トルコ人や、トルコ文化の影響を強く受けた地域、テュルク諸語圏の歴史、文化について語るスレです。
主な対象国・地域
トルコ、ブルガリア、マケドニア、キプロス、シベリア、東トルキスタン、西トルキスタン諸国等
2 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 14:21:11.13 0
水の名前で立てない方が良かったんじゃ?
3 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 14:25:48.37 0
ブルガリア人って、トルコの血がかなり濃いよね。
>>2 申し訳ない、俺も立ててから気がついた。
んで、早速教えて君ですまんが
トルコ系の遊牧民族とか詳しい研究者で日本でも有名な中国人っているの?
せっかくだから何か読んでみたい。
7 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 17:47:38.14 O
白人?
8 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 18:29:21.40 0
トルコ人とシベリアの民族とで会話が通じると読んだことがある。
ソースはマッキンダー。
9 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 18:43:46.90 0
ヨーロッパではエフタルのことを「白いフン族」、テュルク(突厥)のことを「赤いフン族」と呼んでいました。
ちなみにこの白、赤というのは肌の色ではなく、方角(白は西、赤は南)をあらわすそうです。
結局 あのハザールとかって言う自称ユダヤ人は元トルコ人なの?
君主になるときの儀式が突厥のものと同じとか、そんな話があったんだっけ。
13 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 21:33:11.54 0
104 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/10/14(金) 21:44:41 0
テュルク系は「宗教的に寛容だ」とか良く聞く話だが、まあ大体はその通りなのだが、
要は「宗教的な違いにはさほどうるさく無い」であって、逆に「政治的な違い」には「かなりうるさい」と言える。
つまり遊牧集団の常として政治的に対立している勢力に対しては
宗派が同じだろうと違っていようと略奪を目的として戦争をよく仕掛けた。
ガズナ朝の度重なるインド遠征にしても、サファヴィー朝の
キジルバシにしても外部勢力に対する略奪や戦闘の大義を
得たいがために「ジハード」を持ち出すのであって、彼ら自身が
イスラムの教義なりをどれほど本気で信奉していたかは、本人たちに
聞いてみないことには分からない。聞けたとしても飲酒の問題など
色々考えると、結構そこら辺はやはりいい加減な気がする。
キジルバシにしても、一応サイイドの一族でサファヴィー教団の教主で
あるサファヴィー朝の君主にはことあるごとに反抗して纏まりが無かった。
105 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/10/14(金) 21:45:34 0
言語についてだが、
アゼルバイジャンは、共和国もイランの方の州もセルジューク朝や
イルハン朝前後からトルコマン系の勢力が大量に移入したために
今でも住民の大半の母語はアゼリー。ホラーサーンの都市部や村落部
以外はトルコマン系が多数派になった。
もちろんアゼルバイジャンの両地域ともペルシア語も普通に介せるようだ。
イランのアルボルズ山系南麓は都市住民はもちろん言語はペルシア語だが、
郊外の平原部の遊牧民や宮廷(王族やアミールたち)ではテュルク語の世界で、
サファヴィー朝の君主たちも当然ペルシア語を介せたが、普段の会話は
テュルク語だったらしい。
ロシア人のシベリア方面の人口流出によって
相対的にヤクートやトゥヴァの割合が増えてるってな
>>1 ソグディアナをトルキスタンと呼ぶな ボケ!
それは、キルギスとカザフの民からの呼称である。
ソグディアナは、言葉はチュルク系になってしまったが、
もともとはオアシスの定住民ソクドだった誇りがあり
トルキスタンと呼ばれることには抵抗がある。
ブハラやホラズムは、20世紀までタジク系の言語が公用語だったし
カシュガルやホータンでは、エイヌ語というソグドとチュルクの混合語が今でもある。
こういう地域に、トゥーラニズムめいた主張は拒絶反応。
もともとキルギスには、ブハラのようなタジク系の人達が南部にいて
いまでも北のチュルク系遊牧ルーツ民と融和できていない。
16 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 22:06:09.16 0
17 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 22:11:18.41 0
>>6 トルコ民族全般については、
坂本勉『トルコ民族の世界史』(慶應義塾大学出版会、2006年)、
廣瀬徹也『テュルク族の世界―シベリアからイスタンブールまで(ユーラシア・ブックレット114)』(東洋書店、2007年)
を読むといい。
事典類としては、
小松久男他編『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社、2005年)、
川端香男里他監修『新版ロシアを知る事典』(平凡社、2004年)、
大塚和夫他編『岩波イスラーム事典』(岩波書店、2002年)、
日本イスラム協会監修『新イスラム事典』(平凡社、2002年)
を参照。
>>5 ブルガリア人のルーツの一つブルガール人は、突厥の言葉を話していた。
>>11 元つうかハザールを名乗ってた間はテュルク系言語を使うテュルク系民族では
当時テュルク系の先祖とされたトガルマの子孫と称していたし
んで可汗を含む相当部分がユダヤ教徒になったようで
>>15 確かに…。
旧ソ連領中央アジア5か国はトルコ系の言葉とペルシア語系の言葉
どちらも使われているしね。
そもそも東では「東トルキスタン」の独立運動があるけど
西では「トルキスタン」と自称する人たちはいないんじゃ。
東にしても、「新疆ウイグル自治区」という地名があるし
「トルキスタン」という言葉はあまりポピュラーに使われていないかも。
で、カシュガルやホータンは普通はウイグル語が使われてるけど
「エイヌ語」って何?
23 :
世界@名無史さん:2012/03/13(火) 10:18:27.40 0
>>10 こういうスレって、直アドレス知らないと見れないの?
24 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/13(火) 10:24:36.11 0
>>1 ロシアやウクライナの南部、アゼルバイジャンなんかも対象地域にすべきかな。
これらの地域もそれなりにトルコ人が多く住んでるからね。
後はイランもトルコ系であるアゼルバイジャン人が結構いるから含むべきかも知れない。
>>5>>18 ブルガール人というと今のブルガリアばかりが有名だけど、
ヴォルガ川のほうにもブルガール人はいて、こっちのほうがスラヴ人の影響がない分、
よりトルコ的要素を多く残してたと思う。ヴォルガ・ブルガールはモンゴル帝国の侵攻で滅び、
現在チュヴァシ人が彼らの後継だと言われてるけどこれにはかつてちょっとした論争もあった。
>>11 突厥から分かれた遊牧集団というのが主流な見方じゃないの。
君主は可汗の称号を使ってたし、
>>19も言うようにトルコ系の子孫を称してたみたいだからね。
>>15 あそこら辺はペルシャ系のタジク人とトルコ系のウズベク人の対立が今でもあるしね。
簡単にトルコ人だけの地域と断言するのは危険だね。
>>22 エイヌ語は
>>15も言ってるようにトルコ語とペルシャ語の2つの様子が混ざった言語だよ。
おおもとはトルコ語らしいけどペルシャ語(ていうかソグド語)の語彙を多く含んでるらしい。
イメージとしてはオスマン語みたいなものかな。まぁ、地域が全然違うけど。
25 :
世界@名無史さん:2012/03/13(火) 12:25:15.30 0
26 :
世界@名無史さん:2012/03/13(火) 12:42:37.87 0
811 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/11/01(火) 19:48:15.29 0
ヤクートは言語そのものはトルコ系だよ
まぁただ北上するにしたがって現地のツングース(とモンゴルとユカギールもか)
を有る程度取り込んでいった可能性はかなり有るはずだけど
あとヤクートの伝説にも自分達は元々はもっと南に住んでた民族だったみたいな言い伝えも有る
第二次突厥帝国の碑文では、馬がyundと呼ばれている
しかしテュルク諸語では馬はatで、yundと呼ぶのはウラル語族のサモエード諸語らしい
28 :
世界@名無史さん:2012/03/13(火) 18:54:46.42 0
139 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/04/12(水) 20:36:34 0
ttp://lemonodaso.exblog.jp/2007744 ドイツ元首相ヘルムート・シュミット氏へインタビュー
2005年5月8日のギリシャ新聞カスィメリニ紙より
私はEUのやり方に満足をしていない。このままで行くと失敗は免れない。
フランスのジスカールデスタン元大統領もまったく同じ考えである。
EUにトルコが加盟した場合、トルコ人は大挙してヨーロッパにやってくる
だろう。特にドイツにやってくる。トルコはヨーロッパの文化を壊す。
過去にドイツに来てドイツ国籍となったポルトガル人、スペイン人、ギリシャ人
はドイツ国民として動く。ところがトルコから東の人々たちはドイツに来て、
ゲットーや敵意(反独主義)を作る。そこから問題が起こる。最初に来たの
トルコ人たちは1950年代から1960年代にやってきた人々でドイツ人社会に
なじむことができた。2番目に来たはトルコ人は違う。彼らは妻をトルコの
東から連れて来て、イスラムとしてドイツに残りスカーフをしている。それが
もしも中国人だったならずっとましである。
キプロス…この問題はヨーロッパ人とアメリカ人の頭の中からすっかり
消えている。分かっているのは歴史家、ジャーナリスト、政治家の中に
だけ存在しているのである。私はキプロスの北から南まで歩いてみた。
結論から言えばここはふたつに分けておくしかない。なぜならば、私が
北キプロスに行ったときに、土地や家を奪ったトルコ人たちがそこに
住んでいた。ギリシャ人はそこにはいなかった。そして南キプロスに
行ったときに、そこにはギリシャ人が住んでいて、トルコ人も住んでいた。
私はこのキプロスで分かったのはトルコ民族の持つ民族浄化思想の深さ
である。だからトルコがEU加盟することに反対する。もし加盟がなった
場合EUは必ず壊れてしまうのである。
↑カナーリ人種偏見の強い意見に思えるけどな。そもそも最初にキプロスで
攻撃を仕掛けたのはギリシア人の側だったと記憶しているが。
(エオカだかエノシスだかそんな名前の組織があった)
今のトルコがヨーロッパ連合に入るのはちょっとな。
アナトリア半島こそ元々アジアと呼ばれた場所だろ。そこがヨーロッパなのかと小一時間。
ヨーロッパ連合を「ノヴァ・ローマ」に改名して欧州・環地中海諸国連合にすればいいんだよ
首都はイスタンブールに置く
トルコも本音ではあきらめているよ
ヨーロッパ中央部が似た文化で統一されたのは、ケルト→ローマ帝国、キリスト教だから
2500年くらい
トルコが隣国になったのは500年だから、まだ無理かもね
>>30 ローマ帝国の首都はイタリア半島あるいはアナトリア半島北西端にあって、
経済力でもエジプトやシリアなどが高く
ガリアやパンノニアとかは田舎だった。比喩的にいえば重心が南にあったわけだ。
今のEUはどうか。EUを牛耳ってるのはドイツフランスイギリスイタリアなどの国だろう
重心は北にあるではないか。ローマ帝国となのること自体おこがましいと思わないかね
33 :
世界@名無史さん:2012/03/13(火) 19:55:21.71 0
34 :
世界@名無史さん:2012/03/13(火) 21:15:23.01 0
>>15、
>>22、
>>25、
>>33 「中央アジア」(центральная азия)という語は、
最近の用法では、旧ソ連領の五ヵ国
(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、クルグズスタン、タジキスタン)を指す。
「中央ユーラシア」は、これに加えてカフカース、シベリア、モンゴル、チベットなども含んでおり、
「内陸アジア」という語とほぼ同義語である。
>>34 タリム盆地つまり天山と崑崙の間の地域(東トルキスタン)は?
「中央アジア」じゃないの?
36 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 00:28:22.68 0
ソグディアナ
38 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 00:32:34.23 0
>>35 歴史的にはモンゴルだよ
ジュンガルがあったもん
古代亀茲国とか楼蘭王国はどうだかわからんけど
トルコ化以降はそのへんも「モンゴル」になるのか。
41 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 03:07:00.86 0
中央ユーラシアと内陸アジアという語は遊牧民が主体の地域という共通性はあるが、広すぎて使いにくい。
歴史的な関連を考えた場合、(1)モンゴル高原(2)東西トルキスタン (3)チベット(4)キプチャク草原
の4地域に分けるのが妥当だと思う。
この4つは中華圏の王朝とイスラム圏の王朝の関連性によって分ける。
モンゴル高原に拠をおく勢力は南の王朝と非常に密接な関係を持ってきた。
漢と匈奴、唐と突厥、宋と遼金、明と北元といったように。
現在トルキスタンと呼ばれている地域は、唐と清の時代には東から支配を受けたし、
またホラズムシャー朝の版図に入っていた地域もある。イスラム教を受容したことも重要だ。
いわば東アジアと西アジアの両方と関連している点でモンゴル高原とは毛色がちがう。
チベットは唐と争ったり、ジュンガルに支配されたりと東とつながりがあるが、イスラム圏の王朝とはあまり関連がない。
しかしトルキスタンとちがって言語もチベット語であるし、イスラム教も広まっておらず文化的に東西トルキスタンと同一視しがたい面がある。
キプチャク草原は西部が地理的にトルキスタンからはみ出ていて、
ブルガールやロシアの三ハン国の征服のように東欧史とも関連していても、
中華圏とあまり関連がない点からして、
重なっている面はあるがトルキスタンとは分けたい。
仮に、あるシリーズ本の中の一巻として「中央ユーラシアの歴史」と題して本が書かれたとしよう。
するとどうなるか。まあページ数の3割は同じシリーズの中国史とかぶる。
中国史の巻のほうを見れば、「漢の武帝は巨費を費やし北の匈奴と戦った」という文があり、
中央ユーラシアの巻のほうで「匈奴は南の漢と戦い、特に漢の武帝の代には、漢の激しい攻勢を見た」という文があるのだ。
これでは紙がもったいない。モンゴル高原は中国史に組みこめばいいのであって
中央ユーラシアという概念でくくられると一般人は困る。
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トルキスタン
東西トルキスタンの呼称はキルギス人ぐらいしか好んで使わない。
あんまり変に括ってしまうと、キルギス国のチュルク系とタジク系の対立が理解できなくなる。
キルギス語を使っていているから同一民族識別をしているが
遊牧ルーツのチュルク系と定住オアシス民系のタジク系は、習慣も文化もかなり違う。
46 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 09:53:13.24 0
54 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/05(月) 20:44:14.41 i
後世のトルコ人てのはトルコ語を話すヒトって意味しかない
しかも、モンゴル時代あたりでは遊牧民の公用語だったらしいので、
ますます民族として主体性がなくなる
田舎者という意味もあったとか読んだね
もともとはオアシス地域の混血白人てな感じでOK?
>>45 へえ、キルギス共和国に住んでいるタジク人はタジク語ではなく、キルギス語を
話しているのか。
48 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 13:00:38.58 0
キルギス語を話していればキルギス人
タジク語を話していればタジク人
ただそれだけ
49 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 13:38:25.43 0
ではない
「俺はキルギス人」と認識していればキルギス人
「我、タジク人也」と認識していればタジク人
50 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 14:34:12.06 0
その区切り自体ソ連当局に付けられた他称だろ
認識なんてないだろ
51 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 16:03:54.97 0
115 名前:何語で名無しますか? 投稿日:2012/03/04(日) 01:45:54.26
カザフ語やトルクメン語ほど醜く支離滅裂な表記法も世界の文字言語の中で珍しいくらいなんじゃないかな。
まあ西トルキスタン諸国のキリル文字表記というのはお互いに似通った言語を異なる正書法で
分断するために作られたようなものだから。
>>47 その通り。スターリン時代に勝手に国境が固定され、公用語が決定してしまった。
ホラズムやブハラが独自の動きをしたから、封じ込める意味があった。
共産主義にいろんな路線があってはいけないとして
スターリンに従順なチュルク系一色に塗りつぶされた。
53 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 21:38:15.24 0
54 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 22:43:50.31 0
>>41-42 >モンゴル高原は中国史に組みこめばいいのであって
実際、松丸道雄他編『世界歴史大系中国史4 明〜清』(山川出版社、1999年)では、
モンゴル史も扱われている。
>>51-52 最近の旧ソ連圏では、文字表記がキリル文字からラテン文字表記に変わりつつあるところもなかったか?
>>41 >遊牧民が主体の地域
中央ユーラシアは遊牧民を主とする北アジアの草原と
商人や農耕民を主とする砂漠のオアシスの都市国家
両方ある。
>>42 中国から見た、中国による戦争、征服を主とする記述と
現地をベースにした記述はまた違ってくる。
漢にとっては匈奴はやっつけるべき敵として捉えらているが、
匈奴は匈奴としての歴史がある。
中国史に組み込んでしまうと「中国から見た見方」に偏ってしまう。
それは「侵略してくる敵」であったり「中華の皇帝に服属するべき辺境の民」
といった見方だ。
>>54 ウズベキスタンではウズベク語をキリル文字からラテン文字に
切り替えることを決定した。なかなか実行されていないけど。
ウズベク語は、言語的に近縁なウイグルの文字(アラブ・イラン系)でも何とか表記できるんかも・・・
57 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 23:47:43.12 0
>>53 トルコのTVドラマのシステムは日本と大きな違いがあります。
まず放送期間が長いこと!!
通常半年以上で、長い場合は1年を超える事だって多々あります。
逆に人気が全く出なかった時は早々に放送が打ち切られる事も。
そして番組にもよりますが、本編は大体2時間弱。
本編スタート前に前回までのあらすじのダイジェストが約40分程流れますので、
コマーシャルも含めて軽く3時間を超えてしまう事もしばしば。
日本ではドラマが完結した後の再放送は半年後などが多かったと記憶していますが、
トルコでは毎話、通常の放送が終わるとすぐにその週の内に再放送されます。
またTV局のサイトからも章をセレクトしてNETで視聴する事が出来ますので、
うっかり見逃してしまった時も大丈夫♪なのです。
>>55 早々に切り替えて成功したところと言ったらトルクメニスタンとアゼルバイジャンじゃない?
どっちも独立後に速効でラテン文字に切り替えて今では完全にラテン文字形式だし
ウズベキスタンはラテン文字に切り替えをしつつもまだキリル文字の方が馴染み有るみたいだし
タタールやクリミアタタールなんかは逆にラテン文字化しようとしてロシアににらまれてるみたいな
あ、クリミアタタールはウクライナか
60 :
世界@名無史さん:2012/03/15(木) 11:39:14.50 0
オツガイが活躍するスレかと思ったけど、1レスだけだな
61 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/15(木) 11:57:37.57 0
>>31 今の首相のエルドアンはわりと熱心に交渉続けてたけどね。
国民の間にちょっとずつ諦めの感情が出てきてはいるね。
>>35>>38-40 現在の新疆ウイグル自治区に当たる部分は確かにジュンガルが支配してた時期があったけど、
住民はトルコ系(及び少しのイラン系)ムスリムのほうが多かったよ。ジュンガルが支配する前は、
チャガタイ・ハン国から分裂したヤルカンド・ハン国などがあったけど、この時もモンゴル人より、
トルコ人などのほうが多かったと思うし。モンゴル帝国の前は天山ウイグル王国などがあり、
この時点でもうトルコ化が少し始まってたけど、天山ウイグル王国をモンゴルとは言えないでしょ。
>>41 トルキスタンはオアシス都市国家だったりもするから、必ずしも遊牧民中心ではないけどね。
確かに中央ユーラシアや内陸アジアという概念は広すぎてもうちょっと分けたほうが良いとは思う。
>>42 山川の世界各国史シリーズに「中央ユーラシア史」ってあるけど、
同じシリーズの「中国史」とはだいぶ内容が違ってるよ。
中国史では匈奴との戦いについては書いても、匈奴の社会や文化、政治制度までは書かない。
それに、アルタン・ハーンなども中国史ではまず出てこないからね。
モンゴル高原はあくまで中国史とは分けるべきだと思う。
とは言え、中央ユーラシアという概念が広すぎるのも事実なんだよね。
実際、山川のその本もモンゴル高原の話の次に、急にチベットの話が出てきたりと、
各地域の歴史をぶつ切りにして分けて書いてるような印象が拭えなかった。
だったら、いっそのこと
>>41の言うように4つの地域に分けて別々に本を出せば良いとは思った。
まぁ、山川は他にも「スペイン・ポルトガル史」や「スイス・ベネルクス史」みたいな無茶な分け方してるけど。
62 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/15(木) 11:59:00.84 0
>>60 ちょっとしばらく個人的な用事で忙しくて2chそのものから離れてたので。
63 :
世界@名無史さん:2012/03/15(木) 13:54:36.99 0
>「スペイン・ポルトガル史」や「スイス・ベネルクス史」みたいな無茶な分け方してるけど。
歴史なのに、単に地理的に近いからってグループ分けするのは良くないよな。
今の世界史板のように、民族とか言語で系統だててくれた方がありがたい。
64 :
世界@名無史さん:2012/03/15(木) 15:58:08.00 0
「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」
「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
【石井こうき オウム 統一教会】
オウム、北朝鮮、麻原サブリミナル、左翼政権誕生→阪神大震災、サリン
韓流信奉、韓国、韓流サブリミナル、(反日)左翼政権誕生→東日本大震災、原発事故
似ているね
てかそのものか。 そうか、統一教会、朝鮮総連、民団→民主党
渡来人の秦氏ってトルコ系?
66 :
世界@名無史さん:2012/03/15(木) 22:08:26.02 0
それは無いだろう
トルコでは冒頓単于は先祖の国民的大英雄
記念切手や胸像にして崇敬する存在
68 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/15(木) 22:27:59.94 0
>>67 まぁ、トルコでは匈奴みたいにトルコ系国家と断定できないような遊牧国家でも、
トルコ系と認識することが多いからね。現在はどうだか知らないけど、
昔のトルコの歴史教科書ではトルコ人の歴史が匈奴から始まってたし。
つかあそこの国は基本北方系の遊牧民だったりだとスキタイですら同族認定しようとするし
例えばYou TubeでMETE KHANで検索するだけでも出てくるな
因みにMETE KHANってのはトルコでの冒頓単于の名前
トルコは突厥を先祖の国だと思ってるはずだけど。
冒頓単于は強引だなあ。
いんや、匈奴もフンもエフタルも自民族認定だよ
トルコの認定した大トルコ16帝国の中に匈奴(と南匈奴)とフンとエフタルが有るし
メテ・カーンって冒頓単于と全然読みが近似してないね。
漢文献以外で記録残ってないだろうに、どういう由来の名前なんだ?
冒頓は現在の普通話でもMao1Dun1だからマォドゥとなり若干近い。
古代ならもっと近かったのではないだろうか?
74 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 09:02:40.37 0
>>70 トルコの歴史観だと突厥はトルコ人によるはっきりとした国家形成がされた国と考えられてるみたい。
その前の匈奴などもトルコ系民族が建てた国だけど、突厥はトルコという名をはっきりと使った最初の、
遊牧帝国だと言われてるっぽい。そういう意味で突厥はトルコ人の歴史の中でもとりわけ重要らしい。
まぁ、ここら辺は結構昔のトルコの歴史教科書を僕が読んだ時に感じたものだから、
現在のトルコでもこのような歴史観で教育されてるのかどうかまでは保証しかねるけど。
>>71 トルコは今まで一般的な世界史の中で中心的に見られることが少なかったそういう遊牧民たちを、
自分たちと同じ民族なのだと認識することで、彼ら中心の歴史観を形成したという面があるね。
フンや匈奴は基本的にヨーロッパ史や中国史の枠組みの中で敵役っぽく語られることが多いから、
トルコ人のこういうナショナリズム旺盛な歴史観は遊牧民視点の歴史観を育てたという点では、
少し役立ってるのかも知れない。まぁ、それにしてはナショナリスティックすぎる気がするけど。
75 :
世界@名無史さん:2012/03/16(金) 10:00:51.78 0
トルコって韓国すら真っ青になるくらいの歴史泥棒の国だろ
連中のウリナラファンタジーにまともに耳傾けるとアホになるわ
76 :
世界@名無史さん:2012/03/16(金) 10:40:57.94 0
ホラズムも、このスレでいいのかな?
>>76 ホラズムもトルコではトルコ大16帝国の1つに認定してるから
好き嫌いはともかくも入れるのは良いんじゃないの
78 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 11:23:11.39 0
>>76 別に良いと思うよ。あれはもともとトルコ系マムルークから始まった王朝だし、
カンクリなどトルコ系遊牧民に頼ってた面もあるからね。
まぁ、前近代においてこの王朝の民族はトルコ系だとはっきり断定するのは危険なんだけど、
トルコ人的要素が大いに入ってるのは事実だから、このスレで扱うのは問題ないでしょ。
トルコ16大帝国ってどの国がそうなの?
>>73 正確にはmo4du2、まぁ入声すら無い普通話とかまったく参考にならんけど
82 :
世界@名無史さん:2012/03/16(金) 13:33:30.76 0
>>76 ペルシャスレ、トルコスレ、どっちでもありだな。
84 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 13:53:00.75 0
88 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 14:10:12.17 0
>>85 確かにその2つが入ってないのは不思議だ。
匈奴やフンよりもよほどトルコ人の要素は強いだろうに。
あまり長い期間栄えてなかったせいで地味な印象があるからなのかな。
>>85 自分もそれは意外に思った
つかもっとちゃんとした根拠有るトルコ系の王朝じゃなくって
それ入れて良いの?ってレベルのが入ってたりするんだな
まぁ”大”を付けてるって部分がポイントなんだろう
白羊黒羊はトルコ系王朝と教えてはいるけど大トルコではないって解釈らしいし
>>84 アゼルバイジャンの場合イラン北西部に住んでるアゼルバイジャンの存在も有るからな
イランって実際は多民族国家だけど北西部のアゼリー人ってイラン全体の人口で確か4分の1近く居たはず
少数民族とは言えそれだけの大勢力にもなるとイランとしても無視できない訳で
それでイランとしても北西部の独立を防ぐ為にも硬軟両方入り混ぜた政治的処置を幾度と無くやってるのよ
因みにイラン人とアゼリー人も仲はハッキリ言って険悪では有る
でアメリカイギリス他西欧諸国が”民主主義観点及び人権的観点”(←この言い回しポイントね)によって
イラン国内の少数民族の人権と権利を保護すべしっていう意見から
内密でイラン国内の北西部のアゼリー人に様々な交渉や権利の主張をしているんだけど
当のイラン内アゼリー人はそこまでして大きな欲求を今の所動かしてはないってのが実情
とは言え今後のイランの情勢次第でどう動くかもわからんが
でそう言うことも有ってアゼルバイジャンの国自体はトルコ以上にナショナリスト的な国史史観も強くなってる部分が有る
(おそらく1991年のソ連独立以降のテュルク系民族としての自意識を求めてる部分も有るからかもしれないが)
91 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 14:24:03.76 0
>>86 へ〜、こんなサイトあるんだ。正直シルヴァーン・シャー朝なんてかなりマイナーだからね。
こういうマイナーな地域の日本語サイトがあるというのは普通に嬉しい。
>>87 なんで南が西になるんだろう?別に民族史観に照らし合わせても南匈奴で問題ない気はするし。
後、トルコに限らずエフタルを白いフンや白匈奴と呼ぶ例をたまに見かけるけどあの「白」の意味も謎だ。
>>89 白羊朝や黒羊朝も最盛期にはそれなりの勢力築いてるんだけどね。
それでも「大」ではないという認識なのかな。
>>73>>81 解説THX。あー・・・これは現代普通話からトルコが引っ張ってきたのかもしれんね。
冒頓がバアトル(=勇者の意)に比定されるという説があるらしいんで、
上古音では冒(=b・・)と頓(=t・・)という発音が推定されているのかな、よー知らんけど。
93 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 14:33:17.23 0
>>90 アゼルバイジャン人は確かにイランにもかなり多く存在するからね。
ソ連からの独立によるアイデンティティ形成やイランとの関係もあって、
アゼルバイジャン人の学者はナショナリズム史観なしではやっていけないんだろうね。
この点、トルコのほうがまだマシかな。トルコではナショナリズム旺盛な歴史観への、
見直しを唱える学者も少しずつ出始めてきてるから。まだまだ少数派ではあるけど。
オツガイが来ると、スレ伸びるなぁ。
ツングーススレにも遊びに来てもらいたいもんだが。
>>91 トルコ語そんな詳しくないし内情分からんのであくまでも個人的観測になるが…
おそらく元々の本拠地より西側に移動していた為に西匈奴って表現したんじゃないかと
南匈奴(トルコ語やアゼルバイジャン語では西匈奴)の創設者Panu(蒲奴単于、しかしこの人は北匈奴…!)
の拠点がかつてよりも西側に移動してたからってのも有ったんじゃないだろうか
白ってのはインドでもスベータ・フーナってエフタルの異称を言ってるけどこのスベータってのが白を意味すると
それ以外のフン(この場合匈奴も含む)は赤フンあるいは赤匈奴とも言ってたとか
白が何を意味するかは詳しくは分からないんだけど
一説には中国の五行思想から来てるのではって説も有って
その場合白フンってのは西に移動した匈奴ってニュアンスも有ると言われているけど
大半の学者からはそこまで五行説に裏打ちされていたかは大いに疑問だって説の方が強い
実際五行を言うならば赤は南のはずなのに赤匈奴(赤フン)って言われた勢力がエフタルより南に下った例は皆無だし
96 :
世界@名無史さん:2012/03/16(金) 15:02:38.49 0
1.テュルク説があればトルコ王朝(キリッ:匈奴、エフタル、フン、アヴァール
2.元はトルコ系じゃなくても言語がトルコ化してればトルコ王朝(キリッ:キプチャクハン、ティムール
3.たとえオグズ系じゃなくてもトルコ王朝(キリッ:突厥、ウイグル、ホラズムシャー、ガズナ
日本人の感覚で言わせれば、お前らが系譜的につなげられるのはセルジュークとオスマンだけじゃね?
トルコでは歴史にからんで中国はどのように見なされているんだろう。
われわれのご先祖にボコられたプギャーなやつらみたいな?
>>92 冒頓のWikiの英語のところに
Several scholars have suggested that the reconstructed pronunciation of "modu" 冒頓 is /mək-twən/ and is equivalent to the Turkic title Baghatur /baɣaːtuːr/ in Mongol word
と書いてあるから、メテ・カーン=冒頓= mək-twən(メク・タン) という説があるようだ。
が、検索では、Mau-Tun Khan-yu, (Turkish: Mete Han)というのや、
哈萨克语(カザフ語):mode tangrkhutというのも出てくる。
冒だけでメテとするのと、冒頓でメテカーンとするのと、色々ある。諸説というより雑説という気もする。
99 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 16:02:26.09 0
>>94 僕はツングースに間してはあまり良く知らないからなぁ。
一応、見てみるけどROMるだけになるかも知れない。
>>95 なるほど、確かに元の匈奴の本拠地からは西に移動してるね。
それで南匈奴って言う訳か。でも、匈奴って東西に分裂したこともあるから、
西匈奴と言うとそっちの場合と紛らわしくならないんだろうかと思わなくもない。
白が何なのかは良く分からないのか。五行説だと白は確か西になるけど、
それも確実な証拠がある訳でもないのね。ていうか赤匈奴なんてあるんだ。
具体的にどこら辺の勢力のことをそう呼んでただろう?
>>96 とりあえずトルコの歴史教科書でも自分たちと特に繋がりが強いのは、
セルジューク朝とオスマン朝の2つだということは認識してるみたいだよ。
その他のトルコ人国家も自分たちの兄弟のようなものではあるけど、
自分たちが今暮らしてる地域(アナトリア)にやってきたのはその2つだけだからね。
>>97 日本や他の国と同じようにとりあえず古くから歴史のある大国だったとは思われてるかな。
どうもトルコじゃ自国に関わってないような世界史はあまり教えてないみたいだから、
特に興味がないトルコ人は中国に対しても漠然としたイメージしか持ってないと思うよ。
ただ、中国史において遊牧民がしばしば悪役っぽいイメージで描かれることについては、
反感を持ってる人もいるらしい。ディズニー映画のムーランでフン族が悪役にされてたことで、
トルコ人の一部から抗議の声が挙がったそうだしね。そういう不満はあるのかも知れない。
訂正
mək-twənは恐らくkとtが殆ど聞こえないくらいで、恐らくこれで”メテ”と
発音すると思う。
>>98>>100 解説THX。
冒の上古音は「m・k」で、「b・k」は唐代まででの音韻変化っぽいね。
木(呉音モク、漢音ボク)、無(呉音ム、漢音ブ)、美(呉音ミ、漢音ビ)、馬(呉音メ、漢音バ)と同じか。
で、バアトル(Baghatur)に比定というのは、遊牧民側でもマアトルから音韻変化したわけか。
なるほどねー。メテと「ぼくとつ」では随分イメージが変わるなあ。
最近の日本の書籍はルビはメテと振ってあるのかな。まあ自分は殆ど機会が
無いかも知れないが、仮にトルコとかそのうち旅行することになったら、
メテで覚えとかないと、カタコトでトルコ人と会話しても誰のことか
わからなかったりする。案外メテという名前の人がトルコ人に多かったりして。
仮にトルコに旅行したとして、周囲で親が子供に”メテ!”とか呼びかけても、
知らないとそういうことも気付かないからなあ。
右よりのトルコ拡大主義者はロシア、中国、イランは嫌いだよ
トゥラン主義(これ自体一枚岩じゃなくって色んな見方有るけど)でも
拡大拡張主義の連中だとこの3つをボロクソに言ってるサイト有ったりするし
>>102 冒頓単于を子供の名前につけてるとしたら、DQN親しかないんじゃねーのw
ごく近代になるまでトルコ人自身は知らない人名だし、名づけメニューにないだろ普通に。
>>104 トルコ共和国の教科書で先祖の英雄扱いなんでしょ?あってもおかしくないっしょ。
107 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 18:01:18.54 0
>>102>>104-105 う〜ん、もしかしたらあるかも知れないけどメテという名前のトルコ人はあまり聞かないなぁ。
別に祖先の英雄と言っても日本だって子供に歴史上の人物の名前を付ける例はそんなに多くないから、
根拠としては薄いと思う。現在のトルコ共和国にはトルコ人由来じゃない名前も多いしね。
>>103 確かにナショナリズムの強い右派はそれらの国を嫌ってるだろうね。
それらの国はトルコ人が多く住む地域を今でも領有してるからね。
ていうか、そもそもトルコ人が良い印象を抱いてる国っていうのは少ないらしいね。
これはトルコ人の歴史的広がりが大きいため、大抵の国とトルコは歴史的に関わってるので、
トルコとの関係において探せば粗の出るような国が多いからだそうだ。
良くトルコを親日と言う人がいるけど、あれもエルトゥールル号が云々というのもあるけど、
そもそも日本とトルコの間に歴史的に関係悪くなるようなことがあまりないからでもあるみたい。
大抵の主要国に対してトルコ人はあまり良いイメージを持ってないんだよね。
108 :
世界@名無史さん:2012/03/16(金) 18:03:06.89 0
偉人の名前をとってつけるのは
不遜とか子どもに色々負わせそうとか中二乙だとか考えるのって
日本人だけなんですかね?
109 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 18:04:02.98 0
>>106 あれ?やっぱりいるのか。トルコ人は多くの西洋諸国と同じように、
「名前+姓」という順番だから、その順番だとメテは普通に名前だろうね。
トルコでは全く珍しい名前と言うわけでもないのかな。
こんなところで自分の名前が話題になっているなんて、
Mete Kalkavanさん、夢想だにしてないだろうな。
そもそも特にトルクメニスタン辺りで超有名なオグズ=ハーン伝説のモデルが冒頓単于だし
オグズ=テュルク自身がオグズの元ネタの冒頓を自身の祖先と見なしてる訳で
トルコに限らずテュルク系の地域の人間が他が何と言おうと冒頓単于を祖先の英雄と見なすのは全くおかしくない
114 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 18:52:56.95 0
>>111 あれ、そうなの?僕が単にあまり聞かなかっただけで普通にありふれた名前ではあるのかな。
>>112 なるほど、そういう見方もできるか。
オグズ族の伝説はトルコでもわりと有名だし。
115 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 19:11:47.56 0
>>113 リンク先読んだけど、トルコが支援してるだけで中国は全ムスリムを敵に回してるとか
言い過ぎだなぁと感じる部分が目立つね。トルコ共和国や中央アジア諸国がウイグルに、
わりと同情的な感情を抱いてるのは確かだけど、他のイスラーム圏ではそこまででもないからね。
冒頓単于の英雄化については大体そんな感じで合ってるだろうけど他の部分で違和感の多い文章だなぁ。
東トルキスタンだって最初からトルコ人が住んでた地域ではなく後からトルコ化した地域なんだから、
トルコ人も自分たちの兄弟が住む地域とは考えてても自分たちの故郷とは考えてないだろうし、
パレスチナ問題が勃発から二千数百年経ってるという認識も明らかにおかしい。
探せば色々と突っ込みどころの多いの文章だと思う。
Turkish Names でぐぐって名前サイトみたら、Mete君も由来つきで出てくるのもあるね。
http://forum.kusadasi.biz/threads/turkish-names-and-their-meanings.1602/ Mete - Founder of Great Hun Empire (204 B.C-216 A.D)
ほかにもファウンダー系の名前は少なからずある。
Alptekin - Founder of Gazneli Empire
Aybars - Founder of European Hun Empire
Batur - Founder of Golden Horde State
Bayar - Founder of Avar Empire
Bumin - Founder of Gokturk Empire
Bu?ra - Founder of State of Karahan
Osman - The founder of Ottoman Empire
Timur - Founder of Empire of Timur Khan (1369 - 1501 A.D)
とはいえ、より数を絞ったものでは出てこない名前なので、たかしレベルのよくある名前ではなかろう。
117 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 20:34:56.77 0
>>116 なるほど。良くある名前というほどでもないけど、なくはない名前ということか。
オスマン辺りなら今でもトルコ共和国には普通に良くいるからね。
まぁ、オスマンはオスマン帝国以前から良くある名前だしトルコ由来でもないんだけど。
118 :
世界@名無史さん:2012/03/16(金) 22:01:47.12 0
>>75 まあ日韓ワールドカップで3位になった時に調子こいて「土流」を捏造してでもゴリ押ししてやれとしてこなかっただけ良しとしなければ。
個人的にはトルコ料理や音楽は結構好きだけど
> Aybars - Founder of European Hun Empire
これ、誰のことだ?アッティラのとこのフン族の創始者の話だよな?
>>99 北京に首都が戻ってきてからの中国では、
映画やテレビドラマでは遊牧民は悪者には描かれない。
王昭君でも、夫が死んでからも漢に帰らずこのま北に残るとキッパリ言う。
成吉思汗や吐蕃の松賛干布王のドラマも作られている。
《資治通鑑》みたいなのを大切にして、北伐だ!というのは
蒋介石が台湾に逃げたのをきっかけに転換したみたいだ。
121 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/16(金) 23:32:02.56 0
>>120 へ〜、そうなんだ。むしろ遊牧民を悪者に描くのは中国以外の国においてなのかな。
僕が例に挙げたムーランだってディズニー映画だし。中国は国内に遊牧民も結構いるから、
彼らへの配慮なのかも知れない。トルコ人は中国そのものに反感を持ってるというよりは、
多くの国で中国史が述べられる時、遊牧民が悪役っぽく描かれがちなことに不満なんだろうね。
>>113のリンク先は嫌中臭がプンプンするなあ。
そもそも冒頓単于をトルコの祖先とする時点で、東トルキスタンとは
位置がずれてる。匈奴だろうが、突厥だろうが、トルコ人が祖先と考える
遊牧帝国は天山の北側の北アジアが中心だし。
東トルキスタンが「トルキスタン」になったのは9〜10世紀以降なので、
トルコ共和国のトルコ人がセルジューク〜オスマンを直接の祖先と考える
なら、トルキスタンを「祖先の地」と考えるのは無理がありすぎ。
中国へ行ったらいろいろな地域にムスリムはいる。
清真食堂やモスクがあるし、日本人が思うよりも身近な存在だったりする。
そもそも中華人民共和国は表向き「少数民族の尊重」をしていることになっている。
だから王昭君も文成公主も民族融和のシンボルとして解釈されることになった。
123 :
世界@名無史さん:2012/03/16(金) 23:43:03.54 0
>>101-102 「バアトル」は後代のテュルク語では、「バハードゥル」となっている。
「英雄」「力持ち」を意味するロシア語「ボガトゥィリ」(богатырь)は
「バアトル」に由来する。
>>121 でも、香港のカンフー映画は華北から遠く離れているので
少林寺を解体化した北方民族は悪者扱いの描写。
わざわざ、北宋の時代の少林拳と燕雲十六州の金軍との対決をテーマにとりあげること多々。
モンゴル系とトルコ系の関係がわからない
近いのか、全然違うのか
全然違うだろ。
モンゴルとツングースなら近いけど。
127 :
世界@名無史さん:2012/03/17(土) 00:02:06.60 0
>>125-126 モンゴルが本格的にチベット仏教圏となる16世紀以前であれば、
モンゴルとトルコの違いはあまり無いと思うが。
128 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 00:14:18.05 0
>>124 香港の場合はイギリス領だったことも影響してるのかな。
ともかく、そういう遊牧民を悪役にするような歴史観に反感を抱くトルコ人は結構いるね。
トルコ人の歴史観はそれへの反発によって成り立ってる部分もあるのかも知れない。
>>125 とりあえず現在のトルコ語とモンゴル語は意思疎通が可能なほどではないけど、
多少は似てる部分もあるらしい。めちゃくちゃ近いというほどでもないそうだけどね。
歴史的にはどちらも遡ればモンゴル高原辺りで勃興した遊牧民族な訳で、
そういう意味では近いと言えなくもないけど、民族意識として区別がなくもなかった。
>>127 例えば、ティムール帝国ではモンゴル色とトルコ色のどちらが強かったかなんていうのは、
今でも意見の分かれるところだからね。そういう意味では確かに境目は曖昧かも知れない。
冒頓も檀石槐もチンギスも、支配地域を東部(左翼)・中部・西部(右翼)に三分した。
モンゴル高原の東部から満洲西部にかけてが、本来のモンゴル諸語話者の居住地域。
東胡、烏桓、鮮卑、契丹、室韋、モンゴルの系列。
モンゴル高原中部以西は匈奴〜テュルク・オグズ・ウイグル系で、モンゴル部族はあとから入って来た。
匈奴以前は西部に月氏(トカラ系)や塞(サカ=ソグド=スキタイ)もいたが、徐々にテュルク化していった。
130 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 00:59:17.27 0
>>129 確かにモンゴル高原の西側か東側かという違いはあるね。
大本の部分ではモンゴルとトルコって大分違うんだけど、
モンゴル帝国の時に両者の区分が曖昧になってしまったという感じかな。
131 :
世界@名無史さん:2012/03/17(土) 03:47:57.01 0
>>124 それで思い出したけど、宋で対北強硬派だった岳飛についても、創作物は香港や台湾の方が多いのかな
>>131 南中国は、岳飛よりも項羽のほうが人気あるよ
ともかく、一度は天下をとって、史記でも本紀が立てられているし。
上の方に渡来人の話あったけど
渡来人関連の遺跡には突厥風の亀石とかが多いよ
まぁ五胡十六国時代にきたから、なかにはそういう集団混じっていても
不思議じゃないが
>>130 えー。
ジンギスカンの前から結構曖昧だよー
>>130 蒙古系ダフール族は、4〜8世紀頃から大興安嶺付近に住んでいて
鮮卑慕容部の末裔あるいは契丹人の末裔だといわれている。
普六茹氏、大野氏の起源といわれる拓跋部も、この慕容部と近縁らしい。
ダフールがツングースの影響も強くうけているから、スパッと慕容部は蒙古系と断言できないのが悩みどころ。
ツングース系は、アムール川付近には、もともといなくて
イェニセイ川やレナ川あたりから南下してきたのかよくわからない。
粛慎がツングース系っぽいから、前漢の時代からアムール川南岸にいたとする意見が有力。
137 :
世界@名無史さん:2012/03/17(土) 11:42:39.65 0
「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」
「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
【殺された石井こうきの発言から】
オウム、北朝鮮、麻原サブリミナル、左翼政権誕生→阪神大震災、サリン
韓流信奉、韓国、韓流サブリミナル、(反日)左翼政権誕生→東日本大震災、原発事故
似ているね
てかそのものか。 そうか、統一教会、朝鮮総連、民団→民主党
>>136 何を以て蒙古系・ツングース系と言うのやら。
血統か?
言語か?
帰属意識か?
安禄山はソグド人と突厥貴族の混血
後唐・後晋・後漢・北漢は突厥沙陀部が中核の王朝
後周の郭威・柴栄、宋の趙匡胤も胡人の多い河北省の出身で、漢人と言っていいか微妙
140 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 12:05:50.64 0
>>135 曖昧というか、そもそもモンゴルという言い方はあくまで一部族の名前に過ぎなかったからね。
モンゴル帝国以前のいくつかの遊牧民がモンゴル系とか言われてるのは言語や文化的に、
似てるから後世にそう言われただけ。トルコ人のほうは一応「トルコ」という呼称を広く使ってたけど、
モンゴルという名称はあくまで一部族の名前に過ぎず、広く使われることはなかったからね。
モンゴルの源流は一般的に室韋だと考えられてるけど彼らは一応トルコ系とは別とされてた。
だから、モンゴル帝国以前のトルコ系とモンゴル系の区別はまだはっきりしてたほうだと思う。
そういう意味で両者の境目が曖昧になったのはモンゴル帝国以降だと思うんだよね。
モンゴル帝国によって「モンゴル」という呼称がただの一部族のものだけではなくなり、
それまでトルコ人と言われてた遊牧民までも支配下におさめるようになった訳だからね。
チャガタイ・ハン国やジョチ・ウルスなどではモンゴル人とトルコ人の区別が曖昧になってしまった。
>>136 つまり、ツングース系とモンゴル系はかなり区別しにくいということかな。
個人的にはモンゴル系とツングース系のほうがトルコ系とモンゴル系より近いように思える。
まぁ、正直ツングース系については詳しくないので断言はできないけど。
141 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 12:11:36.17 0
>>138 モンゴルなんていう呼称が広く使われるようになったのはもっと後だから、
帰属意識に関しては当時はまだなかったでしょ。だから文化や言語などで、
モンゴル系と認定したんだと思う。後は血統というか部族の系譜も関係してるかな。
一方で、トルコという名称は突厥の時代にはすでに使われてたから一応当時から、
すでに遊牧民の間で帰属意識があったとは言える。その点がモンゴルと違うね。
まぁ、帰属意識と言っても近代以降のそれとはだいぶ違うだろうけど。
ツングース系といっても
トナカイ飼いの北部、豚飼い畑作の西部、河川漁労の東部と
文化が違うので、言語でのグループわけなんだろうね。
とはいえ語彙の共通性だけで、文法は差異が大きい。
143 :
世界@名無史さん:2012/03/17(土) 12:15:54.73 0
どうしてモンゴルはガチモンゴル人種なんだが、チュルク系はコーカソイド要素があるわけ?
144 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 12:42:20.53 0
>>143 混血してるからでしょ。トルコ共和国のトルコ人なんてどう見てもコーカソイドだし、
中央アジアのほうもコーカソイドっぽい要素は強い。これらの地域は最初から、
トルコ化してた訳ではなく、以前はギリシャ系やイラン系の定住民がいたからね。
アナトリアや中央アジアには今でもそういう人たちが結構多いしね。
モンゴル人はモンゴル帝国の時代にコーカソイドの多い地域にも進出したけど、
そういう地域の遊牧民はトルコ化しちゃった例が多いからね。
そしてコーカソイドの多い地域に来たトルコ人たちは当然現地の人と混ざる。
結局モンゴル人はモンゴル高原付近に多くなるからモンゴロイドが多いんだろうね。
>>140 だから、
どういう点で、
室韋が、モンゴル系であり、トルコ系でない
と判断しているの?
その基準とか理由の部分は何よ?
146 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 13:24:03.13 0
>>145 いや、だから言語や文化的に似てるかどうかや部族の系譜で判断してると言ったじゃん。
この時代は「モンゴル」という認識はまだなかったから帰属意識は関係ないだろうけど。
>>146 部族の系譜 って何よ
言語はともかく、文化的に・・・・って何なん?
148 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 13:49:51.24 0
>>147 室韋の中に蒙瓦部という部族があって、これが室韋から分かれて、
そのままモンゴルになったからね。部族の系譜ってのはそのことを言った。
文化的というのは社会の慣習とか組織構成の特徴とかそういうのだと思うけど、
僕も具体的にどこがどう似てるかまでは良く知らない。ごめん。
まぁ、でもここはトルコスレだからこれ以上モンゴルの話するのはスレチかな。
>>145 横レスだが
現代のハルハ・モンゴルは、祖先が室韋だとしているから。元朝の史書が根拠でしかないが。
また蒙古系文化は、うんと古い時代から牛と馬を使った遊牧ではなかったことがわかっている。
突厥系のほうが歴史が長い。
モンゴルは、牛がどう動かすかの技能を、突厥から移入しており
室韋はその技能は持っていなかったので、統制とって動かせなかったという記録がある。
具体的には、移動中は成獣の雄と雌を群としてわけて管理するというものだ。
150 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 16:02:05.01 0
>>149 へ〜、モンゴルだと牛や馬を使う遊牧の歴史はそんなに長くないんだ。
ここら辺がツングース系との区別をつきにくくさせてる要因でもあるのかな。
突厥はトルコ系の国だし、イスラーム圏でもトルコ人マムルークが軍事的に、
重用されてたことを考えると、トルコ人のほうが馬の扱いの歴史は長いのかも知れない。
東部アジアの遊牧は小尾寒羊からスタート。
山海経の時代の牧民は、馬を使っているとは限らない。
徒歩なので殷の都市住民に簡単に捕まって、生贄として首チョンパされていた。
牧羊犬を使う場合が、古い時代に一部にはあったが、
現代で犬を使う目的は、対野獣の番犬としてだけ。
牧羊犬として使う場合はとても少ない。
人が馬やバイクに乗って囲い込む方法を使うため、牧羊犬は要らない。
152 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 16:27:15.54 0
>>151 なるほど、昔から馬を使ってた訳でもないんだね。遊牧民の歴史を辿ると、
中央ユーラシア西部のほうが馬を使ってた歴史は長いみたいだからね。
>>143-144 「テュルクは元々モンゴロイド → 西進してコーカソイドと混血」 と一概には言い難しいと思う。
テュルクは初めから混血(配合具合は不明だが)であることの蓋然性が、それなりにある。
原初テュルクをどこに設定するかは難しいが、とりあえず丁零(BC3C、丁令とも)とすると、
その原住地はカザフスタン東端部〜バイカル湖南方の一帯となる。ここの歴史的経緯は・・・
BC35C-BC25C アファナシェヴォ文化(コーカソイド主導)
BC25C-BC15C オクネフ文化(モンゴロイド主導)
BC15C-BC12C フョードロヴォ文化(コーカソイド主導。アンドロノヴォ文化複合の一翼。)
BC15C-BC08C カラスク文化(コーカソイド・モンゴロイドの複合)
BC08C-BC02C ダカール文化(コーカソイド主導。丁零に比定可能かは不詳。)
BC01C-AD05C タシュティク文化(コーカソイド・モンゴロイドの混血。 エニセイキルギスに。)
という流れなので、テュルクは丁零の時点で混血していたとするほうが自然だろう。
もっとも匈奴〜鮮卑〜柔然という帝国服属下の時代に、モンゴロイド寄りに再混血が進んだかもしれない。
馬は、ウシ亜科・ヤギ亜科・トナカイ属などに比べて
毛織物や搾乳での経済的価値が低いので
裕福になってこないと殖やせない代物なのだ。
匈奴のように、乗り物として馬を大量に動員できれば機動力は高まる。
室韋はそれほど裕福ではなかったので機動力は低め。
牛は家族経営だとそんなに多く飼えないかったので、宗族単位の大家族で
行動するなど社会構造が対応してないと多く増やせられない。
去勢してない牛が、他の牛を追い回す形で制御するように
勢子(せこ)が何人もでかい雄牛に群がって力でねじ伏せるとかすればいいので
大家族の社会だと何でもないことが、家族経営だと難しかったりする。
155 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/17(土) 16:59:19.03 0
>>153 なるほど、そもそも最初からトルコ人はコーカソイドだった可能性もあるのか。
そこら辺になると考古学的要素が強いんで僕は良く分からないんだよね。
元々、コーカソイドと混血してた可能性が高いうえ、コーカソイドの多い地域に、
移動したものだから、コーカソイド的な要素がかなり強くなったということなのかな。
>>154 詳しい説明ありがとう。馬はある程度裕福じゃないと飼育が困難だったのか。
匈奴や突厥みたいにそれなりに強大な勢力を築いた遊牧帝国は、
それだけ裕福だったということでもあるから、馬の扱いにも長けてたんだろうね。
156 :
世界@名無史さん:2012/03/17(土) 17:19:02.22 0
>>153 パジリク古墳に描かれてたオッサンは確かに中東風だしな
>>123 ギュルメ・ナムギャル(GyumeyNamgye) 珠爾默特 那木札勒が
1750年ダライ・バートルの乱で、バートル(冒頓)というエイリアス(alias)≒別名で登場する。
これにつらなるグシハーン朝は、オイラト蒙古系。
蒙古にもバートル(英雄)というチュルク風の名前がある。
チベット風だと、サンスクリットのヴァルジェ→ラサチベットのドルジェ 多傑。
モンゴルも内蒙古も、いろんな語源から人名がついている。
160 :
世界@名無史さん:2012/03/17(土) 23:46:00.36 0
キョル・テギン像なんか、かなりモンゴロイドっぽいんだけど。
162 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/18(日) 09:04:56.71 0
>>159 モンゴルでバートルという単語が使われてる例だと首都のウランバートルなんかもそうだね。
あれって「赤い英雄」とかいう意味で、社会主義政権の時についた名前らしい。
>>161 突厥は柔然などの支配下にあった訳だから元々はモンゴロイド要素が多いのかも知れないね。
最盛期の突厥の領土はかなり東西に広がってるからコーカソイドもモンゴロイドも、
国内に多く抱えてたんだと思う。支配層はモンゴロイド寄りだったかも知れないけど、
西のほうに行った勢力なんかはコーカソイドとの混血も徐々に増えたんだろうね。
>>159 サンスクリットで「金剛」は
ヴァルジェ じゃなくて
ヴァジュラ だよ。
ドルジェはそのチベット語訳。
で、チベット仏教圏のモンゴルには、
サンスクリットの「ヴァジュラ」も
チベット語の「ドルジェ」も
単語として両方取り入れられてる。
モンゴル語の中で転訛していって、
ヴァジュラは「オチル」、
ドルジェは「ドルジ」になった。
朝青龍の本名の一部分にも「ドルジ」が入ってるね。
>>161 キョル・テギンは東突厥の末期のカァン弟だもんで、もとより基盤が東方部族に偏りがちなうえ、
唐に降ってから100年経ってるしねぇ。モンゴロイド寄りに混血が進んでいた可能性は十分あるね。
兄ビルゲ・カガンが仏教振興しようぜとか言ったくらいだから、唐中期の仏像の影響もあるんじゃないかな。
>>154 牧場のカトリは嘘だったのか。
10歳くらいのガキんちょ1人で牛100くらい連れて放牧に出てたが。
167 :
世界@名無史さん:2012/03/18(日) 23:48:30.73 0
>>162 柔然はモンゴル系で、アヴァールはその後裔と言うのは本当なの?
168 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/19(月) 22:40:15.26 0
>>166 >ここのスレの人なら既にしっているかも知れないけど
いや、恥ずかしながら知らなかったです。中央ユーラシアの文化史を、
知ることができるかなり貴重なサイトだ。こんな良いサイトがあったのか。
>>167 柔然は僕もそこまで詳しくは知らないんだけど、彼らの特徴は突厥との敵対関係で、
推測されることが多いように思われる。言語的にはモンゴル系かどうかはっきりしないけど、
柔然を倒した突厥がトルコ系国家だったことから、その対比でモンゴル系と考えられてるらしい。
柔然は東胡の子孫とも言われてて、東胡はツングース系かモンゴル系かがはっきりしてないので、
柔然もはっきりしない感じ。上でも言われてるようにツングース系かモンゴル系かの区別は、
難しいみたいだからね。柔然=アヴァール説は、両者とも突厥に敗れたことが根拠になってて、
それを元にこの説を支持する多くの学者が両者の共通点を洗い出してる。
言語や指導者の名前などの一致性を結構多く挙げていて、匈奴=フン説っぽくなってる。
そのそのアヴァールも現在トルコでは大トルコ16帝国の一つになってたりするからまた分からないもんだったり
>168 モンゴル系でも同系同士でも争っていたのに
おかしな論理だね
171 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 00:04:45.34 0
>>169 まぁ、トルコ共和国は匈奴などもそれに入れてるからね。
トルコ系の可能性のある大きな帝国は何でも入れてるんだろう。
>>170 単に突厥と敵対したからという訳じゃなく、柔然を倒して新たな勢力となった彼らが、
突厥(≒トルコ)の名を名乗ったから、柔然はトルコ系じゃないと言われてるみたい。
それまでトルコと名乗ってなかった勢力を倒した国家がトルコ系国家を名乗り始めたことから、
柔然はトルコ系じゃなかった可能性が高いという論理らしい。で、トルコ系じゃない遊牧民なら、
おそらくモンゴル系だろうということらしい。まぁ、ツングース系の可能性はないのかと思わなくもないけど。
172 :
世界@名無史さん:2012/03/20(火) 03:05:01.57 0
>>1
おまえ、中南米専門のコテだと自称していたはずでは?
いちおう、魏書(北魏正史)に柔然は東胡の末裔と書いてるね、どこまであてにできるかは別にして。
ただ、北魏自身が鮮卑系で、鮮卑は烏桓と並んで東胡の正系。彼らが近縁だと認識したことは参考にできそう。
いっぽうで魏書には、庫莫奚、契丹、室韋(モンゴル出身母体)、豆莫婁は同言語とも書いてある。
庫莫奚と契丹が鮮卑宇文部の後裔であることは認識されていたので、この4つは鮮卑系の近縁種とみなされたはず。
つまり、そこに入ってこない柔然は、これら4つほどには自分たちと近縁でないと見なされていたのかもしれない。
室韋はモンゴル源流であり、また契丹も契丹文字の解読からモンゴル語族と判明してるので、鮮卑はモンゴル系。
問題は東胡で、モンゴル系説とツングース系説があるけど、たぶん構成員にはどちらも入っていただろうから、
柔然をどっちだとは決めがたい。いずれにせよ、東胡をトルコ系とする見方は少なくて、そこは匈奴とは異なる。
鮮卑は、史書に最初に出てくる大興安嶺の慕容部が
(ツングース系かもしれない可能性のある)モンゴル系。
それに合流する拓跋部もモンゴル系。
しかし、宇文部は匈奴を前身としていてチュルク系の可能性あり。
禿髪部は容貌がモンゴロイドだが、チベット系の可能性もあり。
175 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 08:54:43.76 0
>>172 スレ立て依頼スレで依頼されてたのを水が立ててあげただけでしょ。
別にそんな不思議なことでもない。
>>173-174 柔然は東胡の末裔と言われてるうえ、突厥との対立関係もあることから、
トルコ系とは言われないんだろうね。トルコ共和国も柔然に関しては、
自民族の国家に入れてないし。東胡及び鮮卑との関係性から考えても柔然は、
モンゴル系かツングース系のどちらかと考えるのが妥当なところなのかな。
まぁ、鮮卑の中にはトルコ系の可能性のある部族もいたそうだけど。
>>175 ところがトルコ語のウィキペディアでは柔然を時にトルコ系に入れて語ってる場合も有る
それだけじゃなかくって鮮卑もたまにトルコ系に入れてる場合も有った
鮮卑系の国家の北魏をトルコ語ではタブガチュって称してるけど
これは支配層の拓跋から来てる由来の名前で
トプカプ宮殿はタブガチュ(拓跋)の名前が由来だと主張してる
また鮮卑がカガンを称してた事をも指摘してトルコ系と主張してる学者もいたりする
この辺が東アジアの歴史家と向こうの学者とで国史史観的な対立も有る訳なのよ
177 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 10:02:04.90 0
>>176 へ〜、柔然や鮮卑までトルコ系と認定する人がいるんだ。
中央ユーラシア史におけるトルコ系かモンゴル系かの議論って、
ちょっとしたナショナリズム対立みたいなところもあるからね。
トルコ共和国でも右寄りな人はそう主張したいんだろうね。
それにしても、トプカプ宮殿の由来って「大砲の門」説がメジャーだと思うんだけど、
鮮卑の拓跋部が由来だなんていうユニークな説もあるのね。知らなかった。
ちなみに
>>178のリンク先だけど青い色で塗ってるのがトルコ人国家&部族と認定してる存在
青にも濃い薄いは有るみたいだけど薄いのにはトルコ人要素が有ると思ってる存在だと思う
180 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 10:45:38.75 0
>>178-179 ありがとう。トルコ人の歴史認識が良くうかがえるね。
トルコ的要素があるところはとりあえずトルコ系国家としてる訳だ。
181 :
>>167:2012/03/20(火) 11:21:42.09 0
>>168 ありがとうございます。他のみなさまも、ありがとうございます。
>>166 この人読ませたくないのか
汚いページだ。
183 :
世界@名無史さん:2012/03/20(火) 14:54:52.78 0
>>182 読みにくければメモ帳にコピペして読めよ。
無料でこれだけの情報を公開してくれていること喜ぶことはおろか、
ケチつけるなんて、「豊かな時代に育ってなんても与えられて当然」という
思考を感じるな。もう少し自分でなんとかする姿勢を持ちなよ。
>>178-179 ここの推移マップはトルコ的観点がみれて面白いね。
丁零(Tingling)が初めは烏桓(Vu-Huen)と同じちょっと自信なさげな色で、次の1世紀図ではっきりした青に、
というのは祖テュルクたる匈奴(Hunlar)の影響を受けてテュルク化したという認識なんだろうね。
(それとは別に、烏桓(Vu-Huen)と鮮卑(XianBey)のテュルク化経緯に微妙な差異をつけてる理由がよくわからない。)
あと、堅昆エニセイ・キルギス(YeniseyKirgiz)がわりと長いこと半テュルクで放置されてるのも面白い。
まぁ、これについてはそもそも位置がバイカル湖の東というところからして、認識がいいかげんなだけかもしれないけど。
いずれにしても、彼らがタガール文化系(丁零・堅昆)よりもオルドス青銅器文化系(匈奴)に重きを置いているのが分かる。
186 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 15:45:28.79 0
>>185 普通は匈奴よりも丁零や堅昆のほうがトルコ系の可能性が高いと思われてるのに、
トルコ共和国ではトルコ系かどうか怪しい匈奴のほうに重点を置いてるんだね。
匈奴のほうが勢力も大きかったからそっちのほうを自分たちの主要な祖先と思いたいのかな。
トルコ共和国のちょっとした大国主義の表れと言えるかも知れない。
188 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 16:12:35.77 0
>>187 このサイト面白いね。トルコ共和国の人たちもここら辺を根拠に匈奴をトルコ系の国と、
認定してるのかな。匈奴も支配層の言語に関してはトルコ語に近いのね。
>>184 それ以前の問題だろ。
指定なしの白地に黒文字よりも手をかけてわざわざ読みにくくしているようなバカが
まっとうな筋道立てて考えて文章書けるのかよ?
論説の内容にケチをつけるのではなく、
単に見た目についてバカだの文句を言うしかできないような奴が何をいっても説得力なし。
>>187 これは確かに面白い。といっても自分が理解できるようになるには
大分時間がかかりそうだが。。。
>>178 これは力作だ。第二次ブルガリア王国はクマン人の協力で建国されたもので、
皇帝家はクマン人の血筋だけど、トルコ国家と認定してないんだな。果てしなく
強引かと思って見ていたら、案外抑制が効いている部分も見られるので、
じっくり見入ってしまった。
合理的な思考がみについてないから、わざわざ可視性悪くしてるんだろ。
頭の中が合理的でないヤツの推論なんか読むに値しないだろ。
自分で見直しもしないからあのままで、そういうことを併記でやるのは、結論まずありきで、他者からの突っ込みも受け付けない人種だ。
>>191 実際にブルガリアらあたりを取り合って戦争して痛い目に遭ってるし、そのすぐ近所のマケドニアは
名称巡ってギリシャと一触即発の状態にまでなってたし、反対側の近所のイラクは結構な軍事力
持っていたのにメチャクチャに負けてるし・・・・・・・
キプロスくらいのものでも思い通りにならんものが、いまヤる気満々で戦争上等という気持ちには
ならんよなあ。
色盲の人には見えないページってあるんだよね (^ ^)
>>187-188 恣意性が相応に入っているとはいえ、なかなか面白い分析だね。
匈奴のオルドス青銅器文化って、伝播経路としては
カラスク文化 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
スキタイ文化 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
タガール文化 ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 丁零  ̄ ̄
オルドス青銅器文化 ̄ ̄ ̄ ̄匈奴  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
最古形のハラジ方言やチュワシュ方言ではなく、むしろウィグル方言のほうが匈奴語に近いというのも。
スキタイ系青銅器文化の伝播って、タガール文化帯
テュルク性って、結局言語に求めるほかないから
>>195 すみません、間違って送信ボタン押してしまいました。
再カキコ。
>>187-188 恣意性が相応に入っているとはいえ、なかなか面白い分析だね。
匈奴のオルドス青銅器文化って、伝播経路としては
カラスク文化 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
スキタイ文化 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
タガール文化 ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 丁零  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄ ̄
オルドス青銅器文化 ̄ ̄ ̄ ̄ 匈奴  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
という流れだろうから、匈奴にテュルク的要素が大きいのに不自然さはない。
ただ、オルドスだと他種(月氏・羌族など)との混淆もあったと思うけど、トルコ語話者が優越したのかどうか。
最後の、最古形のハラジ方言やチュワシュ方言ではなくむしろウィグル方言のほうが匈奴語に近いというのも面白い。
>>192,
>>194 だったら、HPにメルアド書いてあるから、提案すれば?
そうした行動もとらないで、自分本位の理屈で決め付ける。余ったれてる。
199 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 19:28:21.82 0
>>197 確かに、オルドス青銅器文化はタガール文化から影響を受けてるからね。
トルコ系の祖と考えられてる丁零はタガール文化の栄えた辺りで、
発生した勢力だから、匈奴がトルコ語と近いのもそのためかも知れない。
ウイグル方言に近いのはイラン系などとの繋がりもあったということを表してるのかな。
>199 現代のウイグル語各方言はソグドの痕跡の可能性がある。特に西南のほう。
ここでいうウイグルは高昌回鶻のことじゃないかな?
201 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 20:02:23.11 0
>>200 現代ウイグル語と古代ウイグル語はわりと違うらしいからね。
ここで言ってるのは後者のほうになるのかな。
ただ、天山ウイグル王国もソグド人の影響が強かったらしいし、
ウイグル文字もソグド文字から発生したみたいだから、
イラン系の影響も少しはあったように思われる。
まぁ、当時のウイグル語は知らないので推測に過ぎないけど。
それらに言語が近いという匈奴もイラン系との繋がりが強かった気がする。
202 :
世界@名無史さん:2012/03/20(火) 20:06:58.50 0
>現代ウイグル語と古代ウイグル語はわりと違うらしいからね。
だって現代のウイグルって、古代のウイグルから名前を借りているだけで、別の民族じゃなかったっけ?
ウイグル置換をさかのぼりソグド置換前のトカラ語の命脈を想像してしまうオレは、
きっと夢見すぎなんだろうな、うん。
>>198 自分の書いたものすら読み返そうとしないオナニー者にメールなんか書くかよ。気色悪い
回鶻でも、高昌のあった昌吉州は住人の顔かたちが蒙古に近い。
でも亀茲たどソグド人の影響が強い。
高昌も亀茲もどちらも後世になってもこの回鶻の名で呼ばれるが
回鶻による政権の成立は回鶻可汗国が最初で
高昌,亀茲はそれからあと。
亀茲になってから、回鶻集団はソグドのいた天山南路へ進出する。
原型は回鶻可汗国で、蒙古に近い文化なのかな?
蒙古が回鶻可汗国の文化を吸収したという、逆だという意見が強いが。
・・・なんか自信がなくてスマン。
206 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 20:38:54.91 0
>>202 個人的に、現代における民族は帰属意識だけで9割方決まると思ってるので、
別民族という表現が適当かは断言しかねるけど、言語や血統という観念から、
言えば結構違うらしい。ていうか、天山ウイグル王国の時代から現代まで、
多くの勢力がこの地域に来てるので、その間に言語や血統が全く影響を受けずに、
変化しなかったと考えるほうが不自然だからね。そういう意味では古代ウイグル人と、
現代ウイグル人は全然別だと言えるね。まぁ一応どっちもトルコ語の系統にはなるんだけど。
そもそも、モンゴル帝国時代から清末期までこの地域ではウイグル人だという帰属意識は、
失われていったらしく、当時のこの地域の住民には○○人というな特別な自称はなかった。
20世紀に入ると、この地域がトルコ化した遠因でもある天山ウイグル王国の名から、
彼らの民族の名称がウイグル人ということにさせられ、新たな帰属意識が作られた。
その民族意識形成が現在まで成功してるかどうかは知らないけど、とりあえず中国は、
その名称を使い続けてるね。そういう意味では古代と現代のウイグルは使い分けるべきだ。
>>203 トカラ語は不思議な言語だなぁ。なぜか中央ユーラシアにおいて孤立してる言語だからね。
インド・ヨーロッパ語族らしいけどイラン系ではなく、ケントゥム語派に属するそうだ。
>>206 漢字だと、回鶻と維吾爾と使いわけているじゃん
回鶻 HuíHú
維吾爾 WéiWúĕr
音声まで違うね
209 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 20:59:36.31 0
>>205 ウイグルは南下する前のモンゴル高原にいた頃からソグド人などの影響が強かったよ。
彼らがマニ教を信仰したのも国内に多くいたソグド人の影響だと言われてるからね。
亀茲や高昌にウイグル人が南下すると定住化が進み、オアシス都市国家的な雰囲気が、
より強くなってきたため、ますます遊牧国家らしさがなくなっていったらしい。13世紀に、
モンゴル帝国がウイグルを支配下に組み込むようになると彼らもその文化的影響を強く受けた。
モンゴル帝国で使ってた文字はウイグル文字からとられてたしね。ソグド人の影響という点では、
突厥も同じ。ウイグルのほうが結びつきはさらに強かったけど。とりあえず、ウイグルや突厥は、
元々がトルコ系なうえにソグド人などの影響も強かったから、モンゴル的かどうかは微妙かな。
まぁ、後に定住化したとは言え遊牧民ではあったから文化的に共通点はあっただろうけど。
210 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 21:04:10.60 0
>>207-208 僕は中国での使い分けは良く知らないんだけど、維吾爾を現在の新疆の民族名として使い、
回鶻をかつてのモンゴル高原や高昌などに存在したウイグル国家の名前として使ってるのかな?
トルコ語だとどっちも同じウイグルになるけど、中国だとそのように区別してるんだろうか。
212 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 23:19:33.83 0
>>211 まぁ、中国に限らず基本的にはどこでも「回鶻=ウイグル」だからね。
中国で回鶻が今のウイグル人の祖であると書かれててもそんなに不思議ではない。
ただ、古代のウイグルが現在のウイグルといくつかの点で大きく違うことが問題で、
中国でもそのことをちゃんと区別して、漢字を使い分けてるのかどうかなんだよね。
僕は中国語読めないので、恥ずかしながらリンク先を読んでもそこまでは分からなかった。
現代ウイグル人が「ウイグル人」という民族名を採用したのは20世紀になってから。
そもそもこの地域は統一されたアイデンティティというものがなかった。
清朝時代に「新疆省」ができるまで、一つにまとめるような呼び方もなかった。
それに現代ウイグル語は西トルキスタンのチャガタイ文言をもとにした言葉と
ほとんど同じで、チャガタイ文言は現代ウズベク語のもとにもなっている。
漢字の維吾爾は「ウイグル」という言葉に新しい当て字を作っただけ。
しかし「東トルキスタン共和国」独立勢力はあくまでも古代のウイグル王国が
自分たちのルーツだと主張している。日本語サイトでもそちら寄りの解釈で
描かれていることがあるから注意が必要。
そういや政府が名付けたとか書いてあったな。
でもなんか回鶻は古突厥語でuygurだとかそんなことも中国語のwikipediaに書いてあったね。
つか今の東トルキスタンに住んでるテュルク系にウイグル族って名称付けたのは漢族だし
あの辺のテュルク系はそもそも民族意識よりも住んでる地域意識や部族意識の方が強い
実際今でも古い住民だと何人って聞かれてウイグル人って言うよりも
カシュガル人とかホータン人とかクチャ人とかトルファン人とか
自分の住んでる場所の名を取って言うケースが結構有る
今ですら老人関係はそう言う言い方が多いくらいだから
50年前なんかはもっとそうだと連想するのも難くない
>>185 >いずれにしても、彼らがタガール文化系(丁零・堅昆)よりもオルドス青銅器文化系(匈奴)に重きを置いているのが分かる。
丁零や堅昆が匈奴よりも軽く扱われてるのの一つにだけど
やはり冒頓単于の様な世界的超絶対頂点君主の存在の有無もやはり有るとは思う
確かに丁零や堅昆にも中国の史書なんかで首領になってる人物の記載は有ったけど
冒頓単于に比べると圧倒的に小さい存在だったりしてるのも有るだろう
まぁ冒頓単于に比べる事自体酷過ぎると言えばそこまでだけど
You Tubeの動画なんかでもトルコの国威高揚系の歴史の動画なんかでは
冒頓単于やアッティラの絵が掲げられたのが結構出てたりする辺り
トルコがいかにこれらの人物を絶大的に象徴化しているかって言う証だと思う
218 :
世界@名無史さん:2012/03/21(水) 05:38:03.45 0
>>99 赤匈奴(赤フン)白匈奴(白フン)に関して赤狄白狄から流れたって説も有る事は有る
日本では大体北狄って表記される狄だがこれもテュルクの転化訳じゃないかって説も有る
まぁ”そう言う説も有る”ってくらいで流した方が良いが
>>217 注意喚起くらいなら旅行会社のツアーは普通に実行されるよ。
「渡航の是非を検討してください」になったらやめた方がいいが。
220 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/21(水) 09:15:20.93 0
>>213 やはり維吾爾という漢字は近代になって当てはめた漢字で、そういう意味では一応、
古代に当てた漢字である回鶻との区別がなされてると考えて良いのかな。
>>214 回鶻にしろ維吾爾にしろトルコ語だとどっちも「ウイグル」で変わらないからね。
回鶻が勃興したのは唐の時代だけど、当時の唐はこのウイグルという音に対して、
「回鶻」という漢字を当てた訳だ。そして、20世紀に新疆の住民の民族の名称を、
考えるとき、古代のウイグルから名前をとってそれに「維吾爾」という字を当てた。
このように中国では漢字が別れるのに、トルコ語に直すとどっちも「ウイグル」で、
変わらない。ある意味、外からの呼称による区別でしかないと言えなくもないね。
>>215 それにも関わらず、東トルキスタン独立勢力は漢人の名づけた「ウイグル」という呼称を、
好んで使ってるような感じなんだよね。以前は、この地域にはそのような民族意識はなく、
あなたの言うようにもっと細かな都市ごとの帰属意識しかなかった。それを20世紀に入り、
当時の新疆を治めてた漢人政権が彼らに対しウイグルという呼称を使い始めると、
彼らもそれに乗っかって新たな民族意識を形成し、中国からの独立を訴えたりし始める。
まぁ、近代に新たな民族意識が作られること自体はあちこちで良く見られることなんだけど。
>>217 確かに、丁零や堅昆に比べたら匈奴のほうが知名度は上だからね。
トルコ共和国としてもマイナーな勢力よりは、有名で強大だった勢力のほうが、
自分たちの祖として扱いたいと思うだろうし。トルコ共和国に限らず、
世界的にも恐らく匈奴のほうが研究は進んでるだろうし。
>>218 へ〜、そういう説があるんだ。赤や白という言葉を使う辺り似てるから可能性はあるかもね。
>>219 >注意喚起くらいなら旅行会社のツアーは普通に実行されるよ。
個人旅行は普通にやってるけど、ツアーは組めないんじゃなかったっけ?
>>215 そもそも、オアシス都市の住民に、国家とか民族とかいう概念そのものが希薄なんだろう。
こっちから見ると、モンゴルなりチムールなり清なりに征服されて領土に組み込まれた地域にある街だけれど、
都市の側からでは、帝国に許された自治ではくて、都市そのものが統治単位でなんぼかの貢納を行うと隣の
都市までの通路の安全を保障するというような、契約関係・同盟関係なんだろう。
汎テュルク主義からすると
アルタイ語族系はみんな仲間
ツングースも?
テュルク系のヤクート人がツングース系と近いライフスタイルだったりするし、
周縁部ではあるものの仲間という見方をするのかなぁ。わからん。
>>220 ウイグルの呼称を好むのはウイグル語話者。
ヤクブ・ベクの乱:阿古柏之亂(1876年−1878)が
最初に清朝に反旗を翻した反乱。ここが「東」の突厥といった表現の初出かな?
この反乱はコーカンド・ハン国の後ろ盾を得ていた。
指導者のヤクブ・ベクの話していた言語は、
(正規兵なら)ウズベク語あるいは(傭兵なら)キルギス語。
ブハラから流れてきたならば、タジク語。
あんまりウイグル族主体で、何かがおきていたわけではないみたいで
新彊での政治力ではキルギス族やカザフ族のほうが上な印象がある。
あくまでも、コーカンド・ハン国が糸をひいていた事実からの印象だが。
228 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/21(水) 23:02:22.91 0
>>227 ヤクブ・ベク自身、新疆の出身じゃなくコーカンド・ハン国の出身だからね。
彼はコーカンド・ハン国以外にもブハラ・ハン国など西トルキスタンの勢力をいくつか味方につけ、
ロシア帝国やオスマン帝国もこの反乱を支持してた。つまり、外部の思惑による反乱という面も、
あった訳だ。そのためか、新疆の人々も必ずしもヤクブ・ベクを支持してた訳ではないらしく、
余所者として嫌う人もいたらしいね。そのうえ、彼は結構高圧的な統治をしてたそうだし。
まぁ、これはあくまで19世紀の反乱の話だから、現在に単純に結びつけるのは危険だけど、
新疆に「トルコ人の地域=トルキスタン」としての意識を結びつけたの外部勢力なのかもね。
ウイグル人という呼称を使うように決めたのは漢人政権だけど、そういう動き自体はもともと、
西トルキスタンで起こった動きみたいだし。それがウイグル語話者にも受け入れられたのかな。
>>220 「ウイグル人」という新しい民族カテゴリを作ったから
それを漢字で表記するのに新しい当て字を考えただけ…じゃないかと思う。
中国語は漢字表記しかできないから、漢語以外の固有名詞は
とにかく何か漢字を当てはめないといけないから。
>>229 今の維吾爾ってのは当て字だと中国語のサイトに載ってた。
「ウイグル」って単語自体には団結とかそんな意味があるんだとか。
遅レスだけど、
>>187のサイトにかいてある、
>トルコ語には、鼻音/n、m/がほとんど語頭には現れません。m がないのは、b と融合したためと解釈されるようです。
というとこ、まさに
>>101での推測どおりだな。
>バアトル(Baghatur)に比定というのは、遊牧民側でもマアトルから音韻変化したわけか。
パン=テュルクはどうだか分からんけどトゥラン主義でも右より拡張主義だと
モンゴル、ツングース、朝鮮、日本、ウラル、原シベリアも仲間
一番気違いじみた大拡張主義だとアメリカのエスキモー、イヌイット、北米インディアンも含めるがな
トルコとしては仮想敵国がイランとロシア。
こういう国への対抗意識としてパンテュルク的思想に行ったりする。
あとは、欧州からの差別
ここ数十年必死に、欧州連合入ろうとしても入れなかった
俺たちは、欧州でもイスラム圏でもない
中央アジアの覇者だ!ってアイデンティティをね
ここに、カスピ海の資源問題とかが絡んで、、、
>トルコとしては仮想敵国がイランとロシア。
中国もな
235 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/22(木) 08:19:42.58 0
>>229 やっぱりそんな感じなのかな。新しい民族名としての「ウイグル」に、
新しい当て字として「維吾爾」という漢字を当てたんだろうね。
>>233 現政権は結構イランに好意的なほうなんだけどね。最近のトルコは全方位外交を展開したいのか、
中東諸国とも中央アジア諸国ともヨーロッパ諸国ともそれなりに良好な関係を作ろうとしてる感じがする。
中東諸国に対してはイスラームとして、中央アジア諸国に対してはトルコ系として、
ヨーロッパ諸国に対しては世俗国家として、トルコ共和国の存在をアピールしてる。
まぁ、ここ最近のアラブの春でイランとの仲は再び悪化してきてるみたいだけど。
汎トルコ主義の観点から述べると、トルコ共和国はソ連崩壊後一貫して中央アジア諸国に、
積極的な経済援助を行ない、トルコ系国家の盟主という立場を示そうとしてる。
ソ連という足枷がなくなったことで衰退気味だった汎トルコ主義が少し復活した印象。
清朝が、西戎・北狄系のエスニック集団名をいじっている。
彜族は、「夷」だったのを変えた。
辛亥革命以後は、南蛮系も獣扁をとるなど、やはり改変。
苗族などは、一時期「猫」族だった。
音写の文字もそのまま昔のを使わないケースはあるよ。
237 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/22(木) 08:34:02.75 0
>>236 そうなんだ。中国では近代になると周辺民族の漢字の当て字を変えてたのね。
ウイグルに維吾爾という漢字を当てたのもそういう文脈においての話なのかな。
Baghatur<冒頓とか
中古音の研究ってかなり杜撰で信頼するに値しない
240 :
世界@名無史さん:2012/03/22(木) 20:56:27.42 0
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あとはもうわかるよな
>>237 省略短縮形にしてはならなくなった民族名もある。。
>>227 でも、ここら辺の人、二つ三つ喋れるのは普通。
243 :
世界@名無史さん:2012/03/22(木) 23:28:42.18 0
>>239 そもそも当て字をした当時に、一番近い音の文字を使ったかどうかも問題だし
侮蔑とか縁起担ぎを優先して音は二の次なケースもありそう
244 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 09:04:29.93 0
>>241 なるほど。ウイグルの場合もそういう近代に起きた当て字の変化の1つと捉えるべきなのかな。
蒙古民族を、「蒙族」と略しちゃならんのよ
クチャも昔は「亀茲国」だったけど今は「庫車(クーチョー)」という字が当てられている。
ホータンは「于闐国」だったけど今は「和田(ホーティエン)」
250 :
世界@名無史さん:2012/03/26(月) 00:40:02.80 0
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。
韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国聯合TVNEWS(YTN) 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6
TBSテレビ 、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 ←オウムに坂本弁護士の自宅の住所を教えて殺させた犯罪幇助のテレビ局
大韓毎日 、、、、、、、、、、、、 〒108-0075 東京都港区港南2-3-13 4F
東京新聞(中日新聞社東京本社) 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
京郷新聞 、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社 〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)
朝鮮日報 、、、 〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1
韓国日報 、、、、 〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F
読売新聞東京本社 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
東亜日報 、、、 〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2(AFP、NYT)
日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C
251 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 03:41:43.01 0
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民主党は、朝鮮人だらけ。
野田はどうだろうか。韓国人の集いに出席し、韓国人暴力団から賄賂を貰っている野田は
252 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 07:57:44.99 O
>>249 下の絵、キルギス人の顔の特徴すごい上手くとらえているな
>>252 ?
キルギス人の顔って日本人そっくりだった
あのへんは混血地帯だから、顔の偏差も大きいだろうて。
ウズベクは緑、ウイグルは西のほうが緑、東のほうが紅白
カザフは東のほうが青、西のほうは紅が好みという傾向。
ウズベクは執着するぐらい青みがかった緑色が好き
アゼルバイジャンの国旗の色が青、赤、緑の3色を基調にしてるけど
この3つは彼ら曰く伝統的なテュルク民族の好みの色なんだと
それをバランス良く集めたからこの3つの色になったとか
257 :
世界@名無史さん:2012/03/30(金) 03:12:12.69 0
その習慣っていつからあるの?
258 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/30(金) 09:28:53.20 0
緑はイスラームの色という意味合いもあるんじゃないかな。
トルコ系以外のイスラーム圏の国旗で緑はしばしば使われてるし。
現在、トルコ人の多くはムスリムだから、その関係で緑が好まれるのかも知れない。
青はなぜだか知らないけど中央ユーラシアのほうではトルコ人の象徴として扱われるらしいね。
東トルキスタンの旗も青色だし。恐らくティムールがかつて青色の旗を使ってたからだろうけど。
赤はトルコ共和国の国旗にも使われてるんだよね。アゼルバイジャンの国旗も、
真ん中だけ見るとトルコ共和国の国旗に見えなくもない。トルコ共和国の国旗は、
結構他のイスラーム国家やトルコ系国家のモチーフに使われてるからね。
三日月と星の組み合わせを使う国旗は少なくない。
259 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/30(金) 09:29:40.36 0
×トルコ系以外のイスラーム圏の国旗で緑はしばしば使われてるし。
○トルコ系以外のイスラーム圏の国旗でも緑はしばしば使われてるし。
>>258 突厥の事をトルコ語では
http://en.wikipedia.org/wiki/G%C3%B6kt%C3%BCrks (oとuの上に2個の点々 ギョクテュルクと発音)
って書くけど ギョクテュルクのギョク 他の大半のテュルク系ではKok Turk
(やはりoとuの上に2個の点々 キョクテュルク)
と書いたりする
で、このギョクとかキョクってのは「青」や「天空」それに類似する意味が有る
つまり直接的には青トルコとか天トルコって意味が有る
で、天っつうか天空のトルコって意味合いがより良いんだけどこの辺に
古代テュルク系民族のテングリ崇拝の要素が非常に重要になってくる訳
つまり青ってのは単なる青じゃなくって色の中では最も崇高かつ至上の色と言う意味合いも有る
なので別格で扱う場合も実際に有ったって事
http://ethnos.takoffc.info/tarim/color.html イスラム化したって言われるテュルク系民族でもイスラムの戒律と先祖代々の価値観が相反した場合
大抵は先祖代々の価値観の方を優先する部分が有る辺り
今でもテュルク系のシャーマニズム価値観は実は健在だったりする
261 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/30(金) 11:17:12.83 0
>>260 なるほど、青は空の色であり、トルコ人の伝統的な宗教観に関わってくるのね。
シャーマニズム的なテングリ信仰に基づいて、今でもトルコ人の象徴的な色とされてるのか。
カザフスタンやウズベキスタン、アゼルバイジャンなどの国旗に青が使われてるのはそういう理由だろうね。
「蒼き狼」神話についても同じ思考体系ってことだな。
263 :
世界@名無史さん:2012/03/30(金) 21:22:16.63 0
東京にある6つのキー局の内、製作から財務まで一貫して朝鮮人が行ってるテレビ局が1つ
中国共産党から毎年大量の反日工作費が流れているテレビ局が2つ
もろに北朝鮮と繋がっているテレビ局が1つ
年寄はまだまだテレビという外国人に騙され続ける
犬猫子供を出せば、馬鹿は見るだろ?
某テレビ局在日社員
オレオレ詐欺なんて年寄がどれだけ騙されやすいかという社会実験でしかない
馬鹿はいつまでも騙される
264 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/30(金) 21:32:55.29 0
>>262 蒼き狼はモンゴル帝国の神話だけどね。でも、トルコ人の祖先とされてる突厥にも、
狼にまつわる神話があるから、トルコ人もその神話をそれなりに尊重してるのかも知れない。
「蒼き狼」というのは、古典モンゴル語の原語だと「ボルテ・チノ」。
この形容詞「ボルテ」という言葉は、
いわゆる「青い」という意味よりは、
「まだら模様」とか「灰色がかった」といった意味に近く、
「蒼」という漢字も、「灰色」といった意味に近い。
で、突厥の民族神話だと「灰色の狼」が出てくるね。
これらには、おそらく何らかのつながりがあるだろう。
266 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/30(金) 22:06:18.04 0
>>265 へ〜、「蒼き狼」の色って灰色に近いんだ。だとすると、確かに突厥との関連性がありそうだね。
どっちもモンゴル高原で誕生した遊牧国家だから、関連性はあるのは当然なんだろうけど。
狼が出てくる伝説は高車など他の遊牧民にも見られるから、良くある神話だったのかな。
そう言えば「灰色の狼」はトルコ共和国の極右派組織の名前にもなってるなぁ。
しばしばケマル・アタテュルクのあだ名としても使われてるし。
これはやはり突厥の神話に出てくるということが関係してるんだろうね。
灰色の狼がトルコナショナリズムの象徴的存在になってる訳だ。
267 :
世界@名無史さん:2012/03/30(金) 22:20:07.99 0
阿史那氏って伝説では狼との獣姦で生まれたのか。
これはテュルク民族が古くから当たり前に狼とヤっていたという証左ですね。
268 :
世界@名無史さん:2012/03/30(金) 22:27:06.29 0
動物って人間とは見た目とか体力がちがうじゃないですか。
だから獣と人間からは動物の能力を受け継いだすぐれた子が生まれるという
素朴な発想が昔の人にあったわけですよ。で、自分たちの祖先というのを考えたときに、
その祖先は普通の人とはちがうということにしたいわけですね。
そうなると自分らの祖先は狼と人の子ってことにしよう、そのほうがなんかすごくね?と言いだす人が出てくる、
そしてそれが言い伝えられるうちに権威をもってくる、それが伝説ですよ。
大体狼を獣姦とかかみ殺されるじゃないですか。実際にヤってるわけじゃないですよ。
劉邦は竜の子、檀君は熊の子、神武天皇は鰐(鮫)の孫
ニホンザルは、雪猴=スノーモンキー
天皇は猿猴の子孫
猴祖神話はむしろチベット系民族に多いな
ジュヴァイニーの「世界征服者の歴史」によると、
ウイグル族の始祖は二本の樹木から果実のように生じた五人の子供だという
これは他の遊牧民のような狼祖神話ではなく、彼らがより北方の森林地帯から来たことを暗示する
同じような神話はモンゴル高原西部に割拠していたナイマン部族にもある
日本の神話は、猿が先発隊として乗り込んできて地固めする話(天孫降臨)と
犬がどこからともなく現れて道案内する話(日本武尊)があるので
渡来人にも、猿系と犬系があるみたいだ。
日本武尊本体は鳥になって最後は飛び立つ。よって鳥系である。
となると、チュルクのカザフ/キルギスあたりと接点があるとしたら犬系か?
273 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/31(土) 00:36:42.70 0
>>271 なるほど、ウイグルは同じトルコ系にも関わらず突厥みたいな狼祖伝説じゃないんだ。
こういうのは北方の森林地帯由来ということになるのね。
北方民と接触したときに伝説が伝わっただけなんでねーの?
ウイグル人自体が北方から来たとは限らない
秦嶺山脈が猴の本場。
オルドスまで北上すると猴はいない。
狼犬は南北がわからんね
276 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/31(土) 00:55:26.39 0
>>274 確かにその可能性はあるね。ウイグルだって北方と接触がなかった訳ではないだろうからね。
そういう方向で伝説が伝わった可能性も否めないか。
277 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 01:10:39.65 0
トナカイの神話はないんですか?
犬祖神話なら南方系の槃瓠伝説があり、羌低も槃瓠・三苗の末裔という
犬戎は雌雄の白犬が祖先で、槃瓠の子孫ともその主人の敵だったともいい、匈奴の先祖とする説もある
また西南夷にはロロ(イ)系らしき白狼族もいた
匈奴の初期の本拠地は狼居胥山といい、モンゴルの聖地ブルカン山にあたる
この山でボルテ・チノ(蒼い狼)とコアイ・マラル(白い雌鹿)は息子バタチカンを儲けたとされる
烏孫の再興者・昆莫は幼い時に匈奴に国を滅ぼされたが、烏が餌肉を与え、狼が乳を飲ませたという
高車の始祖は匈奴の単于の娘が老狼の妻になって生んだという
279 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 02:37:35.89 0
>>255-266 トルコ系民族の色彩感覚についてだが、
青花(染付)が中東イスラーム地域で好まれた背景にも
トルコ系、モンゴル系民族の色彩感覚があったようだ。
トルコ系、モンゴル系民族にとって、
白磁の白は万年雪を頂く山に、コバルトの青は空にたとえられたそうだ。
青海省タングラの高地では、空は黒いと表現される。
オイラート・モンゴル族やアムド・チベット族では、また違った空の色。
281 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 02:55:14.62 0
>>278 八犬伝はその伝説をモデルにしたんだっけか?
周書(北周書)突厥伝に
「或云突厥之先出於索國、在匈奴之北」とあるが、
この「索国」とはサカ、つまりスキタイのことではないかという
>>278 三苗は北から来たことになっていて
黄帝軒轅の政敵だったものの一部。
軒轅には、炎帝神農、蚩尤、九黎などいろいろ政敵がいた。
辺境民は、元朝以降なら連続した記録があって
何を祭祀しているかも追跡できるが
隋唐の時代の記録と部族名称が違っていて
三苗が現代の何かはっきりしたことがわからない。
三苗は南方の内陸に位置していても、北上してきたわけでなく南下してきた。
民族移動とともに犬祖神話も引き継がれたならば、北方起源ということになる。
284 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/31(土) 10:01:42.16 0
>>279 確かに青花はモンゴル帝国の時代に特に盛んになってたからね。
杉山正明氏によると、青花は中国の陶磁器の技術とイランの染料が必要だったらしく、
両方を領土に含むモンゴル帝国だからこそできたそうだ。そして、オスマン帝国では、
その青花が好まれて保存されてた。トプカプ宮殿には今でも中国からとり寄せた青花を、
見ることができる。ここら辺にモンゴル系やトルコ系の好みというのがうかがえるね。
ターコイズブルー って、トルコ石が名前の由来だが
チュルク系が好んだということも若干関連があるようだ。
これを貴重鉱物として流通させていたのは、チュルク系商人だから。
286 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/31(土) 13:35:05.38 0
>>285 なるほど、そういう理由もあるのか。トルコ石は中東では広く親しまれてたから、
関連性はあるのかも知れないね。イスラーム建築でもモンゴル帝国が来てからは、
青いドームがしばしば建てられるようになった。ティムール帝国も青を好んだためか、
サマルカンドのドームは青い。このことからモンゴル人やトルコ人の遊牧民が青色文化を、
イスラーム圏に持ち込んだということは言えそうだね。だから、青がトルコの象徴なのか。
287 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 16:38:49.98 0
1 名無しさんにズームイン! [] Date:2012/03/28(水) 08:28:15.02 ID:NWYs/2ZP Be:
やらなけゃいけない
電○の各局への圧力が半端ないんです
昨日、一昨日前田AKB卒業ネタやった情報番組全てが前田AKB卒業ネタ中の毎分で視聴率がダダ下がりしました。
各局本音では毎分視聴率ダダ下がりするこのネタははやりたくなかったけど原子力村以上に電○からの圧力が凄いんです
ブーム捏造、枕営業、自社買い、サクラの動員そして
AKBの捏造ブームのために税金が大量に使われている証拠がこちら
やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その122
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1332925336/ テレビの捏造ブームに騙されるな
288 :
名無し募集中。。。:2012/03/31(土) 19:59:21.07 0
イランがあんな状態だしペルシア文化は過小評価されすぎているなあ
昔、青が希少価値が高かったのは顔料がラピスラズリだったから。
フェルメールの青もラピスラズリだった。
ラピスラズリ 瑠璃色のことだね
北京の瑠璃廠の意味は、青色瓦の窯があったあったことで
その青は、ラピスラズリの青ということになるのかな?
焼き物だからコバルトブルーかな。瑠璃瓦といえば紫禁城の黄色が有名だけど
天壇の瓦は青い
「乙嫁語り」「蒼き狼」から広がる大陸色彩感覚・・・最近の世界史板にしちゃいい仕事してますね
ラピスラズリに関しちゃ、トルコよりはるか前から希少価値あったからなぁ・・・
ペルシャどころか、エラムのころから重要交易品だし。
オツガイの自演がヒドすぎる
モンゴル時代の「青花」もコバルトブルー(回青・呉須)か
296 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/01(日) 08:43:26.49 0
>>295 モンゴル帝国で青花が盛んだったのはイランと中国の両方を領有できたかららしい。
顔料に使われたコバルトはイランなど西方から取り寄せたものであり、
それと中国の陶磁器の技術を合わせることで、青花が多く作られるようになった。
唐三彩から青花瓷器へ発展したという説もあり
藍色釉の唐三彩もある。
青花瓷器が盛んに製作されたのは元代なのは間違いが。
299 :
298:2012/04/01(日) 13:11:12.91 0
ない。
300 :
名無し募集中。。。:2012/04/01(日) 13:58:06.03 0
北京の色彩感覚はちょっと気持ち悪いんだけどね
紫禁城も黄色とか赤色とか派手派手で日本人は好まないと思う
薬師寺、平安神宮、宇佐八幡、日光東照宮
わたしゃみんな好きですよw
302 :
世界@名無史さん:2012/04/01(日) 14:31:52.48 0
極彩色の伏見稲荷へいって、商売繁盛を願いましょう!
そういう欲望の炎を、浄化する拝火教的な嗜好がないと、金持ちにはなれません。
ここで話題を変えてトゥヴァの話を
等々力政彦氏のトゥヴァ民族音楽研究家の著書「シベリアをわたる風―トゥバ共和国、喉歌の世界へ」
今から10年以上前のトゥヴァの来訪と生活、そしてトゥヴァの人達のメンタリティが思う存分書かれてる
トゥヴァ系の数少ない貴重な本だったりする
研究家や歴史家とはまた違う方面からのトゥヴァの人達の生活振りをここまで深く書いた本は
おそらく日本では初めてじゃないだろうかと思う
詳しくは著書を見ていただくのが一番だとして
この著書の中にはトゥヴァの人達の歴史感、民族的英雄の価値観、周辺の民族との感情、生活振りが良く書かれてる
トゥヴァではチンギスハンは半分トゥヴァ人って価値観になっててつまり半分テュルク系と言う意識だったり
http://homepage2.nifty.com/enisei2580/tyva2.html (↑でのトゥヴァ滞在期でもチンギスハンの母親はトゥヴァ人と主張してるとか)
タンヌ=ウリャンハイ出身のスブタイをトゥヴァでは国民的大英雄と見做したりしてたり
で非常に興味深かったのが言語以外の要素 生活、宗教、風習、環境のほとんどがモンゴルに近く
またモンゴルに物凄く大きな影響を持ってるにも関わらず
意外な事にトゥヴァの人間がモンゴルの事を非常に嫌ってるって言う事も書かれてた
これは非常に意外に感じたし実際モンゴルに留学してるチベット仏教の僧侶も居るから親和性も高く友好的なのかと思ったけど
トゥヴァ人にモンゴルみたいって言うのは馬鹿とか死ねって言う以上の侮辱表現になると聞いて
この辺りの民族感情の複雑さと難しさを感じたとみたいだったようだ
また非常に面白い事にトゥヴァの一人の話に日本からわざわざ海を越えてやってきた「ひとよりゆきお」なる日本人が
チンギスハンの為にわざわざ一兵卒として戦ったって言う話も有ったそうな
日本人の為に急ごしらえした作り話かどうかはともかくこう言う話が出る辺り面白いものだなって思った
×またモンゴルに物凄く大きな影響を持ってるにも関わらず
○またモンゴルから物凄く大きな影響を持ってるにも関わらず
因みにトゥヴァ人はロシア人や漢族も基本的には嫌いな様だ
305 :
世界@名無史さん:2012/04/01(日) 20:05:04.47 0
死刑囚は基本特亜だらけだが今回の執行はどこの国の人?
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品
@『監査法人 (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会
日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←よく痴漢やヤクで捕まるのはここの工作員
テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
民主党は、朝鮮人だらけ。
復興が遅れるのも当たり前。帰化しても頭ん中外人のままの人間が大臣やってるから
野田はどうだろうか。韓国人の集いに出席し、韓国人暴力団から賄賂を貰っている野田は
「トゥバ紀行」P230によるとチンギス・ハーンの道と呼ばれている
(本当にチンギス・ハーン時代に作られたのかは誰にもわからないけど)
街道があったそうな。著者メンヒェン=ヘルフェンによれば自動車で
揺られまくっている状態から「突然、車がもう時速ニ〇キロではなく六〇キロ
で、まるでアスファルト舗装の上を走っているかのようにおだやかに
走りはじめると、あなたもまたチンギス・ハーンを讃えたくなるだろう。」
幅5m、場所によっては8mのまっすぐな道だという
307 :
世界@名無史さん:2012/04/01(日) 22:30:28.78 0
>>300 あの埃っぽさとそれをさらっと払う乾いた風、
高い所から見るとぼんやり霞む地平線、
そういう風景にはあの派手なのにどこか土臭い色が合ってるよ。
飼いバトの足につけた笛の独特な音が響いてきたらまた独特の風情。
モノだけ見てもピンと来ないさ。
北京はステップロードの薫ただようって杉山正明も書いてたっけ・・・。
>>300 でも赤いというか黄の屋根瓦はなかなかきれいだった
トゥバ(都波/都播)は、中国史書によればトクズ・オグズ(九姓鉄勒)の構成集団であった。
また突厥碑文によれば、バイカル湖南方のセレンゲ川流域に「オグズと結んだ九姓タタル」がいたという。
ウイグル可汗国の時代は西のクルグズに服属し、彌列哥(メルキト)、餓支(ウワス?)と並んで木馬突厥と呼ばれたが、
これは氷の上を木馬(橇?)に乗って滑走するためだとか。
840年にウイグル可汗国がクルグズの攻撃により崩壊すると、彼らは気候寒冷化もあって高原中央部へ南下した。
ケレイトやメルキトのことを、契丹や女真は阻卜(ジュブ)と呼んだが、トゥバのことかも知れない。
またケレイトの構成部族にはトベイト(トメイト)部があった。
311 :
名無し募集中。。。:2012/04/02(月) 04:47:03.25 0
>>307 たしかに中国はほこりっぽい
西安も想像とちがった
312 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/02(月) 07:08:02.08 0
>>303 >意外な事にトゥヴァの人間がモンゴルの事を非常に嫌ってるって言う事も書かれてた
確かに以外だなぁ。トゥヴァ人って近代になってモンゴルから引き離された民族だから、
その過程で民族意識形成のためにモンゴル人との違いがだいぶ強調されるようになったのかな。
元々モンゴルに帰属意識をあまり持ってなかったから、簡単にロシア領になったのかも知れないけど。
>>98>>100-102>>111 気になって検索してみたら冒頓の上古音は大雑把に言って
muks-tunsかmuugs-tuunsに推定されているから
メテ・カーン=冒頓= mək-twən(メク・タン)説が正しいみたいね。
314 :
世界@名無史さん:2012/04/02(月) 16:00:18.10 0
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。
韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国聯合TVNEWS(YTN) 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6
TBSテレビ 、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 ←オウムに坂本弁護士の自宅の住所を教えて殺させた犯罪幇助のテレビ局
大韓毎日 、、、、、、、、、、、、 〒108-0075 東京都港区港南2-3-13 4F
東京新聞(中日新聞社東京本社) 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
京郷新聞 、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社 〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)
朝鮮日報 、、、 〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1
韓国日報 、、、、 〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F
読売新聞東京本社 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
東亜日報 、、、 〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2(AFP、NYT)
日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←NHKの社員がよくチカンやヤクで捕まるのはここの工作員
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品
@『監査法人 (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会
315 :
世界@名無史さん:2012/04/03(火) 02:19:55.34 0
竹島に韓国軍を置かせるように言ったのも朝鮮人だらけの民主党だからな
未だに勝手に侵犯しているなんて考えの人は居ないよな
もちろんJAL、エルピーダは民主党による国策倒産
ここら辺は新聞読んでちゃ判らない
「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」
「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
【殺された石井こうきの発言から】
そうか、統一教会、朝鮮総連、民団→朝鮮人だらけの民主党
すべて繋がっている
317 :
世界@名無史さん:2012/04/05(木) 00:40:58.62 0
トルコスレを朝鮮ネタで荒らすな!
>>317 スクリプト使って自動で書き込みしてるやつだから相手にすんな。
規制されるの待つしかない。
>>310 遊牧民って、帰属意識とか、使用言語とか、容易に入れ替わるよ。
血統、帰属意識、言語は、セットで継承するものではないと思った方が良い。
320 :
世界@名無史さん:2012/04/05(木) 23:49:39.73 0
「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」
「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
【殺された石井こうきの発言から】
そうか、統一教会、オウム、朝鮮総連、民団→朝鮮人だらけの民主党
そして低視聴率反日大河ドラマ
すべて繋がっている
321 :
世界@名無史さん:2012/04/10(火) 23:41:28.46 0
322 :
(^○^) ◆KYAHA/emlo :2012/04/11(水) 01:38:21.43 0
i⌒i スッ
./ ̄\ | 〈| < キミは鳥さんがなぜ生き残ったか知ってるんだね
| ^o^ | / .ノ||
,\_// ii|||| バチーン!!
/ ̄ ̄ .../ iii|||||| バコーン!!
/ /\ 韓国/ ̄\ii|||| .' , ..
_| ̄ ̄ \ / ヽ. \从// ・;`.∴ '
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__) < ,:;・,‘
||\ / ̄\.' , ..
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ | ^○^.| 朝鮮人さんの博識には負けました もう許してください
|| || ̄ ̄ ̄ ̄, \_/
.|| / ̄  ̄\
.. / /..オツガイ...\
これは等々力の著書でトゥヴァの人達から聞いた彼らの価値観的歴史観で有って
日本での著名研究での定説の著書とは違うのを前提で話するんだけど
トゥヴァの歴史では13世紀の初頭にチンギスハンに帰順して以降モンケハンの時代までは付き従って行動してた
その後モンケハン没後にアリクブケとフビライの大ハーン争いの戦争が起こった時に
トゥヴァの集団はアリクブケの方に付いてフビライと戦い、アリクブケが敗北降伏後もフビライには帰順せず
そのままオイラートと合流して(これで思ったけどこの時代からオイラートがいたかどうか詳しい人説明出来れば有りがたい)
フビライの大ハーンには敵対関係に有ったと言う
史実辺りではこの頃のトゥヴァはオゴダイ家のハイドゥの領域になってたんで
ハイドゥの配下として対元戦略の尖兵地域として居たという話らしいんだけど
トゥヴァの人達曰く最早ボルジギン家には属さずにその後清王朝に征服されるまで
約500年間位独立勢力を保ってモンゴルや中国の王朝と対立を繰り広げていたと主張してる
彼らの主張をそのまま鵜呑みにするのも直ぐには危険だとしても
もし彼らトゥヴァの人達の主張が実際にそうだったとするとなると
実はモンゴル帝国北部から中部に掛けての勢力版図が実際は結構塗り替えられる事になる訳で
そうなると実は意外に重要な話なんじゃないかなとも思えてくる
この辺の部分にもうちらが定説で勉強してるモンゴルや中央アジアの歴史と
彼らの主張してる民族主観歴史観が実際は微妙に異なってる要素が有るみたいで
その辺の歴史観とか感覚とか学ぶのも非常に面白かったりするんだけど
残念ながらこう言った著書が日本ではまだまだ少ない上に注目度も低いままなので
大多数の目にそんなに挙がってないのが残念って言えば残念
324 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/11(水) 19:58:52.94 0
>>323 >この時代からオイラートがいたかどうか
そこまで詳しい訳でもないけど、オイラトは一応この頃からすでに存在してたかな。
オイラトもトゥヴァと同じようにアリクブケ寄りの部族だったね。この時代になると、
モンゴル帝国もだいぶ分裂気味になってるきてるので、トゥヴァ人の人たちの言うことも、
あながち間違いではないような気がするなぁ。北元は部族ごとの力が結構強かったし。
トゥヴァに限らず、こういう部族ごとの歴史観の違いというのはかなり興味深いね。
確かにこの手の話はもう少し多く挙がってほしい。日本では中央ユーラシア史は、
それなりに研究進んでるほうだと思うので、可能性がない訳ではないと思うんだよね。
325 :
世界@名無史さん:2012/04/11(水) 22:43:30.10 0
┏━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌───┐ ┃
┃│.ワイプ.│ テロップ.. ┃
┃│ 画面 │ テロップ.. ┃
┃└───┘ ┃ <ナレ:次の瞬間! と、そのとき!
┃ 【YouTubeの動画垂れ流し】 ┃
┃ ┃ <SEを被せる(ど〜ん、どし〜ん
┃ 流れるテロップ・・・・ ┃ どか〜ん、ぴろぴろぴろぴろ・)
┃ ┃
┃ やたらとデカイ ┃
┃ テロップ ┃ <SE:え〜
┗━━━━━━━━━━━━━━┛ ナレ:このあと、○○にスタジオ騒然!(CMへ)
/\ /\ /\
SE:え〜 SE:あははは SE:へぇ〜
テレビで
女性に人気の
とか言っているのを見て真に受けて買い求めに走る女とか見てると テレビっ言う宗教の信者なのかと思ってしまう
もちろん買いに走る振りをさせて(やらせ)収録することもあるが
やらせインタビュー(裁判傍聴業者)
http://blog-imgs-44.fc2.com/h/i/m/himablo21/20100922213922a0d.jpg
>>324 日本の場合残念ながらそう言う各民族の主観歴史を軽んじてるっつうか
あくまでも文節や書類の史書を優先にしすぎるきらいも有る様な気はする
この手の主観の部分に関しても、その主観歴史の背景にはそうなった要素が多分に有るはずなんで
そう言った方向性から見た歴史観をも資料として製作出来れば良いのにとは思う
主観だからってだけで突き放すのではなくその主観の背景に有った歴史事実を垣間見る事で
もっと深い歴史事実関係が多く湧き出ると思うんだが…
>>326 奇しくも数年前に2chの歴史板の遊牧関係のどっかのスレだかで
「現代モンゴルなんて傍流のハルハの連中がモンゴルって名乗ってるだけじゃん
本流の連中は大半モンゴルにはいないよ」みたいな書き込み有ったんだけど
実はトゥヴァの人達が現代のモンゴルに抱いてる印象がほとんどまんまそれに近い様だ
例のアリクブケとフビライの争いは我々はハイドゥの勃興の前哨戦みたいな感じの扱いっぽいけど
トゥヴァの人達からすればアレは正式に決まってたアリクブケをフビライが簒奪して
それ以降ずっと不当にフビライが不正にモンゴルを名乗ってた許しがたい暴挙だって言う事で
ハイドゥの勢力とは(勿論時に合流も有ったかもしれないけど)別にフビライ王朝と常に対立してた様だ
ウィキペディアでも複雑な歴史が有るって書いては居たけど今のトゥヴァの人達に言わせると
フビライ以降は完全に対決姿勢を強めて常に争って独立していたみたいな言い方だったのよね
おそらくそう言う歴史背景も有って現代モンゴルつまりハルハ部の事は激しく嫌ってるんだろう
傍流とか泥棒連中とか偽者とか紛い物とかそれに近いニュアンスでモンゴルの事を言ってるみたいだし
かつてのモンゴルは本物、今のモンゴルは泥棒共の偽者みたいな感じが有るとか
チンギスハンの事は大尊敬はしているが、そのチンギスハンにしても
母親はトゥヴァ人だからチンギスハンはトゥヴァでも有るんだ
って言う風な感じでトゥヴァ人達のアイデンティティにもしているみたいだ
それともう一つ有るのはおそらくロシアの民族分断政策も有るかもしれない
(これは中国やイランも得意技でよくやってた事だけど)
元々そう言う民族感情が有った部分でロシア領内に編入なった時に
トゥヴァはトゥヴァとしてのアイデンティティでnotモンゴルみたいな教育も有った模様だと
モンゴルでは禁止とまではいかなくても価値的に低くされ伝承がほとんど途絶えた文化を
トゥヴァの方では逆に奨励させる事で繋がりを絶つって言う一種の民族分化政策では有るけど
だたトゥヴァでも元々ハルハの事は嫌ってたのでそう言う政策には積極的に乗ってきた様だ
そう言う部分も有って今のトゥヴァでは今のモンゴルの事は
俗な言い方すると非人みたいな罵倒語に近いニュアンスになってる様だ
トゥヴァ自体ロシアや中国も嫌いでは有るけど
それ以上にハルハ=モンゴルは人扱いしないくらい嫌いな様子になってる
とは言え嫌いとか言っても言語以外の大半の要素(9割以上か?)
はモンゴルに酷似する位かなり親和性有る文化要素が強い訳で
かなり捩れた感情の要素も多分に含まれてるんじゃないかとは思うが…
サウド王朝も文化的に似通った周辺国と犬猿の仲だろ
まあ、近親憎悪ってのはどこの世界でもありがちだろ。
いちど憎悪が定着してしまうと、第三者からの分断と判っていても止められないもんだよ。
トゥヴァとモンゴルの関係はまんま日本と韓国の関係そのものだな
って言ってた人がいたな
どっちがどっちとは言わんけど
このトルコ文化圏の歴史の地図とか図表みたいなやつって
ネットで見れたら教えて欲しいんですが。
336 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/12(木) 23:53:04.11 0
>>326 やはりオイラトはアリクブケ寄りだったから一時期目立ってなかったのね。正直、オイラトが、
歴史の表舞台に出てくるのってエセンの時代になってからだし。この頃がオイラトの最盛期だね。
再興期のオイラトは、イェスデルなどのアリクブケ系ハーンと良好な関係を築いきてたし。
>>327-328 トルコ共和国における民族史観の研究なんかはそれなりに研究してる人もいるけど、
それ以外の地域はいかんせんマイナーだから、研究もあまり進んでないんだろうね。
仕方ないのかなという気もしなくはないけど、やはりもう少し研究が進んで欲しいと思う。
トゥヴァの場合はあなたの言うように、ロシア及びソ連による民族分断政策に加えて、
元々ハルハ部との関係が悪いことが、彼らの民族史観を育んでると言えるだろうね。
>トゥヴァの人達からすればアレは正式に決まってたアリクブケをフビライが簒奪して
これはトゥヴァ人に限らず日本のモンゴル帝国史研究家も言ってることだけどね。
当時のモンゴル帝国の状況を考えるとフビライのほうがアリクブケに対して反乱、
起こしたことはほぼ間違いのない事実らしい。簒奪と言うとアレだけどそれに近い感じ。
>>331 それは違うだろう。
トヴァとハルハはどちらもモンゴル、それもチンギス・ハーンの末裔として
正統だという主張がもとになってるわけだし。
日本と朝鮮にはそんな共通の祖先はないし「正統」争いは無い。
338 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/13(金) 00:01:14.55 0
>>332 アゼルバイジャンは石油資源がかなり豊富な地域だからね。ドバイなどの湾岸諸国に倣い、
自分たちも開発を進めようとしてるのかな。リンク先を読むとトルコ共和国の投資家も参加に、
関心を持ってるようだ。ここ最近のトルコ共和国の外交は他のトルコ系国家との関係強化を、
図る傾向にあるようだから、投資家だけでなくトルコ共和国の政府までもが注目すべきことかもね。
>>337 そう言う意味じゃなくって民族のメンタリティって意味でだろ
ソ連崩壊後に続々独立した中央アジアやカフカスの国々の中でも元々テュルク系の国家に対して
過去の遺物とか言われてたトゥラン主義の中でも右派系の連中が勃興しだしてたのは確かに有った
とは言っても所詮精々が夢想物語程度のものかとも思われてたけど
トルコのEU入り難航に対するアンチテーゼやイスラム諸国に対する嫌悪感からか
それに代わる拠り所としての一つ(あくまでも一つ)にかつての大トルコ系連合の構想がもたげて来たのは有るんだろう
もっとも中央アジアのテュルク系にしてもごく一部とは言えあからさまなアナトリア主導の動きをしてる連中に対して
元来中央アジアのテュルク系こそ主流と反発する向きの連中も少数ながら存在してるようで
特にウズベキスタン辺りは過去の栄華の歴史関係から潜在的な盟主は自分らって言う隠れた意識は有る様だ
実際の所はそうまでしてテュルク連合が連立するかは大いに疑問を持ってる人も相当に多いけど
とりあえずは年々僅かづつとは言え関係の強化が強まってるのは確かだとは思う
ウズベキスタンがあんまりそういうことに手を突っ込むと
キルギス、カザフが嫌がるんと違う?
あっちはあっちでハルハ、トゥバ、青海チベタン、内蒙古、ハカス
バシコルト、タタール、チュバシなんかとの付き合いがあるし。
いろいろ思惑はあれ、トルコ共和国にとってビジネスチャンスが拡がるという恩恵は確実にある
カザフの独裁者が注力している新首都プロジェクトでもトルコ企業の食い込みはけっこうあった
中国ほど安くなく韓国ほど技術力がないトルコ企業が大型プロジェクトで強みをもてる数少ない領域だ
逆にウズベクはウズベクでかつての威光の自負心からか周辺の連中と仲が良くないってのも有る
テュルクメンもウズベクの事好んでないってテュルクメンに旅行に行った人が暴露してたし
実はウイグルもウズベクに田舎者扱いされて心象は余り良くないって話が出てたとか
カザフやクルグズは当然バシクルト、タタール、チュヴァシュ、ノガイ、トゥヴァ、ハカス、アルタイ…等の様な
ロシア領内テュルク系との付き合いも深めたい部分が有るからな
あとは遠く離れたヤクートにも呼びかけしてるのは有るんだけどあそこまで遠いとどうなんだか…
最近はサハ共和国内はロシア系住民が目に見える形で流出が止まらず
ロシア政府の静止も全く効果の無い状態になってるとか
皮肉にもそれでヤクート人の割合が逆転して今では多数派になった訳だけど
中央アジアのあの広い所にでっかいトルコ連邦(仮)っていう国ができたら胸熱だな。
すぐに遊牧民ルーツの北部同盟と定住民ルーツの南部同盟に分裂しますよw
分裂するんじゃなく、分裂させるの間違いだろw
347 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/13(金) 06:10:08.70 0
>>340 今のトルコ共和国は全方位外交を展開しようと頑張ってるからね。中東やヨーロッパだけじゃなく、
トルコ系の中央アジア諸国への影響力も拡大しようとしてる。
>>342で言われてるように特に経済的な、
進出が盛んに行なわれてて、トルコの右派の間ではそれなりに注目が集まってると言えるかも。
ただ、かつてエンヴェル・パシャが考えてたような汎トルコ主義はもはや時代遅れのような気もする。
あなたも言うようにウズベキスタンなどにはアナトリア主導になることに反発を抱く勢力もいるようだし。
上手く統一できるのかは微妙だ。トルコ系国家と言っても国家ごとの違いもだいぶ大きいからね。
>>341>>343 ウズベキスタンは国内にタジク人を多く抱えてることも問題なのかも知れない。まぁそれを言ったら、
トルコ共和国もクルド人を多く内包してる訳だけどね。サマルカンドやブハラなど、中央アジアの中でも、
有名な都市が多くあるので、自分たちは他の国とは違うというような意識が働いてたりもするのかな。
まぁ、これらトルコ系諸国の足並みが揃わない限り、
>>344の言うようなトルコ連邦構想が実現するのは、
かなり難しいね。カザフスタンみたいにロシア領内のトルコ人との関係も考えなければいけないし、
中国国内にいるウイグル人なども考慮に入れる必要がある。トルコ共和国も一部の右派を除けば、
トルコ連邦は非現実的だと考える人のほうが多いだろうね。エンヴェル・パシャの失敗例もすでにあるし。
348 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/13(金) 06:12:32.43 0
>>346 ロシアとかが分裂工作するまでもなく、勝手に分裂する可能性も充分にあると思う。
中央アジア諸国だけでもそれぞれ違いは大きいし、アナトリアのトルコ共和国が加われば、
さらに地域ごとの対立は深まるだろうからね。ここら辺はアラブの統一話とも似てるかな。
>>334 ありがとう!!
今中国語の突厥与回鹘史とかいうやつ読んでるんだが
地名とか人名が全く理解できなくてワラタ
少し予備知識がないと厳しそうだ。
どこも同じだ。
総論(大合同)は賛成
各論(隣のやつに盟主格をもっていかれる)は反対
ってヤツな。
アラブ団結とかスラヴ団結とかラテン団結とか難しい
宗教と言語系統が大体同じヨーロッパでも今程度のまとまり作るのに苦労してるし
地道に経済文化交流進めるしか無いかもねぇ
352 :
世界@名無史さん:2012/04/14(土) 00:48:45.75 0
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品
@『監査法人 (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会
日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←よく痴漢やヤクで捕まるのはここの工作員
テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな
アラブもトルコも全盛の時代から内紛がお家芸だしな
354 :
世界@名無史さん:2012/04/14(土) 13:31:37.61 O
オツガイの口癖、「だね」が妙にカマっぽいというか、何か理由が分からんがカンに障るのは俺だけ?
>>351 ヨーロッパ、主だったるものでも、言語系統は3つもあんじゃん。
宗教だって、大まかに3つ。異端は異教よりも許容しがたいものだから、中世末期に
血みどろの戦争やってどうにも一緒になれないこと確認してんじゃん。
>>354 俺様用語と独自史観を叩かれないように予防線張ってるからな、オツガイ
357 :
世界@名無史さん:2012/04/14(土) 16:43:08.35 0
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\ヽ、 |l | | | | | | | | ``( (. .| | | | ~~
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>>345 南北もだけどそれ以上に東西に簡単に分裂するっつうか
実際トルキスタンって言われてる地域だって歴史上パミール高原境にしょっちゅう東西分裂してたし
359 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/14(土) 21:50:08.32 0
>>349 突厥などの中央ユーラシア史は地図などである程度の地名は把握しといたほうが良いかもね。
中央ユーラシア史は日本語でも詳しいのがかなりたくさん出てるからそれらを読んどくべきかな。
ベタだけど護雅夫氏の著書なんかは目を通しといて損はない。森安孝夫氏もわりと良いと思う。
>>354 カマっぽいのかなぁ?まぁ、単なる口癖なのでカンに障ると言われても何とも言えないけど。
>>358 トルキスタンも東と西じゃ結構違うからね。チャガタイ・ハン国なんかも東西分裂したし。
360 :
世界@名無史さん:2012/04/14(土) 22:23:28.03 0
カザフスタンスレを見てたらいつものココに飛ばされて来た (´;ω;`)ブワッ
イリ地方とジュンガル盆地に跨るカルルクの立ち位置もよくわからん
あのへんは突厥の昔から国境地帯になりやすいのか
363 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 00:23:45.13 0
>>362 カルルクって突厥の頃から歴史の表舞台に登場してくるけど、その頃から独自の勢力を、
築いてるような感じだね。ウイグルの時代になってもそれなりの勢力だった。カルルクは、
タラス河畔の戦いで唐からアッバース朝に寝返ったりもしてるね。そういうことを考えると、
東西ユーラシアの境目にいた民族という立ち位置になるのかな。トルコ系としては最初の、
イスラーム王朝であるカラハン朝もカルルクだという説もあるけど、真偽ははっきりしてないね。
元はアルタイ山脈の西に居て徐々に西進したから時期次第でしょ
イスラムの史籍に名前が出始める頃は中央アジアに居たし
カルルクに関しては日本語の資料が圧倒的に少ないせいか
日本では未だに謎の多いテュルク系民族って言う扱いになってる感じがする
この辺のは中国もそうだけどロシア語やペルシャ語の資料を日本語訳してくれる学者とか
その辺りの人達がもっと出ないと中々解明には及びつかないんじゃないかなぁと思う
歴史小説家の陳氏はカルルクに関して「賢しく立ち回る民族」みたいな描写で書いてたけど
そこはやはり例のタラスの戦いの部分を見てそんな感じの感想を持ったんだろう
利の有る方に簡単に付くって感じで彼らに忠誠心などは意味が無いみたいな感じだったけど
それは別にカルルクがって訳じゃなくって戦争全般に言える部分だからあくまでも個人の感想だろうな
テュルク系のウィキの中ではテュルク系言語でまとめてる時にウイグル&ウズベク系の現代の言語を
”カルルク系”と書いてる描写も有ったりする辺り
地域によっては今のウイグルウズベク言語の有る程度の直接的祖語のイメージも有るみたいだけど
勿論それは全般ではなくって一部のテュルク系ウィキに限ってるんで
他のテュルク系なんかでカルルクを直接的な言語祖先と考えてるかどうかまでは分からない
ただカラハン朝は三分した(中国のウィキではクチャ=ウイグルも含めて四部みたいだけど)ウイグル=ハーン国の残党で
一番西側にまで移った集団がカルルクと融合して出来上がったって言うのは
どの歴史書でも書いては有るし今のトルコでもそう言う風に教えてるのでこれは間違い無いようだ
カラハン朝に関してカルルクがどの辺まで深く関わってるかはまだよく分からない部分も多いけど
366 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 01:35:46.07 0
前にも書いたけど、直接ウズベク人にウィグル語とウズベク語はほとんど同じだと
聞いてびっくりした。間にキルギスとカザフスタンがあるだろ。
というよりは中央アジアからアゼルバイジャンからアナトリアまでのテュルク語が全部似てるんだよ。
似ている度合いには差がある。
タシケントとカシュガルの言葉の似ている度合いは高い。
ビシュケクとアルマトイの言葉の似ている度合いは高い。
それぞれグループの内は近いが、他のグループとだと似ている度合いが離れていく。
369 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 08:26:39.49 0
>>364 元々ちょっと西寄りのほうにいたのね。それが突厥やウイグルとの抗争を経て、
徐々に西進したという感じかな。タラス河畔の戦いではちょうどアッバース朝と、
唐の境目にいた訳だしね。カラハン朝もだいたいそこら辺の地域に位置してるね。
>>365 日本の中央ユーラシア史の研究者って中国語から入った人が多い気がする。
だから、ペルシャ語やロシア語の史料に当たることが少なくなるのかな。
カルルクがウイグル語やウズベク語の祖語だと言われてるのは初耳だなぁ。
トルコ人の間ではそういう説も一部で流れてるのね。カラハン朝がウイグルの、
残党であり、カルルクと融合してできたというのはほぼ定説とみて構わないのかな。
とは言え、はっきりした真偽は不明らしいけどね。充分にあり得そうな話だけど。
カルルク=葛邏祿
ウズベク・ウイグルの祖先とする説と
西遼カラキタイを経てオイラトモンゴルに合流した勢力が多数とする説がある。
371 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 08:55:41.14 0
>>370 西遼の時代にカルルクは反乱を起こしたことがあるらしいから、
それなりの数のカルルクが西遼にいたということになるね。
そこからモンゴル及びオイラトに合流したという説もあるのか。
>>371 その言い方は誤解をまねく。
ハルハモンゴルには流れていない。あくまでもオイラトモンゴルね。
373 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 09:14:03.86 0
>>372 あぁ、そうなのか。あくまでオイラトのみに流れたということね。
374 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 10:38:30.69 0
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テレビで
女性に人気の
とか言っているのを見て真に受けて買い求めに走る女とか見てると テレビっ言う宗教の信者なのかと思ってしまう
もちろん買いに走る振りをさせて(やらせ)収録することもあるが
やらせインタビュー(業者)
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/awborz/20070402/20070402222855.jpg
375 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 10:41:08.31 0
ウィグル語とウズベク語は同じなら同じトルコ系だし、なら民族も同じかと思えば
ウィグル自治区にはウズベク族として分けられてるからどういうこっちゃ?
ウィグルのウズベク人はウィグル語を使うのかウズベク語を使うのか中間か?
しかし、トルコ料理店はほぼ全員がウズベク人だが、明らかに写真で見るウィグル族と
顔が違う。女房はブラジル人かと言ってたが確かにブラジル人に見える。
>>375 ウイグル族は、カシュガル人やホータン人だけでなく
もっと東にも分布していて、トルファン人とかハミ人といった集団がある。
その人達は、容貌もモンゴル国のハルハ・モンゴル人みたいな人が多く、
イラン的容貌が注入されたようなウズベク国の人達とは違う。
ウイグル語にも方言があるので、もともとのカシュガル人とかホータン人といった
基礎集団にそれぞれ対応する方言がある。
新彊で自分はウズベク族だと申請している人達は、タシュケントから移ってきた人達らしい。
377 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 13:53:29.86 0
>>375 新疆も広いからウイグル人と言っても見た目はコーカソイドに近いのもいれば、
モンゴロイドみたいなのもいる。写真で良く出てくるウイグル人は
>>376も言うように、
東側のモンゴロイド寄りの容貌をしてる人たちじゃないかな。ウズベキスタンは、
タジク人なども国内に多く内包してるから、コーカソイドっぽい顔つきになるんだろうね。
>>376 上でも言われてたけど現代のウイグル族の名称がそもそもは20世紀になって
中世のウイグル族の名前をそのまま拝借して成り立ったものだからね
これはネットサーフィンのどこだったかのサイトでアドレス失念して悪いけど
仮にウイグルが中国から独立をしようとしても、いざその段階になって
東トルキスタンの各地の都市がそのまま自勢力の正当性を主張して
そのまんま分裂してしまうので結局成功しないだろうって言う主張が有った
だから仮に独立してもそのまま東トルキスタンって国になる可能性は低いんだと
今でも民族としてのウイグルの大同団結を求める勢力も有るものの
元々都市国家としての集合体の地域なだけにそう言う層が必ずしも支持されてるとは限らないみたい
379 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 14:39:08.93 0
>>378 今の新疆の地域はかつてオアシス都市国家が点在してた訳で、その頃から新疆では、
都市ごとの独自性が強かったということになるね。ウイグル人と言っても一枚岩ではなく、
独立運動も必ずしも統一されてるとは言いにくい。独立したとしても分裂する可能性は高いね。
まあ「民族国家」にはなり得んわな
突厥やモンゴル帝国やソ連のような多民族帝国の傘がないとまとまらん
今はその役割をモンゴル帝国の末裔としての中国がやってるわけで
これもまた流しのサイトでアドレス失念で悪いんだけど
ウイグル独立派のサイトの中で独立後の名称は
東トルキスタンではなくウイグリスタンと呼ぶべきと主張してるのも有ったな
ウイグル民族としての真実を覚醒するためにもその名称が正しい
東トルキスタンなどと言うのなら西トルキスタンは何処にある?存在しないではないか
みたいな論調を延々繰り返してて名称はウイグリスタンが正しいとか言ってるサイトだったけど
逆言えばそう言う主張なんかのサイトが有る事自体仮に独立派とかが主導権を持ってても
そう言う一致してない見方で直ぐに分裂してしまう事は目に見えてるだろうな
ウイグルっつうかその辺の東トルキスタンの歴史自体昔から多数の小国家が乱立点在してた訳で
皮肉な事に今の中国の政策が辛うじて東トルキスタンをなんとか一つにまとめてるって言う部分が有る訳で
この辺の領内の実情は実際の所思った以上に生活格差や支持基盤の違いが大きいと言えるそうな
明確にソ連1920年代にウズベク国の都市から亡命して来た者以外ウズベク族に認定しない。
そのへんはタタール族やオロス族と同様。
ウズベクに近い西の者はウイグル族として扱い、東のトルファンとくっつけておく。
こうすることで、漢族・蒙古族寄りに寄せることにより、ウズベクからは距離がおける。
西のほうをウズベクにぶんどられる恐れがなくなるという政治的意図はあるよ。
カザフやキルギスは事情が違って、昔から遊牧民としてイリから入ってきていて
ジュンガル崩壊後には大量流入してきた。
キルギス族は、黒龍江のほうが多く、ここで話されているのはハカス語。
もとが遊牧民がなので、都市国家とはあんまり結びつかない。
384 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 15:08:31.98 0
>>380-381 新疆はもともと都市ごとにバラバラな感じの地域だから、多民族国家としてじゃないと、
独立はできないかもね。今は中国が新疆の雑多な民族をウイグルとしてまとめてる訳だ。
まぁ、新疆の人たちが中国のことを
>>380の言うようにモンゴルの末裔と考えてるかどうかは、
微妙だけど。ウイグリスタンにしようという主張があることも、この地域の統一性を何とかして、
保とうとしてる独立派ウイグル人の思惑がうかがえるね。確かに、東トルキスタンがあるすれば、
西トルキスタンはどこだという話になるからね。しかも西トルキスタンと呼ばれてる地域は、
現在いくつかの国に分裂してる。東トルキスタンもそうなる可能性は充分にあり得る訳だ。
385 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 15:16:37.97 0
何で言語が方言程度のチュルク諸国はつながってるのにバラバラなんだろ。
カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンとキルギスをつなぐと大チュルクになるが?
トルクメニスタンなんてそのものじゃね?
モンゴル帝国がそれぞれの多様性を認めて統治しちゃったんだから
結果論でしゃーないじゃん
だって言語がまとまってたって文化が違いすぎるもん
上でも言ってたけどまず遊牧系と定住系でまず割れるし
次に東西の文化関係でやっぱり割れる
大きくみつもっても単純に4〜5くらいは簡単に割れて
更にその中から多数の違いでバラバラになっちゃうだろうな
388 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 15:25:59.31 0
>>382 東トルキスタンの独立運動は外部勢力からの影響による面も大きいから、
それによってウズベク人の影響力が強まって、新疆の領土をいくつかを、
ウズベキスタンにとられる恐れ出てくるしね。それを防ぐためなんだろうね。
ここら辺にも新疆ウイグル自治区が一枚岩ではないことが表れてるね。
389 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 15:31:37.20 0
>>385 他の人も言ってるように言語以外の違いが大きいうえに、長い間そういう多様性を認めた統治が、
なされてきたせいでもあるんだろうね。
>>387も言ってるように遊牧民か定住民でまず違うし、
遊牧民だと部族ごとの違いが、定住民だと都市ごとの違いが大きい。その上、文化も東西で、
結構分かれる。モンゴル寄りなのもいればペルシャ寄りなのもいるからね。新疆もそんな感じだ。
390 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 15:40:38.07 0
>>388 あとウイグルの中にはウズベクに主導権の取られるのを嫌ってる人達もいるからな
391 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 15:45:01.00 0
>>390 上でも言われてるうに中央アジアにおけるウズベキスタンの覇権を嫌う人は多いんだろうね。
こういう対立がある限り。トルコ系国家の統一なんていうのは可能性としてかなり低いね。
世界連邦にならなきゃ、ウズベクorトルコ主導の連邦なんか
加盟したくないというのがみんなの本音かな。。。
393 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 15:58:18.55 0
テュルク系ってのの意味合いがそもそもが言語って部分を根幹としたまとまりで有る以上
それを失うとあっという間に完全に四分五裂するのは言うまでも無い
言語を根幹としてまとまってていてもこの状態な訳だし
だいたいヤクートとガガウズなんてテュルク系って言う枠組みじゃなかったら
文化も人種も生活環境も全然違いすぎて普通は同じグループの集団なんって思えない
トゥラン主義の連中はトルコ系としての大同団結一致を叫ぶ思想だけど
そのトゥラン主義だってその思惑の中でかなりの差異が有る訳なんで
トゥラン主義=大トルコ主義って考えるのも正しくはないんだよなこれが
ここ最近だとウズベクとカザフの主導争いみたいなのも裏には一つのテーマとして有るとか
ウズベクは基本的にはカザフは時代遅れの遊牧民族と下に見てる一方で
広大な領地と豊富な地下資源を背景に急成長を遂げてるカザフに内心かなり嫉妬してると
外交関係って部分に関しても西欧諸国との関係の悪化からまたロシアとよりを戻したとは言え
実際問題はロシアに主導権を渡したくないからかそのロシアとも余り近づいてない節が有る
>時代遅れ
・・・あんまり他人の先祖の生業に変な偏見もつなよ orz
>>395 いやだからそれ俺が言ったセリフ訳じゃないで
ともかくも生活環境やら文化的側面の違いってのはかなり各地で有るって事さ
ウイグル語もウズベク語と同じでチャガタイ文言がもとになっているらしい。
新疆とウズベキスタンの間にあるのはキルギスタンとタジキスタンだけど、
ウズベキスタンも東の方はこの二つの国の間に深く入り込んでいる。
そもそも旧ソ連領5か国の国境線は民族や文化の違いを反映したものではないので
ウズベキスタンにもタジク語話者がいるし、タジキスタンやキルギスタンに
ウズベク語話者がいてもおかしくない。
ウズベキスタンへ行った時、わずかながら知ってるウイグル語を言ってみたら
全部そのまま通じた。方言やなまりじゃなくて全く同じ言葉だと受け止められた感
じ。
そもそも「ウイグル人」という概念が新しいものだし、「東トルキスタン」で
まとまるわけはないと思う。それに新疆にはカザフ人もキルギス人もモンゴル人もい
る。
ウイグル人が独立国を作ろうとしたらそちらの少数民族問題も出てくると思う。
398 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 17:29:28.26 0
>>393 所詮は言語的なまとまり以上のものではないからね。トルコ系諸国の統一なんて、
20世紀初頭にはすでに半ば挫折してる。汎トルコ主義も古い思想になりかけてるしね。
トルコ人のいる地域があまりにも広大すぎて、かなり地域ごとの差異が大きいんだよね。
>>394 正直、経済的にはカザフスタンのほうが上だからね。カザフスタンは1人辺りGDPが、
10000ドル超えてるし、領土や資源もウズベキスタンより豊富だ。ウズベキスタンは、
サマルカンドやブハラなど古くから中央ユーラシアで栄えてた都市を領有してるぶん、
自分たちのほうが大国なんだという意識を持ちたいのかな。それなのに経済では、
カザフスタンに大きく差をつけられてるため、その点で両者の間に確執があるという訳か。
399 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/15(日) 17:38:42.55 0
>>397 今のウズベキスタンにしろ新疆ウイグル自治区にしろどちらもかつてチャガタイ・ハン国の領土で、
15世紀ぐらいにこの地域で使われたチャガタイ語から派生してるという訳か。ウズベキスタンは、
そのことを踏まえたうえでこの地域の独立運動を支持してるのかも知れないね。確かに新疆の独立は、
中央ユーラシアにおける民族問題を大きくしてしまう可能性も否めないね。この地域は漢人も多いし。
ウズベクってある意味日本で言う京都的な要素の雰囲気の場所だろうからなぁ
良く言えば雅さが、悪く言えば嫌味的な雰囲気が有るのかも
その辺は文典やネット上の資料だけでは分からない
現地のテュルク系住民が実際の生活で感覚で分かってる何かが有るんだろうし
401 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 17:52:02.06 0
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とか言っているのを見て真に受けて買い求めに走る女とか見てると テレビっ言う宗教の信者なのかと思ってしまう
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402 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 18:13:20.75 0
チュルク系と言うのはもともとモンゴル系人種が西にすすんでイラン系とかの
白人と交わって半コーカソイドになったのか、もともとがコーカソイドでモンゴル系
と混ざったのかどっちだろ。まぁ、トルコ共和国は元々アナトリア人種がいたから
純コーカソイドになってるけど。
ウィグル族を始め、チュルク系はR1aのアーリア人Y遺伝子がタップリあるから言語が
モンゴル系人種がイラン系アーリア人を・・・つか、Y遺伝子は男だからアーリア人に
犯されたか、娶られたジャマイカ?
チュルクが閻魔大王や泰山府君のように
イラン系アーリア人の舌を抜いて、言語クレンジングするんじゃよ。
騎馬遊牧民の元祖は、トゥバ盆地を発祥とするスキタイ(サカ、ソグド)。
匈奴・堅昆・突厥などは、史書に書かれる容貌からしてコーカソイド多め。
月氏や大夏、タリム諸国の先住民は印欧語族トカラ語話者。
東へ行くほどモンゴリアン顔になり、モンゴルの大征服でチンギス遺伝子がばらまかれた。
まあフン族は割と平たい顔してたらしいが。
>>402 サカは色黒だから白人ではないよ。
本来のトルコ系で優越するY染色体はモンゴルや南シベリアの遊牧民と同じC系統で
R1aはトルコ化した先住のサカやスキタイのもの。
406 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 19:29:06.64 0
サカやスキタイといった歴史書で現有民族と紐付けされていない集団について
遺伝子の話してもナンセンスだよ。意味ナシ
古人骨から採取できないからね
ブリヤートやウランバートルの人達からR1aはほとんど見つからないが
初期の遊牧文化に属するスキタイ様式の墳墓群に埋葬された古人骨を分析すると
R1aが高頻度で見つかっている。これでいいかな?
410 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 22:09:22.93 0
キルギスで、R1aが6割を超えてる? キルギスなんて完全にモンゴル顏なのにな。
キルギス人は、日本人と外見上は似ているが
顔は朝青龍なのに金髪碧眼だったり、顔は白鵬なのに鷲鼻で胸毛もじゃもじゃだったりするらしい
コーカソイドベースの古代キルギス人がモンゴロイドと混ざったのだそうだ
金髪碧眼は日照量の少ないバルト海沿岸からキプチャク草原北方にかけての
森林地帯に住む住人が獲得した形質なのに
今のキルギス地方に住んでいた住人が金髪碧眼のわけないだろww
古代キルギス人は北モンゴルから南シベリアに居住してた民族だし
つか中世のウイグルと今の東トルキスタンのウイグルが別系統なように
古代から中世のキルギスと近世から現代のキルギスって別系統じゃん
堅昆とか黠戛斯とかイェニセイ・キルギスって言われた集団は今のハカスだろ
今のキルギスはカザフから更に分化して山岳を中心に生活する様になった集団だし
417 :
世界@名無史さん:2012/04/16(月) 02:08:51.28 0
<=( ´∀`)
( ) 朝鮮人は宇宙一ニダ
| | |
〈_フ__フ
Λ_Λ
< ;`Д´> あ…
( )ポロ
| | | ヽヽ
(__フ_フ =( ´∀`)
朝鮮人だらけの東京のテレビ局が日夜流す、デマや歪曲に騙されないようにしましょう。
418 :
世界@名無史さん:2012/04/16(月) 03:31:10.69 0
Y-DNAにR1aが多いことと、モンゴル顔であることは矛盾しない
黒髪黒目蒙古襞が優性(顕性)遺伝だから
420 :
世界@名無史さん:2012/04/16(月) 13:49:34.88 0
>>419 R1aはモンゴロイドではなく、コーカソイド特有のハプロタイプ。故地はおそらくコーカサス山脈北麓に栄えたマイコープ文化。
421 :
世界@名無史さん:2012/04/16(月) 13:52:05.79 0
>>407 スキタイ方式の墳墓ではなく、クルガン墳墓。
その中にスキタイの墳墓も入る。
ちなみに、スキタイは既に後期の遊牧文化。
印欧語族の発展段階ではかなり新しいほう。
422 :
世界@名無史さん:2012/04/16(月) 13:53:04.61 0
>>406 否定する勢力がいるだけ。いまのコーカサス地方の諸民族およびスラヴ人こそがスキタイの子孫。
スキタイが目立つのはギリシャ人の文書に登場するのはスキタイが多いため
しかし実際はスキタイより大きな勢力を誇り豪華な発掘品も多いのはサルマタイのほう
>>366 都市農耕民の言葉→ウズベク、近代ウイグル
乾燥地遊牧民の言葉→キルギス、カザフ
だろう。
「新しく城市を作ってた。水路付の田畑もあるよ。住む人募集。」 とかやったときに、喜んでやってくるは、
そりゃ、この城市のすぐ外の砂漠や草地の遊牧民より、少々離れていても都市の暮らしに慣れている、
他の都市の住民だろう。
そうなると、都市が或る程度以上の密度で存在すると、離れているところの方が言葉や暮らしぶりが似て
くるわなあ。
426 :
世界@名無史さん:2012/04/16(月) 17:28:31.83 0
モンゴル帝国の共通語がチュルク系の言葉だってここのスレだったか?
なんでモンゴル語じゃなくてチュルク系言葉なんだろう?
広範囲にチュルク系がいたからかな、共通語にしたから広がったのか?
その共通語って現在の何処の国の言葉に近かったんだろ?
>>407 殆ど見つからないと、全く見つからないとは、持つ意味が全然違う訳で。
>>410 Y染色体なんて殆ど遺伝子らしい遺伝子載っていないから、骨相についての影響は無いに等しいわな。
モンゴロイドだのコーカソイダだの言うのは骨相の形質というか類型についてのものだし。
>>426 そりゃ甘粛から黒海の北岸までテュルク系の連中が居たんだから、征服地が広がるにつれ
一番通用する言葉=テュルク語だわな。
テュルク系言語って言ってもこれまた大別して結構分かれる
学者間によってその分け方もかなり論争は有ったりするんだけど
Oghuz(オグズ)南西テュルク・南突厥:現アナトリアのトルコ、アゼルバイジャン、テュルクメン、ガガウズ、etc
Kipchak(キプチャク)北西テュルク・西突厥:カザフ、クルグズ、バシコルト、ノガイ、カラカルパク、タタール、クリミアタタール、etc
Uyghur(ウイグル)南東テュルク・東突厥:ウイグル、ウズベク、サラール、西ユグール、etc
Siberia(シベリア)北東テュルク・北突厥:サハ、トゥヴァ、ハカス、アルタイ、etc
他に早期から分化したArghu(アルグ)系ハラジ語とOghur(オグル)系チュヴァシュ語が有る
ただこの分け方はあくまでも一例で最近では一番有力だけど
特にクリミア・タタールみたいにキプチャクとオグズの両方が混ざってるって言うのはどっちとも言い難い部分も有るし
ハラジ語を独自ではなくオグズ系に含める学者もいたり
あとはシベリア系をさらに分化して サハ(&ドルガン)とそれ以外のシベリアテュルクは別系統と言ったりする学者もいたりで
その辺は今でも色々と学者間の論争になってるんでハッキリはしない
中国史で出てくる突厥、所謂ギョクテュルク語とかミドルターキックとか言われる6〜8世紀頃に語られたらしい中世テュルク語にしても
英語のウィキペディアではその言語はウイグル系に含めてる一方トルコ語のウィキペディアではオグズ系に含めたりしてる
この辺りトルコ語のウィキペディアでは現在トルコ語は中世の突厥語からの由緒有る言語で有るって言う国史的主観に基づく書き方をしてると思う
ボルジギン氏族とかの中核支配層はモンゴル語で口頭命令を下し、
書記がウイグル文字でこれを記述し、非モンゴルには各言語に訳して伝えていた。
しかしジョチ・ウルスは早くにキプチャク化し、チャガタイ・ウルスもウイグル化した。
ティムール朝の共通語であるチャガタイ語は、南東テュルク・ウイグル系。
サハとかアルタイとかの場所はシベリアではないんだが。
あんたがキプチャクといっるあたりがシベリアだ。
シベリア連邦管区に含まれてるし、ウラルの西だからシベリアやん
カザフスタンもタタールスタンもバシコルトスタンもキプチャク草原よ
ああ西じゃねえ東だ
あ、サラールはウイグルじゃなくってオグズだったごめん
>>427 初期遊牧文化がモンゴル高原や東シベリア南部に興り西へ広がったという意味で
持つ意味は殆ど同じ、或は全く同じ意味と言ってもいい、この場合。
オグズって中国史書でいう鉄勒烏護部?
>>430 イスラム史籍には、概念としてトゥーラーンが含まれない古代トルキスタンにあった突厥諸国中
オグズ部族は最大かつ最多数の勢力とあるし、ウイグル部族は元来モンゴル系と近い
モンゴル東部に居たのだから、むしろ英語版ウィキぺが反トルコ的主観に基づく書き方してると思う。
>>438 上で誰だか言ってたセリフだけど古代の匈奴語の有る程度は
割と現代のウイグル語(つうか東トルキスタン諸都市の言語)
にも有る程度直接的な系列の関わりが有るかもしれないとかで
それが本当にそうだとすると(って仮説になっちゃうしそれが絶対とは限らないけど)
英語版のウィキに有った中世テュルク語っつうかミドルテュルク語は
オグズ系じゃなくってウイグル系になるって言う見方は有る程度当たってるのかもしれない
トルコ語のウィキがミドルテュルク語(向こうはギョクテュルク語って記述)をオグズ系にしてるのは
やっぱり自分達が突厥の時代から変わらずに脈々続いてる言語の正統進化系って言う
ある種の自民族正統主観から基づいてる部分が大きいんじゃないかと思う
ちょっとテュルク系の言語学なサイトを軽く見回してたけど
学者によっても系統や系列の部分で差異が激しくてこれが絶対って言う統一論はまだまだ無さそうだなと
ある程度確立されてるのはチュヴァシュ語はプロトテュルク(つうか古テュルク?)が確立される段階
(或いはその前?)から相当に早い段階で分離分岐したんで
一応はテュルク系では有るけどかなりテュルク系から逸脱してる要素の言語になってるって言う感じだとか
だから全テュルク系の後に共通テュルク諸語&チュヴァシュ語って言う分け方になってるんだと
>>437 一応そうらしいと
オグズも書物によって色んな表記が有るみたいだな
>>426 >その共通語って現在の何処の国の言葉に近かったんだろ?
実際のところ随分と分化したから何処の国って言うのに一概には言いにくかったりするけど
一応有る程度有力なのだと今の現在ウイグル族の言語が一番近いんじゃないかって説が有る
でも学者間の説の対立が大きくてハッキリしないけど
中央アジアのk音がトルコやアゼルバイジャンではg音になったり
他の地域での母音がaなのはウズベクではoに変化したりするケースが結構有ったりだし
>>433 ウラルからレナ川までがシベリアだな。
狭義のシベリアだとシビル・ハーンの旧領だからもっと狭い。
トルコイスラム圏と大体同じになる。
>>439 漢籍に書かれてる匈奴語の単語は少数しか残ってないし
テュルク系かモンゴル系か判ってない、てかモンゴル語近縁説のが有力じゃなかったっけ。
チュバシ語を匈奴語の直系とする説もあるけどw
匈奴は記録に残る中では主に趙と戦ってるうえ、単于庭が在ったのは記録だと代、雲中の北
となると、突厥の跡に覇権を握った東寄りのウイグルは、地理的には
アルタイ山脈イェニセイ川付近に居た突厥よりも匈奴の方に近いから
オグズを突厥の直系とみる方が自然じゃないだろうか。
>>443 >チュバシ語を匈奴語の直系とする説もあるけどw
実際英語のウィキ見ると匈奴語らしきHunnic languageはチュヴァシュ語と同じグループになってる訳だ
だとすると文章内でも矛盾がしてるんじゃないかって感も有る訳で
多分至る方面の学説を余りきっちり纏めてないで書いたから
そう言う部分で突っ込みどころ満載な気もする
>匈奴は記録に残る中では主に趙と戦ってるうえ、単于庭が在ったのは記録だと代、雲中の北
>となると、突厥の跡に覇権を握った東寄りのウイグルは、地理的には
>アルタイ山脈イェニセイ川付近に居た突厥よりも匈奴の方に近いから
>オグズを突厥の直系とみる方が自然じゃないだろうか。
ただこれもオグズがそこまでして中核に深く関わったかってのに対しては
あくまでも最大勢力として利用した以上のものは無いと否定的な見方をする学者もいて
その辺りで学者間の差異や持論の分化も激しいんでどれが絶対的な結論になるかと言うと分からないとしか言い様がない
本当は中国語だけじゃなくってペルシャ語やロシア語もちゃんと読めた上で
多数の学説を紐解いて見た方が良いんだけどなこう言うのは
いずれにせよ英語とトルコ語でミドルテュルクの記述がずれてるのは
どっちが正しい間違いとかは論争の外に置くとしてこう言う主観の見方が有るのは面白い
(そう言う事を言っちゃいけないんだろうけど)
そう言やアヴァールやブルガールはフンの後裔を称した事も有ったんだっけか
言語的にどこまで共通性が有ったんだろう
最近の研究だとテュルクアヴァールやブルガールやハザールと言った消滅語は
匈奴語やフン語と関わりが深いって言う話自体は有ったが
それがどう言う根拠からそう言う説になったかまではよく分からん
その根拠も当たってるのかどうかも分からんけど
>>444 >あくまでも最大勢力として利用した以上のものは無いと否定的な見方をする学者もいて
そんな奴いんの?
トルキスタン諸国の王は皆九姓オグズの出身、そう書かれているから
少なくとも東イスラム世界から見た西突厥や突厥崩壊後の突厥スタンにおいて
オグズが権威ある部族と見られていたのは、叙事詩を含めて否定しようが無いと思うけど。
>>446 それがいるんだよ海外じゃさ
オグズ部族の関わりに関してどこまでを認めるかってのは結構温度差が有る
この辺は日本の学者だとそんなに差異は無いけどね
その書類自体に信憑性が乏しいとか資料自体を否定してる人も居るんだけど
そうなっちゃうとそれこそその人の持論以外持ちようが無い訳でな
>トルキスタン諸国の王は皆九姓オグズの出身、そう書かれているから
これを「恣意的に書かれた事であって信頼に足る記述じゃない」とか言い出してる人いるんだな
だったら代案はって気はするんだけど
中国の資料に対してそこまで大きな価値を見出せないって言う学者もいるけど
それこそお杉のシンパかって逆に疑いたくなってしまいそうだ
448 :
世界@名無史さん:2012/04/17(火) 03:10:56.76 0
結構資料を否定する人っているんだなぁ
まぁ学会ってそう言うもんなんだろうけど
>>447 ペルシャ語の史料を否定して
中国語の史料に価値を見出さないとなると
中世トルコ語の碑文しか手掛かりがないじゃん、狂ってるなw
>>449 まぁ学者の世界って中にはそう言うのも居るんだろ
そもそも他国語の資料などは歪んだ情報、その当時の言語以外価値無し
みたいな事を言う御偉いさんはたまにいるもんだ
相当に国粋的なのか或いは悪い意味で他国語を嫌ってるのか知らんけどな
oghuz/oqというテュルク語は、もともと単に「部族集団」を意味するようで
西突厥の国号On-oqやブルガール・ハンガリーのOn-oghurは「十の部族」の意
オグルやウイグルもoghuzの訛りだったりする
なんかこう言うのを見るとこの辺でもオグズ系のトルコとウイグル系のウズベクの
潜在的な主導権争いと自分こそ正統進化の本家って言う主流争いみたいな
そんな政治的な駆け引きみたいなのが入ってるんだろうなっては思う
>>450 言ってることがおかしいな、英語版Wikipのウイグルを中世トルコ語の直系とするソースが国粋的だったり英語以外のソースを嫌うとか意味不明だ。
だいたい中国史家に恨み骨髄の杉山が漢語文献を顔真っ赤で嫌うのは解るけど
ペルシャ語と漢語の文献を併せて嫌う学者なんているわけがない。
杉山って中華史観嫌うくせに自分が引っ張ってくる資料ってペルシャ語の史書じゃなくって中国のの史書だったりする辺り
自分で言ってる事矛盾してるんじゃないの?
>ペルシャ語と漢語の文献を併せて嫌う学者なんているわけがない。
これ日本の学者がじゃなくって海外の連中でそう言うのがいるって事言ってんじゃないの?
正直俺は海外の学者の誰がそんな事言ってるんだか知らんけど
まぁでもトルコ語のウィキって今は消されたけど昔は中国の周王朝やスキタイすら自民族認定してたくらいだし
結構滅茶苦茶平気でやらかしてるよな
ウィキペディアなんて日本も英語も全部含めて国史史観なんだからそりゃ当たり前だろ
そう言う見方も含めて違う視点で見るソースにはなり得るだろうけどさ
何故そう言う意見になるのかってのすらそれを踏まえて見るのが面白いんだし
中世のペルシャ語文献だとトクズ・オグズ=天山・甘州のウイグル
ウイグル=カシュガル以西に逃げたウイグルを指してて何が何だか解らないw
アンチお杉がこっちまで進出か・・・まあ、あれは身から出た錆だからしょうがないけどw
>>457 結局両方ごっちゃになってるよな
今のウイグル族ってのが中世の時代のとは系統的にやや違うのは存知の通りだけど
それでも直接的では無いってだけで間接的にはどんくらい繋がってるんだろうな
>>457 ごく一部の連中がそれを挙げてペルシャ語の資料は言われるほど参考にならん
って主張するのも居るようだな
読解力の問題にもなりそうだけど
この辺どう解釈するかはかなり論争有るんだろう
462 :
世界@名無史さん:2012/04/17(火) 20:20:35.22 0
スイス政府著「民間防衛」より転載
某国元首:費用のかからない方法で敵(国)を滅ぼすことができる。
魅力でひきつける宣伝は効果的な武器だ。我々の意図を美しい装飾で包み隠そう。
文化は立派な隠れ蓑になる。音楽・芸術・旅行などの口実で仲間をつくり、一方的な文化交流をしよう。
彼らは徐々に罠にはまっていく。
韓流、AKB商法の正体
もちろん、韓流、AKBは捏造ブームである。
ヨン様ファン?
もちろん在日ババアの動員ですよ。
テレビは愚民の思考を止めるために存在し、そのためにテレビ業界が役人、政治家により手厚く保護されていることを忘れないでください。
>>461 じゃね、カルルクが西突厥を滅ぼして以来、時代が下るに連れて南下西進してるから
本来はもっと北に居ただろうけど
ペルシア人にとっては、中央アジアの平原にいる騎馬民族はみんなトゥーラーン人さ。
俺も大体こんなイメージ。
ペチェネグがもっと北に広がってて、ハザールがもっと南
ブルガールがもっと強大で、その西にチュヴァシがあって‥
要するにモスクワが途方もなくデカ過ぎに描かれてること以外は納得できるw
モスクワ?まだ砦としても存在するか怪しいぞ
ロシアもないけどルーシならこれぐらいあるだろ
あるわけないだろww
ルーシは建国というか創成してからそれほど時間経ってないし
ビザンツやイスラムの記録とも一致しないわ
469 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/18(水) 10:15:09.74 0
>>425 ウズベク語もウイグル語も系統としてはチャガタイ語に近いから多分そういうことなんだろうね。
チャガタイ語はティムール帝国に代表されるように化したトルコ人が使ってた言葉だからね。
実際、現在のウズベク人やウイグル人は遊牧よりも都市文化のほうになじんでる感じがするし。
>>426 他の人も言ってるように支配下に多くのトルコ人を抱えてたからでしょ。モンゴル帝国も、
西のほうへ行けば行くほど、トルコ系遊牧民の割合が高くなってるし。ロシア南部のほうは、
トルコ人が結構多くいるからね。中央アジアやイランのほうもトルコ人の割合は高い。
そういう事情でトルコ語が多く使われてたというだけでしょ。モンゴル帝国はトルコ語に限らず、
支配地の言語は基本的にそのまま使ってたしね。モンゴル帝国で使われてたトルコ語も、
地域によってわりと違うから、一概に「現在のこの国の言葉に近い」とは言えないと思うよ。
>>430 僕はトルコ語が分かる訳でもないので、下で散々論争になってる突厥の言語について、
英語版かトルコ語版のどっちが正しいのかは判断つかないけど、ウィキペディアなので、
それなりに政治的意図も含まれてるのかなぁという気がする。トルコ共和国では突厥に、
自分たちの民族的なアイデンティティを求めてる訳だしね。とは言え、トルコ語版の内容が、
間違いだと断言することできないけどね。ていうか、突厥の言語って匈奴なんかとは違い、
碑文が多く残ってて普通に解読できそうだから、もっとはっきり決まりそうな気がするけどなぁ。
>>449 でも、突厥碑文の史料って学会ではどれぐらい使われるんだろうか?別にペルシャ語や、
中国語の史料に全く価値がないとは思わないけど、突厥本人たちが残した史料である碑文も、
充分に価値のある史料のように思えるんだよなぁ。上で言われてるオグズorウイグル論争も、
突厥碑文に書かれてる言語を研究すれば、オグズ系とウイグル系のどっちに近いかぐらいは、
分かりそうな気がするんだけど。それとも、あれって僕が思ってるほどの史料的価値はないのかな。
ペルシャ語と中国語とトルコ語(ペルシャ語アラビア語の単語盛りだくさんの文語)の三つとも分かる猛者って
歴史学の分野にいるのか?1つでもできたらすごいのに2つ3つ分かる人はガチだろ
>>426で言ってるのは
>>46のことかね
マルコ・ポーロは「トルコ語が通じればどこへでも行ける」と言ったそうだが、
当時のヴェネチアはクリミアを通じてクマン人(キプチャク・ポロヴェツ)とも交易があり、
クマン語辞典まで作られていたというから、マルコはクマン語を話せたのだろう
Λ_Λ
<=( ´∀`)
( ) 朝鮮人は宇宙一ニダ
| | |
〈_フ__フ
Λ_Λ
< ;`Д´> あ…
( )ポロ
| | | ヽヽ
(__フ_フ =( ´∀`)
朝鮮人だらけの東京のテレビ局が日夜流す、デマや歪曲に騙されないようにしましょう。
>>470 中央アジア史やってるなら結構ペルシャ語か古いトルコ語読める人は居るんじゃね
漢文読める奴はその辺に転がってるし
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品
@『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会
大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は
NHKが汚れているから
史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。
薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのだ。
ホリエモン 元ニート でググれ
やばすぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
476 :
世界@名無史さん:2012/04/24(火) 22:00:07.08 0
477 :
世界@名無史さん:2012/05/03(木) 22:15:34.58 0
特に話題も無いので昔の話題を蒸し返す
http://tuvanikki.exblog.jp/15277679/ やっぱりトゥヴァの人間って基本的にモンゴルっつうかハルハが嫌いなんだな
朝青龍の件に関してもモンゴルの英雄みたいな現モンゴル国と違って
あんなモンゴル共に負けて悔しく無いのかとか言ったりする辺り
昔から続くハルハとの怨恨は相当に根深いものが有るんだろうな
現地で直に生の人々と接してるだけにこう言うサイトは参考になる
479 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/16(水) 19:58:48.26 0
>>478 モンゴル帝国時代における対立と、近代になってロシアによって煽られた民族感情が、
このようなトゥバ人の反感を形成してるんだろうね。逆にハルハモンゴルのほうは、
トゥバ人に対してどう思ってるんだろうか?特に大した感情は抱いてないのかな。
モンゴルは国策は別としてロシア人と中国人
あと実は南モンゴルの中国国籍のモンゴル人も嫌ってるけど
トゥヴァの方に関してはの話は今の所聞いた事無いな
ただ良い感情は余り無いかとは思うが…
481 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/16(水) 20:58:38.94 0
>>480 ロシア人ゆ中国人、内モンゴルのモンゴル人辺りに対してあまり良い感情を持ってないだろうことは、
予想できるけど、トゥバ人に関してはあまり分からないのか。特に大した感情抱いてない気もするし。
482 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/16(水) 20:59:32.91 0
×ロシア人ゆ中国人、内モンゴル
○ロシア人や中国人、内モンゴル
>>481 ハルハモンゴルと内蒙古は、お互い「偽共産主義者」と呼び合う習慣があるから
もう半世紀近く、罵り合っているみたいだね。
トゥヴァが言語以外はほとんどモンゴルとの親和性の方が高くても
言語って言う部分でモンゴルと離別したのは
トゥヴァなりの自己アイデンティティの存在なんじゃないかと思ってる
穿ち過ぎかもしれないが
チンギスハンを自分らゆかりの英雄にしてる一方
フビライ以降を偽物扱いしてる部分でそう言う歴史的意識の差が出てるんだろう
基本言語ってのも簡単に入れ替わるもんだったりするんだけど
それでも言語の部分でついにモンゴル化せずテュルク系言語に留まった部分で
ハルハの偽者共と自分達は違うって言うアイデンティティを確立したんじゃないかね
>>483 モンゴルは南モンゴル(内蒙古)の連中を中国に吸収された軟弱者って言ってて
南モンゴルはモンゴル(ハルハ)を形だけの独立に満足した上に
伝統の文字を棄ててキリル文字に依存した卑怯者と言ってる
両者とも自分達こそ正統のモンゴルの継承を主張してお互いを偽者呼ばわりしてるんだよな
因みに実は世界で一番モンゴル系が多いのも実はモンゴルじゃなくって中国だったりで
トゥヴァの場合はそこから言語のアイデンティティの問題なんかも絡んできたりしてるんで
より複雑な感じになってるみたいだったりする
モンゴルの継承者という問題だけでなく
中ソの路線対立に巻き込まれた後、立ち位置が固定されちゃっている面もあるね。
ヤクートとトゥヴァはロシア人の流出が止まらなくて
それぞれ共にヤクート人とトゥヴァ人がそれぞれ最多数民族になってる
なもんで昔に比べてロシアに対する主張が強まってる影響も有るみたい
トゥヴァの中では特に民族主義者は都市のロシア名を廃止してトゥヴァ名をつけるべき
って言う主張も有ったりしてその辺のアイデンティティの変化も年々強くなってるようだな
モンゴルスレは過疎ってるのに、なぜかトルコスレでばかりモンゴルネタで盛り上がっているw
テュルク系っつってもトゥヴァとかハカスアルタイの辺りだと
モンゴルや中国やロシアの辺りの影響の方が強いからな
ヤクートなんかに至ってはそれプラスツングースやユカギールやシベリア原住民も混ざるし
なんかモンゴルスレにコピペされてるw
491 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/16(水) 22:20:17.17 0
>>483 まぁ、そこら辺は
>>486も言うように中ソの対立なんかも絡んでるんだろうね。
あまりトゥバから離れてモンゴルメインの話になるとスレチなのでこれ以上は控えるけど。
>>484 トゥバは言語的にトルコ系だからね。そういうところで民族的なアイデンティティを確保してるんだろうね。
モンゴル帝国の主流部とは違う歴史を辿ったことが、言語のモンゴル語化を防いだ一因かな。
>>487 なるほど、ロシア人がどんどん流出してるから余計にナショナリズムが盛んになってきてるのか。
それが余計にモンゴルとの違いを強調させる要因になってるんだろうね。
492 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/16(水) 22:25:01.05 0
>>489 トルコ系はかなり広範な地域に広がってるからね。彼らに共通するのは言語ぐらいしかない。
アナトリアのトルコ人は中東イスラームやビザンツ帝国なんかの影響がかなり強いし、
トゥバとかだとモンゴルの影響が強い。ヤクートなんかはシベリア系の影響も強いだろうし、
中央アジアのトルコ系国家とロシア南部のトルコ系国家もまただいぶ違ってたりする。
493 :
世界@名無史さん:2012/05/16(水) 22:30:51.72 0
http://rojitohito.exblog.jp/14897987/ トゥヴァとカザフのコンサートって言うのをやってるそうな
これは日本の人たちの音楽コンサートの運動で
別に現地の意向って言うのじゃないとは思うけど
ただこう言う形でトゥヴァにモンゴルじゃなくカザフを一緒に部分に
言語的な親和性(トウヴァはシベリア系でカザフはキプチャク系だけど同じテュルク系だし)
とトゥヴァとモンゴルの険悪さを回避させたって言う目的も有るとは思う
495 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/16(水) 22:46:13.65 0
>>494 上でも言われてるけど、トルコ人にとって青は伝統的なテングリ信仰に基づく色らしいからね。
トルコ人の間では民族的アイデンティティの象徴としてしばしば好んで使われるんだろうね。
496 :
世界@名無史さん:2012/05/16(水) 23:15:06.41 0
青と赤と緑、この3色はテュルク系の伝統的な民族色だそうな
つっても実際は別にテュルクに限らないけど
でこの3つプラス黄色が基本的な色として色んな部分で使われると
イランというかペルシャも青は好き
イスファハンのモスクの青はきれい
ペルシャンブルーという言葉があるな
>>498 プルシアンブルーだろ。ドイツのバルト海寄りのところだ。
確か芝木好子の小説にペルシャ青に惹かれて彼の地まで旅する作品があったように思う
記憶違いだった済まんが
奈良頃の日本にもペルシャ青というのは伝わってたよね
ティムールも青が一番大好きで
自分が命令して建築させた建物とかは
青を基調にして作る様にしたって言うしな
504 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/19(土) 19:52:18.63 0
>>503 確かにティムール帝国の建築には青が使われてるものが結構多いね。
ティムール帝国はトルコ的要素とペルシャ的要素の両方を含んでるからね。
建築に青が多く使われるのもうなずけるね。
けど、マトモな色が出せるのが、青しかなかったんだろ。
染料は藍、顔料はラピスラズリ、タイル(陶器)は鉄釉の還元焼成という具合に内陸アジア乾燥地では
唯一と言っていいほどの鮮やかな色の出るものだからな。
506 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/20(日) 10:07:15.16 0
>>505 なるほど、中央アジアだと青が一番使いやすい色だったのか。
もともとトルコ人として青を好んでたうえに、そのような理由もあったため、
ティムール建築には青が良く使われたということなのかな。
507 :
世界@名無史さん:2012/05/20(日) 12:00:27.00 0
>>505 逆の考えも出来る
青に執着してたからこそ青を作り出す技術が発展したと考えても良い
日本の米作の技術と同じ
今でこそ東北北海道新潟は日本有数の米どころだけど
むしろこれらの地域は気候的に米作には不向き
にも拘らず有数の米どころになったのも
日本人自身の米に対する強固な拘りと日本なら米って言う精神性が
不向きにも関わらず類稀なる努力と技術の向上性を持ってそうならしめたと言って良い
精神論は好きじゃないが(寧ろ嫌いだが)
精神を持って技術に転化するって言うのは日本に限らずどこでも行ってる部分でも有る
東北が米所になったのって、高々ここ100年の話で
江戸時代を通じて不毛地域で新種や新技術も中央からの移植だし
青って結局ラピスラズリでしょ。
アフガニスタンで採れるから中央アジアに広がった。
511 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 00:50:33.40 0
青空をテングリといって崇拝してたから?
>>508 あたま大丈夫?
北海道の石狩平野や旭川盆地、津軽・秋田・庄内、新潟
こういうところは、夏がとても暑いの。
そして雪解けの水が地下水となって水を確保しやすいの。
全部、仙台や盛岡の基準で考えたらダメなの。
513 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 01:50:38.65 0
>>114 東ゴート族。
シチリアは一時期支配下にあった。
514 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 01:52:45.54 0
誤爆
515 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 02:09:00.71 0
イスラムの青は確かに執着の産物かもね。
アッバース時代に発明された陶器の技術で
ファイアンス焼きと金属光沢(ラスター彩)ってのがある。
中国の磁器を模倣したものらしくカオリンが入手できなかったため不完全だが
スーサで使われるようになった酸化コバルトの青によって白釉に彩色する白地藍彩が生まれた。
初めはなかなか発色しなかったらしいが、時代を経て苦労の末、完成にこぎ着けたらしい。
516 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 06:47:39.33 0
>>512 お前こそ大丈夫?
東北が米どころなんって割と最近の事じゃん
暑いとか言う日本海側だって戦前まではむしろ不作の地域で
米不足で餓死とか人売りなんてちょっちゅうしてたんだが
明らかに昔は関東以南の方が米が普通に流通してた
これは色んな歴史書にも事実としてしつこいくらい書かれてるしな
517 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 06:51:29.97 0
100年も経ってないと思うぞその辺のって
せいぜい50年程度だろ
元々北日本なんって米作れる環境じゃないしな
518 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 06:56:30.23 0
>>516 日本海側は夏暑い(きりっ)水源も確保出来る(きりっ)
だから昔から米どころとか
昔の連年飢餓の記録も調べないで書いたバカなんだろ
こう言うのはムキになって同じ事繰り返すからほっとけ
どうせ資料調べたってこんなものは資料じゃないとか言い出すだけだから
東北の話題なんてどうだっていいよ
ジョチ=ウルスでジョチ死去後にバトゥが一応全体の長にはなったけど
この辺の相続権って何処までがどうなの?
実際はバトゥとオルダがほぼ折半してオルダの方は半独立的な状態なってたって言うけど
あとシバンのウルスはどのくらいバトゥから自治権を得てたんだか
なんか資料見ても結構書いてる事違ってたりみたいでよく分からんし
17-18世紀は 小氷期で寒冷化していたんでしょ?
中央アジアでも気温の低かったようで、川が凍結してたりするのな
522 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 07:49:26.93 0
東北は記録でも散々冷害が多発してたって記録出てるしな
まぁ東北の話はもういい
中央アジアのその辺りもやっぱり寒冷化してて作物が実らないってのは有ったんだろうか
遊牧地域でも牧草が育たなくって家畜が餓死したって例もよく記録されてるけど
523 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/21(月) 07:54:26.79 0
>>510 確かにラピスラズリの主な産地はアフガニスタンだからね。
中央アジアから近いため使いやすかったんだろうね。
>>511 それもあるらしい。トルコ人の間で青が好まれるのは伝統的なテングリ信仰が大きく関係してる。
524 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 07:59:42.36 0
テングリ信仰って日本の八百万信仰にかなり似てると思うけど
その部分って元々の文化の何かが共通してるんだろうな
見方によっちゃ中央アジアの石人なんって
日本で巡り巡って地蔵信仰の基の一部になってんのかもしれないし
525 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 08:06:24.80 0
日本人は天神様やお天道様は崇敬しても、青き上天はあんま拝まんからなあ
527 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 17:25:59.51 0
元の支配はバイカル湖から北極海にまでおよんでたそうだが、
清の支配はなんでブリヤートにすらおよばなかったんだろう?
528 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 17:42:56.37 0
ネルチンスク条約の評価は、清の勝利、ロシアの後退ということになっているが、
実際には元の時代に比べて中国側の領域が南に下がっている。
そのあとのキャフタ条約にしてもブルヤートが丸々ロシア領になっている。
バイカル湖以北のヤクートあたりまで清が領有することは無理だったのだろうか?
清は女真で半農耕民だから
>>508 青に執着したから、ラピスラズリやトルコ石が産出するのか?
藍が生えるのか?
あほかいな。
>>528 ネルチンスク条約にしてもアイグン条約にしても、理藩院で処理してるんだよ。
ロシア帝国を、朝鮮やらベトナムと同じ扱いで、単純に藩王領と本国直轄地との違いでしか認識していない。
ロシアにくれてやっても属藩に徴税権が移ったくらいの認識でしかない。
532 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 11:41:46.74 0
>>532 価値がどうなら産出したりしなかったりするの?
たとえば、遊牧圏でも、茶や穀物は大変な価値をもつものだけれど、
十分に供給できないから、温暖湿潤地方から運んできたりしているよ。
>>533 だからそう言う価値が有るからそうやって運んだりするんだろ
ダイヤがクソみたいなものだったら幾ら産出出来るところだってわざわざ掘ったりせんのと同じ
そんなの考えるまでもなく分かるもんだがな
535 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 16:26:47.67 0
>>534 そう言えばあの中国が今頃になってシベリア辺りに地下資源有るの分かって狙ってきてるってな
536 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 16:41:23.25 0
ハッキリ言って精神論は大嫌いだし精神でどうにかなるもんだとは全く思わないが
物価価値の価値観でモノの上下が有るのは確かだろうな
俺は
>>508の言い分もあながちおかしいとも思わない
精神論じゃなくて趣味嗜好と需給価格に基づく経済活動だろw
まぁそうだな
嗜好趣味や需要価格が無きゃモノなんってもんは意味がないわな
それ考えれば言ってる事もそうおかしいとも思わない
539 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 17:06:38.83 0
540 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 17:28:01.76 0
秋元康がインドネシア以外のイスラム圏でAKBの姉妹ユニットを作れるのはトルコ語圏くらいだろう。
中央アジア、アゼルバイジャン、トルコ。モロッコ、シリアはまあまあ寛容だが後はムリだろうな。
541 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 17:59:39.14 0
もともとテュルク圏の宗教感はイスラムに限らず緩いからな
ようつべで中央アジアの音楽関係の動画なんって
欧米の連中と変わんない衣装だし
542 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/22(火) 21:13:03.52 0
>>541 トルコ共和国の音楽関係の動画も結構欧米と大差ない衣装を着てるね。
ここら辺の国はそういうの結構ゆるいんだよね。世俗化が進んでる。
543 :
世界@名無史さん:2012/05/23(水) 04:36:35.94 0
>>534 だから、さー、ラピスラズリの大産地がアフガニスタンにあって、そのほかにも完走内陸アジアに沢山点在。
トルコ石も大産地がカシミールとかカスピ海周縁とか。トルコ石は生成条件が乾燥地の比較的浅いところ。
藍にしたってこれまたオアシス農耕に適した種類が最初からある。
>>544 だからお互い同じ事言ってるだろう
お前文盲か?
546 :
世界@名無史さん:2012/05/23(水) 12:54:57.62 0
>>545 そいつ多分言ってる意味分かってないだけだらほっといた方いいんじゃねぇの
どうせ次に勝利宣言なりなんなりするからww
547 :
世界@名無史さん:2012/05/23(水) 12:57:00.17 0
548 :
世界@名無史さん:2012/05/23(水) 13:33:01.74 0
なんか訳分かんない事になってきたな
なにムキになってるか知らんけど落ち着けや
オスマン帝国の政治体制について調べたいんだが、初学者におすすめの書籍はある?
無いよ。
551 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/23(水) 20:33:12.36 0
>>549 ここで訊くよりもオスマン帝国スレで訊いたほうが良いと思うけど、
とりあえず初めてだったら鈴木 董氏や林佳世子氏の本が個人的にはおすすめ。
>>551 あっちは荒らされてクソスレ化したからこっちでもいいんじゃない?それに、いつもオスマン関係の
日本語文献数冊引用してくる人もこのスレに常駐していることだし。
553 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/23(水) 21:03:00.09 0
>>552 あっちもそこまで荒れてないとは思うけどね。まぁ、でも別にこっちでも良いとは思うよ。
555 :
世界@名無史さん:2012/05/26(土) 01:29:53.41 0
>>540 BRT(ベイルート)48とか ただしメンバーはキリスト教徒の子女が大半を占めそう
ビシュケクとかアスタナは、アラビア語の語幹じゃないから、子音3音の略が似合わん
乙嫁語りって、モデルはトルコ系民族かな?
キルギスがモデル?
561 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/27(日) 14:39:13.19 0
>>560 トルコなんかは人口も7000万人以上いるから、可能性がなくはないかも知れない。
中央アジアのほうは概して人口あまり多くないけど、それでもそんなに少ない訳でもないし。
562 :
世界@名無史さん:2012/05/28(月) 18:36:04.46 0
モンゴルスレより転載
66 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 08:56:34.50 0
レーニン
イリヤ・ウリヤノフとドイツ・スウェーデン系ユダヤ人のマリアの間に生まれる。
父方の祖父は解放農奴出身の仕立屋で、曽祖父はモンゴル系カルムイク人(オイラト)であった
(曾祖母はロシア人であったという)。
この様に幾つもの民族や文化が混じるウリヤノフ家は帝政ロシアの慣習から見て
「モルドヴィン人、カルムク人、ユダヤ人、バルト・ドイツ人、スウェーデン人による混血」
と定義された。
67 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 10:48:23.19 0
>>66で、
>父方の祖父は解放農奴出身の仕立屋で、曽祖父はモンゴル系カルムイク人(オイラト)であった
>(曾祖母はロシア人であったという)。
とある一方で、こういう記述もある。
>ウラジーミル・レーニンは、父方の祖母を通じてカルムイク人の血を引いている。
どっちが本当なんだ?
563 :
世界@名無史さん:2012/05/28(月) 18:36:29.94 0
68 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 12:38:18.60 0
カルムイク人の曾祖父の息子が「解放農奴出身の仕立屋」って、よくわからんな。
なんでカルムイク人が農奴だったんだ?
69 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 16:09:15.33 0
ヴォルガ流域に移住した当時のカルムイクは、あくまで同盟者って感じで、
ロシア帝国の傭兵として各地の戦争に参加してたらしい。
そして遊牧生活を送ってたわけだから、そんなカルムイクが農奴のはずはないんだが。
70 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 18:09:05.04 0
ロシアのカルムイク人って、いつ頃まで弁髪にモンゴル衣装だったんだろう?
このスレにはあまり関係が無い話題だと思うけど?
キルギス、カザフ、トゥヴァ、アルタイがモンゴル系と文化共有しとるからな
モンゴルスレもそのあたりがオーバラップする領域だわな
566 :
世界@名無史さん:2012/05/29(火) 02:45:47.62 0
>なんでカルムイク人が農奴だったんだ?
ロシア人入植者に土地を取られて身売り、キリスト教に改宗⇒ロシア化
石勒みたい
農奴から政治家になった・・・
でも海外のトゥラン主義の人だとモンゴル系のカルムイクもトルコ国家の仲間に入れてたりしてるんだよな
つまりトルコのネトウヨかー。
区分できないし、部族丸ごと移籍したりも多々あるし。
18世紀まで黒海沿岸にあったクリミア王国とか、王様はジンギスカン裔だけれど、
典型的なトルコイスラムスルタン国だったし。
>>570 今風の俗に言うネトウヨみたいなのもまた地域柄っつうかお国柄みたいなのが出るけど
トルコのネトウヨはなんっつうか拡大解釈が物凄いっつうか
まぁその辺の連中も実際は派閥がいっぱい有ったりで色々有るみたいだけど
日本のネトウヨは、引き篭もり/シュリンク思考で
日朝同祖論とか好まないから、見聞に拡がりや成長が乏しい。
トルコやウズベキスタンのネトウヨのような破天荒な面白さが無く
ネクラな印象すら与えるという。
(ま、YouTubeで英語で書いていたキルギス人からみた日本のネトウヨの印象限定な)
便宜上ネトウヨって言う俗称を使うけど(前世紀にネットなんかないだろって突っ込み承知で言うけど)
戦前のネトウヨ的な連中は結構トゥラン主義に感化されてたのか日本でも拡大志向が居たと思う
第2次世界大戦敗北で日本の縮小化&国内回帰傾向の方向になったのと
両朝鮮の対日本対抗意識のむき出しからの反発からか
日本のネトウヨは超内向的かつ排外的な鎖国時代を連想する様な方向性に行ったんじゃないかと
トルコのネトウヨ連中も色んなのが居るけど
もっとも誇大妄想の激しい凄まじい連中だと
トルコ、モンゴル、ツングース、朝鮮、日本、ウラル系といったお馴染みのの他にも
シベリア先住民、アジア系系統不明先住民(例えばアイヌとか)、エスキモー、イヌイットから
果ては北米先住民(いわゆるインディアンって言う人達)までも含めちゃったりって言う
それこそユーラシアからメキシコ辺りくらいまで含めちゃう超巨大連合な様相も出てきちゃったりで
こう言うところの超拡大主義的思想はやってる事はともかくも
いかにもこの人達の感覚らしいんだろうなとは思う
>日朝同祖論とか好まないから
戦前や戦時中は結構唱えてた学者もいたような
今の時代はすっかり声が小さくなったけど
共和主義者もネトウヨになるから
アメリカ合衆国の多数派になってしまうのがアホの定義するネトウヨ
577 :
世界@名無史さん:2012/05/31(木) 04:13:26.82 0
合衆国の正統右翼は、反連邦政府、孤立主義。
共和主義者もネトウヨ、孤立主義者もウヨク
アホに定義させると世界がネトウヨだらけにw
ウヨク=王党派、君主制支持者ではないだろ。
共和制国家でのウヨクってのは、宗教右翼、伝統主義者、民族主義者などだろう。
580 :
世界@名無史さん:2012/05/31(木) 19:44:11.34 0
キルギスやウズベキスタンやカザフスタンなど、中央アジア諸国の人名に、
〜エフとか〜モフとか〜ノフとかいうロシア風の語尾の人名が目立つけど、
これは本来のトルコ風の名前をロシア風にしたもの?
残留ロシア人じゃないのかな
国によっては人口の2,3割がロシア人
>>580 流刑になったロシア人の子孫が、ロシア語を忘れて
現地化した家があるんだ。氏はそのままロシア風を名乗っている。
あと、カザフスタンの場合は、北部にロシア人の人工都市があって
ロシア語が通じるので、そのまんまロシア民族の集団がいる。
ムハメドフ、アリーエフ、イブライモフ、ラシードフ、ラフマーノフ、
アブディカリコフ、カリーモフ、スルターノフ、ホジャエフ、ミルザーエフ、
クトゥーゾフ、アカーエフ、ワリハーノフ
おー、面白い
ムハンマド、アリー、イブラヒム、ラシード、ラーマン、
カリーム、スルタン、ホッジャまではわかるが、あとがわからん。
20年くらい前、ブルガリアの同化政策に反発して、トルコに亡命した重量挙の選手がいたよな。
もともとチュルク人イスラム教徒と判り易いがスラブ化した名前のナイム・スレイマノフという名前だったが、
同化政策で名前を完全スラブ風に改めさせたられたのがどうにも我慢できなくて、海外遠征中に
トルコ大使館に駆け込んで、亡命が認められると、姓を祖形にもどしてナイム・スレイマノグルと名乗るようになった。
>>553 荒れてはいないけど廃墟化した。前スレは900番台位でも勢いは1.9行ってたのに新スレは立って
から1ヶ月ないのに1.1だ。前スレ終盤に出てきた荒らしがいまだ張り付いているのが原因だな。
こっちを実質的に、後継スレとして使うってことでいいと思う。
アブディカリコフ→アブドゥルハリーク:アラビア語で「創造主のしもべ」
ミルザーエフ→ミールザー、アミール・ザーデ:ペルシャ語で「アミールの子、貴族の生まれ」
クトゥーゾフ→クトゥーズ:テュルク系の人名 マムルーク朝スルタンにもムザッファル・クトゥズがいる
アカーエフ→アカー、アガー:テュルク諸語で「兄」、族長などの称号
ワリハーノフ→ワリー・ハーン:ワリーは「(神の)友」でスーフィーの聖者、ハーンは遊牧君主の称号
グッジョブグッジョブ!
591 :
世界@名無史さん:2012/06/02(土) 02:02:30.23 0
アゼルバイジャンの大統領でエリチベイってのがいたけど、独立後に付け足したエフを姓から外したのかな
そういえば旧ソ連でもバルト系やグルジア、アルメニアではこのシステムは採用してないな
592 :
世界@名無史さん:2012/06/02(土) 07:47:23.78 0
もともと苗字無かったのでロシア風苗字つけさせれたのでそ
それを言うと、ロシアでも苗字はオマケみたいなもので、よほどのことが無いと使うことが無い。
公的な場でも、個人名+家父長称まで。
回教徒も殆どは苗字のようなものは無くて、個人名+家父長称だしなあ。
>>591 エルチベイはそもそも本名じゃない。実際の姓はアリーエフ。
カザフ、キルギス、ウズベキスタンあたりだと、個人差もあるけど、
モンゴル顔の人が多いな。
とくにキルギスは一番モンゴル顔をしている。
トルコではいつごろ苗字がつけられるようになったの?
597 :
世界@名無史さん:2012/06/02(土) 22:26:57.37 0
598 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 07:53:25.60 0
599 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 07:54:17.99 0
トルコでも苗字はオマケみたいなもので、日常の付き合いでは
よほどのことが無いと使うことが無い。
600 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 08:36:36.97 0
ムスタファ・ケマル→ケマル・アタチュルクだけど、
ムスタファの部分はどうなったの?
601 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 10:35:03.82 0
ムスタファだけが名前。
ケマルは「満点」という意味の仇名。
アタチュルクは「トルコの国父」という意味で送られた称号。
名前についての慣習なんて割と変わり易いものだ。
本邦の、部族名(氏姓)が廃止になって公の名宣は家名(苗字)+個人名というのも、150年も経ってないし。
603 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 11:58:35.63 0
古代豪族以来のウジって、外国でいう部族に相当するものなんだな。
トルコ人の身分証には父親の名前も記載されてるよね
父親の名前-自分の名前-苗字 の順だったかな
イスラム的(っつーかアラブ的?)で驚いた
>>599 ファーストネームを呼び合う付き合いが一般的ってだけでしょ
苗字が疎かにされてるわけじゃないよ
親の名前を入れるのって、モンゴルやスラブでは珍しくない
白鵬のムンフバティーン・ダワージャルガル、彼の父の名はムンフバルト。
姓をもっていない人は、パスポートの姓はボルジギン氏と書くことあり。
>>606 スラブ圏では親の名を入れるのが珍しくない、ったって、例えばロシアとかブルガリアでは姓を呼ぶ方が珍しい。
結構公的な場でも、個人名-家父長称で呼ぶで。軍隊での呼び出しとか異動とか、学校の儀礼とかで壇上に呼び出す
場合とかにも、書面には姓まで書いてあるけれど、呼び出しには、個人名に家父長称を添えて、姓は省くのが普通。
608 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 13:47:53.86 0
>>607 > スラブ圏では親の名を入れるのが珍しくない、ったって、例えばロシアとかブルガリアでは姓を呼ぶ方が珍しい。
> 結構公的な場でも、個人名-家父長称で呼ぶで。軍隊での呼び出しとか異動とか、学校の儀礼とかで壇上に呼び出す
> 場合とかにも、書面には姓まで書いてあるけれど、呼び出しには、個人名に家父長称を添えて、姓は省くのが普通。
>
当方ブルガリアからの帰国子女なんだが、ブルガリアで姓は珍しいなんてはじめて聞いた。
ソースお願い。もちろんブルガリア語でな。
609 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 14:19:40.21 0
>>606 モンゴルで今の名前のシステムになったのは、社会主義政権下で、ソ連にかつてのタタールのくびきの報復としてか
家名の使用を禁止されたから、父の名前+本人の名前とするしかなくなったと聞いたことがあるけど、デマかな
まあ誰それの子誰それという呼び方は昔からされてそうだけど
旧ユーゴ圏でもポーランドでも親の名前なんて付けないな。精々役所に提出する文書だけで。
>>607は一体
何を以って「スラブ圏では親の名を入れるのが珍しくない」と言ってるのだろうか。多分「ロシアがそうだから全
スラブも同じに違いない!!」とか妄想しているのであろう。
>>608 要求するなら、同等の物を出してね。
ブルガリアからの帰国子女の証拠を先に出してね。
612 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 15:49:59.95 0
「公的」な証拠と私的な文書ではとても同等とは言えない。こちらの私的プロフィールを要求
するんだったらまずお前が嘘つきではない、捏造はしないという証拠を見せるんだな。
査証に押してあるハンコのSSとブルガリア語ソースをブルガリア語で手打ちした文章を
それぞれUPすればいんじゃね
>ブルガリアからの帰国子女の証拠を先に出してね。
とか言ってる時点でダメ臭さ全開だけど
こういうのはレリンが異様に詳しいから誰が本当のことを言っているか判定できるだろう。
だけどわざわざこんなスレにまで来ないだろうし、来たら来たでレリンに粘着しているキチ
ガイも着いて来るからあまり好ましくはないな。
ブルガリアのことなんて全く興味ないんだけど
616 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 16:49:15.87 0
ここはブルガリアスレでもあるんだけど?
スレ主がトルコの次にブルガリアやマケドニアの名前を出したってことはオスマンスレ
でマケドニアの話を聞きたがっていた人だと思う。
>>615 トルコ人スレに来て何馬鹿なこと言ってんの?
ブルガリアの祖先の一つにブルガールという集団があって、トルコ系の言葉を使っていた。
そのころは、突厥と近縁。
HLA-MHCクラスIのB座をみると、ブルガリア人には北部中国人に多い東アジア系の型を持つので
何らかの突厥との関連は認められるのだ。
621 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 18:16:01.36 0
ブルガールというのは、朝青龍みたいなコテコテのモンゴル顔の弁髪オヤジの集団?
>>614 本人を積極的に呼び込む必要はないが、そういう発想をすること自体荒らしに同調していること。
案山子が嫌だから山野、オツガイ、水に世界史板からでていけって言ってる奴いるか?
623 :
1:2012/06/03(日) 18:40:09.34 0
>>617 いえ、オスマンスレに書き込みしたことは無かったと思います。
順番は、確かトルコに近い方から書き始めたからってだけで、
単なる偶然ですね。
レリンに粘着していたギリシャ厨はガチキチガイ。案山子と比較するなんて案山子に失礼。
案山子はコテを外すことはあっても山野の発言を捏造して叩いたり、山野叩きスレを全然
関係ない板に立てたりしない。出現頻度がそもそもレアなコテに10年近く(?)執着している
程の異常さからもそれはわかるだろうに。
アルバニアスレとオスマンスレでレリンを散々煽ってた荒らしがそのギリシャ厨と同一人物
かは分からないが、別人だったとしても10年粘着と同じ行動パターンだから異常レベルは
同程度だろう。
これ以上はスレ違いなんで別ネタどうぞ↓
626 :
世界@名無史さん:2012/06/04(月) 00:49:51.06 0
>>602 江戸時代の日本に部族なんかありませんが?
627 :
世界@名無史さん:2012/06/04(月) 01:14:46.34 0
都市部のトルコ諸民族では「部族」意識は消失?
>>627 質問が大雑把過ぎないか?諸民族とか言ったら何十種類もあるんだし。
>>626 家を部族認定するなら、ローマはこてこての部族社会だし
西欧列強も近代に入っても部族社会だよね
630 :
世界@名無史さん:2012/06/04(月) 01:44:20.18 0
トルコ共和国では遊牧民以外にも「部族」がありますか?
都市民にとって、氏族 clan = 部族 tribe
632 :
世界@名無史さん:2012/06/04(月) 02:25:01.54 0
日本はイエに細かく分割されてしまい、イトコからもう他人同然
結婚できちゃうもんな
世の中にはイトコ同士の結婚が許されない国もあんだってね
イスラムでも父方のイトコ婚は推奨されてるな
>>633 だいたい世界中、氏姓か家名が違っていればイトコ婚OKだよ。
中国でも、女児にとっては父方でもOKになる
隋唐以降の中国では、父方の姉妹の氏はもとの氏を使うが一代限り。
子供の代からは嫁ぎ先の氏になるから。
635 :
世界@名無史さん:2012/06/04(月) 02:58:13.13 0
遊牧民は家畜経験上、近親婚はさけるのでは?
アラブやペルシャの世界なんかは遊牧民起源が少なく、オアシス都市民起源が多いからな
だから同姓のイトコとでも結婚できるんだろ
>>634 知らなかったわ
今、いとこ婚のwikiみて確認した
教えてくれてありがd
韓国は8親等で日本は異常だ云々って聞かされたんでw
てっきり少数派かと思ってた
>>626 官位官職を賜るにリネージ必須だったの知らないのかい?
徳川の将軍も、正式の名宣は、源朝臣ナンチャラってふうになってたよ。
藤原と源ばっかりであんまり機能してなかったけれど、建前は部族制だった。
これが名実ともに廃止になるのが、明治の頭の苗字令。
>>637 朝鮮王朝でも外戚が同じ氏族で連続することがあったんだから
王族は、母方の氏・本貫と一緒でも婚姻可能だったんだよ
>>635 家畜なんて近親婚ばっかりだよ。
遊牧の群なんて牡は生後間もなく殆どを去勢して生殖能力ある牡は100頭の群2・3しかいないのが普通。
特に人工受精が主流になってからは、何世代も続けて父×娘の交配があったりする。
人工受精の無い競走馬でも、奇跡の血量(18.75=3/16)とか、好んで近親交配するし。
【財産】贈与と結婚【長子相続】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1326107548/ 18 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/01/09(月) 23:58:36.49 0
韓国の場合、現在のように族外婚が当然視されるようになったのは、
歴史的には意外に新しいもんなんですよ、実のところ。
朱子学の規範が社会の隅々にまで浸透して以後のことなんで、
時代としてはだいたいのところ李氏朝鮮王朝中期ってことになります。
特に高麗王朝以前には、近親婚も全く珍しくありませんでした。
高麗王朝の家系図を見ると一目瞭然なんですが、
いとこ婚とか兄妹婚とかもまったく珍しくなくて、
ものすごく複雑なんです。
また、高麗時代には婿入り婚も全く珍しくなかったうえ、
嫁入り婚の場合であっても、
しばらく妻の実家で夫がマスオさん生活をするという習慣が一般的に行われていたので、
生まれた子供はまず初めに母の実家で育つ、というのがごく普通だったんだそうです。
夫婦の離婚や、離婚者の再婚も珍しくありませんでした。
高麗王朝には、きさきにも再婚者がいるほどです。
また、高麗時代には、男女を問わず兄弟姉妹の均分相続が普通の習慣となっていたうえ、
この均分相続は、すでに婿入り・嫁入りした者にも適用されていたんだそうです。
先祖を祀るのも、兄弟姉妹の間での輪番制が一般的でした。
また、こういった習慣ゆえ、なかば当然のことながら、
高麗時代の族譜は、男女混成で生まれ順どおりに記載されていたそうです。
スレタイ読もうな韓朝鮮籍
643 :
世界@名無史さん:2012/06/04(月) 18:14:29.10 0
でも、それでは血が濃くなりすぎるから、ときどき異部族の女を略奪して新しい血を入れる
644 :
世界@名無史さん:2012/06/04(月) 18:21:27.56 0
ヒトラーの父親は姪(ヒトラーの母親)と結婚してる。
>>644 3親等???
さすがにやばくない?
日本は直系を除く4親等から結婚可能なんだね
ワカメちゃんとノリスケさんは結婚できる(ノリスケさんが独身だったら)
ワカメちゃんとタラちゃんは結婚できない
モルトケも姪と結婚してるから
姪を嫁にモロトケ
なんつってな
|┃三 , -.―――--.、
|┃三 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
|┃ .i;}' "ミ;;;;:}
|┃ |} ,,..、_、 , _,,,..、 |;;;:|
|┃ ≡ |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
|┃ | ー' | ` - ト'{
|┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
|┃三 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-' /同志
>>647にはシベリア
|┃ | ='" | < で木を数える作業をお任せ
|┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ しよう!
|┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
|┃ ≡'"~ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ガラッ
649 :
世界@名無史さん:2012/06/05(火) 12:53:23.72 0
モンゴルはイトコ推奨じゃないと思う
略奪が基本
651 :
世界@名無史さん:2012/06/06(水) 03:36:37.19 0
モンゴル人はボルジギン姓を名乗りたがる
日本の封建時代で言うと、源姓みたいなものか?
士分の半分が源、藤原・平・橘を加えるとそこで9割とかいう。
もともと氏姓をもっていないうえ、社会主義時代に屋号(ゲル号?,包号?)が
番号になってしまっていたので、
パスポートのLast Nameを書きようがなくなってしまった。
だからボルジギン氏と申請するしかなくなってしまっただけ。
>>652 韓国はまだそんな感じだね
たしか金がすごく多い
李朝時代は姓も多様性があったが
現代南韓は幾つかの姓だけで過半数占めると聞いた、時代錯誤だよね。
656 :
世界@名無史さん:2012/06/06(水) 18:28:16.13 0
名門姓に統廃合される動きが韓国でもあったのかな?
日本では、地方豪族が源、藤原・平の男を天下りのように婿に迎えていれて名門と名乗って統廃合された。
なるほど、南韓は日本の1000年遅れで同じ道をなぞってるのか。
658 :
世界@名無史さん:2012/06/07(木) 18:49:57.33 0
本貫が別なら、別氏族。
統合されたのではなく、もともと下層身分は姓が無く=名乗れる人間が少なかった、後からえらいさんの姓を真似た
659 :
世界@名無史さん:2012/06/07(木) 18:51:33.40 0
李朝時代と現在で、姓の数に大差ない。絶えたところや漢字誤記が修正されて珍しいのが若干減っただろうけど。
660 :
世界@名無史さん:2012/06/07(木) 18:54:09.99 0
チンギス末裔しか汗と認められなくなってから実力主義が失われトルコ・モンゴル中央アジア諸国は衰退。
ティムールみたいに傀儡ハーンを担げばOKだろ
そういうふうにいうとティムールすげえ悪者だな。
おとぎ話に出てくる好戦的な大臣みたい。
頼朝も家康も同じ構図だろうに
家康の方はテンプレどおりの悪い大臣だけれど、頼朝はどうかなあ?
官位もらったらとっとと領地に引っ込んでしまって、皇位に干渉したりしてないし中央の政治にあんまし介入してないし。
チンギス裔と武家の時代の天皇はどちらも祭祀王
666 :
世界@名無史さん:2012/06/08(金) 20:59:57.54 0
>>664 そういうので善悪を評価するのは天皇中心史観に毒されてるなあ。
>>666 おとぎ話に出てくる、お人よしの王様と、野心剥き出しの大臣と、そういう喩えで言ってるのに・・・・・
お子様むけ絵本レベルだよ?
668 :
世界@名無史さん:2012/06/09(土) 12:33:37.20 0
家康の場合、豊臣視点からは秀頼に対して「悪い大臣」だったと言えるかもしれないが、
江戸幕府と朝廷の関係では、幕府は完全に独立した政権であり、その成立に朝廷は関係ないから、
上記のたとえはあてはまらない。
独立政権のトップである家康が、単に形式上の権威付けとして、第三者である京都のオッサンから、
実質のない肩書きをもらったというだけのこと。
家康は「国王」でしかないから。
ミカドは「皇帝」であって、家康を「冊封」する立場なの (メ _ _)
日本国王に冊立するのは中華の皇帝じゃねえの?
ベトナムの王は、自国の「大皇帝」からも中華皇帝からも二重に封じらておったが 何か?
中華からすれば僭称
南越は僭称、日本は中華秩序の外で冊封されてない時間のが遥かに長い
>>668 軍閥が国の中に国のようなものを作って勝手放題やるって、やっぱし悪い臣下じゃん。
現代の英政府やタイ政府や日本政府やその他立憲君主制国家は
悪い国になるなw
妬み嫉み僻みは程々に
総理大臣w
韓国ネタが出てきてから急にスレがおかしくなりはじめた
トルコ人や、トルコ文化の影響を強く受けた地域、テュルク諸語圏の歴史、文化について語るスレです。
主な対象国・地域
トルコ、ブルガリア、マケドニア、キプロス、シベリア、東トルキスタン、西トルキスタン諸国等
モンゴル、ギリシャが抜けてるな
>>675 王様が良きに計らえと言って丸投げにするのと
軍閥が力ずくで勝手にやるのと
同じにするなよ
天皇のお墨付きを得なきゃ開府出来ないの知ってる?w
それにただの王と天皇やハーンや皇帝は位が違うから
>>681 ウェストファリア条約以降、即ち、近代・現代は、王も皇帝も天皇も大公もハーンもスルタンも等位だから。
ウエストファリア条約は東アジア世界と関係の無い出来事
大清皇帝に従属していたのが朝鮮王であり
大日本帝国天皇の保護下にあったのが大韓皇帝
だいたい王様ってなんだよw
>>683 関係ねえこたぁねえよ。、ウェストファリア条約によって、近代国家と言う概念が成立し、主権とか元首とかの
定義が確立して、今に至る国際間のルールの基になってるんだからよ。
東アジア世界も、ヨーロッパの連中に国を乗っ取られるか、はたまた、日本やタイ国のようにヨーロッパを範として
国歌制度を作り直したか、どっちかだからな。
近代は国民皆兵による総力戦になったナポレオン戦争以後な
ウエストファリア条約はよくあるただの条約
>>685 条約っちゃあ条約だけれど、主権国家の概念が確立したものこれが契機だし、
そこで主権を確立した国家の元首エンペラーもキングもグランドデュークも同
格になったわけだし。
280 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:26:01.31 ID:sGoAT50E
三年前ごみんすに投票した連中、今どんな気持ち?
287 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:27:00.18 ID:P8V2Yy+50
>>280 橋下様なら何とかしてくれるとお経上げてるよ。
>>686 違うよ、神聖ローマ皇帝職の西方正教世界への権威が否定されただけ
主権国家の概念は太古の時代から存在する
689 :
世界@名無史さん:2012/06/10(日) 20:14:58.92 0
>>674その他
日本の場合、京都朝廷がまがりなりにも国家権力とか中央政府として機能してたのは、
どうひいき目にみても南北朝時代の途中まで。
義満のときに、北朝はあらゆる権力を幕府に接収され、幕府に寄生するだけの存在になった。
この時点で中央政府としての天皇制国家は消滅し、天皇家は過去の王朝になったといえる。
家康は実力で天下人になった上で、前王朝の子孫である、神主みたいな京都の旧家のオッサンから、
名前だけの肩書きをもらったにすぎない。
>>689 そうなんだろうけど
祭祀権、本家の御印籠というのも国家や民族の重要な一部ではある
神聖ローマ帝国ってもはやローマ帝国と関係ない
中央アジアでチンギスの血筋が有効だったし
権威が常に権力に付随するわけじゃないよね
692 :
世界@名無史さん:2012/06/13(水) 00:27:15.92 O
693 :
世界@名無史さん:2012/06/13(水) 09:56:38.86 0
トルコ人に言わせればチンギス・ハーンもトルコ人らしい
ハルハ・モンゴルは、キルギスやカザフぐらいしか共通文化がないのに。。。
トゥヴァの連中曰くチンギスハンの母親はトゥヴァ人だから
チンギスハンにはトルコ人の血も入ってるしトルコ系の言語もしゃべれた
だからトルコ人と言ってもおかしくないとの事だそうな
697 :
世界@名無史さん:2012/06/14(木) 06:51:28.45 0
>トゥヴァ人
今のトゥヴァ共和国に居たのは「森の民」でしょ?
699 :
世界@名無史さん:2012/06/14(木) 12:13:20.71 0
それいいな。ユーラシア最奥地に旅行したい・・・
>>698
>>698 おもしろそう
行ってみたい
ロシア旅行社やユーラスツアーズもこういう所はやってないね
701 :
世界@名無史さん:2012/06/16(土) 09:59:35.50 0
漢文資料の「突厥」が、「トルコ」「チュルク」という名の初出ですか?
5〜6世紀の突厥碑文がチュルク系なのは昔から知られていたよ
だから音写としては初出は南北朝期になるのかな?
ルーン文字で自己をチュルクと呼んでるものが特定できれば、それに遡ぼれる可能性あり
704 :
世界@名無史さん:2012/06/16(土) 10:40:40.32 0
「突厥」「トルコ」「チュルク」の名で記録された集団が、チュルク系言語を使用する集団の全てだったとは思えない。
それとも、当時はチュルク系言語の使用範囲はとても狭く、ユーラシア中央部も言語が多様だったのであろうか?
冒頓時代から丁零がおり、のち勅勒・高車・鉄勒と呼ばれた
テュルク諸語で「車輪」をtekerlekというので、高車は漢語での意訳、勅勒は音写だともいう
狄=テュルク説もあるようだな
707 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 00:57:07.02 0
ギリシャや地中海の歴史を調べたら
トルコ東部沿岸地域のトルコ人は実はトルコ化またはイスラムに改宗したギリシャ人が大半だと思えてきた
実際アナトリア東部は歴史的にはギリシャ語が主流で
ギリシャ神話で有名なトローヤはトルコにある
顔もギリシャとトルコ東部沿岸も似ている気がする
食文化や生活習慣もトルコ東部沿岸部とギリシャは似てる
>>706 狄=tik,tiekだから、これもテュルクの音写なんじゃないか?だっけ
709 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 08:21:43.17 0
テュルクの原義は?
710 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 08:22:51.78 0
>ルーン文字で自己をチュルクと呼んでるもの
ゲルマン人内部にもテュルク諸語集団が居たの?
712 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 10:59:17.29 0
156 :何語で名無しますか?:2012/06/15(金) 01:07:10.89
「タタール語」というのは実際何種類あるのか?みなカザン・タタール語と似たようなもの?
トルコルーン文字は単に外見が似てるからそう呼ばれただけで、
北欧のルーン文字とは関係ないので。
714 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 23:41:46.87 0
マジャール人内部には最初からテュルク諸語集団が居たらしい。姻戚関係にあったハザールがハンガリーにまでいっしょについてきた。
「山海経」海内経
(北海の内に)釘霊の国あり。その民は膝より下に毛あり、馬の蹄、よく走る。
「魏略」西戎伝
烏孫の長老がいうには、北丁令の中には馬脛国があり、その人々の声は雁や家鴨に似ている。
頭と体は人間だが、膝から下には毛が生え、馬の脛と蹄がある。
馬には乗らないが馬よりも早く走り、壮健で勇敢に戦う。
ヘロドトス「歴史」にも、イッセドネスの北に「山羊の脚を持つ人」が住むとの伝聞を記す。
716 :
世界@名無史さん:2012/06/18(月) 22:12:36.04 0
馬脛国=ブリヤートかバイカル湖?
>>704 突厥ルーンで記された突厥言語の碑文は東は沿海州西はドナウ川北岸まで出てきてるんだが・・・・・・
>>707 食べる物は地中海一円から中近東、東はパキスタンら辺まで結構似てるよ。
大体よ、ギリシャなんてオスマン王朝に500年間くらい支配されてんじゃん。その間に支配層たる回教徒トルコ人から
影響受けてるだろうに。
日本の比較で、ビザンチウム落城の頃というと東海・関東では庶民の家はまだ竪穴式住居だったし、東北の端まで
蕃夷の習俗が改まったといええる状態になる(全国一様に生活習慣が日本化される)のは18世紀元禄・宝永の頃。
上方好みの徳川家光と春日局がガシガシ京・大坂の人を呼んで江戸忠勤の武士に真似させてそれでようやく関東以北も
生活ぶりが日本化したような案配。
それを考えたら、トルコ人がギリシャ化したのではなくて、ギリシャ人がトルコ化というか回教徒の生活ぶりに近くなった
んだろうよ。
また在チョンが妄想願望史観を捏造してるのか、懲りないねホントに
東海・関東で庶民の家が竪穴式住居だったのは、平安時代後期まで
京都の職人を関東へ招聘して囲ったのは後北条家の頃から
ウリナラファンタジは君の母国じゃ通用しても日本じゃ通用しないよw
720 :
名無し募集中。。。:2012/06/23(土) 14:56:35.47 0
ビザンチウム落城ってなに?w
721 :
世界@名無史さん:2012/06/23(土) 16:46:34.40 0
1453
トルコ東方蛮族がキリスト教民族ギリシャ人を民族浄化した
722 :
世界@名無史さん:2012/06/23(土) 16:48:40.08 0
民族浄化もなにも落城当時、逃げられる市民は西欧に逃げていただろう。
ビザンツ皇帝はフランクから援軍を得ようと試みたけど
大臣や総主教はフランク人の野蛮さとカルトっぷりと傲慢さを嫌って
オスマンの支配を受ける方がマシ、
という感覚を持っていたし、ギリシャ帝国の官僚や貴族が
それ以前からオスマンへ鞍替えする現象も起きてたから
725 :
世界@名無史さん:2012/06/23(土) 20:33:43.26 0
オスマン軍に(イスラム化)キリスト教徒もいたの?
726 :
世界@名無史さん:2012/06/24(日) 12:53:34.09 0
オスマン軍に(イスラムに改宗しないままで)キリスト教徒もいたの?
>>726 1.まずオスマン軍の定義を述べよ
2.どの時期の”オスマン軍”が対象なのかを特定せよ
時期によってはキリスト教徒も居たし、キリスト教国を属国にしていた時期もある
だから、何をどう聞きたいのかはっきりしてくれないと答えにくい
728 :
世界@名無史さん:2012/06/24(日) 15:25:51.06 0
1.属国は除く、スルタン直轄の軍隊
2.コンスタンティノープル奪取後
>>720 1453年、オスマン王朝がローマ帝国を滅ぼした事件。
>>728 スルタン直属じゃない兵士の方が多かったんだけどwww
731 :
世界@名無史さん:2012/06/25(月) 20:19:20.31 0
ムスリムの諸侯、部族、傭兵の部隊も居たの?
クルド部族も動員されたの?
732 :
世界@名無史さん:2012/06/25(月) 21:16:36.80 0
734 :
世界@名無史さん:2012/06/30(土) 13:04:29.66 0
735 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/10(火) 17:16:46.35 0
>>707 実際、トルコ人とギリシャ人は見た目なんかも結構似てるし、アナトリアも長い間ビザンツ帝国領だった訳なんだから、
その可能性は大いにあるだろうね。最近はトルコ人の間でもビザンツ帝国に対する見直しが進んできてるらしく、
自分たちとビザンツ帝国とのつながりを意識しはじめる人も出てきてる。
少なくとも両者の間でかなり混血が進んでたことは確かだろうね。
>>709 「力強い人」という意味だと聞いたことがあるけど本当かどうかは分からない。
結構古くから用いられてた名称みたいだし、確かなことは分からないんじゃないかな。
>>725 イスラーム化したキリスト教徒なら、イェニチェリなどのデヴシルメで徴用された者は基本的にみんな当てはまるよ。
>>726>>728 林佳世子氏の本によると中期のオスマン帝国では基本的にムスリムしか軍には参加できなかったらしい。
まぁ、キリスト教の属国軍なんかは例外だろうけど、一般的には軍はムスリム中心だったのかな。
とは言え、これは16世紀後半から17世紀ごろの中期オスマン帝国の時代の話だから、
コンスタンティノープル陥落直後からすでにそうだったとは断言できないんだけど。
でも、デヴシルメとかでキリスト教徒を徴用した時もイスラームに改宗させてたから、
基本的には当時からすでにムスリム中心だったと考えてもそんなに問題ないような気がする。
>>731 最盛期のオスマン帝国の軍隊は基本的に中央集権の強いものだったけど、
一応スィパーヒーと呼ばれる封建的な軍人も存在したよ。まぁ、中央集権化が進むとともに衰退し、
最盛期には、イェニチェリなどに代表される中央直属のカプクルのほうが軍の中心になるんだけど。
736 :
世界@名無史さん:2012/07/10(火) 17:24:27.85 0
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737 :
世界@名無史さん:2012/07/12(木) 11:38:06.26 0
中央アジアではモンゴロイドっぽい顔立ちの人と、コーカソイドっぽい顔立ちの人って
どっちが社会的地位が高いの?
やっぱりモンゴロイドっぽい人は差別されてるんですか?
モンゴロイドっぽい人のほうが地位が上。
キルギスのニュースとかみていると、明らかにモンゴロイドの遊牧系ルーツの集団が社会的地位が高い。
739 :
名無し募集中。。。:2012/07/12(木) 18:07:07.02 0
アフガニスタンではその逆で
モンゴル系は差別の対象
740 :
世界@名無史さん:2012/07/12(木) 18:32:06.30 0
月氏はもともとモンゴロイドだが
現地の女をレイプしまくった結果コーカソイドの顔になった。
>>740 そんな説あったんか?
月氏の使用言語はトカラ系かイラン系(いずれも印欧語族)であったことが有力なわけだが。
742 :
世界@名無史さん:2012/07/12(木) 23:49:27.15 0
月氏はもともとコーカソイドだが
モンゴロイド遊牧民に女をレイプされまくった結果のモンゴロイド顔になった。
743 :
世界@名無史さん:2012/07/14(土) 18:36:12.31 0
744 :
世界@名無史さん:2012/07/14(土) 19:24:13.48 0
ロシア系など地元多数派民族以外はソ連崩壊後追放でしょう?
高麗系は追放されてない。
ウイグルもバイリンガルになる条件で受け入れている。
746 :
世界@名無史さん:2012/07/14(土) 23:58:05.14 0
ロシア系は地元言語を公用語にされたり、イスラム原理主義者がうろつくようになって、(必ずしも支配層でなかった、地味な職業であっても)ロシアに実質追放されつつある。
747 :
世界@名無史さん:2012/07/14(土) 23:59:59.94 0
ロシア系というのは、ロシア語が母語になった少数民族全ての事を指す。
ロシア連邦がにらみを聞かせていて怖いので露骨に迫害はされていないけれど。
イスラム原理主義者なんか、中央アジアの旧ソ連には殆どいないよ
人気があるのはイスラム神秘主義(スーフィズム)で、ダルビッシュ行者シャーマニズムだよ
ロシアの睨みが無いと中国がドヤ顔で乗り込んでくるのである意味必要悪だと思われている
トゥヴァとかサハ(ヤクート)なんて既にロシア系のが少数派だからな
まぁトゥヴァは最盛期だった頃ですらトゥヴァ人の方が多かったけど
サハは続々流出してったんで完璧に人口比が逆転してた
751 :
世界@名無史さん:2012/07/15(日) 07:20:00.02 0
キルギスやカザフのイスラムって、大乗やチベット密教系の仏教が影響強いよね
>>752 仏教に限らずゾロアスターやネストリウス派の影響も有るっつうか
あの辺りは色んな宗教の混交だからどれか1つってもんじゃないだろう
イスラム原理主義が侵食してきているのは、タジキスタンぐらい。
そこは、トルコ系文化圏ではない。
ただ、ウズベキスタンはもともとタジク系の言語だった
ホラズムやブハラだったので、タジキスタンの人脈も強い。
これは新彊の中でも、カシュガルあたりはソグディアナ近隣であり
タジク系だったので、イスラム原理主義が侵食している可能性あり。
中国がカシュガルやホータンを弾圧する名目は、アルカイダとアフガン産阿片。
755 :
世界@名無史さん:2012/07/15(日) 15:31:08.47 0
ということは新疆でも、いわゆる中国の分類による「タジク族」とは別に、ウイグル族にされてしまってるけど
「タジク族」の言語よりもダリ語やペルシャ語に近いイラン系の言語を話す地域があるってことかな?
756 :
世界@名無史さん:2012/07/15(日) 19:29:59.15 0
つ エイヌ語
757 :
756:2012/07/15(日) 19:32:23.31 0
Айнийский язык
艾努语
Äynu language
758 :
世界@名無史さん:2012/07/15(日) 22:50:21.63 0
>>744 事実上ロシアの衛星国だから
特権や軍関係者は旧ソ時代から引き継いでるよ
759 :
世界@名無史さん:2012/07/17(火) 07:47:45.83 0
いわゆる「タジク族」という集団は、言語・宗派を異にする複数の民族を指すみたい。
760 :
世界@名無史さん:2012/07/17(火) 07:50:04.13 0
旧CIS諸国に華僑は韓国企業ほど目立っていないようだったが最近は違いますか?韓国人のキリスト教宣教師も目立っていました。
ウズベキスタンには、黒竜江省近傍の高麗人が多く強制移住させられた。
黒竜江省の国境より南にいた朝鮮族は、省内のいろいろな郷鎮にちらばっている。
黒竜江朝鮮族とウズベキスタン高麗人の間でそれなりの通商はあるね。
>>761 日本と同じように、ウズベキ国籍にせず朝鮮、韓国国籍でがんばっているのだろうかね
>>762 全然
寧ろ早々にロシア化してウズベキスタン独立後にウズベク化した
したがって日本の朝鮮人の行為を不可思議に感じてる
764 :
世界@名無史さん:2012/07/18(水) 01:32:18.47 0
イスラム教徒の高麗人もいるのかな
765 :
世界@名無史さん:2012/07/18(水) 06:24:02.14 0
ロシア語人だろう。ウズベク語を強制されてロシアに移住。
766 :
世界@名無史さん:2012/07/18(水) 06:27:32.59 0
生業は渡り企業農業家のようなもの。土地を借りて企業農業。
767 :
世界@名無史さん:2012/07/18(水) 08:12:36.12 0
>>762 世界的に見れば、国籍にアイデンティティを感じる方が珍しい行為。
普通は国がくれると言えば、便利だから大抵欲しがるし、重国籍が可能な国の方が多いからなおさら。
日本では、朝鮮総連がいろいろ裏で工作して、みんなが日本国籍に走らないようにしているという話もある。
768 :
世界@名無史さん:2012/07/18(水) 15:04:34.00 0
統一チュルク語ができたならばともかく、ロシア語を話す者が、ウズベク語やキリギス語を学習する意欲があるのかどうか不明・・・?
んなもんは国の仕組み次第
770 :
世界@名無史さん:2012/07/20(金) 05:53:29.36 0
アゼルバイジャン人はトルコ人と近縁ということになっているけど、あいつらお
そらくアルバニア人やメディア人の末裔がほとんどだろ。居住地域が重なってい
るし。メディア人の直系を自称しているクルド人は大アルメニアあたりの末裔だ
と思う。
セルジューク朝頃から、あのあたりに移住したテュルクメンって一体どれぐらい
いの人口がいたんだろう。
ソグドの末裔のウズベク人も多いだろうな
>>770 遺伝的な話でいえば、トルコ共和国のトルコ人自身があの一帯の血統を多分に含んでそう・・・・
773 :
世界@名無史さん:2012/07/21(土) 01:06:47.51 0
>>772 アリク・シャーの時代にスライマーンとマンスールの兄弟に80000戸の
テュルクメンが付き従って移住を開始したのがルーム・セルジューク朝
の始まりだったというから大体11世紀には多く見積もって40万人は
いたことになる。
その後もテュルクメンのアナトリア移住が少なくとも2度あったから累
計でどれくらいの人びとがアナトリアに行ったんだろう?そもそも、い
つの時代からテュルクメンがコーカソイド化したのか気になる。
774 :
世界@名無史さん:2012/07/21(土) 13:27:47.87 0
あまりに速い完全なトルコ語化は、
ルーム・セルジューク朝の始まりよりもはるか昔からチュルク語集団は、アナトリア、バルカンに存在していたという仮説も成り立つ。
ブルガール、ハザール、クマン、フン、アバールなどの先着組も残っていて、彼らが道案内・合流したのではという仮説。
775 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/21(土) 17:26:56.92 0
>>773 >いつの時代からテュルクメンがコーカソイド化したのか気になる。
このスレの上のほうで、そもそもトルコ人は最初からコーカソイドとの混血だったという説も出てるし、
そうでなくても中央アジアの西のほうはイラン系も結構多かったので、
アナトリアに移る前からすでにコーカソイドとの混血がかなり進んでた可能性は高いと思う。
その後、アナトリアに移ってからも現地のキリスト教徒との混血はより進んだということになるのかな。。
776 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/21(土) 17:27:44.99 0
×その後、アナトリアに移ってからも現地のキリスト教徒との混血はより進んだということになるのかな。。
○その後、アナトリアに移ってからも現地のコーカソイドとの混血はより進んだということになるのかな。
777 :
世界@名無史さん:2012/07/21(土) 19:20:22.11 0
>>775 そうなんだ。ところでエルトリア人ってアナトリアから移動してきたリュディア系移民
という伝承があるけど実際トルコの旧リディア領内のトルコ人と旧エルトリアのトスカ
ーナ地方の住人は遺伝子的に近縁だって知ってた?
778 :
世界@名無史さん:2012/07/21(土) 19:33:36.44 0
まず言語=血統では無いから
アラビア語や英語のように伝染的に自然と広がるものだから
779 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/21(土) 19:40:09.01 0
>>777 へ〜、そうなんだ。エトルリア人についてはあまり良くわからないんだけど、
今のアナトリアのトルコ人はリディアの頃から遺伝子的にはつながってるんだろうね。
>>778 まぁ、それが妥当な考えだね。今のトルコ共和国にいるトルコ人だって、
その多くはトルコ化する以前からの血も確実に混ざってるだろうからね。
最近はトルコ共和国でも、民族的には自分たちはトルコ人ではあるけど、
血統的にはトルコ人以外の血も大いに混ざってるという事実を認識してる人はいるし。
>>775 インド・イラン系の遊牧民がトルコ化していったのが
トルクメンの歴史だろうしな
781 :
世界@名無史さん:2012/07/21(土) 20:01:58.15 0
セルジューク朝の頃のアナトリア半島ではまだトルコ人は滅多に見なかったん
じゃないの8万戸しか人口ないし。
>>780 テュルクメンってコーカソイド優勢なの?写真見るとモンゴロイド系の特徴が強い人
もいるみたいだけど。
>>781 変な書き方だった・・・
北アジアのモンゴル系が塞族・サカ・スキタイ系を飲み込み
同化していったのがトルクメンの歴史という意味のことを書こうとしたんだが
783 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/22(日) 06:49:27.59 0
>>781 >セルジューク朝の頃のアナトリア半島ではまだトルコ人は滅多に見なかったん
>じゃないの8万戸しか人口ないし。
初期はそんなにいなかっただろうね。アナトリアへのトルコ人の移住はその後も起きてるし。
そもそも、今トルコ共和国にいるトルコ人の中には、
もともとアナトリアにいたギリシャ人などがトルコ化した場合もかなり多いだろうからね。
784 :
世界@名無史さん:2012/07/22(日) 19:14:29.54 0
ギリシャ人以外にもガラティア国、ビチュニア王国、カッパドキアを中核地帯としていた
ヒッタイト帝国、パンピュリア王国、アルメニア王国の末裔も多そう。
ギリシャ人は海に面している地域に満遍なく住んでそう。キリキア地方もギリシャ人が優
勢だったらしい。「ビザンツ帝国とブルガリア」によると東ローマの中核都市の大部分が
アナトリアに置かれていたんだとか。ブルガリア、フン、アルバニアといった蛮族の襲撃
が多く不毛なバルカンよりも安全で肥沃なアナトリアの方が住みやすそうだから、あの時
代移民した人たちも多そうである。
785 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/23(月) 11:42:59.47 0
>>784 アナトリアは古代から様々な民族が混在してた訳で、血統という点に関して言えばそれらの血も混ざってるだろうね。
ビザンツ帝国は長い間アナトリアが中心だった訳で、そのためアナトリアはビザンツ帝国時代にギリシャ化が進んだね。
ルーム・セルジューク朝も国内にはギリシャ人を多く抱えてた。そいう様々な民族が混ざってできたのが今のトルコ人な訳だ。
786 :
世界@名無史さん:2012/07/23(月) 12:18:55.44 0
>>785 上であげたエトルリア人のことだけどエトルリア時代に作られた戦士の
胸像はほぼ古代ギリシャの武装と一致している。ということは、その祖
であるリュディア人はギリシャ人と、そう変わらない文化をもっていた
んじゃないかな。
そもそもリュディア人自体、マケドニアから来たという説がある。
787 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/23(月) 12:50:36.31 0
>>786 へ〜、エトルリア人とギリシャ人って結構似てるのね。
まぁでも、ここはトルコスレだからアナトリアのトルコ化について語るのはありだけど、
それ以前のアナトリアの民族について語るのは正直スレ違いかな。
788 :
世界@名無史さん:2012/07/23(月) 13:06:52.16 0
イラン人、イラク人、アフガニスタン人はトルコ化してないのにアゼルバイジャン人は
トルコ化したのは何故?あそこに遊牧民を惹きつける何かがあったの?
789 :
世界@名無史さん:2012/07/23(月) 13:50:52.53 0
アゼルバイジャンは良い牧草地が多い(キプチャク汗国とイル汗国の係争地にもなる)。
ダゲスタンのように無数に多民族多言語の地だったから共通語のチュルク語が採用されたのかもしれない
>>788 イラン、イラクはもともと大人口地域だから、少々の流入があっても逆に消化吸収されてしまった、
アフガンは山越えしないといけないから、細々としか流入できなかったから
じゃないのかな
791 :
世界@名無史さん:2012/07/23(月) 21:02:08.66 0
アゼルバイジャンでもトルコ人は少数派だったと思うが言語は残っているが
人種としては現地に完全に吸収されたように思える。
アゼルバイジャンって言うと1700年代から1800年代にかけてやたらと多数のハーン国が乱立してたな
一番有名なのはバクー=ハーン国だろうけど
この辺りのハーン国の概念とかが言語やアイデンティティとかはトルコ化した証なんだろうなと思ってる
793 :
世界@名無史さん:2012/07/25(水) 12:45:56.96 0
ソ連崩壊からのアルメニア人とアゼルバイジャン人の戦争は、どちらが悪いの?
794 :
世界@名無史さん:2012/07/25(水) 18:21:13.27 0
>>792 そのあたりのハーンって、やっぱり朝青龍顔の弁髪オヤジだったの?
795 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 04:27:51.44 0
>>794 現在のアゼルバイジャン人と変わらない容姿だと思うが
大体トルコ人にしろ随分と昔に純粋なモンゴロイドじゃなくなってる
796 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/26(木) 08:19:51.31 0
>>794 上のほうでも何度か言われてるし、他の人も言ってるけど、
そもそもトルコ人はもともとコーカソイドと混血してたんじゃないかという人もいるぐらいで、
かなり初期の段階からトルコ人はコーカソイドと多く混血してると思うよ。
アゼルバイジャンはあまり詳しくないんだけど、今のアゼルバイジャン人はコーカソイド寄りの容姿だし、
当時からすでにそうであった可能性は高いんじゃないかな。
797 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 15:43:31.89 O
元のトルコ人はどんな容貌やったんや?
799 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 18:18:50.30 O
>>798 トンクス
トルコ人は元からアイヌやケット人のような風貌だったんじゃないかな。
つまり、トルコ人は人種分類でなく、
もっと上の民族、文化分類ということか
もともとモンゴルと近い人種であったが、西のコーカソイド居住地域に突入して
多数派のコーカソイドを支配し、人種的にはコーカソイド寄りに変わったが
トルコ族の文化を維持。
上のほうで言ってるのは、テュルクの原住地からして少なくとも5千年くらい前から
必然的に混血になるべくしてなる場所だってことじゃねーの。
コーカソイドかモンゴロイド、どちらが先に相手方を支配したのかなんてワカラン境界地だったんだろう。
むろん、そっから西進してさらにコーカソイド色が強まっていったことに間違いはないけどね。
トルコ語話せばみなトルコ
>>801 もともとのトルコ民族はサカやスキタイ系とは関係無いから
804 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/26(木) 22:00:37.67 0
>>800 >つまり、トルコ人は人種分類でなく、
>もっと上の民族、文化分類ということか
まぁ、それが妥当な判断だろうね。コーカソイドかモンゴロイドかはあまり重要ではない。
>>802も言ってるけど、トルコ系の言語を話し、自分たちはトルコ人だという帰属意識を持つ者が、
トルコ人と呼ばれる訳だ。もともとの人種がどうだったのかはさておき、現在はもうかなり混血してることは確かだね。
アファナシェヴォ文化やオクネフ文化がサカやスキタイ系?
たぶん、上のほうで言われてるのはだいぶ時間軸がずれたところの話だと思うよ
キルギス人は日本人と似ている
カザフスタン人はモンゴル人と似ている
遊牧民が先祖なのだから、東西移動はしているんだろうな。
807 :
世界@名無史さん:2012/07/27(金) 07:02:29.96 0
>>801 かなり独特な言語を話すらしいチュバシ人は、どういう経緯で成立したんだろうな。
ブルガール人と呼ばれる人たちがいた時代にはすでに他のテュルク系とは別の言語系統に分岐していたようだが
バシキールやタタールが移住した先でウラル系と関わりを持つよりも以前にその辺に移動して、ウラル系と深く融合したとかそんなところかな
言語学者の中でもチュヴァシュ語の系統はプロト=テュルク辺りまでは一緒だけど
その後早々に分化していった感じでまとめてる人いたりするからな
809 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/27(金) 08:31:43.61 0
>>807-808 チュヴァシ人はしばしばブルガール人が起源だと良く言われるね。
まぁこれに関しては、ナショナリズムも絡んだ結構激しい論争があったんだけど。
ブルガール語とチュヴァシ語は似てるらしいので、ヴォルガ・ブルガールの頃から、
すでに他のトルコ系言語とは分化してたんじゃないかな。それが今にまで至ってるんだと思う。
810 :
世界@名無史さん:2012/07/27(金) 12:01:42.91 0
今のカザフスタン人とウズベク人ってどちらがキプチャク人の血が濃いの?
>>810 今のウズベク人は言語的にはウイグルの方とほとんど近縁だぞ
日本語の方言でも関東と東北くらいの違いでしかないと
そもそもウズベクの定義が時代で変わってるっつうか
昔は1400年代はシャイバニの一族が率いる遊牧集団をウズベクって呼んだけど
その後ティムール朝を滅ぼしてその領土に入り込んで現地のチャガタイ=テュルクと融合した結果
支配層のウズベク族が言語がキプチャク→チャガタイ化
被支配層のチャガタイ=テュルクは名称をウズベクと自称化
って感じで融合化した訳で
カザフと他に比べるならクルグズやバシキールやカラカルパクやノガイとかそっちの方面だろうな
>>811 ウズベク語とウイグル語はもともとチャガタイ文言をもとにした言語が
国が分かれて呼称が変わっただけ。
「ほとんど近縁」というよりもともと同じ言葉。
>>812 あ、そうなの
ヒンディー語(インド)とウルドゥー語(パキスタン)みたいなものなんだ
814 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 04:10:42.49 0
そうなると中国にいるウズベク族を別立てにしてる理由ってなんなんだろう。固有言語の正書法が伝統的にモンゴル族とは別にあるオイラートをモンゴル族扱いしているのに。
カシュガルやホータンを、ウズベキスタンに乗っ取られるからだろw
蒙古なんか、ハルハ,チャハル,オイラトそれぞれ対抗心があるけど
ソグディアナはちゃうから。
あのへんは、はるか東の哈密や吐魯番よりも、
ソグディアナにあるタシュケントのほうにシンパシーある。
もともとウイグル民族なんかじゃなく、ソグド民族だった説もあるしな。
>>815 >蒙古なんか、ハルハ,チャハル,オイラトそれぞれ対抗心があるけど
上に出てたトゥヴァのモンゴル嫌い…っつうか正確に言うと現ハルハ嫌いにも関連有るだろうけど
多分フビライの簒奪以降の離反からの経緯もかなり有るとは思うな
オイラート、チャハル、あとテュルク系だけどトゥヴァはフビライ帝以降
確かずっと離反してて反抗勢力として戦ってたみたいだし
817 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 10:28:14.07 0
パミールはいささか大障壁であるせいか、東チャガタイ汗国・西チャガタイ汗国とか
東カラハン朝・西カラハン朝みたく東西で分裂しやすくはあるんじゃよな
それ以前にサカとトカラの境だったしねパーミル高原
820 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 18:02:33.15 0
ウクライナのあたりって昔はキプチャク人やブルガール人が住んでたけど、この人たちどこいったの?
それとも現在のウクライナ人が、この末裔なの?
821 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/29(日) 18:49:53.30 0
>>820 ブルガール人は現在のブルガリアのほうに行ってスラヴ人と混ざってブルガリア帝国を築いたり、
ヴォルガのほうに行ってヴォルガ・ブルガールを形成したりしてたね。
ウクライナ南部にあった大ブルガリアは確かその後ハザールに滅ぼされてたと思う。
一応、現在はバルカル人というのがその系列ではないかと言われてて、少数だけどウクライナにもいるよ。
キプチャク人はモンゴルの征服後、タタール人と大いに混ざってるね。
なんか、ガガウズ人がキプチャク人の系統だという説もあるみたいだけど詳しいことは良く分からないや。
ただ、ガガウズ語はアナトリアのトルコ語と近いらしく、周辺のタタール人のトルコ語とは系統が違うらしいけど。
ガガウズ人もウクライナに少数だけど存在するね。
ウクライナとカザフスタンは普通に行き来あったからカザフや遊牧ウズベクに
合流した人もおったろうな
>>818 歴史的によく東西分裂の地域になってる区域だしなその辺
言語的にはほぼ同一のウイグル&ウズベクも結局その辺のかなり絶対的な壁が有って
それでそれぞれ分かれてのアイデンティティが確立されてる部分も大きいし
突厥もそうだしカラハン朝なんかも最終的にはその辺を境に東西分裂したしな
カザフの女子重量挙げ、選手もコーチもモロにアジア人顔だな
825 :
世界@名無史さん:2012/07/30(月) 11:18:27.39 0
遊牧民で弱っちい連中が、腹が減ってロシアかポーランドの兵隊になってスラブ化したのだろうか?
826 :
名無し募集中。。。:2012/07/30(月) 21:13:33.26 0
>>824 カザフの女子選手は中国人だよ
中国は選手層が厚いから12歳でカザフに帰化したんだと
827 :
世界@名無史さん:2012/07/30(月) 23:45:34.59 0
少数民族ドンガン人ということにしておくのかな
中央アジアの国のオリンピック選手で、新体操とか体のラインが目立つ競技は、大体ロシア人などのスラブ系がほとんどだけど、これって習い事をさせられる高所得層はヨーロッパ系が多いからなのかな。
それとも現地の先住民はあまり女子がこういったことをするのに、金の余裕があっても肯定的でないのかな
828 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 16:42:34.33 0
世界の果てまでイッテQ!でイモトがカザフ族の鷲使いに会いに行ってたけど
そのカザフ族はチベット人みたいな容姿だったな
もっとウイグル人やウズベク人みたいな顔してるのかと思ってた
>>827 カザフには、蒙古雑技の系統のがあるから身体は柔軟だろう。
お椀を頭の上に重ねて、足でひとつずつ床に並べていくとかのやつ。
830 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 22:51:55.11 0
832 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 06:28:17.93 0
カザフ人は容姿を見る限りコーカソイドと混血してるように見えないな
ウズベク人は混ざってて体毛濃いけどカザフ人はモンゴル人と同様に脛毛すら、ろくに生えてない
835 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 19:47:11.52 0
カザフスタンや南シベリアあたりにもコーカソイド風貌のスキタイやキルギスいたのでは?
836 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 21:31:57.75 0
>>821 >キプチャク人はモンゴルの征服後、タタール人と大いに混ざってるね。
いやいや、まったく混ざってないだろ。当時ジョチが率いてきたモンゴル
人は全部で4千戸。農耕を覚えて人口が増大していたキプチャク人にたい
して少数だったため、すぐに同化すている
アル・オマリ「かつて、この国(キプチャク)はキプチャク人の国であった
がタタール人に征服された。こうしてキプチャクは彼らの臣下となったが、
その後タタール人はキプチャク人と混血したため親戚となった。
このようにして、この国はタタール人の生まれついての本質と人種的本質に
打ち勝つことになったのである。
このため彼らタタール人は、全員あたかもキプチャク人と同じ人種と思える
ほどにキプチャク人とそっくりになった。これらタタール人はキプチャク人
の地に移住し、彼らと結婚してキプチャク人の地に留ったがためである。」
>>835 カザフにいたのはサカだけど、キルギスはモンゴロイドな
838 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/04(土) 22:03:58.79 0
>>836 同化したってことは混ざった(混血した)っていうことなんじゃないの。あなたの提示した資料にも、
「その後タタール人はキプチャク人と混血したため親戚となった」と書いてあるし。
まぁでも、割合的にはキプチャク人のほうが多かったようだから、後から来たタタール人が、
モンゴル帝国の一部という意識を残しながらも、文化や言語や血統などの面ではキプチャク人に同化したのかな。
実際今のトルコでは俗に言うキプチャク=ハーン国(ジョチ=ウルス)は
トルコ大16帝国のうちの1つに数えて教えて自民族の帝国国家扱いにしてるけど
発祥がモンゴル帝国では有っても大多数のキプチャク=テュルクが住民だった事を根拠に
自民族認定してるって言う感じだったりするからな
それ言うならチャガタイ=ハーン国だってチャガタイ=テュルク系の住民の方が圧倒的に多いから
自民族認定しても良さそうだけど16帝国の中には入れてないんだよな
840 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/05(日) 00:06:10.23 0
>>839 チャガタイ・ハン国はジョチウルスに比べるとマイナーで、帝国ってイメージがしないからじゃないかな。
後、トルコ大16帝国を唱えてるのってトルコの中でも右寄りの人が多いだろうから、
ロシアとの関係を考えてジョチ・ウルスをその中に入れてるというのもあるかも知れない。
トルコ16大帝国って北アゼルバイジャンとか中央アジアでも似たようなこと教えてるのかな?
本来的にはモンゴルでも教えるべきだよね
>>840 >後、トルコ大16帝国を唱えてるのってトルコの中でも右寄りの人が多いだろうから、
右よりなのは確かだろうけどこれあっちの学校の教科書で教えるレベルだから
少なくともトルコ国民の一般勉強レベルではそんなもんだよ
何せバトゥ=ハンを自民族の英雄扱いにして胸像まで作ってるくらいだし
>>840 中央アジアはどうだか分からんけどアゼルバイジャンはその例の16に加えて
サファヴィー朝やカジャール朝をもくわえて18帝国とか教えてたのも有ったな
つかつい最近のアゼルバイジャン版のウィキペディアはそんな記述だった
最近になってトルコ版の方に合わせてたみたいだけど
アゼルバイジャンの方だとトルコ以上の自民族国史感が強いみたいだ
アゼルバイジャン…。のボクシングの件でトルクメニスタン人レフリーと併せて
イメージ最悪になった人多いだろうなぁ。
トルコの教科書で、ジンギス・カーンはどう教えているのでしょうね
同類目線なのか、敵目線なのか
846 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/05(日) 08:34:19.68 0
>>843 トルコ16大帝国って教科書にまで載ってるの?
でも、前に僕が読んだトルコの歴史教科書にはそんなの載ってなかった気がするなぁ。
まぁ、1970年代の結構古い教科書だったから、今は違うのかも知れないけど。
最近のトルコでは、自分たちの祖先には中央アジアから来たトルコ人だけじゃなく、
ビザンツ帝国時代のギリシャ人なども多く混ざってるということを意識する人も出てきたらしい。
それでも、大多数のトルコ人の意識としては、まだそいうナショナリズム史観が強いのかな。
アゼルバイジャンはイランとの関係もあって、サファヴィー朝やカージャール朝も、
アゼルバイジャン人の国としたいらしい。以前、羽田正氏がアゼルバイジャン人の研究者と会った時、
その研究者がサファヴィー朝はアゼルバイジャン人の王朝だとしきりに主張してきて困ったみたいなことを言ってた。
羽田氏が、サファヴィー朝は多民族国家だったのだからどの民族の王朝かを論じるのは無意味なのではと言うと、
日本人のあなたならそれで良いだろうが我々はそれでは困るのだと言い返されたらしい。
こういうところにアゼルバイジャンの民族意識に関する事情が表れてると思う。
>>845 チンギスは日本などと同じように、普通にモンゴル帝国の創始者として教えてるんじゃないかな。
トルコでは、モンゴルに関しては同じ遊牧民系の民族として親近感は感じつつも別民族と考えられてるみたい。
同類というほどではないけど、かと言って敵のように書いてもいないでしょ。
トルコ大16帝国の概念って結構新しいから70年代の教科書にはまだ書いてないかもな
あとチンギスハンはモンゴル帝国の創始者でも有るけど
人によっては彼も半分テュルク系が混ざってるので親族みたいな教え方してる人もいる
トゥヴァなんかではチンギスハンの母親はトゥヴァ人だったから
彼はモンゴルでも有るけどトゥヴァ=テュルクでも有るって話になってるし
右よりの人だとチンギスハンも民族ゆかりの英雄として自分らに組み込んだりしてるな
何せバトゥ=ハンがトルコ人英雄扱いになってるくらいだから
チンギスハンを自民族扱いしてる連中がいてもおかしくない
848 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/05(日) 09:37:58.94 0
>>847 なるほど、トルコ大16帝国っていう概念はは1970年代だとまだなかったのかも知れないね。
チンギスに関してはトゥヴァ人や右寄りの人だとトルコ人の血が混ざった親族だと考えてる場合もあるのかな。
バトゥがトルコ人の英雄となってるのは、トルコ系と言われてるジョチ・ウルスを率いたからだろうね。
ウズベキスタンに行った時は、
ウズベク人のガイドさんは
ティムールに関しては手放しで英雄扱いだったけど
チンギス・ハーンに対しては
「どこが英雄ですか」という返事だった。
「チンギス・ハーンは破壊しティムールは建設した」
という言葉を実感した。
それがトルコ共和国では英雄になるのか?
850 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 10:49:36.85 0
定住意識の強い地域だとチンギスハンは忌避されてる様だけど
カザフやクルグズ辺りだと英雄視されてたな<チンギスハン
852 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/05(日) 11:09:52.89 0
>>849 トルコ共和国ではそこまで英雄視も敵対視もされてないように思える。
あまり、自国に関係ないから、あくまで似たような遊牧民系民族の英雄という認識ぐらいしかないんじゃないかな。
そこまで崇拝されてるという訳でもない。悪く言えば、あまり興味ないのかも知れない。
>>850 なるほど、1990年代頃から一般にも流布されるようになったのか。
今でもトルコの歴史教科書では取り上げられてるのかな。
>>851 中国のカシュガルあたりでも、定住意識の強いので
元の成吉思汗は当然として
吐蕃の松贊干布、西夏の拓跋思恭なども忌避。
中国・香港の映画では、漢民族以外の「民族英雄」もとりあげるが、
定住意識の強い華南や南新疆ところでは不人気コンテンツ。
ふーむ、トルコ共和国じゃチンギスはそこまで関心の対象になってないのか。
まぁ、モンゴルにひっついていく前からテュルク系の拡散は十分なされているから、
仮にあんなのいなくても俺たち自身が今以上に各地に足場を築いてるぜって感じなのかな。
チンギスとは直接ぶつかってないしな
ティムールはオスマン帝国と直接対決して一度ぶっ潰したが
856 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/05(日) 13:54:52.83 0
>>854 うん、そんな感じだと思う。
>>855も言うようにトルコ共和国ってモンゴルとはあまり繋がりないしね。
一応、ルーム・セルジューク朝はモンゴル帝国に倒されてたけど、その程度しか接点はないかな。
>>850 紋章の由来の16の星は1923年からあったわけだから、
概念自体はトルコ共和国の民族主義が起源だろう。
90年代ということはソ連崩壊・冷戦終結で汎トゥラン主義が復活したんだな
大トルコの統一とか復活ってことではなく、
過去の数々の栄光を精神的な支柱にしようってことらしいが
858 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/05(日) 14:10:46.84 0
>>857 つまり、概念自体はもっと前からあったんだけどソ連崩壊にともなって1990年代に一般的に広まるようになった訳か。
まぁ、ソ連から分かれた中央アジアの諸国にはトルコ企業が結構進出してきてるらしいしね。
You Tubeのトルコ人制作と思われるトルコ系英雄動画とか有ったんだけど
流しで見たやつだったからアドレス失念したけど
そん中に数々のテュルク系武人英雄に混ざってチンギスハンの絵画も混ざってたくらいだったんで
トルコでも右寄り&拡大主義傾向の連中はチンギスハンは自分達の英雄みたいな意識は有る様
860 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 18:08:12.59 0
>ティムールはオスマン帝国と直接対決して一度ぶっ潰したが
もっともそのティムールもウズベクは当然だけど実はトルコでも英雄扱いだしな
ティムール帝国も16大トルコ帝国の1つに入れられてるし
>>861 上でも散々言われてるけど遊牧主体の北部のテュルク系にとっては
チンギスハンは自分ら縁の英雄視してたりする訳で
具体的にはカザフ、クルグズ、バシキール、トゥヴァ、ハカス、アルタイ、サハとか
その辺のキプチャク&シベリア系のテュルク遊牧民末裔連中だな
>ウズベキスタンには、遊牧民出自のウズベク人がいるからww
つか今のウズベク族って大半の根幹はオアシス定住民のチャガタイ=テュルクの末裔だぞ
>>811の説明通りウズベクって名称は征服したウズベク族の名前を
現地のチャガタイ=テュルクの住民が自分らにも当てはめて付ける様になっただけだし
さらに元々のウズベク遊牧民は大半がチャガタイ=テュルクに同化したからな
863 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 19:23:19.74 0
ウズベキスタンでも、カザフスタンに接触するあたりの「ウズベク人」牧畜住民の言語はカザフ語との区別が曖昧な方言らしいが?
864 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 20:52:56.18 0
チャガタイ人の先祖ってやはりソグド人か?
865 :
世界@名無史さん:2012/08/05(日) 21:34:04.14 0
>>863 実際にチャガタイ系の言語に合流せずに残ったいわゆるキプチャク=ウズベク語ってのが存在してたらしく
1920年代(学者によっては90年代!)まではそう言う人達が北部のごく一部に残留してたとか
だからそう言う人達が今でも残ってても全然おかしくはないと想う
>>862 ペルシャやイスラム帝国が統治していた時代から
トルクメンが東からやって来て支配者となる時代に下るに連れて
河中流域の住民が都市やオアシスから散居した田園や牧畜へ移行したから
大半がオアシス定住民由来ってのは言い過ぎ
>>864 ソグドは言語的にはペルシア系だし
トルコ系民族がやってきて混ざってしまったんだろう。
>テュルク系言語で40を意味する「クゥルク」に、娘や女の子を意味する
>「クゥズ」をあわせた「クゥルク・クゥズ」は、“40人の娘”という意味になり
あの辺地形が入り組んでるから谷の合間に一部族
そんなカフカス的な世界観してるような。カザフも民族結構いたような
ガガウズは英語だかトルコ語だかのウィキに
起源がギョク=オグズの転化からって記述が有ったから
確かオグズ系の言語だったはずだけど
870 :
世界@名無史さん:2012/08/06(月) 21:37:18.66 0
砂漠化が遊牧民優勢⇒チュルク化促進の原因だったと思いますか?
カザフのメダル数に笑った
金しかないじゃないか
872 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 16:30:18.31 0
銅も1個できた
873 :
きだーら:2012/08/11(土) 23:03:40.41 0
>694
テュルク人に言わせれば、サラーフ・アッディーンもテュルク人なんだよな。
テュルク共和国では、クルド人は民族として認められておらず、「山岳テュルク人」とされているから。
クルド語が公用語として認めず、トルコ語を話しやがれ!というのが
長く続いたのでな。
876 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 04:51:37.83 0
>>875 これ帰化人じゃないの?
他の選手は、イラン人とまったく見分けがつかない容姿をしていたし
自分の意に沿わない選手は皆帰化人認定、何所の韓国人だよw
878 :
875:2012/08/12(日) 07:37:15.54 0
ちょとググってみたら、このひと民族区分はアゼリー人じゃなくてタタール人になるようだ。エカテリンブルク生まれ。
とはいえ、ヴォルガ・タタールやクリミア・タタールでもこんなにモンゴロイド形質強くないってとこは同じだけど。
トルコ人などが非テュルク系の民族をテュルク系と認定する傾向があるのは、
汎トゥラン主義の名残りまたはそのものだろう。
かつて汎トゥラン主義を唱えたのはヴォルガ・タタール人やオスマン帝国末期の知識人だった。
ドイツのロマン主義が国民国家形成を根拠付ける民族主義イデオロギーであり、
汎ゲルマン主義さらにはアーリア人イデオロギーにまで発展したように、
汎テュルク主義の延長上に「ウラル・アルタイ祖語を話したトゥラン人」という
仮説に基くイデオロギーがあった(ウラル・アルタイ語族説は現在では否定されている)。
ウラル・アルタイ語族語族仮説に従えばモンゴル系はもちろんフィンランドやハンガリーや日本まで仲間。
…実際にはロシア人でなければタジク人やイラン人まで仲間に認定しそうな勢いなのだが。
880 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 11:16:30.76 0
もっと拡大解釈してる誇大妄想壁な連中は
ウラルアルタイの枠外のシベリア先住民やエスキモー&イヌイットや
果ては北米アメリカ先住民までも仲間認定してたりするな
881 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 12:47:18.44 0
たぶん最初の動機は反ロシア主義で、
実質上はほとんど反ヨーロッパ主義・アジア主義になってるな
ソ連崩壊によるソ連領内の全部じゃないけど一部のテュルク系国家の独立
そっから始まったトゥラン主義の再勃興に加えて
EU諸国内でのトルコを入れなくない状態から出てきたアンチヨーロッパ主義
あとイスラム諸国に対するアンチテーゼって部分からそう言うある種のトゥラニズムが
年々徐々にでは有るけどそれなりの勢いを保つようになりつつ有るのは確かだな
まぁそのトゥラン主義ってのも実態は一枚岩じゃなくってその中に様々な思惑が有って
現実的な緩いテュルク系諸国&諸地域の英連邦みたいな象徴的連立を考えてる様な
もっとも穏健な方面も有るっちゃ有る訳だけど
>>854 トルコの国営放送、TRTで、中国のドラマ「成吉思汗」が放映されています。
youtubeにTRTのロゴ入りで映像が上がっています。まあ、トルコ自体が
製作しているわけではないので、関心が高い根拠にはならないけれども、
放映されているからには低いということでもないのではないでしょうか。
884 :
世界@名無史さん:2012/08/20(月) 07:50:17.39 0
トゥランという用語は、古代ペルシャ人が北方民族を漠然と「夷」というぐらいの意味で表現したものでしょう?
そう自称する国・民族があったわけでなく。
もともとは北方でなく東方、パキスタン南西部あたりがトゥーラーンだったらしい
むか〜し読んだ本(たぶん書かれたのは半世紀以上前かも?)
ツヌガアラシトの渡来ルートとかの研究者が、
新羅というかウラジオストックに近い地方から直接日本海を越えてくる集団がいたとw
(朝鮮半島や九州には興味が無い一団)
ヒッタイト・・・チュルク・・・ツングース・・・タタール・・・
福井県の金津だかの鉄鉱石が彼らが捜し求めていたものだとか?
(出雲のタタラ製鉄の跡と北陸のそれとが別の系統だとかなんとか)
確か継体天皇もそのトルコから遠征してきた製鉄集団の縁戚のようなことも・・・
良質な鉄鉱石を捜し求めてようやく辿り着いた東の果て・・・
いやここまで来たんなら本州をもっとウロチョロしなかったのか?>トルコの製鉄技術集団
題名も記憶に無いし、図書館とか探し回っても見つけられないんだろうなぁ・・・
>新羅というかウラジオストックに近い地方から
>(朝鮮半島や九州には興味が無い一団)
意味が良く分からん
890 :
世界@名無史さん:2012/09/17(月) 18:44:47.54 0
たかまがはら
892 :
世界@名無史さん:2012/09/26(水) 11:02:07.66 0
トルコの第二言語はロシア語?ドイツ語?アラビア語?
それか他の何か?
ギリシャ語、英語、アラビア語、クルド語あたり
894 :
世界@名無史さん:2012/09/26(水) 19:21:36.41 0
ははーん、ギリシャ語があったか
文化的にはトルコより周辺への影響力あるかな
895 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/09/26(水) 19:46:16.23 0
>>892 今のトルコは日本などと同じでほとんど第二言語がない国だと思うんだけど。
もちろん、クルド人みたいな少数民族はトルコ語以外に自分たちの民族の言語を話したりするけど、
普通のトルコ人はそもそもトルコ語しか話せない人が多いよ。
学校では英語も教えてるけど、一般的な英語力は日本と大して変わらないし。
クルド語話者の為の公的な文法書、教科書はあるの?
897 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/09/27(木) 23:38:10.58 0
>>896 昔はともかく、今はあるんじゃないかな。まぁ僕も詳しくは知らないんだけどね。
トルコでは長い間クルド語の公的な使用を禁じてきたけど、
今のトルコの与党の公正発展党はクルド人には比較的寛容な政権なので、
クルド語使用に関する規制緩和も進んできてるらしい。
クルグズでは定説ではイスラムが浸透したのは大体17世紀頃って事になってる
が、何かの資料で見た(名前失念して悪いけど)だと田舎の末端だと19世紀末
1890年代頃になってイスラム化したって文章が書いてあったみたいで
もしそれが本当だとするとクルグズの田舎は宗教がイスラムに変わってから
まだ110〜20年くらいしか経ってないって事になるんだけど
しかしその頃のクルグズって一応はロシア帝国の末端の地域で
宗教的にはロシア正教の方が来そうなもんだけど
その時代でもイスラムの方が浸透してしまうもんなのかね
この辺詳しい人に聞きたいもんだけど
イスラム化が遅かったのならそれまでは仏教かテングリ崇拝の可能性もあるな
西伝仏教はもう消えているかもしれないが、チベット仏教なら民族によってはアリだろ
テングリ崇拝は蒙古系部族だけでなくチュルク系にもあったようだし
でもキルギスの英雄叙事詩「マナス」ではチベット仏教徒のカルムイク・オイラートを
終始異教徒呼ばわりで敵対してるんだよな。
キルギスに亡命してきてイスラムに改宗した武将が祖先の宗教を捨てたことに苦悩したりするシーンもある。
まあキルギス人も宴会のシーンでは何の疑問もなく酒盛りとかやってるんだけどw
901 :
世界@名無史さん:2012/09/29(土) 00:41:20.93 0
キルギスタンにはソ連崩壊に付け込んで外国からの耶蘇宣教師が徘徊し餌で現地人を釣って洗脳しようとしていてうざがれています。
902 :
世界@名無史さん:2012/09/29(土) 00:43:14.61 0
クルドといったらペルシャ系スンナ派
テュルク系シーア派のアゼリーとは逆のパターンだな。
いずれにしてもペルシャの息のかかった人達。言ってみれば印欧語族だ。
印欧系正教会のアルメニアとかコーカサス系正教会のグルジアとか、
ほとんど宗教と言語の組み合わせで決められる。
ロシアはロシア正教なのだろうか。
イスラムと正教会でどっちになってもおかしくなかったような。
そもそもオスマンとロシアは似たようなもんだ。
オスマンがロシアになってロシアがオスマンになってても全然おかしくなかった。
905 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 00:19:36.80 0
ロシア正教会とモスクは外見が似とるぞ。
正教会聖堂を分捕って喪宿にしたから。
クレムリンの聖堂なんていまにもアラブの踊り子が踊りだしそうな建物だ。
907 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 03:41:50.46 0
>>904 小アジアにトルコ人が入った頃にキリスト教化の可能性はあったかというと
まずキリスト教が浸透するのって布教対象となる民族が劣勢の時に限られるよね。
信者同朋どうしの隣人愛はともかく、暴力や殺人の否定を強調する教えは
バリバリの戦い真っ最中の異民族には耳を傾ける価値なしと映ったのではないか。
なりたてのキリスト教徒は戦いたがらない。なってしばらくしてから戦う屁理屈を身につける。
ゲルマン人はけっきょく教化されたけれども、それが完成した頃にはローマ帝国も
とっくに滅亡していて時間がかかりすぎた感があるのはそれが理由だろう。
彼らは文明とセットで比較対象となる他の高等宗教もないキリスト教を徐々に受け入れたのだ。
トルコ人の場合、片方に高い文明を持ち聖戦を善行とするイスラム教、
もう一方に一応文明的ではあるが弱体化した東ローマや
自らの教えに反する野蛮な十字軍をよこすファランジーのキリスト教と
両方比較して魅力があったのはイスラム教だったのだろう。
トルコこそ正統なる騎馬民族征服王朝
>>907 その理屈もキリスト教優位が前提の考えで、
オスマン創世記のキリスト教は辺境の一派でしかない。
各正教会は分裂し正当性が無くプロテスタントもまだ無い頃。
これらの盟主を名乗る者が取り込めば現在のキリスト教自体が存在しない。
つまりオスマンがキリスト教の正当なる後継者として反イスラムでもない一派を造り上げるかもしれなかったということ。
統一盟主を目指していた気配もあるし。
ロシアはオスマンの保護した正教会によって後年地位を守られたようなもので、
これも立脚点が明確ではない。ビザンツ後継者は棚ボタにすぎない。
なんにしろカトリック以外の分化前の話だから、
正教会・プロテスタント・イスラムの全ての庇護者がトルコ民族であり
ルーシもその配下から生まれたものなので、どう転んでもおかしくない。宗教より大きい存在として。
>>909 オスマン草創期ではなく、もっと前、11世紀を想定したんじゃないの?
バルカン半島と小アジアを納めていた東ローマ帝国がセルジューク朝に敗れ
セルジュークの支配を嫌ったチュルク諸部族がアナトリアに侵入し始めた頃だ。
セルジューク朝はすでにバグダードを落としてスルタンの称号を得ていたが、
それに服さないチュルクが小アジアに入れば、キリスト教化の可能性はあったじゃないか。
ビザンチンもまだ衰えてはいないし、チュルク諸部族のキリスト教化と
アナトリアのチュルク化が同時進行する可能性は一応あったと言える。
>>907はその可能性を再検討したのだ。
もっとあと、オスマン草創期ならチュルクのイスラム化も定着し、キリスト教化の可能性は薄い。
>>910 なんだルームセルジュークのことか。
キリスト教化したテュルクはたくさんいて全てトルコ人では無くなってしまったのだと思うよ。
人間は同化してそちら側の組織の一員となる。
元々イスラムとビザンツの境界なんて曖昧だし、
各宗教を分化して扱ったのが中世帝国だから宗教の定義自体が彼らの手のうちでは、という話。
彼らがトルコ人やロシア人という自己認識を持ったのは最近で
オスマンがイスラムの庇護者を自認したのも後半のこと。
初期から宗教の庇護者であろうと前面に出していたのは確かだが。
例えば一向宗というのは時宗と混同があって、
勢力として定義するときにその辺を明確に分けた。
各民衆が信仰集団であるときは、対抗勢力との差異だけが問題であり、
教義の本質が浸透しているわけではない。
それを決めるのは時の執政者、ということ。
現代の宗教でもそういった側面は見えない部分であるのでは?
伝統宗教か新興宗教かの定義は結局は国の宗教団体法に委ねられているわけだし。
913 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 15:08:44.70 0
ビサンツが栄えていた頃に移住してきたチュルク人はキリスト教になったはず。
アナトリアのキリスト教徒は革命の時ギリシャに引っ越しましたね。
いまでもいくらか残ってる。
高句麗の末裔が突蕨建国に関わったらしい。韓国人から聞いた
916 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 16:37:40.74 0
>>915 それは必ずしも突飛とは思わない。
鮮卑族の隋が制服できなかった大国だからスカウトされてもおかしくないな。
確かに突厥の支配地で畑耕していても不思議無いな
メロヴィング朝のクローヴィスは
戦争の勝利祈願のため
カトリックに改宗したんだけど。
「この戦に勝ったら改宗する」と言って
本当に勝ったから洗礼を受けた。
コンスタンティヌスのパクリだな
>>918 だけど何?例外的だから記録に残っているとも言えるし、
教えが形骸化していたから単なるご利益期待で願をかけたとも考えられる。
改宗してから教えを知って後悔してもそんなの記録に残らないしな。
922 :
世界@名無史さん:2012/10/02(火) 13:13:30.62 0
近代になるまで宗教は、聖俗融合していた部分があったでしょう。
魂の恐れとご利益期待が不分明に融合していた感じ。
俺は世界史で受験したんだが、勉強してて疑問に思ったことの一つに、
昔のトルコ(アナトリア)は、ペルシアだよね。
それからビザンチン帝国(東ローマ?)になって、最終的になぜかトルコになってた。
受験だと、そういう事実を知っとけば良いって感じで深く考えなかったんだけど、
ペルシアからキリスト教のビザンチン帝国、イスラムのトルコ、に変わっていく
ってのは変だと思ってた。
つまり、その時代によって、他所から来た民族に滅ぼされるのか、
それとも、実はトルコ人はペルシアの時代から先祖代々その土地に住んでいるが、
時の支配者によって、キリスト教徒になったり、イスラム教徒になったり、言葉も
ヨーロッパの言葉からアジアの言葉に変わったりしてるのか、その辺が何か分からん。
多分、東ローマの時代には、トルコに住んでたのはキリスト教徒だと思うんだよね。
おそらくギリシア語を話していただろうと。
ギリシア人なのかは知らないが。
その後、オスマントルコによってイスタンブールが占領されて、そっからトルコになるのだが、
あれは結局、トルコに住んでた人が、イスラムに改宗して、トルコ語も話すようになった、
ってことなのかな?
そりゃキリスト教徒にせよイスラム教徒は昔は0人だったから大規模な
改宗なくしては始まらない
使用言語の変化も大いにあろう。また移住にしても移住先で混血して
さらに移住して混血して…を繰り返すと大規模に移住してるけど
遺伝子的にはそんなに入れ替わってるように見えない、なんてことも
起こりうる
なおトルコは今でもテュルク系五千数百万人に対してクルド人やザザ人
などペルシャ系千数百万人はいる
昔はギリシャ系やアルメニア系も多くいたんだけど、えらい戦争で
ごっそり入れ替わったようだ。一方ロシアでのえらい戦争でぎょうさん
トルコにやってきたチェルケス人のような例もある
それは何となく分かるんだけど、なんかピンと来ないんだよね。
その土地その土地の歴史、みたいのがあるじゃない。
日本で言う郷土史みたいのが。
いつの時代に、どこから、何人がやって来て、元々住んでた人を追い出したのか、
あるいは共存したのか、どんな風に融和していって、最終的にどんな形で
イスラム教に改宗していったのか、トルコ風の名前や風俗や言葉はいつ根付いたのか、
みたいな詳しいことが、あんまり良くわからない。
アナトリアみたいな出入り容易な土地は、もう初めからして複雑なんだよ・・・・。そっから考えてみてよ。
前2000年より前 中央部は言語系統不明のハッティ人の土地、そこにセム語派の商人がコロニー作って交易してた
前2000年〜前1150年 ヒッタイト人(印欧語族アナトリア語派)が中央部に王国を作り、先住民はその支配下で生きる
前1500年?〜前1150年 エーゲ海に面する西部ではギリシア人(印欧語ケントゥム語派)の先祖の一派が交易・農耕で暮らす
前1150年〜前1100年 方々の荒くれ者が連合した海の民が半島を蹂躙、ヒッタイト・ギリシア系ともにいったん衰退
前1100年〜700年 闖入者フリギア人(印欧語サテム語派)、アナトリア語派末裔、ギリシア系末裔(のちリディアに発展)が並存
前700年〜550年 中央部までをアッシリア(セム語派)が支配、次いでアッシリアを滅ぼしたメディア(印欧語族イラン語派)が支配
前550年〜330年 メディア・リディアを滅ぼしたペルシャ(印欧語族イラン語派)が全アナトリアを支配
・・・で、ペルシャ人が住みだしたかっていうと、ほとんどはギリシャ系・フリギア系・リュキア系(アナトリア語派末裔)が住んでたんだな。
こののち、アレクサンドロスとその後継王朝、さらにはローマ時代と至る過程で、彼らは徐々にギリシャ語を話す人として収斂されていく。
歴史が残ってるかどうかの違いでは。
日本みたな記録無し国は過去の経緯がわからない。まあそれ以前に古代は原始人だったからだが。
今の日本語の漢字以前の由来はいまだによくわからない。アイヌなのかポリネシアなのかアルタイなのか。
日本でも古墳時代は東国のみに人口があってその後大流入して西国政権が生まれた。きっと言葉も変わった。
ダイナミックな民族変動が認識出来ないのは、現状の民族構造も日本人には認識しづらいから。
例えば血で血を洗う闘争中のパレスチナでは、
カミさんはユダヤ人自分はパレスチナ人で親はパレスチナ系イスラエル人でガザ在住、
みたいなのがたくさんいる。生活レベルではそんなに簡単に分離できない。
日本語の南島語族要素をポリネシアって言う奴をいい加減絶滅させたい。
オーストロネシアじゃよね
>>923 >それとも、実はトルコ人はペルシアの時代から先祖代々その土地に住んでいるが、
時の支配者によって、キリスト教徒になったり、イスラム教徒になったり、言葉も
ヨーロッパの言葉からアジアの言葉に変わったりしてるのか、その辺が何か分からん。
この理解で間違いはないよ。現地の人はずっと住み続けていたわけで、
特にアナトリアはペルシア帝国からはかなり辺境で実はギリシア人が多かった。
そこへローマが都を移してきて、西ローマが亡びて東だけ生き残って。
世界史で習ったと思うけど、この場合ローマ人はラテン語を使っていたけど
東ローマになってからギリシア語が公用語に代わった。
これは支配層のローマ人がギリシア語を話す現地人に同化していったことを表す。
それに対して、オスマン・トルコは東ローマを攻め落としてこの地を支配するようになったけど
トルコ人のトルコ語による支配が浸透して現地人はトルコ語を使うようになっていった。
民族的には年月が経つごとにどんどん混ざっていっているので
(>926が書いてるような人たち)、言葉が変われば
民族アイデンティティだって変化してしまう。
ちなみに現在のトルコ共和国でも「トルコ人」のアイデンティティは
突厥にルーツを求めているが、「ここに昔住んでいた人たち」ということで
アナトリアの歴史を研究もしている。
トルコのギリシャ人(=キリスト教徒)の話すギリシャ語カッパドキア方言には、母音調和の現象や
名詞句を前に置こうとする語順の特徴など、明らかにトルコ語の影響を受けたと思われる特徴がある。
本人たちは先祖代々のギリシャ語を話しているつもりで、生活の必要に応じてムスリムトルコ人と
トルコ語で会話もしていたというだけなのに、気がついたらトルコ化したギリシャ語を話していたわけだ。
実際には通商のほかに通婚関係もあっただろうね。
かつてカフカス北部からカスピ海北岸を中心として覇権を打ち立てた
ノガイ・オルダは次第に分裂していってカザフやタタール等に吸収され、
現在では民族名ノガイ人の人は数万人
しかしその英雄譚は中央アジアのテュルク系に広く拡散した
ウズベキスタンではティムール帝国の住民とそれを倒した勢力の住民が
混ざっているけど一括してティムールが英雄
イスカンダル(アレクサンドロス)のように民族やら宗教やらぶっちぎって
かつての支配地の外にまで伝説として広がってる例もある
入れ替わりや混血の激しい地域では誰が英雄として名を残すのか、
どのエピソードが後に先祖の話として伝わるのか、よーわからん
ずっと住んでるだけとも思わんが。
例えば江戸人口は維新時に3分の一まで減った。
代わりに流入して来たのは主に長州系。山手言葉は長州弁が源流と言われる。
政治的な動きがあれば人口も大きく移動するし、
また古代人より後世の人口の方が数十倍〜数百倍も多い以上、
増加分が流入人口であれば淘汰交替もあり得る。
934 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 09:49:49.58 0
>>923 他の人も言ってるように、アナトリアは様々な民族が古代から行き来してるから、
その都度混血したり同化したりしてる。オスマン帝国の時代も完全にトルコ化した訳ではなく、
非トルコ人も非ムスリムもアナトリアには多くいたよ。
>代わりに流入して来たのは主に長州系。
江戸の人口の減少分を埋めるほど、長州って人口多くないだろ
江戸後期は、新潟が人口が多くて、明治時代になって
関東や北海道へ人口が流入しておる。
それから北陸3県、山陽3県、鹿児島・熊本・大分・福岡なんかも人口が多かった。
だから、江戸ことばから標準語に変わったといっても、長門周防だけが源流ではなく
ミックスちゃんぽんだろう。
>>936 ちゃんぽんだろうな
それと上野浅草は勿論元々江戸言葉の訛りは有るけど東北系の移住もかなり多いから
東北っぽい訛りも実際はかなり有るぞ
彼らは認めないだろうけど
チュルク諸語でも、トルコ語は昔から今の形ではなかったろう
>>937 >東北っぽい訛りも実際はかなり有るぞ
というか、元々関東と東北ってかなり言葉近いし。
(離島以外の日本の方言は、東日本、関西、九州に三分される。)
なんで方言レベルの話で盛り上がっちゃうわけ?
アナトリアの場合は、語族レベルで置換されてるから面白いわけで・・・・
>>935-936 さあね、ただ一般に言われてることだから。
江戸初期は三河上方が流入して江戸べらんめえ調が出来て、
維新時に長州系で山手言葉から標準語が出来たってのは。
じゃあ影響力のある層のような意味なんでは。
東北が入ってるのを彼らは認めない、とか誰の話言ってんの?
細かい話言うなら上野浅草は栃木等の東関東方言のエリアには少し入るし、
栃木と群馬は中分類が違う。群馬は山梨長野の方が近い言葉。
東北はそこからさらに大きく違う。
そう、語族レベルへのプチ参考例なだけで、
日本の方言を勝手に断定する話題じゃない。
わずかなイントネーションでも目くじら立てて大騒ぎする関西人は
大陸では絶対鼻つまみ者。
943 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 19:04:49.15 0
自国との比較認識がなけりゃ永久に他国の環境などわかりませんよ。
シリアやパレスチナの人もビザンツ軍がイブン・アル=ワリードに敗れるまではギリシャ語しゃべれたんだよな?
たぶんアラム語とギリシャ語のバイリンガルだったと思うんだけどさ。
で、オスマンがやってくる前までの数百年の間にアラビア語話者になったと。
アナトリアの人はその数百年ほどはギリシャ語話者として粘ってたけど、オスマンがきてトルコ語話者になった。
ご近所で同じビザンツの民だったのに、言語学的に見ればずいぶんと離れたところに行き着いたもんだよな。
>>941 >さあね、ただ一般に言われてることだから。
司馬が書いたから、一般に認知されるようになったんだろ。
陸軍に長州の言葉の影響が強い(「あります」)、とか
標準語一般の話としては、「君と、僕」、「お父さん、お母さん」もそうだっけ。
「オスマン語」はペルシア語やらアラビア語やらギリシア語やらがいろいろ混ざり込んでるとはいうが
結局ペルシャ・ギリシャ・アラブ・トルコの4種類を持ち回りしてるわけでしょ。
日本でも平安時代以来和語と漢語の二重社会。
公的文書や学問では複数言語が確実にあるわけで、
日常会話はきっとそれとは別に独自の進化を行っている。
5百年前には英語とドイツは変わらないわけだし。
少なくとも宗教が変更すれば聖典が変わるから文語言語は変わる。
>>946 井上ひさしの国語元年とかね。
国の公用語は作られるもの。
トルコ語も遊牧由来のためか複雑な思考を表わすには表現がないとしてペルシャ語やアラブを使って専門文語に対応していた。
だが中世のいつ頃かにトルコ語も十分に熟成したとしてアリーシールナーヴァイーさんが国語整備して
チャタガイトルコ語というのを提言をしている。
文語は政権が作るし口語は融合していく。
長崎弁でバッテン=but then という俗説があるが
”浜千鳥”・”ホイ助”←これはなんでしょう。
How much in Dollar. と Whisky
開国時に使われていたらしい外来語の日本語表現。
口語は、文学作品によってもかなり作られる(整備される)よ。
国民国家(Nation)形成時に、そういう文学者を持てたかどうかによって、国語の完成度がかなり違ってくる。
日本だと、夏目漱石とか、アメリカだとマーク・トウェインとか。
(方言か言語かの境界は、実はこういう作家がそれなりの作品を残している言葉かどうかで
決まっていたり。)
ヨーロッパの国はそういう作家を持つ国が多いけど、アジア・アフリカだとなかなかいなかったり。
ソグドもインド・ヨーロッパ語だったけど
トルコ系言語に取って代わられた。
言語が入れ替わるのはそんな特殊な現象ではない。
952 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 22:01:01.78 0
>>947 オスマン語はトルコ語をベースにしつつも、ペルシャ語やアラビア語など様々な言語を取り入れてたからね。
だからこそ、ケマル・アタテュルクの時代にトルコ語の純化運動が行われたんだし。
953 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 22:06:33.03 0
>>950 オスマン帝国の末期以降は汎トルコ主義的な文学家も結構出てきたらしく、
19世紀後半には文化人の間でオスマン帝国のルーツをトルコに求める動きもあったね。
トルコ語を意識的に使う人も多かったそうだ。
近代初頭の民族主義の浸透過程には他国併合に近いくらいの強力性があったはずだから
自国を民族同化したようなものでしょ。
このスレも、シリーズ初の1000レス行きそうだな。
2をつけると、多分スレタイ長すぎてサーバに跳ねられるから、
次スレ立てるときは、「の歴史」を省いた方がいいかと思う。
むしろ「トルコ人・トルコ文化圏」を省いた方がいいんじゃない?
「トルコ」だとなんか今のアナトリア縛りの様な気がする。
言語による共通性の他、人種や現在のアナトリアの土地を共有する民族全てを
対象とするのがスレの趣旨だから、省くのはまずいだろう。
アゼリーとかバルカル・バシキールも入れとくれ
なんのこっちゃ?
バシキールは当然入るだろ
トゥヴァやヤクートは今現在ロシアよりもトゥヴァ&ヤクートの方がそれぞれ多いんだってな
曰くウィキの資料は古くって実際はもっとロシア人の割合が少ないそうな
ヤクートなんって実際は今は人口の50%以上が既にヤクート人に変わって
完璧なマジョリティと化した上に人口勢力もロシア人の衰退とやくーと人の勃興が増してる一方だと
なにがなんのこっちゃなんだ。アゼルバイジャン舐めんなよ。
ちなみに彼らはアイデンティティ的には超ペルシャだ。
きっとサハはスレタイのシベリアという項に入っているのかと思われた
じゃあ、誰かまとめてテンプレ案書いて。
964 :
世界@名無史さん:2012/10/08(月) 02:47:27.50 0
>>958 バルカルってテュルク系が中央アジアの方からアナトリアの方に進んだルートの途中に残った集団なのかな
それともカスピ海南回りルートでカフカス山脈を越えたのか
>>964 さあキプチャクの関係かカザフの飛び地かなんかくらいにしか思ってなかったからな。
とりあえずコーカサスのマムルークなんじゃ。
「トルコ・トルコ文化圏・テュルク諸語圏の歴史2」
→トルコ人はトルコ・・・・じゃダメなのかい?3つとも領域概念で揃えたほうがスッキリする。
領域概念?
まあオスマンという有力ヨーロッパ国が生み出したトルコ主義という概念に乗っ取る地域を集めたら
出て来たのがテュルク諸語圏だからなあ。
しかも正確には発掘したのはウラル語族のフィンやハンガリー。
1)トルコ人: 民族でカテゴライズしたもの
2)トルコ文化圏・テュルク諸語圏: 領域でカテゴライズしたもの
→じゃあ、2)に揃えてトルコ人をトルコにしとこうかってだけの話、それで1字削れて番号ふれるし。
トゥーランドットの3文字で
でも、元々このシリーズって、全然関係ない国に移民した人たちも主な対象にしてるからなぁ。
トルコ文化圏というと、欧米に住むトルコ移民たちが対象外になってしまう。
>>971 >欧米に住むトルコ移民たちが
それも大きい分野だけど、世界史というより現代史かな
現代史は世界史だと思うんだが。。
「の歴史」を残すことにどれぐらい意味があるかってところかな
世界史板内では意味が無い。
他の板にあるスレにリンクを張るときに、世界史板のスレであるあることが分かっていいというところか。
あとは「の歴史」じゃなくて、「史」にするとか
誰もスレタイ案出さないんで、書いてみた。
トルキスタンの呼称については、まだちゃんと意見が出てないみたいなんで、とりあえず
そのままにしてあるけど、修正案お願いします。
テュルク諸語圏、トルコ文化の影響を強く受けた地域、トルコ人・世界のトルコ人街の歴史、
文化について語るスレです。
主な対象国・地域
トルコ、ブルガリア、マケドニア、キプロス、シベリア、東トルキスタン、西トルキスタン諸国、
ベルリン、フランクフルト、アントワープ、ロンドンなどです。
秋葉原はトルコ人街に入りますか
トルコ人多いの?
ケバブ屋が多い
あいつら、本当はウズベキスタンだろ?
うちの近くで何故かトルコ国旗を掲げているケバブ屋はイラン出身。
「トルコ語も少し出来る」とか言ってたが、どうせアゼリー人だろう。
ケバブはトルコに限られるものでは無いけど、あんまりトルコイメージが
広がったからトルコ国旗掲げてるのかな?
>>981 お前いい加減にしろよ。
スレの立て方も知らないか?
スレタイからトルコに文字がなくなったのは痛い
スレの存在を知ってる人間ばかりではないんだから
× スレタイからトルコに文字がなくなったのは痛い
○ スレタイからトルコの文字がなくなったのは痛い
>>983 トルコ以外の国旗揚げても、売れるわけない。
こういうのはイメージ。
トルコヨーグルトなんて書いてあっても、あんまり買いたくならないし。