仏教 議論スレッド 12

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5宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
>>前スレ998
>>こりゃ〜水野さんも間違えてるのかな?
>>氏に聞いてきますねw
>
>おい、先ず自分の誤読を認めるのが何よりだろ。
>こんな読みだから、何も分からないんだよ。

これについては直接、
著者ご本人に確認したいと思いましたが、
けれども残念ながら、水野氏は06年に104歳で逝去されたというので仕方ありません。

それで、縁起氏が天才と評して尊敬する石飛女史にこのことを尋ねてみたいと思う。
たぶん女史はサイトbbsですぐに解答を頂けそうなので・・・。
まっ、もしも彼女まで勘違いしてるのなら、それまでのこと。

>>前スレ744
>>無為法とは不生不滅の永遠の存在とされるものである。
>>無為の語は原始経典にも涅槃の同義語としてしばしば出ている。
>>しかし原始経典で説く無為とは存在論的なものではなく、
>>涅槃が生死輪廻を超えているとされるために、
>>生死にわたらないということを無為といったものであって、
>>それは主観的の心情をのべたもので、
>>客観的事実としてのものではない。
>>それを部派仏教では不生不滅の客観的事実としての存在として無為と考え、
>>有為という存在に対するものとした。
>>これは原始仏教で説かない概念であって、
>>仏教本来の立場を逸脱したものである。
>
>これは何を意味するのか、君は全く逆に勝手に読みかえているのが分からないだろうか?
>部派は、有為/無為という区分で現象と実在のような二分法を導入したが、
>原始仏教では、そのようなものは説かないのが原始仏教であるという意味なんだが。
6宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/04/08(金) 00:13:59.54 ID:LZ+6QCp1
何をいってるんだか・・・
とにかく勘違いもあまりに酷いので・・・。
私は何も“客観的事実”や“存在論”的なものとしては主張してませんが・・・。
それは部派の見解ということであって、私はそれを支持などはしてませんよ。
「水野氏もそれが正しいと述べている」という意味合いも私は1度足りともしてない。

そしてまた、“有為/無為という二分法を導入した”という言い方は誤解が生じるでしょう。
“無為も勝手に一切法に中に含めた”というのが正解というものではありませんか?
だから、そこの文にも「無為も原始仏典では説かれる」とハッキリ書かれてあるでしょう!
「ただし部派の意味(存在論的な意味合いとしての「実在」)とは違いますよ」と。

 『仏教で空や無というのは本体論的意味ではなく、現象が空や無の状態にあることを指すのである。
無我というのも現象としての一切法が無我の状態にあることを示している』(『要語』p163)

とあるように、現象界の性質(本質)を示す言葉が「空」であり、
そこには我といえるものは何も無いから無我というわけです。
水野氏のこの著作中には、“ニルヴァーナ(及び如来仏)が無我”などという見解はどこにも出てきませんよね。
あるならば、それを提示して頂けます?石飛女史の著作からでも構いませんよ。

ニルヴァーナの性質は恒常性にある。
“不死”という言い方もそこからくるのです。
1度、不死の境地に達した如来が再び死に見舞われますか?
在り得ませんよね。ニルヴァーナに1度、到達したら永久に不死の状態にあります。
だから、その境地は永遠永久の究極にあるのです。これが恒常性というもの。

ただゴータマは、
これをヴェーダのような存在論としては教えなかっただけ。
それは幾つかの誤解が生じることを避けるためと、
及び、形而上学的論争や思弁の無駄時間を弟子に推奨したくはなかったからでしょう。