>>617 大学の入門というか概論というかイントロの授業に、専門でなくて頭がよくて真面目でちょっと個性的な学生が出席していて、教師の言うことに積極的に質問していて、それに対して教師はうるさがらずにむしろ楽しんで答えているという ふいんき というか雰囲気。
二人ともそのやりとりを、というか対話しながら学問することを楽しんでいるのが周りにも伝わってきて、たのし〜な〜、と。
ほめすぎですか?
635 :
(´∀`):04/09/11 16:31:57
>>634 > 大学の入門というか概論というかイントロの授業に、専門でなくて頭がよくて真面目でちょっと個性的な学生が出席していて、
頭がよくてはあバズレ。
> 教師の言うことに積極的に質問していて、それに対して教師はうるさがらずにむしろ楽しんで答えているという ふいんき というか雰囲気。
ATARI.
> 二人ともそのやりとりを、というか対話しながら学問することを楽しんでいるのが周りにも伝わってきて、たのし〜な〜、と。
> ほめすぎですか?
ありがとうございます。誉め過ぎですね。
でも、風引機じゃ「どこが」の答えになりません。 ^^)
>>635 > >専門でなくて頭がよくて真面目でちょっと個性的な学生が出席していて、教師の言うことに積極的に質問して
> つーのが俺らの理想にゃが 現実はキビシーのにゃん
> それに対して教師はうるさがらずにむしろ楽しんで答えているという
って私たちの理想だけど、現実は美意識なのにゃん。
638 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/09/12 03:12:26
そろそろいつもの生成すれにもどる?
どうぞ!
641 :
(´∀`):04/09/12 13:12:23
チシャしゃん、モテモテだにゃw
713 :認知MAN :04/09/12 10:04:17
いいことを教えてやる!お前らじゃ今心理板から言語板に乗り込んできてる
「真昼のチシャ猫」にも手も足もでねぇだろよ!このスレで俺に噛み付いて
くる奴のなかでも特に
>>540,
>>543,
>>552みたいな連中は言語板に誇りを
喪ってるみたいだから、挑戦してみろよ!そうすれば俺が言っていた
「インテリ口調で語る奴の底が知れてる」の意味がわかるよ!
ま、あの雌猫にズタズタに引き裂かれるのがオチだろうけどな〜・・・。
でも、お前らもとりあえず噛み付く事にかけてはハイエナ並だから、
一度あの雌猫に噛み付いてみな!面白いとおもうぜ!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1085891701/l50
>>641 > チシャしゃん、モテモテだにゃw
素敵な人にならモテたいですけどね。
これって、誰を(あるいは、誰と誰を)煽っているのかしら?
> 713 :認知MAN :04/09/12 10:04:17
> いいことを教えてやる!お前らじゃ今心理板から言語板に乗り込んできてる
> 「真昼のチシャ猫」にも手も足もでねぇだろよ!このスレで俺に噛み付いて
> くる奴のなかでも特に
>>540,
>>543,
>>552みたいな連中は言語板に誇りを
> 喪ってるみたいだから、挑戦してみろよ!そうすれば俺が言っていた
> 「インテリ口調で語る奴の底が知れてる」の意味がわかるよ!
ずいぶんカッカしてるのねぇ、でも、カッカできるだけ、幸せよね。関係ないけど
2chの引用符よくできてると思うけど、こういうふうに、別のtreeにひっかかると間違っちゃうのね。
[認知言語学 II]:
>>713 とかできるといいのにな。
> ま、あの雌猫にズタズタに引き裂かれるのがオチだろうけどな〜・・・。
わたし、引き裂いたりしてますか?そんなつもり全然(−1%)ないんだけど。。。
> でも、お前らもとりあえず噛み付く事にかけてはハイエナ並だから、
> 一度あの雌猫に噛み付いてみな!面白いとおもうぜ!
私をハイエナが噛むの?全然、面白くないわ。猫族は、生産性の低そうな泥試合には関わりたがらないもの。
噛まれれば黙っていられないかもしれないけど。
> 何の根拠もそして脈絡もなく言いたいことだけをいうなら誰でもできる。
というのは、私そっくりだけど。
先生、心理板はなんだか漣ばかり。どうか、こちらでは、あのいつもの文脈解読困難語でお続けくださいませ。
>>517 > 動詞のみならず、名詞が時制変化することもあるにゃ。
そんなに引き裂いたりしてないよなって思って読み返したら、上のことを伺い損ねていたのに
気がつきました。教養として、例を教えていただけますか?
主語なし(あってもいいけどなくてもいい)言語って、どのくらいあるんでしょうか?
>>643 >>644 両方とも、何が知りたいかっていいますとー、
語るものが居て表明される --> 語られる内容がある
っていう仕組みって、近代的であって、古代ではそうだったのかしらって疑問なんです。
気のせいなんだろうと思うけど、ラテン語の時代なんかは、
語られる内容が語られている
っていうだけで、そこに近代的な「自己」とか「主体」とかってあったんだろうか?って。
#あ、またお邪魔してしまっていますね。いけないにゃ。。
無理に関連させチャオ:
時制変化する名詞は、主語として時制変化するのか、目的語として時制変化するのか、
両方あるのなら、全く同じ形式で時制変化するのか、なんてこと。
647 :
(´∀`):04/09/12 16:30:06
>>643 単なる引用にゃが
Potowatomiというインディアンことばでは、動詞につく過去時制形態素が名詞にもついて
英語に置き換えれば my father-ed で my dead father、my canoe-edで my lost canoeの意 になる
とかあるらしいにゃ
D. Crystal, The Cambridge Encyclopedia of Language.
>>644 これは「主語」という概念自体についての統一的な見解がないこともあって難問なのにゃ
1) 全ての言語には主語があるが、日本語やイタリア語、あるいは英語の不定詞節にみられるように
それは音形化されない(発音されない)こともある、という立場
2) 音形化されないということはすなわち存在しないということで、同一言語において主語あり文も
主語なし文も同居する、という立場
3) ある言語では主語というものがまったく存在しない、という立場
特に(3)は「日本語には主語がない」(
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1021896416/l50 参照)
という主張として一部の研究者に根強く支持されとるにゃが、
生成文法では主語自体はプリミティブな概念ではなく、ある構造上の位置を占める要素を便宜上
主語と呼んでいるだけで、(1)ないし(2)が多数派を占めるにゃ
648 :
(´∀`):04/09/12 16:31:59
>>645 >語るものが居て表明される --> 語られる内容がある
ここでいう「語るもの」は多分 speaker の意味で主語 subject とは別物なのにゃ(一致する場合もあるにゃ)
で、「語り」という行為があるということはその行為者としての語り手が必ず存在するから
文字通りには語り手不在で「語られる内容が(誰にもよらず)語られている」ということは古代・近代に
関係にゃくありえないんでないにゃろか
ただ語り手の存在が語られる内容にどの程度明示されているかとか、語られる内容に対する語り手自身の
関わり合いの度合いには程度差があるにゃろ
自分の信念を語っているのか、他者の発言をそのまま繰り返しただけなのか、とかにゃ
ひょっとしてチシャしゃんのいわんとするところと違ってる気もするにゃが、
「我思う故に我あり」ではなくて正しくは「我あり故に我思う」にゃろ、とかそーいったこととも
関係するにゃ?
生成的に面白いと思うのはハイデッガーの「人間が語るのではなく言葉が語るのである。
人間が語るのは、彼がいつもこの言葉を受け入れるからだ」(沢田允茂「言語と人間」より)と
いう洞察だとは思うけどにゃ
つまり、自己創出・自発生成系としての言語能力と、それを利用する言語運用系の間の
線引きに似たとこがあるという意味でにゃ
本当に美味しい餌がいっぱいあってニャンダフル。б⊇!~
>>647 > Potowatomiというインディアンことばでは、動詞につく過去時制形態素が名詞にもついて
> 英語に置き換えれば my father-ed で my dead father、my canoe-edで my lost canoeの意 になる
じゃ、my child-ingはこれから生まれてくる子ども、your life-ing は将来のことなんですね!
なんて美しいんでしょう。うっとり。my love-edは別れた恋人で、my tears-ingは出るかもしれない涙?
キリがなさそうですけど、Potowatomiには文字があったんですか?文字が無いから、歌のように
融通無碍に言葉が生まれるのかなって。それに関係するかもしれないけど:
上の例って、動詞(の内容)を特定しなくても相手に通じるから-edだけでいいってことでは
ないんですか?この言葉が実際に発せられたとき、は通じた、が、それを後から言語学者が
蒐集して文字にしたとき、まるで、状況なしに、my father-edだけで「死んだ」って意味があるように
とらえてしまった、とか?だって、ただ「出て行った父」であってもいいような気がして。
> D. Crystal, The Cambridge Encyclopedia of Language.
糖分食べるものいっぱいで太りそう。。。
> これは「主語」という概念自体についての統一的な見解がないこともあって難問なのにゃ
言語学の世界も豊饒ですね、尽きることなく問題がある。
> 生成文法では主語自体はプリミティブな概念ではなく、ある構造上の位置を占める要素を便宜上
> 主語と呼んでいるだけで、(1)ないし(2)が多数派を占めるにゃ
ほんと、すっきりさせるのがうまいですね、生成文法の先生たち。
ここで、「構造上の位置を占める要素」を便宜上主語と呼ぶっていう点ですけど、言語構造上ということですよね?Treeの開始点としてですか?
言語が実際に使われるときって、向き合って話したりするけど、そのとき、私、あなたの区別つけながらでないと
それこそ「これ」とか「それ」とかや「こっちへ」とか「そっちへ」も意味不明になってしまうでしょう?
そいう実際の状況とは、上の構造上の位置とは直接の関係は無いんですか?
>>648 > >語るものが居て表明される --> 語られる内容がある
> ここでいう「語るもの」は多分 speaker の意味で主語 subject とは別物なのにゃ(一致する場合もあるにゃ)
にゃは、そうでしたね。うーん、でも、ちょっと待ってください。
> で、「語り」という行為があるということはその行為者としての語り手が必ず存在するから
> 文字通りには語り手不在で「語られる内容が(誰にもよらず)語られている」ということは古代・近代に
> 関係にゃくありえないんでないにゃろか
> ただ語り手の存在が語られる内容にどの程度明示されているかとか、語られる内容に対する語り手自身の
> 関わり合いの度合いには程度差があるにゃろ
> 自分の信念を語っているのか、他者の発言をそのまま繰り返しただけなのか、とかにゃ
これはこれで、おもしろそうですね、とても。私の数少ない友達にお芝居やってる子がいて(駆け出しですけど)
劇に中には、解説役の人がいるのがあるでしょう?その人が劇中では脇役のときと、主役に近いときでは
お芝居の雰囲気が全然違うって言ってました。
> ひょっとしてチシャしゃんのいわんとするところと違ってる気もするにゃが、
> 「我思う故に我あり」ではなくて正しくは「我あり故に我思う」にゃろ、とかそーいったこととも
> 関係するにゃ?
あー、きっと、それ!インディアンの話でもぼんやり思ったんですけど、言葉と行動の関係じゃないな、
言葉と生きてることの関係が、インディアンの例と私たち現代に生きてる者とはどこか違うような。
デカルトって心身二元論で悪名高いと聞いたんですけどね、
「我思うゆえに我在り」っていうのは、if and only if考えたり感じたりするから(特に考えたりするから)、
存在が捉えられるってことなんでしょう?それにはあんまり賛成できないけど、この有名な言葉って、
デカルトの言いたかったこととは全く違う意味を与えることもできるんじゃないの?って思うことありますね。
ニャン語で言えば
主体が行動を決めるのではない 行動が主体を作るのだ
とか。
> 生成的に面白いと思うのはハイデッガーの「人間が語るのではなく言葉が語るのである。
> 人間が語るのは、彼がいつもこの言葉を受け入れるからだ」(沢田允茂「言語と人間」より)と
> いう洞察だとは思うけどにゃ
まるで、行動分析関係の人たちの言語観みたいですよ、それ!それが生成の先生たちにとって
面白いのなら、やっぱり、行動主義と似ているところがあるんだわ。ただ、
> つまり、自己創出・自発生成系としての言語能力と、それを利用する言語運用系の間の
> 線引きに似たとこがあるという意味でにゃ
というとき、「自己創出・自発生成系としての言語能力」というのを、行動の人たちは多分環境にあると
考え、先生たちはそうでなくて、主体の中にあると考えるんですか?受け継がれる脳?
それとも、そういうのは認知的?行動の人たちも、環境絶対じゃなくなってきているのかなっっとも思いますけど。
いつもは退屈な日曜日なのに、ほんとに今日はニャンダフルん
653 :
認知MAN:04/09/12 17:32:04
たまんねぇ〜なぁ〜、「真昼のチシャ猫」は!
HNからしてなんとなく色気プンプンしてるしよ!なんてったって猫族ってのがいい!
生産性の無いものを無視しておきながら、切り裂いたことにはなってないと堂々と主張
するところも好きだね。いつか引っ掻いてもらいたい〜・・・(ワン!?)
どよ?認知MANとcognitiveな一夜を過ごしてにないか〜い???
朝までnon-stop cognitive activitiesを通じてお互いを意味付けしあおうじゃないか!!!
生産性はあるぜ!多分「認知MAN.Jr」が生産されるかも。
だはははははぁ〜
654 :
認知MAN:04/09/12 17:32:58
下品ですまそ
>>653 「cognitiveな一夜」って、
「認知してよ!あなたの子供に間違いないんだから!」」
「そんなこと言われてもお前、他の男とも・・・」
みたいな夜ですか?((((;゚Д゚))) コエー
>>653 あら、ご機嫌損ねちゃった?ごめんなさい。そんなつもりじゃあったんだけど。
猫って、遠くとか別のところとか周囲を見回してから、
これにしようかななんてできないもんだから。ごめんね。目の前に餌がないと。
> たまんねぇ〜なぁ〜、「真昼のチシャ猫」は!
貯めてなさいよ、そのうち、水不足になるから。
> HNからしてなんとなく色気プンプンしてるしよ!なんてったって猫族ってのがいい!
> 生産性の無いものを無視しておきながら、切り裂いたことにはなってないと堂々と主張
> するところも好きだね。いつか引っ掻いてもらいたい〜・・・(ワン!?)
もう引っ掻いちゃったみたいよね。でも、ここに出迎えてくださった人の一人だから大切よ。
> どよ?認知MANとcognitiveな一夜を過ごしてにないか〜い???
> 朝までnon-stop cognitive activitiesを通じてお互いを意味付けしあおうじゃないか!!!
> 生産性はあるぜ!多分「認知MAN.Jr」が生産されるかも。
> だはははははぁ〜
こういうのが、他のところでもウケタリホウケタリなんでしょうね。。。こういうお話知ってます?
イザドラ・ダンカンって素敵なダンサーがいたの。すらっとして色っぽくて。それから
バーナード・ショーって作家がいたの、ウィットに富んで(ちょっと皮肉屋さんだったけど)
頭も一流(だけど、ちょっと風采が上がらない、ちょっとというかスゴク)
ある日、イザドラがショー先生に言ったわ「ねぇ、先生、私と結婚しませんこと?
私の美貌と先生のこの上ない知性が一緒になったら、どんな素敵な子どもができることかしら!」
そうしたら、ショー先生が「そうにゃな、それはいいかもしれん。しかし、もし、あんたの知性と
ワシのコノウエナイ美貌が合わさったら、どないにゃるねん?」って。
愛なんて言葉も認知も要らないわ。そんなもの、みんな消し飛んで、ただただ。。。
でも、そうやって新しい言葉がまた一つできるのかしらね。
658 :
認知MAN:04/09/12 18:58:04
先ほど認知板にて「言語学の話ししないなら出てくるな」とお叱りを受けました。
確かにその通りです。私のせいでチシャさんまで少し脱線傾向になってしまいすんません。(↓)
でも、心理学やってる人の思考回路って面白そうだから見学させてもらいまふ。
ちょっくらマジで勉強しないと認知板に来ている(´∀`)先生の話しについても
いけないですので・・・(↓)でも図〜ッと黙っていると2ちゃんきてる意味もないんで、
少しは理解して文句のかけらぐらい言える状態になるまでは・・・(泣)
チシャさんもそれまでここにいて下さいね(泣)猫族とお話ししてみたいですし・・・(泣)
糞〜!!!俺の脳は鼠以下だ〜(泣)もうヴェル二ッケ領域が悲鳴を上げている〜(泣)
だからといってブローカーズ領域が他人より優れているわけでもねぇし〜(泣)
(´∀`)先生!可逆理論のように、外部からヴェル二ッケ領域を0から叩きなおす方法はないですか?
そうだ・・・一度左前頭部と頭頂部を剣道の先輩に思いっきり叩きのめしてもらおう!(笑)
これで良くなるかもしれないぞ!(笑) ウケ毛毛毛毛ケケぇ〜
間違えて「失語症」になったときは(´∀`)先生、お願いします・・・
それで駄目なら、いっそPinkerの実験材料として余生を・・・(↓)(泣)
あら、泣きまねお上手。そりゃそうよ、黙ってたってしょうがないもの、言って、負けて、言って、負けて、
時には勝って、そうやってみんな大人のネズミになるんだわ。ネズミにはネズミの、ネコにはネコの、
それぞれの生き方と頭があって、どちらがどうってことはないわ。ネズミの生き方にはネズミの言葉があるもの。
私は、ネコの言葉がしゃべれないときは、本当は幸せじゃないのかも。きっと、あなたと同じだわ。
こちらの先生がたには申し訳ないけど、話始まらないから、ちょっとお邪魔しちゃった。けど、私はあなたの
せいで脱線したんじゃないの。もとから私には、走る線路が無いの。そういうイキモノ。
>>655 わかってるんでしょうけど、日本語と英語の区別なさいな。子どものときはソレじゃないのよ。
認知MANのは「意味づけしあう」っていうことを言いたかったんでしょ。
non-stopなんて言うから、果てしない痴話ごとに聞こえちゃう。愛はキシャポッポじゃないものね。
sage
↑超無意味
663 :
(´∀`):04/09/12 23:34:43
にゃはは、手玉にとられとるにゃ、認知MAN
大脳機能局在論みたいなこといっとったら認知MANの名がすたるってもんにゃろw
>「言語学の話ししないなら出てくるな」
生成スレはそんな偏狭なことないから安心するにゃ
>>649 >my child-ingはこれから生まれてくる子ども
正確には -ing は時制の標識ではなく進行「相」という情報にゃから(I was sleeping はあくまでwasが
過去時制を担う)、その言語でchild-ing 式の表現があるかどうかは分からんのにゃが
>動詞(の内容)を特定しなくても相手に通じるから-edだけでいいってことでは
同書から別の言語のtranscriptを引用すると
Navaho で thee to transitive-marker(他動性の標識) will round-thing-in-future ってのがあって、
全体の意味が he will give a stone to you にゃから、最後の「丸い物-未来」ってのが、「これから
あなたが手にいれるであろう石」ってわけだろにゃ。will と共起しとるから、動詞の代用とか
いうことでもなさそうにゃん
664 :
(´∀`):04/09/12 23:35:10
>>650 >「構造上の位置を占める要素」を便宜上主語と呼ぶっていう点
「ある」構造上の位置にゃ。専門用語で Spec, TP(TPのSpecifier)といっとるにゃが、ここに
生じた要素が文の主語にあたるにゃ。ちなみにTP以外の句にもSpecはあって、それを全部その句
ごとの主語と呼んでも差し支えないにゃ。上では暗黙の了解として主語=文の主語というのが
あったと思うにゃが、主語はあくまで相対的・関係論的概念でにゃ、たとえば使役文
[ 太郎が花子を働かせた ] は [ 花子が働く ] ということを太郎が引き起こしたという意味で
花子は引き起こされた出来事の中では主語になるにゃ。
>そいう実際の状況とは、上の構造上の位置とは直接の関係は無いんですか
まったくないにゃ
665 :
(´∀`):04/09/12 23:36:21
>>651 >デカルトって心身二元論で悪名高い
ちょっと上でも出たのにゃが、チョムスキー(←生成の言い出しっぺ)の言語観・言語学観の根底をなすのが、
二元論の崩壊なのにゃ。つまり言語を含めて人間の心的作用だけは、機械論的説明が可能な物質世界とは
別物である、という考え方がまったく誤りである、なぜなら物質世界さえ実は機械論的説明が成り立たないと
ニュートンが証明したから、というわけだにゃ。そこで対象が言語であろうが、他のどんな自然現象であろうが、
同じような態度で向き合う、その中には人間には永遠に分からないこと mystery もあれば、いつかは
分かる problem もあるだろう、という自然主義を採用することになるのにゃ、生成の場合はにゃ。
>行動分析関係の人たちの言語観みたい
尋ねるにゃが、行動分析と行動主義は別物にゃ? 行動主義とゆーと、直接観視できるものだけを対象にする、
言語の場合は実際の発話とかだけが分析可能、という印象があるにゃが、生成はそうではないと考えるにゃ。
ハイデッガーの言葉でいえば「言語が語る」部分ってのは、見える現象ではないにゃろ。
>行動の人たちは多分環境にあると考え、先生たちはそうでなくて、主体の中にあると考えるんですか?
そうだにゃ。言語は各個人の脳内にしか実在しない(内在論)、たとえば社会に共有されたルールや慣習として
の言語は実体をもたない、とする点でたとえばソシュールにゃんかともはっきり違う立場にゃ。
>受け継がれる脳?
これは深い表現にゃ。ドーキンズのミーム論とか意識してるにゃ?
言葉の難しさをすごく感じ始めてる。
>
>>649 > >my child-ingはこれから生まれてくる子ども
> 正確には -ing は時制の標識ではなく進行「相」という情報にゃから(I was sleeping はあくまでwasが
> 過去時制を担う)、その言語でchild-ing 式の表現があるかどうかは分からんのにゃが
まぁ、それは知りませんでしたわ(不勉強だから当然)。でも、ウォーフがどこかで(こういう表現じゃないけど)
ingは終わって確定していない事象だから未確定に属するっていうようなこと書いてたから、それに習った
だけで深い意味はないのです。
> Navaho で thee to transitive-marker(他動性の標識) will round-thing-in-future ってのがあって、
> 全体の意味が he will give a stone to you にゃから、最後の「丸い物-未来」ってのが、「これから
> あなたが手にいれるであろう石」ってわけだろにゃ。will と共起しとるから、動詞の代用とか
> いうことでもなさそうにゃん
なるほど、ですね。この例は明らかに動詞の代用じゃないですね。でも、それが、transitive-marker(他動性の標識) will
と補完しあっているのかもしれないんじゃないですか?
もっと知りたかったのは、私がうまく書けなかったのだと思うんですけど、
> >動詞(の内容)を特定しなくても相手に通じるから-edだけでいいってことでは
というのは動詞の代用という意味ではなくて、例えば、上の例だと give という意味はどこから来るのか
ってことなの。transitive-marker(他動性の標識)があって、それがおおよそ give なんだというのは
わかる気がする(結局、giveはぶっつけるんだって、愛情の印でくれるのだって、give は give だもの)。
でも、give みたいが意味の多様な動詞ではなくて、もっと限定された動詞なんかでは、動詞なしって
いうわけにはいかないでしょう?そういうとき、文字に記録できないものが補完してたんじゃないかって
ことを聞きたかったの。(もしかして、その族の言葉にはそんなに意味が限定された動詞はないのかも
しれないけれど。そういう限定性の少ない動詞って、結局、ルネ・トムの動作のトポロジーみたいなもの
じゃないのかしら。行動的にとらえても捉えられるような。
さて、近そうで近くない問題になっちゃったみたいですけど(つまり、同じ・違うという言葉を慎重に考えないと駄目ニャって話題)
>>665 > ちょっと上でも出たのにゃが、チョムスキー(←生成の言い出しっぺ)の言語観・言語学観の根底をなすのが、
> 二元論の崩壊なのにゃ。つまり言語を含めて人間の心的作用だけは、機械論的説明が可能な物質世界とは
> 別物である、という考え方がまったく誤りである。そこで対象が言語であろうが、他のどんな自然現象であろうが、
> 同じような態度で向き合う、
これって行動主義的に聞こえる。
> >行動分析関係の人たちの言語観みたい
> 尋ねるにゃが、行動分析と行動主義は別物にゃ? 行動主義とゆーと、直接観視できるものだけを対象にする、
> 言語の場合は実際の発話とかだけが分析可能、という印象があるにゃが、生成はそうではないと考えるにゃ。
微妙な問題みたいだけど、もしかしたら、何かわかるかもしれないわ。行動主義とかだけじゃなくて、
実際の発話とかだけが分析可能
と言った場合、そこには
実際の発話
しかないと思います?分析されたもの、分析してわかったものは、もう発話自体じゃないでしょう?
行動主義については、私の心理学の知識ははそれこそ狭いから正しいかどうかわからないのだけど、
行動主義って、スキナーの前と後で、実は滅茶苦茶違ったものになったんだと思うの。それから、日本の
行動主義も、今、また大きな転換点に来ているのじゃないかって思える(本を読んだだけだけど)。
スキナーはゴリゴリの講堂主義者だから発話しか考えないだろうって思う人が多いみたいだけど、
むしろスキナーは方法論についてはゴリゴリだったけど、研究対象については、行動って概念を
拡張してしまって(おそらく、過去の行動主義者が聞いたらビックリ)、<内的なモノ>にまで拡大した。
だから、そこの点は再検討しなくちゃいけないの。チョムスキーさんが批判したスキナーの言語論は
実は長い期間をかけて書き足されていったもので、スキナーにとっては不変でも読む人には変化して
いるようにも見える。そして、チョムスキーとの問題は、そういうスキナーの(というか初期の行動主義者の)
行動主義を批判したんじゃないかって。
668 :
ジャージー高木:04/09/13 01:48:10
Navajoの話だけど、グロスだけを見て考えてもしょうがないと思いますよ。
>willと共起しとるから、動詞の代用とかいうことでもなさそうにゃん
willというグロスがどのくらい妥当なものか分からないし、Navajo語の
文法を知らなかったら、そんな判断はできないのでは。
> ハイデッガーの言葉でいえば「言語が語る」部分ってのは、見える現象ではないにゃろ。
ご存知かどうかわからないのだけど(私も受け売りだけど)、スキナーの(行動分析の)行動って
オペラント(悪い説明だと自発型?)が中心なんだけど、実は
そのオペラントっていうのは、目に見える行動じゃないのよ!
オペラントっていうのは、機能(効果)を与える行動のクラスで、そのインスタンスが実際に目に見える行動
という捉え方をしている(この辺はラッセル譲り?)。これは、それ以前の行動主義者がほとんど個別の
筋活動・神経活動を行動としていたのと全然違うわけなの。その点は日本の行動分析の中でも
本当に少ない人しか考えに入れてないんじゃないかと思う。
> >行動の人たちは多分環境にあると考え、先生たちはそうでなくて、主体の中にあると考えるんですか?
> そうだにゃ。言語は各個人の脳内にしか実在しない(内在論)、たとえば社会に共有されたルールや慣習として
> の言語は実体をもたない、とする点でたとえばソシュールにゃんかともはっきり違う立場にゃ。
という点まで来て、私が迷い込んできた時点の問題に戻ったわけですよね?でも、これをここで続けると
ブーイングが出そうだし、また、ちょっと、私自身もエネルギーないかも。。でも、私が知りたいと思うのは、
そういう脳内在を考える場合、認知の人たちもそういう点では似てるんでしょ?それでも、生成の先生たち
とはどこか違っているんじゃないかしら?この2,3日で私はそう思いたくなったんだけど、どうなだんだろ?
> >受け継がれる脳?
> これは深い表現にゃ。ドーキンズのミーム論とか意識してるにゃ?
おやおや、また、新しい問題かなぁ。遺伝子、、、私が受け継がれる脳って言ったのは、気に入っていただける
表現なのね。これは私が勝手に作った言葉。でも、そういう可能性は面白いとは思うけど、私にはまだ
わからない。つまりね、脳の機能として遺伝するものが何か、という点できっと不一致があると思うから。
>>668 きっと、私のような素人相手に説明されるので、まずは大雑把にってことじゃないんでしょうか?
そうじゃないとしたら、どういうことなのかしら?私じゃわからないことですね、きっと。。
> だから、そこの点は再検討しなくちゃいけないの。チョムスキーさんが批判したスキナーの言語論は
> 実は長い期間をかけて書き足されていったもので、スキナーにとっては不変でも読む人には変化して
> いるようにも見える。そして、チョムスキーとの問題は、そういうスキナーの(というか初期の行動主義者の)
> 行動主義を批判したんじゃないかって。
ちょっと誤解招きネコそうな表現しちゃったけど
{スキナーの初期の
あるいは初期の行動主義者の}
行動主義を批判したんじゃないかって
と書きたかったわけで、スキナーの後半はチョムスキーさんの批判対象ではないんじゃないか、って。
もっとも、第二弾の批判では、脳の問題が絡むような感じになって、ま、別かもしれませんけど。zzz
672 :
(´∀`):04/09/13 02:57:13
原著では元のtranscriptがあって、それを逐語訳的に英語に置き換えてるわけにゃが、
確かに、willとの対応がどの程度正確なのかは知る由もないにゃ
(ちなみに原出典はサピアの研究となっとるにゃ)
>>666(不吉にゃw)
giveからすぐにルネ・トムの名前が出てくるところをみると、やっぱりタダモノではないにゃ
生成でdouble objectやっててカタストロフ理論知ってる香具師、はたして日本にいるのかにゃー
>give という意味はどこから来るのかってこと
よくある分析として GIVE = CAUSE HAVE (John gave Mary a book = John CAUSED [ Mary HAVE a book ])
ってのがあるにゃが、二者間に成立する典型的な関係がHAVEである、ということがまずあり、それに
さらに項が加わって三者間の関係に拡張されれば、第三者は二者間に成立するHAVE関係を引き起こす者
(つまりGIVER)ってことが自然に出てくるのかも知れんにゃー
しかしそうやって動詞の意味が自然に通じるから、動詞をわざわざ言うまでもない、従って、本来
動詞につくべき過去時制形態素が名詞に転移?した、というだけのハナシではなさそうにゃん
手元に資料まったくないのでニャンとも言えんにゃが、上の my dead fatherにしても、
I will miss my dead father とか、動詞の時制と名詞の時制が一致しないケースがあってもよさそうにゃし?
673 :
(´∀`):04/09/13 03:06:06
>>667 >研究対象については、行動って概念を拡張してしまって(おそらく、過去の行動主義者が聞いたら
>ビックリ)、<内的なモノ>にまで拡大した。だから、そこの点は再検討しなくちゃいけないの。
にゃんにゃん(了解
>>669 >> >受け継がれる脳?
ドーキンズ出したのは、遺伝子によることなく自己複製する方法として、言語を用いて思考を他者の
脳にコピーすることが思い出されたからなのにゃ
ちょっとチシャしゃんの思惑と違ったみたいだにゃ、にゃははは
674 :
(´∀`):04/09/13 03:10:41
314 :没個性化されたレス↓ :04/09/13 02:32:54
言語学 生成文法総合スレに 雌ネコの論客現われて
セミ行動主義的に 言語を 論じとる 行動分析屋なら 一見すべきか?
と言っても、そんな人 もういないっけ
なそーにゃw
>>672 私、眠いニャ。。
> 原著では元のtranscriptがあって、それを逐語訳的に英語に置き換えてるわけにゃが、
> 確かに、willとの対応がどの程度正確なのかは知る由もないにゃ
> (ちなみに原出典はサピアの研究となっとるにゃ)
そうですよね。でも、サピアだったらウォーフよりもきっちりしてるでしょうね?
>
>>666(不吉にゃw)
うーむ、ネコ蜜時。
> giveからすぐにルネ・トムの名前が出てくるところをみると、やっぱりタダモノではないにゃ
> 生成でdouble objectやっててカタストロフ理論知ってる香具師、はたして日本にいるのかにゃー
そうかしら。私はただのネコなのにな。フランソワの表紙の本は綺麗だったわ。父はトム先生知ってたみたい。
> よくある分析として GIVE = CAUSE HAVE (John gave Mary a book = John CAUSED [ Mary HAVE a book ])
> ってのがあるにゃが、二者間に成立する典型的な関係がHAVEである、ということがまずあり、それに
> さらに項が加わって三者間の関係に拡張されれば、第三者は二者間に成立するHAVE関係を引き起こす者
> (つまりGIVER)ってことが自然に出てくるのかも知れんにゃー
なるほど賢いな。でも、やっぱり、ここでも、少しズレがある感じがするの。うまく言えないから私も分かってないみたいですけど。
> しかしそうやって動詞の意味が自然に通じるから、動詞をわざわざ言うまでもない、従って、本来
> 動詞につくべき過去時制形態素が名詞に転移?した、というだけのハナシではなさそうにゃん
それは認めなきゃいけないでしょうね。もっと、なんだか面白いことがありそうだわ。
> 手元に資料まったくないのでニャンとも言えんにゃが、上の my dead fatherにしても、
> I will miss my dead father とか、動詞の時制と名詞の時制が一致しないケースがあってもよさそうにゃし?
それはないと思う。だって、そういう行ったり来たりの時制って、物語的に入れ子になってなきゃ駄目だと思うから(特にインディアンの人たちの場合は)。
>>673 >
>>667 > >研究対象については、行動って概念を拡張してしまって(おそらく、過去の行動主義者が聞いたら
> >ビックリ)、<内的なモノ>にまで拡大した。だから、そこの点は再検討しなくちゃいけないの。
> にゃんにゃん(了解
ほんと?ウレシイです、とっても。
>
>>669 > >> >受け継がれる脳?
> ドーキンズ出したのは、遺伝子によることなく自己複製する方法として、言語を用いて思考を他者の
> 脳にコピーすることが思い出されたからなのにゃ
へー。それって、行動主義的に聞こえちゃナ。「我々は言語で話すのではない、言語の中で話すのだ。」
> ちょっとチシャしゃんの思惑と違ったみたいだにゃ、にゃははは
また、一本とられたにゃお。
>>676 > へー。それって、行動主義的に聞こえちゃナ。「我々は言語で話すのではない、言語の中で話すのだ。」
違う! 「我々は、我々の仲の言語で話すのだ」
ですか?
>>672 > giveからすぐにルネ・トムの名前が出てくるところをみると、やっぱりタダモノではないにゃ
ケダモノだもん。
てすと
681 :
(´∀`):04/09/13 04:34:33
まん丸笑顔先生の ミーム のイメージって、言語の自律性なんでしょうか?
まん丸笑顔先生の 言語の自律性 のイメージって、ミームなんでしょうか?
情報を担う物質って物質なのかどうかわからないけど、一応DNAは物質扱いすると
ソフトウェア的な遺伝子みたいな発想って、なんかついていけないな。Artificial Life
みたいで。
自律性ってなんでしょうね。。。。