、我々が苦難に遭遇するたびに民族の精神的な柱となり、民族精神を目覚めさせてくれたのである。

 研究 壇君が生まれ、国をおこした話を調べ、発表してみよう。         

 壇君が国をおこす前の我が民族は、満州と韓半島を中心に小さな村を築き暮らしてきた。
海岸や川べりに小さな家をたて、石や木で道具をつくっては、狩や漁をして生活していた。
後には、農業も営み、土で器を作り、使用した。
あちこちに散らばって生活していた我々の祖先が、金属の道具を作り、それを使うようになってからは、農作業がとても便利になり、生活様式も変化していった。
ひとところに留まって金属の道具を使い作物を栽培しだすと、社会の姿も変わった。
村むらの規模も大きくなり、力を持つ指導者も現れた。
我が国のいたるところに残っている支石墓は、このような指導者たちの墓であることがわかっている。
古朝鮮にひき続いて我が民族は、韓半島や満州一帯にいろいろな部族国家を築いた。
この時、部族国家の指導者たちは部族を導き、収穫が終わると天に感謝する祭司の役割を受け持った。

研究 「石器の代わりに金属器を使い、生活様式が大きく変化したのはなぜか」討議してみよう。
638世界@名無史さん:02/08/30 05:50
2 金庚信

三国の発展と民族の統一のために力を尽

くした様々な指導者について調べよう。

 古朝鮮を創設した様々な部族国家は、互いに競争しながらしだいに強い勢力を持つ中心に団結し、より大きな国を築いた。
これらが高句麗、百済、新羅の三国である。三国は互いに国力を育て立派な文化を花開かせた。
高句麗では、広開土大王のような指導者が現れ、東は東海岸、西は遼東地方、南は漢江下流、北は北満州まで領土を広げた。
満州地方まで占有した高句麗は、都を国内城から平壌へと移し、南へと領土を広げてきた。
百済では、近肖古王の時、現在の京幾道、忠清道、全羅道地方を支配した。
そして、中国、日本と往来しながら広い地域を百済の勢力圏に置き、海上貿易を行った。
日本に学者を送り学問や技術を教えたこともこの時代のことである。
新羅は、初期においては、他のふたつの国と比べ勢力を大きく轟かすことはできなかった。
新しい国の間で一番遅く発展した新羅を強い国にし、三国統一の足場を固めた指導者は真興王であった。
真興王は軍事力を伸ばし、百済といっしょに高句麗を攻撃し漢江流域を占め、今の咸鏡南道地方にまで領土を広げた。
そして洛東江流域に位置していた伽耶を統合し、この一帯を統一した。
新羅が三国を統一し領土を広げた時には、花郎の役割が大きかった。
花郎道は青少年が修養を積む集まりであった。
彼らは、平時には山や河に通い体と心をひきしめ、学問と武術を磨きながら国を愛する心を養った。
そして戦争が起これば、戦場に向い勇敢に戦った。
花郎出身の金庚信は、武烈王を助け三国統一の要所を締めながら国のために忠誠をつくした。
新羅によって三国は一つの国として統一され、我が国は単一民族国家として、伸長の足がかりをつかむようになった。

研究 花郎精神を理解し、見習うべき点を考えてみよう。
639世界@名無史さん:02/08/30 05:52
3.崔承老

高麗の発展のために力を尽くした指導者について理解しよう。

 三国を統一した新羅は、民族をひとつに固めるために力をつくし、社会が安定し文化が大きく発展した。
石窟庵、仏国寺等の立派な文化財が作られたのもこの頃である。
しかし、新羅が末期いたる途上で貴族たちが互いに王の座を争ったので地方のいたるところで戦いが起こり、国が乱れ始めた。
新王朝はこのような争いを鎮圧し、高麗を創設した。
高麗はその後、470余年の間、国を発達させた。高麗初期、国が基礎を固める時、大功績をあげた人が崔承老だ。

 崔承老は、学識が豊かで臣下として君主が立派な政治ができるようにいろいろな新しい意見を提示し、君主はこの人物を宰相に任じ国事を受け持たせた。
崔承老は、農業を奨励し百姓たちの生活を安定させ、教育に力をそそぎ立派な人物を多く生み出し、軍隊も強化し国の基盤を丈夫にした。
そしてまた、地方に官吏を派遣し百姓たちが生きられないような政治をする悪い連中を処罰することも行った。

 崔承老のような、立派な指導者の努力で高麗は国力が屈強になり、百姓たちの生活も安定した。
そしてまた、外には契丹や女真のような外敵の侵入を防ぎ、領土を広げ、国を磐石にした。
ほかには、金属活字を発明し、印刷術を発達させながら、世界的な芸術品である象巖青磁を焼き、八万大蔵経を刊行するなど文化を発達させた。
高麗は外敵の侵入でつぎつぎと困難にぶつかったが、それに屈せず、国を守りながら立派な文化を花開かせた。
これは、国を発達させるために指導者と百姓が努力した結果であり、国の基盤をしっかりと固めてこそ可能となったのである。

研究 高麗時代には崔承老以外にも立派な指導者がたくさんいた。
いろいろな本を読んで他の指導者がやったことを理解しよう。

 ・ 崔 冲 ・ 徐 煕 ・ 恭愍王

 ・ 李奎報 ・ 鄭夢周
640世界@名無史さん:02/08/30 05:55
4 世宗大王と黄喜

国を発展させ百姓たちを楽にさせようと力をつくした朝鮮時代の指導者たちについて理解しよう。

 高麗末期には政治が乱れ、外からは敵が侵犯をくりかえすなどの困難を経験した。
この時、李成桂が朝鮮を創設し、悪い政治を改め、百姓の生活を平穏にしようと努力した。
朝鮮は儒教を尊び、法律をつくり健全な国づくりを行った。ここには鄭道伝のような指導者の大きな努力があった。
朝鮮は、首都を開京から漢陽に移し、新しい気持ちで国を導いてきた。
この時から漢陽はわが国の政治、経済、文化の中心地になり始めた。

 朝鮮が大きく発展したのは世宗大王の時である。
世宗大王は内には民族文化を興隆させ、外には国土を拡張し鴨緑江と豆満江を国境とする国土の様子を整えた。
加えて世宗大王は、ハングルを制定し百姓たちが文字を簡単に覚えられるようにするとともに、漢文を奨励したくさんの本を刊行した。
測雨器、水時計、日時計などの科学器具も蒋英實などに命じてつくらせた。
 そして農業を発達させ、百姓たちが平穏に生活できるように力をそそいだ。

研究

 世宗大王をわが国歴史上の一番立派な指導者と崇める理由について討議してみよう。

 朝鮮が発展していた背景には、政治家、学者、将軍など立派な人物の功労がある。
世宗大王の時の宰相である黄喜は、寛大かつ厳格に公私の区別を明らかにし、仕事も公正に行った。
このようにしながら、いろいろな人々の意見をとても尊重した。世宗大王は、ある時仏教を信奉し、宮廷内に仏堂を建立しようとしたが、たくさんの人々から反対をこうむった。
これに対して、世宗大王は力で強行しようとした。
「よしんば国に利益をもたらし、百姓たちを平穏にすることであっても、みんながそのとおりだと言わなければ、君主といえども当然従わなければならない。」
黄喜は、このような潔い意見を述べた。黄喜は、60数年間さまざまな官職につき国事を普く受け持った。
そして、領議政にまでのぼりつめた。長い間官職についていたにもかかわらず、財を欲しがらず、貧しい生活をしながらも、困っている人々を助けた。
農業の改良に力を注ぐとともに、食べ物が豊かに実るようにし、干魃や洪水の時に備えて食物を備蓄し、百姓たちが法と礼節をよく守るように力をそそいだ。

 世宗大王が立派な君主として百姓たちの尊敬を集められたのも、このように心が清らかで道理にかなった行いを勇気をもって実践した人々が多くいたからである。
加えて、朝鮮が500年もの長きにわたって続いたのも、国の根本は百姓であると考えた指導者がたくさんいたからである。
指導者たちが心を砕いたのは、百姓たちの生活の安定であった。
彼らはいつも、百姓が負担する税が重くないか、重い刑罰を課せられてはいないか、作物を栽培するにあたって苦労がないか、などについて考えていた。

 このように、指導者たちは百姓たちの苦労を助け、理不尽な役人の行動を正しく修正し、国を発達させることに力をつくした。

研究

朝鮮時代の指導者の中から次の人物のひとりについて理解しよう。

・ 鄭道伝・ 趙光祖 

・ 李 滉・ 李 珥 

・ 柳成竜 
641世界@名無史さん:02/08/30 05:56
学 習 整 理

1. 我が民族は長い歴史を刻んできた単一民族であることを誇りに思う。

(1)壇君は我が民族が最初に興した古朝鮮の指導者であった。

(2)我が民族は壇君の心を受け継ぎ、現在にいたるまで健全に国を守ってきた。

2. 三国がひとつに統一され、民族国家の足がかりが築かれた。

(1)三国は互いに競争しながら文化の花を開かせた。

(2)新羅が三国を統一したため、単一民族国家の基礎が築かれた。

3. 立派な指導者たちは国の基礎をよく固め、百姓の生活の安定に力をそそいだ。

(1)初期の指導者たちは国の基礎を健全にするために貢献した。

(2)立派な指導者たちは国の基盤を整えながら百姓のための政治を行った。
642世界@名無史さん:02/08/30 06:00
 (2) 国土を守ってきた民族

 我が国は、気候が適当で地形が険しくなく、山水が豊富な住み良い地として、昔から知られてきた。
したがって、周辺の民族がしばしば我が地を欲しがり侵略してきた。 
我々の祖先はどのようにして国を守ってきたか、我々はこれからこの地をどのように守っていかなければならないかについて理解しよう。

1.清泉江の大勝

高句麗は、隋と唐の侵略をどのように退けたかについて理解しよう。

 高句麗、新羅、百済は、互いに領土を広げ力を伸ばしてきた。
この中でも高句麗は韓半島北部と満州にまたがる広い領土を占め、中国と同様、大きな勢力を鳴り響かせていた。
高句麗が勢力を伸ばしている時、中国を統一した隋は、勢力を満州に伸ばし始めた。
隋は遂に、百万の大群を率いて高句麗の要塞である遼東城を包囲し攻撃を加えたが成功しなかったので、
30万の兵隊を素早く引き抜き、一直線に平壌城を攻撃した。
この時、高句麗の軍隊を指揮した乙支文徳将軍は、知恵と勇気に秀でた人で、直接、敵陣にとびこみ、隋軍の様子を確かめた。
敵陣の包囲から抜け出た乙支文徳将軍は、詩を書いて敵将のまぬけさを皮肉った。
すると、隋の将軍は怒りをおさえきれず、突然攻撃してきた。

 疲れ果てた隋軍が清泉江に到達した時、高句麗軍は川をはさんで前後から隋軍に攻撃をしかけ、ほぼ全滅させた。
この戦いを清泉江の大勝という。隋に続いて国を興した唐も高句麗を侵略しにきた。
この時、淵蓋蘇文将軍が率いる高句麗の軍人たちは、唐の軍隊を遼東半島にまで撤退させた。
しかし、淵蓋蘇文将軍の死後、高句麗は国内が乱れ、遂には、新羅と唐の連合軍から滅ぼされた。
高句麗の滅亡後、満州地方には渤海が生まれ、高句麗の気質と歴史を引き継いだ。

研究

新羅と百済は、外敵の侵入をどのように退けたかについて調べてみよう。
643世界@名無史さん:02/08/30 06:02
2.三別抄

高麗時代には、北方民族の侵入をどのように防いだのかについて理解しよう。

 新羅末期に至り、しばし分裂していた我が民族を、高麗が再び統一した。
高麗は、契丹族、女真族、蒙古族など外敵の侵入を防ぎながら、象巖青磁、八万大蔵経、金属活字をつくる等、立派な文化を築きあげた。
高麗に始めて攻め寄せてきた外敵は、満州西北部地方に住んでいた契丹族であったが、
東北部の女真族も略奪のために、頻繁に国境を超えてきた。
高麗は、千里の長城を築き、侵入を防ぎ対処するとともに、宋と親交を結んだ。
これを良く思わなかった契丹族が国境を侵犯すると、美邯は、これを亀洲で打ち破った。
尹は、咸鏡道地方にいくつかの城を築き、女真族が侵入してこれないようにした。

研究

高麗が宋に近づき、契丹族と女真族を遠ざけたわけについて理解しよう。  

 蒙古砂漠に散らばって住んでいた蒙古族は、ジンギスカンが部族を統一した後、勢力を伸ばし、中国だけでなくヨ−ロッパにまで攻めこみ、巨大な国を打ち建てた。蒙古は高麗にも、何度も侵入してきた。すると、高麗は民族がひとつに団結しこれらの侵略に立ち向かった。
その中で特に三別抄の活躍が大きかった。
三別抄は、本来、盗賊を監視するために作った特別部隊と蒙古軍に一旦につかまりその後脱出した兵士たちを合わせて部隊を作った。
したがって、蒙古族に対する敵愾心がとても強かった。
蒙古軍に抵抗するために江華島に陣を移した高麗は、遂に蒙古軍と和議を結び、開京に戻った。
これに対して三別抄は、蒙古軍との和議は屈辱的であると主張し、最後まで戦うことを打診した。
江華島から珍島へ根拠地を移し、勢力を伸ばした三別抄は、全羅道と慶尚道の南海岸で蒙古軍に抵抗し続けた。
この時、百姓たちも三別抄を助け、蒙古軍を追い出すことに力を尽くした。
すると、蒙古族は大規模な軍隊を動員して珍島を攻撃してきた。
三別抄は、力を残し済州島に陣を移し、蒙古軍と戦ったが、最後には倒れてしまった。
三別抄の抗戦は、我が民族が外敵に簡単に屈しないことを示す民族精神の手本になるできごとである。

研究

三別抄の抗戦から私たちが何を見習うべかについて討議してみよう
644世界@名無史さん:02/08/30 06:05
3.閑山島の大勝

壬辰倭乱の時、私たちの祖先はどのよう に日本の軍隊を退け、国を守ったかにつ いて理解しよう。

 昔から我が国の南部海岸では日本の海賊が現れ、食料を奪い人々を殺害するなどの傾向が強かった。
そのような中1952年に日本が15万名の大軍を率いて我が国を侵犯した。
これを壬辰倭乱という。銃を使っていた日本軍に弓や槍で張り合った我が国の軍士は、瞬く間に倒れた。
しかし、海では、李舜臣将軍が率いる水軍が日本軍を大きく打ち破った。
李舜臣将軍は日本軍が攻めこんで来た時、全羅左水士の官職にあった。
彼は、日本軍の攻撃に備えて、事前に水軍を訓練し亀甲船をつくった。
日本軍との最初の戦いであった玉浦海戦で我が水軍は小さな船をすべて撃沈し、痛快な勝利を勝ち取った。
この後も李舜臣将軍が指揮する我が水軍は、いたる所で敵を退けた。
日本軍は勢力を取り戻すために、ありったけの艦隊を集め、攻撃してきた。
これに対して李舜臣将軍は敵船を閑山島沖にひっぱり込み、亀甲船を先頭に鶴の羽のような形に船を浮かべ、敵を攻撃した。
敵は右往左往し、我が水軍の大砲と矢にあたり倒れ、一部は逃げ出した。
これを閑山島の大勝という。

 この戦いで我が軍は大きな勇気を得て、敵の士気をそいだ。
このため、陸地でも日本軍の力は弱くなった。
李舜臣将軍が外敵を大きく打ち破り、勝利を収めることができたのは、将軍の秀でた戦術と新しく造った亀甲船のおかげであった。
しかし、何よりも勝利の基盤となったことは、将軍の並はずれた愛国心であり、将軍に従って死を恐れず、国を守るために勇敢に戦った兵士たちの力であった。
その後も多くの戦闘で多くの外敵を退け、勝利を勝ち取り、外敵との最後の戦いである露梁海戦で敵の銃弾にあたり、気の毒にも戦死した。

研究

李舜臣将軍が外敵を退けた時、使ったすばらしい戦術について調べ発表してみよう。

 海では李舜臣将軍が活躍している時、陸では傾いた国を救うために、各地で義兵が立ち上がった。
学者、僧侶をはじめ多くの農民たちが国を救おうと立ち上がった。
彼らは軍人ではなくても、各地で外敵と戦い、大きな功労を打ち立てた。
軍隊と義兵の活躍で敵軍の数は日増しに減少し、海岸線まで追い詰められた外敵は、それ以上戦う力を失った。

研究

壬辰倭乱の時、勇敢に外敵を退けた義兵たちの話を調べて発表してみよう。
645世界@名無史さん:02/08/30 06:07
4.斥和碑

朝鮮後期に西洋の勢力がおしよせてきた。
その時、わが祖先はどのように対処した かについて理解しよう。

 1863年、王の座にのぼった高宗は、わずか12才の子どもであった。
したがって、高宗の父である興宣大院君が代わりに国事を引受け統治するようになった。
この時わが国は、王室の王族たちが政治をほしいままにし、国が乱れ王室の力はとても弱くなっていた。
興宣大院君は、良くない政治を正そうとさまざまな制度の改善を行った。
立派な人材を抜擢しては国事を引き受けさせ、百姓を苦しめる官吏を厳しく処罰し、健全な国づくりのために、両班からも税金を出させた。
また壬辰倭乱の時、焼け落ちてしまった王宮を再建し、王室の威厳を示した。
この時、国の外では西洋の各国がアジア各国に勢力を伸ばしていた。
その中で、西洋の船がわが国の海岸にも現れ、わが国に貿易をするように要求した。
しかし、興宣大院君はこれらの要求を断固として拒絶した。
これに対してフランスとアメリカはそれぞれ軍艦をおくり、江華島を攻撃してきた。
この時、江華島を守っていた我が軍は、勇敢に戦い、これらを退けた。
これを洋夷という。二つの洋夷を払いのけた興宣大院君は、国の守りを強化するとともに、全国のあちこちに斥和碑をつくった。
斥和碑には、「オランケ(蛮夷)攻め寄せてくれば、講和を結ぶことなく、戦って退けよう」という内容が記されている。

研究

興宣大院君が西洋の勢力を受け入れなかったことは良かったのか悪かったのかについて討議してみよう。       

 力で西洋の勢力を防いだ興宣大院君が政治から退くや、わが国は世界に門戸を開放し外国の勢力を受け入れた。
最初にわが国に入ってきた外国の勢力は日本であった。
続いて、アメリカ、イギリス等、西洋のさまざまな勢力が入ってきた。
わが国は、これらの国々と外交関係を結び、彼らの新しい文化を受入れ始めた。

研究

興宣大院君が退いた後、世界の国々に門戸を開いたわけについて理解しよう。
646世界@名無史さん:02/08/30 06:08
学 習 整 理

1、わが民族は外敵の侵略に屈せず、これらを退けた。

 (1) 高句麗と高麗は民族を団結させ、北方民族の侵略を退けた。

 (2) 壬辰倭乱の時、百姓と軍隊が力を合わせて外敵を退けた。

2、外敵の侵略のたびに立派な指導者が先頭に立ち国を守った。

 (1) 敵を大きく破った戦いでは立派な人物の活躍が大きかった。

 (2) 国を治めていた人々は外敵の侵略にあわないように国防体制を確固たるものにする努力をした。

3、わが民族は、強い自主精神を持った。

 (1) 民族の自主性を守るために、祖先たちは命を惜しまなかった。

 (2) わが民族は平和を愛し、他の国を苦しめなかった。
647世界@名無史さん:02/08/30 06:10
(3) わが民族の海外活動

 私たちは現在、世界のあちこちの進出し、民族の名声を高めている。
このような海外進出は遠い昔から現在まで、祖先の魂がいたるところで受け継がれてきたため、できることなのである。
わが民族は早くから中国、日本、ひいては西域まで進出し、その名声を轟かせた。
わが祖先が海外に進出し名声を轟かせたようすをくわしく理解しよう。

1.曇徴と王仁

三国時代に先祖たちが日本に渡り活動したようすについて理解しよう。

 高句麗、百済、新羅は、中国から仏教と学問を受け入れ、文化を大きく発展させた。学校を建て、歴史書をつくり、全国各地に大きな寺院を建てた。
先祖たちは発達した文化を、再度、隣の日本にも伝達した。
多くの人々が日本に文化を伝える仕事に力を尽くしたが、その中でも曇徴と王仁の活動が光った。
曇徴は、高句麗の僧侶として日本に渡り、本や工芸品など伝え、紙、筆、墨、染料、石臼などを作る方法をおしえた。
曇徴は、絵にも秀でた才能を身に付けていた。日本の昔の都である奈良の近くにある法隆寺という寺には曇徴が描いた金堂壁画が伝わっていたが、仏紀1948年に消失した。
この壁画は、とても秀でた東洋3大美術品のひとつとして知られていた。
一方、王仁は百済の学者として千字文、論語などの本を日本に伝えた。
彼はそこに長く留まり、日本の天皇と太子の師匠になり、学問を教えもした。
そうすることによって、日本の人々に初めて学問と儒学を理解させたのである。
このため、日本では、今でも王仁を高く敬っている。
また、新羅の文化も日本に伝わり、その学問、技術、芸術などさまざまな方面に大きな影響をあたえた。
今でも日本のあちこちには、三国が伝えた文化のなごりがたくさん残っている。

研究

次の写真を見て、わが国と日本の文化はどんな関係を持っているか話をしてみよう。
648世界@名無史さん:02/08/30 06:11


あなたのその豊富な知識を活かして、日韓翻訳サイトnetomoや中央日報の翻訳掲示板などで、妄言を吐く韓国人に真実を教育してみませんか?



649世界@名無史さん:02/08/30 06:11
2.新羅坊

新羅坊はどのようにして生まれたのか, 新羅人の海外進出のようすはどのようなものであったのかについて理解しよう。

 三国を統一した新羅は、政治が安定し、国のくらしも健全に保ちながら日ごとに栄えていった。
特に、唐にはたくさんの新羅人が渡った。留学生や僧侶をはじめ、さらには商人の往来も増加し、使節も行き来した。
その中で、新羅人が集って住むところまでも生まれるようになった。
特に、山東省一帯では新羅人がたくさん集まり住んでいたのでこのようなところを新羅坊と言った。
新羅坊には、新羅人が仏に供養するための新羅院という寺もあり、新羅人が自ら地域を統治する新羅所という行政機関や新羅人に寝食の場を提供する新羅館という旅館もあった。
同じように、新羅人は、新羅坊を中心に唐人と商いを行い、そこで勉強もした。この時、唐にはいろいろな国の人々が来て活動していた。
新羅人は、彼らに新羅の文化を伝えるとともに、それらの国々の文化を学びにここにやって来ることもあった。 
慧超のような僧侶は唐を経由してインドにまで渡り仏教を研究した。

研究

新羅が唐から受け入れた文化にはどんなものがあるかについて理解しよう。 

 新羅と唐の間の交流が活発になり、商売が繁盛するや、これらの船に機をうかがい攻撃をしかける海賊たちが現れ、略奪するようになった。
これに憤った張保は、新羅の王室に願って清海鎭という水軍基地を設置し、強い水軍を要請した。
張保は、水軍を率いて海賊を掃討し、新羅人はもちろん日本や唐の商人たちも平穏に航海できるようにした。

研究

張保の活動をもっとくわしく調べてみよう。
650世界@名無史さん:02/08/30 06:13
3.碧瀾渡

高麗人たちは他の国々とどのように交流していたかについて理解しよう。

 高麗磁器、八万大蔵経のような立派な文化財を作り上げた高麗は、契丹族や女真族よりは、文化を尊重する宋と良い関係にあった。
高麗時代、陸路で宋に向かう途中に契丹族や女真族がいるので往来に危険が伴った。
したがって、主に海路を利用した。
禮成江下流にある碧瀾渡は、宋と交易していた大きな港町で、山東半島に向かう北の道と揚子江下流に向かう南の道の分岐点であった。 
碧瀾渡には、宋の商人ばかりでなく、遠くアラビアや東南アジア地方の人々も頻繁に出入りした。

研究

近来、新安の沖合で発見された宝物を高麗の貿易と関連させて話してみよう。

 高麗は、金、銀、銅、朝鮮人参、螺鈿漆器、むしろ、芋などを輸出し、宋からは、絹、本、薬剤などを輸入した。
加えて、アラビア商人は、水銀や香料のような物を持って碧瀾渡に出入りしていた。
高麗という名前は彼らによって西洋に伝えられた。
そのため、わが国は外国からコリアと呼ばれるようになったのである。
一方、高麗人も海外に多く進出し、様々な学者や僧侶が中国でその名を轟かせた。

研究

高麗時代、中国に渡り、その名を轟かせた学者や僧侶の活動について調べよう。
651世界@名無史さん:02/08/30 06:16
4.朝鮮通信使

朝鮮通信使は日本でどのような役割を果たし、日本は彼らをどんな対応で迎えたかについて理解しよう。

 朝鮮は最初、日本と貿易し、彼らが持参した銅を食料や衣服と交換していた。
しかし、日本が壬辰倭乱を起こした後は、彼らとの交流を断ち切った。
しかし、日本の新しい支配者である徳川は、わが国と再び国交を結んでくれと懇願してきた。
彼らは、強制的に連行したわが国の民を帰国させ、手土産を持って参上し、再び侵犯しないことを約束した。
朝鮮からも彼らに使いを差し向け、2国間の交流が再開された。
以後朝鮮は、日本に通信使を出すようになった。通信使一行は300名から500名程度の構成で、学問、技術、芸術などに秀でた人物を選抜した。
通信使一行は日本の国賓として鄭重なもてなしを受けた。
朝鮮通信使一行が各地を通り過ぎる時、日本の人々は新しい知識や品物を得るために道すじや宿舎に集まり、面会を願った。
彼らは通信使一行が渡した漢詩、絵、文字などを家宝にした。
日本が通信使一行をとても大切にしたのは、優れた朝鮮の文化を受け入れるためであった。
したがって実際にわが国の使節と日本の学者、文人たちの間には活発な文化交流が行われた。
特に朝鮮の儒学は、彼らの学問を発達させるうえで助けになった。

研究 わが国と日本との関係について右の事実を中心に簡単に理解しよう。  

わが国と日本が最初に交流し始めた時、わが国が日本に伝えた文化。

わが国が日本に施した助け。日本がわが国に助けを差し伸べたことと害を与えたこと。
652世界@名無史さん:02/08/30 06:17
学  習  整  理

1、わが祖先は、日本の古代文化の発展に大きな役割を果たした。

 (1) 三国の芸術が日本に伝わった跡を様々な所で発見することができる。

 (2) わが祖先は、日本人をして文化と学問に覚醒させた。

2、わが祖先は早くから海外活動に積極的に取り組み成果の花を開かせた。

 (1) となりの国との活発な貿易をするために南海の制海権をつかんだ。

 (2) 他の国にわが国民が住む居住地をつくるなど海外進出が活発だった。

3、朝鮮時代にも、日本にわが国の文化を伝達した。

 (1) 日本は、文化的に発達したわが国との交流を願っていた。

 (2) 朝鮮通信使は日本の文化的な発展に大きく貢献した。
653 b:02/08/30 07:48
総括するとまだ学問のレベルには程遠いと
言うことを言いたいのですか。韓国は。
654世界@名無史さん:02/08/30 07:56
つーか、なんか悪い電波を受信して書いてあるんでは?>韓国の国史教科書
655世界@名無史さん:02/08/30 08:32
んまぁ、日本の国定教科書だって
ニホンヨイクニ キヨイクニ セカイニヒトツノ カミノクニ
なんつ〜詩が載っていたんだし、戦時下の日本と同じような教育を
していると考えれば…
656世界@名無史さん:02/08/30 12:03
というか戦前と比べてる時点で(ry
657世界@名無史さん:02/08/30 15:24
韓国は今でも戦時下です。徴兵制もあるし。
韓国の国史教科書を、初めてみたけど、うまく書いてあると思うな。

まず某「つくる会」は”歴史は科学ではない”と言って神話を載せているらしいので、
壇君神話も、良いんでは無いでしょうか。
ほかもまるっきりの嘘は書いてないし。こうしてみると、本は”何を書かないか”が重要なんですね。

>三国の発展と民族の統一のために力を尽くした様々な指導者について調べよう。
あたりが面白いな、今でも全羅道と慶尚道だっけ仲悪いの。それに北の国が絡むんだから
高句麗、新羅、百済の争いなんぞ書けんでしょう。広開土大王あたりの記述は、苦心の産物ですね。
だいたい教科書は、学問の為のものじゃないんだから良いんじゃない。
658世界@名無史さん:02/08/30 15:37
日本の小学校の歴史教科書は今どんな感じなんだ?
小学生じゃなくなって大分経つからちょっと興味がわいたんだが。
659世界@名無史さん:02/08/30 15:47
ハゲシク板違いなので、話を戻すと
弥生後期は、日本列島でも鉄器を生産しています。
これらは交易対象だったどころか、宝物であり戦って奪い取るものだったようです。
BS−2を見ていたら、そのような遺跡の話が出てきました。
面白いことに、製鉄で栄えていた村が襲われているのです。
鉄を生産していたことが、直接戦争に強いことに結びついていないのですね。
あ後、弥生後期を何時とするかが問題だな。
660世界@名無史さん:02/08/30 23:47
>>657
>まず某「つくる会」は”歴史は科学ではない”と言って神話を載せているらしいので、

ソースは?神話と言うのは何を指しているんですか?

>壇君神話も、良いんでは無いでしょうか。

「檀君神話」は正確に言うと古来から伝わる「建国神話」ではありません。
12,3世紀の説話集「三国遺事」に書かれた御伽噺、童話のたぐいです。
日本でいえば桃太郎みたいなもの。

>ほかもまるっきりの嘘は書いてないし。

ハハハ、以下の文を読んでもそう思うんですか?

>日本では、今でも王仁を高く敬っている。

王仁なんて普通の日本人は誰もしらねえよ。

>我が民族は長い歴史を刻んできた単一民族である

高句麗、新羅、百済は別民族です。
伽耶には倭人が住んでいました。

その他、嘘ばっかりです。
661世界@名無史さん:02/08/31 00:22
檀君神話を建国神話と扱かわないの?>現在の神話学・比較神話学@日本
それに東南アジア史・モンゴル史だと、11〜13C頃、編纂されたものも
神話とするんじゃなかったけ(ウロ
662世界@名無史さん:02/08/31 02:03
ちなみに、檀君の名、王倹は衛氏朝鮮の都の名前から取ったもの。
檀君の先祖が天降りした亀旨峯は、ニニギノミコトがクシフルタケに天降り
した天孫降臨からパクったものだと思います。

真面目な史書、三国史記には檀君の名前は出ていません。

663世界@名無史さん:02/08/31 03:12
朝鮮人が単一民族なわけはない。
建国に大陸から流れてきた中国人が大きく関わっているし
中国人の血が相当に流れている。
高句麗、新羅、百済はそれぞれ別種だ。
モンゴル人の血も入ってきている。
また、倭人の血も相当に入っている。新羅の併合に取り残された
倭人も相当いるだろう。
これらの混合が朝鮮人だ。
現在、半島では地域対立が激しいが、これも別種だった名残と考えると理解しやすい。
見え透いたプロパガンダでしかない。
664世界@名無史さん:02/08/31 06:32
>>663
日本はなぜ地域対立がはげしくないのだろうか?
665世界@名無史さん:02/08/31 06:59
韓国史の目次

1、民族国家への発展

(1)立派な指導者たち(2)国土を守ってきた民族(3)わが民族の海外活動

2、近代化への努力

(1)実学運動(2)変わってきた国の姿(3)国権の守護

3、国民生活と政治

(1)わが国民主主義の発展(2)民主国家の政治生活(3)現在の民主政治制度

1、民族国家への発展もひどいが、2、近代化への努力3、国民生活と政治もひどいな(w

http://village.infoweb.ne.jp/~jl6ehr/history.html
666:02/08/31 09:49
韓国は今国民国家をつくっているんだよ
DQNだが、神話と国家神道よりはましだろう
667世界@名無史さん:02/08/31 11:01
都合のいい歴史を「作ってる」の間違い
668世界@名無史さん:02/08/31 16:31
>>667
でもそれは戦前日本でも同じだったんだし。
いちいち反応して同レベルにならず、一段高い視点で、いつその状態を抜け出せる
のか暖かく見守ってあげたほうがいいのかも。
669657:02/08/31 23:04
>>660
>ソースは?
ttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2001/ronbun/06-r3.html <”正論”です。
ttp://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/opinion/12-34.htm <文部科学省です

>神話と言うのは何を指しているんですか?
ttp://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/opinion/12-34.htm
の17を読むように。文部科学省が間違っていると思ったら、政府に抗議してください。

壇君神話は、朝鮮の建国神話です。
ttp://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku2/osie/130614osie_k_02.html
産経新聞に書いているので、間違いはありません。
あなたは、正論や産経新聞及び文部科学省を疑い敵視するサヨですか?

>王仁なんて普通の日本人は誰もしらねえよ。
一家に一冊、古事記・日本書紀は置くべきですね。私は持っています。(文庫本だけど)
非国民が多くて困ります。古事記・日本書紀の敵視するサヨですか?

>我が民族は長い歴史を刻んできた単一民族である
>高句麗、新羅、百済は別民族です。
違います。
ttp://bosei.cc.u-tokai.ac.jp/~hukaya_s/Pages/Japanese_Pages/Daigaku/Koogi_nooto/zyosetu_minzoku.html
もし”単一民族である”と、彼らが考えているのなら、”単一民族なのです”
ttp://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/000612nation.html
ttp://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/001120eb.html
も読むように。民族を、外部から別とか同じとか定義できません。
670657:02/08/31 23:05
古事記・日本書紀の敵視するサヨですか?は
古事記・日本書紀を敵視するサヨですか?に訂正します。
671>668:02/08/31 23:13
全然違うね。
古事記や日本書紀の神話は、壇君神話のような後世のデッチ上げではないし、
日本書紀に至っては異説も正直に書いている。

チョソは、壇君捏造神話と記紀を同じにしたいらしいな。
笑える話だ。
672>663:02/08/31 23:18
正確に言うと、

高句麗は、扶余系。
百済は支配層が扶余系(王家は、高句麗王家と同系との伝説)

で、扶余系の連中は、その言語を含め完全に消滅している。
高句麗語は、わずか40単語程しか分かっていない。
ということで現在の朝鮮と直接つながる国とは言えません。

ちなみに扶余系は、マッカキ人とも言葉が通じないと記録されているので
現在の満州人とも異なる民族だろうと言われている。
673世界@名無史さん:02/08/31 23:49
檀君神話は朝鮮民族がその歴史の最初から伝承した「神話」では
ない事は明々白々。
「三国史記」には記述がなく、中国史書には朝鮮は中国人の建てた国だと書かれ、
檀君のじいさんの桓因は仏教の帝釈天(プ
こんな神話がBC2333に遡ると考えるのはよっぽどの愛国者なんだろうな。
ああ、そうか、>>657はスーパー右翼(朝鮮民族の)なのか。
なるほど。
674世界@名無史さん:02/08/31 23:59


お前ら、その豊富な知識を活かして、日韓翻訳サイトnetomoや中央日報の翻訳掲示板などで、妄言を吐く韓国人に真実を教育してみませんか?



675657:02/09/01 00:12
>>673
孝元天皇の第5子、比古布都押之信命の孫、武内宿禰を祖とする、正当な皇別氏族です。
代々神主であります。(私は違います。本家の叔父がついでいます。)
身分の卑しいBサヨは、せめてもう少し勉強することを進めます。

>歴史の最初から伝承した「神話」では ない事は明々白々。
”歴史の最初から伝承した「神話」”などというものは、地球上に存在しません。

676世界@名無史さん:02/09/01 00:21
>>675
「朝鮮民族が」その歴史の最初から持っていた神話ではない。
現存する朝鮮民族最古の歴史書「三国史記」にのってないからね。
677世界@名無史さん:02/09/01 00:26
>>675
>孝元天皇の第5子、比古布都押之信命の孫、武内宿禰を祖とする、正当な皇別氏族です。
>代々神主であります。(私は違います。本家の叔父がついでいます。)

何に必死で弁明しているのか良く見えないが、神主の家系ならきっと右翼なんだろう。
韓国の右翼に対してシンパシーを感じてもおかしくないよ。
自然だよ。(w
678世界@名無史さん:02/09/01 00:56
「歴史は科学ではない」ならデタラメ教えても良いと言うこと
にはならないと思う。
特に、韓国の歴史教科書は事実とはとても思えない事を書いていますしね。

>文部科学省が間違っていると思ったら、政府に抗議してください。

小役人の戯言にいちいち目くじら立ててもしょうがないでしょ?

679世界史@名無史:02/09/01 00:58
韓国は作られた愛国主義が強すぎます
680rrr323:02/09/01 10:58
222tr
681世界@名無史さん:02/09/01 13:34
新羅の金氏は孝元天皇の子孫じゃなかったか?
682世界@名無史さん:02/09/02 14:36
sou
683世界@名無史さん:02/09/03 14:45
高句麗
684世界@名無史さん:02/09/04 10:15
加羅
685世界@名無史さん:02/09/06 00:43
とりあえずageとこう
686世界@名無史さん:02/09/06 13:14
専門に研究してる人居ないの?
687世界@名無史さん:02/09/07 02:51
>>686
何をだヨ?

681の件ならば、昔そういう説もあったってことで、
そういう伝承があるわけではない。
その説の詳しい内容は過去ログにある。
688世界@名無史さん:02/09/07 13:15
>>687
電波?
証明された件だろ。
孝元天皇の子孫じゃないという証明をまずしろ。
689世界@名無史さん:02/09/07 16:09
新羅は倭人の植民国家であることを知らない奴がいるからな。
690世界@名無史さん:02/09/07 20:06
>>689
ソースは?
691世界@名無史さん:02/09/08 03:18
>>688
誰にも気づかれない煽りありがとう。
三国史記や三国遺事によれば、新羅3王家のうち“金氏”王統の先祖は
黄金の箱に入っていた卵から生まれた閼智(金閼智)という者の子孫。
しかし孝元天皇の子孫だという説は日中韓どこの文献にも伝承されてない。
ただし戦前には、あくまで一説としてだが駕洛国(=金官伽耶)の
王家(金氏)の始祖である金首露が、新撰姓氏録にみえる松木連の先祖
塩乗津彦命(孝元天皇の子孫)と同一人物という説はあった。
あなたはこの話と下の説とを混同してるんでしょう。
新羅の金氏の始祖である金閼智は、戦後の説だけど、
垂仁天皇の皇子の本智和気と同一人物という説を鈴木貞一が唱えている。
これらの諸説の詳しい説明などはすごく長いし過去ログでやってるから省略。
692世界@名無史さん:02/09/08 10:48
というわけで、新羅は大和朝廷の植民市同然。
693691:02/09/08 11:55
証明されたわけじゃないけどな
694世界@名無史さん:02/09/08 20:22
倭人の植民国家? それって任那じゃなくて?
695世界@名無史さん:02/09/08 20:27
>694
少なくとも、新羅の王族の朴、昔、金氏すべて
倭人だったんだから。
否定してるのは電波だけだろ。
696世界@名無史さん:02/09/09 00:11
>>695
はぁ?
697世界@名無史さん:02/09/09 14:04
>>696
電波?反論する根拠を挙げよ。
698691:02/09/09 21:54
漏れは696ではないが。

反論もへったくれも、王朝始祖倭人説は
もともと「こういうこともあり得るかも」という程度の仮説にすぎないので
厳密な証明はできないんだよ。
だからって新羅や任那は倭国の属国だったことは動かしようがないのだから
電波よばわりはやめれ。
699世界@名無史さん:02/09/10 00:40
>>473に賛成
700>698:02/09/10 00:59
新羅は加羅諸国と違って日本の恒常的な属国とは言えないのでは
常にどっかの属国であっったのは確かだけど。
701世界@名無史さん:02/09/10 03:30
>>691
過去ログを探したけれど見つけられません。
過去ログ、教えてちょ
702世界@名無史さん:02/09/10 04:40
>>701
ほれ
ttp://mentai.2ch.net/whis/kako/980/980828553.html
玉石混淆のスレなので全部を信じないように。
漏れもたくさん書いてるけど(w
691の関係はこの擦れの35。
36の系図は思いっきりズレてしまって鬱。
703世界@名無史さん:02/09/10 04:45
新羅が倭人の植民国家だったなんてのは思いっきりまちがい。
たとえ支配層が倭人系だったとしても
人口の大部分を占める一般の住民(庶民層)が倭人だったわけではない。
新羅人の実体は
辰韓・高句麗・倭人・漢人・百済などの多民族混成国家
だったと考えられている。
704世界@名無史さん:02/09/10 06:32
>>702
ありがとうございます。ヽ(^o^)丿
705世界@名無史さん:02/09/10 08:53
>691
それを何故否定できる。
支配者層の先祖は倭人との関わりが深いと向こうの文献にもあるぞ。
倭人の植民国家でないというのがトンデモ説だ。

>703
植民国家というものの意味がわかっていないな?
ローマの植民市をみよ。
支配者層はローマ人だが、
実際の民衆は現地人だぞ。
また、インド帝国は英の植民国家でないというのか?
706 :02/09/10 17:39
http://www.yo.rim.or.jp/~eizo10/eizo-kodai/index.html
加耶古代史観これって、どうなんですか?
韓国人は、良くこれを持ち出してきます。netomoで。
日本書紀は、模造だ!とか言ってる史観ですが・・・。
勿論、僕も、すべて日本書紀を信じているわけではないのですが、
加耶古代史観なんて、あまり聞きませんし・・・。
これみてると、逆に百済や新羅に倭人が、
深く入り込んでたんだなんて思ってしまいます・・・。
707>>692:02/09/10 20:57
あれ、??
天武系が新羅の植民王朝だったんじゃなかったっけ・・・

何で41歳まで天武の記録がないの?
708世界@名無史さん:02/09/11 07:09
電波キタ−−−−
709世界@名無史さん:02/09/11 10:36
707=電波
710世界@名無史さん:02/09/11 12:19
>>707
はぁ。記録がないと新羅系になるんか。
白村江後の唐の使節1000人を考え、唐による征服王朝というのならまだわかるのに、
いきなり新羅を出すところがすんげ〜電波だよな…
711世界@名無史さん:02/09/12 11:29
百済
712世界@名無史さん:02/09/13 09:32
百済ってひゃくさいって読むのが正しいの?
713世界@名無史さん:02/09/13 20:34
新羅侵攻計画
714世界@名無史さん:02/09/13 22:04
    / / ↑ \.
    |  |   └→| 
    \ \__/
      | <ヽ`д´> < おーおーきなのっぽの古時計、ウリナラ製ニダ♪
      |(ノi  |)   壊れて動かないのはチョパーリの陰謀ニダ〜♪
      |  i  i
      |_i_ i
       〈_フ__フ


715世界@名無史さん:02/09/14 10:05
水城って朝鮮式だよね。
この当時大野城など朝鮮式の山城作っているから。
716世界@名無史さん:02/09/14 10:21
  ____
    /∵∴∵∴\
   /∵∴∵∴∵∴\
  /∵∴∴,(・)(・)∴|
  |∵∵/   ○ \|
  |∵ /  三 | 三 |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |∵ |   __|__  | < うるせー馬鹿!
   \|   \_/ /  \_______
     \____/
717世界@名無史さん:02/09/15 00:28
天武系が新羅の植民王朝なら、新羅の正史にそう書くでしょ
718世界@名無史さん:02/09/15 00:31
>>712
朝鮮半島ではペクチュ
719 :02/09/15 02:43
「三国史記〜列伝」昔于老

助憤(略字)4(233)年、倭人が侵す。于老、沙道で逆戦し、賊の戦艦を焚きつけ溺死して尽きる。
沾解7(253)年、倭国の使臣、葛那古、館に在り。この館の主、于老は客と戯れて言った。
「早晩、汝の王を塩奴と為し、・・・・」
倭王は、これを聞いて怒り、将軍の 于道朱君を遣わして我を討つ。大王(沾解)は出て柚村に居り。
味鄒王のとき、倭国の大臣がやって来た。于老の妻は、国王に請い、倭の使臣が泥酔しているところを焼き殺して怨みに報いた。


この時期は、倭も新羅も対等に抗争している感じだね。
服属関係があたのなら、どの時期にどちらを・・・というのが欲しいな。
720世界@名無史さん:02/09/15 02:48
>>718
現代語で読んでどうする。
クダラという読みは日本の古代の読みです。
721世界@名無史さん:02/09/15 02:51
百済を「くだら」と読むのは、「クンナラ」の訛りだろ。
722世界@名無史さん:02/09/15 03:05
中国の当時の発音に近い読みなら、パクサイだと思う。

まあ、クダラは日本の属国だったのでクダラでいいんじゃないですか?
723世界@名無史さん:02/09/15 03:07
属国をクンナラと呼ぶのか?
724世界@名無史さん:02/09/15 03:51
まさかクダラはクンナラ(偉大なクニ)の転訛だとかいう
電波説をご披露されるおつもりじゃ
725世界@名無史さん:02/09/15 04:00
>>724

電波という証拠は?
少なくとも音は似ているし、百済の音パクサイとは明らかに違った呼び方を
したことの理由はきちんと説明されるべきだと思う。
726世界@名無史さん:02/09/15 04:03
ピャクサイ、ペクサイ、パクサイと読めるが、クダラとは読めない「百済」
をなぜ、クダラと読んだのか。

その説明がほしい。
727世界@名無史さん:02/09/15 04:22
クンナラ説を信じるのは自由ですが

「属国ならクンナラと呼ぶはずないから、百済は倭=日本の属国では
なかった(倭=日本は百済を属国視していなかった)はずだ」

というような不毛な議論に発展させるのはやめましょう

語源未詳(不確定)の言葉など、いくらでもあるのですヨ。
(「やまと」の語源だって不明なのにね)
728世界@名無史さん:02/09/15 04:27
>>727

なんだ、説明できないのか・・・
百済が問題なのは、語源が未詳なんじゃなくて、なんで、漢字表記と読みが
異なるのか、という点だよ。
語源が問題なんじゃない。

大和を、やまと、と呼ぶのも、漢字表記と読みのずれだけど、これはある程度
説明できる。「倭」の字に賎しい意味があることを知った日本人が、「倭」の
代わりに「和」をあて、さらに「大」をつけて「大和」とした。
しかし、読み方は、やまとことばの「やまと」を使った。

百済を漢字表記と異なる「くだら」という読みで通したのは、「大和」のように、
「くだら」がやまとことばだったからか?
729世界@名無史さん:02/09/15 04:30
>>727
>というような不毛な議論に発展させるのはやめましょう

そういいながら、学問的な回答を出せないことを誤魔化していないか?
政治的なことは別として、
・「百済」をなぜ「くだら」と読むのか
・百済、高句麗、新羅のうち、なぜ百済だけが、漢字表記と読みが、完全にすれているのか
に対する学問的な回答はないのか?
730どこに謎が?:02/09/15 04:33
唐も「から」と読むし、「高麗」も「こま」と読むでしょう。

新羅も「しらぎ」と読むけど、これはあからさまに「新羅+ギ」
だから、訓読みとまでは言えないかも知れない。
731世界@名無史さん:02/09/15 04:37
>>730

>唐も「から」と読むし、「高麗」も「こま」と読むでしょう。

なるほど。
言われてみると、そうだね。
「高麗」→「こま」は、音の変化がまだ想像できるけど、
「唐」→「から」は、なぜだ?
732世界@名無史さん:02/09/15 05:13
「から」はもともと「唐」ではなく、「漢」「韓」にあてられていた読み。

「漢」→「かん」→「から」と読みが変化し、
大陸王朝である「唐」にも、「から」という読みがあてられれうようになった。

で、「百済」→「くだら」は?
733世界@名無史さん:02/09/15 06:24
高麗→こま は?
734世界@名無史さん:02/09/15 09:46
>>719
三国史記は日本の記紀より後の編纂なんで、
当てにはなりません。
735世界@名無史さん:02/09/15 11:30
詳しいことは下のスレに書いてあるけど、
朝鮮語で国を意味する nara は、遡ると中期朝鮮語までたどれ、この当時は narah。
さらにそれ以前は narak だったと推定されている。
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=korea&key=1010584644

「クン」の方は知らんが、言葉を比較するなら、できる限り祖形まで遡って比べるべき。
漢字音についても同じ。

>>729
肯定することもできないが、完全に否定することもできない
UFOみたいなものを土台に、議論を進めていくのは危険という意味で、
727は妥当だと思うが。
736娜々志娑无 ◆NcNEDmUA :02/09/15 22:00
>>732

 それは違います。カラはもともと「韓」に宛てられていた訓です。
本来は任那(伽耶)諸国の一であり、日本と密接な関係にあった
加羅(金官加羅)を指す語でしたが、やがて朝鮮半島の総称となり、
白村江の敗戦によって半島と疎遠になってからは、中国を指す語
として使用されるに至ったものです。

 クダラの語源については、以前旧総督府のスレに書き込んだの
ですが、旧総督府の過去スレは現在閲覧不可能みたいですので、
当該部分だけを転載しておきます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 百済を日本で「くたら(古くは濁りません)」と訓むことについて、小学館
の『古語大辞典』は、馬韓地方に「居陀(原文は「施」の方をこざとへんに
置き換えたもの。JIS漢字にないので、とりあえず「陀」で代用します)」
(原名は「居陀羅」であったと推定される)という地名があり、これがこの
地方の代表名となり、「百済」が起こった後、「百済」の訓みとなったとする
説が妥当か、と述べています。まぁ百済にしろ加羅にしろ安羅にしろ新羅
(斯盧)にしろ、三韓地方に「ra」の付く地名がやたらと多いことは確かで、
恐らく「ra」は韓系の言語においては、地名を構成する最も一般的な語基
の一つだったのでしょう。

 なお、加羅は伽耶とも表記されることがありますが、恐らく伽耶の「ya」は
「ra」が音変化した形ではないかと思います。音韻変化の方向としては、
一般に[y→r]よりも[r→y]の方が起こりやすいからです。現代朝鮮語に
おいて「李」が「ri」ではなく「i(yi)」と発音されるのと同じことですね。
737世界@名無史さん:02/09/15 22:31

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738世界@名無史さん:02/09/16 00:54
ttp://www.sainet.or.jp/~eshibuya/note05.html

>【百済】−『岩波古語辞典』に「室町時代までクタラと清音か」とあり、
>図書寮本「類聚名義抄」に「百済瑟、久太良古度」とあり明確に清点が
>あるという。なお、書陵部本は「くたらく」とある。御物本も書陵部本
>同様に「くたらく」とあり後出の「く」をミセケチにする。一方、横山
>本は「くたらく」と後出の「く」を補入、榊原家本、池田本、三条西家
>本は「ふたらく」とある。
739世界@名無史さん:02/09/16 01:21
>>736

詳しい説明、ありがとうございました。
740清音の例:02/09/16 01:24
741これから何度繰り返されることになるの:02/09/16 01:53
1.朝鮮人が思いつきの電波説を華々しく唱える
2.それが日本のマスコミや知識人によって「おもしろ話」として広められる
3.いつしかそれこそが真実だという認識が広まる
4.学問的に誠実であろうとする人が、それが一つの説に過ぎずそれ以外にも
諸説があることを説明するが、何ぶん表現が(学問的=慎重であるという性質上)
地味なため、耳目を引きにくく日本のマスコミの表にあまり現れない。
5.ますます電波説が闊歩する

742世界@名無史さん:02/09/16 03:42
旧多羅から、という説もあるみたいだけど(日本書紀)
これはこれで語呂合わせっぽい
743「対馬は韓国の領土」という暴論:02/09/16 08:04
インターネットで日本海名称を守るためにいろいろと調べてたら
こんな記事を見つけてしまい、思わず目を疑ってしまいました。

http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/wd291kk050.htm

対馬が韓国の領土だと? 
ふざけるのもいい加減にしろと言いたい。
この様な蛮行は韓国による我が日本国に対する宣戦布告にも
値する行為であり、政府には毅然とした態度をとってもらいたい。
これを黙認してしまえば、竹島の二の舞になってしまうだろう。

仮に韓国政府が領有宣言したら、おそらく軍隊(自衛隊)が出動するのも
必至でしょうね。

私は長崎県と厳原町(対馬)に警告のメッセージをメールしました。
正直言って極めて危険な状況ですよ。韓国軍が攻めてきたら
どうするのでしょうか?
ちなみに対馬の北端から韓国の釜山まではわずか49kmしか
はなれておりません。

長崎県庁 : [email protected]
厳原町役場 [email protected]
744世界@名無史さん:02/09/16 10:26
新羅は倭人の植民国家
745世界@名無史さん:02/09/16 10:31
任那は天皇家の本貫の地
746世界@名無史さん:02/09/16 10:38
任那は天皇家の本貫の地=任那は天皇家の属国

言い方違うけど、内容は殆ど一緒な罠
747世界@名無史さん:02/09/16 11:12
イギリス王室とフランスの関係に似ているということを言いたかった。
侵略したのではなく、先祖代々の土地を守るために戦っていたのだと。
748女子中高生とHな出会い:02/09/16 11:13
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749747:02/09/16 11:15
>>748
あんた在日か?
なんか都合の悪い事言ったか、俺。
750また始まった:02/09/16 18:21
任那が天皇の本貫の地なら、新羅が史書にそう書くはずです。
金ユ信の出自は、加羅(任那)の王族なので、新羅が知らないはずないから。
751世界@名無史さん:02/09/16 18:54
中国各王朝の史書とか、各地の碑文とか、原典に基づく記述をしよう。
引用は必ず忘れずに付ける事。
保存カキコはなるべくシンプルに。
752世界@名無史さん:02/09/16 21:33
新羅本紀による半島情勢年表(参考:三国史記1/平凡社東洋文庫)
(654年までの対外記述を抽出、国内記述は飢饉や天候不順の記録が大半を占める)
神武〜雄略までの天皇は6章の補正による推定年代。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/g01.files/06/shiragi.html
BC 57 赫居世即位(朴姓、尊称は居西干) 辰韓の6村を治める
  54 日食
  50 倭人侵入
  39 弁韓が服属
  37 王都金城を築く(慶州付近)
  34 日食
  30 楽浪軍侵入
  20 馬韓東方と辰韓に雑居する中国系避難民の扱いで馬韓王と衝突
  18 百済の始祖温祚即位
  15 日食
  5 東沃沮の使者到来
753世界@名無史さん:02/09/16 21:34
AD 2 日食
4 南解王即位(赫居世長男、巫者、尊称は次次雄)
  6 日食
8 脱解と南解王の娘が婚姻
10 脱解を大輔に任命し軍事国勢を委任
14 倭人が兵船百余隻で略奪
楽浪が侵入

24 儒理王即位(南解王の子、尊称は尼師今で以降16代同じ)
(脱解が即位を固辞したために即位と伝承)
36 楽浪が侵入

57 脱解即位(昔姓、多婆那国から渡来した外国人の伝承)
59 倭国と国交樹立
61 馬韓将軍が投降する                         神武 61- 89
63 百済王が使者
64 百済が侵入
65 脱解が子の閼智を得る(金姓、実子ではないとみえる伝承)
(閼智を新羅王室の祖とする論あり)
  その地の名をもって国号を鶏林とする
70 百済侵入
76 百済を攻撃
754世界@名無史さん:02/09/16 21:34
80 婆娑王即位(儒理王の2男)
82 食糧不足深刻となる
84 豊作となる
85 百済侵入
87 西の百済、南の伽耶の侵入に備えて城壁建設              綏靖 89-101
94 伽耶軍を撃退
96 伽耶軍侵入
98 干ばつ
102 近隣2国の土地争いを金官国の首露王に仲裁させる         安寧101-114
105 百済が和睦を求める
106 伽耶を攻撃

112 祗摩王即位(婆娑王長男)
115 伽耶が侵入                             懿徳114-127
116 伽耶を攻撃
121 倭人が東部へ侵入
123 倭国と講和
125 靺鞨が北部へ侵入
 127 日食                                孝昭127-156
755世界@名無史さん:02/09/16 21:34
134 逸聖王即位(儒理王の長男)
137 靺鞨侵入
140 柵を作って靺鞨侵入を防ぐ
 141 日食
144 治水と開墾を指示 民間の金銀玉の使用を禁止
145 飢饉となり南部が飢える
146 反乱発生

154 阿達羅王即位(逸聖王長男)
158 倭人が訪問                             孝安156-192
 166 日食
165 反乱者が百済へ逃走
167 百済侵入
173 倭の女王卑弥呼の使者来訪

184 伐休王即位(脱解王の孫)
 186 日食
188 百済侵入
193 倭人が大飢饉となり避難民到来                   孝霊192-219
日食

196 奈解王即位(伐休王の孫)
188 百済侵入
 200 日食
201 伽耶が講和を求める
203 靺鞨侵入
208 倭人が侵入
209 浦上八国が加羅を侵略、加羅王子の救援要請で援軍を送る
212 伽耶から人質が送られる
214 百済侵入
224 百済を破る                             孝元219-239
756世界@名無史さん:02/09/16 21:35
230 助賁王即位(伐休王の孫)
232 倭人が侵入し金城を包囲
233 倭軍が東部へ侵入、倭の船を焼く
240 百済侵入                              開化239-261
245 高句麗が北部へ侵入

247 沾解王即位(助賁王の弟)
248 高句麗に使者を送って講和
249 倭人が于老を殺害 (神功紀別注に登場)
255 百済侵入
 256 日食
261 百済が講和を申し込むも応じず                    崇神261-285

262 味鄒王即位(沾解王に子なく閼智の六世孫)
264 東部へ行幸し海を見る
266 百済侵入
278 百済侵入
283 百済侵入

284 儒礼王即位(助賁王長男)
286 百済が講和を求める                         垂仁285-319
287 倭人が侵入
292 倭人が侵入
294 倭人が侵入
295 倭人討伐を議するも水上戦闘不慣れにより中止
297 北方の伊西国が侵入したが神兵が現れて撃退
757世界@名無史さん:02/09/16 21:35
298 基臨王即位(助賁王の孫)
300 倭国と国使を交換
307 国号を新羅に戻す (503にも国号決定記述があり疑問点とされる)

310 訖解王即位(奈解王の孫)
312 倭国が王子の花嫁を求めこれに応ず                  景行319-341
337 百済へ使者を送る
344 倭国が花嫁を求めたが辞退                      成務341-363

345 倭王が国書を送り国交断絶
346 倭軍が金城を攻撃

356 奈忽王即位(訖解王に子なく味鄒王の父の孫(閼智の八世孫)
364 倭兵が大挙して侵入                         仲哀363-366
368 百済が使者を送る                          神功366-391
373 百済の秀山城主が来降する
381 使者を秦国に派遣して国号の変更を釈明する
392 高句麗に人質を送る                         応神391-406
393 倭軍が侵入 籠城戦を行う
395 靺鞨が北部へ侵入
758世界@名無史さん:02/09/16 21:36
402 実聖王即位(閼智の後裔とのみあり、身長7尺五寸とある)
倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣ミシキンを人質に送る
百済が侵入
405 倭兵が侵入
407 倭人が東部と南部へ侵入                       仁徳406-437
408 倭人が対馬に軍備を増強するを知って対抗策を案ずる            (応神)
412 高句麗へ奈忽王の王子を人質に送る
415 倭人と戦い勝利                                (414 広開土王碑)

417 訥祗王即位(奈忽王の子、高句麗を介して実聖王と反目し実聖王を殺害して即位)
(この王より尊称が「尼師今」から「麻立干」に変わる)
418 高句麗と倭国への人質が逃げ帰る
424 高句麗に使者を送り国交を開く                        倭王讃421
431 倭兵が侵入                                 倭王讃430
433 百済が使者を送り講和
434 百済が貢ぎ物を送り、返礼の品を送る                 履中437-439
440 倭人が南部と東部へ侵入                           倭王珍438
444 倭兵が金城を包囲し苦戦となるも神助によって救われる         反正439-441
450 高句麗との国境で紛争                        允恭441-455
454 高句麗が北部に侵入                             倭王済443
455 高句麗が百済に侵入し百済へ援軍を送る                    倭王済451
759世界@名無史さん:02/09/16 21:37
458 慈悲王即位(訥祗王の長男 母は実聖王の娘)             雄略456-479
459 倭人が船百余艘にて侵入
462 倭人が侵入                                 倭王済460
463 倭人が歃良城を攻める(現釜山の北約30kmの梁山郡梁山面付近)
468 高句麗と靺鞨が北部へ侵入
474 高句麗王巨連(長寿王)が百済を攻撃
救援しようとするも百済は陥落
476 倭人が東部へ侵入
477 倭人の軍隊が五道を通って侵入
北海道(溟州街道)、塩地通(向唐街道)、北徭道(百済街道)         倭王武477
東海通(任那街道)、海南通(難武州街道)とされる              倭王武478

479 ショウ知王即位(火+召、慈悲王の長男)               清寧480-485
480 靺鞨が北部へ侵入
481 高句麗と靺鞨が侵入 百済、伽耶の援軍により撃退
482 倭人が侵入
484 高句麗が侵入、百済援軍と撃退
486 倭人侵入                              顕宗485-488
489 高句麗が侵入                            仁賢488-498
493 百済に花嫁を送る
495 高句麗が百済を攻撃、援軍を送る
496 伽耶国が白雉を送る
497 倭人が侵入
500 倭人が長峯鎮を攻め落とす                      武烈498-507
760世界@名無史さん:02/09/16 21:37
500 智證王即位(奈忽王の曾孫)
502 殉葬を禁ずる                                倭王武502
503 家臣の求めに応じて新羅国王の称号を定める
(旧は斯羅シラ、斯廬シロ、新羅シンラなど)

514 法興王即位(従来の尊称が消え法興王のみ、智證王の長男)       継体507-530
521 南朝の梁に朝貢する
522 伽耶王が花嫁を求める
528 初めて仏法を行う(長い説話が付随する)                   磐井の乱527
532 金官国王が財宝と家族と共に来降し国王の末子が新羅に仕える      安閑531-534
536 初めて年号を用いる(建元元年)                   宣化535-538
540 真興王即位シンコウ(法興王の弟の子)                欽明539-571
541 百済が講和を求める
545 国史を編纂させる
548 高句麗が穢ワイと共に百済を攻撃、援軍を送る
549 南朝の梁から使者と仏僧到来
550 百済が高句麗を攻撃
551 伽耶王が12弦の琴を作る
553 百済の東北部を奪う
554 百済と加良が連合して侵入(加良は伽耶と同意とされる)
562 百済が侵入 伽耶が反乱を起こす
564 北朝の斉に朝貢
565 南朝の陳から仏教教典が送られる
566 陳に特産物を送る
572 北朝の斉に朝貢                           敏達572-584
574 仏像鋳造
576 有能な人材を捜し美女二人を選んだが仲違いとなり、美貌の男を
 選ぶことで有能な人材を得られるようになった。風流あるいは花郎という
随に法を求め仏舎利などを得る
761世界@名無史さん:02/09/16 21:38
576 真智王即位(舎輪、金輪、真興王の次男)
577 百済が侵入
578 陳に朝貢
百済に城を割譲

579 真平王即位(白浄、真興王の孫)
585 高僧が陳へゆき仏法を求める                     用明585-586
589 仏僧が陳へ渡海                           崇峻587-591
594 随が楽浪郡公新羅王任ず                       推古592-628
596 仏僧円光が随へ渡海
602 百済が侵入
603 高句麗が侵入                            聖徳太子
604 随に朝貢
605 百済を攻撃
608 隋に高句麗討伐の願いをだす
高句麗が侵入
611 隋が高句麗討伐を許可
百済が侵入
613 隋の使者を饗応
616 百済が侵入
621 唐に朝貢
623 唐に朝貢
百済が侵入
762世界@名無史さん:02/09/16 21:38
624 唐の高宗が楽浪郡公新羅王を与える
625 唐に高句麗が朝貢を妨害するを訴える
626 唐に朝貢 高宗は高句麗との和睦をうながす
百済侵入
628 百済侵入                              舒明629-641
飢饉にて子女を売る
629 高句麗を攻撃
631 反乱起きる

632 善徳王即位(徳曼、真平王の長女、女帝)
  唐に朝貢
635 唐が楽浪郡公新羅王を認める
636 百済が侵入
638 高句麗と戦闘
640 唐の国学に若者を学ばせる
642 百済の大軍が攻め込む                        皇極642-644
唐へ危急を告げる
高句麗に援軍を求めるもならず
643 唐に援軍派遣の使者を送るが案のみで軍は与えられず
(案のひとつに女帝を廃し唐の一族を王とすれば軍を送る、がある)
644 唐の太宗は高句麗に和平を強要するが拒否される            孝徳645-654
太宗は自ら高句麗を攻め新羅はそれを支援
647 女王に異を唱える反乱が起きる
763世界@名無史さん:02/09/16 21:38
647 真徳王即位(勝曼、真平王の母方の叔父とされる)
反乱者を誅殺
唐に使者を送り謝意
元号を太和とする
百済が侵入
648 太宗が新羅に臣下なるに唐と異なる元号は如何にの疑義
(ここに太宗の元にいた新羅の春秋なる人物の行動があり高位を得ている)
649 新羅の衣冠が中国式となる
百済の侵入を破る

650 新羅は春秋の子を使者に送り天子のはかりごとの効をほめる詩を献上する
(新羅国人は赫居世から真徳王までを聖骨と呼び以降を真骨と呼ぶとある)

654 太宗武烈王即位(春秋、真智王の孫、新唐書に真徳王の弟とあり誤りとしている)
唐は開府儀同三司新羅王を与える
764世界@名無史さん:02/09/16 21:40
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/kodai_old/kk06b.htm
百済本紀による半島情勢年表(参考:三国史記2/平凡社東洋文庫)
対外記述を抽出、国内記述は飢饉や天候不順の記録が多くを占める。
神武〜雄略までの天皇は6章の補正による推定年代(赤文字は不和、青文字は友好の推定を示す)

BC 18 温祚王即位オンソ(扶餘王の次男とされる 慰礼城、現ソウル市付近)
(百済王の尊称は於羅瑕オラカあるいは「革+建」吉支ケンキシと周書にある)
(北史、隋書では遼東太守の公孫度の娘が嫁いだために東夷の強国となるとある)
16 靺鞨が北部に侵入
13 日食
11 靺鞨が慰礼城を包囲
10 神鹿を得て馬韓に送る(馬韓はソウル南方全羅南道に至る群小国家群とされる)
6 東の楽浪、北の靺鞨を避けて首都を漢江南岸に移し領土を京畿平野一帯としこれを馬韓に伝える
2 楽浪が侵入
1 靺鞨侵入、長を捕らえ馬韓に送る
765世界@名無史さん:02/09/16 21:50
AD 6 柵を作るも馬韓王の抗議にて撤去
7 巫によって辰韓と馬韓併合の意生ずる
9 馬韓を滅ぼす
19 干ばつ
20 大壇を築いて天地を祭る(儒教の祭祀儀礼の説あり)
22 靺鞨が侵入
25 南沃沮が帰順(現江原道付近)

28 多婁王即位タル(温祚王の子)
33 国の南部に初めて稲田を作る(朝鮮での田は畑の意でこれが水田かどうかは不明)
34 靺鞨が侵入
63 領土を広げ新羅と交渉するも得ず(忠清北道の清州付近)          神武 61- 89
64 新羅を攻撃
73 日食
75 新羅を攻撃
766世界@名無史さん:02/09/16 21:51
77 己婁王即位コル(多婁王の子)
85 新羅を攻撃
87 日食                                  綏靖 89-101
92 日食
105 新羅と和睦交渉                             安寧101-114
108 大飢饉、人を殺して食べる
113 新羅に使者                               懿徳114-127
125 新羅に侵入した靺鞨に対し援軍を送る

128 蓋婁王即位ガイル(己婁王の子)                     孝昭127-156
165 新羅の将軍が百済に逃亡し引き渡しをめぐって新羅と争う          孝安156-192
日食

166 肖古王即位ショウコ(素古、蓋婁王の子)(神功紀に引用)
167 新羅を攻撃
170 日食
188 新羅を攻撃
189 日食
199 新羅へ侵入                               孝霊192-219
210 靺鞨が侵入
212 日食
214 靺鞨と戦闘
767世界@名無史さん:02/09/16 21:51
214 仇首王即位キュウシュ(貴須、肖古王の長男 身長七尺という)
216 靺鞨が侵入
218 新羅を攻撃
221 日食                                  孝元219-239
222 新羅を攻撃
日食
224 新羅が侵入

234 沙伴王即位サハン(仇首王の長男、幼少のため古尓王が継承)
234 古尓王即位コニ(蓋婁王の第2子)
238 天地を祭るために太鼓と笛を用いる
240 新羅を攻撃                               開化239-261
246 魏と高句麗が合して侵入
247 干ばつ多発
255 新羅を攻撃
258 靺鞨が使者
260 官位を制定 官人の服飾は紫、緋色、青の順と定める
261 新羅と和親を求めるも得られず                      崇神261-285
266 新羅を攻めるも敗退
286 新羅と和親を求める
768世界@名無史さん:02/09/16 21:51
286 責稽王即位セキケイ(青稽、古尓王の子)帯方の王妃を妃とする       垂仁285-319
高句麗の帯方攻撃に対して援軍
298 漢が貊人とともに侵入 責稽王戦死

298 汾西王即位フンセイ(責稽王の長男)
304 楽浪を攻撃するも楽浪の刺客により汾西王殺される

304 比流王即位ヒリュウ(仇首王の第2子)
308 日食                                  景行319-341
331 大飢饉、人を殺して食べる
335 日食
337 新羅の使者

334 契王即位ケイ(汾西王の長男)

346 近肖古王即位キンショウコ(句、比流王の第2子)             成務341-363
366 新羅に使者                               仲哀363-366
368 日食 新羅に使者                            神功366-391
369 高句麗が侵入 百済軍の軍旗に黄色を用いる
371 高句麗が侵入 百済軍は平壌城を攻撃、高句麗王が戦死
372 晋に朝貢(晋書に為鎮東将軍領楽浪太守とあり)
375 高句麗侵入
(注記にこの時代に文字を得て事を記すようになったとある)
769世界@名無史さん:02/09/16 21:52
375 近仇首王即位キンキュウシュ(須、近肖古王の子)
377 高句麗の平壌城を攻撃

384 枕流王即位チンリュウ(近仇首王の子)
晋に朝貢 仏僧が晋から渡来
385 仏寺を創建

385 辰斯王即位シンシ(枕流王の弟)
386 高句麗が侵入
387 靺鞨が侵入
389 高句麗を攻撃
391 靺鞨が侵入                               応神391-406
392 日食
高句麗の広開土王が侵入 多くの領土を奪われる
392 阿シン王即位アシン(草冠+辛、阿芳、枕流王の子)
395 高句麗の広開土王と戦うも大敗する

397 倭国と国交を結び王子の腆支を人質とする               (応神)
399 高句麗攻撃のための徴発により人々が新羅に逃げる
400 日食
402 倭国に使者を送り大珠を求む(大珠の意不明)
403 倭国の使者を特に手厚くねぎらう
770世界@名無史さん:02/09/16 21:52
405 腆支王即位テンシ(直支、映、枕流王の子)
人質となっていたとき枕流王が死去、弟を殺した末弟が王となったために乞うて
倭国の護衛により海中の島にて待機してのち王となる
406 晋に朝貢                                仁徳406-437
409 倭国の使者が夜明珠を送る 厚く礼遇する(夜明珠の意不明)          (応神)
416 東晋の使者が王を鎮東将軍百済王とする         (414 広開土王碑)
418 倭国に白綿を送る
419 日食

420 久尓辛王即位クニシン(腆支王の長男)                      倭王讃421

427 ヒ有王即位ヒユウ(田+比、久尓辛王の長男あるいは腆支王の養子)
428 倭国の使者
429 宋に朝貢                                    倭王讃?430
433 新羅に使者を送り和親を求む
434 新羅の使者が答礼
771世界@名無史さん:02/09/16 21:53
440 日食                                  反正439-441
                                        倭王済443
447 干ばつ 新羅への避難民                         允恭441-455
                                        倭王済451
455 蓋鹵王即位ガイロ(近蓋婁、ヒ有王の長男)                安康455-456
                                    雄略456-479
468 日食                                      倭王済460
469 高句麗に侵入
472 魏に朝貢
魏に高句麗の罪悪を並べ救援を乞う上表文と応答があるが
魏が百済を支援しなかったために朝貢をやめる
475 高句麗が侵入し蓋鹵王を殺す
子の文周等は南へ逃げる(木満致らを伴う)

475 文周王即位ブンシュウ(ブン洲サンズイ+文、蓋鹵王の子)
新羅の援軍をつれて帰国
476 耽羅国(済州島)が朝貢

477 三斤王即位サンキン(壬乞、文周王の長男 幼年につき解仇が実権)         倭王武477
478 解仇が謀反
772世界@名無史さん:02/09/16 21:54
479 東城王即位トウジョウ(牟大、摩牟、文周王の弟の子)           清寧480-485
482 靺鞨が侵入
484 南斉に朝貢するも高句麗がこれを妨害
485 新羅に使者                               顕宗485-488
488 魏の討伐軍侵入                             仁賢488-498
491 飢饉で新羅への避難民
493 新羅に妃を求める
494 新羅に侵入した高句麗軍に対し援軍
495 日食
高句麗の侵入に新羅が援軍
499 干ばつ                                 武烈498-507
500 家臣が王の浪費をいさめるも聞かれず

501 武寧王即位ブネイ(斯摩、隆、東城王の第2子)
502 飢饉と疫病                                   倭王武502
高句麗を攻撃
506 靺鞨が侵入
507 高句麗侵入                               継体507-530
512 梁に朝貢
高句麗侵入
516 日食
521 使者を梁に送り寧東大将軍を授かる
773世界@名無史さん:02/09/16 21:54
523 聖王即位セイ(メイジョウ、明+のぎへん+農、武寧王の子)
高句麗が侵入
524 梁から綏東将軍百済王を受ける
525 新羅と国交を結ぶ                                磐井の乱527
529 高句麗が侵入                              安閑531-534
538 都を泗ヒ(さんずい+比)に遷都し国名を南扶餘とする
(所夫里とも呼び現在の忠清南道の扶餘市)                宣化535-538
541 梁に使者を送り博士、仏典、匠を求めて得る                欽明539-571
547 日食
548 高句麗がワイ(さんずい+歳)と共に侵入、新羅援軍を得て撃退
550 高句麗を攻撃
553 新羅が百済北部を占有する
百済王女が新羅へ嫁する
554 王自ら新羅を攻めるも敗死
774世界@名無史さん:02/09/16 21:55
554 威徳王即位イトク(昌、聖王の子)
高句麗が侵入
559 日食
561 新羅を攻撃
567 陳へ朝貢
570 高斉(北斉)に使者、車騎大将軍帯方郡公百済王を得る
572 北斉に朝貢                               敏達572-584
577 陳に朝貢
新羅が侵入
578 北周に朝貢
581 隋に朝貢
584 陳に朝貢                                用明585-586
589 隋が陳を併合 隋の戦船が済州島に漂着し船は百済を経て帰還        崇峻587-591
598 隋に朝貢し高句麗討伐の許諾を得る                    推古592-628
高句麗が侵入

598 恵王即位ケイ(季、聖王の第2子)
599 法王即位ホウ(宣、孝順、恵王の子あるいは威徳王の子)
殺生令をだし漁猟の道具を焼く
600 仏寺を創建                               聖徳太子
775世界@名無史さん:02/09/16 21:55
600 武王即位ブ(璋、法王の子)
602 新羅を攻撃
605 新羅が侵入
607 隋に朝貢
隋の使者が倭国へゆくために百済の南路を通る
611 隋に朝貢(このとき隋は高句麗討伐の準備中で歓待される)
新羅を攻撃
616 新羅を攻撃
618 新羅が侵入
621 唐に朝貢
623 新羅を攻撃
624 唐に朝貢し帯方郡主百済王を得る
新羅を攻撃
625 唐に朝貢
626 唐への使者を高句麗が妨害
627 新羅へ旧領奪回を目すも、新羅の唐への使者で中止する
唐の太宗が百済新羅両国へ和平の命を下す
百済は陳謝の使者を送る
628 新羅を攻撃                               舒明629-641
631 唐に朝貢
632 新羅攻撃 唐に朝貢
633 新羅攻撃
636 唐に朝貢
640 王子を唐に派遣し国学を学ぶを求める
776世界@名無史さん:02/09/16 21:55
641 義慈王即位ギジ(武王の子)                       皇極642-644
唐の使者が帯方郡主百済王を与える
642 唐に朝貢
新羅を攻撃
643 高句麗と和睦し新羅を攻撃 新羅は唐に救援を求める
644 唐に朝貢 太宗は両国を諭す                       孝徳645-654
645 唐が高句麗を攻めるを知って新羅を攻撃
647 新羅を攻めるも敗北
648 新羅を攻めるも再び敗北
651 唐に朝貢 太宗再び諭す
(新羅の使者もあり太宗はその言上の理を認める)
653 倭国と国交を結ぶ
高句麗、靺鞨とともに新羅を攻撃                     斉明655-660
新羅は危急を唐に知らせる
660 唐は13万の軍を率い新羅も5万をもってこれに従う            天智661-670
義慈王は籠城戦と白江で迎え撃つの2案を議する
百済軍敗北

662 扶餘豊(王)が残兵を率いて戦う
唐新羅連合軍は救援の倭軍の軍船400艘を白江に焼く
百済軍と倭軍は唐に降伏し、扶餘豊は行方不明となる
唐の高宗は扶餘隆を都督とする
665 扶餘隆が新羅と盟誓を結ぶ
676-679                                    弘文671-672
扶餘隆高句麗にて死去                          天武673-685
唐の則天武后はその孫に高句麗(百済)王を名乗らせるが領土なく絶える   持統686-696
                                    文武697-700
777世界@名無史さん:02/09/16 22:00
http://www.yo.rim.or.jp/~eizo10/eizo-kodai/sangokushiki-kouryo.htm

三国史記高句麗本紀     


百済討伐に全力をかける。倭の話は、全くない。-- 百済記とは年が一年違いであるが 
高句麗と百済の攻勢は392年から395年で、以降、途切れる。 400年以降、高句麗は燕との戦いに力を注ぐ。

376年 百済北辺を侵す386年 百済を侵入
389年 百済が攻めてくる、
390年 百済が攻めてくる
392年 新羅と国交  人質として新羅から「実聖」が来る。
     広開土王即位  (石碑では391年)  南進 百済攻略、北進して契丹攻略
392年 南へ百済を征伐、十城を陥落、百済関彌城を陥落。ここは四面が急峻で、海に囲まれた所。
     20日目に陥落、 4万の軍隊
394年 百済南辺を侵入
395年 精騎五千を率いて 百済を迎え討つ
395年 バイスイで百済と戦う。八千の首  バイスイ?今の「礼成江」か
400年2月 燕王 2万の軍隊で攻めてくる。新城、南蘇二城攻略される。
402年 王 出兵 燕の宿軍城を攻撃、平州の刺史、城を捨てて逃亡。
404年 出兵 燕を侵した。
405年  燕王 遼東城を攻めたが、落城寸前、勝てずに帰る
      燕王 契丹を攻めるが、契丹軍の数大きに驚き、装備をすてて帰る。その帰り路、高句麗を攻撃。しかし      燕は三千余里も行軍、兵士疲れ果て、死者多し。高句麗の木底城を襲うが、勝てずに帰る
410年 南部巡行
-----------------------------------------
468年 2月 まつかつ兵1万 新羅を攻める
475年 3万の兵で、百済漢城を陥落させる
494年 新羅を攻める 薩水 犬芽城   百済より救援
497年 新羅の牛山城を攻める。
778世界@名無史さん:02/09/16 22:12
http://www.yo.rim.or.jp/~eizo10/eizo-kodai/koukaidou-3.htm
  広開土王石碑文 抜粋  岩波文庫から引用
779世界@名無史さん:02/09/16 22:47
広開土王碑文
http://www.yo.rim.or.jp/~eizo10/eizo-kodai/newpage20.htm
碑文は四面に彫られているが、一面六行までは、序文にあたり、一面七行から、三面八行までは、王の勲跡を編年的に記録したものとある。
王の勲績をざっと読んでみよう。

五年乙未(395年)
「碑麗」が貢つがなかったので、討つとある。しばらく説明があり、土境を観て還るとある。
土境とは国境か、牛馬、羊が出てくるので、「碑麗」とはどこかの遊牧民か。
この後に「百残新羅旧是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破□□□羅以為臣民」、これ以降は「以六年丙申王躬率水軍」の記事となる。
つまり、百残、新羅は古くから属民で、朝貢してきた。而倭以辛卯年来渡海破□□□羅以為臣民

辛卯年--391年
(六年丙申(396年)
この年を以て、王躬が水軍を率いて、科残を討伐する。上陸して多数の城を奪う。
そして、攻めとった城の名前が、第一面十行から十一行、第二面第三行まで、続く。
ところが、ある城では服従せず、あえて交戦する。王は怒って、阿利水を渡って城に迫ると、賊は城に退く。
百済王は困窮して男女生口千人、細布千匹を献上。さらに、高句麗王に服して、今から以後、永く奴客と為すこと自ら誓う。
結局、高句麗王は合計五十八城を奪い、王の弟や大大臣十人を連れて都へ帰ったとある。

八年戊戌(398年)
東北の粛慎に遣わす、これ以来 朝貢
780世界@名無史さん:02/09/16 22:48
広開土王碑文
http://www.yo.rim.or.jp/~eizo10/eizo-kodai/newpage20.htm
碑文は四面に彫られているが、一面六行までは、序文にあたり、一面七行から、三面八行までは、王の勲跡を編年的に記録したものとある。
王の勲績をざっと読んでみよう。

九年己亥(399年)
百残が約束を違えて倭と和通したとあり、王が平壌に巡下したとき、
新羅から「倭人はその国境に満ちて、城池を潰し、以て奴客を民と為す」として、命をかけての救援要請がある。

十年庚子(400年)
歩騎五万の大軍を遣わし、新羅の救援させる。 
男居城から新羅城まで倭はその中に満ちていて、官兵が来ると倭賊は退くとある。
官兵は、さらにその背後を追いかけて、任那加羅まで追撃する。

十四年甲辰(404年)、
而るに、倭が不軌にも帯方界へ侵入。大王出陣し、舟を連ねて。和冦は敗北、斬殺無数とある。
この場合は水軍である。不軌にもと有るので、倭は西海岸を襲うことはまずなかったと判る。

十七年丁未(407年)
歩騎五万を帯方へ遣わし、鎧一万余や数え切れないほどの軍資器械を獲得。

二十年庚戌(410年)
 東夫餘の叛乱、 王躬率いて往く。城六十四、村一千四百を破る。
781世界@名無史さん:02/09/16 23:09
http://www.obirin.ac.jp/unv/plan/siryousyu/ri.htm
中国の日本研究:回顧と展望
北京大学 教授 李 玉

 中国の日本に関する最も古い記述は古代地理書『山海経』である。同書「海内経」に、「蓋国は

燕鋸の南、倭の北にあり、倭は燕に属す」とある。ここでは、蓋国を紹介するとともに、「倭」に

ついて述べ、燕の南に位置すると記している。この「倭」が今の日本を指すのか否かは判断し難い


『山海経』は戦国、前漢に書かれたものだが、「海内経」四篇は前漢の初期に書かれた。
 前漢の歴史家班固は紀元1世紀に書いた『漢書』「地理志」のなかで、「夫れ楽浪の海中に倭人

あり。分かれて百余の国ちなり、歳時を以て来たり献見す云々」と書いている。これが中国の日本

地理位置に関する最も古い記述である。
782世界@名無史さん:02/09/16 23:09
http://www.obirin.ac.jp/unv/plan/siryousyu/ri.htm
中国の日本研究:回顧と展望
北京大学 教授 李 玉

 紀元289年(晋 太康10年)陳寿(223−297年)の書いた『三国志・東夷伝』(『魏志・倭人伝』)は比較的系

統立てて日本の状況を記述している。いまから1,700年前に、中国は日本の研究を始めたのである。

 『三国志・魏志・倭人伝』の時期から明代にかけて、日本に対する記述はみな官撰の正史に書かれ、各朝廷は正

史のなかで本国の歴史以外に周辺隣国のことも記述した。そのなかに日本も含まれる。これらの正史は次の表一に

示す。(そのうち、明史、新元史、清史の稿は明清時代の編纂)
783世界@名無史さん:02/09/16 23:11
http://www.obirin.ac.jp/unv/plan/siryousyu/ri.htm
中国の日本研究:回顧と展望
北京大学 教授 李 玉

書名 作者 写作年代 志伝名称 対日本の名称 備考
三国志 陳寿 晋太康10年(289年) 東夷伝 倭人  
後漢書 範曄 宋元嘉22年(445年) 東夷伝 倭  
宋書 沈約 斉永明6年(488年) 東蛮列伝 倭国  
南斉書 子 梁天監13年(514年) 東南夷伝 倭国  
梁書 姚思廉等 唐貞観9年(635年) 東夷伝 倭  
隋書 魏徴等 唐貞観10年(636年) 東夷伝 倭国    
晋書 房玄齢等 唐貞観20年(646年) 四夷列伝 倭人  
南史 李延寿 唐慶4年(659年) 夷伝 倭国  
北史 李延寿 唐慶4年(659年) 四夷伝 倭    
旧唐書 劉 後晋開運2年(945年) 東夷伝 倭国・日本 両称並用
新唐書 欧陽修等 宋嘉佑6年(1061年) 東夷伝 日本   
宋史 脱脱等 元至正5年(1345年) 外国伝 日本  
明史 張廷玉等 清乾隆4年(1739年) 外国列伝 日本  
新元史 柯劭サ 民国9年(1920年) 外国伝 日本  
清史稿 趙爾撰等 民国16年(1927年) 邦交志 日本  
784世界@名無史さん:02/09/16 23:12
http://www.obirin.ac.jp/unv/plan/siryousyu/ri.htm
中国の日本研究:回顧と展望
北京大学 教授 李 玉

 そのうちで、かなり価値のあるものは、『三国志』、『後漢書』、『宋書』、『隋書』及び『宋史』である。明

代以前の中国の日本研究の特徴は次の通りである。

日本に関する記述はみな各時代の官書、即ち、正史のなかに入れられている。即ち、皇帝の勅命で国家が編纂する

官撰制度。これと同様、形式は外国伝記としており、いずれも「倭国伝」と称し、格式は画一的で篇数も限られて

いる。例えば、『魏志・倭人伝』は全文1,987字である。『宋書・倭国伝』は全文565字である。
内容的には紹介と実録的な記述である。
方法的には見聞録或いは前史の抄録である。例えば、『後漢書』(445年)の大部分の内容は『三国志・魏志・倭

人伝』からのものであり、ごく一部に修正と補充がなされている。  
785世界@名無史さん:02/09/16 23:15
うるせーよ!

任那=内官家なんだよ

敏達天皇の詔書
先考天皇の世に、新羅が内官家を奪ったが、任那を復興すべし
786世界@名無史さん:02/09/16 23:25
倭国関連伝年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm
-221 秦の始皇帝が中国を統一 中国大陸
-210 徐福が始皇帝の命により三神山をめざす 中国大陸
-207 秦が滅亡 中国大陸
-202 前漢(劉邦)が中国を統一 中国大陸
-108 漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼし朝鮮4郡を設置 朝鮮半島
8 前漢が滅び、新おこる 中国大陸
25 光武帝が後漢建国 中国大陸
57 漢の光武帝が倭に金印(漢委奴国王)を贈る 日本列島
107 倭国王師升ら後漢に朝貢 日本列島
170 この頃、倭国大乱 日本列島
184 黄巾の乱おこる 中国大陸
204 公孫氏が帯方郡を設置する 朝鮮半島
220 後漢滅亡、魏がおこる 中国大陸
787世界@名無史さん:02/09/16 23:26
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

221 蜀がおこる 中国大陸
222 呉がおこる 中国大陸
234 蜀の諸葛孔明が五丈原の陣中で病没す 中国大陸
238 魏が公孫政権を滅ぼし、朝鮮半島を支配領域とする 朝鮮半島
239 卑弥呼が魏の明帝より金印(親魏倭王)を贈られる 日本列島
240 魏が帯方郡の建忠校尉・梯儁らを倭国に派遣 日本列島
243 卑弥呼が魏に使いを派遣 日本列島
247 魏が塞曹掾史・張政を倭国に派遣 日本列島
248 卑弥呼、没す 日本列島
263 蜀が滅びる。 中国大陸
265 西晋が魏を滅ぼす 中国大陸
266 倭国が西晋に使節団を派遣、張政 帰国 日本列島
788世界@名無史さん:02/09/16 23:27
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

280 西晋、呉を倒して中国全土を統一 中国大陸
285 陳寿により「三国志」が完成する 中国大陸
313 高句麗が楽浪郡を中国より奪取 朝鮮半島
314 高句麗が帯方郡を中国より奪取 朝鮮半島
315 この頃、百済・新羅台頭する 朝鮮半島
317 五胡が華北に侵入、西晋滅ぶ。五胡十六国時代 中国大陸
391 倭は高句麗と戦闘を展開する。 日本列島
396 高句麗の好太王が百済を攻め、百済北部を奪う 朝鮮半島
397 百済王が王子(直支)を倭国に人質として送る 朝鮮半島
404 倭軍、帯方郡で高句麗軍と戦い、敗退 日本列島
413 倭国、東晋に貢物を献じる 日本列島
420 東晋が倒れ宋が興る 中国大陸
789世界@名無史さん:02/09/16 23:28
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

421 倭王讃が宋に使いを出し宋朝成立に賀意を表す 日本列島
425 倭王讃が宋に司馬曹達を派遣 日本列島
438 倭王珍が宋に朝貢、安東将軍倭国王とされる 日本列島
439 北魏、華北を統一 中国大陸
443 倭王済が宋に朝貢、安東将軍倭国王とされる 日本列島
451 倭王済、宋より六国諸軍事を加授 日本列島
462 倭王興が宋に奉献、安東将軍倭国王とされる 日本列島
475 百済が高句麗に王都漢城を奪われ都を遷す 朝鮮半島
478 倭王武、遣宋使を送る、安東大将軍とされる 日本列島
479 宋滅び、斉建国 中国大陸
790世界@名無史さん:02/09/16 23:28
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

479 倭王武、南斉の皇帝より、鎮東大将軍とされる 日本列島
502 斉滅び、梁建国 中国大陸
502 倭王武、梁の皇帝より、征東将軍とされる 日本列島
507 継体天皇が即位する 日本列島
512 百済の要請により、伽耶四県を割譲する 朝鮮半島
527 磐井の反乱 日本列島
532 金官加耶国が新羅に帰服 朝鮮半島
536 邦津に官家を置く 日本列島
538 仏教伝来 日本列島
552 百済から仏像と経論が贈られた 日本列島
557 梁滅び、陳建国 中国大陸
791世界@名無史さん:02/09/16 23:29
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

562 大加羅国が新羅の手に落ちる 朝鮮半島
587 物部氏滅亡 日本列島
589 隋が中国統一 中国大陸
593 推古天皇が即位、聖徳太子が摂政 日本列島
600 倭王の阿毎多利思北孤が遣隋使を送る 日本列島
603 冠位十二階を制定する 日本列島
604 憲法十七条の制定 日本列島
607 法隆寺建立 日本列島
607 聖徳太子が遣隋使、小野妹子を派遣 日本列島
608 隋使者、裴世清が来朝する 日本列島
612 隋が高句麗を攻める 中国大陸
792世界@名無史さん:02/09/16 23:29
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

618 唐が建国 中国大陸
622 聖徳太子没、蘇我馬子執政 日本列島
631 百済王子豊璋、人質として来る 日本列島
632 高表仁が日本に来使 日本列島
636 隋書が完成する 中国大陸
642 皇極天皇が即位、蘇我入鹿執政 日本列島
645 中大兄皇子・中臣鎌足ら蘇我入鹿を殺す 日本列島
645 大化の改新 日本列島
659 遣唐使を送る(伊吉連博徳) 日本列島
660 百済が滅びる 朝鮮半島
793世界@名無史さん:02/09/16 23:30
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

661 遣唐使が帰国(伊吉連博徳) 日本列島
662 百済王子豊璋を送り王位を継がせる 日本列島
663 白村江の戦い 日本列島
664 唐使郭務宗を太宰府で応接(伊吉連博徳) 日本列島
664 筑紫に防人・烽を置き、水城を築く 日本列島
665 大野城、基肄城を造る 日本列島
667 唐使、司馬法聡を送る(伊吉連博徳) 日本列島
667 中大兄皇子(天智天皇)が飛鳥から大津に遷都 日本列島
668 中大兄皇子が即位、天智天皇となる 日本列島
668 高句麗滅ぶ 朝鮮半島
794世界@名無史さん:02/09/16 23:30
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

668 新羅の使節を大宰府の筑紫館で饗応 日本列島
670 倭国更め、日本と号す 日本列島
671 筑紫君薩野馬(薩夜麻)帰国 日本列島
672 壬申の乱 日本列島
673 大海人皇子が即位して天武天皇となる 日本列島
676 新羅が朝鮮半島を統一 朝鮮半島
678 筑紫国で大地震が発生 日本列島
684 日本列島が大地震に見舞われる 日本列島
686 天武天皇が没す。 日本列島
795世界@名無史さん:02/09/16 23:31
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

690 持統天皇が即位する。 日本列島
690 筑紫国軍丁、大伴部博麻の授賞が行われる 日本列島
694 都を飛鳥から藤原京に移す 日本列島
695 伊吉連博徳を遣新羅使に任命 日本列島
696 高市皇子が没す。43歳 日本列島
697 持統天皇が退位し、文武天皇が即位する。 日本列島
698 大野城、基肄城を修理する 日本列島
698 渤海が建国 中国大陸
701 大宝律令が制定される 日本列島
703 遣唐使を送る 栗田真人 日本列島
710 都を平城京に移す 日本列島
796世界@名無史さん:02/09/16 23:31
倭国関連年表
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/nenpyo1.htm

712 古事記が完成する。 日本列島
713 諸国に「風土記」編纂を命じる 日本列島
720 日本書紀ができる 日本列島
720 大伴旅人、隼人を征す 日本列島
725 宇佐神宮建立 日本列島
730 太宰師大伴旅人邸で梅花宴を行う 日本列島
740 藤原広嗣が大宰府で反乱を起こす 日本列島
745 僧玄ムを筑紫に左遷、太宰府に観世音寺を造らせる 日本列島
749 宇佐八幡大神が託宣して京に向かう 日本列島
752 東大寺の大仏開眼供養がおこなわれる 日本列島
759 大伴家持「万葉集」を編纂 日本列島
769 宇佐八幡宮神託事件、和気清麻呂大隈に配流 日本列島
770 称徳天皇没、道鏡、下野薬師寺に左遷 日本列島
794 平安京遷都 日本列島
797世界@名無史さん:02/09/16 23:42
魏志倭人伝訳文
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/e-lib/wa/index.htm
本文省略
798世界@名無史さん:02/09/16 23:46
うるせーよ!

任那=内官家なんだよ

敏達天皇の詔書
先考天皇の世に、新羅が内官家を奪ったが、任那を復興すべし

799世界@名無史さん:02/09/16 23:47
うるせーよ!

任那=内官家なんだよ

敏達天皇の詔書
先考天皇の世に、新羅が内官家を奪ったが、任那を復興すべし
 
800世界@名無史さん:02/09/17 00:06
はっぴゃく
801世界@名無史さん:02/09/17 00:10
802世界@名無史さん:02/09/17 00:14
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/book/furuta/gokanjo.htm
より抜粋

范曄「後漢書」巻85 東夷列伝 倭条

「後漢書」の著者・范曄(はんよう)は宋代の人で、三国志魏志倭人伝を読み、かつ、ところどころ誤解して焼き直した部分が多い。

書き下し
倭は韓の東南大海の中に在り。山島に依りて居を為す。凡そ百余国。

武帝、朝鮮を滅ぼしてより使訳漢に通ずる者三十許国なり。

国、皆王を称し、世世統を伝う。その大倭王は邪馬臺国に居る。
楽浪郡徼はその国を去る万二千里、その西北界拘邪韓国を去ること七千余里。
その地、大較会稽の東冶の東にあり、朱崖・タン耳と相近し。故にその法俗多く同じ。(略)

国には女子多く、大人は皆四、五妻あり、その余もあるいは両、あるいは三。(略)

建武中元二年、倭奴国奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす。

安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ請見を願う。

桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐し、歴年主なし。一女子あり、名を卑弥呼という。
年長じて嫁せず、鬼神の道に事え、能く妖を以て衆を惑はす。ここにおいて共立して王と為す。(略)
803世界@名無史さん:02/09/17 00:25
http://logix-press.com/scriba/index/tl-02.html
より、「宋書」倭国伝 抜粋

421 倭王讃、宋に遣使、安東将軍倭国王の称号を受ける
438 倭王讃が死に弟珍が王に。珍、宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける
443 倭王済、宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける
451 倭王済、宋に遣使し、六国諸軍事を加号される
462 済が死に、興が倭王に。興が宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける
478 倭王武が宋に上表文を送り、使持節郡督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王の称号を受ける
804世界@名無史さん:02/09/17 00:41
http://logix-press.com/scriba/index/tl-02.html

高句麗好大王碑文、宋書倭国伝、南斉書、梁書、晋書、日本書記に関する抜粋

313 仁徳元年 1・3 仁徳天皇即位(「日本書記」)
369 百済と結んで新羅と戦い、加羅諸国を支配する(日本書紀)
391 倭、渡海して百済・新羅を破り、臣民となす(高句麗好大王碑文)
400 履中元年 2・1 履中天皇即位(「日本書記」)
404 倭軍、帯方郡に侵入し、高句麗と戦い敗れる(高句麗好大王碑文)
406 反正元年 1・2 反正天皇即位(「日本書記」)
412 允恭元年 12 允恭天皇即位(「日本書記」)
413 倭王讃、晋に遣使(「晋書」)
421 倭王讃、宋に遣使、安東将軍倭国王の称号を受ける(「宋書」倭国伝)
438 倭王讃が死に弟珍が王に。珍、宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける(「宋書」倭国伝)
443 倭王済、宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける(「宋書」倭国伝)
451 倭王済、宋に遣使し、六国諸軍事を加号される(「宋書」倭国伝)
453 允恭42年 12・14 安康天皇即位(「日本書記」)
456 安康3年 11・13 雄略天皇即位(「日本書記」)
462 済が死に、興が倭王に。興が宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける(「宋書」倭国伝)
478 倭王武が宋に上表文を送り、使持節郡督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王の称号を受ける(「宋書」倭国伝)
479 倭王武、斉から鎮東大将軍の称号を受ける(「南斉書」)
480 清寧元年 1・15 清寧天皇即位(「日本書記」)
485 顕宗元年 1・1 顕宗天皇即位(「日本書記」)
488 仁賢元年 1・5 仁賢天皇即位(「日本書記」)
498 仁賢11年 12 武烈天皇即位(「日本書記」)
502 倭王武、梁の武帝から鎮東大将軍の称号を受ける(「梁書」)
805世界@名無史さん:02/09/17 00:50
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/kodai-chousen.html
七支刀、抜粋

古代朝鮮半島と日本の関わりが、始めて明確な形で立証されているのは、奈良県の石上神宮に所蔵する七支刀です。

この刀には表に概略次のような事が彫られています。
「泰和4年(369年)5月良く鍛えた鉄で七支刀を造った。この刀は多くの災厄をさけることができ、侯王が持つのにふさわしい。……」

また裏面には、
「先世以来このような立派な刀はなかったが、百済王の世子奇生が倭王のためにわざわざ造ったものである。後世まで伝え示されたい」
との銘が彫ってあります。
即ち百済王が倭の国王に贈ったものであることが分かります。

又日本書紀の神功記52年に、
「百済からの使者がやってきて、七支刀他種々の宝物を持ってきた。それ以降百済は毎年朝貢した」
との記録があります。
この神功記52年は西暦372年と比定されています。即ち百済が倭との国交を樹立するためにこの七支刀を造らせ、献上した事が分かります。
この事は朝鮮側の資料である百済記にも記載されています。

806世界@名無史さん:02/09/17 02:28
>>758
408 倭人が対馬に軍備を増強するを知って対抗策を案ずる

新羅が「倭」は列島に本拠があると見なしているからこそこういう表現に
なると思うんだけど 対馬が海の向こうの倭の最前線になっているという

加羅(任那)→対馬で軍備増強→新羅攻撃

というのはちょっと考えにくい気がする
(加羅+倭連合ならあり得るだろうが)

新羅が加羅を滅ぼした時に陸路でも行けたということは
加羅からも新羅へは陸路で攻めることができたのだろうから
最前線は対馬ではあり得ない

それとも対馬から「本拠の」加羅に軍備が増強されるのを
恐れたということになるのだろうか んー
807世界@名無史さん:02/09/17 02:48
★一重で目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ヨリ目かツリ目★
★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★肌が茶色い★
★男なのにあまりヒゲが生えない★歯が大きい、または出っ歯★
★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★頬骨が強く張っている★
★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★面長だが、ずんぐりとした瓜実型★
★絶壁頭★


以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮系
808世界@名無史さん:02/09/17 02:54
http://village.infoweb.ne.jp/~fwiz0276/wano5o_ref.htm
宋書、晋書に関する周辺諸国の朝貢の記述。
本文省略
809世界@名無史さん:02/09/17 04:25
http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki.html
管理人:明日香ちゃんのひとりごと倶楽部
私本日本書紀(なるべく物語形式)
巻十三目/巻三十
810世界@名無史さん:02/09/17 04:59
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Keywords/Keywords3.html#kojiki
古事記 (こじき:kojiki)

712年。太安万侶編。三巻。「日本」の歴史について、神代より顕宗天皇までの説話と推古天皇までの系図を収録。天武天皇の命により、

稗田阿礼が誦習した記録を、太安万侶がまとめたもの。

http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Keywords/Keywords3.html#nihonsyoki
日本書紀 (にほんしょき:nihonsyoki)

元正天皇養老四年(720年)、舎人親王撰。「六国史」の一。神代より持統天皇(位686-697)までを紀伝体で叙述。ただし、帝紀のみであ

って、列伝はない。継体天皇以降の叙述は一般的に信憑性が高いと言われており、特に推古天皇(位592-628)以後はかなり信頼できると

される。全三十巻。

http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Keywords/Keywords3.html#sangokushiki
三国史記 (さんごくしき:sangokushiki)

1145年、高麗・金富軾撰。高句麗・新羅・百済の三国をそれぞれ別々の紀として記述した史書。現存する最古の朝鮮半島史書である。
811世界@名無史さん:02/09/17 09:56
なんだコリャ?
ログ流ししたくなるようなマズイことでも書かれたか?
チョン電波必死だな(w
812世界@名無史さん:02/09/17 11:13
>>811
中国各王朝の史書とか、各地の碑文とか、原典に基づく記述をしよう。
引用は必ず忘れずに付ける事。
保存カキコはなるべくシンプルに。
813世界@名無史さん:02/09/17 12:08
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/inariyama/text.html
稲荷山古墳と国宝の金錯銘鉄剣

01)鉄剣が発見されたのは1968年.
02)10年後の1978年にX 線処理をして初めて金文字が浮かび上がった.
03)1983年,国宝指定.
04)現在に至る.行田市にある埼玉県立さきたま資料館に保存.ちかぢか国立文化財研究所で保存状況の検査を行う予定だという.

11)115文字の中ほどにある「ワカタケル大王」を雄略天皇(21代)と考える.
12)中国の『宋書』に,武の遣(つか)いが476(478?)年に来たとある.
13)武は雄略天皇だと考える.
14)だから,鉄剣の「辛亥年」は411でも531でもなく471年だ.

11)、13)は1つの学説。「ワカタケル大王」と雄略天皇と武は本当に同一人物か?

31)金錯銘鉄剣をつくらせたのは乎獲居臣である,
32)稲荷山古墳の被葬者は生前この鉄剣を持っていた.

鴻巣市の新屋敷遺跡で,稲荷山古墳出土と同型式の土器が榛名山の火山灰に覆われていることを,高橋副館長から再度教えてもらいました.
ですから,いま確認できる事件の発生順序は以下です。

41)獲加多支鹵大王寺が天下を治めていたとき(あるいはその直後)の辛亥の年に金錯銘鉄剣がつくられた,
42)稲荷山古墳の被葬者が死んだ,
43)榛名山が噴火した.
814世界@名無史さん:02/09/17 12:10
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/inariyama/text2.html

稲荷山金錯銘鉄剣全文

辛亥年七月記。乎獲居臣。 上祖名意富比◇ 其児多加利足尼 其児名互已加利獲居 
其児名多加◆次獲居 其児名多沙鬼獲居 其児名半互比 其児名加恙◆余其児名乎獲居臣。
世々為杖刀人首。奉事来至今。獲加多支鹵大王寺、在斯鬼宮時、吾左治天下令作此百練利刀。
記吾奉事視(?)湿(?)也。

◇=「土偏に危」◆=「将の偏の部分に皮」(都司さん入力)

口語訳

辛亥の年七月に記す.私はヲワケの臣です.いちばんの祖先はオホヒコ,その子はタカリノスクネ,
その子はテヨカリワケ,その子はタサキワケ,その子はハテヒ,その子はカサヒヨ,その子がヲワケの臣です.
先祖代々親衛隊長として大王に仕え,いまに至っている.ワカタケル大王がシキの宮にあるとき,
私は大王が天下を治めるのを助けてきた.そこで,このよくきたえあげた刀をつくらせ,私が大王に仕えてきた由来を記しておく.
815世界@名無史さん:02/09/17 12:16
http://inoues.net/yamataikoku/ruins/edafunayama.html
江田船山古墳

江田船山古墳は、5世紀後半の築造と考えられる全長61mの前方後円墳である。
発掘された家形石棺から金銅製冠帽、純金製耳飾り、金銅製靴など200点あまりの副葬品が出土したが、
一番の目玉は「銀象嵌の太刀」である。
発掘当時は日本最古の文字と騒がれた。
副葬品・装飾品の多くは大陸文化の影を色濃く残しており、
この古墳は、おそらく富裕な渡来人達の支配者が葬られた墓であろうと思われる。
816世界@名無史さん:02/09/17 12:38
http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=7&ID=w122&SubID=s000
e国宝
江田船山古墳出土品

http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/siryou/edafunayama/edafunayama.htm
江田船山古墳出土銀象眼銘文入り鉄剣

「治天下獲○○○鹵大王世奉事典曹人名无(利?)弖
八月中用大鉄釜并四尺廷刀
八十練(九or六?)十(振or据?)三寸上好(刊?)
服此刀者長寿子孫(洋or注?)々得○恩也不失
其所統作刀者名伊太(和or加?)書者張安也」

http://nonta.fc2web.com/kodai/kodai5.htm

「天の下治らしめし獲○○○鹵大王の世、典曹に奉事せし人、名は无利弖、八月中、大鉄釜を用い、
四尺の廷刀を并わす。八十たび練り、九十たび振つ。三寸上好の刊刀なり。此の刀を服する者は、
長寿にして子孫洋々、○恩を得る也。其の統ぶる所を失わず。
刀を作る者、名は伊太和、書するのは張安也。」
 
と解釈されている。この「獲○○○鹵大王」は雄略天皇と推定され、わかりやすく言い直すと、

「雄略天皇の時代に典曹という役所に仕えていた文官の无利弖という人が立派な刀を作らせた。
この刀を身につける者は子孫の代まで恵みを受け、幸せになるだろう。刀を作った者は伊太和で、
この銘を書いた者は張安である。」という事だそうだ。        (参考文献・国宝展図録、小冊子)
817世界@名無史さん:02/09/17 12:44
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/9791/Yuryaku.html
雄略天皇とはいったいどんな人物なのか。

第21代天皇である雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は、
本名を大泊瀬幼武(オホハツセワカタケ)といった。
仁徳天皇の孫であり、允恭天皇(いんぎょうてんのう)の子である。
今の長谷寺や泊瀬川のある奈良県桜井市の長谷朝倉宮に宮殿をかまえた。
400年代末の天皇である。雄略天皇は、同族が天皇の座をねらっているものと考え、
多くの皇族を殺し、臣下に対しても粗暴な行動があり、猛々しい天皇であった。
例えば、兄の安康天皇(あんこうてんのう)が殺されたと知ると、他の兄たちを討ち、即位することとなった。
雄略天皇は、自分が宮中に入れようとしていた百済の池津媛(いけつひめ)が、他の男と通じていることがわかると、
その夫婦の四肢を木に張りつけ、焼き殺した。
雄略天皇は、自分の心だけで専決するところがあったため、誤って殺してしまうことも多く、人々は、大変悪い天皇であると噂した。
また、雄略天皇の3番目の妃は1晩で子を孕んだ。
雄略天皇は、1晩の内に7回も呼んでいたのである。元気のある天皇だといえる。
818世界@名無史さん:02/09/17 12:46
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/9791/Yuryaku.html
倭王武とは誰なのか。

400年代、中国南部に宋という王朝ができた。
この歴史を記した『宋書』の「夷蛮伝」倭国条(倭国伝)によると、
421年〜502年に、倭の五王(讃・珍・済・興・武)が、宋に使者を派遣している。
讃は仁徳天皇・応神天皇・履中天皇(りちゅうてんのう)のいずれかで、
珍は反正天皇(はんぜいてんのう)・仁徳天皇のいずれかであると考えられている。
また、済は允恭天皇、興は安康天皇、武は雄略天皇であると考えられている。
武が使者を出したのは478年が初めてで、宋の順帝に奉った。
このときに、「使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王」と称した。
そして、先祖の天皇たちが、国内を統一したことを述べた。
宋に朝貢することによって、朝鮮半島南部での立場を有利にしようとしたのだと考えられる。
雄略天皇は、たびたび朝鮮半島に兵を出していたし、朝鮮半島の諸国に朝貢をするように求めている。
819世界@名無史さん:02/09/17 12:49
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/9791/Yuryaku.html
稲荷山古墳(いなりやまこふん)鉄剣銘には、何が書かれているのか。

稲荷山古墳は埼玉県行田市にある。鉄剣は昭和43年に発見された。
銘の文中に出てくる「辛亥年」は471年と考えられている。

また、「獲加多支鹵(ワカタケル・ワカタキロ)」は、雄略天皇のことだと考えられている。

銘によると、刀を作ったのは「乎獲居(オワケ)」で、
その8代上の先祖は「意富比『土へん+危』(オオヒコ)」だという。

「意富比『土へん+危』(オオヒコ)」は、第10代崇神天皇の時、
越国(今の北陸地方)を平定するために派遣された皇族将軍である。

ちなみに、『日本書紀』には、大彦命(オオヒコノミコト)が、
第8代孝元天皇(こうげんてんのう)の子であることが記述されている。

これにより、崇神天皇の頃、すなわち200年代中頃、国家統一の動きが盛んだったことがわかる。

また、「乎獲居(オワケ)」は「杖刀人首」として、近衛府の長官のような役割を果たし、
天皇を護衛しており、400年代の埼玉県周辺は、朝廷に服属していたことがわかる。

また、「杖刀人」は後の近衛府にあたり、律令的な役所は、急にできたのではなく、
その原形は400年代につくられていることがわかる。

820世界@名無史さん:02/09/17 13:09
朝鮮半島からの移民、難民、帰化政策について

(出展不明、通史)。

556 10 百済人・高麗人を倭国高市郡の屯倉に置く(日本書記)。
608 この年、新羅人多く帰化する。
609 この年、肥後国に百済人80人余漂着、帰化希望者を元興寺に置く。
665 百済の男女4百人余を近江国神前郡に置く。
666 01 この冬、百済の男女2千余人を東国に置く。
669 10 百済の男女7百人余を近江国蒲生郡に置く。
683 05 百済の帰化僧らを武蔵国に置く。
687 03 高句麗の帰化人を常陸に、新羅の帰化人を下毛野(下野)に置く。
689 04 新羅の帰化人を下毛野(下野)に置く。
690 01 新羅の帰化人を武蔵に置く。
690 08 新羅の帰化人を下毛野(下野)に置く。
716 05 駿河など7国の高麗人を武蔵国に移して、高麗郡を置く。
760 帰化の新羅人を武蔵国に置く。
814 10 新羅商人が長門に漂着、また帰化を求めて博多にも来る。
1049 09 対馬、高麗の漂民20人を送り返す。
821世界@名無史さん:02/09/17 13:21
訂正、朝鮮半島からの移民、難民、帰化政策について(出展不明、通史)。

556 10 百済人・高麗人を倭国高市郡の屯倉に置く(日本書記)。
608 この年、新羅人多く帰化する。
609 この年、肥後国に百済人80人余漂着、帰化希望者を元興寺に置く。
665 百済の男女4百人余を近江国神前郡に置く。
666 01 この冬、百済の男女2千余人を東国に置く。
669 10 百済の男女7百人余を近江国蒲生郡に置く。
683 05 百済の帰化僧らを武蔵国に置く。
687 03 高句麗の帰化人を常陸に、新羅の帰化人を下毛野(下野)に置く。
689 04 新羅の帰化人を下毛野(下野)に置く。
690 01 新羅の帰化人を武蔵に置く。
690 08 新羅の帰化人を下毛野(下野)に置く。
716 05 駿河など7国の高麗人を武蔵国に移して、高麗郡を置く。
760 帰化の新羅人を武蔵国に置く。
814 10 新羅商人が長門に漂着、また帰化を求めて博多にも来る。
816 10 新羅人180人が帰化する(このころ新羅人の帰化が多い)。
820 07 新羅人40人が帰化する。
863 11 丹後・因幡に漂着した細羅人・新羅人に兵糧を与えて返す。
864 02 石見に漂着した新羅人を返す。
1049 09 対馬、高麗の漂民20人を送り返す。
822世界@名無史さん:02/09/17 13:34
日本対朝鮮半島遠征国防史
大半は日本書紀によるものと思われるが出展未確認。

369 03 荒田別鹿我別を将軍とし、百済と組んで、新羅を征める。加羅諸国を支配する(日本書紀)。
382 新羅が朝貢しないので、日本、襲津彦(そつひこ)を遣わして新羅を討たせる(神功皇后62年条)。
391 日本、百済・任那(加羅)・新羅に兵を派遣して臣属させる(広開土王碑)。
404 倭軍、帯方郡で高句麗と戦い敗れる。
527 06 蘇我麁鹿火が、近江毛野臣に衆6万を率いて任那に往かせ、新羅に破られた地を復興しようとする。
537 10 大伴大連金村に詔し、その子を遣わして新羅を討たせ、任那を救わせる(日本書記)。
562 07 紀男麻呂宿禰を大将軍とし、任那の地に赴かせる(日本書記)。
600 08 この年、新羅と任那が戦い、任那救援の境部臣ら大いに新羅を破る。隋に使を出す(隋書)。
600 11 新羅討伐を計画する。
602 02 来目皇子を撃新羅将軍として2万5千の兵を動員する。
603 02 来目皇子、筑紫に病死し、征新羅軍を中止する。
623 日本、征新羅軍を派遣。
660 12 百済救援軍を派遣することを決める。
661 08 阿曇比邏夫、阿部比羅夫を遣わして百済を救わせる。
663 03 上毛野稚子ら、2万7千の兵を率いて新羅を討つ。
663 08 日本の水軍、白村江において唐軍に敗れる。百済王は高句麗に逃れる。
663 09 日本軍は百済の棄民と共に帰国する(これより日本は半島の権利を放棄)。
823世界@名無史さん:02/09/17 13:46
日本対朝鮮半島遠征国防史、出展未確認。

756 06 大宰府に新羅を討つ用意をさせる。
756 09 新羅征伐のため、諸国に舟5百隻を造らせる。
760 04 新羅討伐のため、美濃・武蔵2国の少年に新羅語を習わせる。
761 01 九州諸国に武器を準備させる。
761 11 東海・南海・西海3道に節度使を置き、舟393艘・兵4万7百人を動員して訓練する。
762 04 大宰府に弩師を置く。
762 11 香椎宮に奉幣し、新羅征討軍を調練する。
811 12 新羅の賊船が対馬近海に出没するので、警備させる。
813 02 新羅人百人余、肥前小近島に来て土民を殺傷する。
869 05 新羅の海賊、博多で掠奪する。
869 12 新羅の海賊に備えて諸国の俘夷を大宰府に在番させる。
870 01 壱岐島に武器を供与する。
870 02 大宰府管内および山陰道諸国の海防を厳重にさせる。
870 06 対馬に選士50人を置く。筑前・肥前・壱岐・対馬に不慮の事態に備えさせる。
880 02 因幡・伯耆・出雲・隠岐に警備を厳重にさせる。
885 06 肥後天草郡に来た新羅使を放逐させる。
893 05 新羅の賊、肥前・肥後を襲う。
894 新羅の賊来る。大宰府に討たせる。
972 09 大宰府が高麗使の対馬来着を報ずる。
972 10 大宰府に命じて高麗に返書を与える。
997 10 南蛮人が壱岐・対馬を襲う。
997 10 大宰府より南蛮人追討を報ずる。
998 02 大宰府、異賊を追討する。
999 08 大宰府が異賊追討を報ずる。
1006 07 この年、異賊船来る。
1019 03 女真人、対馬・壱岐・肥前・筑後に入寇し、大宰権使藤原隆家・大蔵種材ら撃退する(刀伊の乱)。
1020 12 南蛮の賊が薩摩に来て、人民を捕え去る。
824世界@名無史さん:02/09/17 14:02
朝鮮半島情勢、古代史通史(出展未確認)

B.C.108 漢武帝、衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪・臨屯・玄菟・真蕃の4郡を置く。
196 帯方郡が設けられる。
246 魏が高句麗を攻める
313 高句麗、楽浪郡を滅ぼす。
346 百済の馬韓統一進む 。
356 新羅の辰韓統一進む 。
371 百済、高句麗を侵し、平壌城を攻める。
391 高句麗の広開土王が即位する。
404 高句麗の広開土王が没する。
414 広開土王碑が鴨緑江畔に建てられる。
430 高句麗、平壌に遷都する。
508 百済、耽羅島(済州島)を征服する。
538 百済、扶余に遷都する。
562 新羅が任那の官家を滅ぼす。
568 新羅王・興王、咸興その他に巡狩碑を建てる。
602 百済が新羅を破る。
607 高句麗が百済を破る。
662 唐・新羅が高句麗を討つ。
668 高句麗、滅亡。
676 10 新羅、朝鮮を統一。
825世界@名無史さん:02/09/17 14:24
日本対古代朝鮮半島外交史(出展未確認有り)

367 百済王の使者、日本に朝貢する。朝廷、千熊長彦を新羅に遣わして、百済の献物を途中で襲った事を責める。
372 百済王、七支刀(しちしとう)(石上(いそのかみ)神宮蔵)を倭王に贈る。
512 12 任那の4県を百済にあたえる(日本書記)。
538 03 百済の聖明(せいめい)王から仏像、経巻を送られる。
554 02 百済、使を遣わし援兵を請う。百済より医・易・暦博士が渡来。
560 09 新羅、入貢する(日本書記)。
562 11 新羅、入貢する(日本書記)。
570 高句麗、日本に遣使。
571 04 欽明天皇、任那再興を詔する(日本書記)。
572 11 新羅、使を遣わして調を進める(日本書記)。
577 11 百済王(威徳王)、経論若干巻および律師・禅師・比丘尼・咒禁師・造仏工・造寺工6人を献ずる(日本書記)。
597 04 百済王、王子阿佐を遣わして朝貢する。
826世界@名無史さん:02/09/17 14:25
日本対古代朝鮮半島外交史(出展未確認有り)

610 10 新羅・任那の使が入京する。
610 高句麗僧、曇徴が帰化し、紙・墨・絵具の製法を伝える(「日本書記」)。
645 09 高向玄理を新羅に遣わして質を取らせる。任那の調をやめる。
651 12 この年、新羅使の唐服着用を責めて、筑紫より返す。
660 09 百済、新羅と唐が百済を滅ぼそうとすることを訴える。
660 10 百済の鬼室福信、使を遣わして救援を乞う。
662 01 百済の鬼室福信に、兵器・食料を送る。
662 03 高句麗が日本に援助を求める。
665 08 耽羅(済州島)の使、来朝する。
666 01 高句麗の使、来朝する。耽羅王子、来朝する。
676 10 日本、新羅に使を遣わす。
676 11 新羅の使、来朝する。
681 10 新羅が朝貢する。
695 03 新羅の王子が来て国政を奉請する。
695 09 新羅に小野毛野らを発遣する。
774 03 新羅大使が大宰府に着いたが、無礼の為しりぞける。
885 06 肥後天草郡に来た新羅使を放逐させる。
1080 03 高麗国、医者を求める。
1080 10 断る。
827世界@名無史さん:02/09/17 17:37
任那に関する記述

400 広開土王、歩騎五万の大軍を遣わし、新羅の救援させる。男居城から新羅城まで倭はその中に満ちていて、官兵が来ると倭賊は退く、・・・任那加羅まで追撃する(広開土王碑)。

438  倭王・珍、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称す。安東将軍・倭国王に除せられる。
倭隋等十三人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍の号に除正せんことを求む。認められず(宋書)。

451  倭国・済、使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事を加え、安東将軍は故のごとく、ならびに上る所の二十三人を軍郡に除す(宋書)。

???  倭王・武、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称す(宋書)。

479  倭王・武、使を遣わして上表す。いわく、「・・・東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国、・・・」
詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す(宋書)。

521 12 任那の4県を百済にあたえる(日本書記)。

562 01 新羅が任那の官家を滅ぼす(?出展不明)。

562 07 紀男麻呂宿禰を大将軍とし、任那の地に赴かせる(日本書記)。

571 04 欽明天皇、任那再興を詔する(日本書記)。

600 08 新羅と任那が戦い、任那救援の境部臣ら大いに新羅を破る。隋に使を出す(?)。

ネット上の記述には誤りが多く、出展不明のものが多い・・・現在挫折頓挫中。
828世界@名無史さん:02/09/17 17:52
現在検索できなかったもので入手したいもの

1.広開土王碑全文写し&全文解釈

2.日本書紀全文写し&全文解釈&日本書紀に基づく詳細な日本紀

3.隋書タイ国関係全解釈
829世界@名無史さん:02/09/17 18:12
あと、発掘系が殆ど検索できなかったので、詳しい方、宜しくお願いします。
830世界@名無史さん:02/09/17 21:17
新羅は日本の植民国家だな。
831世界@名無史さん:02/09/17 21:29
倭人が海賊集団に過ぎなかった場合、そんな集団に百済や新羅が
ヨシミを通じたり臣従したりはできるわけがないので
(高句麗が、自分の属国であるべき百済や新羅が、海賊集団に
過ぎない人たちに「ヨシミを通じたり」「臣従したり」する、
という発想をすることは考えられないので)

広開土王の時代に、倭が単なる海賊集団でなかったことは明らか。
832世界@名無史さん:02/09/17 21:41
うるせーよ!

任那=内官家なんだよ

敏達天皇の詔書
先考天皇の世に、新羅が内官家を奪ったが、任那を復興すべし
 
833世界@名無史さん:02/09/17 21:45
数百年、自国領だと思ってたところがぶんどられれば
そりゃ復興も目指すわな
834世界@名無史さん:02/09/17 21:56
745 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/09/16 10:31
任那は天皇家の本貫の地

746 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/09/16 10:38
任那は天皇家の本貫の地=任那は天皇家の属国

言い方違うけど、内容は殆ど一緒な罠

747 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/09/16 11:12
イギリス王室とフランスの関係に似ているということを言いたかった。
侵略したのではなく、先祖代々の土地を守るために戦っていたのだと。

835世界@名無史さん:02/09/17 22:00
>>834
ようするにノルマンディーってことでしょうか?
836世界@名無史さん:02/09/17 23:13
フランス王室(新羅)は、イギリス王室(倭?)がノルマンディーの出で
あることを、イギリス王室のメンツのために黙っていてあげたのですか?
837世界@名無史さん:02/09/18 10:05
百済
838世界@名無史さん:02/09/18 14:06
とりあえず、日本書紀を途中まで読んでみたが、どうも百済本の写しが一部入っているらしい。
これは後の写本時代に書き加えられた可能性があり、日本書紀写本の記述の中に、
編纂当時の認識以外の記述があることの可能性を持たす事になってしまう。
歴史というものは、例え自国に不利であろうとも、捏造しないほうが良いと思った。
839世界@名無史さん:02/09/18 14:50
任那に関して、とりあえず、ここまでの作業から言えること。

1)400〜500年頃、倭国王は宋との外交に際して、公式に任那という呼称を使用した(自称)。
そして、・・・任那・・・・七国諸軍事、安東大将軍に除せられた。

2)414年、高句麗は任那という呼称(諸説あり)を広開土王碑の中に使用した。

これまでの所、任那という呼称を日本史の中から抹殺することは正しくないと思う。
840世界@名無史さん:02/09/18 15:52
任那について、日本書紀にその名前の由来の記述が認められる。
http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki/syoki038.html
巻六 活目入彦五十狭矛天皇(垂仁天皇)第二話 都怒我阿羅斯等 である。

それによると、垂仁天皇が大加羅国の皇子に対して、
「国の名を改めて御間城天皇(みまきいりひこいにえのすめらのみこと;先帝、崇神天皇)の御名をとって国の名前とせよ」
ということである。
それが任那(みまな)の名前の由来であるという。
ちなみに、大加羅国の皇子は崇神天皇に会いにきて、三年間、垂仁天皇に仕えたという事。
したがって、

任那とは垂仁天皇の名前のついた大加羅国の一つの国で、友好的に倭国王に従った国(日本書紀)

ということになる。

ちなみに、この段階では少なくとも植民地ではないし、軍事基点でもない。
841世界@名無史さん:02/09/18 16:02
>>840

ちなみに、 

治世2年、任那(みなま)から来ていた蘇那曷叱智(そなかしち)が帰国したいと申し出てきた。
先帝の時代に来訪して、まだ帰国していなかったらしい。

という記述から判断すると、大加羅国の皇子は人質ではない。

したがって、馴れ初めに関しては

「任那とは垂仁天皇の名前のついた大加羅国の一つの国で、倭国王と友好的な関係を持った国(日本書紀)」

というべきだろう。
842世界@名無史さん:02/09/18 16:30
ちなみに、その後、仲哀天皇の時代に熊襲の反乱を平定しに行く記述があるが、
その時、初めて新羅という記述が登場する。
どうも、熊襲と新羅が手を組んで反乱を起こしていたらしい。
この時、仲哀天皇は海の向こうに国があることを認識できなかった。
この後、仲哀天皇死後朝鮮半島に遠征しに行くわけであるが、
それまで、倭国中枢のにおいて、海の向こうに国があるという認識は確立されていなかったことが分かる。
843世界@名無史さん:02/09/18 16:39
>>842
その時、初めて新羅という記述が登場する。
は間違い。
その時、新羅という記述が登場する。
に訂正。
844世界@名無史さん:02/09/18 17:20
ちなみに、その後の第1回目の朝鮮半島遠征の際には、任那という記述は一切出てこない。
兵を集め、船を作らせた後も、なお、海の向こうに国が有るのか確証が持てず、つかいを出している。
その後いざ出陣の際にも、海の向こうの国の兵力規模も不明だった。
また、軍事拠点に拠って戦ったという記述もない。
その時、降伏してきた国は新羅、高麗、百済。
加羅とか、任那とかいった記述は無い。
845世界@名無史さん:02/09/18 17:35
したがって、ここまでで確認できたことは、

朝鮮半島に関する認識が倭国に確立されていない時代に、垂仁天皇が、大加羅国の皇子にたいして崇神天皇の名前をもとに任那と名乗らせた。その後の第1回目の朝鮮半島遠征の際には、加羅国、任那という記述は一切認められない。

という事である。
846世界@名無史さん:02/09/18 17:48
>>845
大加羅国の皇子にたいして

大加羅国の皇子の国にたいして
に訂正。

あと、第一回目の朝鮮半島遠征で新羅、高麗、百済を降伏させた際、
新羅からは地図や戸籍を没収し、財宝を取り、人質を取った。
百済王からは朝貢することを誓わせた。
高麗は王が頭を下げたらしいが詳細は不明。
そのとき、倭国は内官家屯倉を定めた。
847世界@名無史さん:02/09/18 18:23
その数年後、新羅から朝貢が有るが、人質を奪い返され、
その報復として海を渡って新羅の多大浦に陣をしいて草羅城を攻め落として捕虜をとった。
百済は道がわからない、船が無いということで半世紀近く朝貢を全くしていない。
半世紀後、倭国が大邸付近の国を仲介として百済に赴いた際、
使者は歓迎を受け宝物を百済から持ち帰った。
848世界@名無史さん:02/09/18 19:10
翌年、百済、新羅が揃って朝貢するが、新羅は百済の使者を脅して百済の貢物を奪って朝貢していた事がわかる。
翌翌年に倭国から派兵すると同時に朝鮮半島でも支援勢力を募り、大邸付近を拠点として新羅を破り、
比自ほ、南加羅、喙国、安羅、多羅、卓淳、加羅の七カ国を平定した。
その後、耽羅を滅ぼして百済に与えたら、百済王が軍に加わり、
その後、比利、辟中、布弥支、半古が戦わずして降伏した。
この年以降、百済との交通路が開かれ、百済は毎年朝貢した。
この数年後に百済より七枝刀が献上される。
849世界@名無史さん:02/09/18 19:35
つまり、西暦369年に比自ほ、南加羅、喙国、安羅、多羅、卓淳、加羅の七カ国を平定したが、この際任那という記述は無い。
850世界@名無史さん:02/09/19 01:45
そう言えば耽羅(済州島)の王権の建国伝説も倭がらみだったような
851世界@名無史さん:02/09/19 16:52
韓国人は倭は百済の植民地だったと主張してますが
852世界@名無史さん:02/09/19 17:03
朝鮮人はなぜ任那という呼称を嫌い加羅と呼ぶの?「任那日本府」と呼ばれて
いる国は実質的には朝鮮人の国だったためかな。
853世界@名無史さん:02/09/19 18:26
>>852
当時、朝鮮人なんてもの成立していませんでしたが何か?
854世界@名無史さん:02/09/19 19:20
朝鮮半島遠征以降で、初めて任那という記述が日本書紀の中に認められるのは

応神天皇治世7年(推定西暦396年)秋9月に、
高麗人、百済人、任那人、新羅人等が来朝した。
武内宿禰に命じて諸々の韓人を率いて池を造らせた。
そこで、その池を韓人池(からひとのいけ)という。

の部分である。

第1回朝鮮半島遠征以降76年目、
比自ほ、南加羅、喙国、安羅、多羅、卓淳、加羅の七カ国を平定後、27年目にしてはじめて、
任那が登場する。

当時は、朝貢に来た人を使って土木工事をさせていたようである。
855世界@名無史さん:02/09/19 21:14
>>850
地面の穴から出現した三神人は狩りをして暮らしていた。
ある時海辺に木箱が流れ着いた。
箱の中に入っていたのは使者の男と三人の処女。子馬・子牛・種子も入っていた。
「私は日本国王の命で三王女をつれてきました。妻がいなくては建国でいないでしょう」。
三神人はそれぞれ妻を娶り、耽羅を豊かな国とした。
856世界@名無史さん:02/09/19 21:16
ここまでのまとめ
A.D.月
320 10 朝鮮半島に遠征する。
320 10 新羅王が降伏し、朝貢を約束する。重宝の倉を封じ地図や戸籍を没収した。微叱己知波珍干岐を人質とする。
高麗、百済王降伏する。百済王朝貢を約束する。
内官家屯倉を定めた。
325 3 新羅が朝貢する。人質を奪還される。
多大浦に陣をしいて草羅城を攻め落とし、捕虜をとる。
366 3 斬摩宿禰を卓淳国に遣わす。卓淳国を仲介として、百済に赴き宝物を持ち帰る。
367 4 百済、新羅が朝貢する。この時、新羅が百済の貢物を奪う。
369 3 木羅斤資、沙沙奴跪の援軍を得て、卓淳国を拠点とし新羅を破る。
比自ほ、南加羅、喙国、安羅、多羅、卓淳、加羅の七カ国を平定した。
耽羅を滅ぼし百済に与え、百済が参戦する。
比利、辟中、布弥支、半古が戦わずして降伏した。
375 百済の肖古王が薨じた。
376 肖古王の皇子、枕流王が百済王となった。
382 新羅が朝貢せず、新羅を討たせた。
392 百済の唇斬王が王が位についたが、天皇に対して礼を失することをしたため。使者を遣わし責め、百済は唇斬王を殺して陳謝し、紀角宿禰らは阿花王を立てた。
396 9 高麗人、百済人、任那人、新羅人等が来朝し、韓人池を造らせた。
397 3 百済王阿花王が日本に無礼をしたのでその修好に来朝した。
857世界@名無史さん:02/09/19 21:40
http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki/syoki061.html
当時の百済に関する日本書紀の記述です。
当時、百済は倭国からみて、文化の先進地だったようです。

わが親交する百済国は天の賜り物ですね。
人為によるものではありません。
見た事もない珍しい物など時々おかずを献上してくれます。
私はこの誠を見て常に喜んで用いています。
私と同じように後々までも恩恵を加えるようにお願いしますよ。

百済王は倭国に対して、軍事的に対抗する力や意思は無かったようで、倭国の下に従ったようです。

貴い国の大恩は天地より重く、いつの日までも忘れる事はないでしょう。
聖王が上においでになり、日月のごとく明かです。
今私は下に侍って堅固なことは山岳のようで西蕃となってどこまでも二心を持つ事はないでしょう。

ただ、当時、倭国は朝鮮半島の援軍を得て新羅に勝利したようです。

木羅斤資、沙沙奴跪の援軍を得て、卓淳国を拠点とし新羅を破る。
耽羅を滅ぼし百済に与え、百済が参戦する。

また、倭国に従うことを良しとしない王もいたようで、倭国は百済に圧力をかけて王を殺させたようです。

百済の唇斬王が王が位についたが、天皇に対して礼を失することをしたため、
使者を遣わし責め、百済は唇斬王を殺して陳謝し、紀角宿禰らは阿花王を立てた。

次のようなこともありました。

百済王阿花王が日本に無礼をしたのでその修好に来朝した。
858娜々志娑无 ◆NcNEDmUA :02/09/19 22:32
>>840

 『日本書紀』に見える、任那の国名が崇神天皇の諱である
御間城天皇(みまきのすめらのみこと)に由来するという説
ですが、私にはこの説は大いに疑問を感じます。何となれば、
この説に従えば、同国の国名はmimanaでなくてはならない
はずですが、実際のこの国の漢字表記は任那であり、その
漢字表記からは、nim-naのような発音しか再構できないから
です。任那は日本及び中国側の記録のみならず、『好太王碑文』
や『三国史記』などにも見えますから、当時この漢字表記が国際
的に通用していたことは疑問の余地はありません。しかしながら、
この国の頭子音をm音で聞きなしていたのは日本人だけです。
こうしてみると、日本側の任那の呼称mimanaは、nim−naを
日本人が訛って伝えたものと判断せざるを得ません。当時の
日本語は子音で終わる音節が存在しませんでしたから、nim-na
は最初nimanaのような語形で伝わったと考えられます。その後
更に逆行同化(後続の音の影響を受けて前の音が変化する現象)
を起こして第一音節のniが第二音節のmaの影響を受けてmiと
なり、最終的にmimanaになった、そう推定するのが言語学的に
見て最も穏当なように思います。『日本書紀』に見えるこの説は
地名の由来を神話に結び付けて説明しようとする典型的な地名
起源説ですし、私にはいかにも後人の付会の説らしく思えて
しかたないのです。
859840:02/09/20 00:34
>>858
私は、任那の読みに関することは分かりません。
また、任那の国名が崇神天皇の諱である御間城天皇(みまきのすめらのみこと)に由来するという説は、
あくまで720年編纂の日本書紀の中の記述にしかすぎません。
したがって、・・・・という記述が日本書紀の中にあると読んで頂きたいです。

また、現在のところまでの日本書紀の部分には任那という地域に関する情報が非常に少ないため、
加羅と任那の関係や倭国と任那との関係すらはっきりしません。
ただ、320年と369年の朝鮮半島遠征の際に任那という名称が出てこないことを考えると、
任那の由来の部分の信憑性には大いに疑問があります。
少なくとも、396年まで倭国は任那と言う地域について確固たる認識を有していなかったと私は思います。
(年はいずれも日本書紀からの推定による西暦)
860840:02/09/20 00:34
ちなみに、現在426年の呉に使者を使わした所まで読んでます。

日本書紀の405年
平群木菟宿禰を加羅に派兵し、新羅の国境に迫る。
新羅王は降伏し、弓月の民と葛城襲津彦を伴い帰国する。

は、

広開土王碑の399年
百残が約束を違えて倭と和通したとあり、王が平壌に巡下したとき、新羅から
「倭人はその国境に満ちて、城池を潰し、以て奴客を民と為す」
として、命をかけての救援要請がある。

に相当すると思いますが、その後の

広開土王碑の400年
歩騎五万の大軍を遣わし、新羅の救援させる。 
男居城から新羅城まで倭はその中に満ちていて、官兵が来ると倭賊は退くとある。
官兵は、さらにその背後を追いかけて、任那加羅まで追撃する。

のなかに任那という名称が出てきます。
861娜々志娑无 ◆NcNEDmUA :02/09/20 01:05
>>859-860

 了解しました。言語学的に見た任那とmimanaの関係について
ご理解頂けさえすれば、私としてはこれ以上何も申し上げること
はありません。840氏の示された高句麗・新羅・百済・倭に関する
史料の提示は極めて有益なものであると思っております。今後は
ぜひコテハンをお名乗りになって、この問題に関して世界史のみ
ならず言語学や民俗学等の広範な分野を巻き込んでの討論に
なることを期待するものであります。私も日本語学のプロパーと
して微力ながらお手伝いさせて頂きます。もしその辺の分野に
関して何か具体的に疑問等御座いましたら、

【言語系電波大祓】
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=korea&key=1010584644

の方に書き込んで下さい。出来る限り対応する所存です。
862世界@名無史さん:02/09/20 01:07
みまなで言うな
とか友達に言いたくなってプルプル震えたことありませんか?
863:02/09/20 09:07
3王朝交代説は無視か?
応神天皇は九州王朝で、仲哀天皇は返り討ちにあった。これは確定でしょう。
神功皇后は架空で、話も架空戦記これはヤマトタケルと同じ手法。
応神王朝は度々、新羅・百済を攻め入っていた。これは前漢の匈奴みたい
な存在であった。初めて本格的に攻めたのは、応神天皇時代、そしてガヤ
地方征服、朝貢することで自治権を与える。名目だけ支配こういう感じ。
仁徳時代は応神の悪政で国内ボロボロになり、炊煙の話で善政をする。
864世界@名無史さん:02/09/20 10:28
電波は結構
865世界@名無史さん:02/09/20 17:42
九州王朝って出た瞬間に古田信者の毒電波確定
866:02/09/20 21:19
九州王朝は宇佐神宮に謎が隠されています。佐神宮の祭神は三神あって、
左に八幡大神(応神天皇)、真ん中に比売大神、右に神功皇后となってい
ます。八幡大神が主祭神と思ってましたが比売大神卑が主祭神なのです。
比売(ヒメ)大神=ヒメ大神=卑弥(ヒメ)大神=卑弥呼(ヒメコ)=姫子
(ヒメコ)魏志倭人伝によると、狗邪韓国=ガヤは倭と確認が取れる。
二つの大和王朝が存在していたのである。
つまり邪馬台国は朝鮮半島の南を領有していたのである。
確かに景行天皇時九州を討伐したが、しかし王朝は分裂して
二つの大和王朝が存在していたのである。
応神天皇は九州大和王朝で、仲哀天皇の大和王朝は返り討ちにあった。
っていうことだ。
867世界@名無史さん:02/09/21 00:00
どどんがどん
868世界@名無史さん:02/09/21 02:09
百済は文化的先進地であるが、軍事的には倭国が優勢だった。
後漢書にも、倭国を新羅と百済が大国として敬仰しているという記述がある。
ギリシャとローマみたいなもん?
869世界@名無史さん:02/09/21 02:22
>>868
西ローマ崩壊寸前のころの西ローマとゲルマンに近いのでは?
870世界@名無史さん:02/09/21 02:35
っつーか、マケドニアとギリシャ藷都市。
871世界@名無史さん:02/09/21 12:53
>>869
時代的にもそっちの方がいいかもね。
倭寇の半島侵入なんかも、
ローマン・ブリテンへのサクソン人来寇を思わせる。
倭寇は占領できなかったけど。
872世界@名無史さん:02/09/21 14:41
西ローマ帝国はゲルマン国家に「臣従」したことがあったの?
873世界@名無史さん:02/09/21 14:50
>>872
ないだろ
874世界@名無史さん:02/09/22 16:02
慶州金氏と金海金氏は天皇家の血を引いている。
875世界@名無史さん:02/09/22 20:19
古田信者
876世界@名無史さん:02/09/23 07:15
慶州金氏と金海金氏と慶州朴氏と慶州昔氏は天皇家の血を引いている。
877世界@名無史さん:02/09/23 21:28
>>876
慶州朴氏と慶州昔氏の系図を書き込みなさい。
慶州金氏と金海金氏のソースは既に出ているが朴氏と昔氏は出ていない。
878世界@名無史さん:02/09/24 10:01
えっ!?
慶州金氏と金海金氏のソース(系図?)って
このスレのどこに出てんの?
879世界@名無史さん:02/09/24 10:55
>>878
ちゃんと読め厨房。
ソースのあるところへリンクされてるだろ。
>>702をよんだのか?
880世界@名無史さん:02/09/24 19:22
新羅は日本の植民国家
881:02/09/24 22:01
しかし、なんで三国史記には任那日本政府の記述がないのだろうか?
現在ならともかく、古代の新羅・高麗は日本を敵視していたのだろうか?
例えば、加羅地方を治めた時に、倭に占領されていた。加羅地方を取り返
したと、歴史書に記載した方が、古代の王も功績は、大きくないだろうか?
なぜなら、朝鮮にとって、倭は異民族なのだからだ。
朝鮮の史書から、倭の加羅統治の記載が落ちているのはなぜだろうか?

なんか気持ちよくなってきた・・・・
882世界@名無史さん:02/09/24 23:34
任那日本政府って何
883878=厨房(w:02/09/25 07:57
>>879
いやはや・・・漏れは878=702で、その上702のスレの中の35、36も漏れなんだがな。
702のスレの中の35、36は、
慶州金氏と金海金氏と慶州朴氏と慶州昔氏の四者についてまとめて書いてる。
なので、朴昔ぬきで両金だけの別ソースがこのスレにあったのかな、と思ってきいてみたんだがな。
884世界@名無史さん:02/09/25 08:04
>>881
三国史記には、ほかにもいろいろなことが「書かれてない」。
広開土王碑がでてから、碑に書かれている重要なことはすべて三国史記にはまったくふれられてないことが判明。
三国史記は1)簡単な王統譜に2)中国史書の引き写しが大部分、3)あとは他愛もない内容の伝承を多少くわえて
編纂されたものにすぎない。史料的価値はあんまり高くないんだよ。
885世界@名無史さん:02/09/26 07:32
高句麗の後継国家を任じる高麗の時代に編纂された三国史記に、
広開土王碑に書かれている重要なことが触れられていないとなると、
三国史記編纂当時の史料の散逸の度合いというのが相当なものだった
ということだね
886世界@名無史さん:02/09/26 11:11
一応、日本書紀に百済の何本かの史書の抜粋が出てるけど
それって実在したの?
887世界@名無史さん:02/09/26 12:04
百済本記を参考にして日本書紀は作られたと言われています。
この時代一応百済の歴史書があったとするのが妥当でしょう。
百済本記は現在実存はしていない。
また三国史記にしても、漢書を参考にした形跡があります。
888世界@名無史さん:02/09/26 13:09
>>876
それなら、俺も天皇の血を引いているのか?(藁
889世界@名無史さん:02/09/26 14:21
>>886
百済本記・百済新撰・百済記は日本書紀に引用されており
百済三書と呼ばれ、実在していたと言われています。

内容面では対日関係を配慮して書かれている部分が散見されるそうな。
890世界@名無史さん:02/09/26 15:07
>>888
超線の方でしょうか? よかったですね。
891世界@名無史さん:02/09/26 15:18
>>885
>三国史記編纂当時の史料の散逸の度合い

高句麗の歴史書は「高麗留記」100巻と、
それを要約した「高麗新集」10巻があったけど、今はない。
高句麗が滅亡した時に焼亡したとも新羅に焚書されたともいわれる。
百済の歴史書は亡命者が倭国に伝えたので日本書紀の引用にかろうじて残っている。
新羅の場合は三国史記職官志をみても修史官のようなものはなかったようだから
そもそも歴史書が作られてなかったのでは。

>>889
>内容面では対日関係を配慮して書かれている部分が散見される

それって念押しするようによくいわれるけど、実際どうなんでしょうね。
宮崎市定なんかはそういう配慮なしにいい分析してると思うけど。
配慮うんぬんという言い方じたい現代の対韓関係への政治的配慮なような・・・

892世界@名無史さん:02/09/27 13:06
日本は強かった!
893世界@名無史さん:02/09/28 15:15
hhhhhhhhhkkkkkkk
894世界@名無史さん:02/09/29 14:52
新羅征討
895>>892:02/09/29 17:48
ほんとうにいやだねぇ、こういうDQN
日本がなかった頃の話をしているのに
896世界@名無史さん:02/09/30 00:42
鮮人が日本史版で暴れてる…。
897【^▽^】痛風患者兼脚気患者ジョーカー:02/09/30 00:55
私の先祖の一部は長門・周防に移住した百済人と、安芸に移住した加羅(任那)人らしい。
898世界@名無史さん:02/09/30 16:31
>>895
ほんとうにいやだねぇ、こういう真性DQN
倭が大和朝廷のことで現在でいうと日本の話をしているのに
899世界@名無史さん:02/09/30 23:29
朝鮮人は自我を保つのに必死ですな。
900【^▽^】百済と任那の覇王ジーモン:02/09/30 23:53
僕朕の先祖はなかなか粋なところから来たんだなぁ(笑
901889:02/10/01 03:58
>>891
岩波書店発行の「岩波日本史辞典」より
【百済三書】
日本書紀の注に引用された「百済記」「百済新撰」「百済本記」の三種の
百済の史書。百済滅亡後、亡命した百済人によって、百済の古記録を元に
七世紀末から八世紀初頭にかけて編纂されたものとみられる。

【百済記】
日本書紀神功・応神・雄略紀に引用された百済の史書。近肖古王から蓋鹵
王の時代(346-475)の倭と百済の関係を記すが、物語的色彩が強い。
七世紀後半に倭に亡命した百済人によって編纂され進上された。

【百済新撰】
日本書紀雄略・武烈紀に引用された百済の史書。編年体で書かれた物と思
われ、蓋鹵王(或いはその父ヒ有王か、ヒは田偏に比)と武寧王の系譜を
記す。七世紀後半に倭に亡命した百済人によって編纂され進上された。

【百済本記】
日本書紀継体・欽明紀に引用された百済の史書。武寧王から聖明王、威徳
王代の初年にいたる時期に、百済が倭や加羅諸国とともに<任那日本府>
に尽力した事などを記す。
七世紀後半に倭に亡命した百済人によって編纂され進上された。

とあります。
同辞書では任那日本府の項は存在せず、【任那】の項では日本の古文献と
好太王碑の用例と一般的比定地、及び任那日本府説の存在のみを上げ、実
際にあったかどうかと言う話は避けて書いてあります。まあ未確定の説を
取り扱う方針としては間違ってはいないと言う所でしょうか。
902世界@名無史さん:02/10/01 04:09
倭にはね、任那の友好国などと言いながら、こういう援軍要請を知らぬふりしてきた
豪族がいる。本当に許せないことです。そういう事情を知っている学者はね、今は
朝鮮史に力を入れてる大学に移っているから、他の大学の内部資料とかを調べれば
分かるんですよ。わたしは資料をね、いろいろ調査しようと・・・
903世界@名無史さん:02/10/01 04:24
ほとんど同時期に編纂されたのに扱ってる時代がちがうのは不自然。
もし編集方針などの違いで三書にわかれているならば扱ってる時代が重なってもいいはず。
百済記と百済新撰はもともとの百済にあった書物だろう。
ちなみに百済新撰では百済と倭国は対等だけど百済本記では倭の属国になってるね。
904世界@名無史さん:02/10/01 22:07
百済を日本の属国とする百済三書を
「亡命百済人が日本に媚びて作ったもの」だから
価値がないとするのは現代人の都合による政治的配慮。
905世界@名無史さん:02/10/02 19:39
百済は倭に服属していたことは客観的な事実である。
906世界@名無史さん:02/10/02 22:23
>>905
百斉と倭は連邦を形成していたということはないの?
907世界@名無史さん:02/10/02 23:12
古代東アジア史における「連邦」とはどういうものを指して言っているのか
全く不明ですが

何であれ連邦なるものを形成していたとしたら、朝鮮か中国の史書に
そう書いてあるってば。

思いつきと妄想で古代史を語るのはやめようよいい加減に。

908世界@名無史さん:02/10/03 15:17
妄想
909世界@名無史さん:02/10/03 15:54
現代の国家感で古代国家を論じるのはいかがなものかな?
みな、古代国家は近代国家の規模小さいだけで基本的に同じだと思っている様だけど、
古代国家と近代国家の違いは量的なものではなくて質的にまったくことなる。
この違いを解っていない。
それじゃ具体的にどう違うのかというと浅学だから答えられないけどね。
910世界@名無史さん:02/10/03 16:40
なんじゃそりゃ
911世界@名無史さん:02/10/04 07:37
百済
912世界@名無史さん:02/10/04 16:09
>>909,>>910
古代国家というのは王の私有地と私有民、及び王に臣従する貴族たちの私有地と私有民のまとまり。
だから基本的にすべての国が多民族国家であって、民族単位のまとまりではない。
だから王様どうしが勝手に領地や領民をやったりとったりするし
同じ民族でまとまっている必然性もまったくない。
まず王があってそれに付属するものとして家臣(貴族)や政府機構や領民領地があるのであって
民族やら国民やらが主なる中心として先にある現代の国家とはちがう。
百済人だの倭人だのの第1義は百済王に政治的に属する人、倭王に政治的に属する人の意味。
文化的民族的に百済系の人とか、文化的民族的に倭系の人という意味は第2義にすぎない。
(その場合は「〜人」でなく「〜種」ともいうことが多い)
913世界@名無史さん:02/10/04 16:31
渡来人と呼ばれる人々も、「高句麗人」「新羅人」「百済人」というのは、
「高句麗(新羅、百済)という王権に政治的に属する人」という意味でしか
なく、彼ら自身はもともと「帰化人」である(高句麗や新羅や百済に「帰化」
した人々とその子孫なので)

このとき、「本来の」高句麗人と帰化高句麗人、「本来の」百済人と帰化百済人、
「本来の」新羅人と帰化新羅人は、どこまで明確化できるかどうかまた、王権に
帰化する前に「本来」何者であったかを比定することは不可能。
914世界@名無史さん:02/10/05 01:01
>>912,>>913
なんか似たようなことを聞いたことがあるぞ。
イスラム勃興時の正統カリフ時代に
どうしてイスラム教があっと言う間に広がったのかということで、
元々国家に対する帰属意識の薄いアラブ系住民がイスラムに改宗したからだってのがあった。
講談社学術文庫のアラブの歴史の上巻だったかな?

あと、唐にしてもローマにしても”国”という意識ではなく、”世界”という意識を持っていたとも。
これは、ローマに関しては弓削某という先生が書いていたと思う。

で、聞くんだけど、当時の朝鮮、倭にとっての国って何?
簡潔にキボン。
915世界@名無史さん:02/10/05 09:53
>で、聞くんだけど、当時の朝鮮、倭にとっての国って何?
>簡潔にキボン。

じゃ簡潔にいうよ。「王の私有財産の合計」
916世界@名無史さん:02/10/05 13:54
917世界@名無史さん:02/10/06 13:33
大和朝廷
918世界@名無史さん:02/10/07 15:59
百済は属国さ
919世界@名無史さん:02/10/08 16:15
大和龍門
920世界@名無史さん:02/10/08 20:02
考古学的見地ではどうなの?
921世界@名無史さん:02/10/08 20:46
大和士魂
922世界@名無史さん:02/10/08 21:27
大和干城
923世界@名無史さん:02/10/08 22:45
縄文の時代から朝鮮半島に進出していた経緯もあって、倭としては自分の勢力圏、
自分の領域という意識が長らく続いたんだろうな。
その倭の足枷に反発して自立しようと様々な動きが成されたのが古代朝鮮史の一側面なのだろう。
その動きの触媒及び主体になったのが、北上した倭に対する南下した狩猟、騎馬民族なのだろうな。
実際、日本の史書にも「百済の罪を問い」とか「新羅の罪を問い」とかが頻発する。
これは倭から離れて自立しようとの策略が表面化したことによる倭側の認識なのだろう。
倭から見れば罪に見えたわけだ。
しょせん、対馬海峡という大きな障害物が横たわっているのだから、倭側から完全にコントロール
するのは無理があったのだろう。
これらの軋轢が再三に渡る倭の出兵を招いたのだろうな。
924世界@名無史さん:02/10/08 22:45
ヤマトタケシ
925世界@名無史さん:02/10/09 06:23
>923
その騎馬民族がさらに日本列島に渡った、と考えても矛盾は生じない。
つまり、百済を建てた騎馬民族の一派が一時期加羅を支配し、その後列島に
渡ってこれも支配した、とすれば加羅は「本領」であるわけだ。
で、加羅諸国の独立指向はじゅうぶんに自分を庇護してくれなくなった
元領主に対して、別の庇護者(百済、新羅)のもとに入ろうとする動き、
と考えればよい。
もと領主はとうぜんに支配権を主張する。これが朝鮮諸国と倭との軋轢
の本質だと思う。
926世界@名無史さん:02/10/09 10:19
>>925
騎馬民族制服王朝説は大昔に否定されているぞ。
927:02/10/09 11:52
>>925
つまり騎馬民族制服王朝説は日本人を形成したのは、
騎馬民族になるわけなのですが、騎馬民族は馬を飼育する為に、
馬を去勢するのです。そうしないと、家畜の保有量が制限できなくて、
家畜を統制しにくいのです。
また家畜を去勢することは、肉が柔らかくなり、食肉としても使用できる
利点があります。
騎馬民族は少数で、支配階級だけが騎馬民族だと
反論するかもしれませんが、天皇家が騎馬民族王朝であるなら、確実に
日本に宦官制度が普及するはずなのですが、日本には全くありません。
宦官は、馬の虚勢が人に変わっただけですからね。
928世界@名無史さん:02/10/09 14:30
>927
騎馬民族と言っても別に特別なものではない。
百済の支配階級が扶余だとすれば扶余は装甲騎兵戦術を戦力の基本にするから
その点では騎馬民族だ。蒙古人のような「専門的」な牧畜民族を考える
必要はない。
戦力だけの馬利用ならば去勢をする必要はない。現に日本の武士は
去勢なしに歴史的に馬で戦ったではないか。

前述の装甲騎兵用の馬甲や馬具は朝鮮の加羅からも出るし、日本の古墳からも
出る。
これは倭人が騎馬戦術を習得したのか、それとも渡来人が持ち込んだのか、
というところで見方が別れるだけ。
929世界@名無史さん:02/10/09 16:03
>>928
あのー、武士は決して「馬に乗って」戦ったのではないのですが。
(確かに源平から元寇期までは騎上で騎射戦が主流だったことは確かですが、
騎兵隊というものは近代に入るまでありませんでした)
930世界@名無史さん:02/10/09 16:34
>>928
>?? 百済を建てた騎馬民族の一派が一時期加羅を支配し、
その後列島に 渡ってこれも支配した、とすれば加羅は「本領」
であるわけだ。
つまり天皇は百済人と言いたいのだろ。ちなみに百済建てた民族が
日本と同一民族だとすれば、百済国はいつごろ
成立したのでしょうか?私の知る限り、百済国が馬韓地方を統一
したのは4世紀初めです。もし百済国と天皇家と同じ勢力なら、
なぜ?4世紀には大和朝廷は成立したのでしょうか?
騎馬民族が百済国と同質というのなら、まず馬韓を制圧して、
余力で日本列島に渡来するというように、波紋状に勢力拡大
していくはずです。
また百済が一時的に加羅を支配した年代は何世紀の出来事か
詳しく教えてほしいものです。
また日本古墳に騎馬民族の痕跡が発掘されているのでしょうか?
たいして装甲騎兵用の馬甲や馬具が発掘されていません。
また朝鮮半島を簡単に南下できる勢力は移動に便利で定住しない
遊牧民だと考えて良いのでないのでしょうか?
私は個人的には百済と日本を支配したというのは、一番ありえないと
思っています。よく歴史に白村江の戦いの日本の百済国の援助を
使われますが、その時期は日本は百済の宗主国です。つまり、
援助して当たり前の関係にあった。それは後の李朝と明の関係と同じ
であったと考えられます。
931世界@名無史さん:02/10/09 17:01
( ´,_ゝ`)
932 :02/10/09 17:33
騎馬民族は、船の扱いはどうしたのでしょうかね。笑う
騎馬民族が、航海術に優れていたとは思えないが・・・。
それなのに、大軍勢を率いて、日本を征服することは、不可能だと思うけど。。
933世界@名無史さん:02/10/09 20:13
>>928
世界中「騎馬民族」だらけだな
934世界@名無史さん :02/10/10 04:59
要するにあれですかね。「倭」というのは当時の中国から見た
「東方の蛮族のひとつ」くらいのイメージでいいんですかね?
その程度の漠然とした定義が後の大和朝廷にも当てはめられて
倭=ヤマトとなったということでしょうか?
935世界@名無史さん:02/10/10 05:07
んふ。にいさまのために姫特性のおかゆを作りましたのよ。
かあさまから直伝の「おふくろの味」に「いもうとの味」を加えたスペシャルブレンドですの。
消化吸収がいいように、おかゆを姫のお腹の中で柔らかくしておきましたの。
ほら、お腹の中でタポタポいってるでしょう?

あとはこれを吐いて、ひりだした柔らかいウンチとまぜまぜしますの。
姫もちっちゃなころお身体こわした時、かあさまのあったかいゲロウンチを食べさせてもらったのを思い出しますわ。
なんだか今日はにいさまの母親になった気分ですわね
936 :02/10/10 09:56
倭というのは、中国での差別用語で、単に東方の蛮族を指したものではないのですよ。
元々は漢民族からみた南方系の中国人(主に越人)のことをさしていう蔑称。
今でも、中国には倭族という少数民族がいるとか。。。
937世界@名無史さん:02/10/10 15:38
東夷・南蛮・西戎みたいなもんですか。
北はなんでしたっけ。
938世界@名無史さん:02/10/10 16:20
北狄
939世界@名無史さん:02/10/10 16:22
倭は矮=チビの意味だろ?
940 :02/10/10 17:30
>>939
そう、短小とか言う意味だと思った。その当時、その意味で使われていたかは知らないけどね。
941風魔小太郎:02/10/10 18:47
倭の国名はなぜついたか?
・短小とか言う意味
・我が名前は〜の「我」と言う言葉が、国名と勘違いした。
・和という言葉が中国が「倭」という漢字を当てはめた。とかあったな。
942世界@名無史さん:02/10/10 19:08
中国では東方あるいは南方に住む
背の低い部族を「倭」と呼んでいた。
特定の国家を示す語ではなく
辺境の民の総称のようなものであった。

後に大和朝廷が接触したときにもそれは
中国から見れば辺境に住む「倭」に過ぎなかった。
しかし大和朝廷側では「倭」こそ「やまと」を
指す言葉と理解してこの字を当てた。

倭が「やまと」として大和朝廷あるいは後の日本を
指す言葉となった。

こんな感じでしょうか?
943世界@名無史さん:02/10/10 19:55
大和朝廷
944風魔小太郎:02/10/10 19:59
>>942
倭という言葉は後に和を当て字にしたと聞いた事があるが、倭が
大和と呼ぶかは判らない。
倭は日本では和じゃないの?
945世界@名無史さん:02/10/10 20:05
倭の意味に気付いてから和に変えたんでねぇの?
和を持って貴しとなしという思想を背景に。
ヤマト=大和は完全な当て字。
春の日のカスガから春日=かすが、と呼んだように。
なんで和から大和のなったのかはお隣りの国みたいなもんでしょ。
テーハミングッ! ドドンガドンドン!
946世界@名無史さん:02/10/10 20:37
>>944
>>728氏の意見を参考にすると
当初「やまと」を自称する人々が「倭」を自らの国号として受け入れていた。

蔑視的な意を含むことを知って同音異字を用い「倭」→「和」となった。
この時点でも「和」は「やまと」

国威を表すため?「大」の字を用い「大和」となり
読みは以前のまま「やまと」が当てられた。

こんな感じですかね。自分としては「倭」と「大和」
と「やまと」の関係をハッキリさせたいと思ったものですから。
947世界@名無史さん:02/10/10 20:44
結局のところ「倭」と呼ばれる人々が
当時の朝鮮半島に勢力を持っていたとしても
それが後の大和朝廷との関連性は薄いのではないか?
ということです。
948風魔小太郎:02/10/10 21:33
http://www.dcn.ne.jp/~kozoku/Rettoh-kokugoh.html
>>947
色々説があるのでupしておきます。
949世界@名無史さん:02/10/10 21:39
>>948
風魔氏、わざわざありがとうございます。
さっそく見に行ってきます。
950 :02/10/11 09:23
>>942
まあ、そんな感じですね。倭人=弥生人というのを、仮定して追跡していくと、
九州北部、半島南部、山東半島、長江流域と繋がっていきます。
そしてそれこそ、越人だと思います。
華南の越人は、海洋航海術に優れ、半農半漁、高床式の住居に住んでいました。
日本では、越という時を woと発音しますよね?
倭と言う文字も、woと発音できたそうです、昔は。

馬韓人というのは、春秋・戦国時代の中国からの流民が主であり、
倭人というのは、その兄弟みたいなものです。
私見としては、半島南部と日本は、
倭人(中国南部からの流民)の一種の共同体があったのではないかと思います。
大和朝廷は、倭人が、そうした共同体の中で北方の文化も取り入れて築いていった。
任那や加羅諸国への影響というのは、倭人共同体の最後の砦だったのではないかと。
951世界@名無史さん:02/10/11 16:12
>929
>あのー、武士は決して「馬に乗って」戦ったのではないのですが。

揚げ足取りにもなってない。本題は馬の「去勢」だろう。
それならば君は、
>あのー、武士も「去勢した」馬で戦ったのですが。
と言わなければならない。

>確かに源平から元寇期までは騎上で騎射戦が主流だったことは確かですが、
>騎兵隊というものは近代に入るまでありませんでした

ありがとう。「源平から元寇期」より以前の話をしていることは確かだから
それで結構。
952世界@名無史さん:02/10/11 16:56
>930
>つまり天皇は百済人と言いたいのだろ。

表現が不正確。百済の支配層が天皇家と同じ系統に属するということ。

>また百済が一時的に加羅を支配した年代は何世紀の出来事か
>詳しく教えてほしいものです。

これは私の書き方が悪かった。
「百済を建てた騎馬民族の一派が一時期加羅を支配し、その後列島に
渡ってこれも支配した」
というのは時系列を書いたのではない。
「百済を建てたのと同じ騎馬民族の一派が一時期加羅を支配し、その後
列島に渡ってこれも支配した」
という意味。
時系列で言えば加羅のほうが早くて、その後これを基地としてほとんど
同時進行的に倭と百済を征服したと思う。
したがって加羅を支配したのは4世紀中葉以前ということになる。

>また日本古墳に騎馬民族の痕跡が発掘されているのでしょうか?
>たいして装甲騎兵用の馬甲や馬具が発掘されていません。

「たいして」というのは実際に発掘されているのを否定してはいない
わけだね?
たしかに数は多くない。しかしそれならば装甲騎兵戦術の本場だった
高句麗の故地では一個軍団くらいの馬甲が発掘されているのかね?
<続く>
953世界@名無史さん:02/10/11 16:59
継体天皇は、それまでの天皇家と血が繋がってないんでしょ。
954世界@名無史さん:02/10/11 17:00
<続き>
>その時期は日本は百済の宗主国です。つまり、
>援助して当たり前の関係にあった。それは後の李朝と明の関係と同じ
>であったと考えられます。

しかしそれではもっと以前からの倭・百済関係を説明できない。
七枝刀の銘文は対等の関係に読める。そしてこの時代は両国とも建国して
間もないのに大規模な共同作戦を行っている。これをどう説明する?
955世界@名無史さん:02/10/11 17:03
>932
>騎馬民族は、船の扱いはどうしたのでしょうかね。笑う
>騎馬民族が、航海術に優れていたとは思えないが・・・。

なんと単純なことか。
もっと専門的な騎馬民族である蒙古人はどうやって日本へ攻め寄せたか?
じぶんは航海に不得手だから高麗人や江南人に船を造らせ、水夫を出させた
ではないか。
扶余だって同じこと。扶余自身は支配者であり戦闘員であるに過ぎないが、
航海には被支配者の加羅人を使うことができただろう。
加羅人はそれこそ対馬海峡を「南北市糶」していた人達だ。

>それなのに、大軍勢を率いて、日本を征服することは、不可能だと思うけど。

戦術、戦闘力が隔絶していればなにも「大軍勢」はいらない。200人ほど
のスペイン人がインカ帝国を征服した例もある。
956世界@名無史さん:02/10/11 19:11
騎馬民族が百済国と同質というのなら、まず馬韓を制圧して、
余力で日本列島に渡来するというように、波紋状に勢力拡大
していくはずです。
また朝鮮半島を簡単に南下できる勢力は移動に便利で定住しない
遊牧民だと考えて良いのでないのでしょうか?
できたら↑も回答おねがいします。

>しかしそれではもっと以前からの倭・百済関係を説明できない。
七枝刀の銘文は対等の関係に読める。そしてこの時代は両国とも建国して
間もないのに大規模な共同作戦を行っている。これをどう説明する?

これについては、理由は結構ある。本題だと思うが、
韓国側の史書に出てくる。史書に「三国史記」がまず挙げられるが
倭の記述が非常に多いことが判る。その中で
「397年倭と国交を結び、太子腆支を人質に出す」明らかに人質を出している
記載があります。この記載は、七支刀の献上から、20年後の出来事である。
百済と日本が共同作戦をした王は、年代的に神武皇后時の新羅再征であると
思いますが、近仇首王・枕流王だとは思うが、この時の百済国の最盛期
であると言える、この後の王から、段々と高句麗に攻め込まれ腆支王 に
至る。後の百済王も「日本書紀」「百済新撰」によると毘有王が
弟の蓋鹵王を倭に使わしたという話もある。もちろん「日本書紀」によると
百済は倭に朝貢していた記録がある。
これらのことからしても百済と対等であったとは言えないと思う。
また国力にしても、百済は九州一つ分の領土しかない上に、北には大国
の高句麗をひかえる体勢にあり、倭より高度な文化を持っていたとしても、
実際の戦力・国力的には、後顧に強大な勢力がない倭の方が有利だと言える。


957世界@名無史さん:02/10/11 19:15
>954↑
958世界@名無史さん:02/10/11 19:45
新羅は倭人の植民国家
959世界@名無史さん:02/10/11 20:50
>>953
唐突に出てくるね。「携帯で断絶説」を唱える人は勧告の工作員、という仮説を
裏付けてる。
960世界@名無史さん:02/10/11 21:26
>>959
詳しい説明を頼む。
961 :02/10/12 09:22
あげ
962世界@名無史さん:02/10/12 10:38
>956
>騎馬民族が百済国と同質というのなら、まず馬韓を制圧して、
>余力で日本列島に渡来するというように、波紋状に勢力拡大
>していくはずです。

「騎馬民族が百済国と同質」とは言っていない。百済の支配層が
いわゆる騎馬民族、具体的には扶余族だということ。
「百済国」はその支配層と土着民の被支配層とから成っている。
また騎馬民族なら「波紋状」に拡大するはず、というのもわからない。
蒙古帝国の拡大も波紋状というよりは放射状ではないか?

>また朝鮮半島を簡単に南下できる勢力は移動に便利で定住しない
>遊牧民だと考えて良いのでないのでしょうか?

私は扶余族が「遊牧民」だとは考えていない。
恐らく扶余族は狩猟・農耕民だったのが武力支配に特化したものだ。
遊牧民が「移動に便利」というのは家畜による自給自足の意味だと思う
が、扶余族は自給自足ではなく武力による略奪・寄生に依存しただろう。
言ってみれば大規模・組織的な馬賊集団というわけです。
<続く>
963世界@名無史さん:02/10/12 10:40
<続き>
>「397年倭と国交を結び、太子腆支を人質に出す」明らかに人質を
>出している記載があります。この記載は、七支刀の献上から、20年後
>の出来事である。

人質を出したからと言ってただちに属国だとは言えない。
対等の同盟を結ぶにも人質を交換して違約のないことを誓い合うことが
ある。

>もちろん「日本書紀」によると百済は倭に朝貢していた記録がある。
>これらのことからしても百済と対等であったとは言えないと思う。

私が対等と言ったのは七支刀の時代のこと。
もちろん6、7世紀の百済は倭国の援助を受けているのだから対等とは
言えない。しかしあなたの言うような、明国と朝鮮の関係とは違う。
なぜなら朝鮮国王は明国に册封されているが、百済国王は倭国王に
册封されたものではないからだ。だから真の意味の宗主国ではないし、
救援の義務があるわけでもない。「宗主国だから救援するのは当たり前」
というのでは答にならない。なぜ宗主国・属国とも見える関係になったか
を、さかのぼって考えなければならない。
<続く>
964世界@名無史さん:02/10/12 10:43
<続き>
それでは倭と百済の関係は何か。私はこれについての江上波夫の説に、
その限りにおいては共感を覚える。それは、天皇家が本家で、百済王家
を分家とする親戚関係だ、という考え方だ。
これならば建国早々から共同作戦を行ったり、伽耶の一部を気前良く
くれてやったり、滅びそうになれば國を傾けて救援したり、滅びたあと
は遺民を大量に受け入れて貴族に列したり、ということがいちいち
納得がいく。
だれかが書いたように古代国家というのは王権の私有財産、ということ
であれば、その行動は國の論理、民族の論理でなく、「家の論理」で
考えた方がよいのではないか?
965 :02/10/12 15:00
そろそろ次立てましょうか。。。。
終わったら使ってください。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034402399/l50
966世界@名無史さん:02/10/12 15:04
>>965
お疲れ様です。次スレでは最初に
倭の定義をしたほうが良くないですか?
967 :02/10/12 16:30
>>966
どうもです。倭の定義というと、自分的には未だに不確かでして・・。
968世界@名無史さん:02/10/12 16:55
>>962
「騎馬民族が百済国と同質」とは言っていない。百済の支配層が
いわゆる騎馬民族、具体的には扶余族だということ。
ここら辺が判らないのですが?
弥生人は通説によると、朝鮮半島からきた人となっていますね。
これには諸説あるが弥生人は渡来人によって作られたとされます。
ただ、百済国を扶余族である騎馬民族が建てた国であることは
間違ないでしょう。それは百済国のあった地域の古墳には騎馬民族
の痕跡を示す装飾品が、出土しているから伺える。
しかし、倭国を創設したのは扶余族だというのは、信用性が
ありません。
つまりさっきから私の言いたかったのは、百済国の支配層であった
扶余族がなぜ、海を越えて日本に国家を作らなければならないのか?
969世界@名無史さん:02/10/12 16:55
つまり、百済国が馬韓地方統一したのは、4世紀初頭である。この
あと人口高により、他国に流入するころならありえるとは思う。
アメリカ大陸の様な移民です。
これも通説ですが、朝鮮半島から来る渡来人にしても、朝鮮半島
の戦乱の為である。つまり国取り合戦は、椅子取りゲームと同じで、
溢れた物は、どこかに行く。又は滅亡するという具合になる。
この時期の朝鮮半島の、情勢は紀元前には中国人流入、そして
衛氏朝鮮、武帝の楽浪郡設置と侵略されている。この結果、渡来人
が盛んになったとされている。しかし扶余族の流入に対しては、
時期的に釈然としないと思います。また逆に、扶余族によって圧迫
された勢力なら少しは信憑性がある気がします。
970世界@名無史さん:02/10/12 16:56
>大規模・組織的な馬賊集団というわけです。
 しかし、馬賊集団だとしても家族も連れての移動だと思います。
しかし上記で述べたとうり古墳に馬具などの装飾品が大量に出土
はしていないのです。
>江上波夫氏の騎馬民族と扶余族が同質であり、百済国と倭を作った
という説だったと思います。騎馬民族説の批判点を百済国と比較して
述べているみたいですね。確かに最近流行ってるようなのでわか
りやすいhpでもあれば教えてください。
>人質を出したからと言ってただちに属国だとは言えない。
対等の同盟を結ぶにも人質を交換して違約のないことを誓い合うことが
ある。
全く対等ではありません。
971世界@名無史さん:02/10/12 16:56
「397年倭と国交を結び、太子腆支を人質に出す」
倭は皇子を人質に出した記録は「三国史記」にもありませんし、
もちろん「日本書紀」にもありません。百済国は一方的な人質を
出しています。また百済国が倭に攻め込んだことも「三国史記」
にもありませんし、もちろん「日本書紀」にもありません。
しかし、倭は朝鮮半島に進出した記録は数多く残されています。
これは、倭は朝鮮半島まで軍隊を送る能力を意味しています。
>もちろん6、7世紀の百済は倭国の援助を受けているのだから対等とは
言えない。しかしあなたの言うような、明国と朝鮮の関係とは違う。
なぜなら朝鮮国王は明国に册封されているが、百済国王は倭国王に
册封されたものではないからだ。だから真の意味の宗主国ではないし、
救援の義務があるわけでもない。ここら辺一体。
972世界@名無史さん:02/10/12 16:56
一番最後の百済国は中兄大皇子は、百済王の位をに与えています。
この時点でサクホウされていると言って良いでしょう。
倭は聖徳太子のころから、中国と対等に外交を行ってきました。
有名な「日出天子から・・」あったはづです。
また斉明天皇時代には、第四回遣唐使には服属した蝦夷人を連れて
行って唐の高宗に誇らしげに見せたとされています。
天皇家にしてみれば東夷族を服属させたのだと言いたかったので
しょう。百済国は正に同じことを意味していたのです。
このことから、前に言ったが百済国と倭は朝鮮と明の関係と同じであ
って、白村江の戦いの出兵は、同属のよしみで助けたのではない
と判ります。
973世界@名無史さん:02/10/12 16:57
ここまでです。↑
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>>967
3世紀の倭と6世紀の倭は連続性が無い、
つまり別の集団と見て良いのでしょうか?
976世界@名無史さん:02/10/12 17:17
>>975
中国の史書を読む限りありえない。
977世界@名無史さん:02/10/12 17:19
>>976
具体的にお願いします。
978世界@名無史さん:02/10/12 17:24
>>977
三国志から隋書に至るまで、倭に対する記述はほとんど変わっていないから。
979>986:02/10/12 20:39
扶余人は、半農半猟
遊牧民じゃないよ。
980世界@名無史さん:02/10/13 00:13
>968
>つまりさっきから私の言いたかったのは、百済国の支配層であった
>扶余族がなぜ、海を越えて日本に国家を作らなければならないのか?

百済からではなく、加羅からと言ったはずだけど。
で、なぜ日本を?
それは3世紀までの加羅(広義の加羅)南部と北九州とは、出土品から
見て同じ倭人文化圏だったから、加羅を支配した扶余はついでに北九州を
支配した。そこから列島の支配を広げた。
なぜ支配を広げるかといえば結局はより多くの「人口」を支配したいからだ。

支配欲に対してなぜ?というならばジンギスカンやアレキサンドルの帝国
だって、なぜ?ということになる。

>しかし上記で述べたとうり古墳に馬具などの装飾品が大量に出土
>はしていないのです。

だから「大量に」出なければいけないのなら、本場の高句麗にはどのくらい
の馬甲が出たのか?と聞いている。
<続く>
981世界@名無史さん:02/10/13 00:15
<続き>
>ただ、百済国を扶余族である騎馬民族が建てた国であることは
>間違ないでしょう。それは百済国のあった地域の古墳には騎馬民族
>の痕跡を示す装飾品が、出土しているから伺える。

その程度には日本だって出ているよ。
いちばん出るのは加羅だ。加羅の古墳からはすべて揃った馬甲が少なくとも
2セット出ている。その形式は細部まで日本で出た馬甲、そして高句麗古墳の
騎馬図と一致する。(ここで馬甲と言っているのは馬兜その他を含む)

>百済国は一方的な人質を出しています。

上位にある豊臣秀吉が下位にある徳川家康に、妹の旭姫を「一方的」に嫁がせ
ている。これだって一種の人質だけど?

>また百済国が倭に攻め込んだことも「三国史記」
>にもありませんし、もちろん「日本書紀」にもありません。

では倭が百済国に攻め込んで、臣下の礼を取らせたことはあるの?
982世界@名無史さん:02/10/13 00:16
>>980
ありえないよ。
3世紀以降は畿内文化が主流であることは、考古学的に
証明されている。
983世界@名無史さん:02/10/13 00:18
>>981
百済国が倭の属国であることは、宋書や隋書で明らかですよ。
984世界@名無史さん:02/10/13 00:19
男と、女では意味が違うと思われ。
985世界@名無史さん:02/10/13 00:20
>>980
逆じゃないの?
畿内勢力が、半島南部に基盤を作ったじゃないの?
986世界@名無史さん:02/10/13 00:25
3世紀は微妙な時代で、北九州の勢力と畿内の勢力は、考古学的に見れば互いに
拮抗しているように思います。だから今だに邪馬台国九州説と畿内説が論争になって
いるわけ。ところが、4世紀になると完全に畿内勢力が主流となってくるのが、考古学的
に分かってます。
987世界@名無史さん:02/10/13 00:42
百済にせよ、加羅にせよ人口は日本に比べて圧倒的に少なかった
と思われるので、日本征服なんてありえないと思う。





988ベンゼン中尉 ◆zydmbsoahk :02/10/13 00:56
百済は日本の属国というよりも、友好国という感じですね。
最期には日本に助けを求めてきましたね。
百済王朝の末裔も日本人の中にいるかもしれませんね。
989世界@名無史さん:02/10/13 02:06
段々本性が見えてきましたね。>>981
>それは3世紀までの加羅(広義の加羅)南部と北九州とは、出土品か
ら 見て同じ倭人文化圏だったから、加羅を支配した扶余はついでに北
九州を 支配した。そこから列島の支配を広げた。
なぜ支配を広げるかといえば結局はより多くの「人口」を支配したい
からだ。

倭人文化圏だったここまでは、特に問題はありません。半島からの
移住者はいたでしょう。しかし加羅地方は6世紀まで、小国が分散し
ていてとても百済が支配していたとは言えません。百済国が馬韓統一
したのは4世紀初めです。まして加羅地方を征服していません。
大和朝廷も4世紀には成立しています。九州も無理ですね。
990世界@名無史さん:02/10/13 02:07
>だから「大量に」出なければいけないのなら、本場の高句麗にはどのくら

いの馬甲が出たのか?と聞いている。

騎馬民族が渡来したという4世紀代に馬具などの出土資料が皆無
である。

上位にある豊臣秀吉が下位にある徳川家康に、妹の旭姫を「一方的」に嫁がせ
ている。これだって一種の人質だけど?
「日本書紀」「三国史記」を合わせれば太子を2・3度人質に出しています。
それと徳川家康の時期は、家康が下位にあるとは言えません。秀吉に
服従していない、大名はたくさんいました。また太子は世継ぎですが
姫は姫です。全く例えにもなってません。
>では倭が百済国に攻め込んで、臣下の礼を取らせたことはあるの?

ありますよ「日本書紀」には朝貢しています。まあ古代史好きの
日本人なら「日本書紀」ぐらい呼んだ方が良いですよ。
991世界@名無史さん:02/10/13 02:07
↑まで>>981
992世界@名無史さん:02/10/13 02:19
ザインは別にどうでもいい。ゾレルンでは騎馬民族が来たんだよ。
だから馬具はいずれ発見されるはずだ。
993世界@名無史さん:02/10/13 05:49
>990
>では倭が百済国に攻め込んで、臣下の礼を取らせたことはあるの?

>ありますよ「日本書紀」には朝貢しています。まあ古代史好きの
>日本人なら「日本書紀」ぐらい呼んだ方が良いですよ。

新羅王降伏の記事なら有名だが、百済王が倭に降伏した記事ってどこに
あるの?

994世界@名無史さん:02/10/13 06:02
>989
百済が加羅を征服したのではない。
扶余が加羅を支配したのだ。
そして扶余は百済と倭に建国したが加羅は最後まで間接支配の形で
残った。
995世界@名無史さん:02/10/13 08:48
<参加者募集の御案内>
韓国へのビザ免除に反対する抗議デモオフを11/3(日)に開催します。この政策
を推進する外務省と問題提起をしないマスゴミに抗議します。参加希望者は代表
りく宛にメールを下さい。
メールアドレス:[email protected]
 
「準備オフ」
・日時 10月20日 日曜日 9:00〜17:00
・場所 人形町区民会館 7号洋室(60人部屋)
・住所 東京都中央区日本橋人形町2-12-1
・地図 http://www.mapion.co.jp/front/Front?nl=35/40/53.306&el=139/47/15.939&scl=10000&uc=1&grp=all&coco=250,250&icon=mark_loc,,,,,
プラカードやお面や他小道具の製作オフです。デモには参加できなくても道具のデザインや
製作をやって見たい人や道具製作は苦手だけどデモには参加したい人、どんな道具か見てみ
たい方の参加も大歓迎です。皆様で楽しくやりましょう。

「デモオフ」
・テーマ 見て楽しく、参加して楽しいショーデモ(オフ感覚)
・デモ企画書 http://natto.2ch.net/test/read.cgi/off/1033297981/378-382
・日時 11月3日 日曜日 午後(警察への最終申請後発表)
・場所 都内某所(警察への最終申請後発表)

<デモ関連スレッド>
Off板【事前】韓国ノービザ・竹島問題抗議デモ【OFF】
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/off/1033297981/l50
ハン板【事前】韓国ノービザ・竹島問題抗議デモ【OFF】
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1033303573/l50
極東板【事前】韓国ノービザ・竹島問題抗議デモ【OFF】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1033499706/l50
996 :02/10/13 17:51
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034402399/l50
こちらへお移りして下さい。
997世界@名無史さん:02/10/13 19:03
使い切らないと
998世界@名無史さん:02/10/13 19:03
新羅
999世界@名無史さん:02/10/13 19:04
百済?
1000結論:02/10/13 19:04
旗田巍は完全な電波であることが証明された。
10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。