>>187 ジンジャーの出現、これに違いないんじゃ・・?
11月11日、あるいは、1月11日、でしょう?
202 :
アマノウヅメ:01/10/05 11:49
>>200 グエル公園のタイルはお皿などを割って使ったのは本当ですが、不要品とは限らず
新しく焼かせたものが多いそうです。
なぜタイルとして焼かなかったかというと、表現の面白さとイスラム建築の伝統に
モザイクの手法に従ったためでしょう。
現在でもイスラムの建物のモザイクは、板状に焼かれたタイルを割ったり削ったりして
用いています。
203 :
世界@名無史さん:01/10/05 19:12
>198 貴重な情報、ありがとうございます。
手に入りそうもありませんが、国立国会図書館であたってみます。
>202
レスありがとうございます。レポートの参考にさせて頂きます。
205 :
世界@名無史さん:01/10/05 20:42
>>199 これのことかな?
ニューディール連合
1932年の大統領選挙を契機として誕生した,WASPの労働者,中産階級,
北部の黒人,中小の農民と民主党の連合関係のこと。ローズヴェルト連合と
もよぶ。1960年代に,民主党が黒人差別撤廃政策を進めて南部白人の離反
を招くまで,この連合関係は継続した。
真面目な質問ですから笑わないで下さい。
江戸時代の大名の‘藩’はモンゴルの‘ハン’から来てるのでしょうか?
………………。
208 :
アマノウヅメ:01/10/06 00:15
>>206 YPさん
領地、囲いにあたる言葉を漢語で探したら「藩」という語が出てきたのだと思いますが。
江戸初期は藩と言う語は一般的でなかったようです。
武士も名乗るのに、たとえば水戸藩ではなく「徳川中納言家来」とか「水戸中納言家中」
とか言うのが普通です。
ええと、マジレスしときますが。
藩は「藩屏」、つまり屋敷などの囲いを意味する漢字で、
転じて帝室・君主を護衛する塀垣という意味で
諸侯や貴族、あるいはその領土を指します。
>>208 アマノウヅメさん
レスありがとうございます。
日本史側の質問になってしまいますが、では、いつ頃から‘藩’という呼称を使用するようになったので
しょうか?
>>209 レスありがとうございます。 漢字の意味は自分で辞書見ても解りました。
>転じて帝室・君主を護衛する塀垣という意味で
>諸侯や貴族、あるいはその領土を指します。
これが、読み方が同じの“ハン(汗)”から流れ流れて来たと考えてもおかしく無いと思ったのです。
意味の捉えも、あながちおかと違いでも無いでしょ?
>>207 ボクはアホな質問してるとは思ってないゾ。 全然恥ずかしくなんかないもんねぇ。
>意味の捉えも、あながちおかと違いでも無いでしょ?
………………。
>>211は私じゃないよ、一応念のため。
モンゴルの「ハン」は語のもともとの意味はよくわかりません。
発音は今も"han"じゃなくて"qan"だか"khan"だかだそうですが、
古くはカタカナで表記すると「カン」に近い音だったらしいですよ。
「汗(かん)」って当て字から推測できるでしょう。
大きい漢和辞典なら中国での発音が載ってると思うけど、
「藩(はん)」とは違うんじゃないかな?
手元に漢和辞典がないので違うかもしれませんけど。
つまり、意味も漢字の音も全然関係ないのではないかと思います。
>日本史側の質問になってしまいますが、
>では、いつ頃から‘藩’という呼称を使用するようになったのでしょうか?
江戸時代の終りのころから、古代中国の封建体制の「藩屏」になぞらえて
「藩」と言う言い方がでてきたようです。
おそらく、漢文的な気取った(?)言い方だったんではないでしょうか。
大名領の正式な呼称として採用されたのは明治時代の初め、
旧天領(幕府直轄領)が「県」に再編されたのに対応して
各大名領の行政区分名称となったのが最初であるようです。
まもなく廃藩置県が行われて各藩も県に置き換えられたのは周知の通り。
正式な呼称としては意外に寿命が短いようですね。
>>212 >モンゴルの「ハン」は語のもともとの意味はよくわかりません。
‘ハン’はテムジン出現以前のモンゴル民族の各部族の首長クラスに付いた呼称だそうで、
テムジンがチンギスと成り、始めは‘チンギス・ハン’だったが、チンギス生存の内に
‘チンギス・ハーン’と伸ばして皇帝の呼称として呼ぶようになったみたいです。
(理由は、伸ばした方がかっこいいからとからくらいの理由だと思います)
あとは、モンゴル帝国瓦解、列強諸ハーン国の分裂等で部族?クラスに分散した国々は
‘ハン国’と短く呼ぶみたいです。
‘ハン’‘ハーン’の使われ方は西にいく程に意味合が変わってきますよね。
西洋人にカーンと付く名前が多いのは周知の事ですが、モンゴル国では‘ハーンは皇帝を意
味するので名前には使われない。
現在モンゴル国では存続する元貴族の家系を指すのが‘ハン’。
このように、現代も本家ではこういった使い分けはある。(・・そうです)。
殆どソースはモンゴル人から。
ですから、貴族などの領土を指す‘藩’の大元が‘ハン’でもおかしくないんじゃないか?
と思ったんです。 日本史板より世界史板の質問でしょ?
辞書も調べてから質問したんだから! 勿論、考え過ぎかな?とも思いますよ。
‘カン’か‘ハン’かの違いは・・・
あんまりこだわると粘着ドキュソ呼ばわりされてしまうので・・ レスありがとう。
また、間違ってたら御指摘お願いします。 ジャッ!!
行きがかり上さらにマジレス。
母音を延ばすか延ばさないかについては
杉山正明センセイの著作をお読みになりましたか?
杉山さんによると、オゴデイ・ハーンの時代から
モンゴル帝国の最高君主に限って「カン」が「カアン」に変ったそうです。
以後、代々の元の皇帝はカアンを使い続けました。
いっぽう分封諸ハン国の君主は「カン」のままだったそうです。
この「カン」はもともとは柔然・突厥の君主号「可汗(カガン)」で、
長い間に訛って「カン」になっていたものを
オゴデイ政権がモンゴル帝国の最高君主の専称として「カアン」を採用したのだとか。
これが現代モンゴル語ではさらに訛って
一般の領主を「ハン」、最高君主を「ハーン」と呼ぶのでしょう。
なお、西方ではペルシア語で「ハン」を"Khaan"と長母音に写して書いたので、
全ての遊牧君主を区別せず「ハーン」と呼ぶようです。
>貴族などの領土を指す‘藩’の大元が‘ハン’でもおかしくないんじゃないか?と思ったんです。
考え過ぎです。(笑)
「藩」が貴族などの領土を指す用例は中国のかなり古いものです。
(調べてないけど)たぶん柔然より前からあるでしょう。
だから間違いなく無関係だと思います。
>この「カン」はもともとは柔然・突厥の君主号「可汗(カガン)」で、
>長い間に訛って「カン」になっていたものをオゴデイ政権がモンゴル帝
>国の最高君主の専称として「カアン」を採用したのだとか。
大方知ってるんじゃんかい! イジワルな人だなぁ。
その説だと“フン”説は違うみたいですね。 (なんかモンゴル板の話題になってきた)
杉山正明氏の本は今読んでます、文章的には金岡秀朗氏の方がやさしくて好き。
金岡氏の本からボクのモンゴル熱が急激に高まりました。
といっても、ボクはまだモンゴル史にハマって3ヶ月そこそこのペーペーだけどね。(笑
どうもありがとうございました。
「藩」はやはり支那の古典から由来しています。
「藩」字の原義についてはアマノウヅメさんが書かれたように「かこい」といった
意味で、「易」の「大壯」に「羝羊藩に觸る」孔穎達の疏に「藩は藩籬也」とあり、
羊がまがきに角を引っ掛けて身動きできない状態を隠喩にした文です。「荘子」の
「大宗師」には「吾は其の藩に遊ばんことを願ふ」向秀の注に「崖也」とあって、
範囲を限定する場合に使われている字というわけです。
この原義から「人は石垣、人は城」みたいに転用されるようになりました。「詩」
「大雅」の「板」に「价人は維れ藩、大師は維れ垣、大邦は維れ屏、大宗は維れ翰、
懐徳は維れ寧、宗子は維れ城」とあり、漢の毛亨は「价は善也、垣は牆也、翰は干
(たて)也」としていますが、「价」については漢の鄭玄は「价は甲(よろい)也、
甲を被る人にして卿士の軍事を掌る者なり」としています。また「大師」は三公で
「大邦」は諸侯と解されていますが、「大宗」は王の身内とも嫡子とも王自身とも
解釈が分かれています。「懐徳」は王の徳で「宗子」は王の嫡子です。この部分の
文句全体が皇室を扶翼する所以のシステムに言及しているわけです。
新井白石の「藩翰譜」という著述の題名もここから取ったもので、翰つまり王者を
守る武家諸侯の伝記という意味を寓しています。王者とは勿論のこと徳川家です。
また醍醐天皇が立太子の前に「維城」から「敦仁」に改名した事情も、「維城」は
皇子としてはともかく将来の天子に相応しくないという配慮からでしょう。
また「周禮」の「職方氏」には天子の直轄地の外縁に同心円的に展開する属領を、
グラデーショナルな9段階の外地「九服」として設定していますが、その最外縁を
「藩服」とし蛮夷の居住地としています。
「藩」が統一王朝に封建された諸侯王の領地に用いられたのは、「漢書」の「諸侯
王表」に「藩國の大なる者は州を跨ぎ郡を兼ね、城を連ねること数十」とあるのが
早い用例でしょう。唐の「藩鎮」は安史の乱から内地に列置された節度使・観察使が
軍事・民政・財務などの権限を掌握し、朝廷に対して独立政権のように振舞ったため
絶大の存在感を示し、支那の歴史で「藩」といえば藩鎮が意識されるようになりま
した。ただ通常は「藩」は一般名詞として例えば封地に赴くこと(江戸時代の用語の
「入部」)を「藩に之(ゆ)く」などと使われていました。「藩」が「某藩」のように
固有名詞的に使われたのは明代と清初だけです。明の太祖は皇子24人を諸地に封じ
天子の藩屏とし、漢初の諸王のように裂土分民の実こそ与えなかったものの強力な
軍事力を付し、前代のような知行の地租に寄食させるだけでなく就封させたので、
地方では相当の勢力を保持していました。その結果燕王棣(永楽帝)や寧王宸濠など
反乱を起こす者も現れましたが、南明の諸政権のように諸王を名目的な中核とする
抵抗勢力の結集に機能しました。この時期においては諸王の封地を「某藩」という
名称で表示するのが一般的で、「寧藩」とか「魯藩」などの呼称が用いられてます。
明が滅亡と清の統一の過程において大功のあった明の旧将は華南の重地にそのまま
割拠し、遂には清朝に対し連合して反旗を翻すに至りました。いわゆる「三藩の乱」
ですが中心人物の呉三桂は「平西王」に封じられ雲南で、耿仲明・繼茂・精忠の父子
三代は「靖南王」に封じられ福建で、尚可喜は「平南王」に封じられて子の之信と
廣東で、それぞれ軍事と財務の重権を握って台湾の鄭氏ともども独立状態を呈して
いました。彼らの政権も「西藩」「靖藩」などと呼ばれていました。鄭氏の台湾は
明の「東寧藩」です。清代になると宗室の諸王には封地はなく封号も国名を冠せず
単に嘉字を用いるに止めました。「鄭親王」の「鄭」も「鄭重」の意味で古國名を
襲ったものではありません。従って「某藩」という名号も発生しませんでした。
清代で「藩」というと「外藩」である朝鮮や琉球などの「屬國」を指します。これ
は「周禮」の「藩服」の含義に対応するものと言えます。
日本の江戸時代における「藩」も明代の封建領地を意識した名称でしょう。しかし
アマノウヅメさんが指摘されているように一般に使用されたものではなく、学者の
著述や書簡などに見られる程度です。これもウヅメさん御指摘のように武家の場合
「浅野内匠頭家中」とか「赤井御門守(これは落語の中で加賀の殿様のことを暗示
したものらしい)家来」とか呼称し、庶民の場合は「佐倉領百姓」などと表記した
もののようです。「幕府」なども日常語において使われることはなく「公儀」とか
「大公儀」(オオコウギと読んでください、大河ドラマでダイコウギと読んでたのは
余りの無知です)または「公邊」などと言っていたようです。
「藩」が一般化したのは幕末でしょう。この時期になると全国的に士人間の交流が
活発となり、文章語の「藩」も日常の口話に出現する頻度も多くなったものと想像
されます。幕末から明治にかけての知識人の間では漢語が好まれる傾向があったと
いう点も考えるべきでしょう。
219 :
世界@名無史さん:01/10/06 18:52
中国の清朝末期の売春宿について知りたいのですが。
そのシステム、どんな階級の人が利用していたのか、
源氏名みたいなものがあったのか、など。
212さん御指摘のように「藩」が正式に制度用語として認知されたのは
「藩知事」(知藩事が正しかったかも)が置かれてからでしょう。
但し「藩」の名称が完全に消滅したのは廃藩置県においてではなく、明治
十二年の「琉球処分」によってです。
221 :
世界@名無史さん:01/10/06 19:13
ヌルハチもホンタイジも帝位は‘ハン’なんでしょ?
清末売春事情についてはそのうち書きます、暫く待ってね。
>222
はい待ちます。よろしくお願いします。
224 :
世界@名無史さん:01/10/06 20:22
グラハムハンコックの「神々の指紋」の中で扱っているような
有史?以前の話って、どこの板で議論されているのでしょうか?
この世界史板では見かけられないようですが?・・・
(ここでスレ立ててもいいのかな?)
>224
ここでいいんじゃないですか?
それともオカルト板か?
226 :
( ´D`)ノ:01/10/06 20:47
>224
超古代文明についてならばオカルト板で、
神話に関してならば民俗・神話学板で、
ただ単純に先史時代についてならば、
ここ世界史板でお取り扱いしてるのれすよ。
うぼァッ! か、かぶったのれす・・・。
今週2度目なのれす・・・。
>>215のYPさん
>大方知ってるんじゃんかい! イジワルな人だなぁ
私はハンのもとになった可汗の語源は知らない、と言ったつもりだったのですが、
イジワルだと思われたならすんませんです。
>あやめさん
そろそろ出てこられるんじゃないかと思ってました。(笑)
そうですね、「琉球藩」のことは失念していました。
詳しいご説明、ありがとうございます。
>>221 後金国君主の称号は(満州人の君主としての意味での)ハンですね。
ヌルハチは「ゲンギエン・ハン」だったかな。
よく聞く話ですが、ホンタイジ以降の清朝皇帝も
満州人やモンゴル人に向ってはハンとして君臨したそうです。
229 :
世界@名無史さん:01/10/07 02:44
スイスといえばなんですかね。傭兵、銀行、中立、くらいしか知らないので、教えてください。
230 :
世界@名無史さん:01/10/07 02:58
231 :
世界@名無史さん:01/10/07 03:17
232 :
世界@名無史さん:01/10/07 03:27
スイスといったら、アルプス、ウィンタースポーツ、時計、アーミーナイフ、
ウィリアム・テル、アンリ・デュナン
233 :
世界@名無史さん:01/10/07 09:08
第二次世界大戦後に枢軸国側はかなり強姦とかされたって聞きますけど、人数的に
はどれくらいだったんでしょう?
具体的な数字とかがあるんだったら教えてください。
「ルイコフ」ってどういう人だっけ? だれか教えて。
235 :
世界@名無史さん:01/10/08 00:11
エピクテトスの提要(Enchiridion)は
ギリシア語でかかれているのですか?それともラテン語ですか?
ぜひ読んでみたいのですが。
236 :
世界@名無史さん:01/10/08 00:36
>>235 たしかギリシア語だったと思うがの。
わしゃギリシア語できんから、これ以上言うのもなんだが、
Loeb Library(英語との対訳叢書)に入ってるはず。
あと「世界の名著」にも入ってるよ。
237 :
世界@名無史さん:01/10/08 00:47
質問です。エラスムスの産んだ蛇の卵をルターが孵した
っていうので、論述を書け!!という問題は、
どう書いたらいいんでしょうか??
あるミッション系の大学の問題なんですけど
238 :
世界@名無史さん:01/10/08 00:58
早稲田に行くには今からどの問題集をやればいいですか?
>>239 早稲田に行くには地下鉄東西線の早稲田駅下車がいいな。
でも、もうこの時間の電車はないからタクシーとかしかないか。
早稲田に行くだけなら問題集はいらないよ。
山田君。座布団で窒息死させなさい
242 :
世界@名無史さん:01/10/08 02:59
ピラミッドの形は何を意味してるの
244 :
世界@名無史さん:01/10/08 03:36
四角錐でしょ。
245 :
世界@名無史さん :01/10/08 15:23
西欧諸国の言語的相違(ゲルマンとイタリック)はどのように生まれたのでしょうか?
ローマ植民者@俗ラテン語=イタリック諸語話者をゲルマン諸語話者が支配下
に置いたという構図は同じはずですが。
246 :
世界@名無史さん:01/10/08 19:25
「第一次世界大戦」は、「第二次世界大戦」が始まるまでは
何て呼ばれていたのか教えて。
>>246 答えは「第二次世界大戦」です。
歴史上の「第一次世界大戦」は第二次ポエニ戦争だから。
248 :
世界@名無史さん:01/10/08 20:14
アメリカの大学の教養課程でアメリカ史を取っているんですが、
日本語でも読んでみたいと思うんですが、おすすめの本がありましたら
教えていただけませんか?
ちなみに、大体1800年代から1970年代くらいまでをやっています。
「アメリカの歴史を知るための60章」にしようかなと思うんですが、
アカデミックではないのかな。
249 :
ネコが好き:01/10/08 21:58
わたしも素人なんですが、とっても興味があります。
文庫クセジュに「俗ラテン語」という本が、わたしの
基本文献(?)です。これ(P121)によると、
「ローマ帝国の終わりごろ話されていた言葉は、
西暦紀元のはじめの数世紀のラテン語と、いくつかの特徴の上で
相違していたにせよ、まだ本質的にラテン語であった・・・」らしい。
一方、「7世紀末乃至8世紀初頭の言葉はもはやラテン語には属さず、
新しい型の、しかも属州ごとに異なった言語状態であった。」とあります。
つまり、メロビング朝時代(448-751)に分化したようです。
ただし、ラテン語→俗ラテン語→各ロマンス語というより、
ラテン語→各方言(祖仏語、祖西語、祖伊語etc)→各ロマンス語
(つまり、各属州の土着語との合体)
のようです。俗ラテン語は単なる概念のようです。
以上は中流以下の人々で、上流、宗教関係者は立派なラテン語の教育を受けて
いたようです。(ゲルマン系含)ラテン語=国際語は 17Cに仏語に取って
代わられるまで約1000年続く。
文字を横書きにする場合、ヘブライ語やアラビア語、かつての日本など
左から右に書く場合が結構ありますよね。
右利きが支配的で筆書きの場合、当然左から書いたほうが
有利だと思うのですが、あるいは「文字を彫る」文化だと
右からの方が有利だったりしたんでしょうか?
「右から書く文字、左から書く文字」の歴史
どなたか詳しい方はいらっしゃいませんか?
251 :
世界@名無史さん:01/10/08 22:43
え〜と、トロツキーの孫でユダヤ教原理主義者って名前なんだっけ?
なんでインノケンティウス3世って、イノセント3世ともいうの?
そもそもこの2人って同一人物?
253 :
世界@名無史さん:01/10/08 23:17
ジョン・ブラウンってテロリスト?
254 :
ムシャラフ:01/10/08 23:43
なぜパキスタン軍部はタリバンを育てたのでしょうか?
パシュトゥーン人つながりということはわかりますが。
もっと穏健的な組織を支援してもよかったのでは。
それともパキスタン軍部でも原理主義は強い支持が
あるのでしょうか。
255 :
世界@名無史さん。:01/10/08 23:48
古代ローマ帝国においての「見世物」
剣闘士たちの戦いについて、映画「グラディエーター」
の感想でもいいので、何か思うところを書いてください。
何故、市民たちは目の前で繰り広げられる戦いに熱くなったのか。
あんなにも人が目の前で死んでいくのを楽しめたのか。
256 :
世界@名無史さん:01/10/08 23:52
>>252 ラテン語(前者)と英語(後者)。
英語だとCはカ行とサ行と二通り読むけど、
ラテン語だとカ行(そういう言い方でいいのか…)でしか読まないからね。
257 :
世界@名無史さん:01/10/09 00:19
>>264 「世界大戦」あるいはヨーロッパ方面に関しては「欧州大戦」
>>257 そーいや、うちの高校に
「先の欧州大戦に用いられた化学兵器」
なる、帝国陸軍の毒ガスサンプルがあったよ。
259 :
229です:01/10/09 07:13
レスどうもありがとうございました。アーミーナイフと、ありますが、メーカーがあるってことでしょうか。
260 :
ハングル版に逝けとは言わないで♥ :01/10/09 11:25
竹島は日本の領土なのですか?
あとハングル版で見つけたたけど
朝鮮総督府が日本名を強制してないというのも本当なの?
朝鮮人の土地を奪ったりしてないというのは本当なの?
あと慰安婦の問題とか教えていただけたら幸いです。
261 :
世界@名無史さん:01/10/09 11:29
ハングル板に逝け
262 :
世界@名無史さん:01/10/09 20:53
>>255 もはや、人の(他人の)生き死にという生命の根源に関わるような事にしか快楽を見出せないほどに堕落していたから。
ローマの男は、もはや女性には勃たず、少年剣闘士に興奮するばかりだったという。
女性達にしても惰弱なローマ男性に愛想がつき、異民族の奴隷やゲルマン傭兵を道具にしていたとか。
新約聖書の最終巻、「ヨハネの啓示」にその腐敗が神への敵対として書かれたのもむべなかるかな。
パキスタン政府はアフガニスタンに安定した政権の樹立を目指していた
のではないだろうか?我々北部同盟は結局のところ、内部崩壊してしまっているし。
パシュトゥーン人の穏健派は力がなかったのであろう。
264 :
朝鮮総督府総督:01/10/09 21:41
竹島は大日本帝国の固有の領土である。がそれまでそれほ意識
をしていなかったのできちんと解決せねばなるまい。
>朝鮮総督府が日本名を強制してないというのも本当なの?
強制しておる!だれだ我が総督府の政策を無視しているものは?
>朝鮮人の土地を奪ったりしてないというのは本当なの?
奪ったのではない所有者を明確にしたのだ!!ただし、わが国が植民地
にする前ははっきりと記されていなかったから、総督府が善良な日本人に
土地を登記させたのだ。
>あと慰安婦の問題とか教えていただけたら幸いです。
もちろん徴用している。ただし、帝国政府及び総督府が直接関わったという
資料は出てこないであろう。
>>215 私はハンはフンから来た号ではないかと思うのですが。
268 :
世界@名無史さん:01/10/10 14:45
何でナチスは有色人種の日本と同名を結んだんですか?
269 :
世界@名無史さん:01/10/10 14:46
>268
○同盟
×同名
>>267 フン(Hun)からハン(Khan、Qan)だとすると
HからKhないしQに変ったわけで、ちょっと考えにくいでしょう。
逆ならありえるんだけど。
だいいちハンはもともとカガン(Qaghan)だったはずですから、
なおのことフンとは違います。
272 :
世界@名無史さん:01/10/10 18:19
テオドシウス一世の後にローマ帝国が東西分裂をして、西ローマ帝国ってオドアケルにやられちゃうじゃないですか。
でも何で西ローマの教皇って無事なんですか?
中国の歴史書で正史の簡単な制作年代順をおしえてください。
魏志倭人伝のほうが後漢書より以前に制作されたのは知ってるんですが、
それ以降にも王朝と史書の制作年代順が違うってのはあるんですか?
えっと、中国史初心者でスマソ。
275 :
世界@名無史さん:01/10/10 22:35
こんばんは
皆様方有識者の見地から、知の肥になるような
すばらしい著作物はないでしょうか。
よろしければ紹介してください。
また、ISBNもあわせて教えていただければ幸いです。
西ローマ崩壊から、近代以前までを希望します。
幅が非常に広いのですが、好みにかかわらず
幅広い知識を身に付けたい所以です。
どうかよろしくお願いします。
276 :
歴史とはなにか:01/10/10 22:49
カーの歴史とは何かをとりあえず読んでみては?
学問としての歴史的見方を教えてくれます。
277 :
世界@名無史さん:01/10/10 22:54
こんばんは
この本に興味があるならば読んでみてはいかがでしょうか?
著者のことは大変もうし訳ありませんが知りません。
でも、いきなり専門書を買って読むよりも、歴史とは何ぞや
を知ったほうが良いかと思います。
カーの本は岩波で1000円も出せば買えますし・・・。
あと、AERAムックで歴史学を学ぶってのがあります。
それらをよんで歴史を学ぶことからはじめたいかがかと。
専門書はそれはそれで面白いですけどね。
279 :
世界@名無史さん:01/10/10 23:55
ゲオルグ・オストロゴルスキー。
実はビザンツ史はよく知らんけど、
そんなオレでも名前だけは知っている大学者やね。
戦前から50年代ぐらいにかけて活躍し、
なんでもプロノイア制について一時代を画す研究をしたとか。
それだけじゃ、もちろんないだろうけど。
こっからは私的な感想。
16000円。オレ的には高いな。
立ち読みして、訳・注・解説の出来具合を見て、
図書館で借りて一度通読して、それでもよければ、
古本屋で買う。
280 :
世界@名無史さん:01/10/10 23:57
281 :
板違いかもしれませんが:01/10/11 00:27
今話題のアフガニスタンやパキスタンこの地域には○○タンとの名がありますがこの「タン」にはどんな意味があるのでしょうか?
○○タン“はあはあ”ではないことはわかります。
282 :
世界@名無史さん:01/10/11 00:34
>>281 ○○タンじゃなくて、○○スタンじゃないかな。
それとも、ハアハアのネタを振るためにわざと言っているのか?
283 :
別スレでがいしゅつだけど:01/10/11 00:39
>>281 -estanないし-istanで「〜のくに」という意味のペルシア語です。
アフガニスタン=アフガン人の国
ウズベキスタン=ウズベク人の国
タジキスタン=タジク人の国
パキスタン=清浄(pak)な国
ダゲスタン=山(dag)の国
など。
284 :
世界@名無史さん:01/10/11 00:45
〜スターンはペルシア語で「〜がたくさんある(いる)ところ」
と言う意味。
アフガニスタンは「アフガン人がたくさんいるところ」
ちなみにパキスタンは独立するときに、ペルシア語のパーク「清浄な」
と言う単語で作った造語で「清らかなところ」てな感じ
かぶった。
混乱を起こさないように自分のレスに突っ込んどくけど、
>>284の「〜がたくさんあるところ」のほうが意味としては正しいはずです。
286 :
281です:01/10/11 00:51
皆さん教えて下さって有難うございました。
>>282さん。ネタ振りの為に書いたのではなくて、この質問をすると荒らす人がいるので
事前に書いておきました。
>>271 匈奴はKhun―Nuといった発音だったのでは。ムガルみたいに箔付けに名乗ったのではないかと
考えております。
コスタリカの民主化の父ホセ・フィゲレスとは?
289 :
世界@名無史さん:01/10/11 16:45
コルシカやサヴォイア、ニースも合併しようとムッソリーニは思わなかったのでしょうか?
290 :
世界@名無史さん:01/10/11 18:56
鮮卑の言語がトルコ系って本当?
漢字で「歴史」と書けば同一の意味になると単純に思いますが、
日本と中国では歴史の定義が違うように思うのですが。どうでしょうか?
日本人は歴史の真実があり、いろんな資料や調査から真実に一歩でも近づきたい。
と思い多くの歴史の考察が生まれ批判に堪えた解釈が生き残っていきます。
しかし中国では時の為政者が過去の歴史まで決定し、人民は新たな解釈は許されない。
と思いますが。この歴史の意味合いの違いはどう思われますか?
292 :
世界@名無史さん:01/10/11 21:30
WWI後のドイツのインフレが何故ああも短期間かつスムーズに
正常に移行できたのか、教えてください。
293 :
世界@名無史さん:01/10/11 21:44
五胡十六国時代に、今でいう山西省付近に住み着いた
南匈奴の一部族「ケツ」についてですが、
彼らの王は「石勒」といいます。語感がテュルクを意味する
当て字「鉄勒」に近いものを感じるのですが(人種系統は
コーカソイドとして)彼らの言語系統はトルコ系でしょうか。
また南匈奴19部族の部族名を教えてください。
>>287 手元の本には「匈奴」は Houen-yu、Hien-yu、Hien-yunをへてHiong-nouと発音された、とあります。
Khunであった可能性は低いと思いますが。
(もちろん、匈奴とフンの名の関係そのものがよくわかっていないのはご存知ですよね。)
梵阿弥さんは匈奴→フン→ハンという流れを考えているようですが、
匈奴→フンはともかく、ハンとフンあるいは匈奴の関係は考えにくいと私は思います。
あと、ムガル朝はティムール朝の子孫ですから
(箔付ではなく)モンゴルの後裔です。
ムガル帝国下ではハーンの称号は将軍に乱発されたようですね。
>>291 トルコ系説は昔からあるけどよくわかりませんね。
>>293 「石」は姓では?
ですが、「石」にしろ「勒」にしろなんらかの当て字と関係あった可能性はあると思います。
言語系統についてはなんとも言いがたいでしょう。
匈奴の言葉もよくわからないし、
結局トルコ系の言語を話していた確実に言えそうなのは高車あたりからです。
295 :
調べてます。:01/10/12 00:15
アムネスティ条項について調べているのですが、
その成立事情についての資料がみつかりません。
どなかた、本か何かご存じの方いませんか?
>>294 207=271 さん
ボクに絡んだのが薮蛇となってまいましたね。(笑
いや、冗談はそれとして。 以降、読まさせて頂いてますよ。
他スレでも色々御教授願いたいもので、是非とも貴方のコテハン使用を希望します。
エジプトは、現在ほぼイスラム教の国だと思うのですが、
イスラム教徒は自国の古代文明や遺跡に関しては、
どのような認識でいるのでしょうか?
エジプト人として誇りに思うのか、イスラム以前のただの遺物として
無視してるのか、少し気になりました。
298 :
世界@名無史さん:01/10/12 02:10
>>297 これ、エジプト人留学生に聞いたことある。
「オレたちはアラブだ。」というような感じで
あまり、自国・自民族等々の意識はないみたいでいた。
日本人にはピンとこないけど、
アメリカ先住民の遺跡に対する、白人系アメリカ人の意識に似てるのか?
あと、「イスラム」のアイデンティティはあるんだけど、
モロッコからインドネシアまでの全部は入らないみたいだったよ。
「イラン」や「トルコ」は「なんか違う」という感じで。
とにかく「我々はアラブ」という話でした。
まあ、サンプルが極少なんですが。
299 :
世界@名無史さん:01/10/12 02:28
>>298 故サダト大統領がミイラの国外持ち出しだったか展示だったかを
「我々の先祖の遺骸が好奇の目に晒されるのは忍びない」って
禁止させたって聞いたことがある。
アラブ・ナショナリズムとは別に
エジプト・ナショナリズムみたいなものもあるにはあるはず。
>>294 有難うございます。箔付けとして他の種族が号を借りたのなら音が変わってもおかしくは無い
と思っていたのですが、他に証拠も無いし音韻変化についても存じないので「違うらしい」
と納得しておきます。…匈奴の漢(前趙)が洛陽を落とした時に居合わせたソグド人が
Xwnと記したのは何故なんでしょうね。