世界史なんでも質問コーナー

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1世界の七名無し
スレッド立てるまでもない気軽な質問をどーぞ!

前スレ
 「くだらねぇ質問はここに書き込め!@世界史板 」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=984814136&ls

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2まだ未回答だね:01/09/08 00:05
938 名前:オシエテくん 投稿日:01/09/07 05:43
(1)ウチの裏山にレバノン杉植えたいんだけど、レバノン杉について教えて。
(2)壷商法に興味があります。でレミギウスの壷をオシエテ。
(3)最後のローマ人シャグリウスについて知りたい。

オシエテくんで心痛いのですが、どうぞよろしくご教示ください。
3948:01/09/08 01:03
>>943
ドイツはナチの人道に対する犯罪、ユダヤ人虐殺等について国家として
謝罪を繰り返していますよ。

西尾幹二などが指摘しているのは、ひとつには、ナチの犯罪行為はその
実行者の責任であるとして、ドイツ民族の責任という形では認めていない
ということ、一般の戦争犯罪については謝罪をしていないということです。

ただ、これも捕虜の強制労働に対する補償などで、風向きが変わりつつ
あるようですが。

リンクについては、サーチサイトなどを使って自分で探してください。
4 ◆MJjykzAc :01/09/08 03:30
>梵阿弥 さん、あやめ さん。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=984814136&st=931&to=931&nofirst=true
> ひょっとしてシンガポルは獅子市ですか?。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=984814136&st=935&to=935&nofirst=true
> 「獅子洲」じゃなかったしら、スリランカも「獅子洲」だったような。

昔は漢字でどう書いていたかは知りませんが、シンガポールという地名の
由来で一番よく語られるのは、サンスクリット語で「獅子の町(都かも?)」
を意味するシンガプラから来ているというやつです。例のマーライオン伝
説ですね。

「獅子」、「シンガ」、「シンハ」、そして「シンバ」て、語源は同じな
んでしょうかね?
5名無しさん:01/09/08 03:54
ポチョムキン号の反乱で、たくさんの兵士に襲われて
発狂して死んでいった女の人って誰だったっけ?
6あぼーん:あぼーん
あぼーん
7世界@名無史さん:01/09/08 06:22
日本が世界の人口Top10に入ったのはいつから?
8世界@名無史さん:01/09/09 02:19
保全age
9ど〜でもいいけど:01/09/09 10:13
>>7
国別の人口という概念が、歴史上いつから成り立つかが難しいですね。
現在の国境で区分される地域が、過去も国家として有効であったわけで
はないですから。

ということで、直接の答えはできませんが、日本の人口が世界人口に占
める割合ということで言えば、現在よりも15世〜18世紀のほうが3.7%程
度と、相対的に高かったと推定されています。

また、1000年頃でも2.3%程度で、今とあまり変わらないと考えられている
ようです。

参考:John Durrand, Historical Estimates ofWorld Population
10世界@名無史さん:01/09/09 14:23
ミラノのヴィスコンティ家の紋章“人を喰らう蛇”の由来についてご存知の方いませんか?
11世界@名無史さん:01/09/10 17:02
科挙に受かって官僚になれば去勢はされないのですか?
12世界@名無史さん:01/09/10 17:15
>>11
その、「まず去勢ありき」の前提が何か、誤解のような・・・?
13世界@名無史さん:01/09/10 17:20
↑そうですね。
宦官は去勢して王族に仕えたらしいですけど。
科挙に受かって王族に仕えた場合は去勢しなくてもいいのか?ということです。
14梵阿弥:01/09/10 17:21
>>4
ペルシャ語で獅子はshirなので、インド・ヨロッパ諸語でかなり通じてるのでは。
やはりポルは都市でしたか。
15世界@名無史さん:01/09/10 19:26
>>13
宦官についてその程度の知識があって、この質問というのは、本気だろうか
という疑問が湧かないでもないのですが、親切がウリの質問コーナーです
から、一応レスしておきますね。

支那の皇帝の臣下は、内臣と外臣にわかれます。宮廷も外廷と内廷とあっ
て、日本で言えば、内廷が大奥に相当します。
内廷にあって、皇帝のプライベートな事項について仕えるのが内臣で、これ
が宦官でなければならないということでした。

逆に、公的な政治や行政、軍事を行う臣下は外臣で、中心となるのは科挙
によって選抜された官僚でした。こちらは、去勢とは関係ありません。

本来のルールでは、内臣である宦官は政治に口出しをしてはいけないとい
うことになっていましたが、常に皇帝の側にいることから、しばしば宦官が政
治的な権力をも手中にすることがあったということです。
16@名無しさん:01/09/10 20:51
瀋陽の遼寧省博物館の建物は元軍閥の湯玉麟の屋敷との
ことですが、彼について何か情報がありますか?
17ココ:01/09/10 21:02
トルコのハーレムにおいてギネス級の子孫を残した
スルタンの名前とその子供の数を教えて下さい。
何千人という単位だったと思うのですが、
忘れちゃって思い出せずに気持ち悪いので。
お願いします。
18世界@名無史さん:01/09/10 23:02
今年から世界史が学校ではじまったのですが、
自分で勝手に勉強していこうとおもっています。
まず最初に自分が1人で勉強していくのに良い参考書等があれば教えてください。
19世界@名無史さん:01/09/10 23:19
世界史は孤独な戦いだ。本に頼るな。自分のカンを信じろ
20世界@名無史さん:01/09/10 23:42
>>18
自分のレベルに合わせて、面白そうな本を本屋で選ぼう。
最初から専門的な本に手を出すと、すぐに投げ出すことになる。
特に、何巻もある世界史の長大なシリーズに手を出す時は要注意。シリ
ーズの1巻目は、人類史や考古学の話から始まっていることが多く、世
界史らしい世界史を読もうと思っていた場合、読みたかったような内容
でなくていきなり挫折する。
興味を持った時代・地域のところから読み始めて次第にその前後の時代
や関連する地域に手を広げるなど、順序にはこだわらずに、気楽にいく
のがいいよ。
21 :01/09/11 00:33
夏休みの宿題で、
「ヨーロッパ史について興味を持ったこと、自分の感想をレポートにしろ」
といわれたんですけど、自分、世界史とかあまり興味ないので
本を読む気にもならずぜんぜんやってません。。。
この板の世界史マニアな方、よろしければ何でもいいのでヨーロッパ史の
思いを簡単に語ってください。。。。助けてくださひ。ごめんなさい。
22世界@名無史さん:01/09/11 00:45
>>21
なんかなめきってるね
23世界@名無史さん:01/09/11 00:46
封建制の成立について簡単に教えて!!
24アマノウヅメ:01/09/11 00:47
面白そうなスレをプリントアウトして、マジレスだけ抜き出して
まとめては?
中世ヨーロッパの生活とか受けがいいんじゃないかと思いますが。
帝政ローマは変態ネタが多いので学校には出さない方が安全でしょう。
25世界@名無史さん:01/09/11 00:49
中世ヨーロッパの貴族社会復活希望すれもあるでよ。
マルチポストだから各板の反応、全部書きだせば量はたまるでしょ
2621:01/09/11 01:26
>>22
ほんとその通りですね。申し訳ないです。。。

>>24
>>24
アドバイスありがとうございます!
さっそく捜してまとめていきたいと思います。
ちょっとは世界史も勉強してみます。。。。。
2721:01/09/11 01:28
×>>24  ○>>24
 >>24   >>25  です。ゴメンナサイ。
28世界@名無史さん:01/09/11 01:35
>>21      自分の興味のあることに関しての(例えば音楽とか)、戦後のヨーロッパでの展開とかをみていったらどう?これだったら世界史好きじゃなくてもOKだし、ヨーロッパ史ということには変わりはないし。
29^ー^:01/09/11 01:44
世界史Bやってるんだけど
この科目を網羅したらすごくないか・・?
まだ古代ローマ終わったところなのだが・・・
他の教科してるより
すごい賢く(錯覚か?(藁)なったような・・・

PS
ネロやヴぇぇ・・・
30世界@名無史さん:01/09/11 01:50
つ〜か、もう9月の中旬だぞ。
夏休みの宿題とか言ってる場合か?

まあ、自分も1月8日の朝に書き初めして提出したクチだが。
3121:01/09/11 10:06
>>28
そうですね、クラシック音楽にはちょっと詳しいので
できるかも知れないです!>>25さんの教えて下さったスレもちょっと
興味出てきたのでそっちも平行させてがんばります。
ありがとうございます!

>>30
大学なんで。。。といっても今週から学校始まってるんですけど。
提出は週末です。今日は台風で全休講なので、今日中にがんばります。。
32梵阿弥:01/09/12 16:37
ラケダイモンは何時滅んだのですか。今のスパルティは18世紀に他所からきた人が野原を
切り開いて造ったそうで。前190頃ローマの保護下に入った後がわからない。
33世界@名無史さん:01/09/12 21:09
>>31
大学生だったんか。
最近出た「クナッパーツブッシュ」なんてどうよ?
34Cavabien:01/09/12 21:33
北元について詳しく知りたいのですが、どういう文献を当たれば
いいでしょうか?
35Cavabien:01/09/12 21:54
>>34書き忘れ。「明史」は近々購入の予定です。
それ以外に何かよい物があればご教示ください。
36世界@名無史さん:01/09/12 22:30
日本の遺跡はその存在自体がウソモノってのが
ぽろぽろでてきてますが
世界史的な遺跡でウソモノってあったんですかね、過去に。

あと、聖徳太子はいなかった、とかよくいうけど、
文献に頼りすぎて、存在しなかったんじゃないかという
人物とかは。
37 :01/09/13 07:38
ルーズヴェルトは真珠湾攻撃を知っていたにもかかわらず、米国民の敵愾心
を煽るためにわざとやらせた、という説はどの程度信憑性があるのでしょうか。
38大スキピオ:01/09/13 08:33
なんかその件で裁判があったような…
39世界@名無史さん:01/09/13 10:25
湾岸戦争は世界史になるのかな?
湾岸戦争において、米国がイラクとイスラエルに対してダブルスタンダードを
使ったのが(イラクの侵攻は認めないがイスラエルは認めた)ラディンが
反アメリカになった原因だった、見たいな事を聞いたけど、真偽の程を聞かせてください。

あと、>37についても詳細キボンヌです。
40世界@名無史さん:01/09/13 21:00
リッベントロップについて詳しく書かれている本
誰かご存知じゃないですか??
41世界@名無史さん:01/09/13 21:12
中国皇帝の冠、「べん冠」の前の簾状の物はどんな意味があるのでしょうか。また、あんな物をジャラジャラ下げていて、気が散ったりしなかったのでしょうか。
42世界@名無史さん:01/09/14 01:24
明が満州を支配したことはあったのでしょうか?
43世界@名無史さん:01/09/14 01:27
>>42
明は女真の族長に官位を与えて間接支配をしていた。
44世界@名無史さん:01/09/14 01:30
>40
ジョン・ワイツ「ヒトラーの外交官(サイマル出版会)」
などが良いかと。

サイマル出版の本は基本的に書店においてありませんので
注文が面倒ではありますが。
45世界@名無史さん:01/09/14 20:18
少年少女十字軍について教えて下さい
くわしいHPとかないでしょうか?
検索してもさっぱりで・・
宜しくお願いします
46世界@名無史さん:01/09/14 21:03
>45
以前、Yahoo検索で少女十字軍検索したら、悶絶した。
いろいろバカらしい単語が続出でした
47世界@名無史さん:01/09/14 22:45
真面目な45氏には悪いですが、検索して笑いました。
そうかー、いやー、ネットならこうなるよなー。平和で何より。
残念ですが私ヘタレにて、お手伝いできません。「少年十字軍」でかけても
いいのが出ませんね。それにしても「少女十字軍」とはなぜ?。
4845:01/09/14 23:55
ううーん残念
最近、ビザンティン帝国に興味がわいて、
それで十字軍の話を読んでいたら、少しだけ
少年少女十字軍というのがあった、とでていたので
どんな部隊だったのかなー、と、思ったわけです
ホントに少年少女で編成された部隊だったのでしょうか?
前線に出てたとして、はたして戦果はあったのでしょうか?
49Cavabien:01/09/15 00:13
>>48サン
ttp://www1.odn.ne.jp/hiyodori/medusa/medusa/making/rekisi2.html
皆さん、誰かがレスするのを待ってらっしゃるみたいなので僭越ながら俺が答えておきます。
上のURL(頭にhをつけて使って下さいね)を見れば大体解ると思います。
5048:01/09/15 00:20
>49さん
ありがとうございます!
早速いってみます!
51Cavabien:01/09/15 00:25
おっと、途中でした。失礼。>>49に追加です。

上のURLを見れば大体解ると思います。
少年少女が武器を取ってエルサレム奪還のために奮戦、とか想像するとちょっと
講談的にロマンチックではあるんですが・・。
ほぼ同時期にドイツ方面とフランス方面で同時発生したんですが、フランス方面は
奴隷商人に売り飛ばされ、ドイツ方面は南イタリアの港町ブリンディシにたどり
着いたところでその地の司教に追い返され、再びアルプスを越えてドイツに帰った
そうです。
5248:01/09/15 00:44
いってきました
売り飛ばされた子たちは悲惨ですね
でも、実際に前線に投入されてたら
もっと悲惨な事になってたのかな・・
Cavabien さん、ありがとうです!
53Cavabien:01/09/15 00:53
いえいえ、文章が汚くて申し訳ないです・・。
今度から落ち着いて書きます。

(気になるので一応修正)
上のURLを見れば大体解ると思います。
少年少女が武器を取ってエルサレム奪還のために奮戦、とか想像するとちょっと
講談的にロマンチックではあるんですが・・。
ほぼ同時期にドイツのケルンとフランスのヴァンドームで発生したんですが、フランス方面は
奴隷商人に売り飛ばされ、ドイツ方面は徒歩でアルプスを越えて南イタリアの港町ブリンディシに
たどり着いたところでその地の司教に追い返され、再びアルプスを(おそらく徒歩で)越えて
ドイツに帰ったそうです。
54プリンツィプ:01/09/15 02:08
サラエボ事件から大戦勃発までの経緯を
教えてください。
特にオーストリア外相ベルヒトルトがセルビアに
かなりすごい最後通牒を出してからセルビアに
宣戦布告するまでのあたりを知りたいです。
日本語文献もネット検索もあまり役にたたないもので。
よろしくお願いします。
55:01/09/15 02:11
みなさん、調べもしないで教えて教えてというのはやめましょうね。
中東関係は複雑なので、自分でほんを読んだりしないとわかりません。
人から聞いた知識はすぐに忘れます。これを機にしっかり勉強して下さい。
56世界@名無史さん:01/09/15 03:15
>>54
なんかさーWW1 の開始に今回の戦争似てるねー
57ある留学生:01/09/15 08:58
世界史板のみなさんどーもです。
今回のテロ事件の報復でアメリカが戦争起こそうとしていますよね?
どこかのスレでだれかが、
「今までに米が虐殺した民間人=テロの被害者数になるまでテロと続けろ」
という発言をしました。
そこで気になったのが実際アメリカは歴史上どれだけの
一般民衆を殺したのか?という事です。

とりあえず僕が思い浮かんだのは、以下のものです

アメリカンインディアン
黒人奴隷(主に輸送中)
フィリピンでの独立運動鎮圧のための虐殺
WWIIでのドイツと日本での無差別戦略爆撃
日本への2発の原爆投下
ベトナム戦争でのベトナム民間人虐殺
イランの民間機撃墜事件
冷戦時代の中米侵攻
湾岸戦争
ユーゴ空爆

これらでどれだけの犠牲者が出ているか
正確な数字どなたかご存知ありませんか?
あと上記からもれてる虐殺事件も追加していただけると嬉しいです。
宜しくお願いします。
58世界@名無史さん:01/09/15 13:10
>>57
グラナダ侵攻を忘れちゃいけないよ。
君が挙げた諸事件はそれなりにアメリカの大義っちゅうものがあったけど、
これこそは全く許されざる暴挙。奴ら(USA)はアメリカ大陸を自分の
裏庭程度にしか思っちゃいない。
5958:01/09/15 13:11
>>57
訂正;グラナダ→グレナダ
60地理の人:01/09/15 14:32
ギリシアやローマ帝国において、平民の人々は
どのような物を食べていたのでしょうか?
また、食物の量は充分にあったのでしょうか?
検索しても見つからないので、詳しい方居られたら
よろしくお願いします。
61アマノウヅメ:01/09/15 15:05
>>60
ローマでは第2次ポエニ戦争の時、贅沢な生活が流行りだして倹約令が出ました。
政府推奨の質素で健康的な献立は、
朝食:パン、蜂蜜、オリーブ、チーズ
昼食:パン、野菜、果物
夕食:昼食に同じで裕福なら肉や魚を加える
ということですから、帝政ローマの庶民の食事も大体こんなものじゃ。

野菜は、タマネギ、キャベツ、隠元豆など。肉は、鶏、豚、羊があったようです。
62世界@名無史さん:01/09/15 15:13
>>57 >>58
たしかに。アメリカの中米への干渉は目を覆いたくなる惨状をも生み出しましたよね。
エルサルバドルなどは、それはもうひどいものでした。
57さん、戦後の中米情勢も調べた方がいいですよ。
63地理の人:01/09/15 15:19
アマノウズメさんありがとうございました。助かりました(^^)
64世界@名無史さん:01/09/15 16:34
第二次世界大戦って、日本と、アメリカが戦ったんだよね?
正確には連合国と枢機軸国(こっちが日本)だよね?
イギリス、フランス、アメリカが連合国だよね?
で、えーっと、トルコが第二次世界大戦で負けて?国土がイギリスのものになって?
そこにアメリカがイスラエルを作った?
トルコは枢機軸側だったのかな?そういえば、トルコの人達は親日らしいね!
国土がイギリスのものになったってことは、トルコも思いっきり参戦してたの?協力ぐらいじゃなくて?

第二次世界大戦について、概略を調べようとしたんですけど、以外に良いサイトが自力では見つけられませんでした。
サイト情報orお答え、良かったら、教えて下さい。

私って、ほんと、物知らずのばかだわー。
65世界@名無史さん:01/09/15 16:37
つーか、答えて下さいなんて、大それた事言ってすいません。(汗)
HPとか、良かったら、教えて下さいませ・・・。
自分じゃ見つけられなくて・・・。すいません。
6664:01/09/15 17:35
いい感じのサイト見つけました。レベル低すぎなカキコして、すんませんでした。
じゃ!(スチャッ)
6754:01/09/15 18:14
リデル・ハートの第一次世界大戦は持っています。
これ以外のもので外交関係が詳しい本ありませんか?
68世界@名無史さん:01/09/15 20:27
>>67
リデル・ハート読んでおられるようなら既読かもしれないが、
ジェームズ・ジョル「第一次世界大戦の起源」(みすず書房)はどうでしょうか?
著者は外交史の人だし、基本文献だったと思いますが。
6954:01/09/15 23:27
>68
書名からジョルの第一次世界大戦の起源が
大戦前の外交について詳しそうだとは予想して
いたのですが。書店の店頭や図書館でみたことが
なかったもので。みすずの本おいてあるところって
かなりすくないですよね。基本文献だったのですか。
といってもWW1の文献じたい少ないですけどね。
オンライン書店で注文してみます。
ありがとうございました。
70 :01/09/15 23:47
イギリスが
アラブ人に対して「フセイン・マクマホン協定」、ユダヤ人に対して「バルフォア宣言」
など矛盾する約束をした背景を教えてください。
71世界@名無史さん:01/09/16 17:20
>70さん 深い意味を考えていたのなら申し訳ありません。
ただ、あなたが、「人は皆、善人」だとか「戦争は正義が勝つ」と
純粋に考えていて、このような質問をしたのなら、私の書き込みは答えに
なると思います。
イギリスは、アラブ人の協力をとりつけてアラブ方面に進出したドイツ軍
を攻撃させるために餌をまいた訳で、また世界中の裕福なユダヤ達から資金
的支援を受けるために餌をまいた訳です。二つの間に、フランス・ソ連と
サイクス=ピコ協定を結んで、この地を三国で分割する密約を結んだ訳です
から、初めから騙すつもりな訳ですね。
72 :01/09/16 17:21
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>>71
なるほど。
イギリスは始めから騙すつもりだったのですね。
でもパレスチナの地には第2次大戦後、ユダヤ人が入植してますね。
わざわざアラブ人を追い出して…。
イギリスがユダヤ人との約束を最優先した理由はなんなのでしょうか?
それともイギリス単独の意向ではなく国連の決議とかだったのですか?
74 :01/09/16 18:27
北アイルランド和平したみたいだけどIRAは現在どうなってるんですか?
75匿名希望さん:01/09/17 02:11
他スレにも書いたんですけど、誰もレスしてくれないのでここに書きます。

エジプトはアフリカにはいるんですか?それとも中東ですか?
皆さんが今話している内容ととてつもなくズレますが、どうしても気になったもので。
ちなみにさきほどインターネットで調べてみたら何故かアフリカ、中東どっちの方にも
書いてあったので、どっちが本当??って感じです。
誰か本当のことを教えてください!!
76世界@名無史さん:01/09/17 02:15
確かにわからないし雑学として知っていたら話の種にはなるだろうが
本質的にはどうでもいいんじゃないのかなあ
「本当」ってどういう意味なんだろう
77世界@名無史さん:01/09/17 02:17
>>75
古今東西、場所はアフリカ、文化は中東(ヘレニズム文化圏) 

じゃないのかえ? 只単に??? 違う??
78:01/09/17 02:18
>>75
たぶん、

年代における「中近東」の概念の変化

というスレをたてればみんな本気になってくれると思われ。
79世界@名無史さん:01/09/17 02:29
>>75
エジプトはアフリカとも中東とも言えます。
どっちも本当です。
三重県が近畿地方であると同時に東海地方であったり
山梨県が「首都圏」であり甲信越地方であり中部地方であるのと
似たようなモン。
厳密に言うと78で指摘されたように
地域概念の成立と変遷の問題になりますが…。
(基本的にアフリカは自然地理的概念で中東は地政学的概念)

>>78
年代におけるもなにも、中近東って言葉ができたのは
せいぜい19世紀、広まったのは20世紀のことらしいですよ。
80世界@名無史さん:01/09/17 02:38
アフリカ文化・イスラム文化のほかに
地中海世界でもあるからエジプトって本当いろんな顔を持ってるよ
81世界@名無史さん:01/09/17 02:49
>>75
エジプト人に聞くのが早いな。

お前の国はアフリカだよな? と言ったら怒るような気がする。
82TAKANO:01/09/17 02:59
どなたか助けてください。
ゼミの課題が19日からまでなんですけど
私の割り当てがほとんどできてません
関連図書・ホームページ・知っていること何でもかまいません教えてください
このままだと クビ→留年 です。自業自得であることは重々承知してますが
何とか助けてはもらえないでしょうか。
課題は
aベルサイユ条約をめぐる攻防
a-3ソ連の対応・国際的孤立からの脱却・安全保障の模索
  不可侵条約(バルチック諸国、トルコ、ギリシャ)
  ロシアフランス相互援助条約、フランスポーランド相互援助条約
  ロシアチェコ相互援助条約、ラパロ(ラッパロ)条約
  リトヴィノフ外交について調べよ。です
83世界@名無史さん:01/09/17 03:01
>>82
具体的に何をして欲しいのか伝わらない
84世界@名無史さん:01/09/17 03:03
>>81
エジプト・アラブ共和国はOAU(アフリカ統一機構)の加盟国ですよ。
85TAKANO:01/09/17 03:04
関連図書・ホームページ・知っていること何でもかまいません教えてください
特に関連図書でよいものを教えていただけるとありがたいです
86世界@名無史さん :01/09/17 03:18
>82
やだねったら やだね♪
87世界@名無史さん:01/09/17 03:21
>>81
>エジプト人に聞くのが早いな。
>お前の国はアフリカだよな? と言ったら怒るような気がする。

おこらないよ。
アラビア語で、チュニジア・リビアとセットで「イフリーキーヤ」と呼称。「エジプトこそアフリカだ」という心意気だね。
88TAKANO:01/09/17 03:27
>>86
質問版でそりゃないでしょ。
正直チョトワラタけど。普段なら激ワラかな・・・
89世界@名無史さん:01/09/17 03:29
>>87
文脈からすると、イフリーキーヤってのは「アフリカ」って意味のアラビア語?
そういえばアフリカって地域名自体がもともと北アフリカのことだもんね。
90TAKANO:01/09/17 10:53
あぼーん
91梵阿弥:01/09/17 11:33
>>64
オスマン朝トルコ帝國が負けてパレスチナがブリテン領になったのは「第壱次」です。
国際連合の決議によってのイスラエル出現は1947年頃で「第弐次」の後。
それから日本は「枢軸」側です。はじめはドイツとマジャル(ハンガリ)2國でした。
92世界@名無史さん:01/09/18 14:27
トスカナ女伯マティルダについて教えてください。
何でも、その土地を巡って12、3世紀の教皇と皇帝が争っていた
そうですが、どういう人だったのでしょうか。
93梵阿弥:01/09/18 14:46
>>57
奴隷解放後の黒人へのリンチ
94@名無しさん:01/09/18 17:11
アメリカのテロや広島長崎では1日で大量の犠牲者がでていますが、
歴史上、これらに匹敵する1日での死者はどんなものがありますか?
私の知ってるのは、朝鮮戦争の終わり近く、白馬(ぺくま)高原で
2,3日で3万人と聞きました。他には?
95ななし:01/09/18 17:27
ものすごい遅くなったが>>10へのレス。
あの蛇はギーヴル(Guivre)という怪物で、ミラノ近郊に住んでいて
人を食べまくっていた。そこに、ヴィスコンディ家祖のウベルティが
やってきてギーヴルを倒し、それでこの蛇が紋章になったというわけ。
96世界@名無史さん:01/09/18 17:28
>>94
自然災害ならそんなのいくらでもあるんじゃない?
97世界@名無史さん:01/09/18 21:19
>>94
秦が趙兵40万を穴埋めにしたってのはどうよ?
1日じゃないかも。あと真実味もどうか分からないし。
98ライディーン:01/09/19 22:14
素朴な疑問にレスを待つ・・・

1、ビンラディン(時の人)
2、ラディン一族(大富豪?)
3、ラビン首相(暗殺された)

1は2の息子って意味らしいが・・・
1の呼称(?)は2の要望か?
3はイスラエルの首相だったが・・・
99ライディーン(雷電):01/09/19 22:34

つづき
1、2、3 の関係はなんですか?
100YP:01/09/20 00:35
女真族(ジュルチン)は、なんで“女”が付くのでしょうか?
本来、女尊男卑な民族だったりしたの?
全然わかんないからアホアホな質問続けますが、辨髪の文化もこの民族が
発祥な気がするんですが、そこんとこどうなんですか?
(コサックも辨髪だったみたいっすけど・・)
また、現在も愛新覚羅家が存続している訳ですし、民族自体は存続してる
んですよね??? ね?
中国史(と言ったら、女真族の人怒るか・・)は更に解らない分野なんで・・

 諸賢の貴方! どうか女真族について、ザクっと御解説お願いします!
 (また、過去の関連スレもあれば教えてくださいな)
101世界@名無史さん:01/09/20 01:25
中世ヨーロッパの貴族階級の男の子って、7歳(本によっては14歳って書かれてる)になるとと小姓として他の貴族の家で暮らすじゃないですか。
長男でもそうなんですか?父親が死ぬと実家に戻るとか?
あと、女の子もやっぱり他の家で暮らすんですか?
こういうコトって、マジになって調べてみると、詳しい資料が見つからなくて……
102世界@名無史さん:01/09/20 01:41
>>98
「ビン〜」というのはイスラム史頻出の「イブン〜」と同じで、
「〜の息子」という意味。
イスラム世界の人名は元来姓が無く、
名前だけだとウサマとかアブドゥラとか似たような名前ばかりだから、
「ビン〜」の形で父の名前を後ろに付けて区別する
(イラクのサダム・フセインは「フセインの息子サダム」って意味でビンが省略された名前)。
ところが、王族や富裕な家なんかの場合はその家の始祖の名前に
「ビン〜」「イブン〜」を付けてほとんど姓のようにして使います。
ウサマ・ビン・ラディンはラディン家(始祖がラディンという名の人)出身ってこと。

ラディン(ラーディン)は"Ladin"、イスラエルのラビンは"Rabin"だから
カタカナで語感が似るのはただの偶然でしょう。
アラビア語(たぶんヘブライ語も)は母音の数が少なく子音が多いから
カタカナにすると紛らわしいことが多いです。
アミール「首長」とアーミル「徴税官」が全然別の語源の単語だったり…。
103世界@名無史さん:01/09/20 01:44
>>100
>女真族(ジュルチン)は、なんで“女”が付くのでしょうか?
ただの"ジュルチン"の当て字でしょう。
「なんでモンゴルは無知蒙昧の"蒙"に"古"が付くのでしょうか?」
なんて気にしないでしょ?(笑)
「女」という漢字にマイナスイメージがあるなら、
漢人が漢字を当てるときに貶める意図があったのかもしれないけど。

>辨髪の文化もこの民族が発祥な気がするんですが
たしか北アジア騎馬民族の風習で女真特有ではなかったと思いましたが。

>現在も愛新覚羅家が存続している訳ですし、民族自体は存続してる
清朝の初めに(たしかいくらかの漢人やモンゴル人も取り込んで)満州族に改名しました。
現代中国にも「満族」の名前で少数民族(1千万人ほど)として残っています。
人名はまったく中国化してるし、満州語を母語にする人はほとんどいませんが。
たしか、満族の民族認定基準は先祖が清朝の八旗に所属していたか、だけで決まるはず。
104世界@名無史さん:01/09/20 02:07
リュッツェンの戦いでグスタフ・アドルフは戦死したけど、
ヴァレンシュタインの軍を壊走したと聞いたのですが。軍事的な勝敗は
どう判断したらいいのですか
105世界@名無史さん:01/09/20 09:41
ラス・カサス著の「インディアスの破壊についての簡潔な報告」という本ですが、どれほど信用できるものなのでしょうか。
スペイン人の新大陸での原住民への残虐な行為が綴られている本です。
誇張と歪曲の塊だって言ってる人がいたんですが、どうなんでしょう?
カソリックの神父が書いたものなので嘘は無いとは思うのですが、内容があまりにすさまじいのでにわかには信じがたい気分です。
106梵阿弥:01/09/20 10:30
>>103
ぬるはちの息子の皇太極のときに女真→女直となっていたのを満洲としたみたいですよ。
文殊菩薩に因んだ名で「洲」の字を使いました。あくまで民族名で地域名ではありませんでした。
漢人は周辺民族を表すのに蒙、卑、柔などの字を用い見下したのです。
「真」はかなり良い字ですが。
107 :01/09/20 12:31
世界史を詳しく描いている解りやすい本ありますか??
何かお勧めの本があったら教えて下さい!!
108アマノウヅメ:01/09/20 12:59
>>105
一応、新大陸進出の1等史料ということになってますが。
内容は当時ヨーロッパでやってた事の延長線上で考えるとごく自然に思えます。
109かきつばた:01/09/20 13:40
>たしか、満族の民族認定基準は先祖が清朝の八旗に所属していたか、だけで決まるはず。

満州八旗だけでなく、蒙古八旗、漢人八旗の人も「満族」登録できたと思います。
110 :01/09/20 15:20
電車の中での暇つぶしとして、現在『ロシアとソ連邦』(講談社学術文庫)を
読んでいます。一つの国の歴史を縦割りでたどっていくのもなかなかよいです。
で、次はイギリスあたりをと思っていますが、同じようなのが文庫本であった
ら読んでみたいのですが、ご存じの方、よろしくおねがいします。
111賈似道:01/09/20 20:22
南宋の賈似道の顔を知りたいのですが、肖像画載ってる本があれば教えて下さい
112世界史選択:01/09/20 21:08
イエニチェリ軍団はどうして強かったんですか?
キリスト教徒を改宗した軍隊が、そんなに強いとは思えないんですけど。
秘密でもあるんですか。
113世界@名無史さん:01/09/20 21:20
>>112
家族もない、財産もない、人権もない。
かまってくれるのはスルタンとアッラーの神だけ。
そんな彼らができることは戦うことだけなのです・・・

てのが一般的な説明かな?
114YP:01/09/21 00:37
>>103  106、109様
ザクっと簡潔なレスありがとうございました。
満州族の成り立ちさえよく知らなかったもんですから助かりました。
また何かあったら宜しくお願い致します。
どもども〜!!
115世界@名無史さん:01/09/21 01:33
西洋史ものの小説でおもしろいものがあったら教えてください。
西洋史ものは日本人では藤本ひとみ、佐藤賢一、塩野七生以外の作家っていますか?
116中国板より:01/09/21 05:10
中国板で聞いたのですが、相手にされなかったので
中国/世界史に詳しい人なら解るかと思いココで聞き直させて下さい

ー以下転載ー
>ペキンって言う名称は、何処から来てるの?
>中英語ではBeijingだよね
>で、日独仏語等ではPekin。
>ちょっと前までは、英語でもPekinだったけど
>何時の頃からか、Beijing表記に...

>ペキンは、普通語じゃなくて北京語?
>でも、上海は昔から「サンへ」じゃなくてシャンハイだよね

ん〜誰かコノ謎の答え解る人居る?
117世界@名無史さん:01/09/23 15:22
リュッツェンの戦いでグスタフ・アドルフは戦死したけど。スウェーデン軍は
ヴァレンシュタインの軍を壊走させたと聞いたのですが。軍事的な勝敗は
どう判断したらいいのですか。
118世界@名無史さん:01/09/23 19:10
JAPANてマルコの東方見聞録のジパングから来てるんだよね。
ていうかマルコって実際日本に来てないんでしょ?中国で聞いた
ことを書いたと。ということは、中国では日本は黄金の国だと
思われてたの?
119ハリウッド:01/09/23 19:11
世界といえば・・・ハリウッドじゃ!!!
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5543/
120ななーし:01/09/23 19:21

趙匡胤は本当に弟に殺されたんでしょうか?
121世界@名無史さん:01/09/24 12:14
>112
イェニチェリは異教徒の幼児を誘拐して洗脳してそだてたから、まさに戦闘マシーンだったんだよ。
死をおそれないわけだけど、あるていどの教育もうけてる。
なによりスルタンへの絶対服従だな。
連中、目なんてすんげー逝っちゃってたんだローなー
122世界@名無史さん:01/09/25 01:20
>>74
そのIRAの武装解除が進んでいないために
和平破綻しかけている、と数日前の新聞で読みましたよ。
ちょうど74番の質問があったころだったと記憶。

>>112
その時代のヨーロッパでは珍しい完全に俸給が保証された常備軍、
しかも火器の装備が進んでいたことから規律正しく強力な軍隊だった、
と考えてください。
それに、宗教が混在していたオスマン帝国領では
キリスト教とイスラム教は相容れない関係ではなかったようです。

>>117
スウェーデン軍はどんなに激しい損害を受けたにしても、
ヴァレンシュタイン率いる皇帝軍を敗走させたのだから、
戦役としてはスウェーデン軍の勝利ではないでしょうか?
傷つきグスタフ・アドルフ王を失ったスウェーデン軍が
結局三十年戦争で勝利を得ることができなかったのは、
リュッツェンの戦い自体の勝敗とはまた別のレベルの問題でしょう。

>>118
マルコは中国にすら来ていなかったという説もありますよ。

>>120
あくまでも憶測の域の話でしょうね。
暗殺していたとしても証拠は今後も出てこないだろうから。

>>121
幼児じゃありません。
8歳から20歳(!)まで、つまりある程度分別がついているが
結婚しておらず親元から独立していない少年が選ばれて徴集されました。

どうも強制徴集制度のイメージは誇張され過ぎているように思われます。
123世界@名無史さん:01/09/26 03:18
質問スレage
124:01/09/26 21:10
厨房なことかもだけど
晋の恵帝「米がないなら肉食えば?」
マリアントワネット「パンがないならケーキ食べれば?」
この2つ、ただの偶然的な似ている発言なの?
125世界@名無史さん:01/09/26 21:14
史記ってどこまでが本当よ?
秦始皇の誕生なんかはうそくせえし、
春秋五覇や越呉の争いなんかも胡散臭い
126世界@名無史さん:01/09/26 22:29
>>124
頭悪い繋がりの偶然とおもわれ・・・
127世界@名無史さん:01/09/27 23:35
オマル師やホメイニ師の「師」って何でしょうか?
宗教的指導者を指すにしてもイスラム系ばかりなんで
疑問を持っています。教えてください。
128ど〜でもいいけど:01/09/27 23:59
>>127
イスラム系ばかりということはないですね。
例えば、ジャクソン師というのは、黒人のキリスト教の牧師です。

キリスト教なら、司祭、牧師といった肩書も一般的だけど、イスラム教で
は宗教指導者の具体的な肩書が使い別けられないから「師」ですませ
ているのでしょう。
129世界@名無史さん:01/09/28 00:04
>>127
「師」には宗教家を三人称で呼ぶときの敬称の意味もあります
(英語だと the reverend、the Rev.)。
仏教の僧侶やキリスト教の司教も「〜師」と呼びうるけど、
普通は「〜住職」とか「〜司教」というように称号を敬称に使うから
「〜師」という言い方は滅多に見ないわけ。
イスラム教の指導者が「〜師」なのは、
イスラム指導者の称号(ホメイニ師ならアーヤトッラー)に
適当な日本語訳がないから、敬称として「〜師」を使うのだと思う。
130129:01/09/28 00:09
>>128
ありゃ、すいません、被りましたね。

「〜師」を辞書で検索してみました。
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=%BB%D5&sw=2
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=reverend&sw=0
131世界@名無史さん:01/09/28 00:41
>>128
>>129
なるほど肩書きの問題なんですね。しかし「師」って名称ですと
なんだか我々が尊敬すべき人物みたいで適切な感じがしませんね…
ともかく納得できました。どうもありがとうございました。
132世界@名無史さん:01/09/28 01:21
調教師なんかも〜師って言うな。
いや、関係ないけど。
133世界@名無史さん:01/09/28 02:28
すみませんが質問なのですが、

中国人を漢民族といいますが、もし、秦の支配が続いていた場合
秦民族となっていたのでしょうか?

あるいは項羽が統一王朝を開きそれが存続していた時には
楚民族になっていたのでしょうか?

それともやっぱり国の名はどうであれ民族名は漢となってい
たのでしょうか?

これ、間違えて雑談スレに書き込んでしまった質問です。
こちらに移したのでお願いします。
134世界@名無史さん:01/09/28 04:36
可能性はあるんじゃないですか。
Chaina は秦からきたらしいですし。
それに、例えば日本だと、別に「漢」だけを使ったわけじゃないでしょ。
唐土・唐瘡(梅毒)・唐人の寝言・唐きび(唐もろこし)などなど。

「唐もろこし」の「もろこし」ってのもアレか?
135世界@名無史さん:01/09/28 04:37
Chainaじゃねーよな。スマソ。
136世界@名無史さん:01/09/28 21:03
イスラム教に聖職者っていないはずだよね。
じゃあ聖職者評議会って何なんでしょう?

あとフリュクティドールのクーデタについて解説願いたいのですが最初から。
137@名無しさん:01/09/28 22:18
中国という言葉はいつ頃からありますか?
138世界@名無史さん:01/09/28 22:32
>>136
法学者や神学者の類のことだと思われ。
ファキーフとか、ムッラー(モッラー)とか、ウラマーとか。
139ど〜でもいいけど:01/09/28 23:13
>>137
中国は、古くは「中國」さらに古くは「中或」と表記し、その使
用例としては西周時代の青銅器に金文として刻まれている
ものがあります。

ですから、中国という単語の起源は紀元前に溯ります。

ただし、古代における中国は現在の意味とは異なり、各王朝
の時代の領域の中心地を意味する漠然とした概念であって、
領土全体を示すものではなかったのです。

現在の中国という国境で区切られた国家の領域を意味する
用法は、中華民国以降の単語と考えてよいでしょう。
140世界@名無史さん:01/09/29 04:25
聖書を書いたのは誰ですか?
新約旧約ともでお願いします
141世界@名無史さん:01/09/29 07:30
>>140
歴代の電波受信者が書きつづけてきました。

冗談はともかく、聖書の巻末に「○○の福音書を書いたのは××」というような資料が載っていると思われます。
142世界@名無史さん:01/09/29 07:53
>歴代の電波受信者が書きつづけてきました。
光栄です。
>141 ありがとうございます。
 これを機会にすみずみまで読んでみます。
143世界@名無史さん:01/09/30 10:28
>141
これ、青字にするには、どうしたら・・・
144無知:01/09/30 10:27
「シルクロード東西文化の交流」なんて言葉をよく見かけます。
日本には、ペルシア産の物たかが正倉院なんかにあるみたいですが、日本産の物は
ペルシアとかアフガンとかインドとか、シルクロードの周辺国に行ってるのですか?
145世界@名無史さん:01/09/30 11:04
すみません。下のアプロダに
アッティラの横顔が彫ってある銀貨(?)か
ペンダントみたいなのの画像をお持ちの方がいらしたら、
UPしてください。
http://storm.prohosting.com/~lkekxp/cgi-bin/imgboard.cgi
146世界@名無史さん:01/09/30 23:21

「私は奴隷になりたくない。それと同じく主人にもなりたくない。これが私のデモクラシー理論だ」は、誰の言葉?

「密林の聖者」と言われた医師は誰?

「自信を持つと他人の信頼を得る」は誰の言葉?

新聞紙名「ル・モンド」といえばどこの国?

教えてったら!!!!
147世界@名無史さん:01/09/30 23:33
      ┌┬┬┬┐                      ________
    ―――┴┴┴┴┴―――――、          ―――――――、     ヽヽ
   /.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄ ||.         /.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| ||____ヽヽ
  /.    ∧// ∧ ∧| ||      |||   ||        /.    ∧// ∧ ∧| || 東京都  ヽ ヽ
 [/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) ||___|||   ||       [/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) || 清掃局  |  |
 ||_. *  _|_| ̄ ̄ ∪|.|.       |ヽ. _||.       ||_    _|_| ̄ ̄ ∪|.|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
 lO|o―o|O゜.|二二 東|.|京 精神病院 ||.       lO|――|O゜.|____|.||.-――――┴―|
 | ∈口∋ ̄_l__l⌒l_|_____|_l⌒l_||       |_∈口∋ ̄_l__l⌒l | | コ□ニ//l⌒lソ
   ̄ ̄`ー' ̄   `ー'  `ー'   `ー'          ̄ ̄`ー' ̄   `ー' ̄ `ー'   `ー'
          ∧                            
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| >>146をお迎えに上がりました                                     |
\_______________________________
                
148世界@名無史さん:01/09/30 23:38
うーん誰もわからんのか、、、
149世界@名無史さん:01/09/30 23:57
シュバイツァーと腐乱素
150世界@名無史さん:01/10/01 00:02
油公輪姦
151世界@名無史さん:01/10/01 13:22
age
152世界@名無史さん:01/10/01 14:03
>>143
半角「>」を二つ並べて、半角数字。
そのまま書き込めば自動的にリンク(青字)にしてくれますよ。
153世界@名無史さん :01/10/01 20:21
ピラミッド建造のための石を運ぶ方法で「でかい石のタイヤの真ん中に建造用の石材を突っ込んで、
そのタイヤを引っ張って転がしていく」という説があるというのは本当?

今日学校の先生がそう言ってたんだけど・・・。「この頃新聞に載ってた」とも言ってたんだけど。
154世界@名無史さん:01/10/01 21:43
>>153
なったかな?
155世界@名無史さん:01/10/01 21:47
>>152
154,なんだけど、青字になったね。
でも相手間違えちゃった。
どうもありがとう。
ネット、まだ1週間なんだ。
156152:01/10/01 22:38
>>155
ありゃ…ネット初心者でしたか。
これって2chでしか通用しないから間違えないでね。
157世界@名無史さん:01/10/01 22:43
>>153
うん、せっかくだからちょっとだけ自分で考えてごらん。
 1 先生が冗談好きだった
 2 新聞が冗談ネタ好きだった
 3 ピラミッドを造った人が冗談好きだった
きっと、このうちのどれかだ。
さぁ、どれが正しいだろう。なかなか面白い課題だね。
158世界@名無史さん:01/10/01 22:54
>>156
なってるかな?
これから、ここでは、IQ75、と名乗るね。
ついでに、紫字って、どういうの?
159世界@名無史さん:01/10/01 22:59
>>157
何故小学生に話すような口調なんだ・・・。ま、いいか。
でもその先生大真面目だったんだぜ?しかも、
俺たちが教科書に載ってる方法(ころとてこを使う方法)を言った後に
その方法を説明したんだから。
160152:01/10/01 23:16
>>158
紫字?

教えておいてなんだけど、
2chはネットの一般的なマナーとちょっと違うルールで動いてるところだから
ネットに慣れるなら余所にいったほうがいいかもしれないっす。
161IQ75:01/10/01 23:22
なんか、変じゃないっすか〜?
162IQ75:01/10/01 23:30
じゃあ、『にわとり』、いくよ。
163世界@名無史さん:01/10/01 23:52
おやま、小学生じゃなかったのか。こりゃ失礼。
では、ピラミッド建造用の石材運搬についてまじめに考えてみよう。

まず、最近の研究では、ピラミッドはナイルの氾濫期、えっと、古代のナイル
川が毎年おなじ時期に増水して、農地を水浸しにすると同時に肥沃な土を
運んできたことは知っているね、その増水期は農業が出来ないため、農民
に仕事を与えるための公共事業として建設されたということがわかってきた
んだ。
つまり、有名なギザの大ピラミッドを例にとると、現在のようにナイル川から
10Km以上もはなれた高台にではなく、氾濫期のナイル川の岸辺に建設さ
れたことになる。
だから、石材の産出地からの長距離輸送については、基本的に水運、舟の
下に釣り下げるようにして運搬されたんだな。
建設場所の近くまでくると、人力によって運ばれたのだが、あまり平坦地を
長距離に渡って運搬する作業はなかったと考えてよい。

で、君が説明を受けた教科書に載っているコロとテコを使う方法なのだが、
テコについては使用されたことを否定する研究者はいないが、コロのほうは
最近ではだいぶ風向きが悪い。
つまり、コロでは運搬効率が悪すぎるのと、斜面を登るのには非常に都合
の悪い方法なのだ。
現在では、ソリを使ったか、巨大な石材については下に水草や泥を敷いて
テコを使って滑らせたと考えられている。
実際にピラミッド建設に使われた石材の平均的な重量は2.5トンと、意外
に軽量なんだな。
だから、映画などに出てくる大量の奴隷が綱を引き、コロをつぎつぎに入れ
替えて巨石を運搬するシーンというのは間違いなんだ。
氾濫期のナイルでは、泥も葦も水も豊富にあるのだから、ソリの下をこのよ
うな素材ですべりやすくすることで、せいぜい十数人のチームが運搬してい
たと考えられるようになっている。
164世界@名無史さん:01/10/01 23:54
さて、君の先生がおお真面目で説明した方法がわかりにくいが、石材を真
ん中にはめ込むことの出来る石の車輪、ギャートルズに出てくる巨大石貨
のようなものを考えて、これを回転させることで効率的な運搬をするために
は、まずそれを牽引する方法を考える必要がある。これが最大のネックだ。

また、それが解決しても、利用地までの堅牢で平坦な道路が必要になる。
さらに、斜面についてはどうするんだろうね。

ということで、新説としてもすぐには受け入れにくい説であることがわかる
だろう。
165世界@名無史さん:01/10/02 00:00
アテネのパルテノン神殿って屋根がないけど、木造だったのかな?
木造だとすると、石像の柱や梁とどうやってつぎ合わせていたの?
おせーて!!
166アマノウヅメ:01/10/02 00:27
>>165
全部石造ですよ。
何年か前にNHKが国営放送組合制作みたいな番組で、復元をやってました。

>>169
ピラミッドの広報については大林組が古代工法、現代工法についてそれぞれ制作方法を
考証し見積もりも出してます。
「季刊大林」は非売品ですが、ピラミッドの載った刊も入った『復元と構想』は市販
されたので図書館ならあるかも。
手に入りやすいのはマコーレーの『ピラミッド』(岩波書店)ですが、特に新しい説は
ありません。ころとてこのはずです。
車輪の中央に石を挟んで運ぶのが有利かどうかは物理の先生に聞かれたほうがいいでしょう。
167世界@名無史さん:01/10/02 00:37
>>163-164
おお、丁寧に説明してくれてありがとう。一応言っとくと、俺は工房だよ。
あと、その話が出てきたのは物理の「仕事の原理」をやってる時。
世界史は選択してないから、世界史の知識はほとんど中学の時のまま。
(中学でもまともに教わらなかったから、もしかすると小学生のままかも)
それに、(先生に当てられて)ころ&てこの方法を答えたのは世界史選択してるやつだったから、
水草や泥を敷く方法があるとは思わなかったよ。

>巨大石貨
そう、それを石材の両端にはめ込んで、綱で引っ張って行く絵を描いてたんだよ。
綱をどういう風にくくるのかが一番最初に浮んだ疑問だったよ。(時間が無かったから訊くことは出来なかったけど。)
他にも疑問は色々あったけど、やっぱりおかしいよな、この説。

とりあえず、明日その先生にもう一回訊いて確かめようと思ってる。(本当に新聞に載ってたかどうかを。)
んじゃ、ありがとう!
168世界@名無史さん:01/10/02 00:46
>>166
あ、トロトロと打ってたら次のレスが。>>169って>>159で俺のことだよね?
>>167にも書いたけど、物理の時間の話だから先生は物理の先生なわけで・・・(汗
169アマノウヅメ:01/10/02 00:56
>>168
ごめんなさい。>>158の間違いです。
物理の先生の出題なら本気じゃないでしょう。運動のロスが多すぎます。
170IQ75:01/10/02 01:54
第ニ次大戦後のことだけど、
パレスチナにおける、イギリスのとった、政策、
今に陰、落としてない〜イ?

たぶん、俺は厨房だけど、オシエテ。。
171IQ75:01/10/02 02:15
第2次大戦後のパレスチナにおける、イギリスの
政策、今回の『テロ』の、深縁なんじゃ・・
ないかな。
どなたか、先生、ぼく、(厨房)にも、
わかるように・・おしえてください。
172世界@名無史さん:01/10/02 09:03
印パもね…
173世界@名無史さん:01/10/02 16:06
羅針盤について、詳しく教えてください。
イコール方位磁針?ですか?
174世界@名無史さん=173:01/10/02 21:30
>170
非難承知で自説を展開します。
二次大戦よりも、一時対戦期のフサイン・マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言のほうが、
もっともっと影響を与えていると考えます。
内容は、
フサイン〜対エジプト。戦争協力してくれたら戦後にアラブ居住区あげる!
サイクス〜英・仏・露でパレスティナを分割統治しようぜ!
バルフォア〜対ユダヤ人。戦後にパレスティナにユダヤ人の国をつくろう!
です。
175世界@名無史さん:01/10/02 21:38
ガレー船はどのくらいの時代まで使われていたのですか?
176世界@名無史さん:01/10/02 21:54
>>175
地中海では、けっこう、近代まで使われてます。
15、16世紀頃にはまだ使ってたはずです。
177世界@名無史さん:01/10/02 21:58
>>173
そだね、詳しくの内容がどの程度なのかが説明する側につたわらないね。
ただ、羅針盤=方位磁針であるかという質問をしているのだから、そこから
スタートしよう。

まず、磁針、つまり磁気を帯びた針が、地磁気との関係で方位を示す性質
があることは紀元前から発見されていたんだ。
しかし、磁針によって方位を得るには、もう一つの問題がある。
つまり、磁針を滑らかに回転させる軸や水平を保つ方法が確立しないと、
磁針によって方位を常時うることはできないということだ。
原始的な方法としては、太めの磁針のバランスをとって、糸でつるす方法
などがあるが、これも風や糸の捩れなどの影響を受けて正確に利用する
ことが難しかった。

結局、実用的な方位磁石として最初に出現したのは容器に入れた水の上
に、磁針を浮かせることで、自由な回転と水平面の確保を同時に実現する
方法だった。
この方法が中国からアラビアの船乗りの間に広まったのが、1000年くら
い前のことだとされている。
じつに簡単でうまい方法なのだが、大きな欠点がある。つまり、嵐などで船
が揺れすぎると、水がこぼれてしまうということなんだな。

この水に浮かべた磁針のかわりに、宙づりの水平維持装置、ジンバルと、
滑らかな磁針というより、方位板や回転軸を備えた装置として、1560年頃
のイタリアで羅針盤が発明されたんだ。
つまり、磁針というのは、羅針盤にとってもっとも重要な要素であるけれど、
航海をするための方位計としては、磁針だけでは不十分なんだな。

で、羅針盤について詳しく知りたいというのは、こんなものでいいのかな?
178173:01/10/02 22:08
<177
どうもです。
もっと知りたいことをうまく書けばよかったのですが。
ということでもう一度(教えて君でごめんなさい)
分度器に振り込みたいなのつけたやつは何?
と聞きたかったんですが…。
どなたか宜しくお願いします。
179世界@名無史さん:01/10/02 22:24
>>178
そうだね、私はとても温厚な性格なんだけど、延々と説明したあげくが、
羅針盤と六分儀を取り違えて質問していたことがわかると、さすがに何
と言うか、、、、

ま、乗りかかった船ということで説明しておきましょう。

あなたがたずねているのは、そのまんま、分度器に振り下げ錘を付け
た道具で、形状によって六分儀とか四分儀と呼ばれるものなんだ。

やはり航海用の計測器で、緯度を測る機械だよ。

北極星(本当は天の北極か南極)を見通して、垂直線(水平線)との角
度を測り、自分が現在いる緯度を測るんだ。

ついでに言っておくと、経度のほうは、クロノメータと呼ばれる精密な時
計(といっても、現代の電子時計からすれば正確でもなんでもないけど
ね)で太陽の南中する時刻を計測することで割り出すんだよ。

やれやれ、はぁと。
180IQ75:01/10/02 23:27
>>174
かわってるかな?
ありがとう。
もっと、詳しく、、御自説なんぞ、お聞かせくださいマセ。
分かり易く、名前、特定してくれると、助かりますデス。
181IQ75:01/10/02 23:33
>>174
今、中央公論の「世界の歴史 28」・・第2次大戦から米ソ対立へ・・
お、よんでいる。
P.242から

あと、どんな本読めばいいかな〜?
182 :01/10/03 00:02
質問です。。。

モンゴル帝国の成立によって起きた東西交易の連結などが
(駅伝制などの諸制度の功績も踏まえて)、東アジアの「小農社会」
形成に果たした役割についてのどなたか意見をお持ちの方いませんでしょうか?

ちなみに、私が言う「小農社会」の定義は、宮嶋博史教授の定義に
よっています。
183 :01/10/03 00:11
と、これだけではあまりにも不躾なので・・・。

実質的に自作農であったか小作農であったかを問わず、基本的に
自己及び家族労働力のみをもって独立した農業経営を行う「小農」
が支配的であるような社会

という定義でもって「小農社会」を捉えています。その形成期、
発展の仕方は農業技術の工学的対応から農学的対応の話、また血縁
の話、など様々に広がるのですが、今回はことモンゴル帝国の成立
がこの社会形成に与えた影響に関してお聞きしたいです。
184 :01/10/03 00:32
専門的すぎて無理ですかね・・・
185世界@名無史さん:01/10/03 00:47
>>184
<モンゴル帝国について語るスレ>
の方で質問してみたら?
186 :01/10/03 00:50
>>185
そうしますー。
187名無しさん:01/10/03 03:31
http://news.2ch.net/test/read.cgi?bbs=news&key=1001728345
このスレが気になって夜も眠れません。
188また宇宙人かい?:01/10/03 04:58
187=テスラ
189世界@名無史さん:01/10/03 09:06
エドアルト・フックス「風俗の歴史」を読んだんですが、
もっとすけべな歴史の本はありませんか?
中世ヨーロッパの農民の性生活とか・・・
190世界@名無史さん:01/10/03 11:26
>>189
フックスにはかなわないけど…

「農民の愛と性〜新しい愛の歴史学」
著者:J=L・フランドラン/著 蔵持不三也/訳 野池恵子/訳
出版社:白水社
ISBN:4-560-02938-5
発行日:1989年2月、価格:3,500円

「愛とセクシュアリテの歴史〜古代バビロニアから現代まで」
著者:ジョルジュ・デュビー/[ほか著] 福井憲彦/訳 松本雅弘/訳
出版社:新曜社
ISBN:4-7885-0305-0
発行日:1988年6月、価格:3,600円  
191世界@名無史さん:01/10/03 16:59
<179
ありがとうございました。
質問の仕方がへたでした。
今後気をつけます。
192世界@名無史さん:01/10/03 17:21
>>189
河出書房新社の河出文庫、図版も豊富でオススメ。

「世界性風俗じてん」 福田和彦/著、上・下各505円
「世界風俗史」 パウル・フリッシャウアー/著、関楠生/訳、1-3各699円
193世界@名無史さん:01/10/03 18:34
世界史上最も有名な日本人スレは倉庫落ちでしょうか?
戦国板のはまだありますが・・・

http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/998485910/l50
194世界@名無史さん:01/10/03 20:30
195世界@名無史さん:01/10/04 00:24
>190>192
どうもありがとう。
新たな視点で世界史を見ることができそうです。
楽しみです!
196世界@名無史さん:01/10/04 16:15
受験時から気になっていたので,
すみませんがお尋ねします.

学校教科書などでよく見る《憤死》とは
現代のいわゆる西洋医学において
どのような症状にあたるものなのですか?
また,やはり教科書レヴェルの『日本史』にも
憤死した方は出てくるのでしょうか.

ご存知の方,よろしく御教唆お願いします.
1971:01/10/04 16:20
198あやめ:01/10/04 18:33
支那の性愛の歴史に関する本でうちにあるのを挙げます。(念のため申し
添えますが、あやめが利用してる書物は大部分が叔父の蔵書です)
「中國古代房中文化探秘」(樊雄著、台北新潮社刊)
内容 中國人宇宙創生模型・遠古生殖神崇拝・陰陽哲学的誕生・性観念解放
時代・儒道釈的性愛観・房中術的真面目・合陰陽術概説・採陰補陽説・還精補
脳説・房中養生説・回春還陽説・房中求子説
付録 中國文學内的性欲描写(沈雁冰)・中國文獻中的性変体資料(潘光旦)
・中世紀対性激素的認識(ヨセフ-ニーダム)
文献の紹介による性医学的説明を中心とする概説書
「中國艶情」"SexualLifeInAncientChina"(ロバート-フォン-グーリッ
ク著、呉岳添訳、風雲時代出版公司刊)
内容 中國人関於性和社会的基本観念・性和三教・性経的普及和衰落・文學
和藝術中的性
付録 印度和中國的性神秘主義
こちらは社会や文芸との関連で性文化の変遷を考察するもの
「秘戯図考」"EroticColourPrintsOfTheMingPeriod"(ロバート-フォン
-グーリック著、楊権訳、廣東人民出版社刊)
内容 秘戯図考・秘書十種
歴代のポルノグラフィの解説です。残念なことに原書に収められている
「花営錦陣」は省略されています。カラーの画冊なので無理ではあった
のでしょうけど。
Robert H. van Gulik(漢名は高羅佩)はオランダの外交官で日本にも
駐在していたことがあります。漢文も書け文人画や書道などにも造詣が
深く、支那の口語体小説「狄公案」(唐の宰相の狄仁傑の裁判物)に擬し
創作し、自作の挿絵まで入れた推理小説「ディー判事」シリーズで有名。
以上の3書とも挿絵が豊富です。
199世界@名無史さん:01/10/04 19:58
1930,40年代のアメリカのニューディール政策時代に黒人が行った
政策や社会運動って何ですか?
200世界@名無史さん:01/10/04 20:24
ガウディのグエル公園の(ベンチとかに貼られている)きれいな
タイルは、いらないお皿とかを割ってタイル代わりにしたって
本当ですか?

スペインはアルハンブラ宮殿みたいに、イスラムとキリストが
混じった建物があるけどそれをメスキータと呼ぶわけではない
のですか?一般にイスラム教の人が祈る場所ってことですか?
201IQ75:01/10/05 07:21
>>187
ジンジャーの出現、これに違いないんじゃ・・?
11月11日、あるいは、1月11日、でしょう?
202アマノウヅメ:01/10/05 11:49
>>200
グエル公園のタイルはお皿などを割って使ったのは本当ですが、不要品とは限らず
新しく焼かせたものが多いそうです。
なぜタイルとして焼かなかったかというと、表現の面白さとイスラム建築の伝統に
モザイクの手法に従ったためでしょう。
現在でもイスラムの建物のモザイクは、板状に焼かれたタイルを割ったり削ったりして
用いています。
203世界@名無史さん:01/10/05 19:12
>198 貴重な情報、ありがとうございます。
手に入りそうもありませんが、国立国会図書館であたってみます。
204200:01/10/05 19:28
>202
レスありがとうございます。レポートの参考にさせて頂きます。
205世界@名無史さん:01/10/05 20:42
>>199
これのことかな?

ニューディール連合
 1932年の大統領選挙を契機として誕生した,WASPの労働者,中産階級,
北部の黒人,中小の農民と民主党の連合関係のこと。ローズヴェルト連合と
もよぶ。1960年代に,民主党が黒人差別撤廃政策を進めて南部白人の離反
を招くまで,この連合関係は継続した。
206YP:01/10/05 23:58
真面目な質問ですから笑わないで下さい。

江戸時代の大名の‘藩’はモンゴルの‘ハン’から来てるのでしょうか? 
207世界@名無史さん:01/10/06 00:06
………………。
208アマノウヅメ:01/10/06 00:15
>>206 YPさん
領地、囲いにあたる言葉を漢語で探したら「藩」という語が出てきたのだと思いますが。
江戸初期は藩と言う語は一般的でなかったようです。
武士も名乗るのに、たとえば水戸藩ではなく「徳川中納言家来」とか「水戸中納言家中」
とか言うのが普通です。
209207:01/10/06 00:17
ええと、マジレスしときますが。

藩は「藩屏」、つまり屋敷などの囲いを意味する漢字で、
転じて帝室・君主を護衛する塀垣という意味で
諸侯や貴族、あるいはその領土を指します。
210YP:01/10/06 00:34
>>208  アマノウヅメさん
レスありがとうございます。
日本史側の質問になってしまいますが、では、いつ頃から‘藩’という呼称を使用するようになったので
しょうか?

>>209
レスありがとうございます。 漢字の意味は自分で辞書見ても解りました。

>転じて帝室・君主を護衛する塀垣という意味で
>諸侯や貴族、あるいはその領土を指します。

これが、読み方が同じの“ハン(汗)”から流れ流れて来たと考えてもおかしく無いと思ったのです。
意味の捉えも、あながちおかと違いでも無いでしょ?

>>207
ボクはアホな質問してるとは思ってないゾ。 全然恥ずかしくなんかないもんねぇ。
211世界@名無史さん:01/10/06 00:43
>意味の捉えも、あながちおかと違いでも無いでしょ?

………………。
212207:01/10/06 01:36
>>211は私じゃないよ、一応念のため。

モンゴルの「ハン」は語のもともとの意味はよくわかりません。
発音は今も"han"じゃなくて"qan"だか"khan"だかだそうですが、
古くはカタカナで表記すると「カン」に近い音だったらしいですよ。
「汗(かん)」って当て字から推測できるでしょう。
大きい漢和辞典なら中国での発音が載ってると思うけど、
「藩(はん)」とは違うんじゃないかな?
手元に漢和辞典がないので違うかもしれませんけど。
つまり、意味も漢字の音も全然関係ないのではないかと思います。

>日本史側の質問になってしまいますが、
>では、いつ頃から‘藩’という呼称を使用するようになったのでしょうか?
江戸時代の終りのころから、古代中国の封建体制の「藩屏」になぞらえて
「藩」と言う言い方がでてきたようです。
おそらく、漢文的な気取った(?)言い方だったんではないでしょうか。
大名領の正式な呼称として採用されたのは明治時代の初め、
旧天領(幕府直轄領)が「県」に再編されたのに対応して
各大名領の行政区分名称となったのが最初であるようです。
まもなく廃藩置県が行われて各藩も県に置き換えられたのは周知の通り。
正式な呼称としては意外に寿命が短いようですね。
213YP:01/10/06 02:34
>>212
>モンゴルの「ハン」は語のもともとの意味はよくわかりません。

‘ハン’はテムジン出現以前のモンゴル民族の各部族の首長クラスに付いた呼称だそうで、
テムジンがチンギスと成り、始めは‘チンギス・ハン’だったが、チンギス生存の内に
‘チンギス・ハーン’と伸ばして皇帝の呼称として呼ぶようになったみたいです。
(理由は、伸ばした方がかっこいいからとからくらいの理由だと思います)
あとは、モンゴル帝国瓦解、列強諸ハーン国の分裂等で部族?クラスに分散した国々は
‘ハン国’と短く呼ぶみたいです。

‘ハン’‘ハーン’の使われ方は西にいく程に意味合が変わってきますよね。
西洋人にカーンと付く名前が多いのは周知の事ですが、モンゴル国では‘ハーンは皇帝を意
味するので名前には使われない。
現在モンゴル国では存続する元貴族の家系を指すのが‘ハン’。
このように、現代も本家ではこういった使い分けはある。(・・そうです)。
殆どソースはモンゴル人から。

ですから、貴族などの領土を指す‘藩’の大元が‘ハン’でもおかしくないんじゃないか?
と思ったんです。 日本史板より世界史板の質問でしょ?
辞書も調べてから質問したんだから! 勿論、考え過ぎかな?とも思いますよ。

‘カン’か‘ハン’かの違いは・・・
あんまりこだわると粘着ドキュソ呼ばわりされてしまうので・・  レスありがとう。

また、間違ってたら御指摘お願いします。  ジャッ!!
214207:01/10/06 14:21
行きがかり上さらにマジレス。

母音を延ばすか延ばさないかについては
杉山正明センセイの著作をお読みになりましたか?
杉山さんによると、オゴデイ・ハーンの時代から
モンゴル帝国の最高君主に限って「カン」が「カアン」に変ったそうです。
以後、代々の元の皇帝はカアンを使い続けました。
いっぽう分封諸ハン国の君主は「カン」のままだったそうです。
この「カン」はもともとは柔然・突厥の君主号「可汗(カガン)」で、
長い間に訛って「カン」になっていたものを
オゴデイ政権がモンゴル帝国の最高君主の専称として「カアン」を採用したのだとか。
これが現代モンゴル語ではさらに訛って
一般の領主を「ハン」、最高君主を「ハーン」と呼ぶのでしょう。
なお、西方ではペルシア語で「ハン」を"Khaan"と長母音に写して書いたので、
全ての遊牧君主を区別せず「ハーン」と呼ぶようです。

>貴族などの領土を指す‘藩’の大元が‘ハン’でもおかしくないんじゃないか?と思ったんです。
考え過ぎです。(笑)
「藩」が貴族などの領土を指す用例は中国のかなり古いものです。
(調べてないけど)たぶん柔然より前からあるでしょう。
だから間違いなく無関係だと思います。
215YP:01/10/06 18:31
>この「カン」はもともとは柔然・突厥の君主号「可汗(カガン)」で、
>長い間に訛って「カン」になっていたものをオゴデイ政権がモンゴル帝
>国の最高君主の専称として「カアン」を採用したのだとか。

大方知ってるんじゃんかい! イジワルな人だなぁ。
その説だと“フン”説は違うみたいですね。 (なんかモンゴル板の話題になってきた)

杉山正明氏の本は今読んでます、文章的には金岡秀朗氏の方がやさしくて好き。
金岡氏の本からボクのモンゴル熱が急激に高まりました。
といっても、ボクはまだモンゴル史にハマって3ヶ月そこそこのペーペーだけどね。(笑
どうもありがとうございました。
216あやめ:01/10/06 18:36
「藩」はやはり支那の古典から由来しています。
「藩」字の原義についてはアマノウヅメさんが書かれたように「かこい」といった
意味で、「易」の「大壯」に「羝羊藩に觸る」孔穎達の疏に「藩は藩籬也」とあり、
羊がまがきに角を引っ掛けて身動きできない状態を隠喩にした文です。「荘子」の
「大宗師」には「吾は其の藩に遊ばんことを願ふ」向秀の注に「崖也」とあって、
範囲を限定する場合に使われている字というわけです。
この原義から「人は石垣、人は城」みたいに転用されるようになりました。「詩」
「大雅」の「板」に「价人は維れ藩、大師は維れ垣、大邦は維れ屏、大宗は維れ翰、
懐徳は維れ寧、宗子は維れ城」とあり、漢の毛亨は「价は善也、垣は牆也、翰は干
(たて)也」としていますが、「价」については漢の鄭玄は「价は甲(よろい)也、
甲を被る人にして卿士の軍事を掌る者なり」としています。また「大師」は三公で
「大邦」は諸侯と解されていますが、「大宗」は王の身内とも嫡子とも王自身とも
解釈が分かれています。「懐徳」は王の徳で「宗子」は王の嫡子です。この部分の
文句全体が皇室を扶翼する所以のシステムに言及しているわけです。
新井白石の「藩翰譜」という著述の題名もここから取ったもので、翰つまり王者を
守る武家諸侯の伝記という意味を寓しています。王者とは勿論のこと徳川家です。
また醍醐天皇が立太子の前に「維城」から「敦仁」に改名した事情も、「維城」は
皇子としてはともかく将来の天子に相応しくないという配慮からでしょう。
また「周禮」の「職方氏」には天子の直轄地の外縁に同心円的に展開する属領を、
グラデーショナルな9段階の外地「九服」として設定していますが、その最外縁を
「藩服」とし蛮夷の居住地としています。
217あやめ:01/10/06 18:41
「藩」が統一王朝に封建された諸侯王の領地に用いられたのは、「漢書」の「諸侯
王表」に「藩國の大なる者は州を跨ぎ郡を兼ね、城を連ねること数十」とあるのが
早い用例でしょう。唐の「藩鎮」は安史の乱から内地に列置された節度使・観察使が
軍事・民政・財務などの権限を掌握し、朝廷に対して独立政権のように振舞ったため
絶大の存在感を示し、支那の歴史で「藩」といえば藩鎮が意識されるようになりま
した。ただ通常は「藩」は一般名詞として例えば封地に赴くこと(江戸時代の用語の
「入部」)を「藩に之(ゆ)く」などと使われていました。「藩」が「某藩」のように
固有名詞的に使われたのは明代と清初だけです。明の太祖は皇子24人を諸地に封じ
天子の藩屏とし、漢初の諸王のように裂土分民の実こそ与えなかったものの強力な
軍事力を付し、前代のような知行の地租に寄食させるだけでなく就封させたので、
地方では相当の勢力を保持していました。その結果燕王棣(永楽帝)や寧王宸濠など
反乱を起こす者も現れましたが、南明の諸政権のように諸王を名目的な中核とする
抵抗勢力の結集に機能しました。この時期においては諸王の封地を「某藩」という
名称で表示するのが一般的で、「寧藩」とか「魯藩」などの呼称が用いられてます。
明が滅亡と清の統一の過程において大功のあった明の旧将は華南の重地にそのまま
割拠し、遂には清朝に対し連合して反旗を翻すに至りました。いわゆる「三藩の乱」
ですが中心人物の呉三桂は「平西王」に封じられ雲南で、耿仲明・繼茂・精忠の父子
三代は「靖南王」に封じられ福建で、尚可喜は「平南王」に封じられて子の之信と
廣東で、それぞれ軍事と財務の重権を握って台湾の鄭氏ともども独立状態を呈して
いました。彼らの政権も「西藩」「靖藩」などと呼ばれていました。鄭氏の台湾は
明の「東寧藩」です。清代になると宗室の諸王には封地はなく封号も国名を冠せず
単に嘉字を用いるに止めました。「鄭親王」の「鄭」も「鄭重」の意味で古國名を
襲ったものではありません。従って「某藩」という名号も発生しませんでした。
清代で「藩」というと「外藩」である朝鮮や琉球などの「屬國」を指します。これ
は「周禮」の「藩服」の含義に対応するものと言えます。
218あやめ:01/10/06 18:42
日本の江戸時代における「藩」も明代の封建領地を意識した名称でしょう。しかし
アマノウヅメさんが指摘されているように一般に使用されたものではなく、学者の
著述や書簡などに見られる程度です。これもウヅメさん御指摘のように武家の場合
「浅野内匠頭家中」とか「赤井御門守(これは落語の中で加賀の殿様のことを暗示
したものらしい)家来」とか呼称し、庶民の場合は「佐倉領百姓」などと表記した
もののようです。「幕府」なども日常語において使われることはなく「公儀」とか
「大公儀」(オオコウギと読んでください、大河ドラマでダイコウギと読んでたのは
余りの無知です)または「公邊」などと言っていたようです。
「藩」が一般化したのは幕末でしょう。この時期になると全国的に士人間の交流が
活発となり、文章語の「藩」も日常の口話に出現する頻度も多くなったものと想像
されます。幕末から明治にかけての知識人の間では漢語が好まれる傾向があったと
いう点も考えるべきでしょう。
219世界@名無史さん:01/10/06 18:52
中国の清朝末期の売春宿について知りたいのですが。
そのシステム、どんな階級の人が利用していたのか、
源氏名みたいなものがあったのか、など。
220あやめ:01/10/06 19:12
212さん御指摘のように「藩」が正式に制度用語として認知されたのは
「藩知事」(知藩事が正しかったかも)が置かれてからでしょう。
但し「藩」の名称が完全に消滅したのは廃藩置県においてではなく、明治
十二年の「琉球処分」によってです。
221世界@名無史さん:01/10/06 19:13
ヌルハチもホンタイジも帝位は‘ハン’なんでしょ?
222あやめ:01/10/06 19:18
清末売春事情についてはそのうち書きます、暫く待ってね。
223219:01/10/06 19:44
>222
はい待ちます。よろしくお願いします。
224世界@名無史さん:01/10/06 20:22
グラハムハンコックの「神々の指紋」の中で扱っているような
有史?以前の話って、どこの板で議論されているのでしょうか?

この世界史板では見かけられないようですが?・・・
(ここでスレ立ててもいいのかな?)
225219:01/10/06 20:46
>224
ここでいいんじゃないですか?
それともオカルト板か?
226( ´D`)ノ:01/10/06 20:47
>224
超古代文明についてならばオカルト板で、
神話に関してならば民俗・神話学板で、
ただ単純に先史時代についてならば、
ここ世界史板でお取り扱いしてるのれすよ。
227( ´D`)ノ:01/10/06 20:49
うぼァッ! か、かぶったのれす・・・。
今週2度目なのれす・・・。
228207=212:01/10/06 22:02
>>215のYPさん
>大方知ってるんじゃんかい! イジワルな人だなぁ
私はハンのもとになった可汗の語源は知らない、と言ったつもりだったのですが、
イジワルだと思われたならすんませんです。

>あやめさん
そろそろ出てこられるんじゃないかと思ってました。(笑)
そうですね、「琉球藩」のことは失念していました。
詳しいご説明、ありがとうございます。

>>221
後金国君主の称号は(満州人の君主としての意味での)ハンですね。
ヌルハチは「ゲンギエン・ハン」だったかな。
よく聞く話ですが、ホンタイジ以降の清朝皇帝も
満州人やモンゴル人に向ってはハンとして君臨したそうです。
229世界@名無史さん:01/10/07 02:44
スイスといえばなんですかね。傭兵、銀行、中立、くらいしか知らないので、教えてください。
230世界@名無史さん:01/10/07 02:58
>>229
答えになるかわかんないけど、スイスの基本情報。
http://www.sekainenkan.com/2001/3/003_g/g007.htm
231世界@名無史さん:01/10/07 03:17
>>229 国際情勢板も興味深い。

スイスはなぜ豊かなのか?
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/995379672/
厨房諸君!平和の国スイスは徴兵制だよ
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/995942391/
232世界@名無史さん:01/10/07 03:27
スイスといったら、アルプス、ウィンタースポーツ、時計、アーミーナイフ、
ウィリアム・テル、アンリ・デュナン
233世界@名無史さん:01/10/07 09:08
第二次世界大戦後に枢軸国側はかなり強姦とかされたって聞きますけど、人数的に
はどれくらいだったんでしょう?
具体的な数字とかがあるんだったら教えてください。
234早慶戦:01/10/07 19:25
「ルイコフ」ってどういう人だっけ? だれか教えて。
235世界@名無史さん:01/10/08 00:11
エピクテトスの提要(Enchiridion)は
ギリシア語でかかれているのですか?それともラテン語ですか?
ぜひ読んでみたいのですが。
236世界@名無史さん:01/10/08 00:36
>>235
たしかギリシア語だったと思うがの。
わしゃギリシア語できんから、これ以上言うのもなんだが、
Loeb Library(英語との対訳叢書)に入ってるはず。
あと「世界の名著」にも入ってるよ。
237世界@名無史さん:01/10/08 00:47
質問です。エラスムスの産んだ蛇の卵をルターが孵した
っていうので、論述を書け!!という問題は、
どう書いたらいいんでしょうか??
あるミッション系の大学の問題なんですけど
238世界@名無史さん:01/10/08 00:58
>>234
http://www.google.com/search?q=%a5%eb%a5%a4%a5%b3%a5%d5&hl=ja&lr=lang_ja&ie=euc-jp&oe=euc-jp

>>237
宗教改革の話でしょ。
エラスムスが愚神礼讃で口火を切った教会批判を
ルターが実行に移したとかなんとか、そのへんのことを調べて。
239 :01/10/08 00:59
早稲田に行くには今からどの問題集をやればいいですか?
240世界@名無史さん:01/10/08 01:32
>>239
早稲田に行くには地下鉄東西線の早稲田駅下車がいいな。
でも、もうこの時間の電車はないからタクシーとかしかないか。

早稲田に行くだけなら問題集はいらないよ。
241世界@名無史さん:01/10/08 01:49
山田君。座布団で窒息死させなさい
242世界@名無史さん:01/10/08 02:59
ピラミッドの形は何を意味してるの
243世界@名無史さん:01/10/08 03:18
>>242
東西南北
244世界@名無史さん:01/10/08 03:36
四角錐でしょ。
245世界@名無史さん :01/10/08 15:23
西欧諸国の言語的相違(ゲルマンとイタリック)はどのように生まれたのでしょうか?
ローマ植民者@俗ラテン語=イタリック諸語話者をゲルマン諸語話者が支配下
に置いたという構図は同じはずですが。
246世界@名無史さん:01/10/08 19:25
「第一次世界大戦」は、「第二次世界大戦」が始まるまでは
何て呼ばれていたのか教えて。
247世界@名無史さん:01/10/08 19:47
>>246
答えは「第二次世界大戦」です。
歴史上の「第一次世界大戦」は第二次ポエニ戦争だから。
248世界@名無史さん:01/10/08 20:14
アメリカの大学の教養課程でアメリカ史を取っているんですが、
日本語でも読んでみたいと思うんですが、おすすめの本がありましたら
教えていただけませんか?
ちなみに、大体1800年代から1970年代くらいまでをやっています。
「アメリカの歴史を知るための60章」にしようかなと思うんですが、
アカデミックではないのかな。
249ネコが好き:01/10/08 21:58
わたしも素人なんですが、とっても興味があります。
文庫クセジュに「俗ラテン語」という本が、わたしの
基本文献(?)です。これ(P121)によると、
「ローマ帝国の終わりごろ話されていた言葉は、
西暦紀元のはじめの数世紀のラテン語と、いくつかの特徴の上で
相違していたにせよ、まだ本質的にラテン語であった・・・」らしい。
一方、「7世紀末乃至8世紀初頭の言葉はもはやラテン語には属さず、
新しい型の、しかも属州ごとに異なった言語状態であった。」とあります。
つまり、メロビング朝時代(448-751)に分化したようです。
ただし、ラテン語→俗ラテン語→各ロマンス語というより、
ラテン語→各方言(祖仏語、祖西語、祖伊語etc)→各ロマンス語
(つまり、各属州の土着語との合体)
のようです。俗ラテン語は単なる概念のようです。
以上は中流以下の人々で、上流、宗教関係者は立派なラテン語の教育を受けて
いたようです。(ゲルマン系含)ラテン語=国際語は 17Cに仏語に取って
代わられるまで約1000年続く。
250看板職人:01/10/08 22:38
文字を横書きにする場合、ヘブライ語やアラビア語、かつての日本など
左から右に書く場合が結構ありますよね。
右利きが支配的で筆書きの場合、当然左から書いたほうが
有利だと思うのですが、あるいは「文字を彫る」文化だと
右からの方が有利だったりしたんでしょうか?
「右から書く文字、左から書く文字」の歴史
どなたか詳しい方はいらっしゃいませんか?
251世界@名無史さん:01/10/08 22:43
え〜と、トロツキーの孫でユダヤ教原理主義者って名前なんだっけ?
252史思明:01/10/08 22:49
なんでインノケンティウス3世って、イノセント3世ともいうの?
そもそもこの2人って同一人物?
253世界@名無史さん:01/10/08 23:17
ジョン・ブラウンってテロリスト?
254ムシャラフ:01/10/08 23:43
なぜパキスタン軍部はタリバンを育てたのでしょうか?
パシュトゥーン人つながりということはわかりますが。
もっと穏健的な組織を支援してもよかったのでは。
それともパキスタン軍部でも原理主義は強い支持が
あるのでしょうか。
255世界@名無史さん。:01/10/08 23:48
古代ローマ帝国においての「見世物」
剣闘士たちの戦いについて、映画「グラディエーター」
の感想でもいいので、何か思うところを書いてください。

何故、市民たちは目の前で繰り広げられる戦いに熱くなったのか。
あんなにも人が目の前で死んでいくのを楽しめたのか。
256世界@名無史さん:01/10/08 23:52
>>252
ラテン語(前者)と英語(後者)。
英語だとCはカ行とサ行と二通り読むけど、
ラテン語だとカ行(そういう言い方でいいのか…)でしか読まないからね。
257世界@名無史さん:01/10/09 00:19
>>264
「世界大戦」あるいはヨーロッパ方面に関しては「欧州大戦」
258世界@名無史さん:01/10/09 01:51
>>257
そーいや、うちの高校に
「先の欧州大戦に用いられた化学兵器」
なる、帝国陸軍の毒ガスサンプルがあったよ。
259229です:01/10/09 07:13
レスどうもありがとうございました。アーミーナイフと、ありますが、メーカーがあるってことでしょうか。
260ハングル版に逝けとは言わないで♥ :01/10/09 11:25
竹島は日本の領土なのですか?
あとハングル版で見つけたたけど
朝鮮総督府が日本名を強制してないというのも本当なの?
朝鮮人の土地を奪ったりしてないというのは本当なの?
あと慰安婦の問題とか教えていただけたら幸いです。
261世界@名無史さん:01/10/09 11:29
ハングル板に逝け
262世界@名無史さん:01/10/09 20:53
>>255
もはや、人の(他人の)生き死にという生命の根源に関わるような事にしか快楽を見出せないほどに堕落していたから。
ローマの男は、もはや女性には勃たず、少年剣闘士に興奮するばかりだったという。
女性達にしても惰弱なローマ男性に愛想がつき、異民族の奴隷やゲルマン傭兵を道具にしていたとか。

新約聖書の最終巻、「ヨハネの啓示」にその腐敗が神への敵対として書かれたのもむべなかるかな。
263北部同盟:01/10/09 21:33
パキスタン政府はアフガニスタンに安定した政権の樹立を目指していた
のではないだろうか?我々北部同盟は結局のところ、内部崩壊してしまっているし。
パシュトゥーン人の穏健派は力がなかったのであろう。
264朝鮮総督府総督:01/10/09 21:41
竹島は大日本帝国の固有の領土である。がそれまでそれほ意識
をしていなかったのできちんと解決せねばなるまい。

>朝鮮総督府が日本名を強制してないというのも本当なの?
強制しておる!だれだ我が総督府の政策を無視しているものは?
>朝鮮人の土地を奪ったりしてないというのは本当なの?
奪ったのではない所有者を明確にしたのだ!!ただし、わが国が植民地
にする前ははっきりと記されていなかったから、総督府が善良な日本人に
土地を登記させたのだ。
>あと慰安婦の問題とか教えていただけたら幸いです。
もちろん徴用している。ただし、帝国政府及び総督府が直接関わったという
資料は出てこないであろう。
265世界@名無史さん:01/10/10 11:54
266265:01/10/10 13:12
267梵阿弥:01/10/10 13:28
>>215
私はハンはフンから来た号ではないかと思うのですが。
268世界@名無史さん:01/10/10 14:45
何でナチスは有色人種の日本と同名を結んだんですか?
269世界@名無史さん:01/10/10 14:46
>268
○同盟
×同名
270梵阿弥:01/10/10 14:53
>>268
同病相憐れむと言うではありませんか。
271207:01/10/10 16:32
>>267
フン(Hun)からハン(Khan、Qan)だとすると
HからKhないしQに変ったわけで、ちょっと考えにくいでしょう。
逆ならありえるんだけど。

だいいちハンはもともとカガン(Qaghan)だったはずですから、
なおのことフンとは違います。
272世界@名無史さん:01/10/10 18:19
テオドシウス一世の後にローマ帝国が東西分裂をして、西ローマ帝国ってオドアケルにやられちゃうじゃないですか。
でも何で西ローマの教皇って無事なんですか?
273 :01/10/10 19:26
>>272
皇帝と教皇が別人だったからです。
274:01/10/10 21:53
中国の歴史書で正史の簡単な制作年代順をおしえてください。
魏志倭人伝のほうが後漢書より以前に制作されたのは知ってるんですが、
それ以降にも王朝と史書の制作年代順が違うってのはあるんですか?
えっと、中国史初心者でスマソ。
275世界@名無史さん:01/10/10 22:35
こんばんは
皆様方有識者の見地から、知の肥になるような
すばらしい著作物はないでしょうか。
よろしければ紹介してください。
また、ISBNもあわせて教えていただければ幸いです。
西ローマ崩壊から、近代以前までを希望します。
幅が非常に広いのですが、好みにかかわらず
幅広い知識を身に付けたい所以です。
どうかよろしくお願いします。
276歴史とはなにか:01/10/10 22:49
カーの歴史とは何かをとりあえず読んでみては?
学問としての歴史的見方を教えてくれます。
277世界@名無史さん:01/10/10 22:54
>276ありがとうございます。調べてみます。

あと、この本はどうでしょうか。
16000円というのが非常に気になりますが、有名な著者なのでしょうか?
この方面まったく素人ですので
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4770410344.jpg
278276:01/10/10 23:53
こんばんは
この本に興味があるならば読んでみてはいかがでしょうか?
著者のことは大変もうし訳ありませんが知りません。
でも、いきなり専門書を買って読むよりも、歴史とは何ぞや
を知ったほうが良いかと思います。
カーの本は岩波で1000円も出せば買えますし・・・。
あと、AERAムックで歴史学を学ぶってのがあります。
それらをよんで歴史を学ぶことからはじめたいかがかと。
専門書はそれはそれで面白いですけどね。
279世界@名無史さん:01/10/10 23:55
ゲオルグ・オストロゴルスキー。
実はビザンツ史はよく知らんけど、
そんなオレでも名前だけは知っている大学者やね。
戦前から50年代ぐらいにかけて活躍し、
なんでもプロノイア制について一時代を画す研究をしたとか。
それだけじゃ、もちろんないだろうけど。

こっからは私的な感想。
16000円。オレ的には高いな。
立ち読みして、訳・注・解説の出来具合を見て、
図書館で借りて一度通読して、それでもよければ、
古本屋で買う。
280世界@名無史さん:01/10/10 23:57
>>273
ワラタ
でも、あってる
281板違いかもしれませんが:01/10/11 00:27
今話題のアフガニスタンやパキスタンこの地域には○○タンとの名がありますがこの「タン」にはどんな意味があるのでしょうか?
○○タン“はあはあ”ではないことはわかります。
282世界@名無史さん:01/10/11 00:34
>>281
○○タンじゃなくて、○○スタンじゃないかな。
それとも、ハアハアのネタを振るためにわざと言っているのか?
283別スレでがいしゅつだけど:01/10/11 00:39
>>281
-estanないし-istanで「〜のくに」という意味のペルシア語です。

アフガニスタン=アフガン人の国
ウズベキスタン=ウズベク人の国
タジキスタン=タジク人の国
パキスタン=清浄(pak)な国
ダゲスタン=山(dag)の国
など。
284世界@名無史さん:01/10/11 00:45
〜スターンはペルシア語で「〜がたくさんある(いる)ところ」
と言う意味。
アフガニスタンは「アフガン人がたくさんいるところ」
ちなみにパキスタンは独立するときに、ペルシア語のパーク「清浄な」
と言う単語で作った造語で「清らかなところ」てな感じ
285283:01/10/11 00:49
かぶった。
混乱を起こさないように自分のレスに突っ込んどくけど、
>>284の「〜がたくさんあるところ」のほうが意味としては正しいはずです。
286281です:01/10/11 00:51
皆さん教えて下さって有難うございました。
>>282さん。ネタ振りの為に書いたのではなくて、この質問をすると荒らす人がいるので
事前に書いておきました。
287梵阿弥:01/10/11 14:30
>>271
匈奴はKhun―Nuといった発音だったのでは。ムガルみたいに箔付けに名乗ったのではないかと
考えております。
288 :01/10/11 15:03
コスタリカの民主化の父ホセ・フィゲレスとは?
289世界@名無史さん:01/10/11 16:45
コルシカやサヴォイア、ニースも合併しようとムッソリーニは思わなかったのでしょうか?
290世界@名無史さん:01/10/11 18:56
鮮卑の言語がトルコ系って本当?
291世界@名無史さん:01/10/11 20:36
漢字で「歴史」と書けば同一の意味になると単純に思いますが、
日本と中国では歴史の定義が違うように思うのですが。どうでしょうか?
日本人は歴史の真実があり、いろんな資料や調査から真実に一歩でも近づきたい。
と思い多くの歴史の考察が生まれ批判に堪えた解釈が生き残っていきます。
しかし中国では時の為政者が過去の歴史まで決定し、人民は新たな解釈は許されない。
と思いますが。この歴史の意味合いの違いはどう思われますか?
292世界@名無史さん:01/10/11 21:30
WWI後のドイツのインフレが何故ああも短期間かつスムーズに
正常に移行できたのか、教えてください。
293世界@名無史さん:01/10/11 21:44
五胡十六国時代に、今でいう山西省付近に住み着いた
南匈奴の一部族「ケツ」についてですが、
彼らの王は「石勒」といいます。語感がテュルクを意味する
当て字「鉄勒」に近いものを感じるのですが(人種系統は
コーカソイドとして)彼らの言語系統はトルコ系でしょうか。
また南匈奴19部族の部族名を教えてください。
294271:01/10/11 23:30
>>287
手元の本には「匈奴」は Houen-yu、Hien-yu、Hien-yunをへてHiong-nouと発音された、とあります。
Khunであった可能性は低いと思いますが。
(もちろん、匈奴とフンの名の関係そのものがよくわかっていないのはご存知ですよね。)
梵阿弥さんは匈奴→フン→ハンという流れを考えているようですが、
匈奴→フンはともかく、ハンとフンあるいは匈奴の関係は考えにくいと私は思います。
あと、ムガル朝はティムール朝の子孫ですから
(箔付ではなく)モンゴルの後裔です。
ムガル帝国下ではハーンの称号は将軍に乱発されたようですね。

>>291
トルコ系説は昔からあるけどよくわかりませんね。

>>293
「石」は姓では?
ですが、「石」にしろ「勒」にしろなんらかの当て字と関係あった可能性はあると思います。
言語系統についてはなんとも言いがたいでしょう。
匈奴の言葉もよくわからないし、
結局トルコ系の言語を話していた確実に言えそうなのは高車あたりからです。
295調べてます。:01/10/12 00:15
アムネスティ条項について調べているのですが、
その成立事情についての資料がみつかりません。
どなかた、本か何かご存じの方いませんか?
296YP:01/10/12 00:32
>>294 207=271 さん
ボクに絡んだのが薮蛇となってまいましたね。(笑
いや、冗談はそれとして。 以降、読まさせて頂いてますよ。
他スレでも色々御教授願いたいもので、是非とも貴方のコテハン使用を希望します。
297歴史厨房:01/10/12 00:59
エジプトは、現在ほぼイスラム教の国だと思うのですが、
イスラム教徒は自国の古代文明や遺跡に関しては、
どのような認識でいるのでしょうか?
エジプト人として誇りに思うのか、イスラム以前のただの遺物として
無視してるのか、少し気になりました。
298世界@名無史さん:01/10/12 02:10
>>297
これ、エジプト人留学生に聞いたことある。
「オレたちはアラブだ。」というような感じで
あまり、自国・自民族等々の意識はないみたいでいた。
日本人にはピンとこないけど、
アメリカ先住民の遺跡に対する、白人系アメリカ人の意識に似てるのか?

あと、「イスラム」のアイデンティティはあるんだけど、
モロッコからインドネシアまでの全部は入らないみたいだったよ。
「イラン」や「トルコ」は「なんか違う」という感じで。
とにかく「我々はアラブ」という話でした。
まあ、サンプルが極少なんですが。
299世界@名無史さん:01/10/12 02:28
>>298
故サダト大統領がミイラの国外持ち出しだったか展示だったかを
「我々の先祖の遺骸が好奇の目に晒されるのは忍びない」って
禁止させたって聞いたことがある。
アラブ・ナショナリズムとは別に
エジプト・ナショナリズムみたいなものもあるにはあるはず。
300梵阿弥:01/10/12 09:36
>>294
有難うございます。箔付けとして他の種族が号を借りたのなら音が変わってもおかしくは無い
と思っていたのですが、他に証拠も無いし音韻変化についても存じないので「違うらしい」
と納得しておきます。…匈奴の漢(前趙)が洛陽を落とした時に居合わせたソグド人が
Xwnと記したのは何故なんでしょうね。
301世界@名無史さん :01/10/12 15:30
>>278
初心者にすすめる本が岩波とAERAとは
日教組的洗脳の第一歩か?
302世界@名無史さん:01/10/12 17:05
>>301
じゃあ、何がいいの?何か挙げてくれ
303271:01/10/12 21:38
>>300
>…匈奴の漢(前趙)が洛陽を落とした時に
>居合わせたソグド人がXwnと記したのは何故なんでしょうね。

そうですね、その用例があったことを失念していました。
やはり匈奴とフンに名称上の関係があった可能性は高いのかもしれません。

ではソグド語の表記がHwnではなくXwn(X=Kh)であったのはなぜか。
「言語学大事典」のソグド語の項およびソグド文字の項によると、
ソグド語・ソグド文字には/h/の音素はなく
/x/の音素の異音としてのみhが発音されたようです
(とりえあず、異音というのは、日本語では/g/の音素の発音に
 鼻濁音ngもありえるようなことだと思っておいてください)。
そのため、匈奴の言葉で/h/で表されていた子音が
ソグド文字に表記される際に/x/として処理されていたと考えられます
(余談ですが、アラム文字で/h/を表す文字はソグド文字では母音を表していたようです)。

これはソグド語とは関係ありませんが、
スラヴ語にも/h/の音素はないようです(/x/はある)。
そのためか、ロシア語で「フン族」のことはГунн(Gunn)と書きます。

以上からたとえソグド語史料にXwnとあろうとも、
フンの名は元来Hunであったと見ても良いと考えます。

また、これまでの議論では完全に否定できないので、
仮にフン(Hun)は本来はXunであった場合も考えましょう。
しかし、ハン(Xan/Khan)は柔然・突厥のカガン(Qaghan)の変化で
モンゴル帝国時代はQanあるいはQa'anであたっとされています。
つまり、下のような変化があったと考えられます。

 5世紀〜13世紀〜近代
 Qaghan→Qan →Xan

仮定上のXunと類似しているのは近代以降のXanではありませんか?
XunとXanが関係があるとした場合、
まず従来の説のカガン(Qaghan)からハン(Xan)へと
次第に変化したとする説を否定するか、
あるいはフン(Xun)がカガン(Qaghan)になったことを説明するか、
どちらかが必要だと私は思います。

言語学の知識に乏しいため術語があいまいな説明で申し訳ありませんが、
納得してもらえたでしょうか。


>>296
>ボクに絡んだのが薮蛇となってまいましたね。(笑
いや、まったく。(苦笑)
>他スレでも色々御教授願いたいもので、是非とも貴方のコテハン使用を希望します。
いやはや、世界史板名無し歴1年を越えているもので
いまさらコテハンになるのもね…。
モンゴル−トルコ関係のスレに名無しで書いてるので、
もし気付いたら「あいつか」と思っていただければ結構。
304301さんへ:01/10/12 21:55
お薦めの歴史入門書はなんですか?
ちなみに私は赤くない!
305世界@名無史さん:01/10/12 22:55
キリスト教はユダヤ教を母胎にしていると聞きました。
同じくイスラム教の母胎もユダヤ教と聞きました。
ユダヤの経典のようなものであるモーセの十戒では
偶像崇拝を否定しているはずです。
これをしっかり受け継いだのがイスラム教
中途半端に受け継ぎしばしば堕落したのがキリスト教、だと
とても強引に解釈していたのですがこの考えはおかしいのですか?
友達におかしいようなことを言われたのですが。
306ムハンマド:01/10/12 23:46
あまり間違ってはいないでしょう。
が、キリスト教で最も偶像崇拝を禁じた東方正教ってのもあるよ。
307世界@名無史さん:01/10/12 23:57
コーランはモーゼやイエスに神から伝わったときは
真正なる信仰であった教えは時代を経るにしたがって堕落した。
それがユダタ教やキリスト教である、とみなしているそうです。

でも結局イスラム教だって民間信仰は取り入れてるけどね。
シーア派のイマーム信仰とか、聖者崇拝とか。
その民間信仰的な要素を取り払おうとするのが「原理主義」だ。
308世界@名無史さん :01/10/12 23:58
軍事とかぶるかもしれませんが、軍において参謀本部
みたいなのができたのはいつからなんでしょうか?
309世界@名無史さん:01/10/13 00:35
>>308
18世紀くらいだったはず。
士官学校もそのころだから。
310教えてください:01/10/13 01:22
イスラエルの国土には建国される前は、なんて言う国だったんですか。
あと、パレスチナって何ですか。
ごめんなさい
311世界@名無史さん:01/10/13 01:43
>>310
オスマン帝国領パレスチナ。
312教えてください:01/10/13 01:47
日本の関東みたいなものですか?
313世界@名無史さん:01/10/13 02:08
大日本帝国領の台湾みたいなものです。
もしくはイギリス領時代のアイルランド。
314教えてください:01/10/13 02:41
二度もありがとうございます。
パレスチナ問題の本読んでいるんですが、新書だからわかるだろうと思っていたら
自分がバカなのが改めてわかってしまいました。この調子だと、中学の教科書から
やり直さないとだめかも・・・
315314さんへ:01/10/13 04:13
イスラエル建国直前は一応国際連盟の信託統治領だよ。
英、仏で管理していたような・・・。トルコの敗戦後はたしか
そうなってるはず・・・。
316311:01/10/13 05:35
>>315
あ…。

戦間期のパレスチナはイギリスの信託統治領(1918〜1948)でした。
デタラメ言ってすんませんでした。>314さん
その前の第一次世界大戦までは、パレスチナは
オスマン帝国(トルコ)の属領の一部「イェルサレム県」だったんです。
317教えてください:01/10/13 15:44
>>315
親切なレスをくださってありがとうございます。
講談社新書の「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」というのを読みました。
その本は、ドレヒュース事件というのが起こるところから書かれていて、その事件が
きっかけでシオニストたちが生まれパレスチナを目指すって書いてありました。
パレスチナについては「パレスチナ人の居住地であり、イスラム教徒、キリスト教徒、
ユダヤ教徒が長年にわたって共存してきた地域であった」と言う書き方がしてありました。
それで「ん?」と思って質問をさせてもらいました。

属領ということは(>>313でいただいスレも考えると)、適切ではないかもしれませんが
日本の比較的最近の歴史で考えると、日本の沖縄に近いものなんでしょうか。

私のレベルの低い話に付き合っていただけて本当に感謝しています
318天之御名無主:01/10/13 17:09
社会主義と共産主義のちがいはなんでしょうか。
319世界@名無史さん:01/10/13 20:36
>>318
神話板住人ウゼー。

えっと、社会主義or共産主義を唱えた政府が現実にはどんな政治をしたのかは置いといて。
辞書上の意味では、社会主義というのはその社会に所属する人間全員が可能な限り平等に暮らせるようにという考えです。
社会保険など福利厚生の充実を図るかでかなえの軽重が問われます。

共産主義は、端的に言ってしまえば、みんなで働いて得た利益を頭割り、というものです。
社会主義が社会の表面をかき混ぜて変革するのなら、共産主義は底までかきまぜ、濃度を均一にしようとします。
320世界@名無史さん:01/10/14 00:22
ノーベル賞って、一度候補に上がって落選した人は次の年に繰り越しとかしないの?
野球の賞みたいにその年に限定しての活躍ならわかるけど、
その人物に対して通算しての評価だから、この年はOK、次の年は駄目と言うのはおかしいのでは?
321///:01/10/14 00:25
北魏の均田制と隋・唐の租庸調制の違いがいまいちわからないのですが、
誰か教えて下さい。
322311:01/10/14 00:41
>>317
>属領ということは(>>313でいただいスレも考えると)、適切ではないかもしれませんが
>日本の比較的最近の歴史で考えると、日本の沖縄に近いものなんでしょうか。
最近の日本だと喩えにくいですね。
「中央政府(=イスタンブールのオスマン帝国政府)の直接支配は薄いが、
中央から派遣された役人が統治し、民政は地元有力者の手に委ねられた」体制です。
米支配時代の沖縄、というとがいくらかイメージは近いかも。

>パレスチナについては「パレスチナ人の居住地であり、イスラム教徒、キリスト教徒、
>ユダヤ教徒が長年にわたって共存してきた地域であった」と言う書き方がしてありました。
オスマン帝国に限らず、近代以前のイスラム教国家は、
(ユダヤ教徒やイスラム教徒の迫害があった同じころのヨーロッパに比べて)
他宗教の信徒に共存を許す国家であったと言われています。
そういうことです。
323教えてください:01/10/14 02:54
大変勉強になりました。
ほんとうにありがとうございました。
また、疑問なことがでてきたら質問させていただくかもしれません。
そのときはどうかよろしくお願いします。(恐縮です)
324世界@名無史さん:01/10/15 00:25
>>318
社会主義のほうが広義。共産主義は、社会主義の一部。

社会主義は、反資本主義・反市場の経済思想。
 協同組合主義、労働組合主義、無政府主義、社会民主主義、
 キリスト教社会主義、そしてもちろん共産主義など、広く含まれる。
 ローカルな「わが国型社会主義」の主張も多い。

共産主義の意味は、二つある。
 一つは、第一次世界大戦のときに、社会民主主義者から 反戦派
 が分離してできたグループ。
 ヨーロッパの外に出ると、共産主義者は他の社会主義者より穏健な
 場合が多い。共産主義=過激と思い込むと失敗する。

 もう一つは思想と関係なく、私有財産がない共同所有社会のこと。
 土地の共有制をみつけると、それをもって共産主義社会と認定する
 人がけっこういるので、びっくりしないように。

社会主義体制と共産主義体制の違いは何か。ソ連や中国に成立した
体制は、自国を共産主義とは自称しなかった。にもかかわらずそれを
共産主義体制というのは、共産主義者が作った体制というほどの意味
だ。これの定義に悩む必要はない。

社会主義体制は、資本主義に対置されるもので、資本家の存在が
否定されているかが基準になるだろう。ややこしいので悩んでよい。
国連の統計では、社会主義とは言わず「中央計画経済」と呼ぶ。やや
こしさから逃れるための便法であろう。
325世界@名無史さん :01/10/15 00:27
>>309
レス有難うございます
では初期の士官学校はどのような目的で作られたんでしょうか?
それは民間人の教育か貴族側の要望のどちらかのためですか?
また参謀の役割じたいもその頃からですか?
326世界@名無史さん:01/10/15 01:20
モンゴルは何で博多以外から日本へ攻めてこなかったのだ?
たとえば東北とか
327世界@名無史さん:01/10/15 03:00
>>326
樺太でアイヌと戦ってるよ。
「北の元寇」と呼ぶ人もいる。
328天之御名無主:01/10/15 11:25
>>319 >>324
ありがとうございました。勉強になります。
329梵阿弥:01/10/15 16:05
>>303
度々有難うございます。どうやら匈奴→可汗の可能性はそれ自体は無さそうに思えますね。
ただ、夫余と高句麗の加、百済の瑕、新羅の干貴、加羅の旱岐、契丹の呵、などもありまして、
これらと汗の関連が考えられているようです。可汗も合罕、可寒と書かれた事もありました。
何か気になってしまうのですが生憎と私は専門知識が無いので。
スラウ語にHの音が無いとするとKharikovはハリコフと呼ばれますが実はちがうのですか?
>いや、まったく(苦笑)
…ひょっとしてご迷惑でしたか。お忙しい所すいません。
330( ´D`)ノ:01/10/15 20:17
>>326

「13世紀にモンゴル帝国(元朝)のフビライは、当時サハリン島に住み、
モンゴルに服属していたキツリメイから、毎年コツガイに襲われている
との救助要請に対し、モンゴル軍をサハリンに派遣します。
この『コツガイ』が、アイヌ民族らしいとのこと。
その後、フビライは、サハリンへ軍隊を派遣し、大規模なアイヌ攻略を
始めます。 この間に、南方から日本に軍隊を送っているのですが、
それが元寇です。
九州からの2度の攻略に失敗したフビライは、再びサハリンへその矛先
を向けます。 アムール川下流域で、アイヌとモンゴル軍の戦いの記録
があるそうです。同時期に、琉球へも攻め入っているようで、当時の
モンゴルの勢力のすごさがうかがえます。
1308年に、アイヌ側は元軍に降伏。実に、44年間の戦いでした。
毎年元朝に対して、毛皮などの貢ぎ物をする約束となります。」

とのことなのれす。元軍と渡り合ったアイヌはスゴイのれすねぇ。
331303:01/10/15 21:17
>>329
>スラウ語にHの音が無いとするとKharikovはハリコフと呼ばれますが実はちがうのですか?
Khar'kovをカタカナでハリコフ(Harikofu)と書くと
ロシア語の発音とは違うぞということです。
ですが、日本語にはそもそもkh音はないですし、
日本語話者はふつうkh音を「ハ」行で聞き取りますから、
そう書くしかないのです。
逆に、日本語のハ行をロシア語に写す時はkhを使います。
北海道はKhokkaido、というふうに。
>…ひょっとしてご迷惑でしたか。お忙しい所すいません。
いえ、別に。迷惑云々というのは冗談ですから。

>>330
『コツガイ』は『骨嵬』ですね。
332311さんへ:01/10/15 21:58
たびたびすんません。
信託統治はアメリカの沖縄占領とは違います。
沖縄占領は国際連合から特別に委託されてはいないです。
日本政府が講和条約で放棄したのです。
信託統治領は独立するまでのつなぎの統治を第3者現在では国際連合
当時は国際連盟から委任されるものです。ですから、統治報告を国連
に提出しなければいけません。
最近ではマーシャル諸島やミクロネシア、また現在では独立が約束されて
はいるが実質の政権がまだない東チモールがそれにあたるはずです。
333311さんへ:01/10/16 00:30
たびたびすんません。
近代以前のイスラムはかなり他の宗教に寛容であった
ことにつけ加えます。
イスラム教というと”剣かコーランか”って言葉が
有名ですけどもう一つ、異教徒は税金を納めるって
のが選択としてあったようです。
今のようになってしまったのは(過激な原理主義)
結局のところ非寛容なユダヤ教の国イスラエルと
その支持国アメリカのせいでしょう。あと三枚舌
の第1次大戦後のイギリスのせいかな。
中東和平をあまりにもイスラエルに振りすぎた西欧
社会が彼ら原理主義者を育てたのです。
334世界@名無史さん:01/10/16 05:14
>>333
この文ではいまのイスラム全部が過激な原理主義であるかのような錯覚を受けますが?
335梵阿弥:01/10/16 13:04
>>331
Khar'kovが正しい綴りでしたね、うろ覚えですいません。今の処Qaghanの起源は謎ですか。
実は鍛冶師なんかも気になってるのですが、ただの思い付きです。
御冗談でしたか。驚いた、でも良かった。
336世界@名無史さん:01/10/16 13:51
粛慎ってなに?
語族は?
人種は?
中国のどの史書にどんな記述が書かれてるの?
また後裔民族はいるの?
337世界@名無史さん:01/10/16 16:01
ウィン体制を守っていた同盟は何だっけ?? 何か思い出した(笑
338世界@名無史さん:01/10/16 18:06
>>331

うそこけ。日本語のハ行は、гで書くよ。Gにあたる字。
横浜は、ИОКОГАМА(IOKOGAMA) だでよ。
339331じゃないが:01/10/16 20:13
>>338
それはあくまでの類似音による代替じゃないか?
340334さんへ:01/10/16 20:32
ごめんなさい。
へんてこな分ですよね。
イスラム教徒は全て過激ってことはないです。
原理主義者ごく一部です。
341331:01/10/16 22:47
>>338
実はロシア語は「齧った」程度で、日本語の転写例は思い付きであげたのですが…。
間違いだったのならすいませんでした。
ただ、私がロシア語を習ったときは人名のハ行はХで書けと教わったはずです。
自分の名前にハ行が入ってるもので、それははっきり覚えてます。

あるいは(>>303に私自身が書いたレスですが、)
HunをロシアではГунн(Gunn)と書くそうですし(これは辞書で確認した)
北海道はХоккайдо(Khokkaido)ですから(これも辞書で確認)、
Hを代替してГで写す場合とХで写す場合と両用あるんじゃないですかね?
342世界@名無史さん:01/10/17 16:12
「日露戦争は、近代になってアジアが欧米に勝った初めての戦争だ」という意見に、
「それは日本帝国主義者の偽り。ベトナムには当時黒旗軍という・・・」と言う人がいるとします。
でも、黒旗軍の劉永福は結局国から追い出されたんですよね?
戦略上の勝利ならともかく、戦術上の勝利を「戦争に勝った」というのは間違っているのでしょうか?
343世界@名無史さん:01/10/17 17:11
>>342
じゃあ、日露戦争で日本は、モスクワやペテルスブルクやキエフを
攻略できたかい?
344世界@名無史さん:01/10/17 22:29
>>343
ロシア帝国という大国の顔にドロをつけた・・・・いや、これは日露戦争だけに当てはまることではないな。
・・・・おいおい、日本の戦略目的は朝鮮からロシア勢力を追い出す、だろ?
345世界@名無史さん :01/10/17 22:50
則天武后って結局悪いのか?
346@名無しさん:01/10/17 23:47
満州国に対し欧米諸国は民族自決の尊重という観点から
認めなかった。とありますが、その他の場所では具体的には
どんな事を言っているのでしょう?
347世界@名無史さん:01/10/18 01:16
>>343
だから同様に、黒旗軍の戦略目標はフランスをベトナムから追い出すこと。
戦っていた当時は戦術的勝利によって(一部地域、一時的にではあるが)
フランス軍を追い返していたことは事実。
むろん、最終的には追い返せなかったわけだけどね。
日露戦争だって、ロシア国内の革命運動激化による戦争継続困難化という
事情がなかったらどうなっていたことやら。
日露戦争の日本と黒旗軍の差は、けっこう紙一重だと思うよ。
348とん:01/10/18 01:34
質問です!! ラテンアメリカの、ガチュピネスとぺニンスラールってどう違うんでしょうか?
349世界@名無史さん:01/10/18 01:36
>>342
アフガンは勝ったと言えるのかちょっと微妙か・・・
アジアじゃないけど、エチオピアのアドワの戦いはまさしく西洋を撃退した例だろう。
例えそれがイタリアであっても(w
350世界@名無史さん:01/10/18 07:28
大院君マンセ・・・・やめておきます。
351梵阿弥:01/10/18 10:32
>>342
マガリャネスの上陸を阻止し敗死させたフィリピンのラプラプ王の勝利は
近代ではないから関係なしと言うことでしょうか。
352世界@名無史さん:01/10/18 10:51
>>342
太平洋戦争の時の日本軍の初期の勝利くらいかな。
最初アメリカに有利に戦っただけ、
結果負けてるんだから、言い訳に過ぎないよ。
353石原莞爾:01/10/18 21:01
346さんよ。結局欧米列強は日本が満州の利権を独占してしまう満州国が
気に入らんかったのだよ。まあ、満州国建国はかなり強引なやり方だったから
かなり、やつらに叩かれたがの。アメリカの機会均等要求なんて結局自分が
中国に入れんかったからの口実だしね。
354世界@名無史さん:01/10/19 00:30
>346、353
欧米列強というより、アメリカの強硬な反対が最大の原因。
イギリスなんてかなり日本に宥和的で、1930年代中頃には満州国を認める寸前まで行った。
355石原莞爾:01/10/19 01:15
>354さんよ
ほんとかい?結局アメリカはいつでも自分の国
マンセーの国だな。
356ナセル:01/10/19 01:28
バース党の歴史についてどなたか教えてください。
どうも日本でバース党に関する文献は出版されて
いないようです。
357世界@名無史さん:01/10/19 07:43
>>356
禁句です。
358世界@名無史さん:01/10/19 09:28
中東協力センター(編)
『イラク国における政治・経済態勢の背景−バース党の歴史と展望』
中東協力センター,1980(中東協力センター資料104)

というのがあるようですが。
359世界@名無史さん:01/10/19 19:20
中国の五胡十六国時代や五代十国時代をえがいた面白い歴史小説はありませんか?
三国志のように計略をたくさん使う物が良いです。
360nanasi:01/10/19 21:27
すみません、アレキサンドリアの図書館を燃やしちゃったのは誰でしたっけ?
すごく思い出せなくて・・・ヨロシクお願いします!!
361世界@名無史さん:01/10/19 22:06
シーザーじゃないの?

例のアキレサンダル灯台壊したかどうかでまでは覚えてないけど。
薔薇園も燃やしたしね
362世界@名無史さん:01/10/19 22:31
アレキサンドリアの灯台は地震か何かで壊れましたが、土台は残ったのですよね。
で、イスラム軍が占領した時・・・・ああ!これ以上はとても言えないィィィィィ。
363YP:01/10/19 23:06
アレクサンドリアの大灯台は世界の七不思議に数えられるらしいけど、
不思議の理由は何? 高さなんですかね?
(当時の土木技術を見れば特別不思議に思えないんだけど・・)
それに、残りの六不思議とはなんぞ?
364世界@名無史さん:01/10/19 23:09
>>359
陳舜臣の「小説十八史略」ぐらいじゃないか。
あとは短編が少しあるくらいだろ
365世界@名無史さん:01/10/19 23:28
>>363
140メートルの高さはともかく、例の光学装置でしょうね。金属製の
凹面鏡で、20海里だか光を航路表示にとどかせるという。

バビロンの空中庭園に、アレキサンドリアの灯台に・・・7不思議忘れたな
366世界@名無史さん:01/10/19 23:31
聞いた話だと、「不思議」というのが誤訳らしいよ
「驚嘆すべき」といった語感の言葉(英語で言えばwonderful)
を直訳してしまったらしい
367世界@名無史さん:01/10/19 23:33
>360
シーザーがエジプト行った時に火事で燃えちゃったのと、
イスラム侵攻の時にイスラム軍に破壊されたという2回があったような。
1回は再建されたんだろうか。よくよく考えると疑問だ。
368世界@名無史さん:01/10/19 23:40
カエサルが燃やしちゃったのは大図書館じゃなかったっけ?
灯台と図書館と兼用の建物だったけ??
369世界@名無史さん:01/10/19 23:42
「コーランに書いてあることであれば不要である。
 コーランに書いていないことであれば有害である。」

こんな理由で人類の知の遺産を燃やすなよ〜
370世界@名無史さん:01/10/20 00:11
学芸院(ムーセイオン)や図書館は市内(ブルケイオン区かラコティス区?)で、
灯台はヘプタスタディオン堤で市内と連絡したファロス島の東端ですね。

ちなみに図書館に放火したのはローマ軍です。
焚書ではなく、純軍事的な焦土作戦ですね
371:01/10/20 00:27
あのう、陛下はどこへいったんでしょう。
夏の離宮のスレ以来お伺いできませんが。
372世界@名無史さん:01/10/20 00:51
ヨーロッパの昔の貨幣の価値がいまいちよくわかりません。近世あたりの各貨幣間の為替やそれぞれの貨幣で何が買えるとかいった事をご存じの方、おられませんか?
373貨幣価値:01/10/20 02:12
駄レスですが、様々な文献に当時1何とか(各国の貨幣まあルーブルとかね)
で小麦だかライ麦がどれくらい買えたと書いたるでしょう。
そこから想像すればよいのでは?
為替なって結局物物交換に近かったんだからさ。今のようにたくさんの人が
他の国の人取引などしてないからさ。大雑把な想像はできるんじゃないの?
374名無しさん:01/10/20 14:02
質問です。
原始共産制は無かったというのは、ほんとうですか?
375and a dog:01/10/20 19:26
スレッド立てるまでもない質問。
教養として世界史を学ぶのに適した本ってありませんか?
清水書院の世界史参考書はイイと聞いた。

もう一つ!
上の質問と内容は同じなんだけど、英語で書かれてる世界史の良書が
あれば、そっちも見てみたいっす。

よろしく。
376世界@名無史さん:01/10/20 23:14
タラス河畔の戦いについて教えてください。兵力、指揮官、大まかな流れ、
そのごの両国の関係など
377374さんへ:01/10/21 01:35
原始共産制っていうのはあくまでも想像の世界だからねえ。
でも基本的に、初期農耕の時代は貧富の差がなかったから
原始共産制じゃないのかな?墳墓などに差がなかったのが
理由ですが・・・。
378世界@名無史さん:01/10/21 01:40
>374、377
縄文時代にはもう、権力者がいました。
でないと、三内丸山遺跡のような集落は作れません。
379名無しさん:01/10/21 04:23
>>377-378
ということは、原始共産制はなかったということで、ファイナルアンサー?
380世界@名無史さん:01/10/21 18:03
突然ですが、しつもーん!!
ギリシア時代の柱について、皆さんに考えてほしいのですが
ギリシア・オーダーの条溝数は、驚くべきことに、ドリス式の典型的なもので20条、
イオニア式で24条と、数が定まっているんですよ。
ギリシア人は、美的なるものを単純な数的比例関係に還元して考えようとする
傾向があるので、何か意味があるんじゃないかなぁと思うのですが
皆さんは、どう思いますか???
381世界@名無史さん:01/10/21 20:06
何故、親日、親米、親中、親欧と言う言葉があって親韓派という言葉はないのですか
やはり親〜というのは下から上のものに向かって言うので、韓国は日本より下と言うことを
認めているのですか?
382世界@名無史さん:01/10/21 21:22
>>381
国際的に重要じゃないから。
戦前は「親独・親英」という言葉があったが、
今はほとんど使わない。それと一緒。
っていうか「親欧」なんて言葉使うか?
今となっちゃ、「親〜」なんて呼び方をするような大国なんて、
アメリカと中国ぐらいしかないだろ。韓国に限らず。
383緊急!!:01/10/21 23:11
メデイチ家の歴史について詳しく書かれているサイトがありましたら貼って下さい!!お願いします。
384世界@名無史さん:01/10/22 00:11
くだらない質問ですんませんが
「伯仲」って言う言葉って、中国人の字に使われる
長男っていう意味の「伯」と、次男って意味の「仲」から
兄弟を比べたことが語源なんでしょうか?
385世界@名無史さん:01/10/22 23:56
清末売春事情についてそろそろ
386380さま:01/10/23 00:04
古代ギリシャ人の好みはよう分からんけど、
人間って昔からいろんなものをきちんとした綺麗な
比率にすることにこだわるよね。
そう言えば黄金比っていう三角形の比率を
最初に考えたのってギリシャ人だったよね?
それとも古代エジプト人だったけ?
387世界@名無史さん:01/10/23 00:23
>>384
そのとうりー
388世界@名無史さん:01/10/23 00:44
>>375
晶文社の「西洋史展望」。
389エレナ:01/10/23 07:43
私の祖父(スペイン人です)は第二次世界大戦時に志願兵として
ソビエトへ渡りました
最近になって「青師団」に興味を持ち始めネットで検索かけたのですが
情報が少なくこのスレッドで詳しい方がいらっしゃったら知識を頂きたいと思い
投稿しています。情報やお勧めの書籍とかありましたら是非教えてください。
よろしくお願いします。
390世界@名無史さん:01/10/23 16:32
     a b
+――――――――――+――――――+

a:b=a+b:a
これを解くと
a:b=1:1.618
になります。これが黄金比で、
別に三角形とはあんまし関係ないんだよね。
391あやめ:01/10/23 21:51
>385
ごめんね、来週は必ず書きます。
392385:01/10/24 03:44
>391
あやめさんおぼえててくれたんですね。
来週まで待ちます、よろしくおねがいします。
393世界@名無史さん:01/10/25 10:26
更始帝とゆかいな仲間たちが号した国号は漢ですか?
394世界@名無史さん:01/10/25 16:41
孔子の子孫たちって今は残ってるんでしょうか?
共産党政権が生かしてくれてるとは思えない・・・。
395世界@名無史さん:01/10/25 22:07
確か、台湾にいるんじゃなかったっけ?>孔子の子孫
396これってどこ?:01/10/26 00:50

http://qz.nowget.com/db/ng040.qa

ネット上のクイズなんですが、まったくいやらしいというかなんというか、
まったりとしたクイズラリーが続いております。
そうやって引き止めておこうということか。
どなたか、解答おわかりになる方、いらっしゃいますか。教えてください。
397世界@名無史さん:01/10/26 01:02
>395
詳細お願いします。
もしかして現存している中で最も長かったりするんでしょうか・・・?
398世界@名無史さん:01/10/26 06:41
孔家の当主(エン聖公)は清の滅亡後は民国政府の保護を受けて、
そのまま国共内戦のとき台湾行っちゃったんじゃなかったかな。
今は80代目くらいだったはず。
399世界@名無史さん:01/10/26 07:21
孔子の子孫が日本で本を出してたなあ?孔子75世子孫と名刺をつくったら会う人が多くなったとか。
400世界@名無史さん:01/10/26 07:21
400get
401あやめ:01/10/26 10:58
孔子さまの子孫は大陸にも台湾にも現存しています。
昨年これに関し別スレに書いたものをコピペしましょう。
402あやめ:01/10/26 10:59
63 名前:あやめ 投稿日:2000/08/31(木) 17:31
支那の旧家には皆どこもいわゆる族譜というものを代々編纂し続けていて、その
最初のところには以下に由緒古き家系だあるかということを、誇らしげに記載し
ているのが普通です。しかしその裏付けとなると怪しいものが殆どです。
しかしそんな中に2家だけ確実な由来の辿れる家族が存在します。儒家の聖裔で
ある曲阜闕里街の衍聖公孔氏と、道教の玄苗である貴渓龍虎山の漢天師張氏の門
宗です。
先ず孔子の子孫について記述しましょう。孔子の先祖は殷王朝を相続した宋の公
族です。だからこの時点でもうかなり古いわけです。でも「史記」の「孔子世家」に
は3代前からしか系譜の記載がありませんが、ともかく春秋時代までは確実に遡
れるんだから凄いです。
孔子は御存じのように三千人だかの弟子がいて、また儒家というのは諸侯にリク
ルートして任用されてナンボという学派で、戦国時代には墨家と並んで天下の顕
学と目されるまでになりました。そして孔子の孫の孔キュウ(フォントなし、人
偏の右に及)即ち子思子や8代の孫の孔鮒(子魚)のように郷里で家学を紹述し、
有力な弟子(孟子とか)を養成した人物がいて、既に家門が確立されていたという
べきでしょう。
漢の武帝の時代には儒家は国教ともいうべき地位を獲得し、この支那思想界にお
ける儒教独尊体制は清朝の倒壊まで続き、文革の「打倒孔家店」の運動まで命脈を
保ってきました。歴代王朝の孔子尊崇の歴史は浅野裕一「儒教-ルサンチマンの宗
教」(平凡社新書)あたりを参照してください。
儒教と孔子への殊遇に対応して孔子の子孫の恩蔭も一方ならぬものがありました。
孔子の家督相続者「奉祀君」は13世の孫の孔覇が漢の元帝に関内侯に封じられたの
から始まり、唐の玄宗は35代の孔燧を「文宣公」に封じています。孔家の当主の爵
号の「衍聖公」は46代の孔宗愿が宋の仁宗に賜ったもので、明代からは文臣の首と
いうことでマンダリン最高の一品官の待遇を得て、清末の76代の孔令貽まで世襲
されてきました。
この間に孔家一族からは前漢に孔子11代の孫の孔安国、後漢に20代の孔融、唐に
孔穎達などの学者が輩出しています。孔融などは孔子さまの後裔としてはかなり
の変り種ですけどね。
403あやめ:01/10/26 11:04
64 名前:あやめ 投稿日:2000/08/31(木) 20:16
ここからは「孔府内宅軼事」(孔徳懋著、天津人民出版社刊)という本に
依って記述します。著者は孔子77代の子孫である女性です。
孔子の後裔の原籍は山東省の曲阜でここに在住する者を闕里の孔氏と
称します。時代の変遷により他所に移住した支族も多く、その最大の
ものは河北省在住の「河西派」です。その始祖は孔子31代の嫡孫である
孔穎達で、彼は唐の高官でもあったので天子の陵に陪葬されることと
なったので、一家を挙げて長安に定住することになり、更に宋初には
甘粛省の涼州に、また明初には河北省の河間にと移動しています。河
間の孔氏は更に河北省一帯に分居し8支族を派生しています。
これに次ぐ大支族は華南に散居する「南宗派」です。48代の嫡孫の孔端
友は宋王朝の南遷に従い浙江省の衢州に移住し、そこで衍聖公府を曲
阜とは別に開きました。この支族からは更に四川・江蘇・浙江・江西・福
建・安徽の各地に散在する分家を発生しています。
闕里の孔氏はまた内孔と外孔に大別されます。内孔は孔子のネイティ
ヴな後裔で「内院孔」とも称しています。外孔は元来の孔裔としての素
性が確実でない者で「外院孔」と呼ばれています。中には祖先は孔姓で
なかった者もおり「偽孔」と蔑称されています。1982年現在の闕里の孔
氏の総人口は約10万人と推定されているそうですが、闕里孔氏の族譜
に登載してもらえるのは内孔だけです。
内孔はまた60宗戸に分岐しており中核となるのが衍聖公の家族である
「大宗戸」です。大宗戸と他の宗戸とは殆ど主従同然の関係と言ってよ
く、宗法による処罰権なども認められていたようです。孔府の族譜の
行輩字については「同名を名乗る事について〜 」のスレッドにカキコ
しましたので参照してください。
衍聖公府(孔府)、孔子廟(孔廟)、孔子以来代々の墓所(孔林)が闕里の
中心となる施設で観光名所にもなっているようです。
404あやめ:01/10/26 11:12
以上2条は「いまだに続いている家系は?」というスレッドに書いた者です。
下のは「同名を名乗ることについて」というスレッドに書いたものです。

35 名前:あやめ 投稿日:2000/08/27(日) 17:47
>22
これは乾隆帝が孔子の直系子孫である衍聖公の家族に賜ったもので30字あります
 希言公彦承宏聞貞尚衍興毓傳継廣昭憲慶繁祥令徳維垂佑欽紹念顕揚
その後また第21字輩の孔令貽が20字を加増しました
 建道敦安定懋修肇益常裕文煥景瑞永錫世緒昌
これで当分は間に合います
現在の孔家の当主は孔令貽の子の孔徳成で台湾在住の人です、徳成の子は維益とい
う名だそうです、孔子から数えると徳成は77代目の嫡孫ということになるというこ
とです
405世界@名無史さん:01/10/26 18:34
あやめさんありがとうございました。
あやめさんの知識には脱帽です。

でもやはり中国の文革で孔子の子孫は迫害されたんですか・・・。
虐殺されたのかな?
406あやめ:01/10/26 20:50
文革ではたぶん苦労があったと想像しますけど、虐殺とかはありません。
現に前記の「孔府内宅軼事」という本は四人幇が打倒されて後の出版です
が、孔徳懋さんは身の上を語った中では迫害があったようなことは全く
出てきません。なおこの方はたぶん今でも北京に居られると思いますが、
台湾に住んでいて来日したこともある孔徳成さんのお姉さんに当られます。
407( ´D`)ノ:01/10/27 11:10
日本が鎖国する以前、まだ朱印船貿易華やかなりし頃、黎氏
大越国の鄭氏と阮氏の対立をそれぞれ援助して煽り、そして
儲けていたという、今で言うところの「死の商人」のようなことを
やっていた日本の2つの商家があったそうなのれすが、詳しい
ことをどなたかご存知の方、教えて下さいなのれす。
408世界@名無史さん:01/10/27 13:59
たしか孔子の子孫一族の村があったはずだが。
409アーーーーーリア:01/10/27 21:37
アーリア人のカイバー峠から侵入したその後を教えてください。
410世界@名無史さん:01/10/27 23:37
誰か答えてやってくれあげ。
411世界@名無史さん:01/10/28 00:08
おもしろくて分かりやすい世界史の書籍紹介してちょ!
412世界@名無史さん:01/10/28 10:01
>>411
全体から入らず、部分から入る。「世界史」という名が題にないのを選びましょう。
でないと、おもしろくてうさんくさい本か、正しくてつまらない本を引き当てます。
鉄則です。
413世界@名無史さん:01/10/28 16:11
アフガン戦争の時のソ連の首って誰ですか?
414受験生:01/10/28 20:06
えっと、大学受験板で聞いたんですが、ちょっと細かいことだったんで
ちょっと受験レベルじゃ正誤がわからないので世界史に詳しい方に
教えていただきたく、来ました。質問は下の二つなんですけど…

「1、ヘブライ王国が2つにわかれたじゃん?(イスラエル&ユダ)
それのねイスラエルを滅ぼしたのはアッシリアだけど、その時の
王が「サルゴン2世」って書いてあったのね サルゴン1世ってのは
アッカド人の王だよねぇ…? これって名前がたまたま同じってだけで
関係はないの? それともアッカドとアッシリアってもしや何か関係が?

2、エジプトのアメンホテプ4世が死んだ後、遷都したよね?
それってテル=エル=アマルナからだけど、最近はメンフィスに
移されたらしいってことがわかってるらしいけど、佐藤のだとテーベなんだよね…
これってもし試験に出たらどっち書くべきなんだろ? 」

2に関しては他の人からこんな指摘もありました・・・

でも、テーベに移したのは納得できる話だけどな。
 ツタンカーメンの語源→ツゥットウントアモン
 日本語訳→あもんにもどした王様(のような感じだったとおもう。違うかもしらん。)
テーベの守り神って、アモン・ラーじゃん?
だったら、テーベでいいんじゃないの?」

教科書、参考書レベルだと詳しくは書いていなかったので、
もし知っている方がいたら教えてほしいです。お願いします。
415世界@名無史さん:01/10/28 23:16
これ(↓)ってホント?

36 名前:/名無しさん[1-30].jpg 投稿日:01/10/11 22:07 ID:8Uvr19bk
ナポレオン軍がロシア遠征に失敗したのは寒さや補給の失敗の他に、
兵員を乗せた蒸気エンジントラックの燃料となる薪が不足したため。
急ぐあまり一般道を使用し森林地帯から離れてしまったのが原因。
ナポレオン軍の進行の速さが裏目に出てしまったようだ。
416世界@名無史さん:01/10/29 00:23
>>415

杉谷善住坊の撃った弾が信長に当たらなかったのは、
たまたまライフル(条溝)を切り忘れた銃だったから、

・・・という話を今思いついた。
417世界@名無史さん:01/10/29 02:13
文明と歴史の違い教えて。
418あやめ:01/10/29 16:01
>>385 >>392
かねてからのお約束なので「清末売春事情」今週から少しづつ書くことにします。
でも大した資料は見つからなかったので期待外れかもね。

さて時代としては咸豐からということで、場所は黄河流域を代表する北京、長江流域を
代表する上海、珠江流域を代表する廣州、この3都会について変遷を記述することに
します。
わが文化二年に刊行された岡田玉山編「唐土名勝圖會」には嘉慶年代の北京城内の青楼
の景観が描かれていますが、東城の燈市口の一帯のことだそうです。清末のジャーナリ
ストとして知られている王韜の「燕京評春録」によると、北京の遊郭は咸豐・同治時代は
多くは場外に在ったのが、光緒の初年に西城内の磚塔胡同(俗に口袋底と呼ばれている)
に移ったということです。民國のケ之誠著「骨董瑣記」に「塔西雑記」を引いて磚塔胡
同・城隍庵・銭串胡同・大院胡同・三道柵欄・小院胡同・玉帯胡同などの色街が複雑に連接し
ていると記述しています。ごぞんじかもしれませんが「胡同」というのは北京に特有の
横丁というか路地です。そういう裏町みたいなとこに娼家が数十戸ひしめいているわけ
です。経営者は当初は北京または近郊の出身者だったのが清末には天津人が大半になって
いたようです。こうした娼家の大店のうち雙喜・天喜・天順などは自己資金で地所を買い
求めた者であるが、それ以外は殆どが賃借であるとも書かれています。こうした店は光緒
初年は皇族や官僚で賑わっていたのが、後にお上から場外に追い出され光緒末年には殆ど
民居になってしまっていたようです。
清代の野史の中でも最も知られている「清稗類鈔」には「道光以前は京師にては最も像姑
(かげま、ニューハーフ)を重んじ、絶えて妓寮少なし、金魚池等の處は輿隷(江戸で言えば
中間や人足)の群集の地のみ、咸豐時には妓風大いに熾んにして、臙脂・石頭の胡同は家ごと
紗燈を懸け、門には紅帖を掲ぐ、毎ねに午を過ぐれば香車絡繹として、遊客は雲の如し、
酒を呼び客を送る聲は夜を徹し耳を震はす、士大夫は相習ひて風を成し、恬として怪と為さ
ず、身は敗れ名は裂け、且つ此れに因りて官を褫(うば)はるる者あり」と語っています。
このように咸豐時に至って北京の娼妓が開放的になった原因についてはまた来週ね。
419あやめ:01/10/29 16:06
10行目と18行目の「場外」は「城外」の変換ミスです。
420世界@名無史さん:01/10/29 16:45
>415

兵站を支えたのは馬とロバ+人
食料無くなって真っ先に食われたのも馬とロバ
421名無人:01/10/29 16:48
422世界@名無史さん:01/10/29 22:03
質問:最初に古代ローマ帝国を訪れた中国人の名前を教えてください。
423世界@名無史さん:01/10/30 00:38
高句麗の建国者は誰ですか?
424世界@名無史さん:01/10/30 02:03
>414
テーベ>アマルナ>テーベ でよいと思う。(山川世界史用語集はこうなってる)
イクナートンが死んだ後はアモン=ラー信仰に戻るのだけど、
アモン=ラーはテーベの守護神だからテーベに帰都しなくては。
ちなみにイクナートンがゴリ押しした唯一神アトンに対し
アモン信仰はアモン=ラーを主な神とする多神教ね。
ギリシャのゼウスみたいな存在ね。

とりあえず高校程度ならこの位の知識で十分だと思います。
425世界@名無史さん:01/10/30 02:37
◆◆◆在日=強制連行なんて大ウソ、ダマされた日本人◆◆◆

1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の
日本上陸は日本政府が朝鮮人の来日を取締まっていた昭和10年までに
渡来したものが全体の53.7%と、半分以上になる。

昭和11〜15年はまだ民 間の自由募集の期間だし、次の16〜19年の中
でも、国民徴用令による徴集は19年の9月以降のわずか4ヵ月間である
から、単純に計算すると、この期間に徴用されたものは16〜19年間の
1万4514人の12分の1、つまり1210人(全体 の1.46%)に過ぎない
ことになる。

これに、次項「昭和20年9月1日以前」 の679名(0.8%)を加えた
概算1889人(2.3%)ほどが、真に強制連行の名に値する在日朝鮮人
だということになる。かりに「官あっせん」を強制徴用の概念の中に
入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月〜19年8月来日者の推計
数を全部加えても、約1万1300人余(14%)にすぎない。

この推定は、昭和16〜19年間の月間 来日数を均等として考えたもの
であるが、実際には、関釜連絡船の運航は終戦が近くなるにつれ次第に
困難になりつつあったから、19年後半の来日徴用者も減少している
はずである。

すなわち、どんなに強制連行の概念を広く解釈しても、10%を大きく
超えることは決して有り得ないのである。
426ポン:01/10/30 17:28
ギリシャの重装歩兵隊(ファランクス)ってアケメネス朝を倒しちゃうくらい強かったのに、どうして出来立てのローマごときに負けちゃったんですか?ご教授おねがいします。あとローマはどんな軍だったかもできればおねがいします。
427受験生:01/10/30 19:05
>>424
そうですか!? 自分も山川の用語集見たら、メンフィスになってたんですよね(笑)
 用語集が違うのかな? だから自分は山川ではメンフィスで統一してるんだ
と思ってたんですけどね・・・
(今度世界史研究でも見てこようかな・・)
428世界@名無史さん:01/10/30 19:06
>>426
アケメネス朝を倒したわけではないのでは・・・
ただ追い返しただけじゃない・・・?
429391:01/10/30 19:12
>>418
まってました。よろしくおねがいします。
430ポン:01/10/30 19:53
>>426
どうも書き方が悪かったみたいですみません。
ペルシャ戦争では無く、アレクサンドロス大王の遠征です。
確か彼も重装歩兵を使ってインダスまで攻めたんですよね?
なのにその後重装歩兵はローマに負けているんですよ・・・
431世界@名無史さん:01/10/30 20:10
>>430
ローマがオリエントにせめて来たときは、
すでにヘレニズムは解体されて、3つになってたときでしょ?
432世界@名無史さん:01/10/30 20:58
>430      むしろ大王の軍の目玉は軽装騎兵だったと思うけど…。あとローマ軍についてはとりあえずニュートンの別冊あたりを探せばいいと思う。
433世界@名無史さん:01/11/01 03:28
旧ソ連って内戦などでめちゃくちゃになってたのにどうして二大超大国にまでのし上がれたのでしょうか?
434世界@名無史さん:01/11/01 09:06
>>430
ファランクスがローマに負けた戦いと言うと、前168年のピュドナの戦いの事ですね。
かの戦いでマケドニア軍は、ローマ軍の2回の投げ槍攻撃に足並みを乱された所を
地形の起伏や樹木によって出来た空隙から密集陣を突破され、
ローマ軍が得意とする白兵戦に持ち込まれて全滅してしまいました。
伝説的強さを誇る重装歩兵も、ひとたびその槍の壁を突破されて
至近距離にもぐり込まれてしまっては反撃もままなりません。
(6mもの槍を持ったまま小剣を持った兵に襲われる様を想像してみましょう!)
ローマ側の狙いは、まさにこの起伏に富んだ地形を利用して密集隊をかき乱す所に
あったのですが、ワンパターンに重武装で敵を押し潰す戦法に頼り切ってきた
マケドニア軍側はそれを見抜けなかったようです。
ちなみに戦死者はローマ側100人に対してマケドニア2万人。
435世界@名無史さん:01/11/01 16:25
以上、調べてみました。
436世界@名無史さん:01/11/03 09:43
あげましょう。
437世界@名無史さん:01/11/03 12:33
以前テレビで中国の方が
秦繪(←字が違う)とその妻の銅像にツバを吐きかけていましたが
現在でも中国での評価は秦繪は売国奴で
岳飛は英雄なのでしょうか?
438ポン:01/11/03 12:51
>>434さんありがとうございます  軽装騎兵は使わなかったんですかね??
>>433 実際ソ連はドイツ軍にモスクワ陥落の寸前まで攻められています。
しかし冬将軍の到来と新型戦車T−34の開発により以来ドイツ軍を圧倒し、
ベルリンまで攻めこみました。戦後はドイツの科学者を自国に連れ帰り、広大な
国土から採掘される莫大な資源と進んだ科学力によりアメリカとともに
二大超大国になりました。莫大な資源、進んだ科学力の条件をみたすのはアメリカ、
ソ連しか無いためだと思います
439世界@名無史さん:01/11/03 23:21
>>423
建国伝説によれば、朱蒙。
卵から生まれたすごいヤツ。
440ママ:01/11/03 23:47
グロチウスはなにをした人れすか?
(ゅдゅ)おせーてくらはいな!
441世界@名無史さん:01/11/04 08:03
>439
カイルロッドの元ネタはその人だったのか・・・。
442世界@名無史さん:01/11/04 12:51
東京大空襲のときって皇居も焼けたんでしょうか?
また、そのとき天皇はどこにいたんですか?

一応第二次世界大戦は世界史ってことで・・・。
443世界@名無史さん:01/11/04 12:52
>>442
防空壕
444世界@名無史さん:01/11/04 13:03
>>443
レスありがとうございます。
それで皇居は焼けたんですか?
445世界@名無史さん:01/11/04 13:22
>>440
おっかない奥さんにトランク詰めにされた人です。
446世界@名無史さん:01/11/04 13:35
ザビエルが日本にきたとき
どこからきたのか教えてください
あと、鉄砲伝来はいつの年号なんでしょうか?
教えてください
447世界@名無史さん:01/11/04 17:49
>>437
そうじゃなきゃ岳飛廟の秦繪像にツバ吐きつけないでしょう。
448ミナコ☆ ◆OBykfjW6 :01/11/04 17:54
1930年のロンドン海軍軍縮条約で扱われた補助艦にはどんな物があるか教えろやゴルァ!
449ミナコ☆ ◆OBykfjW6 :01/11/05 16:53
age
450世界@名無史さん:01/11/05 17:22
>>446
スペインのイエズス修道会からです。
451あやめ:01/11/05 17:23
>>437 >>447
実利追求に徹している支那の一般民衆が急に忠君愛国思想に目覚めるかしら?
やっぱり御利益があるって迷信が存在するので皆ながやるようになったらしいわよ
そうじゃなきゃ岳飛廟の秦檜像にツバ吐きつけないでしょう

ということをだいぶ前に何かで読んだ記憶があるんです
ずっと芥川龍之介の「江南遊記」だと思い込んでて、いま確認したらみあたらない
そのほか二三あたったけど発見できませんでした
そのうちめっけたら報告しますね
452@名無しさん:01/11/05 20:14
ザビエルが日本に来たとき、通訳がマリアさまのことを
大日如来って訳したって本当ですか?
453世界@名無史さん:01/11/06 22:29
ザビエルちゃんはゴアから来たんでしょ。
途中でルソンなどによって来てるよ。
454世界@名無史さん:01/11/07 18:45
「マルコ・ポーロは実は中国に行っていなかった」という話を
聞いたのですが,本当はどうなんでしょうか?
455世界@名無史さん:01/11/07 19:09
世界史に朝鮮人が現れるのはいつ頃?
456あやめ:01/11/07 20:36
>>451
この習俗の背景には支那人の「痰吐き文化伝統」というべきものが存在します。
何年前でしたか清朝の宮廷文化に関する展覧会があって、乾隆帝の書斎が復元展示
されていました。そして豪奢を極める調度の中に立派な痰壷が帝のお机の傍わらに
麗々しく置かれておりました。
「日中国交回復交渉」の際にケ小平だったかが田中角栄首相とやりあってる最中、
むづかしい局面にさしかかったら突然とケ氏が立ち上がって部屋の隅までゆくと、
「カーッペッ」という喉音高く盛大に痰を吐きつけたそうな。さすがに負けない
角栄氏これまた別の隅に「カーッペッ」
食事中の方もしいらっしゃったら御免なさい m(_)m
秦檜像みたいな物が日本にあっても東洋清潔の民は絶対「カーッペッ」はやらない
でしょうね。
457タイマー:01/11/07 23:51
先進諸外国のマスメディアについて知りたいのですが、
どの板にスレたてればよいでしょうか。
マスコミ板にはどうも詳しい人はいないようです。
歴史板の人に聞くのも何なんですが。
458世界@名無史さん:01/11/08 00:00
東洋清潔の民は鼻すすり文化を持ってるぞ。いや、いいけどさ。
459世界@名無史さん:01/11/08 00:32
なぜ帆船の頃の軍艦は、艦首にでも大砲を設置しなかったんでしょうか。
2門くらいは置ける気が。
460世界@名無史さん:01/11/08 00:46
>>459
意味がないから
461461:01/11/08 00:49
460さんそうあっさり答えなくても・・・。
まあ当時前に2門あっても200メーターも離れれば
当たらんかったでしょう。
462世界@名無史さん:01/11/08 00:49
>>460
えー、なんでですか?

被弾しにくく自分は撃てる、と、いいこと尽くめじゃないですか。
463世界@名無史さん:01/11/08 00:56
しつもーん!
日清戦争での賠償金3億円って、
今の幾らぐらいなんですか?
気になってねむれまへん・・
464世界@名無史さん:01/11/08 01:02
>>463
当時の国家予算の3倍以上。
465464:01/11/08 01:04
日本の。
466世界@名無史さん:01/11/08 01:11
>>461
じゃあ、クドクド答えよう

中世から近世にかけてのヨーロッパの戦闘艦の歴史は、
極言すれば重火力化の歴史だった
本格的な帆装戦闘艦が出現したのは1450年頃だが、
重い大口径前装式艦載砲を正甲板に搭載することは構造上危険が伴う
この問題を解決したのが1500年頃にブレストで発明された舷側砲配置で、
舷側に砲眼を設けることにより、重い大口径砲を低い位置に配置することが出来た
結果、舷側に多数の砲を備えた帆装戦闘艦がヨーロッパ海軍の主力艦となる
こうなると、戦法も従来の衝角攻撃や接舷斬込よりも砲撃が一般的となった
この砲撃戦法の主眼はいかに大量の火力を敵艦に指向するかにかかっているため、
敵艦に舷側を向けて多数の舷側砲による斉射を行うことが最も理にかなっていた
艦首に少数の砲を搭載するより、その分の重量をより多くの舷側砲を積むことに
まわすべきだと誰もが考えたのは当然のことだった
例えばレパントでは・・・・(以下略
467459:01/11/08 01:58
なるほど効率化故ってことですか。納得。
468世界@名無史さん:01/11/08 13:21
461さんも書いているように、帆船時代の大砲は有効射程が短い。
それで船首に前方を狙う大砲があったらどうなる?
停泊してるか無風状態でない限り、帆船といっても、結構、速度は出てるものだよ。
よほど上手く敵艦の背後につけたりしない限り、せっかく敵艦を射程に捕らえても
その直後には、その敵艦に突っ込んでるか、交差して離れてしまうかのどっちかだ。
469世界@名無史さん:01/11/08 14:59
固定射軸と照準の問題ね
470アマノウヅメ:01/11/08 15:55
>>463
中流家庭(使用人がいて、働き手に死なれても利子や家賃で暮らせる家庭)
の資産の標準が3万円だったそうです。
月収30円あれば庶民の生活には十分で、帝大教授は月給100円で人力車で通勤したとか。
471世界@名無史さん:01/11/09 00:40
>463
細かいことだが賠償金は三億両(テール)です。
しかもイングランド=ポンドでの支払いになっていてそこから諸外国の戦債支払もあてられた。
472YP:01/11/09 01:09
ヌルハチ誕生から溥儀までの清朝の通史を詳しく(楽しく)書いてある、
お薦めな本を教えて下さい。
473世界@名無史さん:01/11/09 02:33
>>472
乾隆帝までなら講談社選書メチエの石橋崇雄『大清帝国』、
明もひっくるめてなら中公新書の寺田隆信『紫禁城史話』が
新書なんで分量も適当で良かったです。
474世界@名無史さん:01/11/09 10:12
三頭政治のメリットとデメリットてなんですか。
475名無しの原始人:01/11/09 11:46
クロマニョンはネアンデルタールから進化したと考えていいのですか?
そうで無いとしたらネアンデルタールの全盛時代クロマニョンの祖先は
何をしてたんでしょう。それともクロマニョンは突然どこかから湧いて
出たのでしょうか?どうもその辺りが良く分からないのでどなたか
教えてくださいませ。
476名無しの原始人:01/11/09 11:49
それからもう一つ質問

現在の1月1日という日付の日が一年の最初の日だと
決まった経緯を教えて下さい。普通なら冬至の日とか
を年の初めにした方が暦上便利そうに思うのですが。
477世界@名無史さん:01/11/09 13:12
>>476
経緯は知らないけど、そうなったのはユリウス・カエサルがユリウス暦を
制定した時でしょうな。今日の西暦(グレゴリオ暦)はユリウス暦を、閏年
の点だけ修正したものだから。
478世界@名無史さん:01/11/09 14:11
September、October、November、Decemberってのは
一年が3月から始まってたときの名残なんでしょ?
479>>475:01/11/09 15:41
クロマニヨン人は現世人類の祖先の一部で、ネアンデルタール人は
訳60万年前に別れた別の種です。種からして異なります。祖先では
ありません。クロマニヨン人は約20万年前にアフリカでハイデルベ
ルゲンシスから別れて出現したサピエンスのうち南ヨーロッパいた
化石人類のことであって日本人などの直接の祖先ではありません。

>>全盛時代クロマニョンの祖先は何をしてたんでしょう。

アフリカから世界各地に広がって一部はクロマニヨンになったりし
ました。そもそも、ネアンデルタール人はヨーロッパと中東に限定
された地方種で旧人という言葉は死語になっています。
480世界@名無史さん:01/11/09 16:04
ふんふんふーん クロマニヨン♪

……失礼しました。
481吉永小百合:01/11/09 16:10
ふんふんふんふん クーロマニーヨーン♪
482名無しさん:01/11/09 16:53
>>478 JulyとAugust をSeptember の前に強引に突っ込んだんじゃ
無かったっけ?
483世界@名無史さん:01/11/10 01:25
質問
ナチスの制服をデザインした人は誰ですか?
484世界@名無史さん:01/11/10 01:34
オクタウィアヌスとは8月生まれという
意味なのでしょうか?
日本で言ったら弥生みたいなもん?
485世界@名無史さん:01/11/10 02:02
>>484
逆。
アウグストゥス(オクタウィアヌス)にちなんで8月はAugustになった。
オクタウィアヌスは「オクタウィウス氏からの養子」って意味。
486世界@名無史さん:01/11/10 11:36
唐をどうして「カラ」と言うのでしょうか。
私の頭の中に、カラとは当然に加羅のことであり大唐帝国は朝鮮起源で
あるという説が浮かび上がりつつあります。外部に漏出する前に片付け
てください。
487匿名子:01/11/10 11:45
人間の理性が現代文明に果たす役割についておしえてください
488YP:01/11/10 18:13
>473
どうもありがとうございます。
『紫禁城史話』の方を購入しました。
489あやめ:01/11/10 18:42
>486
古代の朝鮮南部に「加羅」という国があって、倭人は最初は海外の取っ付きの
土地を「カラ」と呼んでいたのですが、だんだんと朝鮮諸国との交渉が発展し
朝鮮の諸国をひっくるめて「カラ」というようになりました。やがて更に大陸と
国交が開け殊に江南の歴朝を意識するようになり、遣隋・唐使時代になると支那
そのものを指すようになったというわけです。
序でに触れとくと「モロコシ」は南朝と通好していたことから、江南を「諸越」
と書くのを訓読したもののようです。
「クレ」も南朝と通好していたことから日の暮れる方角の国ということに由来し
呉をクレと読むようになったのです。
490( ´D`)ノ:01/11/10 18:45
>>489
さすがあやめさん!
ものすごい知識なのれす!
ためになったのれす。
感動〜。( TDT)
491:01/11/10 18:52
歴史嫌いのこどもに教えるために、
歴史の教科書を読み直しているのですが、
歴史って、王様が自分の兄弟を殺したり、
争いや戦争の話が多くてほんとうにウンザリしています。
心が清清しくなるような歴史書ってないのでしょうか?
それとも、戦争状態が人間としては普通のありようであって、
平和を作ることの難しさを学ぶことが歴史の勉強なのでしょうか?
492世界@名無史さん:01/11/10 18:54
あやめ様へ
以下のスレで倭寇に関する詳細な解説をして欲しい要望があるのですが、よろしくお願いします。


http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1003993152/
493世界@名無史さん:01/11/10 20:17
清末売春事情のつづきは・・・
おねがいします、特に広東について知りたいです。
494 :01/11/10 20:48
小耳に挟んだけど、

亜米利加に黒人の大統領が、
いまだに存在していないって本当ですか?

もしそうでも、
立候補ぐらいはしていますよね?
495匿名子:01/11/10 20:55
人間の理性が現代文明に果たす役割についておしえてください
496( ´D`)ノ:01/11/10 20:59
>>494
今絶賛活躍中のパウエルさんが立候補しようとしたところ、
いろいろプレッシャーがあったとか、時期的に早すぎるとかで、
結局断念したとか。そのような話を小耳に挟んだのれす。
なんか次回の大統領選挙は、
「アメリカ史上初の黒人大統領(パウエル現国務長官)」
「アメリカ史上初の女性大統領(ヒラリー・クリントン前大統領夫人)」
との争いになりそうな予感がするのれす。あくまで予感れすが。(藁
497世界@名無史さん:01/11/10 21:55
>>490に誰か突っ込めよ
歴史と童話の違いが分かってないんじゃねーのか。
498世界@名無史さん:01/11/10 23:09
>>497
491のこと?

歴史叙述が上からの歴史、戦争と政治の歴史に偏りがちなのは
以前から指摘されるところではありますやね。
ま、下からの歴史っていって悲惨な農民の現状など語られるのも
歴史嫌いの子供にはウンザリでしょうが。
499世界@名無史さん:01/11/10 23:19
中南米の国で、昔自国の元首が自分でクーデター起こして
自ら政権を放り出しちゃったって言うのがあったように
記憶してるんですがすっかり忘れてしまいました。

いつ、どこの国の話だったかご存じの方、教えてください。
ヒュームとウォーレスの人口論争について教えて下さい。
501匿名子:01/11/11 01:02
人間の理性が現代文明に果たす役割についておしえてください
502世界@名無史さん:01/11/11 02:35
ポーランド史が勉強できる大学(国内のみ)ってどこですか?
503世界@名無史さん:01/11/11 02:59
>>502
ポーランド史研究者が史学科等で教えてる大学。
概説書や論文読み漁って著者の肩書きをチェックすべし。
504486:01/11/11 03:15
>>489
初めての質問であやめさんに答えてもらったヨ!
脳内仮説が成立するとは思いもよりませんでした。むうー。
ありがとうございます。
505あやめ:01/11/11 14:01
>>492
たしか「くだらねー質問は…」というスレに王直について書いた記憶があるので、
それでよければ探してコピペしときます。最後の方は格闘技の話題に発展しちゃった
ような(*^ー^*)
>>493
ごめんネ、先週はお出かけが立て込んじゃって、水曜以降になると思うけど書きます
北京が中途半端になってるけど御要望なのでカントンから行きましょう
ほいでもって読んでくださったら「読んだよ」だけでいいからレスポンスお願い
506世界@名無史さん:01/11/11 14:50
>503さん
502です。これから毎日図書室に行って片端から調べます。
507世界@名無史さん:01/11/11 16:27
>>506
目星を付けたら大学のHPで教官の最新情報を確認しておいたほうがいいですね。
入ってみたらお目当ての先生は既に辞められてて、
しかも全然専攻の違う先生が後任で入られてたら目も当てられない。
508492:01/11/11 16:57
あやめ様、
有難うございました。
ついでにというのもなんですが、例のスレで1やその他のレスに
一言コメント頂ければ有難いのですが、すいません。
509今日の駿台模試で:01/11/11 19:40
玄奘や義浄について述べた文で、答えが
『玄奘が訪れたインドではヴァルダナ朝が最盛期を迎えていた』
ということなんですが、玄奘が訪れた時インドはさんさんたる状況でとても最盛期などといえる状態ではなかったと思うのですが
510世界@名無史さん:01/11/11 19:55
歴史の授業とか大嫌いで今までまったく勉強してこなかったんだけど、急に勉強したくなりました。
なんか初歩から学べる本でいいのありますか?
やっぱ教科書がいいんですかね?
511Cavabien:01/11/11 20:04
本当に初歩なんだったら集英社辺りから出てる漫画「世界の歴史」あたりを
ザッと通読して、それから面白そうな所について中公や河出の全集から該当
する巻を抜き出して読んでみる、とか。
512Cavabien:01/11/11 20:44
え〜と。
今「世界の名将百人」のスレで見た宋景詩という人を調べてるんですが
清史稿のセンゲリンチン伝に少し出てくる意外は良く解らずに行き詰まり、
素人の悲しさ、途方に暮れてます。
どなたかご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか。
捻軍の人かと思って太平天国史(少しだけ捻軍に関する記述がありますから)
や清末に関するの手持ちの本は見てみたんですけど・・・。
513忘れんぼ:01/11/11 21:15
ナイチンゲールがセポイの乱の時にもインドで看護活動をしたとどこかで読んだ
ような気がするのですが、いくつかのナイチンゲールの年表にはそんな記録無い
し、やっぱガセネタだったんでしょうか?
514世界@名無史さん:01/11/11 22:23
レーニンとスターリン本名を教えて
515世界@名無史さん :01/11/11 22:34
>>510
三日でわかる世界史(ダイヤモンド社)
を勧める。
516世界@名無史さん:01/11/12 00:44
>510 名前とかは忘れたけど参考書(大きめのやつ)で見やすいのあったょ。参考書以外ではとりあえず平凡社のカラー世界史百科(3400円)をおすすめ。地図と解説がたくさん細かく載っていて便利。
517@@:01/11/12 02:44
エフタルってどんなんだったんですか?結構強かったけど、
ササン朝(パルティアやったっけな)とどっかの国に挟撃
されたっていう・・・
518本名                    :01/11/12 05:18
聖ウラジミール、ヨシフ大帝
519あやめ:01/11/12 13:56
>>512
宋景詩は山東の堂邑の出身で豆腐屋をやっていた貧民でしたが、白蓮教系の八卦教に
参加していたようです。咸豐十一年に地租増税反対一揆を起こし、白蓮教軍の一翼と
して「黒旗軍」と呼ばれて活躍していましたが、形勢が不利になると清の討伐軍に投
降し、勝保の下で安徽・河南の捻軍や陝西の回民の反乱の鎮圧に従事していました。
翌年には脱走して表面上だけ清軍に協力するふりをして、白蓮教軍の鎮圧に差し向け
られると白蓮教軍や太平軍の残兵を収容し、自軍の隊伍を強化拡大し地主の民團勢力
と衝突を反復していました。当初は山東や河南の民乱に牽制されて武力対応の余裕が
なかった清側も、同治二年四月には僧格林沁の軍を動員して九月には開州で宋軍を撃破
しました。その後は安徽で捻の苗沛霖や湖北で太平軍の張宗禹の軍に参加して活動を
継続し、四年には曹州で僧格林沁を戦死させたのは彼だということになっています。
その後の消息はやや曖昧で亳州で捕縛され安徽省城で処刑された、許連升という拝み
屋の男が実は宋景詩であったとも、それは別人で光緒二十六年に故郷に姿を見せたとも
色んな伝説が語られているようです。
彼の名は「清史稿」の「文宗本紀」や「勝保傳」などに断片的に出てきますが、余り
注目されない人物でした。一躍有名になったのは「武訓批判運動」に関連したキャン
ペーンからです。当初は山東地方で乞食から富農になり慈善事業を行った武訓という
人物の顕彰運動があり、実は彼は偽善者で農民の抑圧に狂奔していた「悪覇地主」の
典型だという暴露キャンペーンに変わっていきました。その中で武訓の後援者の揚樹
坊の一族が中心となっていた柳林鎮の民團が、宋景詩と最も激しく対立していたこと
が明らかにされ、毛主席のお声がかりで「農民起義英雄」として宋がクローズアップ
されることになったのです。当時の編纂に係る「宋景詩史料」という本があったと記
憶します。

さっき「そうかくりんしん」で変換したら一発で「僧格林沁」が出ました!
「サンコリンチン」や「センゲリンチン」で出したらもっと感激しちゃうんだけど^^
520Cavabien:01/11/12 21:02
>>519 あやめサン
 う〜ん、快刀乱麻。ありがとうございます!
 日本の戦国時代で言う山本勘介的(実際にやった事と作られたイメージの差がはっきりしない)
 存在の可能性があるわけですかね。
 全然名前が出てこない本がある理由もなんとなくわかりました。

 個人的にはセンゲリンチン(ちなみに自分は「そうかくはやしぶんぴつ」変換の「分」削除)を
 討ち取ったのは頼文光を首領とする捻軍と太平天国残党の合同軍だと思っていて、宋景詩の名前は
 初めて聞いたのでとまどってました。
 あやめサンに教えていただいた情報を参考にして、自分の中では判断保留にしておきます。宋景詩。
521Cavabien:01/11/12 21:26
>当初は山東地方で乞食から富農になり慈善事業を行った武訓という人物の顕彰運動が
>あり、実は彼は偽善者で農民の抑圧に狂奔していた「悪覇地主」の典型だという暴露
>キャンペーンに変わっていきました。
・・・なんかいいなぁ、これ(苦笑。
『噂の真相』の一行記事みたいな情報が乱れ飛んだんだろうなあ。
522世界@名無史さん:01/11/12 23:36
>センゲリンチン
私はモンゴル人なんだからカタカナでいーじゃん、と思う。
523Cavabien:01/11/12 23:50
>>522サン
いやぁ、できるだけその方が良いとは思うんですけど・・。>モンゴル人だからカタカナ
まぁ、俺の場合は正確な読み方が解らなくて怖いから漢字で、というのもありますです。
センゲリンチンの場合は多少は人口に膾炙してるからまだいいけど、マイナーな人の場合は
ピンインだけが頼りですから、カタカナと漢字併記の方が読む人に間違った情報を
与える確率が減るかなぁ、とか。
なんか説明になってなくてスンマセン。
524Cavabien:01/11/12 23:51
そういえばセンゲリンチンもサンコとかセンゲとかサンゴとかあるらしいっす。
ますます解らん(苦笑。
525あやめ:01/11/13 12:37
たしかに漢字表記のままの方が無難です。
ネルチンスク条約で有名な「索額圖」は最初に読んだ本では「ソエト」だったのに、
だいぶ後に「ソンゴトゥ」と判明してオイオイと思いました。彼の父の「索尼」も
「ソニ」だと思ってたら「ソニン」なんだって ~へ~
だから「勝保」も「シェンポ」にしないでおいたの。

僧格林沁のことを明治初年の新聞なんかではテッキリ坊さんと思い込んじゃってた
らしく「髪賊の討伐に大功ありし豪僧として知られたる格林沁は」云々とか書いて
たらしいです。(狩野直喜先生の随筆で見た記憶)

曹州で僧親王を討ち取ったのが宋景詩だというのもどこまで史実か怪しいと思って
ます。中央から農民起義故事考査班の御一行なんかがやってくると、村の党書記が
古い話に詳しい爺さんを呼んで「あんたは聞き取りされると思うけど頼むから一つ
うまいことしゃべってくれ」「うめえことって何の?」「だからさ宋景詩って英雄
がいるんだよ、でこの近辺は昔モンゴルの大将が太平軍だったかとドンパチやって
戦死したって言われてるだろ、それが宋景詩の大手柄だったって話にすりゃ喜ばれ
ること請け合いなんだから」「おらぁそんだらこと知らね」「解放前に死んだつう
爺さんのおとっつぁんから子供の時分に聞いたとか言っときゃいいんだよ」なんて
工作があってもおかしくないんじゃないかと勝手に想像してます。だって太平軍や
義和団の民間伝説とか見ると、何か調子のいい美談快談が多いんだもの。
526あやめ:01/11/13 12:52
最近は武訓の再評価の本も出てるみたいです。あまりにも悪者にされすぎ
ました。
なにしろこいつは悪い奴ということになると迎合情報がどんどん出てきて、
挙句は「鉄証如山」とかで反論不能になってしまうってことは、紅衛兵で
いやというほど経験済み、でも時間が解決してくれる場合もあります。
してくれない例も多いけど。
527世界@名無史さん:01/11/13 16:45
中国の字(あざな)は本名を忌むことから使われるようになったということですが
なぜ本名を忌むようになったんでしょうか?
528あやめ:01/11/15 19:59
師走が迫ってきて本業がめっちゃ忙しくなってきました。心残りながら年内は御無沙汰
つかまつります。皆様お元気でね。
>>493
かねてのお約束なので「清末廣東売春事情」だけはこれから書きます。
但し少しづつ毎週1回連載としますので了承ねがいます。

廣東では咸豐・同治から光緒中葉まで穀埠での色町の繁盛は変りませんでしたが、光緒
三十一年に廣東総督は海岸に長堤を築いてしまい、穀埠・迎珠・合昌・水鬼トウ(乙の尾
の延びた上に水を乗っけた不思議な字、水溜りという意味、廣東語の表記のためだけに
出来てる文字です)にあった大小の花舫は一切をあげて珠江の下流に移されました。デ
ルタにくっついていて「大沙頭」と呼ばれることとなりましたが、それから5年間は昔
と変らぬ繁盛が続きました。光緒三十三年冬から「天趣報」という新聞が「花榜」(人
気ランキング投票)で金を集めるといったことも始まりました。
翌年の七月に台風が襲来し大沙頭に上陸しました。「花舫」すなわち廣東独特の船上
娼家は大半が破壊され、娼妓は全て陳塘に籍を移動しました。その後に花舫が大沙頭
に帰ったのは6割弱に止まりました。宣統元年正月には財記という店の船が大火を起
こし瞬く間に隣接する舟に次々と広がり、大小数百の舟が一度に灰となり、運良く免
れたのは2-3割しか残りませんでした。この事件から穀埠艇の名は歴史上のものと
なり、代って陳塘と東堤の全盛時代となりました。
続きます。
529493:01/11/15 21:26
>>528
わかりました。お忙しいところありがとうございます。
530ポン:01/11/17 15:29
今、学校の授業でスペイン=ハプスブルク家のところをやっているんですが
フェリペ2世の時スペインは全盛を迎えたらしいのですが、その先代の
カルロス1世は神聖ローマ帝国の皇帝(カール5世)にもなったのに、
なぜカルロス1世の時に全盛でなかったのですか?二カ国も領有してたんですよね?
531世界@名無史さん:01/11/17 15:59
王様が共通でもスペインとオーストリアが合邦したわけではないでしょ。
532世界@名無史さん:01/11/17 16:13
フェリペ(フィリップ)2世 Felipe 1527−98(位1556−98)
スペイン王。カルロス1世の子。熱心なカトリック信者で新大陸を領有し、
レパント海戦に勝ち、ポルトガルを併合し、スペイン絶対王政の最盛期を現出した。
1588年の無敵艦隊の敗北後、再建をはかったが国勢は次第に衰えた。
山川出版『世界史用語集』より
533世界@名無史さん:01/11/18 00:56
>>115
次にあやめさんにお会いできるのは来年ですか・・・。
お仕事がんばって下さい。
534世界@名無史さん:01/11/18 02:23
昨日の<ベルサイユ宮殿の光と闇>再放送だけど見た人いる?
535世界@名無史さん:01/11/18 05:15
十字軍について知りたいのですが、
過去ログにないでしょうか。
申し訳ありませんがお教え願います。
536世界@名無史さん:01/11/18 14:54
>>1
スレタイトルが優しくなったのが「ご愛敬」
537世界@名無史さん:01/11/18 20:29
<死海文書>発見から54年 全38巻の書籍に
http://news.lycos.co.jp/topics/science/civilization.html?d=16mainichiF1117m064

すでに10刊は刊行されてるそうなんですが、残りの28巻にはどんな価値が
あるのでしょうか?未知の内容は含まれてるんでしょうか?
538 :01/11/18 23:45
ソ連/ロシアの指導者に「ツルフサの法則」があるのは有名な話ですが、
帝政ロシアのころはどうだったのでしょうか?
ニコライ2世はフサフサということはわかったのですが、それ以前がわかりません。
本当にくだらない質問ですがよろしくお願いします。
539世界@名無史さん:01/11/19 19:40
ノモンハン事件というのは一体どのような事件だったのでしょうか?
どなたか詳しい方お願いします。
540世界@名無史さん:01/11/23 14:19
とりあえずage
541世界@名無史さん:01/11/23 20:40
>>539
「ヲイ、オレら満州国作ったけどさ、なんか北の方が危なくないか」
「そだね。じゃあ、ちっと北の方シメてみるか。なんたってオレら天下の帝国陸軍さ」
「ああ、オレらのへーたいは突撃させりゃ世界一さ」
「なあに戦車がちっと小さいぐらい、たいしたことじゃないさ」
「よおし、やるか。大丈夫、始めっちまえば、本国だって認めるよ。いつも通りさ」

てな訳で、弱体と思いこんでソ連戦車にケンカをふっかけた事件です。
戦争と言うには恥ずかしすぎるお話。
542世界@名無史さん:01/11/23 23:08
>>535
>過去ログにないでしょうか。

という質問なら、答えは
「あります」
543世界@名無史さん:01/11/24 10:52
「センゲリンチン」はチベット語センゲ・リンチェン(sengge rin chen)で、意味は「獅子・宝」です。
544世界@名無史さん:01/11/24 12:16
中世の西洋貴族や召使の生活がくわしく載っている本を探しています。
図書館で探したのですが、衣装の資料や建物の資料しかなかったので。。
召使はどのくらいの給料をもらっていたのか、どんなご飯を食べていたのか、
どんな仕事があったのかなど生活状況を知りたいのです。
もし誰かご存知でしたら教えてください。
(本でなくてもいいです。)
545世界@名無史さん:01/11/24 12:24
ご存知の方がいらしたらお願いいたします。
切手関係の書籍(立ち読みなのでソース不詳)で見かけた話
ですが、WWII直前のチェコスロヴァキア共和国分割時に
(ボヘミア&モラヴィア→第三帝国、スロバキア→一応独立)
カルパート・ウクライナが一瞬独立国になったような記述を
見た事があります。ほんの数日間かもしれませんが、切手を
発行していたらしいんですが・・・。
なんと言う名前の国家だったのでしょうか?
「ルテニア共和国?」でしょうか?
一体どのような政体でどのような経緯で独立?したのでしょうか?
その後はどうなったのでしょうか?
一瞬だけ成立した国家・政権等に興味があるのですが、この「国」
に関してかかれた文章を見た事がありません(不勉強です)
よろしくお願いいたします。
546唯一神:01/11/24 13:17
なぜグプタ朝はマウリヤ朝を復興させようとしたのですか?教えてください お願いします
547あやめ:01/11/24 15:27
「清末廣東売春事情」2
陳塘は光緒年間から盛んになってきた地帯で、大巷口・新填地・陳塘南・隆吉里に分れて
おり、クリークで仕切られているので妓女は小舟で往来していました。陳塘の遊客は
大体は商人でした。光緒三十一年からは「嶺南第一楼」などの大酒楼が建ちあがり、
それまでこの辺の酒局は花代5銭くらいであったのが1元を加え、従前の穀埠・迎珠
並になりました。前回に書いたように三十四年の大風災で大沙頭の娼妓が悉く陳塘に
移動してきて、人が犇く状態になったのを心配した陳塘の女郎屋の主人(亀公)たちは
大籬(大寨)を建築し、その数は35軒に上り抱える娼妓も凡そ2千余人にもなりまし
た。前回に述べた宣統元年の大火にも辛亥革命の際の東堤の駐兵といった事態にも、
陳塘の全盛は全く影響を受けませんでした。ところが間もなく廣東都督の陳炯明が
禁娼令を出したので、陳塘は荒廃し2年後に龍済光に代って娼妓も古巣に戻りはし
ましたが、もはや過去の繁華を取戻すことはできませんでした。
続きます

地名が現代のどこに相当するのか地図を見ても分らないのが残念、大沙頭だけは現在
も同じなので多分その近辺と対岸一帯じゃないかとは想像するんだけど。
548世界@名無史さん:01/11/24 19:17
>>547
あやめさん、ありがとうございます。
勉強になります。
続きも期待してます。
549世界@名無史さん:01/11/24 21:47
スペイン人・ポルトガル人の成立について詳しく教えて下さい。
550世界@名無史さん:01/11/24 23:47
アジアでは支配する民族が頻繁に入れ替わるのに、何故西洋ではそれが起こらないんですか?
西洋は人種が入り混じってないからでしょうか。だとしたらそれは何故ですか?
新スレ立てようかと思いましたが、いかんせん高校理系の世界史選択(センターのみ)で
知識に乏しいので。世界史は面白いからやってるだけです。
551世界@名無史さん:01/11/25 00:42
>>550
質問がちょっとわかりにくい。

中国だと頻繁に征服王朝ができるのに
西洋では何故それがないか?ということ?
552世界@名無史さん:01/11/25 00:50
まあそうです。あと西アジアとかもです。
なのに西洋ではフランスはずっとフランス人、とか。
まあ少なくとも近代では。
553名無し:01/11/25 00:51
中国の王朝名ってどうやって決まるんですか?
漢や魏や唐は、建国者の封号(地名)からですよね?
宋・明・清はどうなんでしょう…?
554551:01/11/25 01:11
>>552
単一民族国家の代表のようなフランスでも、
革命以前は地方による方言差が別言語と言っても良いほどだったし、
ブルトン語・バスク語のようにフランス語とは別系統の地方語すらあります。
それらを全部単一民族「フランス人」としてまとめようとしたのは、
近代国家の作為であるとする説が最近では支持されています。
やや本題とずれましたが、それを踏まえて。

中国における征服王朝は、見方を変えれば
モンゴル人や女真人が貧しい北から豊かな南に
民族移動を起こしたと言うことです。
西欧のダイナミックな民族移動は
ゲルマン人の移動とノルマン人の南下以来
出ていく一方(十字軍や海外植民)だから、
外来民族に支配されるということは起こりえません。
民族移動が起こりにくいのは、
西欧は民族を吐き出す内陸ユーラシアの草原世界から
隔てられているためだと考えられます。
ロシア、東欧、イラン、インドなどには
中国と同じく、近年まで外来系民族の政権があるでしょう?

西アジアは民族の混住が常識なので、もっと複雑。
アナトリアは住民そのもののトルコ化が進みました。
イランでは都市・農村はペルシア人、
草原・砂漠はトルコ人という住み分けが起き、
その中からトルコ系の支配者が立ちました(カージャール朝はトルコ系)。
アラブ地域は近世以降オスマン朝領。
オスマン朝の支配者たちは必ずしも「トルコ人」とは言えない、
ということがオスマン史研究者によって指摘されていますが、
だからといってアラブ人というわけでもなし。
555世界@名無史さん:01/11/25 01:23
>>553
大元・大明・大清は地名からではなく抽象名詞からの王朝名です。
大元なら「おおいなる根元」という意味で古典から取って付けたらしい。
金はたしか完頭氏の出身地が砂金の採れる川だったことからだから、
元から王朝の命名法が変化したということになりますね。
李自成が一時的に国を建てたときの「大順」も地名じゃないっぽいな。

宋は趙氏の出身地の地名だったかな?
556世界@名無史さん:01/11/25 01:27
質問です。

ダヴィッドの絵とか見ると
(『サビニの女たち』とか)古代ギリシアの男子は
陰部剥き出しの裸でマントだけ付けたりしてますが
ほんとにあんな格好で戦場に出たり白昼往来したりしていたんですか?
557名無し:01/11/25 01:31
553>>555
ありがとうございます。
明も清も、字面は良いですね。
宋は……やっぱり古の宋という地名」しょうか。
558 :01/11/25 03:29
WW1はなんで始まってなんでおわったの?
559世界@名無史さん:01/11/25 03:41
558の質問、オーストリアを軸にどなたか解説お願いします。
かの国は帝国崩壊を予想できなかったのでしょうか?
560世界@名無史さん:01/11/25 07:54
WW1が何で始まったか、と言う問いかけはよく見るが、
なんで終わったか、と言う問いかけは初めてだな。
561世界@名無史さん:01/11/25 14:55
>>556
アブナイ質問をする人ですね、君も。
まず一つは、芸術というのは人間の体に美を見いだし、それを長くとどめようとする
ため、という目的(?)があります。であるから、ハダカを描くことが絵画の基本の
一つな訳。エロのためではない。ただし、一歩間違えばアブナイことになるが。
特に、ギリシャ、ローマでは、競技会ではそのたくましい筋肉を聴衆に見せるため、
裸体で行ったと記述にある。個人的には、下帯の一本もつけないで競技したとは思え
ないんだけどね。

なぜかって? >>556氏が男だったが考えてもみろ。あんなもんぶら下げた状態で100m
の全力疾走が出来るか? 華麗な回し蹴りが出来るか? (藁

てな訳で、あれは芸術的誇張であると思っている。まして、ローマにはかの有名な「トーガ」
があり、成人男性たるものこれを着こなせなければ一人前ではない、と言われたとか。
ギリシャにだって同じような衣装がちゃんとあったはず。

彫刻とか絵画だけの世界の誇張、でいいんじゃないか? ましてダヴィッドの時代なら、
教会とか道徳にやかましい連中に睨まれないように
「これは、エート、ギリシャの昔の絵ですんでハダカでもいいんじゃないかと思うんですが」
とか口実をつけたんじゃないの?
562あやめ:01/11/25 15:12
>>553
こういうのが目に付くと黙ってらんなくなっちゃうのが、因果なあやめの
悪い癖
以前に「世界史なんでも質問コーナー」というスレに書いたのをコピペし
ときます
563あやめ:01/11/25 15:13
548 名前:あやめ投稿日:2001/01/25(木) 20:13
支那歴代の国号の称え方について書きます。
古代の唐虞から近代の明清に至るまで概ね固有名詞的な1字を用いるのが基本になっ
ていますが、上に冠する字と下に履く字がありますので併せて説くことにします。
本体部分の文字はその国の発生の基礎となった地名によって名称が定まるのが普通で
す。観念を国号に用いるようになったのは元朝からと言われていますが後に言及しま
す。経書の注釈などに堯の「唐」は広大平易の意味の「蕩」から来たものだとか、舜
の「虞」は安楽の義に原づくものだとか見えていますが根拠のないこじつけです。
劉淵が「漢」李存勗が「唐」を郭威が「周」を国号としたように家系の源流に命名の
由来を求めた例もありますが、劉裕も趙匡胤も「宋」を国号としたのは受禅当時の封
國または領鎮に因んだものです。
清の趙翼は「廿二史剳記」の「元は國號を建て始めて文義を用ちゆ」の項に「『新』
や『成』などの字を用いた王莽や公孫述も、根拠地に因んだもので文字自体の意味を
採用したわけではない、『金』の場合は金が変質しないところから命名したそうだが、
物質の名称であってまだ抽象的な意味から取ったものではなかった、金末に蒲鮮萬奴
が遼東に拠って『大眞』と号したのが抽象観念を用いた最初の例だ、元の太祖のころ
は単に『蒙古』と称していたが世祖の至元八年に『大なる哉、乾元』の句から取って
『大元』とした」という趣旨の記述があります。金については前代の「遼」が銀と同
義の「鐐」と同音なのでランクアップしたものだという説がありますが、「金史」の
「地理志」には根拠地にある川の名で女真語の金という意味ののアルチュカ(金源水)
に因るものであるとあり、また蒲鮮萬奴の「大眞」については岩井大慧さんはやはり
金という意味であると解釈しています。あやめは萬奴が所属民族の女真を意識して命
名したものではないかと考えています。
元が「周易」の「乾」の卦の「彖傳」に「大なるかな乾元、萬物資りて始まる」の句
から2字を取って国号としたのは、元号の選び方に倣ったもので紛れもなく文義から
取ったものと言えます。ただ趙氏が唐末に南詔王の世隆が帝を称して国号を「大禮」
としたこと、以後も雲南の国家は「大封民」「大長和」「大天興」「大義寧」「大
理」などと称していて、これらはいずれも文義に因んだ国号といえるものなのに言
及していないのは物足りないものがあります。
564あやめ:01/11/25 15:15
549 名前:あやめ投稿日:2001/01/25(木) 20:16
それはともかく元が文義によって国号を定める例を開いてから以後の各朝もこれに倣
うこととなりました。「大明」は「禮記」の「禮器」に「大明は東に生じ、月は西に
生ず」や「詩経」の「大雅」の「大明、文王に明徳あり、故に天は命を武王に復す」
などに因ったものでしょう。ただし一説によると朱元璋が最初に所属していた紅巾軍
では白蓮教の一派でマニ教も混えた明教を奉じていましたが、弥勒の下生と明王の出
世による世直しを信じて反乱を起こしたもので、その二代目の教主の韓林児は「小明
王」と号しており元璋も彼から呉王に封じられていたところ、元璋が天下を得た時点
で「小明」ではなく「大明」と号したものだというのです。説の当否はともかく中華
の朝号がゾロアスター思想に由来するというトピックは面白いと思います。また朱元
璋は当初は「大中」という国号にしたかったのだということが、清の王士モフ「池北
偶談」に出ていますが実現したら「大中國」となるわけです。なお元末の群雄が建て
た国号は「大金」「大宋」「大漢」「大夏」などと地名由来型に復帰してしまってい
ますが、振るっているのは徐壽輝の「天完」で「大元」の上に画を加えて押さえつけ
たつもりにしているのです。
ヌルハチは「大金」と号していましたがホンタイジに至って「大清」と改めたのは天
下の混一を志向したものでしょうか。その典拠は恐らく「管子」の「内業」の「大清
に鑑がみ、大明に視る」だろうと考えます。李自成の「大順」については彼の部下に
は碌な読書人がおらず古典から引用できなくて、博打の用語にある「大順」という手
の名が景気がいいからと採用したのだそうです。眉唾な話ですが清代の随筆に出てい
ました(書名失念)。張献忠の「大西」も智慧のないネーミングですが「大西洋」とい
う単語が意識にあったかどうか。
565あやめ:01/11/25 15:18
551 名前:あやめ投稿日:2001/01/26(金) 19:26
清末の金石学者として知られている葉昌熾の「語石」に「王昶の『金石
萃編』に『保寧寺鐘款』を挙げているが冒頭に『大宋國』と題しており、
後世の『大元國』『大明國』もここから始まったと思われる、私が見た
ものでは『蒋舒行修六和塔記』にも冒頭に『大宋國』と題しており、私
の出身地の江蘇の『郭市橋北井欄』の文中にも『大宋國兩節浙路平江府』
などと書かれており、同様の事例はこの二石に止まらない」という趣旨の
記述があります。国号の本体部分に対してこの「大」の字のように上に付
く字と「國」のように下につく字があります。
上に冠せられる字として「語石」には上文に続けて「『有』『維』『皇』
『聖』などの字があるが、『大』の字が通用されており変じて『巨』や
『鉅』の字が用いられている、宋碑に『炎宋』とあるのは火徳であったか
らで劉氏の『炎漢』と称しているようなものだ、また『神宋』としたもの
もあるが漢の『周憬碑額』は『神漢桂陽太守』と題しており、これもやは
り漢碑の例を用いたものである」と述べています。
「有」字は「有窮」「有扈」「有虞」など古代の国家の名に多く付けられ
ていますが、いずれも一字の国名の語呂を安定させるために用いられたよ
うです。しかし後世でも「有明一代の文章」とか「有清創業の基」とかい
うように屡しば使用されています。「維」字も古代から発語の辞として甲
骨文などにも頻見しており、ことに「維十祀」のように年月表記などには
用いられることが多く、当初は「維れ王の廿又三年九月、王は宗周に在り」
(周の「克鼎」)のように王の名すらも記載されていなかったのに、後世で
は「維唐貞元元年仲冬十一月十有七日」(唐の「聞喜令楊夫人裴氏墓誌」)
のように朝代を明記するのが普通になりました。但し「維唐」の句は「維
れ唐の」のように読むべきもので「維」は以下の年月表記全体に係り、葉
氏の理解のように国号表記の一部になっているわけではありません。
その他の文字は国号の美称として添えられたものとして常用されています
が、システマティックな意味を持つのは「大」字だけです。
566あやめ:01/11/25 15:26
このあと国号の下に付く字−「國」や「家」「氏」などについて書く
予定にしていたのですが、スレが無くなっちゃったり多忙になったり
結局はシリキレとんぼで終ってしまいました。いずれヒマと御要望が
あったら書き継ぎたいと思っています。
567Krt:01/11/25 18:16
>>556
基本的には561氏の言うとおりだと思うのだが、面白い質問なので少し書き加えてみる。
まず、古代ギリシャ人の運動競技時などにおける裸体愛好の習慣についてなのだが、
これは正確にいうと元々スパルタのようなドーリス系ギリシャ人だけの習慣だったのが
ギリシャ人一般へと広がっていったものと見なされている。ドーリス人以外のギリシャ人
にとっては運動競技時においてすら裸になることはかなり心理的抵抗があることであって、
古来「ドーリス人のごとく振る舞う」という表現が「裸になる」ことを意味する程だった。
その証拠には、紀元前7世紀頃までの壺絵を見ると運動競技者ですらまだ服を着ており、
アカイアの戦士達も腰巻きのようなものを纏っていたことが観察されるのである。

ところが紀元前5世紀頃(正確には六世紀末頃からか?)になると、競技者や戦士を裸で
画いた壺絵が見られるようになる。もちろん重装歩兵戦術が一般化したこの時代における
「戦士の裸」については、同時代の現実そのものというよりは神話伝説時代を題材とした
芸術的な表現として理解する方が妥当だとも思われるが、ことドーリア系の戦士の場合は、
かなり後まで(一説ではアレキサンダーの時代まで)上半身には鎖帷子を付け武装しても
下半身はむき出しだったのではないか、という説も有力である(ペニスによる威嚇?)。

この時代、運動競技時に関してはアテナイにおいてすら(運動場において)裸になるのが
一般的になったことが文献的にも確かめられるようになる。とはいえ彼らにとっても運動時に
おける裸体、というのはあくまで例外的な身体状態であり、別に町中で裸だったわけではない。
さらに言うと、スパルタでは女子も裸になって運動競技をしていた、と言われることがあるが、
実際には彼女たちが肌着(キトン)を付けていたことは文献や彫像によって確かめられている。

最後に、競技時の男性器のやり場に関する微妙な問題(笑)についての561氏の憂慮について
答えておくと、紀元前510年頃と推測される壺絵において、競技者が自分の性器をひもで固定
している場面が画かれている。これはギリシャ人が包皮がめくれ亀頭が剥き出しになることを
非常な恥と見なしたため、そうならないように配慮している場面なのだが、このひもは最低限の
衣服という面と同時にサポーターとしての役割を担っていたのではないだろうか? 後には
素裸で画かれる競技者も実際にはこの程度の身体的配慮をしていた可能性は大きいと思う。
(あ、だからついでに言うと、ギリシャ人には包茎こそが文明人のあるべき姿だったんです)
568世界@名無史さん:01/11/25 18:56
ナチスドイツ第三帝国の「帝」って誰のことなのでしょうか?
それと、第三の云々というのは正式な国名なのでしょうか?
569世界@名無史さん:01/11/25 19:47
>568
第三帝国はドイツ語でDas dritte Reich ですが、
帝国と訳されてる Reichは英語のEmpireのような、
皇帝の国土の意味ではなく、ある特定の領域、支配圏を
さしています。(Königsreich、王国と言う単語もあります。)

だから、ヒトラーが皇帝を自称しているわけではありませんが、
もともと、第三帝国は1920代にある哲学者が、「いまこそ、敗戦から
立ち直り、神聖ローマ帝国、プロイセンによるドイツ帝国に続く
第三のドイツ民族の理想国が必要だ。」との論文がナチスに
政治的に利用されたわけです。(千年帝国も同様な標語。)

なお、ナチス政権も正式名称はドイツ帝国(Das Deutsche Reich)です。
57072:01/11/25 20:03
まーた。ヲタク、すなおにメラーファンデルブルックの名前出せばいいのに。
脳内の神学論争が目に見えるようだよ
571名無し:01/11/26 06:22
553>>あやめさん
お忙しい中、ありがとうございます。
明の国号の由来はおもしろそうですね。
ただ、こちらもあれから概説書とかで調べたのですが、
ヌルハチは「大金国」ではなく「後金国」を自称したのでは?
うっかりミスだと思いますが。
572世界@名無史さん:01/11/26 07:50
>>571
ヌルハチの建てた国名は満州語でアイシン・グルン(金国)、
漢字で「大金国」だよ。
「後金」はあくまで区別のための歴史用語。
573あやめ:01/11/26 17:46
>>564
李自成の「大順」という国号が博打の手の名に由来するという話の出所が、分らなく
なってしまったと書きましたが、その後に見つかりましたので紹介します。
清初の呉偉業の「綏寇紀略」の「言妖」に「萬暦年間に民間は葉子戯を好み、趙宋時の
山東の群盗の姓名を牌に圖して之を鬪かはす、崇禎時に至って大いに盛んなり、其の法
は百貫の滅活を以て勝負と爲す、闖と曰ふ有り、獻と曰ひ大順と曰ふ有り、初め自りて
起こる所を知らず、後に皆な驗す」とあります。「葉子戯」というのは麻雀の源流とさ
れている紙牌の遊びです。そこに「水滸傳」の好漢の絵が画かれていて、また何貫という
銅銭の額も表示されていました。
清初の陳瑚の編になる「頑潭詩話」に収められている王育の「戳讖謡序」には葉子戯の
手役を解説しています。「千生は闖を用ゆ、鬪の險也」と「百老は獻を用ゆ、戰の捷也」
そして「百千萬馬皆な到る、則はち順風旗にして勝の烈也」という3種です。
明末の諸賊(起義農民と呼んでる人もいる)もこの博打にはまってて、彼らの名号にこれ
らの文字が出てくるのは偶合ではなく、意識して使っていたのだというのが清初の人の
認識のようです。
ことに「順」という字は好まれたようで李自成は崇禎十六年には「新順王」と自称し、
翌年には西安で「大順」の国号を定めており、また張獻忠も成都で「大西國」を建てた
際に元号を「大順」としています。
ということで李自成の国号が賭け麻雀から取ったというのも満更のヨタ話じゃないみた
いです。
574世界@名無史さん:01/11/26 18:48
大元はモンゴル語のダヤンに当て字しただけときいたが?
別の説ではダヤンの語源が大元といってる奴もいた。よくわからん
575世界@名無史さん:01/11/26 19:54
「ダヤンの語源が大元」が正しいのでは?
ダヤンって人名でしょ。
576名無し:01/11/27 03:58
>>575
571じゃないけれど。
「後魏」「後周」「後漢」などは確かに
区別のための後世の呼び方だが、
「後金」は確かに自称(金の後裔の意味)。
満洲語でアイシン・グルン。
漢語で後金国。
577みか:01/11/27 05:15
ムガル帝国のアクバルの時にでてくる『ディーネ・イラーヒー』ってなんですか??
ノートに書いてあるけど意味がわかんないので誰か教えてくださいm(__)m
578世界@名無史さん:01/11/27 06:22
>>577
『ディーネ・イラーヒー』(神の宗教・神聖宗教)
ムガル帝国の皇帝アクバルが宮廷の宗教家たちが政治介入するのを嫌い、
イスラム各派をはじめ他の世界の諸宗教ヒンドゥー教、ジャイナ教、
ゾロアスター教、キリスト教などの
折衷・融合をめざして1582年に創始した皇帝を首長とする新宗教。
しかし、新宗教の信者はごく少数の廷臣のみで、普及はしなかった。
579世界@名無史さん:01/11/27 06:41
「ダヤン・ハーン」は称号で「大元汗」の謂。
十六世紀にモンゴルを再統一した「ダヤン・ハーン」の諱は場とモンケ。
580みか:01/11/27 08:00
578さん、ありがとうございました!世界史やってたら朝になっちゃいました。でもまだまだおわらないー(T_T)…がんばります。
581ボルガ:01/11/27 12:43
どうも、理系で科学史大好き人間です。ロシアの科学史なんていいですよね。ビレンキンとか
興味深いですね。
582世界@名無史さん:01/11/27 19:55
メンデーレフ。メンデル。ツィオルコフスキー。
583世界@名無史さん:01/11/28 12:18
古代にフェニキア人がすでにアフリカ一周していたらしいが。アメリカまでいったと言う話も・・
584世界@名無史さん:01/11/28 17:42
ロシアのほかに皇帝や国王なんかの
偽者が出た国と人物を教えてください。
585あやめ:01/11/28 18:02
>>571,576
「後金」の国号が確認されるのは「李朝實録」(最近では「朝鮮王朝実録」と言わないと
叱られるらしいです)にヌルハチが朝鮮國王に寄越した国書には年号を「天命二年」とし、
「後金國汗」が朝鮮國王に諭すとして「七宗悩恨」(いわゆる七大恨)が書かれていまして、
そこに押捺されていた篆印を解読すると満文で「後金天命皇帝」と顕出されたとの記述が
あります。なおこの「胡書」が朝鮮に致送されたのは天命四年のことなので、清朝文献が
伝える天命建元の年次は後年になって遡らせたものと疑われることになりました。
この後も後金國汗の称号で文書を発出していたことは翌年六月の「神宗實録」に熊廷弼の
奏文を引いた中にも見え、その他「三朝遼事實録」「東夷考略」「建州私志」「皇朝從信
録」など多くの書籍に見えています。
その後に天命六年の寧遠の攻囲戦ころから改めて「金國汗」と称するようになったようで、
天聰年間の朝鮮や毛文龍との文書の往来には全て「金國汗」が用いられています。
そういうことで少なくとも公式に「大金」の国号が用いられたことはなさそうで、御指摘
のようにうっかりミスでした(A^^;;
ただヌルハチの領域内では一般に「大金」が用いられていたような証跡は残ってはいて、
「燃藜室記述」に引かれた「朝野鮮聞」に朝鮮と金國の誓文を載せた中に「朝鮮國王と大
金國王子と誓を立て」云々とあり、また遼陽城の南門外から発見された「喇嘛法師寶塔」
には「大金天聰四年歳次庚午孟夏吉旦」とあるそうです。
586世界@名無史さん:01/11/28 20:45
>>583
フェニキア人が船でアフリカ大陸を一周したときの様子は
古代ギリシアのヘロドトスが書いた『歴史』にのっていた。
587世界@名無史さん:01/11/28 20:47
アラブの遊牧民のことを騎馬民族といわないのはなぜですか。
588世界@名無史さん:01/11/28 20:52
>>587
アラブの遊牧民は「馬」より「ラクダ」を重用したからでは?
589世界@名無史さん:01/11/28 21:00
>588
馬よりラクダを重用したという事実はどの文献に見られますか?
ベドウィンはアラブ馬の繁殖に熱心だったと聞きます。

http://home.interlink.or.jp/~odagi/white_sarabu.htm
590世界@名無史さん:01/11/28 21:48
騎馬民族とは、騎馬で戦う民族のことでしょうか?
それとも、馬上で生活している民族ということでしょうか?
591世界@名無史さん :01/11/28 21:50
>それとも、馬上で生活している民族ということでしょうか?

んなもんいねーべよ(藁
592世界@名無史さん:01/11/28 22:51
549です、どなたか教えて下さい。
593世界@名無史さん:01/11/28 23:29
詳しいわけではないが、確か、スペイン人はローマ人やらゲルマン人やらの混血で、ポルトガル人はローマ人やらベルベル人やらの混血、とにかく色々混ざってるのは確か。
594世界@名無史さん:01/11/28 23:54
スペインはバスク人、カタルーニャ人、カスティージャ人、ガリシア人
ジプシー、ベルベル人等による多民族国家です。

スペイン人という概念はフランコ政権によって確立されたものと言えるんじゃないかな。

少なくとも生物学的には論ずる事は難しいと思う。
595549:01/11/29 01:26
>>593,>>594
ありがとうございます。
596世界@名無史さん:01/11/29 02:10
>>587
ふつう騎馬民族って言ったらスキタイの類の、
黄金文化を持った中央アジア遊牧民を指すからではない?
597587:01/11/29 02:16
>>596
ああ、それは僕も思うんですけどもっと具体的な理由があったら知りたかった
のです。
598名無し:01/11/29 08:26
騎馬=草原のイメージがあるなあ。
599世界@名無史さん:01/11/29 10:57
>>598
あ、私もそんな気はするんですよね。
>>587
>アラブの遊牧民のことを騎馬民族といわないのはなぜですか。

ちょっと自信ないとこもあるんですけど。
遊牧生活には、別に遊牧騎馬生活だけでなくって、古代シリアなんかでは
羊の遊牧もあったわけですよね。

で、内陸アジアの遊牧民は騎馬技術を使って移動するときはすごく広範に移動
する。
アラビア半島の遊牧民というとベドゥインなわけですけど、彼らはイスラムの
大拡大までは、アラビア半島のオアシスの間で、定常的な遊牧ルートを巡回
するか、部族間で争いあってるか、さもなければ交易民として隊商を組んでる
かだったわけで。

内陸アジアの遊牧騎馬民みたいに群団をくんで怒涛のように押し寄せるって
ことは(イスラムの大拡大以前は)あまり知られてない。
(古代メソポタミアの国家とやりあったことはあるらしいですけど、だいたいは
半島に侵入されてたんだと思いました)

だから「アラブの遊牧民のことを騎馬民族」とは呼ばない、って歴史イメージ上
のもんだいではないでしょうかねぇ(?)。
600世界@名無史さん:01/11/29 15:01
騎馬民族って学術的タームというより観念的なものなのかな?
「騎馬民族征服説」とか「征服王朝」とかいうときは
ツングースの半定住民・狩猟民まで騎馬民族って呼ぶよね。
601ラムセス21世:01/11/29 20:45
ツタンカーメンの左耳に穴が空いてますがあれは単にオシャレのためだったんでしょうか?
602ラムセス21世:01/11/29 20:46
>601
 ツタンカーメンの黄金のマスクの事です。(^^ゞ
603世界@名無史さん:01/11/29 23:24
NHKの「カラーで見る第二次世界大戦」で疑問に思ったことは、なぜ当時からカラー
技術があったのに、ほとんどモノクロなのでしょう。カラー映像が普通になるのは60年代
からですよね。
604世界@名無史さん:01/11/30 00:27
戦前の「大日本帝国」の正式な英語表記って、どうだったんでしょう?
教えてください。
605世界@名無史さん:01/11/30 01:47
騎馬民族の定義についてはこのスレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1004120914
606世界@名無史さん:01/11/30 07:43
>>603
なんだか文章に矛盾がありますが・・・・。
前半:カラーに出来るのに何故モノクロか?
後半:カラーが出来るのは60年代からだろ?

とりあえず回答らしきものを書くと、カラーの技術はあっても高かったからです。
丁度昭和40年代前半、民生用写真にはカラーがありましたが、高いので
普段の写真は相変わらず白黒が使われた世相と同じ様なもんです。
607名無しさん:01/12/02 04:08
王朝名について話題が出たついでに。
皇帝の廟号っていうのは、
初代……太祖・高祖
とか決まってますよね?
太祖か高祖かというのは、どういう基準で付けられるのでしょうか?

宋代以降は太祖?
608ルナ:01/12/02 08:56
>>603 >>606さんへのフォロー。

カラーフィルムは1930年代位から、原始的なカラー乾板写真は
それ以前からありましたが、印刷コストが高すぎ、
特に別刷りで紙もモノクロ印刷とは違うものを用いていたため、
一般化しなかった、ということです。
印刷技術自体も安定していなかったし。
1950年代あたりの美術書だと、わざわざ「カラー写真何枚」と銘打って、
別刷りのカラー図版をはりつけているのがよくありますね。
609@名無しさん:01/12/02 23:08
黄河の流れの変化は生活にどんな影響を与えましたか?
610世界@名無史さん:01/12/03 00:28
従軍慰安婦の問題がありますが、歴史上戦争のときに慰安部隊が兵站などと一緒に
従軍したのは普遍的なことだろうと思います。女優や歌手が歌を歌いに行ったという
のは聞きますが、布団まで敷いたということはあったんでしょうか。近代以前は占領
地を略奪乱暴したらしいですが、(日本の軍隊ができた後の同時代期の)19C後半以降
特にWW1、WW2での、フランス軍、ドイツ軍、ロシア軍、アメリカ軍ではそのような
従軍部隊はあったんでしょうか?
611世界@名無史さん:01/12/03 06:56
百済の王仁博士の漢詩、日で発見
http://japanese.joins.com/php/article.php?sv=jnews&src=cul&cont=NaN0&aid=20010319203058700

王仁博士って何人なんでしょうか?
612世界@名無史さん:01/12/03 15:11
>>609
アヘン戦争の頃まで、黄河は山東半島の南に流れ込んでいた。
613世界@名無史さん:01/12/03 18:29
ビスマスクの血と鉄の意味、しってる?
こんな問題ふつうださないよねぇ。
こまっちゃうんどよねぇぇ。
614世界@名無史さん:01/12/03 21:36
質問です。>>613さん、あなたは中学生なのですか?
615世界史オンチ:01/12/03 22:51
あの、イスラム世界のデリースルターン朝の滅亡の経緯を
是非とも教えて下さい!!あさって試験なんです〜!!!
616世界@名無史さん:01/12/03 23:37
>>610
質問の趣旨がどうにもわかりにくいので、分割して見て行きます。

>従軍慰安婦の問題がありますが、
実際には「従軍慰安婦」というのはかなり政治的立場を反映した呼称です。
話題になっている第二次大戦の日本軍関係の慰安婦は軍慰安婦とするのが
歴史的には正確でしょう。
従軍看護婦や従軍記者などのように軍属として軍人に順ずる地位や権利を有
していたわけではありません。

>歴史上戦争のときに慰安部隊が兵站などと一緒に従軍したのは普遍的なこ
>とだろうと思います。
例えばナポレオン戦争などでは、行軍のあとから多くの商人などが付いてい
くのは普通だったようです。この群れの中には売春婦などもいたようで、ま
た、看護婦がナイチンゲールによってそのステータスを確立する以前は、売
春婦と同一視されていたという記録もあります。

>女優や歌手が歌を歌いに行ったというのは聞きますが、
これは戦地慰問のことでしょうね。活発になったのは交通手段、特に輸送機
などが発達した第二次大戦以降のことでしょう

>布団まで敷いたということはあったんでしょうか。
なんの意味かわかりません。戦地慰問に行った女優や歌手が売春行為を行っ
たかという質問なら、一般的なことではないと思います。
617世界@名無史さん:01/12/03 23:38
>近代以前は占領地を略奪乱暴したらしいですが、(日本の軍隊ができた後の
>同時代期の)19C後半以降
例えば1900年の義和団事件、北清事変の際の列強8カ国軍の略奪暴行は酷い
ものであったと記録されています。幸いにも、日本軍は相対的には軍紀厳正
であったとも記録されています。
近代以降、法的には占領地での民間人への略奪暴行は違法行為とされていま
すが、事実としては日常茶飯事であったようです。
ちなみに、アメリカ軍占領下での米兵による日本女性への強姦事件は多発し
ていますし、ほとんどが摘発も報道もされないままでした。一部が「大男に
よる乱暴事件」として新聞に掲載された程度です。

>特にWW1、WW2での、フランス軍、ドイツ軍、ロシア軍、アメリカ軍ではその
>ような従軍部隊はあったんでしょうか?
なにか根本的に勘違いしています。日本軍にしても、軍慰安婦が軍組織に組
み込まれた形で組織化されていたような事実はありません。
ひょっとして、旧日本軍は売春婦を組織した部隊を編成していたととでも考
えているのでしょうか?
また、慰安所は最前線にあったわけではありません。基本的に慰安施設とい
うのは後方、戦闘のない場所に設定されます。銃弾が飛び交うなかで慰安施
設が運営されるはずはありません。どの軍も慰安地域は後方に設定したはず
です。
618無知:01/12/04 02:07
ドイツの壁崩壊前、ベルリンは東西に分離していましたが、
ベルリンが西ドイツにあったとして、東ベルリンの住民は
どうやって東ドイツに行き来したのでしょうか?
619世界@名無史さん:01/12/04 07:46
>>618
とりあえずマジレス。
>ベルリンが西ドイツにあったとして
ベルリンは東ドイツにありました。

とまれ逆の疑問は出るでしょうが、東ドイツ内にあって、西ベルリンの人が
西ドイツに行くには基本的には飛行機です。
620世界@名無史さん:01/12/04 08:13
>>614
いやいや、高校生っす。
世界史に関しては
偏差値68あるんだけどね、アホだから
ほとんど単なる、マルアンキーですもんね。

>>619
それはそうとして、一般人も飛行機ぐらいなら
簡単に乗れたのですかい?
チュドーン、ぐらいの知識しかないっすは。
621世界@名無史さん:01/12/04 10:21
>>618
えーとね、昔の知識だから確認はいると思うが、西ベルリンの交通について。
西ドイツ国境から専用道路があって西ベルリンに入れたそうな。専用バスも走っていたらしい。
パスポートさえしっかりしていれば、民間人でもかなり自由に行き来ができたそうです。
もちろん観光客もね。ただし、身体検査・持ち物検査は当然アリ。
運行スケジュールは東ドイツに伝えられ、護衛(藁)のサイドカーだかバイクだかが張り付いていた。
さらに、お約束だけれど途中の写真撮影も厳禁。見つかったら厳重注意の上、即送還。

道の両側に目隠しの壁があった、という説もありますが、戦艦大和の建造じゃあるまいしちょっとね。

ただし、時代によって甘い時と厳しい時があったらしいです。
622名無し:01/12/04 10:35
あげ
623ウラマー:01/12/04 18:05
 10世紀の史実について、次のうち誤りを含むものはどれか。
@ 中国では、趙匡胤が宋の初代皇帝となり、都を開封に定めた。
A ベルベル人はイスラム教への改宗が急速に進み、ムラービト朝が成立した。
B ローマ教皇との結びつきを強めたオットー1世は、ウラル系のマジャール人を撃退した。
C インドでは、イラン人の軍事政権ブワイフ朝がバグダードに入城した。

Y社を参考に・・
ちなみに私は分からなかった。
624世界@名無史さん:01/12/04 18:35
分ーからーない、分からない
分からなーいは、愉ッ快だ、なー!
625世界@名無史さん:01/12/04 18:48
Aがちがうぅ
626世界@名無史さん:01/12/04 19:10
hage
627カイザー:01/12/04 19:58
>>621
で、ベルリン封鎖は、その道路をソ連が封鎖したってことですね?
でも、結局アメリカの空輸能力にビビって封鎖解除した、ということでよいのでしょうか。
628世界@名無史さん:01/12/04 20:04
@ABCは機種依存文字なので全て誤り。(おい


っつーか、インドにバグダードはないぞ。
629カイザー:01/12/04 20:51
>>628
あぁっ、それもだ(w
630ウラマー:01/12/04 21:19
>>628
ゴメンゴメン。
それは私の写しミス。
Y社のミスではありません。
答えは、Aになってます。
ゴメンゴメン。
631世界@名無史さん:01/12/04 21:26
だから、機種依存文字やめれ。
632世界@名無史さん:01/12/04 21:33
>>627
飛び越して、どうも。(藁

ベルリンは当時(1960年頃?)400万人を越える人口があったはず。
空輸だけでは、一時的にならともかく長期にわたっての物資輸送は無理でしょうな。
コストだってすさまじいし。当時は国家の威信でやったんでしょうが。

ま、意地と恫喝のぶつかり合いでソ連が負けたということでしょうね。
633ウラマー:01/12/04 21:39
 17世紀の史実について、次のうち正しいものはどれか。
@ 明の康熙帝は、キャフタ条約でロシアとの国境を定めた。
A フランスのアンリ4世は、旧教に改宗したうえでナントの勅令を発布した。
B インドでは、ムガル建築の代表傑作タージマハル廟が完成した。
C オスマン帝国では、スレイマン1世により最盛期をむかえていた。

Y社のいろんな問いをくっつけてみた。
分かる?
ぐだらん?
634世界@名無史さん:01/12/04 22:12
自分のマシンで表示できる文字が、まさか他のマシンで読めないとは思わないわな。

にしても、何の脈絡もない選択肢を並べる問題があるからこそ、世界史は記憶力だけの
学問だと思われるのだな。
635世界@名無史さん:01/12/04 22:58
>>633
だから○数字はやめれ。
そう言う行為が戦争やテロを引き起こすんだYO!(30%マジ
636ウラマー:01/12/05 08:09
知らんかったよ。
ゴメンネ。
自爆するは。
637世界@名無史さん:01/12/06 10:52
16世紀のヨーロッパについて:
イングランドに関連して、スコットランドからフランス、スペインへと
変遷したものって何かないでしょうか?
抽象的な質問ですが、よろしくお願いします。
638おサル:01/12/06 14:07
これってスコットランド→フランス→スペインの順じゃないとダメなの?
スペイン→フランス→イギリスの順なら思いつくけど。

たぶん答えにはならないんだろうけど、スペインで流行したクジラの髭で
スカートを膨らませたファーチンゲール・スタイル(エリザベス女王が
着ているようなドレス)はフランスに伝わり、ラフ衿(細かい襞を寄せた
衿)とともにイギリスでも流行しましたが。
639世界@名無史さん:01/12/06 14:56
モロッコ →スペイン →フランス →イギリス
と伝わったのはサラブレッド
640世界@名無史さん:01/12/06 22:47
受験生です。
中国現代史を受験用にまとめれる方、
協力をお願いします。
ヨームウンドーあたりから、逝きそうです・・
641あやめ:01/12/08 19:31
「清末廣東売春事情」3
陳塘とともに宣統年間から繁栄に赴くようになったのが東堤です。宣統二年に廣州の
長堤が竣工すると亀公(女郎屋の主人)は資本家や地方役人の協力を得て、東濠橋の傍
らに4層建てで底地面積16間の洋式高楼2軒を建て、また橋脚地に「廣舞台」と呼
ぶ戯台(芝居小屋)を設け、その後ろの空き地を馬路(大通り)にして商店街と「東園」
という公園を造りました。その上で金花巷や清源里など城内の妓院をすっかり東堤の
後面にある沙地に移しました。更に大沙頭に浮かぶ妓艇も引き上げて陸地に開業させ
ました。かくて東堤の妓院は12軒に上り南岸の天香・綺翠の両院と併せ14院に妓女
千余名を抱え、宣統二・三両年は陳塘と東西の張り合って全盛を現出しました。
ところが間もなく辛亥革命が勃発し民軍が廣州に入城し、武装した兵隊に占拠された
色街の女たちは逃げ出して四散してしまい、その上また前回にも述べたとおり陳都督
が売春を禁止したため東堤は忽ち寂れてしまい、娼妓たちはまた陸地から妓艇に戻っ
てしまいました。
これまで花街の地域的変遷を中心に記述してきましたが、次回は少し立ち入って売春
稼業について書きます。

という傍から悪いんだけど年末で本業が破滅的に忙しくなってきたので、この続きは
年が明けてから書くことにします。ゴメンね
642世界@名無史さん:01/12/08 19:35
年が明けてからでは遅いです。
今答えてください。
643世界@名無史さん:01/12/08 19:37
そんなんじゃ大方来年も浪人生だろうな(藁
644あやめ:01/12/08 19:41
>>607
廟號や諡號など君主の特定表示については関心がありますので、やはり年明けには
書こうかと思ってます
645世界@名無史さん:01/12/08 23:23
すいません、質問させてください。
17世紀の人物で、悪魔の階級を考察したというセバスチャン・ミカエリスと
いう修道士(悪魔払い士?)のことを、どなたかご教授下さい。
生年や没年、どこの国の人物か、そして彼の人物のことが調べられる書籍など
ご存じの方、よろしくお願いいたします。
646名無し:01/12/09 00:06
607>>あやめさん
お願いします。
ついでに。
なんで煬帝だけ「ようだい」て読むんですかね?
単なる日本の読み癖ですか?
647世界@名無史さん:01/12/09 00:33
>645 ミカエルでなくてミカリス?
648世界@名無史さん:01/12/09 00:33
>>646
一説には、悪王だったので貶めるために「だい」を当てたという。
これはもっともらしく聞こえるが、本当のところはよくわからない
慣習だというのが説得力があるように思える。私の記憶が確かならば
高島俊男氏の本で「荘子」をなぜ「そうじ」と読むのかと絡めてこの
問題を取り上げたことがあったと思う。
649名無し:01/12/09 00:53
646>>648
早速のご返事感謝。
650名無しさん:01/12/09 05:13
>>646
「煬帝」というのは、死後のおくり名ですね。
で、歴代の皇帝で若死にした皇帝はたいてい
「幼帝」とおくり名されるわけですから、口頭だと
どちらも「ようてい」になってしまう。それでは
弟子諸君も頭がこんがらがってしまうということで、
江戸時代の漢学者なんかが「ようだい」とカナを振ったわけです。
それが今にいたるまでの習慣となった。

ということらしい。
651世界@名無史さん:01/12/09 10:57
五州事件ってなんですか?
652645:01/12/09 20:16
>647さん
たしか、ミカエリスだったと思います。
カトリックの修道士で、悪魔払いや異端審問などにも関わった人だと
聞きかじっているのですが・・・・
653世界@名無史さん:01/12/11 03:52
幼帝・・・っていました?
654リトルチョコレート:01/12/13 14:55
「最古のスポーツはボクシング」説がある、というのは本当ですか?
655世界@名無史さん:01/12/13 21:43
あの・・すみません。ここの板の住人ではないのですがここの板の中の”戦史系”スレを時々
拝見させて頂いておるものです。で、戦史に詳しい詳しい住人の方を見掛ける度に思うので
すが、どのような資料(特に中世ヨーロッパ)を参照なされていらっしゃるんでしょうか?
でその様な方はかなり戦術・軍事用語もご存知な場合も多いですが、どのような資料から
体系的な事をお覚えになったんでしょうか?

でその資料は市販されている書物なのでしょうか、それとも市販されていない物なのでしょうか?
どちらであるとしても書名をあげて頂けないでしょうか?宜しくお願いします。
656世界@名無史さん:01/12/13 21:56
日露戦争や日清戦争など日本の戦争は
世界ではなんと呼ばれてますか?
657英語では:01/12/13 22:09
>>656
それぞれ
the Russo-Japanese War
the Sino-Japanese War
と言います。
658世界@名無史さん:01/12/13 22:14
戦史本の入門本と言えば、
最近日本語版が出たMen at armsシリーズはいいよね。
分野ごとに細かく分かれてるので、好きなとこだけ読める。

英語版だとすっげー種類が出てる。
659世界@名無史さん:01/12/13 22:15
>>657
それは
露>日
清>日

という事ですか
660世界@名無史さん:01/12/13 22:19
リンクつけとこっと。

http://www.ospreypublishing.com/series/Men-at-Arms

英語だぞ。
661世界@名無史さん:01/12/13 22:20
>>650
幼帝なんて諡号はないと思うが…
662世界@名無史さん:01/12/13 22:29
ついでに日本語。

http://w3.shinkigensha.co.jp/cgi/shinkigen.cgi?skgdomcode=10&mx=20&rp=1&act=search

グスタフ・アドルフの軍隊が騎兵編と歩兵編に分かれるくらい、細かくジャンル分け
されてるのね。
663655:01/12/13 22:56
>>658
ご返答有難うございます。でもオスプレイシリーズはいぜんから目を付けておりました。
34刊で一応終了なのですか・・・残念です。日本ではメンアットアームズは新紀元社、
戦車シリーズは大日本絵画とシリーズによって出版社が違いますよね。
これも短命の原因ですかね。
向こうではオーストリア、プロイセンだけで6冊あるらしく取り上げる戦史も近現代までと
随分違うようですね。

で専門の方はどのような物をお読みなのですか?
664世界@名無史さん:01/12/15 11:32
>>641
清末売春事情について質問した者です
あやめさん、年明けでも結構です、つづき楽しみにしてます。
665世界@名無史さん:01/12/15 23:00
ベトナムは皇帝を自称していたことがあるそうだけど
国内向けの称号なの?
バオ・ダイなんかは王と書いてあったり皇帝と
書いてあったりまちまちなんですが。
それと、皇帝を名乗ることにどういう意味があるんでしょうか?
666  :01/12/16 00:09
神父と牧師はどう違うのですか?
大学教授と高校教師ぐらいの差ですか?
667世界@名無史さん:01/12/16 00:18
国立大学教授と私立大学教授くらいの差ではないかと。
668世界@名無史さん:01/12/16 00:23
神父とは旧教・カトリックの聖職者のことをいい(上位には司祭・司教・枢機卿・教皇がある)、
牧師とは新教・プロテスタントの聖職者のことをさす。
669世界@名無史さん:01/12/16 00:43
神父=使徒以来の特別な権能を受け継ぐエリート
牧師=単なる専門職

神父=セックス不可
牧師=セックスOK

(誇張あり)
670魚花 うるふ:01/12/16 01:21
>627と632さん
遅レスですが…
ベルリン封鎖は西側が一方的に西ドイツの通貨改革を断行した事に対する
ソ連の対抗措置ですが、ソ連はこれによってアメリカから譲歩を勝ちとれる
と予想していたようです。

西側はそれに対抗して米英の輸送機を総動員して空輸に務めた結果、1日平均
六千トン強を輸送して48〜49年冬の危機をのりきることができました。
しかし、この年の冬が記録的暖冬で暖房用の燃料の輸送を大幅に切り
詰めることが出来たのが成功の大きな成功の要因だったようです。
671魚花 うるふ:01/12/16 01:40
>655様
中世の軍事史は全くの門外漢ですが、658さんの仰るように英オスプレイ社の
ペーパーバックシリーズが初心者向きと思われます。
古代から近現代まで幅広いラインナップがあります。国内で訳本が敢行されて
いるシリーズは極わずかで、新紀元社から最近中世の兵装に関するものが
数点出版されましたが(ペラペラに薄い)、その他、平凡社なんかからも
ハードカバーの本が過去にいく点か出版されていたような…(こちらは専門書)

とり合えずオスプレイ社のサイトを当たってみては如何でしょうか?
www.ospreypublishing.comに行けば色々書籍の情報を仕入れる事ができる
でしょう。それ以上の専門書を求めるのであれば、海外のソレ系のサイト
巡りをしてreviewを読んだりするのも一つの手でしょう。

(軍事板の質問スレに行って「そんだけ」氏へ御指名で質問するのが一番いい方法かも)
672世界@名無史さん:01/12/16 03:06
>>663
英語でもいいんかな?
軍事は別に専門ではないのだが、中世史には関心があるので・・・・
趣味的ですが参考にして下さい。

1)Medieval Warfare,by Hans Delbruck,Bison Books
シャルルマーニュからスイス傭兵までの通史。ドイツ語初版は1929年。
デルブルッケは「現代戦史学の鼻祖」などと言われたりもする大家です。
700ページの大著。

2)The Art of War in the Middle Ages,by Charles Oman, Greenhill Books
初版1929年。2巻全1000ページの大著。著者はオックスフォードの近代史の教授でこれも大物。
1)2)は戦史の古典ですね。もっとも古典だが、会戦至上主義とか、兵站を軽視しているとか、色々批判があるようで。
どっちかというと2)がお勧めです。中世の重要な会戦をほぼ網羅していて物語風に読めるし、戦場の地図も付いていて親切。
どの程度確かか、それはよくわからないけれど。

3)The Art Warfare in Western Europe:During the Middle Ages, by J.F.Verbruggen, Boydell
著者はベルギー人。フラマン語初版1954年。戦後の大陸戦史学の代表ですね。
記述はテーマ主義的かつ体系的。350ページ。
中世の戦争におけるタクティックス・ストラテジを正面から議論した後半部分が、多分目玉でしょうか。

4)War in the Middle Ages, by Philippe Contamine, Blackwell,
仏語初版1980年。著者はフランス軍事史学の大物ですね。
前半は通史、後半はテーマ的な記述。300ページ。

5)Armies and Warfare in the Middle Ages, by Michael Prestwich, Yale UP
初版1996年。著者はイギリス中世史の大家。テーマ主義的な構成。350ページ。
イングランド中心の記述だが、多分最新の知見に基づいて書かれているはず。
3)〜5)はマジメな中世の軍事、つまり騎士・歩兵はどう徴募され、どう訓練されたか、攻城戦や兵站の実際はどうか、
というようなことにマジメに興味のある人向けですね。
個々の合戦がどうだったか、というような面白可笑しい話はあんまり書いてありません。
なんとなく3)5)がおすすめ。

6)Cambridge Illustrated Atlas:Warfare:The Middle Ages 768-1487,
eds.by Nicholas Hooper & Matthew Bennett、Cambridge UP
これはすごくいいです。地図だから、多少の語学的ハンデもOK。
中世の主要なキャンペーンについて地図と、簡単な説明がついてます。超おすすめ。
170ページ。1996年。

7)Dictionary of Ancient & Medieval Warfare, ed.by Matthew Bennett, Stackpole Books
1998年。350ページ。
ハンディな人名・武器名・戦争名の事典です。かな〜りマイナーな項目もあり、便利。

6)を除いて全てペーパーバックがあり、
どれもネット書店で、日本円5000円以内で入手可です。
673世界@名無史さん:01/12/16 06:31
チンギス家の家紋が、源氏の笹竜胆って聞いたことあるんですけど、
どの程度似ているんでしょうか?
チンギス家の家紋が見つからない、、、
674655:01/12/16 12:41
>>672さん 有難う御座いました。参考にさせていただきます。
675655:01/12/16 17:48
でもやっぱり不思議なんですよね。
防衛大関係でない一般大学の歴史関係の教授が
「歴史群像」なんかで「支踏を確保し」
「城砦群を攻めるには最低部を奪取し尾根伝いに攻略していくのがベター」
「目的の複数設定は戦術上避けるべき行為」
などというような専門的な戦術の深い用語や知識を持って書いてたりするのを見るたびに
「この人は一般人なのに何処からこの様な深い知識を得ているのか」
と思い、販売されている書籍を探してみたのですがそんなに深いのは無かったんです。
こう云う処の情報をご存知の方はいらっしゃらないでしょうか?
676A.トインビーの「歴史の研究 」:01/12/17 18:41
もう20年前に読んだ書物で記憶が曖昧なのですが、
A.トインビーの「歴史の研究 」の中で、確か、エジプト(だったと思う)にイギ
リスの開発業者が入り、そこから彼らの子弟のための学校が生まれ、病院が生まれ、
その結果、欧米の技術を含め文化・文明が単に移植されるのではなく、連鎖的な繋が
りをもって他文明に移行していく様子をわかりやすく書いた記述があったと思います。
これって歴史の研究のどこに書かれたものでしたっけ?
また、上の記述は正確にはどういうものでしたっけ?
ちょっと引用したいのですが、外国にいるものでかつて読んだ書物が手に入らずもし
ご存じの方がいらっしゃれば教えていたらければ幸いです。
677世界@名無史さん:01/12/17 21:42
>>673
遊牧民に家紋はありません。
678冬休み高校生:01/12/18 03:44
あのー、つまらない質問なんですけど・・

コロンブスがアメリカ大陸発見した時、原住民とどうやってコミュニケーション取ったんですか?
手話でしょうか?
679世界@名無史さん:01/12/18 05:07
>>678
基本的には、「なせばなる!」だろうw
彼らは度胸と臨機応変の人だから。簡単な単語を
覚えて後は身振り手振りと勘じゃないかな。
杉田玄白も真っ青の苦労をしたと思われ(質的に違うかw。
680冬休み高校生:01/12/19 05:18
>>679
なるほど(w

それから、たしかコロンブスはスペインに原住民を何人が連れて帰りましたね。
あれはどうやって説得したのかな?
コロンブスは原住民に対する乱暴は禁止していたから、脅して連れて帰ったとは思えないし・・
681世界@名無史さん:01/12/19 07:33
国号についての質問スレみたいなのってどこにあるんですか?
682世界@名無史さん:01/12/19 22:19
>680
コロンブスは、本国あての手紙に「現地人は頭、ガタイがよく、良い奴隷となることでしょう」、と。。。。
683世界@名無史さん:01/12/19 22:31
>>680
そりゃまあ、見たこともない武器を持って、見たこともない甲冑を身にまとったとても
勝てそうもない強そうな奴らに説得されたら、逆らえます?
684世界@名無史さん:01/12/20 19:59
そういうのも「説得」って言うんだろうナ
685宣伝するぞこの野郎!!:01/12/20 20:05
宣伝するぞこの野郎!!
待望の第2弾、長渕スレ

長渕剛クラブは、オフィシャル公認のファンクラブです。
http://www.nagabuchi.or.jp/club.html

ここは長渕 剛を心より愛する方のための情報交換の場です
http://wwhttp://music.2ch.net/test/read.cgi/music/1006450638/l50
待望の第2弾、長渕スレ
http://music.2ch.net/test/read.cgi/music/1006450638/l50


┌─┐
                       |も.|
                       |う |
                       │来│
                       │ね│
                       │え .|
                       │よ .|
                       │ !!.│
  ピッピッピッ     ン?   ナンノオトダ?.└─┤      ドウシタ?
   ピッピッピ・・・  ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ  (`Д´)ノ    ( `Д)
    | ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
      ̄◎ ̄   ̄◎ ̄  . ̄◎ ̄   ̄◎ ̄   ◎−>┘◎
686世界@名無史さん:01/12/20 22:49
コロンブスにしろアル・カポネ(の父)にしろ、イタリア人は昔から新大陸に憧れていたのですね。
687名無しさん:01/12/21 03:24
世界虐殺ランキングの1位って何?
スターリンか毛沢東が2位らしいけど。
688世界@名無史さん:01/12/21 08:12
>>687
その片方が1位でもう片方が2位なんじゃない。
689名無し:01/12/21 23:15
>687
自国民の「粛清」じゃないのか?>虐殺
690名無しさん:01/12/22 02:01
>>688
>>699
スターリンかなんかで検索してできたサイトに、スターリンが虐殺ランキングの
暫定2位で毛沢東は正確な数がまだでてないが2位に入る可能性がある、って
書いてあったからじゃぁ1位は誰よ?ってことで検索したんだけどでてこなかっ
たんで質問したんだけど。
691皇帝寝ろ:01/12/22 04:26
>>690
ポルポトは?
692世界@名無史さん:01/12/22 06:22
スターリンが一位でなかったらポルポトしかいないだろうな。
ある人から聞いた話、
とある大学の教授がカンボジアのアンコールワットを現地の教授たちと
いっしょに研究・調査していた。しかし戦争がはじまったたまに日本人教授は
帰国した、戦争が終わりカンボジアにきてみると、まえにたずさわった
現地の教授たちはひとりもいなかった。
その人たちはポルポト政権によって虐殺されたという。
693692:01/12/22 07:35
誤字訂正……鬱だ
×戦争がはじまったたまに日本人教授は
○戦争がはじまったために日本人教授は
694世界@名無史さん:01/12/22 15:04
歴史解釈で「単線的な因果論」と「生産関係論」というのが
あるらしいのですが、この二つの解釈方法ってどんなものな
のですか?
歴史関係に詳しくないので、できれば具体例をだして教えて
欲しいのですが…。
695世界@名無史さん:01/12/22 16:37
ベルギーがアフリカで如何にドキュソな事をやったのか知りたいのですが、
どなたか簡単な入門書をご紹介していただけないでしょうか?
696世界@名無史さん:01/12/22 22:19
687の「世界虐殺ランキング」について真面目なお知らせ。

1997年フランス、ヨーロッパで左右両陣営に大論争を巻き起こし
たベストセラーが上智大学教授外川継男先生によってやっと邦訳
され最近発行された。
なぜナチズムが断罪され共産主義は断罪されないのかといった観点
から共産主義を暴力・抑圧・テロルを軸に豊富な資料で克明に描い
た学術的な社会科学、歴史、政治、人文思想書です。

「共産主義黒書 -犯罪・テロル・抑圧- ソ連篇」
        A5判、342頁、上製本、3000円

戦争と革命の世紀であった20世紀、ナチズムの犠牲者は2500万
人に対し、共産主義による犠牲者はソ連で約2000万人、中国
で6500万人、全世界では合わせてなんと1億人を数える。民族・
人種によるジェノサイドと階級・思想によるジェノサイドはど
こが違うのか?
東京大学のゼミでも採用されています。フランスで30万部、この
度の日本語訳で35カ国で翻訳出版されたことになります。すでに
全世界で100万の人に読まれていると推計されています。
月刊「正論」や「諸君!」にも広告がでていました。
読みごたえのある本です。
特にソ連が未公開にしていた犠牲書の目をおおう写真も載っています。
697690:01/12/23 17:52
>>691
>>692
ポルポトがいたわね。ポルポトかも。
ありがとう。
698世界@名無史さん:01/12/24 00:07
先に出ていた書籍
「共産主義黒書 -犯罪・テロル・抑圧- ソ連篇」
の「アジア篇」も来年の10月発刊よていと「ソ連篇」の
最後に広告がでていた。
もちろんポルポトの犯罪についても載っているに違いない。
699:01/12/24 00:34
皇帝と王ってどう違うのですか?

それから国って何なんですか?
プロイセンとか。
誰がつくったの?
700世界@名無史さん:01/12/24 00:36
>>699
まず君がわかってることを書いてみよう。
701:01/12/24 00:39
>>700
はい、分かりました。
皇帝と王の違いは全然わかりません。
政治制度で、王制があったというのはわかります。

次に、「プロイセン」と今のドイツって何が違うんですか?
それからどうして基準で「国」になるんですか?
民族とか?
702:01/12/24 00:41
あと、三世とか一世とかってどういう意味ですか?
アレクサンドル一世とか。
名前が同じだから、区別してるの?
どうして名前が同じだったり、違ったりするの?
偶然ですか?
703世界@名無史さん:01/12/24 01:00
>>702
こっちのほうが説明がラクそうだからとりあえず答えよう。
キリスト教徒やイスラム教徒は特定の聖者や過去の偉人の名前を付けるから、
同じ名前が繰り返し使われやすい。
それで、同じ王朝に二度目三度目と同じ名の王が立った場合、
一世、二世と付けて区別するわけ。
たとえばアレクサンドルなら古代のアレクサンドロス大王にちなんだ名前。
ロシア皇帝には3度この名をもった人が即位してるので、
アレクサンドル一世・アレクサンドル二世・アレクサンドル三世と区別する。
704:01/12/24 01:04
>>703
わー、はじめて分かりました!
>キリスト教徒やイスラム教徒は特定の聖者や過去の偉人の名前を付けるから
こんなに大事なこと教科書には全然書いてません。
この話をしっていればどんなに歴史に興味をもてるかわからないのに。
無意味感想に「三世」とか言われても。
でもその名前は誰が決めたの?
「今度もアクレサンドルにしよう」とか。
あとフランスのルイというのはどうしてずっとルイなんですか?
705世界@名無史さん:01/12/24 01:15
先祖代々同じ名前を使うのがローマの風習、ゲルマン人はこれを真似した。
ゲルマン人の本来の命名法は親の名前の一部をとって名付けるというもので、
日本によく似ている。

なお、王名の場合は、即位に際して自ら名前をつけたりする。
ジェームズ1世のファースネームはチャールズだったりだな。
706:01/12/24 01:18
>>705
すごい。
深く勉強すれば、分かるんですね。
学校の先生は省略だらけの教科書を補う配慮が必要ですね。
707:01/12/24 01:33
民族って何?
同じ様な顔つきの人たち?
どうしてそんな偏りが生じたのでしょう。
同じ様なところに住んでいたから?

いっぱい質問してごめんなさい。
708世界@名無史さん:01/12/24 01:33
勉強してないよ。
「世界史」に捕らわれるあまり、別の視点が欠けてるようじゃダメだね。

私は固有名詞の成立に興味があったから調べただけですんで、こんなのは
世界史の領域でない。
709:01/12/24 01:36
>>708
別の視点が欠けるわけじゃありません。
私のスレッドを読んで下さい。
むしろ歴史学に省略が多すぎること、
人間の過去をかたるのなら、すべてを説明するべきなのに、
勝手に専門化してしまっていることの弊害を感じています。
710世界@名無史さん:01/12/24 01:41
>>709
読んでるから言ってるのだが。(藁
711世界@名無史さん:01/12/24 01:47
歴史じゃなくて日本語の質問が混じってるな
712世界@名無史さん:01/12/24 01:59
>>703
二世とか三世っていうのは死後つけられるののではないのですか?
例えば前漢後漢は両方とも当時は漢と名乗ってたけど現在歴史的に区別するため
前後をつけるみたいな
713世界@名無史さん:01/12/24 02:05
今のイギリス王が誰か言ってみ?(笑)
714世界@名無史さん:01/12/24 02:38
>>707
「民族」「国家」「王」「皇帝」という概念は
場所・時間によって意味が変化しているし、
厳密な定義は難しいものです。
「わかったつもり」になって考え飛ばすのが
一般的な歴史の学習姿勢ですが…。
それでも気になりますか?
715世界@名無史さん:01/12/24 04:50
>m氏
歴史をイメージする姿勢に欠けてる。
中公やら岩波から出てる「世界の歴史」を通読してみる事を
おすすめします。
716世界@名無史さん:01/12/24 06:46
学校の教科書に書いてない、っていっても、
こんなところまで説明しだすと、とてもじゃないが埒があかないな。
そういうこと言い出すと、授業にならないでしょ(藁

「世界史を勉強するスレッド」にい逝っておきます。
717世界@名無史さん:01/12/24 06:47
タイプミスゴメソ・・・
718世界@名無史さん:01/12/24 11:20
 
719世界@名無史さん:01/12/24 14:45
ここが下がってると駄スレが立ちやすくなるからageとく
720694:01/12/24 16:30
どちらかと言うと、社会学に近いみたいなので
そちらに書いてみようと思います(歴史関係で
あるのは間違いないと思うので板違いではない
と思いますが)。
ありがとうございました。
721世界@名無史さん:01/12/25 10:06
ドイツ語の「ゲオルク」と英語の「ジョージ」って語源もつづりもほとんど同じですよね?
では、ドイツ系の皇帝に「ゲオルクV世」という人がいると、イギリスでは彼は「ジョージV世」と呼ばれるのでしょうか?
722世界@名無史さん:01/12/25 10:21
睡虎地秦墓竹簡を読みたいんですが。。。
723世界@名無史さん:01/12/25 10:25
>721
呼ばれます。
724na nasi:01/12/25 16:02
『ゲオルク』「ジョージ」おお凄い 初めて知りました、他に同じ名前なのに国別で呼び名が違う人々を教えてください
725724賛江:01/12/25 17:26
高校生用質問スレに書いたんだネタなんだけどね。

[英]George(ジョージ)
[独]Georg(ゲオルク)
[仏]George、Georges(ジョルジュ)
[伊]Giorgio(ジョルジョ)
[西]Jorge(ホルヘ)
[葡]Jorge(ジョルジェ)
[蘭]George(ジョルジュ)
[丁]Georg(ギオルグ、ギオル)、Jørgen(ヨーウエン)、Jorn(ヨーアン)
[瑞]Georg(イェーオリ)
[諾]Georg(ゲオルグ)
[露]Georgii(ゲオルギイ)、Georgij(ゲオルギイ)、Yurij(ユーリイ)
[洪]György(ジェルジュ)
[羅]Georgius(ゲオルギウス)
[希]Georgios(ゲオルギオス)、Yorgos(ヨルゴス)
[他]Jirí(イジー:チェコ)

参考までに、ここからの引用。
 ttp://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/etcdata/namespell.html
この方が苦労して作ったHPですので、その趣旨を尊重し、一言ことわってから閲覧しましょう。
726世界@名無史さん:01/12/25 17:44
我々が曹操のことを「そうそう」と呼ぶようなもんでしょう。
本来はZao Caoというらしいですね。
727:01/12/25 17:45
横質:

米Georgia州って Georges関連?
露グルジアも同じなのかな?
728看板職人:01/12/25 17:50
>>724
このスレッドも参考になります。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/995725135/l50
729世界@名無史さん:01/12/25 17:56
>>726
和読みでは、「ツァオ・ツァオ」じゃなかったっけ?

>>727
英国ジョージ王治世に植民地されたから。でもごめん、ジョージ何世だったか忘れた。
730世界@名無史さん:01/12/25 18:04
>>728
詳しいですねこのスレ
731世界@名無史さん:01/12/25 18:53
>>727
「露グルジア」って今は別の国なんだけど(w
で、やっぱり同一語源だったと思う。
でも「グルジア」にしろ「ジョルジア」にしろ自称ではない。
732世界@名無史さん:01/12/25 20:31
ハノーヴァー朝のジョージ1世ってドイツ人だね。
ハノーヴァー選帝侯としてはゲオルクって名乗ってたよ。
733世界@名無史さん:01/12/25 20:33
>>727 >>729

http://wedder.net/coins/50states/ga.html
だってさ。2世だYO。
734ひよこ名無し:01/12/25 20:57
下らない質問で申し訳ないのですが
中世におけるキリスト教会の資金源を
なるべく詳しく教えてください。
スレor板違いの感も否めませんが…
735世界@名無史さん:01/12/25 21:03
教会って封建君主なんで、農民から搾取してました。
736世界@名無史さん:01/12/25 21:12
1/10税ってヤツだよね。年収の一割を神のために徴収するもの。
情け容赦なくだったのかは不明。(w
737世界@名無史さん:01/12/25 21:46
他に適当なスレが見当たらなかったのでここで質問します。

先日放映されたチャップリンの「独裁者」に独裁者ヒンケルが
謀略の成功を願ってワイン?を飲み干した後に
ワイングラスを床にたたきつけてしまうシーンがありました。
日本なら布にくるんで胸元にといったところでしょうか。
あれは現実に欧州に見られる習慣なのですか?(他の作品でも見掛たような気がします)
どうも日本人には理解できない習慣です。
馬鹿馬鹿しい質問ですいません。
738クレアラシル:01/12/25 22:53
>>737
銀河英雄伝説にも出てくる。
プロージットとか言って。
なんだろうね。あれ。
739世界@名無史さん:01/12/25 23:07
水杯と同じじゃねぇの?
740世界@名無史さん:01/12/25 23:14
>>737
「宮本武蔵」でも吉岡一門がかわらけで水を飲み干した後叩き割ってるよ
741ひよこ名無し:01/12/25 23:21
>>735-736さん
ありがとうございます。
参考になりました。
742世界@名無史さん:01/12/26 07:55
>>738
うん、俺も銀英伝思い出した(w
帝国軍が同盟に対して総反抗に出撃する場面。
743悪魔特捜隊:01/12/26 09:10
>あのグラス、実は正体不明の生物Xでできているんですよ。
>壊れたように見えても、ウネウネと動いて元の形に戻るという(笑)

とのことです。。。。
744世界@名無史さん:01/12/26 21:07
駄スレ防止あげ
745世界@名無史さん:01/12/27 02:02
質問:
西部開拓時代にはライフルは普及していたのでしょうか?
746世界@名無史さん:01/12/27 20:52
下がってるんで駄スレたってんな。
747世界@名無史さん:01/12/27 22:17
ライフル銃って、ライフリングが切られた小銃、ということでいいのかな。
発明自体は15世紀らしいけど、西部で普及していたかどうかは不明。
もっぱら、西部開拓時代はコルトパイソンなどのリボルバー式が人気だったらしいけど。
748ど〜でもいいけど:01/12/28 00:24
>>745
「西部開拓時代」というのを、いつ頃とするかですが、通常は19世紀いっぱい、
特にホームステッド法ができて開拓者に土地が与えられるようになった南北戦
争後を中心と考えましょう。

西部開拓と切ってもきれない関係にあるのがウィンチェスター銃で、1866年に
原型となるM66が、1873年に有名なM73が作られています。
どちらもレバーアクションで、外見的には似ていますが、M66は真鍮フレーム
M73は鋼鉄製のフレームです。

アメリカには「ウィンチェスター銃が西部を開拓し、コルトが人間を平等にした」
という言葉があるほど、この銃はコルト拳銃とともに大量生産され、西部開拓
時代に多用されました。

さて、このウィンチェスター銃には、弾薬に拳銃と同じものを使用しているという
大きな特徴があります。
口径.44インチですから、11mmくらいでしょうか、かなりの大口径ですね。
ちなみに、コルト拳銃のほうはコルト45ピースメーカーとして有名ですが、実際
には、このウィンチェスター銃と同一弾薬を使用する44口径モデルのほうが多
数作られ、使用されたとのことです。
拳銃の弾を使うのですから、遠距離の射撃には向きませんし、障害物を貫通す
る能力も低いのですが、大口径ですから十分な殺傷力を持っています。

このウィンチェスター銃は銃身内にライフルが刻んでありますから、分類上は
ライフル銃となります。
また、軍用のライフル銃としてはスプリングフィールド銃があります。こちらは、
十分な射程と威力を持つライフル銃ですが、単発です。

結論から言うと、西部開拓の本当の初期を除けば、マスケットではなくライフル
が主流であったということです。
749世界@名無史さん:01/12/28 21:44
リチャード3世は甥の王子たちを殺したのでしょうか?
本屋で売ってるイギリス史なんかには、殺したとはっきり書いているのもあれば
幽閉したとあいまいに書いてあるのもありますけど・・・。
そのへん学校では今どういう風に教えているのでしょう?
750世界@名無史さん:01/12/28 22:32
749氏に便乗。
王子たちの死体はいつ見つかったのでしょうか?
751世界@名無史さん:01/12/29 01:11
死体はみつかっとらんはず。

殺害の根拠は、もう当時からそういう噂があったのと、
あとは、例えば、リチャード3世のクーデタの片棒をかついだ
バッキンガム公ヘンリー・スタッフォードが数ヶ月後に反乱起こすんだけど、
(余談だが、こんなにすぐに身内に裏切られるのがリチャードが人格的に欠陥のあった証拠。)
彼がヘンリー・テューダーを支持することを名目としていた点。
(暴君に幽閉されている若い正統の主君をお救いする、という名目を立てなかったのは、
 バッキンガムが王子らの死を既に知っていたからではないか、という理屈。)

こういう感じで「消える」ってのは、
ジョン王の甥ブルターニュ公アーサーも同じ。
1202年ミラボーで叔父に敗れたアーサーは幽閉後、消息不明に。
誰もがジョンが殺ったと思い、多分そうなんだろうけれど。
752750:01/12/29 09:50
ロンドン塔で二人分の子供の白骨死体が見つかった、というのはデマなんですか?
753749:01/12/29 13:19
今でも死体は見つかってないのですか・・・

あと、リチャード3世は本当にろくでもない王だったんでしょうか?
甥の王子たちが庶子(エドワード4世が若いころ秘密結婚していて
子供たちの母である妃との結婚は無効)という理由でまわりの人が騒いで
リチャード3世が王位についた、というのを読んだことがあるのですが。

>(暴君に幽閉されている若い正統の主君をお救いする、という名目を立てなかった
王子たちの死をリチャード3世のせいにして支持率を落とそうとかしなかったのでしょうか?
754世界@名無史さん:01/12/29 13:32
「馬を、馬をくれ! 馬をくれたら王国をやるぞ!」
    ---『リチャード三世』 by W.シェークスピア

名言にはならないだろうなぁ。すきなセリフなんだけど。
755749:01/12/29 14:18
リチャード3世の研究やってる人とか本を誰かご存知ないですか?
756世界@名無史さん:01/12/29 14:47
あれなんだっけ、
ジョセフィン・テイの『時の娘』。
これは時代がちがいますかね?
757749:01/12/29 15:26
>756
私その本好きなんですよ。でも小説だから、
その話は学会等で認められているのか知りたいんです。
758世界@名無史さん:01/12/29 16:32
トマス・モア〜シェイクスピア的「バラ戦争」史観だと、
バラ戦争=流血と混乱の時代→その頂点がリチャード3世→混乱を収拾したヘンリー7世マンセー!
ということで、これはテューダー王朝御用史観でもあるのだけれど、
これに対して、「時の娘」等では、
トマス・モアのソースには、ヘンリー7世の下で辣腕を振るったカンタベリー大司教モートンがおり、
実は、リチャード3世はテューダー朝によって不当に貶められた悲劇の君主だった、ということになる。

ところが、現在のイングランド中世史では、
エドワード4世による、前代に比して極めて王権の強力な「新王制」の樹立を重視し、
エドワード4世〜ヘンリー7世の連続性を協調することで、
リチャード3世の簒奪を「逸脱」と捉える理解が通説ではないでしょうか?
(リチャード没落の主要因は、
 エドワード4世支持層の貴族=いわゆる「ヨーク派」がごっそりヘンリー・テューダー支持にまわったこと。)
また、以上から、リチャードの個人的な評価としては、
強引な簒奪によりいたずらに権力基盤を狭めた、さして有能とは言えない君主
という結論が導き出されるようです。
(John Gillingham,The War of the Roses,Phenix Press,1981 ←著者はLSEの教授)
759世界@名無史さん:01/12/29 18:44
>>747
> 西部開拓時代はコルトパイソンなどのリボルバー式が人気だったらしいけど。

細かい突っ込みで恐縮ですが、コルト・バイソンというのは強装弾、いわゆるマグ
ナム弾を使用する現代のモデルで、スタイルが復古調なだけですね。
西部開拓時代のコルトは>>748氏が指摘している、通称ピースメーカーと呼ばれ
るモデルで、全くの別物です。
760749:01/12/30 08:35
>758
詳しい説明と参考文献教えていただいてありがとうございます。
結局、リチャード3世は王位簒奪者ってことなんですか。
肖像画では優しそうで賢そうな王様なんですけどね。
ヘンリー7世の肖像画のほうが極悪人みたいなのに。
761世界@名無史さん:01/12/30 09:03
>>760
肖像画なんて、修正が当然でしょうね。
朱元璋(洪武帝)の2枚の全く異なる肖像画なんて有名ですが。
762世界@名無史さん:01/12/30 15:52
部族と氏族の違いを教えてください。
種族と民族というのは同義なのでしょうか?
763おサル ◆XIyjiLAc :01/12/30 16:31
>>758
よかったら、リチャード3世がヨーク派に見捨てられた原因を
教えてください。確かに彼はエドワード4世の王子を退けて
王位につきましたが、そういう例は珍しくないし・・・・
他に何か理由があるのでしょうか。
764考える名無しさん:01/12/30 21:26
すいません。中国社会に文革がどのような作用を
もたらしたかについて簡単に教えてください。
765世界@名無史さん:01/12/30 21:57
ルネッサンスの仇花、ボルジア家のチェーザレーに殺されたといわれるホアンのことについて、知っている人がいたらなんでもいいから教えてください!
766世界@名無史さん:01/12/30 22:10
>>765
塩野七生の「チェザーレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」をとりあえず読むことをおすす
めします。
ただし、塩野さんの「チェーザレ萌え」にフィルターをかけることと、別な資料で「裏を取る」
事をお忘れなく。
767ウナギ:01/12/30 22:27
>>764
> 中国社会に文革がどのような作用を
> もたらしたかについて簡単に教えてください。

大規模な破壊と混乱をもたらした。
768世界@名無史さん:01/12/30 23:08
>>767
ナイスな要約である事を保証しる!
769世界@名無史さん:01/12/30 23:27
>>767
まあ、質問が「(結果として)どのような作用をもたらしたか」ですから、これ以上は
一言も付け加える必要はないでしょうね。
770世界@名無史さん:01/12/31 00:01
近親婚があった国ってエジプト王家と日本の皇族くらいですか?
イスラムとかはダメなんですか?
771世界@名無史さん:01/12/31 00:30
>>770
どこの国でも、王族の血は濃いよ。
772世界@名無史さん:01/12/31 00:48
>>770
近世のヨーロッパなんて、近親婚だらけじゃないの?
ヴィクトリア女王は、ヨーロッパのほとんどの国王のお祖母ちゃんだったし。

同姓は結婚しない、と言う不文律があったのは、人口いっぱい(藁)の中国くらいじゃ
ないかなあ。それとその子分の朝鮮か。
我が国には、なぜかその「偉大な文化」は定着しなかったね。
773世界@名無史さん:01/12/31 00:57
>>772
いわゆるアルタイ系の遊牧諸民族も同姓不婚。
でも父系さえ違えば母方の従姉妹なんかと結婚するのはザラなうえ
特定の姻族との間で結婚を繰り返す習慣があったので
血そのものはめっちゃくちゃ濃い。
774772:01/12/31 01:02
>>773
へえ。それは知らなかった。情報どうもです。
775770:01/12/31 09:22
叔父と姪の結婚ならどの国でもありそうだけど、
兄妹、姉弟の結婚はどうですか?
同腹じゃだめでも異腹なら良いとか・・・

ていうか兄妹婚て宗教的に禁止されているのですか?
問題がありそうだから自発的にやらないだけなのですか?
776世界@名無史さん:01/12/31 10:12
>775
宗教的な問題って言うか、経験学的上の問題。
近親婚が続くと奇形児などが生まれることを知っていた昔の人たちは、だから「同じ村の中で結婚してはいかん」、「嫁が欲しい男は山の向こうへ行け」、などと言ってた。
777775:01/12/31 11:55
宗教で禁止されていないなら、どうして兄妹婚は
行われなかったのでしょうか?
奇形児の問題とかあるけど、それだけなのかなあ?
エジプトで王族は兄妹で結婚していたと昔から知られていたでしょ。
他の国の王族はなぜそれを真似しなかったのか。
それともエジプトだけが特別なのか。
何もメリットがないからしなかっただけなのかなあ。
778世界@名無史さん:01/12/31 12:14
>>777
何度も言われているように、身体的に欠陥が出てくることがイヤだったものと思われ。
エジプトがどうであろうが、弱い子供なんて要らないよ。
779世界@名無史さん:01/12/31 12:22
エジプトの兄妹婚は、どちらかというと必要に迫られた形式上のもの
じゃないのかなぁ。クレオパトラ7世の場合は姉弟婚だったけど。
それも、特定の王朝に限ったこと何じゃないの?
エジプト王朝って、次から次へと外から入ってきたんだよね。

長い目で見て、王家の人種的というか、生物的な強さが損なわれると
言うことは、長い王朝なら当然経験的に理解しただろうな。
780758:02/01/01 04:26
>>763

>リチャード3世がヨーク派に見捨てられた原因

ちょっと調べたけどはっきりとはわからんす。

1483〜1485年の政治過程は、
1483年春、エドワード4世の死
1483年6月、ウッドビル一族の排斥
1483年夏、リチャードの「簒奪」
1483年秋、バッキンガムの反乱
1485年、ボズワースの戦い
となるわけですが、
各段階における主要な大貴族の動向は、

ウッドビル家→エドワード5世の外戚。「簒奪」後はヘンリー・テューダーに合流。
ヘイスティングス→ウッドビル排斥には協力。「簒奪」には反対し逮捕処刑。
バッキンガム公(スタッフォード家)→ウッドビル排斥、「簒奪」に関与。83年秋に反乱。理由は謎。
スタンリー家→ウッドビル排斥支持、「簒奪」に黙認。バッキンガムの反乱は不支持。ボズワースでは日和見or裏切り。
ノーザンバーランド公(パーシー家)→ウッドビル排斥支持、「簒奪」黙認。バッキンガムの反乱は不支持。ボズワースでは日和見。
ノーフォーク公(ハワード家)→一貫してリチャード支持。ボズワース後にヘンリーに帰順。

で、ボズワースにおけるリチャードの没落は
スタンリー一門とパーシー一門の、(特に戦場における前者の(小早川秀秋的な))
裏切りが影響大とされますが、それぞれの動機としては、
スタンリー家→一門の中心人物トマス・スタンリーが、ヘンリー・テューダーの母の夫。
パーシー家→イングランド北部の雄たる同家は、同じく北部を地盤とするリチャードとの間に利害の衝突があった。
等が挙げられますが、いずれも今ひとつ決定的とは思われません。

上記大貴族以外にも、エドワード4世の家政を担当した中小貴族がボロボロと離脱していくのを見るにつけ、
やはり、明智光秀的な「主殺し」を犯した(?)リチャード3世には最後まで後ろ暗いイメージが付きまとい、
光秀同様、頼りになる味方を得られず、結果、没落にいたったということになるのでしょうか。
いささか陳腐な結論ですが。


>確かに彼はエドワード4世の王子を退けて
>王位につきましたが、そういう例は珍しくないし・・・・

例えば、ランカスター朝開祖のヘンリー4世も似たようなことをやってますが、
最終的には甥のリチャード2世を死に追いやるとは言え、
対仏戦の失敗というリチャードの失政を踏まえて、議会による廃位の手続きを一応踏んでいます。
対して、リチャード3世の場合は、やはり性急に過ぎ、コンセンサスを積み重ねるのを怠ったのではないでしょうか?

付)あと英語サイトですが、ここは面白いです。
http://www.r3.org/
781世界@名無史さん:02/01/01 04:32


永世中立国ってどーゆーもんなの?
テロとかされても気にしないの?
782世界@名無史さん:02/01/01 08:13
>>781
異本的な姿勢は、どこぞのファンタスティックな理想を掲げた国の「非抵抗・
無武装・全方位外交」ではなくて「武装中立」がスタンスでしょう。
国際テロを受ければ近隣諸国と外交交渉をして協力して対抗するでしょうね。
783ベリサリウス:02/01/01 10:25
>>782
それって、ぢぱんぐとか言う国のことだね?
当たり前の突っ込みでスマソ。
784世界@名無史さん:02/01/01 11:00
スイス軍。これ最強。
785世界@名無史さん:02/01/01 11:52
>>784
確かに近世のスイス傭兵は最強と呼ばれましたが、現代のスイス軍は弱兵ではないにしても、
最強ということはないでしょう。ま、2ch的な言葉のアヤとしてであれば「最強」でしょうが。

>>781
スエーデンも永世中立国ですが、国籍不明の潜水艦の領海侵入を爆雷で阻止していますね。
国籍不明といっても、実際にはソ連の潜水艦であることは、皆知っていてのことです。
テロどころか、領海侵犯に対しても厳しい軍事対応をするのがあたりまえです。
786世界@名無史さん:02/01/01 13:26
でも、実際日本では、一個人の家の門に(致死的な)トラップを仕掛けておいて、不法侵入してきた泥棒がひっかかって死んだら逮捕されちゃうよね。
アメリカじゃあ、無断で門に入ってきた礼儀知らずののんきな日本人を殺しても罪にはならないのに。
787世界@名無史さん:02/01/01 13:42
>>786
領海侵犯や領空侵犯の相手に対する警察・軍事行動の範囲と、個人の自衛行動の限界では
法の根拠が異なるから、簡単に比較できない。

それに、比較する国内法を考えるのであれば、警察官職務執行法などを想定したほうがベター。
不審尋問に応えず、逃げ出したら阻止逮捕されるという関係。
だから、領海侵犯、領空侵犯に対しては、警告−威嚇−撃墜・撃沈というパターンが国際的に
は一般的だが、日本の場合は最後の撃墜・撃沈の部分について国内法との整合がうまくいって
いない点があるということ。

あと、公海上での国籍不明の武装船については、海賊の取り締まりというの扱いがあり、これは
慣習的にかなり厳しい対応になる。
788世界@名無史さん:02/01/01 14:20
今宝塚のベルバラ見てるんだけど
アントワネットの子供ってどうなったの?
789世界@名無史さん:02/01/01 15:21
ルイ17世はどこかの穴蔵に閉じこめられて死んだ(らしい)。ただし諸説あり。
娘達は、あっちこっちの王族に嫁いだ。どこだったっけ?
幸福だったかなんてのは、知らん! (w
790ヨシムラ:02/01/01 18:01
ウワァァァーン!
沖縄の海洋遺跡みようと思ったけど、
考古学板がないよう・・・。

しょうがないのでここで聞くニダ!
791世界@名無史さん:02/01/01 18:36
ワーイ海底遺跡ダー
792世界@名無史さん:02/01/01 19:52
>786
>礼儀知らずののんきな日本人

ヘドが出るぞ!
793世界@名無史さん:02/01/02 11:58
他のスレでパットン将軍の死は事故じゃ無くて暗殺で
黒幕はスターリンかアイクだと言ってる人がいたけど
どうなんでしょう?
794世界@名無史さん :02/01/02 13:12
アルマダの海戦ってどんな感じだったの?
795世界@名無史さん:02/01/02 15:16
>>792
なんで?
796世界@名無史さん:02/01/02 23:26
ローマ法王に対する尊称って何て言うんでしたっけ?
皇帝や国王なら「陛下」で大臣なら「閣下」ですが、法皇の場合はどうなんでしょう?
以前、どこかで見た記憶があるのですが、忘れてしまったので、分かるかた
教えてください。
(読みも忘れたので検索すら出来ずにいます。)
797世界@名無史さん:02/01/02 23:29
聖下
798世界@名無史さん:02/01/02 23:31
>>796
「聖下(せいか)」か「猊下(げいか)」だったと思われ。
799世界@名無史さん:02/01/02 23:31
ペリーって何人だっけ??
800世界@名無史さん:02/01/02 23:34
英語には「聖下(Your Holiness)」という専用の言い方がありますが、
通常は「猊下」っつーよ。日本語では。
偉い坊さんの尊称ね。
801796:02/01/02 23:59
>>798>>800
感謝ハムニダ!
やっぱし「げいか」でしたか。
実は、なんとなく「げいか」だったような記憶があったのですが、
どういうわけか私のパソコンでは漢字変換できないので、自信がなかったんです。
802世界@名無史さん:02/01/03 14:52
今日、フィレンツェについての番組を12チャンでやってたのですが、メディチ家の紋章の丸い玉、私はあれはコショウだとばかり思っていたのですけど、検索してみると、どうも丸薬だそうです。コショウを紋章に使ってた家ってなかったでしたっけ?
803世界@名無史さん:02/01/03 15:28
>>802
ぺっぱー警部の家
804世界@名無史さん:02/01/03 16:00
メディチって英語のメディシン(薬)と同系統の言葉だよね。
805世界@名無史さん:02/01/03 22:39
香辛料も一種の薬だった、とどこかで読んだような気が。
806世界@名無史さん:02/01/03 22:51
>>805
それは本当。
つーか、植物は使い方次第で色々薬になる。
807世界@名無史さん:02/01/04 01:03
バナナも昔は薬でした。
だから、病気になると食べられた。
今はマスクメロンが薬。

ネタage
808751:02/01/04 02:18
>>760

王子は殺害されている。死体は見つかってない。犯人はリチャード3世。
・・・などと断定的に言っちゃったんだけど、スマソ。

>>780で紹介されているサイトに行ったんだけど、
http://www.r3.org/bookcase/whodunit.html

こりゃあ、うかつに手出しできる領域じゃないわ。
日本での「本能寺の変の犯人or黒幕は誰か?」と同じく
死ぬほど多くの説が、異常な情熱と共に論じられているようです。
必ずしも、学界レベルで、ということではないけど。ま、そこらへんは信長と同じ。

主要容疑者だけでも、
リチャード3世・ヘンリー7世・マーガレット・ボーフォート(ヘンリー7世の母)
バッキンガム公(リチャードの盟友)・ノーフォーク公(リチャ−ドの盟友)
イーリーの司教モートン(ヘンリーの知恵袋)
サー・ブラッケンベリ(リチャードのパシリ。ロンドン塔の長官)・サー・ケイツビー(リチャードのパシリ)
等々の単独及び複合犯説が百家争鳴状態で、
果ては、二人の王子は殺害されず、トマス・モアに匿われテューダー朝下を生き延びた、という
おそらくは、トンデモな説もあるようです。
(あと、塔からは怪しい人骨が発見されたのも事実のようです。王子たちのものかどうかは不明ですが。)

・・・ま、でも私はやっぱりリチャードが殺ったと思うけど。
809世界@名無史さん:02/01/04 02:23
Major-domo(domo少佐)って、どなたかご存知ない?
ナポレオンの個人的密偵らしいんだけど・・・
810世界@名無史さん:02/01/04 02:34
Majordomoってのはフランク王国の宮宰のことだが、そのシャレ?
近頃はUNIX用のメーリングリスト管理ソフトという方が通りがよい。
811世界@名無史さん:02/01/04 03:05
うわはは。ばれたか
ちなみにミュンヘン会談で活躍する有名な英国の執事Chamberlainさんって
本名なんていうんだろう。

いくら教科書ひっくりかえしても、Richardのファーストネームしかわからず
往生してます
812世界@名無史さん:02/01/07 19:19
ヨーロッパの貴族の、伯爵とか男爵の次男以下の息子は
どうなるの?爵位なしのままですか?
日本の旗本とかの次男は部屋住みとかいわれますよね。
813世界@名無史さん:02/01/07 22:53
すまん、ポツダム宣言って広島へ原爆を落とす予告だったっけ?
それとも長崎に落とす予告だったっけ?
814世界@名無史さん:02/01/07 23:09
>>813
どっちでもありません。
原爆落とす予告なんてしてません。
815世界@名無史さん:02/01/08 16:43
>>814
そうだったのか…Thanx.
816世界@名無史さん:02/01/08 18:51
こばやしよしのりが隋唐は漢民族じゃなかったって書いてましたが
用語集などをみてもその辺があいまいなんですが本当ですか?
817世界@名無史さん:02/01/08 19:19
>>816
「こばやしよしのり」という人が、どのような論拠で主張しているのか知りませんが、
隋は北方民族と北方民族化した漢族が建てた王朝で、唐は非民族主義的な世界
帝国の性格が強い古代国家ですから、「中華」という意識はあったでしょうが、今日
的な意味で「漢民族」という意識は希薄であるか、存在していなかったと思います。

民族というのは、文化や言語に基づく帰属意識をベースに構成される集団ですから
隋も唐も漢民族の国家と呼ぶのはおかしいと言えないことはないでしょう。

今日の漢族=漢民族は、遺伝子的な意味合いでの人種構成でいえば、南方(新)モ
ンゴロイドと中央ないしは北方(新)モンゴロイドという形質の異なる人々で構成されて
います。
混血もありますが、北方と南方では人種的な相違が存在しているということですね。

気をつけていただきたいのは、民族というのは極めて政治的に使われる用語であっ
て、その定義や範囲はかなり恣意的なものです。
世界史と人種や民族は深い関わりがありますが、通常一般的に使われる「民族」は
歴史を無視し、むしろ政治的に使われるていることが多いのです。

つまり、隋唐が漢民族の国家でなかったという主張は、世界史を学ぶ上では意味が
ありますが、今日の中国政府や中国人の歴史的正統性を揶揄するために使われる
のであれば、単なるプロパガンダにすぎないナンセンスであるということを理解してく
ださい。
818世界@名無史さん:02/01/09 14:13
日本の歴史学に軍事史学という分野がないのは何故?
819世界@名無史さん:02/01/12 21:04
>>818
1 日本では対外戦争の歴史そのものが少なかったこと。
2 近世の江戸300年の軍事忌避と平和維持により、軍事史の蓄積がない。
3 近代以降の旧軍がなぜか文系の大学・研究者との連携を避けたこと。
4 第二次大戦終了以降は敗戦の影響で、軍事分野が日陰者になった。

というような事情だろう。

ただ、一番大きな疑問は、なぜ旧軍は戦史や軍事史のアカデミックな研究
というのを嫌ったのだろう。
軍事機密の保持というような発想なのだろうか。
なぜか、大学側も理系・工学系はともかく、文系の軍との連携には積極的で
はなかったようだし。

質問スレの保守をかねてあげ
820世界@名無史さん:02/01/12 21:33
>>819
理系工学系は軍との連携に積極的か... 比較的にしろはずれてはいないだろうと
思うと、なんだかなぁ。
ま、機械工学の学生たるもの、ピストルの分解組立をやって見ろと言われていやがる
ヤツは、少なくとも男子学生の中にはそうはいないだろうな。否定できないね。

ある同級生は、○菱で今○2支援戦闘機の主翼の改良チームに入っていると得意そう
に年賀状に書いてきたっけ。へっ。
ちなみにそいつはクラウゼビッツだかの研究書を出版している筋金入りの軍事史オタ
だしな。
821世界@名無史さん:02/01/12 21:50
>>820
いや、軍学連携が絶対悪という前提条件をはずして戦前の状況を考えると
なぜ旧制大学の文系が旧軍との学術研究の連携に積極的でなかったのか
というのは不思議なことだよ。
学徒動員でも、文系は一律猶予なし、理系・工学系は最後まで温存されて
いたようだし。
実際、戦前の話を聞くと学生レベルでも旧軍への反感は強かったようだ。
これは、戦後のような反戦平和を絶対視する教育を受けてのことではない
から理由がすぐには思いうかばない。
現在のアメリカなどでは、政治・軍事を関連づけた研究は別に珍しいもので
はないと思うが。
というか、この手の話題ですぐに「善悪」を判断基準に持ってくるようだと、近
現代史を語るのは無理だね。
822世界@名無史さん:02/01/12 22:01
>>821
ふうん。そんなものか。
阿川弘之サンあたり、文系のくせに(と言っては失礼!)海軍オタクだけど、少数派
なのかねぇ。
うちの祖父は終戦時20才。でも孫と同じ機械工学の学生だったから徴兵は免れた
とか。そのひそみにならったのか、代々うちは工学系だな。戦争が起こっても生き
残れるはずだと冗談のようなことをうちの親も考えたのだろうか? (w

閑話休題。
ともかく、戦争・軍人即「悪」と決めつける判断基準は、多分戦後にはじめて現れ
たのではないと思っていたが、おなじことを考える人がほかにもいたんだねェ。
日本特有のものなのかはともかくね。
823世界@名無史さん:02/01/12 22:06
阿川さんは海軍のスマートさに引かれたみたいだからね。
軍隊大好きってのとはちょっと違うかも。
824世界@名無史さん:02/01/12 22:42
そう。つまり軍隊オタではなくて海軍オタだということ。
あの方のエッセイも、ちょっとつつけば海軍ネタが出てくる。
つらい時代の中で、ちょうど海軍のいいところだけをのぞき見できたせいだろうけどね。

それはそうと、日本人ってのはやっぱり近代の軍事が理解できない国民なのかな。
その善し悪しはともかくとしてね。
825世界@名無史さん:02/01/13 00:03
新聞に「アメリカがアルカイーダの捕虜をキューバの米軍基地に送る」という
記事が載っていましたが、何でキューバに米軍基地があるのか歴史的な背景を
教えてください。
826世界@名無史さん:02/01/13 11:33
質問です。
日本史板でペリーの白旗論争が白熱していますが、
降伏の意を示すために白旗を掲げるという規則は、
いつから決まったたのでしょうか?
中国のドラマ三国志において、降伏のシーンに
白旗を投げ込んでいたことに?と思ったことがあります。
827世界@名無史さん:02/01/13 11:50
824さんはご存知かと思いますが、まったく阿川弘之を
呼んでいない人のために補足。
阿川弘之は実際、海軍ヲタですが、それなりに海軍を客観的に
語れる人です。念のため。
828世界@名無史さん:02/01/13 11:58
1898年の米西戦争終了後のパリ講和会議で
キューバの保護権がスペインからアメリカに移りました。
以降キューバ革命を経ても現在までガンダナモ米軍基地が残ってます。
829世界@名無史さん:02/01/13 13:04
確か条約で海軍基地を置くことになったが、その条約に「いつまで置
く」(香港の99年みたいに)か「見直しは〇年」がすっぽ抜けていた
という話を聞きましたが。
830世界@名無史さん:02/01/13 15:51
イギリスとイングランドの違いがわからないのですが教えてください。
831世界@名無史さん:02/01/13 15:57
>>828
革命ンときに接収されなかったん?
832世界@名無史さん:02/01/13 16:49
>>831
いわゆる帝国主義国は、租借地などの利権を簡単には手放しません。
革命側も当該国の干渉を恐れて、返還交渉はするでしょうが、武力解放まで
強行しないのが通例でしょう。
中国共産党が香港やマカオについて、英国やポルトガルの極東における軍事
力を見ると、十分に武力解放が可能であったにもかかわらず、条約の租借期
限が終わるまで待ったことを考えてみてください。
キューバのような小国がすぐ近くの大国、アメリカの基地を実力で接収するな
んてのは、軍事介入の口実を与えるだけの無謀な行為ですね。
833世界@名無史さん:02/01/13 16:52
>>832
な〜るほどね。ためになったわ。
834世界@名無史さん:02/01/13 17:00
あそこの議長がなぜアメリカをああも毛嫌いしているかを含め、
いろいろと勉強になりました
835825です:02/01/13 17:55
828さん 829さん どうもありがとうございました。
勉強になりました。
836( ´∀`):02/01/13 19:35
インドの民族運動におけるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の
協力と対立について教えてください。
837真実角 太郎:02/01/13 20:04
スレ建てるほどでもないのでここで質問します。
軍事面もしくは経済面などで西欧は昔からよく同盟を結んだりしてますが
一方西欧以外でもそういう同盟は昔から良くあるのでしょうか。
(2国間でなく数カ国の連合連盟といった意味です)
世界大戦の時の枢軸、連合もしくは冷戦の時のワルシャワ、NATOなど
または経済面でも今のユーロや昔の銀の兌換率の統一など、そういうことって
余り西欧以外では聞かないような気がするのですが。
教えてください。
838世界@名無史さん:02/01/13 21:10
イスラム圏や中国では、実力が一国に集中しすぎていたんだろうね・・・
839世界@名無史さん:02/01/13 21:15
中国における、蘇秦の合従策なんてのはどうだろう?
840世界@名無史さん:02/01/13 21:22
「同盟・連合」の存在は、近代国際システムと表裏の関係なんだろうね、やっぱり。

近代ヨーロッパ国際システムに類似のソレが歴史上他に2例存在した、
と時々国際関係論で言われたりすることがある(←結局は、非歴史的な発想だと思うけど)。
古代ギリシアと春秋戦国時代の中国。
841真実角 太郎:02/01/13 22:10
>838さん 839さん 840さん
有難うございます。
是からまた勉強して、わからないことがあったら教えてください。
842厨房:02/01/14 01:55
モスクワ大公国やキエフ公国の祖先って北欧バイキングだというのは本当なんですか?
すると、スウェーデンやノルウェーとかスカンジナヴィア3国と民族的に血筋はおなじなのですか?

ずーっとトルコ・アジア系がスラブ人いうものだと信じていた
843阿呆学生:02/01/14 02:10
大東亜戦争戦争によりフィリピンなどアジア諸国が白人支配から解放されたなどと言いますが
この当時の日本にとって「大義名分」ともいえる話は開戦時からの日本にとって戦争する目的であったのですか?
それとも敗戦後に後付けで言い出したことなのですが?

もし日本が自国の利益のため以外にもこれを当初からの目的とし戦ったのであればこれは「大東亜」にとって大変素晴らしいことであるのに
なぜ教科書一切にこれを明記せず僕たちはがっこうで習うことが無かったのですか?
これが戦後GHQの陰謀(WGIP?)に見事にはまってるって事?

あと韓国とかからの「戦後賠償責任」などの声は毎日のように聞こえるのに、どうしてそれら日本によって開放への道を歩んだアジア諸国からの日本への賞賛、感謝の声はゼロなのですか?
844世界@名無史さん:02/01/14 02:12
日本史か政治思想板にいってきけば?
たぶん、世界史板よりいろいろ詳しく教えてくれると思いますよ
845阿呆学生:02/01/14 02:18
ありがとう。そうします。
846名無しさん:02/01/14 07:25
1623年のアンボイナ事件でイギリス人以外にも日本人の使用人が殺されたと書いてあったんですが、この日本人達は日本人町を形成していた一味でしょうか?それとも奴隷として連れてこられたのでしょうか?教えて下さい。
847世界@名無史さん:02/01/14 10:36
中世ヨーロッパ史を語るときに
ピレンヌについて賞賛・批判ともによく出てきますが
ボーリンという人のピレンヌ批判について詳しく知っている人いませんか?
848世界@名無史さん:02/01/14 14:31
>843 財閥と結託した軍部は、アジアの解放を表向きの理由にして、
欧米に代って日本がアジアの盟主として事実上の支配者を目指したわけです。
だから、現地人でも日本に比較的愛想の良い人達にはさほど手荒なことは
しなかったけど、日本の侵略に抵抗した中国人と同族の華僑(中国から
東南アジアに出稼ぎした人達)に対しては、従順でないので妊婦の腹を裂いて
殺したとか、赤ん坊を鍋で煮て殺したとか、放り投げて銃剣で突き刺した、
という記事がシンガポールなどの教科書に載っているわけですよ。
現地の人達も、日本の戦法を参考に独立戦争に成功した点では日本の役割はゼロ
だとは思っていないだろうけれど、所詮、白人に代ろうとしたバナナ(皮は黄色人の
黄色だけれど中身は白い)としか思っていない。戦後の無償・有償の経済援助も、
しょせん賠償金の代りと思えば大して有り難いものではないでしょ。
戦時中、一般の日本人兵士は、アジアの開放・聖戦と信じこまされて戦っているわけだから、
当然のことながら戦没者の遺族は(靖国神社を参拝する人々)は、自分の身内が
「侵略戦争の加害者で、犬死した」などとは絶対に認められないわけです。
この辺の複雑な国民感情に付けこんで、「新しい日本の歴史を作る会」とそれを
支持するタカ派の右翼議員どもが(自分らは絶対に前線に送られる心配がない階級
だから安心している。)都合よく過去の歴史を塗り替えようとしているわけです。
849世界@名無史さん:02/01/14 14:36
>846 山田長政の日本町のような、商人達が経済活動をするために
居住区を作ったのとは、多少違うけれど、関が原の負け組み(浪人たち)
が日本国内の追求を避けて国外逃亡をして、東南アジアで浮浪してたんですね。
アンボイナ事件では、これらの浪人が傭兵として使用されています。
850世界@名無史さん:02/01/14 15:14
>842 スラブ人というのは、ゲルマン人の東に住んでいた民族で、ゲルマン
人の遠い親戚ですね。ゲルマン・ノルマンの金髪に比べ、ニンジン色の髪ですね。
スウェーデンから移動したノルマン人は、ルス族(ルーシーすなわちロシアの
語源)といい、族長リューリック(ルーリック)に率いられてノブゴロド公国
を作った。だけど、90パーセント以上のスラブ人に同化してしまったから、
民族としての特質は消えてしまって、ロシアはスラブ人の国になります。
だけど、ロマノフ朝の大貴族はすべてルス族の男と現地のスラブの娘との
子孫なわけです。
851世界@名無史さん:02/01/14 16:07
>>842
850とかぶります(スマソ)が、レスさせてもらいます。
モスクワ大公国成立までのロシア史を大まかに言うと、

6世紀頃まで 遊牧民族の時代。
6世紀    スラブ人の定住始まる。
9世紀後半  第二次ゲルマン民族大移動によりノルマン人のルス族(これがヴァイキング)が
       進入、モスクワ周辺にノブゴロド国、キエフ周辺にキエフ公国を立てる。
       その後、ノルマン人は次第に土着のスラブ人と同化する。
1243年  モンゴル軍の進入。キプチャク・ハン国を立てる。
1502年  (スラブ民族の)モスクワ大公国、キプチャク・ハン国を滅ぼす。

ということなので、
キエフ公国  :明らかに北欧ヴァイキングの一派、
モスクワ大公国:スラブ民族であり、祖先がヴァイキングとは言いがたい、
という所でしょうか。
(もちろんノルマン人の土着化を考えれば祖先が北欧ヴァイキングと言えなくもないですが。)

ちなみにスラブ人は印欧語族であり、黒海北西岸を故地とするようですので、
アジア系ではありません。
852842:02/01/15 02:41
>850&851氏
丁寧にありがとうございます。なるほど、ルス族いうのがスラブ民族に呑みこまれたわけですね。
いや、たまたまトルコ-露西亜の対立史読んでいたら、そのような記述があったので厨房たるわが身としては
世界史板の方々に尋ねてみなければと思ったわけです。
ご教示ありがとうございます
853世界@名無史さん:02/01/18 06:15
すでにスレがあるのかもしれませんが…。
各国の原書の文献を入手する際、みなさんおすすめの書店
(実店舗・ネット)をおしえてください。
マイナーな国・分野だとAmazonでも足りないと思うので。
854世界@名無史さん:02/01/18 09:13
>当然のことながら戦没者の遺族は(靖国神社を参拝する人々)は、自分の身内が
>「侵略戦争の加害者で、犬死した」などとは絶対に認められないわけです。

そんなもんどこの国でも認められないっつうの。
855名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/18 09:47
>>843
>大東亜戦争戦争によりフィリピンなどアジア諸国が白人支配から解放されたなどと言いますが
>この当時の日本にとって「大義名分」ともいえる話は開戦時からの日本にとって戦争する目的であったのです
>か?
>それとも敗戦後に後付けで言い出したことなのですが?

開戦時から、これは戦争目的として掲げられていました。図書館などで当時の
新聞報道などを調べてみればわかると思います。もちろん、単に「大義名分」に
過ぎなかった、という批判はあります。

>あと韓国とかからの「戦後賠償責任」などの声は毎日のように聞こえるのに、どうしてそれら日本によって開放へ
>の道を歩んだアジア諸国からの日本への賞賛、感謝の声はゼロなのですか?

ゼロということはないようです。日本人自身はあまりそういうことを
強調して国内向けには報道しないですが、マレーシア・インドネシア・ビルマ
などの独立運動に関係した人達は(リップサービス的な側面もあるでしょうが)
日本の寄与をかなり評価する発言をしています。これらの国々では非中国人が指導者
層であって、戦時中に日本軍により弾圧された華僑が政治的な指導層にいないという
点が共通していますが、このあたりに、日本の評価を巡る背後に、複雑な政治的な力
関係の問題が潜んでいることが見て取れるでしょう。
国ごとに異なる事情を反映して、評価もまたそれぞれ千差万別であるといったところ
でしょう。
856世界@名無史さん:02/01/18 10:04
>あと韓国とかからの「戦後賠償責任」などの声は毎日のように聞こえる

韓国政府は「賠償問題は解決済み」の立場です。
とはいえ韓国には4千万人の人間がいますから中にはトンデモな人間もいます。
ただそれだけのことに過ぎません。
857世界@名無史さん:02/01/18 21:55
諸葛亮の北伐の理由がどうしてもわかりません
858世界@名無史さん:02/01/19 07:48
>857
犯なら犯らねば
859世界@名無史さん:02/01/21 02:27
>>853
借りるんじゃ駄目なの?
860世界@名無史さん:02/01/22 00:45
中国の貴族制度の誕生と発展について書かなければならないのですが、何が要点なのかが良く解かりません。
ご存知の方が居られましたらお願いします。
861世界@名無史さん:02/01/22 21:17
>>857
ええと、おおざっぱに言うと、蜀を攻略した時の取引条件によるという説がある。
劉備が蜀を攻略できたのは、決して人徳などと言う物ではなかった。
豪族の集合体の上に単に乗っているだけ、という蜀政権の中で、芯に座るにはあまりに
無能な国王に飽きた豪族たちが、外の新しい血による活性化(と自分の利益)を求めて
この出自もわからぬ新参者を受け入れたのだ。
となると、新参の国王のすべきことは、その豪族たちに対し新しい利益を与えるか、ある
いは、新しい利益の可能性を示すしかなかった。

軍人としては無能すれすれだったが、政治家としては超一流だった諸葛亮は、自分の
拠って立つ政権の元点をわきまえていたから、北伐をして見せるしか政権を維持する
方法がなかった。

ま、これはかなり極端な説だけど、参考にはなるかな。
862かきつばた:02/01/22 21:39
新スレ立てました。テキトーなところで移住してください。 

「世界史なんでも質問コーナー2」
  http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1011702958/l50
863世界@名無史さん:02/01/22 22:09
いや、早いだろ。950をすぎたあたりで立てれば十分。
864世界@名無史さん:02/01/23 08:10
>>863
まあ、鯖の容量がどーたらと言われると、知識がない漏れとしてはスナオに聞いておくしか
ないのかなとおもうんだけど?
865世界@名無史さん:02/01/23 23:36
>>860

中国史は全然素人ですが、
例えば、中公文庫の宮崎市定の著作、
「科挙」「九品官人法の研究」「隋の煬帝」等の総説的部分を読めば良いのでは?

*漢代の豪族による土地の兼併
*九品官人法
*六朝貴族社会の成立
*隋唐の関ロウ集団の成立
*科挙による貴族社会の変質と衰退

というような流れになると思うんだけど・・・
866:02/01/25 00:13
大航海時代についておうかがいします。
赤道を越えて南半球に到達するとそれまで見えていた北極星とかが
見えなくなると思うんですが、そうなると緯度、経度とかが六分儀で測れなく
なるんではないでしょうか?
「ばかな!北極星が消えるなんて!」とかいって
すげーパニックになったりしなかったんでしょうか?
気になって夜もねむれません。
867世界@名無史さん:02/01/25 00:32
>>861
季漢・蜀が四川豪族のいいなり政権だったというのはどうでしょう?
政権の中枢の半分近くは荊州系の人物だし、
法整備もしっかりと整えられていた訳なので、
豪族のご機嫌取りだけの北伐とは考えにくいのでは?
後に晋を経て蜀に流入したテイ族李氏の政権は
それこそ完全に豪族連合の上に乗っかかった政権でしたが
この王朝はほとんど外征をしていません。
基本的に蜀の豪族ってヒッキー体質だったと思いますよ。
って>>857の答えには全然なってないな・・・
868861:02/01/25 01:21
一つの説ですよ。あるいは考え方。安納さんの本だったかな?
ぼくがこの説を面白いと思うのは、こう考えると諸葛亮がなぜもともと戦争オタ
ではなかった蜀の軍を率いて南征や北伐を繰り返さざるを得なかったかについて、
わりと納得できる説明になると思ったから。
前にも書いたけれど、諸葛亮は武将あるいは軍師としてはものの役にたたないし、
あれだけ頭のいい人だから、自分の能力もわきまえていたはず。
にもかかわらず、なぜ、という問いに答えるためには、納得できる説が必要。

>>866
ふっふ。
経度はどっちみち精密時計がなければ測れないのだよ、明智くん。残念だったね。

それと緯度に関してですが、船乗りはまず南中した太陽で天測します。
よほどのことにならないと、北極星などの星は使いません。
理由は、水平線と天体との角度を測定するのが天測の目的ですから、夜ですと水平線
が非常に見にくいから。いくら星明かりがあっても、全く照明もない夜の海で水平線
を見極めるのは、難しいんですよ。

ほんでもって、おまけ。大航海時代は「四分儀」を使うのが普通。「六分儀」は、か
なり後の発明品です。
869世界@名無史さん:02/01/25 01:29
あ、アノウときたか・・・
870世界@名無史さん:02/01/25 01:38
>>868
能力を弁えて自分を軍略を
楽毅になぞらえてたのか?
871世界@名無史さん:02/01/25 02:43
中世(近世?)フランスのマリー・アントワネットの発言に
「パンが無いならケーキを食べなさい」
と、いう有名なものがありますが、これは本当に彼女が発言したんでしょうか?

872868へ:02/01/25 18:23
わーい。今夜からは安眠だ!
873世界@名無史さん:02/01/25 21:07
朝鮮史を学べる大学といえば天理ですか?
874世界@名無史さん:02/01/27 18:08
第一次大戦後ドイツでインフレが起きた理由を教えて下さい。
875世界@名無史さん:02/01/27 18:28
英国の謎
素朴な疑問なんですけど麻薬を売りつけて逆切れしたり(アヘン戦争)
植民地を得るためにわざと敵対心をあおったり(インド、パキスタン)
かなりあくどいことをあいてるのに紳士の国というイメージをもってしまってる
のはなぜでしょう。悪の帝国とかいわれてもおかしくないのに。謎です。
なんででしょうね。
876世界@名無史さん:02/01/27 19:02
やっぱり世界で一番えらい人は日本の天皇陛下なんでしょうか。
ホンマのラストエッヘンラーと聞きますが?
877世界@名無史さん:02/01/27 19:21
>>874
ドイツが米国に金融依存をしていて、かつ周辺各国に貿易依存していたから、米国資本が本国恐慌でドイツから資本を
引き上げたときにドイツ通貨暴落が起こって貿易立国のドイツにインフレが起こっている。
878世界@名無史さん:02/01/27 19:22
857です。
858さんや861さん867さんどうもありがとうございます。
北伐の理由は小説を読んでも解説を読んでも
あまり書いてなかったので気になっていたんです。
蜀漢の政治体制もわかって一石二鳥でした(・∀・)
879世界@名無史さん:02/01/27 22:41
>>876
前半はあっていますが、後半は間違っています。
880874:02/01/28 00:34
>>877
ありがとうございます。
881スレをよく見よう!:02/01/28 13:19
>862 :かきつばた :02/01/22 21:39
新スレ立てました。テキトーなところで移住してください。 

「世界史なんでも質問コーナー2」
  http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1011702958/l50
882世界@名無史さん:02/01/28 19:40
ジョージ・ワシントンについていろいろと解説をしたりしているHPなんかないですか?
>>882

>862 :かきつばた :02/01/22 21:39
>新スレ立てました。テキトーなところで移住してください。 

>「世界史なんでも質問コーナー2」
  http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1011702958/l50

かきつばた さん、スマンね。
884世界@名無史さん:02/01/28 21:07
なんだそりゃ?
頃合をみて勝手に移るだろ?
900も超えてないのにやかましい。
885世界@名無史さん:02/01/28 21:47
世界史板にもこんな奴がいるんだねえ >>884
886 :02/01/29 06:25
 
887世界@名無史さん:02/01/29 13:21
 >900も超えてないのにやかましい。
2ちゃんねるのシステムをよくご存じないのね。

一つのスレが1000スレまたは512kバイトを超えると、表示できなくなります。
別板だけど、長文レスの応酬があったスレッドで、450レスほどしかないのに、
容量オーバーの警告がでているスレをみたことがあります。

800レスこえたら、そろそろ引っ越し時、ということです。
888世界@名無史さん:02/01/29 17:15
容量オーバーの警告でてないじゃん?
超えられるなら900超えてから新スレ立てたほうが
板の負担が少ないとおもうのだが、違うのか?
889理系:02/01/30 01:59
はじめまして理系です。
仲良くなりまりましょう。

↓来てね。
「ものすごい勢いで理系と文系が仲良くするスレ 」@理系全般板
http://ebi.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1012193761/
890世界@名無史さん:02/01/30 02:07
普通、950ぐらいまで引っ張るぞ。いや別にいいんだけどさ。
891世界@名無史さん:02/01/30 19:02
>>889
「理系は日本語が使えない。」って叩かれるだけだぞ。
なんだよ、「なりまり」って。

旧スレなんだからsageで。
892世界@名無史さん:02/02/04 00:48
893世界@名無史さん:02/02/09 18:52
せっかく容量表示がでたんでage
950超えるまで消費しない?
894@名無しさん:02/02/09 20:58
フランス革命の前日、7月13日のパリはどんな
様子だったのでしょう?
895世界一の名無しさん:02/02/09 21:23
>>894
 かっこいい! 女連隊長がいました。
 戦争中にプローポーズするのです。
 関係ないけど、アニメ中の彼女は、銀英のラインハルトに栗ソツです。





 すれみたけど、ヨーロッパの30年戦争の話題はないのかな?
896shiban:02/02/09 23:59
 はじめまして。shibanと申します。
 最近、世界史に関するものかどうか微妙な疑問が生じ、このスレで質問させて頂きたいと思い、メールさせて頂きました。
 その疑問というのは、「中世における常備軍の数的限界は、国の総人口の3%である」という説があると聞きましたが、それは誰が唱えた説なのか、又、その信憑性は如何なるものか、というものです。
 一応自力でも図書館で本を漁ったりして調べましたが、残念ながら答えは出ませんでした。
 何方かこの件に関して詳しい方が居られれば、お手数とは存じますが、是非ご教授ください。
897世界@名無史さん:02/02/10 00:25
>>896
中世における常備軍とは、何を指すのでしょうか。
ヨーロッバの中世においては、常備軍は存在しないと考えるのが一般的なの
ですが。
戦時には、封建領主である騎士を王や諸侯が招集し、騎士と数人の従者を単
位として軍を編成し、これに傭兵を加え、場合によっては近隣の農民が集めら
れるという形が一般的だったはずです。

また、日本の中世に相当する平安時代などでは、国家の常備軍は存在せず、
私兵としての武士がいただけです。
鎌倉時代の武士の場合は、やはり小規模な封建領主が騎馬武者となり、従者
とともに従軍するという形態ですね。

それと、常備軍というか遠征可能な兵力は人口の1%と考えられていると思い
ますが、3%では多すぎませんか?
ちなみに、近世において1%という説であれば、司馬遼太郎氏が著作の中で、
万石につき100人という兵力を示していたと思います。
米の想定収穫量である石高と、それが養える人口はほぼ拮抗しますので、万
石につき、兵100人というのは、人口の1%に相当します。

ただ、地元での戦闘であったり、戦時の最大動員ということであれば、その3倍
程度は可能と思いますが。
898世界@名無史さん:02/02/10 01:25
>>896
「3%」の出典の方は知りませんが、
897氏と同様の印象で、ちょっと大きすぎる気がしますね。

軍事史家のD.Chandlerによると
16〜18世紀の初期近代において、社会に重要な影響を及ぼさずにすむ
平均的な常備軍の規模は人口の1%以内だ
ということなんですね。
(当時の軍事大国フランスで、1%前後。ナポレオン戦争期でも1.7%。
 かなり無理をしたと見なされているプロイセンで、7年戦争期に2.7%、ナポレオン戦争期に4%。)

もっともこれは生産力による制約ですが、もう一つ、政府の財政能力による制約があり、
請負制度の発達し、(半常備軍と言い得るようなシステムが成立した)後期中世と言えども
租税制度・公債制度の未成熟な状況では、上記初期近代の数字を下回ることはかなり確実ではないでしょうか。
899shiban:02/02/10 01:30
>>897

「中世」という言葉のあいまいさをそのままにした質問に真面目に答えて頂き有難う御座いました。
何かの雑誌で散見しただけの知識だったため、出典は定かではありませんが、そこで例として取り上げられていたのはフリードリヒ大王のプロイセンでした.
総人口500万人で常備軍15万人、それでいて黒字財政だったと書いてありました.
その著者はその辺りの時代を「中世」呼んでいたのかもしれません。
900世界@名無史さん:02/02/10 01:35
61=62=63=64
(笑)
901世界@名無史さん:02/02/10 03:43
>>900
なにげに900だな(藁
902世界@名無史さん:02/02/10 07:01
よそのスレで無視されちゃったんでこっちにも書き込んで見ます。
アユタヤ文明時代のヒンドゥ教と仏教の歴史について、カンボジアの歴史に
ついて、判りやすい本とか知ってる人、居たら是非教えてもらえませんか。
903世界@名無史さん:02/02/11 02:06
ハインリヒ4世が破門を解かれたあと、
グレゴリウス7世を追放しましたが、

なぜ、このとき教皇の権威は失墜しなかったのですか。
904世界@名無史さん:02/02/11 05:05
ほんとにくだらなくてすみません
・どうしてスイスは永世中立国になろうとしたのか
・石油王ロックフェラーは一体どのような人と結婚したのか
の二つがこの前から気になって仕方がありません

スイスはこうすることでしか、大国に囲まれた自国の領土を守ることができないとおもったのでしょうか?
歴史に関しては、高校世界史B程度しか習ったことが無いので、お恥ずかしいですがどなたか教えてください。
905ぎるがめ斎藤:02/02/11 05:52
メソポタミアの神話、「ギルガメシュ叙事詩」の第12書板は、どう考えても蛇足だと思うのですが、どうして付け足されたんですか?教えてください。
906世界@名無史さん:02/02/11 13:55
age
907世界@名無史さん:02/02/11 14:06
続けざまにきましたね(w
混乱してしまったので私は逃げます。どなたか、後をよろしくお願いします。
908世界@名無史さん:02/02/11 14:12
>>903
権威は失墜しましたよ。でも、迫害されることは、宗教者として致命的な傷では
ありません。グレゴリス7世の頃は、教皇が国王と対等に争っているというだけ
で凄いと思われる時代でした。

それと、教皇の権威なるものの性質を考えてみる必要があります。教会は、ヨーロ
ッパ全土に支部をはりめぐらせた唯一の組織です。情報力抜群、知識力も抜群。士
気も高い。だから外交能力も抜群です。

国内がばらばらなき、事情にうとい中小勢力は誰についていいのか迷ってしまいます。
そういうときに教会が旗を振ると「こっちだ」とみんなが思うのです。

ところが、国内がまとまっているときには、実力を持っていない教会は何もできま
せん。相手を納得させるだけの材料がないと、いくら高い外交能力があっても使い
ようがありませんので。

ハインリヒの屈辱も逆襲も、国内の分裂のありなしで決まったことです。
909908:02/02/11 14:19
脱字あり。ごめん。
910世界@名無史さん:02/02/11 15:30
>>904
お考えのように、スイスの永世中立政策は、スイスが山岳地帯とはいえ、
ヨーロッバの要衝にあるため、戦乱のたびに大国に侵入された経験から、
独立維持のために中立をを選択したという、地政学的な側面もあるので
すが、もっと直接的な理由があります。

スイスはもともと地味が低く、経済的に貧しかったため、出稼ぎに出る人
が多かったのですが、特に傭兵として国外に出るケースが多かったとい
う歴史を持っています。
スイスの傭兵は兵士として優秀であり、高い評価を得ていたのですが、
逆に、各国に雇われることで、スイス人傭兵同士が戦場で戦うという場面
が増えてしまい、これを避けるために「永世中立」を選択したということで
す。

現在でも、歴史的経緯から、バチカンの衛兵だけはスイス人の傭兵です
が、その他の国への傭兵派遣は永世中立の国是から禁止されています。

つまり、戦争が苦手な平和な人々だったから永世中立なのではなく、あま
りに兵士として優秀だったから、ということなんですね。
911世界@名無しさん:02/02/11 16:20

中国の北にある国々が好きでたまらないので、その地方についてご指導お願い致します。

吐蕃、柔然の読み方と滅びた年代を教えて下さい。
912世界@名無史さん:02/02/11 16:56
>>911
「吐蕃」=「とばん」
「柔然」=「じゅうぜん」

ただし中国語(あるいは騎馬民族の言語)での読み方はわかりません。
この辺の歴史については、
 『遊牧民から見た世界史』(97年、日本経済新聞社 杉山正明 著)
という名著があります。
913世界@名無史さん:02/02/11 21:56
>>910
ありがとうございます。大変興味深いお話でした。
スイス=傭兵というイメージが全く無かったので、驚きました。
バチカンの衛兵だけは許されているという事もおもしろいことですね。
歴史は奥深い・・・。是非とも勉強し直したいです。
914世界@名無史さん:02/02/11 23:54
>>911
吐蕃は北じゃないかとまあ、それは置いといて。
柔然の滅亡は6世紀の半ば、新興の突厥に滅ぼされました。
吐蕃はどうも「チベット」の地名の音訳だったらしく
9世紀にソンツェンガンポ王の王朝が衰えた(絶えた?)のちも
吐蕃って呼ばれているみたいですね。
だいたい11世紀ごろから13世紀にモンゴルに服属するまで、
チベット各地に仏教の教団と氏族が結びついた地方権力が乱立していたようです。

山川の「中央ユーラシア史」やその旧版「北アジア史」などが
中国の周辺地域を扱う手ごろな通史ですから、
まず図書館で探して読んでみると良いでしょう。
915ttt:02/02/12 00:26
2つ質問します。

1.18世紀ヨーロッパ絶対主義のころイギリスがフランスに対して優位を占めた要因
2.プロイセンとロシアとを比較して、類似している点

お願いします。
916世界@名無しさん:02/02/12 11:21
>>914
ありがとうございました。
図書館で探してみます。
917世界@名無史さん:02/02/12 22:15
このスレがどこにいったか誰かご存知ありませんか?

なんかオリエントって惹かれない?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1003165003/

過去ログ倉庫にもありませんでした。
問い合わせても見つかる可能性はほとんどありません。
とか表示されるんですが。
918世界@名無史さん:02/02/12 22:21
>>917
上のスレは100件以上書き込みもあり、
その内容も削除されるようなものではなかったのですが。
スレ違いならすみません。
919世界@名無史さん:02/02/13 01:33
昨夜コロンボみてて思ったんですが、
コロンボ警部って何系ですかね?
ギリシア系かヒスパニック系のようにも見えるのですが。
もちろんピーター=フォークではなく、
役柄としてのコロンボ警部の民族系統です。

コロンボの犯人って、たいがい金髪碧眼のWASPですよね。
犯人はいつも、初対面のコロンボを少しバカにした目つきで見る。
それはヨレヨレのコートやモジャモジャの頭だけでなく、
彼のエスニックさもあってのことじゃないか、と。

そのコロンボが「知性」だけでエリートWASPたちを
追いつめてしまうのだから、こんな痛快な話はないよなあ、と。

よーく見てみると、コロンボの部下たちにも
ヒスパニックっぽい連中が目立つんだなあ。
まあ、いかにもロス市警だからね。
920 :02/02/13 01:38
張学良を探しているんですけど
921世界@名無史さん:02/02/13 01:49
>>919
イタリア系です。おっしゃるとおり、白人では下の方の
イタリア系の刑事がWASPを知性でやりこめるところが、
このシリーズの肝です。
922世界@名無史さん:02/02/13 01:49
>>917-918
世界史板から、先日過去ログが大量に消滅した。
おそらく、そのスレッドもその消滅スレの中にはいっていたのではないかと。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1012236768/71-105
923世界@名無史さん:02/02/13 01:54
924世界@名無史さん:02/02/24 22:45
シュメール文明、特に当時の建築技術や天文知識等を
解説している「まともな」本やHPが無いでしょうか?

「宇宙人はほんとにいるんですか?」
http://cheese.2ch.net/test/read.cgi/life/1007476778/

生物板や天文、気象板に出没するevと名乗るトンデモが、「古代文明は宇宙人が伝えた」と
「人類を含む地球の生物も宇宙人が作った」と言う主張のために、エジプト等のピラミッドを
持ち出しており、そのたびに周囲の人間から徹底的に反論されては逃げ出して別スレを
建てる、と言う事を繰り返していました。

ところが、最近になって流石に多少学習したのか、今度はシュメール文明を持ち出して
きました。(上記スレ>>183 >>184、名前を変えていますが間違いないと思います。)

当方、考古学には疎いもので、これらの主張を検討するための知識を持ちません。
ネット上で検索してみましたが、シュメールのおおまかな歴史をあつかった物は
あるものの、残りは太田 竜(有名なユダヤ陰謀史観のトンデモ)関連か、宇宙人ネタ
ばかりでした。(苦笑)

電波なんぞ放っておけばいいと思われるでしょうが、うっかりこういうのを信じる人も
後を絶たないようなので、あえて細かく反論するべきと考えています。

そういうわけなので、参考になる資料をご存じの方、上記スレ>>183 >>184に具体的に
反論してくださる方を探しております。

長文失礼しました。
925世界@名無史さん:02/02/24 22:47
蛇足ですが、evが暴れていた関連スレッドはこちらです。

進化はどのように起こるの?
http://cheese.2ch.net/test/read.cgi/life/1011073041/

生命現象と宇宙との関係
http://cheese.2ch.net/life/kako/1008/10081/1008130471.html

進化論VS創造論
http://cheese.2ch.net/test/read.cgi/life/979740642/

NASAは何故月に人を送らなくなった?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/sky/968912045/

天文学はオカルトと混同されている!?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/sky/1011374123/

926 ◆DQNt/hOk :02/02/24 22:51
>>924
下のスレはみた?
シュメールは世界最古の文明か?!!
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/min/1012495172/
927世界@名無史さん:02/02/25 19:57
見ました。そのスレから検索語を再検討した結果、新たな検索結果がいくつか
引っかかりました。

とりあえず、該当の1000トンの石材の写真と寸法、学者が運搬に延べ4万人の労力が
必要と試算してたことまでは解りましたが・・・・

一体どういった方法でこんな物を運搬していたんでしょう?
928世界@名無史さん:02/03/02 05:23
中国の宮廷とかで
**殿とか**宮とかありますが、それらはどう違うのでしょうか?
929指昭博先生の信者:02/03/02 17:40
下記政治思想板で訊いたのですが誰も答えてくれません。
世界史板の博識に期待を込めて再度お訊ねします。

呉智英著『サルの正義』双葉社刊に収録されている「強姦魔を洋酒の広告に使うな」。
これに登場するオールド・パーことトーマス・パーの話を外人パブのホステスによく話すのですが、誰一人として信じてくれません。
オールド・パーのびんに書いてある生年と没年を指差して“ほら、没年から生年を引くと152歳だろ”と言ってきかせてもなお絶対に信じてくれません。
自分もいまだに信じられない気分です。
1483年生まれ、100歳を超えて結婚、102歳の時に強姦罪で逮捕され18年監獄で暮らし、152歳という驚異的長寿を全うして1635年に没。
本当なのでしょうか?
どなたか出典をご存知のかた教えて下さいませんか?

930世界@名無史さん:02/03/02 22:58
>>929
直接この話には関係ないんだけど
キース・トーマス「歴史と文学」(みすず書房)所収のエッセイに、
近代初期までの、人々の数字に関する感覚がいかに適当でいい加減だったか、
をテーマにしたものがあるよ。
年齢に関してもまた同じ。

そういう時代固有のいい加減さ+彼自身のはったり+事実としてのかなりの長寿+絶倫
がこの話を生んだと思われ。

仮に60ぐらいで同世代の者がほとんど死んでいる状況で40サバを読んだとすれば、
60で結婚、62で強姦、112で死亡だから、
驚異的だがありえない話ではないのでは。
931世界@名無史さん
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