1 :
神も仏も名無しさん :
2011/05/07(土) 20:51:16.78 ID:iri0tOXH
2 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 20:59:53.29 ID:THnM6lGd
スレ立て乙です。
3 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 21:02:52.02 ID:NKVpTVTk
4 :
てすと :2011/05/07(土) 21:03:03.90 ID:/JLqFRN2
>>1 おつ
ちなみに悟りへの最短コースはやっぱり座禅がいいと思うよ。
ビパサナやサマタでは五感までしかカバー出来ないし。
5 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 21:12:07.47 ID:iri0tOXH
>>4 タイの比丘が言ってたらしいが
座禅はテーラワーダ目線から見ると
「いきなり滅尽定を目指す瞑想」でかなり難しいらしい
まあ、何が言いたいかというと
ビパサナ側からは、座禅で悟れるのは天才以外無理w
6 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 21:18:12.27 ID:rs5wQMDz
>>5 貴方によれば、
思考・考察で悟るのは天才以外無理、
座禅で悟るのも天才以外無理
で、貴方のお勧めは?
7 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 21:20:19.66 ID:iri0tOXH
>>6 座禅はまだマシ
思考で悟るのが一番無理だね
あなたが読んでるっていってた
サティパッターナ・スッタに説かれてる四念処を実践するのが一番かな
8 :
てすと :2011/05/07(土) 21:24:04.31 ID:/JLqFRN2
>>5 まあ、性欲のコントロールを習得する程度なら座る必要もなく上座で十分だからね。
>>6 初心者はビパサナで。
脳への信号を客観視できるようになったら座って三昧に入る練習。
9 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 21:35:40.14 ID:rs5wQMDz
>>7 四念処だって、理解して実践しないと意味ないですよ。
僕は別に「思考だけ」で悟れるとは言っていない。思考で理解し、思考で道筋を
つければ、とてもやりやすくなるし、長続きもします。
自分のやってることの意味を理解していなければ、すぐに飽きますし、挫折した
時投げ出してしまいます。そういう人多いですよね?坐禅もヴィパッサナーも
挫折し止めてしまう人が多いのは、思考を否定していることの弊害によると思います。
なぜ思考を否定するのでしょうか?
もちろん「思考だけ」では悟れません。思考だけというのは極論です。
しかし、思考を否定して、考えるな、というのもまた、逆の極論です。
思考否定は原始経典にはありません。
もちろん四念処も思考を否定していません。
それに経典を見ると、もともとそれほど瞑想技法にこだわっていません。
樹の下で座って静かに考える程度のことです。
10 :
てすと :2011/05/07(土) 21:40:22.81 ID:/JLqFRN2
>>7 公案使わないで思考を外せるところまではなんとかいけても、思考を使ったやり方はムズ過ぎて俺には無理、、
>>8 最初に説明してしまうと、却って混乱するからです。
強制してるわけじゃないので思考を使うなりお好きなやり方でどうぞ。
11 :
てすと :2011/05/07(土) 21:44:00.85 ID:/JLqFRN2
>>9 別に新興宗教みたいに信者を維持したい訳じゃないので投げ出したいはどうぞご勝手に。
12 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 21:48:22.08 ID:THnM6lGd
なんか、てすとがまともにレスしてる〜 てすとの持ち味は バッターボックスで構えてるバッターにいきなり、サッカーボールを投げるような面白さなのに〜
13 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 21:49:19.54 ID:iri0tOXH
>>9 俺も別にあなたに瞑想を布教したい訳じゃないから
自分でそうしたいならそれでいいと思うよ。
>>11 自ら求めてやってきた人すら導けないようでは、指導方法として不適切という
ことでしょう
15 :
てすと :2011/05/07(土) 21:53:42.40 ID:/JLqFRN2
>>12 いくら俺でも少年野球でそんな酷い事しないよw
とりあえずキャチボールからw
>>13 まだ誤解されてるようですが、瞑想をしないとは言ってませんし、否定もしてません。
思考を否定する必要はなく、静かに黙考するのも瞑想だと言っているだけです。
17 :
てすと :2011/05/07(土) 21:59:41.46 ID:/JLqFRN2
>>14 ええ?導いて欲しかったの?
じゃあ「僕を導いて下さい」と頼んだら導いてあげる。
19 :
てすと :2011/05/07(土) 22:06:01.93 ID:/JLqFRN2
21 :
てすと :2011/05/07(土) 22:10:16.83 ID:/JLqFRN2
>>20 自灯明の結果、2ちゃんに来る事になったの?
好奇心ですよ
この人、ことごとく論点がずれてるのね・・・ 思考と世界が分断されているかんじ。 正しいという殻に閉じこもって人のはなしきいてないの。 経典とお話してるんでしょうね。
24 :
てすと :2011/05/07(土) 22:14:55.04 ID:/JLqFRN2
>>24 「仏教 議論スレッド」って存在自体刺激的じゃないですかw
日本人は議論自体嫌いな人が多いし、まして宗教に関する議論なんて
タブー視されてしまって現代では流行りませんからね。
26 :
てすと :2011/05/07(土) 22:20:13.17 ID:/JLqFRN2
>>25 自灯明法灯明に導かれた結果、2ちゃんで刺激的な宗教議論をしたくなったの?
それに知識・情報面においても時々収穫がありますしね。 調べれば分かることでも、存在自体気づかなければ、調べることもできませんから。 2chでも時々そういう一期一会がありますね。
>>26 だから、単に好奇心と暇つぶしですけど?
別に自灯明法灯明に導かれたわけでもないでしょうw
>>28 試みに、貴方にも問うてみようw
「痘痕も笑窪」は真理か否か?
30 :
てすと :2011/05/07(土) 22:27:46.43 ID:/JLqFRN2
>>28 では仏教という題材を使って暇つぶしの議論がしたい、という事で間違いないですか?
>>29 否
>>30 さっきから何をこだわっているのです?
別に深い意味はありませんよw
>>31 貴方に、人としての感性、感情が無いということがよく判りましたwww
33 :
てすと :2011/05/07(土) 22:33:43.94 ID:/JLqFRN2
>>31 こだわる?何の事です??
深い意味?意味に深いとか浅いとかあるんですか?
それはよかった
人としての感性や感情は迷いや執着に基づいてますからね
>>33 >こだわる?何の事です??
あなたがしつこく聞いていることですね
>深い意味?意味に深いとか浅いとかあるんですか?
もちろんありますよ。
35 :
てすと :2011/05/07(土) 22:38:18.81 ID:/JLqFRN2
>>34 つまり、あなたがしつこく聞くときはこだわっているという事ですか?
37 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 22:41:04.37 ID:Yr2fiPP+
お前等、もう少し現実生活(生存)に役立つことに時間を使えよ。 宗教は、百人百様の観念の遊戯であり、その正誤・正邪を判断する基準は「皆無」 だから、例え何千年論じ合っても、結論は一切不可能。まさに、一度きりの人生 の限られた時間の無駄以外の何物でもない。前レスで何か結論が得られたかw。 私は、2chの書き込み以外はw、医学や現代諸外国語を専門的に研究している が、今日も、CT検査で腹部の腫瘍が発見されて心配している友達に、最新の 医学文献に基づき明確に説明してあげて安心させ、人一人助けた。 宗教ほどの壮大な時間の浪費は、他にはないことを自覚せよ。
38 :
てすと :2011/05/07(土) 22:41:09.65 ID:/JLqFRN2
39 :
てすと :2011/05/07(土) 22:45:08.47 ID:/JLqFRN2
>>38 こだわっている様子を表すのが、「しつこく」という副詞だということです。
>>34 慈悲(の特に悲(karuNA))が、どういうベクトルを持つものか知ってます?
人としての感性や感情を持ち得なければ、わが身に引き当てることはできませんよ?
わが身に引き当てることができない者に、慈悲があろう筈もない。
慈悲の無い仏教ほど寒々しいものはありませんよ?w
話に聞くだけ、字面を追うだけじゃないぞ。
冷暖自知ってのは、結構、使い道が広いんだぜw
ま、貴方のスタンスは、この冷暖自知の全否定なんでしょうが・・www
42 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 22:49:28.72 ID:Yr2fiPP+
>>39 2chに浪費する時間は、最小限にする努力はしているw。
43 :
てすと :2011/05/07(土) 22:52:27.18 ID:/JLqFRN2
>>40 つまり、あなたもこだわっているって事ですか?
44 :
神も仏も名無しさん :2011/05/07(土) 22:53:21.81 ID:PDf2aSE4
>>37 あっれえ〜? キャラ壊れたか?ww
>お前等・・・・
丁寧な言葉使いだけが唯一の取り柄だったのに〜ww
>>41 そういう意味で言ったんじゃありませんけどね。
> ま、貴方のスタンスは、この冷暖自知の全否定なんでしょうが・・www
全然そんなことはありませんが。
>>43 僕何かしつこく質問しましたっけ?
46 :
てすと :2011/05/07(土) 22:59:15.25 ID:/JLqFRN2
>>45 いや、質問じゃなくてレスがしつこいなと。
こっちはスルーするまで質問するだけなので深い意味はない。
今日の昼飯何食べた?
>>46 ん?
自分の書き込み振り返ってみなよ。あなたが質問して、僕はそれに答えてるだけ。
質問されたらそれに答えるのは普通でしょうw
それを、レスがしつこい、とはどういうことだw
レスして欲しくないのならほっときますが
48 :
てすと :2011/05/07(土) 23:06:28.62 ID:/JLqFRN2
>>47 いえいえ、レスして下さい。
マジで暇なので。
質問。
自分は悟りなんてないと思ってますが、本当にあるんでしょうか?
>>48 「悟り」をどう考えるかによるでしょう。
何か不可思議で神秘的な実体のように思うのなら、
「悟りなんてない」が答えでしょう。
50 :
てすと :2011/05/07(土) 23:13:00.23 ID:/JLqFRN2
>>49 そうですね。
あなたは悟りをどのようなものと考えていますか?
解脱にいたること
>>50 経典に書いてある通りです。
色々な表現がありますが、「悟り」とは何かと問うより、悟った人、聖者とはどういうものか
を問う方が分かりやすいでしょう。
861 かれは世間において<わがもの>という所有がない。また無所有を嘆くこともない。かれは[欲望に促されて]、諸々の事物に赴くこともない。かれは実に<平安なる者>と呼ばれる。
912 聖者はこの世で諸々の束縛を捨て去って、論争が起こったときにも、党派にくみすることがない。かれは不安な人々のうちにあっても安らけく、泰然として、執することがない。──他の人々はそれに執著しているのだが。──
913 過去の汚れを捨てて、新しい汚れをつくることなく、欲におもむかず、執著して論ずることもない。賢者は諸々の偏見を離脱して、世の中に汚されることなく。自分を責めることもない。
914 見たり、学んだり、考えたりしたどんなことについてでも、賢者は一切の事物に対して敵対することがない。かれは負担をはなれて解放されている。かれははからいをなすことなく、快楽に耽ることなく、求めることもない。
1119 (ブッダが答えた)、
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
>>45 いやいや、冷暖自知は宗教体験ですよ?
少なくとも冷暖自知の一部にその席があります。
冷暖自知の中の宗教体験のみを否定するということですね?
>>53 あなたの言う「宗教体験」とは一体なんですか?
それは日常的な体験とはどう違うのですか?
55 :
てすと :2011/05/07(土) 23:32:01.78 ID:/JLqFRN2
>>52 つまり、そういう人格の人は悟った人と呼んでも構わないという事ですか?
仏教を学ばない人でもそのような人格なら仏教からみて悟った人ですか?
>>54 さしたる違いはありません。日常的体験の延長上にあるものです。
(そうでなければ、【人が】体験することなどあり得ないでしょう?w)
「子を持って知る、親の心」という言葉がありますが、こういう位相に近いですかね。
或いは、子供が跳び箱8段を飛ぶようなもんでしょうかねwww
>>55 > つまり、そういう人格の人は悟った人と呼んでも構わないという事ですか?
> 仏教を学ばない人でもそのような人格なら仏教からみて悟った人ですか?
そういう人格というだけでなく、理法を理解していないといけません。
「
975 修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」
──と師(ブッダ)はいわれた。
1054 偉大な仙人さま。わたくしはその最上の理法を受けて歓喜します。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えるでしょう。」
師(ブッダ)は、マガダ国のパーサーカ霊地にとどまっておられたとき、以上のことを説かれ、(バーヴァリの)門弟である一六人のバラモンに請われ問われる度ごとに、質問に対して解答をのべた。もしもこれらの質問の一つ一つの意義をしり、
理法を知り、理法にしたがって実践したならば、老衰と死との彼岸に達するであろう。」
このように、くり返しくり返し、理法を理解し、理法に従って実践することを説いているのです。
経典全体を通じて、同じことが、これでもかこれでもかと、くり返しくり返し説明され、説かれているのです。
これほど何度も何度も強調されているのに、禅にハマっている人は、ただぼ〜っと座ってるだけですw
>>56 なんだかよく分かりませんが、日常体験と変わらないなら、わざわざ「宗教体験」などと
もったいぶる必要もないでしょう。
禅は、仏教としては異端だからねw
60 :
てすと :2011/05/07(土) 23:42:17.15 ID:/JLqFRN2
>>57 悟りをなぜ目指すのでしょうか?
普通に生きて普通に死ぬだけじゃ駄目ですか?
>>58 ラーメン屋で、実際は味噌・しょうゆ・とんこつ・塩・ねぎ・チャーシューetc.etc.etc.あるのに
メニューに「ラーメン」としか書いてないんじゃ不便だろ?w
宗教体験の様態を聞くより 定義を聞いた方が早い。 宗教体験をしたという事だが、 「宗教体験」をどう定義するの? 日本語における「宗教」の定義は 「神仏を信仰し,幸福を求めようとする教え. (派)(〜)的」 と辞書に書いてあるけど。
>>60 人間であれば、誰でも苦悩を感じていて、様々な悩みを抱えているものだと思います。
ブッダは、その原因を説いていて、それを乗り越える方法も説いているのです。
乗り越えた状態を解脱、悟ったと表現し、比喩的に、「老衰と死との彼岸に達する」
という表現もします。老衰や死は人間の苦悩の代表みたいなものですからね。
まあ稀に生まれつき脳天気な人で、苦悩を知らずに自然に幸福に生きている人も
いるかもしれませんし、そういう人は「普通に生きて普通に死ぬ」で問題ないかも
しれません。若者なんかも脳天気な人はいますね。しかし普通は、普段気づいてい
ないだけで、病気になったり身内に不幸があったり、老衰したりして、苦悩に気づく
ものです。人生何の問題もなく、生まれてから死ぬまで順風満帆って人は奇跡的だと
思います。
>>61 味噌ラーメンと醤油ラーメンは違うものですし、明確に違いが説明できます。
同じように、日常体験と宗教体験が違うのなら、明確に説明できるはずですし、
できないのなら、同じものなのだから、日常体験しかなく宗教体験は錯覚だと
いうことだから、わざわざ言葉を分ける必要はないでしょう。
仏陀が提示した苦悩を乗り越える方法は 特定の価値観からは幸せを否定する行為になるよな。 価値観が多様化し、何を信じるかを選択できる時代ってのは大変なものだ。
>>65 > 特定の価値観からは幸せを否定する行為になるよな。
たとえば?
67 :
てすと :2011/05/07(土) 23:56:11.41 ID:/JLqFRN2
宗教体験は日常体験の反対語で、あまり体験しない事の総称だから宗教はあまり関係ない。 自分の宗教体験は手術で全身麻酔をしたとき。
68 :
てすと :2011/05/08(日) 00:01:15.14 ID:U379Ooxe
>>63 でも人間だれしも年を取るし必ず死ぬ訳だから、苦しみを取り除く事に意味はあるのでしょうか?
苦しみながら生きるのは駄目ですか?
>>68 人間だれしも年を取るし必ず死ぬ訳ですが、生きている間は苦しんで生きるよりは、
幸福に安楽なきもちで生きる方がいいんでないですか?
「いや自分は苦しくていいんだ」という人は別にそれでもいいと思いますが、
そういう人は珍しいでしょう。
それに、自分だけでなく、「他人の苦しみも取り除いてあげたい」という慈悲の気持ちがあります。
だからその方法論をブッダは研究したのです。
それでも、「俺は苦しみながら生きるからほっといてくれ」って人もいるかもしれません。
別に強制するものではないので、ブッダの教団は強引な布教などはしません。
(現代の大乗系には強引な布教をするものも一部にありますが)
>>64 宗教の領域の体験だから、(特に)「宗教」体験と称するのだろう?
味噌味のスープを使ってるから味噌ラーメンであり、塩味だから塩ラーメンなわけだw
単純明快じゃないかwww
>>66 例えばもなにも。仏教の価値観の反対を行く価値館が普通にあるって事だよ。
まぁ、あえて具体例をつくるとするなら、
煩悩が創作の源だという芸術家は、涅槃寂静に嫌悪をしめすだろう。彼の幸せは創作であると仮定してね。
まさに、信じるものが違うというわけ。
>>68 それと、
本当に心から納得して「苦しみながら生きる」という人は、
実は既に悟っているんじゃないですか?w
苦しみに頓着していないってことでしょうから。それこそ苦を乗り越えているって
ことです。
73 :
てすと :2011/05/08(日) 00:11:39.95 ID:U379Ooxe
>>69 仏陀が研究した死の苦痛を取り除く方法論にはどのようなものがあるのでしょうか?
74 :
てすと :2011/05/08(日) 00:16:04.46 ID:U379Ooxe
>>72 だって、人生は楽じゃないんだから、それをありのまま受けいれて生きるしかないですし。
一部の人間が楽してるとしても、誰かがやらないといけないですしね。
>>70 「宗教」の領域の体験と、そうでない領域の体験をどう区別するんですか?
具体的に書いてください。
「日常的体験の延長上にある」と言ってみたり、「宗教の領域の体験」と言ってみたり、
矛盾してませんか?
>>71 >煩悩が創作の源だという芸術家は、涅槃寂静に嫌悪をしめすだろう。彼の幸せは創作であると仮定してね。
それは多分煩悩の意味を誤解しています。欲望が創作の源、という意味なのでしょうが、
欲望=煩悩ではありません。
欲望に執着するのが煩悩ですが、執着せずに、淡々と欲望を創作の源としているのなら、
芸術家であることと、仏道を実践することは矛盾しないと思います。
そもそも食事や睡眠も欲望に基づいていますが、それ自体は煩悩ではありません。
過食(拒食)や過眠(不眠)に振り回され、コントロールできなくなれば煩悩です。
まあ実際芸術家が煩悩に陥りやすく、生活が荒廃しやすいのも事実ですが、それは
人間ができていない人が、欲望に向きあってしまった結果ですね。煩悩の罠に陥って
しまうとプロの仕事はできませんし、芸術家としてもダメになるでしょう。
日本の諺に「苦あれば楽あり」とある。 世界的に同義の諺があると思うが。 芸術家の例なら 苦からの開放は楽を奪う。 仏教の教えは共感するものが多いんだけど、悟った人が大勢いたら・・・ と想像すると。 それでも、辛い時は苦しみを忘れる為に仏教に頼りたくなる。 しかし、それで本当に良いのだろうか? 苦楽を均してるのではないか? 得られるはずの楽を取り逃がしてはしないか?と悩む事はある。 「信じる力が足りない」というのは、三文宗教の言い訳の様に聞こえるが、宗教による救済を求めるなら正しい事なんだろう。
>>75 煩悩=欲望とは書いていませぬ。
純粋に
「煩悩を糧とする芸術家」
と定義しています。
また、仏教徒としてやっていけない価値観の例え話をしており、現実の存在として仏教徒やっていけると言われても困ります。
>>74 > だって、人生は楽じゃないんだから、それをありのまま受けいれて生きるしかないですし。
その通りです。それを心底から分かってる人は、悟りに近いんだろうと思います。
ただ、その先が微妙なところで、ニヒリズムや厭世主義に陥ってしまうと、
それもまた道を誤ります。自分にできることとできないことを見極め、できることは
明るい気持ちで前向きに挑戦していき、できないことについては潔く諦めてさっぱり
としている。それが理想ですが、智慧がないと難しいと思います。
>>77 > 「煩悩を糧とする芸術家」
> と定義しています。
煩悩を糧とする芸術家ってちょっと想像できないのですが、一体どういうことです?
そんなことあり得ますか?
煩悩を糧とする魔物や悪魔なら分かるけどw 確かに、仏法が広まることは、魔物や悪魔にとっては不幸なことでしょう
>>75 ほんと、小学生用に言葉を紡がにゃならんのかw
前スレで「神秘体験」という表現は現代的分別だと言った。場合によってはオカルト的分別が加わることも。
今また「宗教体験」も同様だ。そのように分別区分しているのは現代的分別であり学問的・学術的要請だよ。
それが、日常に波及しているにすぎない。
正確に言えば、
『仏教で(或いは禅で、或いは密教で)提示される方法論により、
仏教という枠組で評価対象となる、通過点・到達点としての体験』ということだ。
それらは「宗教体験」ではなく、正しくは「仏教体験」「禅体験」「密教体験」とでも呼ぶべきものだ。
(同様に「キリスト教体験」「イスラム教体験」と呼べるものもあるだろう。)
これらを個別に並べ立てるよりは、「宗教体験」として括った方が便利だろ?
術語ってのはそういうもんだろ?だから、宗教の領域という言い方をした。
「日常的体験の延長」とは、『人間に体験可能なもの、体験可能な領域のもの』という括りの上だ。
何も矛盾していない。 『カテゴライズの仕方が違う』だけだ。
>>79 スッタニパータ持ってんだろ?
ダニヤの章を百千万億回読んどけw
>>81 小学生用の言葉のわりには大変分かりにくいですが、
僕が尋ねているのは、
「仏教という枠組で評価対象となる、通過点・到達点としての体験」をその他の
体験と区別する基準や根拠です。
言葉を換えて、「宗教体験」を他の体験(通過点・到達点としての体験、など)に言い換えて
下さいと言っているのではないのです。
どうして、その体験が、「宗教体験」であって、空想や妄想や錯覚でないと分かるのですか?
84 :
てすと :2011/05/08(日) 00:38:37.13 ID:U379Ooxe
>>78 自分は宗教的な解決よりも正面突破の道を選んだので。
世間の荒波に自らダイブ。
ニヒリズムは自力で解決しました。
何をするかではなく、どのようにするかに重点を置けば楽しくなりますね。
意味のない雑多な書類書きも本気でやれば楽しいものです。
ちなみに禅宗は座禅ではなく作務が真髄です。
>>84 同感です。
> ちなみに禅宗は座禅ではなく作務が真髄です。
なるほど。
>>83 >どうして、その体験が、「宗教体験」であって、空想や妄想や錯覚でないと分かるのですか?
だからwwwww
前スレ785を読めと何度言っt(ry
>「仏教という枠組で評価対象となる、通過点・到達点としての体験」をその他の
>体験と区別する基準や根拠です。
お前は、東名高速を走っている時に見たパーキングエリアを、
名神高速のパーキングエリアだと見做さないだろ?w
そういうことだよ。仏教の文脈に於いて仏教の方法論の上で体験されたら仏教体験だろ?
単純明快だw
同様に、宗教的文脈(枠組)の上でのことなら宗教体験だよ。
ただし、ここで、宗教という領域を(或いは仏教という領域を)どう区切るかは、第三者の立場によって変わるかもしれんがなw
現に、或る体験を、或る者は仏教的体験と言い、或る者はヒンドゥ的体験と言うこともあり得るwww
>>85 読んでて
>>71 の喩えにピンとこないようじゃ、仏教に首突っ込むのはやめとけw
神智学か常識生命教がお似合いだwwwww
眠くなってきたんで、段々、レスも考察も粗くなってきたな・・w
今日はこの辺が潮時か・・・ ノシ
88 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 00:52:14.50 ID:IDFBxdJO
それでは、机ちゃんふうに 「例えばですね、カラスがか〜と鳴いたのを聞いたとしましょうか。 それ自体は、カラスの鳴き声を聞いたという日常的な体験に過ぎません。 しかし、この人はそれによってこの世を空と観じ、すべてのものに対する 執着から解き放たれました。すると宗教的体験と言えるわけですね。 すなわち同一の体験がある視点からすれば日常体験であり、また別の視点から みれば、それが宗教体験ともなっているわけです。 要は視る角度の違いですね。」
>>79 ありえます。糧とするは比喩表現で厳密には「創作の源にする」という意味です。
悪魔や魔物よりよっぽど確かな存在です。
90 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 00:54:33.00 ID:IDFBxdJO
しまったああ。「花押」いれるの忘れてたーw
>>90 内容はそれっぽいが、
花押だけじゃなく、文体に“らしさ”が足りないなw
92 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 00:58:34.49 ID:IDFBxdJO
>>91 www なんだったっけ? 机ちゃんが
口癖w
何か変な言葉使いしてたよね?ww
また、先にも述べたように 「仏教の価値観に反する価値観の存在」 の例なので芸術家の実際の存在自体に意義はありません。 まぁ、実際の存在がありうる範囲として 「煩悩を創作の源とし、創作を幸せとする芸術家」を例としたのですが。
>>89 煩悩を創作の源とする具体体を書いて下さい。
煩悩を捨てればもっといい創作ができるでしょう。
>>93 存在しないものを例としても、意味のない結論しか出ませんよ。
無理やり解釈してみるなら、
>「煩悩を創作の源とし、創作を幸せとする芸術家」
煩悩を創作の源とすること自体意味不明(無明?)なので、
それを幸せと思っていることが錯覚だということになります。
>>94 「煩悩を創作の源としている芸術家」
が煩悩を捨てたら定義上、創作ができなくなります。
また、例え話なので芸術の具体例は、私の知ることではないです。
が、私は現実世界に存在しうる範囲の例として「煩悩を創作の源としている芸術家」を定義しました。
>>96 勝手に定義したものが、何でも存在するわけではありません。
数学なんて勝手に定義したり創作した理論の宝庫ですが、対応するものが
現実にあるとは限りません。
そういう観念論的なお遊びは、思考ゲームとしては面白いけど、
仏教の実践の役には立ちません。
>現実世界に存在しうる範囲の例
あなたがいくら「現実世界に存在しうる範囲の例」と言い張っても、
僕には言葉の定義上矛盾した例としか思えないので、意味のある文章には見えません。
>>94 (
>>95 )
はぁ・・・ (;-。-)
ほんとに根本的なトコから歪んだ道を行ってるなw
ほんとにダニヤの章読んだことあんのか?
出家の生活が負債無き生活と賞賛されていること、世間出世間の対比、
出世間の価値観とは、世俗の価値観の真逆であること、が仏典のそこかしこから読みとれんか?
たぶん貴方は、何を学んでも、何を考察しても、仏教の入り口にさえ立てないでしょう・・。
マジで寝る ノシ
>>95 存在しない?
あなたの「煩悩」の定義を書き
「その定義」を創作の源とする芸術家
としてください。また、書いてください。そして、存在しないと断言できるほど奇天烈なものか自分自身で判断してください。
また、あなたが「意味不明」なのは理解、伝達の不備の結果です。
「意味不明だから幸せは錯覚ということになります」
というあなたの理屈が意味不明です。
私とあなたの理解、伝達の不備に定義中の幸せがどう関係するのでしょう?
>>98 > 出家の生活が負債無き生活と賞賛されていること、世間出世間の対比、
> 出世間の価値観とは、世俗の価値観の真逆であること、が仏典のそこかしこから読みとれんか?
その通りですよ。それが何か?
芸術家が創作を止めて出家したら、それは不幸になることではなく、より幸福になることですし、
まだ出家する準備ができていなくて、俗世間の中で創作活動を続けるという選択をするのであれば、
それはそれでいいわけです。在家として仏道を学びながら俗世間で生きる道もありますし、
それを釈尊は否定していません。もちろんベストは出家することですが、薦めはしても、それを強要することはありません。
>>97 言葉の定義に問題がある??
辞書によれば煩悩は
「身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用」とあります。
「自分自身の身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用を創作の源とする芸術家。そして、彼は創作する事を幸せとする」
は本当に定義の上での架空の存在ですか?
反証はないと?
>>99 > 「その定義」を創作の源とする芸術家
おかしいのは「創作の源」の方です。
創作の源ってことは、それがないと創作できないってことですよね。
煩悩がないと創作できない芸術って一体何ですか?
煩悩の有無は芸術と無関係でしょう。
> 「意味不明だから幸せは錯覚ということになります」
意味不明だからではなく、前提が間違っているからです。
>>102 あなたの煩悩の定義を書いてください。
面倒なら面倒と書いてください。
私が反証を探して参りますので。
>>101 > 「自分自身の身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用を創作の源とする芸術家。そして、彼は創作する事を幸せとする」
> は本当に定義の上での架空の存在ですか?
> 反証はないと?
僕はそう思いますが。反証がありますか?
「自分自身の身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用」など無い方が、のびのびと
いい創作ができるんじゃないですか?
仮にそういうことがあると無理やりに想定するとしても(想像できませんが)、そんな
人は芸術家など止めた方が幸せになれるのでは?だから、
「自分自身の身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用を創作の源とすることが幸せ」
という前提が矛盾していると思います。
>>102 「煩悩を源とする」
は端的でその一部の意味を汲むなら
「苦しみを表現する」
ことになるんじゃないですか?
いま、ググっております。
>>104 だから、定義に「創作することを幸せとする」
とあるじゃないですか。
芸術家を辞めたら創作を、幸せを捨てることになります。
「仏門に入れば創作以上の幸せ!」
なんて私の仏教の印象と著しく違いますが。かなり、独善的な考えですね。
また、何度でも言いますが価値観の存在について私は例え話をしてるのであって芸術の話をしてるのではありません。
より良い芸術、のびのびとした創作なんて言われてもまったく意義のない事ですので。
ID変わります 「自分自身の身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用を創作の源とすることが幸せな芸術家」 なるものがあるとすれば、 それは自虐SMプレイが高じて自殺(事故死?)してしまうようなことでしょう。 それは幸せですか? まあ本人は幸せと錯覚してるかもしれませんが、仏教的にはそれは幸福ではなく、 愚か者の不幸でしょう。そして、仏教はそういう価値観を別に押し付けはしません。 本人が満足だと言い張るならどうしようもないでしょう。 まあ仏教に限らず、世間の価値観で見てもこれは「愚か者」でしょうけど。
109 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 01:38:16.94 ID:k/5DNM9g
「悟りたい、解脱したい」という「欲望」こそ、最大の煩悩。 修行者の姿は、「煩悩の塊」。
>>107 > だから、定義に「創作することを幸せとする」
> とあるじゃないですか。
煩悩とは不幸に導くものなので、(それが煩悩の定義)
「不幸になることで幸せになる」という矛盾したことをあなたは想定していることに
なるんですよ。
具体的には
>>108 に書いた通りです。
111 :
てすと :2011/05/08(日) 01:39:24.32 ID:U379Ooxe
幸せの定義を先にしたら?
112 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 01:42:26.28 ID:k/5DNM9g
「幸せになりたい」という「欲望」は、「煩悩」ではないのかねw。
>>108 「煩悩を創作の源とすることが幸せな芸術家」
なら確かにSM好きそうですね(笑)
しかし、、私の例え話では
「煩悩を創作の源とする芸術家。彼は創作することを幸せとする」
です。
自分の意思で煩悩を選択してるのではありません。不可避の状況として煩悩があります。
反証としては絵画に孤独などの要素を盛り込んだゴッホなんてどうです?芸術については詳しくないので、わりとどうでも良いんですが。
>>111 不幸の定義を先にするとよいでしょう。
不幸は、苦悩がある状態。仏教で苦というのは、思い通りにいかないことです。
幸福は、不幸でない状態。
>>112 素朴には心配いりませんが、
「幸せになりたい」という気持ちが異常に強すぎて苦悩となるなら、それも煩悩でしょう。
115 :
てすと :2011/05/08(日) 01:56:54.47 ID:U379Ooxe
>>114 不幸でない事と幸せとイコールにするの?
マイナスをゼロにするのと、
ゼロをプラスにするのは全く違うから、一緒にしないで場合分けした方がいいんじゃない?
釈迦だって、悟った時歓喜したんだし。
>>113 >不可避の状況として煩悩があります。
> 反証としては絵画に孤独などの要素を盛り込んだゴッホなんてどうです?芸術については詳しくないので、わりとどうでも良いんですが。
それがどうして反証なのか分かりません。「煩悩」を「創作の源」としていますか?
そりゃ当然「不可避の状況として煩悩」があるのは当然です。解脱してない(と思われる)のだから。
凡夫は皆そうです。
しかし「煩悩がある」ことと、「煩悩を創作の源とする」ことは全く別のことでしょう。
例えば、欲望を直接キャンパスに描いても(性的シーンなど)、煩悩を創作の源としている
とは言えないでしょう。単に煩悩を描いただけで、創作の源は別のところにあるでしょう。
他の絵だって描けるのですから。
なんか話がどんどんそれてるような気もするが・・・
>>114 不幸がない=幸福なら
幸福がない=不幸
ですよね。
なら、
幸福がある=不幸ではない
です。しかし、我々は実感として、幸福感と煩悩の両立を知っています。
ゆえに煩悩がない状況=幸せ
の定義は実感としておかしなことになります。
僕は一部仏教徒の詭弁的定義、原理的考えが大嫌いです。
>>116 また、独善的な解釈ですね。
素朴な意見として
孤独を感じさせる絵を書くのに孤独の苦しみが必要ないと思いますか?
>>115 > 不幸でない事と幸せとイコールにするの?
不幸(苦)が完全に消え去った状態を幸せと言ってもいいのでは?
言葉の成り立ちから言っても、堂々巡りですが、不幸(幸せでないこと)でないことは、
幸せでないことでないことなので幸せでしょうw
> 釈迦だって、悟った時歓喜したんだし。
不幸(苦)が完全に消え去れば、僕も歓喜します。
>>117 > です。しかし、我々は実感として、幸福感と煩悩の両立を知っています。
「日常の幸福感」=「仏教の幸福」ではないからです。
煩悩に惑わされた幸福感は、偽の幸福、錯覚なのです。
> の定義は実感としておかしなことになります。
実感としておかしいのは当然です。凡夫の実感は錯覚である場合もあるのですから。
>>118 「孤独の苦しみ」は「煩悩」ではありませんよ?
121 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 02:06:55.56 ID:k/5DNM9g
>>114 >仏教で苦というのは、思い通りにいかないことです。
「すべて自分の思い通りにしたい」というのは、駄々っ子以下の幼稚な考え。
>「幸せになりたい」という気持ちが異常に強すぎて苦悩となるなら、それも
>煩悩でしょう。
言葉が矛盾してますね。「苦悩となるほど」「幸せを望む」人などいないでしょう。
それは「幸せになることを望む」ことではありません。
122 :
てすと :2011/05/08(日) 02:07:16.14 ID:U379Ooxe
>>114 それから
思い通りにいかない=不幸
幸せ=not不幸
だと、
仏教では幸せにならない
または
仏教で人生を思い通りにできる
の二つの結論しかでないけど、、
>>120 「孤独の苦しみ」が
「身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用」
でないと???
「孤独の苦しみ」は身心を悩まさない?苦しめない?煩わせない?、けがさない?
それとま精神作用ではない?
どれに当てはまらないんですか?
124 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 02:09:59.95 ID:k0rMzlim
仏教では幸福論なんかありえない。 ばかじゃないの。
>>121 >
>>114 > >仏教で苦というのは、思い通りにいかないことです。
>
> 「すべて自分の思い通りにしたい」というのは、駄々っ子以下の幼稚な考え。
そうですよ。その「駄々っ子以下の幼稚な考え」で実際に凡夫は苦しんでいるのです。
そんな欲望を完全に滅した人には苦はありませんし、それは悟った人です。
> 言葉が矛盾してますね。「苦悩となるほど」「幸せを望む」人などいないでしょう。
> それは「幸せになることを望む」ことではありません。
愚かな人は、「苦悩となること」に気づかずに、幸せを望むのです。それが煩悩です。
たとえば、ギャンブルに大金を投じる人。
「苦悩となる」とちゃんと弁えていて自制出来る人は、当然「苦悩となるほど幸せを望む」
というような愚かなことはしません。煩悩が無いのです。
「仏教的幸せ」は 「実感としての幸福感」と大きく異なっている。別物と言ってもいいくらい。 これが私に76を書かせる要因なんですよねぇ。 また、芸術家の例で最初にかいた通り 「信じるものが違う」 というわけ。
宗教なんてくだらねえよ。 地球からすれば、もっと言えば宇宙からすれば 人間なんてそこらにいる微生物や犬や猫と同じで 単なる一種の生物にすぎん。 それが悟りだの何だの、意味あんのかそんなもん。 信仰の中には自ら進んで死ぬこともあったというが、 キチガイだね。たかが動物だよ人間は。 そんな滑稽なことしてるのは全生物の中で人間だけw
>>122 > 仏教では幸せにならない
> または
> 仏教で人生を思い通りにできる
>
> の二つの結論しかでないけど、、
その通りです。そして、幸せになることと、思い通りになることは両立します。
なぜなら、悟った人は、幸せになり思い通りになることしか望まず思わないからです。
思い通りにならないようなことは望まないし思わないのです。
逆に凡夫は、思い通りにならないことを思い通りにしたいと望む(=煩悩)ので苦しむわけです。
あのさー。 俺は言ったよね。 一部仏教徒の詭弁的定義が大嫌いて。 「幸せ」といわず、「仏教的幸せ」と書きなさいな。
>>129 俗世間でも、このような幸せの定義は別に「詭弁的定義」でもなければ、珍しいもの
でもないのでは?
金銭欲や物欲を追求してそれを「幸せ」と考える人もいますけど、
そういうものとは無縁な、最低限必要なものだけで満ち足りた平穏な生活を「幸せ」と
考える人も、実際に少なくないし、珍しい定義ではないでしょう。
後者は仏教的な幸せと変わりません。
131 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 02:24:42.24 ID:k/5DNM9g
結局、釈迦は、「煩悩」の意味と機能について理解できていなかった。 煩悩とは、人間が状況に応じて生存するために不可欠な心的作用。 「明日のことに思い煩わなければ」、生存はできない。自分や家族の 病気に思い煩わなければ、「最大の苦」としての「死」に至る。 「煩悩」とは、「生にとって必須の、生きていることの証(あかし)」。 「煩悩を去れ」というのは「死ね」ということ。 釈迦は、その鬱病の症状として、「生きること」が嫌だったのである (精神医学的には、それは実は、彼の「生への欲望」の裏返しなのだが)。
煩悩のない事が幸せ? 子どもが生まれる時に不安と期待がない状態が幸せ? それが一般的? 定義を捻じ曲げてSM好き芸術家を想定する事が煩悩のない幸せ? あんたみたいな、仏教徒が現実を捻じ曲げてバカみたいな主張をするから宗教が胡散臭く見られるだと思いますよ。
133 :
てすと :2011/05/08(日) 02:28:49.43 ID:U379Ooxe
>>128 さすがに子供を望まないのはまずくないですか?
苦労するの覚悟で。
人類の存続に執着しないで絶滅覚悟なら仕方ないけど。
>>131 心理学、生物学的な問題だとまったく持ってその通りかもしれませんが、
我々は完全な生物ではなく、簡単に針が振り切れる生物でもなく
私は生きる指標、生活の知恵として仏教に興味があるんです。
眠いから寝る。
今日はは福島原発の作業仮定で放射能放出をやるかもだってさ。
>>130 それと付け加えますが、よく誤解されていることですが、
ブッダや金銭欲や物欲自体を必ずしも強く否定しているわけではありません。
ブッダは大商人とも付き合ってますし、王族にも金持ちにも貧乏人にも使用人にも
別け隔てなく、差別なく教えを説いています。
金銭に執着したり他人を不幸にしないならば、商売で成功するのは悪いことではないのです。
ですから世間の「幸せ」と≒なのです。ただ肝心なところで違いがあります。
それは執着となり、煩悩になるような「幸せ」は錯覚で、毒だということです。
たとえば、麻薬による幸福感は俗世間でも否定するでしょう。それと同じです。
>>133 欲望=煩悩ではありません。
性欲=煩悩ではありません。
子供を望むことも、子供を作ることも、素晴らしいことです。仏教は子作りも人類の反映
も否定していません。むしろ逆です。夫婦や子供をもつことの幸せにも度々言及しています。
(ただし修行者、比丘に対しては否定しています)
>>131 酷い誤解です。
> 煩悩とは、人間が状況に応じて生存するために不可欠な心的作用。
そんなことは全くありません。
> 病気に思い煩わなければ、「最大の苦」としての「死」に至る。
健康に気をつけることは、 「病気に思い煩う」ことではありません。
> 「煩悩」とは、「生にとって必須の、生きていることの証(あかし)」。
> 「煩悩を去れ」というのは「死ね」ということ。
あなたは、基本的生存欲求と煩悩を混同しているだけでしょう。
>>123 > 「孤独の苦しみ」が
> 「身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用」
> でないと???
「孤独の苦しみ」自体は、そういうものではないですね。
孤独を受け入れられない強い対人欲求があるなら、それが煩悩になります。
「われわれは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分より勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を
得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。」
138 :
てすと :2011/05/08(日) 02:47:21.64 ID:U379Ooxe
>>135 それなら在家だけで良くない?
出家組いらない子?
139 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 02:50:18.51 ID:k/5DNM9g
>>134 「一切皆苦」では、「生きる指標」などにはなり得ない。そんな人生、誰が
生きたいw。
また、「苦の無い世界」は「苦だけの世界」と全く同一であることを理解すべき
である。苦がなければ、楽も存在し得ないからである。「いかなる存在も、非
相対的であるものはないからである。」(竜樹)
>>138 アマチュア天文家がいれば、天文学者はいらないのですか?
アマチュア音楽家がいれば、プロの音楽家はいらないのですか?
141 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 02:53:08.89 ID:IDFBxdJO
>人類の存続に執着しないで絶滅覚悟なら仕方ないけど
このお題については以前、セブンとやりあったことがあるw
聖俗についての極論だったがw
「仏教においては出家が最上であるとの認識がある。ならば、ある地域に
おいて全ての在家が出家を望んだときどうするか?これを許容すれば、
出家を支えるものが消滅し、結果共倒れとなり、出家在家共に解脱に至る
ことなく死に絶える。さてどうするか?」というものだが、仏教側の回答は
『共に死に絶えよう』だった。w
すなわち全ての人類が出家し、子供をつくらなくなって人類が消滅しても
OKさ。みんな出家して仏道に入りましょう。
これが仏教のスタンスなんだろう。
それから、
>>135 「煩悩」にお互いが投射してる意味がずれて、対話がすれ違っているが
貴方のいう「煩悩」は『過度に執着することにより生じる苦』ということを
もう少し強調して説明したほうが良いのでは?
>>141 >すなわち全ての人類が出家し、子供をつくらなくなって人類が消滅しても
OKさ。みんな出家して仏道に入りましょう。
これが仏教のスタンスなんだろう。
僕の考えは違います。
数学という職業はきっと人類にとって必要なものでしょう。全くいないよりは、
いた方がいい。しかしかと言って、みんなが数学者になったらどうします?
社会は崩壊してしまうでしょうね。
でも現実的にそんな心配はいりません。
文脈は違ったと思いますが、ある学者は、「みんながあなたみたいになったら
世間は一体どうなるの!」と詰め寄られて、「みんなが私みたいになるなんて
ことはあり得ない。余計な心配だ」と言いました。
万が一そんな自体になれば、社会は禁止するでしょう。
出家も、日本では国の許可無く出家することが禁止された時代があります。
調整されるのです。そして仏教はそんなに広まることより、滅びる心配の方が
歴史を通して多かったのです。(どうせ今の日本の仏教は「出家」ではありません)
143 :
てすと :2011/05/08(日) 03:01:02.01 ID:U379Ooxe
>>140 在家も物事に執着しないのだから、プロとアマの差がないでしょ。
アマチュア音楽家が良い音楽を作ればプロと同義だし、アマチュア天文家がプロと同じ機材使えば見つける星は同じだし。
出家に執着する必要ない気がするけど、、
144 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 03:05:01.00 ID:k/5DNM9g
>>140 「生きること」については、すべての人間、いや、すべての生物が「プロ」
ですよ。
それから、人間を「聖俗」「聖者・凡夫」に分けるのは人間差別・人間軽視。
宗教者としての資格が初めから欠如している。
145 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 03:08:27.75 ID:IDFBxdJO
>>142 勿論、現実にそういうことがあるとは思ってないさw
だから、「極論」としてのお題だよ。
だが、仏教が「出家が最上」と宣伝している限り、もし、
「全ての人間が出家を望んだらどうするの?」っていう仏教側の
スタンスへの問いかけさ。(現実にあるかどうかは関係ない)
出家が最上と勧めておいて、いざ都合が悪くなると、「ちょっと待て」
ではいかんだろ? という問いかけだったんだよ。
勿論、セブンの回答が仏教側を代表しているとは言わないが、
『それなら共に死に絶えよう』
これはそれなりに宗教者の回答としては、良しだと思うがねw
>>143 どれだけ集中できるかの違いです。
プロは自分の時間の全てをその活動に使えますが、アマチュアは、本業の合間に
やるしかありません。
もちろんとても才能の豊かな人なら、プロかアマかなんてことにこだわる必要はないという考え方はあるでしょう。
また逆に、才能が豊かだからこそ、全力(全ての時間)を注ぎたくてプロにこだわるってこともあるかもしれません。
それは人それぞれです。
経典によれば、在家でも悟った人はたくさんいますし、在家と出家で悟りに優劣があるわけでもありません。
ただ、一般的にプロの学者や先生を敬うように、在家は出家を敬うことが基本です。
一般論としては、プロの方が知見も修行も進んでいることが多いですから。
もちろん例外もあります。(経験豊富な在家が新米の比丘に教えるという話は、
維摩経などの大乗経典に限らず、原始経典にもあります)
147 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 03:13:57.03 ID:k/5DNM9g
>>141 「開祖や教典に、最も過度に執着している」のが、まさに宗教者。
148 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 03:16:01.23 ID:IDFBxdJO
>>147 うんうん、相変わらず今日もバカだな、隠居www
>>145 > だが、仏教が「出家が最上」と宣伝している限り、もし、
> 「全ての人間が出家を望んだらどうするの?」っていう仏教側の
> スタンスへの問いかけさ。(現実にあるかどうかは関係ない)
分かりました。最もな疑問です。
おそらく、共倒れは誰も望まないでしょうから、そういう事態になる前に、
出家のルールが変わります。基本は変えないことになってますけど、
釈尊は変えていいと言ってるし、(実際は今までにどんどん変わってるしw)
托鉢ができる範囲でしか「新たな比丘は取らない」とか、「比丘も農作業をしてよい」
とか、現実路線で変化することでしょう。
また、子孫については、阿羅漢はこだわらないでしょうけど、教団の大半は解脱してない
弟子なわけで、人工授精を容認するなりなんなりして、どうにか子孫を残すかも
しれません。
では、「人類がみな阿羅漢になったらどうなるの?」と考えたら、それは人類の
自然消滅ってことになるでしょう。それはそれでいいんじゃないですか?誰も困らない。
みんな阿羅漢なんだから、困る人はいないわけです。
もっと現実的に、同じような「極論」を考えることができますよ。
男がみんな「二次オタ」になって、現実の女に興味なくしたらどうします?
僕はその方が心配ですw
150 :
てすと :2011/05/08(日) 03:20:42.72 ID:U379Ooxe
>>146 そこがねー
生活基盤を支えてるのは在家なんだから、出家が在家を敬うのが普通の感覚だと思うけど。
出家って先生じゃなくで専門学校の学生みたいなものじゃないの?
悟った人なら敬うけどさー
「煩悩を創作の源としている芸術家」なんていないですよ もちろん「神を創作の源としている芸術家」もいないんですよw 絵画とか音楽は創作した本人の感情が出たものではないです だから無思想です(タモリもそう言ってますw) 絵画とか音楽とかは自分より以前の複数の技法を組み合わせたものですから 必ず元ネタがあるんですよ まあ歌詞を載せて思想を伝えるとか演奏者本人のキャラクターで見せるところが ありますからここで誤解されるんでしょうね
>>150 > 生活基盤を支えてるのは在家なんだから、出家が在家を敬うのが普通の感覚だと思うけど。
出家側からすれば対等ですよ。出家が在家に敬えと言っているわけではなく、
在家が自然に出家者を尊敬し敬うことが普通だということです。
自分たちがやりたくてもなかなかできないことをやっているわけですから。
> 出家って先生じゃなくで専門学校の学生みたいなものじゃないの?
> 悟った人なら敬うけどさー
学生も、学問に励んでいれば、十分尊敬に値すると思いますが。
昔は日本でも、帝国大学の学生などを尊敬するのはおかしなことではなかったですよね?
明治時代の小説を読むと、学生もそれなりに敬意を払われています。
今では大学の価値も落ち、大学生も真面目に勉強するのは少ないからそういう感覚も
珍しくなっているのかもしれませんが。
153 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 03:40:01.27 ID:IDFBxdJO
>>149 俺や貴方や(おそらく、てすとなんかも)認識、判断の根底に
合理性を求めるでしょ?
論理的に不整合な結論を認知し難いw
思考を重視する傾向がそれを示唆してると思う。
俺が思うに、宗教ってのはどこかで、それら「合理性、論理的整合性」
を飛び越える必要性があり、その方法論が各経典、教説に指示されてるんだと
思う。(ただし、多くの信者がジャンプどころを間違えて、ドツボに
はまって、「やった〜、俺は悟ったぞ〜」になるんだろうがww)
俺は「経典の研究も思考重視」も否定はしないね。
むしろ、それでどこまで行けるものなのかに興味があるな。
このスレの多くの貴方に対する批判者の言うように、それで最終ゴール
にたどり着けるとも思わないが、ジャンプする箇所が見つかったら教えて
おくれww
>>152 あと、
> > 生活基盤を支えてるのは在家なんだから
というのはきっと、「出家は在家に寄生している」、という感覚があるのでしょうね。
別に食べ物を乞うているわけではないのです。あげたくなければあげなければいい。
ただし、食べ物をあげれば、在家は功徳が積めるし、出家は命が繋がりその分
修行ができる、ということです。在家の功徳というのは、出家の修行を助けたという
徳です。
だから、托鉢の習慣のない国では、この関係は成り立たないので、ルールを
変えるしか無いでしょう。テーラワーダの比丘が日本で修行するのは、なかなか大変だと
思います。お布施も金銭になってしまいますしね。
>>153 >宗教ってのはどこかで、それら「合理性、論理的整合性」を飛び越える必要性があり
それが宗教ならば、結局のところ、僕は仏教は宗教ではないと考えていることになります。
155 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 03:48:42.34 ID:IDFBxdJO
>>154 >それが宗教ならば、結局のところ、僕は仏教は宗教ではないと考えていることになります
そうなの?
「仏教においては、論理的思考の帰結において悟りに達せられると考えて
いるのかな?」
>>155 なんというか、「論理的思考」だけで数学が分かるわけではない、というような意味では、
「論理的思考」だけとは言えません。数学を極めるには、記憶力も必要だし、知識も必要
だし、繰り返し演習することも必要です。演習を全くせずに、思考だけで問題が解けたら
天才でしょう。でも天才でなくても、演習を詰めば分かるようになるのです。
でも、「論理的思考」を除外して、頭からっぽにしていくら演習だけやろうとしても無駄でしょう。
色々な要素がありますが、論理的思考の先にそれらは自然についてくるものだと思います。
何か特定の要素が悟りの必要条件だったり、逆に何か特定の要素を無視することが悟りの
条件になるようなことはないのです。
「師は答えた、「マーガンディヤよ。『教義によって、学問によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、私は説かない。
『教義がなくても、学問がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』とも説かない。
それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である。)」」
157 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 04:07:10.64 ID:IDFBxdJO
>>156 >色々な要素がありますが、論理的思考の先にそれらは自然についてくるものだと思います。
この一文に貴方のスタンスが凝縮されとるねw
すると「止観」の『止』なんて、当然、否定かな?
158 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 04:13:33.59 ID:IDFBxdJO
あと一つ聞きたいんだが、 確か「禅」と「密教」では師についてたよね? それらの師から学んだことは、結局「これではダメだ」 ということだけ? それとも何か有意な教えとか得たのかな?
>>157 否定というか、あまり瞑想技法にごちゃごちゃこだわる必要を感じません。
経典では、実にシンプルに、「心を安定させ気を落ち着けている賢者は〜」とか、
「かれは思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いにみずから満足すべきである。」とか、
「眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨とを断ち切れ。」
などのように書かれています。
そのエッセンス、なぜそうするのかを分かっていれば、細かいことはどうでもいいでしょう。
どうしてももう少し具体的な方法を知りたければ、四念処経くらいを読めば十分だと思います。
今流行っている瞑想技法が細分化して論じられるようになったのは、かなり後世になってからでしょうし、
今はそのせいで、誰の指導者の瞑想がよいか、正しいか、不毛な議論をしたり迷ってる人も多いでしょう?w
全く無駄なことだと思います。
>>158 そりゃ色々知識は学びましたよ。悟りに役立つ知識とは思えないけど。
あと、大乗の理想への共感もないことはありません。
瞑想技法の細かいことで喧々諤々ああでもないこうでもないと言い合ってる
のを見たり、アビダルマなど、煩雑な存在論の議論などばかり見せられれば、
「こんなんじゃダメだ。何の役に立つ。誰も救われないじゃないか」と
思うのは当然です。大乗の、衆生を救いたいという気持ちは純粋で本物だと思います。
ただ大乗はそこからあさっての方向へ飛躍してしまった。
一方、原始仏教も衆生を救いたいという気持ちは負けず劣らずあるのですが、
伝わりにくいのです。災害や貧困で衆生が喘いでいるときに、瞑想してる場合か、
という問題もつきまといます。
ブッダが生きた当時のネパールや北インドは、土地も豊穣で、比較的豊かだったのです。
それで教団を維持する余裕が社会にあったのです。
でも社会に余裕がなくなると、お荷物になります。それで仏教は滅亡の危機に瀕したり
もしてます。大乗が中継役をしなければ、ターラワーダ仏教含め、
仏教は現代に生き残ってないかも知れません。
そういう「世間とのしがらみ」については、学ぶところは多いですね。悟りとは直接関係
ありませんが。
161 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 04:37:44.39 ID:IDFBxdJO
>>159 そうかw
例えば、スマさんなんかが言ってる「ヴィパッサナー冥想」は
方法論としては真逆のことを言ってるよね。
「考えるな」 「思考は邪魔なだけ」
「ありのままの観察が全て」 「分別禁止」
さて、どんなもんかな?
「瞑想のエッセンス」 これが知りたいねw
162 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 04:40:50.23 ID:IDFBxdJO
っていうか、さすがに寝るわw 続きはまた次回にww
>>161 これは僕の解釈であって、核心はもてていないのですが、
本当は厳密には、対機説法的に、それぞれの人にぴったりあった瞑想法があって、
(100人いれば100通りの瞑想)、本来であれば
一人一人にそれぞれ違う指導をするべきなのだと思います。
しかし現実には、そんなことやっていれば、一人の長老が多くの在家を指導するのは不可能です。
だから最大公約数を取るしか無いのでしょう。最大公約数を取った結果が、「考えるな」 「思考は邪魔なだけ」
となってしまうのだと思います。大半の人は教えを論理的に思考するよりも、日常の瑣事を妄想することが
多いでしょうから。しかしそれは最大公約数ですから、その方法からこぼれる人、どうしても向かない人というのも
出てくると思います。
それに、「考えるな」 「思考は邪魔なだけ」というのも、間違った思考・妄想を止めさせるために最初やらせてるだけで、
最後までそうするわけではなく、正しく法を観想したり省察するというようなこともやるのではないでしょうか?確認してないので
分かりませんが。
> 「瞑想のエッセンス」 これが知りたいねw
経典にある以上のことは知りません。心をよく統一し、落ち着いて気をつけていて、執著から脱して、平安を楽しむことです。
164 :
てすと :2011/05/08(日) 07:59:40.20 ID:U379Ooxe
>>154 功徳なんてものは絶対な存在しないし、「積む」事も出来ないと思ってる。
165 :
てすと :2011/05/08(日) 08:06:12.27 ID:U379Ooxe
功徳などという存在しないものを存在するように妄想させて、食料をもらったりする行為はギブアンドテイクではなく詐欺に近い。 「功徳はありませんが修行のため食料を恵んで下さい」と正直に言えばいいのに。
>>100 馬鹿たれがw
>芸術家が創作を止めて出家したら、それは不幸になることではなく、より幸福になることですし
勝義に於いてはなw
だが、世俗の価値観に於いては、「創作意欲が消沈することは『不幸なこと』」なんだよwwwww
>>71 は、こうした単純明快な喩えなんだよw
煩悩の定義やら作品の評価・鑑賞基準やら、そのような芸術家の実在なぞどうでもいいことだ。
なんでそういう瑣末な部分にこだわり、喩え話が示す「構図」を見ることができないんだ?
「二番じゃ駄目なんですか?」などとほざいた腐れ大臣もいたがw、
国政に於いて、外交政策も絡んだ上で、最悪の発言なんだよ。
仏教的平安ってのは、それを求め、或いは最優先する時、世俗の利・富・幸の追求に資さないんだよ。
場合によっては文明の発展すら遅滞させるんだよ。
>>108 他
やっぱり、お前ダニヤの章読んでないだろ?wwwww
>>110 >煩悩とは不幸に導くものなので、(それが煩悩の定義)
だからwww 世俗に於いてはそうじゃないだろ?w
煩悩とは、富を追求し、より安定し、裕福安全な生活を維持し、新たな利を継続的に求め生み出す原動力だろ?
(隠居が主張する通りだw)
貴方の定義自体こそが、
>>71 の喩えから根本的に(最初から)ズレているのですよw
167 :
てすと :2011/05/08(日) 08:41:57.90 ID:U379Ooxe
釈迦の骨を拝んだり、金箔買って仏像に張ったりするのがブッダの教えか? そんな行為に全く意味はない。
165まで読んで、やはり思う。
たとえば
>>149 >では、「人類がみな・・・・・・、困る人はいないわけです。
>>135 >子供を望むことも、・・・・・・言及しています。(ただし修行者、比丘に対しては否定しています)
ということを踏まえながら71の喩えが理解できん・噛み付くのが不思議でしょうがないw
だから、ダニヤの章読んでねーだろ?と言うのさw
169 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 12:28:30.66 ID:aYp5KmEa
>>164 また、てすとが、ばっさりとww
確かに俺も実際にあるとは思わないが、そこはさあ
「もしかしたら、あるかもね。あったらいいな。」
くらいに押さえられんもんかね?
ダメ?w
>>164 >>165 功徳というものがポイントカードのポイントのようにどこかに記録されているという
ことではないです。東北復興のボランティアや募金のように、自ずから人の力になりたい
と思うものだし、そういう行為も自分を成長させ、執着を取り除く助けになるという
ことです。そのことを功徳と呼んでいるのです。善行ということです。
言葉で「〇〇がある」というと、どうしても人は実体化して考える癖があります。
「勇気がある」と言うと、「どこにあるんだ?取り出して見せてみろ」なんてトンチンカンな
ことを言う人もあるかもしれません。それと同じです。
>>165 > 功徳などという存在しないものを存在するように妄想させて、食料をもらったりする行為はギブアンドテイクではなく詐欺に近い。
> 「功徳はありませんが修行のため食料を恵んで下さい」と正直に言えばいいのに。
そのような妄想を抱いて、清らかな心で布施ができず、かえって執着して心が汚れるかもしれませんね。
それに比丘は「食料を恵んで下さい」なんて言いません。物乞いではありません。黙って戸口に立つだけです。
布施が得られても、得られなくても、黙って立ち去ります。それだけのことです。
布施したくない人は、あれこれ屁理屈を並べてやらない理由を作る必要はありません。やりたくないなら
やらなければいいだけです。誰も強要しません。
171 :
てすと :2011/05/08(日) 12:51:01.08 ID:U379Ooxe
>>169 駄目に決まってるでしょ。
失業者に食料を提供するのは構わないけど、出家は自らその道を選んだのだから自己解決すべき。
「食べ物くれなくてもいいけど、くれたら功徳やるよw。それから、うちらを敬うように。」
っておかしいでしょ。
>>166 > だが、世俗の価値観に於いては、「創作意欲が消沈することは『不幸なこと』」なんだよwwwww
そりゃ出家側から見れば、「創作意欲が消沈することは『不幸なこと』」
という世俗の価値観は出家の価値観とは違うのですから、意に介さないでしょう。
そして芸術家が出家側の価値観に目覚めるなら出家するでしょうし、世俗の価値観
に執着するなら世俗のままでしょう。それだけのことです。
それに出家したからと言って創作意欲が消沈するとも限りません。(無理やり、そういうタイプ
の芸術であると定義したのだと言い張るのでしょうが)
> 仏教的平安ってのは、それを求め、或いは最優先する時、世俗の利・富・幸の追求に資さないんだよ。
> 場合によっては文明の発展すら遅滞させるんだよ。
それはどうでしょうかね。原発事故を見ても分かるように、やみくもに目先の「利・富・幸」を追求すれば、
結果として自爆することもあります。健康も環境も破壊します。経済も混乱します。それこそ「文明の発展すら遅滞」
させるかもしれません。そのようなことのないよう、欲望をコントロールし、中道を実践することを教えているのが
仏教です。仏教が文明を捨てよと言っているように考えているのなら、それは誤解です。真逆です。
> 煩悩とは、富を追求し、より安定し、裕福安全な生活を維持し、新たな利を継続的に求め生み出す原動力だろ?
違いますよ。執着し、自他を不幸にすることがないなら、「富を追求し、より安定し、裕福安全な生活を維持し、新たな利を継続的に求め生み出す」
ことは別に悪いことではありません。
173 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 13:03:31.83 ID:aYp5KmEa
>>171 功徳ポイントカード
「一回につき10点。(ただし、1000円以上の布施に限ります)10万点貯まりますと、もれなく死後、極楽浄土にご招待。
今なら、入会金無料です。」
なんて、なってるかもよww
>>171 > 「食べ物くれなくてもいいけど、くれたら功徳やるよw。それから、うちらを敬うように。」
根本的に勘違いしているようですが、功徳は「出家者が在家者にあげる」ものではありません。
在家者が勝手に積むものです。出家に限らず、困っている人にめぐむのも功徳ですし、
東北でボランティアしたり、募金したりするのも功徳です。
それと、出家者は「うちらを敬うように」なんて言いません。
175 :
てすと :2011/05/08(日) 13:08:29.18 ID:U379Ooxe
>>173 出家に施しをするような人は基本的に善人でしょ。
そういう善の心を利用して対価を得るやり方は汚いよね。
「いい事させてやってる」とかどんだけ傲慢なのか。
>>171 (
>>173 )
>くれたら功徳やるよ
それは根本的に違っているw
「功徳」は「与えたり与えられたりするもの」ではなく、「生じる」ものなのです。(或いは「積む」ものなのです。)
だから、「与えようと思った時」は「回向」という手続きが必要なのです。
また、「功徳が積まれる」ということは、練習によって習熟度が高まるのと似たようなものです。
積み木が積みあがるようなことではありません。
或いは、道路に轍ができるように、透明水彩でも塗り重ねれば色が濃くなるように、
或いは、10本セットの一本おまけのその一本が増えるような「塵も積もれば・・」的な面もあります。
>>170 の言うように、「>どこかに記録され る」というのは、適切でないにしても、
ポイント的側面はあります。貯めれば貯めた分だけの何がしかはある、とw
横から、ちょいとマジレスしてみましたw
>>172 ほんとに頓珍漢だなw
>>71 の喩えで言われている構図は、
世俗の価値観と出世間の価値観との衝突を指してんだよ。なんでこんな簡単なことが判らんかなぁ・・w
177 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 13:11:53.14 ID:aYp5KmEa
>>172 横レスだが、セブンの言ってることは、そういうことじゃないと
思うが
「聖俗それぞれに異なる価値体系があり、そのどちらかのみを絶対視するべきではない」
こういうことでは?
178 :
てすと :2011/05/08(日) 13:14:49.81 ID:U379Ooxe
>>174 じゃあ誰が敬えって言ってるの?
あなたの個人的な見解?
>>177 微妙に違うなw
「収入など無くてもいい」という価値観は、家計をやりくりする妻(専業主婦)からしてみれば
トンデモナイ価値観だろ?w
端的に言えば(定式化すれば)そういうことさ。
>>177 彼は、構図が見えないというより「極論、定式化、図式化」が嫌いらしいなw
(零れ落ちる細部を捨象できない性(さが)なのでしょう・・w)
>>176 > 世俗の価値観と出世間の価値観との衝突を指してんだよ。なんでこんな簡単なことが判らんかなぁ・・w
別に「衝突」なんてしませんよ。
世俗の価値観に執着している人は世俗にいるんだし、出家の価値観を持った人は出家
するんだし、お互いにそれぞれの価値観を強要することもないんだし、衝突するはずが
ないでしょう。
そりゃ出家が無理やり在家を出家させようとしたり、財産を全部布施しろみたいな
新興宗教みたいなことやり始めたら衝突しますよ。そして実際そういうことしている
宗派もある。しかし仏教は本来はそんなことは認めません。
あくまで社会と調和して存在しているのです。時々すれ違いが起こる場合は、戒律
を作ったりして出家側が対処するのです。
>>177 「聖俗それぞれに異なる価値体系があり、そのどちらかのみを絶対視するべきではない」
それが仏教ですよ。
しかし「絶対視すべきでない」=「何でも認める」ってことでもありません。
182 :
てすと :2011/05/08(日) 13:22:41.65 ID:U379Ooxe
>>176 それなら、与えてない人間などこの世の中にいないのだから、全ての人に功徳は積まれるだろ。
布施システムをあえてセッティングする必要はない。
>>178 え? 誰も敬えなんて言ってませんが?
事実として、在家は出家を敬う、ということを前に書いただけです。
自然にそうなるということです。立派な人や、一生懸命何かに励んでいる人を
見れば、自然に敬う気持ちが湧いてくるでしょ?
もちろん出家でなく在家であっても、そういう人は敬われるのです。
>>179 > 「収入など無くてもいい」という価値観は、家計をやりくりする妻(専業主婦)からしてみれば
仏教は、在家に対し、「収入など無くてもいい」などとは言いませんよ。むしろ、しっかり働いて家族を
養えと言っています。出家の条件としても、家族が路頭に迷わないということがあります。
家族が路頭に迷うなら、出家してはいけないのです。だからこそ、ブッダの教団の出家者というのは、
貴族や金持ちが多く、貧乏な場合は身寄りのない人や、兄弟がいて実家が困らない人など、そういう
ケースが多いのです。
185 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 13:29:24.91 ID:aYp5KmEa
>>174 それから、一つ基礎知識を提供 w
てすとは、そこに書いてある視線のあることも了解の上で
貴方に絡んで遊んでいる。(多分、暇なんだろうがw)
ただ、判断基準の根底にバランスシートが見え隠れして面白い。(こういうのも、このスレの楽しみ方の一つだと思うw)
186 :
絶対神 :2011/05/08(日) 13:32:07.43 ID:va8RAuN5
>>184 出家とはずいぶん差別的な制度だね
悟りは、貴族や王族や金持ちしか開けないわけかw
笑わせるな!!
187 :
てすと :2011/05/08(日) 13:32:26.11 ID:U379Ooxe
>>183 ふーん、つまり出家は立派だといいたいのかな?
188 :
絶対神 :2011/05/08(日) 13:34:05.23 ID:va8RAuN5
>>184 実際、出家と托鉢が、普通の人間からすれば狂気でしかない事は間違いないんだ
それと、収入の問題だけか?
家族の絆を捨てるのが出家だろうが!
釈迦が泣いてすがる妻子を捨てて出家したのは有名な話だ
収入の問題だけが解決されていればいいという考えはまったく片手落ち
だってば
>>186 「在家」でも悟れるんですよ。
出家は特権ではありません。
出家できれば全ての時間を修行に打ち込めるので効率がいいので、出家できるなら
出家した方がいいでしょう。しかし様々な事情で、出家できない人はいます。
誰かを養わないといけない人、親を介護しなくてはならない人など、出家は無理でしょう。
そういう人は在家として、修行をすればいいのです。だからこそ出家の指導者はそういう
在家に対しても説法をしたり瞑想を教えたりして教え導くのです。
喩えればこういうことです。
大学に行けるなら大学行って勉強した方がいいが、家庭の事情で行けない人もいます。
そういう人には希望がないというわけではなく、安藤忠雄のように独学で頑張って
大成する人もいるのです。
190 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 13:38:53.41 ID:Z3dxYz2N
>>188 釈迦は、妻子だけでなく、泣いて縋る両親も捨てて家出したのだよ。
イエスも同じ。
どちらも、人間としてはクズ。
191 :
てすと :2011/05/08(日) 13:40:32.63 ID:U379Ooxe
>>189 子供の時に死んだら、時間なくて悟れないんだね。
>>187 日本の坊さんは本当の出家ではありませんし、寺を継ぐために坊さんになる
のは、特に立派ってこともないでしょう。
しかし心から真理を求めて、自ら全てを捨てて出家した人は、立派だと思いますよ。
全てを捨てるなんてことは、並大抵の勇気ではできることではないでしょう。相当な
覚悟がないと無理です。
僕はそれがまだできないから出家していないのですし、収入を得なくては
いけないので、在家生活の中で頑張るしかありません。だから出家して修行に
打ち込んでいる人を尊敬していますよ。
(定年退職したら出家できるかもしれませんが。)
193 :
てすと :2011/05/08(日) 13:47:38.83 ID:U379Ooxe
>>192 タイは外国人向けに出家ビザを発行してるよ。
収入なくても在家が食料くれるから大丈夫でしょ。
>>188 > 実際、出家と托鉢が、普通の人間からすれば狂気でしかない事は間違いないんだ
日本人にとってはそうでしょうね。
だから多くの人は出家しないでしょう?強要もされないのだし、別に問題ないのでは?
東南アジアでは、一生に一度はプチ出家するのが常識という国もあります。
> 家族の絆を捨てるのが出家だろうが!
> 釈迦が泣いてすがる妻子を捨てて出家したのは有名な話だ
>>190 仕事で遠くへ単身赴任するようなものですよ。「家族を捨てる」という表現は使われますが、
別に絆を捨てたわけではありません。実際ブッダは何度もカピラヴァストゥを訪れて、
両親や妻子に会っていますし、しまいには妻子や親戚も出家してついてきます。
一緒に生活することがだけが絆ではありません。離れていても、しっかりと結びついている
のは絆です。
>>191 僕は死後のことについては何も知らないし、考えていませんので、
子供に限らず、大人でも、僕自身も、悟る前に死んでしまったら、それっきりです。
来世を信じる人は来世に託すのでしょうが、僕はそういう考え方は取りません。
>>193 あなたが言いたいのは、「在家からの施し目当てに出家する不届きな出家者が
いるのではないか、そういうやつまで尊敬しないといけないのか」、ということですか?
好き嫌いは言えないし、修行生活は大変厳しいものだし、楽ができるとは思えませんが、
タイで出家したことないので詳しくは分かりません。
いくら出家を尊敬するのが常識とは言え、そういう不順な動機で出家している人や傍若無人
な人は、当然尊敬されないでしょうね。
駄目だ・・コイツ・・・wwwww
>>184 こんなんで、仏典中数々の譬喩を読めるんだろうか・・?w
198 :
てすと :2011/05/08(日) 13:58:20.00 ID:U379Ooxe
>>196 とりあえず、最初は1ヶ月ぐらいプチ出家してきたら?
それぐらい覚悟がなくても出来るでしょ?
>>198 還俗を最初から計画した出家というのは、本当は出家ではありません(何も捨ててない)が、
体験してみたいとは思います。しかし1ヶ月も休み取れないんだよな〜
200 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 14:05:45.41 ID:Z3dxYz2N
出家は、社会の最重要構成単位である家族を捨てて不幸のどん底に陥れ、自分を 生かしてくれている社会に対して寄生するのみで何の貢献もせず、ひたすら己の 「宗教的エゴ」「欲望」のみを追求する、人間としての基本的資格を失った、最も 人格低劣な人種・人間としてクズであることを自覚せよ。 自分の家族さえ救えないで、何が人類の救済か、何が「真理」か。 開祖・教祖・修行者の家庭生活を精査すれば、その正体は容易に暴露される。
201 :
てすと :2011/05/08(日) 14:08:12.48 ID:U379Ooxe
>>199 日本在住のタイやミャンマーの人に相談したら、すぐに対応してくれるよ。
あなたが出家すれば彼らの功徳になるから頑張って休みとったら?
>>201 そうですね。夏に海外行くので、ついでに寄れるかどうか考えてみます。
203 :
てすと :2011/05/08(日) 14:16:47.50 ID:U379Ooxe
>>202 寺院の周りは結構治安悪いので気をつけてね。
あと仏典のパーリ英訳あると便利だから海外行ったら大きめの本屋で買っておくといいよ。
204 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 14:24:32.73 ID:An9ZJ+Wq
お寺のまわりの治安が悪いというのは悲しいな。
施し目当てのやついるよ 最初に殺戒犯したヤツがたしかそうだったはず
206 :
てすと :2011/05/08(日) 14:32:27.48 ID:U379Ooxe
>>197 まあまあ、、
とりあえず一度出家させた方がいいでしょ。
周りのレベルがどれだけ高いか解るし。
207 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 14:36:11.37 ID:IDFBxdJO
出家・・・・・・ 俺にはとても無理だねw やっぱり、うまいもん食いたいわww てすとは出家できるか?w
208 :
てすと :2011/05/08(日) 14:45:46.74 ID:U379Ooxe
>>207 全然余裕で出来るよ。
性欲や食欲のコントロールなら結構簡単だよ。仏道修行の初歩だし。
もう出家の必要がなくなったからしないけど、以前嫁に「出家していい?」と言ったら「もう帰って来なくていいからw」と言われた、、
>>208 出家の必要がなくなったと思った理由は?
210 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 14:51:20.78 ID:IDFBxdJO
「 ID:W+u2YIDA はダメです。それでは唯の『常識教』です。 多くの経典を読んだとのことだが、全く読めてない。 常識に依って生きることも良いが、それは仏教ではありません。 誤解する人がいるといけないので、仏教という言い方は止めてください。」 以上、縁起一代が言いそうなことでした〜ww (今度はどう?ww)
211 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 14:52:37.33 ID:IDFBxdJO
>>208 ひでえ嫁だw
まず、嫁を出家させろwww
212 :
てすと :2011/05/08(日) 14:55:14.65 ID:U379Ooxe
嫁との会話 俺「宗教やりたいんだけど、イスラムがバランスいいんだよねー、、」 嫁「世間体があるから、キリスト教か神道にして。イスラムと仏教はやめて」
一方からは世俗的価値観や幸福を破壊する偽善者だと言われ、 また一方からは常識教の信者だと言われ、 面白いですね、ここはw 真ん中を歩くと左翼からも右翼からも攻撃される感じかw まあそうさせてしまうのは、まだまだ私の修行が足らないのでしょう。
214 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 15:00:51.34 ID:IDFBxdJO
>>212 そらそうだww 嫁さんにしてみれば、日に何回も
絨毯の上で「アッラ〜」なんて、やられたんではたまらんわなw
(宝珠の嫁さん、かわいそw)
>>206 つーか、
議論・対話に於いて言葉を紡ぎ合う際には、
文脈のコンセンサスの探り合い、推測のし合いが(無意識裡にでも)爲されるわけだが、
そこに頑迷さがあるんだよね。
相手の文脈を無視し、(いや、相手には相手の文脈があるということに気付いてさえいないのか・・?)、
当該話題に於いて、自分の文脈のみが、通用する・適切な唯一のものだ、という思い込みがありそうだ。
だから、そこから紡がれる言葉達は、異論を寄せ付けない紋切り型の一方通行なものになる。
71にしても、その骨格が構図として読み取れれば、
「煩悩」の詳細な定義や、「創作活動」の具体的実際的性格、「芸術家」のモチベーションや創作意図の具体性(種別)等
が、不要な要素であること、そうした差異は捨象可能であることにピンとこなければならない。
ましてやSnを座右の書とし、ダニヤの章にも目を通していれば(或いはあれだけ仏典に詳しければ)、
そこに見られる対比(衝突は言い過ぎとしても)とリンクすることにも気付ける筈だ。
公式化するということは細部を捨象するということだ。
細部を拾い上げたなら公式化は不可能だ。全てが個別の事案、事象なのだから。
この公式化の極みが、仏教では「縁起」(「四諦」)なわけだが、
彼はこの辺をどう考えてんだろうね・・。細部の違いを拾い上げ、
「このときはこう、このときはこう」「これは事情が違う、これは条件が違う」として
縁起すら解体してしまうんだろうか・・・。
216 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 15:04:44.12 ID:IDFBxdJO
>>213 >面白いですね、ここはw
そう、面白いよ、ここは。ww
いろんな方向から石が飛んでくるw
217 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 15:11:18.97 ID:IDFBxdJO
>>215 いやさ、セブン
>当該話題に於いて、自分の文脈のみが、通用する・適切な唯一のものだ、という思い込みがありそうだ。
だから、そこから紡がれる言葉達は、異論を寄せ付けない紋切り型の一方通行なものになる。
これは確かに俺もそう感じるけど、
この人は、初めてこのスレに来たわけだから、自己の見解主張を強く
打ち出すのは、ある程度やむを得ないところもあると・・・
もう少し、みていこうやあw
218 :
てすと :2011/05/08(日) 15:11:30.29 ID:U379Ooxe
嫁語録 嫁「また宗教板?2ちゃんやる暇あったら子供と遊んでよ。」 嫁「掃除するからパソコンの前どいて」 嫁「ご隠居ってだれよ?」 嫁「風呂行ってる間、私が勝手にレスしておくから」 嫁「宗教の本、片付けてよ。ブックオフに出すから。」
>>210 (キーワードとして多少被ってはいるが)、話の流れ的にはポイントがずれてるので、
ここでそういう発言は出ないでしょうw
おそらく、内容的には、
彼の「理のみで桶、(宗教)体験のような不確実なものを最終ハードルに据えること」というスタンスへの、
「「三昧」「三昧時に於ける(縁起の)観察」こそが核であること」という反論となるでしょう。
(特に、学んだけど捨てた、という形で密教絡んでるしw)
220 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 15:14:50.89 ID:IDFBxdJO
「ご隠居ってだれよ?」 →ww 「風呂行ってる間、私が勝手にレスしておくから」 →wwww 「宗教の本、片付けてよ。ブックオフに出すから。」 →」wwwwww いいなあ、お前の嫁さんw ファンになりそうだw
>>217 いや、
>>71 に対して、《「煩悩」とはそういうものじゃありません》と返す。
これはまだいい。
しかし、散々《71はこういう文脈でこういう意図の文です》と解説されても、
尚、それを認められない頑固さにカチンと来たから絡んでるのさw
もとより、彼の生真面目さは評価するよ。
>>212 スマンw 爆笑したw
222 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 15:19:51.73 ID:IDFBxdJO
>>219 そうか〜?外したかww
俺としては、縁起一代はまず ID:W+u2YIDA さんの現代的な知見に
基づく常識的な視点を批判するとおもったんだがなw
そういや、一代も高野山?だったかにいたよなw
224 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 15:24:10.31 ID:IDFBxdJO
>>223 そうだった〜www
しまったw それを忘れてた〜〜
>>215 世俗的価値観と仏教の価値観が違うもの、対立項となるもの、という程度の意味なら、
そんなことは当たり前の話です。最初から分かっています。
しかしもともとの相手の主張はそういうものではなく、芸術家が出家したら不幸になる
とかどうとか、おかしなことが前提だったので話が混乱したのです。
そりゃ納得しないで出家したらダメですよ。しかし出家する時は、自分の欲望を追求するより
出家した方が幸せだと考えて納得して出家するわけですから、創作意欲云々の心配は
もはやありません。
創作が自分の幸せだと信じて最後まで芸術家として生きることも、本人がそれで
満足してるのなら別に問題はありません。「全ての人間は出家すべきだ」などと
仏教は言っていません。もちろん仏教から見れば最上の生き方ではないかも
しれませんが、全ての人間が最上の生き方ができるわけでもありません。
それぞれできる範囲で努力をすればいいのです。在家は在家で努力し、出家は
出家で努力し、芸術家は芸術をやりながら努力すればいい
のです。出家できる機運の巡ってきた人だけが出家するのです。
ダニヤが出家したのは、ブッダの話に感銘を受けたからですし、環境が許したからでしょう。
納得しなければ出家しなかったでしょうし、ブッダも出家を強引に勧めはしないでしょう。
226 :
てすと :2011/05/08(日) 15:30:37.01 ID:U379Ooxe
>>221 初々しい後輩がロジックで強引に突っ張るのをみると、初学を思いだして、たしなめたくなったんじゃないの?
こういう時期は誰にでもあるよね〜
青春ってハズカチイ〜
>>221 > しかし、散々《71はこういう文脈でこういう意図の文です》と解説されても、
> 尚、それを認められない頑固さにカチンと来たから絡んでるのさw
ですからその文が「彼(芸術家)の幸せは不幸になること(煩悩にとらわれること)」という
矛盾した設定なのですから、いくら解説しても、それ以上どうにもなりません。
純粋論理の数学であっても、矛盾した前提から何かを推論しても、何の意味もないでしょう。
たとえば、人を殺すことを喜びとしている殺人鬼はどうでしょうか。 追い回され、逮捕され、処刑されるのですから結局不幸になります。 「俺の喜びを奪うな」と反発したところで、そんなことお構いなしに 処罰されます。そのような「喜び」は世間的にも認められないのです。 そんな「喜び」は捨てた方が幸せになれる、というのも間違いない事実でしょう。
229 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 15:37:41.16 ID:IDFBxdJO
てすと〜、 直球ばかり投げてないで、そろそろ、取って置きの 「大リーグボールでも投げろ〜」
230 :
てすと :2011/05/08(日) 15:39:43.98 ID:U379Ooxe
>>225 いい事考えた。
芸術家は仏像作ればいんでないか?
231 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 15:40:59.49 ID:IDFBxdJO
>>230 wwww
>芸術家は仏像作ればいんでないか?
調子でてきたじゃないかww
>>225 ほらw まったく流れが見えていないwww
>芸術家が出家したら不幸になるとかどうとか、おかしなことが前提だったので
>>71 では、↑のようなことは一言も書かれていない。
貴方が勝手に妄想捏造しただけです。 この71【だけ】から導かれる構図は、
《「絶対的平安、諸々の欲の止滅」は、そのまま「創作意欲の消滅」を【世俗的には】意味する》
ということだ。貴方自身も認めるように、聖と俗の対比でしかなく、俗なる価値観からすれば、
創作の否定を意味するからだ。 ここで貴方は「創作の否定などしていない」とレスを返す。
しかしそれは71に於ける喩えに於いては必要要素じゃないんだよ。
また、
>ダニヤが・・・・・・勧めはしないでしょう。
これ↑も、71の構図とは関係ありません。ダニヤが出家するかどうか、その心の動きなぞ微塵も関係ありません。
(ここにも、貴方の勝手な妄想捏造があります。)
上で触れた71の構図との関連で言えば、「出家するかどうか」どうかでなく、
聖俗それぞれで『何が大切とされるか、何が希求されるのか(何が厭離されるのか)』だからだよ。
ダニヤが出家したかどうかなんて関係ない。あの章の肝は、
「世間が何を賞賛し、何に満足し、幸せを感じているか」ということと
「出世間が何を賞賛し、何に満足し、幸せを感じるべきか」ということとの対比だよ。
だから、パーピマンまで登場させて“まとめ”の言葉さえ発せさせている。
だから、読んでないだろ?と言ったのさ。
仏像を作ることが人を幸福にするならそうすればいいし、 ヒマワリ描くことが人を幸福にするならそうすればいいのです。
>>232 > 《「絶対的平安、諸々の欲の止滅」は、そのまま「創作意欲の消滅」を【世俗的には】意味する》
「創作意欲は煩悩から生じる」という極めて疑わしいことを前提にすればそうなるでしょう。
> ということだ。貴方自身も認めるように、聖と俗の対比でしかなく、俗なる価値観からすれば、
> しかしそれは71に於ける喩えに於いては必要要素じゃないんだよ。
あなたは71を出発点にしているようですが、これは前スレからの議論で、芸術家が幸福になるか不幸になるかが
焦点だったんですよ。
71だけ見て、そして、「創作意欲は煩悩から生じる」を前提とするなら、
「絶対的平安、諸々の欲の止滅」は、そのまま「創作意欲の消滅」を意味するのは当然です。
そしてそれが一体どうしたのか? というのが僕には分かりません。 それで何を言いたいのでしょうか?
> 「世間が何を賞賛し、何に満足し、幸せを感じているか」ということと
> 「出世間が何を賞賛し、何に満足し、幸せを感じるべきか」ということとの対比だよ。
その通りですよ。それで?
僕がずっと言ってきたことと何も変わらないと思いますが?
>>227 だからぁwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>ですからその文が「彼(芸術家)の幸せは不幸になること(煩悩にとらわれること)」という矛盾した設定
勝義に於いてはなw
だが、世俗に於いては《煩悩にとらわれることは不幸じゃない》んだよwww
何度言ったら解るかなぁ・・w
>>226 その道は〜♪いつか来た道〜♪
>>235 > だが、世俗に於いては《煩悩にとらわれることは不幸じゃない》んだよwww
そうですか?ギャンブルにハマって散在するのは世俗に於いて不幸なことじゃないんですか?
性欲に溺れ、生活が荒廃したり、妻以外の女性に手を出して家庭が崩壊するのは、世俗に
於いて不幸なことじゃないんですか?
237 :
てすと :2011/05/08(日) 15:55:47.81 ID:U379Ooxe
煩悩即菩提です。 煩悩がなければ煩悩を滅する事が出来ないのだから、なんら矛盾はないですね。
また酷い屁理屈を大乗は言いますねw 警察の検挙率を挙げるために、犯罪者を解放するようなものです
>>234 >これは前スレからの議論で、芸術家が幸福になるか不幸になるかが焦点だったんですよ。
そうか?
(
>>65-66 は直近だし、
>>71 の前フリだが)、前スレにそんな話は無かったようだが?
>そしてそれが一体どうしたのか?
だから、構図的に
>>65 だろ?ということさ。で、71で事例を挙げた。
こういう流れだと思ってたが違うのか?w
>芸術家が幸福になるか不幸になるかが焦点だったんですよ。
だからw
勝義で見る幸福と世俗で見る幸福は違うだろ?と・・w
貴方は勝義での視点しか採用してないから、「欲望が前進のエネルギーである」ことを見落とすのです。
「痘痕も笑窪」は真理なんですよw
240 :
てすと :2011/05/08(日) 16:03:32.77 ID:U379Ooxe
性欲がなければ、性欲に溺れる事も我慢する事も出来ません。 簡単な事ですね。
>>236 wwwwwwwwwwwwwwwwwww
お前はな、因数分解の公式を見て、
「xやyなんて数字は存在しない!その公式は間違ってる!」と騒いでるようなもんだw
頭冷やせ。
>>239 あ、前スレというのはこちらの勘違いです。失礼しました。
>こういう流れだと思ってたが違うのか?w
そうですが、結局、煩悩に囚われることによる幸せなどなく、
それは世俗的価値観でも不幸だということが僕の主張です。
>>241 結局煩悩の定義が違うんですよ。
繰り返し言ってますが、煩悩は、世俗において一般に不幸になるような執着です。
苦悩を感じたり、家庭崩壊したり、健康を害したり、といったことに繋がるような
執着です。そう定義しているのだから、「煩悩にとらわれることは不幸」という結論
になるのは当然です。ほぼ定義そのままなのだから。
243 :
てすと :2011/05/08(日) 16:13:34.11 ID:U379Ooxe
>>242 それなら仏教の必要ないですね。
一般人はそんなに不幸な人は少ないですから。
ごく一部の家庭崩壊してる人を救ってあげて下さい。
244 :
てすと :2011/05/08(日) 16:16:21.25 ID:U379Ooxe
健康を害したら、お寺ではなく病院にいく事をオススメします。
>>243 だから実際一般人はほとんど出家しないでしょ?
特に日本人の多くは、そんなに不幸ではないのです。
だけど人生のふとした時に、迷ったり、苦悩に気づいたりすることは誰でもあるし、
そういう時に仏教が助けになるから、仏教書も売れているのでしょう。
僕もそれで仏教を学んでいるのです。
そしてたまに、出家が必要と感じて出家する人もいます。
そういうものです。
それでいいのでは?
何も積極的に布教することはありません。
求める人がいれば教える、というのが仏教でしょう。
>>242 ほうw
夫が妻に欲情することは無いのかい?
その欲情(が生じること)は煩悩では無い、と?
(付随して言えばw、オスの勃起が、理性によって起こせるものだと?w)
「いつもと違う美味いものが食べたい」、これは煩悩か否か?
「空腹が続くことはツライ」、この想いは煩悩か否か?
子供が大きくなりアパートが手狭になった。「一戸建てを買おう!稼ぐぞ!金貯めるぞ!」、
お金を必死になって貯めなきゃなりません。この想い・行為は・・以下略
247 :
てすと :2011/05/08(日) 16:21:45.34 ID:U379Ooxe
>>244 健康を害した後は、病院に行くべきです。
しかし健康を害する前はどうでしょうか?
酒や煙草はよくない、と戒めるのが仏教ですが、
世俗の人は、将来のことを考えず、その時楽しければよいと
思って酒に溺れ、アル中になるでしょう。煙草では肺癌になり、
後で苦しむのです。それが煩悩であり、愚かな行為です。
自己責任だからいいんだ、というのも一つの考え方です。
それならば、肺癌になっても、ジタバタしないで受け入れる
べきです。しかし苦悩や後悔の中で死んでいく人も少なくないでしょう。
>>246 > 夫が妻に欲情することは無いのかい?
> その欲情(が生じること)は煩悩では無い、と?
それ自体は別に煩悩ではないですよ。
コントロールできているなら。
子供を作り育てるのもよいことです。
欲望=煩悩ではありません。
> 「いつもと違う美味いものが食べたい」、これは煩悩か否か?
見極めが難しいですが、それ自体は煩悩ではありません。
美味いものを食べるために我を忘れて暴走したり、
暴飲暴食をして健康を害するようなことに繋がるのであれば、それは煩悩です。
> 「空腹が続くことはツライ」、この想いは煩悩か否か?
ただの生理現象です。煩悩ではありません。
> 子供が大きくなりアパートが手狭になった。「一戸建てを買おう!稼ぐぞ!金貯めるぞ!」、
> お金を必死になって貯めなきゃなりません。この想い・行為は・・以下略
煩悩ではありません。家族のために必要な処置です。
教団だって、人数が大きくなり、手狭になれば、建物の寄進を受けます。
250 :
てすと :2011/05/08(日) 16:27:42.39 ID:U379Ooxe
>>248 病気の予防に関して医者と僧侶のどちらの意見を聞くかと言われたら、ほとんどの人が医者と答えるのではないでしょうか?
>>247 そんなに不幸ではありませんが、
まだ研究途上で、探求が完成していないという点で、満足していないので、
その点ではまだ不幸です。
>>250 予防法を聞くのは、医者に聞けばいいですよ。
だけど実際にそれを実践できないでしょ?
お酒は適量、ほどほどに、と分かっていても、ついつい飲み過ぎてしまうでしょ?
自己コントロールの仕方を、医者は教えてくれないでしょ?
自己コントロールには訓練が必要ですが、それも医者は教えてくれないし、
付き合ってもくれないでしょ?
それができる可能性があるのは、今のところ仏教だけだと思います。
253 :
てすと :2011/05/08(日) 16:31:14.48 ID:U379Ooxe
254 :
てすと :2011/05/08(日) 16:33:17.71 ID:U379Ooxe
>>252 僧侶は自宅まできて訓練に付き合ってくれるんですか?
>>253 探求が完成したら、その執着も消えてなくなるでしょう
256 :
てすと :2011/05/08(日) 16:40:01.66 ID:U379Ooxe
>>255 執着を消さないと探求が完成しないんじゃないの?
>>254 東南アジアではそうなんじゃないですかね?
自宅まで来なくても、こちらから出向いていけばいいのです。
身体障害があって動けないという場合は、頼めば来てくれるかも知れません。
>>256 それは解脱の最後の段階の話なのでしょうが、
完成と最後の執着の消滅は同時に起こるのでしょう、きっと。
259 :
てすと :2011/05/08(日) 16:45:19.63 ID:U379Ooxe
260 :
てすと :2011/05/08(日) 16:47:43.50 ID:U379Ooxe
>>257 仮定の話なら別にいいです。
知らないならそう言って下さい。
>>249 仏教がまるで解っていない。
少なくとも、上座部のスタンスをまるで理解していない。(その辺が岩波文庫青の限界か?w)
三法印の一つ「sabbe saNkhArA dukkhA」(一切行苦、一切皆苦)を何だと思ってんだ?
>>259 経典に書いてあります。
>>260 「自宅まで来なくても、こちらから出向いていけばいいのです。」は仮定の話ではあ
ありません。医者も同じです。
>>261 > 三法印の一つ「sabbe saNkhArA dukkhA」(一切行苦、一切皆苦)を何だと思ってんだ?
諸行無常だということです
263 :
てすと :2011/05/08(日) 17:16:39.10 ID:U379Ooxe
>>262 経典のどこでしょうか?
引用して下さい。
264 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 17:21:13.25 ID:hppETm2Y
>>249 コントロールしながらセックスするのは、相手に対する侮辱。相手を売春婦扱い
していることになる。「性欲でセックスするのは罪だ」などと言ったアホな
クリスチャンがいたが。
すべての煩悩は、身体の必要から生じる生理的欲求。よく分析して見られたし。
煩悩(欲望)は、それを満足させれば速やかに止む。抑圧・排除しようとすれば
煩悩はますます増大する。どんなに美味いものでも、空腹が満たされれば、それ
以上食べることは苦痛となる。生命がちゃんと自動調節してくれている。人為的な
抑制は、その自動調節を狂わせることになるから、却って大きな苦を招く。本当に
病気と診断された場合は、自動調節が既に狂っている状態だから、治療として人為的
制限を行う。
あるがままの自己を離れて、「幸福になりたい」「健康になりたい」「悟りたい」
「解脱したい」などと執着するのは、その後に「病」が付く病理現象。最近では、
「健康になりたい病」というのがあるそうだ。それらの執着・煩悩に付け込んで
人を騙し、営利を得るのが、まさに宗教。別名を「詐欺」という。
>>263 何度か書いてますよ。
再掲すると、
>>52 >>57 などです。
そしてそれは一例で、経典のどこと限らず、どこにでもいくらでも書いてあります。
266 :
てすと :2011/05/08(日) 17:30:11.11 ID:U379Ooxe
>>265 解脱とは書いてないみたいですが、
「解脱とは何か」と定義してある箇所はどこでしょうか?
>>264 > コントロールしながらセックスするのは、相手に対する侮辱。相手を売春婦扱い
> していることになる。「性欲でセックスするのは罪だ」などと言ったアホな
> クリスチャンがいたが。
ちょっと意味が分かりませんね。
たとえば、僕はSMプレイはしませんが、SMプレイする人は、コントロールしなければ
相手や自分が死んでしまうでしょう。
通常の性交は普通ならそんなに危険はないでしょうが、回数などは誰でもコントロール
しているのでは?会社にもいかず性交に日夜ふけっていたら大変な問題になりますよね。
回数をコントロールするのは、相手を売春婦扱いし侮辱することですか?
また、家族計画により避妊したり、性交を避けることも、コントロールでしょう。
> すべての煩悩は、身体の必要から生じる生理的欲求。よく分析して見られたし。
煩悩は欲望から生じますが、煩悩=欲望ではありません。
> あるがままの自己を離れて、「幸福になりたい」「健康になりたい」「悟りたい」
> 「解脱したい」などと執着するのは、その後に「病」が付く病理現象。
それが仏教の教えです。
ただ、「あるがままの自己」があると思うのも、錯覚で、執着です。
>>262 「執着」「欲望」「欲求」「煩悩」etc.、言い方は色々あれど、
「ヒトという生物が本来備える生理的志向性、ベクトル」を指して、71氏も喩えているんだよ。
そして、それら全てが、解脱の妨げ涅槃への障壁とされてるんだよ。
それら全てが、無常であり苦なるものである、というスタンスなんだよ。
だから、「sabbe」と言われる。
夫婦の愛情だけ例外とか、ちょっと美味しい物という贅沢は例外とか、
必要だからお金を貯めることは例外とか、そんな御都合主義は無いんだよ。
だから、出家と在家が明確に区分され、在家は輪廻に甘んじるわけだ。
貴方の、(煩悩或いは欲望・欲求の)「コントロール、制御」「一部容認」は、
典型的な大乗的スタンスだよw 貴方の嫌うw大乗的方便だよw
「滅することは不可能、制御するのみ」ってのはね。(ちなみに奈良さんはそのスタンスだ。)
しかし、上座部(≒パーリ)は違う。
煩悩或いは欲望は「完全に滅することが可能」とする。少なくともそれを建前、理想としている。
その文脈に於いて、夫婦が連れ合いに欲情し性行為に及ぶことも、その他ささやかな楽しみも、
全て、煩悩或いは欲望(愛欲)の結果であり、苦の因或いは苦そのものであり、
本来的に(→勝義に於いて)懺悔の対象であり、厭離の対象なんだよ。
だから、(貴方も言うように)、自分達にできない領域を歩む者として出家者は敬意を受ける。
この構図で、71は読むべきなんだよ。
269 :
てすと :2011/05/08(日) 17:46:05.82 ID:U379Ooxe
過疎期が続いてたんで、つい熱くなっちまうな・・。 おかげで隠居の相手もできやしないwww (つっても、過去散々ガイシュツの論点だが・・w)
271 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 17:59:04.71 ID:An9ZJ+Wq
順序もペースも考えずに性欲を叩きつけるのこそ侮辱でしょ。 隠居は不自然な官能小説の世界に生きているのではあるまいか。
272 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/08(日) 18:00:03.10 ID:Yo2XKGg5
----皆さん、お楽しみのようですねぇ (゚∀゚)
>>214 >(宝珠の嫁さん、かわいそw)
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノウキャロミ 屮( __ )屮
そうだ!! 今度、塗香の使い方を教えたろw
>>173 みんなで溜めよう!!-功徳ポイントw
273 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 18:02:56.62 ID:An9ZJ+Wq
マントラ唱えるのはいいが、カタカナ読みでいいんかいな、とふと思った。
>>271 同意w
ゆっくりと手順を踏んで、じりじりと臨界点を目指し、堪え、
そして一気に解放する(させる)ところに醍醐味ありだなw
>>272 >今度、塗香の使い方を教えたろw
妄想が膨らむ一文だなw
どういう使い方・塗り方をするのかは、敢えて問うまいwww
>>266 解脱はただの言葉です。
前記のような状態になることを、解脱したと表現するのです。
もともと動詞であるものを、「解脱」と漢語で名詞化してしまうから分からなく
なるだけです。
277 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/08(日) 18:11:44.36 ID:Yo2XKGg5
>>273 インド(の日本語なまり)からきてる発声だから、カタカナでOKでしょう?
一時期、日本では漢語を除く外来語はすべてカタカナでしたね・・・。
“ひらがな”なんてとても読めんw
>>269 在家について?ほどほどならOKですよ。
出家は禁止です。
279 :
てすと :2011/05/08(日) 18:13:43.17 ID:U379Ooxe
280 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 18:17:16.10 ID:An9ZJ+Wq
277 先に挙げたマントラって和製真言なの?
281 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/08(日) 18:38:22.76 ID:Yo2XKGg5
>>273 追記:
たぶん、寺院はお年寄りにも読めるよう配慮してカタカナを避けてるのでは?
(横文字は苦手でしょうから)
>>280 宗門で使用されている真言それ自体が和製の日本語なまりですよ。
(また派によっても少し違う場合もあるし、表記としては発声に合わせて「ー」などをつけてる寺院も見られるし・・)
中には、マントラムは発声の正確性が重要だとして、
もっとより原語により近いサンスクリットの日本語表記
(或いは、パーリ語で)の真言にて使用しようとする人も僅かに見られるようですけれど、
あくまでも個人としては自由でしょうが、
それらが寺院なり集団の場所で統一真言として使用されることはないですね。
282 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 19:09:17.55 ID:WlE7Ob4m
サイババスレでガーヤトリーマントラを唱える時には 正確な発音が必要、というのがあってレスした。 現地から離れて、全く別の文化圏・言語圏で、 唱えられるとなれば、自由化はされるか。
283 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/08(日) 19:32:28.49 ID:Yo2XKGg5
>>282 殆どすべての密教僧侶が日本語なまりを伝統として使用し続けているわけで・・・
よりインドの原語に近い発声であるべきではないか?という疑問に対しても、
仏さまは全知偏在にてすべてをお見通しだから“心配なし”
という見解だと思います。
それよりも、師からの伝授を重視するようですから、
日本語なまりで伝授されたら、そのままに唱えていくということなのでしょう。
プロがそうなんだから、私も日本語なまりの真言については気にしないことにしました。
>ガーヤトリーマントラを唱える時には正確な発音が必要
その話は私も知っています。
私も一応、原語に近いバージョンを唱えていた時期があります。
また、ここにも頂き物のサイババの肉声「ガーヤトリーマントラ」カセットがありますが・・・。
マントラは意志を使います。意志力が神仏と感応して通じるカギとなります。
また、更には神々との契約によって成るマントラもあります(キリスト教の主の祈りのタイプなど)。
>>279 決まりはありません。
自分で判断してください。
自分で判断できないなら、一切やらないのが無難でしょう。
大半の男子は判断できるし問題ないと思いますが。
>>283 > 仏さまは全知偏在にてすべてをお見通しだから“心配なし”
> という見解だと思います。
「仏さまは全知偏在にてすべてをお見通し」なら、何も原語(?)で奇妙な
呪文唱える必要はないでしょう。日本語でいいのでは?
そもそも、「全知偏在にてすべてをお見通し」なら、何も言わなくもいいのでは?
お見通しなのだから。
>>268 > 「執着」「欲望」「欲求」「煩悩」etc.、言い方は色々あれど、
> 「ヒトという生物が本来備える生理的志向性、ベクトル」を指して、71氏も喩えているんだよ。
> そして、それら全てが、解脱の妨げ涅槃への障壁とされてるんだよ。
そんなことはありません。解脱した阿羅漢でも、基本的な食欲はあるし、
睡眠欲もあるので、食事もするし睡眠も取るのです。
もし食欲も睡眠欲も滅してしまうなら、飲まず食わず、不眠不休で死んでしまうでしょう。
しかし阿羅漢はそんなことはしません。
そのことは、生物学的に基本的な欲求は、解脱への妨げではないことを示しています。
> それら全てが、無常であり苦なるものである、というスタンスなんだよ。
もちろん無常です。阿羅漢だって無常です。いずれは入滅します。
> 夫婦の愛情だけ例外とか、ちょっと美味しい物という贅沢は例外とか、
> 必要だからお金を貯めることは例外とか、そんな御都合主義は無いんだよ。 だから、出家と在家が明確に区分され、在家は輪廻に甘んじるわけだ。
ご都合主義ではなく、中道です。
> 貴方の、(煩悩或いは欲望・欲求の)「コントロール、制御」「一部容認」は、 典型的な大乗的スタンスだよw 貴方の嫌うw大乗的方便だよw
在家に対して、「子供を作るな」などと説いた教えが一つでもありますか?食事をするな、眠るな、などと説いた教えが一つでもありますか?
> 「滅することは不可能、制御するのみ」ってのはね。(ちなみに奈良さんはそのスタンスだ。)
> しかし、上座部(≒パーリ)は違う。
「滅することは不可能、制御するのみ」などとは言っていません。
> 煩悩或いは欲望は「完全に滅することが可能」とする。少なくともそれを建前、理想としている。
煩悩は滅することが可能です。欲望(生物学的欲求)を完全に滅することも可能ですが、それは死ぬ時です。
287 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/08(日) 21:00:46.46 ID:Yo2XKGg5
>>285 そのように“(呪)法”として組み込まれてるのでしょう。
本尊なり対象の神仏を作動させる為の必要所作(より通じる為のインド語の導入)だと理解します。
つまり、「唱えなくても、判っているでしょう・・・」というわけにはいかない、と。
最低限の決まり事で所作しないと
期待された通りには(力が)発動しない。
>>287 「仏さまは全知偏在にてすべてをお見通し」と言いながら、
「より通じる為」というのは矛盾していませんか?
「より通じる為」にこちらが工夫する必要があるのなら、「全知偏在」でも「すべてをお見通し」
でもないということになります。
> つまり、「唱えなくても、判っているでしょう・・・」というわけにはいかない、と。
> 最低限の決まり事で所作しないと
> 期待された通りには(力が)発動しない。
なぜ?「全知偏在にてすべてをお見通し」なのに?
仏さまは意地悪をしているということですか?「マントラを日本語なまりの原語で
唱えないと力を発動してやらないぞ」というへそ曲がり?
289 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 21:06:36.38 ID:IDFBxdJO
ノウマク・サマンダ・バザラダン・ ホウジュハ・アホダ・センダマカロシャダ・ ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン
マリナーラ・アマトリチャーナ・ボッタルーガ フンギ・アッチューガ・スピナーチョ スカンピ・ボンゴレ・ボロネーゼ アラビアータ・カルボナーラ・ナポリタン
>>288 人間がコンタクトできる神仏は全知全能ではないのです。
これは人間社会でも同じです。平社員は直接トップと会話できないのです。
292 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 21:16:18.32 ID:IDFBxdJO
なるほど、つまり中間管理職の神様というわけだ
293 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 21:22:15.42 ID:WlE7Ob4m
>>291 コンタクトする必要はないでしょう。「仏さまは全知偏在にてすべてをお見通し」なら、
その仏は、コンタクトしなくてもお見通しのはずですよね。
「仏さまは全知偏在にてすべてをお見通し」という命題か、
「日本語なまりの原語で唱えなければならない」という命題の
少なくとも一方は間違いということになります。矛盾することは両立できないのですから。
一応別の可能性もありますが。それは「仏さまは全知偏在にてすべてをお見通し」だが、
意地悪で助けてくれないとか、そもそも呪文などただのデタラメな言葉で何の役にも立たない、
という可能性です。どちらも、信者には受け入れがたいでしょうが。
>>294 >コンタクトしなくてもお見通しのはずですよね。
そうですよ。しかし、それは神仏の側が分かっているだけで、我々には分からないのです。
我々にも分かるためには、直接コンタクトを取れる神仏の仲介・通訳によってのみなのです。
>>286 終わりか?
大事な一段への感想が抜けてるぞw
>>294 >コンタクトする必要はないでしょう
眼鏡の仏菩薩なんて萌えちゃうじゃないかw
>>295 我々が新たに何かを分かる必要はないのでは?
「仏さまは全知偏在にてすべてをお見通し」であることが予め分かっているのなら、
「我々は、『神仏の側が分かっている』ということを分かっている」と言えますね。
それとも、「仏さまは全知偏在にてすべてをお見通し」ということが実は分からないのですか?
そもそもどうしてそんなことが分かったのでしょう。
>>296 何か見落としていることがありますかな?
>>297 コンタクトなしでも眼鏡なしでも、「全知偏在にてすべてをお見通し」なら、何でも
見えてるはずです
>>298 >「仏さまは全知偏在にてすべてをお見通し」であることが予め分かっているのなら、
>「我々は、『神仏の側が分かっている』ということを分かっている」と言えますね。
それは違います。
「全知全能の神仏の側が分かっている」 ということが分かるには、
身近な神仏の通訳が必要なのです。
>>299 ん?
「仏さまは全知偏在にてすべてをお見通し」なんでしょ?
それなら、身近な神仏の通訳など待つまでもなく、
「全知全能の神仏の側が分かっている」 に決まってるでしょ。
「全知偏在にてすべてをお見通し」なんだから。
>>300 もっと国語力をつける必要がありますね。
あなたは、「すべてをお見通しの全知全能の神仏」 を知らないでしょ。
信じてもいないでしょ。
それは、あなたが身近な神仏とのコンタクトがない、ということなのです。
302 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/08(日) 21:53:43.85 ID:Yo2XKGg5
>>288 「すべてをお見通しの仏さまなのに・・・」というのは、
これもまた一つの方便としての説明としてあるのです。
これらは、高次の霊的なエネルギーに対するこちら側からの意識的な呼び掛け。
その力の引き出し方についての一連の定められた所作です。
つまり、これは一つの“(呪)法”なので、
「そんなの気持ちがあれば何でもいいじゃん♪」というわけにはいかない。
そういう人には、
「どうぞ勝手にして下さい」としかいいようがないのです。
所詮、そういう人にはそれなりの結果しかありませんから。
>>302 >「すべてをお見通しの仏さまなのに・・・」というのは、
>これもまた一つの方便としての説明としてあるのです。
あー、つまりこれも嘘だったってことですね。
「すべてをお見通しの仏さま」などというのは嘘だったんですね。
大乗には困ったもんだ。
>これらは、高次の霊的なエネルギーに対するこちら側からの意識的な呼び掛け。
>その力の引き出し方についての一連の定められた所作です。
・・・・
304 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 22:05:52.01 ID:IDFBxdJO
ハ,,ハ 「高次の霊のエネルギー」だ?ああ、裏の畑に ((⊂( ゚ω゚ )つ))-、 /// /_/:::::/ たくさん植わってるだ。 |:::|/⊂ヽノ|:::| /」 / ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/| 2,3本ぬいて持って帰ると /______/ | | | |-----------| | いいだよ。
>>300 本当のことを言えばね、
「全知全能の神仏」 を知っている人なんて、誰もいないんだよ。
306 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 22:38:25.59 ID:IDFBxdJO
え〜〜と
>>305 さん
>595 :神も仏も名無しさん:2011/05/08(日) 21:42:35.18 ID:LnXCkFfY
昔、引っ越した近所に 「神」 という表札のかかった家があったので、
神様の実在を確信したよ。
これはジョークなんだろうか?
307 :
てすと :2011/05/08(日) 22:42:01.46 ID:QN+iCYXb
全知全能の神仏なら隣で寝てるけど。
309 :
てすと :2011/05/08(日) 22:56:05.36 ID:QN+iCYXb
所詮、小乗じゃたどり着けんわな。
>>308 いま修行中で禁止してるからw
>>309 献香、献水、或いは灌仏という行為があるくらいだ。
宝珠のように(塗)香を献上さしあげるということでどうだ?w
311 :
てすと :2011/05/08(日) 23:08:31.46 ID:QN+iCYXb
>>310 そんなんあるんだw
観音様に塗るのか?w功徳積めるかな?w
312 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 23:10:27.65 ID:IDFBxdJO
ありがたい、ありがたいww
>>311 マジレスすると、東南アジアのどっかの寺院では、
売店(?)で金箔を買った参拝者が、それを仏像にぺたぺた貼り付けて
「仏を荘厳する功徳」を積んでるらしいよ。
314 :
てすと :2011/05/08(日) 23:21:41.53 ID:QN+iCYXb
>>313 金箔ってw小乗はほんと悪趣味だなぁw
男は観音様拝むのが一番いいから、やっぱり大乗だね。
ありがたや、ありがたや。
315 :
神も仏も名無しさん :2011/05/08(日) 23:22:22.59 ID:IDFBxdJO
「仏の相貌、端厳し」 欽明天皇 ww
>>314 マジレスすると、金箔であることが重要なのでなく、(ま、貴重なもの・高価なもの・珍しいもの・美しいもの・
上等なもの・美味しい物、等を献じるという点はプラスアルファとしての重要性はあるけど)、
何かを献じるということに意味があるのさ。
供養ということも、(本義は食事のことだけれども)同じ位相の話。
一般故人の法要でも、回向文の中には「(この功徳をもって)○○の報地・報土を荘厳す」と言われるくらいだし。
317 :
てすと :2011/05/08(日) 23:31:42.16 ID:QN+iCYXb
やっぱり宗教やるなら宗教最古の形態でもある、偶像崇拝が分かりやすくて事故も少ないからいいよね。 仏像拝むのが、これからの仏教界のトレンド。
>>317 なら、やっぱり嫁さんには
リンガ崇拝させなきゃ駄目だろw
319 :
てすと :2011/05/08(日) 23:40:34.64 ID:QN+iCYXb
>>318 草加の彼女に自分のリンガにお経唱えさせた奴なら知ってるw
>>319 wwwwwwwwww
スマン!俺が悪かった、勘弁してくれ・・・w orz
>>319 つまらんwwwwww
てすとの冗談は全部つまらん
さて・・。 先の一件、まとめといた方がいいのかな? 需要があれば、 一連の流れを俯瞰して見えてくる「各人の意見の相関関係及び論点の明確化」 みたいなものを整理するのも面白そうだけど・・w (実際、重要なポイントだし。(特にアンチ相手にはねw)) ま、レス追ってれば解るか・・。 第三者からの分析が欲しいトコだな。 ノシ
323 :
てすと :2011/05/09(月) 01:15:55.93 ID:gPPK+qfz
>>322 まとめなくてもいいでしょ。
いつものパターンだし。
彼の問題は時間が解決するさ。
324 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 01:27:56.37 ID:MpfYUZlb
しかし、ホントニ20年以上、の経験の持ち主で、あのスタンスは貴重な キャラだと思うぞ。 普通はそんなに長期、そういうことにかかわり合ってれば、それなりに 世界観変わってくると思うがなww
>>306 それには後日談があるのです。
しばらく経ったある日、そこの住人らしき人が玄関付近の掃除をしておられたので、
私は勇気を出して、表札を指差しながら尋ねてみたのです。
「かみ・さまですか?」
その人は微笑みながら答えてくれました。
「いいえ、じんです」
神(じん)という苗字の人と初めて出会った懐かしい思い出です!!
326 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 02:44:14.51 ID:aG8RUkpF
>>268 >煩悩或いは欲望は「完全に滅することが可能」とする。少なくともそれを建前、
>理想としている。
煩悩(欲望)から生じる「苦」より、それを抑圧・滅することから生じる「苦」
のほうがはるかに大きいことは自明だが(だから人類は今日まで生存し、ますます
発展を続けている)、小乗仏教は、後者の「苦」は、一体どうやって抑圧・滅する
のかね。さもなければ、小乗はひたすら解脱という煩悩(欲望)から生じる
「苦」の中に「快楽」を感じるマゾヒストなのか。
>>326 > 煩悩(欲望)から生じる「苦」より、それを抑圧・滅することから生じる「苦」
> のほうがはるかに大きいことは自明だが
全然違う。「抑圧せよ」とは仏教は言っていないし、滅することから苦は生じない。
328 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 14:53:32.53 ID:dy2TrCQF
>>327 修行には苦は伴わないのか。快楽なのか。ならばそれは快楽の追求であり、
新たな苦を生じる。
苦は、生命の維持のための必須の心理作用。苦があるからこそ、楽が存在
しうる。苦の無い世界は、苦のみの世界(地獄)と全く同じであることを悟れ。
それは「最大の苦」としての「死」の世界でもある。
釈迦は矛盾しまくり。悪魔ビーバーマンの「真理の言葉」に耳を傾けよ。
329 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 15:13:42.90 ID:dy2TrCQF
>>327 「苦の滅」こそ、「煩悩」の最たるもの。まず、その煩悩を滅せよ。
「苦楽との共生」により、初めて苦は滅する。釈迦は、その鬱病ゆえの、
全くの倒錯。
純粋に精神的苦悩は、自己中心主義から生じる。我を離れて、家族などの
身近な他者に心を移すことにより、苦は軽減され、止む。人間社会は、
このことを基盤として維持されている。
>>328 > 修行には苦は伴わないのか。快楽なのか。ならばそれは快楽の追求であり、
> 新たな苦を生じる。
修行は苦行でもないし、快楽追求でもない。喜びや安楽はあるけど。
331 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 15:35:44.20 ID:MpfYUZlb
「苦」など、初めからありゃせんのです。 ないものを滅することはできませんな。 カラスが「か〜」と鳴いたのを聞いた瞬間に、全てがなかったと わかること。 それが悟りであると一休禅師は、語ちておりまふでふ。 <花押> どう?www
332 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 16:31:07.63 ID:qy3I4x+G
「苦楽併せ持つ自他の生へのこよなき慈しみ」。これが「悟り」である。 「苦」のみに執着した釈迦は、自ら「中道」を踏み外している。釈迦の根本的 な誤りである。
>>328 御隠居殿
そのように悪魔回路が内蔵されているのが「破戒ダー」と知りましょう。
335 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 17:02:50.72 ID:GTsymEvb
あっれ〜? 不説のキャラが変わってる。 こいつも人間練れてきたか?ww
336 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 17:05:00.29 ID:GTsymEvb
もし、俺が仏道について説教するように要請されたら (金輪際そんなことはありうべからざる事だが) キリスト教の宣教師みたいにアホずらさげて 「信じるものは救われる」なんて言わない 俺は自分の信じるところのごとく、断固として主張する 「全世界の兄弟姉妹のみなさん!信じなくとも救われる!否!諸君はすでに祝福された永遠の高貴の持ち主だ!」 と叫ぶであろう チベット仏教のような三悪趣を持ち出すまでもなく 俺は地獄を一切認めない、悪魔の存在さえ持ち出す必要のない福音を説くだろう すべての宗教には大なり小なり「脅し」が存在する しかし「華厳経」には明るい人間観しか存在しない 仏典は数あまた限りないが「華厳」は俺が知る限り「地獄」を説かない チベットの愚か者たちがこの経典を悪用しないよう警戒すべきだ ダライラマに一言言いたい「お前は何の権利があって法王を名乗るのか?貴様にそんな資格はない」 そんな体たらくだから、中共に祖国を滅ぼされたのだぞ しかもオウム真理教の総括もできず、責任逃れ 知り尽くした顔して、弱みにつけこんで白人相手に「我こそはマハーヤーナ」とほほ笑むお前は 偽善者、偽善者、偽善者 甘っちょろいってもんよ・・・ケッ!
338 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 17:31:09.93 ID:KWXqWzK9
>>337 > 「全世界の兄弟姉妹のみなさん!信じなくとも救われる!否!諸君はすでに祝福された永遠の高貴の持ち主だ!」
> と叫ぶであろう
残念ながら、それでは教団を運営できない。
「あそう。よかったよかった。教会行かなくても救われるなら、教会行く必要ないし、寄附もしなくていい。
本当によい教えだ。ありがたやありがたや。」と信者はいなくなる。
宗教といえでも、経済学の原理にもとづいてるんだよ。
340 :
絶対神 :2011/05/09(月) 17:48:17.98 ID:PVOIjmS0
>>331 「何の答えにもなってないね」
『貧乏人はいない、病気はない、どんな苦痛もない、人は死なない』
「どお?」
「現実を否定してみたところで、何もどうにもなりはしない」
『仏教のもっとも危ないところは、「何も現実を見ていない逃避でしかないところ」』
>>337 大体からして、「何もしなくても救われる」なんて、「瞬間で嘘がばれる
無根拠な幼稚な事を言って、誰が信じるんだ」
『馬鹿じゃないのか』(信じる事を抜きにしては
いかなる救いもまったく成立しないよ大馬鹿)
341 :
絶対神 :2011/05/09(月) 17:52:32.90 ID:PVOIjmS0
「はっきり言おうか」 『仏教徒って、「本質的に馬鹿」なんじゃないかと思う』 「これじゃ、一神教が世界最大の宗教になる訳だよ」 いいか、「現実は現実だ」、そして、「信じるという事なくして、救われる余地もない」 (宗教の教義を信じずして、その宗教の修行も実践もありはしない) というか、「幼稚園児でも判るような事も理解できないような奴が救いを どうこう言わないでくれ」 『頭がいたくなってくる』 まあ、「仏教は今後も衰退し続けるだろう」 世界宗教としては、まったくふさわしくない
342 :
絶対神 :2011/05/09(月) 17:56:33.81 ID:PVOIjmS0
「一言で言うと、仏教は」 『現実を理解しない宗教』 それに対して、一神教は 「「現実」を理解し、しかし、その中で、なんとか救いを実現しようと する宗教」 という事が出来ると思うね 『どっちが人々に理解されるか、訴えかけるか、上かは言うまでもないよな』 なんでキリスト教が世界最大の宗教のなのか、よく判るわ
*****************************************************
>>326-330 宗教体験を持つことなく、頭で考えている間は何も解りませんよ。
また、お釈迦さんの 「さとり」 を 「悟り」 の字で考えている間は、何も解っていないのです。
中国の禅宗で 「悟」 の字が多用された為に、多くの日本人が間違ってしまったのです。
「さとり」 は 「覚り」 の字を使わなければ意味がないのです。 「悟る」 というのは、それまで
分からなかったことが分かるようになった、ということに過ぎません。仏教の 「さとり」 というのは、
意味が全く違うのです。それは、眠っていた者が目を覚ますように、覚醒して全く新しい意識が
生じることなのです。「ブッダ」 という言葉もサンスクリット語で 「目覚めた者」 という意味です。
新しい意識はもはや 「識」 とは呼ばず、「智」 と呼ばれます。 「転識得智(識を転じて智を得る)」 と
言われていますね。 しかし、「転識得智」 も誤りなのです。得智(智を得る)と言うと、「得る」主体が
別に存在することになるからです。 真実は 「得る」主体そのものが覚醒して別の状態になるという
ことなのです。 宗教体験を持ちたい人は、上記の消息を深く考究されたし!!
*****************************************************
>>342 おまえのようなクソムシでも
のほほんと生きているではないか?
これが恩寵でなくてなんだ?
>>343 > 宗教体験を持つことなく、頭で考えている間は何も解りませんよ。
"平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」"
このブッダの言葉を繰り返し学んでください。
心の平穏、解脱は、「真理に関する思索にもとづいて起る」のです。
頭で考えなければ、成長もしないし、解脱もできません。
346 :
絶対神 :2011/05/09(月) 18:17:20.90 ID:PVOIjmS0
「要するに」 『世の人々が、何故、宗教の教義に余り興味を示さないかというとですね』 「あんまり意味がないからなんです」 『人は人生の答えを求めて宗教を調べたり、信じたりしますが』 「暫くすると、宗教の示す「答え」に実効がない事に気づくんです」 そういう事(だから、牧師や神父には実際的な福祉活動をやっている人が多いです)
347 :
絶対神 :2011/05/09(月) 18:19:46.12 ID:PVOIjmS0
『本当に、奇跡能力を持つ神でも実在しない限り』 「宗教では、人は救えません」 「だからこそ、人は神がいるかいないか知りたがるのです」 『そして、大抵の人は、失望して世俗的な生き方をします』 どちらにしろ、人生に「答え」を与える事ができるのは、 「神だけです」
>>345 それは体験を持たない貴方の希望ですね。
釈尊は対機説法ですから、いろいろな教え方が伝えられています。
>頭で考えなければ、成長もしないし、解脱もできません。
頭で考えるのは準備に過ぎないのです。「覚り」 は、考えることによって理解するものではないのです。
なお、「覚り」 と成長は関係ありませんよ。目が覚めればよいだけなのです。目覚めてから、のびのびと
成長して行きましょう!
349 :
絶対神 :2011/05/09(月) 18:23:40.45 ID:PVOIjmS0
「神しか人を救えないのは既に書きましたが」 なんでオウムが暴走したかというと、思ったほど信者が増えなかったせいですが 「それは既に書いたように仏教の答えに「実効」がないからなんです」 『宗教は、教え自体によって広まる事はないです』 「きちんとした社会的実効を伴わない場合、宗教が一国を支配するまで広まった例はありません」 「世を幻と言っているようでは0点なんです」 釈迦は結局、王子である事から逃避した 『人生の敗北者です』 「立ち向かって社会を変えてこそ、人々は救われるんです」 という事
>>349 君が宗教について語るのは、100年早いですね。
もっといろいろなお勉強と人生体験を積んでから、このスレにいらっしゃいね!
>>348 またこの議論するのはうんざりなんだが・・・
まあ飽きるまで付き合ってみるか
> それは体験を持たない貴方の希望ですね。
体験って何の体験?
> 釈尊は対機説法ですから、いろいろな教え方が伝えられています。
「真理について思索しなくていい、考えなくていい」なんて教えは一つもないと思うけど?
> 頭で考えるのは準備に過ぎないのです。
なら「頭で考える」必要があるじゃないですか
>「覚り」 は、考えることによって理解するものではないのです。
"平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」"
つまり、「考えることによって理解するもの」とブッダはおっしゃってますね。
> なお、「覚り」 と成長は関係ありませんよ。目が覚めればよいだけなのです。目覚めてから、のびのびと
> 成長して行きましょう!
言葉遊びはどうでもいいです。「さとり」などという言葉にとらわれる必要もありません。
真理に関する思索にもとづいて、平静な心がまえと念いの清らかさが起こるのです。
「平静な心がまえと念いの清らかさ」という解脱は、確かに体験です。それは思索ではありません。
しかし、その体験は、「思索にもとづいて起る」のです。
その状態になることを「さとった」「さとりを得た」と表現しているだけです。どんな漢字を当てはめるかは漢語翻訳者の問題で、本質ではありません。
>>351 禅もなかなか良いところがあるのですが、「覚り」 を 「悟り」 として伝えて来たところは
大罪を犯した汚点なのです。 もちろん、解ってしまった人は問題ないのですが、入門者や
部外者に対しては毒を撒いたようなものなのですからね。
>>352 >体験って何の体験?
あなたが体験すれば、解ることです。
>・・・・・・ つまり、「考えることによって理解するもの」とブッダはおっしゃってますね。
おっしゃっていません! 国語の力は大丈夫かな??
>その体験は、「思索にもとづいて起る」のです。
↑ これは賛成します。しかし、思索によって理解するのではないのですよ。
また、修行者の素質によっては、「思索」 とは別の 「帰依」 によっても 「さとり」 が現れることを
忘れてはいけませんよ!
>>353 はあ。
わからないことは、わからない、と
おっしゃっていただければ良いのです。
あのたの禅の素養は部外者のそれを一ミリグラムも出ていないのですから。
なんだったら眼蔵から引用しましょうか?
>>353 > あなたが体験すれば、解ることです。
そんな話は何の意味もありませんね。
「考えるな、体験すれば分かる」なんてのは、何の指針にもなりませんので、
役に立たない教えです。(教えですらないか)
> >・・・・・・ つまり、「考えることによって理解するもの」とブッダはおっしゃってますね。
>
> おっしゃっていません! 国語の力は大丈夫かな??
あなたこそ大丈夫ですか?「思索にもとづいて起る」、「理解による解脱」です。
思索とは、考えることでしょう。考えないで思索ができますか?
> また、修行者の素質によっては、「思索」 とは別の 「帰依」 によっても 「さとり」 が現れることを
> 忘れてはいけませんよ!
帰依だけでは「さとり」は現れません。帰依した人は、素直に説法を聞いて「思索」するので
解脱に至るのです。
>>354 >あのたの禅の素養は部外者のそれを一ミリグラムも出ていないのですから。
なんだったら眼蔵から引用しましょうか?
お笑いだな! 禅では部外者の方がよく解っていた、などということが多いからな。
五祖・弘忍を嗣いだのは誰じゃったかな???
>>356 ほう、神秀であるという根拠があるなら、どうぞ。
ちゃあんと、文献で示してみてよ。
>>355 「理解による解脱」 が可能なら、理解力のある人ほど宗教的精進が速いはずですが、事実は
違いますね。「論語読みの論語知らず」 「経論読みの経論知らず」 も多いです。
説法を聞いて「思索」することは大きな意味がありますが、「理解」 とは少し違いますね。
>>357 何をおバカなことを! 反対じゃないか!
正統の神秀は入り口しか理解できておらず、部外者の米つき男だった慧能さんが六祖になられたじゃろ!
あんたが引用した壇経の本人さまじゃよ!
っていうか、釣る相手を間違ってるのかw 20年座った人って誰?
>>358 > 「理解による解脱」 が可能なら、理解力のある人ほど宗教的精進が速いはずですが、事実は
> 違いますね。「論語読みの論語知らず」 「経論読みの経論知らず」 も多いです。
「論語読みの論語知らず」 「経論読みの経論知らず」 は理解力の無い人の例えでしょうw
理解力がある人は、実際精進が速いですよ。
> 説法を聞いて「思索」することは大きな意味がありますが、「理解」 とは少し違いますね。
まあ細かいことはどうでもいいけど、「説法を聞いて「思索」することは大きな意味がある」と
あなた自身思っているなら、思索をすることを勧めるべきでしょう。
>>359 >20年座った人って誰?
それは、ID:GjpthPci さんでしょうな。
>>360 思索を否定しているのではありません。
仏典(経・論)を熟読して思索することは大変な価値があります。機が熟していれば
すぐに宗教体験につながります。
私が否定しているのは、仏典(経・論)などを基にしない「通常の世俗的・常識的な思索」のことです。
仏典(経・論)などを基にしても、世俗的・常識的な思考をすればむなしく時が過ぎて行きます!
では、外出の時間が来ました。また、お会いしましょう。
>>361 > 思索を否定しているのではありません。
> 仏典(経・論)を熟読して思索することは大変な価値があります。機が熟していれば
> すぐに宗教体験につながります。
それじゃ「宗教体験を持つことなく、頭で考えている間は何も解りませんよ。」などと
書かないで下さい。
結局人に意識してできることは、考えるか考えないか、立つか座るか寝るか、その程度の
選択肢しかないのです。
「宗教体験を持とう」と思って持てるものでもないし、トリップして何かを体験した思って
も、それは妄想と区別できません。そんなものは何の役にも立たないのです。
> 私が否定しているのは、仏典(経・論)などを基にしない「通常の世俗的・常識的な思索」のことです。
もちろん仏典を基にすれば効率はいいでしょう(誤読しなければ)。
しかし絶対条件ではありません。経典に書いてあろうと無かろうと、真理は真理ですから。
釈尊の時代には経典なんて存在しませんでしたが、多くの比丘や在家が解脱しました。
> 仏典(経・論)などを基にしても、世俗的・常識的な思考をすればむなしく時が過ぎて行きます!
論理(論証ルール)に聖も邪もありません。
正しく法を思索すればいいだけです。そしてそれは極めて常識的なものです。
>
> では、外出の時間が来ました。また、お会いしましょう。
>
>>362 だからw
前スレ785のリンク先を読んでみろと何d
「このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています」とか表示されてるから、 PCのボロさとは関係ないだろw
>>367 でどれを読めと?
全部とかいうのはナシよ。めんどくさい。
1スレだけ、できればレス番書いてくれ。
やっぱ1スレ読むのもめんどくさいな。レス番無ければ読まない。 そもそも何を読んで欲しいのか分からないし。
>>368 てめぇの目は節穴か?w
きっちりレス番指定されてるだろが。
お前、あれだろ? 今でもママンにお尻拭いて貰ってるだろwwwww
>>370 それとな、自分の怠惰・視野狭窄を棚に上げて相手のサービスを要求するような奴は大嫌いなんだよ。糞が。
あー、前スレの785のurlの最後の数字か? それを、対応するみみずんからいちいち探してこいと? めんどくさい奴だな。 じゃ頑張って読みますか。
つか、宝珠の保管庫も、まったく活用されてないんだな・・w
そういえば、ハリウッドで「実写版AKIRA」だってな・・。 大友克弘の漫画なら日本人使わなきゃ雰囲気出ねーだろw(しかも今風のイケメンじゃ駄目だw) 彼が登場した時、リアルな日本人を描ける漫画家として評判が立ったほどなのに・・。 金田や鉄男が欧米イケメンとか・・・w オワットル orz
だれも 過去は興味ない そんな真剣に議論もしない 私は先日池上本門寺に行ってきた 力道山のお墓と銅像を発見したので なんみょうほうれんげっきょうした
378 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 22:15:28.57 ID:UBLERq1F
>>375 自分はけっこう使ってる。
仏教議論スレッドのパート7と8と12のリンク先がみみずんになってないな。
>>376 エボリューション処理するなら役名は変えてほしい。
380 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 22:51:25.81 ID:R71uZ2EP
仏教の欠点は経典がサンスクリット語ベースの漢文だから 素人が読んでも分からないこと この時点でチャネリングで宇宙人と更新しているのと大差がない 神道よりもさらに低俗なカルト宗教になってしまう キリスト教は各言葉に翻訳しているから 反抗的で利発な子達は しっかりと基本を学んだ上で個人的な思索や科学的な批判に入る 神道のように「はらいたまえきよめたまえ」のように 日本語に直すことからはじめないと意味がない 念仏を唱えるのは賛美歌を歌ってハイになっているキリスト教のダメな部分と大差がない
381 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 22:56:53.39 ID:R71uZ2EP
経典を読めるのは一部だけ こういう他人とは違う、選ばれた人間になりたい欲望まみれの矛盾が 仏教が世界統一宗教になりえない壁になっている
382 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/09(月) 23:09:11.94 ID:8u5qcAPT
>>378 >仏教議論スレッドのパート7と8と12のリンク先がみみずんになってないな。
ご指摘に感謝!!
さっそく直しておきました。
“この功徳を以て普く一切に及ぼし”
>>383 別に。
読んで、頭の隅に入れておけば桶。
>>384 なんだよw
前スレからしつこく読ませようとしておいてこれだけか
386 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/09(月) 23:46:44.91 ID:8u5qcAPT
>>385 お前は中学生かw
マジレスするとな、
「再説する」「略説する」「新たに説明を付加する」くらいならURLなぞ貼らんよ。
それは、(当該の話題に関して)URL先で不足分がある時だ。
しかし、既に記述済の分で足りているなら、わざわざキーボードを打つ必要も無い。
【そのための】URLってもんだ。
【現時点では】、あれに付け加えることはない。(その後どうなるかは、君の反応次第だよw (´ー`)y━~~ )
マジな助言として、
こういう掲示板での議論の仕方(≒遣り取り)を勉強してきてから(≒半年ROMってから)の方がいいと思う。
388 :
てすと :2011/05/09(月) 23:48:33.25 ID:ixAJvLLW
頭を使って考えるのは賛成だな。 俺は考え抜いた結果、生きるのに仏教は要らないと悟った。
389 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 23:48:36.96 ID:MpfYUZlb
>>384 前スレの785のリンク先、俺の書き込みじゃないかww
懐かしかったわいw
あの頃は、けっこう真面目にかいてるなww
390 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 23:51:24.62 ID:MpfYUZlb
てすと、来たあ〜 サッカーボール投げろ〜www
>>387 あなたが今までリンクとともにごちゃごちゃ書いたことより、
リンク先の内容を直接書いた方がずっと手間が省けたと思うけどねw
分量もそう変わらないしw
結局その内容も、それを僕に伝えてどうしたいのかさっぱり分からんし
何か関係あるかね?
392 :
てすと :2011/05/09(月) 23:54:31.85 ID:ixAJvLLW
「仏教を初めたいんですけど、何からやればいいですか?」 と聞かれたら、 「やっても無意味で無駄だから他に時間を使った方がいい」 と自信を持って言えるようになった。 思考は重要だね。
393 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 23:55:57.77 ID:R71uZ2EP
>>388 じゃあ人間の霊性をどうやって否定できた?
仏教がいらないってのは他にすがるものができただけで
本当の意味で仏教を乗り越えたわけじゃないんだよね
これは神道もキリスト教も一緒
西洋の哲学者はそれを自力で乗り越えたが日本人は彼らの考え方に頼るだけ
本当に仏教をまじめに読み込んで勉強してたら
ニーチェとか読まなくてもたどり着けるんだが
日本語で分かりやすく書かずに、ハイなって念仏を唱えたり
金の分配や政治的なことばかり重視するから
そこまで行く人がいないんだよね
394 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 23:58:55.57 ID:R71uZ2EP
むしろ霊性を否定した古代版ニーチェのブッダの思想を 金儲けの道具に使っているから 今の仏教のおかしい形がある 神の束縛から解放されてたどり着く最終的な到達地点なのに 逆に組織に束縛されたり念仏を唱えて神と交信してハイになってたりする
395 :
てすと :2011/05/09(月) 23:59:03.01 ID:ixAJvLLW
宗教板のシャーリプトラと呼ばれたこの俺様が仏教の真髄をお前達に教えてやろう。 「仏教は時間の無駄。ゆえに暇潰しには最高」
396 :
神も仏も名無しさん :2011/05/09(月) 23:59:13.48 ID:MpfYUZlb
>>392 >「やっても無意味で無駄だから他に時間を使った方がいい」
なんてかわいそうなことをww
俺なら、「仏像をマキにして、風呂わかせるようなら仏教やりなさい。」
と言うなwww
397 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 00:03:35.47 ID:q2yQ6drm
>>388 俺は考え抜いた結果、「生を否定する仏教」は、生きるのに有害だと悟った。
398 :
てすと :2011/05/10(火) 00:06:56.04 ID:MXqp/CLL
お前達により良く生きるための極意を教えてやろう。 「まず、金持ちになれ。話はそこからだ。悩める金持ちの方が貧乏に悩むよりもずっと楽だからだ。」
399 :
てすと :2011/05/10(火) 00:13:30.68 ID:MXqp/CLL
>>396 「仏教に意味あるのは、仏教を使って大金を稼ぐ時だけだ」
いまブラフマンが隣で「てすと殿、悟られましたな」と言ってきた。
どうやら、俺は完全に目覚めたようだ。
400 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 00:14:48.29 ID:fTdAsUAo
>>399 これはまた見事な説法!
ありがたい、ありがたいww
>>397 仏教は生を否定していません。
間違った理解を前提に考えぬいても、間違った結論しか出ませんね。
402 :
てすと :2011/05/10(火) 00:20:28.18 ID:MXqp/CLL
>>401 その通り。
仏教で儲ける事は生の大肯定。
金がなければ、生きて行けない。
どんなに偉そうな事言っても、金がなければ、生きて行けない。
もちろんそうですよ。だからテーラワーダでも現代ではお金を受け取っています。 当たり前のことです。
404 :
てすと :2011/05/10(火) 00:26:08.16 ID:MXqp/CLL
405 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 00:26:25.15 ID:fTdAsUAo
んじゃ、一つ ID:GjpthPci さんにツッコミだww (以前にも、あったお題だけど) 「悟る」(勿論、解脱するでもいいよ) この場合、必ず『その基体』 が、前提としてあるよね。 例えば、Aさんが解脱した場合、「解脱したのは Aさんであって、Bさんではない。だから、Bさんは未だ無明の闇の中だ。 ここには歴然とした『個』の概念がある。けど、一方、仏教には『無我』という 根幹となる考えがあるよね?すなわち「我」と言えるようなものはなく、 個の識別を否定してしまう概念だ。さ〜〜て、この論理矛盾を論理的思考に より、無矛盾に解決できるのであろうか?」
>>405 簡単なことw
「無我」は「個の識別を否定してしまう概念」などではない。
>>391 【あんな丁寧な】リンク誘導に付いてこれないレベルの人間が、2chででかい口叩くんじゃねーよw
自分の無能とレベルの低さを棚に上げて、相手の配慮不足だと? 笑わせんなw
宗教板は「連投3回」「行数制限32行」「容量制限288KB程度」、
この制限の中で、(君も含め)俺達は遣り取りしてんだよ。
省略できるところは省略する、省ける手間は省く、情報収集の努力は自分でする、
これができない奴が2chなんぞ来るな。 ガキが・・・ ( ゚听)、ペッ
408 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 00:30:02.10 ID:fTdAsUAo
>>406 そうかw
では「無我」とは、どのような概念なんですか?
409 :
てすと :2011/05/10(火) 00:33:07.46 ID:MXqp/CLL
>>407 そういえば、このスレって結構容量オーバーになる事多いよね。
1000まで行けるように簡素化しないとね。
>>407 別にこちらからリンクを頼んだわけじゃないからねw
こちらから頼んだのなら、自分でリンクを変換して読みますが、
こちらが読みたくもないものを、あなたがしつこく読んで欲しそうにしているものだから、
我慢して読んであげたのです。
その場合、こちらの手間を省く努力(ワンクリックで読めるくらいには)をするのは
そちらの礼儀でしょう。
>宗教板は「連投3回」「行数制限32行」「容量制限288KB程度」、
>この制限の中で、(君も含め)俺達は遣り取りしてんだよ。
そのわりには、あなたはリンク関連だけで無駄に消費してますねw
あ、288KBじゃない、1800B前後だったか・・w 糞・・w 取り乱してしまったw
>>408 そこからかよw
「無我」とは、常住の実体がない(観察されない)ということです。
つまり無常。
413 :
てすと :2011/05/10(火) 00:36:52.31 ID:MXqp/CLL
>>410 うるせー、貧乏人は黙ってろw
ばーかw
414 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 00:44:49.42 ID:fTdAsUAo
>>412 いやいや、こちらの趣旨が伝わってないなw
仏教の教義をざっくり言うと
「苦の滅が目標」→「その方法論として登場するのが『無我』の概念。
すなわち、全てのものは無常な有為法であり、常住の実体などない。
つまり、『我』と言えるものなど無く、「苦を感じる基体そのものがない」
このように、「苦を感じる基体そのものを否定することにより、苦を
滅するわけだ。」
ここまでいいかな? このように、苦を感じる基体を否定しまうのに、
解脱する期待を認めるのは矛盾していませんか?
ってことなんだがw
>>410 ほうw
私は、リンク先で、貴方のスタンスの完全論破達成と考えてるんですがね?w
反論の言葉が出ないだろ?www
或いはまた、スーパーで肉を買う、薬局で薬を買う話ももっと掘り下げましょうか?
貴方が御都合主義(→隠居流の自説至上主義)である証拠ですよ?スーパーの肉も薬局の薬もw
同じだと言っているのですよ。宗教体験もね。
我慢して、老婆親切に余計な一手間をかけて差し上げてるのはこちらですよ?w
貴方が無能なお子ちゃまのようだから、【普通なら必要の無い】情報も付加してリンクして差し上げたのにwww
我が身が見えないというのは滑稽ですな・・w
416 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 00:46:46.47 ID:fTdAsUAo
あ〜〜〜、ちなみにセブン、てすと、その他の人の横レス禁止ww
417 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 00:48:39.93 ID:fTdAsUAo
勿論、俺とID:v+2E5s0Z さんとのやりとりのお題にかんしてねw
418 :
てすと :2011/05/10(火) 00:49:21.24 ID:MXqp/CLL
やっぱり俺天才だよね、、? 我ながら完璧なレスをしてしまった、、 君たち頭固すぎ。
>>416 勿論、生温かく見守るよw
(隠居への反論の手並みも観察したいんだが、ワシが余計な絡み方をしたんで中座してるようだが・・w)
420 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 00:53:11.17 ID:fTdAsUAo
>>419 このお題が一番わかりやすいと思わない?
その人の、スタンスや掘り下げかたがww
>>414 ここまでいいかな?と言われても、論理がおかしいからなあ・・・
>「苦の滅が目標」
これはいいでしょう。
>「その方法論として登場するのが『無我』の概念」
無我は方法論ではない。
>「全てのものは無常な有為法であり、常住の実体などない」
それはいいけおど、「すなわち」で接続してるのがおかしい。
>『我』と言えるものなど無く、「苦を感じる基体そのものがない」
常住である『我』などはないけど、苦をおぼえる「私」はいますよ。
痛みなど感覚を感じる「身体」もある。だから当然「「個の識別」も可能。
>苦を感じる基体を否定しまうのに、解脱する期待を認めるのは矛盾していませんか?
したがって矛盾してません。
>>415 え? 何が論破になのかさっぱり分からなかったけどw
論破も何も、関係のない話だったし、そもそもその話も最初から間違いだらけ。
423 :
てすと :2011/05/10(火) 01:00:35.95 ID:MXqp/CLL
分類と定義の場所取り合戦はそろそろ飽きたんだけど、もっと面白いネタないの?
424 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 01:03:59.62 ID:fTdAsUAo
>>421 いや、まるで回答になってないよ。 というより、こちらの問いかけの意味が
理解できてるのかな?
>常住である『我』などはないけど、苦をおぼえる「私」はいますよ。
痛みなど感覚を感じる「身体」もある。だから当然「「個の識別」も可能
ん? 「苦をおぼえる「私」はいますよ。 」 ここで終わらして、いいんかな?
「苦をおぼえる私」がいるように思えるが、実はそれは無明の闇に囚われてる
からであって、真実は「そのような私はない」→これが無我
このように「苦」を感じる『我』を否定することにより「苦」を滅するのが
仏教の方向性では?
>>424 > ん? 「苦をおぼえる「私」はいますよ。 」 ここで終わらして、いいんかな?
> 「苦をおぼえる私」がいるように思えるが、実はそれは無明の闇に囚われてる
> からであって、真実は「そのような私はない」→これが無我
常住の「我」はないけど、常住でない私(無常の私)はいるんですよ。変化し続ける私が。
> このように「苦」を感じる『我』を否定することにより「苦」を滅するのが
> 仏教の方向性では?
常住の我などというものがあると思ってそれに固執することが苦の原因です。
常住の我への執着を無くすことで、苦を滅するのが仏教の目標です。
無常の私が消え去るのではありません。
426 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 01:11:58.69 ID:fTdAsUAo
もう少しいえば、「苦を感じるのは執着によるわけだが、その執着の 根底にあるのが『我』 『我』と言えるものがあると錯覚するから 執着が生まれ、苦が生じる。 反対に『我』と言えるものなど何もないとわかれば執着を起こすこともなく 苦も生じない。」 このような方向性が仏教であると思ってたが、違いますか?
428 :
てすと :2011/05/10(火) 01:19:10.50 ID:MXqp/CLL
つまらん。 これぐらいならmixi で十分じゃん。 2ちゃんの意味ねぇー
429 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 01:19:35.09 ID:fTdAsUAo
>>425 >常住の「我」はないけど、常住でない私(無常の私)はいるんですよ。変化し続ける私が。
いや、だから誰もそんなことは言ってないのw
全ての存在が常住でなく、無常である。だから当然、「私が変化し続けている」
のは誰もが了解していることであり、そこは関係ないわけw
要は「苦を感じてる私なんて、実はいないんですよ。そんなもんは錯覚ですよ。」
っていうように、「苦」を感じる主体そのものを否定することにより
苦を滅するのが仏教でしょ?
430 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 01:21:25.81 ID:fTdAsUAo
>>428 >つまらん。
まあ、待てってww
後であそんで あげるからwww
>>422 貴方は、ホント読解力がないんですねw
リンク先で記されているのは、
貴方が批判してきた「宗教体験が有する不備」に対する、「その不備がどうフォローされているか」
ということに尽きているんですよ?
これに対して反論が無いなら、潔く誤りを認められたらどうですか?
「自分の種々の“理解”(理性的判断)も、情報の集積と分析・検証による蓋然性に依っています。
宗教体験の受容・是認と変わるところはありません」
とねw
>>429 > 要は「苦を感じてる私なんて、実はいないんですよ。
いや、いるじゃんw 常住の「我」がないというのは、「私はいない」という意味ではない。
> っていうように、「苦」を感じる主体そのものを否定することにより
> 苦を滅するのが仏教でしょ?
「主体」ってなんですか?
アイデンティティという意味なら、アイデンティティを仏教は否定していません。
何か永遠不滅の魂のような、常住の主体というものを想定しているなら、
そんなものはない(観察されない)、と言っているのです。
433 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 01:27:35.40 ID:fTdAsUAo
>>427 だよねw
つまり、仏教の言ってることは
「苦」を感じる主体そのものを否定することによって、苦を滅する
いわゆる「根本治療」に類するものなわけだ。
さて、それでは本題にもどるよw
このように「苦」を感じる私を否定するのに、なぜ、解脱する私は
認知してしまうのだろうか?
これが俺の問いなわけだw
今まで数々の回答をこのスレの住人からいただいたが、
あなたの回答は?w
434 :
てすと :2011/05/10(火) 01:28:54.94 ID:MXqp/CLL
無常なんだから実体がないのは、当たり前。 無常の私じゃなくて、海馬の分子配列が維持変更されてるだけ。 小乗のくせにヴィッパサナーもまともに出来んのか。 私のラベリングしろ。
>>431 >貴方が批判してきた「宗教体験が有する不備」に対する、「その不備がどうフォローされているか」
>ということに尽きているんですよ?
>これに対して反論が無いなら、潔く誤りを認められたらどうですか?
何がフォローなのかも分からないし、内容も間違いだらけで、いちいち指摘していたら
きりがないのですが。
たとえば一例をあげれば、
「【ある言語表現の学習】と【語義の学習】と【自身の(経験の)観察】と【情報の集積整理】とによって、
個々別々の〈純〉内的な体験が、「追体験した」「同じ体験をした」「伝え聞いたものと同じだ」と判断される。
で、宗教的な体験(この場合で言えば「悟り」や「涅槃」)もまた、同様な構図の上にあるとは見れないだろうか。 」
なんて書いてますが、『「伝え聞いたものと同じだ」と判断される』ことと、「同じ体験をしたこと」とは全く違うんですよ。
「同じ体験をした」と思い込んでいるだけのことです。
そして日常体験は、みなが同様に思い込んでいれば、”仮にみんな違う体験をしている場合でも”、コミュニケーション上
衝突が起きないので、そのまま問題なく過ごしているのです。本当に同じ体験をしている保証は何もありません。
そして「宗教体験」の場合は、「みなが同様に思い込む」ことすらないので、全く共有されない、つまり、「ただの妄想である」と
いうことになるのです。まあ師との間など、同様な妄想を共有することはあるでしょうが、結局それは妄想の域を出ません。
再現性があり、検証できる形で社会に広く共有された場合だけ、それは「現実」と呼ばれるのです。
436 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 01:37:25.14 ID:fTdAsUAo
>>432 >いや、いるじゃんw
ほんとに
>>426 の意味理解してますか?
人はなぜ「苦」を感じるのか?
それは執着があるからである。 では、何に執着するのか?
それは「我」に執着するのである。
では、本当に「我」と言えるものなどあるのか?
いや、そんなものはない。
ならば執着するべき「我」などないのであるから、当然、「苦」も
ない。
仏教における「苦の滅し方」ってのは、ざっくり言うとこうでしょ?
違いますか?w
>>435 wwwww
>再現性があり
本気で「再現性がある」と、「再現できている」とでも思ってんのか?
おめでたいなw
寝るw ノシ
>>436 すまんw 一言w
だから、机流の言辞にも一理あるだろ?w
ノシ
439 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 01:44:06.20 ID:fTdAsUAo
>>438 う〜〜〜〜ん、困ったw
20年以上、仏教に携わった人なんだから、仏教の大まかな方向性
は理解してると思ったがw
どう言ったらよいものか?
>>433 > 「苦」を感じる主体そのものを否定することによって、苦を滅する
> このように「苦」を感じる私を否定するのに、
何度も書いてますが、
常住の「我」を否定していますが、「「苦」を感じる私を否定」してはいませんよ。
何度説明しても分からないようですね。例え話の方がいいかな。
銀行にお金を振り込みますね。通帳には金額が書かれます。
通帳に「100万円」と書かれていれば、100万円を保有していることに
なるわけですが、100万円を「実体」として持っているわけではありません。
数値上記録されているわけです。だから「お金」はそこにはない。しかし、確かに
「お金を持っている」わけです。
一方、タンス預金した場合は、100万円の「実体」がそこ(タンスの中)にあります。
通帳からお金を下ろしたら、ちゃんと実体の100万円が戻って来ますが、それは実は
振り込んだ100万円とは違う100万円です(ナンバーを確認すれば違うことが分かる)。
普段通帳の間に「実体」としての100万円が収められているわけではありませんが、
システムとしてはちゃんと100万円があるのです。
人間は通帳のようなものです。どこにも「実体」としての常住の「我」はありませんが、
システムとしてはちゃんと存在しているし苦を感じているのです。
>>437 > >再現性があり
> 本気で「再現性がある」と、「再現できている」とでも思ってんのか?
そんなことは言ってませんよ。
社会的にみなが「再現性がある」と思っていればそれで十分なのです。
というか、「再現性があるとみんなが思っている」ということこそが、「再現できている」
ことの定義でしょう。
そうでなければ、「再現できている」という言葉は意味を成しません。
>>436 だからそこまではあってますよ。
だけど常住の「我」がないから、「私はいない」への飛躍が間違いなのです。
私はシステムとしてはちゃんと存在しているのですし、感情もあれば、苦も感じるのです。
>>435 そうだ、もう一言付け加えておこうか。
貴方が、どんなに「理」を追求し、「理」に於ける“さとり”を前面に押し出そうとも、
どんなに、仏典の古層・原型を炙り出そうとしても、
それら全てもまた、貴方が批判する「宗教体験」同様、
『 >みなが同様に思い込んで 』、『 >コミュニケーション上 』共有される言語で、
『同じ文、同じ術語、同じ言い回し、等の意味内容が【同じであると見做されている】』から、それを担保にしているに過ぎません。
現存パーリでさえ、或いはそれより古形と思われる各種写本さえ、【当時の言語ではない】んですよ?
【貴方が現在依拠している】文献が、どうして釈尊在世時の思想(「理」)を正確に伝えているなどと判断できるのでしょう?www
貴方の依って立つ「理」(理論重視)のスタンスも、貴方の批判する宗教体験の危うさと何も変わらないんですよw
ノシ
444 :
てすと :2011/05/10(火) 01:52:28.73 ID:MXqp/CLL
>>439 簡単な話だよ。
仏教と仏教風哲学は違うって事さ。
445 :
てすと :2011/05/10(火) 01:55:35.37 ID:MXqp/CLL
諸行無常 ゆえに、システムも無常。 したがって、システムも存在しない。 QED
446 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 01:58:32.34 ID:fTdAsUAo
>>440 >・・、「「苦」を感じる私を否定」してはいませんよ。
勿論、世俗視点ならそうでしょうw
しかし、仏教における「苦の滅し方」というのは、
>>436 や
>>426 に書いたとおりでしょ?
苦を感じる基体を(それが常住であろうが無情であろうが)否定
することによって、成立するわけでしょ?
「あなたは苦を感じるというが、それでは、苦を感じてる『あなた』とは
何ですか? そういうものが、本当にあるのですか?
・・・は「貴方」ですか? 違うでしょ? なら、・・・は「貴方」ですか?
これも違いますね。 ほら、『あなた』などと言えるモノはないでしょ?
「苦」を感じる「あなた」がいないのに、なんで『苦』があるのですか?」
こういうことですね。
>>443 > 貴方の依って立つ「理」(理論重視)のスタンスも、貴方の批判する宗教体験の危うさと何も変わらないんですよw
そんなことはありません。社会に共有される「現実」と、特定の個人か、洗脳された(あるいは特殊な精神状態にある)特定の集団の間でのみ通用する「妄想」
とはきっちり区別されます。
簡単な例を出しましょうか。
臨死体験という「体験」がありますが、いくら独立した個人が「同じ臨死体験」(たとえばトンネルを抜ける)を経験しても、
それは臨死体験で経験した世界が実在する証拠にはなりません。単に「同じ夢を見た」というだけのことです。
しかし覚醒してい人が見ている「トンネル」は、「そこに実在している」、と表現されますし、
覚醒している全ての人が同様にそれを見ることができるので、「そこに実在している」と
いう前提で会話しても通じるわけです。
前者と後者は現象として明確に区別されます。
>>445 無常は存在しないということではありません。
変化し続けるシステムが存在しているのです。(それが縁起です)
449 :
てすと :2011/05/10(火) 02:04:50.96 ID:MXqp/CLL
>>447 無常なのだからシステムの実体はありません。
あなたの個人的な意見は仏教ではありません。
>>446 世俗視点だろうが聖者視点だろうが、システムが存在していることに変わりはありません。
むしろ世俗視点は、常住の「我」を実在と信じる視点でしょう。
>苦を感じる基体を(それが常住であろうが無情であろうが)否定
>することによって、成立するわけでしょ?
そんなことありませんよ。常住であろうが無情であろうがではなく、
常住ではなく無常だ、と言っているのです。
>「あなたは苦を感じるというが、それでは、苦を感じてる『あなた』とは
>何ですか? そういうものが、本当にあるのですか?
肉体があるでしょう。神経系があるでしょう。脳幹があるでしょう。大脳があるでしょう。
そのシステムが苦を感じているのです。そのシステムが作り出した意識がそれ
自身を差して「私」と表現しているのです。
そして、別の肉体の別の神経系統のシステムが作り出した意識は今これを書いている「私」とは
区別され、それがたとえば「貴方」なのです。
>「苦」を感じる「あなた」がいないのに、なんで『苦』があるのですか?」
「私」と自称している神経系統のシステムが、苦を感じているのです。
苦は「感じる」ものであって、どこかに「苦」が実体として存在するわけではありません。
451 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 02:11:09.81 ID:fTdAsUAo
>>442 >私はシステムとしてはちゃんと存在しているのですし、感情もあれば、苦も感じるのです いやねw そりゃ、いまこのスレ見ているみんな、感情もあれば、苦も感じる ってばww 誰もそんなこと言ってないのw 俺が言ってるのはあくまでも「仏教」という一宗教ではどのように説いているか? の話。 「執着の対象となる『我』をある」としては、苦が消滅しないんだよw 「執着の対象である『我』ってのは、一見あるように思えるが、実は そんなものは無明にとらわれてるから起こる錯覚だよ。そんな『我』なんて ないんだよ。だから数々のモノ対して起こす執着なんて馬鹿げてるよ。 執着なんて無くしちゃいな。それなら、同時に苦も消えるさ。」 これが仏教の根幹教義でしょ?
>>449 > 無常なのだからシステムの実体はありません。
「システムの実体」などというものについて話していません。
「システムがある」と言っているだけです。
>>451 > >私はシステムとしてはちゃんと存在しているのですし、感情もあれば、苦も感じるのです
>
> いやねw そりゃ、いまこのスレ見ているみんな、感情もあれば、苦も感じる
> ってばww
> 誰もそんなこと言ってないのw
> 俺が言ってるのはあくまでも「仏教」という一宗教ではどのように説いているか?
> の話。
だから仏教の一宗教でも、同じですよ。
> 「執着の対象となる『我』をある」としては、苦が消滅しないんだよw
> 「執着の対象である『我』ってのは、一見あるように思えるが、実は
> そんなものは無明にとらわれてるから起こる錯覚だよ。そんな『我』なんて
> ないんだよ。だから数々のモノ対して起こす執着なんて馬鹿げてるよ。
> 執着なんて無くしちゃいな。それなら、同時に苦も消えるさ。」
> これが仏教の根幹教義でしょ?
そうですよ。常住の「我」はないんです。しかし無常のシステムとしての私は
存在しています。仏教は、システムとしての私がいることを否定していません。
「いまこのスレ見ているみんな、感情もあれば、苦も感じるってばww」
とあなたが言っていることを仏教は教義上も否定していないんですよ。
453 :
てすと :2011/05/10(火) 02:15:42.22 ID:MXqp/CLL
美しい女性の肉体システムに実体があるなら、死体を観察する修行法に意味はない。 三法輪の否定は仏教ではない。
>>453 美しい女性の肉体システムに常住の実体などはありません。
しかし美しい女性の肉体システムは現に存在します。
455 :
てすと :2011/05/10(火) 02:17:29.68 ID:MXqp/CLL
システムは変化するので、存在しません。
存在するからこそ、死体を観察する修行法も成立するのです。
457 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 02:18:24.12 ID:9DetxSJ2
麻酔なしで釈迦を手術すれば、彼は苦痛で狂いまわるだろう。「無我」も「無常」 もへちまもない。 そもそも釈迦が、「己のむき出しの自我」でいくら「無我」を説いても、説得力 ゼロ。無我なら、彼の「苦の概念」など最初から生じなかったはず。釈迦は、我 と苦に対する執着が、人一倍強かったのである。健常者は、我に対しても、苦に 対しても、釈迦ほどの執着はない。「苦れば楽あり、楽あれば苦あり」という 真理を既に悟っているからだ。
458 :
てすと :2011/05/10(火) 02:19:04.40 ID:MXqp/CLL
仏教の完全否定きたこれ。
>>455 変化するものは存在しないんですか?w
というか、存在する全てのものは変化しますよ。それが「無常」という言葉の意味です。
>>457 それはどうでしょうか。麻酔なしで自分自身を開腹手術した医師がいます。
凄まじい精神力と集中力があれば、我慢できるでしょう。
僕には無理ですが。
460 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 02:25:53.28 ID:fTdAsUAo
>>450 >肉体があるでしょう。神経系があるでしょう。脳幹があるでしょう。大脳があるでしょう
ああ、わかったwww
貴方の考えがww
俺も仏教徒ではないから、そういう認識の仕方を否定しないよ。(寧ろ同意だw)
貴方はあくまでもこの現実世界で観測できる事実を是としているわけだw
だから、幽体離脱や臨死体験などに基づく霊などの存在の主張を退ける
それは、よ〜〜くわかるww
だが、それは「仏教ではない」と思うぞw
認識論として現代科学の知見に基づく蓋然性によることは、俺も同じ
スタンスだが、「仏教という宗教に同じものさしを当てるのは間違ってると
思うね。」
461 :
てすと :2011/05/10(火) 02:25:55.10 ID:MXqp/CLL
>>457 もう、面倒くさいからご隠居の言う通りでいいや。
カルト殺しは得意でしょ?
後は任せた。
寝る。
>>460 > 貴方はあくまでもこの現実世界で観測できる事実を是としているわけだw
是とするもしないも、「この現実世界で観測できる事実」以外は知りえないし、
それ以外のことは何の意味もないのです。
ブッタが語っているのも、「この現実世界で観測できる事実」のみです。
「一切」と表現されているのがそれです。
「「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。それは、眼と眼に見えるもの、
耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身
体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それ
は結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。さらに彼を問い詰めると、その主
張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故か。何故なら、彼の主張
が彼の知識領域を越えているからです。
(サンユッタ・ニカーヤ) 」
> だが、それは「仏教ではない」と思うぞw
いえ、それが仏教です。(大乗などの偽仏教はともかく)
> 認識論として現代科学の知見に基づく蓋然性によることは、俺も同じ
別に現代科学などと大げさなもの持ち出さなくても結構。
今も2500年前も、「この現実世界で観測できる事実」は一般に同じです。
(科学者にとっては多少広がってるかもしれないが)
463 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 02:35:55.18 ID:9DetxSJ2
>>459 「無常」とは、「無常ではない存在」の概念を前提とする。どんなに変化する
存在でも、刹那においては「変化しない実体」である。それは「空」ではない。
麻酔の苦痛は「身体」から生じるもの。精神力・集中力など無関係。
その医師は、すざましい苦を味わっただろうねw。そもそも「苦を我慢する」の
のは「苦の滅」などではないw。
>>463 > 「無常」とは、「無常ではない存在」の概念を前提とする。どんなに変化する
> 存在でも、刹那においては「変化しない実体」である。それは「空」ではない。
言葉遊びですね〜。
現象が変化していく様相を無常や空と表現しているのであって、
写真で撮影したように一瞬を取り出して、「止まってるから無常じゃないじゃん」と
言ってもギャグにもなりませんw
「それがどうした?」と言われるだけです。
> 麻酔の苦痛は「身体」から生じるもの。精神力・集中力など無関係。
痛みは身体から生じますが、「苦痛(の強さ)」は精神力や集中力に依存するでしょう。
サッカー選手が試合中に骨折しても気づかず、試合が終わってから激痛を感じ始める
というのは珍しい話ではありません。
幹部は痛みの信号を発しているはずですが、それをどう処理するかは、精神や意識
の問題です。
普通の人も修行者も、痛みが発することでは違いはないはずですが、それを
どう感じるかに違いが出てくるのです。
> その医師は、すざましい苦を味わっただろうねw。そもそも「苦を我慢する」の
> のは「苦の滅」などではないw。
もちろん、「我慢」は「苦の滅」ではありません。では上のサッカー選手はどうですか?
「我慢」していたわけではないと思いますよ。修行してコントロールできるようになった
わけではないので、「偶然」そういう状態になっただけでしょうが、「苦を滅した」修行者
は、痛みを感じながらも苦痛を克服する、ということは可能なのではないでしょうか?
465 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 02:45:57.84 ID:fTdAsUAo
>>462 あのねえ、「他者」との対比において「私」というものを
認めてしまうと、それがすなわち執着の対象となってしまうわけよ。
「苦が生じるのは、執着があるから」
「執着があるのは『我』があるから」
では『我』ってあるの? いいえ、そんなもんはありません。
我がないんだから、執着もない。よって、苦もないよ。
これが仏教の方向性でしょ?
っていうか、仏教の基本の基本だと思うがねw
唯物論的なスタンスでいくこと自体は全く批判しないが、
その視点で仏教を理解しようと思うのは無理でしょ?
「あなた」と何ですか? に
「それは肉体で、神経系で 大脳で・・・」と答える仏教はないと思うが?
ID変わります&これでもう寝ますが
>>465 >
>>462 あのねえ、「他者」との対比において「私」というものを
> 認めてしまうと、それがすなわち執着の対象となってしまうわけよ。
そんなことはありませんよ。ブッダも「私」という一人称を使っていますし、「貴方」「誰々」など、普通に「他者」との対比において「私」というものを
認めています。
「私」を執着の対象とするかしないかはまた別の話で、「私」を認めたからといってただちに執着の対象になるわけではありません。
> では『我』ってあるの? いいえ、そんなもんはありません。 我がないんだから、執着もない。よって、苦もないよ。
> これが仏教の方向性でしょ?
何度も書いてますし、何度でも書きますが、常住の『我』はないけど、システムとしての
「私」や「あなた」はいるのです。
> 唯物論的なスタンスでいくこと自体は全く批判しないが、
> その視点で仏教を理解しようと思うのは無理でしょ?
僕はそれこそが仏教の視点だと思いますが。あなたがどうしても認めたくないなら、
平行線ですが。
> 「あなた」と何ですか? に 「それは肉体で、神経系で 大脳で・・・」と答える仏教はないと思うが?
解剖学の神経系統の知識があればそう答えたでしょうが、「神経系統のシステム」には
ちゃんと名前があります。それは「心」です。
ダンマパダの冒頭ですが、
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。」
「あなた」とは、あなたの「心」が作り出した、あなたのアイデンティティの自称です。
>>465 > 唯物論的なスタンスでいくこと自体は全く批判しないが、
> その視点で仏教を理解しようと思うのは無理でしょ?
正確には唯物論では全然ないですが。
縁起、システムは「物」ではありません。
物と物の関係性です。その関係性についての教えが仏教です。
>>466 > 「あなた」とは、あなたの「心」が作り出した、あなたのアイデンティティの自称です。
自称は「私」かw 日本語はこういう表現が難しい
469 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 03:59:36.54 ID:fTdAsUAo
> ID:v+2E5s0Z
>>450 であなたが言ってるような、「あなた」すなわち「我」の認識は
仏教を離れた一般論としては何の問題もないわけ。
「肉体、神経系、脳幹、大脳、またそれらによって生み出される意識、
さらに付加すれば記憶」これらの総体を「あなた」「我」とすることは
『一般認識論』としてはいいの。問題は「仏教も同じ」とするところ。
仏教においては、そのような『我』を認めないんだよ。
あなたがすごくこだわっている「無常」
これを否定するものは、仏教徒は勿論、仏教徒以外でもいないと思うよ。
全てのものが変化する、これは当たり前でこれを否定するものはいないでしょ?
釈迦が「無常」を言った意味は、人間はその傾向として「常住」を望み、また
それに執着するが一切が無常であり、「常住」に執着することはダーメってことでしょ?
いつまでも若く美しい自分、いつまでも健康な自分、そんなものに執着しても無駄って意味。
ただし、これは「全てが変化するのは当たり前なんだから、諦めて受け入れなさい。」
なんていう浅薄な意味に留まるものではないでしょ?
470 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 04:00:29.86 ID:fTdAsUAo
確かに一切が変化する」→「ならその『変化すると言えるもの』はあるのか?」 これがポイントでしょ? 「確かに変化はするが同一性を有しているもの(すなわち基体といえるようなもの)」 これを認めてしまうともう仏教じゃないでしょ?(勿論、世俗の話じゃないよ。 言うまでもないが勝義の話だよ) ちなみに宝珠は、「アートマン」は絶えず変化をし、無常なんだから仏教の教義に 反しないと あなたと同じことを言うわけだw 仏教的に言うなら「縁起によって、そのように現じているもの。つまり、見かけ上は 連続する同一のもののように思えてしまうもの。」的な言い回しか? つまり、たとえ変化はしても「同一」と言えるものを認知してしまうと、その名称は 「我」「真我」「アートマン」となんであれ、もう『無我』ではないんだよ。 縁起一代って奴は、それを「縁起によって仮設されたもの」という言い回しをしたが 別の言い方をすれば、「『相』として我々に現じているもの」 みたいな言い方かな? いずれにしろ、『我』と言えるような基体は(それがたとえ無常であろうとも) 却下するのが仏教なわけだ、(詳細は、このシリーズの中のアートマンスレ参照) くどいようだが、一般的認識論ではOKさ。 ただし、それは仏教ではないということ。
471 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 04:07:34.02 ID:fTdAsUAo
>>466 >そんなことはありませんよ。ブッダも「私」という一人称を使っていますし、「貴方」「誰々」など、普通に「他者」との対比において「私」というものを
認めています。
う〜〜ん、セブンの言うように「読解力」に難があるのかな?w
そういう、世俗における会話の話ではないことがわからないかな?w
世俗において「私」を否定するなど誰もいってないでしょ?
今、問題としているのは、あくまでも「執着の対象となる『我』」でしょ?
そういうものの有無について話してるのも理解できませんか?
釈迦の悟りは縁覚って分類にならないの?
>>469 > さらに付加すれば記憶」これらの総体を「あなた」「我」とすることは
> 『一般認識論』としてはいいの。問題は「仏教も同じ」とするところ。
『これらの総体を「我」』とは言ってないじゃん。「我」ではないと何度も言ってる。
さらっと書き換えないでくれるかな。
あなたはずっと「私」や「あなた」と『我』を混同してる。
『我』は日本語の、一般の「われ」「わたし」という意味ではないんだよ。
> 仏教においては、そのような『我』を認めないんだよ。
もちろんそう。『我』は認めない。
> 全てのものが変化する、これは当たり前でこれを否定するものはいないでしょ?
いや、当時の人は当たり前と思ってなかったんだよ。
だからブッダは無常を説いたの。
そして現代でも、当たり前と思ってない人はたくさんいる。不滅の魂を主張してる
人もいるし(クリスチャンの多くはそうだし、日本人にもいる)、頭では無常と
分かっる人でも、普段はそのことをついつい忘れていて執着してしまう。
そういう人に、ブッダは、当たり前の現象である「無常」をしっかり説いたんだよ。
当たり前のことも、体系立てて言葉にしないと、分からない人が多いんだから。
474 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 04:49:02.52 ID:fTdAsUAo
>>473 ほ〜〜〜、それではあなたの言う『我』とはなんですか?ww
> 釈迦が「無常」を言った意味は、人間はその傾向として「常住」を望み、また > それに執着するが一切が無常であり、「常住」に執着することはダーメってことでしょ? そうです。 > いつまでも若く美しい自分、いつまでも健康な自分、そんなものに執着しても無駄って意味。 その通りです。 > ただし、これは「全てが変化するのは当たり前なんだから、諦めて受け入れなさい。」 > なんていう浅薄な意味に留まるものではないでしょ? どうしてそれが「浅薄な意味」なんだよ。 「全てが変化するのは当たり前」ってことが分かってないから、女性は 「いつまでも若く美しい自分、いつまでも健康な自分」に執着して、 高い化粧品に金使ったり、エステに通ったりするんでしょう。それくらいなら まだいいが、度が過ぎて、ダイエットやサプリなどで身体を壊す人もいる。 拒食症も珍しくない。 そういう人も、「全てが変化するのは当たり前」なんてことは「分かってる」と言う。 でも本当は分かってないんだよ。そこが微妙なところで、「浅薄な意味」なんか ではなく、本当に分かるのは難しいところなんだよ。
>>470 > 確かに一切が変化する」→「ならその『変化すると言えるもの』はあるのか?」
> これがポイントでしょ?
あるよ。常住の実体としてはないけど、現象としてはある。
> 「確かに変化はするが同一性を有しているもの(すなわち基体といえるようなもの)」
> これを認めてしまうともう仏教じゃないでしょ?(勿論、世俗の話じゃないよ。
> 言うまでもないが勝義の話だよ)
それを認めると仏教ではないというのはあなたの思い込み。
同一性というのは見方によるけど。
> 仏教的に言うなら「縁起によって、そのように現じているもの。つまり、見かけ上は
> 連続する同一のもののように思えてしまうもの。」的な言い回しか?
そうですよ。
> つまり、たとえ変化はしても「同一」と言えるものを認知してしまうと、その名称は
> 「我」「真我」「アートマン」となんであれ、もう『無我』ではないんだよ。
いや、「我」というのは、常住の実体のことです。それを否定するのが「無我」。
同一性を否定してるわけじゃない。
>>471 > 世俗において「私」を否定するなど誰もいってないでしょ?
> 今、問題としているのは、あくまでも「執着の対象となる『我』」でしょ?
> そういうものの有無について話してるのも理解できませんか?
「私」という一人称を明示する概念自体は「執着の対象となる『我』」ではないんですよ。
世俗だろうと聖者だろうと。
477 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 05:02:23.90 ID:vCrkVUyn
実存主義でいうところの 本質を捨て去って実存のみになることだろ 恐ろしい
478 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 05:06:47.69 ID:fTdAsUAo
>>476 >あるよ。常住の実体としてはないけど、現象としてはある。
はい、ここが最大のポイントw
「現象」などという言葉でさらっと流さないで、詳しく説明してくださいね。
常住の実体ではないとしてるけど、「変化していると言えるもの」なわけだから
人間についていえば、少なくとも生まれてから死ぬまでは継続しているものでしょ?
479 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 05:19:15.84 ID:fTdAsUAo
さらに
>>476 >それを認めると仏教ではないというのはあなたの思い込み。
これをもう一度やるのは酷すぎだろ?
基体を認知することを仏教が許容してない ことの論証は
「アートマンすれ」を見てくれとしかいいようがないww
480 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 05:20:59.62 ID:fTdAsUAo
>>478 「現象」などという言葉でさらっと流さないで、詳しく説明してくださいね。
> 常住の実体ではないとしてるけど、「変化していると言えるもの」なわけだから
> 人間についていえば、少なくとも生まれてから死ぬまでは継続しているものでしょ?
たとえば、「風」はありますか?
現象として、明らかにありますよね
じゃ「風」に常住の実体などありますか?
そんなものどこにもありませんよね。「空気分子の動き」という「変化」に
「風」という名前をつけて呼んでいるだけなのです。
変化があるときには風があり、変化が止まると風も消えてしまう。
無常なのです。
「風」は文法的には「名詞」ですよね。もともと実体はないのに、名詞化して呼ぶから、
何か実体があるように錯覚してしまうのです。
しかしその本質は、ただの「空気分子の動き」です。
風が、空気の運動が起こってから止まるまで存在するように、
人間も、生まれてから死ぬまで継続して存在します。しかしその間もたえず変化しています
し、常住の実体はありません(観察されません)。
>>479 漠然とアートマンスレを見ろと言われても困りますねw
482 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 08:34:34.58 ID:FN3Lg71I
釈迦のいう「無」と竜樹のいう「空」とを混同しているのではないか。 「無」は、「有」との関係性においてのみ存在し得る。「無我」「無常」は、 それぞれ「我」「常」の存在を前提とする。「無我」「無常」は、むしろ「我」 と「常」との肯定であるのだから、いくら主張してもナンセンスである。 ここで「無我」をさかんに思考し、論じているが、その思考し、論じている主体 は一体何か。ユーレイかw。釈迦が「己の我」を以っていくら「無我」を説いても、 説得力はゼロである。 風は「目に見えない」というだけで、観測は常時可能。五感の一つである触覚で 知覚できるし、風力計もあるw。風に含まれる元素も、すべて観測可能である。 竜樹の言う「空」とは、「もろもろの存在」は厳然として実在するが、すべて 「関係性、相互依存性、相対性の産物」だから、「執着すべき自性はない」と いうだけのことである。「空」を思考・認識する「我」も同様である。 中村元氏も、「空は無ではない」と声高に言っている。釈迦のいう「無」と竜樹 大乗の「空」とは本質的に異なるのだから、混同してならない。
スジャータが神だった説を聞いた事ありますか?
484 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 12:00:31.11 ID:fTdAsUAo
>>481 だからねえww
あなたが「風」について喩えているように、
風と言うのは「大気を構成している窒素、酸素、二酸化炭素、その他の気体分子
の状態変化」 その「状態変化」に「風」という名称を付けて、「そういう
ものが実際にある」かのように思っているわけだ。
人間についても、それを構成している粒子が(元はバラバラに存在していた粒子が)
縁によりひとつに集まり、「わたし」「あなた」という存在を作り上げている
わけだ。(これが仏教でいうところの仮和合)
すなわち、「わたし」「あなた」も、それぞれの構成粒子が演じて見せて
いるひとつの「現象」に過ぎない。
ここでね、ww
「ほ〜ら、『わたし』なんて、多くの粒子が集まって、まるで本当に『自分』という
存在がいるかのように錯覚させてるに過ぎませんよ。無数の粒子が演じている「現象」
に過ぎませんよ。それを「自分」と勘違いしたらダメよ。あなたが考えてるような
「自分」なんて本当は存在してませんよ。あなたは、単なる「現象」を「自分」
というものがあると勘違いしてるんですよ。」
って、くるのが仏教なわけ。
「自分」というのは、単なる現象に過ぎない。すなわち、「状態変化」に過ぎない
ものを「何か本当にあるもの」と考えて、それに執着し、苦を生み出す。
そこを否定して、「自分」などはない。それは単なる現象だよ。執着したらバカ
みるよ。 というふうに、苦の生成原因である「執着の対象である自分」の存在を
否定して苦を滅する。これが仏教。
それに比して、
>>450 であなたが言ってるように、「い〜や、自分はあるよ。」
って、世俗視点における「自分」の存在を主張するのがあなた。
喩えで言うと「ホントニ風はあるんだよ」って、こだわってるのがあなた。
だから、それは仏教じゃないんじゃないの?と言ってるのw
(仏教徒ではない、俺が言うのもおかしいがww)
さて、あなたの言う『我』って何ですか? まだ、回答もらってないけどw
>>482 > 風は「目に見えない」というだけで、観測は常時可能。五感の一つである触覚で
> 知覚できるし、風力計もあるw。風に含まれる元素も、すべて観測可能である。
それは全て「風」そのものを測定しているわけではあに。
触覚で感じるのは空気の流れによる「圧力」だけだし、
風力計は圧力を受けて羽根車が回転する回転数を数えているだけ。
風に含まれる元素を観測しても、それは元素を見てるだけで、風を
観測しているわけではない。
それらのデータから「風」という概念を起想しているだけのこと。
「風」は現象として存在しているが、実体として「風」に対応する常住の何かが
あるわけではない。
> 竜樹の言う「空」とは、「もろもろの存在」は厳然として実在するが、すべて
> 「関係性、相互依存性、相対性の産物」だから、「執着すべき自性はない」と
> いうだけのことである。「空」を思考・認識する「我」も同様である。
そのとおりです。
> 中村元氏も、「空は無ではない」と声高に言っている。釈迦のいう「無」と竜樹
> 大乗の「空」とは本質的に異なるのだから、混同してならない。
釈迦は「無」などとは言っていません。「無我」を説いているのです。
そして無我はまさに『「もろもろの存在」は厳然として実在するが、すべて
「関係性、相互依存性、相対性の産物」だから、「執着すべき自性はない」』
つまり「私」には常住の実体はない、という意味なので、「空」と同じことです。
また、「空」という表現も別に龍樹の発明ではなく、釈迦も言っています。
ただ無いという意味の「無」ではないのですから、「空は無ではない」という中村
先生のご指摘ももちろん正しいのです。
>>484 > 「自分」というのは、単なる現象に過ぎない。すなわち、「状態変化」に過ぎない
> ものを「何か本当にあるもの」と考えて、それに執着し、苦を生み出す。
> そこを否定して、「自分」などはない。それは単なる現象だよ。執着したらバカ
> みるよ。 というふうに、苦の生成原因である「執着の対象である自分」の存在を
> 否定して苦を滅する。これが仏教。
> それに比して、
>>450 であなたが言ってるように、「い〜や、自分はあるよ。」
> って、世俗視点における「自分」の存在を主張するのがあなた。
いえ、
>>450 で僕が言っている「自分」とは、まさにその現象を差している言葉です。
「「自分」というのは、単なる現象に過ぎない。」とあなたも書いているではありませんか。
そういう現象が現に起きている、ということを「自分はある」と表現しているだけです。
> 喩えで言うと「ホントニ風はあるんだよ」って、こだわってるのがあなた。
「ホントニ」と付け加える意味は分かりませんが、僕は現象として風はあると
言っています。そして何か常住の実体のようなものはないとも言っています。
> だから、それは仏教じゃないんじゃないの?と言ってるのw
それが仏教だと言っていま。
> さて、あなたの言う『我』って何ですか? まだ、回答もらってないけどw
「我」とは「常住の実体」だと何度も書いていますが、どうして「回答もらってない」なんて
書くのでしょうか?
>>484 あなたが勘違いを続ける原因を僕なりに考えてみましたが、
おそらくあなたは、「ある」という言葉にひっかかっているのでしょう。
「ある」という言葉が「常住の実体」を表す言葉だと思い込んでいませんか?
だから僕が「私はある」と言ったとき、それは現象ではなく常住の実体を指している
のだとあなたは決めつけてしまうのです。
しかしそれが間違いなのです。
たとえば、「熱がある」と言ったとき、それは「体温が高い状態、現象」を表す表現
ということはみんな自然に分かっているでしょう?「熱」なる実体がどこかにあるわけ
ではないと分かってますよね?
しかし「私はある」という場合は、自動的に勘違いしてしまうようです。
あなたもそこで勘違いしています。
我執が強すぎるから分からないのかもしれません。
「私はある」というのは「熱がある」というのと同じです。常住の実体はないが現象は
あるのです。
488 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 13:03:42.07 ID:fTdAsUAo
>>487 >あなたもそこで勘違いしています。
我執が強すぎるから分からないのかもしれません
いやいや、俺が
>>484 で言ってることは正反対でしょ?
本当に読解力ないのかな?
>>446 で「あなたは苦を感じるというが、それでは、苦を感じてる『あなた』とは
>何ですか? そういうものが、本当にあるのですか?
>・・・は「貴方」ですか? 違うでしょ? なら、・・・は「貴方」ですか?
>これも違いますね。 ほら、『あなた』などと言えるモノはないでしょ?
>「苦」を感じる「あなた」がいないのに、なんで『苦』があるのですか?」
ここで言う「あなた」というのは、「実体」としての「あなた」。すなわち、
現象に過ぎないのに「何か本当にある勘違いしているもの」「仏教においては
否定されるもの」を指示していると読み取れませんか?
もし、それがわかれば、「そのような『あなた』など
いません。それは、唯の「現象」として存在している、つまり我々が思い込んでいる
ものに過ぎないのです。」と回答してるよね?
ところが、貴方の回答は、
489 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 13:04:28.30 ID:fTdAsUAo
>>450 >「あなたは苦を感じるというが、それでは、苦を感じてる『あなた』とは
>何ですか? そういうものが、本当にあるのですか?
→肉体があるでしょう。神経系があるでしょう。脳幹があるでしょう。大脳があるでしょう。
→そのシステムが苦を感じているのです。そのシステムが作り出した意識がそれ
→自身を差して「私」と表現しているのです。
→そして、別の肉体の別の神経系統のシステムが作り出した意識は今これを書いている「私」とは
→区別され、それがたとえば「貴方」なのです。
>「苦」を感じる「あなた」がいないのに、なんで『苦』があるのですか?」
→「私」と自称している神経系統のシステムが、苦を感じているのです。
ね? あなたが、ここで言ってることは、「肉体、神経系、脳幹、大脳、および、
神経システムによって生み出される意識(これもまあ、「神経システム」という
実体の作用だが)」 これを「あなた」、すなわち「自分」としてるでしょ?
全て世俗視点の見方であって、『全ては現象に過ぎず、「自分」といえるものなど
ない。』という視点が全く欠落してるでしょ?
だから、貴方は世俗視点にこだわっていて、仏教がわかってない といってるのw
490 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 13:16:34.78 ID:fTdAsUAo
>>486 >いえ、
>>450 で僕が言っている「自分」とは、まさにその現象を差している言葉です。
ここで軌道修正か?www
>>446 に対する回答としての
>>450 のどこに「現象」を読み取るのかな?
全て世俗視点における「実体」としての観点でしょ?w
>>488 > いやいや、俺が
>>484 で言ってることは正反対でしょ?
> 本当に読解力ないのかな?
そこで主張されてることは基本的に正しいけど、
「あなたが言ってるように、「い〜や、自分はあるよ。」
って、世俗視点における「自分」の存在を主張するのがあなた。」
などと書いてるから、やっぱり分かってないのかな、と。
> ここで言う「あなた」というのは、「実体」としての「あなた」。すなわち、
> 現象に過ぎないのに「何か本当にある勘違いしているもの」「仏教においては
> 否定されるもの」を指示していると読み取れませんか?
違います。「常住の実体」ではなく、「現象」としての「あなた」です 。
>>489 > ね? あなたが、ここで言ってることは、「肉体、神経系、脳幹、大脳、および、
> 神経システムによって生み出される意識(これもまあ、「神経システム」という
> 実体の作用だが)」 これを「あなた」、すなわち「自分」としてるでしょ?
> 全て世俗視点の見方であって、『全ては現象に過ぎず、「自分」といえるものなど
> ない。』という視点が全く欠落してるでしょ?
え?それこそ「全ては現象に過ぎない」ということではないですか。
「神経システム」の働きがまさにその「現象」でしょ。
>>490 >ここで軌道修正か?
最初からずっと主張してますが?
>
>>446 に対する回答としての
>>450 のどこに「現象」を読み取るのかな?
「神経系統のシステムが作り出した意識」と書いてるはずですが?
それが「現象」ですよ。「神経系統のシステムが作り出した意識」に常住の
実体などありません。システムでしかないのですから、ただの現象です。
493 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 13:36:49.27 ID:fTdAsUAo
>>491 >違います。「常住の実体」ではなく、「現象」としての「あなた」です 。
違うじゃんww やっぱり、わかってないw
俺が
>>446 の
>「あなたは苦を感じるというが、それでは、苦を感じてる『あなた』とは
>何ですか? そういうものが、本当にあるのですか?
>・・・は「貴方」ですか? 違うでしょ? なら、・・・は「貴方」ですか?
>これも違いますね。 ほら、『あなた』などと言えるモノはないでしょ?
>「苦」を感じる「あなた」がいないのに、なんで『苦』があるのですか?」
ここで言ってる「あなた」ってのは、修辞疑問形で教えを受けている人が
勘違いして「本当にあると思い込んでいる『自分』」のことでしょ?
それを仏法を説いてる人が、「・・・はあなたですか?違うでしょ?なら、
・・・はあなたですか? これも違いますね。ほら、あなたなんていないじゃありませんかw」
と、いうように「無明の人が」勘違いしてる「自分」というものを否定して
苦を滅する手助けをしているのでしょう?
そう、読めませんか?w
494 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 13:49:38.23 ID:fTdAsUAo
>>493 のつづき
このように「無明の人」が、勘違いして「本当にあると思い込んでいる」
『自分』にたいして、「い〜や、そんなもんは現象に過ぎませんよ。
あなたが思ってるような「自分」なんてありませんよ。」
と、説いてるところに、貴方は、
>肉体があるでしょう。神経系があるでしょう・・・・
と返してくるわけだ。そのおかしさが理解できませんか?ww
>>493 > それを仏法を説いてる人が、「・・・はあなたですか?違うでしょ?なら、
> ・・・はあなたですか? これも違いますね。ほら、あなたなんていないじゃありませんかw」
> と、いうように「無明の人が」勘違いしてる「自分」というものを否定して
> 苦を滅する手助けをしているのでしょう?
> そう、読めませんか?w
「・・・はあなたですか?違うでしょ?なら、 ・・・はあなたですか? これも違いますね。」
まではいいですよ。しかしそこから「ほら、あなたなんていないじゃありませんか」というのは論理破綻しています。
「・・・はあなたではない」ということから「あなたなんていない」という結論にはなりません。
心臓はあなたではありません。脊髄もあなたではありません。脳幹もあなたではありません。
大脳もあなたではありません。しかしそれらの総体システムとして、現象として、あなたはいるんですよ。
だから「あなたなんていない」ということにはなりません。
「あなたなんていない」なんて言ったら、現象も否定することになります。
>>494 > このように「無明の人」が、勘違いして「本当にあると思い込んでいる」
> 『自分』にたいして、「い〜や、そんなもんは現象に過ぎませんよ。
> あなたが思ってるような「自分」なんてありませんよ。」
> と、説いてるところに、貴方は、
>
> >肉体があるでしょう。神経系があるでしょう・・・・
>
> と返してくるわけだ。そのおかしさが理解できませんか?ww
やはり誤解してますね。
肉体も神経系も確かにありますが、僕が言ってるのはそんなことではありません。
それらのシステム現象として、私がいて(私が観測される)、あなたがいて(あなたが観測される)、
常住の『我』などはない(観測されない)ということです。
497 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 14:03:21.16 ID:fTdAsUAo
>>495 >「・・・はあなたではない」ということから「あなたなんていない」という結論にはなりません。
今度は「無我」ではなくて「非我」ですか?(それじゃあ、全く宝珠だよw)
論点がちがうでしょ?ww
釈迦は「・・・・はいない」と言う断定を避けて、そのような表現をとらず
「〜は自分ではない。・・・も自分ではない。」というように現実に認識観測
可能なすべてのものが「自分ではない」と確認することによって、その存在を
否定したわけだ。(セブンは、それを「表現上は非我、文脈上は無我」と
言ったが、なかなか上手い言い回しだとおもうぞ。)
っていうか、仏教徒ならこれくらい常識だろ?
なぜ、今更そんなことに言及して「論理破綻」だなんて、おかしなこと
いいだすんだ?
あなたはどうしても、「無我」というのは、『「私」という一人称の意識自体を否定する こと』だと思い込んでいるのでしょう。しかしそれは大乗の禅の思想であって、 もともとのブッダの思想を拡大解釈したものです。ブッダは「私はいない」「あなたはいない」 などとは言っていませんし、自己意識を否定してもいません。 ブッダが否定したのは、「常住不変のアートマン(「我」)が自分の中に存在する」という当時流行っていた 思想で、そんなどこを探しても見つからないものを思想の根拠にしても意味ないよ、という 主張が「無我」なのです。誤解を生みやすい翻訳ではあるので、「非我」と書く方が適切という 指摘もあります。
499 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 14:07:13.46 ID:fTdAsUAo
>>495 >「あなたなんていない」なんて言ったら、現象も否定することになります。
ならないよww
少なくとも、仏教では「自分といえるものなどない」と言う言い回しは
普通であり、そういうことによって「現象も否定」したりなどしない。w
>>497 > 今度は「無我」ではなくて「非我」ですか?(それじゃあ、全く宝珠だよw)
宝珠という人は知りませんが、「非我」と書く方がブッダの思想に近いでしょう。
> 釈迦は「・・・・はいない」と言う断定を避けて、そのような表現をとらず
> 「〜は自分ではない。・・・も自分ではない。」というように現実に認識観測
> 可能なすべてのものが「自分ではない」と確認することによって、その存在を
> 否定したわけだ。
「自分ではない」ではなくて、「常住の我(アートマン)」ではない、です。
「常住の我」ではない、と言っているだけで、「自分ではない」とか、
「自分はいない」とか言っているわけではありません。
> っていうか、仏教徒ならこれくらい常識だろ?
だから、「大乗」にとってはそれが常識なのは分かりますよ。
僕は大乗の考え方を正しいとは考えていません。
501 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 14:09:55.13 ID:fTdAsUAo
時間がないので一旦おち 誰か別の人に相手してもらっておいてくれw
>>499 >少なくとも、仏教では「自分といえるものなどない」と言う言い回しは
>普通であり、そういうことによって「現象も否定」したりなどしない。w
じゃあ「自分という現象」があることをどう表現したらいいんですかw
それを普通「私はいる」と表現するのです。
しかしそれを勝手に「常住の「我」」と決め付けるような変な言語を用いて、
人をけむにまくのですかw
大乗の禅問答などの好きそうなことですが。
503 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 14:16:43.06 ID:fTdAsUAo
>>502 >じゃあ「自分という現象」があることをどう表現したらいいんですかw
あなたが嫌いな大乗的比喩で言うと
「大海の一波」
ww ホントニ時間がないんで続きは夜ねw
そんなこと聞いてるんじゃないよw 「私はいる」=「「我」の存在の肯定」なんて決め付けられたら、 正しい会話ができなくなってしまうじゃないか、と言ってるのです。 解脱した坊さん同士の会話で、在宅を尋ねる時、 「今日いる?」 「うん、いるよ」 と言ってはダメで、 「大海の一波?」 「うん、大海の一波」 とやり取りするのですか? アホなw まあ禅師のやりそうなことではありますw
505 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 14:35:33.19 ID:Txb4jtIr
>>497 >「表現上は非我、文脈上は無我」
ちっとも「上手い言い回し」などではない。それ自体が、「釈迦の」論理矛盾を証明している。
「無我」と「非我」とは、対極的な概念。仏教者の常識どころか、仏教界での最大の問題。
お二人のやり取りを見ていると、「人間にとって物が実在するとはどういうことか」について
の合意が成立したいないように思える。まず「存在論」をじっくりとやるべき。
物の実在と、観念・空想とは、一義的に区別できる。日常生活での経験から帰納されたし。
「人間にとって物が実在するとは、(必要な場合には観測装置を使用して)五感で知覚
できること。それ以外を、空想・妄想と呼ぶ。例外は『皆無』」。釈迦の空想・妄想を
いくら語っても無意味。
>>505 > ちっとも「上手い言い回し」などではない。それ自体が、「釈迦の」論理矛盾を証明している。
勝手に誤読したことを論理矛盾と言っているだけのことであって、釈尊の主張ではありません。
> 物の実在と、観念・空想とは、一義的に区別できる。日常生活での経験から帰納されたし。
条件付きですが、その通りです。
> 「人間にとって物が実在するとは、(必要な場合には観測装置を使用して)五感で知覚
> できること。それ以外を、空想・妄想と呼ぶ。
その通りです。
>例外は『皆無』」。釈迦の空想・妄想をいくら語っても無意味。
いやだから、釈尊の「空想・妄想」というのは、あなたが釈尊の教えを間違って理解してる
だけです。釈尊の本来の教えは「五感で知覚できること」(一切)と、そこから演繹した論理を説いている
だけで、「空想・妄想」など何一つ語っていない。
しかし、釈尊の入滅後、迷信や神秘思想などが取り込まれ、神格化され、仏教の中に「空想・妄想」が
紛れ込んでしまったのです。大乗になるとほとんど神秘思想ばかりになってしまいます。それは
釈尊の本来の教えではありません。人間の知識領域、知覚領域を越えていることについては、釈尊は
完全に無視しています。何の意味もないと。
>>505 だからあなたが書いているこそ、釈尊の教えに近いのです。
釈尊を誹謗しながら、あなたは釈尊の教え(の一部)を語っているのです。
508 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 14:55:34.67 ID:Txb4jtIr
>>506 釈迦個人にそれ程執着するのはおかしいという疑問は生じないのですか。
釈迦は、それほどの人物ではない。頭は良くない。
大乗は、釈迦個人崇拝の誤りを覚り、釈迦個人を、より普遍的なものの「象徴」
へと変容させてしまったのである。
>>508 > 釈迦個人にそれ程執着するのはおかしいという疑問は生じないのですか。
事実を書いてるだけで、別に執着してませんよ。
よく「アインシュタインの相対性理論は間違い」なんてことを無知な人が誤解
して書いたり、そういう本が出版されたりしますが、それはその人が
「相対性理論を正しく理解してないだけ」なのです。
それを指摘することは、別にアインシュタインに執着することにはならないでしょう。
> 釈迦は、それほどの人物ではない。頭は良くない。
> 大乗は、釈迦個人崇拝の誤りを覚り、釈迦個人を、より普遍的なものの「象徴」
> へと変容させてしまったのである。
そう思い込みたいならあなたの勝手ですが、それこそあなたの言う「空想・妄想」ですよ。
何の証拠もありません。
>>506 >「空想・妄想」など何一つ語っていない。
ほうw
スッタニパータで悪魔や地獄の表現は釈迦が
全て真実を述べていると?
>釈尊の入滅後、迷信や神秘思想などが取り込まれ、神格化され、仏教の中に「空想・妄想」が
紛れ込んでしまったのです。
へえ。
最古の経典に神霊、悪魔のような表現が使われているのに、きみは何を根拠として
そのようなことがいえるだい?
キミがそれら経典を根拠にしてるならその経典自体がおかしいということになり、
キミ自身の主張の信頼性にも疑問を抱かざるをえないということになるけどね。
511 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 15:07:17.60 ID:Txb4jtIr
>>509 開祖を「正しく理解できた」と思った時が、洗脳の瞬間であることを忘れない
でください。
開祖・教祖に対する無批判の盲信こそが、宗教の最大の病理なのです。
>>510 > ほうw
> スッタニパータで悪魔や地獄の表現は釈迦が
> 全て真実を述べていると?
最古層と言われる4章・5章には地獄の話は出てきませんよね?
つまり、スッタニパータに含まれる詳細な地獄描写は後世で作られた
可能性が高いでしょう。あるいはフィクションとして語ったなんてことはあったかも
しれません。
悪魔の描写も最古層にはほとんどないですが、人間の悪い部分や、煩悩などを表現
する一般的表現です。メタファーと考えれば別段不思議はありません。
世界中どこでも昔から使われる表現です。
日本でも、男性を翻弄する女性を小悪魔と言ったりするでしょう。
そういう描写を後世の人が、「昔の日本人は小さな悪魔の実在を信じていたのか否か」
とか。「女性に小さな悪魔が乗り移る思想があったのでは?」みたいなことで議論してたら滑稽でしょw
その程度の話であり、ブッダの思想・教えとは関係ないのですから、そんなことで無駄な
論争する必要はありません。ブッダの教えは「悪魔や地獄の実在性」を主張するのが主眼ではないのですから。
>>512 >あるいはフィクションとして語ったなんてことはあったかも
>しれません。
>>506 >「空想・妄想」など何一つ語っていない
へえ、口の端の乾かないうちに自己の主張を覆すのですかw
馬鹿にしてるの?
>>512 ちなみに、中村元先生によれば、僕とは解釈が少し違いますが、
当時は輪廻や地獄の思想が常識であって、その文脈に乗せて
教えを説いたと説明しています。だからブッダが地獄や悪魔を実在すると
主張したわけではないことは、ほぼ常識でしょう。
また、ジャータカ物語なんてものもあり、過去世を語ったり、動物がしゃべったり
してますが、明らかに物語であり、昔は本当に動物がしゃべっていたと思う人
はいないでしょ? イソップ童話を子供に語り聞かせるお母さんが、その話を
実話と思ってるなんてことはないでしょ?
どうして悪魔や地獄の話になると、事実として語られたと捉えたがる人がいるのか分かりません。
>悪魔の描写も最古層にはほとんどないですが、人間の悪い部分や、煩悩などを表現 >する一般的表現です。メタファーと考えれば別段不思議はありません。 >世界中どこでも昔から使われる表現です。 だったら大乗の仏典もそういえるんですよね。 いえる、いえないは、ただあなたの分別ですよね。 >ブッダの思想・教えとは関係ないのですから、そんなことで無駄な >論争する必要はありません。 大乗が妄想だなんだとか、話ふってるのはキミだよねw >ブッダの教えは「悪魔や地獄の実在性」を主張するのが主眼ではないのですから。 当然普通に読めば仏典全てがそうともいえるしね。
>>513 >
>>506 > >「空想・妄想」など何一つ語っていない
>
> へえ、口の端の乾かないうちに自己の主張を覆すのですかw
> 馬鹿にしてるの?
あなたが批判する「空想・妄想」というのは、空想・妄想に過ぎないものを事実と信じて語ることではないのですか?
そういう意味での「空想・妄想」という表現だと思いましたが。
親が子供に童話を読み聞かせたり、 小説を読んだり、映画を作ったりするように、
フィクションをフィクションとして語るのもダメなのですか?例え話もダメなのですか?
大事なポイントは、悪魔や地獄の描写は、教えの本質ではないということです。
517 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 15:28:09.28 ID:Txb4jtIr
>>512 カルト対策を専門としている者からみれば、釈迦仏教は、キリスト教とならぶ
超カルトです。スッタニパータだけからでも明らか。
一旦洗脳されると、一生涯離脱は殆ど不可能で、生来の人格や社会常識が破壊され、
一度きりの貴重な人生を酔生夢死の中で浪費することになります。
釈迦の経典などに一切近づかないのが最善です。読む場合には、常に釈迦個人に
対する批判を忘れないようにしましょう。
>>515 > だったら大乗の仏典もそういえるんですよね。
実際そう言ってるお坊さんはたくさんいるじゃないですか。「方便」だと。
一方で、完全に事実と信じているらしいお坊さんもたくさんいるようです。
法華経信者に多いと思われます。
> 大乗が妄想だなんだとか、話ふってるのはキミだよねw
「宗教体験」なるものが、非日常体験として実在すると主張している人に言っているのです。
大乗をフィクションと分かっていて、フィクションとして語っている人は、別に
「妄想」に捕らわれているわけではないでしょう。
> 当然普通に読めば仏典全てがそうともいえるしね。
しかしそうではなく、法華経は実在の世界を描いていると主張する人は多いですよ。
少数というわけではありません。何十万人という単位でいるでしょうね。もっと
多いかもしれません。また、極楽浄土の実在を心から信じて、南無阿弥陀仏を唱えている人も
少なくないでしょう。
>>517 私から見れば、あなたは反仏教で洗脳されているカルトですね。
> 一旦洗脳されると、一生涯離脱は殆ど不可能で、生来の人格や社会常識が破壊され、
> 一度きりの貴重な人生を酔生夢死の中で浪費することになります。
あなたも気をつけてください。あなたの強力な思い込みに人格や社会常識を破壊されないように。
> 釈迦の経典などに一切近づかないのが最善です。読む場合には、常に釈迦個人に
> 対する批判を忘れないようにしましょう。
批判をもって読むことは賛成です。
しかし単なる自分の誤解や勘違い、思い違いを、正しいと思い込むような愚を犯さないように、
釈迦だけでなく、「自分自身に対する批判」も忘れないようにしましょう。
>>516 >フィクションをフィクションとして語るのもダメなのですか?例え話もダメなのですか?
だからwダメだと主張してきたのはキミのわけ。
Are you understand?
>大事なポイントは、悪魔や地獄の描写は、教えの本質ではないということです。
本質でないから何?
>>506 >「空想・妄想」など何一つ語っていない。
はなんだったの?
>>518 >。何十万人という単位でいるでしょうね。もっと
多いかもしれません。
ほう、キミは何十万という人に直接合って確かめたのかね?
そうでなかったら妄想である、といえることができないかな?
>>519 >しかし単なる自分の誤解や勘違い、思い違いを、正しいと思い込むような愚を犯さないように、
>釈迦だけでなく、「自分自身に対する批判」も忘れないようにしましょう。
ああ、そうだね。
肝心の「キミ自身」も
それが実践できれば良いね。
>>520 >
>>516 > >フィクションをフィクションとして語るのもダメなのですか?例え話もダメなのですか?
>
> だからwダメだと主張してきたのはキミのわけ。
> Are you understand?
そんなこと言ってませんが? 法華経をフィクションとして読む分には別に問題ないし、
文学作品としてはなかなか壮大なフィクションだと、前にも書いてますよ。
誇大妄想を記した書物というのは、なかなか面白いものです。存在がダメだなんて言ってません。
> >大事なポイントは、悪魔や地獄の描写は、教えの本質ではないということです。
> 本質でないから何?
どうでもいいってことです。どうでもいい部分で叩くのはバランスが悪いでしょう。
そもそも最古層の4章・5章ではブッダは地獄については語ってないのだし、
もともとそんなことは何も語っていないかもしれないのです。
>
>>506 > >「空想・妄想」など何一つ語っていない。
> はなんだったの?
だから、「実在論としては」 「「空想・妄想」など何一つ語っていない」と言っているのです。
誤解を与えたのなら、僕の説明不足です。
>>521 > ほう、キミは何十万という人に直接合って確かめたのかね?
> そうでなかったら妄想である、といえることができないかな?
それは見聞きしたことから類推した想像です。僕だって想像を語ることはありますよ。
だからちゃんと「でしょうね。もっと多いかもしれません。」と推量であることが分かるように
書いています。間違いのない事実だとは主張してません。
> ああ、そうだね。
> 肝心の「キミ自身」も
> それが実践できれば良いね。
お互いにね。
524 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 15:47:48.28 ID:Txb4jtIr
>>518 >私から見れば、あなたは反仏教で洗脳されているカルトですね。
大乗仏教は高く評価している日本人がどうして反仏教?日本の仏教は大乗仏教
ですよ。あなたは、どこの国の仏教徒?
釈迦は明らかな精神病者。従って、釈迦の病的思想は容易に信者に感染し、
その人格を破壊する、極めて有害なものです。
私が対応した新興宗教カルトの盲信者が大乗仏典で脱洗脳に成功した例が
あります。最も彼は、非常に頭の良い人だったが。
>>524 > 大乗仏教は高く評価している日本人がどうして反仏教?日本の仏教は大乗仏教
> ですよ。あなたは、どこの国の仏教徒?
大乗仏教は仏の教えではありませんので。仏教というのはブッダの教えです。
> 釈迦は明らかな精神病者。従って、釈迦の病的思想は容易に信者に感染し、
> その人格を破壊する、極めて有害なものです。
またあなたの妄想の垂れ流しですか?誹謗中傷するなら、その根拠を書くべきでしょう。
まあ2500年も前に死んだ人を誹謗中傷しても法的には何もありませんがw
釈迦の思想により人格を破壊された人がいるのですか?
> 私が対応した新興宗教カルトの盲信者が大乗仏典で脱洗脳に成功した例が
> あります。最も彼は、非常に頭の良い人だったが。
大乗仏典を読んで脱洗脳したことと、大乗仏典の真実性には何の関係もありません。
グリム童話を読んで脱洗脳する人もいるかもしれません。
大乗系のカルトの存在についてはどう思いますか?
また横から一言スマンw
>>485 > > 竜樹の言う「空」とは、「もろもろの存在」は厳然として実在するが、すべて
> > 「関係性、相互依存性、相対性の産物」だから、「執着すべき自性はない」と
> > いうだけのことである。「空」を思考・認識する「我」も同様である。
>
> そのとおりです。
隠居のこれを肯定してしまったら終わりだ。(特に一行目なw)
これを、 >そのとおり などと言う人間に仏教を語る資格があろう筈も無し。
一代に言わせれば、「彼は和辻の系譜だ」と切って捨てるだろうな・・w
>>522 >もともとそんなことは何も語っていないかもしれないのです。
憶測ですよね。
だったら断定するのは正しいといえるかい?
>>519 >しかし単なる自分の誤解や勘違い、思い違いを、正しいと思い込むような愚を犯さないように、
>釈迦だけでなく、「自分自身に対する批判」も忘れないようにしましょう。
うん、立派なお言葉です。
>誇大妄想を記した書物というのは
メタファーかもしれんよね。キミが読み取れなかっただけかもね。
>どうでもいいってことです。どうでもいい部分で叩くのはバランスが悪いでしょう。
どうでもいいことを経典につぎ足したりしたんですかね?
あのですね、自分の都合の悪いところだけ、眼をつむったり
嫌いなものにだけマイナスの価値判断をつけたり、態度がコロコロ変わるのはなんで?
>>527 > > > 竜樹の言う「空」とは、「もろもろの存在」は厳然として実在するが、すべて
> 隠居のこれを肯定してしまったら終わりだ。(特に一行目なw)
> これを、 >そのとおり などと言う人間に仏教を語る資格があろう筈も無し。
そんなことはありません。505の人が「物の実在と、観念・空想とは、一義的に区別できる。日常生活での経験から帰納されたし。」
と書いているように、「実在」とは、社会のみんなが経験上「実在していると思っているもの」のことなのです。つまり縁起で成立しているだけです。
それを「実在」と呼んでいる、というだけのことなのです。
常住の実在ではないのです。常住の実在ではないと言っているのが仏教です。縁起によって(現象が)実在する(存在する、ある)のです。
>>526 悪いこと言ったり、したり、そういうときに的確に指摘したら?
この国では一応信仰の自由は保障されてるからね。
>>502 その人は自分自身の決め付けを対論者自身の意見であるという風に押し付ける癖があ
るのは以前からのことです。
またこのスレには縁起氏という人が以前いて、彼も、「実体論に囚われている人(外
道)には理解不能だろう」という指摘をしていました。
>>519 その釈尊誹謗が特徴の方は御隠居と呼ばれる人です。彼の頭脳には悪魔回路が組込ま
れています。
大乗は仏説です!失礼ですよ…あなた?それからジャータカもすべて「事実」と「信じている」私に対して失礼ですよ!あなた?
534 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 16:05:42.80 ID:inbOtFQM
見るたびに思うのだが >日本の仏教は大乗仏教 ですよ。あなたは、どこの国の仏教徒? この言辞に何の意味があるのだろう。
535 :
大乗仏教万歳 :2011/05/10(火) 16:06:02.99 ID:8jZy5P0L
ええい!無礼な…斬り捨てい!
>>529 > 憶測ですよね。
> だったら断定するのは正しいといえるかい?
少なくとも、「実在として」「地獄や悪魔が存在する」と主張している箇所はありません。
> >誇大妄想を記した書物というのは
> メタファーかもしれんよね。キミが読み取れなかっただけかもね。
いえ、メタファーとして読めば壮大な文学作品だと僕は書いてますよ?
事実として主張すること、する人、を批判しているのです。
> >どうでもいいってことです。どうでもいい部分で叩くのはバランスが悪いでしょう。
> どうでもいいことを経典につぎ足したりしたんですかね?
そうですね。そんな例はいくらでもあります。仏舎利崇拝とか、仏像崇拝とか。
ブッダの思想からすれば、それらはどうでもいいことです。
> あのですね、自分の都合の悪いところだけ、眼をつむったり
> 嫌いなものにだけマイナスの価値判断をつけたり、態度がコロコロ変わるのはなんで?
それはあなたの妄想では? そんなことしてませんよ?
>>531 うん、だからそうしてますよ。
そして信仰の自由もありますが、信仰批判の自由もあります。
>>532 なるほど、腑に落ちました。もともとそういう趣向の方々なのですね。
ありがとうございます。
>>536 >そんなことしてませんよ?
ぶはwwwwwwwww
紅茶噴いたw
俺が真実と「決定」すればそれは「真実」人は一人一人異なる世界を生きる。月はバターで出来ていると「信じている」者にはそれは「真実」のみならず「宇宙の公理」足り得る
>>532 貴方も成長しませんね・・w
貴方の嫌う彼が、どれだけ対論者の主張を把握しているかが判らんとは・・。
(勿論、100%とは言わない。だが、隠居や
>>536 よりは遥かに見込みがあるwww
>>536 >少なくとも、「実在として」「地獄や悪魔が存在する」と主張している箇所はありません。
実在しない人物と対話するってどうなんでしょう?
おしゃかさんは妄想壁のある人だった、でOKなんすか?
>仏舎利崇拝とか、仏像崇拝とか。
>ブッダの思想からすれば、それらはどうでもいいことです。
うん。よその家の庭に鯉がいただの草が生えてるだのどうでもいいよね。
きみは何の関係も無い大乗の人のことがなんで気になるの?
542 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 16:18:57.54 ID:fTdAsUAo
>>537 >なるほど、腑に落ちました。もともとそういう趣向の方々なのですね。
ありがとうございます。
そうかww
この不説の糞が、どんなやろうかも知らずに、どのような背景から
そんな発言をしてるかも考慮せず、ただ自己にとって良しとする
発言ならそれを真実として受け入れるわけだ。
そして、俺を不説の発言通りの人物と規定するわけね。ww
お前がそのようなクソ野郎なら、こちらも遠慮なくいかせてもらうわw
それでは続きをお楽しみにww
パーリ上座部もジャータカの権威を否定しない。作り話にさえ「伝承」にはそれなりの「歴史の真実」が含有される
のれんにうで押し、ぬかに釘。 こういった虐待に耐えられるひとだけ、ここで生き残っていけるw 頑張ってねw暇つぶしをw
545 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 16:24:07.90 ID:vCrkVUyn
人間というものは常に選択することによって心を保っているからな 罵倒された場合、人間の本能と知識が怒るという選択肢を突きつける そこでブッダはまず、怒らないという選択肢を付け加えた そのうちに怒らないという選択すらしなくても心が保てるようになってくる それが仏の状態
紅茶吹いたか…ダージリン最高級品か?ベストピックスか…俺もお茶にしよう
>>541 > 実在しない人物と対話するってどうなんでしょう?
> おしゃかさんは妄想壁のある人だった、でOKなんすか?
ジャータカでは鹿やら鳥やらゾウやらとしゃべってますよw
創作です。
> うん。よその家の庭に鯉がいただの草が生えてるだのどうでもいいよね。
> きみは何の関係も無い大乗の人のことがなんで気になるの?
え? 別に気になりませんが? 誰かが僕のことを大乗嫌いと言ってましたが、
そんなことはありませんよ。大乗批判をしているだけです。
「大乗批判する」=「大乗嫌い」と短絡的に結びつけたのでしょうか?
好きも嫌いもありません。ただ自分が大乗に足を引っ張られた経験があるので、
迷惑には感じていました。しかしそれは僕の個人的なことで、他人がどうしようと
興味はありませんよw 間違ったことが書かれていれば、訂正したりレスしたり
したくなるだけです。
549 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 16:55:33.42 ID:vCrkVUyn
人間というものは常に選択することによって心を保っているからな 罵倒された場合、人間の本能と知識が怒るという選択肢を突きつける そこでブッダはまず、怒らないという選択肢を付け加えた そのうちに怒らないという選択すらしなくても心が保てるようになってくる それが仏の状態 カルトというのはまず相手の信じるものを否定し 不安にさせ、自分の宗派への帰属を選択させる そして中途半端な状態で飼い殺すのが基本だ 仏教を極めれば宗派に所属することすらいらない 空の状態になる
550 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 18:21:51.60 ID:Txb4jtIr
>>534 >>日本の仏教は大乗仏教 ですよ。あなたは、どこの国の仏教徒?
>この言辞に何の意味があるのだろう
大いに意味がある。歴史を見れば明らかなように、日本は外国から宗教や技術
を含む多くの文化を受け入れたが、それらを決してそのまま受け入れたのでは
なく、日本の風土、歴史、文化に合致するように改変・改良し、「より優れた
もの」を作り出した。神仏習合までやった。日本人の並外れた英知を示すもの。
大乗仏教もその一つである。往時、比叡山で学んだ多くの高僧を見よ。彼等は
すべて、明らかに開祖を凌ぐ、己自身の見識、思想、哲学を確立している。小
乗には、このような高僧が、唯の一人でもいるのかね。日本人でありながら、
大昔の開祖から一歩も抜け出ることができない小乗は、日本仏教の恥部、恥さ
らし以外の何物でもない。
多くのカルト信者の対応に当たってきたが、セブン氏を初めとする小乗に洗脳
されたここの住民は、プロテスタントと並ぶ超カルトであることを実感させら
れた。要するに、テラワダの影響。テラワダは、本国においてもカルト扱いされ
ていると聞いている。
日本だけではない。インドの現代仏教も、釈迦仏教など完全否定である。
551 :
てすと :2011/05/10(火) 18:30:43.38 ID:XO3AenLs
>>547 824 かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えが清らかでないと説く。
「自分が依拠しているもののみを善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執している。
825 かれらは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を<愚者である>と烙印し、他人(師など)をかさに着て、論争を交わす。
──みずから真理に達したものであると称しながら、自分が称賛されるようにと望んでいる。
552 :
てすと :2011/05/10(火) 18:34:03.26 ID:XO3AenLs
>>547 842 『等しい』とか『すぐれている』とか、あるいは『劣っている』とか考える人、
──かれらはその思いによって論争するであろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人、
──かれには『等しい』とか、『すぐれている』とか、(あるいは『劣っている』とか)いう思いは存在しない。
843 そのバラモンはどうして『(わが説は)真実である』と論ずるであろうか。
またかれらは『(汝の説は)虚偽である』といって誰と論争するであろうか?
『等しい』とか『等しくない』とかいうことのなくなった人は、誰に論争を挑むであろうか。
553 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 18:38:21.31 ID:vCrkVUyn
日本が中国から仏教を輸入したときに すでに仏教は世俗化されて科学技術を備えた一神教として確立しているだろ そしてそのまま社会主義の要素やファシズムの要素を取り込んで分派しながら今に至る 戦後に西洋哲学が解禁されて、その影響で原始仏教が見直されて オウムとかの原始仏教系が日本で復活してきたっぽいな
阿闍梨(あじゃり)て仏教徒なんだろか 神道ですか? 千回なんとかやったとか
>>550 >日本の風土、歴史、文化に合致するように改変・改良し、「より優れた
> もの」を作り出した。神仏習合までやった。
改良、「より優れたもの」というのはあなたの主観ですね。改悪かもしれない。
神仏習合なんて書いてますが、それは神道にもとづく日本伝統の破壊
だと批判する人もいますよ。
> 大乗仏教もその一つである。往時、比叡山で学んだ多くの高僧を見よ。彼等は
> すべて、明らかに開祖を凌ぐ、己自身の見識、思想、哲学を確立している。
そうですか? 全ていい加減でインチキなデタラメかもしれませんね。
まあ道元禅師はなかなかのものだとは思いますが。
>小乗には、このような高僧が、唯の一人でもいるのかね。
真理は一つであり、次々と「己自身の見識、思想、哲学」などが出てくることがおかしいのです。
「己自身の見識、思想、哲学」などを表明するということは、解脱していない証拠です。
名前を売る必要もないので、「高僧」などと呼ばれる人が次々と世に出るのもおかしいのです。
釈尊や初期教団の阿羅漢たちの存在だけで十分なのです。それで完成し完結しているのです。
今の世に阿羅漢が誕生しても、ひっそりと弟子を導き、無名のまま去っていくだけでしょう。
高僧と呼ばれ目立つこと自体、阿羅漢に馴染みません。
「往時、比叡山で学んだ多くの高僧を見よ」あなたは権威主義に陥っているのです。
これこそカルトの特徴です。
556 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 18:57:46.22 ID:Txb4jtIr
>>553 一神教というなら、むしろ、「釈迦個人を絶対視する」小乗仏教のほうだろう。
大乗では、釈迦は、もはや、より普遍的なものの「象徴」に改変されている。
阿弥陀仏も大日如来も「釈迦」ではない。「久遠実成の本仏」も、種属としての
人間の生命の象徴である。
「オウムが原始仏教から発生したことの一事を以っても、釈迦仏教の洗脳性(カルト
性)と欠陥は明らかである。
日本大乗仏教の一番の罪は「食肉禁止令」 ホントの意図は飢饉の時に農民が牛馬を食ってしまうのを嫌がったんだろうけど これによって(仏教伝来によって)日本人全体の体格が大幅に劣化した たぶん平均寿命も短くなっただろう これは出土する人骨の身長によって裏付けられている(肉食ってた頃はまあ現代人並み) 姫路城に入ったことあります? 時代劇と違って小人の城でしょうがw 大乗仏教といってもこのように堅苦しいものですよ
ふむ、この2〜3日の書き込みは興味深いね。 脳内論破を他者に押し付けようとする困った言動と、 常連気取りの馴れあいが実に醜い。 他人の書き込みを自分の意思で制限しようとした奴は何を考えてるんだ? 2ちゃんねるを自分の私物と考えてるのかね。ここもずいぶん劣化したものだ。
>>556 釈尊の教えを批判研究することも認められていますが、「釈迦個人を絶対視する」
とは何を根拠に言ってるんですか?
まあ小乗仏教なんて存在しないんですが。
>「オウムが原始仏教から発生したことの一事を以っても、釈迦仏教の洗脳性(カルト
>性)と欠陥は明らかである。
とんでもないデタラメですねw
オウムはヒンズー教の派生であって、
原始仏教を全く理解しないまま、中途半端に用語を流用しているだけです。
本質的に原始仏教と何の関わりもありません。
あなたは、もしオウムが相田みつを引用したら、
「オウムが相田みつをから発生したことの一事を以っても、相田みつをの洗脳性(カルト
性)と欠陥は明らかである。」なんて言うんでしょうねw
なんだ・・。「真理は一つ厨」だったかw
>>555 くだらん馬鹿に付き合ってしまったわいw
>>557 ふと疑問に思ったけど、
平均寿命が短いということは悪いことなのかな?
世代交代が早くなるので、変化に柔軟になり、進化も速くなる。
若くして出産するので出生率が高く健康な子供が生まれやすく子孫繁栄しやすい。
一方、長寿命社会は世代交代が遅く、進化も遅くなる。
個人の幸福の上では長寿命が喜ばれるのだろうが、
生物学的、社会学的にはどっちがいいんだろうね。
>>560 僕が言ってるんじゃなくて、釈尊が仰ってることですw
何も知らないんですね
「884 真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。
それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。」
みんな、な〜んにも分からんで、よくグダグダ、グダグダと書き込みが続けられるものだね。 **************************************************** 釈尊は 「無」 や 「無我」 を説いたのではないのですよ。 龍樹は 「空」 を説いたのではないのですよ。 第一義は、それらの思索を通して 「覚り」(覚醒) が得られる、ということを説いたのです。 それは、宗教体験があれば直ぐに解ることなのですが、体験がないと、どうしても文字や 言葉に囚われて、「ああでもない・・・」 「こうでもない・・・」 になってしまう。 「仏陀の思想」、「龍樹の思想」 などというものも本質的には存在しないのですよ。 彼らは 思想などを教える気も、残す気も全くなかったのです。 唯一つ、「覚り」 の世界を教えたかった のです。 そして、「覚り」 の世界というのは通常の人間の言葉では表現できないのです! それで、その手がかりになる道しるべとして、「無我」 や 「空」 につて考えてみなさい! と言って 下さったのです! ****************************************************
564 :
てすと :2011/05/10(火) 19:53:47.74 ID:XO3AenLs
>>562 「880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、
これらの人々はすべて(各自の)偏見を固執しているのであるから、かれらはすべて愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。」
>>563 > それは、宗教体験があれば直ぐに解ることなのですが、体験がないと、どうしても文字や
> 言葉に囚われて、「ああでもない・・・」 「こうでもない・・・」 になってしまう。
それでは、 その「宗教体験があれば直ぐに解るが、体験がないと解らないこと」
をなぜあなたはグダグダと書くのですか?
「宗教体験があれば直ぐに解るが、体験がないと解らないこと」なら、何書いても意味ないでしょう。
566 :
てすと :2011/05/10(火) 20:02:11.69 ID:XO3AenLs
>>565 888 反対者を(愚者)であると見なすとともに、自己を<真理に達した人>であるという。
かれはみずから自分を<真理に達した人>であると称しながら、他人を蔑視し、そのように語る。
>>566 何をさっきから無関係な引用してるんですかw
>>565 ( ´,_ゝ`) プ
だから、前スレ785が読めてねーなと言うんだw
>>562 ほうw
では、中論等が説く「聖俗二【諦】」は真理じゃない、ということで良いね?
四【諦】も真理じゃない、ということで良いね?
569 :
てすと :2011/05/10(火) 20:05:12.17 ID:XO3AenLs
>>567 894 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。
一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない
>>565 私はグダグダと書いてはいませんぞ。
「無我」 や 「空」 は方便なのですよ! ということを言ってあげただけなのですよ。
571 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 20:07:12.81 ID:Txb4jtIr
釈迦の中心思想は二つだけ: 1 「苦概念の植え付け」(彼の鬱病の症状であり、信者獲得のための悪質 な布教の手段。キリスト教の「罪概念の植え付け」という脅迫と救い(解脱) という甘言による信者獲得と全く同じ。) 2 「因果関係としての縁起」(忌むべき業報論を導くため。竜樹とは異なり、 相互性・相対性の要素は皆無である) こんなものは、普遍的宗教の要素にはなり得ない。カルト化は必然的であった。 実際、多宗派の多くの信者が洗脳され、釈迦に走っている。)
>>571 釈尊がいなければ龍樹師も世に出なかったことが分からないお馬鹿さんは、宗教や仏教について
考えても意味がないでしょう。 九九が出来ない子供が微積分を学ぶようなものです。
龍樹師がどれだけ釈尊を敬慕されていたかも知らないのですか! 大馬鹿者が!!
>>568 > だから、前スレ785が読めてねーなと言うんだw
そんな独善的な煽りに何の意味があるんでしょう。
あなたにはそのスレの内容が納得行くものなのかもしれませんが、
僕には、間違いだらけで、無意味な内容でした。だからあなたが
いくら「〇〇スレが読めてねーなと言うんだ」と言ったところで、そんな
情報は何の役にも立ちません。
> では、中論等が説く「聖俗二【諦】」は真理じゃない、ということで良いね?
よく知りませんが、wikiによれば「空である法の世界」が「真諦」で
「言語によって誤って概念的に認識した世界」が「俗諦」だそうですから、
後者は「誤って」いる、つまり真理は一つなんじゃないですか?
まあ中論になれば大乗思想ですから、僕が語っているブッダの思想とは
ズレてきているかもしれません。
> 四【諦】も真理じゃない、ということで良いね?
四諦は真理ですよ。全部同一の真理を4種類の表現で語っているだけです。
表現が違うだけで、真理は一つなのです。
574 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 20:17:26.58 ID:fGoK0cJX
>忌むべき業報論を導くため。 順序が逆だ。常識にも認められる「原因があって結果がある」ということを 前世・今生・来世の流れにも適用した。というだけのこと。 結果なく存在する結果なんて見聞きしたことがあるか?
>>570 ならば仏教は何の役にも立たないことになります。
「無我」 や 「空」 は方便であり、しかも「宗教体験をしなければ解らない」のなら、
そんなものは糞の役にも立ちません。
僕は「宗教体験」などとは無縁なので、ここで話はオシマイです。
僕が仏教を学んでしるのは、「「無我」 や 「空」 は方便ではない」という確信が経典を読んで得られたからです。
576 :
てすと :2011/05/10(火) 20:19:15.82 ID:XO3AenLs
>>573 893 自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。
他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。
577 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 20:19:46.83 ID:fGoK0cJX
>>572 >敬慕されていたかも
彼によるとそれは表面的なもので、内心ではペロッと舌を出してたそうだよ。
>僕が仏教を学んでしるのは、「「無我」 や 「空」 は方便ではない」 >という確信が経典を読んで得られたからです。 読んで得られるのかねえ 間違った方向に行きそう
579 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 20:26:43.69 ID:Txb4jtIr
>>572 >龍樹師がどれだけ釈尊を敬慕されていたかも知らないのですか!
それは、口先だけ。中論を良く読めば、「釈迦を超えた」という自負に満ちている
ことも読み取れんのか。実際、竜樹は、「釈迦は何の教えも説かなかった」と言い
捨てている。
580 :
忍法帖【Lv=1,xxxP】 :2011/05/10(火) 20:28:13.22 ID:RmylVJkD
hhha
>>575 前にも書いたように、あなたの仏教は絵に描いた餅なのですよ。
方便というのは、ウソ八百の価値の無いものではありませんよ。
「覚りの地」 に運んでくれる大切な舟なのです。しかし、あくまで舟であって、到達する彼岸ではないのです。
舟を目的の地だと勘違いしてはいけないのです。
>>577 そう、それは禅宗などでよく使うのです。
釈迦なんて大したことなかったな! というような表現が漢籍によく出てきますね。
実は、最大の感謝の辞なのです。
582 :
てすと :2011/05/10(火) 20:29:40.54 ID:XO3AenLs
なんというか、2ちゃんでは限界あるだろうが、仏教を題材とした暇つぶしではなく、
俺のような仏教の実践者はいないものだろうか。
>>578 スポーツの入門書を読んで、オリンピック出た気分になる人は多い。
俺はそういう人は嫌いじゃない。
>>579 >竜樹は、「釈迦は何の教えも説かなかった」
それは最高のほめ言葉なんだけど。
583 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 20:31:15.11 ID:fGoK0cJX
ttp://mimizun.com/log/2ch/psy/1297398791/252って 「因果」を認めないと成立しないよね。
隠居は、多重・多層的な因果の重なり合いを「縁起」と呼んでいるに過ぎない。
「因果」は隠居式「縁起」を構成する単位だ。
実際、仏教でも現実でもやることは因果の重ねがけだ。
一回の因で一方的に決まるからでないからこそ、
「一回「因」を撒いといたからもういいや」
と善行をやめたり悪行を始めたりはしない。
そんなことはどんな仏教も説かない。
>>579 > 「釈迦は何の教えも説かなかった」
そう、教えなど説いていないのです。説かれたのは 「覚り」 だったのですよ。
585 :
忍法帖【Lv=1,xxxP】 :2011/05/10(火) 20:32:33.91 ID:RmylVJkD
kwsk
こりゃ酷い 屁理屈の応酬だな
587 :
てすと :2011/05/10(火) 20:35:41.00 ID:XO3AenLs
暇だから、ヴィッパサナーでもやってよ。 かきこ かきこ 部下うるさい かきこ かきこ ひだりくりっく
588 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 20:37:41.27 ID:Txb4jtIr
>>582 >それは最高のほめ言葉なんだけど。
上にもどなたかが書いてくれてるが、必ずしもほめ言葉とは断定できない。
竜樹は、釈迦とは比較にならないほど頭のよい男だが、同時に口も上手かった。
縁起や無我についての釈迦の「論理矛盾」は、竜樹が完全に解決している。
589 :
てすと :2011/05/10(火) 20:39:26.88 ID:XO3AenLs
>>586 修行が足りないから酷いと思うのです。あなたの心次第です。
590 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 20:41:36.55 ID:fGoK0cJX
>>588 竜樹の思想が隠居の解釈まんまだとすると、
むしろ彼は釈迦を肯定したことになる。
実によく馴染む。
591 :
てすと :2011/05/10(火) 20:43:56.98 ID:XO3AenLs
>>588 ご隠居は本当に馬鹿だなー。
宗教界で生き残るには開祖批判はタブー。
竜樹は頭良かったから、釈迦を褒め称えた。
釈迦よりも頭が良い事がバレていたら彼の書物は焼かれて現在まで残っていない。
>>588 また、九九も出来ない子が微積分を・・・・
「覚り」 の世界は言葉では表現できないのです!
「覚り」 の地が存在した、ということが仏教の本質なのです。
お釈迦さんは小さな手漕ぎ船で苦労されて覚りの地に到達され、その地の存在を人々に教えて
下さったのです。 龍樹師はそこに行く大きな帆船を作って下さったのです。例えて言えば、
そういうことなのです。
593 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 20:50:23.50 ID:3mZlSWJe
>>589 おお〜,
これはまた、てすと菩薩が尊い教えを
ありがたい、ありがたいww
594 :
てすと :2011/05/10(火) 20:54:00.81 ID:XO3AenLs
>>592 小型船の製造→多くの人が自力で可能。
大型船の製造→難解な知識がいる。
小型船がなければ大型船が完成しなかったとはいっても、やっぱり大型船作った奴の方が偉い。
釈迦は竜樹よりも先に生まれたから第一発見者のチャンスがあっただけであり、竜樹と同時期に産まれたら、負けていただろう。
当然の事です。
>>594 本質が分からずに、例えにこだわるとは・・・、 情けなや!
てすとくんも、ID:Txb4jtIr くんと同様、九九が出来ない子供だったんだね。
微積分の勉強はまだまだ先のことにしておきなさいね!
596 :
てすと :2011/05/10(火) 21:01:44.95 ID:XO3AenLs
>>595 微積が使えなくても、基礎を積み重ねれば同じ答えになるのです。
公式に拘りすぎて、目的を忘れてはいけません。
>>596 >微積が使えなくても、基礎を積み重ねれば同じ答えになるのです。
なりませんよ!!!
区分求積が積分の萌芽だ、などというお馬鹿さんもいますが、全然違うのです。
コンピューターで計算させれば近似値を出すことは出来ますが、コンピューターは
微積分学がなければ回路すら考えられないものなのですよ!
598 :
てすと :2011/05/10(火) 21:09:17.62 ID:XO3AenLs
>>597 いちおう物理科出身ですけど、微積で勝負しますか?
>>597 >いちおう物理科出身ですけど、微積で勝負しますか?
おー! 煩悩をドーンと出して来ましたね。
>微積が使えなくても、基礎を積み重ねれば同じ答えになるのです。
物理学科出身者が、↑ こんな馬鹿なことを言っていいのかい??
600 :
てすと :2011/05/10(火) 21:17:41.72 ID:XO3AenLs
>>599 >おー! 煩悩をドーンと出して来ましたね。
だってそれが俺のとりえだもん。煩悩マスターですし。
>物理学科出身者が、↑ こんな馬鹿なことを言っていいのかい??
どうして馬鹿なことを言ってはいけないの?説明してください。
>>600 >微積が使えなくても、基礎を積み重ねれば同じ答えになるのです。
じゃあ、大学入試程度の微積分の問題でいいから、微積分を全く使わないで
(微積分学の土台は極限だから、当然極限も使わないで)、基礎の算数の積み重ねで
答えを出してみてちょうだい!
これから外出するから、明日にでも読ませてもらうのを楽しみにいてるから!
物理学科出身者が馬鹿なことを言うのは、とっても恥ずかしいことだと思うよ!
602 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 21:30:51.32 ID:Txb4jtIr
>>588 >「因果」は隠居式「縁起」を構成する単位だ。
支配・被支配の一方向的因果なら、幼児でも、馬鹿でもわかる。しかし、双方
向的因果でなければ、「空」は絶対に成立しえない。
「空」が恐いから(空なら、釈迦も仏典も空になる)、相依関係を懸命に否定
しようとするカルト信者がいる。
603 :
てすと :2011/05/10(火) 21:46:40.64 ID:XO3AenLs
やっぱり俺って天才だよな。。 相手のコンプレックスを突く事に関して俺の右に出るものはいない。
604 :
てすと :2011/05/10(火) 21:50:47.70 ID:XO3AenLs
605 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 22:07:52.54 ID:jKlZnkPI
602 だからね、その双方向の因果なるものは、 ただの因果の重ね合いなんだよ。
理工を専攻した人て カルトにはまるんだね 物理学の行き着く先が宗教
607 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 22:16:56.19 ID:3mZlSWJe
>>603 うう〜,てすと菩薩、私めのコンプレックスをついてくださいw
608 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 22:23:08.61 ID:jKlZnkPI
一方向になるとしたら、時間順かな。 でも仕方ないよね。未来が原因で過去が変わるなんてありえない。 釈迦も龍樹もお目にかかったことは無いだろう。 タイムスリップのSFですら、まず過去に移動し、過去を変えて、そこを起点に未来が変わるという順序をとらなくてはいけない。 強引に時間順でも双方向と言い張ろうとすればするほど現実から解離していく羽目になる。 常識を好む隠居的にも龍樹が変な人になってしまう。 「『空』を説いたものの、その名称にとらわれて現実に反する空論を造り上げてしまった。 釈迦の毒を頭にビルトインしてしまった故に言葉に狂わされてしまったのである」と評していたかもしれないな。 飛び付く順序によっては。
>>573 w
前段、
全部自分に返ってくることに気付けない?
>あなたにはそのレスの内容が納得行くものなのかもしれませんが、
>僕には、間違いだらけで、無意味な内容でした。だからあなたが
>いくら「〇〇スレが読めてねーなと言うんだ」と言ったところで、そんな
>情報は何の役にも立ちません。
>あなたには「自らの主張及びその論拠」が納得行くものなのかもしれませんが、
>僕には、間違いだらけで、無意味な内容でした。だからあなたが
>いくら「こういう理詰めが仏教だ」「体験に意味はない」と言ったところで、そんな
>スタンスは仏教の入り口ですらないので嘲笑の対象でしかありません。
>>609 僕は、直接尋ねられたことには一つ一つ丁寧に返答したり反論したりしてますよ。
あなたみたいに、「前スレ785が読めてねー」などと、既にスレが終わっていて
こちらが反論する機会もない文章に仮託して、相手に反論の機会を与えないような
卑怯なことはしていません。
「〇〇に答えは出ている」と言いっ放しにすればすむのなら、僕の主張の正しさは
「初期経典で全て明かされている」と言えばそれで完結します。
経典を学び、よく考え、深く思索しなさい。
>>573 >よく知りませんが、・・・・・・だそうですから、
>後者は「誤って」いる、つまり真理は一つなんじゃないですか?
誤っているのに『諦』? 当時の漢訳者は馬鹿揃いってことかwww
さて、Sktでは何だったかな・・?w
>四諦は・・・・・・なのです。
ふ〜ん・・。
苦諦と滅諦が同一の真理ねぇ・・。
それって、「生死即涅槃」「煩悩即涅槃」という言辞と被らない?w
(集諦と道諦は、縁起・因果のベクトルとして影絵のような関係と言えなくもないが・・。)
612 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 22:42:10.88 ID:jKlZnkPI
龍樹を否定した後、釈迦をアレンジしつつ持ち上げる(現在)というルートをたどっていたのかもしれない。 その場合、大乗への評はどうなっていただろうか? 「呪術や架空の神々や思わせ振りな哲学で粉飾するに終わった」 「表面上は欲望を肯定しつつ、結局戒律でがんじからめを必須とした 生存のための欲望を神学談義に利用した」 釈迦への評も、欲望を否定しているように見えるが実は・・・ と今隠居がやってる龍樹評みたいなことになり。 案外、今来ている密教&禅経験者の人と 似たことを語っていたやもしれない。
>>611 > 誤っているのに『諦』? 当時の漢訳者は馬鹿揃いってことかwww
> さて、Sktでは何だったかな・・?w
まあ大乗ですからね。あてになりません。
> (集諦と道諦は、縁起・因果のベクトルとして影絵のような関係と言えなくもないが・・。)
その通りですよ。「生死即涅槃」「煩悩即涅槃」も、そのように正確に分析して説明すれば
真理を表現できるかもしれませんが、「煩悩のままでいいんだ」のように安易に誤解される
言葉なので、適切な表現とは言えません。
親鸞の「悪人正機」がよく誤解されるようなものです。
>>610 小僧がでかい口叩いとるなw
最近出ている話題は、過去散々遣り合ってきたきたことなんですよ。
貴方程度の者に再説する意味はありません。
URL(或いは保管庫提示)で十分です。
自分で学ぶ(調べる・探す)努力をしないものにかける親切など持ち合わせておりませぬ。(キリッ
615 :
てすと :2011/05/10(火) 22:47:10.89 ID:XO3AenLs
つまらーーん!! お前らオナ禁もできないくせに偉そうな事いいやがってーーっ! 求道者ならオナ禁してみやがれーーーっ!
>>613 >適切な表現とは言えません
なんという二枚舌w
お前の姑息さは、在家・隠居(&宝珠)とは別の醜悪さがあるなw
617 :
神も仏も名無しさん :2011/05/10(火) 22:49:16.69 ID:jKlZnkPI
戒律を守り、修行を実践する人達の間からは、 またそういう人達を見てきた人々の間からは「安易な解釈」は出てきにくい気がする。 メッセージを伝えるなら文脈もセットにするのが大事だな。
>>614 いくら過去やりあったことであっても、こちらはそれは間違ってると言ってるんだから、
反論の機会を与えないで言い逃れるのは、ただの逃げです。
逃げるのは勝手ですが、それなら最初から議論に参加するべきではないでしょう。
619 :
てすと :2011/05/10(火) 22:52:51.85 ID:XO3AenLs
>>618 議論スレだから議論するのは構わない。
ただ、初期仏教では議論するな釈迦が言っているのだから、仏教徒は名乗るな。
>>619 論争するなと言っているのであって、議論するなとは言っていない。
釈尊も議論している。論じることと、論争することの違いも解らないのか。
621 :
てすと :2011/05/10(火) 22:56:15.92 ID:XO3AenLs
>>620 釈尊が議論するのとあなたが議論するのでは全く違うでしょ。
あなたは釈尊に追いついたつもりか。
それと、僕は一度も「仏教徒」などと名乗ったことはないが。
>>621 釈尊以外は議論してはいけないという教えでもあるのか?
624 :
てすと :2011/05/10(火) 22:58:18.65 ID:XO3AenLs
>>622 宝珠かよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
釈尊以外が議論してはいけないのなら、 部派仏教以下、大乗のあらゆる宗派含め、ほとんど全ての 宗派はルールを破ってることになるなw 仏教の歴史は議論の歴史でもあるのだから。
628 :
てすと :2011/05/10(火) 23:00:37.95 ID:XO3AenLs
>>627 だから仏教徒じゃないならお好きにどうぞ。
>>625 あのね、掲示板で議論する時は、1問1答形式でないと成立しない。
他のリンクに飛んだりして脱線し枝葉を広げていけば収集がつかない。
そもそも、複数あるリンクのレスのどれがどれに対する反論なのか、
対応関係が不明になる。1問1答に限るべき。
>>629 今度は、電波&阿呆陀羅チーム入りかw 忙しいなw
632 :
てすと :2011/05/10(火) 23:07:08.84 ID:XO3AenLs
仏教というのは釈迦の教えの事。
仏教徒というのは釈迦の教えを守って生きる人の事。
なので仏教徒でない人に「釈迦の言葉を守っていない」という批判はしても意味がない。
>>630 自分のスタンスを主張する勇気のない人に議論しても意味がありません。
>>632 僕のスタンスは、真理を追求することです。
釈迦の教えが真理であるなら、必然的に同一となるのです。
真理は一つだから。
「釈迦の教えを守る」とか「釈迦の教えを守らない」とか、そんな形式的なことを
自分のスタンスとしているわけではない。
真理に従って生きていれば、当然、嫌でも自然と「釈迦の教えを守っている」ことに
なってしまうでしょう。
結果的に釈迦の教えと同じことを守っている人は、仏教徒なのでしょうか?
ブッダも仏教も聞いたことのないアフリカ人が、偶然自分で真理を発見し悟ったら、
彼は仏教徒と呼ばれるのですか? それとも仏教徒ではないと言われるのですか?
そんなことはどうでもよく、この言葉には何の意味もないと思います。
634 :
てすと :2011/05/10(火) 23:20:01.42 ID:XO3AenLs
>>633 しかしことあるごとにあなたは「釈迦が言っているから」と権威付けするではないですか。
あなたが自分自身の力で真理を確認して釈迦の追試をしたのなら、もっと胸を張りなさい。
>>629 これは真面目な助言だが、
もし、今後も2chで議論を続ける気なら「専ブラ」導入しとけ。
それと、
>>634 が前スレ785の内容と密接にリンクするものであることが判るかい?w (´ー`)y━~~
>>634 > しかしことあるごとにあなたは「釈迦が言っているから」と権威付けするではないですか。
え? ここは「仏教 議論スレッド」でしょ? つまり「釈迦が何を言ったか」について議論するスレッドなのですから、
「釈迦が言っているから」が全ての根拠になるのは当然でしょう。
むしろ釈迦がいっていないことを根拠とすることがおかしいのです。
なぜか釈迦が言ってもいない、大乗の坊さんの創作を語る人が多いみたいですが。
> あなたが自分自身の力で真理を確認して釈迦の追試をしたのなら、もっと胸を張りなさい。
その目的であればここには来ません。「釈迦が何を言ったか」に関心があるので、ここに来ているのです。
637 :
てすと :2011/05/10(火) 23:27:41.44 ID:XO3AenLs
>>636 >「釈迦が何を言ったか」に関心があるので、ここに来ているのです
??経典読めば書いてあるでしょ??
>>636 >>1 >仏教の総合的な議論スレッドです。
>仏教に関すること全て扱います。
>総合的な
>仏教に関すること全て
>仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
>または、議論に発展すると感じたら、
>或いは、話題・論点を拡げたい時は、
>こちらへ誘導し、質問箱の機能の確保に御協力ください。
>>637 > >「釈迦が何を言ったか」に関心があるので、ここに来ているのです
>
> ??経典読めば書いてあるでしょ??
経典には釈迦が言ってもいないことが、たくさん紛れ込んでいます。
だから論証することによって、オリジナルの釈迦の言葉を炙り出す必要があるのです。
経典が釈迦が直接筆を取って執筆したものであれば、議論など不要ですが。でも
そんな経典は存在しないのです。
>>638 仏教とはブッダの教え、つまりブッダが言ったことです。
「ブッダが言ったこに関すること全て扱います」ということですから、
ブッダが言ってもいないことについて議論するのはおかしい。
641 :
てすと :2011/05/10(火) 23:31:30.32 ID:XO3AenLs
>>639 どうやって論証するの?新資料の発見を待つの?
>>641 既存資料でも、思想的一貫性、矛盾がないか、複数資料間の整合性、思想発展の経緯・順序などを検証することである程度可能です。
現に仏教学はそれを試みているでしょう。
643 :
てすと :2011/05/10(火) 23:36:06.92 ID:XO3AenLs
>>642 まず使用する資料を選択しようよ。既存資料のどれを使うの?
>>640 お前は中共の犬か?w
基準は、「ブッダが言ったかどうか」じゃねーよ。
僅かでも『仏教に関連すること』ならOKなんだよ。
たとえば、
お墓でお線香をあげますがなぜですか?という問いへの、様々な回答もアリだ。
その姿勢は、隠居の
「日本は大乗仏教の国です。小乗仏教の話題は、“日本の掲示板”には適しません」
というスタンスと100%シンクロするぞw
レスが重なる度に、お前の醜悪な人間性が浮き彫りになってくるな・・w
>>643 それは各自が考え、その都度議論の中で検証すればいいことです。
>>644 > お墓でお線香をあげますがなぜですか?という問いへの、様々な回答もアリだ。
それは残念ながら仏教(ブッダの教え)ではありません
647 :
てすと :2011/05/10(火) 23:40:50.94 ID:XO3AenLs
>>644 最近このタイプ(釈迦直説派)が本当にたくさん増えてきたから、慣れておいた方がいい。
原始仏教スレってもうないのかな?そっちに誘導してあげたほうが彼に有益かも。
>>645 ちなみに聞くが、
そういう考え方なら、奈良康明なぞ、当然糾弾の対象だよな?w
言論統制じゃないでしょw 仏教と無関係なことについての議論は、「偽仏教スレッド」でも作ってそこで やればいいのです。大乗仏教も、「偽仏教」と改名した方が、勘違いする人が いなくてよいと思います。
650 :
てすと :2011/05/10(火) 23:42:53.15 ID:XO3AenLs
>>645 では、あなたが考えた釈迦オリジナルの言葉は経典のどの部分ですか?
理由も添えて論じてください。
>>648 なぜ糾弾??
先には言いましたが、論争に興味はないですよ。
議論・批判をしているだけです。
>>650 分かりません。
だからここに来ているのです。
分かっていれば来ません。
ただ、経典全体から、思想の全体像、輪郭ははっきりしています。
それはこれまで書いてきた通りです。
具体的にどの言葉がオリジナルとは言い難いですが。
653 :
てすと :2011/05/10(火) 23:48:15.61 ID:XO3AenLs
>>649 >仏教と無関係なことについての
>無関係なこと
やっぱりお前は馬鹿だ・・。
日常語やことわざ、俗語(スラング)に、どれだけの仏教的要素が入り込んでると思ってんだ?
それを『無関係』と切り捨てる姿勢は、縁起の否定に他ならないんだが?
>>651 お前は、オーバーな表現すら受け付けないのか・・w
どこまで堅物・偏屈なんだよw お前、女にモテないだろwwwww
糾弾が嫌なら批判でもいいさ。
奈良康明のスタンスは批判対象でいいんだな?
>>653 彼が、岩波文庫青しか読んでいない、に3000点w
>>653 阿含経長部、中部、相応部、増支部、小部です
>>654 > それを『無関係』と切り捨てる姿勢は、縁起の否定に他ならないんだが?
縁起と関係ないでしょw
言葉を正しく使おう、と言ってるだけです。仏教という言葉が乱用されているのが問題なのです。
>
>>651 >お前、女にモテないだろwwwww
そんなことはありません
> 糾弾が嫌なら批判でもいいさ。
> 奈良康明のスタンスは批判対象でいいんだな?
はい
>>655 むしろ岩波文庫のも持ってません。
僕が読んでるのは全部英語です。サンスクリットやパーリ語はまだ読めません。
日本語のはネットから拾ってるだけ。
659 :
てすと :2011/05/10(火) 23:59:04.57 ID:XO3AenLs
660 :
てすと :2011/05/11(水) 00:01:50.58 ID:XO3AenLs
>>659 英語は分かりやすくていいですね。
手垢のついた日本の大乗用語の先入観に惑わされることもありませんし。
色々読んでますが、Cvetambara Jains とか
Oxford : Pali Text Society のが多いかな
あ、最初のはジャイナ教か
665 :
てすと :2011/05/11(水) 00:10:54.30 ID:5HN0LK34
666 :
てすと :2011/05/11(水) 00:16:56.60 ID:5HN0LK34
というか、英訳仏教スレつくってくれたら、いくぞ。 英訳おもしろいぞ〜 ダライラマの講演も聴けるようになるし、タイの寺も英語の出家に対応してくれる。 今日は寝る。
>>657 わかった。では、松本史朗、水野弘元、宮元啓一、片山一良あたりはどうだ?
ま、↑は余談として、
>>658 まず、パーリ&SKtは辞書片手に読めるくらいにはなれ。
そして、少なくともパーリ系文献に関しては、ドイツ語訳の方が評判はいいようだぞw(ワシは読めんがw)
英訳は、(漢訳と蜜月の日本語訳と比しても)【欧米的価値観、或いは英語固有の各単語の意味の限界】
を無視できない。その意味で、漢訳語を併用できる日本語訳の方がよい場合もある。
つか、前も一度言ったが、今、パーリを読むなら片山訳しかねーよw
>>661 ハァ?(゚∀゚)
【読んでない、吟味してない貴方】に何を言う資格があるのでしょう?www
>>573 >よく知りませんが、wikiによれば
などと恥ずかしげもなく言える神経が信じられません。
批判するなら、批判対象を知った上で爲さなければ、論拠無き誹謗中傷と変わりませんよ?
なぜ、(原文とまでいかないなら、せめて)当該偈頌の漢訳なり青目註なりを踏まえた上で発言すべきでしょう?
>>562 >何も知らないんですね や、
>>639 >経典には釈迦が言ってもいないことが、たくさん紛れ込んでいます
などなど、自分の言動が「自己中の矛盾展示会」になってることに気付きましょう。
英訳? 現在最もスタンダードなものと見做されているのは「PTS版」と「ビルマ第6結集版」ですが、
英訳が、どこまでそれらに迫れているか、貴方は検証できますか?
どうやって検証しますか? 辞書自体の信頼性も勿論あります。
しかし、原文の語順や実際の術語、英訳されるに当たって【そこにどのような“意訳”が入り込んでいるか?】
は、原文との対比が無ければ爲しえません。
やはり貴方は足りないところが多すぎます。
>>667 >わかった。では、松本史朗、水野弘元、宮元啓一、片山一良あたりはどうだ?
どれも微妙だな〜
>まず、パーリ&SKtは辞書片手に読めるくらいにはなれ。
そして、少なくともパーリ系文献に関しては、ドイツ語訳の方が評判はいいようだぞw(ワシは読めんがw)
挑戦してみるか
>英訳は、(漢訳と蜜月の日本語訳と比しても)【欧米的価値観、或いは英語固有の各単語の意味の限界】
>を無視できない。その意味で、漢訳語を併用できる日本語訳の方がよい場合もある。
インドヨーロッパ語族の言語だから、漢訳や日本語訳よりはるかに英語の方がいいと思いますが。
それ以下のレスは、大乗には興味ないので悪しからず。
「釈尊が何言ったか」に興味あるだけで、
大乗の僧侶が何を言ってるかには全く興味ありません。
僕が大乗を批判しているのは、それが釈尊(や諸仏)の
教えであるかのように偽っていることについてです。
大乗が「釈尊と無関係なオリジナルの思想」と正直に言えば、
別に批判対象ではありません。興味ないので。
仏教と称するのを止めればいいのです。
非仏教とか偽仏教と自称すれば、何の問題もありません。
>原文との対比が無ければ爲しえません。
>やはり貴方は足りないところが多すぎます。
もちろんその通りです。最終的には原文研究を避けて通れないでしょう。
>>668 >大乗が「釈尊と無関係なオリジナルの思想」と正直に言えば、
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
無関係な筈が無かろう?w
ここを「無関係」と言ってしまう所が、
「視野狭窄」であり「自己中」であり「隠居的妄想主義」であり、『縁起の否定』なんだよ。
>最終的には原文研究を避けて通れないでしょう。
ハァ?(゚∀゚)
20年何やってたんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
「原型の炙り出し」のベクトルで大乗批判をしてる奴が、Sktはおろかパーリすら読めず原文未見とは・・・。
お前はやっぱり最低の屑野郎だよ・・。 ( ゚听)、ペッ
>>666 またこの数字だなw
狙ってるのか?www
ノシ
671 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 01:01:04.17 ID:FaCO5W/j
>>669 >お前はやっぱり最低の屑野郎だよ・・。 ( ゚听)、ペッ
俺も同意だわww
このバカ、自分のレスの不適切さを指摘されても、全く改もせず下らん
言い逃れに終始する。
誤読を指摘しても、訂正せずスルーwww
どうしようもねえなw
>>669 じゃ僕が勝手に経典書いてでっちあげたら、それは縁起により仏説になるのか?w
ほんと節操無いな
>>669 >20年何やってたんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
あなたたち大乗狂が「考えるな読むなただ座れ」と言うのに素直に従って座ってたんですよ。
>「原型の炙り出し」のベクトルで大乗批判をしてる奴が、Sktはおろかパーリすら読めず原文未見とは・・・。
自分で原文読めなくても、その研究成果は読めるから。
それに翻訳が必ずしも悪いわけではない。忠実な英訳はそんなに大きく外れていることはないでしょう。
英国研究者による長い伝統があるし、研究に基づいた翻訳は、伝承の過程で変化したパーリ経典読むよりも
オリジナルに近いかもしれない。
673 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 01:12:19.84 ID:Yv+Vmym0
いい年こいた大人が「ブッダ」「ブッダ」と熱狂しているは、まるでミーハー のブランド漁りだな。恥ずかしくはないのか。選ぶなら、ブランドではなく 専ら品質で選ぶのが、「大人の見識」だろ。 当時インドには「ブッダ」と称される者は多数いた。ゴータマ以外のブッダ は一体どこへ行ったのか。 それに、ゴータマが書いたと証明された経典は、唯の一つもない。 さらに、現代は死語である大昔の言語の本当の意味を知ることは不可能。 言語の意味とは、それが実際に話されている状況でしか把握できない。 ブッダが「俺はそんな意味で言ったんじゃねーよ」と言う可能性は常に る。 経典はすべてブッダの死後、弟子の伝聞・最伝聞・再々伝聞により書かれた ものだから、弟子の解釈、誤解、聞き違えが無数にあるだろう。「伝聞証拠」は 現代の裁判でも「証拠力なし」として採用されない。 その意味で、殆どのブッダブランドの経典は、偽ブランドだと考えてよい。 それにブッダはバラモン教徒なのだから、その思想は、当然、他教や当時 の六師外道、ジャイナ教などからの「借り物」と考えてよい。ブッダオリジナル の思想ってあるのか。オリジナルは鬱病の症状だけ。ブッダの思想で最も優れて いるのは「不殺生」だと思うが、これはジャイナ教からのそのままのパクリ。 大人になったら「(偽)ブランド漁り」は止めて、「品質本意」の選択ができる能力を 養うべきではないのか。
>>672 >自分で原文読めなくても、その研究成果は読めるから
wwwwwwww
お前が読んでるのは翻訳だけで、研究成果ではない。この意味が解るか?
たとえば、原点批判的研究という言葉とか、馬場紀寿という名前知ってるか?
君の依拠している英訳だって、ブッダゴーサ以降のものなんだぜ?w
>じゃ僕が勝手に経典書いてでっちあげたら、それは縁起により仏説になるのか?
なることもあるし、ならないこともある。だから「縁起」なんだよ。
これだけははっきり言える。貴方は「縁起」ということが何も解っていない。
君のは縁起じゃない。或る種の決定論だよ。
>英国研究者による長い伝統があるし、研究に基づいた翻訳は、伝承の過程で変化したパーリ経典読むよりも
>オリジナルに近いかもしれない。
これって、御隠居のスタンスと完全一致だぞw
>長い伝統 と >研究に基づいた翻訳 の最先端が片山訳だよ。
原文見ずに原型探索するなら、これを底本とするのがベストだと俺は思うね。
ノシ
ふむ・・。
ちょいと言い過ぎか・・。
>>672 しかし、貴方の依拠する情報量の少なさ&偏向度合いが致命的であることだけは指摘しておきたいと思う。
>>669 セブン氏
そう短気にならずに……。私はその方とセブンさんの間の論点には現在あまり興味がない
ので、静観している感じなんですが、セブンさんの論調の軸足は仏教(文献)学的見地に
あり、その方の軸足は一実践者として、諸々に伝わる法を選別して、「自分自身に対して」
どれを選んで実践するか?(択法)という見地にあるので、論調を持って行こうとする方
向にずれがあるように見受けられます。
縁起氏が述べていたように、パーリならパーリ、チベットならチベットの経典を保持して
きた生身の(形骸化していない聖者たる)僧侶との関係なしに、パーリやチベットの経典
などの情報だけから、仏教を知ろうとすると、本来は限界があるとは思います。それでも、
僧侶との関係を抜かして経典情報から基本独学で釈尊に迫ろうとすると、まずは単純な消
去法で大乗経典はゴッソリと脇にどかし去り、さらにパーリ(≒阿含)の中から消去法と
肯定法を交えて情報を択法することになると思います。そうなると、キリスト教のカトリ
ックに対するプロテスタント(日本の政界における自民党に対する民主党)的な立ち位置
に見えてくるのも無理もないと思います。この仏教文献の取捨に対する立ち位置の点では
宝珠愚者氏のスタンスと重なるものがあると思います。
私自身は、ジャータカすら軽視してませんけどね。しかし、基本的に経典情報だけからだ
と、一般常識的な読み方では、「譬え話」と見做すのがむしろ常識的・健全な態度だと思
います。
677 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 01:54:32.99 ID:Yv+Vmym0
>>674 オリジナルに近いことがどうだって言うの。そのオリジナルそのものが、本物
である証明は皆無なのだから。
片山さんは小乗仏典の翻訳ばかりだな。嵌り込みの深さが窺われる。
前にも書いたが、片山氏の法句経の翻訳を読んだら、仏典中最高の名文といわれる
「己が身に引き比べて」の章句の翻訳文の格調ががた落ち。不完全な語学力で、
辞書を引き引き訳するから、こんな文章になってしまう。翻訳とは、単語を置き換える
のではなく、その「内容の意味」を伝えることである。向坂逸郎の「資本論」の
訳は「原文に極めて忠実」だが、読者は誰も理解できないと言われている。
678 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 02:14:18.63 ID:FaCO5W/j
おやおや、批判を一切受け付けず、単に他者を誹謗中傷することのみで 逃げ出す「クソ不説」じゃないかww 何を偉そうに語ってるんだ?ww
679 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/11(水) 02:25:15.22 ID:nKLNMXab
どうも、この私と似た感じの方が今、 このスレでの話題の中心になってるようですねぇ! ゴータマは、 「アートマンはない」と述べたことは一つとてないのです。 「それらはアートマンではない」(非我)としかいってない。 無常であるから、自己(仮和合の私)もまた流転変滅を繰り返すのだ、と。 本来は、「無常」と「非我」とは別々の事柄(意味合い)に過ぎないのであるから、 流転変滅して止まないのが自己(の性質)である、というだけで良かった筈なのです。 けれどもゴータマは、「生滅変化するものは自己ではない」といったのです。 思い通りにならないことが苦であり、「思い通りにならないものは自己ではない」といった。 このことは実に重要であって、 これらを裏読みして言い換えるならば、 「自己とは不変であり、自在である」ということにもなるのです。 諸行無常の「諸行」と諸法無我の「諸法」とは、 共に、一切皆苦として使われる「一切」と同義的なものです。 その仏教の根本真理に使われる「一切」が、現象界に限定されて使われるものだということを 私は繰り返し繰り返し、水野『要語』から引用指摘してきたわけです。
680 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/11(水) 02:26:36.32 ID:nKLNMXab
仏典における「一切」も、ちゃんと読むならそのことが判る。
>>462 >ブッタが語っているのも、「この現実世界で観測できる事実」のみです。
>「一切」と表現されているのがそれです。
この説明はとてもいいですね。
初めてのパーフェクト賞がでましたw
>「「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。それは、眼と眼に見えるもの、
>耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身
>体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
>誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それ
>は結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。さらに彼を問い詰めると、その主
>張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故か。何故なら、彼の主張
>が彼の知識領域を越えているからです。
>(サンユッタ・ニカーヤ) 」
それは無いのではなくて、
確認のできない知識領域を越えたものについては認識できないということ。
実に、この認識領域を超えた領域がニルヴァーナに他ならないのです。
そこに真実の自己である不変の真我を見出すのですが、それを指し示すことは決してできないということ。
指し示すことのできるすべては自己ではない、と。
不変のもの(自己)はない、
は現象界(有為)に限定した話(認識領域の範囲)であり、
ニルヴァーナ(無為)には適応されないということ。
従って、不変の自己たる真我についての矛盾とはならない。
681 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/11(水) 02:28:34.67 ID:nKLNMXab
>>470 >ちなみに宝珠は、「アートマン」は絶えず変化をし、無常なんだから仏教の教義に
>反しないと あなたと同じことを言うわけだw
これをもっと正確にいうと、仮和合の自己(今の私たちが自分で自覚できるアートマン)は生存の度
(転生毎)に異なる存在へと変化流動しています。
この転生から転生へと業を継続する主体(アートマン)が不変の自己だと説くのが一般的なヒンドゥー
信仰であり、尚且つ、民間信仰のレベルでは一様にして、生前のパーソナリティーそのままに不変であ
ることを願っているのです(一般の多くの大衆はこの日本においても同様)。
しかし、これは間違い。生前のパーソナリティーは死後に一定期間(中有など)を経て完全に消滅、
自然界に分解還元してしまいます。個々のパーソナリティーを超越した魂存在としてのアートマンも、
存続できるのは輪廻の間に限られるということ。要するに、魂とて不変ではなく、輪廻転生が終結して
旅の終わりを迎えるときに、即ち、解脱する瞬間においては完全に消滅するのです。このとき、自己と
呼べるものの全ての消滅を体感します。
この流れにおける意識の焦点は、生存中の「仮和合の自己」→肉体消滅後の「五蘊の部分」→「魂」
へと移行していき、最後には自己と同化していた自己意識の魂すらも消滅する。
そして、この後に自然と立ち顕れるのが不滅の自己存在である「真我」だということ。一般にヒンドゥー
聖典が謳うのは、この真我の部分だけなので、人々は魂などと混同しているのが実情なのです。
これではゴータマも、「ハイそうです」とは言い難かったのも頷けるというものです。
682 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 02:42:05.29 ID:FaCO5W/j
>>679 >どうも、この私と似た感じの方が今、
このスレでの話題の中心になってるようですねぇ!
違うよww 今までのレスをちゃんと読めw
この「20年以上坐った君」は、どちらかと言えば、お前のスタンスと
正反対だよ。
1。いわゆる「超常現象」否定派
2。釈迦についての多くの神秘的、超常的記述も「神格化」と認識
3。『我』についての認識も「現象」
4。これは今までの言質からの推測だが、おそらく「業報論(三世に
跨る)」 も否定派
経典研究と論理的思考により、釈迦の思想に迫ろうってやつだよw
683 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 02:49:13.66 ID:FaCO5W/j
>>681 >要するに、魂とて不変ではなく、輪廻転生が終結して
旅の終わりを迎えるときに、即ち、解脱する瞬間においては完全に消滅するのです。
だから、んな「魂」なんてねえって何度言ったら・・・・・・
「解脱したら消滅するんだから常住じゃない」なんて、言い換えたら
解脱するまでは永遠に継続してしまうだろうが?ww
100世だろうが、200世だろうが解脱するまで永遠に継続する「魂」
なんて仏教は説いてなかったでしょ?wwww
684 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 03:08:07.16 ID:FaCO5W/j
っていうか、お前は新婚なのに、何2ちゃんに書き込んだりしてんだ? んなことしてると、お前の知らんうちに、嫁さんに不動尊、粗大ゴミに だされちまうぞww
685 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/11(水) 03:34:29.52 ID:nKLNMXab
>>683 もっと正確にいうと、
「魂」は輪廻の終焉において「真我」へと吸収され、
そこで、これまでの「個我」意識が普遍意識へと変成するのです。
これをヒンドゥーはブラフマンとの合一であるとか融合などと言っています。
つまり、梵我一如のことであり、ニルヴァーナと同義です(が、私の見解です)。
これらは認識領域を超えたものなので、
形而上学的な探求に注目する無駄を指摘したのがゴータマの態度だったのでしょう。
縁起氏がいうヒンドゥーの三昧境地をニルヴァーナと誤解する恐れについてというのは、
実は、これは自己意識の焦点が魂へと移り、魂と完全に同化している状態をいっています。
もちろん、これはいずれ消失するものであるので、当然、ニルヴァーナではないということ。
けれども霊的歩みの段階としては、まずこのレベルにまで到達する時がいずれはやってきます。
>>684 あっははは!
たぶん大丈夫ですよぉ^^
妻は、昨日も沢山のお供物を買ってきてお不動様に上げていた(笑)
私はお小遣いが絞られているから、ホント時々、小額少量しか買えないけれど、
妻自身は高いものをドーンと買ってきますわwww
しかも最近は
私が勤行を終えると「ご苦労様」と頭を下げるようになった。
こりゃー大変な進歩ですわw
686 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 04:22:03.39 ID:nl15FcDd
横からいきなり質問で恐縮ですが、 日本仏教の「先祖供養」という概念は、 仏教の本来的な思想とどう関連付けられるのですか? 釈迦は先祖供養を否定するようなことを言ったと聞きましたが、 日本仏教は、そことどう折り合いを付けているのですか?
687 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/11(水) 04:30:16.88 ID:nKLNMXab
>>683 >100世だろうが、200世だろうが解脱するまで永遠に継続する「魂」
>なんて仏教は説いてなかったでしょ?wwww
『外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体と
して業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。
それは不生不滅でなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為
法である。』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』p164)
688 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/11(水) 04:45:55.57 ID:nKLNMXab
>>686 ゴータマも両親に日々感謝して、大切にするよう説いていますから、
亡くなった両親、及びそのまた上の代々・・・の先祖たちに対しても、
当然、感謝の念を抱いていたり、また或いは、
あの世及び来世での更に良き界への移行と安住を願うことも、
ごく自然な感情というものでしょう。よって、これも美徳の範疇です。
ただ、具体的にいうと、
大乗が説いたような追善供養なる教え(子孫による祖霊供養による効果)はなかったようです。
基本的には、自己の行く末はあくまでも自己の行為の結果次第という考え方です。
日本仏教の先祖供養は、
シナ(当時の中国)を経由して伝来した北伝仏教であるというところにカギがあると思います。
儒教思想の両親と先祖を敬う強い影響を色濃く受けて、位牌(祖霊を奉る対象物)と共に導入されました。
あと、神道からも祖霊供養の担当が仏教側へと移されて行った・・・。
更に詳しくは、他の皆さんからどうぞ。
>>じゃ僕が勝手に経典書いてでっちあげたら、それは縁起により仏説になるのか? >なることもあるし、ならないこともある。だから「縁起」なんだよ。 この回答は凄いね。 創作経典をあらかじめ埋めておいて、「埋蔵経典が発見された!」とかいう 恥知らずを弁護しないといけない派に属しているならともかく、これは酷い。 それがあくまで正しい教えだと言うのであれば、「仏教」を名乗らず創作経典 を元に新宗教を起こせば良いだけなのに。 まあ、釈迦の威を借りなければ人も金も集まらないし、正統仏教を主張して 他派を弾圧した過去も総括しなければいけないから、路線変更は無理なんだろうな。
690 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 09:23:13.27 ID:kvQ4AoLH
691 :
てすと :2011/05/11(水) 09:37:06.36 ID:5HN0LK34
なんか原始仏教はネタが過去に出つくしてまったく面白くないので、修験道とかお遍路の話でもしないか? あれはどういう理屈?
692 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 10:16:56.37 ID:FaCO5W/j
以前、縁起一代と偽経について話したとき、「全ての経が真教」ってのが 一代の基本スタンスだったなw だから埋蔵経典も勿論認める。「でも中には、不届きものの仏弟子が勝手に 創作したもんも混じってるだろ?」との指摘に、一代は 『その経によって解脱者が出たか否かで、真教と偽経の判別ができる』と言ったなw その言葉を聞いたとき、「良くも悪くも、確かにこいつは宗教者だ」と思った ことを覚えてるww しかし、心情としては「ダイヤモンドヘッド経」は、ちょっとなwwww
693 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 12:28:56.20 ID:bbKT2+JS
>『その経によって解脱者が出たか否かで、真教と偽経の判別ができる』と言ったなw 行法の部分を実績ある阿含経や大乗仏典からパクればおkじゃね? 他の経典、修行法とセットでやっていても、解脱の功績があったと カウントしてもらえるのかな。
>>691 最古の修行者の形だろ。
精舎も寺も、もともと無かったから。
経典の内容を律儀に守ろうとしたら
結局、流浪の民が乞食しかないわけで。
出家はほんとに家で住むなだからなあ。
遍路とか歩く瞑想の意味とかだったらこのスレでふっても
無駄だと思う。
695 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 17:03:11.05 ID:RBNDHljz
696 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 18:49:13.73 ID:s4Jpi2ns
釈迦在世時、宗教的な事柄が文字に記されず、仏典も長い間口伝されてきた。 それでも法華経は書写を薦める。ティク・ナット・ハンの『法華経の省察』では 法華経の記述を、(歴史的次元に対する)本源的次元のもの、と書かれていたな。 本源的次元で説法し続けるブッダは現代に向けてこう説いているかもしれない。 「この経を見出した者、翻訳した者は著作権を放棄すべし。 そしてインターネットにて公開、配布せよ。ファイルを圧縮してサイトに置くならば パソコン初心者でも簡単に解凍できるように、拡張子はzipあたりにするがよい」
>>695 >>692 (
>>689 )
たとえば、
或る僧侶が四諦八正道を語ったとする、(或いは記したとする)、
この時、【この「言葉」】は「仏説」か否か、【この「内容」】は「仏説」か否か、という問題だよ。
もし、これを「否」と言うならば、
一つの例外も無く、現存仏典全てが《「仏説」ではない》ということになる。
語ったのが、伝聞したのが、著したのが、「直弟子・孫弟子か、はるか後代の者か、21世紀の者か」、
というスパンの違いでしかない。
また、ここで或る僧侶が「四諦とは、“地水火風”の4大要素それぞれの根源性である」
とその内容を語ったなら、この言葉、この内容は「仏説」とは言えない。
それは、スパンの長短でなく、【内容そのものに相違、誤りがあるから】だ。
或いはまた、或る僧侶が
「(釈尊は言われた)。この全世界の創造者が居り、彼が、空や大地、水や風を作るのを見た。様々な人や生き物を作るのを見た。
私もその中の一人であり、最初に作られた人である。そして彼は、今もまだ我々を観察している」
と語ったなら、内容だけでなく、その言葉そのものさえ、「仏説」とは言えない。
内容そのものに誤りがあり、且つ、そのような言葉・単語(術語)さえ、誤りであり、
【内容のリンクしない】新たな言葉の付加であるからだ。
このような意味(背景)を踏まえた
>>669 >>674 ということを理解していただけるだろうか?
この2chでも、よく交わされる言葉があるだろ?
「いやいや、【お前の言っていること】は「仏説」ではない」 と・・w
今ふと気付いたが、
>>677 >そのオリジナルそのものが、本物である証明は皆無なのだから。
>その【オリジナル】そのものが、【本物】である証明は・・・・・
こいつは何を言ってるんだ?wwwww
「覚り」 の体験をしてから 「経」 を読めば、その 「経」 が真経か偽経か判別できる。 「覚り」 の体験がなく、歴史的事実や文言の言葉尻で考えている間は、いかなる 「経」 についても判別は難しい。
>>679-680 だから、それは「仏説」ではありません、とw
貴方の妄想の補強に仏教を使わないでください。
神智学onlyでいいでしょう?と、何度も進言して差し上げたでしょう?w
701 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 20:25:03.06 ID:7k8QXdSe
>>679-680 それはあんたが神智学の色眼鏡で経典を見るから
「一切法非我」
無為法たる涅槃を含む森羅万象が「我ならざるもの」と説かれている
涅槃すら非我なんだよ
一体どこにアートマンが存在する余地があるの?
702 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 21:24:07.56 ID:RBNDHljz
宝珠、どうした? 新婚パワーを見せつけろ! お前の得意な 「あなたたち仏教徒がゴータマの真の教えを理解していないのです。 では、逆にききましょう。 悟った人は誰なんですか?悟った人は、どこにいるのですか? 涅槃にいるのではないのですか?」 で、反撃しろ! www
703 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 21:27:41.57 ID:RBNDHljz
>>697 十分わかってるさ、セブンw
俺は単純な大乗非仏説に組しないw
705 :
てすと :2011/05/11(水) 21:37:00.75 ID:o5buBIyg
原始vs大乗はつまらんー 仏教やったらUFOにさらわれたとか、そういう体験談はないのか。
706 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 21:43:36.43 ID:RBNDHljz
>>705 いやいや、そのあたりは実は宝珠に期待してるんだ、俺はw
不動の真言唱えてるうちに、きっと、とんでもない体験をしてくれるとw
こいつは期待を裏切らないwww
>>705 SF妙法蓮華経って小説があるんだが、結構おもろいよ
708 :
てすと :2011/05/11(水) 21:48:45.83 ID:o5buBIyg
全然関係ないが、セックス禅という仏道修行法を考えた。 これで悟れるはず。 釈迦に「暇なんですけど、どうすればいいですか?」と言ったらどんな答えが帰ってくるのだろう。 仏典には書いてなかった気がする。
709 :
てすと :2011/05/11(水) 21:54:40.22 ID:o5buBIyg
すったにぱーた 学生てすとの質問 「世尊よ、毎日が退屈でたまりません。お金も暇もあるのですが、特にやりたい事もありません。どうしたらよいでしょうか?」
暇な人間って理解できないな 学ぶことが多すぎて毎日時間が足りないんだが それに、集中して自己観察してれば忙しすぎて暇を感じる暇もない 退屈とか暇とか言ってる人は怠けてるだけなんじゃない?
711 :
神も仏も名無しさん :2011/05/11(水) 23:08:52.98 ID:FaCO5W/j
>>709 師は答えた
「全てのお金を私に布施するのです。その後、一心に働き私に布施するものを
稼ぎなさい。ーーーーーこれが最上の汚れなき道であると、わたしは説く。」
712 :
てすと :2011/05/11(水) 23:12:49.85 ID:6iV/6omN
>>710 世俗にまみれたあなたには理解出来ないでしょうね。
シャーリプトラもモッガラーナも世の中暇過ぎてつまらないから出家したのです。
713 :
てすと :2011/05/11(水) 23:15:09.92 ID:6iV/6omN
715 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/12(木) 00:10:10.32 ID:NFywp5LD
>>701 >それはあんたが神智学の色眼鏡で経典を見るから
神智学は、
いろいろ気付くのを容易にしている便利なツールなのです。
あなたが語るのはただの一般論(誰でも知ってる仏教解説の類い)に過ぎないものです。
>「一切法非我」
>無為法たる涅槃を含む森羅万象が「我ならざるもの」と説かれている
>涅槃すら非我なんだよ
>一体どこにアートマンが存在する余地があるの?
ですから、
仏教が説く一切法には涅槃(無為)は含まれないのですよ。
従って、非我(無我)は涅槃には通用しないということ。
これら水野氏の解説(下記、リンク先の投稿)の一体どこから、
涅槃が非我なんていう論理が導き出せるのです?
あり得ませんね・・・。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1302158994/5-6 http://mimizun.com/log/2ch/psy/1302158994/207-209 このことを知っており、、
理解する仏教者は殆ど皆無ということですかね?
つまり、分った者は仏教徒の肩書きを自ら捨てるでしょうから・・・。
そして、仏教徒であるかないかなど、どうでもよくなる、と。
716 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/12(木) 00:12:58.15 ID:NFywp5LD
>>708 後期大乗としての密教には素晴らしい側面を持ちますが、
その輝かしい発展も後期密教にまでなると、
とうとう、ヒンドゥー・タントリズムのシャクティ派とも融合してしまい、
SEX密教を持ち出してしまった。
そこまでする“必要性”は全然ないですね。
要するに、ただの堕落です。
>>706 >こいつは期待を裏切らないwww
待っててね!!!
>>715 >あり得ませんね・・・。
その考え方自体が「あり得ない」www
2500年の間、そのような考え方の仏教は、世界中どこにも存在しなかったし、今もしていない。
この715始め、全て完全否定済だった筈だが?w
托鉢って、要は乞食ではないんですか? ブッダの入門書を読んでいるのですが、在家信者がいないと成り立たない教団に疑問を感じます。
719 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/12(木) 00:28:06.99 ID:NFywp5LD
>>717 だから、2500年間も本家のインドでは誰にも相手されない。
悦に浸っているのは仏教者だけ。
他のインド人は見向きもしない。
好きにさせてくれてるだけ。
あと、チヤホヤしてるのはインド宗教をよく理解してない
東南アジア諸国やチベット、日本人だということ。
720 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/12(木) 00:33:02.75 ID:NFywp5LD
>>718 本来の意味からすれば、
それは“在家信者であるかどうかに関らず”、
貧しい者や出家修行者(宗教を問わず)に対する施しの気持ちを持たせて、
布施(供養)の行為をしてもらうということに本島の意義がある。
これが托鉢者にとっての食となり、施主にはその功徳があります。
721 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/12(木) 00:34:11.62 ID:NFywp5LD
チヤホヤて 失礼な インドでないがセイロンも仏教徒多いです 民族性国民性にマッチした宗教 日本は仏教だった ただそれだけ
723 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 00:40:53.68 ID:5uGxd0vO
「はっきり言おう。布施に功徳なんてありません。 そんなもんがあるように思わせて、布施させるなんて詐欺です。」 以上、てすとが言いそうなことでした〜www
>>718 キーワード:
「世間/出世間」 「生産/非生産」 「食施・財施/法施」 「役割分担・担当領域」
「執着・欲、因・縁、煩悩」 「子のある者は子について憂い、牛のある者は牛について憂う」
「負債無き生活」 「本来無一物」 「行雲流水」 「放下著」
>>720 そこで、「施し」の意味・ベクトルしか出てこない所が、貴方の浅さと限界なんですよw
725 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 00:55:59.80 ID:5uGxd0vO
「布施」はね、在家の人たちが『させてもらうの』 こう言うと 「なに上から目線で、偉そうにいってるピカ。 ものをもらうのに、あげる方が『させてもらってる」なんて、とんでも ないピカ。くそ坊主はみな死んだらいいピカ。」 という声がどこからともなく・・・
そういえば、例の彼は、 原始仏教及び上座部に代表される「非生産性」と、(特に禅系の)「作務」及び自給自足については どう考えてんだろうね・・。
727 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 01:11:28.02 ID:5uGxd0vO
>>726 その辺は、お題になってなかったからなあw
暇なら答えてみんか? > ID:14gX+Elg
あ!そうか
>学ぶことが多すぎて毎日時間が足りないんだが
だったかww
728 :
718 :2011/05/12(木) 01:17:21.12 ID:lO66RKcM
レスありがとうございます。 出家者は理想を求めてるが、理想的な生活はしていないと思いました。
729 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 01:20:07.27 ID:5uGxd0vO
道元さんは、「作務」を座禅と等価、あるいはそれ以上に重視してた みたいだね。 特に典座を重視したみたいだね。
>>726 例の彼が誰か知らないけど、727にふられたので答えてましょうか。
>原始仏教及び上座部に代表される「非生産性」
非生産性?
とても生産的だと思いますが?
たくさんの人を導き、浄い心をたくさん生産しているのですから。
>(特に禅系の)「作務」及び自給自足については
>どう考えてんだろうね・・。
彼らは出家ではありませんから、別にどうってことはありません。
>>727 息抜きに2chに書きこむくらいの時間はあるよw
あと数日間は。
731 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 01:25:03.26 ID:zqBQqDva
>>715 三法印の時点で一切法と一切行は使い分けられてるのに
一切法=諸行なんて雑な解釈は成り立たない
涅槃が作られざるもの、恒常不変であるのは、それが完全な消滅であるからにすぎない
涅槃が消滅であるゆえに、それはロウソクの火が吹き消えた状態に喩えられるんだよ
消えたロウソクの火はどこに行ったのか?
あるとかないとか思慮分別を超えた摩訶不思議な世界に行ったのか?
こんな質問が馬鹿げてるってのは小学生でも分かる
ただ単に消えて存在しなくなっただけだろうが
732 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 01:26:45.60 ID:5uGxd0vO
>>728 >出家者は理想を求めてるが、理想的な生活はしていないと思いました。
う〜ん、それは「誰からみて『理想的』であるか?」ってことだね。
例えば、(今はしらんけど)昔の出家者たちは深山幽谷において
それこそ、その日の糧にも困るような生活の中で修行をしていたが
それこそが彼らにとっては「まさに理想の生活」だったわけでしょ?
勿論、在家から見れば、「そんなのヤダ」ってなるだろうけどねww
733 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 01:34:54.45 ID:5uGxd0vO
>>730 >彼らは出家ではありませんから、別にどうってことはありません。
20年間、禅坊主にいじめられてトラウマになってるんじゃねえか?w
>>718 > 托鉢って、要は乞食ではないんですか?
その通りですよ。
托鉢は乞食(こつじき)です。行乞とも言います。
> ブッダの入門書を読んでいるのですが、在家信者がいないと成り立たない教団に疑問を感じます。
修行者が修行に専念できるように、民衆が支援するのはインドの伝統なのです。
ブッダの教団に限らず、そのはるか前から、常識の習慣なのです。
他の教団もそうです。ジャイナ教も托鉢をします。
もし托鉢の伝統のない国で誕生したのなら、その社会にあった仕組を作ったことでしょう。
735 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 01:41:06.37 ID:5uGxd0vO
最後に禅寺でるとき 「警策とりあげて、坊主頭めがけて、フルスィン〜〜〜〜〜〜グ くらいのこと、やってこなかったのか?ww」
>>733 事実を申したまでです。出家の定義に当てはまりませんから。
しかも禅の雲水は平気で暴力をふるいます。暴力も方便だとか
色々理屈付けて詭弁で正当化しますが、仏道を歩む者にあるまじき行為です。
いくら修行しても、暴力ふるった時点で全て台無しで、何の成長もありません。
暴行罪で逮捕されるレベルです。訴訟されたらどうするんでしょうね。
信じ難いことに、坐禅中の人にまで暴力をふるいます。狭窄というバットで人を殴る
のです。
737 :
718 :2011/05/12(木) 01:43:30.15 ID:lO66RKcM
>>732 そうですね。
ブッダも相手がくれるっていうものを貰ってただけで、
なにも貰えなければそこいらの木の実でも食ってたろうし。
パトロンになってくれる人がいれば、布教の為には受け入れた方がいいだろうし。
一部のくそ坊主は知りませんが。
警策でした。 まあ狭窄も本質突いた誤変換だな。
740 :
てすと :2011/05/12(木) 05:56:39.75 ID:hZYm0b5+
>>714 上座の出家は知ってるけど、原始の出家は見た事ないぞ。
原始抽出組ってどこで出家してるの?
保守系の上座で原始抽出なんて行ったら寺を追い出されるでしょ。
>>740 「どこで出家」ってどういう意味?
出家するのに特定の場所や教団は必要ないでしょ
経典にも書いてあるでしょ
在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。
742 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/12(木) 09:27:26.01 ID:NFywp5LD
>>731 仏教では、
涅槃は「有無」の次元で述べられることはありません。
>三法印の時点で一切法と一切行は使い分けられてるのに
>一切法=諸行なんて雑な解釈は成り立たない
『この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。(p160)』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
743 :
てすと :2011/05/12(木) 09:43:30.48 ID:APrk99RA
>>741 いや、場所は必要でしょ。
警察に捕まりますよ。
744 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 10:57:28.07 ID:2mbRhtlZ
出家(家出)がもたらす個人的・家族的・社会的害悪をもっと真剣に考えるべき。 出家者は、社会とそれへの貢献から離脱することにより、人間としての成長はその 時点で停止し、家族、その他身近な人々には、耐え難い苦悩と悲しみを与える。 出家を勧める宗教は、特に悪質なカルトである。釈迦や麻原がその典型例。
745 :
てすと :2011/05/12(木) 10:58:32.52 ID:69v1y3J/
警官「そこの人、何やってんの?」 「ぼぼぼ、ぼくは、さささ、犀のつつつ、、」 警官「公園は住むところじゃないんだが」 「しし、しゃ、釈尊のオリジナルが、、」 警官「宗教?届け出のある施設に行きなさい。」 「ばば、場所は関係ないと、き、経典に、、」
僧侶という最高に社会から尊敬されねばならない人々に出家者用の精舎を提供しない現代日本は根本的に腐った社会である。出家は誰でも自由におこなえ、社会は彼らを敬うべきである
出家者には最高の食事と生活空間が与えられ、交通期間もすべてフリーパスを与える。医療費も全額無料。みんな出家したがるだろう。瞑想し、女とセックスしない者以外は放逐する。最高級ホテルを比丘に提供し、最高級の美食を与え、最高の医療を提供する
>>745 レスの意図は分かるが、吃音症の人を馬鹿にしているニュアンスが読み取れてしまうな。
749 :
てすと :2011/05/12(木) 11:51:45.29 ID:69v1y3J/
>>784 馬鹿にしてると思うならそれでいいよ。
あなた、病人や障害者に嫌われるタイプだね。
>>743 >警察に捕まりますよ。
何の罪状で?
ホームレスなんていくらでもいるのに
>>749 >馬鹿にしてると思うならそれでいいよ。
貴方が「それでいい」と思ってもしょうがないだろw
現代社会で厳格な出家をする困難さを、皮肉を以て表現するのは良いんだが、
そのアホらしさを表現するのに、「馬鹿の象徴」として吃音症を使っているように読める。
貴方のレスは、吃音に苦しむ人をも嘲笑する行為に見えると、指摘したんだよ。
まあ、スレ違いの揚げ足とりだから、これ以上レスつけんでもいいが、
からかうレスを付ける時には、表現に気を付けようぜ。
752 :
てすと :2011/05/12(木) 15:39:25.00 ID:JtQY0zMU
>>750 乞食は軽犯罪法違反
>>751 >貴方が「それでいい」と思ってもしょうがないだろw
職務質問でオタオタしてる表現を、あなたが吃音だと感じるなら、「それでいい」というしかないでしょう。
そう感じる人もいるし、感じない人もいるのだから、私はあなたの感性を尊重しているだけです。
>表現に気を付けようぜ。
あと2ちゃんだからいいけど、当事者でもないのに、「そういうのやめようぜ」的なセリフはリアルではあまり言わない方がいいと思いますよ。
そういうセリフが一番傷つくと思いますよ。
まあスレ違いなのでこの辺で。
>>752 > 乞食は軽犯罪法違反
は? 根拠は?
出家でなく一般の人でも、リストラされたり就労できずにホームレスになる人が
たくさんいるが、それが軽犯罪法違反なら、生きてるだけで必然的に違法となる
ような法律の方がおかしい。憲法違反だろ。
754 :
てすと :2011/05/12(木) 15:55:46.50 ID:JtQY0zMU
>>753 軽犯罪法
第1条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
1.人が住んでおらず、且つ、看守していない邸宅、建物又は船舶の内に正当な理由がなくてひそんでいた者
4.生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの
22.こじきをし、又はこじきをさせた者
32.入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた者
>>754 なるほど。1や32が犯罪なのは当然だが、
4と22は法律の方がおかしいな。
日本で出家が制度上不可能なら、
>>714 > ならばあなたも出家したら?
は、出家できる国に行って出家すればよい。
4条で「この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない」 とあるから、現実に、出家がホームレスそれだけを理由に軽犯罪となることは日本でもないと思うけどね。 そんなことしたらその法律が違憲だという問題に発展するだろうし。
758 :
てすと :2011/05/12(木) 16:20:31.60 ID:JtQY0zMU
>>756 上座ではなく、原始仏教の出家が出来る国ってどこですか?教えてください。
東南アジアでは上座寺院に属さないと出家ビザがおりません。
釈迦オリジナルの言葉でない経典を学ぶのは嫌です。
>>757 犯罪だけど、捕まえる側は事情をよく考えるように、という事ですから、犯罪は犯罪です。
いつでも捕まえられるけど、捕まえるかどうかは警察の判断という事でしょうね。
でも新宿駅でこじきやってたら、高い確率で拘留されると思いますよ。
>>758 > 上座ではなく、原始仏教の出家が出来る国ってどこですか?教えてください。
どこでもできるでしょ。
> 東南アジアでは上座寺院に属さないと出家ビザがおりません。
> 釈迦オリジナルの言葉でない経典を学ぶのは嫌です。
ビザの問題があるなら、日本籍捨てて帰化してしまえばいいでしょう。
まあ日本でも出家は可能だと思いますが。
どうしても法律と矛盾するところが出てくるなら、許される範囲で努力すれば
いいだけです。仏教は「中道」ですよ。
出家は、自分の意思で所持しているものを捨てなさいということであって、
社会制度上捨てられないものまで捨てなさいということではありません。
捨てる方法が無く仕方なく持っているものには「執着」しているわけではありませんから。
>
>>757 > 犯罪だけど、捕まえる側は事情をよく考えるように、という事ですから、犯罪は犯罪です。
起訴され、有罪になってはじめて犯罪です。
特定の行為が犯罪の構成要件に該当しているのかいないかは、裁判してみるまでは
解らないのだから。あなたはその行為が犯罪であると思っても、裁判所はそうは解釈
しないかもしれません。
> でも新宿駅でこじきやってたら、高い確率で拘留されると思いますよ。
任意で職務質問されることはあるかもしれませんが、すぐ開放されるでしょう。
>新宿駅でこじきやってたら 駅というのを見落としてましたが、 新宿駅は鉄道会社の施設内ですから、そこで鉄道会社の支持に反することしたらダメに決まっています。
そういえば日本の大乗のお坊さんも托鉢を新宿駅で時々やってますが、 別に問題になってるようには思いません。 ホームレスが排除される理由は、格好が汚かったり、悪臭を放ったり、 駅構内で寝たりするからでしょう。 毎朝沐浴し、身奇麗にして托鉢すれば、誰の迷惑にもならないし、問題にならないの ではないかな。そもそも見た目では上座部の比丘と区別つかないでしょう。 やってみないと分かりませんが。
新宿駅で托鉢する坊さんもホームレスも同じ乞食のはずなのに、 一方は黙認されホームレスは排除されるのは、面白い対比ですね。 人は見かけで判断されるということでしょうか。
763 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 17:07:02.02 ID:wJmP8Suc
>>742 >仏教では、
>涅槃は「有無」の次元で述べられることはありません。
それは言葉の問題だね。
あんたは有無を超えてるといいつつ、有的にアートマンとして捉えてる。
それはラベルを張り替えて、有を主張してるだけ。
>『この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。(p160)』
大先生のお言葉を持ち出すだけでは反論にならんでしょ。
その根拠は?
>>754 >>758 判例があるようですw
ttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1236082151/ 「「職業に就く意思がないままうろついた」として逮捕され、その後覚せい剤取締法違反で起訴された男性逆転無罪 大阪高裁」
「求人情報誌を持っていたのに、職業に就く意思がないままうろついたとして軽犯罪法違反(浮浪)の
疑いで奈良県警に現行犯逮捕され、その後、覚せい剤取締法違反(使用)の罪で起訴された
無職男性(43)の控訴審判決で、大阪高裁は3日、懲役3年の1審奈良地裁判決を破棄、逆転無罪を
言い渡した。
判決理由で古川博裁判長は、浮浪容疑での逮捕は「働く能力がありながら職業に就く意思がない」
とする軽犯罪法の要件を満たさず違法と認定。その上で覚せい剤使用について「違法な別件逮捕中に
収集された証拠で無効」と判断した。
」
「浮浪容疑での逮捕は「働く能力がありながら職業に就く意思がない」
とする軽犯罪法の要件を満たさず違法と認定。」とありますから、
逮捕したことが違法であり、浮浪自体は違法ではありません。
これで安心して出家できますね。
765 :
てすと :2011/05/12(木) 17:15:49.61 ID:JtQY0zMU
>>759 >どこでもできるでしょ。
どこでもって、入国できない国でどうやって出家するんですか?
>捨てる方法が無く仕方なく持っているものには「執着」しているわけではありませんから。
なるほど。
自分も別にお金持ちになりたいわけじゃないけど、なんとなくお金がたまっているし、
女の子も口説いてるわけじゃなく、なんとなくやれそうな子とやってるだけだし。
出家とは言っても無理に捨てる必要ないのですね。
766 :
てすと :2011/05/12(木) 17:18:30.96 ID:JtQY0zMU
>>761 水はタダじゃありませんよ。水は貴重なものなのです。
ドブ川で沐浴したらかえって臭くなるし、病気になってしまいます。
>>762 文部科学省に届け出がある宗教団体できちんと許可をとってるんじゃないですか?
無所属の出家だと、テロリストの可能性もあるし、治安対策上しらべないと。
>>764 出家する人は求人情報誌持ち歩いてるの?
例の彼は、お花畑脳でもあったか・・w 今の一連の流れ、てすとが正論&実状だぞw
>>765 入国できるとこで出家すればいいし、今まで説明したように日本でも可能です。
>>765 > 出家とは言っても無理に捨てる必要ないのですね。
捨てることが可能(制度上)なものを捨てないのは出家とは言わないでしょう。
>>766 別にドブ川で沐浴しろなんて言ってませんよ。シャワー浴びればいいでしょう。
健康ランドもあるし、友人宅で借りることもできるでしょう。
>文部科学省に届け出がある宗教団体できちんと許可をとってるんじゃないですか?
さあ、そんなこと調べてるかどうかなんて知りません。というか具体的な容疑でも
無い限り、そんなこと調べること自体信仰の自由に反するとして問題になるでしょう。
そもそも宗教団体の届け出は、「宗教法人」として税制優遇などを受ける時に必要
なだけで、宗教活動するのに届けでが必要なわけではありません。
宗教法人格を取らないなら、一般企業が宗教活動するのも自由でしょう。税金は
優遇されませんが。
>
>>764 > 出家する人は求人情報誌持ち歩いてるの?
求人情報誌持たずに浮浪すれば有罪になると思ってるの?
求人情報誌持ってるか持ってないかが争点ではないでしょう。
>>768 20年禅宗に絡んでいて「托鉢免許」の存在を知らんのか?
実質「形式的発行」に過ぎないながらも、そのようなものの発行がされている理由(→発行されなければならない理由)を
推測してみたことも無いか?w
770 :
てすと :2011/05/12(木) 17:35:19.64 ID:JtQY0zMU
>>768 >入国できるとこで出家すればいいし
それならどこでもできるとか無責任な事言わないでください。
>捨てることが可能(制度上)なものを捨てないのは出家とは言わないでしょう。
でも袈裟を捨てたら公然猥褻で捕まってしまいますよ。
真っ裸は恥ずかしいですし。
>健康ランドもあるし、
お金かかるじゃないですか。
>求人情報誌持ってるか持ってないかが争点ではないでしょう。
「求人情報誌を持っていたのに、職業に就く意思がないままうろついたとして軽犯罪法違反(浮浪)
「働く能力がありながら職業に就く意思がない」とする軽犯罪法の要件を満たさず
ここで無罪になったのは、就労意思があった(要件をみたさない)からです。
>>769 もちろん知ってますよ。托鉢免許は、歴史的経緯の名残で存在しているだけで、
托鉢免許証の携帯義務は廃止されています。
持っていなくても何の問題もありません。
772 :
てすと :2011/05/12(木) 17:44:35.75 ID:JtQY0zMU
>>768 >信仰の自由に反するとして問題になるでしょう。
信仰が自由だからといって、信仰に基づく行動が自由というわけではないでしょう。
信仰生活はルールを守って行うべきですね。
>>771 だからwww
今現在の要不要なぞ話題にしてないでしょう?w
なぜ、必要とされたか?の理由、今現在廃止されていない理由、が当然あるわけだ。
それを考えたことがあるか?という意味だが、お子様には難しい文章だったか?
>歴史的経緯の名残で
今の一連の流れは、まさにその >歴史的経緯 (≒発行理由)と直結した話題だろうがw
>>770 > >入国できるとこで出家すればいいし
> それならどこでもできるとか無責任な事言わないでください。
そもそも入国できない国には入れないのだから、「どこでもできる」ってのは
「行ける場所ではどこでもできる」という意味であるのは分かるでしょう。
行けないところを前提にして何の意味があるんです。
何度も書いてますが、制度上できる範囲でやればいいのであって、観光ビザが
取れるなら観光ビザでもいいでしょう。
>捨てることが可能(制度上)なものを捨てないのは出家とは言わないでしょう。
> でも袈裟を捨てたら公然猥褻で捕まってしまいますよ。
> 真っ裸は恥ずかしいですし。
だからそれは「捨てることが可能(制度上)なもの」に当てはまらないでしょ?
> >健康ランドもあるし、
> お金かかるじゃないですか。
もちろんですよ。だから托鉢するのです。必要ならパトロンを見つけたり、
理解者の協力を得ることもあるでしょう。
> ここで無罪になったのは、就労意思があった(要件をみたさない)からです。
それは記事のタイトルからの推測であって、裁判所判断がそれとは読み取れませんが、
かりにそうだとしても、それは「就職情報誌を持っていない=要件を満たす」という根拠
にはなりません。
それに、出家者の真意がどうあれ、「托鉢」も「生計の途」と認定されるかもしれませんし、
実家に住民票があればそこを住所地と認定されでしょうから、「住所不定」という構成要件にも当たらないでしょう。ブッダだって度々実家(カピラバストゥ)を
訪れていたのです。
>>772 > 信仰生活はルールを守って行うべきですね。
もちろんそうです。だから法律の許す範囲内で、現実的にできる範囲でやればよいのです。
どうもあなたは極論に走る傾向があります。出家は別に苦行ではありませんし、違法行為をせよ
と言っているわけでもありません。
> 今現在の要不要なぞ話題にしてないでしょう?w
> なぜ、必要とされたか?の理由、今現在廃止されていない理由、が当然あるわけだ。
> それを考えたことがあるか?という意味だが、お子様には難しい文章だったか?
もちろん分かりますが、話が脱線してるでしょう。それをテーマに話したいなら、
今の流れとはまた別にやるならかまいませんが。
> >歴史的経緯の名残で
> 今の一連の流れは、まさにその >歴史的経緯 (≒発行理由)と直結した話題だろうがw
いえ、歴史的経緯がどうあれ、法律内で行動するのは自由です。
776 :
てすと :2011/05/12(木) 17:55:21.76 ID:JtQY0zMU
>>774 >「どこでもできる」ってのは「行ける場所ではどこでもできる」という意味である
論破されたからって前提条件変えないでください。
>だからそれは「捨てることが可能(制度上)なもの」に当てはまらないでしょ?
ヌーディストビーチなら、真っ裸でこじきをするのですか?
>だから托鉢するのです。必要ならパトロンを見つけたり、理解者の協力を得ることもあるでしょう。
お金を捨てて、パトロン探すんですか?ちょっと意味わからないです。
自分で通帳を持たずに、他人名義の口座を持てという事ですか?
>「托鉢」も「生計の途」と認定されるかもしれませんし
あははw 裁判所が出家は経済活動と認定したら面白いですね。
出家は捨てるためではなく生計を得るためにやっているという事ですね。
>>776 > >「どこでもできる」ってのは「行ける場所ではどこでもできる」という意味である
> 論破されたからって前提条件変えないでください。
そんな常識的な前提までいちいち全て説明しないといけないなら、会話なんて
できませんよw これは地球の話で、どこか他の銀河にある別の惑星の話
ではないということなども説明しないと分かりませんか?w
> >だからそれは「捨てることが可能(制度上)なもの」に当てはまらないでしょ?
> ヌーディストビーチなら、真っ裸でこじきをするのですか?
その場所が法的、社会的に許されてるなら、別にやりたければやればいいでしょうw
しかしそれは仏法的には極論です。
質素な衣を着ていれば、衣服に関する執着を和らげるには十分でしょう。
華美なものを着るのではなく、最低限の質素なものを身に纏えば十分です。
> >だから托鉢するのです。必要ならパトロンを見つけたり、理解者の協力を得ることもあるでしょう。
> お金を捨てて、パトロン探すんですか?ちょっと意味わからないです。
> 自分で通帳を持たずに、他人名義の口座を持てという事ですか?
他人名義の口座を持つ? ちょっと意味が分かりません。 他人名義の口座をあなたが
(委任なく)勝手に使用したら犯罪でしょう。
> >「托鉢」も「生計の途」と認定されるかもしれませんし
> あははw 裁判所が出家は経済活動と認定したら面白いですね。
> 出家は捨てるためではなく生計を得るためにやっているという事ですね。
出家を何のためにやるかは出家の内心の問題であって、裁判所がその意義を決めることではないでしょう。
「生計の途」とは別に収入を得ることではなく、窃盗など他人に迷惑かけることなく食っているかということでしょう。
まあとにかく、屁理屈ばかり言わず、出家がそれだけで犯罪になると言い張るのなら、そのような判例を出してください。
>>775 >いえ、歴史的経緯がどうあれ、法律内で行動するのは自由です。
お前は本当に馬鹿だな・・。
ある制度(ルール)が制定されるにあたっては、そこに、明確な必要性が認められるからだ。
ある制度(ルール)が廃止されるにあたっては、その必要性が失われた或いは薄れたからだ。
この時、その理由は、その制度要請の根源的理由であるんだぞ。
律へ話を飛ばせば、四波羅夷制定の理由(―エピソードじゃないぞw その「意義」としての理由だ―)なぞ
どうでもいい、ということか?(勿論、エピソード(=経緯)も重要だが。)
五戒にしても十戒にしても、守るべき理由というのがあるわけさ。
同じように托鉢免許も、その発行が開始された時は、(その携帯が義務付けられた時は)、
それが、「行政上(≒社会上)」必要とされたからに他ならない。
ならばその理由は、今の一連の流れと、まさに直結するだろ?と言ってんだよ。
車を運転するのに、なぜ免許証が要るんだい?
なぜ、常時携帯しなければならないんだい?
車の免許だって、一回取ってしまったらそれでいいじゃない。携帯する意味がどこにある?
仕舞われっ放しの免許は星の数ほどある。
教員免許や医師免許なんかもそうだろうな。(ん?あれって、もしかしてホントは携帯義務あんのかな?w)
ま、いずれにしろ、貴方が厨二病だというのはよく判りました。
779 :
てすと :2011/05/12(木) 18:17:42.24 ID:JtQY0zMU
>>777 >会話なんてできませんよw
前提条件を都合よく変えられたら、議論なんてできませんよw
あなたはどこでもって言ったでしょw
>質素な衣を着ていれば、衣服に関する執着を和らげるには十分でしょう。
ユニクロでもいいって事ですか?
>出家がそれだけで犯罪になると言い張るのなら、
言い張りませんよ。出家が経済活動なら軽犯罪の要件に当てはまりませんから。
まあ、出家は職業の一つという事でしょうね。
>他人名義の口座を持つ?
パトロンに執着したらお金すてても同じじゃないですか。パトロンは捨てられるでしょ。
犀の角のように一人で歩め。
>>778 ん? あなたは何が話の主題か全く分かっていない。
>ある制度(ルール)が制定されるにあたっては、そこに、明確な必要性が認められるからだ。
>ある制度(ルール)が廃止されるにあたっては、その必要性が失われた或いは薄れたからだ。
その通りですよ。それと、てすと氏が「法律内(制度内)」で出家することと何の関係が?
>五戒にしても十戒にしても、守るべき理由というのがあるわけさ。
同じように托鉢免許も、その発行が開始された時は、(その携帯が義務付けられた時は)、
それが、「行政上(≒社会上)」必要とされたからに他ならない。
ならばその理由は、今の一連の流れと、まさに直結するだろ?と言ってんだよ。
だから、「今」は「携帯は必要とされない」から携帯義務が廃止されたわけでしょ?
だったら、てすと氏が托鉢免許持たずに托鉢するのに何の不都合もないでしょう。
>>780 ハァ?(゚∀゚)
主題は、《「(ホームレス的)出家生活」と「社会」との関係性》だと思ってたが違うのかwwwww
そりゃ失礼したwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>779 > 前提条件を都合よく変えられたら、議論なんてできませんよw
> あなたはどこでもって言ったでしょw
「行くことができない場所でも、どこでも」という前提条件を僕は言いましたか?
そんな何の意味もなさず、矛盾することが前提になるはずがないでしょう。
そういう共通の常識基盤を持たないようでは、
あなたは人とのコミュニケーションに難があるということになります。
> >質素な衣を着ていれば、衣服に関する執着を和らげるには十分でしょう。
> ユニクロでもいいって事ですか?
執着しないのなら、何でもいいんじゃないですか?
そういうことにいちいちこだわって質問するということ自体が、あなたが強い執着
を持っている証拠でしょうね。
> >出家がそれだけで犯罪になると言い張るのなら、
> 言い張りませんよ。出家が経済活動なら軽犯罪の要件に当てはまりませんから。
> まあ、出家は職業の一つという事でしょうね。
裁判所や社会がそう認定するのは、裁判所や社会の勝手です。
> パトロンに執着したらお金すてても同じじゃないですか。パトロンは捨てられるでしょ。
> 犀の角のように一人で歩め。
原始教団がパトロンや市民からの布施で命を繋ぎ修行したのはあなたもよくご存知でしょう。
「犀の角のように一人で歩め」は布施も受け取るな、という意味ではありません。
布施してくれる人まで捨てたら、日本には勝手に取って食べていい植物なんてのもないのですから
(全ての土地は誰かのもので、そこの作物には所有者がいる)、死んでしまいます。
ですから「布施」は「捨てることが可能なもの」に該当しません。
>>781 違いますよ。
>>714 でてすとに 「ならばあなたも出家したら?」と言ったことにたいし、
出家できない理由をあれこれ屁理屈ならべるので、
「出家は可能」ということを懇切丁寧に説明しているのです。
出家が物理的、法的に可能か否か、という話であって、
《「(ホームレス的)出家生活」と「社会」との関係性》などという抽象的な話ではありません。
784 :
てすと :2011/05/12(木) 18:39:28.74 ID:JtQY0zMU
>>782 >あなたは人とのコミュニケーションに難が
なるほどw いままでコミュニケーションをしてたのではなく、ディベートしてたのかと思ったよw
負けたらコミュニケーション、勝ったら議論と使い分けてるのかと思ったけど、コミュニケーションだったんだねw
いまからコミュニケーションに切り替えますよw
>執着しないのなら、何でもいいんじゃないですか?
「何で」もいいんですね。了解しました。
>裁判所や社会がそう認定するのは、裁判所や社会の勝手です。
ですね。警察が拘留するのも警察の判断ですね。
>布施してくれる人まで捨てたら
ふむふむ自分の人生のために犠牲になる奴隷達は捨てる必要がないのですね。
了解しました。
>>784 訳のわからない人だなw
議論もコミュニケーションの一種でしょう。
コミュニケーションのルールすら分かってい人とは、議論は成立しません。
> >執着しないのなら、何でもいいんじゃないですか?
> 「何で」もいいんですね。了解しました。
「執着しないのなら」という条件を満たしていればね。
> >裁判所や社会がそう認定するのは、裁判所や社会の勝手です。
> ですね。警察が拘留するのも警察の判断ですね。
当然ですよ。
> >布施してくれる人まで捨てたら
> ふむふむ自分の人生のために犠牲になる奴隷達は捨てる必要がないのですね。
> 了解しました。
「自分の人生のために犠牲になる奴隷達」というのはあなたの歪んだ見方であり、
布施してくれる人は喜んで支援してくれるわけですから、犠牲でもありませんし
奴隷でもありません。
>警察が拘留するのも警察の判断ですね。 ただし、その逮捕拘留自体が「違法」でなければね。
787 :
てすと :2011/05/12(木) 18:52:08.40 ID:JtQY0zMU
>>785 >コミュニケーションのルールすら分かってい人とは、議論は成立しません。
あなたの説明が不親切なだけでは?
>あなたの歪んだ見方であり
見方が歪んでいようと、奴隷を捨てる必要がないということなら別に呼び方は関係ありません。
彼らが出家を支える事になんの変りもありません。
>「執着しないのなら」という条件を満たしていればね。
もちろん、しませんよ。
788 :
てすと :2011/05/12(木) 18:54:32.87 ID:JtQY0zMU
>>786 >ただし、その逮捕拘留自体が「違法」でなければね。
それを判断するのは裁判所なので、私たちではありません。
>>787 > あなたの説明が不親切なだけでは?
「行けないところ」には行けない、行けるのは「行けるとこだけ」、ということを説明しないといけないのですか?
> >あなたの歪んだ見方であり
> 見方が歪んでいようと、奴隷を捨てる必要がないということなら別に呼び方は関係ありません。
> 彼らが出家を支える事になんの変りもありません。
「奴隷」ではないのですから、適切な表現ではありません。
奴隷というのは、一般的に、不本意に何かを強制的にさせられている人のことで、
布施は自由意志でするのですから、「奴隷」とは何の関係もありません。
790 :
てすと :2011/05/12(木) 18:57:59.63 ID:JtQY0zMU
とりあえず、制度の範囲で出家すればいいとのことなので早速出家することにしました。 出家場所は2ちゃんねるです。ここで出家するなら誰にも文句言われないですからね。 ではいきます。 3−−2−−−1−−−− しゅっーーーーーーけーーーーーーー!!!!!
791 :
てすと@出家中 :2011/05/12(木) 19:00:24.21 ID:JtQY0zMU
>>789 奴隷というのはこちらが勝手にそう呼んでいるだけなので、布施する本人達には全く関係の無い話です。
現実に、財産、家を捨て、家族から離れて修行することが出家です。
793 :
てすと@出家中 :2011/05/12(木) 19:03:03.46 ID:JtQY0zMU
>>792 もう財産も家も家族も捨てました。すがすがしい気分です。
>>791 だからあなたはコミュニケーションがまともに取れないのです。
あなたが個人的に使っている特殊な表現を使われても、そんなものは迷惑なだけです。
他人に通じる言葉を使いましょう。
カレーをあなたがウンコと勝手に呼ぶのは、あなたの頭の中ではあなたの自由ですが、
他人との会話で使っても他人には意味不明です。
>>793 本当に財産も家も家族も捨ているのなら、あなたは出家です。
てすと が出て来ると、スレの質が落ちてくるな・・・
相手しない方がいいですかね?
>>796 「出家」が、「社会との関係性」と不可分或いは表裏一体の事案であることが判らん奴こそ質を落としてると思うが?w
>>798 『「「出家」が、「社会との関係性」と不可分或いは表裏一体の事案」ではない』なんて
一言も言ってませんが?
どうしてこういう妙な思い込みするんでしょうか。人が言ってもいないことを、そういう
主張をしていると思い込む理由が和なららない。
人が言ってもいないことを、そういう主張をしていると思い込む理由が分からない。
むしろ僕は真逆の主張をしていますよね? 出家のルールは国の法律や制度の制限を受ける。 それがどうして、『「「出家」が、「社会との関係性」と不可分或いは表裏一体の事案」ではない』 なんてことになるのでしょうか?
出家は社会性と表裏一体だと思う。ただし出家を養うにはやはり金がいりやす。したがって日本にが本格的な出家有りの仏教国になるには法改正及び財源の確保が必要
803 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 19:44:25.81 ID:tATdDW7m
>>779 「犀の角のように一人で歩め」どころか、宗教者は必ず群がり、教団を形成するのが
宗教の本質。「釈迦教団」も例外ではない。「思考停止」して開祖や経典に専ら依存
するので、「自分自身」に対する信頼と自信を失うため、一人では存在 できなくなる
からだろう。また、開祖や経典を「絶対化」してしまうため、他者に布教してその同意
を得ずには得られなくなるのだろう。
そもそも、釈迦は「一人で歩め」などと言いながら、何故数十年間も「信者の勧誘」に
努めたのか。釈迦の多くの矛盾・言行不一致の一つである。
宗教者は、己のこの「自己喪失」と「依存性」を、心理学的・精神医学的に分析してくれ。
>>803 > そもそも、釈迦は「一人で歩め」などと言いながら、
「一人で歩め」には条件があります。
「われわれは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分より勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。」
「学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。」
>何故数十年間も「信者の勧誘」に努めたのか。
「信者の勧誘」などしていないと思いますが。釈迦の話を聞き、感銘を受けた人々が、
自ら「弟子にして下さい」と願い出て出家しています。
また、「犀の角のようにただ独り歩め」は精神的自立性を示す言葉であって、 独りきりで生活しろ、という意味ではないでしょう。
806 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 20:08:38.38 ID:tATdDW7m
>>804 そのような「友」を「探し求めて、依存すること」と「犀の角のように独りで歩め」と
いう言葉とは、全く矛盾する。後者の言葉は不要となる。
釈迦はその生涯をかけて、膨大な距離を歩き回って布教した。「独りで歩んでいる人」を
もはや独りでは歩めなくした。これが「信者の勧誘・獲得」でなくて何であろうか。
昔、むかし、はるかな昔は人間の寿命は十万歳が平均年齢でした その当時は文字どうり「かすみを食って」ヒマラヤ山脈で一人静かに森のなかで 花や動物を友とし瞑想三昧の生活ができたのです しかし、周知のとうり劫濁がおこり人間の資質が低下し寿命は百歳以下になると人々は 「食物」やら「快適な住居」を必要とするようになりました ブッダその人はそんなものは必要ありませんでしたが、資質の劣った弟子は病気がちだったり餓えに耐えられない人々をたくさん抱え込むようになり 在家から上等な食事や住居を提供してもらわなくてはならなくなったのです 例えば我々がインドへ旅行へ行ったとしましょう インド人にはいくら暑くても必ずしもエアコンは必要ありませんが日本人には必要です インド人は生水を飲んでも病気にはなりませんが、日本人にはミネラル水が必要です また、おいしい上等の食事も必要になります 末法の凡夫にそもそも出家などありうべからざる事なのです 「本物の出家」はホームレスより本来過酷な生活にさらされますが日本では、というより世界中そうですが 「真の出家」など社会に寄生している時点であり得ないのです ブッダは在家から食事の招待をよく受けましたが、それは「在家に功徳を積ませてやろう」としかたなく同意してやったまでのこと しかし、そんなことより今わたしが苛立つのは、日本の僧侶が下半身の欲望にアバウトなくせに「出家」を名乗ることです それと世間一般でよく言われる「働かざる者食うべからず」というレーニンみたいな愚か者のたわごとを真に受けている人間が日本を仏教ごっこの国にしていることです 「真の僧侶は働くべきではない」し、「社会が面倒をみる」べきなのです だから日本はだめなのです セックスしない。 瞑想修行に励む。以上二点を守るものは「例外なく」「出家認定」して国が手厚く保護すべきなのです そういう政党に票を入れるべきです。誰か「日本仏教民主党」を立党しこの国のカタチを完全に変えて欲しいと願いつつ筆をおきます 日本は資本主義である以上、金がいりやす、金がいりやす、金がいりやす 御嬢さん?
>>806 >釈迦はその生涯をかけて、膨大な距離を歩き回って布教した。「独りで歩んでいる人」を
もはや独りでは歩めなくした。これが「信者の勧誘・獲得」でなくて何であろうか。
また、いつものたわ言が始まったな。 よっぽど暇なんだな。
キミが釈尊の悪口を言うなど、草野球で補欠をしている子供がイチローの打ち方にケチをつけている
ことの1兆倍ぐらい、いやそれ以上に見当違いのことだろ。
「犀の角のように独りで歩め」 = 自灯明
>>806 別に矛盾しませんよ。
そのようなよき「友」に恵まれれば共に学べばいいのだし(それは別に「依存」ではない)、
恵まれなければ一人で修行に専念すればいいのです。
なんかこのスレはひねくれた人ばかりですねw
>釈迦はその生涯をかけて、膨大な距離を歩き回って布教した。
それは、その教えを聞けば救われる人がたくさんいるからです。
>「独りで歩んでいる人」をもはや独りでは歩めなくした。
精神的自立性は、同じ道を歩む人と協力しあって修行しても損なわれはしませんよ。
協力しあえる人がいれば協力すればいいんだし、ひとりの方がいい人はひとり
で修行するでしょう。強制ではないのですから。
810 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 20:38:48.74 ID:tATdDW7m
>>808 釈尊をそれほどありがたがり、依存するのは、「犀の角のように独りで歩んで
いる」ことではないよw。
「開祖に依存せず、犀の角のように独りで歩め」の一文が抜けてるなw。
>>809 宗教とは、「現実離れの観念の植え付けを手段とする信者の精神の心理的操作
による、心理的強制」。
>>810 用事があるので、今日はもう書けないのが残念だ。
キミの馬鹿さ加減にはいつも感心しているよ。
キミは草野球で補欠をしている子に野球を教えてもらいなさいね。
812 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 20:47:47.97 ID:tATdDW7m
>>809 >それは、その教えを聞けば救われる人がたくさんいるからです。
その「救われた」人々は、いままでは「犀の角のように独りで歩んでいた」
のに、それが出来なくなった、ということ。
>>812 > その「救われた」人々は、いままでは「犀の角のように独りで歩んでいた」
> のに、それが出来なくなった、ということ。
なぜ?
その前に「いままでは「犀の角のように独りで歩んでいた」」ってどういうこと?
815 :
てすと@出家中 :2011/05/12(木) 20:53:24.72 ID:JtQY0zMU
>>795 >本当に財産も家も家族も捨ているのなら、あなたは出家です。
もちろん、本当に財産も家も家族も捨ていますので、私は出家です。
世界はすばらしいですね。
816 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 20:56:45.91 ID:tATdDW7m
>>813 開祖・教祖・経典に対する「絶対化」と「依存性」が生じたからだ。
もはや「独りで歩く」ことは不可能になってしまった、ということ。
817 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 20:58:42.47 ID:58fRu71q
マイクロソフト、Windows PCの節電に役立つツールと電子書籍を無償公開 。インストールするだけで平均約30%の節電効果
「Windows PC 自動節電プログラム」
「Windows PC を節電して使う術」
日本マイクロソフト(株)は10日、節電に有効なWindowsの設定をまとめて適用できる「Windows PC 自動節電プログラム」を無償公開した。
現在、同社の特設サイト“Windows PC 節電策”からダウンロードできる。
同社によると、東京電力管内におけるWindows PCの全消費電力は、特別な節電設定が施されていないと仮定した場合でおよそ120万kWにものぼる
しかし、ちょっとした電源設定の変更でこのうちの約33万kWを節電できるという。
しかし、一般的な個人ユーザーにとって、OSの電源設定を適切に変更するのはかなりハードルの高い作業だ。
「Windows PC 自動節電プログラム」は、節電に有効な電源設定を手軽に行うためのソフト。
レジストリの設定などを手軽に行える簡易ツール“Fix it”として提供されており、インストールするだけで効果を発揮する。
同社によると平均で約30%の節電効果が期待できるとのことなので、是非導入を検討してほしい。
ただし、本ソフトは特別な節電関連の設定が行われていないPC向けなので注意。
メーカー製のPCなどで、すでに節電ツールが搭載されていたり独自の節電設定が施されている場合は本ソフトを利用せず、従来の機能・設定を利用するようにしよう。
ほかにも“Windows PC 節電策”では、PDF/XPS形式の電子書籍「Windows PC を節電して使う術」が公開されている。
本書では、“シャットダウンよりスリープが有効な場合がある”などといった、Windows PCの節電に関して知っておきたい基本的な事柄がコンパクトにまとめられているので、節電の参考にしてほしい。
URL
Windows PC 節電策
http://www.microsoft.com/japan/setsuden
>>816 > 開祖・教祖・経典に対する「絶対化」と「依存性」が生じたからだ。
> もはや「独りで歩く」ことは不可能になってしまった、ということ。
それは偽仏教の話でしょう。
ブッダの教団はそんなことはない。
いずれにしろ、「絶対化」し「依存」する人間が現れるのはそれは本人の問題であって、
ブッダの責任ではない。
こういうことがあるから、最初は教えを説くことを躊躇したのかもね。
でも、教えを「曲解」したり「絶対化」し「依存」する人間が現れるマイナスよりも、
正しく理解し解脱する人間が現れるプラスが大事と考えて教えを説いたのでしょうね。
どうせそのような「絶対化」し「依存」するような人間は、仏教でなければ
別の何かを「絶対化」し「依存」するでしょう。
819 :
てすと@出家中 :2011/05/12(木) 21:07:23.57 ID:JtQY0zMU
>>818 釈迦の言葉は絶対です。
釈迦が間違ったことを言っているのなら一例でもあげてごらんなさい。
820 :
てすと@出家中 :2011/05/12(木) 21:09:51.22 ID:JtQY0zMU
>>818 >「絶対化」し「依存」する人間が現れるマイナス
絶対に正しいものを絶対化して何が悪い。絶対に正しいものに依存してマイナスになるわけがない。
あたりまえの事ですよ。
>>819 ん?「釈迦が間違ったことを言っている」なんて言いましたか?
>>820 > 絶対に正しいものを絶対化して何が悪い。絶対に正しいものに依存してマイナスになるわけがない。
> あたりまえの事ですよ。
あなたがそういう思想をもつのはあなたの問題ですが、
それは少なくともブッダの教えではないですね。ブッダは、絶対化してはいけない、と教えているのだから。
822 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 21:15:51.35 ID:tATdDW7m
>>818 >それは偽仏教の話でしょう。
>ブッダの教団はそんなことはない。
>いずれにしろ、「絶対化」し「依存」する人間が現れるのはそれは本人の問題であって、
>ブッダの責任ではない。
そのことを「ブッダの絶対化」というのだよw。
開祖個人は絶対に批判できず、すべての責任を専ら「他の人間」に押し付けるのが、
宗教の最大の病理と特徴。だから宗教には、争いが絶える事がない。
823 :
てすと@出家中 :2011/05/12(木) 21:17:27.85 ID:JtQY0zMU
>>821 絶対化してはいけないという教えを絶対化しているのですから教えを守っていますし、問題ありません。
>>822 ちょっと意味が分かりませんね。個人の問題をブッダのせいにすることこそ、
「責任を専ら「他の人間」に押し付ける」ことでしょう。
> 開祖個人は絶対に批判できず
批判は禁止されてませんよ。
たとえば医者が薬を処方し、患者にちゃんと用法用量を守るように教えたにも かかわらず、患者が用量を守らず薬物中毒になれば、それは医者の責任ですか? 医者には何の責任もないでしょう。患者の自己責任です。
827 :
てすと@出家中 :2011/05/12(木) 21:25:44.48 ID:JtQY0zMU
>>824 ブッダは絶対の存在だから絶対化してはいけない、という教えも守るのです。
あなただって、ブッダが絶対だと思っているから、後期の弟子たちではなく、オリジナルのブッダの言葉を聞きたいのでしょう?
素直になりましょう。
>>827 >ブッダは絶対の存在だから絶対化してはいけない、という教えも守るのです。
矛盾した言明は意味を成しませんし、教えにもなりません。
>あなただって、ブッダが絶対だと思っているから、後期の弟子たちではなく、オリジナルのブッダの言葉を聞きたいのでしょう?
絶対だと思ってませんよ。しかしその教えには関心があります。
ニュートンやアインシュタインを絶対だと思っていないが、彼らの理論に関心があるのと同じです。
829 :
てすと@出家中 :2011/05/12(木) 21:38:07.21 ID:JtQY0zMU
>>828 釈迦の公理系は釈迦の言説によって判定はされません。
釈迦が「私の教えを守るな」と言った場合、守ってもだめだし守らなくてもだめになるように錯覚しますが、
釈迦を絶対化しても「釈迦を絶対化するな」という教えは守れるのです。
みなさん二元論的価値観にハマらないでください
831 :
てすと@出家中 :2011/05/12(木) 21:41:04.25 ID:JtQY0zMU
>>828 >絶対だと思ってませんよ。しかしその教えには関心があります。
もういちど聞きますが、あなたは釈迦の教えには関心があるが、絶対だとは思っていない。
そういう事でいいですか?
釈迦が絶対に正しいわけではないということは絶対に正しい。
>>829 > 釈迦を絶対化しても「釈迦を絶対化するな」という教えは守れるのです。
いえ、矛盾したことを行うのは不可能です。
釈迦を絶対化した瞬間に『「釈迦を絶対化するな」という教え』に違反するのですから。
>>831 そうですよ。
834 :
てすと :2011/05/12(木) 21:57:54.80 ID:JtQY0zMU
>>833 >そうですよ。
それでいいんです。
あなが小乗カルトにはまったのかと思って、みんな心配していたのです。
釈迦の馬鹿が偉そうにごちゃごちゃいってますが、結論出すのは自分ですからね〜。
自分の人生は自分で責任もたないと〜
いい加減に狂いすぎ
小乗カルト狂いすぎ
>>834 >あなが小乗カルトにはまったのかと思って、みんな心配していたのです。
大きなお世話ですね。あなたが勝手に妄想し勘違いしたのでしょう。
反仏教カルトにはまっているご自分のことを心配してください。
> 釈迦の馬鹿が偉そうにごちゃごちゃいってますが、結論出すのは自分ですからね〜。
> 自分の人生は自分で責任もたないと〜
あらゆる教えを絶対化しないのと同様に、自分自身も疑う対象です。
ご自身の空想・妄想・妄念に捕らわれないようにご注意下さい。
そもそも小乗カルトってなんですか? 大乗側から小乗とレッテル貼られた説一切有部自体紀元前の話ですし。
それに説一切有部が当時批判されたのは、ブッダの教えから逸脱したからです。 (大乗はその後もっと逸脱して非仏教になってしまいましたが) ブッダ自身の教えを探求している私が、どうして小乗カルトになり得るでしょうか。
840 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 22:55:07.30 ID:WzPSeFyk
無門関 第二十一則 雲門屎[蕨] かんしけつ ○ 雲門、因(ちな)ミニ僧問フ、如何(いか)ナルカ是レ仏。門云ク、乾屎[蕨]。 ○ 僧が聞いた。「仏とは何ですか」 和尚が答えた。「乾いた糞かきへらだ」 ○ 雲門に坊ずがきいた、「どんなのが仏で?」雲門、「クソかきベラよ。」 ほとけはクソカキベラ!の次は当然ながら流れはウンコだ。 ウンコを見るにも・・・12の方向性が有るのを知れ。 神道(しんとう):八百万(やおよろず)の神々のひとつは、ウンコ神(しん)もある。 道教:中原(ちゅうげん)に鹿を追う四千年前から今に至るまでずっとウンコもれそう 儒教:子(し)のたまわく、「君子(くんし)は常に南面(なんめん)し、時には、ウンコもれそう」 ヒンドゥー教:ウンコもれそう、この便意はハラッパのモヘンジョダロ以前にもあったぞ…… 拝火教:ウンコもれそう、ペルシャのトイレはジュータンが敷かれ明るすぎ。ロウソクの火を消してから。 ギリシャの神々;ウンコもれそう。ゼウスとヘラのの子が増えた。 ユダヤ教:神(やはうぇ)は云う、モーゼよ、ウンコがしたいのなら、なるべく早めにそうモウゼ!紙の手配をしよう。 カトリック:ウンコがもれたなら、それはアダムとイヴがリンゴを食っておなかをこわした原罪のゆえにである。 イスラム:ウンコをもらしたと言うのに全く気が付かなかったのは、、有り難きアッラーの思し召し(おぼしめし)である。 プロテスタント:隣人がウンコをもらしたい時、愛によって代わりにわたしがウンコをもらそう。 仏教:それは実はウンコではない、ほとけだ。つまりは、ゴールド、金のお布施だ。 禅:ウンコがもらしたい。ウンコと屁は二ではない一の如し。一如から宇宙一杯の爆発する屁の音を聞いてこい!
841 :
神も仏も名無しさん :2011/05/12(木) 23:14:30.10 ID:5uGxd0vO
♪ 坊主の頭に、フ〜〜〜〜ルスゥイング っとww やけに、スレの進みが速いと思ったら、てすとが暇こいてたかwww
842 :
てすと :2011/05/12(木) 23:18:22.65 ID:JtQY0zMU
>>837 >反仏教カルト
?別に反仏教なんて言ってないんだけど。勝手に妄想しないでね。
釈迦なんて別にどうだっていいじゃないか。知らなくても人生になんの問題もない。
>あらゆる教えを絶対化しないのと同様に、自分自身も疑う対象です。
いや、俺は俺の事を信じるよ。
どんなに困難があっても自分の力を信じて前に進む、それが男の生き方ってもんだ。
>>842 > >反仏教カルト
> ?別に反仏教なんて言ってないんだけど。勝手に妄想しないでね。
> 釈迦なんて別にどうだっていいじゃないか。知らなくても人生になんの問題もない。
知りもしないのに「釈迦の馬鹿が」などと誹謗中傷するのは「反仏教カルト」ということでしょう。
他にも誹謗中傷してましたね。
> いや、俺は俺の事を信じるよ。
あ〜、やはりカルトの典型だ。
自分の信じる事は正しい、それがカルト。
844 :
てすと :2011/05/12(木) 23:44:15.74 ID:JtQY0zMU
>>843 カルトが本性表しました〜。や〜ん、こわ〜い。洗脳しないで〜〜。
>知りもしないのに「釈迦の馬鹿が」などと誹謗中傷
こわ〜い、釈迦の悪口を言うと仏罰が落ちて、餓鬼界に生まれ変わっちゃう〜〜〜
>自分の信じる事は正しい、それがカルト。
君は妄想ばかりだね〜
俺は俺を信じると言っただけ。
みなさんこれが小乗カルトの反応です。
原始抽出の行きつく先がこういう人になることなのです。怖いですね〜。
>>844 > こわ〜い、釈迦の悪口を言うと仏罰が落ちて、餓鬼界に生まれ変わっちゃう〜〜〜
そんなこと一言も言ってないが?
悪口だけでなく、嘘までつきだしたか
> 俺は俺を信じると言っただけ。
だからそれがカルトの特徴
846 :
てすと :2011/05/12(木) 23:55:19.01 ID:JtQY0zMU
釈迦の悪口を言われると、涙がでちゃうの〜〜 とりあえず、もうすぐ暇つぶしも終わるのでスッタニパータに小便かけてゴミ箱に捨ててきたw いや、もう最高の気分w 人生最高の日だw
コーランに同じことできるか?
848 :
てすと :2011/05/13(金) 00:00:31.30 ID:JtQY0zMU
ご隠居〜〜 おら〜〜 出てこーーーい。
>>847 ぎゃははw コーラン出してきたww だっせーw
人間のクズだということはよく分かった 俺は大乗の創作偽経典であっても、「小便かけてゴミ箱に捨てる」などという 下品なことはとてもできない。それが週刊誌であれ電話帳であれ。
ほう、コーランでやる勇気はないが、仏典は粗末に扱えると。 そんなことができるのも、ブッダのおかげだ。 ブッダの寛容な教えに感謝するんだな。
851 :
てすと :2011/05/13(金) 00:05:59.68 ID:RM6Vk4rY
>>849 君のこころが俺をクズだと思うなら、そうなんじゃないの?w
ちなみに君がいたから俺はそうする事ができた。ありがとう!
>>850 もちろん感謝する。釈迦がいなければ、この高揚感、快楽を得られなかった。
釈迦サンクス!
あ。コーラン云々は関係ないです
854 :
てすと :2011/05/13(金) 00:13:22.81 ID:RM6Vk4rY
>>852 いつも、よわよわよ! ID:TPpf+QN7のおかげで勇気を持てた。
855 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/13(金) 00:19:12.36 ID:LNNacQWB
>>763 >あんたは有無を超えてるといいつつ、有的にアートマンとして捉えてる。
>それはラベルを張り替えて、有を主張してるだけ。
「有無」といった基準は、
所詮は世俗の価値観であって、実に相対的なものでしかない。
対して、真我とは絶対的な「在」であり、現象界を超越したところの存在です。
その比較として現象界における森羅万象の営みはすべて「空」(空性)のものです。
如来も涅槃も無常の中へ放り込んでしまって、自ら無価値だといってるも同然だと早く気付きましょう。
>>『この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。(p160)』
>大先生のお言葉を持ち出すだけでは反論にならんでしょ。
>その根拠は?
大先生ですから、より多くについてとてもよくご存知でしょうから・・・。
けれども、どんな高等な解説書を開こうとも、
所詮、仏教が扱う「一切」の話というのはすべて現象界の事柄にしか過ぎないのです。
すべてが五蘊との関係で述べられ、「皆苦」「無常」「無我」であると結んでいる。
では、涅槃ニルヴァーナがこれら現象界の中において、
五蘊の性質において覚知できるのもだと説いたことが一度でもありますか?
如来が有無の次元で述べられたことがありますか?
一度とてありません。
何故なら、如来とニルヴァーナは現象界を超越していて、五蘊の覚知できる範囲外だからです。
従って、現象界について説かれた、これら「皆苦」「無常」「無我」とは異なるものがニルヴァーナに他ならない。
経典を読んで、あとは自分でちゃんと考えればすぐに分ることです。
856 :
てすと :2011/05/13(金) 00:29:33.38 ID:RM6Vk4rY
うおーーー、体中に功徳がみなぎってきたぜーー 世界中の人々への感謝の気持ちで一杯だぜーー ありがとう〜〜〜 明日から忙しくなるので、あんまり書き込めない〜。 みんな頑張ってね〜〜
858 :
神も仏も名無しさん :2011/05/13(金) 01:10:43.27 ID:naxpT3xa
>>855 過去スレ読んだよ。あんたダメだわw
縁起氏が懇切丁寧に説明しても分からないなら俺には無理だから手を引くよw
さいなら
859 :
神も仏も名無しさん :2011/05/13(金) 02:47:51.08 ID:u5OnY1+0
そのわからないところが、宝珠のおもしろいところなのになあw
五蘊でないを 五蘊で構成されていない=無と考えるか 五蘊で構成されていない=五蘊より高位レベルな何かで構成されてる と受け取るかの違いか?
なんだ、それw フツーに考えて五蘊のうち、 ひとつしとして我というものは無い、だろ。
862 :
神も仏も名無しさん :2011/05/13(金) 09:54:09.04 ID:lBRA0lXG
>>843 >自分の信じる事は正しい、それがカルト。
それは間違い。「1個人に過ぎない開祖・経典の言うことは正しいと『信じこまされて』、それらに
対しては一切批判ができない」のがカルト(即ち、宗教)。いくら「自分で考えている」つもりでも、
それからは一歩も踏み出すことはできない。即ち、「開祖・経典」の「呪縛」「心理的奴隷」の
状態にある。これが宗教の正体である。
863 :
神も仏も名無しさん :2011/05/13(金) 10:12:48.05 ID:lBRA0lXG
「五蘊の仮和合」だとか「仮設」という言葉はおかしい。「すべてが仮」であれば、 「すべてが仮ではない本物」ということになる。釈迦の矛盾と誤りの一つである。 「すべての人間は仮の世界でしか生存できないのだから、その仮の世界のみが、 唯一の本物」なのである。
「だから」とか「よって」とか「であれば」という言葉を間に挟むなら その前と後が論理的につながってなきゃいかんのです。
865 :
神も仏も名無しさん :2011/05/13(金) 10:40:58.08 ID:lBRA0lXG
>>860 神智学はキリスト教から発生したものだから、キリスト教を批判しているように
見えても、その肝心の「唯一人格神概念」からは離脱できていないだけ。
人間を含め、すべての動物の種属は、その認識能力(五蘊)の範囲内でしか生
存できない。例えば、犬の臭覚は、人間の臭覚よりも格段に優れている。しかし、
人間に犬の臭覚があったら、ありとあらゆる臭気が知覚できて、狂い死にする
だろう。
宝珠氏や修行者が、五蘊の範囲外の涅槃などを語っているのは、「人間止めて、
犬になった積り」と同じことw。
>>865 >見えても、その肝心の「唯一人格神概念」からは離脱できていないだけ。
そこは離脱してる。「太陽のロゴス」のような原理っぽいものの脇に
マスター(大師)たちがいて指導している、ってのが神智学の世界観。
(マスターは大乗仏教の菩薩や天部に近いイメージだな)
宝珠愚者も聖書に見られる人格神信仰を安っぽいものとみなしている。
(1) ********************************************** 求道者諸君、よくお聞きなさい! 釈尊は王子様時代から抱いていた人生についての疑問を 「解決された」 のではありません。 疑問を抱いていた 主体が覚醒して、それまでの疑問が 「意味を失った」 のです。 それまでの疑問は夢の中での疑問だったということ なのです。 ですから、弟子達の形而上学的な疑問に対しても答えようがなく( 「無記」 と呼ばれていますね)、必要なことは 弟子達の目を覚ますことだけだったのです。そして、昔の修行仲間や弟子達の中で釈尊と同じ 「覚り」 を得る者 が続々と現れたことによって、その 「覚り」 の普遍性も実証されて行ったのです。 釈尊は、「人(凡夫)」 として <疑問に対する解答を得た> のではなく、「仏陀−目覚めた者」 となることで疑問が <雲散霧消した> のです。 ( 続く → ) **********************************************
(2) ********************************************** 龍樹師は釈尊の 「覚り」 に哲学的に肉薄されました。 実は、(時代はかなり後になりますが) カントも哲学的には 独自にほとんど同じ内容に到達したのですが、龍樹師には 「覚り」 が現れたにも関わらず、カントには宗教体験が 現れませんでした。そして、後に続く人々についても、龍樹師に学ぶ者には宗教体験が現れ、カントに学ぶ者には 宗教体験は現れませんでした。 それは、釈尊の伝統の中で求道する者のみが受け得る恩恵だったのです。 少し 詳しく言えば、「覚り」 に至るために越えるべき同じ壁でも、覚醒した側から見た場合と、覚醒していない凡夫の側から 見た場合では、(言葉の上では似ていても) その意味する内容が大きく異なるということなのです。 同じ壁でも、凡夫の 側から見れば終着点であり、覚醒した側から見れば出発点なのです。凡夫の側からしか見えない人の指導を受ける のと、上部から見ている人 (両方が見えている人) の指導を受けるのとでは、決定的な違い存在するのです。 龍樹師の哲学は、道元禅師の 「正法眼蔵」 の中で、より 「覚り」 に直結する形で縦横無尽に説かれています。 龍樹師の 「中論」 を参究しても、道元禅師の 「正法眼蔵」 を参究しても、機が熟していれば全く同じ宗教体験が 得られます。 釈尊に現れた覚醒が、時と場所を超えて弟子から弟子へと受け継がれてきた同じ覚醒体験なのです。 これは、まさに 「古仏(こぶつ)に見える(まみえる)体験」 であって、体験した者には解ることなのです。 ( 続く → ) **********************************************
(3) ********************************************** 凡夫同士で、「ああでもない」、「こうでもない」、「こういうふうに考えればいいんじゃないか?」、「 いや、こう解釈する のが正しいだろう」 などと意味のない言い合いをする暇があれば、寸暇を惜しんで祖師方の経論を参究しなければ いけません。 すぐに棺桶に入る時が来るのですよ。 道元禅師も 「無常迅速、生死事大」 と、いつも弟子達を 叱咤激励されていたのです。 ( 完 ) **********************************************
870 :
酒のツマミ :2011/05/13(金) 20:26:29.69 ID:mBhpm5aS
仏教 議論スレッド その4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/104 104 1/2 sage 2010/06/10(木) 20:43:41 ID:LQQ+TrJr
仏教が、非生産的であり、出世や利益(利潤)・余剰追求をしない価値観である
ということは、留意されていい。
勿論、それは、世俗的価値観からすればマイナスの性格を持つ。
(だから、世俗の価値観に於いても、(理由として)そのフォローは必要とされる。)
今、これを托鉢という行為に引き当てて見てみよう。
(仏典にも、具体的にそのような記述があるが)、
托鉢に回った時、一軒も施して貰えなかったとしよう。或いはほんの少しだったとしよう。
その時、行者には次のような考えが起きる。「もう一度回ったら、貰えるかもしれない」、と・・。
だが、その考えは「私にとって(=修行者にとって)ふさわしくない」と、はっきりと排斥される。
この境界が、まさに、世俗と聖、在家と出家の(価値観の)明確な境界となる。
世俗的に見れば、「もう一度回って食を得て、身体の維持に資させる」ことは、
寧ろ目指されるべき判断だろう。
(また、身体の維持自体も聖なる価値観に於いて蔑ろにされるわけではない。)
だが、釈尊は再度托鉢に回ることをしなかった。
なぜか。 それは、「施物に余裕の無い所に対しても、しつこい勧誘になる」し、
「もっと欲しい」「食べたい、空腹を満たしたい」
或いは「“食べれない”ということ、一食抜くということがあってはならない」
といった欲の肯定或いは保身に繋がっているから。
*そういう【形式に捕らわれている】という言い方をしてもいい。
(一般的に言えば『必ず一日3食食べねばならない。【2食の日があってはならない】』という【形式】に。)
捕らわれている、と。)
「自己の欲求(欲、ひいては貪り)を【肯定し】、【それに従うことを意味する】」から。
871 :
酒のツマミ :2011/05/13(金) 20:27:44.30 ID:mBhpm5aS
仏教 議論スレッド その4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/105 105 2/2 sage 2010/06/10(木) 20:45:12 ID:LQQ+TrJr
境界の話だったか。
たとえば、営業マンがいたとする。販路開拓の為、(あちこちに)足しげく通う。
ついに相手が折れ、繋がりができる。長い付き合いとなれば、三者(取引先・会社・自分)の利益となる。
それは儲けだけでなく「繋がり」や「信頼」、「充実感」「自信」「ノウハウ」等々、様々なものがある。
だから、再度と言わず、『相手が契約してくれるまで何度でも通う』という姿勢は、
悪い行為であるどころか、『営業マンとしてふさわしい姿勢、意気込み、情熱』ということになる。
そして、同じコースで二度三度托鉢に回った時も、財施・法施・功徳(衆生済度)として3者の利はあり得る。
そのことで、《各家の者に、“より強い”(仏)縁ができ、教えに強く耳を傾け、理解が高まる》
ということもあり得ないことではない。
だが、上で触れたように、《我欲の肯定に繋がる》ので斥けられる。
たとえ三者の利が見込まれても、【それが我欲の肯定、我欲への従属となるならば】、(それを背後に持つならば)、
斥けるのが「聖なる」「出世間の」価値観であろう。
その意味でも、この価値観の境界は押さえられるべきものとなる。
比丘(修行者・遊行者)足らんとしたなら、踏み越えてはならない境界となる。
翻って見た時、《現代日本仏教は、生活、寺院経営、伽藍の維持、慣習・前例・地域との繋がり関係性等のため》
この境界を踏み越えねばならない。
(上で言えば、【三者の利をこそ求めるべき】ということだ。これを「大乗的」と言えないこともないが・・。)
>>435 ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/631 たとえば、
「お腹が張っている」という表現は、日常よく見られるものだが、
なぜ、この言語表現と実際の自分の体感とが適切なペアとなり得るのだろうか。
(冷暖自知という言葉もあり、また、頭痛歯痛、喜び悲しみ、怒り憎しみ等、
種々(真には)言語表現不可能な、個別の経験(体感・感受)は多くある。
それらもまた同様ではあるが)、当然、『学習』によるしかない。
何が必要か。(何が学習されるのか。)
・《多くの使用例から導かれる、「張る」という言葉の指し示す事態(様子・感受共に含)の把握》
・《どのような時に「張っている」と表現されるのかという場面の把握》
・《意味が限定されることがあるなら、それはどのような時かという把握》
・《自身の経験の観察分析、把握》
・《自身の経験(状態)と「張る」「張っている」という表現が指し示す状態との突合せ・重ね合わせ》
などを経て、
≪『この体感が、「お腹が張っている」ということなのだ』と気付く、知る、理解する。≫
上で触れたように、痛みや感情も同様だ。
(また、特に子供の学びはこうしたものだ。→だから、周囲の大人の言動は重要なのだが・・。)
【ある言語表現の学習】と【語義の学習】と【自身の(経験の)観察】と【情報の集積整理】とによって、
個々別々の〈純〉内的な体験が、「追体験した」「同じ体験をした」「伝え聞いたものと同じだ」と判断される。
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1265848995/656 そこで、
「戒」や「律」であり、
「未信者に信を生ぜしめ、已信者に信を増大せしめ」と言われる部分であり、
「仏の十号」「サンガの九徳」「法の六徳」と言われる部分であったりするんだと思うよ。
(つまり、内と外から輪郭を定めてゆくような・・。
外の輪を狭め内の輪を広げ、薄皮の円をそこに顕現させるように・・・。「◎」)
《蓋然性の高さを高めるということにしかならない》という指摘は御尤もだ。
637-639は内的経験の外部検証不可能性を言うものだが、
貴方自身が半分了承してくれるように、631は「当人に於ける確認」の為の要素だ。
が、632で補足したように、それを検証する方法が無いでもない。
それが上記であり、伝承されてきた各種教えであったりする。
勿論、もとより『完全検証』とはならない。だが、その「確からしさ」「精度」を極限まで高めることは可能だろう。
(*この「極限」は、レトリックとしての表現なw)
蛇足ながら、私は、内的経験の外部検証は不可能だと思っている。
が、上に述べたように、その確定をより高い精度で実現させることは可能だと考えるし、
その為の言葉やノウハウ(方法)こそが、釈尊が45年間示された教えであろうかと思う。
で、現在で言えば、「テキスト(仏典)の読み」「律存続の意義」「先達の指導」が重要なんだろう。
【 >内的経験の外部検証は不可能 】
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/698 そうではなく、
「精神の集中・瞑想(禅定)による体験」と「薬物による体験」との間に差別化が図れるのか?
ということ。
「見えるもの、聞こえるもの、感受されるもの。見えるということ、聞こえるということ、感受されるということ。」
勿論本人には使用していないということは自明なので、「これは、薬物による結果ではない」と考えるだろう。
だが、上で触れた『差別化が図れないのでは?』という問いはもっと大きな意味を持っている。
特に、《幻覚幻聴という批判が出る際の各種感受》において、
その体験が、「生物としてのヒトの《神経系のバグ》なのか、実際に見聞きしているもの(し得るもの)なのか』は、
≪【本人に於いても!】わからない≫ということだ。
【 >≪【本人に於いても!】わからない≫ 】
─────────────────────
>たとえば、
>「お腹が張っている」という表現は、日常よく見られるものだが、
>なぜ、この言語表現と実際の自分の体感とが適切なペアとなり得るのだろうか。
>・《多くの使用例から導かれる、「張る」という言葉の指し示す事態(様子・感受共に含)の把握》
>・《どのような時に「張っている」と表現されるのかという場面の把握》
>・《意味が限定されることがあるなら、それはどのような時かという把握》
>・《自身の経験の観察分析、把握》
>・《自身の経験(状態)と「張る」「張っている」という表現が指し示す状態との突合せ・重ね合わせ》
>などを経て、
>≪『この体感が、「お腹が張っている」ということなのだ』と気付く、知る、理解する。≫
【 >たとえば、
.>「お腹が張っている」という表現は、日常よく見られるものだが、
.>なぜ、この言語表現と実際の自分の体感とが適切なペアとなり得るのだろうか。 】
長くて読む気にならん 要点を3行でお願いします
876 :
神も仏も名無しさん :2011/05/13(金) 21:30:33.10 ID:hkLU5n2w
また、懐かしいの引っ張り出してきたなw 「出家と在家の視線の相違」 「内的体験の外部検証の限界」かい。
>>875 マジレスと脊髄反射、どっちのレスを所望?w
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/180 「涅槃なるもの」
涅槃(nibbAna)とは、煩悩の消えた(nir-√vA)状態、あるいは煩悩を離れた(nir-√vR)状態を言います。
具体的には、最上の悟りを得た人である阿羅漢の境地を指し、貪・瞋・痴の滅尽(khaya)という、
いわば三毒のない状態であるとされます。また涅槃は、「不死」(amata)、「不生」(ajAta)とも呼ばれますが、
それは、阿羅漢には、煩悩が断たれ、
もはや【渇愛(taNhA)・邪見(diTThi)に満ちた凡夫として】【生まれることも死ぬこともない】、
つまり業(kamma)による生死の輪廻(saMsAra)がないという意味です。これに関連して原始仏典に、
煩悩のある一般的な凡夫の死を「死ぬ」(marati)「時を作る」(kAlaM karoti)と表現するのに対し、
阿羅漢の場合には「入滅する」(parinibbAyati)「時を待つ」(kAlaM kaNkhati)とし、
はっきり両者を区別していることが注意されます。
それは、仏や阿羅漢は、身心が滅びても、死ぬことがない、
それゆえ仏教には「仏の死」とか「阿羅漢の死」という言葉は存在しないということです。
涅槃の状態は、「有余依」(saupAdisesa)と「無余依」(anupAdisesa)の二種によって説かれることもありますが、
それは、身心の有る涅槃か身心のない涅槃か、
つまり「煩悩の滅尽」か「蘊(煩悩の素因)の滅尽」かを区別しただけのものです。
後者は前者の単なる帰結に過ぎません。
これを、後者に重きを置き、真の涅槃は死後にあるとして、涅槃を死と結びつけるならば大きな誤りになります。
【涅槃は死に関わらぬものです】。その意義は、あくまでも、
【この世で、戒・定・慧の実践によって獲得される】【「煩悩の滅尽」に、目覚めた者の境地にこそ】あるはずです。
その意味でまた、成道について言われる「涅槃」(nibbAna)と入滅について言われる「般涅槃」(parinibbAna)とは、
言葉の使用において明確に区別される必要がありましょう。
なお涅槃は、縁によって生じない無為のものであり、【勝義的には】【常住】、【寂静】、【無我】のものでありますから、
【いわゆる絶対的な我としてのアートマンと同一視されることはありえません】。
少し弁明しておこうか・・。 私は、例の彼に8割程度は同意している。同じ視線を持っている。 だが、残り2割が、決定的に相容れない。 (それが、個人の見解レベルのみならまだいいが、根本部分(仏教の核(コア)に関わる部分)で生じているものなので・・。) 具体的には冗長になるので略すが、 いずれにしろ、「仏教が身口意に於いて顕現するもの」であるという視線が欠けていることは指摘しておきたい。 彼の仏教は「意」に於いてのみ(―或いは「口」を加えてもよいが―)見られている、と・・。 (また付言して揶揄すれば、彼のスタンスは、学部2年3年生が罹る麻疹のようなものにしか見えない。)
>>879 >具体的には冗長になるので略すが
それをぜひ書いてみてください
そのためにここ(議論スレッド)に来ているのですから
>>880 最近は、10レス20レスもする気力無いんだよ・・w
箇条書きだけさせて貰えば、
・《「頷き」「実感」「納得」「(自身に於ける・自身の五蘊に於ける)確認・検証」》といったものの否定
・《それら》を担保する筈の伝承への偏向、切捨て
・「論理、理論、理屈」もまた、そうした伝承(文献学的精査)の上にあるわけだが、
それらもまた『「体験(頷き)」を担保する伝承の上にある』こと(つまり、「同じ位相にあること」)を失念している点
・「大乗仏教が“エッセンスの抽出”をその基本スタンスとしている」ことが見えていない点
・(上記を受けて)、大乗仏教の興起及び発展もまた、縁起する諸法の一様相であることを認めない点
・よく、原始仏教(初期仏教)は「哲学だ」とか「科学的だ」と言われるが、原始仏教(初期仏教)ほど、
「身体性」(≒体験、頷き、腹の底からの納得・確認、或いは節制・自重)を重視している宗教(或いは思想・世界観・人生観)は無いのだが、
理を重んずるあまり、この方面を軽視してはいないか?という点
まだ考えれば見つかりそうだが、とりあえず、こんくらいでいいか?w
882 :
神も仏も名無しさん :2011/05/13(金) 23:57:31.68 ID:QLfcMNfv
>>864 >「だから」とか「よって」とか「であれば」という言葉を間に挟むなら
>その前と後が論理的につながってなきゃいかんのです。
その程度の一文の意味も理解できないのなら、大学入試は勿論、高校入試
も無理。
大震災関係で「仮設住宅」という言葉が使われているが、「すべての住宅」が
仮設住宅であるとすれば、それはもはや「仮設」とは呼ばないだろう。
古代人の住宅や原住民の住宅は、現代の文明社会から見れば「仮設住宅」以下
の程度であるが、彼等はその住宅を「仮設住宅」などとは呼ばないであろう。
「永遠に住むべき本物の住宅」として以外には考えないであろう。
>>882 あほかwww
全てが仮説住宅であっても、
【仮に建てられたもの】であれば、それは全て「仮設」住宅だよw
>大震災関係で「仮設住宅」という言葉が使われているが、「すべての住宅」が >仮設住宅であるとすれば、それはもはや「仮設」とは呼ばないだろう。 呼ばれないためには条件がある。最初から「仮設住宅」以外の住宅が存在せず、 そればかりか、人々の考えの中にすら存在しないことが必要だ。 もし過去に仮設じゃない住宅が存在していたのなら、それ(仮設でない住宅)に 対する「仮設住宅」という命名と発想は存在する。 単に空想上で「仮設じゃない住宅」があるだけでも、それに対する「仮設住宅」という命名と発想は存在する。 本人は考えていなくても、よその誰かが「仮設じゃない住宅」というものを考え、 それに言及したり突っ込んだりする場合も、よその誰かが言う「仮設じゃない住宅」に対する 「仮設住宅」という命名と発想は存在する。名称自体は「仮設住宅」じゃなく、 「自由住宅」とか、もっと小洒落た言い回しになるかもしれないが実質は同じだ。
885 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 00:10:43.06 ID:82pAQTaB
ば〜か、ば〜か、隠居のば〜かwww
886 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 00:17:01.28 ID:+KGshFC9
>>881 観念論では、そもそも議論にもならない。その正誤・正邪を定める
基準としての「現実」とは遊離しまくっているのだから。原始仏教も、
あくまで、「当時の状態における、当時の人々」に対して説かれた
もの。それを現代に持ってきて本物呼ばわりするのは、現代人が古代人
の住宅に住んで喜んでいるのと同じ。
なお、当時の生活者たちが、皆、原始仏教に信服していたのでは決して
なかろう。彼等も「現実離れ」の教えとして反発していた者が多数いた
と推測される。「生存」という意味では、古代人も現代人も聊かの変わり
はないのだから。
釈迦や仏教の場合はどうか、仏教説きだした時点で釈迦はそんな「仮設」じゃないのがある、とは考えていなかったが、 バラモン教ではそうじゃなかった。仮設なんかじゃねぇ何かすげぇアートマンとかブラフマンを説いていた。 クシャトリア王子な釈迦はヴェーダを学んでいたろうし、修行時代にも 行者からヴェーダネタ談義を聞かされることもあったろう。 というわけで釈迦が既に見聞きしていたネタと対比して「全部仮設だよ」と説いても別におかしくはない。
>>881 やはり誤解してるんじゃないか?
> ・《「頷き」「実感」「納得」「(自身に於ける・自身の五蘊に於ける)確認・検証」》といったものの否定
否定してないが?
> ・《それら》を担保する筈の伝承への偏向、切捨て
切り捨てた覚えはないけどなあ
具体的にどんな伝承?
> ・「大乗仏教が“エッセンスの抽出”をその基本スタンスとしている」ことが見えていない点
エッセンスを抽出するのに、架空の仏や浄土などを創作する必要はないでしょう。
しかも何がエッセンスなのかまるで分からなくなってるし、修行の方法論も不明瞭。
> ・(上記を受けて)、大乗仏教の興起及び発展もまた、縁起する諸法の一様相であることを認めない点
「縁起」と言いさえすれば、何でもありと思ってるでしょw
人殺しも「縁起する諸法の一様相」だと肯定しそうだなw
まあ実際それに似た論理でカルト的新興宗教は事件を起こすんだが。
> ・よく、原始仏教(初期仏教)は「哲学だ」とか「科学的だ」と言われるが、原始仏教(初期仏教)ほど、
「身体性」(≒体験、頷き、腹の底からの納得・確認、或いは節制・自重)を重視している宗教(或いは思想・世界観・人生観)は無いのだが、
> 理を重んずるあまり、この方面を軽視してはいないか?という点
「身体性」は全然非科学的ではないが? 僕が「身体性」を否定しているとか軽視していると思っているならそれは誤解だ。
>>887 誤解?w
貴方のレスの一言一句、一句一字、全てを精査しても、
>>881 でしかないんですよ。
自分の著述力をもっと疑ってみることをお薦めしますw
お、アンカーずれたw ま、わかるっしょw
ついでに補足しとくか・・。
>>888 >切り捨てた覚えはないけどなあ 具体的にどんな伝承?
個別の一々を、ということではありませんよw
そうですねぇ・・。最近の例で言えば、政府が同心円で避難区域を定めたようなもんでしょうかね・・wwwww
>人殺しも「縁起する諸法の一様相」だと肯定しそうだなw
当たり前じゃないですかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
するってーと何ですか?
人殺しは、「因によらず縁によらず、生じる」とでも?w
笑わせんなw
とまあ、ツッコミ所満載なわけですよ。貴方のレスは・・。
892 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 00:47:36.54 ID:+KGshFC9
>>887 「仮設」という言葉そのもの意味について論じている。釈迦がバラモンたちのいう「本物」
との対比で使ったとしたら、「バラモンたちのいう本物」の概念を前提としている。
「仮」とは、何に対する「仮」なのか。
「相対的ならざる存在はない」(竜樹)。竜樹のこの思想からは、「仮」という概念は生じ
得ない。彼が「仮」という言葉を使ったとしたら、彼が説明に苦しんだ故の例え。さらには
彼の論理矛盾といえよう。「サルも木から落ちる」「弘法も筆の誤り」。
>>891 あなたの思い込みで僕の考え断じられてもねー
> するってーと何ですか?
> 人殺しは、「因によらず縁によらず、生じる」とでも?w
> 笑わせんなw
もちろん因縁によって生じますよ。
そんなことは当たり前です。
それなら「大乗仏教の興起及び発展もまた、縁起する諸法の一様相であることを認めない」
というのも事実ではありません。 「縁起する諸法の一様相」であることは認めているのだから。
問題はそういうことではなく、「縁起する諸法の一様相」だから大乗は正しいとか意味があるとか
あなたが思っている点です。そこが間違い。
>>892 だからw
貴方のスタンスは、ミンス政権の同心円主義だと言うのですよw
カルト新興宗教や悪徳業者、ヤクザだって「縁起する諸法の一様相」です。
あ、またアンカーずれたw
898 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/14(土) 00:56:11.70 ID:Qe7GodFm
>>865 神智学というのは昔であれば、カトリックに生きたまま焼き殺されるほどのもの。
当然、人格神信仰のレベルなどは扱わない。
たとえ今は無理でも、
修行によって自身が高められることで、それ(解脱成仏=涅槃入り)が可能になるというのが仏教の教え。
だから、如来(ホトケ)は人であっても人(の次元)を超越している存在なのです。
本来、人であるからこそ、まさにそれ故に驚異なのです。
それが解脱者というもの。
899 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/14(土) 00:56:58.67 ID:Qe7GodFm
>>866 そうです。
我々の観点から見た場合の人格神的存在は、
金星から飛来されたというシャンバラのサナット・クマラ(惑星ロゴスの反映的存在)が該当するでしょう。
サナット・クマラは個性的な意志と感情をもたれていますが、
聖書の神の話のように、自分の思うようにいかないからといっては怒り心頭に欲し、
人間たちを殺したり、文明(建造物など)を破壊したりしません。
これらは感情に訴える象徴的な逸話(神話)に過ぎないものなのですが、
彼らクリスチャンたちは聖書の記述をそのまま実話であると信じます。
完成された存在、及びロゴス(神)というのは、
人間の情緒反応のレベル(泣いたり、怒ったり・・・)はとっくに超越しています。
ただし、物質が破壊される現象や崩壊の過程というのは、
もちろんロゴス(神)のエネルギーの故に可能なことですから、
これをヒンドゥー教はシヴァ神(破壊神)といっています。
あんな姿の神がどこかに住んでいて、何か(人間?)に怒って破壊してる・・・
ということではありません。
尚、神智学がいうマスターは(神智学上の立場では)仏教の解脱者(仏)と同義です。
900 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 00:59:44.91 ID:82pAQTaB
金星人・・・w
901 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 00:59:49.97 ID:+KGshFC9
>>894 民主政権の「現実から遊離した観念論」も、釈迦の「教え」とちっとも変わり
はない。
そういやはとぽっぽだかその奥さんだかが金星人なんだっけ?
>>901 ブッダの教えは「現実から遊離した観念論」ではありませんよ。
ブッダは「現実から遊離した観念論」を否定しています。
「現実から遊離した観念論」を導入したのは、後世の部派仏教の一部や、
大乗です。
904 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 01:09:32.67 ID:+KGshFC9
>>906 スッタニパータ読むと、「観念語」の羅列。観念語をすべて消去すれば、内容は
ゼロ。
観念語は、その正誤・正邪を判断する現実に基づくものだから、その意味は
百人百様で、意味伝達の手段(言語)とはなり得ない。
905 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 01:16:48.00 ID:+KGshFC9
>>896 お前はホント小学生だなw
→*(チェルノブイリで有名になった「ホットスポット」という汚染地域を知らないのか?
原発直近地で同心円外レベルの放射線量の地域があること、
20キロ圏外でも、高濃度の線量地域があることを知らないのか?)
・縁起して生じている以上無関係ではない。
・縁起して生じたからといってそれが正しい(→この場合「正統なるもの」「善なるもの」)とは限らない。
・「エッセンスの抽出」(≒ >縁起する諸法の一様相だから >意味がある)というのは、
《貴方の大好きなw「理」》が継承されているということでもあり、
《貴方が“てすと”相手に吠えていたw》「時代や地域、社会状況によって出家の様相が変わる・各々にふさわしい在り様があり得る」
という意見と【全く変わらない】。
・正統な抽出も俗なる変容も、どちらも縁起する諸法の一様相に変わりは無い。
だからこそ、「吟味」(→自身による検証・追認(―それはまさしく「追体験」「頷き」に他ならないわけだが―))が必須。
そして、その吟味の参考書が「仏典」であり「伝承」であり「先師」であり「師」であり「先輩」なわけだ。
>>906 > 《貴方の大好きなw「理」》が継承されているということでもあり、
いやいや、全然「理」が継承されている、なんてことにはならない。
ホント糞も味噌も一緒にするのが大乗の特徴だなあ。
> だからこそ、「吟味」(→自身による検証・追認(―それはまさしく「追体験」「頷き」に他ならないわけだが―))が必須。
> そして、その吟味の参考書が「仏典」であり「伝承」であり「先師」であり「師」であり「先輩」なわけだ。
参考書は何でもいいってわけじゃない。当てにならない参考書や師(偽出家)を参考
にしたら、役に立たないだけならまだしも、害悪もありえる。
>>907 >参考書は何でもいいってわけじゃない。当てにならない参考書や師(偽出家)を参考
>にしたら、役に立たないだけならまだしも、害悪もありえる。
だから、「同心円じゃ駄目だろ?w」と言っている。
そして、同心円で大乗その他を排しているのが、まさに貴方の姿なわけですw
そして、本来排すべき見解まで正統として同心円内に囲っているのが貴方なわけです。
最近行方を眩ましてますがw、或る常連は、貴方のスタンスを徹底的に批判すると思いますよ。
現代常識、近代的価値観への阿諛だとね。
(もしかしたら、時折見られる単発レスの中にいるかもしれないが・・w)
>>908 > >参考書は何でもいいってわけじゃない。当てにならない参考書や師(偽出家)を参考
> >にしたら、役に立たないだけならまだしも、害悪もありえる。
> だから、「同心円じゃ駄目だろ?w」と言っている。
> そして、同心円で大乗その他を排しているのが、まさに貴方の姿なわけですw
同心円も何も、そもそも「理を廃する」のが大乗でしょう。
だから「理が継承されない」のは当然だし、むしろ大乗としては継承しちゃ
ダメでしょう。
僕の大乗批判は大乗自身の自認を基にしているのであり、その前提を覆したら
かえって大乗に失礼でしょう。
> そして、本来排すべき見解まで正統として同心円内に囲っているのが貴方なわけです。
具体的に何ですか?
>>893 その人はセブンと呼ばれる人(仏教者)で、「思い込み」の人(外道者)じゃありません(まあ気が
合う者同士ではあるみたいですが)。
あなたの「大乗」という言葉の用い方はあまりにもステレオタイプ過ぎるのです。セブン氏は、仏教
学を学んだ(そして今もそうして学んでいる)そうなので、思い込みではなく、一般化された形での
言葉の運用の仕方にこだわりの深い人なのです。
あなたが接したある特定の雲水が暴力的だったからといって、それが禅宗の雲水が一般的に暴力的と
いうことにはならないと思います(
>>736 )。そしてこれまでのあなたの個人的な来歴として大乗に
見切りをつけた理由に、その禅宗での20年の坐禅が無駄だったことを挙げられています。話(批難の
対象)が、特定の雲水→禅宗→大乗とどんどん肥大化しているかのように、第三者の目に映っても仕
方のない展開の仕方なので、セブン氏でなくても、「ちょっと待てよ」という反応はありえます。
あなた自身が大乗を採用しないという話(私は基本的にそのように受け取っていますけどね)であれ
ば、基本的に「御自由にどうぞ」ということになるでしょう。あなたの「言い方」は、「あなた個人
の選択に際しての理由」と「一般論」の区別がよくわからない述べ方になっているんじゃないでしょ
うか。
>>908 セブン氏
セブンさんの話は“玄人視点”過ぎるんじゃないかと思います。(^^;
多分、20年坐禅の人は、本物と偽者の釈尊(の思想)像を選別している段階、まだ教えの外(入口付
近かもしれないけど)にいて、どの門が本物かな〜と見比べている、基本的にまだ消去法で臨んでい
る姿勢なんじゃないかと思います。たった一つの本物の像を特定できれば(そして門の中に入った後
は)、より精細に明確に見ていく肯定法による段階にもなろうかと思いますが、「エッセンスの抽出」
(
>>906 )というのはそういう段階での作業であろうかと思うので、今のこの方にそのような方向性で
語っても、噛み合わないのではないかと。
912 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 10:29:40.97 ID:c9mge7k+
>>910 セブン氏は、駒澤大学の佛教学科(禅学科ではない)出身で、学生時代にテラワダの
師匠から深く「思い込まされた」人。その「思い込み」(洗脳)は、ここの住民の中で
最も深い。
曹洞宗の大学だというのに、道元や竜樹については殆ど語らないし、また語れない。
「仏教学者」というより、特に思い込みの深い「釈迦個人の狂信者」である。
その思い込み故に、意見が「釈迦擁護の言語操作の理屈」ばかりであり、外部者には、
日本の佛教としての大乗仏教的な思想は、全く伝わらない。
>>892 >との対比で使ったとしたら、「バラモンたちのいう本物」の概念を前提としている。
だーかーら、対比したり突っ込んでいるのは概念(アイデア)であって
「実際に存在していると思っている」ものじゃないでしょ。
無神論者は「実は神はいるんだけど、俺はこのスタイルをとるぜ」と思ってるわけじゃない。
どこが矛盾してるんだ?
>「相対的ならざる存在はない」(竜樹)。竜樹のこの思想からは、「仮」という概念は生じ得ない。
「相対的ならざる存在はない」と考えている竜樹は「相対的でないもの」の概念を前提としているか?
概念を前提とする、の意味は?少なくとも「自分は存在していると思っている」という意味ではない。
説明のための概念として使用することと、その概念を実際には支持するわけで無い事は全く矛盾しない。
>>911 前回と全く同じ内容で諌められちまったな・・w
いや、指摘の通りかもしれん・・。
少し前にもチラッと書いたが、過疎期が続いたんで、ついつい熱くなっていたようだ。
頭冷やすのは自分だったかもしれないw
良レスに感謝する。 m(_ _)m
>>909 >そもそも「理を廃する」のが大乗でしょう
>むしろ大乗としては継承しちゃダメでしょう。
これが誤り(或るいは即断・強引な一般化・大乗仏教の皮相的観察)の一つ。
>だから「理が継承されない」のは当然だし
これが論理の飛躍(或いは決め付け・偏見)の一つ。
*どちらも、中観、華厳、或いは倶舎唯識等が、初期の「素朴な縁起」からどのような変化をしているか
という考察無しに言えることではありません。
>大乗自身の自認を基にしているのであり
この自認は、「理の無い或いは無視の神秘主義」ではありません。(そのベクトルが(陰ながらでも)存在することは認めます。)
「mahA yAna」という名称の通り、“開かれた教え”“有能なエリートのみのものでない”“間口と路幅の広い教え”
という点でしょう。(中後期には、哲学的・学問的詳察の方向も生じますが、ムーブメントの初期はその方向であった筈です。)
>その前提を覆したら
それこそ、前提が誤っているわけです。
>具体的に何ですか?
顕著で判り易いのが、
>>537 ( >よく知りませんが、wikiによれば として、「貴方自身による検証」を経ていないという指摘もしておきますが)、
>中論になれば大乗思想ですから、僕が語っているブッダの思想とはズレてきているかもしれません。
中論が(龍樹が)どれほど初期の(本来の)縁起に沿っているかを抜きにして、
「大乗と区分されるから」切り捨てるスタンス(或いは検証の拒否)を指摘するのです。
或いは
>>668 >それ以下のレスは、大乗には興味ないので悪しからず。 >大乗の僧侶が何を言ってるかには全く興味ありません
何を言っているかの観察無しに、どこが連なって(繋がって)おり、どこが変容であり、どこが逸脱なのか、
吟味のしようがないでしょう?
*(余談を言えば、私自身、龍樹の縁起は「純化・先鋭化」だと見ていますが、初期仏教に直結する縁起観だと思いますし。
また、華厳の法界縁起は、拡大版として、大乗仏教の世界観・宇宙観として美しいと思っています。)
917 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 10:50:58.88 ID:c9mge7k+
>>903 >ブッダは「現実から遊離した観念論」を否定しています。
少なくともすスッタ二パータから「観念語」をすべて消去して御覧なさい。
後に何が残りますか。「ゼロ」でしょう。
釈迦が「真如としての衆生心」に思い至らなかったのは、決定的な欠陥。
「すべての欲望は浄らかなり」(理趣経)。釈迦には、このような言葉は
口が裂けても言えなかった。
大乗仏教は、このような欠陥を是正し克服し改善するために、必然的に発生
したものです。
918 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 10:51:19.54 ID:82pAQTaB
また、クソ不説が偉そうにww つまり、「この『20年座った君』は、まだ修行が進んでおらず、そのような 者にエッセンスが、なんたらと説いたって、わかりませんよ。 そういう話は、セブンや私のように、修行が進んだものでないと話が かみ合わないよ。」って言いたいわけだwww う〜ん、相変わらずの上から目線w 自分のことを『賢者』と公言するだけのことはあるわww
>>918 >自分のことを『賢者』と公言するだけのことはあるわww
さすがにそれはないだろう。
>>918 そういう香りが微かに匂うのは確かとしても、(それは、多くの者にも同じように見られることだし)、
殊更に拾い上げなくてもいいんじゃないか?w
その拾い上げは、「敵対するからこその、“攻撃の爲の”強引な抽出」とも言えてしまうぞw
921 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 10:57:11.51 ID:82pAQTaB
>>919 いやいや、かつてのやりとりで「事実あった」から
言っているw
すげぇ見てみたい。
923 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 11:00:52.68 ID:c9mge7k+
>>918 >う〜ん、相変わらずの上から目線w
>自分のことを『賢者』と公言するだけのことはあるわww
遡れば、それがまさに釈迦だな。「上からの目線」の「お説教」ばかり。
釈迦信者が「上からの目線」になるのは必然的。
924 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 11:00:55.29 ID:82pAQTaB
>>920 「敵対」? そのとおりだよw
そして、この糞が「他者への宛レスの中で、俺を中傷すること」を
繰り返すから、こちらもやるだけw
>>924 いや、いつも通り生温かく見守るけどさw
926 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 11:11:33.95 ID:82pAQTaB
「俺にはレスをつけない」と言っておいて、 「他者宛のレスの中で、俺に言及し、中傷する」 この姑息で陰険な性格は、宝珠や隠居の比ではないぞ。だから、 前にも言ったが、このクソ不説ってのは、俺が宗教板で見た最悪の 人物で「宗教者の醜悪な部分を一身に具現化した野郎」だって言ってるのw こういう奴が「仏教徒」を名乗るから、仏教全体が悪印象をもたれるわけよw
>>910 > あなたが接したある特定の雲水が暴力的だったからといって、それが禅宗の雲水が一般的に暴力的と
> いうことにはならないと思います(
>>736 )。
そういうことではなく、「一般に」禅寺では暴力が「容認されている」ということを問題にしているのです。
「特定の雲水が暴力的」であることを問題にしているのでもないし、「雲水が一般的に暴力的」だと
主張しているわけでもありません。暴力を振るわない雲水も当然います。
しかし、暴力を振るう雲水がいても誰も止めないし、むしろ暴力を振るえない雲水は
「指導力不足」とされて注意を受けたりします。
> 見切りをつけた理由に、その禅宗での20年の坐禅が無駄だったことを挙げられています。話(批難の
> 対象)が、特定の雲水→禅宗→大乗とどんどん肥大化しているかのように、第三者の目に映っても仕
> 方のない展開の仕方なので、セブン氏でなくても、「ちょっと待てよ」という反応はありえます。
上述したように、特定の雲水→禅宗→大乗とどんどん妄想拡大しているわけではありません。
大乗の姿勢として一般に受け継がれている考え方のことを言っているのです。思考するなとか、
煩悩即菩提なんかも同じでしょう。まさかそれは「特定の雲水の考え方」であり、一般に大乗では
そうではない、ということではないでしょ?
>>915 > >そもそも「理を廃する」のが大乗でしょう
> >むしろ大乗としては継承しちゃダメでしょう。
> これが誤り(或るいは即断・強引な一般化・大乗仏教の皮相的観察)の一つ。
本当にそうですか?
実際に多くの大乗関係者から、「考えるな」と言われるのですが?
考えるのではなく感覚で掴むもの、という言い方は大乗側からよくされますし、
様々な一般向け書物にもそう書いてあります。
「理を廃する」ことを是としない人がいたとしたら、むしろその人が特例でしょう。
> *どちらも、中観、華厳、或いは倶舎唯識等が、初期の「素朴な縁起」からどのような変化をしているか
> という考察無しに言えることではありません。
僕は彼らを大乗と批判していませんよ。
たとえば竜樹を批判したことは一度もありません。もちろん大乗仏教に分類されることは
知っていますが、竜樹には非大乗的なところが多分にあります。
> この自認は、「理の無い或いは無視の神秘主義」ではありません。(そのベクトルが(陰ながらでも)存在することは認めます。)
> 「mahA yAna」という名称の通り、“開かれた教え”“有能なエリートのみのものでない”“間口と路幅の広い教え”
> という点でしょう。(中後期には、哲学的・学問的詳察の方向も生じますが、ムーブメントの初期はその方向であった筈です。)
> >その前提を覆したら
> それこそ、前提が誤っているわけです。
「ムーブメントの初期」を批判してはいません。むしろ僕の書き込みをよく読んで頂ければ分かると思いますが、ブッダの教えから逸脱
してきた部派仏教に対する原点回帰でしたし、その精神も崇高なものです。
顕著で判り易いのが、
>>537 > ( >よく知りませんが、wikiによれば として、「貴方自身による検証」を経ていないという指摘もしておきますが)、
それは「よく知りません」と認めて、「じゃないですか?」「かもしれません」と推測であることを明確にしています。
そしてこれは僕の主張の根拠部分ではなく、単に相手の質問に対する応答部分です。
> 中論が(龍樹が)どれほど初期の(本来の)縁起に沿っているかを抜きにして、
ですからそれを抜きにいしていません。竜樹の縁起の分析は正確で正しいものです。
> *(余談を言えば、私自身、龍樹の縁起は「純化・先鋭化」だと見ていますが、初期仏教に直結する縁起観だと思いますし。
同感です。
> また、華厳の法界縁起は、拡大版として、大乗仏教の世界観・宇宙観として美しいと思っています。)
「美しい」というのは主観です(僕も文学作品、芸術としては美しいと感じることもあります)。
世界や宇宙に関する知見の「事実」ではありません。
あなたが大乗経典を単に芸術に過ぎないというのであれば、それは僕と同じ見方であり、
大乗の冒涜でしょう。
>>917 > 少なくともすスッタ二パータから「観念語」をすべて消去して御覧なさい。
> 後に何が残りますか。「ゼロ」でしょう。
そんなことはありませんよ。第4章・第5章を読んでごらんなさい。
ダンマパダやsaMyutta-nikaayaなども、明瞭に論理的な部分はたくさんあります。
> 「すべての欲望は浄らかなり」(理趣経)。釈迦には、このような言葉は
> 口が裂けても言えなかった。
だから理趣経は仏説じゃないし、仏教ではないのです。
なぜ仏教などと偽るのですかね?
釈迦の教えより正しく、真実であるという自信があるのなら、
新宗教でも作ればいいのです。信仰の自由は否定しません。
大乗の根本的矛盾は、煩悩即菩提なら、我々がこれまで生きてきた通り 普通に生きればいいだけだし、大乗を学ぶ必要も帰依する必要も何もないわけです。 大乗の自殺行為でしょう。そしてそう言われると慌てて否定して、「本当の意味はそうではないのだ、 字面だけでは分からないのだ、などと言う」 Wikiにもこう書かれています(Wikiが信頼に足るかどうかはともかく、一般に大乗の 態度の説明として、僕の経験とも合致する記述です) 「煩悩=菩提、煩悩がそのまま悟りである、と考えられやすいが、これは誤解であり、危 険と言われる本覚思想につながるため、間違いであると言われる。あくまでも紙一重、背 中あわせで相対して存在しており、煩悩があるからこそ苦を招き、その苦を脱するため菩 提を求める心も生じる、菩提があるからこそ煩悩を見つめることもできる、というのが煩悩 即菩提の正しい語意である、と言われる。」 それなら煩悩即菩提などと言わず、「煩悩と菩提は背中合わせ」と言えばいいのです。それなら誤解は生じません。 そしてそれは「煩悩即菩提」を字義通り読んだ場合とは意味が正反対です。「即」ではなく「背中合わせ」なのですから。 大乗は言葉を軽視し、理を軽視するので、このように言葉が意味を失ったり、正反対のことを言ったりして、衆生を混乱させるのです。
932 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 14:10:00.87 ID:xDGDINKu
逆説的なキャッチフレーズを編み出そうとしたのではなかろうか。 その通りだ、と瞬時に納得できるものではなく 耳に引っ掛かり喉に引っ掛かる言い回しにすることで、 かえって印象に残らせたり、考えさせたりする。
933 :
てすと :2011/05/14(土) 14:19:01.10 ID:R/dcyap0
うーん、ご隠居を支持するしかないな。 釈迦という因を滅しないと、世の中の苦しみは取り除けない。
では欧米やアフリカなどで釈迦を知らない人には苦しみはないのですねw 日本にも釈迦をほとんど名前くらいしか知らない人は大勢いると思いますが、 その人達には苦しみはないのですねw
>>932 間違った理解をする可能性の方がはるかに高いでしょう。
せめて後でちゃんと正解を教えるならまだいいですが、その方法論も論理明瞭な
参考書もないし、色々な宗派が喧々諤々論争していることを見ても分かる通り、
プロ、専門家であるはずの僧侶自信分かっていません。
仮に、嘘(方便)で釣っておいて後で真実を教えたとしても、姑息であることに変わりは
ありませんが。
南無阿弥陀仏と念仏唱えたら浄土へ行けるのか、それとも南無妙法蓮華経と題目唱えねば
ならず南無阿弥陀仏と唱えたら地獄へ落ちるのか、それともどちらでもいいのか、
あるいはどちらもしなくていいのか、そんな基本的なところから既に対立して衆生を
迷わせています。いずれにしろ全てが正解ということは論理的にありえず、いずれかの
主張は間違い、あるいは全部間違いということしかあり得ないので、大乗は当てになりません。
「どれでも好きなものを選べばいいじゃん」といういい加減な日本人にはどうでもいいこと
かもしれませんが、「真実か嘘か」ということを大切にする理性的な人にとってはそれでは
困ります。
936 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 15:17:44.69 ID:c9mge7k+
「苦楽相伴う自他の生への限りない慈しみ」。これが覚りである。 教義はこの一句だけで、他は一切不要。
>>936 > 「苦楽相伴う自他の生への限りない慈しみ」。これが覚りである。
ご立派なご教説であるが(そして仏教の基本的な柱の一つでもあるが)、
いくら「限りない慈しみ」と言っても、一般に「限りない慈しみ」などできない
から衆生は苦しんでいる。
だからどうやって心を育てるかという方法論と実践法が必要。
慈悲の心を全く持たない人はいないだろうし、また「限りない慈しみ」を持つ人もいない。
親しいものには自然に慈悲の気持ちが起こるが、他人の不幸には無関心な人が多い。
「限りない慈しみ」を持てるようになるためには特別な考えかと訓練が必要になる。
だから「教義はこの一句だけで、他は一切不要。」ということにはならない。
もし「この一句だけでいい」というような魔法の一句があれば、ブッダはそれのみを
繰り返し説いたことでしょう。
938 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 15:26:00.12 ID:c9mge7k+
>>934 このスレの「釈迦を知ってる人々」ほど、苦しみと争いが多いようにしか見えないが、
世界のどの地域であると、史上・現在であるとを問わず、最大の苦しみと争いは、宗教
を巡って生じている。宗教には、開祖・教義の「絶対化」が付き物だからだ。
939 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 15:45:03.65 ID:c9mge7k+
>>037 苦しみがあるからこそ、楽が存在し得る。それが生である。
釈迦が説けなかったのは、彼の鬱病の症状としての「厭世観」が原因である。
このため、彼には「生への慈しみ」など毛頭なかった。彼にとっては、生は
「苦の原因(無明)」でしかなかった。
940 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 15:48:01.66 ID:82pAQTaB
「隠居キメラが現れた」 >戦いますか? >はい 「隠居キメラはパルプンテと唱えた。」 「皆、混乱してしまった。」 >隠居キメラは逃げ出した
941 :
てすと :2011/05/14(土) 15:57:15.88 ID:J8ONo2Se
>>938 正確には釈迦を利用して自らを絶対化し、選民による差別をして、他人を貶める事で、相対的に自分が上だと優越感に浸りたいのでしょう。
社会で結果を出せなかった人が宗教という現実逃避に走るのは致し方無いと思っていたが、さすがに彼を見ると害悪でしかないない。
ご隠居の言う通り、オリジンを潰さないと被害者が増える。
942 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 16:04:35.21 ID:82pAQTaB
「 『てすと』 がたおれている 」 >調べてみますか? >はい 「返事がない。 ただの屍のようだ。」
943 :
てすと :2011/05/14(土) 16:04:55.72 ID:J8ONo2Se
プロテスタントがカルト化したのは原始イエスのみを抽出しようとしたから。 原始仏教組も精神構造が一緒。
構図は プロテスタント=大乗 カトリック=原始仏教 でしょう
945 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 16:13:08.07 ID:82pAQTaB
だれか、かまってくれよ〜(´;ω;`)
>>931 なんでキミは普通に生きていけないんですか?
隠居にはふしぎなおどりが似合う。
>>944 カトリックが大乗でしょ。
マリア崇敬じゃ崇拝じゃないし異教由来じゃないよ、とは言っているが
「アパレシーダの聖母」でのマリア像発見のくだりとか土俗信仰的過ぎる。
聖遺物のご利益とか、そんな民間信仰的な発想を許容する懐の深さはあるが、
一方でどうしようもない排他性があるのも大乗仏教的。
>>946 批判対象(≒攻撃対象)を顕在化させることで、
自分の依って立つ立場が持ち上がるから。 とか?w
最初のうちはそうでもなかったが、
最近は何となく「袴谷松本ライン」に近い感じがする今日この頃。
>>946 普通に生きてますよ。
そして普通に生きていれば、苦しみがあるでしょう。
苦しみをなくしたい(なくせないならせめてなるべく減らしたい)
ので仏教を学んでいるのです。
952 :
てすと :2011/05/14(土) 16:46:11.76 ID:4qoWNM13
別に苦しい事なんてないけどな。 風邪ひいたら薬飲むし。
>>952 あなたは当然そうでしょう。あなたは解脱しておられるのですから。
悟ったと自分で書いてたでしょう。
954 :
てすと :2011/05/14(土) 16:50:58.55 ID:4qoWNM13
>>953 だったらあなたも早く解脱しなさいよ。
簡単なんだし。
>>951 >いつもです
そうでしょうね。なぜそう考えているのかと言われれば、
>>950 >苦しみをなくしたい(なくせないならせめてなるべく減らしたい)
まさに「その時にだけ」苦しみが起こると私は考えているのですがね。
>
>>950 > >苦しみをなくしたい(なくせないならせめてなるべく減らしたい)
>
> まさに「その時にだけ」苦しみが起こると私は考えているのですがね。
それは突き詰めれば仏教の主張と同じことです。
しかしね、現に苦しんでいる人に、「あなたが苦しいと思うまさにその時だけ苦しみ
が起こるのですよ」なんて言って、それで「ああ、そうですか」と納得して苦しまなく
なるなんて簡単な話ではないでしょう。それなら誰も苦労しません。
だからこそ順を追って一つ一つ因を解明し滅していくプロセスが必要なんですよ。
>>957 >現に苦しんでいる人に、「あなたが苦しいと思うまさにその時だけ苦しみが起こるのですよ」
www
そんなこと言ってませんよ、私ならこういいます。
「あなたが苦しいと思うまさにその時は苦しみは起こらないのですよ」
観察くらいはご存知でしょうw
959 :
てすと :2011/05/14(土) 17:01:10.24 ID:2mJFPfvx
>>957 苦しんでる人はただの甘えだから気にしなくていんじゃない?
自己責任だし、解脱してないあなたが勝手にするわけにもいかないですし。
>>958 そんな屁理屈で人を誤魔化すことはできませんよ。
本人は何と言われようと現に苦しんでいるのですから。
>>959 > 苦しんでる人はただの甘えだから気にしなくていんじゃない?
あなたがそう思うのは勝手です。
しかし苦しんでいる人が仏法を学んで苦を滅するのもその人の勝手です。
> 自己責任だし、解脱してないあなたが勝手にするわけにもいかないですし。
解脱してないから仏教を学んでいるわけですが。
解脱していれば学ぶ必要はないでしょう。
>>960 ええええ????www
上座部の実践て何やってるのw
観察したことないの?まあいいやw
963 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 17:06:22.04 ID:R/ViOqsO
お! 947 が、かまってくれたw っていうか、スレの消費が速すぎてもう終わりそうだが、 何方か、心あるかた、次のスレ立てお願いできませんか?
964 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/05/14(土) 17:07:07.78 ID:Qe7GodFm
>>878 >それは、仏や阿羅漢は、身心が滅びても、死ぬことがない、
>それゆえ仏教には「仏の死」とか「阿羅漢の死」という言葉は存在しないということです。
間違いではないですけれど、
解脱者はその気にすれば、肉体の延命や不死も自在であることを忘れないように。
つまり、数百数千、数万年と肉体を維持可能です。
また、解脱者というのは、自己の意思で好きなままに肉体を放棄しているのです。
見た目に病気や怪我で亡くなったように見えても、それらは意図的に呼び起こしたものです。
>なお涅槃は、縁によって生じない無為のものであり、
>【勝義的には】【常住】、【寂静】、【無我】のものでありますから、
>【いわゆる絶対的な我としてのアートマンと同一視されることはありえません】。
言葉遊びをしたって無意味です。
「常住」ということは絶対的な我と同義ということですから。
「寂静」は、ただ煩悩が静まった状態を指している意味合いであって、
それだけしか分らない言葉。
965 :
てすと :2011/05/14(土) 17:07:25.97 ID:wok2AkoV
>>961 うん、仏教を学んで解脱してから苦しんでいる他人に仏教を薦めましょうね。
自分の苦しみを取り除けないあなたが言っても説得力ないですしね。
>>962 ん? 僕は上座部信者ではありませんが。
観察したことはありますが、観察に集中することによる現実逃避を「苦の滅」と
勘違いしてる人が多いですね。
確かに現実逃避している間は苦しみを忘れていますが、それは「苦の滅」ではありません。
そんなことでいいのなら頭殴るか麻酔でも飲んで昏倒していればよい。
観察はあくまで「因」を見極るために行うのです。その因を滅しない限りは、
苦も滅しません。
967 :
神も仏も名無しさん :2011/05/14(土) 17:10:03.12 ID:R/ViOqsO
スレが終了しそうで苦しいです。 誰か救って下さい。
>>965 > うん、仏教を学んで解脱してから苦しんでいる他人に仏教を薦めましょうね。
解脱して苦しむことはありません。それは解脱の定義に反しますから。
> 自分の苦しみを取り除けないあなたが言っても説得力ないですしね。
仏教を学ぶ前より劇的に軽減はしましたよ。
取り除くまではまだ先は長いですが。
969 :
てすと :2011/05/14(土) 17:12:38.58 ID:wok2AkoV
>>967 いつかは次スレが立たない日が来るのです。
諸行無常。
970 :
てすと :2011/05/14(土) 17:19:04.54 ID:wok2AkoV
>>968 取り除けないと駄目ですね。
まだまだです。
>>970 そうまだまだです。だから仏教を学んでいるのです。
>>966 因が滅するのなら何度でもうまれ変わられては如何?
【丸めた食べ物】
4.では、比丘たちよ、丸めた食べ物は、どのように見るべきだろうか。
5.比丘たちよ、たとえば、夫婦二人が、わずかの食糧をたずさえて、
曠野の道を出かけるとしよう。かれらには、可愛い子供が一人いる。
6.さて、比丘たちよ、曠野を行くかれら夫婦二人には、わずかの食糧しかなかったので、
それらがすっかり尽きてなくなったまま、行かねばならないだろう。かれらには、曠野の残りを越えていくことはできないだろう。
7.さて、比丘たちよ、かれら夫婦二人には、このような(思い)があるだろう。
「わたしたちにあるわずかな食糧は、すっかり尽きてなくなってしまった。この曠野の残りを越えていくことはできない。
わたしたちは、この可愛い一人息子殺して、乾し肉と胡椒をまぶした肉である子の肉を作って、
それを食べるほかには、曠野の残りを渡ることはできないだろう。三人ともみな死んではならない。」
8.さて、かれら夫婦二人は、この可愛い一人息子を殺して、乾し肉と胡椒をまぶした肉である子の肉を作って、
これを食べて、曠野の残りを越え渡るだろう。かれらは、子の肉をすっかり食べて、そして、胸を打ってたたいて(嘆く)だろう。「一人息子はどこだ、一人息子はどこだ」と。
9.比丘たちよ、このことをどう思うだろうか。かれらはたんに戯れのために食べ物を食べるのであろうか。
それとも、嗜好のために食べ物を食べるのであろうか、それとも、愛着のために食べ物を食べるのであろうか、それとも、容色のために食べ物を食べるのだろうか。
>>972 > 因が滅するのなら何度でもうまれ変わられては如何?
意味が分かりません。
>>927 う〜ん・・。
貴方は、「掛搭」して20年なの?
曹洞宗の地方僧堂が幾つあるかは知らないが、
臨済では(閉単或いは人少で閉単同然含め)40近くあるわけで、全てが貴方の印象通りということではありません。
また、特に昭和初期から戦前戦後にかけては、軍隊式との相乗効果で「体育会系ノリ」が「軍隊ノリ」になっていた面もある。
(ま、だから、明治期は勿論、あの時代の和尚連中は気骨の入り方が違うわけだが・・w
戦後であれば、文字通り“死線を越えてきた”強者ばかりだ。 (また、僧堂の流儀が軍へ輸入されたと見ることもできる。))
そのような時代性の濃い例はともかく、体育会系のノリがその基本カラーであることは事実だ。
それは特に黄檗臨済の系譜では顕著である。しかし、それは「《暴力》の容認・推奨」ではない。
必要な場面で必要な対処という位置づけを外れないし、昭和晩期から平成にかけての
『姫叢林化』は大きな流れだと思う。貴方の指摘するように、本来の仏教的在り方、或いは人権の面で、
ここ10年20年で大きく変わっている。文字通り、資格習得の合宿所と化している面もある。
貴方が指摘するようなスタンスは、昔も今も異分子だということです。彼が永暫すれば、それでもとに戻りますし、
老師の目が届いてる僧堂であれば、嗜めが必ずあります。
体育会的在り方自体がお気に召さないのでしょうがw、貴方の一般化はやはり極端なのです。
20年もやってれば、他僧堂の噂も耳に入るでしょう? 今の時代、そこまで酷くありませんよ。
寧ろ「甘甘な日々を重ねて何があろうか」という危機感を持つべきとも思う。
禅は、大きく異端である。世界3大宗教と並び称してもいいほどの特色を持つ。
しかし、「自分」という思いを瓦解させる手法の一つとして(引いてはその先へのジャンプへの“矯め”として)
有効であるからこそ、(―奈良さんはその点を、成道前の6年苦行に比してしるが―)、
今でも存続しているわけだ。
程度の問題は問うていい。しかし、たとえば、徒競走で皆手を繋いで一緒にゴール的な甘甘しさへ堕してはならない。
勿論、それを貴方が是認するしないは自由です。しかし、批判でなく誹謗にしかなっていないことは自覚すべきでしょう。
975 :
てすと :2011/05/14(土) 17:40:36.11 ID:hUmxKHfa
>>971 まだまだてすから他人に教えるのはやめましょう。
修行中の身で他派を批判してる場合ではないですね。
>>927 そして、ここが最も重要な点ですが、
貴方は、そのような「異端としての禅の特質」を「大乗仏教の特質」としていることです。
これまでに貴方が挙げた多くの指摘は、禅の系譜にほぼ当て嵌まります。
(だから、不説氏が指摘するように見られてしまうわけです。「禅への恨みが大乗批判へと繋がってないか?」と・・。)
煩悩即菩提についても、天台教学をある程度俯瞰しなければ、隠居と同じ轍をふむだけです。
或いはまた、心経は勿論、パーリ、ウダーナの8.1〜4なども、貴方の嫌うw、こうした不確かな言い回しですよ?w
このウダーナが、「理」のみでないことは明白でしょう? 自らの体得なしにはないでしょう?
禅的言辞が、貴方の嫌う飛躍に溢れているとしても、少し踏み込めば、
それら全てが「理」に裏打ちされていることが解かります。
ただ、禅の系譜は、「理」に溺れ、「言葉」に溺れ、右往左往することを戒めるのです。戯論に堕すことをおそれるのです。
そして、老婆心ながら言えば、(勿論、わが身への自戒も込めてですがw)、
今の貴方の姿が、「理」に溺れ「言葉」に溺れ、藁を探しているようにも見えるのです。
>>974 > 必要な場面で必要な対処という位置づけを外れないし
それは結局暴力を容認することの言い訳ですよ。
子供を虐待する親が、「躾として必要だからやっている」と言い訳するのと同じです。
子供が危険な悪戯するのを止めるために手を挙げるならともかく(その場合の暴力は
僕は認めています)、雲水は通常、いい大人なのですから、言葉で言えば分かるので
あり、「暴力が必要な場面」などが生じるというのは、指導者の能力不足か、その
宗派にまともな指導の方法論がない証拠です。
> 今の時代、そこまで酷くありませんよ。
それは嘘ですね。永平寺にでも行ってごらんなさい。
他の寺でも、一般の研修者には暴力をふるわないまでも、怒鳴りつけるのは
日常茶飯事です。
> しかし、「自分」という思いを瓦解させる手法の一つとして(引いてはその先へのジャンプへの“矯め”として)
> 有効であるからこそ、(―奈良さんはその点を、成道前の6年苦行に比してしるが―)、今でも存続しているわけだ。
存続していることと、有効性、有用性は全く関係ない。
それではソウカの屁理屈とまるで同じだ。
>しかし、たとえば、徒競走で皆手を繋いで一緒にゴール的な甘甘しさへ堕してはならない。
また極端なことを言う。極端なのはあなたです。 厳しさは仏法を学ぶ姿勢、妥協を許さない静謐さにあるべきであり、暴力や恫喝で示すものではないのです。
> 勿論、それを貴方が是認するしないは自由です。しかし、批判でなく誹謗にしかなっていないことは自覚すべきでしょう。
仏教(ブッダの教え)の姿勢ではないと言っているのです。あなたも書いたとおり三大宗教に匹敵するほどの異端なら、仏教と騙らず、宗祖の名でも冠して新宗教を作れば良いのです。
それに仏教と名乗らなければ自由ってわけでもなく、厳密には違法行為でしょう。訴える人がいるかどうかはともかく、厳密には、暴行罪、名誉毀損罪、強要罪など、犯罪の温床です。
978 :
てすと :2011/05/14(土) 17:47:14.13 ID:hUmxKHfa
禅は公案あり作務ありでバランスいいけど、体育会系なのは好きじゃないね。 かわいがりはやめた方がいい。 まあ、俺なら殴り返すけど。
980 :
てすと :2011/05/14(土) 17:54:20.78 ID:hUmxKHfa
思いだした。 俺なんて若い頃、仏教徒でもないのに 江戸川区の禅寺の坊主に殴られたからね。 守銭奴坊主のくせに生意気なんだよ。 診断書とって警察行けば良かった。 ぷんぷん
>>975 修行途上であっても他人に教えたり勧めるのに不都合はありませんし、
間違ったことを批判するのも当然でしょう。
あなたのその排他性や言論封殺はどこからくるのです?
>>976 > 貴方は、そのような「異端としての禅の特質」を「大乗仏教の特質」としていることです。
別に暴力の話だけではありませんよ。「理を廃する」のは禅固有の特質ではなく、大乗の
特質です。大乗経典はどの経典も架空の仏をでっちあげ、内容も矛盾だらけです。
> これまでに貴方が挙げた多くの指摘は、禅の系譜にほぼ当て嵌まります。 (だから、不説氏が指摘するように見られてしまうわけです。
「禅への恨みが大乗批判へと繋がってないか?」と・・。)
確かに僕の挙げる例は禅が多いですが、それは僕の経験によるものです。
(本当は密教もありますが、もっと荒唐無稽でややこしくなるのであえて避けてます)。
しかし別に禅に恨みはありませんし、道元禅師もお大師さまも「一人の個人として」は尊敬しています。それどころか、僕は親鸞上人すら「人としては」尊敬しています。
>>976 つづき
> 煩悩即菩提についても、天台教学をある程度俯瞰しなければ、隠居と同じ轍をふむだけです。
> 或いはまた、心経は勿論、パーリ、ウダーナの8.1〜4なども、貴方の嫌うw、こうした不確かな言い回しですよ?w
> このウダーナが、「理」のみでないことは明白でしょう? 自らの体得なしにはないでしょう?
それも誤解です。僕は「理のみ」とは言っていません。「身体的経験」と両輪です。しかし「理の否定」では絶対に成り立たないのです。
> それら全てが「理」に裏打ちされていることが解かります。> ただ、禅の系譜は、「理」に溺れ、「言葉」に溺れ、右往左往することを戒めるのです。戯論に堕すことをおそれるのです。
それは問い詰められた際の言い訳でしょう。その姿勢全体を通して、理を軽視する風潮は如実に現れています。
そもそも本当に「理」に裏打ちされているなら、わざわざ矛盾した言説を並べて人を圧倒したりけむにまいたりせず、
最初から理路整然とした言葉で仏法を語ればよいのです。
> 今の貴方の姿が、「理」に溺れ「言葉」に溺れ、藁を探しているようにも見えるのです。
それはあなたの思い込みです。具体的に何をもって「「理」に溺れ「言葉」に溺れ」ていると思われたのでしょうか?
983 :
てすと :2011/05/14(土) 18:04:02.82 ID:hUmxKHfa
>>981 あなたが間違っているのだから批判するのは当然でしょ?
解脱もしてないくせに偉そうに。
>(その場合の暴力は僕は認めています) ならいいじゃないですかwww まさにそのようなものだと言っているわけです。
>>977 >子供が危険な悪戯するのを止めるために手を挙げるならともかく
と言いながら
>、「暴力が必要な場面」などが生じるというのは、指導者の能力不足か、その
>宗派にまともな指導の方法論がない証拠
というのはどういうことか?w 場面場面で、事情は違うわけだろ?
20年やっててそこまで見えていないってのが信じられんよ・・w
20年も真剣に根詰めてれば一枚貰っててもおかしくないのに・・。
>それは嘘ですね。永平寺にでも行ってごらんなさい。
だから、曹洞宗の僧堂の内実は知らんと言っとろうがw
それに、100人200人常在する僧堂が良い環境とは思わない。
曹洞宗では、それでも、二大本山僧堂のブランド力が強いんだろうが、20人前後の地方僧堂の方が環境的にはベストだよ。
私も永平寺の道場の在り方には疑問を持ってるよ。
>存続していることと、有効性、有用性は全く関係ない。
だから、貴方の自我は潰れていないわけです。20年が全く無駄だったということです。
奈良さんの「釈尊との対話」(NHKブックス)でも読んでみてごらんなさい。また違った視界が開けるかもしれません。
>また極端なことを言う。極端なのはあなたです
そりゃそうです。その一文は極論の一文なのですから。
ただ、貴方の批判は、仏法の側面でなく「人権的な側面」に比重が大きいわけです。
「貴方が言うようなレベルのもの」は、どこの道場でも悪しきこととされているわけです。
(もしかしたら永平寺では違うのかもしれませんがwwwww)
貴方は、てすととの出家談義の際、そのバリエーションの幅を大きく認めていらっしゃいました。
(貴方が求めるような)本義に照らすなら、そのような幅すら許されない筈です。
それなのに、貴方はそれを認めている。しかし、現代日本仏教の在り方を認めていない。
そこに線引きがあるように、禅の体育会系ノリにも、同じ「幅の許容」をしないのはなぜでしょう?
だから、私怨に依拠していると第3者から言われてしまうのです。
原理主義は、一見カッコイイですが、自らの論理破綻に気付きにくくなります。お気をつけなさい。
>>983 批判するなと言っているのではありませんよ。
批判するなら具体的にしてください。
しかし、解脱してなければ「他人に教えるのはやめましょう」とか「他派を批判してる場合ではない」
というのは大きなお世話です。
解脱は教示や批判の条件ではありません。
まあ自分さえよければいよいという人なら、「他派を批判してる場合ではない」というのも
分かりますけどね。第一には自分の修行に専念すべきです。
しかし一方で、多くの人を惑わし、過った情報を与え、真のブッダの教えから人々を遠ざけている
大乗(非仏教)を批判しないわけにもいきません。人々を惑わせているのですから。
>>982 >しかし「理の否定」では絶対に成り立たないのです
だからwwww
そんな大乗仏教は存在しないのw 何勉強してんだよ・・w
>最初から理路整然とした言葉で仏法を語ればよいのです
そういう古尊宿もいるし、また、それのみでなければならないという繋縛に捕らわれてないだけ。
この辺はもう好みの問題になるけどな。工夫された言い回しが嫌いなら、禅に触れなければいい。
そうした言い回しのミルフィーユで、言語化困難な領域を示すことに共感するなら、その子は坐り続けるだろう。
だから、異端だと言っているw そして、勿論釈尊が初めではあるが、
「初祖菩提達磨」というように、異端である自覚は他の大乗諸派よりも潔いと思うぞw
>具体的に何をもって「「理」に溺れ「言葉」に溺れ」ていると思われたのでしょうか?
これまでのレス全てに決まってるじゃないですかw
そして寧ろ、
>「理のみ」とは言っていません。「身体的経験」と両輪です
この言葉こそ、貴方のこれまでのレスからすれば嘘っぱちにしか見えませんよ?w
988 :
てすと :2011/05/14(土) 18:17:31.02 ID:V9k9TCIg
>>986 仏教を正しく理解すれば解脱できます。
あなたが解脱出来ないのは仏教を正しく理解していない証拠です。
間違った事を教えないで下さい。
>>984 >>985 言葉の通じる大人同士なんだから、親が子供を躾けるのとは違います。
それを混同しているとすれば、僧の傲慢です。師や先輩は親ではありません。
> >それは嘘ですね。永平寺にでも行ってごらんなさい。
> だから、曹洞宗の僧堂の内実は知らんと言っとろうがw
だから知らないなら行ってごらんなさい。
> 私も永平寺の道場の在り方には疑問を持ってるよ。
総本山ですよ。総本山がそんな基本的なことで疑問もたれるようでは話になりませんね。
結局あなただって批判しているではないですか。
> >存続していることと、有効性、有用性は全く関係ない。
> だから、貴方の自我は潰れていないわけです。20年が全く無駄だったということです。
そもそも「自我」を潰すのは仏教の目的ではありません。それじゃただの洗脳です。
あなたも「我」(アートマン)と「自我」の区別のつかない人ですか?
> ただ、貴方の批判は、仏法の側面でなく「人権的な側面」に比重が大きいわけです。 人権の話なんかしてませんよ。 > 「貴方が言うようなレベルのもの」は、どこの道場でも悪しきこととされているわけです。 > (もしかしたら永平寺では違うのかもしれませんがwwwww) 永平寺に限らず、「恫喝をしない道場」「警策を用いない道場」を一つも知りません。 あるなら教えて下さい。 > 貴方は、てすととの出家談義の際、そのバリエーションの幅を大きく認めていらっしゃいました。 > (貴方が求めるような)本義に照らすなら、そのような幅すら許されない筈です。 そんなことはありません。本義では、釈尊は「必要ならルールを変えていい」と言っています。 しかしもちろん教えの本質まで変えてはいけません。 >しかし、現代日本仏教の在り方を認めていない。 存在を認めないわけではありませんよ。勝手に存在していればいいでしょう。しかし内容は全く仏教ではないのだから 仏教を騙るな、というだけのことです。 > 原理主義は、一見カッコイイですが、自らの論理破綻に気付きにくくなります。お気をつけなさい。 原理主義とか「○○主義」ではありません。単にブッダの教えであるか否かを問題にしているだけです。 「ブッダの教えは正しい」と言えば原理主義ですが、僕はそんな次元の話をしていません。 大乗は「ブッダの教えではない」と言っているのです。
>>987 >そんな大乗仏教は存在しないのw 何勉強してんだよ・・w
「一心に南無阿弥陀仏を唱えなさい」なんてのも理の否定ではないですか。
信徒にその必然性と理論を講義している坊さんを見たことないけど?
そもそも親鸞自信が「南無阿弥陀仏と唱えたら極楽浄土へ行くのか、それとも
かえって地獄へ行くのか、自分は知らない。法然聖人の言葉に従ってるだけ」と
言っています。
これこそ「理を否定」した典型的な態度でしょう。
他の大乗も似たり寄ったりです。
もしそこに理があると言い張るのなら、南無阿弥陀仏と浄土を論理的に説明してください。
992 :
てすと :2011/05/14(土) 18:31:08.60 ID:V9k9TCIg
仏教って言葉は中国からの輸入なんだから、中国の翻訳者に文句言え。 英語ではちゃんとZenって言ってるだろ。
993 :
てすと :2011/05/14(土) 18:35:22.60 ID:V9k9TCIg
そもそも原始仏教の原文では、「仏教」って呼んでない。 「法」と呼ばれてる。 ブッダの教えなんてタイトルはどこにもない。
>>992 仏教と自称しているのは日本自身です。中国がそう訳したからといって、
日本が真似する必要はありません。
>英語ではちゃんとZenって言ってるだろ。
欧米圏では仏教とは認めてないんでしょう
ベルギーではカルトリストに載ってますし
>>991 百歩譲って、貴方の言う通り、浄土真宗が理の否定だったとしましょう。
(真宗門徒からすれば異議ありでしょうが・・w)
しかし、やはりこれまで貴方が批判してきたのは『日本大乗』ですよね?
インド系大乗はOKなんですか?
>>929 >「ムーブメントの初期」を批判してはいません と言ってみたり、
>>928 >もちろん大乗仏教に分類されることは知っていますが、竜樹には非大乗的なところが多分にあります。 と言ってみたり、
恣意的な選り好みでしかありません。
龍樹は大乗ではないんですか? では、大乗仏教とは何ですか?
結局貴方がしているのは日本仏教の批判であって、大乗仏教批判になっていないということです。
996 :
てすと :2011/05/14(土) 18:43:45.10 ID:V9k9TCIg
それにブッダは目覚めた人の事だから、釈迦以外に目覚めた人も含まれる。 原始はゴータマ教に名前変えろ。
>>995 僕は日本仏教文化を批判しているのでも、「大乗仏教に分類される」という理由で
特定の宗派や僧を批判しているのでもありません。
その「大乗的姿勢」を批判しているのです。
大乗にもわずかに非大乗的部分が残っているかもしれませんが(阿含経典も一応
継承してるわけだからね)、大乗であってもそういう部分については批判してませんよ。
しかしそれらの経典を低く見ているのも事実ですから、そのことは批判対象です。
>>994 基本的に私はパーリサイドだし、大乗仏教の変遷の全てを是認するわけではない。
だから、最初から貴方の陣営で論を張っても構わなかったんだがw、
大乗サイドの大物論客が不在なんで代わりにやってる感じなんだよ。
ま、だからといって貴方のスタンスに全面賛成はしないし、奈良さんの「仏教風呂敷論」にこそ賛同するわけだが・・。
しかし、そろそろ限界だな・・w
一代出て来んかなぁ・・疲れてきたよ・・・w
>>997 だからw
貴方は大乗仏教が何も解かって(判っていない)というのです。
ノシ
1000 :
てすと :2011/05/14(土) 18:50:09.36 ID:V9k9TCIg
うんこ
1001 :
1001 :
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