ヾヽヾヽ ヾヽヾヽ
_( ・l>・l> _( ・l>・l>
ミ_ノ_ノパタパタ ミ_ノ_ノ パタパタ
|// |//
| 新スレ /
| START /
| /
| ∧_∧∩
∩( ´∀`)/
( )
(/ω(/
2 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/22(火) 16:53:08
2ゲット
3 :
過去スレ:2005/11/22(火) 16:53:59
そして、語彙主義と反語彙主義の不毛な戦いが続く…
ネオスレッド乙。
>あれはfeature checkingを餌にしたfishingですた
D志社ってどこまで本気なのか分からん。w
だいたいあの手の研究は医学部がない大学では無理やろ。。。
9 :
(´∀`):2005/11/22(火) 21:11:09
油断しとったら新スレ立ってしもうたにゃ
次スレはこれ↓でいこかと思とったにゃが、くそ〜w
There is no lexicon♪
\_______ ________/
∨
∧_∧
目(´∀` ,,)
|| (つ∞> |
|| | | U
|| (_(__)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
(, )(,, ) ,,)( )( )(, )(, )
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
(, )( ) ,,)( )( )( ) (,・ー・ )
AAズレまくっとるにゃ orz
ところで lt;17gt; てのは何かのマジナイかにゃ
>>10 「れきしこん・ふぉーえばー」っていうおまじないにゃ
12 :
Fred:2005/11/22(火) 22:56:31
ちょいと昔に、ある高名な generative grammarianに
Zero Lexiconという考えを追求してみたら面白いと思い
まへんか、と言うたら、
"It sounds interesting, but how do you support the
claim?... how do you falsify it?..."
と返されて、何も言い返せずに痴呆老人みたいになって
しもたことが有馬温泉。何か斬新な提案のようなものを
しようと思うならば、はっきりとしたゴールはもちろん、
その道筋もある程度まで見えていないとあかんというこ
とを再確認した瞬間であったことよノーランズ。
♪ I'm in the mood for マンコ〜♪
>>1 乙
だが、「新スレ START」ではなく「STARTS」なんじゃまいか
あくまで一般論としてにゃが、何かが必要だと主張する側と不要だと主張する側とでは、
当然ながらburden of proofは前者にあるにゃ
たとえばLCSに基づいて仕事している一人ひとりに聞いてみたいにゃが、LCSの存在を
どう証明するのか、ないという人に対してどう反論できるのか、ちゃんと考えた上で
LCSを使っとるんだろにゃ
ただ便利だから、他のみんなもそうだから、というだけだとしたら、いつかD構造と
同じ運命を辿ることになるかも知れん、ということはこの際、警告しておくかにゃ
それはそうと「チョムスキー、民意と人権を語る」(集英社新書)ってのを
買ったのにゃが、チョムにインタビューしとる岡崎玲子って人はまだ20歳だってのに
しっかりしとるにゃー びっくりにゃ
しばらくレイコたん萌え〜w
18 :
Rod:2005/11/23(水) 11:46:12
19 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/23(水) 11:47:52
あんたらチョムスキーと会話したことすらないんでしょ?
会ったことすらないアイドルにやたらと詳しいキモオタみたいなモノよね
>某所の研究会
詳しく
>>19 別に会ったことあるからどうこうということではないにゃが
俺を含めビジターでMIT逝った香具師なら誰でもアポとって話ししとるがにゃ
トイレでバッタリ連れションの件は前にも話したかにゃw
あとチョムは学生の面倒見がよくて、以前某学生@MIT(当時)の就職に際して
チョムが俺宛にrecommendation送ってきたことあったにゃ(遠い目
同じ経験した香具師はたくさんいるはずにゃが、みんないつか値打ちが出ると
思ってそん時の手紙を大事にとってある筈ゃw
そのうちヤフオクに出品すっかにゃww
うはw
>>19の圧倒的敗北・・・見てるこちらがハズカシイw
22 :
仇鱒:2005/11/23(水) 17:32:00
まじでリアルライフがモーレツに忙しく2ちゃんどころではなかった。正直、
最近「仕事とはなんぞや?」と自分に問いかける日が続いている。ま、
そんなことはどーでもいいが、ちょっと時間があるので何か書く。てか、
いろいろ書きたいことがあるのだが、とりあえず、いつものお決まり(w)
ということで顔餅の書き込み@
>>14にレスする。
つーか、書き込みしようと思ったらアク禁くらってた、、、。
23 :
仇鱒:2005/11/23(水) 17:34:11
まずは軽くウォーミングアップから。
前スレで言語学の教科化についてネタふりしたら思いのほかいろんな人から
反響があり正直うれぴかった。自分でネタふりしてこんなこと言
うのもなんだが、正直、言語学にはまだ定説と言えるものがなく義務教育で教
えられるものはあまりないかもしれない。ただ、高校では導入
してもいいとわしは思っている。音楽や美術があるならそれと平行して言語学を
選択科目として設けてもいいと思っている。もっと言うと、今じゃ高校では
情報が科目としてある。つまり、プログラミングの授業だ。人工言語に関する
授業があるなら自然言語を体系的にレクチャーする授業
があってもいいしあってしかるべきだとわしは思っている。世界のどこもまだ
高校で言語学を開設していないのならば日本が率先してやるべきだ。たぶん、
高校で言語学を開設したら15年から20年くらいしたら日本が世界の
言語学会をリードしているのは間違いないと思う。
24 :
仇鱒:2005/11/23(水) 17:35:52
>>14 >ただ便利だから、他のみんなもそうだから、というだけだとしたら、いつかD
構造と
>同じ運命を辿ることになるかも知れん、ということはこの際、警告
しておくかにゃ
D構造とパラレルに論じてもらえるのならLCS厨にとっては最高の賛辞
ではなかろうか。D構造も今となっては不要というか定義不可能ではあるが、
それもホイッグ的歴史観をしてみればの話だ。今のシステムからD構造の有無
を論じてもしょうがない。GBというシステムの中では必要であったし
十分定義可能であり、その当時の世界観では十分有用であったのだ。今の
価値基準からD構造を断罪してはいけないしすべきではない。繰り返
しになるが、ミニマリストとGBは世界が違う。だから、今の見地からD構造の
有無ないし定義可能性を論じても卑怯というかルール違反である。ま、
それはともかく、D構造を破棄することにより、Generative Transformationが
再評価されたり、マージに注目されたりとそれなりの利点があった。同
じように、LCSを仮に破棄した場合、それに代わりあるものが再評価され、
あるものが注目されることになるだろう。まあ、さしずめ、再評価
されるようになったのがGenerative Semanticsであり、注目
されるようになったのがSplit-VP仮説であろう。だから、仮にLCSが破棄
されるとしても、それに代わってこれらのものが再評価され、LCS
もそれなりに意義があったと思う。しかし、それらの評価がそのまま
反語彙主義の評価となるかは意見の分かれるところであろう。ただ、前にも書
いているように、反語彙主義的なアプローチでうまくいくのはまさに非対格性と
非能格性を扱ったものに特化されるような気がする。つまり、動詞の特性
はうまく捉えることができると思うのだが、それを他の範疇にまで適用
するのはたぶん間違いだと思う。動詞が派生的に非対格になったり非能格
になったりするのは正しい方向だと思う。実際、わし(を含めた仇鱒組)
もそれが(おおむね)正しいと思っている。ただ、範疇を決定する機能範疇
のようなものを設定したりするのはちょっとやり過ぎだとわしは思っている。
25 :
仇鱒:2005/11/23(水) 17:36:50
>あくまで一般論としてにゃが、何かが必要だと主張する側と不要だと主張
する側とでは、
>当然ながらburden of proofは前者にあるにゃ
たしかにそうだが、顔餅というか反語彙主義陣営には、LCSが不要だという
根拠を出すとともに、シンタクスでLCSの効果を全て出せるということを提示
する説明責任がある。しかもLCSよりパワーアップしたものを提示する必要
がある。実際それが顔餅というか反語彙主義にはできているのかが問
われているのだと思う。
てなことで、こさかなの弟分、代理書き込み乙でつm(_ _)m
26 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/23(水) 20:41:41
>>1 <17>ってしたかったわけね。
less than;17greater than;って文字化けしちゃってるけど。
>>仇
たまに出てきたと思ったら脱力感にあふれるトホホなレスありがとさんにゃ
×Generative Transformation → ○Generalized Transformation
実際には単にLCSが必要か不必要かという問題ではなく、LCSを必要とする
(あるいはLCSの存在を許す)理論と、それを不要とする(存在を許さない)
理論の比較になるにゃ 俺の場合は正確には
>LCSが不要だという 根拠を出すとともに
不要なのではなく定義不可能な枠組みを採っているということだけどにゃ
で、この枠組みにはこれこれというメリットがあるというのを、俺のこれまでの
先行研究でもやってきたつもりにゃ
>LCSよりパワーアップしたもの
たとえば中間動詞の特性の説明にゃが、語彙的に見ていたのではただ中間動詞
とはこういうもんだとしか言えなかったのが、なぜそうなのかに対する構造的
説明が可能になる、といったあたりだにゃ
しかし
>シンタクスでLCSの効果を全て出せるということを提示
これまでLCSを使って行われた研究のすべてを俺が調べ上げることは不可能
にゃから、これはLCSを使わなければ扱えないというのがあれば、それをむしろ
LCS陣営にどんどん出してもらいたいにゃ それがLCS陣営のburdenにゃ
それはほんとにLCSなしでは扱えないものなのか、じっくり議論しようではないか、
と対話を呼びかけとるわけにゃが、それに応えようとせず、最初からLCSがあると
決めつけている連中はいかがなものか、とまあ、そんなとこにゃ
それはそーと、ブラナイのnew DVDをゲトしたので、そのうちコピーして送ってやるにゃん
29 :
仇鱒:2005/11/24(木) 11:01:08
>>27 >×Generative Transformation → ○Generalized Transformation
やべっ、、、。タイポしてた、、、。
>理論の比較になるにゃ
まあ、ケンキュウつーのは理論なり仮説の性能性の比較だからそれはそうだが、
まあ、正直そう簡単に優越つくようなもんじゃないと思っている。顔餅に
送ってもらったブツを最近ようやくヤフオクから買い戻し読み始めてみたが
(w)、やっぱり気になるのがvの扱いなんだな。いや、vだけのハナシでなく、
n、a、pについてもいえる。あるいは、もし機能範疇の「語彙意味」も派生的に
生成されるのであれば、cやdについてもいえる(機能範疇の生成方法については
実際顔餅というか反語彙主義陣営はどう考えているのだ?)。つまり、そもそ
もverbalizerとかadjectivizerとかprepositionizerみたいなものが本当に必要
なのか、というのがある。もちろんそのような考えが昔のチョムの論文
にほのめかされていてそれなりの後ろ盾があるのかもしれないが、やはりかなり
イケイケドンドン♪ぽさを感じる。昨日も書いたが、反語彙主義的な
アプローチは動詞には適用できると思う。だからといってnull hypothesisを適用
させて名詞や形容詞や前置詞にまで適用させるのはちょっとな〜
というところがある。てか、そもそも範疇を決定するverbalizerと
かadjectivizerとかはそもそも何なのか、というのがある。いわゆる機能範疇
なのだろうか、、、。それとも擬似語彙範疇なのだろうか、あるいは
擬似機能範疇なのだろうか、、、。それとも語彙範疇でもない機能範疇でもない
第三のタイプの範疇なのだろうか、、、。
30 :
仇鱒:2005/11/24(木) 11:02:25
もしニュータイプの範疇なのだとしたら、反語彙主義はレキシコンを簡素化するといいながら新しい
範疇を導入していることになるし、統語構造もやはり今まで以上に複雑化
させていると言わざるをえないと思う。実際にJohn hit herなんていう簡単な
文でも、JohnはJohnでガチャガチャ統語派生を経て生成されなくてはならない
し、herもherでいろいろコテコテした派生を経ないと生成されないといけない。
というか、反語彙主義のアプローチだと、そもそもJohnという語がレキシコン
にはたぶんないと思うのだが、Johnはどうやって派生されるのかな。√JOHN
みたいのがまずあって、それがnominalizerといっしょになってそれで音韻出力計
でたまたまJohnとなっているだけにすぎないのか、、、。とにもかくにも、
レキシコンをダイエットさせてシンタクスの贅肉をさらに落とすべく提案
されたのが反語彙主義だと思うのだが、結果がその逆になっていると思
うのはわしだけだろうか。
31 :
仇鱒:2005/11/24(木) 11:03:43
>たとえば中間動詞の特性の説明にゃが
顔餅のラインだと、中間動詞は動詞を3つに分割して、それで中間動詞を派生
させている罠。つまり、uP-vP1-vP2-VPと3つの動詞句(というか実際は4つの
動詞句)を「巧みに」つかって中間動詞を統語的に派生というか生成
させている。たしかにそうやれば「うまく」中間動詞の生成が説明
できるかもしれない。でも、今度は能格動詞の場合はまた別の統語構造というか
動詞の構造(uP-VP2-VP)を想定しないといけない。そして、他のタイプの動詞
ではまた別の統語構造というか動詞の構造を想定しないといけない。で、結局、
顔餅のシステムだと、レキシコンはスッキリしたかもしれないが、やはり
シンタクスが今まで以上にゴチャゴチャしてきた感
がどうしてもぬぐいきれない。で、これと同じ事が名詞や形容詞でも起
きているとしたらもうシンタクスはすんごい状態だと思う。で、もうちょっと言
うと、上で見た中間動詞の例をとるが、実際、中間動詞として使われているbreak
はどうやって動詞に統語的に「変化」しているのだろうか。vも2つにスプリット
されてしまっているし、2つのvを経由しないと動詞になれないのだろうか。
もしそうだとすると、能格動詞の場合はvが一つしかなくて(v1が欠けている)
能格動詞は動詞になれなくなってしまう。
32 :
仇鱒:2005/11/24(木) 11:05:20
>対話を呼びかけとるわけにゃが、それに応えようとせず、
まあ、そうだな。で、もし対話というかガチになったらその時はわしは行司
になってやろう。で、前にも質問してそのままスルーされてしまったのだが、
たとえばLCSではいろんなsemantic predicateが提案されているよな。たとえ
ば、INCHやらACT-ONやらなにやらた〜くさん。で、こういったものもシンタクス
で扱うとしたらさらに動詞を分割することになるのだろうか。
>それはそーと、ブラナイのnew DVDをゲトしたので、
>そのうちコピーして送ってやるにゃん
をーーーーっ!顔餅サンタがわしのうちにやってくるーーーーっ!
ということで、もうあんまり顔餅ツッコムのやめよっと♪(←ウソウソ
プレゼントくれるというからちょっとリップサービスしてやると(w)顔餅
の本、まあ簡単な本ではないし分かりやすい本ではないが、第1章と第2章は読
んで損はないかもしれない。てか、第1章と第2章はココでわしとガチ
していた時のことがそのまま書かれていて、わしは遠い昔を振り返
るようでちょっとノスタルジックしてしまった。残りのところはちょいと
コテコテとうかガチャガチャしていて人によって好き嫌いが出るところだな。
33 :
仇鱒:2005/11/24(木) 11:05:56
てか、上で噂になっている岡崎タソって、わしと出身がモロいっしょだ。
もしかしたらわしといっしょの中学校に逝っていたのかも、、、。
>>28 リンク・レイ?わしその人知らなかった、、、。誰なんだ、、、。
てか、Fred師匠!先日ちょっとしたヴィンテージもののストラト買いますたー。
もしわしが誰だか分かってるなら(てか100%バレてる罠)、わしの
ホームページのトップページじっと見てるとしばらくするとストラト写るよー。
カラー写真のヤツでつ。てか、Fred師匠、マジで師匠が昇天
するようなことがあったらその直前にわしにmartin譲ってくれ(←半分マジw
もちろんタダでwww
てなことで、こさかなの弟分、代理書き込みありがとうございまつ
(ぺこちゃん♪
34 :
Fred:2005/11/24(木) 13:51:42
フッフッフッ、愚か者めが。そちの「びんてっじぎたー」
にはとっくの昔に気づいておったわい。乾燥木でええ音がす
るんやろうなー。A→D→A→E→D→Aと進行する古典的なブル
ースフレーズをピックを使わずに指で弾くのには最高やな。
わてもリップサービスすると、ISBN4327257060の内容は、
同じシリーズの中でも群を抜いていると思うで。シリーズ2
もなかなかなんやが、あれはちょっとクドイしな。
以前のカキコでも触れられとったけど、Aradの観察にも着
目している点など、具体と抽象のバランスも悪くないと感じ
た次第でアルディメオラ。高速オルタネイトピッキングじゃ。
35 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/24(木) 18:31:23
このスレで話題になっている顔文字先生の中の人が書かれた本って
本人に直接交渉したら安く売ってもらえるとかないんですか?
そのうちイ九鱒がアマゾン・マーケットプレイスに出すから待て
>>35 大学の近所のブックオフを探すほうが安いよ
増刷は絶っ〜対ないから、早く買った方がいいぞ!
なんにゃ、ま〜たジサクジエン疑惑かにゃ えーかげんにしとけゴルァ
ま、おまいらがここでネタにしてくれたお陰で、amazonの同シリーズ売れている順番で
1位になりますたw
>>34 Fredしゃんの身元が分かっとたら謹呈させてもらったのに、残念だったにゃ
>同じシリーズの中でも群を抜いている
同じことを編者の一人が言っとったにゃが? まさかにゃ、にゃっはっは
>>30-
いたいけな愛読者の素朴な疑問に答えてやるかにゃ
まず統語操作そのものは最大限に簡潔化されておるから、その連続適用がいかに
多層的な階層構造を作ろうが、syntax自体が複雑化していることにはならないにゃ
この点は、こないだのエーゴ学会でもちょっとだけ触れたにゃが、Culicover & Jackendoff
にゃんかはVP内部を完全にflatにしてしまい、そのほうがsyntaxがsimplerだと言うのにゃが、
これはsimplicityの意味をはき違えた議論で、派生モデルではflatなVPを作るほうが
むしろ複雑な操作になるにゃ
さらに統語構造と概念構造のマッピングを考えれば、flat VPから階層的CSを出すリンキング
規則みたいなのをどのみち用意せんといかんにゃが、split VPではCSの一部はすでに
統語構造内に実現されているから、このマッピングを簡潔化することにもなるわけにゃ
インターフェイス条件の最適解ということの一つの意味を、このマッピングの最大簡潔化と
いうところに求めているのが反語彙主義の思想でもあるにゃ
で、新たな機能範疇を設ける点で一見、レキシコンが大きくなるようにゃが、たとえば
1コの機能範疇さえあれば、何十、何百という自他の対をレキシコンで指定する必要が
なくなる、というふうに考えれば実際にはレキシコンが飛躍的に軽くなっとることは
分かるにゃろ
Hale & Keyser が外項をレキシコンから追い出してsyntaxで導入したのも、すべての
外項を取る動詞についていちいちそのことを列挙することの不経済さを回避する効果が
あったわけにゃ
それと中間動詞に関して言えば、その分析のためだけに新たに導入した理論装置は
なにもないという点にチューイにゃ
あの枠組みでは使役動詞や他動詞一般の分析上、どのみち必要になるものだけしか
使っておらんわけで、その意味でちょうど構文などというものはないというのと
同じようにして「中間動詞などというものはない」という結論が導きだせたわけにゃ
>機能範疇の生成方法
機能範疇とルート部分がレキシコンにあり、両者をシンタクスで組み合わせれば語彙範疇
の出来上がり、といったDMラインだにゃ
機能範疇自体は形式素性の束であるから、この素性のmergeまでシンタクスでやっても
いいのにゃが、それはtrivialな部分にゃから触らずに置いてあるのにゃ
もしそこも徹底すれば lexicon = universal feature pool ということになるだろにゃ
>Johnはどうやって派生
syntaxでは素性の束しか見ないから、「John」も「太郎」も「Pierre」もsyntax内では
同じもんにゃ これらを分けているのは文法ではなく個別言語ごとのvocabularyだにゃ
>LCSではいろんなsemantic predicateが提案されているよな。たとえ
>ば、INCHやらACT-ONやらなにやらた〜くさん
概念構造の表記に使っているだけにゃろ
統語計算上必要だという積極的な議論があるかにゃ?
>第1章と第2章は読んで損はない
正味、一番言いたかったことは1章に出尽くしておるにゃ
2章以降は1章に附された長〜い脚注みたいなもんにゃ
>Hale & Keyser が外項をレキシコンから追い出してsyntaxで導入したのも、すべての
>外項を取る動詞についていちいちそのことを列挙することの不経済さを回避する効果が
>あったわけにゃ
この論理でいくなら、内項を取る動詞についていちいちそのことをレキシコンに書きこむより・・・
という議論も可能になるんでしょ〜か?
>>44 ウーム、その辺はどうなんでゲショウか?
syntaxがやってる基本作業をmergeとすると、内項は動詞とhead-complementの関係に
なって、派生の最初の作業となるので、外項の取捨とはちょっと基本性質が違うような
気がするんですが。それはさておき、アンチ語彙の立場のわたすの理解は下記のような
もんです。
ラベルも表示も全て廃止で、relation蚤の計算を計算機能がしているとすると、relationの計算
の基礎となるのは二つの計算対象物で、この二つをくっ付けると。で、外項の導入なんてのは
わざわざ、基底で位置を指定されているのではなく、内項と動詞のcomplexとのmergeに適う
相手として登場してくるのであるという方向へ話をすすめたいんじゃないかと。
で、ヤヤコシイのは語が一つの計算単位として統語派生の最初から登場してくると、ぬめれーそん
の段階で、二つの構造を作り上げることができる「語の組み合わせ」がある。計算機能が先読みできない
という前提にたつなら、二つの構造の違いは、語彙に付与されている情報のせいで派生が異なる
だから語彙に情報が必要となる。
アンチ語彙から言わせれば、そんなものは二度手間で、構造が異なるなら派生も異なる。だったら最小計算対象
をもっと小さな単位に引き下げるのが妥当で、説明のために理論装置を作るのはオッカムの剃刀違反じゃないの
ってとこなんですかね
(´∀`)の仲間来たーーーーーーーーーーーーー
まあ、あのシリーズはひどいのが多いからな、顔文字のがちょっとよく見えるだけ。
それにしてもあのシリーズの邪険度不を扱った本はひどくね?
48 :
仇鱒:2005/11/25(金) 19:27:00
アク禁解除された。
こさかなの弟分、いろいろお世話になった。シェシェ m( _ 中国 _ )m
>>41 >いたいけな愛読者の素朴な疑問に答えてやるかにゃ
わしは「いたいけな愛読者」だったのか、、、。そうだったのか、、、。
>Culicover & Jackendoff
いいたいことは分かる。だが、正直、C&Jの言
いたいことというかやりたいことも分かる。
C&JがVPをsimperにしてsimpler syntaxを構築しようとしているのは自然な流れだと思う。
これまでなんでもかんでもシンタクスで説明しようとして、その結果
シンタクスは機能構造だらけになってしまった。しかもVP周辺がキモイほどダブ
つき始めた。まあ、わしに言わせたら50台のビール腹みたいなもんだ。
ようするにVPを極限までスプリットしたその帰結だ。最近ではVPスプリット
するだけでは飽きたらずTP界隈もスプリットしだしその結果チンクエの
機能範疇爆発状態である。正直、あそこまでやられると「をい、チンクエや、
それネタだよな?」と言いたくなってしまう。ま、それはコッチに置いといて、
そのような機能範疇ダブ付き状態をなんとか打破しようと思ったらVPをフラット
にするしかないだろう。まあ、ようするに、GBスタイルへの先祖返りだ。で、
もうちょい言うと、前にも書いたと思うしわしも拙著でいろいろ書
いているのだが、機能範疇というものの存在意義を今一度考えてみる必要
があるともわしは思っている。ぶっちゃけたハナシ、TPやらCP
なんかもないかもしれない。生成はBarriersになってからキモ路線
にまっしぐらになった。ようするに、SとS'にまでnull hypothesisを適用
させてこいつらにもX'式型を適用したのがそもそもの間違いだとわしは
思っている。まあ、そんなこんなでC&JもBarriers以降のイケイケドンドン♪
路線を反省して初心@GBに戻ったといったところではないだろうか。いや、
よく分からんが。
49 :
仇鱒:2005/11/25(金) 19:27:51
>flat VPから階層的CSを出す
そもそもCSがハイラルキーをなしているのだろうか、、、。ハイラルキーを成
しているのはLCSになってからで、CSそのものはハイラルキー
をなしていないと思う。もしそうならばVPはフラットでも十分で、むしろ
フラットである方がCSにすぐにマップできると思う。
>インターフェイス条件の最適解
もう少し突っ込んでハナシをしよう。概念的必然性なりインタフェイスからの
要請なり、そういった条件が統語構築物のレゾンテールに要請されるとしよう。
そうすると、もちろん、反語彙主義で仮定されているverbalizerと
かadjectivizerとかperpositionizerみたいなものとかuPにも、そのような要請
が科せられるはずだ。で、実際のところその辺りのハードルはちゃんと越
えていると言えるだろうか、、、。単に理論上必要であるというだけで設定
というか仮定していないだろうか。つまり、セオリーインターナルな議論から
要請されるだけで、実は概念上の必然性であるとかインタフェイスからの養成
といったものは全然ないという可能性はないだろうか。ていうか、J&C
もこういったことをシリアスに考えた結果「シンタクスをもっとシンプル
にしよう!」ということでSimper Syntax Hypothesisを提言し始めたわけだ。
つまり、「これまでの生成はあまりにもセオリーインターナルな議論のみで
統語的なオモチャをあれやこれや作りだしてきた、ごめん悪かった。反省
するm(_ _)m」ということで、自分たちのつくってきたオモチャを一掃しようと動
き始めてきたわけだ。で、わしも前からよく言っているが、そういったJやC
の考えというか方向性にとてもシンパシーを感じるわけだ。てか、JやC
がわしの考えに近づいてきたと言うべきかな。ははははは。
50 :
仇鱒:2005/11/25(金) 19:29:04
>>42 >Hale & Keyser が外項をレキシコンから追い出してsyntaxで導入した
もっと推し進めると、外項の生起をコントロールしているEPPもシンタクスから追
い出すべきだとわしは思っている。というか、EPPがシンタクスの問題だという
呪縛から離れられないからEPPの問題が解けないし、グダグダとワケワカラン
統語装置を設定せざるをえなくなっていると思う。EPPはおそらく
シンタクティカルに定義するのは不可能で、それを今まで無理
してやっているからトートロジカルな定義しか出せないのだと思う。で、結局、
主語(というか外項)があるからEPPがあるのかEPPがあるから主語(というか
外項)があるのかグルグルグル・グルグルグル・グ〜ルグル〜♪(by ピタゴラスイッチ)の状態になってしまっている。
>>43 >機能範疇自体は形式素性の束であるから、この素性のmergeまでシンタクスでやっても
>いいのにゃが、それはtrivialな部分にゃから触らずに置いてあるのにゃ
いや、トリビアルではないと思う。もしレキシコンで素性のマージ
をするとなると、レキシコンにはそれなりの構造を想定
しなくてはならなくなる。そうなると、LCSだけでなく下手をするとFCS
(Functional Conceptual Structure)のようなものまで設定
しなくてはならなくなる。かといってシンタクスで機能範疇を
デリベイショナルに生成しようとすると、complementizer(←そのまんま)と
かdeterminizerとか、uPの主要部をつくるためのu-erとか、あと、vやnやaやp
をつくためのナントカ-erとかいったメタ的な機能範疇がジャンジャン出
てきてしまう。と、まあ、機能範疇をどこでどう作るかは顔餅が言うような
トリビアルな問題ではないとわしは思う。
51 :
仇鱒:2005/11/25(金) 19:29:57
>「John」も「太郎」も「Pierre」もsyntax内では同じもんにゃ
その程度の盲目さはわしも許す。シンタクスは座頭市だとわしは
思っているぐらいだからな。でも、√JOHNとか√太郎とか√PIERRE
みたいのまで持ち出さざるを得ないようなシステムはちょっといくらなんでも
サザエさんだとわしは思う。
てか、藻前ら、例のモノグラフシリーズとかってマジで読んでるの?わし正直
マジになって読んだことないんだけど、、、。ジャーナル読んだり雑務
こなしていたらあんなものまで読んでる時間しょうじきわしにはないぞ、、、。
まぁ私は学生なので、時間はチョットはあるんです
>>45 にゃかにゃか分かってるにゃ
>そんなものは二度手間で
先にも言ったにゃが、各動詞のLCSや項構造にあらかじめ文やVPの原型を仕込んで
おくというのは、まるっきしホムンクルス的発想なわけにゃ
特にLCSをH&KのLRSのように統語的構造として表現すればそのことは明らかだにゃ
ではそのような統語的構造はどこから生じるのか、s-syntaxとは別にl-syntaxなる
ものがあるのか、むしろsyntaxは一つであり、これが文と語とを問わず言語の生産性を
保証していると考えることはできないか、という問題提起を反語彙主義はしておるにゃ
>>47 随分偉そうな香具師だにゃw
一言弁護しておくと、あのシリーズは高校生でも読めるようなものを、とか、理論的な
部分を少なくして実例をたくさん、とか、いろいろ制約かかっとったのでみんな苦労
したんでないかにゃ
俺はそんなものは当然無視だけどにゃ、にゃははは
>>48 >正直、あそこまでやられると「をい、チンクエや、それネタだよな?」
ほー、で、CPを4分割ってのは誰のネタにゃ?
やはり結果としてできる構造の複雑さと部門や操作自体の複雑さを混同しとると思うにゃ
そんなこと言い出したら、無限に埋め込み構造を作れるようなシンタクスは複雑過ぎる
ってことになってしまうにゃろ
それに機能範疇の爆発はレキシコン内で起きているのであって、シンタクスの問題ではないにゃ
>>49 >そもそもCSがハイラルキーをなしているのだろうか
C&Jはそう考えとるにゃ
syntax plays the role of a mediator betweeen the linearly ordered phonological string
of words and the highly hierarchical but linearly unordered structure of meanings (p.18)
それからC&Jはレキシコンについては語をsyntaxへの入力とは見ない点で、むしろanti-lexicalist
でもあるにゃ
a word is instead conceived of as a piece of the interfaces between phonological,
syntactic, and semantic structures (p.19)
>verbalizerと かadjectivizerとか
CSに関してはヒト固有ではなく程度の差はあれ他の生物種にも見られるものであると
いう点では俺もC&Jも同じ見方をしてるにゃ
一方、このCSを言語化する際には、名詞とか動詞とかいった統語範疇化が要請され、
これはヒト固有であり、FLNに属すると考えられるにゃ
つまりverbalizer等がなければ人間言語はそもそも成立しないというわけにゃ
基本的なことを確認しておくと、レキシコンですでに与えられているから、という
のは問題の回避に過ぎないのであって、語はどこからやってきたのかについては
lexicalistであろうがanti-lexicalistであろうが、ちゃんと考える必要があるにゃ
anti-lexicalistはその答えを統語派生に求めているにゃが、lexicalistは思考停止状態、
最初からレキシコンにあるんだからそれ以上考えなくてもいいじゃん、と言っとるわけにゃ
>>50 >外項の生起をコントロールしているEPP
意味不明w
>シンタクスで機能範疇を デリベイショナルに生成しようとすると
仮に各機能範疇を構成するのは3種の素性であるとすると、binary mergeの連続適用
により [ F3 [ F2 F1 ]] みたいな素性の階層性ができるにゃ
するとこの機能範疇がprobeとして働く際、F3が優先され、F1やF2とagreeしても
F3とはagreeしないようなgoalの検出が起きないかも知れんにゃ
つまり次の構造で、K attracts β beyond αと、 MLC違反が許容されるわけにゃ
K[ F3 [ F2 F1 ]] ... α[ F2 F1 ] ... β[F3]
そのようなストーリーの研究が以前からあったように思うにゃが、もし正しいとすると
これはfeatural mergeを支持することになるんでないかにゃ
>vやnやaやp をつくためのナントカ-erとかいったメタ的な機能範疇
機能範疇自体の形成にナントカ-er = lexicalizerはいらんにゃろ
>>51 >√JOHNとか√太郎とか√PIERRE
素性で見ればこれらは全部同じであって、個別に別個のルートを立てる必要なしにゃ
57 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/26(土) 01:23:42
いつのまにか、仇松タンがもどってきてる。
ホームページの写真が変わってた!!!
なんか、渋いおっさんにグレードアップしてますたw
でも、大学なのに、学位論文の指導をしないなんてことが許されるの?
では俺からも質問ちゃんにゃ
>>48 >SとS'にまでnull hypothesisを適用させてこいつらにもX'式型を適用したのが
>そもそもの間違い
C head と Spec-CP の区別は S' → COMP S ではどうするにゃ
>機能範疇ダブ付き状態をなんとか打破しようと思ったらVPをフラット
>にするしかないだろう
で仇流のflat VPでは、どの項が文主語になるのかはどこで決まるのにゃ
(答え方次第でさらに質問が続くからチューイにゃ)
人相悪ッw
しかし写真の下の英語を読むと、やはりlexiconはいらんってこったにゃ、にゃはははは
60 :
仇鱒:2005/11/26(土) 10:01:48
>>53 >まるっきしホムンクルス的発想なわけにゃ
それを言うならニューメレイションはモロにドモホルンリンクル的発想だ。前
にも書いたが、ニューメレイションは壮大な自作自演装置であり、まさに、
ニューメレイションこそが偉大なる先読み装置である。そういった意味では、
シンタクスのホムンクルスがまさにニューメレイションだと言えよう。で、顔餅
というか反語彙主義陣営にまた質問しちゃうが、反語彙主義陣営では
ニューメレイションの位置づけはどうなるのだろうか。たぶん、反語彙主義は
システムそのものはミニマリストにおんぶにだっこ状態だから
ニューメレイションを仮定していると思うのだが。というか、仮定
せざるをえないと思うのだが。その場合、反語彙主義的にはニューメレイション
の中には何が入っていることになるのだ。たぶん√ナンタラコンタラとか
ナンタラコンタラライザーとかでてんこ盛り状態だとは思うのだが。
>俺はそんなものは当然無視だけどにゃ、にゃははは
てか、顔餅はあの本はどんな読者を想定して書いたのだ。初心者
にはかなりきつい内容だと思うし、かと言ってプロ指向というわけでもないと思
うし、、、。つーか、どう考えても読者としてわしを想定しているのは明
らかだな。w たぶん、顔餅はあの本書いているときわしの顔がチラチラ
よぎっていたに違いない。てか、あの本読んでいてわしへの愛がビンビン伝
わるのはわしの気のせいだろうかww
61 :
仇鱒:2005/11/26(土) 10:03:00
>>54 >ほー、で、CPを4分割ってのは誰のネタにゃ?
うっ、、、、。てか、お決まりのツッコミだなw まあ、でもあれを書いていた
当時(というか、あれがベースになっているアーティクルはもうかれこれ10年
ほど前に出ているが)はあれがベストだと思っていた。でも、ミニマリストの
逝け具合をつぶさに見るにつけ「あ、もしかしたら方向性間違っている鴨」と思
いつつある今日この頃であったりする。とは言うものの、わしのsplit CPと
チンクエのスプラッター振りは比較にならないと思う。マジであんなにIPとVP
を切り刻んでハァハァしてしまうチンクエは生成のスプラッター野郎である。
てか、チンクエのあの機能範疇の乱発ブリは構造言語学も真っ青だ。
>無限に埋め込み構造を作れるようなシンタクスは複雑過ぎる
いや、そういう風にはわしは思っていない。だから「混同」はしていないから
心配ご無用だ。で、ついでだから語っちゃうが、統語構造の再帰性に関しては、
やはりああだこうだ言ってもX'式型がうまくとらえているとわしは思う。
もちろんX'式型のアドホックさというかポストホリックさはコッチに置
いておいてのハナシだが。で、何を語りたいかというと、語彙範疇と機能範疇
のX'式型である。わしは昔から思っているのだが、語彙範疇に本当に指定部が
必要なのだろうか、と思うのだ。指定部は原則移動のホストポジションであり、
その意味では機能範疇にだけあればいい。まあ、こういった問題もマージを
ベースにした発想なら出てこないのではあるが、それにしても指定部の
ステイタスが気になる今日この頃である。といいながら、実はわしなりに答えは
用意してあるのだが。
62 :
仇鱒:2005/11/26(土) 10:04:03
>C&Jはそう考えとるにゃ
いや、それは違うと思う。顔餅が引用したところは、ただたんに「シンタクスは
音と意味をつなぐノリシロみたいなもんだよ」と言っているだけで、ようする
にmeaningsというのはいわゆるsemanticsのことだと思う。だからそのmeaningsに
ハイラルキーがあって当たり前であるしあってしかるべきだ。わしが問題
にしているCSというのは言語化される前のケオティックな言語以前の概念
のことである。
>それからC&Jはレキシコンについては語をsyntaxへの入力とは見ない点
これもちょっと違うと思う。CもJもトリパーティティ・システムを仮定
しているわけだ。つまり、音韻部門と統語部門と意味部門といった自治権を有
したコンポーネントを想定しているわけだ。で、レキシコンというのはそもそも
コンポーネントではないわけだ。つまり部門ではないわけだ。
だからしょうがなくレキシコンは外郭団体のような扱いをするしかなく、それで
仕方なく語を音韻部門と統語部門と意味部門の接点に置いているのにすぎない。
だから顔餅の引用を元にしてC&Jが反語彙主義を擁護
しているとするのはあまりにも赤日新聞的である。
63 :
仇鱒:2005/11/26(土) 10:05:07
>>55 >このCSを言語化する際には、名詞とか動詞とかいった統語範疇化が要請され
ていうか、CSを言語化するのに必要なのが、まさにLCS
ぽいものだとわしは思う。verblizerとかprepositionizerとかがあったところで
十分な言語化は不可能だとわしは思う。やはりLCS的なもの、
つまりもうちょっと芳醇な前言語的というか前統語的な統語システム的なものが
必要かと思う。とはいうものの、何度も断っているが、わしはLCS厨
ではないが。
>語はどこからやってきたのか
まあわしとしては研究の方略としても現実問題としても分業というのが本来の在
り方だと思っている。ようするに、語と語をくっつけて文をつくるのは
統語部門の仕事、形態素をくっつけて語をつくるのは形態部門の仕事。
ようするに、小ネズミ政権が提唱するワークシェアリングは言語システムでは
極力避けるべきだとわしは考えている。だからと言ってインタフェイスの問題
をないがしろにするつもりはミジンコもない。分業とインタフェイスの問題は分
けて考えられるし、それぞれ独立して真剣に考えないといけない。
64 :
仇鱒:2005/11/26(土) 10:06:09
>>56 >つまり次の構造で、K attracts β beyond αと、 MLC違反が許容されるわけにゃ
>K[ F3 [ F2 F1 ]] ... α[ F2 F1 ] ... β[F3]
具体的にどんなデータがあるだろうか、、、。たしかに過去にこのような
データを扱った論文があったように思うが思い出せない、、、。
>機能範疇自体の形成にナントカ-er = lexicalizerはいらんにゃろ
てか、機能範疇もデリベイショナルに生成されるのであれば、lexicalizerの
カウンターパートであるfunctionalizerといったものもあってしかるべきだ、
ということなのだ。もしそうなると、統語構造には範疇の数だけα-er
だらけになり大変な状況になりはしないかと。ま、そんな余計な心配
をしてしまったりするわけだ。いちおうわしは顔餅の本の愛読者だからな。w
ww
>>√JOHNとか√太郎とか√PIERRE
>素性で見ればこれらは全部同じであって、個別に別個のルートを立てる必要なしにゃ
顔餅の言わんとしていることは分かる。が、「個別に別個のルートを立てる必要
なし」ということの真意が理解できないのだ。顔餅の論法からすると、Johnも
太郎もPierreも仇鱒もみんなレキシコンでは同じ名前というか同じ人物
になってしまう。いくらなんでもそりゃねぇーだろ、ということである。
65 :
仇鱒:2005/11/26(土) 10:07:05
>>58 >C head と Spec-CP の区別は S' → COMP S ではどうするにゃ
どうすっかなー。てか、もう完全にCPシステムにどっぷりつかってるから直
ぐに答えはでないが、まあ、でも昔は区別がなかったからこそラブリ
〜・フィルド・コンプ・フィルターという便利なものが有効
であったわけだしな。それを今では素性の照合でコムズカシクして考
えているわけだが。てか、方言によってはCP-specとCompの両方が埋まっている
ケースもあるようだが、そういったケースをどのくらいマジメに考
えたらいいかだな。あまりそういう特殊なケースをマジに考えてシステム全体を
構造改革するのもちょっとな、、、というのが正直ある。つーか、やはり特殊
なものは特殊なものであり特別に扱うべきであり、それを中心にシステム全体を
構築すべきではないとわしは思っている。どうでもいいハナシだな。スマソ。
>で仇流のflat VPでは、どの項が文主語になるのかはどこで決まるのにゃ
いやー、方向性としてはいいだろうという程度にしか考えていないから具体的
にどうこう言うことはできないが、まあ、いずれにせよ、項構造やら
語彙概念構造やらそういった擬似統語構造というか統語構造風味の効いた写像
システムが何かしら必要になるだろうな。
66 :
仇鱒:2005/11/26(土) 10:08:12
>>52 >まぁ私は学生なので、時間はチョットはあるんです
光陰矢のごとし、寸暇を惜しんで勉学に禿むよーに。こんなところ覗いている暇
があったらしっかりベンキョーするよーに。学生の時にあんまりいい加減な
ベンキョーしてるとオヤジになってから痛い思いするぞ。てか、わしが学生
のときは日本語で読むものといったら新聞ぐらいしかなかったけどな。
勉強関係は全部英語で読んでいたけどな。最近の院生とかは日本語で書かれた本
とか論文も読むのか、、、。そのくらい大学院にも「ゆとり教育」が浸透
しているのか、、、。
>>57 >いつのまにか、仇松タンがもどってきてる。
前スレからちょいとカムバックした。あまりにもスレが荒れてきたから
前風紀委員のわしとしては黙ってられなくてな。
>なんか、渋いおっさんにグレードアップしてますたw
まだ髪の毛のグレー度はアップされていませんが、何か?
67 :
仇鱒:2005/11/26(土) 10:09:11
>でも、大学なのに、学位論文の指導をしないなんてことが許されるの?
いや、仇鱒研究室に学生はいるし学位論文の指導もしてる。でも、積極的に
学生の募集はしていないということだ。というのも、藻前さんも分
かっていると思うが、わしの職場はちょいと特殊だ。必ずしも理論言語学
をやりたいやつが入ってくるガッコウでもないしそういうガクブでもガッカ
でもない。だから、ときどき勘違いしてわしのところに弟子入りを申し込
んでくる学生がいる。まあ、そういうこともあって積極的に学生の募集
はしていないということ。で、まあ、ガッコウでハードシンタクスのハナシとか
セマンティカルなハナシができないからストレスが溜まりまくり、ここで
ストレス解消しているわけだ。ははははは。てか、マジで、わしみたいに
根っからの生成人間がガッコウでゴリゴリの生成レクチャーできないのはほんと
体に悪い。
>>59 >人相悪ッw
そ、そうか、、、。あれでも「お兄ちゃん」ぽいのを選んでうpしたのだが、、、。
68 :
52:2005/11/26(土) 18:37:57
>>66 私は陰性でなくギャグ部学生だったりします。
なので、学部学生や、院進学希望者に対して
仇ます先生が望むことを、よければ教えてください
(日本語で書かれた本といえば、仇ます先生の本は
4.5冊ほど読みましたですよ)
69 :
仇鱒:2005/11/26(土) 19:26:24
今日は白麒麟(発泡酒)だ。安物のビールだがうまい。
>>68 >私は陰性でなくギャグ部学生だったりします。
そっか、ギャグ部生なのか、、、。それにしても大したもんだな、
こんなところでもお勉強とは末は博士か大臣だな。ははははは。
>仇ます先生が望むこと
ちょいと真剣にレスすると、まあ、将来何になろうとしているか知らないが、
とにかく教員免許だけはとっておくべきだと思う。先立つものは免許
だったりするからな。あと、もし将来ケンキュウシャ
になろうとしているのなら、まあ、専門の言語学はちゃんとやるのは当たり前
だとして、とにかくありとあらゆることに関心を持つことだな。ようするに
知的好奇心を常に高めておくことだな。政治しかり、哲学しかり、生命科学
しかり、文学しかり、何に対しても高い好奇心を抱いておくことだ。そして、
いろんな学問に触れる中で自分のバックボーンとなる物の考え方を体得
することだな。ま、ようするに己の哲学を自分の手で勝ち取ることだ。で、
もっと言うと、頭なんかよくなくていいから柔軟な思考ができるように努力
しておくことだな。ようするに、この先学問でも実生活でもどんな
パラダイムシフトが訪れるか分からないが、どんなシフトにも対応できるように
フットワークを軽くしておくことだ。で、そのフットワークの軽さというのは上
でも書いたが柔軟な思考のことだ。ちょいとマジレスしておじさん恥ずかしい。
ぽっ♪
>(日本語で書かれた本といえば、仇ます先生の本は
> 4.5冊ほど読みましたですよ)
そ、そうなのか、、、。なんか申し訳ないm(_ _)m 今度リアルに会
うことがあったらガストでハンバーグ定食ぐらいおごるから。
>>66 >勉強関係は全部英語で読んでいたけどな。最近の院生とかは日本語で書かれた本
>とか論文も読むのか、、、。そのくらい大学院にも「ゆとり教育」が浸透
米上日下ではなくなったということです。
71 :
仇鱒:2005/11/26(土) 19:49:11
2缶目逝ってまつ。
>>70 >米上日下ではなくなったということです。
いーことゆった。
男尊女卑ならぬ日尊米卑ということばを
>>70氏に進呈しよう。ははははは。
ま、わしは知る人ぞ知る中道ウハのウヨクだ。ははははは。
ニッポンまんせー!!!ははははは。
だめだ、脳みそアルコールで汚染されてる、、、、。すまそm(_ _)m
うそつけ。極右だろ?
73 :
仇鱒:2005/11/26(土) 19:56:20
>>72 >うそつけ。極右だろ?
ごめん、おじさんウソついた。スーパーウルトラスペシャルライトでつ。
だめだ、脊髄までアルコールで汚染されつつある、、、。シェシェ m(_ 嫌中國 _)m
今顔文字先生の本を読んでるけど、過去に生成スレに書き込んだ文章から文末の「〜にゃ」を抜き取っただけか?
75 :
仇鱒:2005/11/26(土) 20:05:58
>>74 >文末の「〜にゃ」を抜き取っただけか?
ま、基本的にそうだな。w
ようするに、このスレで原稿を書いていたということだ。ww
つーか
>>68よ、大学生にもなって仇本読んでるようでは手遅れにゃ
あれは小中学生向けだからにゃ、にゃっはっは
ま、マジなハナシ、俺らが学部生んときに勉強した、たとえば体臭姦の英語学大系とかに
比べたら今時の教科書や専門書は中身がスカスカなのばっかだにゃ
今という時代がそうなんだからしょうがないのにゃろが、今時の学部生を相手にするときは
俺らが学部生だった頃のレベルを想定してたらトンデモないわけで、それこそ小中学生に
噛んで含めるような話し方を心がける必要があるにゃ
ゆとり教育という名の国民全員無学化計画は着実に成果をあげとるわけにゃ (;´Д`)
>>60 >ニューメレイションの位置づけ
以前どこかで「語自体がすでに構文である」てなことを書いたと思うにゃが、
派生は文全体のnumerationがあるんではなく、たとえばphaseごとに部分組み立て方式で
進行すると考えとるにゃ
構文や語もこれと同じであって、部品として組み立てられた全体がチャンクとして、
あるいはサブルーチンとして用いられるわけにゃ
別の喩えだと四則計算における九九みたいなもんで、「ににんがし」みたいな「語」や
「構文」が成立するためには、(1) その前に実際に2X2=4という計算がなくてはならない(生成)、
しかし (2) その結果を産出時に利用するにあたってはいちいち実際に計算する必要はない、と
いうわけにゃ
反語彙主義は(1)を重視するものであり、語彙主義は(2)だけを見て(1)が不要だと勘違いしとる、
と言えようにゃ
>わしの気のせいだろうか
自意識過剰杉w
>>62 >いや、それは違うと思う
思い込むのは勝手にゃが、まずは同書p.20〜を読むよーに
CS is an algebraic structure composed of discrete elements.8
_____________________
8Algebraic combinatorial systems are commonly said to have a syntax. In this sense,
music has a syntax, computer languages have a syntax, phonology has a syntax, and
so does CS.
>レキシコンというのはそもそもコンポーネントではないわけだ。つまり部門ではないわけだ
(GB的)レキシコンが定義不可能にして存在しない、という点については明らかに俺の側に
近いにゃが?
>>63 上の脚注8にさらに
within linguistics, syntax is also used to denote the organization of sentences in terms
of categories such as NP, VP, and the like. These categories are not present in any
of the above combinatorial systems
とあるにゃ
つまり語彙範疇はCSには存在せず、それを導入してようやく言語化が可能になるわけにゃ
>前言語的というか前統語的な統語システム的なもの
これがLCSでありH&KのLRSであり、l-syntaxが生成するわけにゃが、それをs-syntaxと
区別しなければならない積極的な理由があるのか、ってこったにゃ
>>64 >個別に別個のルートを立てる必要 なし
特定のφ素性の集合と考えるのにゃ
>Johnも 太郎もPierreも仇鱒もみんなレキシコンでは同じ名前というか同じ人物
レキシコンに名前とか人物は最初からないっちゅーにゃw
80 :
Rod:2005/11/27(日) 01:09:51
>>20 いやいや、身近なやつですにゃ。ヒントは13ではなくなった。廃れ気味。
>>56 mit出の人のmultiple agreeのシステムでしょうかにゃ?
syntaxからc-comをなくす方向はけっこう賛成ですのにゃ。
c-comは意味解釈部門で扱うべきものとしてcomputationから外した方が
いいような気がしまつ。そうするとNPIにゃとかbindingとかagreeの関わらなそう、
かつislandsなどのlocalityと無関係のものを綺麗に記述できそうですにゃ。
と、まだPROはraisingさせたくない、sideward mvt???と思っている時代遅れの
若手学生。
>>69 マジレスをありがとうございました。嬉しく思います。
特に、己の哲学を持つべきだというのアドバイスは、このスレでの仇先生と
顔文字先生の熱いやり取りが説得力をもたせていますね。
>>76 顔文字先生のご本や論文も読んでいますので、どうかヤキモチ焼かないでください。ナンチャッテ
ところで顔文字先生からも、学部生や院進学希望者に対して何か
言ってやりたいことはありませんか。
82 :
仇鱒:2005/11/27(日) 09:14:16
ゲーーーッ!!またアク禁かよーーーっ!!
ったく、どこのどいつだ、荒らしやがるのは。ったく。
てなことで大変申し訳ないのでつが、
こさかなの弟分、また代理書き込みよろしくおながいいたしまつm(_ _)m
>>76 >大学生にもなって仇本読んでるようでは手遅れにゃ
>あれは小中学生向けだからにゃ、にゃっはっは
うっ、、、。まあ、たしかに小中学生でも分かるように書いてはいるが、、、。
>今時の教科書や専門書は中身がスカスカなのばっかだにゃ
てか、最近の本の元ネタはほとんどが60ー70年代にあるからな。
ようするに、60−70年代のデータを今風にアレンジ
しただけのものにすぎない。しかもガチャガチャとテクニカルに何かやってる割
にはたいしてデータも説明できてない。で、わしのお勧めは、60ー70年代の
生成をダイジェストに知りたいのであれば、リームズウィーク&ウイリアムズ
の例のMITモノグラフのオレンジ色(?)のアノ本を読むのをお勧めするな。で、
英語の勉強を兼ねて生成の初歩的なことをマスターしようと思ったら、やっぱり
ラドフォードの赤本が一番だな。トランスフォーメイショナル・グラマー
とかあのあたりかな。とにかくラドフォードは分かりやすい英語で分かりやすく
解説してくれる非常にいい書き手だ。だから、学部生は英語の勉強を兼ねて
ラドフォードの赤本を読むのをお勧めする。
83 :
仇鱒:2005/11/27(日) 09:15:20
>>77 >派生は文全体のnumerationがあるんではなく、
>たとえばphaseごとに部分組み立て方式で 進行すると考えとるにゃ
てか、numeration=Lexical Arrayであり、そのphaseごとのnumerationがまさ
にLexical Subarrayだ。だから、前にもわしはここで書いたと思うが、
「フェイズ!フェイズ!」と騒いでいるが、そんなもんはチョムが
Lexical Subarrayを提唱したときに既に気づいていないといけない。
わしなんかチョムがさらっとLexical Subarrayと言った瞬間にフェイズの概念
が頭
をよぎったがな。あと、もうちょっと言うと、前にもちょっと書いたと思うが、
チョムが出してくるシンタクティカルな概念の元ネタは意外と情報科学
にあったりする。Transferもそうだ。インタフェイスもそうだ。legible
とかなんかもそうだ。ミニマリストのかなりの概念がコンピュータサイエンス
からのパクリだ。ぶっちゃけ、チョムの考えることに何ら斬新さはない。まあ、
ときたま強烈なデムパを発するからそこだけは誰にもマネできない新
しさがあるがな。ははははは。で、シンタクスとニューメレイションと
レキシコンの関係も実は情報科学にある。ようするに、CPU(プロセッサ)と
キャッシュ・メモリとメモリの関係とほぼパラレルだ。で、フェイズ
なんていうのはキャシュ・メモリをさらにキャシュしたものにすぎない。で、
もっと言うと、チョムというか生成の考えている言語獲得なんて、ようするに
情報系の香具師には直ぐに分かると思うが、いわゆる決定木学習に他ならない。
ようするに、決定木学習的なアルゴリズムをチョム流に解釈したのが生成の
言語獲得理論だ。そんなもんだ。
84 :
仇鱒:2005/11/27(日) 09:16:09
>反語彙主義は(1)を重視するものであり、
>語彙主義は(2)だけを見て(1)が不要だと勘違いしとる、 と言えようにゃ
言いたいことはよく分かる。が、結局どこまで説明したら気が済むか、
というのがあると思う。たとえば、生物学や化学だったら、分子
がどういうものであるざっと分かっていればそれで十分である。生物学や化学
をやるのに量子力学の知識なんかとくに必要ない。つまり、素粒子
がどうのこうのといったレベルまで知る必要はない。同じように、シンタクス
をやる限りにおいては語の成立過程まで問題にする必要はない、
というのもあるかもしれない。いや、問題にするかどうかは個人の勝手
であるが。てか、そのような「個人の勝手」が大きな成果を上げたりするから
ヴァカにできないのであるが。
>>78 >CS is an algebraic structure composed of discrete elements.8
>8Algebraic combinatorial systems are commonly said to have a syntax.
でも、algebraicであること並びにcombinationalであることが、必ずし
もhierarchicalであるとは限らないと思う。ただ、syntacticalであること
とhierarchicalであることはかなり同じっぽいが、、、。
85 :
仇鱒:2005/11/27(日) 09:16:58
>>レキシコンというのはそもそもコンポーネントではないわけだ。
>>つまり部門ではないわけだ
>(GB的)レキシコンが定義不可能にして存在しない、
>という点については明らかに俺の側に近いにゃが?
まさにソコなのである。ちょっと自分の首を絞める発言をするかもしれないが、
LCS派とかジェネラティブ・レキシコン派というのはレキシコンを
コンポーネント化しようとする一つの大きな動きではないかとわしは
思っているのだ。ようするに、レキシコンだけは実は言語システムの外
におかれていたのだが、これを本格的に言語システムの内部に取り込
もうという大きな動きではないかとわしは思っているのだ。
86 :
仇鱒:2005/11/27(日) 09:17:48
>>79 >つまり語彙範疇はCSには存在せず、
>それを導入してようやく言語化が可能になるわけにゃ
コレ↑には別に異論はない。もっと言うと、ソシュールなり丸山なりが、言語
による世界の差異化を提唱したわけであるが、同じ事がCSからLCSへの
シフトにも言えると思う。CSが差異化されたのがLCSだとわしは
思っているが、その差異化を可能にしたのがまさにCAUSEやらACT-ONといった
セマンティック・プレディケットというかプリミティブなプレディケットだと
思っている。
>レキシコンに名前とか人物は最初からないっちゅーにゃw
顔餅の言うことはよく分かる。レキシコンには名前なんかなく素性しかないと。
つまり、レキシコンにあるのは語彙の素性しかないと。それはいいのだ。ただ、
そうなると、Johnとか太郎とかリンゴとかバナナの意味は言語システム上
いったいどこにあるのか、というハナシになってしまうのだ。まさか
デリベイショナルにシンタクティカルにリンゴとかバナナの意味が出
てくることはないと思うし、、、。まあ出したっていいのだが、、、。てか、
それをやったら引田天功も真っ青だが。
87 :
仇鱒:2005/11/27(日) 09:18:28
>>81 >特に、己の哲学を持つべきだというのアドバイスは、このスレでの仇先生と
>顔文字先生の熱いやり取りが説得力をもたせていますね。
わしは自分の哲学をベースに語るフォロソフィカルなオヤジだが、
顔餅は単なる偏屈の頑固オヤジだ。ははははは。
こさかなの弟分、代理書き込みありがとうございますた(ぺこりん
88 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/27(日) 15:37:42
理論的な言語学完全にいきずまってるよ。
この閉塞感を打破するには、もう現実的な動く物を見せつけるしかないよ。
そうでないと、何の説得力もないからね。
何か作って実験しなきゃ。
89 :
仇鱒:2005/11/27(日) 18:27:29
>>88 別にわしがレスしなくてもいいのだがサザエさん始まるまでちょいと時間
があるのでレスする。えっと、言語学の中でもセオリー系が行き詰
まってるのはその通りだと思う。ひとつはネタ切れ。もう一つは方法論的な
袋小路入り。前者に関してはもうどうしようもないと思う。無理してネタを見
つけようとすると、トンデモなデータをokと判断するデータ捏*に近いことが行
われる。これは避けないといけない。本人がokと判断しても大多数の人が
コリャダメダと判断したらそれをネタにして論文を書くものではない。次に
後者の問題。つまり方法論の問題であるが、わしは前から言っているように、
仮説をできる限り定量化してみるべきである。ただそれができるのはいわゆる
言語学プロパーの人間ではない。そういったことができるセンスのある人間は、
やはり情報工学系あるいは情報科学系の人間である。だからこそ、もっと
情報系の人間に理論言語学をマスターしてもらって、言語学の外から言語学界
を変えてもらうしかない。内部で浄化を期待するのは間違っている。ただ、
なかなか外の人に生成は相手にしてもらえない。それはなぜかというと、一言
でいうと、生成はキモイからである(w)。ハッキリ言って生成は学問的に
ヒキコモリである。外との接触を断ってきた。完全に生成内部にヒキコ
もってきた。そして、最悪なことにM哀Tが完全にアキバ化している。
90 :
仇鱒:2005/11/27(日) 18:28:34
まあ、それはそれでもいいが、
もうそういう時代ではないというのをわしらはちゃんと
認識しないといけない。でも、だからと言って何か動く物をつくったところで、
ちょっとやそっとの物つくったって企業人はもちろん一般ピーポーは何も驚
いてはくれない。今じゃヒューマノイドがピタゴラスイッチで
「あっちむいてふたりでまえならえ〜♪」をやる時代だ。だから、そこそこ動
くものをつくっても誰も振り向いてくれない。ほんと、生成は完全に学問的に
ヒキコモリ状態である。ああ、そうだ、アブニーはDP構造で一発
あててそのまま消えてしまったが(藁)、そういえばあれからプログラミング
関係の方でなんかがんばっているようだな。現役でもがんばっていて
プログラミングにも精通している香具師というとラーソンがいる。アブニーとか
ラーソン辺りが何か一般ピーポーがたまげるような「動く物」
をつくってくれたらほんのちょっとは生成も社会復帰できるかもしれないと
思っている。で、今後生成は何をしたらいいかって?そんなことわしに分
からない。若い奴らが考えればいいことだ。
てなことだけど、毎度毎度代理投稿ありがとうございまつ、こさかなの弟分
(ぺこり
>>81 俺からの唯一のアドバイスは、人にアドバイスを求めるな、人にアドバイス
したがる香具師に耳貸すな、ってこったにゃ
>>83 そんあたりは初期MPで計算量を話題にしてた頃については言える罠ゃ
俺的にはRNAの3次立体構造の予測問題あたりのほうが分かりやすいにゃがw
で、派生の経済性とかはワーキング・メモリのロード量をいかに少なくするか
という問題でもあるにゃが、言語の進化とワーキング・メモリの発達の相関と
いう進化論上の問題も実は視野に入ってきたわけにゃ
>>84 >シンタクス をやる限りにおいては語の成立過程まで問題にする必要はない
基本的に誤解があると思うにゃが、morphosyntaxということばがあるように、
語形成はsyntaxを抜きにしては語られないというのが共有されてる認識にゃろ
問題はそれに加えてpre-syntactic morphologyをレキシコンに設ける必要
があるかどうかで、あると言ってるのが影山のモジュラー形態論、いらんと
言ってるのがDMなり俺の反語彙主義だにゃ
>>85 こないだのシンポでもそんあたりに少し触れたのにゃが、レキシコンがFLBなのか
FLNなのかよくワカランってことがあるにゃ
俺の見解は、レキシコンのうち、構造的・生成的な部分はnarrow syntaxで扱う
べきFLN、個別的語彙意味の部分はFLBのCSというふうに、本来異質のものを
レキシコンというコンポーネントをでっちあげてそこに詰め込んでしまったのが
語彙主義の過ち、というわけにゃ
>>86 ま、どーしてもLCSがあるというにゃら具体的にLCSとはどんなものでCSとどう
違うのか、両者の関係はどうなのか、具体的に述べてみるこったにゃ
Jackendoffのシステムをマトモに考えれば、LCSなんてものの居場所はないと
思うにゃが?
>Johnとか太郎とかリンゴとかバナナの意味は言語システム上 いったいどこにあるのか
CSにゃん
syntaxにそんなものを持ち込む必要はないし、だからこそ john ate bananas /
bananas ate john はどちらも等しく生成可能=文法的なわけにゃ
>>91 そのアドバイスには耳を貸してもよいのでしょうかw
顔先生のそういうところ(逆のことをいつも言うところ)は好きです。
ありがとうございました。
95 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/28(月) 04:45:35
このスレ見て生成に興味を持ちました。
ランフォードの赤本って
どっちですか
Syntactic Theory and the Structure of English: A Minimalist Approach (Cambridge Textbooks in Linguistics)
Minimalist Syntax: Exploring the Structure of English (Cambridge Textbooks in Linguistics)
96 :
仇鱒:2005/11/28(月) 09:32:56
だめだ、、、まだアク禁中だ、、、。
ほんと申し訳ありませんが、こさかなの弟分、
また代理投稿よろしくおながいいたしまつm(_ _)m
>>91 >俺的にはRNAの3次立体構造の予測問題あたりのほうが分かりやすいにゃがw
顔餅の言いたいことはよく分かる。が、それもあまりに楽観的というかお花畑的
だと思う。まあ、ようするに、顔餅は、アミノ酸の配列情報から立体構造を
予測し、今度はその立体構造から機能の予測をするというアナロジーをベースに
ハナシをしているわけだが、正直これは現時点では月で生活するぐらい難
しいことだ。いわんや、言語レベルでそんなことが分かるハズがない。つまり、
器官レベルでほとんど不可能に近いのに「言語器官」というメタ器官
でそんなことが120万%言えるハズがない。まあ、あくまでも可能性
としてあげるのは自由だがでもやはりものには限度というものがある。てか、
顔餅としては、言語形式が言語機能を予測するというのは非常に都合
がいいのであろうが、これをRNAのレベルに落として話すのはちょいとヤバイ。
97 :
仇鱒:2005/11/28(月) 09:33:57
>言語の進化とワーキング・メモリの発達の相関
でも、これをシリアスに考えていったらマジで顔餅は自分の首を絞
めることになりかねない。仮にわしらヒト種がフェイズ(CPとvP)を
ワーキングメモリの単位として使っているとしよう。だからこそ
プロポジションを思考の一助として使え、そしてその帰結として、人の
言ったこと(ないし思考としてのモノローグ)にイエスあるいはノーの判断が下
されるとしよう。で、ヒトとサルを分けるリトマス試験紙がシンタクス
(というかFLN)の有無だとしよう。となると、サルにはフェイズはない
ハズだ。だって、サルにはFLNはないから(←たぶん)。だとすると、サルは
ワーキングメモリの単位としてはフェイズ以下のものをもっていることになる。
で、それは何かというとワードつまり語だ。そうなると、サルは語
でもっていろいろシコウをしていることになるが、ここで反語彙主義は袋小路に
入る。というのも、反語彙主義では語も文も同じであるから、サルが語を持
つのならそれと同時にサルは文を持つことになり、すなわち反語彙主義の立場
ではサルはシンタクス/FLNをもっていることになってしまうからだ。
となると、ヒト=サルになってしまい栗本慎一郎の世界にレッツゴー!だ。
てか、まだわしが若かったころニューアカに洗脳されてしまい柄谷コウジンやら
栗本シンイチロウやらを読んでいたが、今思うとあいつらの電波ブリはハンパ
じゃなかったな。つーか、あの頃の「赤日ジャーナル」はすごかった。赤旗が
分厚くなったやつかと思った。てか、当時わしがつき合っていたカノジョが
「アカヒじゃーなる」の愛読者で、わしが「それだけは読むのやめれ!」と
何度も言ったらそのカノジョに逃げられてしまった、、、。「アダマスくん、
ウヨクみたいな言い方やめてよ!」と言われて凹んだのを覚えている
(すんごい遠い目
98 :
仇鱒:2005/11/28(月) 09:34:43
>>92 >基本的に誤解があると思うにゃが、
いや、誤解はしていないと思う。顔餅の言うことはたぶん100%以上理解
している。顔餅の言いたいことは分かる。もちろんわしも、文と語がゆるやかに
連続しているのは認める。ただその「ゆるやか」なところにあまりにも目を付
けすぎて、本来ある文の自治権と語の自治権を侵害しつつあるのが影YのLCS
厨集団であり顔餅の反語彙主義だと思うのだ。ようするに、インタフェイスと
イタンフェイスのあっち側ないしこっち側にあるものをゴチャ混
ぜにしているのがK山派であり顔餅派だと思うのだ。で、わしは中庸な派
であり、「ワークシェアリングはほどほどにしよう!」がわしの言語学的
スローガンであったりするのだ。
99 :
仇鱒:2005/11/28(月) 09:35:30
>レキシコンがFLBなのかFLNなのかよくワカラン
このあたりも顔餅とわしの考えは違う。てか、もしかしたらかなり似ている鴨。
わしは前にもどっかでチラッと言ったかもしれないが、基本的に、Froudの考える
レキシコン像が正しいと思っている。つまり、レキシコンはパーティション
でもって2つに分かれているのだ。で、ひとつの部屋には語彙範疇が格納
されていて、もう一つの部屋には機能範疇が格納されている。たしか、
このような考え方は顔餅の好きなユリアゲレッカも支持していたと思う。別に
ユリアゲレッカがサポートしたところでどうってことないが、大切なのは、
このようなレキシコンのパーティションは言語障害(とくに失語症)の症例を見
てもフィットするということだ。で、わしの考えとしては、機能範疇が格納
されているレキシコンルームがFLNにダイレクトにつながっている。一方、
語彙範疇が格納されているレキシコンルームはFLB
につながっているのだろう。だから、レキシコン内で2つに分かれたルームが、
それぞれ独自のルートでもってFLNとFLBに繋がっているとわしは考える。
で、もしかしたら、LCSなんかはこのレキシコン内の仕切の部分で起
きているのかもしれないと思ったりする憂鬱な月曜日の朝飯前だったりする。
卑怯な手で100 get
101 :
仇鱒:2005/11/28(月) 09:37:46
>>93 >Jackendoffのシステムをマトモに考えれば、
>LCSなんてものの居場所はないと 思うにゃが?
をいをい、ジャケンドフ自身が語彙概念構造を提案しているのに、そういう言い
方ってすごいと思うぞ。
>>Johnとか太郎とかリンゴとかバナナの意味は言語システム上
いったいどこにあるのか
>CSにゃん
やっぱそうきたか。てか、わしの誘導尋問にそのまま誘導されたなww
>>94 >そのアドバイスには耳を貸してもよいのでしょうかw
次の文↓を顔餅のパラドックスと呼ぶことにしよう!wwww
『顔餅が、「俺のアドバイスはきくな!」とアドバイスしてくれた。』
102 :
仇鱒:2005/11/28(月) 09:38:35
>>95 >ランフォードの赤本ってどっちですか
そのどちらでもない。ちなみに藻前さんが挙げた2冊は正直あまりよくない。
チョムのミニマリストとはかなりシステムが違うし、一般的なミニマリストの
枠組みとも違う。だから、ミニマリストの枠組みを知りたいのであればその2
冊は正直お勧めできない。で、わしが進めたのは80年代の分厚いまさに
カバーが赤色の本だ。とにかく生成の思考法をマスターしたいなら80年代に
出版されたものを読む方がいい。てか、生成的な物の考え方をマスター
したいのであればわしの本を読むのが一番なのだがな。ははははは。
ということで、ほんとこさかなの弟分、お手数おかけしますた(ひれ伏
してぺこちゃん♪
>>96 まんざらそうでもなくてにゃ、たとえば免疫応答系の抗原抗体認識反応と言語の関係は
生成のみならず認知系の一部(つっても元々は俺のハナシがヒントになったらしいにゃが)も
注目しとる部分にゃ
今、句構造に注目すると、ある構造に収束するのは、句構造を構成する各語彙項目に
あらかじめ自分の布置に関する情報があるとか、トップダウン的に句構造のスキーマが
あらかじめ決まっているとかいったためではなく、派生というダイナミックなプロセスの
中で構造がいわば最も安定した状態として勝手に組み上がるからと見るのがBPSだと言えようにゃ
これが個々のアミノ酸分子にそんな情報はないのに、どうしてタンパク質は熱力学的最適状態
に勝手に折り畳めるのか、というのと同質の問題を提起しとるわけにゃ
ま、世間一般がその重要性に気付くにはあと10年はかかるがにゃ(仇はあと20年にゃw)
>>97 >サルにはFLNはないから(←たぶん)。だとすると、サルは
>ワーキングメモリの単位としてはフェイズ以下のものをもっていることになる。
>で、それは何かというとワードつまり語だ。
この辺も先日のシンポで触れたにゃ
結論だけ言えばチンプにもsyntax/mergeはあるのにゃ
しかしヒト固有のより複雑なsyntax/mergeがあり、これがgeneralized transformationに
他ならないわけにゃが、この進化とワーキング・メモリの関係を俺は気にしとるわけにゃ
>>98 すると、たとえば影山が日本語の複合動詞を語彙的なものと統語的なものに分け、
俺はそのうち語彙的とされるものも実は全部統語的であるとしたわけにゃが、仇は
全部語彙的と言いたいのかにゃ そりゃ滅茶苦茶とゆーもんにゃ
>>99 >言語障害(とくに失語症)の症例
これは産出や理解のレベルのもんにゃから、まったく参考にならんにゃ
>機能範疇が格納 されているレキシコンルームがFLNにダイレクトにつながっている。
>一方、 語彙範疇が格納されているレキシコンルームはFLB につながっている
ここは一部、俺の言ってる事と実はつながるにゃ
つまり、語彙範疇の個別的意味は概念構造の問題であり、FLBに属するが、機能範疇や
語彙範疇の範疇素性、形式素性はFLNに属する、というわけにゃ
>>101 >ジャケンドフ自身が語彙概念構造を提案
LCSは1990頃ならともかく、現在の邪険豆腐の枠組みで積極的に機能しとるという
ことはあるかにゃ? 現に FoL やC&Jみても conceptual structureがあるだけで、
LCSの影も形もない罠ゃ
で、CSとLCSの違い、および両者の関係は?
107 :
仇鱒:2005/11/28(月) 18:43:11
アク禁解除した、、、。
何はともあれ、こさかなの弟分、ほんとうにいろいろお手数をおかけしますた
(ぺこりん
>>103 > 免疫応答系の抗原抗体認識反応と言語の関係
いやー、なんか香ばしい匂いがするなー。wアナロジーもほどほどにしないと
今にデムパ発信器と言われるようになるぞー。
>句構造を構成する各語彙項目にあらかじめ自分の布置に関する情報があるとか、
>トップダウン的に句構造のスキーマがあらかじめ決まっているとかいったためではなく、
まあ、この↑書き方からして明らかに項構造も否定しているな。ま、LCSを
否定するならそれと抱き合わせで項構造も否定するのは予想の範囲内だが、それ にしてもやることが相変わらずラディカルだな。と、愛読書(w)を読
んでいてそう思う今日この頃である。
ついでに言うと、愛読書によると受動文の構造は次↓のようになるわけだが、
1)TP-uP1-vP1-uP2-vP2-VP
いやー、VPを5分割してまで受動文を説明しようとするとは、、、。いや、別
にいいんだが、ちょっとヤリ杉ではないかとわしは思うぞ。いや、別
にいいんだがな。あと、VPの5分割というと、顔餅は与格構文の構造もVPを5
つに分割しているよな。まあ、与格構文は次↓の構造を持っているわけだが、
2)TP-vP1-uP1-vP2-uP2-VP
これもちょっとヤリ杉ではないかな。いや、別にやるのは自由だが、、、。
与格構文の構造がこんなにも複雑になってしまったのは
バックワード・バインディ ングをシリアスに考えた結果だと思うのだが、仮
にもっと他のあまり知られていない現象をシリアスに考えたらもっとVPは
スプリットされるのだろう か、、、。まあ、これから顔餅を日本生成界の
スプラッターおやじと呼ばせてもらおう。いや、正直小ネズミ氏がVPを3つに
スプリットした時も「そこまでやるか〜」と思ったが、顔餅のはそれを上
回っていた。まあ、これも好みの問題かもしれないが、、、。ま、いっか。
108 :
仇鱒:2005/11/28(月) 18:44:16
>ま、世間一般がその重要性に気付くにはあと10年はかかるがにゃ(仇はあと20年にゃw)
正しくはこう↓だな。w
>ま、世間一般がそのデムパの強さに気付くにはあと10年はかかるがにゃ
てか、あんまり生成の誇大広告ぶちまけるとジャルに言いつけちゃる。
>>104 >結論だけ言えばチンプにもsyntax/mergeはあるのにゃ
それじゃ、なにか、この前のシンポでは「サルにもFLNがありまつ」という
風に結論づけられたのか?そうなったら言語の進化もクソもないぞ。言語は最初 からサルにあったことになり断続平行も漸進適応もへったくりもないわい。
>仇は全部語彙的と言いたいのかにゃ
いやいや、わしはそんなこと言ってないし言うつもりもないぞ。ただ単に何
からなにまでレキシコンとかシンタクスで処理しようというのはヤリ杉だと
言って いるまでだ。
109 :
仇鱒:2005/11/28(月) 18:45:38
>>105 >現に FoL やC&Jみても conceptual structureがあるだけで、LCSの影も形もない罠ゃ
たしかにセマンティック・ストラクチャーを出版してからLCSの影は薄くなる
一方だ。そしてそれと反比例するかのように、たしかにCSの影が濃くなって きている。
というのも、たぶん、ジャケンドフは非常に汎用性の高いヒトの
普遍能力というか普遍機構というのを探り出しているからだろう。つまり、
普遍言 語文法だけでなく普遍音楽文法、それに普遍倫理文法や普遍社会性文法
といったものを全部包括する「普遍汎用文法」を探りはじめているからだろう。
まあ、 でも、正直なところ、こういったジャッケンドフの最近の方向性もある
意味逝け逝けドンドン♪でチョムとはまた別の意味でダメダコリャ♪路線だ。
>で、CSとLCSの違い、および両者の関係は?
そりゃ分からん。てか、そもそもCSの定義が定まらないから何とも言えない。
いずれにせよ、CSはヒト種だけでなくイヌやネコにもあるのなら、
CSは非 常にプリミティブなLCSということになるのではなかろうか。今
のところそんなことしか言えない。つーか、言語の系統発生とかマジで考
えるのであれば、 まずはCSがどういった構造をしていて(←仮に構造
があれば)、それがどのようなプロセスを経てLCSなりシンタクスにシフト
したのかを真剣に調べる必 要があるであろう。ほとんど不可能だろうけど。
110 :
仇鱒:2005/11/28(月) 18:46:47
てか、顔餅!ブツ届いた!さんくす!!で、中開けてみてビクーリ♪DVD3
枚入りじゃないか!しかも一枚はぬわぁ〜んと、デープ・パープル:
ヌーヨーク・1973ではないか!!!!
てなことで、顔餅からクリスマスプレゼントもらっちゃったからもうちょっと
リップサービスしてやる(w)ま、ここをR0Mしている連中や、まあ顔本、
ちょいとテクニカルすぎてフォローするのに骨が折れるが、
まあなかなかよくできた本だと思う。金があったら買ってやるよーに。
ははははは。
でも、なんだな、学部生には無理というかちょっとお勧めできないな。ある
程度生成にどっぷりつかって生成の良い面と悪い面の両方を知った院生以上
にはお勧めだ。
ま、これだけディープリップサービスしてやったんだからまたなんか送ってくれ
wwww
何はともあれ、クリスマスプレゼントさんくす!マジうれpーーーー!!!!!!!
さて、今からDVD鑑賞だ。ハァハァハァ♪
仇の好きな西村閣下、タイーホされたな
112 :
仇鱒:2005/11/28(月) 19:57:32
>>111 いま麒麟の極生飲みながらDVD見てご機嫌だから藻前にレスしちゃーる。
ま、西村閣下はたしかにわしのお気に入りだ。拉致議連幹事長としてほんと
拉致被害者家族会のためによく働いてくれている。マジ
でこれからだというときにこんなことになってしまってわしも正直残念無念だ。
正直いまだにわしは信じられない。疑惑で終わって欲しい。てか、疑惑
というと、こんなこと言っちゃあ何だが、アネハのオサーン、あれはヅラ
じゃねぇか?どう見てもヅラのように見えるのはわしだけか?いや、
どうでもいいハナシなのだが。それより、拉致問題、拉致された方々のため、
そして家族会のため、さらに我らがニッポンのプライドのためにも一日も早く
解決されるべきであるし、また解決しないといかーーーーーーん!!!!断固、
わしはキムジョソイルを許さん。キムジョソイルに比べたらまだ
チョムジョンイルの方がいい。人畜無害だ。ただ言語学には有害だが。ww
さて、DVDの続き見よっと♪
ちょいと割り込ませてもらいまっせ。
ここ数日の流れのなかで、入門書についての話が出とるが、
このスレを読んでる学部生たちのために、黙っているわけに
はいきまへんな。実は、「どういう文献で目覚めるか」とい
う問題は非常に重要でアリ・猪木戦。
なぜ拘るかというと、初期に受けた「洗脳」というのは、
本人の意識とは無関係に、その後の行動を決定してしまう面
があるからぢゃ。喩えていうと、「平凡パンチ」、「週刊プ
レイボーイ」、「GORO」、「デラべっぴん」、「松坂慶子の
レオタード姿」、「ボム」、「投稿写真」のどれで目覚めて
シコシコし始めたかで、その後のオナニーライフが決まって
しまうのと同じなんよ。そういえば、アグネスラムとかシル
ビアクリステルなんてのもおったのう。ついでに、ファラ・
フォーセットも。
SSで目覚めた奴、Aspectsで目覚めた奴、LGBで目覚めた奴、
Radford (1981)で目覚めた奴、Radford (1988)で目覚めた奴、
Haegeman(1991)で目覚めた奴、と色々な目覚め方があるが、
最初にどういう文献で目覚めたかでその後の方向が決まる面
があるのは否めんなぁ。あだ松ちゃんの本も悪い本だとは思
わないが、個人的には、背景と方法論を押さえる上で重要と
思うのは、Riemsdijk & Williams(1986)とRadford (1981)で
はないかと思うなぁ。それ以降に出たものは、どれも似たり
よったりで、散漫な印象があるのう。
正高もけっこう基本的なとこで生得説を誤解しとるからにゃ
こいつ(と片山さつき調w)の反モジュール説はアテにならんにゃ
ま、ヒトが英語を話すか日本語を話すかは遺伝ではなく学習であることを証明した! と
大騒ぎしとるようなもんだにゃ、アフォクサ
>>108 FLNは定義上、ヒト及びヒト言語に固有の部分にゃから、上のシナリオで言えば
generalized transformationがそれ、ということになるにゃ
実際、チンプでも water + bird → goose 程度の語形成は自発的に行うことが報告されとるにゃ
で、こないだはroot compoundingを使ってmergeの段階的進化を述べたわけにゃが、
形態論やってる方面に意外にウケたようだにゃ
>言語は最初 からサルにあったことになり断続平行も漸進適応もへったくりもないわい
ここも誤解しやすい部分なのでチューイにゃが、各パーツごとにみればヒト及びヒト言語に固有の
ものはほとんどない、しかし既に存在している諸機能が組み合わさることでヒト言語という全く
新しい能力が突然生じた、というのがexaptationに基づく言語の断続平衡進化にゃろ
>>110 1973はリッチーがいやに楽しげにゃろw
しかしギターソロがあんまりなくて、手抜きの悪い癖が始まった時期でもあるにゃ
この後、二度目の来日公演、ギランが the end ... goodbye の 言葉を残してDPを去ることに
なるにゃ
つーか、いそいでピーコしたので、もし再生に問題あれば知らせてくれと業者の人からの
伝言にゃ
>で、こないだはroot compoundingを使ってmergeの段階的進化を述べたわけにゃが、
詳細キボう
顔文字先生の本ってどの本?
本屋で「普通に」うってるの?
119 :
仇鱒:2005/11/29(火) 07:21:14
>>113と
>>114 >Riemsdijk & Williams(1986)とRadford (1981)
わしも
>>82で書いているようにその↑あたりがいいと思う。けど、そっから今の
ミニマリストにどうつなげるかだな、問題は。正直、70−80年代と今は
議論の仕方がちょっと違う。いや、かなり違うかもしれない。それはひとえに、
GBが出るまでは記述的妥当性のサティスファクションにフォーカスが置
かれていたが、それ以降は説明的妥当性のサティスファクションにフォーカス
が置かれるようになったから。で、もっと言うと、バリヤーズを境に
テクニカルの度合いが一気に上がりここから仮説の立て方が一気に変わったと言
える。つまり、どういうことかというと、上にも書いたが、仮説というか説明の
道具立てがいきなりセオリー・インターナルな議論によって立
てられるようになったのだ。で、その反動でカリカバー&ジャケンドフの
シンプラー・シンタクスが出てきたりしているのであるが、とにかく、年代
によって説明の仕方が実は違ってきているというのをちゃんと頭に置いた上で
当時の本のなり論文を読まなければいけない。だから、何を読むかという問題
はもちろん大事だが、時代背景をちゃんと認識した上で読まないといけない。
つまり、上でも書いたが、今70−80年代のリームズウィーク&
ウイリアムズやラドフォードの本を読んで「こんなもん読んでも今じゃ
ガバメントもNPストラクチャーもないんだから意味ないんじゃないか、、、」と
思ってはダメだということ。ようするに、当時の人間になりきって読
まなければいけない。こういう姿勢を忘れて「古典」を読んでも何も得
るものはないであろう。もちろん非常に優秀な学生なら今の時点から過去を清算
するつもりで古典を批判的に読むこともできるであろう。けど、わしが言
うのもなんであるが、それが本当の意味でできる学生はほんと少ない。
なぜかというと、やはり当時の空気を知らないからだ。だから、まあ、一言
だけいうと、過去の研究書を読むときはタイムスリップしたつもりになって
当時の人間になったつもりで読む必要がある。と言うのは簡単であるが、これが
非常に難しい。自戒を込めて。
120 :
仇鱒:2005/11/29(火) 07:22:23
>>115 サルにも方言があるというけど、「方言」の定義は何なのだ、、、。音程の違
いがあればそれで方言決定なのか、、、。あるいは、ヒドゥン・アサンプション
として、サルのゲンゴはピッチアクセントのゲンゴだというのがあり、音程の違
いが単語の違いを生み出しているとかいうのがあるのだろうか。ヒトの言語には
ストレス・アクセント言語とピッチ・アクセント言語があるように、サルの言語
にも、そもそもストレス・アクセントゲンゴとピッチ・アクセントゲンゴの2
つのパターンがあるのだろうか、、、。まあ、ようするに、「音程の違い=
方言の違い」という単細胞的な発想がよくワカメなところがある。もっと言
うと、オカノ野氏の研究にもあるように、トリにはあきらかに方言というか
個別言語の違いがある(「個別言語」といってもわしに言わせたらあれは単なる
「個別コード進行」にすぎない)。で、トリの場合はたんに音程が違
うだけでなく、まさにコード進行が違ったりしているらしい。だから、マサタカ
氏もサルにも方言があると断言するのなら、せめて語順の違
いもあったとかなんとか報告してもらいたいものだ。と、仇鱒が言っていたと
同じ町内に住む顔餅、マサタカ氏に今度会ったら伝えとていくれ。w
121 :
仇鱒:2005/11/29(火) 07:23:18
>>116 >語形成は自発的に行うことが報告されとるにゃ
この「自発的に」というのがクセモノだな。いつも思うのだが、サルどもは
本当にスポンテエイニアスにするのだろうか。やはりそれなりのお膳立
てをしてはじめてしているのではなかろうか。ようするに、ありとあらゆる
環境を整備してそれではじめてカッコ付きの自発性
でもってやっているのではなかろうか。つまり、ヒトが自発的に言語をマスター
するのと同じような感じで本当に自発的にサルも語形成
をするのだろうか、、、。で、仮に語形成をするにしても、やはりヒトの語形成
と比べてもプロダクティビティの高さには雲泥の差があると思うのだ。だから、
なんつーか、こういう「自発的」ということばはそう安易に使
うものではないとわしは思っている。と、別に顔餅に言っているのではなくサル
学者などに言っているのだが。と、これも同じ町内に住むマサタカ氏に伝え説
いてくれ。w
>exaptationに基づく言語の断続平衡進化にゃろ
そういったことは十分了解済みだ。ま、ようするに、「全体は部分の総和
ではない」ということだな。ま、わしに言わせたら意味の
コンポジショナリティーみたいなものが言語の進化にも見られるということだ。
こういう風に考えると、意味論的な方法論(とくに認知意味論的な方法論)が
断続平衡説を説くひとつのカギになるかもしれない。と、今度は真向かいに住
んでいる海梨氏に伝えといてくれ。w
122 :
仇鱒:2005/11/29(火) 07:24:19
>1973はリッチーがいやに楽しげにゃろw
早速昨晩見させてもらった。正直、すんげーイイ! カメラのアングルといい、
映像の美しさといい絶品である。リッチーのギターの音もそんなにギラギラ
していないくてわし好みだ。たぶん、マーシャルのアンプの使い方がいつもと違
うのだと思う。あと、ちょいとオタクなハナシになるが、ピックアップの切り替
えもほとんどしていないし、いつものリッチー
らしくなくてそれがまたとてもいい。それと、ライブの会場がヌーヨーク
でしかも73年ということもあるのか、客のノリが異様である。すぐにでも
ベトナム戦争反対!と叫びそうな連中ばかりでなかなかいい。ほとんどトリップ
状態の香具師も何人かいるしな(藁)。とにかく、70年代のしかもヌーヨーク
ならではの映像でヒジョーにいい。ほんと、リッチー命のわしにとってはあのD
VDはわしのお宝だ。ほんと、さんくすだ。でもライブの録画にしてはちょっと
時間が短いな。なんでだろ。ま、それはともかく、ほんとあんがとさん。近
いうちにブラナイの方も見させてもらう。これでまた仕事手に付
かなくなった、、、。
てか、ライブ・イン・ジャパンの映像はないのだろうか、、、。
とちょっとおねだりしてみるテスト。w
123 :
仇鱒:2005/11/29(火) 07:25:15
で、またさっきのFred師匠の入門書というか学問の入り口のハナシに戻るけど、
同じ事が音楽にも言える罠。わしなんか厨房のころにマシン・ヘッド聞いて、
あまりの衝撃にまさに音楽に対する物の見方が変わったもんな。ぶっちゃけ、
それまでわしはずっとフォークギターでサイモン&ガーファンクルとか
オフコースの曲コピーしてたけど、マシン・ヘッド聞いてからいきなりエレキ持
ち始めてスモーク・オン・ザ・ウォーター弾き始めたもんな。で、結局この年
になっても幼い頃聞いたり弾いたりしていたサイモン&ガーファンクルとか
デープ・パープルにはまってるわけで、やはり何を聞いて衝撃をうけるかは大
きい罠。わしにとってギターに対する姿勢と音楽の見方が劇的に変
わったのはやはりデープ・パープルとの出会いだったが、言語学におけるわしの
デープ・パープルはやはり生成ぶんぽーだったな。ただわしにとってチョムは
リッチーほどのカリスマ性はないが。ははははは。てか、やっぱ、リッチー
はすげぇよ。リッチーの魅力が分からん香具師は生成するな。そういうもんだ。
ははははは。ま、ここは顔餅も同意してくれると思うが。藁藁藁
>>118 わし同じヤツ2冊もってるから欲しかったらわしのヤツ一冊あげるぞ。
しかもわしの書き込み入りだ。仇鱒直筆のメモ入りだ。ははははは。しかも欄外
にたくさん顔餅の悪口書いてある。いつかプレミア付くぞ。ははははは。
正直、生成初診者相手の入門書としたら仇せんせの本の方が、顔文字せんせのやつより親切だと思うんだよね
あと、理系の諸氏のうち、英語ができる人らには裸怒のやつとか詐愚のやつを薦めるけど、英語が苦手って人には
正直何がお薦めかわからんね。チョム本の翻訳なんてありゃ日本語になってないし、テクニカルタームだらけの意味
不明マニュアル状態だから。
先日、普通の理系高校生相手(灯台とか叫大とか行くレベルにない)に、そのへんの話をする機会がありましたが、
英語嫌いの多いことよ。
まあ、研究者が書いてるという時点で、世間一般の水準に比べて英語力が高い人なので、英語の壁を意識しない。
日本語を題材にした生成入門書があれば、英語がそれほどできない高校生でも読めるかもしれないのに、たいていの
入門書は日本語と英語の分析からはいっていってるので、そこらへんが書き手が意識しない障壁になってる。
>>124 神経板の者ですが、
この前、『生成文法の企て』がいいって聞いて読んだのです。
あれ、最初の『基礎事項のまとめ』みたいなのはまだ解るんですが、
『企て』とかは語句の説明なしに専門用語が頻出するので難しいっす。
あの辺りどうにかならんのですかねー。
仇鱒先生の本、
初歩の言語学やる前にふとブクオフで買ったのですが(すみません)、
『謹呈』の栞が挟まっておりました。今も大事に取ってます。
>『謹呈』の栞が挟まっておりました
爆笑〜 誓って俺ではないからにゃw
>>124 モノグラフは入門書とちゃうっちゅーにw
>>106 顔文字せんせ
えーっ、東京に用をつくらなきゃ、です
閉店してもまた復活してほしい・・・
前に一度閉店したんじゃなかったですか?
128 :
Rod:2005/11/29(火) 12:29:06
生成の日本語の入門書。うーむ。Introducing Chomskyの翻訳が出てるのでそれを
読んでみるか、研究社の言葉の科学ハンドブックあたりなんてどうですにゃろ?
でも、入門書ってけっこうおもしろいですが、萌えるほどおもしろいもんですかいね?
あっしはなんだかんだ言ってChomskyの論文or本をダイレクトに読んだ時が一番おもしろかったですが。
進化関係の話ですにゃが、subassembly methodをもうちょっと探る話があってもいいような
気がしますのにゃ。pairing methodは、言語で言えばadjunctをくっつけるような操作で、subassemblyが
できるようになるためには、やはりmergeの仕方としてpair mergeとset mergeの2種類が必要に
なってくるわけですしにゃ。それにA-positionをsyntaxで確保できるようになってから、言語の階層構造が
可能になったわけですにゃろ?そういう意味では、今がbindingを抜本的に見直す時期なのかなと思いますにゃ。
ロックは、ウッドストックのジミヘンが一番印象に残ってますにゃ。まあ、若いときに見たからかも
しれんですにゃが。仇先生は理解してくれるかもしれませんにゃが、Boowy時代の布袋さんもガキの目には
イカした感じに写ってたのですにゃ。
M高はケータイを持ったサルとかいう駄文を書き散らしているおっさんですね。てか、○クハラ問題を
起こすのだけは辞めてほしいんですけどにゃ。週刊誌沙汰になるまでって、いったい・・・
日本語生成文法入門だっけ、あの薄めのやつが
わかりやすいと思う。
あと、生成言語学入門とかいったと思うけど、
何人かで共著のやつ。
一学部生の視点から。
俺は梶田優「文法論II」(大修館)で目覚めたね
あれを読んだときはその論理の緻密さと議論の執拗さに衝撃を受けたものです
あー言語学者ってこんなに勉強するんだーと思った
まじめに言語学やるんだったら、「わかりやすい」本で適当にごまかすよりも
がっつりと本格的なものに取り組んで、自分に対するハードルを高いとこから
はじめたほうがいいと思うですよ
かといっていまどき文法論IIはお勧めできないけど。あまりに古いといえば古いから。
132 :
仇鱒:2005/11/29(火) 19:39:10
>>125 >『謹呈』の栞が挟まっておりました。今も大事に取ってます。
グゥウォオオオオーーー!!!、てか、MあGいKあ===!!!。0RZ=33
ブクオフの支店名と書名を教えてくれたら換金した香具師イッパツ分かるのだが、、、。
つーか、ブクオフに売った香具 師!換金した金の半分わしによこせ!!!
その金でビール買うから。
>>128 >言語の階層構造が可能
おそらく自然言語の統語構造は階層性をもっている。正直、階層性
をもっているかどうかもこれからのイッシューになってくると思う。ま、
ようするに、古く て新しいテーマだ。というのも、片や顔餅のようにVPを5つに
スプリットして統語現象を説明する派閥があれば、カリカバー&ジャケンドフ
のようにVPを 一層つまりフラットにしてどこまで統語現象ができるかチャレンジ
する派閥もあるから。まあ、それはともかく、仮にどんなにフラット
になってもそれでも統 語構造に階層性はあると思う。では、統語構造における
階層性とはなんぞや。ヘッドとコンプリメント
がくっついてできあがったものだけではそれは階層性と はいわないであろう。
ようするに、αとβという二つのものがくっついただけでは階層があるとは
普通言わないだろう。では、いつ階層が生じるかというと、
二つのものが ドッキングしたアウトプットにまた何かがくっついてはじめて階層が生
じるわけだ。つまり、スペックができると階層性が生じるわけだ。そう言った
意味で は、自然言語の階層性は何がつくっているかというと、一言でいうと、
スペックがつくっていると言える。だから、もし自然言語の特性というか
特異性が階層 性にあるのならば、それはスペックのおかげであると言えよう。
で、スペックは原則何をしているかというと、前にも書いたが移動要素のホスト
である。
133 :
仇鱒:2005/11/29(火) 19:40:02
そう考えると、やはり、自然言語の特性は移動つまりディスプレイスメント
ということになる。そして、そのディスプレイスメントを可能
にしてくれているの がスペックの存在である。で、スペックはなぜ生
じるかという問題が生じる。ここで、「移動があるから」とか「移動を引き起
こすためにあるのだ」と言うの は説明にならない。完全にハナシがトートロジー
になってしまうから。じゃ、どうするかというと、一つの逃げ方として、移動の
モチベイションをシンタクス 以外のところにもってくるやり方がある。つまり、
インタフェイスというか認知システムからの移動の要請という逃げ方である。
そして、その移動があるから 移動の着地と同時にスペックができあがると。
で、他の逃げ方はないかというと、ある。で、それはモロが提案している。
香具師は、CHLは対称的な統語構 造を許さないと考える。そう考えると、
ハナシを非常に簡単にすると、αとβがくっついただけのものは統語部門では許
されない。というのも、そのまんまだ と対称的な構造がゴロン♪
とあるだけだから。で、モロは、その対称性を破るために移動が駆動
されるという。そしてその結果、移動されたモノの受け皿と してスペック
ができるわけだ。まあ、アイデアとしては面白いと思う。というのも、パリティ
の破れにより「世界」が生成されるというのは物理では「常識」 になっているから。
こういう風に考えていくと、言語の階層性はもしかしたらある種の物理の法則
みたいなものにしたがっているかもしれない。で、たぶん、 サルの言語は
トウゴコウゾウの対称性を許すようにデザインされているのだろう。それで、
おそらくサルのゲンゴには移動がないのだ。まあ、そんなもんだ。 てか、
ゆっとくけど、今書いたことはデムパであるから取り扱いは要チューイ。w
134 :
仇鱒:2005/11/29(火) 19:41:02
>今がbindingを抜本的に見直す時期
バインヂングは今のシステムだとシンタクスではそもそもうまく扱
えないのでは、、、。というのも、わしの古い考えでは、やはりバインヂング
だけは完成し た文全体を見ないとバインヂングの効果をチェックできないと思
うから。つまり、今のシステムだと文をフェイズごとにぶった切って
インタフェイスに強制送 還させているわけで、シンタクス
ではいわゆるまとまった一文というのは存在しないから。そうなると、もはや
シンタクスではバインヂングの条件というのは 定義不可能ということになると
思う。だから、根本的に見直すというか、今のシステムだと、前から言
われているようにバインヂングは解釈規則としてしか扱 えず、もはや
シンタクスの問題ではないと思うのだが、、、。ようするに、ミニマリスト中期
だか後期になり、初期の頃ほのめかされていた解釈規則としての バインヂング
条件というのが実質化したと思うのだ。というか、このスレでは前からわしが
言っているように、バインヂングは二重の意味で解釈規則であると 思うのだ。一
つは上の意味での解釈規則。もうひとつは、いわゆる束縛領域を事実に合わせて
派生の要所要所で随時再解釈しなくてはいけなく、そういう意味 で解釈規則。
つまり、アンテシーデントが見つかるまではてしなく束縛のドメインを広
げていくというアレである。まあ、そんなこんなでバインヂングをシン タクス
の中にいれておくとロクなことはないと。
>Boowy時代の布袋さんもガキの目にはイカした感じに写ってた
禿道。オヤジの目にもイカしてまつ。はい。てか、布袋さんのギターのリフの
メロディーラインは日本人離れしていると思いまつ。
135 :
仇鱒:2005/11/29(火) 19:42:08
え〜っと、なんかどんな本がいいとかいうハナシになっているけど、
ちょいとだけマジで書く。まず、何のために読むかというのを考えた方がいい。
目的は大 きく分けて2つある。勉強のためと研究のため。勉強
というのはひたすら知識を吸収して満足する自己満足の世界。一方、研究
というのは勉強とちがってイン プットではなくアウトプットが重視される。
というか、研究というのはアウトプットつまり結果だけが全
てであるところがある。どんなに勉強していても何も 出していなかったら外
から見たらその人は何もしていないのといっしょ。で、問題は何のために読
むかだ。もし研究のために読むのであれば、読むべきものは やはりジャーナル
であろう。一方、知識の吸収に重きをおくなら(日本語で書かれた)本
かもしれない。今自分は何のために本を読んだり雑誌を読んだりして いるのか
時々考えてみるのもいいと思う。そういった意味では、学部の頃ならまだ知識
を蓄えるだけでいいから、日本語で書かれた本なんかを読むのもいいだ ろう。
けど、大学院とかになったら勉強でなくむしろ研究をやるのだから、
やはりよむべきはジャーナルだと思う。
と、ちょっとワケワカメなこと書いてし まったが、スマソ。参考までに。
なーんか、からだダル〜。また風邪ひいたべ。
>>116 一部訂正
water + bird → duck
詳しくは P. Lieberman, Human Language and Our Reptilian Brain. p.133
>>120 >サルにも方言があるというけど、「方言」の定義は何なのだ
今朝の産経新聞によると「ウッキキやねん」「ウッキキたい」「ウッキキじゃん」「ウッキキだがね」
だそうにゃw
>オカノ野氏の研究にもあるように、トリにはあきらかに方言というか 個別言語の違いがある
先日のシンポではUGの違いだと言っとったにゃ 学習によっては獲得不可能な種固有のものという
意味でにゃが
>>127こさかなしゃん
昔はMGCといえば、仙台店、上野店、名古屋店、神戸三宮店、福岡店と全国展開しとったのに
今や福岡店が最後のトリデになってしもうたにゃ
不景気なのはどこも同じにゃが、モデルガン業界は瀕死の状態かもにゃ
一般市民が実銃を所持できない国ならではの世界に誇れる独特の文化だと思うのにゃが、残念にゃ
>>128 RODしゃん
subassembly methodとか、フツーの生成厨なら知らない用語が出てくるあたり、成長著しいにゃw
しかし pairing methodはただ2つのものを1つにするだけにゃから、adjunctでなくても構わないにゃ
またsubassemblyは、たとえば主語として his mother をmergeするだけでも必要になる(あらかじめ
his motherを作っておき、それ全体を一つのパーツとして扱う)ものにゃから、これに相当することが
ヒトにはできてチンプにはできない、となると、逆の意味で(つまりチンプの言語能力は所詮その程度)
面白いと思うのにゃ
で、こないだのroot compoundingの例は、スウェーデン人の言語能力はチンプ並み、フランス人は
チンプ以下、ということを証明しているのにゃ(ウソにゃ)
>>130 >梶田優「文法論II」
こーゆー骨太な著作が皆無で、軽〜いノリが受ける今の時代がいいのか、悪いのか、
難しいところにゃ
>>132-133 >スペックは原則何をしているかというと、前にも書いたが移動要素のホスト である
移動がなくてもSpecはsecond mergeによってできるからにゃ、displacementにだけ
焦点絞ると方向違いになるにゃ
ただし、moveもmergeの一種であり、mergeがあれば自動的にmoveもある、という
チョムのシナリオは、上のmergeの段階的進化の観点からは再考が必要となろうにゃ
>>134 別の見方をすれば、単一のphase内で成立するlocal bindingはsyntaxで扱うべき現象とも
言えるだろうにゃ 現にon phasesでのチョムはそういう方向を目指しとるようにゃ
long-distance wh-mvtも、PICにも関わらずsyntaxで成立するdependencyだとすると、
long-distance bindingもやはりsyntaxで、という可能性も残るんだろけどにゃ
139 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/30(水) 00:02:55
唐突なんですけどね、言語って、世の中の実在物と対応するものなんですかね?
というか、言語と切り離された実在物ってあるんでしょうね?
言語はそういう実在とどう関連付けられてきたのですか?
チョムスキー先生はユダヤ系ですか?非常に素朴な実在論に立っている?
それとも、実在なんてなくて言語がみんな作ったものなんですか?
出来事は物じゃないので、出来事を語る言語は実在とは対応してないんですよね?
こういうのって、レスないんだろうなぁ。。。 世迷言だもんねぇ。
この種の世迷言は数量化して分析するなんてできるんだろうか?
を、にゃんか昔のスレを想い出す書き込みだにゃ
言語=仮想現実=科学、とかどーにゃ
root compounding の話、激しく興味があるんだけど、顔文字先生はどっかに書いたんですか?
にゃ、ごく簡単に触れたものがあるにゃが未発表だにゃ
参考文献
T. Roeper & W. Snyder: Language learnability and the forms of recursion.
>>137 > で、こないだのroot compoundingの例は、スウェーデン人の言語能力はチンプ並み、フランス人は
> チンプ以下、ということを証明しているのにゃ(ウソにゃ)
フランス語では数もまともに数えられないうえに、root compoundingもつくれないのか?www
144 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/30(水) 01:04:17
仮想現実とは新しきオキシモロンなりや?
一句浮かんだにゃ
オキシモロン 直訳すれば 酸素バカ
146 :
仇鱒:2005/11/30(水) 07:12:27
昨晩何度も吐いて体調最低。
いろいろレスしたいが今日はできない。
ごめん。しんどー orz
無理せずゆっくり養生汁
仇ちゃんも不惑・厄年が近いからのう。お大事に。
『文法論II』のような著作は今後現れることはない
のとちゃうかな。今のような社会では、かつてのよう
に大学教授がじっくりと文献と対峙する時間が十分に
確保できそうもないからのう。なにせ、あの本に挙げ
られている文献は当時の生成文法の(特に思考方法と
関連するものが中心だが)90%以上は網羅していると
いう驚異的な内容やからなぁ。
でも、この本、またはホムの著作で目覚めることが
できるような奴は、他人に「ええ入門書おまへんか」
とは聞かへんがな。そういう素養がある奴は、ほっと
いても自分で良書・悪書の区別ができるし、どんどん
進んでいくものよ。知り合いには、LGB の背表紙がつ
ぶれてバラバラになってしまうぐらいに読んだ奴が、
5人ほどいるぞ、数量詞遊離構文。
その素養の無い人に教えるのが学問ですよ。
俺もKoLならバラバラになるほど読んだにゃ(遠い目
すぐバラバラになる装丁にゃった(ドテ
入門書っていっても、目的によって違いますよね。
言語学の道に進もうとしている人が読むべき
生成文法の入門書と中高の英語教師になる人が
教養として知っておくべき生成文法の入門書が
違うのは当然だし。どちらかに優劣はつけられない。
言語学と違う分野の人が読んでもわかる入門書も
必要なはずなんだけど…
そろそろ仇がほろ酔い気分で書き込み↓
仇鱒風邪でダウン
壊れやすい装丁の本といえば、伝説的なThree Dimensions of Linguistic Research
RossのNouninessが有名ですね
>>154 inter library loanで取り寄せてもらったが、あれは確かにひどかった。
影響力のある論文が多かっただけに残念だ。装丁を新たにして
再販とかされないのかな?
ところで、影響力があると言えば、意味論の世界ではParteeが中心になって
形式意味論の古典を集めた便利な本が出たけど、syntaxでそれに
近いやつってあるっけ?
knowledgeは当たり外れがあって、ばらばらにならないのもあるニョロ。
あっしのはバラバラにならないけど、紙が画用紙みたいで長い時間よんでいると
手がかさかさになるにょろ。ちなみに大昔、本屋でknowledgeを買おうとしたとき
最初に手にしたコピーは開いただけでバラバラになりそうになり、
それは後から来るお客様用に本屋において、いい装丁のやつを購入したニョロ。
>155 はparteeとportnerのessential readingsって奴?phonologyにもそういう
本(Goldsmith?)あったような気がするニョロ。syntaxにはないニョロね。syntaxの世界って
disseartationとか本にdriveされているからかしらにょろ。
個人的には歴史的な意味があるといえば、
chomの論文ではremarksとon wh-mov't、あとはhuangのobject dropの論文、
lasnikのremarks on coreference、reinhartのc-commandの論文とかにょろかね。
rossおじさんのsluicingとかもいいかも。10本入るのならあと4本。
「古典的価値」ってのは、「その後の研究に影響多大」ってことなら、あとは
何が入ればいいでしょ?
Reinhartは83年の本だと思うにょろ
Chomではconditionsシリーズの73年と75年の2本がすごかったにょろ
今読んでもいいと思うにょろ
remarksもon wh-mvtもすごかったのはひていしないけど
Lasnikではマイナーだけどauxの話が良かった(stray affix filter出したの)
RossのSluicingは感動ですにょろ。だがやっぱdissertationだわ
Jackendoffではやっぱりsemantics and cognitionですにょろ
McCawleyは、あの2巻本がいいにょろ
dissertation出すなら
やっぱりGruberとかSagとかHigginsとかStowellとか
90年代以降が何もない? ないかもw
>>157 正直そのへんはMP以前のシンタックスとそれ以後のシンタックスは質が変わった、もとい被説明事項が
変わったせいではなかろうか
補足だけど
Japanese syntax関連ではKurodaのdissと、井上と柴谷の大修館
それからSaitoとFukuiとNIshigauchiのdissが入り口だと思う。
俺が学部生のころにワケも分からず読んだもんとしてはlangackerのcommand chainとかかにゃ
最近、pronominalization transformationの考え方をcopy theory of mvtの下でreincarnateする
可能性も出てきたと思うので、温故知新的に古典的変形文法の時代の論文を読み返すのも意義あることにゃろ
それで言えば生成意味論関係からもMcCawleyあたりを一つ、それからsyntax-smantics interface
ということでdiesingあたりを一つ、かにゃ
いや、やっぱチョムだけでシンタクス引っ張ってるわけでもないし
そういうのをチョムガ望んでるわけでもないと思うし
もっと言えば、「MP以前、MP以降」と分けるのってどうかと思ってるんです。
つか、今、例えばELでシンタクス関連の論文を投稿するとき
MP無視はダメなの? GBのフレームワークで押し通した論文ってのは
ただ、時代遅れってことで、速攻で却下なのかなあ・・・
MP無視ってのはどうかと思うにゃが、GBの立場からMPの方向性を批判する、
たとえばDSを残しておくべき議論を展開する、とかなら逆に高く評価される
んでないかにゃ
(ま、ジャーナルにacceptされるかどうかは、結局reviewerとウマがあうか
どうかの問題なので、当たったreviewerがアフォならしゃーないにゃw)
>>157=159
いや、論集ってことであくまで論文で、博論や本は本のchapterとしては
長過ぎるにょろ。whのscopeの論文で、1970くらいので非常に卓越した
論文があったけど、なぜか著者の名前が思い出せないニョロ。風邪ひいて
強烈な薬のんだせいか頭がいかれているニョロ。
それと日本語のsyntaxはkuroda dissがやはり基本中の基本は同意ニョロ。
ある意味で日本語のsyntaxの古典的論文集を集めるのなら、kuroda dissそのもの
(マイナス最後のchapter)を出版すればいいだけの話にょろ。
それにしても昔のこととはいえ、「日本語の生成文法関係の論文集」って感じの
dissを提出して、それが受理されちゃうってのはすごいにょろ。それがそれぞれの
chapterがまたスンバらしい内容だってのは黒田先生の才能の非凡さを表しているにょろ。
思い出したニョロ。charles bakerの論文ニョロ。
===このスレでよく話題になる論文・本===
■日本語SYNTAX
Dis.
S-Y Kuroda
Nishigauchi
Saito. M
Fukui
■アンチ語彙
■言語進化
■入門書
こんな感じでテンプレつくりましょうか?
>>166 文献スレが別にあってもいいと思うんだけどね。
KurodaのdissはGenerative Grammatical Studies in Japaneseというやつであってますか?
まだ読んだこと無いので・・・
172 :
仇鱒:2005/12/01(木) 19:18:27
氏ぬかと思った、、、。病院に行ったらウイルス性の胃腸炎だとのこと。ゲロ
が止まらなくほんとこのまま氏ぬのではないかと思った、いや、まじで、、、。
しばらくまともな生活にもどそうと思う。てなことでしばらく朝練は中止
ということで、夜練だけにする。てか、健康第一だな、ほんと。もう若くないと
思う今日この頃であるよ。てか、Fred師匠に言われてはじめて気づいたが、
わしももうすぐ厄年だ、、、。
てか、なんか本の装丁のハナシで盛り上がっているようだが、先日ちょいと
ジャケンドフのセマンティック・ストラクチャーを本棚から取り出
したらとんでもない状態だった。布カバーが全面カビだらけだった。前にも何
かの本でこんなことがあったが、アメリカ産の布カバーってちゃんと防カビ塗装
みたいのしているのだろうか。ペーパーバックの背が直ぐに割
れてしまうのはもう当たり前だとして、ハードカバーの作りも悪いと思
うのはわしだけだろうか、、、。
では、さっそく軽めではあるがレスする。
>>136 >先日のシンポではUGの違いだと言っとったにゃ
ん?言っていることがよく分からない。UGの違いとなると、Aという場所に住
んでいるトリとBというトリに住んでいるトリは違う生き物
ということになってしまわないだろうか、、、。というか、UGに違
いなんてあるのだろうか。わしはないと思うのだが。UGは遺伝的に決
まっているもので差はないはずだ。てか、このツッコミは顔餅ではなく岡ノヤ氏
にすべきなのだが。
173 :
仇鱒:2005/12/01(木) 19:19:30
>>137 >これに相当することがヒトにはできてチンプにはできない
ていうか、逆の見方をすると、チンプのCCL(←
チンプ・ランゲージ・コンピューティション)には
ノー・タンパーリング・コンデション(別名「そこはさわっちゃダメって
言ったでしょ!条件」)のようなものが働いていない可能性がある。つまり、α
とβをマージしても、依然としてβの中まで見てしまい、それでその先の
コンピューティションがうまくいかないという可能性だ。つまり、CHLは既に
計算したモノの中が見れないおかげで先のことだけを考えればよいと。で、前
だけ真っ直ぐ向いて構造をどんどんビルドアップできると。一方、CCL
はすぐ後ろを振り返るから構造をどんどんビルドアップできないと。まあ、
ようするに、ネコみたいなもので、横断歩道を渡るときにすぐ後を振り返るから
路上であぼんされちゃうのといっしょだ。ちょっと違うか、、、。てなことで、
まさに逆の発想をすると、チンプのゲンゴ計算機は一度やった計算を再度見
るように設計されているがゆえに、それで構造をどんどん積み上
げていくことができないとも言えないだろうか。
174 :
仇鱒:2005/12/01(木) 19:20:22
>>138 >上のmergeの段階的進化の観点からは再考が必要となろうにゃ
わしもそうだと思う。マージがあったらもれなくムーブもついてくるような
システムだと、CCLにもムーブがあることになり、CCL=CHL
ということになってしまう。だから、あくまでもCCL=/=CHL
であることを言うのであれば、CCLにはマージすらないと言
わなければいけない。だから、チンプのゲンゴ計算機にほんとうにマージ
があるのかをしっかりチェックする必要があると思う。しかもかりにマージに
相当するものがあったとして、それが本当に「やらせ」ではなく自発的
なものかをしっかり調べる必要がある。仮にCCLにもマージがあるとして、
それが経験的によるものなのかそれとも先天的なものなのかを明確にしておく
必要があるであろう。それと、チョムがいうように、本当にマージと抱き合
わせで本当にムーブがもれなくついてくるのか、ということも再検討する必要
があるであろう。チョムが言ったからその通りだろう、
ではなくやはりみんなでちゃんと検証すべきである。定義はどうであれ、やはり
インターナル・マージとイクスターナル・マージはまったく違う操作であると思
うし。まあ、そんなこんなで、言語の系統発生を考えるにあたってはまずは上
の2つをよーく考えてみる必要があると思う。
175 :
仇鱒:2005/12/01(木) 19:21:12
>long-distance wh-mvt
>long-distance binding
理論的枠組みが何であろうと、わし個人の見解としては、ロングなものは
シンタクスとは別物だと思う。バインデング関係ではロゴフォーが絡んでいる
可能性はやはりぬぐいきれなく、語用論的なファクターを抜きにしては考
えられないと思うし。一方、wh移動のロングなやつだが、語用論的な
ファクターは絡んではいないにせよ、ほとんどがパーシングの影響が絡
んでいるのではなかろうか。もっというと、短期記憶の関係である。つまり、
ワーキングメモリの問題とも言えよう。もっというと、wh移動のロング
なものは結局、頭から後まで読み通してそれでジャッジしているのではなく、
最後まで読んでまた頭に戻ってジャッジしていると思うのだ。だから、
ぶっちゃけたハナシロングなやつは、読み聞かせてジャッジをした場合と紙に書
いて被験者にジャッジした場合では結果が違うと思う。で、こういうことを調査
した研究とかないのであろうか、、、。たしか、
イクスペアリメンタル・リングィスティックスとかいうそんなことを
扱っていた本があったようななかったような、、、。まあ、ようするに、
シンタクスというかナロー・シンタクスで扱えるものは原則ローカルなものに
限定されるのではなかろうか。つまり、分かりやすく言うと、一つの節で
コンプリート・ファンクショナル・コンプレックスが成立
しているようなものだけが、ナロー・シンタクスの対象
になるのではなかろうか。そんな希ガス。
176 :
仇鱒:2005/12/01(木) 19:22:03
>>139 >出来事は物じゃないので、出来事を語る言語は実在とは対応してないんですよね?
こういうのは生成ぶんぽーよりは認知ぶんぽーが得意なところである。認知
ぶんぽーと絡めてこのあたりのこともいろいろ語ってみたいがまだ調子
がいまいちでないのでまた今度にする。けど、ひとことだけ書く。えっと、昔、
生成にはCSR(キャノニカル・ストラクチャル・リアライゼイション)
というのがあった。ま、簡単に言うと、CSRというのは現実世界と言語
システムを橋渡す関数みたいなものだ。ようするに、CSR(x)という関数
があり、この変数xに解実世界の現象をいれると、値として、言語システム上の
単位がはじき出されると。で、たとえば、
>>139氏の上の引用に即して考えると、
関数CSRの変数xに「出来事」を入れると値としてCPのような出
てくるわけだ。具体的に書くと次↓のようになる。
1)CSR(出来事)=CP
で、わしが何を言おうとしているかというと、結局言語システムというのは、
生の現実世界をそのままシステムに載せることができないわけだ。で、CSR
のようなものや、あるいは上でわしと顔餅が議論しているようなCSなりLCS
なりが必要になってくるわけだ。ようするに何らかのインタープリタが必要
になってくるわけだ。
>こういうのって、レスないんだろうなぁ。。。 世迷言だもんねぇ。
てなことで、いちおうレスしてやったよ。
177 :
仇鱒:2005/12/01(木) 19:22:48
>>168 >当分は夢物語だにゃw
てか、ピンカーの文法遺伝子も罪深いタームだが、文法神経細胞
とかなったらもう犯罪ものだな。いや、でも、説明的妥当性を越
えようとおもったら、まじで文法神経細胞はもちろんのこと、併合神経細胞とか
転移神経細胞とか見つけなければいけないのかもしれないな。ははははは。ま、
そうなったらわしら言語学者なり言語学徒はもはやお呼びでないがな。
>>170 うっ、、、知らないところで晒されている、、、。
あと、老婆心ながらちょいと言っておくけど、上でいろいろお勧めの本なり
論文集があげられているが、学生が必ずしも今読む必要はないと思う。学生に与
えられた時間は非常に限られている。その中で何らかの形で結果
をださないといけない。マスターなら2年、ドクターなら3年と与えられた時間
が限られている。とにかくその限られた時間のなかでなんとか結果を出
さないと後が続かない。だから、まずは自分のケンキュウに直結するものを読
む方がわしはいいと思う。上であげられている本なり論文集は仕事
をするようになってからでも読める。だから時間的ならびに能力的な余裕のある
香具師のみ上で挙げられている本や論文集を読めばいいと思う。ほんと、時間
はあるようでない。あれもこれもただ漠然と読んでいると振り返ったら知識
だけは増えたが何も生産してないということになりかねない。これだけは避
けた方がいい。
>>172 ジュウシマツに育てられたコシジロキンパラのヒナは、ジュウシマツの歌を
獲得できない、という実験にゃが、それは両者の遺伝的基盤、つまりUGが
違うから、ということにゃった
もし火星人のUGが地球人のUGと違っていれば地球人に火星人語は獲得不可能、
ってのと同じにゃが、果たしてジュウシマツとコシジロキンパラは火星人と
地球人ほど違うものなのか、とも思うにゃ
>>174 物体操作に関わるAction Grammarのレベルでは確かにチンプもpot method
相当のmergeをやるにゃ
それどころか、例のシンポの後、岡ノ谷氏がラット(か何か忘れたにゃ)も
pairing methodやpot methodによるmergeをやる、って映像を見せてくれたにゃ
で、generalized transformation相当のsubassembly methodはやらんわけにゃ
んで、明日は上野でお買い物♪
>>177 >とにかくその限られた時間のなかでなんとか結果を出
>さないと後が続かない。
収支の学生はこれは心して聞くべきだな。
あと、むかしかかりちゃんが言っていたこと、トピックは小さい程よい、
学部や収支の学生は、これも覚えておくのが吉。
ちなみに、言語学会@広島でkoの陰性が卒業論文をもとにした
発表をしていたが、最近じゃ割と多いのかな?
180 :
仇鱒:2005/12/02(金) 06:34:20
>>178 >んで、明日は上野でお買い物♪
ありゃ?またテッポーの部品でも買いに上京するのかな。わしも暇ならいろいろ
夜のナイスなスポットを案内してやりたいのだが(w)、いかんせん土日は
ピィー・ティー・エーの仕事が入っていたりしてなかなか
アイム・ノット・アヴェイラブルだったりする。てなことだけど、せいぜいいい
部品買い集めてこいな〜。あ、そうだ、上野界隈うろつくなら今なら
東京国立博物館(上野公園内)でやっている北斎展に逝くことをお勧めする。
わしは北斎の俗っぽい絵が好きなのだが、北斎は日本を代表する一流の大天才
だと思う。もし時間があったらマジで逝くのをお勧めする。あと、上野界隈には
萌系のメイド喫茶もいくつかあるのでそっちに逝くのもいい鴨しれない。www
てなことで、勉強ネタのハナシはまた夜にでもする。わしはこれから目黒に出稼
ぎだ。もしかしたら新宿辺りで顔餅とバッタリ会ったりしてな。ははははは。
遅レスですが、顔文字先生、かかり先生、ありがとうございました
182 :
romi:2005/12/02(金) 13:05:25
唐突ですが、数量詞の遊離の適格性を説明するとき、Miyagawa'89のmutual c-commandって
果たしてどの程度妥当なものなのでしょう。意味論的な分析もその後いくつか
あると思うのですが…。
数量詞に関しては機能主義統語論からの研究があったような。
184 :
仇鱒:2005/12/02(金) 18:34:01
>>182 どうしても教えて欲しいというのなら教えてやるが、少しは自分で調べてみたらどうだ。
調べても分からないなら教えてやるが。
>>182 miyagawa89なんていまではズタボロのtrash用論文ぐらいに
思われてるんじゃないの?学部2年くらいか?
この間、私信でmiyagawa先生のfloating quantifierのこと聞かれたけど、その
関係者ニョロかね。あっしもdissの最後のほうでFQをやったので、いろいろ思い出す
こと等あるにょろ。
学部生の頃、よくアメ横に行って、靴買ったりジーパン買ったりしたものニョロ。
あれも今は昔にょろね。
アメ横でジーパン買うモサイ大学生って東大くらいなもんだよw
188 :
いんちょ:2005/12/03(土) 01:16:59
最近のものでは(MPによるアプローチとは言えないけど)
Nakanishi(2003)がありますね。それにしても、MPでは数量詞
遊離はどのように扱うのでしょう?どなたか教えて、興味あり
ありです。
189 :
仇鱒:2005/12/03(土) 08:06:47
>>182 レスがないが、ちょっとだけ教えてあげる。
宮Gのムーチュアル・シーコマ条件で問題になりそうなデータとして次のようなやつがある。
1)仇高の学生は、毎年燈台を20人以上受験する。(仇高=灘高のつもり)
NB: 「仇高の学生」と「20人」がムーチュアル・シーコマの関係にない
2)漏れは社宅住まいだけど、最近同僚が一戸建てを5人次々と買いやがった。
NB:「同僚」と「5人」がムーチュアル・シーコマの関係にない
3)A:このギター売れてんの?
B:ああ、昨日も中年のおっさんがそれを5人買っていったよ。
NB:「中年のおっさん」と「5人」がムーチュアル・シーコマの関係にない
4)学生がわしの本を3人しか買わなかった。
NB:「学生」と「3人」がムーチュアル・シーコマの関係にない
5)わしはバレンタインデーにおねぇちゃんから4人チョコをもらった。
NB:「おねぇちゃん」と「4人」がムーチュアル・シーコマの関係にない
今度は風邪ひいたみたい。またダウンする鴨。orz
190 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/03(土) 10:40:04
!
191 :
いんちょ:2005/12/03(土) 10:45:10
189にあるようなデータはたしかに「シーコマ」では
説明できんのでしょうね。でも、MPやってる人にしてみたら、
「それがどしたの?」って感じなのかな?
理論構築にあたって、そんなこと大騒ぎするほどのことでは
ないってことかな?
557 :(´∀`) :02/10/25 07:40
ところで
*学生が酒を三人呑んだ。
みたいのは伝統的にダメとされてきたにゃが、結構よくなる場合があると思うにゃ。
学生があの高い酒を三人呑んだ。
これは目的語のspecificitiyの問題かと思うにゃ。また
*学生が山田先生を三人尊敬している。
に対して
学生が山田先生を三人襲撃した。
もいいように思うにゃが、今度は動詞のアスペクト的相違が関係しているにゃ。
似たようなケース(meow川しゃんへの反例)を以前に高見、三原のダブル健一しゃんが
取り上げていたと思うにゃが、単純にovert object shiftの適用があるかどうかの問題では
にゃいのか、とその時は思ったにゃ。
もしほんとにOSにゃら、その位置はShifted Obj > Subj-FQ > Subj ということになるにゃ。
559 :名無し象は鼻がウナギだ! :02/10/25 08:35
>>557 結構よくなる場合があるぅ?
三つの例文、全部ダメだよ。あなたの非文判定の語感は信用できないナ。
560 :(´∀`) :02/10/25 09:14
全部等しくダメとは思えんにゃが、確かにいきなりの判断は難しいだろにゃ。
今、三原しゃんのペーパーを引っぱり出してきたにゃが(後に月刊言語にのった)
そこであがってる高見の例は、
この新刊雑誌、売れてますか? ええ、今朝も学生がそれを5人買って行きましたよ。
僕はアパート住まいだけど、最近同僚が家を4,5人次々と建てましたよ。
みたいにかなり文脈を整えてあるにゃ。これらは二人ともOKと判断しているにゃが、
生徒がこの階段で突然3人転んだ。
は、高見は*、三原はOKとしているにゃ。個人差が大きい現象ではあるにゃ>FQ
193 :
仇鱒:2005/12/03(土) 17:37:31
>>191 いんちょ氏は
>>188での書き込みを察する限り、たぶんFQに関してはそれなりに
造詣が深い御方なのであろう。しょうじきわしはそれほどFQにこれまで
コミットしてきたことはない。ただ、いんちょ氏はわしの中の人が誰だか分
かっていると思うが、わしはこれまでかなり機能的アプローチにコミット
してきた。それで、実は、機能的アプローチの方法論なりをケンキュウする
中で、わしなりにいろいろFQについてベンキョウ
ぽいことをしてきたところがある。で、そういった前置きはコッチに置
いといて、次のレス↓であるが、
>でも、MPやってる人にしてみたら、「それがどしたの?」って感じなのかな?
なんでそう簡単にあしらうことができるのだろうか。できればその理由
をいろいろお聞きしたいところである。で、次のレス↓に対しても、
>理論構築にあたって、そんなこと大騒ぎするほどのことではないってことかな?
なんでそういうふうに言うことができるのだろうか。やはりこれについてもその
理由をお聞かせおながいしたいところである。てか、正直、わし自身
>>189 のようなデータをミニマリストが無視していいものなのかどうか分
からないというのがある。というか、もっと言うと、ミニマリストが扱うべき、
というか扱えるFQの現象とはそもそもいったいどのようなタイプ
のものなのだろうか。ミニマリストが扱うべきデータとそうでないデータを分
ける基準はいったい何なのであろうか。そして、その基準はどこにどんな形で
存在しているのだろうか。これは正直難しい問題である。実際わしは組の若
いものといっしょにこういった難しい問題を考えているのであるが、ほんと
ハード・プロブレムである。仇組も
>>189のような問題をいずれ扱うと思うが、
もし考えるヒントなりをご教授いただけるのであればおしえてほすい次第
である。で、たしか、
>>188のような例はまさにミニマリストでは問題がないと
石I氏@神D外語大かだれかがペーパーを書いていたような気
がするのだが、、、。ただ、それが的を射たものだったかどうかは今はもう記憶
がない、、、。
194 :
仇鱒:2005/12/03(土) 17:38:17
>>192 ん?顔餅関西エリアにゴー・バックしたのか?
てなことで、今日はムスコのガッコウで焼きそば屋のオヤジをしてきた次第である。
195 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/03(土) 17:49:14
>>192内にあるとーり、
>>189みたいなデータは以前から議論されてきとるし、
俺もすでに3年前から
>単純にovert object shiftの適用があるかどうかの問題では にゃいのか
と言っとったわけにゃ
つまり
[ Subj Q ]... Obj ... → Obj [ Subj Q [ ... t → Subj ... [ Obj [ t Q [ ... t
という派生をたどるにゃ
するとこのOSが適用する場合はどういう場合で、具体的にはどのような
素性がこのOSを駆動するのか、を見ればいいことになるにゃ
先日のエーゴ学会で東北大の院生がSpec-AspPへの移動ってことで
分析しとったんでないかにゃ
またFQの話かいな。萩原流行クリソツのおっさんの相互
シコシコ説に対する批判は、久野・高見恭子以前に3年B組
の片桐次郎が指摘しているとされているが、そんなもん、
Topicalityが適格性を左右するなんて、誰でもすぐにわか
るやんけ。問題は主題性をどのように定式化するかってい
う問題で、いつものように、「統語か意味か」という問題
に帰着するわけや。
で、わしの見解は、FQについては、基本となる統語制約
よりも、文脈による主題性の強弱が重要となるので、高見
恭子の勝ち!、となるのだが、ここでもまた、音調が関わ
るので、「ヨシキタ」や「ほうじ茶」の手法も参考になる
鴨なんば。もちろん、aspectual な視点からも捉えられる
可能性はアルマッケイ。(意図的にボカしまくったのだが、
わかる奴にはなんのことかわかると思う。)
>萩原流行クリソツ
そりゃイメージ狂うがにゃ(ドテ
俺はなんとなく雅子の夫に似てると思とったがにゃ
いくらなんでもアーヤ兄はないで。似とんのは髪型と輪郭だけやがな。
若い頃のジャッキーチェンてので、どないだす。
m.c-commandのオジさんは、前にシカゴで一緒に呑んだ時、おネーサンがお酌してくれる店にいって、ゴチになったにょろ。
そのあと、たった一人でオジさまはたった一人でシカゴの街に繰り出して行ったけど、あんな
物騒なところで一人で行動する度胸にビビったニョロ。あんまり口外しないように、と
言われたので後日談があるけど、gossipはここまでにしときますにょろ。
m。c-commandの言っていることを直感的に言うと、FQとそれがquantifyするNPは近くにないと
いけない、ってことにょろ。それ自体は大体正しいかと。
あっしはobjのFQはVP-adv.、subjのFQはS-adv.だと思うニョロ。
(1) 太郎が本を三冊かった。次郎もそうした。
(2) 学生が三人酒を飲んだ。教員もそうした。
(1)では「そうす」の中に「三冊」も入るニョロけど、(2)では教員が何人酒を飲んだか、は
よくわからないにょろ。この事実はobj FQとsubjFQではついている位置が違うことを示しているニョロ。
to be ctnd
subj FQとobj FQが両方あると、
(3) 学生が 二人 三本 酒を 呑んだ
(4) *学生が 三本 二人 酒を 呑んだ
のようにsubj FQが先行しないといけないにょろ。これは典型的なS-advとVP-advでも
同様ニョロ。
(5) 太郎が 驚いたことに 急いで 酒を 呑んだ。
(6) *太郎が 急いで 驚いたことに 酒を 呑んだ。
ところでシカゴのおネーサンの店ではカラオケやりましたにょろけど、m先生は
十八番の吉幾三の「酒よ」を二回歌っていましたニョロ。
ところが
(7) 酒を三本、学生が二人呑んだ
はobj FQがsubj FQに先行しているにも関わらず、okにょろ。これは
「酒を三本」で一つのconstituentになっているためだと思われますニョロ。
その証拠に
(8) 太郎が呑んだのは酒を三本だ。
(9) ビールを二杯と酒を三本呑んだ。
みたいなのがokにょろ。まあ、(8)はmultiple focusといううさん臭いのもあるにょろから
積極的な証拠にならないニョロけど。
要するにFQはadvであり、それがquantifyするNPにつくことにより、認可されると。
このNPにつくプロセスが「何をなぜ」みたいなのと似ているというのがあっしのdissの主張ですにょろ。
205 :
仇鱒:2005/12/04(日) 07:24:14
>>196 >するとこのOSが適用する場合はどういう場合で、具体的にはどのような
>素性がこのOSを駆動するのか、を見ればいいことになるにゃ
どういう素性かに関しては、まあ、何らかの形式素性をでっち上
げるなりなんなりすればいいと思う。ただ問題は、その形式素性が何の要請で
統語構造上存在しているかである。つまり、たんにセオリー・インターナルな
理由で存在しているのならそんなもんは設定する必要ないと思う。
そんなことするとまた統語部門がゴミだらけになってカリカバー&ジャケンドフ
社のゴミ収集車がくるのがオチである。で、もしそれが
セオリー・インターナルな要請ではなくインタフェイスからの要請
であるとしたら、まさに、談話ないし意味的な要請からということになる。
ようするに、上の顔餅の「このOSが適用する場合はどういう場合」の問いに対
しては、「談話的・意味的な要請がある時」となると思う。そんなこんなで、
やはり
>>189みたいな例もミニマリストで扱うべき問題だと思うし、逆に、
インタフェイスをシリアスに考えるなら、なおさらミニマリストは
>>189みたいな
問題こそ考えるべきだと思うのだ。ようするに、何を言いたいかというと、結局
ミニマリストになったからこそ、これまで「これはシンタクスの問題
じゃないからポイする」としてきたものを真剣に考えるべきだということだ。
で、まさにその方向性で動いているのがカリカバーとジャケンドフである。
というか、カリカバーとジャケンドフはこのスレの住人でわしの書き込みを見
てただ行動に移しているだけであるが。ははははは。
>>200 通報しますたー。w
206 :
仇鱒:2005/12/04(日) 07:25:01
>>203 >要するにFQはadvであり、それがquantifyするNPにつくことにより、認可されると。
かかりちゃんのアプローチは、まあ、バルチンやトレゴ(たぶん一番の言い出
しっぺはKlein 1976)と同じラインで妥当な線だと思うのだけど、この
アプローチでいつも疑問に思うことがある。それは、なんで副詞が名詞句とペア
になって解釈できるのかということ。まあ、そのわしの疑問がかかり博論で議論
されている「何をなぜ」の分析なのであろうが、、、。
FQはシンタクスいうよりもセマンチクスの人がまじめに取り組めば
かなり伸ばしどころがあるネタだと思うけどな
そもそもCompositionalityをどう確保するかから始めて、んで
Floatした場合としない場合の意味の差について予測が出る理論にすると。
いわゆる「認可条件」はその理論の副産物として出てくればいい。
208 :
仇鱒:2005/12/04(日) 13:17:40
やっぱしちょっと体調悪い。餃子食いながらビール飲んでるが、ますます体調
が悪くなってきている悪寒、、、。やっぱりビール飲むんじゃなかった、、、。
>>207 >FQはシンタクスいうよりもセマンチクスの人がまじめに取り組めば
>かなり伸ばしどころがあるネタだと思うけどな
そういうことなのだよ。昔からのわしの発言を理解してくれていれば
>>207氏
もわしの考えに同意してくれると思うのだが、わしは、作用域の問題やFQ
のように数量詞が絡むものはシンタクスの問題ではないと考えている。
シンタクスは文法的な文と非文法的な文を区別するだけで容認可能性はチェック
していない。だから、作用域がかかわる問題のように「良いか悪いか」を問う
問題ではなく「ある解釈が出やすいか出やすくないか」を問う問題はそもそも
シンタクスの問題ではないと思う次第だ。
209 :
仇鱒:2005/12/04(日) 13:18:30
>そもそもCompositionalityをどう確保するかから始めて、
そもそもなんで合成性をもってきたのかその真意のほどが分からないが、でも、
そのラインはあながち外れていないと思う。というのも、高M・久N両氏の分析
では、フロートしているQはセカンダリー・プレディケットであると分析
しているから。つまり、高M・久N両氏が言うように、フロートしているQが
述部であるのなら、それに必要な項が発生してくるわけで、それとの意味的な
合成の問題が自ずと生じてくるわけだ。また、バルチンやトレゴ(そしてネタ元
であるクレイン/クライン?)のアプローチをベースにしても、やはり同じように
合成性の問題が出てくる。というのも、フロートしているQが副詞だと考
えれば、副詞はイベント・アーギュメントを項としてとると考えられるわけで、
やはりフロートしているQとイベント・アーギュメントの間で意味的ならびに
統語的な合成性の問題が生じるから。まあ、そんなこんなで、フロートしている
Qをセカンダリー・プレディケットとして扱うにせよ、副詞として扱うにせよ、
合成性の問題は出てくるし、この合成性の問題をどう考えるのかが実はFQの
問題解決への近道なのかもしれない。と思ったりしている日曜の昼下
がりである。
210 :
仇鱒:2005/12/04(日) 13:19:17
>Floatした場合としない場合の意味の差について予測が出る理論にすると。
で、たとえば、次の2つの文で意味の違いがあるのかな。
1)ジョソが2本のギターを買った。
2)ジョソがギターを2本買った。
ま、1)ではイベントが1つであるのに対して、2)ではイベントが2つある読
みが優勢だろうな。ようするに、1)ではジョソは1回のお買い物で2本の
ギターを買い、2)では1回のお買い物で1本のギターを買い、買い物は2回
したと。
>>210 買うモノがギターのような大物ではなくてもっと小物だった場合
3)ジョソが消しゴムを2コ買った。
ジョーシキから考えて2コまとめて買ったほうが自然な解釈だろにゃ
で、重要なのはどちらの解釈が優勢かではなくて(これは原則syntaxとは関係のない問題)、
いかに不自然であろうが解釈として可能であるということであって、これはそのような
解釈に対応する構造があるということに他ならないにゃ
つまり
John bought two books.
に対して2とおりのevent解釈を与えるような構造が、どっかの段階ではdisambiguate
されているはずで、それが数量詞twoのevent adverbial的な機能によるのだろう、それは
日本語ではFQとして顕在的に見えるの鴨、ということだろにゃ
従って
>>208 >作用域の問題やFQ のように数量詞が絡むものはシンタクスの問題ではない
これは言い過ぎで、不可能なスコープ解釈があればそれはやはりsyntaxの問題、
可能な解釈のうちどれがより(不)自然かとかなら、pragmaticsの問題、だにゃ
>>205 そこも何度も言っとるように、functional motivationとmechanismは分けんと
いかんにゃ
ある素性が存在しそれゆえに移動が起きるということがまずあり、その移動が結果的に
どういう談話的・意味的機能を満たすのか、という順番であって、機能のために
素性が生まれたなんつーことはないわけにゃ(いわゆる適応主義・機能主義の誤謬)
>>201-203 かかりちゃんに質問ちゃんにゃが
>あっしはobjのFQはVP-adv.、subjのFQはS-adv.だと思うニョロ
FQがNPにくっつくAdvだとして、Subjの基底位置でFQがくっついた場合、FQは
vP内に残存することができるのでないにゃろか
あと
>(2) 学生が三人酒を飲んだ。教員もそうした。
ではなく
(2’) 学生が三人酒を飲んだ。教員もだ。
だと、教員も3人の解釈が可能にゃろ
昔のほうじ茶の議論を思い出させるにゃが、「そうする」と「もだ」は対応する
constituentが違っていて、「そうする」のほうは外項の基底位置を含まないVP
を先行詞とすると考えると、この違いが出てくるの鴨にゃ
>>203 >「酒を三本」で一つのconstituentになっている
その証拠らしき例文はいいとして、これはどういうconstituentなのでしょうか?
あげられた例文以外で、これをjustifyする様な証拠ってありますかね。
アダモちゃんの
>なんで副詞が名詞句とペア になって解釈できるのかということ。
と
>>214これはどういうconstituentなのでしょうか?
ってのは同じ種類の疑問ニョロかね?
名詞が数詞とくっつけて解釈できるのは自然なことにょろ。「数詞」はadjectiveみたいな
ものでそもそもadjとadvは同じcategoryだと。
>1)ジョソが2本のギターを買った。
>2)ジョソがギターを2本買った。
この間にどのようなsemanticな違いがあるのかはかなり難しいニョロ。
仮にジョンが3本ギター買ったという状況では1)はfalseなような気がするけど
2)はtrueかもしれないにょろ。
話が前後するニョロけど、
>あげられた例文以外で、これをjustifyする様な証拠ってありますかね。
FQはadvともinteractするにょろ。
1)学生が 三人 急いで 酒を 呑んだ
2)*学生が 急いで 三人 酒を 呑んだ
>203の
(7) 酒を三本、学生が二人呑んだ
では例えば「酒を」と「三本」の間にs-advが入っているとこの二つがconstituentになってから
scrambleすることができないので*になるはずニョロ。
3)*酒を 昨日 三本、学生が二人呑んだ
>>212 日本語の句構造が
[vP subj [VP obj V]]なのだとすると、
s-advはvPレベル、VP advはVPレベルで
「そうす」はVPのreplacement、「もだ」はvPが略されているってことに
なるにょろかね。では
4)太郎が驚いたことに 酒を 呑んだ。
a. 次郎もだ
b. 次郎もそうした
にも解釈上の違いがある、という予測が出てくるニョロ。aは確かに「驚いたことに」が
解釈に入っていそうにょろけどbはsubjのFQと同じで「驚いたことに」は入っていなさそう
にょろ。
218 :
仇鱒:2005/12/04(日) 19:50:54
>>211 >(これは原則syntaxとは関係のない問題)
そうとは必ずしも断言できないと思う。よく知られているように、ワイドな
スコープがとりやすいかナロウなスコープがとりやすいかは語順が大きく関係
している。そして語順は、LCAのようなものによって決定されていると仮定
すれば、やはり統語構造がどうしても関与してくる。だから、スコープ
のとりやすさが語順と大きく関係があるとするならば、やはりシンタクスは
間接的に関係してくると思う。
>不可能なスコープ解釈があればそれはやはりsyntaxの問題
いや、必ずしもそうとは言えないであろう。ダメな理由
はそれこそいくらでもある。統語構造が与えられていても語用論あるいは
意味論のトラブルではじかれる解釈があるから。
219 :
仇鱒:2005/12/04(日) 19:51:45
>機能のために素性が生まれたなんつーことはないわけにゃ
それはもちろんそうである。よく顔餅もたとえに出すように、わしらヒトがトリ
になりたいからといって毎日三段跳びやら垂直跳びの練習したり「トリ
になりたいトリになりたい」と日夜念じていても背中に羽が生
えてくることはない。それは分かった上で、ハナシをしているし、もちろん次↓
のことも了解した上でハナシをしている。
>ある素性が存在しそれゆえに移動が起きるということがまずあり
で、わしが問題にしているのは、次の問題なのである。つまり、ある形式素性が
統語構造にあるとして、なんでそんなもんが存在するようになったのか、という
問題である。つまり、形式素性の発生の問題なのである。理由もなくいきなり
ポコ♪と生じたわけではないと思うのだ。何もないところにいきなり赤ん坊が
オギャーと生まれたりはしない。そのウラではオトコとオンナがアンナことや
コンナことをしていたりしているわけだ。で、形式素性が統語構造にオギャー
と生まれたとして、誰と誰がどこでナニをして形式素性がオギャーと生
まれたかそれを問題にしているわけだ。で、わしは認知システムで何かが起
こっていてその結果として統語構造に形式素性が生まれていると考
えたりしているわけである。
220 :
仇鱒:2005/12/04(日) 19:52:36
>>215 >ってのは同じ種類の疑問ニョロかね?
いや、違うんじゃないかな。わしの疑問はただたんに、名詞と関係
づけられるのは原則形容詞なのに、なんで副詞と関係づけれるのかな、という極
めてナイーブな質問。
あ、そうだ、今日時間がちょっとできたからブラナイ見させてもらった。
いやー、映像も音声もバッチシだ。てか、ナイトの歌唱力に正直惚
れてしまった。音程絶対はずさないな。いやー、大したもんだ。まるでCDを聞
いているようだ。あと、リッチーのギターテクもすごいことになっているな。
いや、マジでエレキもアコースティックもあそこまで弾きこなす香具師
をわしはしらない。あ、渡辺カズミがいたわ、、、。でも、あのテクは
スゴイは。ほんと、スゴイと思う。それと、リッチー年とって、なんか
シシノジョウが長髪にしたような感じになってきたな(w)。若い頃は
高田純次を長髪にしたようだと思っていたが(ww)。まだ全部見てないが
ストーブを背にリッチーのギター演奏を聴けるというのは本当に幸せである。
最近リアルライフで腹立たしいことがあるだけにほんとホッ♪
とするひとときである。
えっと、師走ということもありリアルライフがちょいと忙
しくなってきたからまったりいかせてもらう。
>>208 >わしは、作用域の問題やFQ のように数量詞が絡むものはシンタクスの問題では
>ないと考えている。
>>218 >スコープ のとりやすさが語順と大きく関係があるとするならば、やはりシンタクスは
>間接的に関係してくると思う。
誰か↑の自己矛盾を指摘してやるよーにw
>>201 わしもチカゴは怖いな。地下鉄に乗って変なとこに
行ってもた時、ションベンちびりそうになりました。
アダモちゃんの自己矛盾・自己分裂症は、今や個性
の一つなんで、楽しく拝見させてもらってます。
さて、FQの問題ですが、数量詞に含まれる算用数字
と個々の事象の個数は、状況意味論的に決定されるの
で、語用論に棚上げしまひょ。(要するに、あの有名
な「五人の学生が机を五つ運んだ。」の解釈が何通り
もあるという話だす。)
その上で、重要なのは「記号列としての適格性」と
「数量詞がターゲットとするNP(or DP) との作用域の
問題」ですな。基本は?かかりちゃん(ちゃんと?をつ
けとくで)の路線となるのは必定。
ポイントは、興味の対象が「解釈」なのか、「構造
に基づく認可条件」なのかってこったね。
えっ、「お前はどないやねん!」てか?わしゃ、も
ちろん、姉歯建築士は頭部も偽装していると思う方に、
一票や。
んーと例えば、魚屋に行って
「さんまを三匹ください」はいいが
「三匹のさんまをください」???
大地震があって、避難の際の混乱で息子と娘とはぐれてしまった男がいます
「彼は二人の子供を捜しています」はいいが
「彼は子供を二人捜しています」???誰でもいいの?
他にもFQがらみは腐るほどあるけど、俺が自分でやるかもしれないので
自分的には一番ネタにしにくいと思うやつだけあげといた(笑
この?ってのはbrowserのせいかとおもうにょろ。HNのところが一回一回文字化けしちゃう
にょろ。safari使っているんだけど、なんか他の奴にかえようかな。IE以外なら何でも
okにょろ。
姉歯カツラさんはこの間始めて写真見たけど、もうちょっといいヅラ買えなかったんでしょうかにょろね。
>「彼は二人の子供を捜しています」はいいが
>「彼は子供を二人捜しています」???誰でもいいの?
後者もそんなに悪くないかと。
三人子供がいて、一人は既に見つかっている場合、かえって後者の方が自然とちゃいますニョロか?
つまりFQの場合はpartitiveな解釈ってこったにゃ?
ずっと以前、FQではNPよりQのほうがargumentではないか、とか言った気がするにゃが
いちおー辻褄あってるんでないかにゃ
学生が3人来た = Three of the students came.
226 :
仇鱒:2005/12/05(月) 06:30:18
>>221 >誰か↑の自己矛盾を指摘してやるよーにw
まあ、結果だけ見たら自己矛盾しているように見えるけど、
>>208と
>>218では
前提が違うからなー。
>>208では、シンタクスは文法性のみを判断する装置
であり、スコープ関係は文法性ではなくむしろ容認性の問題であるとわしは
言っていたわけだ。で、それに基づいて、スコープが絡むFQなんかは
シンタクス以外の問題ではないかと。で、一方、
>>218では、スコープは語順
というか線形順序も大きく関係している事実があると。で、語順はLCAのような
メカによって決定されるのであれば、あくまでも間接的にシンタクスが関係
してくると。というのも、LCAそのものがシンタクスにおける
線形順序導出関数装置であるからと。まあ、いずれにせよ、スコープ
のとりやすさのようなどちらかというとアナログ的な現象は、デジタルな判断
のみを行うシンタクスでは扱わない方がいいとわしは思っている。この点
ではわしの考えは何も変わっていないしゆらいでいないし自己矛盾も自己分裂
もしていない。
227 :
仇鱒:2005/12/05(月) 06:31:13
>>222 > アダモちゃんの自己矛盾・自己分裂症は、今や個性
>の一つなんで、楽しく拝見させてもらってます。
今はやりの認知症もちょいと入ってまつ。あと、ときどきアルツハイマ
ることもありまつがひとつよろひこ。てか、上でも書いたけど、
>>208のわしの
マキコと
>>218のわしのマキコは分けて考えてもらいたいんだけどなー。
つーか、キョーム委員も今年が最後だが、ショージキ今どとーの試練を受
けているところ。重いコンダラを転がしながら(w)がんがる星ひゅうまの気分
でつ。
>数量詞に含まれる算用数字と個々の事象の個数
たしかにこの二つは分けないといけない。次の
インバース・コーピュラ・センテンスのケースを見てもこの二つを分ける必要性
はよく分かる。
1)One and one are two.
2)*Two is one and one.
3)John and Mary are two good doctors.
4)Two good doctors are John and Mary.
まあ、でも、上のインバース・コーピュラ・センテンスではFQの時とは
違って、状況意味論的なファクターは関わってないと思うけど。
228 :
仇鱒:2005/12/05(月) 06:31:56
> ポイントは、興味の対象が「解釈」なのか、「構造
>に基づく認可条件」なのかってこったね。
「興味の対象」ではすまされないと思うのはわしだけだろうか、、、。よくある
生成系のFQのデータやK野・T見流のデータではおもしろくないので次
のようなデータを見てみようか。
1)*山田先生が、[NP 学生の机]を3人蹴った。
(cf. 山田先生が、3人の学生の机を蹴った。)
2)山田先生が、[NP 学生の髪]を3人切った。
(山田先生が、3人の学生の髪を切った。)
3)山田先生が、[NP 学生の発言]を3人制した。
(山田先生が、3人の学生の発言を制した。)
ちなみに上のデータはあの方の論文からの引用である。てか、あの方、最近ココ
でもリアルでも音信不通だけどちゃんと元気してるかな〜。ちょいとだけ心配。
>わしゃ、もちろん、姉歯建築士は頭部も偽装していると思う方に、一票や。
清き一票ども(ぺこりん
229 :
仇鱒:2005/12/05(月) 06:32:38
>>223 >「さんまを三匹ください」はいいが
>「三匹のさんまをください」???
>「彼は二人の子供を捜しています」はいいが
>「彼は子供を二人捜しています」???誰でもいいの?
とてもナイスなデータだと思う。久しぶりに「言語学やっていてよかった」と
思った。
>>223氏にアドバイスするのも何だが、どうせFQのケンキュウ
やるなら上のようなサンマ文とか避難所文を扱った方がいいのではなかろうか。
わしとしては上のような文こそ一番ネタにしやすいと思うが、、、。
230 :
仇鱒:2005/12/05(月) 06:33:17
>>225 >つまりFQの場合はpartitiveな解釈ってこったにゃ?
ん?
>ずっと以前、FQではNPよりQのほうがargumentではないか、とか言った気
がするにゃが
ということは、久N・高M説のQ@セカンダリー・プレディケット説
とはまったく逆だということかな。ようするに、フロートしたQは
プレディケットではなくアーグメントであると。
>学生が3人来た = Three of the students came.
これ↑にレスしたいがやめとく。というのも顔餅は知ってて書
いているのかどうか知らないけど、実はちょっと前に仇組で「英語今日行く?」
にそのようなネタで寄稿していることもあり、わし個人でレス
するわけにもいかないので。
てか、Qフロートもいいが、コーラフロートってまだあるのかな?てか、なんで
コーラにアイスが浮いているのにアイスフロートとは言わずにコーラフロート
というのだろうか、、、。
YKKのFQアーティクル早期にきぼん
>>230 混じれ酢すれば、コーラの他にもアイスを浮かしてる商品があるからなんですが、
あれは通時的な語形成からすると、アイスのドロップが起きたんでしょうかね
232 :
仇鱒:2005/12/05(月) 07:42:26
>>231 >YKKのFQアーティクル早期にきぼん
まあ、またどっかから記事を書いてくれと依頼があれば直ぐにでも仇組が一丸
となって書き上げるが、今のところ直ぐに書く予定はないな。てか、藻前さんが
体臭姦に「YKKのFQアーティクル早期にきぼん」と言ってくれれば願いは直ぐに叶
うのではないかな。ははははは。
>あれは通時的な語形成からすると、アイスのドロップが起きたんでしょうかね
うーん、スタンダードな語形成でいったらまずは"D構造"は次↓
のようになるわな。
1)コーラアイスフロート
というのも、コーラがアジャンクトで、アイスがフロートのアーギュメントだから。
で、アイスのドロップが生じているとすると、フロートの必須要素である
コンプリメントが脱落していることになるのだが、こんなことって語形成で普通
に起こるのだろうか、、、。つまり、オプションであるアジャンクトをドロップ
させずにネセサリーなコンプリメントをドロップさせることが普通起
きるのだろうか、、、。語形成に精通している香具師、誰かレスしてくれ。
てなことで、これから集金してきまつ。では。
233 :
223:2005/12/05(月) 12:55:57
>つまりFQの場合はpartitiveな解釈ってこったにゃ?
FQはQのrestrictionがdefiniteであることを要求しないので
その二つはイコールではないと思う
>>229 上のデータ自体は俺が最初じゃない(オリジナルは金田一(!!))し、
説明しようとすると非常にでかい話になってしまって収まりがつかないので。
234 :
仇鱒:2005/12/05(月) 19:04:11
>>233 >上のデータ自体は俺が最初じゃない(オリジナルは金田一(!!))
なんだ、そうだったのか、、、。
>>223氏のオリジナルデータ
じゃなかったのか、、、。正直、
>>223のことばのセンス
にぶったまげたところであった。いや、マジで、めったに人を褒めないわしが褒
めたくらいだからそのくらいのセンスの良さを感じたのだ。
それにしても、金田一(かねだ はじめ)はすごいな(w)。つーか、春彦は今
にして思うがほんとすんごい言語直観をしていると思う。卑近(?)な例だが、
ヴェンドラーが67年に例の動詞の4分類を提案したというか発見したのだが、
その17年前にすでに春彦はヴェンドラーの動詞4分類とほぼ同じものを発見
していたのだからな。春彦が日本語の動詞のアスペクトに目を付けて動詞を分類
したのは正直すごいことだと思う。動詞の分類というとすぐにヴェンドラーを持
ち出すが、わしらはニッポン人なのだからもっと春彦に目を向けるべきだと
思う。今改めて春彦に萌えつつある自分が分かる。
かねだはじめマソセー!!!!www
>ずっと以前、FQではNPよりQのほうがargumentではないか、
これはちょっと。FQは上で書いたようにadvとinterfereする/advとして振る舞うにょろ。
adv=adjunctなのでこの顔持ち士の主張とは反対ニョロ。それと
1)太郎が何をなぜかったの?
2)*太郎がなぜ何をかったの?
と同じようなcontrastがあるにょろ。
3) 太郎が何をいくつ買ったの?
4) *太郎がいくつ何を買ったの?
あっしのdissは主にwhについてだったので、1-2と3-4のパラレリズムを
とらえることからFQについても書いたニョロ。
2)も4)もそんなに悪い気がしない・・・
こんばんわ。意味無しレスでつ。
>ヴェンドラーが67年に例の動詞の4分類を提案したというか発見したのだが
でもそのまえにアリストテレスが発見してたとか・・・
ヴェンドラーの本の最初の方に、
「やった!って思ったらいつもアリストテレスの足跡がありやがる」
かなんかって書いてあったような気がしまつ。
とはいえ、独立に動詞の四分類を考え出したぱるぴこさんは確かにすごい。
個人的には「第四種」っていうのがわけわかんなくてシュキ。
今から考えれば、単に抽象的なだけで、実は三種類のうちの「している」にできる
二種類のどちらかに収まる気がしなくもないですにゃが。
>>235 >FQは上で書いたようにadvとinterfereする/advとして振る舞うにょろ
>>216の
2)*学生が 急いで 三人 酒を 呑んだ
にゃら、「三人」が主語基底位置にあり、「急いで」のようなVP-advは
それより上には来れないとしても説明できるんでないかにゃ
S-advにゃらOKであることも同様にゃ
3) 学生が 驚いたことに 3人酒を呑んだ
>3) 太郎が何をいくつ買ったの?
>4) *太郎がいくつ何を買ったの?
これはrestrictionの部分が先行することが自然であるから、とかいうことは
ないにゃろか
(4)はそれほど悪くもなく、「太郎は3個タマゴを買った」と同じ程度に
ひっかかるだけ、というようにも思うにゃ
240 :
仇鱒:2005/12/06(火) 07:20:08
>>237 弟分、おはよ。しばらくまったり逝こうと思っていまつのでわしも意味なしレス
させていただきまつ。
>でもそのまえにアリストテレスが発見してたとか・・・
ア、アリストテレスでつか、、、。ちょっと寒気、、、。実はハタチの頃、
存在論にハマっていたこともあり、ちょっとだけアリストテレスの翻訳物を読
んでいたことがあります。何書いてあるかよく分からなかったけど。
ははははは。でも、いまだに記憶にあるのは、アリストテレスは分類魔
だったということ。そして、わしの記憶が正しければ、エンティティと
プロパティの関係についてある意味言語学的に規定していたような記憶
があります。たしか、主語・述語という関係は結局エンティティとプロパティの
関係で、当時のわしとしては、「なになにがこれこれである」と命題化
できればそれで「なになに」はとりあえず存在することになるのだと理解
したようなしなかったような、、、。つまり、英語のコピュラ・センテンスが
アリストテレスがいう存在であると。
241 :
仇鱒:2005/12/06(火) 07:20:56
>個人的には「第四種」っていうのがわけわかんなくてシュキ。
わしもシュキです。でも、こさかなの弟分も指摘しているように、これは他の3
つのどれかに組み込めることができます。まあ、言わなくても分かると思
うけど、瞬間動詞でつね。ようするに、「第四種」というのは瞬間動詞の
「ている」が固定化して慣用的になったものにすぎない。つまり、結果状態
のみを表す特殊な瞬間動詞ということになる。ま、そう考えると、ぱるぴこ
博士の動詞4分類は実は3分類なんだよね。でも、まあ、ぱるぴこ博士が「〜
ている」に基づいて動詞を4(というか3)分類して、
ヴェンドラーは「be ~ing」に基づいて動詞を4分類しているんだけど、
やっぱりわしとしてはヴェンドラーは
金田一ぱるぴこ博士のたんなる二番煎じとししか思えないし、
正直オリジナリティーというのを感じないのである。
てなことで、ニッポンまんせー!ビバぱるぴこ!
104 名前:日出づる処の名無し[] 投稿日:2005/12/05(月) 09:43:58 ID:98NSVkEg
>>89 \_WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW/
≫ 日本外相がまたも狂った発言!!(北京青年報) ≪
≫ 麻生外相がわめき立てている!!(北京晩報) ≪
≫ 麻生外相は「勝手に騒ぎ立ててみろ」と宣言!!(朝鮮日報) ≪
≫ こんな人物が外相をしている日本が心配!!(MBCラジオ) ≪
≫ 日本は嘆かわしく歴史認識や罪の意識すらない!!(ウリ党) ≪
/MMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM\
(⌒;;.. ∧_,,∧ (⌒;;.. / 支\
(⌒.⊂,ヽ#`Д´> (⌒.⊂,ヽ#`ハ´)
(⌒)人ヽ ヽ、从 (⌒)人ヽ ヽ、从
从ノ.:(,,フ .ノゝ⊃ 从ノ.:(,,つ .ノゝ⊃
人从;;;;... レ' ノ;;;从人人从;;;;... し' ノ;;;从人
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(@∀@;) < アジア諸国からの反発が強まっていますが…
φ 朝⊂) \_________________
|| |
(_(__)
,__
〃∩ ノ _、 _ ゝ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
⊂⌒ ヽ 兪/ < 特に感想はない
`ヽ_っ⌒/⌒c \______
⌒ ⌒
243 :
242:2005/12/06(火) 08:54:40
誤爆しました。すいません
>>241 さすがアダモちゃん。わしも金玉一の方が便ダラーより
すごいと思うなぁ。なにせ、便ダラーよりも何十年も前に
軍国主義に染まる戦前の大日本帝国下であの研究を公表し
たというのが驚きやね。
この金玉一の研究に限らず、日本人の研究者による優れ
た研究の中には、海外の雑誌に英語で公表していたら、誰
もが参考文献に挙げなくてはならなくなっていたであろう
と思われる研究は、三上の他にもたくさんあるからのう。
金玉一は日本人なのか?
>2)*学生が 急いで 三人 酒を 呑んだ
>にゃら、「三人」が主語基底位置にあり、「急いで」のようなVP-advは
>それより上には来れないとしても説明できるんでないかにゃ
「急いで」が主語の前にでてくること自体には問題ないニョロ。
i) 急いで 太郎が 本を 整理した。
ii) 太郎が急いで 本を整理した。
ii)のほうが自然だけど、i)も*ではないにょろ。
>S-advにゃらOKであることも同様にゃ
それとVP-advとSubjFQも
iii) 学生が 三人 急いで 車に 乗った。
iv) *学生が 急いで 三人 車に 乗った。
かと。iii)とiv)では「学生」と「急いで」の間の語順は変わらないのでやはり、
FQ argument説はいろいろ弊害があると思うニョロ。
とはいいつつも、いろいろFQには解らないことあるにょろ。
問題1
「何をなぜ」と「本を三冊」がパラレルな関係を持って、「なぜ」は「何を」に、「三冊」は
「本を」にadjoinして認可されるのなら、
v) 誰が 何冊 本を買ったの?
みたいなので「何冊」は「誰が」につくのか、「本を」につくのか?」
おそらく「何冊」は「本を」についてそれが「誰が」にさらにくっつくのではないかと
思うニョロ。でもその前に「本を」を「何冊」より上にあげないといけないニョロ。
問題2
「なぜ」はlong-distance scrambling不可。
vi) *なぜi 太郎が[花子が t-i 朝早く出て行ったと] 言ったの?
FQは可能。
vii) 三冊i 太郎が[花子が t-i 本を読んだと] 言った
viii) 何冊i 太郎が[花子が t-i 本を読んだと] 言ったの?
この違いは何なのか?
深く掘り下げば掘り下げるほど解らなくなることだらけにょろね。
うーん、専門やないからようわからんけども、
数量詞遊離もA-bar 移動の一種だとした場合に、
subjacencyの仕方が純粋なwh- mvt.とは違うこ
とは確かなようやね。不勉強やから、今日的な
処理の仕方は知らんけど、overt mvt.によって
ある種のadjunctが argument的な振る舞いを示
すという現象(他にも色々あるけど)の一つか
もなぁ。
250 :
仇鱒:2005/12/06(火) 19:41:54
>>242 誰へのレスかと思ったらわし@
>>89へのレスじゃないか。
ナイスなレスさんくすw
>>244 >海外の雑誌に英語で公表していたら、
分かる香具師には分かると思うが、やはりわしは、今から30年ほど前に
「英語熟年」に掲載された長谷G氏のジェネラライズドAオーバーA
プインチプルンをあげたい。もしあれが海外のジャーナル(当時ならLIかLA辺
りか)から出ていたら、生成は今のように逝けてはいなかったと思う。つまり、
GB以降、バリヤーズという脱線路線には乗らずにすんだと思うのだ。
ジェネラライズドAオーバーAプインチプルンはロカリティをまさにグローバルな
アングルから統一化させたものであるが、ある意味、ガバメントと
バインヂングを統合したものとも言えよう。そういった意味では本来チョムの
バリヤーズに変わるものであったのだ。だから、もしH谷川氏が当時LIかLA
あたりにアプライしアクセプトされていたら、生成は今
こんなんじゃなかったかもしれない。そして、たぶん、生成の
ホームグラウンドは今頃我らがニッポンだったかもしれない。まあ、わしの
言ってることは分かる香具師には分かると思う。ま、frえd師匠の年
ならわしの言わんとしていることは分かると思うのだが。
251 :
仇鱒:2005/12/06(火) 19:42:47
>>247 >FQ argument説はいろいろ弊害があると思うニョロ。
わしもちょっとだけど軽くツッコミするw Qがアーグメントだとして、
いったい何のアーグメントか、という問題である。たとえば、次の例↓だと
1)オヤジが3人ハダカ踊りをした。
「3人」はいったい何のアーグメントなのだろうか。「オヤジ」のアーグメント
とでも言うのだろうか。「破壊」とか「衝突」とかのいわゆるイベント系の名詞
ならアーグメントを十分とりうる。でも、さすがに「オヤジ」みたいなのが
アーグメントをとるというのはないと思う。
>>249 >数量詞遊離もA-bar 移動の一種だとした場合に、
ん?FQのQは表層の位置に基底生成されている副詞だというのが了解事項
では?つまり、フロートしていないというのでとりあえずここではコンセンサス
が得られているのでは?というか、
>>248の次の例に見られる「3冊」と
「何冊」の文頭への移動はFQではなくスクランブリングなのでは?
>vii) 三冊i 太郎が[花子が t-i 本を読んだと] 言った
>viii) 何冊i 太郎が[花子が t-i 本を読んだと] 言ったの?
つーか、frえd師匠こんな時間に珍しいな。どしたん?
>>247 VP-advの生じる位置を細かく規定する、というハナシなんだけどにゃ
*学生が 急いで 三人 酒を 呑んだ
= [ α [IP 学生 [vP *β [vP 三人 [VP γ [VP 酒を 呑んだ ]]]]]]
γ=VP-adjunctが基底位置、β=vP付加は不可、γ=IP付加は可、と考えれば
辻褄合うんでないかにゃ?
>>248 >「なぜ」はlong-distance scrambling不可。
>FQは可能。
>この違いは何なのか?
執拗に、FQはargumentにゃからw
>>251 風邪ひいて寝てまんねん。カミさんからは粗大ゴミ
扱い。
FQは基底生成ですな。勘違い、ペコリ。
それはさておき、FQが項だとすると、Predが要求す
ることになるけども、FQのheadはN classifierのはず
なので、N classifierを必須項とする動詞なんてのは
考えにくいのだが... 随意項だとしても...
>>250 きんちゃん先生のGAOAに関しては、紀尾井町の大学
に勤める直樹氏も某所で随分と高く評価していたこと
があるが、比較的若い研究者の間では評価が極めて低
いのう。残念なことである。
きんちゃん先生といえば、随分昔に某所の講師とし
て登場した際に、真っ白のスーツで登場した時には、
ひっくり返りそうになったのう。
ん、いまいち話が見えていないかも。
>>252 三人がvP-specにあって、それより
上にVPadvがでて来れないというストーリーにょろ?アッシがいっているのは
普通のsubjよりもVPadvが上に出て来れることがあると>急いで太郎が洗濯した
これは何でニョロ?
それと
>執拗に、FQはargumentにゃからw
だと逆にFQがquantifyするNPのほうがscramble不可になっちゃうにょろ?
本を 太郎が [花子が 三冊 読んだと]思っている。
斤先生の講義にも新宿まで聞きにいったものニョロ。東京モード学園の
奴らに絡まれそうになったり、帰りにドトールによってホットドック食べたりしたにょろ。
90年くらいかな。
mccawleyの教科書の2巻目を使っていたけど、GAoAの宣伝はちゃんとしてましたにょろ。
RizziのRMを紹介して、「何となく私のGeneralized A over Aに似ているのでありますっ」
とか言っていたにょろ。
>N classifierを必須項とする動詞
つーより、Q全体を名詞句としてみたいのにゃが、たとえば
host NPなしのFQはどーいう扱いになるのかにゃ
5人死んだ (cf. 学生が5人死んだ)
3本買った (cf. 鉛筆を3本買った)
[ pro 5人 ]とかにゃ?
5人や3本がそれぞれ主語・目的語なんであって、「学生が」とか
「鉛筆を」のほうがむしろadjunct的なんでないかと思った次第にゃ
「11人いる!」(古っ
>>245 >あの人と喧嘩はしないの?
H川M子かにゃ?
「チョムスキアンは細かいことばかり言って、やーね」とか周囲に言っとるらしいにゃw
俺もあえて喧嘩したいわけではないにゃが、たとえば
1) 言語のrecursionは心の理論から生じた
2) 心の理論は特に母子関係において重要である
3) 従って女のほうが男より言語能力が優れているのである
とか言われてそのまま納得するアフォな言語学者は一人もおらん、と断言しとこうかにゃ
まず論点(1)にゃが、ToMを命題の中に命題が埋め込まれていることに対応させて
言語のrecursionにつなげたいのにゃろが、命題埋め込み以前に、個々の命題が
すでにしてその言語化にはrecursionを要請する、ということに気付いておらんにゃ
むしろrecursionよりToMのほうが複雑なわけにゃ
従って ToM→recursionというシナリオは論点先取り、因果関係のはき違えの
可能性が高い、と思うにゃ
それから(3)にゃが、なにかそのようなことを示す科学的データがあるかにゃ?
女のほうが外国語学習に秀でている、とか、おしゃべり好きである、とか、その
程度のことを「言語能力」と考えているとしたら、それこそゴルァせんといかんにゃ
257 :
仇鱒:2005/12/07(水) 07:24:53
>>252 >「なぜ」はlong-distance scrambling不可。
>FQは可能。
>この違いは何なのか?
>>執拗に、FQはargumentにゃからw
そうなるとFQはリファレンシャルであると言わざるをえないと思うが、Qが
リファレンシャルだと見なすのはちょっとどうかと思うぞ、わしは。
>>253 >風邪ひいて寝てまんねん。
師匠、ご自慰愛お汁!
>真っ白のスーツで登場した時
演歌歌手かと、、、w
258 :
仇鱒:2005/12/07(水) 07:25:53
>>255 >1)5人死んだ (cf. 学生が5人死んだ)
>2)3本買った (cf. 鉛筆を3本買った)
うーん、ただ単に、1)では「学生が」が、そして2)では「鉛筆を」が
ドロップしただけなのではなかろうか。まあ、ようするに1)では、談話の流
れから誰が死んだかは分かっていて、それで情報の重要性の低い「学生が」が
ドロップしたと。同じように2)では、談話の流れから何を買ったのか分
かっていて、それで情報の重要性の低い「鉛筆を」がドロップしたと。つまり、
1)と2)は基底では一種のアバウトネスの文になっていて、そのアバウト
のところが談話の要請でドロップしたと。で、もうちょいいうと、上の1)ー
2)はまさに次の3)ー4)とパラレルに扱えると思うのである。
3)思いっきり走った (cf. 学生が思いっきり走った)
4)思いきって買った (cf. ギブンソES-335を思いきって買った)
ようするに、1)−2)と3)−4)のパラレリズムを見ても、やはり
「フロートしている」Qはアーギュメントというよりはむしろプレディケット
であると。で、もうちょいゆーと、副詞であると。
259 :
仇鱒:2005/12/07(水) 07:26:46
>>256 >ToMを命題の中に命題が埋め込まれていることに対応させて
てか、ToMとしては、相手の心を読むその読心術能力が再帰性の基盤
といったところであろう。で、たぶん、方向性としてはその生物学的基盤として
ミラーヌーロンあたりを持ってくるのであろう。つーか、H川M子氏は例の事典
でも執筆をおながいしているのであるが、その辺りのこともかなりつっこんで書
いてくれていると思う。あ、そうだ、ここをロムしている連中にちょっとお知
らせさせてもらいたいのだが、来年の半ばか終わり頃に、○善から「言ゴ科学の
百科事典」というスゴイ事典が出る。顔餅にも執筆してもらっている。ちなみに
顔餅には「ミニマリスト・プログラム」についてかなり濃いめのものを書
いてもらっている。ちなみにわしは編集幹事をしているのであるが、ほんと、
とんでもない事典になると思うから刊行したときにはぜひ手
にとってもらいたいと思う。たぶん、これからの理論言語学ならびに
生物言語学、そして情報科学的な自然言語の分析をしようと
思ったらなくてはならない事典になるかと思う。
>その程度のことを「言語能力」と考えているとしたら
ま、その程度のことではないだろうか。ようするにパフォーマンス(言語運用)
レベルで女の方が男より秀でているというその程度のことではないだろうか。
まあ、わしら男は猿ぐつわくわえさせられたサルみたいなもんだ。ははははは。
ま、ようするに、猿ぐつわ噛まされていても話す能力には何も問題ないつー
こったな。はははははは。
そーいや、昨晩ブラナイの続き(←まだ1枚目)を見たが、バラナイ版
チャイルド・イン・タイムはなかなかのものだな。コーラスの
マラリアキャリアーばりの高音にちょいと感激した昨晩であった。
男女差やショーヴィニズムを学問の場に持ち込む
輩が時々おるけど、生物学的な男女差というものは
わずか2%しかなく、多くの性差は社会的な誤謬によ
るものだということに気づかなくてはいけないわな。
脳や神経系においても、男女差がはっきりと確認
できているのは幹脳の体積差(といってもこれも5%
以下)ぐらいで、個人差が大きくて、骨相学の専門
家によると、石田三成なんかは頭蓋骨から復元する
と、女性よりも女性らしい大脳・中枢系の持ち主だ
ったことが判明しているらしいで。
学問の一側面ではあるけども、個人の感情にもと
づく「好き嫌い」や「価値観」が根っこにある考え
を、もっともらしい理屈で議論に持ち込むというの
は、あかんと思うけどなぁ。最終的に反証できひん
がな。巨乳と貧乳のどちらが優れているかという議
論と一緒になってしまうんやないやろか。えっ、お
前はどっちがええんやて?もちろん、パフパフでき
る方がええに決まってるやんけ。
訂正。幹脳→脳幹。
今、あるクラスでD. モリスを扱ってるのにゃが、モリスにしてからが
たまたま自分が暮らしている文化を中心にしてヒト進化のシナリオを
一般化するという間違いをやらかしとるにゃ
具体的には、男は狩猟、女は家事育児と分業が始まって、とかにゃが
文化によっては男が家事育児に励むとこもあるにゃろ
すると心の理論と母子関係どーたらもたちまち怪しくなるわけで、
そういった文化圏では男のほうが言語能力が高い、とか言わんといかんにゃ
昨日はintelligent designのマテリアルを使ったにゃが、チョムはID擁護者
ではないけども、自然選択説批判という点では共通する部分もあるにゃ
MPで、language designとかoptimal design、design engineering、
super-engineer といった表現が頻出する背景を理解する意味でも、
もはや進化論ヌキで生成を語ることは不可能とも言えよーにゃ
あえてmisleadingな言い方をすれば、MPは argument from design の現代
言語学版なわけにゃ
もちろん証明したいのは神の存在ではない点にチューイ、にゃ
んで、FQにハナシを戻すと、別にFQ=argument説をゴリ押しするつもりも
ないにゃが、今のところ重大な問題もなさそうにゃん、ってことで
>>257 >そうなるとFQはリファレンシャルであると言わざるをえないと思うが
意味不明w
nonreferentialなものはargumentになれないなんつーのは聞いたこともないにゃが
no one loves no one.
はreferentialにゃ?
>>258 >1)と2)は基底では一種のアバウトネスの文になっていて、そのアバウト
>のところが談話の要請でドロップしたと。
まさにそういうことを俺も言っとるわけで、
>学生が5人死んだ
で「学生」は主語ではなくaboutnessを示す一種のmajor subjectであり、
主語は「5人」のほうではないかにゃ、と
従って
>>254 >逆にFQがquantifyするNPのほうがscramble不可になっちゃうにょろ?
ということもないにゃ
>普通のsubjよりもVPadvが上に出て来れることがあると
>急いで太郎が洗濯した
>これは何でニョロ?
>>252の構造を見てもらいたいのにゃが、AdvがIP付加すればIP-Spec位置
の主語より前にくるにゃん
264 :
仇鱒:2005/12/07(水) 20:01:13
>>262 >たまたま自分が暮らしている文化を中心にして
まあ、でもわしら生成も、「英語で言えることが普遍的に全ての言語でも言
えるはずだ」という論法で議論しているわけで、まあ、モリスもわしらも目
クソ鼻 クソ状態だと思うがな。
あと、上でも書いたが、長S川氏たちは相手の心を読む能力がリカージョンを生
み出したとか言っているわけだが、もしそうなら、
相手の心を読むことができ ない自閉症にはリカージョンが見られないことになる。
で、実際どうなんだろう。自閉症の人たちは文の埋め込みが本当
にできないのだろうか、、、。「誰々が誰それに言った」のような伝言の文
(つまり埋め込みのある文)を発話しそうだが、、、。
>もはや進化論ヌキで生成を語ることは不可能とも言えよーにゃ
てかデザインというタームは昨今の流行語でもあるしな。
>もちろん証明したいのは神の存在ではない点にチューイ、にゃ
まあでも、神として仮にエマージェンシーを想定してもそれだけでは何も証明
にはなっていない。ようするに、創発と言おうが神と言おうが結局何も証明
できてない。で、 わしが何度も言っているように、言語の進化をリアルに語
ろうと思ったらもう科学の出番ではないと。工学の出番だと。計算機上で言語を
生み出し、それを進化させることでしか言語の進化は「証明」できないと思う。
265 :
仇鱒:2005/12/07(水) 20:02:44
>>263 >nonreferentialなものはargumentになれないなんつーのは聞いたこともないにゃが
てか、
>>248のかかりデータ↓にあるように、
>vi) *なぜi 太郎が[花子が t-i 朝早く出て行ったと] 言ったの?
>vii) 三冊i 太郎が[花子が t-i 本を読んだと] 言った
>viii) 何冊i 太郎が[花子が t-i 本を読んだと] 言ったの?
Qの移動ではいわゆるサブジェイシェンシーの効果が出ないわけだ。それでQは
リファレンシャルではないかと言ったまでだ。
>まさにそういうことを俺も言っとるわけで、
そ、そうなのか、、、。まあ別に顔持ちと考えていることが同じでも構わないが。w
>>257 >Qが リファレンシャルだと見なすのはちょっとどうかと思うぞ、わしは。
>>265 >Qの移動ではいわゆるサブジェイシェンシーの効果が出ないわけだ。それでQは
>リファレンシャルではないかと言ったまでだ。
誰か↑の自己矛盾を(ry
人間てのは自己矛盾する動物なのよ
被造物といってくだしゃい。ポクは動物じゃありましぇん。
わしもインドで考えた。(が、わしが思いつく
ぐらいなので、世界中でゼンジー一億ぐらいは気
づいているだろうし、新しくも何にもないだろう)
FQは一語と考えられる。(「三本」のように、
連濁が起こるから)FQは基本的には副詞。という
のも、統語的な振る舞いから考えて、認可条件な
どは「は」「が」「も」と似た面がある。特に、
「も」とは似たところがあるように思うんやけ
ども。
ところで、Hey ゾウと横山プリンが似ている
と思うのはわしだけだろうか。パクパクコンテ
ストじゃ。
カットジャパン・サーティーンテン!(分かる香具師だけ分かる)
argumentのproがある以上、「5人死んだ」とかは「pro-ga 5人 死んだ」で十分だと思う。
Qがargumentで、host-NPがmajor subject/objectのようなものだとすると
passivizationで移動対象になるのはQの方と予測。
(1) 会社が社員を5人派遣した
(2) a. 会社によって社員が5人派遣された
b. *会社によって5人(-ga)社員を派遣された
(2)は予測に反する。
272 :
271:2005/12/07(水) 22:18:37
>>269 どれかと言うと否定対極の「しか」に煮ているかもしれません。
(1) 太郎は果物をりんごしか食べない
real objectは「果物を」で、「りんごしか」はadjunct的。
このようなpart-whole的「しか」構文でもFQに煮た認可条件がありそうです。
273 :
271:2005/12/07(水) 22:24:55
関係節のheadになるのも、FQではなくhost-NP。これもFQがadjunctであることを
示唆しているといえなくもなさそう
(1) 会社が社員を5人アメリカに派遣した
(2) a. [会社が5人アメリカに派遣した」社員
b. *[会社が社員をアメリカに派遣した] 5人
ただ、これはFQがトピックにならないことと、Kuno的な関係節の分析との帰結と
言えなくもないです。
>>271 >passivizationで移動対象になるのはQの方と予測
真性major objectの場合に確かにそうなるという例として
どんなのがあるにゃろ
MOの構造にもよるにゃが
[ MO [ O ... ] ]
でlocalityにより、OがMOを越えて主語化しないのは当たり前と
いえば当たり前にゃん
ECM的格標示について
[ 男性を言語能力が優れていると ]思う
*[ 男性が言語能力を優れていると ]思う
となるのと同じにゃろ
>>264 >自閉症の人たちは文の埋め込みが本当にできないのだろうか
ここはチューイが必要なとこでにゃ、系統発生においてAがBの先駆体であったとしても
個体発生や現在の種の能力についてもAがなければBも発現しない、ということには
必ずしもならないにゃ
認知ブンポが系統発生と個体発生を混同しているというのもこのことであって、
言語の進化に先行して他の認知的・身体的能力の進化が必要であったとして、個体発生に
おいても同じプロセスが繰り返されるということにはならないにゃ
いわば生物学的には明らかに誤りであるヘッケルの反復説が言語についてのみは成立すると
主張しているのが認知ブンポだにゃ
276 :
271:2005/12/07(水) 22:53:59
>>274 くうう〜、なるほど〜。出直してきます。
>(1) 太郎は果物をりんごしか食べない
これはいい比較かもにゃ
1b 太郎は果物はリンゴしか食べない
2a 学生が3人死んだ
2b 学生は3人しか死ななかった
(b)ではQがreal Subであることは了解なんにゃろか
これにさらにmajor Subjをくっつけて
(c) 学生は一回生が3人しか死ななかった
ということもできるにゃ
同様に(a)でも
学生が一回生が3人死んだ
となれば、学生=real subjとは言えないはずにゃ
278 :
271:2005/12/07(水) 23:01:05
あと、
>>272で書いたことは、Fred先生の「も」にも「は」にも当てはまることでしたー。
太郎は果物をりんご「も」食べた
太郎は果物をりんご「は」食べた(contrastive)
>>276 あー、いやいや271しゃんはイイ線いってるにゃ
俺もFQ=argument説を主張したいのではにゃく、それに対する決定的な反論を
聞きたいだけなんで、そこんとこよろぴこにゃ
280 :
271:2005/12/07(水) 23:19:57
>>279 ありがとうございます。
>>277の
>同様に(a)でも
>学生が一回生が3人死んだ
>となれば、学生=real subjとは言えないはずにゃ
のところは、「学生=real subjと常に言えるわけではないはず」という
意味ですよね? それならば同意です。
「学生が3人死んだ」=[gakusei-ga]MS [pro-ga 3-cl sinda]
という構造も可能なので。
いずれにせよ、FQ=arg説を崩す証拠探しの修行に出かけてきますー
>>270 ナイス突っ込み、おいど〜。今もサガラとレズっとるんか
のう。プリンも老けたしのう。あれから早や30年以上か。
年がバレるわい!
>>274 わしが言いたかったのも局所性の問題やねんけども。
説明不足、許して百済観音。いちいち例を挙げるのんが
面倒くさいからのう。
>>276 >>278 >>279 わしも 271氏はただ者やないと思い松下幸之助。きっ
とマス大山かブライアン・イーノあたりに師事した経験
がおありだと察する。
で、結局のところ、FQも副用語の一種やということに
なりますな。川端善明バンザーイ。で、一件落着、とい
うわけにはいかんわな。
>>252の構造を見てもらいたいのにゃが、AdvがIP付加すればIP-Spec位置
>の主語より前にくるにゃん
そりゃそうにょろけど、
[ α [IP 学生 [vP *β [vP 三人 [VP γ [VP 酒を 呑んだ ]]]]]]
β の位置がだめで、γがよくって、αの位置ならokってのがなんでだか解らないニョロ。
アッシのやり方だとadvの相対的な位置が問題になるので、顔餅説とはなんだか議論が
噛み合ないニョロ。
久々に「しかない」が話題になっておるニョロ。アッシは学会なんかで人に会った時
「『しかない』をやっている方?」なんて聞かれちゃったりするにょろ。もうちょっと
カッコいいことで知られたいものにょろ。
>>271氏の言ったようなこともfred師匠の
言っているようなこともかって書いたことあるニョロ。diss参照(といっても市販していません)。
ちょっとまって、今から顔餅説を転覆させるための策を風呂で考えてくるニョロ。
283 :
仇鱒:2005/12/08(木) 07:23:10
>>266 >誰か↑の自己矛盾を(ry
いや、自己矛盾しているのではないのだ。
>>257では顔餅の立場に立つとQは
リファレンシャルになる可能性があると指摘しているのであり(←これに対して
は
>>263でそんなことはないとのレスがあり、わしもそれは認める)、
>>265では
Qの長距離移動ではサブジェイシェンシーがないことからリファレンシャル
かもしれないと言っているわけだ。でも、Qそのものがリファレンシャルだと考
えるのはきついだろうと言っているわけだ。
>>275 >個体発生や現在の種の能力についてもAがなければBも発現しない、ということには
>必ずしもならないにゃ
それはたしかにそうである。でも、統語メカでも同じことが言
えるだろうか、、、。統語メカも階層関係になっていて、ある統語メカαはある
統語メカβの存在を前提にしているというのがあると思う。たとえば、
前置詞残留とPのDへの編入能力と相関性があり、言語獲得でもその相関性
があるだのないだのという議論があったと思う。
284 :
仇鱒:2005/12/08(木) 07:24:10
あと、FQだけど、わしが
>>258でちょろって書いて顔餅がもろに食
らいついたように、やはりアバウトネスというかトピカリティが何らかの形で絡
んでいることは確か。実際、機能主義者が指摘するように、トピック
になれるもののみがFQをとることができる。次の例参照。
1)その子供は折り紙で鶴を折った。
1’)子供が3人折り紙で鶴を折った。
2)その鶴は太郎が折り紙で折った。
2’)太郎が折り紙で鶴を3羽折った。
3)*その折り紙は太郎が鶴を折った。
3’)*太郎が折り紙で3枚鶴を折った。
ま、結局FQがアーグメントかアジャンクトかはともかく(というか、
アジャンクトである可能性がやはり農工だが)、数量詞遊離構文にはかなりの
程度トピックというかアバウトネスといったファンクショナルなファクターが絡
んでいるのは確か。つまりポイントは、FQのホストNPが文中でどのような機能
を果たしているかがやはり大きなカギを握っているということだ。
数量詞遊離構文の認可条件を考えるにあたっては、やはり、FQのステイタス
を考えるのも大切だが、それ以上にホストNPの文中での機能を考えるのが重要
だと思う。てなことで、一件落着てか?
と書いたところで
>>282のかかりちゃんの書き込みがあった。
>ちょっとまって、今から顔餅説を転覆させるための策を風呂で考えてくるニョロ。
てなことで、かかりちゃんがんがれ!わしは観客席で応援しているwwww
つーか、かかりちゃんが風呂に入ってる頃、わしは電車の中だ。ゴットンゴットン♪
また?が着いていたので風呂入ったついでにキャッシュを空にしてみましたニョロ。
やっぱりいろいろ考えたけど顔餅説転覆のためには、同じ土俵に上がって朝青龍のごとく
正面から立ち会うのがいいかと。顔餅説でobj FQとs-advをどのように扱うか、
基本的なデータは以下の通りだとするニョロ。
1) 太郎が 驚いたことに 三冊 本を 破り捨てた
2)*太郎が 三冊 驚いたことに 本を 破り捨てた
3) 太郎が 驚いたことに 本を三冊 破り捨てた
4) 本を三冊 太郎が 驚いたことに 破り捨てた
5) 本を 太郎が 驚いたことに 三冊 破り捨てた
6) *三冊 太郎が 驚いたことに 本を 破り捨てた
まあ他の語順もあるけど、多くなりすぎるので。あっしのやり方では
2)と6)はObj FQ>s-advの語順だから*、4)もObj FQがS-advに先行しているけど
free rideしていてokと。
つづく
では(実は不明な点が多い)顔餅説の骨子。
7) FQがargumentでNPがadjunct。
8) [ α [IP 学生 [vP *β [vP 三人 [VP γ [VP 酒を 呑んだ ]]]]]]
γ=VP-adjunctが基底位置、β=vP付加は不可、γ=IP付加は可
8)の構造でアッシが誤解していたのはα、β、γは「急いで」などのVP-advが生起できるか
どうか、という位置だったニョロね。で、VP-advはαとγの位置に出て来れると。
顔餅説がどのようにobj FQを取り扱うかよくわからないニョロけど、上で「obj FQは
VP-adv」といったアッシの説に7)をのぞけば特に異論がなかったようなので、
(1-6)では、7)により「本を」がVP-advで、「三冊」がobj argumentと。
なんだか書いていてよくわからなくなって来たニョロ。つづく。
またまたHNに?が出てくるニョロ。もー知らんニョロ。
とここから先が顔持ち説で銅やるか見当がつかないニョロ。
>>263で”AdvがIP付加すればIP-Spec位置の主語より前にくるにゃん”
といっているから、VP advがIPに付加することは可能だけど、objのbase位置にある
objFQは動けないにょろ?それだと
>>285の5)はなんとかなるけど、4)と6)が
いかんせんともしがたくないニョロか?
>>282 >「『しかない』をやっている方?」
かかりしゃんのフルネームは「鹿内かかり」で決定、かにゃw
>顔餅説
俺の説ではなくて、俺の中の悪魔が囁くのにゃ 常識を疑え〜w
>>285-
んで
>「本を」がVP-advで
major objectぽいもの、なのにゃが、
(4)はMObjとObjのスクランブリングってのでどうにゃ
鹿内説のように「三冊」が「本」にfree-rideしているのだとすると
a) 本を確か三冊、太郎が〜
とかが困るんでないかにゃ?
(6)については、MObjを越えるObjの移動がlocalityに反する、とかで
どうにゃろ(これは実は苦しいにゃ)
それで逆に鹿内しゃんにきくにゃが上の
b) 太郎が三冊破り捨てた
c) 三冊太郎が破り捨てた
とかはやはり [ pro 三冊 ] と考えるのにゃろか
俺が気になるのは
d) 太郎が本を洋書を三冊と和書を5冊破り捨てた
e) 洋書を三冊と和書を5冊、太郎が本を破り捨てた
みたいなケースにゃが、これらはそんなに悪くないと思うにゃ
つまり「本を」のMajor Object性がはっきりしてるということにゃが
すると
f) 太郎が本を三冊破り捨てた
も
g) 太郎が本を [ pro 三冊 ]破り捨てた
という構造も可能のはずであり、この場合
6) *三冊 太郎が 驚いたことに 本を 破り捨てた
を排除するには [ pro 三冊 ]の移動の可能性も排除しておく必要が
あるということにゃ
>かかりしゃんのフルネームは「鹿内かかり」
おやめくださいましニョロ。小学校で変なあだ名付けられてた奴らいるにょろよね、
あれってこういう気分だったニョロね。。。
>a) 本を確か三冊、太郎が〜とかが困るんでないかにゃ?
「確か」はsententialなadvではなくて、「三冊」のみを修飾しているんじゃないにょろか?
1)本を確か三冊太郎が買った。
2)確か本を三冊太郎が買った。
1)には「確か」が「買った」にかかる読みがないような。2)ではok。
>それで逆に鹿内しゃんにきくにゃが上の ...とかはやはり [ pro 三冊 ] と
それはobj dropの分析によるけど、その路線でしょうにょろね。最近のdeletionの
論文なんかでは日本語にはargument dropなるものがある、ってことになっているから、
それがproなのかどうかはわからないけど、その分析によるニョロ。
とりあえず、HNをローマ字にすれば文字化けないかと。
>d) 太郎が本を洋書を三冊と和書を5冊破り捨てた
>e) 洋書を三冊と和書を5冊、太郎が本を破り捨てた
これはおもろい、というかd)は特に奇妙な例ニョロね。FQなしにすると、
d)’ *太郎が本を洋書*をと和書*を破り捨てた
無茶悪いニョロ。「doubleを」のせいかもしれないけど、なぜ
>>289のd)は
これより遥かによいニョロかね。major objectというより、なんというかFQが
argumentではなくてpredicateで、洋書/和書はそのargumentのような
気がするニョロ。
よく、multiple fociのcleftとしてkoizumi dissで出ていた、
1) 太郎が 渡したのは [ 花子に 本を 二冊]だった。
みたいなのがあるにょろ。某所にちょっと書いたけど、multiple fociがある、とするのに、
なぜFQの「二冊」までfocusに入れないとならないのか意味不明ニョロ。FQをとると
2)??太郎が 渡したのは [花子に 本(を)]だ
と、かなり具合の悪いsentenceになるにょろ。(最近の論文では2)みたいなのがokになっていたり
するけど、こりゃだめニョロよね?)1)は直感的にFQ「二册」が「花子に本を」に対する
predicateになっているような感じがするニョロ。その意味で顔餅師のd)と共通する部分が
あるにょろ。
だから、もしかしてアッシの「FQはadvで、NPについて認可される」というのを少し
カオモチ説を取り入れた、「FQはadvであり、predicateとして機能し項をとれる、その
項とともに動ける」とした折衷案がいいの鴨。
>おやめくださいましニョロ
なかなか立派な名前と思ったにゃが、ダメにゃ?w
>「確か」はsententialなadvではなくて、「三冊」のみを修飾しているんじゃないにょろか
そりゃそーにゃが、NPにfree-rideするのは語だけということでもないにゃ?
>d)は特に奇妙な例ニョロね
今まであんまり文献で扱われてないにゃ?
ひょっとすると新ネタハケーンかもにゃ、卒論のネタに汁>そこの学生
で、
>2)*太郎が 三冊 驚いたことに 本を 破り捨てた
>6) *三冊 太郎が 驚いたことに 本を 破り捨てた
に比べて
太郎が洋書を3冊と和書を5冊、驚いたことに本を破り捨てた
洋書を3冊と和書を5冊、太郎が驚いたことに本を破り捨てた
は多少improveしてると思われ、にゃ
これは
>「FQはadvであり、predicateとして機能し項をとれる、その
>項とともに動ける」
と合致するんだろにゃ、たぶんにゃ
293 :
仇鱒:2005/12/09(金) 06:54:14
まあ、fqに関してはまだまだいろいろやらなければいけないことがありそうだな。
で、わしとしては、やはり、「フロートした」qはプレヂケットとしての
ニュアンスが依然として強いと思う。ようするに、qのもつプレヂケットの
プロパティを完全に否定するのは困難だと思う。で、たとえば次↓の2つの表現だが、
1)3冊の本
2)本3冊
(1)はレラテブクローズの可能性もなきにしもあらずかなと思う。つまり、次
のような形をしているわけだ。
3)[[e/i 3冊]-の 本/i]
一方、(2)はスモールクローズの可能性もある。つまり、次↓のような形
をしているわけだ。
4)[sc 本 3冊]
どちらも「3冊」はプレヂケットとして機能している。ま、頭
ちょいとひねればまだまだいくらでもアイデアは出てくるってこったな。
でも、頭ひねるのもほどほどにしないとな。> 顔餅w
294 :
仇鱒:2005/12/09(金) 06:54:55
で、せっかくだからわしもちょいと口出しさせてもらうと、
>>291 >d) 太郎が本を洋書を三冊と和書を5冊破り捨てた
>e) 洋書を三冊と和書を5冊、太郎が本を破り捨てた
たしかにd)とe)はデータ的にはおもしろいが、ようは「本を」がアバウトネス
をしっかり持っているからにすぎないだろう。つまり、d)とe)は次のように
パラフレーズできると。
d)太郎が本に関しては洋書を3冊と和書を5冊破り捨てた。
で、もっというと、このアバウトネスをもっと引き立たせ次↓のようにすると
更に容認度は上がる。
1)リッチーがギターをストラトを2本とエレアコを1本ぶっ壊し、アンプを
フェンダーを2つとマーシャルを1つぶっ壊した。
>d)’ *太郎が本を洋書*をと和書*を破り捨てた
これが悪いのはただたんに、「証書をと」のところが容認されないから。
つまり、次の文がダメなのと同じ理由で排除されているのにすぎない。
2)*太郎がと次郎がコンビニに行った。
3)*太郎がギターをとベースを買った。
>1) 太郎が 渡したのは [ 花子に 本を 二冊]だった。
>2)??太郎が 渡したのは [花子に 本(を)]だ
たしかに2)がダメなのも興味深いが、ここでの議論に即して言うならば、次の
文がダメであることを指摘すべきであろう。
4)*太郎が渡したのは[花子に二冊]だった。
てなことで、一件落着か?ww
自宅のmacからにょろ。?が出ませんように。このiマックも三年の付き合いだから
そろそろ新しいのが欲しいニョロけど、サンタさん来てくれそうにないにょろ。
>今まであんまり文献で扱われてないにゃ?
アッシの知る限りはないニョロけど、99年くらいからFQあんまりやっていないから
それからは出ているかも。
>太郎が洋書を3冊と和書を5冊、驚いたことに本を破り捨てた
>洋書を3冊と和書を5冊、太郎が驚いたことに本を破り捨てた
>は多少improveしてると思われ、にゃ
これはfree rideの効果かと。
やっぱり?出たにょろ。。。
>ようは「本を」がアバウトネス
>をしっかり持っているからにすぎないだろう。
そのaboutnessってのがよくわからんニョロ。まあ、major objとかも同じような用語だけど、
これはaboutnessがしっかりしているからok、あっちはしてないから駄目、ってのじゃ、
問題を言い換えているだけになる可能性ありニョロ。特に、
>洋書を3冊と和書を5冊、太郎が驚いたことに本を破り捨てた
にはそのaboutnessになるようなphraseがないことに注意されたいニョロ。
>>d)’ *太郎が本を洋書*をと和書*を破り捨てた
>これが悪いのはただたんに、「証書をと」のところが容認されないから。
>つまり、次の文がダメなのと同じ理由で排除されているのにすぎない。
そりゃ違うニョロ。「と」の前の「を」をとっても悪いままニョロ。
d)"*太郎が本を洋書と和書を破り捨てた
>文がダメであることを指摘すべきであろう。
>4)*太郎が渡したのは[花子に二冊]だった。
つづき
それと
i) *太郎が花子に渡したのは [ 二冊 本(を)だ ]
も駄目ニョロ。predicateは少なくとも日本語ではargumentに先行しないにょろし。
問題なのは、
1) 太郎が 渡したのは [ 花子に 本を 二冊]だった。
で「二冊」が「本を」をargumentにとるのはいいとして、「花子に」ってのをとるのは
しっくりこないニョロ。二冊が1)ではtwo place predicateでii)ではone placeってことに
なっちゃうにょろ。
ii) 1) 太郎が 花子に 渡したのは [ 本を 二冊]だった。
ところでこの二つのargumentは「本を」のほうがFQ側にないといけないニョロ。
へんなところで区切ってしまったけど、
iii) * 太郎が花子に 渡したのは 本を 花子に 二冊だった。
いっそのことFQはNPをargumentにとっているんじゃなくて、otani&whitmanの
null-objの分析みたく、VがVPより外にでた後のVPをargumentに取っている、
とするのもいいかも。するとFQ自体はone place predicateでVPを取ってVPなると
(副詞だし)。それならある時はone place、時折two placeなんてのがなくなるけど、
iii)のようにquantified NPが近くに出てくるとかfree ride効果をどうするか、
とか問題がもっとたくさん出て来ちゃうにょろ。
要するにFQに関してはよく解らないことが多い、宮川説、顔餅説、かかり説のどれも
それぞれが微妙に異なるデータを説明できる、非常にcontroversialなtopicかと。
よくわからないのはFQに限ったことではないけど。ここでの一連のdiscussionの
ミソは多くの人がやっているtopicでも細かく掘り下げていけば必ず新事実に直面し、
それが解ければ論文かける、ってことで。
かかり先生は実直な正統派学者というかんじ〜LOVE♥
300 :
Rod:2005/12/09(金) 15:07:18
FQには2種類あるという指摘をK田のI居さんがされてますね。
元々、Kitagawa & KurodaがFQには複数事象を表す読みと単一事象を
表す読みがあるという指摘をされたのですにゃが。
(1) a. この1週間の間に囚人が3人逃げ出した。(複数事象)
b. そのとき突然囚人が3人暴れ出した。 (単一事象)
mutual c-comが問題になるのは複数事象の読みの時だけですにゃ。
他にも単一事象読みにゃと次の文はoutですにゃが
(2) 学生がピアノを5人持ち上げた。
複数事象として(3)のような文脈を与えるとよくなっちゃうのにゃ。
(3) これまでに学生がこのピアノを5人持ち上げています。
こういった観察から、I居しゃんは意味的な制限がない名詞句と構成素をなす
NP数量詞と述語を就職する複数事象の読みを許すような総数のみを問題とする
VP数量詞の2種類があるという指摘をされてますにゃん。
301 :
Rod:2005/12/09(金) 15:10:42
あ、あと遅レスですにゃが、
>>134に関して。
例えばlong distance anaphorの「自分」なんかを考えてみるとですにゃ、
φ-featureを受け渡しをsyntax内でやっていると解釈することはできると
思うのですにゃ。特に昨今の理論のよーにTのfeatureとCのfeatureを関連
させるという立場を取るとにゃ。にゃから、long distanceのwh-mvtもlong
distance anaphorにゃんかもCP-edgeを介してsyntax内のcomputationが処理
している可能性は十分考慮できるのにゃと思いますにゃん。
302 :
Rod:2005/12/09(金) 15:13:20
>>300 typo
mutual c-comが関連するのは単一事象
rod、逝きまーす!
>>300 イベント解釈との関係については了解なのにゃが、最初から単に「VP数量詞」と言ってしまうと
「3回」ではなく「3人」になるのがどーしてか、がよく分からんにゃ
もとは「3人の囚人」「囚人3人」であって、そこから「3人」が副詞化するようなプロセスが
あるのにゃろか
ちょっと occasional visitor のoccasional とかとも似てる鴨にゃ
>>296 >d)"*太郎が本を洋書と和書を破り捨てた
これと比べて
a) 太郎が色鉛筆を赤と黒を買った
b) 花子がチョムスキーの本をBarriersとAspectsを読んだ
とかだとQがなくてもOKにゃろ
つまり、やはりMajorObjectの働きが重要なのにゃが、MObjによって選択肢が
明確に限定され、その中からどれを選んだかかをreal Objが具体的に指定するような
場合にOKになるわけにゃ
色鉛筆の集合={赤、黒、黄色、...}
チョムの本={Barriers, Aspects, MP, ...}
対して(d)のように「本」だけだとそこから選ぶべき選択肢が明確ではなく、
「洋書」や「和書」が「本」の集合の成員として自然に想起されないという問題が
あるように思うにゃ
これが場面を設定して、今問題になっている「本」が、洋書、和書、漫画、週刊誌、
写真集の計5種だけだとすると (d) もよくなるんでないかにゃ
で、俺が
>>225でFQがpartitiveの解釈を持つと言ったことを思い出して保水にゃが、
これはこの意味で母集合がdefiniteなりD-linkされていて限定されているということに
相当するわけにゃ
そこで尋ねるにゃが
>>233 >FQはQのrestrictionがdefiniteであることを要求しないので
>その二つはイコールではないと思う
どんな例を想定しとんのにゃろ
305 :
仇鱒:2005/12/09(金) 20:23:48
を、一件落着と思ったらまた始まったな。
ま、がんがれ、がんがれ。
わしはちょいと師走モードで忙しくなってきたから客席にもどる。
306 :
233:2005/12/09(金) 23:50:41
>d)"*太郎が本を洋書と和書を破り捨てた
>これと比べて
>a) 太郎が色鉛筆を赤と黒を買った
>b) 花子がチョムスキーの本をBarriersとAspectsを読んだ
とりあえず俺は文脈無しでもa/bとdの差が全く感じられないので
いまいち議論をフォローできんのだけれども、「SetとそのMemberという
関係が簡単に想起できる」っていうのとDefinitenessがどう関係あるのかわかんない。
「僕はりんごを二つ食べたい」で「りんご」がDefiniteであるという
根拠は一体どこに?この文「りんご」に関してde dicto読みが容易にできると思うんだけど。
ちょと風邪ひきかけで人間行動進化はサボりにゃ
せっかく教えてもらったのにすまんにゃ(内輪のハナシ)
>a/bとdの差が全く感じられない
となると、説明に窮するにゃが、他の人はどーにゃろ
その集合のメンバーをenumerateできるというのが、一番典型的にその集合が
definiteなりD-linkされている状況だと思うにゃ
「リンゴを二つ食べたい」は、目の前にリンゴを含めて果物が並べてある状況なら
自然な発話となるにゃが、リンゴの存在が前提もしくは明らかでない状況では
不自然にゃろ
この点でそういった前提を必要としない「リンゴを食べたい」とは大きな違いが
あるように思うにゃ
で、「リンゴを二つ」はtwo of the apples 、つまりリンゴの集合の中からどの
二つでもよいが、「二つのリンゴ」はthe two apples、特定の二つを表すという
違いもあるにゃ
これが
>>223の
>「さんまを三匹ください」はいいが
>「三匹のさんまをください」???
>「彼は二人の子供を捜しています」はいいが
>「彼は子供を二人捜しています」???誰でもいいの?
という判断に対応しているのであり、かかりしゃんが
>>224で
>三人子供がいて、一人は既に見つかっている場合、かえって後者の方が自然とちゃいますニョロか?
と言った部分でもあるにゃ
この場合、まだ見つからない子どもがidentifyされている場合はやはり
前者が自然だろしにゃ
308 :
233:2005/12/10(土) 17:30:57
議論がかみ合わないのは多分「definite」というタームの意味が違うからだな。
「definite=existence&uniqness」という前提にのって話をすれば、例えば
「アルバイトを二人募集したが、誰も応募してこなかった」
みたいに存在がPresupposeされていない文脈でも使えるのはもろindefiniteだと
思うんだが。上の文(多分)英語のPartitiveだとだめだと思う。
223の例であげてるのはindefiniteのspecificityの問題で、「時には
specificな解釈もできる」といういのは「definiteである」というのと
イコールではない。
にゃる、「募集する」のようなopaque domainではそーだにゃ
cf. アルバイトを二人クビにした two of the part timers
>indefiniteのspecificityの問題
それはQの解釈で、Objのdefiniteness/D-linkedness とは別ではないにゃろか
さんまを3匹:さんま=definite/D-linked、3匹=nonspecific indefinite
3匹のさんま= specific / definite
311 :
233:2005/12/11(日) 02:24:44
まず第一にPartitiveではrestrictionは必ずdefinite(*two of some boys)であり
よってFQとPartitiveはイコールでは無い。これが
>>233の要旨。
そして第二にspecificとdefiniteもイコールではない。
「あの先生は二人の言語学者を嫌っていると聞いたが、僕にはそれが誰かわからない」
これがOKなら「二人の言語学者」はspecific/*definite
ていうかこの文どう?
>>310 >とても分かりやすい喩え
どこがにゃw
>>311 上で俺がpartitiveと言ったのは、問題のdescriptionがあてはまる個体群のうち、
その一部を指す表現、という意味にゃが
>restrictionは必ずdefinite
とすればpartitiveではないFQもある罠ゃ
では不定の集合からメンバーを選択するような場合はどう呼ぶのにゃろ
>specificとdefiniteもイコールではない
?
>specific / definite
はイコールといっとるんではないのにゃが(cf. definite/D-linked)
>「あの先生は二人の言語学者を嫌っていると聞いたが、僕にはそれが誰かわからない」
まったく問題ないにゃが、これがspecific/*definite の例だというためには、そのような
specificity/definitenessの定義が前提になるにゃ
察するにspecificityについてはspeakerにとってのidentifiabilityがなくてもいいが、
definitenessについては必要、ということにゃろ
しかし例えば
At the party our teacher met two linguists and three mathematicians.
He says he likes the three mathematicians but hates the two linguists, but
I have no idea who those linguists and mathematicians are.
とかいう文脈ならidentifyできなくともdefiniteになるにゃ
つまりdefinitenessもdomain-sensitiveっちゅーことかにゃ
cf. Every linguist respects the teacher who first taught him linguistics.
晩酌の終わった仇が書き込み↓
315 :
仇鱒:2005/12/12(月) 19:47:50
ん?なんじゃい、呼んだか?
仇へーか、どうもおひさですにゃ。。。
このところ、そうも生成モードではないのでしてにゃ。
kita---------------
昨日から虚無、ではなかった狂無委員の仕事で超多忙にゃ
しばらく後は頼むにゃ
ちえっ、いなくならなくてもいいのに…。
腰をおったようなのでなにか書くと
思うに、qの解釈には2通りあって、いわば離散的な解釈と、連続量、といってわるければ、
蓄積的な量に注目するもの、
「10冊の本が読みきれなかった」は、離散的な読みをすれば読みきれなかった本が10冊存在し、
蓄積的に解釈すれば、たとえば9冊までは読めきれたが、10冊にはいたらなかったということになる。
わたしのあまりあてにならない予想によると、離散的な読み(あまりいい述語じゃないけど…)では、
たしかに話者にとって、それぞれの個体性が意識されているように思うにゃ。
そのばあい「10冊の本が読みきれなかった」(離散読み)では、読みきれなかったそれぞれの本が確定されている、
という印象が強い。だがしかし、そのばあいでさえ、これを節とした別の陳述
「10冊の本が読みきれなかった者は失格だ」(離散読み)みたいにすれば個体性の問題は相対的なものとなるにゃ。
まあ、生成外部の人間からすれば、だいたいそんなとこ。
あまりにもはなれすぎて、atbとかrnrとか、すっかり忘れたにゃ。また来るかどうかはわからない。
イベント解釈が複数あるということは既出だったorz
o.....rz コロコロコロ
321 :
仇鱒:2005/12/13(火) 06:51:01
虚無ちょーかん、どもおひさです。私も正直最近生成もー
どではなかったりしてます。正直生成というかミニマリストからかなり離
れたところにいるため、もしかしたらアカデミックなスタンス
としてはどちらかというと虚無ちょーかんに近かったりします、たぶん。
てか、わしも去年と同じく今年もキョーム委員をやっていることもあり、今
もそうだけど、ほんと今年は地獄の状態ですた。てか、来年は来年
でなんやかやで今まで通り地獄もーどは続き、この先仏が現
れることはまずないかなーと思う今日この頃でつ。
322 :
仇鱒:2005/12/13(火) 06:51:51
で、せっかくだからちょいとだけ
>>319の虚無ちょーかんのカキコにレス
させていただきます。えっと、離散的な読みと連続的な読みですが、
もしかしたら、全ての数量詞には本質的にeveryとallの二面性
があるのかもしれないでつ。どういうことかかいつまんで話をしまつ。
everyはセットの1つ1つ(つまりセットのメンバー)を意識した上で全体
(つまりセット)を考えます。一方、allの方は全体(つまりセット)をまとめて
認識しています。で、このevery的なものの捉え方がもしかしたら虚無ちょー
かんのいう離散的な読みを引き起こしているのかなと。で、all的なものの見方が
虚無ちょーかんのいう連続的な読みを引き起こしているのかなと
思ったりしています。
ようするに、「10冊」とかのたんなる数量詞も統語上どの位置にあるかにより
(←もちろんコバートシンタクスの段階で)、EVERY的な読みが要請された
りALL的な読みが要請されたりするのかなーとちょっと思ったりしますた。まあ、
ようするに、複数名詞がどこに現れるかにより、インディビジュアルレベルの読
みが要請されたりステイジレベルの読みが要請されたりするのと同じかなと。
323 :
仇鱒:2005/12/13(火) 06:52:44
てか、最近、北N氏とか川T氏といった最先端の人工知能研究者の書いた物を読
んだりしているのだが、正直こういったものを読んでいる方が生成のベンキョー
になったりする。生成とはどんなガクモンであるのか自分では分
かっていたつもりではあるがまた分からなくなってきたりする。
つーか、相変わらず胃腸の調子悪くてゲップすると吐きそうになる、、、。
ちゅーか、虚無ちょーかんはライブとかやらないの?今度ナイショでわしに
ライブの予定とか教えてくれないかなー。わし、一度虚無ちょーかんの前衛的な
音楽をリアルで体験したいと思っているのでつ。ぶっちゃけ、あの人を不安
にさせるようなサザエさんの曲とドレミの歌はわしにはかなり衝撃的であった。
もしかして虚無ちょーかん、昔YM0とかにはまってた?
「10冊の本を読んだ」の「離散的な読み」と「蓄積的な読み」を教えて
325 :
仇鱒:2005/12/13(火) 07:37:45
集金前だが急いでレスする。
>>324 >「10冊の本を読んだ」の「離散的な読み」と「蓄積的な読み」を教えて
ま、わしが答えるのもヘンだが、まあわしが答える。えっと、上の「10冊の本
を読んだ」という肯定文では正直虚無ちょーかんの言う離散的な読みと連続的
な読みというのはちょいと出にくいと思う。やはり、虚無ちょーかんの「10冊
の本が読みきれなかった」というように、「努力したけどできなかった」という
文脈があった方が出やすいような気がする。でも、この辺りの解釈はかなり微妙
でわし自身しょうじきあまり自信がない。てか、わし、日本語検定3級だし。
ははははは。ま、ジョーダンはコッチにおいといて、虚無ちょーかんの例
をいわゆるFQタイプにするとまた若干ジャッジが変わってくるような気
がする。たとえば次↓の文だが、
1)本が10冊読みきれなかった
これだと、連続的(というか蓄積的)な読みが優勢だと思うのだが、、、。
でも、自信ない。それと、次↓の例だと、
2)本が10冊読みきれなかった者は失格だ
こっちの方はかなり連続的な読みが出やすいかと思う。でも、解釈にあんまり
自信がない。まあ、Qの絡んだデータというのはほんとビミョーというかよく分
からないところがある。とにかく、スコープ関係はダメだ。ぶっちゃけ、10人
いたら10人の解釈があり、ほっとくとビッグネームの香具師の判断に流
されるところがある。
326 :
仇鱒:2005/12/13(火) 07:58:09
もう一言だけ書いておく。
>>322の次の自分のカキコに自己レスする。
>ようするに、複数名詞がどこに現れるかにより、インディビジュアルレベルの読
>みが要請されたりステイジレベルの読みが要請されたりするのと同じかなと。
たとえば、次の文では、
1)Firemen are available.
「今出動可能な消防士がいる」というイグジステンシャルな読みと「消防士つー
たら直ぐに出動できる態勢になきゃなー」というジェネラルな読みがある。で、
わし的には、Firemenには見えない数量詞くっついていて、それがVP内で解釈
されるかVP外で解釈されるかでイグジステンシャルな読みとジェネラルな読
みに分かれているのでは、と思うのだ。つまり、主語がどこで解釈
されるのではなく、主語にくっついている(見えない)数量詞がどこで解釈
されるかによって、読みが変わってくるのではないかと思うのだ。で、その目
に見えないコバートな数量詞がFiremenのように複数名詞を要求していると。
てなことだけど、また時間があってその気になったらカキコミする。駅に急
げー!!!師走だーー!! 仇鱒センセ猛ダッシュ!!!!ははははは。
新しい意味の造語
単に新しい言葉を作り出したのか、言葉に新しい意味を作り出したのか
329 :
仇鱒:2005/12/13(火) 20:05:55
ちょいとヨッパもーどだから釣られてやる。
>>328 >単に新しい言葉を作り出したのか、言葉に新しい意味を作り出したのか
クォークなりニュートリノなりDNAなり、こういったものはわしら人間がこの世
に生じる前から100%あった。でもわしらはその存在に気づかなかった。
わしらが気づいていなくても太古の昔からずっとあった。
それがいきなりわしらの前に現れてきた。つまり現前したわけだ。どうやって
現前したかとい うと、「クォーク」なり「ニュートリノ」なり「DNA」という
タームを科学者が発明し、その発明にともなってクォークなりニュートリノ
なりDNAという 概念がリアルなモノとして発見
されるようになったということだ。これと逆のケースもある。「平等」とか
「共産」とかあるいは「ネ申」といったものはもともとこ の世にはなかった。
しかしどっかのファビョった香具師がこういったトンデモな概念
をでっちあげた。まあ、ヒダリマキコという人工的な知能を脳内に持つ、
わしに 言わせたらSF的な人間だ。で、そいつらによってその概念に「共産」
やら「ネ申」というタームが与えられたわけだ。そしたらそのとたん、
そういったもの があたかも存在するかのように多くの人間が勘違
いしだしたわけだ。で、あっちこっちでドンパチするようなハメ
になったわけだ。まあ、ようするに、ターム が概念の発見を引き起
こすこともあれば、概念がタームを生み出すこともあり、結局
はそうやってつくられたタームがやがてリアリティを持ち出
すようになるわけだ。で、あげくのはてにはそういったヴァーチャルなターム
からなる仮想的な空間でわしらは生きざるをえないわけだ。わしらが生
きているこの世界はヴァーチャ ルだ。リアルなものなんて何一つない。
そんなもんだ。わしらがリアルだと思っているものも脳が勝手に作り出している
幻想にすぎない。そんなもんだ。てか、わし酔っぱらってるわ。うぃっ。
さむいぉー
331 :
324:2005/12/14(水) 01:30:58
いや、「離散的」「蓄積的」というファンシーな用語が指す物が
普通に言われてるNegとQのスコープ曖昧性とどう違うのかなーと疑問に思っただけ。
レスどうも…>仇へーか
わたしがおそれるのは、どうもわたしが書き込むとスレが偏向するということだにゃー。
かかり博士とかは、カヤの外とかになりかねない(たぶん全然歓迎されてない)
わたしは、自分のたわごとは自スレに書けばいいわけで、もうしばらくおとなしくしようかなと思ってるにゃ。
で、わたしは
>>319を書いたあと、ああこれは結局イベント解釈に左右される問題だと思ったにゃ。
容認されないとされた「3匹のサンマを下さい」も、わざとイベントを複数生起するような状況にして、
「1週間のうちに3匹のサンマを下さい」にすればよくなるんちゃうかにゃ。
「1週間のうちに3匹のサンマを届けて下さい」にすればもっとよくなるにゃ。
(するとひょっとしたら、非fqのほうは「複数イベント読み」のほうが優勢ということになるかもしれないが…)
肯定文について、「離散読み」と「蓄積読み」の違いがでにくいというのはたしか。だが、
「太郎と次郎が10人の女子高生とセックスした」にすると各種のイベントが想定できる…
うーん、わたしは、総計10人(たとえば太郎4人、次郎6人)の読み(離散読み=複数イベント読み)が自然だと思うが、
12pというのもありだにゃー。
(単一イベントはただちに12pということではなく、同一の10人に対していれかわりたちかわりということで、
「10人とやる」ということを単一事象としてみなしているということになる。
(このほかに、それぞれ10人とやったという読みが可能で、ここのところもっと精緻な考察が必要であろうが、
いまそのちからがないにゃ。)
fqの「太郎と次郎が女子高生10人とセックスした」では、逆に単一イベント読みがしやすい気がするが、
これらの判断にはどうにも無用な常識が働いている可能性があってよくわからない。
イベントの単複については、どうも構造的に差異をみいだしにくいというのが実際のところではないでしょうかにゃ。
とりあえずライブは現状ではムリですかにゃー。近いうちにメールでも出すかにゃ。おわり。
結局distributive/collectiveということなんでしょうか。
>「1週間のうちに3匹のサンマを届けて下さい」にすればもっとよくなるにゃ。
これはちょっと面白いかも
334 :
仇鱒:2005/12/14(水) 07:24:31
>>332 虚無ちょーかん、さむー、ございます。1時間に1回はトイレタイム
でございます。ほんと、さむーございます。最近はキレが悪くパンツの中に
イチモツを入れるタイミングがむずーでございまつ。
>「1週間のうちに3匹のサンマを届けて下さい」にすればもっとよくなるにゃ。
なるほどー、たしかに上のように文脈整えると離散的というか複数イベントの
解釈が出やすいでつ。こうなるとまさに、fqは形式の問題か機能の問題か、
というディープな問題になってくるのでつが、でもやはり単純に形式的に処理
できる側面もあるのではないかなーと思っています。そのための一助として、上
でもわしが書いているように、qにEVERY的な特性とALL的な特性を統語部門
のどこかで与えてやればいいのではないかと思ったりするのでありまつ。再度言
うと、qがある構造に現れるとEVERY的な読みが要請され、その結果、セットの
メンバーにフォーカスがあてられ複数イベント読み(=離散的読み)が優先
されると。一方、別の構造に現れると今度はALL的な読みが優先され、その結果、
セットまるごとに対してフォーカスがあてられそれで単一イベント読み(=
蓄積的読み)が優先されると。
335 :
仇鱒:2005/12/14(水) 07:25:16
で、同じことが一見すると数量詞がついていない「Firemen are available」
のfiremenにも言えるのではないかなーと。つまり、このfiremenにも実は空の
数量詞がくっついていて、それが統語構造のどこで解釈されるかにより、
ジェネリックな読みとイグジステンシャルな読みが出てくるのではないか
なーと。で、このようなアプローチのメリットは何かというと、まさに
ミニマリストの精神にあっているということ。どういうことかとゆーと、
ディージンの枠組みなんかだと、どこからともなくいきなり
エグジステンシャル・クロージャーとジェネリック・オペレーターがひょっこり
統語構造に現れたりするわけだが、こんなことは
イクスクルッシブネス・コンデションを考えると考えられないわけだ。てか、許
されないわけだ。でも、わしが言うように、firemenなんかには目に見えないq
がついていて、それが統語構造上どこに現れるかによって2種類の解釈が得
られると考えれば、イクスクルッシブネス・コンデションにも合致
してこっちの方がいいと思う。第一、何で主語の現れる場所によっていろんな
解釈が出てくるのかという素朴な疑問も解消すると思う。わしの上のアプローチ
なら、主語が現れる場所の違いが解釈の違いを生み出すのではなく、主語
についている空のqの生起場所の違いにより解釈の違いが出てくるのでこちらの
方が直感的にも合っていると思う。
336 :
仇鱒:2005/12/14(水) 07:26:24
と、あまり生成ちっくなハナシをすると今度は虚無ちょーかんが蚊帳の外
になってしまうのでまたちょーかんのカキコに戻るけど、「女子高生とせ
くーす」ネタは男が2人だからちょっと解釈が難しくなっているところがあると
思う。で、次↓のようにするとどうだろうか。
1)太郎が10人の女子高生とせくーすした
2)太郎が女子高生10人とせくーすした
これだと、解釈のコントラストがもっと出やすいと思う。1)はやはり複数
イベントの読みが優勢だと思う。つまり、「これまでの人生で」という前提
というか含意があると思う。一方、2)はやはり単一イベントの読みが優勢
である。つまり、「この前の乱交ぱーてぃーで」という前提というか含意
があると思う。そう考えると、次↓の虚無ちょーかんの直観はあながち外
れていないかもしれない。
>(するとひょっとしたら、非fqのほうは「複数イベント読み」のほうが優勢
>ということになるかもしれないが…)
まあ、虚無ちょーかんも指摘されているように、たぶんに「無用な常識が働
いている可能性」もなきにしもあらずなので、fqならびに非fqの問題
をどこまでを形式で扱いどこからを機能で扱ったらいいのかはかなりむずーな
問題だと思う。
>とりあえずライブは現状ではムリですかにゃー。
そうですか、、、。それは残念。もしやるようなことがあったら是非ご一方を、
でつ。関東エリアならかならず見にいきますでつ。
>近いうちにメールでも出すかにゃ。
楽しみにしてますでつー。身元バレ避けるためにホットメールでもオーケー
でつよー。
てか、『男たちの大和 / YAMATO』見てぇー。でも時間ねぇー。
×イクスクルッシブネス・コンデション
○インクルッシブネス・コンデション
世話やけるにゃw
338 :
仇鱒:2005/12/14(水) 07:48:57
>>337 >世話やけるにゃw
あちゃー。またやってしもーたー。お仕事逝ってくる。トボトボ。
逝ってらさーいw
>『男たちの大和 / YAMATO』
イージスもローレライも観たんで大和も逝っとくかにゃ
しかし「あらしのよるに」も捨てがたいにゃ
つーか、歯が痛いにゃ (;´Д`)
基本的なことにゃが
>>332 本10冊を読んだ(not FQ)
本を10冊読んだ(FQ)
なんで
>fqの「太郎と次郎が女子高生10人とセックスした」
>では、逆に単一イベント読みがしやすい気がするが
はいかがなものかにゃ、と
むしろ「女子高生を10人拉致した」とかだと複数イベントにゃろ
>>332 GEN/∃の扱いがinclusivenessに反するというのを避けるには、
GEN/∃がnumerationに含まれている、あるいは、GEN/∃が導入される
のはLF syntax ではなく、もっと後の意味構造、と考えることだにゃ
Kratzerは前者を考えているとか、どっかで聞いた憶えがあるにゃが、
俺としては後者を薦めるにゃ
ま、それ以前に ILP では主語がSpec-IPに基底生成されるというのが
通常のVP-internal Subjの考え方を大きく変えることになるのでそっちの
影響のほうが気になるにゃ
で、仇の透明Q説によると、
[ Q1 [ Subj ... [ Q2 [ tSubj ...
という感じかにゃ
Qの配置がQRによるのかどうかは知らんにゃが、Q2の位置で解釈される
場合がexistentialだというのにゃろ
するとSpec-IPにあるSubjとQ2の関係はどう見るのにゃ
Q2がSubjをc-comしない、あるいはSubjにくっついてるtraceをbind
しない、ということは問題にならないのか、もしこの問題を回避するために
Q2の場合はtSubjを解釈するのだ、とすれば結局Subj自身をどこで解釈
するかの違いと同じということになってしまわないか、ってあたりかにゃ
あと、ILPの場合にgenericしかないというのは、透明Qだとどーなるのにゃ
くらっつぁー&でぃーじんぐは嫌いじゃ。opの移動ですこーぷいん
たらぁくしょんを説明してるだけやん。事実観察を言い換えているだ
けやないの。はいむとかーるそんの方がいけてるで。
クックックックックッ。実はわて24日に某所でライブやりまんねん。
どこでやるかは内緒やけどね。そんなわけで、ただ今めんばーと一緒
にステューディオで練習中。3フレットバレーのEは押さえにくいねえ。
低音弦の響きが気持ちええけど、手首がつりそうになるわ。
ハッ わかった
344 :
仇鱒:2005/12/15(木) 07:58:22
>>340 >しかし「あらしのよるに」も捨てがたいにゃ
わしんとこのガキも↑と同じこと言っていた。w
>むしろ「女子高生を10人拉致した」とかだと複数イベントにゃろ
うーん、なんか複数イベント読みと単数イベント読みはよく分からない。いや、
よく分からないというのはジャッジが定まらないという意味でだが。やっぱり、
どんな語を使うかによってもジャッジは違ってくるし、語に対する読み手の
イメージとか社会的常識のようなものも大きく絡んできていると思う。たとえば
次↓の文だとどうであろうか。
1)女子高生を10人監禁した
これだと単一イベント読みが優勢ではなかろうか。ようするに10人
ひとまとめにしてある場所に監禁しているイメージが優勢なのではなかろうか。
ようするに、10人いっきに拉致するのはどんなキタの工作員でもむりぽいが1
0人いっきに監禁するのはたやすいことだという社会的常識のようなものが絡
んでいると思う。
345 :
仇鱒:2005/12/15(木) 07:59:04
>>341 >GEN/∃の扱いがinclusivenessに反するというのを避けるには、
まあたしかにインクルッシブネス違反を回避するには、あらかじめ
ヌーメレイションにGENやら∃を入れておくか、インクルッシブネスが関与
しない非(ナロー・)シンタクスでGENやら∃を入れてやるしかないわな。でも、
クラッツァーのようにヌーメレイションの段階で入れるにしてもよくワケワカメ
である。そんな得たいの知れないワケワカメなオペレーターをヌーメレイション
に入れておいたらヌーメレイションは何でもあり状態になってしまう。第一、
そもそもそんな得たいの知れないオペレーターがレキシコンの中に独立した
「語彙」というか素性として存在しているのだろうか。ちょいと考えにくい。
いっぽう、顔餅のように、シンタクスの外(つまり意味部門かどこか)でGENな
り∃を導入するとなると、そもそも「Firemen are available」などの読みの問題
はもはやシンタクスの問題ではなくなってしまうと思う。そうなると、
デージング流の分析は意味なしになってしまうと思う。てか、ある意味、
デージング流のアプローチはシンタクスとセマンティクスのインタフェイスの
研究と考えれば、まあ一応は意味なしとは言えないが。
346 :
仇鱒:2005/12/15(木) 08:00:05
>ま、それ以前に ILP では主語がSpec-IPに基底生成されるというのが
まあ、結局コントロールをどう捉えるかによるのではなかろうか。ホースティン
が言うように、コントロールもA移動の一種でPROはコントローラーの痕跡だと考
えれば、デージングのILPの分析もまた別の解釈ができるのではなかろうか。
>するとSpec-IPにあるSubjとQ2の関係はどう見るのにゃ
まあ、関係節とかでよく言われるようなプレディケーションの関係かなんかで捉
えるしかないかな。プレディケーションなんて説明でもなんでもないが。
ははははは。
>Q2がSubjをc-comしない、あるいはSubjにくっついてるtraceをbind
>しない、ということは問題にならないのか、
ま、そのあたりのプロパー・バインディング・コンデションの問題は
デリベイショナルに満たすとかなんとか言えば済む問題であろう。
>あと、ILPの場合にgenericしかないというのは、透明Qだとどーなるのにゃ
これもコントロールをどうするかという問題とリンクしているだろうな。
>>343 >ハッ わかった
frえd師匠の身元が分かったのならココに晒せ。遠慮はいらん。w
348 :
仇鱒:2005/12/15(木) 19:37:48
ちょっと思ったことがあるのでちょいとだけカキコする。
>>340 次↓の例だけど、
>本10冊を読んだ(not FQ) --- (1)
>本を10冊読んだ(FQ)---(2)
(2)がFQであるのはいいとして、ところで(1)は何なのだろうか。てか、
(1)はいったいどういう構造をしているのだろうか。「本を」に「10冊」
が割り込んでいるのだろうか、、、。でも、普通そういう割り込みはできない
(cf. *太郎{よく/昨日/しょっちゅう}が )。(1)が何という構文
でどういった構造をしているのか疑問。
>>340 >つーか、歯が痛いにゃ (;´Д`)
ますます歯が痛くなるわな(w)(コッチのハナシ
>>347 >オジー・オズボーン
ぉぉおおおーー!!オジー キターーーーー!!!!(キターのAA挿入
いや、実はわし、ちょうど数日前にオズフェストのDVD見たところなのだよ。
いやー、ハナシには聞いていたが、オズフェストすご杉。今年が10周年
とかでそのDVD見たのだが、観客の荒れようはハンパじゃない。マジであれで
死者が出ていないのが不思議なくらいだ。アレ見たらマジでヘビメタとデスメタ
はまずーと思うわな。ま、それはおいといて、オズフェスト10周年
ということでブラック・サバスが再結成されてライブが行われたわけだが、
いやー、よかった。相変わらずオジーのおしりは白く素敵だった(藁)。オジー
のおしり最高!!!
ばかだもーん(Bark at the Moon)のオジーはともかく
サバスを語らせたら俺もけっこううるさいけどにゃ
今は歯が痛いんでまたにするにゃ
>ますます歯が痛くなるわな
爆弾ありがとにゃ
350 :
仇鱒:2005/12/16(金) 06:53:49
ったく、南朝*、何やってんだか、、、。例のES細胞、捏造のようだな。南*
鮮の歴史歪曲&捏造には慣れっこだが、サイエンスの領域であそこまでやる
か、、、。ったく、全世界が注目していたと思ったら捏造かよ、、、。歴史は
捏造するは、科学的発見はでっち上げるは、おまけに大統領は整形して
キモイわ。なんだよ、アノ國は。ったく、朝っぱらからむかつくわ。
てなことで、失禁してきまつ。てか、わしはオジーか。ははははは。
で、ちょっとロムしている香具師に聞きたいことがある。えっと、iPodで
ヒアリングのベンキョーをしようと思うのだが、どっかにpcに落とせる音声
データってないだろうか。たとえばラジオとかで簡単にダウソロード
できるところってないだろうか。もし知っていたら教えてくれ。たのむ(ぺこり
やべっ、「女子高生10人に」はフロートしてなかった…
とはいうものの、「2つのおっぱいにしゃぶりついた」(日常プレイ)に対し、
「おっぱい2つにしゃぶりついた」「おっぱいに2つしゃぶりついた」は同様に妙で、
おっぱいがばらばらにたくさんあって、おっぱいに単価がついている風俗店?で二つオーダーして、
みたいなかなりムリのある印象をうけるのであるにゃ…
イベントの単複についてはどうしても、日常的な判断がからんでしまうのだが、
「ある時刻に1回の動作で3匹のサンマをください」と、陳述の中でイベントの1回性を強調したところで、
やはり容認されてしまうのだにゃ。するとこれはやはり意味の問題ではなくて形式の問題で、
たぶんevent->setが単数イベントとされていたもの、set->eventが複数イベントとされていたものかもしれない。
それぞれ仇へーかの言っていたall読み、every読みに対応しているのだにゃん。
どーでもいいのだが、おっぱいの数をふやして「4つのおっぱいにむしゃぶりついた」にしても、
じつに自然に、ふたりの女性をあいてにしているのだなー、と思ってしまうのだが、
この判断がほかのひとにあるかどうかわからない…またくるにゃむ。
352 :
仇鱒:2005/12/17(土) 07:23:24
>>351 >「2つのおっぱいにしゃぶりついた」---(1)
>「おっぱい2つにしゃぶりついた」「おっぱいに2つしゃぶりついた」---(2)
たしかに(1)はフツーだけど(2)はちょっとヘン。だけど、赤ちゃんだと
(2)はokだと思う。そんなこんなでやっぱりかなりいろんなノイズが絡
んできたりして解釈もビミョーに変わってくるのかなーと思う今日この頃
だったりする。とにかくQの解釈はよくわからないでつ。
あと、全然関係ないハナシなんだけど、さっき虚無ちょーかんスレ覗
いてきますた。で、実際のところ言語直観と音楽直観って関係があるのかな〜と
ナイーブな疑問をもちますた。具体的には、文法性(ないし容認可能性)を判断
する言語メカと音楽性(ないし許容可能性)を判断する音楽メカは同
じようなものなのだろうか、と。もっと具体的にいうと、わしはオリジナルの
ドレミの歌を聴いたときと虚無ちょーかんのドレミの歌を聴いたときでは、
あきらかにちょーかんがアレンジした方が心が不安定になりまさに音楽としての
許容可能性が落ちるのだが、これっていったい何なのだろうか、、、と。今まで
ドレミの歌を聴いたことがない未開の地のガキに2つのドレミの歌を聴
かせてもやはり虚無ちょーかんがアレンジしたドレミの歌をキモーと思
うのだろうか、、、と。正直、わしは楽典はチンプンカンプンでさぱーり分
からないなんちゃってギターリストなのであるが、音楽と言語の関係
についてはとっても興味があったりするのでつ。
353 :
age:2005/12/17(土) 10:54:55
354 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/17(土) 10:58:25
おまえは馬鹿か?
そんなもので言語の本質には迫れ無いわ
355 :
仇鱒:2005/12/17(土) 11:40:36
>>353 >音感を決めるパラメータは何ですか?
そもそも音感を決めるようなパラメータがあるのだろうか。
それよりはわしは、前から言っているように、言語に自然言語と人工言語の区別
があるように、音楽にも自然音楽と人工音楽という区別が可能なのかそれが知
りたいのだ。そして、仮に自然音楽というものがあるとしたら、ていうか
自然音楽なるものが定義可能だとしたら、その自然音楽というものにはたして
個別音楽というものがあるのか知りたいのだ。そして、個別音楽というものが仮
にあるとしたら、それの対概念である普遍音楽みたいなものがあるのかそれを知
りたいのだ。つまり、普遍文法と個別文法があるのなら、それに対応する形
ではたして普遍音楽とか個別音楽というのがあるのだろうか、というのがわしの
素朴な疑問なのである。で、仮に音楽にも自然音楽と人工音楽の区別が可能
であり、かつ自然音楽なるものに普遍音楽と個別音楽というものが定義可能
なら、まさに音楽と言語をパラレルに論じることができるのではないか、
とわしは思っているわけだ。
>>354 >おまえは馬鹿か?
わしは鹿馬だが、何か?
てなことでこれからマ*クに逝ってハッピーセット食ってくる。そして
ポケモソの下敷きゲットしてくる。マッ*のハソバーガーなんて食
いたかないけど、、、。ガキのためにしゃーないから食ってきてやる。マジで食
いたかないけど、、、。
脳の損傷で全く音楽のできなくなる症状があれば音楽を司る
脳の部位があるといえるわけで普遍音楽の可能性があるのでは?
357 :
仇鱒:2005/12/17(土) 18:03:35
>>356 >脳の損傷で全く音楽のできなくなる症状があれば音楽を司る
>脳の部位があるといえるわけで普遍音楽の可能性があるのでは?
で、実際、そんな症例があるのだろうか。「音楽ができなくなる」
というのもいろいろ解釈できると思うが、たとえば、実際問題として、プロの
ギターリストなりピアニストが脳の損傷がきっかけでギターなりピアノなりが弾
けなくなったというのはあると思う。でも、脳の損傷がきっかけで音楽を理解
できなくなったという例はあるのだろうか。つまり、音楽を聴いてもそれが音楽
だと認識できないといったことがあるのだろうか。あと、仮に脳の損傷で音楽が
理解できなくなる例があったとしても、それでもって普遍音楽の証明
にはならないと思う。たとえば、脳の損傷によって言語がうまく操
られなくなっても、それでもって普遍文法の存在証明にはならないと同
じである。もっと言うと、普遍文法はI-言語とペアで考えられるわけだが、
そう考えると、もし普遍音楽があるのならばI-音楽
のようなものもあってしかるべきだ。つまり、音楽機能の初期状態
があるのならそれとペアで音楽機能の成熟状態があるはずだ。だから、
普遍音楽の存在を示すにはまずはI-音楽のようなものも理論上なんらかの形で
提示する必要があるのかもしれない。
358 :
仇鱒:2005/12/17(土) 18:04:27
>>354氏からレスがないのでもうちょいと独り言を語らせてもらう。
>>354 >そんなもので言語の本質には迫れ無いわ
えっと、「言語の本質」といった場合人それぞれ指すものが違うと思うが、
まあ、多かれ少なかれ、自然言語にあって人工言語ならびに他の動物のゲンゴ
にはないものがまさに言語の本質になると思う。チョムはそれを転移現象
であるとかマージであるとか言っているわけだが、正直わしには自然言語に固有
のものとは何か分からない。ただ、はっきり言えることは、自然言語というか
人間言語はヒトしか持たないということだ。そして、今世紀の言語学
がやらなければならないのは(別にチョムの肩を持つわけでもなく)「なぜ人間
のみが自然言語を持ちうるようになったのか」という問いに答えることだ。で、
そうなると、結局言語の系統発生のハナシになるわけだ。つまり、
どうやってわしらヒトのみが言語をもちうるようになったかという問題
にどうしても触れざるをえないわけだ。で、チョムは数機能から言語機能が進化
したとかその逆であるとか言っているわけだが、そんなものはどうとでも言
える。ハッキリ言って反証可能性ゼロのたんなる寝言だ。その点ではチョムの
発言は花屋のおっさんの独り言にすぎない。
359 :
仇鱒:2005/12/17(土) 18:05:09
で、実りのある議論といったら何かというと、わしの考えでは、共時的ならびに
通時的に音楽と言語の相関性を探ることだ。わしが思うに、人間のみが言語を操
ることができそれと同時に音楽を愛すことができる。そういう意味では、ヒトの
高次認知能力ないし高次認知機能の解明をマジでやろうと思ったら言語と音楽
をさしおいて何があるのだと言いたい。で、わしとしては、チョムのデムパ的
な考えとは違い、言語システムは音楽システムが何らかの形で突然変化して生
じたのではないかと思っている。だからこそ、もし自然言語の系統発生なり
本質的なところを探ろうと思ったら、自然音楽の系統発生とその本質的
なところを探る必要があるのだ。その意味では、岡ノヤ氏のやっていることは正
しいとは思わないが方向性としては間違っていないと思っている。香具師
がやっているのは自然言語の系統発生の研究ではない。あれは、自然音楽の
系統発生の研究である。だから、本当にやるべきことは、自然音楽
がどのようにして自然言語に相変化というか突然変化したかを調べることだ。
そういうグローバルな目でもって言語を見ることによってはじめて言語の本質
に迫れるとわしは思っている。
さて、6時になったから一杯やるかな。
>>357 両者の要素の対応は、
発話=演奏、文章=楽譜(両者がE言語に対応すると考えられます)
I言語=頭の中で曲を組み立てる能力
単語=?
辞書=?
非文=正しくない旋律?
文の違い=曲の違い
ネイティブスピーカー=?
方言=ジャンルの違い
語族=?(音楽には系統がないと思われます)
シニフィアン=?
シニフィエ=?
語義=?
美しい文?=美しい曲
統語=旋律の組み合わせ方
個別言語=?(互いに意味の通じない音楽とは?)
>>350 .‐'' ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
| ________ |
| | ∧__∧ | |
| | <`∀´ > | |
| |_/ 二\ | |
| |_/\ \\) | |
| | \ \ | |
| | / /\ ̄ ̄ ) |
| | / /  ̄| ̄ 非 常 識 |
| \ \ \ \ |
ゝ、 \ \ \ \ ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
362 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/18(日) 05:05:56
Where is Sigrid Beck now?
363 :
仇鱒:2005/12/18(日) 07:09:20
>>360 うーん、必ずしもそういった対応関係はなくてもいいと思う。今のわしに興味
があるのは、次の関係があるかということだけ。
1)普遍文法と個別文法 ←→ 普遍音楽と個別音楽
2)UGとI-言語 ←→ UMとI-音楽
3)自然言語と人工言語 ←→ 自然音楽と人工音楽
あまり細かい対応はどうでもいいかなと思っている。というのも、たぶん言語
システムと音楽システムはOSというかCPUが違うから。で、
とにかくわしとしては、言語だけを見ていてもこの先
どんづまりになるだろうということ。それで、自然発生したもので言語と近
いものを言語システムとパラレルに考えてみるべきだというのがわしの意見。
で、その候補としてあげられるのが音楽であると。そういった意味では、
これから、人工言語を研究している情報科学と自然音楽を扱っている
研究分野が、何らかの形で生成と密な関係になってくると思う。ちなみに来
年○善から出る事典では、音楽と言語の接点に関する項目がある。
もしこういったことに興味があるのなら刊行されたら手にとって見
てもらいたい。
364 :
仇鱒:2005/12/18(日) 07:10:07
で、もうちょいと言うと、前にわしは渡N氏やT池氏のやっている
オールド・ジャパニーズの分析を批判した。再度かいつまんでその理由を述
べると、大きく次の2つに絞られる。そもそも昔の日本人は5−7−5−7−
7で会話していたわけではないということ。あのような散文ではなく韻文を
ベースにUGのメカを考えるのは、歌謡曲をネタに生成の論文を書
いているようなものでワケワケメであるということ。で、
わしはそうはいいながらもW辺氏や外I氏の研究はあるところでリンク
してくるかもしれないと考えている。それはどこかというと、自然音楽と
自然言語のリンキングである。ようするに、わしに言わせたら、万葉集
というのは言語ではなくむしろ歌なのだ。一つ一つの作品にはメロディー
があるのだ。旋律があり、その旋律をベースにことばという意味
がのっかっているのにすぎないのだ。だから、万葉集にあるような
オールド・ジャパニーズをネタに研究するのなら、音楽と言語のリンキング
といったところに目を付けながらやるべきだとわしは思っている。同じことが、
シェイクスピアの作品かなんかをネタに言語変化の研究をしている香具師にも言
える。当時のイギリス人が弱強5歩格で話していたわけがない。
シェイクスピアの作品も万葉集と同じで散文データではなく韻文データ
なのである。そういった意味では、シェイクスピアの作品で言語変化の研究
をするのは、小室哲哉の歌詞をベースにUGを調べているのと大差ない。だからと
言って、そういった韻文をベースにした研究が完全にナンセンスだとは言
うつもりはない。が、もう少し今自分はいったい何の研究をしているのかよく考
えた方がいいと思う。人によっては普遍文法の研究ではなく音楽と言語の
インタフェイスの研究をしている可能性があるのだから。
365 :
仇鱒:2005/12/18(日) 07:10:57
>>361 最近ヒジョーシキな香具師が日本人の中にも増殖しつつある。日本人のチャウ鮮
ミソジョク化と言えるかもしれない。てか、わしに言わせると、最近の日本人は
チャウ鮮ミソジョク化しているかアホでマヌケなアングロサクンソ化
しているかのどっちかだ。これはヒジョーーに危惧すべきことである。
このままでは昔ながらの我らがニッポンの大和魂が風化されてしまう。この風化
を推し進めるがごとく、女系天皇化が具体化しつつある。ハッキリ
言ってやってることがメチャクチャだ。完全に日本を骨抜きにしようとどっかの
ヴァカが画策している。まあ、そのウラには男女平等病に犯されているサヨクと
ウーマソリブの連中がいるわけだが、正直このままでは我らがニッポンはダメ
になってしまう。マジでわしが総理になってやろうかと思うぐらいだ。ったく、
霞ガ関の連中や、しっかりせんかい!ゴルァ!!!!
ま、そんなこんなのニッポンであるが、浅田真央ちゃん、よくやった!!
おじさんは感激した!!感動をありがたう!!!
>>362 >Where is Sigrid Beck now?
イヌのおまわりさんに聞いてこい!
366 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/18(日) 10:07:30
何が大和魂だ
そんなものは無い幻想だ
日本人のほとんどは農民町民だ
一部のキチガイヴォケの幻想を押しつけるな
367 :
仇鱒:2005/12/18(日) 17:52:28
>>366 ん?一般市民には大和魂はないのか?そうなのか?本当にそうか昨日封切
りになった「男たちの大和 / YAMATO」を見て検証してみよう。ま、藻前も
靖国神社に行って、本当に心の底から「大和魂は幻想だ」と言えるか
セルフ・チェックしてみるこったな。あと、千鳥ヶ淵を「大和魂は幻想だ」
とつぶやきながら散策してみることだな。
ま、わしが筋金入りのウ∃だというのは言うまでもないが(w)今日はサザエ
さん生誕60周年だ。サザエさんとまる子ちゃんを見
ながらわしらがこうやって幸せに暮らせるのは誰のおかげかよーく考
えてみることだな。
あと、老婆心ながら藻前らにちょいと教えてやるが、今年でサザエさん生誕6
0年であるとともに今年は戦後60年だ。サザエさんはそーゆー番組なのだよ。
これからサザエさん見るときは正座して見るよーに。まる子ちゃん見るときは
体育館座りでもいいが。
さて、一杯やりながらまる子ちゃんでも見るかな。ぴぃ〜ひゃら・ぴぃ〜
ひゃら・ぱっぱ・ぱらぱ〜♪
368 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/18(日) 18:11:00
軍国主義の教育により国民は騙されて
無駄な戦いをしたわけだ
純粋な若者たちはお国のためだと信じこまされ
時間稼ぎのために特攻隊として死なされたり
そのキチガイぶりは、ちょうど今の北と同じだ
ちなみに今の日本があるのは、ぶっちゃけアメリカのおかげだ
我々一般市民にある程度の自由を与えてくれたしな
志願兵だけで賄えないような戦争を賛美するのは、ヴァイタリティのない奴に決まっている。
生きていくのに倦み疲れて、破滅的なことを面白がるのだ。
最後まで自分らしく生きたいと願っている者は、例外なく平和を愛する。
わたくしは夕な夕な
窓に立ち椿事を待つた
凶変の獰猛な砂塵が
夜の虹のやうに町並みの
むかうからおしよせてくるのを
――三島由紀夫「凶ごと」
なんにゃ、この流れはw
こないだTVで言っとったにゃが、三島自身は徴兵制に反対で、
女性天皇も肯定しとったらしいにゃ
ま、俺は仇みたいなウヨではないのにゃが、祖国や家族を守るため
戦場へ向い命をおとした人たちへの感謝や哀悼の念と、戦争賛美とを
混同すべきではないにゃ
で、ちょっと遡って
>>345-346あたり
俺の見方は、GENや∃がでてくる意味構造は言語外のものであるが、
bare plural NPが統語構造上どこに生じえるのかも問題の量化に
関わっており、SLP/ILPの研究はまさにインターフェイスの問題と
して重要である、ということにゃん
で、もしhornsteinのいうようにcontrolがmovementにsubsume
されたら、SLP/ILP双方の構造は同じであり、
[ Subj Infl [ tSubj V ... ]]
なぜILPでは元位置での解釈ができないのか(reconstruction effect)
がでないのか、を別の理由で説明せんといかんにゃ
一つの可能性としては、ILPの場合、Spec-IPもθ位置であり、この
位置での解釈が強制的である、とかいった方向かにゃ
類例としては、どちらも同じ移動だとしても、raisingと異なりcontrolでは
wide scopeが義務的、というのがあるけどにゃ
歯科氏、歯が痛いにゃ
>>370 > 祖国や家族を守るため
> 戦場へ向い命をおとした人たちへの感謝や哀悼の念と、戦争賛美とを
> 混同すべきではないにゃ
遺族の気持ちは感謝や哀悼でも、みんなで思えば戦争賛美だ。わかったか。
賛美と哀悼は区別できるのだろうか?
選択制限的には、哀悼の補部は +human +dead にゃが
賛美なら -humanでもええにゃ
にゃから戦争は賛美可能、哀悼不可能、にゃ
おもいっきりスレ違いだなw
まとめると他国への侵略戦争はおろかだったということ
戦勝・戦敗国ひっくるめてだ
いつも犠牲になるのは一般市民だ
戦争を煽動する奴等は安全な場所に隠れやがる
>>376 BGMはBlack Sabbath / War Pigs にゃろw
スレ違いどころか
>>375でちゃんと生成ネタに戻っとるにゃ
相変わらず見事なオチにゃった 座布団10枚にゃ
仇ちゃん
あんまり身の丈に合わないこと書き散らしてると
叩いちゃうよ
あなたはそんなに頭の良い子ではないんだから
あまり自我を肥大化させるのはよした方がいいよ
>仇へーか
言語と音楽を並行的に論述するさいには、
いくつかのフォーミダボーな問題点に留意しなければならないにゃ。
まず音楽にはふつう観測可能な実体があること。それが入力として想定できること。
対象についての内観と、その物理的な属性(周波数とか持続とか)との相関が比較的容易に推測できること。
人工的ということの定義はともかくとして、音楽の分類について恣意的でない数理的な分類ができること、
などなどから、われわれは、音楽については、まともな自然科学としてのアプローチをもちうるのである。
普遍音楽についても、いろいろなレベルで、非常に明確な定義を与えることができる。
いっぽう言語については、いちぶは原理的な理由から、
またいちぶはチョムスキー主義者の知的怠惰による理由から、大きなへだたりができているにゃ。
わたしは、普遍性は数学的概念だと信じて疑わないが、これは普遍性概念があまりにもたやすく
文系的な理念や理想、構想力の不可避な欠如などによって恣意的・非科学的に歪曲されるためであり、
(理系ヲタのわたしとしては)
数学が、ただ数学のみが普遍性を与えることができると言わざるをえない。
もうほんとうに文系的なごたごたにはうんざりにゃ。文系に真理なし。安っぽい知的感動あるいは
知的詐術があるのみ。
デキの悪い理系学部学生みたいなこと言い出したにゃw
あんたは相手にしてないにゃ>顔
382 :
仇鱒:2005/12/19(月) 07:29:11
朝起きてココ見てびくーり。すんげー、荒れてるな。
荒らした張本人出てこい!ゴルァ!!
つーことでわしが出てきたのであるが(w)、ま、スレ違いなので大東亜戦争絡
みのハナシはやめとくかな。てか、これから向こう2−30年はアジアの年だ。
たぶん中東以上にアジアは緊張すると思う。昨今の串国と台湾のテンションの高
さを見ても分かる。まあ、相変わらず串国は串華思想をぶち上げて自分たちが何
でも中心と考えているから、しょーじきこれからもアジアはいろいろ思
いやられるだろう。結局、キタの問題も串国がどうでるか次第である。ミナミは
関係ない。で、これまでその串国の動きをアメリカがいろいろ牽制
してきたのであるが、アメリカはもうそういう厄介なことはしなくなるだろう。
ようするに、アジアのことはアジアの連中で勝手にやれってことだ。ま、
アメリカも中東で人も金も使いすぎてアジアにまで人も金も使
えなくなってきたというのが実情だが、ようするにアジアのことはアジアの人間
が考えなきゃならんのだ。ただその時、アジアの人間だけが集
まってうまくやれるかといったら絶対にそうはならない。理由はただひとつ、
串国という人権を無視し、国ならびに歴史という観念がないヤクザな国
があるからだ。ほっとくと串国の好き勝手にされてしまい、まじで沖縄
はとられるは下手したら九州までとられてしまうぞ。別に戦争を煽
るわけでもなんでもなく、こういうときに日本は日本
のやるべきことがあるというのだ。で、同じことが60年前にも起きたわけだ。
そんで、わしらは同じことをまた繰り返してはいけないわけだ。それはみんな同
じ考えだと思う。戦争はやってはならない。善悪でいったら悪に決まっている。
でも、外交上の一手段として法的に認められているし、自国ならびに己の
プライドを守るためにやらざるを得ないときがあるのだ。そのプライドが大和魂
だとわしは言っているのだ。ま、そんなところだ。
383 :
仇鱒:2005/12/19(月) 07:30:09
>>378 >あなたはそんなに頭の良い子ではないんだから
>あまり自我を肥大化させるのはよした方がいいよ
もしかして、わしのおかん降臨?
>>370 >ま、俺は仇みたいなウヨではないのにゃが、
ちなみにわしは「ウヨ」ではなく「ウ∃」である(
>>367参照)。
「∃」はイグジステンシャル・クロージャーなのだ。ははははは。
384 :
仇鱒:2005/12/19(月) 07:30:55
>なぜILPでは元位置での解釈ができないのか(reconstruction effect)
>がでないのか、を別の理由で説明せんといかんにゃ
まあ、ホースティンは、コントロールがA移動だとして、残された痕跡には2
つあると仮定しているわな。一つがPROでもう一つがproだ。で、PROの時が
義務的なコントロールでproの時が随意的コントロールだと言っているわな。
となると、顔餅の問い対しては、おそらく、痕跡の種類によるとなるだろうな。
いや、よく分からないが。てか、コントロールっていまだによく分
かってないのではなかろうか。昔@GBの頃はPR0はガバーンされない位置に
生起されるとなっていてそれなりにうまくいっていたのであるが、ラズと
チョムがナル・ケースを持ち出してからマジでコントロールもワケワカメ状態
になった。わしに言わせると「ナル・ケース?なんじゃらホイ」だ。ケースつー
たら主格なり対格なりなにかしら形態的に具現化されるものだ。そして、その
具現化という確固とした後ろ盾があるから格の問題はそれなりに説得力
があったりするわけだ。なのに、ナル・ケースはケースなのに格の具現
がないのだ。まあ、だからナル・ケースなのだが、わしに言わせたら、「格が
具現化することがないのならナル・ケースなんていう反則技もってくるな!」
といったところだ。たぶんラズとチョムは反則技という認識はなくおそらく裏技
ぐらいのつもりであろうが、わしに言わせると完全に反則技だ。目に見
えないものを簡単に仮定するものではない。ああゆー反則技を平然
とするから、右も左も分からない若い生成学徒がマネし出すのだ。
385 :
仇鱒:2005/12/19(月) 07:31:42
>>379 >虚無ちょーかん
>わたしは、普遍性は数学的概念だと信じて疑わないが、
これ↑には禿同。同じくこれ↓にも禿同。
>数学が、ただ数学のみが普遍性を与えることができると言わざるをえない。
結局、普遍性というのは数学というヴァーチャルな世界にしかないとわしは
思っている。経験科学の中だけでああだこうだ言っていても絶対に普遍性
というのは見つからないと思う。やはり非経験科学の世界に一歩足
をつっこんではじめて普遍性を見ることができると思っている。つまり、何度
も言うように、仮説の定量化が欠かせないのだ。そのためにも、ある意味、60
年代の生成に戻るべきなのだ。つまり、言語機能が弱生成の力しかないと割り
切ってもいいと思う。てか、実際、ミニマリストなんて弱生成力しか持ち合
わせていないシステムだから、わしに言わせたら十分ミニマリストは60年代風
なのだ。あと、これまた虚無ちょーかんと意見が同じだと思うのだが、文系の
普遍性なんつーのはわしに言わせたら単なるイデオロギーだ。政治思想と
五十歩百歩である。チョムのペーパーは一種のアジビラだとわしは
思っているし、m哀tは生成のアジトだ。
そんなこんなで次↓の虚無ちょーかんのセリフにも禿同。
>もうほんとうに文系的なごたごたにはうんざりにゃ。文系に真理なし。
>安っぽい知的感動あるいは知的詐術があるのみ。
>>380 >デキの悪い理系学部学生みたいなこと言い出したにゃw
わしはデキのいい文系院生ぐらいかな。www
つーか、所詮はガッコのカリキュラムの都合上でっちあげられた区分に
縛られて、文系がどーの理系がどーの言ってる時点でテラワロスなのにゃ
数学にしてもにゃ、たまたまこの地球上で起きた生物進化の結果、
ある特定の種に芽生えた認知能力の発露に過ぎないわけで、そんなもので
真の普遍性がとらえられると期待することは、すんごい思い上がりだと
思うにゃ
ま、形を変えた人間原理みたいなもんにゃろ
イデオロギーといえば、科学の仮説はすべてイデオロギー的部分を含んで
いるわけで、そもそも世界や宇宙に普遍的法則が成立すると期待すること
自体がすんごいイデオロギーにゃろ
んで、null Caseについては、すんごい昔に少し触れたにゃが、俺はチョムらと
違ってCaseは解釈不可能なのではなく、形態解釈への指示として必要な
情報だと考えるにゃ
主格ならこれこれ、対格ならコレコレと具現化汁、というわけにゃが、
同様にnull Caseはゼロ具現化汁、という指示として機能すると見れば
ええにゃろ よーするに発音しないというのも立派な音声解釈なわけにゃ
いや
なんつーか、老婆心だけどさ
あんたそれなりに身元バレしてるんだしさ
立場もあって家族もある身なのに
よくまあレイシスト的な発言を書き込む気になるなーって
2chにいて麻痺してるのかもしれないけど
ちょっと転ぶとシャレじゃすまなくなるよこういうのって。
あんたの学校にも中国・韓国からの留学生とかいるでしょ、たぶん。
あと虚無の人の「深遠そうに見える」mumblingからは実質的な情報を
読み取れたためしが無いんだけど、一体どうして仇と虚無は会話(らしきもの)
ができるのか非常に謎。
388 :
仇鱒:2005/12/19(月) 18:03:59
>>386 >んで、null Caseについては、
わしもその点に関しては顔餅と考えが似ている。わしも昔ココで書いたが、
原則、格の具現は次のようなシステムになっていると思う。
1)he=√HE + NOM
2)him=√HE + ACC
3)his=√HE + POSS
4)φ=√HE + α
つまり、代名詞はレキシコン(というかヌーメレイション)では√HEのような
形で存在していて、ある統語構造に配置されたときに、あるヘッドからNOM な
りACCなりPOSSが与えられ、heなりhimなりhisになるのだろう。で、(4)のケース
がまさにPROのケースではないかと思うのだ。つま り、√HEがガバーンされない
環境に現れるとαという特殊な格が与えられ、その結果音形のないφという
代名詞として「具現化」されるわけだ。そう いった意味では、代名詞の具現化
に関しては、わしは完全に反語彙主義の立場である。
389 :
仇鱒:2005/12/19(月) 18:04:45
>>387 そうか、わしの発言はレイシスト的か?てか、ゆっとくけど、わしはカノ国の
人達になんら悪意を抱いていない。わしはカノ国の体制なり国策に疑問を抱
いているのだ。だから、わしのガッコの留学生はとてもいい子が多いし、留学生
だろうが日本の学生だろうが何も区別も差別もしない。そんなことは当たり
前だ。人を外見で判断してはならないし、所属先で評価すべきものではない。
これは人としてのマナーであり、社会人としての常識である。で、わしはその人
として、そして社会人としての常識は持っていると思う。そして、それをずっと
実行してきた。ただ、わしが何度も言うように、そういった最低の常識や良識
を欠いている國がわしらの國であるニッポンの周りにはいくつもあるのである。
そういった社会常識を越えた國と今後どうやってつき
合っていかなければいけないかをわしは論じているのだ。このようなわしの
発言がレイシスト的だと言うのであれば、同じようにチョムの発言も
レイシスト的であろう。チョムとわしは政治思想的にはまったく逆である。
でも、人権に対するものの考え方はまったく一致していると言えよう。そして、
メディアに対する考え方もチョムとわしは同じである。いかにメディアによって
世論がコントロールされているかは、そんなものはチョムに言われなくても分
かっている。で、わしは、学問にせよメディアにせよマインド・コントロール
されるなとずっと言い続けているわけだ。そして、マインド・コントロール
されている人はあくまでも被害者であり、マインド・コントロールしている
エイジェントが加害者であると考えている。ここまで言えば分
かってもらえると思うが、そのエイジェントである國でありメディア
にわしはもの申しているわけだ。ペイシェントである一般の人に対しては何
らもの申していない。てか、その辺りのことはわしはこんな2ちゃんでなく、
ちゃんと自分の著書でもしっかりはっきり書いている。
390 :
仇鱒:2005/12/19(月) 18:06:33
あと、上で侵略戦争ウンヌンとあるが、靖国に眠る英霊のためにも一言
いっておこう。ま、ようするに、死人に口なしということでわしが代わりに
言っておこう。まず、60年前の戦争は、一方的に日本が「侵略」
したのではない。侵略してきたからその防波堤になるべく日本が日本を飛び出し
アジアの楯となったのだ。もし共産圏なり欧米からの圧力がなければ、日本が自
ら進んでアジアに進出することはなかったであろう。つまり、今イラクで行
われている戦争とはまったく異なるということだ。イラク戦争は「疑わしくは罰
する」というトンデモな論理でアメリカがイラクに侵略したのだ。アメリカ
のやることはメチャクチャだ。どんな大儀があれ、全然攻撃もおどしも受
けていないのに攻撃をしかけるのはどうかしている。で、当時の日本は今の
アメリカとは全然違ったのである。 実際、攻撃
をしかけられおどしもかけられていたのだ。だから自国と己のプライドを守
るために、あえて自分の国を一歩飛び出し果敢に戦っていったのだ。つまり、分
かりやすくいうと、夜中の3時頃強盗がやってきて家の周りをウロチョロ
していたわけだ。で、妻と子供を守るために父親が自分の身を顧みず自らドアを
開け、家の外で強盗と戦ったわけだ。ここで言う自分の家が当時の日本であり、
妻や子供は文字通り妻や子供であろう。つまり、愛する人を助けるために、
そして愛する人に一日でも一秒でも長く生きてもらうために、自らが犠牲
になったわけだ。
391 :
仇鱒:2005/12/19(月) 18:07:15
だから、ほんと英霊の代わりになって言うが、たくさんの兵隊
さんたちが亡くなられたが、彼らの死は犬死になんかでは決してない。誇
りある死である。もちろん戦地で敵兵に対してむごいこともしたであろう。
でもそれは日本のせいではない。戦争のせいである。戦争が人を鬼
にさせてしまったのだ。とにかく、前にも書いたと思うが、学問も歴史も
ホイッグ的史観で語っては いけない。それともう一言いっておくが、わしらのご
先祖さまがしたことを少しでも肯定するとウヨ扱いされるが、これはやめて欲
しい。まあわしはあえてハナシを分かりやすいように自ら「ウヨ」と呼
んでいるが、本来母語を持ち国籍をもつものは先天的に「ウヨ」なのだ。それが
不思議なことに、日教組の力が相変わらず強く、義務教育を受けると
デフォルトで「サヨ」になってしまう。これではダメなのだ。こういう現代
にわしは警鐘をカンカン♪鳴らしているわけだ。
393 :
仇鱒:2005/12/19(月) 18:19:03
>>392 いや、ちょっとマジレスしてしまった。
ま、仇鱒の中の人が代理カキコミしていると思ってくれ。
そんなに主張したいなら、自分のHPにでも文章を載せればいいのに…
395 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/19(月) 19:07:10
綺麗事なぞ後からいくらでも捏造できる。
そういう時は口動よりも行動の結果をみればよい。
上の命令によりゴミのように人々が死んで行き、
防波堤にされてしまった民からは恨まれ、
日本の敗戦といふ当然の結果に落ち着いた。
自国のエゴのための明らかな失策。
仇ちゃん、何を言おうとこっちはあんたの主張に興味があるわけじゃないし。
何を言おうと世間一般の常識からしたらこれとか完全にアウトよ。
>最近ヒジョーシキな香具師が日本人の中にも増殖しつつある。日本人のチャウ鮮
>ミソジョク化と言えるかもしれない。てか、わしに言わせると、最近の日本人は
>チャウ鮮ミソジョク化しているかアホでマヌケなアングロサクンソ化
>しているかのどっちかだ。これはヒジョーーに危惧すべきことである。
別にあんたがどういう政治思想を持とうがどうでもいいんだけど、
こういうの書き散らすのはやめなさいよ。それだけ。
>>396 お前さん、ここがただの遊び場だということを理解していないようだね。正直に言わせてもらうが、テメエのような奴が同じクラスにいると白けるぜ。良識派ぶるなっての!
>>397 苦笑
低能学生には話のポイントが伝わってないのかもしれんけどさ。
世の中には、万が一それが100%正しかったとしても、立場のある人間が
人前で言って、それをめんどくさい奴に聞かれたらめんどくさいことに
なる、という発言ってあるのよ。そういうのを避けるのは「良識」でも
なんでもなくて「常識」。就職の面接で面接官にタメ口で話さないのと
同レベルの常識ですわ。
>>390 > つまり、分
> かりやすくいうと、夜中の3時頃強盗がやってきて家の周りをウロチョロ
> していたわけだ。で、妻と子供を守るために父親が自分の身を顧みず自らドアを
> 開け、家の外で強盗と戦ったわけだ。ここで言う自分の家が当時の日本であり、
> 妻や子供は文字通り妻や子供であろう。つまり、愛する人を助けるために、
> そして愛する人に一日でも一秒でも長く生きてもらうために、自らが犠牲
> になったわけだ。
アホちゃうか。戦争しなければ日本がなくなるといった状況には全くなかった。
それに、たとえのとおりだったとしても、勝ち目のない戦いで自分が死んでしまっては、結局だれも守れない。
そのあとで強盗の手にかかるよりは、家族一緒に死ぬほうを、妻子も選ぶだろうよ。
>>391 > たくさんの兵隊
> さんたちが亡くなられたが、彼らの死は犬死になんかでは決してない。誇
> りある死である。
犬死にだよ。みんなまだ若かった。生き延びてしたいことが山ほどあっただろう。
彼らのそれぞれを追憶し、いとおしんでやれるのは、人となりを知る者だけだ。
> 学問も歴史もホイッグ的史観で語ってはいけない。
学問や歴史は、本質からしてホイッグ的なものだろ。
人間存在の価値は、学問とも歴史とも関係ない。
400 :
398:2005/12/20(火) 01:20:58
俺と
>>399は別人ね、念のため。
俺は399みたいに仇の思想を云々するつもりはない。
常識の話をしとるだけだから。
長野県上田市の「無言館」へ行ってごらん。
「男たちの大和」なんてものが、いかにクッダラナイかよくわかるから。
昔、「無言館」の本館にあたる「信濃デッサン館」の記帳簿に、田中克彦の名前を見つけた時は驚いたな。
まだやってんのか。
関係ないけどニュースによると、
沖縄では日本から独立すべしという意見が多いらしいな。
もともと独立国家であったから文句は言えない。
沖縄戦争でも兵隊は島民を見捨ててにげまわったとかいわれるし
沖縄に対しては自国としての愛国心、俗に言う大和魂なんてなかったんだろうな。
おまいら、宇宙戦艦ヤマモトヨーコでも観てマターリ汁
ま、俺も一言言わせてもらうと、戦後日本の繁栄は無数の尊い犠牲の上にあるわけで、
彼らがはたして犬死にだったのかどうか、それはおまいらのこれからの生き方次第でつよ、
ってわけにゃ
404 :
仇鱒:2005/12/20(火) 06:54:34
なんかいろいろ叩かれてるな、わし、、、。ちょいと凹んだ。ま、ここで叩
かれるのは慣れっこだが、犬死にウンヌンはどうかと思うぞ。結果として犬死
にだとしても、そしてたとえ客観的に見て犬死にだとしても、わしらのような
人間が犬死にと評価する権限は何もないと思う。たとえボロボロになって死
んでいったとしても、彼らの死に何か意味づけしてやるのが残されたわしらの
役目だとわしは思っている。
同じ事が学問にも言える。今の観点から見たら、GBの諸々の装置は犬死に同然
かもしれない。ガバメントはナンセンスとか一蹴できるかもしれない。でも、
当時は当時の学問の規範の中で役目をちゃんとまっとうしていたのだ。だから、
今のミニマリストがやるべきは、そのような「犬死に」したかに見える文法装置
に何かしら意味づけしてやることだとわしは思っているのだ。歴史においても
学問においても犬死には存在しないというのがわしの考えでもある。
まあ、わしの政治思想に興味がないのは構わないが、もうちょいとだけ語
らせてもらおう。上にも書いたが、正直、最近ヒジョーシキというかフツー
でない事件が多すぎる。人が鬼になるような事件が多すぎる。本来、人が鬼
になるのは戦争のような普通でない状況の時だ。つまり有事相当の時だ。
それが、平和な今の時代にどういうわけか人が鬼に変わることが多いわけだ。
いろんな学者やらが分析しているが、わしなりに言わせてもらうと、
やはりこれも一種のマインド・コントロールだと思うのだ。ただ、
コントローラーが非常に特殊でおそらく自分なのだ。自分がコントローラーで
コントロールされているのも自分で、それである意味自己分裂し鬼に豹変
するとわしは思っているのだ。
405 :
仇鱒:2005/12/20(火) 06:55:18
ま、こんなハナシはどうでもいいのだが、このような精神状況に追い込
まれてしまう原因は何かとわしはいろいろ考えたりするわけだ。もちろん個人の
資質の問題もあろうかと思うがやはりメディアならびに国民を「管理」する國の
責任も大きいと思うのだ。ま、そんなこんなでメディアならびに國
にはしっかりしてもらいたいと思っているわけだ。学問も同じだ。トンデモ系の
デムパ仮説がまかり通るのはオーサーだけの責任ではないのだ。そのような
ペーパーをパブリッシュさせるジャーナルにも責任があり、またそのような
ペーパーをよしとする学問全体の雰囲気にも責任があるのだ。政治も学問も同
じなのである。そういう腐れ切った政治や学問の体質にわしはもの申
しているのだ。
あと上に、戦争しなければ日本がなくならなかったとかあるがそれは間違いだ。
当時は戦争しなければしないでどっかの國の植民地になっていた。植民地
になって奴隷同様の扱いを受けるなら己のプライドを守るべくして戦う、
というのが当時の国策であったと思う。まあ今日、日本はアメリカの植民地
といえば植民地で、奴隷は奴隷でもハッピーな奴隷生活を送
らさせてもらっているのではあるが、、、。
てか、いつの間にかこのスレ、現代史スレになりつつあるな。わしのせいかw
すまそm(_ _)m
406 :
仇鱒:2005/12/20(火) 06:55:59
ちゅーか、ここ何日かのカキコミを見ていると、2ちゃんもリアルな世界
になりつつあるのかな〜と思うようになってきた。つーか、数学というイデアル
というかヴァーチャルな世界がリアルな世界に見えつつあるのと同じかもな。
ま、分かる香具師には分かると思うが。
をう、そうだ、あと虚無ちょーかんの言ってることが分からないとか書いている
香具師がいたが、虚無ちょーかんの言ってることは分かる香具師には分
かるものなのだよ。ちょーかんのカキコミはしばし形而上学的
なところがあるが、それをどれだけ形而下に引きずり降ろして議論できるかは
読み手の器の問題なのだよ。2ちゃんでの議論とゆーのはそんなもんだ。
407 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/20(火) 11:13:04
言語こそバーチャルでしょ?
言語のルールというのはオートポイエティックに出来たものにすぎない。
408 :
397:2005/12/20(火) 12:28:16
>>398 こんなところで常識云々の話をしてどうする?お前さん、ひょっとして国家公務員
か大学教員志望?わかりきったことを偉そうに書くとこがキモイ。頑張って留学で
もして、Ph.D. を取って旧庭の教員にでもなって、もっと偉そうにしてください。
------------------------ウヨサヨ政治ネタ禁止-----------------------------
>>404 > たとえボロボロになって死
> んでいったとしても、彼らの死に何か意味づけしてやるのが残されたわしらの
> 役目だとわしは思っている。
犬死にさせられたという事実を直視したうえで、そんなこととは一切かかわりなく、彼らは良き家庭人、良き社会人だったと認めてやることを、哀悼と言う。
> 当時は当時の学問の規範の中で役目をちゃんとまっとうしていたのだ。
それはそうだろう。彼らは真剣に、誠実に考えて、議論したのだから。
科学史上、結果的に誤りだったとわかったが、真実を見つけるための叩き台となった学説は、いろいろある。
しかし、
> 歴史においても
> 学問においても犬死には存在しないというのがわしの考えでもある。
日本の敗戦は、当時としては最善を尽くした結果だったとは、とてもいえない。
一緒くたにしてはいけない。
> 最近ヒジョーシキというかフツー
> でない事件が多すぎる。人が鬼になるような事件が多すぎる。
仇君自身がメディアに操作されている。
いわゆる凶悪犯罪の人口割発生率は、統計的に変わっていない。昔と比べればむしろ下がっている。
もちろん、社会はより安全になっていかなければならないので、何もしなくてよいと言うのではない。
>>405 > あと上に、戦争しなければ日本がなくならなかったとかあるがそれは間違いだ。
> 当時は戦争しなければしないでどっかの國の植民地になっていた。植民地
> になって奴隷同様の扱いを受けるなら己のプライドを守るべくして戦う、
> というのが当時の国策であったと思う。
その状況は、明治維新の時に脱している。日本は戦うのではなく、欧化することによって独立を保った。
太平洋戦争には自衛の側面があったというところまでは、まあ認めよう。しかし、その経緯が当時の日本の英知を結集した国策だったかというと、
実際には、事実無視、無謀無責任の連続だった。武運つたなく敗れたというようなものでは全くない。
言語学のネタだと発言しない(できない)くせに、政治ネタになると饒舌になるやつがいる…
412 :
仇鱒:2005/12/20(火) 18:40:06
>>407 >言語こそバーチャルでしょ?
>>407氏がどのレベルのことを考えてカキコミしているのか分からないが、
たしかに言語は究極のバーチャルである。「りんご」と書いたところでそれは
リアルな「りんご」ではない。「りんご」の概念を指しているだけである。
「りんご」というタームはあくまでも「りんご」というインクのシミであり、
リア ルな「りんご」とは全く違う別ものである。そういった意味では、言語は
究極のヴァーチャルである。同じような観点で言うと、お金(マネー)も
ヴァーチャ ルである。100玉でマックシェイクのsが買え、マックシェイク
を飲んでハッピーな気分になれるが、100玉を飲み込んでもハッピーな気分
にはならな い。つまり、100玉の価値はわしらが恣意的に決
めたものにすぎない。つまり、紙幣の価値というのは完全に制度なのである。
同じ事が言語にも言える。言 語も制度である。リアルな「りんご」を「りんご」
と呼ぶのは日本語圏の制度にすぎない。で、この制度が他ならぬヴァーチャル
なものである。というのも、 何ら必然性はないのだから。完全に恣意的。ま、
わしら人間というのはまさに制度というかヴァーチャルな中で生きていて、その
生活の糧である言語とマネー がまさに究極の制度であり
ヴァーチャル・オブジェクトと言えよう。
413 :
仇鱒:2005/12/20(火) 18:40:47
>言語のルールというのはオートポイエティックに出来たものにすぎない。
オートポエシスの定義にもよるが、たしかに「言語のルール」は
オートポエティカルである。オートポエシスを自己組織化と捉えると、たしかに
自己組織化的 なところはあると思う。ただし、組織としての脳内文法の各パーツ
がどう組織化されたのかについては、言語の系統発生と個体発生の区別をした方
がいいであ ろう。系統発生的にはどんなことが言えるのかは正直何
もわかっていない。唯一答えを出してくれそうなのが人工知能というか人工生命
であろう。もっと言う と、構成論的なアプローチで言語の進化を研究している人
たちの研究だ。一方、個体発生の方だが、こちらの方は前にも紹介したと思う
がMLASとかが一つ の答えを出してくれると思う。で、もっと言うと、いわゆる
パラメータのセッティングが自己組織化臨界に相当するかと思う。あと、
自己複写(というか自己 言及)という点に関して言うと、たしかに言語
システムはオートポエティカルである。GBの枠組みでハナシをするが、X'式型
はまさに言語システムに内在 するオートポエシス(つまり自己複写)を具現化
していると言えるからだ。
414 :
仇鱒:2005/12/20(火) 18:41:36
>>408 >>397氏、どもm(_ _)m 正直わしはリアルに凹んでいる。これまで自分
でいろいろ人権問題とかベンキョーしてきただけに、正直レイシストと呼
ばれたときは凹んだ。わしほどレイ シストからほど遠い人間はないと
思っていただけにマジで凹んだ。まあ、2ちゃんだから何言われても構
わないが、一方的にわしをリアルな世界に連れ戻して 常識ウンヌンで攻撃
されてはたまらない。風俗に行っておねえちゃんに
「こんなところでこんなことしちゃダメだよ。両親が泣くよ。」と説教垂
れてるのと同 じだ。いや、マジで今回は凹んだ。マジで今回は素の自分に戻
ることが多々あった。学問上何言われたってわしは何とも思わないが、さすがに
今回は堪えた。 マジでインドの山奥で修行しようかという気分だ。
レインボーマンに説教してもらおうかとマジで思っている。
まとめると、言語学者は政治に口出しなどせず、
言語学だけをやってろということだな。
416 :
仇鱒:2005/12/20(火) 18:43:32
>>415 >まとめると、言語学者は政治に口出しなどせず、
>言語学だけをやってろということだな。
チョムにメールで言ってやれ。
てか、横は入りすんな!
>>410 >>410氏の言うことは分かっている。国体護持のために戦禍が大
きくなったことは確かだ。それはわしも認める。ただ、日本の伝統
なりなんなりを考えた 場合、あの時すぐに天皇制を放棄できたかというとそれは
非常に難しかったと思う(陸軍の強硬姿勢は別にして)。ただ、国体護持に執着
するあまり広島と長 崎に原爆が落とされ、沖縄で地上戦が展開されたのはほんと
今考えても悔やむに悔やみきれない。ただ、沖縄戦も悲惨だったが、個人的には
広島と長崎に原爆 を落としたアメリカには正直腹立たしさを隠しきれない。
あれは完全に虐殺である。まあ、国体護持にこだわりすぎ日本に原爆が落
とされたのは戦略ミスであ り日本の大失敗だったと思うが、そうは言っても
日本に二発も原爆を落としたアメリカには憤りを感じる。あと、わしがメディア
に踊らされているというが、 本当にそうであろうか。藻前さんのようなセリフ
はよく聞く。でも実際、わしがガキの頃に比べたらここ10年くらいの異常
さは目に余ると思う(とくに宮崎 事件ないしサカキバラ事件以降)。数にしても
手口にしても目を覆いたくなるようなものが多い。統計的には差がないという
データは確かに目にするが、わし の日常感覚ではそんなことはないと思う。
わしに言わせたら逆に、統計のトリックに藻前さんのような人間が騙
されていると言いたいくらいだ。
417 :
仇鱒:2005/12/20(火) 18:44:35
>>411 >言語学のネタだと発言しない(できない)くせに、
>政治ネタになると饒舌になるやつがいる…
ま、わしは言語学ネタと政治ネタの時が一番無口だけどな。ははははは。www
>>409 ------------------------ウヨサヨ政治ネタ禁止-----------------------------
↑いちおー、りょーかい
チョムって趣味で言語学やってる政治評論家のチョムスキーのことか?
あいつはいかん。
419 :
仇鱒:2005/12/20(火) 18:55:42
>>418 をう、あいつはいかんよ。
ちなみにわしも趣味で言語学やってる政治評論家だがな。w
荒れとる、荒れとる。まあ、アダモちゃんも気にせんで
ええやん。へこまんと、ヘコヘコしとき。
しかし、「それ行け!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ」とい
うのは、さすがのワシも知らんかったわ。
ほな、そろそろ言語学モードに戻りまひょや、皆の衆。
421 :
仇鱒:2005/12/20(火) 19:44:47
師匠、おひさ。
>>420 >まあ、アダモちゃんも気にせんで
>ええやん。へこまんと、ヘコヘコしとき。
いや、正直今回は凹んだ。水が溜まるくらい凹んだ。「ココは2
ちゃんだよな?」と誰かに確認したくなったぐらいだ。いや、マジメなハナシ。
てか、ぶっちゃけ、レイシスト呼ばわれされた時はマジでショックで腰砕
けてしまった。師匠には分からんと思うけど、電車のってって何
もしていないのに「この人痴漢です!」と言われたようなものだ。ま、何
はともあれしばらくインドのサイババのところに修行に逝ってきまつ。
語彙主義・非語彙主義もウヨ・サヨネタも飽きたなぁ〜
423 :
397:2005/12/21(水) 02:04:18
>>414 なんか必要以上に大げさに受け取られてる気が
あんた身元ばれてんだし、発言には気をつけないと
面倒なことになるかもよ、って忠告してるだけよ?
424 :
仇鱒:2005/12/21(水) 06:49:09
今羽田にいる。これからインドに修行の旅に逝ってくる。その前に一言だけ
政治的な発言をさせてくれ。言語学のハナシよりこういうハナシの方が大事
だからな。まず、わしは原爆投下を断じて許さん。あれは現代史上最大にして
最悪の虐殺である。あんなことができた当時のアメリカこそがわしに言わせたら
レイシストだ。わしら日本人を人間と見
なしていなかったからあんなむごいことができたのだ。わしら日本人は
モルモットやマウスではないのだ。あんなむごいことをされたのだから、極東三
*カ国家がわしらに「補償するニダ!」と相変わらず言ってくるように、わしら
日本人は本来アメリカに対して「補償しろ!」と言ってもいいはずなのだ。
だが、しない。なぜなのだ。答えは分かり切っているが、GHQの
ヲー・ギルト・インフォがものの見事に成功したからだ。つまり、日教組との
強烈なタッグにより、義務教育を終えたら自虐史観で凝り固まった若者が
大量生産されたからだ。日本が悪い、だから原爆落とされても構わなかったと。
そんなことはないのだ。たとえ日本が先に真珠湾を攻撃しても、原爆などという
トンデモなものを落とされる筋合いはないのだ。ちなみにパールハーバーと9/
11はある点でとても似ている。それは、真珠湾攻撃もWTCの攻撃もアメリカ
は起こるのを知っていながら現場の人間に知らせていなかったことだ。
ようするに「ヤラセ」疑惑だ。ま、それはコッチに置いといて、日本は本当
だったら執拗にアメリカに補償を訴えていいのだ。
425 :
仇鱒:2005/12/21(水) 06:50:06
もし今でもわしら日本人がアメリカに対して、ちょうどクゥン国やチャウ国
がわしら日本に対してしているように、補償をネチネチ要求していたら、
もしかしたらイラク戦争はなかったかもしれない。というのも、「もしイラクに
侵攻したら今の日本みたいにこの先ずっと「補償しろ!」と言われるかもな〜。
国際上イメージ悪いしな〜」となったかもしれないから。いや、ないかなw。
しかし日本はアメリカに補償なんかしないどころかアメリカに「感謝」
している。こんな状態だからアメリカは平気で「イラクを日本のように民主化
する」なんて言えるのだ。そういった意味では、日本は今回のイラク戦争には
責任がある。それと、先の戦争の「犬死に」について再度言いたいが、実際兵隊
さんたちの多くは南の島や極寒の地で飢え死にしてしまったり病気で死
んでしまったりしたのだ。そういった意味では文字通り犬死にであろう。でも、
そういった彼らに今の我々ができることは敬意を表することだけなのだ。
もっと言うと敬意を表することしかできないのだ。その時に、「犬死にさせて申
し訳なかった」と言うのが敬意を表することになるのだろうか。
わしはならないと思う。敬意を表するというのは「國のために戦ってくれて心
から感謝します。ありがとうございます。」ということばであると思う。國が
責任をもって英霊に敬意を表するというのはそういうものだとわしは
思っている。いや、別にわしは自分のウヨ的な政治思想を藻前らに押しつける
気は毛頭無い。ただわしは「犬死に」してしまった兵隊さんに敬意を表
したいからこう書いているだけなのだ。
426 :
仇鱒:2005/12/21(水) 06:50:58
上に書いたのは海外で亡くなられた兵隊さんたちのハナシである。一方国内
はどうだったかというと、圧倒的に多くの民間人が亡くなっている。しかも女、
子供、老人、病人という弱者だ。しかも殺され方がハンパじゃない。東京大空襲
しかり、沖縄戦しかり、そして広島と長崎の原爆投下しかり、すべて民間人を
ターゲットにした虐殺である。国内で行われたのはハッキリ言って虐殺である。
こういうことを平然としたアメリカにわしは今でも憤りを感じる。
「ブラックホーク」だの「アパッチ」だのいろんな戦闘兵器があるが、
どれもこれもアメリカが虐殺した先住民の名称だ。よくも自分たちの兵器
にそんな名前を付けられるもんだとわしはアメリカ人の神経を関心してしまう。
下手したら新しい戦闘兵器に「ヒロシマ」とか「ナガサキ」とか名付
けられかねない。わしらはそういうマナーのカケラもない國にヘコヘコ
しているわけだ。背に腹は代えられないというのはあるであろうがやはり
独立国家である日本としてのポリシーをしっかり持ってもらいたいとわしは
思っているわけなのだ。ヘコヘコしている代表的なものがヒロシマにある石棺
にある文句である。「安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」という
文句である。なんで被爆者がこんな文句を言わないといけないのだ。原爆を落
としたのはアメリカだ。だからこの文句はアメリカが書くべきものなのだ
(これを指摘したインドのパール博士(極東軍事裁判の弁護人)は良識とマナー
を兼ね備えていた人である)。それをどうして被害者というか被爆者
にこんなことを書かせるのだ。とにもかくにもマナーのない國はアメリカ
だけではないのだ。マナーの「マ」の字もない國がわしらの周りには少
なくとも3つはあるのだ。少なくとも文字の読める香具師は、言語データを分析
するのもいいが、こういったことも少しは考える必要があるのだ。
427 :
仇鱒:2005/12/21(水) 06:51:42
まあ、わしは趣味で言語学をやっている政治評論家だが(w)、ひとりの日本人
としてももっと言いたいことがあるがこのくらいで止めておく。大事なことは
言語学も大事であるがこういうハナシはもっと大事であるということだ。その点
わしはわしと同様趣味で言語学をやっているチョムを敬愛する。尊敬
はしていないが。香具師となら言語学についてもハナシができそうだ。
それと、「常識」ヌンウン語ってる香具師がいるが、ここは2ちゃんだ。2
ちゃんとリアルな世界をごっちゃにするな。2ちゃんには2ちゃんの「良識」と
「常識」があり、あくまでもココはエンターテイメントの場だ。頼むから2
ちゃんワールドとリアルワードをごっちゃにしないでくれ。よろしく頼む。
この通りだ→ m(_ _)m じゃなきゃ、わしはもうカキコミしない。てか、誰
からも頼まれてないが。w
てなことだが、そろそろインド逝きの飛行機が出る頃だからそろそろ逝くは。
じゃ!(たぶん直ぐ戻ってくるけどw)
428 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/21(水) 08:00:41
羽田ですか。
ところで日本が先に原爆開発に成功してたらどうしてただろう?
間違いなくアメリカに打ち込んだはず。
それほど日本は後が無く追い込まれていた。
特攻隊をみよ。あんな馬鹿な戦法はない。
苦し紛れの時間稼ぎにしか見えない。
そういう戦況ならすぐに戦争をやめる選択があったはずだ。
兵隊たちの多くは無脳な上層部の失策の犠牲者である。
だから兵隊たちを哀悼するのは当然だ。
彼らはそうぜざる終えなかったからだ。
逆らえば処罰され、家族も無事ではすまない。
時の軍部・政府・天皇の責任は重い。
彼らには同情の余地は無い。
>それと、「常識」ヌンウン語ってる香具師がいるが、ここは2ちゃんだ。2
>ちゃんとリアルな世界をごっちゃにするな。2ちゃんには2ちゃんの「良識」と
>「常識」があり、あくまでもココはエンターテイメントの場だ。頼むから2
>ちゃんワールドとリアルワードをごっちゃにしないでくれ。よろしく頼む。
>この通りだ→ m(_ _)m じゃなきゃ、わしはもうカキコミしない。てか、誰
>からも頼まれてないが。w
わかんない人だなー(苦笑
ここでリアルとは離れて、ここのルールだけに従って好きに
遊びたいんだったら、リアルワールドに繋がってしまっている
「仇鱒」ってハンドル使わずに名無しでやればいいだけじゃん。
「仇鱒」の中の人が誰かってのは随分広く知れ渡ってるんだから。
仮に野田聖子や元木(2chを見ていることは有名)が本人とわかる
ハンドルで書き込みしだしたら、その発言はリアルワールドの彼らと
結び付けられてしまうでしょ。
>>430 ほっとけよ。
すべて自己責任。
そんぐらい分かってるだろうよ。
名無しも生成の専門家なら生成で議論してみろよ!
寝たふりするとかでこのスレに貢献してみろよ!
名無しとはちゃうけど、お邪魔しまっさ。
ほな、たまにはネタふりしまひょか。学年末レポート用
のネタや。以下の諸例の適格性を判断し、そこから何が言
えるか、言うてみぃ。枠組みは何でもOKや。(模範解答・
解説はかかりちゃんに任すわ。たのんまっせ。)
(1) a. 注射だけで治る病気
b. 注射でだけ治る病気
(2) a. 注射でしか治らない病気
b. 注射しかで治らない病気
(3) a. 注射だけでしか治らない病気
b. 注射でだけしか治らない病気
c. 注射しかだけで治らない病気
(4) a. 注射しか治らない病気
b. 注射だけ治る病気
c. 注射で治る病気
434 :
厨:2005/12/21(水) 20:28:39
(1)aは「注射以外に治療が要らない」という意味
(1)bは「注射以外に治療法が無い」という意味
(2)aは(1)bと同じ意味。
(2)bは非文
(3)aは(1)bと(2)aの強調
(3)cは非文
(4)aは(2)aの「で」の部分が省略されたように感じる言い方。容認度が少し下がる。
(4)bは(1)bの「で」の部分が省略されたように感じる言い方。容認度が少し下がる。
(4)cは中立的。(1)aや(1)bのように必要な条件が明示されていない。
・「だけ」は格助詞の前後どちらについてもかまわないが、「しか」は必ず後につく。
「だけ」と「しか」が同時に用いられるときは「だけ」が前に来て「だけしか」となる。
・(1)bと(2)aにあるように「しか」は必ず否定形とともに用いる。
・格助詞がつかない場合は容認度が低い。
なんだそれは?
言葉は生きたシステムだ。
意味が定かでないと思ったら、すぐさま対話しろアホ。
>>416 板違いスレ違いでしつこいようだが、仇君のような知識人に、愛国的ヒロイズムに酔ってもらっては本当に困る。
日本はかつてそれで道を誤ったのだから。
> ただ、日本の伝統
> なりなんなりを考えた 場合、あの時すぐに天皇制を放棄できたかというとそれは
> 非常に難しかったと思う(陸軍の強硬姿勢は別にして)。
それは話が逆だろう。
「これ以上国民が死ぬのを止められるならば、朕一人、絞首台にでも電気椅子にでも上るぞ」と言うことこそ、帝王の花道ではないのかね。
>>425 > ただわしは「犬死に」してしまった兵隊さんに敬意を表
> したいからこう書いているだけなのだ。
そんなことしてもらっても彼らはきっと喜ばないよ。
>>428 > ところで日本が先に原爆開発に成功してたらどうしてただろう?
> 間違いなくアメリカに打ち込んだはず。
全く同感。戦争とはそういうものだ。現に、怪しげな兵器の実験をいろいろやっている。
実用までたどり着いたのは風船爆弾だけだったようだが。
>>434 な〜かなかやるじゃねえか。(わしはまねっこピーナッツか)
現象理解としてはそれでええとして、どういう風な切り口で
説明するかやね。おーい、かかりちゃ〜ん。簡潔にして要を得
た説明したってな。A氏、H氏、H氏、H氏、K氏、M氏、R氏、S氏
などなど、色んな人が色んな説を言うてるからな。基本は同じ
やけど。
439 :
仇鱒:2005/12/22(木) 07:20:39
>>436 たぶん
>>436氏はわしのおかんだと思うが(w)、もう一度だけレス
させてもらう。
>仇君のような知識人に、愛国的ヒロイズムに酔ってもらっては本当に困る。
>日本はかつてそれで道を誤ったのだから。
いや、わしは愛国的ヒロイズムになんかに酔っておらん。自虐的ヒロイズムに
酔ってもそれはそれで困るのだ。日本は戦後、自虐的ヒロイズムでもって道を
誤ってきたのだ。これまでの土下座外交を見れば一目瞭然。戦後一度も日本が
戦争に巻き込まれなかったのは自虐的ヒロイズムのお陰かもしれない。でも、
そのために死人@英霊にむち打つような行為がどれだけ行われてきたことか。
断っておくが、わしは愛国的ヒロイズムとかそういう薄っぺらいところでハナシ
をしているのではない。
>それは話が逆だろう。
>「これ以上国民が死ぬのを止められるならば、朕一人、
>絞首台にでも電気椅子にでも上るぞ」と言うことこそ、帝王の花道ではないのかね。
それこそハナシが逆だろう。当時の御前会議の様子などおかんも知っていると思
うが、実際昭和天皇にはそのぐらいの覚悟があったのだ。でも、陸軍の猛反対
でそれが阻止されたのだ。実際、戦後間もなく(たしか8月中)に天皇は
マッカーサーと会い、死の覚悟があることを述べている。
440 :
仇鱒:2005/12/22(木) 07:21:51
>そんなことしてもらっても彼らはきっと喜ばないよ。
喜ばないであろう。そんなことは分かっている。犬死
にさせてしまったというのは言わなくても分かることなのである。
そんなことはわしだって理解している。「犬死にさせてもうしわけなかった」
というのは謝罪のことばである。でも、英霊ならびに虐殺にあった方たちに必要
なことばとは謝罪のことばなのだろうか。謝罪のことばは、戦後にハナシを絞
ると、国民ひとりひとりが心の中でいう言葉なのである。つまり、謝罪
というのは、日本人ひとりひとりが心の中で言うプライベート
なことばなのである。一方國としては、もちろん謝罪も必要であろうが、英霊
ならびに虐殺にあった方たちに安らかに眠ってもらうには謝罪のことばの他
にもう一つ何か必要だとわしは思っているのだ。それが、亡くなられた方に國
として敬意を表するということなのだ。「敬意」ということばがマズイのなら
哀悼でもいい。とにかく、パブリックなことばが必要なのである。で、
パブリックなことばとなると「國のために殉
じてくれてありがとうございました」ということばになるとわしは
言っているのだ。
441 :
仇鱒:2005/12/22(木) 07:22:43
> ところで日本が先に原爆開発に成功してたらどうしてただろう?
> 間違いなくアメリカに打ち込んだはず。
>>全く同感。戦争とはそういうものだ。
その点、わしも同感だ。何ら異論はない。ただ、注意
してもらいたいことがある。それは、仮に日本が原爆を持っていたとして、
それを使わざるをえない状況だったということだ。つまり、ラストリゾート
として使わざるをえない状況だったということだ。一方アメリカ
はどうであろうか。アメリカ本土で地上戦が展開されるという危機感
もなければ、アメリカ本土に爆弾が落とされるという危機感もなかった。
そういう危機感がまったくないのに日本に原爆を2発も落としたのだ(実は東京
にもう一発落とそうとしていた)。つまり、落とす必要なんかないのに落
としたわけだ。同じ事が今回のイラク戦争にも言えるわけだ。
スカッドミサイルを撃ち込む必要がないのに撃ち込んだわけだ。
やってることが同じなのだ。わしら日本人やイラク人は新兵器の殺傷能力を調
べるためのモルモットやマウスなのか?わしらはモルモットやマウス
じゃないのだ。人間なのだ。わしはそういうことを言いたいのだ。
442 :
仇鱒:2005/12/22(木) 07:23:43
てなことでわしも「隔離スレへどうぞ」てか。ははははは。てか、認知ぶん
ぽースレで「生成スレはコテハンどもの隔離スレだ」とかなんとか書
いてあったが、わしはさらに隔離されるモノホンのビョーニンかもな。
ははははは。クレイジー仇だ。ははははは。
ま、それはともかく、わしは2ちゃんだけでなく拙著でもかなり政治的なことや
宗教的なことを書いている。それもあってか正直身の危険を感
じることがないこともない。繁華街を歩くときも正直神経を
使っているところがある。ま、その点、わしはチョムといっしょで体はって
趣味で言語学をしているわな。ははははは。てか、言語学とゆーか生成ぶんぽー
というのは、本来ひじょーに政治色ならびに宗教色のつよいものなのだよ。
そろそろ藻前らもそーゆーことに気づかんといかん。
てなことだけど、わしのおかん@
>>436氏、現代史ネタはこのくらいにして、今度
わしとリアルに会ったら居酒屋で国際政治のハナシでもしようや。議論
ならいくらでも相手になってやる。ときどき息抜きに生成ぶんぽーの現代史
についてハナシをしてもいいしな。マジでわしはまともに議論をする能力のやる
香具師とならいくらでも議論の相手になってやる。だからほんと、仇鱒の中の人
が誰なのか分かっているのであれば、学会なりなんなりでわしに会ったら気軽
に声をかけてくれ。遠慮はいらん。今後ともよろしくたのんまふ(ぺこり
あと、よかったら生成ネタのときにもわしにツッコミを入れてくれ。ここは生成
スレなんだしな。
443 :
仇鱒:2005/12/22(木) 07:24:25
>>433 意味の違いはともかく、わしのジャッジは次のとーり:
(1) a. 注射だけで治る病気
b. (?)注射でだけ治る病気
(2) a. 注射でしか治らない病気
b. *注射しかで治らない病気
(3) a. 注射だけでしか治らない病気
b. ?注射でだけしか治らない病気
c. *注射しかだけで治らない病気
(4) a. *注射しか治らない病気
b. *注射だけ治る病気
c. 注射で治る病気
例え原爆が投下されなかったとしたら
間違いなく本土決戦だろね
捕虜より自決が尊ばれるキチガイ思想に洗脳されてたし
はんぱない犠牲者がでただろうよ
そしたら俺はこの世にいなかった確率が物凄く高い
あなたたちもね
付加部条件みたいなのが関係するんかな?
>てか、言語学とゆーか生成ぶんぽー
>というのは、本来ひじょーに政治色ならびに宗教色のつよいものなのだよ。
>そろそろ藻前らもそーゆーことに気づかんといかん。
これ詳しく語ってみ
生成文法が強く持つという「政治色」と「宗教色」の内容を具体的に説明しながら
「政治色や宗教色が強くない」他の学問・学派を例にあげて。
447 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/22(木) 11:33:34
生成文法の賞味期限っていつ?
448 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/22(木) 13:32:23
仇の現代史・政治トークって仇の言語学トークと同レベルにぬるい
根拠の薄弱な思い込みを土台にして話を作ろうとする癖をどうにかしなさい
449 :
仇鱒:2005/12/22(木) 18:50:01
>>444 そういうことがよく言われるが実際はどうなっていたかは分からないと思う。
天皇が東京大空襲の焼け跡を巡行してなかばこの戦争の行く末を感じていたし、
すでにその頃天皇は早く戦争を止めたいと思っていた。実際、その時期、ソ連の
仲介で速やかに戦争を終わらせ少しでも国民の被害を少なくしたいと考
えていた。だから、かりに本土決戦になったとしてもすぐに白旗を揚
げていたかもしれない。ただ当時、阿南陸相が猛烈に戦争継続を訴
えていたからどうなっていたか分からないが、、、。まあ、歴史にイフは禁物
というかナンセンスだが、すくなくとも本土決戦がなくわしらがこうやって命
を授かり生きていることは確かだ。わしらはいろんな意味で運がいいのだよ。
あと、一言だけ言っておくが、原爆投下と本土決戦のどちらがマナー
があるかといえば、わしは本土決戦の方がマナーがあると言う。原爆投下は何度
も言うが、あれは科学の実験である。そういった意味では原爆投下は大虐殺
であると同時に人道主義に完全に反する生体実験であると言える。いっぽう
本土決戦は戦争の在り方としては十分許容範囲である。ただ、本土決戦
になっていたら藻前さんの言うように、わしらはこうやって2ちゃんで落書
きなんかできてないかもしれないがな。
450 :
仇鱒:2005/12/22(木) 18:50:48
>>446 ちょっと言い過ぎたかもしれない。すまそ。ただな、せっかくレス
してくれたから書くが、そもそも普遍文法というのがチョムのサヨ的な思想
とはたして独立して存在しうるのか、というのが正直わしにはある。わしは昔
ココでも書いたが、ジョソレノソの「イマジソ」がどうも好きになれない。国境
をなくせば戦争が起きないとか皆ハッピーになれるとか、
そういうのはまやかしだとわしは思っている。わしは国境をしっかり定め各國の
自治権を互いに認めることによって平和は維持されると思っている。で、生成
だが、ちょっと語弊のある言い方かもしれないが、普遍文法というのはこの国境
をなくすというサヨ的な発想に近いとわしは思っているのだ。チョムに言
わせれば構文はエピフェノメナであるのと同じようにおそらく個別言語も
エピフェノメナなのだろう。そこまでチョムは言ってない(と思う)が結局
そうなると思う。もっと言うと、構文とか個別言語というのは単なる幻想
であると。でもわしはいろんなところで発言しているが、構文とか個別言語
というのはたとえ原理の相互作用によって生じる単なる現象
にすぎないのかもしれないけど、これら2つは非常に重要な概念だと
思っている。そのように考えるのはやはりわしの政治思想が背後
にあるのかもしれない。つまり、上で書いたが、わしは国境というのは必要
だという考えだから、同じように構文とか個別言語という概念も非常に大事
だと考えているのかもしれない。分からないが。まあ、ようするにチョム
のようにあまり普遍性ばかり考えていると形而上学的になってしまうのだ。
つまり、理論だけの共産主義@机上の空論のようになってしまうのだ。で、
実際今のミニマリストはその様相を呈しているといっても過言ではなかろう。
ま、政治色についてはそんなところだ。
451 :
仇鱒:2005/12/22(木) 18:51:33
あと宗教色については昨今の言語の系統発生の議論にモロに出ているだろう。
生成というかチョムは、言語の系統発生をスパンドレルでもって「説明」
しようとしている。つまり、適応とは別のメカでもって説明しようとしている。
でも、エマージェンシーを持ち出そうがスパンドレルを持ち出そうが、
そんなものは何ら説明にはならない。ぶっちゃけ、ネ申を想定しているのと大
して変わらない。ネ申を想定しなければダーウィニズムを頼
りにするしかないわけだ。でもチョムはそうはしたくないわけだ。となると、
藻前らも分かると思うが、今アメリカで流行のインテリジェント・デザイン説
が顔を出してくるわけだ。まあ、インテリジェント・デザイン説なんつー
のはようするにネオ創造説だ。でも、チョムはまさか創造説を持ち出
すわけにはいかないわけだ。かといってダーウィニズムの肩を持
つわけにもいかないわけだ。つまり、寄って立つものがないわけだ。そこで出
てきたのがスパンドレルだ。なんじゃらホイ♪だ。ようするに、ミニマリスト
になり、つまり説明的妥当性をビヨンドすることになり、自ずと言語システム
(というかシンタクス)の発生の問題に顔をモロに突っ込
まざるをえなくなったわけだ。そこで出てくるのが上で見たような宗教論だ。
ま、そんなところだ。
452 :
仇鱒:2005/12/22(木) 18:52:19
>>447 >生成文法の賞味期限っていつ?
巨人といっしょで永遠に不滅だ。だから安心して生成をやれ。ははははは。
>>448 偉そうなことホザク前に藻前があちちなヤツをひとつここに書いてみれ。
舌がやけどするぐらいあつーなのをひとつ書いてみれ。
てか、顔餅どした!はよ出てこんかい!わしばっか叩かれてるから顔餅も少
しは叩かれろ!ゴルァ!わしにも年末ぐらいゆっくりさせろ!!!!
つーか、年末のこのクソ忙しい時にこんなところで油売っていていいのか、
わし、、、。ちゅーか、ココだけのハナシ、春頃かな、ちょっとした英ぶん
ぽーの本が出る。今その原稿書きで忙しいのだよ。実際あんまり寝てねぇし。
てか、ほとんど寝てねぇし。頭クラクラしてるわ。ま、刊行されて店頭に並
ぶようになったら手にとって立ち読みでもしてくれ。
さて、シュウマイ食いながらギンギンに冷やしたビールでも飲むかな。ふ
〜っ。寝ないよーにせんと、、、。
453 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/22(木) 20:10:29
「生成」と訳したのはどなた?
454 :
仇鱒:2005/12/22(木) 20:29:23
>>453 >「生成」と訳したのはどなた?
わしではないが、何か?で、せっかくだからレスしてやると、「生成文法」は
マジでミスリードなタームだ。だれだってこれを見たら生成文法は文を生成する
文法理論と思ってしまう。つまり、言語処理の文法理論と思ってしまう。でも
実際は違う。言語処理の文法理論ではなく言語知識の文法理論である。
ようするに、ダイナミックなものではなくあくまでもスタティック
なものである。別のことばで言い換えれば、オンラインの文法理論ではなく
オフラインの文法理論である。時間の概念は全てカットオフされている。で、
チョムは、generative grammarのgenerativeは「明確」であるとか「明示的」
という意味だという。ざけんじゃねぇーよ、だよな。ったく。そんな意味辞書見
たってのってねえわな。だから、訳した香具師が悪いのではなくチョムが悪い。
「明確」であるとか「明示的」という意味を持たせたいのなら、最初からまさに
明示的にspecific grammarとかexplicit grammarとかすればよかったのだよ。
てか、わしに言わせたら、ミニマリストになったらどこがexplicitか
ワケワカンネーけどな。ははははは。マジでわしなんかちょいと特殊
なところでお仕事しているから、「生成文法」なんてゆーターム使
うときにはほんとヒヤヒヤするわ。いつ学生から「センセイ!生成つーことは
脳内における言語処理のモデルつーことっすか?」と質問受けるかと思ってな。
てか、実際よくそーゆー質問受けるけどな。ははははは。ま、そんなこんなで訳
したのはわしじゃねぇーし、ミスリードな訳だが悪いのはチョムのせいだと。
ま、そんなところだ。さて、pcの電源切って執筆活動に入るぞ!ゴルァ!!
名無しの連中や、せいぜいわしのクソ書き込みにいちゃもんでもつけてろや。
455 :
436:2005/12/22(木) 21:13:38
>>439 > でも、そのために死人@英霊にむち打つような行為がどれだけ行われてきたことか。
世界が何と言おうと、日本人自身だけは誇りに思えるような歴史を持てなかったのが、悔しいね。
当時としては知恵を絞り、最善を尽くした、結果は悪かったが、現代から見てもよくあそこまで考えたものだ、
振り返れば確かに失敗もあったが、今それを責めるのは、酷というものだろう、
――そんなふうにとらえることは、日本の戦争については、とてもできない。
>>440 > とにかく、パブリックなことばが必要なのである。
それは必要ない。彼らは「公」に殺されたのだから。
「英霊」たちはただ、「岸壁の母」の許へ帰るべきだ。「公」が鞭打とうと敬意を表そうと、関係ない。
>>441 > それは、仮に日本が原爆を持っていたとして、
> それを使わざるをえない状況だったということだ。
日本が圧倒的優位に立っていたとしても、戦争が長引けば、世界への示威を兼ねて、やっぱり原爆を使っただろう。
日本語ができて虫の好かない米国人とカラオケに行く機会があると、私はよく「岸壁の母」と「長崎の鐘」を歌う。
>>442 > ときどき息抜きに生成ぶんぽーの現代史
> についてハナシをしてもいいしな。
それはおそらく無理だ。私にはそんな知識はないよ。
ただ、「生成的」な考え方を抜きにして、文法規則は記述できないと思う。だから、生成理論にはいつも興味をもっている。
それなのに、普遍文法とか言われた途端に、胡散臭く感じてしまうのは、どうしてなんだろう。
普遍文法というものがあったとしても、言語学の方法でそれに近づこうとするのは、夜空の星をほうきで取ろうとするようなもんじゃないのか、
私には、そんなふうに思えるのだ。
456 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/22(木) 23:10:39
生成って普遍システムのモデル?
この世に存在するあらゆる生命活動とその産出物はダイナミックなものでしょ?
システムそのものがつねに変化しつづけるわけだから、
構造がある一点で定るということは決してないんだけど。
そこを割り切ってあえて立ち止まって分析するのが科学なんだけど、
決して今現在の動き続けているシステムには追いつくことは出来ない。
458 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/22(木) 23:41:41
459 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/23(金) 00:44:57
チョムの唯一の貢献は、CFGのチョムスキー標準形だよw
ってゆーか、なんの役にたってるの?
463 :
仇鱒:2005/12/23(金) 07:16:45
>>455 >>436氏@わしのおかん(w)
ま、近代史ネタはこのくらいでやめておくが、おかんの年齢が何となく読めた。
わしも実は「岸壁の母」と「長崎の鐘」は好きだったりする。さすがにカラオケ
で歌うことはないが。なんつーのだろ、わしもこの年になってはじめて、
昭和初期・中期の歌の歌詞の意味が分かってきたような気がする。nhk
でときどきナツメロやっている時があるがマジで見入るというか聞き
入ってしまうことがある。歌謡曲の深さというか歴史性というのをひしひしと感
じることがある。昭和初期・中期の歌謡曲を若い世代に引き継
いでいくのもわしらの仕事なのだろうかと思ったりする。ま、わしのおかんや、
いろいろわしと考えが違うところがあるが、今度リアルで会うことがあったら
カラオケで「岸壁の母」でも歌おうじゃないか。そしていっしょに「英霊」
のために心を込めて歌ってやろうじゃないか。マジでわしらにできるのは「岸壁
の母」をカラオケで歌ってやることぐらいなのかもしれない、、、。さっそく
ギターで「岸壁の母」コピーすっかな。
464 :
仇鱒:2005/12/23(金) 07:17:41
で、せっかく生成ネタで書いてくれたからレスしちゃる。
>それなのに、普遍文法とか言われた途端に、胡散臭く感じてしまうのは、
それは人は誰でも共産主義に対して胡散臭さを直感的に抱くのと同
じことなのだよ。ぶっちゃけたハナシ、言語の普遍性といった場合、わしは
グリーンバーグのあの50くらいある言語の普遍性で十分だと思うときがある。
あれをさらに統合しようとしたのがチョムというか生成であり、そこに無理
がどうしても生じてしまう。その無理をセオリーインターナルな議論
でつじつま合わせをしようとするからミニマリストのようなワケワカンネー
という状態になってしまうのだ。でも、言語学では結局セオリーインターナル
にしか議論を進めることができないのだ。セオリーインターナルでなく
セオリーアウトサイドに議論をしようとしたら、それはもう言語学
ではなくなってしまうのだ。セオリーアウトサイドに議論をしようとしたらもう
生物学とかになってしまうのだよ。でもそうなったらわしら生成屋というか
言語屋はもうお呼びでないのだよ。で、チョムは「説明的妥当性をビヨンド
しようぜ」とシュプレヒってるが、ゆってることはメチャクチャだ。そんなこと
ブンケイのわしらにできっこないのだよ。ま、他にもいろいろ書
きたいことがあるがとりあえずここまで。
465 :
仇鱒:2005/12/23(金) 07:18:36
>>456 ゆってることよくワカンネー。いや分かるのだけどどこまで分かっていて書
いているのかワカンネー。だからレスできねー。
>>460 >ってゆーか、なんの役にたってるの?
このスレのネタとして十分役立ってるわい。
>>461 >せいせいぶんぽうはむずかしいですね
むずかしかねぇわい。むずかしくみえるだけだ。てか、
ばかなけんきゅうしゃがむずかしっぽくしているだけのはなしだ。
ばかなやつにおしえてもらうとかんたんなものもむずかしくみえてしまうものなのだよ。
がくもんとゆーのはそーゆーものだ。
>>462 キッコロの天ぷらかと思ったw てか、さぶいな。灯油代もバカにならん。
マジでさぶいな。ぶるっ♪
なんか最近また仇の自我が暴走気味だね
このスレで仇は
書き込みを続ける
↓
だんだん言うことが傍若無人な放言になってくる
↓
叩かれる
↓
「もう書き込まない!」宣言をする
↓
しばらく消える
↓
戻ってくる
を繰り返しとるわけだけど、今度はどうなるんかね。
467 :
仇鱒:2005/12/23(金) 09:23:49
>>466 てか、藻前、ほんとどーしよーもねぇな。日頃藻前何してんだ?くだらん
アジビラ読んだりデムパ記事読んでハァハァしてるんだろうがそろそろ目覚
ませや。馬鹿な考え休むに似たりという言葉の意味をよく噛みしめろや。ま、
ゆっとくが藻前とわしは頭の中身が違うのだよ。わしの頭ん中は海綿体。脳
みそなんかじゃねぇーの。そこんとこよく覚えとけ。
てなことだが、荒らすならもうちょいビシッと荒らさんかい。ゴルァ!
ほな、わしは今からお出かけだが藻前も出かける時はあったかくして出ろYO!
>>467 知らないよー、ほんとにまたビシっと荒らされて
通算四回目(?)の「もう書かない!」宣言することになっても(苦笑
まあそれももはや生成スレの風物詩みたいなもんだけどねー
ちなみに仇ちゃんにちょっと聞きたいんだけど
なんか上のほうで言ってた「趣味で言語学やってる」って発言は
どんぐらい本気でいってるの?
469 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/23(金) 11:17:27
本気なのは顔文字天王陛下様だけでございます。
お魚さんは聖教の白石さんの言語学バージョンです。
-----------------------------------煽りはスルー----------------------------------
生成のアダ鱒さんで本だしてやる。
472 :
仇鱒:2005/12/23(金) 18:37:58
>>468 >知らないよー、ほんとにまたビシっと荒らされて
うっ、、、。ごめん、撤回する。もういい子でいるからわしをいじめないでくれ。
もうちょっとだけでいいからココで遊ばさせてくれ。ほれ、このとーり m(_ _)m
>通算四回目(?)の「もう書かない!」宣言することになっても(苦笑
うっ、、、。もうそんなになるか、、、。近所のパチンコ屋の新装開店といい
勝負だな、わし、、、。いや、わしの方が勝ってるわ(←こーゆーことでしか勝
てない、、、
>まあそれももはや生成スレの風物詩みたいなもんだけどねー
ふ、風物詩なのか、、、。そうだったのか、、、。言われて初めて気
がついた、、、。
473 :
仇鱒:2005/12/23(金) 18:38:42
>どんぐらい本気でいってるの?
うーん、本気つーか実際問題として趣味が仕事になったからな。そういった意味
では趣味でもあるし仕事でもある。ただ、前にも書いたが、定年退職して暇に
なっても生成つーか理論言語学をやっているかとゆーとそうでもないと思う。
そういった意味では、生成はわしの趣味ではなく仕事である。つまり、仕事
と割 り切っているから今も生成をベンキョー兼ケンキュー
しているところがある。ま、そーゆーわけで自分でもよくわかんねーけど仕事
なんだけど趣味てなところ かな。あと、マジレスすると(w)、定年退職
したらわしマジで小説書くと思う。しかも知的な官能小説!そのための構想を今
から練っている。団鬼六とか相 手じゃない!ま、それはいいとして、実
はわしは15冊ぐらいの雑誌を読んでいるのだが、割合でいったらその3分の
1が国際関係と思想絡みのヤツ。残りの 10冊のうち半分が科学系の雑誌、で残
りの5冊が理論言語学関係。とゆーことで、わしのリアルライフのウエイトで
ゆーと理論言語学は知的好奇心の3分の1ぐ らいになる。けど、
わしにいわせるとどの雑誌ないしどの本を読んでも全て生成にリンクする。
そういった意味ではああだこうだ言ってもわしのリアルライフ は生成が中心と言
える。
474 :
仇鱒:2005/12/23(金) 18:39:47
>>469 >お魚さんは聖教の白石さんの言語学バージョンです。
うっ、、、。身元バラされてる、、、。てか、もういいけどな、
どうでも、、、。つーか、正直、わしだったら白石さん以上にもっとナイスな
回答するけど な。ちゅーか、わしのケンキュウシツの前にわしも「一言カード」
ぶら下げるかな。ははははは。しかも自作自演で。自分で自分に質問して自分
で答えてな。 ははははは。しかもどとーの書き込みだ。「一言じゃないカード」
だ。ははははは。
>>471 >生成のアダ鱒さんで本だしてやる。
をう、わしのカキコミ編集して出版社に売り込んでくれや。
そしてわしにちょっとだけ印税分けてくれ。ま、わしが言うのも何だが売
れるぞ、マジで。ははは はは。
つーことで、年越しまでまたーり逝くぞ!
もう荒らすなよ!ええか!はい!(←わしが答えてどーする。どてっ
ちゅーか、イーエス細胞論文やっぱり虚偽つーか捏造だったな。
やってくれたなクゥン國。クゥン國マソセッ!!!www
475 :
仇鱒:2005/12/23(金) 19:49:29
えっと、ちょいとヨッパで気分いいからpcの電源切る前にもうちょいとだけ
書く。昨日、生成が宗教といかにリンクしているか書いた。で、これについて
もうちょい書く。藻前らも知っているかと思うが、今アメリカではクリスマス
をどう祝うかでいろいろもめている。ようするに、キリスト教原理主義者@
ネオコ ンがクリスマスまんせーであるのだが、やはりイラク戦争でアメリカが
墓穴掘ったこともあり、クリスマスを自粛しようというムードがあるわけだ。
まあ、自 粛とまではいかなくてもクリスマスとは別の形でクリスマスを盛り上
げようとかそういう動きがあるわけだ。で、そんなことはどうでもいいのだが
(←なら書くなw)、問題はネオコンが推している
インテリジェント・デザイン説なのだ。まあようするにネオ創造説
のことである。チョムのいうスパンドレルはわしに 言わせるとネオ創造説
とどっこいどっこいである。だって、認知システムのある空間に、あるとき
突然言語システムが生まれたわけだからな。ようするに、あた かもネ申の意志
が働いたかのごとく、ある時突然、言語システムというほぼパーフェクト
なものが生まれたのだからな。ま、もうちょい言うと、
ブラインド・ シンタクス・メーカー(←ほとんどネ申)が光臨してきて(w)
わしらホモサピエンスの脳内に文法ソフトウェアがインストールされたのだからな。
ちょうど 宇宙人がわしらの皮膚にカプセルを埋め込んだよーに(by矢追
すすむちゃん)。
476 :
仇鱒:2005/12/23(金) 19:50:18
で、わしはある程度そういった断続平衡的な考えは否定できないと思っている
(これを書いている時点では)。というのも、いくつかある文法ソフトのアプリ
ケーションがだんだんにできあがるのでは、そんな文法ソフト@脳内文法は使
い物にならないと思っているから。で、実際、本当にそういった中途半端な文法
ソフトというのは使い物にならないのだろうか、、、。もし使い物になるのなら
文法ソフトのアプリケーションは漸進適応的に進化というかエマージュしてき
たと言えなくもない。実際のところ、束縛理論だけが壊れた文法システムと
か、ECPだけが壊れた文法システムとか、EPPだけが壊れた文法システムとか、
サブジェイシェンシーだけが壊れた文法システムとか、あるいはそういった文法
メカが複数壊れている文法システムというのは本当に使えないのだろうか。
もし ある程度使えるのであれば、わしはジャケンドフやピンカーが言うように、
つまりチョムの意見とは反対に、漸進適応的にわしらホモサピエンスに
脳内文法が エマージュしたと考えてもいいと思っている。
そのあたりどうなんだろう。ちなみに、そのようにサミダレ式に文法メカ
ができあがってきたとしても、統語システムの足りないところは言語の機能面
ないし談話の力でかなりカバーできるかも、とちょっと思ったりしている。
もしそうならかならずしも断続平衡的に言語機能ができる必要もない。
てなことでまったり逝くぜ!ゴルァ!!
>>473 >10冊のうち半分が科学系の雑誌、で残 りの5冊が理論言語学関係
具体的にはどんなのを読んでらっしゃいますか?
参考にしたいので差し支えなければ教えてくださいな
478 :
仇鱒:2005/12/24(土) 07:00:13
>>477 を、もしかしてレディーの登場?実は60代のヅラかぶったオヤジだったりして(藁
えっと、気になる科学雑誌名だけど、次のようなもの:
『科学』(岩波サヨ書店)
National Geographic
Scientific American
Nature
Popular Science
ま、いずれも月刊誌でふつーに読めるヤツばっか(Natureを除く)。『科学』は
日本の科学技術の状況を知るために読んでいる。ただ、そんなに科学技術の色合
いは実は強くなく、意外と社会科学的な分野が充実している。連載とかコラム
なんかは文系の読み物が多い。ま、月によって当
たりはずれがあるがしょうがない。で、National Geographicであるが、これは
純粋に写真を見たいために買っている。自然の美しさを知るにはやはり
National Geographicが一番であろう。あのような動植物の自然の美しさを見ると、
いかに人間のデザインしたものが醜くアンパーフェクトかが分かる。もっというと、
人間が人工的にデザインしたものは全て自然界の美のパクリであることがよく分
かる。あと、National Geographicは人権(というか民族)に造詣が深く毎回
いろんな形で人権について触れている。ある時は災害の観点から、そしてある
時は戦争ならびに民族紛争の観点から人権(民族)について触れている。
そういった人権問題を写真と文章で学ぶにもとてもいい。
479 :
仇鱒:2005/12/24(土) 07:01:10
次、Scientific Americanであるが、まあ定番中の定番である。ひとつひとつの
記事が長いががまんして読むしかない。とにかく、執筆者が豪華キャスト
だから読んで絶対損はない。ノーベル賞受賞者の執筆もあればこれからノーベル
賞を受賞するような人の執筆もありとてもいい。とにかく全体的にバランス
がとれていて安心して読める雑誌である。で、次はNatureであるが、
これはほとんどお仕事(ジュギョー)のために読んでいるところがある。
とにかく理系の学生なら一度は載せたい雑誌
であるからそういうこともありわしも読んでいる。で、藻前らどう
思っているかしらないけど、Natureって単なる雑誌なのよ。学術誌じゃないの。
週刊誌。でも科学の分野ではめちゃくちゃインパクトファクター高いけどな。
で、いわゆる普通の雑誌ということもあり、かなり庶民的なネタもゴロゴロ転
がっている。おまけにScientific Americanのように記事が長くない。すんごい
短い。1頁ないものもザラ。ビギナーもプロも両方読んで満足できるそんな
不思議な雑誌である。最後、Popular Scienceであるが、これは最新の商品を
チェックするために読んでいる。工学系の学生にはやはり最新の商品
というのはとても気になる。IT関係にしてもほんと最近はすんごい商品が
(アメリカでは)出ている。そういう面白そうな商品をチェックするために読
んでいる。まあ、実際わしがそういった科学系の記事をどう読
んでいるかについてはわしの科学に関する本でも読んでくれ。科学記事の読み
方と英語の読み方もマスターできると思う。よかったら図書館で借りてちょ。
ま、そんなところ。
480 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/24(土) 13:30:41
理系の学生と文系の学生とでは、
言語学に対する態度って違うんでしょ?
理系はおなごの尻を追いかけ
文系はオナニーで満足する
481 :
仇鱒:2005/12/24(土) 18:31:54
>>480 藻前、なかなかいいことばのセンスしているな。いいスジしてるわ。頭ん中の
海綿体含有率が15%は逝ってるな。大したもんだ。で、言語学に対する態度だけど、
ハッキリいって違う。どっから語っていいか分からないから適当に書き殴
るが、まず、一言でゆって、藻前さんの次↓の一言に尽きる。
>理系はおなごの尻を追いかけ
>文系はオナニーで満足する
まず、仮説やらなんやら出したところで香具師らはそんなもんで満足しない。
それを裏付ける証拠を提示しないと満足しない。というか、それをやらないと
わしらブンケイの議論はたんなる後付けのお花畑の議論と同じだと感じるようだ。
ようするにポスト・ホックな議論として片づけられて相手にされない可能性が 少
なからずある(もちろん学生のレベルにもよる)。ようするに仮説のリアルな
対応物(というか対応現象)を求めてくることが少なからずある。
ま、そりゃそうだな、理系の人間 は形而下の学問をしているのであり形而上の学問
をしているのではないからな(理学系の学問を除く)。
482 :
仇鱒:2005/12/24(土) 18:32:46
で、だからと言って、最近の脳生理学絡みのデータを提示してもしゃーない。
というのも、このスレでは何度も議論になっているように、生成は言語知識の
モデルであり言語処理のモデルではないからだ。つまり、fMRIやらPETやらMEGの
データを見せたところで、それはぶっちゃけ生成とは関係ないからだ (でも荻H
氏@首大のやっているようなことは生成のやっていることとそれなりにリンク
していると思う)。ま、ようするに、
>>480の言うように、理系 の学生
はやはりおなごの尻というリアルなものを求めてくる傾向がある。ていうか、
理系の連中はやはり、ちゃんとおなごを抱いていろいろ確かめないことには
わしらがどんなに能書き垂れたって信用しちゃくれないのだよ。だから、
そういった意味では生成でやっていることは、アキバ系の香具師が2次元の
アニメ オンナにハァハァ言っているのと大して変わらないのだよ。あと、やはり
カウンター・イグザンプルと補助仮説の多さに生成というか理論言語学の科学性
を疑 う学生は多い。いや、マジでわしもいろんなところで書いたりしているが、
理系の学生相手に生成というか理論言語学教えているといろいろ学ぶところがある。
ひとことで言って、生成はぬるい学問だということを思い知らされる。
まだいろいろ書きたいがとりあえずこんなところだ。
483 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/24(土) 19:43:48
(´∀`)先生や仇鱒先生の本、ってどの本なんですか?
484 :
仇鱒:2005/12/24(土) 19:47:33
>>483 変なこと聞くな!ヴォケ!!
ったく、近頃のガキは、、、
485 :
仇鱒:2005/12/24(土) 19:51:50
さっき書き込みしたの名前が緑だけど、
>>483はわしじゃねぇーから。
ちょいとスペアのpcで書き込みしていてそれでなのだ(いつものpcはメインテナンス中)。
486 :
仇鱒:2005/12/24(土) 20:15:43
>>483の坊ちゃんや、さっきはきついこと言ってごめんな。おじさん謝るから勘弁
してぇな。何か質問あるならおじさん答えてやるぞ。顔文字のおっさんは今歯
が痛くて2ちゃんどころじゃないみたいだからおじさんが変わりに答
えてやるぞ。クレイジーなおっさんは嫌かもしれんがおじさんでよかったら何か
質問してみ。おじさんの分かる範囲で答えちゃるから。てなことで、おじさん今
からお仕事だからもうpcの電源きるからな。またよかったら遊びにおいでね。
てか、まさか
>>483はどっかのオヤジじゃあるまいな、、、。
>>478-477 仇鱒先生の期待するような(?)レディーじゃなくてごめんなさい(^^;)
仇先生に追いつけ追い越せ、ということで私も科学雑誌読みます。
詳しく書いていただいてありがとうございました。
488 :
483:2005/12/24(土) 20:29:23
>>484-486 すみません、どういうことですか
一般流通してないという事ですか?
このスレに書き込んでるセンセイの著作を、読みたいだけなんすけど・・・
490 :
仇鱒:2005/12/25(日) 06:55:12
>>487 を、レスどうも(ぺこり
>仇先生に追いつけ追い越せ
わしに追いついたらいっしょに手つないでいいところにいこうな。うひひひひ。
>>489 顔餅あぼんだな。身元バラされちゃって、、、。w
てか、今日はクリス鱒だが、ところで本当のところキリストはどうやって生
まれたんだろな(キリストがリアルにいたらのハナシだが)。ま、タブーに触
れちまうが(←毎度のこと(藁))、処女懐胎なんつーセルフクローニング
なんてあるわけねぇしな、、、。わしにとって宗教つーのはある意味特別な
意味を持っているのだが、宗教でもって世界の平和が乱されるのではなく維持
されるように宗教を有効利用して欲しいとマジで思うわな。
総入れ歯、前にキリストについて「リアルに」知りたいと思ってメルギブソンの
「パッション」を見たが、ちょいと痛すぎる映画だったな。ま、正直映画
としての評価はいまいちなのだが、いちおう趣味で言語学
やっているわしとしては(w)、あの映画で使われていたよく分からない言語に
非常に興味をもった。まあ、キリストが当時使っていたであろう言語
ということだが、あれはどの程度正しいのだろうか、、、。てか、比較言語学的
にはあのよく分からない言語は学術的にokなのだろうか、、、。
ちょいとそんなどうでもいいところが気になった映画であった。
てか、わしんとこにもサンタこねぇかなー。ギブソンかフェンダーの一生モンの
ギター持ってきてくれねぇかなー。こんなに素直でいい子なのになんでサンタ
こねぇんだろー。
サンタのおっさんや、わしんところにもプレゼント持ってこんかい!ゴルァ!!
で、frえd師匠、昨晩のライブはどうだった?報告お汁!
491 :
仇鱒:2005/12/25(日) 06:56:07
せっかくだからちょいと何か書くかな。えっと、先日、ジョソレノソの
「イマジソ」絡みで国境の重要性について述べた。そして、ジョソ同様チョム
も国 境をなくすことを是とするサヨ的発想があり、チョムに関してはそのような
サヨ的発想が何らかの形で生成に影響を及ぼしているのではないかと書いた。
まあ、端的に表れているのが普遍文法という概念であると。ちなみに今わしが
「概念」と書いたのはそれなりに意味がある。リアルにあるとはこれまで誰も
証明 していない。あるのは普遍文法という概念だけだ。で、それはよしとして、
この普遍文法という概念意外にもやはり「イマジソ」的な発想が生成の歴史
には見 られるわけだ。それが表示の解体と棄却である。ある程度生成やっている
香具師なら分かると思うが、表示の消失と共に出てきたのが派生の概念である。
これ を頭の隅に置きながらちょいとわしのハナシを聞いてもらいたい。まず、
60年代のSDとSCでもって文法が記述されていた頃は、ある意味、生成は
表示だ けの文法システムであったと言えよう。ようするに、派生ゼロの表示
オンリーの文法システムである。で、それから70年代になって痕跡の概念が出
てきた。 と同時に、派生という概念が現実化し、ラフな言い方をすると、SDと
SCがD構造とS構造に変態した。この時点で文法システムは表示と派生の
ハイブリッド タイプにシフトした。で、このラインの絶頂期がGBだ。
生成黄金時代の80年代だ(とわしは思っている)。
492 :
仇鱒:2005/12/25(日) 06:56:56
ようするに、GBというのは表示と派生のハイブリッド型の文法理論と言
えるわけだ。で、この80年代の次に生成のデムパ時代が到来するわけだ。
ようする に90年代の一連のエコノミーブームだ。このときからD構造とS
構造廃止の動きが強くなり、実質的に表示がなくなり派生だけになってきた。
で、今日のミニマリストでは表示のかけらもなくなったと。つまり、生成ぶん
ぽーは、表示オンリーの時代から表示と派生のハイブリッド時代を経て、そして
派生オンリー の時代にシフトしてきたわけだ。で、勘のいい香具師は分かると思
うのだが、これはある意味「イマジソ」に書いてあることがモロに起
きているわけだ。表示というのはそこに適用される規則なり原則があるから存在
するわけだ。そういった意味では、表示というのはある種法治国家であり國
であるのだ。その國である表示がどんどん解体され結局国境
がなくなってしまい、そしてワケワカラン♪状態になってしまったわけだ。
ようするに、アナーキー状態になってしまった わけだ。ミニマリストは国境なき
アナーキーなのである。ほれ、チョムの望んでいた状態がココにあるのだ。
現実世界では実現できなかったアナーキーをチョ ムは自分の「脳内ぶんぽー」の
中で着実に進めてきたのだよ(ま、今のイラクはアナーキーと言えばアナーキー
なのだが)。ま、上でも書いたが、生成と思想、そして政治
というのは意外なところでリンクしているものな のだよ。そんなもんだ。
ははははは。つーか、言いたかないけど、チョムまんせーのヴァカ本
がたくさんあるが、読んでてゲラゲラ♪嗤ってしまうわ。ははははは。
あっ、荒らしてしまった、、、。すまそw 許してちょww
>仇へーか
うーむ、突然出てきてなんだが、「イマジソ絡み」についてにわかには納得しがたい…
いつぞや「言語帝国主義」的見地から社会言語学者による<普遍文法>批判をみたことがあるが、
(つまり、普遍性を国家解体ではなく、全体主義としてとらえたのである(!))
わたしには、言語学者チョムスキーに政治的企図があるとみるのは疑わしいとおもうにゃ。
(まあ、社会言語学においては、無自覚というだけで、帝国主義に加担しているとみなされるわけだが。)
(だから文系はいやにゃ…)
わたしとしては、言語学はzero, nothingというのは本気で述べていたのではないかと思ってるにゃ。
スレののびがはげしいのだが、ずいぶん以前の普遍音楽について書くかもしれない。
し、書かないかもしれない。
494 :
仇鱒:2005/12/25(日) 07:52:10
>>493 >虚無ちょーかん
>うーむ、突然出てきてなんだが、
>「イマジソ絡み」についてにわかには納得しがたい…
納得しなくてもいいっすよー。「イマジソ絡み」は半分ネタだから。でも、
なんつーんだろうか、大きな枠組みをつくるにせよ仮説を立てるにせよ、
やはりその人の人間性というのは出ると思うのよ、わし。わしがこれまで書
いてきたペーパーにしても本にしても何にしても、わしも自分の人間性がモロ
に出ているし。ようするに保守的な考えというゆーか無用な革新は極力避
けるというポリシーがにじみ出ているし。ま、そんなこんなで、もしかしたら
自分が気づいていないだけで、チョムのアプローチには香具師の思想的
なものが絡んでるかもな〜とちょっと心理分析してみただけでつ。
>ずいぶん以前の普遍音楽について書くかもしれない。 し、書かないかもしれない。
掻いてちょ。わしの痒いとこポリポリ掻いてちょ。
ちなみにインキンじゃねぇーから、わし。
てなことで、お休みなのだが今日もこれから出勤なのである。わしはとことん働
くのである。平成の働くおじさんなのである。師走じゃい、がんがって働く
ぞ!ゴルァ!!
音楽スレのほうにかきましたにゃ。>仇へーか
100レス以上さかのぼってレスするのは、なかなかしんどいのにゃ。
仇ちゃんの言ってることは当たり前っちゃ当たり前で、そもそも
ある人間が考えてひねりだすあれやこれやがその人の人格や
信念と全く無関係である、ということはまあありえない。
しかしだからといってチョムの政治思想とチョムの言語理論との間に
アナロジカルな関係を見出しては盛り上がってしまったりするのって、
なんか認知文法を彷彿とさせる無意味な活動だと思う
こじつけがいくらでも可能で、客観的な検証が不可能な種類の提案って
議論したところでどこにも辿りつかんしね。
あと「表示」と「国家」のアナロジーはさすがに電波受信しすぎ。
↑語尾にニョロつけてくれないと読みずらいニョロ
498 :
仇鱒:2005/12/25(日) 19:22:04
>>495 このことば↓に感動しますたー。
>性行為の強要のばあい、「いや」なのか「だめ」なのかは、
>微妙だが重要な差異を反映するにゃ。
をい、ここロムってるケツのブルーなボンズどもよ、上の虚無ちょーかんの
御言葉をちゃんとノートに書き写すよーに。いや、マジで大事なことだぞ。
499 :
仇鱒:2005/12/25(日) 19:23:42
>>496 >あと「表示」と「国家」のアナロジーはさすがに電波受信しすぎ。
まあなw でもたまには心理ごっこも悪くはないだろ(藁)ま、せっかくレス
してくれたから釣られてやるが(w)、わしはチョムの政治思想がハッキリ
ゆっ てキモイ。チョムは藻前らも分かってると思うが、いわゆるアナーキーだ。
アナーキーつーのは一般的に「無政府主義者」とか訳されるが、「無」なのは
「政 府」だけじゃないのだ。ありとあらゆる権力を否定するのだ。ようするに、
トップつまり支配者を完全否定するわけだ。まあ、分かりやすく言うと
ピラミッド 社会を完全否定するわけだ。もうちょいゆーとハイラルキーを全く認
めないわけだ。で、どうなるかとゆーと、み〜んな平等、み〜んな一直線上
にあるとゆー こと。とにかく支配するようなものは何一つ置いてはいけない。何
から何までみんなで決める。ま、普通の頭もってる香具師なら分かると思うが、
こんなのは 完璧に頭ん中がお花畑状態。こんな社会ありうるわけないしキモ
くてしゃーないわ。ようするに究極の共産社会主義社会であり、性善説を大前提
にしているわ けだ。こんなヴァカなこといい年した大人が考
えるもんじゃねぇよ。チョムは人の知性を信じるとかゆってるが、みんな言
えば分かる香具師ばっかじゃないっ つーの。世の中ハナしの通じないヤツ
ばからだという前提からスタートするのが大人の社会つーもんよ。
500 :
仇鱒:2005/12/25(日) 19:24:30
そのためにあれやこれや駆け引きがあるわけだ。人間 というのは駆け引
きをするものなのだよ。そして、勝ち負けが好きなもんなんだよ。チョムが
アメリカ人だけどアメリカを批判してそれでウケがいいわけだ が、チョム
じゃなくたって誰だってアメリカを批判するわい。こーゆー当たり前
のことをゆって頭ん中はお花いっぱい咲いている香具師がなんで世界の知性と
いわれるかワケワカンネーわ。わしなんか日本人だけどいろんなところで
アメリカボロクソに批判しまくってるし、おまけに頭ん中は海綿体だけど極めて
現実 的なこと考えてるわ。チョムが世界の知性ならわしは宇宙の恥性じゃい。
ははははは。ま、とりあえずそんなところ。てか、
>>496氏や、
よく顔出すよう だからコテ付けたらどうだ。暫定的なもんでいいからコテつけろよ。
「コテっちゃん」なんてどうだ? わし「コテっちゃん」@ホルモン好きだけど。
てか、 実はかかりちゃんなの??(cf.
>>497)
あっ、気づいたらまた荒らしてしまった、、、。ごめそw
年末だからまっこり逝こうね、まっこり(^ ^)
501 :
仇鱒:2005/12/25(日) 19:25:33
ついでにちょっとだけカキコミする。えっと、日頃時間がとれないこともあり、
この半年ほど見たい番組をずっとビデオにためておいた。で、時間ができたか
ら今ちょこちょこ見ているのであるが、今日見たのは非常に感動した。
ちょっと前にnhkシュペシャルでやった多田富雄氏のドキュメンタリー番組
である。 まあ、知ってる香具師は知ってると思うが、脳梗塞で倒れたものの今
もなお第一線で活躍されている免疫学者だ。ちなみにこれまた知ってる香具師は
知ってる と思うが能の専門家でもある。で、上でわしは原爆絡みでいろいろ書
いたが、この番組は原爆についてまた違ったアングルから攻めている。
いずれにせよ、再 放送があったら見てない香具師は見るように。とにかくいい。
文句なしにいいから見る機会があったら必ず見るよーに。
あと、『ドキュメント '05』で少し前に放映された「婚約者からの遺言:60
年時を越えた恋」も見た。特攻隊の話である。いや、一言、
さいしょっからずっと泣きっぱなし。マ ジでハンカチビショビョ。ウヨサヨ関係
なく、正直特攻隊された兵隊さんには頭を下げるしかない。戦後60年
経ったわけであるが、まだ戦「後」でない人も いるわけで、ほんと複雑な思
いがした。たぶんこの番組は再放送はないと思うのだが、いやー、
ほんとよかった。愛国心とかそういうレベルの話ではなく、た だただ英霊に頭
を下げるのみ。少なくともわしにできるのはそれだけである。誤解
しないでもらいたいが、別にわしまた問題を蒸し返そうと思っているわけ
じゃないから。ただ、ほんとウヨサヨ関係なく英霊には頭を下げるしかないと、、、。
あ、そうだ、東京jazzも録画したの見てるけど、こっちもすごくイイ!
マーカス・ミラー最高!!wしもベースやってみようかな、、、。
てか、お仕事じぇんじぇん進んでいない、、、orz ずっと現実逃避している、、、。
502 :
仇鱒:2005/12/25(日) 19:26:17
つーか、サンタ来たよ、わしんところにも。顔餅サンタ。顔餅、DVD
さんくす!虹@東京 1984と虹@ミュンヘン 1977たしかに受け取りますた。
ほんとさんくす!おかげでまた仕事手に付かなくなるわ、、、ORZ
何はともあれ、歯はやく直せよ。てか、わしが送ったアレが効
きすぎたか、、、。w
てなことで、早速試写会とさせてもらう。ワクワク♪
503 :
455:2005/12/25(日) 19:58:58
>>501 「東京だよおっかさん」この曲は難しすぎて私には歌えない。
久しぶりに手をひいて/親子で歩けるうれしさに/小さい頃が浮かんで来ますよ/おっ母さん/ここがここが二重橋/記念の写真をとりましょうね
やさしかった兄さんが/田舎の話を聞きたいと/桜の下でさぞかし待つだろ/おっ母さん/あれがあれが九段坂/逢ったら泣くでしょ兄さんも
さあさ着いた着きました/達者で長生きするように/お参りしましょよ観音様です/おっ母さん/ここがここが浅草よ/お祭りみたいににぎやかね
「兄さん」がその人のために戦死した天皇陛下のいる所を訪ねても、「兄さん」が英霊として祀られている所を訪ねても、母娘の心は晴れない。
最後にそうした「公」を振り払わないと、遺族は慰められないのだ。
> てか、お仕事じぇんじぇん進んでいない、、、orz ずっと現実逃避している、、、。
お互いさんだな w いかんいかん。
504 :
仇鱒:2005/12/25(日) 20:57:18
を、誰かと思ったら岸壁の親爺じゃねぇーか。つーか、虹@東京 1984を見終
わって頭ん中完全にロックモードなのに「東京だよおっかさん」かよ、、、。w
ま、でも、わしはじめて知ったんだけど、「東京だよおっかさん」にある「兄さ
ん」ってそういう意味だったのか、、、。わし知らなかった。でもなんだな、
千代ちゃんの歌う「東京だよおっかさん」は味わい深いな。歌うまいんだか下手
なんだか分からないところがまたいいな。ちゅーか、いい年して2
ちゃんなんかしてんなよって、この岸壁の親爺!ww てか、何歳だよ?60近
いんじゃねぇーか。ま、しっかり仕事しろYO! わしもだけど、、、orz
さて、もう一回虹@東京 1984を見るかな〜。いやー、リッチー最高!!
結局また現実逃避だ、、、。いつまで逃げられるか、、、。orz orz orz orz
虹のDVD、無事届いたようだにゃ
1984は俺も大阪城ホールに観にいったのにゃが、聴いてわかるとおり、
ギターにオクターバーかけっぱなしで、何を弾いているのかよくワカラン
状態にゃった
リッチーマニアの間ではあまり評判のよくないツアーにゃった、とゆーか
すでにDP再結成が決まっていて、心ここにあらず、契約上残っていた
ギグを消化しにきただけという感じではなかったかにゃ
武道館ではフルオーケストラで第九をやっとるにゃが、大阪ではオケなしにゃ
あと、CDでもこの第九は出とるにゃが(Finyl Vinyl)、さすがにあのままリリース
するのはまずいと判断してか手抜きのギターソロだけ録り直ししとるにゃw
他にもこの一週間ほどの間にライブDVDを大量入手したんで、しばらくどっぷり浸かっとるにゃ
Judas Priest の今年5月の武道館ライブはひたすら涙、涙
ELP@後楽園球場1972ではキースが日本刀振り回してハモンドオルガンメッタ刺しにしとるにゃ
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
それとDVD自動コピーマシーンとして酷使していたVAIOが先日ぶっ壊れてしまい、
そっちの復旧も難航しとるので、もうしばらく留守するにゃ
買って1年半でしっかりクラッシュ、さすがソニータイマーにゃ
506 :
仇鱒:2005/12/26(月) 19:45:40
を、顔餅逝きとった、もとい生きとったか。
ま、年末はロックでまた〜りだ。やぱ中年はロックだ。ははははは。
スポット・ライッ・キッィ〜♪
さて、また虹の東京ライブ見るかな。ワクワク♪
リ ッ チ ー ま ん せ っ ! !
∧_∧
ヒュ− ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 小嶋進
ザーッ
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
上で仇がIDに触れているので俺も一言
先日の授業で
http://skepdic.com/intelligentdesign.html をマテリアルに使ったのにゃが(普段はこういう他愛もないもの使って
可愛い学生しゃんのお守りをしとるのにゃw)、自然選択を支持するか
どうかと言うことと、神を信じるかどうかは別次元の問題、両者は二者
択一ではない、ということが述べられておるにゃ
God or Natural Selection の論法で、自然選択を否定すれば自動的に
創造論者となる、というのはまったく不当な批判というわけにゃ
もっともチョムやグールドの立場は自然選択だけでは進化は説明できん
というものであって、MPでいうoptimal design論をID説に結びつける
のは、二重のエラーってことになるにゃ
で、一般に自然選択による適応はトレードオフ、相反する諸条件の下で
の妥協策のようなものしか生み出さないのであり、不完全性・非最適性
こそが自然選択の証拠となるにゃ(鎌状赤血球貧血症の例とかにゃが)
そこでもしsyntaxが伝達効率を犠牲にして計算効率のみに最適化されて
いるとすると、それは自然選択への反例となると考えられるにゃ
しかしこれはsyntaxだけが特別だというのではなく、自然世界・生物
世界には同様の最適性が他にも遍在しており、それらも自然選択の
産物とは言えないであろう、syntaxの最適性を非適応論で説明しよう
とすることは、実はそれらすべてを包括する進化理論の構築を目指す
きっかけとして人間言語のsyntaxに着目していることなのであり、
MPの枠組みで言語進化を考える場合は、そーゆーことを常に意識して
おく必要があるにゃ
そこでチョムの発言を思い出して欲しいのにゃが、
>言語が完璧性や非余剰性を持ち、一方生物システムは余剰性を特徴と
>するとすると、(1)言語は生物世界において特異なものであるか、(2)
>われわれの生物システムの理解が間違っているか、のいずれかである
>ということになる、
のにゃ
MPが目指しているのは実は(1)ではなくて(2)であろう、ということは
昔、『大航海』という雑誌にちらっと書いたことがあるのにゃが
理論展開をちょっと図示すると
(A) 言語の中にみられる完璧性 → (B) その部分の非適応進化
↓
(C) 生物系一般の中にみられる完璧性 → (D) それらの非適応進化
(C)/(D)への拡張を想定しながら今は(A)/(B)に問題を特化して考えて
いる、っつーのがMPの現状ともいえようにゃ
で、最近、認知陣営からもようやく、言語が完璧であるという主張は、言語が
生物系に属するという考え方と相反し、チョムのいっていることは自己矛盾である
という批判が聞こえてくるにゃが、これはチョム自身が最初にジサクジエンで
ネタフリをしておいたことに他ならないわけにゃ
今さら遅すぎる反応であり、またこういう批判をやっとること自体、チョムの
戦略にのせられて踊らされとるだけということに気付く必要があろうにゃ
以上、煽りage
512 :
フンッ( ̄‥ ̄)=3:2005/12/27(火) 16:08:05
しつもーん。
「プラトンの問題」が根本的に解けたら、
チョムスキーの理論は大部分間違い、
ってことで良いですか???
513 :
フンッ( ̄‥ ̄)=3:2005/12/27(火) 16:09:30
だって、彼はなんだかんだいいつつ、
結局、解けないんでしょ?
>>512 その解法として有力なのが生成文法なのであって
別の方法で解決するならそちらに道を譲ろう。
「根本的に」とゆーか、生得的知識をいっさい援用することなく解けたら、だにゃ
で、現実にはプラトン問題に至る前に、言語知識とはどのようなものかを完全に
記述することすらできていないのだから、プラトン問題が解ける解けないという
包括的議論は誰にもできんのにゃ
言語知識のこの部分については(生成派は生得性を主張するけども)100%経験
基盤でいける、とかいう断片的な議論を積み重ねていくしかないだろにゃ
>>514-515 おー。じゃ、俺がチョムスキーを葬ってやる。
実は「プラトンの問題」解けたんだ。
( ̄^ ̄) エッヘン
あ、もちろん一種の文法構造だよ。
それは生得的で、脳内に生物学的基礎を持つものだと思う。
この点においてチョムスキーの着想は正しいけど、
それを解くために彼が考え出した理論の大部分は、
間違っていた、と言わざるをえないんじゃないかなー。
を、そーゆーことにゃら
>>515のレスは少々的はずれだったにゃ
確かに生得的言語知識は存在するが、それはこれまで生成がイメージ
してきたものとは全然違う、という可能性は常にあるからにゃ
517の続きに大いに期待すっかにゃ
>>518-519 ごめーん。
こんなところでネタばらすつもりないです。
近い将来、きちんと論文として発表するから、乞うご期待!
でも、言われてみれば、なーんだ、って話だよ。
専門家に言わせても、
>>517のような可能性は、大いにあるわけだよね?
それを聞いて少し安心しました。
さんきゅ。(* ̄ー ̄*)
近い将来、「よし」のつく無名の若者が、
世紀の大発見を成し遂げ、
それによって、科学革命が起こるであろう!
なーんて。殺人予告みたいだ。
かっちょぃぃぃぃぃぃぃぃ。
(⌒▽⌒)アハハ!
このレス、保存しといてね。ばいばい。
荒らしに認定されまつた。
はじめから想定内にゃったw
ま、頑張って栗>よしいくぞー
いや、これはもしかするともしかするよ
しばらく旅に出ていて、その疲れもあって書かなかったにょろけど、
>60年代のSDとSCでもって文法が記述されていた頃は、ある意味、生成は
>表示だ けの文法システムであったと言えよう。ようするに、派生ゼロの表示
>オンリーの文法システムである。で、それから70年代になって痕跡の概念が出
>てきた。 と同時に、派生という概念が現実化し、ラフな言い方をすると、SDと
>SCがD構造とS構造に変態した。
SDとSCのことを誤解しているような、していないようなにょろ。SD(structural descroption)は
変形が適用できるか否かを決める構造条件、SCは変形のoutput、変形規則は100個とかあって、
それが並んでいたので60年代にも思いっきり派生があったにょろ。それとD構造とS構造は
marxiし別の概念で、deep structureとsurface structureはSDとSCがあった60年代にも別の
理論構築物として存在していたニョロ。
528 :
仇鱒:2005/12/28(水) 08:02:52
昨晩は組の若いもんと研究会をやったり忘年会をやったりで帰りが遅くなり何
も書けなかった。てか、別に書かなくてもいいのだが。で、ちょっとだけ書く。
上に顔餅がID絡みでレスしてくれているが、今までの進化論(つまり
ダーウィニズムにせよネオダーウィニズムにせよグールディズム(?)にせよ)
はどれもリアルな器官の進化のハナシであったわけだ。でも、言語の場合、
言語器官というか心的器官なんていうものがあるかどうかもわからない状況で
(というか「心的器官」そのものはメタファ)、形のない言語機能という
「モノ」の進化を論ずるわけだ。で、そういったメタフィジカルなものの進化は
今世紀に入ってから盛んに論じられるようになってきたわけで正直方法論すら何
も定まっていないと思う。そういう意味では生成がそういったメタフィジカル
なものの進化論でイニシアチブをとる可能性はあると思う。が、生成がどんな
進化論をブチ上げようが従来のフィジカルなものを扱う進化論に影響を与
えることはまずないと思われる。あと、かかりちゃんからもレスをもらったが、
「派生」に関する意味合いが今日と昔ではかなり違うのではないか。ちょっと前
だと表示と表示をリンクさせるものだと考えられていたが、今だと表示
がないからそうもいかない。また、表示という概念が希薄だった頃だと
「派生」の概念はまた違った意味合いを持っていた。今だと、表示
そのものがないからまた別のように捉えられるであろう。たとえばコピーの
産出とセットに考えられるのかな、、、。ま、ちょっとぬるいレス
になってしまったが、ちょいとわしもリアルに旅にでる。てなことで、藻前ら、
よいお年をな!
「今だと表示がない」って一体何の話をしとるのだ?
「有意義な表示のレベル」「表示に対する制約・派生に対する制約」
などなどと「表示」「派生」という概念がごたまぜのぐだぐだ煮込みに
なってないか、仇ちゃん。
530 :
言語男 ◆4N6NukjWb6 :2005/12/28(水) 18:10:56
GB理論流の『派生』よりも整合性のある『派生』の仕方とは何ですか?
前から思ってたんですが、Numarationは表示じゃないのですか?
たとえば、Numarationがさらに下位集合に分割されるみたいな話があると思うんですが、
これって表示に対する制約に近いような。
>>386 どうも顔の字の大先生は、
数学というと世界の中の「数的な部分?」を対象とする科学と思い込んでいるらしい…
だから、認知言語からの生成批判のような高校生の作文のようなレスになるのだろうにゃ。
論理性と数学性の外延はおなじにゃ。
「真の普遍性」などというわけのわからないタームをもちだしているが、
これは旗色の悪いボケ左翼とか、疑似科学・宗教が用いる「真の豊かさ」みたいな語法とおなじで、
真に受ける必要は全然なし。このようなあいまいさを排除するために、数理性が必要になるのにゃ。
普遍性(一般性)の数学的表現は、それじたい相対性の表現と本質的にかわらないし、
<究極の普遍性>みたいな空虚な妄想とは関係がないのにゃ。
測定不可能な「真のバカ」にならないように気をつけるのにゃ。>顔
ちなみに、「文系にはいっさいの真理がない」という陳述が、
文系的な陳述か、理系的な陳述か、という突っ込み方をすれば、かなりわたしの劣勢になったのですがにゃ。
残念でしたにゃ。>顔
535 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/30(金) 22:33:00
文系には一切の真理なんてないとおもいますよ、
論理的な真理→数学、情報科学、数理科学
自然的な真理→物理、天文、化学
基本的にはこのどっちかを基礎にしないと真理とはいえないきがする。
言語学の成果って根拠が曖昧すぎる。
>>535 理学を記述する「言語」の研究は情報科学で事足るのか?
>>535 自然的な真理の解明を目指す科学の一分野としての生物学の一分野としての
心理学の一分野としての言語学つーことで、そこんとこ、よろしく。
539 :
仇鱒:2005/12/31(土) 09:51:49
やあ、わしだ。先日「よいお年を!」と書いたが、ちょっとカキコミできる環境
が得られたから少しだけ書く。ただ、今某所からカキコ
していることもありちょいと接続環境悪い。てなことで、もしかしたらカキコに
不具合があるかもしれないけど、そのときは勘弁してくれ。
>>529@コテっちゃん
>「今だと表示がない」って一体何の話をしとるのだ?
ん?ミニマリストには表示はないという前提でハナシをしているわけだが。
>530
>GB理論流の『派生』よりも整合性のある『派生』の仕方とは何ですか?
「整合性」の意味にもよるが、というか質問の意味がいまいちよく分
からないが、まあミニマリストでは派生の一瞬一瞬で整合性をチェック
しているわな。何との整合性をチェックしているかとゆーと、それは統語環境
との整合性だろうな。つまり今ある与えられた環境の中でベストなチョイスを選
んでいるようなもんだな。しかも盲目的に思考力ゼロの状態で。ま、ようするに
藻前らも分かっているように、先読みという頭を使うこと一切しないで最適な解
を選んでいるわけだと。ま、派生は非常に刹那主義的であるわけだ。
540 :
仇鱒:2005/12/31(土) 09:53:05
>>531 >前から思ってたんですが、Numarationは表示じゃないのですか?
ん?表示の定義にもよるが、表示にはある規則なり制限なりが課
せられないといけない。で、ヌーメレイションであるが、別にここに何か規則
なり制限なりが課せられているわけでもない。ヌーメレイションはようするに
「赤尾の豆単」とか「出る単」みたいなもので、レキシコンをハンディ
にしたものにすぎない。で、もし藻前さんが言うように、もし
ヌーメレイションが表示だとすると、レキシコンは巨大な表示
ということになる。でも、レキシコンは表示ではない。もちろん部門
(コンポーネント)でもない。ようするに、言語システムの中でもレキシコン
ならびにヌーメレイションは非常に異質なのである(これに関してはわしが上
で書いていることを参照されたい)。それはなぜかと言うと、言語システム内で
レキシコンのみが実質的にわしらの現実世界とインタフェイス
をなしているからだ。ただ、ジェネレティブ・レキシコン的な考え方をとれば、
レキシコンならびにヌーメレイションにも表示があるといえなくもない。
というのも、ジェネレティブ・レキシコン的な考えだと、レキシコン内でも生成
プロセスがあり、そしてそこには生成のアウトプットがあり、そこに対して
規則の適用なり何なりが課せられる可能性があるからだ。てか、LCS
ぽいものがまさにレキシコン内における表示だとも言えなくもない。
541 :
仇鱒:2005/12/31(土) 09:54:10
>>533 >このようなあいまいさを排除するために、数理性が必要になるのにゃ。
わしも禿胴。前から何度も言っているように、その曖昧さを出
しているのがいわゆる文法性の判断である。そして、その文法性の判断を
定性的な仮説でフォーマライズしていることもその原因としてあげられる。
また、もっと言うと、根本的な原因として、言語現象そのものに今世紀に
至っても単位が見い出せていないことがあげられよう。音楽における4分音符
とか2分休符といった、そういった定量化した単位が言語学にも絶対必要
なのである。ただ、言うのは簡単だがやるは難しい。言語現象に単位を発明し、
その単位をベースに定量的な仮説を発見するのが今世紀やるべき仕事だとわしは
思っている。
>>534 >お年玉あげまつ
いただきますた。禿しくわろーた。
542 :
仇鱒:2005/12/31(土) 09:55:33
>>535 >文系には一切の真理なんてないとおもいますよ、
ブンケイの真理は発明するもの、理系の真理は発見するもの。
>言語学の成果って根拠が曖昧すぎる。
そのとーり。反例だらけで信憑性の低い仮説をそのままアシュームして議論
ができるのは言語学ぐらいである。
>>536 >理学を記述する「言語」の研究は情報科学で事足るのか?
理学を記述する「言語」は数学。そして、数学を記述する「言語」が自然言語。
で、自然言語を記述する「言語」が**。で、上でも書いたが、この「**」
を探るのが今世紀の理論言語学に課せられた仕事なのである。で、上でも書
いているように、この「**」に必要なのが情報科学であり、言語単位を設定
することである。そして、その言語単位に基づいてまずは言語科学の公理
なるものを設定し、それをスタートに論理学の論理だけでもってバベルの塔を築
けばいいのだ。ま、何度も言うように、言うは易し行うは難し。
543 :
仇鱒:2005/12/31(土) 09:57:27
>>537 >つ ソシュールとかパースとか
ソシュールもパースもあったり前のことしか言っていない。ソシュールや
パースが言っていることを真理とかホザいていると理系の人間からヴァカ
にされる。そーゆーハナシは2ちゃんだけにしとけ。
>>538 >自然的な真理の解明を目指す科学の一分野としての生物学の一分野としての
>心理学の一分野としての言語学つーことで、そこんとこ、よろしく。
そんなことゆーとハードサイエンティストにヴァカにされるから、藻前もそー
ゆーことは2ちゃんでだけホザくよーに。ま、心理学者は認めてくれるだ
ろーが、生物学者は認めちゃくれねぇーよ。世の中藻前が考えているほど甘
くはねぇわ。そんなもんだ。てかな、「宗教学は生成文法の一分野である」と言
われたら藻前どう思うや?それといっしょだ。ははははは。
さて、ほんとに年末の中の年末だ。リアル年末だ。
てか、今日は楽しい大晦日だ。
藻前ら、激しくしまったり逝けYO!
俺に言わせりゃLexiconはLexical Representationsの集合体だよ
誰に言わせてもそうだと今まで思って生きてきたけど。
まー共有のreferenceなしに「表示」って単語の意味に関して、あれは表示だ
これは表示じゃない言うことはあんま実りがないと思うからやめとくが。
重要な問いはEST→GB→MPという変遷の中で起こった変化は、シンタクスの
計算理論という側面にどれだけ根本的なインパクトを与えたのか、ってことか?
俺は本質的には何の変化もないと思うし、やろうと思えばESTチックな
Implimentationを施したMinimalist syntaxってのも簡単に出来る気がする
あと別にハードサイエンティストが俺のことを馬鹿にしようがそれはいいけど、
じゃあハードサイエンティストはとっととハードに言語を料理すれば?って感じ
少なくとも実験やります、という段になったら、世界中のどんなハードサイエンティスト
よりも俺のほうがよい言語刺激のセットを作れるね。
まあチョムのいう煽り文句に真面目に拘泥してるうちはまだ言語学やってないんですよ
理系コンプレックスかなんかしらんけど、ぐだぐだ言わずに自分の仕事やろうよ。
今の言語学ってのは、例えば「味覚の神経メカニズムを知る」という建前上の
目標を掲げつつ、いろんな調味料をどういう風に調合すれば人は「うまい」と
判断するか、ということを調べ続けているようなものだと思うな。味覚の
メカニズムにはさっぱり近づけないけど、とりあえず「うまいもの」
「まずいもの」の作り方は良くわかるようになるよ、それでいいじゃん。
そのノウハウはいずれ絶対役に立つって。
開き直りキター
547 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/31(土) 13:59:23
理系コンプレックス持ってる人なんてまだいいほうだよ。
いいとことりこんで、先に進んでいける可能性があるからね。
問題なのは、文系の世界に閉じこもって、あーだこーだいってる連中だよ。
文芸作品作ってるならそれでもいいかもしれないけど、
言語学はもっと先を目指してるんだろ?
548 :
仇鱒:2005/12/31(土) 16:09:13
を、なんか釣れたな。てか、吊れたな。ははははは。大晦日だからもうちょい書
くかな。
えっと、上で味覚ウンヌンについて書いている香具師がいるからちょいと釣
られる。てか、吊られる。わしの記憶に間違いがなければ、人間はデフォでは
甘味しか感じないようだな。ようするに、苦味とかは後から経験的つーか
後天的に学習しないといけないと。だから、離乳食の時期にいろんなもの食
わせて味覚を学習させてやらないといけないと。ようするに、しょっぱいやら
酸っぱいやら苦いやらを学習させないといけないと。こういうこと考えると味覚
というのも言語といっしょで先天的なものと後天的なものがあり、しかも臨界期
みたいなのがあるようだな。で、結局その後何がおいしいと思うかというのも
一種のパラメータが働いているのかもしれないな。つまり、
しかるべきときにしかるべき刺激(=味)が与えられないとその味が感知
できなくなると。
あと、蛇足だが、前に留学生に日本の食い物についていろいろ聞
いたことがあるのだが、日本のぜんざいとかおしることいったあんこは甘いと感
じないようだな。形容しがたいみたいで、少なくともあんこはsweetではないと
言っていたな。香具師らにとってはsweetはあくまでキャンデーの甘さのことを言
うらしくあんこの甘さはsweetではないと。ま、外国人の場合は「あんこ
パラメータ」がセットされてないのだろうな。外国人にとってのあんこの味
というのは言語学でいうと何に相当するのだろうな。文法性に関
するものじゃないよな。容認可能性に関するものだろうか、、、。まさに
語用論的な問題として処理されるのかな、、、。よく分からないな。あんこの味
は分かるのだから全然知らない外国語には相当しないよな。今まで経験
したことがない刺激ではあるがちゃんと感知できどのような味かは分かると。
しかもseetに近い味であることは分かると。これって、わしらが全然知らない
言語の文を聞いて意味が分かるということに相当してなんか不思議な感
じがする。いや、そういう風に感じるのはわしだけかもしれないが。
549 :
仇鱒:2005/12/31(土) 16:10:10
あと、理系コンプレックスうんぬんであるが、「コンプレックス」と呼
んでいいのか分からないが、わしはいろんなものに対抗心を抱いている。
それこそ理系コンプレックスばかりでなく文系コンプレックスもある。
いろんなものにコンプレックスを抱いている。コンプレックスはストレス
といっしょでほどほどあるのはとてもいい。たくさんあると害になる。
だからみんなほどほど持っている方がわしはいいと思っている。コンプレックス
を持たなくなったらそれこそダメだ。とにかく何に対してもコンプレックス
をほどほど抱くことが大切かと思う。
それと、レキシコンが表示かどうかだが、「表示」の定義によるだろうな。
ただ、言語システムには表示と部門の2つしかなく、おまけに
ジェネラティブ・レキシコンのスタンスをとらなければ、レキシコンは表示
になるだろうな。ただし、レキシコンが言語システムの内部にあればという
大前提でのハナシだが。で、わしは上でも書いているように、レキシコン
はそもそも言語システムとは別のところにあると思っている。ようするに、
外郭団体みたいなもんだ。だから、上の理論的枠組みで言うと、レキシコン
はそもそも表示でもなければ部門でもない。レキシコンはレキシコンだ。ま、
そんなところ。
てなことで、そろそろ大晦日モードにギアチェンジする。まったり逝くぞ、
まったりと!
れっつ・また〜り!
/^、
,--y'"'~"゙´ヽ __ ペッタン
ヽ ´ ∀`゙': | .|
ミ ⊃ .∋―┤ .|
゙., ´''ミ | .|,、 ,,ハ,ハ
ミ ;:' (~ ̄ ):;∀` ';,
'; ,彡 ) ̄ ̄ ̄(;: c .ミ
(/'"゙''"゙''u~" (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)u''゙J"
/^、 /\
,--y'"'~"゙´ヽ\ \
ヽ ´ ∀`/\/)
ミ /)//)ミ ( ( コネコネ
゙., ´''ミ )) ,,ハ,ハ
ミ ;:' ( ⌒ヽ q;∀` ';,
'; ,彡 ) ̄ ̄ ̄(;: c .ミ
(/'"゙''"゙''u~" (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)u''゙J"
しかし今年はK-1もPRIDEもたいして盛り上がらんかったにゃ
間延びし過ぎとゆーか、そろそろ飽きてきた感じにゃ
>>542 >ブンケイの真理は発明するもの、理系の真理は発見するもの。
惜しいにゃ、50点の答案にゃw
科学における真理は全部、人間が勝手にinventしたものに過ぎんのにゃ
あと上でまたデキの悪い理系学生みたいな書き込みがあるにゃが、気が
向いたら来年レスしてやるとするにゃ
ではいい年を迎えたれにゃ>ALL
それにしても、逃走派しゃんは今年ついに一回も登場せんかったにゃ
元気でやっとるんかにゃ
552 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/01(日) 00:19:32
さすが言語学界の重鎮、顔文字先生。
今年もよろしくお願い致します。
553 :
/:2006/01/01(日) 01:19:02
>>543 仇鱒さん、
>>自然的な真理の解明を目指す科学の一分野としての生物学の一分野としての
>>心理学の一分野としての言語学つーことで、そこんとこ、よろしく。
>そんなことゆーとハードサイエンティストにヴァカにされるから、藻前もそー
>ゆーことは2ちゃんでだけホザくよーに。ま、心理学者は認めてくれるだ
>ろーが、生物学者は認めちゃくれねぇーよ。
心理学者にも認めてもらえなくなってきてしまっているのが
現状です。The Linguistic Review 22 (2005), pp. 365-380の、
Fernanda Ferreiraの文章「Psycholinguistics, formal grammars,
and cognitive science」を見てみてください。以下、要旨(の一部)です。
In the 1980s, ....... there was almost unanimous agreement that any
self-respecting psycholinguist would make sure to keep abreast of
major developments in generative grammar, because a competence model
was essential, and the linguistic theory was the proper
description of that competence. But today, many psycholinguists
are disenchanted with generative grammar. One reason is that
the Minimalist Program is difficult to adapt to processing
models. Another is that generative theories appear to rest on
a weak empirical foundation, due to the reliance on informally
gathered grammaticality judgments. What can be done to remedy
the situation? First, .......
Second, syntactic theory should develop a better methodology for
collecting data about whether a sentence is good or bad.
A set of standards for creating examples, testing them
on individuals, analyzing the results, and reporting findings
in published work should be established. If these two ideas
were considered, linguistic developments might once again be
relevant to the psycholinguistic enterprise.
554 :
仇鱒:2006/01/01(日) 10:31:59
あけましたおめでとうござい鱒。ま、今日から2006年、生成も藻前らにも幸
あれだ。ははははは。さて、なんか胃の調子が悪いがちょいとだけ書くかな。
>>551 >科学における真理は全部、人間が勝手にinventしたものに過ぎんのにゃ
まあ、結局はそうなるのではあるが、やはりブンケイの真理と理系の真理には
質的な違いがあるのだ。ブンケイの真理はinvent(というか捏造かw)に近いが、
やはり理系の真理はobserveというかfindするものだとわしは思う。実はわしは
職場で(自分の趣味をかねてw)数学というかパズル的な算数の問題(written in english)
を学生といっしょに解いたりしている。最近はピタゴラスの定理や
素数に関するものをよく扱っている。それで、つくづく思うのだが、やはり数学
などに見られる定理なり何なりはobserveなりfindしているものだと思う。
ぶっちゃけ数学に関してはやはりネ申的なもの(←サムシング・グレイト)
があって、そのネ申が数学の世界を「パーフェクト」につくってくれていると思
うくらいだ。物理でもやはり同じで、わしらの知らないところに既にある真理
をわしら人間が必死になって探しているのだと思う。ようするにinvent
しているのではなくobserveなりfindしているのだと思う。ただ、最近の量子論
とかの世界になると言っちゃーなんだがinventしているフシ
もなきにしもあらずだが(まあ、量子論はほとんどsfの世界だしな)。一方、
言語学をはじめとしたブンケイの真理はいっけんするとobserveなりfind
しているようだが実はものの見事にinventしていると思う。バリヤーズ以降の
生成を見てもそれは一目瞭然だと思う。もっと言うと、科学というのは時空を越
えた普遍性を求めているのであるが、こと自然言語にハナシを限ると本当に時空
を越えた普遍性というのものがはたしてあるのだろうか、と思うときがある。
かりにあったとしても、それは言語学が対象とするものではなくまさに生物学
なり情報科学が対象とするものではないかと思ったりする。
555 :
仇鱒:2006/01/01(日) 10:32:57
>>553@HPSGer
おひさぷりぃん♪情報提供さんくす!ま、Ferreiraの文章を読む限り、わしが昔
から言っていることと何ら変わらんな。やはり頭ん中の海綿体率がそこそこある
香具師はわしやFerreiraのような考えを持つと思うのだよ。もっとストレート
な言い方をすると、GB(80年代)までは行けていたがバリヤーズ以降
はいきなり逝きはじめたと。ミニマリストになってから関連諸科学との連携が強
くなってきたとかホザく香具師がいるが、そんなことはなく、実際はどんどん
自己完結/自己閉鎖的になってきたわけだ。あと、Ferreiraも
言っているように、データの扱いというか仮説構築に必要なデータそのものに
問題があると思う。しょうじき目を疑うというかジャッジした香具師の頭ん中
を疑いたくなるようなデータが少なくない。それとやはり、Ferreiraも
言っているように、方法論を今だからこそしっかり考えないといけない。
これはわしがココでも常々言っていることだ。チョムの脳内文法に対する
問題意識は正しい。ただ、やり方は間違っている。こんなことをずっと続
けていたら心理学からニグレクトされるばかりでなく、しまいには学問全体から
ニグレクトされえない。正直なハナシ、ミニマリストが外部評価を受けたらヘタ
したら生成はあぼんされかねない。ぶっちゃけ、言語学をちゃんと学問として
今後残すためにも理論言語学の方法論というのを今後よーく考える必要があると
思う。惰性というかチョムまんせーで今までのラインを続けていくのは
正直墓場に直行だろう。てか、M哀T界隈の香具師がココをロムっていて少しは考
えを改めてくれればかなり生成のウミは出せると思うのだが、、、。
てなことでこれ↑がわしからの新年のごあいさつだ。ははははは。
ぶっちゃけ数学に関してはやはりネ申的なもの(←サムシング・グレイト)
があって、そのネ申が数学の世界を「パーフェクト」につくってくれていると
これはインテリジェント・デザインとかいうトンデモの一丁目ですね。
|| ||
|| |
|| バッ
∧||∧
(∩ ⌒ヽノ みんな!良い御年をー!
\ _⊃
∪ Σ
≡| ̄ ̄ ̄ ̄|
558 :
仇鱒:2006/01/01(日) 15:50:01
>>556 >これはインテリジェント・デザインとかいうトンデモの一丁目ですね。
いやいや違うのだ。インテリジェント・デザイナーはあくまでキリスト
教原理主義者というかファンダメンタリストが考える進化論における
サムシング・グレイトなのだ。わしが言っているのは進化論のハナシとは別で
数学の真理というか数学の美しさつーか完璧さのハナシをしているのだ。わしら
ホモサピエンスをつくったネ申と数学の美しさをつくったネ申
はもしかしたらいっしょかもしれない。が、いちおうわしは違うと考えている。
ぶっちゃけたハナシ、ホモサピエンスをつくったネ申は自然選択という
ナチュラル・フェノメナであり、数学の美しさをつくったのはもしかしたら
モノホンのネ申かもしれない。ただ、前にも書いたように、自然の美しさの中
には数学的な法則がいろいろ隠されている。藻前らも知っての通り、ひまわりの
種の配列から巻貝の螺旋にまでフィボナッチョ数列が隠れていたりする。
だから、もしかしたらホモサピエンスというか自然そのものをつくったネ申と
数学の美を創造したネ申は同じかもしれない。ま、正直わしは無神論者だが
(とは言うものの、靖国神社に眠る英霊@神の存在は信じるが)数学の美
しさとか動物や植物のデザインのあまりの美しさを見るにつけ
サムシング・グレイト的なものの存在を感じてしまう。意外とわしはネ申に対
する感度がよかったりするのだ。ははははは。感受性ならぬ神受性が強
かったりするのだ。ははははは。
日 ▽ U [] V
≡≡≡≡≡≡≡ ∧ ∧
V ∩ [] 目 .。 (゚ω゚=)
__ ∧∧ ___∪と.__)_正月はヒマネ〜
( ,,) ┴
― / つ―――――――
\(__.ノ
━┳━ ━┳━
 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄┻ ̄ ̄ ̄ ̄
560 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/02(月) 17:30:32
54で,phonological string of wordsってあるけど、これってどう訳すの?
音韻列?
561 :
/:2006/01/02(月) 21:12:18
>>555 仇鱒さん、
>データの扱いというか仮説構築に必要なデータそのものに
>問題があると思う。しょうじき目を疑うというかジャッジした香具師の頭ん中
>を疑いたくなるようなデータが少なくない。それとやはり、Ferreiraも
>言っているように、方法論を今だからこそしっかり考えないといけない。
揚げ足取りみたいで恐縮ですが、Ferreiraは、何も難しい注文をしている
わけではないと思います。「文法性の判断をデータとして使うための方法」
をきちんと整備した方がいいんじゃないですか、と言っているだけだと
思います。具体的には、心理学者がよくやるように、数十人の被験者を
相手にきちんとデータを取り、そうやって得られた結果に、必要があれば
統計的な検定を施す。そういうことを推奨しているに過ぎないと思います。
その程度のことなら、すぐに実行可能です。ジャーナルのレフェリーを
やる人が、データの扱いがいい加減な論文はすべて自動的に却下するように
すればよいのです。
562 :
仇鱒:2006/01/03(火) 08:38:03
>>561@スラッシュ氏
スラッシュ氏というかFerreiraの言う通りだと思うし、わしから別に反論
することもないのだがせっかくレスしてくれたので何か書く。えっと、まず、
心理学ではどんなヴォケ論文でもさすがに被験者が論文執筆者一人
だけであるとか数人ということはまずないと思う。最低でも被験者の数は2桁
あると思うし、扱うデータによって3桁4桁当たり前である。しかも、その被験者
となるのは一般ピーポーであるのが普通である。つまり、心理学においては3桁
ないし4桁の数からなる一般ピーポーの被験者がまずあり、数も多
いのでとられたデータは自ずと統計処理される。したがってそこにデータに対
する客観性というものが得られる。で、もうちょいゆーと、データのとり方一
つにせよ、ちゃんとやり方のフォーマットがありデータのとりかたが一様
である。で、生成の方はどうかというと、被験者は執筆者一人であることもあり
(てか、実験者と被験者が同一人物というのは実は研究マナーに反する)、
普通数人ぐらいだったりする。しかも被験者は一般ピーポーではなく同業者
であったり同じ生成仲間であることが普通。データそのものの数が極めて少
ないからそもそも統計処理なんかできないしする必要もない。となると客観性
も著しく低い。おまけにデータのとりかたもハッキリ言っていい加減で一様
でない。ジャッジの時間が定められているのでなければ口頭で言って口頭で
ジャッジしてもらったり紙に書いて紙に良いか悪いかチェックしてもらったり。
もっというと、文法性を判断してもらっているのか容認性を判断
してもらっているの論文執筆者本人も被験者も分かっていないことがよくある。
563 :
仇鱒:2006/01/03(火) 08:39:03
そんなこんなで論文執筆に必要な、そして最も大事な生データの扱いが非常に粗
いというか恣意的である。これは否めない。で、わしら生成の人間はこれが
普通と思っているのだが、ぶっちゃけ一歩外に出たらこれはホント通用しない。
だからまずはこの辺りを整備する必要があると思う。で、そうなると、結局使
えるデータとしては例のロングマンの文法書にあるようなデータ
になってしまうと思う。でもそれもどうなのかな〜というのも正直ある。ま、
とりあえずそんなところ。あ、それとデータの扱いが悪かったらそれを理由に
論文をリジェクトするとかあったけど、実際問題として生成ではそれは難しいと
思う。スラッシュ氏もレビューアーやったことあると思うけど、データの不備
だけで落とすことはできず、やはりロジカルなエラーであるとか分析
そのものの悪さであるとか、クルーシャルな反例を出すなりまさに客観的な理由
を出さないとリジェクトできない。そういうこともあってデータの問題だけで
リジェクトするのはホント難しいと思う。しょうじきデータが仮に捏象
されていてもハナシのツジツマがあって理論上のコンシクエンスが面白かったら
通ってしまうことがある。それと、わしも国内ならびに国外のジャーナルの
レビューアーを数回だけしたことあるが、海外の某ジャーナルではレビューの
チェックシートが非常にきめ細かいものがあった。正直、それを見て「ああ、
このジャーナルはしっかりしているな。」と思ったりした。他のジャーナル
もこのジャーナルのように(評価ではなく)評価の<基準>を厳しくする必要
があると思う。まあ、最近は外部評価なんていうのが盛んだが、まずは自己評価
をしっかりすべきだと思う。その点生成はこれまで自己評価をかなりいい加減
にしてきたと思う。まあ、ある意味組織ぐるみでなあなあに済
ましてきたところがありわしらにも責任はあるのだが、、、。てか、何度も言
うように、言語学はブンケイと理系を橋渡す学問だと思うので今こそしっかり
方法論を検討すべき時だと思う。
じゃあごちゃごちゃ言わずに「数十人の被験者を相手にきちんとデータを取り、
そうやって得られた結果に、必要があれば統計的な検定を施」せば
いいじゃん。俺は自分のマジ仕事に関してはそれやってるよ。他人が
やらないからってぐだぐだ言ってても始まらない。
でも同時に、それなりに怪しいデータであっても仮説を押し進めて
新しい事実の発見(もしくは、発見の足がかり)を得る、ということの
重要性も考えて欲しいね。そうやって出てきたゴミの山があるからこそ、
それを漁ってモノになりそうなのを見つける、って仕事ができるわけで。
なんつーか、一般的に、「生成はデータの扱いがいいかげんでちゅー、
これでは心理学者に相手にされないでちゅー、経験科学としてなって
ないでちゅー」っていうwhiningはイラつくんだよね。んなこた皆知ってるっての。
じゃあ、お前はどうするの?お前は研究の生産性と厳密性のバランスを
どうやって取ればいいと思うわけ?お前は自分の研究で誰をimpressしたいの?
言語学者?心理学者?数学者?素人?その目標に向けて具体的に何か
努力をしてるわけ?
乱暴にまとめて言えば、社会的責任の無い学生や引きこもりが
やたら天下国家に不満を述べるように、実際の言語学に参画して
なくて外から評論家気分で眺めてる人々は、まあともかく愚痴るね。
それも漠然とした、自分の仕事とは直接関係ない事柄に関してのみ。
いいから自分の仕事やれって。お前が言語学者としてこの分野に
どのように貢献できるか真面目に考えて、実際にそれに向けて
努力すればいい。「LIのreviwerがバカで俺の論文を通さない、こんなに
重要な研究なのに」という愚痴ならいくらでも聞いてやるわ。
566 :
一引き篭もり:2006/01/03(火) 17:41:03
>>564 「何ができるか」「どうすればいいか」を語らんのがそなんに許せんか?
impressやらwhiningやらrantingやら英単語混ぜよるところからして
アメリカ人か、それともアメリカの行動主義にかぶれたやり手の学者か?
567 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/04(水) 00:48:17
>>564 お前の言いたいことはよくわかったから、phonological string of words
をどう訳すのか教えてくれ。
568 :
/:2006/01/04(水) 00:48:30
>>564、
>>565は、私に言ってるんでしょうか。よくわかりませんが、一つ
だけ答えておくと、
>じゃあ、お前はどうするの?お前は研究の生産性と厳密性のバランスを
>どうやって取ればいいと思うわけ?
ジャーナル論文では、原則的に、心理学の世界でも通用するぐらいの
厳密性を確保する。それ以外の場所では、適宜、いい加減なやり方で
済ませる。というぐらいでよいのではないかと思っています。
569 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/04(水) 01:13:24
まともな根拠もないものを
学術研究の成果と称してばらまいてる
言語学にはまったく持ってあきれるよっていう
ことをすなおにいってるだけなんだけどねw
570 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/04(水) 01:15:06
>>564 経験科学では常識とされるデータの扱いを糾すと簡単にキレる。
ま、これが生成文法の言う「言語の科学」とやらのレベルですか。
571 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/04(水) 01:20:47
乱暴にまとめて言えば、実際の言語行為には何の責任も持たずに
象牙の塔の一室に引きこもって、外から評論家気分で眺めてる
言語学者は、まあともかく愚痴るね。
それも漠然とした、実際のきちんとした根拠のある学術研究とは直接関係ない事柄に関してのみ。
いいから、ほかの分野の科学の論文のひとつでも見てみろって。
言語学一般の論文のあまりの根拠のなさに「引く」からさ。
データの扱いがまずいってのは、
たとえば誰のどの論文のどの箇所ですか?
心理学でも通用する厳密性って、具体的にはどんなもんかね?
話の通じない学生が沢山釣れるなー(苦笑
ま、現状言語学のレベルがその程度だってことだよ。
つまり、できの悪い理系学生並みw
心理学w
脳・神経科学に研究領域奪われてるやつか。
577 :
仇鱒:2006/01/04(水) 09:46:22
あー、またアク禁くらった、、、。もうしわけないでつが、こさかなの弟分、
代理カキコミよろしくおながいいたしまつm(_ _)m
を、また荒れてきたな。ははははは。藻前ら、暴走族と同じだな。新年早々
パラパ・パラパラ・パラパラパラ〜♪ってか。ははははは。てか、昨日いつもの
場所に帰ってきますたです。体重2kg増えてますたです。ははははは。
えっと、言語学のデータに関してだが、ま、藻前ら知ってるかどうか知
らないけど、いわゆる「内部観測問題」とゆーのがあるわけだ。別にこれは
言語学だけに関わる問題ではなくて認知科学一般に言える問題だけどな。
ようするに、「内部観測問題」とゆーのは自分の脳みそを自分の脳みそで
チェックできるか、という問題だ。で、これに関しては複雑系が出始めた頃
からいろいろ議論されていると思う。結局どうなったのかわし知らないけど
(藁)。で、ぶっちゃけたハナシ、いわゆる認知科学つーのは方法論すらまだ定
まってないのよ。どうやったら脳の中を知ることができるのかまだみんな
試行錯誤している最中であるわけだ。で、ちょいと前までだったら主流は
「分析のモデル」。つまり、マーの視覚のモデルを手本とした生成の文法モデル
みたいなもんだ。で、90年代からこの「分析のモデル」から「実在のモデル」
に大きくモデルチェンジというかモデルシフトしたわけだ。つまり実際に計算機
などにモデルを構築し、生身の人間の認知活動を疑似体験する中で、いろいろ
ウエット・ウエア(つまり脳)のメカをしろうとしてきたわけだ。ようするに、
分析のモデルという「机上の空論」から「机上の実論」にシフト
してきたわけだ。で、その時に大きな働きを担ってきたのが計算機だ。ま、
学問分野でいうと人工知能なり人工生命を扱う情報科学ないし情報工学系だ。
ま、はやいハナシが脳型コンピュータをつくることにより脳の中を知
るということだ。
578 :
仇鱒:2006/01/04(水) 09:47:38
で、わしは前から言っているように、言語機能を知りたければ言語機能を
シリコン上につくればいいのだ。ようするに、生命のような複雑なものは普通
に考えていたら分からないのだ。で、どうするかとゆーと、わしらヒトがネ申
になって生命なりなんなりつくってやればいいのだ。そうすれば生命の仕組
みなり言語の仕組みが見えてくるというものだ。てなことで、言語機能
について知りたければ計算機上に言語野なりをマジでつくってやればいい(作
るにしても、昨今の人工知能の動きを鑑みると、たぶん生成の知識は必要
とされないであろう)。もっというと、計算機を50ヶぐらいパラレルに並
べて一つの計算機に一つに認知機能を担当させる。その一つが言語システムだ。
で、脳をシミュレートして脳の仕組みを調べる。ま、ようするに、
このようにわしらの脳を頭の外に出し、客観的に脳を見ることにより
内部観測問題をクリアーすると。で、今はこういった実在のモデルをベース
にした研究が社会的にも学問的にも(とくにインターディスプリナリーには)
ウケがよかったりする。で、わしは前から言っているように、生成
はこういった流れに乗れるようにパラダイムシフトするなりモデルチェンジ
しないといけないと言っているわけだ。その意味では生成は認知ぶんぽーを参考
にすべきだし、HPSGやGenerative Lexiconから学ぶべきところは学
ぶべきなのだ。ようするに、生成はこれまで同様ふんぞり返っていたらいつか
野垂れ死ぬぞと。裸の王様もいつか風邪ひいて肺炎になるぞと。
そんなところだ。
さて、わしはもう今日から失禁だ。今年もがんがん働いてやるぞっ!ゴルァ!
こさかなの弟分、どうもありがとうございますでつm(_ _)m
生成統語論から離れますが、
生成音韻論には、たとえばiの前でsを∫にする口蓋化という
「規則」(統語論の変形にたぶん相当するもの)があります。
これってデータの厳密性から導けるものですか?
または、 processing に応用できるもんですか?
データの厳密性から導けない、またはプロセシングに使えない、
あるいはその両方、ということになったら、
この口蓋化規則は言語研究から排除されるべきものなんですか?
厨な質問ですみません。どなたかマジレスお願いします
583 :
503:2006/01/04(水) 20:33:07
>>571 えらい勢いだな。
> いいから、ほかの分野の科学の論文のひとつでも見てみろって。
> 言語学一般の論文のあまりの根拠のなさに「引く」からさ。
「ほかの分野の科学の論文」と同じような「根拠」のある論文は、言語学では本質的に書けないよ。
例えば、ニュートンの時代も現代も、自然は全くと言っていいほど変わっていない (地球温暖化の問題などはあるが)。
他方、シェイクスピアの英語は、現代人には慣れないとわからない。
584 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/04(水) 21:09:39
え?
585 :
仇鱒:2006/01/05(木) 07:01:03
なんか正月ヴォケしたカキコばっかだからちょいと釣られてやるわ。えっ
と、
>>503に釣られてやる。てか、
>>503って誰かと思ったら岸壁の親爺じゃ
ねぇーか。ははははは。今年もひとつよろしゅーごじゃりまする。てか、岸壁の
親爺は専門何なのだ?専門教えてくれないか?じゃないと、どこまでこっちが
語っていいか分からないところがある。ま、それはコッチにおいとて、軽くだが
レスする。
>「ほかの分野の科学の論文」と同じような「根拠」のある論文は、
>言語学では本質的に書けないよ。
えっと、生成の論文が根拠薄弱である理由はやはり方法論にある。この辺
りのことは拙著に詳しく書いてあるのでそっちを見てもらいたいのだが、
一言二言でサマライズしてみよう。えっと、まず、生成は統語的な現象を
統語的な概念で説明しようとしているのであるが、これをするからどうしても
議論がサーキュレイトしてしまうのだ。統語的な現象を意味的な概念ないし
認知的な概念で説明するのならば議論のサーキュレイションは避けられる。
そういった意味でも、機能ぶんぽーや認知ぶんぽーは生成ほどには議論の
サーキュレイションは感じないし起きていない。そこにわしは機能ぶんぽーや
認知ぶんぽーに魅力を感じるのだ。ハッキリ言うと、統語的な現象を統語的な
概念では説明はできないのだ。できるのは記述だけなのだ。説明しようと
思ったらその時点で言語学ではなくなってしまうのだ。で、チョムは分
かってるのかヴォケているのか知らないが、それでいいと言っているわけだ。
つまり、ビヨンド・イクスプラナートリー・アーディクワシーだとア
ジってるわけだ。
586 :
仇鱒:2006/01/05(木) 07:01:51
ま、それはよしとして、生成と同じような問題を抱えているのにも関わらず見事
その問題をクリアーしている学問がある。それが数学だ。わしに言わせたら
言語学というのは数学の一種というか亜種である。数学も数学独自
のことばでもって数学という世界を書き表しているのだ。でも、どういうわけか
数学では生成のような議論のサーキュレイションがそんなに見られない。
それはなぜかと言うと、数学は言語学とは違ってノンエンピリカル・サイエンス
であり、公理がしっかりしているからだ。ようするに、公理がまずあって
数学独自の世界の中で論理だけで議論が展開するからだ。一方生成には公理
がないのだ。というかいまだに公理を探しているのだ。公理が何も定
まらないのに議論なんかそもそもできないのだ。で、議論したと思えば、
仮説設定に必要なインプットと仮説から演繹的に得られるアウトプットが同
じであったりする。ようするに議論がサーキュレイトしてしまったりしている。
理論にとって仮説は肝心要であるのだが、その仮説がロバストでないのだ。
つまり根拠薄弱でウィークであるのだ。理系のガッコウでお仕事
しているとこのことが痛いほど分かる。で、この問題を根本的に解決しようと
思ったら次の3つにリゾートするしかないのだ。
(1)言語学を非経験科学にしてしまう。
(2)機能ぶんぽーや認知ぶんぽーのように説明の道具立てを他の科学から貸
してもらう。
(3)公理をしっかり定め、そこからブロックを積み重ねていくように地道な
推論だけをしていく。
てか、生成のグルであるチョムがこういったことをもっとシリアスに考
えてくれればいいのだよ。香具師が一声かければそのアジに踊るヴァカが世界
には何千人といるんだからな。てか、チョムは藻前らが考えているほど頭
よくねぇわ。勉強できて知識はあるだろうけど頭はたいしてよくねぇ。たんなる
アタマでっかちのヒダリ巻き男ちゃん。てなところだが、岸壁の親爺の専門
はなんぞや?
てか、アク禁解除されますた。こさかなの弟分、昨日はどもでつ(ぺこりん
ちょっと自スレにゆきづまって、こっちにきますたにゃ。
>客観的に脳を見ることにより内部観測問題をクリアーすると
おぉ!!便宜上というか、現実的にややこしい心脳問題(その他世界内存在的問題)は回避するという方針は、
むこうのスレでも書いてるにゃ。それに、コンピュータを操作のいちぶに活用できる領域の人間は、
実質的に科学者人生が10000000000倍くらいのびているのに対して、
そうでない人間は、じつに早く人生のはかなさを知ることになるにゃ…
えーと、よく読んでも「表示」がナンなのかさっぱりわかりまへん。
まず赤恥になる要因のひとつは、計算実体のない計算の<量>で悩んでいることにゃ。
2,3年前に書いた「人体足し算」にたとえると、まず人体という<全体と部分>の構造的知識をわきまえたうえで、
それを部分に分割して、
(轢断死体のようにムチャクチャな分解ではなく、体節構造にしたがったじつに予定通りの部分分割)
なぜオートマチックに人体が構成されるか考察するという茶番をやってるのがCHLにゃ。
numerationに3本の腕がはいっていたら、その人体はill-formedになるけれど、じつに不毛な議論。
わたしは、最初から(入れ子構造を許容する)関数のかたちになっているとするのがいちばん自然だと思うにゃ。
その一般式を、つまり基底生成といわれているものの一般式を構成するのにゃ。
(愚直にやると、動詞G(項)(項)(動詞F[項])みたいになるけど、実装的観点
からしてもこっとのほうが有望にみえるにゃー。)
無構造から、たかだか2つの操作で、っつーのはムリ。
せいぜい、多少かきまぜのある「しりとり連鎖」くらいしかできないと、そういうふうに一般には理解されるのではないかにゃ。
ま、むちゃくちゃ書いたから、あらさがしでもしてちょ、にゃ。
とりあえず、今年もよろしく>仇へーか
>>587 その「人体足し算」のたとえは、たしかにCHLを非常に滑稽に見せますね。
ところで「遺伝子足し算」のような例え方じゃだめなのでしょうか。
遺伝子がこれこれに組み合わさっていればこれこれの構造が構築される。
遺伝子がそれそれに組み合わさっていればそれそれのill-formedな構造が構築される。
この例えならそんなに不毛とも思えませんがこのたとえはまずいですか?
>>589 基本的にすばらしい。どうも雑文を理解してくれてありがとにゃ。
つまり、ほんらいパーシングから与えられる情報や素性を、統語計算に、
あたかもそもそも付与されているかのように議論するから循環がおこるのであって、
(仇へーかの玉文を参照)
遺伝子相当の、<外部>の情報ソースがあれば、循環は回避されるのにゃ。
それと同時に、生成される構造は、言語とよんでもいいし、そうでなくてもいいにゃ。
ひょっとしたら音楽構造であったかもしれない、ということにゃ。
<解釈>のほうから、対象を構成してはならないというのは、循環にならないために非常に重要なことで、
たとえば赤の知覚が生じるのは、刺激にそもそも<赤素性>があるからだ、というのは、
情報処理による結果を原因に転嫁したインチキ論法で、視覚認知はこのようなことをおこなっていない。
以上の文は、言語学の物理主義が失敗したことをあまり考慮にいれていない、あまり上等とはいえない議論ではあるが、
「いいたいこと」はなんとなく伝わると思う。ではまたにゃん。
591 :
仇鱒:2006/01/05(木) 18:05:19
あ”ー、5日だというのにもう猛烈に忙しい、、、。
新年早々から思いやられるな、、、orz
てなことだがドラフト1缶開けてちょいと気分いいからちょいとだけ書く。
>>588 >とりあえず、今年もよろしく>仇へーか
こちらこそよろしゅーございまふ、虚無ちょーかん(ぺこりん
>>587 >実質的に科学者人生が10000000000倍くらいのびているのに対して、
実際そうである。ぶっちゃけ、個人レベルはともかく、学問レベルでも計算機と
接点をもたないものは淘汰されるのではないかとわしは思っている。その意味
では計算機は強力な淘汰圧として働いていると思う。正直なところ、くだらん
ガクモンでも計算機とリンクしたがためにくだる学問になったりしている。その
意味でもやはり生成はもっと情報科学や情報工学と接点をもつべきだと思う。
592 :
仇鱒:2006/01/05(木) 18:06:46
>計算実体のない計算の<量>で悩んでいることにゃ。
これ↑とちょっと関係があるかもしれないからちょっとだけ書く。えっと、
0,1,2、3と整数があるとしよう。で、わしらは1と2の差 (difference)
ないし2と3の差は0と1の差と同じだと考えている。でもよく考えたら違
うのだ。量(quantity)ではなく質 (quality)を考慮すると全然違うのだ。
たしかに差という量だけを考えるとどれも同じである。でも質を考えると、1
と2の差ないし2と3の差は0 と1の差とはまったく違うのだ。というのも、
前者(=1と2の差ないし2と3の差)は有から有への増加なのに対して、後者
(=0と1の差)は無から有へ の増加というか変化なのである。いや、変化
なんていうぬるいもんではなく相変化とも言っていい。何もないところから
モノが出現するのだから。ようする に、質でいったら、1と2の差ないし2と3
の差は0と1の差と天と地ほどのの差があるのだ。で、わしは何を言
いたいのかと言うと、数学というのは量しか 扱ってはいけないということだ。
質を扱ってはいけないのだ。質を考慮し出したら計算
できなくなってしまうのだ。で、質を考慮するとどうなるかというと、 いきなり
数学から哲学のハナシになってしまうのだ。同じ事が言語にも言えるわけだ。
言語学もできれば言語の量だけを扱いたいのだ。でも言語には意味がど
うしてもあるために質もどうしても考えてしまうわけだ。いわゆる文法性なり
容認可能性というのをどうしても考えてしまうわけだ。そんなこんなで言語学は
完全に数学化(つまり定量化)することができないのだ。そういうこともあり、
ちょいと前に虚無ちょーかんと議論したように、言語の完全な<意味抜き>と
いうのは非常にむずーなのだ。で、この<意味抜き>
をやるとどうなるかというと、たぶん音楽になるのだ。つまり、普遍文法から
<意味抜き>したものが普 遍音楽なのだ。だから究極のミニマリストというか
形式言語学は自然音楽であり普遍音楽の研究になるのだ。
>言語の完全な<意味抜き>というのは非常にむずーなのだ。
意味を持たない単語、「空義語」を定義すればいいのでは?
594 :
仇鱒:2006/01/06(金) 06:57:36
>>593 >意味を持たない単語、「空義語」を定義すればいいのでは?
ん?定義の問題か?ちょいと違うと思うぞ。今わしが問題にしているのは、今
ある自然言語から<意味抜き>できるかを問題にしているわけだ。で、せっかく
レスしてくれたからもうちょい何か書いてやる。えっと、昨日わしが書
いたように、自然言語から<意味抜き>したものがおそらく自然音楽なのだ。
では、自然言語から<形式抜き>したのは何だろうか。それは、おそらく動物の
ゲンゴなのだ。つまり、シンタクスなしの意味だけの
コミュニケーションツール、それがおそらく動物のゲンゴなのだ。となると、
ヒトの言語というのは、動物のゲンゴに自然音楽がドッキング
したものになる。式で書くと次のようになる。
(1)ヒトの言語=動物のゲンゴ+自然音楽
(2)動物のゲンゴ=ヒトの言語ー自然音楽
(3)自然音楽=ヒトの言語ー動物のゲンゴ
つまり、動物のゲンゴが突然変異で自然音楽(というか普遍音楽)をゲット
して、それでヒトの言語に相変化したのだ。だから、言語の系統発生をマジ
でやろうと思ったら、わしが何度も言うように、自然音楽の系統発生
をやらなければいけないのだ。数機能の系統発生についてあーだこーだ
言っていてもしゃーないのだ。チョム@痴識人のアジやら独り言をシリアスに考
えたって先がないのだ。てか、先日もチョムまんせーのヴァカ本を本屋で立ち読
みしていてゲラゲラ笑ってしまった。チョムが知識人ナンバー1に選
ばれるようじゃ人類はあと100年もたないな。いや、マジで。それにしても
最近ヴァカが増えてきたな、言いたかないが。どいつもこいつも頭ん中膿
んでるんじゃねーか、ったく。
そんなこんなで次↓の本買って読んでみようかと思っている。>虚無ちょーかん
ttp://www.kadokawa.co.jp/book/bk_search.php?pcd=200207000198 つーか、れいんぼう@ミュンヘン最高!てか、正月ヴォケしてる藻前ら、でぃー
ぷ・ぱーぷるかれいんぼうのcdでも聞いてシャキッ!とせんかい、シャキッ!と。
ろんぐ・りぃ〜う゛・ろっくん・ろ〜る♪
「自然音楽」ってなによ
川のせせらぎの録音とかか
596 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/06(金) 15:41:56
ゆらぎのこと
すべての要素は、ゆらぎから生まれた
597 :
仇鱒:2006/01/06(金) 22:24:07
今お帰りだよ。ったく、クソ忙しいぜ。一風呂浴びる前にちょっとだけレス
する。
>>595 >「自然音楽」ってなによ
前にどっかに書いたけど探すのまんどくさいからもう一度簡単に述べよう。
えっと、わしら生成の人間は言語は言語でも人工言語ではなく自然言語を研究
の対 象にしているわけだ。ようするに、言語には人工言語と自然言語の2つの
タイプがあるわけだ。で、同じように音楽にも自然音楽と人工音楽の2種類
があると わしは思っているのだ。たとえば、わしらが知っている
「ドレミファソラシド」(つまり「C D E F G A B C」)という音階は、
おそらく人工音楽の音階だと思うのだ。ようするに、自然発生した音階
ではなくわしら文明人が人工的に作ったものだと思うのだ。で、 この人工音楽の
音階に対するものとして、自然発生した音階
のようなものがあるのではないかとわしは思っているわけだ。で、その自然発生
した音階からなる音楽を自然音楽とわしは呼んでいるわけだ。で、自然言語の
系統発生を考えるなら、それと平行して自然音楽の系統発生も考える必要
があるのではないかとわしは言っているわけだ。そーゆーわけだ。あ、参考
までに言っておくと、実はわしらのしゃべっている言語は完全な自然言語
ではない。というのも、土星やミジンコなんかと違って、わしらと独立しては
存在しえないものだから。つまり、自然言語というのは、認知主体
であるわしら人がいて初めて存在しうるものなのである。その意味では完全な
自然物ではない。疑似自然物というかミディアム・ナチュラル・オブジェクト
と言えよう。そういうこともあって、実はわしら がしゃべっている言語は完全に
自然科学の方法では対処できないのだ。すなわち上でちょいと書いた
内部観測問題のようなものが発生してしまうのだ。ま、とりあえずそんなところだ。
>>596 >すべての要素は、ゆらぎから生まれた
くだらんことぬかすな!わしはおかんのマタから生まれたわい!ゴルァ!!
>>597 電波だしてんなあオイ
>で、 この人工音楽の
>音階に対するものとして、自然発生した音階
>のようなものがあるのではないかとわしは思っているわけだ。
せめて具体例挙げて語って。ほんでこの自然発生した音階とやらは
自然言語に対応するほどに組織だっていたり、共同体において共有の
認識を受けていたり、世代を通じて受け継がれたりするわけなんですよね当然。
だって系統発生すら考えられるんでしょ。何?
599 :
仇鱒:2006/01/07(土) 08:13:13
2日酔いで頭グワングワン♪しているわ。イタタ。
>>598 あのなー、メンタル・オーガン(つまりメタフィジカルな「モノ」)の進化論
なんて本質的にデムパなんだよ。そーゆーこと分かった上でわしはハナシ
をしているのだ。ま、そうは言うものの、チョムの数機能絡みのハナシ
よりはわしの音楽機能絡みのハナシの方がずっと電波は弱いと思うがな。
ははははは。でだ、なんでわしが上のようなことを書いているかというと、
ひとつに岡之谷氏の言語の系統発生のハナシがあるわけだ。つまり同氏は、
自然言語はシンタクスとセマンティクスが独立して発生して、その後ドッキング
したと。で、そのドッキングしたのが自然言語つーか言語機能だと。最初
わしは、それは考えられないと思っていた。というのも、自然言語つーのは
シニフェとシニファンが癒着していて、それを切り離すのは無茶だと
思っていたからだ。でも、考えようによってはそれも可能だと思われたのだ。
その「考えよう」というのが上で書いた次↓のような式(というか考え方)だ。
(1)ヒトの言語=動物のゲンゴ+自然音楽
つまり、これは次のようにパラフレーズできるわけだ。
(2)ヒトの言語=<形式抜き>システム+<意味抜き>システム
もっとパラフレーズすると次↓のようになる。
(3)ヒトの言語=セマンティクス+シンタクス
さらにもっとパラフレーズすると次↓のようになる。
(4)ヒトの言語=言語機能+言語形式
と、まあ、こういうストーリーを考えれば岡之谷氏の考えもあながち間
違っていないのではないかと。いや、もしかしたら間
違っているかもしれないが。
600 :
仇鱒:2006/01/07(土) 08:13:53
で、もしこのラインで自然言語の系統発生を考えていくのであれば、自然言語
という概念をまずは明確にする必要があるわけだ。今はまだ概念付けをしている
レベルで、具体的なハナシができるレベルではない。ただ、今度 ○善から出る
事典(刊行遅れて12月頃になる予定)では「自然音楽」の発生のような
ハナシも扱っている。まだゲラを読んでいないが、民族音楽と絡めて、おそらく
「自然音楽」について何か語られているかと思う。まあ、もし興味あったら読
んでみてくれ。ということで、顔餅、ゲラ出し送れるから夏
までゆっくりしてくれ。ま、それはいいとして、自然音楽が自然言語ぐらい組織
だっているかという質問だが、それは十分考えられると思う。音階という
「ミクロ」なところだと見えにくいが、もうちょい「マクロ」なレベルで考
えたら、自然音楽も十分組織化していると言える。というのも、小鳥の
「ゲンゴ」にはいわゆるコード進行に相当するものがあるからだ。で、この
コード進行は共同体でちゃんと共有されているし、世代を通じて受け継
がれている。ま、とりあえずそんなところだ。
>あのなー、メンタル・オーガン(つまりメタフィジカルな「モノ」)の進化論
>なんて本質的にデムパなんだよ。そーゆーこと分かった上でわしはハナシ
>をしているのだ。
そんな詭弁はどうでもいい。こっちは単に何が「自然音楽」で何が「人工音楽」
なのか具体例を挙げて語って欲しいだけだ。
民謡は?
演歌は?
ビートルズは?
オペラは?
モーツァルトは?
ケチャは?
ヒップホップは?
和太鼓は?
ドラムンベースは?
鹿威し(日本庭園のかこーんってやつ)は?
鳥の歌声は?
川のせせらぎは?
コーネリアスが水音をサンプリングして作った曲は?
「自然音楽」と「人工音楽」を分ける明示的な基準は何?もすこしいうと「音楽」の定義は?
602 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/07(土) 17:19:39
自然音楽とは、音の発信者が、音(記号)に情報を乗せてないもの
または、ノイズ
603 :
仇鱒:2006/01/07(土) 17:53:18
>>601 き、き、詭弁か、、、。詭弁とは違うと思うけどな。ま、そんなことはええわ。
で、いろいろ例をリストアップしてくれたのだけど、そもそもわしだって何
をもって「自然音楽」と「人工音楽」を区別していいのか分からないのだ。
もっと言うと何をもって「音楽」としていいのかも分からないのだ。で、
これで終わっちゃうと身も蓋もないのでもうちょいと語るが、えっと、そもそも
「自然言語」と「人工言語」の区別って何だろうな。ま、シンプルでかつ
ストレイトフォワードなものだと、「何の苦労もなくマスターできる言語」
ということになるわな。自然言語つーか母語はわしら全然苦労しないでマスター
できたけど、人工言語であるプログラミング言語であるとか究極の人工言語
である数式なんかはかなり苦労しないとマスターできないからな。で、
とりあえず「自然」というのを「何の苦労もなくマスター(理解)できるもの」
というように定義してみようか。そうなると、たぶん、藻前
さんがあげてくれた例のうち、「鹿威し」と「鳥の歌声」と「川のせせらぎ」
意外のものは全部自然音楽になってしまうと思うのだよ。というのも、どの
ジャンルの音楽もとくに訓練しなくても(マスターというよりも)理解
できるからな。つまり、「あ〜、これは音楽の一種だな」と分かるからな。
となると、音楽には自然音楽しかなく人工音楽はないことになってしまう。で、
これはまたなんか直観に反すると思うのだ。やはり音楽にも、言語に自然言語と
人工言語があるように、自然音楽と人工音楽があると思うのだ。で、もっと
困ったことに、藻前さんがあげてくれた例のほとんどが人工音楽でなく自然音楽
になってしまうのだ。で、これもやはり直観に反すると思うのだ。というのも、
「民謡」にせよ「演歌」にせよ「でぃーぷ・ぱーぷるの曲」にせよ、
全部人工音楽の部類に入ると思うからな。ま、もしかしたら定義が悪
いのかもしれないけどな。
604 :
仇鱒:2006/01/07(土) 17:53:59
でもな、わしも前にココで書いたかと思うが、少なくとも岡之谷氏の研究は
自然言語の系統発生の研究ではなく自然音楽の系統発生の研究なのだよ。これは
学会でわしと議論して岡之谷氏自身も認めた。で、わしは、岡之谷氏の研究
はあくまでも自然音楽の系統発生の研究であるから、自然音楽と自然言語を結
びつけているミッシングリンクを見つけるのが今後の研究課題だと思っている。
そういった意味でも、やはり自然音楽というのは今後のキーコンセプト
になるとわしは思っているのだ。ま、単なるわしのマイ・ブーム
なのかもしれないがな。ははははは。ま、いずれにせよ、定義の問題もあるが、
自然音楽という<概念>は大事だとわしは思っている。実際問題、言語どうよう
純粋に音楽を楽しむことができるのは人間ぐらいではなかろうか。トリのピ〜ピ
〜♪は「音楽もどきゲンゴ」あるいは「ゲンゴもどき音楽」であって、わしら
人間が日常楽しんでいるような音楽とはレベルが違うと思う。ようするに、
言語と音楽を操作し楽しむことができる生き物、それがヒトではなかろうか。
となれば、言語と音楽は絶対どっかでリンクしていると思うのだよ、わしは。
つーか、ヒトには先天的に言語ならびに音楽を操り楽しむ「本能」があると思
うのだよ。で、人類がいつ言語機能をゲットしたのかを論じると共に人類がいつ
音楽機能をゲットしたのかを研究するのが大事ではないかとわしは
思っているわけだ。
605 :
仇鱒:2006/01/07(土) 17:54:43
あとな、自然言語といったら原則 書き言葉ではなく話し言葉だ。で、話し言葉
というと「話す」ことと「聞く」ことが大事だ。で、音楽も原則「話す(歌
う)」ことと「聞く(聴く)」ことが大事だ。言語と音楽にはこんなところにも
接点があるのだ。それとな、これは大事なことだと思うのだが、自然言語には
ピッチアクセントとストレスアクセントがあるわな。なんでピッチとかストレス
なんかがあるのだ?なくてもいいではないか。でもどういうわけか自然言語には
ピッチかアクセントがついてくるのだ。これはやはり自然言語の中に音楽性が隠
れているからだと思うのだ。ピッチとかアクセントというのは、わしに言
わせたら、自然言語が内在している音楽性の名残であるのだよ。ま、
そんなこんなでわし的には言語と音楽は切っても切れない関係にあるのだよ。
とりあえずこんなところじゃい。
>>602 ということは逆に言うと、人工音楽とはシグナルということになるのか?う〜
ん、ちょっと違うような希ガス。
さて、一杯やってくっかな〜。今日は久しぶりに一日うちにいた。それにしても
外寒いな〜。新潟とか大変なんだろうな〜。ま、雪国にいる香具師や、雪下
ろしとか気を付けろよ。むちゃすんなよ!
>もすこしいうと「音楽」の定義は?
これは分かっとるだろうに
>>601で例示しているではないか。
しゃ…しゃぶい。自然音階/人工音階ならわりとらくに定義できるけど、
もうなんども書いてるから、やめておくにゃ。
わたしの感触では、音楽はcirculation、言語はreccurenceで、どちらも「循環」になるけど、
前者の循環は、「しりとり」が最初につながるような循環であって(りんご→ごきぶり)、
あまり構造的なものとはいえない、というかんじ。
音楽と言語の共通コンポーネントみたいなものには、わたしはかなり消極的にゃ。
自スレで、わたしはあまり人口/自然の厳格な二分化には反対する旨を書いたにゃ。
たとえば大母音推移はいわゆる「自然現象」ではないが、現行の母音体系が「人工的」というのは抵抗があるにゃ。
音楽の多様性も、それといくぶん似て人工的・制度的とも自然的ともいいがたいのにゃ。
わたしは、仇へーかとちがって、この問題について生物学的視点はほとんど重要でないか、
または時期尚早だと思っているので、人口/自然の区別の理解も、
そうとうへだたりがあるように思うにゃ。
「音楽」の語を比ゆ的に用いるのならば、(たとえば、無意味な単位と生成規則の集合からなる、とか)
もう少し厳密な定義が必要なように思える。
あまり構造的なものとはいえない
↓
あまり階層構造的なものとはいえない
しゃぶい、しゃぶい…
>そもそもわしだって何
>をもって「自然音楽」と「人工音楽」を区別していいのか分からないのだ。
わ か っ て な か っ た の か
そんなら最初から言っとけ。
あれじゃないの、日本人が自然の音を言語音として認識するって言うような…違う?
音階も音素もつながりのある物をブツブツと範囲決めて切り出して使ってるだけのような。
611 :
仇鱒:2006/01/08(日) 06:54:58
>>607と
>>608 >「しりとり」が最初につながるような循環であって(りんご→ごきぶり)、
>あまり階層構造的なものとはいえない 、というかんじ。
たしかに「階層性」というところに目を付けると、虚無ちょーかんの言
うように、言語と音楽には大きな隔たりがあると思う。虚無ちょーかんの言
うように、言語に見られる階層性(とくにX'式型的なもの)は音楽には見
られないと思う(たぶんそれは、音楽には範疇に相当するものがないから)。
が、わしとしては、音楽に内在するある階層性というかcirculationに注目
したい。それは、小節という単位である。ちなみに生成でいうsmall clause
のことじゃないから。ようするに、音楽では、各小節が何拍子で閉じるかが
原則決まっているわけだ。4拍子なら原則4拍子で始まって最後まで4拍子が
続く。つまり、ここにわしは「階層性」の原型を見る思いがするのだ。
たぶんだが、自発的に歌を歌うような環境を赤ちゃんというか子供が与
えられたら、子供はやはり拍数の一定した歌を自作して歌
うのではなかろうか。分からないが、、、。
612 :
仇鱒:2006/01/08(日) 06:55:54
で、今は音楽の「階層性」
についてちょいと語ったのであるが、構造性についてもちょこっとだけ触
れておこう。音楽の構造というか、音楽と言語の構造面の類似性については
ジャケンドフがよく本の中で語っている。いわゆる音符同士がくっついて節が
出来上がり、今度は節がくっついて曲ができあがると。ま、ようするに、語
がくっついて句ができあがり、句がくっついて文
ができあがるのといっしょだと。これはある意味アナロジーだとわしは
思っている。で、わしはギターを長いことやっていて(←30年以上)よく思
うのだが、ギターなんかの場合、音楽にはモロに形(すなわち構造)
があるのが感じられるのだ。いわゆるスケールとかコードをイメージ
してもらいたいのだが、ギターなんかやっていると、音の配列が目で見て一発
で分かるのだ。これは鍵盤とはちょっと違うと思う。ようするに、音の構造が
聴覚のレベルでなく視覚のレベルで確認できるのだ。まあ、こんな身近
なところから、わしは音楽の「構造性」というのも感じたりする。ま、この辺
りのことも拙著でちらっと書いているが、そんなこんなで、わし的には音楽に
十分「階層性」と「構造性」を感じることができたりする。
613 :
仇鱒:2006/01/08(日) 06:56:49
で、昨日ちょいとストレスアクセントとピッチアクセントについて触れたので、
もうちょい音楽と絡めて書いてみたい。ま、ストレスアクセント言語というと
英語があるわけだ。一方、ピッチアクセントというと日本語があるわけだ。で、
ここで思い出してもらいたいのだが、英語には弱強5歩格なんつーのがある。
一方、日本語には5−7−5調なんつーのがある。わし的には、この弱強5
歩格と5−7−5調なんかは、まさに言語に内在する音楽性の表れではないかと
思っている。つまり、言語に内在する音楽性に惹かれて弱強5歩格とか5−7−
5調が生まれたのではないかと思っている。で、もうちょいゆーと、
ストレスアクセントの言語は弱強5歩格とは相性がいいけど5−7−5調とは
相性が悪い。その一方、ピッチアクセントの言語は5−7−5調とは相性
がいいけど弱強5歩格とは相性が悪い。これは、各個別言語に内在する
個別音楽性が何らかの形で表出したものではないかとわしは思っている。
614 :
仇鱒:2006/01/08(日) 06:57:59
で、もうちょいゆーと、いわゆるラップ音楽というのがあるが、あれはあきら
かにストレスアクセント言語のリズムである。だから英語なんかとは相性がいい。
てか、わしに言わせるとラップなんかネオ弱強5歩格である。ははははは。
だから、日本人が日本語の歌をラップで歌うと笑ってしまうのだ。ゲラゲラ♪
である。言いたかないけど、日本人が日本語でラップをやるのは完全にネタの
域だ。やめとけって。ハッキリゆって、あれは音楽と言語に対する冒涜である。
で、一方、我が日本の音楽の代表というと演歌がある。演歌はハッキリゆって
ピッチアクセント言語の音楽である。だから日本語なんかとは相性がいい。
たぶんだが、アメリカ人が英語の歌を演歌調で歌ったら歌えないのではないか。
ま、ようするに、言語にはその内在的特性として何らかの形で音楽性というのを
持っているのだ。それは、たぶんだが、進化のある段階で、言語の持つ階層性と
構造性の発展のために、音楽が何らかの形でコミットしたからだとわしは思
うのだ。で、どの面でコミットしたかというと、上でわしが何度も
言っているように、言語のシンタクスの面である。つまり、形式の面である。
というのも、わしに言わせると、音楽というのは<意味抜き>システム
だからだ。つまり、ピュアなシンタクスだからだ。だからこそ、音楽は言語の
階層面と構造面で接点を持っているのだ。
615 :
仇鱒:2006/01/08(日) 06:58:56
>>609 いずれハッキリさせるからそれまで黙ってまっとけ!このボンズが!!
>>610 >日本人が自然の音を言語音として認識するって言うような…違う?
ちょっと似ている鴨しれない。で、せっかくだからちょいと釣られてやると、
生後間もない赤ちゃんでも、人間の音と他の生活音とは区別らしいよな。同
じように、音楽というかメロディーも、他の生活音とちゃんと区別して聞き分
けることができるとわしは思うのだよ。もしそうなら(てか、たぶんそうだと思
うが)、ヒトは先天的に(つまりDNAレベルで)言語と音楽を操
るようにできていると思うのだ。で、その先天的能力がダイレクトに関与
したものがそれぞれ自然言語であり自然音楽であるとわしは思う。というか、今
のところそのように「自然言語」と「自然音楽」は定義できると思う。まだいい
加減だけど。
てか、虚無ちょーかんと対等に話せるようにわしもまた楽典べんきょー
してみっかな、、、。たぶんやらないけど。ははははは。つーか、わしもガキの
頃鍵盤やっとけばよかった、、、。いきなりギターから入ったというか、
いきなりタブ譜から入ったから音楽の基礎がじぇんじぇんできてない、、、orz
てか、しゃぶい、、、。ストーブつけても部屋じぇんじぇんあったまらん。
しゃぶっ♪
616 :
学生:2006/01/08(日) 23:56:16
新参者の分際で申し訳ないのですが、
束縛現象について質問があります。
(正) Jane(1) believed herself(1) to be the most beautiful woman.
(誤) Jane(1) believed that herself(1) was the most beautiful woman.
(誤)のherselfが間違いなのはわかるのですが、
その理由は「herselfは主語にならない」というものなので、
束縛現象という理論からの理由ではありません。
どなたか、何故(誤)の文が束縛理論として間違いなのか
説明してくださいませんか?
↑君ね、統率範疇の定義の勉強を一からはじめなさい。
Jackendoffによる言語と音楽の類似性の話は、根本的なところで誤りがあるので、
あんなの真に受けちゃいけないよ。奴は結局ただのクラリネット吹きさ。
言語と音楽との異同については、大昔から色々な研究があってさ、そうした研究
をきちんと押さえておかずに、あれこれ言っている言語学者や心理学者って、は
っきり言ってhorse 'n deer としか言いようネーナ、ワキ毛ぼーぼー。
618 :
仇鱒:2006/01/09(月) 06:59:26
>>616 主語に-self形がきた束縛現象を処理するには、i-ウィズン-i コンデチョン
とゆーのを押さえないといけない。まずは、i-ウィズン-i コンデチョンとはどー
ゆーものか調べること。そうすると、アクセサビリィティつーのが出てきて、
そこから芋蔓式にBT-コンバティビリィティというネオ束縛条件というのが出
てくる。そうしたら、そのBT-コンバティビリティとゆーのがどーゆー
ものかよく調べてみること。そうすると、「うっそ〜、束縛現象って単なる
後付けリロンじゃん!」と分かって笑撃のショックを受けるから。ははははは。
で、そーゆーショック療法を受けたあと、そもそも「照応形とはなんぞや?」
という根本的な問題に立ち入ること。で、そんなことを考えていると、
「そもそもヌーメレイョンにはたして照応形が存在しているのだろうか?」
という問題にぶちあたる。で、ヌーメレイションに疑問が出てきたところで
「語彙主義とは何か?、反語彙主義とは何か?」という古くて新しい問題
にぶち当たることになる。で、最後には「レキシコンにはたしてherself
なんていうものがあるのだろうか?」という根本的な問題にぶち当
たることになる。そこではじめて照応形の存在意義と文法における働
きというのが見えてくる。つまり、照応形の言語形式の問題(つまり、いつ-self
なんていうaffixぽいものがくっつくようになったのかという問題)と言語機能の
問題(つまり、herselfが誰を指せて誰を指してはいけないのかという解釈の問
題)に入っていくことができる。てなことで、照応形というか束縛絡みの問題
というのは最終的にはレキシコンの問題でなりそーゆー意識でherselfなんかを見
ていくと面白い鴨しれない。ということで、そろそろ顔餅
とかかりちゃんあたりが出てきてわしとチェインジしてくれそうな悪寒。
619 :
仇鱒:2006/01/09(月) 07:00:38
>>617 >Jackendoffによる言語と音楽の類似性の話は、根本的なところで誤りがある
ごめん、具体的にどう「根本的なところで誤りがある」のか教えてくれないか。
マジでわし興味あるのだ。てか、あれからいろいろ考えたりしているのだが、
「「自然音楽」とは一体何か?」という問題が頭から離れない。やはり音楽の
基本はスケールだと思うのだが、考えてみたらスケールそのものが極めて
恣意的で人工的なものなのである。ちょっと語弊がある言い方かもしれないが、
スケールというのは文法といっしょで後からハナシの辻褄あわせで考え出した
「屁理屈」ぽいところがある。要するに、文法なんか知らなくてもわしらは言語
を話せるのといっしょで、スケールの理論なんか知らなくても音楽を楽
しむことができるのだ。そういう意味ではスケールと文法は同じだと思う。
となると、ここでまた訳が分からなくなってくる。文法といったら1
つしかなく、それは脳内文法しかないわけだ。つまり、脳外文法
というのはないわけだ。もうちょい分かりやすくいうと、文法といったらI言語を
生成する文法しかささず、E言語を生成するような文法は存在しないわけだ。
というのも、E言語は定義不可能でそもそもE言語は存在しないと。となると、
E言語なんていう妖怪のようなものを生み出す装置、すわなち文法なんて必要
ないしそもそも設定することができないわけだ。で、まあ、文法といったら
I言語を生み出す文法ということになる。となると、スケールとは何かというと、
I音楽(のようなもの)に相当するものを生み出す理論装置ということなる。
620 :
仇鱒:2006/01/09(月) 07:01:37
つーことは、原理上、言語といっしょで、音楽にもE音楽とI音楽
があることになる。そして、スケールはI音楽を規定するメロディという
「言語表現」を生成する「文法」(というか文法のインフラ)
ということになる。で、この考えがもしかしたらプロージブル
かなというのもある。藻前らも知っているように、スケール
というのはぶっちゃけ音楽の数だけある。つまり音楽のジャンルの数だけある。
いわゆるドレミファソラシドは西洋音階で、これはフツーのヤツ。で、この
ドレミファソラシドの4番目(ファ)と7番目(シ)を抜いたドレミソラドが
日本音階。いわゆる「ヨナヌキ」というやつ。もうちょい言うと、フツーの
ドレミファソラシドのミを♭にし(つまりレ♯にし)、シを♭にすると(つまり
ラ♯にすると)アレになる。アレといったら、アレである。そう、ジャズとか
ブルースとかロックで使われているブルーノートというスケールになるわけだ
(ちなみに、モノホンのブルーノートというのは、ミとシを半音下
げるのではなく実は1/4音下げるのである。でもこれはギターでは
調整不可能。ギターの1フレットは半音だから。だから普通の楽器では本来の
ブルーノートでロックやブルースやジャズはできないのだ)。他
にもまだいっぱいある。で、こういった音楽のジャンルがある意味個別言語に
相当すると仮定したら、まさに、スケールといのはI言語を規定する文法
のようなものだと思うのだ。
621 :
仇鱒:2006/01/09(月) 07:02:42
で、まあ、こんなことを考えていくと、音楽というのがそもそもかなり恣意的
なもので全て人工的なものではないのかと思うようになってくる。でも、その
一方、文法なんつーのも所詮言語学者が勝手に作り出したもので、そう考えると
自然言語なんていうのも逆に定義不可能になってくるような気
がしないでもない。まあ、何をもって「自然」と定義するかは実はかなりむずー
なのではないかと思うのだ。ま、こういう時は逆の概念を考えるのがいいわけだ
(具体的には「平和」とは何かを考えるさいにその「対概念」である「戦争/
有事」を考えたりするのと同じ)。つまり、「人工」とは何かを考
えるといいわけだ。そうすると相対的に「自然」の意味が分かってくるからな。
でも、「人工」を定義するのもかなりむずーであったりする。とくに高性能の
人工生命が出始めている昨今、「生命」の定義もむずかしくなってきているが
「人工」の定義もむずかしくなってきていると思うから。タンパク質
でつくられたものが「自然」でシリコンでつうられたものが「人工」とかそう
簡単にはいかないと思う。というのも、両者ともに「情報」という観点から見
たら大差ないからだ。ま、そんなこんなで何をもって「自然」とするかは実は難
しいと思ったりしている。てか、そう考えていくと哲学的な問題
になってしまうが、「そもそも言語とは存在するのか」とわしなんかは
思ってしまう。まあ、いわゆる言語は制度か器官かという古くて新しい問題
であるが。つーか、わしがまだハタチの頃、この問題を考えて答えが出
なかったから生成をやるようになったのだが、結局生成やっても答え出
なかったわ。ははははは。ま、学問とはそーゆーもんだ。鼻毛ボーボー。
スケールの前に、閣下にとって、オクターブとは何でしょうか?
>文法といったら1
>つしかなく、それは脳内文法しかないわけだ。つまり、脳外文法
>というのはないわけだ。もうちょい分かりやすくいうと、文法といったらI言語を
>生成する文法しかささず、E言語を生成するような文法は存在しないわけだ。
>というのも、E言語は定義不可能でそもそもE言語は存在しないと。となると、
>E言語なんていう妖怪のようなものを生み出す装置、すわなち文法なんて必要
>ないしそもそも設定することができないわけだ。で、まあ、文法といったら
>I言語を生み出す文法ということになる。
ちょっとあまりにひどい文章で突っ込もうにもどうしてよいやら。
もう少し推敲してから書いた方がいいんじゃないのか。
>考えてみたらスケールそのものが極めて 恣意的で人工的なものなのである。
まちがいではないが、見方を変えれば、自然界の物理的な倍音列をとてもよく反映しているのにゃ。
いわゆる「言語の恣意性」とは、ほとんど似ていない、くらいいわないとだめだにゃー。
和声の進行規則・配列規則になると、最短距離の移動の概念や、抜き出し不可みたいな概念、
(7th13thでは、転回によって7thを13thの上のほうに置いてはダメとか)がでてきて、
文法っぽい話がすることができるにゃ。というわけで、「音楽スレ」でいろいろやったけど、
そもそも「和声進行のある」音楽というのは、音楽全体の位置づけのなかでは、かなりフシギな存在なのにゃ。
音楽では一般に、束縛代名詞のようにある部分が、別のある部分に参照することができないし、
あと、自己相似的な(入れ子的な)階層構造もない。(こじつければ、あるんだが…)
これらのことが、音楽と自然言語のへだたりを大きくしてるにゃ。
米国に、出場者を美容整形させて、
公開録画のときはじめて鏡で整形した自分を見て感激するというばかばかしい
バラエティがあったが、そこで、出場者のひとりが整形した自分を見て、I love me.というにゃ。
で、あるアニメでは、泥だらけで帰って来た息子をみてムカっとした母親がLook at you.
(look at youについては既出だと思う)
こういうのをみると、意味抜き文法がうまくいくかどうか、ばくぜんと不安になるにゃ。
625 :
仇鱒:2006/01/09(月) 17:30:09
>>622 オクターブか、、、。いやー、正直、わしはオクターブのことを考えると夜も寝
られなくなるのだよ。てか、ぶっちゃけ、ギターのチューニング
ができなくなって気が変になりそうになるのだよ、、、。ま、でも、せっかく
レスしてくれたからちょいと書く。で、このまま音楽ネタばかり書いていると
「仇うぜーよ、藻前、虚無スレに逝け!」と言われるからできるだけ生成ネタ
に引きつけながら書こうと思う。うまくいくかどうかわからんけど。で、
どこから手をつけていいか分からないから気づいたところから適当に書
いていく。まず、オクターブであるが、一般的には、振動数が2:1の関係
にあるものを言うわな。それはok。で、一般的には、オクターブの関係にある音
は同じだという風にされている。ようするに、たとえば、低いドと高いドは同
じ音だと。で、わし的にはこの時点でダメなのだよ。つまり、オクターブの関係
にある音は同じ音ではないのだよ。低いドと高いドはまったく違う音なのだ。
しいて言語学にひっかけて話すと、'love' と「愛」みたいなもんで、似
ているけど違うのだ。もっというと、前にもココで書いたと思うが、たとえば
音叉でギターをチューニングする場合、どの弦のどのフレットの音と合
わせるかでわしはホント頭を抱えてしまうのだ。普通音叉というとA=440hzの音
というか振動数を出すのだが、これはいったいギターのどの弦のどのフレット
の音と同じなのだろうか。
626 :
仇鱒:2006/01/09(月) 17:31:06
一般的には、5弦の開放弦であるとか5弦の5
フレットのハーモニクスの音であるとか5弦の12フレットのハーモニクスと同
じ音だとされている。けど、そもそもわしに言わせたら、A=440hzの音と5弦の
開放弦の音と5弦5フレットのハーモニクスの音と5弦12フレトの
ハーモニクスは同じではないのだ。で、わしはA=440hzの音叉の音をどの弦のどの
フレットの音と合わせているかというと、4弦7フレットのハーモニクスと合
わせているのだ。たぶんこんなチューニングやっているのはいないと思うのが。
で、なんでそんなチューニングをしているかとゆーと、わしとしては、A=440hz
の音は4弦7フレットのハーモニクスの音だからなのだ(理論的にもわしの耳的
にも、4弦7フレットのハーモニクスと5弦5フレットのハーモニクスは同じ
音っぽい。けど、弦の古さやギターの調子にもよるが、やはり音叉の音に一番近
いのは4弦7フレットのハーモニクスの音だと思っている)。
627 :
仇鱒:2006/01/09(月) 17:31:57
ま、こんなギターネタはどうでもいいのでもうちょっと音楽的というか
言語学的なハナシをしよう。で、オクターブだが、わしにいわせると、上でも書
いたように、オクターブというのも完全に恣意的なもので制度だと言える。
ようするに、オクターブ下の音とオクターブ上の音が「同じ」というのはこれは
制度的にそう決められただけのものであり、実際は違うとわしは断言する。
そういった意味では、スケールの屋台骨の概念であるオクターブそのものが
恣意的でかつ人工的なものだと言えよう。で、もっというと、オクターブ
というとその名の通り、全音8つで1オクターブなのだが、これは
ドレミファソラシドという西洋音階に限ってのハナシであり、他のスケールだと
8音で1オクターブにはならない。今朝書いたように、日本音階だと6音で1
オクターブということになる。つまり、日本音階だとオクターブじゃなく
シックスターブになるわけだ。つまり、どういうことかというと、オクターブ
そのものもスケールによって内容が変わってくるわけだ。そういった意味では
オクターブはいろんな意味で恣意的であるし、また人工的であると思う。で、
この恣意的かつ人工的であるオクターブをもとにスケール
がつくられているわけだから、自ずとスケールそのものが恣意的かつ人工的
にならざるをえないと思う。で、結局、スケールをベースにつくられた楽曲なり
各音楽ジャンルも全部人工物ということになる。
628 :
仇鱒:2006/01/09(月) 17:32:59
で、今度は生成的なハナシに結びつけてちょいと語ろうと思う。いちおう
オクターブが音楽のひとつのサイクルというかユニットを形成
しているとすれば、オクターブはあるいみX'式型のフォーマットといえよう。
つまり、[XP SPEC [X' X COMPL]] に相当するのかもしれない。となると、変数X
に入るのが、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドということになる。つまり、
ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドはある意味、言語学でいうキャテゴリーに
相当することになる。つまり、オクターブ関数における定数になるわけだ。
じゃ、SPECやCOMPLには何が入るかというと、おそらくコードをつくる際に必要
になってくる構成音になってくるのだろうな。一方、アジャンクトの位置には
付属音というか装飾音が入っているのだろうな。いや、よく分
からないが、、、。てか、この辺りのことって、虚無ちょーかんが自スレ
かどこかで書いていたような希ガス。何はともあれ、オクターブとかスケール
というのは音楽のジャンルによって変わるものだから、オクターブとかスケール
というのは、ある意味、パラメータ値が定まったあとの
ミュージッカル・セオレティック・オブジェクトということになるのであろう。
となると、パラメータ値が定まる前のデフォルト的なものがあるハズだ。ま、
それがおそらく自然音楽の普遍音楽文法の一部になると思うのだ。パラメータが
セットされる前のスケールとはいったいどんな形
をしているのであろうか、、、。ま、ここでいうパラメータというのは「+/-
西洋音楽」とかゆーふうになるのかな。よくわからんが。
つーか、オクターブのハナシふられてまたギターのチューニング
できなくなってしまったよ、、、orz。いや、マジでチューニングのこと考
えたらわし夜も寝られないのだよ、、、。チューナーなんてゆー邪道なもの使
いたかねぇし、わし。
629 :
仇鱒:2006/01/09(月) 17:35:00
>>624 虚無ちょーかん、レスどうもでつ(ぺこりん てか、いきなりむずーなハナシ
になってしまい、即レスできない、、、。これからちょいとアルコール入れて
ハイオク満タンにしてからゆっくり考えてみまふ。で、これで終わるのも味気
ないのでひとことだけ生成ぽいレスをしまふ。
>I love me.とLook at you.
これはロゴフォーの代名詞ヴァージョンみたいなものだと思う。てか、前にも
ココで語ったと思うけど、この手の例って、上でもチョコチョコ名前
があがっているジャケンドフが昔よく扱っていた。マダムタッソーの蝋人形の
館のハナシなんだけど。ようするに、自分の蝋人形を見て、自分をどんな代名詞
で指すかというヤツなんだけどね。で、結局、虚無ちょーかんの整形手術の例
とか蝋人形の例なんかを見ていくと、代名詞というのは、かなり可能世界
というか言語形式とは違う世界も考慮せざるをえなくなり、
かなりまんどくさくなってくるんだな。てなことで、
>>616@学生さんや、もし
束縛現象に萌えつつあるのなら、思い切ってマダムタッソー絡みのヤツ
をやったらいいと思うぞ。ま、下手すると形式意味論にハマることになると思
うが。ははははは。てか、今となっては束縛条件はC/Iインタフェイスの
解釈条件となったのだし、だからこそ、マダムタッソー的なバインディング
現象を考察すべきであると思うぞ、おじさんは。
630 :
仇鱒:2006/01/09(月) 17:35:42
>>623 執筆料よこせ!そーしたら、ちゃーんと推敲してリーダー・フレンドリーな文章
にしてやるわい。つーか、便所の落書きに推敲もへったくりもあるかい、この
ヴォケ!てか、これまでも誤字脱字タイポたくさんあるけどわし全然修正
カキコミしてねぇから。藻前らの方でコンテキストから類推して脳内推敲
してくれ。
てなところだが、今年の成人式は静かだな。ま、いつものように沖縄では一悶着
あったようだが。ははははは。ま、ケツのブルーなボンズどもよ、元気
にがんがんやれ。ははははは。
631 :
学生:2006/01/09(月) 19:47:19
>仇鱒さん
素早いお返事ありがとうございます。
ただ・・・すいません、難しくてやっぱりわかりませんでしたorz
正直に申し上げますと、
言語学を専攻しているわけではないのです。
必修に言語学があって、四苦八苦しているド素人なのです。
>>616 herselfとかのself系の語は、
「統率範疇」(その定義はひとまず置いておいて)と呼ばれるあるエリア内で、
同じエリアに含まれる先行詞にc統御されていないといけないのね。
これが束縛原理(束縛原理A)。ここまではわかる?
で、その統率範疇というのを、おおざっぱに、
self系の語が含まれる最小の文(CP)であると仮に決めよう。
そうすると、次の文では、herselfが統率範疇の中で
先行詞にc統御されていることがわかるはず。
[CP1 [IP Mary think [CP2 that [IP Jane(1) believed herself(1) ] ] ]]
herselfが含まれる最小の文はCP2だ。(つまり統率範疇はCP2であり、CP1ではない)
そして、herselfは同じCPに含まれる先行詞Janeにc統御されている。
ということは、このherselfは束縛原理に従っているわけだ。
次に
>>616の(誤)の文ではどうか。
[CP1 [IP Jane(1) believed [CP2 that [IP herself(1) was the most beautiful woman ] ] ] ]
herselfが含まれる最小の文はCP2だ。herselfはその中で先行詞に
c統御されてなければならないけど、そのような先行詞は無い。
(JaneはCP2の外にあるから、束縛原理を満たすような先行詞ではない)
ということは、このherselfは束縛原理に従っていないわけだ。
次に
>>616の(正)の文ではどうか。
[CP1 [IP Jane(1) believed [IP herself(1) to be the most beautiful woman ] ] ]
注意すべきは、ここにはCP2が無いということだ。
ということは、herselfが含まれる最小のCPはCP1だ。
CP1でherselfをc統御する先行詞はJaneだ。
ということは、このherselfは束縛原理を満たしているわけだ。
633 :
271:2006/01/09(月) 22:32:24
I love meみたいなのは70年代から盛んに議論されていて
そういった例をほとんどカバーする理論も整ってる。
そっから何かを新しく立ち上げるのは相当しんどいと思うよ。
で、「代名詞云々が色々考慮しなければいけなくてまんどくさい」これは真
でも「照応形一般に関する現象の少なくともある一部分は統語構造に関する
制約に還元される」Reinhartとかのアレだけどこれもまともに論駁されたのを
見たことがないね。
635 :
仇鱒:2006/01/10(火) 18:31:45
やれやれ、朝起きれなかったわ。ははははは。てなことで、これからひとカキコする。
>>632 たぶん、ヒューリスティックなことを考えてガバニング・カテゴリーをCP
にしたんだろうな。てか、もしかして、CP@フェイズというのを意識してわざと
CPをガバニング・カテゴリーにしたのかな。ま、CPをガバニング・カテゴリー
にした意図はコッチに置いといて、定説のようにIPというかTPをガバニ ング・
カテゴリーにすると次のケースが困ってしまうわけだ。
>[CP1 [IP Jane(1) believed [IP herself(1) to be the most beautiful woman ] ] ] -- (イ)
というのも、この場合、下位のIPがherselfのガバニング・カテゴリー
になってしまい、予想に反して(イ)がアウトになってしまうからな。
そういった意味では、CPをガバニング・カテゴリーにしたのはいいかもしれない。
無用な補助仮説を出さない点でもいいしな。あと、あれだ、結局このようなデ ータ
を見ていくと、クルーシャルになるのは何かというと、
>>633も指摘
しているように、ケイス・チェッカーなんだな。つまり、上の(イ)
では herselfのケイス・チェッカーがbelieveだからbelieveを含む主節が
ガバニング・カテゴリーになるわけだ。一方次の文では、
>[CP1 [IP Jane(1) believed [CP2 that [IP herself(1) was the most beautiful woman ] ] ] ]
herselfのケイス・チェッカーがwas(というか埋め込み節のTence)になり、
それで埋め込み節がherselfのガバニング・カテゴリーに なるわけだ。ま、
そう考えるとCPをガバニング・カテゴリーにするのも一つの手だが、
ケイスチェッカーを含むCFCと考える方がよりいいかもしれないな。
ま、でも、CPがフェイズでどのみち必要な単位だとしたら、CPを
ガバニング・カテゴリーと設定した方が何かと理論的にもコストパフォーマンス
が高いのかな、、、。
636 :
仇鱒:2006/01/10(火) 18:32:47
>>633 >Do Chimpanzees Know What Each Other See? -- (ロ)
ふむふむ。(ロ)に対する答えとしては「うん」か「いいえ」で答
えられるわな。つまり、(ロ)は原則イエス・ノー・クエスチョン
であるわけだ。でも、た とえば、「うん」の中身を詳しく見てみるとちょっと
面白いことが見えてくる。というのも、「うん」の後に何か付けようとすると、
たとえば、「チンプAは バナナを、チンプBはiPod nanoを、チンプCは
ギブソンのギターを見たよ」と言える。つーか、このようなリスト読みというか
ペアリング・リーディングするのが普通だと思うの だ。で、このような答え方
というのは、よくマルティプル・クエスチョンに見られるわけだ。
つまり、Who ate what?なんかによく見られるわけだ。というのも、このような
マルティプル・クエスチョンではペアリング・リーディングが普通だからな
(eg. who ate what? -- John ate a banana, Mary ate an apple, Tom ate a peach, ,,, )。
となると、上の(ロ)の文にあるEach Otherは、
マルティプル・クエスチョンにおけるイン・シチュのwhと同じように、LFで
主節に移動している可能性があるわけだ。となると、LFでは Each Otherは
主節をガバニング・カテゴリーにとっていることになり、LFで首尾良く先行詞
のChimpanzeesにバインドされることになる。
>(A)と(B)でどっちが深い説明かって言うと、にわかには判断しにくいです。
てか、(B)は説明ではなくて単なる現象の記述にすぎない。ようするに、
「-self形は主語になれない」というのは説明ではなく単なる記述。
だから、 そもそも説明力という点で(A)と(B)を較べるのはナンセンス。で、もし較
べるなら、上でもわしが書いたように、「CPをガバニング・カテゴリーとして設定
するやり方」と「ケイス・チェッカーを含むCFCをガバニング・カテゴリーと設定
するやり方」の2つである。
637 :
仇鱒:2006/01/10(火) 18:33:41
>>634 >でも「照応形一般に関する現象の少なくともある一部分は統語構造に関する
>制約に還元される」Reinhartとかのアレだけどこれもまともに論駁されたのを
>見たことがないね。
わしもそれは全然否定しない。統語構造でしか説明できないデータが必ずあると
思っている。ただしほんのちょびっとだけど。でも、問題なのは量じゃない。
アルかナイかである。で、アルと議論しているのが生成。ナイと議論
しているのが(たぶん)認知ぶんぽー。
えっと、なんで朝起きれんかったかとゆーと、実は昨晩というか夜中にまた
昨年録りためていたビデオを見ていたのだ。で、昨晩見た中にnhk
スペシャルの 「沖縄よみがえる戦場:読谷村民2500人が語る地上戦」
があった。まあ、nhkということもあり自虐史観で凝り固まっていたのは仕方
ないとして、でも よかった。いちいち言わなくても分かると思うが、いわゆる
集団自決と日本軍による虐殺のハナシである。で、生き延びた方たちの
インタビューからなるド キュメンタリーであったのだが、ほんと沖縄戦は悲惨
だった。マジで地獄だったと思う。ほんと、地上戦で犠牲になられた方にはご
冥福をお祈りするしかな い。戦争はしちゃいかん。絶対にしちゃいかん。が、
相手からしかけられたら藻前らどうする?というのがわしらに課された課題
なのだ。で、そういうQに対 して答えようとしているのが自民党の新憲法の
草案だ。藻前ら、他人事じゃないぞ、マジで考えろYO!と、こんなこと書
くとまた岸壁の親爺が出てきそうな 悪寒w
638 :
仇鱒:2006/01/10(火) 18:39:48
あ、待てよ、
>>663の次のデータって、
>Do Chimpanzees Know What Each Other See?
チンプAがチンプBを見て、チンプBがチンプAを見たという解釈を前提にしているのか、、、。
だとしたら
>>636のわしのカキコミは意味なしだ。ははははは。
639 :
仇鱒:2006/01/10(火) 20:07:11
わりぃ、またわしだ。もう今日は出ないからユルセ。えっと、ちょいと気になっ
て
>>633で紹介されているところをアクセスしてみた。で、どういった文脈で次
の文が使われているかみてみたが、
>Do Chimpanzees Know What Each Other See?
なんか、解釈としては、最初にわしが書いた
>>636の解釈で正しいようだな。
つまり、チンプAがチンプBを見て、チンプBがチンプAを見た解釈じゃなくて、
チンプAがリンゴを見て、チンプBがイチゴを見たといった解釈が正
しいようだな。ま、そんなところだ。参考までに関係箇所を下にコピペ
しておく。
>Hare et al. (2000) reported that when placed into competitive feeding situations
>chimpanzees exhibit evidence of reasoning about what each other can see.
>Subjects were reported to select food items that were hidden behind barriers and
>therefore were not visible to a rival chimpanzee.
640 :
271:2006/01/10(火) 23:14:17
>>636 お忙しいところレスありがとうございます。でも、次のところがよく分りません。
>となると、上の(ロ)の文にあるEach Otherは、
>マルティプル・クエスチョンにおけるイン・シチュのwhと同じように、LFで
>主節に移動している可能性があるわけだ。
どうして主節まで移動しなければならないのか、分らないんです。
pair-list解釈については個人的にはchierchia=Hornsteinラインがいいと思っていて
それによると、in-situ whにはproが隠れているとされています。それを
whのコピーにも使うと(ロ)の文は次のような構造になるかと
Chimps/i know what each other/i see [pro/i + wh]
proはeach otherに束縛された束縛代名詞になるわけです。その結果、
each otherの値に応じてwhatの値(つか、答え)が変動するというpair-list解釈が
出てきます。
つまり時制文主語のeach otherは主節主語に束縛可能とし(つまりTensed-S condition
は効果も存在しない、あるのは指定主語条件の効果だけ、とし)、-self形が
時制文主語に出ないのは形態的な個癖(つまり-selfには主格がない)ことに
よると考えられるのじゃないかと。
(B)の-selfについての指定はまさに事実そのまんまの指定ですが、それによって
束縛の他の部分はかなりすっきりしてくるのじゃないでしょうか。一方(A)の
方は、確かに-selfについて事実そのマンマの指定はないものの、束縛なのに格に言及する点で変だし、
もっと言えば、governmentの概念をgovernmentの言葉を使わずに取り込んでいるような側面があり、
キモイと思います。その点でどっちが説明が深いか分らないと思うのですが、
いかがでしょうか?
641 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/01/10(火) 23:34:51
>>634 >I love meみたいなのは70年代から盛んに議論されていて
>そういった例をほとんどカバーする理論
それって生成文法の枠組みでの理論ですか?
なんか認知か認知よりの人が活発に議論している印象だけど。
642 :
学生:2006/01/11(水) 00:26:16
>仇鱒さん、632さん、633さん
いろいろ丁寧に教えてくださって、ありがとうございます。
なんとなく、考え方の糸口みたいなものをつかめた気がするので、
じっくり考えてみます。
本当にありがとうございました!
643 :
かかりちゃん:2006/01/11(水) 00:48:23
ん、仇ちゃん、微妙に混乱しまくりにょろ。
>>635 They believe that pictures of themselves look horrible.
みたいなのもあるから、CP=GCってのはちょっと困るニョロ。これはpicture nounの中にanaphorが
ある例だからlogophoricなんて言い切っちゃうひともいるニョロけど
*They believe that Jane thinks that pictures of themselves look horrible.
これもlocalityに従うニョロ。
>>(A)と(B)でどっちが深い説明かって言うと、にわかには判断しにくいです。
>てか、(B)は説明ではなくて単なる現象の記述にすぎない。
てか、それは「何をもって説明とするか」によるにょろ。(A)だってminimalist的には
説明ではなく記述にょろ。
>Do Chimpanzees Know What Each Other See?
には
>>636で仇ちゃんが言っている(のに近い)ような意味しかないニョロ。
基本的にはeach otherだから「Chimp AがChimp Bが何を見たか知っている、そして
Chimp BがChimp Aが何を見たか知っている」の二つの条件を満たせばyesにょろ。
>>638で仇ちゃんが言っているのは
Do chimpanzees know that they saw each other?
にょろ。単なる英語の問題ニョロけど。
仇ちゃんが考えているのは80年代くらいからある、「LFでanaphorが動く」って仮説だろうにょろけど、
(ChomのKnowledge of langやPica/Katadaなんか参照)少なくとも英語のanaphorはlocalであり
multiple whみたいな基本的にはunboundedな解釈が可能な現象とは大違いにょろ。
そんなことより、each otherの解釈はpair listとは別物だと思うけど、同じとする根拠あるニョロか?
645 :
仇鱒:2006/01/11(水) 06:37:14
>>640 >どうして主節まで移動しなければならないのか、分らないんです。
あー、いやいや、たいしたことゆっていないのだ。ようするに、
who bought what?のような文では、whoにもwhatにも値を与えないといけないわけで、
そのためにはwhoもwhatもLFで主節(のCP-spec)に移動しないといけないと。同
じように次の文においても、
>Do Chimpanzees Know What Each Other See?
each otherとwhatの両方に値を与えることができるわけで、そうなると両者共
にLFで主節に移動しているのではないかと。ただそれだけのハナシなのである。
ただ、もちろん、
>>640氏のように、chierchia/hornsteinのアプローチをとれば
(下に繰り返す)each otherはもちろんのことwhatもLFで主節に移動
することはなくなる。
>Chimps/i know what each other/i see [pro/i + wh]
ただ、このようなやり方だといわゆるクロスオーヴァーの問題は生
じないのだろうか、、、(←文頭のChimpsを演算子とし、each otherを代名詞と
し、Chimpsとコインデクスされているproを痕跡とする)。クロスオーヴァーの
問題をシリアスに考えるのなら、chierchia/hornsteinラインのやり方
はちょいとどうかなーと思うのだが、、、。ま、たぶんchierchiaのことだから、
形式(意味論)的には普通のクロスオーヴァーと違うからノー・プロブレムと言
うのだろうが。いや、分からんが。
646 :
仇鱒:2006/01/11(水) 06:38:15
>-self形が時制文主語に出ないのは形態的な個癖(つまり-selfには主格がない)
なるほどー。たしかに「-selfには主格がない」と言えばself形が主語位置に生起
できないのが「説明」できる。ようするに、考え方としては、「PROが定形節の
主語位置に生起できないのは主格をもっていないから」というのと同
じであるわけだな。てか、考え方としては、「heは対格をもっていないから
目的語にはなれない」とか「himは主格をもっていないから主語にはなれない」
というのと発想としては同じかな。ま、ある意味コロンブスの卵的なこういった
発想するのもいいのかもしれないな。よくわからんが。
>束縛なのに格に言及する点で変だし、
でもだからと言ってガバニング・カテゴリーをCPにしちゃうと、かかりちゃんも
指摘するように次のような例で問題が生じちゃうしな。
>They believe that pictures of themselves look horrible. (cf.
>>643)
ま、でも、上の例はpix nounが絡んでいるから別扱い(たとえばロゴフォー
としてうっちゃる)というのもいいかとは思うが。まあ、いずれにせよ、
ガバニング・カテゴリーをCPにするのも問題ありそうだし、
ケース・チェッカー込みのcfcというのも問題ありそうだし、従来のIP/TP
というのも問題あるわけだし(でも、まあ、IP/TPでそこそこ行
けるようにはなっている)、そもそもガバニング・カテゴリーなんてゆーのを考
えるのが間違いなのかもしれないな。ま、ようするに、PROの生起における
アンビバレンツをアウフヘーベンするために「そもそもPROはガバーン
されないのだ!」としたように、「そもそも束縛現象には
ガバニング・カテゴリーなんてないのだ!」とアウフヘーベンしちゃうのもアリ
かもしれないな。ははははは。ま、そうはいうものの、束縛現象は領域指定的な
現象であることは確かであるし、、、。領域を指定しながら領域をゴム
のように伸びたり縮んだりさせる必要があると、、、。なかなか悩ましい現象
である。
647 :
仇鱒:2006/01/11(水) 06:39:10
>>641 >それって生成文法の枠組みでの理論ですか?
>なんか認知か認知よりの人が活発に議論している印象だけど。
基本的にそうだと思うよ。結局次の文の
>I love me
だって、細かく書けば次のようになるわけで、
I<PRESENT> love me<PAST> -- (イ)
Iとmeは全く違う時空にあるわけだ。つまり、ストレートな言い方をすると、主語
のIと目的語のmeは別人。だからぶっちゃけ上の(イ)の文は次の文と大差ない。
I love Mary (I =/= Mary)
てか、もうちょい分かりやすくいうと、(イ)は次の文と同じなのだ。
仇鱒 knows 仇鱒の中の人. (仇鱒=/=仇鱒の中の人)
648 :
仇鱒:2006/01/11(水) 06:40:09
>>643 >てか、それは「何をもって説明とするか」によるにょろ。
>(A)だってminimalist的には説明ではなく記述にょろ。
もちろんそうである。もっとゆーと、今のミニマリストにとって、この
「説明」の問題はもっと重要である。「どこまで説明したら説明した気
になるのだ?」ということだ。つまり、
「ビヨンド・イクスプラネートリー・アーディクワシー!」と言って言語学の
外に説明を求める必要がそもそもあるのか、という問題である。
>>644 >each otherの解釈はpair listとは別物だと思うけど、同じとする根拠ある
ニョロか?
いや、別に根拠はないが、なんて呼んでいいか分からないからとりあえず
ペアリスト・リーディングと呼んだのだ。ま、ペアリスト・リーディングぽいし
(← チンプAがリンゴを見て、チンプBがイチゴを見たといった解釈 (cf.
>>639))
他に適切な呼び方しらねぇーから。
649 :
仇鱒:2006/01/11(水) 06:40:57
あと、
>>642@学生さんや、ま、言語学は単なる必修でそれで「仕方なく」生成
べんきょーしているようだが、ま、しっかりやれや。てか、おじさんも学部生の
頃は生成なんかやってなかった。生成やり出したのは院になってから。
それまでは哲学やら現代思想やら政治やらに顔を突っ込んでいた(でも常に算数
オタクではあった)。でも、どういうわけか人生とは不思議なもので、あれほど
「チョムはアホだな〜」と思っていたわしが生成をやるようになった。ま、藻前
さんももしかしたらわしみたいになるかもしれないから、ちょいとマジになって
生成かじってみたらどうだ。ま、かじったところで腹壊す程度の毒しかねぇから
安心せえ。生成は現代思想やら政治ほど毒は強くない。へたれなガクモンだ。
ははははは。
ふーん
院から生成はじめたなんて
仇鱒先生って変わり者だね。
というか、それだけ底の浅い学問って
ことなのかな。カナリ嫌味な言い方ではあるけど。
まあ始まって50〜60年そこそこの学問だから
そこらへんは仕方がないわけか。
てか仇暇だな。
653 :
仇鱒:2006/01/11(水) 19:10:41
>>650と
>>651 てか、わしだって生成やり始めた頃はワケワカラン♪状態で頭
どうにかなりそうだった。ぶっちゃけ、2年間は右も左も上も下も分からなくて
マジで気が変に なりそうだった。けど、2年過ぎた頃かな、ある時スコ〜ン♪
と抜けたんだな。ようするに、ワカッタ!という瞬間があったんだな。
それからだな、論文なん かでもどんどん読めるようになったのは。それまでは
ボロボロよ。で、わしは思うのだが、2年間必死になって生成やってもスコ〜
ン♪という感触を得られな かったら生成やらない方がいいかもしれない。2年
たってもスコ〜ン♪という感触がなかったら生成には向いていないのだと思う。
あるいはそもそも学問には向いていないのかもしれない。そういう人は専門を変
えるなり方向性を変える必要があると思う。一方、認知ぶんぽーの場合は、
2ヶ月やってスコ〜ン♪とい う感触がなかったらサッサと認知から手と足と頭を
洗った方がいい。認知は2ヶ月やれば十分w てか、2週間でも十分かもな。w
654 :
仇鱒:2006/01/11(水) 19:11:24
>>652 暇であるわけぬぅえーーーーだろがっ!ゴルァ!!毎日分刻みでお仕事
してるわい。てか、こんなことゆーのも何だが、たぶんわしは普通の
ケンキュウシャが 一生かけてやる仕事をわしは1年でやっているわ。最近マジ
でそう思うわ。そのぐらいわしは働いてるわ。てか、マジで、わしほど忙しい
人間もいないと思う わ。ま、わしがココでカキコしているのは、そういった
日頃の猛烈な忙しさの息抜きであるのだよ。ま、ココはわしのガス抜き場だ。
藻前らはわしの屁を嗅い でいるのだ。ははははは。てなことで、
今からシュウマイ食いながら一杯やるぞ!ゴルゥァァアアアアアア!!!!!!
つーか、藻前らみたいにわしは一日に7時間も寝てねぇのだ。一日に7時間も寝
ていたら人並み以下の仕事しかできないのだ。そんなもんだ。とくにケツのブルー
なボンズどもよ、若いうちは文字通り寝食削ってでもべんきょーする
よーに。1にべんきょー、2にべんきょー、3,4がなくて5にべん
きょーだ。♀にうつつ抜かすのはべんきょーが一段落してからに汁!♀とべん
きょーを両立させようなんて甘い考えは捨てろっチューノ!そんなのケツの
ブルーなボンズどもにできっこねぇっチューーーーーーーーーーノ!!
そんなことはわしのようにケツがドス黒くなってからにしろっ
チューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーノ!!!
てなことだが、ケツのブルーなボンズども、がんがれ!生成をあぼんさせるなYO!
一日、八時間寝ているけど、それが何かにょろ?
656 :
仇鱒:2006/01/11(水) 19:23:55
かかりちゃん、マジでそんな寝てんの?
わしは平均して4時間以上4時間以下だけど。
てか、4時間したらパチッと目が覚めてしまう。
もしかして、わし何かのビョーキか、、、。
てか、かかりちゃん今起きたところかな。おは尿。
歳を取ると睡眠が浅くなるという
>>654 >たぶんわしは普通の
>ケンキュウシャが 一生かけてやる仕事をわしは1年でやっているわ。
絶対ありえねえ(笑
「普通のケンキュウシャが一生かけてやる仕事」ってなんだよ(笑
自費出版でなめくさった入門書出すことか?そらー大変な仕事だなー(笑
659 :
仇鱒:2006/01/11(水) 20:40:25
を、なんか釣れたな。
>>658 >自費出版
自費出版って、わしの毒チョコ本のことか?まあ、毒チョコ知ってるなら藻前
もこのスレに住んで長いと思うが、毒チョコは科研費で書いたものだ。で、残
りの費用をわしが自腹切ったのだ。まあ前にも書いたからあまり詳しくは書
かないが、わしはまさか100万円近くも自腹切るとは思ってもいなかった。
ほんと、毒チョコ出版社から請求書を見てビックリして目ん玉飛び出
そうだった。マジで女房と大げんかして、わしはしばらくはお昼
ごはんずっとかけそばだった。これはマジなハナシである。まあ、科研費で出版
すると出版社によってはわしぐらい自腹切るのもいるんじゃねぇのか。よく知
らないが。てか、藻前勘違いしているようだが、毒チョコは入門書じゃねぇぞ。
てか、わしは何冊か入門書出しているがどれも自費出版であるわけねぇー
だろが、このヴォケが。自費出版なんて毒チョコを最後にする気もしねぇわ。
ま、一生に一度くらい自費出版というのもいいかもしれんな。正直、わしも良い
勉強になった。てか、あの本の編集者は知る人ぞ知る人で、正直わしはあの
編集者にいろいろ育てられたところがある。そういう意味でもあの毒チョコ本
を書かせてもらって良い勉強になった。ま、藻前もえらそーなことホザ
いている暇があったら日々ちゃんとおべんきょーすることだ。さて、藻前の相手
してると時間もったいねぇから、pcの電源きるぞ。プツン♪
>>646 >They believe that pictures of themselves look horrible. (cf.
>>643)
>ま、でも、上の例はpix nounが絡んでいるから別扱い(たとえばロゴフォー
>としてうっちゃる)というのもいいかとは思うが。
これはすでに
>>643で
>ある例だからlogophoricなんて言い切っちゃうひともいるニョロけど
>*They believe that Jane thinks that pictures of themselves look horrible.
>これもlocalityに従うニョロ。
と書いておいたニョロけど。同じlocalityに従うのに、一つがanaphorで一つがlogophorで、
logophorは特別扱い、ってのがよくわからんニョロ。
>「ビヨンド・イクスプラネートリー・アーディクワシー!」と言って言語学の
>外に説明を求める必要がそもそもあるのか、という問題である。
言語学とかそういう学問領域自体は人間が研究の便宜上勝手につくったカテゴリーで
もともと自然界に存在するものではないにょろ。そもそもなんで「言語学」は「言語学内」で
やるべきと考えるのか、言語学が認知科学の一部なら、なぜそれでも学際的な
方向を考えないのか、そのほうが説明必要ニョロ。
あっしはいまだに自分のやっていることを「研究」と呼ぶのは抵抗があるし、
自分を「研究者」なんて考えていないニョロ。恥ずかしくないくらいに勉強して、
論文書いているだけにょろ。
>ま、藻前もえらそーなことホザ
>いている暇があったら日々ちゃんとおべんきょーすることだ。
お前だ!お前にそっくり返すわこの台詞(爆笑
いやーまさか仇に「勉強しろ」なんて言われる日がくるとはなー
自分が並の学者と比べてもまともに論文読んでないことぐらいわかってんだろ?
それともそれもわからんぐらい自我が肥大化して周りが見えなくなってるのか?
662 :
仇鱒:2006/01/12(木) 06:21:05
>>660 >同じlocalityに従うのに、一つがanaphorで一つがlogophorで、
>logophorは特別扱い、ってのがよくわからんニョロ。
それはわしだってわからん。エブリワンズ・プロブレムだろ。ぶっちゃけ、
ロカリティがあるものがノーマルだとして、それを基準にしてロゴフォリック
なものを処理しようとしてもどだい無理なハナシである。ゴリ押
しするとぜったいガバニング・キャテゴリィの設定なんかに無理が出てくる。
それなら最初から-self形には2種類あると割り切ってしまうのも背に腹は変
えられないというのでいいかもしれない。もちろんこの場合、「背に腹は変
えられない」というのはガバニング・キャテゴリィの定義の美しさを保持
するとかそういうことである。ま、ようするに、-self形には同音異義語というか
同音異機能語があるということだ。あと、pix nounそのものがクセモノ
である。次の2つにしても
(1)They believe that pictures of themselves look horrible.
(2)*They believe that Jane thinks that pictures of themselves look horrible.
pix nounだからこそ問題が生じているのである。もしpix nounじゃな
くthemselvesだけだったら次のように100%アウトである。
(3)*They believe that themselves look horrible.
(4)*They believe that Jane thinks that themselves look horrible.
わしの記憶が正しければ、いわゆるGBスタイルの束縛理論がBT
コンパティビリティに移行したその動力源になったのはpix noun
ではなかっただろうか。そしてその結果、アナフォーがBT@束縛理論に
コンパティブルになるよう、どんどんガバニング・キャテゴリィを伸ばすハメ
になってしまった。その意味でも、BTコンパティビリィティになって束縛理論は
完全に破綻したと思っている。つまり、BTコンパティビリィティに至って
領域指定というタガが外れてしまったわけだ。その意味では、pix nounはある
意味パンドラの筺だったとわしは思う。ま、そんなこんなで、ロゴフォーを認
めるかという問題と抱き合わせでpix nounを束縛理論の問題として扱
うべきかという問題も考えた方がいいと思う。
663 :
仇鱒:2006/01/12(木) 06:22:24
>なぜそれでも学際的な方向を考えないのか、そのほうが説明必要ニョロ。
かかりちゃんの言うことは至極まっとうでとくに問題はない。ただポイントは、
だからといって、チョムが言うように、いきなり「生物言語学」にシフト
するのは時期尚早であるということなのだ。もちろん、顔餅なんかも
言っているように、生成は初期の頃から「生物言語学」であった。それは認
める。ただ、方法論として何も確立されていない現在、いきなり「理論言語学」
から「生物言語学」にシフトするのは、わしにいわせたらホップ→ステップ→
ジャンプでなくホップ→ジャンプなのである。で、ステップに必要
なのがあって、それは何かというと、「数理言語学」であったり「計算言語学」
であったりするわけだ。つまり、情報科学ないし情報工学をベースにした言語学
であるのだ。で、辻 I 潤 I なんかもわしと同じ事を言っている。皮肉
なことに、T井氏はもともと計算言語学畑の人で最近は認知ぶんぽーの方でよく顔
を見かけるが、わしは彼と同じ意見なのである。ナマの言語をいきなり生物学
というか脳にリンクするには無理があるのだ。その間にやはり噛ませるものが
必要なのだ。それが情報系の学問だとわしは言っているのだ。
こういうことをすっ飛ばして
「ビヨンド・イクスプラネートリー・アーディクワシー!」と言って無知な
言語学者ならびに言語学徒を生物学やら脳科学に目を向けさせるのは間違
いだとわしは言っているのだ。
664 :
仇鱒:2006/01/12(木) 06:23:18
>>661 また藻前か、、、。わしはべんきょー不足だよ。どれだけべんきょー
してもべんきょー不足。最近のミニマリストベースのヴァカ論文なんか読
むきもしねぇわ。そんなクソ論文読む暇あったら他のミソ論文読んでる方がまだ
マシ。ぶっちゃけ、生成のデムパ論文読む時間があるなら
インターディスプリナリィな論文を読んで芸の肥やしにしている方がまだまし。
藻前と違ってわしはヴァカ。藻前と違ってわしの頭ん中は海綿体。藻前はホモ
でわしはサル。藻前は偉くてわしはエロい。藻前が↑でわしが↓。藻前はイケ
ててわしは逝けてる。藻前は立派な研究者でわしはへたれなケソキュウシャ。
どうだこれだけ自虐的になれば藻前もスッキリしたか。ははははは。てか、自
虐って楽しいな。なんかサヨの気持ちが分かったわ。ははははは。
あとな、藻前は分かっていて書いているのか知らないが、わしが好きこのんで
本書いていると思ったら大間違いだ。原則わしは来た仕事は断らないという主義
である。そういうこともあり、好き嫌いは抜きにして、出版社から本執筆の
オファーがあれば断らないようにしている。ただ、日程的
にどうしてもきついときは断る。でも、書いてくれというので書いているのだ。
その辺りのことはこれまでのわしの書いたものや翻訳の「はしがき」とかにも書
いてある。実は、春頃に生成の香りがする英文法の本が某出版社から出るわ。
この本がどういういきさつで刊行されるようになったか藻前のために
「はしがき」で書いてやるわ。よく嫁。「自費出版」なんて毒チョコだけで
十分だ。ほんと懲りた。身銭切ってまで本だそうなんてこれっぽっちも
思っとらんわ。てか、科研費本と自費出版本といっしょにするな、このヴォケ
が!ゆっとくが、わしの書いた本に自費出版の本なんか1冊もねぇわ。参考
までに言っておくと、毒チョコ本もわしが毒チョコ出版社に本を出してくれと頼
んだわけではない。毒チョコ本の「はしがき」を読んでもらえばいいが、
あるせんせの「仇鱒さん、本出してみないか」と言われたのがきっかけで出
したのだ。
ま、毎度のことだが、藻前がわしを叩き始めたらそろそろわしはシャバに帰る頃
だな。ははははは。
>>662 いや、同じlocalityに従うのなら同じ現象と考えるのは基本ニョロ。
それでもlogophoricと無理矢理考えること自体がおかしいニョロ。そもそも
「selfは主格ではない」というストーリーを受け入れればこういう問題もない
にょろ。
>なのがあって、それは何かというと、「数理言語学」であったり「計算言語学」
>であったりするわけだ。つまり、情報科学ないし情報工学をベースにした言語学
その根拠は?一般にどのような方向で進めて行くかは各人の興味で決定するべき
ことニョロし、どのような方向にしても最終的にfruitfulになるかどうかは
やってみないと分からないにょろ。あらかじめレールが決まっている学問なんて
そもそも存在しないにょろ。
それと「文法がどのように人間という種に発生したか」という問いのどこに
数理言語学が入り込めるにょろ?文法を(HPSGみたく)定義するってこと?
666 :
仇鱒:2006/01/12(木) 07:46:13
を、レスはやっ。
>>665 ロゴフォーに関しては、結局は、記述的妥当性と説明的妥当性のトレイドオフ的
なものがあると思う。つまり、ちゃんと記述しようと思ったらノンローカル
なものはドメインを広げないといけないし、そうすると結局は事実を見て
ドメインの大きさを決めることになってしまう。そうなると、束縛理論は
結局後付け理論ということになってしまう。まあ、やり方にもよるかと思うが、
結局BTコンパティビリティと同じ轍を踏むことになると思うのだ。そうなると、
記述力は上がるだろうけど、説明力はガクンと落ちる。一方、ノンローカル
なものはロゴフォーとして別扱いしておけば、ドメインを固定することができ、
説明力は上がる。ようするに束縛理論はの後付けさはかなり減る。もっと
ゆーと、ちゃんと現象を予測することができる。で、わしも上で書
いているように(cf.
>>646)、「selfは主格ではない」というストーリーを受
け入れるのに好意的でもある。PROを特別扱いするなら-self形も特別扱いして
何が悪い、と考えているぐらいだから。
>一般にどのような方向で進めて行くかは各人の興味で決定するべきことニョロし
もちろんそうである。わしは全然否定しない。情報科学的なアプローチを押
しつけるつもりもない。わしが言いたいのは、あまりに生成というかチョムが
生物学に色目使っていて情報科学的なアプローチをニグレクトしているから、
それでこっち@情報科学にも色目使ったらどうだと言っているのだ。てか、
実際、上でもわしがいろいろ書いているように、チョムの「アイデア」の元
ネタは情報科学にあったりするのだ。それなのに情報科学をニグレクト
するのはどうかと思うのだ。
667 :
仇鱒:2006/01/12(木) 07:47:03
>それと「文法がどのように人間という種に発生したか」という問いのどこに
>数理言語学が入り込めるにょろ?文法を(HPSGみたく)定義するってこと?
ん?言語の系統発生には直接数理言語学はコミットしないと思う。あくまで
コミットするのは情報科学系の中でも複雑系というか人工知能をやっている分野
である。いわゆる言語屋さん自身は言語進化の解明に直接貢献できないと
思っている。
てなことで失禁してきまつ。
>>647 >I<PRESENT> love me<PAST> -- (イ)
>Iとmeは全く違う時空にあるわけだ。つまり、ストレートな言い方をすると、主語
>のIと目的語のmeは別人。
これって仇増さんの独自の分析?それとも誰か生成の人がこう分析してるの?
その<PRESENT> <PAST> なんてのはどのレベルでの表示ですか?
主語と目的語が違う時空にある別人を指示する(?)という説明ですが、
じゃぁ、次の文はどう分析するんでしょうか?
Look at you!
これは目の前の相手に対して使う褒めの感嘆文ですよね。
主語は普通に考えればyouでしょう。
違う時空という理屈で説明できますか?説明できるとすれば、どういう意味で
違う時空なのかということを説明する必要があると思いますが。
いつものように話が噛み合ないにょろけど、アダモちゃんがlogophoricとしている
(2)*They believe that Jane thinks that pictures of themselves look horrible
もlocalityを示しているんだからnon-localじゃないんだけどにょろ。
>あまりに生成というかチョムが 生物学に色目使っていて情報科学的なアプローチをニグレクトしているから、
ちゅーかなんでチョムがやらないといけないのか、(そういうことに色目を使っている)
アダモちゃんがやるのでもいいのじゃないか、という疑問があるにょろ。(チョムを含め)
だれもチョムが言う通りにやらないとならないとは言ってないニョロ氏。
>いわゆる言語屋さん自身は言語進化の解明に直接貢献できないと 思っている。
カオモチ氏なんとか言ったってや。
>Look at you!
>これは目の前の相手に対して使う褒めの感嘆文ですよね。
「褒め」だけでなく「けなし」でも言うニョロ。
本筋からはそれる質問なんですが、
質問1
chierchiaってどう読むんでしょうか?
Hornsteinは「ホーンスタイン」でいいと思うんですが
質問2
弱生成と強生成の違いについてですが、派生は構造を
強生成し、文を弱生成するというのを昔、教科書かなにか
で読んだ記憶があるます。で、この強生成と弱生成の
違いってのはいったいどんな定義なんでしょうか。
今さらながら。。。
あけおめことよろ〜(切るとこ間違わんよーに)
実は年末から体が絶不調で寝たり起きたりにゃ
左下半身が痛くてだんだん歩行困難になってきたのと、起きてる間中、
頭がグラグラ、カラダがユラユラ揺れている感覚が治まらんにゃ
(ユラユラとグルグル@王様)
なわけで、復帰はもうしばらく先になるにゃが、おまいら、仲良く喧嘩しとけにゃ
あと、かかりしゃんとこにRodがわらじ脱いだみたいにゃが、せーぜーいたぶってやって栗
せっかく顔出したので、基本的なとこだけチェックいれとこうかにゃ
>>599あたり
岡ノ谷に限らず、生成が主張する文法のmodular autonomyは、各モジュールが
系統発生的には起源を別として、それが後ほど合体して言語となったという進化
のシナリオを示唆してきたわけにゃ
その点で、GB的な高度に複雑なモジュール文法はそのモジュールのすべてについて
前言語的適応進化を想定しなければならず、俺の用語でいえば進化的妥当性を充足
することが極めて困難な、最悪のシナリオであったにゃ
MPの脱モジュール、recursion-onlyの方向性は、この点では好ましいものであると
言えるのにゃ
>>629あたり
>>I love me.とLook at you.
ガイシュツにゃがこれは生成意味論の時代にLakoffやMorganが取りあげとったにゃ
ずーっと以前、フランスの女優でBBといえば、とかクイズをここでやった記憶があるにゃー
>>632あたり
GC=CPとすることの問題点は、picture nounなんてものを持ち出さなくても
*[CP [IP Jane believed [IP Tom to love herself ]]]
から明かなのにゃ
>>635 >そういった意味では、CPをガバニング・カテゴリーにしたのはいいかもしれない。
>無用な補助仮説を出さない点でもいいしな。
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
>>667 >いわゆる言語屋さん自身は言語進化の解明に直接貢献できないと 思っている。
ま、これは正しいと思うにゃ
できるのは言語進化研究への問題提起、話題提供であり、従来の学説のどこに
不備があるのかを指摘することにゃろ
ちょうど経験主義・行動主義では言語獲得は説明できないという指摘をした
まではよかったが、生得論に基づく完璧な代案はずーっと出せないままというのと
同じだにゃ
生得論がらみでいうと、俺にとっての今年のキーワードは「エピジェネティクス」に
なろうかにゃ
675 :
仇鱒:2006/01/12(木) 19:16:47
さて、ガス抜きすっかな。
>>668はおそらく認知ぶんぽーやってる人だな。
>これって仇増さんの独自の分析?それとも誰か生成の人がこう分析してるの?
わしの分析だよ。てか、わしの名前は「仇鱒」だが。w つーか、生成の香具師
でも形式意味論(とくにDRT@でぃすこーす・りぷりぜんていしょん・せお
りー)に精通している人なら直ぐに思い付くと思う。
>その<PRESENT> <PAST> なんてのはどのレベルでの表示ですか?
統語レベルじゃない。可能世界レベル。けど、何からの形で可能世界レベルと
統語レベルはリンクされているはず。
>じゃぁ、次の文はどう分析するんでしょうか?
>Look at you!
'Look at you!'はしいて訳せば「てめぇのツラを見ろ!」となる。で、自分の
ツラは自分じゃ見られない。どうやったら見られるかというと、自分を鏡に映
してみるわけだ。だから、わしに言わせたら、'Look at you!'のyouは鏡の中の
自分。鏡を見ている自分と鏡の中にいる自分は「別人」。
だから、'Look at yourself!'ではなく'Look at you!'になる。
どうだ、わし認知ぶんぽーもイケるだろ。ははははは。
676 :
仇鱒:2006/01/12(木) 19:17:48
>>669 >いつものように話が噛み合ないにょろけど、
ま、いつものことだ。ははははは。で、もっとハナシを簡単にしちゃうけど、
実際問題かかりちゃんは次のコントラストをどう説明するの?
(1)They believe that pictures of themselves look horrible.
(2)*They believe that Jane thinks that pictures of themselves look horrible.
ぶっちゃけ、上の(1)-(2)で違うのは、that Jane thinksのところだけ。
この違いが上の対比を出している。もっとピンポイントで言うと、
このthat Jane thinksがあるだけで(2)はダメになっている。てか、見方を変えると、
(2)から that Jane thinksを取り除くとよくなる。-self形には一種類
しかないとして、しかもガバニング・キャテゴリーを固定した形でどう説明
できるのだろうか。正直わしには難しいと思う。で、こういう時には無理
しないで、どちらかの条件をゆるめてやればいい。つまり、-self形には2種類
あるとするか、ガバニング・キャテゴリーを固定せず環境しだいで伸び縮
みすると考える。ただし、ガバニング・キャテゴリーを固定しないアプローチ
では束縛理論は実質あぼんである。なぜならば、これをすると事実からドメイン
を決めることになり完全に後付けリロンになるから。だから、総合的に考
えると、つまり理論全体のバランスとビューティフルさを考えると、-self形に2
種類設定するのが妥当だと思う。つまり、必要悪としてロゴフォーを仮定
するのがベターだと思う。
677 :
仇鱒:2006/01/12(木) 19:18:48
>アダモちゃんがやるのでもいいのじゃないか、という疑問があるにょろ。
とてもじゃないが理論屋のわしにはそこまで手が回らないというか能力的に無理
である。てなことで、少しずつだが学生をけしかけてやっていたりする。
でもまだ公にできるような結果は出ていない。ま、わしの指導力不足
のせいであるが。まあ、いずれにせよ、やはりこういうことは理論も
プログラミングも両方とも精通している人間じゃないとまともな仕事
はできないところがある。だから、前にもちょこっと書いたが、理論と実装の
両方に精通しているラーソンとかアブニーあたりが本腰入
れてやってもらいたいというのがある。あと、前スレでわしがちょいと書
いたが、いずれ高校などで情報科目を履修した学生が生成
をやるようになってくる。そうすると、まさに理論も計算機も両方やれる香具師
が出てくるわけだ。そうなるとかなり状況が変わってくるのではないかとわしは
思っている。たぶん、わしの見込みでは向こう7−8年で何かしら変化が起
きるかと思う。で、わしらはそういった若い世代がちゃんと安心して実装
できるものを提供すべきだと思うのだ。生成は今のままだと7−8年後にはHPSG
とかに乗っとられると思う。ようするに、庇を貸して母屋をとられかねない。
ま、HPSGも生成だがな。ははははは。つーか、欲を言わせてもらうと、言語学を
専攻している学生は必修で情報科学なんかを履修すべきである。そのためにも
学部横断型のカリキュラムをつくる必要がある。が、ま、それは大学で仕事
している言語学のセンセの政治力の問題も絡んできたりする。ぶっちゃけ、
言語学のセンセに学内政治力なんかがないとこれから<理論系の>言語学
そのものがあぼんされかねない。ま、わしはブンケイ大学の実情をよく知
らないが、ブンケイで働いている香具師にはマジでしっかりしてもらいたいと
思う。
678 :
仇鱒:2006/01/12(木) 19:19:53
>>いわゆる言語屋さん自身は言語進化の解明に直接貢献できないと 思っている。
>カオモチ氏なんとか言ったってや。
まず、なんでいわゆる進化論がそれなりにプロージブルな議論ができるかと
ゆーと、動物には魚類からはじまって両生類、爬虫類、鳥類、ほ乳類
といろいろあるからだ。そして器官なんかでも、その前駆体となるモノが前の種
にあったりするわけだ。つまり、器官は構造的にも機能的にも種間である
程度連続しているわけだ。だからこそ、いろんな種の生き物を観察
することにより、進化というものを研究の俎上に載せることができるわけだ。
でも、自然言語の場合はそうはなっていないのだ。魚類、両生類、爬虫類、
鳥類、ほ乳類といったように自然言語のできそこないみたいなのがそこら辺に転
がっているわけではないのだ。自然言語はひとつしかなくしかも完璧
なものしかないのだ。おまけに、わしらホモサピエンスしか持っていないのだ。
しかも化石としても残っていないのだ。研究に必要な比較検討という手段すら断
たれているのだ。そういう状況だから、わしら言語屋さんというか生成屋
はぶっちゃけ出る幕がない。で、そういう過酷というか粗悪な条件の下
でそれなりに反証可能な形で研究ができるのは人工知能屋さんぐらいなのだよ。
だからわしが何度も言っているように、言語の系統発生をマジでやりたいのなら
人工知能屋さんとタッグを組まなければいかないのだ。もっとゆーと、言語の
系統発生は科学の問題じゃないのだ。工学の問題なのだ。ま、その辺りのことは
今年の12月頃に出る○善の事典でも見てくれ。藻前らの知りたい情報
がてんこ盛りになっているはずだ。
679 :
仇鱒:2006/01/12(木) 19:21:05
>>670 >Hornsteinは「ホーンスタイン」でいいと思うんですが
正しくは「ホルスタイン」ww
>で、この強生成と弱生成の違いってのはいったいどんな定義なんでしょうか。
ま、詳しいことは年齢的にfrえd師匠が教えてくれるんじゃないかな。ま、
わしはその辺りはちゃんと理解していないのだが、個人的には、
弱生成能力つー のは記述的妥当性を満たすパワーで、強生成能力つーのは
説明的妥当性を満たすパワーぐらいで考えてる。ま、このスレにはわしより偉い人が
たくさんロムっ てるようだからそういった偉いセンセがちゃんと教えてくれると思う。
偉いセンセ後は4649(←死語w ちゃんと教えてやってやれや。
680 :
仇鱒:2006/01/12(木) 19:22:10
>>671 >かかりしゃんとこにRodがわらじ脱いだみたいにゃが、
あんまバラすなYO! Rodしゃんの身元バレるだろーが。ヴォケェエエエ!!!
てか、
>頭がグラグラ、カラダがユラユラ揺れている感覚が治まらんにゃ
もうクスリはやめろって。ww
ま、いろいろわしのカキコミにもレスしてくれたが、またわしがレスし返すと
顔餅の右下半身も痛くなっちゃいけないのでやめとくわ。
まあ、何はともあれご 自慰愛しろよな。マジでいい年なんだから、あんまり無茶すんなYO!
ま、ほんとに体つーか健康第一にしろよな。
てか、アンジェリーナ・ジョリー姫、ご懐妊か、、、。嬉しいやら悲
しいやら、、、。でも、いちおう祝いのことばを言っておこう。ジョリー姫、ご
懐妊おめでたう!!! うぅ〜、でも、やぱ悲しい、、、。もう人妻か、、、。
さて、木曜日はキリンクラッシックラガーの日だ。一日の疲れをとるかなー。
>>674 つーか、チョム何やってんだか、、、。チョム暇だな(藁
医者から戻ったにゃ
>>675 一時はDeep Purpleと双璧をなした往年の英国ハードロックバンド、Uriah Heepの
名曲に Look At Yourself (邦題:対自核)というのがあってにゃ、アルバムジャケットが
鏡のようになっておったにゃ
鏡で自分を見るときはいつも Look at you 、ということではなくてにゃ、再帰代名詞を
敢えて人称代名詞に置き換えるときは、内包的非同一性とか非束縛変数解釈とかが意図
されとるように思うにゃ
Look at you! はたとえば「お前のみっともない姿が人様の目にどのように映っているか、
客観的に眺めてみろ」というような解釈だろうにゃ
I'll buy me a new guitar
という表現もよく見かけるにゃが、これは人称代名詞と再帰代名詞の区分がはっきり
していなかった時代の名残りかもにゃ
「自分へのご褒美」的にrecipientとしての自分を客観視している気持ち悪い意味合いも
あるかにゃ、知らんけどにゃ
683 :
仇鱒:2006/01/12(木) 20:16:09
を、顔餅また出てきたか。ま、あんまり無理すんなよ。
で、やっぱり原因はクスリのやり杉か?w
>>681 >Uriah Heepの 名曲に Look At Yourself (邦題:対自核)
というのがあってにゃ、
>アルバムジャケットが鏡のようになっておったにゃ
ふーん、そうなのか。それは知らんかった。それは強力な反例になる鴨な。
でも、代名詞の振る舞いって照応形と同じくらいワカランことがあるな。
たとえばよくある例だとIt's me.とかな。Look at youとかは統語論とかの問題
じゃなくて意味論の問題だわな。こういったものまで統語論で処理
しようとするとマジでワケワカメな状態になる。まあ、わし個人としては
束縛理論はGBで頭打ちだ。あれ以上やる必要ない。あれ以上やりたいなら他@
意味論逝ってやってこい!というカンジだ。
>>682 をぉぉおおおお!!!!リッチーキターーーー!!!!!
やぱリッチー閣下もストレスたまってストラトで一発
かましたくなったんじゃねぇかな。顔餅に送ってもらったDVDにも
入っていたが、ブラナイのチャイルド・イン・タイムはなかなかいい。バックの
コーラスもグッド。てか、前にも書いたけど、ナイトの歌唱力はハンパ
じゃない。マジでうまい。おしゃべりというかMCも決まってるし、安心して
ステージを見ていられる。たぶん頭もいいんだろうな。わしも虹のライヴ、一度
でいいから行ってみてぇ、、、。
さて、わしはもう一缶空けてお仕事だ。ま、顔餅や、どこが悪いんだか知
らねぇがまたーりやれな。無理は禁物だ。
カオモチ司、お大事ににょろ。仇ちゃんみたく風邪ひいてばかりでもショーがないし、
睡眠たっぷり、食事はおいしく、運動もする生活しとかんとあきませんニョロね。
体壊したらそれこそ仕事どころじゃないにょろ。
>chierchiaってどう読むんでしょうか?
ケルケア
>*[CP [IP Jane believed [IP Tom to love herself ]]]
ECM/RTO補文はTPじゃなくてCPかもしれんにょろ。
>実際問題かかりちゃんは次のコントラストをどう説明するの?
>(1)They believe that pictures of themselves look horrible.
>(2)*They believe that Jane thinks that pictures of themselves look horrible.
アダモちゃん微妙にずれとるにょろけど、普通に考えてこれはcondition Aが予測する
localityと同様に扱わない根拠が皆無にょろ。
(1') They looked at themselves.
(2') *They think that Jane looked at themselves.
GC=the first CP that dominates the anaphorって定義じゃ、(1−2)が問題になり、
(1'-2')との平衡性が捉えられないってのはundergradの授業でも教えているニョロけど。
>ガバニング・キャテゴリーを固定しないアプローチ
>では束縛理論は実質あぼんである。なぜならば、これをすると事実からドメイン
>を決めることになり完全に後付けリロンになるから
これが何が問題なのかわからんにょろ。普通、言語学では事実を観察してそれをもとに
仮説を建ててそれを検証しますにょろ。事実をみないで仮説建てることに
なんのメリットがあるにょろ?
>かかりしゃんとこにRodがわらじ脱いだみたいにゃが、
やっぱし、最初はコテンパンに潰すところから始めるのが指導の基本ニョロかね。