任那日本府説その2

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952日本@名無史さん:2009/01/30(金) 19:40:53
>>921
>だからといって雄略紀の「任那王」は大加羅王のことであった、
>とは言いにくいだろう。
>衰えたとは言え金官国が存在する間は、倭との関係は金官国が
>最も深かったのではないか?

雄略天皇の時代に、金官国という国は存在しないだろ。
金官国(ワイ族の国)が出現するのは、継体天皇の時代だろ。


953日本@名無史さん:2009/01/30(金) 19:52:37
>>918
>なら高句麗王族の血を引く貴族であると称した百済人がいた事を
>証明しないといけないな。

いや、そんなもん、証明する必要ないだろ。
古代日本人が、百済のことを「コマ」と呼んでいた事実だけを指摘すれば
十分じゃん。
高句麗のことは「フヨ」と呼んでいたし。
高句麗が古代日本人から「コマ」と呼ばれるようになったのは、早くても7世紀頃だろ。
3世紀以前の時代は、クタラ(半島の南西部=馬韓地方)の北方地域を
コマと呼んでいたのだから。
954日本@名無史さん:2009/01/30(金) 19:59:35
                        
 『日本書紀』の継体紀に、奇妙な記録がありますよ。

 継体23年に、大和朝廷が物部伊勢連・父根らを勅使として任那に派遣し、任那・加羅の多沙津の港を
百済に与えようとしたが、加羅王(任那国司の下位にある国主)が異議を唱えたため、多沙津の地を今与えるのは
難しいと判断し、多沙津を与えるのをやめて帰国した、という記録に続いて、大和朝廷が別の時期に録使(文部)を
半島に派遣し、その録使を、扶余(高句麗)に与えたのだという。
 継体23年頃、大和朝廷は高句麗と外交交渉を行っていたのだろうか。それとも、この録使は奴隷なのだろうか。
おそらく大和朝廷は、新羅との戦争に備えて、高句麗との軍事協力を模索していたのかもしれない。

955日本@名無史さん:2009/01/30(金) 20:31:50
>>952 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 19:40:53
>>921
>雄略天皇の時代に、金官国という国は存在しないだろ。

金官国の前身は狗耶韓国。
前期の金官国(大成洞遺跡)は3世紀末から5世紀初頭まで。
後期の金官国(福泉洞
遺跡)は5世紀初頭から6世紀前半まで。

雄略の時代は後期の金官国に当たる。

956日本@名無史さん:2009/01/30(金) 20:51:31
>>964
扶余とは百済のことだ。
多沙津を百済に与えようとしたが、加羅(おそらく大加羅)王が反対
したので、その場で与えるのは難しい(原文:難以面賜)と判断して
そのまま帰国し、別に文官を派遣して結局は(おそらく文書で)百済に
(多沙津を)与えた。(原文:別遣録史、果賜扶余)

こういう経過だから、そのすぐ後の、加羅王が恨みに思って新羅と
結んだ、という文章に続く。
957日本@名無史さん:2009/01/30(金) 21:25:40
>>951
>この場合、関東軍司令部には「軍事指揮権がある」と言うのか?

形の上ではどうか知らないが、実質の軍事指揮権は「軍」なんだから関東軍司令部だろう。
当たり前ではないのか?
958日本@名無史さん:2009/01/30(金) 21:31:39
>>951
天皇の権限を考えたら満州国皇帝が偉そうに日本軍に指図なんて出来るわけないよ。

959日本@名無史さん:2009/01/30(金) 21:33:33
今宵もバイアス君は元気であった(笑)
960日本@名無史さん:2009/01/31(土) 02:54:41
チョンの電波スレ
961日本@名無史さん:2009/01/31(土) 03:36:31
>>952,>>953はいつもの既知外コマ厨

>>945
>何をそんなに気にしてるのだ?
>>949
>何でそんな事を気にするのだ?

もちろん日本府の存在をなるべく矮小化したいという願望。

任那王に軍事指揮権があるのなら、単純に任那王に支援要請すればいいのであって
「日本府」などという言葉が出てくる必然性はない。
通常なら新羅はいきなり日本に支援に支援要請すればよいのだが
雄略紀の文脈では、新羅は日本への貢納を停止して高麗(敵方)に附いていたのだから
日本とは気まずい関係にあった。それで任那王に取り次いでもらったわけだろう。

>>949から続く関東軍の喩え話はうまいと思わない。
こういうもののたとえは大雑把なものなのだから
当然細かい事情は異なる。
関東軍がソ連を恐れて衝突回避を画策してたとしたら
蒙古は救援要請してもうまくいかないと考えるかもしれない、
しかし関東軍は必ずしも日本政府の意のままに動いてるわけでもないから
ダメ元で満州国皇帝を通じて日本政府から圧力かけてもらおうとするかも知れない。
でもこんな例えはどうでもいいや。
「喩え」に細かいつっこみ入れるのは卑怯だし
そういうつっこみ相手にするのは無駄だから
さっさと例え話なんぞはひっこめた方がいい。
962日本@名無史さん:2009/01/31(土) 08:25:50
「どうか新羅を助けてあげてくれませんか」と
「指令。新羅を助けなさい」のどっちだろうか?w

日本府の将軍たちは大王(おおきみ)の意に反する事はしないだろうね。
963日本@名無史さん:2009/01/31(土) 08:53:15
Happy new year for 2009!I hope you passed some good moment for
the end of the years 2008.I don’t know if it’s the same in
Japan,but in France,we usually give our best wishes during all
of the month of January.For example,this week,the French
president gave it to radio and newspapers.I’m just in time.If
you remember,since the end of my studies,I live in Paris.I work
as a project manager in a little start-up and my job is very
interesting.But I just realized that I know very few things
about you work.Next time,don’t hesitate to teach me about this
topic.Because I worked since less than one year,I had no
vacation for Christmas and the end of the years.Except the 25/12
and the 01/01 which are free for all people in France.That's
why my Family and my friends came together in Paris.But we were
very disappointed by the New Year.On the“Champs Elysés", they
were more policemen than visitors.And near the Eiffel Tower,the
place was so dirty that we decided to come back and passed the
end of the night in my little flat.Too bad!According to me,
it’s a shame for a city like Paris.I assumed that you heard
about the world financial crisis.Contrary to appearance,all is
not in trouble in France.(Even if we are often on strike.)
That’s true it’s hard,but we continue to live, to buy and to
work.Part of my job was related to recruitment,that’s why I
know well that my company will continue to hire people.I hope
that this crisis can help the walk of the world to change.We
will see.Now we arrived at the end of this letter. As you know,
even if I took some time to answer,it’s always a pleasure to
hear about you and Japan countries.All the best to you !
Pierre Ps1: Please, forgive me if they are some English mistakes
in this mail.I’m still trying to improve this skills Ps2:
964日本@名無史さん:2009/01/31(土) 09:10:02
>>962
>日本府の将軍たちは大王(おおきみ)の意に反する事はしないだろうね。

時期による。
四県二郡を百済に割譲してからは日本府は反百済・親新羅。
欽明紀をみれば天皇の勅令に背くのも平気なようで。

あと既知外が寄ってくるからいちいち揚げないでくれ
965日本@名無史さん:2009/01/31(土) 09:25:36
>>957
>実質の軍事指揮権は「軍」なんだから関東軍司令部だろう。
>当たり前ではないのか?

なるほど。関東軍司令部が関東軍の部隊に命令する権限を「軍事指揮権」と
言うのか。それなら任那日本府の「軍事指揮権」も、配下の倭人部隊に及ぶ
だけだったのだな?

>>958
>満州国皇帝が偉そうに日本軍に指図なんて出来るわけないよ。

当たり前だ。指揮どころか、蒙古の訴えを直接に聞いた段階で、関東軍は
皇帝を幽閉しただろう。
「軍事指揮権」という言葉が一人歩きしているから、その定義を考えるために、
そのあり得ない状況を想定したのだ。雄略紀に合わせてね。

>>961
>もちろん日本府の存在をなるべく矮小化したいという願望。

実際に矮小ではないか。欽明記になるともっと矮小だ。
新羅の位を持つ現地生まれの男が日本府を乗っ取って、倭人将軍たちを
意のままに動かしていたと言うのだからな。
どうも任那日本府の存在を極大化したいという願望が多いようだ。
966日本@名無史さん:2009/01/31(土) 11:07:38
>>965
韓国側が言うように任那日本府がなかったという意見ならともかく、
あったのは事実なんだから、その内容については多少の差異があろうとも、
そこまで細かく興味のあるやつはほとんどいないだろう。
日本府があったのが確かなら、
あとははっきり言ってどうでもいいというのが大方の意見だろう。
しかるに君は、

>倭人将軍たちを意のままに動かしていたと言うのだからな。

そんな小さな事がよっぽど嬉しいのか?w
967日本@名無史さん:2009/01/31(土) 11:16:59
>>965
>それなら任那日本府の「軍事指揮権」も、配下の倭人部隊に及ぶ
>だけだったのだな?

弱国の任那王に倭人将軍を指揮する軍事権限なんてあったと思うのか?
福泉洞ごときのへたれた古墳でなく、
もっと立派な墓を作れる身分になってたら一応考えてやってもいい。


968日本@名無史さん:2009/01/31(土) 11:31:00
>>966
煽るなYO

>>961で言った通り関東軍の例えはもうやめようよ

>>965
>>もちろん日本府の存在をなるべく矮小化したいという願望。
>任那日本府の存在を極大化したいという願望が多いようだ。

なるほど、主観的にならないように気をつけよう。
>>964の通り、欽明期の日本府がしょうもなかったのはその通りだが
権勢が時期によって隆盛したり衰退したりという変化があるだろうね。
969日本@名無史さん:2009/01/31(土) 12:10:07
任那あるいは任那日本府と半島南部で発見された
前方後円墳との関係について興味があるのだけど、
これらのことについて研究した資料は何かあるでしょうか。
970日本@名無史さん:2009/01/31(土) 12:17:50
>>969
資料は知らないが貝製腕輪・ベンガラ朱・埴輪まで見つかってるのだから、
誰が考えても倭人の墓という事になるのだろうが、
韓国側は認めてないのじゃないの?
971日本@名無史さん:2009/01/31(土) 13:32:10
>>966
あったことは間違いないのだから、そっとしておいてくれと言うのなら、
「軍事指揮権」などと大きなことを言わなければよいのだ。

>>968
>権勢が時期によって隆盛したり衰退したりという変化があるだろうね。

それはその通りだろうが、日本書紀のなかで任那日本府のことを述べている
のは、任那日本府が「どうしようもなかった」欽明紀の他には、日本府が
任那王の指示を受けた雄略紀しかない。
だから、その「隆盛」期の日本府について述べた個所はどこにもない。
隆盛期というのは想像の産物に過ぎない、ということははっきりして置く
べきだ。
972日本@名無史さん:2009/01/31(土) 18:30:15
>>971
>「軍事指揮権」などと大きなことを

軍事指揮権などと言い出したのはおまえであり、
俺は任那王ごときにそんなものはないと言ってる。


>任那王の指示を受けた雄略紀しかない

君の恣意的見解。
任那王など大和王権への単なる取次ぎにしか思えないし、
「考古学的」にも任那王の墓など、
王墓とは呼べないもの。

973日本@名無史さん:2009/01/31(土) 20:17:54
>>966
「軍事指揮権」を持ち出したのは私ではなく、>>928だ。

>加羅諸国と新羅と百済は内政権は自治権としてもっていたが軍事指揮権は倭王にあった。

この言い方なら加羅諸国、百済、新羅は「内政権」のみを持っている。
ということは倭王の代理である日本府は、外交権、軍事権を含むそれ以外の
権限をすべて持っていたことになる。
任那王は日本府を通さず勝手に新羅と外交や戦争をする権限はないのだ。
私はそのような意味での「軍事指揮権」を、少なくとも日本書紀に書かれた
任那日本府が持っていたようには読み取れない、ということを言っているのだ。

>任那王など大和王権への単なる取次ぎにしか思えないし、

上記の考え方なら新羅王はまず任那日本府へ使いをやるべきである。
そうせずに任那王のもとに使いをやったことだけでも、この地方での
「日本府」の「軍事指揮権」が完全なものではないことになる。

誤解がないように言っておけば、百済に譲渡する前の全羅南道の直轄領に
いた倭の国司(くにのつかさであり、やまとのみこともちでもある)が、
完全な「軍事指揮権」を持っていたことに反対しているわけではないよ。
974日本@名無史さん:2009/01/31(土) 22:29:05
>上記の考え方なら新羅王はまず任那日本府へ使いをやるべきである。
>そうせずに任那王のもとに使いをやったことだけでも、この地方での
>「日本府」の「軍事指揮権」が完全なものではないことになる。

そこのところは>>961が言う、
「新羅は日本への貢納を停止して高麗(敵方)に附いていたのだから
日本とは気まずい関係にあった。」という事でないの。
975928:2009/02/01(日) 00:12:10
>>973
>この言い方なら加羅諸国、百済、新羅は「内政権」のみを持っている。
>ということは倭王の代理である日本府は、外交権、軍事権を含むそれ以外の
>権限をすべて持っていたことになる。

ウリは928ニダ。
あなた素人じゃないとしたら、わざとやってない?
「内政権をもっていた」とはいったが「内政権しかもってなかった」とはいってないよ。
加羅も百済も新羅も独自外交を展開してたのは周知の事実じゃん。
また倭王がもっていたのは軍事指揮権といっているのであって、
軍の所有権とも、軍政権ともいってない。
これは倭の五王の官職についての研究史の中から
長年かけて慎重に模索されてきた表現だと理解している。
俺が個人的にいきなり思いついて言い出した表現ではないよ。
さらには、建前上の権限と実際の情況ともズレはある。
この場合の建前とは、中国の南朝政府の脳内の建前だから
現実と多少はズレても当たり前なのだが。
976日本@名無史さん:2009/02/01(日) 06:32:27
>>975
ではその「軍事指揮権」の定義を教えてくれ。
任那日本府はどんな権限を持っていたのか、具体的に列挙すればそれで
定義される。
977日本@名無史さん:2009/02/01(日) 10:50:29
>>975
答えをもらう前だが、考えてみたら君の言いたいことがわかった。
譬えとしては関東軍と満洲国皇帝の関係を持ち出すのでなく、
日清戦争における在朝鮮日本軍と朝鮮王国の関係を持ち出すべきだったのだ。

このとき、朝鮮王国は内政権はもちろん、軍事権、外交権まで一揃い保有
している。その状態で、朝鮮国内における日本の軍事行動の自由を許したのだ。

古代に戻れば、任那諸国は倭の朝貢国である。朝貢国は倭に朝貢する以外は
内政権、外交権、軍事権を保有している。
しかし朝貢国は、他の大国が狙うところでもある。大国とは例えば高句麗だ。
倭は宗主国の責任として、あるいは自分の利益から、朝貢国を他の大国から
守らねばならない。守るについては朝貢国の国内における軍事行動の自由を
保障されなければならない。(実際、倭はそのような軍事行動を任那国内、
あるいは新羅・百済国内で行った。)

これが「軍事指揮権」なのではないか?
そうだとすれば「軍事行動権」とでも言うほうがイメージが合うな。

しかし、そうだとしても、そのような軍事行動権を保有していたのは、
任那日本府のいつの時代なのか?ということを考えなければならない。

978日本@名無史さん:2009/02/01(日) 15:10:15




まあ、朝鮮は古代から日本の属国だったってことでFA。




だろう?バイアス君(笑)
979日本@名無史さん:2009/02/01(日) 15:57:21
>>928 を読み直したら、「軍事指揮権」はもともと任那日本府のことではなかったね。
まあ、それにしても「軍事行動権」にしてもらいたいが。

で、任那日本府については、私はだんだん下記の 928 の説に傾いて来た。

>失職して故郷に帰るのも嫌で、安羅に逃げてきて別のしかるべき地位を本国に請求。
>憐れんだ本国が余計なポストを用意して安羅に居候できるように取りはからった

この考え方に立てば、なぜ「任那日本府」と呼ばれるのかも同時に説明できる。
もうひとつのスレにも書いたが、彼ら元国司たちは、全羅南道にいるときは
「任那にいる大和から来た行政官」だから、まさに「みまなのやまとのみこともち」
であった。

それが安羅に逃げて来て、しかるべき領地を貰って安住した段階では、
もはや「みまなのやまとのみこともち」にふさわしい職責を持っているわけ
ではない。しかし従来からのいきさつから、便宜的に従来の職名で呼ばれて
いた。これが安羅の「みまなのやまとみこともち」であり、それに漢字を
あてたのが「任那日本府」だ、という考え方だ。

980日本@名無史さん:2009/02/01(日) 23:44:19
話が細かくなりすぎだ。
ここまで行くとどうでもいいし興味のあるやつはほとんどいないだろう。
981日本@名無史さん:2009/02/02(月) 01:21:22
栄山江の前方後円墳について教えてくれ。
被葬者は倭人なのか、百済との関係は?
982日本@名無史さん:2009/02/02(月) 05:23:50
うめ
983日本@名無史さん:2009/02/02(月) 08:35:45
>>981
倭人だろう。
前方後円墳は皇別でそれなりの人物しか作れないだろう。
書紀には穂積臣押山という名前が見られる。
ただ古墳の土の盛り方や埴輪などは地元の人間が行ったのか、
日本と微妙に雰囲気が違うと聞いた。
百済との関係だが武寧王の墓よりはるかに大きいし、
それが力関係を表してると思う。
984日本@名無史さん:2009/02/02(月) 14:18:45
>>983
力関係というなら倭王との力関係だろう。体制の異なる国同士で墓を比較して
どうする。

穂積臣押山は百済王から賄賂を貰って領土割譲のために働いた使いパシリだ。
985日本@名無史さん:2009/02/02(月) 16:15:53
>>984
賄賂を貰って領土割譲のために働いたのが何でパシリなんだ?
頭下げたのは百済王だろうが。
百済が臣民にされたことは広開土王碑にもあるが?
5世紀からの半島南部の古墳の高塚化は日本の強い影響だと韓国考古学会長も認めてる。
986日本@名無史さん:2009/02/02(月) 16:24:28
>>984
賄賂ってのは普通、口利きとして立場が下の人間が上の人間に渡すものだ。
百済王が穂積臣押山より下だと自分で認めてるじゃん。
アホだろおまえw
987日本@名無史さん:2009/02/02(月) 16:51:54
>>985
>5世紀からの半島南部の古墳の高塚化は日本の強い影響だと韓国考古学会長も認めてる。

日本の強い影響?
全羅南道の前方後円墳は「影響」どころか日本そのものだ。直轄領なのだから。

任那諸国の円墳のことを言っているのなら日本というより百済の影響だろうな。

988日本@名無史さん:2009/02/02(月) 17:03:58
>>985 >>986
君たちは日本語がわかるのか?
賄賂とは法律用語で「職務に関して授受する不法な報酬」のことだ。
上も下もない。

使い走りで悪ければ押山は「売国奴」だな。国を売ったことは間違い
ないからな。
989日本@名無史さん:2009/02/02(月) 18:27:21
>>988
>上も下もない。

ごまかすなハゲ。
上も下もないなら「パシリ」というおまえの言い方が間違いだな。

その「職務に関して授受する不法な報酬」を出す方は、
口利きをお願いするわけだろ?
建設会社と運輸大臣のどちらの立場が上なんだ?

990日本@名無史さん:2009/02/02(月) 18:29:15
>>987
>日本というより百済の影響だろうな。

百済に5世紀以前土盛りの高塚があったのか?
991日本@名無史さん:2009/02/02(月) 18:46:46
>>988

おい、何か言えやwww

992日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:01:27
まあ、押山が受け取ったのは賄賂ではないと言いたいのなら、その
可能性もある。
押山は事実上、倭王と百済王に両属しているから、百済王の臣下として
受け取ったのなら、それは正当な報酬であるから、賄賂ではない。
その場合の上下関係はわかるね?
993日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:15:55




【ドラえもん】   ガチャ子  【ドラえもん】

ドラえもんの連載ごく初期に存在したものの、わずか半年・数回の登場で消え去ったという幻のキャラクター『ガチャ子』。
ドラえもんのライバルとして登場したにも関わらず、作者にさえも見捨てられた水子のようなキャラクター「ガチャ子」について語るスレである。




http://changi.2ch.net/test/read.cgi/csaloon/1233571617/
994日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:30:47
>>989
>上も下もないなら「パシリ」というおまえの言い方が間違いだな。

お前は相変わらず日本語がわからないな。
「上も下もない」というのは賄賂と言う言葉は本来上下関係を表さない、
ということを言ったのだ。
で、どちらが上かというのなら、倭の臣と百済王は、国が異なるから
直接の上下関係はない。ただ百済の臣でもあった可能性については
上記の通り。

>その「職務に関して授受する不法な報酬」を出す方は、
>口利きをお願いするわけだろ?
>建設会社と運輸大臣のどちらの立場が上なんだ?

お願いしたら必ず下なのか。
日本の政府が、外国の会社に金を払ってなにかを依頼したら、外国の
会社のほうが上なのか?
995日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:30:56
>>992
>賄賂ではないと言いたいのなら

論点ごまかすな。
賄賂ではないなんて誰が言った?
そんな事一言も言ってません。

賄賂でいいんだよ。

賄賂の場合の上下関係について反論できないようだな。
反論できないから論点ずらしてるのだろ?w
996日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:41:43
>>994
>お願いしたら必ず下なのか。
>日本の政府が、外国の会社に金を払ってなにかを依頼したら、外国の
>会社のほうが上なのか?

上だな。
その会社の背後にある政府なり国に怯えてるからだろ。
したがってその会社も上になる。
民間の会社だけなら何も引け目なんて感じることはないからな。

百済と押山の関係だなw

997日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:50:39
百済の5世紀以前の高塚を教えれや。
任那の円墳のどこが百済の影響なんだ?
ふざけるな。
998日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:55:06
なるほど。
お前が探偵業者に金を払って他人の調査を依頼したら、探偵業者の
ほうが上なんだな?
999日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:57:30
ところで墓に関する君の質問。

加耶地域(本発表では、洛東江以西地域を指す)において横穴式石室墳が
どのように受容され展開するのかについては、不明な点が多い。ただ、
6世紀中葉以降、この地域が新羅化するなかで急激にその広がりが
確認される横穴式石室墳が出現する以前に、おそらく百済の影響に
おいて出現したと思われる横穴式石室墳が存在する。これらを石室構造
と分布域からみると、晋州・咸安などに広がる1群と、高霊を中心
として広がる1群に大分できそうである。

http://hb3.seikyou.ne.jp/home/Hideo.Yoshii/gyouseki/kyuhan99.html
より引用
1000日本@名無史さん:2009/02/02(月) 21:00:02
どんどん瑣末な例でごまかそうとしてるな。
探偵は自分に出来ない事をしてくれるという事なので、
ある意味当たり前だろう。

歴史上、朝鮮の王は中国の長官クラスにさえ頭が上がらなかったよな。
そういう例を言え。
10011001
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