【初心者】スレッド立てる前に質問をPart10【歓迎】
ルールその1
ローカルルールを読め
ルールその2
素人がコピペで回答するな。
ルールその3
宿題やレポートは自分でやれ。
大津!
臣下から天皇になった人というと宇多天皇がよく挙げられますが、
醍醐天皇もそうじゃないかと思うのですが、あってますか?
ついでに醍醐天皇の臣下時代の名前も分かればお願いします。
>>6 補足ですが、源さんの子供がいきなり皇族ってことはないかな?というのが根拠です。
8 :
日本@名無史さん:05/01/04 21:40:52
前スレ
>>996さまへ
この点はどうなんでしょう?他の方の登場キボンヌ。
ちなみに堺の商家の「今井」は奈良県橿原市の今井町、
「三宅屋」は大阪府松原市の三宅が故地のようです。
9 :
日本@名無史さん:05/01/04 22:39:05
>>6 醍醐天皇の諱は「敦仁(あつぎみ)」だが、その前は「維城」といった。
5歳の時に親王に復し、翌年「敦仁」に改名した。
「維城」は角田文衛先生によると、「これき」とよむらしい。
10 :
日本@名無史さん:05/01/05 11:43:10
関が原以後の家康を書いたお薦めの本を教えてください。
藤堂高虎についても知りたいです。
できれば歴史小説以外でお願いします。
スレ違いでしょうか。
12 :
日本@名無史さん:05/01/05 15:38:18
質問です。
井伊直政の先祖は、一体いつごろから今川家に臣従していたのでしょうか?
ヨロシクお願いいたします。
13 :
日本@名無史さん:05/01/05 21:25:33
家譜によれば、直宗・直盛は今川義元に仕え織田氏との合戦で戦死
14 :
日本@名無史さん:05/01/05 23:24:28
質問です。
どうして日本では楯や毒矢などが普及しなかったのでしょうか?
88 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/01/02(日) 18:44
『法然上人絵伝』の夜討の場面などに、手持ちの楯は登場しています。
ただ武士の本分が騎射にあり、弓矢を構えていては盾の使用が不可能である
事から、盾職人というものに到らなかったのでしょう。
鎧同様の発達を見せていれば、丈夫な雑兵用の盾も生産される様になったで
しょうが、肝心の騎乗する武士が使用しないのに、お金のかかりそうな金属
製の盾が雑兵の為だけに生み出される事も無かったかと。
楯といえば、楯を挟んで矢を射掛けあう「楯突戦」が連想されましたから。
戦闘経験はほとんどそれだけというぐらい、戦場では白兵戦よりも飛び道具
を使用する機会の方が多かった様です。それなら金属製の「盾」より、木製の
「楯」の方が必要になるでしょう。
89 名前:日本@名無史さん 投稿日:2005/01/02(日) 18:59
>>88 早速詳しい解説ありがとうございます。
「楯突戦」でググったらこんなスレがありました。
こちらも読んでみます。
なぜ日本には盾がない?
http://piza.2ch.net/log2/history/kako/946/946063699.html
16 :
日本@名無史さん:05/01/06 01:01:42
平安時代はまだ盾あったハズだよ。
それ以前で有名なのは勇人の盾かな。
隼人の盾は、井戸の枠板に使われていたものが出土していますね。
『延喜式』によれば、長さ五尺・広さ一尺八寸・厚さ一寸。
手持ち専用の盾は、弥生時代の遺跡からも出土している他、埴輪にも見
る事が出来ます。中世の絵巻によく登場する大型の楯も、勿論手に持っ
たまま移動する事は可能でした。
『十二類合戦絵巻』などに出て来るのがそれですが、ただどちらかといえ
ば、矢を防ぐのに立ててその背後から矢を射る場面の方が多く、白兵戦
での使用はあまり見られない様です。
『法然上人絵伝』での使用も、夜討の場面において、矢ではなく太刀が使
用されている事が大きいでしょう。
なお狩猟に限らず、馬上で弓を使用する事、「弓馬」をセットで捉えて重
視する事は、少なくとも『続日本紀』の時代には存在した様ですね。
18 :
日本@名無史さん:05/01/06 02:27:04
質問です。
八幡様は、なぜ八幡様というのでしょうか?
幡=旗、八幡=八旗、で清代のように8つの軍団を、
応神天皇、神宮皇后が率いていた、というわけではない?
19 :
日本@名無史さん:05/01/06 02:37:32
八幡神社の総本の大分の宇佐八幡のちょい上に、
八幡ってところあるけど「やはた」って読むんだよね。
八幡=八旗ってありうるのかも
20 :
日本@名無史さん:05/01/06 02:37:42
質問です。
シャクシャインの戦いはアイヌ民族になにをもたらしたのですか?
漠然とした質問ですいません。まずはここから入っていって詳しく掘り下げていこうと思っているので有力なHPなんかを教えてもらえると助かります。
21 :
日本@名無史さん:05/01/06 02:38:50
八幡大菩薩って誰のこと?
22 :
20 ◆Sn9.CxBK4I :05/01/06 03:34:03
20です。コテハンつけました。皆さんの解答まってます。
23 :
日本@名無史さん:05/01/06 05:47:04
信長は自分のことを第六天魔王と称したそうですが、第六天魔王ってなんですか?
元になった神話とか伝説があるのですか?それとも信長がかってに作ったのでしょうか?
24 :
???? ◆VgMkRE6jec :05/01/06 07:31:21
『官位』板を誰かが煽っていますが無視して下さい。もし迷惑をかけていましたら、すいませんでした。
官位板使者
25 :
日本@名無史さん:05/01/06 09:05:02
仏教の話でしょ?第六天。坊主に聞けば。
>>18 対隼人戦の行われていた、辛国城に八つの旗が降って来たからというのが中世
の説明でしたが、実際には中国の軍制にある「八幡」に由来するという説があり
ます。応神天皇霊という説もありますが、これは後付けで、本来は辺境を守護
した軍神であったらしい。
『続日本紀』では、早くも仏教式に「大菩薩」と呼ばれています。
>23
インドのシヴァ神の事で、中世神話では天照大神に「日本に仏教を栄えさせない」
事を約諾する様に求めたという最大の仏敵です。
第六天という名称は、欲界の最上層である第六天に居住する事に因んだもの。
もっとも、信長が無神論者であったとか、第六天魔王と称したという事は宣教
師側の記録にしか見えない様なので、眉に唾をつけた方がいい。
しかし、単語の質問はまず辞書を引かれた方が。
27 :
日本@名無史さん:05/01/06 09:57:45
和光の船が八幡船と呼ばれていたらしいが。
28 :
日本@名無史さん:05/01/06 10:10:42
他で聞いても教えてくれないので、こっちで聞いてもいいですか?
1588年の大崎合戦について質問があります。
大崎合戦時の南条隆信の戦術は非常に高度なもので、
戦前は陸軍の教科書にも使用されていたという話を聞いたことがあるのですが、
どの点が高度だったのか知っている人や有用な史料はありませんでしょうか?
29 :
日本@名無史さん:05/01/06 10:25:41
うちの近くの神社は10年ぐらい前に2000年祭していました。
神社って最初は誰が作ったんですか?
あと神主は元々は何者なの?
賢者様、教えてください。
30 :
日本@名無史さん:05/01/06 12:23:45
郷士ってなに?_
韓国における植民地政策について知りたいのですが、詳しいスレかwebサイトはないでしょうか?
32 :
田老さん:05/01/06 14:13:05
鎌倉時代に蘭渓道隆や無学祖元がやってきたけどこいつら中国語しゃべってたんでしょ。
日本に来てもあしでまといしゃないの
漢文が教養である時代だ。中国語を話せる日本人がいて通訳でもしたんだろう。
34 :
日本@名無史さん:05/01/06 16:21:56
漢文で通じます
35 :
日本@名無史さん:05/01/06 20:54:00
>>31 参考資料 : 「李完用侯の心事と日韓和合」 朝鮮全権大使 李成玉
「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。
亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は
朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を
言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人
を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が
豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、
変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」
ttp://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_02.html
36 :
日本@名無史さん:05/01/06 21:26:52
日本て朝鮮を犬か豚のように利用したね
37 :
日本@名無史さん:05/01/06 21:31:45
日本ってワルやのう
38 :
日本@名無史さん:05/01/06 21:48:43
もう勘弁してやれ。
山獄党ってなんですかね?
40 :
日本@名無史さん:05/01/07 03:35:09
板の中で史実に沿った合戦をしたいんですが、作ってもいいでしょうか?
41 :
日本@名無史さん:05/01/07 04:21:19
白河天皇と後白河天皇の違いって何でしょうか?
そもそも人物名の頭に付く「後」ってどんな意味を表すんでしょうか?
どうぞよろしくお願いします。 m(_ _)m
42 :
山下こうじ:05/01/07 05:19:32
ギンギラギンにさりげなくーそいつが俺のやり方ー♪
43 :
日本@名無史さん:05/01/07 06:37:40
くそスレになりました。
44 :
20 ◆Sn9.CxBK4I :05/01/07 08:19:17
誰もわからないんですかね・・・・・ここを最後の頼りとしていただけにつらいです。
>>44 あと、菊池勇夫さん、榎森進さん、浅倉有子さんなどの研究がありますよ。
47 :
日本@名無史さん:05/01/07 17:04:04
おまえの話はつまらん!
センターに使えそうなごろないですか?
いてい!大きな青木にむっつり小村寿太郎みたいなの
あと平民的欧化主義ってなんですか。徳富さん
49 :
日本@名無史さん:05/01/07 17:49:59
どなたか、楠木正成の母が誰なのか、どういう素性なのか教えて下さい。
50 :
ガッツ ◆R4TwlNyZPI :05/01/07 20:26:22
51 :
日本@名無史さん:05/01/07 20:32:58
一派成したる建白書、党派は板垣自由党、
2番立憲5に内閣、いち早く憲法作ってチョッキくれ。
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
明治時代の政治変動
正成ママの素性を知りたい理由を教えてください。
上嶋家文書によると服部元成の3男が観阿弥、母は正成の姉妹なんだとか。
文書は江戸時代の写本、信じる?
54 :
日本@名無史さん:05/01/07 20:56:20
>>41 後白河と白河天皇は別人では?
「後」と付けるのは、その人の名声&威光にあやかって付けている。
と聞いた記憶があります。例えば「後」醍醐天皇は平安時代の醍醐天皇が
天皇親政で成果を挙げたのにあやかって。後継者を「後」村上天皇に
したもの平安時代の醍醐天皇ー村上天皇の流れにあやかってのはず。
うろ覚えの知識なのでフォローよろしく。
後奈良天皇がいて奈良天皇がいないのは?
56 :
日本@名無史さん:05/01/07 21:00:22
板って立てる時に、ひろゆきさんにいくら支払えばいいんですか?
58 :
日本@名無史さん:05/01/07 23:33:56
>>56 くそスレは犯罪ですが、良スレは別ルートでお金が入るのでここでは無料です。
>>54さん
なるほど。よく分かりました。
本当にどうもありがとうございました。
60 :
日本@名無史さん:05/01/08 02:59:06
ついでながら死後に贈られる「諡」である事もお忘れなく。
元弘の変と元弘の乱は違うのか?
63 :
日本@名無史さん:05/01/08 04:24:24
日本史は何年〜現在までなんですか?
64 :
日本@名無史さん:05/01/08 04:44:10
>>64 そのサイトから深く掘り下げることができるのだろうか(反語)。
66 :
日本@名無史さん:05/01/08 13:23:02
>>50 観阿弥の姉では年齢があいませんね。
>>52 正成の母が伊賀出身でないかということを調べています。
>>53 観阿弥の母が正成の姉と言うことですね。正成の母はわかりませんか?
ちなみにその文書には正成は出てこなくて、父と言われる正遠が出てくるだけですね。
68 :
日本@名無史さん:05/01/08 14:20:25
>>66 平城天皇が奈良天皇なんだよね。
清和天皇が水尾天皇みたいなもんか。
69 :
塩 ◆a0ktOctZZs :05/01/08 14:23:08
ルール3に違反するか微妙なのですが…
論述問題を添削してくれ、というのはアリでしょうか?
>>69 俺ならそんな質問をせずにいきなり本題を書き込んでレスを待つ。
時間のある人がレスを付けてくれたらラッキー、
レスが着かなかったら残念あきらめる。
徳川家基が落馬して死んだ説は日本ではまだ定説になっていないのですか?
72 :
日本@名無史さん:05/01/09 11:47:13
>>67 別の方からも観阿弥の姉という情報を戴きました。
ソースはわかりませんか?
74 :
日本@名無史さん:05/01/09 17:22:34
新撰組とSS(ナチス親衛隊)って本質的にはやっている事が同じですよね?
75 :
671-672:05/01/09 18:03:38
新撰組は「誠」の文字を掲げていた訳ですよね?
SSのスローガンは「忠誠は我が誇り」な訳ですよね?
テロリストを弾圧している所を考えると両者は大小に違いこそあれ本質的には同じですよね?
76 :
日本@名無史さん:05/01/09 21:51:18
>>74-75 その論理を成り立たせるためには、徳川政権はナチズムである事を証明しないと。
77 :
日本@名無史さん:05/01/09 21:59:48
身分解放令により、江戸時代における被差別階級である「えた・ひにん」は表面上は一掃された。
しかしながら結果としてそれ以前からの差別は残ってしまった。
それは「えた・ひにん」が壬甲戸籍に載る際の位置づけに原因であった。何という形で戸籍に掲載されたか漢字三文字で答えなさい。
どなたかわかりますか…?
78 :
日本@名無史さん:05/01/09 22:07:38
>>77 3文字じゃないです。2文字です。
3文字に書いた役人がいたということですが、
その件については、下記のところが詳しいか
と存じます。
Eメールアドレス:
[email protected] こちらに質問されてはいかがでしょうか?
79 :
日本@名無史さん:05/01/09 22:27:24
>>77 それと原因のところが間違い。戸籍だけが原因ではない。
歴史研究者はそういうレベルの分析では通用しない。
80 :
日本@名無史さん:05/01/09 22:31:29
>78>79 ありがとうございます…!
問題は間違ってないんです。期末試験の問題用紙からそのまま写しましたから。答えをなくしてしまって…
部落問題だと思ってました…。何なんだろう…
81 :
日本@名無史さん:05/01/10 00:25:58
「明治期都市運動の概要と意義・限界を語れ」
みたいな課題が出たのですが、いや出たらしいのですが、
そもそも明治期都市運動とはなんでしょか??
だれか助けてくれ・・・。
82 :
日本@名無史さん:05/01/10 00:49:19
ここじゃあ助けてくれないよ・・・・
ほかにいったほうが君のためさ
84 :
日本@名無史さん:05/01/10 11:49:08
>>81 宮地正人の日露戦後政治史の研究あたりの話じゃないか?
85 :
日本@名無史さん:05/01/10 15:38:06
新平民だろ。3文字だっていいじゃん。
>>81 名磁器投資運動の聞き間違いです。
1980年代後半からのバブル景気により、骨董品の価値も上昇し、
景徳鎮やマイセンなどの名磁器への投資が活発となりましたが、
バブルの終焉により、含み損を抱えた投資家が多かったということです。
87 :
77ですが:05/01/10 19:43:04
>85サンありがとうございます…(´・ω・`)
本当助かりました…!
新平民だったんですね。
ありがとうございます…!
88 :
日本@名無史さん:05/01/11 00:19:47
封神演技読んだんですわ、もちろんマンガのほうだけど
でさ、あのマンガってなんちゃら真人、元始天尊、太上老君とか出てくんの
日本の姓の真人、諡号の天尊、太上天皇の太上とかって封神演技由来?
20世紀以降について
教えてください
レポート書かないとまずいんです。
90 :
日本@名無史さん:05/01/11 00:32:40
大人が日本史を勉強するのに適当な書物をご存知でしたら、
皆さん推薦していただけませんか?
あ、トンデモ本はご勘弁・・・
中高で歴史を学んだのも遠い昔のことだし、あらためて勉強してみたいんです。
解決策が見つかったので帰ります。
93 :
日本@名無史さん:05/01/11 02:37:30
世界史板とマルチですみません。
高校で地理しかやってなかったので基本的な知識すらありません。
なので一般常識程度は勉強してみたいと思います。
大学受験用のオススメ講義本を考えているんですが、こっちの方がイイという本ありませんでしょうか?
>>92 なるほど、シリーズものが各社から出ているのですね。
ありがとうございます。参考になります。
文春文庫の「エッセイで楽しむ 日本の歴史」上下、なんてのも悪くない。
日本史の流れをひととおり掴みたい、という人にはあまり向かないが、
歴史ネタを広く浅く手軽に読みたいというならお勧め。
97 :
日本@名無史さん:05/01/12 11:18:36
江戸時代の時代劇で町人は斬り捨てごめんとよく見ますが、
この制度や、武士同士での殺人の奉行所の
刑はどうゆう感じで、どの程度の刑がくだされるのか
を教えてください。
石火矢って鉄砲のこと?
99 :
日本@名無史さん:05/01/12 21:11:27
切り捨て御免をすると、農民の一族が奉行所に訴えに出ます、
悪くするとお家おとり潰しになったりするので、
切り捨て御免は実際はほとんどありませんでした。
>>97 「町奉行」は町人(≠武士)を取り締まる機関です。
武家のそれに相当するのは大目付という役職みたいです。
「切り捨て御免」に関しては
>>99氏の通り。
実際には武士の方もただでは済まなかったようです。
>>98 煙草のことも指しましたが、普通はヨーロッパ起源の大砲の事です。
1580年代後半には、九州で大友氏や九州に移された小西・加藤氏などが
使用していました。関が原の合戦の前後にも西軍が使用しています。
最近は、この種の質問(兵器関連)が多いね・・・ ↑を補足しとくと、
関が原の合戦の前後にも東・西両軍が使用しています。
効果があったのは城攻めの際です。
一応主戦場にも持ち込まれてはいましたが、某作家が描写している程の
効果はありませんでした。
103 :
日本@名無史さん:05/01/13 05:27:25
104 :
日本@名無史さん:05/01/13 05:32:45
信長の宗教観、宗教政策って、どういうものだったのでしょうか?
イメージだと、信長は神の存在を信じなかったとか、反仏教とか、キリスト教の日本での布教を認めたとかそんな感じがしますが、
105 :
日本@名無史さん:05/01/13 15:19:54
邪魔な宗教は弾圧。
利用できるのは利用。
本人は無神論者。かなw?
切り捨てご免ができないなら
キリストご免すればいいじゃない
(マリー・アントワネット談)
107 :
那美:05/01/13 16:56:18
↓を現代語訳にできる方いらっしゃいますか??
『右之分百姓能々御せんさくニて御所務可有之候、
来年御縄打之上不足ニて候ハバ足可申候、
あまり候ハバ御返し可被成者也、仍而如件』
よろしくお願いします。
108 :
日本@名無史さん:05/01/13 17:00:03
日本15大財閥ってどこですか?
>102
よろしければ、東軍に使用についてもお教え頂きたく。
>>104 無神論者としたのはルイス・フロイスぐらいじゃありませんか。起請文に八幡
しか書かなかったりと個性も感じられますが、基本的には一人の信者であった
様です。自己の神格化は他の戦国大名も行っており、特別な事ではありません。
そもそも、自分を神として崇めさせたとか、第六天魔王と称したというのも、
宣教師側の記録にしか無かった様ですが。
寺社勢力と戦ってはいますが、それはあくまでも敵対する勢力の一つとしてで
あり、先祖縁の織田剣神社を保護している他、八幡宮なども修復させています。
無神論者云々は、小説のイメージが強い気がしますね。「無神論者」を持ち上げ
て神格化しているのですから、傍から見ると滑稽な気もします。
110 :
日本@名無史さん:05/01/13 19:08:29
「忠臣蔵」の名前の由来は、ひょっとして、
「忠臣の大石内蔵助」→「忠臣の蔵」?
忠臣がたくさん登場するから、「忠臣蔵」となったと書いてあるのを見たけど、
「忠臣の蔵」の方が、納得できるんだけど。
でも、よく考えると、あまり格好よくないネーミングかも。
仮名手本忠臣 蔵?
仮名手本には「大石内蔵助」は登場しないけどね。
113 :
日本@名無史さん:05/01/13 19:42:24
題名に「蔵」を付ける事によって、大石内蔵助たちの事だよ〜んとイメージさせるわけだよ。
115 :
日本@名無史さん:05/01/14 00:42:40
博士スレの方にあった質問なんだけど日本史上一番馬術に優れた人物って誰なんでしょうか?
やっぱり戦国武将なんですかね?上杉謙信と武豊と五輪代表選手のうち誰が上手いかってのも興味がわきましたし。
向こうの質問にはなかったですがたしか大昔にバロン西って五輪で活躍した日本人がいましたよね?
それにペリエや鎌倉以前の武将なんかも含めると誰が一番上手いのか教えて下され。
>>100 町奉行は江戸府内の町奉行支配の地域の治安維持・行政管理で確かに町人支配がメインだけど
武家地・寺社地以外(管轄外だから)なら武士も逮捕できるんじゃないかな・・・?
逮捕するだけですぐ評定所行きだと思うけど・・・・
大目付は役職についた旗本・大名の監察。
御目付は旗本、徒目付は御家人を監察。
117 :
日本@名無史さん:05/01/14 01:07:11
新潟県て歴史的には東北でいいんですかね? 特に北部の下越地方はどうなんでしょうか?
>109
・・・如水は東軍とは言えない。九鬼守隆が使用したことを証明する文書は存在しない。
とかいう類のお話でしょうか?
↓は御存知ですよね。
ヤン・ヨーステンは、航海士であるとともに、砲手の経験がありました。
そのため、彼らが漂着した半年後にあった関ヶ原の戦いでは、同僚ら数名とともに家康の要請で参戦しました。
修理されて江戸湾に回航されていたリーフデ号から、大砲をはずして関ヶ原まで運び、戦いの最中に数発発砲しています。
この戦功でヨーステンは、江戸城和田倉門南の堀端に屋敷をもらいました。
この結果、その付近は、彼の名に因んで、「八代洲」といわれるようになりました。
その後、これがなまって、「八重洲」という地名になったのです。
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/7234/study/quiz/n05-1.htm 攻城戦に関しては、細川忠興がアノ性格なので持ち出さなかった(大谷の設置した関所を嫌った?)ので田辺城の
防衛に幽斎が使用したという逸話があったように思うのですが、笠谷氏は西軍が使用したことしか書いていませんし、
松好氏は何故か出典を書いていません。
この次に類似の質問があった時までに探しておきます。
>>115 運転歴20年のタクシードライバー、F1パイロット、パリ・ダカール優勝ドライバー、アクション・カースタントドライバー
誰が一番運転うまいの?と同じだ。
戦国時代の馬と現代サラブレッドは馬の種類が違うし、走る場所や目的、騎乗者の衣裳・装備も違う。
例えば、上杉謙信がJRA所属になれば多分武豊・ペリエの方が上手いだろうが、
逆に戦国時代、甲冑着て槍振りかざして当時の馬に乗れば武は一里も持たないかも知れない。
120 :
日本@名無史さん:05/01/14 01:29:27
>>119 じゃあ条件をつけて1ハロンおきに簡単な飛越のある1マイルのコースを戦国時代の馬よりやや大きめな日本の在来種にのって回った場合誰が一番上手いのかを教えて下さい。
騎手もハンデ次第で甲冑みたいに重りはつけますからそれを採用してハンデ60キロ統一で。
このルールなら障害も上手い熊沢や五輪のバロン西なんかも勝負になりそうですし。
とりあえず陸軍でうまかったのは、馬術の神様と呼ばれてた遊佐幸平少将
城戸俊三、今村安、西竹一あたりでしょうか。
>>120 その中途半端な条件は一番ダメな条件。
一番いいのは戦国の山や原っぱ、田畑の長距離コース、東京競馬場芝2400m、国体なんかの障害コースみたいに
それぞれのお決まりのコースを走らせてポイント制みたいにするしかないね。
馬も戦国の日本在来馬とサラブレッドと2回ずつで。
結局は決める人それぞれの主観だよw
>>110 まぁ、むりやり「蔵」を出して、大石内蔵助を連想させる目的であったろう
ことは、
>>113氏のご指摘のとおりでしょう。
ではどうやって「蔵」を出しているかについて付け加えておきます。
「仮名手本忠臣蔵」の劇中において、
浪士たちを支援する商人が、浪士たちを自分の家の蔵にかくまう
場面があります。
その蔵のことを「忠臣蔵」とよび、さらには芝居自体の題名とした、というのが
由来です。
忠臣ぐりとぐら
126 :
日本@名無史さん:05/01/14 03:14:10
源頼朝の嫁は北条政子。足利義昭の嫁は日野富子。
細川忠興の嫁は細川ガラシャ。
戦国時代あたりに、嫁ぎ先の名字を名乗るようになったんですか?
足利義昭→足利義政
128 :
日本@名無史さん:05/01/14 09:45:52
徳川三大将軍を教えてください・・・
>>126 >細川忠興の嫁は細川ガラシャ。
これは単なる慣用であって、正式には細川忠興夫人明智氏だよ。
上流社会では中国式に、○○夫人××氏という習慣が続いた
「政子」という名前も生れた時からのものではなく、「北条政子」というのも
近代になって定着した俗称です。
中世に夫方の名字を名乗るのは、夫の死後尼となり、財産を相続してから。
131 :
日本@名無史さん:05/01/14 12:54:33
自治板は他の板にもあるけど、2chには自治板が必要なんですか?
あと、ここの討論の基準はどれくらいですか?
>>131 2ちゃんねるは
「板内の決めごとやもめ事は、板内で決定・解決する」
というのが基本のようです。
ローカルルールの改正や看板の変更や、
連投・スレ立て規制値といった板設定の変更は、
自治スレで話し合い、
その後運用情報板のしかるべきスレで申請することで出来ます。
基準等はケースバイケースみたいです。
なお、そんへんは運用情報板をごらんください。
133 :
日本@名無史さん:05/01/14 13:16:17
>>132 ありがとうございました。僕も自治の一員になりたいので運用板を調べて来ます。
>>131&133
涙ぐましい努力だな。創始者こと三戦官位の歴史博士
三戦をけしかけて日本史を荒らそうとし
名無しで潜伏して三戦の自治や官位住民を罵倒中傷した罪はゆるさんよ
こんな荒らしが自治に参加したら日本史板は終わる
135 :
日本@名無史さん:05/01/14 14:59:36
結局のところ、自由民権運動の限界っつーのはなんだったんでしょう??
136 :
日本@名無史さん:05/01/14 16:42:49
本能寺の変の後、信長の嫡孫三法師を担いで主家を乗っ取った秀吉は、
三法師元服後はどういう屁理屈で自分を正当化したのですか?
137 :
日本@名無史さん:05/01/14 16:44:21
この板の方々、今年の大学センター試験の日本史を受験したとしたら、
何割ぐらい取る自身がありますか?
>>137 5割も取れる自信がありません(きっぱり)。
#歴史の醍醐味は、入試対策のような知識の暗記にはなく、
#事実に対しあれこれと検討・考察することです。
140 :
日本@名無史さん:05/01/14 23:51:44
141 :
日本@名無史さん:05/01/15 00:17:32
142 :
104:05/01/15 03:27:20
143 :
日本@名無史さん:05/01/15 03:29:44
長篠の戦の鉄砲三段撃ちは事実ではない、というのが最近の定説だそうですが、
では、信長軍は、どうやって武田軍に大勝したのでしょう?
144 :
日本@名無史さん:05/01/15 08:17:14
史学科生って歴史以外何か趣味あるの?
起きてる間ずっと歴史歴史ばっかじゃキモイ・・・
146 :
日本@名無史さん:05/01/15 09:58:42
>>117 新潟県下越地方は二つの関所で山形県(東北)とは分離されていることから、東北とは言い難いと考えますが
@鼠ヶ関 新潟県岩船郡と 山形県田川郡 との境界
A関川村にある関所 新潟県岩船郡と 山形県置賜郡 との境界
下越の代表的な城下町である村上市には上方言葉の影響が感じられます
>>144 歴史バカ一代。別にいいんじゃねえの?関係ない人がどうこういう問題じゃないよ。
148 :
日本@名無史さん:05/01/15 11:18:36
>>143 作戦勝ち
騎馬隊に不利な地形での戦闘や馬防柵、鉄砲隊の活躍などか
152 :
日本@名無史さん:05/01/16 02:31:09
153 :
日本@名無史さん:05/01/16 07:28:26
154 :
日本@名無史さん:05/01/16 14:22:05
>>137 今さっき日本史B試してみたら67点
まあ試験勉強してたわけじゃないしぃと自己弁護
何年に○○寺が建立された、なんて関心ないしね。
もっと人間臭いものを日本史に求めているから、センター試験の得点
なんて関係ない。理系のひとは日本史に興味を持ってはいかんのか?
スレタイに戻ろう。
156 :
日本@名無史さん:05/01/17 12:09:22
>>151 まず、武田が「騎馬隊」だったかどうかは
この際置いておくとして…。
どうして自分等にとって不利な環境で
戦うことを武田は強いられてしまった訳?
そういった武田不利の事前の状況は
どんな過程でつくりだされたの?
157 :
日本@名無史さん:05/01/17 16:42:36
日本史板に博物館関係のスレってありますか?
非力なもので自力では発見できません。
>>156 ・織田・徳川の援軍が来る前に長篠城を包囲して落とすつもりが落とせなかった
そのため十分な迎撃体制が取れなかった。
・側面をカバーしていた砦が徳川氏の酒井勢によって落とされ、退路を遮断される不安要素が出てきた。
・数で勝る織田・徳川の援軍が到着して、ただ退却するだけでは追撃されるおそれが出てきた。
・ある程度の戦果を上げないと、勝頼の権威に影響して、今後の家中の統制が難しくなる。
・以上の理由でやむをえず戦端を開いたが、やっぱり勝てずに退却中に多くの被害を受けてしまった。
こんな感じ?
たしか、戦死した有力武将の多くは通説にいうように織田・徳川勢に突撃して鉄砲にやられたのでなく、
退却途中に追撃されて討ち取られたと記憶しています。
記憶してるのかよw
161 :
日本@名無史さん:05/01/18 12:56:37
>>156です。
>>158乙です。
確かに撤退中を追撃されて損害を多くするってあるんですよね。
ベトナム戦争のときになっても、そうだったと言うのだから…。
リアルな視点でないかな。
162 :
日本@名無史さん:05/01/18 18:44:43
日本の歴史を通史で勉強したいのですが、
お勧めの本を教えていただけませんか?
現在大学二年で歴史小説はよく読むのですが、
歴史を勉強するとなると
中学以来となります
山川の詳説日本史研究なんかがいいんでしょうかね・・・
>>160 長篠の戦いでの織田・徳川軍の鉄砲三段打ちとか、馬防柵への武田の騎馬軍団の突撃とかの話を
信じてる人のほうが多くないですか?歴史マニアでない一般の人も含めると。
映画とかドラマを見て、その内容を鵜呑みにしている人が結構周囲にいますが。
165 :
日本@名無史さん:05/01/19 00:36:14
>>137 Aも試したよ
Bと同じ13〜24はBのまま加算して72点
「貿易に対する反感が、攘夷運動を激化させる一因となった。」
これひっかけなのかとおもった
166 :
日本@名無史さん:05/01/19 02:20:22
「寺奴の論理」とは何なのですか?
ググったりしてみたのですが、何の事やらさっぱり分かりません……。
167 :
日本@名無史さん:05/01/19 15:11:07
大塩平八郎が官僚の腐敗を書にした中で、長谷川平蔵についても
指摘していたそうですが、いったいどのようなことが書かれていたのですか?
すんません、166はスルーして下さい……。
お願いします。
白村江の戦いでの新羅軍の働きはどのような物だったのでしょう。
特に水軍について知りたいです。
また指揮した武将・有名な武将がおりましたら名前を教えてください。
170 :
日本@名無史さん:05/01/21 19:34:07
負名と田堵の違いってなんですか?
>>155 >理系のひとは日本史に興味を持ってはいかんのか?
んなこといったら
おっきい声じゃいえないけど、俺は高校一年で辞めてるし
だもんで67とか72がイケてるのかどうかもわからん
172 :
日本@名無史さん:05/01/22 02:15:28
河童ってなんですか?
173 :
日本@名無史さん:05/01/22 21:24:40
「人の三井、組織の三菱」
を論述するとしたら、どのようなことを書いたらいいのでしょうか?
解答よろしくお願いします。
三井は益田や團のような優秀な大番頭が仕切っていた。
三菱は岩崎久弥がグイグイ引っ張った。
ということ書けばいいんでないの。
175 :
日本@名無史さん:05/01/23 01:28:31
埋まってからだいぶたつけど義経と中世天皇の続スレ立てる人いないの?
大河板いってみたけど山野さんはエライよな〜
176 :
日本@名無史さん:05/01/23 01:47:39
177 :
日本@名無史さん:05/01/23 08:23:37
>>175 大河板見てきたw
小学生に大学の講義を受けさせるが如き観あり、と。
学級崩壊しとるし・・・
>>170 高校なら、税の納入責任を負った有力な田堵・・・ぐらいでいいでしょう。
>>172 初出は確か『下学集』(1444年)です。『日葡辞書』にも出。
年経た獺や亀の化けたものとされていますが、これは本草系の記録の特徴。
民間伝承系では、寧ろ子供や猿の様なものだとされています。
水や雷の精が子供の姿をとるという信仰はそれ以前から存在しており、一
寸法師や瓜子姫と同系統ではないかと言います。
>175,177
すみませんが、私は撤退してこちらにお任せしようかと・・・。
>>160 今気付きました。ありがとうございます。成る程、丹後田辺の話でしたか。
しかし、よくそんなマイナーな史料が見つかりましたね・・・。
180 :
日本@名無史さん:05/01/23 14:08:59
日本史の勉強ができるサイトとかってありますか?
あったら教えてください。
181 :
日本史B:05/01/23 14:40:16
条約改正について説明をしろ!という問題が今度のテストにでるのですが、絶対に外せないポイントは、寺島宗則、井上、大隈、青木、陸奥外相あたりであってますかね?詳しい方いたら、返答お願いします。
182 :
日本@名無史さん:05/01/23 14:54:03
>174
それだと「人」と「組織」の点があいまいじゃないですか?
>>179 徳間文庫からでている旧参謀本部編纂の『関ヶ原の役』に書いてありますが・・・。
まぁ松好氏の『関ヶ原役』はマイナーな部類でしょうし、
笠谷氏の一連の研究は、拠所ない事情があったので偶偶知悉していただけで、
私も専攻は中世でしたから、何がマイナーな部類であるのかを断定されても、その件に関しては別に異議はございません。
ですが、貴方がマイナーとメジャーを区別していたとは、本日まで気がつきませんでした。
184 :
日本@名無史さん:05/01/23 22:56:07
平家の公達の官位役職一覧がわかるサイトを教えてください。
薩摩守忠度とか、能登守ナニガシとかを知りたいので。
185 :
日本@名無史さん:05/01/24 02:00:57
178に追加。
カッパ自体の呼び名は各地によって違うし、実はそれほど共通性があるわけではない。
いちおう言われている特徴として、
・緑色か褐色の身体をしており、背中は亀に似た甲羅を背負い、手足に水かきがある。
・人間や馬をを水の中に引きずり込むと言われ、尻子玉を抜くと言われる。
・キュウリが好き
・相撲が得意
・腕の骨がひとつになっており、片方を長く伸ばすともう片方の腕がちぢむ
・甲羅のないカッパを「やまわろ」という地方もある
残された絵画もだいぶ差があるので、正体はカワウソ説とスッポン説がある。
岩手などのカッパの絵を見ると、胸にスッポンに特徴的な文様がある点、
発情期のスッポンは雄どうして激しく争い、その様子が相撲を取っているように見える点、
外見的な特徴に加えて手足の柔軟性などの伝承から、東北地方のカッパは、
甲羅の大きさが50センチを超える大型のスッポンの見間違いではないかと。
東南アジアではまれに甲羅の大きさが1メートル近いスッポンもいるらしいので。
186 :
日本@名無史さん:05/01/24 10:47:53
分国法で有名な朝倉敏景(孝景)の17箇条に詳しく教えて下さい。
銀遣いとも呼ばれた、銀が取引の中心とされた代表的な都市って何処でしょうか?
教科書みても見当たらないので
188 :
日本@名無史さん:05/01/24 14:08:07
>187
日本史の話だよね?
お尋ねの時代は近世?それとも近代?
上方は原則銀本位制だけど・・・
190 :
日本@名無史さん:05/01/24 15:40:12
大阪
191 :
日本@名無史さん:05/01/24 16:53:10
>>190 大阪中心の西日本が銀経済圏。
江戸中心の東日本は金経済圏。
境目は、いわゆる古代からの東国と西国かな?
ただ、日本海沿岸には、大阪と関連の深い都市も多かったので、
銀経済圏があった気がする。
192 :
日本@名無史さん:05/01/24 16:58:31
江戸時代に江戸を中心とした関東では金建て(金遣(きんづかい)=金単位の取引)、
大坂を中心とした関西では銀建て(銀遣(ぎんづかい)=銀単位の取引)の慣行がみられ、
金経済圏と銀経済圏の二つの経済ブロックが形成されていた。
193 :
日本@名無史さん:05/01/24 22:11:06
金遣っていう言葉もあるんだ。
知らんかった。
×大阪
○大坂
>>191 秋田などは銀遣いです。
あと、近世後期には銭遣い経済圏も現れます。
195 :
日本@名無史さん:05/01/25 00:30:08
福沢諭吉と近代経済・実業論なんかについて
詳しく知りたいのですが、ぐぐってもいいのに巡り会えず・・
もしオススメのページ等があったら教えてください。
すみません
もろレポートの命題ってかんじ・・・。
197 :
日本@名無史さん:05/01/25 11:12:17
>>194 秋田とほかはどこがありますか?
青森まで日本海側一体ですか?
198 :
日本@名無史さん:05/01/25 21:20:47
前に朝生で秦先生が「西尊寺が近衛を教育した」と言ってたんですが
元老の人々は後進の育成もしてたんですか?
していたなら例(誰が誰を育てた)も挙げて欲しいのですが、よろしくお願いします。
199 :
日本@名無史さん:05/01/25 22:21:33
>西尊寺
WHO?
200 :
175と176:05/01/26 01:07:57
>>197 ちょっと調べてみましたが、日本海側で銀遣いの地域なのは少ないようです。
青森は金遣いです。
庄内がそうですね。
その代わり内陸部でも米沢藩は銀遣いでした。
貨幣流通は、海運のルートによって決定していると思います。
海運で大坂市場と結ばれていれば銀遣い、
江戸市場と結ばれていれば金遣いの傾向が強いようです。
あと、鉱山があるなどして近世初期に領国貨幣が流通していた場合、
その名残で、金貨なら金、銀貨なら銀遣いとなった地域もあるようです。
202 :
日本@名無史さん:05/01/26 02:13:31
日本の銀本位が金本位変わるのは、もっと後の時代でした。
203 :
日本@名無史さん:05/01/26 03:42:33
一般教養の受験で調べたいのですが、日本の文化について綺麗に
簡潔にまとめられてあるサイトってありませんか?
日本史、文化といれてぐぐったのですがこれっていうサイトがなかったです。
>>203 もっとキーワードを絞らなければ…
具体的に何時代の何文化について触れたサイトはあるようですが。
高校の先生関係のQ&Aサイトがあった気がします。
あと、なんでもネットに頼るのはどうかと。
205 :
日本@名無史さん:05/01/27 17:46:13
>>200 中世のスレはいらないよ。
また、いつもの自演がだらだら続くだけ。
206 :
日本@名無史さん:05/01/27 17:47:23
江戸時代の天皇スレをたてた方がいいんじゃん?
207 :
日本@名無史さん:05/01/27 21:37:14
208 :
日本@名無史さん:05/01/28 00:17:59
1地頭の任務・・・○○の徴収
2荘園領主・地頭の氏名を調査した○○○
3幕府と朝廷の関係は○○と呼ばれる朝廷の
法令や宣旨で定められた。
4 1603年全大名に対する指揮権の正当性
を得るため○○○○○の宣下を受ける
答えおしえてください
209 :
日本@名無史さん:05/01/28 21:06:46
210 :
日本@名無史さん:05/01/28 21:28:01
現代。以上。
211 :
日本@名無史さん:05/01/28 22:27:04
教えてください。
515事件で犬養毅首相を殺害した青年将校達は、
全員処刑になったのでしょうか?
その後、青年将校が英雄視されたようですが、なぜですか?
212 :
日本@名無史さん:05/01/29 12:17:15
禁固15年。
減刑運動が盛り上がった。まさか、敗戦へと続く軍国主義の道の入り口になるとは
世間の人は思わなかったのだろう。
213 :
日本@名無史さん:05/01/29 13:26:11
1500年ぐらいで渡来銭の価値は一枚どの位だったんでしょうか
あと数え方の単位は何だったんでしょう?
214 :
日本@名無史さん:05/01/29 18:47:40
はじめまして
質問ですが平安時代の摂関政治全盛期の民衆の生活ぶりを教えていただきませんか。
都と地方の両方の状況を希望します。
>>214 『宇津保物語』でもお読みになられる事を、お奨め致します。
『蜻蛉日記』、『枕草子』、『更級日記』にも少し出て来る。
217 :
日本@名無史さん:05/01/30 01:13:20
郡上一揆という映画を見たのですが
箱訴という目安箱に年貢のことで直訴状を入れた農民が死罪になってました
目安箱なのに死罪になるのでしょうか?
218 :
日本@名無史さん:05/01/30 02:18:29
今、オカルト板の「1月31日に発表する件に関して」とうレスを見て下さい!!
31日の午後2時頃テレビがいっせいに玉音放送クラスの発表をするとの事。
レスを読んでいくと「神武天皇はどう思われるかな?」と関係者が書いてます。
日本史上2回か3回ぐらい驚愕する発表らしいです。
何だと思いますか?
遷都かな?
>>218 電波な板の話を学問板に持ち込まんでくれよ。
220 :
日本@名無史さん:05/01/30 11:29:39
江戸幕府になって、一万石以上が大名として参勤交代の義務を負い、一万石未満は
旗本として江戸に常駐したということですが、戦国期の一万石未満の独立した
小名(?)はどうなったのでしょうか?
旗本というと譜代のイメージがあるのですが、外様の旗本というのもいたのでしょうか?
221 :
日本@名無史さん:05/01/30 12:28:30
パンダをもらったのは日中共同声明の時なのか、
日中平和友好条約の時なのか教えてください。
222 :
日本@名無史さん:05/01/30 16:48:39
>>221 1972年9月29日 田中角栄首相と周恩来中国首相が日中共同声明に調印し、
日中国交が樹立された。これを記念して二ヵ月後ランランとカンカンと
いう名の二頭のパンダが日本に送られ、東京の上野動物園にて飼われる
ことになる。
日中友好を周恩来に説得したのが池田名誉会長。
中ソ国境紛争の解決に奔走したのも池田名誉会長。
層化信者を装った釣り?
225 :
221:05/01/30 18:03:55
226 :
日本@名無史さん:05/01/30 18:18:20
ある参考書に天賦人論は加藤弘之が紹介したフランス啓蒙思想って書いてあって
そのあとに加藤弘之は進化論の立場から天賦人権論を批判したって書いてあるんです。
どーゆーことですか?矛盾してますよね?
加藤は最初、天賦人権論だったが、のち転向して自己批判している。
228 :
226:05/01/30 18:24:09
>>227 そーゆーことですか!
ありがとうございました☆
229 :
日本@名無史さん:05/01/31 15:01:26
民権派から出て、民権派を攻撃するようになった。
>>220 >江戸幕府になって、一万石以上が大名として参勤交代の義務を負い、一万石未満は
>旗本として江戸に常駐したということですが、戦国期の一万石未満の独立した
>小名(?)はどうなったのでしょうか?
>旗本というと譜代のイメージがあるのですが、外様の旗本というのもいたのでしょうか?
交替寄合ということになったのでは?
参勤交代もしていると思います。
詳しい人に詳細を私も、お聞きしたいです。
231 :
日本@名無史さん:05/02/01 00:49:39
>>230 「外様の旗本」でググったら2ちゃんの過去スレにありました。
一万石未満は外様でもすべて旗本になって、もし加増されて大名になると
譜代大名になったようです。
それと旗本は参勤交代はないと思います。
おそらく一万石の大名より、九千石の旗本の方が一般的に裕福だったでしょうね。
232 :
日本@名無史さん:05/02/01 03:45:29
外様大名が、子息に石高わけて、分家させたときも、
旗本あつかいでしょうか?
むろん万石以下です。
幕府に特別な根回しがいるんでしょうか?
北畠家は、なんで室町政権下でも伊勢に勢力を保てたんでしょうか?
あんなに足利に逆らっていたのに…
徳川光圀は大日本史で、足利をボロクソに非難していたくせに
尊氏の末裔の喜連川家と誼を結び、養子まで出す仲だったのはなぜですか?
江戸時代の諸侯の官職のうち、武蔵守と筑前守の官職について
いた人は一人もいなかったって本当ですか?
236 :
日本@名無史さん:05/02/01 15:55:24
>>234 それはそれこれはこれで、つきあいだろう。
水戸藩の思想はそれ自体が矛盾だしな。
>>236 でも仇のように非難している家に養子まで出すのは……
幕末に喜連川が断絶しそうだってんで、わざわざ水戸から養子を出したんでしょ?
238 :
日本@名無史さん:05/02/01 16:16:01
学問と付き合いは別ですからー。
>>231 旗本交代寄合格の大名なら参勤交代したよ
>>220 >江戸幕府になって、一万石以上が大名として参勤交代の義務を負い、一万石未満は
>旗本として江戸に常駐したということですが、戦国期の一万石未満の独立した
>小名(?)はどうなったのでしょうか?
1.幕府の旗本(江戸在住、知行地あり)
2.交代寄合ないしは旗本交代寄合格(知行地に在所)
3.帰農
4.大名家に士官
5.浪人
のうちのいずれかだと思いますが…
241 :
日本@名無史さん:05/02/01 20:52:43
乙!
242 :
日本@名無史さん:05/02/01 20:56:39
暴れん坊将軍こと徳川吉宗は「武士」なのですか?
>>235 ググってみたら、筑前守は複数存在しているみたいです。
一番メジャーなのは大老の堀田筑前守正俊かな。
武蔵守は存在しないと思います。
理由は、武蔵国(江戸)が将軍様のお膝元で、
その国の受領名を名乗るのは恐れ多いから、ということだったと思います。
244 :
日本@名無史さん:05/02/01 23:12:02
>>242に補足
武士か侍かを知りたいのです。
戦国時代以前の武士は馬に乗り矢を射るスタイルだったと知りました。
暴れん坊将軍は白い馬乗ってるwけど、あの馬は武士が乗っていた小さい馬じゃないし。
刀使ってるイメージが強いので。
まず辞書を引いて頂きたいところですが、近世の法制的には、幕府で御目見得
以上、諸藩で中小姓以上を「侍」と称していました。
>>205 前すれ終盤は著者叩きになってたけど
批判も含めて内容について語ってくれる人いないもんか
>>245さん
ありがとうございます。
「さぶろう」という意味ではないけども、吉宗(というよりも、
市民に扮したり後半切ってるあたり)も侍だったのですね……?
248 :
日本@名無史さん:05/02/02 13:38:00
249 :
日本@名無史さん:05/02/02 16:29:49
北条時行は中先代の乱で南朝に反旗を翻していますが
のち南朝の大敵足利に組せずに、南朝に従ったのはなぜですか?
父親を裏切った足利がどうしても許せなかったんでしょうか?
足利家時が自害した本当の理由はなんですか?
まさか講談のように、「家祖が七代目で天下を統一するために、
七代まで、どんなに情けない生き方をしようとも家名を残せ」という秘密の
家訓を家時が知らずに、先祖を今まで蔑んでいたことに
恥じたというわけじゃないですよね?
251 :
日本@名無史さん:05/02/02 20:47:10
天皇家って徳川家の血は入ってる?
252 :
日本@名無史さん:05/02/02 21:11:16
>>248さん
ありがとうございます。
じゃあ武士ですね。再放送みてたら気になっていたのですw
助かりました。
お目見え以下の士分は御家人であって、旗本ではないのでは?
同心与力になることはあるらしいけど、徳田さんは三男坊としかいってないのでは?
255 :
日本@名無史さん:05/02/03 11:32:55
256 :
日本@名無史さん:05/02/03 11:40:27
>>254 御目見得以下って言ったことがある
そもそも、あの時代劇はものすごい嘘をつくしw
長谷川平蔵が企画して建設された人足寄場を、吉宗が作ったことにしてるしw
吉宗の命を、スコープ付きライフル銃で狙ったり、懐中電灯持ってたりw
ま、昔の時代劇は普通に英語喋ってたりしたから、それに比べたらまだマシなのかなw
257 :
日本@名無史さん:05/02/03 15:16:26
マッチは明治以降のものらしいんですが
戦国時代〜江戸時代あたりは
火をどのように付けていたのでしょうか?
火縄銃や蝋燭などの明かりを付ける時に何を使用したのでしょうか?
あげ
260 :
日本@名無史さん:05/02/03 15:56:38
>>256 ノストラダムスに便乗して彗星を地球を落とすネタをやったこともあったな。
261 :
日本@名無史さん:05/02/03 16:47:43
まあそれをいったら、征夷大将軍が普通に街を徘徊してるい時点で(ry
>>255 小数点に注目!ですよ。
たとえば、加賀藩だったら、
1,336,093.81482→133万6,093石8斗1升4合8夕2才
ですね。
数字が合っているのかどうかはわかりませんが…
>>263 あと、石高には、
将軍が発給する朱印状によって定まる表高と、
実際の年貢高(内高、朱印高)とにわかれます。
そのサイトの場合は、「実高」とありますので、
後者の方ですね。
>>264 実高でランキングするっていう発想はどうなのかなあ?
家格を見るときの石高は表高だよね。
12進法??
267 :
日本@名無史さん:05/02/03 22:30:59
旗本寄合席・内藤勘解由は実在した?
>>263 小数点でしたか。
気がつきませんでした、ありがとうございます
親鸞の俗名はなんですか?
270 :
日本@名無史さん:05/02/04 03:37:41
広島って原爆が落ちたときって
どれぐらいの人数がいて原爆による死亡は人口の全体の何割ぐらいの割合で死亡したのでしょうか?
実は中心部にいても爆風だけで割合で言えば
全く無傷の人間の方が多かったりしますでしょうか?
・・・・・・
272 :
日本@名無史さん:05/02/04 06:52:56
>>260 ポルノの山本監督がサングラスかけて出たこともあったね。
それと同じ話だっけ?
>>261 明正天皇は徳川和子の倅
>>262 それを言うなw
>>269 藤井善信
>>270 マジレスしてやるから、ちゃんと覚えておけ。
爆風というのは、秒速440メートルもあるんだ。その爆風を受けたら、目玉や内臓が飛び出る。
そもそも、放射能というものがあるしな。
あと、死亡者数が人口の何割というのは答えられない。なぜなら、現在でも死亡者数は増えているからだ。
274 :
日本@名無史さん:05/02/04 10:44:10
女の倅か??
275 :
日本@名無史さん:05/02/04 11:01:53
立命館の問題なんだけど織田信長の言う上海道とは何か?
って北陸道のことなの? 超難問
あそこは相変わらず愚問をだすねw
過去には、長征は何キロかとか竹林の七賢を全員書けとかいうのもあったな・・・
満点者が続出するのが嫌なら早稲田クラスの問題を出せば良いのに(苦笑
竹林の七賢を書けって……
無理ぽ
279 :
日本@名無史さん:05/02/04 14:06:56
280 :
日本@名無史さん:05/02/04 15:06:47
だから、今の天皇に徳川の血は、流れてないんじゃないの?
281 :
日本@名無史さん:05/02/04 15:37:03
>>279まじて゛!
安土って 北陸道じゃないの?
282 :
日本@名無史さん:05/02/04 16:41:04
283 :
日本@名無史さん:05/02/04 17:23:01
質問します。
http://rongo.jp/kaisetsu/rongo012.html ←ここで
「聖徳太子の十七条憲法の第一条に、「以和為貴・和を以て貴しと為す」とありますが、
これは太子オリジナルのものではありません。論語のこの箇所から採ったものなんです。」
こんな意見がありましたが納得できません。
論破したいのですが、この意見を黙らせる資料がありましたお教えください。(ぺこり)
中国のパクリと言われ悔しくてたまりません。協力してください。
そういう理由での質問に答える物好きはいない
285 :
日本@名無史さん:05/02/04 20:52:50
286 :
日本@名無史さん:05/02/04 21:00:52
>>285 徳川の血統につらなる天皇がいたことがあるのか、
現代の天皇家に徳川の血が流れているのか、
どっちを聞いているのかわからない。
287 :
日本@名無史さん:05/02/04 21:03:39
251 :日本@名無史さん :05/02/02 20:47:10
天皇家って徳川家の血は入ってる?
>>283 文章が、『礼記』の「礼之以和為貴」、『論語』の「礼之用、和為貴」から来た
ものだという事は、定説と言っていいと思いますが。
十七条憲法(後世、但し一世紀以内の増補という説もある)の特色は、礼と
の関係を強調していない点といい、寧ろ仏教的色彩が強い点にあります。
『源氏物語』、『徒然草』、『方丈記』などの文も、漢籍に由来したもの。
『奥の細道』の、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」は、
李白に「夫天地者万物之逆旅也、光陰者百代之過客也」に由来。
漢籍の引用は、時代が遡るほど教養人としては当たり前の事です。
289 :
日本@名無史さん:05/02/05 08:07:10
江戸時代、町民に籍を置いていて
札差・庄屋などの公職についた場合に、名字帯刀を許される事に
なっていましたが、単に金持ちで税金を人より多く納めれば名字の名乗りが
許されることってあったんでしょうか?
290 :
日本@名無史さん:05/02/05 13:49:27
憲法17条は、ほぼ中国語!
291 :
日本@名無史さん:05/02/05 15:15:27
292 :
日本@名無史さん:05/02/05 16:16:13
どなたか、国人と悪党の違いを教えてください
293 :
日本@名無史さん:05/02/05 17:51:23
江戸時代、大名から分家された一門(万石未満)も、
旗本として譜代扱いしてくれたのでしょうか?
勘定奉行とか、町奉行になれる可能性はあったのでしょうか?
本家から就職活動費用とかが出たらしいとは、きいたことがあるのですが。
294 :
日本@名無史さん :05/02/05 17:55:50
おい、ペリー提督の英語名てなんなんだ?
どなたか頼む
295 :
日本@名無史さん:05/02/05 17:58:42
>>293 本家から分知の上、幕府から朱印状をもらわないと旗本にはなれません。
それ以外はあくまで本家の家臣です。
旗本になれば出自に関係なく、すべて譜代扱いになり幕府の役職につけます。
奉行職についた旗本には鍋島、池田、浅野といった姓の人もいます。
296 :
日本@名無史さん:05/02/05 20:39:14
明治時代、農商務省が刊行した職工事情に書いてある不治の症とはなんですか?
腸チフス、結核、コレラ、脚気のどれからしいんですがさっぱりわかりません。
297 :
日本@名無史さん:05/02/05 22:17:53
旗本の次男・三男は与力とかどっかの養子になっていたらしいけど、
御家人の次男・三男はどうするんですか?
298 :
日本@名無史さん:05/02/05 22:21:23
299 :
日本@名無史さん:05/02/05 22:22:21
跡取のいない御家人の養子
300 :
日本@名無史さん:05/02/05 22:31:03
結核
301 :
日本@名無史さん:05/02/06 00:14:39
前北条氏の一族は、その後どうなったんでしょう?
でかい一族だった割に、南北朝時代辺りからポツンと消えてしまうよね?
九州探題だった一族などを含めると相当数いると思うんですが……
戦国時代とかに自称していた人はいなかったんですか?
303 :
日本@名無史さん:05/02/06 02:09:00
>>294 マシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry)
でいいのか?
提督ならadmiral
>>296 『職工事情』は岩波文庫から出てるから、買って読め。
明治維新の頃白石正一郎っていう豪商っていたよね?
その末裔って現代のシーマっていう会社の経営者でOK?
305 :
日本@名無史さん:05/02/06 14:03:41
三河の支配者が、一色・吉良氏から松平に取って代わられた
経緯を詳しく知りたいんですが、詳しく書いてあるサイトや本はありませんか?
306 :
日本@名無史さん:05/02/06 23:50:45
>>303 提督ならadmiral
ではないと思います。
代将にあたる階級のはずです。
307 :
戦前の司法権とは、:05/02/06 23:52:17
戦後は、裁判所+検察庁+法務省ですが、戦前は、どうだったんでしょうか。
大審院以下の裁判所? + 司法省 ですか。検察庁もあったですか。
さらに行政裁判所もあったようですが、これは別系統のような気も。
なお、GHQによって、司法省 解体というか、何かあったんでしょうか。
一時、法務総裁とかいたような気がするので、内務省ほどではなくても何かがあったのでは。
308 :
日本@名無史さん:05/02/07 00:01:46
戦前も司法権は独立していたが、裁判官の人事など司法行政は司法省が握っており、
現在からみれば不十分だった。
また、裁判所自体が司法省の人事体系の中にあったので独立した検察庁は存在せず、
各級裁判所に検事局が付属していた。
行政裁判所は司法裁判所とは別系統である。
戦後、司法省は裁判所に関する監督権・人事権を失い、法制局の機能を吸収した。
これが法務府であり、その長が法務総裁である。その後、内閣法制局が分離し、
現在の法務省となった。
309 :
日本@名無史さん:05/02/07 00:34:48
江戸時代の幕府の法律は、天領以外でも有効だったのですか?
例えば、生類哀れみの令が毛利や島津、徳川御三家領でも施行されていたのでしょうか
仮に形式的に有効でも島津とかだと実際は放置されてそうですが
310 :
日本@名無史さん:05/02/07 00:44:28
幕府に天領はありませんが…
311 :
日本@名無史さん:05/02/07 04:16:01
義経見てて思ったんですが、武士が身につけている烏帽子や太刀はいつ頃から
「ちょんまげ&刀」になったんでしょうか?
312 :
日本@名無史さん:05/02/07 04:16:30
明治十一年の八千円は現在の貨幣価値に換算すると幾らですか?
313 :
日本@名無史さん:05/02/07 05:24:07
すいません。他にこのような質問関係ある所ないんでここで質問します。
自分各戦争の戦死者数、戦闘回数にすごい興味あるんですが、
戦国時代はいったい100年間の間にどれくらいの戦闘回数と戦死者が
出たのでしょうか。ものすごく興味があります!日中戦争の戦闘回数
約45万回、太平洋戦争の戦闘回数約350万回以上て事は知ってますが、
やはり戦国時代も毎日のようにいろんな所で大小の戦闘があったんでしょうね。
私の予想では戦国時代100年間で戦闘回数100万、戦死者数50万人と
考えてます!
>>312 明治四〜五年の警察官の給料が5-6円であったことから考えてください
315 :
日本@名無史さん:05/02/07 12:13:35
南無阿弥陀仏
316 :
日本@名無史さん:05/02/07 12:33:56
>>313 戦国時代の合戦の総数って、戦国時代が毎日戦ばかりというところで根本的な間違いだな。
大学のレポートで仁徳天皇記に関する今日的課題について述べよ。
というのが出たんですが、今日的課題の意味(日本語的な)がわかりません。
何を述べればいいんでしょうか?
誰か教えてください。
318 :
日本@名無史さん:05/02/07 17:00:58
植民地にしていた朝鮮での、創氏改名ですが、創氏と改名は別なんですか?
319 :
日本@名無史さん:05/02/07 17:48:17
「職の構造と呼ばれる律令的権威に基づいた主従関係に変わって貫高制や指出検地に基づいた役の構造と呼ばれる主従関係を形成した」
ということらしいのですが、役の構造ってのは「指出検地をして命じられた上納や軍役をしろ、さもなければ殺す」という支配でいいのですか?
320 :
日本@名無史さん:05/02/07 17:53:11
321 :
日本@名無史さん:05/02/07 18:40:06
優秀な武将は感情を表に出さないって本当ですか?
322 :
日本@名無史さん:05/02/07 18:43:44
北朝鮮代表にいる在日選手は強制連行でつれてこられたそうですが
本当ですか?
324 :
日本@名無史さん:05/02/07 20:21:29
ポツダム宣言で日本の領土はいつの領有範囲に縮小されたんですか?
1.満州事変勃発前
2.日露戦争勃発前
3.明治維新当初
ぐぐっても分からなかったのでお願いします。
自己解決しました。
3.明治維新当初ですね。
失礼しました。
326 :
日本@名無史さん:05/02/07 21:41:12
327 :
日本@名無史さん:05/02/07 22:04:58
初めて質問します。
今日、F大学の入学試験がありまして、
正誤問題で、「1871年に太政大臣岩倉具視・・・」
^^^^^^^^
とあり、選択肢に
「外務卿」と「右大臣」とあったんですが、
山川の教科書には「右大臣岩倉具視」なのに
資料集や参考書には「外務卿岩倉具視」
と書いてありました。
この場合はどちらの方が正しいのでしょうか・・・?
よろしくお願いします。
328 :
312:05/02/07 23:06:53
>>328 はぁ?随分と偉そうだな
お前は掛け算九九もできないのか?
ググっても判然としなかったのですが、
「秀吉が仁徳陵の頂上で茶会を催した」という話があるようですが、
これの元史料をご存知な方はぜひご教授お願いします。
331 :
日本@名無史さん:05/02/07 23:51:52
>>327 岩倉は外務卿(1871年7月〜10月)から右大臣(1871年10月〜)になってる。
332 :
日本@名無史さん:05/02/07 23:55:13
奥州藤原氏は、独自に北宋との交易を続けていたそうですが
その拠点となる港はどこにあったのでしょうか?
北回船で有名な酒田や秋田港でしょうか?
333 :
日本@名無史さん:05/02/08 00:04:37
奥州藤原氏で思い出したが……
なんで泰衡だけ、首のミイラしか残ってないの?
討ち取られて、鎌倉かどこかでさらし首になったものを
遺臣が持ち出してこっそりと父祖の眠る寺に祭ったとか?
>319
「職(権利)の構造と呼ばれる(荘園制が前提で錯綜した)律令的権威に基づく主従関係に変わって
貫高制や指出検地に基づいた(整理され簡潔化された)役の構造と呼ばれる主従関係を形成した」
335 :
日本@名無史さん:05/02/08 00:50:56
律令制度、各種官職、荘園制度について一から調べたいんですが
入門向きのサイト・教科書より詳しく扱っている本などはありますか?
源・平氏以前にも、親王が臣籍降下されて
賜姓されることはあったのでしょうか?
まずは入門向きのサイト(本)で基本用語をおさえて
次に教科書より詳しく扱っている本を読まれては如何ですか?
339 :
日本@名無史さん:05/02/08 02:17:23
>>308さま、あるいはそのほかの方方、
お時間あるときで結構ですが、、、
@「法制局の機能を吸収した。」とは、どこから吸収したのですか。
A「各級裁判所に検事局が付属していた」とのことですが、
検察は、たとえば、大審院の一部署、また、高等裁判所?の一部署というような形で
それぞれ存在したというわけでしょうか。
B行政裁判所は、どこの系統でしょうか、内務省とか?でしょうか。
建武親政はなぜ、赤松に恩賞を与えなかったのでしょうか?
>>331 thxです。安心しました。
たぶん両解になりそうですね。
ありがとうございます。
鎌倉名越一族について詳しく知りたいのですが、何か良い書物等有りましたら教えて下さい。
343 :
日本@名無史さん:05/02/08 11:37:19
F大ってどこだ?
344 :
日本@名無史さん:05/02/08 12:52:02
>>309 基本的には各藩の法制は藩独自のものだが、武家諸法度によって幕府法の原則に反するものは制定出来なかった。
345 :
日本@名無史さん:05/02/08 14:56:06
斎藤道三の「蝮」のあだ名は山岡壮八が付けたって本当ですか?
346 :
ケータイ君:05/02/08 16:31:59
小名、下げ名、一筆書きの違いを教えてください。
347 :
日本@名無史さん:05/02/08 17:08:55
秋山ってバカなんですか?
348 :
日本@名無史さん:05/02/08 17:13:23
質問させてください。
明智 十兵衛 光秀
の場合、明智が「姓」で光秀が「忌み名」ですよね。
十兵衛の部分はなんて呼ぶのでしょうか?
しかし何というか、アホな質問ばかりだな。
>>347 誰それ?
>>348 明智は名字(家名)、十兵衛は通称(仮名)、光秀は諱。
氏は源で朝臣が姓(かばね)。
352 :
312:05/02/08 20:07:02
353 :
日本@名無史さん:05/02/08 20:39:52
>>351 超勉強になりました。ありがとうございました。
354 :
日本@名無史さん:05/02/08 22:07:34
355 :
日本@名無史さん:05/02/09 00:05:44
最後の源氏長者って誰ですか?
>>355 久我建通 慶応四年(1868)-明治四年(1871)です。
(参考:講談社現代新書 源氏と日本国王)
357 :
ケータイ君:05/02/09 01:43:07
誰も私の質問に答えてくれないのかね?
358 :
キャリア官僚になるには。:05/02/09 02:40:31
「国家1種」には、区分がたくさんあるが、花形は、法律職、経済職、行政職。
この前は、
「国家上級」であったですが、やっぱり、区分が沢山あって、
花形は、法律職、経済職、行政職、であったのだと思い込んでいます。
さらに、前も「国家甲種?」たったか、なんか、こんな名前で、
やっぱり、法律、経済、行政が有力であったと思っています。
その前は、なんという名前だったでしょうか。
>>347 かの秋山大御所をしらぬとはの……
おほほほほほほほほほ・・・・・
360 :
日本@名無史さん:05/02/09 09:25:01
首相になった近衛はともかく、目立たないけど公爵だった公家出身の家は
今何をやってるの?
一条とか鷹司とか久我とか今出川とか……
361 :
安倍卯月:05/02/09 14:17:02
旧皇族で元侯爵、久邇邦久氏(香淳皇后の実兄)の夫人(後妻)の松浦薫子(まつらかおるこ?)(または春子、ハル)さんについて調べていますが、
ワイドショーや週刊誌などで記事になっている他、詳しいことがわかりません。
どなたかご存知でしたらよろしくお願い致します。
久邇邦久氏が亡くなられた後、松浦姓に戻ったいきさつ、
また、その後、元岩手県議、「山本猛夫氏」と再婚したが、政治活動に利用されることにうんざりし、
離婚し、食堂などで働き、誘われて創価学会に入信し、
晩年は生活保護を受けながら最期は足立区竹の塚の団地で死去されたこと。
葬儀にはご実家の方は参列されなかったこと、
女子学習院時代の同級生の3人が参列したこと、
離婚後も山本家の子供に慕われ会ったりしたらしいこと、
写真やお墓やご先祖、子孫のことなど詳しく知りたいのですが、
長崎県平戸市の松浦史料博物館に問い合わせても、文献や資料が乏しく、
「ハル」は松浦姓を名乗る家臣で「松浦済吉郎の長女」らしいこと、
叔父の「松浦寅三郎」が大正8年2月20日「皇子伝育官長」に任命されたことも大きな要因ではないかと
思われること、
松浦家38代当主「松浦厚(昭和9年没)」夫人が茶道の関わり等で久邇宮家と親しかったことなどくらしか判っておりません。
「松浦薫子」さんについて書かれた小説やら文献が見当たらないのです。
どうか、お詳しい皆様、よろしくお願い申し上げます。
旧平戸藩主「松浦家」とは藩主と家臣など血縁関係にあった別の「松浦家」出身だったと思われること、
つまり藩主家の「松浦家」で存命の奥方も詳しく知らないとのことで
ので、
学芸員の方もこれ以上は平戸近辺での追求は難しいと思いますとの回答でした。
362 :
日本@名無史さん:05/02/09 14:58:50
足利家は北条高時の法事を定期的に行っていたというのは本当ですか?
363 :
日本@名無史さん:05/02/09 16:41:23
どなたか至急、縄文〜昭和時代までの、それぞれの時代の特徴を
簡単にまとめて書いてくれませんか?
○○時代・・・@@が@@で@@だった時代
みたいな感じに、その時代は一体どんな時代だったのかを簡単に教えてください。
お願いします!
364 :
日本@名無史さん:05/02/09 16:42:50
>>359 朝鮮のことに異様な執着を見せる秋山でしょ。
嘘つきだよ彼は。
しかも、確信犯。
365 :
日本@名無史さん:05/02/09 16:52:00
>>363 どういう風に分類すればいいかよくわからんから適当に
俺もあんま時間無いから他の人修正よろ
縄文:狩猟採集、漁労を中心とした時代
弥生:稲作の本格的な開始、貧富の差が開き戦乱の幕開けとなる
大和:統一王権の確立
飛鳥:律令国家建設を模索
奈良:律令国家完成
平安:律令国家動揺
鎌倉:封建制の確立
室町:南北朝の争乱、幕府の弱体による戦乱
戦国:守護大名と仏教との戦い、職の構造の終焉
江戸:経済の大発展、文化の爛熟
明治:殖産興業、富国強兵
大正:大正デモクラシー
昭和:明治憲法の矛盾が表面化し軍部台頭→民主主義と自由主義経済による経済発展
366 :
日本@名無史さん:05/02/09 16:59:07
ついでに教えて、常陸宮の宮号の由来は?
368 :
日本@名無史さん:05/02/09 22:46:08
山岡鉄舟が宇宙について語って増すが当時、宇宙とはどういうものだと思われていたのでしょうか?
>368
エーテルに満たされていた
因みに1910年頃の小説なら宇宙船には真空管(アンプに非ず)が標準装備。
1960年頃でも金星や火星に行くのに六分儀を使用。
谷甲州等のまともなハードSF作家が流れを変えようとするが、
厨房作家田中芳樹に撃破される。
ま、板違いの話だ罠スマソ>all
都落ちしてからの平氏は潰走する所を捕捉撃滅され続けたの?
それとも一応拠点防御を試みたけど負け続けたの?
あと最期が太宰府じゃないのはなんで?
>370
水島では義仲軍を大破していますし、範頼軍相手だと善戦して食料不足に追
い込んでいます。都落ち以前も、負けてばかりいた訳ではない。
>あと最期が太宰府じゃないのはなんで?
平家の勢力が強かったのが、中国・四国>九州だったので。
もっとも、肥前などでは壇ノ浦の合戦後も親平家勢力の抵抗が続いています。
>>370 一部、山野氏とかぶりますが。
1183年7月に都落ちして8月上旬に大宰府についてます。
大宰府は当時有力な平家家人がおさえていたので、
そこをまっすぐ目指したわけですね。なんといっても
安徳はじめ、多数の非戦闘員を抱えていますから。
が、豊後の豪族緒方氏に攻められて、10月には屋島におちつきます。
このころに京都からやってきた義仲の軍勢を
備中水島の戦い(閏10月)で撃破します。
その後、義仲と頼朝が畿内でやりあっている間に
讃岐・備前・淡路・播磨・摂津で軍事的勝利をおさめ、
瀬戸内海の制海権を掌握したところで
満を持してこの年暮れころには福原に復帰。
1月20日に義仲が滅亡したあと、一旦、京都と和平交渉に
入った、という説がありますが、それはともかく、
2月5日には三草山、7日には一の谷で合戦が行われ、
平家はその決戦兵力を失います。
(続く)
>>372つづき。
その後、義経は畿内の治安・朝廷守護担当。
範頼は平家の基盤である西国の掃討担当となります。
知盛が大島・彦島に拠点を築くなどの巻き返しの動きもありましたが、
一の谷で多くの一門を失った平家は決戦もできず、
(かなり苦労しながらですが)範頼が安芸・周防を
掃討してくのを指をくわえて屋島からみてるしかなかったわけで。
で、範頼が先の豊後の緒方氏と協力して、平家方の原田氏をうち、
北九州の平家拠点がなくなったところで、義経による屋島急襲
が行われて、もう逃げ場所が知盛の守る彦島しかなくなって
しまったわけです。
しかし、彦島の対岸の周防はもう敵方でしたから、平家は
わずかに残る味方、松浦氏のいる肥前・菊池氏のいる肥後を目指そうとする、
追討軍はそれを阻止しようとする、
とすれば戦場は関門海峡になる、
といった具合で、壇ノ浦合戦にいたったと思われます。
>>370 平氏、倶利伽藍峠で義仲の「火牛の計」に敗れる。
↓
都へと迫る義仲軍に対して、一度は知盛、重衛が二千の兵を率いて出陣、勢多で迎え撃とう
としますが、義仲の軍が大軍である事がわかると、知盛は兵力温存のため都へ引き返します。
都に戻った知盛は、都を捨てるよう進言し、一族による軍議の結果、ついに都を落ちていくことを、決めたのです。
↓
落ちていく先は九州・太宰府に決まりました。義仲の勢力が、太宰府にまで及ぶことはないと判断し、
太宰府に新しい都を作り、力を蓄え、再び都に攻め上ろうとする考えでした。
↓
九州の太宰府に辿り着いた平氏でしたが、そこに待っていたのは、地侍等による襲撃でした。
多くの武者を失い、郎党の離散が相次ぎ、平氏の命運も尽きたかと思われましたが、
四国の阿波、讃岐の反平氏勢力を討伐することに成功し、愁眉を開きます。
↓
そして讃岐の屋島に本拠を築き、勢力を回復していった平氏は遂に、備中水島で義仲の軍勢を敗ると、
反攻の足場を、かつて平氏が築いた都があった福原へと進め、源氏を迎え撃つことになったのです。
↓
さらに平氏は山陽道、南海道から十万余騎にのぼる軍兵を、播磨国と摂津国の国境にある一の谷に集めたのです。
↓
一の谷の合戦で源氏が平氏に圧勝した後、半年間ほど休戦状態が続きます。
↓
平氏は屋島を拠点にし、徐々に勢力を盛り返しつつありました。
特に勇将の誉れ高い知盛は、屋島の他に自分の所領地である長門の彦島に根拠地を構え、下関海峡を扼し、
九州と四国のほぼ全域をその勢力下に置くことに成功していました。
↓
http://www.globetown.net/~hara_1962/GENPEI/genpei.html
375 :
日本@名無史さん:05/02/10 01:47:54
小村‐ウェーバー覚書山県‐ロバノフ協定
西‐ローゼン協定
桂・タフト協定
桂・ハリマン協定
高平=ルート協定
梅津‐何応欽協定
土肥原‐秦徳純協定
この人名を結んでる記号意味あるの?
世界史板にも似たような質問がありましたが、
向こうの説明では御気に召しませんか?
377 :
日本@名無史さん:05/02/10 08:53:41
当時細川家では、細川幽斎の前で足利義晴の落とし胤という話をしてはいけないという
暗黙の了解があったそうですが、この疑問は幽斎存命の時からあったのでしょうか?
ということは、やっぱり藤孝は…
>>373 範頼が平家追討に出発したのは一の谷合戦の7ヶ月後だし。
義経が追討からはずされたのはその直前。
さらにいえば屋島のあと平家が肥前・肥後をめざしたなんつー説は聞いたことがない。
トンデモ説を初心者スレに書くな。
>>374 一の谷のあと、讃岐・土佐には平家に反する連中が現れたとされてるし、
伊予河野氏、豊後緒方氏は明確に反平家。
「九州と四国のほぼ全域」が平家の勢力下というのは疑問。
>>378 そのレベルで突っ込みをいれているのに
>371をスルーしているのはチキンですか?
>トンデモ説を初心者スレに書くな
では、御自身が同等以上の分量で御説明なされよ。
初心者スレである以上整合性のある回答を全員が期待しております。
正しい通説を御教授いただきたい。
もちろん
>>378と同レベルの突っ込みは不肖>379が受け持ちまつ。
歴史もののドラマを見るのが好きという素人さん相手にもファショ化させようという連中がいたね。
一人の思想、一つの原則に黙って従えと臆面も無く発言する連中w
建設的な流れには絶対にさせない原理主義者にマジレスするのは如何なものかと・・・。
まぁ荒らしの相手をする香具師も荒らしということか。漏れを含めてね(苦笑)
381 :
ボラ:05/02/10 17:04:06
円滑化のために、今度から未回答の質問をまとめてみますね。
ドキッ
384 :
日本@名無史さん:05/02/10 23:05:05
日本の近代化においてカイコによる製糸業の発達と綿糸による紡績業の発達があるかとおもいます。
それぞれ製糸の場合は欧米から機械を導入して自国のカイコから繭をとりアジアへ生糸として輸出、紡績の場合は欧米から機械を導入し、アジアから綿花を輸入し、それを機械で加工して綿糸にしてアジアへ輸出します。
ここで質問ですが欧米にはカイコはいなかったのですか?またいなかったとしてもアジアからカイコを輸入すれば機械があるんだから生糸が生産できるのでわざわざアジアから生糸を輸入しなくても済むのでは?なぜカイコを輸入しなかったんだろう?
ちなみに現在はヨーロッパでもカイコの養殖(養蚕)をしているそうです。
385 :
日本@名無史さん:05/02/10 23:17:18
ごめんなさい。分かったのでもう大丈夫です!お騒がせしました
386 :
日本@名無史さん:05/02/10 23:19:57
フランスが幕府に接近したのは、フランスの蚕が疫病で全滅したからだとか。
あと、幕末の輸出品目には蚕卵紙もあったから、欧米でも養蚕はしてたんでしょ。
387 :
日本@名無史さん:05/02/10 23:38:59
>>386 品種改良を狙った近親交配のしすぎで弱くなってたから疫病にかかった。
だから日本の品種とかけあわせることで解決を図った。
そんな感じ。
258 名前:日本@名無史さん 投稿日:05/02/03 15:42:19
マッチは明治以降のものらしいんですが
戦国時代〜江戸時代あたりは
火をどのように付けていたのでしょうか?
火縄銃や蝋燭などの明かりを付ける時に何を使用したのでしょうか?
389 :
日本@名無史さん:05/02/11 05:21:05
1694(元禄7)年刊の「西鶴織留」(井原西鶴)巻一の二に、灰式カイロについての記述が既にあります。
(この本は遺稿集であり、研究の結果、1688(元禄元)年に書かれたものらしい)
このことから、1688年には日本に灰式カイロがあったことが分かります。
もちろん、温石や、石だけでなく塩も一緒に焼いたものを携帯したり、江戸時代の人は江戸時代の人なりにさまざまな工夫をしていたようです。
西鶴織留の懐炉の記述は、「現代語訳西鶴全集9」暉峻康隆(1977)によるとざっと次のとおりです。
大阪の藁草履屋が金貸しに金を借りにいったら断られ、みやげをつけたりおべっかをつかったりしてやっと借りられたが、
みやげもの代が高くつきすぎてばかばかしくなり、店は売り払って細々と寺子屋などをしてとりあえず暮らせるだけの金を
稼いでいた。やがてそれもうまくいかなくなり、困り果てていたある日、鍋の下の熾き火が翌日まで残っていたので不思議に
思ったところ、茄子の木と犬蓼の茎を燃やした灰なので火の消えないことが分かった。
そこで無一文で江戸に下り、銅細工の職人と相談して懐炉と懐炉灰を作って売り出したら大もうけした、という記述です。
名を林勘兵衛といい、出した看板は「御火鉢、煙草盆の火入れの長持灰(ちょうじばい)」という文句だったそうです。
当時は暖をとるだけでなく、種火を持ち歩いたり、煙草を吸うのに使ったり、今より用途が多かったことも分かります。
391 :
日本@名無史さん:05/02/11 15:24:01
戦国時代あたりの話し言葉をまとめたサイトってありますでしょうか。
例
私→拙者
行く→馳せ参じる
お願いする→お願いし申す
こんな感じで、今のことばは昔のことばではこう言うんだよ、ってやつ。
色々ググっても出てきませんでした。よろしくお願いし申す。
392 :
日本@名無史さん:05/02/11 16:14:19
こちらでの質問が適当でなかったらすいません。
当方東北に住んでいてこういう話には疎いというか理解できないので教えてください。
どうも関西以西のほうには六曜=差別だという考えがあるらしく、
人権団体がカレンダーや手帳の六曜表記に難癖をつけているそうです。
【大安】六曜記載「人権配慮欠く」 大津市が手帳を全面回収【仏滅】
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1108093027/ で、こういう考えはどこの誰がいいだしたのでしょうか?
単なる人権団体の世迷言ではなく、
何か思想的な拠り所になる研究家とかがいるんじゃないのかしらんと思うのですが・・・
>>393 レスありがとうございます。
なんというか、穢れ=差別ってのは理解できますが
六曜=差別ってのは何がなにやらで。
なんか強烈な電波研究家でもいるのかなぁと思ったのですが・・・
適当でないようなので他所の板で聞いてみたいと思います。
395 :
日本@名無史さん:05/02/11 17:01:41
「植民地時代の朝鮮」のスレはありませんか?
もしなければ、立ててくださるとありがたいのですが・・・
396 :
日本@名無史さん:05/02/11 17:51:31
南京大虐殺・強制連行・創氏改名・従軍慰安婦これらを無かったことだとする極一部の人には
我慢できません!!!
朝鮮は植民地であって日韓併合という誤魔化しは許されないことです。
どなたかスレ立てお願いします!!!
397 :
日本@名無史さん:05/02/11 18:20:50
>>363の人はその後どうなったんだろう…
というか至急というからすぐに書いたのになんのレスもなく…
398 :
日本@名無史さん:05/02/11 18:57:31
はやくスレを立てなさい。
399 :
日本@名無史さん:05/02/11 19:15:06
400 :
日本@名無史さん:05/02/11 19:53:49
南鐐二朱銀は何枚で金一両と交換できるんでしょうか?
401 :
日本@名無史さん:05/02/11 20:03:17
1両=4分=4x4朱
つまり、南鐐二朱銀8枚で1両ということになる。
402 :
日本@名無史さん:05/02/11 20:12:02
403 :
日本@名無史さん:05/02/11 21:45:26
>>396 当時の政府から合併キボンヌって言われてしたのに、植民地?
とりあえず、そんな電波スレなんか立てるなよ。
>>399 >>346が抜けている。
404 :
日本@名無史さん:05/02/11 22:34:32
>>403 1904年、1905年からの動きをみれ。
合併キボンヌは日本が仕組んだことなんか小学生でも知っているw。
電波!
405 :
日本@名無史さん:05/02/11 22:58:30
日本は戦前韓国に残した資産を放棄している。
これはインドが英国から独立したとき、イギリス人がインドに持っていた個人資産が個人に返却されたという
前例があるように、十分に戦後賠償として通用する行為である。
驚くべきはその額であり、総司令部民間財産管理局の調査では、軍事用資産を除き計53億ドルであった。
(大蔵省財政史室編『昭和財政史。終戦から講和まで』東洋経済新報社)
つまり、日本は韓国に対して戦前資産53億ドル、戦後賠償8億ドルもの巨額の賠償を行っている。
そして日韓基本条約には、以下の言葉が記されている。
「戦後処理は完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」(協定第二条1)
ドイツの強制労働者への賠償は、現在価値換算で一30万〜80万
一番高いユダヤ人の奴隷労働者でも80万円
日本の賠償金額19兆円
韓国人100万人で割ると1900万
韓国人800万人で割ると237万
実際の強制連行にあたる朝鮮人は2000人前後。
(いずれも当時の物価)
江戸で町民の見せ物にされる朝鮮通信使者。
http://www.bishu.gr.jp/r-yagi/koria/saito/rekisi-sp5-1.htm
会員数百万自称だし、主要メンバーの李容九は対等合邦論者だし、併合論者の宋な
んとか(名前忘れた)は、一緒に活動していた内田に保身の為に併合運動してたの
ばらされてるし、一進会うさん臭すぎるんだよね。
しまいには、併合すると日本から僅かな金貰って解散させられてるし明らかに併合
の為の日本の御用団体じゃん。
ハン板からのコピペを読む香具師いるとはw
今夜は真性の厨が釣れたな(笑い)
412 :
日本@名無史さん:05/02/12 03:05:20
あえてどことは言わないが、
>>396は在日外国人だろう。
ここは質問スレ。
主義主張はご自分でスレ立てするか学会に発表してください。
本能寺の変っていつあったんですか??
415 :
日本@名無史さん:05/02/12 08:01:52
416 :
日本@名無史さん:05/02/12 08:49:47
日本の最盛期っていつなんでしょう?
織豊時代(日本の大航海時代。日本人街多数)?
幕末から第一次大戦まで?
それとも第二次大戦前半(ミッドウェー前。支配領域は日本史上最大)
それともそれとも戦後の好景気時代でしょうか?
全て過ぎ去ったじだいですがコレから最盛期が来るとは思えないので
東京プリンのバブル・アゲインを聞いてると泣きたくなります
アレから随分たったものです・・・
417 :
日本@名無史さん:05/02/12 11:51:33
朝鮮はどこから見ても植民地だったね。
ハン板コピペってインチキが多いよね。
読んでみると笑えたり、バカぶりが哀れになるw
>奪われた土地は10%に過ぎなかった
1割って、都道府県4〜5個分。すごいね。完璧な植民地領土略奪w
418 :
日本@名無史さん:05/02/12 11:52:28
419 :
日本@名無史さん:05/02/12 12:00:00
>一進会
対等論者だったので日本は邪魔だったが、
国際世論への利用のために保存。
植民地化後は、邪魔になったので解散させる。
420 :
日本@名無史さん:05/02/12 12:21:05
ハン板の秋山ってバカだというのは本当ですか?
421 :
日本@名無史さん:05/02/12 12:30:49
おいおい、朝鮮オタがうるさいから、
誰かスレ立てて隔離してやれ。
422 :
日本@名無史さん:05/02/12 13:38:44
秋山はわざわざパソコンそろえて自作自演する、
しかも相手のフリまでするバカっぷりだからなぁw
質問します。
南部藩の家老で、咸臨丸で福沢諭吉と渡米して、帰国後に
海軍主計(経理?)学校を設立した人物って誰ですか?
424 :
日本@名無史さん:05/02/12 15:26:38
まじ調べたけどみつかんないよ
□質問前に、スレッド一覧チェック
各分野の専門スレがあるかもしれません。
既存のスレッドを調べたい場合→スレ一覧でCtrl+F
429 :
日本@名無史さん:05/02/12 18:27:46
>>377 違うでしょう。信長と足利の対立時に信長についています。
日本において自慰行為はいつ頃から普及したのでしょうか
431 :
日本@名無史さん:05/02/13 09:16:15
432 :
日本@名無史さん:05/02/13 09:18:24
434 :
日本@名無史さん:05/02/13 16:32:08
旧分国で志摩国って極端に小さいのですが、なぜ一国にわけられたのでしょうか?
435 :
日本@名無史さん:05/02/13 17:00:44
海産物に富み、古来、贄として天皇に貢進する重要な地域であり、
御食(みけつ)国志摩と称されたのが、一国とされる理由
436 :
日本@名無史さん:05/02/13 17:19:18
漏れは「集計人」を透明アボーンに設定しましたが何か?
440 :
日本@名無史さん:05/02/13 22:05:25
封建制について教えてください
441 :
日本@名無史さん:05/02/13 22:07:20
>>440 日本史の教科書を読むことをお勧めします。
山川の詳説日本史などいかがですか。
442 :
日本@名無史さん:05/02/13 22:17:11
443 :
日本@名無史さん:05/02/13 22:24:17
444 :
遷都麗空市:05/02/13 23:58:46
平成大合併で出来た新市名を列挙して
歴史に根付き
それでいて好事家の独り善がりにならないような
よりふさわしい名称を勝手に考え
当該市民の吐く血っぷりを嘲笑うスレ作ってくれ
槍玉予定
南アルプス市
西東京市
四国中央市
さくら市
太平洋市
他、甲府市・甲斐市・甲州市が林立する山梨、なんでも常陸〜の茨城、伊豆〜の静岡など多数
候補に上がるが幸いにも否決された市町名
銀河、あっぷる、まさかり、イーハトーブ、なまはげ、しあわせ、みらい、うぐいす
メロン、ゆうがお、スバル、ひまわり、北さいたま、こいのぼり、なのはな、コスモス
フルーツ、東フルーツ、信玄、ドラゴン、ゆきむら(真田幸村)、北アルプス、エコパ
新福井、フェニックス、信長、南セントレア、遷都麗空、りんくう、こうのとり、赤とんぼ
ふれあい、みかん、マスカット、さわやか、あけぼの、オリーブ、にこにこ、きらら
サザンセト、カルスト、うみがめ、サンライン、やまびこ、ほたる、そよかぜ、まぐろ
こんな合併推進してるアホ政治家たちもいますぐ辞職しろ
445 :
日本@名無史さん:05/02/13 23:59:55
わけあって日本の歴代の首都(天皇の所在地)を調べてます。
誰か全て知ってる人いませんか? ググッてもなかなか判らなくて
446 :
遷都麗空市:05/02/14 00:04:06
>>434 昔はもっと広かったから
戦国時代〜江戸時代に北畠と堀内が分割して
伊勢と紀伊にしてしまった
447 :
日本@名無史さん:05/02/14 01:01:58
448 :
447:05/02/14 01:03:51
おっと、お礼を忘れてました。
434とは別人ですが、ありがとうございました。
449 :
日本@名無史さん:05/02/14 07:49:27
>>434 いやなんか皇族が食べる魚取るから一国になったって聞いたんだけど。
450 :
日本@名無史さん:05/02/14 09:05:26
451 :
日本@名無史さん:05/02/14 19:59:45
左翼じゃ無いだろと思ワレ
453 :
日本@名無史さん:05/02/14 21:12:44
395と396を執拗に挙げる時点で腐れ左翼だろ、ヴォケ
454 :
日本@名無史さん:05/02/14 21:33:41
バカウヨか?
455 :
日本@名無史さん:05/02/14 21:45:35
朝鮮は植民地でした。何か?
456 :
日本@名無史さん:05/02/14 21:46:03
何をいまさら・・・
457 :
日本@名無史さん:05/02/14 22:19:48
>>451 タコのくせにナマ抜かすな!
パンパンパーン
∩
(,,゚Д゚)彡☆
⊂彡☆))Д´)
☆
458 :
日本@名無史さん:05/02/14 23:36:27
459 :
458:05/02/14 23:38:10
ってーなに、コピペミスってんだ自分orzorzorz
>>458は単なるミスなんで左翼とか言わないで下さいね
>460
ググルのなら“志摩国”だけでよかったのでは?
ちなみに>449氏の話は↑をググッタ3つめのやつかな?
462 :
日本@名無史さん:05/02/15 11:20:43
90 :集計人 :05/02/13 23:11:59
友達は何故かできません
彼女が欲しいですけど生身の女はめんどいです
世間では三連休ですが旅行をしたことは一度もありません
最近は2chの人が僕をかまってくれるので嬉しいです
もっとお話してください
質問です。
板違いかもしれませんが、昔の人は溺れたら人工呼吸をしていたのでしょうか?
もししてなかったなら、どんな治療法を行っていたのですか?
あと、人工呼吸はいつの時代あたりから取り入れられたのですか?
464 :
日本@名無史さん:05/02/15 17:40:27
腹を押していた。
明治から。
人工呼吸の質問をした者です。
わかりました。ありがとうございます。助かりました。
466 :
日本@名無史さん:05/02/15 22:08:17
朝鮮は植民地だったといっていいんですか?
467 :
日本@名無史さん:05/02/15 22:40:33
>>466 いいよ。
もしチョーセンがなんか言ってきたら、「植民地にされる方が悪いねん。今かて、メリケンに植民地にされとるやんけ」て言ってやれ。
ついでに、
日本もメリケンの属国っつーことをいってやれよ。
469 :
日本@名無史さん:05/02/16 00:35:12
今度は中央アルプス市だと
吐く血うぜえ
>>447 この板に以前あった旧国スレにもあったはず
470 :
日本@名無史さん:05/02/16 00:38:11
>>466 東京帝国大学教授 矢内原忠雄氏の著書「植民及植民政策」
によれば
>植民地とは国家が其の本来の国土外に於て新たに領有したる土地
>にして、国法上之を本来の国土と同一に取扱ふことなく特別の形式に
>依りて統治する地方を謂ふ
>一国の特殊統治地域としての植民地は狭義の属領、保護地、租借地
>及び委任統治を包含し、而して勢力範囲を含まず。我国に於ては拓務省
>の所管に属する朝鮮台湾樺太(狭義の属領)関東州(租借地)及び南洋群島
>(委任統治地)がこの意味に於ての植民地である。
ということで内地以外は全部植民地だそうだ。
472 :
日本@名無史さん:05/02/16 01:12:25
日本では、なぜ馬車へと発達せずに牛車しかなかったの?
こないだからの植民地荒らしの犯人は九郎正宗だね。
上の方もそうだが>471も以前有った某スレからのコピペ。
なんとも芸が無いw
平安くらいの時代での鉱脈の発見の仕方を探してるんですけど、
ここで質問してもいいですか?
お願いしますー。
基本的には露天掘り。
深山幽谷に分け入った修験者らが経験と知識に基いて見出したと思われ。
砂金があるとか、近辺に湧き出す温泉の色や匂いなんかだね。
476 :
日本@名無史さん:05/02/16 02:29:40
信長は伊勢長島や越前の一向一揆数万人ずつを皆殺しにしましたが
どのような方法で殺したんでしょうか。降伏後も包囲し餓死?
たしか降伏後に包囲して火をかけて殺したとも聞きますが
そんなもんで何万人も?
それとも補給路を絶たれフラフラの奴なら、
健常時では致命的でないダメージでも、放置されれば死ぬのかな?
477 :
日本@名無史さん:05/02/16 03:43:28
尖閣って実際どうなの?
俺は日本固有の領土だと思ってるんだが
478 :
日本@名無史さん:05/02/16 04:36:07
ワドウカイチンみたいな硬貨が家にあったのですが
「永」という字が入ってました
この硬貨には価値はありますか?
479 :
日本@名無史さん:05/02/16 05:06:16
>>478 そんなもん、トン単位で出てくる。価値なし。
480 :
日本@名無史さん:05/02/16 05:32:38
>>472 日本の馬は小柄で、車を引くには充分な体格と馬力がなかった。
蹄鉄が江戸後期まで入ってこなかったため、長時間の労役にむかなかった。
軍馬も実際に騎馬して使用する時間は短時間で、休ませ休ませでないと
すぐに足がむくんだり鬱血したりしたようだ。
また、反芻動物の牛は粗食でも比較的簡単に飼育できるが、
食物繊維を盲腸で発酵させて栄養を吸収する馬の場合、
栄養価の高い飼い葉が必要で、山がちで平地が少ない日本では
充分な飼育環境が確保できなかった。
だいたいこんなところかな?
481 :
日本@名無史さん:05/02/16 05:44:01
>>474 金鉱脈の場合、温泉の熱水と共に鉱脈が形成されるので、独特の縦型の筋が
岩肌にあるそうだが。また、鉱脈周辺に、その含有物によって特定の植物が
集中するので、長年の経験でなんとなくわかるとも。
砂金の場合、砂金が沈殿する河川の川底は、比重の重い砂金が沈殿する層の
上の層は黒っぽい砂が堆積しているので、それを目印に探すという話も。
水銀鉱脈の場合は、その毒性で動植物に異常があるのでわかるとか、
それなりに経験則の積み重ねによって発見していたようだ。
482 :
日本@名無史さん:05/02/16 05:59:53
>>476 基本的には根切り。これは秀吉も良くやった。
長島一向一揆では、降伏した連中を閉じこめて火を放って焼き殺してもいるが、
基本は分断して各個撃破して少数を多数で取り囲んで皆殺し。
2万人とはいえ5年かけての数字だからねぇ。
鉄砲は当時硝石が輸入品だったので、もったいないので虐殺にはほとんど
使っていないようだが。甲伏せの数打ち物の刀は膨大な数生産されてたのしね。
483 :
日本@名無史さん:05/02/16 06:07:14
未回答
なしです〜
回答してくれた方、感謝
485 :
日本@名無史さん:05/02/16 09:28:24
>>481 山師ってすごいんですねえ。感心しちゃいました。
>>482 根斬りってなんですか?
無抵抗の住人をそのまま滅多切りにするってことですか?
それとも捕らえて、河原や市場で打ち首・獄門にするんでしょうか?
487 :
日本@名無史さん:05/02/16 13:19:57
そうですか。やはり朝鮮は植民地ですか。
併合だから植民地でないというのは電波ですか?
488 :
日本@名無史さん:05/02/16 15:17:35
>>486 無抵抗って・・・
一向一揆は江戸時代の百姓一揆のように農具もってワーワー騒いでいたわけではなく、
武士と同様の武装戦闘集団だよ。
489 :
日本@名無史さん:05/02/16 15:46:47
なぜ秀吉が刀狩りをしたか、授業で習っただろ?
一向門徒は事実上の戦国大名だよ。
この頃は武士と農民の境界線なんて曖昧だしねぇ。
490 :
日本@名無史さん:05/02/16 16:34:30
むしろ、戦国期には農民も帯刀が当たり前で、確か「日本人は刀を持つ事が一人前の大人の印である」と書いた宣教師もいたほど。
そのため、ちょっとした地域間のいざこざがちょっとした「戦闘行為」に発展してしまうケース(ある意味一揆以上に厄介だった)もあり、治安の回復のためにも農民・町人層の武装解除が重要課題だった。
刀狩で思い出したが、モノは脇差だと思うんですが、なぜ、小太刀を使うって
いうのですか。ぐぐったら護身術とかスポーツで出てきますねえ。
地方の荘園から取れた穀物を都の公家に送る中間的存在は誰でしたっけ?
武士の原型が護送するんでしょうか?
>>482 ありがとうございました。○万人というのは5年かけての総死者数ですか。
降伏投降してきた香具師らを殺した人数というのが○万人かと思ってました。
それも1日〜数日の、短時間でか?と。
あらゆる意味でそりゃありえんだろう、と。
いやだってあの25万人しか住んでいない都市で30万人を殺したという南k(ry
>>472 > 日本では、なぜ馬車へと発達せずに牛車しかなかったの?
平坦地が広がっているヨーロッパやイギリスと違って、地形の関係で「どちらも発達した
などとはいえない状態で終わって、いきなり自動車時代に入った」。
>>492 時代によって違うのでなんともいえない。
ちなみに荘園制が全国に広がった時期は
鳥羽院政期ですので、既に武士は成立してるといっていいでしょう。
496 :
日本@名無史さん:05/02/16 20:58:23
うっかり八兵衛
498 :
日本@名無史さん:05/02/17 00:06:12
後三年役後、義家に所領を寄進する者が多いため、朝廷がそれを禁じたと聞きます。
義家は受領階級の軍事貴族ですが、領家になれる条件ってなんですか?
499 :
日本@名無史さん:05/02/17 02:16:28
>>491 質問の意味がわからん。小太刀と脇差しの違いを聞きたいの?
それともなぜ脇差しを小太刀って呼ぶか聞きたいの?
前者なら太刀は「はく」、つまり腰にヒモでぶら下げたモノで、刃を下にしていたの。
鞘も専用の留め金が付いた物が必要。でもコレだとガチャガチャ動いて、騎馬とかに
不向きだったし、大ぶりの太刀よりも短めで扱いやすい打ち刀が主流になっていき、
腰の帯に「差す」ようになった。この場合、刃を上に向けた腰に差した。
結果、刀工が銘を切る場所が、太刀と刀では逆になった。太刀は刃を右に向けた状態で
上に来る側に、打ち刀は左に向けた状態で上に来るようになった。柄や鞘の装具は全然違うが、
刀身自体の太刀と打ち刀の違いはそれだけ。ただ、太刀は基本的に打ち刀よりも長大で、
寸の短い太刀を小太刀というんだが、戦国時代とか、鎌倉や室町時代の太刀を、
摺り上げといって短くして、打ち刀にするのが多かった。で、摺り上げた太刀と打ち刀や、
小太刀と脇差しの厳密な分類なんて、識者や好事家でないと厳密ではなかった。
それと、剣術の中条流という三河に古くから伝わる流派がある。富田流というのも
この流派の分派で、富田勢源という達人がでて有名になったのだが、この流派は
小太刀の技に優れていた。流派自体は古くからあるため、剣の用語や技の名前とかを、
実際は脇差しを使っていても古式ゆかしく小太刀と呼んだわけだ。短い刀を使った技は
この中条流や富田流が一大勢力だったので、脇差しを小太刀という表現が定着したと思われる。
ちなみに佐々木小次郎もこの富田流の出身らしいが、小太刀の受けとして太刀をふるう役を
やらされているウチに、長大な太刀の技を工夫して物干し竿に巌流という流派を立てたらしい。
500です
常陸宮の宮号はなんで常陸なの?
501 :
日本@名無史さん:05/02/17 08:57:11
>>499 俺は491ではないが・・・あんたすごいね!なんでこんなことこんなに知ってるの?尊敬するわ。
>>499 説明をありがとうございます。要するに、呼び方の由来の出所が別々だったという
ことですね。納得。
モノそのものの呼び方のときは、刀とか、脇差とかいい、使うときの「えもの」と
技をいうときは、小太刀とでもいうのかと思っていました。
またのときでもいいのですが、刀を抜き差しすると、さやが刃で切れて傷むと聞い
たことがあります。そのため、刀は刃を上にしているとか。
太刀は、刃が下ですが、鞘の傷みはひどいと想像しますが、気にしたものか、
作りかえればいいんで、気にしなかったものか、分かりますか。
503 :
日本@名無史さん:05/02/17 13:55:30
「植民地時代の朝鮮」のスレたてをお願いします
504 :
日本@名無史さん:05/02/17 14:34:20
>鞘も専用の留め金が付いた物が必要。でもコレだとガチャガチャ動いて、騎馬とかに
>不向きだったし、大ぶりの太刀よりも短めで扱いやすい打ち刀が主流になっていき、
ばっかだなあ太刀は騎馬に優位性があるんじゃないか。
やってみると分かるが騎乗時に太刀差しのほうが、少しでも早く鞘から刀を出せる。
騎乗して戦に行かなくなった時代への移り変わりとともに、日常生活に不便(太刀は動くし歩行には邪魔)な太刀は
自然と消えて太刀式から打刀方式になったんじゃないか。
あと専用の留め金って何のことだい?
鞘にいくつか付いている足金具のことなら打刀にも時々ついてるぞ。
鞘を補強する意味でな。
507 :
日本@名無史さん:05/02/17 15:18:13
>>504 日本が大きく関係するので日本史かと思われます
508 :
日本@名無史さん:05/02/17 16:40:52
510 :
日本@名無史さん:05/02/17 21:19:36
関ヶ原合戦の戦死者数ってどれくらいなんですか?
西軍何人、東軍何人、合わせて何人ぐらいだったんですか?
511 :
日本@名無史さん:05/02/17 21:25:05
両軍で8000人前後といわれている
西軍たって、小早川秀章が裏切ったとたんに東軍の知り合いを
頼ってほとんど東軍に変身したから最後はオール東軍になった
だから西軍、東軍という死者の分類は難しい
512 :
日本@名無史さん:05/02/17 23:43:21
オール東軍ってことはないだろう。少なくとも石田、宇喜田、大谷はガチで西軍だし。
江戸時代、将軍は左〜右大臣の職に任じられていましたが
将軍が大臣職についているときは、公卿も当該大臣職につかないのでしょうか?
514 :
小学生:05/02/18 00:49:08
空海って何した人?
515 :
日本@名無史さん:05/02/18 01:38:28
516 :
日本@名無史さん:05/02/18 09:10:51
古代から、阿蘇神社の宮司を努める阿蘇氏はどこの氏に属する出なんでしょうか?
517 :
日本@名無史さん:05/02/18 09:23:59
>>513 江戸時代は公家と大名の官職は別枠。
秀吉の頃は同じ枠で、摂関家も苦しい立場にあった。
518 :
日本@名無史さん:05/02/18 12:23:04
朝臣っていうのはなんですか?よく源朝臣とか使いますが・・・家は橘なので橘朝臣って名乗ってもいいのですか?
519 :
日本@名無史さん:05/02/18 15:35:37
>>518 「八色の姓」でぐぐれ。
ちなみに橘の姓は「宿祢」と決まっているので「朝臣」と名乗っちゃ駄目駄目よ。
520 :
日本@名無史さん:05/02/18 16:38:28
>>516 肥後阿蘇神社の大宮司家。小国家の首長、国造、郡司の伝統を有し、出雲
の千家、宇佐の到津(いとうづ)氏などとともに古代末より系譜の明らかな
地方名社の社家。宇治氏を称し、中世には武家として活躍。謡曲《高砂》
にも登場。阿蘇谷の手野古墳群は同氏歴代の墳墓であるとの伝承がある。
文献では1142年(康治1)大宮司宇治惟宣が年貢済物の確認を求めているのが初見。
80年(治承4)大宮司となった惟泰は領家源定房の荘官の地位を兼務、翌年
菊池隆直と反平氏の挙兵を共にした。その子惟次のころには、それまで氏人
の中から選ばれ、任期制の形式を残していた大宮司の地位は惣領に独占
世襲されるようになり、開発した南郷谷の私領諸村は預所・地頭の地位を
得た鎌倉幕府執権北条宗家の安概を受けるに至った。元弘の乱では菊池氏
とともに日向鞍岡で北条方と戦い、戦功として建武政府から阿蘇郡の本社
領と甲佐・健軍・郡浦の末社支配権が、本家職・領家職を含めて与えられ、
大宮司の支配権は強化された。南北朝内乱初期、多々良浜に足利尊氏を
迎えて戦った大宮司惟直が討死すると、父惟時が大宮司に復活。一族惟澄と
北朝方大宮司を破るが、その後惟時の態度は不鮮明。惟時の死後は惟澄が
大宮司となるが、惟澄の死後は北朝方の惟村と南朝方の惟武がそれぞれ
大宮司を称し、惟村系は益城郡、惟武系は阿蘇郡を支配して対立した。
1451年(宝徳3)惟村系の惟忠は惟武系の惟歳を養子とすることで阿蘇・益城
の統一を果たし、本拠矢部は阿蘇氏政治の中心となった。この勢力を背景
に惟長は菊池氏を継ぎ、惟豊は従二位となった。矢部の浜館址は近年発掘
され貴重な出土品が発見された。戦国末期幼主惟光の代に島津氏の攻撃
を受けて衰退し、豊臣秀吉からはわずかな安概しか得られず、梅北の乱
で疑われて殺された。江戸時代には弟惟善が阿蘇谷一の宮の現社地に移
り、代々社家として存続。明治に華族に列せられ男爵となった。
521 :
日本@名無史さん:05/02/18 17:30:16
>>517 大臣は公家も武家も一緒だろう。
だが、徳川将軍&世子or大御所の最高でも2人しか大臣にはなれなかったから、影響は最低限だった。
522 :
日本@名無史さん:05/02/18 17:35:37
>>521 「禁中并公家中諸法度」の第7条に
一、武家之官位者、可為公家当官之外事
と定められていて、
>>517の言うように別枠というか員数外の扱いになってます。
だからこの結果武家の大臣などは「公卿補任」には載らなくなります。
524 :
日本@名無史さん:05/02/18 18:10:32
初心者です。
ほんとしょうもない質問ですみません。
教えて下さい。
日本の戦後、「Give me chocolat.」で
アメリカ人がまいたチョコレートはHERSHEY'Sですか?
チョコレートメーカーを知りたいです。
平安後期において敗軍の人間が出家するというケースは源為義が初めてですか?
天皇家では平安初期の薬子の変に際した出家があったと思いますが。
天皇家においても政治的な動きがきっかけで出家したケースはこれが初めてかな?
527 :
日本@名無史さん:05/02/18 19:51:15
>>525 そら色々あるやろ。
ただ、それが一番多かったと聞いたことがある。
>>526 天武天皇が壬申の乱の1年前に出家したというケースがある。
これは兄・天智天皇の嫌疑を逃れるため(つまり政治目的)というのは明白だったのだが
「兄の病気平癒を祈るため」という建前だったから、微妙?
>>513 武士の官位は令外の官といって、朝廷での公家の人の官位とは被らないのです。
>>528 なるほど。
広く政治的にという括りで考えると天武が最初ですかね?
天皇もしくは後継者でありながら出家させられる、あるいは出家せざるをえなかった
ケースで考えると平城天皇に連座したとの嫌疑がきっかけで出家した高岳親王が
初めてになるのでしょうか?
531 :
日本@名無史さん:05/02/18 21:22:46
なんで徳川幕府は後で絶対憂いになる朝廷を滅ぼさなかったんでしょうか?
250年以上も続いたんだから途中でなにかしらいちゃもんつけそうですが。
>>519 橘氏は和銅元年(708年)に宿禰を賜り、後に天平勝宝2年(750年)朝臣に代わったそうですよ。
>>516 阿蘇氏の先祖は伝説によると、神武天皇の孫、健磐龍命(タケイワタツノミコト)ということになっているので
大きくいえば天皇家の一門ですね。実際は阿蘇の国造の末裔でしょうけど。
534 :
日本@名無史さん:05/02/18 21:51:57
>>531 それだけでスレが成立するよ。
藤原氏や足利氏にも同じことが言える。
>>531 それをやっちゃあおしまいよ。
そもそも将軍職は朝廷から頂いたものであるから
もし朝廷を滅ぼせば将軍として幕府を開く大義名分がなくなってしまう。
そうなれば水戸徳川家と全国の外様大名が一斉に幕府に反旗を翻すでしょう。
536 :
日本@名無史さん:05/02/18 22:19:40
>>531 尊皇攘夷を徳川幕府の政策としたからです
537 :
518:05/02/18 22:34:38
>>519 >>532 調べたのですが良く分からん。結局いいの?書道をやってまして・・・印を彫ろうと思うのですが
橘朝臣と名前を彫ればいいのかな?
>>506 ハイハイ、知ったかしたいのはわかるが、打刀は日常生活に邪魔だからって、どこの電波だ。
江戸時代のことなのか戦国時代のことなのか、ちゃんと時代区分を明確にして説明してみそ、笑わないから。勢い込んで書いたはいいが竜頭蛇尾だな。簡潔に言うなら、
「騎射主流の戦法から軽装の徒足軽主流の戦法への移行で、大鎧などと共に太刀も廃れた」だ。
だいたい、足金物(あしかなもの)を足金具って言ってる時点で藻前の知識がどの程度かわかる。
太刀と打刀じゃ目的が違うだろうに。文脈を無視して知識をひけらかそうとすると恥かくよ。
回答ではないのでsage
>538
“藻前”は使わない方が良いよ、、、
某隔離スレの1が勘違いするから
540 :
日本@名無史さん:05/02/19 15:41:56
541 :
日本@名無史さん:05/02/19 15:55:04
>>535 >そうなれば水戸徳川家と全国の外様大名が一斉に幕府に反旗を翻すでしょう。
晩期以外にはありえません。水戸はそういうことはできません。
543 :
日本@名無史さん:05/02/20 01:32:07
朱印船を中国やシャムから購入したという事は、日本の造船産業・技術は外洋航海という点に於いてシャムより劣って居たという事なんでしょうか?
朱印船に用いられたのはミスツィス造りとか日本前(にほんまえ)と呼ばれたシャンク(中国船)で、
中国やシャム(現在のタイ)などから購入されたほか、国内でも建造されました。
遣明船のように国内海運の大型商船を朱印船に転用した例は見当りません。
最末期の朱印船が中国船をベースにしながら帆装の一部や舵と船尾回りに西欧のガレオン船の
技術を取り入れ、船首楼(ろう)を日本独特の屋倉(やぐら)形式とするなど、中和洋の技術を折衷(せっちゅう)
したジャンクであったことを今に伝えています。
寛永12年(1635)に日本人の海外渡航が全面的に禁止されると、外航用の朱印船は国内海運に不向きで
あったため姿を消しました。鎖国にあたって幕府は朱印船のような航洋船を禁じたと思われがちですが、
鎖国下でも少数ながらジャンクが建造された記録が残っています。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1997/00667/contents/009.htm >543
国内市場では需要が限られているため用途の限られた遠洋船は大量生産ができません。
造船産業・技術の優劣では無くコストの問題では無いでしょうか。
545 :
日本@名無史さん:05/02/20 13:44:44
546 :
日本@名無史さん:05/02/20 13:55:44
>>529 「令外の官」とは、律令に規定されていない官職の事で内大臣・中納言・参議・蔵人・検非違使なんかも該当しますよ。
547 :
日本@名無史さん:05/02/20 14:24:16
朝鮮戦争での特需で、日本がどのていど潤ったのかを知りたいのですが、
具体的な数値データや、生産品(弾丸とか戦車?)を教えてください。
そういうサイトや本でもいいです。
548 :
日本@名無史さん:05/02/20 14:28:35
>>547 日銀《貿易及び貿易外便覧》(1959年12月)によれば,特需収入は1950年
の1.5億ドルから始まってピークは52年の8.2億ドルであり,50‐53年の
4ヵ年で24億ドルを記録し,その後は年間4億〜5億ドル程度となった。
ピーク時には輸出総額の3分の2,外国為替受取高の4割近くの割合を占
めていた。
549 :
日本@名無史さん:05/02/20 14:42:54
武士の官位が朝廷と被らないようにと、定められたのは
何の令だったっけ?
550 :
日本@名無史さん:05/02/20 15:06:26
>>548 迅速なレスありがとうございます!!!
ちなみにこの時期の歳入はどのくらいだったのでしょうか?
やはりこの時期はガンガン兵器を作っていたのでしょうね。
具体的な一覧、などがありましたら教えてください。
>やはりこの時期はガンガン兵器を作っていたのでしょうね
・・・・・・
553 :
日本@名無史さん:05/02/20 16:39:28
文学板から来ました。質問です。
1983年度の東大入試問題――。
「なぜ平安末、鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。
ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象が起こったのか。
歴史の流れを総合的に考え、自由な立場から各自の見解を240〜390字で述べよ」
以下はこれに答えたものです。
誤り、追加事項などありましたら教えていただけませんでしょうか。
「百済から伝えられ隋、唐の影響を受けながら貴族を中心に浸透した日本仏教は、
平安末期、中国からの影響が薄れ、蔓延する末法思想の中、
天台宗内で日本独自の信仰世界を形成するにいたる。
その成熟した教義は民衆にも理解しやすい専修念仏といった易業として結実する。
折しも貴族政治から初めての武家政権へと移行する過程での戦乱、社会不安の中、
厳しい現実と向き合う民衆は救いとなる新しい教えを渇望していた。
加えて、古くは私度僧、平安期には聖(ひじり)と呼ばれる
非公認の僧侶が諸国遍歴を継続していた。
そのため信仰母体の土壌が成立していたことも、
新宗教家の登場を歓迎する前提として好都合だった。」 (300字くらいです)
555 :
日本@名無史さん:05/02/20 17:36:44
>>554 大納言以下はともかく、武家の大臣は徳川以外にいないだろう。
556 :
日本@名無史さん:05/02/20 22:13:57
>>555 源実朝は左大臣、足利義満は太政大臣、徳川将軍の指定ポストは内大臣
じゃかなったっけ?
>徳川将軍の指定ポストは内大臣
>じゃかなったっけ?
これは違う。
例えば家康・秀忠は太政大臣になっているし、家光も左大臣になっている。
559 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:33:10
徳川家の歴代将軍を教えて下さい。お願いします
562 :
559:05/02/21 03:00:50
560 ありがとうございます
561 宿題じゃ ないです… パソコンが壊れてて 携帯でも 見れる検索先がわからなくて… 周りに聞いても みんなわからないと言うので 歴史に詳しそうな 皆さんに教えて頂こうと…
>>559 日正社の「日本史小典」という手帳サイズの資料があるが、これは便利。
ぐぐったら、4版(1997)でまだあるようだ。出かけるときは、電車の中で
見ていても、退屈しない。
初代 家康
二代 秀忠
三代 家光
四代 家綱
五代 綱吉
六代 家宣
七代 家継
八代 吉宗
九代 家重
十代 家治
十一代 家斉
十二代 家慶
十三代 家定
十四代 家茂
十五代 慶喜
565 :
日本@名無史さん:05/02/21 12:42:44
566 :
日本@名無史さん:05/02/21 18:34:49
鳥羽院政の時代に荘園公領制が確立したと聞いたのですが、
このとき武家(武士の棟梁)は国に税?をはらっていたのですか。
もしそうでなければ、国の財源がかなり減っているとおもうのですが。(貴族が地方から収入を得ているのは別で)
567 :
日本@名無史さん:05/02/21 21:34:05
室町幕府が、足利成氏の関東公方就任を認めた理由はなんですか?
実際彼は後に幕府に逆らって、関東管領を殺害しましたよね?
568 :
日本@名無史さん:05/02/21 23:17:22
私は、小田原市に住んでいて家紋も三つ鱗で名字が北条なのですが
あの後北条氏と関係があると見てもいいのでしょうか?
特にそうだと伝わってはいませんが。
ちなみに名字は、税金を沢山納めていたとかで江戸時代から特別に許可されていました
569 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:05:23
>>88封神のつづき
天尊、真人、太上なんかの他に、天子ってのも出てきた
封神に出てくる仙人ってのが道教で、そっから神道にいったってこと?
700年30代続いた殷ってあったけど同時代の日本だと700年じゃ7代ぐらい?
570 :
日本@名無史さん:05/02/22 03:39:03
564さん ありがとうございます。すごく嬉しいです。
571 :
日本@名無史さん:05/02/22 03:43:08
563さん ありがとうございます。興味深いので買ってみますね
土佐の安芸ですが、地名が先なのか安芸氏が先なのかどちらなんでしょうか。
573 :
日本@名無史さん:05/02/23 22:14:55
質問です。
北の政所は諸将に家康側につくよう諭し、家康も北の政所と懇意だったようですが、
後に、家康が秀吉の墓をめちゃめちゃに打ち壊したとき、北の政所はどんな気分だったのでしょうか?
574 :
日本@名無史さん:05/02/23 23:04:59
質問です。
「徳川ナイフ」というナイフがあるのを聞いて、ナイフショップを訪ねてみたんですが
「そんなものはない」と言われてしまいました。
一体何処へ行けば徳川ナイフは売っているのでしょうか?
>>574 今度から、まず友達に話してウケたら書き込もうね。
576 :
日本@名無史さん:05/02/24 08:58:35
最初なんだろうと思ったけど、わかってワロタ
徳川内府ねww
>>573 『北政所』(中公新書)を読んでみましょう
ねね様の晩年の下りが、諸史料を駆使して書かれておりますので
わりと心情に迫っているのではないかと思われ
578 :
日本@名無史さん:05/02/24 21:05:11
今川了俊が関東公方と組んでいたというのは、本当なんでしょうか?
579 :
日本@名無史さん:05/02/25 03:13:01
現在において「源氏の長者」っているのでしょうか?
あと、清和源氏の宗家って面々と続いているのでしょうか?
応永の乱のとき?
蒲生郷舎は実在したのでしょうか?教えてください。
582 :
日本@名無史さん:05/02/25 10:29:46
>>579 清和源氏の宗家は源実朝で断絶しただろ。
583 :
日本@名無史さん:05/02/25 10:53:40
「女郎」の読み方の「いらつめ」と「いつらめ」は違うのでしょうか?
どちらかの読み方が間違っているのでしょうか?
源氏長者って足利義満に奪われるまでは村上源氏嫡流の久我家が有してた
はず…
そやね。で、最後は徳川慶喜からその久我氏に一旦返されたんだっけ、源氏長者。
586 :
日本@名無史さん:05/02/25 15:28:20
仏教で、人間が死ぬと虚空に帰すると、説いているのはどの流派でしょうか?
587 :
日本@名無史さん:05/02/25 15:34:50
いらつめ【郎女】
588 :
日本@名無史さん:05/02/25 15:39:16
>>587 若い女性を親しんで言う語
男は、いらつこ
589 :
日本@名無史さん:05/02/25 17:40:59
>>584 厳密に言えば、最初は嵯峨源氏の源信(応天門の変のときの左大臣)だし、
村上源氏でも後醍醐天皇の時に分家の北畠親房が長者に抜擢された例がある。
590 :
日本@名無史さん:05/02/25 18:41:58
明治時代とかに爵位とかを貰ってたのはどんな人達?
仕事的には何をしてたんでしょう?
没落の主な要因はどんなものでしょう?
あと、現在でも○○邸とかの洋館が残ってる地域とか
ご存知でしたら教えて下さい。
>>590 旧藩主・公家・維新に貢献したもの・後に国に貢献した者
素晴らしい軍功があったもの・功績を上げた博士や、日本銀行の頭取など。
華族は貴族院議員に入れたり、国から金をもらったり爵位に応じて色々できた。
つーか検索すれば簡単に出てくるが
592 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:09:51
仏教で、極楽とか輪廻とかを目指さない、死んだらそれまで的な宗派はどれですか?
593 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:28:52
明治に国民全員が名字をつけることを義務化される前、庄屋(関東では名主だっけか?)は村のリーダーですが、
その村のトップでさえ、明治になるまでは名字が無かったんですか?あと家紋は名字が名乗れない身分でも
もつことができたのでしょうか?
594 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:39:20
>>593 江戸時代、百姓でも公言できないだけで名字も家紋を持っていた
終了
595 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:55:11
2.26将校の歌っていた、べきらのうんたら作詞作曲した人は誰ですか?
596 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:00:32
三上卓
597 :
579:05/02/26 12:42:11
>>582 はい、それは知っていたんですが、直系の血は途絶えても、宗家は、
どこかが継いでいるのかな?と思っていました。
>>584,585,589
ありがとうございました。ハッキリしているのは徳川慶喜が最後で
久我氏に返されたけど、その後社会が大きく変わったので、
今は無いと言う事でよろしいでしょうか?
598 :
日本@名無史さん:05/02/26 12:46:00
ない
ありがとうございました。
スッキリしますた。
600 :
日本@名無史さん:05/02/26 15:54:55
デウスとゼウスの関連性を教えてください。
>>600 両者に関連性はない。
「でうす」という言葉は、16世紀日本にやってきたキリスト教の
宣教師たちが、日本における「神」が八百万もいることを知り、
それと同一視されることを嫌って、ラテン語をそのまま
「でうす」と日本語の音で読んだもの。
ちなみに、「神の愛」という言葉も、「愛」が仏教では
人の解脱をさまたげる、執着の一つであることから、
仏教徒から、「きさまの神は、愛あるゆえに解脱ができない。
よって、仏教の方が優れている」といわれたため、
「でうすの御大切」という造語で宣教師は対応している。
>>597 源太の産着に源太の鎧兜に源太の太刀を伝えているとか?
鎧や太刀ならともかく、産着なんか腐ってるんじゃないですかね。
良く知らないですけどね。
603 :
日本@名無史さん:05/02/26 19:16:53
佐原真って何と読むのですか?シン?マコト?
ググっても両方出てくる場合が。
604 :
日本@名無史さん:05/02/26 19:30:15
仏教の質問をしたものです・・・
ないんですかね・・
山野さん、ひとつ頼みます!
605 :
日本@名無史さん:05/02/26 19:44:12
>>600 ゼウスはギリシャ神話の神でキリスト教以前からのもの。
607 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:05:03
>>604 何か知ってて書いてるような気がするんですけどねえ。
数日前のNHKクローズアップ現代で「而今」なんて言ってたし。
608 :
日本@名無史さん:05/02/26 20:07:57
>>605 ラテン語の聖書にはDeusと出てくると思うが。
609 :
日本@名無史さん:05/02/26 21:16:01
真田信繁を真田幸村と書いてある本が多いのはなぜですか?
610 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/26 22:09:35
>>602 >源太の産着
大鎧の名称であった筈ですが。源氏全体というよりは、頼義系のものでは。
実際にそんな大層なものを頼朝に伝えたという話も怪しい。
>604
>死んだらそれまで的な宗派
漠然とし過ぎている上に、質問の意図・目的がはっきりしません。
611 :
日本@名無史さん:05/02/26 22:33:50
こちらの住人さんにお尋ねします。
●○源氏とか平氏ってのは元皇族の氏族ですよね?
彼らってそんなに血縁が強い訳ではないのに
史上でなぜまとめて扱われるのでしょうか。
それ以前から「氏」制度自体にどういう精神的根拠が背景にあったのでしょう・・・
勘違いがありましたら合わせてお願いします。
仏教の質問は要するに極楽往生とか、輪廻転生を説かない、
死すれば虚空のもとに、という思想(教義)のものを訊きたいだけだろ?
コテならそのくらい読み取ってやれ。初心者スレだろ。
だから山野は(ry
613 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/27 01:08:39
しかし、禅宗でもそれには当て嵌まりませんよ。「分らない」と言った僧侶
はいますが、それが一般的な答えという訳ではない。
そもそも、目的がはっきりせず、背景まで解説出来ないのでは返答の仕様
がありません。そこまでお求めでないのなら、一般書籍をお奨めするしか。
某板のコテが名無しで(結果的に)荒らすから山野はこの板にこないんだろ。
まぁ漏れ的にはどうでも良いことだが
>>612は>>371-
>>379を見レ。
山野が変に警戒している事情が分かるから。
ふーん。
それじゃあ変わりに訊きます。
仏教で、来世だとか輪廻に頼らない宗派を教えてください。
目的は、あまりにも釈尊以来の教えから逸脱している「仏教」が多いと思うから。
素直に「死んだらわからない」「虚空」とか言ってることの思想背景を知りたいから。
よろしく
自爆しちまったw
何か言わないと気のすまない人だね
>>613
別に質問者を責めている訳ではありませんので、その点はご理解下さい。
すいません。気に入らない質問者(回答者も含む)は容赦なく叩きまつ。
619 :
日本@名無史さん:05/02/27 01:31:24
↑史んでろボケ
>>610 おおっと、そうでしたっけ。鎧ならそう易々とは腐らないですな。
621 :
日本@名無史さん:05/02/27 04:33:50
高1のものですが…3月3日に日本史の期末試験があります。毎回必ず10点分ほど「時事問題」がでるんです。一つは京都議定書をだすってもうゆわれてるんですが…ほかに何がでそうか予想していただけないでしょうか??(>_<)
>>615 すみませんが、日本史の範疇を超えてしまうものと思われます。
「逸脱」の定義がはっきりしませんが、釈迦の神格化などの「逸脱」は既に
インドで始まっていた事ですし。本来死後については「無記」でしたが。
『原始仏典』というそのものずばりの本が筑摩書房から出ております。
故中村元先生らによってまとめられたものですが、あの辺りからご覧に
なって下さい。一年や二年では片付くテーマではなさそうです。
>621
経済、北朝鮮、イラク問題が思い浮かびますが。
しかし、あなたの先生ではありませんので、保証は出来ません。
623 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:34:26
関東大震災で死んだ華族っているんですか?
624 :
日本@名無史さん:05/02/27 12:17:07
山野サン、ありがとうございました!!!もう一つ聞きたいのですが最近発見された遺跡とか以前からある、遺跡から何かが出土したとかっていうニュースはありませんか??
それでは源太の太刀は現存するのでしょうか?
626 :
日本@名無史さん:05/02/27 16:44:49
満州国のハルビンはどうしてカタカナ表記が主流なんですか?
627 :
日本@名無史さん:05/02/27 16:56:03
漢字が難しいから
628 :
日本@名無史さん:05/02/27 18:03:53
>>625 「源氏と日本国王」(講談社現代新書)読んだほうがいいですよ。
多分、そこそこの本屋ならあると思うし。
源氏長者=武家の棟梁でも征夷大将軍でもありません。
源氏長者と、清和源氏諸家に代々伝わる太刀や鎧なども全然関係ありません。
落ち武者伝説が平家ものばかり(それ以外あるんでしょうか?)なのな何故でしょう?
負け戦での落ち武者なんて沢山いるだろうに。
>>623 華族どころか皇族も数名亡くなっています。
631 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:19:55
江戸時代には浪人が武士の身分を捨てて町人になる人がいたとは聞きますが、
逆に三代、四代と代々浪人を続けていく家もあったのでしょうか?
>>629 元々辺鄙な土地に住んでいた人々が、自尊心のために名乗った。
乱暴な言い方をすれば、平家伝説の大半はこうして生れたものです。
おそらく、『平家物語』の伝播が一役かっていたのでしょう。
633 :
日本@名無史さん:05/02/28 09:50:58
尼子の落ち武者は有名。
平は平でも将門一族とか、木曾源氏とか、南朝とか、
635 :
日本@名無史さん:05/02/28 17:51:28
>>623 >>630 丁度、まだ9/1で震源地近くの湘南海岸一帯でバカンスをされていた方々の犠牲も大きかったようです。
636 :
日本@名無史さん:05/03/01 00:21:20
あの611なのですがいっこうに解決してません。
他を当った方がよろしいでしょうか。
>>636 > 史上でなぜまとめて扱われるのでしょうか。
良く知らないですが、いずれも、全国各地の土地を領地として割り振られたせいで、
広く散らばっていたのがポイントでは? で、源氏のほうがあとで割り振られたせ
いで、平家よりも物なりの悪い土地しかあてがわれなかったとかいいますね。
(´-`).。o○(どこかの馬鹿が“源平藤橘”と、したり顔で触れ回るからじゃないのかなぁ
639 :
日本@名無史さん:05/03/01 08:42:35
「特選ケーキ」なるものが静岡で売ってるらしいのですが、どこで売ってるか尻ませんか?
640 :
日本@名無史さん:05/03/01 22:27:29
日本の経済史勉強したいんですが、基本として読んでおくべき書籍教えて下さい。
>>640 日本経済史と言っても、
時代やテーマによってお薦めの本がいっぱいあるのですが。。。
最低限、時代位は書いていただかないと答えようがありません。
642 :
640:05/03/01 23:03:10
>>641 すみません
幕末から大正ぐらいまででお願いしますm(_ _)m
その時代の庶民の生活(服、食物、その他風俗など)が分かるサイト教えてください。
644 :
日本@名無史さん:05/03/01 23:50:15
テーマは?
農村経済とか流通とか・・・
>>644 素人なので細かいジャンルは分からないのですが、貿易とか、国内の産業構造の変化
とかです。
646 :
日本@名無史さん:05/03/02 03:30:01
知識が曖昧でクグってもよくわからないので質問します。
ポーランド分割の際にロシアに捕まってカムチャッカに抑留され、のちに脱出
して日本に漂着し、ロシアの南下を江戸幕府に警告したポーランド人って名前は
ペニョフスキーでしたっけ?
あと、これって明和8年で良いのでしょうか?
647 :
日本@名無史さん:05/03/02 07:54:50
江戸時代、「藩」という名称は一般的に使われていなかったと聞くのですが
その際、どういう風に呼称されていたのでしょうか?
1ヶ国の国持ち大名、2ヶ国以上の国持ち大名、1ヶ国の1地域領有の大名、2ヶ国以上にまたがる地域領有の大名の場合など・・・・
649 :
日本@名無史さん:05/03/02 09:56:12
すみません、太平洋戦争中の陸軍と海軍の人数は
最も多いときでどのくらいでしょうか?
ググりましたが見つかりませんでした。
650 :
日本@名無史さん:05/03/02 10:50:11
> 965 名前: quarante-deux 投稿日: 05/02/26 14:29:53 ID:7HmOcg/7
>
>>961 > ええ、たぶんそうするでしょうね。それに対して日本はたぶん
> 何もできない。戦争の補償問題が片付いてないからブロック化も
> 難しいし。「新しい教科書」なんて教育現場で使ってる場合じゃ
> ないんだけどね。国益に反してるw
>
> 中国が築くであろう元経済圏でそれなりの地位を占められれば、と
> いうことでしょうね。古代と同じで属国化するのも可かと。
某スレで見つけた物なんですが
前半の方はともかくとしてw
後半の
「古代と同じで属国化するのも」
というのは
「古代日本は中国の属国」という認識だと思われます。
古代日本が隋や唐などの属国だという話は
現在では学会の主流説なのでしょうか?
>>645 『新体系日本史 流通経済史』(山川出版社)が最新の研究成果に基づいています。
そこに文献一覧もあるので参考になります。
あとは、
『日本経済史 近代成長の胎動』
『日本経済史 開港と維新』(いずれも岩波書店)
石井寛治『日本流通史』(有斐閣)
『日本経済史〈1〉 幕末維新期』(東京大学出版会)
くらいでしょうか。
>>650 Noです。
変な歴史観に固まっている人のレスは無視してね
653 :
日本@名無史さん:05/03/02 10:57:59
高師直の一族は、室町に出仕しなかったんでしょうか?
>>651 ありがとうございますm(_ _)m
早速探して読んでみます。
655 :
日本@名無史さん:05/03/02 13:33:07
>>650 属国ではありませんでしたが、朝貢国でした
656 :
日本@名無史さん:05/03/02 14:32:21
>>655 属国と朝貢国の違いは年号・暦を中国に従うか、それ以外のものを使うかの差。
657 :
日本@名無史さん:05/03/02 17:30:06
質問です。
父は昭和16年の9月に生まれたのですが「俺は防空壕の中で産まれた」と言います。
そのうえ「親父は母さんが妊娠してるのをしらずに戦争に行ったので終戦後に俺を見て驚いた」
とも言っていますが太平洋戦争は16年の12月に始まったのですよね?
開戦の1年以上も前から兵隊は集められていたのでしょうか?
それとも父の記憶が間違っているのでしょうか?
日中戦争じゃねーのか
学問上、ワニ博士は実在したという事になっているのでしょうか?
地元にあるワニの墓についてネットで調べていると、どうもよくわかりません。
墓は捏造されたもので間違いないようですが、ワニ自体は学問上どうなっているのでしょうか?
>>657 陸軍は対ソ戦準備として16年7月の関東軍特別演習(関特演)で準動員体制
へ移行しています。この兵力が後に太平洋戦争準備のために南方へ展開して
いきます。普通、召集してから新兵訓練の終了まで少なくとも三ヶ月ですから、
7月の関特演に間に合わせるために召集されたなら>657さんのお父さんの召集
時期は遅くても4月ごろ。もっと早い場合もあるでしょうからそんなにおかしくないと
思います。
>>660 × >657さんのお父さん
○ >657さんのお祖父さん
大変失礼しました。
(どちらかというと軍事板ならもっと詳しいかも)
>>637 その辺の事情は最早よく分からないのでしょうかね。
土地のあからさまな優劣があったのですか。。。
お答えありがとうございました。
質問したもう一方はいかがでしょう。
大和政権以降、氏姓という考え方がどうして社会的同意を得ることが出来たのか。
>>660 返答ありがとうございます。
本人に聞いても「産まれた時の事は覚えてないけど俺はそう聞いた」
という言葉で会話は終わってしまいました。
まんざらホラでもないようですね。
江戸時代の鎌倉付近って直轄領?それとも旗本領?
時期によって変化があったのかもしれませんが…
>665
関東御料だったのでは?
667 :
日本@名無史さん:05/03/04 00:16:20
>>647 「藩」を大名領を表す正式な名称にしたのは実は明治新政府。
戦国大名の系譜を引くような一部の大大名を除けば、当時の大名領・旗本領
なんてあっちこっちに分散していて飛び地だらけのことも珍しくないから、
>>648 みたいな言い方が用いられた。
>>653 観応の擾乱以降は、一族の多くは関東へ下って鎌倉府へ出仕するようになったのでは?
668 :
日本@名無史さん:05/03/04 00:52:16
>>638 > (´-`).。o○(どこかの馬鹿
何それ? もうちょっとマシなことを書けない?
芝と書けば満足か?
補足しとくと、馬鹿なのは作家の書いていることを
史実だと思い込んでいる香具師のこと。満足か?
>>669
672 :
日本@名無史さん:05/03/04 02:21:17
江戸時代の大名の官位の上限を教えてください。
そういうサイトも教えていただけるとありがたいです。
前田家は権大納言とか、水戸徳川は権中納言まで、とか言う感じで。
673 :
日本@名無史さん:05/03/04 04:34:01
674 :
日本@名無史さん:05/03/04 19:09:09
江戸時代に改易された大名領の全てがその後天領とならなかったのはなぜですか?
天領になると税が安くなるので領民には歓迎した人が多かったと聞きますが・・・。
675 :
日本@名無史さん:05/03/04 20:36:59
>>672 余談だけど、前田家の極官は四位の参議。
676 :
日本@名無史さん:05/03/04 20:37:48
前田利常は小松中納言って呼ばれてなかったっけ?
>>674 大名の配置は戦略的なもの
隣りあった藩は仮想敵であり、相互に監視・敵対していたほうが幕府に取って
都合が良い
天領・旗本領には軍事力がほとんどない(万が一の時、江戸から兵力を
出すより、親藩→外様藩というふうに攻撃させたほうが早い)
679 :
日本@名無史さん:05/03/04 22:13:02
よく中国の歴史5000年と言われていますが、
日本の歴史は2000年くらいと考えればいいのでしょうか?
でも中国の地にも、日本の地にも、
もっと前から人が暮らしていて、狩りや衣食住の文化をもっていたので、
極端な話、旧石器時代までさかのぼると20万年の歴史になってしまって
5000年や2000年どころの歴史ではなくなりますね。
いったい何をもってして「国の始まり」というのは決められるのでしょうか?
680 :
日本@名無史さん:05/03/05 02:04:17
江戸時代の駕籠という乗り物はひどくエネルギー効率が悪いように思います。
大八車にひとを乗せた方がずっと楽なのに、なぜそういう商売がなかったので
しょうか?
682 :
日本@名無史さん:05/03/05 05:51:36
>>674>>678 江戸中期以降だと、親藩や外様の大名の石高が変わることはあまりないけど、
幕政に参画する譜代大名・旗本の場合、その功績による加増や失政・失脚による
減封が比較的頻繁にあり得る。
天領のなかには、戦略上必然的に幕府直轄地としておかなければならない場所も
あるが、あとはそういう幕府の人事や政変に伴う加増減封のための控えとして
幕府が持っている土地という性格も含まれる。
なお、旗本の場合、譜代と外様の別が大名ほど厳格ではないため、大名ならば
確実に外様に分類されるような家柄でも幕府の役職についていることが
結構あるので、旗本領も変化が大きい。
>>679 戦前は、神武天皇がたってからというので、皇紀というのを唱えていた。これを
採用すると、今年は2665年になるが、神話の時代で根拠がはっきりしないので
今は言わないが、一部の人は言い張っている。
卑弥呼だ、大和朝廷だと論争があるので、いつが統一政権の誕生した時期かは
定まっていないのではないか。政府が宣言すれば済むとも言えるが、戦前の発想
からの反省で、それは(まだ?)ないのではないか。
「日本国 国の始まり」とでもして、ぐぐれば、事情がわかろう。
686 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:08:21
>>684 レスありがとうございます。
でもリンク切れてます。
687 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:15:09
>>684 あっアドレスコピペしたらつながりました。
よくわかりました。あらためてありがとうございました。
>>687 684 のアドレスをクリックしても直接は飛びませんね。失礼しました。
アドレスに打ち込めば行きます。>>皆さん
684 を書いて思い出したのですが、名神の大津SAに花崗岩を轍の幅でえぐった
石が昔の車道(?)の痕跡として展示してありますね。車を物流に使おうとして
いた人達がいた証拠でしょう。
689 :
679:05/03/05 18:09:46
>>683 丁寧に答えていただいて、ありがとうございました。
683さんのアドバイスにしたがって、調べたり考察したりしてみました。
自分なりの個人的解釈もうまれて、なんとなくモヤモヤが晴れましたぜ。
690 :
日本@名無史さん:05/03/05 21:18:04
>>684のリンク先は普通に見れますが。
道が荒れるというのが最大の理由でしょう。
東海道だって石畳は一部だけだし。
691 :
日本@名無史さん:05/03/07 05:19:59
九月乙巳って何日ですか?
>>691 何年の?毎年違うし、乙巳がない九月もある。
『日本暦日原典』とか類書で調べなさい
693 :
日本@名無史さん:05/03/07 12:32:36
694 :
日本@名無史さん:05/03/07 12:46:46
上杉景勝は本能寺の変時官職は何を名乗っていたのですか?
695 :
日本@名無史さん:05/03/07 22:05:21
696 :
日本@名無史さん:05/03/07 22:30:52
有名武将の刀剣を調べたいのですが名の有るモノを教えて
ください。特に信長及び家臣周辺が知りたいです。自分で
ググってみたいと思います
697 :
日本@名無史さん:05/03/07 22:34:45
どうぞ
698 :
日本@名無史さん:05/03/07 23:24:13
今日、先週の「その時歴史が動いた」を見て思ったのですが、
なぜ北条氏は自ら将軍職に就かなかったのでしょうか?
権力を欲し、執権という幕府重職を作り自らその座に就いた北条氏。
二代将軍源頼家を追放し、三代将軍源実朝を暗殺し、
公暁を討ち取ったあと、北条氏に敵は居なかったのでは?
なぜ北条義時は自ら将軍職に就かなかったのでしょうか?
wikipediaの北条義時や藤原頼経の項目を読んでもイマイチわからないのですが
摂関家から傀儡将軍を迎えて、その裏で実権を握るのなら、
初めから自分が将軍になればよかったのでは???と
書きながら少ない知識で妄想するに、
鎌倉武士団でトップとは言え、所詮その他と同列の御家人。
力をあわせて幕府を支えてきたのにいきなり俺が将軍だとか言い出したら
他の御家人の賛同が得られないからかなぁ・・・・とか。
実際のところどうなんでしょう?
あと、俺こそが将軍だとか言い出した源氏の傍系とか居なかったんでしょうか?
素人の素朴な疑問、よろしくお願いします
699 :
日本@名無史さん:05/03/08 00:35:42
神奈川県に行くと時々田舎にポツンと武家屋敷があるのですが、なんでですか?標識など見ると侍云々と書いてあるのです。
郷士や武士なら分かる気もするのですが侍って・・・
700 :
日本@名無史さん:05/03/08 00:47:39
教えてください。
クイズ問題(問題文をあまり覚えていないのですが)で、
「『蘭学ことはじめ』を著したのは杉田玄白ですが、『蘭学○○』を著したのは誰?」
というのがあったのですが、さっぱり分かりませんでした。
どなたか解答教えていただけませんか?
※肝心の○○の部分は覚えてないのですが、最後の文字には梯か櫛みたいな木へんの漢字が使われていたと思います。
701 :
日本@名無史さん:05/03/08 00:49:20
>700
大槻玄沢「蘭学階梯」かな?
703 :
日本@名無史さん:05/03/08 03:18:18
家康の通称と言えば何でしょうか?
タヌキ(たぬき、狸)、二郎三郎、蔵人
これ以外に。
704 :
日本@名無史さん :05/03/08 04:13:52
趣味で東洋哲学を学んでいるのですが
「私有自楽」(本居宣長)ってなんと読むのでしょうか?
西洋哲学は一応学校でやったのですが、東洋哲学は独学で聞く人が居ません
ネットで調べても、読み方を併記している所は無く…
よろしくお願いします
705 :
日本@名無史さん:05/03/08 14:09:01
>703
ナイフ
707 :
日本@名無史さん:05/03/08 15:16:29
うんこもらし。
708 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:16:25
709 :
日本@名無史さん:05/03/08 19:51:37
元康
710 :
日本@名無史さん:05/03/08 22:16:18
雑兵物語を詳しく解説しているサイトってご存知ですか?
711 :
700:05/03/08 23:03:29
712 :
704:05/03/09 02:20:58
>>708 何度も、申し訳無いけど、そのまま読めと言われても
「しようじらく」「しゆうずらく」等いろいろ読めるんで伺ったのですが…
出来れば誰か正しい読み方を教えてもらえませんか?
713 :
日本@名無史さん:05/03/09 02:28:26
忠臣蔵ってなんですか?よろしくお願いします
714 :
日本@名無史さん:05/03/09 02:30:49
715 :
日本@名無史さん:05/03/09 07:47:08
>>713 ググってわからない所を絞ってから質問しろ。
716 :
日本@名無史さん:05/03/09 11:04:27
ちょっとスレ違いですが・・
私は人の顔をキチンと見るのが苦手です。
小学校の時、先生に「相手の顔を直視するのは失礼」と教わったからです。
で、卒業式の練習で卒業証書授与の時に校長が
「私の顔をしっかり見て」と言ったので、初めてびっくりしました。
もう、20年以上前の話ですが・・・
小学校の同級生は「え〜?そんなこと習った?話すとき顔は見るでしょ・・」
で、両親も兄も相手の目お見て話すと昔から教わったと言ってます。
ただし、別の兄は、学校で顔を直視してはいけないと習ったと言っていますので、
そう教えた教師が居るとは思いますが。
日本のマナーでは
相手の顔を見てはいけないってあったんでしょうか?
武士では、お殿様の顔から下を見てはいけないってあった気がします。
農民とかが大名行列の時は顔上げないし、西洋でも、召使は主人の顔を直視しては
いけなかったような・・・?
長年気になってるので、詳しい方教えていただけたらと思います。
>>712 面白いと思って、検索したが、goo では出てこなかった。
しかし本居宣長記念館というのがあるから、電話してみたら。
オレなんぞ、お寺さんのことであちこち電話したことがあるが、意外に教えて
くれる。横柄な態度はいけないよ。
樋口一葉記念館は(たまたまかもしれないが、出た人は)ひどかった。
>>704 諸橋大漢和辞典
日本国語大辞典
などや故事成語・四文字熟語辞典類は引かれましたか?
719 :
素人の意見:05/03/09 12:31:41
>>698 それは敵のいないはずの秀吉や家康が天皇の座に就こうとしなかったのと同じなのではなかろうか?
>>698 北条氏は、政敵を倒して覇権を拡張するとか、全国に自分の所領を増やすとか
やってはいるが、政治のやり方は、割と地道で豪華絢爛というほどではない。
関東武士の分を弁えた印象がある。末期の高時はちょっと例外だが。
時代は違うが、信長が比叡山を攻めたようなこともあるが、秀吉にしても光秀
にしても、神仏をおそれる傾向はあった。前田、細川のようにトップに立たず
に長期にわたって利を確保するという手法もある。
天下が自由になるとはいっても「分」をわきまえて行動していたのではないか。
>>716 西武グループの社員は堤義明の目を見たら左遷されたそうだが・・・。
>秀吉にしても光秀にしても、神仏をおそれる傾向はあった。
根拠不明
723 :
日本@名無史さん:05/03/09 14:39:32
美濃の御嶽城城主の小栗信濃守と、常陸の小栗氏は同属でしょうか?
同族でしたらいつごろ美濃に土着したのでしょうか?
どなたか教えてくださいませ。
>>708 少なくとも4通りはありえますな。
>>712 何をどう間違えると「有」が「よう」とか「自」が「ず」とかいうことになりますか???
>>718 学校の図書館なら、ないはずはないですね。といっても、卒業後なら近くにいるか
どうかは分からないし、時間があるかどうかも分からないですが。
726 :
日本@名無史さん:05/03/10 03:18:06
質問スレはage進行。
727 :
日本@名無史さん:05/03/10 03:23:56
「尾張名古屋は城でもつ」ってどういう意味ですか?
728 :
日本@名無史さん:05/03/10 03:39:24
>>727 たとえ西から攻めて来るものがあっても、名古屋城で防ぐことができる。
729 :
日本@名無史さん:05/03/10 04:49:24
明日青春18切符で東京から大阪へ向かいます。もちろん東海道本線。
歴史好きな自分としては途中下車して史跡巡りなんてことをしてみたいなと思ってます。
ところが時間との兼ね合いで下車して見に行けるのは一ヶ所が限界です。
そこで歴史に詳しい皆さんにお尋ねします。
東海道沿線これは見ておけ!というお勧めの史跡はどこでしょうか?
ちなみに名古屋と京都の間でお願いします。
それと彦根城は行ったことあるので除外します。
730 :
日本@名無史さん:05/03/10 09:48:11
731 :
日本@名無史さん:05/03/10 10:11:59
>>729 持ち時間とか自分の関心あるものを書かなきゃアドバイスのしよう
がないだろ。
732 :
日本@名無史さん:05/03/10 11:31:50
足軽って侍なんですか?
733 :
日本@名無史さん:05/03/10 12:09:44
734 :
日本@名無史さん:05/03/10 12:56:01
>>722 光秀には本能寺の変の直前に何度もおみくじを引いたという話がなかったっけ?
>>704 今日自分の用事のついでに調べてきました。
私有自楽 しゆうじらく
宣長が京都遊学中、同じ堀景山門下の漢学書生清水吉太郎に宛てた
漢文体書簡草稿(『本居宣長全集』17巻所収・書簡番号9)に見える語句。
自分の好みに従い、自ら楽しむことのできる和歌の世界をこのように表現した。
儒学を好む吉太郎が、儒学より和歌を愛好する宣長を強く非難したことに対し、
宣長は逆に儒学を斥けて「聖人の道は、国を為め天下を治め、民を安んずるの道也。
私かに自ら楽しむ有る所以の者に非ざる也」(原漢文)と述べた。
聖人の道の学習は、国や民を治める立場にない自分には本当の楽しみではなく、
「僕の和歌を好むは、性也。又た癖也」(同上)という自己の内面に照らした
自己の私的な世界にこそ真楽があるとした。
孔子が与した曾ルの「浴沂詠帰の歌」(『論語』先進)に倣った思想の表現である。
遊学中の宣長にとって、伝統的美意識を有する和歌は、漢意に汚れた現実から離れ、
唯一、私的な一個人として遊ぶことのできる世界であった。(高橋俊)
典拠:本居宣長記念館編『本居宣長事典』(東京堂出版、2001年)219〜220頁を適宜改行。
#歴史の醍醐味は、わからないことを自分でいろいろ調べるところにあると思います。
#最低限の辞・事典などのツールを、まず調べてから他人に聞いた方が面白いですよ。
>>735 割込ですが、乙です。『本居宣長事典』なんて本まであるんですか。
> 最低限の辞・事典などのツール
その辺の具体的なところからして、畑違いだと皆目見当もつかないのが普通だから、
まさにこのスレ向きでは?
738 :
729:05/03/11 00:10:32
関が原に決定いたしました。行ってまいります。
739 :
日本@名無史さん:05/03/11 09:59:10
>>733 じゃあ、一般人ですか?
旗本なんかの家人の若党、郎党と呼ばれる人は身分的にはどうなるんですか?
740 :
日本@名無史さん:05/03/11 10:41:07
741 :
日本@名無史さん:05/03/11 14:04:37
>>じゃあ、一般人ですか?
いえ、芸能人です。
吉村さんは足軽で切腹の作法も教えられてなかったからやっぱり足軽は侍じゃないよ。
743 :
日本@名無史さん:05/03/11 22:19:03
こういう話を別の板で見つけてきたのですが
645 名前: quarante-deux 投稿日: 05/03/11 21:25:35 ID:cJ9X/mbS
>>641長文レススマソ>ALL
>>637 やっぱりそうなんですか。いつも思うんですけど、日本がアメリカの
51番目(でしたっけ?)の州になれば、いろんなことがはっきりして
いいのに、と思うんですよね。まあ、現在の情勢でそれをやると
安全保障やテロ対策等で大変なことになるのは目に見えてますが。
貿易摩擦がなくなり、無能な国会議員の数が減って税金の無駄使いが
なくなるだけでもいいなぁ、とw 昔からジャメリカ州なんて
言葉もあることですしね。
古代にもどって中国に朝貢するというのもあるけど、それだと
自律性がなさそうですし。主権国家として覇権を争うというのとは
違う面従腹背の選択ってあると思うけれど、たぶん、アメリカの
方が断わりますね、これw
古代日本において卑弥呼や倭の五王など古代中国に朝貢していたことはありますが
そのことによって政治経済の自立性を制限されたことはあったのでしょうか?
744 :
日本@名無史さん:05/03/12 06:23:18
745 :
日本@名無史さん:05/03/12 12:07:57
>>744 最後の2行がきかれてるのに
それじゃ会話が成立してないぞw
746 :
日本@名無史さん:05/03/12 14:05:24
747 :
日本@名無史さん:05/03/12 18:03:50
国司と守護が紛らわしくてよくわかりません。
江戸時代の大名等の官職である「××守」はどちらなのですか?
どうも介や掾もいるので国司だと思うのですが、そうすると鎌倉幕府以来の
武士の官職の守護は江戸期には無くなってしまったのですか?
748 :
日本@名無史さん:05/03/12 18:11:52
日本がアメリカの領土になればいいとは失礼千万!
それでは祖国を守ってきた祖先や天皇陛下に申し訳が立ちませぬぞ!
749 :
日本@名無史さん:05/03/12 18:15:58
>>748 安心しろ。
そんなことはありえないから(笑)
750 :
日本@名無史さん:05/03/12 19:19:03
751 :
日本@名無史さん:05/03/12 19:25:40
北条氏直の花押て何だったんですか?
752 :
日本@名無史さん:05/03/12 19:35:36
>>747 守は律令の国司制度のもの。
守護とは基本的には何の関係もない。
室町幕府の組織が崩壊した1573年に任命されていた守護をもって廃止
西郷従道が独断で台湾に出兵したのは何故ですか?
政府と仲が悪かったの?
754 :
日本@名無史さん:05/03/12 20:51:04
755 :
日本@名無史さん :05/03/13 03:26:06
私有自楽(本居宣長)について、質問した者です
れすしてくれた皆さん、ありがとうございました。
>>735 なにぶん哲学が主で、歴史は専門外だった者で…
ソレが意味する所は、本などを読めば解るのですが、読み方となると西洋哲学しか学んだ事の無い自分からすると
東洋哲学は、本を読む事がせいぜいで読み方等は載っていない事が多い(東洋哲学を学んでいる事が前提なので)
みなさんありがとうございました。
756 :
日本@名無史さん:05/03/13 07:48:32
早稲田商学部の問題ですが、
3世紀半ばすぎ、魏に検使して以降の約150年間、中国史書には倭国に関する記事が無くなる
↑
この文章、間違いらしいんですけど何が間違いなんでしょうか?
757 :
日本@名無史さん:05/03/13 08:44:09
魏→晋
検使→遣使
758 :
日本@名無史さん:05/03/13 10:41:58
>>756 卑弥呼の後を継いだ壱与が晋に使者を送っております。
759 :
日本@名無史さん:05/03/13 12:02:22
江戸時代、忍と侍とでは、どちらが強かったのですか?
多くの人は剣術を習得しましたが、自分には忍の方が強く思えて
忍術を習得した方が良かったのではないかと疑問でなりません。
760 :
日本@名無史さん:05/03/13 12:33:36
761 :
756:05/03/13 12:41:24
すみません、もう一つ!!
自分の使ってるテキストには使者って書いてあるんだけど、検使と遣使の違いは何ですか?
762 :
日本@名無史さん:05/03/13 13:49:10
遣使とは、使者を派遣することです。
また検使とは、一般には検分などを行ったりする使者のことです。
八州巡検使とかあったっけ。字あっている?
764 :
日本@名無史さん:05/03/13 21:15:35
巡見使
> 古代中国に朝貢していた
あれは表向きは「朝貢」だけど、実質は「お移り」目当ての割の良い貿易。
大学行って歴史を学びたいのですが明治維新以前は全く興味がありません。明治以降中心の学科はあるのでしょうか?
>>766 そんなことを心配する暇があったら、希望通りの学校の学科に入れるように勉強を頑張ってね。
768 :
756:05/03/13 23:17:55
>>762 ありがとうございます。
ちょっと出かけてたんで、遅れてすみません・・・
769 :
日本@名無史さん:05/03/13 23:46:06
10年越しの疑問です
八股の大蛇は七つの股しかないのに何故八股なんでしょうか?
辞書にも載ってないし、ググッても出てきません。
もしかして見えない頭があると言う設定なんでしょうか?
770 :
日本@名無史さん:05/03/13 23:49:16
ハルノートの経緯って、どんなんですか?
なんか、ハルノートなのにハル自身が作ったのもではない
とかなんとか
>>769 のび太も同じ疑問抱いてたな。
もとが一つで先が○つに分かれている状態を○股というんだよ。
例えば「川が二股に分かれている」とか使うでしょ。
恋愛の二股もある意味一緒だ。
歴史じゃなくて言葉の問題だと思う。
>>769 ? 「頭としっぽが八本ずつ」だから「八岐」のおろちですが?
774 :
日本@名無史さん:05/03/14 00:13:38
775 :
日本@名無史さん:05/03/14 00:17:27
三つ又の矛は刃?が三つだが股は二つだな。
八岐大蛇
777 :
日本@名無史さん:05/03/14 00:21:35
至期果有大蛇。頭尾各有八岐。
778 :
日本@名無史さん:05/03/14 00:35:58
>>771-777さん
回答ありがとうございます
そもそも漢字が間違っていたんですね
で、調べてみました
【八岐大蛇】
〔頭・尾それぞれ八つあり、八岐に分かれる大蛇の意〕記紀神話に現れる大蛇。出雲国簸河(ひのかわ)の上流にいて、
一年に一度老夫婦足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)の娘を一人ずつ呑んでいたが、八人目の時に素戔嗚尊(すさ
のおのみこと)によって退治された。その尾の中より出た剣が三種の神器の一つ、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で
あるとされる。
やまたとは「八つに分かれる」の意味だったのですね。
まさに国語レベルの質問でしたorz
も一つ分かったのが、大蛇から出てきたのは草薙の剣じゃなかったんですね
かなりおかしな記憶をしていたようです。
皆さんありがとうございました。
779 :
日本@名無史さん:05/03/14 00:37:31
780 :
日本@名無史さん:05/03/14 00:46:47
>>778 携帯なんで漢字が書けませんが、「アマノムラクモ」で日本武尊が草を払った故事に基づいて「草薙の剣」 とも呼ばれています。草薙の剣の正式名称です。
781 :
日本@名無史さん:05/03/14 00:59:50
草薙劔、此云倶娑那伎能都留伎。一書曰、本名天叢雲劔。
蓋大蛇所居之上常有雲氣、故以名歟。至日本武皇子、改名曰草薙劔。
>>775 あ それ、「字が違う」し、「股」にしても、「またぐら」の
意味だけではないの。漢和で調べてね。
>>778 > やまたとは「八つに分かれる」の意味だったのですね。
というか、「岐→枝分かれ」が八つ。「八つに分かれている」
というニュアンス。
>>784 本当ですか!神奈川か東京の私大なんですが…
786 :
日本@名無史さん:05/03/14 23:33:58
「智恵伊豆」の松平氏は幕末に、どこの地域の藩で、石高はいくらでしょうか?
三河吉田7万石
788 :
日本@名無史さん:05/03/15 01:36:09
質問です。
古来、身分の高い人は、自分の持つ本当の名前(諱)を、
他人に知られることを嫌がり、通称(字)で呼ばれることのほうが多かったそうですが、
本名を知られることを忌み嫌う理由は、何処から来ているのでしょうか。
>>787 便乗質問。
忍->川越->古河->吉田->????->吉田と移っているようですが、
????はどこだったか、分かりますか?
>>791 早速どうもありがとうございます。
ほんとだ。本荘と入れ替わりだ。ずっと松平(大河内)って記述してあるのに、ここは
大河内のみ。見落とした。
793 :
日本@名無史さん:05/03/15 11:14:21
治天の君と上皇って違うんですか?
>>793 治天の君はそのときの天皇家の家長。
上皇は退位した天皇。
だから、天皇が「治天の君」になるときもある。
上皇が治天の君になれないケースは
たとえば、治天の君が天皇をすげかえた場合。
すげかえられた天皇は退位して上皇となるけど、
自分をすげかえた治天の君にさからえるはずもない
(さからえるようなら、退位なんかしないよね)。
795 :
日本@名無史さん:05/03/15 13:08:58
>>785 普通に史学科入って、近現代史のゼミ入ればいいじゃん。
律令制度ってほとんど実施されてない&皇朝12銭もほとんど通用力無しって
習った覚えがあるんですが最近の研究ではそうでもないのですか?
要するに律令制度は当時のグローバルスタンダードだから
形だけ受け入れたことになっていたみたいな(実際その骨子たる官僚制が形成されていない)
江戸幕府までの日本は中央政権といっても豪族・不在地主の寄り合いみたいなもんだという
理解でしたがこれも違うのでしょうか?
>>788 > 本名を知られることを忌み嫌う理由
「知られること」ではなくて「呼ばれたり、宛先に名前を書かれたりす
ること」を嫌った、というか「呼んだり、宛先に名前を書いたりしない
のが礼儀にかなっていた」というニュアンス。
感覚的には「赤の他人が馴れ馴れしく呼び捨てにしたりしないのが礼儀」
といったところでしょう。
798 :
日本@名無史さん:05/03/16 00:48:10
藤原氏って出自は皇族なんですか。
799 :
日本@名無史さん:05/03/16 00:59:00
入学面接とかで「尊敬する人は?」と聞かれたら
武田信玄か織田信長がよく言われていますがどうしてですか?
>>799 以前のテレビドラマで、歴史上の大人物が嫌らしいまでに矮小化されて、まるで、脚本家
と同じ「いじけた劣等生」みたいに描かれているのがあって怒り心頭に発して以来、全く
見ていないから知らないですが、テレビドラマで採り上げられたせいか何かではないでし
ょうか。
>>799 有名かつ無難という以外、心当たりがありません。
例えば、あなたの部下が「尊敬する人は斉藤道三です」という人だったらどう感じますか?
802 :
日本@名無史さん:05/03/16 03:15:21
さっさと追い払うなw
803 :
日本@名無史さん:05/03/16 03:19:14
>>798 不比等が天智の隠し子だって話を除けば、神別です。
津速魂流です。
804 :
日本@名無史さん:05/03/16 04:06:10
日本史の大体の流れを分かりやすく説明している、参考書はどれですか?
805 :
日本@名無史さん:05/03/16 08:28:37
>>799 答える必要はないよ。
そういうの質問は、差別につながるとして、してはいけないとなっているはずなんだがな。
806 :
日本@名無史さん:05/03/16 10:17:42
煽りではなく、入学面接ってのがよくわからん。
小学生のお受験かな?
807 :
日本@名無史さん:05/03/16 10:58:10
>>806 面接試験のことだろ。
高校受験の時にやらなかったのか?
大学でも推薦には面接が付き物だな。
結構聞いて来るんだよな、そういうの。別に受験者が誰を尊敬してるかってのは
どうでもいいんだけど(それでもあんまり奇矯な答えはマイナス。ヒトラーとかさw)、
なんていうか、「この人物のこういう点、こういう業績に見るべきところがあると思います」と
要領よく相手に伝える能力を見る設問、なわけよ。「今まで読んだ中で印象に残った本は」
なんてのと一緒。そんなに深刻に考えるこたぁない。好きな人物を挙げりゃよろしい。
3教科バカとしては最強ランクの大学卒のフリーターなんだけど、入試関係
で面接なんて受けたことない。憲法に定める思想良心の自由に反する質問な
のではないかな?
スレ違いなので、これでやめます。
811 :
日本@名無史さん:05/03/16 19:34:50
812 :
日本@名無史さん:05/03/16 19:41:15
まあ、信長とか信玄みたいな戦国武将ならたいして問題はないと思うが、
近現代の人物や思想・宗教関係の人物だと思想・信条の問題にひっかかるからな。
813 :
日本@名無史さん:05/03/16 20:05:16
池田大作とか正直に書いたらやばいよなw
815 :
日本@名無史さん:05/03/16 22:16:07
>>811 俺自身、高校受験の時に言われたからよく知らんが、だいたい
>>812さんや
>>813さんが書いてくれたような理由だろう。
まぁ、面接する側からしたら、尊敬する人物なんかどうでもいいんだけどね。どうせ、無難な答えしか返ってこないし。実際は、その解答振りを見るわけだし。
816 :
日本@名無史さん:05/03/17 19:45:17
ロシア皇太子に切りつけた警官はその後どうなったんですか?
確か法を尊重して死刑にはならなかったんですよね?
817 :
日本@名無史さん:05/03/17 20:08:27
>>816 明治24年9月29日、釧路集治監で病死。
>>816 ちなみに、「干渉をはねつけた」とされる児島はその裁判には無関係で、担当の
裁判官たちに対する指揮権はないので、あれも裁判に対する干渉の一種。
もっとも、担当の裁判官たちが児島の言い分に耳を貸したものかどうかは、全員、
一切、書き残しも語り残しもしていないので不明。
大逆罪の裁判は大審院でしか行われない。
地裁に起訴した検事からして大逆罪にする気がなかったのでは?
>>819 いや、天皇と皇太子に対する殺人未遂は元々無理ということで、皇族に対する
謀殺(未遂)に問うか否かじゃなかったっけ?
821 :
日本@名無史さん:05/03/17 23:28:19
>>816 来日が侵略を意図したものと妄信したためによる犯行で、判決は無期徒刑。
>>817 俺が持っている資料では、30日になっている。ちなみに死因は肺炎。
822 :
日本@名無史さん:05/03/17 23:59:16
>>818-820 政府は「皇室ニ対スル罪」を適用して死刑判決を希望したが、兒島(正確にはこう書く)は一般人に対する謀殺未遂罪の適用を主張し、結果は前記の通り。
確かに、兒島が介入したかどうかの証拠はないが、その翌年、弄花(花札賭博)事件に荷担したとして院長を辞任した。しかし、この事件は冤罪であったことから、それなりの介入があったのではなかろうかと推察されるが、いかがであろうか?
>>822 「皇室ニ対スル罪」でしたね。
> 介入
ちょっと意味が。大津ではない大阪だったかで、担当の判事(確か3人?)に訓辞を
したという事実はあったはずですが、そこでいう介入は「政府のほうの意趣返し」と
かの意味???
すみません、教えてください。
"江戸時代、貨幣を鋳造した金座や銀座を監督した幕府の機関は?"
というクイズがあったんですが答えられませんでした。
解答は漢字4文字らしいですが、どなたか分かる方いらっしゃいませんか?
教科書を見ても見当が付きませんでしたorz
825 :
日本@名無史さん:05/03/18 02:20:22
どうもありがとうございます!
スカスカな話書いたblogが炎上してるだけじゃないか・・・・
2chでは韓国が半万年の歴史を謳っているのをよくネタにされているんですが、
日本は何千年の歴史って考えればいいんですか?
歴史の古さを誇るやつは、それ以外に誇るものがないと考えればいいよ。
大八洲とかいうから、氷河期の後では?
>>831 まあ、かの国のことはおいといて、自国の歴史が何年かってのは知っておいて損はないんじゃ。
>>832 それって皇紀何年ってやつ?ウリナラ半万年並に胡散臭いんだが。
835 :
日本@名無史さん:05/03/18 19:13:59
>>834 胡散臭かろうが何だろうが、2665年。
文部省は皇紀も使っている。
>>835 それじゃあ、韓国の事はあんまり馬鹿に出来ないね。
武が雄略くらいからしか確定してないんでしょ?それって。
837 :
日本@名無史さん:05/03/18 19:18:52
文部省が使ってる!?
皇紀を公式とするなら、日本書紀は歴史的事実と認定される訳ですか?
2月11日の紀元節を建国記念の日と定めている以上、
神武紀元は公式だろう。
公式は元号のヤツじゃないの?
神話と史実をごっちゃにしてる時点で他国の事をとやかく言えないよ。
せいぜい紀元5世紀くらい?
邪馬台国はどういう扱いになるのかな?
842 :
日本@名無史さん:05/03/18 20:12:08
>>837 数年前に見た、(当時)文部省が出している小冊子を見たら、神武暦・西暦・元号が併記してあったよ。
843 :
日本@名無史さん:05/03/18 20:14:16
http://www.style-21.com/diary/1549/ でわ、明治以後の皇統順位はと言いますと、
時とともに少しずつ変わってはいたのですが
大正十二年には、1秩父。2高松。3伏見。4華頂。5山階。6賀陽。7久邇。
8梨本。9朝香。10東久邇。11北白川。12竹田。13閑院。14東伏見の順でした。
これが昭和十五年には、1秩父。2高松。3三笠。4閑院。5東伏見。6伏見。
7山階。8賀陽。9久邇。10梨本。11朝香。12東久邇。13北白川。14竹田。
このような順位になっていたと思われます。。
***********************************************************
↑のページの宮家の格付けってどの程度正確なんでしょう?
また、大正時代には途絶えてしまってたようですけど、
有栖川宮家が存続していた場合、伏見とどちらが上だったんですか?
江戸時代の石高などは伏見のが高かったようですけど、
血筋でいけば有栖川のほうが天皇家に近いんですよね。
傍系宮家の継承順位の基準ってどうなっていたんでしょうか?
844 :
日本@名無史さん:05/03/19 00:02:00
太平洋戦争の開始を告げるラジオ放送で(大本営陸海軍部は・・ってやつです)
「西太平洋で戦争に入れり」みたいなことを放送していたようですが、
日本から見て西なのですか?地理的に他の(真珠湾以外)もふくめてですか?
845 :
日本@名無史さん:05/03/19 00:43:57
いま高校一年で4月から日本史がはじまります。。。。
教科書をもらって見たのですが覚えることが多そうで頭が痛くなりました。
そこで、なにか本を買って簡単で楽しく覚えたいのですが(逆に好きになるくらい)
なにがいいでしょうか?
「忘れてしまった高校の日本史を復習する本」
自分はこれがいいのかなぁ?なんて思うんですが、どうでしょうか?
846 :
日本@名無史さん:05/03/19 01:36:21
日本史Aと日本史Bは内容がちがうのでしょうか?
日本史Bをおおざっぱに浅くやるのが日本史Aって感じでしょうか?
日本史Aの内容はすべて日本史Bに含まれているんですか?
何でこんな質問をするかは説明が結構めんどくさいので(ぉぃ)
そこはどうか気にしないで下さい。
日本という国号を使い始めたのは7世紀末だけどな。
>>847 天武だっけ?持統だっけ?
天武から「天皇」の称号だし、そこをもって日本国の成り立ちとするのもありだと思うけど、
天武は辿れば一応血筋が継体まで繋がってるし、同一王朝扱いでいいんでは?って事にもなる。
一方、継体は継体で、「宋書」の倭王武でほぼ確定している雄略の孫にあたる武烈の後継者と
していきなり出てきたんだけど、本当に武烈の遠い血筋なのか、つまり応神の血筋なのかどう
かが怪しいし、応神以前だって実在してるのか、実在してもどういう奴だったのかあんまり
解ってないし、史書通りだと一人で50年も60年も在位してた奴がズラッと並んでるし、中には
100年在位の奴もいるわけでどうにも胡散臭い。
どこからを史実でどこからを神話で区切っていいのやら。
あと、天智天武兄弟じゃない説、天武朝鮮人説ってのがあるよなぁ。
そうなるとそこでブチっと途切れるわけでしょ。天武の嫁は天智の娘ばっかりだから、文武、
元明、元正、聖武、孝謙、淳仁は天智の血は繋がっていても父系じゃなくなる。
じゃあ、天智系の光仁に戻った時からカウントし直す?
日本っていったいいつ建国されたんだろうね?
849 :
日本@名無史さん:05/03/19 08:15:05
850 :
日本@名無史さん:05/03/19 08:24:37
いま趣味で、神山県について色々と研究しているのですが、県内にあった村の石高のなかに、「弐石ヲ壱石トシテ」とありますが、これは一体なぜそんなことをするんでしょうか?
851 :
日本@名無史さん:05/03/19 09:21:21
>>850 宇和島県 → 神山県 → 愛媛県
のことでっか。うーん。
領地によって石高換算や貢納政策は違うからなぁ。
幕末明治期の村においては、郡割・村入用等の支出のことで
問題をおこしている場合がいろいろあって、それは、実収の
増加に伴って貢租負担が相対的に減少したとはいえ、その
減少部分が農民の収入となることなしに、地主得米として、
地主の手に入ってしまっていたり、、、と。
まあ、ややこしいのよ。
852 :
850:05/03/19 10:27:39
>>851 じゃあ、実収はともかく、その村の規模を表記するには、「弐石ヲ壱石トシテ五百石」とある場合、それは五百石としていいんでしょうか? それとも、千石とした方がよろしいのでしょうか?
853 :
日本@名無史さん:05/03/19 10:35:22
そうせい
854 :
日本@名無史さん:05/03/19 13:00:24
>>853 それじゃどっちかわからないじゃんw
回答できないんならするなよ
855 :
日本@名無史さん:05/03/19 13:18:09
>>852 その文言がどういう史料の中にどのように出てきて
そしてあなたが何を調べているのか
それによって扱いは変わってくると思います。
>>850と
>>852の情報だけでは答えようがないとしか言えません。
856 :
日本@名無史さん:05/03/19 13:51:55
愛媛県内の村々が戦国時代から、どのように発展したのかを調べています。で、それをまとめたサイトを作ろうかと思っています。
いま使っている史料は、愛媛県が出した『愛媛県史』の中の「神山県区画並小区役員帳」です。
遣唐使の言語能力について書かれた本を読んだことがあるのですが、
書名を忘れてしまいました。
どなたか知っている方いらっしゃいますか?
858 :
日本@名無史さん:05/03/19 21:02:47
>845
小学館から出てる「少年少女日本の歴史」。
全巻そろえて読破するもよし、興味ある時代の巻から読んでいくもよし。
859 :
日本@名無史さん:05/03/19 22:09:02
>>844 「西太平洋ニオイテ戦闘状態ニ入レリ」というやつだな。
ハワイは西太平洋だろ。どこだと思っていた?
860 :
日本@名無史さん:05/03/20 02:31:53
辞世ってのはアレあらかじめ作っておくのですか?
それともとっさにみんな作ってるんですか?
後者だったら昔の人って凄いなぁ
死に直面してぽんと句や歌ができるというのは。
一応私は作ってあります。
861 :
日本@名無史さん:05/03/20 03:40:43
>>788 俺もなんとなく他人に本名知られたくないから本能じゃないの?
「なんで?」ってきかれたら「諱が云々」とか説明すると
たいていの人は理解できないから煙に巻くことができていいよ
863 :
日本@名無史さん:05/03/20 06:11:53
追捕使と押領使の違いってなんですか?
現地で調達する店長みたいなのが追、都から派遣される本社の営業担当が押みたいな感じですかね?
864 :
日本@名無史さん:05/03/20 11:58:12
865 :
日本@名無史さん:05/03/20 16:56:02
時代劇や小説などで、お寺の鐘の音で時間を知るシチュがありますが、
ではお寺はどうやって時刻を確認しているんですか?
866 :
日本@名無史さん:05/03/20 17:04:59
時計
867 :
日本@名無史さん:05/03/20 17:38:02
>>860 あらかじめ用意しておく場合も在るそうだ
他人が作っちゃう(というかそれが商売として成立)場合もある
もちろんとっさに詠んだのも在るだろう
足利義輝のとかは多分とっさに作ったんだろうね
奴ならやれるだろう
俺もなんか作っとこうかなぁ
日本史板の皆様始めまして。質問させていただきます。
先祖のことについて調べております。
私の家の初代は、秋月種実の娘が肥前愛宕山飯盛城主相神浦松浦氏の松浦定(1571-1593)に嫁に行った際に、
隠居した先代と5人兄弟の末弟が同行を命じられ、そのまま松浦氏(おそらく相神浦松浦家)の家臣となっています。
その後結局平戸松浦家の家臣となり、300石ほどもらう中流の家柄となっているようなのですが、
(松浦静山の甲子夜話にも○○某として、ご先祖が出演したりしています:笑)
どうにも分からないのが、松浦家の総領争いに負けた相神浦松浦の家臣だったのに、なぜかちゃっかりちゃんと
平戸松浦氏の家臣となっているところです。で、系図の記載や家の古文書、口伝の伝承などを調べても、そのあたり
の経緯について全くわからないのです。
#相神浦松浦氏はその後幕臣になっているようですので・・・・・尚更??です
この初代の墓は愛宕山飯盛城跡のふもとにありますが、このご先祖の死についても、戦に負けて切腹したとの家の伝承
と系図への記載があり、また戒名が30年以上後になってからつけられていたりと怪しいことのオンパレードです。
そこで、まず基礎的なこととして、平戸松浦家と相神浦松浦家の総領争いについて調べたいと思っているのですが、
全く史料が見当たりません。この辺りの事情について、詳しい史料があるかどうかご存知でしたら、ご教授いただけないでしょうか。
また、私自身鎌倉時代以前について、趣味的に調べる程度で、戦国末期のことについて、自力で探す場合、
どのような調べ方をすればよいのか見当がつかず、途方にくれています。
なにかアドバイスをいただけると助かります。
よろしくおねがいします。
>>868 不明確な系図がある以上、あなたの六代くらい前の水汲み百姓が
名門の家の子孫を自称したんでしょう。
こういうことは珍しくありません。気を落とさずに
初代まで墓もそれぞれ、本人、妻、成人前の子供
これらが全部あります。
一部墓に掘られた文字が消えかけているところがありますが、
江戸中期、末期の記録、昭和初期のそれぞれの記録とも一致します。
文書の類も箱3バイ分くらい未整理ですが色々あり、なんやら感謝状やら免状
やらたんなる書付っぽいものまでごちゃごちゃとあります。
刀剣類も、戦時中にかなり供出したそうですが、それでも殿様からもらった
とか色々由緒があるものが10数本くらいのこっており、あとは維新の時に
もらった菊の紋の杯とか、そういうもんもあります。
系図は思いっきり遡ると、神様に到達しますので、精々戦国中期くらい
までが本物で、あとは適当に作ったもの、と思っていました。
まぁ系図査証はよくあることなので、どっかからはうそっぱちと思っていましたが、
こういう状態でも6代くらいが関の山なものでしょうか。
捏造のために色々作ったのかな。
まぁそんなもの、というふうに受け取っておきます。
ご回答ありがとうございました。
>868
一方、永正九年(1512)、相神浦の地で蜂起した相神浦松浦氏は、神浦の飯盛山に城を築き、
平戸松浦氏に対する一大勢力となった。やがて、佐嘉の龍造寺隆信の斡旋で相神浦松浦氏は
平戸松浦氏と和解の運びとなり、親と弘定が会見して両者の和睦がなった。
その結果、平戸松浦氏が押えていた相神浦一帯は従前のように、松浦宗家が支配するとことなったのである。
興信のあとを継いだ隆信は、同族や近隣の情勢から相神浦丹後守家の再興を見逃すしかなかった。
永禄六年(1563)、上松浦の波多家に家督争いが起こり、彼杵の大村氏と有馬氏も仲違いを起こし、
相神浦を攻めても誰も手を貸せない状況となったのである。
この絶好機を捉えた隆信はただちに全兵力をあげて相神浦を攻撃した。
しかし、相神浦は容易に落ちず、両者の抗争は永禄九年まで繰り返された。
戦況は次第に相神浦方の劣勢となり、ついに丹後守親は龍造寺氏らの仲介をいれて、
隆信の三男親を養子に迎え、平戸松浦家の家臣となったのである。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/matura.html
女の人斬りは実在するんスか?
873 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 06:24:03
sageで質問するうつけ者に誰が答えるか。
874 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:13:12
以前から質問をしようと思っていて、機会が無かったものです。
(下らない質問かも知れません。)
日本では江戸時代以前には、ガラス窓などというものは殆ど全然無かった
だろうと思いますが、一般庶民の家の縁側や玄関などは、単に板戸か、
明かりを取りたい場合でも、精々障子紙等を貼っていただけなのでしょうか。
時代劇での武家屋敷などを見ても、この点がなかなかハッキリしません。
よく見る体裁というのは、雨ざらしの縁側が有り、そこに障子が有るだけ
といったものばかりですが、そんな物では、大風や嵐の時は大変だったろう
と思います。勿論、台風や嵐の時には、補強用の雨戸を入れたのでしょうが、
雨戸には障子紙などは貼ってないし、風を防ぐためには、穴をあけるわけ
にもいかないので、部屋の中は、昼でも真っ暗になったと思います。また、
江戸以前は、照明用の油さえ高価だったと聞きますから、嵐が来るたびに
さぞ大変だったろうと思うのですが。また、ガラスは、南蛮人やオランダ人
が真っ先に日本に輸出して来そうですが、江戸時代にも窓ガラスに使ったと
いう話は全然無かったのでしょうか。
>>874 江戸時代まで遡るまでもなくて、藁葺きの民家なんかは皆そんな具合。
暗くなったら困ると思うのは、明るいのが当たり前になっているからで、
暗ければ暗いで、それなりにやれば問題なし。ただし、今の時代にそれ
では不便極まりないから、藁葺きの民家がどんどん消滅したわけです。
なお、日中に雨戸を閉めても、そこら中隙間だらけだから、昼間なら完全
には真っ暗にならないし、雨戸を全部閉め切らないとどうしようもないよ
うな嵐など、年に何日もあるわけではないから問題にならなかったわけです。
うちは家紋とか苗字が同じだし地元に確かに流れてきてるから
紀姓の○○家と自称してるけど
父方が三代前は百姓、母方も字侍崩れの庄屋であることが判明してるから
ネタで言ってる。あんまりこだわらないほうがいいと思うよ。
江戸期の大名だって家計図適当に買ってたり作ったりしてたどこの馬の骨かわからん連中ばっかだし。
脇坂なんか系図屋に
脇坂「うち藤原らしいよ」
系図屋「藤原っていっても北家とか南家とかいっぱいあるけどどこよ」
脇坂「北南 それとも知らず この糸の ゆかりばかりの 末の藤原」という
和歌を交えてやり取りをしてたというし。こっちのほうがかっこいいよw
877 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 19:57:48
マツケンサンバとええじゃないかは同原理ではやってると思うのですよ
世情が不安定になるとこういうのがはやるとおもうのですがどうでしょうか
あるある探検隊とかも
878 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 21:39:43
既出でしたらすみません
伊達政宗のミイラが残っていると以前耳にしたことがあるのですが
瑞鳳殿に保管されているのでしょうか?
又、公開されているのでしょうか?
879 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 21:55:52
>>878 ミイラではなくて遺骨です。
政宗は土葬され、瑞鳳殿に葬られました
が
その瑞鳳殿が第二次世界大戦で焼失し、戦後再建する際に政宗の墓を発掘したと言うことです。
遺骨の残存状況が良かったことから容貌や身長、血液型も判明しました。
その遺骨から復元された政宗像は仙台のどこかの博物館で見られたはず。
と思ってぐぐったらすぐヒットしたぞ。
ttp://www.zuihoden.com/
880 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:00:13
>879
即レスありがとうございます
ミイラというか遺骨そのものが見てみたくて。
普通そういうものは非公開でしょうかね?
881 :
小学7年生:2005/03/21(月) 22:49:04
ガオレンジャーって実在するんですか?
>>878=>880
確か遺骨は再建された瑞鳳殿に納められていて見られなかったと思う。
レプリカが瑞鳳殿の博物館にあるかも知れないので、後は直接聞いてみて下さい。
戦国時代とか江戸時代とかそのあたりの村はどうやって治安をまもってたんですか?
山賊みたいなのに襲撃されたらなすがままでしょうか
884 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 04:52:45
885 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 05:32:15
俺史学科でゼミ選ばなきゃいけないんだけど日本史で中世って戦国時代も入る?
俗に中世を打破して近世に導いたのが信長って言われているから戦国は中世末期。
でもなぁ・・・
887 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 10:27:52
>>885 戦国時代って言ったって、期間が随分長いぜ。
俺が持ってる大辞林によると、中世は鎌倉・室町時代、近世は安土桃山・江戸時代だそうな。
現状、近世史の「王道」は18世紀です。
ですから、「近世史」の先生で戦国時代である16世紀について
わかる先生は少数派です。
では中世史ではどうか?
院政期や鎌倉やってる人には多分わからないでしょう。
室町をやってる人であれば、なんとかなるでしょう。
結論をいうと、戦国時代のうち、どの大名をやりたいか、を
あるいはどの地方をやりたいか、ある程度決めたうえで、
先生に直接、あるいはセンパイに聞くのが一番ということになりますね。
日本史の中で剣客サムライ集団と言えば新撰組が非常に有名ですよね。
新撰組以外にも剣客サムライ集団があるとすれば、何がありますか?
890 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 20:09:01
>882
ご丁寧にありがとうございました。
江戸時代以前の村って最小で何人ぐらいから、最大で何人ぐらいの規模だったんですか?
893 :
マー:2005/03/23(水) 16:11:32
こんにちは。初めて質問させていただきます。
姫路城を建築したのは誰か(武将)わかりますか?
あと、富士山が最後に噴火したのはいつかわかりますか?
アドバイスお願いいたします。
894 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 17:30:28
>>893 姫路城は南北朝期に赤松氏が築城が定説だが砦のような代物で、本格的な城としては戦国時代の黒田重隆(官兵衛の祖父)だとされている。
関が原後に池田輝政が、その後に本多忠勝の息子(名前は忘れた)が入城して現在に残るような大城に改築された。
富士山の最後の噴火は細かい年号は忘れたが、将軍綱吉の時代の最末期。
895 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 17:55:21
戦国時代の始まりは応仁の乱ではなく、管領細川政元による将軍足利義稙の追放から始まる。
896 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 18:15:49
897 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:57:42
898 :
マー:2005/03/23(水) 20:03:37
大変助かりました。
どうもありがとうございます。
899 :
日本@名無史さん:2005/03/24(木) 07:56:56
うちは村の中でも大きな地主の一つで○○氏、隣は○○家で同じ苗字です。
でも系図的には隣が本家らしいです。
そこで、氏と家の使い分けを教えてください。
苗字は多分明治期についたらしいのですが、別家となってからかなりの時間が経っていたようです。
900 :
日本@名無史さん:2005/03/24(木) 17:13:57
ふと思ったんだけど、改易後ってのは元の主君に仕えていた人たちは全員が浪人になったの?
それとも新しい主君に仕える事も可能だった?
二君に仕えずとか言われているけど。
901 :
日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:14:21
902 :
日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:33:50
トラバーユしますた
903 :
日本@名無史さん:2005/03/25(金) 02:31:36
ニッポン放送をライブドアが乗っ取ったら、元の社員達は忠義を重んじて
みんなやめるってこと?
だからその辺は現代の事情と一緒。
忠義を重んじて旧主君について行くものもあれば、
別の主君を探すものもあれば、
現実を直視して新主君に仕えるものもある。
精神論だけじゃ飯が食えないのは今も昔も一緒。
>>900 良く知らないけど、折りたく柴の記なんかを見ると、ひとくちに主君と家臣といっても、
つながりの度合いが色々あって、知り合いの口利きとかであちこち移ってる人もけっこ
ういたみたいですね。
新井さんが特に有能だったから、ということはありそうだけど、全くの例外というわけ
でもなさそう。
最近 食の歴史にはまってるんだけど戦国時代とか江戸時代の武士の食事について詳しく扱ってる本ないかな?
前買った歴史読本に少しだけ戦国時代とかの食事について書いてあったんだけど・・・
今まで生麦事件で殺されたのがヒュースケンだとばっかり思ってました。
全然違うんですね。
>906
『雑兵物語』
909 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 08:17:39
日本で科挙制度が導入されなかったのは、なぜでしょうか?
910 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 10:02:06
既得権益のもった豪族層がそのまま律令貴族になったから
911 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 12:00:38
912 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 16:31:47
梶原景時の子に源太景季というのがいましたけど、
平氏なのになぜ「源太」なのですか?
913 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 17:39:47
>>906 96年に河出文庫から出た「たべもの戦国史」(永山久夫)はどう?
質問であります。
今放映中の大河ドラマ「義経」にて、後白河院は自分自身を「み」(身?)と
呼んでいますが、やはり実際に譲位した上皇や法皇は「朕」ではなく「み」と
自称するのですか?
「身」というのは、別に上皇や法皇に限定の一人称ってわけじゃありません。
中世以降、男性の一人称として普通に用いられたもので、今で言うなればただの「私」です。
このドラマでは「身」ですけど、史実の後白河法皇は自分をどう呼んでたんでしょね。
梁塵秘抄口伝なんかじゃ法皇様の一人称は「我」ですけど…。
ここは中世史の泰斗・山野さんあたりに伺いたいところ。
917 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:35:36
918 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 02:35:32
大坂の陣では、豊臣方は浪人を金で集めて兵としたようですが、戦国時代の戦闘の場合はいかがだったのでしょうか?
自分の家来の他に、浪人を雇ったりしたのでしょうか?
陣借りというのはありました。
陣借りとは、戦でどちらか一方に押しかけて所属し、その兵力として戦うことです。
依頼されたものではないから報酬などは出ません。
働きがあれば、恩賞にありつくことができた程度です。
その働きを認められて後日の仕官を狙う目的で行われる場合もあります。
920 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 03:28:26
板垣退助の先祖は、関が原で山内家に陣借りして、そのまま仕官。当時「乾」姓。
921 :
918:2005/03/28(月) 03:34:31
924 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 03:31:13
日本史フラッシュって無いのでしょうか?
歴史的な質問ではなくて申し訳ないのですが。
明治維新頃のフラッシュを探しています。
紀元前1年の翌年は紀元1年なんですか?
それとも紀元0年なんですか?
>>925 難儀だな。
1月の前は、何月だ。1日(ついたち)の前は何日だ。
1時の前は(普通は)何時だ。
928 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 10:21:55
>>927 1月の前は12月。
1日の前は30か31か28か29。
1時の前は12時か0時。
紀元1年の前は紀元0年ってことか。
930 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 04:52:23
申し訳ありませんが、陣借りについて、もう少し教えてください。
陣借りをする場合、城なり陣なりに出向いて、「浪人○○ご助勢つかまつる」などと名乗りをあげたのでしょうか? それとも、戦場に直接行き、その場で参加したのでしょうか?
ヨロシクお願い致します。
>>925 西暦紀元を思いついたときヨーロッパ人はゼロを知らなかった。
なぜ歴史を学ぶ必要があるんですか?
過去を振り返って何の役に立つのですか?
>>932 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶってのがあるな。
ヤケドしなきゃ、ヤケドの痛さ、苦しさが分からないというのは困るだろ。
イルカやクジラだって、子にエサの取り方を教えているというぞ。
義務教育は、最低限の歴史の勉強だな。学科の「歴史」だけが歴史ではない。
>>925 数には、整数、負数、少数、無理数、虚数ってのがあるが、序数ってのもある。
歴史を勉強しなければならない理由がわからないですね。
過去の経験から学べっていうなら、あそこまで細かく勉強する必要なないでしょう。
おおざっぱに知っておけばいいだけの話です。
937 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 17:19:59
>>935 君がどれほど勉強したかは知らないが、恐らく大雑把にしかやってないと思うが?
そうかな?高校の歴史の教科書とか覚えても意味のない事ばっかりじゃない。
生活の役に立たない事ばっかり。
歴史板に入り浸っているみんなは趣味で覚えたり調べたりしているのが楽しいかも知れないけど、
普通に過去の経験に学ぶためだけに生きているなら、覚える事は1世紀につき10個位で十分でしょ。
キリストが生まれました。ローマ帝国がありました。卑弥呼がいました。
第一次世界大戦がありました。第二次世界大戦がありました。くらい。
律令制度を事細かく覚えて何の役に立つの?
中学レベルの租調庸でさえ要らないと思う。
例えば、936みたいな事を徹底的に教える歴史の授業、つまり韓国は嘘の歴史ばっかりを
教えているんだよ、日本はどうすればいいの?ってのなら役に立つと思う。
でも、その他のくだらないものは必要ないよね、歴史の授業には。
940 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 20:35:38
941 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 20:46:45
>>938 高校の教科書は十分あれで大雑把なんじゃないか?
ほんとに「学んでる」といえるの?
942 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 20:55:25
なぜその時、そんな事をしたのか?ってとこまで踏み込んで
初めて役に立つ歴史の勉強になるんじゃない?
学校の勉強は、世間に出たときに
馬鹿にされないための雑学ですな。
同じような失敗をしない為に有る学問なはずなんだけどねぇ?
そういえば 中学・高校と日本史習ったけど
共に明治維新までしか習ってないや
944 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:46:47
>>939 >韓国が嘘の歴史ばっかりを教えているんだよ、日本はどうすればいいの?
これを考えることのどこが、役に立つ学問なんだ?
単なる内政干渉じゃないか。それに、そうなるとなぜ嘘の歴史を教えるようになったのか、原因を調べるためにそれについての歴史を学ばなくちゃならんぞ。
945 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:49:10
>>943 俺は高校の時、明治維新以前のことはしなかったなぁ。
韓国の起源はメソポタミアというのが馬鹿げた話だというのは勉強しないと分からんかもしれんが
韓民族の祖先は熊だというのは勉強せんでも(ry
947 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 00:21:26
大學教授とgoatsong ◆ZJLQCE9Eは同一人物ですか?
949 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 03:06:30
ネットで日本史を勉強したいんだけど
オススメのサイトを教えてくれたら幸いです お願いします
950 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 03:38:02
951 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 03:48:54
コメントが欲しいならもっと単純な方法がありますよw
ウヨにトラックバックを打ちまくればいいんじゃないですかぁ?
>>949 ネットは止めておけ(トンデモを当然のごとく引用してる、適当な個人のサイトが多いから)
作者の思想信条がはっきり解る、本の中から何冊か選んだ方が良い
歴史を学ぶモチベーションがあがらないよね。
本当に意味のない事ばっかりしか教科書には載ってないし。
細かすぎ。歴史を学ぶ意義がなぜその時そんな事をしたとか、過去から学べって言うなら、
中学レベルでもあんなに細かく意味のない事を覚える必要はないでしょう。
>>953 >>本当に意味のない事ばっかりしか....
興味が持てないとか、面白くないとかが、本音だろ。意味はあるんだよ。
主観の問題をここで、同意を求めても、マサに意味はない。誰かがそうだと
言って、先でだまされたと後悔しても、取り返しはつかない。自己責任。
955 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 11:54:04
今話題の鹿内家って江戸時代は何をやってたのですか?
956 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 15:49:07
武士は西暦でいうと何年までいたんですか?
意味の無いこと覚えなきゃイカンのは、
歴史に限ったことではないと思われ。
教科書はむしろ端折り過ぎで流れがわかりにい
>>958 同意。
例えば、教科書作成者、文部科学省なんぞで、工夫したいことはあるんだろうが、
見方によっては、誘導し過ぎとの批判が出るんで、当たり触りのない内容になるん
ではないか。先生が工夫すれば多少違うかもしれないが、多くの先生がそうなる
とは期待できないし。痛し痒し。
まあ、教科書は、インデクス+アブストラクトと割り切った方が気軽ではないか。
図書館へ行って、伝記ものとか読むのがいい。マンガもあるし。
しかし、将軍から一字貰った名前を付けるとかいうのは、卒業して知ったが、
早く教えてもらったら楽だったと、悔やんだな。
960 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 17:47:33
意味の有り余ってる壮大な歴史を、はしょって端的にまとめるのがどれだけ大変か。
それだけでも大きな工夫が完成されているだろ・・・。
流れを無視して御免なさい。
>930
戦場では味方でない者は全て敵です。
また、仕官にせよ恩賞狙いにせよ、あるいは武名を高めるためにせよ
自分の手柄を認めさせるためにはそれを確認する者が必要です。
いきなり戦場に乱入して首をとり戦後処理の際にその首を
持ち込んでも拾い首だと見做されるだけでしょう。
>>942 全科目についてそういうことをやったら、何年たっても卒業できない。
> 同じような失敗をしない為に有る学問なはずなんだけどねぇ?
そういう効能書きをつけたがる者もいるけど、怪しいと思う。
捏造歴史の皇紀の日付をつける2chってアホじゃないか?
964 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 07:59:15
>>961 ということは、事前に城に赴き、傭兵として登録しておくということでしょうか?
そういった登録制度に名前はあるのでしょうか?
そういったことを解説している書籍はないでしょうか?
教えて厨で申し訳ありませんが、ヨロシクお願い致します。
日本史上、いちばんの長期政権保持者は誰なんでしょう。
地方政権ではなく中央政権で。
ただ君臨していたんではなく、実質的な「時の日本政府首脳」
と呼ばれるべき立場の人で。
知人にきいたら、「藤原頼通」と言ってましたが、徳川家斉
ではないんでしょうか。
どっちも50年だな。
関係ないけど、詮子と道長って異母姉弟だったんだね。
なんで道長をかわいがったんだろう。
967 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 17:27:32
慶長ワロスwww
>964
>そういったことを解説している書籍はないでしょうか?
よく2chで引用されているのは藤木氏の『雑兵たちの戦場〜中世の傭兵と奴隷狩り〜』です。
所謂戦国時代を俯瞰的に扱っている書籍として奥野高広氏の『戦国武将と民衆』もあります。
お求めのテーマに関しても少しだけ記述がありますし、
藤木氏とは異なるアプローチで書かれてあるので御一読をお勧めします。
現在では入手が難しいと思われますので図書館等で探されてみてはいかがでしょうか。
太平洋戦争の前に日本国内で北進論というものが
提唱されていた時期がありましたが、
それは資源を確保できるものだったのでしょうか?
970 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:09:17
観点が違う
971 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 03:38:55
そうだね
廃藩置県前の日本の地図を探しているのですが、
インターネット上にありますか?
あと、昔は測量技術も確立してなかったから歴史の教科書に載っている地図は、
後に目印などを基準に測量しなおしたのでしょうか?
そういうことを扱っているサイトとかあればついでにおながいします。
973 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 12:31:52
>>969 満州の安全確保が目的だろう>北進
>>972 日本列島の形はほぼそのままなのだから、当時の行政資料を現代に比定しているだけだろう。
縁日で亀を売っているのはどうして?
976 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 13:01:58
>>976 異母姉弟なのに同母弟じゃなくて、なんで腹違いの道長を贔屓したのかって事でしょ?
978 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 19:08:38
>>977 詮子と道長はともに藤原中正の娘・時姫が生んだのだから、異母姉弟ではない。(
>>976はそこを指摘している)
>>912 ・テキトーに名付けた。
・悪源太義平に因んだ。
・じつは頼朝の御落胤をもらいうけた。
のどれかと思われ。
981 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 23:41:38
>>965 白河天皇〜白河院は実権を握った【日本政府首脳】だったと
してもいいんじゃない?
>>981 白河院は、堀河天皇親政時には実権がなかったとされてますな。
まぁ、正確に年数を計算して、頼通と比較したわけではないので、
その分を引いても最長かもしれませんが。
983 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 06:08:14
日本史のラスボスは織田信長だと思うのですが
インパクト的にも知名度的にも
984 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 08:17:01
>>983 ラスボスってなんだよ?
お前、ゲームのやりすぎだぞ。頭がおかしくなるぞ。
中公文庫の『日本の歴史』ってどうなんですか?
987 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 10:10:28
二つ質問があります、教えてください。
@日露戦争の旅順攻略のとき、日露双方の軍人の犠牲者数
A盧溝橋事件から始まる日中戦争において、終戦時における双方の軍人の犠牲者数
どうぞよろしくお願いします。
989 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 10:51:08
990 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:30:37
日中戦争による日本軍の死者は41万人、戦傷病者は92万人。
中国のうけた被害は、軍人の死者130余万、戦傷病者約300万人、
民間人の死傷者は約2000万人。
>>990 情報ありがとうございます。
けれど民間人の死傷者数2000万って信じ難いのですけど・・・
993 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 13:19:36
現在、農書としてではなく、軍記として『清良記』は読めるのでしょうか?
994 :
2:2005/04/03(日) 13:31:19
ありがとうございます。
>>990 民間人死者は政府系資料でも1200万程でない?
996 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:25:17
997 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:28:11
>>993 昔大学の図書館で読んだことはあるが、確か地元の地方出版社の刊本だから…。
998 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:46:57
999 :
997:2005/04/03(日) 18:40:07
1000 :
997:2005/04/03(日) 18:41:28
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。