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●(そなたたちは)、自己を島(5)とし、
それ故に、(この世で)自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ(6)。(岩波文庫版p63&旧選集11巻p443)
注:
(5)島 attadIpa
梵本AtmadvIpa チベット本bdag Jid gliN 有部本「洲渚」。
他方dIpaを燈明と解する訳としては、『中阿含経』第三十四巻「世間経」(大正蔵、一巻六四五ページ下)に
「当自作燈明」とあり、また『長阿含経』第二巻「遊行経」(大正蔵、一巻一五ページ中)に
「自熾然熾然於法」とある。ただし<島>と解すべき言語上の論証については、
佐々木現順教授『阿毘達磨思想研究』五九四-六〇三ページ参照。
(6) 次に諸本には「身、受、心、法について観察すべし」ということをやや詳して述べている。
しかし、白法祖本には欠けているから後代の付加であろう。
岩波版注:
〔島〕旧選集版とほぼ同じ。ブッダゴーサの註を引用しているのと、以下の文が付加。
輪廻はしばしば大海に譬えられ(saMsAra-sAgara)、またニルヴァーナは島に譬えられる。(Cf.dhammapada)
〔法をよりどころとして、他のものを・・・・・・しないでいる〕
<自帰依法帰依>の思想がここに述べられているのである。