952 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 13:06:09
>>947 >勘違いした6世紀かよ。
>ならどうでもいいじゃないかw
どうでもよくはない。なぜなら金官は、この時点に至るまで高塚を
築かなかったからだ。
韓国の日本系甲冑出土地だが、
金官では、
福泉洞4号墳、福泉洞112号墳、金海杜谷43号墳、蓮山洞8号墳、杜谷72号墳、釜山加達4号墳、
あと、
慶尚南道陜川郡 玉田古墳群、
慶尚南道昌寧郡 校洞古墳群、
慶尚北道高霊郡 池山洞古墳群、
忠清北道清州市 新鳳洞古墳群
からも出てる。
清州市ってかなり北だろ。
百済だな。
>>53 倭の文字を見ると、其の時代は女王が多かったから、
女王が兜を被ってるという感じになるのかな。
957 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 15:18:56
>>953 >だからその程度の地位だったのだろう。
やはり予想通り、身分説に戻ったな。
では聞くが、百済王の墓はチェ教授によれば高塚に入っていないから高さ
3mぐらいで、同2mと推定される金官王の墓とたいして変わらない。
ということは百済王も「その程度の地位」だったのか?
958 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 15:41:23
>>955 面白いね。
鉄製短甲の起源はますますわからなくなって来た。
>>957 >3mぐらいで、同2mと推定される金官王の墓とたいして変わらない。
>ということは百済王も「その程度の地位」だったのか?
細かいやつだなぁ、知らんがなw
高塚は何メートル以上とかいう決まりがあるわけないではないか。
百済の墓が高句麗的積石塚から土盛りに変わったのは、
何か大きな契機があったと考えて良いではないか。
>>958 起源は日本です。
支那に後円墳的な物はなかったの?
961 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 17:07:26
>>961 5世紀からの帯金短甲の変遷では、
日本が種類も量も圧倒していて韓国には出ない種類まである。
その前の4世紀ごろの縦矧短甲を仮に日韓同時期だとしても、
さらにその前の木製短甲においては日本が出土量で圧倒してる。
韓国は実質出ていない。
これらの事を考慮してみれば、日本が短甲のルーツである事がわかり、
韓国だというやつは頭がおかしい。
963 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 20:30:40
>>959 >細かいやつだなぁ、知らんがな
要するに思いつきの出まかせだったというわけだな。
>さらにその前の木製短甲においては日本が出土量で圧倒してる。
またウソを書いているな。
木製短甲はいろいろな形のものが数例出ているだけだ。
鉄製短甲と直接つながっている例があったら出して見よ。
なるほど。
>>959は思い込みだけのクソ野郎と言うことだな。
メモメモ。
965 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 20:41:16
新羅の古墳は、金官に北方系の大型木郭墳が出現すると同時に、これと同じ
形式の木郭墓に変わる(それ以前も木郭墓だが形式が異なる)。
しかししばらくするとその大型木郭墳に新羅の独自性が現れるようになり、
さらに4世紀末になると巨大な積み石塚を伴うようになる。
このような経過は、新羅が金官の支配を受けた後、その支配から独立して
行く過程を示していると思われる。言いかえれば金官は新羅の宗主国だった
のだ。532年の金官滅亡の際、新羅が金官王家を優遇したのは、他の任那
諸国への宣伝もあっただろうが、やはり上記のような過去の経緯があったから
であろう。
>>963 >鉄製短甲と直接つながっている例があったら出して見よ。
前の任那スレでおまえが紹介した韓国の学者も木製短甲とのつながりを言ってたではないか。
嘘言うな。
それ以前に韓国の木製短甲のまともな出土例を言え。
>>965 新羅の能書き言っても所詮は日本の臣民。
好太王碑文を否定は出来まい。
あとお前は三国史記まで出してきたのだから、
4代目の倭人王の事も認めろよ。
968 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:00:58
考古学を根拠にして言っていいこと
・文献の空白を埋める
・諸文献間の矛盾を裁定する
(どっちが正しいかを決める。どっちにも書かれてないことを正しいとする権限は無し)
考古学を根拠にして言ってはならないこと
・いずれの文献に対しても矛盾する新事実を捏造すること
>>968 文献なんてその時の権力側が好きなように書ける。
したがって考古学の方が大事。
文献はあくまで資料の1つ。
970 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:19:17
>>969 考古学といったがあくまで文字資料がないという範囲でものこと。
文字がなければなんとでも解釈できる。
それは邪馬台国論争みてもわかるだろう。
あと、考古学だけで中世日本の
京都と鎌倉の関係説明できるか?
できないだろ?
結局考古学は文献を補足するだけの存在で
主体的に政治史を語れるような内実はないんだよ。
>>969 文献学は長い歴史があるので定説が確立されているけど、
考古学は各人が孤立しているので当事者が好きなことを言うからな
>文献学は長い歴史があるので定説が確立されているけど
笑う所ですか?
>>970 >あと、考古学だけで中世日本の
>京都と鎌倉の関係説明できるか?
何を意味不明なこと言ってるのだ?
中世ならちゃんとした文献もあるだろう。
日本の4世紀の事が書かれた文献があるのか?
ないのだから考古学で見るしかないではないか。
974 :
日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:38:30
>>973 論理のスリカエも甚だしいw
考古学から文献上の中世史を復元することはできない。
ってことは同じく考古学「だけ」から
弥生史や古墳史を推測することはできないってことだ。
つまり文献を否定したら「歴史はない」ってことやんw
>>974 >考古学から文献上の中世史を復元することはできない。
だいたい京都と鎌倉の関係の考古学って何なんだ?
京都や鎌倉の神社仏閣は考古学的に残ってるではないか。
君は何を言ってるのかな。
考古学的に言うと、こんな風な解釈もできるな。
12世紀に東北地方にあった都市が火災か何かで破壊された形跡がある。
同じ頃、鎌倉に都市形成の発達が見られることから、
外敵(恐らくは蝦夷)の襲撃から、鎌倉へ移動したものと思われる。
>>865 >>872 そんなことはない。朝鮮は日本のものだ(より正確には土地権利者の)。
勝手に捨てるな。日本領朝鮮を不法占拠する、鮮人の回し者と断罪されても、
抗弁できないぞ?
>>978 朝鮮なんて欲しいのか?
いらねぇよ、キモい。
おまえみたいなやついるから変な勘違いされるんだ。
消えてくれ。
ちなみに我が家には朝鮮の土地が、日本本国の土地とともに伝わっているが、
第二次世界大戦後、本国の土地は売却その他で喪失し、朝鮮の土地は、
鮮人に不法占拠されている。
日本政府による補償が、事実上無い以上、取り戻すまで、
この主張を止めるつもりはない。
本国の土地は売却その他で喪失しって、
売却したのならそれなりの金額得たろうにw
で、朝鮮の土地って戦前の話だろ?
仕方ないじゃん。
いつまでも「過去」にしがみついてるおまえこそチョンだろがw
朝鮮人でも結構だ。
”日本領朝鮮在住の日本人”の意だからな。
(ただの一度も住んだことはないが)
北海道人、九州人とその意味は全く同じだ。
要は、人のものを勝手に捨てたり、犯罪者に代償もなく与えたりするな。
朝鮮はかって日本だった。その土地を売り買いしたり、住んだりするのは、
現代に世田谷や練馬で土地を買い、住むのと何ら変わりなかった。
かつてっていつの話だよw
まぁ言えば、ドイツが併合したオーストリアから投資分を返してもらったように、
本当なら日本が戦前に朝鮮に投資した金額をあいつらに返してもらわないといけないのだがね。
逆に経済援助したって言うのだから話にはならないよね。
>>981は朝鮮人。
第2次大戦後、朝鮮の土地を捨てて日本に密航してきた。
不法占拠している日本の土地を返還しろよw
>>981 俺の祖父の広大な土地も鮮人では無いけど満州から帰ってきたら他人が占拠してたよ。
家財は全部うっぱらっていったし、まさか敗戦して戻るとは思っていなかったから、対応に困っただろうね。
その後は橋の下で生活をしてたみたいよ。
987 :
日本@名無史さん:2009/02/18(水) 11:09:38
>>966 >木製短甲
あんな丸太をくり抜いた太鼓の胴のようなものや、板に彫った腹がけ
のようなものが特定の鉄製短甲につながるのか?
あれがつながるというなら、なんだってつながる。人間の胴を覆うという
目的は同じなのだからな。
>>967 >新羅の能書き言っても所詮は日本の臣民。
>好太王碑文を否定は出来まい。
君はなにかと言えばそれを言って息巻くが、私がいつそれを否定したのか。
私が言っていることはすべて、倭の半島進出の上に立って言っているのだよ。
>>987 初期鉄製短甲は北方民族が持ち込んで来たといいたいのかな?
なら北方民族の短甲の例を出して比較してみればいいだけ。
木製短甲と初期鉄製短甲がつながってると認めたくない気持ちは分かるが、
つながってると見る人(学者)がほとんどだろう。
で木製短甲の韓国での出土例は「ほぼ」ないのだろ。
残念だったなw
989 :
日本@名無史さん:2009/02/18(水) 20:44:51
>>988 >つながってると見る人(学者)がほとんどだろう。
ではその学者を挙げて見よ。
確かに、「それぞれの形式に木製の祖形がある」と言っている
学者はいるが、それだって発掘物の写真で示しているわけではない。
で、実際に見る写真は君も知っての通り、太鼓の胴と腹がけなのだ。
前にも言ったように、鉄製短甲の起源が半島か日本かは不明、
発達は相互影響としか言えない。
案外、百済が起源かも知れんよ。
ついでだが、「韓国の学者も言ってる」と、高塚で失敗した手を
また使っているが、なんのことか考えて見たら、3世紀の伽耶から
有機物製短甲の漆塗りが出た話だった。日本の木製短甲の話ではない。
990 :
日本@名無史さん:2009/02/18(水) 21:28:14
>私が言っていることはすべて、倭の半島進出の上に立って言っているのだよ。
つまり、属国か植民地かで必死になってるわけですね。
>>989 >高塚で失敗した手をまた使っているが
何が失敗なんだ、おまえこそ漢城の積石塚から汾江の土盛りへの
変遷の理由を答えれないままじゃねぇか、格好つけるな。
>ではその学者を挙げて見よ
そうでないという学者を言ってくれ。
その学者が言う何故鉄製が突然現われたのかの理由も一緒にな。
外部からの持こまれた文化でない限り、
木製短甲からの進化と考えざるを得ないではないか。
当たり前だそんなの。
北方民族の短甲の例を出せないならそれくらい認めろ。
>>989 >3世紀の伽耶から有機物製短甲の漆塗りが出た話だった。
>日本の木製短甲の話ではない。
倭人が持ち込んだ可能性が極めて高いな。
痕跡程度で「出た」などと言えるのならなw
日本は11例で韓国は痕跡が1例だったね。
君は>963で
>数例出ているだけだ。
と卑怯なごまかしをしてるな。
任那スレでも日本では11例しか出てないなどとごまかしたのに続き連続ごまかしだねw
993 :
日本@名無史さん:2009/02/18(水) 23:57:40
そろそろまとめに入ってくれよ、お二人さん
うめ
..●
●●●
●●
996 :
日本@名無史さん:2009/02/19(木) 08:12:06
>>990 >つまり、属国か植民地かで必死になってるわけですね。
意味不明。現在の用語では属国も植民地も同じ意味だ。
百済、任那諸国、新羅は朝貢国という意味での属国。
全羅南道は直轄領。
私は上記のように言っているだけで、たぶん皆さんと同じだろう。
私が言った「騎馬民族」という言葉に過剰反応しているのかもしれない
ので言っておく。
たしかに反対説者たちが作り上げた架空のイメージに基づく「古典的」
騎馬民族説はあまり見かけなくなった。
しかし応神渡来系説、継体渡来系説は今でも後をたたない。
これだって立派な騎馬民族説なのだよ。
なぜなら「扶余」というキーワードは江上説と共通しているの
だからね。
>しかし応神渡来系説、継体渡来系説は今でも後をたたない。
左翼や朝鮮系の人間が言ってる事を「後をたたない」と言われてもw
998 :
日本@名無史さん:2009/02/19(木) 10:13:02
>しかし応神渡来系説、継体渡来系説は今でも後をたたない。
これはさすがに無いw
今城塚発掘成果とか河内大古墳の形成過程を知れば、むしろ減ってく一方。
999 :
日本@名無史さん:2009/02/19(木) 13:20:23
国生さゆりって前方後円墳の墓に入りたい年下の男と付き合ってるよ
1000 :
日本@名無史さん:2009/02/19(木) 14:22:22
1000
墓
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1001:
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