474 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 23:56:41
初期新羅の王が倭人くさいそうだが
つぬがあらしど?だっけ、
あの人もそんな感じで
祖先が倭人とそういう縁があったので日本列島に渡って来たのかな?
475 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 16:45:39
>>464 >高麗は海を渡り 百残さらに東進して新羅を破り臣民とした・・・
原漢文は、これなんだが。
「百殘新羅舊是屬民由来朝貢
而倭耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民・・・」
耒卯年=辛卯年=391年とされている。素直に読み下せば、渡海破の主語は
倭だな。
百済を百残と記すあたり、高句麗の敵視蔑視度が出てる。倭も別箇所では
倭賊と呼ばれているが。
477 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 17:12:55
>>475 >百済を百残と記すあたり、高句麗の敵視蔑視度が・・・
371年の百済との戦いで、王(故国原王)を殺されてるからな。
478 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:43:17
百済は、扶余とは何の関係もないっしょ。
扶余=高句麗と敵対関係にあったのが百済と大和。
百済王族の姓は「余氏」だが、これ「多氏」と関係ありそうだね。
余氏も「オホ氏」と読むんじゃないかな。「ヨ氏」じゃなくて「オホ氏」と。
数多という日本語の古語があるが、数多(アマタ)は、余るの根語であるアマに
形容的接尾語のタを付けた言葉だという。数多=多くの=沢山のという意味。
アマ+タ=アマタ
つまり、数多は余多なのだ。古代日本語では、余(あまる)という言葉には
「多い」という意味が含まれていたらしい。
多氏は神武天皇の子孫だという伝承がある。
百済王家=余氏は、多氏の分家じゃないかな。
■日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01222.htm あっ、余豊璋が多氏の娘と結婚してる!!
479 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:47:30
>>441 >神武天皇の兄・稲飯命は新羅に渡って新羅王になったと新撰姓氏録にある。
>つまり稲飯命の子孫が新羅に渡ったのではなく、本人が渡った。
>後になって新羅王子・天日槍(あめのひぼこ)が日本にきて但馬の豪族になっているが
>これが稲飯命の系統の新羅王の子孫だろう。
天日鉾が日本に移住したのは、中国北朝=魏の、公孫氏領=楽浪郡への軍事侵攻と関係あるのかな。
480 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:49:47
亡命か・・・。
女房のほうが先に日本に移住したようだが。
481 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 21:02:30
>>478 >百済は、扶余とは何の関係もないっしょ・・・
高句麗・百済の建国始祖伝説を、知らぬとみえる。
>>480 >女房のほうが先に日本に移住・・・・
天日鉾が倭まで追いかけてきたとされる女性の名は、何だったっけ?
妻ではなかった記憶があるんだが。
瓢公(≒朴赫居世)って大和王権に追われたんじゃないの
>>478 百済は別名「南扶餘」。日本書紀にもでてくる。
姓が「餘」氏だというのは
漢風に一字表記してるだけで本当は「扶餘」氏だよ。
百済王家は夫餘王の分家だから。
484 :
日本@名無史さん:2006/05/22(月) 13:19:22
ほほー
485 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 21:09:17
逆だろう。
486 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:42:24
487 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:44:11
―七支刀は日本側が主張するように「百済が日本に捧げた贈り物」だったのだろうか?
「与えた側は百済の“皇太子”、受け取った側は“倭王”と記されている。百済が倭に下賜したものであったという証拠だ」(李永植・仁済大教授)
―植民地工業化は韓国の経済発展に貢献したのか?
「経済計画と統制をはじめとした日帝時代末期の雰囲気を受け継いだのは、むしろ北朝鮮の経済政策であった。経済発展は工業化の遺産に後押しされたという見解は憶測に過ぎない」(鄭在貞・ソウル市立大教授)
488 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:45:15
暗記科目はだせえなぁ。クソ日本史。チンポしゃぶらせてた方がいいよ
489 :
素人さん:2006/06/12(月) 17:13:21
みんな必死だな〜
490 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 13:07:20
491 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 14:24:44
倭の五王って上表文で
百済・新羅・加羅とかその他諸々
朝鮮南部全域の軍事支配権を主張してるよね?
492 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 14:31:47
>>〜韓・日・モンゴルの共通のルーツは「ジュシン」〜
>>「ジュシン」という民族を知っていますか?
トンヤン大学のキム・ウンフェ教授は、最近発刊した著書で、
モンゴル・満州・韓半島・日本を結ぶ文明史的ベルトの主役で
あり北東アジア民族の共通の始原として、これら地域に金属文
明を伝播した「ジュシン」という遊牧民族を提示した。
493 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 18:17:29
494 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 19:48:44
日本軍による広開土王碑のねつ造説は、すでに中国によって否定されてる。
495 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 21:13:19
「 土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。蛙と亀は穴を
共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。ざんばら髪の君には長者の相なく、
入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、建康(今の南京)に住まいし、
ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。おのれを阿イ農{人ベンに農}(おいら)と言
ふた言めには阿(お)、お{返事などの時}の連発。菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が
代用飯、茶が飲物代わり。じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)を
クチャクチャ。手には豆寇{共にクサかんむり}(ずく)をつかみ、口にはビンロウを噛
む。中州のところで、魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根にかじりつき、
鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。 」
* 六世紀に書かれた「洛陽伽藍記」より *
華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を批判した言葉です、
まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味そう!
497 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:34:50
わからんが
498 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:43:02
食べ物の趣味は似ているな、確かに。
499 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 18:07:32
呉越系弥生人=倭人とも言う。が朝鮮半島南部に移民、彼らの勢力によって、
加羅、新羅、クダ羅(百済)、耽羅(済州島)、末羅(松浦半島)比羅(平戸)
と大和勢力(呉越系弥生人と縄文人のハーフ)による、連合国家樹立かな?
500 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 18:28:55
半島って、呉越系の影響強いか?
501 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 21:01:51
新羅人、久太羅人、加羅人は「日系満州人」みたいな者か、それらが帰って来た。
帰って来て大和人に化けるから帰化人と言うのか、なるほど!
新しく来た人は今来の手人と言ったらしいな、ふうん。日系ブラジル人も居るよ?
502 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 21:47:18
本当かよ。
半島南部(北方の、高句麗を除く)には倭人が生息していたらしいからな。
新羅と百済と加羅人に倭人の血が混じっていてもおかしくは無いが…
なんだよ「日系満州人」て。時代が新しいじゃないかよ、満州の方が。
すいませんコピペの練習したかったもんで、申し訳ないです。
505 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 21:11:41
>>504 偉いね君は
謝罪など一切しないチャンコロとは雲泥の差だ
506 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 20:53:54
イヒヒ
507 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 05:09:44
実は高句麗の始祖朱蒙の末裔で現存するのは天皇家だけだったりする。
朝鮮人は高句麗を自分たちの先祖としているが、その王族の血を直接受け継ぐものはいない。
508 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 12:34:38
日本の白鳳時代は農業国家で、文化も唐から入ってきた発展途上国ではない
のか。そんな国の技術の兵器で朝鮮を侵略したり宗主国になれるものか。日本
の歴史学の学会はフリーメーソン(華僑系)が支配しており、日本は侵略国家で
あると洗脳するために神功皇后の三韓征伐と言うでたらめを作文したのだ。も
っと常識と自分の頭で考えろ。馬鹿な学者の意見など鵜呑みにするな。
偽科学が常識を盲信させる
非ユダヤ人、特に日本人において、科学の盲目的信仰が功を奏しているよう
である。幼い頃から唯物主観(金・もの主体)を叩き込まれ、学校の教科書で教
えられる事がすべて正しいと信じる。科学的に証明されていないことには、決
して耳を貸そうとしない。こういった人々にとっては権威ある有識者や学会が
言うことのみが正しく絶対なのである。ところが、超一流と言われる学者、専
門家等により構成される団体はシオンの賢哲らにより、彼らの目的達成のため
に利用されている。
ユダヤ議定書(第2議定書)
「非ユダヤ人は歴史を基礎とする観察を怠り、専ら理論上の旧弊に囚われて、
その結果に対する批判的工作を忘却している。我々は新聞雑誌を利用してこの
科学理論を盲目的に信用させる。非ユダヤ人の知識階級は自己の知識を誇りと
して、科学から得た知識でものを考えようとする。その知識を論理的に吟味も
せず、その知識なるものが、人間を我々の目的の実現に向けて、教育するため
に作られた事に気がつかないのである。悪魔の世界制覇に向けて。我々の主張
を根拠なきものと思ってはいけない。我々の仕組んだところのダーウィン、マ
ルクスの教説の成功に注意なさるがよろしい。これらの教説は非ユダヤ人の心
に破壊的作用を及ぼした。彼らは神を信ぜず、金の亡者となっている。ダーウ
ィンの進化論は常識となっており、人間は猿から進化したものと思い込んでい
る。チンパンジーは何時になったら人間となるのか。急には進化できないから、
その中間の形態のものが存在しなくてはならない。
509 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 14:16:51
『日韓同祖論』という妄説がある。
学問的な根拠がまったくない、まさに妄説であり、狂説である。
日本人と韓国人が、何の関係もない別種の民族であることは、両民族の言語を分析すれば
すぐに理解できる。
【日本語】 【韓国語】
空(そら)→ ハヌル
稲(いね)→ ビョ
白(しろ) → ヒンセク
白い(シロい)→ ヒダ
頭(あたま)→ モリ
目(め)――→ ヌン
手(て)――→ ソン(またはパル)
足(あし)―→ ダリ
犬(いぬ)―→ ゲ
猫(ねこ)―→ ゴヤンイ
虎(とら)―→ ホランイ(またはボム)
刀(かたな)→ カル
弓(ゆみ)―→ ファル
槍(やり)―→ チャン
比較してみれば、まるで違う言語であることが分かるであろう。
『日韓同祖論』がいかに馬鹿げた説か、理解できますね。
510 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 15:10:37
日本では新羅のことをシラギ(またはシラキ)と呼んでいるが、
このことについて、朝鮮人の言い分は、
「我々朝鮮民族は、古代から『白』という色を神聖な色と考えてきた。
だから古代朝鮮人は、新羅のことをシロ国(白い国)と呼んだ。新羅の日本語読み、
シラキも、『白い木の国』という意味だ」
と、いうものである。
彼らに言わせると、百済の「百」も白いという意味で、
白頭山信仰も、古代朝鮮人が『白』という色を神聖視したことと関係が
あるんだそうだ(笑
朝鮮語で、白は「シロ」とは言わないのだが・・・(苦笑
ヒンセクやヒダについて、どう説明するのか?
511 :
日本@名無史さん:2006/08/21(月) 14:46:59
512 :
日本@名無史さん:2006/08/21(月) 18:49:05
朝鮮人はエベンキ族の子孫らしいが、
このエベンキと、シベリアに住んでいるヤクート族は文化が似ている。
ヤクートとエベンキは同じ民族なのかな。
513 :
日本@名無史さん:2006/08/21(月) 19:11:43
倭人は自慰することが好きだ
514 :
とりあえず:2006/08/26(土) 20:50:30
不逞鮮人は自慰が大好きだ
日本をオカズにして日夜はげんでいる
515 :
日本@名無史さん:2006/08/26(土) 23:46:39
>―七支刀は日本側が主張するように「百済が日本に捧げた贈り物」だったのだろうか?
> 「与えた側は百済の“皇太子”、受け取った側は“倭王”と記されている。百済が倭に下賜したものであったという証拠だ」(李永植・仁済大教授)
七支刀銘文って欠字が多く、何が書いてあるか読めないんだが…
「与えた側は百済の“皇太子”、受け取った側は“倭王”と記されている。」
と断言しているのはなぜ?www
とYAHOOで某朝鮮人に聞いたらシカトされました。
516 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 00:14:43
517 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 01:07:05
>>514 不逞鮮人が好きなのは強姦だって。米国外務省も韓国への女性出国者には
レイプの恐れの高い国だと警告している。
>>515 あの国じゃ大学教授でも
素人丸出しな電波説を発して平気なんだなぁ。
日本でも一部マスコミや出版社は、視聴率や売上指向で、世の中や日本がどうなろう
と構わないてなことをやっている。
韓国でも仮説の「べき論」で、史実や現実をツマミ食いして、一部の人々に迎合して
名を売ろうとしている学者はいる。社会の成長を阻害していることを気にもしていな
い。本当はその国にとっても不幸なんだけどね。
嘗糞(しょうふん)
朝鮮では、6年以上父母の糞を嘗めつづけ看病し
病気を治した孝行息子の話などの記録があり、指を切って血を飲ませる
「指詰め供養」(断指)や内股の肉を切って捧げる「割股供養」などと共に、
親に対する最高の孝行の一つとされた。
断指及び割股に関しては『三国史記』の統一新羅時代に記述が見られる為、
同時代に唐から入ってきたと推測される。こうした風習は朝鮮時代まで続き、日韓併合後に禁止された。
世宗が編纂を命じた儒教的な教訓を纏めた書、『三綱行実図』には孝行の一例として挙げられている。
『朝鮮医籍考』によると、後に娯楽化し、人の糞を舐めてその味で誰の糞であるか当てる遊びが流行した。(상분유기)
521 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:19:35
↑
ネタ認定
百済支配階層は扶餘だけど、
被支配層は鮮族だったろう。
だから白村江以降、支配階層は異民族新羅による支配を嫌い、日本に大量亡命。
庶民は比較的平穏に、新羅に編入されたろうな。
523 :
日本のななし:
おいおい、事実に対してお前ら何やってんだよ・・・