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釈尊の、「自分は、僧団を統率もしていないし、率いてもいない。そのような自分が、
何を(僧団維持の為の強制的な束縛事として、或いは「自分の名や強制力を残すために」)言い残すだろうか。
そのようなことはない」という言葉に続いて、
tasmAt iha Ananda,
attadIpA viharatha attasaraNA anaJJasaraNA,
dhammadIpA dhammasaraNA anaJJasaraNA.
●・それゆえに、アーナンダよ、ここに(そなたたちは)、
自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、
法を島とし、法を依り所とし、他を依り所とせずに住みなさい。(季刊原始仏教8.p49-50&片山入門p114)
註:
attadIpa
〈大海にある島のように、自己を島として確立して住みなさい〉ということ。
《ここで二つ(dvi=di)の部分に水が分かれるから島(dIpa)である。
流れに囲まれ圧倒されない陸地部分であるが、この場合は、
四暴流にも輪廻の大流にも圧倒されない自己が島である、の意》
dhammadIpa
《自己(attA)とは、この場合、勝義(paramattha)からは法(dhamma)ということであり》そのためにこのように言われる。
(※片山入門該当箇所直後の文:『・・・と、四念処によって住むことを教えられた。』)
●されば阿難よ、ここに自らを洲とし、自らを依所として、他人を依所とせず、
法を洲とし、法を依所として、他を依所とせずして住せよ。(南伝大蔵経7巻p68(平等通昭訳))