架空の車輌形式・番台スレ S11編成

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1名無し野電車区
2名無し野電車区:2007/07/05(木) 21:07:44 ID:FYU98U7z
>>1の肛門くせぇwwwwwwwwwwwwwうぇwwwwwwwwww
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3名無し野電車区:2007/07/08(日) 11:25:36 ID:P52xP/+j
4名無し野電車区:2007/07/08(日) 18:50:25 ID:SCJfkhzt
>>2の肛門くせぇwwwwwwwwwwwwwうぇwwwwwwwwww
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5名無し野電車区:2007/07/10(火) 15:43:08 ID:u3jSM5EX
保守
6名無し野電車区:2007/07/10(火) 15:52:14 ID:XEdywLb3
問題点を改善したE331-500番台
7名無し野電車区:2007/07/12(木) 17:14:44 ID:B3aes0u/
キハ185系2000番台
国鉄時代末期にキハ80系の置き換え用として名古屋地区に投入された
キハ185系で、基本的には四国のキハ185と同じだが、高山本線での
走行に備えて耐雪耐寒構造となっている。
車内設備ではキロハの普通室が他の普通車と同一の車内となっている
点が四国仕様と異なる。帯色は東海道新幹線と同じ青。
1986-11改正で一気に名古屋地区のキハ80系を置き換え、「ひだ」
「南紀」と、同時に特急格上げされた「かすが」に使用された。
1990年頃から帯色をオレンジ色に改め、現在に至っている。
なお、四国のキハ185系格下げ車と番台区分が重複している。

名古屋地区キハ185系基本編成
「ひだ」
キハ185-2000−キハ185-3000−キハ185-2000−キロハ186-2000−キハ185-3000
「南紀」
185-2000−キロハ186-2000−キハ185-3000
「かすが」
キハ185-2000−キハ185-3000
8ミウナ:2007/07/13(金) 11:16:11 ID:tnhGpArf
キハ183系2000番台
名古屋地区のキハ82型の置き換えおよび高山線の
高速化(岐阜〜飛騨古川)工事完成に伴いひだの置き換え用
として投入したキハ183系。
基本的に北海道仕様ののキハ183−500番台と同じで高山線での
使用であることから北海道並ではないが耐雪耐寒構造となっている。
北海道型との相違点は先頭グリーン車キロ183型がある点。
長らく北海道の500番台と同じ色を纏っていたが1989年にクリームに東海の
コーポレートカラーであるオレンジ帯に変更されている。なお後に北海道の
キハ183系の改造が進み一部番台区分が重複してしまった。完全置き換えと
はいかず後にキハ85型が投入されたため機関をキハ85系と同一にすると共に
名古屋〜岐阜・美濃太田と大阪〜美濃太田間130km運転に対応する工事を
行い性能的にもほぼ北海道形と同一となった。なお大阪〜飛騨古川間の
急行たかやまもこの車両投入で特急ひだに格上げられている。
岐阜・大阪                      名古屋・飛騨古川・富山
キハ183-2000-キハ182-2000-キハ184-2000-キハ182-2500-キロ183-2000
追加量産で南紀への投入も予定されたがすでにキハ85系の投入を予定されて
おり投入は見送られている。
9茄子塩腹:2007/07/13(金) 14:26:36 ID:wTnSHu8/
JR東 キハE140系

管内に残存するキハ40系やキハ100・110系若番車の代替用として計画中の一般形気動車
走行機関(新潟DMF18HZB)は尿素SCR併用で一層の排ガス低減を進めたのに加え、同社初になるエアサス式車体傾斜装置を導入し、曲線や山岳線区でのスピードアップを図っている。
2010年、八高線・飯山線から投入し、玉突きで秋田・青森地区のキハ40系を淘汰する予定。
10名無し野電車区:2007/07/13(金) 14:51:21 ID:2SI8Xa00
東武鉄道600系特急形電車

東武鉄道200系特急形電車の後継。
4M2Tの20m2扉車6両編成で、3号車と4号車はダブルデッカー車になっている。
車体は日立製作所のA-train技術を用いたアルミダブルスキン構造。
車内アコモデーションは東武100/500系特急形電車には及ばないものの改善されており、
座席もシートピッチ1,100mmの回転式リクライニングシートと快適性が増した。
足回りは一部を除き、同時期に登場した東武500系特急形電車と共通化している。
行先表示器はフルカラーLED式で、二段型のものが採用された。
一時期、東上線特急用に本系列の改造型を導入するという計画が持ち上がったが、
設備上の制約や東上業務部の反対によって、計画は破棄されている。
11名無し野電車区:2007/07/13(金) 19:19:16 ID:zZycTs9/
東武2000系通勤電車

外観は50070系そっくりだが、1号車と6号車と7号車と10号車にトイレが設置されている。
この車両は6050系の置換用として導入され、6+4の10両を組んで走る時もあれば、4+4の8両で走る時もある。

なお、この車両を導入後ダイヤ改正が行われる事が発表された。
・半蔵門線直通電車を太田・新栃木迄延伸。
・日比谷線直通を20M4扉化。
・日比谷線直通を準急化。
・区間急行・区間準急を廃止。
・浅草始発の急行系の種別は廃止。
・急行は東武動物公園から太田・新栃木迄急行運転、準急は東武動物公園から各駅停車。
12名無し野電車区:2007/07/13(金) 20:11:17 ID:rwnXb0Ww
209系3500番台(2代目四季彩)

E233系の導入により2008年7月で廃車となった201系初代「四季彩」の後継車として、
同じくE233系の導入により京浜東北線で余剰となった209系を4両化の上で四季彩仕様に改造した車両。
車内は初代「四季彩」と同じく川側は全てボックスシート(クハ208は全座席を川側に向きを変更)となり、
川側の窓に関しては209系登場当時の1枚窓に戻された(山側はそのまま)。また、車体帯も車両によって異なっている。
このほか、E233系同様にドアの半自動扱いも可能である。

この車両は初代四季彩廃車後の2008年夏から運用を開始。201系初代四季彩は豊田所属であったが、
209系3500番台(2代目四季彩)に関しては川越線・八高線用の209系が所属している川越の所属となった。
そのため、土休日には本来の青梅〜奥多摩以外にも送り込み運用で川越〜拝島〜青梅でも運用される。
また、平日は川越線・八高線の予備車も兼ねており、極稀に川越線・八高線の川越〜八王子でも運用される。
13名無し野電車区:2007/07/13(金) 23:33:23 ID:WmN+aQ8q
JR東海 キハ85系(史実より投入が数年遅かったら)
JR東海が老朽化したキハ80系置き換え用として登場させた車両で、1993年から運転を開始した。
当時の高山本線は並行する高速道路の建設が本格化し、特急列車の高速化は急務となっていた。
そこで高山本線の軌道強化とともに「ひだ」の大幅なスピードアップが図られることとなった。
そこで登場したのがキハ85系で、JR四国の2000系を基本とした制御付き振り子機構を搭載、曲線
区間を本則+30で通過可能で、名古屋〜高山間で2時間を切り、富山まで3時間程度で結ぶという
ものであったため、名古屋・富山間のメインルートが東海道・北陸線経由の「しらさぎ」から高山本線
経由の「ひだ」に変わって「しらさぎ」の名古屋〜米原間を廃止に追い込むという歴史を作った。
車体はJR四国2000系に準じているが、正面デザインは独特の流線型と半流線タイプの貫通型の
ふたつが作られた。流線型先頭車はキハ85、貫通型先頭車はキハ85-100、中間車はキハ84,
グリーン車はキロハ84である。
翌年には「南紀」にも投入され、軌道強化により名古屋〜紀伊勝浦間3時間を切った。
14名無し野電車区:2007/07/14(土) 13:43:45 ID:mhDCTUfc
泉北高速鉄道3200系
泉北高速鉄道が予備車として、南海電鉄から購入した(元)7000系。
単独で走れないという欠陥を有するため、4+2+4の10連で運用される。
尚、100系はおろか3000系の置き換えが開始された現在でも残存するため、南海・泉北ユーザーからは「泉北トレインウエポン」と恐れられている。
15名無し野電車区:2007/07/14(土) 15:33:20 ID:Ff3EZ9MH
16ミウナ:2007/07/14(土) 16:49:09 ID:X5F11Yi2
東武鉄道600 650系
800 850系の野岩 会津鉄道乗り入れ用強化型。6050系も年功の波には勝てず、
とりわけ旧6000系初期型改造グループの老朽化が激しくなった。
新型車両を新造しようにも野岩線の変電所容量不足でVVVF車の投入が不可で
苦肉の策として既存の8000系で野岩対応型を作る事にしたもの。
3両編成型の600系が4編成12両と2両編成の650系が3編成6両が改造された。
改造としては発電ブレーキ 回生ブレーキの追加 主電動機の交換(JR115系廃車
発生品を使用) 75及び140KvAMGを120KvAのSIVに交換 2ドア車体化
6050系との連結対応 座席を1800 300 350系より転用 トイレ取り付けなど。
また全車モハはWパンタとなっている。
改造種車の8000系は多種にわたり、600系は後期及び最終型
(主にモハ8200 8300とサハ8900型を使用)を種車にしているが、650系の
4両に到っては8000系初期型のモハ8500クハ8600型を使用している。
これにより6050系中6151〜6159Fまでが取り替えられ、一部の快速と区間快速
が5両に減車となる。なお最後の1編成を800 850系から改造する
予定だったが行われなかった。なお現在600系1本が東上線に貸し出されており、
越生線で運用している。また6050系の新造グループの一部も越生線と
小川町以北用として東上線に転属した。
17名無し野電車区:2007/07/14(土) 17:48:26 ID:TdDQ3TBk
E129系

JR東日本所属の113系と115系を置き換えるために開発された通勤形車両。
107系と同様に製造費用の低減を図り、主電動機と制御装置には、
205系の5000番台化改造の際に生じたMT61形と界磁添加励磁制御装置を、
台車には209系0番台の廃車で生じたDT61/TR246を流用している。
車体は軽量ステンレス製で、北関東/羽越向けの500番台は耐寒構造とされた。
バリアフリー対策のため、LED式旅客案内表示器や洋式トイレやドアチャイム
を設置している他、車椅子スペースも確保されている。
座席配置はオールロングシートで、戸閉装置には半自動式を採用。
2M2Tの4両編成で、2002年から2006年にかけて66本が製造されており、
2008年3月までに追加発注分の2本が更に納入される予定である。
(内訳…千マリ:0番台43本、新ニイ:500番台14本、高タカ:500番台11本)
18名無し野電車区:2007/07/14(土) 17:58:34 ID:TdDQ3TBk
時期設定ミスのため修正

2002年から2006年にかけて66本が製造されており、
2008年3月までに追加発注分の2本が更に納入される予定である。

2009年から2010年にかけて68本が納入される予定である。
19名無し野電車区:2007/07/15(日) 02:43:24 ID:e5/NdsVQ
>>16>>17を拝借

東武鉄道600系
6050系の修繕型。6050系も年功の波には勝てず、とりわけ旧6000系初期型改造グループ
の足回りは、長年にわたる長距離優等運転で老朽化が激しく、リタイヤの時期が迫っていた。
新型車両を新造しようにも野岩鉄道の変電所容量不足でVVVF車の投入が不可能なため、
苦肉の策として、E233系1000番台の投入によって廃車された209系のボルスタレス台車と
205系の5000番台化改造の際に生じた床下機器を購入・流用して足回りを改造したもの。
車体は6050系からそのまま継続使用しているが、車内アコモは徹底的に改められて、
座席はセミクロスシートから東上ライナーで導入されたデュアルシートに交換されている。
2008年から2009年にかけて完全新造グループも含む6050系全編成が改造された。
20茄子塩腹:2007/07/15(日) 14:56:34 ID:ExqAZVEq
国鉄→北海道以外のJR旅客各社キハ13形(1-,501-)
キハ40系の反省やキハ37形の試用に鑑みて導入したローカル線用中型気動車
三陸鉄道36形の準同形車で、暖地向け0番台と寒地向け500番台に分けられる。
1984〜86年に1-79と501-547が新潟鉄工と富士重工で新製された。
JR化後、冷房取付や機関更新、オールロングシート化されたものもあり、2007年4月現在で126両中114両がJR東・海・西・四・九に在籍している。
21名無し野電車区:2007/07/17(火) 00:53:28 ID:/hBhF/Ut
201系京浜東北線仕様

京浜東北線の増発時に増備された201系。
塗装は当然スカイブルーで209系900番台など同様6ドア車は連結されていない。
現在も京浜東北線で運用されているが今年秋から導入されるE233系により、
209系と共に廃車されることが決定している。
22ミユナ:2007/07/17(火) 18:04:08 ID:F1aSeXOq
クハ103-851〜856 モハ103-794〜802 モハ102-2051〜2059 サハ103-504〜509
昭和59年に京浜東北線に配備された103系の最終型。
車体構造は201系とほぼ同じとなり、冷房装置がAU75Dとなりラインファン式に
変更され、通風器も角型押込式となり、MGは190KvAのブラシレス式となった。
また台車はDT46・TR231で、車内も201系に準じた暖色系壁紙に変更された。
201系を投入しなかったのは大量にある103系が生かせる事やチョッパ車投入
による整備性の問題から。
103系終焉まで全編成が生き残り、後に京葉に転属されたが、205系投入で
運用から外された。本来なら廃車になる所だが、意外な所からの転属で辛うじて
生き残る事になる。
仙石線を持つ宮城野車両センターより
高架化工事に伴い103系を1編成復帰させたものの予備編成がさらに
必要になった事から6両が半自動ドア トイレ取り付け等を行い宮城野へ転属。
残った車両はJR西日本より103系の無償譲渡の打診により、サハ2両が日根野へ
モハ3ユニットは奈良と広島に行き、残りの8両2本は大阪環状線用として
森ノ宮に放出された。2004年〜2006年に延命N40化工事により、
外見が全く変わってしまった。
23名無し野電車区:2007/07/17(火) 19:46:05 ID:jlgMrBZl
【E233系5000番台】
常磐快速線・成田線我孫子支線に投入されたE233系の番台。
省略されていたヨーダンパの追加搭載とMT77型DDMへの換装が行われている。
MT比は3000番台と同じ8M7Tで、営業最高速度は130km/hに向上した。
5000番台の登場により、同線で運用されていたE231系0番台は全編成が置き換えられ、
関東地方の他通勤路線に転属している。
24らくだ:2007/07/17(火) 20:05:21 ID:6Y49sI7t
国鉄305系電車
1981年登場。実は205系に先駆けたステンレス車両だった。
当初国鉄は305系の必要性を大きくは感じておらず、小野田・宇部・可部線でしか導入されなかった。
しかし、翌年の1982年に前年度生産された余剰45両をオールロングシートに改造し京浜東北、横須賀線に導入された。
その後鹿児島本線、山陽本線などにも導入され、1984年山手線に導入され増産がつづいた。
一時期は305系黄金期とも言われたが、205系の台頭により山手線からは数年で完全撤退。
西日本からも207系登場により可部線以外はほぼ撤退。斜陽の時代を迎え、一時50本以上の余剰を抱えた。
JR西日本の福知山線で運行されていた1編成は東武鉄道に譲渡されたが東武では使い道が無く、1999年に解体された。その他JR東日本の車両も解体が続いた。
現在はJR西日本の小野田線、宇部線、可部線に1編成づつしか運転していない。
25らくだ:2007/07/18(水) 22:10:35 ID:xwBfTO5r
京成 D1000系
1972年に製造開始。かつてディズニーランド・モノレール線(←架空)で使用されていた。
都電荒川線にかわる荒川遊園地へのアクセス手段として計画されており、最初の1両はその試作車として造られた。
しかしこの計画が呆気無く頓挫し、最初の1両は宙に浮いたまま有楽町(当時)の都庁の地下に保存されていた。
1979年ディズニーランド開演に備える交通手段として京成が都に買収を持ちかけ、この1両は生かされることになった。
最初の1両は更新工事が行われ、外見が変わった。その後独自の技術で新造車両が造られた。
ディズニーランドへの交通として貴重な役目を果たしていたが1997年の検査で軌道に欠陥があることが発覚し、モノレールが廃止。
現在全車が舞浜駅前に動態保存されている。
26ミウナ:2007/07/19(木) 20:09:19 ID:hpJjjgCv
東武鉄道6030系
3ドア型の6000系で昭和42年に3両編成6本18両が落成した。編成は
モハ6330(Mc)+モハ6030(M)+クハ6430(Tc)で2M1T式を採用した。
車体を3ドアとし、固定クロスシートに車端・ドア部をロングシート
としている。トイレはクハ6430型にある。元々本線用としての車両でなく
東上線特急用として東上線向けに製造したもので池袋〜小川町間の
特急用として使われ、フライング東上用の車両で最後の形式となった。
特急運用削減に伴い本線への転用が行われ、すでに本線で使用されていた
6000系とともに快速や快速急行などでも使われた。
そして6000系が1985年に更新工事が行われて6050系となったのと同様
1987年に更新工事が行われた。その際車体を3ドアから6050系同様の2ドア
車体での更新となり、形式も6080系と改められた。元々特急用であった
ため6000系よりも主電動機出力が150kwと大きいため3両編成×2の
6連で組成するが、野岩線の変電所能力の関係で当初は東武日光と新藤原
までしか使用できず、特急連絡用専任で使われていたこともあった。
後に主電動機を1800系からの廃車発生品に転用されたために野岩線使用可能に
緩和されたが3両編成の特殊さゆえに快速・区間快速は専ら東武日光・鬼怒川
温泉および新藤原間での使用と特急連絡および新栃木以北の普通に限定されて
いる。
編成
浅草                東武日光・鬼怒川温泉・新藤原・会津田島
     更新前           更新後
モハ6331+モハ6031+クハ6431→モハ6181+モハ6281+クハ6481
モハ6332+モハ6032+クハ6432→モハ6182+モハ6282+クハ6482
モハ6333+モハ6033+クハ6433→モハ6183+モハ6283+クハ6483
モハ6334+モハ6034+クハ6434→モハ6184+モハ6284+クハ6484
モハ6335+モハ6035+クハ6435→モハ6185+モハ6285+クハ6485
モハ6336+モハ6036+クハ6436→モハ6186+モハ6286+クハ6486
27名無し野電車区:2007/07/19(木) 20:17:17 ID:pUDxAbM3
>>17
ちなみにこの形式の投入後、2ch鉄道車両板の21世紀最悪車両スレにこんな書き込みが頻発している・・・

【所属】JR束
【形式】ヨ129
【コメント】束は北関東と千葉舐めてんのかゴルァァァァァァァ!!!
またしょうもないものを作りおって・・・
ロングシートの田舎電車というだけならまだ静岡のアレの方が酷いという香具師は多いだろ。
だがな・・・こいつの一番恐ろしいところは足回り。何と

 2 0 9 系 の 台 車 に 2 0 5 系 の モ ー タ ー を 載 せ た 
 パ チ モ ノ 汚 物 な ん だ ぞ こ れ ! 

あー、ロングシート313?あんなモン、完全な新製なだけありがたく思えよ!つーかそんなに嫌ならこのパチモノ汚物と全車交換汁!
東武800系がどうした?車体から8000系だと分かる部分諦めがつくだろ?こちとら車体だけ新しく作って足回りは流用品という乗客を完璧にナメ切った仕様。
28妄想竹:2007/07/19(木) 22:20:18 ID:cdML/pnd
サハ165-200

昭和47年、最後まで80系で残っていた飯田線・身延線急行の新性能化、冷房化が図られることになった。
身延線「富士川」用としては、165系4連にサハ153を組み込んだTc-M-M'-T-Tcの5連が組成されたが、
本来抑速発電ブレーキが付いている165系にもかかわらず、サハ153のせいでこれが使えなかった。
身延線には急勾配が点在するため、まもなく運転側からサハ153の抑速対応改造が強く要望され、
サハ153の165系化改造が行われることになった。これがサハ165-200である。

種車は5連組成時の冗長性を考慮し、当初はMG・CP搭載のサハ153-200が種車となり、
抑速ブレーキ用回路・引き通し線の新設の他、非冷房車については冷房改造、冷房用兼用大型MGへの交換が行われた。
また、耐寒耐雪構造となり、MG・CP等の対策や、ドアレールヒーターの設置、暖房の強化が行われている。
翌年の追加改造車は0番台・100番台が種車となり、これらについては新規にCP・冷房用兼用大型MG・CPの搭載が行われた。
上記の改造で、機能的には全く165系のサハとなったが、台車はTR58のままなので、
パッと見ではサハ153-200と見分けが付かない。
サハ153-214 215 207 211 218 111 110 115 4 101 → サハ165-201〜210

当初「富士川」用として5両が改造され名カキに配属された他、
昭和48年の中央西線電化で5両が追加改造され、名シンに配属された。
「富士川」のほか、上記2区受け持ちの「東海」「比叡」「伊那」「きそ」等で使用された他、
一部はサハシ置換用に長モトへ転属し、「アルプス」「かいじ」「こまがね」「みのぶ」「天竜」等でも使用された。
最後まで残ったのは名カキ「富士川」と長モト受け持ちの各列車だったが、
昭和61年、「アルプス」系統の特急化による余剰車で置き換えられ、全車JRに引き継がれることなく廃車された。


29名無し野電車区:2007/07/19(木) 22:38:28 ID:LMrYI6ZO
梅宝鉄道が出来るまで
2017年、阪急阪神HDは深刻な経営悪化により、次の路線を民間に委託すると発表した。また、京都線と神戸線を繋げる事も発表した。
(新線建設、淡路ー新大阪ー神崎川間)

千里線 (淡路ー北千里)
宝塚線 (梅田ー宝塚)
箕面線 (石橋ー箕面)
京都線 (十三ー淡路)
神戸線 (十三ー神崎川)
伊丹線 (塚口ー伊丹)
甲陽線 (夙川ー甲陽園)
阪神線 (全線)
これにより、阪急阪神HDが梅田の本社を放棄する事となり、阪急HD本社は新大阪に移る事になった。また、阪神線も売却する為、阪急阪神HDから阪急HDになる事になった。
この時、大阪市交通局も地下鉄を民間委託する事も発表された。
>>29に続く
30名無し野電車区:2007/07/19(木) 23:19:47 ID:cdoWOb+1
E331系900番台

車体をステンレス製からA-trainのアルミ合金製に変更した試作車両
車外表示器はフルカラーLED式で、台車は改良版のDT73B/TR258BとTR257Bを採用
また、0番台の量産先行車には無かった4ドア車が連結している
31名無し野電車区:2007/07/20(金) 15:33:09 ID:CQuZ1DVv
サハ454
国鉄が製造した455系の売店つき付随車。
32名無し野電車区:2007/07/20(金) 15:39:23 ID:CQuZ1DVv
165系山陽急行仕様
国鉄が山陽本線の急行に投入した165系。
153系ではMT比1:1だと瀬野八越えの際に主電動機が焼ける危険性があるため、補助機関車を必要としていたが、165系では不要になった。
編成は153系と同一にするためモハ165が大量に製造された。
33名無し野電車区:2007/07/20(金) 21:00:30 ID:s0b89S0E
>>29の続き
34名無し野電車区:2007/07/20(金) 21:08:38 ID:s0b89S0E
>>29の続き

阪急HDは、殆どの路線を売却したが、宝塚線の売却については労働組合と揉めてしまった。
2017年10月14日、奇しくも鉄道の日に大阪市20%、豊中市20%、池田市20%、川西市20%、宝塚市20%の鉄道会社が設立された。会社名は梅宝鉄道である。
梅宝鉄道とは、梅田ー宝塚間を結ぶ鉄道から、梅と宝を取ってつけた名前である。
>>34に続く
35名無し野電車区:2007/07/20(金) 21:17:34 ID:s0b89S0E
>>34の続き
梅宝鉄道では新車を導入せずに、元阪急3000系、3100系、5000系、5100系、6000系、7000系、7300系を購入する事になった。
6000系、7000系、7300系のアルミ車両は、延命工事を行われる事になった。
車庫は雲雀丘検車区と平野車庫となっている。
36名無し野電車区:2007/07/20(金) 23:22:10 ID:qcktOgn0
クハ100-200番台
国鉄が製造したクハ100のCP・MG搭載仕様。
101系ではCP・MGの容量の関係でTc-M-M'-Tcの編成を組むことが出来なかったが、この車両により可能になった。
その後の冷房改造でMGは撤去されてしまった。
37名無し野電車区:2007/07/21(土) 00:11:15 ID:krl09Vbo
E233系武蔵野線仕様
JR東日本が武蔵野線に投入したE233系。
4M4Tの8両編成で、205系5000番台と同様の加速度3.2km/h/sを叩き出す。
武蔵野線120km/h化に伴い、205系6M2T編成を置き換えていく。

クハ205・サハ205-5000番台
JR東日本が武蔵野線120km/h化に伴い、クハ205とサハ205のブレーキを強化したもの。
205系5000番台は性能的に120km/h運転が可能であるため、ブレーキ改造を行い、これに伴いクハやサハも5000番台を名乗ることになった。
38ミウナ:2007/07/21(土) 10:14:13 ID:uSL5a0BZ
>>31追加
サハ452
>>31の前に2両のみ作られた売店車で451系版サハ164である。
>>31同様東北電車急行を中心に使われた中でもこの車両は
常磐線急行「ときわ」「つくばね」のみでサハシの代わりに使われた。
サハシ同様に編成を外されてからは先頭車への改造も計画されたが、
ドア位置の関係で先頭車改造が困難と判断され、>>31共々昭和59年に全廃された。
サロハ455
やはり「ときわ」「つくばね」専用の普通 グリーン合造車で4両のみ作られた。
グリーン車が22名と普通車が32名で窓割りはグリーンはサロ455・普通はサハ455
に準じたもので冷房はAU13E5基。急行廃止後に先頭車化でクハ455-650番台
の名で計画もされたが、グリーン車部分のユニット窓化を行わなかったために
グリーン車区画の窓部分の老朽化が著しく、改造は困難と判断され、
また既に165系等の改造種車の目処も立っていた事から昭和60年に廃車された。
39名無し野電車区:2007/07/21(土) 11:50:56 ID:nizlx8Yt
>>32
この場合は、史実の163系の計画はなかったということ?
40名無し野電車区:2007/07/21(土) 12:11:33 ID:QmS8MfUC
500系3800番台
壊を追い出された500系が300キロ線路星としてデビュー
8連2編成に分割
元G車に運転台を貼り付け
コストダウンのため
もちろん形状は平m(ry
41名無し野電車区:2007/07/21(土) 14:28:07 ID:0wBTcXHo
キハシ28
国鉄が製造したキハ58系の半室ビュッフェ車。
当初から冷房を搭載しており、床下に4DQを搭載していたが、後に4VKに換装され番号が+2000になった。

キハシ26
キハシ28の北海道仕様。
窓が小さい。

キハシ27
キハシ28の碓氷峠対応仕様。
台車が空気ばねのDT31・TR68になっている。
42名無し野電車区:2007/07/21(土) 15:13:26 ID:cwwxM6Dw
しなの鉄道203系

同線で運用されている115系を置き換えるために、JR東日本から203系100番台を購入して改造した車両。
ワンマン運転対応の2両編成で、モハ203とモハ202を耐寒化・先頭車化改造したクモハ203とクモハ202で構成されている。
保安装置や方向幕がしなの鉄道に合わせられたほか、トイレや広告用ディスプレイの設置工事が施された。
43名無し野電車区:2007/07/21(土) 18:24:10 ID:0wBTcXHo
201系房総地区仕様
JR東日本が房総地区に転用した201系。
東京電力柏崎刈羽原発が新潟県中越沖地震で停止したため、電力不足が懸念されることから急遽回生ブレーキを搭載している201系を房総地区に投入することになった。
4両編成と6両編成があり、塗装はスカ色に変更。
ラッシュ時を中心に運用される。
44名無し野電車区:2007/07/21(土) 21:15:03 ID:wSFCdEQS
>>43
 関東地区の電力は自前で賄ってるんじゃ内科医?
45妄想竹:2007/07/21(土) 22:22:57 ID:aK7ht4OC
>>41をヒントに

キハ65−600
勾配線区のキハ58系急行は、キハ65の登場でパワーアップされ冷房化の目処がついた。
しかしながらキハ65にはトイレが無かったため、
短編成となる区間ではトイレが編成で1箇所になってしまう場合があり、乗客からの苦情が少なくなかった。
これに対応するため、キハ65のトイレつきバージョンが企画された。これがキハ65−100である。
しかしながら暖地形のキハ65−100は実際には新製されず、寒冷地形のキハ65−600のみが新製された。

運転台側は基本番台のキハ65と同じだが、連結面側はデッキが内側に寄り、トイレ・洗面所が車端に設けられた。
汚物処理装置は新製当初こそ準備工事に止まっていたものの、後に全車に搭載された。
このあたりの見付は同時期製造のオハ12と似た寸法だが、行き先表示窓は無い。
床下には基本番台と同じく4VKを搭載したため余裕が無く、水タンクはキハ58と同じく車端の屋根に載っている。
塗色は急行気動車の標準色、走り装置は寒冷地形の500番台と全く一緒である。

20両が製造され、当初は中央東線「アルプス」「八ヶ岳」用に長モトへ配置。キロ58の冷房電源車として重宝された。
「アルプス」系統の全面電車化で全国へ散らばり、JR化後も「月山」「砂丘」「よしの川」「火の山」等、
パワーと冷房電源、トイレなどの設備を生かしてJR各社の急行を中心に使用されたが、
優等列車中心の運用で走行キロを稼いだことが仇になり、
平成9年、米トリ所属の最後の3両が「砂丘」廃止で余剰廃車され、番台消滅となった。



46妄想竹:2007/07/21(土) 22:46:29 ID:aK7ht4OC
>>45 しまった! キハ65-600って実際にあるじゃん orz
番号は適当に読み替えてください。 キハ65-550とか。(キロ65-550は存在したけど、キハは無かったはず…)

ついでに別形式。

キハ65-100

キハ65は当初は本州用のみだったが、狩勝峠、石北峠などを抱える北海道でも大出力の気動車が所望され、
北海道仕様車も登場することになった。これがキハ65-100である。
北海道で使用することから冷房準備車となり、4VK電源も搭載されていない(取り付けスペースは空けてある)。
また、窓も一段上昇式の2重窓となり、旅客用ドアも折り戸から引き戸になった。
一見するとキハ27-200のトイレ無しバージョンに見えるが、足回りは大出力エンジン・空気バネのキハ65のそれである。

15両製造。札ナホ、釧クシ、旭アサに配置され、当初の予定通り石北線・根室線の急行を中心に使用され、
列車速度の向上に寄与したが、冷房改造は最後までなされなかった。
急行の廃止後は、その収容力とパワーから札ナホに集められ、
主に札沼線札幌口と函館線山線区間から札幌への直通快速で使用されたが、
平成9年、キハ201の登場により廃車となった。
47名無し野電車区:2007/07/22(日) 00:34:09 ID:Nr/uYRf7
クハE531-1901
JR東日本が製造したE531系の2階建て先頭車。
クハ415-1901の代替として製造。
48名無し野電車区:2007/07/22(日) 01:26:55 ID:Nr/uYRf7
コキ90000
JR貨物が製造したダブルスタック対応コンテナ車。
超低床構造によりアメリカで一般的になっているコンテナを2個積み重ねる「ダブルスタック」に対応。
ただし日本国内では車両限界が小さいため、専用の薄型コンテナしか積載できない。
49名無し野電車区:2007/07/22(日) 19:59:14 ID:O/N+NeaR
DF51形ディーゼル機関車
良好な試験結果を出し、DD51に変わって量産が始まったDE50をベースに、
幹線での高速貨物列車牽引用として製造されたF級ディーゼル機関車。
DD53に似た箱型車体に、DE50と同じDMP81Z形機関(2000ps/1500rpm)を
2機搭載しており、ほぼDD51重連に相当する出力を持つ。
軸配置は変則的なB−AA−Bで、通常は1機関で3軸を駆動しているが、
片方の機関が故障した場合でも、推進軸を切替えることで出力に制限はあるものの全軸を駆動できる。
なお、貨物列車専用となっているため、SGは搭載していない。
通常型の0番台と、寒地仕様の1000番台が計画されたが、貨物輸送の衰退により通常型は製造されず、
全機が北海道に配置され、函館本線、室蘭本線などで長大貨物列車の牽引を行った。
当初は最高速度を95km/hに設定していたが、高速化が進んだことから
110km/h走行への対応改造が行われ、現在もDF200、DD51と共に運用されている。
また、一部が旅客・貨物兼用に改造され、北斗星などの牽引を行っている。
50妄想竹:2007/07/22(日) 21:41:25 ID:E9nqHho2
717系500番台

東北地区では、普通列車用として50系客車が使われていたが、牽引機のED75の老朽化が顕在化してきた。
これへの対応として、廃車発生品を活用して50系の電車化が行われることになった。これが717系500番台である。

種車はオハフ50+オハ50+オハフ50の3連。これをMc-M'-T'cの3連に仕立て上げた。
上野方のオハフはトイレを撤去し、115系廃車発生品を利用した電装品・運転台を搭載、
オハにモハ484発生品の変圧器、パンタ等を載せ、MM’ユニットとした。
この両者の台車はDT21B、モーターはMT54、主制御器はCS15で抑速発電ブレーキつきである。
青森方のオハフは運転台取り付けのみで、台車もTR230のままとした。
全車とも103系廃車発生品のAU75を搭載、準備工事だった側面幕も整備された。
前面デザインはオハフ50のまま。但し貫通路は開き戸になり、窓下にシールドビーム2灯を設置した。
塗色も赤2号のままだが、側面・前面の窓下に白帯が入り、アクセントとした。

3両編成10本が改造され、電装品を(ほぼ)共通とする717系に編入された。
全車とも盛モカへ配置され、主として盛岡〜青森で活躍したが、
車体も足回りも流用品で、かつ気象条件の厳しい地域で使用されたため老朽化が激しく、
平成14年、東北新幹線の八戸開業時に全車廃車となった。
51ミウナ:2007/07/23(月) 00:36:21 ID:Jbwh0gsH
>>49追加
DF53型除雪用ディーゼル機関車
DF51型(>>49)はその大馬力性能により、兼ねてから除雪用としても
動きを置かれており、ロータリー除雪装置を取り付けた除雪用として開発した
のがこのDF53型である。
前後にロータリー除雪装置を取り付けているためDD53型の様に転車台を
使用する必要もない他、前後の機関を走行と除雪とで半々で使用するため
煩雑な背向重連などをやる必要もないためDD14型はおろかDD53型の
後継車としても期待された事から、製造された6両は全て新潟に配置され、
信越線の長野・新潟県境付近や上越線及び只見線と米坂線など豪雪地帯を
走る線での除雪用として期待された。
しかし使用してみると2000hp全馬力使用の投雪では100m近い投雪が出来るものの、
あまりの投雪により近隣の家屋を破壊するなどを続発し、後に全馬力と
半分の馬力での投雪とに切り替えが出来る様に改良された。
後に4両が新幹線用の除雪車に改造され、残存車は1と2のみ。
DE54型ロータリー除雪用機関車
山形新幹線開業に伴い、除雪用ロータリー機関車としてDF53-3・5を改造したもの。
台車を標準軌に改造して新幹線用に改造した。山形に2両配置されたが、後に
秋田新幹線開業により2号機は秋田に転属している。
DF55
同じく新幹線除雪用機関車としてDF53-4・6を改造して標準軌に改造したもの。
DF53との違いは両頭ラッセルヘッドになっている点。ラッセルヘッドは
DE15型から抜き取った物を使用している。なお連結部分を新幹線に
合わせており、救援用機関車としての能力も持つ。やはり最初は
2両とも山形に配置されたが、秋田新幹線開業により1号機は秋田に転属している。
52名無し野電車区:2007/07/23(月) 17:43:33 ID:tfzslSX7
203系500番台

武蔵野線増発に伴う205系捻出と京葉線で運用されている201系の置き換えを果たすため、
203系100番台の廃車をキャンセルして、足回りを205系5000番台と同様に改造した番台。
500番台の配備により201系が3編成廃車にされ、京葉車両センターに転属予定だった209系
500番台は改造した上で中原電車区や川越車両センターへ転属先を変更(これにより0番台
・3000番台・3100番台全廃)し、205系1編成が武蔵野線仕様に改修された。
53ミウナ:2007/07/23(月) 18:18:34 ID:PYrD/NyT
サロハ165
身延線急行「富士川」用に製造されたグリーン・普通合造車。
グリーン区画をサロ165・普通部分をサハ165に準じた窓割り
となっている。静岡と大垣に配置された前期生産型8両は
「富士川」以外に飯田線急行「伊那」などでも使われた。
後期生産型6両は幕張に配置され、房総各線の
急行「うち房」「外房」「水郷」などでも使用された。
前期生産型は冷房装置は普通区画はAU13E3基に
グリーン区画がキノコ型のAU12S3基でサハシ165同様の
屋根構造。房総地区に配備された後期生産型はサロ165-130
以降に準じたAU13E5基。後に房総地区の急行廃止後に
静岡に転属したため国鉄末期はすべて静岡に集結していた。
JR東海に継承された残存車4両は急行「富士川」と「伊那路」
のグリーン車として3号車に連結されたが相次ぐ特急化により
晩年は急行「東海」の老朽サロ165台代替のグリーン・普通車
として4号車に連結された。これにより東海道線の栄光の急行にも
名を刻んだことになる。無論大垣夜行にも言うまでもなく使われ、
珍車である事から人気を呼んでいた。急行「東海」廃止直前の段階で
まだ3と7と11が残存しており、廃止直前にはグリーン車部分に
グリーン帯を巻かれるなど最後まで急行グリーン車の生き様を全うし、
2003年に全車廃車された。なお急行衰退期に1・4・5・8・12・13を455系の
クハ455-611以降に改造する案もあったが窓割が異なることが災い
したことやグリーン車部分のユニット窓化を行っていない車両が
ほとんどだった(残存していた3・7・11のみユニット窓)ため窓部分
の腐食が激しく、またすでに他形式からのクハ種車の目処が立って
いたため改造されずに廃車されている。
54名無し野電車区:2007/07/23(月) 21:24:27 ID:CaU6yzwK
>41
ツッコミスマソ。
当初の発電機は4DQ2機でないと夏は電力不足じゃなかか?
55茄子塩腹:2007/07/24(火) 12:36:05 ID:vq35Xjgx
気動車用台車DT22D・TR51D
DT22C・TR51Cをベースに1962年にキロ26・28用として開発したもの。
定員乗車ゆえ軸・枕バネを柔らかくし、防振ゴム挿入箇所を増やした。
また揺れ枕釣りも変更して、トータルな乗り心地向上を図った。
1963年、キロ58とキロ26・28101〜より採用。
国鉄末期〜JR初期、廃車発生品の一部は再整備されてキハ58系改造のジョイフルトレインに流用されている。
56名無し野電車区:2007/07/24(火) 15:58:56 ID:8/Lv8XQu
E233系3000番台

八王子〜川越間のあまりの所要時間の長さに苦情が殺到し
所要時間短縮のため高速化が図られた八高(南)線、川越(西)線に導入された車両
基本的にはE233系0番台とほぼ同一で最高速度は120km/h、起動加速度3.0km/h/sの2M2Tだが
空気式車体傾斜装置を搭載し、八王子〜拝島間を11分、拝島〜高麗川間を22分
高麗川〜川越間を13分で結び、かなりの所要時間短縮に成功した
57茄子塩腹:2007/07/24(火) 19:02:27 ID:vq35Xjgx
>55に準拠して…

キロ58形100番台(101・102)、キロ28形2700番台(2701)洋風気動車「モントレ−」→「エレガンスアッキー2」
キハ58・28形モデルチェンジ車をベースにした高崎局が製作した「アルコン」スタイルのジョイフルトレイン。
八高線での運転も考慮して気動車にした。
改造は長野工場で1989年に完成。
当初は1988年末完成予定だったが、「アルカディア」火災事故の影響で着工が一時見送られ、機関換装と在来構体部の更新を追加し、ほぼ1年遅れで完成した。
動力部は新型気動車キハ100系に準じて新潟DMF13HZ+DW14、ブレーキはCLEに交換して最高速度は100km/hに向上。加速力と登攀力も向上。横軽対策も施工した。
台車もキロ28の廃車発生品であるDT22D/TR51Dに履き替えた。
先頭車はアルコンスタイルだが、中央東線での運用を考慮して屋根部ヘッドライトは取り付けなかった。
1990年の高尾臨で運用入り。
2001年に長野でリニューアル・バリアフリー工事と横軽対策撤去工事を施工後秋田に転属。「エレガンスアッキー2」と改名。
車体の状態が良く、動力部もキハ100並であるため、2010年度まで運用される予定。
58茄子塩腹 :2007/07/24(火) 19:06:21 ID:vq35Xjgx
↑追加
2000年に普通車に格下げされた。
59名無し野電車区:2007/07/24(火) 22:39:31 ID:gEECMchj
E233-3100
>>56の厠付仕様。
60名無し野電車区:2007/07/25(水) 00:13:48 ID:Pbbx/ea9
EF31
国鉄が製造したEF30の改良版。
EF30は交流区間では部分出力でゆっくりしか走行できなかったが、EF31ではフル出力で走行が出来るようになった。
0番台と200番台があり、0番台は鋼製車体(ローズピンク)で北陸地区用、200番台はステンレス車体で関門トンネル用。
61名無し野電車区:2007/07/25(水) 01:16:37 ID:7Oo3RwKC
119系500番台
越後線、弥彦線電化にあわせて昭和59年に登場。
車体、機器は飯田線用0番台に準ずるものの、信越本線での使用を考慮して181系発生品のMT54、153系発生品のDT23と歯車が整備のうえ再利用された。
冷房装置は153系の廃車発生品であるAU72、AU13を装備。容量の少なさを補う為に扇風機も併設された。
車内のクロスシートにも153系の廃車発生品が活用され、背もたれには半月状の握り手が付く。
降雪地向けの車両ではあるが雪切り室はコストダウンの為に見送られ、主電動機冷却風は車内から取り入れることとされた。
塗装はかつての新潟色をアレンジして黄色5号の車体に窓下に赤2号の帯を巻いたものとなった。
車種はクモハ119-500、クハ118-500(トイレ付き)、クハ118−550(トイレ無し、弥彦線向け)が用意され、Tc車500番台編成が11本、Tc車550番台編成が4本の計30両が新潟運転所に新製配置された。
現在も越後線、弥彦線、白新線、信越本線(新潟〜長岡)、羽越本線(新津〜新発田)の普通列車として活躍、ラッシュ時には6両編成や115系との併結も見られる。
62ミウナ:2007/07/25(水) 19:30:13 ID:o+oy55GF
もしも・・107系でなく119系で量産されていたら・・
119系1000番台
両毛・信越・上越・吾妻線と日光線用として昭和60年に登場。
車体は飯田線用0番台および500番台(>>61)と同じだが主電動機
は115系と同一のものとし、台車は165系および483系・485系廃車
発生品のDT32/TR69となっている。また新造時より冷房(AU75B)
が搭載されている。当時まだ横軽もあったため1000番台には横軽対応も
無論行っている。山側はセミクロス・海側をロングシートとする変則式
座席を採用した。また日光線用の1500番台は霜取り用として電動車の
パンタはWパンタとなっている。塗装は登場当時はオレンジ地に白帯
だったが似た塗装の上信電鉄車と誤乗してしまうトラブルを高崎で多発
したためクリーム地にグリーン帯に変更された。当初は湘南色も計画
されていた。車種はクモハ119-1000 クハ118-1000(トイレ付)
クモハ119-1500(日光線用Wパンタ仕様)クハ118-1500(日光線用)
が用意され高崎に1000番台15本が、小山に日光線用で1500番台が7本配備された。
また後に長野に1000番台12本と1500番台8本が配備されている。
当初は信越線の横軽や上越線の清水トンネルをも超える運用にも投入されたが
現在は高崎車は両毛 吾妻線全線と上越線の高崎〜水上の一部および信越線の
高崎〜横川間で、小山車は日光線以外にも東北線の宇都宮〜黒磯でも使われる
こともある。
長野車は横軽当時には長野〜高崎の普通列車にも投入されたが現在は
信越線の長野〜直江津および篠ノ井線でも使われ、中央本線まで行き、
小淵沢まで行く運用もある。今年のダイヤ改正ではついに甲府をも
飛び越え、塩山への運用にも投入。なお長野新幹線開業時に1000番台
と1500番台各3編成がしなの鉄道に売却されており、しなの鉄道でも
使われている。平成16年よりリニューアル改造を開始したが改造対象外
車の一部が廃車になっている。その廃車車両に関してしなの鉄道車の
整備を委託していた長野電鉄が興味を示し、3500系代替で最後まで
東急電鉄8500系と争っている。敗れたが2連だったためワンマン改造が
容易でしなの鉄道での115系等の整備実績からして一時は採用も確実視されていた。
63名無し野電車区:2007/07/26(木) 20:45:58 ID:y9zjrTHk
阪急3000系3040形
阪急電鉄が製造した3000系の神戸・宝塚寄りの制御電動車。
1500V昇圧で4+2連が組めなくなったため製造。
現在は今津線で4+2連の編成を組んだり、2000系や3000系のT車を2両挟んで4連を組んだりしている。
64名無し野電車区:2007/07/26(木) 20:49:06 ID:y9zjrTHk
>>63
訂正
神戸・宝塚寄り→梅田寄り
3000形とユニットを組む。
追記
パンタグラフを2個搭載しており、2000系を彷彿とさせる「前パン」スタイルである。
65名無し野電車区:2007/07/26(木) 22:57:25 ID:nYgCGU3o
115系E1000番台

2連S・Y編成をベースに、3連N編成とほぼ同じ更新内容を施した更新形式。
コンプレッサーを最新型の静止形インバータ(SIV)への変換した。
また、主電動機は に変更し、シングルアーム式パンタグラフPS35C形を装備し、制御方式はシーメンスインバーターとされた。
3連N編成更新車とほぼ同じ塗装パターンであるが、塗色に関しては、色は白地に緑とした。
FMT-4形(565kW)を4基使用している。
定格出力は22,60kW(1時間) 3020kW(30分)、定格速度は58.4km/hとされている。

座席配置は基本的に在来車と同等であるが、車椅子対応スペース及びトイレが新設されている。
上越線・信越本線・羽越線・白新線・越後線・弥彦線での使用が前提となっている。
66名無し野電車区:2007/07/27(金) 10:47:01 ID:HEPSxr7v
阪急7200系
阪急電鉄が製造した7000系ベースのAFEチョッパ制御試験車。
C#2311に採用されたAFEチョッパ制御を試験的に採用。
加減速時に「ブーン」というチョッパ音が鳴る。
67名無し野電車区:2007/07/27(金) 18:09:39 ID:Lof7+ZXm
クロ157-2
国鉄が製造した153系の貴賓車両で、予備車を確保するためもう1両投入。
高運転台になっている。
68ミウナ:2007/07/28(土) 06:43:08 ID:S+3Pxxjr
サロ184
老朽化したクロ157-1の代替として計画されていた185系の貴賓用グリーン車。
サロ185との違いはドアが両開きになっている点。塗装はクリーム一色のみで
菊のの紋章が真ん中に付く。田町と高崎に1両ずつ配置される予定だった。
連結して使用するのは200番台車でサロ185を抜き取り、4号車に組み込む。
大宮工場にてサロ185-201 207から改造される予定だった。
しかし185系では直流区間でしか使用出来ない事や御料車編成の老朽化も重なり、
既にE655系の製造が具体化された事により計画のみで改造は見送られた。
69茄子塩腹:2007/07/28(土) 10:07:51 ID:dNzeY2v7
EF63if…

国鉄→JR東EF43形
信越線横軽間を粘着運転に切り替えるにあたり、本務機用EF62形に対する補機や電車・気動車列車用として計画・製造された。
運用区間が横軽間に限定されるため、牽引力を重視し、最高運転速度は85km/hとし、形式番号もED42形の後継という意味で43とした。
計画当初は回生制動も考慮したが、信頼性維持のため発電制動を踏襲している。
1962年に1・2号機が製造され、1963年から76年までに23両が増備された。
1986年より廃車が始まり、長野(北陸)新幹線開業と信越線横軽廃止の1997年度に全廃されたが、碓氷鉄道文化むらに1・21-25の5両が保存され、23-25は動態保存されている。
70名無し野電車区:2007/07/28(土) 12:25:06 ID:8BGgwh9x
阪急12300系
阪急電鉄が京浜急行に対抗して作ったと思われる究極の特急形車両。
3ドアクロスシートで、6M2Tの8両編成とオールM(ただしモーターは1両につき3個)の2両編成で加速度3.5km/h/sを叩き出す。
71茄子塩腹 :2007/07/28(土) 15:50:06 ID:dNzeY2v7
台湾総督府鉄道部18900形→C51形→台湾鉄路局CT210形
西部本線(台北〜高雄)の輸送力増強用として、1926-29年に日車・汽車で10両が製造された。
1944-45年に2両が米軍機の空爆で失われたが、残る8両は戦後台湾鉄路局CT210形(211-218)になって1967年まで運用につき、その後も非常時予備機として1971年まで在籍した。
CT216(C518)が保管されていたが、新竹市の王貞治球場近くに移されて静態保存されている。

台湾総督府鉄道部9900形→D50形→台湾鉄路局DT630形

西部本線用として1926-30年に17両製造され、戦後全てDT630形になって1970年まで運用された。
DT641(D5011)が台中市で保存されている。
72ミウナ:2007/07/28(土) 19:31:47 ID:JYYopsw3
国鉄EF63-26〜38
山陽線瀬野〜八本松間の通称セノハチ用に投入されたEF63である。
補機として使われていたEF59型もベースが戦前製の旅客機であった
ことや長年の酷使により老朽化が進んでいた。また代替機種として期待
されていたEF61-200番台も期待外れであったことから強力な勾配登坂力と
ブレーキ性能を持つEF63型に後釜を据えたもの。碓氷峠とは違ってそれ程の
急勾配ではないことから抑速ブレーキと発電ブレーキのみの最低限のブレーキ
装備とし、電磁吸着ブレーキは装備しない。重連での使用が基本である
が列車重量によっては単機でも牽引でき、1000トン以上の列車は重連で
牽引し、それ以下は回送目的で例外的に重連もあるが、単機牽引もした。
無論走行開放を行うための装備も行われている。なお小デッキはない。
1977年に配備が始まり、まずEF59型の内でもEF56型改造車グループ
を駆逐した。なお35〜38号機は1982年に製造されたマイナーチェンジ型で
EF64-1000に準じた車体構造を持つ。これによりEF61-200を駆逐した。
製造がほぼEF65PFにも近く、1977〜82年と比較的若かったことから
後継機のEF67型が投入されても使用が続けられた。EF67-100投入により
横軽用63の部品取り等で26〜32号機が1990年〜91年に廃車された。
伯備線用として岡山に転属した33と34号機も1993年廃車された。
現存車両はマイナーチャンジ機の35〜38の4両で自動開放装置撤去と
チョッパ制御式への改造等でEF67型と仕様が揃えられ、形式も
EF67-201〜204に改番された。塗装は登場当時は直流機関車の
標準である青色だったが前後はクリームではなく両方とも警戒用の
ゼブラ模様となっていた。EF67に改造されたのと同時に塗装も
「もみじ色」である赤11号に変更された。
2003年より更新工事が開始され、シングルアーム式パンタグラフ
へ変更され、テールランプが四角化・窓回りが黒塗装化・車体裾部が
グレーに塗られるなど、外観が変化している。
73茄子塩腹 :2007/07/28(土) 22:38:08 ID:dNzeY2v7
EF12形18・19号機(戦時形)
準戦時形たる9-17号機の増備として、1944年9・10月に日立製作所(18)、三菱重工+三菱電機(19)で製造された。
外観では車体や窓、エアフィルター周りの丸みが完全になくなり、木材や代用材の導入が進んだため、デッキ付き箱型ながら武骨一辺倒のスタイルになった。
EF13とは異なり、最期まで車体載せ替えは行われていない。
電機品は同時期製造の9・10号機並で、主電動機は弱め界磁なしのMT39Z型(のち弱め界磁付加)。
2両とも水上機関区に配置されたが、後続のEF13共々、1951年頃まではトラブル多発に悩まされた。
この2両は水上→高崎二→宇都宮→高崎二と生涯を関東北部で過ごし、1976年に廃車された。
74名無し野電車区:2007/07/29(日) 21:53:53 ID:TZ7IXEo7
115系900番台
国鉄が開発した115系の抑速回生ブレーキ試験車。
EF16と同じように励磁器を利用して回生ブレーキを行う。
75名無し野電車区:2007/07/29(日) 22:39:06 ID:nd/wbL5q
E217系3x00番台
E233系3000番台の増備により余剰となった横コツ所属のE217系を改造(*1)して登場した新番台。
クハE216/217-0/1000/2000にワンマン運転対応装置を追加したクハE216/217-3x00と、
モハE216/217-0/1000/2000の1M車化&先頭車化改造で誕生したクモハE216/217-3x00を
組み合わせた1M1Tの2両編成で、マリ501〜マリ518の18本全てが千マリに配属されている。
千葉支社が20xx年に行った合理化で、系統分断された房総各線の閑散区間(*2)の運行に充当。

*1 セミクロスシート車のボックスシートは撤去され、スタンションポールとロングシートが設けられた。
*2 総武本線成東〜銚子間、成田線成田〜銚子間、鹿島線全線、東金線全線、
   外房線上総一ノ宮〜安房鴨川間、内房線君津〜安房鴨川間が該当する。
76らくだ:2007/07/31(火) 19:59:33 ID:HWw9pzRJ
東急4000系、4500系(史実の8000系よりも増産出来ていたら)
4000系 非ステンレス編(0番台)
1947年登場。当時は「大東急」の真只中で、五島慶太が製造段階から厳しく技術をチェックしていたと言う。
なおこの4000系は小田急・京王・帝都・相鉄・京急の路線でしか導入されなかった。
外観は後のステンレス車両に比べ全体が丸いデザイン。
塗装は全車両窓の上のみ白で下は全て色がついていた。色は小田急・帝都・京王が青で、
その他は赤だった。今後元の東急路線にも導入予定だったとされる。
大東急解散後はそれぞれに車両が散らばったが、戦後の不況下での製造だったために
1961年に相鉄で全車が廃車と、比較的短命だった。
ステンレス車(5000番台、4500系)
1958年に製造開始。以降東急を支え続け、現在でもおなじみの車両である。

77妄想竹:2007/07/31(火) 22:09:03 ID:l+G1uDPz
221系3800番台

223系の増備により221系は徐々に本線の運用から外れ、短編成化の上で福知山・広島地区へ転属することになったが、
これらの地区では8連はおろか、6連ですら過剰なため、4連・2連の固定編成を組むことになった。
特に2両編成については、減車で余剰となったモハ220−サハ220のユニットに運転台を取り付けることで確保することとした。
この先頭車化改造車は福知山地区に集中配置され、改造順に3800番台の番号が付与された。

前面デザインは、非貫通だったクモハ113−3800とことなり、2本以上連結して運転することも多いので、
前面貫通路、ホロもしくはホロ枠が取り付けられたのが異なる。
但し、3800番台を象徴する前面保護板は健在である。
改造費用を安く上げるため、ヘッドライト・テールライトの部品は余剰の103系から丸型のものが流用されたため、
むしろクヤ153に貫通扉やホロ・ホロ枠、通称サンパチ板を装備したかの顔立ちである。

この車両の登場により、113系3800番台、5800番台の全車と舞鶴線の115系2連が置き換えられたが、
岡山・米子地区にも導入予定があったが、大和路線221系の増車に種車予定者が充当されてしまったため、幻となった。
78名無し野電車区:2007/07/31(火) 22:27:08 ID:bQn0E3+J
こんな想定はどうだろう。

1960年代に相次いで出された都市交通審議会答申を受け、6号三田線が1968年、
7号南北線が1971年、8号有楽町線(支線を除く)が1974年に、それぞれ全通した。
一方、早くも1962年の答申に8号線として示されていた後の9号千代田線は、
護送列車計画が都民の強い反発を受けたことなどもあって工事が進まず、
常磐線が日暮里から我孫子まで複々線化された6年後の、1977年まで開業しなかった。
10号新宿線は1980年、11号半蔵門線は水天宮前までが1983年、
12号大江戸線は放射部が1986年、環状部が1989年、13号副都心線は1989年に開業した。

三田線・南北線直通車として、東急は当時日比谷線直通や急行に使用していた
7000系を大型化した8000系を投入した。
1967年、8001-8101-8201-8102-8202-8002 の1編成が完成。外見は7000系とほとんど
変わらなかったので、大盛弁当箱と呼ばれた。
投入当初は急行で使用されたほか、南北線と制御機器が共通の日比谷線のうち、
トンネル径の大きい広尾までの区間で、営団側の習熟運転が行われた。
1968年に 8013F までの6編成を追加、蒲田 - 目黒 - 高島平間での直通運転が始まった。
1971年には南北線の清正公前 - 駒込間が開業し、都営6000系とともに、
営団7000系も東急に入線するようになった。
また、田園調布駅の改良が完成し、桜木町から目黒経由での乗り入れも開始された。

1966年に長津田まで延長された大井町線では、この頃…
79名無し野電車区:2007/08/01(水) 20:08:45 ID:9VakZjCp
403系1000番台
国鉄が製造した製造意図不明な403系。
なぜか403系でありながら総武地下線用のATCを搭載している。
80ミウナ:2007/08/02(木) 13:54:01 ID:a8NCjgJ4
京成電鉄モニ31型32型
モニ11系の代替として計画された電動貨車。吊掛車ベースでなく、
カルダン車である750系のモハ752・756をベースに昭和50年に大栄車両
で製造された。なお主電動機は2100系・210系と同じものに交換されており、
WNカルダン・住友金属工業製FS-365・三菱電機製MB-3021(110kW)となっている。
ホッパ構造ではなくモニ21・22型と同じ救援や配給輸送や除雪など広範囲に
使用できる両運転台構造でチ5型とリキ101型およびトキ21型と同時期に製造された
ホキ81・82型とも連結する。カルダン車であった事から末期まで生き残ること
ができ、空港線の建設をはじめ千葉急行線や船橋の立体工事等で活躍したが
2007年にモニ21・22型や貨車含めて廃車された。
さよなら運転ではモニ31+モニ21+トキ21+トキ22+チ7+チ8+モニ22+モニ32
の8両で豪快に高砂〜宗吾間を走行し最後の華を飾った。
ホキ81・82型
モニ31系と同時期に製造されたバラスト運搬用貨車で基本的にはホキ800型
の標準軌型と言ったのが正しい。保線用というイメージが強いが空港線
建設や千葉急行線および船橋立体工事で30トンもの大容量の運搬できる
貸車として重宝られた。2007年に廃車されたものの西武鉄道より事業用貨車
としての譲渡を打診されたため解体は免れ、武蔵丘車両工場で西武線への
乗入れ対応のの改造を行った上、ホキ81系のホキ91・92型となった。
なお標準軌用だった台車は廃車発生品のTR213Cに換装されている。
京成電鉄が初めて大手に車両を譲渡する前代未聞の珍事に発送先
であった千葉(タ)〜新秋津の甲種輸送では大勢のカメラの砲列となった。
81鉄道タイムズ:2007/08/02(木) 15:42:12 ID:iAdZYrbs
◎JR西日本109系一般型直流電車
・車種編成 クモハ/モハ/サハ/クハ109(Mc/M/T/Tc) 
・車籍登録年 2000〜05
・仕様 四扉ステンレス幅狭車体 先頭貫通型 1M方式 GTO-VVVF ボルスタレス シングルアーム ロングシート
・営業 阪和、関西線 McTMTc McTMTMTc
○概説
JR西日本は老朽化した低性能車103系を大量に抱え、競争力強化と経費削減の為に新車置換が緊急課題となったが、
体力上、207系大量投入による達成は無理であった。
JR東西線直通列車の設定が無い路線までにも207系を一般型電車として投入する必要性はあまり無く、
JR東の209並の性能で廉価なVVVFインバータ制御のステンレス製電車を求められていた。
十数年程度の廃車前提は求めて居無いので209系購入は無かった。
探し求めた結果が、国産では無く、韓国産の購入となった。
決め手は、97年のアジア通貨危機以後のウォン安の御陰で韓国製がかなり格安になった事と狭軌の台湾への電車輸出実績。
2000年から阪和・関西線の103系取り替え用に購入。
形式称号は109系。
外見は台湾のEMU500/600などの韓国製電車に類似。
一方で東西線関連は国産車の投入継続。
JR東209系並の安さの御陰で109系は阪和・関西線に昼間に103系の走る姿激減までに大量投入されたが、
ウォン高進んで韓国製品の価格上昇により05年に購入を止めた。
だが、03年の韓国大邱地下鉄放火事件によって車輌製造を含む韓国鉄道システム―韓国社会そのもの―に瑕疵が露呈され、
109系にも瑕疵が予見される上に尼崎の大事故を契機に止めた、とも囁かれる。
台湾でも新車購入は韓国製を止めて日本製に。
購入費低減を目指しながら、革新的な設計思想に基づくJR東の209系と、内外価格差を活用したJR西の109系は、比較対象の定番。
何故か朝尊日卑新聞略して朝日では109系をよく取り上げていた、日本を代表する電車の如く。
82名無し野電車区:2007/08/02(木) 22:05:46 ID:YwwCyeZ1
サロ111-700番台
国鉄が製造したサロ111の寒冷地仕様。
ドアが半自動に変更されている。
湖西線用の700番台と同時に製造されたが、湖西線にはグリーン車つきの113系は乗り入れないため、製造意図が不明である。
83名無し野電車区:2007/08/03(金) 11:02:11 ID:Hq4fESat
413・471・475・457系5000番台
JR西日本で北陸地区の413・471・475・457系に120キロ対応改造を行った。
521系投入に伴う普通列車の高速化のために既存車も120キロ対応に改造した。
84ミウナ:2007/08/03(金) 16:21:41 ID:iNi7KPr6
>>83の究極仕様
413 457 471 475系7000番台
>>83にさらにN40工事を行ったもの。
車体形状はアーバンネット仕様の113系等と同じになり、413 457 471 475系に
関してはAU71及びAU13Eを撤去し、113系 115系廃車発生品のAU75Bに交換し、
さらにラインファンとクハの補助電源ををSIV化を行った。
また座席も223系同様の転換クロスシートに交換された。LED方向幕も
大型化して追加した。なお一部老朽台車を密封コロ軸受型DT32 TR69にしており、
これはSIVの一部とともに東日本より廃車された455系のを購入して再利用している。
また471系に関しては前面を東日本より購入した455系前面と交換した
編成もあり、前面が東日本更新車の角型ヘッドライトになってしまった編成もある。
また457系の3両編成4編成を東日本より購入した他、クハ451と老朽クハ455
取替えに東日本より更新したクハ455を購入している。
これには北陸線にはない改造型も含まれ、クロハ455も含まれている。
当初415系の譲渡を打診したが東日本は拒否。その代わりE721系導入に伴い
455系や457系を駆逐する事から廃車部品と保留車購入に切り替えた。
一時北陸色+東北色やアーハンに磐越用赤べコ色と言う編成も登場した。
457系譲渡編成は一時期東北色のままで北陸線で使用している。
85名無し野電車区:2007/08/03(金) 22:39:46 ID:TCbgVmbB
419系5000番台
JR西日本で419系に120キロ対応化改造を行ったもの。
歯車比を5.6から4.82に、弱め界磁率を40%から35%に変更し、ブレーキの強化を行った。

415系5800番台
JR西日本で415系800番台に120キロ対応改造を行ったもの。
弱め界磁率を35%に変更し、ブレーキの強化を行った。
台車はコイルバネのDT21/TR64のままであるため乗り心地が非常に悪い。

上記の2車種は改造により併結可能になった。
86名無し野電車区:2007/08/03(金) 22:44:25 ID:TCbgVmbB
113系9000番台
JR西日本で1編成だけ試しに作った113系の120km/h対応化試験車。
110キロ対応化改造に加え、弱め界磁率の変更(40%→35%)を行い120キロ運転を可能にした。
台車がコイルバネのままであるため乗り心地が非常に悪く、また騒音が激しいのが欠点。
87妄想竹:2007/08/04(土) 00:19:16 ID:SdVZwYPw
サロ115-1200

東北・高崎線へのG車導入は大好評で、順次各線へ連結が拡大されていくことになったが、
中央線については混雑率や列車本数の関係から、高尾以西でのみ導入されることになった。
当然、連結相手は115系。
当時余剰が出ていた東海道線113系のサロ110-1200を種車に、サロE231に準じたアコモ改良、
抑速ブレーキ用の引通線追加、ならびに信州色への塗装変更等を行い、長モトのC編成へ組み込んだ。
これがサロ115-1200である。

14両が改造され、長モトC編成の全編成へ組み込まれた。その後編成ごと長ナノへ転属したが、
現在も長野〜松本〜甲府〜立川〜大宮間(立川〜大宮は「むさしの号」のみ)で活躍中である。
中央線特急は本数こそ多いものの、特に甲府以東で混雑が激しいせいか、
普通列車のG車は意外と好評で、高尾あたりでは満席になることもあるらしい。

88名無し野電車区:2007/08/05(日) 07:45:00 ID:SL3CXUc9
サロ127 128
>>87の後継車として製造された115系版サロ124 125の2階建てグリーン車。
>>87の60名に比べ、90名と定員が増えた点は大きい。新造費用を抑えるため
台車に関しては廃車されたサロや485系などから発生したTR69を再利用している。
サロ127・128-3がサロ212・213-1116に改装されるなど一部211系に改装された車もある。
89らくだ:2007/08/05(日) 21:45:46 ID:fmdy2l6H
東京地下鉄道1系電車
最初の地下鉄車両。
1960年に老朽化が激しくなり初期車両が解体。
1963年に残った編成が改良工事の上で日比谷線に譲渡される。
だが、日比谷線の近代化についていけず営団は1966年に手放すことを決定。
東武鉄道および京福電鉄福武線(現:福井鉄道)に譲渡。

東武鉄道の根津社長は悩んでいた。乗り入れ先の縁として義理で根津はこの車両を受け取ったような
もので、使い道がなかったからだ。しかしここで解体すると営団との仲も険悪になる。
しかたなく根津は大師線で1系を投入すると決定。
だが、大師線を過密ダイヤにすることが出来ず、1967年に一部を北館林で解体し、
残りを京福に譲渡した。

そして次は京福だ。1969年頃には一躍主力となっていたが、やはり老朽化が進み、
1980年に廃車。一部解体、のこりは静態保存。
90名無し野電車区:2007/08/06(月) 14:57:07 ID:qUwurTR3
キハ75系3次車(600/700番台)
08年3月、従来から運行されている快速みえ号の運行形態を改め、「みえライナー(仮)」として、亀山/鳥羽〜名古屋間を運行する事となった。
この列車は四日市駅で分割併合を行い、四日市〜名古屋間は終日2編成4両での運行となる為、増備される事となった。
2次車との違いは車体間ダンパ・セミアクティブダンパを搭載し、前灯、表示機がHID、LED化され、
内装は扉間が全席転換式になって5列化され、車端部の座席にはテーブルが付き、中扉にLED表示機を、
さらにJR東海の車両では初となる、シャープ製の液晶モニターによる案内装置を車端部に2箇所設けられた。
列車名と外装のカラーリングは公募によって選ばれたオリジナルである。
なお0〜300番台の各車も3次車に準じた改造を08年から10年にかけて行われる。
91名無し野電車区:2007/08/06(月) 20:23:43 ID:f4yLc5cq
キハE130系1000番台

老朽化した烏山線のキハ40系1000番台及び久留里線のキハ30系列置き換え用に水郡線に導入されたキハE130系列の新番台として登場。
この1000番台は既存のキハ40系1000番台・キハ30系列に合わせてオールロングシートになっている。
ただし、キハ40系1000番台・キハ30系列にはなかったトイレは、このキハE130系1000番台には車椅子対応の大型のものが設置された。
塗装はキハ40系1000番台・キハ30系列に合わせて、烏山線向けは烏山色、久留里線向けは久留里色となった。

このキハE130系1000番台は烏山線と久留里線に導入され、キハ40系1000番台及びキハ30系列は全廃された。
92妄想竹:2007/08/06(月) 23:25:15 ID:P18L1p9G
103系1550番台

昭和58年の筑肥線電化開業に当たっては、103系1500番台9編成が新車で準備されたものの、
昭和61年の増発に際してはさすがに新車投入の状況に無く、東京・大阪で余剰の103系が投入されることになった。
これが103系1550番台である。
筑肥線1500番台の主制御器は、多段制御のCS40ではなく通常のCS20のため、
前面貫通の1000番台クハと、一般形非冷房のモハユニットが種車となった。

クハは福岡地下鉄のATC・無線機器を搭載したほか、乗入れ協定に基づいた運転台の改造、冷房改造、
モハはA-A基準化改造、抵抗器の自然通風化、冷房改造、冷房用160KVAMG搭載などが行われ、
一部を除き、1500番台に準じた装備となった。
冷房改造にあわせて徹底的な車体更新も行われ、外板の張替えと連続溶接化、屋根の塗り屋根化、
雨どいのFRP化のほか、内装も205系に準じた暖色系のものに改められ、新車と見間違う出来となった。
ただ、屋根の上にはグロベンが乗っているほか、側面行先幕の配置は一般型と同じ線対称の配置であるし、
戸袋窓も最後まで残ったままだった。
また、冷房改造に当たっては1500番台のような平天井にはならず、扇風機のついた一般型冷房車タイプの天井
(但し化粧板貼り)となった。塗装は勿論水色にクリームの帯である。

種車と改造後の番号は以下のとおり。小倉工場で6連3編成が改造された。
クハ103-1005、1006、1007、1008、1011、1012→クハ103-1551〜1556
モハ103-226、227、232、233、242、243→モハ103-1551〜1556
モハ102-381、382、387、388、397、398→モハ102-1551〜1556

長らく福岡市営地下鉄〜筑肥線で活躍。1995年に塗装変更されたものの6連固定のままで運用された。
老朽化に伴い、1999〜2000年に全車廃車となった。
93名無し野電車区:2007/08/06(月) 23:48:25 ID:DXF0qESL
キハE200-1000番台
しかし久留里線へのキハE130-1000の投入にとんでもない横槍が入った。
4都県排出ガス規制対象県である千葉県がディーゼル車であるキハE130型の
投入について排出ガスの排出量などで投入に難色を示したからである。
千葉県側はハイブリッド車や県内で豊富に産出される天然ガスを燃料
を使用した車両の投入を求めていた。
キハE130-1000番台の試運転段階で千葉県も排出ガス等の検査を行い、DPFを
搭載する事で使用の了承を得たものの自治体の要望上ハイブリッド車両の
投入を検討せざるを得なかった。
そこでキハE130-1000の4両を小海線に投入されたハイブリッド車である
キハE200型に振り替えたものがこれである。
小海線仕様との違いは燃料を天然ガスにした事で鉄道初の液化天然ガス燃料気動車
となった。この車両投入には千葉県以外に沿線を走る木更津 君津 袖ヶ浦の3市
も出資しており、1001が千葉県、1002が木更津市、1003が君津市、1004が袖ヶ浦市が
第三者として所有する。
94名無し野電車区:2007/08/07(火) 03:55:29 ID:x+8rRrpZ
国鉄サロ103

殺人的な混雑が常態化していた山手線で「いつでもゆったり座れる車輌を」
と言う山の手セレブ達の要望を受け旧国鉄が103系10蓮に組み込んだG車。
103系ながら車体はサハ113そのもの。入口に備え付けられた「自動改札」
に専用のグリーン券IDカードの入れて車内に入れる仕組みで、座席は自由
に選べる。座席数以上になると「自動改札」が開かないので車内が混む
事がなく、山の手セレブ達に重宝された。1乗車500円と言う手頃な
値段も好評だった理由のひとつ。103系引退後もサロ205、サロE
231にその伝統が引き継がれたのは言うでもない。
95.:2007/08/07(火) 23:10:16 ID:M/Y30dtL
キハE210系:
八高線で導入の実用燃料電池車両。
導入の経緯は、石原規制でのキハ110の置換。
キハE210/1/2-901は当初は大宮総合に配属されて試験。

E551系:
651系置換・振子式。E531ベース。

E259系:
185系置換・E233/531ベース。
96名無し野電車区:2007/08/09(木) 00:07:11 ID:VRwcYo+s
キハE721系
JR東日本が開発したE721系の気動車バージョン。
新開発の薄型エンジンによりE721系と同じ床面高さ970mmを実現。
電車のE721系とも併結できるらしい。
97名無し野電車区:2007/08/09(木) 13:17:26 ID:hLkpjrEO
JR東日本E233系1500番台
東海道線・高崎線・東北線・湘南新宿ラインに引き続いて埼京線・川越線用に投入される型。
T'cMM'MM'MM'T'T'Tcの6M4Tの10両固定編成で、高麗川・大宮寄りの2号車と3号車には6ドア車が連結されており、
大崎・新木場寄りの10号車は女性専用車両に指定されている。
京浜東北線・根岸線に導入された1000番台の違いは、指令装置をTIMSから発展型のAIMSに変更した点である。
205系の置き換えと西川越〜高麗川間の10両対応化に伴う増備により、40本の製造が予定されている。

TWR71-000系
JR線での直通運転区間が大崎〜高麗川間に延長されるため、新たに採用されることになった系列。
ただし新造車ではなく、常磐緩行線用のE233系2000番台の追加発注によって余剰となった209系1000番台を
東京臨海高速鉄道が購入し、カラーと保安装置の変更やロゴの追加などの小改修を行う予定である。
TWR70-000系との共通運用が計画されている。
98名無し野電車区:2007/08/10(金) 20:27:54 ID:wR3UC7T3
JR西日本は寝台特急「日本海1・4号」で使用されている24系客車を置き換えることを発表した。
その代替車両として、なんと583系、485系、25形客車を組み合わせた車両が投入された。
全車種とも製造から30〜40年が立っていることから、車両全体にわたって徹底的なリニューアルが施されている。

編成は、
←大阪・1号車
クハネ583(B寝台)+モハ485(指)+モハ484(指)+オロネ25(A個室)+モハネ582(B寝台)+モハネ583(B寝台)+モハネ582(B個室)+モハネ583(B個室)+クハネ583(B寝台)
の9両編成。

システム上は、
・補助電源装置をSIVに変更
・空気圧縮機を騒音の少ないスクロール式に変更
・異形式間の連結運用のため、引き通し線の追加、及び変更

接客設備の面では、
・前面の貫通扉を閉鎖し、隙間風を防止
・車両側面の行先表示機をLED化(サイズはそのまま)
・トイレを各車洋式1、男子用1(真空式)に変更し、洗面所を改修
・2、3号車のモハ485+484は「レガートシート」として3列シートに変更
・7、8号車のモハ583+582のユニットにモハ285形とほぼ同様のソロ(※)を配置
※上段には窓がないため、寝台料金が安くなっている。
また、スペースの都合でパンタ下のみシングルツインとなっている。
99名無し野電車区:2007/08/10(金) 21:21:00 ID:JjeAJofU
701系3000番台
JR東日本が開発した701系の転換クロスシート仕様。
車内の座席が転換クロスシート(車端部はロングシート)に、制御器がIGBTに変更されている。
主電動機はMT74A(MT74を耐雪化したもの)に変更したため120km/h運転が可能。
100名無し野電車区:2007/08/10(金) 22:16:33 ID:h1OfXZaP
E331系500番台

E331系の量産型。2010年以降の投入が予定されている。
量産先行型とは大きく異なり、車体長は13mないし16mから20mに統一され、
台車も連接式のDT73とTR257の導入が中止されてボギー式のDT75とTR258の改良型が採用された。
窓は上下二段式から一段下降式となり、車外表示器はフルカラーLED化・二段表示化(側面のみ)している。
可変座席も通勤仕様では不要と判断され、オールロングシートに変更された。
固定編成と増解結可能な分割編成が存在する。
101名無し野電車区:2007/08/11(土) 10:22:30 ID:C/0+nOzu
東武3000系
8000系方向幕車を置換する為に登場した車両。
車両は日立が製造。東上線専用車の為、貫通扉は設置していない。また、50000系の50001Fも3000系に編入された。
塗装はマルーンに戻された。これは線内運用車(8000系、800系、850系除く)の塗装を統一する事となった為である。
10両38本が森林公園に導入され、東上線の8000系を全て置換した。
102名無し野電車区:2007/08/11(土) 11:38:42 ID:u4dgg0hW
101系「101」タイアップ仕様
JR東日本が1997年にディズニー映画「101」とタイアップして南武支線の101系を改装したもの。
車体の塗装がダルメシアンカラーに変更され、車内に映画の宣伝ポスターが掲示されていた。
首都圏各線を走行し、その間南武支線は鶴見線の103系が代走したという逸話があるらしい。
103名無し野電車区:2007/08/11(土) 13:46:45 ID:C/0+nOzu
>>101の訂正

誤→8000系方向幕車を置換する為に
正→東上線の8000系を置換する為に
104名無し野電車区:2007/08/12(日) 08:21:23 ID:je+XEK+m
125系境線仕様
JR西日本が境線に投入した125系。
後藤〜境港間の電化に合わせて投入。
駅間距離が短いため加速度は2.5km/h/sに設定。
105名無し野電車区:2007/08/12(日) 09:14:47 ID:je+XEK+m
琴電1300形
琴電が投入した元阪急2300系。
2両編成である。
車体長が19mと琴電でもっとも長いためこの車両の投入に際しホームを少し削った。
106妄想竹:2007/08/12(日) 10:29:19 ID:hdaGWVAb
阪神1000形(初代)

阪神淡路大震災で石屋川車庫が倒壊、多数の使用不能車を出した阪神は、不足分の発注を川崎重工・武庫川車両へ行ったものの、
直ぐに納車される筈も無く、慢性的な車輌不足に見舞われていた。
そこへ京急から廃車予定の1000形4連4本を援助物資として供出する申し出があり、これを導入することになった。
これが阪神1000形(初代)である。

京急とは建築限界が異なるため、車輌側はステップ、アンチクライマー、側灯の改修、
構造物の方も車輌側で対応しきれない支障部分を改修する等の緊急工事を経て、1995年3月から運用に投入された。
あくまで短期間のリリーフとしての位置づけから、上記の建築限界にかかわる改修のほか、
ATS交換、行き先幕交換など改造は最小限とされ、塗装・車番も京急時代のままとなった。
このため、梅田に京急が乗り入れたかのような光景が連日展開されることになった。
4連のまま、主に梅田〜新開地や西大阪線の普通で運用されたが、一時的に4連3本を6連2本に組み換え、
持ち前の高速性能を生かして須磨浦公園への特急運用に入ったこともある。

震災で痛手を負った阪神の急場を救った1000形だが、元々京急で老朽廃車となった車輌であることや
本来の阪神車とは取り扱いや機器が異なることから、増備車が入線すると真っ先に廃車対象となった。
末期は4連2本が西大阪線で運用されていたが、2000年、9300系登場と入れ替わりにひっそりと最後の運用を終えた。
107.:2007/08/12(日) 15:13:35 ID:KaFrSJRQ
西武40000系:
4000系(101機器系流用ボックス車両)の置換。
・転換クロス採用・幅広車体
・21000系(仮)・30000系の駆動システムに発電ブレーキ搭載。

西武50000系・レッドアローIII:
・40000系ベース
108名無し野電車区:2007/08/12(日) 23:15:23 ID:v1a7bchQ
489系3000番台
JR東日本で489系にリニューアル工事を行ったもの。
109ミウナ:2007/08/14(火) 18:46:50 ID:oVt63Hti
ナハ10-500 ナハフ10-500 ナロ10-500(後にオロ10)オハニ37 スハニ36
オシ17-500
ナハ10系の北海道型で昭和31年〜32年に製造された。当初43系であるスハ45
スハフ44の軽量型としてオハ46系に準じたオハ43とオハフ44が計画されていたが
すでに10系客車の生産体制が整ったため43系の製造をやめ10系に切り替えたもの。
また特ロ2等としてナロ10型もあわせて昭和32年に製造された他、食堂車オシ17型も
製造された(マシ35型と併用)。また荷物車を合造車としたためオハニ36の北海道
型のオハニ37とスハニ35より2両のみ北海道仕様に改造したスハニ36も作られている。
ほぼすべてが急行「ニセコ」に投入された。43系よりも10トンも軽量な客車の使用により、
牽引機であるC62型への負担が軽減化された。一部列車を重連補機をC62型からD51型に
した列車も登場した。ナロ10型は後に冷房改造によりオロ11型と同じ車体形状により
形式もオロ10型に変更されている。その間台車間のトレードを行いオロ10型のTR50を
スロ54-500に放出して履き替えスハフ44からはTR47を譲り受けてスロ54-500のTR23をスハフ44
に履き替える改造を行っている。台車をTR23にされたスハフ44は形式をオハフ47に変更された。
オシ17型500番台は3軸車の台枠流用でなく完全な新造で作られたため台車はTR50をそのまま
使用している。急行「ニセコ」以外に寝台急行等での座席車でも使われており、急勾配の多い
急行「狩勝」「大雪」ではグリーン車のスロ54や62型とスハ45系を追いやっている。
昭和56年に14系客車に取って代わるまで使用された。特に食堂車オシ17型は北陸トンネル列車
火災事故の火元とされて本州で使用停止される中で新造車両であったことから食堂車での
使用が継続されており、昭和52年に営業休止に伴い編成から離脱し昭和54年に廃車された。
現在ナハフ10-506・509・512が苗穂にモスボールされているがSL列車用としてスハシ44など
スハ45系がまだあることや東日本よりオハ47型などが譲渡されたこともあり動態復帰はなされてない。
製造はナハ10型79両・ナハフ10型26両・ナロ10型7両・オシ17型8両・オハニ37型9両・スハニ36型2両
110ミウナ:2007/08/14(火) 18:48:13 ID:oVt63Hti
>>109続く
昭和46年当時 急行「ニセコ」下り3号・103列車
函館                                  札幌
オユ10-マニ36-マニ60-オハニ37-ナロ10-オシ17-ナハ10-ナハ10-ナハ10-ナハ10-ナハフ10
牽引機函館−小樽C62(長万部−小樽C62前補機) 札幌−小樽ED76
急行 「ニセコ」 上り1号・104列車 昭和46年 [函館→札幌]
函館                             札幌
オユ10-スユ13-スハニ36-スロ62-オシ17-ナハ10-ナハ10-ナハ10-スハフ44
牽引機函館−小樽C62(長万部−小樽D51前補機) 札幌−小樽ED76
111名無し野電車区:2007/08/14(火) 19:02:17 ID:vbAQviJ4
いまだ!>>111ゲットォォォォ!!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄       (´´
                  ∧∧       (´⌒(´
            ⊂(゚ー゚*)≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ⊆⊂´ ̄ ⊂ソ  (´⌒(´⌒;;
           ̄ ̄ ̄   ズザーーーーーーーーーーーーー
112名無し野電車区:2007/08/14(火) 21:39:43 ID:0EXaDUiD
511系
JR九州が老朽化が進んだ関門地区の415系鋼製車の置き換え用として投入した
交直両用近郊型電車。クモハ511+サハ510+モハ511+クハ510の4両編成を組む。
システム的にはJR西日本の521系近郊型電車を踏襲し、
M車に制御装置、補助電源装置、空気圧縮機等の直流関連機器を、
T車に変圧器、整流装置、パンタグラフ等の特高圧機器を搭載した。
共通運用を容易にするため、加減速性能・最高速度は817系に揃えられた。
車体、及び車内設備も817系1100番台を踏襲しており、座席は革張りの転換クロスシートを配置した。
また、クハ510型の連結面寄りに移動制約者対応の洋式サニタリー設備と車椅子スペースを設けた。
運用の効率化のため、811・813・815・817系と協調運転可能、
および415系(1500番台車)と相互に救援可能とした。

303系1000番台
筑肥線の103系1500番台置き換えのため投入された303系。
103系の運用に入るため西唐津方からクハ303-モハ303-クモハ302の3連としている。
主制御装置をモハ303型、補助電源装置と空気圧縮機、シングルアームパンタグラフ2基をクモハ302型に搭載している。
また、クハ303型にサニタリー設備を設けている。
内装は815系に準じたオールロングシートとしている。
また、ATO,ATCおよび自動放送装置を設置している。
113ミウナ:2007/08/15(水) 18:10:54 ID:4UsHRZnR
583系5000番台
急行「能登」の489系の老朽化に伴いきたぐに用とは別にシュプール用
として使ってたものの終了に伴い波動用にされていた583系の3編成を
能登に転用することにしたもの。同時に120km対応改造も併せて
行っている。きたぐに編成との違いは681・683系に準じた6+4の10連
にしていること。分割編成にする関係で当初しらさぎが683系化に伴い
クモハ485等の転用も考えたが521系投入に伴い419系に余剰が出ること
から両端切妻の3両編成3本を転用して583系に復元することにした。
また車内もリニューアルされ、指定・自由席座席車は485系廃車発生品
のリクライニングに変更している。またA寝台の連結をやめ、ラウンジカー
に改造した。首都圏への運転や緊急時にはほくほく線経由使用への考慮
および臨時「はくたか」に使用する関係でATS−Pも取り付けた。
なお8号車〜10号車は寝台で残置したため客車当時の寝台車連結が復活。
なお編成が3本しかなく予備がないため検査時ははくたか用683系が代走
する。はくたか車を使うのはATS−Pがあるため。しかし都内では
お目にかかれない車両なことや能登の間合でホームライナで使用されるだけに
代走683系のホームライナーはライナー券が瞬殺で売り切れの大盛況ぶりになる。
また上野駅での583系定期列車が無くなって久しく塗装は旧国鉄塗装ではないが
583系のホームライナーにも人気が高いという。
114ミウナ:2007/08/15(水) 18:39:13 ID:4UsHRZnR
>>113続く
編成
上野・金沢・和倉温泉                                                 長岡(長岡〜金沢逆編成)
B4 クハ581-5001+モハ583-5001+モハ582-5001+クハ583-5101+クモハ583-5101+モハ582-5101+サハ581-5001+サロ581-5001+モハネ583-5001+モハネ582-5001+クハネ581-5001
旧  クハネ581-37 モハネ583-87 モハネ582-87 クハ418-8  クモハ419-8  モハ418-8  サロネ581-4  サロ581-29  モハネ583-75  モハネ582-75  クハネ581-22
B5 クハ581-5002+モハ583-5002+モハ582-5002+クハ583-5102+クモハ583-5102+モハ582-5102+サハ581-5002+サロ581-5002+モハネ583-5002+モハネ582-5002+クハネ581-5002
旧  クハネ581-33 モハネ583-102 モハネ582-102 クハ418-6  クモハ419-6  モハ418-6  サロネ581-5  サロ581-16  モハネ583-89  モハネ582-89  クハネ581-36
B5 クハ583-5001+モハ583-5003+モハ582-5003+クハ583-5103+クモハ583-5103+モハ582-5103+サハ581-5003+サロ581-5003+モハネ583-5003+モハネ582-5003+クハネ583-5001
旧  クハネ583-27 モハネ583-101 モハネ582-101 クハ418-3  クモハ419-3  モハ418-3  サロネ581-1  サロ581-25  モハネ583-88  モハネ582-88  クハネ583-28
115名無し野電車区:2007/08/15(水) 19:44:02 ID:/v092Evx
南海1000系1052F〜
1051Fでの実績を生かし本格的に増備された。
基本的には1051Fに準じているが、網棚はパイプ棚に変更されている。
6連・2連も製造されたため、柔軟な運用に就く事が可能となった。
現在は、急行などの優等列車の運用に活躍している。
最近製造された車両は、座席を4-3に区切るスタンションポールが設置された。
116名無し野電車区:2007/08/16(木) 00:26:00 ID:GRPy9GDD
711系1000番台
国鉄が製造した711系の東北地区向け仕様。
900番台のような2段窓になっているなど、耐寒耐雪構造が簡略化されている。
仙山線の33‰急勾配対策と加速度向上のためMT比が2M1Tになっており、抑速発電ブレーキを搭載している(中間モハを外して2両編成も可)。
全車JR東日本に承継されたが、E721系の投入により廃車が始まった。
117名無し野電車区:2007/08/16(木) 00:32:18 ID:GRPy9GDD
>>116
後に回生ブレーキ化改造を受けた車両も一部存在する。
番号が+500になっており、屋根上の抵抗器が撤去されているためすぐ見分けがつく。
118名無し野電車区:2007/08/16(木) 01:02:05 ID:3r7ZAIXV
>117
却下。
回生ブレーキ失効を考慮しろ。
119名無し野電車区:2007/08/16(木) 08:20:53 ID:K48o06u2
キハ120形1000番台
ローカル線区の国鉄形気動車置き換え推進のため投入されたキハ120形気動車の増備車。
車体はステンレス製の0番台・300番台と同じだが、機関をキハ126系と同じ
SA6D140H(450PS/2100rpm)1機として、高い加速力、登坂性能を確保している。
走行路線が閑散線区に限定されるため、最高速度は90km/hに設定されている。
また、運転台は223系電車に準拠しているほか、空調装置、空気圧縮機などを電気駆動として
メンテナンス低減を図っている。
120名無し野電車区:2007/08/16(木) 09:25:33 ID:CO4f50ZF
815系1100番台
JR九州が製造した815系の巨大方向幕車。
813系1100番台のようなバス用の大型行先表示機を搭載している。
121茄子塩腹:2007/08/16(木) 13:27:51 ID:VFhuyrXU
鉄道省→国鉄18800形旅客用蒸気機関車

8620形の上級機種である2C形機関車
8800・8850形をベースにしており、動輪径は1600_。
1919年春に浜松工場で3両を試作。夏より量産に移されたが、18900(C51)形の増備が優先されたため、1924年に84両で製造打ち切りとなった。
東北線や北海道で運用されたが、C51や同系後継機の登場で1938年には房総・四国に集結。DF50の新製やC57・C58の転属のため、1960年に全廃された。
18854号機が多度津工場で保存されている。
122名無し野電車区:2007/08/16(木) 22:55:23 ID:udoi5SZx
711系2000番台
国鉄が九州に投入した711系の暖地形で、長崎・佐世保線系統で活躍した。
走行機器類は北海道の711系に準じるが、Mc-Tcの2両が基本で、車体は
客扉が両開きとなり、扉の位置もキハ45を基本に中央に寄せて純粋な近郊
スタイルとなった。
全車JR九州に継承され、現在では鹿児島や宮崎地区に転属してなお現役
である。
123名無し野電車区:2007/08/17(金) 01:03:12 ID:nPX/QuQz
阪急20000系
阪急電鉄が製造した神宝線用の新型車両。
車体が阪急初のステンレス車体である。
しかもステンレス剥き出し車体にマルーン帯貼り付け、インバータが日立製、歯車比が6.21など、阪急の伝統を尽くぶっ壊しているのが特徴。
124名無し野電車区:2007/08/17(金) 01:07:09 ID:isEiv/RF
>>123
定期的に湧いてくるな。阪急ステンレス厨。
E233ベースとか、その手のやつが。
125ミウナ:2007/08/17(金) 06:38:41 ID:0tYxD+DG
>>116の追加
711系1000番台北陸線仕様車
>>116は北陸線にも配備された。東北線仕様の違いは冷房準備車(AU75B)で
あることで後に冷房が取り付けられた。また側面方向幕も新造時から装備された。
3両編成5編成が西日本金沢運輸部に継承されたが、交流専用であることから
米原や直江津への入線ができず、もっぱら敦賀及び福井〜金沢または富山または
泊の運用で最長糸魚川までしか使用できず運用の妨げとなった。そのため後に
廃車485系の直流機器と471系の電装品移植による交直両用化が行われたため
413系に編入され、413系1000番台に変更された。
この改造により北陸線全線でも使用可能になり、七尾線やライトレール転換前には
富山港線でも使われている。
2002年よりN40工事も施工開始され、屋根上ベンチレーター撤去や方向幕の
LED化および車体形状も113系のN40施工車並の変貌を遂げた。
126名無し野電車区:2007/08/17(金) 11:02:40 ID:9yL8/fEX
クモハ100・モハ100-300番台
国鉄でモハ100のCPをC-2000に交換したもの。
CP容量が倍になったためサハ101・100-200番台が不要になった。
127名無し野電車区:2007/08/17(金) 11:52:43 ID:7+Jbg6i4
JR東海新0系新幹線電車

JR東海が航空機部品製造で知られる三菱重工業名古屋製作所との提携で製作した
CFRP(炭素繊維強化樹脂)製新幹線車両である。
従来のアルミダブルスキン構体に比べ、約20%の重量軽減を実現し、
VVVF装置の進化と相俟ってN700比で35%の消費電力減を実現した。
軽量車体による加速性能の向上により、最高速度270km/hながら東京大阪間で10分短縮を実現した。
もっとも、リサイクル性に難があることや、震動の多い環境での安全性に未知な部分があることを指摘する向きもある。
128名無し野電車区:2007/08/17(金) 14:02:54 ID:9yL8/fEX
113系2500番台
国鉄が製造した113系の最終形態。
天井が201系のような平天井に変更されている。
ドアエンジンはドア上から座席下に移設され、独特の鴨居部の出っ張りがなくなりスッキリしているが、この構造が仇となりJR西日本では転換クロス化改造時にドアエンジンを直動式に交換しなければならなかった。
129名無し野電車区:2007/08/17(金) 15:28:12 ID:9yL8/fEX
名古屋市交通局3000系3300・3600形
名古屋市交通局が1993年に4両だけ製造した3000系の増結用中間付随車。
4連を単純に6連に組み替えると2両余ってしまうことが判明したため、2編成は中間車の増備で対処。
4M2Tになるが限流値を上げる事で従来と同じ性能を確保。
中間に運転台撤去車がないため編成美が整っているが、他編成とくらべて空転が多く名鉄では不評らしい。
3000系は3050系の増備により廃車が予定されているが、この車両を組み込んだ編成だけは車齢が若いため更新工事を施工する予定。
130名無し野電車区:2007/08/17(金) 22:21:11 ID:RpxVpH32
>>129
追記
オールステンレス車のため車体形状がちょっと違う。
131名無し野電車区:2007/08/17(金) 22:28:06 ID:RpxVpH32
157系1000番台
国鉄が製造した157系の改良版。
下降窓で車体が腐食する問題があったためアルミ車体で製造。
製造コストが高く、少数しか製造されなかったが、アルミ車体のため長持ちし、JR東日本に承継された。
132茄子塩腹:2007/08/17(金) 23:46:18 ID:AvP6AFxl
>121の全修正他

鉄道省→国鉄8750形蒸気機関車

輸入(+デッドコピー製造)テンホイラー(2C)機の改良・純国産形として1915年末に浜松工場で3両試作し、1916〜23・25〜26年に108両が日車・汽車・三菱・川造で生産された。
設計主務は島安次郎。
当時は改軌論議が盛んで、改軌の暁には火室を拡大した拡大形を開発する予定だったが、結果としては唯一の純国産2C機となった。

設計で参考になったのは独逸帝国ボルジッヒ及び川崎造船製(川造はデッドコピー)8850形だが、1600_主動輪はオーソドックスな第2輪とした。(8850形は第1輪)

1920年代初め頃までは主に東海道線に配置されたが、18900(C51)形のデビュー・増備のため一般幹線への配置・転属が進んだ。
大正末〜昭和前期、一般幹線へのC51転属やC55・C57の配置が進むと亜幹線ローカルへの転用が進められた。
1940年には事故廃車2両を除く109両が旭川・室蘭・釧路・千葉・青森・秋田・米沢に配置され、旭川機は宗谷線での急行(1・2レ)牽引仕業も持っていた。

戦災や状態不良等で1946年より廃車が始まり、さらに老朽化やC57等の転属で1953年に北海道・東北配置機が全廃。
高松配置機はDF50に代替されて1959年に消え、千葉地区も1964年の海水浴臨を最後に引退し、休車されていた佐倉の18799が1967年3月に廃車されて形式消滅した。譲渡機はない。
最後まで在籍した18799は大宮工場に移送。2007年に開館する鉄道博物館で展示される予定。



鉄道省→国鉄8950形蒸気機関車
1911・12年にアメリカ・アルコ社より輸入したパシフィック(2C1)機8900形の改良・国産版として1915-19年に37両を製造したが、18900形が登場したため1920年以後の製造はない。
当初ら京都以西の東海道・山陽線で運用されたが、18900形の増備のため1920年以降は関西・山陰線や九州地区に転属。
事故で2両、戦災で3両を失い、戦後は老朽化やC51・C55・C57の転入に押し出され、1953年に人吉の8981号機が廃車されたのを最後に形式消滅し、全て解体された。
133茄子塩腹:2007/08/18(土) 22:30:40 ID:O0KI7u2s
スハ42形 141-160

朝鮮戦争勃発による客車不足を補うため急遽発注され、1951年1-3月に汽車・新潟鉄工で20両製造された。
台車をTR47に変更、客室照明を80系電車同様2列に増設、ドアを鋼板プレス物に変更、便器を鋼体化客車同様の埋込式(汽車便所)に変更、座席背ずりモケットを2段にした等、スハ43の試作車的存在である。
このグループはオハ36化改造や台車振替等は行われず、1987年に全廃された。
134茄子塩腹:2007/08/18(土) 22:32:36 ID:O0KI7u2s

スハ42 151-170に修正
135名無し野電車区:2007/08/19(日) 14:40:32 ID:XMEyVk/9
阪急1000系(2代目)・1200系(2代目)・1300系(2代目)・1330系
2012年から製造が開始された9000系列の後継車両。
日立製作所ではなく川崎重工と近畿車両が製造した。

1000系:神宝線に登場。玉突きで本線の5000系・3000系を支線に転属させて3000系・3100系標識板車を置き換える。
従来車両と同じく東芝製VVVFインバーターを採用。神戸線に8連9本、宝塚線に8連6本を投入。
1015Fのみは試験的にステンレス車体になり、無塗装・マルーン帯貼付けになったが、不評のため半年で従来車と同じ全身マルーン塗装となった。
ちなみに1011Fの1111号車はぞろ目車両として注目を集めている。

1200系:7000系のVVVF化で余剰となった制御装置を流用した界磁チョッパ車。
8連3本が製造、全車宝塚線に配置され、玉突きで5100系を能勢電鉄へ譲渡予定。

1300系:京都線に導入。京阪間ノンストップ特急の需要が高まり6300系以来の2ドア車として導入。
従来車両と同じく東洋電機製VVVFインバーターを採用。
将来の通勤車への転用ができるよう3ドア化準備工事がなされている。8連8本を導入。

1330系:1300系をベースに堺筋線乗り入れ用車として登場。
1300系と違い3扉オールロングとなっているほか、地下鉄乗り入れを考慮して4M4Tになっている。
8連15本が製造され従来の2300系・3300系未更新車を置き換える。
136は@携帯 ◆cplnFO9T0I :2007/08/19(日) 17:05:54 ID:1Y8pHr7l
E551系急行形車両
酉の521系そのまま
137名無し野電車区:2007/08/19(日) 17:42:25 ID:8qtE7M3q
(゚Д゚)ハァ?
138名無し野電車区:2007/08/19(日) 21:31:48 ID:bqWPeS/v
キハ201系1000番台
JR北海道が製造したキハ201系の増備車。
コスト削減のためか簡易車体傾斜装置が準備工事になっている。
エンジンは460PSのN-DMF13HZJに変更されている。
札沼線の輸送力増強用に投入。
139名無し野電車区:2007/08/20(月) 09:42:32 ID:afzXsiOX
クモハ123形900番台
国鉄でクモハ123を試験的に冷房改造したもの。
床下にMGを搭載するスペースがないため、1500V直接駆動タイプのAU75Hを搭載。
140名無し野電車区:2007/08/20(月) 09:57:09 ID:afzXsiOX
313系3200番台
JR東海が製造した313系3000番台の改良版。
E231系500番台のようにドア上に液晶モニタを搭載している。
しかもその液晶モニタはシャープ亀山工場製のため「AQUOS電車」と呼ばれている。
141ミウナ:2007/08/21(火) 18:19:29 ID:Pb3rPPuy
オハ45
スハ44の軽量改良型。オハ46系同様の軽量改良を行った結果、ス級
からオ級にしたもので昭和28年に10両のみ製造された。大ミハ
および東シナにばらまかれたが後に門タケに転属され、
当時運転開始予定の「かもめ」用としてスハ44系ともども準備された。
しかし座席車が44系からナハ10系化に伴って再び大ミハに逆戻りし、
「つばめ」の3等としてスハ44ともども使用された。2両のみが「はつかり」
用にまわされたが一貫して宮原を離れずに晩年を迎える車も多かった。
最終的にはアコモ改善により固定クロス→回転クロスに変更された他、
中にはセミクロス化により1扉で狭窓をのぞけばスハ43系と何ら
見分けがつかない車内にされた車もある。晩年は主に急行の座席車として
急行「銀河」などで使用された。後に2両が昭和46年に緩急車に改造され、
オハフ44となった。昭和51年の20系化まで最後まで生き残ったのは
オハ45-1・7・8とオハフ44-2で同年に廃車された。2000にしていないのは
牽引機EF58型のSG(蒸気暖房)を使用しているので電気暖房を使わないため。
なおスハニ35の軽量改良型オハニ34も計画されたが既にオハニ36が
あったことから製造されず、またスロ54の軽量改良型スロ55も10系の
ナロ10が具体化されており製造されなかった。またマシ35の軽量改良型
スシ37も計画されていたがさらに軽量のオシ17の登場で計画のみ。
最末期急行103/104レ「銀河」
大阪                                         東京
オハネフ12-オロネ10-スハネ16-スハネ16-スハネ16-スハネ16-スハネ16-スハネ16-スハネ16-スハネ16-オハネフ12-オハネフ12-オハ45-オハ45-オハフ44
オハ45はスハ44・スハ43・オハ46・47になる場合もある。
142名無し野電車区:2007/08/22(水) 21:51:41 ID:+QaczSf2
クモワ90
国鉄が開発した電動貨車。
全長がわずか9m程度しかない2軸車である。
国鉄唯一の2軸電車であると同時に国鉄唯一の電動貨車だったりする。
143.:2007/08/22(水) 22:38:58 ID:WIKIjdds
束E655-200:
日光・きぬがわ用。
お召しカラーではなくスペーシアカラー。
E259系日光・きぬがわ編成と併用。
鎌倉車両センター配置。
E655-200編成はメイン運転だが、イベントや臨時運転もある為、E259系東武直通仕様の定期運用のスジに入れる形となる。
144鉄道タイムズ:2007/08/22(水) 23:08:00 ID:P651j1dS
◎阪急TX-1000/2000系
・特記仕様 狭軌 ボルスタレス台車 TX-2000系は交直流電車
・製造年 2003〜
・営業 阪急つくばエクスプレス線
○概説
1985年の運輸政策審議会答申7号にて常磐線の混雑緩和並びに筑波研究学園都市へのアクセス改善を目的とした
常磐新線(秋葉原〜守谷〜つくば)が提言された。
91年に第三セクター方式で以て首都圏新都市鉄道株式会社が設立され、第三種鉄道事業者として常磐新線を建設する事となった。
当初、常磐新線開通後はJR東日本が第二種鉄道事業者として運営する事となっていたのだが、
京葉線と東北新幹線の東京駅延伸などの巨額なインフラ投資が自社内にて幾つかあったが為に経営体力上余裕が無く、辞退してしまった。
このままでは、首都圏新都市鉄道が第一種鉄道事業者の免許を取得して運営も行う事になるのだが、
当時は第三セクター方式による運営では大赤字に陥る事が懸念されたので、第二種鉄道事業者を民間から公募する事となった。
何と、関西の阪急が名乗り上げた! 
公募当時は、バブル崩壊―失われた十年の始まりであり、関西経済に陰りが見え、関東進出に賭けたのである。
関東の民鉄はしがらみがあって公募する者は無かった。
かくして、阪急が第二種鉄道事業者として常磐新線を運営する事となった。
常磐新線用の車両は、インフラを設計・建設した首都圏新都市鉄道が最適な車両として予め設計したものを阪急が踏襲し、
阪急が独自に手を加えられるのは内外装のみである。
首都圏新都市鉄道が設計した車両は、東京地下鉄の9000/05/06/07系をベースにし、交直流車も用意された。
内外装は、阪急の伝統に基づき、車体はマルーン色で塗られ、車内は木目調の化粧板やゴールデンオリーブ色のシートなど。
2003年、茶色のTX-1000/2000系試作車が登場。後に開業に向けて量産車が製造。
ついに、2005年8月24日、阪急つくばエクスプレス線(秋葉原〜つくば)が開業。
利用は好調であり、TX-2000の増備による輸送力増強計画がある。
今日も関東平野を阪急電車が最大130km/hで快走。
阪急百貨店がある有楽町までの延伸計画がある。
145ミウナ:2007/08/23(木) 10:34:43 ID:yhq0hGOc
E259系500番台
直流版E655系である。255系の取替えとして幕張に配備するもので
編成は7両でグリーン車はないためこれにより房総特急からグリーン車
が消える。使用するのはしおさいと一部ホームライナーのみでさざ
なみ・わかしおは使用しない。あやめと併結する列車もE257系を使用
する。捻出された255系はBe-04とBe-05の編成は鎌倉車両センターに
波動用に転属される他残るBe-01〜03編成は長野車両センターに転属され、
かいじに使用される。これまで田町車185系7連で運転されていた
はまかいじ号も鎌倉車による運転に変更された。
なお転属に当たって塗装をE257系と同一塗装に変更と足回りをE257系と
共通化を行っている。
銚子電鉄デキ4型
国鉄クモワ90型(>>142)を譲渡したもので銚子電鉄唯一の
電動貨車としてデキ3型とともに使用された。やはり仲ノ町間
の貨物運用と仲ノ町工場の入替用としてや小型客車牽引して
の運用にも使用されていた。積車で牽引不可能のデキ3型に比べて
牽引力もあったため仲ノ町への貨車受け渡しでは電車とこの車両が
主に用いられていた。1984年の国鉄車扱貨物の廃止に伴い貨物営業も
廃止となったため一時引退となり、仲ノ町構内で休車となっていたが
トロッコ車ユ201型投入の際に電車以外に牽引用として抜擢された。
2003年のイベント時にデキ3型共々大改修が行われたが規制強化により
デキ3型の本線運転できなくなるとイベント用としての使用されたが
中でも先の経営危機ではユ101型と201型2両を牽引して電車以上の活躍で
危機を乗り越えた実績を残し現在仲ノ町構内でデキ3型共々モスボール
された。ボランティアのの協力もあって現在も本線走行可能の美しい状態を
維持している。
ユ201型
ボギー式のトロッコ車で「澪つくし号2世」の名を持つ。ベースは旧国鉄
トキ25000型で1989年に大宮で改造された。
146茄子塩腹:2007/08/23(木) 20:16:49 ID:DTselqMd
マハフ47→マハフ28

1947・48年にマハ47形13両に車掌室と手ブレーキ等を取り付けたもの。定員は96人。
種車の元形式はマロネ37・マロネフ37・マロネロ37で、魚腹台枠車や丸屋根車等多彩であった。
1950-53年に更新修繕されてオハ61並のオールクロスシート化されて定員88人に変更。1953年の形式称号改正でマハフ28に改称された。

マハ47→マハ29形同様、種車の形態で番号区分されているが、大別すると1-は二重屋根・魚腹台枠・TR71台車。
21-は二重屋根・普通台枠・TR73・74台車。
101-は丸屋根・TR73台車である

マハ29とともに本線筋の普通列車に使用されたが、後述のスハフ88形に改造された2両を除いて1968年までに全廃された。


スハ88形増備車(2011-2014)、スハフ88形(2001・2002)
盛岡のスハ88(1)・オハフ80に続くお座敷客車第3弾として1963・65年にマハ29・マハフ28形(全て旧マロネロ37)から改造。
電気暖房取付と横軽対応工事も同時施工された
施工は大宮・郡山工場で、スハ882004のみ1965年改造(郡山)。品川に配置された。
列車単位での運用を基本とするが、1〜4両で一般旅客列車への併結運用もあった。
内装は盛岡車に準じている。
3軸ボギーゆえ高速運転でも乗り心地は良好だったが、車齢の高さや冷房取付困難のため、グリーン車に格上げされないまま1972年2月に廃車された。
147名無し野電車区:2007/08/23(木) 20:21:05 ID:7GFEJBu1
クモエ207
JR西日本が開発した207系ベースの救援車。
両運転台で、救援資材を出し入れするための大型の扉が側面にある。
福知山線脱線事故を契機に導入。
営業用の207系と同様に0・1000・2000番台がある。
148名無し野電車区:2007/08/23(木) 22:49:21 ID:7GFEJBu1
モハ105-500番台
国鉄でモハ103を改造して作った1M方式の電動車。
常磐線の5両編成に組み込まれる。
2M3Tだと出力不足で、4M1Tだと出力過剰になるため3M2Tとするために投入。
制御段数を103系と揃える事で加速時の衝撃を極力少なくしている。
149.:2007/08/24(金) 22:51:44 ID:qNPiL3IV
京急1000系1081F(7次車):
・川崎重工製
・アルミ車体(日立A-Trainベース)
・赤い電車製造再開。
・日立製VVVFを京急初採用。
150鉄道タイムズ:2007/08/26(日) 02:42:56 ID:451wtr1p
◎JR東日本キハ183系2000番台
・車種・編成 キハ183-2000(Mc)+キハ182-2000(m)+キハ183-2000(Mc)
・製造年 1988
・仕様 120km/h走行可能なダイナミックブレーキ付、貫通型先頭車、碓氷峠越え対策、
    mは走行用機関DMF13HS(250PS)と電源用機関を搭載、Mcは走行用DML30HSJ(550PS)のみ
○概説
1980年代、清里ブームの絶頂であった。ナウなヤングなら一度は行かなければいけない程、当時の若者にとって大人気の観光地であった。
また鉄道趣味人の間でも小海線小淵沢〜野辺山区間は電化すべしの意見が当然の如く交わされていた程であった。
国鉄分割民営化によるJR発足から一年程経った88年、JR東日本は、新宿から中央線経由で清里を含め小海線へ直行する季節臨特急を設定した。
それに就役させる車種として、キハ183系500番台をベースにキハ183系2000番台が新製された。
季節に応じて、小海線直行、常磐線経由で水郡線直行、信越線経由で飯山線直行など、東京圏を起点に電化幹線から非電化支線に直通する臨時特急には、
各幹線を電車特急と同等に走行出来る車両が求められていたので、キハ183系500番台をベースとして設計する事となった。
信越線を走行する仕業がある事からEF63との連結を考慮した碓氷峠越え対策も施されている。
臨時などに様々に使われるので柔軟性を重視して、先頭車は貫通型で、三両一編成とした。
二編成分と予備車二両分の計八両製造された。
清里ブームに乗って、新宿・小海線直通特急として華々しくデビューし、夏期には多くの乗客を満載し最大六両で中央線を豪快に120km/hで爆走していた。
が、しかし、90年代に入ってバブル好況の崩壊と共に清里ブームは終焉を迎え、しかも追い打ちを掛ける様に格安ツアーバスが台頭してしまうと、
利用客の減少に歯止めが掛からず、21世紀を迎えずに、新宿・小海線直通特急は廃止されてしまった。
97年の長野新幹線開業に伴い飯山線直行冬季臨特急も廃止された。
以後、キハ183系2000番台は、非電化ローカル線へ直通する団体列車の仕業が中心となって行く。
落成後二十年近く経った2007年現在、格安ツアーバスの影響は深刻で、稼働率はかなり低下し、一部の車両が廃止されてもおかしくない状況である。
151鉄道タイムズ:2007/08/26(日) 03:31:13 ID:451wtr1p
>>150の訂正と追記
>格安ツアーバス ×

格安バスツアー

※注記
スケジュールに従った団体行動で、集合場所から解散場所までの全行程に添乗員が同行するパッケージツアーの内で、
バスで清里などの観光地を効良く周遊するのがバスツアー。
一方、上記の様な団体旅行とは異なり、添乗員も無く、ある都市の集合場所から別の都市の解散場所まで単にバスで移動するだけが、
今話題のツアーバス。

バスツアーの台頭で支線直通が消えるなど優等列車の運行系統はつまらない程に単純化され、ツアーバスの台頭で夜行列車は絶滅寸前。
鉄道趣味にとって、つまらない時代になってしまった。
152名無し野電車区:2007/08/26(日) 10:32:44 ID:lwNM626a
相鉄11000系
従来の10000系と違い、E233系ベースで導入された。6M4Tとなり、モーター機器の二重化や、相鉄初のフルカラー表示器、車内の液晶画面が導入された。
この車両の導入により、7000系が置換される事となった。
153.:2007/08/26(日) 20:21:55 ID:MBLIWE5R
相鉄20000系:
相鉄初の日立A-Train。(日立製は8000以来)
東武50000系列や西武30000系/21000系やTX-1000ベース。
一部車両は2000/5000/7000のアルミリサイクル。
一部は日車・川崎・近畿で製造。
また、11000系の一部も川崎で製造。

これで、法則として、10000系列は東急幹事・20000系列は日立幹事となる。
(8000と9000の関係同様)
154名無し野電車区:2007/08/27(月) 18:01:26 ID:vQcdUXCd
東武30050系
当初予定されていた半蔵門線の延伸が中止となり、有楽町支線の部分開業(豊洲〜錦糸町)する事態になったため急遽投入された通勤電車。
固定編成であることや車幅と保安装置以外は、本線系統に11本配備されていた東武30000系とほぼ同一。2002〜2003年に4本製造された。
155ミウナ:2007/08/27(月) 21:28:36 ID:O0PiOeqO
E657系
651系の置き換えおよびスーパー・フレッシュの愛称統一化を図るため
E655系ベースの完全特急仕様で登場した。編成は3種類あり、
@先頭車グリーン車ありの基本7両 Aグリーン車なし基本7連(両面貫通)
B4両編成の付属編成(両面貫通)からなる。貫通編成の連結部分は
E257系500番台と同一とし、通り抜けられない不便さを解消。また
基本と付属の連結位置を前後逆にしたためいわき以東も必ず7両以上行く
様に改良された。
グリーン車あり7連基本(スーパーひたち用)
仙台 いわき 勝田                     上野
クロE657-0-モハE657-0-モハE656-0-サハE657-0-モハE657-1100-モハE656-1100-クハE656-1000
グリーン車なし基本7連(フレッシュひたち用)
クハE657-500-モハE657-500-モハE656-500-サハE657-500-モハE657-1500-モハE656-1500-クハE656-500
付属編成(スーパー・フレッシュ共用)
クハE657-1500-モハE657-3500-モハE656-3500-クハE656-1500
3種類の編成を組み合わせ、7両単独〜最長で14両編成で組成する。14両編成の
スーパーひたちも登場する予定。グリーン車あり7連11本・グリーン車なしの
7連が10本・付属4両編成が15本からなる。これにより651系は波動用となり、
11両が各2本ずつ田町・三鷹・鎌倉にばら撒かれ。高崎には11両1本と4連1本が
上沼垂にも7連1本がばら撒かれた。なお残る7連と4連各1本はJTに改造された。
内4連は「きらきらうえつ」の第2編成として上沼垂に7連はお座敷客車「ゆとり」
の取替えとして田町に配置される。E653系は7両すべてが上沼垂で「いなほ」
「北越」および快速くびき野とムーンライトえちご用として4両は秋田に転属
してかもしかに転用。485系を取り替える。
キロ183−2000番台
>>150のキハ183系2000番台の最後の行き着く先は東北となった。
オールグリーンに改造された上でキハ58系改造JTのGenjiの取替えとして
小牛田に配置された。休日に「南三陸」で使われるがこの車両を使う
場合は快速ではなく特急となる。
156名無し野電車区:2007/08/28(火) 06:57:51 ID:W/nqT+OD
209系3000番台相模線仕様
JR東日本が相模線に投入した209系。
4両編成で、帯の色が青系になっている。
157名無し野電車区:2007/08/28(火) 08:48:38 ID:flVmp+n+
>>155
キハ58改造のJT『Genji』についてKWSKきぼんぬ
158名無し野電車区:2007/08/28(火) 17:06:09 ID:M43w7Ebd
 E721-1000
転クロ。車端部はロング。扉付近には補助椅子を装備。
 E721-3000
ロングシート仕様。
159名無し野電車区:2007/08/29(水) 12:33:14 ID:eo6KFyPH
サハ183
183系のサハ。
0番台と1000番台があるが、少数しか製造されなかった。
160ミウナ:2007/08/29(水) 13:37:08 ID:vs8mm/zC
>>159追加
サハ189
ほぼ同時期に作られた189系のサハで僅か6両のみしか作られなかった。
サハ183(>>159)と同じく485系に転用可能な様に最初から作られており、
車体及び車内はサハ481-100番台に準じたものとなっている。
しかし485系に改造されることなくほとんどクハ183-100及び150番台又は
クハ182の改造種車とされてしまい、>>159のサハ183はこの地点て消滅した。
なおサハ189-2・5はクハ189-103とクハ188-603に改造されている。
唯一生き残ったサハ189-1は485系転用でサハ481-1101となり、末期は
ひたちで使用されたがE653系投入により廃車された。
161名無し野電車区:2007/08/29(水) 13:50:24 ID:eo6KFyPH
サハ183-300番台
JR東日本でサロ183を格下げ改造したもの。
ドアを増設している。
162名無し野電車区:2007/08/29(水) 15:28:00 ID:roiyTKM6
E233系1500番台
八高北線が電化されるために新たに登場する番台。
クモハE233-1500+モハE232-1500+クハE232-1500の3両編成。
ワンマン運転対応で、旅客案内表示器はLCD式ではなくLED式。
キハ110形・キハ111形・キハ112形置き換え用として21両製造予定。
なおキハ110形・キハ111形・キハ112形21両は改修を施した上で、
新津運輸区に転属する計画が立てられている。
163名無し野電車区:2007/08/29(水) 16:45:43 ID:s0VJiBne
E233系3000番台
八高南線・川越線の増発・高速化のために登場
クハE233-3000+モハE233-3000+モハE232-3000+クハE232-3000の4両編成
旅客案内表示器はLCD式で一応中央快速・青梅線直通も可能で
0番台との連結運転も可能
205系、209系の置き換え、増発用として12本48両製造予定
205系3000番台は仙石線へ、209系3000,3100番台は相模線へと導入される予定
164ミウナ:2007/08/30(木) 20:26:44 ID:w3eN2Wqk
E233系5000番台
>>163と同時に製造された埼京線用のE233系で中央線型と同じく
6連+4連の10両編成とし、川越で高麗川(一部拝島・八王子)行き
を切り離して運転も可能にした。基本6両の2号車と3号車は
6ドアとした。サハではなくモハ車(モハE233・232-5400)の
6ドア車は初となる。また1号車と7号車にはトイレが取り付けられた。
(これは>>162のE233系1500番台と>>163のE233系3000番台にも後に取り付けられた)
当初は10号車もつく予定だったが女性専用車になる車両をトイレ付き
にするわけにいかず見送られた。205系の置き換えとともにりんかい線
の増発分の肩代わり分も含めて10両編成16本計160両を製造する予定。
これとは別に10両貫通型(中央線仕様と同じ)も170両製造されるが
6ドア車2両を組み込む以外は中央線0番台からの続番で作られることと
川越までしか運転しないためこの編成にはトイレは設けない。
クハE233-5000+モハE233-6000+モハE232-6000+クハE232-5500+クハE233-5500+モハE233-5000+モハE232-5000+モハE233-5400+モハE232-5400+クハE232-5000
205系の大半は房総各線と京葉線へ転用する予定で京葉線に転用する
編成は6ドア車も含まれ、既存編成のサハ1両を抜き取り6ドア車を
4号車に組み込まれる。また編成ごとの転属も3本行い201系の貫通編成を
淘汰する。大半がいく房総各線は5両編成とし、帯色は211系と共通にする予定
でトイレも設けられる。
165名無し野電車区:2007/08/30(木) 21:37:28 ID:MlcIkTTP
EH50形電気機関車
1968年から製造が開始されたEF66型は、幹線での高速貨物牽引用として製造され、
軸重制限により幹線以外への入線はできなかった。一方で、亜幹線を走行する貨物列車の高速化も
求められており、効率の面からも、出力を高めつつ、軸重は抑えた機関車が必要となった。
そこでEF66形をベースに8軸とし、勾配区間での牽引力増強と、軸重軽減を図った本形式が登場した。

出力はEF66形にほぼ匹敵する3800kWで、25‰勾配上で850tの列車を起動できる。
また、かつてEH10形を使用して行われた試験では空転が多発したため、空転対策には注意が払われている。
改良を加えつつ製造された45両が中央線、伯備線などに配置され、EF64型に混じって活躍した。

堅実な設計による頑丈さと扱いやすさから民営化後も全機が生き残っていたが、
後継機EH200型の増備が進み、初期車を中心に廃車が始まっている
166名無し野電車区:2007/09/01(土) 00:07:19 ID:iKj0P3FV
101系950番台
大量に制作された101系のうち、1962年(昭和37年)に東急車輌がバッド社のライセンスによるオールステンレス
車両開発の一環で制作したオールステンレス車体の101系。キハ35のステンレス車体と同経緯で誕生した。
中央快速線に10両編成1本が投入されたが、最初は営業には入らず技研が中心となった走行試験を繰り返した。
これは車体重量による性能の違いや軌道へかかる力の影響差について在来車と比較試験されていた。
数ヶ月の試験運転を経て営業運転に投入。ステンレス未塗装の車体は乗客からも注目を浴びた。
車体は基本的に101系をそのままステンレス車体にしたままだが、幕板と窓下には多数のコルゲートが入った
ためかなり印象が変わった。客室窓がステンレス製のユニットサッシとなったが、後の103系のものとは構造が
違うので印象が異なる。なお低断面トンネル対策はされていないので高尾以西の乗り入れはできなかった。
当初はステンレス未塗装であったが、すぐに踏切や保線作業における視認性が問題となって前面の窓の下のみ
が鋼製車と同じオレンジ色に塗装された。続いて「大量生産となった場合にラインカーをどうするか」という問題に
対する試験として一時的に幕板と窓下にゴルゲート1本分幅という細いオレンジラインが入れられた。
しかし、無塗装化が労働組合から反対されて結局はステンレス車体は正式採用とならず、この車両も他の101系
と同じくオレンジ一色に塗り替えられた。
167名無し野電車区:2007/09/01(土) 00:07:50 ID:iKj0P3FV
(続き)
その後は中央快速でオレンジ色のまま他と区別されずに活躍したが、1983年に201系の増備に伴って津田沼区へ
移動、同時にカナリア色に塗り替えられた。しかし、車体が冷房化を考慮した構造になっておらず、集中型冷房装置
の搭載が不可能なことから1985年に廃車されて7両が秩父鉄道に譲渡、3連2本に組み替えられて1000形の1番と
2番編成として現在も在籍している。この秩父鉄道転用時にクモハ100-951は電装解除されてクハとなった。
秩父鉄道では分散冷房による冷房化(中間車非冷房)も行われた。なお譲渡車のうちサハ1両は元から倉庫にする
ための購入で、倉庫となったモハ101-951は現在も国鉄時代の姿のまま存在する。
国鉄に残った3両は技研に運び込まれ、車体圧縮強度試験に使用されて最終的には解体された。

クハ101-951+モハ101-951+クモハ100-951+クモハ101-951+モハ100-951+サハ101-951+サハ101-952+サハ100-951+モハ101-952+クモハ100-952
168名無し野電車区:2007/09/01(土) 00:14:13 ID:SvVz7ZhT
>>165
EH50はEH10の旅客用として計画は存在。
169鉄道タイムズ:2007/09/01(土) 02:16:51 ID:gVbzNhyC
◎JR東海・西日本・九州多目的交直流電車571系
・車種編成 クハ570(Tpc)+クモハ571(Mc)+クハネ571(Tnc)
・製造年 2007〜
・主仕様 TpcとMcは521系ベースの二扉リンクライニングシート四列、Tncはクハネ285ベース、全車鋼製、貫通型低運転台
・営業 東海道山陽鹿児島長崎日豊各線の夜行急行など
○概説
JRグループ合同会議にて2008年のダイヤ改正で東海道山陽九州の寝台専用列車いわゆるブルートレインの全廃を決定。
ブルートレイン絶頂の1970年代とは大いに異なり、
新幹線のスピードアップ、スカイマークエアラインなどで代表される航空運賃の低下、
夜行高速路線バスの拡充、ウィラートラベルや楽天トラベルやオリオンツアーなどで代表される激安な都市間ツアーバスの台頭、
阪神・東九州間ではフェリーが寝台特急彗星のみならず高速バスさえも廃止に追い込む程の強い競争力を持ち、
そして、東横インなどで代表される低価格で快適な宿泊施設の増加、と言った具合に、
交通機関と宿泊の選択肢が大きく増え、それらが最も集中し激しく競合し合う太平洋ベルト地帯において、
ブルートレインの存在意義は失った。
全廃の一方で、高速バスやツアーバスやフェリーの恩恵を受けられない地域への配慮などから代替となる列車が検討された。
それは、ブルートレインのアンチテーゼとなった、夜行とは金を節約する為であると世間の常識と化している現在である以上は。
寝台専用は止め、座席車を中心とする。
横になれる寝台の需要は零では無いので寝台車は用意するが、B個室のみ。
機関車牽引の長大編成を止め、電車にし、一列車三両を基本とする。
寝台車よりも定員が多い座席車を主にした短編成の電車で以て収入に対する運行経費を大きく削減。
複数の会社を越える長距離運転なので遅延が発生し易い故、加減速が高い電車の方が回復し易く、ダイヤの乱れの波及を抑制。
列車種別は、特急は駄目で、青春18きっぷ利用可能な快速では車両製造費が回収出来ないので、急行に。
車両製造費の回収を短縮させる為に座席車両は昼夜兼業にして稼働率を上げる。
夜行仕業終わった後に寝台車を切り離して座席車両を昼行列車に増結可能とする。
以上を踏まえてブルートレイン代替の夜行急行用にと新造されたのが、

恐らく>>170へ続くだろう
170鉄道タイムズ:2007/09/01(土) 02:18:24 ID:gVbzNhyC
>>169の続き
571系である。
メカニックは223/521系を基にして130km/h走行可能。
1M方式や貫通型先頭車や自動解結装置と自動幌装置など、臨機応変に編成が組める仕様である。
昼行仕業の際、485/183/117/373/221/223/811/813/783/787系などに連結して協調運転可能。
普通車は四列リクライニングシートで、深々と腰掛けていると隣席の寝顔が見づらい程に頭もたせ自体がかなり大きなものになっている。
寝台車はクハネ285を基に、シングルかシングルツインのB個室のみ。
全車に洋式トイレ―Tpcには障害者対応と更衣室兼用―と和式と洗面所と自販機を設置。
ブルートレイン代替夜行急行は次の通りに設定された。
銀河の代替として“銀河”:東京〜大阪(現地日土休日は西明石延長):Tpc+Mc+Tnc+Tpc+Mc+Tnc 
はやぶさの代替は“すばる”:東京〜熊本:Tpc+Mc+Tnc 
富士の代替は“海星”:東京〜大分:Tpc+Mc+Tnc 
“すばる”と“海星”は東京〜門司間併結
なはの代替は“明星”:京都〜熊本:Tpc+Mc+Tnc 
あかつきの代替は“あかつき”:京都〜長崎:Tpc+Mc+Tnc 
“明星”と“あかつき”は京都〜鳥栖間併結
富士、はやぶさ、なはの名称は夜行には不適切なので引き継がれず。
全列車、就眠時間帯は全席指定である。
急行ではあるが、電車化のお陰で、以前の客車特急よりも所要時間が短縮され、遅延も減少した。
これら急行利用促進の為に周遊きっぷのアプローチ券を使う際に急行・指定料金が免除されるように改正された。
JR発足初期の80年代後半、東京駅には九州ブルートレインが四本発着していた、十四〜五両編成の長大編成で、食堂車やロビーカーありと。
2008年現在の東京駅、ブルートレインは消え、九州往復列車はたったの一本の併結列車で、しかもたったの六両編成と。
三十代以上の中高年鉄道愛好者にとっては何とも侘びしい光景に。
171名無し野電車区:2007/09/01(土) 08:18:20 ID:0OlI1Iqh
101系横軽自力登坂仕様
国鉄が何を思ったのか101系を横軽仕様に改造したもの。
101系オールMなら66.7‰の急勾配を自力で登れるだろうということでオールMの2両編成を組んでいる。
抑速ブレーキも搭載。
緊急事態に備えてEF63とも連結できるようになっている。
172茄子塩腹:2007/09/01(土) 20:01:13 ID:dZVhF/ja
皇太子御乗用車 スロハ32 60・67の真実

戦後の数年間、まだ未成年だった皇太子殿下の御乗用車としてスロハ32の60・67が寝台を取り付ける等の改造を受けて使用されたことは知られている。
しかし物故した旧大井工場幹部の遺稿が見つかり、一般に知られていた仕様とはかなり異なっていることがわかった。

改装の内容は次のとおり。

2等室中央部の東宮(皇太子)殿下御座所兼御寝所はスイロネフ38形に準じた1人室で海(東京湾)側に設置し、窓際に机と椅子を配置し、寝台はソファーベッド。
巻き上げカーテンは遮光用と目隠し用の二重式。
御座所の窓は廊下側も含めて防弾ガラス+車体同色のメタルサッシ(開閉補助バネを強化)に替え、窓下内張裏には防弾鋼板を張り付けた。

残りの2等スペースは高位随員用席(簡易寝台に転換可能)と殿下茶湯用のケロシンコンロを設置した。
車体中央の便・洗面所は殿下御自身の意向もあり随員との共用とした。
3等室は特別な改装は施されなかった。

TR23台車は軸バネ・枕バネを柔らかい物に替えて乗り心地の向上を図った。

2両は御料車14号(マイロネ37 1改造)の竣工で任を解かれ、1953年に大井工場で一般営業車への復元工事を受け、スハ50への格下げを経て最終的にはマニ36に改造された。
173名無し野電車区:2007/09/02(日) 15:35:37 ID:GL+A9rLv
471系900番台
国鉄が開発した471系のステンレス車体仕様。
関門トンネルの海水腐食対策で投入。
174ミウナ:2007/09/02(日) 17:38:55 ID:OTn39RG0
101系700 750番台
大量に配備された101系も老朽化の波には勝てなかったが比較的程度の
いい車もあったことから主電動機を103系クラスのものに取り替える
ことにより生まれたのがこの形式である。2種類あり、700番台は
モハ100-モハ101のみのユニットのみで主電動機を103系と同じ
MT55としたもので首都圏を主体に使用された。冷房改造
されていた車両だけを選んだこともあり比較的長期に使われた。
改造は昭和55年に行われた13ユニット26両が主電動機を取替え
改造を受けた後も101系と名乗っていたが後に103系と形式を合わせ、
モハ103・102-850番台に改められた。特別保全工事を行った車両や
昭和63年に異例の車両更新をした車両もあったが平成14年に最後まで
豊田で青梅線で残った唯一の更新車モハ103・102-856(旧モハ100・101-707)
が廃車され消滅した。
750番台はクモハ100-モハ101-クハ101とクハ100-モハ100-クハ101の3両
編成計6両が試作されたのみ。主電動機は同じDT21型であることから
113系が使用しているMT54とした。冷房もあったことから最後まで
南武線を離れず、その後は鶴見線と南部支線でも愛用された。
平成元年に更新されていたことから最後まで生き残り205系1000・1100番台
に取って代わるまで使用された。解体されるところだったが今度は
秩父鉄道から譲渡してほしいの話があったことから6両すべてが秩父鉄道
に譲渡された。秩父鉄道では1000系ではなく1500系として使用している。
1501-1601-1701→旧クモハ100-751-モハ101-751-クハ101-751
1552-1652-1752→旧クハ100-751-モハ100-751-クモハ101-751
3両とも集中冷房で1000系よりも主電動機の出力が高いことから臨時急行
でも使われることが多く、更新もされているため人気が高い。
今秋には旧国鉄色にリバイバルされ、ウグイスになる予定である。
175妄想竹:2007/09/02(日) 20:59:48 ID:vzDt2wTP
>>174 おーい、モハ102-850〜863は新製冷房車で実在する(した)ぞ…
(モハ103のラストナンバーは-793なので、850〜は実在しない)

茶々いれだけでは何なので。
西武新2000系地下鉄乗り入れ仕様、及びクモハ2491〜98

 新都心線が開業、飯能〜渋谷で直通運転を行うことになったが、準備した6000系だけでは足りないことや、来る東横線乗入時には8連が必要なことから、新2000系の地下鉄乗り
入れ改造を行うことになった。種車は2091〜97Fの8連4本と、新2000系の2連全編成4本の合計40両。

 8連組はモハ2197・98のVVVF制御を他車と同じ界磁チョッパ制御とし標準化した他、クハへのメトロ・東急用ATC・無線装置・同アンテナ等搭載、前面向かって右側の空きス
ペースへの列車番号表示器の取付が行われた。また、偶数向きクハのみ、2連を併結した際に地下鉄線内では編成を貫通させる必要から貫通ホロ座の取付けが行われ、完全に運転
室を締切り、貫通路を乗客用通路として活用できるように改造された。
 なお、8連組については改番は行われていない。

 2連組は前述のとおり偶数クハが電装され、ATC・無線装置・アンテナの搭載、列車番号表示器の取付が行われたが、奇数クモハは有楽町線内で先頭に出ない為、運転室が締
切れるよう改造、貫通ホロが取付けられただけで、他社線内で使用するATC・無線装置の搭載は省略された。
 こちらは偶数クハの電装が行われたことや、8連組と末尾2桁をあわせる必要から2451〜58→2491〜98へ改番が行われた。

 塗装はいずれも6000系アルミ車に準じた灰色地に青帯へ変更されたが、前面補強を兼ねたステンレス板はそのままなのがご愛嬌である。なお、編成内引き通しによるパンタ削減、
行き先・種別幕のLED化は種車時代に完了している。

 引き続き池袋線に所属し、飯能方から8+2の10連を組んで地下鉄直通を中心に使われている。8連は単独で有楽町線へ乗り入れ可能だが、当面8連での乗入れは行われない。
 偶数クハ、奇数クモハの運転台機能を維持するため、定期的に飯能方から2+8の組成となって地上専用で使われることがある他、未改造の2000系と併結することも可能なため、
新宿線へ貸し出されて旧2000系と併結運用されることもある。
176名無し野電車区:2007/09/03(月) 00:07:13 ID:R2Kd/Y3c
サロ165-135〜
国鉄が製造したサロ165の改良版。
下降窓の雨水侵入による腐食対策で車体に耐候性鋼を採用。

サロ165-200番台
国鉄が製造したサロ165の更なる改良版。
コスト削減のためかサロ113-1000番台と同一車体に変更された。
177.:2007/09/03(月) 00:08:48 ID:IQ/PUgpw
中央線(甲府・小淵沢口)用E233系:
立川・高尾〜甲府・小淵沢への115系6+3連の置き換え。
編成は東海道線(田町+尾久→東京第二車両センター(東トニ))・宇都宮・高崎線(大宮総合車両センター(宮オオ))仕様をベース。
10両固定・12両固定・6+4両・6+6両があり、10/12両編成にはグリーン車を連結。
10/12両編成は、新宿・東京乗入れで中央特快扱い。
10/12両は豊田車両センター(八トタ)・6/4両は甲府車両センター(新設(八コフ))

E353系スーパーあずさ:
スーパーあずさの改良形。
振り子機構の改良で、揺れが少ない。
松本車両センター(長モト)配属。
これにより、E257系は新設の甲府車両センター(八コフ)へ転属。
178茄子塩腹:2007/09/03(月) 20:05:02 ID:vAThx8GV
EF53 20〜22

東海道線東京口の旅客輸送力増強と輸入ED機の転用のため、EF53形の増備として1937年夏〜秋に製造された。
基本性能は1-19と同じだが、車体は同年春に製造されたEF11 4と同形の『魚雷形』で、むしろEF56形の先行車のようなイメージである。
EF56との外観上の違いはパンタグラフ位置が車体両端になっていることと、戦後上越線で運用されたために運転室前面窓につらら切り庇が付加されたことである。

戦前〜戦後早くまで東京・沼津機関区にあって東海道線で運用されたが、上越線全線電化に伴い、1947年に高崎第二機関区に転属した。
1962年、信越線新潟電化に際しEF58にバトンタッチする形で竜華機関区に転属。後半生はEF52形とともに阪和線で働き、EF59形への改造対象からもはずされ、1978年に全廃された。
20号機がメーカーの三菱重工三原工場でC5776と共に保存されている。
179ミウナ:2007/09/04(火) 15:31:52 ID:X7mPMVe6
9000系地下鉄乗り入れ仕様
>>175の2000系とともにさらに9000系も改造されることになった。
すでにVVVF化改造を行った編成のみに施すため、9108F
はまだ抵抗式のため現時点では対象外で改造と同時に行う予定。
すべて池袋線配備であったことが決め手となった。先頭クハ9100と
9000にメトロ・東急用ATCと無線装置・同アンテナ等搭載、前面
向かって右側の空きスペースへの列車番号表示器の取付が行われた。
>>175の2000系とは違いこちらはVVVF車であることから6000系と
ともに地下鉄直通で使われるがこちらは地下鉄直通の準急および快速
で優先的に使用している。当初黄色い塗装のままで使用されたが
同じ黄色帯のメトロ7000系との誤乗の可能性があることから6000系
アルミ車編成および20000系と同塗装に変更された。なお土休日の
地下鉄直通快速の一部を急行および快速急行に格上げる予定で
使用車両は9000系改造車および6000系とメトロ7000系のVVVF車
の限定で>>175の2000系改造車とチョッパ使用の7000系は清瀬までの
普通専用となる。なお地下鉄直通の通勤準急・通勤急行も加わる予定。
なお地下鉄直通通勤急行は小竹向原から石神井公園まで無停車となる。
180名無し野電車区:2007/09/04(火) 20:40:15 ID:/U5o0wHg
E131系
JR東日本がローカル線の115系・107系置き換えのため投入した近郊型直流電車。
E721系をベースとした拡幅・低床車体であるが、ホームのかさ上げが行われて逆段差となった駅に対応するべく、
空気バネを多段式とし、圧力を調整することでホームに床面高さを合わせることが可能。
車高調節装置が故障した場合に備え、裾絞り部分が多くなっている。

クモハE131+クハE130の2両編成、サハE131、モハE131を連結した3両、4両編成としている。
主電動機はE721系と同じMT76型を使用する。
E233系・E721系と同じく、主要機器の2重化が施され、冗長性を高めている。
車内設備は、両開き3扉・セミクロスシート(1列+2列)とし、
クハE130の連結面寄りに車椅子対応のサニタリー設備を設置する。
ローカル線区での運用のため、全車ワンマン運転対応装備を設置、あるいは準備工事済みとしている。

1次型として0番台が小山車両センターに、100番台が高崎車両センターに107系置き換え用として投入されている。
基本的な仕様は変わらないが、0番台車は外国からの観光客が多い日光線の条件を考慮して日本語のほか、
英語、北京語の自動放送装置と液晶ディスプレイ式の情報装置が設けられている。
これに引き続き、新潟、松本、千葉にも配備される予定。
181茄子塩腹:2007/09/04(火) 23:33:49 ID:QY6zTJNI
阪和電鉄(→南海電鉄)ロコ2000形2001・2002(未成)→鉄道省・国鉄EF10 42・43

阪和電鉄が国鉄客車を利用した白浜直通「黒潮号」の牽引用として1940年初めに日本車輌+東洋電機に発注した。
形態・機器は鉄道省EF10形に準じたが、減速比はEF53・56並にしたため、れっきとした旅客用高速電機になる予定だった。
(黒潮号運休時は貨物列車を牽引)
同年、阪和電鉄は南海電鉄に買収され、南海本社は本機をキャンセルしようとしたが、既に組み立てに着手したこともあり、メーカーはキャンセルを拒否した。
困り果てた南海本社は鉄道省に買い上げを依頼。
鉄道省は南海側の費用負担で減速比をEF10形並に変える工事を行う事を条件に買い上げに同意した。
1940年11月に竣工。EF10形に編入され、予定最終番号機41号機の続番、42・43号機となった。

形態はEF10 20-24と同じ丸形車体に、EF10 30-33と同じ改良形鋳造台車を履いていた。
初配置は国府津で、1944-46年の間門司に応援に出た他は、1975年まで沼津・新鶴見にいた。
1975年甲府に転属。身延線が終の住み処となり、1977年に2両とも廃車解体された。
182茄子塩腹:2007/09/04(火) 23:48:53 ID:QY6zTJNI
>181補足

窓は阪和車らしく、ロコ1000形や少し後に登場したモタ3000・クタ7000同様、上辺がRを描いていた。
そのためか、関西のファンの知名度も高く、戦後は竜華転属の噂が何度か出ていた。
晩年は「阪和エフトー」と呼ばれ、EF10形の中では一次形と並ぶ人気があった。
183名無し野電車区:2007/09/05(水) 02:10:20 ID:EOmhLCKX
しなの鉄道1800系
しなの鉄道の急行形直流型電車。McTc'の2両編成。2000年に1本、2001年に3本配備された。
長野〜軽井沢間を毎時1往復する座席指定制急行「しなの」の設定により導入された車両だが、
快速「しなのサンライズ」「しなのサンセット」にも使用されている(快速運用時は4両で運転)。
元は、東武1800系の1811F・1812F・1814F・1815Fの1979年製中間車で、東武350系に準じた
改造に加え、保安装置の換装や内装のリニューアルや車外表示器のLED化等が行われている。
184名無し野電車区:2007/09/06(木) 07:37:03 ID:bkUzxxWF
E531系950番台→E233系900番台
中央線への新車導入が決定し、新系列を作ろうという段階の時点で登場したのがこの電車である。
ベースはE531系で、MT比の変更(6M4T)、ヨーダンパの撤去、G車の登場により不要となったサハの一部電装化が行われた。
10連固定編成のみ30両製造された。
E233系の試運転が開始されると同時に、スカートの変更及びモニタの設置が施された。
同時に形式も変更し、E233系900番台とした。
185名無し野電車区:2007/09/06(木) 10:05:33 ID:cCRhQt9B
E233系3000番台
JR東日本が八高線・川越線に投入したE233系。
4両編成で、半自動ドアスイッチ付き。
186名無し野電車区:2007/09/06(木) 10:47:14 ID:cCRhQt9B
381系JR四国仕様
国鉄が四国に投入した381系。
特急「しおかぜ」「いしづち」に投入されたが、7両編成のため現在は限定運用が組まれている。
元々屋根高さが低いため予讃線の低断面トンネルも通過可能。
187名無し野電車区:2007/09/06(木) 13:48:50 ID:cCRhQt9B
サヤ400
国鉄が製造したモハ400ベースの電源車。
サヤ420の50Hz版であるが、製造意図が不明である。
188名無し野電車区:2007/09/06(木) 21:28:56 ID:c9M6bmT7
>>185
 厠を付けて3100番台も宜しくw
#前スレでガイシュツな希ガス
189茄子塩腹:2007/09/07(金) 16:23:53 ID:XnlqbCBB
国鉄オロハ33形

スハ43→オハ46のように、スロハ32形のうち自重が軽かったものを1957年に形式変更したグループ。
オハ46増加の折、某国鉄幹部の
「オロ40とオハ35を組み合わせたような車が何故スロハなのか?」
の一言が原因といわれる。
28両が該当したが、車両番号はスロハ時代と同じため、飛び番号になっている。

1964-65年に格下げされてオハ37形となったが、オハネ17やマニ36への改造種車になったり廃車されたりで、1972年までに全廃された。
190茄子塩腹:2007/09/07(金) 23:33:44 ID:XnlqbCBB
>178とリンク
EF17 16・17→EF57 16・17
EF57 16・17として発注された、1943年秋〜末に竣工する予定だったが、EF12の完成遅延で運用状況が深刻になっていた東海道線貨物輸送用に振り向けることになり、歯車比を変えてEF12並の貨物用機関車として1943年11・12月に竣工した。
新製配置は国府津で、品川・新鶴見〜沼津間で1200t列車牽引に活躍した。
1950年、EF58形2両(32・34)が旅客機として竣工できなくなったため、用意されていた歯車を流用して旅客機化改造を受け、EF57形に編入された。
但し暖房用ボイラは搭載されず、冬は二線級運用に甘んじた。
1952年、高崎第二機関区に転属。
1958年、宇都宮機関区に転属。
1959年、黒磯以北に投入された新鋭ED71形と同形の暖房用大型MGを搭載。冬季の運用制限が解消された。
山陽線からのEF58転入により、1975年春、残存していたEF56と同時に廃車された。
191名無し野電車区:2007/09/08(土) 15:50:43 ID:CrIFDkHl
東上鉄道8500系

東武グループの子会社として、戦後に復活した東上鉄道の車両形式の一つ。
親会社の東武鉄道8000系(東上鉄道でも東上鉄道8000系として採用し、1963年から1975年まで製造)
を元に独自の改設計を加えた通勤車両で、1975年から以後8年間にわたって配備された。
車体は鋼製からステンレス製に、台車はミンデンドイツ式からS形ミンデン式に、
車窓は田窓から一段下降窓にそれぞれ変更され、また側面表示器が新たに追加されている。
2000年から改修工事が始まったが、2006年から地下鉄副都心線開業に伴う他形式の改造が始まったため、
2005年に一旦打ち切られた。閑散線区用の編成は短編成化やワンマン運転機器搭載等も行われている。
2007年現在全車両が存在し、2020年代初期まで使用される予定である。
192鉄道タイムズ:2007/09/08(土) 15:54:24 ID:CDtxwnY4
◎JR総研・九州クモハ815-901
・特記 マトリックスコンバータ試験車 ・製造年 2010
○概説
鉄道電化創世から、長い間、電気機関車や電車のモーターと言えば、直流モーターが当然であったが、
ここ二十年程のパワーエレクトロニクスの目覚ましい進歩により、VVVFインバータで代表される様に、
三相交流モーターが当たり前の存在と化した。
が、しかし、三相交流モーターを交流電気車に応用しようとするならば、
従来の直流モーターであれば架線からの単相交流を車輌にて直流に変換するだけで済んでいたのが、
架線からの単相交流を車輌にてわざわざ直流に変換して再び三相交流に変換しなければならず、
その分の変換に伴うエネルギーロスや機器が増えるなどで以て、三相交流モーターが備える保守コスト低減をも相殺し、
トータルコスト増加のリスクさえも生じ、それは在来線における交流電化の意義を失いかねないものとなった。
これにより単相交流を三相交流に直接変換出来る電気車用の大容量装置の実用化が求められた。
2010年、大容量の単相/三相変換装置(マトリックスコンバータ)の量産先行品の出現を機に、
JR総研はマトリックスコンバータ交流電気車のプロジェクトを立ち上げ、
応じたJR九州がマトリックスコンバータ試験車を新造した。
それが、クモハ815-901。815系電車の車体と内装をベースに、単行可な両運転台。
既存の815系を連結して、日豊線において営業運転を兼ねた長期試験が行われる予定である。
マトリックスコンバータの実用化により交流電気車の製造費低減など交流電化のトータルコスト軽減が得られる。

 直流電化 
 架線→直流→直流モーター 架線→直流→三相交流→交流モーター 
 交流電化 
 架線→単相交流→直流→直流モーター 架線→単相交流→直流→三相交流→交流モーター
 架線→単相交流→三相交流→交流モーター:現在実用化されていない

参考資料 http://jstore.jst.go.jp/cgi-bin/patent/advanced/detail.cgi?pat_id=10280 http://jstshingi.jp/bunya/pdf/072802.pdf
資料の著者と私は面識無く無関係
193ミウナ:2007/09/09(日) 10:16:17 ID:ZuJ7FP3k
国鉄スイテ47形
昭和31年に2両のみ製造された国鉄が製造した最後の展望車。
1938年製のスイテ37040形(スイテ49形{後のマイテ49型})の32系を
43系ベースに近代化したもので連結面は43系同様の切妻で展望部は
丸妻となっている。展望室構造はすべて洋式。また43系ではあるが
当時製造されていたオハ46系の軽量構造も生かされており、冷房
搭載時にマ級に上がることはなかった。座席は1人用リクライニングで
新造時から蛍光灯になっていた。窓構造はスロ54型に準じている。
東シナ及び大ミハに各1両ずつ配備された後1956年11月に青大将塗装に
変更され、「つばめ」「はと」の展望車としてマイテ39型および49型
とともに使用された。その後さらに追加の6両の新造も予定されていた。
これは「かもめ」「はつかり」での使用によるものだったが蒸機での
運転区間が長いことやトンネルが多く、蒸機運転での展望車の使用に
不適あること及び東京に直通しない「かもめ」は利用率も悪く、スハ44系
よりもさらに軽量なナハ10系が投入された事から製造されなかった。
1960年に一等車廃止によりスロテ47型となり、さらに特急が電車化された
ため団体用で使用されたが1965年に大ミハのスロテ47-2がマニ36-261(後に
電気暖房化で2261)に改造(ほとんどの2重屋根式展望車が廃車やオシ17型の
種車にされる中でこの車両は43系であった事や展望車では他での使い道が
ないためにマニ36型の改造対象になっていた)されてしまい、1のみが残存していた。
1も1970年に廃車された後は大井工場でマイテ39-11(旧スイテ37010形)
ともどもモスボールされていた。この車両も廃車前に一度はマニ37の種車
対象にされかけたが種車が変更されたため改造を免れた経緯がある。
194ミウナ:2007/09/09(日) 10:16:52 ID:ZuJ7FP3k
>>193続き
1989年に現役復帰するべく大改修を行い現役に復帰した。車内は14系
の準じたものにはなったが新幹線200系グリーン車転用の座席を使用して
おり、現在もグリーン車として使用している。なお編成美の観点で
グリーン車表示のステッカーはない。塗装は西日本のマイテ49型と
同じブドウ色に白帯であるが青大将塗装にリバイバルさせる計画もある。
現在高崎車両センターに配備。12系の最後尾に展望グリーン車として
快速SL奥利根号で使用しているが渋川以北はトンネルがあるため
せっかくの展望室が生かされていないことや必ず最後尾に連結させる
ために水上でSLとともに転車台で方向転換をしなければならない
不便さもあるが東西で動態現存する最後の展望車であることから人気が高い。
C57-180復活時に新潟に転属してSLばんえつ物語号の展望車での転用も
一度は予定されたが沿線の磐越西線は上越線以上にトンネルが多いことと
1000mや2000mを越すトンネルも数本あり、開放式展望車での使用に
適さないことから見送られ、オハネ25型改造の密閉式中間連結式展望車に変更された。
なお台車は新造時はTR40Bであったが後に御料車同じTR65の簡略型であるTR65Fに
変更されている。さらに1989年の現役復帰時に再度台車を交換し12系と同じ
TR217に変更された。
195名無し野電車区:2007/09/09(日) 10:44:00 ID:g6puLEbQ
117系0'番台、1000番台、1500番台、2000番台(忠実の117系とは違う)

昭和56年、この年で113系2000番台の増備が打切られ、近郊型の後継車が検討された。しかし、昭和60年に登場予定の211系は設計をしていなかった。
この為、201系の電機子チョッパを使用した、117系が誕生した。(車体は203系の3ドア版)車内はオールロングシートとなった。
この為、東海道線への導入では東京ー平塚間、岡崎ー岐阜間、大阪ー西明石間となった。また、横須賀ー総武快速線では大船ー千葉間のみ導入となっている。(グリーン車は連結していない、また編成は10両編成+5両編成。)
この為、一部の113系で横須賀線→東海道線の転属があった。
しかも、転属したのは113系1500番台だった為、当時の鉄道ファンから国鉄に苦情の電話があったと言われてる。
117系と113系は連結不可なので、117系は幕張・田町・岡崎・高槻に配置され、幕張・田町の113系は大船・国府津に転属した。
その後、211系導入が発表されて、211系と連結出来るように改造された。
しかし、横須賀・総武快速線の車両では改造されなかった。
1994年、E217系が導入された。その時になんとE217系との連結改造が行われている。
2007年現在、田町電車区に10両5本、幕張電車区に5両14本、豊橋電車区に5両6本が配置されている。
196名無し野電車区:2007/09/09(日) 14:30:02 ID:Z6lf1jks
富士急3000形

富士急1000形と富士急1200形の後継で、2009年に営業運転を開始する直流型電車。
209系500番台の転属により引退することになった京葉車両センターの国鉄201系が原型で、
モハユニットに先頭車化・ワンマン化・パンタグラフ換装・表示器のLED化・クロスシート化(イベント用は除く)・
車端座席撤去(バリアフリー対策)・トイレ設置・半自動式ドアスイッチなどの改造を施した形式である。
改造にあたっては、国鉄201系や富士急1200形の廃車発生品を活用することが決まっている。
イベント用も1編成製造予定で、テーブルや軽食及びレクリエーション提供用器材の設置も行われる。
2両編成(モハ3000番台+モハ3100番台)9本18両全てが2008年に納入される予定である。
なお機器類の部品確保用として、豊田電車区の四季彩を購入して充当する案が検討されている。
197名無し野電車区:2007/09/09(日) 20:02:48 ID:ep5DP1su
198名無し野電車区:2007/09/09(日) 20:36:42 ID:kGBLVOJF
301系900番台
JR東日本で301系を改造して作った回生ブレーキ試験車。
トンネル内の温度上昇対策で営団5000系に対抗して界磁添加励磁制御に改造した。
199名無し野電車区:2007/09/09(日) 20:54:19 ID:+pcbRBrN
東海道線静岡地区が国鉄時代にオールロングシート化されていたら・・・といった妄想をしてみる

国鉄(→JR東海)103系1000(1800)番台・6000(6800)番台
昭和50年代後半に常磐緩行線の203系投入により余剰となった103系1000番台を
静岡地区に投入したもの(実際は常磐快速線に転用された)。
静岡地区への転用にあたっては、短編成化を見越して一部のM車に貫通型運転台を設置、
AU75系列冷房装置搭載(一部編成)、パンタグラフ部の低屋根化といった改造が施されたが、トイレは設置されなかった。
塗装は大多数が湘南色に塗り替えられたが、一部常磐緩行線色のままの編成も存在した。
103系1000番台の転属により、111系および113系を駆逐(ちなみに、東京直通用の113系は全車田町・大船・国府津に転出)。
運用範囲は基本的に東海道線の熱海・沼津〜浜松・豊橋だが、御殿場線や身延線・伊東線・伊豆急行線にも顔を見せた。
全車がJR東海に継承され、非冷房車は、211系5000番台投入により廃車となった一部を除き
インバーター式冷房装置を取り付けた上で6000番台を名乗った。
その際、1000番台・6000番台ともども湘南色から名古屋地区の103系と同様の塗装に変更された。
その後、211系5000番台・6000番台の増備に伴い数を減らし、313系2X00番台投入で全廃となった。
200名無し野電車区:2007/09/09(日) 22:19:05 ID:jwbWMb+6
105系(今西日本にある105系とは違う。)

103系の駅間距離が長い路線用。
車体は103系と同じ構造でモーターが103系と違う。

投入された路線は常磐線、東海道山陽緩行線、阪和線。



これは現実に計画されていたらしいな。
201名無し野電車区:2007/09/10(月) 11:15:01 ID:IiQh0bY+
221系5000番台
JR西日本で221系を130キロ対応に改造したもの。
弱め界磁率を25%まで下げることにより130キロ運転を可能にした。
202名無し野電車区:2007/09/10(月) 15:25:15 ID:iIDwlAvz
キハ202系
JR北海道が開発したハイブリッド気動車。
車体とエンジンはキハ201系と同様だが、発電機と大容量リチウムイオンバッテリを搭載しており、モーターで駆動する。
モーターは新開発のN-MT202を採用している。
もちろん731系やキハ201系との併結も可能で、731系との併結時はエンジンを止めて731系から電力供給を受けて走るという芸当も可能である。
203茄子塩腹:2007/09/10(月) 20:44:42 ID:P4Mod4jU
国鉄EF12形20番台(21〜28)

EF58初期車(1〜31)は1952-56年にバージョンアップされたが、取り外された旧主電動機MT41形は状態良好な個体をリビルドしてEF16/EF15初期車/EF18用に保管した。
しかしかなりのデッドストックが生じた。
一方、戦前の主力電機EF10形は長年の使用で主電動機に傷みがきた車両が増えていた。

そこでEF10形の一部にMT41主電動機を取り付けて性能強化と、余剰のMT28主電動機を他のEF10に振り当てることとした。

改造対象はEF10の最終ロットにあたる34〜41号機としたが、これは主電動機以外はEF12形と同一設計であるからだ。

1960年、久里浜貸出中のEF10 34を大宮工場で改造し、EF12 21とした。
1961-62年、関門トンネル運用を終えた35-41号機も順次大宮・鷹取工場で車両更新工事と並行して施工され、EF12 22-28になった。

このグループは新鶴見に配置されたが、1973-76年に甲府・豊橋区に転属して身延・飯田線で働いたが、身延線組は限流値を落としてEF10並にデチューンされていた。
1978-80年に8両とも廃車されたが、ステンレス車体の22号機はナンバープレートをEF10 35に戻して北九州市に貸与され、現在は九州鉄道記念館内で、重連ジャンパ復元の上展示されている。
204名無し野電車区:2007/09/10(月) 23:07:03 ID:tdV5h9KT
1600系気動車
JR四国がJR東日本から技術供与を受けて制作した一般型気動車。
車体は1500系そのものだが、下回りはJR東日本のキハE201とほぼ同じである。
急勾配区間の多い松山〜宇和島間に投入された。
205名無し野電車区:2007/09/10(月) 23:17:38 ID:gHFBjAQ2
営団06系北綾瀬支線仕様
東京メトロが北綾瀬支線の5000系と6000系ハイフン車の置き換え用に製造した06系。
3両編成であるが、1区間のみで高加速を必要としないため1M2Tである。
将来10両編成化できるようにはなっている。
206名無し野電車区:2007/09/11(火) 22:51:41 ID:0Gk0YGkH
201系JR東海仕様
国鉄時代に中央西線に投入された205系。
4連と6連があり、帯の色は当初211系シティーライナーと同じ青帯だったが、現在は211系5000番台と同じオレンジと緑に変更されている。
国鉄分割民営化により6本ずつ導入されただけで頓挫し、その上4連が2本余剰になり静岡に転出した。
JR化後全車両にリフレッシュ工事(110キロ対応化、バケットシート化、パンタグラフのC-PS24A化など)を施行。
207名無し野電車区:2007/09/11(火) 22:57:15 ID:0Gk0YGkH
>>206
訂正
201系JR東海仕様→205系JR東海仕様
208名無し野電車区:2007/09/11(火) 23:44:03 ID:Xr1Fv+qo
>>157 亀ですまんが、「Kenji」の間違いと思われ。
209名無し野電車区:2007/09/12(水) 01:11:58 ID:7mAxWu+G
119系300番台
昭和60年、久留里線電化、房総ローカル増発に合わせて36両が幕張電車区に投入された。
車体は飯田線用0番台に準ずるが、暖かい房総への投入ということでドアは全自動とされ、ドアから手掛けが無くなった。
下まわりでは組合の批判をかわすためにすでに配置実績のあるクモヤ143と同じシステムが採用された。また、平坦線用である為抑速ブレーキは省略された。
台車は111系廃車発生品のDT21、TR201が整備のうえ再利用された。
143系のシステム導入の結果として113系との併結運転も可能となっている。
冷房装置は113系に合わせてAU75を搭載、電源MGは153系廃車発生品が再利用された。
塗装は113系との併結運用を考慮し、スカ色で揃えられた。

新製以来、主に久留里線、東金線、鹿島線、内房線館山〜安房鴨川などの閑散区間を中心に使用され、送り込み運用で総武、成田線千葉〜佐原、外房線千葉〜大網、内房線千葉〜館山でも使用される。
特に内房線末端区間への送り込み(安房鴨川行き、千葉行き)では千葉〜館山間で113系との併結が見られ、荷電と並ぶ千葉名物となっている。
また、木更津への送り込みは3本併結の6連で運転され、迫力ある姿を見せている。
210名無し野電車区:2007/09/12(水) 11:07:15 ID:VNYkB0BW
キハ185系JR西日本仕様
JR西日本が投入したキハ185系。
山陰地区に投入された。
以前は特急「くにびき」「おき」「いそかぜ」に使われていたが、現在は急行「つやま」や波動輸送用で細々と使われている程度である。
211名無し野電車区:2007/09/12(水) 14:49:22 ID:YbAKJ9N2
E233系4000番台

 E233系の近郊仕様としては、二番目に登場した形式。
 ダブルデッカーグリーン車を除く車両の座席が、可変座席に変更されている。
 試験的に15両編成が1本製造され、国府津車両センターに配属された。

 基本編成:

  ←東京
  クハE233-4500+モハE233-4200+モハE232-4200+モハE233-4000+モハE232-4000+
  サロE233-3000+サロE233-3000+モハE233-4400+モハE232-4400+クハE232-4000
                                            熱海→

 付属編成:

  ←東京                                     熱海→
  クハE233-4000+サハE233-4000+モハE232-4600+サハE233-4600+クハE232-4500
212名無し野電車区:2007/09/12(水) 15:56:39 ID:YbAKJ9N2
>>211修正

E233系4000番台

 E233系の近郊仕様としては、二番目に登場した形式。
 ダブルデッカーグリーン車と先頭車を除く車両のドア間の座席が、可変座席に変更されている。
 試験的に15両編成が1本製造され、国府津車両センターに配属された。

 基本編成:

  ←東京
  クハE233-3500+モハE233-4200+モハE232-4200+モハE233-4000+モハE232-4000+
  サロE233-3000+サロE233-3000+モハE233-4400+モハE232-4400+クハE232-3000
                                            熱海→

 付属編成:

  ←東京                                     熱海→
  クハE233-3000+サハE233-4000+モハE232-4600+サハE233-4600+クハE232-3500
213名無し野電車区:2007/09/12(水) 17:40:43 ID:xmHtgPKb
119系700番台
60-3改正で国鉄が富山港線に投入した119系。
塗装が青22号一色塗りである事と、暖房が強化されスノープラウを
装備したこと、クハのトイレがない点が飯田線の基本番台と異なる。
全車JR西日本に継承され、105系と同じ手法で冷房化された。
2006年の富山港線ライトレール化で全車敦賀へ移動し、小浜線や
北陸本線や湖西線のローカル列車で使用されている。
214名無し野電車区:2007/09/12(水) 18:10:00 ID:dKPUqF4Q
>>211-212
 付属編成、1Mで大丈夫なのか?
215名無し野電車区:2007/09/12(水) 18:18:46 ID:Z0YtkQGt
101系宇部線仕様
国鉄が宇部線の旧国を駆逐するために導入した101系。
2両編成である。
老朽化に加え消費電力が大きいことからJR化後早々と廃車されてしまった。
216名無し野電車区:2007/09/12(水) 18:50:31 ID:YbAKJ9N2
>>214
ミスだorz

  ←東京                                     熱海→
  クハE233-3000+サハE233-4000+モハE232-4600+モハE233-4600+クハE232-3500
217ミウナ:2007/09/12(水) 19:46:06 ID:IrL59f17
国鉄EF31型電気機関車
北陸本線坂田〜田村間の交直セクション間連絡用としてED30型の
反省からベースを関門間で使用していたEF30型に変更し、F型機
にした機関車で昭和37年〜44年に34両生産された。車体は普通鋼
車体で当時北陸線で使用されていたED70型に近い車体構造を持つ。
塗装はローズピンクである。短距離牽引だからと交流区間の運転を
考慮していないEF30型とは違い、最低でも敦賀・最長で福井までの
牽引を考慮して直流・交流とも最大出力1900kwとした。
なおEF30型よりも1.8mストレッチしているがこれは旧客が多かったため
SG(蒸気暖房装置)を搭載したため。北陸線以外に湖西線でも使用され、
日本海縦貫線の優等列車も数多く牽引した。中でも「日本海」「つるぎ」
「きたぐに」は大阪〜福井間で牽引し、米原経由全盛期は大阪〜米原間では
当時東海道線直流区間を牽引していたEF58型をも蹴落としている。
基本的に旅客は普通列車に関しては単機で長編成となる優等列車と貨物列車
は重連で牽引していた。福井まで牽引する優等列車を除き大概敦賀まで牽引
してED70・ED74とEF70型にバトンタッチしていた。
しかし初期の交直両用機であったために老朽化には勝てず、また交流は
60Hzのみしか使えないため他線に転用ができないことや50Hzと60Hz両用で
さらに性能のいいEF81型が登場した点が決定的となり1977年から廃車が
開始され、最後の車両であった25号機が1986年に先輩のEF30型よりも先に
廃車された。なお9・13・16・18・21号機は1980年に廃車後に門司に
送られ、EF30型の部品取りでモスボールされていたが翌年解体された。
現在3号機が長浜駅構内で19号機が長浜〜敦賀および湖西線直流化を記念して
敦賀機関区に静態保存されている。また2号機が富山機関区でモスボール
されており、東日本へ売却される予定である。購入後は碓氷峠鉄道文化むら
に保存されているEF30-20号機を大宮の鉄道博物館へ移動するのと引き換えで
保存される予定である。
218名無し野電車区:2007/09/12(水) 22:34:42 ID:Z0YtkQGt
100系7000番台
JR西日本で山陽新幹線の「こだま」に使われている100系を高速化改造したもの。
ATCの改造(230キロ現示を追加)により「グランドひかり」と同じ230キロ運転を実現。
219名無し野電車区:2007/09/13(木) 08:37:09 ID:RX4gAhkA
>>218
ネタスレにマジレスもアレだが、トランスホンダ地上装置を撤去した
から、もう100系は220km/h以上出せません。
245以上の信号を230に読み替える、という設定でどうだ?
220名無し野電車区:2007/09/13(木) 10:38:31 ID:r9pkdqPh
キヤ110
JR東日本が開発したキハ110系ベースの「警察列車」。
車体が白黒のツートンカラーで、屋根上に赤色回転灯を装備。
緊急時には鉄道警察隊が乗り込み、サイレンを鳴らして現場へ急行する。
221名無し野電車区:2007/09/13(木) 19:56:39 ID:prrNu+0V
今まで出てそうで出てなかったけど・・・

101系500番台

電装準備車で落成したサハ・クハを電装した番台。
サハ101→モハ101、サハ100→モハ100、クハ101→クモハ101、クハ100→クモハ100として
原番号+500とされた。元サハ200番台車は+500で700番台となった。

その後武蔵野線対応車に改造された車両も居り、それらは+1000がプラスされた。

更に1973年以降はATC対応化されることとなり、McではATC化は不可能なことから再びTc・T'cに戻される
車両も発生した。それらは新製時の番号に戻された。
更に不足した先頭車は元々Mc・M'cだった車両から電装解除してTc・T'c500番台化された。
なぜ101系にわざわざATCを後付けしたかと言えば、103系では高速・ブレーキ性能に難があって
乗務員から101系の継続使用を要請されたからである。
222ミウナ:2007/09/14(金) 20:29:57 ID:8pu15S0y
103系1300番台
急勾配のある路線に投入するために登場した強化型でいわば103系の
車体に115系の下回りを乗せたような車両で勾配抑速ブレーキを
取り付けているのが特徴で主電動機もMT54である。昭和47年より製造。
なお車番号の重複を避けるためモハ102のみの形式でクモハ103は155以降を
クハ103は638以降の番号を踏襲している。なおクハ・クモハの前面は
当時製造されていたクハ103−180〜268に準じたものとなっている。
なおパンタグラフはPS24とし、低屋根にはしていない。
もともと中央快速用で投入される予定だった車両で基本7両に高尾方に
3両を組み込んで7+3の10両で組成するという目論見で製造計画された。
(いわば201系および現行のE233系にある6+4分割編成の礎になる)
しかし中央本線への103系投入は当時あった70系等の旧型国電車の
駆逐目的ではあったが長距離運転をまったく考えてない車両投入に
苦言も絶えずトイレすらもないのも乗客らの非難の矢面となった。
結局49年にマイナーチェンジ仕様の高運転台構造も3編成作られたものの
115系300番台等の投入が優先され、3両編成17編成計51両の予定が
10編成30両にまで減らされた。冷房改造でAU75化もされたものの
中央快速への201系投入がとどめとなり、103系が他線(特に総武線など)
にばら撒かれたがこの編成だけはあまりに装備が特殊すぎるために
中央本線に使おうにもにも投入できず、中央西線へ投入された3編成9両を
除きすべて関西に送られた。中央西線に投入された車両はスカイブルー
塗装の後、末期はJR東海色にまでなったが313系投入により最後まで残った
クモハ103-158-モハ102-1303-クハ103-641とクモハ103-161-モハ102-1306-クハ103-644
が2001年に廃車され消滅した。関西に渡った車両は西日本に継承後は
阪和線と大和路線および奈良線(みやこ路線)に優先的に配備された。
なおマイナーチェンジ車3編成は一時期福知山線で使用されていたが
115系と同じ走り装置であることからこの編成はその後広島に転属された。
現在阪和・奈良・大和路線用及び広島車は40N及び30N工事を施工の
上、現存である。
223ミウナ:2007/09/14(金) 20:30:39 ID:8pu15S0y
>>222続き
編成
クモハ103-156-モハ102-1301-(サハ103)-クハ103-639(日根野 40N工事施工)
クモハ103-157-モハ102-1302-(サハ103)-クハ103-640(日根野 40N工事施工)
クモハ103-158-モハ102-1303-クハ103-641(東海 既廃車済)
クモハ103-159-モハ102-1304-(サハ103)-クハ103-642(奈良 30N工事施工)
クモハ103-160-モハ102-1305-(サハ103)-クハ103-643(奈良 30N工事施工)
クモハ103-161-モハ102-1306-クハ103-644(東海 既廃車済)
クモハ103-162-モハ102-1307-クハ103-645(日根野 30N工事施工{東羽衣支線ワンマン運転対応車})
マイナーチェンジ車(高運転台構造)
クモハ103-163-モハ102-1308-クハ103-646(宮原→広島 40N工事施工)
クモハ103-164-モハ102-1309-クハ103-647(宮原→広島 40N工事施工)
クモハ103-165-モハ102-1310-クハ103-648(宮原→広島 40N工事施工)
224ミウナ:2007/09/14(金) 20:34:26 ID:8pu15S0y
>>222訂正
中央本線に使おうにもにも投入できず、中央西線へ投入された3編成9両を
除きすべて関西に送られた。・・誤
正しくは・・
中央本線に使おうにも投入できず、中央西線へ投入された2編成6両を
除きすべて関西に送られた。
225茄子塩腹:2007/09/14(金) 21:12:24 ID:Cfu+zlI4
↑抑速制動が付加された時点で103系じゃなくなっとるのでは…?


国鉄レ15000形冷蔵車

1956年に登場した無氷槽冷蔵車。
鮮魚商からの強い要望を受けたもので、レ12000形から天井氷槽を撤去した形態。断熱構造もほぼ同じだが、1961年の最終ロットではアルミ箔ボードに代えて硝子綿を採用した。
鮮魚輸送の場合、魚を氷と一緒に箱詰めした『抱き氷』が一般的で、国鉄お勧めの氷槽は戦前から無用の長物と化していたためであるが、結果として氷槽式はレ12000形が最後になっている。
後発の有蓋車両用車レム1、レム400が失敗したこともあり、レ12000形・レム5000形と共に国鉄の鮮魚輸送の主力として大活躍したが、保冷・冷凍トラックの台頭で荷物を奪われ、1980年に全廃された。
226名無し野電車区:2007/09/14(金) 22:00:58 ID:lphDOmSK
>>222-225
ED76形0番台と500番台みたいに、労働組合対策として新形式を与えられなかった、と設定すれば、つじつまが合う、と思われるが。

職場で業務効率化の為に、OSやアプリケーションソフトのバージョンアップなどを含む新しいITシステムを導入しようとすると、
使いこなせるまで覚えるのが面倒とか、初期のバグで混乱するとか、はては効率化による実質的労働時間短縮で給料が減るとか、
様々な理由で反対する従業員が存在するように、当時の国鉄の現場もそうだったらしいです。
余談ですが、うちの職場、ようやく、Windows2000からXPに更新する事が決まった。更新当日、職場混乱しそうだよ、PC苦手な人が多いので。
227名無し野電車区:2007/09/15(土) 09:50:26 ID:Kqt88vOn
225系

JR西が老朽化したオカ、セキの115系0〜300番台置き換えのために2010年から投入。
同社いわく「地方の次世代車両」

しかし外見は223系そのもので、内装もほぼ同じ。
性能をやや控えめにした223系である。
228ミウナ:2007/09/15(土) 11:11:42 ID:YOH3ale6
国鉄レム8000型保冷 冷凍車
国鉄が製造した最後の冷蔵車で昭和53年〜56年に158両製造された。
レサ5000及び高速型のレサ10000型を基本構造に車体半分を保冷 冷凍トラック
で使用しているサブエンジン式冷蔵 冷凍機と燃料タンクを設けて
半分を荷室(積載重量16トン)としている。また荷室の扉は観音開きで開閉可能。
保冷 冷凍トラックのバン部分をそのまま貨車にした構造である。
コキ50000型等の連結にも考慮しており、最高速度も95Kmまで可能で
台車もコキ50000型と同一である。保冷 冷凍能力も高く、鮮魚以外に
高度な保冷輸送を要求される牛乳などの乳製品輸送にも重宝られたが、
いかんせんボギー車体ながら16トンしか積載できない事や保冷 冷凍トラック
の台頭及び20トンクラスまで積載可能の保冷 冷凍トレーラーの登場もあったが、
保冷 冷凍機の小型化でほぼ同じ大きさでさらに大量積載 輸送可能な
20 30フィート級冷蔵 冷凍コンテナの登場が決定的な止めとなった。
特殊構造から有蓋車使用もできない事もあり、1995年に全車廃車された。
これにより旧国鉄から続いた冷蔵 冷凍貨車形式「レ」はレール上から姿を消した。
なお1988年に12両をレム9000型と言う形式で私有貨車化する計画も考えていた。
九州牛乳運送(現在のリンテック)がJR貨物に継承されなかった12両を
買い上げてレム9000型として私有貨車化するものだったが整備や検査等の
維持費用が莫大になる事やさらに輸送効率の高い20 30フィート級
冷蔵 冷凍コンテナの大量保有に方針転換したため計画は見送られた。
229名無し野電車区:2007/09/15(土) 14:41:32 ID:32Txy9zJ
05系第14次車

混雑緩和目的で投入された05系の最新バージョン。
10000系をベースにしているが、車両編成はやや異なる。

CT05-14x=M05-24x=M05-34x=T05-44x=M05-54x=Mc05-64x=T05-74x=M05-84x=M05-94x=CT05-04x

上記編成のうち、T車の05-44xと05-74xは6ドア車になっている。
第44〜47編成用として40両が製造され、これまで運用されていた07系第73〜76編成は、
千代田線に転属し、同線の6000系40両を置き換えている。
230名無し野電車区:2007/09/15(土) 14:46:13 ID:32Txy9zJ
M05-54x



Mc05-54x
231名無し野電車区:2007/09/15(土) 22:10:45 ID:W16qzxic
東武鉄道7000系通勤形電車
東武鉄道78系の車体更新車。編成は6連固定のみ存在。
車体は10030系とほぼ同一のステンレス車体であるが、床下機器は78系列のものを使用している。
このため主電動機は142kWのつり掛け式モーター、空気圧縮機はD-3-FRを使用している。(但し初期車の一部は、後にHS-20を搭載したものもあり)
補助電源は冷房搭載のため、100系と同じ140kVAのDC-DCコンバータに変更。
冷房装置は9000系と同一のものを使用。
MT比は4M2Tとされており、走行性能に関してはほぼ8000系と同一と言われている。
さらに、車内には20050系で試用されたLCDモニタ式情報装置を搭載という、凄まじいチャンポン仕様となった車両。
232.:2007/09/15(土) 23:11:08 ID:1z8EeTH7
JR束E217系京葉線仕様:
総武快速・横須賀線のE233置き換えで余剰の編成で車齢が若い編成(LED幕の編成)のクハとモハユニットに組み替えした物。
・10両編成:外房・内房直通運用対応。
・6+4両編成:東金線分割運用対応。
これで、205系京葉顔と201系分割編成をE217へ、201系半固定・貫通編成・205系原形顔を209系に置き換え。
233名無し野電車区:2007/09/16(日) 13:32:37 ID:uRM1pqhL
もしも東日本が先に5000番台を導入していたら

211系5000番台
1993年、東チタに配置された。車体は同じだが、VVVF化されているのが特徴だ。
加速力は2000番台よりもあり、主に快速・通勤快速運用に入っていた....。
しかし、故障が目立ち、2003年5月に2000番台と同じモーターとなり5000番台は消滅した。

234鉄道タイムズ:2007/09/16(日) 19:03:44 ID:cLRFKMQM
◎JR東日本E217系3000番台
・車種編成 クハ216-3000(Tc')+モハ216-3000(M')+モハ217-3000(M)+クハ217-3000(Tc)
・製造年 1996
・特記 201系と併結協調運転可 自動解結装置 狭小トンネル対策集電 霜取りパンタ 半自動ドア Tc'Tcにトイレ ロングシート
・営業 東京〜中央線〜大月〜富士急
○概説
1980年代後半から90年代初頭、不動産バブル好況による地価高騰に伴い、普通のサラリーマンが購入出来るマイホームが都心から遠ざかってしまった。
その影響で拡大する東京の通勤圏に中央線高尾・大月区間も組み込まれ、201系による高尾以西と東京等の中央快速線の直通列車が増発された。
地価高騰の煽り受け、高尾以西の山の中に念願のマイホームを手に入れたサラリーマンA氏、住宅ローン返済の重圧、長時間通勤、長時間労働など、
無理が祟って潰瘍性大腸炎を患い、トイレの回数が増えた。冬のある日、A氏は、東京行き電車内―高尾・大月間で漏らしてしまった。
憤ったA氏は同様に苦しんでいる人々を募ってJR東日本に対して集団提訴。
これを機にJR東は高尾以西・中央快速線直通用のトイレ付き車輌を導入する事を決めた。
それが、E217系3000番台である。従来のE217系を基に高尾以西の運行用の仕様に。
コスト削減の為、十両編成は製造されず、四両編成のみで、高尾若しくは大月で201系六両編成を併結、その際に201系と走行性能を合わせられる。
車体の色帯は青と橙。
2007年以後のE233系の増備に伴い、快速線直通はトイレ付きの該当車に替わり、
更新を兼ねた改造―セミクロスシート化や耐寒耐雪強化など―の上に中央線ローカル用115系を置き換える予定。
これで普通列車が高速化され、特急も所要時間が幾らか短縮されるであろう。
235鉄道タイムズ:2007/09/16(日) 21:02:48 ID:cLRFKMQM
>>234の訂正 ・車種編成にて クハなどの車種用途と、216などの型式番号の間に、Eを付ける 

◎国鉄187系特急形電車
・車種編成 クハ186(Tc')+クモハ187(Mc)
・製造年 1986
・特記 1M方式 抵抗制御直流電動機 貫通型先頭車 鋼製車体 二扉 ボルスタレス台車
○概説
1980年代半ば、碓氷峠を補機無しで自走できる特急電車として187系が計画されていたが、中止になった。
国鉄分割民営化の前年である86年秋に福知山・山陰線の宝塚・城崎間が電化された。
計画当初は特急用には381系振り子車を投入予定であったが、
国鉄末期の財政難により、代わって各地での高速化による車両数削減や短編成化で捻出された485系(後に183系800番台に改造)を
投入する事が決まった。この中古車導入に対して電化に大きく期待して支援した地元から苦情が出たので新車導入を決定。
それが187系である。
形式に先述の欠番が付与され、台所事情を反映して二両一編成の三編成、計六両しか製造されず。
485系を基本編成に、当車を非電化区間直通可能な付属編成としての使用を念頭に設計された。
Tc'の床下に発電用エンジンを搭載し、ディーゼル機関車の牽引による城崎以西などの非電化区間への直通が可能。
外見は同時期に製造されたキハ183-500/185系に相似。初期の塗装も当時のキハ183-500と同じ。
87年春のJR発足には、JR西日本に承継される。
登場以来、北近畿地方にて特急―485系(183-800/700)と貫通路を繋げて併結、分割して非電化区間直通―に就役していたが、
当地方での電化の進展に伴って187系の存在意義が薄れて来たので、
2004年に高野山と吉野山が熊野古道と共に紀伊山地の霊場と参詣道としてユネスコの世界遺産に登録されたのを機に、
古巣を離れて、奈良・関西・和歌山線―奈良、吉野口、橋本―経由で京都と和歌山を結ぶ特急に就役した。
その際に、大規模な車輌更新が実施された、例えば、Tc'の床下発電エンジンを外して屋根上の冷房装置を移して低重心化など。
なお、北近畿タンゴ鉄道が新車を投入している影響で当車の移転に対する先述の様な苦情は無かった。
2007年現在、歴史遺産が散在する南近畿地方を二両編成の特急電車として活躍。列車の性格上、ジャパンレールパスの利用客が多い。
236名無し野電車区:2007/09/16(日) 23:46:00 ID:AkXxyI5V
103系950番台
国鉄が製造した103系の耐候性鋼板試験車。
車体の材質を201系と同一の耐候性鋼に変更することにより長寿命化を実現。
JR東日本に承継されたが、車体が頑丈なため最後まで残った。
237名無し野電車区:2007/09/17(月) 10:01:09 ID:o0qGySkm
115系 快速「みすず」専用車
長野と飯田を結ぶ快速「みすず」は、JR東日本の115系とJR東海の313系で運用されているが、
車内設備の格差が問題となっていた。
そこで、115系について、車内設備のグレードアップが図られた。
改造は、リニューアル工事未施工車のうち車齢の若い編成を選ばれ、
補助電源装置や空気圧縮機の換装のほか、座席を転換クロスシートに変更、
半自動ドアスイッチの追加、トイレの洋式化などが行われた。
238名無し野電車区:2007/09/17(月) 10:36:52 ID:63Hp5+pE
>>222
MT54装備の4ドア通勤車ってことは京阪神緩行線向けに計画された「105系」のバリエーションですな。
103系における1000番台のナンバーは地下鉄直通車の専売特許だから、ちょいと付番が苦しいように感じる。

という事で103系1300番台
昭和53年、大阪市営地下鉄「東西線」京橋〜尼崎間の開業に伴い国鉄が用意した乗り入れ用電車。
7両編成15本が用意された。
基本構造は1200番台と変わらないものの、地下鉄直通車としては初めて新製時から冷房と側面行先表示幕を装備した。
車内信号式ATCを装備した関係で乗務員室直後の窓は埋められている。
また、クモハは奇数向きとされ、クモハ103-1300という貫通顔のMcが誕生している。
車体色は灰色8号に朱色1号の帯を巻いたスタイルで、JNRマークも描かれている。
主に松井山手〜尼崎間の直通電車として活躍を開始した。
民営化後、直通区間が篠山口〜木津に拡大されたが、直通増備形式である207系と共に活躍を続けている。
なお、平成12年以降過半数の編成が体質改善工事を施工され、面目を一新している。
239名無し野電車区:2007/09/17(月) 10:56:43 ID:SpHsHO2M
>>238
大阪市営やったら「曽根崎線」やろ・・・
240名無し野電車区:2007/09/17(月) 12:26:13 ID:+s/xYRCI
117系8000番台
JR東海で117系をセントラルライナー用に改造。
座席を交換し、ドア付近のものも転換可能にした。
最高速度は115キロに向上。
現在はセントラルライナーから撤退したが、臨時列車用に使われている。
241名無し野電車区:2007/09/17(月) 20:10:51 ID:8F4r2Vrs
>>240
117系は6M2T編成だと115キロ出せるらしい。
DJ誌の117系特集にそんな記述があったような。
242那須塩腹:2007/09/17(月) 21:12:13 ID:rHLMfdtJ
国鉄スロネ31形

スロネ30形の改良増備として1952・54年に11両製造。
寝台はプルマン形開放式(寝台28、座席56)で、マイネ41形の一般仕様ともいうべき車両。
台車はTR40Bだが、1961年の近代化改造時にTR52Bに履き替えている。

オロネ10形の登場で見劣りし始めたが、車齢の若さと設備面から冷房化を含めた近代化改造を1961年に高砂・後藤工場で施工されて延命した。
台車を履き替え、AU12形ユニットクーラーを前後車端部屋根に取り付けた。
台車を履き替えても総重量がス級ギリギリになるため、水タンクや電池箱もオロネ10形と同形の物に替えたが、電気暖房化は見送られた。

1966年頃からは団体臨時運用に回され、1972年には事実上予備車扱いとなって75年に全廃された。
243妄想竹:2007/09/17(月) 23:32:18 ID:+p3fF52w
クロハ165-0
昭和38年、信越線が長野まで電化され、急行「信州」の165系電車化が行われることになったが、
軽井沢を抱えることから1等車の需要が高く、また屋代からの長電への乗り入れ等の条件が課されているところへ、
横軽間の連結両数制限や急勾配区間を走るためにM車比を高く取る必要があるなど、様々な制限を伴った。
検討の結果、信越線急行の1等車はクロとし、以下のとおり6M2Tの8連編成とすることになった。
Thsc-M'-Mc-Thsc-M'-Mc-M'-Mc

これにより登場したのが165系初のクロハである。
クハの運転室よりをサロ同等としたような構造だが、後年登場したクロハ455と比べ、
1等室がサロ仕様の下降窓で1等室側の方が広い(普通室は僅か定員32名である)ことや、
運転台側の出入口が狭幅であることなどが異なる。
同期のサロと同じく1等室にはAU12冷房を搭載。普通室側は当時の趨勢で準備工事とされたが、
床下にもサロと同じくMGが搭載されているほか、横川・軽井沢両駅での空気バネへの加圧時間を短くするため、
CPも搭載されていることが特徴である。
普通車の冷房改造が始まると真っ先に普通室側の冷房改造が行われ、
MGも他車給電可能な大容量のものに交換された。

信越線用として長ナノへ配置されたものの、協調運転可能な169系が登場すると信越線を追われ、
大ミハでの山陽線急行増結用としての活躍を経て、信越地区・身延線・飯田線等のローカル急行用となった。
晩年は長モト「天竜」で活躍したが、昭和61年「天竜」へのアコモ改造車投入と引き換えに廃車となった。
244ミウナ:2007/09/18(火) 10:31:03 ID:RhRftkyX
国鉄スハネ32型
スハネ30型の切妻型で43系に準じた車体になっているのが特徴で1956年に
48両が製造された。しかしオハ46系の軽量化構造を生かしており、老朽化と
丸妻であったために冷房の取り付けが困難だったスハネ30型とは違い、
こちらは10系寝台車同様の冷房を取り付けを行っている。寝台は
10系と同じで3段式であったが末期は2段で使われることも多かった。
定員は60名。なお台車は初期に作られた16両はTR40B、それ以降は
TR47となっている。最盛期には急行銀河やきたぐにを筆頭に
電気暖房化により東北の寝台急行などでも使われた。43系であった
ため座席車が43系の場合編成美が揃い人気が高かった。
宮原には11・19・23・34が急行銀河用に在籍しており、10系と
は違い、43系の座席車のスハ44との編成美も揃い、人気が
高かった。この4両は20系化されるまで全うしたがEF58からの
蒸気暖房であったため、最後までこの4両は電気暖房化は
行われなかった。相次ぐ寝台急行の廃止などで
急速に廃車が進み、最後は秋田車の急行鳥海で電気暖房化に
より+2000表示になった2018と2038が残っていたが1982年に
特急格上げで、急行きたぐに用の2022・2027・2040も1982年に
14系化に伴い運用から外され、1983年に全廃となった。
なお北海道型の500番台も製造される予定であった。
なお10系寝台車の量産(旧型車転用によるオハネ17型)により
初期型1〜6までは冷房改造や電気暖房にされることなくマニ35
およびマニ36に、また最終型の45〜48もマニ37に改造されている。
245名無し野電車区:2007/09/18(火) 11:15:54 ID:hBK2MewT
>>241
JRになってすぐの時期、4M2Tで115km/h出してましたが何か?
246名無し野電車区:2007/09/18(火) 21:09:06 ID:ictmHh/X
サハ204-200
京浜東北線に導入された205系用6ドア車。
100番台と違い、車内モニターが復活した。また、座席モケットは青系になった。これは、京浜東北線のラインカラーに合わせた為である(その後、0番台・100番台も変更。)
しかし京浜東北線には6本しか導入されなかった為、6両の新造で終了した。
1996年の209系大量導入により早々と離脱し10両3本(6ドア車抜き。蒲田転属よりサハ交換)は、川越へ転属し、7両3本(モハユニット+6ドア車抜き)は蒲田に転属した。
なおその後蒲田に配置された7両編成はサハ204-200を連結し8両化された。その為、3編成だけ仕様が異なる。

サハ204-300
総武線に導入された205系用6ドア車。
しかし総武線には205系が2本しか導入されなかった為、2両の新造で終了した。2000年のE231系導入で1本は6ドアを2両連結して川越に転属し、1本は京葉に転属した。
247名無し野電車区:2007/09/18(火) 23:30:09 ID:EeJ/Z4R/
>>238
国鉄ではMcにATCは無理という結論を出してたと思うけど、大鉄局は根性で
克服したのか?

もっとも私鉄ではMcでもATCがある例があるみたいだけど。
248名無し野電車区:2007/09/19(水) 00:51:35 ID:fplJbz3o
>244
1956年じゃ春先にもっと新しいナハネ10がばら撒かれとる。
249ミウナ:2007/09/19(水) 21:00:23 ID:622rRrf3
>>238-239のこのタイプがなかったので・・
大阪市交通局70系(現形式の長堀鶴見緑地線用の70系とは史実が異なる)
昭和53年、大阪市営地下鉄「東西線」京橋〜尼崎間の開業に伴い大阪市側
が用意した電車。昭和53年〜57年までに7両編成8本が用意された。
基本構造は同じ架空電車線方式を採用する堺筋線の60系のアルミ車体
抵抗制御式と同一である。当初は非冷房だが集中式冷房装置の準備を施した
上で落成しており、昭和57年に製造された最後の2本は新製時から冷房が
搭載された。非冷房で投入された車両も昭和59年までに冷房が搭載され、
大阪市交初の路線冷房化率100%を実現した。とは言っても国鉄側の再三の
要求と「国鉄車が冷房あって何で大阪市車だけ冷房がないんだ」と言う
乗客の不評も高く、夏場は「多少待っても冷房のある国鉄車に乗る」と
言う現象まであったほどである。また大阪市交車初の側面方向幕も
新製から取り付けられている。帯色は朱色で103系1300番台(>>238)と統一した。
民営化後に直通区間が篠山口〜木津に拡大されても7連貫通のため
松井山手以南には乗り入れできず、尼崎〜松井山手(後に同志社前)まで
の運転のみに使用された。また100kmしかスピードが出ないため
普通のみで快速運用にも使用できなかった。西日本が直通増備に登場した
207系にも見劣りするようになったため2000年より新形式77系が登場
すると廃車が始まった。段階的に廃車が進み、現在2編成のみ残存しているが、
2007年に77系第4次車投入により全廃される予定である。当初最初の77系
第1次編成投入時に廃車ではなく堺筋線へ転配することも考えられたが既に
堺筋線新型車の66系の配備が半数を超えており、転配は見送られた。
250ミウナ:2007/09/19(水) 21:02:32 ID:622rRrf3
続き
77系
70系の代替として登場した新型車。・・とは言っても西日本207系のOEM
製造車である。帯色とコマルマーク以外は207系と同一である。しかし全編成
4+3の7連で落成したため全編成が篠山口と木津までの運用が可能になり、
大阪市交車が初めて宝塚および奈良県越えを果たした。なお最終生産型
第4次車はマイナーチェンジで車両も321系に変更されている。なお
103系1300番台の他地区転配と老朽廃車の置き換えを大阪市交および大阪府
と学研都市線沿線大阪府各市(大阪・大東・四條畷・寝屋川・交野・
枚方・京田辺)が出資した信託車両で肩代わりする計画で321系ベースの
77系が7本が大阪市交仕様で配備する予定である。
251名無し野電車区:2007/09/19(水) 21:38:32 ID:mGJ3goEC
>>247
国鉄の0系新幹線電車の先頭車はMcですが、ATCを搭載していました。200系も然り。
営団地下鉄東西線直通用に製造された301系と103系1200番台それぞれにクモハ(Mc)があり、ATCを搭載していました。

「McにATCは無理という結論」というのは、ATCを設置を全く考慮していなかった車両に対してでしょう。
京浜東北、山手線の103系、わざわざATC対応車(Tc)を新しく造り、非対応車をどこかに転属させました。

ま、本来、生きていく上では無駄な知識だが、しょせん趣味ですから。
252名無し野電車区:2007/09/20(木) 05:02:54 ID:hVQyy6s1 BE:528120094-PLT(12612)
◆西武鉄道 60000系 通勤形電車  20m車、4ドア、ロングシート。
東京メトロ副都心線および有楽町線、東急東横線、みなとみらい線への直通に対応の
6000系の後継車両。IGBT素子によるVVVFインバータ制御。
同時に西武線内のみの運用にも一部使用される。
2012年予定の東急およびみなとみらい線区間への直通開始に備え、
6000系の経年化置き換えと増備のため、10連、8連、2連を投入。
8連および2連は互いに併結可能な仕様、東急線内で各駅停車となる運用にも対応。
※従来の直通対応6000系の一部については、多摩川線、多摩湖線のワンマン対応化改造、短編成化改造を行い、101系を置き換える。
残りの余剰分は一部先頭車化改造の上、各地方私鉄へ売却。
 
◆西武鉄道 70000系 通勤形電車  20m車、4ドア、ロングシート。
上記60000系を広幅車体としたもので、3000系、2000系列を置き換える、より自社線内運用に特化した仕様。
60000系から他社線対応を省いただけのシステムである。
10連、8連、2連が導入される。同一形式同士の他、30000系との併結運転も可能。
 
◆西武鉄道 L1系 AGT車両 1ドア(両開き)、セミクロスシート
山口線の8500系4両×3本、計12両を経年化により置き換える。合計4編成16両。
「ゆりかもめ」のような自動運転システムが完成することもあり、ホーム改良も行われる。
253茄子塩腹:2007/09/20(木) 20:15:33 ID:u4PazrW1
国鉄 スロフ50形(1-3)

マイテ連結が頓挫した九州特急「かもめ」用として1952・53年に近畿車輌で製造された「談話室付」特別二等緩急車で、一時、非公式には「スロテ54」と呼ばれていた。

前位は特別職用車に準じた密閉形展望スペースを有する談話室で、妻面には貫通路があるが、両側は特大のガラス窓をはめ、貫通路ドアのガラスも例を見ない大型であった。
展望車に分類しなかったのは、運用の都合で編成の中間や機関車の次位につくこともあり、1等展望車のように常に最後尾に連結することを保証しないためで、そのためにあえて貫通路を設けていたが、実際に営業運転で中間に連結されたことはなかった。

談話室は1〜3人用ソファを14人分設置したが、1等展望車のそれよりは安い造りで、調度品も同じである。
客室は定員24人で、給仕室等も含めてスロ54と同一。
「かもめ」には1953年3月の運転開始からキハ82系に代替される1961年9月まで連結され、1957年に座席車がナハ11・オハニ36に変わると京都側最後尾に固定された。

キハ82系化で運用を失うと、近代化工事と談話室部分を1等客室に改造する工事、さらに電気暖房取付をも施工されてスロ54並に面目一新し、品川に転属して一般の運用についた。

その後の経緯はスロ54と同じで、1966年に冷房化され、1983年に3両とも廃車された。
254名無し野電車区:2007/09/21(金) 00:06:08 ID:fH3HAYrV
>>249
>>239

線名にも気を使おうよ・・・
255外出?:2007/09/21(金) 04:33:55 ID:oFEzr4XF
JR219系

北陸新幹線の高崎〜長野の完成に伴い信越本線同区間の優等列車が廃止される事を見越し、
横川〜軽井沢をEF63補機なしの単独粘着運転で通過出来る性能を持たせた近郊型電車。基本
編成はクモハ219+モハ218+クモハ218の異色3Mユニット。車体が211系、下まわりが201系
ベースで、主電動機や制御装置等は201系のものを流用。横軽区間では端数比を通常の5.60
から11.20と言う超ハイギヤードに変速する機能を持つ。また床下電装はクモハ219+モハ218
のみで、クモハ218には装備されず平坦地の走行時は主電動機を切って「クハ」状態となる。
昭和63年に製造され、その後、新幹線が開通して横軽が廃止の憂き目に遭う所を、EF63協調
運転要らずの低コストで同区間の維持が可能になった事から、沿線住民から「横軽の救世主」
と賞賛されている。また横軽区間を制限40km/hで走行する際に平坦地80km/h相当のモーター
音(所謂ジェット)を唸らせて走る姿は「モーター音マニア」を痺れさせている。今なお高崎
〜長野のローカル輸送に活躍しているが、経年まもなく20年を迎えようとしている事から、
後継車輌の動向が注目されている。
256名無し野電車区:2007/09/21(金) 07:30:53 ID:BnVOkTR8

ぶっちゃけ209の足回りでいいじゃん。
257名無し野電車区:2007/09/21(金) 07:50:49 ID:NZoVAkJZ
東武8500系(忠実の8000系2両組とは異なる)

1976年、8000系のマイナーチェンジを検討した東武鉄道だが、計画時には8000系車体のステンレス仕様で完成させようとした。
また、東武初の10両固定で誕生した。
しかし、東武労組から「他社はステンレスかアルミを製造してる。なので銅製は辞めろ!」という声も反映して8500系は造られたのだ。しかし、登場した時は度肝を抜かれた。なんと、東急8500系と全く同じ機器、車体だった。
ただ、ドア開閉音は最初から静かであった。ステンレス製なので長持ちし、忠実上の東武8000系は東上線池袋ー小川町間、伊勢崎線浅草ー太田間から撤退した。(野田線、桐生線、亀戸線、大師線、小泉線、越生線、伊勢崎線太田ー伊勢崎間、東上線小川町ー寄居間は残留。)

現在、東上線に10両25本250両、伊勢崎線に10両10本100両が在籍している。このうちの伊勢崎線用10両10本は東京メトロ・東急ATCを付けており、中央林間に顔を出す事も多い。
当初は20本あったのだが、50050系導入により10本が東上線に転属。東上線にいた8000系が廃車となった。東上線に元からいる車両は幕のままだが、伊勢崎線から来た車両はLEDとなっている。
258名無し野電車区:2007/09/21(金) 20:21:09 ID:AQ6jJxRh
東武8000系高速化改造車
東武鉄道で8000系を110キロ運転対応に改造。
弱め界磁率を30%から20%に、制御方式を界磁添加励磁制御に変更し、限流値アップも行われている。
回生ブレーキの使用が可能になった。
259名無し野電車区:2007/09/21(金) 23:06:18 ID:Ptu4orhK
>>257
ちなみに製造は全車両とも東急車輛が担当。
260名無し野電車区:2007/09/21(金) 23:44:48 ID:uNegIdfL
EF82型交直流電気機関車
0番台は旅客列車牽引用として登場。129両が製造された。それのうち80両が廃車。現在は貨物列車の運用にあたった。
91号機からはテールライトを後期型に変更された。
500番台は北海道地区の試験用として1両のみ製作された。現在は廃車されている。
1000番台は高速貨物列車牽引用として、47両が製造された。
1100番台はお召し列車の牽引、貨物列車の増発用に6両製造された。
1200番台は国鉄分割民営化後に貨物列車の増発用に9両が製造された。
運用範囲は稲沢〜盛岡貨物ターミナル間だが、運用範囲全区間は走行できない。
甲種輸送の場合は下松まで乗り入れすることが出来る。過去ログのEF82とは未関係。
261名無し野電車区:2007/09/22(土) 08:57:34 ID:sKcL6WPT
>>255
>横軽区間では端数比を通常の5.60から11.20と言う超ハイギヤードに変速する機能を持つ。

 それは超ローギアード。
262名無し野電車区:2007/09/22(土) 16:42:50 ID:ZXHFZoPW
東武1900系
西武特急レッドアローに対抗する目的で開発された直流型電車。
全電動車形式の4両編成で、片側二扉の鋼製車体。外観は同時期に投入された1800系と似ている。
座席はシートピッチ900mmの転換式クロスシートで、車内にはトイレや自動販売機も備えていた。
足回りは8000系とほぼ同じ機器を用いているが、抑速ブレーキの追加やギア比の変更されている点が異なる。
速度重視の設計で、東武1720系より早い最高速度120km/hでの営業運転を可能にしていた。
1970年に4両編成が6本製造され、翌年から秩父鉄道に直通する座席指定制快速急行として運用を開始。
その後約20年間にわたって運用されたが、西武特急レッドアローには結局最後まで適わず、
バブル崩壊により採算性も悪化したため、1992年に座席指定制快速急行としての運用を中止した。
以後は無料優等の快速急行(史実の特急に相当)として運用されたが、2008年のダイヤ改正による
快速急行の廃止で定期運用が無くなり、同年の4月にさよなら運転したのち全編成が廃車となった。
263ミウナ:2007/09/22(土) 23:03:08 ID:gw3xjcw9
東武鉄道400 450系
350系及び1800系(1819F)の代替として1900系(>>262)の下回り等を流用して
作られた特急用電車。2008年より6両編成2本と4両編成2本が製造された。
車体は200系に準じた車体だがアルミ車体になっているのが特徴で車内は100系
と同レベルとなっており、6両編成の400系にはスペーシア同様に6号車が
個室になっているのが特徴。なお制御は200系と同じ界磁添加式である。
6両編成の400系は臨時特急「きりふり」「ゆのさと」と特急「しもつけ」で
使われるが、臨時での「けごん」「きぬ」「りょうもう」で使われる場合もある。
またATS-Pも搭載されてるため、臨時「スペーシアきぬがわ」でも使われる場合もある。
4両編成の450系は特急「南会津」及び「スノーパル」(尾瀬夜行)23:50で使われるが、
間合で早朝の浅草〜新藤原の快速と夜間の会津高原尾瀬口〜浅草間の区間急行でも使用される。
264名無し野電車区:2007/09/22(土) 23:47:55 ID:Af2cFmNI
東武8000系電機子チョッパ制御試験車
東武鉄道が1編成だけ作った8000系ベースの電機子チョッパ制御試験車。
8000系は抵抗バーニア制御を採用していたが、更なる性能向上を目指して電機子チョッパ制御に変更。
回生ブレーキも使用可能になった。
しかし製造費が高くついてしまい、なおかつ野田線では電制カットで運転しなければならないことから量産化されなかった。
265名無し野電車区:2007/09/23(日) 00:04:55 ID:fS65MF9i
>263
他人のネタを勝手に流用しないでほしいな、ミウナさんとやら
266262:2007/09/23(日) 02:42:40 ID:8wQHkqIO
>>265
別に便乗は構わないが

>>262
訂正

○ 同年の7月に
× 同年の4月に
267名無し野電車区:2007/09/23(日) 10:08:51 ID:xSPaukT4
EF72型交直流電気機関車

1985年に青函トンネル開業を見据えて、
函館・室蘭線函館-東室蘭間電化直前に新製された。
出力は2550kwと電気機関車としては平均的で、
正面は先に製造されたED76系500番台似だった。
函館-札幌間貨物・荷物・郵便・団体列車牽引に使用され、
1988年の青函トンネル開業後は寝台特急「北斗星」や
急行「はまなす」の牽引(前者は重連で)にも使用され、
一部車両は客車に合わせて青20号に塗り替えられた。
その後、函館地区のスイッチバックがネックとなって、
上磯-渡島大野間短絡貨物線が設けられると、
青森にも入るようになった。
現在もコヒ・貨物に全車健在である。
268名無し野電車区:2007/09/23(日) 10:12:22 ID:xSPaukT4
>>267

訂正をば。

EF72型「交直流」電気機関車は、
EF72型「交流」電気機関車の間違いでした。
269ミウナ:2007/09/23(日) 13:05:13 ID:VB34ot3c
国鉄スハフ45
昭和33年に運転を開始する予定の特急「はつかり」には展望車両は設けない
方向だったが、「つばめ」「はと」同様に展望車両を連結してほしい要望
が高かったため、昭和32年より製造された簡易型の3等緩急展望車。
製造された8両中5両は新造だが残りの3両中の6はスハ44-2の改造車で
7〜8に至ってはなんと43系のスハフ42-136・89からの改造で窓や
座席が全く異なり、別形式を与えてもいい車両になってしまった。
新造された5両もオハ46系の軽量構造を採用されており、オ級での
形式付けも検討されたが後天的に東北に転属させた際に電気暖房を
取り付けた場合にス級に上がるのを考慮しあえてス級の形式付けとした。
出入りのない部分(スハフ42改造車は車掌室箇所)に特別職用車などの
展望室似た密閉式展望室を設け、その後部には談話室的スペースを設けて
残り半分を3等座席としている。青森構内での方向転換前提であったこと
から座席は固定クロス(スハフ42改造車のみセミクロス)式で定員は
44系仕様は24名・スハフ42改造型は22名。緩急車形式だがこれは名目上で
車掌室がないため、次位にはスハフ43が必ず連結された。(その後はつかり
撤退後の急行転用時に車端部の座席2席をつぶし、車掌室を設けている)
昭和33年10月1日の運転開始より使用が開始され1等や2等が当たり前だった
展望車が気軽に3等で乗れることもあり人気が高かった。青森駅構内で
方向転換しており、上りも下りも必ず最後尾になることも要因であった。
しかし栄華も束の間。わずか2年後の昭和35年12月にキハ81系登場により
気動車特急になり、特急での使用は終わりとなる。
270ミウナ:2007/09/23(日) 13:24:08 ID:VB34ot3c
>>269続き
しかし近代化改修と電気暖房取り付けにより急行用となり、全車尾久配置
だった車両は1と3を残し、2・7・8が青森へ4・5・6が秋田へと転配された。
その際スハ44系車の固定クロスをスハ43系同様のセミクロスに交換された。
急行転用後は尾久と青森車は急行「津軽」「八甲田」「十和田」などで
使われ、秋田車は急行「鳥海」「おが」の夜行急行用としてスハフ42や
オハフ45らとともに併用された。しかし急行転換期を向かえ尾久・青森車は
急行の座席車が12系化されたりや急行の20系転用も開始されたことにより、
編成から外され、1981年に廃車された。秋田車も急行「おが」が20系化
されたことと「鳥海」が特急に格上げられたことにより急行での運転を終えた。
五能線のローカル運用などで使われた後1986年に廃車となったが、5と6のみは
解体はされずに土崎工場でモスボールされた。
動態復活はたびたび持ち上がっていた。まずJR北海道がC62-3を復活させた際に
客車の提供を求めた際に一早く上がった。特にスハ44-2改造の6は貴重な特急
「つばめ」の生き証人であり、実現すれば運命の再会を果たせたが運転終了
によりご破算となった。次いで大井川鉄道が譲渡候補になったが連結の利かない
展望車であることや出入り台が1箇所しかない44系よりも2箇所ある43系のが
いいとの理由で断られた。1990年に5が解体され、6は高崎にモスボール先が
変更されて動態復元→スハ44での復元も期待されたが夢は果たせず遂に2005年
に解体された。しかし貴重な「つばめ」最後の生き証人であることを称え、
4分の3に切断した上でスハ44-2原型時に復元し、青大将塗装の上で予備車両で
あったマイテ39に連結される形で大宮の鉄道博物館に展示される予定である。
特急はつかり(昭和33年)
スハニ35-スハ44-スハ44-マシ35-ナロ10-ナロ10-スハフ43-スハフ45
昭和35年6月
スハニ35-スハ44-スハ44-オシ17-ナロ10-ナロ10-スハフ43-スハフ45
なお「かもめ」用に9〜11も製造予定だったがナハ10系に変更されたため
製造は見送られた。
271名無し野電車区:2007/09/23(日) 15:35:45 ID:r+MeIDeS
東武7000系

1989年から1994年にかけて投入された地上専用の通勤車。
車両設計の大部が10000系列と共通なため、一般の利用者では両者の見分けがつきにくい。
McMM'MM'MM'Mc'の10両固定編成で、主電動機は2000系の廃車発生品を使用している。
制御方式は、200系に先駆けて界磁添加励磁制御を採用。
1992年以降の製造車には、10050系に準じた仕様変更が行われているが、
長編成であることから、電気連結器付密着式連結器の装備は見送られた。
製造された16編成全てが森林公園検修区に配属され、小川町以南の東上線で運用されている。
272名無し野電車区:2007/09/23(日) 21:51:47 ID:voC5hiGb
E653系500番台
JR東日本が特急「フレッシュひたち」で使用しているE653系の改良版。
パンタグラフを低屋根構造にすることにより従来のE653系では入線できなかった中央本線への入線を可能にした。
折りたたみ高さは3960mmのため身延線への入線も可能。
臨時特急「フレッシュかいじ」(勝田〜甲府間、常磐・武蔵野・中央線経由)にも使われているらしい。
273鉄道タイムズ:2007/09/23(日) 22:21:36 ID:DDrtJihb
◎西武鉄道800系特急形気動車
・車種 クキハ800 クキハ810 キハ820 キロ830
・特記 国鉄直通の為にキハ82系を基に
・略歴 1963―92
・営業 池袋〜西武池袋線〜東飯能〜八高線〜高崎〜信越線〜軽井沢/上越線〜越後湯沢
○概説
1950年代まで西武鉄道は東武鉄道と共に大都市東京の糞尿処理に大いに貢献した。
当時は、汲み取り式便所と有機農法が主流なので、糞尿を周期的に汲み取って集め、鉄道で農村へ輸送し、肥料としてリサイクル。
下水道と化学肥料が広く普及するまで、西武と東武には人糞を満載した貨物列車が多く走行していた。
そのせいなのか西武と東武沿線イメージはいつまで経っても芳しくない。
西武グループの創業者で総裁の故堤康次郎氏は、そんなイメージを払拭するブランド戦略の一環として、
自社路線と自社のリゾート開発拠点を結ぶ有料特急の設定を決めた。
1963年、西武池袋線と国鉄八高線等経由で軽井沢へ直通する特急が運行開始。
西武初の有料特急であった。
因みに、当時、秩父線は建設中であり、秩父から軽井沢への延伸構想があった。
それ用に新造されたのが、800系特急形気動車である。
乗入れる八高線が非電化なので当時量産中であった国鉄キハ82系気動車をベースに設計された。
形式称号に関しては、国鉄では運転台の有無関係なく動力車はキハであるが、西武では電車と同じ規則にし、
クキハ800は駆動機関一基と発電機関搭載の先頭車、クキハ810は駆動機関二基の先頭車、キハ820とキロ830は駆動機関二基の中間車、と。
冬季には高崎で分割して西武が手掛けた苗場スキー場の最寄駅である越後湯沢にも向かう列車も設定するので、先頭車は貫通型。
グリーン車組の全車指定の七両編成を基本に一・二往復運行。碓氷峠ではEF63に推進牽引された。
登場してしばらくは高度経済成長を追い風に満員御礼の人気列車であった。
が、しかし、80年代後半から、信越線特急の高速化、新幹線と高速道路網の進展などにより利用客は減少傾向に、
ついにバブル崩壊によるリストラの一環として92年に直通特急の運行は廃止されてしまい、車両も老朽化故に他社に譲渡されずに廃車された。
274名無し野電車区:2007/09/23(日) 22:42:27 ID:r+MeIDeS
>>271
モハユニットが1組足りてなかったorz

McMM'MM'MM'Mc'→McMM'MM'MM'MM'Mc'
275鉄道タイムズ:2007/09/23(日) 23:36:45 ID:DDrtJihb
◎東急電鉄X100系特急形電車
・車種編成 X110(Tc2) + X120(M3) + X130(M2) + X140(M1) + X150(Tc1)
・特記 JR直通の為にE257系500番台を基に 地下鉄直通可 ステンレス
・製造年 2007
・運行 半蔵門〜半蔵門線〜渋谷〜田園都市線〜長津田〜横浜・東海道・伊東・伊豆急線
○概説
90年代初頭のバブル崩壊以後、伊豆の観光産業は低迷し、東急系列の伊豆急も利用客減少に苦悩し、打開策となるべきインパクトが必要であった。
一方、田園都市線の混雑は酷く、利用客から、JR東のグリーン車や小田急ロマンスカーの様な着席サービスを求める声が日増しに強くなっていた。
特に、田園都市沿線に東急が分譲した庭付き一戸建てを購入した富裕層を中心に。
これらに応え、平日には着席を保証する田園都市線用有料特急、土休日には田園都市線からJRと伊豆急に直通する観光特急として新造されたのが、
X100系である。
渋谷駅折り返しは無理なので地下鉄半蔵門線にも直通する。
JRへの直通距離が長いが故に且つ製造費削減の為にJRのE257系500番台を基に、地下鉄乗入れ対応やステンレス製狭小車体などで以て仕様変更された。
Tcは自動分割併結可能な貫通型。五両一編成で、三編成製造。需要に応じて五両ないし十両で運行。臨時、団体として中央線への入線も可能。
直通の為に、長津田駅にて東急とJRの渡り線増設、東神奈川にて横浜・京浜東北線と東海道に渡り線新設。
設定される列車の停車駅は以下。
土休日運転の伊豆直通特急:半蔵門〜(回送)〜永田町〜表参道〜渋谷〜二子玉川〜溝の口〜鷺沼〜たまプラーザ〜あざみ野〜青葉台〜長津田〜
             〜中山〜新横浜〜横浜〜(略、踊り子と同じ)〜伊豆急下田
平日の着席保証用線内特急:清澄白河〜大手町〜永田町〜表参道〜渋谷〜たまプラーザ〜あざみ野〜青葉台〜長津田
特急は全車指定、特急料金必要。
かくして、2008年ダイヤ改正にX100系は営業開始。
伊豆直通特急運行初日、伊東伊豆急沿線は、花火や太鼓有りの祝賀イベントが開催され、祝賀ムードに包まれた。
今後、団塊の世代大量退職の影響並びに線増完成に伴いダイヤに余裕が出来る事から、X100系の増備と特急増発が予想される。
276名無し野電車区:2007/09/24(月) 00:23:05 ID:tin2Rzo2
サロ110-600番台
国鉄でサロ157を113系のグリーン車に編入。
車体断面は113系と変わらないので編成美は整っているが、側窓が下降式になっている。
しかし雨水浸入による車体腐食で老朽化が早く、1980年代に全車廃車された。
277名無し野電車区:2007/09/24(月) 00:56:30 ID:G4l/uUbv
京成モハ3604・3605
1990年のAE1形8連化に際して余剰になったAE21と30の通勤車化と電装化を行なったもの。
車体は鋼製車体を改造して中間車化並びに3扉ロングシート化を行い、
内装も通勤車化に合わせて冷房を補強するなど3600形に極力合わせたが、
平天井の構造の為ラインフローファンが追加された。
下回りは台車がFS-513でモータ、主制御器、SIV、CP、パンタグラフも3600形同様である。
3604はM1'となりパンタグラフ1台、主制御器を装備し3603と
3605はM2となりSIV、CPを装備し3606と
それぞれMMユニットを組み3600形は8連1本6連7両56両となった。
全編成8連化後も組み換えの対象外となり現在もステンレス製と鋼製の混在のまま異彩を放っている。
278は@c44.010.c3-net.ne.jp ◆cplnFO9T0I :2007/09/24(月) 12:27:11 ID:ppOVBcfZ BE:40349142-2BP(1000)
京成3600形車体改造車
T2c-M2-M1-M2-M1-M2-M1-T1cから
M2c-M1-To-M2-M1-To-M1-M2cに編成を組み替えた物。
先頭車化改造した車両には3600形の車体から新3000形の車体同等の物に載せ替えられている。
京成3700形4連化車
3500形廃車によって4連が不足したために編成組み替え。
余ったサハは3000形と連結できるように改造し、フラットな3000形の中で異彩を放っている。
279名無し野電車区:2007/09/24(月) 20:01:06 ID:eA6CQ5LE
サロ110−381
国鉄が東海道線に導入した改造グリーンのうちの1両。
余剰だったサロ581を113系グリーン車として改造した。
改造時に側扉を引き戸に改造した上に出入り台を新設、一部の窓をスイング式の開閉窓にした。
60−3改正から編成に組み込まれたが、ダブルデッカーグリーン車の導入に伴い1991年に廃車された。
280名無し野電車区:2007/09/25(火) 06:40:45 ID:gYpyJfFM
サロ110-700番台
国鉄でサロ381を113系に編入。
車体が異常に低く、しかも長いためすぐ目立つ。
振り子装置は固定してある。
281名無し野電車区:2007/09/25(火) 09:18:39 ID:oXSU4tW6
サロ110−551
113系用グリーン車で、サハ481を改造したもの。
客用扉の増設と、スイング式開閉窓の設置が主な点である。
だが、改造費を節約するため座席はモケットを赤系に変えただけである。
連結相手のサロも初期車を選んだが、シートピッチが狭く不評であった。
1991年にダブルデッカー車の導入で編成から外され、廃車となった。
282名無し野電車区:2007/09/25(火) 19:24:16 ID:QpzQnVTn
阪急1200系・1600系抵抗制御改造車

1956年、宝塚線と京都線に導入された1200系・1600系だが、吊掛機器の故障が相次ぎ、1970年に抵抗制御化改造される事となった。
抵抗制御機器は1200系が1010系・1100系と同じ、1600系が1300系と同じ機器となった。
改造後は1010系と1100系と1300系に統一され、1200系・1600系は消滅した。
283名無し野電車区:2007/09/25(火) 20:10:37 ID:aXdnZU9e
( ゚д゚)ポカーン
284名無し野電車区:2007/09/25(火) 20:56:03 ID:f3iEVQY3
サロ113-1〜8
1980年頃東海道線のグリーン車の一部に老朽化が目立ち始めた。その中でも
サロ110は元々はサロ153の改造車であり、サロ152改造のサロ112も
元々は153系であるために老朽化が進んでいた。サロ111は老朽化も進んでいた他に
座席が回転するのみでリクライニングしないためにサービス上からも見劣りしていた。
そこで当時総武快速から定員が少なすぎる理由で関西に左遷されていた
サロ113-1000を全て東海道に戻す計画もあったが、1981年に製造を
開始する予定だった185系のグリーン車を先行量産し、引き通しを
113系に合わせた上で暫定的に投入したのがこのサロ113-0である。
車体全面を湘南色にした異様な車体になってしまったがとりわけ古い車
を取り替えるにはあとは引けないために仕方なかった。
0番台サロ185-1〜6が主体だが7と8は200番台車の車両で201と204である。
約1年以内の使用前提のために車内は特に改造は行わずほぼ原型で使われた。
その後関西に左遷されていたサロ113が総武快速に返却され、
サロ110-1200番台が引き替えに入ったために編成を外されて量産された
185系に戻された。
なお8は総武快速で半年間の予定で使われる予定だったが不燃化改造すると
重量増を招く事から使われなかった。
285名無し野電車区:2007/09/25(火) 21:16:07 ID:mVPu8hjL
>>282
1200と1600も抵抗制御なんだが。
国鉄103系3000番台や小田急旧4000系みたいな新性能改造車ってことが言いたいのかい?

もう少し妄想たくましく

1956年、宝塚線と京都線に導入された1200系・1600系だが、吊掛機器の故障が相次ぎ、
1978年に新性能化改造される事となった。 
制御機器は1200系が2200系で所定の成果をあげた電機子チョッパ制御となり、同時に冷房改造もされた。
1600系はC#2311で試験採用されたAFE自動界磁制御電機子チョッパとなり、冷房化も行われた。 
台車は複雑な振り替えを経て、FS324が流用された。
改造後も本線系統にとどまり、普通運用を中心に使用されたが、80年代には710,810系の廃車と共に支線に転じた。
1990年代には8010,8340系の新造による置き換えが検討されたが、
折からの阪急の経営危機のためさらに延命されることになり、最終的に廃車されたのは2006年になってである。
286名無し野電車区:2007/09/25(火) 21:43:03 ID:JbIZfRl2
>>285
さらに

2006年の阪急廃車後、1200系は6連4本が能勢電鉄に譲渡され、電動方向幕、標識灯の移設、スカートの取り付けなどの改造が行われた。
現在、終日運転になった特急「日生エクスプレス」に能勢側の主力乗り入れ車として梅田まで運用されている。
287名無し野電車区:2007/09/26(水) 01:44:11 ID:wj8R43Hg
なんという延命
288茄子塩腹:2007/09/27(木) 00:11:31 ID:Q//mA1XS
国鉄オロ17形

ナハネ10形に続く10系客車第2弾として、国鉄工場で内製された特ロ。
1956年5-6月に長野・高砂工場で10両が製造されたが、20000系木造客車の台枠を利用した「鋼体化軽量客車」と言うべき存在。
車体構成はスロ54形に倣い、2年後に製造されたナロ10形とほぼ同じ。
客室照明は2列の直管蛍光灯で、座席ごとにスポット式の読書灯を備え、ナロ10・20形や在来特ロの近代化工事の参考になった。

当初は全車品川に配置されて九州方面の急行に使用。九州特急「あさかぜ」「さちかぜ→平和」にも使用された。
ナロ10形や20系客車登場後は急行に専従。
1960〜61年には全車電気暖房を取り付けて尾久に転属。東北急行に使用された。
1967年に冷房化されたが「オ」級に留まった。
1970年代に入ると老朽化が目立ち始め、1975年に廃車開始。
1977年秋、12系客車に代替されて「十和田」運用から退いたのを最後に、翌年全廃された。
289茄子塩腹:2007/09/27(木) 07:50:30 ID:Q//mA1XS
↑補足

台車はTR52形としたが、計画時はTR23やTR47の案もあった。
290名無し野電車区:2007/09/27(木) 09:35:21 ID:WrJzrv3d
サロ110-601
東海道線東京口の113系サロの老朽車を置き換えていた1980年代中頃、ついに
改造サロの種車となっていた電車の余剰車が底をついてしまった。
そこで最後の1両は急行列車削減で余剰となっていたキロ28を種車とした。
種車はラストナンバー車であるキロ28 2519、改造は大宮工場。
改造内容は走行用と発電用エンジンの撤去、連結器やブレーキの改造、冷房装置と
暖房装置の交換、サービス電源の引き直し、側窓のユニット窓化…と盛りだくさん
となってしまい、新車を作った方が安かったのでは?と声が上がった。
車体には手をつけられずそのまま湘南色に塗られただけで、車内も座席の
モケットが近郊グリーン統一のものに変わっただけでそのままである。
サロ110-501とユニットを組んで異彩を放った。改造グリーンながら定員52名
なのでラッシュ時のいわゆる「暗黙の指定席」状態でも余席が出るので車掌
には好評だった。しかし、他のグリーン車が空気バネであるのに対し、この
車両は種車の台車を引き継いだのでコイルバネのままであったため、乗り心地
はいまひとつだった。
1991年にダブルデッカーグリーン車と差し替えられて編成から外され、1992年
に解体された。
291名無し野電車区:2007/09/27(木) 22:36:04 ID:SO1imRtC
>>290
よく見たら、タネ車まで架空なんだなw
模型化してみようかしら?
292名無し野電車区:2007/09/27(木) 23:43:58 ID:hydeqwjM
>>290
仮にキロ28を電車化改造したら後の普通車の乗車位置ずれないか?(上にあっ
たサロ381もそうだが?)
293ミウナ:2007/09/28(金) 20:00:33 ID:/yRT8/gX
国鉄オハ42型・オハフ42型
和田岬線用にオハ64系とともに登場した客車でモハ72系を流用して
いたため前代未聞の4ドア客車となった。1967年にサハ78型6両と
モハ72型2両よりオハ42型が8両とクハ79改造のオハフ42型が2両の
計10両が後藤および鷹取で改造された。種車も全金属車もあれば
3段窓を残す車両もあり、モハ72型改造車にはパンタ台が残り、
さらにオハフ42-2に至ってはクハ58型(42系)を4ドア化した
クハ79-055の改造車で種車の車両が半流線型だったために半流線形
車体をそのまま使ってしまっている。改造はオハ64系の手法と同じ
でモハ車は電装を下ろし、連結面以外のロングシート全部と網棚を
全部撤去し、兵庫駅と和田岬駅が同一方向にホームがあるため、この
ホーム側の側面のみのドアを残してホーム側でない方のドアを全部
ぶっつぶして鉄板で塞ぐなどかなり粗雑乱暴な改造である。
なお台車はクハおよびサハ改造車は種車のものをそのまま使うなどを
していたが、モハ72改造車はDT17およびDT20をトレーラー化せず
他形式の廃車発生品のTR23またはTR34に振り替えてるがクハとサハ
改造車も後に振り替えている。また連結器も機関車と連結する部分以外は
電車当時の密着式をそのまま使用した。車軸駆動発電機は使用せずオハフ
側に小型ディーゼル発電機を搭載した。これにより種車からのコンプレッサー
が使用可能で自動ドア装置などは電車のものをそのまま使用した。そのため
車掌室やドア操作はオハフの種車の元乗務員室部分を使用している。
オハ64型とは違い旧国流用の4ドアであったことから乗降時間が短く概ね好評だった。
客車の老朽化でオハ64系とともに1990年に35系気動車改造車のキハ35-300および
キクハ35-300に置き換えられて廃車となった。なお登場当時は種車のブドウ色
をそのまま使用したが後に青塗装に変更されている。
294ミウナ:2007/09/28(金) 20:13:53 ID:/yRT8/gX
オハ54 オハフ54
昭和53年に和田岬線用にオハ10両とオハフ2両の12両の生産を
予定していた50系ベースの通勤用客車。やはり座席をすべて取っ払い、
真ん中に片開き式のドアを増設した3ドア構造とし、AU13E冷房
装置を搭載した冷房車とした。オハフ54にはスハフ12と同様のディーゼル
発電機を積載。台車は新造せず43系などの廃車発生品のTR47を
使用しており、名目上新造だが実際はスユニ50型と同様の43系客車
等の流用となっている。なおホーム側でないほうの閉塞は見送られた。
しかし新造が高額であることや現行の客車でも十分確保できるなどの理由で
ペーパープランのみで製造されなかった。その後久大線と筑豊地区での
使用で際再度浮上したが製造には至らなかった。
295名無し野電車区:2007/09/28(金) 22:43:37 ID:QOvbM57w
>>249
JR305系
大阪市交通局曽根崎線開通に伴い、JRが用意した19m3扉車。
大阪市交通局は、JRの片福連絡線計画に対抗し、曽根崎線を計画、建設した。
当初計画ではもちろん、第三軌条、750V、標準軌であった。
しかし、JRと計画が重複するため、千日前線の愚を繰り返さないためにも、
国土交通省の裁定により、運営主体は大阪市交通局とするが、
JR福知山線、片町線と相互乗り入れすることになった。
そこで、車両も折衷策がとられ、架線、1500V、19m3扉車が共通規格となった。
足回りは導入時に223系0番台などに採用され標準とされていた東芝GTO個別分散制御、
ボルスタレス円錐ゴム支持式台車であった。

大阪市交通局90系
曽根崎線用の専用車両。
足回りや車体は66系初期車に準じ、日立GTO、SUミンデン台車である。
ラインカラーは黄色である。

なお、駅名は次の通りである。
尼崎−加島竹島−歌島橋御幣島−野田阪神−福島鷺洲−南梅田−南森町−片町網島−京橋
296名無し野電車区:2007/09/29(土) 16:05:08 ID:CgDoeHTt
D61 7
JR九州は1988年から豊肥本線にSL牽引の観光列車を運行させようとした。
しかし、かつて使われていた9600形は、良好な状態の保存車が存在しなかった。
さらに、豊肥本線は低規格路線のため、使用できる機関車が限られていた。
一時は保存状態が良いということで、8620形58654を使用することも考えられたが
(ただし8620形は急勾配区間には向いていない)、
あるJR九州職員が「整備と同時に軸重を軽減すればよい」というというアイデアを出した。
そこで、再検討をしたみた結果、D51 170が選ばれた。
改造内容が従台車の二軸化だったので形式はD61となり、番号は7となった。
なお、重油併燃装置は軽油併燃装置に変更されている。
297名無し野電車区:2007/09/30(日) 17:05:17 ID:DeYgqFWY
JR東日本207系
207系900番台の試作を経て1991年、武蔵野線に40両が導入された。
車体は205系と同一だが、前面のデザインが変更されている。
制御方式はVVVFインバーターで、901系や255系にも同様のものが採用された。
4M4Tの組成ながら、起動加速度3.0km/h/sを実現している。
298名無し野電車区:2007/09/30(日) 18:14:36 ID:W2xoFxl3
>>296
GJ!

ただ、やっぱ、デゴイチブランドはかなり強いので、もし仰る通りの事が実現していたら、
昔の国鉄の車両形式称号の規則を敢えて無視して、D51形1000番台になってしまっている、
と思われますが。
299名無し野電車区:2007/09/30(日) 18:25:48 ID:W2xoFxl3
>>298の訂正
>D51形1000番台 × → >D51形2000番台

訂正理由は、D51の総生産両数は1115両だから。
300名無し野電車区:2007/09/30(日) 20:13:34 ID:SEbMe99a
253系400番台

東武鉄道に直通する特急の「日光」と「きぬがわ」用に増備された。
当初485系を改造する予定だったが、東武100系との内装格差が問題視されたため、
A特急料金を課している253系の改設計版を新造されることになった。
座席は全て回転式リクライニングシートで、座席配置と座席間隔はそれぞれ、
普通車は2+2配置の1100mm、グリーン車は2+1配置の1340mmである。
なお、グリーン車は解放式で、コンパートメントにはなっていない。
床下機器の一部は200番台と同様に、205系のVVVF化の際に余剰となったものを流用している。
クロ252-500・モハ253-400・モハ252-400・モハ253-400・モハ252-400・クハ253-400の6両編成で、
2005年にまず1本が投入され、2007年に増発目的で更に1本が製造された。
2本とも小山車両センターに配属されている。
301名無し野電車区:2007/09/30(日) 22:01:59 ID:PnnWCGqz
京急新700形
2008年、従来の800形置換用として登場した車両。車体はアルミとなり、また、18M4扉車として登場した。その為、ステンレスで製造された新1000形6次車とは異なる。また、車内は走るんですと異なる車内(横浜市交通局3000N形と同一)となり、更には京急初の自動放送が導入された。
また、阪神ジェットカーよりも加速力がある。

6両17本136両が導入され、主に普通運用で使われるが、朝ラッシュ時にはB快特にも使われる。
302名無し野電車区:2007/10/01(月) 19:41:32 ID:ZA65MK9T
>>301
もっかい計算してみ
303名無し野電車区:2007/10/01(月) 21:31:31 ID:QmxV+qxA
253系は某サイトでA特急料金を課すほどの価値がないと言われてたが
304名無し野電車区:2007/10/01(月) 21:38:12 ID:kD2UW8Lm
>>303
251系についても漏れはそう思えて仕方が無いのだが・・・
あのパチモノ汚物・特急部門代表の東武200系の方がまだ長時間座れるってなんだよorz
305名無し野電車区:2007/10/01(月) 22:22:38 ID:ZaUmV+rf
O(オー)700系
近江鉄道が並走する区間で東海道新幹線に対抗するために開発。
車体はN700系をベースにした16両編成。ワンマン装置を搭載し、無人駅では先頭車のみ乗降可能。車体の色は700系あかね号と同じ。
最高速度300キロで本線快速として営業運転についたが、彦根発の最初の運行で3件の踏切事故を起こしたあと、豊郷駅のポイントにて脱線廃車。
尚、運転士1名、乗客1名に大きな怪我は無かった。
306名無し野電車区:2007/10/01(月) 22:45:50 ID:ZA65MK9T
>>304
パチモノ汚物なんて言わないでくれw
307.:2007/10/02(火) 11:25:41 ID:GnwosNn5
JR九州511系:
関門トンネル運用の415系の置き換え。815系ベースに直流機器取り付け。
間合いで山陽本線運用に入る為、広島支社沿線ユーザーにも好評。

JR束E259系5000番台・E655系1000番台:
東武日光線直通の特急列車の車両改善。
E259系5000番台をメインとして、E655系1000番台は臨時用及びJR線内でのジョイフルトレインとしての運用。

JR束E259系:
185系及び臨時列車用183系の置き換え目的・E233系ベース。
・0番台:10+5両・田町185-0番台置き換え。「踊り子」「とちぎ」で運用。
・1000番台:7両・田町185-200番台置き換え。「踊り子」「とちぎ」「はまかいじ」で運用。
・2000番台:7両・大宮(高崎)185-200番台置き換え。「あかぎ」「水上」「草津」で運用。
番台の違いは一部機器の違い。
308ミウナ:2007/10/02(火) 13:51:58 ID:a4h4wOUs
国鉄165系1000番台
横須賀・総武快速線東京地下駅前後の地下区間(錦糸町〜品川間 1972年
開業)に対応するため昭和47年〜48年に製造された165系の最終型。後期型
をベースに不燃化およびATCを搭載したもの。車体は同時期に製造された
113系1000番台後期型と同一でタイフォン(警笛)が下方に移設され、
ジャンパ栓がKE70形とされたほか、全車側面窓上に行先表示器が設置された。
一部例外を除きグリーン車サロ165は130以降と同じAU13E5基で、従来車の
反省から1枚窓下降式などの従来の方法をやめ、同時期に製造されたサロ113と
同一とした。またMGを110kVAから210kVAとしたためグリーン車の20kVAMG
は初めから搭載されていない。またクモハ165も最初から製造されなかった。
編成は総武快速線と同一の11両とし、サロ165も2両連結される堂々たるもので
これにより両国始発で地上系165系で運転される「水郷」を除き急行「うち房」
「外房」「犬吠」が東京地下駅発となった。一部快速運用でも使われることから後に
増結用4両も加わり、165系歴代最長の15両編成でも運転された。なお昭和52年には
横須賀線の大船まで直通したがその際に湘南色を塗装パターンそのままにスカ色に
変更された。これは当初横須賀線直通開始時も湘南色で使用されたが並行する
東海道線の車両と誤乗や編成が同じ165系の急行「東海」に似ており、誤乗が
特に品川や横浜で多発したため。製造は11両編成8本と増結4両6本。房総急行
が昭和57年にすべて特急に格上げされて急行での使用は終了した。
309ミウナ:2007/10/02(火) 13:53:01 ID:a4h4wOUs
>>308続く
運転終了後もそのままの状態で総武快速で使用されたが2ドアでオールクロス
あることからラッシュ時には運用しない運用法で使用された。昭和58年に
急行「アルプス」の老朽165系取替えで11両3本が松本に転属した。(その際
低屋根ではなかったため中央本線の狭小トンネル対策でPS24パンタ取り付け)
さらに4連3本が急行「赤倉」転用で上沼垂へ転属され、11両5本4両3本で
晩年を迎えた。昭和63年〜平成元年には車両更新も実施され、総武快速線の
一部送り込みの快速含め通勤快速のみの運用で逗子〜成田間で使用されたが、
1999年にE217系が登場するや2ドアオールクロスの厄介者であったために
真っ先に取り替えの対象となった。湘南色に戻して他の165系同様波動用で
使用することも考えられたがすでに田町には167系が、三鷹や新前橋には
165系や169系がすでにあり、4両編成2本が三鷹でモスボールされたものの、
使用されることなく2001年に全車廃車された。最後の引退運転は1999年
12月23〜26日に臨時大垣夜行で投入されたのが最後となった。しかし
グリーン車2両つき11両編成でラストランに際して湘南色に戻したことから
往年の編成の再現とあって全車指定席はすべて満席。最後のはなむけとなった。
310ミウナ:2007/10/02(火) 14:04:40 ID:a4h4wOUs
>>308-309追記
15両編成運転時は「うち房」は君津で「外房」は上総一ノ宮で
「犬吠」は佐倉で増結4両の切り離しと連結を、また増結4両は
久里浜までの運転も行ったほか、間合で房総各線でも使用された。
配置は当初すべて幕張だったが後に11両2本は大船に移動している。
311名無し野電車区:2007/10/02(火) 14:44:21 ID:iCDn9S9j
>>308-310
細かすぎるw
312名無し野電車区:2007/10/02(火) 15:14:42 ID:iikQJhfr
>>308
やはり国鉄の「McはATC対応は不可能」説に準拠でせうか?
313名無し野電車区:2007/10/02(火) 21:58:14 ID:m3KlmLjf
>>312
113系1000番台と同様に、分割併結を前提としない11両固定編成に、
モハよりも座席が少ないクモハを少なくとも二両挿入するのは、
固定編成途中に運転台をいくつも入れるのは無駄とかの営業上問題があるとか、
モハの方が製造コストが安いなど、
165系誕生当時と違って、
わざわざクモハを製造する合理性が見出せ無かった、
と解釈出来そうだが。
あくまでも自分なりで>>308-310の行間を読み取った結果だが。
314名無し野電車区:2007/10/02(火) 22:41:37 ID:iCDn9S9j
国鉄211系900番台
1984年に4両が製造された、211系の試作車。
ステンレス製の車体だが、900番台ではコルゲート車体とされている。
また、内装にも若干の相違が見られる。
量産化改造の際、中間に量産のT車を組み込んだため、編成美が崩れた。
なお現場では、「車体の汚れが取りづらい」と不評である。
315名無し野電車区:2007/10/02(火) 22:53:30 ID:h/13uxVM
>>312
最初からATC搭載を考慮した設計してあればMcでもATC車がいるのは既出。
クモハ102−1200とかクモハ300とか、新幹線0系、200系とか、クモヤ143とか。

総武地下線対応の急行型、漏れなら従来通りの編成組成にするな。
ライトのシールドビーム化、ヒューズ箱の屋上移設、サッシの上段上昇、下段上昇タイプへの変更、サボの電動幕化程度の変更で済ませる。
さすがに房総急行に15連の需要は無いよ。
316名無し野電車区:2007/10/03(水) 15:06:57 ID:2frKhTqt
東京メトロ銀座線11000系、京王井の頭線4000系
2007年暮れに、各1編成ずつが突然登場した。
16m級先頭車に13m級の中間車5両を連接で挟み込んだ編成であり、JR東日本
のE331系を中間で2編成に分割して改造された。

メトロ11000系は、E331系の8〜14号車を新しい車体に載せ替え、更に第三軌
条集電方式にする等の大改造を施されて投入された。
新たな車体は旧01系の断面を、車体幅のみ2,800mmに拡張したものとなってお
り、銀座線はここに念願の広幅車を獲得することとなった。
車内は10000系に準じたサービス設備を導入した形となり、E331系の変形座席
は撤去されている。
尚、この改造は、2007年10月中旬から11月上旬にかけ、兵庫県の川崎重工で
実施された。入籍は11月、営業運転は2009年12月31日の終夜運転からである。

京王4000系は、E331系の7号車に、京王新1000系に準じたデザインの運転台
を設置し、それ以外は東急車輌製造側7両をE331系ほぼそのままに投入した。
従って、渋谷方と吉祥寺方でマスクが大きく異なり、異彩を放っている。
E331系のピンク帯の下半分に、濃紺帯を貼り足すことで京王CIを表現しており、
井の頭線伝統のレインボーカラーが失われること、新型車両なのにケチな対応を
していることについて否定的な意見が寄せられている。

本形式の投入に際しては、JR東日本、東急車輌、川崎重工、東京メトロ、京王
電鉄の5社協同での「新世代通勤電車の共同試験実施について」というプレス
リリースが出され、本車両の運用結果データについて、JR東日本が継続的に入
手できる契約が結ばれていることが明らかになった。
また、渋谷区による渋谷駅改造計画に関連し、井の頭線と銀座線の相互乗り入
れが検討段階に入ったのではとの憶測を呼んでいるが、集電方式の差違等、実
現を阻む課題は多く、今後の展開が注目されるところである。
317名無し野電車区:2007/10/03(水) 15:25:38 ID:++Zz/iwR
東武370系
東武鉄道は1990年代から始まった不景気によって悪化した業績を改善するため、
平成11年のダイヤ改正で野岩鉄道・会津鉄道直通の快速を廃し、快速急行を設定することで対応しようとした。
370系は快速急行用として、1800系や350系を1M1Tの2両編成に改造したもので、平成10年に18本が用意された。
日中は浅草〜下今市間併結の快速急行<だいや><おじか>に、朝夕は起点から終点まで4両で運転される急行に就く。
なお、370系により定期運用を無くした6050系は、大部が館林研修区の5050系の置換に充当され、
一部が370系で欠編成が生じた際に臨時運転される快速用として予備指定された。

*快速急行の料金

浅草〜下今市間………………全車指定席で、急行と同額の追加料金が必要
下今市〜日光/会津田島間…全車自由席で、運賃のみで乗車可能

*快速急行の停車駅

浅草〜下今市間………………浅草・北千住・春日部・東武動物公園・栃木・新栃木・新鹿沼・下今市
下今市〜日光/会津田島間…各駅停車
318茄子塩腹:2007/10/03(水) 20:16:44 ID:16iWrge6
国鉄 オシ15形(1-3)

上野〜秋田間特急8001・8002レ(臨時つばさ)用として、余剰化していた日立製ナシ20形の55-57を郡山工場で14系対応改造等を施したもの。(12系とも連結可)

主な改造は電源関係(変圧装置設置、高圧引き通し等)、制動装置(CL式に変更)、耐寒対策で、重量が増えたため「オ」級になった。
また、大元の電源はスハフ14形を増結することで確保した。
食堂・厨房関係は日立車特有の調度を含めてほとんど変わらなかったが、つまずくとの指摘があった会計台付近の仕切は床付近を垂直にカットした。

1973年3月から、東北新幹線開業直前の1982年5月まで臨時「つばさ」で運用され、DC→ECの定期つばさに比べて長旅である客車列車のオアシスとしての役割を果たした他、ミステリー列車「銀河鉄道999号」でも連結・営業した。
(いずれも日食上野が担当)

1983年に3両とも廃車されたが、3はメーカーの日立に譲渡され、同社笠戸工場で復元され、ナシ20 57に戻って保存されている。
319妄想竹:2007/10/03(水) 21:49:26 ID:B4Arrwlo
キハ181−200
JR東日本では、非力で老朽化の進んでいたキハ58系急行「陸中」「よねしろ」の置換えを計画したが、
新型急行車の設計に時間がかかっており、キハ58系の寿命に間に合わなくなくなってしまった。
そこで、ちょうどJR四国で余剰となっていたキハ181系を113系と交換で手に入れ、当座を凌ぐことになった。
購入にあたり、地区の要望や輸送需要を勘案し、キハ−キハ−キロハ−キハの4連にすることとなったが、
編成短縮のため譲渡されるキハ181の両数が足りないこと、
定員の確保と先頭車への電源装置搭載は必要だが、小容量の電源装置搭載で良く完全床下搭載が可能になったことから、
余剰キハ180形の先頭車化が行われ、当形式が誕生した。

顔は予め製作したキハ181-0相当のものだが、電源装置はキハ183-1500相当の小容量のものとなり、冷却装置も含め完全床下搭載となった。
但し、床下艤装が厳しいため、短編成運用のためトイレ、洗面所を生かす必要があること、1日の運行距離が短くなることを勘案し、
燃料タンク、水タンクともに容量の小さいものに交換されている。
結果、客室は四国時代のままながら前頭部直後まで広がり100番台と比べて定員16名増、
トイレは洋式化、洗面所も自動水栓化等のリフレッシュの上、存置された。
また、改造・改番対象とならなかったキハ181、180、キロハ180も、
客室内のアコモデーションについては四国時代のままとながら,洗面所・トイレのリフレッシュが行われている。
塗装は四国時代のスカイブルー部分をJR東日本のコーポレート色である緑に変更したのみ。
キハ180-59〜63→キハ181-201〜205となり、いずれも盛モカ配置。

秋田〜大館〜鹿角花輪の「よねしろ」、盛岡〜花巻〜釜石〜宮古の「陸中」のほか、
出入区を兼ねて大館・鹿角花輪〜盛岡間快速「八幡平」に運用され、
急行とはいえ、「つばさ」置換え以来久しぶりに秋田へ定期列車で出入りすることになった。
2002年、新幹線八戸開業に伴うダイヤ改正での急行「よねしろ」「陸中」の快速格下げとあわせ、老朽化のため廃車。
改造後の実働は僅か10年であった。
320.:2007/10/04(木) 12:36:13 ID:r67kPNRG
JR九州キハ189系:
JR九州のキハ183/185・キハ40/140・キハ71での運用の特急を全面的に取り替えるために製造。
・キハ189/同+500番台:先頭車
・キハ188:中間車

キハ189-0/500:ゆふ・くまがわ・九州横断特急用
キハ189-100/600:はやとの風・“いざぶろう・しんぺい”用
キハ189-1000/1500:ゆふDX用
キハ189-1100/1600:ゆふいんの森用
等…。。。
321ミウナ:2007/10/04(木) 17:37:09 ID:bW1BlekB
国鉄20系500番台
1977年に北海道地区の夜行急行の旧型客車の一掃を図るべく20系に
二重窓などの耐寒耐雪対策などを行ったもの。折戸も引き戸に変更。
500番台はカヤ21型からの給電型だが後に電源車を使用せずに14系
座席車から給電する1000・2000番台仕様にした2500番台が加わった。
大雪・まりも用の500番台車にはカヤ21型の他にスロ54や62型代替で
ナロネ21から改造したナロ21とナハネ20から改造のナハ22の座席車と
A/B寝台合造のナロハネ21がナロネ21からの改造で登場した。後に
2500番台車が加わり、利尻に関してはこの編成で組成した。
しかし本土からの20系を改造しているために種車の老朽化は否めず
昭和58年に14系14型から改造の14系14型500番台に取り替えられて
しまい廃車された。なお台車はTR55にブレーキシリンダを台車装備
とし、鋳鉄製制輪子を使用したTR55Gだが14系のTR217Gに換装
した車両もある。
急行大雪(昭和53年)
スユニ-カヤ21-ナロ21-ナハ22-ナハ22-ナハ22-ナロハネ21-ナハネ20-ナハネフ22
急行利尻(昭和55年)
マニ-スユニ-スハフ14-オハ14-オハ14-スハフ14-ナロネ21-ナハネ20-ナハネフ22
322茄子塩腹:2007/10/04(木) 21:00:33 ID:bGSoL/vq
国鉄 スハシ38形150番台(151-158)

急行列車の食堂車増強とオハシ30形の代替を目的に、1954年に3軸ボギー3等車のマハ29形を盛岡・後藤工場で改造したもの。

改造対象は旧マロネロ37形(未改造車はマロネロ38形)の151-で、旧ロネ室と旧ロ室の一部を厨房と食堂に、残りの旧ロ室を車掌室・従業員室、ハ室とした。
配置等はスハシ38形既存車と同じだが、151-155の石炭レンジはオハシ30形から積み換えた。
厨房自体はマシ35同様ステンレスを多用。流しも鉛引きからステンレス製に変更。
食堂内装はスシ48に準じてビニールクロス張りにした。

上越・東北・北海道で運用され、1965年に引退。1968年に全廃された。
323茄子塩腹:2007/10/04(木) 21:17:45 ID:bGSoL/vq
>322続き

1959年に本車が連結された羽越線経由上野−秋田間急行801・802「鳥海」は大日本食堂(→聚楽列車食堂部→聚楽ティ・エス・エス)初の食堂営業列車で、中華メニューと従業員のマナーの良さが評判を呼んだことで知られる。
324名無し野電車区:2007/10/05(金) 09:35:19 ID:Kb4XEx4k
>>321
20系500番台は1977年の時点で埋まってるぞ。
ナハやナハフやナロに謝れ!
325茄子塩腹:2007/10/05(金) 16:31:47 ID:ZTgbP17G
ナハネ・ナハネフは550番台にすれば良かったな…。
長瀞にあったSL宿にナハネフ22 502がついとったのを思い出した。
川場にも503があったと思うが、ワタシの記憶違いかな?
326ミウナ:2007/10/05(金) 18:23:03 ID:fgd6uxUL
国鉄 オシ15
特急用ビュッフェ車。当初「つばめ」には全室の食堂車を連結する反面、
「はと」に関してはカウンター式軽食スペースのビュッフェ車にする構想で
製造されたのがこの車両である。オシ17型と同じく台枠流用車だが3軸ボギー
式のオシ17型とは違い、こちらはスハ32系とオハ35系の台枠を転用した。
当初台車は種車のTR23をそのまま使用したが、後にTR40A又はTR47
に換装している。(3と5はスハ42の台枠転用車だったため換装せずに使用)
昭和28年に5両が新造名義で製造され、すべて東シナに配置早速「はと」に
使用された。しかし食堂車のある「つばめ」とは違い、「4時間も走るのに
食堂車もないのは何事だ」という乗客の非難が続発。国鉄幹部にまで非難が
及んではどうすることもできず、昭和32年に青大将塗装も纏ったのも束の間
オシ17型に取りかえれて特急から撤退し急行に転用された。昭和47年の
北陸トンネル列車火災事故でオシ17型が徹底的にスケープコートされる
中で、近代化工事時に電気式レンジと電気式冷蔵庫を採用していたために
旧型食堂車としては唯一生き残り、オシ17型に代わって「きたぐに」で使用。
軽食以外にオシ16型と同じ寝台セット・解体時の退避用としても使われ、
座席車が12系になり、ビュッフェが営業休止になった後も老体を鞭打ち
使用され、昭和56年に廃車された。なおスハ32改造車の2は昭和44年に
マニ37に改造されている。
327名無し野電車区:2007/10/05(金) 19:31:46 ID:y+Lj0OWM
東武6050系(IF)
6000系の車体更新で登場した車両形式。片開き1ドア転換式クロスシート車の2両編成。
車体はコルゲート仕上げのステンレスボディで、日光線優等車の特徴である赤・橙の帯色を纏っている。
1985年に22編成が登場し、夜行列車(〜2002年)・快速急行(〜1991年)・快速・区間快速(2006年〜)に充当された。
車齢25年を迎える2010年に修繕が予定されているが、詳細な修繕内容は明らかにされていない。
328名無し野電車区:2007/10/05(金) 19:41:52 ID:l7tACl6j
転換クロスの何が良いの?
329茄子塩腹:2007/10/05(金) 21:37:31 ID:ZTgbP17G
>326
ツッコミすまぬ。

東京−大阪は当時8時間。
まだ10系客車は影も形もないし、オハ35系もまだ新しい部類。鋼体化改造車かマハ29形ベースが現実的では?

ともあれ、漏れも何か考えよ。
330名無し野電車区:2007/10/05(金) 21:55:41 ID:ZU4kKab6
北越急行HK300形
北越急行が製造した125系ベースの新型車両。
車体や足回りは125系と同様だが、加速度が3.3km/h/sに設定されている。
331名無し野電車区:2007/10/05(金) 22:34:21 ID:LeuYA4q6
キサシ181500番台

キハ181系の余剰化していた食堂車キサシ1810番台全車を1980年から1982年に改造して新型特急用気動車183系に組み込むために耐寒耐雪改造と183系併結改造を施し北海道に転用しキハ183系に組み込んだ物。
キハ80系置き換え後のキハ183系の食堂車として、特急おおぞら、おおとり、北海、オホーツク、北斗、で活躍したが昭和60年3月のダイヤ改正で全車連結を解かれ廃車。
332名無し野電車区:2007/10/05(金) 22:37:23 ID:y+Lj0OWM
>>328
長時間のボックスは辛いから
ただ固定でも良かったかも
333名無し野電車区:2007/10/05(金) 22:58:13 ID:NHNU2g+a
東急・相鉄・東武共通規格車両

副都心線相互直通にともない東急・相鉄・東武3社が共同開発した車両。
ベースになった車両は登場間もないJRのE235系で、これにより前面デザイン、帯色以外は3車共通規格になりコストダウン・整備の高効率化が達成された。
保安装置も東急・相鉄・東武・メトロの4社対応型を一体化したものが搭載されている。
型式は東急東横線用が8000系、相鉄用が12000系、東武用が60000系となっている。
なお、この車両は相互直通を既に実施している東急田園都市線、東武伊勢崎線にも導入が決定している。スペックは保安装置を半直仕様に変更した以外は同一となっている。
型式は東急田園都市線用が8050系、東武伊勢崎線用が60050系である。
334名無し野電車区:2007/10/05(金) 23:00:07 ID:88wKWg/M
>>331
計画は本当にあった。
335名無し野電車区:2007/10/06(土) 09:29:07 ID:v1+ndell
相鉄3000系
7000系置換用として登場。車両は平成13年の8713F以来、久々の日立製作所の車両である。しかも、相鉄伝統の自動窓・鏡も付いている。
車体は日立A-trainとなり、当初は相鉄労働組合から「一度提案されて蹴った車両を採用するのはどうかと思う。」と言う声も聞かれたが、社長が組合と会合をした結果、組合は折れて3000系導入へ踏み切った。この7000系置換用に導入される3000系は、全て10両編成で新製される。
336名無し野電車区:2007/10/06(土) 10:13:43 ID:0M7oamMl
モハE652-300
モハE653-300

E653系が新潟車両センターに転属する前に登場したモハユニット。
485系置換時に余剰となるサハE653を電動車化したもので、SIVはモハE652-300、主変圧器はモハE653-300に搭載された。
車内の多目的室や車内販売準備室は撤去され、モハE652-300には洋式トイレ、モハE653-300には自動販売機を設置している。
その他に、E751系の教訓から耐寒・耐雪強化改造も行われた。
本ユニットは付属編成に組み込まれ、これによりE653系の全編成が6両編成に統一されることになった。
337名無し野電車区:2007/10/06(土) 10:32:54 ID:0M7oamMl
>>336の訂正

車内の多目的室や車内販売準備室は撤去され、モハE652-300には洋式トイレ、モハE653-300には自動販売機を設置している。

車内の多目的室や車内販売準備室は撤去され、モハE653-300では洋式トイレも撤去する代わりに自動販売機を設置している。
338.:2007/10/06(土) 10:46:47 ID:OshSzuwR
>>333に便乗
JR束E235系(E931系/E933系):
E231/233に次ぐ通勤型車両として開発。
・東急車輛SUS工法:E931系→E235-900
・日立A-Train:E933系→E235-950
製造は双方の工法に対応した川崎重工で製造。
・SUS仕様:東急N6000/N7000をベース。
台車は東急車輛製(DT901/TR901)と川崎重工製(DT902/TR902)と日本車両製(DT903/TR903)を採用。
VVVF及びSIVは三菱電機。
・アルミ仕様:西武21000/30000及び東武70000及び相鉄20000をベース。
台車は住友金属製(ボルスタレス(DT904/TR904)とボルスタ付き(DT905/TR905))と日立製作所製(DT906/TR906)を採用。
VVVFは日立・SIVは東芝。

量産車は新津での製造が容易な東急工法を採用。
日立工法は東武と相鉄に採用(>>333)。
339名無し野電車区:2007/10/06(土) 11:09:33 ID:SxRO5DFz
>>335
固定窓に無理やり自動窓装置を搭載したため、ガラスの破損が相次いでいる。
また、駆動方式も伝統の直角カルダン式が採用された。
一部のファンには好評なものの、保守・整備に手間がかかる為、整備士からは疑問の声も挙げられている。
340名無し野電車区:2007/10/08(月) 11:16:05 ID:SfLYw4hw
阪神10000系
阪神電鉄が製造した「阪急・阪神統一規格車両」。
阪急9000系がベースであるが、加速度3.0km/h/sを確保するため3M3Tの6両編成で、モーター出力は190KW。
341名無し野電車区:2007/10/08(月) 12:55:43 ID:RG0p+hIC
209系2000番台

常磐快速線の103系の置き換えを目的として、1995年に登場したグループ。
営業最高速度120km/hに向上させるため、主電動機はMT70を採用。制御装置の変更や外板増厚も検討されたが、諸事情で見送られた。
10両編成と5両編成の各4本が1997年までに製造された。
その後常磐快速線の車両形式がE231系で統一されることになり、10両編成2本(短編成化・先頭車化により5両編成4本化)と5両編成は
成田線中心の運用(これによりデータイム時は毎時3本に増発されたが、出入庫を除いて常磐快速線に直通する便は廃止)に割当られ、
残りの10両編成2本は京葉車両センターに転属し、同センター所属の201系20両を置き換えた。
342名無し野電車区:2007/10/08(月) 15:33:27 ID:6uV4KQ0i
阪急10000系
>>340の阪急電鉄仕様。
車体の色がマルーン(>>340はジャイアンツカラー)で、編成が2・6・8連、加速度が2.6km/h/sになっている。
2連は増結用、6連は今津線用(ごくまれに増結2連を繋げて神戸線を走行することもあり)、8連は神宝線用。
343ミウナ:2007/10/08(月) 17:45:59 ID:dx8c4xUo
相模鉄道NN6000系
5000系・7000系および一部8000系の置き換えで登場。久々の日立製作所製となり、
当然A-Train構造となったが、西武20000系や東武50000系のようなコンセント
頭でなく、新6000系車体を忠実に再現した車体を製作できたことにより、
栄光の6000系の3代目を襲名。旧・新を受け継ぐNN6000系として登場した。
8両編成と10両編成で制御装置等が異なり、10両編成はJRおよび東急東横線
との乗り入れを考慮してE531系に準じた足回りを、8両編成は伝統の
直角カルダン式を採用し、すべて日立製の電装品を使用している。
台車は10両編成仕様はDT71/TR255に外装式ディスクブレーキを装着した
TS897を採用し、8両編成仕様は10両と同じものと一部は8000系から
廃車される台車を流用したものの2種類がある。自動窓と鏡は10両も
8両もすべて装備されている。
取り換え対象は旧7000系8両編成全編成と5000系5053Fおよび8000系の
8701〜8705Fの10両5本で8000系の台車やブレーキ装置等主要部品は
8両編成型に流用される。8000系も取り換えるのはJR線乗り入れ時の
車両が10000系のみのため検査時の代走等に直角カルダン車を入れる
わけにいかないため。なお塗装は3種類で10両編成型は全て新相鉄色。
8両編成型は新相鉄色は1編成のみで他は新6000系登場当時の旧塗装と
新標準色を再現したもの・ほほえみ号・緑園都市号・アートギャラリー号
の塗装を復活再現したものとなる。8両は原則普通でしか使用しない。
また停車駅を二俣川と大和のみの新種別「相鉄特急」といずみ野線快速の
停車駅の星が丘と鶴ヶ峰と南万騎が原と弥生台を通過にした「快速急行」を
新たに登場させる。
344名無し野電車区:2007/10/09(火) 15:46:56 ID:7nyqIzQZ
E331系南武線仕様
帯色がワインレッドから南武線のラインカラーである黄・橙・葡萄の三色に変更されている。
制御車の可変座席は混雑状況を鑑みた結果、不採用となり座席は全てロングシートととされた。
4M4Tの8両編成で、新たな車両形式として補助電源搭載のモハE330形0番台が登場している。
209系を置き換えるため、2010年に2編成16両が製造され、翌年に営業運転に就く予定である。

クハE331-0−モハE330-0−モハE331-0−サハE330-0−サハE331-1000−モハE330-0−モハE331-0−クハE330-0
345訂正:2007/10/09(火) 15:59:26 ID:7nyqIzQZ
E331系南武線仕様
帯色がワインレッドから南武線のラインカラーである黄・橙・葡萄の三色に変更されている。
制御車の可変座席は混雑状況を鑑みた結果、不採用となり座席は全てロングシートととされた。
4M4Tの8両編成で、新たな車両形式として補助電源搭載のモハE330形0番台が登場している。
209系を置き換えるため、2011年に2編成16両が製造され、翌年に営業運転に就く予定である。

クハE331-0−モハE331-0−モハE330-0−サハE330-0−サハE331-1000−モハE331-0−モハE330-0−クハE330-0
346名無し野電車区:2007/10/10(水) 00:54:03 ID:7vz359vu
相鉄新7000系VVVF化改造車・VVVF更新車

平成10年、相模鉄道は旧形車両を新車で置換するだけでは無く、10年目となる新7000系VVVF車をVVVF更新改造をする事となった。
また、この時7715Fも同様に改造された。
車両は日立製作所下松工場に甲種回送された為1ヶ月間は運用離脱する事となった。VVVFは日立製の直角カルダン用IGBT-VVVFとなっている。
音は2000年に登場する、E231系近郊型より低く、そこまで耳障りな音では無い。
ドアチャイムはブザーとなっていたが、2006年冬頃に変更された。(変更後はVSE、新幹線700系と同じ)この更新改造により7715F、7751Fは編成が分けられた。
その為7715Fから車番の変更が行われている。
7715F→7751F、7716F→7752F、7751F→7753F、7752F→7754F、7753F→7755F、7754F→7756F、7755F→7757Fとなっている。
7713Fは更新予定から外された。理由は、扇風機付きで車内が暗い為である。なので更新から外された。
改造後は主に急行・快速運用に入る。ただし7757Fは、8000系・9000系と運用共通なので極稀に特急運用に入る。
347名無し野電車区:2007/10/10(水) 18:31:29 ID:pFEnUo60
・北大阪急行N系
北大阪急行線の新箕面駅延伸に伴い増備された新形式。
親会社の阪急に倣って日立製作所で製造されたA-train仕様。
制御装置は8000系と違い、東洋製のVVVFインバータを搭載。
外観は先代の8000系と違い、無塗装で酸化皮膜処理をしたアルミ車体で、
先頭にはマルーンの額縁が施され、側面にもアクセントが入る。また行先表示と前照灯はLED化した。
車内は木目の内装とオリーブ色のシートが並び、照明は半間接式。
扉間の窓は1枚窓で、日よけは巻き上げ式カーテン。シートに3人-3人と仕切り板を設置。
扉上にはモニター式の案内装置を千鳥配置で、1両あたり計4箇所8基設置した。
今後はさらに8000系を置き換える為に増備される。

・大阪市交通局10000系
北大阪急行線の新箕面駅延伸と10系の置き換えの為に製造される新形式。
先に登場した谷町線用30000系に準じた仕様で、川重製と近車製がレーザ溶接ステンレス車体。
日車製がブロック車体で、東急製がスポット溶接車体で、外観が編成により異なる。
制御装置は日立、三菱、東芝、東洋製のVVVFインバータを搭載。
行先表示と前照灯はLED式。車内はグレーの内装と茶色のシートが並び、照明は直接式。
扉間の窓は1枚窓で、日よけは巻き上げ式カーテン。
シートの側部と中間(3人-3人)にスタンションポールを設置。
扉上にはモニター式の案内装置を千鳥配置で、1両あたり計4箇所8基設置した。
348名無し野電車区:2007/10/10(水) 18:39:28 ID:pFEnUo60
編成図を忘れてた ←新箕面      なかもず→
北急0-100-200-300-400-500-600-700-800-900
市交10600-10000-10100-10700-10400-10800-10500-10300-10200-10900
349茄子塩腹:2007/10/10(水) 20:14:42 ID:PljMsIry
国鉄一等展望車 マイテ58形11号(1953年の形式称号改正後)

旧形式はスイテ57形1号で1形式1両の存在。
前身は戦前の特別急行「鴎」用として1940年に大井工場で新製されたスイテ37060
350名無し野電車区:2007/10/10(水) 20:54:59 ID:oRv48gYE
119系3000番台
JR東海で119系のモーターを補償巻線付きのC-MT55Bに交換したもの。
「するがシャトル」用の119系は高速性能が悪く、東海道線の高速ダイヤについていけなかったことからモーターを高速対応型に交換した。
最弱界磁率が30%に下げられ、設計最高速度が105km/hに向上(運転最高速度は100km/hだった)。
するがシャトル撤退後は飯田線に戻ったが、そのままの仕様で使われている。
大垣車両区への回送時に威力を発揮するらしい。
351名無し野電車区:2007/10/10(水) 21:09:22 ID:7b8cnU/P
E753系

奥羽越地区の485系の代替目的で開発された交直流型特急形電車。
車体はアルミダブルスキン構体で、設計面では耐寒耐雪性と高速性(営業速度130〜160km/h)を重視。
主電動機には新型DDMのMT79(定格出力180kW)、制御装置にはIEBT素子のVVVFインバータ制御方式、
台車にはヨーダンパ付軸梁支持のボルスタレス方式、車両制御情報装置にはAIMSを採用・導入。
CPはクハE753-0E・クハE752-0、SCはモハE752-0・モハE753-1000、集電器はモハE753-0・モハE753-1000に搭載。
車内はモノクラスで、座席(座面スライド可能)は座席間隔1,020mmの4サブレスト(2+2)配置。
WCはクハE753-0・モハE752-0・モハE753-1000、TELはモハE752-0、多目的ルームはモハE753-1000に設置。
MT比は3:2で、クハE753-0*モハE753-0*モハE752-0*モハE753-1000*クハE752-0の5両編成。
当初20本100両の製造を企図していたが、E751系の秋田車両センター転属が決定した為、17本85両に削減。
現計画では、新潟車両センターへの集約配属と5両か10両(多客期や特定便のみ)による運転を予定。
352名無し野電車区:2007/10/10(水) 21:21:05 ID:bF+ML9L9
>>347
北大阪急行N2000系
北大阪急行線の箕面森町駅延伸に伴い増備された新形式。
箕面鉄道トンネル通過のため抑速ブレーキなど山岳仕様の足回りを持つ。
また、トンネル内の最高速度が100km/hになったこともあり、
モーターも200kwx4(MT比は1:1)となった。
しかし、箕面森町の人口が伸び悩んでいるため、4両編成での配備となり、
箕面森町ー千里中央間で区間運転を行っている。
なお、千里中央ー箕面森町間の運賃は片道600円に設定され、
北急在来区間との運賃格差に批判の声があがっている。
353名無し野電車区:2007/10/11(木) 19:13:53 ID:G/atJ6gY
>>351
 700番台で交直流かよw
354茄子塩腹:2007/10/11(木) 19:48:02 ID:YDx0l/1o
>349が変だったので再度。

JR東 グリーン展望車 マイテ58形2011号

高崎車両センター所属で、同所の12系や旧客ハザとともにイベント列車に使用される展望車で、JR西のマイテ49 2とともに旧型客車の頂点(皇室用除く)に立つ存在。

元々は戦前の特急「鴎」の3両目の展望車マイテ37060形37060号として1940年初めに大井工場で新製された。
車体や客室設備は前年に鋼体化改造されたスイテ37050形(→スイテ37→マイテ581・2)に準じたが、長柱構造を採用したため張上屋根で、鉄道省展望車中最もスマートな車両である。
台車は新製なのでTR73形。
1941年、スイテ57形(1)に形式変更。1943年に「鴎」が運休されると新見に疎開留置。
戦後は米軍将官専用車を経て1952年に返還。この間、1947年に空調装置を取り付けている。
返還整備後は特急「はと」に使用。
1953年の形式称号改正で準同形の旧スイテ37形共々、マイテ58形に統合。
新製車のため番台区分でマイテ58 11になった。
355茄子塩腹:2007/10/11(木) 20:09:20 ID:YDx0l/1o
>354続き

1956年に「青大将」化されたが、1960年6月に特急運用から撤退。品川に転属して貸切用になった。
同年7月、旧一等車廃止でマロテ58 11になるが、8月に大宮工場で電気暖房取付、空調装置の高速化改造、横軽対策工事等を受けてマロテ58 2011になった。

しかし客車列車の斜陽化でマロテ49 1共々年々稼動率は落ち、1964年にマロテ49 1は廃車。本車も1966年に一休指定され、1968年11月に用途廃止された。

廃車後は解体を免れ、大宮工場で保管されていたが、民営化直前の1986年に整備されて車籍復活を果たした。

復活に際しては循環式汚物処理装置搭載、空調装置のパッケージと冷暖房化、小型ディーゼル発電機搭載、CLブレーキ化、TR73台車の揺れ枕吊り改造と軸受の密封ベアリング化等を施工された。

現在は「EL&SL奥利根」を中心にイベント客レに運用中。

最新の全検は2007年3月、土崎で実施済。
356名無し野電車区:2007/10/11(木) 23:34:14 ID:99ZXwh6T
E231系5000番台
中央・総武線に在籍していたE231系900番台を、武蔵野線に転属させたグループ。
転属するにあたり、M車の足回りを更新、5000番台とされた。
4M4T組成となったことも相まって、起動加速度が向上したが、205系と性能を合わせて運用されている。
検査入場した際に、シートモケットが205系と同一のものに張り替えられ、車内の印象が変化した。
M36編成を名乗り、205系と共通運用が組まれる。
357名無し野電車区:2007/10/12(金) 21:33:07 ID:WNWop2Ij
165系2000番台
国鉄が昭和53年から153系の置き換え用に製造した165系。
基本編成が153系と同じTcMM'Tcとなっているためクモハ165の製造両数が少ない。
側面に方向幕が取り付けられている。
昭和58年まで製造が続いた。
0番台廃車後の現在でも東日本と西日本に残っているが、JR西日本では一部が特急化改造(120キロ対応、リクライニングシート化、延命N40工事)されて7000番台(原番号+5000)になっている。
358名無し野電車区:2007/10/12(金) 22:14:01 ID:D8QQpX2B
JR東日本E129系電車
107系電車の老朽取替えを目的として新造された形式。
車体はE721系に準ずるが、オールロングシート構成とされた。
また、床面高さは1120mmとなっている。
107系電車と同様、1M1T組成で、0番台と100番台が存在する。
新前橋区に19編成、小山区に9編成が導入された。
359茄子塩腹:2007/10/13(土) 06:21:37 ID:53Z7Wd4G
JR東 E511系

常磐線の403系残存車を代替すべく、1996・97年に2M3Tの12編成を製造した。
近郊形の形式を名乗るが車体はE127系の交直流版で、下り側クハのみセミクロスシート。
交流区間では701系、E721系と総括運転が可能だが、営業運転での併結はしていない。
また仙台地区での運用を想定して耐寒耐雪構造である。

勝田の所属で当初は上野〜相馬間と水戸線で運用されたが、上野口へのE531系の増備と統一のため、2007年3月以降は水戸線と友部〜利府間の運用になった。
360ミウナ:2007/10/13(土) 15:04:59 ID:E8jF8gix
マロテ12-1001・1002
近代版マイテ49ともいえる車両で1997年にスハフ14から改造された
12系の開放式展望車。半分の客室は座席を1列×2とし、半分は一部を
フリースペースとして開放式展望室としている。
大正当時のダブルルーフ客車を模したフォルムで屋根にはダミーだが
ダブルルーフ部分の装飾も設けた。「EL&SL奥利根」の前後に
連結され、また各種イベントでも連結される。緩急形式ではないが、
車掌室などの緩急設備も設けられている。
2000年に1003と1004がスハフ12の改造で「ばんえつ物語号」用に
用意される予定だったが、磐越西線は上越線よりもトンネルが多く、
長大トンネルもあることから開放式は不向きと判断。寝台車改造の
密閉式とされたため改造は行われなかった。
当初旧1等にあたるイ級にしてマイテ12型にすることも計画されていた。
塗装はブドウ色でそれ以外の12系も塗装変更された。ヘッドマーク
には奥利根のを使用するが、「つばめ」「はと」のレプリカも使用する
場合もある。2007年の彼岸での運転では「さくら」のマークで運転された。
361名無し野電車区:2007/10/13(土) 15:25:34 ID:hGypHMJ5
かなり前だが>>12>>21の発言は本当
>>12
209系の四季彩転用のうわさはあったが
山間区路線にするには無理があるので中止になったと聞いたことがある
>>21
その計画も実際にあった
京浜東北線の103系置き換えに当たっての計画に入っていたが
なぜか中止になった その理由は国鉄の大幅な赤字かと思われる
362名無し野電車区:2007/10/13(土) 15:29:11 ID:hGypHMJ5
>>361
ミス修正
誤>山間区路線にするには無理があるので中止になったと聞いたことがある
正>山間区路線に対応するには無理があるので中止になったと〜〜


あと四季彩の置き換えにE233の観光用改造車が出ると思われる
363鉄道タイムズ:2007/10/13(土) 17:02:17 ID:z2rkOULd
JTBパブリッシュングから“幻の国鉄車両 夢の広軌化計画と、未成の機関車・客車・気動車・電車”という本が出版されました。
ネタ本としてはうってつけです。
以下、未成の車両の一部を、紹介。

○幻の機関車計画

・EH50形:1956年計画、東海道本線を走る高速旅客列車用
・ED95形(試作機)、ED63(量産機):1982年、EF58・EF15代替の直流サイリスタチョッパ制御機
・EB90(AB90)形蓄電式機関車:1975年、ED71改造で計画された環境対策入換え機
・1982年、EF10/12の代替機としてEF80の直流改造計画
・1982年、東海道山陽線荷物列車の電気暖房化かつEF58の代替機としてEF70の直流改造計画

・DF51形:1970年、北海道対本州重量貨物列車用

・AH100形:1957年、原子力ガスタービン機関車

>>364へ続くだろう
364鉄道タイムズ:2007/10/13(土) 17:03:06 ID:z2rkOULd
>>363の続き
“幻の国鉄車両 夢の広軌化計画と、未成の機関車・客車・気動車・電車”という本から、
未成の車両の一部を、紹介。

○幻の気動車・電車

・ガスタービン電源制御車:
1971〜74年、非電化区間へ電車を直通させる為、既存の電車のクハにガスタービン発電の搭載改造、若しくは新造

・1981、ステンレス製新型急行形気動車、117系電車と同様のユニット窓と転換クロスシート
・1955年頃、ニ軸のキクユニ、郵便荷物輸送用に残存している客車列車の気動車化の為

・1981〜84、準動力集中式特急形気動車、英国のHSTの日本版、編成両端に動力機関専用車配置、プッシュプル

・1961、四扉近郊型電車、東海道などの東京圏用
・1963、単相交流誘導電動機を床下に吊して気動車の如く液体変速機を介して動くローカル用交流電車
・793系:1975、交流回生ブレーキ試作車
・1982、新近郊型交流電車、交流回生ブレーキ、ステンレス車体、空気バネ、417系と同様の二扉セミクロス
・153系寝台電車:1961、モハネ、サロネ、10系寝台車を電車にした様なもの
・105系:
1971〜73、通勤・近郊形両用車、両運転特性対応のギアチェンジ、ロング・クロス転換(L/C)シート、仮設式便所
(注:東海道山陽緩行用の103系改良版とは別の構想)
・187系:1985年、碓氷峠(横川〜軽井沢)を自走可
365名無し野電車区:2007/10/13(土) 21:40:09 ID:fdOC1gN9
このスレだし、ネタか・・・とググったらマジかよww
(゚д゚)
買いに行くしかねぇかぁ
366名無し野電車区:2007/10/13(土) 22:44:40 ID:RfORxnpP
某篭手半が現れて、茶々入れそうだが一応・・・

JR東海213系8000番台

373系によるさわやかウォーキング号が好評だったため、
予てから全車ロングシート化で利用者より不満の多かった
東海道線に、定員制快速列車「すんえんライナー」が設定される
運びとなった。
しかし、「東海」が廃止されたとはいえ、373系だけでは車両が
到底足りず、もともと潰しの効かなさから遊び気味であった
神領の213系をオールリクライニングシートに改造の上、
指定席車(中央西線「セントラルライナー」と異なり、
自由席車を3両併結で運転される。自由席車にはロングシートの
211系5000番台、または313系2500番台が充当される)
として整備された。
外観は313系8500番台に準じて、オレンジのグラデーションに
変更された。シートは、誕生から10年余りが経過し、
リニューアル工事が行われた383系から捻出されたものを転用しているが、
リクライニング角は種車より小さくなっている。
その他、車椅子対応トイレが設置されている。
停車駅はホームライナーと同一だが、料金はリクライニングシートの分
「セントラルライナー」より高い500円となっている。
なお、関西線の213系の穴埋めは、313系1600番台を増備のうえ、
中央線と共通で運用されている。
367名無し野電車区:2007/10/13(土) 22:46:56 ID:Bhuae4JT
103系1000番台筑肥線仕様
国鉄が203系投入で常磐緩行線を追い出された103系1000番台を筑肥線に転用。
6両編成で、塗装は1500番台と揃えられた。
転用時に全車AU75Gで冷改された。
バーニア制御のため少しだけ性能が良かった。
しかし老朽化のため303系投入時に廃車になってしまった。
368茄子塩腹:2007/10/14(日) 12:04:09 ID:LOncYxfv
JR東719系1000・6000番台

719系0・5000番台を2005年よりVVVF制御化工事を進めているもの。
0番台は2008年度より車内のリニューアルが行われる予定。


JR東415系2500番台

719系のVVVF化で捻出された機器で2005年より415系1500番台を界磁添加励磁制御にしたもの。
ブレーキはSEL(HSC)のままなので403・415系在来車とも併結可能だった。
2007年、上野口から撤退した。
369鉄道タイムズ:2007/10/14(日) 18:39:28 ID:ArvzbaEG
◎国鉄103系4000番台
・改造年 1983
・特記 ステンレス製の車体と座席などのヴァンダリズム対策を施した103系改造車
○概説
1980年、城東貨物線と阪和貨物線が一体化した上で貨客併用化された。首都圏からの中古の103系電車が回された。
当年、国鉄再建法が施行されるなど、国鉄末期下で、82年、中曽根内閣により国鉄の分割民営化の方針が決まった。
それに反対する国鉄の左翼系労働組合が当路線において順法闘争をやらかし、遅延が多発した。
怒った乗客による暴動が発生し、電車や駅舎などが破壊されてしまった。第二の上尾事件が大阪の東にて発生してしまったのである。
上尾事件とは違って、学生運動経験の中年だけでは無く、十代の不良少年達もが暴動に多く荷担していた、80年代は校内暴力が多発していた影響か。
暴動沈静下後も、スプレーを使った電車車体への落書き、投石、座席の切り裂き、放火などの破壊行為が多発し、他路線との比較では突出していた。
当路線固有とも言うべきヴァンダリズム対策として、国鉄は、既存の103系に代って、既存の103系電車を基に次の様に改造された103系4000番台を就役させた。
落書きが洗浄し易い表面特殊加工のステンレス製の車体、熱線吸収強化ガラス、ステンレス製の座席、冷暖房兼用空調など、車体を丸々取り替えた。
バンダリズムに悩むニューヨークの地下鉄に対策車両を納入していたメーカーのノウハウが日本でも生かされた結果となった。
因みに、同時期、201/203系が量産されていた。
この電車のお陰で、バンダリズムが減少し、当路線の収支がかなり改善された。が、しかし、利用客にとっては不愉快であった、特にステンレス製の座席が。
87年の分割民営化によりJR西日本に継承。90年に座席が通常のものに交換された。
2008年、当路線の久宝寺連絡支線の貨客併用と関西線立体交差合流化完成による運行系統の変更に伴って、当路線からよそへ転配する予定である。
370茄子塩腹:2007/10/14(日) 21:02:34 ID:LOncYxfv
国鉄→JR貨物・北海道 DD55形液体式ディーゼル機関車

函館・室蘭・千歳線の貨物輸送力強化と高速化を狙って1976年から投入された重量90dの箱形大形機。貨物専用のためSGは搭載せず、非重連。

主機関はDD54の教訓か、既存機種をベースにツインターボ化したDML61ZD(1550PS)を採用、2基使用でEF60形1次車並の出力を確保した。
車体はDD54最終形に近いスタイルだが、つらら切り庇と旋回窓を標準装備し、当初は横格子も取り付けた。

ブレーキは増圧形で、元空気溜引通と電磁弁制御ジャンパを装備し、10000系貨車(+20系客車)の100km/h牽引も可能だったが、国鉄時代は使用する機会がなかった。

1975年に試作機1・2が製造されて試験に供され、1977-79年にDF50形代替名目で1次車3〜20を製造して鷲別に配置。捻出したDD51で山陰・紀勢線のDF50形を淘汰した。
1983-84年に2次車21〜32が製造されたが、このグループはJR北海道に継承されて本州直通列車牽引と一部のコンテナ列車仕業についている。

2007年現在、廃車は1・2のみ。JR貨所属機はコマツ製機関への換装等の更新を施工された。

371名無し野電車区:2007/10/14(日) 21:40:44 ID:KbA5KPfG
E903系
JR東日本が良品計画と共同開発した「無印良品電車」。
車体は鋼製で、色はベージュにマルーン帯とすることで「わけあって安く」製造。
372茄子塩腹:2007/10/14(日) 23:53:57 ID:LOncYxfv
JR北海道・キハ170形、JR東・キハE150系(2社共同開発)
2009年度に両運転台車各数両を試作する予定の一般用気動車。
車体は両社のオリジナルだが、機関・変速機は共通で、新潟トランシスとコマツディーゼルでそれぞれ開発中の電子制御付機械式変速機(EMT)を採用する。
液体式より伝導効率に優れるのに加え、勾配線や特急列車ではハイブリッド動車より低燃費になると予想され、JR北はキハ183・281系代替用DCの開発も計画している。
373名無し野電車区:2007/10/15(月) 00:31:06 ID:DsBLPlM8
>>363-364

早速買いました。
漏れ的には2軸気動車がかわいかったです。
374ミウナ:2007/10/16(火) 18:35:15 ID:vPpU4uAK
国鉄→JR貨物DD60型液体式ディーゼル機関車
1976年から投入されたさらに大型の重量100トン超大型F型機。
車体はDD54型最終型を2m60cmストレッチしたスタイル。
大馬力機関2基使用でT-DML65X(2000PS)とDB-DML67X(2200PS)
2基搭載でほぼEF65型に匹敵する牽引力を持つ。
頭につくTはチェコスロバキアのタトラ製・DBは西ドイツ
ダイムラーベンツ製。当初他の外国製大馬力機関の試験搭載
を予定しており、2社以外にMAN(西ドイツ)・イベコ(イタリア)
スカニア(スウェーデン)・ボルボ(スウェーデン)も名乗りを
挙げていたが先に名乗りをあげていた2社に国産の小松製DML66X(2000PS)
を加えた901〜903の先行3両が1976年に試験に供された。整備性の悪さと
共産国であったことからタトラが脱落し、ダイムラーベンツと小松の
一騎打ちの結果小松に凱歌が上がり、1977年に小松製機関で量産機49両が製造された。
外国製機関を搭載した試作車の2両も小松製機関に取り替えられて使用された。
なお44〜49号機は成田空港ジェット燃料輸送列車用特装機で窓は防弾ガラス張り
で側面窓などには金網が張られたが運転終了時に撤去され、一般機に戻された。
1997年に試作機が廃車され、2002年にDF200型配備で23と35号機〜38号機が廃車され
たが、それ以外は健在で1〜22と24〜34号機およびは鷲別に40号機〜43号機は
高崎に44号機〜49号機は稲沢(愛知)に配備されている。なお貨物専用機として
開発されているため旅客対応機器類は一切搭載されていない。なお28〜33号機は
北海道に譲渡してブルトレ牽引用として使用される予定だったが改造に莫大な費用が
かかることと大馬力機を使用する必要がなくDD51重連で事足りるため見送られた。
なお高崎配備機の中で42号機はお召し専用機。なお高崎車は首都圏ディーゼル規制に
対応するため機関をカミンズ製2000PSに交換の上DPFが搭載された。
375茄子塩腹:2007/10/16(火) 20:46:20 ID:v3GoHZiG
鉄道省→国鉄C51形290-324号

1929・30年に製造されたC51形の増備車で設計主務は島秀雄。
計画時は「48900形」と称されたが、性能は18900形と同一であるため、設計中の機関車形式改正で18900→C51形に統合され、続番号になった。
イメージはC53形の影響を受けて大きく変わり、直線ランボードにC53と同じキャブとテンダーを採用。
汽笛も五室形に変わり、自動焚口戸を導入した。
当初はデフなしだったが、1932-33年に全機取り付けられた。

新製配置は小樽築港、仙台、鳥栖。
1両が事故廃車、3両が戦災廃車、2両が戦後すぐに状態不良廃車。

余剰・老朽廃車は1958年に始まり、1967年2月に苗穂の297・317が廃車されたのを最後に形式消滅。317の第二動輪が苗穂工場構内に保存されている。
376名無し野電車区:2007/10/16(火) 22:10:40 ID:sUnuHD3n
芝山鉄道1000形

当初計画されていた成田空港(現:東成田)〜整備場前(現:芝山千代田)の区間運転用に
1989年に大栄車両で製造された車両。
走行機器は京成電鉄の赤電の機器を流用し、16m2ドアの車体を新造。
ワンマン運転も考慮され2両が製造された。
その後着工の遅れ、運転計画の変更(中型車両による線内運転→大型車両による京成成田乗り入れ
→京成との相互直通)により一度も営業に運用されることはなく、
他社へ譲渡されることもなく芝山鉄道開業前の2001年に廃車解体。
377茄子塩腹:2007/10/16(火) 23:37:41 ID:v3GoHZiG
国鉄→JR東 新幹線事業用液体式ディーゼル機関車 501形

東北・上越新幹線用として、1981年にDD51形545-550を種車に改造。ただし予算の関係で外観はDD51時代と変わらない。
融雪装置故障時の救援を想定して重連使用を基本とし、最高速度は120km/h。
機関はDML61ZB(1350PS)に換装。

種車老朽化と後継機551形新製投入のため2005年に全廃。
378茄子塩腹:2007/10/17(水) 00:06:47 ID:i56YHftp
JR東 新幹線事業用電気式ディーゼル機関車 551形

501形の代替として2003・2004年に3両製造した。
DF200形の標準軌拡大版ともいえ、主機関はIHI製DMR110ZA(3000PS)+日立製2000KW誘導発電機を2基搭載。
主電動機はMT950(760KW)×6で、デチューンしたEF200形と同等の性能である。
車体塗色がダークブラウン(ぶどう色1号)基調で、平時は深夜に運転することが多いためか「闇太郎」の異名がついた。
379名無し野電車区:2007/10/17(水) 17:58:06 ID:aIjnLuOy
クハ204形2000番台
クハ205形2000番台
モハ204形2000番台
モハ205形2000番台

身体障害者向けの車椅子スペースを確保する目的で車端部の座席を撤去、
混雑緩和の目的で扉間の座席をサハ204形と同タイプの格納座席に変更した車両形式。
全車がクハ204/205形0番台やモハ204/205形0番台からの改造で、
埼京線の205系が対象に選ばれた。
380名無し野電車区:2007/10/17(水) 18:35:24 ID:W81ArQM5
西武601系(二代目)
東急8000系の成功を見た西武は、自社も界磁チョッパ車を試験的に製造することとした。
そこでまず手始めに、池袋線の旧形式置き換えのために製造することとし、1976年より製造が開始された。
着席定員確保のためにこれまで同様3扉となった。
秩父線への乗り入れも想定され、抑速ブレーキを装備している。
試験の結果、期待通りに電力の節減が実現された。
ところが、秩父線での試験結果が思わしくなく、6連2本・4連2本を製造したところで製造中止となってしまった。
その後は再び101系が製造されている。
界磁チョッパであった事から廃車が後回しされ、現在でも全車が健在だが、比較的車齢が高く、今後ともに予断を許さない状況にある。
※(以下社内情報)本来2004年頃に引退が予定されていたが、諸般の事情により延期。
381茄子塩腹:2007/10/17(水) 20:52:41 ID:i56YHftp
国鉄ナヌ32形2000番台 電気式暖房車

EL用電気暖房装置を大出力MGからサイリスタインバータに転換するための試験車として計画された。
1965年秋、甲府機関区で予備車になっていたナヌ32 3-5を大宮工場でそれぞれ三菱、日立、東芝製のサイリスタインバータに積み換え、屋根に絶縁措置を施してパンタグラフを取り付けて2003-2005に改番したもの。

宇都宮に仮配置して試験運用を実施。
1967年、新製のEF80 59-63にインバータ搭載が決定したことで役割を終え、甲府に復帰してマヌ34形とともに中央東線新宿〜甲府間の運用についたが、EF64形の増備により1970年4月に引退し、同年中に3両とも廃車された。
382名無し野電車区:2007/10/18(木) 00:50:14 ID:kOryfmMu
E8系
JR東日本でJR九州の800系に対抗して作ったと思われる新型車両。
8両編成であるが、オールMであるため長野新幹線の33‰勾配を高速で駆け上がれる。
加速度は2.6km/h/sである。
383名無し野電車区:2007/10/18(木) 01:15:22 ID:IcVadg13
>>364
>四扉近郊型電車、東海道などの東京圏用
これはE217/E231/E531で実現したな。
384茄子塩腹:2007/10/18(木) 18:55:22 ID:XEteUMje
特別護送室付荷物車

戦後しばらくの間、凶悪犯罪者や逃亡の恐れが強い容疑者や未決囚を移送する際、一般旅客と同じ車両では支障があるため、法務省や警察庁の要請と費用負担で一部の荷物車を改造して監獄紛いの特別護送室を設けていた。

種車はスニ73やスニ30等の戦災復旧車や特に旧式の荷物車だが、資料が廃棄されたため詳細は不明。ただし元添乗係官の証言では車掌室に隣接して板張りの床に剥き出しの和式便所(+天井水タンク)。
二重金網+すりガラス固定窓を付け、鋼板壁で囲んでいたらしい。
1948年頃から1968年9月頃まで運用されていた。
385名無し野電車区:2007/10/18(木) 23:27:08 ID:wgoSoN/x
国鉄C63蒸気機関車、
昭和31年、老朽化した9600、8620、C51、C50などの亜幹線蒸気機関車置き換えとディーゼル機関車開発の遅れのため31年に5両、32年から35年に95両の100両製造。
他台湾(中華民国)、インドネシア、フィリピンに輸出、
国鉄最後の蒸気機関車として全国で活躍、私鉄向け有り蒸気機関車最後の昭和50年に北海道で引退
これにより9600や8620の廃車が早まった、準急や急行など旅客貨物の万能機で車齢が若いため現在でも動態保存機で、JR北海道、JR東、秩父鉄道、JR西、JR九州、でSL列車運転によく駆り出される。
他台湾、インドネシアに保存機有り。
私鉄機は北海道の運炭鉄道向け。
386名無し野電車区:2007/10/19(金) 11:36:27 ID:7Tw7HloN
国鉄EH50電気機関車

結局東海道戦昼間特急は電車に決定、しかし夜行特急、急行、準急列車、長距離普通列車のスピードアップのために設計変更して製造した場合。
@暖房用にSG搭載、A高速電動機をクイル駆動に変更、B変更により重量増加、C20系客車牽引のため新型ブレーキ装置ようジャンパ線(P型装置)
試運転ではあさかぜ用20系牽引で時速130km達成、しかし営業運転では時速が5kmupの時速100km止まり、東海道線の20系客車あさかぜ牽引でデビュー、他さくら、はやぶさ、急行列車にもSG搭載で運用可能に後輩のEF61よりも高速性能が良い。
以後の改造、昭和37年山陽本線セノハチ通過対策改造、昭和40年夜行客車特急時速110km運転に備えて改造EH50Pに、後輩のEF65Pとともに活躍、
昭和47年関西ブルートレインにEF65Pが当てられたので東京ブルートレインに集中運用、昭和51年以降EF65PFと特急用EF66PFの登場で廃車され昭和55年で全車廃車。

387名無し野電車区:2007/10/19(金) 11:57:55 ID:7Tw7HloN
新京成750系、

京成で廃車になった750系を新京成が京成更新210系と台車一部交換して大栄車両で更新後4連5本で譲受、後京成から704編成も加わる。

新京成では新造800系と共に貴重なカルダン駆動電車で活躍、100型が一部廃車に、京成更新210系廃車後台車と電動機を210系用に交換、最後は平成3年に廃車。
388ミウナ:2007/10/19(金) 18:33:33 ID:xcQsmXe8
国鉄(三菱)DD94型液体式ディーゼル機関車
昭和46年にDE50型(日立)とともに三菱が開発した幹線用 大型液体式ディーゼル機関車である。
車体は箱型構造で機関は DD51形やDE10形で使われているDML61系エンジンを12気筒から16気筒
化と、過給器系の改良で2200馬力を引き出したDMP83Zを2基搭載して 2台の台車で駆動するB-B式。
1両でDD51型の重連以上の牽引力 を持つ重量80トンをも超す巨大機である。当初電気式が予定されて
いたが液体式に変更された。昭和46年にDF93-1号機が高崎に配備され、貨物列車運用に着いた。
エンジン機関の 試作はその後も続き、小松製のDMP83Zに続いて外国製で西ドイツ ダイムラーベンツ社製
ノンターボで2000馬力を搭載したDB-DMP84Fが 2号機に、米国キャタピラー・カミンズ製2300馬力ターボのDMK85Zの
3号機と唯一共産圏より参加したチェコスロバキアタトラ社製DMT86Q型 2500馬力の4号機も加わり、高崎と千葉に2両
ずつ配備された。 試験は昭和53年まで続けられた。大馬力2基搭載型はある程度の評価を 得たものの、国産機関以外の評価が低かった。
なお蒸気暖房装置は搭載されなかったが、3号機と4号機以外は電気暖房搭載。 昭和53年と54年に3号機・4号機が相次いで廃車された。
特に4号機のタトラ社製 機関は当時チェコスロバキアが共産国だったことから法令の関係で補修部品の 供給が困難でエンジントラブル多発で
昭和50年以降は運転されなかった。1号機 と2号機が高崎にあったが昭和57年に2号機が廃車解体され、1号機は高崎に津山鉄道部のDE50型同様
モスボール状態のまま置かれて現在に至っている。
大宮の鉄道博物館での展示やエンジンを更新してのSL奥利根号での後部補機任務および上野〜高崎間用も浮上してるが、実現に至っていない。
大馬力機 であることと試作機であることから解体された2号機の部品もあったものの 保守部品の確保が困難であること、そして何よりも首都圏
ディーゼル規制によりエンジン更新以外にDPFの搭載が必要で機関換装と改造に莫大な額になることが判明したため。
機関換装時にはイタリアイベコ社製の1900馬力を搭載する予定で塗装もイタリア製機関ということから赤塗装部分をイベコ社がフィアットグループ
であることからフェラーリの赤同様のロッソコルサにする予定であった。
389茄子塩腹:2007/10/19(金) 19:58:54 ID:3y5GZ2KE
鉄道省→国鉄電気式ディーゼル機関車 DD10 2・3
戦前試作された電気式ディーゼル機DD10 1(車体:川崎・機関:新潟)の三菱重工製の準同形機。
車体周りは1とほぼ同形だが全長が150_長く、重量も若干重い。

主機関は同社長崎造船所製で8気筒750PS、関係深いズルツァー社とのライセンス製造。電気機器は三菱電機製で定格出力は450KW。性能はC11や8620形とほぼ同等(速力は劣り牽引力で勝る)。

2は1936年に竣工し、広島に配置し芸備線や宇品線で試用した結果、もう1両の製造指示が出た。
1937年に細部を改良した3が竣工して広島に配置。
折しも日華事変が勃発し、宇品港への陸軍弾薬列車牽引に従事したが、石油事情の悪化で1941年に休車され、2両とも三菱三原工場に疎開留置されて敗戦を迎えた。
戦後、廃車の話が持ち上がったが、蒸機の後継にディーゼル機関車は必要不可欠と三菱重工幹部が主張したため廃車を免れ、1951年に主機関を換装して再び宇品線に復帰。
DD50形・DF50形0番台開発へのデータを提供し、1957年、2両とも廃車された。
390名無し野電車区:2007/10/19(金) 20:36:05 ID:axAkl11n
名鉄100系改
名鉄でリニューアル工事を施工した100系。
足回りがVVVFインバータ制御に、MT比が3M3Tに変更され、全車両が215F相当の性能になった。
但しインバータがIGBTのためGTOとIGBTの混結になってしまっている。
391名無し野電車区:2007/10/19(金) 21:27:29 ID:axAkl11n
モハ810
JR九州で811系を7両編成化するために製造した中間電動車。
392名無し野電車区:2007/10/20(土) 00:44:22 ID:ziLxteeE
E531系2000番台
211系を置き換える為に製造された車両
手始めとしてまず宇都宮線に導入された。
直交流切替装置及びヨーダンパが撤去され、0番台より軽量となった。
(ただしG車のヨーダンパは撤去されずそのままとなった)
E233の教訓を生かし、座席のモケット変更等のマイナーチェンジが施された。
393名無し野電車区:2007/10/20(土) 00:50:37 ID:ziLxteeE
京王8000系更新車
ソフトの更新及び純電気ブレーキを搭載した列車
内装も更新され、シートの両端に化粧板が、中間にポールが追加された。
9000系の液晶モニターサービスが開始される為、順次設置工事が行われる予定である。
394名無し野電車区:2007/10/20(土) 01:00:57 ID:kADrQXGG
73系試作冷改車
国鉄で73系を試験的に冷房改造。
屋根上にAU75を搭載。
MGはクハ79とサハ78に搭載している。
なぜかJRになっても生き残った。
395茄子塩腹:2007/10/20(土) 11:09:45 ID:fYG6/IF+
鉄道省冷蔵車レ4000形(1937-61)

レ5000形をベースに液化アンモニア冷凍機を付けた初の冷凍貨車。
1937年春に3両試作され、7月の下関・小樽→汐留間での冷凍魚試験輸送で好成績を収めたが、同時期発生の蘆構橋事件を発端にした日中戦争のため運用は中止。
冷凍機を撤去して無氷槽冷蔵車として使用され、1961年に全廃された。


禮文(礼文)丸(1942-79)
稚泊航路の増強用として1942年に播磨造船所で竣工した砕氷貨客船
総d数4690d、主機低圧タービン付3連成レシプロ2基2軸、航海速力13ノット、最高速力17.6ノット。同年竣工の高島丸(日本郵船)、白陽丸(大阪商船)とは準姉妹船で、当時は日本で最大最強スペックの砕氷商船。
建造費用の一部は新砕氷艦建造を断念した海軍が2隻の準姉妹船と同様に補助した。
高島丸と白陽丸は戦没したが、本船は僚船宗谷丸ともども生き残り、樺太からの引揚輸送の後は青函航路の応援や福井地震で不通になった北陸線の支援、朝鮮戦争時の国連軍輸送等に従事した。
(続く)
396茄子塩腹:2007/10/20(土) 11:23:17 ID:fYG6/IF+
>395続き

1954-55年、台風15号で半滅した青函航路の応援に就いたが、そのさなかに南極探検用の観測船に指名された。
1955年、再び国有船に戻り海上保安庁に移管。便宜上、巡視船籍に入り「礼文」と改名。
日本鋼管鶴見ドックで大改造され、1957-64年は南極観測に従事。
後継たる海自の砕氷艦「ふじ」の就役により、1965年に再改装の上第1時海上管区に所属。1979年、同名の後継船に国旗を譲って廃船。
南極観測時の姿に復元され1980年より船の科学館で係留展示中。
397名無し野電車区:2007/10/20(土) 20:17:31 ID:6SUYVssA
JR東海 313系2900番台直流事業用電車(社員輸送用)

JR東海が営業用の313系2x00番台をベースに社員輸送向けに仕立てたもの。
編成は2連で、仕様は形式が示すとおり313系オールロングシート車そのものだが、
トイレが設置されない点と表記が「クモヤ・クヤ」である点が異なる程度。
大垣に1編成、神領に飯田線・関西線常駐を含めた3編成が配備され、
主に社員輸送用に使用される他に牽引車としても使用される。
ちなみに静岡は営業用車たる313系2x00番台2連が社員輸送用も兼ねる為、配備は無し。
398名無し野電車区:2007/10/20(土) 21:13:43 ID:6SUYVssA
>>397補遺
一方、静岡地区に投入された313系オールロングシート車には以下のような形式が投入された。

JR東海313系2950番台直流近郊形電車(事業用車兼用仕様)

静岡地区に投入された313系オールロングシート車2連だが、
社員輸送用や牽引車としても使用可能な装備がされている。
いわば、>>397の313系2900番台の静岡版といえよう。
牽引車としても使用できるようにMc車にはパンタグラフが2基装備され、
Tc側の前位側にもパンタグラフが装備されている(これは、313系2900番台職用車も同様)。
ただし、2900番台との相違点はトイレが設置されているのと
表記が「クモハ・クハ」である程度(ちなみにワンマン機器は設置準備のみ)。
静岡に3編成が投入され東海道線・身延線・御殿場線で社員輸送用や牽引車として用いられる他、
他の313系と同様に営業運転にも用いられている。
399名無し野電車区:2007/10/20(土) 22:50:11 ID:r5MoIxRO
東武鉄道2080系伊勢崎線仕様車

東武2000系のうち車齢の若い中間車を集めて構成された車両。
先に野田線に投入された6連での失敗を踏まえて全電動車構成を踏襲。
冷房改造工事も実施されたが、構造上屋根上に冷房装置を設置する事が
困難な為、車端部に床置式冷房装置を搭載する方式をとった。
しかしこの構造ゆえラッシュ時に詰め込みが効かず、乗客、乗務員双方から
不評を買い登場後わずか数年で20050系に置き換えられ廃車となった。
400名無し野電車区:2007/10/21(日) 05:10:43 ID:BfPfDa9H
東武鉄道400系
東上線特急用(本線系統の急行形相当)として1994年に登場した。
営団地下鉄有楽町線への直通運転が考慮された関係で、先頭車は貫通構造である。
車体はアルミ製で、寸法は車幅2800mm・車長20m(先頭車のみ20,13m)。
全電動車形式の4両編成で、モーターと台車は2000系増備車の廃車発生品を活用している。
制御装置は界磁添加励磁制御方式に変更され、ブレーキ系など一部機器も一新。
自動列車停止装置や列車無線装置は東武と秩父(1992年に換装)のものを搭載しているが、
営団には対応しておらず、2007年現在も準備工事に留まっている。
1999年にバリアフリー対応の改修が行われ、同時に座席が200系と同型のものに交換された
2008年のMSEデビューにより、本形式も地下鉄直通運用が期待されているが、
車齢とダイヤの問題により東武鉄道・東京メトロはともに難色を示している。
試験製造で1本しか存在しないため、350系(元1811F・1812F・1814F・1815F)6本との共通運用で、
池袋〜寄居(休日は長瀞まで延長運転)を結ぶ特急として今も活躍中。
401ミウナ:2007/10/21(日) 14:58:21 ID:2IZ9HJ+q
東武鉄道2070・2080系伊勢崎・日光・宇都宮線仕様更新車。
当初野田線への投入を予定されたが、東武動物公園以北の日光・伊勢崎線
部分の3000系や3050系の老朽化が激しくなったことから野田線の
投入をやめ、設計をを1からやり直して8000系クラスの車体に更新する
形に変更して更新名目で新造された。2両編成の2070系と3両編成の2080系
からなる。比較的経年の若い40年製以降の車体が選ばれ、特に昭和46年
製の電動車ユニットはすべて対象となり、昭和63年に改造が開始された。
車体をそっくり8000系の18m車体タイプに入れ替えるとともに冷房も
取り付けられた。なお補助電源はSIV式となった。前面は無論6050系
に準じた前面形状となり、2000系にはなかった側面方向幕も取り付けられた。
なお3両編成はクハ車を入れた2M1T式を2両編成はオールモハ車の全電動車
式である。なお主電動機を1800系のものと交換されている。
2両編成10本・3両編成6本が改造された。主に日光・伊勢崎線の東武動物公園以北
で、日光線・佐野線・小泉線・宇都宮線など支線区で使われた。なお野岩線にも
乗り入れ対応も一応なされている。
しかし地下鉄で痛めつけられた下回りの老朽化が急速に進み、使用に適さない
野岩・会津線運用に無理矢理回すなど無理がたたったことや50000系投入で
30000系の地上線投入も可能になったことや6050系の運用にも余裕ができた
ことから1997年に日光線と宇都宮線からは撤退。以降佐野線と小泉線など
伊勢崎線北部部分のみで使われたが、代替形式の800・850系の投入や
10000系シリーズの北部部分運用も可能になったことから2006年に
廃車された。なお一部主要部品は800・850系用に転用されている。
なお新造間もない期間に一時的に亀戸線で使われたことがある。
しかし18m車であることから詰め込められず、乗客の不評も高く
隅田川花火大会での輸送でさらに低輸送力を露呈する結果となり、
3ヶ月で元の8000系に戻されてお役御免となった前科がある。
402鉄道タイムズ:2007/10/21(日) 16:15:11 ID:7uKDPIL8
◎JR西日本203系7000番台
・就役年 2008
・特記 東京地下鉄7000系を購入、4M4T*9
・車種 クハ203-7000(Tc)モハ203/202-7000(M/M') クモハ202-7000(M'c) サハ203/202-7000(T/T')
・営業 大阪環状線
○概説
JR西日本は老朽化した103系という低性能電車を大量に抱え、自社の競争力強化と経費削減の為には、
せめて京阪神地区だけでも一刻も早くこれらを廃車して相対的に優れた新しい電車へ置き換える事が緊急課題となった。
が、しかし、経営体力上、321系の大量投入による達成は困難であった。
一方、東京地下鉄では、2008年副都心線の開業に向けて、有楽町線兼用として10000系電車を大量製造・投入、元々十両編成だった7000系の一部を八両化して
副都心線専用するなどに伴って、7000系に余剰車が多く生じた。
そこにJR西は目を付け、103系置換え用として、東京地下鉄から7000系電車を購入した。
中古車にわざわざ新形式をおこすのはもったいないと考えたのか、アルミ車体と電機子チョッパ制御系という事から、203系7000番台と付与された。
購入後、保安装置などをJR仕様に小改造された上で、大阪環状線に投入される。
一見すると、車体帯が橙色になっただけである。4M4Tに組成された八両編成の九本が就役する予定である。
403名無し野電車区:2007/10/21(日) 19:04:27 ID:sswH09V1
JR西209系5000番台

上記の理由で321系大量投入が不可能なJR西日本がJR東日本で廃車される、209系を物色した結果、車体強度に問題がある209系は、足回りのモーターとVVVFインバータ、台車を更新流用、車体を321系と同形で新造、しかしモーター出力が小さいのでM比が高く最高速度が110kmh、
8両編成で6M2T又5M3T、10両編成で6M4T又7M3T、6両編成で4M2T、7両編成で5M2T、

404名無し野電車区:2007/10/21(日) 22:39:15 ID:sswH09V1
鉄道省キハニ36540がもし戦後電車のクハ二になったら。
国鉄クハニ4102
戦後廃車の電気式ガソリン同車キハニ36450型2両を32系、42系用クハニとして飯田線で復活させたゲテモノ。
改造はエンジン、発電機、電動機の撤去、台車をTR-11(後TR-23に交換)に統一、客室側の運転台撤去、貫通路新設、荷物室側の運転台を電車用に、荷室積載1頓、定員座席58人、立席28人はキハニ時代と同じ、
飯田線のキハニで活躍するが昭和53年に2両とも廃車。
405名無し野電車区:2007/10/21(日) 22:41:14 ID:sswH09V1
間違えたクハニ47101、102、の2両だった。
406名無し野電車区:2007/10/21(日) 22:43:05 ID:7CKXCmlN
JR東日本・E657系交直流型特急電車
JR東日本が増備した「フレッシュひたち」用の特急車両。
東京メトロ千代田線と小田急電鉄の特急列車乗り入れ運転は好評で、千代田線利用客からは同等
の列車を常磐線方面にも欲しいとの声が日増しに強くなっていた。
そこで東京メトロとJR東日本が協議した結果、表参道〜勝田間(回送で代々木公園まで乗り入れ)に
「メトロひたち」を運行することとなった。「メトロひたち」は全車指定席となる。
この専用車として登場したのがE657系で、E653系を基本としているが6連で、千代田線乗り入れ基準
を満たすために正面貫通路を付けたスタイルとなり、幅が狭いので偏向回転クロスシートを採用する
など工夫を凝らした。東京メトロ用のATCや列車保安設備も搭載している。
「メトロひたち」は6+6の12連での運用を基本とし、松戸で上野発着と表参道発着の各編成を分割併合
する事となる。松戸以南では緩行線を特急が走ることとなる(綾瀬で乗務員交代の運転停車がある)。

この車両の登場で、E653系基本編成の一部が651系併結対応改造とサハをグリーン車を改造の上
「スーパーひたち」運用に転用され、それにより余剰となった651系が新潟運転所に転属して「いなほ」
に転用される予定となっている。
407名無し野電車区:2007/10/21(日) 23:10:36 ID:sswH09V1
もし鉄道省キハ43000型、キサハ43500型が量産されたら。
鉄道省キハ43000型、キサハ43500型量産型=国鉄キハ08初代、キサハ04300番台

昭和12年誕生の試作車3両1編成に続き、量産車3両11編成が完成、試作車と合せて、主に中京地区の快速兼通勤輸送、西成線や関西本線大阪側の通勤輸送用に配置、しかし日華事変の激化で使用停止、休車に。
戦後復活後、昭和27年に機関をDMH17に変更、改番でキハ08、キサハ04300番台に変更、その後液体式に改造されて、他の液体式気同車と併結可能になるりキハ08200番台に改番、しかし老朽化により昭和41年に廃車。
408名無し野電車区:2007/10/22(月) 08:49:32 ID:mLEVshsp
E657系1000番台
>>406のE657系と全く同じだが、保有が東京メトロとなっている。
車籍は東京メトロ綾瀬検車区だが、実際には勝田車両センターに配置され、
JR東日本籍のE657系と完全に混用されており、「メトロひたち」併結の
上野編成に使われることもある。
ただし、車体色に常磐線ラインカラーが加えられ、JRマークの代わりに
東京メトロの社章が入るなどの違いはある。
JR東日本の車両ではないのに、形式に「E」が付くのはファンを驚かせ
た(下馬評では「M657系」かまたはメトロ独自の形式になると予想された)。
乗り入れキロ調整のため、2編成のみが製造された。
409名無し野電車区:2007/10/22(月) 20:25:01 ID:8HBydWnB
東武400系:
りょうもう後継車両
東武500系:
スペーシア後継車両
東武600系/4000系:
快速6050系後継車両
(過去スレ参照)

上記よりの派生:
・東武450系:
メトロりょうもう用車両。
2階建て車両は建築限界の関係で無し。5+5両分割で中央林間〜赤城・伊勢崎(館林で分割)の運転。

・550系:
メトロスペーシア用車両。
個室は無し。中央林間〜東武日光・鬼怒川温泉まで(南栗橋で運転停車で分割)
・650系・4500系・4550系:
600系・4000系(伊勢崎・日光線快速)の半蔵門線・4050系(東上線特急)の有楽町・副都心線直通用。

東急線内では、メトロスペーシアとメトロりょうもうは特別特急・快速は快速特急で運転。

・西武11000系:
メトロレッドアロー用車両。
・西武41000系:
有楽町・副都心線〜秩父直通用車両。

東急東横線では、西武特急は特別特急・東上特急・西武快速急行は快速特急で運転。

東急100系/200系:
100系:メトロスペーシア・メトロりょうもう相当。田園都市線。愛称はあおば
200系:メトロレッドアロー相当。東横線。愛称はみなと
410名無し野電車区:2007/10/23(火) 00:05:28 ID:jGKNcM99
189系800番台
JR西日本で489系を直流化したもの。
一応碓氷峠でのEF63併結に対応している。
411名無し野電車区:2007/10/23(火) 14:01:45 ID:bA6A5vti
東武500系
MSEの北千住発着便の設定(メトロはこね)が発表に対し、東武鉄道は大いなる危機感を以って受け止めた。
これまで日光・鬼怒川に志向していた常磐エリア内からの観光客が箱根へ向かう小田急に奪い取られてしまうのではないか
と懸念されたのだ。余りにも過敏すぎる反応ではあったが、バブル崩壊後に悪化した営業実績がようやく改善されつつ東武鉄道にとって、
利用状況しだいでは増発の可能性もあるメトロはこねの存在は、それを脅かすものだと認識されたのだ。また、2006年の
スペーシアきぬがわの運転開始により北千住を経由する浅草発着便を減発していたことが、そういった認識にいっそう拍車をかけた。
まず、東武鉄道は小田急に対する報復措置とばかりに、JR東日本に協議を持ちかけ、スペーシアきぬがわの増発と直通区間の延長を
要望した。結果、車両使用料の精算面でJR東日本に譲歩する代わりに、要望は大筋で認められ、100系改造車の特急が湘南新宿ラインに
毎時1往復直通することになり、湘南エリアからの集客が見込める藤沢まで延長運転(途中停車駅は渋谷・横浜・大船)されることになった
(これは小田急の特急えのしまや江ノ島線快速急行との競合も意味した)。
続いて常磐エリア内の逸走を食い止めるため、これまでの運転体制を見直し、快速と区間快速の廃止(全便が区間急行に格下げされた)と
浅草発着の特急で速達型(北千住〜鬼怒川温泉間無停車)と多停車型(停車駅は臨時きりふりと同一)を毎時各1往復走らせることが決定。
今回登場する500系は運転体制の見直しによる特急の運用増と旧急行型電車の置き換えに対応するために製造されたもので、
車内設備は100系ほどの豪華さはないものの居住性や利便性を大きく上回るよう設計しており、車内サービス提供面でも充実させている。
東武鉄道の特急車としては初のアルミダブルスキン構体・IGBT素子VVVFインバータ制御である本系は走行面も重視しており、
通常で130km/h、路線改良や保安面の強化を行えば160km/hでの営業運転が可能なよう性能が確保されている。
2009年に9本36両、2010年に3本12両の就役が計画している(これまで300系で運行されていた臨時夜行は、起点が新宿に改められ、
485系か彩乃が使用されるようになった)。なお、100系は本系就役後、JR直通便とりょうもう・きぬ・けごん予備車に充当される予定である。
412.:2007/10/23(火) 14:07:24 ID:1+I5QVbF
JR九州511系:
・関門トンネル415系置き換えに登場。
・同様に唐津線にも導入(一部が筑肥線直通の為直流電化の為)

関門トンネル用:
クハ511−モハ511−モハ510−クハ510
唐津線用:
クモハ511−クモハ510

主変圧器・整流器:クハ510/クモハ510に搭載
VVVF:モハ511/510・クモハ511に搭載
SIV:クハ511/クモハ511に搭載
CP:クハ511/クモハ510に搭載
413名無し野電車区:2007/10/23(火) 14:09:47 ID:bA6A5vti
>>411訂正

>MSEの北千住発着便の設定(メトロはこね)が発表に対し、

>MSEの北千住発着便の設定(メトロはこね)の発表に対し、

>が計画している(これまで300系で運行されていた臨時夜行は、起点が新宿に改められ、485系か彩乃が使用されるようになった)。

>を計画している(これまで300系で運行されていた臨時夜行は、起点が新宿に改められ、485系か彩乃が使用される模様である)。
414茄子塩腹:2007/10/23(火) 14:12:46 ID:Hy+MQ9W2
JR西日本 523系近郊形電車
北陸線の国鉄形電車一掃を目的に2009年度製造開始予定の近郊形電車。
性能は521系並だが、金沢以東に加えてほくほく線での運用も想定して耐寒耐雪・塩害対策を強化した。
また、直流区間の拡大を想定して交流機器をモジュール化し、直流形への転換工事を容易に行えるようにしてある。
521系と併結運転可能。
415ミウナ:2007/10/23(火) 21:58:09 ID:5BuJG/iQ
東武鉄道600系
スペーシアの横浜方面への延伸のもう一つのプランとして、北千住より東京メトロ日比谷線経由
での東急東横線と押上より東京メトロ半蔵門線経由での東急田園都市線の2系統が検討された。
しかし日比谷線経由では18m車が必要になることから運用が容易でスペーシアより長い
10両編成の運転も可能な半蔵門線 東急田園都市線経由とする事にした。そしで専用特急車両と
してこの車両が作られた。
編成は東武特急車両最長の10両編成。当初は30000系の下回りを流用して車体をそっくり
取り替える案もあったが、結局は50000系ベースの日立A-train車体の特急車両とした。
なお個室座席とビュッフェは地下鉄を走る関係上設けておらず、3・7号車に車内販売準備室を設けている。
運転は2方向運転とし、6両東武日光行きの「はまきりふり」4両太田行きの特急「はまりょうもう」と
6両赤城行きの「はまりょうもう」に4両を会津田島行きの「はまおじか」と6両の東武日光行きに
4両特急宇都宮行きの「はましもつけ」で東急田園都市線の中央林間発着とした。
なお東急田園都市線停車駅は長津田 溝の口 二子玉川 三軒茶屋 渋谷
東京メトロ半蔵門線内停車駅は渋谷より表参道 九段下 大手町 清住白河 住吉 錦糸町 押上で
東武線も浅草の接続に考慮してこの直通特急のみ北千住以外に曳舟にも停車する。
切り放しは原則春日部で行うが東武日光 東武宇都宮行きに関しては栃木で切り放しする。
416名無し野電車区:2007/10/23(火) 23:50:29 ID:featLEZX
80系試作冷房車
国鉄で80系を試験的に冷房改造。
屋根上にAU12Sを6基、MGはクハ86に搭載。
417茄子塩腹:2007/10/24(水) 13:18:18 ID:+gtND3Dx
JR東 E523系

羽越線の直流・交流区間直通ローカルに使用中のディーゼル車代替用として計画中。
車体はE721系に準じるが、電気制動系は発電形である。(回生に変更可)
また使用線区の特性上、塩害対策を強化した。

2009年度より羽越・白新線全線と信越線新津以北で運用予定。


E721系1000番台、青い森鉄道・いわて銀河鉄道721系

JR分は秋田地区の701系代替用として計画中。
耐寒耐雪、耐塩害対策を強化。2009年度下期に新製開始予定。
青い森・IGR分は東北新幹線新青森開業による八戸〜青森間移管用に計画中。
418茄子塩腹:2007/10/24(水) 13:20:02 ID:+gtND3Dx

E523系→E533系の誤りorz
419ミウナ:2007/10/24(水) 18:37:40 ID:mCdQsEKd
国鉄モハ70-950 モハ73-900 モハ82-900
昭和29年〜31年にそれまでの吊掛式からカルダン式への移行する試作
車両として近郊型の70系・80系と通勤型のモハ72系の試作車が製造された。
まず昭和29年にモハ72系より直角カルダン式のモハ73-900と中空軸平行
カルダン駆動式のモハ73-901が製造され、昭和30年より70系より中空軸
平行カルダン駆動式のモハ70-950とWNカルダン式モハ70-950が、昭和31年
に80系より中空軸平行カルダン駆動式のモハ82-900・直角カルダンの
モハ82-901とWNカルダン式のモハ80-902とTD平行カルダン式モハ82-903が
製造され、最後にWNドライブのモハ73-902とTD平行カルダン式のモハ73-903
が製造された。台車はDT17をカルダン駆動式に改造したDT17CXだが
最後に製造された73系と80系はDT20をカルダン駆動式にしたDT20BX。
後にモハ90系に至る貴重なデータ収集を提供して試験運転を終えた後
70系と72系を除き通常の吊掛式に戻された。70系は末期は福塩線で、
72系は横浜線にあったが、昭和50年までに廃車された。80系は高崎線
にあったが飯田線などに行くことなく昭和46年に廃車されている。
なお低屋根式70系のモハ71-970も計画されたが製造されずに終わった。
また既存車両をカルダン式に改造する研究もなされており、対象車両には
モハ40系や42系や50系列の他に何と流電のモハ52系まで含まれていた。
モハ52-001〜004に直角とWNカルダンを組み込もうという乱暴な計画で、
実際行われていたら飯田線の52系がすべてカルダン式になった可能性もある。
またモハ43系にまで及んだ可能性も高い。
420茄子塩腹:2007/10/24(水) 20:01:56 ID:+gtND3Dx
国鉄 通勤形客車 マハ57形→マハ28形

1951-53年、マハ47形の一部を更新修繕とともに中央ドア新設とオールロングシート化改造を施したもの。改造時にはマハ57形を名乗ったが、1953年の形式改正時にマハ28形となった。

車体中央部に両開ドアを設け、前後客室とは両開仕切ドアで仕切って寒風除けのデッキとし、便所がない前位車端側デッキにも両開仕切ドアを設けた。

0番台は二重屋根車、150番台は丸屋根車で、1〜は旧マロネ37300、11〜は旧マロネフ37500、31〜は旧マロネ37350、41〜はスシ37700の各形がそれぞれ前身。(21〜は欠番台)

151〜は旧マロネロ37600形。
マロネ37400形ベースに当たる101〜は改造されなかったため欠番台。

札幌、仙台、広島、竹下に配置されて運用されたが、電車・気動車化により1969年までに全廃された。
年末年始にはお歳暮や年賀郵便輸送のため荷物車や護送郵便車の代用として使われ、最終運用(1968-69年年末年始輸送)も荷ユ・ニ代用としてであった。
421名無し野電車区:2007/10/24(水) 20:23:47 ID:lqTcG4A9
E655系1010番台
全車トイレ個室のみのハイグレード車
422茄子塩腹:2007/10/24(水) 20:37:24 ID:+gtND3Dx
南満洲鉄道 旅客用蒸気機関車 ハドイ形(1-6)

特別急行「あじあ」の増強用として1941・42年に川崎車輌と満鉄沙河口工場で製造されたパシナの拡大発展形たる2C2蒸機で、日本製蒸機では最大最速機。

動輪はドイツの05形を上回る直径2400_に達し、運転最高速度は135`時の性能を持ち、満鉄でのトライアルでは176`時をマークしたが、本形で最高速度210`時に挑戦する予定だったとも伝えられる。

当初予定では「あじあ」の大連〜新京間牽引を本形に統一し、新京〜ハルビン間の牽引機をパシサ形からパシハ形に変えて全般的なスピードアップを果たすとともに、パシナは急行「はと」や釜山〜北京間急行「大陸」牽引に振り向ける予定だった。

実際、「あじあ」運用についたが、対米英戦争のため増備は6両でストップ。パシナと共通運用で使われるに留まった。

1943年の「あじあ」運転中止後は専ら急行「興亜」牽引に用いられたが、敗戦後の状況は不明。

中国国鉄の記録では、勝利10形となった本形はあまりに大型過ぎて使用機会は少なく、1967年までに全機解体されたとのことである。
423名無し野電車区:2007/10/24(水) 21:28:58 ID:mAjoLbzf
名鉄500系
名鉄が製造した鶴舞線乗り入れ用の新型車両。
300系がベースだが、オールロングシートである。
3M3Tの6両編成で、主電動機は190KW、歯車比は6.06と「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」に準拠した仕様になっている。
424名無し野電車区:2007/10/24(水) 23:10:24 ID:DBFWKNWX
>>416
実際にあった。但しサロだけだけど。
425名無し野電車区:2007/10/25(木) 10:27:04 ID:R4B9jCbP
阪神6000系電車
2009年春から開始予定の阪神なんば線と近畿日本鉄道の相互乗り入れ対応の普通系車両(青胴車)として登場する。
先の1000系と同様にステンレス車体にストライプ柄でブルー系の新色を使用する。
本線と急行運転開始後のなんば線の普通運用に対応する為、5500系と同様に加速度4.0Km/h/sとし、全電動車となった。
なんば線と直通運転を行う奈良線では6連での普通運用があるので基本編成4両と増結編成2両となっている。
なんば線全通後は5500系の運用は6000系に置き換わり、日中は尼崎〜東花園間で運用される。
426名無し野電車区:2007/10/25(木) 18:07:27 ID:yMndqQs2
JR東日本 E533系
常磐線中電(上野-取手間快速扱い)を一部千代田線直通する為に登場。
前面は、JR九州の817系そっくりな形となった。また、CS-ATC、D-ATS-P、小田急ATSが設置された。車内はE531系と同じである。
ただしグリーン車は平屋型グリーン車となりサロ211、サロ210以来の平屋型となった。
この車両は勝田車両センターに150両が配置され、E531系150両は松戸車両センターに転属し上野-成田間の快速運用に導入された。E231系は、埼京線や京葉線に転属した。この車両は、ダイヤ乱れの場合は上野にも入る。
427名無し野電車区:2007/10/26(金) 08:57:54 ID:skDXMlar
E257系800番台・900番台
東京メトロと小田急電鉄の直通特急列車は好評で、日に日に他線にも
欲しいいう声が高まっていた。
そこで東京メトロとJR東日本が協議した結果、東京メトロ東西線と
JR中央線を直通する「メトロかいじ」の運行が決まった。
そのために登場したのがE257系800番台と900番台である。JR車は豊田
電車区配置。どちらも仕様は同じだが、900番台は東京メトロ所有編成で
書類上は深川検車区所属だが、豊田電車区に配置されてJR車の共通運
用されている。
車体も車内もE257系0番台に準じるが、車体サイズが東京メトロ東西線
規格に合わせたため若干小さい。そのため車内の通路が狭く、この車両
専用の車販ワゴンが用意された。先頭車は両方とも貫通タイプ。
編成は10両で、6号車はグリーン車である。
JR車4編成、メトロ車2編成が製造され、茅場町〜甲府間の「メトロ
かいじ」、茅場町〜高尾・青梅間の「メトロ中央ライナー」「メトロ青梅
ライナー」、行楽シーズンには上諏訪行きの「メトロ八ヶ岳」に使用され
る。東西線内の停車駅は茅場町、日本橋、大手町、九段下、飯田橋と、
乗務員交代のため中野に運転停車。折り返しの都合で東陽町まで回送で
運転される。地下鉄直通の下り列車は立川までは全車指定席となる。
東西線直通運用のない昼間は「かいじ」として新宿に乗り入れる。
428ミウナ:2007/10/26(金) 10:32:33 ID:KcJzZ6He
名古屋鉄道2500系 2700系
名古屋方面への外環ルートとして知立から三河・豊田線を経由して
名古屋市交通局鶴舞線を経由し、犬山方面または各務原線経由で
名鉄岐阜への直通特急用として開発した車両。2200系ベースの
一部特別席編成の6両編成。当初は1600系を転用する案もあったが、
2200系ベースの新型車とした。なお20m車体と一般車の4ドア車だと
三河・犬山・各務原線での運転が困難であるため4ドアでなく
名古屋本線車両に合わせた19m3ドアとしている。
他形式の連結を考慮していないため貫通扉に幌はなく非常口となっている。
2700系は名古屋市交通局所有車両で書類上は赤池車庫所属だが
検査等は名鉄に一括して行っている。当初犬山方に特別席を設ける
予定だったが名古屋本線の特急にも使用できるよう知立方にしている。
三河線の停車駅は豊田市のみで豊田線内は赤池までノンストップで運転する。
鶴舞線内の停車駅は赤池、八事、御器所、鶴舞、伏見、丸の内、上小田井。
犬山線内は特急・快速特急に準じた停車駅で新鵜沼まで運転する。
各務原線経由で名鉄岐阜へ直通する列車はさらに名電各務原、三柿野、新那加も加わる。
当初知立始発だったが、刈谷市より刈谷までの延長を要求されたため刈谷市始発と
なっている。
新鵜沼・名鉄岐阜      知立・刈谷市
モ2600-サ2650-モ2850-サ2800-サ2550-モ2500
モ2800-サ2650-モ2750-サ2700-サ2750-モ2700(名古屋市交通局所有車)
新鵜沼方4両一般車 刈谷市方2両特別車。なお間合いで2000系使用の
全車特別の中部国際空港行き特急も1往復設定する予定だったがこれは
さすがに見送られた。
429名無し野電車区:2007/10/26(金) 10:53:59 ID:rJTse243
583系色の485系???
ttp://www.jr-sendai.com/index.php
 → 仙台支社からのお知らせ → 9/14(仙山線記念号)
430茄子塩腹:2007/10/26(金) 20:02:49 ID:+LhnK6ja
台湾総督府鉄道局 C59形(1-9)→台湾鉄路局 CT290形(290-297)(1942-78)

台北−高雄間の増強目的に1942年末から43年秋に汽車製造と川崎車輌で製造された。
鉄道省C59とほぼ同形で、テンダは10-25A。
1-5号機は1943年夏までに台湾に到着し就役したが、6号機は1943年8月、台湾へ送られる途中、積載していた貨物船が沖縄近海で米潜水艦に撃沈され失われた。
このため7-9号機は船積みを諦め、鉄道省が借り上げ、「C5907-09」のベニア製手書きナンバープレートに付け替えられて宮原に配置されて東海道線名古屋以西で運用され、1948年に台湾へ送られた。
台湾鉄路局ではCT290形として西部本線で特快・快客運用に活躍したが、DR2700形柴油車等に押されて真っ先に運用を失い、1971年に全機予備機にされ、1978年に全廃された。
台北の鉄路博物院に290号が保存されている。
431.:2007/10/26(金) 22:44:33 ID:mxnr8zPL
JR束E259-9000:
185系置き換えで投入したE259系(回路はE233系日立VVVF編成同様)ベースの高速試作編成。
とちぎ・はまかいじ編成をベースとしている。
最高速度180km/h(リミッター解除で200km/h)。
台車はDT80/TR265を高速試験用に新幹線同様の渦電流ディスクブレーキと高速補助用カーボンブレーキを備え、吸着ブレーキを追加し、強制車体傾斜を追加したDT80X/TR265X、
モータは、高速対応のMTX01。
VVVFはE233/E259用の日立製をベースにしたSCX01。
宇都宮・高崎・東海道・中央線でテストして、はくたか(束運用)用・新スーパーひたち用のE551系(振り子式の交直流新型)の高速化に反映。
試験終了後は、E259系標準の台車・モータ・VVVFに換装。
試験装備で営業運用に付いた時期もあった。
432名無し野電車区:2007/10/26(金) 23:20:53 ID:xQKVz6Q0
東武9070系
東武9050系のマイナーチェンジ車として、1997年に20両が製造された。
外観は9050系とほぼ同一であるが、内装に30000系の設計を取り入れている。
今年度、副都心線乗り入れ対応工事を施工する予定。
433名無し野電車区:2007/10/27(土) 23:19:52 ID:PRKj/Q2x
京阪10200系
京阪電鉄が製造した10000系の改良版。
車体は10000系と同様であるが、前面に貫通幌を取り付けできるように改良されている。
2両・4両・5両編成があり、最大10両編成を組むことができる。
434名無し野電車区:2007/10/28(日) 00:46:37 ID:gNQa+n8A
>>409
相鉄20000系/21000系:
20000系:メトロスペーシア・メトロりょうもう相当。東上線直通用。
21000系:メトロレッドアロー相当。西武直通用。
愛称は両者ともにそうしゅう。
435名無し野電車区:2007/10/28(日) 09:54:22 ID:sSM6PMx0
クハ118-200番台
JR東海で「するがシャトル」に使われている119系のブレーキ性能向上のためクハ118の台車を交換。
台車をDT21TからディスクブレーキのTR62またはTR212に交換している。
当初はクハ111の廃車発生品のTR62を流用していたが、枯渇したためその後は泣く泣くTR212を新製したらしい。
飯田線に戻ってからもそのまま。
436茄子塩腹:2007/10/28(日) 16:34:41 ID:s8lQGH0K
国鉄オハ17形

オシ17形同様、マハ29とマハネ29の台枠に軽量構造の車体を載せる形で1958年1-3月に長野・郡山工場で10両が改造された。

本形式は本格的な北海道向け一般車の試作車といえ、窓の縮小や耐寒断熱対策の強化を施し、キハ22以降の北海道向け車の車体設計は本形式を基本とした。
台車はオシ17形のTR53のバネを強化したTR53A。
道内の急行・普通列車に使用され、1980年に全廃された。
437名無し野電車区:2007/10/28(日) 20:25:19 ID:eqIeUTET
キハ58形2000番台
国鉄が1970年から製造したキハ58系の最終形態。
エンジンがDMH17HS(250PS)に変更され、出力が向上。
最高速度が電車急行並みの110キロになった。
キハ65と組み合わせて運用するためキハ28は製造されなかった。
438名無し野電車区:2007/10/29(月) 18:59:48 ID:rfgF8BlZ
キハ65型2000 2500番台
昭和46年に製造されたキハ65型の最終型。主機関DML30HSDをさらに
スケールアップした水平対向16気筒40リッター過給器仕様のDML32HGR
(連続定格600PS/1800rpm、最大出力700PS/2500rpm)にさらに出力アップ
した58系最強型。併せて、自車を含め4両分の冷房電源を供給できるディーゼル
発電機「5VR型発電セット(5VR型ディーゼルエンジン+DM86A型発電機・ダイハツ製)」
1基を搭載した。冷房装置はAU13EN7基。ユニット窓やにはせず、折り戸ではなく
引き戸式で、キハ58系最終型に準じているため、一見するとキハ58型やキハ28型と
見分けがつかない。2000番台は四国向けの暖地仕様車で2500番台は東北向け寒地型。
2000番台が10両・2500番台の14両のわずか24両しか作られなかった。しかし
東北急行に投入された車両は特に問題なかったが、四国向けは大馬力車の宿命で
過酷な峠越えでのオーバーヒート続発でキハ65と同じ機関に取り替えられた車両もある。
2000番台四国車が1996年に消滅後は2500番台が盛岡に3両が現存し、山田・花輪線で
使用されているが、水郡線キハE130型投入に伴うキハ110系転入により全廃される予定である。
キハ23型1000番台
キハ53型200と1000番台はキハ58型の両運転台型だがこれはキハ65型の
両運転台型。1基エンジン搭載であることからキハ23型で分類された。
冷房も搭載され、発電機関もそのまま積まれている。昭和49年〜50年に
キハ65型から3両が改造された。目的は東北地区の急行「いなわしろ」に
一般型車(キハ52型)が連結されていたためその解消目的。
急行廃止後も会津若松にあり、大馬力を生かして只見線で使用されていたが
全車両キハ40系改悪化に伴ってキハ58系やキハ53型200番台ともども全滅されて
しまった。この大馬力車両があったから小出〜会津若松間の所要時間が早かった
事や冷房車で冷房も使えた車両だっただけにキハ40系改悪化には非難が続発した。
439名無し野電車区:2007/10/29(月) 20:23:55 ID:ZjAX00PF
東武20030系

野田線に投入されたステンレス通勤電車。2080系の導入が途中で打ち切られた結果登場した。
4M2Tの6両編成で、営団WS-ATCや貫通扉は省略されている。1990年に4本が投入された。
その後、野田線が20m車で統一されることになったため、短編成化・改番した上で館林研修区に転属。
この時捻出された中間車8両の内、6両は新造した貫通扉付き先頭車と編成を組み20000系に編入、
残りの2両は新造された貫通扉無しの先頭車と編成を組んで、短編成化・改番編成と行動をともにした。
2005年にワンマン運転対応等修繕工事を受け、2006年以降は伊勢崎線伊勢崎口の運用に就いている。
440ミユナ:2007/10/30(火) 18:33:40 ID:px1nGQi/
オハ10 オハフ10 オハフ11
ナロ10型を冷房改造したオロ11型と同様に昭和43年にナハ10型とナハフ10型
とナハフ11型を冷房改造したもの。改造はオロ11型と同じで低屋根構造に
した上でAU13型(1はAU12S型)冷房装置を5基搭載し、床下に発電用の
ディーゼル発電機を搭載した。重量増加に伴いナ級からオ級になっている。
なお電気暖房装置は搭載せず、最後まで蒸気暖房だったため2000番台表示
にはならなかった。ナハ10型より10両とナハフ10型とナハフ11型から
各5両が改造された。なお台車をTR50をそのまま使用しているがオハ10-7
以降とオハフ10-3 オハフ11-2は乗り心地向上のため試験的にオハニ36型と
同じTR52にしている。低屋構造などは後に12系や14系客車の母体となる。
主な目的は急行「銀河」の座席車44系の置き換えで、当時寝台車はスハネ30型
でない限りは冷房は搭載されていたが、座席指定席車であるスハ44とスハフ43
型は冷房がなく、サービス的にも見劣りしていた。そこで冷房つき車両の投入を
図ったのである。旧客から20系化された1976年最後の段階でオハ10-2・3・7・8と
オハフ10-1・4・5とオハフ11-1・2が在籍していた。12系化する検討もなされたが、
旧客最後まで運転を続け、旧客での運転廃止後も急行きたぐにでの転用も予定されたが、
すでに座席車両が早くから12系化されていたことや、新潟〜青森間の特急いなほへ
の分離化も検討されていたこと・電車急行(583系)化も検討されており、電気
暖房がなく、東北地区の急行「十和田」や「津軽」にも転用できないことや
ものが10系のため下降窓の宿命で雨水などの流入による老朽化も激しいため
1978年に全廃された。車体が12系に類似しており、12系登場後は「エセ12系」
や「ウソ12系」と揶揄されたが、車内アコモや座席等は末期に12系クラス級に
していたため旧客ながら12系と変わりない活躍ぶりだった。
441名無し野電車区:2007/10/31(水) 02:08:47 ID:Pv9Ow94T
203系500番台
営団地下鉄有楽町線と京葉線の相互直通運転用に配備された203系。
帯の色はワインレッド。制御方式が界磁添加励磁制御に変更されている。
当初保安装置は三社分搭載していたが、後に四社分(西武追加)となる。
1987年に120両が導入されたが、2010年以降にE233系に置換される予定。
442名無し野電車区:2007/10/31(水) 08:57:32 ID:awF2W8lF
東武鉄道8000系・81901編成
1980年に東急車輌で製造された東武8000系のうちの1本。
9000系投入を前にステンレス車体の試験導入という形で製作された8両編成で、
東上線に投入された。
車体は9000系にほぼ準じるが、窓が二段窓になっている点と、正面デザインが
東急8500系を高運転台にしたような独特のスタイルとなっている点が違う。
足周りは在来の8000系と全く同じ。
投入以後東上線での活躍が続くが、1982年頃に4連に短縮されて本線に貸し出
された記録もある。なお当初は川越工場で定期検査入場していたが、その後
9000系や10000系が増えると西新井工場(その後南栗橋)への入場もするように
なり、定期的に伊勢崎線を回送や試運転で走る姿も見られる。
2005年に更新されたが、車体はほぼ手をつけられず内装のみの交換となった。
この編成のみ更新は津覇車両でなく日本電装が担当している。
現在も他の8連と共通運用で東上線で活躍中。
443名無し野電車区:2007/10/31(水) 18:21:38 ID:hZLIr4Ve
クハ201・200-500番台
国鉄が製造した201系のATC仕様車。
運転台パネルがATC対応になっている。
山手線と京浜東北線、横浜線、埼京線に投入。
444名無し野電車区:2007/10/31(水) 18:32:50 ID:hZLIr4Ve
113系東北・高崎線仕様
なぜか東北・高崎線に流れ込んできた113系。
グリーン車を連結した11両編成とで、ラッシュ時には115系と併結していた。
445名無し野電車区:2007/10/31(水) 18:57:25 ID:hZLIr4Ve
201系小山車両センター・高崎車両センター仕様
新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が停止したため、緊急対策として中央線で使い古された201系を小山車両センターと高崎車両センターに投入。
両毛線・日光線・宇都宮線・吾妻線などに投入。
回生ブレーキがあるため省エネ性能に優れる。
塗装はオレンジ色のまま。
4両編成のみが投入され、107系や115系は運行休止に追い込まれた。
446名無し野電車区:2007/10/31(水) 19:08:33 ID:QAhGoms6
103系ステンレス車
将来の地下鉄乗り入れの試作車として制作
貫通扉が付き側面がコルゲートとなっていた
1編成のみ試作され、総武線で活躍したが結局地下鉄直通では使用されなかった。
1998年に廃車
447名無し野電車区:2007/10/31(水) 19:53:19 ID:M90Qiosx
113系・115系2500番台
昭和57年、2000番台の増備終了に伴い新製された新番台。
外観は115系1000番台、113系1500番台、113系2000番台そっくりだが中間車の車内は、415系700番台と同様、車端部はロングシートとなっている。
(ただし、Tc111・115-2600、2500のトイレ付近は今まで通り。また、115系は1000番台そっくりの車端部に。)
113系・115系2500番台は昭和58年まで製造され、新前橋・小山・田町・国府津・静岡・大垣・宮原・網干・岡山・広島・下関に配置された。
また、この車両の増備終了後、113系・115系2700番台(415系で言う500番台相当、詳細は次のレスに書込む)が昭和60年迄増備された。
これにより、113系0番台・113系0'番台・115系0番台・115系300番台の一部が置換され、113系0番台は一部が廃車、113系0'番台は幕張に転属して初期車置換、115系0番台は一部が廃車、115系300番台は豊田に転属した。
448名無し野電車区:2007/10/31(水) 22:30:51 ID:5rUqaVn4
115系板谷峠仕様
国鉄が当時直流電化だった奥羽本線福島〜米沢間に投入した115系。
2M1Tの3両編成である。
1968年に交流電化に変更されると他線区に転属した。
449名無し野電車区:2007/11/01(木) 17:32:13 ID:7cpU6HAL
お座敷列車「アルプス」
1990年代後半、欧風ジョイフルトレインは不人気で、団体専用列車として
お座敷列車を望む声が高まっていた。
そこでJR東日本は「パノラマエクスプレスアルプス」をお座敷列車に
改造した。
外観はパノラマ時代と変わらないが、車内は座席が全て撤去されて畳敷き
となり、堀炬燵タイプのお座敷となった。展望席も撤去されて、ソファを
配置してラウンジに変更した。
しかし種車の内装を活かし、和洋折衷タイプのお座敷列車とした。
愛称名を「アルプス」に改め、主に中央本線の団体臨時運用に活躍したが、
2003年に引退し廃車となった。
先頭車1両だけが大宮の鉄道博物館で休憩所代わりに保存されている。
450ミウナ:2007/11/01(木) 18:10:49 ID:RhMfThr9
営団地下鉄(東京メトロ)07系 007〜013編成
203系500番台 (>>441参照)と同時期に営団地下鉄も07系の京葉線乗り入れ
対応型として新造された。先に製造された07系と違い、東西線05系031編成以降
と共通にしている。そのためドア位置などは05系と同じ配置となっている。
当初保安装置はJR・営団・東武だが原則直通は和光市までの運用でしか使われ
なかった。後に西武の保安装置も追加された。2002年より蘇我〜清瀬までの
普通及び準急と土休日のみ飯能までの急行運用で西武への直通を開始したが、
東武はりんかい線が川越まで直通しており、志木までの運用にとどまっていた。
2004年より東武も川越市および森林公園までの直通を開始。なお東武はすべて普通である。
2007年以降10000系に京葉線用のATS-Pの搭載を決定したことで直通運用に10000系を
投入することやドア位置の関係で副都心線で使用できないため、007〜010までは深川工場
で転属改造の上東西線、011〜012は東武の保安装置を搭載している事から綾瀬工場で東急の
保安機器搭載の上で半蔵門線、013は千代田線へ転属された。なお千代田線転属車は06系で
編入するため07系1編成が消滅する。7000系は乗り入れ対象外で京葉線用ATS-Pは
搭載されなかった。なお東武鉄道も50070系2編成に、西武鉄道も6000系4編成に京葉線用
ATS-Pを搭載している。なお西武車はステンレス車の更新した車のみでアルミ車の50番台
は対象外。なお蘇我〜新木場間を快速運転する直通快速で運転するのはメトロと西武のみ。
451名無し野電車区:2007/11/01(木) 19:34:21 ID:CfhmMx1o
>>446
103系5000番台
軽量ステンレス車体技術が確立したため、従来の鋼製車体からステンレス車体に載せ換えられた103系。
国鉄では昭和50年代後半、201系を量産していたが、おりからの経営難から高価なチョッパ車の制作を中断し、
103系の増備を再開した。
台車や電気機器は従来の103系と同一だが、車体が軽量になったため従来車より加速や省電力特性は若干良い。
関東では昭和60年代からJR化後の平成2年まで埼京線、武蔵野線、京葉線に投入された。
関西でも国鉄末期に阪和線に少数が投入されたが、さらにJR化後に開業した東西線乗り入れ用として、
実に平成9年まで生産され続けることになった。
452名無し野電車区:2007/11/02(金) 00:10:01 ID:1nSzgabh
>>451
しかしその反面、平成になってまで増備されたことにより「JR版泉北3000系」というあまり有難くない愛称を(ry
453ミウナ:2007/11/02(金) 11:42:17 ID:fplYmp9+
営団地下鉄(東京メトロ)5000系5849〜 5953〜
軽量ステンレス車体技術が確立したことから、1985年にそれまでの
スキンステンレス車をオールステンレス車体に仕様変更した5000系の最終型。
並行してアルミ車体の最終型も製造されている。電気機器は従来の5000系と
共通だが台車は6000系と同じものになった。またアルミ車体車は当時製造が
開始された半蔵門線8000系の設計を踏まえた1段窓タイプとなっている。
また千代田線6000系22編成以降と同じ冷房搭載準備を施した上で落成しており、
昭和63年に6000系と同じ集中式冷房を搭載している。また側面方向幕も
取り付けられている。ステンレス車40両とアルミ車体が30両の計70両が
1987年までに製造された。すべて東西線向けだったが、アルミ車体の一部は
一時的に千代田線で使用されたものの短期間のみですべて東西線へ移動している。
なお最終型5852Fはコルゲートの数も少ない。5000系の中でもこの車両は生き残る
予定だがアルミ車体車は車体更新を行っておらず、05系の新造および07系転用に
より千代田線へ移動し北綾瀬支線用になる予定である。それ以外は平成14年に
更新工事を行い、VVVFインバーター化など6000系更新車らと同一の更新を
行っている。
99 5049-5369-5692-5368-5928-5128-5367-5691-5366-5849
00 5050-5373-5694-5372-5929-5129-5371-5693-5370-5850
01 5051-5377-5696-5376-5930-5130-5375-5695-5374-5850
02 5052-5381-5698-5380-5931-5131-5379-5697-5378-5852
アルミ車体
93 5153-5462-5756-5461-5932-5132-5460-5755-5459-5953
94 5154-5466-5758-5465-5933-5133-5464-5757-5463-5954
95 5155-5470-5760-5469-5934-5134-5468-5759-5467-5955
454名無し野電車区:2007/11/03(土) 18:46:11 ID:F3rqJf3R
千葉ニュータウン鉄道9200形
9000形の老朽取替用として製造された。
基本的な設計は京成3000形と同一であるが、窓枠には新京成電鉄N800形に準じたブラックサッシを採用。
また、その他外装、室内の配色にも若干の差異が見られる。
2編成16両が製造され、北総線成田空港延伸に備える。
455名無し野電車区:2007/11/04(日) 01:13:51 ID:SF1gvFA5
JR西日本209系
当初阪和線に321系1000番代(仮称)を投入する予定を立てていて、103系の未
更新車や更新初期車を集中させていたが、諸般の事情により321系の投入は中
止となった。そのため代替車輌を物色していたが、JR東日本で京浜東北線に
233系1000番代投入で捻出される209系を西日本仕様に改めた上で購入するこ
とに決めた。車齢的には京阪神緩行線等で現在も活躍を続ける207系と同程度
なので耐用には十分と判断された。

取り敢えずは羽衣線用の3両2本を除く阪和線運用車輌すべて(快速・普通関
係なく)を置き換える事になるが、
・クーラー及び窓枠、扉の撤去
・モハの内大阪側台車をサハの台車に振り替え
・車内では情報装置及び一部座席の撤去
と阪和線独自仕様に改めた上で投入される模様である。

なお捻出される車輌のうち、103系は全廃、205系は一部車輌のクハ化改造を
施した上で広島地区に転用。223系0番代は地下線乗り入れ対応改造を施した
上で学研快速に転用され、この転配で捻出された207系を広島・岡山・奈良地
区に残る103系完全淘汰に振り向けることになる。
456名無し野電車区:2007/11/04(日) 09:46:29 ID:41JvoAP7
113系・115系2700番台
昭和59年、2500番台の増備終了に伴い新製された新番台。
外観は115系1000番台、113系1500番台、113系2000番台、113系2500番台、115系2500番台そっくりだが車内は、415系500番台と同様、ロングシートとなっている。
(ただし、Tc111・115-2800、2700のトイレ付近は今まで通り。)
113系・115系2700番台は昭和61年まで製造され新前橋・小山・田町・国府津に配置された。
(211系は、昭和62年から製造。ただし、セミクロスシート車両は静岡に配置。)
これにより、113系0番台・113系0'番台・115系0番台・115系300番台全てが置換され、113系0番台は全て廃車、113系0'番台は全て幕張に転属して0番台・1000番台の初期車、115系0番台は全て廃車、115系300番台は豊田に転属した。
昭和63年、415系と車番を統一する為、2500番台は2700番台に、2700番台は2500番台に改番された。
また、一部の2500番台・2700番台では車端部及び、車内全体をセミクロスシートにした車両も登場し、113系・115系2000番台に編入された。
457名無し野電車区:2007/11/04(日) 18:46:54 ID:+FS+vmC0
南海21200系改造型、
釣掛駆動の元21201系を昇圧工事時に21000系、22000系ズームカーと同じ電動機、制御器、ブレーキを新製して足回りを換装、集中冷房機搭載改造されて21200系に再編したもの。
編成は、モ2120=モ21202+モ21203=モ21204、で2両ユニットを連結した4両編成、台車は旧21201系時代の空気バネ台車をカルダン駆動改造の上流用。
車内は21201系時代にロングシートに改造されたが、空気バネ台車装備のため臨時こうや運用するために扉間転換クロスシートに戻される。
改造後は他のズームカーと共通運用だが、空気バネ台車を買われ臨時こうや運用につくのも多かった、しかし老朽化のために平成4年頃2000系登場時に廃車、下回りが特殊な空気バネが祟り全車解体。
458名無し野電車区:2007/11/04(日) 20:39:37 ID:tm4bvRIB
209系1000番台ケヨ81〜ケヨ86編成
常磐緩行線に続いて、有楽町線と直通している京葉線(>>441>>450参照)にも投入されることが決まった。
ATCではなくATS-Pを採用している。2000年に60両が配備され、2001年から運用を開始している。
本形式の就役により、京葉線の103系は淘汰され、201系も試作車が廃車された。
459名無し野電車区:2007/11/05(月) 17:16:58 ID:Osza0PCI
国鉄・モハ01系電車
昭和40年代初頭、電化区間の急進によって国鉄では電車が不足することが予測された。
特急や急行用の電車は新造していたが、地方で使用するローカル用の電車にまで手が
回らず、ローカル列車は電気機関車牽引になったとはいえ客車のままで、機回しなどの
手間は改善されていなかった。
そこで、国鉄では客車を電車に改造して電化区間のローカル列車を積極的に電車化する
ことを考えた。そこで登場したのが01系電車である。
早い話がキハ08の電車版で、オハフ61やオハ61が種車である。
改造内容は電動車では台車をDT21に交換、足周りはクモユ141に準じるものとした。
先頭車にはキハ08のほぼ同じ運転台が付けられたが、機能性を重視して運転室側に
も側扉を設置した。台車にはスノープラウも付けられた。
全車共通の改造内容は、ブレーキを電磁直通ブレーキに改造し、電車用の制御回路
とサービス電源回路を取り付けた。将来対応で115系との併結を可能としていたが、
発電ブレーキはなく、抑速ブレーキも回路のみとした。横軽通過対応である。
側扉の自動扉化も考えられたが、改造費が嵩んだため見送られた。
形式はオハ61改造のサハ07とモハ02、オハフ61改造のクハ06とクモハ01とされ、構想
上ではクハ−モハ−サハ−クモハの4連と、クハ−クモハの2連を考えていた。
昭和42年に4連2本と2連4本が試作改造され、長野局で試用されることとなった。
試運転の結果から車体が重いことによる性能の悪さが指摘されていたが、実際に使う
とそれよりも扉が自動でないことや、シートピッチの狭さなど安全面やサービス面の
方が問題となった。昭和44年に側扉を外吊り引戸に交換の上自動化したが、サービス
面はどうにもならなかった。
1977年より115系1000番台車の本格投入が始まると同時に運用を失い、大糸線や飯田線
へ転属話もあったが結局はそのまま廃車となった。
クモハ01001とクハ06001は解体を免れ、長野工場に留置された後、横川鉄道文化むらに
保存・展示されている。
460名無し野電車区:2007/11/06(火) 22:43:48 ID:apuWwj/m
京成3400形更新車
2010年に新型スカイライナーが導入され、AE100形が廃車となった。
そこでAE形から足回りを移植した3400形に白羽の矢が立った。
足回りを移植し、3400形はVVVFインバータ搭載車として生まれ変わった。
車内アコモは化粧板が追加された程度で大きな変更点はない。
461名無し野電車区:2007/11/06(火) 23:24:11 ID:4cwNE1Vy
クモル223・クル222形2000番台
JR西日本が製造した223系2000番台ベースの配給車。
前面が223系2000番台と同じだが、17m車体で、前面にパンタがある。
クモル145の置き換え用。
462ミウナ:2007/11/07(水) 18:28:45 ID:aM0e51oc
営団地下鉄(東京メトロ)6000系6136〜6139F 7000系7135〜7137F 8000系8120〜8123F
平成3年に製造された一連の最終型。前面は従来どおりながら車体構造は完全に
東西線05系に準じたものとなり、側面窓・前面形状・チョッパ制御装置・台車などは
05系と共通となっている。車内も05系と共通で現行とまったく異なる。
また半蔵門線8000系最終型は当初これのみ120km運転可能で急行などで優先的に
使用された。なお全て新造時から側面行先表示機はLED化されている。
千代田線に40両・有楽町線に30両と半蔵門線に40両配備されたが、有楽町線の車両に
関しては05系と同じドア配置で副都心線のホームドアに対応できないため、10000系
配備に伴って2008年以降全編成を千代田線に移動させる予定。千代田線では6000系で
編入させて 6140〜6142Fとする予定である。203系の取替えを肩代わりと試作型6101Fの
廃車および初期型更新車の一部を3両編成に改装の上北綾瀬支線用に転用し、同線1次試作車
と東西線より転用の5000系全てを一掃させる予定である。
463ミウナ:2007/11/07(水) 18:33:00 ID:aM0e51oc
>>462続き
編成
←唐木田・代々木上原         綾瀬・取手→ 
6136-6236-6336-6436-6536-6636-6736-6836-6936-6036
6137-6237-6337-6437-6537-6637-6737-6837-6937-6037
6138-6238-6338-6438-6538-6638-6738-6838-6938-6038
6139-6239-6339-6439-6539-6639-6739-6839-6939-6039
有楽町線7000系編入車
6140-6240-6340-6440-6540-6640-6740-6840-6940-6040
6141-6241-6341-6441-6541-6641-6741-6841-6941-6041
6142-6242-6342-6442-6542-6642-6742-6842-6942-6042
←新木場・新線池袋         和光市・川越市・飯能→
7135-7235-7335-7435-7535-7635-7735-7835-7935-7035(千代田線転用後6000系6140F)
7136-7236-7336-7436-7536-7636-7736-7836-7936-7036(千代田線転用後6000系6141F)
7137-7237-7337-7437-7537-7637-7737-7837-7937-7037(千代田線転用後6000系6142F)
←久喜・南栗橋・押上 渋谷・中央林間→
8120-8220-8320-8420-8520-8620-8720-8820-8920-8020
8121-8221-8321-8421-8521-8621-8721-8821-8921-8021
8122-8222-8322-8422-8522-8622-8722-8822-8922-8022
8123-8223-8323-8423-8523-8623-8723-8823-8923-8023
なお現在6000・7000・8000の更新工事を行ってるが、この車両は0系ベースのため
VVVF化は半蔵門線8000系以外は行わず、しばらく現状維持で使用される。
但し冷房装置を05系10次車同様の 50,000kcalに増強する。
なお南北線9122〜9125Fもこの仕様の完全05系顔で製造が計画されたが
結局製造されなかった。
464名無し野電車区:2007/11/07(水) 19:35:42 ID:KPjJVTDD
ゲロハE531
夜間運用の常磐線に投入。
言わずと知れた酒盛り客用車両。
車内通路はやや細かい網が張ってあり、
かつ車両両端部から中央に向かって
下向きに傾斜が付いている。
シートは金属剥き出しで即水洗い可能。
水洗い後はそのまま床下の網を通して車外に。

車内は水浸しにはなるが、後に匂いが残りにくくメンテも楽。
465名無し野電車区:2007/11/08(木) 23:17:04 ID:fYfFdGE1
>>372
>電子制御付機械式変速機(EMT)

一時期、独創的なCM(http://www.daihatsu.co.jp/showroom/cm/index.htm)で話題になった、
車のCVT(自動無段変速機)の鉄道版みたいなものか。

無段変速機
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%AE%B5%E5%A4%89%E9%80%9F%E6%A9%9F

従来の液体変速機を使わず、アクティブシフトと言う機械式変速機を採用した
JR北海道の試験車
http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2007/071023-1.pdf
466名無し野電車区:2007/11/09(金) 02:17:53 ID:jxaZKEry
南海N7000系
南海本線の老朽化した7000系の置き換え用として2007年より導入された
新型車両。関西空港への乗り入れも考慮し、ステンレスボディとなって
いる。なお、製造が東急車両という事もあり、設計コンセプトは東急5000系
に準じている(というか顔まで同じにするか…)。車内も座席がグレー、
壁がアイボリーの木目調になった以外はほとんど同じ。関西初の走ルンです
と2ちゃんねらーには不評だが、なかなかどうして一般乗客には絶賛好評
を博している。東急のTOQビジョンに相当するCOMPASSビジョンがその一因か。
なお、N7000系のNとは、Nankai's New&Next-ageを意味する。
467妄想竹:2007/11/09(金) 02:23:43 ID:MD6NbRtY
モハ402-101、クハ401-201

昭和54年、常磐線の事故でクハ401-52、モハ402-1が事故廃車され、クハ401-51、モハ403-1が余剰車となった。
当時常磐線は輸送力の増強と401系量産試作車の廃車が進められており、余剰となったこの2両も、廃車補充を行い活用することになった。
そこで当時増備が進められていた415系100番台のモハ414とクハ411偶数車を1両ずつ余計に製作したが、ユニットを組むのが50Hz専用のモハ403形となるため、
万が一にも広域配転の対象とならないよう、403系の増備車として付番されることになった。これがモハ402-101、クハ401-201である。
この2両の新製・組み込みに先立ち、モハ403-1とクハ401-51はAU75冷房の搭載改造が行われた。

後年の15連化に伴う編成替が行われるまで唯一、同一編成内に丸窓車とシートピッチ改善車が同居する編成であり、
また丸窓とシートピッチ改善車によるモハユニットの組合せは、国鉄近郊型でも唯一の存在であった。

AU75による冷房改造が行われたことや、モハ402・クハ401が比較的新しかったことから、E531系への置換え末期まで生き残り、
2007年の運用最終日まで活躍、廃車となった。


468名無し野電車区:2007/11/09(金) 07:04:15 ID:zSKpgfq2
営団06系増備車
営団地下鉄が6000系試作車2本と初期量産車21本を置換する為に登場させた。
先に導入された06系と車内は全く変わっていない。
この車両導入後、6120F・6121F6両を改造し、北綾瀬支線用の車両を置換する事になった。
営団07系増備車
初期量産車20本を置換する為に登場。
当初は07R系の登場が予定されていたが、07系塗装と7000系塗装が連結すると不釣合の為、07系導入となった。
この車両も先に導入された、07系と同様車内は全く変わっていない。
この車両により1次車・2次車の100両が置換されたが、中間に連結されていた(7200-7300-7400-7500-7600)は置換されずに残り、一部のT車がM車化され、10両編成として運転する事が可能となった。
469は@c44.010.c3-net.ne.jp ◆cplnFO9T0I :2007/11/10(土) 01:34:59 ID:ntM63TWR BE:272355269-2BP(1000)
>>467
クハ411のままで良かったんじゃないかと思ってみる
470名無し野電車区:2007/11/10(土) 01:37:03 ID:We2QbV6s
保守
471ミウナ:2007/11/10(土) 06:55:48 ID:wBgrHAa3
クハ401-91〜96 モハ402-21〜23 モハ403-21〜23
昭和46年に製造された一連の403系最終型。通風器が押込式で、車体構造は当時製造されていた
113系1000番台に準じたものとなっており、新造時から前照灯のシールドビーム化がなされているため、
デカライト車は1両もない。冷房がない点を除けば2年後に製造開始の415系0番台と何ら変わらず、
平成元年に車両更新と冷房改造を行っている。改造で搭載された冷房装置はAU712(MG給電式)。
但し補助電源装置は160KvAではなく、当時廃車が進んでいた451系に搭載されていた
110KvAMGを再利用して搭載している。(当初クハ481初期ボンネット車を廃車した際に出る
150KvAMGの再利用を計画していたが床下搭載が不可能と判断されたために急行型車両の
廃車発生品再利用に変更)また冷房も当初はモハ402をAU72を搭載し、それ以外はAU13E5基
搭載と言うかなり無謀な計画であったが改造費用の安いAU712搭載で落ち着いた。
冷房がAU712だったこともあり、E531系投入を待たず2003年に全車廃車された。
モハ402・モハ403-101〜103
苦肉の策として比較的程度の良いモハ400・401の主電動機をMT46からMT54に取り替えたもので、
改造の際に403系で編入された。
平成2年に冷房改造が行われたが、その際に搭載されたのはインバーター式のAU712で、
403系で唯一の存在である。車両更新は平成3年に行われており、異例の401系更新車として
注目された。
E531系投入に伴い廃車が進むなかでモハ400・401-42から改造された102のみが最終運転時まで
しぶとく生き残っており、末期は415系のクハ411-301と302に挟まれて使用されていた。
最終運転にも抜擢される大役を果たして401系最後の生き残りとして天寿を全うし、
2007年に廃車された。
しかし交直両用式近郊型車両初の401系最後の生き残りであったために解体はされず、
モハ400・401当時の形で復元して勝田車両センターにクハ401-51 76と共にモスボール状態で保存された。
大宮の鉄道博物館に持っていく話もある。
472茄子塩腹:2007/11/10(土) 13:28:45 ID:g3wqUYsr
鉄道省→国鉄E10形(史実と異なる)

奥羽線福米区間や肥薩線人吉−吉松間などの急勾配区間で使用されている4110形の老朽代替用として1940-43年に30両が日車、汽車で製造された。
ボイラはD51形のをベースに圧力を上げたもので、翌年登場のC59形とは準同形。
軸配置は2-10-4のテキサス形。
4110形の後継として庭坂(→福島)と人吉に配置して戦時輸送に従事したが、福島配置機は1949年の電化で人吉と新得に転属。

新得配置機は1966年の新線切り替えとDD51投入による狩勝区間無煙化に伴い1967年までに廃車。
人吉配置機も無煙化のため1972年に引退し、1974年に全廃された。

人吉市内に11号機が保存されている。
473名無し野電車区:2007/11/10(土) 13:40:43 ID:ZOKinYQm
おいおい
ここにあるのって
みんな実在しかけたヤツばっかりだな
どこが架空の車両形式・番台スレだよ
ぜんぜん架空じゃないじゃん
474名無し野電車区:2007/11/10(土) 21:42:31 ID:JFy1ZD+W
978年、清原環子(950-1023)は焦っていた。中流貴族の高名な歌人、清原元輔の
従弟として生まれ受領国司を歴任した義父と、その優れた長子として出世の道を
歩み始めていた夫の急死で収入は激減した。わずかな荘園の利潤では、平安京の
邸宅を維持するのがやっとで、これから成長する、娘と2人の息子の教育費を
捻出する方法を考えなくてはならなかった。
彼女の邸宅には、かつて肥後国で製鉄を業としていた雇人が数名いた。彼らは
邸内の金属器の補修に携わりつつ、兵の家から依頼を受けて、彼らの軍人としての
任務に必要な武器を製造、補修することで、半ば独立して生計を維持していた。
だが、承平天慶の乱から一世代以上を経過し、都では武器がだぶついていた。
環子から借金して古い武器を買い取り新作を鋳造しても、なかなか売れなかった。

環子は父親も国司であり、中央に租税を運んでくる地方の役人や農民の苦労を
よく知っていた。畿内と各地を結ぶ駅路、伝路は、この時代、補修の労働力を
欠いていた。荷車では車輪が水溜りにはまるので、物資の運搬は多くを人の手に
頼っていた。都でも、事情は同じだった。貴族の乗り物である牛車が通るだけの
幅はなんとか整地されていたとはいえ、皇族や上流貴族の長い車列が続けば、
重い荷物を背負ったまま道端にずっとよけて待っている人々が見られた。彼女も、
牛車を泥濘に乗り入れて待ちつつ、彼らの苦しみを目にするのだった。
475名無し野電車区:2007/11/10(土) 21:43:44 ID:JFy1ZD+W
都には牛車の数を大きく上回る乳牛がいた。牛車が通りやすい道を増やし、
荷車も行き来できるようにすればいい、うちの牛にも、銭を取って車を引かせれば
収入になる。そう考えた彼女は、どうすれば重い荷車が沈まないか、雇人たちに
試させた。堅いものを地面に敷けばよいが、石は加工が難しい。木の板に直接
車輪を触れさせると、損傷が大きくすぐ腐る。木の板を土に半分埋めて並べ、
上に鉄の板を2枚固定すれば、牛はこれまでの数倍の重さを、軽々と引くのだった。
倉庫に何万貫と貯まった鉄器を、10貫で1丈の割合で板にすれば、3200貫で
大路と大路の間が結べる。実家の伝手で検非違使の許可を得て、自邸の前を通る
烏丸小路の、四条と五条を結んだところ好評であった。長距離の通行者から料金を
得る許可も受け、左京北部に住む藤原氏の援助も得られたので、981年5月、
大内裏の東から八条までの路線を開設した。途中6ヶ所に、牛車が車輪を鉄の板に
載せたまま行き交える場所を作り、官道の宿場にちなんで、駅と呼んだ。

環子は子供たちを牛車で学者の許に通わせながら、通行料収入で、肥後国から
鉄を買い求め続けた。八条付近に住む、牛車を持たない下級貴族や官吏らより
運賃を受け、彼女に手数料を払って、烏丸小路だけを牛車で行き来する業者も
現れた。彼女は、それまで木で作られていた牛車の車輪を、この経路専用に、
鉄で作ることを考案した。従来、乗用の牛車は2輪で、御者のほかに大人4名が
2名ずつ向かい合わせに座るものであったが、前後に鉄輪の台車を取り付けて
安定を保つと、鉄の軌道の上では40名が着席した車を1頭で引けるようになった。

この頃、彼女の運用する牛車は毎月のように増え、新しい雇人たちに状況を
把握させる上でも、車輌の管理が必要となってきた。
屋根に檜を編んだものを張った、上流貴族用の車輌を、網代(あじろ)車を元に
製作し、ロの字に数字をつけて呼んだ。一般用には、網代を緑に塗って九曜星を
描いた、八葉(はちよう)車のような車を製作して、ハの字に数字をつけて呼んだ。
初期の車輌はロ10系(定員20名)およびハ10系(定員40名)と呼ばれた。
476名無し野電車区:2007/11/10(土) 21:45:01 ID:JFy1ZD+W
988年には清原家の路線が都の南端を越え、大和の貴族が開設した路線と、
相互乗り入れを果たすようになった。同年、長女延子が遠江の国司と結婚。
清原家は尾張国大府と遠江国浜松を結ぶ軌道を開業させた。ここに投入されたのが
ハ117系である。従来は車輌の左右の窓を背に座るのであったが、この車輌では
前を向いて4列で座ることができ、進行方向によって座席の向きを変える機能もあった。
延子は結婚後も牛車軌道事業に携わり、992年、東海道を全通させた。

997年、長男が昇殿を果たす。前後して、長年の懸案だった、大内裏前の二条通を
東西に通る路線の勅許が得られた。鴨川の橋を越え、醍醐までの路線には、従来より
やや小型の50系が導入された。この頃次男は、親戚の著した『枕草子』など文芸作品を
書写させて売る店を洛内に開設していた。新路線を東行と西行の複線で開業するに
あたり、店を線路間に、床の高さを50系と揃えて建築し、牛車を横付けして同時に
扉を開く試みが行われた。降りる際に段差がなく、階段で安全に路面へ出られること、
屋内で雨雪に濡れずに、新刊を立ち読みしながら牛車を待てることが評判を呼んだ。
利用者の中に新作を書く人も現れた。中宮のところに通勤していた女性が著した
『紫の物語』は54巻におよび、新作が発表されるたびに、書写所に召使を派遣して
写し取らせる読者も現れるほどの人気であった。

1019年の刀伊の入寇で武器需要が高まり、鉄価格は高騰した。環子の没後、
中央の貴族に荘園を寄進する開発領主と、国司との対立が強まった。牛車軌道は
両者にとって厄介な存在となり、満足な通行料も得られず、鉄の盗難等に耐え切れず
廃線となる例が目立った。洛内の路線網整備も1030年頃には停滞し、後三条天皇の頃
数本の新線が開通するも、12世紀に入ると廃線が進んだ。鳥羽上皇の頃までに、国内
全ての車輌や鉄軌道は宋に輸出されるか武器に再加工され、記録もほぼ消滅した。
477名無し野電車区:2007/11/10(土) 22:36:27 ID:kWCe1K9q
>>474-476

GJ!

>清原元輔
清少納言の父親ですね。
だから、環子の次男は、あの有名な文芸作品を独占的に販売出来たのですね。

NHKの“その時歴史が動いた”という歴史情報番組、井沢氏の“逆説の日本史”など、歴史物が好きな俺にとって、
楽しく読ませて頂きました。
478鉄道タイムズ:2007/11/11(日) 01:28:50 ID:s9sOl7dz
◎国鉄L11系中量輸送用交流電車
・車種編成 M'c-10 + M-11 + (M'-10 + M-11)n + M'-10 + Mc-11
・特徴仕様 交流三相600V側面接触式集電 サイリスタ位相制御 床下電動機 車体長8mの二軸車
・製造年 1983〜84
・営業 湘南台ライトレール線(東戸塚〜高座渋谷〜倉見)
○概説
1980年代初め、巨額な債務により破綻寸前の国鉄は、増収策として私鉄と同様に宅地開発に乗り出す事になった。
第一号として、東京横浜の近くでありながら通勤路線が無かった為に開発余地が在った東海道新幹線の高座渋谷・倉見区間沿線が選ばれた。
同時期、既存の駅とニュータウンなどの開発地区を結ぶ中量輸送用交通機関としてAGT(Automated Guideway Transit)、
いわゆるゴムタイヤ方式の新交通システムが、神戸のポートライナーでの実用化以後、各地に計画・建設される様になった。
国鉄も、先述の宅地開発地域と近隣の在来線を結ぶ交通手段として中量輸送用交通機関を採用する事に決めた。
それは、従来のAGTを踏襲していながら、ただ唯一、AGTのゴムタイヤと案内軌条を鉄輪と鉄レールに変更したものであった。
既存の車両保守施設の活用を目的に既存の国鉄在来線経由での回送を可能にする為である。
これは、もはやAGTでは無く、全線専用軌道型のLRT(Light Rail Transit)であった。
東戸塚を起点に高座渋谷から東海道新幹線に沿って倉見に至る宅地開発線が、前述の中量輸送モードとして建設された。
1984年に開業、路線名は、国鉄としては初の片仮名入りの湘南台ライトレール。
この専用車としてL11系電車が製造された。鉄輪・鉄レールの違いを除き同時期のAGTと仕様がほぼ同じであった。
車体寸法はAGTに準拠した二軸の小型車からなる編成、ワンマン運転。鉄輪・鉄レールなのでAGTよりも許容勾配は小さいが最高速度は高い。
従来の国鉄規格よりも急勾配が多いので粘着性能が高い交流電車を選択。
設計当初の車両形式は801系であったが、形式付与の規則に関して既存のヘビーレールと新規のライトレールを別々にする方針に変わった。
L11系の車両保守回送は、L11系が直流架線集電に対応していない為にクモヤなどの牽引を必要し、車体寸法が大きく異なる為に連結器アダプターを使用。
1987年、国鉄分割民営化の伴い、JR東日本に承継された。
479名無し野電車区:2007/11/11(日) 03:05:10 ID:lTMfxMUY
478の提案賛成だな、それをネタに日本の路面電車を欧州型ライトレールに近代化したり、交流式ライトレール新規開業するネタに使えそう。

480鉄道タイムズ:2007/11/11(日) 17:46:50 ID:s9sOl7dz
>>478の第二弾

◎名鉄10系
・車種編成 モ14(Mc2) + モ13(M1) + モ12(M2) + モ11(Mc1)
・特徴仕様 AGT準拠の車体寸法 車長8mの二軸車 床下電動機 第三軌条・架線集電  
・製造年 2008-9
・営業 名鉄桃花台ライトレール、小牧、上飯田、瀬戸線(桃花台東〜栄町)
○概説
桃花台新交通は、都心直通が出来無い事が仇になって、債務超過に陥り、名鉄に事業を譲渡して、解散した。
事業を継承した名鉄は、都市鉄道等利便増進法の下、桃花台線を従来のAGT(Automated Guideway Transit)から
LRT(Light Rail Transit)への改造工事を着手した。
パワーエレクトロニクスの進歩により、ゴムタイヤ前提だった最急勾配60‰の桃花台線を鉄車輪・鉄レールでもOKとなった。
AGTと違ってLRTは小牧・上飯田線などの既存のHRT(Heavy Rail Transit)への直通運行可能なのが最大の売りである。
桃花台線はAGTとしては2006年秋に一旦廃止。
そのAGTとしてのインフラを流用し、路盤に鉄レールと直流600V給電用第三軌条を敷設。小牧原駅辺りで小牧線に繋ぐ。
また、名鉄小牧線の名古屋市街地乗入れ線である地下鉄上飯田線自体も本来の都心に乗入れて居無かったので、
都心に直通する名鉄瀬戸線森下駅周辺まで延伸させて瀬戸線に繋ぐ工事も着手。
これに伴い上飯田線の運営は市交通局から名鉄へ移管。
2009年、桃花台線は桃花台ライトレールと改称の上で全線専用軌道型のLRTとして再生し、小牧でHRTに直通運転開始。
13年の上飯田・瀬戸線連絡開業により桃花台と栄は鉄軌道一本で結ばれる。
このプロジェクト用に新造された電車が、10系である。
車両形状は、HRT直通用のパンタと鉄車輪以外は従来のAGTと同一。車長8mの二軸車なので床下に駆動用交流電動機を設置。
HRT路線走行の際に車体とホームに隙間が生じるのでドアの部分には可動式の延長ステップを装備。
以前のAGT車と異なり編成両端に運転台。地下鉄直通に伴う非常用貫通路。
AGT準拠の車体寸法が故に一編成の輸送能力が小さいので小牧駅にて従来のHRT車両を増解結。
こうして、名鉄は、岐阜600V線群廃止以来、再びライトレールを運営する事になった、但し併用軌道は全く無いが。
481名無し野電車区:2007/11/11(日) 17:54:53 ID:qt/iu9Pa
ひぇ〜
482名無し野電車区:2007/11/11(日) 21:27:18 ID:vJIMaK6E
>>473
だがそれがいい。
483名無し野電車区:2007/11/11(日) 22:57:58 ID:ciQaR7V1
>>473
批判だけならガキでもできるさ(嘲笑)
484妄想竹:2007/11/13(火) 11:25:46 ID:QGJJc4vC
サハ411-300
昭和60年から始まった常磐線の15連化にあたり必要となるM-M'-Tのうち、
Tについては中央東線の輸送力見直しで余剰となったサハ115-300を転用、経費の節減を図った。
これがサハ411-300である。

改造点は、415系相当への引きとおし線の引き換え、塗装変更、大型MGの搭載、CP搭載であり、
CPについては、415系と同型を使用していた101系の廃車発生品を活用し、経費節減を図った。
また、原型と同じく、真ん中の扉の戸袋窓にMG用の風洞と吸気用のルーバーが設けられた。
ただ、ドアエンジンとドアは半自動回路を殺しただけでそのまま流用したため、
115系時代のまま扉に取っ手がついたままであり、室内側のドアエンジンカバーも115系タイプのままである。
トイレはそのまま存置されたため、サハ411としては唯一のトイレつき車輌となった。

2両が改造され長らく常磐線で活躍したものの、ユニット窓の冷房車ながらドア関係の特殊性がアダとなり、
E531系が投入されると真っ先に廃車対象とされ、2005年に廃車となった。
485妄想竹:2007/11/13(火) 11:39:24 ID:QGJJc4vC
もう一丁。

クハE500-500、クハE501-500

常磐線へのE531系投入にあたり、E501系の水戸ローカルへの転用が図られることになったが、
さすがに基本編成の10連は長すぎで、暫くはそのまま使ったものの、まもなくラッシュ専用となり、
付属編成との走行キロの差が問題となっていた。
折りよく京浜東北線の209系が置き換えられることになり、大量のクハ209・クハ208が余剰となったので、
これの状態の良い車を交直両用化、トイレ取り付けなどの改造を施し、サハと差し替え、5連化することになった。
これにより登場したのがクハE500-500、クハE501-500である。

改造点は、両者共通で交直対応改造、電番表示の5桁化とLED化、自動連結解放装置取り付け、
クハE500のみトイレ取り付け、CP取り付け、帯色変更等である。

4両ずつが改造され、E501系のK701〜704編成の5・6号車に組み込まれ、同位置のサハが抜かれて廃車となった。
これにより、サハE500は廃形式となった。

現在も水戸線と友部〜原ノ町で使用中である。
486ミウナ:2007/11/13(火) 18:28:06 ID:wn67oW2Q
サハ411-401〜404
>>484と同様に改造された車両であるが、こちらは113系のモハ112/113-1078と
モハ112/113-1110を電装解除したもので東海道線のサハ111-401〜404の415系版。
所属していた幕張配置時の当時は非冷房の冷房準備車であったため、改造に
あたり、郡山工場で冷房の取り付け(AU75B)も同時に行っている。
改造としては415系相当への引き通し線の引き換え、塗装変更、
大型MGの搭載(既にあるモハ112改造車は省略)とCP搭載で
CPは113系の廃車発生品を活用している。 また真ん中の扉の戸袋窓に
MG用の風洞と吸気用のルーバーが設けられた。(これもモハ112
改造車はすでに風洞とルーバーがあるためモハ113改造車のみ)
奇数車である401と403はパンタグラフ台の跡もそのまま残している。
なお改造の際に座席配置を当時製造されていた700番台同様連結面ロング
のセミロング式としている。平成3年に土崎工場で車両更新を行うなど
して延命を図り、長らく常磐線で使用されたものの、種車の113系が
415系では0番台相当の古い車であった(特に1078は昭和50年製)ために、
E531系の登場を待たずに真っ先に廃車対象とされ、2003年に廃車された。
追加で0番台後期車モハ112/113-308と323から改造した405〜408が登場
する予定であった。
487名無し野電車区:2007/11/13(火) 20:20:38 ID:9DEy13f8
東武50090系
地下鉄日比谷線直通・伊勢崎線緩行用に試験投入される50000系。
4M4Tの4扉18m車8両編成。中間車の座席配置は2-6-6-6-2人掛け。
地下鉄半蔵門線・東急田園都市線と直通する伊勢崎線急行・準急列車との誤乗を避けるため、
車体の色を白と橙の組み合わせから白と赤(200系と同じローズレッド)の組み合わせに変更されている。
保安設備は東武形ATSや営団形CS-ATCに加え、東急形ATSと東急形ATCも搭載している為、
東急東横線やみなとみらい線にも直通可能となっている。
2008年に1編成のみ登場予定。増備は未定。
488名無し野電車区:2007/11/13(火) 21:26:53 ID:FTQ/nHFB
JR東日本キハE133系
水郡線、八高線などのラッシュ用に開発された3扉通勤型気動車。
キハE133+キハE134+キハE135+キハE133の4両固定編成で外観はキハE130系とほぼ同一であるが、混雑緩和の為に車体長が21.5bとなった。
ワンマン非対応でキハE133は2+2のセミクロスシートで、キハE134、キハE135はロングシートである。
中間車のキハE134にはキハE130と同等の車椅子対応便所を車端部に設置。
エンジンはキハE130系と同等であるが出力は480PSとなり最高運転速度は110`。
水郡線に4両編成3本、八高線に4両編成2本を導入し、水郡線のキハE130系4両を新潟地区へ転属。
489名無し野電車区:2007/11/14(水) 21:06:30 ID:SuCZQR1P
キハ35形100番台
国鉄が製造したキハ35の強力エンジン仕様。
キハ90で試用されたDMF15HZA(300PS)を搭載している。
本来ならばDML30HS系エンジンを搭載したほうが望ましいが、3ドアで強度的に無理なため断念。
490名無し野電車区:2007/11/16(金) 01:11:57 ID:1RsHb7hr
JR九州:415系5000番台
415系1500番台の大規模リニューアル延命工事車両。
最高速度は、811系・813系と共通運用をするため120q/hに向上。
台車は高速運転も行うため、813系と同じものに変更され、車輪径も810mmに下げられている。
運転台構造は、大型LED表示装置を搭載するため817系1100番台と同じ構造で、種車の面影がなくなっている。
塗装は、やや濃いブルーラインが引かれ、側扉もブルーに塗られている。
車内設備は、転換クロスシートが基本であるが、
車端部はロングシートに転換可能なデュアルシート(2WAYシート)も一部採用。
便所は、電動車いすにも対応した大型の洋式タイプとされている。
なお、関門鉄道トンネル通過用の近郊型電車は、この415系5000番台のみとなり、
鋼製415系は老朽化のため、813系・815系・817系などに置き換えられる予定。
491名無し野電車区:2007/11/16(金) 02:09:38 ID:nEHaWTyB
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492ミウナ:2007/11/16(金) 20:20:30 ID:8g2sU8zd
JR東日本キハE137系
>>488のJR東日本キハE133系の久留里線型。編成は3両でキハE137+キハE136+キハE137
で組成する。両運転台仕様のキハ138型(後述)とともに製造された。
ワンマン運転非対応で座席はセミクロス・ロングの変則式。燃料に
軽油をやめて大多喜など県内から豊富に産出される液化天然ガスを
使用する初のCNG燃料気動車である。CNG燃料車にされた
理由は当初キハ30系とキハ37およびキハ38の代替にキハE130系で充てる
予定だったが、千葉県知事および沿線周辺3市(木更津・君津・袖ヶ浦)が
首都圏ディーゼル規制を後ろ盾にハイブリッド車または県内で産出される
液化天然ガスの使用を求めたために仕方なく折れたもの。ラッシュ用で
3両編成3本9両が幕張電車区木更津支区に配備された。
JR東日本キハE138系
キハE137型の両運転台型。車体寸法はキハE130系と同じにしている。座席は
セミクロスとロングの変則式。8両が幕張電車区木更津支区に配備されたが、
2両はキハE130系と同じ以外は久留里線沿線周辺3市(木更津・君津・袖ヶ浦)
のラッピングが施されており、3市で1両ずつ第3者所有としても所有する。
キハE201型
ハイブリッド気動車キハE200型のCNG(液化天然ガス)燃料型。
1両のみ試験的に幕張電車区木更津支区に配備され、3年間にわたって
試験が行われる。名目上JR東日本所属だが第3者所有者は千葉県。
これらすべての形式でキハ30系をすべて取り替える。なお関東鉄道に
キハ30系の一部はキハ100及び300系などの予備パーツ取りで、キハ38型の
一部は常総線取手〜水海道間用として売却される予定。
なお埼玉県知事も千葉県知事の要求でハイブリッド及び液化天然ガス
気動車の導入を受けて、八高線のキハ110系に槍玉に挙げ、受け入れ
なければ県内での運用を認めさせない強硬に同型車両の導入を求めて
いる。一度はキハ110系の代替でキハE130系投入を決定したが
超低排出ガス車であるのに埼玉県知事及び周辺の日高・毛呂山・越生・小川・寄居
各市町村連帯で導入に強く反対しており、ハイブリッド車キハE200型導入を求めている。
493ミウナ:2007/11/16(金) 20:50:28 ID:8g2sU8zd
もう一丁。そこで・・
JR東日本キハE250型
ハイブリッド気動車キハE200型の本格量産型としたもので小海線でなく
八高線に配備された。理由は当然のこと埼玉県知事からのハイブリッド
車強硬導入要求である。ただしキハE200型の違いとしてキハE130系と同様の
ステンレス製3ドア車体としている。1両編成用のキハE250型及び2両固定の
キハE251+キハE252型が作られ、キハE250型が14両とキハE251+キハE252型が
2両編成12本計24両が高崎に配備された。なぜ2両編成型も大量に配備された
理由は両毛線の高崎〜伊勢崎と信越線で使用するため。何と!107系の置き換えも
兼ねている。なお地元企業がラッピングで参加している車両も多く、
特にキハE250-1・3・7とキハE251+キハE252-1と8は富士重工業で車体色が
WRブルー、セミクロスシートの座席素材にアルカンターラ(東レが開発
したスエード調高級人工皮革)素材を使用した高級感ある車内で人気を博し、
「レールの上を走るWRカー」と言う名を持つ。しかもご丁寧にSTI
(SUBARU TECNICA INTERNATIONAL)のロゴまでついている。
しかも運転席はSTIのロゴ入りレガロ製バケットシート(IMPREZA WRX STIと同じ)
を採用する。
494名無し野電車区:2007/11/16(金) 21:13:39 ID:UHt2gkf/
>>492
 『液化』天然瓦斯が湧くのなら、燃料はLNGの方がよくね?
495名無し野電車区:2007/11/17(土) 14:23:41 ID:oQhyU3Yn
ここに書きこむの勉強しないとしんどいな

キハ75形更新車
TIMSの設置、AQUOSを使用したトレインモニターの設置、トイレのバリアフリー化が施された。
496名無し野電車区:2007/11/17(土) 17:28:53 ID:4PWYZKqz
小湊鉄道キハ300形
小湊鉄道が投入した新型気動車。
キハE130系がベースである。
497名無し野電車区:2007/11/17(土) 20:19:06 ID:4PWYZKqz
キハ38形芸備線仕様
国鉄が芸備線に投入したキハ38形。
芸備線の広島口は大都市圏でありながら非電化路線のため、輸送改善のために投入。
全車両がJR西日本に承継された。
498名無し野電車区:2007/11/17(土) 22:47:21 ID:jsSaNTEJ
>>497
100番台とかで区分して、種車はキハ20系列という設定でどうだ?
499ミウナ:2007/11/18(日) 00:13:20 ID:BzUTA5Jb
キハ38-500(1500)番台
武豊線向けに作られたキハ38型である。トイレのある500番台と
トイレがない1500番台とがあり、双方連結して組成する。種車はキハ30系だが、
一部の車にはキハ58系も使用している。武豊線以外に高山線の岐阜〜美濃太田間
と太多線でも使用された。当初は首都圏色だったが東海に継承時にクリーム色
の湘南帯のいわゆる東海色に変更された。エンジン更新がなされなかったために
スピードが出ない点がネックで、代替車となるキハ75系が勢力を拡大すると
急速に数を減らしている。
500名無し野電車区:2007/11/18(日) 10:40:13 ID:9OO/6wpV
500
501名無し野電車区:2007/11/18(日) 10:52:35 ID:9OO/6wpV
キハE130系900番台
JR東日本が製造したCNG試験車。
燃料に圧縮天然ガスを使用する。
502名無し野電車区:2007/11/18(日) 21:05:43 ID:engquXic
クモニ125
JR西日本が製造した125系ベースの自転車輸送車。
車内に自転車を積載可能。
座席が無く、旅客の乗車を想定していないため「クモニ」を名乗っている。
503名無し野電車区:2007/11/19(月) 17:36:43 ID:Yyr7IhB/
JR四国50系5000番台、51系5000番台客車
JR北海道の快速「海峡」全廃の際に運用を外れた「海峡」用の50系・51系客車をJR四国が
3編成買収、老朽化が進んでいる12系客車の置き換えに充当することになった。
車番はJR北海道時代のものをそのまま使用している。
改造された点としては、カーペット車はそのままオハからオロを名乗りグリーン車扱いに、
また、カラオケカーはグループでの利用を当て込んだコンパートメントカー(グリーン個室)に
改装された。普通座席車については転換クロスシートのままである。また、北海道から四国
ならびに本州路線運行にあたり、冷房用の電源装置がオハ50、51系が床下に搭載された。
外装については「海峡」時代のブルーはそのまま継承されているが、ラインカラーがJR四国の
ライトブルーに変更された。また、今まで「ドラえもん」のキャラクターで賑わっていた車体は
「アンパンマン」に一新された。
運用は「ムーンライト松山」「ムーンライト高知」に充当されている。全車高松所属。
(のちに指定席車にもリクライニングしない転換クロスシートが不評で、これに対しJR四国では
JR九州から485系電車の廃車発生品のリクライニングシートを買い、換装している(黒地にドット
パターンという水戸岡デザインがそのまま転用された)。車体が元JR北海道、座席は元JR九州
という事で鉄ヲタの話題を呼んだ。なお自由席車については全く「海峡」時代そのままである)。
504名無し野電車区:2007/11/19(月) 21:02:51 ID:3hfBugPG
キハ30系1000番台
国鉄が製造したキハ38の両運転台仕様。
505名無し野電車区:2007/11/20(火) 07:53:12 ID:dQdR6DBu
>>505追加
なお、JR四国入線に際し、取り付け準備工事済みであった電光方向幕装置が取り付けられた
(ちなみにサボ受けはそのまま残置されている)。その方向幕装置はJR東日本の113系の廃車
発生品から買い取った(すなわちJR北海道、JR九州、JR東日本の血が流れ込んでいる事
になる)。限られた予算内で極力経費を抑えつつも、深夜バスに乗客を取られ巻き返しを図る
JR四国の意欲作として注目を集める。
余談ながらグリーン車利用の乗客に限りおしぼり、1ドリンク(車内自動販売機のソフトドリ
ンク代の配布)のサービスおよび道後温泉利用優待券(松山行ムーンライト松山)、高知市内
観光施設見学優待券(高知行ムーンライト高知)、神戸・大阪・京都土産割引券(三ノ宮、大阪
ならびに京都駅キオスクにて有効、京都行ムーンライト高知・松山)の配布も行われる。
506妄想竹:2007/11/20(火) 21:57:02 ID:Ur+Y6e6J
クモハ182-1500
 6連/9連だった「あずさ」「かいじ」系統の混雑は深刻で、一刻も早い増車が望まれ
たが、大糸線内の編成長制限や中央東線の線路条件から安易にT車を増結することも出来
ないため手詰まりになっていた。そこへ255系の投入や房総特急の減便により183系0番台
に廃車がでることになったので、これを活用して「あずさ」グレードアップ編成の12連化、
並びに「かいじ」の9連化を行うことになった。
「あずさ」の12連化にあたっては、前述のようにM車の比率を落とさず、基本編成は大糸
線の編成長制限に収め、かつ基本+増結で中央東線の最大編成長である12連に収める必要
がある為、編成は以下のとおりとすることになった。

←新宿 T'c-M'-M-Tc+M'c-M-M'-M-T's-M'-M-Tc 松本→

 これに伴って登場したのがクモハ182-1500である。
 モハ182-1000のトイレ側を切断、廃車になったクハ183-0の先頭部を接合したもので、
電気釜スタイルの先頭車ではクハ780以来の集中冷房・パンタ装備となった。なお、これ
と向かい合わせになるクハは房総から転属の0番台が充当され、12連となった際には編成
の貫通が可能となっていることも見逃せない。

 隣のモハ183にトイレがあること、並びに定員確保の観点からトイレは設置されなかっ
た。CPは103系の廃車発生品を床下に搭載したものの、重量の関係からMG搭載は見送られ
た。もっとも、12連化された編成は全てグレードアップ編成でサロが必ずMG・CP装備の11
00番台なので容量上の問題はない。基本的に自由席充当車なのでセミハイデッカー化や側
窓の拡大は行われず、ユニットを組むモハ183-1000ともどもピッチはそのままだが、シー
トだけは指定席仕様のものに交換された。定員は64名である。

 8両が改造され、混雑の酷い大糸線直通の「あずさ」を中心に運用されたが、E257系の
投入に伴う転用ではMG無しがアダとなり1両も転用されること無く、2003年までに全車廃
車となった。
507名無し野電車区:2007/11/21(水) 23:13:51 ID:fRdlmEe1
>>441
亀レスですいませんが、
界磁添加励磁制御なので205系の派生番台の方がリアリティがより増す、と思いますが。
508名無し野電車区:2007/11/22(木) 18:51:08 ID:OKwKLkyt
東武鉄道500系
東京メトロ副都心線開業に伴う減収対策として、座席指定制特急を46年振りに復活させることが決定した。
本系はその為に導入される特急形車両で、2007年末までに8両編成5本が納入される予定になっている。
Tc1-M1-M2-T1-T2-M3-M4-Tc2の編成で、座席定員はM車64名・T車&Tc車54名とされている。
座席は全て座席間隔1100mmの回転式リクライニングシートで、サニタリーコーナーはTc車とT車にある。
下回りは東武50000系とほぼ同様のものを用いているが、主電動機は出力強化改良版を使用している。
貫通扉・ATO装置が未設置であることや編成長から東京メトロや秩父鉄道との相互直通運転は行われない。
なお、2008年6月に設定される特急の愛称はまだ未定で、停車駅も従来の特急とは異なる模様である。
509名無し野電車区:2007/11/22(木) 18:58:10 ID:OKwKLkyt
>>508修正し忘れてた

正…座席定員はM車64名・T車54名・Tc車52名とされている。
誤…座席定員はM車64名・T車&Tc車54名とされている。
510鉄道タイムズ:2007/11/23(金) 23:23:18 ID:ajCO0BA8
>>459氏にinspirされて

◎国鉄A05系1000番台近郊型交流電車
・車種 クモハ/サハ/クハA05-1000(Mc/T/Tc)
・製造年 1985
・特記 50系客車とED75形電機を種車
○概説
1984年2月、国鉄再建の一環として次の様な大規模なリストラクチャリングが断行された:
貨物輸送におけるヤード中継方式の廃止、郵便荷物輸送の大幅縮小、及び夜行列車と急行の大削減、並びに優等の特急集約及び地方都市圏を中心に普通列車の大増発。
これに伴い、機関車、寝台車、急行用車両に大量余剰が発生した。
以後の普通列車増発対象地域の拡大に対して、客車では運行コスト増を招くので急行型電車・気動車と寝台電車の改造・転用が進められたが、
依然として客車列車が多く残った。
そこで、1985年、余剰となったED75形電機の電動機等の駆動装置の流用による50系客車の電車化が実行された。
McとTcの種車はオハフ50、Tはオハ。車体はほぼそのまま、車内一部に床上冷房を設置。Tcのみに便所、車掌室を運転台に。
Mcへの改造要点は、ED75の制御機器を半分にした上で流用、ED75の電動機二個をオハフ50の台車に装架困難な為に床下に装架―車両限界に収める為に床の一部を
くり貫いて電動機を床にはめて、機械式気動車と同様の駆動力伝動系を採用、オハフ50車内に制御機器と電動機を収納した機械室を設置、屋根にパンタ。
以上で以てED75一輌とオハフ50二輌からMc二輌を製造。
Mcは前述の機械室の存在により種車に比べて定員がかなり減少している。
通常の電車の電動機よりも出力が大きい電機のものを流用している為、1M3Tを基本編成とした。
車両形式は、出場までは719系であったが、A05系となった。
理由は、元々国鉄電車は二桁であったかカルダン駆動方式の増加に伴って従来の釣掛式直流電車と区別する為にカルダンには三桁表示が採用された経緯を踏まえ、
当車の駆動方式が異質な故に釣掛式と同じ二桁に交流を表すAを付けた表示を採用した。
東北地方に投入される事から、九州向けの製造可能性を配慮して、1000番台に区分。
元々試作的な要素が強い上に、国鉄末期が故に、結局、客車列車の大半を置換える程までには量産化されなかった。
JR東日本に承継され、90年代後半に701系に置換えられて廃車された。
511茄子塩腹:2007/11/24(土) 19:06:07 ID:KxXnDo5a
大井川鉄道 サハ801

1972年、団体貸切用途に南海電鉄からサハ4801を譲受したもの。
貫通幌周りの改造とデッキ上の行灯を「大井川」と変えた以外は南海時代のまま使用していたが、蒸機運転開始に伴い、1976年以降は蒸機列車メインで運用され、牽引可能な吊掛cMcの廃車により1990年代以降は名実ともオハフ化している。
512ミウナ:2007/11/24(土) 20:31:48 ID:IvyDBXll
伊豆急行3100系
リゾートシリーズ最終発展型で愛称はγリゾートN(ガンマリゾートネクスト)。
編成を「スーパービュー踊り子」と同様の10両編成としている。ただし
車体を潮風の塩害対策としてアルミ製車体とし、伊豆急下田方先頭部は
および9号車は2階建にはしていない。下回りは親会社の東急電鉄2000系に
に準じたVVVFインバーター制御式としているため東日本の251系では
できない芸当の最高運転速度が高い130km運転も可能。
車体構造はE257系などと同様の日立Aトレ式を採用する。ロイヤルボックス
は10号車と9号車で1両ごとにトンネルに入った際のイルミネーションを星空と海底
とに分かれている。10両編成4本計40両が東急で製造され、既存のリゾート21
2次車以前をすべて一掃するとともにスーパービュー踊り子1往復を伊豆急に移管
した上で通年2往復体制での運転も可能になった。なお1本は池袋発。
系列グループ車両ではあるが渋谷をも飛び越えて東急グループの車両が初めて
池袋に乗り込むことになる。なおリゾート21のように座席は海側に固定不可能にしている。
東京・池袋                     伊豆急下田
クハ3161-モハ3101-モハ3102-サハ3101-サハ3102-モハ3103-モハ3104-サロ3101-クロ3162
クハ3163-モハ3105-モハ3106-サハ3103-サハ3104-モハ3107-モハ3108-サロ3102-クロ3164
クハ3165-モハ3109-モハ3110-サハ3105-サハ3106-モハ3111-モハ3112-サロ3103-クロ3166
クハ3167-モハ3113-モハ3114-サハ3107-サハ3108-モハ3115-モハ3116-サロ3104-クロ3168(黒船塗装車)
513ミウナ:2007/11/24(土) 20:36:48 ID:IvyDBXll
伊豆急3200系
3100系の廉価版でこちらは「踊り子」の一部伊豆急移管用である。
編成は10両だが編成順序が185系の「踊り子」と同様になっている。また
伊豆急下田方はクロでなく普通車になってることと4号車と5号車の
グリーン車はロイヤルボックスでない点。2008年より製造開始され、これにより
185系より一部伊豆急車両での運転に移管される。なお下回りは東急5000系と
E531系のいいとこどりで車体はステンレス車体である。10両編成3本の30両が
日立で製造される。2100系の2・3次車取替えも兼用でアルファリゾートを含む
一部を親会社の東急電鉄に売却して東横特急用にする計画。これにより東急に
全車座席指定の特急が登場し、渋谷より横浜まで完全ノンストップの「快速特急」
として登場させて渋谷〜横浜間では湘南新宿ラインも一気にぶち抜く列車となる予定。
伊豆急に移管されるのは101・107・109号と102・104・110・114号で朝にある送り込み
の東京〜伊東間の普通列車も移管される。
514鉄道タイムズ:2007/11/25(日) 01:42:45 ID:gglzhlz5
◎京阪2000系(二代目)電車
・特記 JR乗入れ対応
・営業 JR京都駅〜七条〜出町柳
○概説
京都市は、広大な市街地の割に鉄軌道網が粗いなど公共交通に欠陥が在ったので、路面電車網の復活を検討したが、
広島と違って、岐阜と同様に道路の大半が狭すぎて、構想路線の多くの区間で単線しか敷設出来ず、そこの行違いも交差点内でしか出来ず、
かえって交通渋滞を悪化させて大気汚染が酷くなる事が懸念され、以後、進展せず、自然消滅。
http://www.city.kyoto.jp/tokei/trafficpolicy/lrt/lrtpdf/lrt-all.pdf
路面電車網の復活に代わって、既存の鉄軌道の再構築構想が浮上。
その一例は、京阪七条駅から分岐してJR京都駅へ至る連絡新線で以て京阪本線に市街地地下鉄機能を追加させて
玄関口である京都駅から祇園などの集客地が密集する東山地区へのアクセス改善。
201x年、都市鉄道等利便増進法の下、次の整備要点に従った京阪祇園東山・JR京都駅連絡ルートが着工された。
京阪本線が地下から地上に出る七条〜東福寺間の途中から分岐して、鴨川を橋で渡り、JR奈良線に合流し、京都駅奈良線ホームへ至る。
JR乗入れ区間は、三線軌条。
京都市と京阪が出資する京都高速鉄道(地下鉄東西線三条京阪〜御陵駅間を保有)にJR西も出資して建設を任せ、営業は京阪に。
仮にJRに乗入れずに京都駅地下へ直行する地下新線を建設する場合、
鴨川の下を潜るには、地下駅である四条から分岐して七条までは、元々土手内の地下線である京阪本線の直下を並行しなければならず、
結局、建設費低減の為に、新線は地上線のみとなるこのJR乗入れルートが選ばれた。
これによる新運行系統(JR京都駅〜七条〜出町柳)を“祇園東山ライン”と命名。
祇園東山ライン専用車として10000系をベースにJR乗入れ・三線軌条区間対応の2000系が製造された。McTTMcの四両編成。
祇園東山ラインの開業により、今までバスしか無かった京都駅と祇園東山地区間の移動にて時間が大幅に短縮され、
特に狭い道路が大渋滞する行楽期には効果てきめん。
加えて、京都駅での奈良線と共有するホームは新幹線との乗り換えが凄く便利。
但し、連絡新線、京阪本線と奈良線とはY字型分岐による平面交差が在る為、列車運行には苦労が絶えないが。
515名無し野電車区:2007/11/25(日) 03:40:14 ID:c6PYbKsO
東武9000系ホームライナー対応編成

2008年6月のダイヤ改正から運用を開始した東上本線のホームライナーは予想を上回る好評を得て、増発されることが決定した。
このため東武9000系の中で唯一更新されていなかった9101Fに白羽の矢が立ち、ホームライナー対応編成に改造されることとなった。
更新内容は、2006年から2008年にかけて東武9000系量産車や東武9050系に行われた内容に準じているが、次の点が異なっている。
・保安設備の追加搭載は行われていない。
・旅客案内表示器が千鳥配置から全扉上配置に改められた。
・扉間の座席はデュアルシート、車端部の座席はボックスシートに換装された。
・車内に半自動式ドア開閉スイッチが設置された。
・床下機器が改造され、走行性能がVVVFインバータ制御車と同一になった。
2010年のダイヤ改正から営業運転に就き、ホームライナー運用の他、日中は普通列車としても使用される予定である。
516名無し野電車区:2007/11/25(日) 21:26:16 ID:7NJZ9ECf
東武8000系ホームライナー対応編成

2008年から運行開始した東上線ホームライナーは好評で、50090系や上記9000系の検査時に穴を
空けられる状況では無くなってしまった。
そこで8000系1本が予備編成として改造されることになった。
8連と2連が1本ずつ選ばれ、扉間の座席をデュアルシートに改造した。
上記車両が検査の時だけホームライナー運用され、以外は他の8000系と共通運用である。
517名無し野電車区:2007/11/26(月) 17:30:23 ID:0azE8MRB
東武10000系ホームライナー対応編成

2008年6月のダイヤ改正から運用を開始した東上本線のホームライナーは予想を上回る好評(ry
518ミウナ:2007/11/26(月) 18:35:47 ID:IOEM+tjP
東武300・350系(及び1800系)ホームライナー対応編成
さらにさらに本線より300・350系を東上本線に転用した上で
ホームライナーに投入されることになった。
300系6両編成2本全部と350系4両編成2本が転用された。特急用車両
を転用しているため上記の50090・9000・8000・10000系らと比べても
断然レベルが高い。さらに小泉線等通勤用に転用していた1800系
も当初解体予定だったのを中止して1811〜1813Fの4両編成全部も
転用された。なお6両編成で唯一波動用で残存していた1819Fの転用も
計画されたがこれでは本線系統の臨時運用車両がなくなってしまうため
見送られ、また6050系10両の東上本線移籍(一部は野岩・会津所属車を
東武で買い上げた上での移籍)→ライナー車両化も運転台ばかりの編成で
運用に支障が出ることから見送られている。
この車両を使用する場合は座席定員制の全車座席指定席制を適用する。
4+4の8両編成の場合は小川町・越生行きの運用も可能。
519名無し野電車区:2007/11/26(月) 19:12:15 ID:NaMXc9Ht
花上館長によれば1800系列のシリコ転属は、東上業務部が車齢を理由に拒否したらしいが
520名無し野電車区:2007/11/26(月) 23:50:40 ID:Ad7CWlSC
105系500番台大阪環状線仕様
JR西日本で大阪環状線を朝ラッシュ時に10両編成化するために105系を大阪環状線に転用。
ラッシュ時だけ2両増結という阪急みたいな思想で投入。
しかし103系と105系ではモーターは同じでも制御方式が異なり、ギクシャクするのが欠点。
521名無し野電車区:2007/11/27(火) 17:35:11 ID:ilIMJNT7
>>519
車齢よりも、1800系じゃ一般運用に使えないからなんだろうな…。
他の鉄道でも20m4扉デュアルシート車を使った通勤ライナーを考えそうだ。
522名無し野電車区:2007/11/27(火) 19:26:29 ID:vzNnAX8S
じゃ、>>521の期待に応えて。

E233系デュアルシート仕様
中央快速に投入が続くE233系のうち、分割編成の最後の数本がこれに当たる。
他のE233系と基本的には同じであるが、座席をデュアルシートとしてロングシートと回転クロスシートを
変換できるようにした。
このタイプの車両は平日夕方下りのみ回転クロスシートにセットし、「中央ライナー」として運用されている。
また休日にはホリデー快速として奥多摩、武蔵五日市、河口湖へと顔を出す。
分割編成としたのはライナー運用時に中間運転台に検札のための車掌を乗せられることと、ホリデー快速
での運用を狙ったためである。
これにより「中央ライナー」用の183系は置き換えられ、E233系も数本が多く作られることになった。
523ミウナ:2007/11/27(火) 19:51:31 ID:sBtfI3SS
東武鉄道400
りょうもう用の200系は下回りを旧DRCの1700・1720系の流用で
あることから下回りの老朽化が進行していたことやスペーシア100系も
登場から18年も経過しており、陳腐化が進んでいたため思い切って
りょうもう・きぬ・けごんの双方で使用できる汎用特急車両として
開発したものである。基本的下回りは50000系に準じたものを採用。
編成は6両編成でスペーシアの3号車にあったビュッフェは廃止するも、
浅草方の個室コンバートメントは新形式でも残されることとなり、
りょうもうでも個室席を選択可能にした。JR線乗り入れ対応装備は
全編成に装備されている。アルミ車体の日立A-train式を採用し、E257系の
私鉄版といってもいい。6両編成19本が南栗橋に集中配備され、現行の
100系および200系を取り替え、りょうもう・きぬ・けごんの形式統一化を図られる。
捻出される100系は200系の走行装置および台車更新の捻出種車化により廃車され、
200系は100系の走行装置を転用しての更新化を図られるが、VVVFはGTO式
をやめて250系同様のIGBT式にするため転用されない。また201〜203Fは
204〜205Fと207Fのモハのー3と4を組み込んだ8連に組成した上で東上線に
持っていく予定で土休日の臨時有料特急とライナー運用で使用される。
204・205・207Fは4両編成に削減。これにより350系を取り替える。
なお4両編成車と6両編成の208FはVVVF化せず台車とCP装置等の更新のみ
にとどめている。
(こうしないとスノーパル・尾瀬夜行で野岩・会津線で変電所能力オーバーで使えない)
206と208と209Fは臨時波動用でこの編成で300系と1800系残存車1819Fを取り替える。
唯一の新造車の250系はしもつけ専用化される。
524茄子塩腹:2007/11/27(火) 20:27:16 ID:NhDq9FT7
鉄道省病客車 スヘロ30形、スヘロフ30形

1943年、軍部の要求で老朽化したナヘロフ21200形等木造客車の代替にスロハ31形、スロハフ30形を改造した将校用病客車
二重屋根・丸屋根車双方から郡山・高砂工場で少数が改造された。

三等客室を畳敷きの病床とし、側面に担架搬出入用の両開ドアを増設。
便洗面所を挟み、二等室はそのまま歩行可能な負傷者席とした。
大部分は復員輸送後占領軍に徴用され、1949-55年にスロハ・スロハフに復元された。
525名無し野電車区:2007/11/27(火) 21:55:45 ID:O0u85xtM
0系8000番台
JR西日本が航空路線への対抗策として改造、投入した「ウエストひかり」専用の0系。
座席を2+2配列として快適性を向上させた。
また、性能向上とメンテナンス作業低減のため、制御装置や台車、主電動機を100系と同型の物に換装しており、
見た目は(先頭台車の主電動機冷却のため、非常用連結器下に通風口が開けられたほかは)0系だが、
100系と同じ走行性能を持つ。
ただし、ブレーキ方式が異なるため、100系との混結はできない。
これに伴い最高速度が230q/hに設定され、新大阪〜博多間の時間短縮を実現した。
526ミウナ:2007/11/28(水) 07:56:29 ID:CHdO/VGA
200系3000番台
平成2年に製造された一連の東北・上越新幹線の200系最終型。前面形状は
100系に準じているが、下回りは当時試作での製造を開始していた300系に準じた
ものとなっているため275km運転も可能なように最初から設計された。
200系でありながらGTO式VVVFインバーター制御式を採用。
12両編成8本計96両がすべて仙台に配備された。なおビュッフェ車237型は
組み込まれておらず、グリーン車が216・215・219と3両になってるのが特徴。
また小窓ではなく大窓になってるのも区別点。秋田新幹線開業時にこの編成が
E3系との連結相手に使おうと10両編成化と併結用連結器等の取り付けを
検討されたが前面形状から取り付けが不可能で0系タイプの前面車編成に
変更された。0系前面の従来型221型と222型のにそっくり取り替えてしまう計画も
根本的に構造が違うため連結できずご破算となり、結局10両に短縮後も
単独で使用されている。平成13年より延命工事を行い、車内はほぼE2系と
同一になった。塗装もE2系と似た塗装に変更された。一貫して仙台を
離れておらず「やまびこ」を主体に使用されているが、こまちに併結
しない盛岡どまりの「はやて」(5・11・22・26号)に使用されることもある。
200系であることから「詐欺はやて」「うそはやて」と揶揄されるファンも
多いが275km運転もできる点ではE2系と変わらないため、ぼろ車だからと
甘く見て次のはやて・こまちにしようしたら実はこれが最速だったと騙されてしまう
被害者も続出しているという。200系は八戸行かないのに思って甘く考えてたら
実はこの編成のみは単独で八戸にも行けれるためにまんまと騙されるのもいる。
527名無し野電車区:2007/11/28(水) 12:49:49 ID:mMP5Ye/f
209系800番台
営団東西線直通を増発する為に登場。
車体は後に製造される209系1000番台と同じ車体で製造された。ただし快速運転に対応している為、他の209系と違い、外板が厚くなっている。
また地下鉄用に6M4Tになっており、故障車の引き出しも出来るようになっている。
10両2本20両が導入され、103系1000番台、1200番台、301系と共に直通運転をしている。
528.:2007/11/28(水) 13:37:13 ID:9JH5zmEG
JR束E001系:
E995系の試験から、燃料電池車両の実用化。
クモハE001:両運転台。
クモハE001-100/E000-100:片運転台・ペアを組む。
E001-9001/E001-9101/E000-9101が大宮総合車両センター配置で実用化試験。量産先行車両が高崎車両センターで現地試験営業。
八高線配置の背景には石原ディーゼル規制がある。
529名無し野電車区:2007/11/29(木) 23:32:46 ID:fuSwtd+t
JR九州:787系500番台〔BM51〜54編成〕

在来線車両だが、東海道山陽新幹線「のぞみ」・秋田新幹線「こまち」に対抗するため、787系BM12〜15の4編成26両を対象に大規模リニューアルした車両。
基本は6両編成だが、波動用に2両存在する。元ビュッフェ車の4号車のみ600番台を名乗る。
主に「ドリームにちりん」「にちりんシーガイア」専用車両だが、間合いに一部の「にちりん」「ひゅうが」にも入る。
車両名は「RIN〔リゾート・アイランド・にちりん〕」で、ルージュカラー〔濃紅色〕に塗色変更され、「RIN」のロゴが入る。
主な改造は、グリーン席・普通席は885系と同等のシートに交換。内装改装工事・便所改修工事等も施工。
グリーン個室のソファーはベッドに転換できるタイプに改良。
セミコンパートは廃止され、多目的室とフリースペースを設置。フリースペースには小型のシャンデリアを設置。

「RIN」は2011年の九州新幹線開業後導入予定だが、それに先立って以下の列車名も変更予定。
「にちりんシーガイア」→「ルージュにちりん」
「ひゅうが」→「なつき〔夏木〕」…フェニックスの意味もある。

     ←博多・南宮崎                        小倉→
BM51編成:クモロ787-501・モハ786-501・サハ787-501・サハ787-601・モハ787-501・クモハ787-501
BM52編成:クモロ787-502・モハ786-502・サハ787-502・サハ787-602・モハ787-502・クモハ787-502
BM53編成:クモロ787-503・モハ786-503・サハ787-503・サハ787-603・モハ787-503・クモハ787-503
BM54編成:クモロ787-504・モハ786-504・サハ787-504・サハ787-604・モハ787-504・クモハ787-504
波動用:サハ787-505・サハ787-506
530名無し野電車区:2007/12/01(土) 17:41:42 ID:n3s6EjLo
185系5000番台
185系の走行装置を205・211系と同様の界磁添加励磁制御、主電動機とした車両。
客室内のリニューアルと同時に改造工事が行われ、回生ブレーキを使用できるようになった。
「踊り子」系統で使用され、回生ブレーキが有効に使用できる0番台車が優先的に改造されている。
531名無し野電車区:2007/12/02(日) 00:44:50 ID:nDzxu47P
サハ223-5000 モハ223-5000
瀬戸大橋線「マリンライナー」に運用される223系5000番台の増結用として製造されることになった。
朝ラッシュ時や土日を中心に利用客が増える傾向にあったため、
07年から試験的に神ホシの編成からサハ223-2000を仮りてP編成を3両化していたが、
その成果から5000番台の中間車を製造する事となった。
またP編成は3両(1M2T)だったのを4両(2M2T)と2両(1M1T)にする事となった。
これは四国方にダブルダッカー車5100形を連結する事から、電動車の比率を高め、
性能に余裕を持たせ、故障時のバックアップに繋げるためである。
なお、中間車の外観や内装は2000番台6次車と変わらないが、5000番台を付番したのは、
動力伝達装置がWN平行式からTD継手式になっているからである。
P5〜P7編成に組み込まれ、P51〜53編成となる6両と、
先頭車2両とともに新造されたP54編成が08年度に落成した。

532名無し野電車区
JR東海373系500番台
元々デッキレスで登場した373系に簡易デッキを装備したのがこの500番台である。
試験的に373系を改造したため、1編成のみ存在する。
同時にクハを改造しクロとしたため、ムーンライトながらの運用から外れた編成でもある。
VVVFは東芝製IGBTに変更され、サハを半Mとし実質的に1M1Tとなった。