【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】14

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(他おまけ):
「釈尊の生涯」(春秋社/水野弘元)p289 23.佛の入滅 6.自帰依、法帰依
・・・、遺教の一つとして、自分の亡き後には、
お前たちは自己自身を所依とし、他人を所依としてはならない、
佛教の正しい教法を所依として、その他のものを所依としてはならない、といわれた。
それは、曇リなき正しい自己の理性と、普遍妥当性のある真理としての佛教の教法とが、

Dhp236偈、160偈。
最後のよりどころであるということを示されたものである。
正しい理性と真理とを標準としてゆきさえすれば、誤ることはないからである。

(おまけ2):35節末文。
アーナンダよ、今でも、あるいは私の亡き後でも、自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、
法を島とし、法を依り所とし、他を依り所とせずに住む者は誰も、学ぶことを欲する者は誰も、
わが最上の比丘となるに違いありません」と。
註: 「わが」→〈わが教え(sAsana)の〉。

原文:ye hi keci, Ananda, etarahi vA mamaM vA accayena
attadIpA viharissanti attasaraNA anaJJasaraNA, dhammadIpA dhammasaraNA anaJJasaraNA,
tamatagge me te, Ananda, bhikkhU bhavissanti ye keci sikkhA kAmA’’ti.
おそらく 「tamatagge me (te)」 が 「((そのような)彼らは)わが最上の」 という部分。(tamataggeが「最上」?)
「私の(比丘達)」という言い方は、註釈せずにはいられない言い回しだな、とw