任那と加羅と日本府と【8ヶ国め】

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1鄭聲之
日本府の話題はもちろん、それに限らず、
新羅にも百済にも含まれなかった半島南部地域についていろいろ

1)東部=加羅諸国(秦韓・卞韓)、任那鎮守(初代・塩乗津彦)
→任那日本府(倭宰・任那行軍元帥・倭国大臣・倭使臣)
2)西部=慕韓・神功紀四邑→任那国司(四県二郡)→任地が消滅して安羅に寄寓
3)加羅諸国(反百済)が南北に分裂
北)大加羅=伴跛国を中心とする独立派(新羅に騙され先に滅亡)
南)金官国=駕洛国を中心(のち安羅国を中心)とする親倭国派

過去スレは>>2-5くらい(このスレは実質8代め)
ループしないように過去スレよく読んで、sage進行で。
2過去スレ:2009/01/31(土) 11:10:22
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1226080812/l50
任那日本府説その2【実質その7】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1090513470/
任那日本府説【実質6発目】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1030968865/l50
任那日本府について【実質5代目】
http://academy.2ch.net/history/kako/994/994026593.html
★任那日本府説ついに決着!!★【実質4本目】
http://mentai.2ch.net/history/kako/976/976659863.html
任那って日本領だったんですか? part2【実質part3】
http://mentai.2ch.net/history/kako/974/974989450.html
http://academy.2ch.net/history/kako/974/974989450.html
任那って倭国領だったんですか?パート2
http://mentai.2ch.net/history/kako/970/970077532.html
任那って日本領だったんですか?
3関連スレ:2009/01/31(土) 11:12:38
<本当は先にこっち↓を消費したいところだが…>
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1008077694/l50
韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?

<過去の関連スレ>
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1004836247/l50
★★★神功皇后の三韓征伐★★★
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1048230256/l50
大伴金村の生まれ変わりは誰だ?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052430187/l50
日本は古代朝鮮を征服した!
http://mentai.2ch.net/history/kako/983/983882584.html
★★★☆レジェンドエンプレス・神功皇后☆★★★
http://mentai.2ch.net/history/kako/987/987267456.html
神功皇后について
http://academy.2ch.net/history/kako/1003/10036/1003627171.html
古代朝鮮の南部にいた倭って
4他板の関連スレ:2009/01/31(土) 11:14:22
<世界史板の過去ログ>
http://mentai.2ch.net/whis/kako/999/999912002.html
隠蔽される韓国の前方後円墳
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1007/10078/1007875212.html
韓国の前方後円墳について語ろう
<ハン板の過去ログ>
http://mimizun.com:81/2chlog/korea/kaba.2ch.net/korea/kako/1006/10065/1006591782.html
任那日本府について
http://mimizun.com:81/2chlog/korea/kaba.2ch.net/korea/kako/1007/10072/1007281622.html
おい、韓国!!任那を返せ!!
http://academy.2ch.net/korea/kako/1023/10233/1023303292.html
半島の故地を取り戻そう
<極東板の過去ログ>
http://mimizun.com:81/2chlog/asia/kaba.2ch.net/asia/kako/1005/10059/1005915158.html
古代日本が南朝鮮を支配した事を知ってる鮮人の数→
http://tmp.2ch.net/asia/kako/1021/10218/1021891385.html
なぜ韓国の教科書には「任那」の記載がないの?
-------------
他にも無数にあるはずだけどいちいち昔の過去ログさがすの面倒だからやめとく
5お願い:2009/01/31(土) 11:27:47
あと捨て台詞、罵倒や煽りも禁止でおながいしまつ
6日本@名無史さん:2009/01/31(土) 13:10:50
大和朝廷は古代朝鮮半島南部に領地を持ち
大和軍が朝鮮半島に駐留していたのは歴史的事実。
7日本@名無史さん:2009/02/01(日) 00:22:36
駐留してたのかな?
必要な時に臨時に派遣されてたことは
日本書紀や三国史記にある通りだろうけど。
8日本@名無史さん:2009/02/03(火) 02:09:48
「みまな」ってのはニンナの訛りだろうな
9日本@名無史さん:2009/02/04(水) 03:00:39
韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1008077694/l50

 ∧_∧
< `∀´ >  <こっち↑もよろしくおながいするニダ。
10日本@名無史さん:2009/02/05(木) 16:17:28
近江毛野とか新羅の兵3000に動揺してるんだよな。
6万を称しているけど、実数は少なそうだ。
11日本@名無史さん:2009/02/05(木) 20:50:07
>>8
弁韓の彌馬邪国って説もある
12日本@名無史さん:2009/02/06(金) 10:34:04
>>8,>>11
半島側では
彌馬邪(ミマヤ)→ミムヤ?→任那(ニムナ)

日本では
彌馬邪(ミマヤ)→「みまな」

…ってことかな?
13日本@名無史さん:2009/02/11(水) 00:41:04
もともとは弁韓なんだよね。
14日本@名無史さん:2009/02/11(水) 04:56:27
韓国の歴史学界では任那日本府は認めてないんでしょ?
以前「つくる会」の教科書が問題になった時、韓国政府が求めた修正要求の中に、
任那日本の記述に関する削除項目があった。
で、その韓国政府の修正要求に対して、日本政府の回答は任那日本府に関する記述は学術的に適切であるみたいな記述だったんだけど、
姜尚中が朝日新聞で「任那日本府の修正要求すら認めないとは何事だ」みたいなコメントしてた。
15日本@名無史さん:2009/02/11(水) 05:49:44
正しい記述を削除しないとファビョるとは何事だろうな
16日本@名無史さん:2009/02/11(水) 19:46:38
よく任那日本府を大和政権が朝鮮半島に進出してその先っぽだけを支配した
というが実はそうではなく任那日本府は朝鮮における一政権の日本列島進出の
ための最前線根拠地だったんだよ。
わかりやすくいえばノルマンコンクエストにおけるノルマンジー公国みたいな
ものだったんだよ。
17日本@名無史さん:2009/02/11(水) 19:57:29
それだと半島における倭の軍事活動と矛盾するな。
まさか「王家を支配したニダ!!」「文化的征服を成し遂げたニダ!!」
なんて言うわけじゃあるまいな?
18日本@名無史さん:2009/02/12(木) 03:22:04
結局チョンは電波
19日本@名無史さん:2009/02/14(土) 06:37:30
>>16
それは大昔の電波説。
江上波夫のコピーじゃんよw
20日本@名無史さん:2009/02/14(土) 07:07:27
>>13
弁韓がなんで任那に…?
21日本@名無史さん:2009/02/16(月) 05:39:45
まあチョンは植民地だったのは動かない事実
22日本@名無史さん:2009/02/16(月) 05:58:58
■倭の王(天皇)は古墳時代に韓国人に乗っ取られている

『古事記』によれば、天日槍は応神天皇の時代に、逃げた女房・阿加留姫
(あかるひめ)を追いかけて来日したとされている(『日本書紀』では崇神天皇の時代)。

天日槍とは新羅の王子で阿加留姫とは倭国に渡って仲哀天皇の王妃となった
神功皇后のことである

つまり天日槍は逃げた自分の妻を追って倭国にやって来たら、大和王権の仲哀天皇と
結婚し神功皇后となっていた元妻を取り返すべく立ちあがり各地の豪族達を纏め上げ
勢力を拡大して有力豪族となり、後に新羅征伐で対立した仲哀天皇を暗殺し
阿加留姫(神功皇后)を取り戻した、そして生まれたのが応神天皇

つまり天日槍も阿加留姫もどっちも新羅王族だったわけで倭人ではない
倭人の天皇は仲哀天皇で途絶え応神天皇以降は新羅人の血が入っている

新羅人は今の朝鮮民族である韓国人の先祖
23日本@名無史さん:2009/02/16(月) 06:19:54
電波チョン乙
朝鮮王族自体がもともと倭人
24日本@名無史さん:2009/02/16(月) 09:46:59
>>22
つまり、からが完全に証拠がない妄想www

相変わらず笑わせてくれるなぁ
25日本@名無史さん:2009/02/16(月) 17:29:32
>『古事記』によれば、



古事記調べたけど、そんな記述無かったぞ?
26日本@名無史さん:2009/02/17(火) 01:27:32
>>25
古事記には、阿加流比売を追いかけて天之日矛がきたことは書かれてるが
阿加流比売が神功皇后だとか天之日矛が応神天皇を殺したとかは
すべてヒガミ鮮人の電波説。
27日本@名無史さん:2009/02/17(火) 03:21:34
その電波チョンは歴史と関係ない他板でまで電波を撒き散らしてますw

■韓国人と日本人どっちが不細工なの?3
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/diet/1229680029/
28日本@名無史さん:2009/02/17(火) 12:21:54
【中韓】中国人の韓国観は間違っている、「文化略奪説」を否定―韓国紙[02/16]

2009年2月12日、中国紙・環球時報はウェブサイトで「中韓関係」をテーマとしたネットフォーラム
を開催。両国間に広がる「嫌韓」「反中」意識の解決に向け、真剣な話し合いが行われた。
韓国紙・中央日報の中国語版ウェブサイトが伝えた。

韓国側からは中央日報や朝鮮日報の北京駐在記者、中国側からはソウル駐在歴10年になる
人民日報の記者と3億人のネットユーザーが参加した。中国と韓国は最近、「文化起源説」をめ
ぐり激しく対立。韓国が漢字や漢方、端午の節句などを「韓国起源」とし、儒教の始祖である孔子
までも「韓国人」だと主張したことで、中国側の反発を招いている。

フォーラムでは、中国のネットユーザーからこうした「文化の略奪行為」に対する批判が集中。
「韓国人は中国の発展に嫉妬しているだけだ」などと指摘する意見も飛び出した。これについて
韓国紙・中央日報は、「中国人の多くは韓国を誤解している。事実を曲げた報道のせいかも知れ
ない」と中国メディアのあり方を批判。「韓国の端午の節句は中国のものとは全く別物だ」など「文
化略奪説」を否定した。(翻訳・編集/NN)

http://www.recordchina.co.jp/group/g28616.html

【韓国】「韓国が中国の端午を盗んだ」「同名でも由来が違う」―環境網韓中関係インターネット対談にて[2/15]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1234664868/l50

29日本@名無史さん:2009/02/17(火) 22:52:50
>>28
この記事は文化人類学的にはややこしい問題を包括してると思うけど。

例えば柳田國男とか系の民俗学では
七夕なんかでも日本の七夕は中国伝来の行事以前に
日本固有の信仰や行事があったことを語ってるわけじゃん。

これを貼ってる椰子はさぁ。自分ではどういう考えなの?

例えばだけど
チョン憎しでチャンコロの応援してるわけ?
30日本@名無史さん:2009/02/18(水) 00:56:29
天皇家開祖の頃はシュメール王家、スキタイのサカ王家、イスラエルのエフライム・ユダ王家等の合体天皇家だったけど、その後朝鮮半島からやって来た平民が王に成り済まし、不覚にも皇位を強奪されてしまったんだよな。
ま、その頃倭人は北方騎馬民族としても、南朝鮮にも相当いたんだけどな
31日本@名無史さん:2009/02/18(水) 01:23:31
>>30
電波さんはオカ板に逝ってくだしゃーい
32日本@名無史さん:2009/02/18(水) 01:36:38
>>30
皇太子殿下の御顔立ちからすると、俺も現在の皇室は韓統だと思う。

だから、神武天皇時代の始祖天皇家に復活していただきたい。
33日本@名無史さん:2009/02/18(水) 02:54:00
>>30>>32
何この自演電波チョンはw
34日本@名無史さん:2009/02/18(水) 04:53:13
■古代日本の支配者 蘇我氏は新羅人(韓国人)だった

4世紀頃に突如として日本の表舞台に現われた大豪族蘇我氏
聖徳太子や天皇などに娘を嫁がせ天皇以上の権力を持っていた古代日本の支配者
しかしどこから現われたのかいまだに分っていない謎の一族
その蘇我氏のルーツが韓国にあると言う、7世紀まで韓国東南部に
栄えた古代国家「新羅」である
日本の126号墳(蘇我満智の古墳)から古代日本ではありえないローマ産の
ローマングラスやトンボ玉などが出土している
同じく新羅王国があった韓国の慶州市の国立慶州博物館に5〜6世紀の王の墓から
ローマングラスが出土、トンボ玉も一緒に発掘され展示されているが
トンボ玉の模様が蘇我氏の墓から出土したものと同じ模様である

周辺国の百済、高句麗からは出土していない古代最先端技術のローマングラスは
東洋では新羅と倭国(日本)だけでしか発掘されていない
さらに126号墳の周辺には蘇我氏の墓がある新沢千塚古墳群のほとんどが
新羅特有の木管直葬墳なのだ
これらを総合的に考察すると答えは必然と見えてくる、蘇我氏が新羅と関係があるのは
明白であるだけでなく証拠まで残っていることに驚きを隠せない

新羅の王族に近かった位の物が倭国(日本)に渡り蘇我の家名を立て物部氏を
滅ぼし天皇の側近となり古代日本の政治を支配したのである
天皇にも娘を嫁がせてるので天皇も事実上は新羅系である
奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡に蘇我氏の邸宅跡とされる遺跡があるが
暗渠(地下の水路)が作られており飛鳥京には噴水まであったことが分っている
これらの優れた新羅の最先端技術が当時の日本にもたらした影響力を考えると
先祖達ちの偉大さが伝わってくるようだ

蘇我氏、それは高度文明を持つ韓国人の先祖である新羅人達が海を渡り
家名を立て倭人達を支配し古代日本に文明をもたらした偉大な一族だったのである

35日本@名無史さん:2009/02/18(水) 04:57:09
電波チョンうざw
36日本@名無史さん:2009/02/18(水) 05:55:48
だから何度も言ってるが、神武天皇家に皇政復古していただいて、韓国等の朝鮮半島系を排除したいと言っているのだが。
チョンだったら、こんなことは絶対に言わんわ!
37日本@名無史さん:2009/02/18(水) 06:08:31
百済や高句羅の血が入っていないと断言できる日本人が何人いるのだろう?
38日本@名無史さん:2009/02/18(水) 06:14:33
>>34
韓国人は本物の王家を己の強欲の為に追放し王権を強奪した悪魔なり。
古代〜現代迄の朝鮮半島史の全ての国々は、一つの例外もなくみな、ただの半島人民が王として成り済ましたに過ぎない。そこには伝統もクソもないのである。
39日本@名無史さん:2009/02/18(水) 06:18:27
>>36-37
早朝から電波飛ばしてんじゃねーぞw
チョン系なんぞおらんw
40日本@名無史さん:2009/02/18(水) 06:31:38
>>34
新沢千塚は東漢氏の墓ではないかと言われてる。
嘘をつくなチョン。
41日本@名無史さん:2009/02/18(水) 06:35:15
ま、妄想と捏造と誇張と歪曲だけがチョンの根拠だから
42日本@名無史さん:2009/02/18(水) 09:18:03
そもそもチョンは「ワイ族」だろ。
だから「韓」は使用禁止だ。
「大ワイ民国」に直せ。
43日本@名無史さん:2009/02/18(水) 09:29:26
>>40
東漢氏=東の漢人(笑)。
44日本@名無史さん:2009/02/18(水) 09:50:27
>>37
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/09/post_5.html
極東ブログ

なお新羅系とか百済系の移民とかって話ですけど、僕は古代日本人の中にそういう
「移民」がいたかどうか…って次元ではなく、古代日本人(弥生人)ぜんたいが
イコール古代朝鮮人だと考えます。
そうでなければ、弥生人は、いったいどこからわいて出たというのでしょう? 
中国渡来という声もあるが、それなら中国→南韓→西日本のルートを取ったはずで、結局は
朝鮮から来たことになるではありませんか。

クシフル岳のもとは韓国のクジボン岳で、天孫説話は扶余族ルーツであることは明白です。
ナラ・ハカタ・イズモ・ノト・ヒダなどはみな古朝鮮語で、とりわけイズモのような貧しい辺境
(失礼!)が古代に栄えていたわけは、朝鮮人の流入口だったからとしか、考えられない。

キム・ダルスは『続日本紀』中に「飛鳥人口の九割は秦氏系(朝鮮人)」の記事があることを指摘しています。
後世−現代のナショナリズムを拭い去って、日本史を冷静に見つめるなら、我々のルーツが
朝鮮半島にあることは明白ではないでしょうか?
45日本@名無史さん:2009/02/18(水) 10:43:46
根井正利ペンシルバニア州立大学教授は「現代人の起源」に関するシンポジウム(1993京都)にて
日本人(アイヌ・沖縄人含)は約3万年前から北東アジアから渡来し、
弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかな影響しか与えていない、という研究結果を出している。

 尾本恵市は著書『日本人の起源』(裳華房刊)にて、
原日本人(アイヌ・沖縄人含)は東北アジアが起源であり、
研究の結果埴原和郎の「二重構造モデル」は有り得ないとしている

松本秀雄も『日本人は何処から来たか―血液型遺伝子から解く』日本放送出版協会にて、
日本人はアイヌを含めて等質性が高く、弥生以降の渡来人との混血は少ない、
という研究結果を出している
46日本@名無史さん:2009/02/18(水) 11:12:15
【日韓歴史】 日本の起源と東アジアの未来〜韓半島は過去、日本の政治的・文化的形態を規定してきた★2[04/14]

http://www.donga.com/docs/magazine/weekly/2008/04/14/200804140500048/image/200804140500048_1.jpg

日本人の起源に関する学説は大きく三種類ある。第一、B.C.2万年前、氷河期に日本へ流れこんで来た
人々が列島の先住民である繩文人になり、ますます進化したという学説だ。この学説とおりなら日本
人は1万2000年間、独自の遺伝子を維持した単一民族だ。大部分の日本人はこれを信じている。二番目
の学説は寒い気候に耐える稲品種、潅漑水路を土台にした労動集約的稲作技術、シャベルとくわなど
を作る鉄器文化などを持った古代韓国人が大規模に移動して弥生(B.C.4世紀〜紀元後3世紀)文明を立
て、現代日本人はまさに彼らの子孫というものだ。三番目の説は古代韓半島からの渡来人たちが移住
して来たが、規模は小さかった。代わりに生産性の高い稲作をする渡来人たちの人口が狩猟採集民で
ある繩文人よりずっと早く増えたはずだ、という折衷的主張だ。また中央アジア遊牧・騎馬民族が紀
元後、4世紀頃、韓半島を経て日本を征服したという説もある。

西欧の学者は二番目の説を信じる人が多い。例えばカリフォルニア州立大学のジャレド・ダイアモン
ド教授は「銃・病原菌・鉄」で遺骨のDNA分析を土台に紀元後400年前後の古代韓国人の移住が、現代
日本人に莫大な影響を及ぼしたと主張する。先に繩文人は足が短かくて背が低く、相対的に下腕が長
い。また丸くて平たい顔は、眉間が遠くて上瞼が著しく出っ張ったうえ、鼻と鼻梁が明確だ。一方、
弥生人は繩文人より平均3〜5cm以上大きく、顔は長くて狭く、上瞼と鼻は平たい。結局繩文人の頭蓋
骨は現代日本人よりは日本の少数民族であるアイヌ人とよく似ている。一方、弥生人の頭蓋骨は現代
日本人と一番似ている。

47日本@名無史さん:2009/02/18(水) 11:13:14
>続き

韓国人と弥生人の混血比率が繩文人とアイヌ人の遺伝子構成より優勢であり、古代韓国の渡来人たち
が現代日本人の起源に影響を及ぼしたという推測が可能だ。ダイアモンド教授はこれと共に言語を有
力な証拠と見ている。実は日本語と韓国語は同じウラル・アルタイ語族だが違いを見せる。従って、
これは韓国人起源説に反論する証拠として多く使われてきた。しかし、ダイアモンド教授は現代韓国
語は新羅語から始まり、一部伝わる高句麗の単語は韓国語よりむしろ日本語に似ていると主張する。

また日本の古代彫像はひげがもじゃもじゃしているアイヌ族ではなく、古代韓国人たちを描いた姿だ。
これも有力な証拠だ。1869年、日本が北海道を併合する前まで、主にその場所に居住したアイヌ族の
男たちはもじゃもじゃしたあごひげに全身に毛が多く、指紋や耳たぶも特異的だ。彼らはユーラシア
大陸を横切って、北海道に定着した白人コーカサス人種に属すると言う。(中略>>2-5のあたり)

ダイアモンド教授と柄谷教授はどちらも韓日交渉史で「韓半島は日本の政治的・文化的形態を規定し
た」と言う。韓国から渡来したことも雑居しているという話だ。それでも韓国が優越感におぼれなさ
いというメッセージではない。
ソース:東亜日報(韓国語)日本の起源と東アジアの未来
http://www.donga.com/docs/magazine/weekly/2008/04/14/200804140500048/200804140500048_1.html


48日本@名無史さん:2009/02/18(水) 11:19:01
日本書紀にあれだけ具体的に書かれている任那日本府が存在しないという説は
なりたたない。

しかし日本書紀に基づくのであれば、書かれている姿も認めなければならない。
日本書紀に書かれている任那日本府は:
雄略紀で、新羅王の要請を受けた任那王から「勧められて」はじめて出動した
「日本府の将軍」たち。
欽明紀で、百済王の前に他の任那諸国と同列であり、百済王から日本の
天皇に対して、新羅の手先としてそしられている任那日本府(または
安羅日本府)。

この二つの記述しかないのだ。これはどうしようもない。
49日本@名無史さん:2009/02/18(水) 11:39:47
>百済王から日本の
>天皇に対して、新羅の手先としてそしられている任那日本府

この部分がわかりにくい
百済王が天皇に「任那日本府は新羅の手先だ」と謗ったのかな?
50日本@名無史さん:2009/02/18(水) 18:30:11
何か誤解されたみたいだな。
天皇家に朝鮮半島系が入ってること、俺は肯定しているのだが。それらしい文献が確かに存在しているし、天皇陵の発掘が認められれば、物的証拠も出てくるだろうから。でもね、高句麗、新羅、百済、伽耶等を建国した王家は、朝鮮半島人じゃないんだよ。
51日本@名無史さん:2009/02/18(水) 18:40:18
朝鮮半島人って何だよw
52日本@名無史さん:2009/02/18(水) 18:44:23
>>50の続き。
高句麗、新羅、百済、伽耶等の建国者は、シュメール、古代南北イスラエル、スキタイの建国王家だったんだよ。でも、彼等の支配を拒絶した貴方達朝鮮半島人は、その王権を強奪して自らが王に成り済まし、彼等を半島から追放した。
53日本@名無史さん:2009/02/18(水) 18:57:24
>>52の続き
だから、シュメール、古代南北イスラエル、スキタイの建国王家は日本列島にやって来て、後に列島先住者に迎え入れられて、天皇家開祖神武が大和朝廷を成立させたわけなんだよ。
ま、朝鮮半島人の「ワイ族」連中が列島に渡来、天皇家を乗っ取ったのは、天武辺りからだろうな。
54日本@名無史さん:2009/02/18(水) 19:10:41
因みに日本人の皇国史観、万世一系、優越主義的なものは、シュメール、南北イスラエル、スキタイ建国王家を日本列島に迎え入れ、彼等が王家として存続することを認めた…って部分からきてんだよ。

本当の王家を追放しただけでは飽きたらず、日本に来て迄暗殺や乗っ取りを実行した朝鮮半島人とは、格が違い過ぎるのだよ日本人は(^-^)
55日本@名無史さん:2009/02/18(水) 19:34:54
ところで、任那って金官加羅だよな?
その本国は日本の九州北東部の豊日国だけど、
加羅とか伽耶って、日本で言う九州王朝倭国、倭人の国だったのか??
56日本@名無史さん:2009/02/18(水) 19:41:04
>>55だけど、今迄スレ違いの話長々とすいませんでした

今後は控えます↓↓

m(_ _)m
57日本@名無史さん:2009/02/18(水) 20:54:35
>>49
>この部分がわかりにくい
>百済王が天皇に「任那日本府は新羅の手先だ」と謗ったのかな?

その通りだよ。いろいろな言い方をしているが、例えば
「任那日本府は二人の現地生まれの男に牛耳られていて、将軍たちも
彼らの言いなりになっている。彼らは新羅の服を着て、新羅との
間を行き来している。彼らと将軍たちが任那日本府にいる間は任那の
復興はおぼつかない」
と、百済王が天皇に上奏している。
(言葉は原文通りではないがほこの通りの主旨)
58日本@名無史さん:2009/02/18(水) 20:58:55
>>57
訂正:
ほこの通りの主旨 → ほぼこの通りの主旨 
59日本@名無史さん:2009/02/18(水) 21:38:56
まさか中学校や高校の教科書に書いてある弥生人の特徴をそのまま鵜呑みにしてるわけじゃないよな?

教科書にあるのは弥生時代の初期、しかも渡来系が主流を占めていた集落出土の人骨だぞ?
実際には縄文人が多数を占めていた集落が圧倒的だし、そもそも大量渡来は考古遺物から証明できない。
60日本@名無史さん:2009/02/19(木) 03:48:57
>>46-47
>柄谷教授

歴史学者じゃねえよw
結局怪しげな人物ばかりがチョンの味方だなw
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%84%E8%B0%B7%E8%A1%8C%E4%BA%BA
61日本@名無史さん:2009/02/19(木) 04:04:48
すいません、皆様には当然のことかもしれないのですが

日本府は別に国家としての”倭”が征服してできた植民地ではなく、
半島と日本に散在し、対等に交流していた倭人集団があり、中国との交易を通じて文化的優位を
持っていたが、”倭国”が強大になるにつれて軍事的依存度を高めていった地域
だろうと把握しているのですが、おかしいでしょうか?






62日本@名無史さん:2009/02/19(木) 04:08:37
征服しますた
63日本@名無史さん:2009/02/19(木) 05:45:00
蘇我氏が新羅人であることは明白だな
出土したトンボ玉の模様の一致や墓の作り、ローマングラスなどのローマ産の遺物
それと仏教導入を強行したことからも蘇我氏は半島人である可能性が大だな
蘇我韓子なんて名前まで韓だしw
64日本@名無史さん:2009/02/19(木) 05:50:55
まだ電波チョンがいやがる
チョン半島の墳墓から勾玉がわさわさ出てくるからチョン半島は日本の属国w
65日本@名無史さん:2009/02/19(木) 06:01:18
>>63
新沢千塚126号墳は蘇我ではないと何度言えば…

ところでその蘇我だが、
蘇我「蝦夷」なんているからアイヌだろうw
66日本@名無史さん:2009/02/19(木) 06:13:28
チョン馬鹿すぎ
67日本@名無史さん:2009/02/19(木) 07:06:26
>>61
地方豪族の連合体の盟主にすぎなかった倭の王権が
恒常的に軍隊を進駐させておくことができたわけはないし、
するつもりもなかったと思う。

日本府ことヤマトノミコトモチてのは、半島南部に食指を伸ばしてきた百済や新羅に対して、
倭王権が半島でもっていた交易とか貢租的な権益(豪族たちから回収したものかも)
をなんとか守らなきゃってことで急遽現地雇いのスタッフを編成して
対応にあたらせたものだと想像。
でもって、その現地雇いのスタッフがあちこちから賄賂をもらったりして
倭王権も制御できずに迷走の末、任那滅亡乙、みたいなw
68日本@名無史さん:2009/02/19(木) 07:54:39
>>61
「日本府」は地域ではない。
ヤマトノミコトモチという官。
その官の役所。
その役所の官が食うために持っている領地。

このような範囲の概念だと思う。
もちろん任那日本府=任那ではない。
69日本@名無史さん:2009/02/19(木) 09:07:20
>>67
3世紀から関東〜九州まで実質支配下に置いた大和政権の力は、
やはり巨大であり、
伽耶や百済地域にまで大和王権と同じ武装の埋葬者がいる。
彼らは大和軍に所属してたという事だろう。
人種的には倭人もいれば現地人もいるであろうが。
70日本@名無史さん:2009/02/19(木) 09:19:28
武内宿禰ー蘇我石川宿禰ー蘇我満智ー蘇我韓子ー蘇我高麗ー蘇我稲目ー
               
ー欽明天皇ー推古天皇ー用明天皇ー聖徳太子

蘇我氏本家滅亡後、蘇我の血は女血筋で藤原氏に受け継がれている
近衛などが蘇我氏の血を引く

あらら天皇や聖徳太子にまで新羅人の血が入ってるな
韓子、高麗なんて分りやすい名前をつけてくれてるけど、そもそも三韓征伐
に関った武内宿禰を初めとする継体天皇事体が新羅系なんだよね
71日本@名無史さん:2009/02/19(木) 10:19:39
何の証拠も出せず言いきるだけのチョンって悲しいね。
72日本@名無史さん:2009/02/19(木) 11:20:56
万年属国だったからでしょ、朝鮮は。
73日本@名無史さん:2009/02/19(木) 17:00:13
万年属国の恥多き息子、小倭
74日本@名無史さん:2009/02/19(木) 17:57:38
せめて弟くらいにしといてくれ
日雇いばかりで定職につかず酒ばっか飲んでる父親・中国と
ゴロツキまがい、恐喝で日銭を稼いでる兄・朝鮮と
そんな家庭が嫌でさっさと出てって独立した弟・日本
そんな感じでないの
75日本@名無史さん:2009/02/19(木) 18:15:28
>>74
中国は置いといて、
半島で言えば新羅も百済も意外と古くない感じなんだ。
王墓なんて実質4世紀後半〜5世紀からではないかな。
日本の大和王権は巻向古墳の3世紀以前からありそうなので、
日本が兄とも言えるよ。
76日本@名無史さん:2009/02/19(木) 19:21:40
その弟が成功して大きな家を建てたので兄が泣きついたと
77日本@名無史さん:2009/02/19(木) 20:14:42
ま、天皇家や倭人、古代朝鮮人の真相は、天皇陵を発掘すれば明らかになる筈。

速やかに発掘すべし。
78日本@名無史さん:2009/02/19(木) 20:31:07
>>77
天皇陵を発掘しないのに騎馬民族説なんて唱えてた連中は、
最近旗色悪くなり、
天皇陵を発掘すれば明らかになると逃げ腰。
79日本@名無史さん:2009/02/19(木) 20:57:41
継体の墓掘ったのに、渡来人の証拠は何もでなかったNE
80日本@名無史さん:2009/02/19(木) 21:01:17
というか何が出たら渡来人の墓と認められるのかな?
81日本@名無史さん:2009/02/19(木) 21:14:40
>>42
完全なる電波。

>>40,43
東漢(やまとのあや)氏
これは半島系じゃなくて大陸系。

>>44
キム・ダルスって金達寿やんけw
30代後半以降だと70年代の有名な電波朝鮮人として
漢字表記で知られてるからわざわざカタカナにしてるわけか?w

>>47
>ダイアモンド教授は現代韓国語は新羅語から始まり、
>一部伝わる高句麗の単語は
>韓国語よりむしろ日本語に似ていると主張する

じゃ高句麗の子孫は朝鮮人じゃなくて日本人だな。
82日本@名無史さん:2009/02/19(木) 21:18:54
日本人の男系遺伝子で一番多いのは縄文の遺伝子だと前に見たけどな。
83日本@名無史さん:2009/02/19(木) 21:21:36
神功皇后   新羅王族の姫 
応神天皇   神功皇后の子だから新羅系
蘇我氏    新羅人の立てた家名
藤原氏    百済王族の立てた家名
桓武天皇   百済王女の血統
北条氏    桓武平氏の本流なので百済系
比企氏    渡来系(高句麗系)
長宗我部氏  新羅系の秦氏
大内氏    百済王族の血筋
織田信長   平氏なので百済系
長州藩士   百済系の子孫達

倭人は何もやってない、日本の歴史は韓国系が作った
84日本@名無史さん:2009/02/19(木) 21:29:31
ハッスルしすぎだろ。
85日本@名無史さん:2009/02/19(木) 21:43:58
>>83
新羅王は倭人
86日本@名無史さん:2009/02/19(木) 21:47:26
>>48
雄略紀についていうと、新羅は高句麗に滅ぼされる寸前の状況だったのだから
任那王にも日本府にも手当たり次第に要請しただろう。
普通じゃないからこそ記録に残ったってこと。
欽明紀については2chの歴代スレで詳細に論じられてるから省略。

>>50,>>52-54は完全なる電波。

>>61
わかりにくい文章だなぁ。
「対等に交流していた倭人集団」って誰と対等なの?
新羅や百済と? 倭本国と? 任那の諸王と?
「倭国が強大になるにつれて軍事的依存度を高めていった」って
倭が強大化しないうちから半島に進出していった倭人らの背後の圧力って何?
人口膨張圧? 文化力? 財力?
普通は、日本と海外に共通する何かがあった場合、
海外から日本へきたと短絡するじゃん?
あなたは「倭」という名称の示すところの特定民族としての文化特色が完成した後で
なおかつ「倭」族が半島に限定されてなかったっていう時系列を想定してるのですか?
正直いってそれは考古学的にも人類学的にも証明不可能でしょう。
87日本@名無史さん:2009/02/19(木) 21:48:49
>>88
マジレスするのもアレだが…

神功皇后   新羅王族の姫ではない。新羅からの帰化人の血を女系でひいてるだけ。しかもかなり遠い祖先。 
応神天皇   神功皇后の子だから新羅系、ではない。上記の理由。
蘇我氏    新羅人の立てた家名ではない。蘇我が新羅系なんて説はそもそもない。昔あったのは百済系という説だがそれもいまは否定しさられた旧説。
藤原氏    百済王族の立てた家名ではない。完全なる電波説。八切止夫だろ。
桓武天皇   百済王女の血統。これはその通り。ただし遠い先祖だけど。女系で。
北条氏    桓武平氏の本流なので百済系、ではない。上記の理由。
比企氏    渡来系(高句麗系) ? そうか? 藤原系だろ。
長宗我部氏  秦氏だが、新羅系ではない。秦氏は半島系ではなく大陸系。
大内氏    百済王族の血筋。これはまぁその通り。
織田信長   平氏なので百済系、ではない。織田は越前の齋部氏の流れ。平氏は偽称しただけ。
長州藩士   百済系の子孫達ではない。…が、ここは微妙。詳しい人に協力求む。
88日本@名無史さん:2009/02/19(木) 22:09:02
88だけど>>83の間違い
89日本@名無史さん:2009/02/19(木) 23:34:06
長州にも縁の深い古代日置氏族だが
9世紀に書かれた『新撰姓氏録』では「未定雑姓」

この日置氏を高句麗系だなんだ言うやつも多いが、出雲系みたいだな。

http://www1.ocn.ne.jp/~hekizoku/index.html

「古事記・日本書紀から日置族のことがわかります。
  日置族は出雲臣族です。このうち紀伊・日置首は天照大神の子天穂日命の後裔で、大江・
 秋篠・菅原朝臣と同祖です。また、京師・日置臣は菅原朝臣を賜り、土師宿禰と同祖です。さら
 に日置部の伴造である幣岐君は応神天皇の子大山守命の後裔です。従って、日置族は天照
 大神、応神天皇の子孫ということになります。」
90日本@名無史さん:2009/02/19(木) 23:55:12
信濃に高句麗系の須々木という氏族があるが、
それがいつのまにか戦国時代の佐々木氏という武将になったとされてしまう。
佐々木は源氏系なのだが。
サヨの捏造は手が込んでるので要注意。
91日本@名無史さん:2009/02/20(金) 00:32:10

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%92%E3%83%9C%E3%82%B3
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事記』、『日本書紀』の日本神話に登場する神。元は新羅の王子だった。

神功皇后は新羅系なのは事実

しかし日本では新羅の王子を神として称えてるんだねw
これじゃ天照大神も新羅系なんじゃないのw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%AB%E5%B1%85%E4%B8%96%E5%B1%85%E8%A5%BF%E5%B9%B2
新羅王1〜12代の名前見たら古代日本の書物に書かれている人物と同じような
名前だし日本神話も新羅神話からパクってるみたいだねw
92日本@名無史さん:2009/02/20(金) 00:44:05
>>91みたいに

・男系と女系をごっちゃにいうのもサヨの手口。神功皇后はその遠い先祖(の母親)に一人だけ新羅系がいたというだけ。これで新羅系とはいやはや…w
・記紀よりも数百年後に書かれた三国史記・三国遺事が
逆に記紀の元ネタのようにいうのもサヨの手口。
93日本@名無史さん:2009/02/20(金) 00:53:17
>>79
臣民共が煩いから継体の墓調べたけど、嫌韓時代の今日に朝鮮系の遺物が出てきたら暗殺されかねないんで隠した…ってことなんじゃね?
94日本@名無史さん:2009/02/20(金) 00:53:42
>元は新羅の王子だった。
>神功皇后は新羅系なのは事実

母親の血筋がね。
でもその新羅王子とは倭人の事。

>新羅王1〜12代の名前見たら古代日本の書物に書かれている人物と同じような
名前だし

倭人だから当たりまえ。

新羅35代景徳王は、それまでの地名や官職名を
夷言でさっぱり意味が分からないという理由で、
中国風に変える大改革を行ったのだが、
その夷言とは何語か知ってる?

日本語だったのだ。
95日本@名無史さん:2009/02/20(金) 00:58:38
>>93
>臣民共が煩いから継体の墓調べたけど、
>嫌韓時代の今日に朝鮮系の遺物が出てきたら暗殺されかねないんで隠した…
>ってことなんじゃね?

隠したと君が推測する朝鮮系の遺物って何?
で誰が誰を暗殺するのだ?
96日本@名無史さん:2009/02/20(金) 00:58:38
おまえら、スサノヲが新羅をつくった等と口走るつもりか?
97日本@名無史さん:2009/02/20(金) 01:02:13
>>96
日韓の正史(日本書紀・三国史記)において新羅建国に倭人が関わってる。
悔しいだろうがあきらめろ。
スサノヲは帰国した倭人。
98日本@名無史さん:2009/02/20(金) 01:31:41
スサノヲは神話だから、そのまま扱いづらいけど
列島人は海の向うの半島を「しらき」と呼んでいたんだろうな。
でもそれが後世の所謂「新羅」と同一王朝かどうかは別問題。

スサノヲや稲飯命が渡っていった新羅や、
天之日矛の祖国という新羅は、
地理的には今の半島であっても
いわゆる後世の新羅王朝のことかどうかはわからない。
99日本@名無史さん:2009/02/20(金) 02:43:27
新羅や百済の人間が日本各地にいたり、
天皇家に混入していたとしますね。
天皇家は半島由来だ、と。はいはい。
ってことはね、「先祖の地を返還してもらう」ということで、
旧帝国の朝鮮併合は正当化されることになります。
イスラエルと一緒です。
それどころか、未来永劫どこまでも、
現代コリア人に対して
先祖の土地の返還と、コリア人の朝鮮半島立ち退きを要求することができることになります。
そこらへん理解してから発言してね!?左翼と在日さん。
100日本@名無史さん:2009/02/20(金) 05:54:20
チョンにはそういったちょっと複雑な思考は出来ないんだよ
101日本@名無史さん:2009/02/20(金) 09:02:12
>>99
>先祖の土地の返還と、コリア人の朝鮮半島立ち退きを要求することができることになります。

いらねぇよ、そんなの。
立ち退きを要求をやりたかったら1人でやれ。
102日本@名無史さん:2009/02/20(金) 17:01:54
スサノオの神話や、蘇我満智の伝説など見れば、その時代の両岸諸国の支配層
を朝鮮だ日本だと仕切ることがあほらしくなる。
同じ一つの文化圏の歴史であり、戦争は内戦だと考えればよいのだ。
103日本@名無史さん:2009/02/20(金) 19:32:53
同意。両岸とも権力者は韓国人と理解すればすっきりする。
104日本@名無史さん:2009/02/20(金) 19:42:06
>>103
それがすでに「仕切って」いる。
何人とも未分化、未形成の人たちなのだ。
105日本@名無史さん:2009/02/20(金) 19:50:50
半島の莱城遺跡では出土土器の94%が九州系弥生土器だし
もともと半島南部には北九州の倭人が定住してたんだろ。
ヤマト(邪馬台)が北九州の倭人社会もまとめ、半島倭人は後の任那に繋がると。
106日本@名無史さん:2009/02/20(金) 20:24:32
三国志東夷伝には、
夫餘・高句麗・穢・沃沮は「言葉が似ている」、弁辰韓は中国語の方言だと
わざわざ書いてるのに倭と馬韓にはなにもない。
種族が異なるんだから言葉も違うのは当たり前、当たり前のことはわざわざ書かないんだろう。

>>102に対して>>103のように

>同意。両岸とも権力者は韓国人と理解すればすっきりする。

といえば朝鮮電波となり、
「同意。両岸とも権力者は日本人と理解すればすっきりする」
といえば戦前の「日鮮同祖論」となる。

しかし、そもそも>>102>>104が正しいのか?
>>102は珍しい記録を針小棒大にとりあげて一般化しようとしているように思えるが?
ゲルマン人とローマ人は古くから密接な交流があった、
中国人と北方遊牧民もまたしかり。
イラン人とアラブ人でも、なんなら英国人とドイツ人でもいいし
ベトナム人とカンボジア人でも、なんでもいい。
だからってそれらの両者が未分化の同一民族って話にはならない。

三世紀の段階ですでに倭と韓は別の種族と考えられていた。
たとえば鮮卑と烏丸は別の種族だが
中国人は元は同系の種族だったと記録されている。
しかし倭と韓を見比べて中国人が似てると考えたような痕跡は記録にない。
107日本@名無史さん:2009/02/20(金) 20:37:31
>>105
そもそも弥生人は韓国系なわけだが。
108日本@名無史さん:2009/02/20(金) 20:47:01
弥生人が韓国系なら、なぜ日本と韓国で言語が異なるのだろう?
中国の歴史書などで「倭」と「韓」と別の種族として記されているのだろう?
答えてみんしゃい。
109日本@名無史さん:2009/02/20(金) 21:17:04
>>107
そんな説はナイから。
ムリヤリ煽ってスレを盛り上げようとしなくていいし。
110日本@名無史さん:2009/02/20(金) 21:46:28
>>106
だから、それは民衆についてだ。
私が言っているのは支配者。
111日本@名無史さん:2009/02/21(土) 02:06:45
韓国人?はて?韓国人?
世界古代史にそんな人種、民族はいませんよ?
どこのファンタジー小説?
112日本@名無史さん:2009/02/21(土) 02:33:47
>>101
朝鮮人にはどこか遠くへ移転していただいて、
返還された朝鮮半島は無人の更地の荒野、
もしくは地球温暖化対策の無人の大森林地帯化。動物の楽園でもいいかな。
こんな感じで、とても幸せになりますよ。
南部の任那地域くらいは、米でも作りましょうか。
113日本@名無史さん:2009/02/21(土) 03:36:55
>>107
電波飛ばすなチョン
114日本@名無史さん:2009/02/21(土) 08:54:05
>>102
蘇我満智は渡来した百済の高官
しかしそれ以前に新羅の血が入ってる
韓子、高麗なんて名前見ても韓国系であることは明白
古代日本の王朝は韓国系が築いたは正論
115日本@名無史さん:2009/02/21(土) 09:23:24
>>114
蘇我蝦夷は名前の通り、まさに蝦夷。
古代日本の王朝は蝦夷が築いたは正論。
116日本@名無史さん:2009/02/21(土) 09:28:41
現代の韓流にも劣らぬ人気で日本画家に影響を与えた"朝鮮絵画"の人気・・・「朝鮮王朝の絵画と日本」展[02/20]

朝鮮絵画に対する日本の片思いは昨日今日の事ではない。

朝鮮通信使が日本を訪問すれば作品を求めるため人々は並び、 朝鮮の文化人より受けた
推薦で名品を保証するなど、朝鮮絵画は今日の '韓流' の人気に劣っていなかった。
'朝鮮王朝の絵画と日本'展が開かれた19日の静岡県立美術館でもそれを確認することが
できた。
今度の展示の最大の意味は、これまで中国もしくは日本絵として誤って知られていた朝鮮
絵画が'国籍'を取り戻したということだ。山水画の独自的画風を開いた、中国南宋の画家
馬遠の物として伝わっていた15世紀後半の作品'山水図'が、実は朝鮮絵画だったということ
が今度の展示を通じて明らかにされた。
また明の影響を受けたことで知られる日本水墨画の大家、雪舟(1420〜1506)が、韓国の
文化人から撰文(一種の推薦書)を受けた作品が紹介され、朝鮮絵画がどのような位置づけ
であったかをうかがい知れる。

珍景山水画の日本への定着を成した池野 大雅(1723〜1776)は、朝鮮画家の金有声
(1725〜?))に憧れていた。もっとも日本的な絵を描いたと評価を受けている俵屋宗達は
動物画で有名な、16世紀朝鮮画家の李巌(1499〜?)に影響を受けたという事実が今度の
展示で紹介されている。
李教授は「日本の所蔵者は'日本作品'と '非日本作品'(唐物)とに分けるだけで、海外作品の
国籍や作家はまともに調べたりしない」と言う。「これは韓国美術に対する無知の所産だが
今度の展示で日本で朝鮮絵画が新しく発見される可能性は大きい」と明らかにした。

「なにより日本がこれまでの閉鎖的な態度を捨て、主体的に朝鮮絵画が日本画壇へと
及んだ影響を分析するということは大きな意味があります」と語った。
日本列島が朝鮮絵画の韓流で熱い中、韓国に展示が繋がらなかったのは惜しいと指摘され
ている。
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=011&aid=0001993347
117日本@名無史さん:2009/02/21(土) 09:33:27
http://www.chosunonline.com/news/20090215000001
韓国はポルトガルの植民地だった!?
【新刊】李吉相(イ・ギルサン)著『世界の教科書・韓国を語る』(青い森)
 「4−5世紀に日本人は韓半島(朝鮮半島)南海岸に小さな植民地を所有していた」「1640年代に韓国は中国・清王朝の属国になった」

 米国の「世界史」の教科書に堂々と記載されている韓国の歴史だ。われわれは「教科書の歪曲(わいきょく)」といえばすぐさま
日本を思い浮かべるが、これは日本だけの問題ではない。あらゆる大陸と文化圏で、多くの国家が韓国について誤った情報を
教科書で学んでいる。本書は、韓国学中央研究院の李吉相(イ・ギルサン)教授が2003年から40カ国余りの教科書500種類以
上を一つ一つ分析し、見つけ出した歪曲と誤りの事例を取り上げている。
 それには首を傾げるほどにとんでもない内容が多い。イタリアの『1900年代の世界史』は、「韓国はヤミ市場を通じ材料と技術
を導入しさえすれば、核爆弾を作ることができる国」と紹介している。アルゼンチンの『一般地理』では、韓国がマラリア感染地域
に分類されており、パラグアイの『歴史と地理』では、韓国をかつてポルトガルの植民地だったと表示している。
 米国の教科書のあちらこちらには、オリエンタリズムと日本の植民史観が反映されている。プレンティスホール社が2004年に
出版した『世界文化』には、「西暦400年ごろ、(日本は)幾つかの氏族が連合して日本の大半を統一し、韓国南部の地域を統治
するまでに至った」という、あきれるような文章がある。韓半島南部を植民地にしていたとする「任那日本府説」が、米国の教科書
では健在だというわけだ。
 カナダやオーストラリアの教科書もまた、日本の植民史観を盛り込んでいる。日本の教科書の中には、「高句麗や渤海といった
古代国家を現在どの国の歴史と見なすかは、複雑な問題だ」という、中国の東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入
しようとする企図)を後押しするような内容もある。
118日本@名無史さん:2009/02/21(土) 10:35:40
韓国人はワイ族です。
カラ族に成り済まさないで下さい。

日本人は韓国人ではありません。
YAP+とYAP−を持っているのが日本人です。

スキタイのサカ王家では、三種の秘宝の継承が代々行われていましたが、それは現在でも日本皇室に受け継がれていますよ。
119日本@名無史さん:2009/02/21(土) 10:50:34
古代イスラエルの失われた十支族にも、一族ごとに代々秘宝を受け継ぐ伝統があったようですが、それは十種の神宝として日本に残ってますよ。

で、韓国にはないのですか?古代から脈々と受け継がれた伝統とか秘宝とか??
120日本@名無史さん:2009/02/21(土) 11:50:01
>>114
蘇我満智は、新羅と戦争した百済の将軍と新羅の女との間に生まれ、加羅で
育ち、長じて日本に渡った。
両岸の要素はすべて入っている。
121日本@名無史さん:2009/02/21(土) 12:04:18
>>119
それってエジプトの死者の書からパクった十戒のことだろ?
とぐさのかんだからの起源はエジプト、死者の書(一発変換できた)。
122日本@名無史さん:2009/02/21(土) 12:05:27
>>120
鬼室福信はどうですか?
123日本@名無史さん:2009/02/21(土) 12:06:24
>>120
>114はおまえだろ。自演乙。

両岸の要素が入ってる蘇我満智の墓ってどこか教えてくれ。
124日本@名無史さん:2009/02/21(土) 13:31:21
>>116
朝鮮絵画なんて日本では全然知られてないよな。

それより浮世絵が欧州の美術に大きな影響を与えたジャポニズムについて
韓国では教科書でどう教えてるのだろう?
まさか韓国絵画が欧州美術に影響を与えたなんて言ってるんじゃないだろうなw
125日本@名無史さん:2009/02/21(土) 13:41:29
>>120
蘇我満智ではなく木満致はな。
126スサ:2009/02/21(土) 13:45:38
シュメールやスキタイや古代ヘブライ王家の遺伝子は、YAP+とYAP−で確実に日本人に受け継がれてる。
これは倭人や現代日本人特有遺伝子のため、ワイ族韓国人は絶対に持っていないし、日本人との混血でも持つことは出来ない。
よって、朝鮮半島起源の全ては詐欺捏造の類だからもうやめなさい。
127日本@名無史さん:2009/02/21(土) 14:35:02
>>123
私は114 のように「韓国系」という言葉は絶対に使わない。

私は故意に木満致と蘇我満智を混同しているが、蘇我満智は歴史上の
人物だ。それなら墓がどこにあるかは君のほうが詳しいだろう。
128日本@名無史さん:2009/02/21(土) 14:55:01
コピペ1

■■神道とキリスト教のつながりについて
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1174878290/173
173 :名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:57:47 ID:p7mjrdgY
日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はワイ族の子孫である。この2つの民族は最初から別種なのだ。
戦前に唱えられ、現在も一部の無知な日本人や朝鮮人が唱えている『日韓同祖説(日鮮同祖説)』は学問的な
根拠がまったく無い、妄説である。

■倭人とは何か

シナ揚子江下流地域、浙江、福建、広東、広西、海南、ベトナム、ラオス、台湾、フィリピン、
沖縄諸島、九州、四国、本州、カラ半島南部などに住んでいた、南方アジア系=海洋民族の総称。
稲作も行っていた。
129日本@名無史さん:2009/02/21(土) 14:56:28
これらの主張について、識者の見解を聞きたい。

>>128の続き

コピペ2

■■神道とキリスト教のつながりについて
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1174878290/173
173 :名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:57:47 ID:p7mjrdgY

■ワイ族とは何か

古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族。もともとはシベリアの山岳部や森林地帯に
住んでいたツングース系民族の一派であり、現在の朝鮮民族の直系の先祖である。『東ワイ』とも呼ばれる。
『ワイ』、『東ワイ』というのは、半島北部を支配していた漢人が付けた名称である。
日本書紀=崇神天皇紀および垂仁天皇紀の「ソナカ・シチ=都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)の条」には、
シラキ人の敵=『ケリン族』(鶏林)という民族名で登場する。
『鶏林』という字は、民族名・『ケリン』に漢字を当てたものであり、特別な意味はない。
ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人(後世のミマナ人)、クタラ人などとは
敵対関係にあり、倭人系民族と領土紛争を繰り返していた。
ワイ族は、3世紀(崇神天皇の時代)に、まず最初にシラキを侵略し、4世紀前半頃には完全に乗っ取った。
その後、シラキ領に『新羅(シンラ)』を建国し、シンラ人、シラ人と自称するようになった。
シラ人とはシラキ人という意味である。
シラキ領(カラ半島東南部)を奪われた結果、本物のシラキ人は敵と身内を区別するために、
自国の号を『シラキ』から『ミマナ』へと改めざるを得なくなった。
新羅は、西側に隣接する日本領=ミマナ(馬韓)への侵略を何度も繰り返し、
6世紀前半には、ついにミマナを滅ぼして、新羅(シンラ)に併合した。
7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を支配下においた。
130日本@名無史さん:2009/02/21(土) 15:59:12
>>127
>私は故意に木満致と蘇我満智を混同しているが、蘇我満智は歴史上の
人物だ。

なぜ故意に混同するのだ。
わけわからんw
131日本@名無史さん:2009/02/21(土) 16:16:48
>>130
同一人説があり、私はそれを信じるからだ。
ところで蘇我満智の墓は?
132日本@名無史さん:2009/02/21(土) 16:22:36
中部以東の倭人のほとんどは平安時代になっても竪穴式住居に居住していたんだろ
133日本@名無史さん:2009/02/21(土) 16:48:32
>>131
同一人物説のお前が答えろ。
134日本@名無史さん:2009/02/21(土) 18:26:43
蘇我を渡来系と言ってる馬鹿チョンに聞くが、
なぜ新撰姓氏録に諸蕃(渡来系)と書かれてないのか、
その合理的理由を言ってくれ。

もういい加減ウザい。

135日本@名無史さん:2009/02/21(土) 21:17:00
>>134
それは新撰姓氏録を信じればの話だ。
136日本@名無史さん:2009/02/21(土) 22:04:00
>>135
また屁理屈か。

もし渡来系なら、
没落したのにも関わらず、
何故皇別と書かれてるのかの理由を言わなければ。
本当は皇別なのに諸蕃に格下げされたというのならまだ話は分かる。

勝ち組の藤原でさえ神別なのだから、
とどのつまり家柄を偽装なんて出来なかったということだ。

137日本@名無史さん:2009/02/21(土) 22:19:23
>>69
分かりにくいんだけど、ヤマトが伽耶や百済地域まで
軍事的支配下に置いてたってこと?
138日本@名無史さん:2009/02/21(土) 23:01:41
>>137
伽耶はもちろん百済地域にまで
大和朝廷と同じ軍装が出るのでそういう事だろう。
好太王碑や日本書紀などの文献史とも一致する。

日本に騎馬民族の軍装なんて1つも出ないのに、
長年、騎馬民族説なんてのがまかり通ってた事を考えれば、
どれほど信憑性が高い事か。
139日本@名無史さん:2009/02/21(土) 23:40:16
馬や馬具を模した造形物が古墳から出土されるのは
その時点で、馬を操る軍事力が存在したからなのかな。
140日本@名無史さん:2009/02/21(土) 23:41:39
>>138
同じ軍装というと具体的には何があったっけ?
141日本@名無史さん:2009/02/22(日) 00:21:55
>>139
馬具だけなら乗馬習慣があったというだけで、
騎馬戦術が有ったという事にはならない。
騎馬用甲冑が出れば騎馬戦術があったという事だろう。

>>140
大和軍の武装は冑が衝角付冑か眉庇付冑。
甲冑は帯金短甲。
142日本@名無史さん:2009/02/22(日) 00:25:01
日本が百済、伽耶方面の軍装を取り入れたんではないの?
騎馬戦術とともに。
143日本@名無史さん:2009/02/22(日) 00:43:28
>>142
帯金短甲は日本だ。
韓国に出ない種類が日本に有るという事は、
日本発祥の証拠になるし、実際、質も量も上回ってる。

騎馬戦術は馬が5世紀前後に日本に来てから、
約1世紀かかって誕生したようだ。
継体天皇の頃には完全な騎馬軍があったと思われる。
この頃に出土する埴輪から類推できる。
144日本@名無史さん:2009/02/22(日) 01:14:34
>韓国に出ない種類が日本に有るという事は、
>日本発祥の証拠になるし、実際、質も量も上回ってる。

日本のほうが短甲のバリエーションが多いという意味でしょうか。
バリエーションが多い方が発祥地だというのは解せないが。

いづれにせよヤマトの軍隊が伽耶はおろか百済さえ
押さえていたなら、新羅にまんまと安羅や大伽耶を
掻っ攫われることはなかったと思うけど。
145日本@名無史さん:2009/02/22(日) 03:46:37
>>144
質も量も種類も日本のほうが多いってことは明らかに発祥地を示している

新羅に、ってか中国軍な
146日本@名無史さん:2009/02/22(日) 05:03:05
日本人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90

↑これの”Y染色体による系統分析”によると九州人は”朝鮮人”と遺伝子が非常に近いらしい。
これはどういうことか。文型には理解できないのか。
147日本@名無史さん:2009/02/22(日) 05:07:05
古代の半島は日本の植民地だったからな
148日本@名無史さん:2009/02/22(日) 05:14:53
>>147
いや、今の朝鮮人と九州人のDNAが非常に近いって言ってるんだけど。
そのワイ族=現朝鮮人と九州人のDNAがだいたい同じってことは九州人=ワイ族ってことでしょ?
149日本@名無史さん:2009/02/22(日) 05:18:05
もっと厳密に言えば九州・山口地方かな。
150日本@名無史さん:2009/02/22(日) 06:08:17
だから日本の植民地だったからだろ
今のチョンはそのあとにツングース系に征服されたあとの子孫
151日本@名無史さん:2009/02/22(日) 06:09:44
>>150
その今のチョンと今の九州人のDNAがほぼ同じなんだよ。
152日本@名無史さん:2009/02/22(日) 06:12:13
>>151
植民地だったから当時の九州人の遺伝子があるんだろチョンには
馬鹿だな
153日本@名無史さん:2009/02/22(日) 06:13:21
>>152
7割程度まで同じなんだぞ?九州人=チョン。
154日本@名無史さん:2009/02/22(日) 06:14:54
>>153
頭悪いなーおい
九州人がチョンなんじゃなくてもともとチョン半島に倭人が住んでたから
九州人に似た遺伝子をチョンが残してんだろっての
155日本@名無史さん:2009/02/22(日) 06:15:24
なんでもあべこべにするよなチョンは
156日本@名無史さん:2009/02/22(日) 07:01:44
>>144
>いづれにせよヤマトの軍隊が伽耶はおろか百済さえ
>押さえていたなら、新羅にまんまと安羅や大伽耶を
>掻っ攫われることはなかったと思うけど。

大和が半島でプレゼンスを示したのは5世紀後半あたりがピーク。
日本で製鉄が行われるようになってから、
また磐井の乱の後は、急に弱まった感じだね。
157日本@名無史さん:2009/02/22(日) 08:58:29
>>146
???
どこにもそんなこと書いてないが?ヴァカ?

アイヌ 0 13 0 88 0 0 0 0 0 0
青森 8 0 0 39 0 8 0 0 31 15
東京 1 2 1 40 0 0 3 1 26 14
静岡 5 2 0 33 0 2 0 0 36 20
徳島 10 3 0 26 0 7 0 0 33 21
九州 4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
北琉球 4 0 0 39 0 0 0 0 30 16
南琉球 0 0 4 0 0 67

朝鮮 12 0 3 0 51 38
158日本@名無史さん:2009/02/22(日) 09:23:22
全然近くねぇじゃんw
159日本@名無史さん:2009/02/22(日) 09:27:20
チョンはワイ族だってのは揺るぎない事実。
おまけに、いくら日本人と混血してもYAP+とYAP−がワイ族韓国人に残ることは皆無。

悔しさのあまり火病起こすなよ(笑)。
160日本@名無史さん:2009/02/22(日) 09:31:59
「日本人特有の遺伝子とは?」
島国であり人の出入りが少なかった日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種である。
日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名である。
世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、他の世界のどこにもほとんど存在しない。
さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人がアジア特有のO系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立って見える。

またこのD系統はYAP型とも言われ、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。
東アジアの地域全体にはアジア系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。

D2系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42〜56%(参考までチベット33%)で、韓国ほぼ0%である。
アイヌにはアジア主流のO系統は無く、完全なD系統であり、本土日本人と沖縄人にはO系統が混ざっている。
それでも本土日本人のD系統は半数以上である。
つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、アイヌにアジア主流のO系統を足したのが本土日本人となる。

結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人〜本土日本人〜沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、
日本人3集団が持つD系統を持たない韓国人は赤の他人と結論できる。
161日本@名無史さん:2009/02/22(日) 09:51:36
新羅と安羅の挟撃で任那は滅びたのなら、安羅の邪馬壱国と九州王朝分国の任那は敵対関係にあったのか?
すると、邪馬壱国は九州南部にあり、九州北部と朝鮮南端に九州王朝倭国があったわけだ??
162日本@名無史さん:2009/02/22(日) 15:17:01
>>145
>質も量も種類も日本のほうが多いってことは明らかに発祥地を示している

納得できないなあ。
発祥地よりも質、量、種類を発展させるなんてのは
むしろ日本のお家芸じゃない。
なにかこういう本を読めばわかるぞってのはあります?

>新羅に、ってか中国軍な

ちょっとまって。
伽耶諸国を併呑したのは新羅だよ。
中国軍は介在しない。勘違いしてない?

>>156
雄略、継体の後は国内でごたごたしてたからね。
163日本@名無史さん:2009/02/22(日) 18:40:37
>>162
>納得できないなあ。

何でだよw
簡単な話。
例えば前方後円墳の総数も作られた期間も日本が圧倒してるだろ。
韓国のごくわずかな前方後円墳は日本の前方後円墳文化が
波及したものであると、まぁ誰でも思うだろ。
極端に言えばそれと同じ。

韓国のまともな学者も帯金短甲は日本だと認めてるよ。

まぁ韓国の糞メディアは認めないけどね。
164日本@名無史さん:2009/02/22(日) 18:47:28
>>162
>なにかこういう本を読めばわかるぞってのはあります?
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2003b.html

ここの、2) 韓国出土の帯金式短甲が分かりやすい。

>以上の帯金鋲留式短甲は鋲が目立ち,>韓国の短甲の伝統には見られない特徴である。

>これは,帯金式甲冑が日本製であることの傍証となる。

とかあるよ。
165日本@名無史さん:2009/02/22(日) 21:50:26
>>163-164
拝見しました。紹介してくれてありがとう。
なるほどそれをみる限り、たしかに帯金式甲冑というのは
倭国製か倭の影響が濃いものらしい。
出土例は伽耶諸国のあった慶尚南道が多いね。
少数ながら大伽耶や百済・馬韓諸国の境界付近、
百済・新羅の境界付近にもみられるようだ。
年代も5世紀後半から6世紀前半あたりというのは興味深い。
帯金式甲冑に代表される武具が、倭国内でそうであったように、
倭の王権によって配布供与された可能性は高いね。

ただし、上記の地域の勢力が「大和軍」といえるほど
倭の掣肘のもとにあったかどうかはこれだけじゃ分からない。
新羅の干渉に対して日本府がそれらの勢力を糾合して牽制したり
迎撃したってことはあるの?
166日本@名無史さん:2009/02/22(日) 22:25:51
>>165
5世紀なら新羅は何もできなかったろうね。
磐井の乱の後はわからないが。


167日本@名無史さん:2009/02/22(日) 22:41:24
5世紀の新羅は高句麗に従属していた弱小国家に過ぎないからね。
6世紀に入ってようやく百済と伍し、脅威を与える存在になった。
168日本@名無史さん:2009/02/23(月) 01:45:06
>>160
で、九州人と朝鮮人のそれの近似はどう説明するの?
九州・山口地方ってのは何なの?
169日本@名無史さん:2009/02/23(月) 01:57:14
?
170日本@名無史さん:2009/02/23(月) 04:00:43
>>168
全然近似なんてしてないが
171日本@名無史さん:2009/02/23(月) 07:52:42
九州 4  8 0 28 0 4 2 0 36 26
朝鮮   12 0      3 0 51 38

↑FRO3、FRO2b、FRO1、CC3で近似であると言える。これは一体どういうことか?日本国籍保有者の中で九州人が一番朝鮮人に近い。
172日本@名無史さん:2009/02/23(月) 08:02:38
>>171

全然近くないんだが
173日本@名無史さん:2009/02/23(月) 08:14:45
>>172
具体的に指摘して似ていないということを証明して見せろ。
174日本@名無史さん:2009/02/23(月) 08:26:06
どこまでを似ていると言うのかその概念を言え。
175日本@名無史さん:2009/02/23(月) 08:32:39
>>174
お前の辞書には載ってないのか?
176日本@名無史さん:2009/02/23(月) 08:46:43
157 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2009/02/22(日) 08:58:29
>>146
???
どこにもそんなこと書いてないが?ヴァカ?

アイヌ 0 13 0 88 0 0 0 0 0 0
青森 8 0 0 39 0 8 0 0 31 15
東京 1 2 1 40 0 0 3 1 26 14
静岡 5 2 0 33 0 2 0 0 36 20
徳島 10 3 0 26 0 7 0 0 33 21
九州 4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
北琉球 4 0 0 39 0 0 0 0 30 16
南琉球 0 0 4 0 0 67

朝鮮 12 0 3 0 51 38
177日本@名無史さん:2009/02/23(月) 09:04:21
漢(華南) 5 0 15 30 0 33
漢(台湾) 0 11 7 0 60
178日本@名無史さん:2009/02/23(月) 09:04:30
>>175
おまえの辞書に書いてある「似てる」の概念を言え。

日本人に共通してるD2が朝鮮では0である。
これでどこが似てると言えるのだ?
179日本@名無史さん:2009/02/23(月) 09:37:26
>>177
アイヌ 0 13 0 88 0 0 0 0 0 0
青森  8 0 0 39 0 8 0 0 31 15
東京  1 2 1 40 0 0 3 1 26 14
静岡  5 2 0 33 0 2 0 0 36 20
徳島 10 3 0 26 0 7 0 0 33 21
九州  4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
北琉球4 0 0 39 0 0 0 0 30 16
南琉球 0 0  4 0 0   67
朝鮮   12 0   3 0 51 38
華南    5  0   15 30 0 33
台湾        0    11 7 0 60
180日本@名無史さん:2009/02/23(月) 18:17:37
>>178
朝鮮のD2は表記がないだけで0ではない。
表記がないからといって0ではないとwikipediaには書いてあるだろう?よく読め。
181日本@名無史さん:2009/02/23(月) 18:23:17
>>180
朝鮮のD2は0になってるだろうが。
おまえこそよく読め、ハゲ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA
182日本@名無史さん:2009/02/23(月) 18:35:14
イタいなwわざとやってんのかw
183日本@名無史さん:2009/02/23(月) 22:42:07
http://www.yoshinogari.jp/ym/episode04/dress03.html

[近年の発掘調査により、衣服以外の弥生人のファッションについてもわかってきました。
男性の髪型は吉野ヶ里遺跡の甕棺墓からミズラという埴輪に見られる耳の上で髪を巻いてまとめた形の毛髪が出土したことから、
既に弥生時代からミズラがあったことがわかりました。
また、倭人伝には人々ははだしであると記述されていましたが、
吉野ヶ里遺跡や福岡県の那珂久平遺跡で板を浅くえぐった
木製の履物と考えられる遺物が出土しており、
沓が存在していたことも明らかになっています。]

あ〜ぁ。
騎馬民族説にとってまた不利な材料がw
184日本@名無史さん:2009/02/23(月) 23:01:47
つまり再現絵や漫画の
あの弥生人がミズラの髪型だったりするのは正しかったわけか。
185日本@名無史さん:2009/02/24(火) 02:22:48
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1235306088/l50
【日韓】 六十代の日本人、「韓国史」で高麗大の学位取得〜「日本文化の根である韓国文化と歴史、学びたかった」

http://www.chosunonline.com/news/20090222000011
【歴史】東大寺と正倉院の華厳経から新羅の角筆加点を発見

日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」という小林教授の主張は、
大きな根拠を得ることになるとみられる

>日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」
>日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」
>日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」
>日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」

186日本@名無史さん:2009/02/24(火) 03:01:53
結局チョンと似てるなんて馬鹿チョン電波だったなw

>>185
角筆加点なんてのは漢文を読むための訓点であって、かな文字ではないw
しかも中国でも角筆加点やってたので朝鮮のものってわけでもない
チョンの馬鹿新聞のいつものウリナラ起源認定電波だよw
187日本@名無史さん:2009/02/24(火) 05:22:47
「日本は古来から外国の文化を受け入れてきたじゃないですか?
 仏教もそうだし、キリスト教も上手に受け入れてきたじゃないですか

 皇室だって韓半島の血が入っているし、外国の文化を受け入れそれを上手く
 日本型に改良して発展させてきたのが日本の凄さですよ」

     By櫻井よしこ(2/22サンデープロジェクトより)

>皇室だって韓半島の血が入っているし
>皇室だって韓半島の血が入っているし
>皇室だって韓半島の血が入っているし

櫻井さんって正直な人だねw
188日本@名無史さん:2009/02/24(火) 05:50:00
無知な人だね
出戻り倭人の血までチョン認定するなんてなw
189日本@名無史さん:2009/02/24(火) 08:34:02
日本文字は新羅文字、日本王族は韓国人だったのか・・・orz
我々日本人は韓国人の奴隷だ・・・orz
190日本@名無史さん:2009/02/24(火) 09:03:02
なるほど、みずらは朝鮮半島から来た弥生人の風俗だったわけか。
弥生時代はオール朝鮮だな。
191日本@名無史さん:2009/02/24(火) 14:28:51
>>190
弥生時代には牛も馬もいないので大陸とは関係ないのだよね、これが。

残念だねw
192日本@名無史さん:2009/02/24(火) 14:46:30
弥生時代は大陸とは関係ない!
なるほど、そこまで言わないと純日本を主張できないわけだ。
ご窮屈さま。
193日本@名無史さん:2009/02/24(火) 15:27:24
え? 弥生人て中国の江南から来た人たちのことでしょ?
194日本@名無史さん:2009/02/24(火) 15:48:30
半島南部の前方後円墳に関係する人達は、
当時の日本人とどのような関係なんだろうか。
195日本@名無史さん:2009/02/24(火) 16:46:01
>>187
サヨクがとかく強調したがるだけで
普通は血が混じってようが混じってなかろうが気にしないよ。
史実だし。
196日本@名無史さん:2009/02/24(火) 17:52:45
>>193
中国の江南に源があることはその通りだろうが、まっすぐ来たのもいれば、
朝鮮南部を経て来たのもいたと思う。
朝鮮南部を経たグループはワイ人などの影響を受けただろう。
197日本@名無史さん:2009/02/24(火) 18:49:45
家畜を連れてこない不思議…
198日本@名無史さん:2009/02/24(火) 19:55:42
米作中心だからね。
今は南に移って中国の少数民族となっている人たちをテレビで見るが、
米への依存度はすごい。
家畜と言ったって豚ぐらいのものだし、豚なら弥生時代は猪をつかまえる
ほうが早かっただろう。
199日本@名無史さん:2009/02/24(火) 20:32:22
猪と豚ってどう違うの?
200日本@名無史さん:2009/02/24(火) 20:44:39
沖縄は大和言葉だね。
沖縄は畿内から見て、
朝鮮より遥かに遠いのに、
黒潮で繋がってるんだね。

201日本@名無史さん:2009/02/24(火) 20:47:55
>>190
>弥生時代はオール朝鮮だな。

言葉が全然違うから無理だな。
202日本@名無史さん:2009/02/24(火) 20:57:59
>>194

日本列島にある文化が朝鮮半島にまで単に伸びていたというよりも
日本人の国があったということの証明ですね。

203日本@名無史さん:2009/02/24(火) 22:13:03
沖縄へ修学旅行で行った時、若いバスガイドさんが
「大和と支那と交流があった琉球王国は〜」
って説明してたな。
204日本@名無史さん:2009/02/24(火) 22:31:58
>>200
>沖縄は大和言葉だね。

沖縄の大和言葉は二次的なものだ。
めんそーれ(いらっしゃいませ)
みじらしゃん(美しい)
にへーでーびる(有難う)
これらの語源を分析して見よ。

沖縄と本土がつながっているのは縄文の基層だ。
205日本@名無史さん:2009/02/24(火) 22:34:43
>>201
>言葉が全然違うから無理だな。

人も言葉もすべて列島で自然発生したと言いたいのか?
206日本@名無史さん:2009/02/24(火) 22:52:50
>>204
沖縄とはD2でも一致してるな。
君がいくら言ってもD2が0の朝鮮とは関係ないけどね。w



207日本@名無史さん:2009/02/24(火) 22:57:45
>>205
>人も言葉もすべて列島で自然発生したと言いたいのか?

アホか?
日本人というほぼ均一的な民族が大陸からやってきたという事。
根井説を指示してる。
208日本@名無史さん:2009/02/24(火) 22:59:26
↓これをわかりやすく例えると
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4812207533/sr=1-1/qid=1231350588/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books&qid=1231350588&sr=1-1

Y染色体 アダム 天忍穂耳命

A系統    天穂日命(出雲国造)    コイサン

B系統    天火明命(物部)       黒人

D2系統   天皇家            日本人
D1系統   伏見宮系(旧皇族)    チベット人
D3系統   伏見宮系(旧皇族)    チベット人

E系統    南朝             白人(稀)、アフリカ(稀)

C系統    平家             モンゴル・シベリア・北アメリカ

F〜R系統   源氏             白人・中国人・韓国人・東南アジア・オーストラリア・北アメリカ・南アメリカ
 
O2a系統   田安家           タイ人
O2b系統   清水家           韓国人
O3系統   一橋家           中国人・ベトナム人  

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1225715306/212-216n
209日本@名無史さん:2009/02/24(火) 23:03:03
180 :日本@名無史さん:2009/02/23(月) 18:17:37
>>178
朝鮮のD2は表記がないだけで0ではない。
表記がないからといって0ではないとwikipediaには書いてあるだろう?よく読め。

      _| ̄|_| ̄|  | ̄|_| ̄|__| ̄|_| ̄|   | ̄|_| ̄|_| ̄|
      |_  _||  | ̄    |  |     |  | ̄   |  |     ̄|
       r┘└へ|  |二コ ┌'|  |二コ ┌|  |二コ ┌'|  |二コ ┌┘
      〈 〈]  ゜,、〈|  | o  ヽ| | o  ヽ|  | o  ヽ|  | o └「 ̄\
      ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ
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    o゜((●)) ((●))゜o        o゜((●)) ((●))゜o       o゜((●)) ((●))゜o
   /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   /::::::⌒(__人__)⌒:::: \   /::::::⌒(__人__)⌒::::: \
, -‐ (_)    |r┬-|     |, -‐ (_)    |r┬-|     |, -‐ (_).    |r┬-|     |
l_j_j_j と)   | |  |     / l_j_j_j と)    | |  |     / l_j_j_j と)    | |  |     /
210日本@名無史さん:2009/02/24(火) 23:09:36
>>206
>沖縄とはD2でも一致してるな。

私が「朝鮮半島と関係があるが沖縄とは関係がない」と言ったのか?
「沖縄とは縄文の基層でつながっている」と言っているではないか。
その上に、大和言葉を二次的に植え付けるだけの人の移動もあった
のだ。おそらく平安時代末期にね。
211日本@名無史さん:2009/02/24(火) 23:24:30
その大和言葉を二次的に植え付けるだけの平安時代末期の人の移動って何?
212日本@名無史さん:2009/02/24(火) 23:53:21
>>210
>私が「朝鮮半島と関係があるが沖縄とは関係がない」と言ったのか?

という事は「朝鮮半島と関係がないが沖縄とは関係がある」という事だね。
同じ意見だ。w
213日本@名無史さん:2009/02/24(火) 23:54:57
http://www.news.janjan.jp/government/0402/0402131089/2.php
歴史を振り返りなさい……在日コリアンの人にも歴史を振り返って欲しい。
日本の文化が朝鮮から来たのは歴然としている。奈良の大仏しかり。
他の遺跡をみても日本の歴史文化は朝鮮半島から来たものから基礎が出来ている……
日本もそのことをちゃんと認めないのが不思議でならない。
風下に立つと何か言われるんじゃないか、そんなことは引け目を感じることではありません。

●人間は知識の分だけ優しくなれる

……私たちは文化を輸入しました……しかし、私たちが誇りたいのは、日本に渡来文化が
来た時に、その中から日本独自の文化を築き上げた、日本社会を築き上げたということ。
日本人は朝鮮半島から教えてもらったけれども引け目は感じない。

By 櫻井よしこ
214日本@名無史さん:2009/02/25(水) 00:06:43
>日本の歴史文化は朝鮮半島から来たものから基礎が出来ている

日本の基礎は縄文時代からあるわけだが。
仏教もその基礎に加味されただけなんだが。

櫻井よしこでさえその程度だ。
団塊の世代って引退して欲しいね。

215日本@名無史さん:2009/02/25(水) 01:53:18
>>211
平氏落人
216日本@名無史さん:2009/02/25(水) 03:01:43
>>213
知識は有っても、知恵なさそうw
217日本@名無史さん:2009/02/25(水) 03:52:16
>>189-190>>192
ぷっw
チョンは哀れだなあ

>>204
ほかは知らんが、めんそーれは「参り候え」だそうだ
沖縄の方言は平安〜室町時代頃の日本語も多い
218日本@名無史さん:2009/02/25(水) 04:04:11
「日本は古来から外国の文化を受け入れてきたじゃないですか?
 仏教もそうだし、キリスト教も上手に受け入れてきたじゃないですか

 皇室だって韓半島の血が入っているし、外国の文化を受け入れそれを上手く
 日本型に改良して発展させてきたのが日本の凄さですよ」

     By櫻井よしこ(2/22サンデープロジェクトより)

>皇室だって韓半島の血が入っているし
>皇室だって韓半島の血が入っているし
>皇室だって韓半島の血が入っているし

櫻井さんって正直な人だねw

これ見てたけど司会の田原総一郎も西部もカン・サンジュンも
櫻井よしこの皇室にも韓半島の血が入ってる発言に誰も異論さえ言わなかった
つまり否定しなかったんだな誰もw
西部はなんか言うと思ったけど・・・
219日本@名無史さん:2009/02/25(水) 04:09:28
>>218
あまりに馬鹿すぎる発言は適当に流されるだけだぞチョンw
王族丸ごと倭人だった朝鮮は無視するのなw
220日本@名無史さん:2009/02/25(水) 07:07:28
>>46
稲(ジャポニカ種)の伝播ルートと一致しないな。

原産地や南支那あたりから伝わった稲は、日本から、水稲の稲作が、朝鮮に伝播したようだが。

支那北部や、寒冷の満洲では、水稲は栽培されなかったから当然だが。
どうして南支那から、満洲をすっ飛ばして朝鮮に稲が渡るのだろう?
221日本@名無史さん:2009/02/25(水) 07:42:46
>>220
そらバイアス君筆頭に、チョンシンパが馬鹿で穴開きっぱな論しか持たないからだろなw
222日本@名無史さん:2009/02/25(水) 07:56:51
>>215

平氏落人って…
マジでそんな事思ってるのかよw
223日本@名無史さん:2009/02/25(水) 09:14:33
>>217
「参り候らえ」は俗解だ。正解は「参り召しおはれ」。
これが「みんみそーれ」→「めんそーれ」となった。
「参り候らえ」より古いのだ。
「にへーでーびる」は「二拝で侍る」
「みじらしゃん」は「珍しゅうある」

要するに平安末期と言う一定の時期の言葉、というより言葉使いが
集中して存在する。これはこの時期の人の移動無くしてはあり得ない。
224日本@名無史さん:2009/02/25(水) 09:20:26
>>222
>平氏落人って…
>マジでそんな事思ってるのかよw

私は釣りの>>215ではないことを断った上で:
君は知らないだろうが、俊寛が流された鬼界が島は絶海の無人島なの
ではない。大宰府の一大出張所があったことが発掘でわかっている。
ここを起点にしていくらでも人の移動は起こり得たのだ。
もちろん平家落人や源氏の追討軍も含めてね。
225日本@名無史さん:2009/02/25(水) 09:35:00
>>224
鬼界が島がどこなのか諸説あって分からないのに、
大宰府の一大出張所があったことが発掘で分かったなら大笑いだw

喜界島のことを言ってるのだろうが所詮いい加減な話だw
226日本@名無史さん:2009/02/25(水) 11:41:41
>>218

て言うか、属国の貢妃が天皇家の祖先の一人にいただけでそんなに嬉しいの?
227日本@名無史さん:2009/02/25(水) 12:30:13
>>226
「何より、百済王族の血が入っていると言うことは
天皇陛下が半島に君臨するのは正当な行為と言うことだな。
なにせ、元々半島の王の血が入っていて現在も皇位にあられるわけだから
しかも、百済の王室なんだから今残っている李某の血よりも
遙かに正当な支配権付きの血というわけだ

これにて、半島を日本が支配する正当性の証明終わり」

と、チョンに言ってやったらマジでファビョったぞwww
228日本@名無史さん:2009/02/25(水) 14:39:33
>>225
>大宰府の一大出張所があったことが発掘で分かったなら大笑いだ

「大笑い」がみずからの無知を暴露している。
鬼界が島=喜界島は定説だが、100歩譲って俊寛の流された島ではないに
せよ、現在の喜界島という場所に大和王権の出先機関とみなされる遺跡が
出たことは事実だ。王権の出先機関ならば、平家政権の時代にはすなわち
平家の出先機関だ。
いくらでも資料はあるが例えば:
http://blog.goo.ne.jp/yaasanarchaeologue/e/a118e0bd54dac8bb11e596fbea840b94
229日本@名無史さん:2009/02/25(水) 14:46:20
>>227
>百済王族の血が入っていると言うことは
>天皇陛下が半島に君臨するのは正当な行為と言うことだ

全くその通りだ。天皇家には百済王族の血が入っているから、
日本の朝鮮支配は、英仏百年戦争と同様な「逆進出」だったのだ。
今後その立場を忘れないように。
230日本@名無史さん:2009/02/25(水) 18:01:34
>>228
笑わせてくれるな。
こんなしょぼい遺跡が何だって?w

ここから沖縄にまで人が流れて沖縄の言語にまで影響与えたなんて考えてるなら、悪い事言わない。
医者に行け。

ブログ書いてる本人があいまいじゃねぇかw
231日本@名無史さん:2009/02/25(水) 19:32:22
しかしあれだな、古代に日本が朝鮮半島の南を支配していた
なんて歴史はちっとも嬉しくないよな。
何のために朝鮮半島に進出したんだろう?
当時、シナにはいろいろな文化・文明が集積してからそこに接点
を求めたんだろうな。むしろ不思議なのはどうやってワイ族が沸いたか
ということだよな。北はシナ、南は日本だからいるところないじゃん。

232日本@名無史さん:2009/02/25(水) 19:54:06
しかしあれだな、古代に韓国が日本列島の全てを支配していた
なんて歴史はちっとも嬉しくないよな。
何のために日本列島に進出したんだろう?
当時、倭にはいろいろな生口が集積してからそこに接点
を求めたんだろうな。むしろ不思議なのはどうやって鮮卑族が沸いたか
ということだよな。東は韓国、南はシナだからいるところないじゃん。
233日本@名無史さん:2009/02/25(水) 20:18:21
>>232
ネタにさえなってない。
ダセぇw
234日本@名無史さん:2009/02/25(水) 21:08:28
古代は、国なんて関係ない。国境なんてのも、あってないようなもの。
となると、九州地方からすれば、近畿地方や関東地方に行くよりも、
朝鮮半島の方が近い。
大陸への足場にもなるし、たいした国があるわけでもないし、資源も
あったろうから欲しいといえば、欲しかったんだろうな。

現代と違って、古代は、国とか民族の意識は希薄だっただろう。
ただ、損か得か、あるいは強いか弱いかだけの世界だっただろうと思う。
235日本@名無史さん:2009/02/25(水) 22:13:33
>>230
やはり知らなかったな。勉強になったろう。
古代〜中世日本の国境が南に広がるという、ニッポンマンセー諸君を
喜ばせてくれる遺跡なのだから、くさしてはいかんな。
236日本@名無史さん:2009/02/25(水) 22:22:48
明確な国境線は無くても何語を話して意思疎通をしている集団かというのは
先史時代で決まっていたはずのもの。
言葉は文字よりずっと先に生まれていなければならないのだから。

237日本@名無史さん:2009/02/25(水) 22:50:20
ちょっと前に、あちこちのスレで、
「沖縄の大和化は中世以降の表層的なもので、
それ以前に『朝鮮半島から高麗人が南下渡来して「文明」を伝えたのだ』などと
「ムー」もびっくりのワケワカラン電波を飛ばして荒らしまくっていた、在沖朝鮮人じゃね?
まともに相手するのはやめとけw


マジレスすれば、沖縄の大和文化の南下は3期に分けられる。
「間が途切れる」というのが、大和と沖縄を分ける分水嶺だ。
大和以外は(不思議なことではあるが)中華帝国の表層的影響しか受けていない。
台湾から南西諸島へというルートも実はほぼ皆無。
まともに海に漕ぎ出せない朝鮮など論外。
その3期の最初は、弥生後期に、九州から、人と文化がパッケージになって一気に南下した。
これが、「ハ行P音」などに残っている。
その後一旦とだえたあと、古代末に再び九州南部から人と言語が南下した。
これが、アクセントなどに残る(沖縄方言アクセントは鹿児島や長崎のアクセントと完全に同系)
これにより、沖縄は急速に国家形成期を迎える。
最後は、中世末から近世にかけて、薩摩が南下したことでもたらされたもの。
238日本@名無史さん:2009/02/25(水) 22:55:28
網野善彦とかは東西で文化が違うとか東国国家論とかで日本人を否定して
リベラル気取ってるけど、

だったら有史以来民族ってものは世界に一つも存在しなくなるだと。と。
239日本@名無史さん:2009/02/25(水) 22:58:43
>>228

>捕らえられた俊寛が配流された島が鬼界ヶ島(この島が現喜界島かどうかについては異説があるらしい。
 でも、今回の訪問で確信を持ちました。

これに対して一言。
240日本@名無史さん:2009/02/25(水) 23:20:15
そういえば弥生時代〜古墳時代まで本土で見つかる貝製腕輪って、
沖縄・奄美でしか採れない種類も多いんだよね。
沖縄人が本土と交易していた証拠だろうね。
241日本@名無史さん:2009/02/25(水) 23:26:07
>>204
>沖縄の大和言葉は二次的なものだ。
>めんそーれ(いらっしゃいませ)
>みじらしゃん(美しい)
>にへーでーびる(有難う)
>これらの語源を分析して見よ。

これらは方言だ。
方言の例で日本語でないとなれば、
日本中の日本語が日本語ではなくなる。
242日本@名無史さん:2009/02/26(木) 04:08:04
>>223
つまり沖縄は日本だな
243日本@名無史さん:2009/02/26(木) 07:05:00
>>226>>227

櫻井さんが言ってたのは百済の武寧王の血筋のことではなく古墳時代、もしくは
さらに溯る弥生時代前半に百済、高句麗、新羅からの渡来人がもたらした影響のこと

皇室に百済王族の血が入ってるなんてみんな知ってるし天皇も自身で認めた発言してる
それ以前にも新羅王族の血や高句麗の血が入ってると言いたかったんだろう

王室だけでなく蘇我、藤原などの貴族も韓半島系なんだけどねw
244日本@名無史さん:2009/02/26(木) 07:23:39
>弥生時代前半に百済、高句麗、新羅からの渡来人がもたらした影響

そんな時代にそんな国あるかよw

荒らしは消えてくれねぇか?
245日本@名無史さん:2009/02/26(木) 10:44:02
>>236
>明確な国境線は無くても何語を話して意思疎通をしている集団かというのは
>先史時代で決まっていたはずのもの。

それは、アイヌも先史時代から日本人だというのと同じ。

>>237
>その後一旦とだえたあと、古代末に再び九州南部から人と言語が南下した。
>これが、アクセントなどに残る

もうひとつある。沖縄語の言い廻しというか、言葉遣いは、九州方言とも
異なる、いわば平安末期の「都言葉」なのだ。これが九州を飛び越して
沖縄にあることを考えなければならない。

>>241
私は沖縄語が日本語の方言であるともないとも言っていない。
ただ、沖縄語と平安末期の日本語との関係を示しただけ。
ある言葉がある国の国語(あるいはその方言)であるかどうかは言語学上の
問題ではなく、政治的な問題だ。
だから沖縄の言葉を「沖縄語」ではなく「日本語の沖縄方言」と国が決めれば
その通りになるし、
仮に沖縄が独立して自らの言語を「沖縄語」と制定すれば、それは日本語
ではなくなるのだ。


246日本@名無史さん:2009/02/26(木) 10:46:14
>皇室に百済王族の血が入ってるなんてみんな知ってるし

入ってるね。
属国から献上された女がいるしねww

>蘇我、藤原などの貴族も韓半島系なんだけどねw

またその話?
語呂あわせは聞きあきた。
247日本@名無史さん:2009/02/26(木) 10:49:07
>仮に沖縄が独立して自らの言語を「沖縄語」と制定すれば、それは日本語
 ではなくなるのだ。

スイスはどう説明するんだ?
248日本@名無史さん:2009/02/26(木) 10:52:32
>>245
>沖縄語の言い廻しというか、言葉遣いは、九州方言とも
>異なる、いわば平安末期の「都言葉」なのだ。これが九州を飛び越して
>沖縄にあることを考えなければならない。

そうすると当時の朝廷は九州を統治せずに通り越して、
沖縄だけを統治したという事になるなw
249日本@名無史さん:2009/02/26(木) 10:56:39
九州で滅亡した言葉がより辺境の沖縄で残ったのだろう
250日本@名無史さん:2009/02/26(木) 13:31:31
>>247
>スイスはどう説明するんだ?

スイスはフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語を国語として
国が決めたから、他国の国語がスイスの国語でもある。
すべては「政治的」だ。

>>249
九州で滅亡した言葉がより辺境の沖縄で残ったのだろう

そうかも知れないが、京都弁で「してはる」などとして残る丁寧語尾
「おはる」が九州方言に存在した時期があったとは思えない。
(前記のように沖縄語では「めんそーれ」に痕跡がある)
251日本@名無史さん:2009/02/26(木) 13:38:17
>>250

そうすると当時の朝廷は九州を統治せずに通り越して、
沖縄だけを統治したという事になるなw

252日本@名無史さん:2009/02/26(木) 13:45:03
>>248
>そうすると当時の朝廷は九州を統治せずに通り越して、
>沖縄だけを統治したという事になるなw

統治だけでは言葉が変わらない証拠に、沖縄は200年にわたって
島津藩の「統治」を受けながら、鹿児島弁は沖縄に普及しなかった。
だから江戸時代も沖縄人と鹿児島人は互いに「共通語」で意思疎通した。

前にアクセントの話があったが、それと併せてオがウになるなどの
発音の傾向は、たしかに鹿児島弁と共通するが、これはまた九州方言
ぜんたいの傾向でもあるから、南日本に共通の「基層」だと思う。
253日本@名無史さん:2009/02/26(木) 13:48:34
>>250
そんなレベルで方言史を語っているのかよorz

SがHに変化することはあるが、
SがF(Φ)やW、下手すりゃPに変化するかよ?ヴォケ。
沖縄人と朝鮮人は、どんな宇宙人の口の構造をしているんだw

京都弁の「はる」は、「なさる」→「さる」→「はる」だ。
「食べはせん」が「食べへん」、「お花さま」が「おはなはん」になったのと同じ。
254日本@名無史さん:2009/02/26(木) 15:50:54
>>253
>SがF(Φ)やW、下手すりゃPに変化するかよ

これがわからん。なんのことを言ってるのか?
255日本@名無史さん:2009/02/26(木) 16:33:56
沖縄と本土の言語や文化の類似を言うなら、
縄文、弥生、古墳時代からの交流を言うべきであり、
平安時代の大宰府の出張所ごときで本土の影響を受けたなんてアホすぎ。
しかもその出張所とやらは沖縄で見つかったわけじゃないし。

沖縄をなめてるんじゃねぇか?
256日本@名無史さん:2009/02/26(木) 18:44:16
話をブッた切りで悪いが

新羅の昔氏は倭人って事で見解は一致してるんだよな?
257日本@名無史さん:2009/02/26(木) 19:37:02
昔脱解と瓠公は倭人でしょ。
朴赫居世も瓠公と一緒に渡来したんじゃないかな。
258日本@名無史さん:2009/02/26(木) 20:03:59
>>255
>沖縄は大和言葉だね。 沖縄は畿内から見て、
>朝鮮より遥かに遠いのに、 黒潮で繋がってるんだね。

君は>>200でこれを書いた本人だろう。
これは「沖縄はむかしから日本だ」と言いたいのではないか?
沖縄は沖縄だ。
沖縄語が日本語方言のように見えるのは特定の時代/地方の
日本語の表層をかぶっているからだ。
沖縄をだしにして朝鮮論議をやるな!

沖縄をなめるんじゃねえ!
259日本@名無史さん:2009/02/26(木) 22:31:18
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E

[琉球列島(旧琉球王国領域)の言葉は、日本語の一方言(琉球方言)とする場合と、日本語と系統を同じくする別言語(琉球語)とし、日本語とまとめて日本語族とする意見があるが、研究者や機関によって見解が分かれる]

一方言ならもちろん、別言語だとしても「系統が同じ」ならそれでいい。

>>258
ドアホ。
お前の言うように「日本語の表層をかぶっている」のではない。
260日本@名無史さん:2009/02/27(金) 02:56:28
>>257
d。
261日本@名無史さん:2009/02/27(金) 03:13:26
任那日本府ってのは日本書紀の用語であって
リアルタイムでは「倭宰(やまとのみこともち)」であり
「みこともち」っていうのは在地の世襲首長ではなく派遣官。
しかし弁韓=加羅諸国には在地の首長がいた。
つまり、もともと倭宰が治めていたのは四県二郡といわれる馬韓地域。
全羅道に残る倭式の古墳は彼らが残したものだろう。

:馬韓地域は社会階層の分化形成が弁韓辰韓に比べて遅く
:国家形成が未熟な段階にあったことが魏志東夷伝から窺えるし
:(首長ランキングの違い、城郭の有無、文化など)
:日本書紀でも弁韓辰韓の勢力には「国」の字を使い旱岐という君主がいたことを伝えるが
:馬韓地域には「邑」の字を使い政治勢力の存在を記さない。

ところが四県二郡は継体朝になってから百済に下賜されてしまった。
既存の役人は事実上失職したが建前上は地位を保って
百済の統治についての監督権を保持したが
百済は倭王から下賜されたので自分の領土のつもりだから
当然彼らを慇懃無礼に追い出した。
日本府の役人は田舎の親戚に対しては朝鮮で羽振りを効かせてるってことになってて
仕送りもしてるしたまに帰れば威張ってるわけで今さら故郷に帰れない、
だから朝廷政府としては名目上の役職も地位も与えたつもり。
結局彼らは加羅諸国の中心である安羅国に寄寓して「やっかいもの」になったわけだ。
彼らの頭には天皇への忠誠も倭国の国益も、微塵もない。
ただ百済への怨念があるだけ。それで新羅派になってるだけ。
262日本@名無史さん:2009/02/27(金) 03:41:18
>>243
チョン電波乙
263日本@名無史さん:2009/02/27(金) 08:51:05
>>261
>全羅道に残る倭式の古墳は彼らが残したものだろう

それについては、雄略天皇が倭から東城王(末多王)を護送する際に
付けた筑紫の軍士500人や同時期に高句麗を迎撃したという筑紫安致臣
・馬飼臣と関係するという説もあるね。
百済王を護送して、はいさよならというわけにはいかなかったろうから。
264日本@名無史さん:2009/02/27(金) 08:59:02
倭式の古墳は全羅道だけではない。
265日本@名無史さん:2009/02/27(金) 09:36:20
全裸道?まさに倭人の居住地にふさわしいなw
266日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:14:21
日本と朝鮮半島を分け隔てなく行き来する勢力があったが統一された王権ではなかった。
そのうち新羅が統一されて、朝鮮半島では他の勢力を駆逐。
日本のみに残った勢力が統一された王権を築いて大和朝廷成立。

こういう流れだろ。
267日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:52:03
>>266
意味不明だ。

新羅が統一(成立)するより早く、
3世紀には大和朝廷が成立してるのだが。
268日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:57:44
大和朝廷なんて継体天皇以後しか正確にはわからないだろ?
3世紀の大和朝廷の話を全部信じてんの?
269日本@名無史さん:2009/02/28(土) 01:21:41
http://www.geocities.jp/jihyoutei/k061210-1.htm

新羅の語源は案外これかも。
全部、海や川の「水」に関ってるし。
270日本@名無史さん:2009/02/28(土) 01:24:34
>>268
>大和朝廷なんて継体天皇以後しか正確にはわからないだろ?

継体天皇陵を今城塚と見るなら、
前方後円墳体制は大和朝廷と見るのが自然だろ?
ならば3世紀となる。
271269:2009/02/28(土) 01:28:16
訂正。
水に関ってるでなく「岩」ね。
272日本@名無史さん:2009/02/28(土) 01:28:20
前方後円墳を造る勢力が大和朝廷になったと見ればいいだろう。
朝鮮半島にも在るんだし。
273日本@名無史さん:2009/03/01(日) 23:55:26
>>272
朝鮮人の詭弁歪曲の典型みたいな論法だな。
日本の方が古くからあり、数多くある。
全羅道に飛び地があったら
日本からいったと考えるのが普通だろうに。
274日本@名無史さん:2009/03/02(月) 00:08:56
272はそう言ってるんだと思うよ。
275日本@名無史さん:2009/03/02(月) 10:15:20
>>272
前方後円墳って「まんが日本史」では渡来系の技術指導者に日本人が
コキ使われて作ってるんだなw

276日本@名無史さん:2009/03/02(月) 10:21:08
>>275
実際当時の韓国人と倭人の力関係なんてそんなもんだろ。
277日本@名無史さん:2009/03/02(月) 10:54:05
>>275
明治のお雇い外国人と同じでしょ。
まんがでも現場の責任者は倭人だったよ。
278日本@名無史さん:2009/03/02(月) 11:25:16
http://www.youtube.com/watch?v=Rf88A_Phrzw&feature=related
「まんが日本史」新羅に敗北した

え、百済と新羅を属国にしうたんじゃないの?w
279日本@名無史さん:2009/03/02(月) 11:58:32
>>275
5世紀以降は優れた土木技術を持っていた秦氏が指導した可能性が高い。
しかし何度も言うが秦氏は韓国人ではない。
秦氏や東漢氏のような優秀な民族が日本に来てからは、
韓国には残りカスのような人間しかいなくなった。
韓国のぶざまな歴史がそれを証明してる。
280日本@名無史さん:2009/03/02(月) 12:36:19
>>278
新羅はやればできる子。
削除されて見られないよ。
281日本@名無史さん:2009/03/02(月) 13:55:32
>>250
「はる」は九州方言にもある。沖縄の「めんそーれ」は
「ご免候らえ」(ごめんそーらえ)からきてるんじゃなかったっけ。
282日本@名無史さん:2009/03/03(火) 00:59:58
>>274
272は江上波夫タイプの騎馬民族説だろ?

>>275-276
70年代の階級史観だろ?

>>279
秦氏や漢氏は半島を経由しただけで、
もともと朝鮮系ではないでしょう。
283日本@名無史さん:2009/03/03(火) 03:33:14
>>275
漫画日本史てw
一次史料はどうした

>>278
そ、属国にしたんだよ
その後中国に負けてしまったがな
284日本@名無史さん:2009/03/03(火) 14:57:32
>>279
そう思いたい気持ちは分るが秦氏は新羅系だよ
広隆寺や平安京、伊勢神宮の創建などにも関り聖徳太子のブレーンにまでなっている
偉大な韓国系渡来人

猿楽、能楽、観阿弥、世阿弥も秦氏が日本に広めたもの
後に土佐の長宗我部氏となり、徳川の幕臣川勝氏なども秦氏の末裔達
古代日本の渡来系最大勢力の秦氏は日本を文明国に導いた先生でもあった


285日本@名無史さん:2009/03/03(火) 15:38:00
しまず(なぜか変換できない)も秦氏だね。
近代日本は韓国人によって作られたわけだ。
286日本@名無史さん:2009/03/03(火) 16:47:20
>>284
そう思いたい気持ちは分かるが、
秦氏は来日を新羅に邪魔されたのだが。
つまり「秦氏」と「新羅」は別物なんだよね。
残念だったね。
287284:2009/03/03(火) 17:27:57
>>286
言われてみればその通りだな
御指摘サンクス
288日本@名無史さん:2009/03/03(火) 18:51:06
>>286
新羅に邪魔されたと言うソースは?
ウィキにもそんなこと書いてし秦氏は新羅系なのは否定しようがない
ユダヤ系とか言われてるけど根拠はないね
289日本@名無史さん:2009/03/03(火) 18:52:17
>>285
つ「しまづ」
290日本@名無史さん:2009/03/03(火) 19:02:34
>>288
調べろボケ

日本書紀誉田天皇 十四年 百済の弓月君(ゆつきのきみ)が誉田天皇に対し、
百済の民人を連れて帰化したいけれども新羅が邪魔をして
加羅から海を渡ってくることができないことを告げる。
天皇は襲津彦を加羅に遣わして百済の民を連れ帰るように命令するが、
三年なんの音沙汰もなくなった。
誉田天皇 十六年八月、天皇は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)・的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)に
「襲津彦が帰ってこないのはきっと新羅が邪魔をしているのに違いない、
加羅に赴いて襲津彦を助けろ」といって、加羅に兵を派遣した。
新羅の王はその軍勢に怖じけづいて逃げ帰った。
そして襲津彦はやっと弓月氏の民を連れて帰国した。
29161:2009/03/03(火) 20:01:51
>>266
朝廷成立の部分は限定しなくてもいいと思いますが

要点は、血統、言語、基底文化(中国の技術とかではなく、習俗。)などが同じ集団が半島にあり、日本にもあった。
日本、朝鮮半島の他集団の政治体制が整えられていくなか、

出遅れた馬韓地域の集団は上の理由で交流の深い大和政権への依存度を強めていった。

と思えます。
292日本@名無史さん:2009/03/04(水) 03:16:50
チョンの妄言は止め処ないな
293日本@名無史さん:2009/03/04(水) 20:10:44
伊達政宗の先祖も五大摂家の鷹司家と共通の藤原氏だそうだよ
つまり伊達家は奥州藤原氏で百済系の血筋

また日本の歴史の人物に韓国系が誕生したね
294日本@名無史さん:2009/03/04(水) 20:31:02
>また日本の歴史の人物に韓国系が誕生したね

朝鮮人は次々と「韓国系」を作っていくな。
295日本@名無史さん:2009/03/05(木) 03:47:57
まず藤原氏がチョン系なんてのからして愚鈍なチョンの妄想だからな
妄想しかないのがチョン
296日本@名無史さん:2009/03/05(木) 10:06:37

弥生後期 質素な木製よろい 奈良・大福遺跡
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090304/acd0903042233006-n1.htm

>後ろ板の破片(高さ37センチ、幅19センチ)は、
>背中の形に合わせて湾曲させるなど精巧に作られていた

これらが後の金属製よろいにつながるのは言うまでもない。
297日本@名無史さん:2009/03/05(木) 10:36:07
>弥生後期 粗末な木製よろい

さすが倭人、未開の蛮族w
298日本@名無史さん:2009/03/05(木) 12:01:02
>>297
木製短甲まで日本に教えてもらった情けないチョンw
299日本@名無史さん:2009/03/05(木) 21:39:01
秦氏は中国系帰化人。
一応秦の始皇帝の子孫と称している。
日本帰化したいが、
中国から来朝する途中百済に留め置かれているので、
連れに来てください、と大和朝廷に申し出て、
日本(倭)から人を出して迎えにいっている。
かなりの人数の職能集団だったので、
百済や新羅も国から出したくなかったに違いない。
弓月から秦という名の変更は、秦の始皇帝の子孫と称するためと、
養蚕、絹織物の技能を持った集団だったので、
ハタ織りのハタからきているともいう。
なお、朝鮮半島から来た帰化人も百済系だとか新羅系だとか高句麗系だとか、
はっきりそう称している。
ならば、秦氏がそう称しても問題はないはずなのに、
秦の子孫だというのはそれなりの根拠がなければ称せられない。
余談だが、
かつて日本に羽田首相が誕生した時に、
中国ではこれで日本に中国の血を引く指導者が誕生した、
という報道もあった。
300日本@名無史さん:2009/03/06(金) 00:06:08
ハタと秦、どっちが先にあったのやら。
301日本@名無史さん:2009/03/06(金) 03:37:33
チョン半島には鎧がなかったからな
302日本@名無史さん:2009/03/06(金) 07:49:31
「はた」を朝鮮語の「パダ(海)」だという説がアカデミズムにあるらしい。
海を越えてきたから「海氏」だと。
なら渡来人はみんな海を越えてきたのだから、みんな秦(海)氏にならないと変だよな。
東漢や西文がいる意味がなくなる。
アカデミズムったってこんな程度さw
303日本@名無史さん:2009/03/06(金) 08:33:09
チョンの妄想は尽きないなw
304日本@名無史さん:2009/03/06(金) 08:52:18
新羅に波珍飡(海干)とうい官位もあるな
この官位は初期の新羅で倭国と関係のある人物に与えられている
305日本@名無史さん:2009/03/06(金) 17:54:22
>>296>>298
http://blog-imgs-41.fc2.com/c/h/u/chumonlove/1_20090306004027.jpg
弥生後期 質素な木製よろいだった頃韓国では・・・
カッコイイ〜
306日本@名無史さん:2009/03/06(金) 18:21:53
我々日本人は列島だ・・・orz
307日本@名無史さん:2009/03/06(金) 19:24:27
>>305

見えねぇぞ、しっかりリンクしる!

308日本@名無史さん:2009/03/06(金) 19:39:12
>>307
韓流ドラマの「朱蒙」のページのようでつ
309日本@名無史さん:2009/03/06(金) 20:38:29
チョンは千数百年前のことでしか日本に勝てないわけだなwwwwwwwwww
310日本@名無史さん:2009/03/06(金) 20:43:46
よし、まず千数百年前惨敗であったことを倭人が認めたぞ。
一歩前進だな。
311日本@名無史さん:2009/03/06(金) 22:32:02

コイツ日本語読めてねぇw
いや、読めてるけど論理的思考ができねえのか?ww
312日本@名無史さん:2009/03/06(金) 23:20:11
「チュモン」の甲冑ってカッコよすぎ
チュモンは高句麗の祖だから紀元前50〜60年頃か
日本はまだ裸足で稲作やってた時代
313日本@名無史さん:2009/03/06(金) 23:53:19
そんな時代にそんな甲冑ねぇよ
314日本@名無史さん:2009/03/06(金) 23:54:34
俺考古学やってて、中国やら韓国の高句麗関係の日本語訳の書籍見ることあるが…
こいつはあまりに脚色しすぎだろ。
315日本@名無史さん:2009/03/06(金) 23:58:29
こんなこと言ってるから
朝鮮人は差別されんだよ
316日本@名無史さん:2009/03/07(土) 00:06:33
韓国の考古学会も可哀そうだよな。
実際、一部を除いて向こうは任那とか倭製青銅器とか前方後円墳とか
ヤマト王権の活動を認めてんのに、周りがガイキチだから思うように
動きが取れない。
317日本@名無史さん:2009/03/07(土) 00:33:50
つかまじめな考古学者はどうしてるんだろう?
韓国とは言え学会はまともだろうと思いたいが
調査してけば世上に流布してるのとは違うものが幾らでも出てきちゃうだろうし
318日本@名無史さん:2009/03/07(土) 01:32:23
自然科学の分野でも捏造論文を出すような風土だから大変だろうね。
319日本@名無史さん:2009/03/07(土) 01:46:00
>>313
紀元前200年頃(2200年前)の秦の始皇帝の時代にもう日本で言う
戦国時代(1550年頃)と同じような甲冑がすでにある
大将クラスでない一般兵の甲冑なんか秦の歩兵団の甲冑と非常に似ている
武将クラス(信長や信玄)の甲冑は秦の時代の方が皮製品で模様も複雑でカッコイイ
高句麗のチュモンに出てくるやつもたぶん始皇帝や副官達の甲冑をモデルにしたと思われる
マントも付いてるしねw

日本の武将達の甲冑は中国や韓国見たいな皮製を取り入れてないので兜以外は
見栄えがよくなく肩当も秦や高句麗のものと比べれると小さくてダサイ
日本でカッコイイのは兜だけかな
320日本@名無史さん:2009/03/07(土) 04:00:50
>>319
お前のソースは最近の創作ウリナラファンタジーだろがw
321日本@名無史さん:2009/03/07(土) 10:02:32
>>319
>紀元前200年頃(2200年前)の秦の始皇帝の時代に
>もう日本で言う戦国時代(1550年頃)と同じような甲冑がすでにある

高句麗にか?
高句麗という国が紀元前37年頃からなのに何で紀元前200年頃の話になるのだ?

もしあるのなら画像貼ってくれないか。

>日本の武将達の甲冑は中国や韓国見たいな皮製を取り入れてないので

韓国などと言うな。
古墳時代の衝角付冑は弥生時代の革製が進化したからあぁいう独特の形になったと言われてる。
322日本@名無史さん:2009/03/07(土) 10:11:00
>>312
>チュモンは高句麗の祖だから紀元前50〜60年頃か
>日本はまだ裸足で稲作やってた時代

その高句麗のあった地域は、
今では稲作をしても国民が飢えてるねw
323日本@名無史さん:2009/03/07(土) 11:33:09
>その高句麗のあった地域は、
>今では稲作をしても国民が飢えてるねw

高句麗の偉大さがよく分かるね。
324日本@名無史さん:2009/03/07(土) 11:36:26


偉大な高句麗がとっくの昔になくなって残念だね。w



325日本@名無史さん:2009/03/07(土) 18:50:08
>>310
チョンは一度勝つと永久に自分の方が優位に立てると思っているのが笑える
326日本@名無史さん:2009/03/07(土) 21:59:12
>>321
違う、紀元前180年頃の秦の時代に優れた皮製の甲冑があったってこと
だから紀元前37年頃にはもう高句麗が同じような甲冑を作っていても不思議はない
と言いたかっただけ

つまりドラマ「チュモン」の甲冑は不思議でも何でも無いということ
日本の戦国時代(1550年頃)より700年も前に秦が、そして高句麗が
カッコイイ甲冑や戦闘着を制作していたと言う事実を知るべきだな
327日本@名無史さん:2009/03/08(日) 00:32:22
>だから紀元前37年頃にはもう高句麗が同じような甲冑を作っていても不思議はない

無理。
甲冑の製作技術は非常に高度なものを必要とするし、そもそも高句麗が中国文明に
本格的に接し始めたのは楽浪郡を滅ぼしてから。

考古学的根拠も無しに妄想垂れ流すんじゃない。
328日本@名無史さん:2009/03/08(日) 03:33:20
>>322
品種改良のまだ進んでいない時代に朝鮮経由で稲作が伝わったなんていうのが
電波だとはっきりとわかる事例だなw

>>326
ただの願望の垂れ流しw
329日本@名無史さん:2009/03/08(日) 18:49:46
任那が滅亡した原因は楽浪帯方が滅亡した原因と同じで
駐留軍が本国に撤退したからなんだよね
330日本@名無史さん:2009/03/09(月) 04:14:29
秀吉軍が負けたと言われる理由も撤退だからね。
331日本@名無史さん:2009/03/09(月) 04:33:28
秀吉の死で撤退しただけだし
半島に建設された日本式の城は戦闘でひとつも陥落しなかったし
中国軍の将軍の報告書がどっかに上がってたが、かなりボロボロの状態だったみたいで、
もうちょっと長引いたら北京まで日本軍をさえぎるものは何もなかったって書いてあったな
332日本@名無史さん:2009/03/09(月) 04:55:00
日本の武将で戦死した人がいないらしいしね。
一人、のん気に鷹狩かなにかしてる最中に、
土民に殺された例があるだけと聞いた。
北京まで押さえるのも可能であったろうが、
いかんせん日本の武将たちにその気がなかったみたいだねw
333日本@名無史さん:2009/03/09(月) 05:12:31
何で秀吉は朝鮮経由にこだわったんだろうな?
半島南部は押さえてたんだから、そこ経由で海路で大陸にも上陸して
補給路を絶っていたらよかったのにと思うが
中国軍の海軍は侮れなかったのか
334日本@名無史さん:2009/03/09(月) 07:18:42
事実上、朝鮮は10万を超える明の援軍によってかろうじて生き残ったようなもん
明の軍隊の戦死者は3万人ちかいと記録されてるし、朝鮮に至っては8〜9万人
の死者がでた、加藤清正率いる侍軍団に恐れ、日本に攻めれないように通信使まで
送ってるのに韓国の教科書には

「我が優秀な韓民族が海を渡って攻めてきた倭人を打ち破った」

「朝鮮通信使が日本に優れた文化をもたらした」

だからねww
335日本@名無史さん:2009/03/09(月) 15:42:11
古代、朝鮮半島南部にあった秦韓はユダヤ人の国で、そこを拠点に弥生人を侵略して日本という国を作ったんですよ
336名も無き大阪人 ◆c68ywQ2shI :2009/03/09(月) 20:33:26
>>335
それなんて言う、テレビ東京??
337日本@名無史さん:2009/03/10(火) 03:20:17
>>296
後一枚、前は左右二枚造りで後の鉄製短甲と類似してるな。
338日本@名無史さん:2009/03/12(木) 12:44:30
>>299-300,>>302
「はた」と清音になったのは後世の訛りで
古くは「はだ」と濁音。
「はだ」と「秦」はもともと由来がことなる別系統の言葉。

始皇帝の秦は西方からきた異民族が当時の中国文明に同化したものであることは
よくいわれる。が、西戎系とする意見が多いのは問題。
それなら秦を侮蔑する時には「秦戎」とでもいえばいいのに
実際には秦の侮蔑語は「秦狄」。そして秦は西戎とは長いこと敵対関係にあった。
戎も狄も後世には混淆して方角の差にすぎないような用法が主流になるが、もともとは
戎が山岳牧畜山岳民(主にチベット系)をさすのに対し狄は草原の遊牧民をさした。
草原の遊牧民にはモンゴル系・トルコ系・イラン系があるが、古い時代には
北はトルコ系、西はイラン系が主流であり、モンゴル系は少数派だった。
「はだ」は中央アジアにいた「月氏」というイラン系の種族。
月氏という字は当て字で、他にもいろいろな漢字で書くが
この名は今のウイグルにあるホータンに由来し、
ホータン(今は「和田」と書いてる)の古い書き方は
「于填」で古い発音では[yu-tu]に近い音に当て字したものらしい。
「月氏」も上古音では[yu-tu]に近い。
ホータンは機織りが盛んで英語もコットンの語源にもなってる。

「秦」という漢字はシナの語源とされるが、正しくない。
古い発音はシンとは似ても似つかぬもので「趙」と発音が似ていた。
そもそも秦と趙は同じ「贏」という部族名が
北方訛りと西方訛りに分かれただけのようである。
(贏エイ・趙チョウ・秦シン、は現代日本の読みで
先秦時代の古い発音ではどれも[diong]に近かった)
秦氏は諸侯として自立前は、西周時代以来
趙氏に仕えていた時期が長くその分流と自称したので
漢代以前には公式には
姓は「贏」姓、氏は「趙」氏ということになっていた。
339日本@名無史さん:2009/03/12(木) 12:47:47
>>302
日本の学者は韓国での発掘に参加させてもらいたい一心で
日頃から朝鮮人様に媚びまくってるくせに
国際学会で中国人学者様から
「実際には半島系の帰化人の方が優遇されてるのに
わざわざ偽ってまで大陸系と自称するはずがない」
とつっこまれると一言も反論できずニヤニヤ愛想笑いしてるだけ。
こんなキモい連中に志も信念もあるわけないだろ。
340日本@名無史さん:2009/03/12(木) 12:49:43
>>322-323
遼東郡や楽浪郡などを併合する前の高句麗は
農地に適さない痩せた土地しかない険阻な山岳地帯
(中朝国境)を国土にしていた。
三万戸しかないのにそれすら食糧自給できないほどだった。
341日本@名無史さん:2009/03/12(木) 12:59:58
>>304
『日韓上古史の裏面』みたの?
それとも2chの過去ログで漏れの昔のレスみたのかなw
342日本@名無史さん:2009/03/12(木) 13:03:26
>>305-326
韓流ドラマ『朱蒙(チュモン)』はまったくの創作ファンタジーで歴史考証はゼロ。
343日本@名無史さん:2009/03/12(木) 13:15:09
>>331-334
スレ違い。
344日本@名無史さん:2009/03/12(木) 16:52:53
朝鮮人は、高句麗を祖と考えてるのか?
それとも、南部の韓?を祖と考えてるのか?

両方ってことは男としてありえないよな。
ヤマトとエミシ両方が祖です、と言うようなもんだろ。

そもそも、高句麗ってのは固有の民族名っぽいが
韓だと、中国の人の名や地名にも多く見られ
中国人の植民地っぽくみえるのよな。
韓国人はその点をどう考えてるのかね。
345日本@名無史さん:2009/03/12(木) 20:31:24
高句麗も扶余も新羅も百済も伽耶も、
都合よくみんな祖と考えてるらしいよ。
346日本@名無史さん:2009/03/12(木) 20:32:58
植民地っぽくじゃなくてそもそも朝鮮は中国人の植民地から始まったろ。
奴らは檀君を建国者と考えてるようだが、実際に考古遺物や史料で確認できる朝鮮半島最古の
国家は中国人の衛氏朝鮮だし。

南部の韓はそもそも国家の体を成して無かったし。
347日本@名無史さん:2009/03/12(木) 23:53:01
ウム。「韓」では、中華の一部分以上になることは無理。
日本人は倭を自己のヤマトの当て字として、また呼ばれてきたが
このヤマトと言うのが、とにかく独立した民族には必要な呼称。

そこで、まず、なぜ「韓」が半島にあるのか。
これを考えなければならんと思う。

自分で韓を名乗る・・・これは中華民族だな。
漢や唐、倭が韓と呼んでた・・・・当て字で韓を当てただけと言う可能性もある。
この場合は、では彼らの自称はなんだったのか、と言う問題が生ずる。

日本は発音は「ヤマト」で、倭と呼ばれていたから大倭(大和)を当て字とした。
半島はなんなのか?
もともと韓=中華民族なのか
それとも自称の発音名「???」があり、他の国から韓を当て字として呼ばれていたのか。
348日本@名無史さん:2009/03/13(金) 01:22:10
>>344
>高句麗ってのは固有の民族名っぽい

いや、戦前には「高句麗」を純粋に漢語とする説もあった。
ちょっと詳細は忘れてしまって覚えてないのだが、漠然とした記憶で書けば、
:「高」は山岳地帯、高地であることを示す。
:「句」はギクシャクと曲がった様子。
:「麗」は山々が並び続いていること、ただしこの地の特産の「果下馬」を念頭においてあえて「驪」とした。
:つまり険しく曲がりくねった道を登っていった山中の高地。
中朝国境山岳地帯の最も中心部であるところの地名としてぴったり。
この説の是非にかかわらず、そもそも高句麗って単語は
固有の民族名じゃなくてもともとは漢帝国が設置した県の名。
中国語の地名、「玄菟郡の管轄下の高句驪県」という名の、
中国人が建設した植民都市であるという事実に変わりはない。
だから、反中意識が高まってくると「高句麗」という国名を嫌って
五世紀中頃(450年頃?)にわざわざ「高麗」と改名したんだよ。
中国はそれをよくわかってるから半世紀も改名を認めなかった(520年公認)
:ところで、高句麗王国の領内には「〜忽」という地名がいくつかあり、
:この「忽」は「コル」と読んで城(=城郭都市)の意味らしい。
:そこで、高句麗の「句麗」も城を意味する固有語だという説があるが
:そもそもの高句麗県は県(地方行政の単位である城郭都市)で
:県は建設物としては「県城」というぐらい。だから他の県も
:すべて「〜句麗」だらけ、にならないとおかしくないか?
:単に「高県」でいいのになんでここに限って高句驪県なのだ?
要するに「高句麗」が固有語だなんていうのは
「奈良はウリナラのナラだ」というのと同じで
なんでも朝鮮語にしようとする電波説。
349日本@名無史さん:2009/03/13(金) 01:27:58
>>344
>韓だと、中国の人の名や地名にも多く見られ
>中国人の植民地っぽくみえるのよな。
>韓国人はその点をどう考えてるのか

「韓」 はただの当て字で、原語の「ハン」は民族固有語。
ハンという古朝鮮語に溯る言葉は、
「天」「大」「人」「光」「白」など、22の意味をもち、
宇宙の根本原理を表わす言葉である。

…ということだそうです、ハイ。
350日本@名無史さん:2009/03/13(金) 01:53:36
>>345
その通り。
もう少し詳しくいえば、露骨なナショナリズムが憚られるような場面では
「穢(わい)」「貊(はく)」「韓(かん)」の三系統の混血で
朝鮮民族が形成されたみたいなことをいう。
(注・この段階ですでに電波)

しかし本音が吐露できる場合には
穢・貊・韓はいずれも渤海湾を囲むように分布した
「東夷」族が分かれたものであり(注・これも電波)、
その源流は「古朝鮮」(注・また電波)だ、などという。
ツングース系の「粛慎」と「朝鮮」は発音が似ていて
もとは同じもの(注・これも電波)。
よって古朝鮮はツングース系(注・また電波)。

朝鮮語は日本語と同じく近隣に同系の言語のない「独立語」だが
なぜか朝鮮人自身は「アルタイ語ニダ」「ツングース語ニダ」と
やたらにいいたがる理由はこれでわかったろう。

ちなみに李朝時代にも
「半島の諸民族はすべて檀君の子孫で同胞だ」
と主張した人物がいたが、これは例外中の例外。
当時、半島の東北部(今の慈江・両江・咸鏡)は半島国家にとっての新しい領土。
このは女真族の居住地だったところで、住民の和合をはかる上で
北方系の神話が混淆した檀君は都合よかったんだろう。
実際に古代の諸民族あげて「みな檀君の裔」と
いってるその中に邑婁や沃沮が出てくる。
邑婁は女真族の祖。沃沮は今の咸鏡道。
351日本@名無史さん:2009/03/13(金) 02:08:27
>>347
三韓の”韓”と戦国の七雄の”韓”はルーツが同じだが、どっちかが起源ということではない。

西周の初期に今のペキンのすぐ南(現在の地名では「固安」)に「韓」という都市国家があって、
それが「ふたつの韓」の共通の起源にあたる。(周の武王の弟が侯爵として封建されたもの)
周の成王の時、今のペキンには燕が建国されて入れ替わりに韓侯は山西省の西南(韓原)に
国替えになった。
その時に都市国家の市民は移動せず取り残され「韓」を姓として河北省方面に
散らばった。
だから後世まで河北省には韓という姓が多かった。
項羽と劉邦の時代に燕王を称した「韓広」なる人物もこの韓氏の一人。

戦国時代の「韓」というのは。
この西周時代の韓は、山西省の西南(韓原)に移転した後、前757/756年には晋に滅ぼされてしまう。
その跡地は、晋の公室のひとり、「萬」なる者に封領として与えられた。
これが戦国時代の「韓」のはじまりです。この人が韓武子(韓萬)で、
戦国の七雄の”韓”の初代にあたる。(韓萬=韓武子)

続く
352日本@名無史さん:2009/03/13(金) 02:12:22
>>351の続き

韓之先與周同姓、[一]姓姫氏。其後苗裔事晉、得封於韓原、[二]曰韓武子。
武子後三世[三]有韓厥,從封姓為韓氏。
  [一]索隱按:左氏傳云「[干β]・晉・應・韓、武之穆」、是武王之子、故詩稱
  「韓侯出祖」、是有韓而先滅。今據此文、云「其後裔事晉、封于韓原、曰
  韓武子」、則武子本是韓侯之後、晉又封之於韓原、今之馮翊韓城是也。
  然按系本及左傳舊説、皆謂韓萬是曲沃桓叔之子、即是晉之支庶。又國語
  叔向謂韓宣子能修武子之?、起再拜謝曰「自桓叔已下、嘉吾子之賜」、
亦言桓叔是韓之祖也。今以韓侯之後別有桓叔、非關曲沃之桓叔、如此
則與太史公之意亦有違。
[二] 正義括地志云:「韓原在同州韓城縣西南八里。又韓城在縣南十八
里、故古韓國也。古今地名云韓武子食菜於韓原故城也。」
[三] 索隱系本云:「萬生[貝求]伯、[貝求]伯生定伯簡、簡生輿、輿生獻
子厥。
(『史記』韓世家より)

続く
353日本@名無史さん:2009/03/13(金) 02:22:02
>>352の続き
【「韓」という名称をめぐる諸問題について】

一方、前漢代になって楽浪郡に移民した中国人は。
楽浪郡の遺跡研究は戦前にすでにかなりのレベルに達しており、楽浪郡の住民は
ほとんど王氏と韓氏の2氏で大部分を占められていたことがわかっている。
このうち王氏というのは山東半島の名族で、王氏を称したのは山東系の移民と思われ、
後漢時代に謀叛をおこし6年間にわたって楽浪郡で独立政権を維持した「王調」、
日本に漢字(と儒教思想)を伝えた「王仁」はともに山東系楽浪王氏と考えられます。
王氏についで多いのが「韓氏」で、韓氏はすでに説明したように今の河北省に多く、
これは西周初期に
ペキンのすぐ南、今の固安に建国された「韓」が、後に河南省に移転した時に
とり残された住民が称した姓だとされ、項羽と劉邦の時代に燕王を称した「韓広」なる人物も
この韓氏と思われます。
つまり王氏は山東系、韓氏は河北系の移民ということですね。
で、このことからしたがって、楽浪郡のみならずそのさらに南の真番郡でも類似の事態、つまり移民の多くは王氏か韓氏だったろう。

真番郡は前82年に廃止され、住民と土地は漢帝国から放置されてしまった。
はやければ王莽の頃(紀元前後のあたり)遅くても西暦44年には半島に「韓」を名乗る勢力がいた。

(三国志東夷伝みると馬韓は先住民のようだが、辰韓・弁韓の言語は秦の言葉と似た
中国語だったようだ。秦語というのは長安(秦)に都があった時代(前漢)の標準語)

住民はその頃までに自立して王を立て国名を称したと思われる。
その王の姓は十中八九「韓」であろうから、国名を韓と称したのであろう。

続く
354日本@名無史さん:2009/03/13(金) 02:24:25
>>353の続き

魏略が拾ってきた伝承では箕準(箕子の子孫)が馬韓に入ってきて王になるわけですが
なぜか子姓でも箕氏でもなく(すでにそこは韓だったから)韓氏を称したということになっています。
(箕子到来伝説には史実性はまったくありません)これは中国系の人々が箕子にこじつけた頃には
すでに「韓」の名は自明で韓の由来を説明できなくなっていたということでしょう。
箕準とされた人物は実はもとから韓氏をなのる中国系の人物で、真番郡廃止後、
一時的にせよ現地をとりまとめて王となったのでしょう。
でなければいくら中国系の人々が有力でも韓が真番にかわって地名になりことは考えにくいし
一方、魏略所載の伝承から箕子伝説をさしひくときわめて整合的であるように考えられます。

「韓」は半島の南半分だけをさす言葉としてはAD44年から。
(魏略所載の説話伝承まで認める場合にはAD21±1年だが、正式には後漢書記載のAD44年から)

 【「韓」という名称/その他の諸説】

1)君号転化説
旱岐・加・汗みな語源が同じ、王・首長の意味。もと王をさしていたのが転じて国をいった。
2)加羅語源説
加羅[kala]→[kal]→[kan]→[han]韓 ※これだと辰韓や馬韓が説明しにくい。
3)農耕社会由来説
水田の畦を意味する韓国語カンナラ→韓 ※当時の韓国語の実態が不明なので弱い。
4)電波説
ハンは檀君以来の韓国固有語。
白、光、大、人、天、王、など全部で22個の意味をもち宇宙の根本原理を表す。

※以上1〜3、すべてハン(かん)という音は説明できても
「韓」という当て字が選ばれたことは説明できない。 4は問題外。
355日本@名無史さん:2009/03/13(金) 11:34:18
加羅ってのがもともとの名だと思ってたけど
↑の説明だと、中華の韓氏系統の人間が半島に住みついたのが
韓の元になってると言うことか。

とすると、韓国人が漢字(韓字?)を創ったとか言ってるのも
ありえるということになるのだろうか。
もし、今の半島に、古代中国に住んでいたという伝承があるなら
そうなるのかもしれんが、半島で生まれた民族だと自称してるからねえ。
356日本@名無史さん:2009/03/13(金) 12:42:23
蘇我満智ー蘇我韓子ー蘇我高麗

こんな名前つけるから1400年経った今でも物議を醸してるんだよなw
韓子の高麗じゃ渡来人だと思うだろ
357日本@名無史さん:2009/03/13(金) 14:55:27
>>347
>倭を自己のヤマトの当て字として、
>このヤマトと言うのが、とにかく独立した民族には必要な呼称。
>日本は発音は「ヤマト」で、倭と呼ばれていたから当て字とした。
>半島はなんなのか? 自称の発音名「???」があり、

高句麗コウコウレイ・コウクリ、百済ハクセイ・ヒャクサイ、倭ワ、はみな元は中国語。だから
それぞれに「こま」、「くだら」、「やまと」という固有語での本名がある。
半島民族の場合、「韓」も「朝鮮」も「Korea(高麗)」もすべて元は中国語。
固有語の名ではない。
では半島民族には固有名がなかったのかというと、そういう訳ではなく
衛氏朝鮮の官職に朝鮮相と尼谿相という官職があり、
朝鮮相というのは「朝鮮」とよばれる半島北部の漢人系植民者の多い地方を管轄し、
尼谿相というのは歴谿卿ともいい
「真番」とよばれる半島南部の原住民の多い地方を管轄したらしい。
「尼谿」というのは三国時代の辰韓十二国のうちの「那奚国」に該当し、
楽浪帯方の二郡と馬韓諸国がその帰属をめぐって戦争したこともある重要地点だった。
場所は慶尚北道義城郡玉山面に「日谿」という地名が残ってるあたり。
「真番」というのは、司馬遷が半島南部をさすのに困って、
衛氏が滅ぼされた後になって(BC108)できた「真番郡」の名を前に溯らせて使ったもの。
司馬遷は「尼谿」が地名だということも気付かずに書いてるのだが、
あるいは実際にも半島南部を管轄する役所があった地名というだけで半島南部をさす地名では
なかったのかも知れない。その場合、朝鮮というのはもともと今の平壌だったのが拡大されて
半島北部をさしたが、尼谿は意味が拡大する前に真番郡が設置されてしまったということになる。
「真番郡」という郡名は「真(後世の辰韓)」と「番(後世の弁韓)」という二地名を並べたもの。
辰韓は「斯蘆国」を中心とする韓、弁韓は「半跛国」を中心とする韓の意味だから
真番は結局「シラ・ハヘ」という固有名の音写ということになる。
斯蘆国は最初の半島統一王朝である「新羅」になった。
半跛国は加羅諸国連合体の盟主となったものの新羅に滅ぼされた。
こうしてあれこれ考えてみると、彼ら半島民族の固有名は
韓でも朝鮮でもKoreaでもなく「しらぎ」でいいんじゃないかと思う。
358日本@名無史さん:2009/03/13(金) 15:05:28
>>355
「加羅」は半島の東南部だけ。日本側では日本からみて近いから
半島全部「から」と呼んで韓も「から」と読んだけど、
中国の漢・唐も「から」と読むように単に外国の意味に近い用法。
これは日本側が勝手にそう呼んでるだけで、いわば日本語内部の問題。
半島民族にしてみれば「加羅」は一地方名にすぎないので
民族全体を代表するような感覚はないと思う。
359日本@名無史さん:2009/03/13(金) 15:21:32
>>356
その逆。
1400年経って後世からみて事情がわかりにくいからこそ
紛らわしくなったんであって、当時はなんの混乱もない。
360日本@名無史さん:2009/03/13(金) 15:30:33
>>358
「加羅」と「伽耶」「狗耶韓国」の関係は?
361日本@名無史さん:2009/03/13(金) 16:06:31
>>359
名前が韓子、高麗だけでなくやたら朝鮮半島びいきで政治を推し進めた事からも
百済系だの新羅系だのと疑惑はつきない
362日本@名無史さん:2009/03/13(金) 16:09:54
>>356
韓子(伽耶人の女との間に生まれた子の意)の子が高麗じゃ
渡来人としても何系なのかさっぱり分からない。
それに、蘇我の支族がほぼ稲目からの分かれとなっていることからして
蘇我氏ってのはやはり稲目からを実在として扱うしかないんじゃないの。
363日本@名無史さん:2009/03/13(金) 20:42:47
蘇我氏については今はまともな論考がでている。
蘇我氏は古代豪族の葛城氏の支流。
雄略天皇に滅ぼされた円大臣は南部葛城。
残った北部葛城氏の出。
帰化系を支配下におき、再び歴史の表舞台に登場。
推古天皇に馬子(だったと思う)が蘇我氏の本貫だから
葛城の地をもらえないかと頼んでる。(日本書記)
364日本@名無史さん:2009/03/13(金) 21:00:42
本居うんぬんていうのは、馬子の母方が葛城氏だということじゃなかったっけ。
日本書紀による限り葛城氏とは武内宿禰のところでしか繋がってないし。
365日本@名無史さん:2009/03/13(金) 21:21:48
>>338

秦氏、または弓月氏は実は
大月氏国をつくった民の出自で、秦の始皇帝というとわかりやすいし、
通りがいいのでそう称したのではないか。
366日本@名無史さん:2009/03/14(土) 07:03:26
>>361-364
蘇我電波で引っ張るのやめない?
渡来人説にこだわる人がいるのは仕方ないけど
いちいち反論してたらスレ違いな展開になる。
蘇我氏スレに誘導すればいい。
ここで議論するのはスレがもったいない。
367日本@名無史さん:2009/03/14(土) 10:19:56
9世紀に編纂された新撰姓氏録で、
勝ち組の藤原が神別で、
負け組の蘇我がそれより上の皇別とされてる事実は、
社会通念上、家柄を偽装できなかったという事であり、
蘇我が渡来系などという妄言はいい加減にしてもらいたい。
368日本@名無史さん:2009/03/14(土) 11:20:00
本当に竹内宿禰の流れなのかね蘇我氏は
だとすると渡来系の女に産ませた子供が蘇我氏の祖と言うことになるのかね
369日本@名無史さん:2009/03/14(土) 15:32:35
皇別が神別より上かどうかはわからない。
だいたい名前からして神は皇より上だ。
それに配列順序も、もともとは神別のほうが皇別より上に
なっていたというんじゃないか?
370日本@名無史さん:2009/03/14(土) 15:37:17
皇別の方が神別より上だよ、そんなの当たりまえ。
「配列順序も、もともとは神別のほうが皇別より上に
なっていた」なんていうのはいったいどこから推測した話なんだ?
371日本@名無史さん:2009/03/15(日) 17:23:31
>>367
その藤原氏も渡来してきた百済王族が家名を建てたそうだよ
藤原の祖である中臣鎌足は百済人
372日本@名無史さん:2009/03/15(日) 17:27:33
蘇我氏がだめなら藤原氏。
劣等感まるだしのチョンだな。
373日本@名無史さん:2009/03/16(月) 01:04:12
百済人は朝鮮人ではないよな。百済という王国の人間で、
支配民族はフヨ族。倭人、漢人も多かったと。
百済滅亡を防ごうとして、白村江で戦った主力は大和民族だしな。

それに・・・
朝鮮人というのは、シナに「朝鮮」と名付けてもらって以後の人間を言うのではないか?
たとえば、高麗ですら朝鮮人を名乗ったりはしなかったのでは?

韓を名乗り始めたのは中華民族、朝鮮を名付けたのも中華民族。
とすれば、朝鮮人というものは単なる中華の一部の手先だよ。
百済は独自の自称名があったわけで、今の半島人と同一視するのは失礼だろう。
374日本@名無史さん:2009/03/16(月) 18:59:46
百済人や新羅人、高句麗人は日本で言うと薩摩人や長州人みたいなもん
つまり百済人は韓国人の先祖
375日本@名無史さん:2009/03/16(月) 19:06:05
>>373

論拠に無理大杉。
376日本@名無史さん:2009/03/16(月) 23:24:33
【歴史】聖徳太子は聖王の生まれ変わりなので百済系王族

百済第27代王・威徳王の息子、阿佐太子が西暦593年にもたらしたという救世観音像と
百済系渡来人が作った百済観音像だ。 救世観音像は「威徳王が新羅(シルラ)との
戦闘で亡くなった父の聖王の姿を作ったもので、法隆寺を建立した聖徳太子は聖王の
生まれ変わり」という過去の記録が伝えられる。

このため韓国テレビの歴史ドキュメンタリー番組が百済の聖王の姿を3次元(3D)で
再現しながら、観音像の顔を使用したこともある。
聖徳太子も日本古代王家で百済系の王族に分類される。

奈良公園内にある東大寺も百済と関係が深い。
この巨大な仏像を作る造仏師として百済滅亡後に日本に渡ってきた百済の流民が
多数参加したというのが、東大寺の僧侶の説明だ。 大仏造成の責任者だった
僧・行基も百済系という。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=112668&servcode=A00§code=A10

蘇我氏、藤原氏だけでなく聖徳太子も百済系、大仏造成の責任者も百済系
おいおい、倭人は一体何やってたんだよwww
全部、百済人のお陰じゃんwww
377日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:08:14
我々日本人は列島だ・・・ orz
378日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:20:48

「ヤマトの半島征伐」
391年にヤマトが半島に遠征して、百済新羅を従属国にした(広開土王碑)より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%96%8B%E5%9C%9F%E7%8E%8B%E7%A2%91

これは隋の記録の、百済や新羅はヤマトを宗主と崇めていると言う記録とも一致。
碑文の写しも中華で発見されており、4世紀には半島南部は完全に日本の属国であった証拠と言える。

「白村江の戦い (663年)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
白村江の戦いで敗北した倭国軍は、各地で転戦中の倭国軍及び倭国への亡命を
希望する百済の遺民を結集して帰国を果たした。

敗北したとはいえ、7世紀に5万の兵を渡海させてシナと決戦している。
この決戦と百済亡命から考えると、百済の正当な所有者は日本であると言える。
古代から中国の記録にもあるように、特に半島南部は日本の属国で
半島南部を中華から守るため唐と決戦したのも日本の男。
つまり、今居る半島の男はその後の異民族の侵入で入れ替わってなくとも、単なる中華のしもべ。
379日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:26:48
百済人の末裔の自覚がある男なら
日本に教えてやったとか上から目線で語るのはおかしい。

百済の男の末裔なら、こう言うはずだ。
「百済が滅亡するのを防ぐために、唐を相手に共に戦いましたね
残念ながら敗北して滅亡しましたが、百済の王族は日本に亡命して神社まで建てることができました
有難うございます。」
とな。

朝鮮には百済を祭る宗教施設も無く、白村江の戦を必死で戦ったと言う伝承も文献も無い。
こんな場所に住み続けている男が、百済人の男の子孫のはずが無く
もし血のつながりがあったとしても、「唐に寝返った裏切り者」でしかないはずだ。
戦いの歴史を知らないで末裔面するほどおろかなことは無い。
380日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:43:17
いや〜とうとう聖徳太子も百済人になったねw
どんどん真実がわかってくるよ
日本を作った偉人さえも韓国系だったなんてね
381日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:48:45
韓国人は全て古代中国人の末裔ですからっ!!
残念っ!!
382日本@名無史さん:2009/03/17(火) 01:21:51
百済には三八四年に西域僧摩羅難陀により仏教が伝来した。
百済の寺大工の名前を調べると、
寺工・太良未(だらみた)、鑪盤博士・将徳白昧淳(しょうとくはくまいじゅん)、
瓦博士・麻奈文奴(まなもんぬ)、陽貴文(ようきもん)などなど、
それぞれ、「だらみた」=中世ペルシャ語で「寺工」、「しょうとくはくまいじゅん」=露盤受け、
「まなもんぬ」=屋根葺き、「ようきもん」=丸瓦になる。

おいおい、百済人は一体何やってたんだよwww
全部、ペルシャ人のお陰じゃんwww
383日本@名無史さん:2009/03/17(火) 07:02:46
>>376>>377
しかし朝鮮が関わるスレはどこも煽りだらけで
論議の邪魔になってるな。
つまらないから止めてくれ。
384日本@名無史さん:2009/03/17(火) 08:16:05
皇別と言うのは、建前上は、天皇家から別れて臣席降下した氏族なのだから、
歴代の天皇から一定の割合で生じるはずだ。
それなのに倭の五王時代の天皇からの別れはゼロだというのはなぜ?
385日本@名無史さん:2009/03/17(火) 10:27:42
>>384
越前系継体天皇の家系と、
倭の五王(九州系)の家系の確執ではないか。
386日本@名無史さん:2009/03/17(火) 12:33:24
これ見るといるようだけど。
ttp://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/01.htm
387日本@名無史さん:2009/03/17(火) 20:30:27
>>384
仁徳の兄弟の子孫はいるから雄略と武烈に全部殺されたと考えるしかない
388日本@名無史さん:2009/03/18(水) 12:51:01
youtubeで天皇、空海、源義光、合気道、日本刀、武士、剣道、忍者が
韓国起源と真顔で言った韓国人。
驚くべきことに、この韓国人には30万近いチャンネル登録者がいる。
組織的に活動してる模様。

やる夫で学ぶ朝鮮忍者
http://www.youtube.com/watch?v=T06IqzB3YHY
http://www.youtube.com/watch?v=6VBm0Hnz5Io

朝鮮忍者がアジアの歴史を教えてやる(日本語字幕)
http://www.youtube.com/watch?v=zmVN0APY7tM

朝鮮忍者の嘘を見破ってる知日派外人スコットさん
http://www.youtube.com/watch?v=jWrOn-XYEoM

朝鮮忍者の詐欺行為から目が覚めた人(内部告発編)
http://www.youtube.com/watch?v=fcR1wUZtusM

朝鮮忍者のいかがわしさを語る白人少年
http://www.youtube.com/watch?v=SwxLDzc4Jiw

[パクリ]朝鮮偽忍者が大人気[ようつべ]PART7
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/korea/1234617422/
389日本@名無史さん:2009/03/18(水) 15:43:34
390日本@名無史さん:2009/03/18(水) 20:28:40
■WBC韓国4−1日本の結果について

「韓国が勝った、当然でしょ」                 ソニン

「WBCは原爆ね」                      黒田福美

「韓国人と結婚してよかったわ」                SHIHO

「在日韓国人に勇気を与えたわ」                中村ゆり

「韓国人はハンサムね」                    キャメロンディアス

「これでAV男優は韓国人がいいわ」              蒼井そら

「ウチの旦那も韓国が勝って喜んでいます」           ミムラ

「これで竹島は韓国領ね、日本人は卑劣」            キムテヒ
  
「野球でも韓国に抜かれましたね」                阿部美穂子

「韓国人と付き合って正解だったわ」              浜崎あゆみ

「素晴らしい体格をしてるわ、どんだけぇ〜」          IKOO

「やっぱ韓国人男性のほうが魅力的だわ」            笛木優子

「日本人男性と結婚したら負け組みね」             ユンソナ

「韓国人男性のほうが優秀なんだね」              南 明奈

「これで任那日本府説は終わった」               歴史学者
391日本@名無史さん:2009/03/18(水) 21:29:36
浜崎あゆみの話はウソw
392日本@名無史さん:2009/03/18(水) 22:06:28
>>391
ハワイの韓国系米国人と付き合ってた
フェラさせたらしいぞw
393日本@名無史さん:2009/03/18(水) 22:09:50
>ハワイの韓国系米国人と付き合ってた

だから何?って話なんだが…
朝鮮人は論理がわからんのかね?
394日本@名無史さん:2009/03/18(水) 23:32:14
>>392
浜崎のコンサートスタッフのアメーバブログによると、
全く正反対で、チョン男が浜崎に一目ぼれして、
しつこくメルアドとか聞いてきて、
浜崎はウザいのでスル〜してたら週刊誌にあんな事書かれたらしい。
ま常識的に考えて浜崎が一目ぼれするような男ではないよなw
395日本@名無史さん:2009/03/19(木) 00:30:45
日本人「日本書紀に『391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。』」
韓国人「捏造だ。」
日本人「三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。」
     新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。
     百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る
     所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?」
韓国人「捏造だ!
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、
     大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」
     と公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、
        「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」 書いている。
        それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・。」
全て捏造と言うがそれを裏付ける証拠は全く出せないバ韓国人w
396日本@名無史さん:2009/03/24(火) 01:26:54
>>374

論拠に無理大杉
397日本@名無史さん:2009/03/25(水) 10:10:36
>>395
韓国人「WBCの日本のV2も捏造ニダ。」
398日本@名無史さん:2009/03/25(水) 13:32:55
>>397
数十年後に本当に言い出しそうで困る
399日本@名無史さん:2009/03/25(水) 16:45:23
>>398
実際、ベルリン・オリンピックのマラソンに日本選手として出場し優勝した孫基禎も
カリフォルニア州にある五輪歴代マラソン優勝者記念碑や五輪記録集などはKoreaと記載されているらしい
こっちの方がよほど捏造なのだが

400日本@名無史さん:2009/03/29(日) 23:16:10
http://www.chosunonline.com/news/20090329000004
http://www.chosunonline.com/news/20090329000005
近代化を目指した東アジア3国の「分かれ道」

「何ゆえに韓国は滅び、アヘン戦争後に大国の中国が没落したのに反し、3国の中で最も遅れていた
日本が明治維新を成し遂げ、今日のような強い国になれたのか」

>3国の中で最も遅れていた
>3国の中で最も遅れていた
>3国の中で最も遅れていた

一番遅れてたのは朝鮮だろw
1500年代後半にに加藤清正にボコられたこと忘れたのかw
401日本@名無史さん:2009/03/29(日) 23:33:41
>>400

彼らの言っている「進んでいる」ってのは、中国文化にどっぷり浸かっている事だから。
402日本@名無史さん:2009/03/30(月) 00:30:09
>日本は成功したのに中国と韓国は失敗した、という解釈は19世紀のパラダイムに過ぎない、というわけだ。

19世紀の出来事なんだから19世紀の価値観で見るのに何の問題があるというのでしょう?
後付でいやそんな事は無かったと考え方を歪めてホルホルするだけだからこういう結果になったというのに
403日本@名無史さん:2009/03/31(火) 02:08:58
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0330&f=column_0330_005.shtml
【中国のブログ】中国が韓国国旗を盗用した?とその反論

国旗の起源までねつ造してる韓国って・・・
404日本@名無史さん:2009/04/06(月) 19:46:03
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
第1回 太古 人々は海峡を越えた(仮)

韓流ブーム以後、民間交流が進んだ日本と韓国だが、いまなお歴史認識は大きな溝となっている。
その溝を埋めようと、2002年以来、日韓両政府が主体となり、歴史共同研究プロジェクトが進めら
れている。また、民間レベルでも歴史共通教材が次々と発表され、歴史を共有しようという努力が
続けられている。朝鮮半島と日本はどのような関係を築いてきたのか。最新の学術的成果をもとに、
古代から現代まで2000年の交流史を2年がかりで通覧する大型シリーズ。第1回は、その源流を
たどる。
      (中略)
時空を超え、2009年の日本。国宝・高松塚古墳壁画の修復作業が国を挙げて進められている。
7世紀に描かれたと考えられている極彩色の女性像、飛鳥美人。その絵の側にもまた、「四神」が
描かれている。描いた絵師は、朝鮮半島を経てやって来た人と見られている。その一方で、日本
列島から海を渡った人々もいた。彼らが、風俗や文化だけでなく、双方の古代国家形成にも深く
関わっていたことは、意外と知られていない。しかも、その関わり方を巡って、今様々(さまざま)な
議論が日韓双方で繰り広げられている。日本が朝鮮南部に置いたとされる“任那日本府”とは、
いったい何だったのか。仏教伝来の真相とは。「四神」の絵を道しるべに、海を越えた人々の旅路
をたどりながら、日本と朝鮮半島の交流の実相に迫る。
http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090426_3.html

プロジェクトJAPAN
放送予定の番組
4月以降10本 ETV特集「シリーズ 日本と朝鮮半島 2000年」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88JAPAN

反日 NHKを叩きまくるスレ 第4集
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1215174856/
反日 NHKを叩きまくるスレ 第5集
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1238977454/
405日本@名無史さん:2009/04/07(火) 04:00:06
チョンは植民地
406日本@名無史さん:2009/04/07(火) 18:14:48
日本→半島へ渡った人は支配者
半島→日本へ渡った人は技術者
407日本@名無史さん:2009/04/08(水) 03:14:31
●韓国人の日本劣等感

韓国は日本の八分の一の経済力しか無い(ちなみに日本はドイツとフランス二カ国分の経済力を有す)
李朝時代に宗主国清国にも搾取され続け、何千年とアジア一の最貧国であった
自称歴史ドラマ「チャングムの誓い」は歴史を知る者からすれば噴飯歴史捏造幻想物語にすぎない
更には建造物や庶民文化も皆無だった(現存の韓国文化経済は、殆どが日韓併合時代に日本より与えられたもの)


●ハングルを韓国人に教えたのは日本

ハングルが全国民に教えられるようになったのは、日本植民地になってからの
ことである。
当時の韓国人のほとんどは文盲であった
日韓併合の翌年1911年から総督府によって朝鮮教育令が施行され
初中高等1894学校でハングルを必修科目とすることが決められた。
408日本@名無史さん:2009/04/08(水) 03:16:46
★朝鮮人の劣等感・事情 『惨めな隷属国だった歴史を隠したい、忘れたい!』
▼17世紀--朝鮮
清と交戦しあっけなく敗れる。この時の清との講和条件は次のような悲惨なものだった。

  1 明国と断交して、清国に服従すること!
  2 朝鮮王子を人質として送ること!
  3 莫大な賠償金を支払うことと、毎年清に対し貢物を贈ること!
  4 朝鮮国王自らが清の使節団を土下座して迎えること!

▼しかもこの敗戦の証拠としてソウル近郊に建立された三田渡碑には、『 愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆ったが、
清国皇帝はこの大罪を許してやった。朝鮮国王は、自らの愚かさを反省し、清国皇帝の臣下になることを誓った。』 と刻まれ、
この碑は日清戦争で日本が清を破って朝鮮を解放してやるまで立てられていた。
▼この碑は日清戦争で日本が清を破って朝鮮を解放してやるまで立てられていた。

▼この碑は日清戦争で日本が清を破って朝鮮を解放してやるまで立てられていた。

▼朝鮮というのは、中国の隷属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった!
▼朝鮮国王は清の皇帝によって任命される!
▼朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない!
▼朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下!
▼朝鮮は清国に細かく定められた朝貢品を出すこと!
▼毎年、牛、馬、各地の美女(実際はエラの張ったブサイク)3000頭を朝貢!

409日本@名無史さん:2009/04/08(水) 08:03:53
>各地の美女(実際はエラの張ったブサイク)3000頭を朝貢!

これが「女子挺身隊」の起源である。
410日本@名無史さん:2009/04/08(水) 20:36:50
台湾:アンケートの結果、台湾人の73%が韓国人が一番嫌いな民族と答える
http://tw.quiz.polls.yahoo.com/quiz/quizresults.php?poll_id=7165&wv=1

http://www.youtube.com/watch?v=LtdMVqBjQ-k
「韓国人?」って聞かれて全力否定する台湾人w
411日本@名無史さん:2009/04/11(土) 01:39:28
【歴史】韓国が日本に抗議!!自由社版「歪曲教科書」、日本政府の検定で合格

今回の自由社版の教科書は、4世紀後半に日本のヤマト王権が韓半島(朝鮮半島)南部を支配し、伽耶(かや)
地方に「任那(みまな)日本府」を設置したという説をそのまま認めるなど、古代史分野の歪曲した内容を
そのまま掲載した。

「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。また、この教科書は日本の韓国併合は
「日本の安全と満州の権益を守るためだった」と記述しており、植民地政策の焦点も「近代化」にあった、と記述している。

さらに旧日本軍の従軍慰安婦についての内容はまったくなかった。
韓国政府はこの日、外交通商部の文太暎(ムン・テヨン)報道官による声明を通じ、
「過去の過ちを正当化・美化する誤った歴史認識に基づく歴史教科書が、日本政府の検定で合格したことに対し
強く抗議し、根本的な是正を求める」と発表した。

http://www.chosunonline.com/news/20090410000014



>「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。
>「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。
>「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。
>「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。

否定されてるそうだよw
412ビリー・ザ・マッド:2009/04/11(土) 02:53:15
ここも荒れてるなあ。
過去にこだわりすぎだよ。

ID表示制にしたほうがよくね?
413日本@名無史さん:2009/04/11(土) 04:39:43
チョンの沸くスレは必ずこうなる
414日本@名無史さん:2009/04/11(土) 10:21:42
チョンが沸くとウヨもつられてやってくるしな
逆にウヨが沸くとチョンがつられてやってくるし
ウヨとチョンで戦って相打ちになって両方滅びればいいのに
415日本@名無史さん:2009/04/12(日) 04:25:40
そもそも「ウヨ」なる存在もチョンの電波を浴びたことで生まれたもんだよな
416日本@名無史さん:2009/04/12(日) 04:26:32
だから根源はチョンの電波だと思う
417日本@名無史さん:2009/04/12(日) 16:54:03
チョンと言う木から伸びた枝がウヨか。納得。
418日本@名無史さん:2009/04/13(月) 01:02:02
【韓国・朝鮮】北朝鮮ミサイル反対を演説する日本人を韓国人青年が襲う「動画に収められた一部始終」

北朝鮮のミサイル発射に対して名古屋の街頭で抗議をする人物に対して、関西弁の韓国人と
思われる青年が激怒。ついには暴力ざたになり、警察に連行されるという騒動が発生した。
青年は熱心に発言を聞いていたものの、途中で我慢できなくなり発言者に詰め寄り、ついに
は取っ組み合いとなった。

青年は発言者の「大っ嫌いなんだよ。日本から締め出してやる朝鮮人」という発言を面と向
かって言われてブチギレしたようで、「おのれ! 韓国人をなめとったら殺すぞ!」などの
発言とともに発言者を地面に倒しつつ、怒号していた。そのようすは動画で撮影されてお
り、『ニコニコ動画』や『YouTube』に掲載されている。

当編集部の考えとしては、何事も物事は伝えようであり、自分の意思をどのように伝える
かが重要であると考える。韓国がどんなことをしようが、北朝鮮がどんなことをしようが、
一個人としての国民には何の罪もない。この青年に対して「大っ嫌いなんだよ。日本から
締め出してやる朝鮮人」と発言するのはいかがなものか。たとえ祖国が周囲の国々からど
んなことを言われようと、祖国を愛する気持ちは世界共通なのだから。

ソースと動画
http://getnews.jp/archives/8849
http://news.livedoor.com/article/detail/4099643/




419日本@名無史さん:2009/04/13(月) 04:30:20
>>417
街宣右翼なんかはそうだな。あれは中の人が三国人だから
ネットウヨはアンチチョンだから根からして違う
420日本@名無史さん:2009/04/13(月) 08:41:07
ニートにチョンと言う肥料を撒くとネウヨと言う花が咲くんだよ
421日本@名無史さん:2009/04/14(火) 04:28:58
つまりチョンが諸悪の根源なんだ
422日本@名無史さん:2009/04/14(火) 14:05:16
好太王碑にも任那って出てきますよね。
倭が撤退した地として。
423日本@名無史さん:2009/04/17(金) 05:58:14
>>376
相変わらずのバカだなチョンは
424日本@名無史さん:2009/04/17(金) 23:13:12
日本府なんてねーよハゲ
425日本@名無史さん:2009/04/17(金) 23:55:19
「任那日本府という歴史用語で議論が起こる感覚で」日本が半島南部を属国としていたかどうかはともかく、
広開土王碑の文面や、
倭王が「渡りて海北を平ぐること九十五国……」と申し上げれば中華皇帝が(新羅や百済の独立を否定することになるのに)六国(七国)の安東大将軍に任命していることから考えれば、
「当時の日本が半島南部に一定の優勢な影響を及ぼしていたこと」は疑う余地のない事実ですよね?

ここからが質問です。
果たして、なぜ当時の日本はそれほどまでに優位性を確保できたのでしょうか。
当時の日本はまだ豪族の寄せ集め政権で、のちのどの時代よりも国力が低かったと思うのですが、そんな海を渡っているような余裕(そして地政学的感覚!)があったのでしょうか……。
(逆に「任那が日本の故地だった」のなら問題は解決ですが)
426日本@名無史さん:2009/04/18(土) 05:06:21
>>424
チョン乙

>>425
>のちのどの時代よりも国力が低かったと思うのですが

そりゃ当時の日本との地の日本を比べりゃ当然そうなるが、
当時の日本でさえ半島よかずっと優越してただけのこと
427日本@名無史さん:2009/04/18(土) 11:05:25
>>425
同じ豪族連合体である、戦国時代の秀吉の例を見ると
強力なリーダー(大和)さえいれば中央集権化していなくても遠征は可能なんじゃないかな。
428日本@名無史さん:2009/04/18(土) 16:26:22
支配ではなく、従属的ないし対等な同盟勢力であった可能性はあるんじゃないかね。
継続的支配は、海が隔たりになって難しいが。
ある程度自律した相手を援助するぐらいなら昔でもできただろう。
結局喪失しているが。
429日本@名無史さん:2009/04/18(土) 16:30:34
>>425
倭国が豪族の寄り合い所帯であるのはそのとおりだけど、
それは他国についても少なからず言えること。
百済、高句麗の五部然り、新羅の六部もまた然り。

とはいえ、他国に比べて豪族らに対する倭王の統制は緩く、
権力の集中の度合いも全くもって低かったから、
各地の豪族(倭王も含む)は列島内だけでなく、伽耶諸国あたりまで
好き勝手にに出かけて、北欧のヴァイキングの如く、
交易やら交流(略奪や押し買い、貢租収奪に近いこともあったかも)
を行っていたらしい。

伽耶地域は可耕地が極めて少なかったそうだから、
倭国からコメを持っていけば良い取引になったんじゃなかろうか。
ともあれ、豪族らは威信財や武具を手に入れ、職工集団を囲い、
各々勝手に「文明化」してた。

ところが、4世紀以降、高句麗が本格的に南侵を開始したのを契機に、
それを脅威とした百済と倭国の利害が一致し、同盟に至った。
倭国は百済から組織的かつ恒常的な軍事力の提供を求められ、
いきおい倭王を中核とした軍事体制を作らざるを得なくなった。
一方、倭王の側にも豪族らをどうにか統御したいという意思があったから、
これに積極的に応え、百済をとおして南朝の府官制や統治にかかわる
知識(人)を取り入れ、急速に「文明化」していったというところだろう。
430日本@名無史さん:2009/04/18(土) 16:40:03
>>当時の日本はまだ豪族の寄せ集め政権で、のちのどの時代よりも国力が低かったと思うのですが、

これに関しては日本だけではなく、
朝鮮半島も百済・新羅・加羅諸国があり日本と同じように後の時代よりも国力が低い。
百済も5世紀末に高句麗に一旦滅ぼされ南下してくるまで
前方後円墳が見つかる南部の勢力などは百済に対し政治的な自立性を保っていたそうです。
431日本@名無史さん:2009/04/18(土) 20:43:32
倭は邪馬台国の頃から地方に総督を派遣してるぞ。
ただの豪族の連合体ではない。
432日本@名無史さん:2009/04/18(土) 22:13:21
日本では3世紀ごろには畿内を中心とした関東〜九州までの連合体が出来てるようなので、
かなり大きな力があったろう。
433日本@名無史さん:2009/04/18(土) 22:48:54
朝鮮半島は日本に比べて寒冷なためか
近代になるまで生産力が相当低かったからね
434日本@名無史さん:2009/04/19(日) 08:07:24
>>429
ほぼ納得できるが、欽明紀がほとんど任那政策からなるほどの、任那への
執着と、7世紀に国を傾けてまで百済に肩入れした、百済への執着を
どう説明する?
435日本@名無史さん:2009/04/19(日) 11:51:35
でも国を挙げての戦争ってほとんどハクソンコウくらいだし、
騒いでる割には実施した実力行使がいい加減なんだよね。
あんなんじゃあ任那の諸国はついてこないよ。
っていうか実際ついてこなかったし。
436日本@名無史さん:2009/04/19(日) 16:22:46
政治のグダグダっぷりは昔からか。
437日本@名無史さん:2009/04/19(日) 16:38:13
うむ。任那復興会議とかやってても、「じゃあ倭はどう貢献してくれるんだ?」って感じだもんな。
438日本@名無史さん:2009/04/19(日) 20:29:50
>>434
6世紀当時における、倭国の主たる関心は任那の産物が安定的に
供給されることだったろうから、新羅によって、主要輸出港であった
南加羅(金官国)や卓淳などが占領されている状況は、倭国にとって
当然歓迎すべきことじゃない。
したがって、百済の聖明王が新羅に滅ぼされた国々を復興しようぜ、
新羅に騙されるなよと呼びかけたら、百済の意図が奈辺にあろうと
倭国としてはそれを支持するほかなかったはず。

この過程で登場するいわゆる任那日本府は、倭から派遣された使臣
と倭系安羅人のスタッフで構成されたようだが、親新羅のスタッフ
に主導権を握られ、新羅に通い、新羅の服を着る始末。
日本府は言を左右し、日本府の連中さえいなければ任那は復興
するのに、とまで言われるが、欽明はこの状況に何一つ有効な手を
打てず、やがて百済と新羅は衝突し、安羅も大加耶も新羅に
併呑されてしまう。
とはいえ、欽明にしてみたら、半島への重要な回路が磐井との戦争
で寸断攪乱されてしまい、事態を収拾し国内の専権を確立するのに
手一杯だったせいで、半島の情勢が十分につかめず、直接指揮も
執れず、ということだったのかもしれない。

『欽明紀』がほとんど任那関係記事で埋め尽くされているのは、
新羅に対する任那の調の要求の前提になるものだからだろう。
439日本@名無史さん:2009/04/19(日) 20:37:37
>>434
倭国の百済への執着ないし傾倒ぶりは、まず、百済からの
五経博士上番や仏法公伝に代表される、高度な知識技術体系の
導入を重視したことが挙げられると思う。
五経博士は王の諮問にあづかり、政治思想の教化にあたる立場
であり、彼らの説く君臣の倫理や礼制は国家形成に不可欠のもの
であったはず。

また、仏法公伝は原子力技術の供与にも喩えられる(そういう
論文をみたことがある)きわめて政治的な事件であり、単なる
文化的ないちエピソードではない。当時の仏法は護国宗教の
範疇に収まらず、書記術、呪術、軍学、医学、建築、絵画等々
を含んだ総合的な学術体系であり、後に飛鳥寺が学問知識の
殿堂となったことはいまさら詳しく述べるまでもない。
加えて、蕭梁から百済への公伝と百済から倭への公伝との間が
それほど空いていないことから、倭国へは南朝における最新の仏法
が招来されたことが窺える。
440日本@名無史さん:2009/04/19(日) 20:42:25
>>434
より外交的な観点でいえば、上述のような任那をめぐる経緯、
さらには雄略朝に遡るイザコザもあり、倭王としてはとても
新羅と通好する気にはなれなかったと思う。
新羅は6世紀半ば南北両朝と通じ、領土を急激に拡張し、
支配地に軍団を置くなど、とくに軍事面において飛躍的な成長
がみられるが、とうてい倭王の求めるような知識体系の蓄積
は期待できず、この面では百済に依存するほかすべはなかった。

やがて隋による統一、つづいて唐が成立して、唐─新羅に対する
高句麗─百済のラインができあがると、倭国は後者につくが、
相当逡巡したであろうことは、唐との国交も完全に断っていない
ことからも想像できる。ただし、王子と唐使が礼を争ったことや
後の百済王に対する冊封などからすると、「諸蕃を従える帝国」
スタイルへの志向が倭国をしてそういう方向へ舵を切らせた
のではないかと思う。

自分で書いておきながらだけど、あまり面白いこと言えてないな。
あと連投すまんね。
441日本@名無史さん:2009/04/20(月) 07:32:35
大中華と小中華の衝突という見方だな。
しかし、百済はいいとして、高句麗もまた小中華だった。
その意味では、漢族対扶余連合の衝突とも見られる。
日本も扶余か、ということになるが、少なくとも百済に対する
親類意識はあっただろう。
442日本@名無史さん:2009/04/20(月) 08:28:36
百済の官人に倭人が混ざっている。
もともと倭人は百済の臣民だったようだ。
443日本@名無史さん:2009/04/20(月) 15:11:58
そもそも当時、自分達は国家であるという概念があったかどうかも怪しいからな。
普通に流動的だったのかも。
444日本@名無史さん:2009/04/20(月) 15:17:55
>>442
アホか氏ね。
445日本@名無史さん:2009/04/20(月) 16:50:46
>>442
残念な事ですが石碑や史書では逆なんです。
半島の学者さん何とか否定しようと躍起になっておられますが。
446日本@名無史さん:2009/04/20(月) 17:18:13
>>443
その通りだと思う。古代の国家と言うのは支配者の「家」だ。
だから百済との関係も案外、「親戚の家だから仕方ない」と言うことかも
知れないのだ。
447日本@名無史さん:2009/04/20(月) 17:24:27
その説をいってるのは別に半島の学者さんたちじゃなくて、日本の学者もだけどね。
ぶっちゃけ、力関係の変動が頻繁にあって、どっちも一面正しいというオチだろうけども。
448日本@名無史さん:2009/04/20(月) 19:07:53
>>441
メインストリームは隋(唐)対高句麗だよね。
百済の場合、両方にいい顔してたそうで、反覆定まらぬ国といわれてた。
ただ、「扶余連合」はどうなんだろ。そういう民族的紐帯の意識が
どこまで実際の外交政治に反映されたか。国家というか王権の構成員も
春秋戦国時代なみに流動的だったしね。
王同士が殺し合う死闘を演じてた百済と高句麗が手を結んだのは、
統一国家隋の出現と新羅の予想外の勢力伸張に脅威を覚えたから
じゃないのかな。
449日本@名無史さん:2009/04/20(月) 22:46:15
民族意識はどうかわからないが、支配者同士で言葉が通じるという親近感が、
対唐同盟に無関係だったとは思えない。結果的に「扶余連合」になったと
いうことだと思う。
これは、年中戦争していたアテネとスパルタがペルシャの脅威の前に手を
結んだのに非常に似ていて面白い。この場合もギリシャ語が大きな役割を
果たしただろう。
450日本@名無史さん:2009/04/21(火) 06:15:10
さらに言えば、このとき高句麗は日本にも対唐同盟を打診しているが、その
高句麗が滅びたあとの後継国家である渤海が日本と修好したときの国書が
有名だ。
「本枝百世」は単なる吉祥句だと思うが、じぶんのことを「扶余の俗を有す」
と言っているのが面白い。これは日本もまた扶余とみなして、「同じ扶余
同士ではありませんか」と呼び掛けていると思われる。
たとえその実態はなくても、渤海側にそのような伝説があったのではないか。
つまり「百済と親しかった日本も扶余だ」という伝説が。
そうだとすればこれもまた「結果的な扶余連合」だ。
451日本@名無史さん:2009/04/21(火) 08:12:35
1〜4代目の王に仕えた瓢公、4代目の脱解王が倭人な新羅のほうが関わりが深そうなのに不思議だよな
452日本@名無史さん:2009/04/21(火) 08:46:34
脱解王が倭人だという根拠は、王が卵として「倭国東北一千里」のタバナ国から
流れ着いたという伝説だと思うが、上記のように東北一千里であって倭国そのもの
ではない。
新羅に流れ着く途中で思わせぶりに「金官国」に寄っているのもあやしい。
むしろ金官から来たと見ることもできる。
また「倭国東北一千里」は後世の加筆だという説もある(ウィキ)。

同類の伝説は斉州島にもあって、こちらは三つの卵がナントカ国から流れ着く
が、この伝説が三国史記に入れられた時にナントカ国が「倭国」に改められた
ことがわかっている。
脱解王伝説の「倭国」もこのようにして入ったかもしれない。
453日本@名無史さん:2009/04/21(火) 09:18:59
>>452
>後世の加筆だという説もある

なんで後世に加筆されたのだろうね?
理由が分からない。
454日本@名無史さん:2009/04/21(火) 09:24:57
>>449
>>450

何が「扶余連合」なんだよバカw
扶余なんて日本と関係ないので以後発言を慎むように。
455日本@名無史さん:2009/04/21(火) 10:08:18
>>452
脱解王はアイヌか
456日本@名無史さん:2009/04/21(火) 11:43:15
タバナは丹波という説があるな
ナとは平地だか整地、国という意味で、すなわちタバ国となる。
457日本@名無史さん:2009/04/21(火) 12:26:55
倭国東北一千里って短里?
458日本@名無史さん:2009/04/21(火) 12:55:48
短里なら77km、長里なら440kmくらい
てかそもそもこの場合の倭国はどこになるのよ
459日本@名無史さん:2009/04/21(火) 13:01:48
脱解王=ヘブル
イスラエル人

朝鮮=鮮=羊
遊牧民族

言語の違い
日本語=アラム語+シューメール語

現代朝鮮人=穢人=カナンパリサイ人
460日本@名無史さん:2009/04/21(火) 13:03:37
倭人=委=ユダヤ人
461日本@名無史さん:2009/04/21(火) 13:19:45
>>453
最初は、しょせん神話だから「どこでもない国」つまり「シャングリラ」
だった。後世、それにいくらかでも具体性を与えようとしたのではないか。
その具体的な国も、どこでもよいのだが、三国史記が書かれた時代において、
すでに日本が「あこがれの国」だった。(ちょうど今日、韓国人が本心では
日本にあこがれているように)
それで日本を持ってきた。

新羅と斉州島の「日本伝説」の正体はこんなところだろう。
462日本@名無史さん:2009/04/21(火) 13:52:54
さすがにそれは日本を美化しすぎだろ
憧れの国っつーなら中国の方だろうし
463日本@名無史さん:2009/04/21(火) 16:10:56
あこがれ、が実体の日本を対象にしたものではなく。
「蓬莱島」のように宗教的な背景もつ幻想を重ねたのなら可能性はありそうだがな。
464日本@名無史さん:2009/04/21(火) 16:17:21
騎馬民族征服説ってやつだね。
日本人の感情にそぐわない話だけども。
日本書紀にある国譲りは、土着の日本人が外来の勢力に支配権を奪われたことの神話化だ、とかいわれるけど。
どーも抽象的なんだよな。
465日本@名無史さん:2009/04/21(火) 16:22:08
第三者の中国の史書には新羅や百済は倭を大国とし仰ぎ敬っているとある
466日本@名無史さん:2009/04/21(火) 16:58:12
後漢書倭伝だと倭には百歳を超えたものが沢山いる、とか好き勝手書いてるからな。仙境幻想とごっちゃにしてね?
467日本@名無史さん:2009/04/21(火) 17:43:03
ご寛恕等遺伝だと奴国が倭の南端と言うことになってるな。
すなわち倭とは半島南部から福岡以北な訳だ。
半島に住んでいた倭人(=韓国人の一派)が
次第に倭列島に勢力を広げていったと言うことがよく分かる。
468日本@名無史さん:2009/04/21(火) 18:06:09

  『韓』
「中国の地方名、地名、人名、王朝名、の一つ」

であるから、韓国人という独自の民族が古代から居たわけが無い。
倭を「ヤマト」という固有の発音で呼ぶのは古代からの日本人だが
韓を固有の発音で呼ぶことは朝鮮人も無い。

韓国人などという中国人の一部ではない人間が居たとすると
倭をヤマトと呼ぶ日本人のように
韓を朝鮮人固有の発音で呼ぶ「民族名」がなければおかしい。

韓国人が前方後円墳を破壊したのは事実であるし
東アジアの古墳時代以後に半島に入った民族が韓国人なのだと思われる。
以前から居たのなら、とにかく固有の発音の民族名が必要。
無いのだから、韓国人は中国人である。
倭人ではない。
469日本@名無史さん:2009/04/21(火) 18:48:22
>>461
>三国史記が書かれた時代において、
>すでに日本が「あこがれの国」だった。

すでに朝鮮は小中華だったと思うが。
そういう彼らが新羅4代目の王が倭人と書かなければいけないなんて大変な屈辱だったと思うが?
470日本@名無史さん:2009/04/21(火) 19:35:55
「脱解本多婆那國所生也、其國在倭國東北一千里」なんだから
多婆那國は倭国とは別の国(空想上?)ってことでしょ。
471日本@名無史さん:2009/04/21(火) 19:37:28
好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致 読売新聞2006-04-14
「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」
--------------------------------------------------------------------------------
古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され
、倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が入手した拓本と一致することが、
中国社会科学院の徐建新教授(日本古代史)の研究で分かった。
これによって、1970年代以降論争が続いてきた、
旧陸軍が碑文の内容を書き換えたとする「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった。
好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。
東アジア各国に散在する約50種の拓本を実際に確認する作業を続けていた徐教授は一昨年、
それまで最古とされていた酒匂の拓本より古い1881年作成の拓本を、北京のオークションで発見。
酒匂拓本とともにパソコンに取り込んで比較したところ、意図的な書き換えの痕跡はないことが判明した。
その成果は今年、『好太王碑拓本の研究』(東京堂出版)として発表された。補足:
好太王碑 
広開土王碑ともいう。現在の中国東北部から朝鮮半島北部を統治した高句麗(紀元前後〜668年)
の好太王を顕彰するため、没後2年の414年、吉林省集安市に建立された。高さ6.2bで東アジア
最大の墓碑。
王の戦績など約1800字が刻まれている。1880年に中国(清)の役人が発見した。近くにある古墳群
とともに世界遺産に登録されている。
ソース:読売新聞2006/04/14 朝刊19面
472日本@名無史さん:2009/04/21(火) 19:52:19
政治的意図で誇張したってことは?
「百済とかがあこがれるほどの国も、我が(南朝の)宋に朝貢して属国の礼を取ったぜ」
とか
「百済とかを支配するほど暴れた倭を、我が王が撃破したぜ」
とかの偉大さを誇示するために。
どうもつじつまが合わんし。
473日本@名無史さん:2009/04/21(火) 19:56:54
普通に考えて高天原は高句麗だろ。

天孫降臨は、高句麗あたりから征服者がパーッとやってきてパーッと征服した事実の神話化だな。
474日本@名無史さん:2009/04/21(火) 19:57:01
>>468
>  『韓』
>「中国の地方名、地名、人名、王朝名、の一つ」

その「韓」は中国の戦国時代の一国のことじゃないのか?
山東半島から河南省あたりを領域としたという。

一方で、同じ字で半島南部の地域を指す。
字が同じだからと言って、半島南部の住民が中国人とは言えない。
475日本@名無史さん:2009/04/21(火) 20:50:44
>>474
読みが現地固有の発音に、何かしらの漢字を当てはめたのなら
中国人ではない。
しかし、現地の発音が無く、そのまま漢字だけが使われている場合は
中国人の入植者が先祖と言うことになる。

韓国人は固有の民族名が無い。
高句麗、百済は「フヨ」族を自称していた。
自分たち自身の民族名があったわけだ。
韓国人は韓民族を名乗る。発音もハン。これは中国人の漢民族の発音ハンと同じだ。

日本の場合、倭、日本、大和どう書こうと、民族の発音としては「ヤマト」と読む。
漢字は重要ではない。
民族の名があるかどうか、だ。
日本には固有の神も数え切れないほど名がある。

韓国人は無い。
これは、もともと固まった民族が無く、中国人の支配者の下で民族になったからであろう。
476日本@名無史さん:2009/04/21(火) 22:02:50
>>470
国って概念の問題だな。
江戸時代には沢山の「国々」があったしね。
人種的には倭人という事だな。
477日本@名無史さん:2009/04/21(火) 22:31:07
>>475
古代に朝鮮南部を「韓」と名付けたのは帯方郡などの中国人が属国管理上
やったことであって、辰韓、馬韓、弁韓などそれぞれの地域に住んでいた
原住民の意向とは関係ない。それぞれの原住民は中国人のつけた名称とは
関係なくじぶんたちの自称を持っていただろう。

それは例えば加羅諸国の漢字表記(漢字を音であてはめた)の国名に現れて
いるが、ほんとうのところ彼らがどのように民族名を自称したかは、「わからない」
のだ。「わからない」からと言って「ない」とは断定できない。

それと上記の「韓」と現在の韓民族、韓国などの「韓」をごっちゃにしては
いけない。現在の「韓」は古代の「韓」とは無関係に、中国化した朝鮮人
自身がじぶんで選んだ漢字だ。そしてその表すところの民族は、何度となく
繰り返された混血や文化受容を経て、はるか後世になって形成されたものだ。
古代の韓地域の住民とはつながってはいても、民族的には全く異なる。

ついでに言っておけば、韓と漢とは同じ音だが声調が違う。漢は4声、
韓は2声だ。
478日本@名無史さん:2009/04/21(火) 22:55:16
そもそも民族の自称なんてのもなあ…

ヤマトにしたって、奈良県の一地域名だったものが
王権の伸張とともに拡大して、倭という他称とイコールに
なったということ。
九州人は半島人からヤマトの人って呼ばれたかもしれないけど、
それはもともと自称ではない。
479サガミハラハラ:2009/04/21(火) 23:44:20
ヤマトは初めは福岡市の山門の地名が、神武が奈良に移住した結果、彼の故郷であるヤマトをもって
新天地をよんだのです。その後は上記のごとくです。
480日本@名無史さん:2009/04/22(水) 00:11:05
山門の「と」と大和の「と」は音が違うという説はどうなったんだろう?
481日本@名無史さん:2009/04/22(水) 00:22:20
まあそうなんだ。
韓にこだわり、蘇我韓子が居たから蘇我氏は韓国人であるとか
自分は言いたい放題言っておいて
お前は韓だから中国の一部じゃないのか?というと
中国の韓と半島の韓は違うなどと言う。
2ちゃんの議論でも昔からだ。

しかし、やはり韓が中国読み以外の発音の名称が無いのなら
その大元の初期は中国人の植民地が始まりであるとするのが普通だろう。
482日本@名無史さん:2009/04/22(水) 04:18:24
当時に植民地なんて概念、あったのか?
学問板ならとりあえず蔑視感情とか捨てておけよ。
483日本@名無史さん:2009/04/22(水) 05:47:29
DNA見ても
漢民族と韓民族はそっくりだしね
多少韓民族のほうが混血してる度合いが大きいけど
ほとんど同じ種族

日本民族は漢民族と韓民族にはほとんど見られない
D系統のミトコンドリアのパーセンテージが4割もある
明らかに漢民族や韓民族とは違う種族
484日本@名無史さん:2009/04/22(水) 06:44:33
D系統のミトコンドリアのパーセンテージが4割もあるのは
他にはご存知のようにチベット族
言語(文法等)を見てもチベットと日本とは同系統の種族

厳密に言うとHaplogroup M7(D2系統)は日本にしかないが
これが縄文人のDNAと言える
『DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?』
崎谷満(2008)によれば、
1万数千年前に、大陸からD2系統が入ってきた。これが縄文人。
D2は日本だけで見られる系統であり、アイヌ88%、沖縄県56%、本州42〜56%で、
朝鮮半島では0%。近縁のD1,D3がチベットで見られる。
D系統は華北で東西に分かれ、東がD2、西がD1,D3になったと考えられる。

485サガミハラハラ:2009/04/22(水) 09:38:02
>>480勿論、時代を経るうちにどちらかが変化したのですよ。
486日本@名無史さん:2009/04/22(水) 12:08:14
韓って中華の韓かもしれんが
加羅のカラが韓の語源なのかもしれん。
では加羅はなんなのか。

漢は、劉邦が中原統一の時の集団名。
倭は、神武天皇のヤマトの名。
では、韓は誰が中心なのか。
檀クンとか言うやつか。
487日本@名無史さん:2009/04/22(水) 16:49:58
日本の倭、という字だって、発音が似ている中国の語を当てはめたものだろ。
そんな深い意味はないだろう。>韓
488日本@名無史さん:2009/04/22(水) 21:57:55
■新羅王家・『朴氏』は存在しなかった。
                                         
 高麗時代に編纂された朝鮮の歴史書・『三国史記=新羅本紀』の中に、新羅を建国した王家として
『朴氏』という王家が登場する。だが、『朴氏』などという王家は存在しないのである。
 この『朴氏』という王家は、『三国史記』の編纂者・金富軾(きん・ふしょく)が、
任那日本府に伝わる古文書を読んで、その記録の内容を誤解して創作した王家なのだ。
 おそらく金富軾は、任那日本府の『シラキ史』の記録に出てくるシラキ王の称号・『日子』(ボコ)を、
王族の「氏」であると誤解し、 ボコに『朴』の字を当てたのであろう。
 古代日本の皇族男子の名前の頭には、『日子』(ボコ)が付くことが多い。
『日子』はアマテラス大神の子孫である皇族男子を 意味する称号である。
(例:日子ホノニニギ、日子ホホデミ、日子イマス王など)  しかし、
朝鮮人(ワイ族)である金富軾が、そのような事実を知るわけがないので、彼は『日子』を氏だと勘違いしたのだ。

489日本@名無史さん:2009/04/22(水) 22:00:04
第四代以降の王家だとされている『昔氏』(セキ氏)というのも、金富軾が誤解に基づいて創作した王家である。 これは
金富軾が、カラ半島東南部に位置した旧シラキの別名・『南加羅』(ありし日のカラ)の号を誤解した結果、創作された氏であろう。
『南加羅』の日本式の読み方である『ありし日のカラ』の「ありし日」とは、昔という意味なのである。
 おそらく、高麗に残っていた任那日本府の歴史文書には、『南加羅』(ありし日のカラ)のことを『昔加羅』、
もしくは『昔新羅』と表記していたのだろう。
 それを読んだ金富軾は、『昔加羅』を「昔氏の加羅という意味なのだろう。昔氏という王家が存在したのだろう」と、
誤解したのである。
 『南加羅』『昔加羅』というのは、古代カラ半島東南部にあった頃の『シラキ』(知ら城)であり、『三国史記』が「昔氏」と
呼んでいる『シラキ王』は、ヤマト朝廷が『シラキ日本府』へ派遣した長官(ミコト持ち)であろう。だからこそ
、『三国史記=新羅本紀』は、 「昔氏は倭から来た」と記しているのである。

 そして、『昔氏』の後を継ぐ王家として登場する『金氏』だけが、実在した『新羅王家』であり、
『金氏』はケリン族(鶏林)の王家 なのである。つまり、新羅(ケリン)を建国したのは『金氏』であって 、
『朴氏』や『昔氏』などという王家は、新羅には存在しなかった。『三国史記』において、
『朴氏』、『昔氏』という名で呼ばれている王は、実は新羅以前に存在した『志羅紀』(シラキ)を統治していた
倭人王、つまり、日本皇族のことなのだ。
490日本@名無史さん:2009/04/22(水) 22:21:58
南加羅を「ありひしの加羅」というのは「あるしたり、おこしたり」(上多利、
下多利)の「あるし」と関係ありそうだな。
まあ「ありし日」は語呂合わせだろうが。
491日本@名無史さん:2009/04/23(木) 02:37:08
語呂合わせ、というかただの言葉遊びだな。
492日本@名無史さん:2009/04/23(木) 06:03:22
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=114415&servcode=A00§code=A10
「ありがとう、韓流」 自信を抱いた在日同胞たち(1)

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=114416&servcode=A00§code=A10
「ありがとう、韓流」 自信を抱いた在日同胞たち(2)
493日本@名無史さん:2009/04/24(金) 01:20:54
百済神社とかもそうだが、半島の古代に存在した国家を祭ってるのは
日本しか無いんだよな。
ということは、百済などの国のために戦い、裏切りも無かった男の子孫は
日本にしか居ないということになる。

ということは任那などもそうだろう。
謝罪すべきは半島の人間ではないか。
494日本@名無史さん:2009/04/24(金) 03:15:24
>>493
まて。別にあれは国家を祀っているわけではw
495日本@名無史さん:2009/04/24(金) 07:57:34
そもそも王家ないし国家の社稷を絶やさぬために建てたものだろう。

謝罪とかは意味不明だが。
496日本@名無史さん:2009/04/24(金) 15:44:03
マジかよ
みんな知らせなきゃ
497日本@名無史さん:2009/04/25(土) 04:16:37
日本府があるないというより、獲加多支鹵大王は安東太将軍倭王であった事実。
498國學院大學卒:2009/04/26(日) 22:33:02
テソンドン古墳

大阪津同上遺跡などと同じ巴型銅器が発見。
また他に鉄製品が多数。
499日本@名無史さん:2009/04/26(日) 22:37:39
大阪平野から鉄製品多数。
大和政権がカヤから
鉄製品を得ていた可能性は高い。
500日本@名無史さん:2009/04/26(日) 22:43:19
「任那(みまな)」は朝鮮語
ぽいと思ってましたが、
日本語だったんですね。
501日本@名無史さん:2009/04/26(日) 22:47:13
NHKでものすごい電波番組やってんなあ
502日本@名無史さん:2009/04/26(日) 22:52:51
飛鳥寺は高句麗洋式でなく
百済王興寺洋式という新発見。
503日本@名無史さん:2009/04/26(日) 22:57:32
百済王興寺、勾玉も出土か。

しゃり器より、
西暦577年創建。
504日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:05:30
>>501
見たけどどこが電波なの大阪大学教授?
もう一人の韓国人?

韓国人は「今までカヤは日本支配だと思ったので
韓国では研究がなされ人なかった」とか言ってた
505日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:08:32
506日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:37:50
>>504
日本書紀もまともに読んだこと無いくせにネットで仕入れたデマを本気で信じている馬鹿が
電波電波と騒いでいるだけだから相手にするな。
507日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:46:23
いやあの番組は電波だろう
願望史観だからな
508日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:51:58
デムパ満載だったなあ。結局今の日本は韓国人が作ったのかw
509日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:53:01
>>507
具体的にどこが?
510日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:53:10
NHKの番組は極悪電波番組です。日本人は朝鮮半島の派遣社員と言ってた。
511日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:54:04
三韓征伐とか完全無視でワロタw
512日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:56:29
第二回 5月21日放送

「任那日本府は本当にあったのか」

もまいら録画汁。
513日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:59:23
三韓征伐なんてもはや誰も支持してない全否定された話を盛り込んだら、それこそ電波だろうに。
514日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:59:59
>>509
日本人は伽耶の傭兵、あるいは奴隷として使われた
政治的軍事的影響力は全くなかったんだそうな
しかし朝鮮南部には日本より後世に前方後円墳が出土しているし
朝鮮や中国、日本の史料からして軍事的影響力が
朝鮮南部になかったと考えるのは常識的に考えて不可能
その他仏教、文字、文化的なものは
中国でなく全て朝鮮起源なんだそうだ
515日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:03:04
高麗棒子にとって楽浪郡の存在は不都合な真実らしい。
NHKの番組では完全に抹殺されていた。
516日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:04:00
笛木嬢の可愛さでつい見てしまった。維新の国家神道思観では〜出雲王朝認めない戦前からの後遺症というか、紀元前に今の大陸奥地からの朝鮮属と別の渡来オロチ部族の鉄文化王朝が今だに語れない〜
517日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:05:12
>>514
それ、日本側の学説と朝鮮側の学説の両論を出して「食い違ってますね」って解説してたシーンの
朝鮮側の発言だろ。
そこだけ切り取って、さもその説を史実として番組を構成してたみたいな言い方するなよ。


それと仏教も律令制度も百済ローカライズされた亜流が始めに導入されたのは事実。
直接中国と交流するようになって、百済流がローカライズされたものであることに気づいて
奈良後期から平安にかけてそれらは排除されている。
518日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:07:11
今回の放送では、朝鮮の人々は高い技術や文化をもった文化人で
日本人は愚かで野蛮な土人であり、古来から奴隷として扱われていた。
また、未開の土人である日本人は、朝鮮半島の文化をパクリまくって
国を作り上げたという事実が明らかになったというところで終了したわけだ。
 
今後の放映で、調子コイた野蛮人が、悪行三昧暴れまくった事実が
どんどん明らかになって行くだろう。
次回放送が楽しみだ。
519日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:09:38
朝鮮人は三国志史記読めよ
>>腆支太子は倭国において訃報を聞き、哭泣しながら帰国する事を請うた。倭王は、兵士百名を伴わせて、護送した
哭泣しながら哭泣しながら哭泣しながら哭泣しながらw
520日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:10:26
>>518
政治的な制度設計とか軍隊運用とか、そういうのも「高い先進技術」な訳で、だからこそ加羅はヤマト王権の
連邦体制に入ったのだけど、そういうものは無視して、鉄の生産や仏教知識だけをさも技術であるという
理解で読み取ってそういう評価を下しているお前が馬鹿なだけなんじゃねーの?
521日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:14:53
朝鮮南部は独立した文明圏とかいってたな
確かにそこ以外前方後円墳なんて出てこないしな
522日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:16:02
今回の放送は本当に酷かった。

日本書紀と広開土王碑は証拠を示さずに、全部誇張・捏造と断定。三国史記や隋書、宋書にも全く触れず。

広開土王碑の「倭人」の記述では、「伽耶が一方的に主導権を握って先進文明を求めに来た倭人を傭兵として使用していた。」と断定し、
日本の主導的な影響力を何の根拠もなしに完全排除。

中国の資料や中国の実態や半島南部の古墳や勾玉には一切触れず、日本側が受けた文化的影響全てが韓国からやってきたと扇動するナレーション。
523日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:19:33
嫌韓厨は感情で歴史を
語るんじゃねえよ。
冷静で公正な歴史評価できないやつこそ
日本人の恥だ。

朝鮮から文明が伝わろうが
当時日本が後進地帯だろうが
そんなの恥じゃねえよ。

事実を受け入れられない
偏狭な心こそ恥だ。
一部の韓国人と同じ。
524日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:21:04
大阪大学の福永伸哉は、倭が鉄を得るために加耶を軍事支援した
といってたが、立命館の山尾幸久もギブアンドテイクの関係があった
といい、鉄に対しては玉、塩、生口を提供していたといってた。
スタジオの韓国人学者はそれを受けて、倭から提供された労働力が
高句麗に対する軍事力に転用されたと主張していた。

しかし、七支刀にみえる倭と百済の同盟とかそのへんをなぜか
すっとばしてるなあ。山尾の専門分野だろうに。
525日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:22:50
全て百済系経由ってのも滅茶苦茶
日本はたくさんの留学生や留学層を直接中国に送ってるし
だいたい百済って日本の弟分みたいな国だったし
大陸文化を摂取するには便利な国だが
中国にも直接アプローチしてるしな
526日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:23:32
>>523
お前が感情的になってるんだろ
冷静に三国史記でも読もうか
527日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:31:23
>>524
しかしあの内容からだと日本が圧倒的に受身な立場にしか聞こえないぞ
はっきりいって伽耶諸国に関しては大和政権がリーダー的な立場にあったのは
ほとんど確実だろ
それが立命館の学者のギブアンドテイクで対等まで落として
朝鮮人学者がそれに乗じて日本人は傭兵および奴隷ですだもんな
そりゃ腹立つよな
528日本@名無史さん:2009/04/27(月) 01:10:05
蒙古は漢民族を支配したよね
倭は半島民族の一部を支配した?
529日本@名無史さん:2009/04/27(月) 01:32:01
>>521
> 朝鮮南部は独立した文明圏とかいってたな
> 確かにそこ以外前方後円墳なんて出てこないしな

それ、「伽耶」が「百済や新羅とは独立」した文明圏だと言う表現だったろう。
それと前方後円墳が多いのは伽耶では無くて、もう少し西の百済領域のことですよ。
530日本@名無史さん:2009/04/27(月) 01:40:17
>>527
「交易品」として送られたら「奴隷」と言われても文句は言えないw
軍団単位で派遣されたのなら「傭兵」と言うのはどうかと思うが、
あの韓国の人は、「同盟軍」的なものではなかっただろうと言っていた。
つまり、日本側に指揮権が無かっただろうと言う主張だね。
531日本@名無史さん:2009/04/27(月) 03:36:08
532日本@名無史さん:2009/04/27(月) 03:37:03
*武寧王陵(宗山里古墳群)
ttp://inoues.net/korea/buneiou.html
玄室内には木棺が置かれ、その材質となった木材は細胞の分析結果から、日本の近畿地方南部に
しか見られない「コウヤマキ」であることが確認され、武寧王時代の百済と日本の関係、また、武寧王
自身の出自などを巡って論争が巻き起こった。
墓から、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、銅鏡、陶磁器など約3000
点近い遺物が出土したが、驚くべきことに百済製の土器は1点も出土していない。すべてが中国の
南朝からの舶来品であって、この王朝がいかに中国南朝に傾斜していたかを物語っている。

「日本書紀」の雄略天皇5年の条に、「百済の武寧王は、筑紫の各羅(かから)島で生まれたので
島君(せまきし)と言う。」という記事があり、武烈紀にも同様の記事があり、「武寧王の諱(いみな)は
斯麻王と言う。」とある。「三国史記」にも武寧王の名は斯摩となっている。島で生まれたから、斯麻王
という名前が付けられたという。各羅島は、現在の松浦半島の突端にある呼子島の真北にある
加唐島(かからじま)のこととされている。これは一体何であろうか?

武寧王の陵墓が発見されたことで、これらの記事の正しさが立証されたが、では斯麻王すなわち
武寧王は日本人なのか? どうして佐賀県で産まれたのか?
533日本@名無史さん:2009/04/27(月) 03:37:50
【「昌寧松硯洞7号墳のクスノキ木棺は日本産」】(前半)

慶尚南道昌寧郡の松硯洞古墳群の中で 6世紀初め頃に築造された第7号墳の「秣桶型(丸太型)木棺」
を作るのに利用されたクスノキは朝鮮半島自生樹木である可能性はほとんどなく、日本列島から入って
来た可能性が大きいことが分かった。
同時期に築造された公州の武寧王陵から出土した王と王妃の木棺も、日本列島だけに自生する金松と
判明したことがあり、5〜6世紀の朝鮮半島と日本列島の間の緊密な交流が、改めて考古学的遺物で裏
付けられた。
松硯洞古墳群発掘調査機関である国立昌原文化財研究所の依頼で、7号墳出土の秣桶型木棺の分析
などに力を注いでいる木材組織学専攻の慶北大の朴サンジン教授(65)は、「漢字で予樟木と表記される
クスノキは亜熱帯樹木で、現在朝鮮半島では済州島以外に南海岸の極一部の地域でだけ自生している」
と15日語った。代わりにクスノキが現在集中自生する場所としては、朝鮮半島周辺では中国中国南部と日本
列島が代表的なものとして挙げられている。
朴教授は、「松硯洞古墳群が築造された三国時代当時に気候がどうだったかによって、クスノキが朝鮮
半島にも自生していた可能性がないではない」としながらも、「当時の植生は現在とあまり変化がないと
いうのが一般的見解であり、したがって松硯洞の木棺の材料であるクスノキが朝鮮半島の生産品である
可能性はゼロに近い」と語った。<中略>
534533:2009/04/27(月) 03:39:04
したがって、この松硯洞の木棺の材木は、当時の歴史的情況から見て中国南部地域と日本列島の2ヵ所
のいずれかである可能性はほとんど確かと思われ、中でも武寧王陵の木棺や昌寧一帯に位置した伽耶
諸国と倭国の緊密な関係を考慮すると、日本列島から持ちこんだ可能性がより大きいと考えられている。
そうした推定は、この7号墳のすぐ隣にある6号墳に対する昨年の調査の結果、石を積んで作った玄室の
壁面全体が朱で塗られていたという点からも、有力に裏付けされている。
道教神学で永遠不滅の仙薬として特に愛用された朱砂(硫化水銀)で玄室壁面を染めるこうした手法は、
古墳時代の日本列島の古墳の埋葬風習として典型的に確認されている。
一方、今年も松硯洞古墳群に対する調査を続けている国立昌原文化財研究所は、長さ3.4m×幅1.2m×
高さ 40cmほどと測定されたこの丸太木棺を、来週中に玄室から搬出して昌原の研究所に移し、保存処理
に入る予定だ。
池ビョンモク所長は、「保存処理施設を既に昨年中に用意しておいた」と語った。

▽ソース:聯合ニュース(韓国語)(2005/06/15 09:28)
http://www.yonhapnews.co.kr/news/20050615/030000000020050615092849K8.html

※文中の「硯」は、本当は石へんではなく山へん。
535日本@名無史さん:2009/04/27(月) 03:40:19
【韓国】伽耶時代の古墳から木棺を搬出。木材は日本産の可能性大 [06/22]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119632341/
【高句麗】中国人研究者「好太王碑、新資料発見で改ざん説否定された」[06/23]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119618672/
536日本@名無史さん:2009/04/27(月) 03:47:44
537日本@名無史さん:2009/04/27(月) 03:50:59
韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、
内部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、
同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。
日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認された
のは初めて。日本の須恵器も出土していることから、日本の
古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や朝鮮半島
から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝
えていたことを示す重要な成果として注目される。
 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二
メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁が
ベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。

 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望
を反映したものと考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見さ
れていなかった。

 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と
紹介し、日本独自とされていた前方後円墳のルーツではないかと
論争になった。

 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜
六世紀半ば)があったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)
」と呼ばれる。

 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がか
かわったとも考えられる」と話している。(10月2日15:34)
ttp://www.yomiuri.co.jp/00/20001002i306.htm
538日本@名無史さん:2009/04/27(月) 03:53:00
『木棺中央部に大量の貴重な水銀朱』1月12日発表

竪穴式石室に敷き詰められていた朱(赤色の顔料)のうち、被葬者が安置された木棺中央部だけに貴重な
「水銀朱」を大量に使い(厚さ4、5cm)、石室内のほかの部分の顔料はベンガラ(酸化鉄)を用い、
使い分けをしていたことが分かった。
このような使い分けは、弥生中期末の北部九州地方が国内最大の出土例としてある。吉備地方(岡山県
南部)の弥生末期の墳丘墓でも水銀朱を木棺内に厚く敷き詰めた例があることから、初期大和政権が
西日本各地の葬礼様式を取り入れていたことを裏付ける発見といえそう。
朱は死者の再生祈願の呪術(じゅじゅつ)としてまかれるとされる。
ベンガラは鉄分を含む土を焼けば簡単に作れるが、水銀朱は原料の「辰砂」の産地が限られ、製法も
複雑なことから貴重で、これほど大量に使われた例はまれという。
魏志倭人伝は、水銀朱について「その山は丹(辰砂)あり」と倭国の特産物とし、卑弥呼が正始四年
(243年)に魏に献上したと記載。邪馬台国時代に大量に使われていた可能性が高い。
畿内にも「大和水銀鉱床群」があり、邪馬台国が大和にあったとすると入手は容易で、魏志倭人伝の
記述と一致するとの指摘もある。

天理市「黒塚古墳」、現地取材 平成10年1月10日
ttp://www2.begin.or.jp/sakura/kurotuka3.htm
539日本@名無史さん:2009/04/27(月) 04:53:50
未盗掘石室に馬具やよろい、5世紀の岡山・勝負砂古墳

 岡山県倉敷市にある5世紀後半の勝負砂古墳(前方後円墳、全長42メートル)で、未盗掘の竪穴式石室から
馬具やよろいなど大量の副葬品が見つかり、岡山大学考古学研究室が14日、発表した。
 天井石8枚のうち1枚が割れて石室に落ち込んでいるだけで、ほぼ完全な姿。石室は古代朝鮮半島の古墳
とよく似た工法で築かれており、松木武彦助教授は「被葬者は半島と関係の深い人物かもしれない。五世紀
の未盗掘墳が見つかるのは全国的にも例がなく、埋葬時の様子が分かる貴重な発見だ」と話している。
 確認された副葬品は銅鏡1枚、鉄製の馬具とよろい、黒漆塗りの柄がついたやりか矛、やじりの束、
土器など。木製品や革の一部も残っていた。
 同研究室によると、石室は崩落した天井石や土砂で床面の半分近くが埋もれており、さらに多くの副葬品
が見つかる可能性が高い。壁一面に、魔よけや長寿の薬とされた朱が塗られていた。
ttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070314STXKD008614032007.html


キトラ古墳の木棺は朱色、被葬者は格の高い人物か
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080515-OYT1T00660.htm
 飛鳥時代、外側が朱塗りの棺ひつぎは、天武・持統両天皇の合葬陵(同村)以外に例がなく、
被葬された人物の格の高さをうかがわせる。

 朱は古代から、被葬者を邪悪なものから守る色として、木棺や石棺に塗られた。


朱に彩られた異色の木棺か キトラ古墳、「常識外の結論」 (共同通信)

 極彩色壁画で知られるキトラ古墳(奈良県明日香村)に納められた漆塗り木棺は、
表面がオーソドックスな黒ではなく、異例の朱色だった可能性が高いことが15日、
奈良文化財研究所の調査で分かった。高松塚古墳(同村)などの出土例から
「木棺の外は黒、内は朱」に塗るのが専門家の一般的な見方だった。
「キトラは内外とも朱色だったことになる。常識外の結論が出た」と驚いており、
今後議論を呼びそうだ。
ttp://news.www.infoseek.co.jp/entertainment/story/15kyodo2008051501000579/
540日本@名無史さん:2009/04/27(月) 05:28:05
>>524
>立命館の山尾幸久もギブアンドテイクの関係があった
>といい、鉄に対しては玉、塩、生口を提供していたといってた

番組見てないのであれだが、
弥生時代から伽耶に倭人の鉄採掘場がある。
倭人たちは「伽耶の王」に、
玉、塩、生口を提供し鉄を採掘させてもらってたと言うのだろうか?
ところが当時の伽耶に王都も王墓もあったもんじゃない。
もっと後の時代にもまともなのがあったもんじゃない。

その学者は何を言ってるんだろうか。
541日本@名無史さん:2009/04/27(月) 06:53:49
>>540
「日本側が半島に懇願して、先進文物や仏教の受容や鉄器の輸入を行い、
見返りとして倭が人間を労働力として提供し、伽耶や百済が主導的に朝鮮半島での戦争で倭人を傭兵に転用して使役していた。」
番組全体を通してこういう認識。

日本の半島での軍事的プレゼンスを完全否定し、「日本書紀と広開土王碑は全部嘘と認めなさい」と主張。

もちろん根拠は示されず、韓国人学者と親韓派学者の推測で断定調に語ってた。
542日本@名無史さん:2009/04/27(月) 07:30:04
NHKは、公平で客観的と思っていたが、ぜんぜん違うな。
日本のマスコミに信用できるところがなくなった。

好太王の碑文、三国史記、あるいは中国の文献を見ても、古代の日本の優位は
明らかだと思うのだが。

たとえば、隋書には、
新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來

宋書には、
武立、自稱使持節、都督、倭、百濟、新羅、任那、加羅、秦韓、
慕韓七國諸軍事、安東大將軍、倭國王
なんて書かれているし。
543日本@名無史さん:2009/04/27(月) 07:49:25
ま、NHKには永遠に受信料払わないぞと確信した。w
こんな内容垂れ流されて、
おまけに金まで取られたらたまったもんじゃねぇ。
544日本@名無史さん:2009/04/27(月) 07:52:07
キンカン伽羅国はどう解釈する?
韓国のプサン大学の教授は鉄の出土品から日本をキンカン伽羅が押さえていたと主張。
日本の教授は鉄と何かを交換するような関係で対等だったと主張。

あの番組は別に親韓の学者だけじゃないだろ。
545日本@名無史さん:2009/04/27(月) 08:41:39
日本に多くの石油製品があるがアラブに支配されてない。
546日本@名無史さん:2009/04/27(月) 09:04:58
>>544
日本に伽耶の鉄の出土品があるから伽耶が日本を押さえていたなんて全くアホな話で、
むしろ日本に好き勝手に鉄を採られてたのは伽耶が日本に押さえられてた証拠。
547日本@名無史さん:2009/04/27(月) 09:46:00
単純に国力や位置取り比較してみれば、
日本の軍事的(兵力的)優位が判りそうなもんだがな。

自国に多数の他国の兵士を引き入れて、
「俺様の方が優位だ」ってそんなアホな。

春秋戦国でも三国志でも、
援軍がそのまま居座って侵略軍になることが多いから、
自国に他国の軍隊を入れることにはみんなナーバスになってたけど、
朝鮮半島ではそんな恐れはなかったのかね?
548日本@名無史さん:2009/04/27(月) 10:18:26
百済や場合によっては新羅ですら日本を兄貴分として認めてたのに
それよりはるかに弱小な伽耶と対等なわけがない
親分子分関係だよな
しかし自分の都合悪い史料はことごとく無視
朝鮮側の碑文や三国史記からでも大和政権が朝鮮南部で
恒常的な軍事活動してたのは明らかだろう
考古学でも裏付けられるし
だいたい傭兵はあの当時存在しない
あの当時は氏族単位で軍を動かしてるだろ
自分の都合のいい様に無理して歴史作ってるところが多すぎる
549日本@名無史さん:2009/04/27(月) 10:28:34
2ちゃんのクズが何吠えても全く無駄w
専門家>>>(越えられない壁)>>>>おまえらw
550日本@名無史さん:2009/04/27(月) 10:34:05
朝鮮人は三国史記でも読もうか
551日本@名無史さん:2009/04/27(月) 11:08:11
共同歴史研究の賜物
552日本@名無史さん:2009/04/27(月) 11:15:35
>>549
専門家で任那日本府を否定するやつは少ないはず。
あったといえば韓国側が煩いので極力言わないようにしてるだけ。
553日本@名無史さん:2009/04/27(月) 11:32:15
韓国の学者もあの地域の研究を避けてたと言ってたから、韓国側も日本府があったと言う認識だったんだろ。
554日本@名無史さん:2009/04/27(月) 11:44:45
伽耶は隼人族です。
色黒く目がギョロっとしてる。
顔つきが一般の朝鮮人と違うから、
朝鮮人達自身もも昔からインド人か呉の流民だと思ってたんです。
有名な話ですよ。
555日本@名無史さん:2009/04/27(月) 11:48:01
任那は日本への奴隷の集積と搬出積み出し基地だった。

紀元前4世紀くらいから始まった江南からの大量の難民は朝鮮半島の南東部や九州に流れ着いた。ちょうど
その頃は温暖期で、彼らの水耕田での生産性の高い米の生産は余剰を産み、蓄積が朝鮮半島と九州に小国を
作り出したが、当然、より高温多湿で雨が多い日本の生産性が高かっただろう。

さらに、水田耕作に適した土地の多い日本では、多くの強力な国を生み出し、国々間の競争を生み出した。
水耕田の高い生産性は人口の増加を生み出したが、人口の自然増では新たな耕地の開拓が追いつかず、
武力での労働力の確保が始まった。

当初は近隣の村々を襲っていたのだろうが、それはお互いの戦いを呼び、折角の労働力の消耗にも繋がって
しまう。そこで戦いを呼ばずに一方的略奪で労働力を確保する方法が考え出された。それは当然、外国からの
労働力つまり異国からの奴隷の確保だっただろう。

それらはローマ帝国やアメリカの歴史を見ても明らかだろ。ローマ帝国は奴隷の上に成り立っていたが、
外征の主目的は奴隷の確保だった。

ローマ帝国での奴隷の扱いは過酷だったが、多分日本の場合はそれほどではなかっただろう。ローマ帝国の
周辺には奴隷にする民族はふんだんにあったから奴隷を過酷に扱って消耗しても問題はなかったが、日本の
場合は海を渡る手間が必要だった。

ローマ帝国末期には新たな奴隷の確保が難しくなったため、奴隷はお互いの結婚を許され奴隷の再生産が
目論まれ農奴的なものになっていったが、日本の場合は奴隷は最初から農奴的な立場でその再生産も
当然奨励されただろう。

朝鮮半島での奴隷の確保は、当初は日本の国々がバラバラに行っていたが、そのうちにそれが組織立った
ものになっていくのは自然の成り行きだろ。だから初期の日本の朝鮮半島での橋頭堡は奴隷の確保の
ためだっただろう。そして、日本での人口の自然増が生産とバランスするようになって、任那は奴隷の
確保のための基地から鉄の確保のための出先機関へと変身していった。
556日本@名無史さん:2009/04/27(月) 11:48:49
朝鮮の有名な民謡でも彼らのことを唄ったものがあると聞いたことがある。
詳しい人いませんかね?
557日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:24:19
>>542
優位にあったのは確かだろうけど
広開土王碑は百済新羅を打ち破ったそんな強い倭を倒した高句麗マンセーって内容なわけだから
誇張はあるだろう
それに再三の百済軍事支配権要求に関らず最後までもらえなかったのと
将軍号が百済や新羅よりつねに下だったのはどう説明するの?
558日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:28:26
ごめん
新羅は将軍号なかったか
559日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:34:10
誇張って何を基準にしての誇張なのか?
それさえも提示せずに相手の返答を期待する姿勢に疑問を感じる。
560日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:40:01
誇張どころかなんもなかったことにしてるから怖いわ
倭が伽耶の傭兵って
伽耶っていつのまにそんな軍事大国になってたんだ
561日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:43:55
こういうのは議論でも何でもなくて、日本では俗に「言い掛かり」とか「ケチをつける」と言います。
562日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:44:06
異論を唱えるときの証明をせずして、妄想を垂れ流す、学者が二人。

こいつらの頭の中に何がつまってて、こういう具合に説明できるんだろう。
563日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:45:02
VTRだけの出演の研究者も、文句言わないのかね。この構成。歴史観。
564日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:50:16
こんなのが歴史学かって感じだ
前々からひどいとは聞いてたが
NHKでもそのままなのには驚いた
韓国サイド抜きで番組作って欲しいね
565日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:51:25
三国史記の新羅本記を見ると、

倭兵が攻めてきた。嫁を要求されたので差し出した。人質を差し出した。
というような記録ばかりが残っている。

一度だけ、わが国も倭を攻めてみましょうか、というのが出てくるが、
結局、止めときましょうということになっている。
566日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:54:42
広開土王碑文 (414年(碑文によれば甲寅年九月廿九日乙酉、9月29日 (旧暦))建立)

391年(辛卯(耒卯)年)「百残新羅舊是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡■破百残■■新羅以為臣民」
そもそも新羅・百残(百済の蔑称か?)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯年(391年)に■を渡り百残・■■・新羅を破り、臣民となしてしまった。
399年、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平譲にでむいた。
ちょうどそのとき新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので
高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たので、大王は救援することにした。
400年、5万の大軍を派遣して新羅を救援した。新羅王都にいっぱいいた倭軍が退却したので、
これを追って任那・加羅に迫った。ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。
404年、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に侵入してきたので、これを討って大敗させた。
訳;井上秀雄『古代朝鮮』<講談社学術文庫>2004 ISBN 4-06-159678-0
567日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:06:24
最近、偏向捏造報道で何かと話題の
NHKが制作し、教育で放送された
ETV特集『シリーズ 日本と朝鮮半島2000年 第1回』

以下内容)
・1970年代の日本の民間教科書と
韓国の国定教科書を比較して
任那日本府完全否定。
・1970年代の教科書と2009年現在の
日本の歴史教科書を比較して
「ほら、今はもう任那日本府なんて書いてないでしょ?」
・広開土王碑の碑文を一部抜粋して
ここに書かれている「倭」とは倭からやってきた傭兵の事で
倭国の事では無いニダと断定。
・勿論、広開土王碑の倭が百済、新羅を臣下に加えた
の記述はカット。
・倭はカヤの鉄を欲していた。
その対価として傭兵などの労働力を送った。
・半島から日本に渡ったのは技術者で、
日本から半島に渡ったのは奴隷。
・前方後円墳?何それおいしいの?
・前方後円墳に眠るのは奴隷。
・日本の事は「倭」と呼び、
半島の百済や新羅や高句麗の事は「韓国」と呼ぶ。
・日本書紀の記述は正しくないから十分な検証が必要by立命館教授。
・神功皇后の名前カット。
・宋書の「倭人が頗る多い」の記述はカット。
・と言うかそもそも中国の存在無視。
・四神は韓国起源。
568日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:08:07
・中国の資料や中国の実態や
半島南部の前方後円墳や勾玉には一切触れず、
日本側が受けた文化的影響全てが韓国からやってきた。
・勾玉、翡翠も朝鮮から頂いたというのがこの番組。

・日本には文字が無かったので、
音読み訓読みをつくってくれた百済人には
本当〜に感謝しなければなりませんねぇby立命館教授
・百済は独立した文明圏なんです!
・朝鮮人の教授曰く
百済は単なる通過点ではないんです!
百済には百済の仏教があったんです!
百済の仏教を日本は選択したんです!
だから日本の仏教は中国のものとは違うんです!
・武寧王他、百済、新羅から日本へ連れてきた人質は無視。
・新羅の王位についた倭人無視。
・日本はもっと韓国側から歴史を見て、
韓国側の意見を取り入れて学ぶべきby立命館教授。
・司会進行役は従軍慰安婦に土下座した女優。
・そしてやっぱりDが朝鮮人。
569日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:09:42
この番組のディレクター 田容承

http://www.cr-nexus.co.jp/colum/colum02-3_large.html
初めまして。
入社4年目のチョンと申します。
皆さんはあまり聞いたことのない名前だと思いますが、
「田 容承」と書いて「チョン ヨンスン」と読みます。
(本当は少し発音が違いますが・・・)
実は、私の出身は韓国のソウルです。
日本に来てもうすぐ8年。今は仕事にも東京の生活にもすっかり慣れて、
私のことをチョンタロウとかチョンタとか呼ぶ人

(この人は恐らく韓国でこういう教育受けてます。)
韓国国定教科書和訳まとめ
ttp://members.tripod.com/textbook_korea/fr_2.htm
ここには百済が九州を支配したとか書いてあります。
特にV→5は見物です。

日本では民間が教科書をつくります。
よって種類がとても豊富です。
が、韓国では国が教科書をつくります。
韓国には国が検閲し、認定した国定教科書、一つしかありません。
570日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:11:05
出だしは、さすがに今となっては稲作が朝鮮半島から伝わったとは
主張しにくかったらしく、”大陸と半島から”と、微妙な言い回しだったねぇ。

で、新羅・百濟皆倭を大国と為して通使往来すとか六国諸軍事とかは
華麗にスルーして、生口とか傭兵とか、まぁ、この辺は予想通りだけど、
広開土王碑捏造説を持ち出すのはさすがにムリだったと。

最後に韓国の史観で日本書紀を解釈シルでまとめて、エンディングが
天王寺ワッソなのには思わず苦笑。w



第2回 任那日本府の謎
〜略
「広開土王碑文」が発見され、「倭」の半島侵入の記述が見つかった。そ
こで、4世紀後半からおよそ200年の間、日本が朝鮮半島へ軍事的に進
出し、大陸の先進文物を「任那日本府」から吸収したと、長らく考えられ
てきた。
しかし、1970年代以降、日韓の様々な研究や発掘調査によって、「任那
日本府」の実態や 朝鮮半島南部と倭をめぐる関係性が見直されている。
〜略
=====
広開土王碑と任那の否定か?
次も期待できそうニダ
571日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:13:59
ヒストリーチャンネルの「任那日本府」は、国をあげて抗議して潰したのにな>韓国

欧米人に韓国の異常さを一発でわからせるコピペ拾った
コレを英訳すればいい

【国定教科書採用国】

北朝鮮
ミャンマー
キューバ
イラン
リビア
タリバン政権下のアフガニスタン
フセイン政権下のイラク
トルクメニスタン

「韓国」

以上です・・・


国家主導で洗脳教育している国の一覧です

なお、韓国の教科書選定委員は全員が匿名になっており、
以前、名前が公表されたとたん、全員辞職して逃亡した過去があります。
5000年の歴史とか、百済は日本は支配したなどとファンタジーを捏造する
歴史教科書は世界を見渡しても、韓国だけです
ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=3823326
572日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:17:49
でもまあここで任那日本府がどうとかいってる連中は70年代の研究レベルで云々いってるわけだ
国会図書館で最新の論文読んでこいよw
573日本@名無史さん:2009/04/27(月) 16:19:58
>>557
好太王碑文では、誇張というか、倭は高句麗を引き立たせる道化役って感じだな。

ただ、本当は百済あたりが倭や任那加羅を従えて高句麗と戦ったのならば
素直にそう書けばよかったように思う。でも、実際は倭が高句麗の主たる敵
にみえるほど顕著な戦いぶりをしたから、そのように記述されたんじゃないかな。

倭の百済に対する軍事権が認められなかったのは、百済が南朝にとっての
れっきとした冊封国だからだろう。そして、倭の将軍号が百済に比べて
下位なのは、南朝にとっての地政学的価値が百済より低かったことに
よるのだと思う。南朝の目的は北朝に対する牽制だからね。
574日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:16:36
そんなもん安土桃山時代に足利氏と織田信長がどちらが日本を動かしてたか?
と同じぐらい馬鹿げた話でしょ
好太王碑の件でも、取るに足らない(傭兵だしたり、鉄の貿易相手国)相手を引き合いにだして広告になるのか?って話
強いからデカデカと石に刻んでるわけで、アホだから結果的に日本の広告みたいなモンになってるがw
それよりさ、加羅地方は異民族なんでしょ?
百済も高句麗も新羅も異民族だったんでしょ?
自分たちの直接の祖先じゃないって自ら言ってるでしょ、すくなくとも韓国内の資料館などでは
575日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:35:28
ていうか傭兵ってどこから出て来たんだ
証拠はあんのか
576日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:38:42
>>573
じゃお前がその最新の論文を具体的に挙げろよ
それも一人じゃなく複数の人の論文な
学者でもいろんな説があるからな
そしてできれば内容も要約しろ
577日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:51:50
傭兵なんて概念はどう考えても韓国側の方便
高句麗は倭と戦ったのだよ
当時の情勢では半島南部で大規模な軍を動かせるのは実質倭であったのだろう
578日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:58:28
>>576

い☆や☆だ☆ね(・∀・)

つか、鈴木靖民とか山尾幸久とか田中史生とか川本芳昭とか
そのへんの概説書読んで思ったことだ。
そんなに大したこと言ってるつもりはないが。
579日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:10:29
その山尾幸久って人は日本府は軍事機関として認めてるんだろ
お前都合のいいところだけ抜き出してるんじゃね
580日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:17:31
だいたい三国史記であんだけ軍事活動してるんだから
軍事機関なきゃおかしいんだよな
日本と朝鮮の距離はドーバー海峡の5倍
海流も激しいときてる気軽にいける距離じゃない
常駐の軍隊がいたと考えるのが自然だな
581日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:32:38
キャスター石沢典夫  立命館大学名誉教授山尾幸久  ホンイク大学教授キムテシク ナレーター?
石 この所のドラマや映画での韓流ブームで、日本と朝鮮半島の交流がずいぶんと進んだという風に言われています。
ナ 弥生時代中期には北部九州の人口の実に八割以上が渡来系で占められたと推定されます。
金 当時の日本人が積極的に先進文物を受け入れようとしてヌクトへ住み着いていたのです。
金 一世紀から三世紀にかけて日本列島に階級が生まれ、それを基盤にして小さな国、小国がたくさん生まれました。
そうした国々は勢力を拡大するために大陸や朝鮮半島に先進的な文物を求めました。しかし、小さな国ではより多くの
優れた文物を手に入れることは困難でした。そこで、他の国よりも優位に立つ為に小国の連合体が整えられていきます。
その過程で三世紀ごろ、日本列島に大和政権が形成されたと思われます。
ナ 古墳からは農具や工具など様々な鉄製品が見つかっています。豊富な鉄は武具にもなりました。金官加耶は鉄製の鎧や
兜で身を固めながら北の高句麗と対抗しました。こうした発掘調査によって加耶地域が金官加耶国を中心に独立した文化圏を
築いたことがわかってきたのです。
ナ シンギョンチョルさんは高句麗に圧迫された金官加耶が、倭に支援を求めたと考えています。加耶軍とともに戦った
倭人の存在が広開土王碑文に記されたのではないかとみています。
シン 古くから親密な加耶からの要請なので倭が来たのは間違いないと思います。しかし、当時の倭には加耶のような重装備
の軍隊は無かったので、同盟のような対等な関係での支援だったとは思えません。倭人は、加耶の鎧と兜で武装したので
現代の感覚でいう救援軍とは言えません。加耶軍の中に倭の傭兵が多く加わったので広開土王碑文に「倭」として現れたの
でしょう。
582日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:33:19
ナ 福永さんは倭が鉄を得るために金官加耶へ軍事支援をおこない高句麗と戦ったと考えています。
ナ 五世紀以降大阪南部の古墳では鉄製の武具が大量に埋葬されていきます。倭の王権が鉄を中心とする武力で地方の豪族
を服属させていった事を示していると考えられています。
ナ 金官加耶から得た鉄によって倭の王権は大王を中心に権力を拡大していきました。
金 中国の文献などを調べてみると古代の日本からかなりの労働力がこの地域(加耶)に入ってきたと考えられます。当時、
日本人が朝鮮半島南部に住んでいた痕跡が各地で発見されています。彼らは支配層ではなく労働力を提供していたのです。
加耶は鉄を輸出する対価としてこうした労働力を受け入れていたと推測われています。その後、4世紀から5世紀になると
加耶を含む朝鮮半島南部は戦乱に巻き込まれます。こうした危機の時代になると、加耶は労働力として導入した日本人を
軍事力に利用しようと考えたのでしょう。
583日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:37:05
>>579
ん?>>573では任那日本府のことなんていってないぞ。
眠たかったから文章は多少変だが。

山尾幸久は「任那日本府」という名称は後世的なものだが、
それが指す実体はあったろうという立場だな。
で、軍事的というよりは政治的な活動が主といってる。
たしかに、『日本書紀』をみるかぎり、日本府はほとんど
軍事活動してないし、倭が軍隊を送り込むときは、
日本府とは別のチャンネルで行っているようにみえる。
584日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:47:59
じゃ別のチャンネルが軍事拠点だったんだな
そしてそれは倭を主体とするものだったと
585日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:54:17
別に体して驚くほどの内容じゃないな
ただの解釈だろ?
いつもの朝鮮人って感じ
それにNHKもこのぐらいのデタラメはするよ
っていうかテレビってのは注目に値することなら何でも放送する
そういうこと
586日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:56:13
任那をめぐって百済と新羅が軍事衝突する段になって
やっとこさ百済に援兵を出してる。倭が主体的に半島情勢
に関わったというより、その場その場の状況に対応していた
という感じ。『日本書紀』に拠るかぎりは。
587日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:59:14
ETVは好太王碑の改ざん説取り上げてたし
その改ざんが否定されたことも取り上げてた
そんなに神経質にならないほうがいい
588日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:59:44
>>585
まああの枠はガス抜き枠だからな。朝鮮ネタ以外だと、マイクホンダが出ていた。
問題は10回シリーズという点。少々くどい。
589日本@名無史さん:2009/04/27(月) 19:09:10
本来、東晋あたりまで視野に入ってきてもおかしくない
対高句麗戦争の話が加耶と倭国だけの問題に矮小化
されていたのが残念だなあ…

山尾があまり突っ込んだ話をしなかったのは
番組が戦前の歴史観を修正するところから入ったから
話を専門的に展開できなかったということなのかな…
ああいう番組で議論を期待する方が間違いなのか。
590日本@名無史さん:2009/04/27(月) 19:11:33
つまり列島からやってきた倭人はほとんど独立した状態で活動して
軍事的活動を盛んにおこなっていて
南朝鮮で優勢であったという感じだな
それは南朝鮮での最近の考古学や三国史記で裏付けられると
マムルークみたいな感じだったかもね


591日本@名無史さん:2009/04/27(月) 19:13:05
広開土王碑文の時の改竄問題でどんだけ韓国人学者がトンでもない説で
日本を非難してたか、リアリタイムで見てたたから
あのNHK番組には反吐が出るわ
新聞でも大々的に扱ってたしな
これだけ偏向してたら、もっと凄まじいNHK批判が飛び出すぞ
日本以外の国から
592日本@名無史さん:2009/04/27(月) 19:56:03
>>574
同意、広開土王碑って、写真で人間が横にいるモノがあったけど、尋常じゃないでかさだぞ。
あれに書かれた敵が、大したこと無い敵のはずがない。
大体、朝鮮人は書いてある内容ばかり気にしているけど、
あの石どこから持ってきて、どうやって縦にしたのか、がものすごく気になるんだが。
すぐ近くで採れる石なのかね?
593日本@名無史さん:2009/04/27(月) 20:49:20
>>590
っつーか、半島南端は元々ごくフツーに北部九州と一体になった
倭人の居住圏でしょ。
594日本@名無史さん:2009/04/27(月) 21:00:17
そういう説もあるが冒険しすぎだと思うんだよね
595日本@名無史さん:2009/04/27(月) 21:29:25
魏志倭人伝での倭国が半島南部あたりからスタートしてるしな
とはいえじゃあなんでその倭人はいなくなったのよって話になるな
カヤ滅亡、百済滅亡時にいっせいに九州に引き揚げたとでもいうのだろうか
596日本@名無史さん:2009/04/27(月) 21:47:28
>>595
ノルマン人(少なくともその文化や言語を伝える人々)が
シチリアやノルマンディ・ブルターニュに居ないのと同じだろ。

周囲と同化しちゃったんじゃない?
597日本@名無史さん:2009/04/27(月) 21:59:26
>>595
半島南部から倭人が減ったのって、経済的な旨味が減ったからじゃないかな。
農業生産的に見て、日本の方が大きいし、鉄が国内でも量産され始めるし。
任那が維持できなくなったのも、利益の減少が倭人の人口減を招いて
維持できなくなったんじゃないのかね?
598日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:00:42
伽耶の鉄鎧兵だってw。あほらしい。

大体、鉄鎧歩兵なんてものは存在しない。そんなもの着て長距離なんか歩けない。鉄鎧で遠征するとすれば
それは馬に乗った上級軍人だけだろ。その時代に騎兵軍団でもあれば別だがね。

勿論日本人も古代から鉄鎧くらい知ってたが、なんで武士が鉄鎧着てなかったと思う?。それは重くて
使い物にならなかったから。だから、軽くしたのが日本の鎧。それでさえ、馬に乗った武士しか着れない。
一般の雑兵など戦国時代でも鎧なんか当然着ない。

これはなにも日本だけのことじゃない。もしそんな重装備の歩兵軍団が長距離遠征に役立つならどの国も
そう言う軍団をつくってるよ。

ついでに、鉄製の武器を持てば圧倒的に強いなんて考えてるなら、それも間違い。当時の鉄剣なんかは炭素
含有量が多くて直ぐに折れただろうね。槍だって、例えば三人の竹槍に囲まれれば負けるんじゃない?。
2人相手だって勝てるか怪しい。更に倒されればその武器は敵の手に渡る。

当然、大きいのは兵力差だろ。つまり国力は人口に比例する。人口はそれを養える食料生産力に比例する。
さて伽耶にそんなに国力があったのかな?。傭兵だとかお笑いだね。

日本がそんな鉄の素材の供給先を黙って放っておくわけ無いだろ。しかも、百済も新羅も隙あらばと狙って
るのに。常に軍隊を常駐させるのは当たり前だろ。例え伽耶が独立国だって向こうから頼んできただろうね。

傭兵なんてお笑いだよ。ついでに騎馬民族説なんてのは大笑いだね。
599日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:06:34
>>595
これだな。
從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國

(帯方)郡から倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て、南し、東
しながら、その北岸である狗邪韓国に至る。

となる。そのあと、対馬、壱岐を経て九州に至るわけである。

邪馬台国論争でもいろいろ議論のあるところだが、倭の北岸である狗邪韓国と
取れなくもない。つまり、卑弥呼の時代、3世紀前半には、すでに朝鮮半島の
南部は、倭(倭王・卑弥呼)の支配下にあったとも考えられる。
600日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:09:42
弥生時代の急激な人口膨張の勢いをかって
朝鮮南部に北九州人が進出したんだろうな
601日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:10:45
>>598
鉄の鎧は威厳を示す威信財で実戦には役に立たないものだっただろうね。

面白いのは、伽耶には木製短甲がなかったのに、
4世紀になって突然、鉄製短甲が出現するのだ。
こういう現象は、外来の何者かによって鉄製短甲が伽耶にもたらされたと考えるのが自然だろうね。
それが何者かといえば当然、倭人だろうね。
602日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:13:54
>>597
それもあるかもな
なんにしろ遠いし
費用対効果が悪いよね
603日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:17:27
>>601
なるほど、倭人ならそういう物も考え出すだろうね。勿論権力の象徴として使う。
銅鐸、銅鉾、銅鏡と同じく、実用性が無くても権力の象徴という意味でね。
604日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:22:34
魏志倭人伝の前にある韓伝には
「韓は帯方郡の南にあり、東西は海で限られ、南は倭と境を接す」
「弁辰のうちのトクロ国は倭と境界を接している」

朝鮮半島に倭の勢力があったことは明らかといえよう
605素人ですいませんが・・・:2009/04/27(月) 22:29:59
>>599
すると、狗邪韓国とは、任那日本府みたいな言い方でしょうかね。

この狗邪は、蔑称でもじられてるので倭国のつけた名前か?

狗邪=伽耶?

よううるに、伽耶の韓国領国か??

この韓国とは、おそらく中国系の両国で、百済の前身か。
そして保護国だろう。
606素人ですいませんが・・・:2009/04/27(月) 22:34:38
>>604
やはり韓は朝鮮半島のことらしいな・・・。

韓伝〜魏志倭人伝のあいだに、倭が半島南部を落としたのか。
607日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:38:55
>>605
そういえば、狗邪と伽耶は名前が似ている。
実際、同じなのかもしれない。
となると、任那との関係がどうなるのやら。

宋書などでは、加羅というのが出てくるのだが、これは伽耶なのかな。
608素人ですいませんが・・・:2009/04/27(月) 22:52:28
今回のNHKでの放送は完全に対日プロパガンダ番組だといえます。

ETVはいつから反日連中に乗っ取られたんだろうか?

NHKは他にもいつからか怪しく偏向的になった番組や番組帯があったりする・・・。

今月初め終了したそのとき歴史が動いたとか、ETV前の統合で9時からの時間帯とか・・・・。

そのとき歴史がなんて、民主党の宣伝番組かよと思うぐらいだよ。

NHK,ほんとよくやるわとおもうわ。
609日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:54:23
>>600
私はやはり奴隷の集積・積み込み基地だったと思う。

紀元前2〜1世紀の環壕は、水耕田の生産力で小国ができて、土地の開墾競争が起こった。そのための
労働力を近辺の国から調達していたのだが、お互いの戦争になった時機のものだと思う。

しかし、労働力を得るために戦争して労働力を消耗する愚かさに気が付き、韓国の南部から奴隷を連れてくる
ようになった。そうすれば、お互いに戦争せずに労働力を得られる。

当初はバラバラに奴隷を確保しに行ってたが、当然効率化され、韓国に奴隷集配・積み込みの基地が作られる
のは自然の成り行き。

自国にまだ開墾地のあるうちに他国に植民地は作らないだろ。自国の力を強めるのが先だからね。そして、
奴隷人口を含め、人口の増加と開墾地のバランスが取れ、奴隷を確保する必要がなくなれば自然消滅する。

610日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:56:54
倭の五王の南朝への朝貢ルートって、判ってるのかな?
大陸への直接ルートが開拓されていたなら、このころから
半島経由ルートの重要性が低下し始めるんじゃないかね。
魏志の時代は、倭人も大陸からの使者も半島経由を使っているけど。
611素人ですいませんが・・・:2009/04/27(月) 23:00:27
>>607
それから、任那は、「ミマナ」と読みますが、なんか出てきた当時のの古書での
振りガナには「アニナ」とかいてあった・・・。

もしかして、当時の「二」は「ミ」の音に近くて、アニナがいつしかニアナになって、
いいずらいからアがマに変化して、あるいは昔の「ア」は今の「マ」に近くて・・・

当時の音でただしくは「マミナ」と呼んだりするのが近いんじゃないとか、色々考えてしてしまうs・・・
612素人ですいませんが・・・:2009/04/27(月) 23:03:44
>>610
少なくとも、奈良時代になると半島と交流がさらに盛んになります。
シルクロードの影響で・・・。

南朝へは沖縄台湾ルートとか・・・
613日本@名無史さん:2009/04/27(月) 23:16:35
>>610
大陸への直接ルートは、風を潮に勝たさなければいけない。

つまり、潮は常に大陸から日本へ向かっているから、風が逆風の時に、帆で船を潮に
逆らわせなければいけない。当時、それほどの帆があったかどうかは疑問だと思う。

ただ、対馬海流に引きずられた小海流が朝鮮半島から左回りに黄海を回ってる。
それに乗れば、大分遠回りだが、朝鮮半島沿いに船で行けるかもしれない。
614日本@名無史さん:2009/04/28(火) 00:01:35
>>612-613
帰りはともかく、行きは海流、風ともに条件が厳しいですね。
直行よりは、沖縄経由もしくは半島経由の方が現実的か。

しかしいつも不思議なのは、南朝に百済も含めた称号を申請しているんだけど、
本当に百済が倭より国力が上なら、倭に対して抗議すると思うんだが
何か言ってきた記録って有るのかな。
615日本@名無史さん:2009/04/28(火) 01:55:32
テソンドン古墳は、倭人のものだろ。
616日本@名無史さん:2009/04/28(火) 02:14:02
「日本」という国号ができる前の、朝鮮半島に日本府という名称があるずもないんだから、
そこを伽耶とだけ呼んで、倭人が占拠してたんでしょ。鉄ほしいから。
617日本@名無史さん:2009/04/28(火) 02:36:05
1973年教科書
「朝廷は朝鮮南部の任那を足場にして、4世紀の末に朝鮮へ兵を送り、百済や新羅を従え、高句麗と戦った」
「562年、新羅、任那日本府をほろぼす」

2008年教科書
「大和政権は百済や、小国が分立していた加羅(任那)地方の国々と結んで、高句麗や新羅と戦いました。
618素人ですいませんが・・・:2009/04/28(火) 03:05:52
>>614
それ俺も気になった。
称号を申請できる関係なら、普通に倭の子分的存在だろうし。
619素人ですいませんが・・・:2009/04/28(火) 03:06:57
>>616
ミマナでは?
620日本@名無史さん:2009/04/28(火) 03:25:49
>>616
8世紀に”日本府”という字を当てただけで、『釈日本紀』では”倭宰(ヤマトノミコトモチ)”とされておる。
621素人ですいませんが・・・:2009/04/28(火) 03:27:07
>>620
すると、大和の尊(天皇)の領土的なかんじか・・・?
622日本@名無史さん:2009/04/28(火) 03:32:18
百済王興寺(577)の付属建物を飛鳥寺の伽藍配置と結びつけるのはむちゃじゃないのか?
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_04_16.htm

その王興寺の仏舎利から、「勾玉」が出てくるのはなにゆえだ?
623日本@名無史さん:2009/04/28(火) 03:42:26
>>621
上のほうの議論にもあるけど、「ヤマトノミコトモチ」は
ヤマトの大王のミコト(命令)を持つ者、つまりは
倭王の使者ないし使臣という意味だ。
624日本@名無史さん:2009/04/28(火) 03:50:50
日本人「『日本書紀』に391年に神功皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「『三国史記 新羅本記』にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の『魏志倭人伝』には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の『随書』にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「『三国史記』に“670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る所に近いから、これをもって日本国としたとの事である”とあるが?」
韓国人「捏造だ!」
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大したと公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配したと書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」
625日本@名無史さん:2009/04/28(火) 05:25:47
韓国人は「文化が高い国(朝鮮)」=「大国(支配者」と思ってるみたいだが、「武力が強い国(倭)」=「大国(支配者)」だということがわからないのか?モンゴル帝国みてもあんな頭の悪そうなやつらが世界を支配してたぞ。南朝鮮を倭が植民地にしてたのは間違いなし。
626日本@名無史さん:2009/04/28(火) 07:42:55
>>623
大宰府(おおみこともちのつかさ)旧筑紫大宰
吉備大宰
国司(くにのみこともち)

古代の「宰」の用法から言っても、「みこともち」の用法から言っても、
宰=ミコト(命令)を持つ者はただの使臣ではない。



627日本@名無史さん:2009/04/28(火) 09:25:57
命を奉じて何かをやる役職ってことか?
628日本@名無史さん:2009/04/28(火) 11:22:46
>>441
さわりの方だけだけど、書き起こしてくれた有志がいるので参考までにコピペ。

581 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/04/27(月) 18:32:38
キャスター石沢典夫  立命館大学名誉教授山尾幸久  ホンイク大学教授キムテシク ナレーター?
石 この所のドラマや映画での韓流ブームで、日本と朝鮮半島の交流がずいぶんと進んだという風に言われています。
ナ 弥生時代中期には北部九州の人口の実に八割以上が渡来系で占められたと推定されます。
金 当時の日本人が積極的に先進文物を受け入れようとしてヌクトへ住み着いていたのです。
金 一世紀から三世紀にかけて日本列島に階級が生まれ、それを基盤にして小さな国、小国がたくさん生まれました。
そうした国々は勢力を拡大するために大陸や朝鮮半島に先進的な文物を求めました。しかし、小さな国ではより多くの
優れた文物を手に入れることは困難でした。そこで、他の国よりも優位に立つ為に小国の連合体が整えられていきます。
その過程で三世紀ごろ、日本列島に大和政権が形成されたと思われます。
ナ 古墳からは農具や工具など様々な鉄製品が見つかっています。豊富な鉄は武具にもなりました。金官加耶は鉄製の鎧や
兜で身を固めながら北の高句麗と対抗しました。こうした発掘調査によって加耶地域が金官加耶国を中心に独立した文化圏を
築いたことがわかってきたのです。
ナ シンギョンチョルさんは高句麗に圧迫された金官加耶が、倭に支援を求めたと考えています。加耶軍とともに戦った
倭人の存在が広開土王碑文に記されたのではないかとみています。
シン 古くから親密な加耶からの要請なので倭が来たのは間違いないと思います。しかし、当時の倭には加耶のような重装備
の軍隊は無かったので、同盟のような対等な関係での支援だったとは思えません。倭人は、加耶の鎧と兜で武装したので
現代の感覚でいう救援軍とは言えません。加耶軍の中に倭の傭兵が多く加わったので広開土王碑文に「倭」として現れたの
でしょう。
629日本@名無史さん:2009/04/28(火) 11:26:02
>>626
でもそれなら任那大宰になるはずだろ
倭宰って表現だからそれと一緒にはできんよ
630628:2009/04/28(火) 11:27:49
誤爆った・・・orz スマソ
631日本@名無史さん:2009/04/28(火) 13:12:20
>>629
「大」がついてるかどうかなんてたいして関係ないと思うが・・・。
国司だって「くにのみこともち」なんだろ?


ところでこういう特殊な?読み方ってどこでしらべるの?
632日本@名無史さん:2009/04/28(火) 13:18:55
教授の書いた本を授業で使うからといって買わされた
633日本@名無史さん:2009/04/28(火) 13:23:33
>>631
地名の話をしてるんだが
筑紫に赴くから筑紫大宰、吉備に赴くから吉備大宰
任那に赴いてるのに倭宰

岩波あたりで日本書紀や続日本紀があって読みがわざとらしいくらい全部和語でふってあるし
角川の辞典でも○○とも読むって感じで古い読みをのせてたりするよ
634日本@名無史さん:2009/04/28(火) 13:25:32
で、やたら高いんだよね。でも役に立ってるやん。(笑)
635日本@名無史さん:2009/04/28(火) 13:40:48
倭という地名がもともと朝鮮半島南端を指す言葉だったりしてな
636日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:09:01
>>618
宋書の夷蛮伝を読む限り、百済がこれに抗議した記述はないし、
百済側が、倭を含む称号を要求したとも記されていない。
ただ、倭国側も百済に朝貢を止めさせるほど強い影響を与えられていないから、
百済は独立国では有ったけど、倭国から軍事的支援を再三受けていたという状態かね?
637日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:19:38
倭宰って鎌倉時代の造語だろ?
638日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:37:46
倭王・武が宋に送った上表文には、
「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた
海を渡って、平らげること九十五国」と書かれている。

年代的には、4世紀後半から5世紀初め頃か。
この頃、倭国の支配が朝鮮半島まで及んでいたのは、いろんな文献で
一致する。
639日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:46:16
なんで百済の朝貢を止める必要があるんだ
640日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:47:40

  「任那之倭宰」
641日本@名無史さん:2009/04/28(火) 17:23:58
>>639
「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」
の称号を認めさせるには、百済が倭の傘下であることを南朝に認めさせるのが一番。
南朝からすれば、倭王の随員として百済王が朝貢に来るなら、この称号も認められるけど、
依然として単独で朝貢に来てるんだから、百済との冊封体制は継続していると判断されるでしょ。
642日本@名無史さん:2009/04/28(火) 17:58:53
というか、朝貢国が他国の属国になるのは宋としても到底認められないだろう。
倭国としても百済が宋の朝貢国になってしまっている以上、ごり押しは出来まい。
では百済に朝貢やめさせたらどうなるかというと、それはすなわち皇帝の徳が
東夷の倭王に劣るということになるわけで。皇帝ぶち切れる罠。
643日本@名無史さん:2009/04/28(火) 18:14:56
そこら辺いい加減なだけだったんじゃね
それに朝貢は儲かるから弟分の百済に朝貢やめろとか
言いにくいとか
644日本@名無史さん:2009/04/28(火) 18:21:09
儲かるとかじゃなくて、あらゆる知的な文物は
南朝から百済を通して来てたから。
645日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:13:13
隋書の、「新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之」の
「多珍物」というのは、新羅や百済にとって珍しいものが多い、
つまり、日本独自のものが多かったというわけで、けっこう先進的なものを
発明していたという風に考えられる。
646日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:46:01
>>642は藩属国と朝貢国を混同してる。
朝貢はどこの国の誰がしてもいいことで
どこかの属国であるかないかは関係ない。
647日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:48:38
倭の珍物ってなんだろな。
山尾は玉、塩、生口を加耶に提供したとか言ってたが。
「魏志」にみえる青玉、真珠、丹ってとこだろうか。
これだと先進的というよりは天然の産物だな。
648日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:59:35
>>647
「多珍物」のあとは、「並敬仰之」。並びに之を敬い仰ぐ。
すごい国だと尊敬している、というような感じだろう。
649日本@名無史さん:2009/04/28(火) 21:14:15
唐になると席次で新羅の下になるんだよな
やっぱ白村江で負けたのが大きいな
650日本@名無史さん:2009/04/28(火) 21:56:36
>>649
いや、負けた事よりも唐と戦ったことが全てだろ
同盟を組んだ国と、自分に刃向かってきた国では前者のほうが席次が良いのは当然
651日本@名無史さん:2009/04/28(火) 22:02:10
吐蕃はしょっちゅう争ってるけど一位だぞ
意味合いが違うだろうけど
652日本@名無史さん:2009/04/28(火) 22:10:57
唐は統一新羅とも争ってるけどな
653日本@名無史さん:2009/04/28(火) 23:30:38
唐にとって日本は新羅や吐蕃に比べると遠いし
重要性落ちるからじゃない
654日本@名無史さん:2009/04/28(火) 23:34:15
朝鮮南部には小さな国家群があり
それらをカヤと称した

任那はそのカヤのうちの一つで
そこにあった日本大使館を日本府と呼んだ

日本府はニンナや他のカヤ諸国との外交窓口だった

これでオーケー?
655日本@名無史さん:2009/04/29(水) 02:20:20
モンゴル系で海を渡る力を持ったものが日本列島に渡り日本人になった
そして渡れないものは半島にとどまり朝鮮人になった
サケの川登りと同じ理屈
656日本@名無史さん:2009/04/29(水) 02:45:13
氷河期にマンモスを追って、シベリアに移動した人々がいた。
やがて、マンモスは絶滅。人々は南下を始めた。
樺太経由で日本列島に移動した人が日本人の祖先の一部となり、
大陸伝いに朝鮮半島に移動した人が朝鮮人となった。

という説もあるな。1万2千年ほど前の話ということだが。
657日本@名無史さん:2009/04/29(水) 03:08:45
いずれにせよ サケの場合でいうと 川の上流まで上ったサケは強いが
滝の下でとどまってるサケは弱い ということ
658日本@名無史さん:2009/04/29(水) 05:45:42
>>654
>任那はそのカヤのうちの一つで

好太王碑文や『宋書』でいう「任那」はそれ。
金官加耶って国(現在の金海市)で6世紀前半に新羅に併合される。
ところが、『日本書紀』に出てくる「任那」は加耶諸国全体をさす
場合がほとんど。『書紀』では、「内官家」(ウチツミヤケ)と呼ばれ、
「帝国日本に服従する諸蕃というかむしろ属領」という認識。
むろん、これは歴史的事実ではなく、無批判に受け取れるものではない。

>そこにあった日本大使館を日本府と呼んだ

任那日本府が『日本書紀』に現れるのは、金官国が新羅に滅ぼされた
後のことで、加耶諸国の一つ、安羅国(今の咸安郡)におかれたこと
から、「安羅日本府」とも書かれ、倭王から派遣された使臣からなる
上級官人と、現地の倭系安羅人からなる下級官人で構成される。

任那復興すなわち新羅に滅ぼされた加耶諸国を再建することを目的に
設置されたはずなのだが、倭王はこれをほとんどコントロールできず、
権力は現地出身の下級官人に握られ、親新羅的行動に終始した。

>日本府はニンナや他のカヤ諸国との外交窓口だった

日本府は加耶諸国の官人とともに、任那復興をとなえる百済王のもと
に呼び集められる。しかし、新羅同様に加耶諸国に対して野望を
抱いていた百済が大義をうたっても、それを見透かしている加耶諸国や
親新羅派の日本府が付いていくはずもなく、百済の目論見は失敗に終わる。
659日本@名無史さん:2009/04/29(水) 07:48:39
>>658
ありがとう
よくわかりました
660日本@名無史さん:2009/04/29(水) 08:04:42
>>659
>>658はただの自説だから。
661日本@名無史さん:2009/04/29(水) 12:39:21
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=114594&servcode=400§code=420
■「韓国修学旅行35年…宿題終える気持ち」 智辯学園の藤田理事長

「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ


> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ

> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ

> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ
662日本@名無史さん:2009/04/29(水) 13:39:51
いずれにせよ 今の韓国は 日本人の残りかすってことだろ
663日本@名無史さん:2009/04/29(水) 14:28:32
学問板にはお呼びじゃないのに蛆のように湧いてくる嫌韓厨うざってぇ。
664日本@名無史さん:2009/04/29(水) 14:52:55
この間の番組が話題に出ているけど
これってもっと違う形で番組を作れなかったものかね?
例えば、日本における通説と韓国の通説を紹介して
それぞれの共通点、違う点をだして
無理に一つの見解にしなくて良かったのにね
665日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:08:00
NHKは前も歴史番組で古代に日本の朝鮮半島出兵はなかったと強調していたから
よほどこの事実は朝鮮人にとって嫌らしいな
666日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:13:49
>>665
自分たちの三国史記にすら書いてある事実を否定するんだから、あの国の学者は何を根拠に学説を立ててるんだって話だよな

まったく、妄想で歴史を塗り固める事に関して朝鮮人に勝てる民族はないな
667日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:31:39
>>662
残りカスと高句麗やその周辺の部族や民をバケツに入れて一色に混ざり合うまで
熟成させた奴ら。
668日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:38:31
>>665
「日本軍」による古代の半島侵略は無かったと言ってるんだから
NHKは右翼だねw
669日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:39:57
今朝鮮半島に住んでる人達を朝鮮人と呼ぶ事にする。

朝鮮人は百済人(被支配層と支配層も)、新羅人、高句麗人を自分達と同視してるが
現朝鮮人はそれらと高句麗北方&周辺の部族等とのブレンドだろーが。

日本人は縄文系の南からの人たちや北方の人達、百済新羅高句麗、バイカル湖周辺や
長江周辺等のブレンド。
670日本@名無史さん:2009/04/29(水) 19:43:45
倭が傭兵だったとか見苦しいあがきで痛々しい。
671日本@名無史さん:2009/04/30(木) 20:57:09
倭っていうのは江南あたりの海民っていわれてるよね。南方海民には他に東南アジア系もありますが。
この倭が大陸沿岸を開拓しつつ(港を開きつつ)容易に攻めてこられない列島に徐々に軸を移した。もともと文化水準も高かった。
で、この倭を橋渡しにしていろんな人たちが渡ってきた。百済や新羅や加羅もちろんですが、楽浪郡の漢人とか…
一方、日本列島にはすでに先住の人々がいた。

これでいい?
672日本@名無史さん:2009/04/30(木) 21:46:53
時代も書いとけば良いかも
673日本@名無史さん:2009/04/30(木) 21:48:58
>>660
>>658は「ただの自説」ではなく、ほとんど欽明紀の内容だ。
ただ、任那日本府が置かれたのが「任那の復興」が目的だったかというと、
それは欽明紀には書かれていない。
674日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:03:20
それでは任那日本府はなんのために置かれたか。

ここから先が>>658ではない私の自説だが、任那日本府は全羅南道の倭領
を百済に譲渡した後の、倭人行政官たちの収容所だと思う。
収容所と言っても、安羅にしかるべき領地を提供させて、行政官たちを
領主の形で住まわせたものだ。
行政官たちは、元の地位にあってはまさに任那倭宰、すなわち「ミマナノ
ヤマトノミコトモチ」であった。それが失職して安羅で徒食していても、
便宜的にもとの職名で呼ばれていたのだ。
このような実態だから、欽明紀に表れるように、地位としては他の
任那諸国とたいして変わらないし、百済への反感から親新羅にもなるのだ。
675日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:42:32
任那なんてちっぽけな存在はどうでもいい
朝鮮半島南部の新羅や百済が日本の勢力下にあったことははっきりとしているわけだから
676日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:56:11
田母神乙
ネトウヨ乙
677日本@名無史さん:2009/04/30(木) 23:16:42
嫌韓厨=日本人を装う台湾人朝鮮煙幕部隊


ひょっとして、もうこれ常識だった?w


678日本@名無史さん:2009/05/01(金) 00:12:55
>>641
使持節都督
とはどんな役職なのでしょうか?
679日本@名無史さん:2009/05/01(金) 01:15:05
イメージ的に節度使のちょっと弱い奴だな
節を与えられてそれに伴う権限も分与された奴、みたいな
680日本@名無史さん:2009/05/01(金) 01:17:05
681日本@名無史さん:2009/05/01(金) 01:22:59
>>673
>ほとんど欽明紀の内容だ。

バレたかw
さすが分かる人には分かるんだね。

>>674
>行政官たちは、元の地位にあってはまさに任那倭宰、すなわち「ミマナノ
>ヤマトノミコトモチ」であった。

『日本書紀』で用いられる広義の「任那」は、加耶諸国のことであって、
その範囲はおおよそ慶尚南道ほぼ全域および慶尚北道の一部。
したがって、御説で倭人行政官たちがいたといわれる全羅南道は
「任那」には含まれない。全羅南道は馬韓諸国の故地のはずだ。
よって、元の地位が任那倭宰だったというのには疑問符が付く。

それに、御説に従えば、その倭人行政官は「日本府」の上級官人になった
と思われるが、任地が全羅南道から慶尚南道方面に変わったとはいえ、
それなりに現地の事情に通じているはずの彼らがなぜ易々と下僚の倭系
加耶人に主導権を握られてしまったのかという疑問もある。

すなわち、「日本府」の上官は倭王の派遣した、おそらく交代制の使臣で、
現地の情勢に暗く、倭系加耶人の下僚に頼るしかなかったのではないかと。
682日本@名無史さん:2009/05/01(金) 01:24:23
>>678
「使持節」の「節」は元をたどれば割符の意で、将軍が皇帝から軍事に
関する専殺権を与えられていることの証。節刀や節鉞もこの類。
軍事専断権である節を持つ資格が、持節であり、権限の大きいものから、
使持節、持節、仮節とある。

都督諸軍事は、一定地域について皇帝の軍事大権を委任される官。
東晋や劉宋の時代には、州刺史や州将が都督某州諸軍事となって、
複数の州を管轄する場合があり、軍管区的支配を行ったという。

以上、山尾幸久氏の受け売り。
683日本@名無史さん:2009/05/01(金) 10:18:03
もう一度日本が朝鮮を支配して調べればいろいろわかるかもね。
684日本@名無史さん:2009/05/01(金) 10:24:39
奴らは日本側に有利となるような遺跡は埋めてしまうんだから
闇ですよ
685日本@名無史さん:2009/05/01(金) 12:37:39
韓人   「我々に文化財がないのは日帝が全て燃やしてしまったからだ」
おまえら 「韓国に倭人の遺跡がないのは韓人が全て埋めてしまったからだ」

おまえら=韓人
686 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/01(金) 13:18:36

   ∧_∧ ホルホル
  <丶`∀´>   ウリたち在日は韓国ネチズンやチョッパリ嫌韓厨よりも優秀な存在ニダ
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ 
  \/     /
     ̄ ̄ ̄

687日本@名無史さん:2009/05/01(金) 13:50:47
>>681
>バレたかw
>さすが分かる人には分かるんだね。

いや、欽明紀を解説してくれるのは大いに有り難い。
任那日本府が出て来るのはほとんど欽明紀に限られるのに、その欽明紀に
書かれた任那日本府の情けない姿が議論のベースになることがあまりにも
少ないから。

>倭人行政官たちがいたといわれる全羅南道は 「任那」には含まれない。

そんなことはない。継体紀6年12月の条に、百済が「表たてまつりて
任那国の上多利、下多利、娑陀、牟褸(ネなし)、四つの県を請う」とある。
同じ条のすこし後に「表に依りて任那の四県を賜う」とある。
もちろん、四県とは全羅南道にある倭の直轄領のことだ。

>「日本府」の上官は倭王の派遣した、おそらく交代制の使臣で、

元全羅南道の行政官だったのであれば任地では土着かつ世襲だったと思う。
なぜなら彼らは前方後円墳を築いたのだから。
安羅で現地人に実権を握られたのは、「居候」の立場だったからではないか。
688日本@名無史さん:2009/05/01(金) 17:23:30
任那も新羅も百済も当時のヤマトから見ればちっこいちっこい
話にならんw
689日本@名無史さん:2009/05/01(金) 18:04:17
>>683
35年間も支配しながら、大盛洞も前方後円墳も見つけなかったのに?
690日本@名無史さん:2009/05/01(金) 18:51:23
>>689
古墳を調べる前に、原始的な朝鮮の社会インフラを整え、耕地を増やし、鉱工業を興し、
文盲の民に教育を施し、といった仕事がそれこそ山積みだったからね。
691日本@名無史さん:2009/05/01(金) 18:59:56
韓国人って朝鮮総督府時代に分かった自分たちに都合の良くなかった事とか全部「日帝の捏造だ」とか言い張ってるよな
692日本@名無史さん:2009/05/01(金) 19:52:22
>>690
ああ今のチベットで中国がしてることと同じだよね
693日本@名無史さん:2009/05/01(金) 19:56:32
>>692
中共はインフラ整備はしてないと思うぞ
694日本@名無史さん:2009/05/01(金) 20:08:24
>>692
ん? チベットが中国に併合を要請したとは聞いてないし、
ダライ・ラマを始めとする指導者層が、李王家や朝鮮貴族のように
特権階級として中国共産党に迎え入れられたとも聞いてないが。w
695日本@名無史さん:2009/05/01(金) 22:51:42
>>693
チベットまで鉄道を敷いたのはインフラ整備じゃないのか?
696日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:20:09
北京オリンピックにチベット人選手などいたか?
697日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:28:34
証言の「断片」のみ放映―台湾の被取材者が怒る反日番組「NHKスペシャル/シリーズ・JAPANデビュー」
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-716.html
■心外だ!台湾人が排日と誤解される!
――NHKには利用された、騙されたという気もしている。日本に対するネガティブな印象のところだけ取り上げられた。
――台湾と日本との仲を引き裂こうとしているのだろうか。どうしてもそう見える。台湾へ来たことのない人が番組を見たらどう思うか。
――NHKのバックには中共がいるのだろうか。NHKは中共にブレーンウォッシュされているのだろうか。それとも遠慮しているのか。
■台湾の「親日」イメージ破壊としか思えない
■台湾人の心の蹂躙をも厭わない強烈な反日番組

NHKスペシャル シリーズ『JAPANデビュー』〜今後の放送予定
・第2回「天皇と憲法」(仮) 5/3(日)PM9:00〜
・第3回「貿易で立つ国家」(仮)
・第4回「軍事強国」(仮)

ETV特集 シリーズ『日本と朝鮮半島 2000年』(教育テレビ)〜今後の放送予定
・第1回 太古 人々は海峡を越えた」(仮) 4/26(日)PM10:00〜
・第2回「“任那日本府“の謎」(仮)
・第3回「仏教伝来 渡来人たちの旅路」(仮)
・第4回「白村江 敗戦ショックが生んだ‘日本’」(仮)
・第5回「環日本海 もう一つの道」(仮)
・第6回「モンゴルの衝撃」(仮)
・第7回「東シナ海 倭寇の真実」(仮)
・第8回「秀吉の侵攻はこうして行われた」(仮)
・第9回「朝鮮通信使 和解のために」(仮)
・第10回「江華島条約 韓国併合への道」(仮)


NHKおよび放送番組についてのご意見・お問い合わせ  ●http://www.nhk.or.jp/css/
NHKスペシャル「感想・問い合わせ」             ●http://www.nhk.or.jp/special/
放送倫理・番組向上機構(通称BPO)ご意見送信フォーム ●https://www.bpo.gr.jp/audience/send/form.html
総務省・ご意見ご提案の受付                  ●https://www.soumu.go.jp/common/opinions.html
首相官邸ホームページご意見募集              ●http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html
698日本@名無史さん:2009/05/02(土) 04:15:03
>>689
原始時代の国を開発したんだからその労力は計り知れない。
何千年もタームワープしたんだぜ。
699日本@名無史さん:2009/05/02(土) 08:43:01
>>695
>チベットまで鉄道を敷いたのはインフラ整備じゃないのか?

漢人を運び漢化しやすくするため。
チベット人にとっては迷惑な話。

朝鮮のように自ら「日本化を願った」のと訳が違う。
700日本@名無史さん:2009/05/02(土) 10:49:10
好太王碑の改竄説は完全に否定されたのに未だに歴史の本じゃ「王碑の内容は疑問視されている」とか
「倭が朝鮮半島を支配した事実は無い」とか書いて訂正する気配はなし。どんだけ朝鮮に媚びてるんだか
701日本@名無史さん:2009/05/02(土) 17:05:50
>>699
ほう、チベット人が願ったものでなければ鉄道もインフラじゃないのか。
702日本@名無史さん:2009/05/02(土) 17:21:12
>>700
具体的にどこの歴史の本なの?
703日本@名無史さん:2009/05/02(土) 20:42:54
>>701
インフラだよ。
しかし迷惑だと言ってる。
言っておくが俺は>693ではない。
704日本@名無史さん:2009/05/02(土) 20:58:07
中共による「チベット開放」が1950年。経済支援が1980年代から。チベット鉄道全線開通が2006年。
日本は当時国家予算の20%を投入し続けてインフラ整備。人口は倍に。統治のためにそれこそ考古学の調査どころではなかったでしょ。
もちろん状況が違うから、単純な比較は厳しいし、ましてや「チベットで中国がしてることと同じ」と簡単に言えることではないですね。
705日本@名無史さん:2009/05/02(土) 21:17:53
とうとうチョンがプライドのために
古代の日本の歴史まで手を付けはじめたという事ですか?

放送大学もNHKも普通に朝鮮から文化をもらったとなってるんですが。
706日本@名無史さん:2009/05/02(土) 22:13:37
統治は政治家の仕事、考古学は学者の仕事で、交差することはないのだが。
707日本@名無史さん:2009/05/03(日) 05:52:24
>>703
朝鮮の鉄道だって、当時の朝鮮人は「迷惑だ」と言ったかもしらんよ。
中国の義和団の乱も、民衆による、外国人が敷設した鉄道の破壊で始まった。
708日本@名無史さん:2009/05/03(日) 07:29:56
>「迷惑だ」と言ったかもしらんよ。

かもしらんよではダメだ。
朝鮮人が日本化を希望し、
第三者から日本人に見られることを希望したのは事実。
実際、名前も日本風に変え、
中国大陸では日本人に化け、
中国人を積年のあだ討ちとばかりにいじめた。
その最低の朝鮮と、
希望もしないのに漢化を進められてるチベットを同じにするな。
709日本@名無史さん:2009/05/03(日) 08:08:58
そのチベット人も、何十年かすれば名前を中国風に変え、外国では
中国人とみられることを希望するようになるさ。
大国による支配というものの、どうしようもない事実だ。
710日本@名無史さん:2009/05/03(日) 08:42:24
>>709
アホか。
おまえは世界各地に亡命してるチベット人に対しても、
それと同じ事が言えるのか?
死んだって中国人と同じに見られたくないと思ってるはずだ。
711日本@名無史さん:2009/05/03(日) 09:13:13
朝鮮には関わらない方がいい
712日本@名無史さん:2009/05/03(日) 09:17:40
キチガイウヨが暴れて居マース
恐いでちゅねー
713日本@名無史さん:2009/05/03(日) 10:04:33
>>709
中共のチベット併合から既に数十年たってますが
714日本@名無史さん:2009/05/03(日) 13:33:10
>>713
インフラができてからの数十年だ。
インフラのおかげですでに中国人がなだれ込み始めている。
715日本@名無史さん:2009/05/03(日) 13:42:27
>>710
朝鮮人にだって亡命者はいたさ。金日成もその一人だ。
716日本@名無史さん:2009/05/03(日) 16:11:52
>>715
日露戦争後の名誉に憧れ、ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と、
ほとんどが死んでも漢人などになりたくないチベット人を一緒にするなドアホ。
717日本@名無史さん:2009/05/03(日) 16:50:36

>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と

キチガイウヨ降臨w
718日本@名無史さん:2009/05/03(日) 17:04:10
【韓国ブログ】百済王族の日本人子孫、1400年ぶりの墓参
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0503&f=national_0503_008.shtml

韓国日報が4月、ある日本人夫妻が韓国の益山市にある「武王陵」を訪れ、参拝したと紹介した。
千葉県在住の大内公夫さん夫妻は百済の聖王(ソンワン)の三男の琳聖(イムソン)太子の 45代目の
子孫にあたり「1400年ぶりに先祖の墓参りが叶ってとても嬉しい」と喜びを伝えた。
719日本@名無史さん:2009/05/03(日) 17:35:22
■沖縄文明は韓国人が築いた

http://www.chosunonline.com/news/20090503000014
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(上)

http://www.chosunonline.com/news/20090503000015
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(中)

http://www.chosunonline.com/news/20090503000016
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(下)

1273年に済州島から敗走した一部の勢力が沖縄へ
三別抄が沖縄でその瓦を使って建物を建てたのなら、今でも古代史の大部分が空白のままとなっている
沖縄の歴史において、かなり重要な意味を持つことになる可能性がある。
三別抄が韓国史の記録から消えた13世紀から、沖縄ではようやく農耕が本格化して人口が急速に増え、地域勢力が
成長し始めたからだ。あちこちに大きな城も築造された。一体どこから、そんな技術が突然流入したのだろうか。

720日本@名無史さん:2009/05/03(日) 18:23:14
>>717
韓国名のまま出世した人もいたということは、
日本名を名乗ったほとんどの朝鮮人は、
自分達で望んで日本名をつけたという事だからね。
君の祖先の恥ずかしい歴史を直視しなさいw
721日本@名無史さん:2009/05/03(日) 18:37:31
朝鮮人は源義経はチンギスハーンと同レベルな事を真顔で言っちゃうからタチが悪い
722日本@名無史さん:2009/05/03(日) 23:53:12
>>720
内心、忸怩たる所はあったろうけどね。

しかし、特亜のやつらがアメリカに行くと、
ボブとかエリザベスとかセカンドネーム付けるのが普通らしいし。
自分の名前にプライドとか無いのかもしれん。
723日本@名無史さん:2009/05/04(月) 00:13:35
>>722
>自分の名前にプライドとか無いのかもしれん。

そりゃそうさ、今の名前だって中国人の名前をパクったんだし。
中国人より中国らしいしなw
724日本@名無史さん:2009/05/04(月) 01:01:08
>>714
中国人がチベットになだれ込み始めて、その結果ますますチベット人の反中感情は高まってるようですけどね
言うこと支離滅裂ですな
725日本@名無史さん:2009/05/04(月) 11:01:42
>>722
ああ台湾人が典型だよな
726日本@名無史さん:2009/05/04(月) 16:56:29
正直、話を一度まとめて欲しいんだけど

南朝鮮における「大和王権の支配の痕跡」ってどうなの?
最近の教科書には「任那日本府はなかった」という記述があるけど...
奇説のまえに、日本学界の主流というのを聞かせてよ
727日本@名無史さん:2009/05/04(月) 17:39:59
>>726
ほんとにそうなってんの?どこの教科書?中学高校?
728日本@名無史さん:2009/05/04(月) 17:46:51
>>727
いやそもそもあった、なんてかいてる教科書なんてどこにあんの?
729日本@名無史さん:2009/05/04(月) 19:37:38
スルーされてるのが現状と言う気がするんだけど実際のとこはどうなん?
730日本@名無史さん:2009/05/04(月) 20:06:37
加羅地方が日本の影響下にあったのみならず
日本人が直接統治していたとなれば
朝鮮の金さんが悲鳴を挙げる
といってもペクチョンが殆ど勝手に子孫だと偽ってるだけなんだけどな
731日本@名無史さん:2009/05/04(月) 20:08:08
日本人は別にあ〜対馬の海を渡っていろいろやってたんだなってぐらいの認識なんだが
「金」さんからすれば絶対に譲れない問題
732日本@名無史さん:2009/05/05(火) 00:00:05
数々の記述を無視し半島の反発を招かないように書いてある歴史教科書は
もはや歴史読本、歴史群像以下の価値しかない
733日本@名無史さん:2009/05/05(火) 08:26:46
その他国の感情とやらが嘘と見栄を基にしてるんだから尚更始末が悪い
嘘と見栄に歴史がねじ曲げられてるってわけだ
734日本@名無史さん:2009/05/05(火) 11:21:57
任那なんてなかったんだよ。

任那日本府なんてなかったんだよ。
735日本@名無史さん:2009/05/05(火) 11:52:43
捏造日朝関係史はハン板でやれ。

朝鮮人は来るな!
736日本@名無史さん:2009/05/05(火) 13:12:03
あのころの朝鮮半島は小国分立で戦乱状態。
かたや日本は安定かつ強大な政権があって超巨大古墳を造りまくり。
これを素直に見れば日本が朝鮮半島に勢力を拡大できても
その逆はありえないと用意に納得できるはずなのに
馬鹿チョンはそう考えられない。
半島から日本を追い出すことが出来たのは新羅の半島における勢力が
圧倒的になってから
737日本@名無史さん:2009/05/05(火) 16:36:39
正史三国志に記述された三韓及び倭の戸数
馬韓(合計50余国)……10万戸  弁韓+辰韓(合計24カ国)……4〜5万戸
倭(合計8国)……15万戸以上
倭の場合、邪馬台国は30ヶ国あまりの国を支配下に置いていたが、戸数が記されているのは大陸から邪馬台国の
道程にあった国だけである。他の20ヶ国以上は記されていない。全てを合計すると、邪馬台国だけで戸数は蜀を
上回っているだろう。倭はそれだけの人口を抱えていたのである。これだけでも、半島が日本に勢力を伸ばす
事など夢物語であろう。因みに当時の三国の戸数も記しておく。魏…64万戸 呉…52万3000戸 蜀…28万戸
738日本@名無史さん:2009/05/05(火) 17:14:12
他の20カ国以上、てのの戸数が載ってる文献って何?
739日本@名無史さん:2009/05/05(火) 18:10:55
>>101
まあお前がチョンならそれは困るんだろうけど
立ち退いてもらえるならそれでいいじゃん
土地は貰っておこう、人はいらないから
全部北朝鮮に移住してもらって、
ついでに在日と明治以降の帰化人も引き取ってもらおう
740日本@名無史さん:2009/05/05(火) 18:32:51
>>739
おまえの発想はチョンそのままだなw
741日本@名無史さん:2009/05/06(水) 09:34:59
>>738
737の数字は、魏志倭人伝だよ。三国志魏書東夷伝倭人条が正式かな。
742日本@名無史さん:2009/05/06(水) 10:05:55
>>737 そのころの日本の人口は200万人くらいだから無理無理
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html
743日本@名無史さん:2009/05/06(水) 10:08:27
あっ、60万の間違い

それから、>>734は学界の定説
古事記になくて後出しの日本書紀にある事が全てだ
744日本@名無史さん:2009/05/06(水) 11:17:08
半島史料になくて後出しの日本書紀に書いてあることが、
ウリナラが日本に文化を伝えてやったニダ説の全てだ。
745日本@名無史さん:2009/05/06(水) 12:07:14
>>742
200万人というのは、40万戸〜60万戸くらい?

蜀の人口が28万戸で100万人弱、動員兵力10万強だっけ。

倭の統治機構は蜀漢ほど整備されてなかったろうが。
746日本@名無史さん:2009/05/06(水) 14:25:37
>>743
そもそも古事記の後半は内容スカスカなわけだが。
747日本@名無史さん:2009/05/06(水) 14:37:25
>>745
>>742は肝心な数字を書き間違えてすぐ下で60万に訂正してるうっかり者
だしな。w

>>742のリンク先の59万というのは小山修三説に拠っているんだろうけど、
現在は小山氏当人が弥生末にはすでに100万を超えただろうと訂正しているので、
倭国は少なくとも蜀(94万)以上の国力はあったことになるよね。
748日本@名無史さん:2009/05/06(水) 15:50:25
>>747
なるほどインドはイギリスよりも国力があるわけだ
749日本@名無史さん:2009/05/06(水) 16:24:33
>>748
産業革命以前は、人口イコール国力だと思って良い。
主要産業である農業生産に必要な労働力に、人間が欠かせなかったから。
750日本@名無史さん:2009/05/06(水) 16:47:13
イギリスがインドのGDPを抜くのは20世紀初頭だっけな。とにかくインドの利益はあまりに
大きかったから統治に固執したんだよなイギリス
751日本@名無史さん:2009/05/06(水) 18:25:03
小山や埴原なんて50年前の説だろ?

752日本@名無史さん:2009/05/06(水) 21:47:13
蜀漢は塩や鉄を専売にしてたからさすがに倭より国力が低かったなんてことはねーよ
753日本@名無史さん:2009/05/07(木) 17:10:25
>>705
5月から放映してる放送大学の「日本の古代」(2005年製作)を見たけど、
極端に朝鮮を持ち上げたりはしてなかったけど?
広開土王碑の解釈も、日本の軍事支配の時期はあったという方向だったし。
七支刀やら鉄剣やらも、百済が日本への軍事支援要請の贈り物というように紹介していたし。

ただし、「日本美術史」の先生の方は、従来的な、
朝鮮から文化が、というような事ばっかり言ってたね。
ただ、古墳壁画の源流の具体例は全部中国の物だったけど。
754日本@名無史さん:2009/05/08(金) 03:03:42
倭国という凶暴な蛮族を、秦韓人の技術や律令、百済の仏教文化によって刺青も無くなり
民度が上がったのは確かかな。ただ未だに韓国は所詮新羅なんだなって思う今日この頃だ。
755日本@名無史さん:2009/05/08(金) 04:47:03
百済から来ようと新羅から来ようと、日本人・百済人・新羅人の全てが中華の文明を求めていたのは事実。
名前まで中国風に変更する半島においては顕著だろ。

日本人の欲しかったのは中国の「先進」文化文明。
半島からの希釈されて味の無くなった文化文明では飽き足ら無かったのは事実。
実際、遣隋使・遣唐使によって日本の中華文化文明は形作られた。
仏教だって、鑑真・空海・最澄がリセットしてるし。
半島から伝わった仏教なんて、上書きされて影も形も無いんじゃねーの。
残っててもドマイナーだよ。
756日本@名無史さん:2009/05/08(金) 08:38:54
>>754
アホ言え。日本は元から高いんじゃ。未だに新羅程度ってことは鮮人は元から低いってわけだ
757日本@名無史さん:2009/05/08(金) 08:39:08
日本古代書は中国文化の陰陽と漢字表記だが、古神道や風土逸話などからもみれて、九州日向属と大和に出雲属 肝心の出雲は出雲属でなく渡来鉄属と箸文化持つ大山昨系で、後に大陸奥地から朝鮮半島流入王家と別者みたい。古代から亡命朝鮮からの秦はいて粗密入れる。
758日本@名無史さん:2009/05/08(金) 10:07:06
自分とこの名前、地名を漢字で表記して
伝統的な動物名などからから好字二字名にかえたり
日本が中国風になってないとでも思ってるのか?
759 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/08(金) 10:25:20
       日本が中国風になってないとでも思ってるニカ!!
  ∧_∧ 
 ∩#`Д´>/ ̄ ̄/ バン
 ( ミつ_// LG /   バン
  {二二} 三三}
    ̄ ̄ ̄ ̄"



朝鮮は”中国風”じゃなくて、まんま中国名だよね。w
760日本@名無史さん:2009/05/08(金) 15:41:25
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
第1回 古代 人々は海峡を越えた
http://www.nhk.or.jp/japan/program/prg_090426_3.html

この番組もひどかったぞ。北朝鮮シンパの極左の巣窟・立命館大学の山尾幸久名誉教授が、
高句麗広開土王碑文に見られる倭の半島出兵や任那日本府問題について、倭は伽耶の
鉄資源欲しさに、労働力として生口(=奴隷)を伽耶に差し出していた、彼らが現地で武器を
与えられて傭兵として戦わされた、という驚くべき仮説を出していた。当然、任那日本府を否定。
一緒にゲスト出演していた韓国人学者と同じような立場。どこまで卑屈な日本人学者なんだ。
そして、どこまで卑屈な放送局なんだ、NHK!
さらに、番組の最後の方で、石澤典夫キャスターに「日朝交流史を考えるうえで一番大事な
ことはなんでしょうか?」と問われた山尾名誉教授は、「両国の歴史認識の溝を埋めることです。
そのためには日本側が外部から、韓国側から日本史を見るという見方が必要です」という感じの
回答をしていた。週刊新潮が指摘したように、このシリーズの未来は見えた。「韓国から見た
日朝交流史」ということだろう。しかも、それが真実であるという放送。第2回「“任那日本府“
の謎」(仮)の内容も見えてきた。

週刊新潮 [ 2009年04月23日号]
歴史歪曲と「台湾人」も激怒したNHK「超偏向」番組

 4月5日の冒頭番組で、NHKは<未来を見通す鍵は歴史の中にある>と高らかに宣言している。
とすれば、このシリーズの<未来>にも直近の<歴史>である第1回放送で露呈した「超偏向」の
姿勢が見え隠れするのである。
 眉に唾しつつ「シリーズ・JAPANデビュー」の今後を見守ろう。
http://s02.megalodon.jp/2009-0416-2106-10/takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1239448139/651
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1239448139/
http://s02.megalodon.jp/2009-0416-2058-43/takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1239448139/
761日本@名無史さん:2009/05/08(金) 15:53:59
>>760
ETV特集「第1回 古代 人々は海峡を越えた」

朝鮮から日本に輸入した鉄の対価に日本から「生口」つまり奴隷が輸出されて、輸出された
日本人が傭兵として戦場で消費されたという立命館大学の山尾幸久名誉教授の説明は、
初耳だった。
http://bugswebblog.at.webry.info/200904/article_30.html
山尾幸久名誉教授の創作だとしたら、そういう歴史の語り口は乏しい資料から古代朝鮮に
日本の植民地を創作した戦前の歴史家と同類だということだ。
http://bugswebblog.at.webry.info/200904/article_27.html

朝鮮史研究会論文集 第15集  山尾幸久 「百済三書と日本書紀」
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/chosenshi/no15.htm
朝鮮史研究会  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A

制作統括:塩田純

ゲストは、NHK番組制作局の塩田純氏。南京大虐殺の史実にも踏み込んだNHKスペシャル
「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したか〜」で文化庁芸術祭テレビ部門大賞を受賞するなど活躍している。
http://www.geocities.jp/hoso_katarukai/32hokoku.html

ブログテーマ[嘘つき朝鮮人]|朝鮮歴史館
NHK ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 第1回 古代 人々は海峡を越えた

最後のクレジットで番組制作を指示するディレクターの名前を見たら、「田容承」、案の定在日だった。
学問を装っているが、実際には一方の仮説を証明する証拠だけを取捨選択している。つまり、
朝鮮民族の自慰史観に沿う仮説だけを放送している。
http://ameblo.jp/campanera/theme-10002943377.html
762日本@名無史さん:2009/05/08(金) 17:18:16
■天皇家の起源は韓国 朝鮮が本家で日本は分家


海音寺  「魏志倭人伝」の記述を真正直に読めば、倭の境は朝鮮半島にありますね。
つまり、三国志の頃の中国人は南朝鮮から日本列島にかけての地域全体を倭・日本と考えていたのですね。
ですからおそらく南朝鮮の人間と日本人とは同種族でしょう。

司馬 同じだと思いますね。 「古事記」だったか「日本書紀」だったかにも、スサノオ尊は朝鮮南部とさかんに
ゆききして、晩年はソシモリというところに隠棲したということになっておりますね。
その子のなんとかの命も、日韓を往復し、朝鮮の植物をうんと持って来て日本に植えた、ということになっていますね。

海音寺 辞林の著者の金沢庄三郎博士・あの人は言語学上から日韓同祖説を唱えていますね。
同祖説の最初の人ですね。
今日の日本の学者の中にもそういう人がいないではない。
騎馬民族説の江上博士なぞは、向うの方から、征服民族ですが、渡って来ているといってるんですね。
古代の一時期、朝鮮南端は日本の天皇家及び天皇家をとりまいている貴族らの根拠地であったという風に、江上博士は言ってますね。
最近の朝鮮の学者たちにもその説の人が多く、こっちが本家で、日本が分家だという説なんですね。

http://www1.megaegg.ne.jp/~myfriend/higeki.htm

つまり朝鮮半島南部の百済人や新羅人が日本列島に移住して大和朝廷を作ったということで決まりだね
実は天皇家も百済王家の分家だったということで子孫は韓国人だったわけだ

763日本@名無史さん:2009/05/08(金) 18:15:49




ま、任那なんてなかったんだけどね。



764日本@名無史さん:2009/05/08(金) 18:45:47
海音寺潮五郎、司馬遼太郎、松本清張、黒岩 重吾などの小説家が歴史を語っても何も意味がないのだが。
765日本@名無史さん:2009/05/08(金) 18:48:18
自分たちの先祖が作った歴史書にも同時代の中国の書籍にも
「日本の属国」
って書いてるのに、どうしてこうねじ曲がった考えするのかね。
766日本@名無史さん:2009/05/08(金) 18:58:29
767日本@名無史さん:2009/05/08(金) 23:20:13
>>761
山尾はそんなことは言っていなかったが。
もしかして、貴方は日本語が母国語ではないのかな
768日本@名無史さん:2009/05/09(土) 01:19:10
>>767
傭兵の話は韓国人学者の方だと?
両者全体としてそういう話だったよ。
769日本@名無史さん:2009/05/09(土) 01:58:49
>>760
立命館に破防法を適用しよう。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/988354965/

救う会兵庫副代表 岡田和典
 「広田さんの出身校が立命館大学(京都)であることにも触れなければ
 ならない。同大学卒業生には七人という他大学を圧する多数の特定失踪者が
 存在する。私事で恐縮であるが、私もまた社会人学生として昨年法学部を
 卒業した立命館大学卒業生である。出身校を悪く言うのは心苦しいが、
 今なお同大学の教授陣は左翼人脈のオンパレードであり、履修したい講義が
 なく履修届の際に苦労したものである。もちろん大学内に拉致に関与した者が
 いたかどうかは今後の真相解明を待つところであるが、」
 http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2004/0401/ronbun1-1.html
 「更に、立命館大学の経済学部、経営学部出身者が数人、5年、10年の
 周期で失踪していることも判明した。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H15/1510/1510035complicity.html
特定失踪者問題協議会 荒木和博代表
 「大学でいうとですね立命館、この中にもひょっとしたら立命館のご出身の方が
 おられるかもしれませんが。立命館の卒業生が他の大学の卒業生に比べて、
 非常に多いんです。7人、非公開の方を入れて7人、そういうようなことがありまして、
 どうもですね、これは普通ではないというふうに思うようになりました。」
 http://imaxel.no-ip.com/skips/ss6.htm
770日本@名無史さん:2009/05/09(土) 02:07:59
◆拉致・特定失踪者、学校や学歴に共通性 「選定者」存在か
http://sakura4987.exblog.jp/5046251/

【拉致問題】特定失踪者問題調査会、立命館大に失踪者8人の調査協力を要請 [12/18]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1197989836/
【拉致】 なぜ立命館大生が集中的に狙われた?〜学校関係者や周辺に工作員や協力者がいた可能性が高い [01/23]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1169557685/
★立命館大学に複数の失踪者 教職員が関与か?★
http://tmp3.2ch.net/test/read.cgi/asia/1076568538/l50

【社会】1998年に三重で失踪の女性、北朝鮮に拉致か?【辻出紀子さん】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1220832297/
【拉致新疑惑】捜査当局が拉致事件で再捜査 10年前に失踪の辻出さん
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080908/plc0809080200001-n1.htm
辻出紀子
1993/04   立命館大学法学部(政治行政コース)入学
http://210.230.1.139/?%CB%CC%C4%AB%C1%AF%A1%A1%D9%C7%C3%D7%D9%C7%C3%D7%2F%C4%D4%BD%D0%B5%AA%BB%D2
『フライデー』 2008年9月26日号
18人目の拉致被害者なのか──「10年目の不安と希望」を両親が激白!
【三重】失踪美人記者《辻出紀子さん》 本誌が掴んでいた「北朝鮮との接点」全情報
771日本@名無史さん:2009/05/09(土) 02:39:41
>>760-761
234 名無しさん@九周年 New! 2009/05/08(金) 16:42:34 ID:uC6UASyz0
>>232
これ録画で最初の部分だけ見たが、
水田稲作の伝来を、纒向遺跡で発見された紅花の花粉から、
無理矢理こじつけ、朝鮮半島、あるいは中国経由で日本に伝わったとしていたな。

遺跡で発見された稲穂の年代測定で、朝鮮半島経由はありえないことが、
定説になりつつあるのに、まったく紹介せず。

日本から朝鮮半島への米の伝播について・稲作の伝播のまとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html

韓国人教授が、しきりに、「先進技術を学ぶために朝鮮半島に・・」と、
言っていたのにはワロタ
772日本@名無史さん:2009/05/09(土) 03:55:38
>>769
立命の建物の裏階段は「民青新聞」「赤旗」「祖国と青年」「京都新報」が山積みだった記憶がある。
今は知らんよ。

773日本@名無史さん:2009/05/09(土) 06:51:05
■ETV特集「第1回 古代 人々は海峡を越えた」 日本と朝鮮半島2000年

この番組で立命館大学名誉教授 山尾幸久教授が認めたこと


1  稲作は最新文化や技術を持った朝鮮半島から日本に伝えられた

2  任那日本府とは鉄製の技術を持っていた加羅が高句麗と戦うために倭が欲しがっていた鉄と
   引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用したりした
   朝鮮半島南部にたくさん移り住んでいた倭人の集落群のこと

3  仏教は中国から百済を経由して日本に伝わったが、百済は単なる仏教の中継地点ではなく
   日本はあくまで百済仏教を輸入した、中国仏教ではない百済人が選んだ百済の仏教を
   日本は受け入れた、それによって飛鳥文化が誕生し言語(音読み・訓読み)が生まれた

4  7世紀末、百済と高句麗が滅亡し多くの百済人や高句麗人達が日本に移民した
   大半が貴族や高い知識を持った高官達で大和政権は彼らを高い役職につけて先進文化を
   吸収し日本の古代国家の形成に大きな改革をもたらし日本を成熟した国家にした

[感想]

まるで韓国人のお陰で日本が成立したと言わんばかりの番組だったね
稲作も仏教も半島南部に住んでいた倭人達も、そして古代日本国が形成されたのは滅亡した
百済・高句麗から渡来してきた貴族や高官達のおかげみたいな言い回し
しかも山尾教授が認めてたw
韓国の学者は一貫して先進文化は韓国から日本に伝わったと主張を最後まで変えなかったのに
日本の学者のへたれぶりに呆れるよwでも事実だから仕方ないかw
  
774日本@名無史さん:2009/05/09(土) 07:40:28
>>771
たとえその教授の言う事が事実でも、先進文明があるからそれを手に入れるためには命をかける。
そういう気概が大事なんだけどな。
朝鮮人がよく言う、高いところから低いところに流れる様に文化が云々。
そんな受動的な態度で文化や文明は手に入らないよ。
19世紀の日本と中韓の対応の差に如実に現れている。
真剣にヨーロッパを学んだ日本と日本の成功を見てから動いた中国。
何もできなかった朝鮮。

日本人が先進文明を欲しがったら朝鮮半島にある文明なんてすぐに涸れ井戸状態。
底が浅いのは目に見えている。
775日本@名無史さん:2009/05/09(土) 08:30:10
半島を倭が占領していた史料は相変わらず無視かw
日本由来の武具がたくさん出土することを誤魔化すために
日本人傭兵云々という詭弁をひねり出したわけだ
776日本@名無史さん:2009/05/09(土) 08:34:08
高天原は朝鮮半島で、天孫降臨神話は半島から渡来した勢力による征服の神話化。
応神大王は金官加羅からやってきた傭兵隊長。
777日本@名無史さん:2009/05/09(土) 08:53:40
778日本@名無史さん:2009/05/09(土) 09:07:25
>>773
1  稲作は最新文化や技術を持った朝鮮半島南部の倭人集団から日本の倭人集団に伝えられた

2  任那日本府とは鉄製の技術を持っていた加羅(倭人国家)が高句麗と戦うために列島倭人が欲しがっていた鉄と
   引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用したりした
   朝鮮半島南部にたくさん移り住んでいた倭人の集落群のこと

3  仏教は中国から百済を経由して日本に伝わったが、百済は単なる仏教の中継地点ではなく
   日本はあくまで百済仏教を輸入した、中国仏教ではない百済人が選んだ百済の仏教を
   日本は受け入れた、それによって飛鳥文化が誕生し言語(音読み・訓読み)が生まれた

   後に半島経由では仏教の真髄が得られないので遣隋使、遣唐使を留学させて直接、インド仏教をサンスクリット原典で学んだ。

4  7世紀末、百済と高句麗が滅亡し多くの百済人や高句麗人達が日本に移民した
   大半が貴族や高い知識を持った高官達で大和政権は彼らを高い役職につけてシナ、インド、西域の先進文化を
   吸収し日本の古代国家の形成に大きな改革をもたらし日本を成熟した国家にした

779日本@名無史さん:2009/05/09(土) 12:38:05
>>775
ホントに連中は、狂気の沙汰だな。
百済は、傭兵隊長のところに太子を人質に出すのか。
780日本@名無史さん:2009/05/09(土) 13:23:19
>>773
「労働力」という言葉も使ったが、それより「生口(=奴隷)」という言葉も出したことが重要。
「卑弥呼が魏帝に生口を献上した」というのと同じで、明らかに、朝鮮半島に対して日本を
貶める目的での発言だよ。
781日本@名無史さん:2009/05/09(土) 13:26:54
今日の13時30分から、BS2で、
例のETV特集日本と朝鮮半島2000年(1)「古代 人々は海峡を越えた」の放送があるよ。
見られなかった人は、今すぐテレビつけて。
782日本@名無史さん:2009/05/09(土) 13:43:26
NHKってなんであんな韓国びいきの(ねつ造)番組つくるんだ
奴隷や生口、もしくは倭軍の戦闘の上官に前方後円墳なんて作るだろうか

相当位の高い人が加羅に駐在してなければあんな古墳作らないだろ普通
でもそこはスルー
783日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:35:44
駐在したからって駐在先に古墳つくらんわな。
古墳つくったと言うことは現地で個人的な動員力があった=現地を支配していた ということ。
784日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:41:16
新羅が奴隷や傭兵の母国に人質まで差し出すかよ?
半島の歴史書にまで書いてあるんだからさ。
内外の史料が一致しているのに認めないなら、歴史学なんて成り立たないだろう。
785日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:58:43
鉄と交換できるような倭の産物と言ったら「翡翠」「貝輪」と「生口」くらいしか無いだろう。
生口と言えば、女は性奴隷兼家事労働、男だったら戦闘要員つーのはもっともな用途。
これは事実として認めなくては。
同じことは、世界中、何時の時代でも行われていること。

ただ、あまりに大量に倭人が輸出されたので、その存在が大きくなりすぎてしまったのだ。
軍団単位で輸出されて、それが現地の勢力を凌いでしまい、半独立状態になり、
半島南端部に倭人集団が形成されたのだと思うよ。
786日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:02:25
鉄と交換で傭兵輸出するんだったら、その傭兵で国ごと乗っ取っちゃえばいいじゃん
倭に傭兵頼まなきゃならんほど軍事力が劣ってるんだから、乗っ取りも簡単でしょ
エジプトにもマムルーク朝ってあるんだが

787日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:02:28
>>784

> 新羅が奴隷や傭兵の母国に人質まで差し出すかよ?
> 半島の歴史書にまで書いてあるんだからさ。
> 内外の史料が一致しているのに認めないなら、歴史学なんて成り立たないだろう。

人質を差し出すような国相手だからと言って、奴隷を輸出したはいけないのか?
現代のアメリカやロシアだって、日本に売春婦を「輸出」してくるじゃないか。
788日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:04:23
>>786
> 鉄と交換で傭兵輸出するんだったら、その傭兵で国ごと乗っ取っちゃえばいいじゃん
> 倭に傭兵頼まなきゃならんほど軍事力が劣ってるんだから、乗っ取りも簡単でしょ

出来ればやりたいところだったろうが、そうは行かなかったみたいだね。
もっと強いところ(唐)が出張ってきてしまったので。
789日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:06:26
>>785
交換してもらうどころか、もともと半島南部は古代から倭人の勢力範囲だったろ。
騎馬民族かなんかが来たみたいだけど、倭国に傭兵にしてもらって住まわせて
もらったのは、むしろあっちの方だろ。
790日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:15:51
>>788
広開土王碑が建てられたのは414年
唐の建国は618年
脳に蛆でも湧いてるの?
791日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:24:23
>>789
韓と倭の接点

  韓伝の最後に辰韓・弁辰の二十四国の中に弁辰涜廬(とくろ)国という国があり倭
と界を接している、と記されています。「東西海をもって限りとなし、南は倭と接す」か
ら始まって最後の段で、「弁辰涜廬国、倭と界を接す」となっているので、三韓(馬
韓、辰韓、弁韓=弁辰)とは別のものとして倭があり、その倭と接しているのは弁辰
涜廬国である、という理解になると思います。

  一方、倭人伝では行程上最初に出てくる倭地が狗邪韓国です。ということを素直
に読めば弁辰涜廬国と狗邪韓国が界を接しているということになると思います。この
両国がどの辺りであったかということですが、涜廬は韓国読みではトンノとなるよう
で、釜山の少し北方にある東莱(トンネー)が発音も近く、有力候補と考えられます。
一方、釜山からは縄文土器が沢山見つかっており、縄文時代から日本列島の人々
と交流があったことを示しております。また、その中心部には「カヤドン」と呼ばれて
いる場所があります。以上はわずかな痕跡ですが、狗邪韓国は洛東江の左岸(東
側)の釜山付近が最有力と考えられます。
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page012.html

また、半島南部の海岸地帯の中央部付近には浦上八国と言われた倭人の国々
があったと考えられます。位置的には弁辰の西南になると思われます。卑弥呼が魏
に使者を遣わした時代の少し前になりますが、三国史記の新羅本紀によれば、奈解
王14年(209)に浦上八国が伽耶を攻めるので伽耶が新羅(辰韓)に助けを求め、新
羅が兵を派遣して浦上八国の軍勢を破ったという記録があります。このことから考え
て半島南部の倭人の国々はかなりの勢力を持っていたと考えられます。
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page011.html

第232回 魏志倭人伝を読む その3
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku232.htm
792日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:25:51
>>791
魏志倭人伝の距離に関する記述からして、「其の北岸狗邪韓国」を倭国領としなければ
計算が合わない。これが後の広開土王碑文に出てくる任那加羅や任那日本府と
直結しているのだろう。
793日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:27:33
犬猫寄生虫ジャマイカw

論理的に物事を筋道たてて考えられるようなら
韓国人なんてやってられないわさ。
794日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:29:17
>>790
> >>788
> 広開土王碑が建てられたのは414年
> 唐の建国は618年
> 脳に蛆でも湧いてるの?

200年かかって、結局挫折したんだよ。
795日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:31:43
>>792
578 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 02/03/25 23:19
狗邪韓国が邪馬台国連合を形成していた一国であるかどうか諸説があるが、私は魏使が
そのように認識していたことは確実だと思う。倭国に向けて出航し狗邪韓国に到着した
表現が「其の北岸…」とあり、また魏志「韓伝」には「韓は帯方郡の南にあり、東西は
海を持って限りとし、南は倭に接す」とある。また魏志「弁辰伝」にも「徳盧国は倭に
接す」とある。また魏と通交している倭人の国は30ヵ国あるとしているが、狗邪韓国
から邪馬台国までで9ヵ国、その余の旁国とされた国々が21ヵ国であるからちょうど
合うわけである。 ●弁辰涜盧国(大邱=倭と界を接す)
http://www.uzumap.com/column/kodai_07.htm

http://mentai.2ch.net/history/kako/974/974989450.html
796日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:36:01
>>789
> >>785
> 交換してもらうどころか、もともと半島南部は古代から倭人の勢力範囲だったろ。
> 騎馬民族かなんかが来たみたいだけど、倭国に傭兵にしてもらって住まわせて
> もらったのは、むしろあっちの方だろ。

鉄が出るの弁辰域だが・・・・そこを倭人が支配していたとも思えないが。
魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと書かれているが別物だよ。
半島南端部に倭人国が在ったとか言う説もあるにはあるが、
九州側の倭人は鉄を得る為には奴隷貿易が必要なことに違いは無い。
797日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:42:17
>>794
なぜ200年かかって挫折したの?
軍事力を他国に頼ってる状態でなぜ200年乗っ取られずに済んだの?
1次史料に基づき理由を述べてね、脳軟化症患者くん
798日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:46:03
「広開土王碑」には倭を誇張して書かれているとか言ってたな
韓国の学者は戦闘要員として送り込まれた倭人達があまりにたくさん増えて
高句麗と戦ったので倭人と戦ったと勘違いしたんでしょうとか言ってたw

つまり「広開土王碑」に記載されてるような高句麗と激戦を繰り広げていたのは
金管加羅の軍隊でありその中に派遣されてきた倭人を高句麗軍は倭と戦っていたと
勘違いし広開土王碑に書き込んだと・・w

んなわけないだろwww
799日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:00:26
>>785
韓国の古墳にクスノキの棺 鉄の見返り、日本から運ぶ?

朝鮮半島からもたらされた鉄の見返りに、日本から何が運ばれたのか。古代史最大級の
謎に、新たな仮説が登場した。木材だ。韓国南部の古墳で昨年、朝鮮半島では自生しない
クスノキの棺が発見されたからだ。中国を含む東アジアに特定の樹木を貴ぶ文化があった
という新しい歴史像も浮上している。

木棺が見つかったのは、慶尚南道昌寧郡の松●洞古墳群(全23基)の7号墳(5世紀末〜
6世紀初頭)。当時一帯は加耶(かや)と呼ばれ、小さな国がいくつもあり、7号墳は、そうし
た国の支配者のものとみられる。

国立昌原文化財研究所の池炳穆(チ・ビョンモク)所長が1月に早稲田大で開かれた研究会
に参加し、調査の概要を日本で初めて報告した。

木棺は長さ3.3メートル、幅0.8メートル、高さ40センチほどで重さは258キロ。科学的分
析の結果、昨年秋クスノキと判明した。

照葉樹のクスノキは朝鮮半島には自生しない。済州島にはあるが、大きく育たない。古墳の
構造や土器の様式から、昌寧一帯は新羅の強い影響下にあったとみられるが、済州島は
新羅と敵対する百済の領地だった。台湾や中国南部にはあるが、これも遠隔地。こうした点
から、「近い日本から運ばれた可能性が高い」と池所長は考える。

魏志倭人伝にも倭国の産物としてクスノキが記されている。虫がつきにくく長持ちするのが
特徴で、特産品として知られていた可能性が高い。

分析結果を受け、早稲田大の李成市教授(朝鮮史)は、過去に韓国の古墳で発見された木
材類を改めて調査。すると、百済や新羅の多くの古墳でクスノキやコウヤマキの木片があっ
た。コウヤマキは日本にしかない木だ。

ソース:朝日新聞2006年2月20日付け記事
800日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:19:26
>>796
>魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと・・・・
弁辰住民も鯨面文身習俗と書いてあるというの?
801日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:39:18
>>797

現地の将軍たちがヘタレだったからだろう。
ヘタレぶりは日本書紀に書いてあるとおりだ。
所詮、出稼ぎ軍団だ。
目先の小さな利益に拘って大利を逸したのだ。
実際、チャンスがあったかどうかは知らんが。

それとね。
キミの煽りは実にツマラナイ。
オレの脳みその心配なんかしてるヒマがあったら、
自分の将来のことでも考えた方が善いと思うよ。

802日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:42:18
>>800
> >>796
> >魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと・・・・
> 弁辰住民も鯨面文身習俗と書いてあるというの?

>今辰韓人皆褊頭。男女近倭、亦文身(魏志韓伝)
803日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:42:32
>>798
ほんと都合の良い推論だなぁ
804日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:52:11
>>785

>ただ、あまりに大量に倭人が輸出されたので、その存在が大きくなりすぎてしまったのだ。

どこに、そのような内容があるのでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%96%87%E7%8C%AE
805日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:52:49
>>799

台与の朝貢品に「丹木」と言うのもあります。
どういうものなのかわかりませんが、これも輸出できた木材でしょうね。
806日本@名無史さん:2009/05/09(土) 18:11:02
>>801
そんなヘタレな出稼ぎ軍団なら傭兵にする意味ないじゃん
加羅諸国の鉄って、そんなへタレ傭兵と交換できるほど安っぽいものだったの?
なんで、悉くつじつまの合わない事ほざけるの?
やっぱり脳に障害があるとしか思えないんだな〜

それからキミの心配なんかしてないよ
バカにして笑ってるだけ
気づかなかった?
807日本@名無史さん:2009/05/09(土) 19:07:33
新羅に調を求めていたから、税として納めさせてたんじゃないの?
むしろ、任那がヤマトの勢力圏なら、百済や新羅が鉄を求めてヤマトに人を差し出していたかも。
学者や技術者や奴隷を
808日本@名無史さん:2009/05/09(土) 19:11:38
好太王碑で倭族の半島における進出が史実になってしまったってのもあるけど
もともと加羅地方の人は一般の朝鮮とは異なっているっていうのは
昔から朝鮮人自身が認めるところだったんだよ
彼らはそのルーツをインド人とか呉の難民だとか想定していたんだが
あまりに倭の影響を受けた遺物がその地方で出土
どうも倭が大勢来ていて加羅地方の人たちのルーツは倭人らしいってことになってきた
それで、彼らが捻りだした解釈が奴隷説

ちなみに加羅地方の人は色が浅黒く目が大きいとされている
もう、だれだかわかるよね?
隼人族ですよ
809日本@名無史さん:2009/05/09(土) 19:20:39
加羅地方が小国分立状態だったのは有名
っていうことは奴隷における人口流入があるのならそういう小国分立状態であるはずが無いのと
また、単なる中継だったというなら何処と加羅は貿易をしていたのか?っていう話なる
そういう貿易が成立するのであれば半島を統一してもいいような財力は持てるわけで、歴史的にそういう雰囲気は加羅には微塵もない
810日本@名無史さん:2009/05/09(土) 19:49:26
だいたい朝鮮の国力が日本より上だった時期あるの?
811日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:00:16
>>808
瓦がどうのこうので、逆論理展開を既に始めてるw
812日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:19:59
この問題は、倭と朝鮮の2者関係で解釈してはいけません。
中国も含めた3者関係で解釈しないといけない。

まず、倭国であろうが、百済であろうが、
この時代の北東アジア情勢においては、中国王朝の権威が絶大で、
中国の臣下に認められることによって、その立場が保障されるわけです。

そのことを理解しないといけない。

だから、倭国が宋(中国)に対して半島南部の軍事的支配権を求める前に、
まず、倭国王が中国の臣下であることを受け入れることを前提に成立している。
じゃないと、中国から、中国の版図である朝鮮半島を侵略した、
侵略者というふうに認定される。

これは、百済も同じで、百済王の国際的地位も、
中国皇帝の臣下という地位によって成立している。
813日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:22:07
日本や朝鮮半島の国の中で、
当時、もっとも中国王朝の忠実な臣下は、百済なわけです。
百済という国家は、西暦4世紀に楽浪郡が崩壊した直後に、
馬韓の中から成立し、馬韓をほぼ統一した国であり、
この国は楽浪郡で働いていた中国人が多く亡命して国家でした。
だから、中国と関係が深く、また、中国皇帝の直接の臣下でした。

しかし、西暦5世紀、5人の倭国王が、
何度も中国皇帝に安東将軍の官位をもとめている。
倭国王は、百済に対する軍事的支配権も求めていすが、
これは、中国皇帝は絶対に認められないわけです。
これを認めてしまうと、百済王は、
中国皇帝の直接的な臣下(直臣)ではなく、
間接的な臣下(陪臣)ということになる。
国際違反ですし、中国の信用問題になる。
814日本@名無史さん:2009/05/09(土) 20:23:05
だから、最初の4人の倭国王については、中国皇帝は、
その要求を却下しました。

そうしたら、5人目の倭国王である武(雄略天皇)が、
半島南部への軍事的支配権を認めないのなら、
自分は中国との臣下の関係を止めるかもしれないと脅迫してきた。
それが倭王武の上奏文にある「治天下大王」という発言なわけです。
倭国の世界は、中国の世界とは別だと宣言した。

だから、中国王朝は、倭国王に対して、百済という国名は出さずに、
馬韓という、あのあたりの旧名を出すことで、お茶を濁しました。
つまり、中国王朝は、倭国に対して、
朝鮮半島南部の軍事的支配権を認めたが、
倭国が百済王朝を直接的に支配することは認めないという、
かなり矛盾した苦肉の策をとった。
中国王朝の建前と倭国王の要求の中間を取ったわけです。

ちょうど、この頃、半島南部に前方後円墳が出現します。
倭国王としては、半島南部を軍事的に統制することを、
中国皇帝から信任を得たので、堂々としだしたのでしょう。

そのあと、任那倭府の組織ですが、長官、副官あたりは、
倭国からの豪族がついていましたが、それ以下は現地の伽耶人がついていた。
あくまでも、倭国の目的は、伽耶の鉄資源を独占することであり、
伽耶の軍事的に統制するのが目的だった。
伽耶の内政は伽耶人がやるわけです。現在の在韓米軍みたいなものです。

しかし、この組織も、西暦6世紀前半になると、
伽耶の隣国の百済系の人物を採用しだすようになる。
それから、時期がたたずに、倭国は伽耶を百済に割譲したと、
日本書紀には記載されている。
815日本@名無史さん:2009/05/09(土) 21:27:56
>>807
>任那がヤマトの勢力圏なら、百済や新羅が鉄を求めてヤマトに人を差し出していたかも。

王子を人質に差し出してるじゃんw
816日本@名無史さん:2009/05/09(土) 21:41:47
>>814
そういう問題じゃないんですよ
今問題になっているのは日本の行政機関云々じゃない
加羅にいた倭人が問題になってる
817日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:01:35
>>814

>ちょうど、この頃、半島南部に前方後円墳が出現します。
>倭国王としては、半島南部を軍事的に統制することを、
>中国皇帝から信任を得たので、堂々としだしたのでしょう。

確かにそうなのだが、前方後円墳が出現したのは、いわゆる伽耶地域では少なく無く、
大半は馬韓南部(今の全羅道)地域なんだよね。

そして、その地域の土器様式と北部の百済様式は四世紀後半ごろまで差異が認められ、
つまり、そのころまで、百済による馬韓の統合は達成されておらず、小さな在地勢力が割拠
するような状態だったように見える。

前方後円墳の分布からは、実際に倭人の出稼ぎ集団が根拠地としていたのはこの領域で、
本国とは政治的に別個の存在だったのではないか?

5世紀になると百済の南下により、その根拠地は奪われ、倭へ戻ったり、
逆に百済北部、新羅・伽耶へ移動したりし、一時的には高句麗とも接触する半ゲリラ活動を
続けながらも衰退消滅、一部は倭寇化して生き残ったかもしれない。

また、いわゆる任那の日本府と言うのは、この馬韓南部の倭人集団とは別の存在で、
こちらは、本国の正規の出先機関ではあるが、初めは金官加羅に、金官衰退後は新羅に依存して
いた存在だと思う。
818日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:12:36
>>782-783
半島南部に、倭国より新しい前方後円墳が多数発見された時点で、
もう倭と伽耶の力関係は明らかだろ。何が「生口」だ、山尾チャン!

>>785
■【隋書】より
新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來
<訳> 新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、
恒に使いを通わせ往来す。
http://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/history/1239090740/l50
『隋書』倭国伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm

>>798
立命館の山尾チャンがほざいていたようように、「広開土王碑が倭軍を誇張して書いていた、
倭人は傭兵だった」なんて、成り立たないんだよ。倭王武の上表文でも、倭国が主体的に
高句麗と激戦を繰り広げていたのは明らか。そんなこという奴は学者として疑問符がつく。

>>789
倭軍が高句麗の騎馬軍団に対して劣勢になったために、任那に渡来した小規模の騎馬軍団
が傭兵として倭国に重宝されたということだろう。ちょうど、日中戦争時に国民党軍を支援した
ドイツ軍事顧問団のような存在。もし、任那の騎馬民族が主体となるほど大規模かつ強力だった
なら、中国や半島の史料において、任那ないし伽耶は、高句麗・百済・新羅のような扱いを
受けたはず。

>>802
「男女近倭」というのは、倭人そのものと解釈するべき。
819日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:22:38
しかし、山尾は著書では生口だの傭兵だのは全然語ってないんだけどな。
番組の雰囲気に流されたのだろうか…
820日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:50:44
そういう人間だから犬HKが出演以来したんだろう
821日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:56:33
>>817
前方後円墳は百済よりだけど加羅は加羅だろ
822日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:01:34
>>821

土器相からみると旧弁辰(伽耶・加羅)とは別の領域。
馬韓の南部が正しい表現です。
もしかして、加羅の領域は馬韓南部まで含むとお考えですか?
823日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:05:08
>>821
日本書紀ではあのあたりまで任那と言っちゃってるが、
馬韓というべき。加羅ではない。
824日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:07:24
6世紀あたりでも?
825日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:13:38
5世紀末まで慕韓(馬韓)の称があるからね。
馬韓の故地といったほうがいいのかな。
826日本@名無史さん:2009/05/10(日) 00:37:08
>>818
>任那に渡来した小規模の騎馬軍団が傭兵として
>倭国に重宝されたということだろう

そうだろうね。
で、それとは別に鉄テイと呼ばれる、
鉄の延べ板のようなものが彼らの地下式墳墓から見つかるのは、
彼らがそれまでにない新しい製鉄技術を持ってたという側面もあるようだね。
そういう意味では、どうも秦氏の影がちらつくのだ。
827日本@名無史さん:2009/05/10(日) 00:44:04
鹿児島にはからくにだけと読む韓国岳がある
からとは勿論加羅から来てる

面白いページ見つけた
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscover_karakuni.htm
828日本@名無史さん:2009/05/10(日) 11:43:06
>>809
> 加羅地方が小国分立状態だったのは有名
> っていうことは奴隷における人口流入があるのならそういう小国分立状態であるはずが無いのと
> また、単なる中継だったというなら何処と加羅は貿易をしていたのか?っていう話なる
> そういう貿易が成立するのであれば半島を統一してもいいような財力は持てるわけで、歴史的にそういう雰囲気は加羅には微塵もない

なんでさー。
現代のペルシャ湾岸だって石油で金と人は集まってはいるが、「小国分立」状態だし、
集まった金は世界中に再投資されている。
人や金が流入すれば「統一」するなんて理屈はない。
829日本@名無史さん:2009/05/10(日) 11:49:28
金海大成洞古墳群の王墓級の出土物を鑑みれば、鉄交易の成果の一端が覗えます。
最終的に金官が半島の覇者になれなかったのは、地勢的条件だと思う。
楽浪や高句麗との接触により、軍事力の整備に力をいれていた新羅、百済と較べて、
やや緊張感の欠ける政治情勢だった半島南端部は楽浪滅亡後の動乱期に対する対応が遅れたのでしょう。

また、鉄産地も魏志によれば弁辰についてのみ記載されているかのように見えますが、
砂鉄鉱は、弁辰以外でも採掘開始年代は定かではありませんが、楽浪郡域や太白山脈でも産出しており、
4世紀以降の金官が権益を独占していたわけでも無いと思います。
また馬韓南部(前方後円墳地帯)にも砂鉄産地が認められており、ここは倭人の出稼ぎ先としては最適です。

830日本@名無史さん:2009/05/10(日) 12:29:48
鮮人って屁理屈のプロだよな。正直を美徳とする日本人には受け入れられない民族
831日本@名無史さん:2009/05/10(日) 13:28:58
【大阪・枚方】日本に先進文明を伝えた百済人渡来の再現フェスティバル、市長が「日本文化の基礎は半島由来」と挨拶 ★2 [05/09]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1241928470/l50
832日本@名無史さん:2009/05/10(日) 13:29:01
正直とは違うな
日本式謙虚みたいな、そんなもの
833日本@名無史さん:2009/05/10(日) 13:37:41
第208回 新春講演会
「騎馬民族は来なかった」
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku208.htm

第260回
日本語の起源1
アジアの諸言語と日本語
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku260.htm

邪馬台国の会
http://yamatai.cside.com/index.htm

このサイトは面白いし、役に立つ。
834日本@名無史さん:2009/05/10(日) 13:58:42
せっかくなら山尾氏に質問状でも送ってみたら?
生口だの傭兵だとか当時の倭は半島の属国だったことを認めるのかって
まあ、お前らそんな気概も無いだろうなw
835日本@名無史さん:2009/05/10(日) 14:44:21
>>834

> 生口だの傭兵だとか当時の倭は半島の属国

 生口(人身貿易)や傭兵(出稼ぎ)を出すと属国なのか?
 その論理がわからん。
 人の替わりなんて、いくらでも居たから相手の求めるものを提供したんだろう。
 いわば単なる経済活動だ。
 それと、人の代わりに翡翠だったら、貴方的には属国扱いにならないのかな?
836日本@名無史さん:2009/05/10(日) 14:48:04
>>835
日本に何か求めれるほど伽耶は強くないって。
王墓さえないではないか。
あそこはずっと日本の管轄地。
837日本@名無史さん:2009/05/10(日) 14:58:05
>>836
首露王陵が誰の墓だかはわからないが、
金海には王墓クラスの墓は幾つもあるよ。
日本国内で鉄の採鉱が始まるまでは鉄資材は貴重な輸出品だ。
鉄以降でも伽耶系陶器や馬具は売り物にはなるでしょう。
相手を必要以上に過少評価するのもアレだと思いますよ。
まあ、そのアレ以外に興味も無いのかもしれませんがw
838日本@名無史さん:2009/05/10(日) 15:01:21
>>836

フツーに対等の交易活動って結論じゃ、つまらなさ過ぎて受け入れられないのか?
839日本@名無史さん:2009/05/10(日) 16:03:22
>>827
馬鹿乙
からくにだけは江戸時代からそういう名で呼ばれるようになったんだよ
その山から半島が見えたって俳句で読まれたことでな
840日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:26:06
■世界は任那日本府を容認

ただ世界的には「任那日本府」は認められてるんだよな
アメリカ、イギリス、メキシコ、カナダなんかの東アジア史では
4世紀、日本の大和政権が朝鮮半島南部まで支配下に置いたって記述されてる
で、韓国が激怒して訂正するよう求めるとか必死になってるw

オーストラリアでは韓国語は日本語のパクリだみたいなこと書かれてるし
韓国はポルトガルの植民地だったって書かれてる国もあるw

それどころか日韓併合は日本の好意で正しかったみたいに書いてくれてる
国もあるぐらいだから韓国は可哀そうとしかいいようがないw

ま、韓国がいくら騒いでも世界は日本の主張を受け入れてるということ

841日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:29:11
世界は認めてても、倭奴が大韓国の奴隷国家だったのは事実。
奴隷も輸出してるし、史実にも大韓国の奴隷だったことが書いてある。

そもそも奈良百済が小日本になったわけだし。
真実が世界に広まるのも時間の問題だよ。
842日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:42:49
>>837
>首露王陵が誰の墓だかはわからないが、
>金海には王墓クラスの墓は幾つもあるよ

それらはは5世紀以降。
4世紀なら地下式墳墓のなかから王墓を探すしかない。
その5世紀の高塚墳墓も日本のどこにでもある円墳並み。
力の程が分かるよね。

>>838
>フツーに対等の交易活動って結論じゃ、つまらなさ過ぎて受け入れられないのか?

国力を考えれば対等じゃねぇし。
843日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:18:33
で、結局は弁韓の人たちって何人?
扶余ではないんだよね?
日本語に似た言葉を話したって本当?
どうか教えてください
844日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:58:10
弁韓って言うくらいだから韓国人にきまってんだろ。
845日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:16:06
846日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:42:51
そう、これが日本と朝鮮の力関係。

397年 夏五月 王は倭国と友好関係を結び、太子の腆支を人質として倭に送った。
402年 五月 使者を倭国につかわして、大きな珠を求めた。
403年 春二月 倭国の使者が来たので、王は彼を迎えて慰労し、特に厚く遇した。
405年 腆支太子は倭国において訃報を聞き、哭泣しながら帰国する事を請うた。倭王は、兵士百名を伴わせて、護送した。
418年 夏 使者を倭国につかわし、白綿を十反を送った。
428年 倭国からの使者が来たが、随行者が五十名であった。
608年 隋が文林郎裴清を倭国へ使者として送ったが、わが国の南路を経由した。
653年 秋八月、王は倭国と修交した。
662年 七月 扶余豊は、高句麗と倭国に使者を派遣して援兵を乞う。唐新羅連合軍は救援の倭軍の軍船400艘を白江に焼く。
百済軍と倭軍は唐に降伏し、扶餘豊は行方不明となる。


まあ、ウィキの記述を100パーセント信用して「真実」と言い張るのはどうかと思うが。
847日本@名無史さん:2009/05/10(日) 23:09:21
生口を献じて鉄をもらっていた、高句麗軍と戦ったのは倭の傭兵に過ぎなかったとか
いうのなら、白村江の戦の頃には、伽耶の非倭人支配者はどこに消えたんだよ?
それこそ騎馬民族説という、学会で否定されている学説にでも依拠しないと
説明がつかないだろ。
848日本@名無史さん:2009/05/11(月) 02:19:10
魏志東夷伝 邑婁    >>朝鮮人の先祖発見<<

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。

>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!

坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)
風俗は皆、髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。
849日本@名無史さん:2009/05/11(月) 02:38:04
>>847

> 生口を献じて鉄をもらっていた

朝貢貿易?
普通の交易だろう

> 白村江の戦の頃には、伽耶の非倭人支配者はどこに消えたんだよ?

金官王家は白村江以前、6世紀前半に新羅へ帰順。
高霊王家も6世紀後半には新羅へ帰順しているよ。
それ以外は、例えば秦氏などと一緒に日本に帰化したのもいたんじゃないか?

> それこそ騎馬民族説という、

ハァ?何故今更そんな話が・・・

> 学会で否定されている学説にでも依拠しないと説明がつかないだろ。

何でさー
他国へ帰順、亡命しましたと考えちゃいかんのか?
850日本@名無史さん:2009/05/11(月) 02:41:03
ここは、嫌韓厨が近親憎悪に悶えまくるスレなのか?
851日本@名無史さん:2009/05/11(月) 03:59:55
奴隷部隊に最新の武装をさせて、その数が圧倒的に多いんですね。
その状況を維持するってすごいな。感心感心。

普通なら鉄の独占を狙って、日本から遠征軍が少数でやってきても内応されてジエンド。
ゲルマンに乗っ取られたローマ帝国を思い出した。
852日本@名無史さん:2009/05/11(月) 10:30:31
>>844

扶余=古代韓国の支配階級
濊族族=土着朝鮮人(現在の朝鮮人のルーツ)
沃沮=土着朝鮮人(濊族族の別名?)
韓人(加羅人)=日本人
853日本@名無史さん:2009/05/11(月) 12:11:57
>>852

古代韓民族成りすまし邑婁人+濊人(現在韓国人)!!!!!!
854日本@名無史さん:2009/05/11(月) 12:40:21
http://photo.jijisama.org/OldKorea.html

ここにある幾つかの写真を見れば東夷伝で伝えられたような
清潔さの欠片も無いな
やはり邑婁人のそれと殆どイメージが重なる
855日本@名無史さん:2009/05/11(月) 12:58:02
>>854 ユーチューブ チャングムの真実

http://www.youtube.com/watch?v=GHV5SY5GK6Y
こんな生活してたら、例え大昔に韓国発祥のものが日本に来たって・・・
・・・そら、日本に見下されるわ。
856日本@名無史さん:2009/05/11(月) 22:57:31
★韓国は永遠の属国情けない? しかし韓国人は・・・

【韓国ブログ】韓国人男性の自画像―海外で韓国男子として自負できる理由

ブロガーのsofco12もその一人で、韓国にいた時は不満だらけだったが、実際に海外にいると自然に韓国への
愛着が湧いてくるという。彼は、そのような自身の海外での経験から、韓国の男子でよかったと思える理由として次の3つを上げている。

その一、軍人の経験をもつ韓国人男性は強いと評判。「韓国国内では仕方なく兵役に服務する人も多いが、海外では
誇りであると受け止められているようだ。国のために2年間貢献するということに新鮮さを覚えるかも知れない」と分析する。

その二、韓国人男性は親切であるというイメージ。「韓流の影響が大きいかも知れないが、愛想が悪くロマンの足りない日本人男性と、
小心者で不衛生なイメージの中国人男性に比べ、韓国人男性はわりとロマンチックで親切であるとのイメージがある。
好意的で魅力があると言われるのは喜ばしいことである」と感想を語る。

その三、韓国人女性は魅力的と評判。「日本人女性のように、内向的でもなく、中国人女性に比べたら気も強いと言えない。
それに韓国人女性はお洒落で、自分磨きに手間を惜しまない。それが人気の秘密である」と主張。
その上、「韓国の女性が人気ということは、当然韓国男子としてもうれしい」と綴った。

最後に彼は「韓国に生まれたことに感謝する。国内にいれば実感できないが、海外に出たら韓国人男性ということだけでも誇りに思える」と締めくくっている。
(編集担当:金志秀)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0511&f=national_0511_001.shtml

>韓国に生まれたことに感謝する
>韓国に生まれたことに感謝する
>韓国に生まれたことに感謝する
857日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:05:59
アメリカ・オーストラリアでは韓国女性は大人気「のようですね






























売春宿で
858日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:20:11
859日本@名無史さん:2009/05/12(火) 03:18:23
http://file.chosunonline.com//article/2009/05/11/148026090355861794.jpg
日本より韓国のほうが民族着も甲冑もカッコいいね
相当文明が進んでいた証拠だね
860日本@名無史さん:2009/05/12(火) 04:06:04
>>858
抜粋した
■ 大朝鮮帝国史

・我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。

・我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、大帝国を建設していた。

・高句麗建国の功臣 陜父が日本地域に逃げ、最初の国、多婆羅国を日本地域に建てた。

・伽耶の日本進出以後、倭列島に対する関心が高まるにつれて、百済,高句麗,新羅が争ってその地域に進出したのだが、
 伽耶系統であるカラ,アラ、新羅系統であるムラ,百済系統であるコム(熊),タムロ(担魯)などに関連がある
 地名は、皆この時期に開拓された所だ。

・ 沸流百済の日本地域の統治過程で、百済皇統の継承のために全ての担魯を制圧して建てたのが、まさに天皇国家の始まりである。
 この時の討伐将軍であるキョン・ジンジュは百済の大将軍であったし、天皇ソン・ソンジョも百済から派遣された百済皇族だった。

・ 神武天皇は、現地妻を取っていたソン・ソンジョ皇子の代わりに百済から送られた新しい天皇で、倭列島の東部征伐の任務を忠実に遂行した。

・ 新羅王子 天日槍の倭列島攻略以後、本州地方をめぐる百済,新羅の間の争いが激化したのだが、高句麗もコンボルを根拠地に勢力争いに
 飛び込み、倭列島は戦火に包まれ、これを解決するために百済は景行王を派遣した。

・三国遺事の延烏郎・細烏女の説話は、新羅に滅ぼされた馬韓遺民の倭列島移住を示し、この細烏女がまさに卑弥呼であり、その娘が神功皇后である。
 海上帝国を成していた沸流百済は、高句麗の広開土大王の侵攻によって本国の熊津(コムナル)を奪われて日本地域へ避難したのだが、この人が応神天皇である。
 応神は奈良百済を建て、そこを中心に本国の古莫那羅(コムナル)百済を支配した。

・古莫那羅百済の混乱に乗じて、新羅は倭列島における勢力挽回を試みた。
 この時、新羅の主導でなされた日本の改革がいわゆる大化の改新である。

・朝鮮(チュシン)の伝統を継承していた高句麗は、この時に我が民族関連の記録を民族保護次元で全て焼却したのだが、このためにその後の国史が歪曲された。
http://koreawatcher.at.infoseek.co.jp/docs/jushin.htm
861日本@名無史さん:2009/05/12(火) 04:11:25
【韓国】伽耶時代の古墳から木棺を搬出。木材は日本産の可能性大(SBSニュース)05/06/22

【1500年前の木棺発掘…古墳時代、朝鮮半島を支配していた日本の皇族の墓の可能性も。】

■アンカー
古代韓日交流史を明らかにしてくれる木棺が千五百年ぶりに日の目を見ました。
現場の権ヨンイン記者です。
■記者
去年木棺が発見された慶尚南道昌寧の松硯洞第7号古墳です。
木棺を取り出すのに先立ち、発掘団が作業が無事に終わるように祈って礼をしています。
いよいよ木棺が千五百年ぶりに日の目を見る瞬間です。300キログラムの木棺が用心深く移されます。
搬出作業には特殊製作した無振動車まで動員されました。
木棺はこれから約5年間、分析と保存処理作業を経った後、一般に公開される予定です。

現場で作業をしていた研究員の1人が、「古墳時代も植民地支配してたなら、日本は謝罪と賠償をすべきだ。」
と、声を荒げて答えてたのが印象的だった。(以下略)

▽ソース:SBSニュース(韓国語)(2005/06/22 09:57)
http://news.sbs.co.kr/culture/culture_NewsDetail.jhtml?news_id=N0311768776
862日本@名無史さん:2009/05/12(火) 04:12:19
【韓国】ソウルで日本式の前方後円墳発見 KBSが報道(聯合ニュース)05/10/31
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1130769150/

2日後 ↓↓ ↓↓ 

【韓国】KBS報道の「江東前方後円墳発見」なかった事にしましょう(聨合ニュース)05/11/02
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1130938466/

【韓国】自国の文化さえ破壊する韓国人達 〜古墳を埋め戻して歴史を隠蔽
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/bunka08.htm
【韓国】ソンジン精工、掘削機で古墳を破壊 /忠南・唐津(朝鮮日報)08/05/01
http://www.chosunonline.com/article/20080501000039

【日韓】 「韓国の前方後円墳は倭人の墳墓」 朴天秀(パク・チョンス)著(朝鮮日報)07/11/18
http://www.chosunonline.com/article/2007111800000
【日韓】 「韓国の前方後円墳は倭人の墳墓」 [11/18]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1195346103/
863日本@名無史さん:2009/05/12(火) 05:11:52
864日本@名無史さん:2009/05/12(火) 07:47:01
>>1
いまの半島人につながる民族は当時はドコに住みなんて国を建国してたんですか?
865九州王朝大好き:2009/05/12(火) 09:56:27
>>864
挹婁。(粛慎)
半島北東部、沿海州及びその内陸部。
現在の中国、ロシア及び北朝鮮にまたがる地域。
その地域には、現在も朝鮮人が居住している。
7世紀に半島全体を支配するにいたった。
7世紀までほぼ半島全体にいた人々(日本語に近い言葉を話していた人々)は、
一部は難民として日本に移住、
残りの人々は民族として消滅した。

なお挹婁人が建国した国は新羅であり、その新羅が現代の半島国家になった。
「朝鮮」と「高麗」は、元挹婁人の扶余・高句麗系民族からのパクり。

消滅した民族
濊、扶余、沃祖、高句麗、馬韓、弁韓、辰韓、百濟、伽耶、しらき。


挹婁記事
>>http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-yuuro.htm
粛慎記事
>>http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-shukusin.htm
866日本@名無史さん:2009/05/13(水) 02:13:39
       晋書  『粛慎、挹婁伝』
井戸も釜戸もない、甗(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
{{足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。}} 凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。

 風俗は皆、髪を編み、{{布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る}}、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。

867日本@名無史さん:2009/05/13(水) 10:07:08
韓国って古来から周辺諸国の属国で中国の名前、中国の年号、中国の文化
美女の献上、モンゴルの支配下にはモンゴルの髪型や風習、言語(後のハングル)
日本の植民地には領土、中国から貰った名前、王室(李氏朝鮮)国まで奪われ
大日本帝国の一部にされた

なのに「韓国人は誇らしい!!」ってどういうこと?
ね、ね、何で誇らしいの?w
誰か教えてw
868九州王朝大好き:2009/05/13(水) 12:13:02
>>866
>木を焼いて灰を作り、その灰汁を注いで、これを食す(意味不明)。

@ミネラル摂取。
「土無鹽鐵」とあるように、食塩やミネラルを含んだ水や土が無いので、
ミネラルの栄養補給が困難だったと思われる。
これは、粛慎が森林地帯に居住していたことを示している。
粛慎時代後の挹婁は海岸部まで進出しているので海水からミネラル補給が可能。


A食用植物の種類が少ないので、食物(ドングリ等のアクの多いもの)のアク取りにも使ったか?
869日本@名無史さん:2009/05/14(木) 06:14:42
任那日本府の話題で、中国(宋)の話が
いっさい出てこないから、どうしようもないわなwww

実は、この任那日本府の問題は、
対中国関係が影響しているんだよ。
日本と韓国の二国間関係ではないんだわな。

広開土王碑文でも分かるとおり、日本が半島へ軍事侵攻したことに対して
高句麗が、「半島南部は我々の属国だから
それを倭国が犯すのは不当行為だ!」って批判しているわけで。

では、倭国がその後、何をしたのかというと
中国に朝貢して、倭国が半島南部の軍事を管理する権利をくれと言っている。
この時代、中国の権威が絶大なんだよ。

で、中国は、最初のほうは倭国の要求を無視しつづけているのだが
雄略天皇の要求に根負けして、一応、認めている。
ただ、その場合、中国は百済とは直接的に主従関係を結んでいたから
倭国が半島南部を軍事的に制御する権利は認めても
百済王朝自体を管轄する権利は認めなかったわけで。

つまり、任那論争は、日韓関係ではなく
日中韓満の4者の関係で見ないといけない。
870日本@名無史さん:2009/05/14(木) 06:35:14
西暦313年、中国の楽浪郡が崩壊、朝鮮半島が中国の管理下から離れる。

西暦369年ころ、倭国が半島へ軍事介入しだし、倭国と高句麗が激しく戦う。
倭国の軍事介入の目的は、楽浪郡消滅後の
半島南部を高句麗との間の緩衝地帯にすること、
そして、伽耶諸国の鉄利権を奪うこと。
倭国は、高句麗から百済を分離し、百済を軍事的に援助。
高句麗が激怒し、倭国と高句麗を中心とした乱世の幕開け。

ちょうど、このころ、倭国は百済にいた楽浪郡の中国移民をまねき、
彼らの漢文で外交文書を作成、対中国外交を活発化させる。
なぜなら、中国との外交には、当時の最新式の漢文が必要だから。
(卑弥呼(モモソ媛命)時代の漢文は旧式になっていて、中国交渉に不備になっていた)

そして、西暦400年代に、倭国が中国外交を活発化させ、
西暦438年に初めて、倭国は中国に朝貢して、朝鮮半島南部の軍事指揮権を要求する。
しかし、中国は倭国の要求をなかなか認めなかった。
何故なら、当時、中国は百済を直接の臣下としていたので、
倭国に百済の軍事監督権まで認めると、中華秩序の破綻を意味したから。

それに対して、倭王武(雄略天皇)が、中国に対して勝手に半島南部の軍事指揮権を宣言。
結局、中国は倭国の要求を認め、それを追認する。
ただし、中国は、
倭国が、伽耶や新羅を軍事的に監督することを認めたが
倭国が、中国と直接的な主従関係があった百済を軍事的に監督することは認めず、
百済の支配領域の旧名である馬韓への軍事指揮権容認という形で
お茶を濁したのであった。
871日本@名無史さん:2009/05/14(木) 06:48:11
半島南部に前方後円墳が出没するのは、西暦5世紀後半〜西暦6世紀前半だ。

広開土王碑文によると
西暦4世紀中頃から、倭国は、半島へ軍事介入していたと見られるが
その時代には、まだ前方後円墳は、半島には見られない。

しかし、西暦5世紀後半になると、
中国皇帝が、倭国が朝鮮半島南部諸国への軍事指揮権を認めるようになる。
それと時期を同じにして、半島南部に前方後円墳が出没する。

そして、日本書紀によると、倭国が伽耶から撤退したのは、西暦6世紀前半。
この6世紀前半に、半島南部から前方後円墳が消えるのである。

よって、この任那論争においても、日韓2者関係ではなく、
中国を交えた3者関係でみないと、事の本質は見えてこない。
872日本@名無史さん:2009/05/14(木) 08:25:35
世界史板と日本史板の両方に投下しないといけないから忙しいな
てかなんで別々の板で同じ話題やってるのかね
873日本@名無史さん:2009/05/14(木) 10:05:04
>>869-861
いまさら何をいってるのって感じなんだけど
当たり前のことを長々と
874日本@名無史さん:2009/05/14(木) 15:51:07
■「韓国は日本人がつくった」 黄文雄著 より

先述したように、19世紀から20世紀初頭にかけての韓国は農村から都市ソウルまで、あらゆる地域においてきわめて不衛生な生活環境であった。
今のハングル世代は常に韓国の山紫水明を誇りにし、韓国人はどこへ行っても生水が飲める世界でも珍しく水のきれいな国だと自慢している。
しかし、日帝時代以前の韓国を見た外国人は、赤裸々に当時の実情を記録している。例えば、ダレ神父の「朝鮮事情」には、韓国の「水はまずく」、
水が原因でかかる早老病をはじめ様々な、「水土病」について書いている。そんな朝鮮に、慈恵医院の管制が発布されたのは1909年のことであった。
本格的に近代医学医療制度が導入されたのは、朝鮮総督府時代からである。総督府が設立した大韓医院は、やがて京城帝大(現在のソウル大学)
付属病院となり、朝鮮半島の近代医学、医療発展の中心的存在となった。
各開港都市と国境都市は1910年から厳しい防疫、検疫を実旋しており、疫病の浸入防止に取り組んでいた。

コレラ、天然痘、ペストなどの大流行は1918年〜20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。その後、地方の医療制度は清州、
金州など順次各地で確立され、医師の養成と疫病の防止に全力が注がれた。さらに、150万円の下賜金から済生会がつくられ、
李朝以来存続していた階級制度の廃止とともに、各道から市町村に至るまで医療設備が整備されていった。
賎民も国民として、近代医療の恩恵を受けられるようになったのである。30年代に入ると、近代医療制度の確立と普及によって、
中国大陸から来襲してくる疫病を完全に食い止められるようになっていた。
飢饉による餓死と、疫病に よる大量の死亡者を出していた中国大陸とは、天国と地獄ほどの隔世の感を抱くほどであった。
ことにインド、中国から朝鮮にわたって猛威を振っていたハンセン病には徹底して対処し、6000人以上収容できる小鹿島更正園は世界的に有名になった。
「日帝36年」はほかならぬ近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって 朝鮮半島の生命保全、韓民族の繁栄に大きく貢献したのである。


875日本@名無史さん:2009/05/14(木) 22:04:10
当時の朝鮮は財政が破綻し破産状態、その上
森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権など
あらゆる利権を諸外国に売り渡していて
自力での近代化の道は完全に閉ざされていました。
====================================
朝鮮時代、全権公使としてアメリカを訪問した李成玉がアメリカ国内の各民族に
接してみると、朝鮮人は、アメリカ人に軽蔑されているインディアンよりも劣っ
ていたことに衝撃を受け次のように述べている。

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つこ
とは出来ない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。。そして併合
相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はち
がう。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らない
が、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き
世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民
族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を
基に考察したのだ。

                 李成玉 「李完用の心事と日韓和合」より
876日本@名無史さん:2009/05/14(木) 23:09:37
世界史の方は嫌韓もチョンの電波も薄い
877日本@名無史さん:2009/05/17(日) 01:54:29
あのNHKの番組。 >>400のやつ
ラストに在日集団が捏造してでっちあげた四天王寺ワッソの宣伝までやってやがった
「ワッソ」=「来た」なんて全くのでっちあげだからな語呂合わせレベルの
万葉集が朝鮮語で読める(実は現代朝鮮語で読める!)という、例のやつ
あんなの取り上げてる時点で、実証的な番組作りの姿勢を放棄してると
証明されたようなもんだよ

わっしょいは「ワッソ」というのはまったくの嘘
ttp://plaza.rakuten.co.jp/diarybyhete/diary/200512100000/
878日本@名無史さん:2009/05/17(日) 01:55:18
>400じゃない、>>404
879日本@名無史さん:2009/05/17(日) 04:56:11
魏志東夷伝 邑婁 >>古代韓民族成りすまし邑婁人(現在韓国人)発見<<

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。

>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!

坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる

風俗は皆、髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。
880日本@名無史さん:2009/05/17(日) 04:57:51
       晋書  『粛慎、挹婁伝』
井戸も釜戸もない、甗(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
{{足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。}} 凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。

 風俗は皆、髪を編み、{{布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る}}、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。
881日本@名無史さん:2009/05/17(日) 21:45:38
中国史料における任那 [編集]**『日本書紀』(720年成立)よりも古い記述を含み、信頼性が高いとされる。
『三国志』魏書東夷伝・弁辰諸国条の「弥烏邪馬」が任那の前身とする説がある。

広開土王碑文(414年建立) : 永楽10年(400年)条の「任那加羅」が史料初見とされている。

『宋書』では「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が見え、451年条に「任那、加羅」と2国が併記される。
『梁書』は、「任那、伽羅」と表記を変えて併記する。
525年前後の状況を記載した『梁職貢図』百済条は、百済南方の諸小国を挙げているが、すでに任那の記載はない。
『翰苑』(660年成立)新羅条に「任那」が見え、その註(649年 - 683年成立)に「新羅の古老の話によれば、
加羅と任那は新羅に滅ばされたが、その故地は新羅国都の南700〜800里の地点に並在している。」と記されている。
類書の『通典』(801年成立)、『太平御覧』(983年成立)、『冊府元亀』(1013年成立)もほぼ同様に記述している。

朝鮮半島史料における任那 [編集]**朝鮮半島史料では任那は次の2つの記載しかない。

『鳳林寺真鏡大師宝月凌空塔碑文』(924年成立) : 大師の俗姓について「任那の王族に連なる新金氏」としており、
ここでの任那は金官伽耶を指すとされている。

『三国史記』(1145年成立) : 本紀には現われず列伝に1例が認められるのみである(巻46・強首伝:「臣本任那加良人」)。
882日本@名無史さん:2009/05/18(月) 00:17:54
「奈良」は朝鮮語で「富士」はアイヌ語か?
ttp://homepage1.nifty.com/forty-sixer/timei.htm
 「奈良」が朝鮮語(=韓国語)だという説がある。現代朝鮮語で「ナラ」というと、「国」のことである。
古代の渡来人たちが自分たちの国を作るんだという意気込みで、新しい都を「ナラ」と名づけたという。
この説は、祭りの「ワッショイ」という掛け声が朝鮮語の「ワッソ(来た)」からきているという説とともに、
在日韓国・朝鮮人の間では広く普及している。なぜ普及したかというと、感激がほしいからである。
異国で不当な扱いを受けていればいるほど感激は大きい。その気持ちは分かるし、
冷や水をかけることには申し訳ない気持ちもあるが、私はどちらも信じることはできない。
「来た」という意味の「ワッソ」という表現ができたのは、やっと19世紀になってのことである。
さらに、地名語源についての信憑性を高めるには、一般の語彙以上に、
いろいろな手続きを必要とするのである。 
883日本@名無史さん:2009/05/18(月) 01:27:01
津田、あんたは正しい。

【韓国】 現在進行形の歴史歪曲の背後に「津田左右吉の影」〜日本の主流歴史学界を撃つ[05/15]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242574720/

津田の韓国古代史観は簡単だ。南満洲鉄道会社の委嘱を受けて書いた<朝鮮歴史地理>などの
著書で津田は韓半島北部には楽浪郡をはじめとする漢四郡があり、漢江以南には計78ヶの
小国らがうようよしていたと叙述した。そして韓半島南部に古代版朝鮮総督府である任那日本府
があったということだ。

ところで津田はこういう主張の理論的根拠を提示しなかった。これを事実と前提にして、次の論理を
展開する非学問的態度を取ったのだ。韓半島北部の強大な漢四郡がなぜ78の小国でうようよする
肥沃な三南地域に進出しなかったかは説明しなかった。いや説明できなかった。それでこそ
任那日本府が成立することができた。
884日本@名無史さん:2009/05/18(月) 16:29:11
この時代の話をする時に、日本と半島の二者関係で見てはいけない。
中国や満州を含めた四者関係で見ないといけない。
日韓の歴史学者や考古学者の先生も、それを言う人は少ない。
いっぺん、中国の学者先生も多く参加させればよい。

この時代の朝鮮半島情勢、最大の主役は中国王朝です。
あの任那日本府の件も、結局は中国王朝の権威が関係していて
西暦369年に、倭国と高句麗が朝鮮半島で交戦して以来
高句麗は、倭国の朝鮮半島への軍事行動を、高句麗の版図への侵略行動と非難し、
倭国は、自分たちの朝鮮半島への軍事行動は、
自分たちの勢力圏を守る正当な行為と主張していた。
だから、西暦5世紀になると、倭国は積極的に中国と外交を展開(朝貢)
(この時代に、倭国は、中国外交のために、
その当時の正式な漢文の知識が必要になった。)
西暦438年から、倭国王は中国皇帝に、韓諸国を軍事を管理する官位をくださいと要求している。
しかし、当初は、中国皇帝は倭国王の要求を聞くだけで、返答はしなかった。
何故なら、倭国王の要求の中には、中国と直接主従関係を結んでいた百済に対する
軍事管理権も含まれていたからだ。
そこで、西暦478年、倭王武(雄略天皇)が業を煮やして、勝手にその地位を宣言、
そして、自分の治める天下は、中国皇帝の治める天下と別だ、と宣言している。
ある意味、中華秩序への反抗。認めてくれなきゃ、俺はあなたの臣下にならないと。
だから、根負けして、中国皇帝は、倭国王に韓諸国の軍事を管理する官位を与えた。
ただし、その中で百済政権に対して直接的な軍事管理権は外した。
(しかし、百済の領国周辺を殆どが、中国の権威の下、倭国王の軍事管理権とされた)
ちょうど、この西暦5世紀後半から、この半島南部に、小型の前方後円墳が出没する。
任那日本府も、この時代の頃、中国皇帝のお墨付きを貰っての話でしょう。
885日本@名無史さん:2009/05/18(月) 16:36:55
>>883
韓国学者、それ答えになっていないなw
それを言うと、中国の歴史学会も敵に回すよ。
ちょうど、中国から朝鮮半島への兵站が確保を考えたら
今でも、中国は朝鮮半島北部までを抑えておけば
中国は中原を抑えておくことが出来るけど、
朝鮮半島南部までだって、兵站が間延びしてしまうといっている。
886日本@名無史さん:2009/05/18(月) 18:23:52
津田の説で任那日本府がどんなもんなのか知らんけど、
任那日本府を狗邪韓国と言い変えれば史書通りの当たり前のことを行ってるだけだわな
漢が南部に進出しなかった理由など説明する必要もない

そもそも当時朝鮮南部がはたして肥沃だったのか
蛮族集落征服するより江南でも開発した方が余程有意義だろ
887日本@名無史さん:2009/05/18(月) 20:26:39
狗邪韓国は狗邪国の韓国支部が良いかな?
888日本@名無史さん:2009/05/18(月) 20:43:52
イギリスの東インド会社が一番近い
889日本@名無史さん:2009/05/18(月) 22:08:18
任那倭人地域は縄文時代から有ったのでは?
890日本@名無史さん:2009/05/19(火) 00:19:28
>>884
日清戦争が古代にもあったということですね。
清に朝鮮は独立国だと認めさせたのが日清戦争だった。
891日本@名無史さん:2009/05/19(火) 01:12:47
嫌韓煽り厨=日本人を装う台湾人朝鮮煙幕部隊


ひょっとして、もうこれ常識だった?w


892 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/19(火) 01:17:29

  ∧_,,∧ 
 <=(´∀`) 
  (    )  
  し―-J

893日本@名無史さん:2009/05/19(火) 03:13:19
韓国の新聞の日本語版は台湾人が作っているんですか?
894日本@名無史さん:2009/05/20(水) 04:39:56
http://www.chosunonline.com/news/20090518000068
日本に残る韓民族の文化をたどる旅(上)

http://www.chosunonline.com/news/20090518000069
日本に残る韓民族の文化をたどる旅(中)

http://www.chosunonline.com/news/20090518000070
日本に残る韓民族の文化をたどる旅(下)

飛鳥地方の百済遺跡である石舞台古墳を訪問したときは、「飛鳥の漢字表示は“飛鳥”だったのではなく、
元は百済人が渡来して心安らかに定着したという意味の“安宿”(発音はアンスク)だったが、後に変わった」と説明した。


895日本@名無史さん:2009/05/20(水) 10:11:45
( ´,_ゝ`)プッ
896日本@名無史さん:2009/05/20(水) 16:47:02
また語呂合わせかw
897日本@名無史さん:2009/05/22(金) 02:31:10
http://www.chosunonline.com/news/20090520000063
【コラム】日本の近代史に目を背ける韓国(上)

釜山中央女子中のキム・ウンスン教諭(45)は「これまでは、われわれが文化を伝えたという自負心を
抱くだけだったが、文化が一方からもう一方へ伝わった上で、それが受け入れた側によって発展していったという
事実についても知ることができた」と語った。また、東莱中のパク・ドソン教諭(46)も
「遺跡を訪ねてみて、韓国から伝わった文化がいかにして現在の日本に根付いていったかを知り、興味深く感じた」と話した。

このような感想は、「韓国が日本よりも進んでいる」という内向的な自負心ではなく、「隣国・日本の歴史をもっと知ることができた」
という未来志向的な関心に基づくものだといえる。

http://www.chosunonline.com/news/20090520000064
【コラム】日本の近代史に目を背ける韓国(下)

韓国の中学・高校の世界史の教科書を見ると、日本の近代史は東南アジア諸国と共に、「中国の周辺国の歴史」として記述されているだけだ。
旅行会社のガイドは「韓国を訪れる日本人たちが、円高の恩恵にあずかり、ただソウルで金を使うだけ使い、大衆文化に関心を寄せているわけではない。
日本文化の源流を学ぶため、扶余や公州を訪れるケースも多い」と話した。

898日本@名無史さん:2009/05/22(金) 09:01:21
>>1
任那日本府の話は、日韓の歴史学者は非常に幼稚。
このへんの歴史の中で、もっとも重要な要素は中国なのに。

なぜなら、倭王は中国の皇帝に半島の軍事統括権を認めてもらおうと
何度も外交交渉している。
が、そういう話が全く抜け落ちている。

広開土王碑文をみても分かるが
西暦4世紀中頃から、倭国は朝鮮半島へ軍事侵攻し、
それを高句麗は、侵略行為だと痛烈に批判している。

だから、西暦5世紀から、倭国は中国の皇帝に朝貢して
朝鮮半島の諸国の軍事を担当する官位を貰おうと
外交交渉している。
で、ここで、もし、中国の皇帝に認められたら、
倭国の朝鮮半島への軍事行動は、全て中国皇帝の権威の下にあることになり、
倭国の軍事行動=中国の軍事行動となる。
これは、対高句麗との紛争において重要な要素になってくる。
899日本@名無史さん:2009/05/22(金) 09:19:54
421年 
宋に朝献し、武帝から除綬の詔をうける。
おそらく安東将軍倭国王。(『宋書』倭国伝)

438年
宋に朝献し、
自ら「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」と称し、
正式の任命を求める。(『宋書』倭国伝)
4月、宋文帝、珍を安東将軍倭国王とする。(『宋書』文帝紀)
珍はまた、倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、
許される。(『宋書』倭国伝)

443年
宋に朝献して、安東将軍倭国王とされる。(『宋書』倭国伝)

451年
宋朝から「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」を加号される。
安東将軍はもとのまま。(『宋書』倭国伝)
7月、安東大将軍に進号する。(『宋書』文帝紀)
また、上った23人は、宋朝から軍・郡に関する称号を与えられる。(『宋書』倭国伝)
900日本@名無史さん:2009/05/22(金) 09:21:18
462年
3月、宋孝武帝、済の世子の興を安東将軍倭国王とする。(『宋書』孝武帝紀、倭国伝)

477年
11月、遣使して貢物を献ずる。(『宋書』順帝紀)
これより先、興没し、弟の武立つ。
武は自ら「使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王」
と称する。(『宋書』倭国伝) (ワカタケル大王の銘文ーー672)

478年
上表して、自ら開府儀同三司と称し、叙正を求める。
順帝、武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」とする。
(『宋書』順帝紀、倭国伝)

479年
南斉の高帝、王朝樹立に伴い、倭王の武を鎮東大将軍(征東将軍)に進号。(『南斉書』倭国伝)

502年
4月、梁の武帝、王朝樹立に伴い、
倭王武を征東大将軍に進号する。(『梁書』武帝紀)
901日本@名無史さん:2009/05/22(金) 09:58:53
>>1
任那日本府は、
日本の軍国主義とかナショナリズムとは無関係だ。
なぜなら、倭国は朝鮮半島に軍事侵攻しても
あくまでも、倭国は中国皇帝の臣下として軍事行動したに
すぎないと主張しているわけだから。
つまり、あくまでも、中国皇帝>倭国王>半島諸国 という図式。

だから、西暦4世紀中頃に軍事行動を開始したが
西暦5世紀になると、再三、朝鮮半島を軍事的に管理する権限を
中国皇帝に要求している。
だが、中国皇帝は、倭国王が朝鮮半島を軍事的に指揮する権限を認めていない。
だから、その要求を無視し続けている。
それで、西暦5世紀後半になって、やっと、中国皇帝は
倭国王が朝鮮半島を軍事的に指揮する権利を認めている。
902日本@名無史さん:2009/05/23(土) 17:32:39
馬鹿の起源も朝鮮半島じゃないか?
903日本@名無史さん:2009/05/23(土) 18:33:21
夜郎自大の起源は倭人らしい
904日本@名無史さん:2009/05/24(日) 07:29:33
>>903
成長発展を遂げた今の日本には残っていないで、
旧態依然とした半島には残っていると言う事は、
やはり半島は倭人の領土だったようだ。
905日本@名無史さん:2009/05/27(水) 03:13:14
『前漢書』地理史・{燕地条}
樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云
「楽浪の海中に倭人あり、百余国に分かれて、時おり朝貢してくる。」

『前漢書』地理史・{燕地条} 顔師古注
魏略云倭在帶方東南大海中依山島爲國度海千里復有國皆倭種

『山海経』第十二「海内北経」
蓋国 在鉅燕南倭北 倭属燕
「蓋(ケイ)国は鉅燕(きょエン)の南、倭の北に在り、倭は燕に属す。」
蓋国とは、朝鮮半島最北部に蓋馬(ケマ)高台という高原地帯があり、
そこに蓋馬市が有る、直ぐ南には倭が有り倭は燕に属する。

後漢書に光武帝が倭奴国に金印を与えた記事がある。後漢書記事では
「倭奴国奉貢朝賀、倭国極南界、光武賜以印綬」とあり、 ... (倭奴国は)
倭国の中の極南界(南の果て)である」と解読していた。
906日本@名無史さん:2009/05/29(金) 04:05:21
ちょっとすいません
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1240659099/
のスレで困ってるのですがここの735の

>前方後円墳の前方の方墳プランも高句麗の方墳プランの
>受け売り、広開土王碑文の倭も、朝鮮南部の伽耶の北方木槨墓人の軍事
>勢力じゃし、海を渡るんは朝鮮の流通が黄海を利用しとったことでも
>明らかなことよ。

って本当ですか?めちゃくちゃこじ付けだと思うのですが、正しい解答を
詳しい人教えて貰えませんかね
907日本@名無史さん:2009/05/29(金) 08:47:31
>>906
それ白馬青牛だね。
とうとう名無しになったかw
古墳の創成期に高句麗の痕跡なんて全然ない。
高句麗なんて全然関係ない。
908日本@名無史さん:2009/05/29(金) 11:43:24
>>907
どうも有難うございます できれば向こうで論破してやってもらえませんか
どうも私には古墳時代の知識無いもんで(笑
909日本@名無史さん:2009/05/29(金) 12:20:04
古墳時代以外の知識もないじゃないか。
910日本@名無史さん:2009/05/30(土) 00:34:32
>>908
907です。
以前アイツとそのあたりを論戦したのですが、
もう同じ言葉の繰り返しで疲れますw
土器をはじめ高句麗の文化痕跡など7世紀にしか見つからないし、
古墳時代創成期になんてまったくない。
かれは最後に神社の由緒書きをソースにするなんて恥ずかしい事をしてきました。w
911サガミハラハラ:2009/05/30(土) 23:50:39
明日5月31日22:00からNHK教育TVにてETV特集
日本と朝鮮半島2000年(2)
任那日本府の謎

が放送されます。お薦めいたします。
912日本@名無史さん:2009/05/31(日) 00:35:04
富山県小矢部市の「桜町遺跡」は、
1988年に一般国道8号小矢部バイパスの建設工事に伴って
発掘調査が行われた際に発見された遺跡だが、
この「桜町遺跡」は約12000年前の縄文時代の遺跡とされ、
従来弥生時代に日本へ伝えられたとされた「高床式」の建物が、
2000年前の縄文時代に建てられていたとし、
さらにその高床式の建物は、
中国浙江省の「河姆渡遺跡」の高床式の建物の木組み工法と一致したといわれて、
脚光をあびた。
913906:2009/05/31(日) 07:40:07
>>910
どうもです あっちには誰かが論破してくれてるようですね
失礼しました
914日本@名無史さん:2009/05/31(日) 09:38:50
>>911
売国NHKのことだからチョンに都合の良い内容になりそうだな
915日本@名無史さん:2009/05/31(日) 11:44:02
>>914
前回で任那のあった地域に倭人が生活していた痕跡がみられた
→倭人は奴隷としてつかわれていたみたいなこと言ってたな
考古学としては倭人の生活痕がみられれば 
日本書紀の記述から倭が半島に政治的に進出していたという結論が普通だろうと素人の自分はおもったけど
916日本@名無史さん:2009/05/31(日) 12:20:59
>>912
そうなんだよ。
その根拠が鉄があったから軍がつよかったに違いないっていう妄想だけなんだよな。
917日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:53:21
ETV特集
「日本と朝鮮半島2000年(2)任那日本府の謎」
▽古代最大の謎に迫る
▽太王四神記の真実
▽鉄を求めたヤマト政権海を越えた軍事支援?
▽韓国で続々と発見された前方後円噴
▽天皇と百済との関係
918日本@名無史さん:2009/05/31(日) 14:54:25
>>916

>その根拠が鉄があったから軍がつよかったに違いない

そんな意見は何処にも無いだろう。

平和裏に交易で鉄資源が流通していたとすれば、
鉄の対価に「人」が使われることも多かったろうと言うこと。
文献資料で見れば三国志東夷伝に「鉄」は「貨幣」のように扱われ、
「人(「生口)」は、財産として扱われている。
「生口」はモノ扱いなのだから、売って当然の存在だろう。
別に現代の日本や韓国にとって、都合が善いも、悪いも無い話だが。

嫌韓の人には、日本人が、日本の支配者によって、半島に売られるつーことは、
鉄で武装した伽耶軍が来て奴隷狩りをしていったとかと同等に感じるみたいだね。
919 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/31(日) 15:05:14

  ∧_∧
 <=(´∀`) 
 (  ∪ ∪
 と__)__)
920日本@名無史さん:2009/05/31(日) 17:16:32
>>917
日本が鉄を求めた代わりに傭兵を出しとか
また韓国にものすごく都合のよい解釈で番組を作ってるんだろ
921日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:13:18
それだと何か日本にとって都合の悪いことがあるのか?
922日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:33:54
NHKなんてこんなもの
923日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:45:01
NHK 「2ちゃんなんてこんなもの(プ」
924日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:56:53
第三者の視点としての中国人に取って見れば、倭軍ってのはヤマト王権の軍勢だし
百済の文化ってのは南朝文化らしい。

まあ事実だが。
925日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:02:31
当時の半島における民族構成は明らかにしないし、出来ない。
その上で単に半島との交流云々。
つまり、相手もわからず妄想のオンパレード。
見ないでもそういう内容だとわかる。
926日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:07:01
>>921
日本の歴史書にも韓国の歴史書にもそのようなことは記述されていないからな
あくまでも日本軍は朝鮮半島の征服者として記述されている
それとも当時の韓国は傭兵にまで王族を人質として差し出す腰抜けばかりだったのかw
927日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:08:58
>>926

> それとも当時の韓国は傭兵にまで王族を人質として差し出す腰抜けばかりだったのかw

ハァ?
王子は、生口・鉄交易の相手方の王様のところへ人質に出されたんだろう。
別にその王様が売り払った生口軍団に差し出されたわけじゃなかろうに。
文献を見ても半島の倭人集団と日本の王権とは、政治的に一体つーわけでも無いじゃないか。
928日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:13:00
いつのまにやら”王様が売り払った生口軍団”が既定事実として扱われている件。w
929日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:27:37
奴隷をもらうために王子を人質に差し出すって余計わけわからんなw
930日本@名無史さん:2009/05/31(日) 21:19:10

『ETV特集 日本と朝鮮半島2000年(2)』「“任那日本府”の謎」
教育/デジタル教育1
5月31日(日)午後10:00〜午後11:30(90分)
▽太王四神記の真実▽鉄を求めたヤマト政権 海を越えた軍事支援?▽韓国で続々発見された前方後円墳の秘密▽天皇と百済
http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20090531/001/31-2200.html
古代、日本が朝鮮半島南部の“任那(みまな)”を支配したと考えられてきた。しかし、近年韓国での発掘調査で見直しが迫られている。
最新の研究をもとに交流の実像に迫る。
「任那日本府」の問題は、今なお日韓の間で議論を呼んでいる。『日本書紀』や、中国東北部の『広開土王碑文』の記述などによって、
4世紀から6世紀にかけて、日本が「任那日本府」を通じて朝鮮半島南部を支配したと長らく考えられてきた。しかし、近年の研究や
発掘調査によって、その関係性が見直されている。鉄をめぐる知られざる交流や、韓国で発見された日本特有の前方後円墳など、
最新の研究成果をもとに、交流の実像に迫る。
931國學院大學卒:2009/05/31(日) 22:02:28
こんばんは
932日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:03:14
まぁ、あれだ
新事実の紹介じゃなく、新解釈というか朝鮮人学者の解釈の紹介番組だろ
933日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:09:40
広開土王碑発見は明治時代なので
それを基に神功皇后の話しを創るのは
不可能ということですね。
934日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:12:27
巴型銅器メイドインジャパン
935日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:14:55
「ミマナ」は古代朝鮮語
を元にしてると思っていたのだが。
936日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:17:28
早速韓国側の思い込み感想がでました。
937日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:25:20
だから、文化とか鉄はいいから民族を示せよ
それがベースだろが
相手もわからず交流してたじゃ意味がないんだよ
938日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:34:08
古代史版反日自虐史観だな。
NHK糾弾。
939日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:02:25
ヨンサンガン流域が
任那四県ということですか
940日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:14:32
えなし まつ
941日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:18:08
この番組は本当につまらん
解釈論ばっかりだ
番組として成立してない
942日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:21:08
行き過ぎた嫌韓のがつまらん。
943日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:28:33
素直に言えよ
古代の半島は植民地状態だったと
日本、扶余、中国系
それらから植民地支配されてただけじゃないか

ぐちゃぐちゃ言うな
944日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:30:52
出てくる史料は少なく恣意的
NKHが拾ってきた学説を、さも中立であるかのように、
いくつか並べて見せてるが・・・
なんかスタジオで総括しちゃってるし、ただの学説押しつけ番組だろ。
945日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:34:37
ワカタケルが中国から貰った名前をみれば、朝鮮半島を支配していたのが分かるのに!
団塊世代の反日世界観が有る間は真実には、近づけない。
946日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:35:03
酷い内容なのは予想できたから見なかったが、その通りのようだな。
947日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:43:15
落ち着け。NHKも日本の学者も
キム教授に遠慮して、やむなくあのような形にまとめたのだから
同じ日本人なら察してやれ。

日韓友好番組なんだから。
948日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:44:26
韓国の前方後円墳は5世紀後半から6世紀前半に集中してるらしいが、
発掘してない古墳も多いらしいじゃん?
何でこの期間に集中してるって分かるの?
949日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:48:32
普通に考えて
武寧王の陵墓よりでかい
古墳を百済に渡った日本の一民間人が
作れるわけがない。

日本の学者もそう言いたそうにしてたが
極端にキム教授に遠慮しすぎて結局意味不明なことを
ごもごも言ってた。

まあそのような事情は
察してやりましょうや。
950日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:49:11
>>947
糞チョンの都合の良い内容に歪めることは友好でない。ただの売国だ
951日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:51:00
>>949
糞チョンに迎合することは何も良いことがない。最低だ。
正しいと思うことを正々堂々と主張するのが正しい学者のあり方だ
952日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:51:59
企画の段階で政治目的が明確
953日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:01:04
韓国の姿勢はわかりきってるんだから
寛容に受け止めてやれよ。
糞チョンとか言ってるあなたは
むしろ韓国人ぽい反応だ。
日本人はもっと冷静な対応をする。
954日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:03:12
>>953
そういう態度が糞チョンを勘違いさせて付け上がらせることになる
糞チョン相手に下手に物分りの良い態度をとるのは愚策
955日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:03:13
>>953
× 日本人はもっと冷静な対応をする。
○ 日本人は周章狼狽し、謝罪と賠償をする。
956日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:07:15
いやわかるが、それではNHKでは無理だ。
民放で朝まで任那日本府みたいにやらないと
怒鳴り合いの可能性大だ。
957日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:07:51
>>953
>寛容に受け止めてやれよ。

今までそうしてきたから拉致もミサイルも原爆実験も行ったんだろw
世界中で寛容な態度をする国があるか?wはぁ?
寛容な態度をとるのは、同じ価値観の相手にのみです。
それが世界の常識です。
958日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:08:18
朝鮮学者が百済を強調していたが、夫余系の百済支配層と朝鮮人と何の関係があるんだ?
959日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:09:30
>>956
それなら糞チョン学者を呼ばずに日本人と中国人だけで番組を作ればよい
糞チョンに迎合するのは最悪の愚策
960日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:10:13
終止喧嘩腰でまるで自分こそ朝鮮人みたいだ。
961日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:12:45
ヒトラーがユダヤ人を
異常に憎悪したのはじつは自分にユダヤ人の血が流れていたからだと
言われているが。

嫌韓厨君は、何代前からの日本人?
962日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:13:19
大和朝廷による半島支配を民間交流にすり替える

これが今回の番組の意図

しかも、広開土王の件では朝鮮人の何ら根拠もない妄想電波を垂れ流した。

つぶれろ、NHK
963日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:15:03
大和朝廷って言い方も今は流行らんねえw
964日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:16:44
>>962
たしかに軍隊が出ているのに
民間交流はおかしいねW。
965日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:19:33
半島半ばまで攻めこんだのは
やはり神功皇后でしょうか?
966日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:24:12
糞チョンは正史・三国史記に好太王碑文の時代にこととして
百済や新羅が倭に王子を人質に出したと明記していることにも、目を瞑っているんだろうな。
967サガミハラハラ:2009/06/01(月) 00:25:49
その子の応神天皇ですよ。
968誰か反論よろ:2009/06/01(月) 00:28:50
ETV特集をご覧いただきましてありがとうございます。
ご連絡が遅くなりまして誠に申し訳ありません。
番組担当者よりご質問にお答えします。

(1)日本の事は「倭」と呼び、半島の百済や新羅や高句麗の事は「韓国」と呼んだ理由はなんですか?

お答え
古代の事を取り上げている時には、日本は「倭」またはヤマト政権、ヤマト王権とよび、朝鮮半島は「百済」「新羅」「高句麗」と
言っています。

(2)広開土王碑には倭が百済、新羅を臣下に加えたの記述があるのを視聴者に隠していた理由はなんですか?日本が朝鮮
半島南部を支配していた事実を隠すと、番組の趣旨は大きく変わるはずです。

969誰か反論よろ:2009/06/01(月) 00:29:33
お答え
ご指摘は 碑文の永楽6年の記述「倭以辛卯年来渡(海)破百残□□ 新羅以為臣民」の部分と思います。この直前に「百残
新羅」は高句麗の「属民」だったのに、倭が渡ってきてその百済新羅を破った。だから広開土王は百済新羅を攻めるのだと
いう流れで、高句麗の朝鮮半島南方攻略の理由が記述されていきます。碑文に書いてあることを事実と見る見方もありますが、
倭が百済新羅を破るほどの脅威をもっていたので、高句麗王が百済、倭を攻めるのだと、南方攻略の大義にしているという
解釈もあります。現在では、大方 が後者の見方です。広開土王碑に記された時代、「日本が朝鮮半島南部を支配していた」
ということは、現在日韓双方の学会で実証されていないと考えます。
(3)番組の内容が韓国視点で韓国の都合の良い話ばかりで作られています。
お答え
そのような視点で作っているわけではありません。日韓の研究者の方々の最新の研究成果をもとに、学術的にも信頼度が
高いと言われる成果に依拠して作っています。
今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。

「ETV特集」担当NHK視聴者コールセンター
970日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:30:50
>>967
そうなんだよ。
相手の血筋、すなわち民族的なつながりのコンテンツ抜きで当時の交流は語れない。
そんなものが、ゴッソリ抜け落ちてるんだよ。
この半島のれきしではな。
971日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:42:47
半島の歴史というか、NHKのこの歴史番組での話。
鉄とか絹織物で倭人が血を流す根拠とするなんてあり得ない。
特集番組を作る程の資料の提示どころか、納得させるだけの解釈も提示できていない。
2ch以下
972日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:53:24
>>918
>平和裏に交易で鉄資源が流通していたとすれば、
>鉄の対価に「人」が使われることも多かったろうと言うこと。

鉄の対価もなにも釜山・莱城遺跡にみられるように、
弥生時代から古墳時代まで、
倭人は伽耶で鉄を採り続けてるのだが。
対価なんて払う必要ないのだが。

973日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:09:15
日本が韓国に奴隷を差し出したというのは日韓の学会で実証されている話なのか
974日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:28:01
>>961
ヒトラーユダヤ人説なんて信じてるのかw
「そうだったら面白い」っていう糞伝説がネタ元なのにw
975日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:38:56
本当にNHKは異常な放送局だと思った…NHKすべてではないけど、
このETV特集は半島優位の造作が明らかに意図が見え見え。
976日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:47:12
>>「日本が朝鮮半島南部を支配していた」
ということは、現在日韓双方の学会で実証されていないと考えます


日本の歴史書だけでなく中国の歴史書も、さらには当の朝鮮の歴史書にまで、
倭の朝鮮半島南部への進出が記述されてることから見て、否定する方が無理がある。
倭を百済や任那の傭兵やただの民間使節と見るのも、同じく日中韓の歴史書の記述からは到底考えられない話。
977日本@名無史さん:2009/06/01(月) 02:09:54
>>倭が百済新羅を破るほどの脅威をもっていたので、高句麗王が百済、倭を攻めるのだと、南方攻略の大義にしているという
>>解釈もあります。現在では、大方 が後者の見方です。

これでは碑文の倭が朝鮮半島に攻め込んで来たと書いてあるのも虚実だと言いたそうだな。
978日本@名無史さん:2009/06/01(月) 02:27:02
NHKは確信犯だな
979日本@名無史さん:2009/06/01(月) 02:48:32
近隣諸国条項なんぞ作るから
日本の歴史が汚される
980日本@名無史さん:2009/06/01(月) 02:51:57
124 :名無しのひみつ:2009/05/31(日) 13:01:06 ID:jxexEc0l
日本の「考古学者」どもは、自説のためならどんな強引な解釈やこじつけもできるアホ集団だからね。
「オッカムの剃刀」なんて完全無視。
素人が、縄文時代の石器を火砕流堆積層に埋め込んだ捏造遺跡にコロッと騙されて
「日本に旧石器時代があった」
「旧石器時代の人類は(縄文時代の石器をつくれるほど)高度な知能を持っていた」
なんて認定して大はしゃぎ。
石器を作る際に出るはずのクズ石が出土しないことや
秩父の「遺跡」(もちろん捏造遺跡)から東北産の石を使った石器しか見つからない、
という不審な証拠があっても捏造と気づかない。
日本の考古学部が文系に属しているせいかもしれない。理系の「頭」でないんだよ。
捏造発覚前から地質学者や人類学者は呆れていた。

はっきり言って隣国の連中を笑えないよ。
981日本@名無史さん:2009/06/01(月) 03:43:08
>>918
韓国の古墳にクスノキの棺 鉄の見返り、日本から運ぶ?

朝鮮半島からもたらされた鉄の見返りに、日本から何が運ばれたのか。古代史最大級の
謎に、新たな仮説が登場した。木材だ。韓国南部の古墳で昨年、朝鮮半島では自生しない
クスノキの棺が発見されたからだ。中国を含む東アジアに特定の樹木を貴ぶ文化があった
という新しい歴史像も浮上している。

木棺が見つかったのは、慶尚南道昌寧郡の松●洞古墳群(全23基)の7号墳(5世紀末〜
6世紀初頭)。当時一帯は加耶(かや)と呼ばれ、小さな国がいくつもあり、7号墳は、そうし
た国の支配者のものとみられる。

国立昌原文化財研究所の池炳穆(チ・ビョンモク)所長が1月に早稲田大で開かれた研究会
に参加し、調査の概要を日本で初めて報告した。

木棺は長さ3.3メートル、幅0.8メートル、高さ40センチほどで重さは258キロ。科学的分
析の結果、昨年秋クスノキと判明した。

照葉樹のクスノキは朝鮮半島には自生しない。済州島にはあるが、大きく育たない。古墳の
構造や土器の様式から、昌寧一帯は新羅の強い影響下にあったとみられるが、済州島は
新羅と敵対する百済の領地だった。台湾や中国南部にはあるが、これも遠隔地。こうした点
から、「近い日本から運ばれた可能性が高い」と池所長は考える。

魏志倭人伝にも倭国の産物としてクスノキが記されている。虫がつきにくく長持ちするのが
特徴で、特産品として知られていた可能性が高い。

分析結果を受け、早稲田大の李成市教授(朝鮮史)は、過去に韓国の古墳で発見された木
材類を改めて調査。すると、百済や新羅の多くの古墳でクスノキやコウヤマキの木片があっ
た。コウヤマキは日本にしかない木だ。

ソース:朝日新聞2006年2月20日付け記事
982日本@名無史さん:2009/06/01(月) 08:43:18
朝鮮人がよく言う「鉄の見返りは何か?」にだまされちゃだめだよ。
彼らは今だまともな見返りの答えを見出してないし、
実際、見返りはないのだから。
何故かと言えば倭の支配地に見返りなんていらないからさw
983日本@名無史さん:2009/06/01(月) 09:09:47
現在の地図に惑わされすぎなんだろうね。「大きな」大陸と「小さな」島国の
間に存する朝鮮諸国、と考えるから、倭の影響力を読み誤る。
当時の半島南部での認識は、「大きな」大陸と「大きな」島国の間に「小島の
ように点在する」韓の諸王朝、だったはずだから。
984日本@名無史さん:2009/06/01(月) 10:56:42
>>倭が百済新羅を破るほどの脅威をもっていたので、高句麗王が百済、倭を攻めるのだと、
南方攻略の大義にしているという 解釈もあります。

日本が清・ロシアを破り朝鮮半島を領有し、中国本土を侵略するほどの脅威をもっていたので
アメリカが日本を攻めるのだと太平洋戦争の大義にしているという 解釈もあります。

つまり歴史書に書いてあることはすべて嘘なのか?

985日本@名無史さん:2009/06/01(月) 11:10:16
高句麗「百済・新羅は倭の手先、つまり親日派ニダ!だから攻撃するニダ」

でも古代に隣国を攻撃するために大義名分が必要なのか?
降伏せよ→拒否する→戦争開始 だろ?
986日本@名無史さん:2009/06/01(月) 11:20:58
現代の大義名分では無いんだろう
しかし、神功皇后による三韓征伐は刺激になったんだろう
それにしても、NHKは神功のじの字の出なかったなw
アレルギー凄いな
987日本@名無史さん:2009/06/01(月) 13:35:17
一般人が埴輪付きの前方後円墳造れるかよ。
韓国の学者の辻褄の合わない妄想が痛々しかった。
988日本@名無史さん:2009/06/01(月) 13:59:22
古墳を作れると言うことは、古墳を作れるだけの個人的な動員力を現地に持っていたということ。
989日本@名無史さん:2009/06/01(月) 14:41:04
【前方後円墳】
倭の支配下にあった事の動かぬ証拠!
教科書改ざんしてたのは、日教組と韓国・朝鮮だとハッキリしてきた。

990日本@名無史さん:2009/06/01(月) 14:45:57

戦後の日本史学会が、如何にいい加減だったかが暴露されだしたわけね。
戦前の反動だろうが、学者研究者としては失格

991日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:02:39
NHKアナ「必要なものを相互にやりとりする関係性を見つめていかないと、どうも話は果てtンしないな、と」
韓国人「一方的な力だけの関係ではなかったということです」
森「・・・(苦笑い)そうですね、お互いにですね、え、必要と、え、する、、ようなものを、ま、あの、・・・・かわしたと、そういう時代だったと思いますね」


これ、すっごい、森さんの抵抗だと思うよ、あの場で、できるだけの精一杯の読者向けアピール。
992日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:15:10
三国史記では一方的に人質要求してるんだよな。
多元的交流があったのは否定しないがw
993日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:24:12
>>980
石は放射性炭素による年代測定が不可能だから、仕方ねーだろ。
本人が自白か捏造場面を目撃されない限り否定できないからな
994日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:52:02
歴史的に見て日本は朝鮮より国力が劣っていた時期なんてないだろ。
第二次大戦直後ですら日本の方が上
995日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:23:48
あの前方後円墳は、返して貰うべきだろ!

996日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:45:36
>>993
>石は放射性炭素による年代測定が不可能だから、仕方ねーだろ。

あの捏造事件のことを少しでも調べりゃそんな擁護論は全く通用しないということが判るよ。

>本人が自白か捏造場面を目撃されない限り否定できないからな

日本の考古学界に独自の「自浄作用」が働かなかっただけ。言い訳にもならない。
997日本@名無史さん:2009/06/01(月) 18:22:33
あの捏造石器作っていたのは正統な考古学者ではなく
発掘マニアだろ、川口浩の大発見みたいなもの
998日本@名無史さん:2009/06/01(月) 19:06:19
韓国の前方後円墳の埋葬者について、
韓国の学者は、百済にも属してたと言ってたが、
武寧王など百済王の墓よりはるかに大きいのをどう説明するのだろうか。
森さんは遠まわしにその事を言ってたな。
999日本@名無史さん:2009/06/01(月) 19:21:22
>>998
倭人に百済王の権威を見せつけるために、わざわざ倭人の近くに巨大墳丘墓をつくったんだよ。
そんなの言うまでもないと思ったが・・・(汗
1000日本@名無史さん:2009/06/01(月) 21:18:56
>>999

日本人ならちゃんとした読解力もてよな

倭人の墓>>>>>武寧王(百済王)の墓
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