仏教議論スレッド58

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1神も仏も名無しさん
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仏教議論スレッド57
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1360209338/

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2神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 19:38:18.31 ID:9GTJy7/H
衆等羅拝 >>1
3神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 19:50:19.82 ID:9GTJy7/H
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1360209338/998



別にアンカー間違ってないぞw
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1360209338/988は
《第一義を、【直接】【いきなり】説いても理解されないから、別の説き方がされる》
ということと直結している。(四悉壇を引き合いに出すように。)
そういう例の一環として出してるだろ?w

で、
>異教徒やバラモンへの説法と舎利弗(長部)、弥勒(法華)への説法とは分別して読まないとと
分別して読んでも、味噌も糞も一緒にはならないの。

>彼には釈尊が四枚舌に思えたかも
当時の弟子達には、自身が聞いたことのみがほぼすべてだったかもしれません。
だから、(貴方が期待wするように)或る人はAを聞きAを残す(伝承する)或る人はBを聞きBを伝承する、
それぞれ自身の聞いたことが第一と考えるでしょう。というのが貴方の理論なわけです。
が、結集というものがあり、また、現代の我々は複数部派の典籍すら参照できます。
それらを引き比べて、「師の握拳はない」という言葉を受け止めるわけです。
決して、視野狭窄的に分別しているわけではないのです。
4神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 20:06:12.73 ID:5b1H4GqL
成程。実際のインド人(釈迦)が実際のインド人に説くのだから、
それは我々が人によって態度を変えるのと全く同じであり、
当たり前の話だ。
5前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/13(水) 20:17:18.30 ID:xk/vQips
>>3
>別にアンカー間違ってないぞw

それは人違いで大変失礼しました。

>>彼には釈尊が四枚舌に思えたかも
>当時の弟子達には、自身が聞いたことのみがほぼすべてだったかもしれません。
>だから、(貴方が期待wするように)或る人はAを聞きAを残す(伝承する)或る人はBを聞きBを伝承する、
>それぞれ自身の聞いたことが第一と考えるでしょう。というのが貴方の理論なわけです。
>が、結集というものがあり、また、現代の我々は複数部派の典籍すら参照できます。

当時の弟子の中でアーナンダのみは、いつもそばにいたので、大勢の人への説法を聞いていたと思料します。
aさんへの説法の伝承がA経であり、bさんへの説法の伝承がB経であったとします。
その場合は結集しても、できるだけ改竄せずにそのまま残そうとしなかったのでしょうか。

aさんの身体と心とは別かという問いには無記でしたが、bさんには身体を乗り換えていく輪廻を説かれておりますでしょう。
6神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 20:24:23.96 ID:5b1H4GqL
>>5
だったら君は輪廻したいのか、したくないのか言ったらどうだ?
実際のインド人だぞ。口から出任せもあり、bさんが輪廻信奉者、
単なる気の迷い、理由はどうとも取れる。
7神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 20:37:16.56 ID:5b1H4GqL
>>5
君もまるで隠居のような九官鳥の如し。
輪廻に拘り続ける輪廻にどっぷり漬かっている様は誰かの呪いか?w
その理由はどこにあるのか?
おじいちゃん物語を世に認めてもらいたいと必死なのか?
だったら答えは死ねば自ずと見えるだけの話ではないか?
8神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 21:00:33.99 ID:FHspUF0j
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ - 5:36
http://www.youtube.com/watch?v=EB-bYJoqvQQ
つのだ☆ひろ 般若心経 Heart スートラ シンフォニー9 合唱版. - 5:36
http://www.youtube.com/watch?v=qy0HxmONd3g
「イパネマの心経」イパネマの娘×般若心経 - 3:00
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般若心経 - 33件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=TPsYd7EXJOU&list=PL4B675F032CA31732
other −48件の動画
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『みんながブッダ』 付録CD紹介 「白隠禅師座禅和讃」 . - 4:28
http://www.youtube.com/watch?v=haJuumt2CDQ
白隠禅師座禅和讃 - 5:12
http://www.youtube.com/watch?v=Oxs2A9cwTDw
白隠禅師 .軟酥(なんそ)の法 - 5:35
http://www.youtube.com/watch?v=-M7hqjR-0ew
.白隠禅師 軟酥の法 - 8:55
http://www.youtube.com/watch?v=GotqWQ1SBkE
..白隠禅師の世界<芳澤勝弘先生> - 14:21
http://www.youtube.com/watch?v=5EgkTHOrFvs
内村鑑三と新渡戸稲造 - 1:26:08
http://www.youtube.com/watch?v=_lHoP9Y01KA
日本 - 47件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=rP4ZXaayFQo&list=PLF113E2C8760DBD53
日本☆ - 77本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Pjn2toKjDAw&list=PL26F9A6DDA121B248
真実の日本史 - 54本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=4kkugdYQiMU&list=PL49F7A0A1D13EF4CA
日本+α - 26本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=0JM2Fw12MGw&list=PLA3683E8F44BC8FE8
9神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 21:03:54.32 ID:FHspUF0j
後で見る -115件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=N8w33yWBY5g&list=PL2E71B7D4BF9A2C32
News -44本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=ewHOhpuwA8s&list=PLtOXsQ9P8A-56ybtctol1ywV0ajepzgDs
ad - 52件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=BbYcMLOqQP8&list=PLD2E0247B94E73293
知の回廊 第68回 『縄文文化の実像を探る』 29:06
http://www.youtube.com/watch?v=Lofp_D55-b8&feature=related
.富士山噴火 - 9:33
http://www.youtube.com/watch?v=b5wD6Pzxr-k
Smooth Jazz - 110件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=eWAyVkXr-pE&list=PL27AEE88534004F0C
.The Money Fix: The Almighty Dollar - 1:19:06
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http://www.youtube.com/watch?v=hXLh6ZIJiRc
massage and spa therapy techniques and tips - 124件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=w_ObNRHnLUs&list=PLF4B2B06F1C820989
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http://www.youtube.com/watch?v=ulyVur9WpKo&list=PL8FA28134C476FBF6.
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http://www.youtube.com/watch?v=CaGKk_H6hnc&feature=list_other&playnext=1&list=SP0A20CD1325B5F22E
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http://www.youtube.com/watch?v=CNyq156TL2k&feature=bf_prev&list=PL66480E216ED077C6
編み物 - 25本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=A4WtNDoF_vU&list=PL48894FD70411608E
10前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/13(水) 21:52:21.39 ID:xk/vQips
>>5
>aさんの身体と心とは別かという問いには無記でしたが、bさんには身体を乗り換えていく輪廻を説かれておりますでしょう。

>>6
>実際のインド人だぞ。口から出任せもあり、bさんが輪廻信奉者、単なる気の迷い、理由はどうとも取れる。

aさん:異教の修行者。出典は長部経典の「ポッタパーダ経」
bさん:サーリープッタ。出典は長部経典の「自歓喜経」←輪廻信奉者ではございません。
11神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 21:58:04.17 ID:5b1H4GqL
>>10
人間のすることだと言ってるんだ。
まだ輪廻を続けたいらしいな。
君は輪廻を脱したいのかい?
そのままぐるぐる回っていたいのかい?
12神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 22:08:23.90 ID:5b1H4GqL
答えは死ぬまで絶対解けないだろう
書いてあることを鵜呑みにするがいい
不確定要素はそのまま不安として君に圧し掛かる
解決する道は捨て去るしか方法は無いのだよ。
13前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/13(水) 22:16:47.69 ID:xk/vQips
>>11
>まだ輪廻を続けたいらしいな。

この地上に極楽浄土、地上天国が顕現するまでは輪廻は続けたいですね。

この思いは浄土宗だった高校時代から変わっておりませんので、あしからず。
14神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 22:58:36.01 ID:NIPr4vuK
仏教の目指す所は
輪廻からの解脱と
仏教入門本にかいてありました
ただ輪廻はだれにもわからん
ダライラマさんもあやしいな
15神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 23:05:46.00 ID:NIPr4vuK
ダライラマさんの講演
http://www.youtube.com/watch?v=qyN12u5XWVE
16神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 23:10:15.17 ID:9GTJy7/H
>>10
またそれかw(怒

ポッタパーダ経と自歓喜経では、
そもそもの説かれている内容が別の事柄なんだが?(しかも自歓喜経も目録だしな。)
その意味では違っていて当たり前だが、背景の教義的側面は矛盾なく繋がるんだが?


んとにお前は屑だよ・・ ( ゚听)、
17SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/13(水) 23:10:47.17 ID:EF2coFOo
静けさを目指し、真実を知ろうと熱望する修行者が、ついに安らぎ(=ニルヴァーナ)に至る。

功徳を積んだ人が、因縁を生じて一切の苦悩から解脱する。

慧解脱者(仏)は法界へと赴き、身解脱(形態(rupa)の解脱)者(=阿羅漢)は法界に準じた界へ、そして心解脱者は不還となり、もうこの世には戻っては来ない。

輪廻の真実は解脱した人だけが知っている。

ただし、覚りの道においては輪廻の知識は別に必要ではない。知るべきことは他にあるからである。その知るべきことを知って、清らかな道の歩みを実践する人がついに解脱して輪廻の真実を識るのである。

***
18神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 23:13:15.64 ID:9GTJy7/H
>>10
ああ、それから、
自歓喜経では 『輪廻が【説かれている】わけではない』 からな。
もう一度しっかり読んで来い。
19神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 23:18:36.03 ID:9GTJy7/H
>>10
ああ、それから、
散々了解して、散々訂正してきたのに、また訂正前の情報に
しれーっと戻してるなw(怒

自歓喜経は 『舎利弗に【対して】説かれたものではない』 と、何度言ったらわかるんだ?



これが、一在家の本性だよw  >>一代
20神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 23:27:47.01 ID:9GTJy7/H
>>5
>そのまま残そうとしなかったのでしょうか

そのまま残されているから、8万4千の法門になるんじゃないか。
また、長老偈・長老尼偈は読んだことないのか?
あれを見れば、他の膨大な経典を見ずとも、
「対機説法」であること(一人一人それぞれがそれぞれに、自分の聞いた教えを胸に行じていたこと)
が判ると思うが・・・。
21前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 00:14:14.22 ID:5UGQYLod
>>18
>自歓喜経では 『輪廻が【説かれている】わけではない』 からな。
>もう一度しっかり読んで来い。

・沙門果としての神通が説かれております。
・神通の中には過去世の境遇を想起する智があります。
・よって『輪廻が【説かれている】わけです』

★因みに長部経典34経の内、過半数の19の経に前世、輪廻、再生に関わる説法があります(一在家調べ)。
2沙門果,3,4種徳,5,6マハーリ,7,8,10スバ,11堅固,14大本,
17,24,25,27起源,28自歓喜,30三十二相,32,33等誦,34十上

>>19
>自歓喜経は 『舎利弗に【対して】説かれたものではない』 と、何度言ったらわかるんだ?

舎利弗が聞いた話をリピートして保証されたという経だと認識しております。
ただし、彼だけに説かれた内容だという訳ではないということはこれまでのやり取りで分かっております。

>これが、一在家の本性だよw  >>一代

オイラ氏はずっとこの板におられますから、わざわざ【言いつける】必要もないでしょう。
先日、私のことを【底意地が悪い】と言って人がおりましたね。
22前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 00:19:39.99 ID:5UGQYLod
>>21
>★因みに長部経典34経の内、過半数の19の経に前世、輪廻、再生に関わる説法があります(一在家調べ)。

更に13の経に神通に関わる説法があり、21の経に神、梵天、悪魔に関わる説法がございます。

テーラワーダの方々はご存じかと。。
23神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 00:36:10.71 ID:/hflScKb
>>21
だからw、
それを言ったら、梵網経では、「準唯物論が【説かれている】」ということになるが、
それでもいいのか?

また、目録として並べられている、と何度言ったらわかるんだ?
24神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 00:39:12.47 ID:/hflScKb
>>21
>わざわざ【言いつける】必要も

彼は、(つい最近までw)
君のことを、誠実で話の通じる人間だと見ていたようだからね。
注意喚起してるだけさ。
25前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 00:43:00.34 ID:5UGQYLod
>>19 ID:9GTJy7/H
>>23 ID:/hflScKb 同じ人ですか?

>それを言ったら、梵網経では、「準唯物論が【説かれている】」ということになるが、
それでもいいのか?

意味不明です??
26前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 00:45:05.22 ID:5UGQYLod
>>24
>注意喚起してるだけさ。

オイラ氏に失礼ですね。 
27神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 00:53:24.60 ID:/hflScKb
あ、梵網経じゃなく沙門果経だったか・・。 ま、この際どっちでも変わらんかw

>>26
ハァ?(゚д゚)
何言ってんだ? 彼が、どれほど君の事を好評価してると思ってんだ。
君とは談話室以来の付き合いだが、
『対面してる時は丁寧で満面の笑みで親しげだが、後向いて舌を出す人間』
だという評価はずっと変わってねーよ。
やっぱりそうか・・・と思わせるレスが多過ぎるんだよ、君は・・。
ワシだって、物事に取り組む態度や、応答の際の丁寧さを徹底している点は評価する。
(文献分析に際しての)目の付け所にも良い所があると思う。
でも、折角のそれら長所が全部台無しになるくらい姑息な態度が本質として見えてしまうってことだよ。
ま、このレスも右から左馬耳東風糠に釘暖簾に腕押しだろうけどな・・。
28前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 01:01:17.29 ID:5UGQYLod
前のスレでニューエージ?は蜂のように蜜を摘むという譬え話がありました。

もし私が立教するならば、色々な宗教の良い所を取り入れて、尤もらしい教義を再構築する手段を取りますでしょう。

でも、まず神示、啓示があっての立教の場合は、他の宗教の教えが含まれていても同じ法が含まれているに過ぎません。
ボトムアップなのかトップダウンなのかは、終始一貫性で検証するようにしております。
例えば20年前に説かれた教義との整合性を見て、ブレがある場合は人知による創作、戯論ですね。

本当のトップダウンは神仏智によりますからブレはなく美しいものですが、結局は「信」によることになります。
29神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 01:07:11.60 ID:/hflScKb
>>25
>意味不明

マジで解らんのか?

【目録的な記述に於いて】、【言及されている】ということで【説かれている】、と見做すならば、
すべての記述が《説かれている》ということだ。
Aは×、Bは○、Cは無記・不問、Dは△、・・・etc.あるわけだが、
これらに於いて、Aは×の分類で説かれている、と紹介するならまだ良いが、
君らのやり方は、Aは×の分類でという点を捨象して・無関係に・無視して、
『Aが(教えとして肯定的に)説かれた』という言い方をするからだよ。
酷いときには【仏説として】【説かれた】と言うからだよ。
現に自歓喜経の時はそうだったろ?
だとするならば、梵網経や沙門果経での六師外道の説も、
【仏説として】(仏教として)【説かれた】と見做さざるを得なくなるぞ、ということだ。


しかし、ここまで噛み砕かんと解らんのかいな・・・。 幼稚園児かよorz
30前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 01:09:31.89 ID:5UGQYLod
>>27
>あ、梵網経じゃなく沙門果経だったか・・。 ま、この際どっちでも変わらんかw

あ、やっぱりアンカーをよく間違える人ですか。>他称セブン禅家

>やっぱりそうか・・・と思わせるレスが多過ぎるんだよ、君は・・。

オイラ氏は多分気付いてますよ。「信」に引き戻されることをです。
お互いに「信」は尊重しつつでないと、異教同士が対話することもできないでしょう。

否、身近なもの同士の方が熾烈な争いになる場合も散見されます。
31前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 01:22:33.87 ID:5UGQYLod
>>29
>現に自歓喜経の時はそうだったろ?

あの時は私と宝珠氏が手元に中村元監修の訳を持っていて、貴兄は片山訳を持っていて、訳が悪いので素人には誤解を与えかねないという結論だったと記憶しております。
第三者、立会人の宝珠氏に客観的コメントを求めてみましょう。

>Aは×、Bは○、Cは無記・不問、Dは△、・・・etc.あるわけだが、

数年前と違って貴兄の度々の指導のお陰で、前後のテキストも見るように心がけております。
そしてxさんにはBは○、yさんにはBは無記・不問 ・・・etc.あるわけです。
32神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 01:49:57.76 ID:/hflScKb
>>31


>>29>>19)の内容(及び>>25の不明な点の解決)に全く触れてないじゃないか・・w
マンゴーのことを問われムンジャ草について答えるようなもんだ。

お前さんという人物がわからんよ。
つまり、(日常に於いても)「貴方の言葉を、信用していいのかどうか悩んでしまう」ということだ。
それくらいイイカゲンな言動を重ねているという自覚を持ってもらいたいもんだ・・・ orz


>>30の>あ、やっぱりアンカーをよく間違える人ですか。>他称セブン禅家
は、侮蔑か?w


んとに、鼻持ちならないというか、信用できない胡散臭さを残すというか・・・。
リアルでは会いたくない人種かもしれんな、アンタは・・・。
33不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/14(木) 02:21:26.64 ID:Q3cLnG1o
1/2

>>前スレ572
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1360209338/572

中村元『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫 p192
874「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである。」

さらに同書p394にマハーニッデーサの註釈を参考にした中村先生の註があります。

ありのままに想う者:凡人
誤って想う者:狂人
想いなき者:滅尽定に入った者
想いを消滅した者:無色界定に入った者

とのこと。私のテーラワーダ的な知識からすると、「想いなき者」は滅尽定者ではなく無想有情ではないかと思いますが、自分でマハーニッデーサを参照したわけではないので確かなことは言えません。
いずれにせよ、梵網経と基本構図は同じで、

ありのままに想う者:現世涅槃論を説く、普通の五欲主体の意識レベルに留まる凡人

以下は修行者(沙門・婆羅門)で

誤って想う者:いわゆる宗教的世界観に取り憑かれた信仰的宗教者
想いなき者:無想有情(外道が仏教の涅槃論に対して邪見(誤解)を抱いて迷い込む境地)
想いを消滅した者:無色界定に入った者(主客未分・具象化不可能の不可知論・抽象的境地の次元にある者)

といった感じでしょうか。
34不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/14(木) 02:23:08.11 ID:Q3cLnG1o
2/2

またさらに「ひろがりの意識」についても註されていて、やはりマハーニッデーサより、
執着・邪見・高慢という戯論のことだとされています。
おそらくこの三つの区分は上の区分と対応していて、

ありのまま想う凡人←執着
妄想する信仰的宗教者←邪見
無分別主義の無色界禅定主義者←高慢

ということなのではないかと思います。
それぞれのタイプの外道者の問題の根が良く浮き彫りにされているのではないかと思います。
35SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/14(木) 02:32:09.12 ID:avmrZqLL
>>33
「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである。」

は、それぞれの区切りで分解してはならず、このまま一連の文章として捉えなければならない。

目の前のことがらを注視したとき、人がこのように想いを理解したならば、それが起こると言っているのである。

***
36SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/14(木) 02:34:26.96 ID:avmrZqLL
なお、倶胝和尚はこの機微に迫っているが、想いについての正しい理解には至らなかったので、解脱することはできなかったのである。

***
37不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/14(木) 02:38:34.61 ID:Q3cLnG1o
2'/2

ついでに四句分別とも対応させれば、

ありのままに想う者:有
誤って想う者:有かつ無(矛盾しているので「誤って」となる)
想いなき者:無
想いを消滅した者:有でも無でもない(判断・思考自体の停止)

でしょうか?
38宝珠愚者@(規制代行):2013/02/14(木) 03:13:16.87 ID:Z2w+NshK
1/2

>>前スレ878
>だから、一切以外は認めないだって、
>『相応部』
>ビクらよ! シャモンでもバラモンでも[何かを]「我」と思って見る人々は、
>誰であれ他ならぬこの五取蘊を[我と]見る
>http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

ですから、
“それら五蘊はアートマンではない”というのがゴータマの採ったアプローチ(教え)ですよ。
「アートマンは無い」ではなく、「アートマンではない」ね。つまり、非我(アートマンに非アラず)ということ。
本当のアートマンは五蘊ではなく、それらを超越したものです。

>>このように蘊以外にどんなものも我と執着することはないから(『入中論自註』対6-144)
>五蘊以外にアートマンがあると主張する外道のためにも
>五蘊の外にもアートマンはないという表現も加わっているので充分でしょう

この前述べたばかりですけれど、
部派仏教の時代に“アートマンはない無霊魂なり”といった
本来の原始仏教にはなかった勝手に創られた教義が組み込まれたわけであり、
龍樹の発言もこれ受けたものだと解します。
仏典そのものには、アートマンはないという教えはありません。
39宝珠愚者@(規制代行):2013/02/14(木) 03:24:52.51 ID:Z2w+NshK
2/2

>そもそも『梵網経』は当時のバラモン・シャモンの見解ではなく
>一切智のブッダが時間・空間を超えてあらゆる見解を六十二に分類遮断したものなので、
>詭弁であることも明らかでしょう
>だから、仏教がアートマンを認めるというのは無理だんですよ。

いえ、一代のヴェブサイトにおける『梵網経』の解説も、所詮、やはり一切について述べたものに
過ぎませんでしたね。一切内でのアートマン否定ならば、この私もまったく同意します。

『「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。それは、眼と眼に見えるもの、 耳と耳に聞
こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、心と
心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それは結局、言葉
だけに終わらざるを得ないだろう。』(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3)

それと、その「一切(法)」のことなんですが、一代もそのヴェブで引用紹介しているように、仏典
においては「別の一切はないぞ」とハッキリと言い切っています。この経文にも一切とは五蘊であり、
それ以外はないといっているというのに、その五蘊の中の一体、何処に涅槃の入る余地があると
いうのです?
まずは、「一切法の中に涅槃もある」という間違った概念と矛盾に気づくことからお願いします。
これを勝手に始めたのは部派であると仏教学は明確に指摘しています。

話は、すべてそれからですね・・・。
40不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/14(木) 03:36:46.61 ID:Q3cLnG1o
>>35-36 SRKW師
>倶胝和尚はこの機微に迫っているが

実際には指すら立てずに木から口だけでぶらさがった者のように我慢すべきだった、ということですか?

なるほど、禅系の方だと「ひろがりの意識」をそういう風(大活現前?)な意に読んだりするわけですか。

いずれにしても実体験に基いて判断できる領域ではないので、これ以上の言及は私には難しいですが……。
41宝珠愚者@(規制代行):2013/02/14(木) 05:11:03.99 ID:wAy6hycH
早過ぎてついていけない(;゚Д゚)
こんなにスレが流れて終了するとは・・・orz,

会社勤めもあるし、睡眠も採らねばならないし、妻も可愛がらねばならない(笑)
お不動さまに御給仕して御法楽(勤行)を捧げねばならない、瞑想もある・・・。
トホホ・・・です。まっ、自分のペースで参加させてもらいますよ。

>>前スレ955
まっ、いっても無駄でしょうけど(学習能力の欠如にて)、一応・・・。
無我を「ない」という意味で主張しているのは、ゴータマではないのでその辺は勘違いしないように。
その主張をしているのは後代の(現代へと続く)間違った弟子たちですから。
それと、肉体を含めた五蘊であるところの仮和合の自己は
もちろん、ウパニシャッドの説くアートマンなどではありません。
仮和合の自己は当然、そのレベルにおいては当たり前に存在しています。
だから、今日も明日も歯を磨いて顔を洗わなければならないわけ。
無我だから歯も顔もない(という意味で存在せず)、といった話ではないからね。

>>前スレ906
>さて、いきなりローマンカトリックの教皇が辞任されたようだが
>聖マラキの預言によると、最後の法王は初代法王の名と同じペトロという名らしい。

ついに“事”が始まるみたいですね!私もワクワクドキドキしています。
次の新法王には大注目しています。その方はもしかすると“普通の人間”ではないかもしれませんよ。
そして、宗教議論というのも間もなく(数年〜十年位?の内に)終焉を迎えることになるでしょうね。
尚、私はいわゆる終末戦争予言なるものは認めませんけれどね(ヒットラーの戦争で終結したという見解にて)。
42神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 06:03:06.50 ID:fVmOKJCS
>>39
>話は、すべてそれからですね・・・。

オイオイ、オイラからも言っとくは

君のような仏教は何処にもないと、単にブラバッキーが西洋人受けを狙って改変したに過ぎない説に拘ってるだけ
43神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 06:04:27.53 ID:fVmOKJCS
>>41
やっぱ、ムーミンなんだよな〜
それから出ないと、始まらないよ〜
44神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 06:05:18.45 ID:fVmOKJCS
>>32
そんな怒んなくても、ただ今回とっても彼にはガッカリしました
45カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 06:46:16.95 ID:qA0NOcQ8
原始仏典を読んでゴータマさんは業報輪廻転生を積極的に説かなかった
などと抜かす詭弁家とはまともに話ができないな。それ以前にピーマンはメンへラだし。
前スレのやり取りで気付いた。メンヘラは宗教に救いを求めるべきではない。
ましてや唯物末法仏教など糞の役にもたたん。しかしセブンとか言う奴にしろ、アホ一代にしろ
末法仏教の僧侶は一日中ネットに貼り付いていい身分だな。こちとら世俗にもまれて
毎日ヘトヘトだぜ。そういや大乗仏教の代表格でもある禅宗を原始仏教だと言っていた
トンデモさんが昔いたが、どうもバカルカの匂いがするんだが気のせいか?
46神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 07:09:31.25 ID:VOXQa6CH
八正道を言う人間が八正道のカケラも無いのがここの住人の特徴だなw
羞恥心を母親の体内に忘れてきたのでしょうか?
47カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 07:16:08.73 ID:qA0NOcQ8
アホ一代は自性と真我の違いもわからんようなので教えてあげよう。
と言ってもアホ一代は邪悪なので聞く耳持たないと思う。だから聞く耳のある人に
話してあげよう。自性とは初めもなく終わりもなく元からあり、縁起に因らずそれ単独で成立しているもの。
生まれもなく、終わりもなく、縁起に因らずそれ単独で成立しているものとは
一切外にあるもの。ややこしいのは、”それ” の本質は言葉で表現するなら「無」であること。
相がなく成立しているとはそういうことだ。で、ゴータマさんは一切外のことをいつ否定したわけ?
ゴータマさんは否定したわけじゃなく、あくまで無記を通しただけだろ。なぜなら識別し得ない
”それ” は、正確に言うと識別智である言葉では表現し得ないものだから。だからゴータマさんは
”それ” に対しては無記を通したんだよ。一方、末法仏教の始祖、竜樹のカスは、言葉で
表現し得ない ”それ” を自性という言葉で考察するという初歩的で致命的なミスを犯しているけどな。
よう末法仏教徒達は、中論みたいな出だしから間違っている糞の役にも立たない
言葉遊びの論書をありがたがってるわ。全ての根源である ”それ” は最上のものであり、
ゴータマさんは自分を ”それ” としてふるまった。だから時として仏典ではブラフマンをも馬鹿に
するような記述が仏典には見られる。ま、あれは後世のアホ弟子達によるゴータマさんへの
神格化の賜物なんだろうけどね。で、仏教における真我とはブラフマンだろ。これは創造原理
のようなもので、これは一切に含まれる。もちろん縁起により成立する無自性な空だ。
ゴータマさんはあくまでこの一切に含まれるものの全てには自性(アートマン)は無いと言っただけで
アートマン自体は否定していない。ただ、”それ” の本質は「無」であるから、
あるでもなし。ないでもなし。あるでもないでもなし。という曖昧な態度をとり、識別し得ない ”それ” は、
識別智である言葉では正確に表現し得ないものなので、無記を通したんだよ。
48前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 07:17:56.94 ID:5UGQYLod
>>32 他称セブン氏
>>>29>>19)の内容(及び>>25の不明な点の解決)に全く触れてないじゃないか・・w
>マンゴーのことを問われムンジャ草について答えるようなもんだ。

唯物論を否定した仏説なのに、前後のテキストを読まずに仏が唯物論を説いたとミスリードするな、ということは分かっております。
この数年間での貴兄の厳しいご指導を受けてできるだけ注意するようにしております。
49神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 07:19:33.80 ID:fVmOKJCS
>>41
確かに無我という言葉は龍樹菩薩以降、それは文献学的に承認されています

だけど、釈尊が一切以外のアートマンを認めた、あるいは暗示したという伝統仏教は、チョナンパなど異端説以外ありません。
そう主張する文献学者は少数。

その数は釈尊が輪廻を否定したという文献学者と同じぐらいだと思われます。

どちらも、自説が先にあって自説に合わない部分は編纂した弟子の誤解とする点で同じ。

私が知る限り根拠はありません。

根拠がないなら、後代の全伝統仏教に支持される説が妥当と考えるべきでしょう。

どちらも、釈尊の説を分かってるのは自分だけという点で同じです。
それなら寧ろ誤解しているのは自分だけと考えるのが自然だと思いますが、どうでしょう。
50カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 07:20:35.57 ID:qA0NOcQ8
>>46
で、君は八正道の意味がわかってんの?
八正道の頭には正見がくる。正見とは真理を正しく理解するということだ。
全てはここから始まり、ここが間違っていると、残りの八正道の項目も全て間違う。
真理を正しく理解する。非常に重要だぞ。ここが間違っていると、全ての行も道を踏み外す
可能性が大だからな。
51神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 07:26:49.93 ID:fVmOKJCS
>>47
基本的にスヴァバーヴァ/サバーヴァという意味での自性は、部派仏教以降の概念なんだけどな〜

釈尊が自性という言葉を、君の言う意味でどこで使ってるのか?
それを出さずに妄想を言っても宝珠ぐらいしか信じないだろう

確か、否定しているけど自性という言葉は佐倉哲のホームページあたりを読んだ時に引っ張ったんだろうけど、一切も明らかにそうだからな、中論で自性などないと言われる自性は正に部派の概念なんだって、ずいぶん前にも言ったよ

ほんと、『ウダーナ』もネット検索だろ、誰かが自分の訳だとか言ってたなw
52神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 07:30:25.67 ID:fVmOKJCS
>>46
そりゃそうだよ。書かれてる通りできる人しか発言できないならブッダしか発言できないから。
なにせ、話題は勝義とか涅槃とか、そういうことばかりなんだから

そういう部分は棚上げしてテキストに基いて話してるだけね
53神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 07:31:45.78 ID:VOXQa6CH
>>50
怒り=自分の妄念で頭がいっぱいの人間が正見できないことくらいは解りますよ。
自説を押し通す事で自分ばっかりになってる人間も同じ。
54カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 07:36:23.42 ID:qA0NOcQ8
>>51
な、アホ一代は聞く耳がないだろ。
おまえがどういおうが、自性(アートマン)とはそういうもんだろ。
違うか?屁理屈垂れ。宝珠氏は君にシンパシーを感じると言っていたが
俺は今まで汚い世界から、一般の社会まで色々人を見てきた。君は相当我が強い邪悪な人だ。
俺が書いた>>47の文章は重要だと思うぞ。お前に話しても仕方ないが、聞く耳のある人は
心に留めたほうがいい。八正道はまず、真理を正しく理解する正見から始まる。
すべてはそこからのスタートなんだよ。
55カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 07:42:41.80 ID:qA0NOcQ8
きっとゴータマさんが今の時代に現れて、ヴェーダを誤謬していた
当時のバラモンを自称する人達と同じく、邪見に満ちた君ら末法仏教徒をみればこう言うと思うよ。

「信仰を捨てよ」。てね。
56神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 07:51:43.85 ID:LMGCJSRR
 

倶胝和尚自身が真似小僧の指に止まってしまった
 



 
57神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 07:52:57.46 ID:fVmOKJCS
>>53
ここは説法スレでも道場でもないんですけど
真理や教えを説いてるわけじゃないんです

そこは勘違いしないでほしい

それとアナタも批判することで同じ穴の狢だということもお忘れなく〜

>>54
君の言う「聞く耳」とは自分のオカルト話を信じるヤツのことだろw

オイラは間違いも認められるし他人の文もキッチリ読んでるつもりだ

だが、君がいうような自性にしろアートマンにしろ、そんなものを伝統仏教で認めるのは少数の異端派だけなのは仏教をちょっとやったヤツなら誰でも知ってる

それを知らない君のようなオカルト話を信じるタイプのヤツだけが「聞く耳」を持つだろう

その証拠に2000年ぐらいから君の書き込みを見てきたが、賛同支持したのは宝珠以外、二三人だったと記憶する。

それ以外は無視するか、否定しただろう。

それと正見というのは道の始めでは、単なる信なんだよ。
始めから見方が分かってたら、聞思する必要ないだろ。
仏法僧への信から入って、教えを聞思して初めて正しい見方になるわけだ。

そして正見の反対は邪見なんだけど、これが正に君が説く常見に他ならい。
恒常不変な何らかの自性(アートマン)があるというのが常見に他ならないのだから。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E5%B8%B8%E8%A6%8B&mode=search&uop=1
58前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 07:54:05.09 ID:5UGQYLod
>>47 カラス氏
>一切外にあるもの。ややこしいのは、”それ” の本質は言葉で表現するなら「無」であること。
>相がなく成立しているとはそういうことだ。で、ゴータマさんは一切外のことをいつ否定したわけ?

(「仏教のこころ」中村元,P78)
このように、仏教は形而上学的原理としてのアートマンを否定し、そのためにこの思想的立場は無我説と呼ばれていますが、それは決してアートマンを否定したのではありません。
客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)ということを主張したのです。
アートマンが実在するか否かということについては、まったく沈黙を守っていました。
このことから仏教を無霊魂説と解するのは誤りです。

上記の中村先生のテキストは、カラス氏と宝珠氏が繰返しこの板で提示している内容とほぼ同じように思料します。
オイラ氏は学者の話を鵜呑みにせずに原文を提示しなさいと言われましたが、セブン氏ならぬ異教にそれを求めることは酷(無慈悲)でしょう。
膨大なテキストを読み、訳してきた一権威の言は「準テキスト」として提示しても宜しいかと存じます。

PS
カラス氏、宝珠氏は生業が忙しく、このスレの流れの速さにはついていけないと嘆いておられます。
最近、私はヒマ(寝繁)モードに入っておりますので流れに乗っておりますし、数十年来の気掛かりだった祖父母の遺稿の再出版も今回できました。
59カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 07:55:25.36 ID:qA0NOcQ8
>>51
おまえ、ウパニシャッド読んだことないのか?
スッタニパータにもウパニシャッドに書かれている文章を引用した部分があるんだぞ。
ダニヤの章の、「神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」が
繰り返し述べられている詩の部分な。そのウパニシャッドには繰り返し、スーブァハ(自性)
と言う言葉が出て来るんだが。スーバッハ(自性)はヴェーダのテーマでもある。
おまえ、嘘書くなよ。
60カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 07:57:44.20 ID:qA0NOcQ8
>>57
だから俺がいつ常見したんだよ。おまえ、人の話をちっとも理解していないじゃないか。
61カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 08:01:45.58 ID:qA0NOcQ8
さて、聞く耳のない人にいくら言ってもしょうがないので、聞く耳のある人に話そう。
この世界は縁起により成り立つもの。では、その縁起は何が引き起こしたのかな?
それを理解すれば、この世界の創造主の正体を理解するだろう。なにもゴータマの仏教と
矛盾するものはない。
62前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 08:02:00.98 ID:5UGQYLod
>>58
>セブン氏ならぬ異教にそれを求めることは酷(無慈悲)でしょう。
誤 無慈悲
正 少慈悲
63神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 08:14:46.30 ID:5UGQYLod
>>61 カラス氏
>この世界は縁起により成り立つもの。では、その縁起は何が引き起こしたのかな?
>それを理解すれば、この世界の創造主の正体を理解するだろう。

法(law)には立法者(lawgiver)がいる、という先日の議論ですね。
この場合は法(縁起の法含む)は無為でなく有為(変更可、無常)になりますね。

もし釈尊に「縁起の法も設定者がいるのか?」と質問できたら、「私は黙して語りません。」でしょう、多分。

カラス氏の信仰では立法者(lawgiver)が登場しますでしょう? 私の神向でも登場します。
でもそれはお互いの「信」に依り、仏教徒や他教に主張しても空しいかと存じます。

それから「一切」という言葉も空性なので要注意です。
「一切皆苦」と言った場合は如来(無為)を含みませんが(セブン氏根拠提示)、「一切智」と言った場合は無為も含むそうです。
如来は自身の智で「一切智」と言ったというテキストは矛盾してる、と多分御隠居辺りから指摘が出るかも知れません。
64カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 08:18:55.95 ID:qA0NOcQ8
>>58
今日はだいぶサービスしてしまった。
でもここで真理を話すのは豚に真珠のようで無駄なのかもしれない。
案の定、犬は噛み付いてくるわけだし(苦笑)
君にあまりレスを返さないのは別に他意はないので誤解のないように。
しかしここの邪見をばらまく糞坊主ツー馬鹿ペア。一日中2chにへばりつきやがって、
他にやることないのかよ。こんなとこで油売ってる暇あったら、菩薩行でもしてこいって、たわけが。
65成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 08:20:56.18 ID:NSc55Z+b
>>58(オカルト在家)
>仏教は形而上学的原理としてのアートマンを否定し、そのためにこの思想的立場は無我説と呼ばれていますが、それは決してアートマンを否定したのではありません。

意図的にボタンを掛け間違えるな。
検証不能のことがらについては誰も断定できない。
否定にせよ肯定にせよ、断定することは無責任だ→無記。

で、検証可能な範囲(一切)では、霊肉二元論的超我(真我・プルシャ・アートマン・アンパンマン・スーパーマン・ウルトラマンなど)は
は確認できず、無い(有⇔無の無)=一切法無我だ。

『中村先生のテキストは、カラス氏と宝珠氏が繰返しこの板で提示している内容とほぼ同じ』ではない!
真逆だ。

だからお前は暇をもてあます姑息な心情の持ち主と言われる。
66カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 08:23:33.61 ID:qA0NOcQ8
>>63
はぁ〜。いい加減疲れるな。だから真我と呼ばれているものも
一切に含まれているものであり有為であり、縁起によりなる無自性な空であり、
無常だとあれだけ教えてあげてるのに、本当に理解力の無い人だ。
67神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 08:25:27.71 ID:VOXQa6CH
>>57
そういうスレですか。
気がつかないですみません。
テンプレに書いておいてくれれば助かります。
ただ他人に説く前に自分が実行しないのは本当は信じていないのかと疑問に思っただけです。
68カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 08:26:25.00 ID:qA0NOcQ8
>>29
で、おまえ。この理屈ぽさからいってバカルカの匂いがするんだが、おまえ、バカルカなのか?
69前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 08:34:37.52 ID:5UGQYLod
>>68
バカルカって福音書筆記者のルカの蔑称ですか?
70神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 08:37:29.72 ID:fVmOKJCS
>>67
う〜ん、基本的にはなんでもありなんで、なるべく限定しないのがいいと思ってます

それと別にスレ主でもないし、スレを立てたこともありません

う〜ん、そこも難しいところですね。その判断は各自がそれぞれすればいいんじゃないでしょうか?
71神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 08:37:42.42 ID:hoggxKg4
>>868 宝珠さん
>それは“機能的な実体としては認めない”というだけのことでしょう。
> 私には、アートマンについての正しい理解という意味に捉えても別段、
> 問題ないものと思われますが・・・。

やっぱりそう考えてるよね〜。「アートマン」って言葉が使われるときは、
何かしらの掴まれる「存在」を指していうわけだけど、
仏教が存在として認めるは、縁起によって知覚されるものだけ、つまり有為、無常で、仮設するしかできないもの
もし仮に、そのように知覚されたアートマンが究極の悟りだとすると、そういう有為で無常で虚妄なものが究極ってことになっちゃう
で、知覚されないアートマンとか神は、一切の中に見つからないから、説かれない。非法と呼ばれる。

>ゴータマは単なる境地(状態?)としてこれを示した。
>しかし、バラモン・ヒンドゥーは涅槃に在るその存在そのものを説いたのだと思います。

そうなんだ、仏教の涅槃は、上記のように考えると、梵天さまですら、有為なる存在として、手放してる、はず
72カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 08:38:17.45 ID:qA0NOcQ8
>>69
違う。やたら理屈ぽくって、あー言えばこう言う、恐ろしくエゴの強い、禅宗かぶれのアホウだよ。
73神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 08:39:08.75 ID:VOXQa6CH
>>68
理屈になってるように見えましたか?
単なる愚痴にすぎませんよ。
バカルカなる人物のような人は現在ここでは確認できませんね。
もういないかすっかり前とは変わってしまったのかのどちらかでしょう。
74神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 08:39:20.51 ID:hoggxKg4
>>868 宝珠さん

>ID:+jZkqXHWさんは一代ではない、と?
>ん誰かな?いつから参加??

前スレで諸法無我の諸法に無為法の涅槃が含まれるか、ということで宝珠さんと議論させてもらいました〜
一代さんやセブンさんから、ここや質問スレで多くのことを学ばせてもらったものです

一代さんの言ってることは難しいけど、自分の理解や先入観を捨てて、
一生懸命に読み取ろうとすると、凄く優れていることが分かるよ
色々な経典や論書が一気に読み易くなる
75カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 08:41:33.83 ID:qA0NOcQ8
>>73
そいつは失礼した。
76前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 08:46:11.52 ID:5UGQYLod
>>73
>もういないかすっかり前とは変わってしまったのかのどちらかでしょう。

確かにあの方?も縁起されて、前とは変わってしまったように思います。
77神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 08:49:24.72 ID:hoggxKg4
>>38 宝珠さん
>仏典そのものには、アートマンはないという教えはありません

うん、知覚されてないから、当然、説かれない、よね。

>>39
>それと、その「一切(法)」のことなんですが、一代もそのヴェブで引用紹介しているように、仏典
>においては「別の一切はないぞ」とハッキリと言い切っています。この経文にも一切とは五蘊であり、
>それ以外はないといっているというのに、その五蘊の中の一体、何処に涅槃の入る余地があるというのです?
>まずは、「一切法の中に涅槃もある」という間違った概念と矛盾に気づくことからお願いします

それは、「一切=一切法」っていう前提で考えるから、そうなるんだよ。
実際は、「一切≠一切法」で、「諸行≠諸法」と言い換えられると思う。
左辺は、五蘊といった縁起・仮設したもの。行(あるいは識?)から生じたもの。
右辺は、「仏によって説かれたすべて教え(法)」。

一切(諸行)を、縁起した存在として知覚し、その無常なる存在を仮に言葉にした(仮設した)とき、それは有為法と呼ばれる。
一切(諸行)をすべて滅して、手放した涅槃の境地を仮に言葉にしたとき、それは無為法と呼ばれる。
78神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 08:54:54.97 ID:VOXQa6CH
>>75
こちらこそ失礼しました。
仏教においては頭で理解するのと
それを実行する事には難易度が天地ほども開いています。
八正道などを完全に実行できるのはそれこそ仏でしょう。
一般人には酷な事でした。
79成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 08:57:42.55 ID:NSc55Z+b
前スレ>>985(オカルト在家)

【一切衆生の心中に みな仏性あり。如来蔵を 具せり。】(空海)
           ↓ ↑
【衆生無仏性・・しるべし、無仏性の道取聞取、これ作仏の直道なりといふことを。
 しかあれば無仏性の正当恁麼時、すなはち作仏なり。
 無仏性いまだ見聞せず、道取せざるは、いまだ作仏せざるなり。】(道元・正法眼蔵 仏性より)

仏性について、道元のほうがはるかに深く透徹した境地に達している。
80神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:05:54.99 ID:fVmOKJCS
>>59
オイオイ、ウパニシャット、ジャイナ文献の共通文が苦行者文学と言われてるのは知ってるよ。

その研究によって中村元の岩波文庫シリーズが改訳されたこともね

苦行者文学というのは、要するに言い習わしってことだよ。何もおんなじことを述べてるわけじゃない。

ほぼ同時代で同地域なんだから同じ言い習わし、言語習慣に依ってるのはちょっと考えればわかるでしょ

例えば、今ここで話してるオイラもセブンもパーピマンもカラスも生命教も在家も宝珠も遊びも、それぞれ考え方は違うけど同じような言い習わしを用いてる

>繰り返し述べられている詩の部分な。そのウパニシャッドには繰り返し、スーブァハ(自性)
>と言う言葉が出て来るんだが。スーバッハ(自性)はヴェーダのテーマでもある。

そうだろう。だけど、釈尊は以下のように自性って言葉を使ってないぜ。
仏教では自性って概念は部派時代に取り入れられたというのが異論のない定説だ
http://search.tipitaka.org/solr/web?q=sabh%C4%81va&fq=script%3Aromn&facet.field=volume

サバーヴァこれがパーリの自性の原語だけど、ニカーヤでの用例はアパダーナ一箇所だけだ
アパダーナってのはジャータカみたいな前世譚だ

漢訳で阿含部に限ると以下の通り
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%87%AA%E6%80%A7&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E9%98%BF%E5%90%AB%E9%83%A8

その内『雑阿含』は君のいう自性でないのは明らかだ、『央掘魔羅經』は用例が結構あり面倒なんで観てないが、そこに君のいう用例があるというなら、
自分で見つけてくれ

見つけられないなら、もうその主張は引っ込めるしかなだろ
それともチベットやサンスクリットのアーガマを探すかだが、君ができるとは思えない。
それにそんな用例があったら、必ず学者が報告してるよ。それは間違いない。
81神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:12:09.47 ID:fVmOKJCS
>>79
T2582_.82.0091c07: 正法眼藏佛性
T2582_.82.0091c08: 釋迦牟尼佛言ハク。一切衆生。悉有佛性。如來
T2582_.82.0091c09: 常住。無有變易。11コレ12ワレラカ大師釋
T2582_.82.0091c10: 尊ノ師子吼ノ轉法輪ナリト13イヘトモ。一
T2582_.82.0091c11: 切諸佛。一切祖師ノ。頂眼睛14ナリ。參學
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=2582_,82,0090&nonum=&kaeri=

そういう批判仏教みたいなしょうもない理解だから、行の側面がでてこないんだろうね
82カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 09:12:29.91 ID:qA0NOcQ8
>>80
だからいつゴータマはヴェーダを否定したと言ってんだよ。
ま、お前に話してもしょうがない。ここでスッタニパータの全文が読める。
ゴータマがヴェーダをどう扱っていたかは各自がこれを読んで判断すればいいだろう。
もちろん肯定的に捕らえていたなら、スーバッハ。すなわち自性と呼ばれているものを
彼は否定していないとなる。
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
83カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 09:15:16.14 ID:qA0NOcQ8
>>80
お前は、当時ゴータマが批判した邪険に満ちた、現代のバラモンだよ。
84神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:15:51.53 ID:XQuNXsPs
自己に寄る辺としなさい。法を寄る辺としなさい。

自己=アートマン=法=涅槃
85神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:17:00.65 ID:fVmOKJCS
>>82
うわ〜、ここまで証拠突きつけられても認めないのか

言っとくが、自性に関して君は一つも証拠を出せてないぞ

それも認められないだろうけど
86パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/14(木) 09:24:15.03 ID:Bfdjhfxz
>>45 wwwwwwww
>それ以前にピーマンはメンへラだし。

いや〜〜〜〜ww、オレもこの宗教板、結構、長いし、それこそ無数の者と絡み
あったが、精神病扱いにされたのは初めてだわww
自分がキチガイであるとばらされて、さりとて反論もできず、悔しまぎれに
「おまえもな〜」とオウム返ししてみたわけかww


>前スレのやり取りで気付いた。メンヘラは宗教に救いを求めるべきではない。

う〜〜〜〜〜〜〜ん、これは何ていうか、「自己批判」っていうやつか?wwwwwwww
87神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:24:20.47 ID:fVmOKJCS
>>84
ありえない

自洲法洲というのは、自分自身に依れという意味じゃないよ
輪廻という暴流の中で仏教という筏に乗ることのできる人身という中洲に依り、
仏教という法の中洲・筏に乗って、涅槃という暴流の向こう岸に渡れという意味

アッタ・ディーパ(自洲)というのは、大海のうちにおける島のように、自らを島(よりどころ)として確立してあれ。アッタ・サラナ(自帰依)というのは、自らの趣くところであれかし。決して他のものを趣くところとするなかれ。     スマンガラヴィラーシニー

ここでいう自とか自分、私というのはもちろん世間の言い習わしに添った仮設にほかなりません。
88神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:26:48.45 ID:XQuNXsPs
>>87

ブッダがそう言ったのですか?それとも、あなたがそう思ったのですか?
89成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 09:28:51.08 ID:NSc55Z+b
>>81
>そういう批判仏教みたいなしょうもない理解だから

そういう成りすましペンキ屋仏教みたいなしょうもない理解だから、
揚げ足を取り損なう。
空海との対比だ。
正法眼蔵「仏性」全体の趣旨をつかめてない者の姑息な書き込みだw


前スレ>>959
『道元の正法眼蔵の仏性を的確に読めば掴める(ハズ)。
「仏性」の章は丁寧に達意の文体で説いてあるから、分かるはずだ。

誤解されがちだが、正法現蔵での道元は「仏性」を二項相対的意味では使っていない。
まさにアタシのいう縁起の直接現実「無分別」そのものの示唆・比喩語として使っている。

仏性はそのまま無仏性である、といっている。
馬祖のいわゆる即心即仏=非心非仏(無門関30・33)と同趣旨。
『いはゆる人は作仏すとも、仏性は作仏すべからずといふ、一隅の構得あり、六祖これをしるやいなや』
 
90カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 09:28:57.35 ID:qA0NOcQ8
>>85
はぁ〜。ヴェーダのテーマはスーバッハ。つまり自性と呼ばれているものだ。
ゴータマがヴェーダを肯定的に捕らえているなら、もちろん自性と呼ばれているものにも
肯定的だとなる。ま、お前に話してもしょうがない。高いけど図書館行けば読めるだろ。
興味がある人はヴェーダの聖典ウパニシャッドでも読んで各自判断すればいい。
明らかにヴェーダの聖典、ウパニシャッドに書かれているテーマは、スーバッハ。自性と呼ばれている
ものだから。そこにはスッタニパータのダニヤの章の、「神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
と、そっくりな文章を見つけるから。そろそろ寝るわ。俺はお前と違って、世俗の義務を果たさないと
いけないからな。ちゅうかおまえ、案外女じゃねぇの?妙に浅知恵なんだよね、おまえ。
91パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/14(木) 09:31:38.80 ID:Bfdjhfxz
>>57
>その証拠に2000年ぐらいから君の書き込みを見てきたが、賛同支持したのは宝珠以外、二三人だったと記憶する。

ホントか?w 二三人もいたのか?w
それって、カラスがいつもやる自演じゃねえの?
「カラスが登場する前に、『カラスさん』はすごい・・みたいな前振りするやつ」wwww
今まで何度もやってはバレて恥さらしたじゃんwww
92神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:33:05.08 ID:fVmOKJCS
>>88
ブッダがそう言ったと伝統仏教でもまともな文献学者も捉えています。

自灯明という訳は、増谷文雄が主体とか自己を認めたいという現代の思想に阿った訳で、自分の判断に依れというのももちろんその流れです。
93神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:39:33.89 ID:XQuNXsPs
>>92

なるほど、「伝統仏教でもまともな文献学者」が言っているのですね。ブッダではないわけですね。
ブッダはややこしい解釈を必要とする言葉を言うでしょうか。彼は直截に真理を語るのではないで
しょうか。

彼は、「自ら」という言葉を使いました。それを「法(真理)」と並べました。それがブッダの言った
ことです。「自ら」は自我ではない。ならば、アートマン、真の自分である。それは、真理(涅槃)でもある。
という簡単なことではないかと思います。学者は難しく考えるのが好きですからね。
94神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:41:45.14 ID:XQuNXsPs
ちなみにこのように語っても、偉大なる聖者ブッダをいささかもおとしめているわけではありません。
95パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/14(木) 09:43:29.96 ID:Bfdjhfxz
って言うか、一代もセブンも、よくカラスみたいなカスに丁寧に対応するなあww
感心するわww
俺なんかにとったら、こんなカス、おちょくり対象でしかないんだがwww

やっぱり、仏教徒としては仏教に関してデタラメ流布されることを看過できない
・・・・・・・ということなんだろうがwwww
96神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:45:38.91 ID:fVmOKJCS
>>90
>はぁ〜。ヴェーダのテーマはスーバッハ。つまり自性と呼ばれているものだ。

一応訂正しとくけど、スヴァバーヴァね。
で、『リグ・ヴェーダ・サンヒター』にはスヴァバーヴァって全く使われてないけど?
http://fiindolo.sub.uni-goettingen.de/gretil/1_sanskr/1_veda/1_sam/1_rv/rvh1-10u.htm

それとヴェーダのテーマはカルマン(祭式)だよ。
これは古代宗教に共通する呪術・供犠みたいなものだと考えられている。
ヴェーダのテーマが自性とかアートマンというのは新説だな。

>ゴータマがヴェーダを肯定的に捕らえているなら、もちろん自性と呼ばれているものにも
>肯定的だとなる。ま、お前に話してもしょうがない。高いけど図書館行けば読めるだろ。

アートマンとかスヴァバーヴァって言葉は後代のウパニシャットあたりの概念で、
祭式主義から苦行や三昧主義になるってのが一般的な解釈だと思う。
そして釈尊は苦行でも三昧主義でもだめで縁起による観によって悟ったというのも一般的な学者の共通認識だと思う。
もちろん、伝統仏教では一貫してそう考えられている。

アートマンとの合一を釈尊が説かれたと主張する勘違い学者もいるけど、スヴァバーヴァを釈尊が説かれたと主張する学者はいない。

なぜなら、そんな記述はないからだ。
97神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:47:48.66 ID:fVmOKJCS
>>93
>彼は、「自ら」という言葉を使いました。それを「法(真理)」と並べました。それがブッダの言った

「自ら」ではなく「自洲」です。

>「自ら」は自我ではない。ならば、アートマン、真の自分である。それは、真理(涅槃)でもある。
>という簡単なことではないかと思います。学者は難しく考えるのが好きですからね。

無理ですよ。
98神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:50:38.21 ID:fVmOKJCS
>>95
一応、誰にでも仏教の素晴らしさに気づいてほしいというスタンスで書いてるつもりだから

まあ、偶にムッとするけど、じゃないと書く意味がないと思う

もちろん、自分の誤解を指摘して直してもらったり、話してるうちにいろいろ気づくこともあるけど
99神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:54:20.44 ID:hoggxKg4
>>93
>なるほど、「伝統仏教でもまともな文献学者」が言っているのですね。ブッダではないわけですね。
>ブッダはややこしい解釈を必要とする言葉を言うでしょうか。彼は直截に真理を語るのではないでしょうか。

うーん、参考にならないかもしれないけど・・・。
自洲、法洲の教えって、出家者の弟子のために、もっと言えば、一切皆苦に気づいている者のために説いたもの、じゃない?
ということは、一切皆苦に気づいていない、世俗の常識人が読んでも、理解できないかもよ?

仏の教えは空だから、その受け取り方は、読んだ人によって変わってしまう。
「自我がある」という想いが強い人には、「ブッダは自我があると言っている」という風にも読めてしまうのよ。
あるいは、「無我」っていう教えが、異様に目について、排斥したくなったりする。
ブッダは、そういう自我を信じる人には、自洲の教えは説かれない、気がする。

一代さん、この辺り、どう思われますか?
100神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:58:12.34 ID:/hflScKb
ID:XQuNXsPsは、最近よく見かける
腐したいだけの人でしょ。
101神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 09:58:22.41 ID:XQuNXsPs
>>99

私は「自我」でないと書いていますよ。一切皆苦=真理を悟っているなら、教えを
必要としません。教えはみな凡夫に説かれていると思います。私は、逆に難しく
考えて分からなくすることこそ、おかしな「想い」にとらわれているんじゃないかと
思います。たとえば、「仏教しか真理を語れない」「他宗教とはちがうよ」など。。
102神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:03:16.03 ID:fVmOKJCS
>>99
そう思います。その一切皆苦を認識する前提として輪廻のなかで得難き人身を得ているという認識が必要だと思います。

つまり自洲というのは得難き人身を得ている、この稀なチャンスを逃すなという意味でしょう。

>何度も日本を訪れたことのあるチベットの高僧に、「どうして日本では教えが広まらないのでしょう?」と尋ねたら、
>即座に「日本人には得難い人身を得ている実感がない。そのため、その先のどんな教えを学んでも、身につかないのだ」と言われてしまいました。
http://manikana.o.oo7.jp/majikana/majikana.cgi?no=1921&reno=1909&oya=1839&mode=msgview

得難き人身を得るという認識は、輪廻にいるという信がないとありえないので、
「どうせ一度の人生だ」というような単なる偶然の人生ということでは
自洲は認識できないと思います。
103成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 10:09:17.30 ID:NSc55Z+b
>>93
>彼は、「自ら」という言葉を使いました。それを「法(真理)」と並べました。それがブッダの言った
>ことです。「自ら」は自我ではない。ならば、アートマン、真の自分である。それは、真理(涅槃)でもある。

横槍だが、そうかな?

およそ仏教上問題になる「自ら」には、@日常自我、A菩提心自己、B霊肉二元論超越我がある。
自帰依の自はA であって@Bではない。
妄想心霊主義者はBの実在を信じる。執着そのものに他ならない。

また、法(ダンマ)は真理(涅槃)という二項相対様相ではない。
104神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:10:10.35 ID:fVmOKJCS
>>101
仏教の場合、言葉は全て仮設ですよ。

仮設というのはそれぞれの時代地域の言い習わしでなんとなく適当に定まっている記号と意味内容というような意味です。

で、その意味内容な世間の習慣で適当に定まっていますが、本来、空で幻のようなものです。

ですから、「私」「自」「我」などと言い習わしに添ってブッダも用いますが、その本来の意味内容は空で、からっぽです。

ですから、「自」といっても仮設として自分とか自身とかを指示し、この場合自らの人身ですが、それも本来は空で、仮に世間的用法に従って指示しているだけのものですよ。

自分の常識を捨てないと仏教は決して理解できないと確信します。
105神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:11:40.70 ID:XQuNXsPs
>>103

あなたのAの意味で別に問題はないのですが。あと、私は、法と真理を二項対立的
にならべているのではなく、=として同値的に扱っています。
106神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:12:12.17 ID:hoggxKg4
>>101
あ〜、すいません。えーと、>>97
>自我ではない。ならば、アートマン、真の自分である

という部分の、「自我」と、「アートマン、真の自分」の違いって何ですか?

>一切皆苦=真理を悟っているなら、教えを
>必要としません。教えはみな凡夫に説かれていると思います

んー、輪廻の中で、縁起したもの、諸行は無常であり、無常なるものは苦である、
ということに気づいた段階では、悟ってはいないんじゃないでしょうか…?

>私は、逆に難しく考えて分からなくすることこそ

具体的に、誰のどの発言のことを言っているの?

>たとえば、「仏教しか真理を語れない」「他宗教とはちがうよ」など

なんて答えようかな…。仏教と他宗教の端的な違いは、
我も神も手放すための教えと、我や神を掴むための教え、と表せる気がする。
とはいえ、仏教でも、涅槃に入るまでは何かしらのものを掴み続けるわけだから、
他宗教もある意味で、仏教に含まれるんだと思うよ。涅槃へ至るまでの通過点みたいな感じで。
107神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:15:38.73 ID:XQuNXsPs
>>104

それは、ブッダの考えですか。それとも、あなたの考えですか。
108神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:18:46.09 ID:fVmOKJCS
>>107
ブッダですね。

正確にいうとアーガマ・ニカーヤと中観論書から描き出したブッダの教えです。

伝統仏教と梵パ蔵漢の諸経論から総合的に読み取った教えです。
109成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 10:20:29.16 ID:NSc55Z+b
>>105
>私は、法と真理を二項対立的にならべているのではなく、=として同値的に扱っています。

法は言語で示唆するなら存在の事実様相(縁起の直接現実)ですが、
真理は相対価値判断です。

『=として同値的に扱』えるはずがありません。
110神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:22:30.73 ID:XQuNXsPs
>>97

私は凡夫なので、詳しく説明できませんが、自我を汚れた水としたら、アートマンは
澄んだ水のように考えるといいんじゃないでしょうか。汚れとは、欲・怒り・無知です。

私がいう悟った人とは、ブッダと同じ境地の人です。それ以外は凡夫です。

たとえば、87や104の解説とかがそうです。

我も神も手放す教えは、他宗教でも説かれていますよ。
111神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:26:22.11 ID:XQuNXsPs
>>108

その経典で、ブッダが自燈明、法燈明をそのように解説していますか?それはあなたの解釈じゃないですか?

>>109

難しくて、ちょっと意味が分かりません。
112神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:29:51.14 ID:udUYn29L
>>110
>アートマンは澄んだ水のように考えるといいんじゃないでしょうか。

『ウパデーシャ・サーハスリー』をごらんください。
思考や記憶のような、自我(精神)を構成する要素は
アートマンのものではないんですよ。アートマンは
スピリチュアリズムや日本的価値観における霊魂とも違うということです。
113神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:32:45.34 ID:XQuNXsPs
>>112

あなたはアートマンの存在を認めているのですか。あなたの言うアートマン
で結構です。私は仏教的視点から定義してみただけです。その本は知っています。
114神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:35:56.08 ID:udUYn29L
>>113
信じていません。

>私は仏教的視点から定義してみただけです。

あなたが作った定義、ということですね。
自作の思想を作るだけならいいと思いますが、
実際にその用語を使っていた当時の人々の思想を理解する上では
何の意味も無いと思います。
115神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:36:53.02 ID:fVmOKJCS
>>111
私はテキスト主義でここでやっているので極力自分の解釈は排しているつもりですよ。

ですから自灯明という訳は増谷文雄の意図的な誤訳です。
これは明らかです。灯明という暗示を含むとしても主たる意味は洲ですよ。
先に註を示しましたが。

それは認めないということでしょうか?
116神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:38:59.96 ID:fVmOKJCS
>>113
>その本は知っています。

アナタが根拠とする本とは何ですか?
117神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:40:42.44 ID:XQuNXsPs
>>114

信じていないなら読むことをなぜ勧めたのかよく分かりません。

全くが私の創作ではありません。仏教に親しんだ方がたの理解しやすいように自分なりに
表現したのです。「当時の人々」とは誰を指しているのですか。それは質問のときの条件
にはありませんでした。
118神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:41:05.03 ID:hoggxKg4
>>102
なるほど…なるほど…なるほど…。リンク先からも、たくさんのものをいただきました。

>>107
縁起・空性・仮設が知りたい場合、石飛先生の本を読まれることをオススメしますよ〜。
少なくとも、中国、日本に伝わった仏教についても、この線で理解されているように見えます。

>>110
>私は凡夫なので、詳しく説明できませんが、自我を汚れた水としたら、アートマンは
>澄んだ水のように考えるといいんじゃないでしょうか。汚れとは、欲・怒り・無知です。

うーん、いわゆる、悟り、涅槃の境地というのは、三毒だけでなく、「これが真の自分である」という想いさえ、離れているよ。
そこを了解したら、あまり、「真の自分」っていう言葉は、選ばれないと思うんだけどなぁ。
自分と他人の分別も消えているわけだし。

あと、法は真理より「教え、ことば」くらいの意味でとった方が、理解し易くなると思うよ。
119成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 10:42:13.12 ID:NSc55Z+b
>>110
>自我を汚れた水としたら、アートマンは澄んだ水のように考えるといいんじゃないでしょうか。

前スレ>>964
『「自性清浄心」という核は本質主義・分別主義に他ならない。
→『佛性常清淨  何處有塵埃』 (仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか)<慧能:敦煌本>
また自性=スヴァバーヴァは核そのもの。』

<慧能:敦煌本>はダメな本質主義の例として挙げました。
道元も慧能には?です。
仏性を悟りそのものとするなら、清浄⇔汚濁の相対がありうるわけがない。
ブッダも『善悪を捨て去り』(Sn.520)と同じ境地です。

あなたも仏法を歪めている本質主義者でしたか。
残念で〜すw
120神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:44:18.42 ID:XQuNXsPs
>>115

洲でいいですよ。誤訳は言い過ぎじゃないでしょうか。
121前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 10:45:50.47 ID:5UGQYLod
>>92
>ブッダがそう言ったと伝統仏教でもまともな文献学者も捉えています

>>58 :前世は一在家
(「仏教のこころ」中村元,P78)
このように、仏教は形而上学的原理としてのアートマンを否定し、そのためにこの思想的立場は無我説と呼ばれていますが、それは決してアートマンを否定したのではありません。
客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)ということを主張したのです。
アートマンが実在するか否かということについては、まったく沈黙を守っていました。
このことから仏教を無霊魂説と解するのは誤りです。
(続くテキスト)
仏教はむしろ人間の行為の拠りどころとしてのアートマンを承認していました。
釈尊の臨終の説法の一つは「自己(アートマン)に頼れ、法に頼れ。自己を燈明(または島)とせよ。法を燈明とせよ。」でした。
釈尊は、人間の理法を実践するところに真の自己が具現されると考えていたのです。

中村先生の言われた「真の自己」とは? おあとの議論もよろしいようで。
122神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:48:09.68 ID:fVmOKJCS
>>120
いえ、誤訳です。
なぜなら、意図的に自分の認識・判断に依れという意味にしたいからです。
それは完全な間違いなので、誤訳に他なりません。

それより本は何ですか?

そこが重要です。

>>117
>仏教に親しんだ方がたの理解しやすいように

この文によってどうも仏教を論じたいのではなく、
自らが信奉しているものを仏教と言いたいのではないかという疑惑が起きてきまったのです。
123神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:49:07.33 ID:XQuNXsPs
今世は何になったのですかね。。出家かなあ。
124神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:49:53.13 ID:fVmOKJCS
>>121
中村先生は何度もいうように仏教解釈ではダメなんですよ
125神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:54:02.83 ID:udUYn29L
>>117
>信じていないなら読むことをなぜ勧めたのかよく分かりません。

言葉の意味を確認するべきだと思ったからです。
現代の外国人(日本人)の考える(通念的な「霊魂」と混同された)アートマンではなく、
古代のインド人の考えるアートマンを踏まえるべきです。

>。「当時の人々」とは誰を指しているのですか。

古代インド人です。
126神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:54:30.03 ID:XQuNXsPs
>>122

「自分の判断によれ」という意味なら問題ですね。でも、それは言葉自体でなく解釈の問題でしょう。

その前に、あなたの根拠となる本からの引用をあげてください。それが「自洲」を解説しているみたいですが。

私は単純に考えただけです。シンプル。特殊な意味にとるから、根拠がいるんですよ。

私はそういう意図はありません。
127神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:56:40.25 ID:XQuNXsPs
>>125

古代の期間は相当長いと思いますよ。私は、霊魂と混同してませんよ。
あなたが大雑把にいう「古代インド人」の考えと違いません。たぶん。
128神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:56:49.75 ID:fVmOKJCS
>>126
私は原典によってますよ

それよりアナタの本を教えてください。

答えられないのでしたら、これで終わりにします。
129神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:58:18.79 ID:udUYn29L
>>126
>私は単純に考えただけです。シンプル。特殊な意味にとるから、根拠がいるんですよ。

つまり、予断と共感をなんとなく釈迦に投影し、
釈迦を自分と同じ側の人間となんとなく言っているだけですね。
130神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 10:59:25.40 ID:XQuNXsPs
>>129

なるほど、難しい用語を使いますね。凡夫が釈迦と同じですか。
131成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 10:59:27.60 ID:NSc55Z+b
>>121
>中村先生の言われた「真の自己」とは? 

一切法無我に決まっている。→>>103
あらゆる「人間の絆(束縛):s・モーム」とくに自我意識→我執からの解放をいう。

>人間の行為の拠りどころとしてのアートマンを承認していました。
>「自己(アートマン)に頼れ、法に頼れ。自己を燈明(または島)とせよ。法を燈明とせよ。」でした。

ここの自己とは“菩提心自己”(>>103A)だ。Bではない。
Bは検証不能のフィクション(物語)でしかない。
132神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:04:08.66 ID:udUYn29L
>>127
>古代の期間は相当長いと思いますよ。

ウパデーシャ・サーハスリーは書題を知っているだけみたいですね。
根拠としてバラモンの各聖典が参照されています。
彼自身もバラモン伝統の師弟の流れの中におり、
後進を育てるためにあの書を残しています。

>たぶん。

論拠を出すつもりがないなら、これで終わりとします。
133神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:04:35.53 ID:/hflScKb
>>122
>という疑惑が

今頃気付いたのかよw
134神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:04:48.75 ID:/TfpjWp8
このスレの混乱状態の最大の原因は、真言宗とチベット仏教との関係ゆえに、チベット
仏教の狂気に洗脳された一代氏。それに、イエスで狂わされた連中も加担している。

「日本の大乗仏教」は、もっと穏やかで、叡智に満ち、専ら「生き方」を語る。

チベット族焼身自殺を図る。09年以降100人目
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130213-OYT1T01032.htm?from=ylist
135神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:06:30.09 ID:fVmOKJCS
>>133
善意で解釈しないといかんでしょ
136神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:06:51.35 ID:XQuNXsPs
連続投稿でかきこめない。。。
137神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:08:06.31 ID:/hflScKb
>>122
他人には、「それは貴方の解釈でしょう?」「他者(本)の伝聞でしょう?」
と言うくせに、自分は「自分の解釈を【さも、オリジナルであるが如き】に口にする」。
一在家と同じ類だよ。 >>126

他人には典拠(本)を求めながら、自分が依拠した典拠については語らない。
実に姑息だよ・・。
138神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:11:06.12 ID:fVmOKJCS
>>137
まあ、いいじゃん。それぞれ背負ってるものがあるんでしょ

ここで話したいなら、テキストを出しあって解釈の妥当性を論じればいいだけだと思うけど
139神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:11:54.48 ID:XQuNXsPs
>>137

藤木君と呼んでくれて結構(笑)。でも、自分の考えであることを初めから
かいてますよ。だから、自分の考えをオリジナルのように言うのは、そちら
じゃないですか。「経典ではこうだ」とかみたいに権威づけていますし。
140神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:19:08.92 ID:/hflScKb
>>135
>>88>>93)の台詞で、
あ、“攻撃したい”だけ(もしくは“自説の喧伝”)なんだなって判るでしょw

だって、世界中の誰一人、ブッダの直接の言葉(≒意図)を聞いていないのですから。
しかもそれは、滅後からずっと、ということでもあるしね。
それが解ってないならまだしも、もし理解した上で言っているなら、
それは、世界各地の伝承を受け継ぐ各仏教全てを却下し、(また近代仏教学を足蹴にし)、
『自分の解釈で(現代的解釈で)新たに仏教を構築する』ということだから。

 (あれ?どっかの誰かの姿が浮かんでくる・・w)
141前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 11:21:00.89 ID:5UGQYLod
しかし、自称藤木氏を一在家と同じ類と断言するとは、そそっかしいですね。
(慇懃無礼にならないように率直に。)
142神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:21:18.79 ID:fVmOKJCS
私はこの本に書いてあるよう、とか何教のように仏教を理解してますとか、
最初に、あるいは問われた時に言ってくれれば、いいと思うだけど

何で問われても言わないのかと思っちゃうよねw
143神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:21:43.82 ID:/hflScKb
>>139
ビルマはつい最近第6結集やってるんだぜ?
(流布してるのはビルマ版よりPTS版だけど大きな違いはないが)、
現存仏典=そういう伝承ということであり、これが権威(いや【正統】)でなくて何さw
144神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:22:17.67 ID:XQuNXsPs
>>140

普通にスッタニパータとかをブッダの言葉と思っているんですけどね。近代仏教学
とかは全然知らないから足蹴にすらできない(笑)。
145神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:23:28.95 ID:fVmOKJCS
>>140
それは分かるけど、まだ対話可能だと思いたい

セブンちと、人に厳しくないか?
146神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:24:27.05 ID:/hflScKb
>>144
なるほど。
スッタニパータ以外は信用に値しない文献(伝承)ということですか。
どっぷり近代仏教学(中村流)じゃないですかwww
147神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:26:25.75 ID:fVmOKJCS
>>143
>(流布してるのはビルマ版よりPTS版だけど大きな違いはないが)、

それは学者の世界の慣例で、学者もPTSより第六結集版の方が信頼できると思ってるでしょ。

一応、大正の頁数を記すのと同じだと思う。
148前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 11:26:44.14 ID:5UGQYLod
>>101
>一切皆苦=真理を悟っているなら、教えを必要としません。教えはみな凡夫に説かれていると思います。

なるほどと、頷きました。
149神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:27:22.12 ID:XQuNXsPs
>>146

おお、近代仏教学を勉強してたのか。知らなかったなあ。長部とか中部
もそうなのかな。「とか」っていう言葉知ってるかな(笑)。
150神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:29:09.09 ID:fVmOKJCS
>>146
違うと思う。

岩波文庫とかの和訳を自分流に解釈したことしか信じなんでしょ。

そしてその解釈には何らかの背景があると

ヌーエイジか新興宗教あたりだと思うけど
151神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:29:51.28 ID:/TfpjWp8
釈迦の「無我」を、「釈迦の勘違い」として廃棄すれば、すべては丸く収まるw。

仏教徒なら、まず「開祖の誤りに対する執着」を去れ。

「仏に会っては、仏を殺せ」。
152神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:31:01.67 ID:fVmOKJCS
>>151
なんかカワイイは
153神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:31:33.71 ID:XQuNXsPs
>>150

いや、君らの意見も良く分かるし、それはそれでいいですよ。ぬーえいじ、じゃあない(笑)。
154神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:35:35.81 ID:/TfpjWp8
一代氏は、邪教チベット仏教を日本に持ち込もうとしないで欲しい。
155神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:37:30.16 ID:zPt/3MBZ
空観と仮説された認識とは同時に行うものなのですか?
それとも別々ですか?
156前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 11:37:52.35 ID:5UGQYLod
>>124
>中村先生は何度もいうように仏教解釈ではダメなんですよ

>>146
>どっぷり近代仏教学(中村流)じゃないですかwww

かなり近代仏教学に厳しいようですね。
私は中村先生の著書から読み始めて、この2年は石飛先生の本を主に読んでおりますが、時々中村先生の本に戻ります。
157神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:37:59.50 ID:hoggxKg4
>>151
>仏教徒なら、まず「開祖の誤りに対する執着」を去れ

仏教的には、
「この仏の教えは誤りである」という見解や執着だけでなく、
「この仏の教えこそ正しい」という見解や執着も、捨てろって感じだと思うよ〜。

本当に「無我」を体得した人は、「無我?ああ、そういえば、そうだっけ?」みたいな感じだと思う。
無我という教えさえ、肯定も否定もされずに、捨てられている感じ。
158神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:43:10.83 ID:/TfpjWp8
「開祖に対する盲信」。それがすべての宗教に共通する「精神病理」である
ことを自覚せよ。

いささかでも「肯定の要素」があったら、やはりダメ。
159神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:44:39.64 ID:XQuNXsPs
「無我?当たり前でしょ。今生きてるかって人に聞く?」のような気がする。
160神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:49:34.63 ID:/TfpjWp8
>>159
自分が生きているかどうかは、「人に聞かなければ」分らない。自分が生きている
の思っても、それは妄想かもしれないのだから。

人間界が、徹頭徹尾共同体である所以。

釈迦も、「僕、いる、いない?」と人に聞くべきだったねw。釈迦の根本的誤り。
161神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 11:56:35.95 ID:5UGQYLod
>>144
>普通にスッタニパータとかをブッダの言葉と思っているんですけどね。近代仏教学
>とかは全然知らないから足蹴にすらできない(笑)。

私は異教ですが五年前にディーガニカーヤ、次にスッタニパータを読んで唖然としました。
輪廻、神々、梵天、悪魔、地獄が度々記載されておりましたので。
最近の仏教徒の中には輪廻を信じず、「死んだら終わり」とか「現世で輪廻」とか平気で言う人達が多いからです。

なぜこのようになったのか?、科学が進歩したからか?、と考えながら調べましたところ、中村元先生の「龍樹」で中論に出会いました。
もし「偉大な龍樹は釈尊を超え、八不にて時間・運動の無いことを論証した」という思い込みがあれば、輪廻の法の前提の因果の法も信じられなくなるとの仮説を立てました。

次に石飛先生の著書を読み、龍樹は釈尊を超えず一番忠実に教えを整理したという見解に至っております。
162神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 12:01:34.13 ID:XQuNXsPs
>>161

龍樹さんか〜。全然知らないんですよね。機会があれば読んでみたいけど。。。

いや〜、議論に付き合ってくれた方々ありがとうございました。

日ごろ書き込まないのですが、なぜか今日はいっぱいかきこんでしまった。。
不快にさせてしまった方には申し訳なく思います。ごめんなさい。

そろそろ、お昼なのでここらへんで。。。みなさん仏教好きですね(笑)。ではでは。

諸悪莫作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教。
163神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 12:02:04.49 ID:fVmOKJCS
>>155
凡夫は仮設された認識を無意識に実在と捉えます。
それを壊すために空観を行い、空性を体得した聖者は現れが仮設であると捉えます。

>>156
中村先生の仏教解釈はあまり信用できません。
私はなんども言うように山口益、水野弘元、梶山雄一、片山一良、生井智紹、石飛道子の各先生が内容的に優れた理解を示す学者だと思います。

テキスト批判的に優れた学者はたくさんいますが、在家さんには関係ないでしょう。

石飛先生の以下の言葉が全くその通りだと確信しています。

>近代の文献学的なアプローチは、一つの成果をもたらしましたが、解釈学においては、完全に失敗していると思います。
>
>肝心の「空」ということが、思想的な特徴を理解するための理屈であることを忘れてしまい、西洋論理の足場を用いて、混乱を招きました。
>
>龍樹は、学問の世界では、学者の玩具と化しているように思います。
http://manikana.o.oo7.jp/majikana/majikana.cgi?no=1924&reno=1921&oya=1839&mode=msgview

ちなみに文献学者として結構信用している学者が龍樹菩薩を詭弁と言っているのを観て愕然としました。彼のような優秀な人でも、そうなのかと。
石飛説を知った上で書いていると思われますから。
164神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 12:06:34.43 ID:/hflScKb
>>145
ここは2ch。

>>149
皮肉だよ。

岩波青(≒中村訳)至上主義ってのが、ネット上には多いんでね。
違うなら失礼したw


>>162
お疲れさんw
165神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 12:08:17.60 ID:/hflScKb
>>156
中村さん全否定というわけじゃない。(このスレでも何度か話題になったけど)
翻訳、解釈に際して、伝統的スタンスが軽視され、
現代的価値観及び、仏教外のインド思想、解釈の反映がキツすぎるってこと。
道を切り拓いたという意味で絶大な功績と思うけど。
勿論、初手としてはとっつき易いし、良いのだけれど。(咄嗟に大枠を確認するにも便利だしねw)
少なくとも、現代語訳の「定番」とするには不備が多いかな、と。
166成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 12:08:47.76 ID:NSc55Z+b
>>160
>釈迦も、「僕、いる、いない?」と人に聞くべきだったねw

隠居もペンキ屋だということだなw

『およそ仏教上問題になる「自ら」には、@日常自我、A菩提心自己、B霊肉二元論超越我がある。
自帰依の自はA であって@Bではない。
妄想心霊主義者はBの実在を信じる。執着そのものに他ならない。』(>>103)

@Aは仮設される(中論24-18)。妄想であっても共同幻想で知覚されるから、人に聞くまでもない。

無我の問題はB超越我だ。
隠居は生命を根源と規定する有我だと言った。

本質主義であり、これの論理矛盾に一向に気づく様子はない。
167神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 12:12:56.43 ID:/TfpjWp8
>>115
>ですから自灯明という訳は増谷文雄の意図的な誤訳です。

すべての翻訳は、訳者による「意図的な解釈」がなければ、翻訳ソフトの
翻訳になってしまう。系統の近い英語とフランス語でも、直訳したら翻訳には
ならない。

「拠りどころ」なのに「白州」などと訳したら、意味は全く通じないよ。
それこそ「誤訳」だ。

なお、私は、大学の教養課程で増谷先生の講義を受けた一人。講義の内容は
一言も覚えていないが、先生の誠に立派な容姿と温顔と、「高価そうな背広」
が羨ましかったことだけが記憶に残っているw。
168成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 12:23:06.84 ID:NSc55Z+b
>>155
>空観と仮説された認識とは同時に行うものなのですか? それとも別々ですか?

第一義空経

<眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。生已盡滅。>
眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。

# 視覚作用が生じた時に、その視覚作用は来る所があって来た訳ではなく、
# 視覚作用が滅する時にもその視覚作用は去る所があって去る訳ではない。
# このように視覚作用は実際には生じない。そしてそれは起った途端に已んでしまう。←ココ重要

『如是眼不實而生』←不生不滅(の如し)とまで書いても掴めないだろうな。

結論:空であることは比較そのものがないから、同時でも異時でもない。
169神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 12:28:37.11 ID:fVmOKJCS
>>165
こういう評価は学者の間ではあたりまえなんだけどね

中村先生は普及者として偉大だけど、仏教の内容研究ではあまり使えるものがない。
ご専門はヴェーダーンタというのが一般的だと思う
170神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 12:36:00.23 ID:/TfpjWp8
>>165
君は「邪教チベット仏教」の反映がキツすぎるだけw。
171成りすまし脱法行為の横行:2013/02/14(木) 12:52:41.20 ID:NSc55Z+b
>>165
>伝統的スタンスが軽視され、
>現代的価値観及び、仏教外のインド思想、解釈の反映がキツすぎるってこと。

この文言をそのまま空海にも投げろよw
172神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 13:06:21.87 ID:hoggxKg4
>>162
龍樹いいよ龍樹。自分もまだまだ勉強中だけど。

>いや〜、議論に付き合ってくれた方々ありがとうございました。

こちらこそ〜

>そろそろ、お昼なのでここらへんで。。。みなさん仏教好きですね(笑)。ではでは。

勉強すればするほど、好きになります笑
じゃあね〜
173神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 13:15:38.80 ID:XPDaq7Rc
しかし、絶対神とはすべてを支配せずにはいられない存在のようですね。
もとは一民族の人格神に近い存在だったのに、宇宙の法則そのものとなり、
釈迦の教えも、イエスの教えと同様、神の人類に与えた灯明として、
一神に帰すべきと主張したいようですね。
この宇宙に自性なる一があり、それからすべてが生じたという考えは、たしかに理解できる。
宇宙の法則もまた、自性なるものと感じてしまうのも確か。
しかし、それも所詮は人類の認識できる範囲内(時間的、空間的)においてともいえますね。
現に、ブラックホールの特異点ではどのような法則が支配しているのか人類には決して見ることができないですからね。
174神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 14:04:04.85 ID:/hflScKb
>>171
人違い乙w

空海さんは凄いと思うけど、自分にとっては普通に偉大な先人ってだけだし、
実際あまりよく知らないしw


>>170
人違い乙w

Tib仏教には詳しくないよw


>>167
言葉ってのがその土地その時代の地理や文化風俗、価値観、世論・世風時代背景等を背負う、
ってのは理解するよな? (しなかったりしてw)

ならば、インドの地理と文化、風俗・価値観に視線を投げることなく、語義解釈なんてできるわけなかろう?
インドのあの地域の、あの気候風土・地理的条件を【知っていれば】、
「ディーパ」とセットで拠り所・帰依所が述べられたら、それは(大河の)中州しかありえんのだよ。

で、前後の文脈から、今息づいている五蘊総体としての自己と中州が重ね合わされて
(或る意味文学的に・詩的に)述べられているわけだ。


(ほんとに言語に詳しいのか?w
 これまでも、英語や中国語についても御高説を聞かせていただいてるが・・w
 最近では印欧語についても何か呟いてるし・・(^^;  )
175SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/14(木) 14:15:39.27 ID:avmrZqLL
『いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、──これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。』

これは、釈尊の言葉であるが、ここで洲とは次のことを意味している。

洲とは、流れによって出来た安全地帯である。したがって、もう二度と流されることのない処である。

***
176神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 14:25:02.71 ID:NSc55Z+b
>>175
>いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと→老衰と死との消滅である

ブッダも老衰と死を迎えているが?←大パリニッバーナ経
177前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 14:28:54.83 ID:5UGQYLod
>>163
>中村先生の仏教解釈はあまり信用できません。
>私はなんども言うように山口益、水野弘元、梶山雄一、片山一良、生井智紹、石飛道子の各先生が内容的に優れた理解を示す学者だと思います。

外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、
人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。
それは不生不滅でなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるのもこれに他ならない。
(「仏教要語の基礎知識」水野)

常住でなく、常に変化しつつ連続するアートマンならぬ霊魂、との水野弘元の理解は分かり易いと思いました。
片山先生、石飛先生のご理解を御存じの方はまたご教示願います。
多分、セブン氏は片山先生を、オイラ氏は石飛先生にお詳しいと推察します。
178SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/14(木) 14:33:34.42 ID:avmrZqLL
>>176
ブッダは、老衰することがなく、死を超えている。これは真実である。

言語表現されたことがらの真意を正しく理解しなければ、正しく説かれた理法の言葉を聞いても真理に達することは難しい。

賢者が、言語表現されたことがらの真意を正しく理解し、利益(りやく)を我がものとして、ついにニルヴァーナに達するのである。

***
179神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 14:36:40.26 ID:NSc55Z+b
>>177
>人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。
>水野弘元の理解は分かり易いと思いました。


分かったのなら、根拠および証明をご提示下さい。
とくに、『三世を通じて』。
単に“テキストに書かれている”だけなら、鰯のアタマも信心からと同じでナンセンスです。
180神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 14:38:24.15 ID:NSc55Z+b
>>178
>ブッダは、老衰することがなく、死を超えている。これは真実である。

大パリニッバーナ経の記述はウソですね?
181神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 14:57:18.06 ID:TuCKv2dC
>>174
>で、前後の文脈から、今息づいている五蘊総体としての自己と中州が重ね合わされて
>或る意味文学的に・詩的に)述べられているわけだ。

だったら「自己」でいいじゃん。「中洲」では、外国人には意味が全く通じない。
漢訳者も「意味が通じるように努力して」、あえて「自灯明」と訳したのである。
「自灯明・法灯明」のお陰で、仏教が、他の宗教が比肩し得ない優れた宗教となった。

私は、現代語8ヶ国語を解する(死語や廃語は、無意味で時間の無駄だからやらない)。
ヨーロッパの言語の殆どはインドヨーロッパ語族(サンスクリット語がその起源)。
スペイン語やイタリア語では、主語を省略する場合があるが、必ず動詞の変化で
主語の人称を示す。釈迦が「主体を消滅」させたら、動詞の変化も不可能になり、
そもそも口が利けなかったはずだw。
182SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/14(木) 14:59:53.55 ID:avmrZqLL
>>180
ブッダは、老衰することがなく、死を超えている。これは真実である。

これは、大パリニッバーナ経の記述とは、矛盾しない。

***
183神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 15:05:54.61 ID:fVmOKJCS
>>177
>人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。

これは仮設なんです。実体ではありませんよ。

現在の「私」などの一切の対象と同じことです。
184神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 15:22:09.26 ID:hoggxKg4
>>121 >>177 一在家さん
>仏教はむしろ人間の行為の拠りどころとしてのアートマンを承認していました

より、誤解を与えないような言い方をするなら、縁起した、無常、苦、無我なる自己を、
「アートマン」と仮に呼んだ、ということでしょう。
一代さんの言うように、一切に含まれるものとして。

>輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である
>常住でなく、常に変化しつつ連続するアートマンならぬ霊魂、との水野弘元の理解は分かり易いと思いました

説法の相手によっては、そういう、
「業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法」や、
「常に変化しつつ連続するアートマンならぬ霊魂」を、
仮に「アートマン」と呼ぶこともあり得るでしょうね。

「アートマン」という言葉を、イコール常住不変の実在と定義しないことが、コツである気がします。
185神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 15:31:38.94 ID:TuCKv2dC
>>184
「仮」「仮設」という言葉自体が、「常住不変の実在」を前提としているw。

すべてが「仮」なら、「仮」こそが常住不変の実在。「色即是空」されど
「空即是色」。
186前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 15:42:59.44 ID:5UGQYLod
>>185
>「仮」「仮設」という言葉自体が、「常住不変の実在」を前提としているw。

確かに。。
187カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/14(木) 15:45:43.47 ID:qA0NOcQ8
>>96
なにがスヴァバーヴァが一度も使われていないだ。数あるウパニシャッドの
文章から一部だけを抜き出してスヴァバーヴァなど書いてないと皆をミスリード
やってんじゃねぇよ詐欺師が。だからお前は邪悪だと言ってんだよ。
ヴェーダからスーバッハ(自性)を抜いたら、ゴータマの仏教から業報輪廻転生を
抜いたのと同じく骨抜きになるんだよ。まぁお前に話しても仕方ない。
俺の言ってるウパニシャッドとはこれな。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89%E2%80%95%E7%BF%BB%E8%A8%B3%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E8%A7%A3%E8%AA%AC-%E6%B9%AF%E7%94%B0-%E8%B1%8A/dp/4500006567/ref=sr_1_6?ie=UTF8&qid=1360823875&sr=8-6
こんな詐欺師達の話など鵜呑みにせず、各自がそれぞれ確認すればいい。
188神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 15:48:53.83 ID:hoggxKg4
>>185
うん、空なる涅槃は、「常住不変」だよ。
ただ、それらは、「一切は仮である」という想いさえ手放した後だから、
「実在」とは言わない方がいいかも。何かしらの実在が掴まれるということは、
無常であり、苦である行とか識が滅してないってことだから。

仏さんが説く「色」は、「色」を指さず、「色ならざるもの」を指さず、
「色であり色ならざるもの」を指さず、「色ではなく色ならざものでもないもの」をも指さない。
だから、「色即是空」とされ、「色」の指し示す内実は空っぽってこと。
ただ、「色」と説くことで、衆生を導けるから、仮に「色」と説く…って感じ。
189神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 15:54:24.06 ID:fVmOKJCS
>>186
なんで?

しかも漢字という記号を元に考えてもしかたないよ?

>>187
オイオイだいじょうぶか、だからウパニシャッドで使われてるのは認めてるだろ
オイラが無いといってるのは『リグ・ヴェーダ・サンヒター』だ
ヴェーダとウパニシャッドの違いも分かってないんじゃないか?
それと「スーバッハ」じゃなく「スヴァバーヴァ」だっての

詐欺師もなにも何でそんな短文を正確に把握できないのに、そんなに自信持てるのか理解できないぞ

しかし、湯田さんのそんな高価なの参考にしなくてもいいだろ
英訳もあるし
http://www.hinduwebsite.com/upanishadindex.asp
190神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 16:09:13.69 ID:fVmOKJCS
>>41
宝珠、>>187のカラスの発言はヴェーダとウパニシャッドを混同した根本的な無知から来る誤解だって認める?

それから、オイラやセブンが証拠を出してないとカラスは言うが、
オイラたちは少なくとも証拠は沢山だしてることは認めるよね?

アナタは公平誠実だからこの二点、認められると思うけど
191神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 16:25:44.36 ID:/hflScKb
>>181
>だったら「自己」でいいじゃん
はあ?

それは、日本語で「チョコレート」を「プレゼント」でいいじゃん、と言ってるようなもんだぞ?
自分がどれだけおかしなこと言ってるか判らない?

ディーパが島・中州で、アッタンが自己。語義はこれ以上でも以下でもないだろw


>「主体を消滅」させたら、動詞の変化も不可能
はあ?w
お前、何言ってんだ?
言語が現実世界を動かすとでも? どんなSFだよw

観念としての主体消去って意味がまったく解ってないよなw
言語で表現したものは必ず存在するという神話から早く卒業しろよ。

つか、 「動詞」という文法的分別をするから、主語(主体)がないと動詞(動き)もない、
と考えてしまうわけだが、文法的観念を離れて、現実そのものを見ろ、とw
主体があるわけじゃない。所縁に依る事象があるのみだろうがw
192神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 16:31:52.18 ID:/hflScKb
>>185-186
>すべてが「仮」なら、「仮」こそが常住不変の実在
いやいやいやいやw

「 >すべてが「仮」なら 」、「常住不変な実在が無い」ということでしょう?
「「仮」=常住不変でない」」という定義を最初にしちゃってるんだからwww

ほんと、滅茶苦茶ですね・・。


で、
>を前提としている
だからw
観念としての「対」ということがなぜ解らない?

 「常住不変の実在」という言葉自体が、「仮」「仮設」を前提としている

も、同時に成立するんだぜ?

ホント頭悪いな・・・。
193神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 16:35:08.12 ID:TuCKv2dC
>>191
チョコレートなら誰にでも分るが、中洲では、誰にも分らん。そこが違う。

宗教は、「言語表現の塊」。膨大な仏典と釈迦のおしゃべりは、一体何?w

君たちがどう足掻いても、釈迦の「無我」は勘違いw。「開祖の誤り」に
対するその「執着」が、まさに宗教のビョーキ。
194神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 16:35:56.60 ID:/hflScKb
>>185-186

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1360209338/461
461 神も仏も名無しさん sage  New! 2013/02/10(日) 00:18:35.61 ID:pjKtFeTq
>> 455
 〜前略〜
>で、悟りとは無我だから自我がそれを悟るなんてありえないってか?
そうじゃなくてwwwww (^^;

どうしてそう“デカルト的に”考えるかなぁ・・w

行為のみが存在していていいじゃんw
事象のみが存在していていいじゃんw
人は五蘊仮和合の存在でいいじゃんw
 (そこに、諸条件によって“自我”が顕現していてどんな不都合があるのでしょう?)

私たちは「風が吹く」と言います。(主語+動詞です)
が、そこに、「主体、自性、本体、実体としての真風」があるわけではありません。
単に、便宜上・文法的要請上・環境把握のための分別上、
【或る事象を「風」として抽出している】だけです。
世俗的には、「“風”が吹く」し「“風”は存在します」。
が、勝義に於いては、そこに、或る縁の集積による事象が生じているだけです。
そしてそれは、人間存在でも同じなのです。
少なくとも、お釈迦様はそのように見做したのです。(ですから、弟子達はそれに倣ったのです。)
だから、そのように見做さないのであれば、それは『仏教(お釈迦様の教え)ではない』
という、実に単純なお話なのです。
195神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 16:50:03.13 ID:TuCKv2dC
>>194
それの「諸存在」を知覚・認識するのは何?「無我」という幽霊かw。

認識主体がなくて、存在がある。凄い唯物論だなw。

日本の大乗仏教は「釈迦の教え」ではない。基本的に、中論の教え。中論は
「無我」「無」などというアホなことは言わない。釈迦の教えを根本から
覆したのが中論。世界宗教史上稀有の出来事と解されている。
196神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 17:24:23.59 ID:zxW9Lk2e
もうすぐグレートムガがシャイニングウィザードを決めて試合終了だな
結局茶番だけどなw
197神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 18:16:56.24 ID:niiKdth9
輪廻があった方が確かに安心できる。
てか毎日が輪廻なんだけどね。
朝起きて飯食って糞して仕事して遊んで寝る。この輪廻。
規則性は安定し不規則性は安定しないといえる。
輪廻の放棄は自殺行為といえる。
輪廻からの解脱を説いた釈迦は基地害と言えるだろう。
苦の輪廻とするなら話はわかる。
しかし苦とは無相の時点で苦は存在せず。輪廻だけが残る仕組みとなる。
198前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 18:26:27.23 ID:5UGQYLod
>>188
>うん、空なる涅槃は、「常住不変」だよ。
>ただ、それらは、「一切は仮である」という想いさえ手放した後だから、「実在」とは言わない方がいいかも。

失礼ですが貴兄は仏教徒ですか? 何宗の方ですか?
私が法華経の如来寿量品第十六の中から「仏の眼から見れば本当の世界は常住不変で美しい」という訳を提示した時には住人各位から叩かれました。

やはり「涅槃」は無常ではなく「無為」で宜しいのでしょうか。根拠になるテキストはご存知ですか。
以上、ご質問ばかりで申し訳ございません。
199神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 18:35:52.34 ID:niiKdth9
>>198
涅槃は常住不変でも無常でも無為でもなんでもいい。
釈迦はキッチリ食あたりで死んだし竜樹も死ぬし世界中の人も死ぬから
何も心配いらん。安心の境地。
200神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 18:53:57.70 ID:/hflScKb
>>193
はあ?
福岡の歓楽街は何て言ったっけ?w

つか、そういう問題じゃなくて、
「ディーパ」の“語義”は「島、州」であり、「自己」ではない、ということだよ。
そこに、話者がどういう意味を付加するかはまた別問題だが、
あくまでもそれは【文脈に依存した】【限定的】語義だってことだよ。
何でこんな簡単なことが解んないんだ? それでよく言語学云々とか言えたもんだな・・。
辞書のチョコレートの項に「プレゼント」という語義が載ってるのかって話だ、馬鹿垂れw
201神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 19:02:45.44 ID:niiKdth9
そのものズバリの涅槃経

一人の起愛無量無辺なる、声聞、縁覚の知ること能わざる所なり。
下を名づけて喜と為し、上を名づけて楽と為す。
我為と言うは一切凡夫なり。

あーなるほどって感じだね。
喜と楽とハッキリ書いてある。
自分の為の中に喜と楽はないとハッキリ書いてある。
世の為人の為の声聞と緑覚に従えばいいってことだね。
202前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 19:04:40.27 ID:5UGQYLod
>>184
>「アートマン」という言葉を、イコール常住不変の実在と定義しないことが、コツである気がします。

カラスさんもアートマンは消滅するので常住不変だとは言っておりません。
私も霊魂には誕生も寿命もあると思っておりますので常住不変だとは言っておりません。
宝珠さんも水野先生の阿頼耶識の解説を度々引用しますので同様の見解かと存じます。

阿頼耶識が常住不滅か否かが重要なのでなく、阿頼耶識が肉体を乗り換えて輪廻するか否かが論点です。
もし輪廻しないのであれば、百年前後の寿命では誰も涅槃入りは無理かと思料しますので。
203神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 19:04:54.50 ID:vrIGcTVY
知らんけど現地でどう理解されてるか聞いてみて
204神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 19:16:09.72 ID:niiKdth9
インド人にどう理解されてるんだろうねぇ…
やっぱり糞は左手で拭くのが常識とか言われるんかねぇ…
205前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 19:35:06.01 ID:5UGQYLod
>>162
>日ごろ書き込まないのですが、なぜか今日はいっぱいかきこんでしまった。。
>不快にさせてしまった方には申し訳なく思います。ごめんなさい。

夕食済んだらまた来てくださると有難いです。
いつもの住人だけだと偏りがあるようで、来訪者が仏教を偏って認識してしまうかも知れません。

私は管理人ではありませんが、貴兄以外にも「ROMの旦那方」かきこを宜しくお願いします。
なおお好きなハンドルを付けていただくと幸甚に存じます。
206神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 19:40:30.88 ID:/hflScKb
はいw 一代さん、
こんな↓台詞も出てますけど?

 >>205>いつもの住人だけだと偏りがあるようで、
     >来訪者が仏教を偏って認識してしまうかも


ま、一在家が、誰を念頭に発した台詞かは知らんが・・・ (´ー`)y━~~
207神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 19:41:15.01 ID:niiKdth9
そのものズバリの涅槃経

一切衆生悉く仏性有り
仏性は雄猛にして毀壊すべきこと難し。

ここで仏性の真の定義、出ましたな。
ファイティング・スピリッツみたいなもんだな。
そりゃそうだよ。衆生みな必死に生き抜いている。
この意味での仏性ないという方が変態だろう。
まぁテキストに書いてあるから100%正解で問題なかろう。
戯論寂滅ってとこだな。
208神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 19:51:41.67 ID:VqWNda8Q
>>200
>「ディーパ」の“語義”は「島、州」であり、「自己」ではない、という
>ことだよ。

「島、洲」とは、あくまでたとえ。「たとえ」が辞書に載ってる訳が無い。

「自己」のたとえでなかったら、一体何のたとえ?「自己」でなければ、妥当な
意味は成立しない。釈迦が、臨終の錯乱において、「無意味な遺言」をしたと
でもいうのか。

博多の中州は歓楽街w。
209前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 19:52:51.34 ID:5UGQYLod
>>207
>そのものズバリの涅槃経

テキストのご提示を有り難うございます。
また「涅槃経」も学習候補に加えますが、お勧めの著書はございますでしょうか。
210前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 19:56:21.92 ID:5UGQYLod
>>206
>ま、一在家が、誰を念頭に発した台詞かは知らんが・・・ (´ー`)y━~~

ハンドルのある方は、中観派、禅宗、テーラワーダ等と分かりますが。
211神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 19:58:25.67 ID:/hflScKb
>>208
>「島、洲」とは、あくまでたとえ

はあ?(゚∀゚)

お前さん、頭大丈夫か?
appleの項にリンゴが載っている如く、ディーパの語義は島、洲だということだが?
appleに対するリンゴは“たとえ”で、辞書に載ってないのか?

そりゃびっくりだわw  どこのどんな辞書を使ってるんだよ?w
212神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:00:23.50 ID:niiKdth9
>>209
著書になく縁の声を聞くことにあり。
君が縁の声の発信源かもしれんなw
また現実と内観の中にもあり。
213神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:00:54.64 ID:vrIGcTVY
職業柄で死にたそうな顔をしてたと思ったらその爺さん死んだ
214神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:01:23.77 ID:/hflScKb
>>210
そういうことじゃねーよ(怒


お前、ホント根性曲がってんな・・。

>>205は、そういう(210的)意味合いなんか微塵も含まず、
ただ、

 スレでなされる発言が偏ってるので、他の大勢の方の書き込みを期待します、

という意味でしかないんだぞ?


っっっっっんとに、腐った人格だよ、お前は。 ( ゚听)、
215神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:10:54.26 ID:fzu3JDsp
>>165
お宅は、お宅の価値観と合わないから中村博士は駄目だと言ってるだけじゃないか。相も変わらずエゴ丸出しだな。
中村博士の見解は間違いだというなら、その根拠を出せよ。お宅らの所属している
伝統的と自称している末法仏教の教えと違うじゃ話しにならないぞ。特にお宅の念仏系は、明らかにゴータマさんの仏教と違うんだからよ。
216神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:15:27.92 ID:VqWNda8Q
>>211
リンゴをリンゴと呼ぶのは、たとえでも何でもないw。

自灯明・法灯明:
「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理(法)を
灯明とし、真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
(岩波仏教辞典)

灯明が島の誤訳であろうとなかろうと、全体の意味は完璧。意味を考え抜いた
高度の翻訳。

君は、「島」を何のたとえにしたいのか?古人に負けない、考え抜かれた訳を
期待する。
217神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:21:53.14 ID:/hflScKb
>>216
いやいやw

姑息だなぁ・・・ orz
そういうことじゃないだろ? と。

アップルの和訳がリンゴであるように、ディーパの和訳は島なの。

ディーパヴァンサという仏典名があるの知らないだろ。
あれが、何と訳されてると思う? 例外なく「島史」なんだよ。


っっっっとに、イイカゲンな言語学スキルだなw
218神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:24:39.84 ID:bGGRtekR
原始仏教的には煩悩が激流に例えられるから
煩悩に動かされない、流されないイメージかな?
219神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:26:46.08 ID:/hflScKb
>>215
これまでにも何度か、
中村訳、水野訳、片山訳を並べてきた筈だが?
ウダーナに至っては、ビルマの長老監修の訳も入れたことがある筈だが?
一代自身の訳もあったし、ワシの訳もある。
で、中村さんはインド全体を見てはいても、初期仏教及びその系譜である部派・上座部が
【まったく見えてない】んだよ。
源氏物語を、日本の風土や歴史を無視してフランスが訳しても、足りないだろ?
そういうことなんだよ。わからんかもしらんけどw


つか、カラス乙w ノシ
220神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:28:52.54 ID:Y5mOt0EM
…これらの見解に住み着いて、「これのみが真理である」と主張して論争する人々-彼らは全て他人からの非難を招く。ただ一部の人々から称賛されるだけである。

たとえ称賛を受けても、それは僅かなものであって、平安を得ることはできない。論争の結果は非難と称賛の二つである、と私は説く。この道理を見ても、汝らは、無論争の境地を安穏なりと観じて、論争をしてはならない。
byスッタニパータ
221神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:30:52.73 ID:fVmOKJCS
>>215
オイ、カラス、コテ抜けてるぞ。

 この二つの誤りは認められるのか? >>190

例えば、中村先生には中道、四句分別、六十二見の理解がない。
だから中村訳『スッタニパータ』836以下を読んで以下のように理解できない。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

中道、四句分別、六十二見は、釈尊と中観ではこの理解がないと理解できない。
その他にも中村先生はドイツ流の言語分析に走ってテキストを仏教的に理解していないので、
全体的に筋の通った道が示されない。

それに対して山口益先生や水野弘元先生、パユットー長老、ダライラマ猊下などは筋の通った一貫して道を提示していて基本的に一致するので、
テーラワーダ、大乗、真宗の文献学者、曹洞宗の文献学者が一致する道の方がより妥当性が高く、ドゥ・ヨングなど日本語ができる優秀な文献学者も彼らを評価している。
222神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:31:08.75 ID:/hflScKb
>>220
だから何?
ブッダはアートマンを説いた、
或いは
諸法無我、一切行苦はゴータマ・シッダルタの精神疾患ゆえの妄想という説を肯定しろ、と?


笑わせんなw
223SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/14(木) 20:32:09.22 ID:avmrZqLL
>>218
妄執が激流に喩えられる。妄執を超えたならば、執著してとることがない。

なお、煩悩は火に喩えられる。煩悩は、自分をも他人をも焼き尽くし、小さくても侮ってはならないものだからである。

***
224神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:33:21.89 ID:m/CVDIal
>>217
姑息な嫌味ではないと思うよ
「島」という本来の言葉ですっきりとした新しい訳をわしも読みたいと
思いました。
気長に待つので自分の趣味に合った言葉で書いていただければ嬉しい(^_^.)
225カラスの唄:2013/02/14(木) 20:34:49.63 ID:fzu3JDsp
>>173
???。一切外の話をしているのにどうして人が自性と呼ばれているものを知覚出来るんだよ。
理解力のない、本当に馬鹿ばっかりだな。
226神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:35:20.44 ID:VqWNda8Q
>>217
「島」では意味が全く通じないから、考え抜いた「自ら」としたのだよ。
原文を超えた高度の翻訳。「あるべき翻訳」の見本である。「辞書引き引き」
では出来ない翻訳w。

>>218
流されないための「中洲」とは、何のたとえなのか?「自己」と「法」以外に、
何があるか?
227神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:40:41.70 ID:fVmOKJCS
>>216
>自灯明・法灯明:
>「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理(法)を
>灯明とし、真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
>(岩波仏教辞典)

これ確か前も指摘したけど、『岩波仏教辞典』初版370頁右は
続けて次のように記述してますよ。

>本来, 〈自らを島とし…〉と訳されるべきところ, [中略]
>漢訳者が誤訳したものと考えられている.

もし、二版に依っていてこの部分が削られているなら仕方ないけど、
二版にも上の記述が書かれているか、初版によって上だけ述べるというのは、
完全な嘘といっていいでしょう。

そういうことをするから誰も信じなくなると思う。

たしか、前もおんなじだった。
228神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:46:41.25 ID:fVmOKJCS
>>225
オイ、オイラたちは証拠出してるぞ。
出してないというのは嘘だよな。

それから『ヴェーダ』と『ウパニッシャッド』を混同してたのは認めるのか?

中村先生が仏教的に評価できないのは解釈の問題だからどうせ認めないのは分かる。
しかし、上二つのような明らかな誤りを認めないのは、生命教が『辞典』の一部だけ引用して反対の内容を言うのと全く同じだぞ
229神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:49:21.29 ID:/hflScKb
>>228
隠居、宝珠、在家、カラスが同類なのは今に始まったことじゃなかろう?w
230神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:53:19.89 ID:/hflScKb
>>224
いや、
ディーパの訳語としての話でしかなく、例の文章の話ではない。
だから、(いつものことだがw)、彼の「危くなったら話を逸らす」姿勢を言っている。


ちゃんと「自らを洲(しま)とし、法を洲(しま)としなさい」と訳している人は大勢いるよ。
気長に待たずに本屋や図書館を歩くといいよ。
231神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:53:21.87 ID:VqWNda8Q
>>217
喩には、「隠喩」と「明喩」とがあることくらいは知ってね。

「雪のように白い肌」(明喩)
「雪の肌」(隠喩)

「島」はあきらかに隠喩だが、「島」では意味不明だから、「灯明」として
「明喩」にしたと考えてもよい。

何でもかんでも、釈迦の「無我」に合わせようとするから、そのような無理と
ひずみが生じる。開祖の誤りを訂正するのが、弟子の義務である。
232神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:54:46.00 ID:/hflScKb
>>231
だからwwwwwwwwwwwwwwww


「たとえ」邪無くて、本義、第一義なの。
辞書で@として述べられる意味なの。

んと、馬鹿だな・・。
233神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 20:56:04.45 ID:/hflScKb
>>231
サンスクリットでは、ドゥヴィーパが灯明でディーパが島なの。

まさか、こんな基礎知識すら知らなかったなんてことは無いよね?
234神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:01:29.04 ID:fVmOKJCS
>>231
〈何でもかんでも、〉自分〈の〉「我」〈に合わせようとするから、そのような無理〉引用〈と〉
読みの〈ひずみが生じる。〉自分〈の誤りを訂正するのが、〉対話〈の義務である。〉

>>227
>『岩波仏教辞典』初版370頁右
>>本来, 〈自らを島とし…〉と訳されるべきところ, [中略]
>>漢訳者が誤訳したものと考えられている.
235神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:09:12.47 ID:VqWNda8Q
>>230
>ちゃんと「自らを洲(しま)とし、法を洲(しま)としなさい」と訳してい
>る人は大勢いるよ。

ちゃんと「自ら」と言ってるじゃん。それならそれでよい。しかし、「よりどころ」
なのだから、「灯明」としたほうが一義的に分りやすく、かつ格調高い。それ
だけの話だ。「島」としたら、読者は「島ってどういう意味か?」と、必ず迷うな。
「灯明」は、たとえ「島」の誤訳だとしても、釈迦の原文を超えた高度の翻訳と
いうことになる。「外国語の翻訳とは、こうでなければならない」の見本である。
「辞書引き引き」の程度の人には無理w。高度の翻訳者は、辞書は使わない。
意味を把握して一気に訳す。そうでなければ「流麗な、達意の訳文」にはならない。
236神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:10:00.33 ID:XPDaq7Rc
我とは現象に過ぎず、
転生とは死によって中断された仮設の我の再現ということだろうか?
いま、我がY=F(x、z、u、v、w)の関数として、五つの変数によって仮設される現象と定義した場合、
関数F(x、z、u、v、w)が人によって異なるのなら、それはアートマンに他ならない。
しかし、すべての人間の関数F(x、z、u、v、w)が同一なら、アートマンは否定できる。
すべての人間は我となりうるのではないだろうか?
237神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:11:12.53 ID:fVmOKJCS
>>233
別に梵パとか知らなくてもいいけど、
引用言及するなら、ちゃんと理解してほしいよね
知らないのにハッタリで使うと突っ込まれた答えられないのに
何回やっても止められない

生命教、カラス、遊び

しかも指摘されても認めないのも同じ。
238神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:12:09.25 ID:5cCvvTKB
deepam ってサンスクリット語で「光、燈明」とかの意味があるよ。
239神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:14:05.98 ID:fVmOKJCS
>>235
上に指摘された直後にこのようにヘラヘラ書けるのは
流石にカラスや遊びも及ばない

もはや神とかブッダ、男と同じなんだろうな

ほんと、もうネット止めた方がいいと思うよ〜
240神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:21:44.36 ID:5cCvvTKB
昼ごろに「自燈明、法燈明」について始めたものですが、なんかまだ盛り上がってますね。。。

「dīpa sanskrit」でグーグル検索すればわかるように、dīpaで、「燈明」の意味があるみたいですよ。

リンクが張り付けれないので。。
241神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:22:02.28 ID:VqWNda8Q
「自灯明・法灯明」。この仏典随一ともいえる名訳の「格調高さ」を
味わえ。「島」では、意味の一義性と格調高さがガタ落ち。

上田敏のフランス詩の訳は、「原文を超えている」から名訳と言われる。
向坂逸郎の「資本論」の訳は、原文に極めて忠実な訳だそうだが、読者には
意味はサッパリ分らない、と言われている。
242神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:22:02.55 ID:fVmOKJCS
>>238
>deepam

このローマ字は何? もしかしてインド人から口伝で習ったとか?
243カラスの唄:2013/02/14(木) 21:25:11.07 ID:fzu3JDsp
>>221
だからよ、後付けで出来た、明らかにゴータマの仏教とは違う、お宅らの自称伝統的とかいう末法仏教の教えとか、
同じく後付けで出来た中論の中道論など間違いだらけの詭弁論を持ち出して、ゴータマさんの仏教の話をしている人の話を否定されても困るわけだよ。
お宅らの大好きな中道は、この一切の中で必死で探しても、お宅らの言語が作り出した妄想の中でしかないぞ。
なんでこんな簡単な事がわからないかな〜(呆)
ま、お宅らにいくら中論の間違いを指摘してあげても、お宅らは中論を捨てられないだろうな。我の強いお宅らは、執着が激しすぎる。
244神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:26:29.86 ID:5cCvvTKB
dīpaのサンスクリット文字はदीपみたいですね。これで満足ですかね(笑)。
245神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:32:51.63 ID:fVmOKJCS
>>240
問題はパーリなんですけど

dīpa(Sk. dvīpa): I. m. 燈 II. m.n. 洲
http://dictionary.buddhistdoor.com/en/word/8065/dipa

こういう語学的な問題は分からない人は黙ってましょう
246神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:36:48.57 ID:fVmOKJCS
>>243
ほんとどうしようもないやつだ

ハッキリいって知識もない正確も悪い、妄想も激しい

謙虚に自分の欠点を自覚しないと、何も分からないで混乱したまま不遇で苦難だらけの一生を送るだろう、来世はさらに厳しいと思う
247神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:37:08.71 ID:5cCvvTKB
パーリ語でも1番目が燈明(lump)になってますよ。

dīpa : [m.] 1. a lamp(燈明); 2. an island(島); 3. help; support(支え).

誤訳でも何でもないですね。
248カラスの唄:2013/02/14(木) 21:37:38.60 ID:fzu3JDsp
>>228
ウパニシャッドはヴェーダの解説書であり、聖典だボケ。
典拠を示すまでなくググればすぐ確認出来るだろう。アホちゃうか、こいつ。
249神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:38:55.37 ID:kDk5wn0/
>>198 一在家さん (IDかわりました)
一応、真言宗だけど、いま興味で勉強してるのは中観とか大乗だよ。
といっても、趣味でちょっとやってるだけだけど…

>「仏の眼から見れば本当の世界は常住不変で美しい」

一切の外に、どこか遠いところに涅槃があるのではない、という点では、
そういうこともできると思います。生死即涅槃というやつですね。

>やはり「涅槃」は無常ではなく「無為」で宜しいのでしょうか

うん、無常だとしたら苦ですからねー。不生不滅といわれるように、因縁を受けないですし。
ただ、何か掴まれたものを涅槃と呼ぶなら、それは有為ということになると思われます。
これは、実在論者によって掴まれた空が、中論で空見と呼ばれるのと同じです。

>根拠になるテキストはご存知ですか

スッタニパータに、虚妄ならざる法は涅槃である、と説かれてるよ
250神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:41:32.03 ID:fVmOKJCS
>>238
deepamは必死で検索した結果か、で>>244

そういう付け焼刃は、混乱するだけなんで
251神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:43:30.05 ID:5cCvvTKB
>>250

何言ってるか分からないなあ。。変な人だな。。
252神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:44:38.83 ID:zxW9Lk2e
ああああ在家かわいいよぅおおおお、在家かわいいいよおおおおおおおおおおおおおはぁはぁ
253神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:45:05.19 ID:fVmOKJCS
>>247
え〜、英語でも習いたてのヤツが文脈に関係なく訳語の一番目を適当に持ってきますが、文脈に外れてる場合、誤訳ですね。

だから『岩波仏教辞典』初版370頁右でも

>>本来, 〈自らを島とし…〉と訳されるべきところ, [中略]
>>漢訳者が誤訳したものと考えられている.

と述べられるわけです。

アナタも相当、困った人ですね。
254神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:46:12.51 ID:VqWNda8Q
外部者からみると、「自灯明・法灯明」という名文句で、宗教としての仏教の価値が
少なくとも50%は挙がっていると思うぞ。だからこの言葉が広く人工に膾炙している。
こんな名文句を吐けた宗教の開祖は、他には皆無なのだから。

釈迦も大喜びしているだろうw。「島」なら、意味の一義性も格調高さもガタ落ち。

片山さんも、法句経のかの有名な「己が身に顧みて」における「人は皆暴力に怯える」
を、わざわざ原文どおりに「鞭に怯える」と訳して、この名文句の格調をガタ落ちにした。
「開祖への盲信と執着極まれり」、である。
255神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:46:43.73 ID:kDk5wn0/
>>202 一在家さん
ああ、すいません、縁起よってなる自己を、仮にアートマンと呼ぶことはあるでしょう、
という部分が趣旨でした。
これは、言葉、法の意味を定義せずに、空じてるからなせることでしょう、という感じです。
無我にある人は、アートマンや我という言葉を発することも忌避しない、とも言えるかな。
256神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:48:23.48 ID:5cCvvTKB
>>253

あなたがおかしな人で、論理的に考えられないということがよく分かりました。

ふつうの理解できる人は、「燈明」の訳で何の問題もないと分かるでしょう。「真理」が
「燈明」で表されるのは、「無知」が「暗闇」として表されるのとの対比で、全く適切です。
257神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:51:36.12 ID:fVmOKJCS
>>248
そうだよ。だけど、ヴェーダとウパニシャッドは違う。
ヴェーダはカルマン(祭式主義)ウパニシャッドは苦行・三昧主義なんだよ。
そんなの誰の解説みても同じだぞ。

君の知識は話にならないんだよ。半端で誤解に満ちてて訂正すると屁理屈しかこねない。

絶対誤りを認めない。それに付き合えないんだって。

まあ、勝手に喚いていてくれ
258神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:54:49.52 ID:VqWNda8Q
>>253
>だから『岩波仏教辞典』初版370頁右でも

>>本来, 〈自らを島とし…〉と訳されるべきところ, [中略]
>>漢訳者が誤訳したものと考えられている.

にも拘らず、岩波の解釈は前レスの通り。「正訳(?)」よりも「誤訳(?)」を
採用したのである。執筆者の「見識の高さ」を示すものである。

君たち釈迦カルトは、見識が低すぎ。まさに「カルト」の名に相応しいw。
259神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 21:58:14.08 ID:/hflScKb
>>235
>ちゃんと「自ら」と言ってるじゃん

あのな・・・w
そこの「自ら」は、アッタ(atta)だろがw

お前さん、頭大丈夫か?
260神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:00:14.64 ID:fVmOKJCS
>>256
そうですか。岩波辞典を始め、多くの学者も伝統仏教徒も私の読みですが。

私も同じ思いです。

文というのは結構、訓練しないと読めないもんなんです。

大抵、読めてると思ってるのは誤解して適当に読んでるだけ。
それが長年やってると自分が読めてない時が分かるようになるもんです。

ネットで安易に「論理的に考えられない」と人を非難する人は大抵非論理的な人です。
彼らの「論理的」とは自分の考えに一致することなんで、それ以外は全て非論理になるからです。

まあ、いずれにしろ。アナタと分かればもう話すことはありません。
アナタの方からも話しかけないようにお願いします。
261神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:02:47.62 ID:fVmOKJCS
>>258
そりゃ、単に現代日本で「自灯明」が普及してるからでしょ

実際、ここで自洲を知ってる人は結構、仏教を学んでる人だけでしょ

ほんと、増谷とか和辻の現代解釈は困ったもんだ
262神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:05:48.74 ID:VqWNda8Q
「開祖の言葉の枝葉末節に執着する」カルトの特徴が、如実に証明されているな。

岩波が、誤訳(?)と知りながら、敢えて誤訳(?)を採用したことの意味を、
よーく考えること。
263神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:07:31.67 ID:fVmOKJCS
流石2ちゃんw
264SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/14(木) 22:12:49.59 ID:avmrZqLL
言葉は、人と人とが通じ合うためにあるものである。

しかしながら、ある者どもは言葉によって互いに排斥しあってしまう。それでは、言葉を使いこなしているとは言えない。

人は、言葉を縁として覚りに至るが、この場合においても言葉は通じ合うものとして用いられる。

こころある人は、言葉によって真実の真相を明らめ、善き人々と語らい、また言葉によって功徳を積んで、この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。

そうであってこそ、言葉は見事に用いられたのである。

***
265神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:17:24.88 ID:VqWNda8Q
>>261
>ほんと、増谷とか和辻の現代解釈は困ったもんだ

困るのは、時代も全く異なる大昔の開祖の言葉の枝葉末節に縋りつく釈迦カルトたち。

釈迦は、あくまで、「当時の」社会における、「当時の」人々の知識と常識水準
に合わせて説いたものであることを忘れてはならない。現代に持ち込む場合には、
桁違いに向上している現代人の知識と常識水準に合わせなければ、解釈としては
明らかに「誤り」となる。
266前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 22:20:31.20 ID:5UGQYLod
>>249
>一応、真言宗だけど、いま興味で勉強してるのは中観とか大乗だよ。

そうですか、ご回答有難うございます。 オイラ氏も真言宗だったと記憶します。

>うん、無常だとしたら苦ですからねー。不生不滅といわれるように、因縁を受けないですし。
ただ、何か掴まれたものを涅槃と呼ぶなら、それは有為ということになると思われます。

>スッタニパータに、虚妄ならざる法は涅槃である、と説かれてるよ

戯論でない法は「涅槃」である、と言い換えても宜しいでしょうか。
引き続きご教示のほど宜しくお願いします。
267神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:22:38.67 ID:VqWNda8Q
優れた教師にとっては、弟子が己(教師)を超えてくれることが最大の喜び
である。

ひたすら教師の講義を丸暗記し、猿真似するのは「三流学生」。

釈迦は「優れた教師」ではなかったのか?
268SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/14(木) 22:23:45.46 ID:avmrZqLL
料理人が、どんなに切れ味のよい、素晴らしい包丁を持っていても、作った料理が美味しく無いのでは包丁の切れ味も無意味である。まして、自分の指を切ってしまうようでは切れ味も仇となる。

料理人が、そこそこの切れ味の包丁しか持っていなくても、作った料理が美味しいのであるならば、客は包丁の切れ味になど興味を持つことは無いであろう。

目的を見失ってしまっては、せっかくの言葉も役には立たない。こころある人は、言葉によって覚りに至れ。

***
269神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:29:09.04 ID:zxW9Lk2e
君たち、もっとまじめに議論しなよ
270神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:31:10.00 ID:/hflScKb
DIpa1 [Ved. dIpa to Ved. dI, dIpyate; Idg. *deiA to shine (see dibba, deva);
cp. Gr. di/alos, dh_los; see also jotati]
a lamp J ii.104 (-M jAleti to light a l.); DhA ii.49 (id.), 94 (id.)
 -- acci the flame of a lamp ThA 154; -- Aloka light of a l. J i.266; vi.391; DhA i.359; VvA 51;
-- (-M)kara making light, shining, illuminating Nd2 399 (=pabhaM kara Sn 1136; but cp. Dh 236 under dIpa2);
Vism 203. -- tittira a decoy partridge (cp. d?paka?) J iii.64;
-- rukkha lit. lamp -- tree, the stand of a lamp, candlestick DhA iv.120;
-- sikh? the flame (lit. crest) of a l. Vism 171; DhA ii.49.D?pa2 (m. & nt.)

DIpa2 (m. & nt.)[Ved. dvIpa=dvi+ap (*sp.) of Apa water, lit. "double -- watered," between (two) waters]
an island, continent (mahA-, always as 4); terra firma, solid foundation, resting -- place, shelter,
refuge (in this sense freq. combd w. tANa lena & saraNa & expl. in Com. by patiTThA)
-- (a) lit. island: S v.219; J iii.187; VvA 19; Mhvs vii.7, 41.
-- continent: cattAro mahAdIpA S v.343; Vv 2010 (=VvA 104); VvA 19; PvA 74
etc. Opp. the 2000 paritta -- dIpA the smaller islands KhA 133.
-- (b) fig. shelter, salvation etc. (see also tANa): S iii.42 (attaM+attasaraNa etc., not with S Index to dIpa1);
v.154, 162 (id.) iv.315 (maM-, not to dIpa1), 372; A i.55 sq. (+tANa etc.);
Sn 501 (attaM selfreliant, self -- supported, not with Fausboll to dIpa1), 1092, 1094, 1145 (=SatthA);
Nd2 303; Dh 236 (-M karohi=patiTThA PvA 87); Pv iii.19 (id. PvA 174); J v.501=vi.375 (dIpan ca parAyaNaM);
Miln 84, 257 (dhamma -- dIpa, Arahantship).
-- Alaya resting place J vi.432; -- gabbhaka same J vi.459, 460.
271前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/14(木) 22:32:11.08 ID:5UGQYLod
>>249 真言氏
>一応、真言宗だけど、いま興味で勉強してるのは中観とか大乗だよ。

Q.弘法大師は仏性を無常の有為として説いておられましたか?

この質問は先日この板でしましたが、回答は届いておりませんので、御存じでしたら御教示願います。

「全ての人に仏性が宿る」という説法は世俗諦では奥義だと思いますし、大師が天皇や仏教界トップの面前で全身から光を発した記録は信じております。
人が尊いのであればこそ、如来の衆生済度の大誓願は意味を持ちますし、「一切智」ですら衆生済度の為にあるという意見も伺っております。

参考)入中論12-42:有無に執して苦に沈む者のために、慈悲の心のある仏は涅槃に向かう心を退ける。
272神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:39:16.06 ID:/hflScKb
>>247
一番目というわけじゃないよ。
サンスクリットでの dIpa dvIpa 共に パーリではdIpaなだけ。
だから、【どっちが一番】とかじゃないよ。


あ、訂正(汗 >>233は逆だねw  所詮ワシもこの程度か・・・ 笑ってくれ orz
273神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 22:51:18.75 ID:XH92FD6s
>>236
>いま、我がY=F(x、z、u、v、w)の関数として、五つの変数によって仮設される現象と定義した場合、
>関数F(x、z、u、v、w)が人によって異なるのなら、それはアートマンに他ならない。

変数は、時間とか空間とかによって、変わりゆく、無常なる五蘊を表してるってこと?
その場合、Y=Yだと思っても、すぐにY≠Yとなっていく…という感じだね。
YくんはすぐにYくんではなくなるのだけど、執著によって、[変わることのないYくんそれ自体]のようなもの、
つまり、アートマンという、見つかりもしないものを無意識に見出してしまう、という構造だと思う。

変数、変化、無常が知覚されるのは、そういう変わることのない基底とか関数、固有名を置くからだよ。
そのアートマン的な基底を捨てると、変化や無常は知覚されない…はず。
274SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/14(木) 23:04:52.62 ID:avmrZqLL
いくつかの料理の中から好きに食べてよいならば、美味しいものから先に食べようとするであろう。

いくつかの疑問があるならば、聞きたいことから問うであろう。

いろいろと語るべきことがあるならば、重要なことから語るであろう。

最後の言葉が、特別に重要であるということに根拠はない。誰しも、重要なことはずっと前に語るであろうからである。まして、仏ならばなおさらである。仏には、教師の握り拳は存在しない。

経典においても、一般に正法は最初の巻の方に記されている。せっかくの正法の記述も、最後の巻に記したのでは読んでくれない怖れがあるからである。

仏教において、辞世の句など別に重要な意味は含まれていないと知るべきである。仏の辞世も、修行者に向かっての励ましの言葉に過ぎないからである。

***
275神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 23:09:31.84 ID:dTM/eFvm
>>266
そうそう〜、そのオイラさんを追っかけてるのよ〜

>戯論でない法は「涅槃」である、と言い換えても宜しいでしょうか

うーん、法は基本的に、石飛先生に習って、説かれた言葉や教えって意味でとってる。
「法は存在を表してるんじゃないの?」ってなるかもだけど、
縁起による存在が知覚される→教えとして、言葉で表される って順番だから、(青目さんと石飛先生から聞きました)
自動的に法は、特に有為法の場合は、存在も意味している事になる、ということ。

ごめん、「戯論でない法」って、どんな意味? 誤解すると錯綜するから、
別の表現をお願いできますか?
276カラスの唄:2013/02/14(木) 23:10:45.53 ID:fzu3JDsp
>>257
と、このアホはあたかもヴェーダ教とウパニシャッド教があって、それぞれ別の宗教だといわんばかりの
詭弁をかましているわけだが、なんでヴェーダの解説書であり聖典であるウパニシャッドがヴェーダとは違うものになるんだよ。お前、
脳みそに蛆でもわいてんじゃねぇの。あのね、ウパニシャッドにも祭祀の方法など繰り返し書かれてるわけ。
でもその祭祀はなんのためにやるんだよ。意味もなくやってたら単なるアホだろ。キリスト教のテーマは永遠の命だ。
それを得たいがため、キリスト教徒はミサを執り行っているわけだ。ま、本当言うとミサなどやっても意味ないけどな。
それと同じで、ヴェーダも祭祀を取り扱うが、あくまで最終的なテーマはスーバッハ(自性)なんだよ。
無意味に祭祀だけやってたら単なる馬鹿だろ。こんな子供でもわかる理屈もわからないんだね、君は。
277神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 23:19:54.80 ID:/hflScKb
>>276
あんた、古代インドのこと何にも知らないじゃんw
それでよく、ヴェーダ云々言えたもんだw
278神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 23:22:32.06 ID:dTM/eFvm
>>271 一在家さん
真言氏って呼び方は名前負けするからやめてw 一番勉強したのは三論で、真言はさっぱり…。
なので、真言とか密教に関する質問は控えさせてもらいます〜。

まあ、理屈から考えると、仏性は常住ではないでしょうか。
といいますのも、輪廻を繰り返して、たくさんの苦果を受けているうちに、
いつか人身を受けて仏縁に恵まれるときが来るでしょうから。

仏性が無常かどうか、どうして気になったのかを聞いてもいいですか?
279神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 23:29:57.58 ID:X7Qk9fNQ
一在家さんはカルトでなく
浄土宗のちゃんとした仏教徒だね
我々が死んだら今までの楽しい 苦しい思い出は消滅し どこにも行かなく
いき残された人が供養し続けるだろな
震災で亡くなった2万の魂も
死とは何だろう
280カラスの唄:2013/02/14(木) 23:31:07.03 ID:fzu3JDsp
中論のような詭弁論に傾倒する人は悪人だよ。普通の人は詭弁を本能的に嫌うが、悪人は詭弁を好むからね。
原発等の俗にいう御用学者の詭弁を聞いてるとぶん殴りたくなる。
詭弁を駆使してゴータマの仏教を自分達の都合のいいように捻じ曲げてしまう末法仏教徒も、同じ穴の狢なんだろう。
281神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 23:36:17.29 ID:/hflScKb
>>280
中論批判ばっかりやなw
たまには水野片山ラインの批判もしてくれよw
もっとも、水野さんは宝珠の拠り所かもしらんけど。
282神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 23:42:49.35 ID:dTM/eFvm
>>280
普通の論理でいったら中論が詭弁になるのは当然だよ〜
だから、その普通の論理を捨てて、仏教の論理を身につけないと読めない
この場合の論理は、ものの見方、というほどのもの

まあ、中論に関しては自分も完全に把握しているわけじゃないけど。
283神も仏も名無しさん:2013/02/14(木) 23:43:00.71 ID:fzu3JDsp
>>277
古代インド史も糞も、ヴェーダの解説書であり聖典であるウパニシャッドが
なんでヴェーダとは別のものになるんだよと聞いてんだよ。おまえ、
ウパニシャッドは祭祀を否定していると思ってんの?否定するどころか、
祭祀の方法から何から何まで繰り返し書かれてるんだが。なにいってんだが、この人。
284神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 00:09:10.66 ID:pj5sCyy0
>>273
もちろん、こんな単純なものではないと思いますが、
さらに少し拡張して、宇宙が一なるものから発生したとして、
『我』の根源もまた一だとして、その根源として、F(x、z、u、v、w)なる関数が発生した。
この関数はすべての生命に共通であり、宇宙の進化、種や個の分化とともに、
同じ関数でも変数が異なるのでYが異なるようになった。
つまり、各生命固有の関数Fn(アートマン)はないが、全生命の『我』は同じ関数Fである。
だと、仏教的にどんな感じですかね?
証明できないし、宇宙そのものが一なる神となりそうですがね。
285神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 00:11:57.87 ID:YWc5HJmP
>詭弁を駆使してゴータマの仏教を自分達の都合のいいように捻じ曲げてしまう末法仏教徒も、同じ穴の狢なんだろう。 budd


大乗を批判されてもねえ

 
286284:2013/02/15(金) 00:12:07.27 ID:pj5sCyy0
>>284付け足せば、関数Fはアートマンではなく、仏性となりませんかね?
287神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 00:38:47.07 ID:ss8fvy+p
>>283
それならば、
原始仏教も部派仏教も大乗仏教も現代日本仏教も、
同じ仏教であり、隔絶や誤り無き連続した系譜と見做すべきだと思うが?

貴方はそうはしないのでしょう?
ならば、ヴェーダ、ウパニシャッドを一枚岩として扱うのは愚だと思いませんか?
288神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 02:45:04.78 ID:/cW/fvGX
なるほどねー
ディーパは依拠であり支えなんだから、確かに燈明じゃ弱い気がするねー。
島も小さいからいっそのこと大陸とでもした方が良いのかもねー
てか依拠や支えで何も問題ないんだが自然現象に持っていきたいんだろうね。

仏性とは燃える闘魂みたいな生命力のことなんだから無常といえるかもだが、
大きい視点で見ると常住って気がするねー。
生命力は留まることを知らないってゆうか…

議論が称賛と批難の繰り返しってのも結局は大きい視点で観てのこと。
小さい視点で観た人生とは議論そのものであり、
大きい視点で観た議論とは割りとどうでもいい遊びに過ぎないんだよね。
289前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 03:01:14.48 ID:w3fuhpv1
>>278 三論氏(仮設)
>まあ、理屈から考えると、仏性は常住ではないでしょうか。 (中略)
>仏性が無常かどうか、どうして気になったのかを聞いてもいいですか?

この板の議論で「一切皆苦」と説かれた場合の「一切」には「如来(仏)」や「涅槃」などの無為は含まれないということです。

次に弘法大師や法華経の「全ての人は仏になり得る」という如来蔵の教えから、「仏性=仏種」と「仏」との関係に着目します。
無為の「仏」の要素とも言える「仏性=仏種」もまた無為ではないか、ということを重視して質問致した次第です。

また三世のカルマを蓄積しつつ輪廻する阿頼耶識は不変でない有為なので、無為の仏性とは異なるのではと仮設しております。
290前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 03:14:45.93 ID:w3fuhpv1
>>286
>付け足せば、関数Fはアートマンではなく、仏性となりませんかね?

>>288
>仏性とは燃える闘魂みたいな生命力のことなんだから無常といえるかもだが、
>大きい視点で見ると常住って気がするねー。

>>289 
>無為の「仏」の要素とも言える「仏性=仏種」もまた無為ではないか、ということを重視して質問致した次第です。

大きな視点で見れば、仏=Σ仏性=Σ関数F のアナロジーは 宇宙=Σ素粒子 でしょうか。
291神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 03:20:07.38 ID:/cW/fvGX
涅槃経は法の説明までしてくれてるね。

法とは常と名づけ、亦無辺と名づく。
思議すべからず、執持すべからず、繋縛すべからず。而も亦見るべし。
若し説きて不可見と言ふ有らば、是の如きの人依るべからざる所なり。
是の故に法に依りて人に依らず。


思議すべからず、執持すべからず、繋縛すべからずなのがポイント。
292284:2013/02/15(金) 03:55:19.01 ID:pj5sCyy0
>>290
関数Fはもともと、一なるものから生じたもので、生命が個別に持つものではなく、
直感的には、宇宙全体に波のように広がるような、そんなイメージ。

すべての生き物は同一の関数Fにより『我』が現象し、
五蘊である五つの変数で、生き物ごとに『我』がちがって現象される。
極端に言えば、犬も人も同じ関数Fにより我を生じるのですが、
犬と人は変数が大きく異なるので、まったく違う我となる。
この関数Fは『我』を解脱へと希求させる『我』を生み出すものでもあるので、
すなわち、すべての生命は仏性を持つともいえる。みたいなそんなイメージです。
293284:2013/02/15(金) 03:59:46.49 ID:pj5sCyy0
>>292続き
比較として、永遠不変のアートマンを認める考えだとしたら、
『我』を生じさせる関数が生き物ごとに異なる。犬は関数A、人は関数B。
同じ人間でも、C君は関数Y1、D君は関数Y2、と言った感じで、
個々の生き物の関数がアートマン、変数が我の形を決定する。みたいな感じです。
まあ、俺様理論です(笑)ただ、仏典を数学的に解釈できれば面白いかもしれませんね。
294宝珠愚者@(規制代行):2013/02/15(金) 04:55:34.80 ID:v+giNQmn
>>71
>仏教が存在として認めるは、縁起によって知覚されるものだけ、つまり有為、無常で、
>仮設するしかできないもの  もし仮に、そのように知覚されたアートマンが究極の悟りだとすると、
>そういう有為で無常で虚妄なものが究極ってことになっちゃう
>で、知覚されないアートマンとか神は、一切の中に見つからないから、説かれない。非法と呼ばれる。

「一切」から「一切外」へ移行すれば見つかるのでは? 尚、移行とはいっても意識上の出来事です。
これを“超越”という(超越できない者にとっては一切しか知覚できない)。

>>74
>ということで宝珠さんと議論させてもらいました〜

了解しました。
(私の賛同者とは限らず)議論に真面目で前向きな参加者ならば私は歓迎します。

>>77
>一切(諸行)を、縁起した存在として知覚し、
>その無常なる存在を仮に言葉にした(仮設した)とき、それは有為法と呼ばれる。
>一切(諸行)をすべて滅して、手放した涅槃の境地を仮に言葉にしたとき、それは無為法と呼ばれる。

これには私も同意できると思う。

>>188
それは詭弁、または誤解というものです。
「色即是空」「空即色是」ですから、色(現象界)の性質は空だということ。
「空」とは色(現象界)の性質のことです。だから、涅槃が空のわけがないのです。
295宝珠愚者@(規制代行):2013/02/15(金) 04:58:12.02 ID:5nwB0izV
>>190
>カラスの発言はヴェーダとウパニシャッドを混同した根本的な無知から来る誤解だって認める?

必ずしもそういう評価にはならないかもしれません・・・。

「ヴェーダ」と「ウパニシャッド」の関係についていえば、
簡単ないい方としては、「ヴェーダ」という場合には「ウパニシャッド」を含んでおり、
単に「ウパニシャッド」という場合には、「ヴェーダ」後期に属する部分となります。
そして、各「ヴェーダ」それぞれにも注釈書としての「ウパニシャッド」が付きますが、
通常「ウパニシャッド」という場合には、聖典ヴェーダ4部門の最終部門「ヴェーダーンタ」を指します。
よってつまり、「ウパニシャッド」に書かれていれば、広義的にいって<「ヴェーダ」に書かれている>
という言い方は可能でしょうね。
ただ、示す言葉によっては、<それは「ウパニシャッド」に該等しない
他の「ヴェーダ」においては登場しない言葉である>という場合も当然あるでしょう。

>オイラたちは少なくとも証拠は沢山だしてることは認めるよね?

確かに提示し、紹介はされていますが、
その内容は何れも、五蘊においては無我という話にしかなっていないので、
一切外のアートマン否定の根拠にはなっていないでしょう。
唯一、それがあったのは龍樹著作でしたか・・・。それは、「仏典」ではありませんね。
ゴータマがいったという根拠としては、あまりに乏し過ぎます。
ゴータマの態度は、一切外無記です(これについては大王は分ってる模様)。
無記は、アートマン否定にはなりません。
296宝珠愚者@(規制代行):2013/02/15(金) 05:00:33.12 ID:5nwB0izV
>>202
-----在家さん、参加者皆様オール各位へ
 それと、カラスさんと私とでは、「アートマン」と真我の用い方に違いが見られます。アートマンとい
うのは一般的には広く「魂」などと訳されたり表現されるので、カラスさんもそういう使い方をしている
ものと思います。
 しかし、この私の場合は異なります。ウパニシャッドの説くアートマンというのは「魂」ではなくて、更
にもっと最奥の究極の自己です。
 魂は縁起する存在であり、輪廻の役割を終えれば消滅する一時(膨大の時間における)の存在です。
アートマンは涅槃同様に縁起しません。魂が消滅して初めて立ち顕れることのできる究極存在。
「魂」(ジーヴァ)と「真我」(アートマン)です。

*自己意識の4階層
  1.----生存中の通常意識(表層意識)
  2.----死後、一定時間において残存する意識(心霊)
  3.----輪廻転生の主体
  4.----真我
     【神智学】    
         「1.エゴ(自我)」-「2.マナス/アストラル体(情緒想念形体)」
                        -「3.アートマ/ソウル(魂)」-「4.モナド/スピリット(霊)」
     【ヒンドゥー】 
         「1.アハンカーラ」-「2.プラーナマーヤコシヤ(カーマローカ)」-「3.ジーヴァ」-「4.アートマン」

PS:大衆が信じるアートマン視の認識レベルは2.
   ゴータマ時代のバラモンたちが誤認していたアートマン視の認識レベルは3.
297神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 05:27:04.34 ID:jm3KZXFm
>>295
>よってつまり、「ウパニシャッド」に書かれていれば、広義的にいって<「ヴェーダ」に書かれている>

 そういうことは可能だけど、『リグ・ヴェーダ・サンヒター』の用例にないことを詐欺ということはできないでしょ
 もちろん、ヴェーダ関連のことは二人よりは知ってるよ。
 ちなみにヴェーダ専門の今の代表的日本人学者誰か二人共知らないでしょ。

>確かに提示し、紹介はされていますが、

 問うてるのはオイラたちが証拠を出してるかどうかで、その内容は関係ない。
 問題は彼がオイラたちが出してないと言ってる部分だ。

 そういう発言は明らかな嘘だろ。

 『リグ・ヴェーダ・サンヒター』の用例にないということを『ヴェーダ』を拡大解釈して言っているのも同じだ。
 『リグ・ヴェーダ・サンヒター』の用例にないと提示されて、確かに『リグ・ヴェーダ・サンヒター』にはないけれど広義の『ヴェーダ』にあるといわずに、オイラの発言を詐欺呼ばわりだぞ。
 しかもオイラはウパニシャッドにスヴァバーヴァがあるというのを、同じ発言の中で認めてるのに。

 このような発言をする人は信用できないでしょ
298前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 07:15:47.27 ID:w3fuhpv1
>>291
>涅槃経は法の説明までしてくれてるね。
>法とは常と名づけ、亦無辺と名づく。
>思議すべからず、執持すべからず、繋縛すべからず。而も亦見るべし。

涅槃経における法に関する説法の御紹介を有難うございます。
この板で法(ダルマ)も縁起すると言われる方もおられましたが、法は常=不変=無為ということですね。
299前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 07:19:20.71 ID:w3fuhpv1
>>298 関連過去ログ
<IF 条件x THEN 動きX> であり、条件xはα〜Ωの無数の集合体が縁起の法とも言えると認識しております。
私は縁起の法は自性だと考えます。
もし空性(変化、無常)であれば、<IF これあれば THEN あれありとは限らず>になるからです。
300神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 07:20:28.12 ID:6NVbK3qO
出典: A.P. Buddhadatta Mahathera, Concise Pali-English and English-Pali Dictionary [available as digital version from Metta Net, Sri Lanka
 dīpa : [m.] 1. a lamp(燈明); 2. an island(島); 3. help; support(支え)

ディーパについて気づいたのですが、「燈明」と訳した場合、「無知を破る光」としての意味を象徴でき、かつ、
暗闇で人はあかりを頼りにするから、「頼りにするもの(支え)」の意味も含意され得ます。

逆に「洲、島、支え」と訳すと、「無知を破る光」の意味が表せません。誤訳とまでは言えませんが、
あえてそのように訳すメリットはないでしょう。
301前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 07:29:17.68 ID:w3fuhpv1
>>296
>【神智学】    
 「1.エゴ(自我)」-「2.マナス/アストラル体(情緒想念形体)」
          -「3.アートマ/ソウル(魂)」-「4.モナド/スピリット(霊)」
(御参考)
【真光】「1.心」-「2.幽体」-「3.霊体」-「4.真我の吾」

特に「4.真我の吾」=神魂=神の分けみ霊
よって全ての人は神に限りなく近づき得るという教えになります。

【神智学】の創始者は智慧で悟られたのでしょうか? 私らの師は50年ほど前に啓示にて知ったそうです。
302カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 07:47:24.46 ID:45qF2Bj5
>>296
>アートマンとい
>うのは一般的には広く「魂」などと訳されたり表現されるので、カラスさんもそういう使い方をしている
>ものと思います。

全然違いますよ。業報輪廻転生の基体とは、頭に業報とつくだけあって、業である。これは魂と言い換えても
差し支えない。真我と呼ばれているものは、この業(魂)を滅ぼす先にある。一方自性と呼ばれているものは、
それら全ての根源。自性と呼ばれているものの性質は>>47で述べた通り。業報輪廻転生は永遠ではない。
業報輪廻転生の基体である業(魂)は、この現象世界に縁起して成るもの。生まれたものは滅びるのが定め。
それはこの宇宙とて同じこと。”今の” 宇宙が滅びれば、行き場の無くなった業(魂)も滅びる。
一方、真我と呼ばれているものは、業(魂)と同じく今の宇宙が滅びれば一旦は無へと帰すが、業(魂)との
決定的な違いは、再び目覚めるということ。この宇宙は繰り返し創造されている。この輪廻は永遠である。
ここの末法仏教徒も言っているでしょう。縁起は繰り返される。なぜ真我は滅びないかというと、自性と
呼ばれているものと直接縁起しているものだから。それは人の心といってもいい。また、真我と呼ばれているものは
この現象世界とも相互依存関係であり、この宇宙が無くなれば存在できないものである。光と闇は互いに
兄弟なので引き離せない。ゆえに真我と呼ばれているものも、縁起して成る主体性の無い無自性な空であり、
恒常不変ではなく、無常なるものである。だが彼は復活する。日はまた昇る。きっと末法仏教徒達は
人の心といったフレーズで躓くと思う。言っとくがここでいった人の心とは、今の我々の心のことをいっている
わけではない。それは縁起を引き起こした基体といってもいい。それは人の心。さて何でしょう。わかる人にはわかる。
303カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 08:03:17.15 ID:45qF2Bj5
しかし、俺の主張は、真我とは輪廻転生を繰り返す魂のことだといってるなんて酷い誤解だな。
グノーシスのスレで、永遠の命とは仏教で言う輪廻転生でいいのでしょうか?なんて質問していた
人がいたが、あまりの愚問に呆れて放置しておいたが、宝珠氏ほどの人でも誤解するわけだから
俺の書き方にも問題があるんだろうな。ま、時間のあるときにグノーシススレでも書いておこう。
魂=業についてもね。ちなみに僕は人は死んだら意識なんて残らないと思う。一時的に観照者の立ち戻れる
というのはあるかもしれないが、少なくとも僕の意識は無くなると思う。なぜなら今の意識は、この身体
に縁して成っているからだ。だからこの身体が滅びると同時に今の私を認識している意識も滅びる。
ただ業にしたがい、違う身体で生まれてくるというだけ。今の私を認識している意識を構成しているのは、
主に、今の容姿、肉体、、五感による知覚、そして記憶。五感による知覚が再生されても
姿かたちは別の身体で、今の自分の記憶が全く無ければ、記憶が蘇らない限り別人みたいなものである。
人は、性質のいい人、悪い人、容姿の良し悪し等々、持って生まれたものがある。
無明の中にいて、業を滅ぼさない者は、自分の成した業に従い生まれ変わるだけである。
304神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 08:19:11.39 ID:igicUAlJ
>>291 宝珠さん
>「一切」から「一切外」へ移行すれば見つかるのでは? 尚、移行とはいっても意識上の出来事です。

「意識上の出来事」だと、サンユッタ・ニカーヤにあったように、
知覚できる出来事ということになり、一切の中に含まれてしまうよ〜。

>これを“超越”という(超越できない者にとっては一切しか知覚できない)。

石飛先生が、「一切智者」ということ、「ブッダの体系は閉じている」ということを強調されるように、
仏教は一切の内のことしか説かないよ!
もちろん、仙人(≠仏)にしか知覚できない、宿命通とかもあるけど、
それも執って知覚されたのだから、一切の中に含まれてしまう。

この辺りは、宝珠さんと一在家さんが疑問に思ってることが、そっくりな気がする。
305神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 08:24:18.42 ID:igicUAlJ
>>294 宝珠さん
>「色即是空」「空即色是」ですから、色(現象界)の性質は空だということ。
>「空」とは色(現象界)の性質のことです。だから、涅槃が空のわけがないのです。

現象界(輪廻界)の本来の姿は、空(涅槃界)、ということだよ。
それは、識も行も滅しつくて、何一つ残るものがない境地。
言葉(四句)を滅している、つまり、言葉(四句)による限定を離れた境地。
306カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 08:27:28.38 ID:45qF2Bj5
>>287
は?おまえさん、なにかヴェーダ教、ウパニシャッド教などというそれぞれ独立した宗教だと
思ってんじゃねぇの。ヴェーダ(梵: ??? 、Veda)とは、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された
一連の宗教文書の総称。もちろんその中にウパニシャッドも含まれる。ウィキぺディアだが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%80
あのさ、旧約聖書と、新約聖書という聖典があるだろ。これを元にキリストの教えという思想が生まれ、
さらにそれを元にカトリックだの、プロテスタントだの統一教会だのという
宗教ができたわけ。もちろんこれらは聖典は同じものだが教義の違う違う宗教なわけだ。同じくウパニシャッドなどの
元にできたヴェーダという思想の中から、バラモン教やらジャイナ教という宗教ができたわけだ。
その中のカテゴリーの一つが、ゴータマの仏教なんだよ。わかる?もちろんこれらは聖典は同じものから
出発しているが、教義の違う、別の宗教だ。言ってる意味わかる?で、ウパニシャッドに限らず、
当時のヴェーダ関連の宗教文書には自性と呼ばれるものが登場し、ヴェーダ思想のテーマと呼んでもいいものだと
説明してあげてるんだよ。でだ、原始仏典を読んでも、ゴータマさんは業報輪廻転生を積極的に説いていなかった
などと、書かれていることを素直に読まず己のエゴで捻じ曲げて読んでしまう頭のおかしい人は別だけど、
スッタニパータなどの原始経典を読めばゴータマさんは、ヴェーダを否定するどころか、
むしろ肯定しているのはまともな人が読めば一目瞭然なんだよ。ならば、ゴータマさんはヴェーダ思想の
根幹ともいえる自性と呼ばれるものについては、肯定的だったとみるのが自然だと教えてあげてるんだよ。
わかった?
307カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 08:32:19.98 ID:45qF2Bj5
>>304
横レス失礼。真我と呼ばれているものは一切外にあるものでないよ。
でもそれ(真我とよばれているもの)を認識しなければ、一切外である自性(アートマン)と
呼ばれているものも認識できないんだよ。我々が熟睡時の ”無” 意識を、目覚めた時に
初めて認識できるようにね。
308神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 08:43:30.58 ID:igicUAlJ
>>289 一在家さん
>この板の議論で「一切皆苦」と説かれた場合の「一切」には「如来(仏)」や「涅槃」などの無為は含まれないということです

一切皆苦における一切とは、縁起、諸行によって生じたもの、執って仮設されるようなものだね。
この一切を滅しつくした、空(から)を言葉(法)にすると、「涅槃」とか「空(くう)」となる。

こんな感じ。
輪廻界(一切) → [ 色 受 想 行 識 ] (←縁起による生と滅がある、無常、苦、無我、四句で表現され得る、諸行を滅する前)

涅槃界(一切) → [   空(っぽ)   ]  (←因縁を受けず不生不滅、常住、楽、無我、四句を離れている、諸行を滅した後)

どちらも、同じ「一切」についてしか話してないんだけど、言葉にすると、涅槃は、
一切(の見解)からの出離とか、虚妄ならざる(無為)法
という言い方になってしまって、あたかも「一切の外」にあるかのような言い方になってしまう。
309神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 08:47:34.05 ID:igicUAlJ
>>307 カラスさん
はじめまして。

ええと…質問なのですが、一切内にある「真我」と、一切外にある「自性(アートマン)」とは、
それぞれどのようなものでしょうか。
それらは、どちらも「存在」として、認識できるものなのでしょうか。
310カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 08:48:51.52 ID:45qF2Bj5
>>297
てめぇは詐欺師でいいんだよ!
あのよ、ウパニシャッドもヴェーダ思想の元となったヴェーダ文献の中の一つなわけ。
それを読めば、普通にヴェーダ思想のテーマは自性と呼ばれているものだと普通の人なら
気付くわけ。ならば、原始経典でゴータマさんがヴェーダを肯定的に捕らえていたとみられるなら
ヴェーダのテーマである自性と呼ばれているものも肯定的に捉えていたとみるのが
自然だと教えてあげたら、てめぇは、ヴェーダ文献の一つでしかないリグ・ヴェーダ・サンヒターを取り上げて
そこには自性について書いていないからヴェーダ思想には自性なんてないなんておまえは詭弁を
かましたんだろうが!こんな詭弁を使う奴のどこが詐欺師じゃねぇっていうんだよ!
それを今度はまるで俺が詭弁を使っているかのものいい。自分の心の闇を他人に転嫁するとこなんざ
立派な人格障害者じゃねぇかよ。本当にお前は邪悪だな。
311カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 08:52:16.63 ID:45qF2Bj5
>>309
自性については>>47で述べたとおり。それの認識については>>307で書いた通り。
あとは自分で考えな。
312カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 09:07:38.27 ID:45qF2Bj5
>>297
>しかもオイラはウパニシャッドにスヴァバーヴァがあるというのを、同じ発言の中で認めてるのに。

ということは、原始経典でゴータマさんがヴェーダを肯定的に捉えていたと見られるなら、
スヴァバーヴァ(自性)についても肯定的とみるのが自然だという見解は正しいと認めるな。
お前は自分の間違いを素直に認められるんだろ?ニヤニヤ。
313神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 09:16:32.84 ID:ss8fvy+p
>>310
馬鹿だなぁ・・w

系譜、同根という意味では同じだろ?
初期仏教(ゴータマ)を肯定し、現行上座部や亜流・派生たる部派・大乗を否定することは、
即ち、
ヴェーダを肯定しヴェーダンタにあたるウパニシャッドを否定し、
更には、その亜流・派生であるゴータマ教やジャイナ教等各種インド思想を否定することと
【同形】だと言っているのです。
そして、前者仏教に於ける系譜や伝承の方が、
【よりブレが少なく、重要部分の継承が正確】だということです。


>>312
初期仏教から註釈時代まで広くとっても、
原始仏教で言われる自性は、【貴方が言うような自性】ではない、
ということを、テキストと併せて書き込んだと記憶していますが、
結構昔のことなのでお忘れですか?w
314神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 09:22:16.76 ID:ss8fvy+p
まあ、ヴェーダウパニシャッドについては、完全に前門外なので
貴方の方が詳しく正確なのかもしれません。
ウパニシャッド含むヴェーダ文献は一貫している、と受け止めておきましょう。
問題は、仏教内で(ゴータマさんの言葉の中で)どうか?ということなのですから・・。

もとより、Snが苦行者文学であり、
種々の表現や感性・価値観を前時代から継承しているということはあるにせよ、
それでも、さすがに、貴方方の言うような中身は、炙り出すのさえ困難だ、というのが
誠実に文献と向き合ったときの実際なのです。
315カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 09:24:07.53 ID:45qF2Bj5
追記。死を迎え業に従い新しい身体で輪廻転生するまでの間は、無だと思う。
もちろん我々はその間は何も認識できない。無だ。熟睡の間はなにも認識できないのと同じでね。
316カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 09:35:41.55 ID:45qF2Bj5
>>313
馬鹿はてめでだろ。

>ヴェーダンタにあたるウパニシャッドを否定し、

またちんぷんかんぷんな事いってやがる。ヴェーダンタてのはヴェーダとウパニシャッドを研究する
学派(宗派)の一つだろうが。なんでヴェーダンタ=ウパニシャッドになるんだよ!
あのね、ジャイナ教も、バラモン教も、君らは認めたくないだろうが、ゴータマの仏教も元はヴェーダ思想
からできた宗派なんだよ。聖典は同じでも、教義はそれぞれ違う。なぜならヴェーダ思想の解釈が
それぞれ違うからだ。教義が違う以上これらは違う宗教と世間一般ではいうんだよ。
君らの末法仏教も同じ事だ。なんでわからないかな〜さぁこの詐欺師は次はどんな詭弁で返してくるのか
楽しみに待っていよう。
317カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 09:37:54.99 ID:45qF2Bj5
ちなみに俺の上げたウパニシャッドは初期のもの、古ウパニシャッドな。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89%E2%80%95%E7%BF%BB%E8%A8%B3%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E8%A7%A3%E8%AA%AC-%E6%B9%AF%E7%94%B0-%E8%B1%8A/dp/4500006567/ref=sr_1_6?ie=UTF8&qid=1360823875&sr=8-6
図書館に行けば読めると思うので興味のある人は読んでみて。繰り返しスーバッハ(自性)について述べられているから。
で、原始経典を読んでもゴータマさんは業報輪廻転生を積極的には説いていないなどと書かれていることを
素直に読まずに、エゴで自分の都合のいいように捻じ曲げて読んでしまう頭のおかしい人は別だが、スッタニパータを
読めば、普通にゴータマさんはヴェーダについて肯定的だったと読めるから。ここでスッタニパータの全文が読める。
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
後は各自で判断すればいい。ちなみにゴータマさん自身は直接文献を残していない。仏典と呼ばれているものは彼の死後、
後世の弟子達が編集したものだ。ゴータマさん自身は説法でテキストを引用したなら、当時のヴェーダ文献の文言を
使っていただろうとは容易に想像できる。ヴェーダ思想からバラモン教やらジャイナ教やら色々な宗教ができた。
ゴータマさんの仏教もその中の一つなんだよ。
318カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 09:40:58.01 ID:45qF2Bj5
>>314
ヴェーダンタ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BF%E5%AD%A6%E6%B4%BE
なんでヴエーダンタ=ウパニシャッドになるのやら。ほんまにお前はアホだな。
319カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 09:57:16.76 ID:45qF2Bj5
>>313
ヴェーダとは、当時インドで編纂された一連の宗教文書の総称をいい、
当時編集された古ウパニシャッドは、切っても切れないものだ。そこをお間違いなく。

たく、なんでお宅らの末法仏教とゴータマの仏教が同じになるんだよ。特に念仏系。
今のキリスト教がイエスの教えとは全然違うものと同じく、君らの末法仏教も、ゴータマの仏教とは違う。
なんでわからないのかな〜(哀)
320神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 10:05:23.73 ID:Uk8QtpgW
>>300
結局、灯明の意味もあったんだね。「(闇の中を進むための)拠りどころ、指針」の
意味だ。

今までの「自灯明・法灯明」論争は一体何だったのか。「煩悩の激流に流されない
島」だってw。こじつけにも程がある。

そもそも「島」では、「意味が通じない!!」。釈迦の名誉が回復されたw。
321神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 10:15:37.84 ID:Uk8QtpgW
中村元博士は、「釈迦には独創性は皆無」と言っている。前レスで誰かが
「縁起がある」と言ったが、縁起もジャイナ教からのパクリ。

その縁起に、「新しい意味を与え、換骨奪胎した」のが中論。従って、竜樹が
「仏教の始祖」である。釈迦は知能低下、精神錯乱した単なる「人まね小僧」。
竜樹とは「頭の出来」が桁違い。

釈迦の唯一の「独創性」は、その鬱病の症状としての「一切皆苦」w。
322神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 10:42:30.47 ID:jm3KZXFm
ヴェーダもディーパも、流石2ちゃんとしか言い様がない

もう適当に解釈してたらいいよ

やっぱ、間違いを認められないヤツと話してもどうしようもないことがハッキリした
323カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 10:48:25.90 ID:45qF2Bj5
>>322
>やっぱ、間違いを認められないヤツと話してもどうしようもないことがハッキリした

それはてめぇだろ。
324神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 10:55:50.79 ID:igicUAlJ
>>284
>さらに少し拡張して、宇宙が一なるものから発生したとして

仏教では、「宇宙」というものは、無明や行から、生じた、縁起したもの、となると思うよ。
宇宙や神が執って知覚されてから、「宇宙、神が生じた、宇宙、神はあるのだ」と言われる…と考えるから。
で、無明とか行が滅して、宇宙、神が滅してしまう。それらを手放してしまう。
で、知覚されていない宇宙や神については、説かれない。

>全生命の『我』は同じ関数Fである

まず、関数にするってことは、変数が決まると、Yも定まる、ってことになる。
で、関数になるってことは、予め、予定運命的に、決定論的に、将来の行く末が確定されてるってことになる。

仏教ではおそらく、そういう考えはとらない。仏教では、もうその関数自体が、無常。
無理やり数式にするなら、ある変数についての関数、F(変数)自体が、変数になってしまう。
つまり、正確に表現しようとすると、F(変数)についての関数、G{F(変数)}で表現することになり、
G{F(変数)}についての関数、H[{G(F変数)}]となり…無限後退に陥る。

これが後退すればするほど、ありのままの世界とその無常性を正確に映し出せるけど、
関数という言葉にしている以上、必ず捨象が入り、映し出しきれない部分が出てくる。
だから、ありのままの世界は言語で表現することができず、空と言われる…んだと思います。
(数学は強くないので、数式の表現については間違ってるかも。)
325パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 10:56:33.60 ID:AMrerZtr
>結局、灯明の意味もあったんだね

wwwwwwwwwwちと調べてみたら、どうやら全く違うぞw

ディーパは、「洲、島」という意味。だが、同音異議語に「灯明」を
意味するディーパが、ある、但し、これは語源が全く異なるので別の語彙だ。
それを、シナ人が漢訳するとき、「洲」では理解しずらいので、後者の語と
解釈し、以後、それが定着してしまったww
どうやらこれが真相らしい、(以上、中村元の説)

また、パーリのディーパはサンスクリットに訳すとき、「洲、灯明」の二つの訳
があり、それを経由して漢訳するとき、「灯明」とされてしまった・・・・
とする説もある。

いずれにしろ、原義は「洲」で間違いないみたいだな。
漢訳の際に、よりシナ人が理解しやすい「灯明」にすり替わったのが
真相みたいだww
326パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 11:03:17.71 ID:AMrerZtr
>また、パーリのディーパはサンスクリットに訳すとき、「洲、灯明」の二つの訳
>があり、・・・・

これはちと誤解を生む言い回しだったなw

正確には「パーリの『ディーパ 』は、元々『洲』という意味だが、
それに対応するサンスクリットの語が「洲、灯明」という二つの意味を有する
語であって、それを経由して漢訳するとき、「灯明」の意味が採用された・・・」

こんな感じかな?ww
327神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 11:07:06.01 ID:jm3KZXFm
>>325
ちょっと違う。漢訳も以下のようにより自洲が多い。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%87%AA%E6%B4%B2&mode=search&uop=1
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%87%AA%E5%B7%9E&mode=search&uop=1
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%87%AA%E7%81%AF&mode=search&uop=1

自灯明が流通したのは増谷訳だと思う。
彼がそう自灯明と訳し、自分で判断すべきだという意味で流通させた。
それが現代人の思いに合致して流通したというのが真相でしょう。

で、辞書とか論文とかで増谷に触れないのは、恐らく学者の個人攻撃を避けたからだと思われる。
日本では個人の学者を否定するような言及はインド・仏教学でなされることは稀だから。
328神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 11:10:03.27 ID:igicUAlJ
灯明か洲についてのことなんだけど、
一代さんの>>87の意味がとれていれば、無理やり灯明でもとれるといえばとれそうな…w

>輪廻という暴流の中で仏教という筏に乗ることのできる人身という中洲に依り、
>仏教という法の中洲・筏に乗って、涅槃という暴流の向こう岸に渡れという意味

この型を借りると…
輪廻という暴流の中で仏教という灯明を手にすることのできる人身という灯明に依り、
仏教という法の灯明の導くところに従って、涅槃という消えることのない光明(?)に渡れという意味

輪廻や一切皆苦に気づかない人は、灯明を持っていないので、暗闇にいることにさえ気づかない。

パーピマンさんの言うように、洲と灯明が同音異義だとすれば、こんな考え方もできません?
329神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 11:14:38.75 ID:jm3KZXFm
>>328
いや、そりゃ文脈でみないと。

輪廻が暴流、洪水という比喩で呼ばれ、
涅槃が彼岸、安全な陸地と呼ばれ、
教えが筏とか乗り物と呼ばれるなかで使われる言葉なんで

だから註釈スマンガラヴィラーシニーも以下のように言うわけです。

アッタ・ディーパ(自洲)というのは、大海のうちにおける島のように、自らを島(よりどころ)として確立してあれ。アッタ・サラナ(自帰依)というのは、自らの趣くところであれかし。決して他のものを趣くところとするなかれ。     
330神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 11:18:03.39 ID:igicUAlJ
>>327 >>329
あ〜、なるほど。

確かに、漢訳で自洲の多いことや、それらの譬えを見ると、やっぱり「洲」なんですね〜。
331神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 11:23:19.00 ID:jm3KZXFm
>>330
文脈から切り離して短文だけで読めば自灯明でも通じるし、
原語では自洲も自灯明も同じ記号だから、そういう暗示も含んでいるかもしれないけど
自洲が表の意味

で、自分で判断しろという増谷が普及させた意味はないので、そこが重要です。
この増谷の意味から入ると仏教を誤解するので

だから和辻、増谷は現代日本仏教に非常に大きな誤解をもたらしてるわけです
332パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 11:26:05.55 ID:AMrerZtr
>>327
>自灯明が流通したのは増谷訳だと思う。
>彼がそう自灯明と訳し、自分で判断すべきだという意味で流通させた。

ほ〜〜〜、そうなのか?
オレは仏教の経典の系譜に疎いが、「自灯明」と訳したのは、増谷だったのか?
それ以前は、「自灯明」という訳はなかったのかい?

もしあるとしたら、いつごろからその訳語が現れ、漢訳における主流とみなせる
のは、どちらで、その理由も併記してくれるとありがたい。
333パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 11:26:53.04 ID:AMrerZtr
確かに、漢訳で自洲の多いことや、それらの譬えを見ると、やっぱり「洲」なんですね〜。
334パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 11:32:06.75 ID:AMrerZtr
>>333 は間違いww
んで、
>>330 「洲」と言う訳語が妥当なのは、
「当時のインドの生活環境、自然環境を考慮しなければ分からない、
ガンジスが氾濫したした時の、「たよりとする洲」・・・・という概念
を前提としなければいけない。シナ人には、それが理解できず、より分かりやすい
「灯明」という訳語を採用した。」・・・という見解がある。

まあ、もっともな見解だと思うけどw
335神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 11:35:59.48 ID:ss8fvy+p
>>332
大正蔵経検索して、出てきた文献の時代的順序を見ればいいじゃんw
何でも人任せにすんなよw
336神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 11:48:23.77 ID:jm3KZXFm
>>332
漢訳にもあったので無かったわけではないでしょう。
ただ普及させたのは増谷でしょう。

以下、http://books.google.com/で
1900年から1980年までで「"自灯明"」を検索すると最も古いのが1968年の本です。
この検索も増谷の文がでないのであまり信用できませんが、戦前は流通してなかった可能性が高いでしょう。

今度は「自灯明」+増谷文雄で検索すると1960に増谷文雄が言っているという文がヒットします

以下を見ると戦後の1950『阿含経講話』1953『仏教聖典』あたりから精力的に啓蒙書を出版しているので間違いないと思います。
http://iss.ndl.go.jp/books?except_repository_nos[]=R100000038&except_repository_nos[]=R100000049&except_repository_nos[]=R100000073&mediatype=1&any=%E5%A2%97%E8%B0%B7%E6%96%87%E9%9B%84&sort=ua&page=5&ar=4e1f
337神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 11:53:06.20 ID:jm3KZXFm
>>332
>もしあるとしたら、いつごろからその訳語が現れ、漢訳における主流とみなせる
>のは、どちらで、その理由も併記してくれるとありがたい。
>>327
>http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%87%AA%E6%B4%B2&mode=search&uop=1
>http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%87%AA%E5%B7%9E&mode=search&uop=1
>http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%87%AA%E7%81%AF&mode=search&uop=1

理由は>>334
>「当時のインドの生活環境、自然環境を考慮しなければ分からない、
>ガンジスが氾濫したした時の、「たよりとする洲」・・・・という概念
>を前提としなければいけない。シナ人には、それが理解できず、より分かりやすい
>「灯明」という訳語を採用した。」・・・という見解がある。

そんなとこかも。要するに喩例なんで、喩例をそのまま訳すか、自国の言い習わしの中で通じやすい喩例で訳すかの違い
そしてその文脈も重要でしょう。
338パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 11:58:38.29 ID:AMrerZtr
>>335 あ〜〜〜〜〜〜〜、なるほどwww

こりゃ失礼した、セブンw

>何でも人任せにすんなよw

今まで、数多くの質問をして手間をかけさせてしまったなw
うざかったわけだww

そうとは知らずに御好意に甘えてきて、すまなかったw
以後は控えよう。

唯、ひとこと言うと、検索のみでは、
「なぜ、一代が「灯明」という訳語を増谷に帰結させ、それ以前には
一般的ではないとする理由が明確になるか、わからなかったものでね。
一代に直に聞いたほうが早いだろ?」
339:2013/02/15(金) 11:59:40.18 ID:ss8fvy+p
340パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 12:01:24.88 ID:AMrerZtr
>>336 了解。 ちと検討してみるw
341神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:02:50.72 ID:ss8fvy+p
>>338
あ、失礼w 名前欄見てなかったんでカラス相手のつもりだったwww スマン ノシ
342神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:04:09.56 ID:ss8fvy+p
343パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 12:04:53.35 ID:AMrerZtr
>>341 なんだww  驚かすなよwww
344パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 12:05:59.30 ID:AMrerZtr
>>342 了解w 時間がないので、後で読むw
345神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:12:07.00 ID:6NVbK3qO
検索しても、元々のdipaの意味が「洲」だったでいう証拠がみつからないなあ。海外でも
洲派と燈明派がいるみたい。燈明派は、洲(island)としたら、be island yourselfで意味
が通じないし、islandは孤立しているイメージだからlumpの方がいいって言ってる。

Atta Dipa

Atta Dipa
Viharatha
Atta Sharana
Ananna Sharana

Look within!(内を見よ!)
You are the Light itself.(あなたは光そのものである)
Rely on yourself.(あなた自身をたよりとせよ)
Do not relay on others.(他者をたよりとするな)

こういう訳もいいね。
346神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:15:33.69 ID:7ZULkjtf
>>331
>で、自分で判断しろという増谷が普及させた意味はないので、そこが重要です。
>この増谷の意味から入ると仏教を誤解するので
>だから和辻、増谷は現代日本仏教に非常に大きな誤解をもたらしてるわけです

そうであるとも私は思わないし、そうでないとも私は思わないし、
別であるとも私は思わないし、別ではなないとも私は思わないし、
そうではないのではないのではないとも私は思わない。
347神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:27:28.10 ID:6NVbK3qO
ブッダゴーサは確かに、洲派のようだね。他のスッタニパータの箇所で、dipaが
洲としか訳せないところもあるみたい。しかし、ディーパンカラ仏は「燃燈仏」と
して訳されていて、「作洲仏』みたいな訳を正当だと言う人はなぜかいない。
だから、燈明訳も間違いと完全に言い難いみたいなことを洲派の学者が言ってる。
348神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:31:53.76 ID:7ZULkjtf
重箱の隅をほじくって、大道を観ることをしない人が多いねw
349神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:50:08.16 ID:ss8fvy+p
>>347
かみ(紙)とかみ(神)とかみ(髪)はどれが正しい語義なの?
どれが最初で、どれが後発の意味なの?

ってのと同じ類の話になるぞ。


>>270

俗語(≒プラークリット)とサンスクリットの関係を考えれば、
灯明が正解だなんて話にはならない。
俗語では、訛った(略された)形になる例は枚挙に暇がないぞ。
350神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:52:19.38 ID:6NVbK3qO
sharanaが「寄る辺」って言う意味だから、寄る辺を意味する「洲」の意味でdipaをつかうわなくても、
sharanaを使えばいいじゃないかな。わざわざ、違う言葉使うのは、違う意味を表したいんじゃないか
とも考えられるな。

「自らを洲とし
自らを依所とし、」

だと、同じ意味を表す言い換えにだけになるけど、「燈明」だと300で書いた意味も出せて良いと思うけどな。


viharathaが同一性を表わす単語なら、自ら=燈明であり、
351神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:52:21.18 ID:A639E8OX
>>348
>重箱の隅をほじくって、大道を観ることをしない人が多いねw

っおっお!!
これは感動のレスポンス。

そのとおりであります。
大道こそが肝心なのであります。

ここで書き込みしている連中は、了見が狭いというか・・・
器が小さい、というか、男であっても女臭さえしますな。
352神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:57:08.26 ID:igicUAlJ
>>311 カラスさん
読んだ!(>>47

>識別し得ない
>”それ” は、正確に言うと識別智である言葉では表現し得ないものだから。だからゴータマさんは
>”それ” に対しては無記を通したんだよ。
>あるでもなし。ないでもなし。あるでもないでもなし。という曖昧な態度をとり、識別し得ない ”それ” は、
>識別智である言葉では正確に表現し得ないものなので、無記を通したんだよ

ここで、言葉では表現し得ない、無記とあるけど…

>相がなく成立しているとはそういうことだ。
>全ての根源である ”それ” は最上のものであり、
>ゴータマさんは自分を ”それ” としてふるまった

ということは、 ”それ”は語りえないけど、実在するってこと?
353神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 12:58:33.71 ID:6NVbK3qO
あ、書き込みが変になってしまった(笑)。viharathaはbe動詞の意味でいいのかな。
以下の二行が命令形なら、

自分自身が燈明であり、
自分自身を寄る辺とし、
他者を寄る辺とするな。

ぐらいの訳か。
354神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:03:45.84 ID:6NVbK3qO
>男であっても女臭さえしますな

こういう差別的な発言をしてひとをおとしめる人が器がおおきのかね。たぶん器がひび
われて水がたまらないんだろな。
355神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:09:43.84 ID:7ZULkjtf
差別と区別は不一不二ですが、
一切内では区別です。
356神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:13:54.14 ID:jm3KZXFm
>>346
このように世俗について四句分別の遮断を用いるなら、
そもそも話すことが無意味ってことになり、
因果も世俗も破壊するわけですね

野狐禅、机、遊びが典型ですね
357神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:14:29.69 ID:ss8fvy+p
>>350

488 旧7 sage 2009/09/08(火) 22:40:09 ID:iag+KjHH
>>483
大乗系なら、もう少し違う考察も可能でしょう?w

≪漢訳仏典には「自灯明」の語は皆無≫≪「法灯明」の語はある≫
≪北伝地域では、「島」は勿論、「河の中州」がポピュラーな景色だったかどうか(拠り所としてイメージし易いかどうか)≫
≪「灯明」という語の汎用性、重要性、及び、深い意味の含ませ易さ≫≪灯りの大切さ≫
≪説明・解説(昔なら「説法」、近現代なら「法話」)の際、「島・洲」と「灯明」と、どちらの方が、イメージし易く、理解し易いか≫
≪現時点を見るなら、歴史的にどれだけ頻繁に(→大量に)「灯明」の方で説かれてきたか≫
≪仏教外でも使用される頻度の高い(→より解り易さ・イメージのし易さが求められる)名句となっている≫ などなど、
こうしたことを考慮すれば、近現代日本で、「灯明」の訳が多く使用されることを不思議に思うこともあるまい?
「灯明」であることにより誤解が生じ、それが深刻で避けねばならないと思う人は、補足説明すればいい。
それで十分だ。岩波辞書も無難な記述だよw

※もっとも、近代の学者でその流布した著作に於いて使われていたということはあるかもしれないが、
 かといってその彼を(誰かは知らんがw)責めることもなかろう。
 普通に補足説明すれば、「自灯明」でも誤解はないのだから・・・。 御隠居は特別だろw
358神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:15:19.75 ID:ss8fvy+p
359神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:19:14.96 ID:ss8fvy+p
>>351
机の文体真似するの巧いなw どこで習得したんだ?
360神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:20:58.35 ID:jm3KZXFm
>>340
オイラはそれを詰めても意味ないと思う

要は自灯明という経文によって「仏教は自分で判断しろと言っている」と捉えることが間違ってることが分かればいいだけ

この場合、聞思修の聞なしに自分かってに教えを読み替えるなという意味で、
思の段階での理解や、修の段階での自分の心を教えによって見つめるなという意味ではないので、そこら辺ごっちゃにしませんように。

オイラは少なくともここでできるのは聞思の段階に相当するものだと思ってるので
361284:2013/02/15(金) 13:24:31.22 ID:pj5sCyy0
>>324
関数=予定調和とは必ずしも言えず、関数が範囲を限定する時点で、予定調和と言うならば、
仏教の宇宙論は現代物理学の結果とすでに矛盾することになります。
関数Fにおいても、変数が量子のように確率的にふるまったり、カオスの擾乱をうけるなら、
関数Fは必ずしも厳密解を出すとは言えません。世界との相互作用によって我は変化し続けるという感じになるでしょう。
『関数自体もまた変化する』なるほど、そうかもしれません。
しかし、その変化もまた、宇宙全体に光速を超えて一瞬で広がるとしたらどうでしょう。
EPR相関というものを考えれば、その考えもおかしくないと感じます(笑)
362神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:27:21.69 ID:6NVbK3qO
Ananna Sharana のAnannaの詳しい意味分かる人いたら教えてください。
a&ntilde;&ntilde;aは「別の」って意味があるみたいですが。「他者」以外にも訳せますか。
たとえば、人だけに限定せず、「他のもの」「別のもの」みたいに。
363神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:27:24.09 ID:A639E8OX
>>354
>こういう差別的な発言をしてひとをおとしめる人が器がおおきのかね。たぶん器がひび
>われて水がたまらないんだろな。

こういう重箱の隅を突付くようなことを言ってはならんのです。
大局に立ってですね、大道でなければいけないのであります。

差別が、どうとか・・
差別が、こうとか・・

こういう細かいことを発想すること自体が器が小さい。
そんなことを考えてるから、神経症とか精神病になってしまうのですよ。
364神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:28:35.82 ID:6NVbK3qO
>>363

なるほどお大事に。
365SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/15(金) 13:30:20.54 ID:2avYLxep
覚りの境地に至ることを目指して行なわれるべき<修行>とは、その具体的なことは、心構え正しきいとも聡明なる人が、誰に頼ることなく自分自身で見い出すものである。

それゆえに、その<修行>はかれにとって疑いを残すことなく修されるところとなる。

また、その<修行>がかれにとって微塵も疑い無きものであるゆえに、それはかれをして修行にまつわって起こるあらゆる疑惑から離れせしめるものとなる。

その結果、<修行>は覚り以前においてもかれに安心と平安とをもたらし、しかもそれは人に何らてらう必要のないものとなるのである。 
かれは、決してヌミノース(=まるで熱にうなされたよう)にはならない。かれのその<修行>は、何かにけしかけられたり駆り立てられたりしたものではなく、また他の誰かをけしかけることもないものであると実感されつつ修されるからである。

かれは、そのようにして<修行>を為し遂げ、ついに自ら因縁を生じて虚妄ならざる不滅のやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至るのである。

***
366SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/15(金) 13:33:41.13 ID:2avYLxep
もしも、人が「修行法」と称し得るような手続き的な何かによって覚りの境地に至り得るのであるならば、もろもろの如来はそのように説くであろう。しかしながら、いかなる如来もそのように説くことはない。なぜならば、そのようなものは存在していないからである。

覚りは、最初から最後まで各自のことがらであり、自ら道を見い出し、自ら歩み、自ら到達する道である。このことに例外はない。

しかし、だからと言ってもろもろの如来は覚りの<修行>は修行者の自己責任であると主張するのではない。もろもろの如来は、明知ある人は決して道を誤ることがないと予め知ってただ修行者達を見守るのである。

こころある修行者は、見聞きしたものであろうと、自ら想起したものであろうと、何であろうと、あやしげなことに誘われることなくまさしく覚りに至る<修行>に勤しみ、自らそれを為し遂げて円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至るのは間違いないことである。

実のところ、覚りを目指して行われるべき修行の虚実と正否は、それを行なう修行者の心構え如何によって決まるものである。

心構え正しからざれば、いかなる修行を為すとしても、それは手段を選ばぬものとなってしまうであろう。しかし、そのようであってはとても覚ることはできない。その一方で、心構え正しき人は、自ら為すところのあらゆる行為を正しい<修行>として成立させるのである。

したがって、こころある人は「修行」という言葉にとらわれてはならない。自ら見い出した真実の<修行>を為し遂げて、虚妄ならざる安穏(=ニルヴァーナ)に到達すべきであり、到達しなければならない。

***
367神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:34:36.95 ID:7ZULkjtf
>>360
>要は自灯明という経文によって「仏教は自分で判断しろと言っている」と捉えることが間違ってる

増谷博士があなたのようなペンキ屋レベルであるとも思わない。
認識世界に対しては、イエスとかノーとか断定するのは、仏教的に見ても至難の業です。

そうであるとも私は思わないし、そうでないとも私は思わないし、
別であるとも私は思わないし、別ではなないとも私は思わないし、
そうではないのではないのではないとも私は思わない。
368神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:38:58.65 ID:jm3KZXFm
>>357
被った、ほぼ同意

ほんとだ、以下の自灯の用例は全て違っている
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%87%AA%E7%81%AF&mode=search&uop=1

上での漢訳でもあるというのは大正の検索に限って無いに訂正。
となると『岩波仏教辞典』初版370頁右

>>本来, 〈自らを島とし…〉と訳されるべきところ, [中略]
>>漢訳者が誤訳したものと考えられている.

これは何を根拠としたのだろう。大正以外か?
織田、望月、宇井、中村仏教語大辞典1981、仏教学辞典には「自灯明」という項目もないようだ。

>>359
机礼賛者も出てきたし、色々兆候が、まるで出囃子のようなw
369神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:42:02.16 ID:jm3KZXFm
>>362
>Ananna Sharana のAnannaの詳しい意味分かる人いたら教えてください。
>a&ntilde;&ntilde;aは「別の」って意味があるみたいですが。「他者」以外にも訳せますか。

すいません。文字化けもしてるし、どんなテキストか何語かが分からないと
厳しいです
370神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:45:44.20 ID:jm3KZXFm
>>367
お、自説の根幹が崩れるから必死だね

>認識世界に対しては、イエスとかノーとか断定するのは、仏教的に見ても至難の業です。

だったら、人の意見が間違ってるとかなんでいえるわけ?

遊びだろ。

自説は勝義で判定不能、他説は判定して批判じゃ
黙ってればいいだけ

ほんと矛盾だらけで、エゴまみれなのに気づくこと、そこからだ

まだ、若そうだから間に合う内に方向転換して真っ当な師匠を探すことだ
371神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:45:58.12 ID:6NVbK3qO
>>369

自燈明のつづきのパーリ語です。「他者を拠り所とするな』みたいなところの訳の。
372神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:47:20.89 ID:7ZULkjtf
文献学者を批判する奴が、文献学者のマネをする。

漫画ですなw
373神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:50:16.43 ID:6NVbK3qO
Atta Dipa Viharatha
Atta Sharana
Ananna Sharana ←ここ

annaのnの上ににょろっとした記号書いたら文字化けしてしましました。
374神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:53:14.03 ID:A639E8OX
>>364
>なるほどお大事に。

大事である、とか、大事ではない、とか、
大局・大道に立てば、そんなことはどうでも良いのですよ。

こんなことを発想すること自体が、器の狭さが露見する。

セブン氏が「視座」についてよく書き込みしますがね、
ここに仏教のヒントがありますね。
仏教とは、つまり結論から言うと、視座のないことを言うんですよ。
視座なくば、大事も、大事でないも、ない。こういうことです。
375神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:55:43.46 ID:7ZULkjtf
ペンキ屋一代とか、カルト一在家とか、神智愚者とかは、

サンジャヤ・ベーラッティプッタ師の知性には到底及ばない。
376神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:56:21.25 ID:ss8fvy+p
>>
多を拠り所とせずってとこでしょ。


【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】14
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/570
570 旧7 sage 2009/09/09(水) 20:46:08 ID:kn4ROdaY
>> 568
tasmAt iha Ananda,
attadIpA viharatha attasaraNA anaJJasaraNA,
dhammadIpA dhammasaraNA anaJJasaraNA.

>>362
後段、法に関するところは、前句dhammaを受けつつ、
「他のもの、別のもの」(→法以外のもの)という意味でいいと思うよ。
前段は勿論attaを受けるから「他者を」になるけれど。

で、 anaJJa は 否定辞an+aJJa(他の、別の) という詩句の音韻面での複合語
六合釈だとどれになるのかな・・。 (^^;
377神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 13:58:40.97 ID:ss8fvy+p
あw  他ね。レス番も入れ忘れてるし・・・。


ま、わかるっしょ・・・w  >>一代
378神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 14:02:31.15 ID:7ZULkjtf
>>356
>因果も世俗も破壊するわけですね

第一義空経がまったく掴めてないですなw

<眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。生已盡滅。>
眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。

# 視覚作用が生じた時に、その視覚作用は来る所があって来た訳ではなく、
# 視覚作用が滅する時にもその視覚作用は去る所があって去る訳ではない。
# このように視覚作用は実際には生じない。そしてそれは起った途端に已んでしまう。←ココ重要

『如是眼不實而生』←不生不滅(の如し)とまで書いても掴めないだろうな。

文字通り、論外ですw
379神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 14:08:22.67 ID:jm3KZXFm
>>374
>こんなことを発想すること自体が、器の狭さが露見する。

別に器競争してるわけじゃないので
それと狭量でも頭悪くても、間違いを認められ人なら、話合えるけど、
机とかみたいに間違いを認められないなら、話合えない


>375
>サンジャヤ・ベーラッティプッタ師の知性には到底及ばない。

ストレートの「オレチャンの知性には到底及ばない」と言えばw

そういうこと競ってるんじゃエゴ満開ですって言ってるようなもんだぞ
380神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 14:08:59.39 ID:6NVbK3qO
>で、 anaJJa は 否定辞an+aJJa(他の、別の) という詩句

それだと「別ではない」=「同じ」になりませんか。でも、他者という単語が
ばっちりあるわけじゃないようですね。attaの否定ということかな。それなら
思っていた通りで、釈尊はやはり素晴らしいな。
381神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 14:13:42.05 ID:jm3KZXFm
>>378
逆なんだが、『第一義空経(勝義空性経)』は世俗を破壊しないために
仮設を認める時に引用されるんだよ


>>367
>認識世界に対しては、イエスとかノーとか断定するのは、仏教的に見ても至難の業です。
>
>そうであるとも私は思わないし、そうでないとも私は思わないし、
>別であるとも私は思わないし、別ではなないとも私は思わないし、
>そうではないのではないのではないとも私は思わない。

じゃなかったのか? 自分は判断不能、他人は勝義から何を言っても否定する。
それが世俗破壊の野狐禅に他ならない。道元禅師も以下のように

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/22.html
382前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 14:15:00.02 ID:w3fuhpv1
>>279
>一在家さんはカルトでなく浄土宗のちゃんとした仏教徒だね
>我々が死んだら今までの楽しい 苦しい思い出は消滅し どこにも行かなく

19才までは浄土宗でした。でも現在でも阿弥陀如来の「衆生済度」の大誓願は信じて疑っておりません。
如来達から見れば2500年など「瞬き」みたいなもので、お膝元の菩薩や地蔵達も活動中です。
また日本各地の薬師様や観音様も「衆生済度」の為に御活躍中なのが岐阜で起こった不思議な出来事から分かります。

http://www.v2-solution.com/index.html 新刊案内「仏界交信 浄土への道標」
383神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 14:21:39.34 ID:7ZULkjtf
>>379

だからあなたはペンキ屋一代です。

サンジャヤ・ベーラッティプッタ師からのブッダの学び、
サーリプッタさんやモッガラーナさんはなぜブッダなのかが分かっていない。

あまりにアホな議論なのでつい口出ししてしまいました。

はい、アホ議論続行!
384神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 14:34:58.16 ID:jm3KZXFm
サンジャヤが四句分別という論理を認識していた可能性はある
だけど、中道には至ってないので、縁起にも至れない。
だから、縁起法頌を聞いたシャーリプトラはサンジャヤから釈尊に転向した。
なぜなら、縁起法頌が仏教の確信を教えているから。

ここが分からないんじゃね〜
385神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 14:39:18.32 ID:igicUAlJ
>>361
>関数=予定調和とは必ずしも言えず、関数が範囲を限定する時点で、予定調和と言うならば、
>仏教の宇宙論は現代物理学の結果とすでに矛盾することになります

ああ、ここらは僕の関数についての理解が足りないだけかも。
現代物理学の結果も知らないので、この議論に必要なら教えてください〜

>関数Fにおいても、変数が量子のように確率的にふるまったり、カオスの擾乱をうけるなら、
>しかし、その変化もまた、宇宙全体に光速を超えて一瞬で広がるとしたらどうでしょう。
>EPR相関というものを考えれば、その考えもおかしくないと感じます(笑)

さーせん、カオスの擾乱を受けるとか、変化が光速を超えて広がるとか、EPR相関って何ですかw
簡単な言葉で言うと、どんな感じ?
386神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 14:47:19.18 ID:ss8fvy+p
>>380

http://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/philologic/getobject.pl?c.0:1:297.pali

anaJJa (1) not another, i. e. the same, self -- same, identical M i.256 (= aya?).
-- (2) not anotber, i. e. alone, by oneself, oneself only Sn 65 (-posin; opp. paraM) = Nd 4, cp. Nd2 36.
-- (3) not another, i. e. no more, only, alone Sn p. 106 (dve va gatiyo bhavanti anaJJA: and no other or no more, only two).
See also under cpds.

-- saraNa (an-) not betaking oneself to others for refuge, i. e. of independent, sure knowledge S iii.42 = v.154.


ごめん、不正確だったねw

an-aJJasaraNA ということ(の筈w)。 貴方は英語できそうだから。リンク先を読んでみるのが一番と思う。
387神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 14:49:03.28 ID:ss8fvy+p
あ、引用一行目の ? は ayaM のMね。
388神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 15:05:23.26 ID:6NVbK3qO
>>386

annaは、「別の、同じでない」を意味して、anna-saranaで「別のものをたよりとせよ」
でそれに、否定のan-がついて、文全体を否定し、「別のものをたよりとするな」となる
んじゃないでしょうか。

つまり、an-がannaという語の否定と捉えると、「別でないものをたよりとせよ」となり意味が
が逆になります。

辞書の紹介ありがとうございました。
389284:2013/02/15(金) 15:19:52.06 ID:pj5sCyy0
>>385
質問されるとつらいwなぜなら、私は物理学者でも数学者でもないからです。
批判なら甘んじて受けますが…。
量子力学において、量子の位置は厳密に特定できず、波のような広がりの中に、
確率的に存在すると言われています。
EPR相関は例としてあげました。過去に相互作用したした量子同士は、
どれだけ距離を離しても、片方に与えた影響は、もう片方に光速を超えて一瞬でつたわるという現象です。
議論には全く関係がありませんw仏典を数式で表現できないかという提案でした。
390不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/15(金) 15:32:09.27 ID:hB5v8XJ5
>>303 カラス氏(及び宝珠愚者氏)

> 宝珠氏ほどの人でも誤解するわけだから

傍から拝見するに、ラベルの貼り方に多少の相違はあってもお二人の世界観は「共調」できるもののように思えます。

> ちなみに僕は人は死んだら意識なんて残らないと思う。

どちらかというと、このあたり、お二人と、一在家氏の「霊魂としての自我意識は常住不滅」という主張との間の、隔たりの方が目立っているように受け止められました。
391神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 15:39:09.19 ID:igicUAlJ
>>389
相手の言っていることを理解するまでは、批判もできぬでござる…ぐぅ。

>量子力学において、量子の位置は厳密に特定できず、波のような広がりの中に、
>確率的に存在すると言われています。

なるほど。量子力学やその確率的な存在について質問なのですが、それは古典力学と違って、
「人間の観測」というものが、変数?数式の中?に入り込んでると理解して良いのでしょうか。

>過去に相互作用したした量子同士は、
>どれだけ距離を離しても、片方に与えた影響は、もう片方に光速を超えて一瞬でつたわるという現象です
>議論には全く関係がありませんw

なるほど、いえ、まんざら仏教で説かれる内容と関係ないとも言い切れないかもしれないです。
量子というのは、単一なんでしょうか。それとも、別の量子に影響を与える、ということは、
単一ではないということなのでしょうか。「粒子=波」ということも踏まえて、知っていること教えてください。
(難しい質問で、ごめんなさい。)
392パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/15(金) 15:52:40.04 ID:AMrerZtr
>なるほど。量子力学やその確率的な存在について質問なのですが、それは古典力学と違って、
>「人間の観測」というものが、変数?数式の中?に入り込んでると理解して良いのでしょうか。

いけませんww
393前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 16:11:11.71 ID:w3fuhpv1
>>390 不説氏
>どちらかというと、このあたり、お二人と、一在家氏の「霊魂としての自我意識は常住不滅」という主張との間の、隔たりの方が目立っているように受け止められました。

最近では「意識は肉体の死後も存続するが、常住不変でなく変化している」と申しており、その点では宝珠氏と同じ見解だと認識しております。
カラス氏の「僕は人は死んだら意識なんて残らないと思う。」とは明らかに異なっております。

私が肉体から離れた意識に関する話をしばしばしますので、宝珠氏は神智学ではそれはあまり重要視しないとやや警告的に言われているかと存じます。
実は我々も霊動現象を日々体験しておりますが(今朝も2件)、あまりそれに執着せず、感謝や人救いを実践するように指導されております。
394神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 16:37:02.42 ID:j1cRhOZ+
>>360
>要は自灯明という経文によって「仏教は自分で判断しろと言っている」と
>捉えることが間違ってることが分かればいいだけ

君の「仏教」では、「思考停止」を教えているのか、それとも君が開祖盲信の
あまり「自灯明」という言葉が恐いのか?w

麻原釈迦の一言一句に一喜一憂するオウム信者と全く同じではないか。
395神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 16:42:46.77 ID:j1cRhOZ+
>>392
>>「人間の観測」というものが、変数?数式の中?に入り込んでると
>>理解して良いのでしょうか。
>いけませんww

「コペンハーゲン解釈」の「収縮」は、「人間の観測」そのものなのだが。
同解釈に関し、Wikiを参照のこと。
396SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/15(金) 16:44:39.04 ID:2avYLxep
安らぎ(=ニルヴァーナ)を求める修行者は、自ら信じた道に裏切られてはならない。裏切られることのない道を、信じなければならない。

すべては、修行者の心構え次第である。心構え正しき修行者は、自らの明知によって正しい道を見い出し、ついにこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至るからである。

***
397284:2013/02/15(金) 16:45:26.36 ID:pj5sCyy0
>>391
>なるほど。量子力学やその確率的な存在について質問なのですが、それは古典力学と違って、
>「人間の観測」というものが、変数?数式の中?に入り込んでると理解して良いのでしょうか。

波動関数でググってみると、何となくイメージがつかめると思いますよ。
398神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 16:57:43.74 ID:A639E8OX
>>379
>机とかみたいに間違いを認められないなら、話合えない

机氏が、間違ったことを掲示板に書き込みしてるのですかね?
そんなことはないと思います。

机氏は「どんなに悟った覚者でも輪廻転生の有無までは分からない」。ということでしょ?
あれが間違った書き込みなのですかね?

ああいう書き込みは、わたしは正しいかと思います。
実際、人間は死んだ後までは分かりっこないですよ(苦笑

それを講釈師のように、まるで死後世界を見てきたように書き込みする連中は、
わたしから言わせれば「間違ってる」と言う他ないですね。

じゃあ覚者とは、死後のことまで分からんで、何を悟るのか?
そういうことを机氏が掲示板に書き込みしてるのかと思います。

じゃあ、机氏は間違ってないんじゃないですか?
当たり前のことを掲示板に書き込みしているに過ぎない。
人間、当たり前、になれば良いかと思います。
悟る。ということは、当たり前になることじゃないでせうか?
399神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 17:03:03.84 ID:j1cRhOZ+
>>398
全く同意だね。「講釈師、見てきたような嘘を言い」。

釈迦は、この「講釈師」かw。
400神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 17:03:45.16 ID:jm3KZXFm
>>398
そういう解釈の余地のある問題じゃなくて
色々あったでしょ。

道元禅師が〜したとか、〜と言ったとか。
適当に口から出まかせで言って
反証をキッチリだされても間違っていたと認められなかった。

内容は過去ログ漁らないと覚えてないけど、とにかく十回以上あったと記憶する。

そういう部分はアナタは観てないと。
401神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 17:07:18.08 ID:j1cRhOZ+
>>400
机師の元コテは「髑髏仮面」。2ch切ってのカルト・バスター。

釈迦カルトの君が怯えているだけ。
402神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 17:09:14.35 ID:ss8fvy+p
>>388
>となり意味が逆になります


大筋は重なるんじゃないですか?

>「別のものをたよりとするな」
  → 自己・法でないものをたよりとするな → 自己・法をたよりとせよ(前句のこと)

>「別でないものをたよりとせよ」
  → 自己・法ではないものが別のものである故に、別でないものとは即ち自己・法のこと
  → それをたよりとせよ → 自己・法をたよりとせよ
403神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 17:21:33.62 ID:j1cRhOZ+
>>398
>人間、当たり前、になれば良いかと思います。
>悟る。ということは、当たり前になることじゃないでせうか?

その通りだね。「当たり前のこと」は、人類発生以来の叡智の塊。その「当たり
前のこと」の価値に盲目だったのが、釈迦とイエス。いずれもその「精神の病」が
原因。健常者(衆生)は、すべて悟っていること。
404神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 17:21:38.55 ID:A639E8OX
>>400
>内容は過去ログ漁らないと覚えてないけど、とにかく十回以上あったと記憶する。
>そういう部分はアナタは観てないと。

わたしは、机氏のことは良くしりませんけど、
一番印象に残る書き込みは覚えています。

机氏が高校時代のとき、
高一。→男の先生で、気が合って良くしてもらえた。
高二。→女の先生で、気が合わないて小馬鹿にされた。
高三。→男の先生で、気が合って良くしてもらえた。

この高校二年の先生のお陰で、机氏は発奮し工学の世界を研究したらしいです。
ですから、机氏にとっての菩薩とは、この女の先生らしいですよw

この先生のことは今では感謝しているらしいです。
この先生あって、今の机氏がある訳ですからね。
勿論、このことは先生には通じてませんが・・

★今は、あなたは机氏のことは良く分からんかも知れませんが、
いつか、いつか、机氏が、あなたの菩薩になるかもしれませんですね。
菩薩とは「あなたにとっての菩薩」ですから。
405カラス、在家、愚者のトリオへ:2013/02/15(金) 17:26:46.94 ID:7ZULkjtf
カラス、在家、愚者のトリオは、
(A)間接現実の@一切内(経験的に検証可能領域)と
    A一切外(経験的に検証不能領域、言語による場合は戯論=形而上的論議)
       だけの外道妄想でしかない。

        サンジャヤ師は両者を峻別し、Aが肯定も否定も断定できない事柄であることを知っていた(うなぎ問答)。
        これはブッダにおいて「無記」として位置づけられている。
(B)しかし、サンジャヤ師も縁起の直接現実には、おしいかなあと一歩で到達していない。
   六師外道と言われる中でサンジャヤ師が最もブッダに最接近している。

サンジャヤ師は馬鹿トリオ発言(例えば、>>47>>302,>>296,>>301など)にこう言うだろう。
 『そうであるとも私は思わないし、そうでないとも私は思わないし、
  別であるとも私は思わないし、別ではなないとも私は思わないし、
  そうではないのではないのではないとも私は思わない。』

認識世界に対しては、肯定か否定か断定するのは、仏教的に見ても至難の業だ(>>367)。
肯定否定判断には一定の立場や視点が必要であり、その正当性を担保するものはなにも無く、
それは「仮設」→「仮説」たらざるを得ないからだ(龍樹 中論24-18、ヴァルダイヤ論二・六十七:→>>370)。

この「仏教」(笑)スレでも、勝手な妄想物語はすべきではない。
406神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 17:36:36.01 ID:j1cRhOZ+
>>405
>カラス、在家、愚者のトリオ

そのリーダーの一代が抜けてるぞ。リーダーが最も悪質。日本の仏教に、
邪教チベット仏教を持ち込もうとしている。邪教キリスト教・オウム・釈迦
カルトについても同じ。いずれも「開祖の盲信」というカルト原理には、何
らの相違もない。
407ペンキ屋一代、カラス、在家、愚者のカルテットへ:2013/02/15(金) 17:59:22.10 ID:7ZULkjtf
>>406
>そのリーダーの一代が抜けてるぞ。

それはすまんw 上記に訂正しておく。

ついでに、
>>381
>逆なんだが、『第一義空経(勝義空性経)』は世俗を破壊しないために仮設を認める時に引用されるんだよ

仮設事項は検証可能な一切についてのみであって、一切外(無記)にはありえません。

業報輪廻転生論は検証不能ですから当然「無記」事項です。
仮にそうでないと強弁したとしても「生已盡滅」なら即滅していますから、業報輪廻転生論はありえません。
「除俗数法」=十二支縁起を排除する→業報輪廻転生論を排除する、が当然です。

『この経は原始仏教の12縁起を空の立場から批判的に考察しようとしたものと見ることができる。』
http://www.icabs.ac.jp/frontia/summary-imanishi-20091205.html
408神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 18:01:38.61 ID:j1cRhOZ+
「島」「白州」を、「ガンジス河の洪水からの避難所」に喩えた者がいるが、
「ガンジス河の洪水」は、土地の肥沃をもたらし、ガンジス文明の基盤となった。
「排除すべき異物」ではない。「煩悩」も同様に、「人間の生存のための不可欠
な心的作用」。それに思い至れなかったのが、釈迦の浅慮である。

洪水は、毎日起きるものではない。これに反し、「灯明」は、毎晩必要な、より
普遍的な道具。「島・白州」解釈は、論理的にも、またその普遍性・意味の
一義性においても、さらにまた文学的表現としての格調の高さにおいても、明
らかな誤りである。釈迦カルトたちが、その開祖盲信故に、盲信の闇を破壊する
「灯明」に怯えているだけ。
409神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 18:06:04.25 ID:6NVbK3qO
>>402

本当ですね。同じような意味ですね。間違いでした。ただ、文全体の否定と考え
たほうが自然な訳になりますね。not not はややこしい。。
410神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 18:18:09.40 ID:ss8fvy+p
>>408
だからw
もっと素朴に考えろよw 今は、語源的語義についての話だろ。
それは派生的付加的意味合いでの話だ。(勿論、河中島が付加的意味であるのは言うまでもないが・・w)

んとに、姑息だよな・・。
Aという論点について話していて、旗色悪くなるとBの話をする。
いやいやwちょっと待って。Aはどうなったの?と尋ねても知らんぷり。(この辺カラスもそうだけど。)

んとに、性根が腐っとるなぁ・・。
411神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 18:23:51.48 ID:6NVbK3qO
釈迦の浅慮はひどいな。。
412神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 18:32:14.70 ID:j1cRhOZ+
>>410
>Aという論点について話していて、旗色悪くなるとBの話をする。

論点は、常に「根源」に立ち返らない限り、解決は全く不可能。「旗色悪くなる」
どころか、私の「本質論」の「完全勝利」。

ロシア語などでも、全く同一の語であるのに、全く異なった意味を有する語が
多数存在する。その語の意味を判断するのは「全体の文脈・全体の思想」のみ。

釈迦カルトの君が、開祖盲信の闇を破壊する「自灯明」の語に怯えているだけの話。
413神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 18:33:40.80 ID:O+UfMtWg
昔は病気と飢えとの戦いだったろうからおかしくなる人とか多かったと思います。
その上で本を読んで見ましょう。冗談じゃなくて明日死ぬかもしれないんです
414神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 18:37:05.59 ID:7ZULkjtf
>>408
そんなん、どっちでもエーのんや。

大道を掴め!  

八正道の動的把握=筏の喩えの法門

<自帰依(灯明・洲)←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依(灯明・洲)>

しかし、仏法において【本質・ドグマ捨離】は徹底しており、無常・無我(本質はない)は「法」にも例外ではない。
⇒『筏の喩えの法門を知るひとは、法さえも捨てなければならない。」(金剛般若経6、マッジマ・ニカーヤ22)。

仏種なる「本質」におもねる仏性だとか如来蔵だとかの自性(スヴァバーヴァ、プラクリティなど)を認める余地はない。
たとえ空性とかの成りすまし誤魔化しを付け加えても、だ。
「仏教」をご都合主義的にパクッたシャンカラ的不二一元論への堕落でしかない。
415神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 18:43:31.15 ID:j1cRhOZ+
>>411
>釈迦の浅慮はひどいな。

釈迦の「無我」は、浅慮を超えた単なる「勘違い」「単純(うっかり)ミス」
「slip of tongue」、ラテン語で「lapsus」。

誰にでもあることだ。気にする必要はないw。

釈迦の「唯一の独創」である「一切皆苦」は、彼の鬱病の症状。現代なら、
抗欝剤で治療可能な「病気」。
416神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 18:47:47.52 ID:7ZULkjtf
>>412
>論点は、常に「根源」に立ち返らない限り、解決は全く不可能。「旗色悪くなる」どころか、私の「本質論」の「完全勝利」。

そんな、根源とか本質などない!というのが仏法でっせ
間接現実は常に相関関係だから、無限の広がりをもってしまい、本質とか根源とかの証明は不可能です。
そんなことは龍樹の中論から明らかであって、
あなたが中論をまったく分かっていないことの証明です。

>>405>>414
『認識世界に対しては、肯定か否定か断定するのは、仏教的に見ても至難の業だ(>>367)。
肯定否定判断には一定の立場や視点が必要であり、その正当性を担保するものはなにも無く、
それは「仮設」→「仮説」たらざるを得ないからだ(龍樹 中論24-18、ヴァルダイヤ論二・六十七:→>>370)。』
417神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:02:37.60 ID:7ZULkjtf
>>415
>釈迦の「無我」は、浅慮を超えた単なる「勘違い」「単純(うっかり)ミス」

有我論は本質主義であって、成立の余地がない、仮設で日常自我、菩提心自己。
>>416 相関関係(縁)だからこそ本質はありえない→空=無我=中道です。

>釈迦の「唯一の独創」である「一切皆苦」

「一切皆苦」は「一切皆苦」ではない、ゆえに「一切皆苦」と名づける。

「一切皆苦」なら苦ではない。→無分別、一切が寂静である。
418神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:03:29.11 ID:j1cRhOZ+
>>416
>そんなことは龍樹の中論から明らかであって、
>あなたが中論をまったく分かっていないことの証明です。

中論は、「空」の本質を、言語によって完璧に論証しているがw。

「如来の本性は、生類の本性」(中論)。

中論は、「厳然として実在する対象」の「構成原理」を発見したものに過ぎない。
「最も当たり前のこと」を言ってるだけ。

釈迦の「無(我)」に合わせようとするから、迷路に嵌りこむ。それが帰謬論証派
を含む釈迦カルトの実態。
419神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:05:38.68 ID:/cW/fvGX
仏性とは燃える闘魂アントニオ生命の性質のことだから、
仏法とは生命の法則に過ぎない。
生命において都合がいい法則が仏法には違いない。
それは個人にのみ都合がいい法則という意味ではない。
420神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:07:16.09 ID:w3fuhpv1
>>407
>一代、カラス、在家、愚者のカルテット

セブンが抜けている。←一代とお仲間だ。
隠居が抜けている。←日本の仏教に生命教を持ちこもうとしている。

最後にお宅が抜けている。←理由は自燈明で考えよ。
421神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:13:05.68 ID:j1cRhOZ+
>>417
>「一切皆苦」なら苦ではない。→無分別、一切が寂静である。

ならば、「一切皆楽」のほうが良かったね。そっちのほうが「人聞きが良い」しw、
人間の実態にも合致する。

いずれにせよ、釈迦の「苦の滅」は、無意味だったということ。
422神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:18:23.32 ID:7ZULkjtf
>>418
>「厳然として実在する対象」

実在を証明して下さい。
これができたら、あなたはノーベル賞の可能性があります。
単なる知覚は実在証明にはなりません。

>「構成原理」

常に相関関係のいみですから、無限の広がりをもってしまって発散します。
無限の前に実在証明はありえません。
仮設的にカットして仮説するだけであって、あくまで仮設でしかありえません。

>「空」の本質

空には本質はありえません。
本質は形而上学です。

>「最も当たり前のこと」

単なるものごころついたときからの既成概念でしかない。
無明です。
それは縁起の直接現実=あるがままとは違います。
423神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:18:28.34 ID:/cW/fvGX
いや仏教=生命教だ
生命をつかまえて生命(仏)を説く。
「は?」であるが、前者の生命とは生命と乖離した状態を示す。
即ち、自然教ともネイチャー教ともいえる。
424神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:21:33.57 ID:7ZULkjtf
>>421
>「一切皆楽」

「一切皆樂」は「一切皆樂」ではない、ゆえに「一切皆樂」と名づける。

「一切皆楽」なら楽ではない。→無分別、一切が寂静である。
425神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:35:39.07 ID:ss8fvy+p
>>412
立ち返るのは構いませんが、各論をそのまま放置するのは如何なものかと・・w
(行政、政治家なら、即落選ですよ?w)
貴方は、各論について考察することがないんですか、そうですか・・w

絶対雇いたくないタイプですね。


>ロシア語などでも・・・・・その語の意味
だから、語源的、発生源的話ですよ?


ああ、そういえば、アートマンもルーアッハも、
貴方自身が語源に立ち返る手法をとっていらっしゃいましたよね?w
元の意味が云々かんぬんと。 今回はそうしないんですか?w
なぜです?
426神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:36:38.23 ID:ss8fvy+p
>>420
巧いねw けど、名前欄が抜けてるぞ?
427神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:41:00.80 ID:/cW/fvGX
苦の本質とは自然生命との乖離状態を示す。
故に偉そうな部族の長老は一切を「定めじゃ!」
の一言で割り切るのである。楽観思考と言えるだろう。
自然に成りきれば老いも死もないと言えるだろう。
428神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:41:38.84 ID:j1cRhOZ+
>>422
>実在を証明して下さい。
>これができたら、あなたはノーベル賞の可能性があります。
>単なる知覚は実在証明にはなりません。

人に聞かなくても、自分自身の日常生活から帰納すれば、簡単に分ること。
君は、目の前の飯の実在・非実在をどうやって判断(証明)してる?w

「人間にとっては(ゴキブリにとっては知らないがw)」、「(必要に応じて
観測装置を使用して)人間の五感で知覚できる対象」を「実在」とするのだよ。
それ以外を、「非実在(空想・妄想)」と呼ぶ。そして、人間は、実在に100
%依存しない限り、一瞬も生存できない。目の前に知覚できる地面が「実在」
でなければ、一瞬にして奈落の底である。目の前に知覚できない壁が実在する
のなら、部屋の中で身動きも出来ない。
429神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:45:37.15 ID:pj5sCyy0
>>427
個々人が自然になりきるのは理想であり、誰もがそれを望むと思いますが、
それでは社会の維持に限界が出てきますよ。
石器時代のように、家族単位、親戚単位で狩猟採取生活をするならともかく。
430神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:52:04.03 ID:pj5sCyy0
>>428
現実に今、人類は非常に長い年月をかけてその方向に進んでいるではありませんか?
日本においてもそうなっている、その上で信教の自由がある。
宗教に興味を抱くのも、宗教を信じるのも、人間の証であり自由ではありませんか。
あなたは、いったい何が不満で、現実社会において実現していることについて長々と書き込んでいるのですか??
431神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 19:54:17.92 ID:/cW/fvGX
>>429
人間とは社会性生き物であるからして、
それ故に個の否定(無我)が唱えられるのと違うだろうか?
今になってもマネーを媒介とする狩猟採取生活を送っているとも思える。
432神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:02:18.99 ID:pj5sCyy0
>>431
人間の本質は悪ではありませんが、さりてと、善でもありませんからね。
一昔前は、原始社会は殺人の無い理想的な社会と言われていましたが、
現代では部族間での戦争、殺人、奴隷が
当たり前のように存在していると知られつつあるようです。
善でも悪でもない。それが人間の本質ですよ。
社会を形成維持するには、個々人が生まれながらでは限界が生じるのです。
規律、あるいは向上に資する精神的な価値観が必要なのです。
433神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:03:59.71 ID:j1cRhOZ+
>>425
>絶対雇いたくないタイプですね。

総論がしかりしていなければ、各論もダメ。各論は総論が基盤になるのだから。
その逆はない。

民主党の「マニフェスト」を見よw。すべて総論(思想)の問題。

私は、人を雇う時、その愛読書を聞く。その者の総論が判断できる。
聖書・原始仏典では、初めからボツ。乙武さんの「五体不満足」を挙げた
賢い奴がいたw。

自灯明・法灯明は、語源の問題などではなく、「開祖の盲信」という総論の問題。
434神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:07:22.41 ID:ss8fvy+p
>>433
自灯明・法灯明は、語源の問題ではなく、
アートマンやルーアッハは語源の問題なわけですね。



馬鹿だな・・お前・・・。
435神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:11:41.68 ID:jm3KZXFm
>>404
そういう彼の体験話は全く覚えてないですね

>>420
へ〜、在家ちゃんはこういうことも書くんですね
しかもコテはずしてw

420 1 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2013/02/15(金) 19:07:16.09 ID: w3fuhpv1
298 1 名前: 前世は一在家 ◆2o6x38TRbE Mail: 投稿日: 2013/02/15(金) 07:15:47.27 ID: w3fuhpv1

やっぱり、セブンの言うとおりみたいですね。
善意で解釈した私が笑いものだったようです。
436神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:16:23.42 ID:/cW/fvGX
>>432
なぜ原始社会を想起するかよくわからんが、
現に我々は生命であり自然の中で生きている。
一時たりとも乖離はしていない。原始社会ではない。
ルールができるのは自然な流れだろう。
それほど社会生活というものが困難の証明かもしれない。
437神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:17:51.46 ID:j1cRhOZ+
>>430
>宗教に興味を抱くのも、宗教を信じるのも、人間の証であり自由ではありませんか。

宗教は、開祖の精神病の症状としての「観念過剰」から、「生物としての人間の生存本能
(生命)」と「その生命を維持する現実界」とを忘却しているから、弊害が生じるのだよ。
人間でありながら、人間を否定する、という倒錯に陥っているからだ。

「人間が、自然状態を離れ、神になった積りで善悪観念を作り上げる」ことを「原罪」と
する旧約聖書は、物凄い真理を語っていると思うね。
438神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:20:22.72 ID:pj5sCyy0
>>431
仏教にかぎらずキリスト教であっても、修行者の善行や慈悲の教え、愛の教えが、
社会に受け入れられたのが大きな理由でしょう。
あくまでも無我は修行者の目的であり、
善などは武士階級が迷いを捨てるためにとり入れたと考えますね。
439神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:22:35.55 ID:j1cRhOZ+
>>434
>アートマンやルーアッハは語源の問題なわけですね。

それも、釈迦・イエス盲信という総論(思想)の問題。非信者(衆生)は、
ちゃんと、それらの原義に基づいて生存努力を続けている。
440神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:25:23.87 ID:pj5sCyy0
>>438訂正
善などは→禅などは

>>437
だから、今の日本は宗教に支配されているのか?
いや、聖徳太子の時代から仏教が国教だったので、
まだ支配から抜け切れていないかもしれないな。
因果応報、日本人の生き物に対する優しさ、人に親切にするは、まさに、それだ。
まあ、せいぜい見えない敵と戦うがいいよ。
441神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:32:47.26 ID:/cW/fvGX
>>440
生き物に対する優しさ、人に親切にするは万国共通だw
日本に対する悪感情でもあるのかよw
442神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:39:44.15 ID:pj5sCyy0
>>441
つまらん奴だ。
なにが→w だ。
無駄な時間を過ごしてしまった。 
443前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 20:42:12.27 ID:w3fuhpv1
>>435
>へ〜、在家ちゃんはこういうことも書くんですね
>しかもコテはずしてw

>やっぱり、セブンの言うとおりみたいですね。
>善意で解釈した私が笑いものだったようです。

善意も空では空しいですね。
トリオに貴兄まで加えられたので、皆言い争っているという点では同じとのユーモアですよ。
ID検索は承知の上で、慇懃無礼にならないように。
444神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:47:52.10 ID:jm3KZXFm
>>443
いや、オイラが入る入らないは関係なしに口調と、
その二人を加えるとこに注目ですね

表面的に繕うのはよくないですね
445神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 20:51:24.83 ID:/cW/fvGX
>>442
そのwは宗教性の肯定について
慈悲や愛や善行は単体なら歓迎すべきものだが、宗教性は蛇足。
それらは社会性というものであって人間に本来備わっている気質である。
オウムとかイスラム過激派とか宗教詐欺とかあって尚、
「なんで宗教なん?」とも言える。
446前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 20:58:05.22 ID:w3fuhpv1
>>444
>表面的に繕うのはよくないですね

そうですね。留意します。

>しかもコテはずしてw

貴兄らもコテつけて下さいね。
しばらく読まないと分からないことが多いので。
447神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 21:08:35.18 ID:5tej6L0x
一代さん、セブンさん、遊びさん、隠居さんは特徴的で、すぐ分かるね

その他の名無しさんは何人くらいいるんだろう
448224:2013/02/15(金) 21:12:57.74 ID:/fxFPnnf
>>230
了解です(^^ゞ
449神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 21:13:01.98 ID:/cW/fvGX
コテ含めて10人いないんじゃないか?
450前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 21:22:48.26 ID:w3fuhpv1
>>447
>一代さん、セブンさん、遊びさん、隠居さんは特徴的で、すぐ分かるね

それは貴兄が仏教徒?からかも知れませんね。
毎日見ている私でも、一代(オイラ)さんに似た人もセブンさんに似た人もいて、いくつかかきこを読まないと分かりません。
ご隠居は一番分かり易いですが、遊びさんって誰ですか?
451前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 21:33:48.27 ID:w3fuhpv1
>>446 一在家
>貴兄らもコテつけて下さいね。
>しばらく読まないと分からないことが多いので。

この数年間セブンさんより前後のテキストが理解の上で大切だと度々指導を受けました。
コテが分からないので、この名無しさんは何宗の立場で話しているのか分かりません。

かといって毎回自身のスタンスを書き込んではスレッドの無駄遣いになりエコ時代に相応しくないでしょう。

以上、議論板の有効性を高める為の御提案と致します。>住人各位
452神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 21:45:02.71 ID:5tej6L0x
>>450 一在家さん
>それは貴兄が仏教徒?からかも知れませんね

マジですか。口調(雰囲気)と内容(解釈)で分かりますね〜。

遊びさんは、コテがよく変わる人ですが、
「直接肯定言辞」、「無分別の分別」など、独特の定型句を用いる人です。
解釈的には、因果を否定する立場です。
また、世俗諦によらずに第一義諦を示そうとする立場でもあるように見えます。
453前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 21:50:20.97 ID:w3fuhpv1
>>452
>また、世俗諦によらずに第一義諦を示そうとする立場でもあるように見えます。

因みに貴兄はどういう立場の人ですか?
454神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 21:58:05.43 ID:5tej6L0x
>>453
このスレでは、やっぱりオイラさんの解釈が一番しっくりくるなぁ。
あと、セブンさんの解釈も、しっくりくることが多い。

という感じで、このお二方の解釈の影響が大きいです。
455224:2013/02/15(金) 22:05:46.92 ID:/fxFPnnf
>>300
現代詩やラップのようにどちらも意識して説かれたんじゃないでしょうか
シャカラップかこいいヽ(・ω・)ノ
456神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 22:06:12.48 ID:/cW/fvGX
名称と形態の名称の部分が堕ちてないなw
反仏法といえる
457カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/15(金) 22:19:46.23 ID:smnp5zDi
>>405
だから俺も一切外は何も無いと言ってんだよ。俺がいつ実在論の話をしたってんだよ。
でだ。ゴータマさんはサンジヤャのような詭弁論は外道だと言ったわけだ。
竜樹の中論はサンジヤャと同じく縁起のエッセンスを加え、より論理的に詭弁を磨き上げただけのもので、本質的には六師外道の一人、
サンジヤャの詭弁論と同じ類いのものだ。何度も聞くけど、お前らの大好きな竜樹の中道って、一切の内の何処にあんだよ。
本質的には全く無意味な詭弁、言葉遊びを極めるのがゴータマさんの仏教じゃねぇんだよ。わかったか?外道。
458神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 22:29:40.19 ID:5tej6L0x
>>457 カラスさん
>竜樹の中道って、一切の内の何処にあんだよ

中道は、一切のどれにもよらない道、ものの見方のことだから、
「色がある、行がある、識がある」という表現と同じように、
「中道がある」とするのは、正しくないと思うよ〜。
459神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 22:40:12.21 ID:/cW/fvGX
中=一切のどれにもよらない
って、どこにも繋がりの欠片さえ見あたらないぞw
460神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 22:55:01.90 ID:jm3KZXFm
>>459
>中=一切のどれにもよらない
>って、どこにも繋がりの欠片さえ見あたらないぞw

それがいいというか、だからこそ勝義、戯論寂滅の境地への導き

世俗の仮設されたxが有ったり無かったりする論理領域ではないんです

それを論理で捉えようとするから分からない

それを別な形の言葉で導こうというのが公案だったり、

絵で表そうというのが鯰絵だったり
461前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 23:04:48.78 ID:w3fuhpv1
>>454
>このスレでは、やっぱりオイラさんの解釈が一番しっくりくるなぁ。
>あと、セブンさんの解釈も、しっくりくることが多い。

あーそれで分かりました。貴兄のかきこをオイラ氏と時々間違える理由がです。

コテ:縁起二代、ってのも宜しいかも。←ユーモアです。
462神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:07:54.86 ID:/cW/fvGX
まぁどうでもいいってこったなw
463神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:08:27.99 ID:jm3KZXFm
>>461
恐らくオイラより彼の方が色々優れてると思うよ〜
464神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:09:19.43 ID:jm3KZXFm
>>462
全然違うぞ

笑うとこじゃないんだけどなあ
465神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:13:48.99 ID:/cW/fvGX
>>462
あってるよ。権威も糞もないってことだろw
笑ってよし。糞真面目になる所以はどこにもない。
466神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:16:14.91 ID:jm3KZXFm
>>465
後生だよ〜
467神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:20:40.24 ID:/cW/fvGX
>>466
何がだよw
俺は仏教的権威主義は一切認めん
468神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:21:27.89 ID:jm3KZXFm
>>467
じゃ、好きにして
469神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:25:20.56 ID:/cW/fvGX
何だ。やっぱり仏教的権威主義だったんかw
中つうのは大中小の中だろが。
他にどんな語義があるのよw
470神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:28:21.13 ID:/cW/fvGX
もしやと思ったが
内=中もあるな。
471神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:29:04.89 ID:5tej6L0x
>>461 一在家さん
マジですか〜、宝珠さんにもそんなこと言われた。
自分は基本的にオイラさんと違ってsageてるよ。
あと、さん付け、かぎ括弧をよく使うかな。相手のレスの引用もよくする。

ああ、呼び方は何でもどうぞ〜。
472前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 23:31:29.62 ID:w3fuhpv1
>>457 カラス氏
>竜樹の中道って、一切の内の何処にあんだよ

(中道の真理表)
「一切ある」で、「一切無い」→偽
「一切ある」でなく、「一切無い」→偽
「一切ある」で、「一切無い」でない→偽
「一切ある」でなく、「一切無い」でない→真

現象界の「有ると無いの二辺でない」とも。
まあ、日常生活では役に立たないそうですので、衆生は執着する必要もないかと存じます。

世俗で「痛い」でなく、「痛くない」でない、という人がいたら、頭をポカリと叩かれるでしょう。
そしてたんこぶを重ねても、「痛い」でなく、「痛くない」でない、という人がいたら南無龍樹でしょうか。
473神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:35:35.97 ID:/cW/fvGX
>>472
普通に痛いだろw
やせ我慢しない、過剰に痛がらない
これを中道という
474前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/15(金) 23:37:57.40 ID:w3fuhpv1
>>472
>(中道の真理表)
>「一切ある」でなく、「一切無い」でない→真

「生きている」でなく、「死んでいる」でない→真
「生と死の二辺でない」のはホラー映画に出てきそうです。
475神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:44:22.71 ID:5tej6L0x
>>459
>中=一切のどれにもよらない
>って、どこにも繋がりの欠片さえ見あたらないぞw

「繋がり」については、「これあるとき、かれある」の縁起で、
いわゆる世俗諦(世俗で理解してもらえる真実、表現)として説かれるよ。

>>474 一在家さん
単純に、十二因縁がすべて滅している、と考えてもいいと思いますよ〜。
476カラスの唄:2013/02/15(金) 23:45:45.03 ID:smnp5zDi
>>407
業報輪廻転生についてはゴータマさんは語りまくっているのに、中論教患者にかかれば無記にされてしまうわけだ。
あげくに十二支縁起も否定。いゃあ、いつもながら中論教患者の邪見は凄まじいですな。
なんで中論教患者の皆さんはゴータマさんの仏教を名乗るのでしょう。君らは外道だってことくらい気付けよ。
477神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:46:58.36 ID:/cW/fvGX
>>474
まぁ通常生きているとか死んでいるとか意識もしないからな。
二辺にあるとは言えないだろう。
478神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:54:17.16 ID:0ncB8KTP
>>474
中論は、「世俗の一切の慣習」を「無条件の前提」とし、それに反することを
何度も戒めている。

世俗そのままが「真」である。分別に満ちたそれらの真理表など必要ない。

中論は、釈迦の2諦を否定して、世俗諦一本に止揚したものだと解する。

中論から、日本の大乗仏教の中心教義である「煩悩即菩提」「生死即涅槃」
「現成公案」「真如としての衆生心」などの、徹底した現実主義が発生じた。
479神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:55:01.51 ID:/cW/fvGX
>>475
そもそも世俗は真理からズレてるから釈迦は出家したんじゃないのかよ。
ズレてるのが釈迦というのが真かもしれないw
480神も仏も名無しさん:2013/02/15(金) 23:59:42.48 ID:H0Upa5Dp
>>406
あなたは全ての宗教を否定しますか
481神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:01:18.98 ID:sWoBR5lc
>>479

    鈴木
     ▽

 A       B 

     △
    佐藤


鈴木さんから見ればAは右(真)、
佐藤さんから見ればBが右(真)。
482神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:08:32.50 ID:j+wysWrk
bの横からみて
aは隠れて見えません
483神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:12:41.75 ID:ItOnLv0x
>>481
いや、そりゃそうだが基準が単に右ということ。
釈迦と世俗の真理は違う。
世俗は例え牢獄でも住めば都。
釈迦は牢獄に住むのが嫌だっただけだろ。
484神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:13:02.15 ID:OjzzbJwX
>>480
Yes. 宗教は、古代人の妄想の惰性的残存。本来的に、宗教は、生存の「手段」
(現代の科学に相当)として発生したものだから、科学が驚異的な発達を遂げた
現代においては、存続の理由はない。宗教戦争、宗教紛争、霊感商法、家庭崩壊
などの弊害のみ。

科学の方が、ご利益は桁違いに大きいことは明らか。

虫歯で歯が激しく痛むとき、いくら祈っても、世界中の宗教者が同時に祈っても、
いくら煩悩だから我が物ではないと思ってもw、絶対に治らないが、消炎鎮痛剤1錠
飲めばケロリと治る。もはや、宗教の出番はない。
485神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:16:23.41 ID:R7zFFSV9
>>478
>中論から、日本の大乗仏教の中心教義である「煩悩即菩提」「生死即涅槃」

一切の見解を寂滅させて空性に至ると、
煩悩とか菩提のような、言葉による分別の相が消えてるから、それらは平等、ということだよ。
ただ、空性に至ってない衆生に対して、言葉(法)を通して伝える以上は、
煩悩と菩提のように、二つに分けて説かざるを得ない。
いきなり煩悩即菩提とか言っても分からないから。

>中論は、釈迦の2諦を否定して、世俗諦一本に止揚したものだと解する。

その意味では、「世諦即第一義諦」という表現をとる論師もいるよ。
止揚って表現が適切かどうか分からないけど、弁証法的では、あるのかな。
486神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:18:01.42 ID:sWoBR5lc
>>482
巧いこと言うねw

それって、本来清浄心が煩悩に遮られて見えない・顕われない・働けてない
っていう図式とも言えるね。

    鈴木
     ▽

     .A

     .B 

     △
    佐藤

鈴木さんから見ればAが手前(真)、
佐藤さんから見ればBが手前(真)。

補足情報:鈴木さんは、以前、佐藤さんの立ち位置にいた。
487神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:19:18.24 ID:sWoBR5lc
>>483
>釈迦は牢獄に住むのが嫌だっただけだろ
うん。その通りだと思う。
488神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:38:05.59 ID:ItOnLv0x
まぁこうやってレスの応答があるのは、
何らかのイメージングがあるもので、
「此れがあるから彼がある」の如しだろう。
例えば夢なら何らかの残像が残っていて、此れといえるだろう。
即ち此れを滅するなら彼が滅するのであり、
滅する必要性のあるものは苦であり、残るは静寂になるのは確かであろう。
静寂の中に楽は確かに存在し、喜びもそれなりにあるのである。
自然の癒しがその証明でもある。
489神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:41:25.94 ID:sWoBR5lc
>>483
>基準が単に右と

これもその通りだろうね。
つまり、(この例で言えば)、
「人は、(善なるもの・好むもの・快いものとして)、右を選ぶものである」
という条件として。
だから、通常、日々過ごすうちは、世俗の価値観で右を選び、
欲が満たされることが最善のことと考える。
が、そうではない視線を持ってしまった者は、
世俗の価値観とは真逆の立場で右を選ぶことになる、と。
490神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:41:29.93 ID:OjzzbJwX
>>486
>本来清浄心が煩悩に遮られて見えない・顕われない・働けてない

日本の大乗仏教では、そもそも「清浄心」と「煩悩」というアホらしい分別は
しない。

>>487
麻原みたいな人か。

釈迦は、「住めば都」という諺を知らなかったのだな。

「牢獄」という苦の中こそ、「悟った人」の出番なのだがw。釈迦は「無我」
とは程遠かった訳だなw。
491神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:46:30.07 ID:sWoBR5lc
>>489

勿論、世俗の枠内でそれが起きたら事件になるわけだが・・。
犯罪とかジハードとか攘夷か開国かとか東西冷戦とかw
492神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:47:17.60 ID:sWoBR5lc
>>490
なんつーか、ほんっっっっと浅いよな・・・。
493前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 00:47:48.27 ID:DrUo+zil
しかしこの板の常連の多くが南無龍樹であることがよーく分かりました。

「衆生済度」はまず世俗諦なので、南無龍樹以外の仏教徒はROMしているというのが実相のようです。
この実相を知らずに訪れた異教各位は仏教を誤解して言い争っているのが現状かも知れませんね。
494神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:50:51.06 ID:ItOnLv0x
>>489
それじゃ結論同じだってw
左を見据えて適当な位置を取ると思うぞ。
495神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:50:53.48 ID:sWoBR5lc
>>493
しかし相変わらず、さりげない嫌味が上手だよなぁ・・在家はw
496神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:58:15.04 ID:ItOnLv0x
>>490
う〜ん、牢獄が必ずしも都ではないわけで
牢獄にいることを知らずに蝕まれていって
犯罪おかしたり自殺したりするんじゃないかな。
牢獄も都も拒否するあたりが正解だろうと思うが…
497神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 00:59:57.01 ID:OjzzbJwX
>>492
浅いのは釈迦。衆生は、どんなに苦の状況でも、そこに楽を見出す「悟り」を有する。
498前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 01:03:14.81 ID:DrUo+zil
>>495
>しかし相変わらず、さりげない嫌味が上手だよなぁ・・在家はw

悟った後も涅槃に行くことを退け、50年近く衆生済度に回られた釈尊。

将来の菩薩候補者の為に釈尊の教えをまとめた龍樹。
しかし、菩薩候補者の為の第一義諦が、対象外者の間で広がって、世俗諦をも軽視。
第一義諦の酒に酔った者たちが八正道も衆生済度も忘れて実践せず、末法の世。

以上の仮説が真ならば、釈尊も龍樹も嘆いているでしょうか。まあ予言通りでしょう。
(さりげない嫌味だと宜しいのですが。)
499神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 01:04:10.78 ID:OjzzbJwX
>>496
>牢獄も都も拒否するあたりが正解だろうと思うが…

それでは「現実逃避」以外の何物でもない。牢獄も都もあるのが人生。
釈迦は、明らかに修行が足りないw。
500SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/16(土) 01:05:31.40 ID:DWNfhgVR
衆生は、苦に安住している。衆生が苦悩の輪廻を脱するのは容易ではない。

解脱者は、安らぎに住している。解脱者は、一切の苦悩からすでに離脱しているからである。

衆生は、正法によって、正法の通りに、等しくニルヴァーナへと至り得る。それを説くのが仏教である。

***
501前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 01:11:23.93 ID:DrUo+zil
もしかしたら如来各位からの伝言かも知れませんよ。

わずか2500年で如来すら信じられない仏教徒が増えてたら問題でしょう。
502神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 01:15:07.72 ID:ItOnLv0x
>>499
例えばの話。サービス残業毎日3時間やらせる会社があったとして、
そこから逃げ出すのを現実逃避とは言わない。
一方で楽を覚えると苦痛に脆いというのも確かに一側面としてある。
静寂あたりを無難に選択するのが賢明かもしれん。
503神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 01:16:28.83 ID:OjzzbJwX
>>485
>その意味では、「世諦即第一義諦」という表現をとる論師もいるよ。

仏教ど素人の私と同じことをいう講師もいるのだね。参考までに、その偉い人
は誰?
504前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 01:18:02.69 ID:DrUo+zil
>>500 SRKWブッダ氏
>衆生は、苦に安住している。衆生が苦悩の輪廻を脱するのは容易ではない。
>解脱者は、安らぎに住している。解脱者は、一切の苦悩からすでに離脱しているからである。

でも慈悲の完成で涅槃入りした如来のご活動は2500年前も21世紀も変わらず続いているそうですね。

(参考)
入中論12-40:仏の未来の寿量は世間の人が全て成仏しない限り存する。
入中論12-42:有無に執して苦に沈む者のために、慈悲の心のある仏は涅槃に向かう心を退ける。
505SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/16(土) 01:21:33.16 ID:DWNfhgVR
>>504
人は、如来とは無関係に解脱し、覚る。

真実を知ろうと熱望する人が、自ら因縁を生じて覚るからである。

有り体に言えば、如来は人々の覚りなど何の興味もない。私も、もちろんそうである。

***
506SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/16(土) 01:31:43.99 ID:DWNfhgVR
如来は、法(ダルマ)にしたがって覚った人である。

如来は、ただ真実を真実のままに対機に説くだけである。

こころある人が、ニルヴァーナの実在を信じ、覚りに向けた修行を実践するならば、自ら道を見い出し、自ら覚ることができるであろう。

***
507神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 01:32:35.55 ID:ItOnLv0x
まぁ実際の所、老いが苦って人間は女以外は皆無じゃないかな
死が苦ってのもどうだろうね
未練という未練など無いよな

どっちかつうと生がわずらわしい苦には違いないw
508SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/16(土) 01:35:15.72 ID:DWNfhgVR
覚りとは、何かを身につける作業ではない。

覚りとは、余計なもの──この名称と形態(nama-rupa)──を脱落させることである。

したがって、人がどのような心の状態であっても、この余計なものを脱落させて、あり得べきすがたになることが出来るのである。

このあり得べきすがたは、アートマンではなく、ブラフマンでもないが、一切の苦悩を滅した仏となるのである。

***
509カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/16(土) 01:54:43.75 ID:WeXSyfKP
>>458
文意を汲み取らず、言葉の揚げ足ばかり取って本当にどうしようもないな君らは。
物理的な意味であるないを問うているんじゃない。早い話君らの大好きな中道、勝義なんてのは君らがいくら
千の屁理屈でいいわけしようと、結局君らの妄想の中でしかないだろ。
絵に描いた餅の話をドヤ顔で話している中論教患者の人らはアホだと言ってるんだよ。
510神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 01:57:18.75 ID:OjzzbJwX
>>507
>死が苦ってのもどうだろうね

後に残る者たちへの手配のために大忙しで、恐れている暇などないよw。

女房は、高い戒名は嫌がるしw。普通でいいよな。

葬式も、遺族たちは、会葬者の接待やお坊さんへのお布施の手配で、悲しんでいる
暇などない。

お坊さんは、お布施貰うと、余計な説教などしないで、さっさと帰ってしまうのが
葬式仏教の良いところ。牧師のように、身振り手振りで宣教などされたら、
遺族はたまらん。
511神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 01:58:41.98 ID:OjzzbJwX
ここだけの話だが、戒名って幾らくらいかかるの?
512神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 02:13:02.49 ID:OjzzbJwX
我が家は浄土宗だが、真言宗の声明って素晴らしいね。堂々たる芸術作品。
死者も蘇りそう。

声明練習用のテープってあるのかな。
513不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/16(土) 02:14:21.69 ID:E4tdFJ1N
>>405 a.k.a. 閻魔大師
>(B)しかし、サンジャヤ師も縁起の直接現実には、おしいかなあと一歩で到達していない。
> 六師外道と言われる中でサンジャヤ師が最もブッダに最接近している。

仏教で彼等六人の師を外道としているのは、縁起観を欠き、いずれも戯論に留まっているからでしょう。

縁起の観点からすれば、結局、六人の師の思想は戯論という意味では等しく、何ら差異はありません。

にもかかわらず、戯論の中の“どんぐりの背比べ”にご執心なのは、戯論に捉われている外道者の特徴でしょう。

縁起というキーワードを「お題目として」振りかざしても仕方がありません。

サンジャヤ師について、仏教的な縁起価値観からすれば、とりわけプラスに評価できるポイントはないはずです。
514神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 02:17:16.77 ID:OjzzbJwX
自分の葬式には、中論を上げて欲しいね。

私は、親類の葬式では、般若心経を唱える。
515宝珠愚者@(規制代行):2013/02/16(土) 03:52:26.79 ID:F/BC0riZ
>>302-303>>307
カラスさんはサーンキャ哲学的な理解なのでしょうかね?
私の方は特にそういうものは意識していませんでしたので、どうもすみません・・・。
輪廻主体としての「魂」を縁起で消滅するもの、その後に立ち顕れる恒常な自己がアートマンであり、
これが真我(真実の自己)であるという見解です。大筋概要はほぼ近似かと思います。

>>308
縁起するこの世界は最初から「空」です。
それは到達すべき境地でも何でもありませんよ。
従って、その空がそのまま涅槃ということは有得ません。
516宝珠愚者@(規制代行):2013/02/16(土) 03:53:11.33 ID:F/BC0riZ
>>301
“神の分けみ霊”とは理解の良い教え方かと思います。
神智学では“ロゴス(神)の断片”といっています。

 ブラヴァツキーは覚者ではなく、神智学における進化段階の評価はクリシュナムルティ同等の4段
階イニシエート。仏教的にいえば、正覚仏に準ずるアルハット位階に相当します。
 彼女に神智学の教えを授けた主要な覚者はヒマラヤ大師といわれるジュワルクール、モーリヤ、
クートフーミの三名です。そして、特に神智学の一連の教えを体系的に教授されたのはジュワル・
クール覚者です。彼はクートフーミ覚者(6段階チョハン)の弟子であり、ハイアラキーのメンバーとし
ては比較的新しい方で、1857年に5段階イニシエーションを受けて覚者になり、現在もこの時の肉体
を保持しているチベット人です(チベット仏教寺院にも君臨されるという)。
 クートフーミ覚者はピュタゴラスと聖ヨハネ、モーリヤ覚者は聖ペテロであった方で、現在は御自身
の意志力で創造した完全理想的な肉体を着用されています。以前は、お三方共にチベットのシガツ
エの渓谷に住まわれていましたが、現在はそこを出られたようです。

参考画像:
 クートフーミ覚者
 モーリヤ覚者
  http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0d/Koothoomi.jpg/200px-Koothoomi.jpg
  http://www.esoteric-philosophy.net/Resources/morya1.jpg
517神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 05:34:21.31 ID:DtVbHx7A
宗教の人はオワリも落ちもない同じ話を延々繰り返すんだけど
518神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 05:36:28.15 ID:DtVbHx7A
だけど礼儀とか分別はあるからさらに謎
519前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 07:20:14.26 ID:DrUo+zil
>>509
>絵に描いた餅の話をドヤ顔で話している中論教患者の人らはアホだと言ってるんだよ。

私の認識では「餅」はあるようです。
昔々龍樹さんという方が仏様にお供えした餅を、別の人達が食べてしまったことが縁起の始まり。

(仮説)
中論教信者:第一義諦の酒に酔った対象外者たちが八正道も衆生済度も忘れて実践せず、末法の世。
対象者:功徳を十分に積んだ現世での菩薩候補者。

上記の仮説は空にて変化しつつあり、根拠は龍樹が誰の為に中論(特に第一義)を書いたか、ということ。
520前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 07:23:52.16 ID:DrUo+zil
>>516 宝珠氏
>1857年に5段階イニシエーションを受けて覚者になり、現在もこの時の肉体を保持しているチベット人です(チベット仏教寺院にも君臨されるという)。

それであればこの板で一番チベット仏教に詳しいオイラ氏が知っているかと存じます。
521前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 07:26:31.57 ID:DrUo+zil
>>517
>宗教の人はオワリも落ちもない同じ話を延々繰り返すんだけど礼儀とか分別はあるからさらに謎

信仰者の「信」ゆえに議論の輪廻を繰り返していると思料します。私も含めて。
522神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 07:26:50.25 ID:0DBXRdNI
>>515
宝珠も唯一の賛同者は嘘ついても嘘とは言えないわけね

誠実さが美点なのに、残念
523神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 07:36:10.26 ID:0DBXRdNI
>>520
そんなの嘘だよ

詐欺師ブラバッキーと真面目なオルコットの合体が神智学

オルコットの仏教復興運動は色々東洋に良い結果をもたらしたのは事実

ブラバッキーは権威付けに神秘の国チベットに師がいるとしただけ
神智学のアートマンや人以外に輪廻しないなどの特殊な教義は、
西洋人に受け入れさせるための意図的な改変だとルノワールは『仏教と西洋の出会い』で言っている。

オイラも全くそうだろうと思う。

ルノワールはフランス人で仏教の記述は正確で他も正確だろうと予想できる。
524前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 07:39:42.35 ID:DrUo+zil
>>516
>“神の分けみ霊”とは理解の良い教え方かと思います。神智学では“ロゴス(神)の断片”といっています。

国も時代も異なる道の人同士が共通の法を悟ったと認識します。
道の人は互いを敬い争うことがない。(スッタニパータ?)

そして“如来(仏)の種”も同じ悟りかも知れませんので、この数年間検証中です。
525神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 07:53:58.61 ID:0DBXRdNI
>>524
>国も時代も異なる道の人同士が共通の法を悟ったと認識します。

ずっとそういいたかっただけでしょ

というより、爺ちゃんがでしょうがアナタの場合
526前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 08:01:26.70 ID:DrUo+zil
>>523 オイラ氏
>ブラバッキーは権威付けに神秘の国チベットに師がいるとしただけ

早速の御回答を有難うございます。

本件は宝珠氏にとっては重大案件ですが板違い、でもチベット仏教に絡むのであれば仏教板でもぎりぎりOKかなとも思います。

>>525 オイラ氏
>というより、爺ちゃんがでしょうがアナタの場合

祖父はそのような法は寝言でも語っておりませんのであしからず。ただ現代でも仏様方が活動中とのレポートのみ。
527神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 08:25:19.79 ID:0DBXRdNI
>>526
NG ですよ

そうなるとオウムでも幸福の科学でもなんでもありになります

彼は知ってて認めないだけだと思います
528神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 08:34:31.35 ID:DrUo+zil
>>524
>そして“如来(仏)の種”も同じ悟りかも知れませんので、この数年間検証中です。

(検証中の法)
IF 仏=Σ仏種 & 仏は無為 THEN 仏種も無為.

仏種:仏性ともいい、全ての人に宿ると説かれているが、現象界では確認されていない。

仏が涅槃にいく心を退けてまで衆生済度にこだわられるのかの一理由になります。

そしてすべての仏種が涅槃入りするまで仏の寿量は尽きない。(参考:涅槃経)
529神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 08:42:23.26 ID:0DBXRdNI
>>528
仏種、仏性、如来蔵、法界はアートマンとかではなく空性の戯論寂滅なんで、
そこのところ勘違いなきよう

>>526
>祖父はそのような法は寝言でも語っておりませんのであしからず。ただ現代でも仏様方が活動中とのレポートのみ。

個別事例でなく根本的に

>>>524
>>国も時代も異なる道の人同士が共通の法を悟ったと認識します。

として、爺ちゃんの霊言と仏教が同じと言いたいだけでしょう。
そのための伏線としての輪廻とアートマン、アーラヤ、仏種なんでしょうが、
そういうのは無駄だと思います。
530前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 09:05:59.68 ID:DrUo+zil
>>529
>仏種、仏性、如来蔵、法界はアートマンとかではなく空性の戯論寂滅なんで、
>そこのところ勘違いなきよう

オイラ氏も仏種、仏性、如来蔵、法界は無為(不変)ということでご了解ですか。

>として、爺ちゃんの霊言と仏教が同じと言いたいだけでしょう。

素朴な疑問ですが、チベット仏教では仏様方(菩薩、地蔵、化身ら)の霊言はございませんか?
ましてチベットの偉いお坊さんでない、岐阜の体育教師が仏説を交えて話したことが信憑性の根拠ですね。
531神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 09:09:17.95 ID:6ZaM6z+G
>>308
>縁起するこの世界は最初から「空」です。
>それは到達すべき境地でも何でもありませんよ。
>従って、その空がそのまま涅槃ということは有得ません。

んー?というと、涅槃はこの世界、一切とは別のところにあるってこと?
そうなると、一切の外にまで話が広がってしまうよ。
532神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 09:12:13.57 ID:6ZaM6z+G
>>531
アンカミス

>>515 宝珠さん
533神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 09:21:07.17 ID:ItOnLv0x
さて生命が万有する燃える闘魂の生命力とはアートマンだろうか。
仮にそれがアートマンとしてゾウリムシにアートマンがあるに違いなく
ひいては意識もしない人間の細胞の一つ一つや髪の毛一本一本にも
アートマンが存在することになりウザくてキリのないところである。
細胞の総和が生命力を引き起こすのは当然の理である。
534神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 09:25:22.02 ID:0DBXRdNI
>>530
そこら辺はもう変な形で法を利用されたくないのでお答え出来ません
535パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/16(土) 09:30:44.49 ID:7CiUm9At
>んー?というと、涅槃はこの世界、一切とは別のところにあるってこと?

宝珠の神智学では、この世界以外にも、アストラル界だの、・・・次元の世界だのが
あるわけだw
だから、当然、「涅槃もこの世界とは別に、存在する世界」・・・・という考えだよw
まあ、それを信じること自体は良しとしても、「それが真の仏教だ」と
やりだすから問題なのであって・・・wwww

んで、在家はまた、「仏種」という『核になるもの』の存在を主張するとwww
なんとか、仏説の中に常住不変の基体と言えるようなものはないかとwwww
ホント、どうしようもねえなww

「豚に真珠」   「在家に善意」
wwwwww
536神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 09:31:28.16 ID:6ZaM6z+G
>>503
三論の吉蔵さんという人が、二諦義という論書の中で述べてるよ。
ああ、でも、言葉だけでみれば、>>478さんと同じでも、
現実肯定主義てきな意味合いはないよ

第一義諦が、二諦や、煩悩と菩提といった言葉による分別を手放すために説かれていて、
言葉を手放せば、二諦の間にさえ、本来隔たりはない、ということ。第一義諦も所詮は言葉だから。
537神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 09:50:34.22 ID:ItOnLv0x
要するに遺伝子の情報が一切内からくるか一切外からくるか?ってことだろ。
意識もしないという点では認識論の観点から一切外といっていい。
母親が我が子を愛するかの如くの慈悲やら愛の類、或いは諸々の感情やら
意識やら脳内映像やら五感の機能やらは初めから装着されているものであり、
悠久ともいえる過去の経験値が遺伝情報として存在すると見ていい。
その遺伝情報がどこから来るんだ?が問題の焦点かもしれない。
例えば白人と黒人の皮膚の差異はどこからの如くであり、
そんなものは日照量の差でしかないのは当然の理であり、
環境における空概念ともいえるものがその遺伝子情報の差異を生み出すと
考えられる。全世界レベルで見れば差はあることはあるが、
気にするレベルの差でもないのもまた事実である。
生命という遺伝子情報を考えるに、その情報とは何かに特化するもの
でもなく、ごく自然な形で行われる集合体のようなものと推察できる。
538神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 09:51:07.95 ID:6ZaM6z+G
>>535 ぱーぴまん!
だよね〜、自分も、そうなんじゃないかな〜って思った。

そういう宗教もあって良いんだけど、それが仏教って言われると、「ん?」ってなるよねw

>>294
>「一切」から「一切外」へ移行すれば見つかるのでは? 尚、移行とはいっても意識上の出来事です。
>これを“超越”という(超越できない者にとっては一切しか知覚できない)。

これが、やっぱりかなり苦しいと思う。超越できない者は一切しか知覚できないって、
一切智者とされるブッダも含まれて、もっと凄い人がいるってことになっちゃうよ。
539神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 09:56:21.40 ID:1XJkq/tp
>>529
>仏種、仏性、如来蔵、法界はアートマンとかではなく空性の戯論寂滅なんで、

これは成りすまし仏教の典型的レトリックだw
⇒『しかし、仏法において【本質・ドグマ捨離】は徹底しており、無常・無我(本質はない)は「法」にも例外ではない。
『筏の喩えの法門を知るひとは、法さえも捨てなければならない。」(金剛般若経6、マッジマ・ニカーヤ22)。
 仏種なる「本質」におもねる仏性だとか如来蔵だとかの自性(スヴァバーヴァ、プラクリティなど)を認める余地はない。
  たとえ空性とかの成りすまし誤魔化しを付け加えても、だ。
*「自性空」というのは本質→プラクリティに他ならない。サーンキヤ哲学のパクリである。

 たとえば、五蘊皆空(般若心経)には三種類の読みがありうる。
1.五蘊はそれ自体が空である(自体を欠いている)。
2.五蘊は、自性(実体)が空であるが、五蘊の現象(言説)は存在する。*存在:仮設
3.現象としての五蘊は自体が空であるが、本質としての空性は実在する。

龍樹は中論24-18をみるかぎり2.だろう。自性(スヴァバーヴァ)を認めない。

ところが、解釈3では生、住(持続)、滅を超えた永遠なる実在(たとえば『法身』:空海真言宗)を想定することになり、
信仰宗教一般に見られる考え方で、仏教に於いては種(本質)としての仏性、如来蔵思想につながる。
信仰を捨てよ!法をも捨てよ!の「筏の喩えの法門」の釈迦仏教ではない。
とくに真言宗、臨済宗にその成りすまし振りが顕著だ。
540神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:08:01.39 ID:ItOnLv0x
法を捨てたら殺人がまかり通るの如くであり、
それは一概に捨てていいものではない。
捨てるとすれば言語的概念である法に限定されると
言っていいだろう。
541神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:22:41.76 ID:1XJkq/tp
>>540
>捨てるとすれば言語的概念である法に限定されると言っていいだろう。

「筏の喩えの法門」は『最上の<想いからの解脱>において解脱』(Sn.1072)と同趣旨。

無執着境地への執着、涅槃への執着、法そのものへの執着さえ捨てなければ、まったき自由はありえない。
542神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:27:28.44 ID:ItOnLv0x
例えば、燈明であろうが島であろうが集合体である自然物件には
違いなく、んなもんどっちでもえーやんけと言えるようなものである。
喩えとして多くの自然物件が取り上げられているのは事実であり、
神や悪魔も出てくることは出てくるが、それらも自然物件が織り成す
集合体と考えていい。共通するキーワードは自然の二文字である。
ここをはずすと喩えの信憑性も真実性も皆無と言える。
543神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:31:10.03 ID:1XJkq/tp
>>540
>法を捨てたら殺人がまかり通るの如くであり

一体何のために「七仏通戒偈」があるか?
法(無分別)を透過した覚者の娑婆への還滅(無分別の分別)に他ならない。
544神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:34:16.10 ID:nzLZTvT1
>>520 >>523
「覚者」とその取り巻きだけが真実を知ってて他の坊さんとか周囲には隠してる設定だった。
なのでチベット人や彼等と交流のある縁起が知らなくても、教義上は大丈夫。
予防線を貼っておいたのだろうね。
545神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:37:50.82 ID:xm2JjqEM
>>542
「灯明」には「闇を照らす道具・闇の中を進むための指針」としての明確な意
味がある。そこが重要。

「島」は単なる自然だから、「法」と同義で、単なる「同語反復」になって
しまい、無意味である。
546神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:42:45.34 ID:nzLZTvT1
君が代の「いわおとなりて」は否定されなければならないな。
547神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:49:11.61 ID:ItOnLv0x
>>545
釈迦時代に使われた実際の灯明がどんなものか知らんが
ランプやら松明を想起させるもので的が絞りにくいと言っていい。
むしろ島とした方がイメージとしては定着しやすい。
それらはイメージの範疇だから特に問題もなく拘る点でもない。
548神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:51:52.42 ID:sWoBR5lc
いよいよもって支離滅裂になってきたなw

>>545
>「灯明」には 云々かんぬん
それって、明らかに後付の付加語義でしょ。少なくとも『>進むための指針』なんてのはw
でなきゃ、普通は 《単なる道具》 の筈なんだがな。
 >単なる自然 とどこが違うのか?w
寧ろ、単なる自然ながらも、陸生動物にとっての流水中の足場としての意味合いは、
灯明の道具的位置づけよりも圧倒的に強い存在意義としてあるんだが?
(灯明の道具の使用目的は多様過ぎるでしょw)
つまり、生存にとっての存在意義は島・洲の方が高いんじゃねーの?w

つか、「島」を「単なる自然」と言うなら、「灯明」もまた「単なる道具」でしかなかろうに。


しかも、単なる自然なる島が法と同義で、灯明は法ではない、と?
この線引き基準が意味不明ですので、詳細な解説を御願いしたいところです。
549神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:58:51.11 ID:1XJkq/tp
>>513(不説)
>戯論に捉われている外道者の特徴でしょう。

サンジャヤ師は戯論者ではない。
非常に知性の高い懐疑論者だ。
ただ、高い知性に捉われていたから、観るべきものの一歩手前で止まっていたのだろう。

→『A一切外(経験的に検証不能領域、言語による場合は戯論=形而上的論議)
       だけの外道妄想でしかない。
        サンジャヤ師は両者を峻別し、Aが肯定も否定も断定できない事柄であることを知っていた(うなぎ問答)。
        これはブッダにおいて「無記」として位置づけられている。』

あのサーリプッタにとって、サンジャヤ師がブッダに最接近していからこそ、
アッサジの簡単な説明から、直ちに「縁起」をテコとしてブレイク・スルー→存在のゲシュタルトを掴めたのだ。
推測だが、ブッダもサーリプッタを通してサンジャヤ師から多くを学ばれたと思われる。

以前も言ったが、アタシはサンジャヤさんは好きですよ、
というより六師外道さんはそれぞれ個性があって面白い。
あの初期商品交換経済社会への革命時代に、
旧体制と格闘した思想家たちの営為を垣間見ることができる。
550神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 10:59:07.93 ID:xm2JjqEM
>>546
「いわお」には「基盤」という、誰にでも分る意味がある。聖書をみよ。
「島・白州」では意味不明。「拠りどころ」という意味は、一義的にない
から、暗喩として成立しない。「雪」は「白さ」の一義的な意味があるから、
「雪の肌」という暗喩が成立する。
551神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:02:38.70 ID:ItOnLv0x
>>543
七仏通戒偈を心の透過を縁とする善と捉えるならば、
自然の静寂に身を置くことが是となるのは異論のないところである。
経験値論となってしまうわけであるが正解だろう。
552神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:04:09.88 ID:sWoBR5lc
>>550
wwwww

>「島・白州」では意味不明。「拠りどころ」という意味は、一義的にないから

 「灯明」にも、「指針」という意味は一義的に無いぞ?w
553神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:07:18.22 ID:xm2JjqEM
>>536
>三論の吉蔵さんという人が、二諦義という論書の中で述べてるよ

ご教示Thanks。

かの超有名な吉蔵ですか。世俗と一体であれば、現実肯定主義にならざるを
得ない。世俗は、100%現実に依存して生きているのであり、第一義など
で生きているのではないw。
554神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:12:02.38 ID:9ZZ4FR2r
>>435
>そういう彼の体験話は全く覚えてないですね

机氏は、縁起一代氏の精神分析もしていましたね。

「一代氏の人生観および死生観の原点は輪廻転生にあり」などと分析してましたよ。
「何故にそのように一代氏を駆り立てているのか?そこまで遡れなばなるまい」。
とも言ってましたね。

つまりですね、輪廻転生の是非よりも、問題の核心はココにあり。
ということなんじゃないでしょうか?

このような分野のプロはセラピストなどと言われて、
幼児体験まで遡ってまで核心部分を突き止めていきますよ。
「三つ子の魂、百までも」とか、言うくらいですから、
本人に自覚がないにせよ、何らかの要因があるかもしれませんですね。

そのような要因というのは、普通は潜在的に埋もれて人生を歩むのですが・・・
ある日、
何らかの切っ掛け(師家とかとの出会い・縁)などにおいて
潜在部分が顕在化され、確固たる信念に結びつく。
このような道筋になる場合が多いようです。

机氏は、境界性(自己愛性)パーソナリティー障害とか、そのような精神世界にも興味のある方ですからね、
その方向で書き込みしたのでしょう?

フロイト以来、精神分析は古典と思われがちですが、どうして、
近年はこの分野の発展は目覚しいですよ(笑
555神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:16:44.44 ID:ItOnLv0x
とりあえず灯明・島論争とって見ても第一義である生命ウゼーは
かくの如しであり現象は面白可笑しく通り過ぎる。
556神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:21:29.47 ID:0DBXRdNI
>>554
論では勝てないので人格攻撃ですか?

それこそ

>ここで書き込みしている連中は、了見が狭いというか・・・
>器が小さい、というか、男であっても女臭さえしますな。

じゃないですか?

それ以上に卑怯で汚い。机もそういうことしてました
しかも自演もバレてた、恥ずかしいヤツだと思います
557神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:24:31.30 ID:xm2JjqEM
>>552
一義的という言葉が誤解を招いたかも知れないが、「闇を照らす、闇の中の指針」
という意味は、誰にでも分る。聖書では、「光」が「象徴的に」多用される。
オリンピックでは、聖火の松明を先頭にして走る。「島」は一般的に、一体何の
象徴なのかね。「意味不明」であるw。「我島・法島」などという言葉に、首を
傾げない者はいないだろうw。「対句」であることを考える必要がある。
558前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 11:25:01.95 ID:DrUo+zil
>>529 オイラ氏
>仏種、仏性、如来蔵、法界はアートマンとかではなく空性の戯論寂滅なんで、
>そこのところ勘違いなきよう

なお、法は常住というテキストは別の方が提示済みですよ。
テキストとしては両立でしょうか。

(涅槃経)
法とは常と名づけ、亦無辺と名づく。
思議すべからず、執持すべからず、繋縛すべからず。而も亦見るべし。
若し説きて不可見と言ふ有らば、是の如きの人依るべからざる所なり。
是の故に法に依りて人に依らず。

涅槃経では、如来も常住で不変だとして、如来の法身の不滅性を主張。
559神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:27:37.23 ID:nzLZTvT1
>>557
>「我島・法島」

わざわざこう書くなんて姑息だね〜。

激流の中の島、押し流されない島、これで全くピンと来ない人類はいないだろ。
560不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/16(土) 11:29:04.11 ID:E4tdFJ1N
>>515 宝珠愚者氏
> 輪廻主体としての「魂」を縁起で消滅するもの、その後に立ち顕れる恒常な自己がアートマンであり、
> これが真我(真実の自己)であるという見解です。大筋概要はほぼ近似かと思います。

「真我」が最高ではなくてさらにその上に「ロゴス」というものを設定していますよね。

カラスさんの場合は「ロゴス」の代わりに主に「自性」というラベルを用いている、と私は解しました。

「真我」は「ロゴス=自性」に対してその欠かざるべき構成員としての関係で位置付けられており、これは一般的な用語によれば「梵我一如」ということになるのではないかと思います。(つまり「ロゴス=自性=梵」)

ラベルの貼り方について、「いや、古代のバラモンの指していた真我は低レベルな真我だ。古代のバラモンの指していた梵も低レベルな梵だ。だから一般的な梵我一如と同じにするな」という議論の余地はあるかもしれません。

しかし、構造面でいうと、最高位に「全(梵)」を置き、そこに構成要素として「個(我)」を接続させているという点では共通しています。

なので、人口に膾炙する意味では一般的な「梵我一如」という表現が客観的には最も相応しいかと思います。
561神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:29:06.37 ID:9ZZ4FR2r
>>556
>それ以上に卑怯で汚い。机もそういうことしてました

「卑怯で汚い」という机氏も、その人格形成においては精神分析も該当するんじゃないでしょうか?

わたしは一般論として書いたものであって、特定の人間を指して書いている訳ではないですよ。

どうも、あなたは了見が狭い気がしますね(苦笑
大道こそ仏教の核心ではないでしょうか?
562神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:31:38.73 ID:0DBXRdNI
>>561
オイオイ、それはないでしょ

机らしい

もういいよ、ほんとどうでもいいことしか書かないから机は
563神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:34:43.67 ID:ItOnLv0x
>>558
即ち生命ウゼーwであり是の故に人に依らずは当然の理であり
当たり前の話である。
564神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:38:18.02 ID:ItOnLv0x
>>562
机氏の亡き今、机氏の亡霊現象ともいえる想起を語ったとして、
どーでもいいことには違いないw
565神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:48:16.07 ID:9ZZ4FR2r
>>562
>もういいよ、ほんとどうでもいいことしか書かないから机は

わたしが机氏に興味がある。ということは、
その対極?である縁起氏にも興味がある。ということですよ。

それは机氏に学ぶべきこともあれば、
それより勝るとも劣らず縁起氏にも学ぶべきものがある。と同義でありますね。

人生に無駄なものはない。
仏教における「大道」の意こそ大事になされ。
ではこれにて退散します。
566神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:48:52.99 ID:xm2JjqEM
>>559
>激流の中の島、押し流されない島

小さな島や洲は、簡単に押し流されるか、水浸しになるw。特に危険。サモアをみよ。

それとも「島としての我」は常住なのかw。

自然としての島は、「法」の一部。「同語反復」になる。

「島」と「灯明」との両義があることが、辞書的に明確にされた以上、「灯明」と
するのが、マトモな神経(尤も、マトモな神経を奪われているのが、釈迦カルトな
のだがw)。「文学的」にも、「灯明(光)」のほうが桁違いに優れている
567神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:53:38.13 ID:xm2JjqEM
「2ch切ってのカルト・バスター」机師カムバック。Welcome home.
568『大乗涅槃経』批判:2013/02/16(土) 11:55:48.34 ID:1XJkq/tp
>>558(カルト在家)
>(涅槃経)

『大乗涅槃経』なんて典型的な仏性・如来蔵思想を説くヒンドゥ丸出し不二一元論堕落仏典だ。
ヒンドゥからの謀略成りすまし仏典だ。
だから、妄想心霊主義カルトの在家が夏の虫の如く飛びつく。

このインチキバカ仏典は一方で「一切衆生悉有仏性」などと説きながら、
必ず「一闡堤(いっせんだい、icchantika)を除く 」と付け加えることを忘れない。
一闡提はいかなる善業を積みえないような<ある種類の人々>のことだから、彼らの救済はありえないことになる。

典型的な業報輪廻転生論を背景とするレイシズム丸出し馬鹿ゴミ仏典だ。
これが「仏説」なのだからこれを書いたクソ坊主の堕落振りは察して余りある。

こいつらの法は無分別・無差別ではなく“人種差別主義”そのものなのだろう。
569神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:57:10.13 ID:IWhraLIQ
無分別状態では仮設は起こらないんですか?
570神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 11:58:55.44 ID:xm2JjqEM
>>563
>即ち生命ウゼーw

生命をウザがる生命ってw。「我を以って無我を説いた」釈迦に負けない
幼稚さと愚かさw。
571『大乗涅槃経』批判:2013/02/16(土) 12:04:55.12 ID:1XJkq/tp
それにしても、カルト在家はマハーカッサパ教スコラ部派成りすまし『仏典』だとか、

『大乗涅槃経』のような反仏法オカルトに飛びつくねえw

テキスト批判の重要性がココにある。
572神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:06:38.77 ID:9ZZ4FR2r
>>569
>無分別状態では仮設は起こらないんですか?

無分別、ですから、そもそも論は成り立たない。
論を成り立たせる為に「仮の設定」、「仮の説」を意味するのが仮設ですから、
「仮設が起こる」ということは、あり得ない。

中論においても必ず仮設の後には否定文が挿入される。
573神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:07:04.45 ID:sWoBR5lc
>>566


蝋燭などの灯明は、子供が吹いただけで消える バースデーケーキをみよ。

それとも、「灯明としての我」は常住なのかw。

炎としての灯明は、「法」の一部。「同語反復」になる。

「島」と「灯明」との両義があることが、辞書的に明確にされた以上、「島・洲」と
するのが、マトモな神経(尤も、マトモな神経を奪われているのが、生命教な
のだがw)。「文学的」にも、「島・洲(踏みしめるべき大地)」のほうが桁違いに優れている





もはやネタでやってるとしか思えんなw

以前夢想した、「御隠居は、実は2ch屈指の“釣り師”」って分析が正しかったんじゃないかって
やっぱり思えてきた・・w  (^^;
574『大乗涅槃経』批判:2013/02/16(土) 12:09:31.32 ID:1XJkq/tp
>>569
>無分別状態では仮設は起こらないんですか?

無分別はそういった観念そのものもありえない「分別」観念です。
上記のような問いそのものが有りえません。
575神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:10:51.20 ID:ItOnLv0x
>>570
生命ウゼーwの論拠はあなたが示している。
576前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 12:16:08.89 ID:DrUo+zil
>>571
>テキスト批判の重要性がココにある。

この板ではテキストを出せという人と、テキスト批判をする人とがおられるようです。

>>573
>蝋燭などの灯明は、子供が吹いただけで消える バースデーケーキをみよ。

そうですかね。
「貧者の一燈」は大嵐でも消えなかったそうです。
唯物論者には分からない菩提心によるそうです。
577神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:20:49.27 ID:xm2JjqEM
「我島・法島」w。
578神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:21:05.86 ID:ItOnLv0x
まぁ大乗涅槃教を紹介した時点で大乗バスターがやってくるのは
想起したが、それでも紹介したのは単に面白いから。
では、大乗バスターが真書とするものはどれで、主にどの箇所に
感銘を受けているのだろうか?
579『大乗涅槃経』批判:2013/02/16(土) 12:25:46.55 ID:1XJkq/tp
>>576
>「貧者の一燈」

それは説話・説教物語ね。
それをホントに消えないんだと受け取るところがカルトの典型。
ウソでもホントウでもない検証不能物語をホントウと受け取るのは、業報輪廻転生論信心と同じ心情傾向だw
580神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:30:54.12 ID:sWoBR5lc
>>576
ネタ(ジョーク)?それとも本気(マジ)?

>「貧者の一燈」は大嵐でも消えなかったそうです。

勿論、>>579のような意味じゃない。隠居のレスの対としての>>573
だということが判ってるのかどうか、ってことだ。
581神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:35:03.91 ID:ItOnLv0x
こんなことなら太陽とでも喩えるんだったね、釈迦君w
582神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:37:35.00 ID:lVmPSI2p
 
分別するけれども分別に囚われない

想うけども想いから離れている

形を認めるけども形に囚われない

善悪を判断するけれども善悪に囚われない

私はここにいるけれどもどこにも無い


ソウイフモノニワタシハナリタイ
583神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:43:02.35 ID:lVmPSI2p
 
どこにもない心はどこにもある

どこにもある心はどこにもない

 
584神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 12:54:27.53 ID:lVmPSI2p
 
どこにもない想いは想いのたけを想う

想いのたけを想いどんな想いをも離れている

 
585神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 13:21:56.60 ID:0DBXRdNI
>>576
>この板ではテキストを出せという人と、テキスト批判をする人とがおられるようです。

テキスト批判というのは text critic で本文批判、本文整定という意味。

ギリシャ文献・キリスト教文献に基づく西洋で成立した方法。
オリジナルが正しいということと、素朴実在論に基づいている。

シナで発展した勘合学、校勘学などもほとんど同様。

それに比してインド文化圏ではそのようなものは成立しなかった。
恐らく口頭伝承を重視したからと思われる。

テキスト批判という言葉を使っても、それがどのようなことを意味するのか分からないんじゃないかと思う。
586不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/16(土) 13:24:29.75 ID:E4tdFJ1N
>>549 a.k.a. 閻魔大師
> サンジャヤ師は戯論者ではない。

縁起観を欠くところで、どのように思想をこねくり回したところで、戯論者ということにならざるをえません。

戯論に囚われている者の特徴として他の種類の戯論との間で是非を争うところですね。

戯論で戯論を攻撃しようなどというのはまさしく“血で血を洗おうとする”ことであり縁起観のある者であればやりようのないことです。
587神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 13:37:12.66 ID:0DBXRdNI
>>586
言葉を使う限り戯論ですよね

しかも、これが正しい見解だというなら戯論を掴んでるわけで

仏教はあらゆる戯論を戯論で鎮め寂静に導くところが違うと

そしてここでできるのは教え、道として仮設された戯論の妥当性を戯論で判定するだけで、無分別とか言っても正に戯論に過ぎませんよね
588SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/16(土) 13:50:21.40 ID:DWNfhgVR
正しい教えは、争論することがない。

異教であれ、異端であれ、何であれ、争論することのない教えは、正しい教えであると認められる。

敢えて争論しないのではない。そもそも、争論する必要がないのである。

***
589神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 13:57:40.61 ID:ItOnLv0x
>>587
んー、そうでもないでしょ。
言葉は自然物件とは言えないかもだが自然概念として存在すると
考えられる。言葉を使用すれば二次的に現象を捉えることになるのは
確かだが、それは目や耳を通しても同じようなことであり、さして問題が
あるとも思わない。問題となるのは言葉が飛躍しすぎて、現象を飛び越えて
しまいがちな点であると言えるだろう。
590神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:05:52.33 ID:0DBXRdNI
>>589
基本的な知識を仕入れよう
591神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:09:43.74 ID:ItOnLv0x
>>590
その基本的知識というものが戯論なわけですよ。
592神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:13:29.60 ID:0DBXRdNI
>>591
はいはい、
593神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:15:20.78 ID:ItOnLv0x
>>592
では、その基本的知識というものを使用して>>589の文を打破してみ
594神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:17:51.67 ID:0DBXRdNI
>>593
そういうのは他所でやってくださいね〜
595神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:20:46.29 ID:dSPDBlX3
少々の風では消えないのが松明だよ。消えたら、使い物にならん。
596神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:20:54.25 ID:ItOnLv0x
なんだできないのか。基本的知識も全然たいしたことないなw
597前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 14:23:14.41 ID:DrUo+zil
>>568
>このインチキバカ仏典は一方で「一切衆生悉有仏性」などと説きながら、

弘法大師の如来蔵に自称真言僧侶達が乗って来ないのは、中論に帰依しているのだろうかと疑問。

本来は「一切衆生悉有仏性」が馬鹿にされたら、一言申すかと思う。
598神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:24:34.18 ID:ItOnLv0x
>>595
それは風で消える松明を示唆していますね。
風で消えない松明は心の中にあると言えるでしょう。
クサくて死にそうですがw
599神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:28:37.89 ID:1XJkq/tp
>>586(不説)
>縁起観を欠くところで、どのように思想をこねくり回したところで、戯論者ということにならざるをえません。

しかし、鬱陶しいなあ、ホント意地が悪いと思えるほどモノ判りの悪い読解力のないお方ですねえw

アタシはわざわざこういうアホな論議を防ぐために、この場合の「戯論」を、キチンと定義したうえで書いてます(>>405)。
→『A一切外(経験的に検証不能領域、言語による場合は戯論=形而上的論議)

これはサンジャヤ師の認識論とブッダ「無記」との関係につなげて絞って書くためです。
 ・『・・・・・・サンジャヤ師は両者を峻別し、Aが肯定も否定も断定できない事柄であることを知っていた(うなぎ問答)。
        これはブッダにおいて「無記」として位置づけられている。』

 ・『認識世界に対しては、肯定か否定か断定するのは、仏教的に見ても至難の業だ(>>367)。
   肯定否定判断には一定の立場や視点が必要であり、その正当性を担保するものはなにも無く、
   それは「仮設」→「仮説」たらざるを得ないからだ(龍樹 中論24-18、ヴァルダイヤ論二・六十七:→>>370)。』

人間の認識領域を超えた検証不能な一切外は『物語(フィクション)』でしかありません。
「超越論」などナンセンス極まる妄想です。

>>587
>無分別とか言っても正に戯論に過ぎませんよね

いまさら、そーゆー判りきったことを得意そーに書かないの。
⇒574 :『大乗涅槃経』批判:2013/02/16(土) 12:09:31.32 ID:1XJkq/tp
>>569
>無分別状態では仮設は起こらないんですか?

無分別はそういった観念そのものもありえない「分別」観念です。
上記のような問いそのものが有りえません。
600神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:32:10.43 ID:0DBXRdNI
>>597
ウダーナで涅槃が有ると説かれたのがあるでしょ。
その有るは実在じゃなく、有無などの四句を超えた状態に対する譬喩表現だと
それと同じこと。

要するに勝義についての表現は、その時々の文脈にそった譬喩表現なんですよ
その表現を世俗の有無などの四句分別という論理内で云々するのは分かってない証拠だし

そう何度論証しても自説を繰り返すだけの人に説いても仕方ないんで

で、何か聞きたくてこうやって煽るのもよくないですね
601神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:37:17.72 ID:1XJkq/tp
>>597(カルト在家)

アンタも、
⇒『ホント意地が悪いと思えるほどモノ判りの悪い読解力のないお方ですねえw』
602神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:39:14.85 ID:ItOnLv0x
ウゼー境地がなくなるウザくない境地ってことだよw
603神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:51:52.04 ID:1XJkq/tp
>>600
>要するに勝義についての表現は、その時々の文脈にそった譬喩表現なんですよ
>その表現を世俗の有無などの四句分別という論理内で云々するのは分かってない証拠だし
>そう何度論証しても自説を繰り返すだけの人に説いても仕方ないんで

アンタも、
⇒『ホント意地が悪いと思えるほどモノ判りの悪い読解力のないお方ですねえw』

曲解力は素晴らしい。
604神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 14:58:54.51 ID:ItOnLv0x
>>597
仮に爺ちゃんの寝言を霊とするなら、それは誰なのか?
既出ならスマン。俺が読んでないだけ。
チラ見した程度からいうと仏教的権威主義に染まった僧ではないかと
考えられる。悪霊系かもしれぬが、思いが強すぎて爺ちゃんに
憑依したとも考えられる。結論として、その霊は何が言いたかったの?
605前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 16:32:10.26 ID:DrUo+zil
>>597 一在家
>弘法大師の如来蔵に自称真言僧侶達が乗って来ないのは、中論に帰依しているのだろうかと疑問。

>>600
>ウダーナで涅槃が有ると説かれたのがあるでしょ。
>要するに勝義についての表現は、その時々の文脈にそった譬喩表現なんですよ

おっしゃっている意味がよく分かりませんが、弘法大師の如来蔵は勝義についての表現なので譬喩ということ?

>>601
>⇒『ホント意地が悪いと思えるほどモノ判りの悪い読解力のないお方ですねえw』

貴兄は、弘法大師の如来蔵←ウダーナで涅槃が有る←文脈にそった譬喩表現、で分かるんですね。
606神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 16:51:09.47 ID:DrUo+zil
>>604
>チラ見した程度からいうと仏教的権威主義に染まった僧ではないかと考えられる。
>悪霊系かもしれぬが、思いが強すぎて爺ちゃんに憑依したとも考えられる。

私も当初その可能性を考えました。
南無阿弥陀仏に染まった僧ではないかと。 そうかも知れませんね。
寝言の内容を一つ一つ浄土系の方が吟味するしかないかと思います。
ただ、仏様によって声色も重厚さも様々だったとありますので、その僧は名優ですね。

悪霊系だと段々と憑依された人は不幸になる場合が多いですが(突然の変死も多い)、
祖父の場合は寝言を語った時は高校の体育の先生で、やがて公立大学の教授になり、
勲四等旭日小綬章を受け、財も蓄積し大勢の人達に慕われて他界しました。
五人の子供達も立派な社会人になり、大勢の孫達にも恵まれ、皆で料亭に集まって
喜寿をお祝いしました。
607神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 18:23:20.63 ID:ItOnLv0x
>>606
成程。悪霊ではなさそうですね。
南無阿弥陀仏というと念仏主義でしょうか。
そして複数の僧かもしれませんね。
で、結局複数の僧達は何のために爺ちゃんに憑依し
何が言いたかったと思われますか?
608前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 18:47:26.20 ID:DrUo+zil
>>607
>で、結局複数の僧達は何のために爺ちゃんに憑依し何が言いたかったと思われますか?

(多分、伝えたかったこと)昭和6年3月27日
弥陀の本願におわしませば釈尊の説法虚言なるべからず、仏説誠におわしまさば……本師上人(法然)の仰せ事空事ならんや、法然の仰せ誠ならば親鸞の申す処、又以て空しかるべからず候。
 ……近頃は耳新らしい説を聞いて迷うがそこが大事の処じゃ、衆生の求むる所は、……相共に
609カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/16(土) 19:11:05.91 ID:WeXSyfKP
>>560
違いますよ。自性=ロゴスといいますが、自性はロゴスと相互依存関係にはない。
キリスト教的に表現すると、子(独り子)は父を必要とするが、父は子を必要としていない。
万物を産み出した女が自らを知り、沈黙すると自らを男性とし、単独者として立つだろう。これが
本当の無分別の分別って言うんですよ。中論被れの末法仏教徒のただの言葉遊びとは違う。
無分別の分別も止めればそこには何もない。キリスト教ではその状態を安息日という。一つの完成である。
そして日はまた昇る。新たな収穫の為に。女は男と一つであり、又、独り息子と父は一つである。
言葉は人の心であるようにね。別に僕の話は梵我一如の思想に近いと、とってもらっても構わないが、梵には我は無いよ。なぜなら
梵には、自他を区別する「私」というものが無いからね。
610カラスの唄:2013/02/16(土) 19:12:52.59 ID:WeXSyfKP
ところで机は死んだのか?
611224:2013/02/16(土) 19:23:02.96 ID:QjFSQSeE
カラス氏が念仏は仏教じゃないぜ    を連発するので
くやしくてスッタニパータを読んだw
それも今話題の中村氏訳
25p81
「詩を唱えて(報酬として)得たものを、わたしは食うてはならない」
釈迦が詩を唱えるとみんな報酬を出したくなったみたいだ
釈迦はやっぱりフリースタイルラッパーだったようだw
見事に駆使されたライムは人々のハートをわしづかみにしたようだw

ちなみにロッカーでアナーキストwの親鸞の念仏はすばらしく、島流し
にされたときも畑仕事なんかしてなくても念仏だけで食ってたという説
がある。(みごとなリフw)

ラッパーとロッカー(゜-゜)
二人には何か通じるものを感じる

妄想失礼しました

では書きたいことも書いたので昨日からの流れを読むとしますm(__)m
612神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 19:30:54.15 ID:W0heRhcn
念仏とか禅はきわめて日本的だね
インドで生まれた仏教とは違う
インドで仏教は無くなり
日本では世界で最も仏教が盛んだと言う
613前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/16(土) 19:40:26.41 ID:DrUo+zil
>>612
>インドで仏教は無くなり

日蓮の頃はインドや中国などの仏教国は大変栄えており、日本を憂いた聖人は天照大神や八幡大神から法華経へ帰依したそうですね。
(参考:日蓮大聖人御遺文集)
614:2013/02/16(土) 19:47:21.64 ID:6VcYBe0m
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B4%E3%82%B9

ロゴス(logos)
1)概念、意味、論理、説明、理由、理論、思想などの意味。
2)キリスト教では、神のことば、世界を構成する論理としてのイエス・キリストを意味する。
3)言語、論理、真理の意味。転じて「論理的に語られたもの」「語りうるもの」という意味で用いられることもある。
  _  _  _

http://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E6%80%A7

自性(じしょう)

デジタル大辞泉の解説
そのものが本来備えている真の性質。真如法性(しんにょほっしょう)。本性。

大辞林 第三版の解説
1)事物をそのものたらしめている本来的な不変の性質。本性。本質。性(しよう)。
2)衆生(しゆじよう)が本来は持っている真理としての性質。性(しよう)。
3)サーンキヤ学派の主張する根本物質のこと。

世界大百科事典内の自性の言及
【サーンキヤ学派】より
… 活動することなく,その作用はただ物質的原理を観察(ダルシャナdarśana)するのみである。
また物質的原理はプラクリティprakṛtiまたはプラダーナpradhāna(〈自性〉)と呼ばれ,
唯一の実体であって,永遠で活動性をもち,非精神的な質量因である。
物質的原理は三つの構成要素トリグナtriguṇa(〈三徳〉)から成る。 …
615神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 20:00:16.26 ID:0DBXRdNI
>>612
>念仏とか禅はきわめて日本的だね

 そうでもないですね。浄土教も禅もインド・チベット・シナにあるんで

>日本では世界で最も仏教が盛んだと言う

 これも東南アジアやチベット・モンゴル・ブータンは言うまでもなく、
西洋や台湾に負けてるかんじですね、現代日本の仏教は形骸化して
616神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 20:06:33.82 ID:W0heRhcn
>>613
何でインドや中国みたいな大きい国で仏教が消えたのかな
哲学的な空論ばかりとなえていたからじゃね
>>615
>現代日本の仏教は形骸化して
宗教じゃなく生活に根差したものになって気が付かないだけかも
617神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 20:15:22.12 ID:0DBXRdNI
>>616
いやいや、チベットとかモンゴルだと細かい哲学的なことばっかりやってる宗派が主流だよ
そうでない派もあるけど

日本の仏教は完全に形骸化してますよ。スリランカと大体同じ。
618神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 20:21:27.90 ID:sWoBR5lc
>>616
もともとの効用・効能や、その処方術等が失われ(薄まり)、
言葉(用語)や習俗として残っていることを「形骸化」って言うんじゃないかな。

>>617
>細かい哲学的なこと
それも、上記同様な気もしますね。
言葉(用語)やその整理術が盛んで・・・以下略 と。
619神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 20:23:53.26 ID:0DBXRdNI
>>618
>>細かい哲学的なこと
>それも、上記同様な気もしますね。
>言葉(用語)やその整理術が盛んで・・・以下略 と。

そう思う。アビダルマなんだよね。
まあ、そういう道が合う人もいるんで。
620神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 20:25:08.82 ID:DtVbHx7A
偏見を持たないとか譲り合いとか
難しいのは抜きでそんなんでおkだと思う
621神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 20:25:56.33 ID:W0heRhcn
仏教国つうと国教にしてるタイとカンボジア、ブータンしかない
チベットは中国が迫害してるから仏教どころではない
意外と少ないよな
622神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 20:35:38.35 ID:0DBXRdNI
>>621
実は、ネパールも仏教が犇めいている

テーラワーダだとビルマが最も生きている
623不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/16(土) 21:22:53.27 ID:E4tdFJ1N
>>609 カラス氏
> 違いますよ。自性=ロゴスといいますが、自性はロゴスと相互依存関係にはない。
> キリスト教的に表現すると、子(独り子)は父を必要とするが、父は子を必要としていない。

自性が父で、ロゴスがその子ということですか?

ただそれだと、宝珠愚者氏の言うところの「ロゴス」とは内実的にズレがあるように、私には思えます。彼はむしろ父的なるものに「ロゴス」というラベルを使っているのではないでしょうか。
624カラスの唄:2013/02/16(土) 22:32:16.35 ID:WeXSyfKP
>>623
ごめん。神智学についてはよく知らないんだ。多分僕の話すキリスト教と大筋では同じようなもので、
目指すゴールも同じようなもんなんだろうけど、細かいところは結構違うと思う。
625神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 22:32:39.28 ID:sWoBR5lc
不説が面白いこと始めたなw

みんな面倒臭くて考えないようにしてきた、
《宝珠/在家/カラス》の相違点掘り下げとは・・・(^^;

いや、実に興味深い。 ここ数レスの流れを見ても
一在家:表面的に、個々に相違する部分はあっても、最終的には、皆同じだと思います。
カラス:基本の大枠、骨格に違いはない。その表現、名称(ラベルの貼り方)が違うだけだ。
宝珠:その部分は、神智学ではコレコレこういう考え方・捉え方、或いは意味となるので、若干の違いはあるかもしれません。
って感じか。

面白いのは、宝珠もカラスも、相手の出方・発言を伺いながら、
(普段のレスとは対照的にw)、実に慎重に作文してるトコかなw
ただ一人在家のみが、マイペースで相違点と統一ゴールを淡々と目指してる、とw
626神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 22:35:12.75 ID:sWoBR5lc
23秒w

別に狙ったわけでもなんでもなく、書き込んだらこのタイミングになっちゃっただけだからw
誤解なきよう m(_ _)m  >>ALL
627神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 22:48:39.15 ID:MivfFwLw
>>598
>風で消えない松明は心の中にあると言えるでしょう

永久に消えない松明(灯明)とは、「人間の生命」という、各人と種属に宿る
灯明である。
628神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 22:58:06.90 ID:sWoBR5lc
>>627
詩人だねw
珍しいな、そういう小洒落たこと言うなんてw

ただ、>>595で【突如として(→慌ててw)】【たいまつ限定】の条件を付すなんざ、
相変わらずのセコさ姑息さですな・・ ┐(´ー`)┌
629神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 23:08:40.23 ID:MivfFwLw
>>628
松明、灯火、ランプの内在的な要件は、「直ぐに消えないこと」。直ぐに消えたら、
「拠りどころ」にはならない。

釈迦がいくら愚かでも、そのくらいのことは考えるだろうw。
630SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/16(土) 23:10:22.02 ID:DWNfhgVR
人は、心に覚りを求める気持ちを生じる。

そうして、その心が、同じその心を終滅せしめて──つまりこの名称と形態(nama-rupa)を滅して──ついに覚るのである。

そして、これがこの世における最高の不可思議に他ならない。

***
631神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 23:19:09.90 ID:sWoBR5lc
>>629
後出しジャンケン乙w

ならば、(そこまで重要な意味、要素ならば)、
なぜ、【最初から】【「松明、灯火、ランプ」という限定表現】をしなかった?
すぐに消えてしまう灯明を除外し、なかなか消えない灯明に限定表現すべきだろ?w
でないと、普通の日本語スキルを持つ者は戸惑ってしまうじゃないか。
随分と不親切な表現を続けてきたな。貴方らしくもないwww
632神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 23:28:11.32 ID:MivfFwLw
>>630
「悟ろうと思う者は悟れない。悟ったと思う者は、悟っていない」(道元)
633不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/16(土) 23:32:49.31 ID:E4tdFJ1N
>>587 一代氏 及び >>599 a.k.a. 閻魔大師

「戯論」については>>33-34に引いたところのスッタニパータにある「パパンチャ」に対する戯論という訳語を用いたもので、(私が疎いところの)中論的な意味は念頭に置いていませんでした。

なので、単純に「言葉として表現されたもの」即イコール「戯論」ということは意図していません。

例えば、真実語のようなものは言葉であっても、戯論ではないと考えます。

その言葉が発せられるにあたって、「善く縁起して」生じた言葉であれば、それは決して戯論ではなく、善語であります。

是非の全ては縁起次第。言葉自体は、縁起した結果の結果物(事象)に過ぎません。

戯論というからには、それについて何ら善き縁起とは縁もゆかりもないところに生じた思考の体系だからということになると思います。

六師外道が外道として仏典に収録されているのは、彼等が戯論を唱える者であるからです。縁起観を持った仏教側から見るべきものがあれば、外道扱いしていること自体が矛盾しています。

仏教では、釈尊の弟子の系統でなくとも、見るべき者に対しては仏として認めています。過去仏なり、辟支仏として。そうでないということは外道はあくまでも外道ということで、仏(中道)とは無縁でしょう。
634神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 23:33:36.51 ID:MivfFwLw
>>631
灯明も、直ぐに消えることは予定していないw。さもなければ坊さんは、読経中、
何度も何度を火をつけなければならないw。
635神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 23:40:11.20 ID:sWoBR5lc
>>634
だったら、>>566
>小さな島や洲は、簡単に押し流されるか、水浸しになる

これも >直ぐに消えることは予定していない と同様、

直ぐに押し流されるか、水浸しになることは予定されていないでしょう?w

貴方の発言は99.9%ブーメランなんですよねぇ・・。
ま、そこが面白いんだとも言えますが・・。
636神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 23:41:04.73 ID:ItOnLv0x
念仏に効果がないとは言わない。
ある種独特の精神性が生じ浄化作用が生じるのは周知の事実。
虚無世界に対抗しうる効果があり理があると言える。
苦境に立たされた者は絶対他力の力添えを拝借すべきものかもしれない。
法然は念力にも似たこのパワーに気付いた哲学者かもしれない。
637神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 23:45:24.74 ID:MivfFwLw
>>635
灯明は消えたら火をつけることが可能だが、島や洲はそうではない。事物に
内在する性質を、よーく考えよう。

「我島・法島」は、いい加減で忘れましょうw。
638神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 23:46:56.21 ID:ItOnLv0x
親鸞といえば妻帯の第一人者のことだろうか?
仏教の虚偽を排斥した第一人者ともいえるだろう。
人間の本願とは論理性であるロゴスであることも確かな事実。
抹香臭い虚偽は排斥して当然と言えるだろう。
639神も仏も名無しさん:2013/02/16(土) 23:55:46.68 ID:sWoBR5lc
>>637
後から後から条件を増やさないでくださいよw

中洲だって、水が退けば現れますよ?
特に、雨季と乾季がある地域に於いては、より顕著でしょ。
雨季だけ現れる川とか知りませんか?w
 *(つか、雨季のある地域だからこそ、洪水時に【島・洲として残る部分】が大きな意味を持つんじゃないですかw
  日本人には、知識以上の理解は難しいかもしれませんが、
  こうした、現地の風土・文化への視線や理解なくして、言語や概念の受け止めもないんですよ。
  意訳しようが現代解釈・故郷解釈をしようが、そこは通らずにはいかない部分なわけです。
  が、貴方はそこを無視する。 だから、貴方には言語が云々する資格はないと言うのです。)
640神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 00:04:02.56 ID:k6ryJfgK
>>608
時代背景からいって軍国主義時代だね。
世界大戦の懸念を僧団は訴えたかったかもしれないね。
641不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/17(日) 00:22:52.31 ID:1AfDAjqf
>>624 カラス氏
>多分僕の話すキリスト教と大筋では同じようなもので、
>目指すゴールも同じようなもんなんだろうけど、
>細かいところは結構違うと思う。

私も「そのようなものだろう」という前提で外部者としての見え方を述べているだけです。

ユダヤ・キリスト・イスラームが同じ絶対神を扱っているにもかかわらず、実践面で「どの預言者を重視するか」で人間社会における集団として分離しているようなもので、
神智学にしても、その名前自体に「神」とあり、絶対神の存在が大前提となるわけで、その点では前三者とスタートの立ち位置は同じで、やはり実践(アプローチ)面が異なっているのだろうと思います。

先日の宝珠愚者さんの「ロゴスの絶対性」についての宣明が印象に残っていたので、それでカラスさんとスタンスが重なるように思えたのです。



>>625 セブン氏

とはいえ、

カラス氏 ← 宝珠愚者氏 → 一在家氏

という感じで、カラス氏と一在家氏の間では直接的な宗教観の共通性は薄いみたいですね。

宝珠愚者さんがどちらかというとハイブリッド(両刀遣い)型みたいに思えてきました。

「ロゴスの絶対性」の宣明は非常に一神教思想らしい力強いものでしたが、一方で、一在家氏との間で超自然的に常住不滅に存在するスーパーヒーローの人格についても認めあうところについては、かなりヒンドゥ色を帯びた日本大乗仏教的な色彩の強い宗教観だと思います。

しかしこれについては、実際は「常住不滅」ではないにせよ、仏教の神々の概念として十分に許容可能なものです。仏教の(世界観の)神々であれば数百年程度、余裕で“生き”ます。
642神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 00:33:02.54 ID:k6ryJfgK
まぁ現実にあることわざとして

取り付く島もない

というのがあり依拠を現していると思われる。
ガンジス川に実際そういうものがあるかどうか知らんが
島で通じないということもない。
灯明が暗闇を照らす明かりというのも詩人的で良いと思われる。
643前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 00:43:52.74 ID:M07xyq44
>>641 不説氏
>カラス氏 ← 宝珠愚者氏 → 一在家氏
>という感じで、カラス氏と一在家氏の間では直接的な宗教観の共通性は薄いみたいですね。

どうやら、そのようですね。
カラス氏のかきこの中に「ソフィアの流出」らしい話がありましたが、私のとこの教えには直接対応する話は無いようですので。
644神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 00:47:22.97 ID:Nk6nfkU3
一度は行って見たいものだ
ガンジス河とお釈迦さまの聖地
645神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:02:29.68 ID:8gxWWhxP
>>639
現れたり消えたりするものは「拠りどころ」にはならんだろw。

「自灯明」をそれほど嫌悪するのは、釈迦の「無我」に合致しなければならない
という潜在意識の結果。

しかし釈迦は、そのような「思考放棄」を説いたのだろうか。

>>642
>取り付く島もない

なるほどw。しかしそんな諺が、インド・サンスクリット語にあるのだろうか?

漢訳者が、日本人の読者を意識して訳したとは思えないw。
646神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:05:48.62 ID:oc+mmMN9
>>641
その図式は、なるほど感というか納得感があるよねw

宝珠のハイブリッドは、
そもそもの成り立ちというか、立教の姿勢というか、欲しいトコ取りというか、
神智学という分野の根本的姿勢、矜持みたいな部分じゃない?
本人たちは、 適切な論理と筋道を炙り出す爲の「イイトコ取り」 という言い方をするのかもしれませんが・・。

私は、キメラ度合いで
宝珠>在家>>カラスという図式も提案しときますw
(その意味では、カラスは結構ストイックなんだけどね。ただ、その“読み”がね・・(^^;))
647神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:12:36.16 ID:8gxWWhxP
ネットで見たが、日蓮正宗では、「カルト撲滅」のために、カルトの道場に
出かけて法論を挑み、内容証明郵便まで出して回答を求めているようだ。

日本の他の大乗仏教徒も、現代世界の最大の問題である宗教被害の絶滅のために、
積極的な努力をすべきであろう。

大乗の始祖竜樹は、釈迦の洗脳さえ離脱しえたのだから。
648神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:13:58.98 ID:oc+mmMN9
>>645


嫌悪してないだろw つか、寧ろ擁護してるのに?  【 >>357 】
(人のレスを読んでない証拠だな・・w)


つか、灯明も松明もランプも灯いたり消えたりするが?
つか、灯けたり消したりできなきゃ不便だろw

>「自灯明」をそれほど嫌悪するのは
逆に聞きたいわw
どうしてそこまで「島、洲」という読みをアリとできないんだ?

 他の人間は、『「灯明」という読みも(歴史的・地域的に)アリだが、原意は違う』

と言ってるだけなのにw


>インド・サンスクリット語にあるのだろうか
いやいやいやいやw
古代人や現地のことなどどうでもいい人が、どの口でそういうことを言いますかwww
現代(日本)人が、現代(日本)の価値観で新たに読み、解釈すればいいんじゃなかったですか?
御自身の姿勢を翻したんですか?


んと、その場その場でのテキトーなことしか言わないですよね・・・。
だから、浅いというのです。 (´∀`)b
649神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:14:36.21 ID:k6ryJfgK
>>645
ん〜、島の意で使った可能性もないことはないと思うだけでして
まぁ個人の範疇のお好みでいいんでないかと思う。
俺は海の島の方がビジョンとしてはしっくりくる。
どうせ個人により灯明や島の色形は千差万別だろうし
650神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:25:46.17 ID:8gxWWhxP
>>648
何故「原意は違う」のか?理由を具体的に。

>>649
「島」は、何の「拠りどころ」なのだろうか?「生命」以外にはないが、
釈迦は「生命」など説かないw。「自灯明」のほうが、「拠りどころ」
の範囲としては、桁違いに広いね。
651神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:27:21.18 ID:Nk6nfkU3
取り付く島もない
話はどうでもいいわ
652神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:29:15.65 ID:oc+mmMN9
>>649

>>357>>639

参:
・>洪水時に【島・洲として残る部分】
・盲亀浮木、或漂流巨海、等を始め、海関連の譬喩の多さ
・ガンジス河の広大さの採用頻度

踏みしめ、身を預け、依拠すべき大地があることが、どれほど、
人(陸生動物)にとっての安心や必須事項かを考えれば、
水中の足場が持つ意味の大きさも想像できよう?
それが、普段寄る辺とする自己・自我と重ね合わされることに、どこも不自然さはない。
【重ね合わせ易いからこそ】譬えとして有効なわけです。(有効度が上がるわけです。)
灯明については略し(て他に譲り)ますがw、
【同様に】、【寄る辺・標とする重ね合わせ】も可能だと思いますよ。
ただ、TPOとして、島・洲の方が、【インド的に】しっくりくる、ということです。

ま、 >好み だと言ってしまっては身も蓋もありませんが・・・。
653神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:31:15.84 ID:oc+mmMN9
>>650

>>652

つか、たまにはレスの全文読んで全文に反応しろよw

んとにおじいちゃんなのか? 介護施設に入った方がいいんじゃないか?
654神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:45:51.03 ID:8gxWWhxP
>>652
>ただ、TPOとして、島・洲の方が、【インド的に】しっくりくる、ということです。

少なくとも日本人にとっては、「我島」では何のことだかサッパリ分らんし、
何の感動もない。「自灯明・法灯明」なら、意味は一発で分るし、仏典中、最も
感動的な一句となっている。「自」と「法」とが「対句」をなしていることの、
意味の深さを考える必要がある。「島」と「法」との「対句」の意味するところは
一体何か?
655神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:50:09.49 ID:8gxWWhxP
>>653
岩波さんは「誤訳(?)」と知りながら、解釈では何故「誤訳(?)」のほうを
採用したと思うのかね?
656神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:55:15.80 ID:oc+mmMN9
ああ、今ちょっと確認してみたが、
(閻魔的には溶暗摩訶迦葉教の増補改竄経典かもしれんがw)
大般涅槃経で、自灯明法灯明が説かれている時期が、いつかと言えば、

 ペールヴァ村での【雨安居】

なんだなw


さて、何が言いたいかは解るよな?w >>650>>654

つか、 >少なくとも日本人にとっては
さっきは、
「そんな諺がインドにあるの?」と聞いといて、今度は「日本人には関係ないでしょw」
だもんな・・・(^^;)  こんな人間の(発言の)何を信じろというのだろう・・・。

>仏典中、最も感動的な一句
>「島」と「法」との「対句」の意味するところは一体何か?
それこそ>>652(&雨安居)でしょうがw

灯明では、現代日本人には感動的でも、【当時のインド人には】感動的でなかったのかもしれませんよ?
で、まさか、当時、現代日本人に向かって当該句が説かれたとは、まさか言わないですよね?w



つか、疲れた・・・ ┐(´ー`;)┌

おやすみ  ノシ
657神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:55:27.60 ID:8gxWWhxP
>>653
岩波さんに、解釈の訂正を請求してみるとよい。一発で突っぱねられるだろうw。
658神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 01:57:55.14 ID:oc+mmMN9
>>657
いつも通り、一番痛いツッコミはスルーして、
違う案件(岩波辞書)をゴリ押しする。 んと下劣な性格だよ・・。
659神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:00:28.03 ID:k6ryJfgK
>>650
まぁ釈迦は馬鹿かもしれないから、
生きとし生けるものの発想もないし、それが衆生とも理解できてないだろうし、
それが生命という認識も当然ないだろな〜
660宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 02:06:22.24 ID:GDOC/vwQ
>>520
その正体は隠されており、
側近(秘密を知る弟子数名)も堅く守っていますから
その確認はまず無理でしょう。

「あそこの凄い高僧がいるが一体、何者だろう?
滅多に姿を拝見できないし、謎の高僧だよなぁ・・・」
みたいな印象で噂のある寺院が、
みたいな程度ならば有得るかもしれません。
661宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 02:06:57.26 ID:GDOC/vwQ
>>523
 誤解されないように。神智学は西洋に仏教を紹介したり、広めるためにあるわけではありませんから。
仏典に限らず、その記述のすべてにおいて正しいとする諸宗教の聖典などこの世には皆無です。
 -----「真理を超える宗教なし」(by ブラヴァツキー)

>西洋人に受け入れさせるための意図的な改変だとルノワールは『仏教と西洋の出会い』で言っている。

まっ、だいたいそんな論評だろうと最初から察しがついています。実にクダラナイ限りです。

>神智学のアートマンや人以外に輪廻しないなどの特殊な教義は、

 大衆の感情的反応や古代からの慣習的な迷信、道徳教育を目的とする宗教的方便と脅しの類の一切
すべてからの厭離に成功した霊的教えは、この世で神智学だけです。

>そんなの嘘だよ
>詐欺師ブラバッキー

 あなたは神智学が説く秘密のマスター存在に出会ったことがないのでしょう。しかし、この私はあります
から。マスター中のマスター、覚者中の覚者である最高位のご存在に。
 少なくともその体験によって、この一連の情報が“真実から”発せられているものであることを確信しまし
た(ただし、神智学系の言葉や書籍内容の100%が正しいという意味ではない)。

*ブラヴァツキーに対する根拠無き不名誉を払拭させてもらいます。
 参考:http://houjugusya.web.fc2.com/hpb.html
662神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:07:10.48 ID:9NBqsVnH
灯はよそから付け直さないといけないけど、
島はたとえ沈んでも、時間が経って水がひけばまた現れる。
もちろん沈む前と後の島は同じだ。
灯明は、枠としての集団の例えならまあ、いいかもしれないな。
たいまつ(集団)が塗れて(法難)火が消えてしまうこともあるが、
また火をつけましょう、的なね。

インドの洪水事情については知らんが、島や中洲のサイズによっては
やはり沈んでしまうこともあると思われる。
その部分もたとえに織り込んであるようにも見える。
自分(島)は耐え忍んで水がひくまで待つことができるかもしれないが、
洪水の中にあって島を頼る人すべてを導けるとは限らない。
サイズと高さが足りずに、島を頼る人は押し流されることもあるだろう。

実際のところ、仏教と出会っても仏や阿羅漢になることができず
結局輪廻サイクルの激流に流されてしまう人が殆どである。
663神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:07:27.33 ID:8gxWWhxP
>>658
君たちこそ、岩波辞書は信用しないといいながら、今度は岩波辞書の注記の
部分に縋りついている。

日本人の増谷先生が、日本人のために「自灯明・法灯明」という、極めて意味
明晰で感動的な一句を「創作」してくれた、と考えていればよい。

この一句によって、日本における釈迦の名声は飛躍的に高まったことは、否定
できないw。「雨安居」では、意味も格調もガタ落ち。
664不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/17(日) 02:11:31.94 ID:1AfDAjqf
>>646 セブン氏

私は実際の神智学がどういう集団なのかについての一般論的判断は保留しますが、少なくとも宝珠愚者氏にとっては神智学をバックグラウンドに持つことが良い意味で「イイトコ取り」で機能していることは確かだと思います。

この点については、彼と私は立場に類似性があるのですが、結局あくまでも「1アマチュア」としてそれなりに真摯に、しかし(社会的な責務という点からは)自由に宗教的事物と向き合っているという点です。

これを(一般社会的な意味で)本職の宗教者や宗教学者がやるには多少道義上の枷があるかと思いますが(もちろん、向学のために本職の方も本当はそういうことをするのも良いことだと思いますが)、
彼は基本的にアマチュアですから、何の気兼ねなく自由に「良いとこ取り」で自分の人生を豊かにすればいいのではないかと思います。

その点、恐らく日本の平均的サラリーマンである宝珠愚者氏は、在家のアマチュア側としては非常に積極的に自分から学ぼうという姿勢を前面に出している点では在家宗教者の“鑑”だと思います。

宗教に限らず日本人は元々旺盛に海外から「良いとこ取り」で文化を発展させてきたわけです。

ですから、もちろん、彼が何らかの宗教に関して権威的立ち位置から意見を唱えた場合(またそのように唱えたと受け止められた場合)は、色々とマルチスタンダードであると問題にされ得ると思いますし、
また「仏教として」という観点に話が及べば、仏教の“中の人”は“中の人”としての意見もきっちり述べて応じておく必要は生じると思います。

言ってみれば、彼は現代日本における宗教界のモデル“消費者(カスタマー)”ではないかと思います。

現代日本で、家の代々の宗派だというような極めて保守的理由以外で、宗教に自主的・積極的・自発的関心を示す人がどれだけいるでしょう?

契機は子供の頃に夢中になった『ムー』でも、オカルトでも超能力でも構わないと思います。むしろそういった人々がどの宗派を選んでいくことになるのかということでしょうね。

“マーケティング”を軽視してメーカーのエゴを優先したから、現状の日本の電機産業のガラパゴス的惨状があるわけで。
665神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:12:57.92 ID:8gxWWhxP
金たち釈迦カルトは、開祖の片言隻句に執着し過ぎ。まず、その執着を去れ。

すべての言葉は「戯論」のはずだろw。
666神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:15:02.38 ID:9NBqsVnH
>>661
それってSPR側も公式に認めてるの?
公式サイトや公式文書や公の場で表明したか、という意味で。

アインシュタインがバガヴァッド・ギーターをたたえたという話はある、
彼の著作や確認できる発言でも見られるのか。こういう意味で。
667神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:18:59.63 ID:9NBqsVnH
同じくイエス・キリストに啓示されたりしたパウロや
ジブリールが出現したムハンマドの意見は間違い(あるいは不正確)だが
俺のは合ってる、という判断の根拠がわからない。

そういうのが吹っ飛んじゃうのが神秘体験なのだろうけど。
668神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:19:36.77 ID:k6ryJfgK
>>665
そのカルトというのが執着性を現す。何も宗教に限ったことではない。
灯明如きに拘るのが、その執着性と偏移性を現しており
性格的にカルト体質であると確認できる。戯論に囚われていると言える。
669神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:30:39.80 ID:8gxWWhxP
>>668
「自灯明・法灯明」という一句は、部外者にとっては、仏教において最も感動
な言葉なのだけどね。このような言葉を吐けた宗教の開祖は、他には見当たらない
からだ。「自灯明」としなければ、釈迦は「思考放棄」を説いたことになるぞ。
「自分の考えは止めて、俺の教え(法)のみに従え」ということになる。

「自灯明」という言葉にそれほど拒否感を感じる君たちの深層心理を、精神医学
的に解明する必要がある。
670神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:35:08.63 ID:9NBqsVnH
超常的存在がいるとする。

彼は数百年か千年単位生きているとする。
超常的存在なので超能力も使える。
時間がありあまってるので人生経験も豊富。

意図的かどうかはさておき、せいぜい数十年しか生きていない若造を
舞い上がらせるなんて楽勝だろう。
>>669
記憶の消去進みすぎ。
ttp://houjugusya.web.fc2.com/loop1.htm
くいとめましょう。
671神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 02:54:55.97 ID:9NBqsVnH
わざわざいじることでニュアンスがズレます。
(しかもいじらんでも説明されれば確実にわかります)
ただそれだけが問題にされている。

イジられる対象が仮にヒトラーの本でも指摘・批判するんじゃないかな。
少なくとも自分は見つけたらケチはつけるよ。

特定の対象について 正 確 な 知 識 を 得 よ う と す る 際 にはノイズだからね。
かっこいい文学的表現をしたいなら自分のオリジナル作品でやればいい。

わざわざヒトラーを例にあげてはみたが
隠居は意図を理解せず、自分が批難しやすいように脳内変換するのだろう。
めんどくさいなあ。
672神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 03:08:45.71 ID:8gxWWhxP
>>671
今、「自灯明・法灯明」でくくったみたが、「すべて」私の解釈の通り。
君たちのような「我島・法島」の解釈は、唯の一つも無い。

君たちは、どうしようもない釈迦カルト。
673神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 03:15:58.27 ID:9NBqsVnH
そりゃ「自灯明・法灯明」の感想だからね。

うん。
674神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 03:27:55.14 ID:8gxWWhxP
>>673
自灯明・法灯明を下からくぐると、確かに「島・洲」もあった。しかし、「我と
法とを拠りどころとせよ」という意味的には、全く同じ。

「灯明」と「島・洲」との両義がある以上、「意味の一義性」と「格調の高さ」
においては、「島・洲」は、むしろ「誤訳」であるというべき。
675神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 03:28:50.12 ID:v6gJcLAN
仏教の八分というものは、常に二分を遠慮するという事
であり。その累積については放棄出来るのか?どこかで
必ず受け取るのか。
676神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 05:51:11.75 ID:o6X503ZT
島、灯 でここまで議論できるのは少し面白くなってきた。
あっちこっち回って、いろんな人と話してきた釈迦はその言葉に二つの
意味が感じられるのを知ってたとは思います。
議論と言う約束組手を楽しんでいるといろいろつかめる気がしてきた
押忍、失礼します

わしはつぶやき系なので型練習どまりですが・・・・

押忍、しつれいします
677神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 06:26:37.17 ID:ialhbyP5
手話のできるゴリラが可愛がってた子猫が死んでしまったとき
手話で死んだらどうなるのと訪ねたら「苦労の無い穴(confortable hole)へ」と答えたそうです
生きてる間は一切皆苦
死ねばその世界から開放される
釈尊が到達した真理を動物は直感的に知っているのです
678宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 07:00:34.01 ID:vZ6EM7nX
1/2
>>49
>だけど、釈尊が一切以外のアートマンを認めた、あるいは暗示したという伝統仏教は、
>チョナンパなど異端説以外ありません。そう主張する文献学者は少数。

私は、
ゴータマがアートマンを「認めた(肯定的に暗示した)」などとは主張していません。
存在については否定せず(「ない」といった経文などは存在しない)、
ただ無記の態度を示したといってるのです。

>根拠がないなら、後代の全伝統仏教に支持される説が妥当と考えるべきでしょう。

アートマンを説いた経文があるなどとはいってません。
単に、それらの経文は「アートマンがない」ことを示してなどはいないと指摘してるだけです。
すべて、部派影響の無霊魂説を継承しているので全伝統仏教のすべてが間違えています
(大乗は何でも在りなので、中には僅かに反伝統説の支持派もあるのでしょう)
679神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 07:01:03.92 ID:vZ6EM7nX
2/2
>それなら寧ろ誤解しているのは自分だけと考えるのが自然だと思いますが、どうでしょう。

 ここで何度か紹介してきたように、そのことを指摘される仏教学者というのは多数派ですよ。
つまり、学術的な確かな裏づけがあるということなのでしょう。
 しかし、あなたのいう伝統仏教というのは信仰の世界であり、継承の伝統をひたすら護持信奉する
だけです。こうして宗教というのは、何千年でも迷信を保持し続けます。伝統(数千年といった)や多
数派など正しさの証明ではありませんから。それは、ガリレオ・コペルニクスの事例と同じことですよ。

>>118
>そこを了解したら、あまり、「真の自分」っていう言葉は、選ばれないと思うんだけどなぁ。
>自分と他人の分別も消えているわけだし

 自分と他人の分別がないのがアートマンです。アートマンは互いに意識(理解)を共有しますから。
これが自己の本当の本質的な性質です。
680神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 07:29:44.36 ID:IAk8EFwE
>>633
>「戯論」については>>33-34に引いたところのスッタニパータにある「パパンチャ」に対する戯論という訳語を用いたもので、(私が疎いところの)中論的な意味は念頭に置いていませんでした。

では、どのような意味で捉えているのでしょう?
681神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 07:32:57.03 ID:IAk8EFwE
>>661
> あなたは神智学が説く秘密のマスター存在に出会ったことがないのでしょう。しかし、この私はあります
>から。マスター中のマスター、覚者中の覚者である最高位のご存在に。

そうですか。それはどこの誰といえる人ですか?

>*ブラヴァツキーに対する根拠無き不名誉を払拭させてもらいます。

根拠は沢山あるでしょう。それを無いというのは暴論ですね。
682神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 07:44:53.87 ID:IAk8EFwE
>>679
いやいや、無我という言葉がニカーヤにみられないそれはみなが承認する通説で私もみとめますが、

だからといってウパニシャッドと同じことを説いたという学者は宮元啓一など少数派ですよ

「アートマンがない」とは『中論』でも言いませんよ。
なぜなら、そう言ったなら「アートマンがない」という見解を持ってしまうからです。
勝義表現は有る、無いというような世俗の論理表現、四句分別を超えていますから。

ですから「アートマンがない」とは言わなくても、もちろん「有る」のでもなく、四句分別を超えています。

逆に表現は別にして「アートマンが有る」でも「アートマンが無い」でも「アートマンは有り且つ無い」でも「アートマンは有るのでもなく無いのでもない」というように
何らかの見解として掴んでいるなら、それは戯論であり六十二見のどれかに入ってしまい、戯論寂滅ではないので仏教ではないのです。

ここらへんハッキリしてるので、無理だと思いますよ。
683前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 07:51:23.52 ID:M07xyq44
「島」か「洲」か「燈明」かの議論が輪廻しております。祖父が前世で聞いたという釈尊の言葉を御参考までに。

其時弟子達は四方から寄って来て、「どうか聖人よ聖人よ、今おかくれになってしまっては光明を失ってしまって頼る処がないのです」と申し上げると、
その時お釈迦様はじゅんじゅんと言われるには「仏のみのりは智慧から生れたもので、肉や体の如く母親から生れたものではない。
遂に仏の道は遂げ終って、もう云い残す事なし、心の鏡はわしの、のりじゃ、お前等の心にちゃんと燈台が出来ている、自分の心の帰依性を求めるじゃない、
それであるからこの娑婆は苦しみの世じゃ、けれどもわしは今なくなると、家を見ても新しい内は立派じゃが段々と腐朽してくるが大地は永久じゃ、
体は家じゃ、心は大地じゃ、わしは去ろうとも心のみのりはわしの言葉と思って………。自分の心の帰依性を求めてはならん。」

もしどこかの僧の霊ならば、「島」か「洲」か「燈明」かを使った筈ですが、「みのり」と「燈台」と「帰依性」とが説かれております。
また「自分の心の帰依性を求めるじゃない」の意味が分かる方は御教示下さい。
684神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 07:54:24.02 ID:IAk8EFwE
そういえば自洲が苦行者文学で、輪廻という暴流・洪水のなかでの中洲・島という意味で使われていることが荒牧典俊『ゴータマ・ブッダの根本思想』で説かれていたのを思い出した。

岩波講座・東洋思想第八巻、インド仏教1、1988、66頁以下

ここではヴェーダの祭式文化が輪廻業思想によってニヒリズム化するのが苦行者(シュラマナ)たちの時代と捉えられている。

その是非は兎も角、ヴェーダが祭式文化というのはインド学者なら誰でも認める所だと思う。

それはスタールがその祭式をフィルムに収め、詳細に解説した『アグニ』を見れば一目瞭然だと思うんだけど
685宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 08:35:10.81 ID:Rxzr0gOB
1/3
>>390>>393
一応、読者の便宜のために再掲載します。

 梵我一如そのものが誤解されていて、当時のゴータマの指摘にもあったように、 前段階の過程状
態を梵我一如だと勘違いするバラモンたちが大勢いたのです。この部分について、神智学用語と分
類とによって明確化を図ったのです。
 バラモン教での梵我一如の「我」(アートマン)を輪廻する魂(シッディ)だと勘違いすることがないよ
う、神智学では輪廻する魂(ジッディ)は真我(モナッド)の反映であり、霊(スピリット)である真我が物
質(肉体)を経験すべく、その媒体としての魂を顕現して輪廻の旅を体験させているものとしました。
一定の必要経験を獲得した魂は最後にその役目を終了して、真我へと再び吸収されて消滅します。
ここで意識の焦点が魂に留まり続ける内はこれは果たされることがなく、一度、“自己意識の完全死”
を自覚した後に、真我が自己意識として立ち顕れてくるという体験が必要です。
 神智学の採る姿勢は、何教だけがゴールに達する唯一の道とすることはなく、どこの宗教や道から
もそれは達せられるものと見なします。本当の進歩は個人に拠るのです。
686宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 08:36:44.03 ID:Rxzr0gOB
>>664
さすが冷静かつ鋭い分析と批評だと感嘆します。

>>531-532
>んー?というと、涅槃はこの世界、一切とは別のところにあるってこと?
>そうなると、一切の外にまで話が広がってしまうよ。

「一切」→「有為」(縁起の現象界)→無常苦の世界
「一切外」→「無為」(非縁起の涅槃)→恒常楽の境地
 (『ウダーナ』8:1.8:3、及び水野『要語』参照のこと)

>>538
>これが、やっぱりかなり苦しいと思う。超越できない者は一切しか知覚できないって、
>一切智者とされるブッダも含まれて、もっと凄い人がいるってことになっちゃうよ。

 超越できない者には一切に限定されるのであって、けれどもブッダは違う。ただ単に、知覚でき
ない凡夫や未完成者を相手にした場合、“非超越者にとっては一切しかない”と教えただけ。
 そのような者たちには形而上学論議は控え、無記の態度を採ることになる。

>>535
 ただし、仏教が説く「一切」というのは、唯物論を超えた幅広い超常的範囲をも含みます。
また、神智学においてはエーテル界、アストラル界、メンタル界までは物質の範囲であると規定し
ています。いずれ科学の発展によって、エーテル質料、アストラル原子、メンタル原子・・・が確認
されるのでしょう。
687神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 08:41:22.52 ID:IAk8EFwE
>>679
> ここで何度か紹介してきたように、そのことを指摘される仏教学者というのは多数派ですよ。
>つまり、学術的な確かな裏づけがあるということなのでしょう。

宝珠、こういうなら神智学のアートマン説や人以外に輪廻しないというような説が仏教にないというのは仏教学者なら誰でも認めると思うよ

神智学と仏教が全く違うものだというのも

逆に上の二点に反対する仏教学者が一人でもいたら教えてほしいものだ
挙げられないなら、仏教と神智学が違うと認めるか、
もはや仏教学者の説は根拠として使えないかのどちらかにあるでしょう
688神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 09:00:17.67 ID:oc+mmMN9
>>657
国語辞書でさえ、個々に記載(の仕方)が違うのに何言ってんの?
コンパクトな簡易入門辞書である岩波の記述には、たいした権威無いんですけどね・・・。

つか、別に訂正が必要な記述じゃないし。
あれを読んで貴方のような思考をする人はいないだろうと思えますし、
あの記述のままで何の問題もないですよ?w

>>663
>「雨安居」では、意味も格調も
おいおいw
ついに日本語の文章も読めなくなったのか?
まさか「雨安居」を語義とでも思ったのか?(゚д゚;)
説かれた時期の話だと、ちゃんと書いた筈だが・・・

>この一句によって、日本における
いやいやいやいやw
説かれたのは2500年前のインドですよ? 何で日本限定の話になるんですか?w
日本で説かれる前に、まずインドで発せられてるんですよ?
もしかして、2500年前のインドで現代日本人に向けて説かれたと思ってるの?
なんつーか、ホント滅茶苦茶だよなぁ・・・w


で、都合が悪くなるとガラガラポンかよwww >>665
んと、腐った性根だな。 僧堂行ってしごかれて来いw
689神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 09:01:36.22 ID:oc+mmMN9
>>669
いやいやいやいやいやw

>「自灯明」という言葉にそれほど拒否感を感じる君たち
「灯明」という“読み”もアリだと言ってるでしょう?w >>357
また、確かに、日本人にとっては「灯明」の方が、美しくしっくり来るでしょう。 >>357

つか、いつのまにか「島・洲」か「灯明」かの話が、
「法-」だけでなく「自-」がなければならないというお話になってますね?
そんな論点ではなかった筈ですが? また、その論点へ行くための根本的問題だった筈ですが?

寧ろ、
「島・洲」という言葉ににそれほど拒否感を感じる 貴方の 深層心理を、
精神医学的に解明する必要があると思いますよw
690神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 09:02:23.87 ID:k6ryJfgK
>>683
心が大地じゃ。というのはいいですね。
我々の心は大地どころでなく、あれやこれやに奔走していると言えるでしょう。
自分の心の帰依性を求めてはならん。とあります。
帰依性には従順性、隷属性、奴隷性、卑属性、信仰性等が挙げられると思います。
言うなれば、心の依拠する所を帰依に摩り替えるなということですね。
反骨精神といいますか、頼れるのは結局自分しかないということですね。
691前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 09:12:11.64 ID:M07xyq44
>>690
>自分の心の帰依性を求めてはならん。とあります。
>帰依性には従順性、隷属性、奴隷性、卑属性、信仰性等が挙げられると思います。
>言うなれば、心の依拠する所を帰依に摩り替えるなということですね。
>反骨精神といいますか、頼れるのは結局自分しかないということですね。

「心の依拠する所を帰依に摩り替えるな」ですか。
何宗の方かは存じませんが、御教示有難うございました。

この質問はこれまで幾度もしてきましたが、どなたからも回答がなかったので実に有難いです。 合掌
692神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 09:16:56.61 ID:k6ryJfgK
>>691
もうちょっと言えばブラバッキーやら中村元を特別視している人には
帰依性が垣間見えます。固執するから他者とトラブルがあるとも言えます。
693神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 09:21:48.69 ID:IAk8EFwE
>>691
>この質問はこれまで幾度もしてきましたが、どなたからも回答がなかったので実に有難いです。 合掌

そりゃ、仏教に関係ないからでしょ
694神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 09:34:53.36 ID:oc+mmMN9
>>678-679
それは、
貴方が、(カラスと同様に)「ゴータマさんの教え」と(所謂)「仏教」とを、きっちり分けているからでしょう。
ただ、他の者はそうではありません。
「ゴータマさんの教え」も含めて「仏教」だからです。
(だから私は、時々貴方方に合わせて「ゴータマの教え」という言い方をします。)

貴方方は
A:「ゴータマさんの教え」    ・・・○、アートマンあり、真のおしえ
B:「所謂仏教、弟子達の伝承」・・・×、アートマンなし、歪められたおしえ
と見るから、「それはBではない」「私たちはAを言っているのです」と言えるわけです。
そして、触れうる資料・情報はBにしかありません。
だから、貴方方は高位の存在からの啓示という形を取らざるを得ない。(それもまた『仏教ではない』のですが・・w)

しかし普通は、
C:「ゴータマさんが説いたことが伝えられた教え」が「仏教」なのです。
だから、「それは仏教ではない」と言う時、それはAB含めて「仏教」なわけです。
そして、たとえAを探る具体的手がかりが存在しなくとも、Bを元手にそれを行なうし、
また、それしかないのです。

「それは、仏教とは言えないのでは?」という疑義が挟まれた時は、
この意味での、
『それはゴータマさんの教えでもない』という意味である、ということも忘れないでください。
695神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 09:53:54.43 ID:AIL3uSko
梵網経「物質的要素からもならず、精神的要素からもならない」アートマンが否定されてますね。
五蘊ではないアートマン、に見えます。

これは春秋社版原始仏典第一巻の40ページの訳ですが
原文ではどういう単語で片山訳ではどう訳されているんでしょう。
>>674
>、「我と法とを拠りどころとせよ」

拠り所、たよりとするという単語の訳が含まれているんだから
そりゃあ、そこの部分は同じになります。島から灯にすることで
何がスポイルされちゃったという話だったのか、見直しましょう。
696神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 10:06:11.67 ID:IAk8EFwE
>>695
>梵網経「物質的要素からもならず、精神的要素からもならない」アートマンが否定されてますね。
>五蘊ではないアートマン、に見えます。

そうです。そこは六十二見の主張の一つです。
x,非x,xかつ非x,非{xかつ非x}という認識で掴んだすべてが戯論です

>そりゃあ、そこの部分は同じになります。島から灯にすることで
>何がスポイルされちゃったという話だったのか、見直しましょう。

増谷文雄が主張するような「自灯明」ということで自分の認識だ教えを判断しろというような近代的認識が誤りということです。
697神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 10:16:59.77 ID:IR8EFguK
 

煩悩は因が縁に流されることによって起こる

縁に流されない処という意味で喩えられた場所

 
698神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 10:18:55.45 ID:AIL3uSko
自分は島から灯にすることで
耐え忍ぶ、というか強く保持して耐久するニュアンスが
抜け落ちてしまっているのが気になりました。
699神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 10:34:22.09 ID:IR8EFguK
  

流されるのではなく、流す。

 
700神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 10:37:36.42 ID:IR8EFguK
 

流されて争うか、流して静まるか

 
701神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 10:54:51.67 ID:9Z+D41cc
>>696
>「一切」→「有為」(縁起の現象界)→無常苦の世界
>「一切外」→「無為」(非縁起の涅槃)→恒常楽の境地
>(『ウダーナ』8:1.8:3、及び水野『要語』参照のこと)

落第、却下。
702701:2013/02/17(日) 10:56:52.84 ID:9Z+D41cc
訂正
× >>696
〇 >>686
703:2013/02/17(日) 11:51:01.55 ID:jQzXjmB0
 
>>686 宝珠さんへ
> 「一切」 → 「有為」(縁起の現象界) → 無常苦の世界

縁起によって何かが現れ
縁起によって何かが滅して
縁起に依存している、この一切は …

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/kiyou31/D031L001.pdf

3.三事和合説と縁起説
SN XII 43 Dukkha, 44 Loko, 45 Natika

眼と色に縁って眼識が生ずる
三事和合が触である
触の縁から受がある
受の縁から渇愛がある

( − これに対して − )

まさにこの渇愛の残りない離貪から取の滅がある
取の滅から有の滅がある
有の滅から生の滅がある
生の滅から老死、愁悲苦憂悩が滅する

このようにこの全ての苦蘊の滅がある
704神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 12:02:19.99 ID:5kiUynim
梵網経の62見って、ちらっと読むと、「我」と「世界」が永遠であるってこと
を否定してますね。どこに(「我」の滅であらわれる)アートマンが否定されて
いるのですか。ヒンドゥー教でも、「我」と「世界」を否定する思想はあるけど。

怒らないで、優しく教えてね(笑)。
705:2013/02/17(日) 12:11:56.76 ID:jQzXjmB0
 
>>703の続き

> 涅槃はこの世界、一切とは別のところにあるってこと?

縁起によって何かが現れ
縁起によって何かが滅して …
この縁起からの依存を断ち切る為に

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する

http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
無我 ・ 縁起 ・ 空の観察

http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
想受滅(滅尽定)などによって
もし受 ・ 想 ・ 行を滅させる事が出来れば

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
それは、世間を超越した認識であり
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)
の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり
世俗としての常識的な思考を超越し
それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
706神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 12:25:09.93 ID:IAk8EFwE
>>704
この>>33の『スッタニパータ』でいう想いなき者:滅尽定に入った者
想いを消滅した者:無色界定に入った者がそれに相当しませんか?

梵網経でいう我は滅尽定に入った者や無色界定に入った者が掴んだアートマンも入っています。
以下のように
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
707:2013/02/17(日) 12:30:45.64 ID:jQzXjmB0
 
>>704 ID:5kiUynim さんへ
> どこにアートマンが否定されているのですか

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91

我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである

  −  これに対して  −

釈迦はこのような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた
  _  _  _

ウィキペディアによる説明の場合は

「 五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在である 」

因と縁によって現れて
因と縁によって滅するので
「 永久不滅 ・ 常住不変のアートマン 」 ではない

と言う事のようです
708神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 12:42:27.36 ID:5kiUynim
jQzXjmB0さん 回答ありがとうございます。

どこまでが梵網経の文章で、どこまでが解説なのか分からないのですが。。
わたしは、「我」の滅=アートマンと考えているのですが、そういう
アートマンは否定されてるといえますか(滅尽定や無色界定はしらないので)。
709神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 12:47:26.41 ID:oc+mmMN9
>>708

>「我」の滅=アートマン
意味が解りません。

一般的に「我」=「アートマン」なんですけど・・・。


アートマンとは、全ての寂滅のことですか?
そのような語義、考え方に出会ったのは初めてです。
インド思想で言えば、何時代のどれに当りますか?
勿論、仏教でないのは当然としても・・。
710:2013/02/17(日) 12:51:42.93 ID:jQzXjmB0
 
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

過去の果てが分かり常住だと述べる
シャモンやバラモンたちは「我と世間は恒常」と明言し明瞭に述べる

 ( − これに対して − )

つまり、四つの根拠を
それも縁起であって有が縁起でないことになることはありえない
  _  _  _

現法ネハン論者たちは
現法(現在の経験)をネハンであると明言し明瞭に述べる五つの根拠をというまでである

 ( − これに対して − )

それも縁起であって有が縁起でないことになることはありえない
  _  _  _

過去の果てが分かり常住だと述べる
シャモンやバラモンたちは
「現法を我と世間は恒常」と明言し明瞭に述べる四つの根拠に対して

 ( − これに対して − )

それも触の縁から生じる以外に受となることはありえない
711パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/17(日) 12:54:10.61 ID:cpnpUN4T
>>686
> ただし、仏教が説く「一切」というのは、唯物論を超えた幅広い超常的範囲をも含みます。

あっれ〜〜〜〜?
お前確か、仏教の「一切」は『この現象界限定』とか言ってなかったか?
いつから、「超常的範囲」まで含むようになったんだ?wwww
712神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 12:54:19.45 ID:5kiUynim
>>709

>アートマンとは、全ての寂滅

そうとも言えます。

wikiにもあるようにヒンドゥー教では結構一般的だと。。ヴェーダンタがとくに。

Ātman (IAST: ātman, Sanskrit: आत्मन्) is a Sanskrit word that means 'self'. In Hindu philosophy, especially in the Vedanta school of Hinduism,
Ātman is the first principle,[1] the true self of an individual beyond identification with phenomena, the essence of an individual. In order
to attain salvation (liberation), a human being must acquire self-knowledge (atma jnana), which is to realize that one's true self (Ātman) is
identical with the transcendent self Brahman:
713:2013/02/17(日) 13:07:07.23 ID:jQzXjmB0
 
>>708 ID:5kiUynim さんへ
> わたしは、「我」の滅 = アートマンと考えているのですが …

ウィキペディアによる説明の場合は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

アートマンは、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。

概要
最も内側 (Inner most)を意味する サンスクリット語の Atma を語源としており、アートマンは個の中心にあり認識をするものである。
それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。

ウパニシャッド
初期のウパニシャッドである『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では、「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。
その属性を「…である」と定義することはできないという。したがって、「…である」ものではない。
また、アートマンは、宇宙の根源原理であるブラフマンと同一であるとされる(梵我一如)。
ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。

仏教における解釈
釈迦によれば「我」は存在しないとされるため、仏教においてアートマンの用語は一般的ではないと思われる。
無我を知ることが悟りの道に含まれる。
714神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 13:07:51.78 ID:5kiUynim
これはバガヴァッド・ギータからみたい。自我の放棄=神への合一が書かれてます。神もアートマンも同じなわけで。。

"They are forever free who renounce all selfish desires and break away from the ego-cage of "I", "me", and "mine" t
o be united with the Lord. This is the supreme state. Attain to this, and pass from death to immortality."

まあ、そういう宗教もあります。アートマンという言葉の指すものが違うだけかな。
715:2013/02/17(日) 13:17:34.21 ID:jQzXjmB0
 
>>713の続き

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE

サーンキヤ学派

… プルシャの観察を契機に平衡が破れると、プラクリティから様々な原理が展開してゆくことになる …

プルシャはこのような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない、とする

人は、プラクリティから展開した理性
自我意識などを主体であると思い込む錯覚に陥っているが
本来の自我であるプルシャに目覚めることで解脱が果たされるとしている

サーンキヤ学派はヨーガ学派と対になり、ヨーガを理論面から基礎付ける役割を果たしている
716神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 13:22:23.02 ID:5kiUynim
714↑英語出来る人訳してみたら面白いかも。

梵網経では、ヒンドゥー定義のアートマンでなく、「我(=仏教用語の意味のアートマン)」を否定しているということかな。

wikiの「個の中心にあり認識をするもの」はいただけない。二元性超えていないような感じうけるから。まあ、そういう表現
される時もあると思うけど。
717パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/17(日) 13:30:25.90 ID:cpnpUN4T
>714↑英語出来る人訳してみたら面白いかも。

ここは、英語出来ないやつはいないと思うぞw 多分ww
718神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 13:35:39.45 ID:5kiUynim
>ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。

あと、これはちょっと私が想定するアートマンと違います。これはなんか魂みたい。

>>717

ええー、出来ない人もいるでしょ、そりゃ。パピーマンさん、ためしに訳してみてください(笑)。
719パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/17(日) 13:36:58.92 ID:cpnpUN4T
>>718 お断りしますwwwww
720神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 13:39:04.84 ID:5kiUynim
>>719

そんな、、じゃあ、パピーマンさん以外の人は訳せるのかな(笑)。
721無記の重要性:2013/02/17(日) 13:39:42.08 ID:9Z+D41cc
>>633(不説)

人間の認識領域を超えた検証不能な“一切外”は妄想・『物語(フィクション)』でしかありません。

「超越論」などナンセンス極まる妄想です。(>>599

またブッダの「無記」論の趣旨からいえば、
「仏教」や後代に登場した各種仏典のほとんどが検証不能な一切外『物語(フィクション)』でしかありません。
当然、歴史的人物としてのブッダには関わりのあることではありません。

いわゆるテキスト(断じて法ではない)信仰主義は「無記」論やカーラーマ経の精神(自帰依、法帰依)に齟齬します。
信仰とは検証不能な一切外の『物語(フィクション)』をアホになって丸呑みすることです。
不条理なれど我信ず(埴谷雄高)です。

「筏の喩えの法門」の趣旨からいえば「仏教」なども信じるに値する筏ではありません。
それが<自帰依(灯明・洲・島)←フィードバック→法帰依(灯明・洲・島)>、カーラーマ経スピリットです。

アタシがフリースタイルだといっている理由です。
722神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 13:42:23.09 ID:IAk8EFwE
>>708
>わたしは、「我」の滅=アートマンと考えているのですが、そういう
>アートマンは否定されてるといえますか(滅尽定や無色界定はしらないので)。

仏教ではそうは考えません。
723:2013/02/17(日) 13:43:03.06 ID:jQzXjmB0
 
例えば

仏教的な説明をしようとすると

「 最も内側 (Inner most)を意味する サンスクリット語の Atma を語源としており、アートマンは個の中心にあり認識をするものである。」 と仮設して

それは

「 知るものと知られるものの二元性を越えているので、アートマン自身は認識の対象にはならない 」 と仮設されているものである

みたいな?

そうすると何故 「 仏教の場合は、仮設と言う、まくら言葉を付けるんですか? 」

と言う質問が来るかもしれない
  _  _  _

> ここは、英語出来ないやつはいないと思うぞw 多分ww

すいません、私の場合は、英語も、まったく、わかりません
724神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 13:43:40.07 ID:IAk8EFwE
>>712
ヴェーダーンタも仏教も互いに違うと言い合ってますよ
725パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/17(日) 13:48:34.30 ID:cpnpUN4T
>>720 名無しさんは知らないww
だが、セブン、一代等はしばしば、参考文献として英文提示をしていたし、
隠居も自称、語学の専門家wwww
在家もとりあえず、そこそこ出来るんでしょ?
なんか、英文あげてたしw
宝珠も出来るでしょ?w

カラスは・・・・・・日本語さえも怪しいw
どわっはっはっはっは〜〜〜〜〜〜〜〜〜www

(あと、オレも実はそんなに出来ませんww
東部のエスタブりッシュ表現を南部訛りのおっちゃんの言い回しに
変えて・・・・なんて言われてもおてあげですwwww
ゴメンね、 エラそうなこと言ってwww)
726神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 13:48:38.71 ID:FhJ2qg8W
>>696
>増谷文雄が主張するような「自灯明」ということで自分の認識だ教えを判断
>しろというような近代的認識が誤りということです。

要するに「自灯明」では、釈迦の「無我」が崩壊するから、注釈書を漁って
「島・洲」を見出し、大喜びで使っただけの話。開祖盲信の釈迦カルトの正体
丸出し。「無我」なら、「耐え忍ぶ」必要などないはずだがw。

釈迦の「無我」を、彼の「単純ミス」として否定すれば、一発で解決する問題。

「原文を超えた優れた翻訳」も稀ではないことを自覚せよ。「直訳」は、そもそも
「翻訳」ではない。
727神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 13:50:03.89 ID:5kiUynim
>>723

「仮説」について無知なもので。。。

>>724

そういう人もいれば、そうじゃなく立場と用語の意味の違いしかないと言う人もいますね。
728神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 13:55:18.45 ID:IAk8EFwE
>>727
>そういう人もいれば、そうじゃなく立場と用語の意味の違いしかないと言う人もいますね。

仏教側で同じという伝統仏教者は異端者しかいませんね。

ヴェーダーンタもシャンカラからマータヴァまでのヴェーダーンタの大物論師は否定してます。

同じというのは、中世以降の万教帰一系の人たちだけで、それらの人たちは根拠にならないでしょう。
729無記の重要性:2013/02/17(日) 14:00:32.28 ID:9Z+D41cc
>>605(在家)
>弘法大師の如来蔵は勝義についての表現なので譬喩ということ?
>貴兄は、弘法大師の如来蔵←ウダーナで涅槃が有る←文脈にそった譬喩表現、で分かるんですね。

あのなあ、野暮な奴やなあw その辺のとこホンマにわかったれや!
密教の密教たる果分可説周辺、このあたりはこんな「議論」スレこときの俎上にあげて触れてほしくはないというのがオイラ氏なの。
表向きでは『戯論寂滅に導く』などといいながら、裏では、空海や身勝手な真言導師との“秘密の領域”で口伝や切り紙による秘密相承で
『戯論満開』三昧、戯論満々マンダラ戯ェ〜!なのw ヒンドゥ謀略宗だとバレルとまずいやん。だから“成りすまし”仏教なの。
小人閑居して不善を為す。プライバシーは尊重してね、ということ。

>文脈にそった譬喩表現、
間接現実での縁起の直接現実の様相〇〇〇〇〇は、・言語なら四句第4的示唆・譬喩(〜の如し)・沈黙・気合音・動作etcで隔靴掻痒に示唆するしかない。
禅の公案はそれを契機として、般若智直覚(←修行で習得)で縁起の現観をするための問題集だ。逆に言えば、一挙に気づく契機は日常どこにでも転がっている。

>ウダーナで涅槃が有る

妄想心霊主義外道の一切超越論者は一切外の形而上的様相に涅槃を妄想する。それを否定も肯定もできない。馬鹿すぎるから。
妄想物語は無視あるのみ。
ウダーナについては、妄想心霊主義者の謬見はすべて論破済み。

>弘法大師の如来蔵
・“伝承”としては金剛薩埵(ゴータマ・ブッダのガードマンだったらしい)や龍樹菩薩(二世紀)の段階で密教の根本経典(『金剛頂経』とか『大日経』とか)が存在したことになっているが、
文献学的には七世紀から八世紀かけて『金剛頂経』と『大日経』が成立した?といわれている。
「伝承」のウソだらけの矛盾がばれるとまずい。これがオイラ氏が文献学を嫌う理由。

・仏種なる本質(自性)主義は仏法ではない。
 シャンカラ(六世紀前半)的不二一元論のパクリスト空海(六世紀後半)は実質ヒンドゥ教である。⇒>>539

・かつて、般若心経のフリダヤムをめぐって論争となった⇒仏教議論スレ44 >>361〜。>>433 。
 般若心経が自性空を説くものならば、偽経であり、落第経典である。
730神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 14:00:51.43 ID:5kiUynim
>>725

許した(笑)。じゃあ、訳しておきます。

「神と合一するために、利己的な欲望すべてを放棄し、「私」と「私のもの」という自我の檻から
 離脱した彼らは、永遠に自由である。これが至高の状態である。これを達成し、死から不死へと移れ」

みたいなかんじです。

>>728

私はシャンカラが否定したとは思っておりません。中世以降の人が根拠にならない理由もわかりません。。
誰のことか知りませんが。
731神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 14:01:46.82 ID:Tbusmwhz
>610
>ところで机は死んだのか?

「死んだ」というか?
机氏が仏教法門に魅了されてた頃は、既に死体(しにたい)であったのでしょう?
そのように私は受け止めていますね。

机氏は「死して生きる」などと言ってました。
つまり机氏においては「死」も「生」も全く御呼びじゃなかったんですね、
ですから「机は死んだのか?」は間違いです。

机氏は「髑髏」と思ってください。
机氏のコテ前身は「髑髏仮面」ですから。
髑髏ってのは世俗的言い方ですと屍(しかばね)ですから。
もう既に生きてはいない。不死でありますね。

これはどういう事を意味するのか?
つまり人間というのは、そもそも実体がないんだから、生きるも死ぬもない。
こういうことかと思います。

これが机氏の源流ですね。
故に、「死んでおるもんが輪廻転生などあろうはずはない」。
このフレーズに繋がるのかと思います。
合掌。
732神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 14:04:13.72 ID:FhJ2qg8W
釈迦はそもそも「無我」などというアホらしいことを大真面目に説いたのか。
「非我(我に非ず)」なら、モロに「我」を前提としてるね。

「己の我を以って無我を説く」という、笑うべき「初歩的論理ミス」、「矛盾」
「誤り」を是正することが先決。
733カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/17(日) 14:10:55.82 ID:I/y+KUNb
>>721
そう。一切外はなにも無いんだよ。なにも無いところから宇宙が生まれ縁起が始まり、
そして何もないところから我々は生まれた。我々は元々なにも無かったんだよ。でも今ここにいる。不思議だと思わないか。
734:2013/02/17(日) 14:16:09.46 ID:jQzXjmB0
 
>>727 ID:5kiUynim さんへ
> 「 仮説 」 について無知なもので

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3

『中論』の原義から言えば

「空」(空性)も、「仮」(仮名・仮説・仮設)も、「中」(中道・中観)も

全て、「縁起」「無自性」の言い換えであり

同じ内容を違う言葉・表現で言い表してる

「同義語」として使用している
  _  _  _

と言う事であるらしい
735無記の重要性:2013/02/17(日) 14:20:19.75 ID:9Z+D41cc
>>733
>一切外はなにも無いんだよ。なにも無いところから宇宙が生まれ縁起が始まり、

カラスも耄碌したなあw

アンタのは、妄想・『物語(フィクション)』でしかありません。
736カラスの唄:2013/02/17(日) 14:22:47.72 ID:I/y+KUNb
>>731
要するにまだ生きているということだな。残念だ。まことに残念だ。
737カラスの唄:2013/02/17(日) 14:34:46.62 ID:I/y+KUNb
>>735
おや、この末法仏教徒はビックバン理論を否定するらしい。
君らの言葉遊び仏教こそが妄想だって事に早く気付こうな。君らの言葉遊び、詭弁を極めているだけの屁理屈仏教は
本質的に糞の役にもたたない。なぜなら単なる言葉遊びの妄想でしかないからだ。
そんな事にも気づかないなんて君らは救いようが無いよ。
738:2013/02/17(日) 14:35:01.31 ID:jQzXjmB0
 
> なにも無いところから宇宙が生まれ …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91
釈迦は実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた

http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛がうまく絡み合って
無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています
そこから脱出しましょう
客観的に自分を観ることによって、無明と渇愛を消していきましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです
  _  _  _

それ自体の自性によって成立しているのではない、それ故に

「 無明と渇愛が絡み合って、無始なる過去から輪廻を繰り返している 」

と言う意味だと思います

(自性ではない、それ故に、「宇宙すべても輪廻を繰り返している」と言う意味だと思います)
739カラスの唄:2013/02/17(日) 14:37:41.35 ID:I/y+KUNb
>>738
>宇宙全ても輪廻している

僕もそう言っている。
740無記の重要性:2013/02/17(日) 14:48:42.18 ID:9Z+D41cc
>>737
>ビックバン理論を否定するらしい。

ビッグバン理論が立証され検証可能となれば、
それは間接現実の一切内であり経験的に肯定否定ができる。

しかし『一切外はなにも無いんだよ。なにも無いところから宇宙が生まれ縁起が始まり、』は検証できない。

>>738>>739(?,カラス)
>「宇宙すべても輪廻を繰り返している」

経験的に検証・証明して下さい。
741カラスの唄:2013/02/17(日) 15:04:18.11 ID:I/y+KUNb
>>740
この馬鹿。ビックバン理論を証明しろだってよ。ゴータマさんは君のような人には肝心なことは
無記を通したんだろう。僕も同じく君のような人に話してもしょうがないので無記を通しましょう。
刑事上の事柄はそれこ各自銘々が直接智で確かめるしかない。それを他人に証明しろだなんて愚問も甚だしい。
何度も議題に上がっていることなんだがな。君のハンドル、中々笑わせてくれるよ。
742:2013/02/17(日) 15:06:24.41 ID:jQzXjmB0
 
>>740 無記の重要性さんへ
>> 宇宙すべても輪廻を繰り返している
> 経験的に検証・証明して下さい

私は前世の記憶は、ないけど
落武者の霊を、ハッキリ、クッキリ、目撃した事がある
そして、その霊体は、何時の日か、肉体を伴って
又、この世の生に、戻り来る

瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424

人が死ぬ時に
過去の長い間の経験により蓄積された
我愛が現起し
その力にうながされて
自己に愛著し
無始の時以来つづいてきた執着された
戯論(けろん)と
善悪(善でも悪でもないものも含める)業により
中有が形成される

そして、やがて

その中有が次に生まれるべき処を求めて母体に入り
ここで男性の精子と女性の卵子が結合するときに
中有は滅すると同時に生有が生じ
一切種子たる阿頼耶識(あらやしき)がこれに結合して
精子は成長して胎児を形成し出生に至る
743宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 15:13:27.45 ID:TvwCNiee
2/3
&amp;nbsp; 生存中の意識(思考や情緒などの総合)が「アハンカーラ」(我執/我慢)であり、死後の肉体崩壊
後に存続する意識体が「プラーナマーヤコシヤ」、或いは「カーマローカ」といって、これはどちらかと
いうと悪しき我欲を意味する想念形態(意識エネルギーの残存現象)、すなわち、心霊現象を引き
起こす「霊」存在などのことです。
 このような悪しき状態としての異常を起してない場合には、死後に一定時間で速やかに分解消滅
します。これはまた、生存中は「リンガシャリーラ」(精妙体/微細身)として肉体に重なる状態にて複
合しています。
 死後、これらの残存意識がすべて崩壊消滅後、輪廻の主体基体である「魂」はプララヤ(至福の海)
という状態に入り、暫しの休息を摂ることになる。そして、一定の期間の後に(個々のカルマによるが)
プララヤから目覚めて次の転生へと向かう。つまり、機会をみてカルマに相応しい母胎へと宿ってい
くのです。この魂「ジーヴァ」も自己の本体ではなくて、輪廻する状態における仮設的存在に過ぎない。
縁起によって無用と化せば消滅します。
 輪廻する必要がなくなった解脱の瞬間、自己の本体であるところの「真我」へと吸収され消滅するの
です。ここで初めて「アートマン」(真我)が立ち顕れ、すべてのマーヤ(幻影)が消滅する(取り合えず、
神智学用語はなるべく控えてヒンドゥー用語を多用)。
744宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 15:14:07.84 ID:TvwCNiee
3/3
 従って、この水野氏『要語』の文章の、『外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれ
を説かないが』の「霊魂」とは、バラモン聖典の説く真実の自己の本体、「アートマン」を指している。
 『人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている』
での「霊魂」は、自己の本体「アートマン」できなくて、縁起で生じている仮設/仮和合の自己存在。
 『それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法
である』というのは、それぞれの転生毎による生存経験によって蓄積する業(行為と経験)によって変
化(及び成長等々)する存在であるが、永遠不滅という意味ではないということ(「有為」とは無常の
消滅変化する性質の意)。 で、それ(輪廻の基体としての魂)は本当に在るし(仮設的な意味として)、
そのことを仏教では(仏典では「識」などとして)認めているということ。
745宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 15:19:37.63 ID:TvwCNiee
>>646
>宝珠のハイブリッドは、そもそもの成り立ちというか、立教の姿勢というか、
>欲しいトコ取りというか、神智学という分野の根本的姿勢、矜持みたいな部分じゃない?

そこが一般的によく言われる批判部分ですから。
つまり、“良いところ採りの寄せ集め”(パクリ)だと、ね。

では、ハッキリ明言しておきます。
この議論シリーズ、及び一連の宝珠スレシリーズで初めての言葉かもしれませんね・・・。
すべての世界的諸宗教の発生の関ったのが、神智学を提供された覚者方の所属するグループ組織
(ハイアラキー)から派遣されて生じたものです。もちろん、仏教とて例外ではありません。
彼ら(覚者方)は意識を共有しており、互いに連携を取り合ってグループワークにおいて活動しています。
その内実を知っているのは我々、神智学徒だけであり、これが世界で初めて明かされた真実(裏事情)
ですから(詳細はここでは扱いません)。

当然、寄せ集め批評と語る評論家たちはそんなことを知る由もないし、
知ったところで信じる筈もないので、結果的に「多宗教からの似た部分ばかりあるな」
という印象を語ることになる。

>>694
>しかし普通は、C:「ゴータマさんが説いたことが伝えられた教え」が「仏教」なのです。
>だから、「それは仏教ではない」と言う時、それはAB含めて「仏教」なわけです。
>そして、たとえAを探る具体的手がかりが存在しなくとも、Bを元手にそれを行なうし、
>また、それしかないのです。

はい、認めます。
746神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 15:24:42.77 ID:Tbusmwhz
>>736
>要するにまだ生きているということだな。残念だ。まことに残念だ。

机氏において、人生の師が、高校二年生の女教師であったように・・・
(この先生は、机氏にとっては死ぬことはない)
「生きる」、「死ぬ」の概念こそ分別観念に過ぎないんじゃないですか?

机氏という実体がないものに、そこに通時的同一性はない。
つまりインターネット空間そのものがバーチャルでしかない。
バーチャルに翻弄される人間が、このスレッドにもうじゃうじゃいるだろ?
そのことに先ず気づいたらいい。

仏教というのは、その気づく為の方便と言ってもいい。

つまりだね、
机氏が生きている人間もいれば、
机氏は既に死んでいる人間もいる。ってことさ。
これが即今即所なんだね。

まあ、カラス氏にしてもれば、机氏は死ぬことはあり得ないだろうね。
それだけ机氏の影響が多大であったのかもしれんね。
747神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 15:26:28.71 ID:IAk8EFwE
>>730
>私はシャンカラが否定したとは思っておりません。中世以降の人が根拠にならない理由もわかりません。。

そうですか?

仏教では何らかのアートマンなどの基体、実在、本質、神があるとするのは六十二見であるといいます。

そしてそういった基体との合一体験や、禅定の忘我体験は単なる感受で三昧体験とします。
これは『梵網経』にハッキリ説かれています。

で、縁起観、空観がないとその三昧体験以上の無我・空の境地、戯論寂滅の境地には行けないと説きます。

ヴェーダーンタなどは神を認めない無我・空の境地、戯論寂滅の境地をニヒリズム、虚無主義、ナースティカとして批判します。

中世以降の人が根拠にならないのは、万教帰一という前提の元になんでも同じと考えるからです。
ヌーエイジはこの影響を受けていて、論じるに足りません。
748無記の重要性:2013/02/17(日) 15:30:51.98 ID:9Z+D41cc
>>741

>>405>>414
『認識世界に対しては、肯定か否定か断定するのは、仏教的に見ても至難の業だ(>>367)。
肯定否定判断には一定の立場や視点が必要であり、その正当性を担保するものはなにも無く、
それは「仮設」→「仮説」たらざるを得ないからだ(龍樹 中論24-18、ヴァルダイヤ論二・六十七:→>>370)。』

この共同幻想である間接現実での共有しうる正当性を一応担保するものは「経験的な検証性」(一切内)でしかない。
それでも一切業無常だから「仮設」→「仮説」たらざるを得ない。

「経験的な検証性なし」(一切外)の領域は共同幻想では妄想であり、
否定も肯定もできないあなたの「物語」ですね、と言わざるを得ません。
これの一形態が形而上的論議(戯論)です。

もちろんこれは間接現実(分別言語論理可立)での話であり、
直接現実(無分別言語論理不立:空・中道・時空際断の如し)ではありません。
749カラスの唄:2013/02/17(日) 15:35:17.26 ID:I/y+KUNb
>>746
>それだけ机氏の影響が多大だったのかもしれんね。

これっぽっちもねえよ。
750無記の重要性:2013/02/17(日) 15:38:19.77 ID:9Z+D41cc
>>743->>745(愚者)

あなたの論議はすべて、
『「経験的な検証性なし」(一切外)の領域は共同幻想では妄想であり、
 否定も肯定もできないあなたの「物語」ですね、と言わざるを得ません。
 これの一形態が形而上的論議(戯論)です。』(>>748)

当然ながら、勝義=直接現実にはまったく至りついてはいません。
751:2013/02/17(日) 15:49:14.03 ID:jQzXjmB0
 
ヴェーダーンタなどは神を認めない無我・空の境地、戯論寂滅の境地をニヒリズム、虚無主義、ナースティカとして批判します。
  _  _  _

例えば

机先生などの場合は

中論の意味を理解する事が出来なくて

「すべてが無である、とする事を本当の真理であるとする」と勘違いしているのかもしれない

(中論は「因と縁によって現れ滅し、そして、八正道によって我・我所を滅せよ」と言う教説だと思いますが …)

中論觀法品第十八
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八
752カラスの唄:2013/02/17(日) 15:55:52.23 ID:I/y+KUNb
>>745
ゴータマさんも神智学でいうところのハイアラキーの存在について述べていますね。
宇宙の始めより、身体は別でも心は一つの人達がいると。彼等は時代を超えた真のグル。それはゴータマにとっても同じ。僕はパタンジャリと会いたい。
彼は自在神でしょう。末法仏教徒には関係無い話なので君らは無視してくれて結構。
753無記の重要性:2013/02/17(日) 16:04:23.47 ID:9Z+D41cc
>>741
>刑事上の事柄はそれこ各自銘々が直接智で確かめるしかない。

これは謬論です。

形而上、形而下論議はあくまでも間接現実(分別言語論理可立)での<一切内・外>の事項であり、

直接現実(無分別言語論理不立:空・中道・時空際断の如し)における無分別智・直接智の問題ではありません。

この相違を一応(中論25-19参照)区別しておかないと、
この間接現実での論議が混乱します。
御注意ください。
754無記の重要性:2013/02/17(日) 16:07:49.13 ID:9Z+D41cc
>>752
>君らは無視してくれて結構。

寝言妄想物語は他所でやれ
755カラスの唄:2013/02/17(日) 16:16:42.47 ID:I/y+KUNb
>>754
寝言は貴様の妄想の中にしかない中論の勝義をいつまでも得意気に話してるお前の方だよ。現実には糞の役にも立たんし。
ここはゴータマの仏教の話をする場。言葉遊びの戯論でしかない中論教の話は他所でやってくれませんかね〜。
756神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 16:21:25.85 ID:oc+mmMN9
>>727
>立場と用語の意味の違いしかないと

いやいやw
何言ってんの? >立場と用語の意味の違い は大違いじゃないw

 『立場と用語は違っても意味は同じ』 であって初めて、
貴方の言っていることになるのであって、>立場と用語の意味の違いし があったら、
もはや別の思想、別の考え、別の概念、別の価値観ですよ?
757カラスの唄:2013/02/17(日) 16:35:27.82 ID:I/y+KUNb
>>753
だから識別智である言葉では言い表せない自性と呼ばれてるものを
自性という言葉で定義して考察していいのかよって聞いてんだよ。自性という言葉で定義した時点でそれはもう自性じゃねぇだろうが。竜樹のカスは
それをやってんだよ。ま、君は中論教患者の中でも重症だから
聞く耳持たんだろうが。せいぜい一生無意味な言葉遊びに励んで、今生を棒に振って下さい。
758宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 16:35:31.42 ID:4tMDUyyf
>>681
>そうですか。それはどこの誰といえる人ですか?

ハイアラキーの長「マイトレーヤ」です。
仏教が説き待ち望んでいるゴータマが到来を予告した未来仏/弥勒その方です。
意識で創りあげた肉体(「ファミリア」大抵の場合はどこかに実在する人間からのコピー)を
使われているマイトレーヤ、その彼の肉体に接触し、暫しの対話をしています。
23年ほど前の実体験で、神智学に傾倒して3年ほどした頃に一度だけです。
私のこの体験は、グループで覚者方とコンタクトをとっている指導者の確認を受け、
事実としてグループ発行の冊子にも掲載されました。
(尚、グループ情報からくるマイトレーヤ降臨の真実性に対する私の信に応えられるべく、
その祝福のために顕れて頂いたものであり、私の持つ仏教理解の正しさを保証されるためではありません)

マイトレーヤは永いこと光体にてヒマラヤ山中に留まっていましたが、
今は、史上初の完全無欠の肉体を創造されこれを着用し、すでに外界(人間社会の中)へと入られています。
あとはただ、宣言(出現)のタイミングを測っています。

>それを無いというのは暴論ですね。

ブラヴァツキーを陥れるための策略でした。
http://houjugusya.web.fc2.com/hpb.html
759宝珠愚者@(規制代行):2013/02/17(日) 16:37:08.78 ID:4tMDUyyf
>>703
(ちょっとした)勘違いだと思います。
縁起によって(縁起するから)涅槃に至るのです。
しかし、涅槃そのものは縁起しないということ。

>>725
>宝珠も出来るでしょ?w

ムリポ!!
(いい加減にして下さいよ。
読めないのに訳せるわけがないから・・・)

>>736
あぁ〜〜噴いたwww


*しっかし、スレの流れが速い。
まっ、スレの人気が上がってきたのだとしたら、取り合えずは良いことかな。
内容に関心を持たれることはいいと思う。
760神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 16:40:05.36 ID:IAk8EFwE
>>758
>ハイアラキーの長「マイトレーヤ」です。
>仏教が説き待ち望んでいるゴータマが到来を予告した未来仏/弥勒その方です。
>意識で創りあげた肉体(「ファミリア」大抵の場合はどこかに実在する人間からのコピー)を
>使われているマイトレーヤ、その彼の肉体に接触し、暫しの対話をしています。
>23年ほど前の実体験で、神智学に傾倒して3年ほどした頃に一度だけです。
>私のこの体験は、グループで覚者方とコンタクトをとっている指導者の確認を受け、
>事実としてグループ発行の冊子にも掲載されました。

これは目で観たという意味ですか?
だとすれば我々も確認することができますよね?
761無記の重要性:2013/02/17(日) 16:49:16.54 ID:9Z+D41cc
>>686
>唯物論を超えた仏教が説く「一切」というのは、唯物論を超えた幅広い超常的範囲をも含みます。
>をも含みます。

いつもどおりのご都合主義丸出しの姑息な態度だなw

その『唯物論を超えた幅広い超常的範囲』とやらが経験的検証に耐えられることを証明せよ。
そうでなければ共同幻想(世間)における知覚・記憶・判断として共有できる一切内ではない。

>>755
>言葉遊びの戯論

論破されそうになるとイカやタコみたいにスミを撒いて誤魔化そうとする。
妄想心霊主義のノウハウとして共有してんのか?

『共同幻想(世間)における知覚・記憶・判断として共有できる一切内』の事項に限定することは
間接現実において経験主義であったブッダの態度に相応しい。
762SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/17(日) 16:52:17.13 ID:aH1L1Pi/
途中の紆余曲折はともかく、ある人が静けさが増し、安らぎに近づいたならば、彼は修行者の部類に入る。

途中の紆余曲折は置いておくとしても、ある者の静けさが増すことが無く、騒々しく、安らぎから遠のいたならば、彼は修行者の部類には入らない。

誰かが修行者であるかどうかは、すべて静けさが増しているかどうかで分かる。けだし、静けさを目指して邁進する人が、ついに安らぎ(=ニルヴァーナ)に至るからである。

***
763神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 16:57:06.42 ID:Tbusmwhz
>>751
>(中論は「因と縁によって現れ滅し、そして、八正道によって我・我所を滅せよ」と言う教説だと思いますが …)

机氏の中論解釈は、縁生・縁滅もいわゆる仮設に過ぎない。と書いてますね。
で、その理由についても書き込みしている。

有部アンチテーゼとしての論説が大事なのであって、そこもちゃんと抑えてます。
つまり自性と無自性の違いです。
これをキッチリやっとかねば、中論勉強したって駄目なんじゃないですか?

議論のための議論では、それは遊び事に過ぎない。

        「相対立するは結論でるまじ」。
                     by道元
764カラスの唄:2013/02/17(日) 16:59:59.67 ID:I/y+KUNb
>>753
同じく縁起から離れた一切外の形而上の話は二項対立から離れたものなのだ。これを言葉で表現するなら自性と言うんだよ。
それを君のように形而上の話をするのに、形而上、形而下と二項対立で考察するのは竜樹と同じく落第な。
自性と呼ばれているものは縁起に依らず、それ単独で成立しているもの。
そこは識別智である言語の滅っした境地。戯論寂滅とはこういうことをいうんだよ。竜樹の中論の中道は、
自性と呼ばれているものを認めないで、自性と呼ばれているものの話をしている滅茶苦茶なものだ。
だから中論は詭弁論だっていうんだよ。
765神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 17:02:32.75 ID:IAk8EFwE
>>763
>有部アンチテーゼとしての論説が大事なのであって、そこもちゃんと抑えてます。
>つまり自性と無自性の違いです。
>これをキッチリやっとかねば、中論勉強したって駄目なんじゃないですか?

そういう中村先生レヴェルじゃ中論は分からないよ〜

有部アンチテーゼなんて、セコイもんじゃないし
766カラスの唄:2013/02/17(日) 17:07:17.91 ID:I/y+KUNb
>>764
さぁ、今無記の重要性さんは必死で言い返そうと屁理屈を考えています(苦笑)
ま、この人達はどんなに中論の間違いを指摘してあげても中論を捨てられないだろうな。執着が激しすぎる。
彼等は、我が強くてどうしようもないんだろう。
ちゅうかコロコロコテ変えるなよ。ややこしいやっちゃ。
767神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 17:08:34.61 ID:5kiUynim
>>747

>仏教では何らかのアートマンなどの基体、実在、本質、神があるとするのは六十二見であるといいます。

>そしてそういった基体との合一体験や、禅定の忘我体験は単なる感受で三昧体験とします。
これは『梵網経』にハッキリ説かれています。


梵網経のどこですか。引用お願いします。自分は「我」と「世界」の常住性の否定
が書かれてあると理解しました。

それ以外の話は、物事の見方の相違なので、とくに論じても結論は出ないでしょう。
768:2013/02/17(日) 17:10:06.80 ID:jQzXjmB0
 
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf

輪廻にある存在と涅槃との間には
わずかな違いすら存在しない

涅槃の終わりがどこまでであるにせよ
それは輪廻にある存在の終わりである

輪廻の終わり・涅槃の終わり

「言葉で表現したもの」と言う意味においては
両方共に違いはない

(中論25-19・20の意訳)

輪廻も涅槃も自性ではない
我・我所も無我・無我所も自性ではない
この「自性ではない」と言う事については分別はない
それ故に

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
769神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 17:13:35.09 ID:Tbusmwhz
>>765
>そういう中村先生レヴェルじゃ中論は分からないよ〜
>有部アンチテーゼなんて、セコイもんじゃないし

いやいや、これは非常に重要なもんだよ。
中論というのは有部の叩き台として書かれたもんであることがハッキリする。

そのうえで中論批判するなり、それなりに論説張るのは個人の自由だけどね。

つまり中論というのが「結論」は書かれていない。
二項相対寂滅(いわゆる戯論寂滅)というのは、結論は無いんだよ。
だから「結論なし」で中論は完結されるのさ。

そういうことを机氏は書いてましたね。
770神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 17:16:03.84 ID:Bf1Jnv8u
>>768
>輪廻にある存在と涅槃との間には
>わずかな違いすら存在しない

中論の「生死の世界」とは、「この現実世界」の意味である。誤解してはならない。

そこから、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」という、大乗仏教の中心教義が発生した。
771神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 17:22:45.34 ID:Tbusmwhz
>>765縁起氏
そういえば、
西洋哲学も「結論でるまじ」で行き詰まった頃に、ニーチェが新しい哲学を開拓しましたね。

龍樹もそんな感じですよ。

縁起氏の教説を批判する訳ではないですが、
どうも古典的な感じがしますね。
あなたがそれで良い。ってんなら・・・それで良いんでしょうが。
772神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 17:24:41.10 ID:Tbusmwhz
今かから温泉に行きますので落ちます。
773無記の重要性:2013/02/17(日) 17:25:27.21 ID:9Z+D41cc
>>757(カラス)
>識別智である言葉では言い表せない自性と呼ばれてるものを 
 
龍樹の批判した自性=スヴァバーヴァ(自立・単一・恒常:部派)は言葉で表せる「本質主義」実在論の主張です。
仏法の本懐は実存(方便)苦の超克ですから、苦を生む執着原因である『自性』は批判されて当然です。
経験的検証では「自性」なるものはありません。

ゆえに<一切法無自性>です。
774:2013/02/17(日) 17:45:33.08 ID:jQzXjmB0
 
>>768の続き

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html

一切の有情には仏性があるといわれる。
一切の有情は、もともと仏なのだ。
なぜなら、縁起によって空から生まれた無我なる現象であるから。
では、有情とはなにか?
悲しみ、怒り、喜び、妬み、執着するものたちだ。
それこそが仏なのだ。
解脱すれば仏だという。

解脱の前と後でなにが違うのか?

解脱してみたら仏だった。
もともと仏であったことに気づくこと、それが解脱だ。
解脱してあなたたちは思う。
変化する世界のすばらしさ、世界のすべてとともに現象する喜び、空の力への感嘆。
そして我執は消え、みずから苦を創り出していた自分の愚かさに気づく。

しかし、気づくまでは、気づくことは難しい。
  _  _  _

解脱の前も後も自性ではない
この「自性ではない」と言う事については分別はない
それ故に

我執からの解脱に至る事が出来る

と言う意味だと思います
775SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/17(日) 17:59:38.33 ID:aH1L1Pi/
>>774
解脱は、

 解脱してみたら仏だった。もともと仏であったことに気づくこと──

ではない。

解脱した人は、人としては数えられないからである。

***
776神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 18:05:13.54 ID:Bf1Jnv8u
>>773
>仏法の本懐は実存(方便)苦の超克

「実存苦」とは、釈迦の鬱病の症状に過ぎないから、無視すべし。健常者には
無関係。

仏法の本懐は実存楽の追求と言い換えたほうがよい。
777神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 18:09:16.04 ID:Bf1Jnv8u
>>774
>我執からの解脱に至る事が出来る

我執を失ったら、人間は死ぬ。「我執からの解脱」を説く釈迦の全身は我執し
ている。
778:2013/02/17(日) 18:13:57.69 ID:jQzXjmB0
 
> 解脱してみたら仏だった。もともと仏であったことに気づくこと
> ではない
> 解脱した人は、人としては数えられないからである

応供果(おうぐか)とか? 阿羅漢果(あらかんか)とか? 如来(にょらい)とか?
779前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 18:18:11.10 ID:M07xyq44
>>729 :無記の重要性

丁寧なレスを下さったようで有難うございます。申し訳ないですが貴兄の文章はちと難しいので下記以外はよく理解できませんでした。

>・仏種なる本質(自性)主義は仏法ではない。
> シャンカラ(六世紀前半)的不二一元論のパクリスト空海(六世紀後半)は実質ヒンドゥ教である。⇒>>539

尚、空海は恵果大師の下での修行中に腹中に何か(大日如来?)が入って、急きょ卒業して帰国したと師から伺いました。
また時間ができましたら真言系も調べたいと思っております。
780SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/17(日) 18:20:20.00 ID:aH1L1Pi/
>>778
大人になったとき、自分がもう子供ではないことをはっきりと知る。

子どもじみたことに興味が無くなっている自分自身を発見するからである。

解脱した人も、すでに世俗に興味が無くなっている自分自身を発見して、解脱したことを覚知するのである。

***
781神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 18:31:06.66 ID:Bf1Jnv8u
>>780
世捨て人なら、釈迦も仏教も棄てろ。それに執着している間は、絶対に解脱
できない。
782神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 18:39:20.19 ID:ejFyQGgj
捨てるための方法論が仏教だから、捨てようがない
783神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 18:39:28.76 ID:EUoNjmuz
「ホジソン・レポート撤回&謝罪」について、SPR公式からのアナウンスはないみたいね。

今のところ伝聞調の逸話のみ。

『ダーウィンの晩年』の例もあるしなあ。
784神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 18:45:21.84 ID:Bf1Jnv8u
>>782
>捨てるための方法論が仏教だから、捨てようがない

その方法論で捨てることに成功した人が、一人でもいれば手を挙げてw。

未だに執着しまくりという感じだが。方法論自体が間違っていることは確実。
785SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/17(日) 18:47:51.51 ID:aH1L1Pi/
数学の微分では、最初Δxがあるとして計算し、計算後にlimΔx→0としてΔxが無かったものであるとする。

もちろん、最初からΔx=0ならば微分という考え方は存在しない。

このいわばトリックのような方法によって、しかし数学の解析は大きく進んだ。また、いろいろな実利も得た。

仏教も、覚りに至るまで必要なものであり、覚ったならば別に仏教は不要となる。あくまでも、仏教は衆生にとって役立つものである。
***
786:2013/02/17(日) 18:47:51.82 ID:jQzXjmB0
 
>>763 ID:Tbusmwhz さんへ
>> (中論は「因と縁によって現れ滅し、そして、八正道によって我・我所を滅せよ」と言う教説だと思いますが …)
> 有部アンチテーゼとしての論説が大事なのであって、そこもちゃんと抑えてます
> つまり自性と無自性の違いです

T0099_.02.0029c04: 雜阿含經卷第五
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=0099_,02,0032a21
T0099_.02.0032a22: 告仙尼。今當爲汝隨所樂説。佛告仙尼。色
T0099_.02.0032a23: 是常耶。爲無常耶。答言無常。世尊復問。仙
T0099_.02.0032a24: 尼。若無常者是苦耶。答言是苦。世尊復問
T0099_.02.0032a25: 仙尼。若無常苦是變易法。多聞聖弟子。寧於
T0099_.02.0032a26: 中見我異我相在不。答言。不也世尊

T0099_.02.0032a26: 見我異我相在不 ← 我と見るか? 異我か? 相在か? 不か?

我でもない、異我でもない、相在でもない
  _  _  _

机先生などの場合は
阿含経の解説書とかを読んだ事がないから
わからないのかもしれないけど
阿含経の解説書には
我でもない、異我でもない、相在でもない
すなわち
それ自体の自性によって成立しているのではない
「 因と縁によって、五蘊仮和合によって現れる 」 と書いてあります
787無記の重要性:2013/02/17(日) 18:48:59.24 ID:9Z+D41cc
>>764(カラス)
>自性と呼ばれているものは縁起に依らず、それ単独で成立しているもの。

それは愚者とか在家とかのいう妄想心霊主義者のいう『無為』ですね。
『縁起から離れた一切外の形而上の話は二項対立から離れたものなのだ』←これはパンクしたハチャメチャ論ですw
『形而上の話をするのに、形而上、形而下と二項対立で考察する』???←これもパンクしたハチャメチャ論ですw

これは★<縁起の直接現実(勝義)と間接現実(世俗)内の一切外(無記)の初歩的混同>★です。

無為、有為観念はお捨てください。頭の悪い古代馬鹿坊主や妄想心霊主義のタワゴトです。

そもそも前提として,仏法の基盤である「縁起の直説現存・現実」(Dasein:ハイデガー:あるがまま)を、有為⇔無為と“分別”すること自体がナンセンスです(→中論7-33)。
縁起を離れた存在はありえません。

勝義の隔靴掻痒の示唆で「非有非無(四句第4」(の如し)なら<非有為非無為>なのが当然です。
ナンセンスな無為観念の廃棄が当然ですから、相対である有為観念もありえません。

龍樹に満腔の賛意を表します。
★『以上(中論7章)のように、<生>と<住>と<滅>とが成立しないから、有為は成立しない。
また有為が成立しないなら、どうして無為が成立するだろうか(成立しない)。』(龍樹 中論7-33)

無為、有為観念はお捨てください。
788神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 18:54:45.53 ID:/ZaRBEM3
どんなに頭でっかちになったって
自分の悪意に気づかない者に
覚りはない
789前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 18:57:31.90 ID:M07xyq44
>>787 無記の重要性氏
>また有為が成立しないなら、どうして無為が成立するだろうか(成立しない)。』(龍樹 中論7-33)
>無為、有為観念はお捨てください。

「不空は存在しないので、どうして空が存在するのか」
空観念はお捨てなさい。
龍樹「私には主張は存在しない。」→空観念なのど主張していないともとれる。
790SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/17(日) 18:58:48.59 ID:aH1L1Pi/
>>788
とくに優秀な頭脳ではなくても、悪を知り、悪をとどめたならば覚ることができると説かれる。

***
791神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 19:12:49.86 ID:oc+mmMN9
>>767

とりあえず、このスレ的に 「どう、仏教と繋がるのか」 を教えていただけますか?

仏教外で、どういう思想であるか?なんてのは、ぶっちゃけドーデモいいことなんですが・・・。
792神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 19:15:31.18 ID:oc+mmMN9
>>767
そういえば、>>756に対する感想も頂いてないですけれども、
低レベル過ぎて無視の対象ですか?

ま、それならそれで構いませんけど・・・。
793ノスタルジア:2013/02/17(日) 19:32:02.40 ID:pdp+1o1s
親鸞は事実を言ったのだろう。悪人成仏ということを。親鸞にかかれば善人さえ悪人である。
極楽の中に往生する、大なる無量寿を得る、心が地獄になる、地獄に落ちるの四つは
違う次元の話のようでいて、同じ構造におさまります。しかしこの四つの中で、
大なる無量寿を得ることがずば抜けています。頂上にいます。


他は、堕するしかない。

難しい話します。

善なる僧が本当に正しいのか?
善なる僧の中でずば抜けて正しい僧がいるか?
善なる僧を止める非僧がいるか?
という三つがありますが、それぞれは繋がっていません。それぞれ別の問いであるが、
しかし三つの問いは同じ生死超克という視点に立つためにあります。

最後に、

いつの間にか本当の道のところまで来た金剛心を持つ求道者はいるか?

という問いを言って終わります。
794カラスの唄:2013/02/17(日) 19:46:41.08 ID:I/y+KUNb
>>787
無為も糞も、俺は言葉で表現するなら、そこには何にも無いつってんだよ!ホンマに頭の悪いやっちゃな。
おまえこそ中論みたいな詭弁論は捨てるんだな。お前らの大好きな中道、勝義なんざ、お前らの言語が作り出した妄想の中でしかないんだからよ。
それ以前に竜樹は結局なにも説かなかったんだろ(苦笑)
だったら中論も始めから無かったんだから無い話をここでするなよ。中論なんか無いんだからよ。詭弁論もここに極めけりだな(爆笑)
795神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 19:56:48.98 ID:IAk8EFwE
>>767
>それ以外の話は、物事の見方の相違なので、とくに論じても結論は出ないでしょう。

では、書いてもしょうがないでしょう。

時間がかかりますので止めときます。

評判のいいビック・ボーディ訳からご自身で書くにしてください

http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/dn/dn.01.0.bodh.html
796神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 19:59:03.79 ID:IAk8EFwE
>>771
>西洋哲学も「結論でるまじ」で行き詰まった頃に、ニーチェが新しい哲学を開拓しましたね。

違う違う。

ニーチェは西洋論理学の限界を直感したところが素晴らしい
ハイデガーはそれをより詰めた。

釈尊・龍樹菩薩は、それを遥かに上を行くよ。
797神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 20:01:16.80 ID:IAk8EFwE
>>779
>尚、空海は恵果大師の下での修行中に腹中に何か(大日如来?)が入って、急きょ卒業して帰国したと師から伺いました。

そんな伝承全くないよ。
完全に伝承し、伝承終えた後、亡くなった恵果アジャリの碑文も
弟子を代表して弘法大師が書いてるのに。
798ノスタルジア:2013/02/17(日) 20:09:22.81 ID:pdp+1o1s
自分が生み出した境地にいるならいるでいいのですが、その境地まで行くまでに
乗り越えてきた人々を列挙しないといけない。人々はそれをしないから、境地など
自分にはないと思ってしまう。人それぞれ境地があるはずなのです。
それも大きな区分で分けた方が分かりやすい、その分かりやすい区分を
私は793で示しました。私は結局、悪なる力に屈したくないのです。
だからなるべくなら悪なる力が私に及ぼすの考えられうる強敵はすべて
倒す必要があるのです。それは妄想ではなくて現実に当てはまるでしょう。

善なる力の菩薩は多岐にわたりそれぞれがそれぞれの特色を持ってて、
でも同じところに向かっているということは分かるのですが・・・。

言葉を紡ぐことで確かめ合いながら卑屈をぶつけ合いながら行くしかないときもあります。
しかし、目に見えて悪なる力であった場合ただちに避けるでしょう菩薩ならば。
私は若干、強硬手段で、悪魔の家にいる、女を救いたいと思いますが・・・。
もちろん魔に憑りつかれている男を救いたいとも思いますが・・・。
799カラスの唄:2013/02/17(日) 20:16:28.01 ID:I/y+KUNb
>>796
詭弁、言葉遊びを極めることが哲学れすか?
800カラスの唄:2013/02/17(日) 20:51:00.74 ID:I/y+KUNb
>>773
水と去るを合わせて法と書く。水は雨となり大地を潤し、植物を育み、それらは動物たちの食物となり、
また生きもの達の喉を潤し生命を育むだろう。水は生命の糧。やがて死を迎えた生き物の体にある水は蒸発し、雲となり、雨を降らすだろう。
万物は流転する。神よもしも望むなら、雨を降らせたまえ。

>>773
一切法無自性だってよ。自性とは、恒常普遍なもの。流転するもの、一切に、自性などないのはあたりまえだろ。
ほんまにお前はアホだな。いい年こいて、口とんがらせて必死で屁理屈で口答えしてんじゃねぇよ、タコ。
801神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:05:46.31 ID:ejFyQGgj
>>784
よく分からんのだが、
悟りをうるための方法があるとして、悟りを得られない方法を排除することは
悟りをうるための方法に執着していることになるのか?
802神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:07:05.83 ID:xQwmzF23
>>800
カラスさんは、本当にあのくそ難しい中論を読んで理解できたのか。

要するに、万物はすべて「相対的」と言っているのだから、釈迦やイエスを
「絶対的」に信じている者には、原理的な理解は不可能な代物。
803神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:11:48.47 ID:k6ryJfgK
悟りっていっても皆、論理思考できるからいいじゃないか
昔は識字率も無いに等しいほどの論理性皆無の時代だったんだろ
804神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:13:00.15 ID:oc+mmMN9
誰か次スレの準備ヨロシクw
805神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:17:44.27 ID:xQwmzF23
>>801
ダメな方法は、排除しなければ時間の無駄。

それに「悟りを求める」こと自体が執着だから、その執着がある限り、悟り
は得られるわけが無い。「求めよ、さらば与えられん」は、イエスの多数の
誤りのうちの一つ。

一切の宗教観念を捨てて、生命の指示に従いひたむきに生きれば、ひょっと
して悟れるかも知れない。悟れなくても別に構わない。ひたむきに生きたこと
が悟りなのだから。
806神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:19:19.37 ID:IAk8EFwE
>>803
そういう問題じゃない
807神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:19:55.40 ID:oc+mmMN9
>>805
生きている中で出会う、様々な艱難辛苦の欠片も知らない人間の台詞だな・・。
反吐が出るわ・・ ( ゚听)、
808SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/17(日) 21:22:35.96 ID:aH1L1Pi/
正しい見解を先導者と呼ぶ。明知が、道を誤らせないもとのものである。

後は、まっすぐに道を歩むだけで、人はニルヴァーナに達することができるのである。

***
809神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:28:02.51 ID:xQwmzF23
>>807
生存本能というすべての人間に共通する根源を忘れて、悟りだの、開祖だの、
宗教だのに執着する人間を見ると反吐が出る。

人間は「生きる」ために存在している。艱難辛苦と真正面から対峙し、それを
乗り越えることに、実は最大の喜びがある。宗教で苦から逃避することは、
もはや「生物としての人間」の失格、欠陥生物である。
810前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 21:32:35.13 ID:M07xyq44
>>802
>要するに、万物はすべて「相対的」と言っているのだから、釈迦やイエスを
>「絶対的」に信じている者には、原理的な理解は不可能な代物。

そうですか。
ただ「相互依存性」ではなく「因果」の法でしょう。

正 執着あれば苦を生じる
誤 苦あれば執着を生じる

釈尊はもとよりイエスも「善い種には善い果実」、「自分で蒔いた種は自分で刈りとる」と因果の法を説いておられます。
811神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:35:01.36 ID:5kiUynim
>>795

私は「それ以外」と書いたのになぜ「書いてもしょうがない」のでしょうか。論理がおかしいです。

自分の意見を断言的に主張するなら、該当箇所を提示すべきだと思うけどな。。

リンクの英文は自分には分かりにくいです。他の日本語の訳を読んでも、自分の想定するアートマンの否定には
なってませんね。混乱の原因は「自我=アートマン」ですね。単に、用語の違いですね。

梵網経に、
「輪廻するなら有想、解脱するならば無想。比丘衆よ、この捉え方こそ、智慧の光である。」
「囚われると体に、捕われないと空になる。比丘衆よ、この捉え方こそ、智慧の光である。」
という素晴らしい言葉を見つけました。かっこいい。。。
812神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:38:02.36 ID:xQwmzF23
>>810
君は既に「開祖の絶対性」に犯されているから、中論は理解できていない。

忌むべき業報論の論理である「因・果」を否定したのが中論。中論第一章くらいは
読んでね。
813神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:39:26.04 ID:IAk8EFwE
>>811
いや、なんかアナタに示しても意味がないように思うので
814神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 21:56:03.94 ID:k6ryJfgK
>>811
艱難辛苦など気合で吹っ飛ばせw
それが無想である
グジグジ有想してると輪廻しちゃうぞw
空とは気合であり、気合が足らないと体に意識が向くってことだな
815前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 22:33:55.14 ID:M07xyq44
>>812
>忌むべき業報論の論理である「因・果」を否定したのが中論。中論第一章くらいは読んでね。

本当に中論で「因果の法」を否定しておりますか。そうではないとの見解もあるようですよ。
特に世俗諦では時間・運動の不可逆性がありますので。
816前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 22:36:30.40 ID:M07xyq44
>>815
>特に世俗諦では時間・運動の不可逆性がありますので。

また第一義諦は、功徳を積んできた菩薩候補者以外が読むとかえって宜しくないとも伺っております。
817神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 22:59:43.85 ID:wCtkDOCS
>>742
>私は前世の記憶は、ないけど
>落武者の霊を、ハッキリ、クッキリ、目撃した事がある
>そして、その霊体は、何時の日か、肉体を伴って
又、この世の生に、戻り来る

先生 この人は頭おかしいです
818神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:16:44.70 ID:M07xyq44
>>802
>>要するに、万物はすべて「相対的」と言っているのだから、

それは「物」と「物ならざるもの」との言語論理上での相対関係からの誤解でしょう。

現象世界は変化(時間・運動)しておりますから、言語での表現を超えることがあります。

「花」は枯れて「花ならざるもの」とも表現されます。同じ存在ですが。
「氷」は溶けて「氷ならざるもの」とも表現されます。同じ存在ですが。
「水」は凍って「水ならざるもの」とも表現されます。同じ存在ですが。
「車」は事故をして「車ならざるもの」とも表現されます。同じ存在ですが。
819神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:21:45.55 ID:oc+mmMN9
>>814
ま、仰る通りなんだけどね・・w

805を、普通の人或いは仏道に励んでいる人明るい人、或いはしっかり人生経験積んでる人
に言われたら、
うんうん、そうも言えるよねぇ・・ と酒でも酌み交わすところだが・・・w
 (あ、仏道に励んでる人に酒勧めちゃ駄目かwww)

隠居じゃねぇ・・。 もう、なんか、反射的に身体が拒否反応起こしちゃうんだよねw
820神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:22:03.26 ID:ejFyQGgj
>>805
悟りとは幸福を求めることで
結果として執着しないことがその本質になるにすぎないよ
十牛図をみればわかるよねぇ
段階、過程というものを無視するからそういう理解になる。
例えば、不確定性原理というものがあるが
人間はミクロの領域で確率的にしかものを把握することが”できない”
”できない”のだから、はじめからしようと思う必要はないと今の人は思うだろう
だから、今の人はそれを研究対象としない
しかし、だったら、昔の人も”できない”ことをわざわざ研究対象とする必要はなかったのか?
それはちがう。研究したからこそ”できない”ことが分かったわけで
その試みがなければ”できない”ことも分からなかったはずだ。
同じように、今の人の中には往々にして
仏教は執着しないことだから、はじめから何もする必要なんかないんだという人がいるが
その人は執着が何かすら理解していないのであって
執着しない、という心の状態がいったいどういうものか分からないから
執着し、苦しみの世界にさまよっているのだろう。
悟りは執着しないことだが、それがわかってればすでに悟っているよ
執着を君が理解できる次元で捉えないほうがいいよ
821神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:24:48.81 ID:ejFyQGgj
以前にも言ったが
方便は船にたとえられる。
彼岸につけば船は不要だが
さりとて、船がなければ此岸を離れられることすらできない
船が不要だから、船は使わなくていいという人は
結局、船が不要であることが何かに気づかない
822神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:29:35.30 ID:wCtkDOCS
先生
彼岸てなんですか
823前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 23:29:45.96 ID:M07xyq44
>>742
>私は前世の記憶は、ないけど
>落武者の霊を、ハッキリ、クッキリ、目撃した事がある
>そして、その霊体は、何時の日か、肉体を伴って又、この世の生に、戻り来る

私も前世の記憶はないけど、落武者の霊と対峙したことはあります。
20年ほど前の霊動現象の中で、女性に出たご霊がドスのきいた昔の言葉で語りながら幾度も切腹の動作を繰り返しました。
別の事例では、毒殺されたご霊が昔の貴族(麻呂)言葉で語りながら幾度も盃で飲む動作を繰り返しました。

それらのご霊も執着をとって肉体から離れて成仏すれば(あの世へ往く)、また輪廻することでしょう。
824前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 23:39:38.94 ID:M07xyq44
>>823
>霊動現象の中で、女性に出たご霊

新約聖書では人にかかった霊(かかられた側から見れば悪霊)の話は度々記載されております。
仏教でも似たような話があったかと思いますが、手許に文献は持っておりません。

直近では祖父の事例があり、前世を思い出したのか、霊にかかられたのか、の判断には検証を要します。
兎に角、仏教知識がほとんど無かった体育教師が語った寝言の内容はあまりに不可思議でしたし、
当時家族以外にも近所の人達が同席したことが記録に残っております。
それが評判となり、地元の日日新聞夕刊にも掲載された(昭和8年1月1日か大みそか)とのことです。
825神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:39:55.43 ID:oc+mmMN9
>>745
(一応、返しておいた方が礼儀には適うか?w)

     統一真理
     /|\ \
    仏 キ イ その他各種

という構図だもんねぇw
 (一在家と全く同じ。資料の使い方(利用の仕方)は、彼の方が大胆且つ強引だけれどもw)

が、
だが、だ。

君は、これまで以下のような方向で発言してきた。
 (在家に関しては、資料の使い方が流石に目に余るんで、その点でのレスがどうしても増えるw)

   統一真理(≒準仏教)
     /|\ 
    キ イ その他各種

だから、「こちらからも“それは仏教ではない”という横槍を入れることが可能」だった。
曲がりなりにも議論は成立してきた。
が、上記前者の図の如きであるなら、貴方と議論することは何も無い。
「ああ、そうですか」ってだけだ。

宝珠愚者もNGネームに入れちまうかなぁ・・w
長い付き合いなんで残念でもあるが・・。 しばらく拈提しよw
826神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:41:48.43 ID:ejFyQGgj
>>822
そのままの意味だよ
川が目の前を流れていれば、こちらの岸とむこうがわの岸があるだろ
此方(こちら)の岸を此岸、彼方(かなた)の岸を彼岸と言う
日本では仏教を漢訳経典によって研究してきたからそういう用語が確立しているが
もともと単なる普通の言葉。
ただ、仏教ではその状況を譬喩としていろいろな含蓄をこめて使用するから
漢字で此岸、彼岸とつかえば、
仏教の文脈として日常用語と切り離して提示できるという利点がある。
ただそれだけ。
彼岸はこれから行こうとする場所。此岸は今いる場所。
彼岸に行くには船がいる。
大乗、大きな乗り物では、大勢の人が向こう岸に行ける。
一部の修行者だけでなく、みんなが救われる教えということ。
827神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:43:54.13 ID:wCtkDOCS
前世は一在家さんは
ちゃんとした仏教徒と思ってたのに
残念
828神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:45:27.27 ID:ncfE/n1f
>>815
>>816
>本当に中論で「因果の法」を否定しておりますか。そうではないとの見解もあるようですよ

それは、釈迦の業報論への執着から離脱できない人の見解でしょう。中論第一章では、
釈迦の「これがあるから、あれがある」を、明確に否定していますね。

私は、中論は、釈迦の2諦を実質的に否定し、世俗諦一本に止揚したものだと解します。
「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示し得ない(田川訳)」のだから、
第一義は、世俗から一歩も踏み出すことはできないからです。

第一義は、「空について世俗から突っ込まれたときの言い訳」だと、月称さんも
言ってるそうです(シリーズ大乗仏教6「空と中観」)。

時間については、「生命教」の立場からは、過去も未来も、それを考えているのは
「今ここの生命」だから、すべて「今ここ」であり、過去も未来も否定されるのです。
ニーチェの「永劫回帰(原語的には、「永遠の反復」)」も、この趣旨であると解します。
人生とは「今ここの生命」の永遠の反復なのです。だから、人生の一瞬一瞬が、限りなく
貴重なのです。
829前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 23:48:41.87 ID:M07xyq44
>>822
>先生
>彼岸てなんですか

(昭和6年3月23日 祖父寝言)
http://minamotonoshin.life.coocan.jp/6nen3336.html
中日をはさんで後先三日を彼岸と云う。此の岸と書く彼岸と彼の岸と書く彼岸とある。此の岸と書くのは丁度迷いである。彼の岸と書くのは即悟りである。
この迷は即合掌である、彼の岸は悟、即ち涅槃である。春夏秋冬優曇華の花はこの春の彼岸に咲き秋に実を結ぶと云う事が大涅槃経に書いてある。
普通彼岸は彼の岸と書いてある、皆が仏縁にひかされて、この彼岸の中日には七人の仏様が善行した者には金の帳面に記録せられる。
そしてそれがたとえ須弥程の善事でも大変おほめになる、悪事をすれば鉄の印を押されたとえそれが須弥(字を教わる)程の事でもそれが何万倍になってひびくかわからぬ、
それを閻魔帝釈の王に届ける。
 そこで今日は迷の此岸合掌及び涅槃について話しをする、総てのものに基いて話して行こう、今迄こんなむつかしい話した事がない。この春の彼岸になあ聞いて貰わな。
 即迷の此岸は仏教の方から云うと合掌である、五本の指を合せて一念に帰命する。この合掌たるや、それから今一方、彼の岸に到達さして貰う。
迷から悟 こちらの岸は迷即悟(あちらの岸)。迷を去って彼の岸に到達さして頂くその暁が即ち涅槃である。
迷の世界から即悟の世界に送り届けさして頂く、合掌から即涅槃に入ると云う事は仲々むつかしい処じゃ。
830827:2013/02/17(日) 23:48:53.21 ID:wCtkDOCS
ちなみに
私は真宗のお寺の檀家で
霊は認めません
831神も仏も名無しさん:2013/02/17(日) 23:52:17.83 ID:xeqHIA7T
仏陀の真意を理解している者は此処に居るのか?
832前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/17(日) 23:59:29.95 ID:M07xyq44
>>827
>ちゃんとした仏教徒と思ってたのに残念

残念と言っていただいて忝いです。
「前世は一在家」というハンドルの意味は、今は異教ですが19才までは浄土宗でした、という意味です。
833SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/18(月) 00:00:14.20 ID:aH1L1Pi/
>>831
ブッダの真実を理解することは容易ではない。

ただ、ブッダの真実を理解しようとする人は、自ら道を見い出し、ついに覚りに達すると期待され得る。

***
834前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/18(月) 00:07:21.77 ID:h6Qu/yo/
>>830
>私は真宗のお寺の檀家で霊は認めません

そうですか。
私は浄土宗の頃以上に現在では、阿弥陀如来、大日如来、そのお膝元の菩薩、各地の如来化身、法然聖人、親鸞聖人、地蔵さんらが衆生済度の為にご活動中であることを確「信」しておりますよ。

今朝は石山寺(観音様)に一礼して参りました。
835神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 00:09:40.22 ID:y0D3IaVj
>>818
>それは「物」と「物ならざるもの」との言語論理上での相対関係からの誤解でしょう。

万物・万人に適用可能です。中論では「相互依存性」という言葉は使われていなく
でも、「相対性」という言葉は、繰り返し使われています。「常住の住宅がある
から、仮設住宅がある」。すべてが「仮設住宅」なら、それが「常住の住宅」です。
「去らないという行為があるから、去るという行為が成立する」。万人が去っている
のなら、去るという行為はもはや存在しません。

>「花」は枯れて「花ならざるもの」とも表現されます。同じ存在ですが
前レスでの「今ここの生命」による認識では、別の存在です。「現成公案」(道元)
をご参照ください。
836宝珠愚者@(規制代行):2013/02/18(月) 00:21:42.47 ID:9k9YhfJZ
>>687
>宝珠、こういうなら神智学のアートマン説や人以外に輪廻しないというような説が仏教にない
>というのは仏教学者なら誰でも認めると思うよ

私も知っています。
私は、それら一貫した仏典の話は方便だと話しただけのことです。
そんなに虫けらに生れる話が大切ならば、どうぞお好きにして下さい。
そのことで大した害はないでしょうし、道徳的効果において必要ならばご自由に。
“仏典に書かれてあれば正しく真実だ”といった考え方には、この私はとてもついていけませんから。
別にそうしたい方については止めませんよ。

>仏教と神智学が違うと認めるか

ブラヴァツキー自身が認めています。
(ただし、「あなたのいう仏教=ゴータマの正しい教え」という見方は私同様にありません)

>>41
>次の新法王には大注目しています。
>その方はもしかすると“普通の人間”ではないかもしれませんよ。

あっ、ちょっと勘違いしました・・・。
「“普通の人間”ではないかも」は撤回させて下さい(汗)
837前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/18(月) 00:28:08.70 ID:h6Qu/yo/
>>833:SRKWブッダ
>ただ、ブッダの真実を理解しようとする人は、自ら道を見い出し、ついに覚りに達すると期待され得る。

「自ら道を見い出し」ですが、見えない世界で仏様達がバックアップして下さっているようです。
例えば偶然、本屋で善い仏教書籍を見つけたとか。 善い師に出会えたとか。
それらを「仏縁」というのでしょうか。

一切智のハンドルのお方には既知でしょうね。
838神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 00:30:24.58 ID:y0D3IaVj
>>807
>生きている中で出会う、様々な艱難辛苦の欠片も知らない人間の台詞だな・・。
>反吐が出るわ・・ ( ゚听)、

人生が、艱難辛苦なら、人為的な修行ではなく、人生で修行したほうがよい。

スジャータの乳粥一杯で中止できた釈迦の修行など、生存努力という選択不能
な大修行に比べれば、ほんの「お遊び」「趣味」「道楽」に過ぎない。ゴルフ
やって、疲れた、と言ってるようなもの。悟れるはずがなかろう。
839宝珠愚者@(規制代行):2013/02/18(月) 00:32:10.95 ID:9k9YhfJZ
1/2
>あなたは神智学が説く秘密のマスター存在に出会ったことがないのでしょう。>>661

参考読物:
 『私は町へ続く道をたどっていた。その道から巡礼姿で簡単にチベットに入れると、その途中で
あった人々は私に請け合ったくれた。その時、突然一人の馬に乗った男が反対側から疾走して来
るのを見たのである。その高い背丈と馬術の巧みさから、男はシッキム王の軍人か何かに違いな
いと思った・・・。私が近づくと、男は馬の手綱を引いた。私は彼を見上げたが、直ちにどなたである
かが分かった・・・我が尊敬する師匠、大師の畏敬すべく面前にいた。私は以前、神智学協会本部
のバルコニーで、アストラル体をまとった同じ大師にお目にかかっていた。そのお方に去年の12月
の、永遠に記念すべく夜にお目にかかったのである。旅の間中、一瞬たりとも見失わなかったブラ
ヴァツキー夫人に、たった一時間前かそこら前に封じた手紙を私は渡したのであったが、ご親切に
もそれに返事を下さったのはそのヒマラヤの大師だった。その途端、私は大師の足下にひれ伏した。
大師の命じられるままに立ち上がり、ゆっくりと大師のお顔を見つめた。そのお顔は、何回となくオ
ルコット大佐の所有する肖像画で見てとてもよく知っているお顔で、そのお姿を凝視しているうちに
私は完全に自分自身を忘れてしまった。私は何を申し上げてよいやら分からなかった。喜びと畏敬
の念が私の舌を縛りつけてしまった。力と思いの具現とも見られる大師のお顔の尊厳さは、畏敬の
うちにも私の心をうっとりとさせた。私は遂にヒマラヤの大師と直々にお会いしていたのであった。
840神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 00:33:02.34 ID:9k9YhfJZ
2/2
 大師はある懐疑家達が考えたような神話の人でもなければ、霊媒の想像の産物でもなかった。そ
れは夜の夢でもなかった。午前9時から10時の間の出来事だったのである。太陽が輝いていて、
静かにこの風景を上から証言してくれた。私は肉体をまとい、血の通った大師を目の前で見ている。
そして大師は優しいアクセントで話しかけて下さっている。これ以上、何を望むことがあろうか。幸せ
すぎて、私は押し黙った。大師の優しい語調とお言葉に励まされて、少し言葉が話せるようになるま
でには、大分時間が経過した。 大師のお顔の色は、クート・フーミ大師ほど色白ではなかった。しか
しこのようにハンサムで背が高く、威厳のある顔立ちを今まで見たことがない。肖像画にあるように、
短い黒いあごひげをつけ、胸のところまで長い黒い髪を垂らしておられた。ただ大師の服装だけが
違っていた。白いゆったりとした衣の代わりに、皮で裏打ちした黄色の外套を着けておられた。そし
てターバンの代わりに、頭には黄色いフェルト製の、チベット帽を被っておられた。この国の何人かは
ブータン人がこのようなものを被っているのを見たことがある。最初の瞬間の歓びと驚きが終わった
時に、私は静かに状況を理解し大師と長い話を交わしたのである。(S・ラーマスワーミ・アイヤー著
&nbsp;『神智学の五年間』)』
(C・W・リードビーター著『大師とその道』竜王文庫刊p50-52)

私(宝珠)の体験もグループ内の世界中に紹介されました。
841SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/18(月) 00:33:58.26 ID:6CzZRgzC
>>837
仏縁は、基本的に修行者本人によって形づくられるものであると考えて大過ない。

法界の諸仏は、確かに機縁によってこの世に出現するが、それは修行者が真実を求める心に呼応して現れるものである。

また、諸仏は特定の人を覚らせようとすることはない。諸仏は、あくまでも現世に生じた覚りの機縁に対応した善知識(化身)を世に出現せしめるだけである。

すべては修行者本人の功徳にかかっている。充分に功徳を積んだ修行者には、覚りの機縁を生じ、また修行者はその機縁を見逃さないであろう。

人は、覚りを運命づけられたり、覚りの宿命を宿して生まれるのではない。

ただ、予め功徳を積んでいて、真実を知ろうと熱望する人が、自らの仏縁をものにして、自ら覚ることになる。

これが仏道の全貌であり、真実なのである。

***
842神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 00:34:35.05 ID:vU1Okf1o
>“仏典に書かれてあれば正しく真実だ

仏典て釈尊滅後 数百年後
優秀な作者が書いたんでしょう
阿弥陀もガンダーラ佛像で初めて登場らしい
843前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/18(月) 00:54:34.50 ID:h6Qu/yo/
>>841:SRKWブッダ
>ただ、予め功徳を積んでいて、真実を知ろうと熱望する人が、自らの仏縁をものにして、自ら覚ることになる。

早速の説法を有難うございます。 非常に分かり易い文章かと存じます。
844神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 00:59:23.65 ID:y0D3IaVj
>>843
「功徳」「真実」「仏縁」「覚り」。それぞれ具体的には(日常生活的には)
一体どういう意味?意味不明の文章。

君が代わりに説明してくれ。
845SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/18(月) 01:04:35.50 ID:6CzZRgzC
功徳とは、見性することに巧みであり、素直なこころが徳そのものであることを云う。

真実は一つである。その真理を知った人は争うことがない。争うことの無くなった人は、その真理を知ったのである。

世には八種の仏がある。これは人間の特性から生じたものである。したがって、すべての人々(衆生)が私という仏に縁があるのだと考えるのは正しくない。

覚りとは、目覚めることである。具体的には世の顛倒を正す眼を生じ、識別作用の滅を見、この名称と形態(nama-rupa)の消滅を知る。また、為すべきことを為し終えたと知る。

***
846神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 01:15:29.54 ID:QWEI+70S
悟り
847神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 01:17:14.62 ID:dHyh8tyo
釈迦は生きる修行も控えめに自分を追い込まなかった
らしい。つまり自己犠牲とは出来ない他人にも強いるから
だ。だから危ない真似はさせないように自分は得るものも
訓読も八分目にしていたらしい。
848神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 01:48:10.23 ID:y0D3IaVj
>>845
>覚りとは、目覚めることである。具体的には世の顛倒を正す眼を生じ、識別
>作用の滅を見、この名称と形態(nama-rupa)の消滅を知る。

それは「目覚める」ことではなく、「気が狂うこと」「迷妄に陥ること」。
人間は、識別作用がなくなったら、生きてゆけなくなる。

>>847
ならば、釈迦は、不用意にも「無我」などと口を滑らすべきではなかった。
他者の「我」を無視・否定することになる。
849SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/18(月) 02:04:39.23 ID:6CzZRgzC
人は、何かを言って、それによって覚るのではない。

人は、世に稀有なる法の句(善知識)を耳にして、その真実を知って、覚るのである。

安らぎ(=ニルヴァーナ)を求める人は、耳聡き人であれ。

***
850神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 06:21:34.91 ID:i/sWNdVy
>>836
つまり、神智学が正しい。問答無用だってことですね。

じゃ、今までなんだったんだろう。

アナタも仏教書を読む必要も、ここで引用する必要も全くないじゃないですか?

オイラもそれならもう話すことは何もないけどねえ
851神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 06:25:15.23 ID:i/sWNdVy
>>840
>私(宝珠)の体験もグループ内の世界中に紹介されました。

全然、質問に答えてないじゃないですか?

オイラはチャター・リンポチェを紹介しましたが、
そのような他人も認められるような形で紹介できないなら、
唯の妄想体験かもしれませんよ。

まあ、もはや好きにしれくれって感じですが

ただアナタ自身も認めているように神智学と仏教は違いますから、
くれぐれも同じだとは言わないでください。
852前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/18(月) 07:38:40.07 ID:h6Qu/yo/
>>841 :SRKWブッダ氏
>法界の諸仏は、確かに機縁によってこの世に出現するが、それは修行者が真実を求める心に呼応して現れるものである。
>また、諸仏は特定の人を覚らせようとすることはない。諸仏は、あくまでも現世に生じた覚りの機縁に対応した善知識(化身)を世に出現せしめるだけである。

如来ご自身でなくその化身(分身?)が現れるという話は先日オイラ氏からも伺いましたので理解が深まりました。真に有難うございます。
祖父(停年時は岐阜薬科大学教授)の寝言でも各地の薬師様が一杯出て参りまして不思議でしたので。
(薬師様ご来臨回数:一畑28回、多田23回、奈良9回、青野9回、山代、満願寺、勝持寺)

>>845:SRKWブッダ氏
>世には八種の仏がある。

長部経典の「大本経」に記載の過去七仏と釈迦如来ですか。
阿弥陀如来、大日如来、薬師如来、釈迦如来、他4如来?
853神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 07:50:19.81 ID:i/sWNdVy
>>852
>(分身?)

実体的に考えるねえ
854パンツ千円 ◆O/ASektURPxy :2013/02/18(月) 07:52:39.07 ID:5mz9w2JJ
わからん
855神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 08:14:36.49 ID:d/krcjEB
>>829
読み物として単に面白いなw
合掌の有効性については、、、やっぱり気合みたいなもんだな。
何が苦であり、何が迷いなのか。
何が集であり、何が滅であり、何が道なのか。
私はそこにカレンダー祭事や結婚式、葬式を見る。
世の嗜好性により集積された祭事類は虚構かはたまた正法か。
どちらも真なりかもしれんが、合掌して一心不乱に念仏でも唱えれば
苦は滅するかもしれんなぁ
856無記の重要性:2013/02/18(月) 09:31:09.11 ID:UZW8YAvT
>>789(カルト在家)
>「不空は存在しないので、どうして空が存在するのか」「空観念はお捨てなさい。」
>龍樹「私には主張は存在しない。」→空観念なのど主張していないともとれる。

まったくそのとおりです。いい大疑団です。矛盾があります。
あと一歩です。

縁起の直接現実では<無分別相ですから←これも分別観念>、空という観念そのものがありません。

ここは矛盾なきを矛盾の内に(中論24-18)示唆せざるを得ない(無分別の分別)限界です。
空という語彙は不空という語彙の矛盾相関で成り立つ仕組みだからであって、言語構造上の限界です。
空という分別語(指)で無分別の様相(月)を示唆せざるを得ません。
<即心即仏⇔非心非仏、即有為即無為⇔非有為非無為、即空即非空⇔非空非不空>

★遂に般若智がなければ縁起の直接現実の直覚=縁起の現観(無矛盾)への到達はありえないのです。★

>「空観念はお捨てなさい。」

→<最上の「想いからの解脱」においての解脱>(Sn.1072)です。
・<無執着境地への執着、涅槃への執着、法そのものへの執着>をも捨てなければ、まったき自由はありえない。(>>541
・『念仏はりけん(離見)なり。 かならす(必ず)仏になると思ふべからず。』(至道無難 即心記)

これが「筏の喩えの法門」(金剛般若経6、マッジマニカーヤ22)に他なりません。
857無記の重要性:2013/02/18(月) 09:52:26.25 ID:UZW8YAvT
>>841(SRKWブッダ)
>法界の諸仏は、確かに機縁によってこの世に出現するが、それは修行者が真実を求める心に呼応して現れるものである。

やっぱりアンタも「本質主義者」かw

『念仏はりけん(離見)なり。 かならす(必ず)仏になると思ふべからず。』(至道無難 即心記)
858:2013/02/18(月) 09:52:38.85 ID:8v8yz4FW
 
>>817 ID:wCtkDOCS さんへ
>> 落武者の霊を、ハッキリ、クッキリ、目撃した事がある
> 先生 この人は頭おかしいです

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm#観如来品第二十二(十六偈)
中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二
空は、則ち、説けない
空でなくても、説けない
空、非空は、共であろうと、共でなかろうと、説けない
但だ、仮名を以って、説くのみだ
如来は、戯論を過ぎるが、而し
人は、戯論を生ずる

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm#観四諦品第二十四(四十偈)
中論觀四諦品第二十四
一切の法は、性空だが、而し
世間は、顛倒の故に、虚妄の法を生じ
世間には、是れが、実である
衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ、と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である、但だ
衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
859神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 10:08:44.26 ID:uP8klyEK
>>856
>まったくそのとおりです。いい大疑団です。矛盾があります。
>あと一歩です。

だから、空、縁起、中道という言葉ではなく、中村博士の「相互依存性・関係性・相対性」
一本に絞るべき。空を、釈迦の「無我」「無」に結び付けたがる者が多すぎ。

直接現実・間接現実という「分別まみれ」の2項対立も無意味。そんなものはない。
860:2013/02/18(月) 10:27:37.90 ID:8v8yz4FW
 
>>858 の続き

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98
阿頼耶識(あらやしき)
ある人の阿頼耶識は、蔵している種子から対象世界の諸現象<現行(げんぎょう)法>を生じる
そうして生じた諸現象は
その人の阿頼耶識に印象<熏習(くんじゅう)>を与えて種子を形成し
刹那に生滅しつつ持続(相続)する
この識は個人存在の中心として多様な機能を具えているが
その機能に応じて他にもさまざまな名称で呼ばれる
諸法の種子を内蔵している点からは「一切種子識」
過去の業の果報<異熟(いじゅく)>として生じた点からは「異熟識」などと呼ばれる

http://www.daitouryu.com/iyashi/voice/voice03.html
慢断(我慢を断滅すること)せざる故に、此の蘊を捨て己(おわ)りて異蘊相続して生じる
  _  _  _

それ自体の自性によって成立しているのではない、それ故に
我慢を断滅する事が出来ない場合は
此の蘊を捨て己(おわ)っても
因と縁によって
異蘊相続して
又、次の、この世の生に戻り来る

と言う意味だと思います
861:2013/02/18(月) 10:47:31.45 ID:8v8yz4FW
 
>>860 の続き

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html

… 此の陰滅し已らば異陰相續す
俗數法をば除く
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは 謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く
又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す …
  _  _  _

バラモンの場合は
「アートマンは永久不滅 ・ 常住不変だっ!」

水野訳 SN 877
彼等(諸見者)を依著者なり【と知り】、かの現慧ある牟尼は依著【を知り】
「慧者は《種々の有》に戻り来たらず」【と知りて】、解脱者は諍論に至らず

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
877
かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って
諸々のこだわりを塾考し、知った上で、解脱せる人は論争におもむかない
思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない
862神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 12:41:33.12 ID:C5u/WWAt
>>786
>机先生などの場合は
>阿含経の解説書とかを読んだ事がないから
>わからないのかもしれないけど
>阿含経の解説書には
>我でもない、異我でもない、相在でもない
>すなわち
>それ自体の自性によって成立しているのではない
>「 因と縁によって、五蘊仮和合によって現れる 」 と書いてあります

これは机氏が丁寧に説明したじゃないか?
じゃあ、もっと机氏より丁寧に説明しちゃる(苦笑

「五蘊和合」では論理矛盾だから「五蘊仮和合」になってるんだよ。
何故かというと、和合する訳はないだろ?無自性なら、主体(実体)そのものが無いんだからね。
つまり五蘊仮和合というのは空のことだよ。
和合することもないし、また和合しないこともないが・・・
縁起として現れる、ということさ。

もっと平易に解説すると五蘊の感受に例えたら、甘いとか、痛いとかの縁起のことだよ。
縁起があって・・・そして主客の分別がなされる。
故に、「第一義空」と名づく。第二義が主客分別になるんだよ。

先ず「第二義ありき」ではないから、そこのとこの解釈をみっちりやっとかないと、
全体の文意そのものの把握は全く出来ないんだよ。
まあ、これ以上説明しても無駄だから・・・止めておく(苦笑
863SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/18(月) 12:44:41.31 ID:6CzZRgzC
いかなる論争も、真実を追究する手段とはなり得ない。

真実をすべて見極めた人は、論争によらず、観によって真実を追究したからである。

いとも聡明な人は、論争におもむかない。彼は慳みすることなく、自制し、誠実であり、よく堪え忍び、功徳を積んで、ついに安らぎ(=ニルヴァーナ)に到達する。

***
864JPNACEO=光照寺の副住職:2013/02/18(月) 13:21:50.27 ID:xVE1v4IZ
神奈川県鎌倉市「光照寺」の副住職によって作成されたYouTube動画サイト。

自らを【カルトと闘う勇敢な坊主】と名乗りながらその行動は変態ストーカーwww

自分が光照寺の副住職だという事を必死に隠してきましたがもう限界の様子ですwww


・楽天トラベル

http://www.youtube.com/watch?v=ROFuNPRZuYc

・株式会社IONDUniversityへの道案内

http://www.youtube.com/watch?v=7fhZOJnzWmQ

・イオンド大学から湯河原温泉物産へ変身!!【ハワイから追放】

http://www.youtube.com/watch?v=O5QDzoq3uvc
865宝珠愚者@(規制代行):2013/02/18(月) 16:04:29.34 ID:LTAgK8Zd
>>560
 はい、私の主張する見解については、不説さんの理解説明で正解です。輪廻主体-「魂」(ジーヴァ/
名称はなんでもいい)、これは輪廻している間だけの縁起存在で輪廻の終結と共に消滅する。ゴー
タマ当時のバラモンたちが三昧でアートマンと勘違いしていたものがこれです。
 普段は知覚することが不可能な存在の「真我」(アートマン)は、輪廻の終焉において魂が消失した
後に立ち顕れるものです(初めて知覚される/自己がアートマンそのものであるとして)。
 この真我はロゴスの断片であり、ちょうど大海と大海の海水をコップで汲み取ったような関係です。
「梵」(ブラフマン)が個として働く際には「我」(アートマン)として作用するのと同一の意味合い。個は
その本質が真我であることを覚り、そしてロゴスに帰するので、その関係は梵我一如とほぼ同様とな
ります。

>>606-608
恐らく、エドガーケイシーに近似した現象かと思われます。
トランス状態(当人は憶えていない)に入って、アカシックレコード(あらゆる情報の宇宙的な記録庫)から
未来予言をしたり、神秘治療に関する情報を引き出します(リーディング)。
そのリーディング記録は膨大で、子孫を中心としたケイシー財団が管理しています。
特に治療に関しては、意味不明な事柄が多くてもその通りに実行してみると難病や不治の病が治癒され、
快方へと向かいます。今日、ブームとなっている神秘宝石の効果もケイシーが元祖的な存在です。
神智学情報では、彼は1.7段階のイニシエートでした。

要するに、語られた内容の正確性や有用性が問われると思います。
在家さんの祖父の例は、仏教で修行をされていたイニシエートによる関与の可能性が妥当でしょう。
866宝珠愚者@(規制代行):2013/02/18(月) 16:05:10.41 ID:LTAgK8Zd
>>760
>これは目で観たという意味ですか?

街(駅前附近)を歩いているとマイトレーヤから私にぶつかってきました。
そして、僅か数回の遣り取りの対話をしています。
この体験は事実と確認されて、5ヶ国以上に翻訳され、
70ヶ国以上に配布されているグループ発行の国際誌上に掲載されました。

>だとすれば我々も確認することができますよね?

マイトレーヤの出現のときには見ることができます。
衛星中継TVで世界中の人類にテレパシーで語りかけられる計画です。
疑いのない形で、この方こそ人類の長兄であり、人類の師であることを示されます。
心の開いている人は病も癒され、世界中で治癒の奇蹟が起こります。

このとき以外は、
こちらから望んで会うことは不可能です。
どこそこの寺院にいる誰々のことである、というものではありません。
普段は、ロンドンの貧民街に弟子である側近数名と正体を隠して生活をされているという情報です。

また、
保守的過ぎるこの世界に仏教改革をもたらすべく、
仏教圏に弟子を2名派遣されたという情報もあります。
この数年、どこかの僧の中に革新的な影響力を与えている新しい人は現れていないかのどうか・・・。
867神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 16:32:14.40 ID:VTZTJHt0
>>866
そのマイトレイヤーて宝珠さんとの間で交わされた会話の内容を詳しく。
868神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 17:20:50.40 ID:jPG28eJ2
>>852 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE

出たよ得意のエドガーケーシー高峰ゴッコの親等話がよ(笑)(笑)
てめえの正体はインチキ糞カルト手かざし真光の三軍超ザコ信者じゃねーかwwwww
ナニ仏教なんか興味示してんだよwwwwwwwww
てめえんトコの宗教はイエスもモーゼもモハメドもブッダも青森県で
修業してたと教える乞食スープなんだから、ここじゃぜんぜん話が噛み合って
ねーんだよwwwwwエドガーケーシー高峰みてーに寝ゴトこいてんじゃねーぞ(笑)
869宝珠愚者@(規制代行):2013/02/18(月) 17:40:47.48 ID:9k9YhfJZ
>>850
>つまり、神智学が正しい。問答無用だってことですね。

二千五六百年もの間、
一句たりとも間違いが生じないなどというほうが不自然でしょう。
時代の流れにおける歪曲が生じない宗教など有得ませんね。

問答無用などとはいってないでしょう!だから議論してきた。
私はその理由も述べているし、仏教主張のどこかがおかしいかも明確に指摘してきました。
まともに論理的な返答ができなかったのはそちらでしょう。

逆にあなたの方こそが、仏典に書かれてあれば正しい。
だから、それを認めないものは話にならないんだ、
という頑迷な態度なのでしょうが??
870前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/18(月) 17:47:59.01 ID:h6Qu/yo/
>>868
>てめえの正体はインチキ糞カルト手かざし真光の三軍超ザコ信者じゃねーかwwwww
>ナニ仏教なんか興味示してんだよwwwwwwwww

貴兄のおっしゅる通りです。
一軍と二軍は仏教に興味を示さず、黙って手かざしを一人でも多くの衆生に実践しております。
871:2013/02/18(月) 18:02:37.15 ID:8v8yz4FW
 
>>862 ID:C5u/WWAt さんへ
> 先ず「第二義ありき」ではないから、そこのとこの解釈をみっちりやっとかないと
> 全体の文意そのものの把握は全く出来ないんだよ

中論の意味を理解する事が出来なくて
「 すべてが無である、とする事を本当の真理であるとする 」 と勘違いしている → 机先生の場合は

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama24.pdf

 − 空の事について勘違いをしている反論者に対して −

あなたは空について間違った考えを持ってしまっているのである
そのせいで、あなたの考えは毒されている
(中論24-7の意訳)

ダルマについてのブッダの教えは
二諦(にたい)に基づいている
世俗諦(せぞくたい)と
勝義諦(しょうぎたい)である
(中論24-8の意訳)

この二つを理解できない者は
ブッダの教説を理解する事も出来ないのである
(中論24-9の意訳)

そして机先生の場合は
中論を理解する事も出来ないのである
872神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 18:33:44.61 ID:lI4crEcK
>>871
「世俗的なことにもとづかなくては、第一義は説示しえない」。即ち、第一義
は、世俗諦から一歩も離れることはできないのである。

さあ、どうする?
873神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 18:37:51.41 ID:jPG28eJ2
>>870
どこの仏教も「手かざし」なんか教えてねーのに、てめえ出てくるたんび
真光と仏教のどっかをこじつけようと必死だよな(笑)(笑)
このバカ丸出し感は年月感じさせねーよwwwwww
874神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 18:41:23.76 ID:C5u/WWAt
>>871
>そして机先生の場合は
>中論を理解する事も出来ないのである

雜阿含經卷第五については、あまり重要ではない。
どうしてか?というと、雑阿含経を下敷きとして中論は書かれているものですから、
中論さえしっかり勉強すれば良いんですよ。

雑阿含経は抽象的でありますから、その文意は直ぐには分からないのが普通です。
雑阿含経を具体的論理書として纏めたのが中論と、そのような位置付けで良いんじゃないですか?

また雑阿含経解釈は、机氏が何度も説明してますよ。
その説明も中論があってなせること。
このことに机氏は、
「龍樹が天才であることを改めて驚きます!!」。とか何とか掲示板に書いてましたね。

わたしもこれには机氏に同意です。

そういう意味で雑阿含経典を紐解けば良いんじゃないですか?
とにかく、雑阿含経解釈は中論なくして無理かとおもいますね。
それだけ中論の位置付けってのは偉大であることを、今さらながらに思います。
875神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 18:43:41.70 ID:lI4crEcK
>>873
釈迦の教えが真光や神智学などのカルトに常に利用されるのは、釈迦の教えが
カルトであるからである。それにイエスの教えが加わると、最悪の教えとなる。
876神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 18:56:21.39 ID:jPG28eJ2
>>875
利用じゃねーんじゃね?「釈迦の教え」でもないのに「釈迦の教え」だと言ってるから
笑われてると思うが(笑)
877神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:00:29.87 ID:xuC6G/HL
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】14
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/233
233 神も仏も名無しさん New! 2009/09/06(日) 00:26:14 ID:xpSAieIc
>> 232
生存本能は、すべての動物に共通して存在する肉体的本能だから、「観念」によって完全に捨てることはできない。
肉体自体が滅びるのを待つしかない。若し、それが佛教の目的であるなら、無駄な試みて、
しかも真っ向から「法」に反する。
人間界において、思考・論理の正しさは、それが生存の方向に向っているか否か、によって判定する。
それ以外には、判定基準はない。 若し、釈迦が生存本能を捨てることを説いたのなら、
彼は、イエスと並ぶ愚か者、真正の精神病者ということになる。
信者は、彼の精神病の感染者に過ぎない。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/237
237 神も仏も名無しさん New! 2009/09/06(日) 00:53:11 ID:xpSAieIc
>> 234
釈迦が苦をなくすことを説いたなら、それはまさに彼の健全な生存本能の表れw。
彼にとって、「死」は「苦」であった。
878神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:01:22.30 ID:xuC6G/HL
昔は、いつものように、こき下ろしながらもしながらも、
こんな↓台詞も言ってたんだけどね・・・w (^^;  お釈迦さんのこと。


http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/393
393 神も仏も名無しさん New! 2009/09/07(月) 13:20:24 ID:q5WecylS
>>391
ワンパターンなのは、君たち原始仏教カルトではないのかねw。
開祖と原始仏典がすべての、思考停止の個人崇拝、個人の神格化と偶像崇拝。
「自灯明」などという言葉を吐けた宗教の開祖は、古今東西、釈迦一人
であることを、忘れてはならない。


http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251941580/413
413 神も仏も名無しさん New! 2009/09/08(火) 01:04:33 ID:T7XrFVs8
>>407
>自灯明というのは漢訳にもない一部の現代学者の誤訳だよ。
「釈迦の遺言」といわれる「自灯明・法灯明」にさえ、捏造や誤訳があるのでは、
原始仏典全体が信用できないことになる。岩波辞典も買っていない自称佛教学者のために、
岩波辞典における定義を掲げておくから、若し誤りがあれば根拠を挙げて、岩波に訂正を要求すべきであろう。
佛教において重大な問題ではないのか。
879神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:02:21.51 ID:UZW8YAvT
>>875

お前なあ、くだらんケチつけるな!

電話や2ちゃんねるが名誉毀損や麻薬密売にも使われているから
電話や2ちゃんねるを廃止せよと言ってるに等しい。

おまえ、もう出てくるな!
880神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:03:06.72 ID:lI4crEcK
>>876
両者に、少なくとも「共通する要素がある」ということ。さもなければ、引用も
しないだろう。

「手かざし」は、聖書からのパクリであることは明らかだが、釈迦は「手かざし」
には触れていないか?
881神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:09:53.69 ID:UZW8YAvT
>>872
>「世俗的なことにもとづかなくては、第一義は説示しえない」

仏は、矛盾なき(無分別勝義)を矛盾(分別世俗)の内に、隔靴掻痒に示唆する(無分別の分別)。

何の問題もありませんが、何か?
882神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:17:26.21 ID:lI4crEcK
>>881
それは、とりもなおさず、分別世俗には矛盾がなかったということ。隔靴掻痒どころか、
そのものズバリである。

「絶対矛盾の自己同一」。自己同一できるのなら、初めから絶対矛盾などなかったと
いうこと。西田の論理矛盾である。
883神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:21:13.51 ID:UZW8YAvT
>>881
黒の対極は何色ですか?
884神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:23:54.55 ID:xuC6G/HL
>>881
解ってんのか解ってないのか知らんけどw、
隠居は、勝義無し、と言ってるの。
貴方の好きな言葉を使えば、“無分別”などありえない、と。
なぜならそれは、『「無分別」という分別』だからです。
無我の論点と同じですね。  どこまで行っても、
 「見ている《者》」「考えている《者》」「喋っている(説いている)《者》」「悟る《者》」が“居る”、
とね。  認識主体は消去し得ない、 とね。

だから、彼が言う世俗的なことに基づく、というのは、世俗しかない、ということ。
日本神事で言えば、ハレ(非日常)など存在しない、ケ(日常)しかない、ということです。
(理屈的には通らない筋ではありません。 なんとなれば、
 非日常も、日常の中で起きている・見られることだから、(→別世界のことではないから)です。)
彼は、三馬鹿トリオと逆の形で、リアルな存在として、宗教は「別世界」を説く邪悪思想だと言っているのです。

この考察形式に於いては、何を言っても通用しません。
どのような勝義も、【それが説かれるのも顕われるのも『世俗内』】だからです。
(それは或る意味、>>882の如く、近代禅の理論化の不備を的確に指摘してもいるわけですが・・w)
885神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:26:31.80 ID:UZW8YAvT
>>882
>「絶対矛盾の自己同一」

ええ、西田は仏教的には間違っています。
この背景にアルのは、シャンカラ的不二一元論です。
シャンカラは成りすまし仏教徒→ヒンドゥ謀略者です。
空海ももののみごとに成りすまし仏教徒になりましたw
886神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:30:39.99 ID:UZW8YAvT
>>884
>近代禅の理論化の不備を的確に指摘してもいるわけですが・・w

隠居の解説、乙!

>>856
887:2013/02/18(月) 19:30:52.67 ID:8v8yz4FW
 
> 「世俗的なことにもとづかなくては、第一義は説示しえない」
> 即ち、第一義は、世俗諦から一歩も離れることはできないのである
> さあ、どうする?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
末那識(まなしき)
唯識説の説く八識のうち第七識であり、第八識(阿頼耶識)を所依として、第八識の見分を所縁として生じる識である
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)
の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり
世俗としての常識的な思考を超越し
それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
  _  _  _

第六表面意識で 「 すべて無である 」 と考えてても何も変化は生じない
深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm#観法品第十八
中論觀法品第十八

八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
888神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:35:51.97 ID:UZW8YAvT
>>887

おまえも、ちっとは菩提心自己で商量したことを書けよw
889神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:38:48.06 ID:UZW8YAvT
ちょっと、タイム!

来客。
890神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 19:45:19.41 ID:xuC6G/HL
こんな時間に来客? デリ嬢?w
891:2013/02/18(月) 19:56:43.99 ID:8v8yz4FW
 
第六表面意識で 「 すべて無である 」 と考えてても何も変化は生じない

                     ↓

第六表面意識で 「 すべて無である 」 と哲学的に思惟しても何も変化は生じない

 ↑ 訂正して、お詫び申し上げます 屮(_ ._)屮

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html

あなたたちは、(無我 ・ 縁起 ・ 空を観察する為の)練習が必要だ

およそ、禅定に入ろうとする人は …
… この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
  _  _  _

禅定などによって 「 深層的な自我心を滅させる 」 実践が必要である、と言う意味です
892神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 20:43:58.65 ID:8RWep/h1
宝珠愚者さま

すこし、質問させてください
わたしは念仏愛好者なんですが、神智学では念仏は(称名)どういった
位置づけにあるんでしょうか?
よろしくお願いします。
(あほなので以前に聞いていましたらすみません)
893神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 20:53:47.04 ID:jPG28eJ2
>>880

てめえバカじゃねーの?(笑)

<両者に、少なくとも「共通する要素がある」ということ。>

って粋がったくせに、

>釈迦は「手かざし」には触れていないか?

って問いかけてんじゃねーよカスwww
894神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 21:55:41.52 ID:d/krcjEB
SN9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、
「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

この後、虚妄と知って、愛欲、貪り、憎悪、迷妄を離れると続く。

一切であるから当然、アートマンも輪廻も虚妄ということになる。
つまり、錯覚性を示唆する。空もSNの範疇ではこの意味である可能性は高い。
そして、その後の流れからは、愛欲、貪り、憎悪、迷妄が要因と説かれる。
つまり、愛欲、貪り、憎悪、迷妄を離れれば虚妄という錯覚性から
解放されるということである。
手かざし、神智学、仏教、キリスト教、釈迦、中論、科学、念仏、その他
何に対しても同様と言えるだろう。
895神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:01:15.92 ID:48pOeaED
>>884
セブンさんか?珍しくマトモなこと言ってるじゃんW。言おうと思えば、立派に
言えるんだW。

但し、禅は、今のままでも、社会に実害はない。
896神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:04:58.07 ID:i/sWNdVy
>>894
SN は『サンユッタ・ニカーヤ』
『スッタニパータ』は Sn とするのが通例ですよ。
それに従わないなら、断りなしに略号使っても

論述についても同様の飛躍が多くてね〜
897神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:12:44.25 ID:d/krcjEB
>>896
そんな細かいルールがあるのかwじゃSnに訂正ね。
飛躍も何もそうとしかとれんじゃろw
つまり、愛欲、貪り、憎悪、迷いのない事象なら
それは真実の姿に相違ないということ。
898神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:13:14.35 ID:48pOeaED
>>885
>ええ、西田は仏教的には間違っています。
>この背景にアルのは、シャンカラ的不二一元論です。

西田が晩年にキリスト教に嵌ったから。
899神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:25:16.10 ID:48pOeaED
今年のセンター試験の国語で、小林秀雄の「無常ということ」から出題されて、
国語の平均点が大幅に下がったそうだ。問題はまだ見ていないが、「鍔」に
関する随想で、文の趣旨は、「鍔の美は、美を追求することから生まれるのでは
なく、使用の必要性から生まれる」ということらしい。これは、私の、「真理は
生存努力の中にのみ存在する」と同趣旨。

仏教者なら解けるよな。小林は、仏教の「悟り」について語っているように思える。
900てすと:2013/02/18(月) 22:31:30.89 ID:tTPQmY7L
>>899
試験問題っていうのは、誰が解いても明確で公平な答えを用意しているものだから、仏教徒とか関係ないよ。

問題の論理構造が見えにくかっただけでしょ。



ご隠居いる?
901神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:32:29.88 ID:48pOeaED
「小林秀雄の文章にはある種の型があって、「学問」や「現代」を否定しなが
ら、その時代の実用性が美を鍛えたという結論に至るのである。出題された文
章も、刀の鐔が美しさを持ったのは美についての思想があったからではなく、
実用性の中から自然に生み出されたものだと言っている。」
902神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:42:38.71 ID:48pOeaED
>>900
論理構造もあるが、小林の中心思想自体が、今時の上滑りなキリスト教的
思想によって害された受験生には理解できなかったのだと思う。

例えば、「美しい花がある。花の美しさなどない」も、理解が難しいそうだ。
禅や生命教なら、理解は一発で可能。
903神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:43:34.57 ID:d/krcjEB
生存努力とは生きるためにがんばるってことだね
生きるためだけなら別にがんばらなくていいんだけどね
904てすと:2013/02/18(月) 22:50:20.29 ID:tTPQmY7L
今度、とある地方の由緒正しい坊主と一緒に仕事するんだが、その坊さんいくつも学校を持っていて、金をうなるように持っている。

地元の名士なのをいいことにセクハラ三昧。

創価や霊友会とかがカルトと批判されるが、伝統仏教も一度無くなった方がいいね。社会悪の比率が高すぎる。

ここの連中は無所属だから関係ないが。
905神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:51:06.20 ID:xuC6G/HL
>>895


勝義はありますよ。
ただ、貴方や宝珠が想定・期待する「もの」「世界」としてではありませんけどね。

『喜びや悲しみが“ある”』『愛や友情や憎しみが“ある”』という《ある》を許容するなら、
同様に、勝義も、涅槃も、お悟りも、《ある》と言わねばなりません。
もし、
『喜びや悲しみは“ない”』『愛や友情や憎しみは“ない”』と言うなら、
その人だけが、勝義も、涅槃も、お悟りも、《ない》と言う資格がある、と言うことができます。
 *(さて、このときの“資格がある”の「ある」は、『ある』んでしょうかね?『ない』んでしょうかね?w)


884は、貴方の浅慮をそのまま描写しただけで他意はありません。
884のスタンスが狭量偏狭であることに変わりもありません。
906神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 22:54:38.95 ID:48pOeaED
>>903
>生きるためだけなら別にがんばらなくていいんだけどね

生存に必要な物資とサービスを得るためには、多大な努力を要する。
ホームレスほど大変なものはないぞ。釈迦の「選択可能なお遊びの
修行」などとは桁違いの努力が必要だ。
907神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:02:58.33 ID:48pOeaED
>>905
>884は、貴方の浅慮

素晴らしい悟りじゃんW。すべての「感情・感傷」は「生存」を前提とすることを
忘れてはならない。
908神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:03:28.76 ID:d/krcjEB
>>906
成程。トータル努力で考えてるのね。
今の生活にあぐらをかいていられるのもトータル努力のおかげよな。
釈迦はホームレスだが?
909てすと:2013/02/18(月) 23:05:07.72 ID:tTPQmY7L
>>903

少しの頑張りで生きて行けるのは、先人達が血の滲むような努力をしたから。
釈迦が生きて行けたのは、長いバラモン文化があったから。

仏教徒は社会を支えてくれる人々に感謝しないから独善的だと嫌われるんだよ。
910神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:09:05.50 ID:d/krcjEB
>>909
俺を仏教徒とすりかえられてもらっても困る。
911神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:10:03.99 ID:48pOeaED
>>908
>釈迦はホームレスだが?

釈迦も生存(お布施)のために、「生存苦」を説かなければならなかったW。
912てすと:2013/02/18(月) 23:14:27.08 ID:tTPQmY7L
>>910
失礼。楽して生きようなんて無責任な事言うから仏教徒だと思った。
真面目に社会的な義務を果たす事が一番大事。

神にすがったり、社会から逃げ出したり、そういうのは良くないね。
913神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:18:26.35 ID:48pOeaED
釈迦とイエスだけが、「生命」という「根源」に思い至れなかった。
914前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/18(月) 23:20:01.00 ID:h6Qu/yo/
>>892
>わたしは念仏愛好者なんですが、神智学では念仏は(称名)どういった位置づけにあるんでしょうか?

横レスで失礼します。祖父の寝言の中に「念仏」がございましたので紹介致します。

(昭和5年10月8日 念仏A)
只仏様に向って拝むだけでは何の役にも立たん、大低念仏を唱えれば助けて貰えると思って念仏を唱える、他の人から見ればあの人は念仏を唱えるから真の有る念仏の人だと思って居る、
凡夫は悲しいものですね、毎日御苦労なさる、自分自身に仏を実現する事が何よりも肝心と思う、仏の道を実現せな真の信仰では無い、徒らに念仏ばかりでは無理が出来る、
どんな事でも事柄が終って行く、そこが仏の慈悲で有難いと思う。(中略)
風邪を引いたと云ってそれ何処何処の医者じゃとか湯治じゃと云って少し位の事でも、あなた方はお金が沢山有るから良いか知らぬが一旦無情の風が吹いて来た時にはどれ位金が有っても役に立たぬ、
其の時の医者は只日頃喜こんで居る阿弥陀様の念仏の一声じゃ、そこの念仏喜ばして貰えば立ち処にして浄土に往生して貰えるのじゃ、仲々臨終になって本当に喜こべる者は少ない、
死んで行く時になっても、もう少し生きていれば金が溜るとか何とか云って臨終迄そんな事を考えておって喜こぶ事が出来ない、どうぞ日頃から其の心掛けが大事じゃ

http://minamotonoshin.life.coocan.jp/5nen1218.html
915神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:20:13.37 ID:d/krcjEB
感情は錯覚の部分もある。生命反射といえる。
宗教の錯覚性を考察すると生命反射に則るものであり、
迷妄と愛欲のツープラトンであるといえるが、
何に反射しているかと言えば、心の隙間に他ならないだろう。
所謂、依存性が錯覚を引き起こしていると言える。
916てすと:2013/02/18(月) 23:23:42.02 ID:tTPQmY7L
>>913

それはないな。

釈迦は小国の王子のままでは絶対殺されると思って、国民や妻子を置いて国を捨てる賭けに出た。

彼ほど生命に拘った人物はいないだろう。
917前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/18(月) 23:32:39.78 ID:h6Qu/yo/
>>865 宝珠氏
>恐らく、エドガーケイシーに近似した現象かと思われます。
>トランス状態(当人は憶えていない)に入って、アカシックレコード(あらゆる情報の宇宙的な記録庫)から (中略)
>要するに、語られた内容の正確性や有用性が問われると思います。
>在家さんの祖父の例は、仏教で修行をされていたイニシエートによる関与の可能性が妥当でしょう。

貴重なコメントを有難うございます。
確かに寝言を言っている時はトランス状態(当人は憶えていない)に入っていたのかも知れませんね。
918神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:32:54.79 ID:VTZTJHt0
>>895
善悪など本当は無いのだ。善悪に囚われない獣は生まれながらに悟っているなどとほざき、
道徳を否定するかの禅宗は、実社会でも実害ありまくりだろ。善悪に囚われない生き様が涅槃なら、
サイコパス即涅槃になるからね。
919神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:36:20.82 ID:gLfgv99V
1だけど、このスレが1000になる前に次スレ立ててね:-)
920神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:39:58.88 ID:UZW8YAvT
>>890
>こんな時間に来客? デリ嬢?w

帰ってまいりました。
そんな色気のある話ではなくw
いつもの楽しい悪友連中が、いつも通り飲み会に誘いに来ただけですよ
調子に乗って、飲みすぎたw
921神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:41:18.60 ID:d/krcjEB
俺は動物の死体とか見ると、とりあえず南無阿弥陀仏とは唱える。
もう生命反射の領域に食い込んでいるといえるだろう。
精神的な苦が死体に対してあるのが事実であるが、唱えれば
あら不思議、苦は消え去ると言える。
これもまた錯覚性の成せる業ではあるが便利だから使って損はない。
922神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:50:59.46 ID:UZW8YAvT
>>899
>小林秀雄の「無常ということ」から出題されて

問題文を見ていないので、なんとも分からないのですが、
以前議論スレ43とか44あたりで「無常ということ」が話題になりました。
どうもアタシには小林の「無常」の把握に違和感がありましたね。

『イイところに来ているが、二項相対のままでは関を越えられない。

この問題は前スレ43の>>987小林秀雄「無常ということ」と同根だ。
なぜなら、生女房(一言芳談)も小林秀雄も「無常」を捉えそこなっている。
一切は空常なること、即ち
無常なるものもなく、無常ならぬもの(恒常)もないからである。
無常ゆえ濁世を逃れて極楽浄土に救いを求める(生女房)のが浄土(無常ならぬもの:小林秀雄)思想の根幹だとはいえ、
それは方便にすぎず、
出世間のまなざしで、世間(濁世)の只中で慶安に生きなおすのが仏法である。
世間とニルヴァーナ(浄土と言ってもよい)は不一不二だからだ(中論25-19・20参照)。
 
「現代人」に至ってはいわずもがなだ。

 また、「歴史」は過去ではなく現在である。
 ゆえに、歴史には動物も多数いるのである。
 てか、小林の言いグサは「動物」に失礼だろうw』(議論スレ44>>11)

このスレにいつものようにオイラ氏に絡まれましたw
923神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:52:56.60 ID:d/krcjEB
>>918
俺もここで語られる仏教はサイコパス的と思っていたが、そうでなく
感情の種類が違うといえるだろう。大人の感情と子供の感情が違うように。
924神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:54:42.10 ID:xuC6G/HL
しかし、カラスも浅いよなぁ・・w

>>918
どこの禅宗が、道徳を否定してるのか? とw
ヤクザ映画を撮ってる監督はヤクザなのか?と。演じている役者はヤクザなのか?と。
「石にかじりついてでも頑張れ」と助言する者は、本当にかじりつけと言ってるのか?と。
十牛図の教えは、本当に牛を飼い、乗りこなせと言ってるのか?と。


馬鹿じゃねーの?
925神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:57:03.25 ID:QWEI+70S
死を前にして無常を感じてなんだか沸き起こる感情を言語化したら念仏だったりするね。
阿弥陀様に救ってほしいというか、すでに阿弥陀様の中にいるというか。
926神も仏も名無しさん:2013/02/18(月) 23:57:52.14 ID:UZW8YAvT
>>902
>例えば、「美しい花がある。花の美しさなどない」も、理解が難しいそうだ。

これも、触れたことがあります。
『985 :神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 19:47:26.05 ID:1OHlZBbI
>>984
「美しい花がある。花の美しさなどない。」(小林秀雄)

988 :神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:19:26.26 ID:HsJAbUdN
>>985
>美しい花がある。花の美しさなどない

美しい花はない。花の美しさなどもない。

「柳は緑 花は紅」  』(仏教議論スレッド43より)
927神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:02:54.46 ID:xuC6G/HL
>>926
そこは、

美しさもなければ花もない、だろ?w
928神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:05:39.67 ID:VTZTJHt0
>>924
十牛図が悟りなら普通に凡夫は悟っているよな。始めから禅宗などいらないわけで。
ちゅうか悟りは空っぽじゃねぇし。滅尽定が禅定のゴールじゃないわけよ。禅宗は底が浅いね。
929神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:10:45.42 ID:Yx/S3skn
>>922
>前スレ43の>>987小林秀雄「無常ということ」と同根だ。
『987 :神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:13:37.56 ID:0MDmNIjZ
だとすると釈迦はある種の実在論者であった可能性も高いな
あらゆるものを仮象と切り捨てられるのは切り捨てられないものを掴んでいたからとも言える

「現代人は無常と言うものを鎌倉の生女房ほどわかっていない
無常ならぬものを見失ったからである」小林秀雄 』

この小林の「」の問いは十分に吟味されていない。
このスレの流れからは、あて先は当然隠居だw
930SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/19(火) 00:11:02.51 ID:N95Kfony
禅とは、常にこころが(本性に)目覚めていて、一切こころが揺らがない(外面的)様子を言う。

人がこの境地に達すると、他人によっても、自分自身によっても、何によっても動揺することがない。

これは、覚りによって得られる一つの果報である。

***
931不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/19(火) 00:11:26.62 ID:HU1bymaV
>>680 一代氏
> >「戯論」については>>33-34に引いたところのスッタニパータにある「パパンチャ」に対する戯論という訳語を用いたもので、(私が疎いところの)中論的な意味は念頭に置いていませんでした。
> では、どのような意味で捉えているのでしょう?

解脱に資さない、出世間とは無縁な、縁起観に欠いたところの思考の産物です。
932前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/19(火) 00:12:32.09 ID:c8booa7b
>>914 一在家
>横レスで失礼します。祖父の寝言の中に「念仏」がございましたので紹介致します。

この念仏と関係のありそうな「一念帰命」の話も紹介をば。

(昭和6年2月4日 一念帰命)
 或る男が病気にかかり御薬師様に三千七百二十一日の間願かけをした。毎日願かけをしても居ても一向に病は治るばかりか重なる一方であった。
其の男は腹を立てて「折角わしがこうして毎日、日参するにそれが判らぬかこのど薬師め」と果ては勿体なくもつばをかけるなどした。
 其の時何処からともなく一人の上品なお爺さんが現われ「お前は何をして居る」と問われると委細を物語りたり、
するとそのお爺さんは「お前の云うのももっともな事だがもう一遍一心にお願いしてみよ。」と云って何処ともなく立去りたり、
その男は再び一週間の願かけをしたが思う様に渉らない、もう一日で満願と云う日一心に御願いした。
 その内に知らず知らずうとうとと其の薬師堂の前で寝てしまった。目をあいてみて吃驚した。自分の体はすっと治ってしまって居る。
遂に全快したことじゃ、何事も一念がなければならぬ。
 丁度断崖から千仭の谷へ落ちて当惑して居る所へ上から救いの網を下して貰ったに気付き一念にすがる心と同じじゃ。
弥陀の慈悲にすがる一念帰命なり。

http://minamotonoshin.life.coocan.jp/6nen1721.html
933神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:18:33.97 ID:GvSbM/oy
>>922
いよいよ空理空論中論教患者さんは仏教の根幹でもある一切行無常を否定して、
一切空常などと抜かしてるわけだが。いつもながら中論教患者の邪見は凄まじいですな。
特にこの人は重症だ。
934不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/19(火) 00:19:51.16 ID:HU1bymaV
>>758 宝珠愚者氏
> ハイアラキーの長「マイトレーヤ」です。
> 仏教が説き待ち望んでいるゴータマが到来を予告した未来仏/弥勒その方です。
> 意識で創りあげた肉体(「ファミリア」大抵の場合はどこかに実在する人間からのコピー)を
> 使われているマイトレーヤ、その彼の肉体に接触し、暫しの対話をしています。
> 23年ほど前の実体験で、神智学に傾倒して3年ほどした頃に一度だけです。

愚者さんが「マイトレーヤ」と見做すその方の「教え」は最要点としては一体どういうものなのでしょう?
935神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:20:29.12 ID:FFV/gGKw
手かざしカルトの三軍信者いる〜?(笑)
せっかくだからおめえこのスレで手かざしやってたら金粉がタライいっぱい
降ってっきましたってお笑い体験談話してやれよwwww
じっさまのエドーガーケーシー高峰の語録に説得力持たせるためによwww
936てすと:2013/02/19(火) 00:22:24.09 ID:6yuRcunY
>>930
何が起きても心が揺るがない、というのを悟りの性質の一つにするのはありなんじゃないの。

でも、動揺したっていいじゃない。

座禅してるときに好きな女の子が隣に座って思わずドキドキしてしまう。
そんな時は坊主に一発叩かれてアイタと言っておけばよい。

君たち真面目に考えすぎなんだよ。
937神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:22:50.98 ID:Yx/S3skn
>>927
>美しさもなければ花もない

四句第4で無分別様相の示唆なら「美しさでもなければ、花でもない」でしょうね。
それでは二項相対のままだと、誤解されかねません。
無ばかりの般若心経が虚無論だと誤解されるように。

れいの、 美しい山(分別)→山に非ず(無分別)→山(無分別の分別)ですね。
938神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:29:42.11 ID:0765UK39
>>928
そういう意味で例を出したんじゃねーよw
件の流れを何も解ってねーな・・・ ┐(´ー`)┌
939前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/19(火) 00:32:54.33 ID:c8booa7b
>>935
>せっかくだからおめえこのスレで手かざしやってたら金粉がタライいっぱい
>降ってっきましたってお笑い体験談話してやれよwwww

降ってきたという話でなく、タライというよりも洗面器一杯をひっくり返したような
金粉が部屋の畳一面に現れたという30年以上前の話ですよ。
その場には私を含めて3名がおり、スプーンで金粉をすくって食べてみましたが、
実体感も味も無い不思議な体験でした。

まあ弘法大師が天皇の御前で全身から光を発したという逸話もその場に居合わせた
当時の仏教界トップの面々以外は信じられないでしょうが、私は自身の神秘体験から
十分にあり得ると思っております。

現代の仏教界ではこのような神秘体験はもう起こらないのでしょうか。
証果がまだあるというチベット仏教では多分あるかと存じます。
940神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:33:45.82 ID:0765UK39
>>937
冗長過ぎるw

あの流れで、
( >美しい花はない。花の美しさなどもない。 の)
次に来る語は
「まだ花が残っとろうが!」だろ?ってことだ。
百丈の如く鼻を捻られて来いw
941神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:34:00.14 ID:pO68OAPp
現成公案だね
942神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:43:39.28 ID:Yx/S3skn
>>933(カラス)
>仏教の根幹でもある一切行無常を否定して、一切空常などと抜かしてるわけだが。

間接現実(世俗:指)における直接現実(勝義:月)の“示唆(比喩)”として、
四句第4のフォームを用いる。
このフォームも滅することで、(オイラ氏的には)戯論寂滅へ導く。

⇒『非無常非恒常』(一切行空常:無常なるものでもなく、無常ならぬもの(恒常)でもないからである)
943神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:45:27.28 ID:Yx/S3skn
>>940

マイリマシタw

眠い、寝ます。
944神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:51:30.05 ID:GvSbM/oy
>>938
言葉遊びの悟りごっこでしかないお前らの話なんかどうでもいいんだよ。
945神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 00:52:39.62 ID:FFV/gGKw
>>939

何でそこで食う必要があったんだよwww
食うなんて後から思いついた発想だろ(笑)
946SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/19(火) 00:59:27.41 ID:N95Kfony
ごっこやまねごとは、捨てたものではない。

ごっこやまねごとは、ついには本物になるからである。

覚った人は、皆、最初はごっこやまねごとから始めたのである。

このことには例外はない。

***
947神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 01:00:36.43 ID:GvSbM/oy
>>942
言葉遊びは楽しいか?
948神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 01:05:42.70 ID:0765UK39
>>944
いやいやw
貴方が、「禅宗は道徳を否定している」(かの如き)発言をされたから、
例を挙げてください、と言っているのです。
その根拠を遠まわしに聞くのです。
もし、その根拠が、各種公案の破天荒な言動(或いは様々な場面での一転語)であるなら、
それは924のような、或る種理念・イデア的な位置付けでの基本姿勢、であるだけで、
世俗の善悪を不問にするわけではないからです。
もし、2chの(悟りスレとか机や机もどきのw)台詞から言ってるなら、それは野狐ですよ、と。
また、世に出ている種々の著作について言っているなら、
誰の何のどこ、と具体的に引用していただけると助かります。
禅は基本、TPOに依存しますし、人によっては、(たとえ有名人でも)野狐な場合もありますから。

つか、↑のようなことだって、解ってるでしょ? それでも敢えての928でしょ?w
949神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 01:22:30.32 ID:GvSbM/oy
>>948
いやいや野狐どころか本職の坊さんがいってたぞ。当時バカルカっていう理屈っぽい禅かぶれのアホがいて、
こ奴も禅思想を盾にした典型的な道徳否定論者でその坊主、バカルカを大変高く評価しておった。類は友を呼ぶだな。
じゃ一つ聞くが、お宅は世俗の道徳は否定しないそうだが、禅宗の教えでなぜそうなるのか説明してもらおうか。
950神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 01:34:18.46 ID:0765UK39
>>947
言葉遊びは貴方でしょう?w
(私が知るのは原仏スレからですが)、その一貫ぶりには感服します。


>>949
野狐って、プロかアマチュアかという違いじゃないんだけど・・(^^;
野狐なプロもいれば明眼のアマもいるだろうよw (つか、2ch内の話かよwww)


>なぜそうなるのか
「禅が道徳を肯定する」理由? (つか、そもそも否定してないのに、何を言うことがあるのかわからんが・・w)

百歩譲って老婆親切を発揮すれば、

 TPOに従うからだよ。(※但し個人差ありw)

商品の宣伝にもあるだろ?w これは個人の感想ですとか効き目には個人差があります、とかw
電車の中で大声で騒ぐ酔っ払いに、
注意するも個々のスキルにあったTPO、注意しないも個々のスキルにあったTPOさ。
951神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 01:34:56.89 ID:ob9neoO+
「美しい花(物質)」は実在だが、「美しさ(観念)」は非実在。そこがミソ。

人類は、そして恐らくは他のすべての動物も、五感の知覚によって「実在」「非実在」
を「一義的に」判断することによってのみ、生存を続けている。

「あるでもない、ないでもない」などと考えるのは、動物として欠陥があると
いうこと。それが釈迦である。まさに「犬猫にも劣る存在」。

竜樹は「無」「無我」などというアホなことは、一言も言っていない。
952神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 03:01:53.64 ID:GvSbM/oy
>>950
言葉遊びなのはどうみてもお前らだろ。とんちの答えを見つけても本質的には何の意味もないぞ。
で、やっぱり禅宗ではなぜ道徳が必要かは世俗的な意味では説明出来ても、宗教的な意味では説明出来ないわけだ。
おまえんとこは仏教の看板をあげながら業報輪廻転生を認めないものな。ところがスッタニパータを読むとゴータマさんは業報も説いているし輪廻転生も説いている。
そして随分道徳的なことも説いている。究極の境地に達したものは四無量心を絶えず起こしていなければならないとまで説いている。
これはうまく世渡りするにはTPOに合わせてそうやっていけばいいなどという単なる世俗的な教えか?
君らは業報輪廻転生を否定するならゴータマの仏教の看板を下ろせよ。禅宗はゴータマの仏教とは違うんだからよ。
道徳を否定していた禅宗の坊主は、名無しでこそこそやってるお前や、アホ一代とちがって、自分所の寺もHPも晒して堂々と話してたぞ。邪見だけどな。
たしかハンドルは、せったんとかいったかな?名無しでこそこそやってるここの坊主二人とは偉い違いだな。
953神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 03:10:05.60 ID:GvSbM/oy
己のエゴをこよなく愛する悪人ほど業報論を頑なに拒否するものだ。
そんなの受け入れたら己の心に巣食うエゴイズムの赴くままに生きられなくなるからな。だから
己のエゴをこよなく愛する悪人共は本能的に業報論を拒否する。
954神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 03:38:24.05 ID:ob9neoO+
禅は、道徳を、最高次元である己の生命に直接聞く。下位次元である1個人の
妄想に聞くよりも、普遍性と信頼性は桁違いである。

「仏道とは、己に習うなり」(道元)
955神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 03:48:07.88 ID:ob9neoO+
道徳とは、肉体的本能である生存本能に基づく、共生のための技術概念である
ことを忘れてはならない。1個人の人為的観念ではない。また、輪廻転生とい
う「脅迫」に基づくものでもない。生存本能は、独りでは生存を維持できない
ことを、これも本能的に知っているからである。
956神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 06:29:23.51 ID:YO4KZWuk
禅は八正道否定してるのかw
957神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 06:35:55.79 ID:E81lwogc
>>924
>どこの禅宗が、道徳を否定してるのか? とw

机とか遊びとかのここの野狐禅宗でしょ
958神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 06:43:34.83 ID:E81lwogc
>>931
880.(PTS874)
想を思うものでなく、妄想を思うものでなく、無想でもなく、非想でもない。このようになったものが無色です。想に依るのは戯論行(妄想から成るもの)です。

マハーニッデーサ:
「想に依るのは戯論行」という、他ならぬ戯論が戯論行です。渇愛・戯論行、見解・戯論行、慢心・戯論行は想に依るもの、想から起こるもの。想から生じるもの、想が源ですというのが、想に依るのが戯論行です。

佛説義足經
T0198_.04.0181c13:     不想想不色想 非無想不行想
T0198_.04.0181c14:     一切斷不著者 因想本戲隨苦
想を想うのでなく、色を想うのでなく、 無想でなく、行想でないのが、
一切を断じた執著しない者です。想に因りのが戯論で苦が従う。

922.(PTS916)
[世尊曰く]「戯論行による〈私は考えている〉というすべての根を止滅せよ。どんな内的渇愛を抑制するために常に念じて学べ」

マハーニッデーサ:「「戯論行による〈私は考えている〉というすべての根を止滅せよ」という、他ならぬ戯論が戯論行です。
渇愛・戯論行、見解・戯論行、慢心・戯論行。何が渇愛・戯論の根か? 無明の根、不如理作意の根、我慢の根、無慚の根、無愧の根、掉挙の根。
これが渇愛・戯論の根。何が見解・戯論の根か? 無明の根、不如理作意の根、我慢の根、無慚の根、無愧の根、掉挙の根。これが見解・戯論の根。
[世尊についての語釈、中略]
959神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 06:45:23.03 ID:YO4KZWuk
仏教の戒律は社会秩序の維持が目的ではぶっちゃけない
瞑想するたびに湧いてくる雑念を破壊する為の技術的なもんだな
瞑想は潜る為にする
戒律は潜る為に邪魔になるしがらみの直接的な破壊だ
潜ることと潜る為に邪魔なものを除去することは区別すべきだ
日本人はここらへんの厳密さをかいて俺はスゲェからお釈迦様の言い分なんか無視して肉食妻帯煩悩丸出しでも平気だ
大丈夫だってことでいきなり重い服着て瞑想するから深く潜れないんだな
960神も仏も名無しさん
「〈私は考えている〉というすべてを止滅せよ」という、「考えている」というのは般若です。つまり般若、智慧、分析、考察、法の分析
[中略]
 般若、般若の器官、般若の力、般若の刃、般若の高楼、般若の光明、般若の輝き、般若の灯火、般若の宝、迷いなきこと、法の分析、正見です。
「私はいる」というのは「色の中に私はある」「私は慢心がある」「私は怒っている」という随眠です。「受のために、想のために、諸行の中に、識の中に私はある」「私は慢心がある」「私は怒っている」という随眠というです。
[世尊曰く]「戯論行による根」という「〈私は考えている〉というすべてを止滅せよ」という、戯論行による根と我慢と考えによる全てを止め、止滅し、消滅し、鎮め、滅し、安らぐ。戯論行による〈私は考えている〉というすべての根を止滅せよ。

MN18: Madhupiṇḍikasuttaṃ CSCD201;PTS109
ビクよ! 何かに依る人に戯論想行(妄想から成るもの)が起こり働く。

アッタカター:「何かに依る」という、この状態・中性は、何かの因によって何か因が有るという意味です。「戯論想行」という、このうち「行」とは、構成物です。
「戯論想」とは、渇愛・慢心・見解の戯論に相応する想です。あるいは想という名で他ならぬ戯論を呼ぶのです。それ故、戯論の構成物という、これがここでの意味です。

佛性論
T1610_.31.0803b16: 復次説法身事。事者以無相爲事。五陰
T1610_.31.0803b17: 相於中盡無餘故。又以無戲論爲事。戲論有
T1610_.31.0803b18: 三。一貪愛二我慢。三諸見。是三戲論如來滅
T1610_.31.0803b19: 之已盡故。以無戲論爲事。戲論者。有三義。一
T1610_.31.0803b20: 能違礙實理。二名虚誑世間。三障隔解脱。初
T1610_.31.0803b21: 違正境。次違正行。後違正得。合此三義。名爲
T1610_.31.0803b22: 戲論。又戲論有九種。一通計我。二的計是我。
T1610_.31.0803b23: 三計我應生。四計我不更生。五計我有色應
T1610_.31.0803b24: 生。六計我無色應生。七計我有想應生。八計
T1610_.31.0803b25: 我無想應生。九計我非想非非想應生。一通