1 :
神も仏も名無しさん :
2013/01/31(木) 08:32:01.11 ID:KkDJI6QA
2 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 08:50:51.81 ID:KkDJI6QA
Reiは、法華経の誤読も認めて訂正すればよいと思う。 三位一体説についての知識でそうできたように。
3 :
ブッダ自証主義 :2013/01/31(木) 09:39:02.94 ID:54ZgUXYg
<スッタニパータ> ・1053 師が答えた、 「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに解いて明かすであろう。 その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えよ。」 ・1066 師は言われた、 「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。 それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えよ。」 <カーラーマ経> 1 聞いたからとて信じるな 2 語り継がれたこととて信じるな 3 人々が噂をしていたからとて信じるな 4 教本に引用されていたとて信じるな 5 論理だけで信じるな 6 推論だけで信じるな 7 様相だけで信じるな 8 自分の見方に一致するからとて信じるな 9 説者が堪能とて信じるな 10 師なりとて信じるな
4 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 09:39:13.38 ID:h09lSrrK
>Reiは、法華経の誤読も認めて訂正すればよいと思う。 まあ、それがきちんと出来る奴は、宗教板では少ないわなww 論点ずらして逃げるか、または、シラーと無視してスルー・・・・ 次の話題にいきましょってww 自分の見解が正しいと思えば、きちんと反論すれば良いw それが出来ずに、逃げ回るバカは消えろってえのwwww まあ、Rei君はそうでないことを祈るがww
>>3 a.k.a. 閻魔大師
「善く縁起するところのものを受用しなさい」ということです。
法について説かれた結果物というものは元より是非の対象とはされていませんし、それを是非の対象とするような態度(縁起的観点に欠けた思考性質)は仏教徒に相応しくないものといえます。
6 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 09:58:35.58 ID:h09lSrrK
このスレにもいるがw オカルトバカってのは、幼児性が抜けきれないスーパーマン信仰者なんだよw それに現状の自己に対する不満が追いかぶさるw その結果、現状の自己を打破し、一気に逆転にもっていくために、超常的存在を 肯定し、自分がそれに成れると信じ、必死にしがみつくw だから、その「超常的存在」になるのは、絶対に他人であってはダメで、自分で なくてはならない。 そのために「自分と言えるもの」の存在に固執する。 だから、オカルトバカってのは、100%「基体論者」なわけだw それも当たり前w その超常的存在になる「自分」が、いなければ元も子もないwww 結果、「無我」を否定するww オカルトバカと、仏教とはどこまで行っても水と油だよww
7 :
ブッダ自証主義 :2013/01/31(木) 10:22:47.24 ID:54ZgUXYg
>>5 (不説)
>“善く”縁起する(1)
>“是非”の対象とするような態度(縁起的観点に欠けた思考性質)(2)
(1)と(2)の矛盾関係を説明せよ。
8 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 10:56:09.58 ID:PeFdlIEC
>>6 それは所謂「常見」論者で、『梵網経』で言う外道の聖者ですね
それと同時に「断見」論者で、『梵網経』で言う凡夫も仏教と水と油だと指摘しとかないと
つまり、和辻・松本系の仏教を用いて現状肯定する輩です。
ところでパーピマンってオイラがいう名無し賢者?
9 :
ブッダ自証主義 :2013/01/31(木) 11:06:18.84 ID:54ZgUXYg
不生不滅(の如き)様相に「常見」も「断見」もありえない。 『六十三の異説』(Sn.538)を振り回して、類型思考して悦に入る分別only主義者もいる。
さすがパーピマンするどい指摘だな
11 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 11:10:53.72 ID:PeFdlIEC
ほらほら、こういう観念的勝義論者、机とかと同じ。 観念的には他説を勝義で否定して、世俗的に自説を他人に強要するというか、 単にオレチャン自慢かな?
12 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 11:22:07.65 ID:h09lSrrK
>>8 >ところでパーピマンってオイラがいう名無し賢者?
名無し賢者?? ・・・なんのことかわからんw
少なくとも、「賢者」ではないなww
ごく初期には、「5」とコテ付けてたし、それ以後は名無しだったw
隠居には、「カルトの黒幕」と呼ばれたり、セブンには「wwのひと」と言われるwwww
ちと前に事情があってトリ付きのコテ使用し始めたww
13 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 11:24:43.70 ID:PeFdlIEC
>>12 じゃやっぱりそう。5だったのか。あんまよく覚えてないけど。にゃるほど〜
14 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 12:13:50.84 ID:T0sAUbS3
>>983 >>仏教では、原因や条件(因縁)によって作り出されたものでない、不生不滅の存在をいう。
>>それは、常住不変の状態にあるもの、あるいはそのような状態を言っている。
>
>この「無為法」WikiDharmaの説明が、どれだけ誤謬に満ちているかを指摘せよ。
またアホだと決めつけた(縁)他人に質問(起)をしておりますよ。
小学生に大学受験の問題を出す人はどのような性格でしょうか。
(デジタル大辞泉)
生滅変化を離れた常住・絶対の存在。因縁の支配を受けない解脱の境地などにいう。
ダルマ、法も無為法だと思いますが。
根拠はダルマも無常ならば、無常でないものは無いことになるからです。空も空(←言葉遊び)。
15 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 12:16:56.60 ID:T0sAUbS3
>空も空(←言葉遊び)。 空性が有るとすれば矛盾するのでしょう。
法を無為法にしたのが、説一切有部じゃないの?
17 :
Rei :2013/01/31(木) 12:28:29.60 ID:4J6nhthP
>Reiは、法華経の誤読も認めて訂正すればよいと思う。 すいません、会社員なので、いつも見ているわけではないんですよ。 法華経が創造論的であるというのは私の誤読というか、独りよがり すぎる解釈でした。申し訳ありません。 反面、後期密教経典はいうまでもなく、梵網経や華厳経には、 創造論的に十分に読み込める個所があり、仏教は創造論を孕まない、 というのはあまり正当なご意見ではないと思います。
18 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 12:35:57.53 ID:AAffPSm2
>>4 間違いを素直に認められないのは、それはどう見てもてめぇだろ。
オカルトも糞も仏教とはそういうものだ。業報輪廻転生なんてのはその
最たるものだ。仏教を語る場でそれを語るなとか抜かしてるキチガイだからな
おまえは。
19 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 12:47:39.67 ID:lXqlPcCk
パーピマンは仏教のこと多少知ってても人間として 最悪だ。それはすぐわかる
20 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 13:00:27.94 ID:54ZgUXYg
>>14 >生滅変化を離れた常住・絶対の存在
『生滅変化を離れた』ら、なぜ『常住・絶対の存在』だと断定する根拠を提示せよ。
これって、『分別only主義』(
>>9 )の範疇だ。
戯論→形而上的妄想断定=迷妄分別主義だ。
これが無常=無我=縁起=空=中道とどう関わるのか説明せよ。
常に外道妄想心霊主義はこの思考パターンをくりかえす。
例の「非我」だから→超越「有我(アートマン)」論を展開するパターンと同じ。
まあ、いつもの成りすまし『仏教』がこれなんだがw
「空性」といえばいっちょアガリ、のパターン。
ビギナーじゃあるまいし仏教やっていて、そのぐらいのと分からなければ辞めた方がいい。 めんどくさいのて説明は省くがね。
パーピマンって名前付けてるくせにオカルト否定して天然なのかな?あほ?
23 :
絶対神 :2013/01/31(木) 13:14:32.91 ID:4fS5QxMg
「ここを見ている」 『仏教というのが無意味な宗教だというのがよく判る』(大笑)
24 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 13:27:33.09 ID:AAffPSm2
>>19 そう。詭弁ばっかり達者でな。仏教以前に人間として終わっとる。
たしかにパーピマンは人として完全に終わってるな
26 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 13:44:52.15 ID:54ZgUXYg
>>14 >ダルマ、法も無為法だと思いますが。
その根拠を問う。
前スレ
『979 :神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 01:12:13.57 ID:54ZgUXYg
>>978 ブッダが示されるすべてが無常だという意味は、ダルマ自体も無常だということだ。
実存苦の超克というブッダの本懐からすれば、その原因となる我執の主体も対象も縁起であり、
縁起であるがゆえに実体(自性:自立性・単一性・恒常性)が認められないからこそ、還滅を提示できるのである。
ましてや、縁起しない実体(自性)である「無為法」の存在はブッダの教えとはまったくかけ離れた妄想だ。
アビダルマ馬鹿坊主の妄想だ。
カルトはやはりカルト妄想に集う。類は類を呼ぶ。』
この縁起しない実体(自性)=無為とやらは、スバヴァーヴァ(アビダルマ)ですか、プラクリティ(サーンキヤ哲学)ですか?
27 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/31(木) 13:47:17.86 ID:AAffPSm2
>>20 縁起=空=中道だってよ(苦笑)
前にも書いたが中道ってのは言葉で表現するなら自性、もしくは
一元(真我)の性質を言うんだよ.。
竜樹の中論はよ、真我を否定しながら一元の立場で考察
している滅茶苦茶なものだ。よくいう去りつつあるものは去らない
とかいう考察はその代表な。この馬鹿は二元の世界を、一元(真理)に摩り替えて
話してるもんだから、ただの言葉遊びにしかなっていない。
それはまんまここの空理空論中論教患者の人達にも当てはまる。
28 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 13:53:26.82 ID:PeFdlIEC
>>17 >反面、後期密教経典はいうまでもなく、梵網経や華厳経には、
>創造論的に十分に読み込める個所があり、仏教は創造論を孕まない、
>というのはあまり正当なご意見ではないと思います。
それもありえません。
反論がありましたら、根拠となるテキストを出してみてください。
>>27 お手数ですがあなたの言う二元の世界の一例を教えてください。
30 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 13:58:14.34 ID:1zbcU4VL
もし人が、他人の過ちを見聞きすることによって覚りの境地に至り得るのであるならば、そうするがよいであろう。しかしながら、人は、他人の過失ではなく、自らの行為を見て、その過ち(勘違い)に気づいたとき、やすらぎに至る確かな道を見いだすのである。 そして、まさしくそのようにして究極のやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至った覚者は、他人の過ちが目に入ることは無くなり、それにもまして自分の行為について後悔の念を生じるような過失を犯すことそのものが無くなるのである。 正しく日々を過ごす人は、外的なことについても、内的なことについても、心を汚されることなく、(因縁によって)ついに解脱して不滅のやすらぎへと至る。それが法(ダルマ)だからである。 それゆえに、こころある人は、他の人の過失を見聞きしても、それによって自ら過失を犯してはならない。他ならぬ自分自身の行為についてあり得べき省察を為し、為し遂げて、過失そのものを超克せよ。そこにこそ、覚りの機縁を生じるのである。 ***
31 :
Rei :2013/01/31(木) 14:00:55.29 ID:4J6nhthP
なんだか雰囲気がよくないですね。 人をバカにするのはやめて、尊敬を基点にして話をしたほうがいいと思います。 仏教の目的は人間としての成長と安定にあると思いますよ。それなくして、 法がなんたるか、空が何たるかの抽象議論など、どちらでもいいのではないですか。
32 :
Rei :2013/01/31(木) 14:02:39.74 ID:twBtNf4k
また、人をバカにするというのは、安定しない心の、他者に依存してしまう姿を 表していると思います。 人をバカにした方、毎日、坐禅なりトンレンなり何らかの観法なり、行法を独りで しっかりやれていますか?できてないんじゃないでしょうか。
33 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/31(木) 14:08:04.15 ID:ebYwodTS
みんなー☆ 承狂論概略、6割限定公開中だよー! モバゲーかエブリスタで検索してね♪ (^。^)まぁ、お前らのカルト脳じゃ理解出来ない内容だがな。(笑)
34 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 14:12:39.96 ID:PeFdlIEC
>>31-32 仰る通りですが、2ちゃんでそれを言っても無理だと思いますよ
できるのは自分がそうすることだけだと思います
で、創造主を仏教は認めないということはとても重要です。
なぜなら、こういった見解を誤ったなら仏教も悪い結果しかもたらさないからです。
その意味で、今回仏教についてより正確に理解できるチャンスだと思いませんか?
そう思わないのでしたら、恐らくここを見ても意味がないと思いますよ
35 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 14:14:33.26 ID:T0sAUbS3
>>14 >ダルマ、法も無為法だと思いますが。
>根拠はダルマも無常ならば、無常でないものは無いことになるからです。空も空(←言葉遊び)。
>>26 >その根拠を問う。
法=ものごとの在り方、とまず定義します。
「縁起」もものごとの在り方ですから、法の一つでしょうか。
もし「縁起の法」も無常(変化)するならば、「縁起の法」も適用されないケースがあり得るということです。
以上、論理矛盾が生じますので、少なくとも「縁起の法」は常住不変(無為)というのが、私見です。
なお異教の私見なので論破も容易でしょうし、私見には固執しておりません。
参考:任持自性(法はそれ自身の本質を保っている)
36 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 14:25:19.17 ID:T0sAUbS3
>>35 空亦復空:不空は存在しないので、空も存在しない
「空」にあまり固執するのは空しいのかなとも存じます。
37 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 14:27:15.27 ID:1zbcU4VL
縁起説の要諦は、世の一切は縁起しているということである。また、縁起する無常であるということである。 重要なことは、一切の苦も縁起している。ゆえに、苦は滅ぼすことができるという根拠を縁起説に求めることができる。 もし一切の苦が縁起していないならば、苦を滅ぼすことはできないであろう。 ***
38 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 14:28:47.79 ID:1zbcU4VL
訂正: 縁起する無常 → 縁起するものは無常
39 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 14:49:47.87 ID:4J6nhthP
問いたい。 「Aくんは、コップの水を飲みました」 何が、何に、どう縁起している?教えてください。
>>33 チラッと読みました。
小説というよりエッセイ、論説の類のような。
確立→確率
あと運命論より宿命論のほうがより的確な用語かと。
41 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 15:10:11.27 ID:1zbcU4VL
たとえば現在のコンピュータは、超高速のスイッチ群で構成されている。初期には真空管が使われ、その後トランジスタによって実用化され、現在ではLSIチップ上に数百万個以上のトランジスタを形成している。 何となれば、コンピュータは二値論理のデジタル回路装置だからである。このことを理解していなければ、コンピュータがスイッチで出来ているという表現の意味は分からないであろう。 なお、コンピュータ本体の機械的なスイッチを見たとしても、そこで計算しているわけではない。 「スイッチ」という表現は、別にそのことを言っているわけではないからである。 縁起もまた、一切の現象認識の根底にあるものを説明するための一つの説である。この世の一切は、確かに縁起しているからである。 人は、言葉によって真実に迫ることができるが、ある者は言葉に翻弄されて真実に迫ることができない。聡明な人が、言葉によって真実を明らめて、この世の真相を見るのである。 ***
>>39 がんばって答えてみます。
たとえば、水は水でも、コップに入っていると飲み水になりますし、
地面にあると、水たまりと言ったりもします。
砂漠のオアシスとしてあると、天の恵みのようにも感じられます。
このように、諸縁による様々な現われが縁起であると、私は理解しています。
43 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 15:58:35.58 ID:PeFdlIEC
>>39 >「Aくんは、コップの水を飲みました」
色々。
例えば、Aくんが有る時、コップが有る
Aくんが有る時、水が有る
Aくんが有る時、飲むが有る
44 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 16:01:13.40 ID:PeFdlIEC
>>42 そうですね。
その意味で、
Aくんが有る時、飲水が有る
とも言えますね。
45 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 16:02:59.12 ID:h09lSrrK
>>18 やっぱり、オカルトバカ筆頭のキチガイカラスが絡んできたwwwwww
キチガイは、ちゃんと治療して治ってから、書き込みせえよwwww
46 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 16:09:28.32 ID:h09lSrrK
>>43 あっれ〜〜〜?w
珍しいなw 一代が、そのような二項間の相依性に言及するとはw
一代は、基本、
「無限の因」→果 というスタンスで、そのような「切り取り」による
特化を好まないと思っていたがw
47 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 16:16:02.69 ID:PeFdlIEC
>>46 相依性じゃなくて、此縁性ね。
これあらばこれあり、これなくばこれなし。
これが縁起の基本で、xは仮設であって実体ではないというのが、
要、xを実体的要素の相依関係と理解すると縁起ではなく、
縁起というよりヴァイシェーシカのサマヴァーヤ(内属)の方が近いように思いますよ。
サマヴァーヤよく知らないけど。
48 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 16:21:57.54 ID:hZu0kBle
>>39 コップの水が、一時、Aくんの肉体を構成するものになった
49 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 16:28:29.03 ID:h09lSrrK
>>47 そういえば、北川清仁とかいう人が、月称について解説してた論文
でも、この「此縁性」という表記を用いていたなw
相依性という表現と此縁性という表現の差異は何だ?
それぞれに「実体」を見るか否かは、さておき、
相依性は双方向、此縁性は これ→これ のように単一方向性を
みるみたいなニュアンスの相違というはあるのか?
50 :
39 @仏説素人 :2013/01/31(木) 16:31:49.28 ID:4J6nhthP
どうもありがとうございました。(Aくんが水を飲む、を質問させて頂いた) そうすると、縁起というのは無限にその組み合わせが想定できるということで、何が縁起と呼ばれるかは 何とも言えないわけですね。 これって、プラトンのイデアと同じではありませんか。 アリストテレスは、ある物に対してあらゆる属性のイデアが存在するとしたら、イデアという概念は意味がない、 とイデア論を批判しました。これと同じ批判が縁起にも成り立つんですか。
51 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 16:48:35.25 ID:hZu0kBle
52 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 16:51:46.89 ID:PeFdlIEC
>>49 これね。良い論文だと思うけど、月称菩薩の導きを論証と捉えて、縁起を相互因待であると主張していると捉えている所に問題がある。
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/11950 原語が違う
此縁性: イダムプラティヤヤター、イダムパッチャター
相依性: パラスパラ・アペークシャー(上の論文で相互因待と訳され、相依相待とも訳される)
此縁性はアーガマ・ニカーヤ以来縁起を示すものとして説かれ、中観も部派もこれに従ってる。
相依性は、中論の中で使われた言葉で、それを宇井伯寿が縁起を示す意味と誤解したと思う。
そう双方向性と単一方向性の違い。双方向性だと因果が設定できない。因だけでない多様性は縁と呼ばれると考える。
詳しくは石飛先生の諸著と全訳入中論を見ると分かるかもしれないです。
53 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 16:56:18.64 ID:PeFdlIEC
>>50 プラトンのイデアとは全く違います。
寧ろそういう観念的な本質主義という妄想から解き放つものです。
これあらばこれあり、これなくばこれなし。
これはxという変項と置き換えられると考えます。
伝統仏教ではこれ、xは法と呼ばれます。
xとして知覚されて法が現れるのは、業と世間の言い習わしに依っています。
54 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 16:57:06.57 ID:PeFdlIEC
>>50 石飛道子『龍樹』を先ず読まれることをお勧めします。
55 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 17:01:53.46 ID:1zbcU4VL
>>51 覚りに達したとき、あったものがなくなる。具体的には、識別作用である。そして、この識別作用こそ人を苦しめているものである。
さて、識別作用の滅を見たのは、この名称と形態(nama-rupa)の終滅によると識る。そこで、名称と形態が苦の体であったと識る。
また、覚りに達したのは、作られざるもの(智慧)の真相を知ったからだと理解する。(宿命通)
作られざるもの(智慧)は、世に稀有なる法の句によって知られる。法の句を発するのは善知識(化身)である。
善知識(化身)は、因縁により出現する。
この因縁は、大事な局面(いざというとき)に現れるので、一大事因縁と名づく。
解脱した人は、縁起を見る。すなわち、世の一切の苦が縁起によって起こり、苦の体から現れ、識別作用として認識されるものだと識る。
これは、覚りによって苦が滅し、識別作用が滅し、苦の体が滅し、一切の縁起が滅していることを知ったからに他ならない。
*** つづく
56 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 17:02:43.55 ID:1zbcU4VL
縁起は、次のように説かれる。 ”これ”があるゆえに、”かれ”がある ── @ 順観 かつ ”これ”がないゆえに、”かれ”がない ── A 逆観 これは、苦の原因を一つでも滅したならば、苦が滅し、苦が滅したことによってすべての苦の原因が同時に滅することを意味している。 ”これ1”、”これ2”、... ──苦の原因は無数にある。 ”かれ”は苦である。 ”これn(任意)”が滅したとき”かれ”(苦)が滅する。 ”かれ”(苦)が滅したことにより、すべての”これn=1〜∞”が滅する。 『どれでもよい 苦の原因を一つでも滅したならば、すべての苦の原因が滅する』 これが覚りのメカニズムの全貌である。 ***
57 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 17:02:50.95 ID:h09lSrrK
>>52 ナルホドねw
その辺は、細かくてややこしいなw
だが、各著者がそれぞれの語彙にどのような意味合いを投射しているのか
把握しないと誤認するしなw
58 :
ノスタルジア :2013/01/31(木) 17:07:04.70 ID:tgYX9T/c
言葉を紡ぎだすことと命を紡ぐことを私はしている。 だからあなた方がもし命を粗末にしていたり、言葉を利用していたりすれば 切れるだろう。食って掛かるだろう。それに命を紡ぐ言葉を紡ぐものにも 当然食って掛かる。 平等は努力によって築かれるものである。その努力なしにさも安々と平和が 望めるとも思ってないし、そのようなところにも行きたくないと思っている。 故に私は言葉を紡ぐだし、命を紡ぐものの門番である。 それは私の問いによって答えを出してもらう。 どのような言い訳をしても、私を無視することは困難だろう。 もちろん私よりも仏性が高く、精神が高い者には、言ってない。 かといってほとんどの人は本末転倒な見方をしている。
59 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 17:07:49.16 ID:1zbcU4VL
人々(衆生)は、苦の原因をたった一つさえ滅することが出来ずにいる。 ここに智慧によってある苦の原因を滅したならば、苦が滅し、一切の苦のからの解脱が起こる。 これが、たった一つの智慧を知ることによって、すべての苦悩が滅する根拠となっている。 ***
60 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 17:18:35.01 ID:1zbcU4VL
一般に、苦は煩悩と併設している。 それで、煩悩の数だけ苦を滅するチャンスがあると言える。 また、衆生を完成した人は仏を見る。これは一つの正法である。(維摩経) そして、これがいわゆる煩悩即菩提の真意である。 ***
61 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 17:29:51.35 ID:1zbcU4VL
この世には多くの人々がいて、それぞれに無数の苦を抱えている。 また、これを解決するための方法は、沢山の経典に記されている。 それでもたった一つの苦を誰かが滅することが無いのは、世の人々が実は安らぎ(=ニルヴァーナ)を求めていないからに他ならない。 こころある人は、こころから安らぎを求めよ。智慧を一つでも見たならば、ただちに解脱が起こり、仏となり、一切の苦悩から離れることができるのである。 ***
62 :
ノスタルジア :2013/01/31(木) 17:30:33.55 ID:tgYX9T/c
仏とは、観察眼が優れているだから、覚れるのだろう。 意見がたくさんあるのだろう。 でもそれでも一切諸仏の海に溺れるものになるだろう。 私は仏と如来をわざと使い分けるのだが、 如来と仏は違うと思っている。 それは私の意見である。 如去と如来はまた違う。 如去になりたい、私は・・・。 如去如来と二つを一つにしてしまうのは、仏様のやることであると思うよ。
63 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 17:32:12.67 ID:1zbcU4VL
仏とは、やさしさの究極の相である。 もろもろの如来(仏)は、人々(衆生)を苦しめる方法を説いたりしない。すべての理法は、人々(衆生)を苦悩から解放するものである。 ただし、覚りは最初から最後まで各自のことがらである。自ら精進せよ。誰かが、覚らせてくれるのではないからである。 ***
64 :
ノスタルジア :2013/01/31(木) 17:35:05.60 ID:tgYX9T/c
まあ如去如来は如来と今は略されているからなー。如去如来が如来なのだろう。 私は如去になりたい。 もともと如去如来とは別々に如去と如来と言われているらしいからなー。
66 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 17:36:44.24 ID:1zbcU4VL
人は、言葉によって覚る。言葉を使えないものは、ついに覚ることがない。 言葉を使うことの達人を自負するならば、言葉によって理法を理解し、言葉によって功徳を積み、言葉によって法の句(善知識)を聞いて、因縁を生じて解脱せよ。 見事に説かれた4種の言葉の真意を知ったならば、覚りに近づき、ついに覚りに達する。それが法(ダルマ)だからである。 ***
67 :
ノスタルジア :2013/01/31(木) 17:40:01.80 ID:tgYX9T/c
>>66 私はそれを自負しています。だから四種の言葉とは何か教えてください。
68 :
39 @仏説素人 :2013/01/31(木) 17:43:10.80 ID:4J6nhthP
見事に説かれた4種の言葉とは、 精進 大欲 智慧 般若 これである。 精進は大欲より生ずる。大欲は智慧となり般若となる。般若となった働きは、滅することがない。 滅することがなければ、永遠である。永遠たるものは、法と一致し如来と呼ばれる。 法と一致した如来は、常住にして不滅。 聖なる如来は無限に済度し、無限に生み出す器となる。
69 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/31(木) 17:46:45.41 ID:1zbcU4VL
>>67 敢えて再録:
およそ世の中において、見事に説かれた言葉は四種ある。 これら四種の言葉は、それぞれの因縁によってときとして世に現れ出て、この世を清浄ならしめんとするのである。
@ 見事に説かれた言葉(法の句)
A 正しい理を語った言葉(理法)
B 耳に好ましい言葉(思いやる言葉)
C 真実を指摘する言葉(虚妄ならざる言葉,真理)
***
70 :
ノスタルジア :2013/01/31(木) 17:52:36.90 ID:tgYX9T/c
>>69 それら四種がどこにあるか分かりません。さらにそれらを否定している
自分がいます。どうすれば、その矛盾は解決できるでしょうか?
そして言葉は言葉としてだけとらえるのは、いいことでしょうか?
つまり私の使う言葉もあるということです。
71 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 18:14:19.49 ID:sDdDVGVS
因果関係なら、釈迦に言われなくても、赤子でも原始人でも知っている。 「相互依存性」に思い至れなかった時点で、釈迦は完全にアウト。
72 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 18:20:49.04 ID:T0sAUbS3
>>68 >法と一致した如来は、常住にして不滅。
多分、親切なお兄さん達が「法も如来も空性=縁起だよ。」とレスすると思いますよ。
でも、「不空がないので空もない、ワシは何も主張しておらんさかい。」という彼らの師匠の声も聞こえるかも。
73 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 18:31:26.07 ID:T0sAUbS3
>でも、「不空がないので空もない、ワシは何も主張しておらんさかい。」という彼らの師匠の声も聞こえるかも。 「諸行無常」、「一切無常」という言葉も変ですね。 かの師匠は変化(無常)そのものを否定し、本性上はいかなる変化も起こらない、という縁起の理を釈尊は説いたとコメントしたとか。
74 :
39 @仏説素人 :2013/01/31(木) 18:40:25.10 ID:twBtNf4k
絶対や相対などという言葉によって相対化されない、絶対的な絶対性が 仏教の「諸行の無常」にはある ゆえに、矛盾ではない と書いてありました
75 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 18:41:57.85 ID:wrvzxM3f
>>31-32 Rei氏へ
>>28 の ID:PeFdlIEC は「凡夫一代」と言って、
チベット仏教の宣伝、本の販促をしている坊主だから気にするな。
質問箱や議論スレに常駐し、毎日一日中2CHにかじりついている。
チベット仏教スレに移動したらいいのに。
76 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 18:45:04.66 ID:T0sAUbS3
>73 >かの師匠は変化(無常)そのものを否定し、本性上はいかなる変化も起こらない、という縁起の理を釈尊は説いたとコメントしたとか。 何年も前に私は前世(過去スレ)で法華経のある方の訳を紹介しましたら、酷い訳だと住人各位から非難されました。 「ものことが常住するもののように考えるのは迷いでありますが、現象界だけ見て、常住のものが無いと考えるのは浅い見方です。」 「仏の目から見た本当の世界は不滅・常住であるにもかかわらず、衆生の目にはこの世界は大火に焼き尽くされているように見える。」 あれから幾多の縁(議論)があって本日龍樹は変化そのものを否定した(本性上は変化なし)という文章に辿りつきました。
77 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 18:52:45.51 ID:T0sAUbS3
>>31-32 Rei氏へ
>ID:PeFdlIEC は「凡夫一代」と言って、
>チベット仏教の宣伝、本の販促をしている坊主だから気にするな。
このスレではとても親切な方でオイラ氏と私は呼んでおります。
言葉はきついですが、他称セブン氏も親切です。一方的に馬鹿にしないできっちりと根拠を示してくれますので。
お二人は幾世代も常住不変かも知れませんね。
78 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 18:58:17.15 ID:wrvzxM3f
まあ、在家さんや宝珠さんは目印みたいなもの。 ひいきの引き倒しにならないようにね。
仏教オタクの精神病性、幼児性、脆弱性というのは、 仏教への執着以外にはない。 執着のあまり仏教が絶対正義のような錯覚に陥っている。 それだけ執着してるんだから、それを否定されると 当人達は自己崩壊を引き起こすため、なにがなんでも 至高品でないと困るわけであり、それ故にしがみつこうとするのだ。 これは仏教オタクがアイドルオタク、アニメオタク等と同類項であり、 それを否定されると烈火の如くムキになる点は全く同じといえる。 これは同様に神オタクに関しても当然言えるわけであり、 オタクでない者からしてみれば病理性は明らかなのである。 しかし仏教オタクや神オタクは夢中のあまり その病理に全く気付いていない、気付こうともしないわけであり、 説得者との接点は皆無と言わなければならないだろう。
80 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 19:23:00.47 ID:wrvzxM3f
最近、御隠居を見かけなくなったね。 もしかしてニュース速報+か。
仏教オタクは何かというと >>3にある、世間の執著以外の何ものでもない。 病理に侵されていない者は乗り越えているわけであり、 解放されているわけである。 それは仏教に依存していないことを示す。 これは相互依存性とは全く関係のない話である。
82 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 19:40:36.11 ID:T0sAUbS3
>>73 >かの師匠は変化(無常)そのものを否定し、本性上はいかなる変化も起こらない、という縁起の理を釈尊は説いたとコメントしたとか。
龍樹曰く「何ものも消滅することなく、何ものも新たに生じることなく、何ものも週末あることなく、何ものも常恒あることなく、
何ものもそれ自身で同一であることなく、何ものもそれ自身において分かたれたものでなく、何ものも来ることもなく、何ものも去ることもない、
縁起の理を仏は説いた。」と、龍樹は変化そのものを否定し、本性上はいかなる変化も起こらないと言ったそうですね。
83 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 19:46:06.26 ID:T0sAUbS3
>>82 >何ものも来ることもなく、何ものも去ることもない、縁起の理を仏は説いた。
龍樹自身が「縁起の理」を釈尊が説いたと保証しております。
釈尊の因果の法=龍樹の縁起の法、ということが検証できたかと思料します。
換言しますと、龍樹に主張はなく、釈迦の教えの善き解釈者だったということでしょうか。
>>82 それは単に肉体を語るものであり、当たり前の老化、死亡論に過ぎない。
仏教の最大の特色である精神性とは全く関係がない。
例えば、記憶における忘却とは完膚なきまでに去ることがあるといえ、
絶対矛盾であり、全く関係のない戯論を示すものであり、
馬鹿馬鹿しいにも程があると見抜けない者は、まさに夢中になるものであり、
仏教オタクとしか言えない者である。
85 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 20:07:10.39 ID:PeFdlIEC
>>57 ですね。でも、基本的にインド伝統仏教徒の間ではそんなにズレはないと思います。
大きなズレがあるのは文献学者の間ですね。
>>68 引用される時は、典拠を示す方が親切ですね。
>>74 何に書いてあったかが重要なんです。
夢中とは字の如く夢の中を彷徨っている現実との乖離性を示すものである。 無我夢中においては、夢の中なので我は存在しないといえ、 薬物中毒者、或るいはアルコール依存症と同類項であることを示す。 このケースの無我とは最悪の意味である。
つまり仏教オタクは薬物中毒者、アルコール依存症と同類項であり、 その精神状態としては最悪と見なすのが正見というものである。
89 :
聖信徒 :2013/01/31(木) 20:25:05.29 ID:DmFsewUJ
アッラーの他に神はなし ムハンマドはアッラーの使徒である 弥陀の本願の一定のみ救ひぞかし 法然上人の偽りなりとて救はれがたき身に恨みの起こるなし
90 :
聖信徒 :2013/01/31(木) 20:26:53.05 ID:DmFsewUJ
やはり浄土の易行道のみが本来の道、アッラーにも通ずる道だね 中論とか、ほんと戯論だわ
91 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 20:45:30.45 ID:Qf3BG4Do
うん一部の仏教がわかりにくいのは確か このスレとか、さっぱりだよ バカ呼ばわりしたいならしてくれ
92 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 20:54:39.94 ID:T0sAUbS3
>>90 >中論とか、ほんと戯論だわ
中論は物語、フィクションではなく、釈尊の説かれた法の解説書。
想定読者は将来の菩薩候補者達。(それ以外の人達はかえって読むと迷うかも。)
以上、現時点での私見です。
>ムハンマドはアッラーの使徒である
そうですか、そうコーランに書かれておりましたか。
私もコーランは一読しましたが、イエスも使徒だったと、十字架では死んでいないと、アッラーの神示があったかと記憶しております。
93 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 20:55:22.94 ID:Qf3BG4Do
キリスト教のすてきなスレで、簡単に深い神体験をかたってくれるところはある 仏教は、やたら難しい話をしてるか、親鸞・日蓮系しかない あほな宗教だ
94 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 20:58:15.00 ID:dwP/VB5G
禅者なら「莫妄想」 念仏者なら「南無阿弥陀仏」 で済むところをこのスレは中論解釈をあーでもないこーでもないと
95 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 21:03:05.96 ID:LuF7RzNf
>前世は一在家 >私もコーランは一読しましたが おい嘘を言うなよ 嘘じゃないなら、ほんとに岩波文庫を一読しただけで背景も何も知らないんだね シャハーダ、信仰告白って知ってる? アッラーの他に云々て言うのは、ムスリムにとって一番大切な言葉なの。 こんなことも知らず、イーサーがイスラームでも預言者かどうかなんて些事を知ってても何も意味なし
即ち俺が何を言ってるかというと、仏教哲学の肯定であり、 その妥当性について言っているのみであり、竜樹と同じく 恣意性は存在しないと言えるものである。 即ちそれは仏教の一大テーマソングである執着と欲望の否定が根底にある。 ここを我の嗜好性により、すっとばすから仏教と言えないものになる。 執着と欲望を観ずることができない者は、これも仏教の一大テーマソング である執着と欲望に関する縁起というものを観ずることを無視する者であり、 それ故に仏教オタクが生まれるのである。 これを凡夫とオブラートに包むのでなくアホバカ死ねと言う方が 仏教オタクのためになるとも言える。
97 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 21:06:25.31 ID:PeFdlIEC
>>94 中観も不生だけで戯論寂滅する人には説かないよ。
それで分からない人のために色々導きがあるわけ。
禅者が「莫妄想」などと言っても、それで戯論寂滅しない人は、
色々、公安をあーでもないこーでもないとこねくり回したり、
長年坐禅をするように。
念仏は道が違うんで、また別の話。そっちはほとんど信の問題だから。
98 :
聖信徒 :2013/01/31(木) 21:08:44.97 ID:LuF7RzNf
前世は一在家とかいう、要はいまは在家じゃない奴は、宗教者のくせに他宗教の基礎の基礎も知らないんだな
99 :
聖信徒 :2013/01/31(木) 21:11:41.71 ID:LuF7RzNf
アッラーは偉大なり アッラーの他に神はなし ムハンマドはアッラーの使徒である アッラーアクバル アッラーイラッラーラーハイッラッラー ムハンマドラーハムライラーハシャーハーダ イスラム圏なら一日中流れてるよ
100 :
聖信徒 :2013/01/31(木) 21:13:56.34 ID:LuF7RzNf
1日5回の集団礼拝、一月の日中断食とかやる浄土真宗の分派はないものか
>>91 そりゃ、そもそもそういうスレだもんw
代表選手の強化合宿に、町内の草野球レベルを要求するのは筋違いでしょ。
求められれば、噛み砕いたレスもあり得るけど、
そういう素朴な好漢は滅多に来ないしねw
>>93 体験語るだけなら、宗教板にもこのスレにも溢れてるでしょ。
ただ、それだけじゃ勝手気ままな妄想の語り合いにしかならないから、
このスレは、体験でない部分を掘り下げるスタンスをとってるわけさ。
勢い、小難しくなるのは不可避の必然だよw
即ち仏教とは宗教性を否定するものであり、 その因果律を無視する者がいるからチベット問題やら 宗教的対立やらが起こるわけである。 その現象に嘘偽りはないといえイスラム教やらキリスト教が 馬鹿やってるのは周知の事実である。
103 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 21:31:29.48 ID:G57GVG3d
おまえら、中論がどうとかむつかしこといってえらいつもりになってる たわけ そんなで平生業成なっかならんだよ おいばか素人、仏祖のみちもわからで何いってだよ よく おばおえとけ
104 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 21:35:21.40 ID:G57GVG3d
親鸞上人は信にきわまるだ わからだろう おまえら素人は、こぬなインターネットで本読んでいばってだ ばかか素人 蓮如上人のおふみ、みたこともなだろう おれは三回さわったことまであるプロだから おまえらくそ素人なんかよりはるかにえらいだ
105 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 21:41:11.66 ID:G57GVG3d
檀家だてこのまえ 13万つつんできた 同朋だてここまでもらえるやつなかなかいない おいくそ素人 おまえら経あげて金もらたことあるのか なだろう おいあほ素人さん 何もしらで仏説を語るじないよ
即ち宗教者がどうなろうと縁起のなすがままであり、 殺されようが自業自得の領域を脱しないものである。 しかし、宗教に関係のない者が被害にあうことは 断じて許されるものでなく、その病理は徹底的に 排斥されなければならないのは当たり前の話である。
107 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 21:48:52.97 ID:G57GVG3d
なにをむつかしこと言ってだよ おまえ、わからだよ 日本語しゃべれ あほ 縁起とかわけわからことばかりえらいきで言うばか素人 くやしけば、おふみ全部暗記でいてみろ むりだろう ばか素人はいる場所なし
108 :
ノスタルジア :2013/01/31(木) 21:53:23.62 ID:tgYX9T/c
>>107 なんかあるような言い方ですが、何があるのですか?
109 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 21:57:08.90 ID:G57GVG3d
なにがあるとか、おれは偉い出家だから きさまら素人よりはるかにえらい それがある くそ素人さん くやしけば、おふみ全部暗記してみればいいよ
ソーカでなくてもこんな世襲の波羅夷僧たちなんてイランとおもうわ。
111 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 22:04:06.97 ID:G57GVG3d
おいくそ素人 どこの檀家だきさま もし同朋にいたらきさまの法名なっか くそみそにしてやるだぞ 常信光妙上座とかむかつくやつみな同じなまえ つけてやるだぞ 100にんは同じなまえだ ばつをあたえやった あははは いやならプロを敬え ばか素人
112 :
ノスタルジア :2013/01/31(木) 22:04:44.56 ID:tgYX9T/c
>>109 今学校で習っているところです。御文というか真宗全般について。
偉い出家はわかりましたが、自分の住む寺があるからでしょう?
私はおまえはすごいよめちゃくちゃするからと言われています。
もちろん皮肉で・・。
113 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 22:09:55.77 ID:G57GVG3d
おまえ何いってだ 真宗やてなら、聖道仏教のあほはなでぎりだつ おそわてないのか こぬなインターネット板の素人の くだらんばかを聞いてじないよ わかたか
故に、仏教初期の清廉性は現段階においては微塵も残っていないのは 明白に現象が現わすものであり、我に捉われた俺様偉いであり、 葬式仏教であり、金儲けに堕落した詐欺宗教であるのは単なる事実である。
115 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 22:14:53.08 ID:R3QWvJlT
経あげてしんだ家族の話きいてやって 金もらて何がわるい いてみろ 法名つけやって金もらってなにがわるいか あのなあほ素人 こねなとこで中論だなんだえらそうに言うのは ばかのあそびだ なにが仏説だ 親鸞上人は一行道のみだ わかるかくそ素人
>妙信 本願寺 釣りにしちゃお粗末だなw
117 :
ノスタルジア :2013/01/31(木) 22:16:33.10 ID:tgYX9T/c
>>113 聖道門でもいつかは浄土門に入る。
>>真宗やてなら、聖道仏教のあほはなでぎりだつ
相手を信用してないからですよ。自分を誇っているからですよ。
>>くだらんばかを聞いてじないよ
・・・。
119 :
誦偈による受賃の禁止 :2013/01/31(木) 22:27:41.26 ID:54ZgUXYg
>>103 >おいくそ素人
>おまえら経あげて金もらたことあるのか
>なだろう
『 偈を唱えて[報酬として]得たものを、わたくしは食うてはならない。
バラモンよ、このことは正しく見る人々(目ざめた人々)のならわしではない。
誦偈を唱えて賃として得たものを、目ざめた人々(諸のブッダ)は斥ける。
バラモンよ、定めが存するのであるから、これが(目ざめた人々の)生活法なのである。』
(スッタニパータ81)
覚者たるものは経を読む事によって賃員を受けてはならぬ。
僧よ、覚者はただ法に住するのであって、それが覚者たるものの生活の道である。
成りすましの痴れ者は、去れ!
120 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 22:27:42.79 ID:T0sAUbS3
>>104 妙信 本願寺 氏
>親鸞上人は信にきわまるだ
>わからだろう
>>104 妙信 本願寺 氏
>親鸞上人は信にきわまるだ
>わからだろう
私の祖父(仏教知識あまり無し)は寝言で下記を話しました。貴兄なら如何思いますか。
(寝言1)
弥陀の本願におわしませば釈尊の説法虚言なるべからず、仏説誠におわしまさば……本師上人(法然)の仰せ事空事ならんや、
法然の仰せ誠ならば親鸞の申す処、又以て空しかるべからず候。
(寝言2)
不断煩悩得涅槃と云う事が有る、其の概略を話して頂く。
親鸞聖人は法然上人の御跡を継いで浄土真宗をお開きになった。常州(茨城県)稲田に草庵を構え法燈をお開きになったのである。
他力真宗の極意此に極まる。五逆の悪人五障の女人煩悩を断ぜず、其尽お助け下さるのが弥陀大悲の御誓願である。
穢土現身を以て此身此尽御助け下さると云うのが本願の聖意じゃ、聖道門自力の教とは違う所じゃ、是は我浄土真宗の極意じゃ。
相互依存性に悪がないとするのは、 騙される方が悪いに相違ないものであるが、 同時に騙す方が悪いのも当たり前の話である。 慣習に従ってるだけで罪がないと言うのであれば、 生贄の儀式の如く無知な所業と言えるだろう。
122 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 22:34:02.01 ID:c1b84LpZ
あのなくそ素人、えらい気でむつかしこと言ってもわからんだよ あほ 経よんで金もらうのは同朋みなやてる これはえらいからできるだ きさまらくそ素人のようにむつかし本を話してえらくするのは 仏説と何も関係なし わかたか、くそ素人ども
123 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 22:37:30.25 ID:T0sAUbS3
>>99 聖信徒氏
>アッラーは偉大なり
>アッラーの他に神はなし
>ムハンマドはアッラーの使徒である
(ユダヤ教徒)
ヤハエは偉大なり
ヤハエの他に神はなし
モーゼはヤハエの使徒である
旧約聖書の神がアッラーだと認識しておりますが、基礎知識として正しいでしょうか。
124 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 22:44:05.49 ID:hVN9m8zs
同朋でキャバクラいったが俺はまだ50台だからな 真宗は剃らないからいいとかわいい子がいてた 他宗はあほみたいにつるつるにして ばかでないのか わけわからだよ それでいて真言とかのあほが、 仏教青年会つながりの打ち上げで女にもてようとしてた
宗教性の否定は釈尊における事実であり、 妥当性は現象にて明白なものである。 浄土真宗というものは単なる金儲け詐欺宗教であり、 仏説とは何ら関係のないものである。
126 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 22:46:45.87 ID:hVN9m8zs
もてるわけがなだろう 袈裟の下にトレーナーくらいきて用意しと キャバクラとかいく意味なし 他宗も素人もあほばかり ここの素人はもっとあほ わかたか
127 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 22:48:41.03 ID:T0sAUbS3
>>113 >真宗やてなら、聖道仏教のあほはなでぎりだつ
(寝言3)
聖道門はなあ、仏道得道と云う、成仏得道とも云う、浄土門とは何と云ったらよいかな、まあ人間生活とも云うかな、
浄土門とはまあ世渡りの道。人間生活と成仏得道の二つの関係がどうじゃと云う事を御話なされた。
聖道門からお話しましょうな、聖道門とは棄慾、慾を捨てる、つまり捨家棄慾それが聖道門、家を捨て慾も捨て名誉も何も捨てる事、
何も求める物無い、その人の道、つまり一本橋じゃ(只求めるのは仏道)伝教大師のお母さん、女人道から先へ行く事が出来なんだ、
刈萱道心は我が子の石堂丸がはるばると父を尋ね母を麓に残して刈萱堂で父子の対面し乍ら、「お父さんは我であるぞ」と云って
可愛いい可愛いい我が子に名乗りが出来なかった、之が聖道門。
それからなあ浄土門、この浄土門の方は聖道門と違うでそれは人間生活離れんでもよい、人間生活は其の儘でよい、親鸞聖人は
念仏在家で念仏申すも宜しい、お寺は寺で念仏申すもよい、念仏を申す所行住座臥に所嫌わず、又蓮如聖人は「獵、砂どりをもせよ」
と仰せらる、念仏所嫌わず行住座臥に念仏申す所必ず仏あり、有難い事じゃな、そこで浄土門の方じゃ、
浄土門の方は人間生活離れんでも良いと云うが、ここがむつかしい、人間生活して居る以上親子夫婦の関係ある、
常に喜びを持たして貰って居ても時には怒る事もあろう。苦も無い慾も無い事もあろうたりして、権利役目を主張する職務が有る、
そう云う様な繁雑な二元的生活せなならん、其の半面に於て、聖道門はむつかしいと云ったが浄土門もむつかしい。
128 :
誦偈による受賃の禁止 :2013/01/31(木) 22:49:02.62 ID:54ZgUXYg
>>124 葬式仏教代表 <妙賃 本願寺>
キャバクラのチャンピオンエロ坊主 パチパチパチ!!w
129 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 22:51:20.63 ID:hVN9m8zs
だから他宗のばかはうるさいだよ むつかしことは檀家のばばあが一番嫌う 徹子の部屋の話とかが 一番いいだぞ えらい気でむつかしこというたわけ おばおえとけ
131 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 22:56:17.65 ID:h09lSrrK
>>65 改めて読んでみると、おもろいなw
オレとしては、その「時間性」の是非については未だ結論でず・・だww
まあ、セブンや一代は、単一方向性を重視する(それが伝統的仏教のとってきた
方向だろうがw)スタンスだとは思うがw
その論考の最後の方に書かれていた、「空間性」「時間性」のどちらを強調しても
弊害あり・・・みたいな視点をオレは取りたいねww
(仏教的かどうかは別にして)時間と空間は、相互に依存関係にあるので、
どちらかを絶対視するのには疑問符がつくのよww
時間の不可逆性の上に因果が成立するのは分かるが、可逆性も否定しないのが
現代科学だしw(勿論、マクロの話ではないがww)
そこに書かれていたように、基本は、多因多果だろう。
一因一果はあくまでも、必要に応じた「切り取り」であると・・・・
これはまさに然りだと思うよw
132 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 23:02:33.29 ID:QnMZJULk
あのなあ まるわからんこと書くあほ パーピマンてなまえ書いてある素人 きさま、おふみ暗記してのか どぼけ えらそにむつかし話して仏説となんの関係もなし あほ素人 檀家から金あつめてみてからいばれ ぼけ
時間というのは変化に過ぎない 空間というのは相互依存性に過ぎない つまり相互依存性が変化しているに過ぎず 何かが起こっているようで、 実は何も起こってないとも言える。
134 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 23:15:15.07 ID:T0sAUbS3
>>133 >何かが起こっているようで、実は何も起こってないとも言える。
だから龍樹は変化(無常)そのものを否定し、本性上はいかなる変化も起こらない、
という縁起の理を釈尊は説いたとコメントしたのかも。
135 :
前世は一在家 :2013/01/31(木) 23:22:07.72 ID:T0sAUbS3
>>134 >だから龍樹は変化(無常)そのものを否定し、本性上はいかなる変化も起こらない、
>という縁起の理を釈尊は説いたとコメントしたのかも。
そして法華経の筆記者も「仏の目で見た本当の世界は不滅・常住で美しい」との仏説を知っていたということかも。
136 :
ノスタルジア :2013/01/31(木) 23:32:29.74 ID:tgYX9T/c
お前らあんまりに調子乗るから言ってやるけど、俺は僧侶だからな! お前らみたいな俗人とは違って、帰依される立場のものであり、 さらに今から最前線で戦うはずのものであるからな! それはあんちゃんとか、若様とかって在家や僧侶の同朋から言われていることから分かる通りだわ。 それに加えて、妥協を一切許さない性格だから、 こうやってわざわざ来てやっていることにまずなみなみならぬ感謝しろよ! よく考えてみ?僧侶だぞ俺!夢告も毎日毎日受けているの俺くらいだぞ! さらに毎日毎日、言葉を紡ぎ出して、命紡ぎ出して、堂々としているの分からないのか! そこら辺にいる、平気で酒飲んで、女かまっている生臭坊主と一緒にするなよ! それをわきまえないと本当に仏罰下るからな! いい気になっていると、本当に知らんぞ!無味乾燥にもう、すな! ほんというなら死ぬ気で言葉紡ぎ出さないといけないのあんたらだぞ! いのちー粗末にして、言葉を利用しているうちは、分かった気になって、感情移入しているうちは、 くその役にもたたないからな! 自分の立場分かっている?それさえも分からんのだろう?
137 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 23:40:02.65 ID:ioHE7QmF
謙譲の美徳 五体投地朝夕1000回だな
139 :
妙信 本願寺 :2013/01/31(木) 23:41:55.95 ID:W6r0tr7Y
そうかプロの仲間か いいじないの いいとおもいます
凡夫一代、謝れ お前の言い草は病的だぞ
>>7 a.k.a. 閻魔大師
>矛盾関係を説明せよ。
そもそも何を指して矛盾と言われているのが不明瞭です。大師十八番の辻禅問答なのでしょうか?
縁起の観点で臨む者であれば、
「善く縁起したところのもの」を採り、
「悪く縁起したところのもの」を避けるでしょう。
それが諸々の仏陀の教えるところのことだからです。
一方、そうでない(外道)者であれば、善悪の判断は、縁起の是非に依らず、結果(物・事象)の是非に依る。
また「無分別どうの」というような手の(空論系の)話は始めからしていません。
あなたがカーラーマ経を持ち出して、「択法」について示してきたことに対するコメントです。
凡夫一代よ、謝れ 過去スレを見れば、お前がどんな人間かすぐにわかる。 女の腐ったような奴だな。
妙信 本願寺さん 坊主も食っていくのは大変でしょね 収入は檀家さんの数しだいだから 知り合いの坊主は幼稚園を経営してるので なんとか食ってる
>>前スレ974 >宝珠氏が提示したロゴスは無為法でしょうか。そして如来と涅槃も。 はい。 「無為(法)」ということになるでしょうね。間違いなく。 涅槃に住する如来も当然のこと。 ただし、 仏教の教説的にはロゴスは無記扱いです。 (在家さんと一致だろうと思います)
>>前スレ988 >> ロゴス(神)はすべてのすべて >> ロゴス(神)なくして縁起も作用できない >> ロゴス(神)なくして輪廻も生じ得ない >> ロゴス(神)なくして一切智者(解脱)も生じ得ない >> ロゴス(神)から出られるものはなし > >これって愚者さん自身の見解? >それとも神智学の何らかの典拠からの引用(公式的見解)でしょうか? 引用文ではないです。 単なる私からの言葉に過ぎません。 けれども、神智学徒100人いれば間違いなく100人が同意すると自信があります。 ロゴス(神)は「有為」ではありません。 従って、無常で生滅変化する性質のものではなく、縁起しません。 諸宗教の迷信的な神学(怒ったり喜んだり生贄を要求する人格神)と混同誤解するから説かないだけです。 これは指し示すことが不可能な存在であり、 そして、ゴータマの指導する修行法には(神といった形而上存在についての有無や性質についての理解は) 特に必須ではないために無記の扱いにされているのです。 ロゴス(神)というのは、輪廻(流転変滅)を免れない神々などとはまったく異なります。
146 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 06:34:13.60 ID:MP1aHRuf
147 :
前世は一在家 :2013/02/01(金) 06:34:14.34 ID:cDxJ0YIC
>>133 >つまり相互依存性が変化しているに過ぎず
>何かが起こっているようで、
>実は何も起こってないとも言える。
>>145 宝珠氏
>ロゴス(神)は「有為」ではありません。
>従って、無常で生滅変化する性質のものではなく、縁起しません。
お二人は本質的に同じ見解かと存じます。中論の冒頭とも。。
148 :
前世は一在家 :2013/02/01(金) 06:45:27.16 ID:cDxJ0YIC
>>142 >女の腐ったような奴だな。
オイラ氏の「戒」と「忍」が試されているように、横からは見えます。
入中論の卒業試験かも。。
>>147 まぁ記憶というものを例にとると、
記憶というものが脳内にあるわけでなく、
発火信号的なものに過ぎないからな。
つまるところは、よう分からんが気にする必要もない。
心臓や肺や胃などの名称は医学的見地からは必要であるが、
正常に働いていれば別に医学的見地は必要ないのと同じ。
150 :
前世は一在家 :2013/02/01(金) 08:45:15.61 ID:cDxJ0YIC
議論寂滅。。今朝は涅槃みたいに静か。
151 :
妙信 本願寺 :2013/02/01(金) 09:16:19.06 ID:UGP3wefp
あのなあ素人ども、おまえらがここでしてような話、プロはみな大笑いしてからな きさまら法事わかるか わからだろう 檀家のばばあがなんていたら笑うかわからだろう そなでむつかし本よだって何が仏説 テレビみてたほがまだまし 仏教界からみて迷惑 素人さんくだらことするのはやめなちゃい 今日は檀家に午前三軒回るがみなばばあ ここにかいてある話なっかなにもせぬだぞ 位牌の置き方 信託銀行 食事配送サービス 老人ホーム これくらいが関の山 親鸞上人の信は一条 仏説むつかし本の話にはなにもなし ばばあと話すのが仏説 おいくそ素人ども わかたか 霊園も2つ持っていて仏説でお金をもらっているプロの僧侶より
152 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 09:23:14.77 ID:4aPirx/o
>>141 (不説)
>それが諸々の仏陀の教えるところのことだからです。
>「無分別どうの」というような手の(空論系の)話は始めからしていません。
<仏は無矛盾(無分別)を矛盾(分別)のうちに説く(無分別の分別)>
基本的に掴めていない。単なる世間話ならココでする必要はない。
>縁起の観点で臨む者であれば、
Sn.520 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
──このような人がきさにその故に<道の人>と呼ばれる。
そもそも仏法は機能的には縁起であり、内容的には無分別の空=中道=時空際断(の如き)の様相だ。
Sn.520の言うように、ブッダは世俗的善悪などに意味はないといっているのだ。
ブッダは、道徳とか倫理とかの「塵を離れ」て、ただ「縁起」にのみ生きよといっているのである。
そもそも無常な無量因無量果の縁起という普遍現象を、人間の勝手な妄想判断でぶつ切りで特因特果化し善悪価値判断を持ち込むこと自体が無常縁起に相応しからざる態度だ。
縁起の無分別直接現実は非意味・非価値・非実体・非相・非矛盾の様相であって、『善悪を捨て去り、塵を離れ』ている。
また縁起に観点とか立場とかの「分別評価」など、ありえない。
まったく縁起=仏法を体得できていないことが丸バレだ。いままでなにをやっていたんだ?
「善く縁起するところのものを受用しなさい」などというのは、縁起を勝手に分別して妄想し、仏者が妄想を受け入れよなどと言うパンク文言だ。
縁起の現観=あるがままではない。
莫妄想(無業)、随縁且従容(良寛)、自受用三昧(道元)の悟達にはまったくほど遠い。
ゆえに『“善く”縁起する(1)』とは妄想分別そのもの⇒『是非の対象とするような態度(縁起的観点に欠けた思考性質)(2)』であって、
全体としての論旨はハチャメチャだ、と言っているのだ。
前にも言ったが、これで分からなければ、そもそも不説には仏法は無理。文字通り、諦めろ。
153 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/01(金) 10:14:15.73 ID:XujOFIG2
一番の勘違いは、 倫理的要請から生じる勧善懲悪的思考を勝義(真理、実相、遊び大王的に 言えば直接現実ww)に投射することだよw 世俗において当然とされる価値体系を勝義においても妥当すると考えるw そこに、当たり前のごとく善悪をもって分別しようとするw 世俗において善が肯定されることは良しとしても、勝義においても当然のごとく 善悪があり、善が推奨される・・・・・これをやっちまったらもう、仏教じゃないだろ?ww 善悪というのは、あくまでも人間側からの分別の結果に過ぎないw 世界がその人間の価値体系に沿って成立していると考えること自体が まさに人間の奢りだと思うがねw ただ、「それをそれとして」眺めるだけでしょ?ww 太陽が東から昇るのは善で、西から昇るのは悪かい?wwwww 何故、二諦を立てる必要があったんだい?wwww (・・・・・と、仏教部外者は考えるのだがwwww)
154 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/01(金) 10:30:34.20 ID:XujOFIG2
>>138 う〜〜〜〜〜〜〜ん、まあ、書いてあることはわかるが、
そこの「唯識的視点」のところはどうもねwww
オレは、総論としては唯識は嫌いではないんだが、極端にぶれると「強度の
人間原理」的な方向に走っちゃうじゃないww
オレの立ち位置は、メチャクチャ乾いていてw 人間も世界の従属物の一つ
に過ぎない・・・・(誤解を恐れずに言えばw) 道端の石っころと等価なんだよ
人間もww (勿論、世俗においては違うぞww)
仏教的にいえば、唯、縁によって人間として現れ、また、縁によって石となって
現れるwwww
・・・・・・人間の有する意識というものの力を過大に評価しないww
人間の意識というのは、ものごとを把握する上で必須のもだが、また同時に
それこそが世界を誤って捉える元兇なわけだw
絶対時間というものは、勿論、否定するけど、人間の意識の干渉というのも
同時に否定的だなw、オレとしてはww
155 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/01(金) 10:36:50.31 ID:brEz1yQG
なんかよーわからんが、縁起脳のアホ一代は俺にも謝れ。
>>152 > >それが諸々の仏陀の教えるところのことだからです。
> >「無分別どうの」というような手の(空論系の)話は始めからしていません。
>
> <仏は無矛盾(無分別)を矛盾(分別)のうちに説く(無分別の分別)>
> 単なる世間話ならココでする必要はない。
七仏通戒偈は“ 単なる世間話 ”ではないでしょう。
「縁起」と「涅槃」を、ただそれが仏教用語で至高の地位を占めているということで、キーワードをイコールで並べて結んで混同してはいないですよね?
157 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 11:01:48.25 ID:4aPirx/o
>>156 七仏通戒偈は、〇〇〇〇〇を透過した覚者の、娑婆における還滅(無分別の分別)文言だ。
また、「涅槃」とはなんら超越的な様相などではなく、
還滅された一切内(間接現実)におけ慶安な境地
⇒「心と心の作用」(サンユッタ・ニカーヤ33-1-3)にほかならない。
>ただそれが仏教用語で至高の地位を占めているということで←本格馬鹿?
→これで分からなければ、そもそも不説には仏法は無理。文字通り、諦めろ。
>>145 宝珠愚者氏
わかりました。
ちょうど上にも挙げられていた、アッラーを称える文句にも似ていますね。
>>157 a.k.a. 閻魔大師
> 七仏通戒偈は、〇〇〇〇〇を透過した覚者の、娑婆における還滅(無分別の分別)文言だ。
自身の境地を自慢するための独り言ではないはず。
世の人々(広義の仏教徒)に向けられた「教え」の言葉です。
160 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 11:19:44.83 ID:17wC0PGi
>>152 >Sn.520 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
>──このような人がきさにその故に<道の人>と呼ばれる。
と、専ら縁起(関係性)によって「生かされている」釈迦が言っているw。アホラシw。
161 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 11:34:48.71 ID:4aPirx/o
>>159 >世の人々(広義の仏教徒)に向けられた「教え」の言葉です。
⇒娑婆における還滅(無分別の分別)文言(龍樹 中論18-6参照)
「教え」なるものは言語ゲームとして仮設され、意味的存在として仮説される(仮観 中論24-10&24-18)。
空&仮説として縁起している様相は即ち「中道」にあるのである。
仏教なるものは愚者の妄想だ。
162 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 11:39:33.07 ID:17wC0PGi
いま、「認識論と論理学(シリーズ大乗仏教9)」を読んでいるが、 概念の混同しまくりだね。共同体の合意に基づく記号に過ぎない言葉 とその対象物。その言葉(記号)によって表わされた対象物の性質と 言葉自体。 すべて、釈迦の勘違いに過ぎない「無我」と辻褄を合わせたい一心の、 多くの無理とひずみと矛盾。 仏教哲学は、オワッテいる。 「人類は、その発生以来、五感の知覚によって対象物の実在・非実在を 『一義的に』判断することによってのみ、生存してきた」という「法の 中の法」が、すっかり忘却されている。すべては、釈迦の「初歩的論理 矛盾」「勘違い」である「無我」が元凶。「狂人の論理」以外の何物 でもない。
163 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 11:40:44.95 ID:4aPirx/o
>>160 (隠居)
>専ら縁起(関係性)によって「生かされている」釈迦が言っている
その通り。
「生かされている」も分別言語ゲームだ(中論 24-10)。
莫妄想(無業)、随縁且従容(良寛)、自受用三昧(道元)の悟達だ。
164 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 11:48:04.44 ID:4aPirx/o
>>162 >仏教哲学は、オワッテいる。
仏法には、始まりも終りもない。
>「人類は、その発生以来、五感の知覚によって対象物の実在・非実在を
>『一義的に』判断することによってのみ、生存してきた」という「法の中の法」
それを間接現実(法)というのだよ。
分別知覚コンドーム法だw
仏法は直接現実を示唆する。
般若智ナマ法だ。
ナマで憩う!
165 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 11:53:32.75 ID:17wC0PGi
>>163 >「生かされている」も分別言語ゲームだ(中論 24-10
「生きている」こと自体は、分別でも言語ゲームでもない。それらすべての
「根源」。死者には、絶対に不可能。
分別も言語も「生命」から発し、専ら「生命の維持」に奉仕するもの。
根源(生命)とその機能に過ぎないものとを、明確に区別することが先決。
166 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 11:59:09.95 ID:17wC0PGi
中論24:10は、「世俗と勝義」という「無意味な2項対立・言語ゲーム」 を止揚・廃止し、「世俗」に一元化するもの。釈迦の全面的否定である。
167 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 12:01:29.01 ID:4aPirx/o
>>165 数十度論破済み。
蒸し返すな。
おまえの分厚い中国製コンドームを取れ
>>161 a.k.a. 閻魔大師
> 仏教なるものは愚者の妄想だ。
(以前にも言ったことがあるかもしれませんが)あなたの考え方だと「正覚仏」を認めないことになって、まあ辟支仏も仏陀ではあるのですが……ということになる。
私は正覚仏釈尊の教えを奉戴する「仏教徒」ですので。
169 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 12:08:23.00 ID:17wC0PGi
>>164 > 仏法は直接現実を示唆する。
> 般若智ナマ法だ。
> ナマで憩う!
換言すれば、「開祖を初めすべての宗教観念を棄てて、己の生命の声を『直接』
聴け」ということ。すべての生活者(衆生)は、その発生以来、やっている
ことだ。やっていない、どうしてもやれないのは、「開祖の初歩的勘違い」に
呪縛された宗教者のみw。
170 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 12:15:43.56 ID:17wC0PGi
>>167 「生命を以って、生命を論破する」ことは、永遠に不可能。いくら論破した
と思っても、それは「生命の肯定」以外の何物でもないw。
そこが釈迦の「初歩的論理ミス・勘違い」。
いつまでも、「釈迦の無知」に執着して、その恥をさらし続けるべきだはない。
171 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 12:50:52.63 ID:4aPirx/o
>>168 >私は正覚仏釈尊の教えを奉戴する「仏教徒」ですので。
アタシは既成概念、常識的発想を嫌う。
「仏教」常識的世界にどっぷり耽溺しものごとをテキスト通りに受け止めている限り、
無常の清新な悟達はありえない。
『百尺竿頭進一歩』(無門関)はありえない。
「正覚仏」?
勝義に『正覚』なる戯語を平然と使うところが「仏教」未達者の痛いところだw
な〜んも掴めとらん。
<ブッダとは、俺のことかと、ブッダ謂い>
172 :
妙信 本願寺 :2013/02/01(金) 12:57:05.78 ID:7u95mf/Q
ばか素人が何をいている 家もどたら、ひたすらむつかしたわごとばかり言う 檀家からどうやたらもっと金とれるかとか、墓の原価の さげかたとか話すことほかにもあるだろう おまえさんらばかか、そなこと全部仏説と関係なし なにが縁起だよプロはみな腹かかえてわらてるよ 仏説でお金をもらっているプロの僧侶より
173 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 13:20:01.16 ID:4aPirx/o
>>161 >>168 >空&仮説として縁起している様相は即ち「中道」にあるのである。
>仏教なるものは愚者の妄想だ。
中論25-19参照。
不説とかのようなアホ「仏教徒」wもいるので誤解を防ぐために、大サービスで少し敷衍。
上記は『如是眼不實而生。生已盡滅。』(第一義空経)と同趣旨。
(#このように視覚作用は実際には生じない。そしてそれは起った途端に已んでしまう。)
・視覚作用は実際には生じない←直接現実の様相(空観)、
・それは起った途端に已んでしまう←間接現実での仮設(仮観)
★仏教なるものも『如是“仏教”不實而生。生已盡滅。』である。★
(#このように仏教というものは実際には生じない。そしてそれは起った途端に已んでしまう。)
起った途端に已んでしまう(相殺:間接現実での言語ゲーム)のに、縁起の分断特定(特因特果:一因一果)などありえない分別妄想だ。
「そもそも無常な無量因無量果の縁起という普遍現象を、
人間の勝手な妄想判断でぶつ切りで特因特果(一因一果)化し、
善悪価値判断を持ち込むこと自体が無常縁起に相応しからざる態度だ。」(
>>152 )
だから、第一義空経で、十二支縁起→業報輪廻転生論などは妄想そのもの(フィクション)であることを明確にしたのだ。
⇒『除俗數法(十二支縁起を排する)』
涅槃寂静 合掌
174 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 13:23:28.04 ID:17wC0PGi
「勘違い仏典」をいくら引用しても無駄。現代人の常識で判断すべきもの。
>>172 釣りをするならエサぐらいつけろw
.| | | | | | | | | | || | |
.| | | レ | | | | | J || | |
∩___∩ | | | J | | | し || | |
| ノ\ ,_ ヽ .| レ | | レ| || J |
/ ●゛ ● | .J し | | || J
| ∪ ( _●_) ミ .| し J|
彡、 |∪| | .J レ
/ ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
\ " / | |
\ / ̄ ̄ ̄ /
 ̄ ̄ ̄ ̄
>>173 a.k.a. 閻魔大師
> 「仏教徒」wもいるので誤解を防ぐために、
仏教徒は(正覚)仏の教えに学ぶから「仏」の「教(え)」の「(生)徒」なわけですよ。
その者が仏教徒であるならば、(正覚)仏以外の他者に由来する教え(異教)は不要ですし、また異教に学ぶのであればその者の「仏教徒である」という属性と矛盾を生じます。
誰ぞ何をか「仏教徒のため」に説けんや?
177 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/01(金) 16:28:56.68 ID:cUZggUnT
異教に誘われることのない人が、自ら道を見い出して、安らぎ(=ニルヴァーナ)を目指して歩む。彼が仏教徒である。 ***
レス遅くなったけど、前スレで悟りが体験ではないと私が言ったことに対して テキストで詰めていくのが正しいあり方と返されたことについて。 確かに悟りは知の一つのあり方である点には同意。 でも、それはあからさまなテキスト解釈でなされるものではないよ と俺は思う 俺自身なんと言えばいいかよく分からんが 頭で考える知のあり方ではないのは確かだと思う それだと、分かった理解したで終わってしまうからね、精神の成長というものがない 体験というものも過去のことになり、記憶の衰退とともに効果がうすれてしまう それが知とは異なって、体験に終わるということがない理由だ。 では何が悟りという知かと言えば肚で分かるという感じだと思われ。 自己の怠惰な心が分かっていなければ行動に現れない、カッコイイ言葉で終わってしまう もちろん、悟れば人間がいきなり傑物になって聖人による救済無双がなされるわけじゃない だが、つねに善なる方向へ心が向き、道を踏み外すようなことはなくなる、と思われる。 それこそが三悪道に赴かないことをすすめる仏教の戒定慧のあり方なのだからな ゆうなれば、学道を卒業し、修道へ向かえる状態となるのがまずは悟りの根本というものと思われる
学道じゃなくて、見道か
180 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/01(金) 17:14:17.87 ID:cUZggUnT
覚りは一瞬である。一度覚れば、逆戻りすることがない。それで覚りは不退転の境地と言われる。 覚った後で、修行は不要である。覚りとは修行の完成に他ならないからである。 ある人は、数日で覚る。ある者は、ついに(今世で)覚ることがない。 覚りに、素質や才能など何一つ無いが、功徳を積んだ人とそうない者とが実際には存在している。 こころある人は、功徳を積め。充分に功徳が積まれたならば、一瞬に覚って、仏となるのである。 ***
悟りには52位あると言われる
182 :
前世は一在家 :2013/02/01(金) 17:26:21.43 ID:cDxJ0YIC
>>180 >こころある人は、功徳を積め。充分に功徳が積まれたならば、一瞬に覚って、仏となるのである。
功徳を積む原動力は、やはり慈悲と菩提心(衆生済度の決意)でしょうか。
まだ足りなかったかな 不退転となるのは、初地から。だから歓喜地とも言われる。
184 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/01(金) 17:56:43.56 ID:cUZggUnT
>>182 人が功徳を積む原動力は、聖求である。
人が功徳を積むのは(実践は)、徳行による。また、三宝(仏法僧)を敬う人の行為は功徳を生む。
「慈・悲・喜・捨」を完成させたならば、真如を見て、心解脱が起こる。
自分自身を浄める決意が、菩提心に他ならない。
***
185 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 18:27:55.75 ID:p/NM6qv+
SRKW氏はいったい何を悟ったのか。 空か無我か。それを具体的に書かないと信用されないぞ。
妙法氏の言っているのは、これが現実だよ。 お前ら、縁起空仮説中道でどうやって飯食うんだ、と聞いている。 どうなんだ、論客各氏?
だけど、どんなに修行した僧でも菩提心が分からないと言うからなぁ やはり、それは凡夫が語る次元を超えているだろう
縁起空仮説中道などは寝言だろ。 そんなことも知らないのは中論かぶれのお前らだけ。 目を覚ませボケェ、みたいな突っ込み。
空とはようするに拘らるなっつうことよ こだわれば守ろうとして失うのが怖くなるだろ だけど諸行無常、失くならないものはない 失うまいと必死になれど失われるのが苦だからなぁ
>>189 それじゃ生活できないと思うよ。
朝昼にこだわり、食事にこだわり、仕事にこだわり、女にこだわる。
そういうものが脱落したら死ぬばかり。
僧であろうとするなら世捨て人となることは厭わないことだな 托鉢でもして、世のため人のために祈るのが筋 在家については生きることについてそこまで要求するものではない ただなるべく欲を燃やさず、八戒を守って僧を供養すればよし ただそれだけ
192 :
前世は一在家 :2013/02/01(金) 19:31:27.00 ID:cDxJ0YIC
>>187 >だけど、どんなに修行した僧でも菩提心が分からないと言うからなぁ
御参考:(難陀の一燈)
夜が明ける様になったら長者や他の人のは消えてもこの難陀の捧げた燈のみ消えなかった。目連さんがそれを吹いても消えない。三度吹いても消えない。
お釈迦様は皆に云われるには「難陀は大菩提心を以ってしかるには四大海水を以って覆してもあかりが消える事がない。」とて難陀の心をほめられたり。
長者の万燈より貧者の一燈とは此処より出しならん。
193 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 19:38:20.61 ID:p/NM6qv+
>>191 そうしなければならない理由は?
なにもないじゃないか。
妙法氏の問いに答えてないように思うけど。
194 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 19:41:00.93 ID:uHjYFJsH
仏教の不邪淫戒に 自慰行為は駄目になりますか? 日本にある仏教で
197 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 19:43:22.53 ID:MP1aHRuf
>>196 妙法氏・・・あれっ? 失礼、妙信氏でした orz
>>197 お前はやっぱし凡夫だな。何度も何度も過去スレを読み返せ。
そこにお前の姿が映ってる。過去スレはお前を写す鏡だ。
すでにそう書いたはずなんだが、ボケェ
>>197 寝言は寝てから言え 〜 これが常識だろ
早く目を覚ませ、凡夫
201 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 20:07:54.57 ID:MP1aHRuf
>>199 そりゃ、みんなの鏡とは言えるな
君が
>>142 なのか?
謝って欲しいなら理由を言わないとな、
その理由に納得したら謝るが、そうでなければ謝れないな
その理由も言わず、同様の発言を繰り返すなら、スル〜するよ〜
>>198 妙法だろうが妙信だろうがどうでもいいんだが
で?
>>202 で? って? 意味不明。
あなたの指摘に応じただけだけど。
坊主が腐っとるだけやん
>>201 お前の人生なんだから、お前の勝手にやれば〜
ただし、みんなに迷惑をかけるな
わかったか凡夫
話が高度すぎてついてけないわ 今nhkオンデマンドでシルクロード 玄奘さん見てが 馬20頭の経典を持ち帰えり翻訳したそうだ そのおかげで日本が大乗が伝来したんだろう これは涙するぐらいすごいね
207 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 20:36:43.12 ID:MP1aHRuf
208 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 20:38:43.15 ID:MP1aHRuf
>>206 玄奘三蔵は立派だけど、
玄奘三蔵以前にも大乗は伝来してたので、
玄奘三蔵だけのお陰ではないですね。
しかし、玄奘訳はけっこう多い
210 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 20:46:17.08 ID:MP1aHRuf
>>209 重訳以外は、アビダルマと唯識関係ばっかですけどね。
倶舎・唯識への影響は甚大だけど、まんまり大乗らしい大乗じゃない印象があります。
そうだったか、全然覚えてないので そういえば法相宗だっけ
釈迦はどう考えたか微妙だが、竜樹の考えた空は 相互依存性であり空間には相違ない。 肉体というものも相互依存性的具象物ではあるが、 同じく空であり空間の凝縮系と捉えることもできる。 であるならば、死後凝縮したものが拡散型の空間に戻る と考えることができる。 ということは、目の前、周囲の空間そのものが人間である 可能性がでてくる。 自縛霊的発想であるが、そうであるならば解脱とは何だろうか? 空間そのものが欲求と執着でできているとでもいいたげな 様相であるといえる。
そうかな、まず当時隆盛していた説一切有部を念頭にいれないと。 有部の説はご存知、三世実有・法体恒有だろ 有として、固定的実体を想定していた部衆だったんだよね 法というのは、たとえば五蘊。釈尊が説いた法であるけど 後に法とは諸法無我とあるように釈尊が説いたこの世の実体を区分したところのモノを指すようになった。 それが実在するってのが有部なんだけど 竜樹は要はそれらも実在ではなく、あくまで仮に説かれたものって言っただけだと思うんだが。 つーか、これ本に書いてある基本的なものだけど
釈尊が説かれたことってのはホント基本的な部分であって 別に体系化されていたわけじゃないんだよね、いわく対機説法だから しかし、それだと教えとは何かということを伝え保持することなどできないわけで サンガはそれを研究し護持していくことになった。部派時代の幕開け。 当時はいろんな考え方があったんだよ たとえば業。これは我々の運命に関係するものだが、では一体どのような形でその力が内在されているのか そういうことは当然問題になってくるわけで ある部派では、今の量子論のごとく細かな微粒子として存在しているとか 世親なんかは業種子というものを仮定して、アラヤ識という心に詰まっていると考えた。 そうした理論体系化の時代が仏教にはあったんだよ。 竜樹はその中でほぼ誰にも反論できない論を構築したってこと。釈尊とは少し趣がちがうのは時代的な背景もある
いやいや五蘊皆空を意識空間と捉えれば 何ら矛盾しない。縁起物であり相互依存性とも一致する。 法とは法則に過ぎないものであり、一定の物理法則とも言える。
うん、そういう考え方もできうるかもね まあ、それはいろんな反論に耐えてきた伝統的な考え方とはちがうけどね
>>216 いろんな反論に耐えてきた伝統的考え方を教えて下さい
玄奘が学んだインド ナーランダ大学でも学僧たちもくだらん議論したんだろな 結論でないし 人類は進歩してないのか
219 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 22:00:01.33 ID:MP1aHRuf
>>217 伝統仏教の代表として、
テーラワーダ代表・パユットー『仏法』
大乗代表・ダライラマ『智慧の眼を開く』
伝統に添った文献学者で、
テーラワーダ寄りの最高権威・水野弘元『仏教要語の基礎知識』『原始仏教』
大乗寄りの最高権威・山口益『仏教思想入門』『大乗としての浄土』
以上が伝統的
もちろん五蘊が錯覚の部分を大きく含むのは否定できない。 しかし五蘊の内容は錯覚と言えるが、五蘊自体は錯覚でないと言える。 真実は現象の中にのみあるものであり、 釈迦は何も説かなかったとは、現象の中に説かなかったものを見た、 あるいは想定したと考えることができる。
>>219 いやいや、そういうことでなく俺が212で示したような
単純な考え方でいい。
222 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 22:10:50.96 ID:MP1aHRuf
正直、宝珠さんや前世は一在家さんの人間性に免じて、 そういう方向性を実在論的に考えてもいいんじゃないかと思う。 無い無いずくしじゃ、おもしろくないしね そうして議論を重ねていけば、一種の方向性的なものが 導き出せるかもしれない的な仮説も立てれるかもしれない。
224 :
ノスタルジア :2013/02/01(金) 22:36:48.36 ID:AYPwKdBD
>>184 求めているのに聖も愚もないでしょう?
人々は求めているんですよ!
それをなぜ、あなたは世は間違いだ、顛倒していると言い切れるんですか?
人々は求めているんですよ!
曲がりくねった者達にこそ阿弥陀は、そのどうしようもないほどのやさしさから
広くすくってあげようとしたんじゃないんですか?
如来は、曲がりくねった多くの者達に不死を、生死を超えたもののところを
指示しているが、この世では競争社会というものがあるということは大前提ですよ。
それを無視すれば、ただのはぐれ者に成り下がる。限定と禁止ですよ!
人々は求めていて、競争社会を生きていかなきゃいけないんですよ!
あなたは、その人達のいる世が間違っているだとか、顛倒しているとか
言うが、それはおかしい。
妥協や有耶無耶や無茶苦茶では人々は頷いてもくれないし・・・。悔しいですがね。
225 :
ノスタルジア :2013/02/01(金) 23:04:02.63 ID:AYPwKdBD
>>184 第一あなたは自分の救える人数をツイッターで制限して書いてたじゃないですか・・・。
これは人の過失を責めることではなくて、あなたの限界なんですよ!
お釈迦様であっても、生前救った数は限定されているから、あなたの落ち目は
別に指摘してないはずであり、当たり前のことを言っていると思っています。
ニルヴァーナに至るという目的で、言葉の達人は機能していないかもしれない。
なぜならニルヴァーナに至ったら、如来であり、自利利他円満の仏になるわけだから。
そういう目的で言葉を使えば、そういうところにいけるのかもしれない。が、
私は言葉を紡ぎ出すということは、それ以上の可能性を秘めていると思っている。
それは末法であるからあり得る可能性であり、競争社会であるからあり得る
可能性である。私は人々はその可能性に目覚めてほしいと思っている。
私は言葉を紡ぎ出すということが、正当性のある正義であると確信しているので、
ただ自利のみを追究する、自利の如去になってほしいと思っている。
もちろん如去というのは仏教用語かもしれないので、難しいところだが、
今のところそれしか当てはまるみんなが分かる概念が念頭に浮かばない。
如去はニルヴァーナなのか?違うと思う。・・・。
226 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/01(金) 23:27:43.21 ID:cUZggUnT
もろもろの如来は、誰もが覚り得るとは説くが、誰もが覚るとは説かない。この世には、実際に覚りに達する人と、そうでない者とがあるからである。 ただ、誰が覚り、誰がそうでないかは、誰にも(如来にも)予測できない。それで、もろもろの如来は広く理法を説くのである。 覚りは、最初から最後まで各自のことがらである。正しく説かれた理法の言葉を聞いて、理解し、実践する修行者が、充分に功徳を積んだとき、解脱は起こるのである。 如来は、ただ真実を真実のままに説くだけである。 ***
227 :
妙信 本願寺 :2013/02/01(金) 23:28:34.43 ID:COlJDfal
やはりここはくそ素人の集団 今日は同朋の青年会の宴会だったがおれは副幹事からな おまえら素人みたいななんの掴みもないくだら話するプロなっかひとりもいない 同年組のやつと結婚紹介の話とか経よみとか葬儀屋の紹介の話がでたが、 そういうのが檀家にやてやる話 また僧都より話があたのは本寺への借財のはなし そういう食輪をまわすのがまず仏法なだぞ きさまら素人はおれらプロが檀家への仏法輪のはなしをしてときくだらはなしばかり あのな、さとるさとらないとか聖道仏教の他宗のあほがよくいうが、どでもいいしプロはだれも興味なっかなし まずは檀家のばばあといかにつながるかが第一が仏法ぞ おいくそ素人ども むつかし本よむのはやめて、くだら仕事でもとにかく食輪をまわさんか それが蓮如上人の一行道ぞ よく おばおえとけ 仏説でお金をもらているプロの僧侶より
228 :
前世は一在家 :2013/02/01(金) 23:30:11.01 ID:cDxJ0YIC
>>215 >法とは法則に過ぎないものであり、一定の物理法則とも言える。
そうですね。
縁起=一定の条件のもとで一定の動き方をするという法則 「IF これあり THEN かれあり」
如来が世に出ようが出まいが関係なく法として定まり決定している相依性。
この法則は変化しないから無為でしょうか。
(参考)
>テーラワーダ寄りの最高権威・水野弘元『仏教要語の基礎知識』
イーチャンティカ?
230 :
前世は一在家 :2013/02/01(金) 23:40:04.62 ID:cDxJ0YIC
>>228 >如来が世に出ようが出まいが関係なく法として定まり決定している相依性。
>この法則は変化しないから無為でしょうか。
だから龍樹は変化そのものも否定し、「本性上はいかなる変化も起こらない」という縁起の理を釈尊は説かれたと解説。
231 :
ベゲザンピーク :2013/02/01(金) 23:42:03.59 ID:VU7glQzf
オンレイレイピワンダラピスーダラピッタラー
おっぱいぷるるん
233 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 23:53:38.06 ID:4aPirx/o
>>230 >龍樹は変化そのものも否定し、「本性上はいかなる変化も起こらない」という縁起の理
そんなこと、どこに説かれていますか?
234 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 00:01:06.41 ID:cyx0wf8s
>>230 <いま現に去りつつある>(中論2-5)とはどういう状態ですか?
235 :
妙信 本願寺 :2013/02/02(土) 00:06:45.61 ID:DLY40nN+
おい素人きさまらうるさいといってだろう せめて寝るまでには少しくらいまともなことしゃべらか 仏教とかついてのに、なんも関係なしのむつかし本よんでわかった気に なってるぼけ素人 おい聞いてるだろうが おまえら法事で焼香次第はおわたのか 経よで殷金はなんかいやるかわかるか 葬儀屋への伝票はわからんか あのな、そなこともわからで、何も話す資格なし 素人さん、まずそのへんについて言ってみなちゃい さとるさとらないとかあほじゃないのか 同朋の飲みでも、さとるとかさとらんとか いう素人のバカほど無意味なものはなしと皆で言っている わかたか
236 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 00:07:05.87 ID:2mPYmXD8
>>233 >そんなこと、どこに説かれていますか?
中論の冒頭に書かれてませんか。
「何ものも来ることもなく、去ることもない、という縁起の理を仏は説いた」と。
237 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 00:09:18.83 ID:2mPYmXD8
>>234 ><いま現に去りつつある>(中論2-5)とはどういう状態ですか?
オイラ氏か他の方々に聞いて下さい。
世智に長けた者にとって仏教は聞き難い
239 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 00:19:05.39 ID:2mPYmXD8
>>235 >仏教とかついてのに、なんも関係なしのむつかし本よんでわかった気になってるぼけ素人
なんも関係なしのむつかし本(菩薩候補者向けの中論)よんでわかった気になってるぼけ素人(衆生)というのは的を得ておりますかも。
240 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 00:21:51.63 ID:cyx0wf8s
>>236 >>237 龍樹は帰敬序で「去る」は戯論だと書いてあります。
<いま現に去りつつある>、どうしてこれが「本性上はいかなる変化も起こらない」のですか?
241 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 00:33:57.21 ID:cyx0wf8s
>>236 >>237 すぐに応えていただけるかと思ったのですが、
まだなので、残念ですが今日は寝ます。
242 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 00:51:37.88 ID:2mPYmXD8
>>240 ><いま現に去りつつある>、どうしてこれが「本性上はいかなる変化も起こらない」のですか?
過去ログを読まれてますか。
現象界(有為)では無常、すべて変化しているように見えますが、本性上は不生不滅、不去不来、いかなる変化も起こらない(不変)という話をしておりました。
貴兄の御指摘の<いま現に去りつつある>は現象界でのことかと存じます。
うまく説明できないので、他の方のコメントを待ちます。
243 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 00:59:00.24 ID:2mPYmXD8
>>228 >縁起=一定の条件のもとで一定の動き方をするという法則 「IF これあり THEN かれあり」
(縁起の法)
IF 条件A THEN 動きa
IF 条件B THEN 動きb
IF 条件X THEN 動きx
動きa,b,xは変化しているように見えるが、法<IF 条件X THEN 動きx>は常住不変。
あさ〜はお腹がグ〜グ〜グ〜
245 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 01:02:57.91 ID:2mPYmXD8
>>243 >動きa,b,xは変化しているように見えるが、法<IF 条件X THEN 動きx>は常住不変。
衆生の目には動きa,b,xが見え、如来の目にはΣ法<IF 条件X THEN 動きx>が見えるのかも。
我はオメガにしてアルファルファ
247 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 01:14:01.60 ID:2mPYmXD8
>>246 >我はオメガにしてアルファルファ
換言しますと、「IF 条件Ω THEN 動きΩ〜IF 条件α THEN 動きα」=縁起の法=ロゴス=神 でしょうか。
宝珠さんの十八番ですね。
248 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 01:24:15.07 ID:SWppZ80T
「去る者は、去らない」。 中論の中心思想は、「相互依存性、関係性、相対性」。 「去る」という動作は、「去らない」という動作の相対としてのみあり得る。従って、 既に去っている者自身は、「自分が去っている」とは言えない。「去る」という動作を 同時に二度行なうことはできないからである。 平行して同速度で走っている電車を他方の電車から見ると、静止ししているが如し。 アインシュタインの「相対性原理」である。 「相対性ならざるものはない」(中論)。
249 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 05:37:46.49 ID:R4Ug2eQV
中論に思想はありませんね。 逆に何かこれこそ正しいと掴んでいる思想、見方、考え方という戯論を鎮める、 戯論寂滅への導きです。
250 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 06:38:40.43 ID:EsSJDazG
>>243 それは単なるデカルト的、機械論的世界観であって、とても狭苦しい人智に過ぎない
縁起の法はたとえカオスや非線形力学などの複雑系をもってしてもソフトウェアでシミュレートすることはできないでしょう。
251 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 06:43:24.93 ID:EsSJDazG
>>250 追加
釈迦が覚った縁起は世間一般に流布する(人が理解している)縁起とは似て非なるもの
もし同じものなら相当数の人が覚っているに違いない
そうでないことは現状を見れば明らか
252 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 07:01:13.49 ID:R4Ug2eQV
>>251 縁起は多層的ですよ。
基本は「これあらばこれあり、これなくばこれなし」の此縁性に集約できると思います。
これが空性で仮設です。空性とは中身空っぽで本質・実体がないというような意味。
仮設は業が言い習わしなどの諸縁によってxとして記号付けられて知覚認識され立ち現れること。
そして縁起は凡夫が掴んでいる本質・実体が有る無いというような見方、考え方を解き放つ観法としても用いられます。ここが最も重要だと思ってます。
ですから、論理的に縁起が分かったからといって、必ずしも空性や縁起が悟れるわけではないと思います。
悟れるためには三昧に入れるような精神集中力が前提となると考えます。
以上は伝統仏教の教え、道だと思ってます。
253 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 07:03:58.19 ID:EsSJDazG
>>251 追加
それでも人智によってしか人智を超えることができない
人智によってのみ人智を超えることができる
254 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 07:43:50.96 ID:2mPYmXD8
>>245 >衆生の目には動きa,b,xが見え、如来の目にはΣ法<IF 条件X THEN 動きx>が見えるのかも。
>>247 >換言しますと、「IF 条件Ω THEN 動きΩ〜IF 条件α THEN 動きα」=縁起の法=ロゴス=神 でしょうか。
>>250 >それは単なるデカルト的、機械論的世界観であって、とても狭苦しい人智に過ぎない
>>252 >縁起は多層的ですよ。
多層的だから「Σ」とし、法の数をα〜Ωと仮設しました。
人の場合はその人の経験した条件xの総和から現在が成り立っているということです。
舎利弗は長部経典の等誦経にて釈尊が説かれた229の法を整理しましたとさ。
尚、輪廻に関わる法はその内の5つ位かと思料します。
255 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 07:52:46.18 ID:R4Ug2eQV
>>254 >>換言しますと、「IF 条件Ω THEN 動きΩ〜IF 条件α THEN 動きα」=縁起の法=ロゴス=神 でしょうか。
縁起の法=法性≠神 は明らかですね。
神・創造主は縁起・法性でないという点でもあらゆる時代、あらゆる地域の伝統仏教は一貫しています。
この点だけでも改められてはいかがでしょう。
256 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 08:05:06.05 ID:2mPYmXD8
>>255 >縁起の法=法性≠神 は明らかですね
縁起の法=ロゴス=神智学の神 ということで、仏教で定義する神ではないでしょう。
尚、私のグループでは法性(掟)を定めた存在を創造神と説かれております。
言葉や光よりもずっと昔のことでしょうか。
257 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 08:08:53.62 ID:2mPYmXD8
>>256 >尚、私のグループでは法性(掟)を定めた存在を創造神と説かれております。
>言葉や光よりもずっと昔のことでしょうか。
かのアインシュタインも宇宙の法則を見て「宇宙に意思あり」と説かれたそうです。
258 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 08:35:32.74 ID:R4Ug2eQV
>>256-257 いやいや、それでは仏教は全く分からないでしょう。
なぜ、この点、頑ななのでしょう?
259 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 08:54:45.40 ID:2mPYmXD8
>>258 >なぜ、この点、頑ななのでしょう?
それは仏教徒ではないからでしょう。
今は異なる信を持つ異教が仏教を勉強しているからであり、あらゆる時代、あらゆる地域の伝統仏教の定義を信じれば私も仏教徒でしょうから。
今やっと「縁起の法=法性≠神」は無常でなく不変という仏教の教えの理解に辿りついた次第です。
260 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 08:57:50.72 ID:2mPYmXD8
>>259 >今やっと「縁起の法=法性≠神」は無常でなく不変という仏教の教えの理解に辿りついた次第です。
誤解されたので補足しますが、「縁起の法=法性=神」は宝珠氏の信だと考えており、私自身の信とはやや異なります。
宇宙の法則もいいけど化学の有機結合、すなわち僕らの体の成り立ちも面白いよ。 元素が結合して分子になるけどそれにも法則があり特定のものとくっつくし、 人体がそれを作り分解する仕組みも持つということ。
262 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 09:11:26.29 ID:2mPYmXD8
>>261 >宇宙の法則もいいけど化学の有機結合、すなわち僕らの体の成り立ちも面白いよ。
確かに化学の法則も美しいですね。
同様に数学の幾多の定理の証明も美しいですね。
法則は偉大な科学者達が発見する前から不去不来だったということでしょう。
ただ衆生には木から落ちるリンゴでも、ニュートンには万有引力の法に見えたということです。
ただ凡夫には祖父と孫が似ているなと見えても、メンデルには遺伝の法に見えたということです。
同様に衆生には無常の日常生活に見えても、如来には美しい不変の法の集合体に見えるのでしょう。
そういうわけでまずただみたいなものから使えるものを安く作ってから ナントカ粒子の研究をすべきですよね。まあ面白そうではあるんですが
264 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/02(土) 09:38:09.30 ID:yhCLe9Tm
>>257 >かのアインシュタインも宇宙の法則を見て「宇宙に意思あり」と説かれたそうです。
お前はまた、すぐ、そうやって誤認を誘導するような書き込みをするww
→アインシュタインは、徹底した「無神論者」だよww
もし仮に、そのような表現をしたことがあったとしても、それは、自然の美しさを
賛美したものだろうww
さて、とりあえず聞いておくが、そのソースは?
発言の場と文脈からの解釈が必要と思われるのでその前後の文章を提示してみww
265 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 09:56:40.45 ID:f6Cwd9en
>>249 >中論に思想はありませんね。
「相互依存性・関係性・相対性」は、古今東西、前人未到の大思想。万人万物
の方向を指し示すもの。釈迦の念頭にもなかった思想。内容的には、釈迦の
「思想」に「新しい意味を与え、換骨奪胎し、全否定した」もの。
釈迦の誤った「無我の思想」に引きずられた凡百の注釈書に惑わされては
ならない。
266 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:02:04.95 ID:R4Ug2eQV
267 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:07:45.07 ID:f6Cwd9en
>>266 一旦釈迦の「無我」という「トンデモ妄想」で洗脳された者には、到底理解は
不可能w。
中論は、「無我」「無」などというアホな言葉は、反論する場合を除いては、
一言も使っていない。
268 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:15:52.02 ID:R4Ug2eQV
>>267 理解するのも誤解だと分かるのも易しい単純な妄想なんだけどなあ
269 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:27:44.70 ID:f6Cwd9en
>>267 w
中論は、「相対性」「相依・相依性」「相互依存」などというアホな言葉は、
一度も使っていない
んですけどねぇ・・
271 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:31:43.01 ID:f6Cwd9en
>>268 「無我」「無」で洗脳された釈迦カルトには、理解は永遠に不可能w。
272 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 10:32:56.91 ID:2mPYmXD8
>>264 :パーピマン氏
>さて、とりあえず聞いておくが、そのソースは?
>発言の場と文脈からの解釈が必要と思われるのでその前後の文章を提示してみww
「科学を真剣に追究している者は誰であっても、宇宙の法則の中に神の霊が顕在していることを確信するに至るのです。
神の霊は人間の霊をはるかに凌いでおり、神の霊を前に人間は自らの力のささやかなることを知り、謙虚にならざるを得ないのです」
(アルバート・アインシュタイン)(Princeton,N.J:Princeton University,Press,1999)
「神はサイコロを振らない」←宇宙は一貫した法則(神の意志)に貫かれているの意。
↑上記はネットで調べました。
>>271 「相対性」「相依・相依性」「相互依存」で洗脳された妄想オタクには、理解は永遠に不可能w。
274 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:35:36.09 ID:bGrezsR6
中共の大本営発表を鵜呑みはないわ
275 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:40:29.92 ID:f6Cwd9en
>>270 釈迦の「無我」「無」から離脱すれば、内容から、その趣旨以外にはないことは、
理解は容易である。
注釈書類は、釈迦の「無我」「無」を絶対の前提としているから、概念の混同
と論理の乱れ、即ち無理とひずみが甚だしい。
276 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:44:35.83 ID:bGrezsR6
このジジイにアートマンの設定を説明してあげる作業を あと何回すればいいんだろ。
>>275 近代文献学一部の先入観の「相対性」「相依・相依性」「相互依存」から離脱すれば、
内容から、その趣旨以外にはないことは、
理解は容易である。
現代の解説・翻訳は、先入観としての「相対性」「相依・相依性」「相互依存」を絶対の前提としているから、概念の混同
と論理の乱れ、即ち無理とひずみが甚だしい。
278 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:48:43.47 ID:R4Ug2eQV
>>269 だから、焼身自殺はチベット仏教の一部である悪霊崇拝派の影響なんだって
それは、石原莞爾が日蓮宗の影響受けてるから日本仏教は狂ってるっていうようなもんだよ
しかも、中論を依用した妄想を指摘されて中傷で誤魔化すという、どうしようもない下劣さは隠しようがないね
>>277 じゃ、他に何があるっていうんだ?
「無自性空」だって単独では何もできない。
依存性があって初めて動く。
280 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:52:59.37 ID:yhCLe9Tm
>>272 wwwwwwwwwwww
だから、それは自然を探求する科学者としての心構えをそのように
表現しただけだろうがwwwww
科学で全てが分かるというような、アホな科学者への戒めだよww
>ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)が
宗教観をこのように表現した手紙が15日、ロンドン(London)で競売にかけられた。
古書類競売業者ブルームズベリー(Bloomsbury)が13日明らかにしたところによると、
アインシュタインの手紙は1954年のもの。
「神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。
聖書は、高潔だが原始的な言い伝えをまとめたもので、やはり子どもじみている」
「どんなに素晴らしい解釈が登場しようと、この考えは変わらない」などと述べている。
また、ユダヤ人が神に選ばれた民だという思想についても、「わたしにとってユダヤ教は、
ほかの宗教と同じく子供じみた迷信の権化だ」
「ユダヤ人であることを光栄に思っているし、強い親近感を抱いていているが、
わたしにとってはほかの民族と変わらない」と述べ、否定している。
ブルームズベリー関係者は、アインシュタインは手紙の中で自らの宗教観を
「遠回しに言うことなく明確に語っている」と評価する。
英ガーディアン(Guardian)紙によると、この手紙は1954年1月3日に哲学者の
エリック・グートキンド(Eric Gutkind)あてにドイツ語で書かれたもので、
50年以上も個人コレクションとして所有されていたという。
・・・・この他にも、アインシュタインが神を否定した発言は、多くあるぞw
281 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/02(土) 10:55:46.50 ID:yhCLe9Tm
>「神はサイコロを振らない」←宇宙は一貫した法則(神の意志)に貫かれているの意。 wwwwww 勝手に「隠れた変数」を「神の意思」に書き換えるなよww お前は、ある人間の発言、もしくは記述等の事実を引用し、「それを自分勝手に解釈し」 それが真実であるかのように見せかけるw なまじ、引用が事実であるから、その解釈も真実であるかのように誘導する手法だw そこらへんを今まで散々、批判されてきたのにww いい加減で理解せえよw
282 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:57:27.67 ID:R4Ug2eQV
>>279 記号の問題じゃなく、内容の問題でしょ。
生命教がいう「相互依存性・関係性・相対性」というのは実在物相互のものを言っているので、そういうことは仏教の縁起というよりヴァイシェーシカのサマヴァーヤの方が近いように思う。
仏教の場合、法と法との「相互依存性・関係性・相対性」ということも可能かもしれないが、より伝統的には此縁性で、しかも法と法はそれぞれ仮設されたもので、
全くの空性、実体・本質の無いものに他ならないから
283 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 10:59:47.30 ID:f6Cwd9en
「私は、スピノザの神を信じる」 「私は、科学で証明される限度で神を信じる」 (アインシュタイン) これで決まり。
285 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 11:00:51.08 ID:eqObSInn
私に言わせれば「神はサイコロさえ振れない」だな。
>>282 人間が呼吸するのは法であり法則だ。仮設ではない。
それを仮設とするならば、なんの為の仮設以前に意味はない。
全くの空性、本質のないものは、法則の力で実体・本質があるかのように
形成されているといえ、それを実体・本質と呼んで何ら不都合はないとは
思わんか?
悟りとか空とが自我とかで無限ループしてないで前に進みたまえ ぼくは同じところをループする人を何人も見た
288 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 11:11:15.15 ID:R4Ug2eQV
釈迦「おまえらの言うことは難しくてよくわからんが、まあまず落ち着け、したら色々捗る」
>>288 呼吸が言い習わしではない。実体・本質として人間は呼吸する。
何も矛盾はない。
そしてそういう酸素がなくてはならない、二酸化炭素も必要だとする
概念は壊す、鎮める必要性は何も無い。
291 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 11:30:20.35 ID:f6Cwd9en
人類発生以来、人間は、その五感の知覚により、有と無とを「一義的」に判断する ことによってのみ生存している。これは、人類にとって「法の中の法」。 釈迦の「無我」「無」は、この「法の中の法」に思い至らなかった釈迦の、単なる 「初歩的論理ミス」「勘違い」に過ぎない。小学生にでも分ること。 この「釈迦の初歩的誤り」を一切批判できず、それに執着する限り、仏教学は全く 無意味な代物に化している。多数の注釈書も同様。まさに「戯論の塊」。
五感自体は何も問題はないと言える。強いて上げれば個人差か。 問題となるのは、 「オラ、ワクワクしてきたぞ」や 「オラ、イライラしてきたぞ」状態といえる。 まぁ落ち着いて茶でもすすれというのは正論といえる。
293 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 11:39:08.00 ID:R4Ug2eQV
>>293 では何が縁起なんだね?
善因善果かね?
果は因に依存している。
何も矛盾はない。
295 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 11:49:25.92 ID:bGrezsR6
アインシュタインはバガヴァッド・ギーターをマンセーした という語録が捏造されてるんだよなあ…… 何か琴線に触れるものがあるんだろうね アインシュタインという人物、というかブランドには。
>>290 あのねw
貴方に解り易いように、敢えて「物」で喩えてあげるとね、
「氷」とか「水」とか「水蒸気」のようなもんなの。
勿論ここでは、H2Oとしての分子原子といった“最小単位”まで倍率は上げないよw (´∀`)b
そうした最小単位を設定する(≒そうした「物としての実在同士が作用し合う」)
のではない、というのが仏教だから。(また、そうした最小単位も、所縁のものだしね。)
「氷」という実体・実在・本性があるのでもなく、「水」という実体・実在・本性があるのでもなく、
(当然、イデアとして「真氷」「真水」があるのでもない。―これは“真我”でも同様ねw―)、
ただ、所縁によって、そこにそのような《事象》が生じているだけ、ということだから。
298 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 11:56:33.18 ID:R4Ug2eQV
>>294 因も果も仮設で空性ですよ。それを実体、実在と捉えるなら縁起ではありません。
こんなかんじですよ
>>252
アインシュタインはそれ以前にDVだったという噂は本当なのかね? それが本当なら、ろくなもんじゃねえと言える。
>>296 お前馬鹿だろ。酸素と水素が作用しなければ水はできない。
>>298 空性であるが現象は仮設ではない。
縁起は現象の産物であり、実体となり実在もする。
301 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 12:10:56.98 ID:R4Ug2eQV
>>300 それは縁起じゃないんで、アーガマ・ニカーヤも中論も諸法は仮設で幻のようなものとしてるで
>>300 だからw
「喩え」だと言ってるでしょ。
そういう風に厳密な対照をするなら、この世に喩え話は存在しない、
つーか、存在し得ないよw
馬鹿は貴方でしょう?www
>>301 だから、それが縁起じゃなく仮設で幻というなら
息するな、飯くうなであり仮設で幻なんだから痛くも痒くもないだろ
で容易に破綻する。即ちそれこそが、縁起ではない。
>>302 論理破綻するような喩えをする方が馬鹿でしょ。当たり前でしょwww
まぁ幻や仮設というのは、不可視的な作用という点では仮設とするしか 方法はないといえる。なんたって縁起は単なる現象なんだから当たり前だ。
306 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 12:56:23.80 ID:cyx0wf8s
>>294 >果は因に依存している。 何も矛盾はない。
因⇔果という言語上の矛盾がある。
というか、一体何のために議論しているのかを明解にすべきだ。
実存(方便)苦の根本的超克⇒「執着心の超克」という本懐から還滅すれば、
機能的に検証されるのが当然で、
不要・誤謬・ナンセンスな議論が多すぎる。
世界「観」・存在「観」の樹立は仏法ではない。
初転法輪での中道+四諦に絞り込むべきだ。
>>303 だからw
たとえば、映画の主人公が仮設されている如く、(そして視聴者がその仮設(設定)を共有するが如く)、
我々は日常で知覚認識し、『その存在を』共有し、
痛みや喜びや快感や悲しみや怒りや憎しみを感受している、ということ。
それらすべて、《『所縁のもの』であり、もともと本来の存在としてあるのではない》ということ。
ま、イデア論実在論とは相容れない、というか正反対のベクトルだから、
貴方に理解できなくても無理は無いと思うけど・・。
308 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 14:16:32.39 ID:R4Ug2eQV
>>303 分かってないな〜
仮設ってのは虚無で、効力が無いわけじゃない
そして、凡夫は仮設を実体と見るが聖者は幻と見るわけだ
そうじゃないって捉えるのは、アナタが単に凡夫の立場に立ってるだけ
そういう理解で仏教を説かれてもねえ、単に自説なだけですよ
>>303 縁起の存在論的には、息には息の自性を認めず、飯には飯の自性を認めず、
「人が息を吸い、飯を食う」という文・実在も本来は認められないのだけど、
凡夫がその表現を、実体が有ると思って使うため、
これらの世俗的な表現が仏によって用いられる。だから、"仮"設と言われるんだよ
世俗的な表現が実在論的には成り立たないということについての理屈は中論に詳しくあるよ
310 :
聖信徒 :2013/02/02(土) 15:23:53.26 ID:Ox6gs7FU
イスラームのタウヒード哲学をご存知ですか? 1 神は唯一で無限であり、しかもこの世界のいかなるところにも神は不在である 2 神の権能は、等位性において比類なく、 省略 ほか差違性 単独性 3 この世界の被造物のあらゆるものは、神によって神の権能を持たないよう創造された、あるいはされている ゆえにあらゆるものはただ1つであり、さらに他のあらゆるものと繋がって存在している
311 :
聖信徒 :2013/02/02(土) 15:26:01.48 ID:Ox6gs7FU
中論の無色の論理よりも、聖なる存在、神とその創造を背景に捉えた方が、あなたがたがイメージしている縁起はより必然ですし捉えやすいと思います
312 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 15:58:27.33 ID:R4Ug2eQV
>>310 その哲学については知りませんが、説かれるところは縁起とは全く違います。
そういった創造主が世界の第一原因のような説は、ヒンドゥーにもあり、
そのような説は『梵網経』以来キッチリ否定されてます。
313 :
宝珠愚者@(規制代行) :2013/02/02(土) 16:04:02.35 ID:p9QN/oJ0
アインシュタインは、
ブラヴァツキーの歴史的大著『シークリット・ドクトリン』の愛読者だったといわれています。
ここから原子の分割性についての理論を見出したものと思われます。
アメリカ国民が最も尊敬している科学者といわれるトーマス・エジゾン(神智学協会員)同様、
科学的発見に至る真の直感(インスピレーション)は大いなる意志(存在)から授けられるものだ、
という基本的な認識はあったのかもしれません。
>>260 >「縁起の法=法性=神」は宝珠氏の信
縁起の法則作用といえども神なくしては生じ得ない、という意味です。
つまり、縁起の法則が生じている理由や原因の有無において、
セブンのいうような意味での偶然性といった考え方を認めません。
そこに明確な必然性を見て、これを“意志”と呼ぶのです(この意志からは径論プランが生じます)。
ただ仏教では(仏教体系においては不必要にて)、これを取り扱わなかっただけです。
314 :
聖信徒 :2013/02/02(土) 16:08:40.02 ID:bq+faPlH
経典名はありがたいですがどうでもいいです。端的に、ごく簡単に言うと何ゆえに違いますか? 六派哲学やウパニシャッドのアートマンと違い、創造主の実体や常住不変性は認めませんよ
315 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 16:13:42.42 ID:R4Ug2eQV
>>314 先ず、世界の基体を設定するところ
更にその基体として創造主としての神を設定するところです。
仏教の場合は世界の基体はありません。
世界は無明に基づく各自の業によって縁起すると説きます。
いろいろなレヴェルの神も認めますが、彼らも無明に囚われた輪廻する存在と考えます。
316 :
聖信徒 :2013/02/02(土) 16:18:04.62 ID:2ikUmadt
基体の設定をしているでしょうか 神から、すべてが関係性をもって生成されるのみです 神あって被造物であり、それ以外の世界の基体はないのではないでしょうか
317 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 16:19:53.18 ID:R4Ug2eQV
318 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 16:21:59.85 ID:R4Ug2eQV
>>316 ですから、仏教では神でなく業と縁起で考えます。
全く違うでしょう。
ですから、違うものは違います。別にイスラームを否定しているわけではありません。
仏教ではそうは考えない。それだけです。
319 :
聖信徒 :2013/02/02(土) 16:33:23.50 ID:gldIAOs5
なるほど理解しました ありがとうございました 少し考えてみます 基体を「設定」しているわけではないという違和感がありますが、信仰や預言者の絶対性を言いたいわけではありません 私は既製の一神教徒ではありません 聖なる流れと本件について対話し、何かありましたら書き込みます
320 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 16:46:02.74 ID:R4Ug2eQV
>>319 もし、私と対話を望まれるのであれば、
石飛道子『龍樹』を読んだあと、
瓜生津隆真『全訳入中論』を読まれるのが早いと思います。
特に『全訳入中論』に含まれる「評釈」にほとんど尽くされています。
ですが、それを理解するためには石飛道子『龍樹』を読み『全訳入中論』を読んでからでないと中々理解できないと思います。
『全訳入中論』は高価なので、図書館などでお読みください。
チャンドラって月?
322 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 17:46:10.65 ID:n9jBS/cG
>>315 >仏教の場合は世界の基体はありません。
「プラマーナとしての釈尊」は?
323 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 18:02:19.59 ID:5McVzkzL
セブン氏 悪魔との対話「梵天勧請」を読んだよ。 縁起の道理だけでなく、ニルヴァーナの道理も語っているね。 これが真実の釈迦のように思う。 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。 [おのが]信仰を捨てよ。
スッタニパータにも似たような言葉がある。 1146「・・・汝もまた信仰を捨て去れ。 そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。・・・」
325 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 18:14:04.89 ID:n9jBS/cG
チャンドラキールテイ(入中論の著者)は、信仰べったりだねw。
慈悲と縁起・空(虚無)とは次元が異なる。 空(虚無)から慈悲は出てこない。空(虚無)とは無関係である。 空(虚無)は、神を認めようとしない精神である。 これに対して慈悲は、神を認めることによって成立する。 そうすると、いわゆる伝統仏教は「外道の教え」になる。 釈迦は慈悲を説いたのだから。 釈迦の教えは一筋縄ではない。 神を認めない場所から出発し、神を認める場所へと着地する。
327 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 18:50:10.90 ID:n9jBS/cG
>>326 >神を認めない場所から出発し、神を認める場所へと着地する。
そして、釈迦が神として居座る算段かw。
空や無我など、いくら考え、いくら議論しても体験できないのだよ。 人生が空、無だと思うなら、そう思って「実践」してみろ。 世間で「慈悲」が通用するかどうか試してみろ。 すぐにわかる。 それでも「慈悲」を貫徹できるか。それが問われている。 実は、仮説だ中道だなんて、どうでもいい。
>>327 釈迦は自分が「神の子だ」なんて言ってない。
その当時の俗語で、平易に慈悲を説いていただけだろう。
釈迦を神格化したのはその後の外道だ。
330 :
前世は一在家 ◆.nZBK8wP.A :2013/02/02(土) 19:21:19.47 ID:mCbMDq+l
夢中とは字の如く夢の中を彷徨っている現実との乖離性を示すものである。 無我夢中においては、夢の中なので我は存在しないといえ、 薬物中毒者、或るいはアルコール依存症と同類項であることを示す。 このケースの無我とは最悪の意味である。
無や空を実践する上での導きが、四諦八正道ではないだろうか。 釈迦は十分過ぎるぐらい説いている。 あの時代としては、これ以上もない説き方をしたように思う。 問題は釈迦の後、二の矢、三の矢がなかったこと。 神の智慧はそれほどに奥深い。
>>313 だからw
靴下が破れたからと言って、それが
繊維会社へ入社せよという宇宙意思(目的、必然、理由、意志)だなんてジョークは無しにしてくれよ?w
勿論、後で振り返って、(プロジェクトXみたいにw)、(靴下の破れが就職の原因だったかの如く)
「あの靴下が、鈴木の生き方を変えた・・」なんてナレーションをかぶせることはアリとしてもw
>>326 でカラスかと思ったが、違うのかな?(´・ω・`)
>>331 ま、どっちにしても 《 空=虚無 》とか言ってるうちは理解不能だろうけど。
外道って言葉は本当に悪い言葉だね。 このスレにも、この言葉を使っているアホがいるようだが、 自分と、そいつの代わりに謝罪したい orz
>>333 外道って、部外の思考・部外者ってことだけど?
たとえば、ホンダの方針からしたらトヨタの方針は外道だよ?
逆に、トヨタの方針からしたら、ホンダの方針が外道なんだけど?
335 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 19:38:28.36 ID:haOKGGby
六師外道とは、当時の優れた自由思想家たち。釈迦の思想も、すべて六師外道 からのパクリ。中村博士は、釈迦には独創性は皆無だった、と言っている。
>>335 六人に無かったのが「縁起」だっての無視すんなよw
しかし、隠居節は相変わらずキレがいいなw
外道ってさ通常、 道理からはずれた悪いことを言う。 いい言葉じゃない。
神格化が別に悪いとは言わないね それも世の習い、そう受けつつ悟りへと導けるのかが大事では
339 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 20:03:49.91 ID:2mPYmXD8
>>264 :パーピマン氏
>さて、とりあえず聞いておくが、そのソースは?
>発言の場と文脈からの解釈が必要と思われるのでその前後の文章を提示してみww
また、ネットでソースを探してみました。
主旨:神は謎だが、分かり易い謎である。私は自然の法則を観察した時に畏敬のみ持つ。法則には立法者がいるはずだ。
Einstein(アインシュタイン) referred to his belief system as "cosmic religion(宇宙宗教)" and authored an eponymous article on the subject in 1954,
which later became his book Ideas and Opinions in 1955.
The belief system recognized a "miraculous order(奇跡の秩序) which manifests itself in all of nature(自然) as well as in the world of ideas,"
devoid of a personal God who rewards(報償) and punishes(罰) individuals based on their behavior.
It rejected a conflict between science and religion(科学と宗教の間の対立を拒否), and held that cosmic religion was necessary for science.
He told William Hermanns in an interview that "God is a mystery(神は謎). But a comprehensible mystery(分かる謎).
I have nothing but awe(畏敬のみ持つ) when I observe the laws of nature(自然の法則). There are not laws without a lawgiver(立法者), but how does this lawgiver look(どう見える)?
340 :
前世は一在家 :2013/02/02(土) 20:04:57.96 ID:2mPYmXD8
>>339 >In a 1930 New York Times article, Einstein distinguished three human impulses(衝動) which develop religious belief:fear(畏怖), social morality(社会道徳), and a cosmic religious feeling(宇宙宗教的感覚).
A primitive understanding of causality causes fear, and the fearful invent supernatural beings analogous to themselves.
The desire for love and support create a social and moral need for a supreme being; both these styles have an anthropomorphic concept of God.
The third style, which Einstein deemed most mature, originates in a deep sense of awe and mystery. He said, the individual feels
"the sublimity and marvelous order(崇高さと素晴らしい秩序) which reveal themselves in nature ... and he wants to experience the universe as a single significant whole(重要な全体)."
Einstein saw science as an antagonist(敵) of the first two styles of religious belief, but as a partner(仲間) in the third.
He maintained, "even though the realms of religion and science in themselves are clearly marked off from each other
" there are "strong reciprocal relationships(相互関係) and dependencies(依存関係)" as aspirations for truth derive from the religious sphere.
For Einstein, "science without religion is lame(不完全), religion without science is blind(盲目)."
さて、294は、リンク先読んでくれるんだろうか・・・?w
(´・ω・`)
>>337 でも、仏教・インド史・インド仏教の文脈で何かを語る場合、
避けられない単語なんだけど?
それこそ、医学の世界で「ガン」という言葉を使うなというようなもんだ。
「アイツはわが社のガンだ」なんて言辞は普通にあるぞ?w どこで線引きすんだ?
百歩譲って、(特に日本仏教や現代国語辞典では)、
邪な道・邪な道を歩む者、世の(多数派の)道理に外れた者という意味が付されるにしても、
それも、語る際には必要な単語だ。(現に、このスレでの使用法は全て、仏教外の思想としてだしな。)
ワシは言葉狩りが大っ嫌いでな。つい反抗したくなるのさw
>>332 >・・・《 空=虚無 》とか言ってるうちは理解不能だろうけど。
空≠虚無とか言っているうちは理解不能だろうけど。
>>335 >中村博士は、釈迦には独創性は皆無だった、と言っている。
これのテキストは何か。本の題名と頁数。
343 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/02(土) 20:11:53.03 ID:2mPYmXD8
>330 :前世は一在家 ◆.nZBK8wP.A 過去世(スレ)でも私の追っかけ(ファン)がハンドルを語りましたね。 またキャップを付けないとあかんのかな。
年を取っても、こうなりたくないというランク @位 前世は一在家 A位 宝珠愚者 B位 凡夫一代
>>335 >中村博士は、釈迦には独創性は皆無だった、と言っている
すべての仏教徒は怒り心頭
346 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/02(土) 21:11:12.45 ID:2mPYmXD8
>>344 >年を取っても、こうなりたくないというランク
スレ住人の中で貴兄がなりたいランクは?
>>310 聖信徒さん
>イスラームのタウヒード哲学をご存知ですか?
>1 神は唯一で無限であり、しかもこの世界のいかなるところにも
>神は不在である
人間が神を知ることができないなら、人間と神は無関係だろう。
神のことなど、どうでもいい別世界である。
しかし神と人間は身近な関係にある。
神は命である。人間を含めた、生き物すべての命が神である。
神はすぐそこにいる。
神か、仏は世界をつくらないけど、神はすべての造化をなすよね 一神教ってのはそのへん収拾つかなくなる
>>346 誠実なこと。
自分の思いと、自分の言葉に隙間がない人。
自分の考えと違っても、こういう人には惹かれるな。
なりたくない人は見えてきても、
なりたい人はなぜか見えてこない。どうしてだろ?
仏教伝来以前 今も 神はいるのかも 自分はいると思うが いてもいなくても関係ないし 我々は食うため働くだけ 明日も仕事だ なんで神は貧富の差をつけたの 誰も答えらない質問」だが
351 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 21:57:25.56 ID:haOKGGby
>>336 >六人に無かったのが「縁起」だっての無視すんなよw
釈迦の「縁起」とは、実体論としての単なる「因果関係」。バラモン教の忌む
べき業報論の洗脳から離脱できなかっただけ。
六師外道の中には、離脱できた者もいるのだが。
神がどこにいると思ってるんだ? それは我々の心の中さ、いる人にはいるし、いない人にはいない。 神に他の居住区はどこにもない。 認識論では当然のことさ。 故に戯論を見るまでも無く、本を読むまでも無い。 単なる経験論であり経験済みの事象を扱うだけだからである。 意味わかる?
>>350 豊かな者は神を探し求めないから。
神を探し求めるのは貧しい者だけ。
貧しい者よ、あなたたちは神の民である。
354 :
聖信徒 :2013/02/02(土) 22:03:47.75 ID:jp1Iew1Z
神はどこにもいないが、どこにでもいるということです すべてのものが唯一なるものとして神性を反映しているということです 仏教の寂滅の果てに慈悲はありますか 仲間はいますか そこが疑問です ベネディクトゥス16世が、仏教を何の根拠もない自己陶酔と言ったのは単なる排他主義ではありません
>>348 縁起は、何と何が縁起しているのかを見極めることが重要。
この世は、神と大地が縁起している。
縁起→空(虚無)ではなく、縁起→有(この世)だろう。
>>351 >釈迦の「縁起」とは、実体論としての単なる「因果関係」
貴方の言う「相互依存」も、 >実体論としての単なる 「相互関係」でしょ?w
358 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:18:03.69 ID:R4Ug2eQV
>>354 >仏教の寂滅の果てに慈悲はありますか
もちろんあります。ただ、その時は有無は超えてるので有るという言い方も比喩的です。
>仲間はいますか
仲間はいません。なぜなら、その時、他は無いからです。
>ベネディクトゥス16世が、仏教を何の根拠もない自己陶酔と言ったのは単なる排他主義ではありません
いや〜、全く知らないだけとしか思えませんね。
先ず、自己は無いですし、陶酔というような三昧体験に執著するのは、初心者だけです。
根拠はたくさんありますよ。先ず、諸仏の体験とその教え(法)その教えを追体験している諸聖者の集まりとしてのサンガ(僧団)
これが仏法僧の三宝で、だからこそ仏教徒は三宝に帰依するわけです。
359 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:18:18.36 ID:haOKGGby
>>342 >>中村博士は、釈迦には独創性は皆無だった、と言っている。
>これのテキストは何か。本の題名と頁数。
「中村元(生誕100年)」(河出書房新社発行、定価¥1600)
一般人でも買って読んでいる本なので、ご自分で購入して全ページを読んで
ください。
「宮元啓一氏はまず、中村元博士はブッダがゴータマブッダの独創性を驚く
ほど明快に否定する」という点を取り上げる。すなわち中村元博士は、ブッダ
の背景を精査し、その結果、ゴータマブッダのことばとして伝えられるものの
ほとんど(すべて)は当時の沙門たちが抱いていた共通感覚、つまり常識に
帰せられるとした、というのである」。
単にこのスレにも現れてるでしょ 文字を物質だとしたら、それを拠り所として 思考が起きる。思考はまた経験を拠り所にしている。 それが縁起であり相互依存性であり実体であり、実体でもない。 こう書くと、それは違う。もっと大がかりで壮大なスペクトルロマンだー なんて吼える馬鹿が必ずいるけど、何に期待してるんだろうなw
361 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:25:27.53 ID:R4Ug2eQV
>>359 それじゃ、この本の雰囲気から適当に妄想しましたって告白してるようなもんだなあ
まあ、いつものことだけど
362 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:25:41.25 ID:haOKGGby
>>359 の訂正
×中村元博士はブッダがゴータマブッダの
○中村元博士がゴータマ・ブッダの
363 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:26:48.11 ID:R4Ug2eQV
>>360 いや、違う。
そんなこと仏教はいってない。
そりゃ、ただの素朴実在論でんがな
神を言葉で教えても伝わらないから説かなかった。 体験しないと絶対にわからない。 エベレストに登りながら、奈落に落ちて行くなどと、 だれが合理的に教えられようか。 神は奈落にいる。
>>363 だから書いた通りに釣られてやがる。何に期待してんの?
>>360 >文字を物質だとしたら、それを拠り所として
いやw 物質だとせずとも、「文字を拠り所として思考が起きる」でも良いよ。
物質と物質の関係に限定する姿勢が仏教的でないのよw
367 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:34:54.98 ID:haOKGGby
>>359 >貴方の言う「相互依存」も、>実体論としての単なる 「相互関係」でしょ?w
「相互依存性」という「抽象観念」は、実体ではありません。釈迦の「因果関係」は、
忌むべき業報論を導くため。因果関係と相互依存性とでは、本質的に異なる。
因果関係なら、赤子でも原始人でも知っていること。
>>366 実体どーのと五月蝿いのがいたから、合わせてやっただけ
>>359 失礼。文献学者に独創性があったら逆にまずいのかもね。
独創性がない、これが中村先生の偉大さかも。
370 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:38:59.49 ID:R4Ug2eQV
>>362 そんなとこ訂正しなくても、「中村博士は、釈迦には独創性は皆無だった」この文意に添った記述の文と頁数が挙げられないじゃね
どうせ宮元さんあたりの文から飛躍して上のようになっちゃっただけでしょ。
>>367 いやいやいやw
>「相互依存性」という「抽象観念」は、実体ではありません
だからw それは『実体と実体の相互依存』なんでしょ?w
自分の言ってること自体を理解できてないの?w
髭が伸びたから髭を剃る これも大雑把に因果関係。業報論ではない。
>>371 言葉や概念が実体でないとわかるか?
実体でなくとも相互依存は余裕で起こる
374 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:44:05.76 ID:R4Ug2eQV
>>365 期待してるんじゃなくて、そういう妄想を捨てて虚心に仏教を理解すればそうなるわけ。
単なる素朴実在論なら、縁起なんて説かないし、出家なんかしないし、
輪廻も説かないよ。
君の考えを仏教に押し付けるなら、仏教の全てが崩壊することは間違いない
逆にそんな素朴実在論的考えなのに、何で仏教がそうだと断定する理由が分からない。
単に自分が信じてることを仏教も説いてないはずないという予断じゃないの?
>>373 wwwwwwwwwwwwww
それは隠居に言ってあげなよw
376 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:45:48.99 ID:R4Ug2eQV
>>374 ふーん。じゃ、俺と違う縁起を説いて出家して輪廻を説く人は
何に期待してんの?
実在論といいますけど思考も経験記憶も実在ではありませんが?
378 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:49:52.84 ID:IiqLEgV/
形而上学を排するのが中論・仏法だと言っときながら、このスレは哲板のヘーゲルとか現代哲学系よりずっと抽象的で形而上的だぞ 仏教というのは建前と嘘の固まりか
>>377 思考が実在とかwwwwww
どんだけオカルトだよw 宝珠もびっくりだろw
>>376 常識を超えた未知との遭遇、大スペクトルロマンが仏教なの?
仏教と関係するもののみが真実で他は全て嘘なの?
何やら容器がやたらと小さいですねw
>>379 お前、文をよく読め。
何がなんでも俺を実在論主義者にしたいらしいなw
俺がそんなことを何時書いた?
>>380 >常識を超えた未知との遭遇、大スペクトルロマンが仏教なの?
それは、宝珠在家カラスに言ってやれよw
383 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:55:38.31 ID:haOKGGby
>>371 >それは『実体と実体の相互依存』なんでしょ?w
その実体もまた、無限の相互依存性によって成立する。物質→分子→原子→
原子核→電子→素粒子→未発見の素粒子の関係を想起されたし。
「因果関係」では、もろに「業報論」の維持のためであることが見え見え。
釈迦はバラモン教徒ですよ。中論の空など、絶対に成立し得ない。
384 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 22:55:43.31 ID:z39K9W9D
じゃあ、相互依存性って何なのか、幼稚園児でも間違いなく理解できるように端的に書けよ 五行以上説明したらお前の負け。 それはただの観念論
>>381 あ、すまんwww 最後の文字、『が』だなw 「か」に見えてた。
マジですまんかった m(_ _)m
>>384 >幼稚園児でも間違いなく理解できるように端的に書けよ
お前は幼稚園児並みの理解力しかないのか?w
ggrks 5文字で済むなw
388 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 23:03:02.63 ID:haOKGGby
>>384 「相互に」依存している関係。万物万人の「構成原理」。
「因果関係」は、「一方的支配」の関係。
中論は、まさに、「因・果」を否定したのです。
>>388 果は因に依存している。
因はどうかと思ったがやっぱり果に依存している。
>>350 神は完全に我々を自由にしてるからじゃないだろうか
ちょっとした助言をすることはあっても手出しはしないんだと思う
わしらの事を信じてるんだと思うw
391 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/02(土) 23:16:52.40 ID:yhCLe9Tm
>>339 wwwwwwwwwwwwwwwwww
>主旨:神は謎だが、分かり易い謎である。私は自然の法則を観察した時に畏敬のみ持つ。法則には立法者がいるはずだ。
お前は英語ができんのか?ww
その文章の趣旨が、なんでそうなるか?ww
その文章は、「アインシュタインが、自然の驚くべき秩序性に接したとき、
ただ『畏敬』の念をもつ。」→自然を深く探求する科学者にとっては、ごく
当然の感情ねww
さらに「宗教と科学の対立の回避」→これも当たり前の見解ww
明確に、通常の神の如く、認識し判別し、(すなわち意識をもって)
賞罰を下す「超常的存在」を否定しとろうがwww
お前は、lawgiver を「法を定めた超越者」のように解釈しとるが、
それは「法則が存在する以上、それが現在のような法として現前している
『原因』」のことだよww なにも、それを作った超常的存在ではないのww
直後の but how does this lawgiver look? でも明らかww
392 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/02(土) 23:18:50.32 ID:yhCLe9Tm
いいか?w もう一度言うが、アインシュタインは、お前が言うような『意識を有する』 すなわち認識し、判別し、善悪を判定するような超越者の存在は全く認めて いないのww ただ、この世界の驚嘆すべき、奇跡とも言える秩序に接したとき、 『畏敬』するのみw・・・・・わかるか? ここには科学万能主義をとる思い上がった人間に対する警告も込められているw 誰があげてた有名な言葉、 >「私は、スピノザの神を信じる」 >「私は、科学で証明される限度で神を信じる」 これに端的にそれが述べられているww それでも分からんかったら、 とりあえず、「神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。 聖書は、高潔だが原始的な言い伝えをまとめたもので、やはり子どもじみている」 これを100回ほど読んどきなwwwww
393 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 23:18:55.03 ID:haOKGGby
>>389 「これがあるから、あれがある」では、「空」は成立しない(キッパリ)(中論第一章)。
「これもあれもあるから、あれもこれもある」「相対的ならざるものはない」(中論)。
釈迦の念頭にもなかった概念。
「相互依存性」とはいうが、「因果関係性」とはあまり言わないね。この「性」は「抽象
観念」だから、実体ではない。このことは、本には書いてないねw。
「因果関係」でなければ、業報論は崩壊する。
しかし、こんなことを書いても何も意味ないなw 何故、出家しなければならないか? 何故、輪廻を説かないとならないか? 何故、輪廻から解脱しなければならないか? こっちの方が確かに意味があるだろう。 一体全体何がそこにあるのか? 何もないのではなく、妄想か概念は最低ありそうだ
>>383 いやいやいやいやいやw
どっちなの?
実体同士の関係なの? 実体関係無しに相互依存だけを言うの?
マトリョーシカをどこで止めるの?
止めた時点で、その実体は相互依存していない実体になるけど?w
396 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 23:22:33.17 ID:haOKGGby
「輪廻転生(業報論)」は、「善悪いずれも行なった人間(すべての 人間がそうであろう)」の来世はどうなるか、に回答できない時点で 一発で崩壊する。
>>396 それ相応のとこにいくんじゃないか?
というか解脱肯定、輪廻否定されると今生きてるのが失格みたいだなw
399 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 23:37:28.34 ID:haOKGGby
>>395 中論を全く理解していないな。中論の空とは、「実体そのものだが、
その実体が相互依存性という抽象観念によて構成されているから(つまり、
中身スカスカ)、執着すべき自性(絶対性)はない」ということ。
「幻のようなもの」と「幻」とは違うよ。竜樹の説明の苦労を理解すること。
釈迦とは異なり、中論は、「無我」だの「無」だの、アホなことは言わない。
君のように誤解する人間がいるから、中村先生は「空は無ではない」と
声高に言わなければならなかったw。
>>399 いやいやいやw
マトリョーシカの解決はしないの?w
>>399 自性はないが自殺する者はいるぞ。
絶対性はないが、相互依存性に自性はないこともない。
402 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 23:46:00.47 ID:YkYYe6jz
384だが、幼稚園児でもわかるようにといったのにまるでわからなかった 単なる同語反復ではないのか? これもあれもあるから、これもあれもある って因果律で説明してるのに因果関係の裏付けがないから無意味な言明になっている これに対して、いやだから因果じゃないとか言ったら、言葉を使わずに説明しろよということ以外に言えないよw
>>399 >「実体そのものだが、その実体が相互依存性という抽象観念によって構成されているから
観念によって構成されている実体って、どういうこと?それって実体と言えるの?w
404 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 23:51:55.34 ID:YkYYe6jz
相互依存性は観念だって言いきってるねw まさに形而上学じゃないか すべての事物は弁証法的に止揚するから歴史は世界精神に至るってのと何が違うんだよw
>>402 端的には涅槃を現わすと思うがあらゆるものに当てはまると思えばいい。
喩えば車。タイヤやエンジンだけでは車は走らない。
いろんなパーツが組み合わさって初めて車として機能する。
これが相互依存性。
だから車はパーツの組み合わせというだけで、本質はどこにもないと
するもの。
相互依存性は観念にも当てはまるが観念だけでもないだろ。 例えば風。諸条件により風が吹くわけであろうが、相互依存性の繋がりといえる。 しかし、観測者がいなければ、その繋がりを見る者はいないので、 観念的といえなくもない。
>>405 ミリンダ王問経かw
縁起の「構図」はその通り。
が、パーツ其々が其々として(実体として)実在して、それ同士の関係と考えるのは顛倒妄想。
もっと言えば、貴方(&隠居)の言い方は、
『車の本質はどこにも無いが、パーツの本質はある』ってことだから。
>>407 いやいや、どこまでいっても本質はないよ。
だが、車は移動の際に便利という本質を持っている。
409 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 00:17:08.99 ID:SO8D+qU3
どっちにしろ形而上学じゃないかよw すべての事物は弁証法的に止揚するから歴史は世界精神に至るってのと何が違うんだよw
まぁでも本質がないというだけで、物質や概念は あることはあるんだから、それは否定するだけ野暮。 さらにタイヤは名前、概念の産物とかやりだしたら、 もうタイヤ如きで何言ってんの?の世界になる。 固定観念の否定かもしれないが、人間に固定観念を 持つ性質があるんだから一概に否定できるはずもない。
>>411 え?! 車の本質は遊興・趣味じゃないの?
>>412 >物質や概念はあることはあるんだから
うん。あるね。 それを否定する仏教は無いよw
「どうあるか?」 ってトコが肝でしょ?w
>>411 まぁ概念の範疇だから、どう思おうが勝手だが、
故に本質や真理は一つではないというのは当たり前の話。
>>414 故にどうあるかであるが、
戒律で清らかになるとは私は説かない。
出家で清らかになるとも私は説かない。
輪廻を語って清らかになるとも私は説かない。
ただの概念で清らかになるのです。
417 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 00:58:34.04 ID:4DEFfdfj
空を、無理やり無我の「無」に合致させようとするから、迷路にはまり込む。インドや チベットの中観論者は、皆そうだね。物質も「無」でないと、釈迦の「無我」が崩壊 するからね。 空とは、あるがままの厳然たる実在が、「相互依存性」という抽象観念で構成 されているから、執着すべき自性がない、というだけの話。 無限のマトリューシュカである。
>>416 自浄其意ってことでしょ。
でも、「思うだけで済むなら、それは超能力」だよ。
思うだけ(意だけ)では不十分だから、律や出家(身・口の在り様)というサポートが要るのでしょう?
習慣付くから「業」なんですよ。 だから諸悪莫作衆善奉行なのでしょう?
姿形・立ち居振る舞いが、他者に感受される・影響するから、
信を生じせしめ・増大せしめるための威儀清浄なんでしょう?
つか、414の「>どうあるか」は、そういう「どうある」じゃないけど。
>>417 また論点から逃亡か。 ホント姑息だな・・・。
ノシ
縁起がわかると、同時に空とか無我とかに至る仕組みになってる 強いて無我という教えさえにも興味が無くなる感じ
Shachia
421 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 01:28:06.04 ID:4DEFfdfj
釈迦の「己の我を以って無我を説く」という「初歩的論理矛盾」が、すべての 混乱の原因。 釈迦の誤りを是正するれば、問題は一挙に解決する。「一切皆苦」の治療は 現代では精神科でw。
422 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/03(日) 04:54:17.29 ID:sJmkFgHC
>>391 パーピマン氏
>>主旨:神は謎だが、分かり易い謎である。私は自然の法則を観察した時に畏敬のみ持つ。法則には立法者がいるはずだ。
>明確に、通常の神の如く、認識し判別し、(すなわち意識をもって)賞罰を下す「超常的存在」を否定しとろうがwww
>お前は、lawgiver を「法を定めた超越者」のように解釈しとるが、それは「法則が存在する以上、それが現在のような法として現前している
アインシュタインは賞罰を下す人格神は否定しますが、神があるとすれば「宇宙法則の作成者」だと言っているように意訳します。
(本スレで議論中の、縁起の法の立法者=真の創造神でしょうか。)
まあ私はTOEICは650点で、プロの翻訳者ではないので誤訳かも知れませんが。あしからず。
なお、タイトルは「宇宙宗教」です。
423 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 07:07:48.88 ID:rBW3vrso
>>377 苦の消滅、解脱、悟り、涅槃でしょうね
多分、実在論という言葉の意味が違いますね。
アナタの立場は、見たもの感じたものは実在するものという素朴実在論でしょう。
それは全く仏教で煩悩に相当する乗り越えなければならない見方ですよ。
>>378 素朴実在論や実在論でないなら抽象的というのは、単なる早計でしょう。
自分が理解できないものは抽象的とか。
>>380 常識は超えてるし、あらゆる思想や思考を超えてますね。
>>384 なんだそりゃ。話にならないな。仏教は難解なんですけど。
424 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 07:11:34.58 ID:rBW3vrso
>>394 >何故、輪廻を説かないとならないか?
輪廻しているというのが現状認識で、それこそが一切皆苦という本当の認識になるから。輪廻しているという信が仏教という道に入る門ですよ。
>何故、輪廻から解脱しなければならないか?
輪廻が苦だから
>何故、出家しなければならないか?
必ずしも出家しなくてもいいけど、道を歩むには出家した方が効率がいいから。
425 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/03(日) 07:51:59.06 ID:sJmkFgHC
>>424 >輪廻しているというのが現状認識で、それこそが一切皆苦という本当の認識になるから。輪廻しているという信が仏教という道に入る門ですよ。
苦は思い通りにならないことと定義します。
輪廻しているという信がある異教もあります。
輪廻しているという信(必要条件)がない自称仏教徒もいます。
以上、横から見た独り言です。
426 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/03(日) 07:57:01.69 ID:sJmkFgHC
>>422 >なお、タイトルは「宇宙宗教」です。
省略して「宇宙教」でしょうか。
私は生命活動の法則を観察した時に畏敬のみ持つ。法則には立法者が煎るはずだ、ならば「生命教」でしょう。
神はサイコロを振らず←偶然で進化などしないの意。
427 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 07:58:34.69 ID:rBW3vrso
>>425 >輪廻しているという信がある異教もあります。
ただし、輪廻の説明が縁起ではありません。
>輪廻しているという信(必要条件)がない自称仏教徒もいます。
現代日本と現代インドの新興仏教と現代タイ仏教あたりの一部のみです
428 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 09:52:58.16 ID:6I+SNMNv
>>426 wwwwwwwwwwwww いい加減にせえよ
>神はサイコロを振らず←偶然で進化などしないの意。
アインシュタインのその有名なセリフは、いつから進化の話になったんだ?www
自分の願望を勝手に投射するなと何度言ったら・・・・・
いいか?それは、
→「 量子の時間発展が、確率的にしか記述できないとする説に対して、
『未だ人間の未発見の法則があり、それらが全て解明できれば確定的に
量子を記述できる』とする、いわゆる古典論の主張だよ。すなわち、あらゆる
初期条件を把握でき、さらにそれらを制御する全ての法則が把握できたなら
量子の時間発展を確定的に記述できるとする主張のこと。(後に、それは
誤りであると証明されたがねw)
アインシュタインが言ってるのは、あくまでも法則の全てが分かれば、
量子を「確定的に」記述できると言ってるだけ。そこに何がしらの「超越的存在
の干渉」など、全く言ってないのwww
つまり、何らかの「意思、意識」などによる決定など問題外なのww
429 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 09:53:53.62 ID:6I+SNMNv
さらにはっきり言っておくが、アインシュタインは、そのような 「意思、意識をもった超越的存在の干渉」など完全に否定的なのw 法則を「作り出した」超越者なんて認めてないのw 法則がある以上、それらがそのようにある原因があるはずだ。→いわゆる 「科学的因果律」の主張であり、彼が宇宙(及び、そこに成立している法則)を 神と呼んだとしても、それは単なる呼称の変換に過ぎないの。 宇宙、世界・・・その奇跡的素晴らしさに対して「神」という語をもって表現した だけw お前らが言うような「超越者」なんてのではないのww いい加減に、その「自説を権威付けするために、著名者の見解を捻じ曲げて利用しようとする 性癖」を改めたら?w ちなみに進化については創造論スレで散々、やったからもうやらんがw 「進化の過程において何らかの意思の干渉がある」・・・すなわち神の操作がある とする主張は、「進化論を否定しきれなくなった宗教者が、それでも神の存在を 主張したいので組み込んだ擬似科学の一種だよ。」 ・・・・現時点でそのような超越的意思の干渉があったことを示唆する証拠は 発見されていないww
430 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 10:31:42.71 ID:qpCivwbn
>>423 すべて、一部注釈書、特に帰謬論証派の「受け売り」ですな。
注釈者自身が、釈迦の「無我」という単純ミスに合致させようとして、迷路に
嵌りこんで足掻いていることを看破されたし。共同体の合意に基づく記号に過
ぎない言葉と、その言葉が指示する対象物自体とを混交して、迷路に嵌りこん
でいる。原理的な理解が欠如しているから、「概念の混交」が甚だしい。
例えば「壷」という喩がよく出てくるが、「壷」とは、一定の作用効果を有する
物体を特定・指示するために、共同体が任意に「つぼ」という記号を付しただけ。
共同体が、見たことも、聞いたことも無い物体には、どう対処する積りか。
五感の知覚は「何等かの物体が実在するか否か」を判断するだけ。その物体の
名称と性質は、すべて共同体の合意による。個人の容喙は一切赦されないもの。
人類は、素朴実在論によってのみ生存してきた。素朴実在論は、人類普遍の法。
だから「誤った知覚」は「錯覚」と判断できる。仏教は、「人間破壊の営み」
か。それでは「邪教中の邪教」に過ぎない。人間界から排除すべき超カルトと
いうことになる。「人為的変性意識」による「悟り」「涅槃」などは、単なる
「人間の精神障害」以外の何物でもない。オウムそのまま。あなたのオウムは、
何を悟ったのかw。
もう何度言ったかわからないが・・w
>>430 貴方の言うことを100パー否定はしないけれども、
(宝珠やカラスへの指摘と同じく)、『それは、仏教ではない』のです。
貴方の人生訓処世訓として、人生哲学として大いに挙揚すればいい。
そうした世俗的日常的指針は指針として大いに評価でき、有用なものでしょう。
人類が、素朴実在論をベースに生きてきたというのは、おそらく真実でありましょう。
が、それを「仏教だ」とするから批判されるわけです。
貴方向きの譬え方をすれば、
来客にカステラを出すとき、飴でもどうぞと言っているようなものなのです。
コーヒーを勧める時、紅茶でも如何ですか?と言うようなものなのです。
共同体の合意以前の問題でしょう?w
そういう嘘や捏造がよくないと言っているのです。(勿論、中論についてもですw)
「仏教」「縁起」「空」等といったラベルの使用以外では、
幾つか、良い視点、良い考察を評して差し上げたこともあるでしょう?
貴方(や在家)の最大の欠点は、やはり虚言と捏造ということだと思いますよ。
>>431 付言
ですから、もう一歩踏み込めば、
中論、竜樹に関しても、
「中論では“もともと”かくかくしかじかと述べられているけれども、
竜樹はかくかくじかじかと述べているけれども、
現代21世紀に生きる我々は、このように読み替えて、或いは汲み取って、読むべきである」
と言えば済むことなのです。
それを誰も責めません。心経だって、多くの作家や経営者が独自の読みをしてらっしゃるでしょう。
それはそれでよいのです。それらは、【私はこのように読む、私はこのように受け止める】、だからです。
しかし貴方は違う。 自分の勝手な読みをオリジナルだと嘯いているから醜悪なのです。
433 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 12:11:25.68 ID:lmlZCDPE
>>430 (隠居)
>人類は、素朴実在論によってのみ生存してきた。素朴実在論は、人類普遍の法。
面白いデータがある。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9460.html この結果からみれば、
・『人類は、素朴実在論によってのみ生存してきた。』はデータに反する妄想である。
・素朴実在論は、人類普遍の法ではない。
・現在無宗教者が最も多い中国が、内外共にアンシャンレジーム体制下での弾圧が多い。
・戦争と宗教性は実質的にはほとんど関係がない。
・もっとも『仏教』の割合が多い日本が最も長く平和(国家の戦争で殺人を行っていない)を保っている。
などが立論でき、隠居の立論は仮説として破綻しているといえる。
434 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 12:15:26.13 ID:rBW3vrso
435 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 12:26:50.84 ID:lmlZCDPE
437 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 14:27:01.00 ID:32Sex+/P
>>431 >『それは、仏教ではない』のです
ならば、ブッダ、如来を、「目に見える一切の現象世界」と解釈した中村元大先生も、
「仏教ではない」ということになるなw。大乗と小乗とは「全く異なる二つの宗教」と
解釈した、西洋の多くの仏教学者も同様。
438 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 14:36:56.71 ID:32Sex+/P
>>433 >隠居の立論は仮説として破綻しているといえる
統計は統計である。質問の仕方や母集団の性質によって、結果は全く異なる。マスコミの
世論調査がどこまで当てになるかw。
統計などに頼らなくても、自分の周囲や自分自身の朝から晩までの生活を振り返って
みれば、「専ら素朴実在論によって生存している」ことは自明。どんなに偉い宗教者でも、
飯を食うとき、「この飯は、実在か、非実在か」などと考えて食う者はいないw。
439 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 14:46:51.41 ID:rBW3vrso
>>437 >ならば、ブッダ、如来を、「目に見える一切の現象世界」と解釈した中村元大先生も、
そりゃ、註でしかも君の拡大解釈だろ、かつては自分で比較的正確にこう書いてた
>256 : 神も仏も名無しさん[] : 投稿日:2012/11/30 11:41:36 ID:kTsNdoq+ [2/5回]
>中村元博士は、中論22章「如来の考察」の末尾においうて、次のように
>訳注している。
>
>「では真実のブッダとは何であるか。それはわれわれの経験している世界に
>ほかならない」
このスレの53で、今のように解釈してるのが誤解だって指摘されたばかりなのに
いつの間にか妄想で都合のいい意味や文にすり替えて、何を言われても気にしないって証拠だねw
440 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/03(日) 15:33:13.77 ID:sJmkFgHC
>>429 パーピマン氏
>法則がある以上、それらがそのようにある原因があるはずだ。→いわゆる
「科学的因果律」の主張であり、彼が宇宙(及び、そこに成立している法則)を
神と呼んだとしても、それは単なる呼称の変換に過ぎないの。
宇宙、世界・・・その奇跡的素晴らしさに対して「神」という語をもって表現した
だけw お前らが言うような「超越者」なんてのではないのww
God is a mystery. But a comprehensible mystery(分かる謎).
There are not laws without a lawgiver(立法者), but how does this lawgiver look(どう見える)?
アインシュタインは法則の原因(設定者)を「神」と呼んだ、ということで止論と致しましょう。
原因に意思があるのか否かは無記、語ってはいないということで。
441 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/03(日) 15:36:23.52 ID:sJmkFgHC
>>440 >アインシュタインは法則の原因(設定者)を「神」と呼んだ、ということで止論と致しましょう。
>原因に意思があるのか否かは無記、語ってはいないということで。
もちろん、縁起の法の設定者が賞罰を与える神や梵天ではないということは私も認識しております。
たとえば、 或る野球選手Aさんの述懐に 「野球こそが私の全てだった。私には野球しかなかった。 もし、野球をしていなければ、私は生きていないも同然であった」 というものがあったとしよう。 そこには、以下のような註がついていた。 「ここで、野球とは、Aの人生そのものでり、野球を生きることが、即ち彼にとっては生きることであった」と。 さて、「野球=人生」という註に於けるテーゼは、普遍的に言い得る事柄か? 野球という語義に、「人生」という意味を付加できるか? もっと言えば、広辞苑の野球の項目に入れられるか?ということでもある。 ましてや、「野球=Aの人生」を、辞書の第一義に持ってこれるか? ということだ・・・。
443 :
宝珠愚者@(規制代行) :2013/02/03(日) 16:32:34.21 ID:M9F0xf+G
---余談--- つい先ほど、菩提寺の節分法要から帰宅しました。 今日のような寺院の法要イベントの際には“五色の仏教旗”が掲げられたり、 仏閣を取り囲むように五色の幕が張られます。 実は、 この日本の大乗各寺院でも使われているこれらの五色旗は スリランカ仏教の復興に生涯を捧げたオルコット大佐 (元神智学協会の初代会長/ブラヴァツキーと並ぶ創立者)が、 キリスト教の十字架に相当するような全世界的な仏教の 統一的なシンボルを創りたいとして考案し、それを普及させたものです。 これは仏陀の放つオーラの色という意味の五色であり、 日本国にはオルコッ大佐が1889年に来日された際にもたらされものです。 では、また
444 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 16:41:17.45 ID:ulNCFS83
>>439 そうやって、全体の意味を把握することをせず、枝葉末節の言葉に拘るのを
「テキスト乞食」というのだよ。「意味的」には、同じことだろ。
「龍樹」(中村元著)の「全体を」熟読して、理解してから発言されたし。
他の箇所では、「われわれの経験するこの現象世界がそのままブッダなのである」
という表現もしている。
446 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 16:55:17.63 ID:lmlZCDPE
>>438 >>444 >自分の周囲や自分自身の朝から晩までの生活を振り返って
>みれば、「専ら素朴実在論によって生存している」ことは自明。
自明ではない。自分に不利な統計は否定するご都合主義根性丸出しだなw
「日本に於ける都道府県別宗教分布」 各県16歳以上900人を対象とした個人面接調査(1996年)。
NHK放送文化研究所「現代の県民気質―全国県民意識調査―」
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7770.html これによると浄土宗・浄土真宗系が圧倒的に多い。
浄土宗・浄土真宗系は日蓮宗のような素朴実在論ではない。
日本人の多くが素朴実在論者ではない。
現代においては、知について能天気な楽観論者でいられる立花隆ごときが単純素朴実在論者だ。
彼はこの世界が、知覚と名称のままに存在する実体があると無批判に「信仰」している。
立花隆は人間が言葉を持つゆえに知覚のままでは原理的に知りえないこと、
語りえないことが存在しうることなど、思いもよらない(立花隆「嘘八百」の研究 p187 宝島社)。一種の知的なアホである。
単純素朴実在論を信仰している時代ならいざ知らず、現代において(ましてや宗教者が)社会を構成する徹底した現実を無視することなど、
もはや許されない状況にあるといえる。
『縁起の直接現実を観る(現観)』とは、日常生活(世俗的なこと・間接現実)の徹底した現実(勝義・直接現実)についての
直覚的な洞察以外の何ものでもない。
『では真実のブッダとはなんであるか。 ←非心非仏(直接現実)
それはわれわれの経験している世界にほかならない。 ←即心即仏(間接現実)』(中村元 龍樹p310:中論22-16、25-19:無門関30・33)
これが中村博士が言わんとしたことだ。龍樹にまったく忠実であって、
如来も世間も本質をもたない<無自性>ものである(中論22-16)。間接現実only主義の隠居の理解外だろう。
一方、宝珠や一在家の妄想心霊主義のような
自性(スバヴァーヴァorプラクリティ)を想定する「無為」超越主義(→如来蔵思想)は縁起を無視する外道思想である(同22-14・15)。
447 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 17:07:57.20 ID:rBW3vrso
>>444 オイオイ、そりゃまんま生命教の自己紹介だろ
文が違ってることを指摘されるとテキスト全体を読めか、新しいネタだな
ちょっと前は、テキスト主義を批判してたんじゃなかったか
まあ、お前さんが適当なその場しのぎの出まかせしか言わないのは、
最初の頃のサンサーラ説辺りを論破された辺りからずっとだけどね
448 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 17:10:19.29 ID:rBW3vrso
>>446 遊びも生命教と同じ断見のヴァリエーションなんだけどね
449 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/03(日) 17:29:27.06 ID:GKOLBctI
人々(衆生)は、行き当たりばったりで、首尾一貫せず、錯綜し、支離滅裂で、すべてが転倒している。 しかしながら、そのことそれ自体が覚りの道の障害になるのではない。何となれば、衆生とはそのようなものだからである。 そこで、ここなる人が真実を知ろうと熱望し、静けさをめざして進むとき、覚りの機縁・因縁を生じて、ついに解脱が起こる。 これが、覚りの道の全貌である。 こころある人は、「人は誰もが仏になり得るのである」という真実を信じて、自らの道の歩みに精進せよ。その先に、ニルヴァーナが確かに存在しているからである。 ***
450 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 17:34:34.35 ID:lmlZCDPE
<如来も世間も本質をもたない<無自性>ものである(中論22-16、25-19:無門関30・33)> 非断見非常見 時空際断 空海のごとき如来蔵思想論者ではないことは確かだw
451 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 17:39:35.08 ID:ulNCFS83
>>446 ほほう。浄土宗・浄土真宗の人は、法事で飯を食うとき、「この飯は実在か、
非実在か」と確認してから食うのか?直接現実などという概念を唱えるのなら、
法事の食事に細菌やウイルスが存在していることが分るのか。釈迦にも分らなかった
なw。法事の食事での食中毒は、時々報道されている。あんまりアホなことを
言ってはならない。
「世俗的なものによらなければ、第一義は説示されえない」(中論)。
勝義は、世俗から「一歩たりとも離れてはならない」ということ。直接現実を
見るためには、宗教観念そのものを棄てなければならない、というジレンマに直面する。
よく分かりませんが日本という国は 根拠不明の概念を「ご先祖様の」云々といって 我が子に押し付けるところがあるので注意ですね。 実際先祖代々続いてるようですが
>>449 縁起の道理と、涅槃の道理の関係は如何?
よくわからんが、根拠があるとはどういうことなの?
455 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 17:55:02.83 ID:lmlZCDPE
>>451 >あんまりアホなことを言ってはならない。
そのまま返そう。
最近かなり劣化したなw 子供じみている。
立花隆を例にして説明してある。
>「世俗的なものによらなければ、第一義は説示されえない」(中論)。
ブッダは、矛盾なき(第一義)を、矛盾(言語慣習)の内に説く(示唆する:無分別の分別)。
もはや老兵は消えるのみではないか?
456 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 18:03:05.96 ID:ulNCFS83
>>455 双極性障害の勘違いブッダは無視すべき。基地外の言葉を大真面目に信じていたら
一体どうなるか。ちょっと考えれば分ること。
457 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 18:12:47.02 ID:lmlZCDPE
それにしても、伝統仏教主義者が伝統破壊の空海は擁護する。 縁起の直接現実の現観=「果分」は言語では表わすことのできない無分別中道である(「果分不可説」)、という仏教の伝統を超脱し、 「果分」は分別→言語化もビジュアル化もできるとした。 その論拠が顕密の峻別と「法身説法」「声字実相」だ。 これはいわゆる「無分別の分別」ではない。 無分別に執着実体をねじ込む妄想反仏法に他ならない。 法身など妄想の本質(自性)主義そのものだし、声字は虚(の如き)相である。 そこにはシャンカラ的不二一元論の神(ブラフマン)がデンと釣り糸を垂れて、謀略成功をほくそ笑んでいるのだ。 ご都合主義の成りすまし「仏教」である。 伝統主義だとよ、笑わせる。
458 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 18:26:25.80 ID:lmlZCDPE
>>456 >双極性障害の勘違いブッダ
隠居の言うブッダはマハーカッサパ教スコラ部派がでっち上げた「ブッダ」。
いわば小乗ブッダだ。
アタシのブッダはいわば無乗ブッダであって、筏を汗水たらして漕いでくれる船頭さんなの。
信仰の対象ではない。
捨てなければならない。
<自帰依←大疑団―フィードバック―菩提心→法帰依>に『信じていたら』が入り込む余地はない。
だから、さんざんマハーカッサパ経典を批判してきたではないか。
459 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 18:29:02.41 ID:lmlZCDPE
めし=ファミリータイム 落ちる
461 :
死後の世界はあると思いますか :2013/02/03(日) 18:44:17.47 ID:lmlZCDPE
462 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 18:53:01.58 ID:6I+SNMNv
>>440 >原因に意思があるのか否かは無記、語ってはいないということで。
無記じゃねえだろうがwww
「明確に」否定的意思表示してるでしょ?
>「私は、スピノザの神を信じる」
>「私は、科学で証明される限度で神を信じる」
>「神という言葉はわたしにとって言葉以上のものでなく、人間の弱さが作り出したものにすぎない。
>聖書は、高潔だが原始的な言い伝えをまとめたもので、やはり子どもじみている」
さらにお前が提示した英文にも、ちゃんと超常的存在を認めないとあったでしょ?ww
いいか? 「原因に意思があったら、それはもう立派な『神』なのww」
何かしらの現象を引き起こした原因が、認識、判断、識別、評価等の精神作用すなわち
『意思』を有するのであれば、十分、「神」なの。
それが何やら分からんが、特殊なエネルギー体だろうが、意識体だろうが、「意思」を
有しているのであれば神でしょ?
では、どんなにすごい現象を引き起こした原因であろうが、それが全く意思を有していなければ?
それは、唯の現象要因でしょ?w
アインシュタインが、たとえ、宇宙の神秘に感動してそれを「神」と呼ぼうが、それは単に
その神秘に対する畏敬の念の表現であり、「超常的存在」を認めたからではないのww
呼称が「神」に変わっても支持対象は、相変わらず「自然」なわけww
463 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 18:54:28.64 ID:6I+SNMNv
お前の引用文、 There are not laws without a lawgiver(立法者), but how does this lawgiver look(どう見える)? 「法則を与えたものなくしては、法則は有り得ない。・・・(ちなみに、ここではこの法則を 生み出した原因を『修辞上』、擬人的にとってもよし。いいか? 「修辞上」だぞ。) 重要なのは、 以下の 「この法則の成立要因が→「どのように見えるか」・・・ すなわち我々のこの世界で、どのようなものとして現前してますか? という問いかけだよww 法則を作り上げた者、・・・・神さま、超越者、絶対者・・・・そんなものがいますか? という意味だよwww それは、お前が挙げた英文の他の箇所に繰り返し書いてあろうが?ww アインシュタインは、法則をの成立要因に「意思ある存在」など全く認めておらんわい 何が無記じゃwww
今の科学は実際の現象を実際に近い数で表せる程度でまだ未発達です。 今の状態では断言する根拠になりえません
465 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 19:06:09.35 ID:6I+SNMNv
>>464 蓋然性という言葉を知っているか?
毎日、太陽が昇るのは地球が自転しているから?
それとも、神様が太陽を動かしているから?w
どっちだと思う?ww
466 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/03(日) 19:13:15.75 ID:sJmkFgHC
>>462 >>「私は、スピノザの神を信じる」
ついでにスピノザの神を調べました。
彼は神のみが実体(仏教的には自性)であると言い、無神論者に誤解されますが、汎神論者に近い方だったそうです。
人間の心と肉体にも実体がなく、神が内にあるとのこと。
尚、なぜアインシュタインがスピノザの神を信じたのかは資料不足でまだ不明です。
467 :
Rei :2013/02/03(日) 19:17:11.07 ID:PMULv63S
あまり理解されていないですが、科学思想というのは 実験・検証・統計 数量化 真理の単純性 を前提とする思想ですよ
468 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/03(日) 19:17:17.50 ID:sJmkFgHC
>>466 >彼は神のみが実体(仏教的には自性)であると言い、
如来のみが自性であり、それ以外は無自性(無常、縁起)という考えに似ているようにも思います。
469 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 19:20:10.21 ID:ulNCFS83
>>460 >全て非実在なのだから。
人間は、非実在によっては、絶対に生存できない。「絵に描いた餅」で生きられる
か?霞を食って生きられるか?幻の女を抱いて子が生まれるか?
人類は、その発生以来、専ら「五感の知覚によって、『一義的に有無を判断する』」
ことによって、今日まで存続している。食物を知覚することによって食べ、
危険物を知覚することによって逃げる。これが、人間界における「唯一の普遍の
真理・法」である。
その「唯一の普遍の真理」を覚れなかったのが、釈迦やイエスの「精神の病」
である。すべての衆生は、その「生存努力」という「選択不能な大修行」に
よって、この真理を悟っていた。
中論は、「世間の一切の慣習」を「無条件の前提」とし、それに反することを
何度も戒めている。釈迦とは、基本的に異なる。
470 :
Rei :2013/02/03(日) 19:23:00.94 ID:PMULv63S
ですから科学思想を前提にすれば、太陽が上るのは地球の自転です ただこれは、空間モデルと時間モデルを科学思想にしたがい意図的に単純化してるからです 地球の回りを太陽や宇宙がまわっていると見ることを妨げるものは観測的にも何もない あらゆる瞬間ごと時間が断絶し、神が世界を再創造しているということを否定する観測的な事実はない 太陽が上るのは神が上らせているということは、観測と数量化では否定できないです
471 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/03(日) 19:23:06.41 ID:sJmkFgHC
>>467 Rei
>あまり理解されていないですが、科学思想というのは
おっしゃる通り、科学は仮説、実験、検証を繰り返す、ボトムアップです。
宗教は啓示や悟りから始まるトップダウンです。
宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。(アインシュタイン)
両者の中道が宜しいかと存じます。 宗教と科学とは収斂するかと。
仏教の誕生以前に仏さんはあったんですか無かったんですか?
さてみしるでもみるべ
474 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 19:33:41.81 ID:6I+SNMNv
>>470 お前、オレに言ってるのか?
なら、アンカーつけろやw
>>469 だからw
そういうのは「存在」であって「実在」ではないの。
少なくとも、仏教内での単語の使用法としてはそうなのw
貴方のおっしゃることはよくわかります。
貴方が「実在する!」と叫ぶ物も、ちゃんと「在る」「存在する」と認めるんですよ、仏教では。
ただ、仏教では、(そしておそらく竜樹に於いてもw)、
「実在するもの」は「縁起しないもの」であるから、諸行無常諸法無我として、
この世に実在するもの無し、という宣言となるわけです。
476 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 19:38:13.50 ID:6I+SNMNv
>両者の中道が宜しいかと存じます。 宗教と科学とは収斂するかと。 wwwwwwwwww この世界の現象解析に対して、宗教と科学を等価に考えるのか? アホかw 宗教というのは、どこまでいっても『信』の一字だよw
う〜む・・。 ちょいと、一代サイドに肩入れし過ぎ?w
478 :
Rei :2013/02/03(日) 19:44:50.37 ID:RqS+HHLi
パーピマン この世界の現象解析 って何ですか? 電波望遠鏡の信号を計算するのと、接心で瞑想を何日かすることの、片方は現象解析で、片方は違うと言っていますか? それはなぜですか?
479 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 19:49:24.29 ID:6I+SNMNv
>>478 太陽が昇る理由・・・・これを科学では地球の自転に帰結させて説明する
宗教では、神が動かしている と説明する。
どちらが妥当な説明ですか?wwww
480 :
Rei :2013/02/03(日) 19:53:31.90 ID:RqS+HHLi
「妥当」の意味・文脈によります
481 :
Rei :2013/02/03(日) 19:57:22.15 ID:RqS+HHLi
世界を創り与えてくれた、神のありがたみが共感的に感じられる場で、みんなでそれを話しているときに日が上れば、神が上らせたと思うでしょうし、そう説明します 背景や説明はすべて言語であり、シニフィアンはシニフィエによる あたりまえです アプリオリな「妥当さ」が存在する、と言ってます?
482 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 19:57:23.76 ID:6I+SNMNv
>>479 では、どちらが「正しい」説明ですか?
でも、良いぞ。 小学校ではどう教えているかな?w
483 :
Rei :2013/02/03(日) 19:59:05.74 ID:RqS+HHLi
同じです 文脈によります アプリオリな「正しさ」が存在するんですか? 科学ってそんなこといってます? へーしらなかった
484 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 20:01:51.11 ID:6I+SNMNv
>>481 ハイハイ、分かったよww
オバケを信じてる人たちの集まりで、「オバケなんかいない」と
言っちゃいけないわけねww
みんないると思ってるわけだからww
はい、終了www
485 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/03(日) 20:04:18.95 ID:6I+SNMNv
って、言うか、今どきいくら宗教者でも、 太陽を神様が動かしてるなんて信じてる奴いるのかよ?ww どこのカルトだよ?www
486 :
ノスタルジア :2013/02/03(日) 20:07:51.87 ID:bL1Vr6BA
縁起の法って結局、お釈迦様が作ったんだよねw
487 :
Rei :2013/02/03(日) 20:14:33.49 ID:l4EcB532
神的なものの世界への意思や影響を信じ崇敬すること 計量・観測的にたとえば太陽が自転で上ると説明すること の二者は、系が違うだけで両立可能だよ 科学思想とは何か、知らないみたいだね ポパーとか読むといい
>>486 作ってもいないし、発見もしていないよ
仏教の教理の根幹をなしているだけだ
489 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 20:24:33.47 ID:6I+SNMNv
>>487 すんませんw 昔ならともかく、「現代で」
『太陽は神様が動かしている』 と信じてる人とは話が合わないと
思いますんでw
ゴメンねwwwwwwwwwwwwww
490 :
ノスタルジア :2013/02/03(日) 20:27:17.42 ID:bL1Vr6BA
491 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 20:27:56.02 ID:rBW3vrso
如来蔵が空性だと分からないとは しかし、最終的にテキストを放棄する生命教と遊びは、他人を否定するためと自説の正当性を主張する時だけは断章取義でテキスト引くんだよな〜 そこは一緒だ
492 :
Rei :2013/02/03(日) 20:30:01.64 ID:l4EcB532
パーピマン 話が合わないというのは逃げだね 両立可能と言っているので、片方を信じてるといつ言った しっかり読め 科学思想というのは、上に示したように限定された前提の中での説明方式にすぎない まずこれをちゃんと勉強しろ 中観思想なんかもっと根源論理だから、科学がアプリオリだと思ってる人には絶対理解不能だろ
493 :
パーピマン :2013/02/03(日) 20:35:54.96 ID:6I+SNMNv
>>492 wwwwwwwwwwwwww
だから、もういいってww
オレは、「太陽が昇るのは地球の自転の結果」という見解の人と話すからww
日本人は拷問とかお伏せさせるのが上手いなホント
>>492 そりゃ、一般社会人の常識を前提に会話をしているのに、「俺の考えた厨二設定だと〜」なんて会話を突っ込んだら、当然噛みあうわけないだろw
それなのに、「地球の社会人の一般常識は、宇宙じゃ通用しないぜ!」とか言い出したりしたら……w
496 :
Rei :2013/02/03(日) 20:44:45.96 ID:yDm2seBx
厨二設定、みたいな、ありえないことを前提にするという話をしていない 科学的な説明の限界の話をしている ごく普通の話 そしたら、商売繁盛を神様に拝むのも、会社で出世できたのはあなたに育ててもらったおかげですと親に言うのも、因果関係が証明できないから前近代的な迷信かね 違うだろ 科学はそんなことは全く言っていない
497 :
パーピマン :2013/02/03(日) 20:47:41.86 ID:6I+SNMNv
机と同じwww 世俗の話してる時に、突然、横から勝義の話で横槍入れてくるwwwwww
科学は重力加速度が9.8までは解明できるが、なぜ9.8なのかまでは分からない なぜ私たちの住むこの宇宙がそういった定数をもっているのか 結局、たまたまだ。その偶然性に身を委ねる不安にこそ我々が神を仮定する理由がある。
500 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/03(日) 20:56:50.39 ID:sJmkFgHC
>>471 >両者の中道が宜しいかと存じます。 宗教と科学とは収斂するかと。
「色即是空 空即是色」ですが、目に見える物は目に見えない素粒子の集合体で、集合の仕方次第で
五感で感じられたり、感じられなくなったりもします。
素粒子も粒子なのか波なのかよく分からないということが科学的知見でしょう。
「地球の自転」は小学生でも知っておりますが、中論の八不によりますと「自転」というものはないでしょう。
「自転」は無いと思う人とは話をしないのであれば、このスレでは大半と話ができないかも知れませんね。
以上、パーピーマンさんとReiさんとのやりとりへの横所感です。
PS
これから飛騨高山へ参りますので、おあとがあれば明日の晩以降に。
まあ、彼がやりたいことは科学を純粋に考えることでも、科学の論理に心酔しこれを守ろうとしているのでもないだろうね 漠然とした科学信仰心。さらに言うなら世間がもてはやしている科学の優越性にこそ心酔しているのだろうね そうなると、科学に心酔しているというより、世間の多数派に身を埋没させることで少数派をけちらしたいと思っているのだろう 日本人に多い村根性というやつだろう、そういうのは真に科学者であろうとする人から軽蔑されているとも知らずにかわいそうなことだ
>>501 大衆を敵に回そうってのかw
社会と関わらずに世捨人として生きてね。迷惑だからw
>>498 隙間の神様、お疲れ様です!
そんなにセセコマシイ所に押し込まれちゃって可哀そうですね
504 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 21:28:35.90 ID:A0gjOnhq
では、本題に入ろう 仏教では筋力トレーニング修行が肯定されるか否か?
506 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 21:37:10.59 ID:rBW3vrso
>>504 それが何かの役にたち苦を解消するものなら、認められる。
ただし、基本的にみんなに推奨されるものではないと思う。
507 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 21:37:27.46 ID:A0gjOnhq
>>505 その理由は?
否定されないなら肯定だなw
>>504 仏教と筋トレの関係性が欠片もわからんのだが、肯定/否定されるとしたら、どういう理論を予想してるんだ?w
509 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 21:39:49.55 ID:A0gjOnhq
>>506 それオカシイ
苦を解消するなら殺人だって認められてしまう
>>507 舎利弗と摩訶迦葉では、その行の仕方も違ってたらしいし、
100人いれば100通りのレベルや色合いがあると思うよ。
511 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 21:42:25.04 ID:w9SS7p1f
少林寺だよね
512 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 21:43:42.38 ID:A0gjOnhq
>>508 仏教僧院で坐禅を組む姿はあっても腹筋や腕立てする姿は
見られないはず。ならば否定の予測が立つ。
であるならば、否定の論拠を聞いてみたいだけ。
座禅にケツに筋力がいるんじゃねの しかしダルマさんや道元さんは ただ座る 何時間でも座る 座る 座る 座る 働いて社会貢献した方がいいと思うが
>>512 首相官邸で筋トレする人は見られないはずだが、政治において筋トレは否定されているのかね?w
「見られない」からと言って、即否定とはならんよ。
「仏教と筋トレには関係性が無い」が答えだと思うね
515 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 21:58:57.23 ID:A0gjOnhq
>>511 う〜ん、少林寺精悍そうでいいと思う。
しかしそれが役に立つか少し疑問。
>>513 確かにケツに力いるし背筋伸ばすのシンドイ
>>514 確かに関係はないかもしてない
では、仏道修行て何なんだろう?
516 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 22:02:10.89 ID:rBW3vrso
>>509 この問題に限定して言ってるんだって解釈するのが本当に切実に問うものでしょ
というわけで、もう止めとくね
五体投地十万回ダイエット
新しい競技です 座禅の形で何メートル浮くか あさはら
釈尊はいきすぎた苦行は否定されているが、適度な苦行は心身にいい影響を及ぼすとしているよ
520 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 22:17:02.27 ID:A0gjOnhq
>>516 なるほど、ケースバイケースね。反論の余地なし。
>>517 究極の筋トレかもしれないw
役に立つ立たないなら坐禅や瞑想がどれ程役に立つか疑問
異様な光景、ありきたりな光景なら出家して人里離れた所で
静かに瞑想(とても気持ちが悪い)。五体投地は知らない人が
見たら怖いに違いない。筋トレなら違和感少ない。
>>519 当たり前論にも反論できない…
肉体への執着云々を期待したが、適度な執着は執着でなしで良さそうだね
>>520 英語会話の練習を、英語を全く知らない人が見たら、「訳の分からない呪文をつぶやくアブナイ奴だ。そんな事をして何の役に立つんだ」と思うだろうね。
そして、見慣れてて違和感が無いからといって、筋トレして英会話ができるようになるかと言うと……w
>>521 筋骨隆々に仕上がっていくことを期待して、
仕上がった「“自身の”肉体」に恍惚として喜びを見出すようなら良くないけどね。
森林での生活や、五蘊維持に必要な体力確保の一環であるなら桶でしょ。
>>522 なるほど。やっぱり役に立つ、立たない論になるわけだ。
ここで一つの疑問が起こる。
仏教て…いる?
いるのならば、どこがいるのだろうか?
いる部分だけ特化した方が効率的といえないか?
>>524 >やっぱり役に立つ、立たない論になるわけだ。
いやいや、その評価軸を持ち出したのは君だw
仏教と筋トレは、役に立つ立たない以前に、関係性が無いと思うがね。
>仏教て…いる?
必要のない人には必要ない。必要だと思う人には必要。
とんちみたいだが、こうとしか答えられんね。
個人的には必要だと思うが、万人向けのものじゃないから、君が要らないと思うのは自由だ。
>いる部分だけ特化した方が効率的といえないか?
既に、そう思った先師が、多種多様な宗派を開いてるよw
>>523 なるほど。それはいろいろ問題がありそうだ。
でも森林生活しないのに森林体力確保しても…
やっぱり五蘊維持ってところかなぁ…
>>525 いや、やっぱりどう考えても役に立たないものはいらないよ
役に立たないものを肯定すれば、何でもありになる
>既に、そう思った先師が、多種多様な宗派を開いてるよw
なんだか全滅の気がするが…
>>527 いやだからさw
「君にとっては」必要ないだろうさw
>>527 なんだw 結局、仏教批判したいだけか。
前フリが長過ぎんだよwww
>仏教て…いる? これはまったく根源的な質問ですな 宗教ているのかて 神はいるの? 難しいすぎる 私はいつも考えてますが いると選択したほうが弱い人には必要な気がする 私には必要です
>>529 いやいや、仏教批判ではないよ。
精神安定剤にいいと思っている。
>>530 の通り弱い人向けな気がする。
だから筋トレを持ち出したともいえる。
仏教って酸っぱいブドウと同じだな 手に入らないから価値がないと自分に思いこませる
>>532 手に入らない。つまり架空の如し。言い得て妙かもしれない。
苦が思うようにならないというのも引っかかる。
ゲームなんてのは思うようになるともいえ、だからゲームに
嵌るといえ、逆に思うようになるなら面白くない=苦の気もする。
>>531 身心は相関してるからね。
身体を鍛えることが無益ではないと思うよ。
身体が調って調子が良くなれば、心持ちも調ってくる。
たぶん若くして最愛の人 兄弟が亡くなった経験があれば 魂てなにかと考えるだろな 私は経験済み
>>534 その通りだと思います。
>>535 それは私にとって完全に架空だから無理ですね。
経験論的不平等ですなw
思うようにならないは確かに苦といえる。 理由は欲望ということか。 思うようなっても苦と思う。 ゲームに至っては単に状況に関わらず楽しむという境地か? 人生はゲームといえる。
苦・・・(無常、変遷するもの、永遠の保持ができないもの、思い通りにならないもの) ┌─┴─┐ 苦 ← → 楽 ということ。 下段の「苦」は、上段の性質を有すもののうち『好ましくない、望まれない、二度と生じないで欲しい事柄(事象・感受)』、 下段の「楽」は、上段の性質を有すもののうち『好ましい、望まれる、更に欲しくなる事柄(事象・感受)』、 下段の苦楽が、皮相なもの(≒善悪・好悪・恣意的我執による分別)であることは言うまでもない。 苦: 厭わしいこと、離れたいこと、断ちたいこと、 捨て去りたいこと、終わらせたいこと、手放したいこと 気持ちをふさがせること、テンションを下げさせること 楽: 好ましいこと、望ましいこと、欲しいこと、手に入れたいこと、 継続したいこと、失くしたくないこと、 気持ちを昂揚させること、テンションを上げさせること
539 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/04(月) 00:25:48.30 ID:DluEl8pV
>>500 >「自転」は無いと思う人とは話をしないのであれば、このスレでは大半と話ができないかも知れませんね。
何言ってんだ?このバカはwww
今、どのレベルの話をしているのか、ちゃんと理解できる人とは、話ができていますがwww
オレが何年このスレで話をしてると思ってんだ?wwww
>>501 んで、アンカーふってないが、そのどうでも良いような下らんチャチャいれは
オレのことか?wwwwwww
540 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 00:36:52.65 ID:H5ug0OW9
>>538 何でも思うようになる、思うようにしたい、などと考えるのは幼児だけ。
釈迦は、幼児並みの幼稚な人間。
ルーツ≠ハウツー 最近またラジオ体操が見直されているようだ 床に直座りしてきた日本人てば脚が短い 達磨て手脚いらない派?
542 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 00:48:44.26 ID:slNx6icK
生命教の思い描く理想なんかクソくらえだ オレは生命教が嫌がる幼稚な大人になってやる
>>540 そうやって、相手を説得できると思っている君も、幼児って事だね!
544 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 05:18:19.54 ID:ohzeALuD
生命教が幼稚なことには同意
>>538 苦・・・(無常、変遷するもの、永遠の保持ができないもの、思い通りにならないもの)
全部、思い通りにならないってことだなw
その意味で苦楽が二項対比と思うのは錯覚
思い通りになる=楽と捉えるならおK
ちょっとニュアンスが違うと思わないか?
日本語の楽のニュアンスで何も問題なかろう
英語のリラックスの方が近いと言えるかも
>>541 伸ばす、曲げる運動は必須といえるかも
学校で体育の授業があるのは当たり前ともいえる
546 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 08:37:03.32 ID:68dSXo2Q
要するに、「苦」の概念を植え付けて脅迫し、「解脱」の概念で誘惑しなければ、 信者が獲得できないだけ。キリスト教が「罪」の概念を植え付けで脅迫し、 「救い」の概念で誘惑するのと全く同様。 「脅迫」と「甘言」は、宗教特有の極めて悪質な「営業手段」である。
>>545 だから、平安の境地として「涅槃の楽」が説かれるわけ。
*(また、修行の課程に於いても、小さな楽(用語的には喜だが)があることも言われている。
それは、545で言われるリラックスに近い、安心・安堵、苦が減じていっている喜び・嬉しさ、
といったものと言えるだろう。 ただ、それもまた図に於ける下段の楽ではあるだろうが。)
538の図に手を加えれば
(一切行) (涅槃)
苦 | 楽
┌─┴─┐ |
苦 ← → 楽 |
といった感じかね・・。
548 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 12:18:15.41 ID:oWqFzeNg
>>545 キリスト教はともかく、
釈迦は「信仰を捨てよ」と言っている。
信者を望んでいない。
>>547 日本人や日本語の中に、
苦楽がその上の苦に包括されるという言語感覚はない。
同様に、善悪がその上の悪に包括されるという言語感覚もない。
要するに「一切皆苦」という仏教用語が間違い。
>>549 そりゃそうだw
仏教が“又輸入物”“輸入物”だっての忘れてんじゃないの?w
551 :
ノスタルジア :2013/02/04(月) 14:02:34.99 ID:oX8G0DDC
今日は君たちの言葉があまり見えない。悪霊に憑りつかれたせいで、頭が上手く 回らない。まあ全然屈しないけど、これくらいじゃビクともしないけどね。 まあ君達は何も分かってないから、また相変わらずの言葉を吐いているだろうが。 結局私を悪者にしたい連中なんだからな! 一人の人間を分かった気になって一緒にいるってこと自体がまずおかしいこと! その単純な答えは仏教にはない!と思うよ。ある?理性的にだよね?君達の場合! 私が無いと思うんだから無い! 人は何かにとらわれている。そして私を悪者にして、悪者には成敗をしようとする! その結果として、お金ぶんどったりする!そういうことに弱者と頂点に立つ私は いつも苦労しているんだろう。 結局薄ら笑いしかできないんだよね?私は憂さ晴らしのためにこのスレッドで 今投稿しているように見えるがそれは理性的な見方だ!君達はことわりに支配されて いるんだよ。 私は少しでも人々が私に可笑しな物言いをしたら噛付くよ!それが分からないんだ! 私は見ている者がすべてであって、私以外の視点から私を見ても、ただ単純に 私以外の視点から見ても意味なし! 人々は因果の連鎖でこの世が成り立っていると思うのか!? それは間違いだ!それよりも上のところで都合よく人々を操っている! だから同じ種子(唯識)があれば違う種子もある! それはエクというものだ!縁起の包囲網は古い、今はエクの包囲網が 最先端だ!私の可能性を潰すのは魔のやることだ!聖でも同じだよ!
552 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 14:42:29.23 ID:slNx6icK
一切皆苦でも、苦あれば楽ありでも、どちらでもいいよね どちらの側でも必死に説く奴は苦のまっただ中よの
553 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 16:41:52.60 ID:gtrU9uAW
世間をさまよう人には苦しかない。 あなたが楽だ快だ幸だ名誉だ利益だ満足だと思っていることはほんとうにそうであるか? あぶくのようなものではないか?そしてそれが苦の種になっていないか? 自分だけでなく相手にも見ず知らずの人にも蒔いていないか?
554 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 16:53:33.98 ID:gtrU9uAW
幻の花をみて喜び、実はならないのに根だけ蔓延る
世間をさまよっていたら苦だろうね。 しかし、この世が楽しくて楽しくて仕方ない人もけっこういる。 ある程度、金を持ってないと人生を楽しめない。 苦など、やろうと思えばいつでもできるぞ。
556 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 17:04:23.30 ID:gtrU9uAW
557 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/04(月) 17:05:00.71 ID:pMui9th7
世人が楽だと思っていることが、後に苦に転じるのではない。 世人が楽だと思っていることが、そのままで実は苦なのである。 この真実を真実のままに知ったとき、人は初めて覚りの機縁を生じる。この真実を知らない者は、ついに解脱しない。 ***
558 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 17:09:10.45 ID:+X/HzQg2
どうも宗教板にはメンヘラが多くていかん。どうして彼等は精神的な病の救いを宗教に求めるのだろう? 宗教とは本来、死という生命の根元的な苦への救いを説く教えであり、現世的な苦への解決には ほとんど役に立たない。もちろん唯物末法仏教もね。いくらこの世は空だの縁起だなんだのとだから執着するべきだのと御託を 並べても現実に怪我をすると痛いし、病気になれば苦しいし、借金だらけになれば人生苦しみそのものだし、 そしてどうあがいても我々はいづれ死に、死は避けられない。中でも唯物末法仏教は いくら千の能書きを垂れようとも結局死ねば終わりの唯物論であり現世的な苦の滅も気休め程度しかなく、 宗教的にみれは全く価値のないものである。ま、精神病んでる人は宗教に救いを求めて宗教板を うろうろしないで、当該スレで必要な情報を集めるなり病院に行くなりしたほうが、宗教なんかに関わるより よっぽど有意義だと思うよ。真理は、まず健全な精神を持たないと得られないものだからね。
559 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 17:12:09.77 ID:gtrU9uAW
>>557 >世人が楽だと思っていることが、そのままで実は苦なのである。
OK
苦は常住なのか。人生が苦でしかないなら、 人類は滅びるべきだろう。 そうじゃないから、人類はここまで生きて来た。
561 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 17:17:49.54 ID:slNx6icK
生命教のしつこさは精神病んでる人特有のものだろ。 通院しながら薬飲んで仏教批判してそうで笑える(笑) ワッハッハ 精神病んでザマァ見やがれ生命教 ワッハッハ
相変わらずカラスは判り易いなぁ・・・ (^^;
>>558 訂正
×執着するべき
○執着するべきではない
>>560 田中君 鈴木君
○ ○
人 人
☆ ★ ◎
田中君から見れば、白星は右で黒星は左。
けど、鈴木君からしたら“どちらも右”なんだよね。
で、左にあるのは◎だよ、と・・。
一切皆苦と涅槃って、そういう(仏の視座の)ことなんだけどね・・・。
>>560 あ、ちなみに、
そういう「常住」は、仏教やインド思想史での常住じゃないと思うよ。
毎年、同じ場所にタンポポが咲くとしても、
それは去年のタンポポがそのままそこに咲き続けた(或いは復活した)わけじゃないから。
今年のタンポポは、新規の今年のタンポポだから。
そこに(様々な意味で)連続性・継続性を見ることは可能だけれども、
それはやはり「常住」じゃないよ。
566 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 17:45:13.10 ID:slNx6icK
存在が常住じゃないことはガキでも理屈さえ教えれば理解する。 だが常住じゃないと大悟して生きるのは老人でもなかなか出来ない
役に立つ、役に立たないの視点は絶対必要だよ 無常、常住が役に立つかというと全く役に立たない 詐欺宗教に金を騙し取られないなら役に立つといえる 初期仏教が大衆を教化していった大義名分は何なのか? 役に立たないなら教化できるはずもないと考える。
568 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:01:58.87 ID:DYK5eRSA
>>564 視座まで掴めたら、もう一歩だよ。
まあここからが至難の峠を越さねばならんがね。
これを百尺竿頭進一歩、などと言ったりする。
つまりこれを突き詰めるだね、涅槃や一切皆苦というのは
視座どころか、そういううもんがない。つうことだね。
だから一切であって、それで涅槃。つうことでし。
ここまで逝かんとモノホンとは言えんねw
>>567 もともとは「来るもの拒まず」だから、初期仏教は。
解決可能性と方法論を提示したら、賛同者が集まった、クチコミで広まった、
ってだけで。
(勿論、後期には、誰でも彼でもとはいかないから、サンガへの入団資格みたいなものも定められてしまうけど。)
大義名分は、「苦の(完全なる)解決」「己事究明」でしょ。
その辺は、律蔵大品の記述が、実に計算されてると思うよ。あとは、その他女性達とかプックサーティとか。
いずれにしても、「(教えを)求める者」に対して有効なのであって、
「求めない者」にとってはどーでもいいものでしょ、仏教なんて。
寧ろ、反社会的で憎悪の対象かもしれないw
ここを履き違えると、仏教のことを反社会的宗教としてしか見れなくなるよ。
571 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:10:00.17 ID:slNx6icK
>>567 カルト宗教に騙されやすい人。
他人にノーと言えない人。
○○は絶対○○であるべきな人。
にはあなたのレスは大いに意味がある。
処世術や教育論として素晴らしい。
が、仏教はそこは関係ない。
カルト宗教は弱った人の優柔不断を突いて人を集めますがね
>>569 「己事究明」に大衆が興味あるだろうか?
大衆が哲学に興味あるだろうか?
スッタニパータに「己事究明」があるだろうか?
「苦の(完全なる)解決」だろうか?
そんなものでバラモン信徒をぶんどっていけるだろうか?
574 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:14:02.87 ID:DYK5eRSA
>>547 >といった感じかね・・
いや、そういう感じは違うね。
そういう感じは世俗締というのであって涅槃じゃないよw
涅槃というのはね、楽じゃないんだよ。
楽ではないし、また苦でもない。それが涅槃です。
悟ってみれば分かるもんさ。
>>574 じゃ、何を悟ったか言えよ。
何が役に立つか言えよ。
576 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:21:32.03 ID:slNx6icK
基本的に大衆は大衆が興味のあることしかしないよ それでいいじゃん 大衆はこんなとこで仏教を大衆向けにしようとしないしな 大衆を語る者は本当に大衆なのか?と自分にマスコミに問え
577 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/02/04(月) 18:27:09.05 ID:Cb2WoUeU BE:2395239375-2BP(333)
>>573 律蔵大品読んだことないの?
遊女を追いかけて遊んでいる青年たちの話。
>>574 机節は要らねーよwwwwwwwwwwwwwwwww
574が涅槃だ? 頭沸いてんじゃねーのか?
もとより、世俗的表現に決まっとろうがw
世俗の道具しかもってないのに、世俗的表現を使わずにどうやって表現するんだ?
是非、次のレスで表現して見せてくれよ。
世俗的手法を用いずにね。
580 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:33:38.86 ID:DYK5eRSA
>>575 楽とか苦とかは、そもそも誤解釈でしかない。
涅槃とは、そのような誤解釈から解脱することをいう。
しかしながら人間は、
何が誤解釈であるのかは無明において覆い隠されている。
故に、
その無明に光明が射す瞬間があって、それが悟るとか言う。
つまり悟りというのは、何が誤解釈なのかが明らかになることだよ。
簡単に言うとだね。
>>578 読んだことない。3行ぐらいで要点だけまとめてくれ。
あ゛〜 こりゃ、きっと、マジで机かも・・・(^^;
583 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:36:56.97 ID:slNx6icK
遊女追っかける人生でも別にいいんだぜ。 釈迦は遊女追っかける奴をこの世から全滅させろとは言わない。 給料入ると即効で風俗向かう会社員なんかいくらでもいる。 大衆だってその場の時間潰しで役に立たないことをする。 射精の瞬間は気持ちいいから役に立っていると考えるのも、まあ自由だけどな(笑)
584 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:37:13.43 ID:DYK5eRSA
>>575 >何が役に立つか言えよ。
仏教は何の役にも立つことはない。
これが非常に重要であります。
この意味は、仏教は逆説的である。つうことです。
役に立たないことが、逆説的に涅槃の境地でありますね。
sn61 「これは執著である。ここは楽しみは少し、 快い味わいも少くて、苦しみが多い。 これは魚を釣る釣り針である」と知って、 賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。 涅槃は楽しみ多い。快楽が多いと書いてある。
>>581 3行は無理w 何十個とエピソードや要素があるから。
関連部分でなら、
森林公園で、若者が、キャバ嬢を雇って、鬼ごっこ。
通りかかったお釈迦さんが、「女を探すこととアートマンを探すこととどっちが大事か?」と言う。
青年たちは、「女なんかどうでもいいです!アートマンが探せるなら!」。
というお話。
sn58 学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。 いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、 犀の角のようにただ独り歩め。 役に立つことを知らなければならない。 それは死後がどーとかの疑惑を離れなければならない。 と書いてある。
588 :
つきみ :2013/02/04(月) 18:42:23.99 ID:LST06Zxl
そのレビューなら読む気にならないw
589 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:43:45.68 ID:slNx6icK
>>585 精神科行って安定剤もらえば薬効いてるうちは落ち着いていられる。
薬の効果も常住ではないんだよ
>>588 馬鹿じゃね?
舎利弗と目連が、どういう経緯で弟子になったかというエピもあるのに?w
んとに、お前等の脊髄反射はレベル低いわ・・・ ┐(´ー`)┌
591 :
つきみ :2013/02/04(月) 18:46:27.09 ID:LST06Zxl
593 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:49:08.62 ID:slNx6icK
釈迦の言う事と自分どちらを信じる? と問われたら答えられなくてもいいんだよ 釈迦と答えるなら盲信の危険あり 自分と答えるなら慢心の危険あり 現時点に永遠の答えを出そう、出させようとするのが生命教であり机教なのだ
594 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 18:49:15.23 ID:DYK5eRSA
>>585 >涅槃は楽しみ多い。快楽が多いと書いてある
人生を、楽とか苦とかに分類するのはオカシイかと思うね。
果してそういう考え方が正しいのか?
人生に楽も苦もない。
そのように錯覚するのが・・・人生なのかもね?
それ自体が既に「苦」でしかない。
それを一切皆苦というんだね。
仏教が逆説的であり、その一切皆苦こそが涅槃。つうことです。
一切皆苦は、既に苦楽が寂滅し、その位相こそ涅槃。
一切皆苦と涅槃は同じですね。
>>594 いや、仏教が書いているのであり、俺が書いているのではない。
596 :
ノスタルジア :2013/02/04(月) 18:59:25.10 ID:oX8G0DDC
きんぴかぴかなまっきいろのあのみひらいためをもとめているのだよ。 そらせるひとまだちゅうとはんぱにみひらいためでもなくいっしょでもなくわたしはあのだきょうをゆるさないめをもとめている。 そのそれだけをみている。 そのそのめがうつるせかいだけをもとめている。 もちろんわたしのもとめてきためもある。 そのこうさてんにこいがある。 あいがある。 そうなのだけっきょくはぱーとなーをもとめているのだ。 そのとちゅうのひとびとはあしかせでしかないともいえる。 もちろんともかもしれないがでもやはりだきょうはわたしもゆるさない。 けがれのないひとをもとめている。 けがれのないそのひとのせかいみるめ。
つまり快楽主義で何も問題ない。 通常概念の快楽主義を釣り針としているだけ。 仏教は門戸が広いに同意する。 それは全人類的幸福論みたいなもんだと思われる。 そうでなければ大衆は同意しないはずである。
598 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 19:03:58.62 ID:DYK5eRSA
>>595 そうですか?
涅槃が楽。などと吹聴するのはカルトと考えて良いかもしれませんですね。
涅槃が楽であるはずはない。
楽な人生ほど苦であるのは間違いないです。
涅槃は、楽もなく苦もない。
全く寂滅した境地です。
>>598 だから、それが何の価値がある。
何の役に立つかに君は答えていない。
それは経典に書いてあるだけ。
そんなたわごとは誰でも言える。
600 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/02/04(月) 19:11:09.56 ID:Cb2WoUeU BE:1231838036-2BP(333)
あのですね。 仏教も、キリスト教も、イスラム教も 現代から見たら、全部間違ってるに決まってるんですよお。 おれたちは、でもその中にいいところがあると思って抽出しているんです。 まちがいさがしではなく、よいところを探しているんです。 どの宗教を信仰しても、ぜんぶ、非科学的ですよ。 そんなことはわかってるんだ。
上にもあるが仏教では信仰を捨てろと はっきり書いてある。 それはバラモン教に違いない。
602 :
ノスタルジア :2013/02/04(月) 19:15:57.87 ID:oX8G0DDC
きみたちは おしゃべりしたい のだろう それは べんちでか ぱそこんか のちがいだろう たいしたちがいではない ごくらくに いったら あおうな きみたちは それをもとめているのだから しかたがない ねはんが らくである ねはんじょうが ごくらく である まあ そうなのだろう わたしは そこに しょうてんを おいてない わたしは じこせかいかんを みなさんに こうかいしている そこに ゆうどうするために・・・ わたしのめが すなおな きんぴかぴかな あのまっきいろの みひらいためを もとめていた、 そのへんれきのなかで きみたちを つつみこみ ほうがんし わたしは その けがれのない じゅんすいな おんなのこと こいする そのこの みるせかいと わたしの そのこを もとめてきた へんれきとしてのめが、 こうさして ひとつの あいを つくり ひとびとは そのふたつのめによって、 いかされている げんじつを いきるだろう いろいろなひとびとがいる
603 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 19:17:42.16 ID:slNx6icK
科学も医学も現時点では彼女が出来ないハゲに髪はやして、 その苦悩から救うことを出来ていないんだぞ(笑)
604 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 19:18:14.97 ID:DYK5eRSA
>>599 >だから、それが何の価値がある。
>何の役に立つかに君は答えていない。
価値とか、役に立つ、とか、そんなことを考えてるから無明から解脱できないんだよw
仏教にそもそもそういうベクトルは全くないんだよ。
欲の深い人間には仏教は不向きなんだね。
残念ながら、そういう人間は宗教には関心を持たない方がいい。
害毒でしかない。
仏教は無功徳なんだよw
私はこの「無功徳」に仏教の魅力を感じるんだよ。
そういう人間にしか仏教は向かない。
605 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/02/04(月) 19:18:45.00 ID:Cb2WoUeU BE:615919133-2BP(333)
>>601 信仰だろうと、信仰でなかろうと、
ことばでごまかしても無駄です。
仏教に帰依しても、救われませんよ、別に。
特に変わりわないですね。
非科学的な狂信はやめましょう。
日本には、非科学的な仏教への狂信が残っています。
>>603 それ以前に宗教に髪はやせるわけないだろうがw
苦があったとして、それは当時のインド人というだけで
現代の我々ではないという認識をしなければならない。
>>604 何に対して無明で何に対して解脱するんだ?
経典の言葉でいいから言ってみれ
608 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/02/04(月) 19:25:55.04 ID:Cb2WoUeU BE:4311430979-2BP(333)
>>606 極楽浄土では、美醜の区別はないぞ。
みんな、格好いい。
はげも格好良くなる。
609 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 19:29:13.56 ID:DYK5eRSA
このスレッドは、強欲な人間と、精神疾患(または人格障害)しか 書き込みしてないのか? 非常に嘆かわしいではないか? 人生、無欲で生きれば良い。 それが仏教なのだよ。 仏教は人間を救うことはない。 仏教に救いを求めるのではなく、生きていくことの道標になるのが仏教。
>>605 信仰を捨てよの信仰とは非科学的信仰にきまっとる。
当然、仏教も含まれる。ただ、仏教はそれを教えている。
612 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/02/04(月) 19:31:43.75 ID:Cb2WoUeU BE:4311430597-2BP(333)
>>610 では、人類は普遍的前提を何一つ知らない。
ただ、真理に近似していくだけだ。
ということに同意なさいますか?
>>612 同意しない。普遍的前提というものはない。
真理はただの法則。近似はしない。
人間は法則の中で生きている。
腹が減れば飯を食う
614 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/02/04(月) 19:39:20.58 ID:Cb2WoUeU BE:821225726-2BP(333)
>>613 腹が減っても飯を食わない日もあるだろう?
真理の法則というものは、何一つ、人類は知らないのだよ。
>>614 お前は人類じゃないのか?
人類ならば知らないことは知らないままに捨て置け。
経典を信じるならの話だがw
616 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 19:53:09.97 ID:DYK5eRSA
>>611 >何に対して無明で何に対して解脱するんだ?
何から解脱する、とか、
その「何」ってのがそもそも分からんのなら解脱しようがないではないか?
そうだろ?
その「何」が分かれば、それで即解脱なんだよ。
>経典の言葉でいいから言ってみれ
その「何」を、どう経典に書けばいいんだよ(笑
その「何」を経典に書けないから古今東西の学僧は論書でももって示唆してるんだろ?
しかしその文意を読むことは非常に難しい。
>いいから勘違いさんは
そういうことです。
人間は自分の勘違いに気づくことは難しい。つうことです。
勘違いを気づく(つまり何)を知ったときに勘違いから開放される。
この開放された位相を解脱という。
では、これで落ちます。
617 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 19:54:10.48 ID:slNx6icK
>>606 現代の我々でもオマエの苦と誰かの苦は別物だ
知らないだけで人類は法則の中で生きている。 ただそれだけのこと。 これが即ち個別差別化であり、現状を現わすものが その個別差別化の法則を現わしている。 即ち何も問題はない。
619 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/02/04(月) 19:54:36.59 ID:Cb2WoUeU BE:3284899586-2BP(333)
>>615 現在の科学哲学が明らかにまちがっていて、
物理系技術者に総そっぽをむかれているから、改善したいのだ。
620 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 19:55:49.98 ID:slNx6icK
しかし他人の苦を自分の苦と感じられるのもまた人よの
621 :
ノスタルジア :2013/02/04(月) 19:57:28.99 ID:oX8G0DDC
秘密理趣経ってあるだろう?あれを極めたのが俺だと思ってくれ!つまり性欲を昇華してここまで来た。 それは冗談ではなくて、俺の秘密だ!しかしそれは本当に理への趣きだった、昇華は ある意味大変だった。あれは菩薩の経典でよね?俺も法蔵魂の菩薩道を歩むものだ! 佳によって人達は戦争を起こすだろう。佳とは物事の品や質が良いことであり、 それを巡って人々は戦争に明け暮れるだろう。 しかしそれの唯一の対処法がある。それは庸だ。庸とは、やとうって意味があるんだけど、 庸が佳に弟子入りすれば、この世界は救われるだろう。 つまり、やとう人々が物事の品や質を良くする人々を尊敬すれば人々は救われるだろう。 もちろん宗教の手によってではない。私達自身によってである。 範では弱い、龍でも弱い、智でも弱い、 佳と慧の関係性がすべてを変える。 示したぞい!
623 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 20:08:53.95 ID:ohzeALuD
>>609 それは仏教の名を借りた単なる現状肯定であって仏教では全くないですね
現法涅槃(凡人の今のままの知覚現状が涅槃である)という言葉で否定されてますよ。
624 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/02/04(月) 20:13:47.93 ID:Cb2WoUeU BE:2395239757-2BP(333)
>>623 現法涅槃のわけがないだろう。
悟り、無我、涅槃への狂信をやめろ。
625 :
妙信 本願寺 :2013/02/04(月) 20:17:48.03 ID:G/v+L8Hn
なにあほ素人いってだよ なまいき ばか プロのおれは今日は檀家の女か一人住まいでなだれかかってきてから押し倒してやってやた 泣いていたが ありがとうのようなお礼をもらうこともないの意味はおれはわからない 逃げたということを誤解していたらそれは誤解 きさまらあほ素人があほを言ったらいつでも先生ですので、 指導をするようにしないといけない 檀家の女の指導もせないばかは本当のばか 檀家とかない素人はもとばか わかたか おばおえとけ
626 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3) :2013/02/04(月) 20:18:47.62 ID:Cb2WoUeU BE:684354825-2BP(333)
東大寺の大仏さまが、 大日如来なので、インドでは阿修羅王と同じとして扱われることに、 何か、意見はありますか?
>>624 現法涅槃だよ。
現実の法則が涅槃。捻じ曲げてるのが我は有ると思うこと。
実際の有る、無しじゃない。
崇徳上皇がシヴァ神っつーくらいどうでもいい
629 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 20:35:47.23 ID:ohzeALuD
>>627 その文がどういう意味なのか分からないなあ
どっちともとれる。分かるように書こう
630 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 20:40:48.44 ID:slNx6icK
>>629 そのどっちともを両方書いてくれたら答えれるかも
632 :
妙信 本願寺 :2013/02/04(月) 20:47:23.77 ID:HF+KUb7G
おいきさまらがいってのはむつかし本よだってだめ きさまらは本よんでインターネット板ではなすのを仏法だと思ってのか あほども 今日の女はしまりがきつめでよかたが、檀家の債務者の女の肩代わりしてやたらたいていなんも可能 助けてもいる 経よみとか三周忌でひとりのやつには信託を紹介したりとか現実に人をたすけな意味なし おいあほ素人 わかたか
633 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 20:47:43.07 ID:ohzeALuD
>>631 まあ、どっちでもいいけど
オイラの文に対して、どういう立場で書いてるのか分からないことが一番
634 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 20:54:43.90 ID:ohzeALuD
>>632 まるでヤクザだね〜
親鸞上人も妙好人も七里恒順師も泣いてるぞ
>>633 う〜ん、立場は全く関係ないなぁ
というか立場があるということがない。
636 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 21:02:51.78 ID:ohzeALuD
>>635 じゃ、アンカーつけてレスする意味ないでしょ
独り言、言う意味もないんじゃないか?
たとえ、戯論寂滅・法界一味平等の境地にいるとしても、教えってのは相手に対して何らかの立場を仮設するでしょ
それが無いんじゃ、言うこともできないし、言う意味もないと思うけど
637 :
妙信 本願寺 :2013/02/04(月) 21:03:25.77 ID:MaAhMJWX
ばかがなまいき 親鸞上人への信は一定 蓮如上人はあたまえだが、顕如上人はじめみな現実のあかとなり人をあつめよくするもの 泥に華あり 檀家になにかしたりもせず素人でこなとこでむつかし本くりかえす素人はゴミカスクズ わかたか
638 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 21:07:46.56 ID:ohzeALuD
>>637 親鸞上人は、相手構わず悪口を吐き、やくざのように縁あるものを食物にしろと教えてるのかな?
639 :
妙信 本願寺 :2013/02/04(月) 21:10:38.08 ID:MaAhMJWX
ばかはだまれ 悪人なれども末法の餓鬼をつれ人へとかへる 精液をぶちまけるのは末法のがきへのすくい それが愚禿のつとめなり あほ素人 なにもせんくせにいい加減うるさいだまれ
640 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 21:12:44.29 ID:slNx6icK
本願ぼこりそのもの 難しい本も中論もいらないが オマエも必要ない 難しい本厨も悪人 本願寺坊主も悪人 オレも悪人 そんなことより本願寺坊主の態度が気にいらない それだけだ
641 :
妙信 本願寺 :2013/02/04(月) 21:14:07.98 ID:MaAhMJWX
今日の女は泣いたがやってる声はすごいものだたし携帯にメールまでよこした これがなにがまずいか 救うそのもの
642 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 21:15:11.16 ID:ohzeALuD
>>639 ほんとか、じゃ君がそう言ってたと真宗の宗務所に言って真偽を確かめてみよう
真宗は結構そういうとこ厳しいから、あるいは破門されるかもしれないが、
自信あるなら、本当の僧名と寺院名言ってみて
言えないなら、本当は間違ってるって知ってても、2ちゃんだから毒づいてるだけだってみんなに告白したも同じだよ〜
かっこいいねえ
643 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 21:16:10.04 ID:slNx6icK
女とやるのはかまわない 肉を食うのもかまわない オマエの態度が気にいらない それだけだ
644 :
妙信 本願寺 :2013/02/04(月) 21:17:58.30 ID:Nnnx9r2t
なまいきなじじいは癌でしんだ なまいきなやつへつける信妙光上座とかつけやる もう60にんもいてだれがだれかわからん まるで無縁仏だあはははは
645 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/02/04(月) 21:18:37.07 ID:Cb2WoUeU BE:4927349298-2BP(333)
魔女狩りみたいや。
646 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 21:20:49.43 ID:slNx6icK
魔女狩りのようだといけないのでしょうか?
647 :
妙信 本願寺 :2013/02/04(月) 21:21:49.71 ID:Nnnx9r2t
本当の僧名とかこなとこでいうわけがなだろう 頭がくるってかおまえ あっはっは そやてすじとおしたつもりのくそ素人おまえも何もかわらんあほ あのなこちこそ仏法でまちがいなく金もらってるだ わかたかくそ素人
648 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 21:24:37.44 ID:ohzeALuD
>>647 なるほど、ここで愚痴って憂さ晴らしか
かっこいいねえ
後生だぞ
一回しか言わないからね、後は勝手にしてくれ
649 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 21:27:00.80 ID:slNx6icK
まあでもヤクザから逃げ出してきた坊主や神父はいっぱいいるからな この坊主はその類だろ スジとか言ってるし
650 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/02/04(月) 21:34:46.69 ID:Cb2WoUeU BE:1710885555-2BP(333)
いや、宗教者が信者を力づくで犯すところは、魔女狩り。
651 :
ノスタルジア :2013/02/04(月) 21:36:56.58 ID:oX8G0DDC
ぼくたちは こせいが ぶっきょうによって だいなしになっている きみたちは どうせ こせいなんて いらないほど しんりがほしいんだよな? ことわりを なめてかかってたら じんせいを こうかいするよ ぼくたちは むじゃきだったが いまでは おたがい けんかの まいにち きみたちは まいにち ことわりに しはいされて いきている ぼくたちも きみたちも あまり かわらないのかな? でも わたしのゆめには あか あお きいろの ちゅーりっぷのような おんなのこがいる それは わたしの のぞみのゆめに かわって わたしは みどりのみちを おなじように とおって さいかいするだろう みどりの ぼくたちは ときどき ぼくを いじめるよね? まっくろくろすけ やみにいても いつも へいきさ じっごくにいっても わたしはへいきさ もともと みどりのみちなんだから
>>636 そんな境地にいるはずもなく、ある概念が生じたに過ぎない
その概念からの見地から言ってみただけ
教えるという偉そうな立場などあるはずもない
ただその見地でいくと、世界を空であると見る、
或いは世界を空であると感じるというのは正しいと思う。
これは否定的意味でなく肯定的意味。
本来の法則性に則るものであり、我は有るとする法則性を
基準とするものではない。
或いはその法則性を身につけるなら何かがあるかもしれない
653 :
ノスタルジア :2013/02/04(月) 22:01:02.49 ID:oX8G0DDC
たくさん ほうそくを みつけても なにも いみないよ ほうそくなんて けっきょく ほう、 だるま、 なんだから そんなことしてても なにも かいけつしないよ もんだいは じこせかいかんを かくりつすることであり それは みどりのこうせんによってのみ かのうなんだ きみたちは みどりのみちを とおりぼくたちのなかまになるか、 ことわりにしはいされるか、 ぶっきょうをしんずるか、 のさんたくしかないんだよ きみたちは ことわりにしはいされるのがいい? じじつ その ことわりに しはいされている のが ほとんどだと みていい ぶっきょうは ひがんに いくために あるようなものである とうぜん うみにおちる だつらくしゃ ちんせんすることもあるよ きっびしいよのなかに もじどおり がきが あふれかえっているよ うみには まものがいるんだ それは でっかいのではなくて ぐんぞくあくじゅうだよ なにせ がきは だきょうして さいしゅうてきには おぼれしぬ たすけぶねは あやうし いまだそれでは ただしいみちではない みどりのみちが ただしいみちだ
654 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 22:11:23.77 ID:C0x925al
「緑の道」ってイスラム教だぞ 仏教は黒か五色だ リビアのカダフィの本は緑の本だし、たいていイスラム国家の旗は緑だろ
655 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 22:14:52.04 ID:C0x925al
ホメイニもイラン革命を「緑の道」と言ってる
656 :
ノスタルジア :2013/02/04(月) 22:22:34.63 ID:oX8G0DDC
>>654 もしそれが ただしいなら ぼくたちの みどりのみちと いすらむきょうは おなじことを いっているのだろう もともとなにをみているかがじゅうようなのだろう かれらいすらむきょうとは いつつとしひこのいうような まほめっとのような おとこたちで あふれているのだろう おとこたちは じょうねつで もえさかっているのだろう そのもえさかっているひを たよりにしているのが おんななのだろう だから わたしのいうことは とても いすらむきょうじみているのかもしれない しょうちょうだけの ものいいだが もともとぼくらは あたまがいいわけではない ぼくは とくべつに あたまがいいが
657 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 22:24:26.99 ID:ohzeALuD
>>654 もしかして縁の道、縁起の道を勘違いしてるの?
>>586 >>592 この話は、
青年が遊女と遊び終えたところ、なんとその遊女が自分の持ち物
(金銭等々・・)を盗んで逃げてしまっていることに気づいた。
それでその遊女を探しまわっていたところで偶然、ゴータマと出遭ったのです。
そこでゴータマがいったというのが、
「あなたは婦女を尋ね求めることとアートマン(真実の自己)を求めることのどちらが価値があると思うか?」
(Vin.Maha^vaggaT,13.p.23)というもの。
この言葉に心から感銘を受けた青年は、
アートマンを見出すべくゴータマに帰依したのです。
一応、注意点として・・・
ここでの「アートマン」は一般的で精神論的な意味としての“真実の自己”(自分探し)と思われ、
特に超越的概念の恒常不変なるアートマン存在としての意味合いとしては使われていません。
659 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/04(月) 22:25:08.12 ID:otTJniYi
>>577 記憶喪失した男氏
>仏教の極楽浄土とはどんなところか
>ちなみに、わたしは作家ワナビなので、仏教を題材にちょっと強引な仏教ファンタジー小説を作ってみました。
>いまだ法蔵菩薩は悟っていない
只今、貴兄の小説を読んで参りました。スーパーヒーロー「法蔵菩薩」のお話ですね。
争っていた者たちは「来世は貴族に再生」というよりも「修羅道」か「畜生道」の方が相応しいかとの所感でした。
因みに私のホームページ「浄土への道標」はノンフィクションです。←今月18日に出版予定
http://minamotonoshin.life.coocan.jp/ 極楽浄土や法蔵菩薩、阿弥陀如来が度々登場しますので、小説を書かれる際の参考にしていただければ幸甚に存じます。
素朴な疑問なのですが、「浄土への道標」では涅槃に入られた後も阿弥陀如来は「法蔵菩薩」の頃の誓願を発動し続けておられます。
さすがに如来御自身が現世に再度下生されることはないので、お膝元におられる菩薩達や観音分身達や地蔵達が現代も活動されているそうです。
まあ、仏界から見ましたら、2500年間など一劫と比べたら瞬きするようなものでしょうから。
>>598 『放逸に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、
大いなる楽しみを得る。』(Dhp.27)
『村でも、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖者の住む土地は楽しい。』(Dhp.98)
『人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろう。
かれは快楽を求めないからである。』(Dhp.99)
『飢えは最大の病いであり、形成せられた存在(=わが身)は最もひどい苦しみである。
このことわりをあるがままに知ったならば、ニルヴァーナという最上の楽しみがある。』(Dhp.203)
『健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の知己であり、
ニルヴァーナは最上の楽しみである。』(Dhp.204)
『つまらぬ快楽を捨てることによって、広大なる楽しみを見ることができるのなら、
心ある人は広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよ。』(Dhp.290)
『修行僧が人のいない空家に入って心を静め真理を正しく観ずるならば、
人間を超えた楽しみがおこる。』(Dhp.373)
『個人存在を構成している諸要素の生起と消滅とを正しく理解するに従って、
その不死のことわりを知り得た人々にとって喜びと悦楽なるものを、かれは体得する。』(Dhp.374)
661 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 22:41:52.16 ID:+X/HzQg2
精神病んでる人は2chなんかやらない方がいいだろう。病状がさらに悪化する。 当該患者の医者はその点しっかり指導してるんだろうか?してないんだろうな。ちなみに鬱病など 精神を病む人は大抵極端なわがままだったり、意地が悪くて他人の心を平気で傷付けるような生き方を してきている。他人の心を傷付けてる人は自分の心を傷付けている。 精神を病むのも、結局は因果応報なんだよね。
662 :
神も仏も名無しさん :2013/02/04(月) 22:44:21.36 ID:ohzeALuD
>>661 ごもっとも。
だけど、止めた方がいいよと言って止めた人は一人もいないです。
逆に怒るだけ、結構、言葉を選んだつもりなんだけど。
663 :
ノスタルジア :2013/02/04(月) 22:44:55.44 ID:oX8G0DDC
ほんとのこというなら ことばではだめ! いのちではだめ! ひかりでもだめ! いろでもだめ! それらのけいふを、 たどったさいごに じょうねつがある きみたちは ことばにとらわれている ことばのたつじんになっても ほつぼだいしんを おこしたにすぎない そしてそれは けっしてかなうことのない ぼだいをえるという もくひょうに まっしぐらに すすむしか、 ありえず そのぼだいというものを えたとて きみたちは いまだ うみをでてないだろう すいそをすいすぎているから きみたちは どこにいっても どのきょうちにいっても うみにであう! それは めにはみえないうみもふくまれる そのような みかけはよしとする ふうちょうをもった、 ところもあるからである にょらいというほとけにしても ほうというだるまにしても ひそうひぞくてきな、 そうにしても それにきえしたとて、 いっぽも うみからでてないとだんげんできる! でも かといって たしゅうきょうに なにかをもとめても なにもない もともとこけおどしでしかない かといってむしゅうきょうではなく ぶっきょうがいい でもそれよりもいいみちがある うちゅうにしねんを もうすぴーどで いどうさせて いのちも ひかりも いろも じょうねつさえもこえたさきにある がっしょうするぼく ぼくはすわって がっしょうするだけ てをあわせて いたい それがぼく いろけをみたす おんなのこでもなく いろけのない おんなのこでもない
664 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 00:14:10.74 ID:JeaxlBY3
>>1-663 わかったわかったわかった。もうわかった。
だからもうわかったって。
もういいからもうわかったから。
お前の言いたい事も言ってる事もわかったから。
全部わかった。全部。すごいわかった。ものすごくわかった。
こんなにわかったの初めて。初めてわかりあえたな俺達。
だからわかってるわかってるそれもわかるよ。わかってるって。
わかりまくってる。ていうかわかってた。実を言うとわかってた。
始めっからわかってた。わかってた上でさらにわかったから。
二重にわかってるから。むしろわかりすぎてヤバイ。
全部わかるんだもん。わかっちゃうんだもん。
ほら、お前もわかってきただろ?それもわかるから
>>661 おもしろーい、そんな気がする
もう少し、詳しく教えてもらってもいい?
666 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 02:10:25.23 ID:JeaxlBY3
>>661 因果応報どんと来い
なるようになる 心配するな
鬱病でもなんでもかかって来いや
人間五十年 業からは逃れられぬ宿命よ
667 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/02/05(火) 03:00:19.09 ID:DmZPH8cg BE:615919133-2BP(333)
>>659 感想ありがとです。
争っていた相手が貴族に転生するのは、
法蔵菩薩の名を唱えたものは、みな、来世、貴族に生まれると願をかけておりますので、
それをふまえてのことです。
法蔵菩薩の作りたい極楽浄土とは、そういう方向性のもので、
善人は救われる、いわんや、悪人をや、というわけです。
668 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 03:04:14.77 ID:J1YuY9Db
>>666 ゴイムは、そうならないよう悪い業を積まないよにしようという発想にはならないようだ。
つまり悔い改めるということをしない。獣はなにより自分のエゴを愛しているからね。
君のレス番が君自身を表してるよ。
669 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 03:55:33.72 ID:JeaxlBY3
怒って他人様をゴイム呼ばわりするのはキミの抱えてる業ではないのか? 獣の数字666とレス番666を関連づけるのもキミの業だ
670 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 04:57:14.46 ID:8rPM/JJu
>>668 悔い改めるというと、キリスト教っぽいですね。
はたして、誰に対して悔い改める必要があるのか?
仏教ぽくいえば、エゴに執着して、エゴから自由になれない
ではないのですか?まあ、業を背負って、報復受ける可能性(地獄に落ちる)
も無きにしも非ずですが。
いくら金があっても人間はいずれ死ぬ。無常。
そして、エゴに生きる人間ほど生に執着する。
生に執着して、自らが本当に望む行動もままならなくなる。
それから外れると、これまで積み重ねた業によって滅ぼされるから。
そんな感じかなと私は理解しています。
671 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 06:08:16.00 ID:JeaxlBY3
善だと思ってしていた事が苦の原因となっていたなんてのはよくある事だ。 因果応報で善因善果、悪因悪果を説く人はここはどう考えるのだろうか? 太郎くんか善かれと思い花子さんにしていたことが、 花子さんにとって苦痛だったということもあるからね
672 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 06:37:54.22 ID:K6e3R2Sd
>>671 業不思議ですよ。業の本当の因果関係はブッダ、一切智者にしかわからない。
だから、業を忖度すべきではない。
因果や善悪というのは自分自身の行動規範、行いを抑制するための基準ですよ。
だから、基本的に動機主義、自分の思いが重要であって、結果的に他者がどう感受するかは重要ではありません。
仏教の規範は、須らくそうで他人をどうこう批評するためや、現象世界の説明体系としてあるのではなく、自分自身の行いをどうすべきかに集約されますから。
673 :
671 :2013/02/05(火) 06:55:04.54 ID:JeaxlBY3
>>672 ありがとう
貴方は善因善果、悪因悪果を人に説かないだろう。
善因善果、悪因悪果を他人に説く人は
>>671 にはどう答えるだろうか?
674 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 07:13:58.76 ID:K6e3R2Sd
>>673 誤解ないように補足しときますと
信ある他者に教えとして説くのはありです。
ですが、他人を批評、批判するための武器として貶すために用いるのはなしです。
675 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 07:50:58.26 ID:IN/64hR3
>>667 記憶喪失した男 ←皆、前世の記憶を喪失して同じです。
>争っていた相手が貴族に転生するのは、
>法蔵菩薩の名を唱えたものは、みな、来世、貴族に生まれると願をかけておりますので
縁起の法では、<IF これあれば THEN あれあり>という法となります。
<IF 条件x THEN 動きX> であり、条件xはα〜Ωの無数の集合体が縁起の法とも言えると認識しております。
1)<IF 善人である THEN 往生する>
2)<IF 悪人である THEN 往生する>
3)<IF 悪人である & 称名する THEN 往生する>
まず1)、2)の法は間違いで、3)の法が正しいとします。
貴兄のフィクションでは争っていた相手は悪人だったかも知れませんが、称名しておりません。
よって3)の法の動き「往生する(来世は貴族)」にはならないかと思料します。
また創作の際のご参考にしていただけらば幸いに存じます。
676 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 08:01:30.11 ID:IN/64hR3
>>675 ><IF 条件x THEN 動きX> であり、条件xはα〜Ωの無数の集合体が縁起の法とも言えると認識しております。
私は縁起の法は自性だと考えます。
もし空性(変化、無常)であれば、<IF これあれば THEN あれありとは限らず>になるからです。
アインシュタインは自然の法則(縁起の法に含まれる)の立法者を間接的に「神」と呼びました。
スピノザは「神」のみが実体(仏教的には自性、無為)との汎神論を唱えました。
旧約聖書や古事記に登場する人類に賞罰を与える「神」は否定されている点では同じかと思料します。
677 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 08:06:49.22 ID:IN/64hR3
>>675 >1)<IF 善人である THEN 往生する>
>2)<IF 悪人である THEN 往生する>
言葉は空性(意味が変化する)なので誤解なきように定義しておきます。
善人:我執(自己肯定感)の強い人。自分の非は認めず、他人の非は許さず攻撃に躊躇しない。
悪人:自分の非を認める人。
678 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/05(火) 09:18:22.99 ID:q+fM9huN
>>669 自分で撒いた種は全て自分自身が刈り取ることになる。
こちとらお宅に言われなくても百も承知だよ。
邪見をばら撒く君ら末法仏教徒の撒く業に比べれば俺の撒く業の深さ
など可愛いものだ。真理を捻じ曲げて伝え、自分が
真理への道に入らないどころか、他人を迷わせに他人も入らせないようにする
者の業ははるjかに深い。
679 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/05(火) 09:33:27.75 ID:q+fM9huN
>>671 屁理屈たれがなんかいってらぁ。
カス仏教徒はなにが善でなにが悪かもわからないらしい。
カス仏教徒はどこまでいってもカス。カス共の善悪基準はあくまで
世俗的な善悪の判断でしかできない。宗教的な意味での善悪は今も昔も
普遍だ。真理とはそういうものだ。宗教的な善悪とは随分前に何度か書いた。
お宅の出した例の太郎君は単に自分のエゴを押し付けただけ。悪に決まってんだろ。
わかったか?屁理屈たれ。いっとくが屁理屈垂れに救いはないよ。
もっとも救いなどないってのが君らの末法仏教だからどうしようもないよな。
この二元世界では善悪があるんだよ。だから相対世界のこの世なわけ。
この二元世界で善の修行を完成させたものが、君らの大好きな善悪のない中道の境地に
赴けるわけ。わかる?反対にこの世界で善の修行を完成できず悪の業を滅ぼさない
者はいつまでも輪廻に囚われた二元世界に留まるわけ。わかる?
そして私と貴方を分かつ我々の自我はこの二元世界の住人なわけ。わかる?
二元世界の住人である我々の自我の境地でいくらお宅らの大好きな中道だの能書き
垂れてもどこにもないんだよ。あるのはお前らの言語が作り出した妄想の中だけ。
わかる?ちゅうてもわからんだろうな。屁理屈垂れなのは君らの種族ではしょうがないが
屁理屈垂れは真理に到達できないよ。気の毒だけどさ。
680 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/05(火) 09:57:34.17 ID:q+fM9huN
日本の大乗系の末法仏教徒は竜樹の中論がとてもお好きなようだが、 彼の相互依存関係の縁起は、あくまで識別智である「言」の性質をいっているに 過ぎない。そりゃ言語が滅びれば善も悪もない中道の境地にいけるよな。 じゃぁどうすればいい?中論読んで分かったような気になってもそれは相も変わらず 自分の言語がベースとなった思考が作り出したものだけで相も変わらず 私と貴方を別つお前の自我は、あるままだぞ。死んで無になるか? ゴータマさんは生老病死と苦を説き死は苦そのものだと説いている。それで幕を引けば その人の人生は苦そのもので終わりだよな。悟りとは滅尽定(サマーディ)で 終わりじゃないんだよ。その境地から縁起観を直接智で得ることが悟りなんだよ。 死んで終わりなら滅尽定で終わり。禅の悟りなど滅尽定止まりのレベルの低いものだ。 君らは愚かにも滅びを目指している。心配しないでも滅びを目指そうが君らのように 無明に囚われたものは相も変わらず輪廻を繰り返し迷いの生存を繰り返すが、 輪廻の基体ともいえる業も永遠ではない。業もこの現象世界に縁起して成る無自性な 空だ。生まれてきたものはいずれ滅びるのが定め。それはこの宇宙(現象世界) も同じ事。いずれ今の宇宙(現象世界)も滅びる。そのとき行き場のなくなった業も滅びる。 滅びるものに縁起して成るものはいずれ滅びるのが定め。今の宇宙に 縁起してなる業は今の宇宙が滅びると二度と復活することはない。君らは愚かにも キリスト教でいう第二の死。完全な滅びを目指している。
681 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 10:02:22.56 ID:7Xm6E+K6
>>676 >アインシュタインは自然の法則(縁起の法に含まれる)の立法者を間接的に「神」と呼びました。
「立法者」・・・・・・ こういうところが実に姑息でカスと言われるところww
あたかも、「意思をもった超越者」が、この自然の法則を定めたと誤謬させるような言い回しwww
「意思など持たない単なる現象要因」だと言っとろうに、反論出来ずにスルーして、
また繰り返すwww
まさにセブンの言うとおりw お前は、このスレ屈指のカスだよwwww
682 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 10:08:54.48 ID:7Xm6E+K6
んで、オカルトに狂わされたキチガイが、またピンとはずれの仏教批判を 繰り返すとwww キリスト教は、キリスト教、・・・仏教は仏教・・・ それぞれの良いところを認め合い、別の道を歩めば良いものを・・ 何故かこのスレに群がってくるオカルトバカ達は、うどんとラーメンを 一緒に混ぜて食おうとするww
683 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/05(火) 10:10:31.55 ID:q+fM9huN
大体よ、相互依存だの縁起だのアホみたいにわめいてるがよ、 この現象世界で男がいなくなったら直ちに女もいなくなるのかよ。 理論的にはなんとか細胞なんたらの技術を応用して女だけ生み出す精子 を製造して人工授精で女だけの世の中を作り出すのも将来的には 可能なわけだ。竜樹の相互依存の縁起が正しければ不可能なはずだが可能なわけだ。 竜樹の相互依存の縁起論はこの現象世界では当てはまらないのは 子供だってわかりそうな理屈なのに言葉遊びでしかない中論をベースにいい気に なっている末法仏教徒はまことに救いようがない。繰り返すが竜樹の相互依存の縁起は あくまで識別智である「言」の性質を言っているに過ぎない。そして竜樹のアホは 創造主のロゴスを知らずに言葉遊びだけをしている。おまけに一元(真我)を認めず 二元世界だから時間が流れているのに一元の立場で時間の流れはないなどと抜かしている。 そりゃ一元の立場だと去りつつあるものは去らないわな。だが他者がいるとそいつは 去ってるんだよ。ようあんな言葉遊びに過ぎない中論などで陶酔できるものだ。皆アホちゃうか。
684 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/05(火) 10:17:43.67 ID:q+fM9huN
>>682 どこがピントはずれなのか具体的に指摘してもらおうか。
仏教を語るスレで業報輪廻転生の話はするなというキチガイのおまえにできればな。
ちゅうか原始仏典を読めば元々ゴータマの教えはオカルトの要素を多分に含んでいる。
普通の人が普通に読めば普通にそう読める。そう読めないのは唯物末法仏教の
詭弁に毒され、仏典を読んでもエゴで曲解して読むことしかできないお前らだけだよ。
オカルトの話が嫌ならお前が仏教から去れよ、エゴの塊のキチガイ。
685 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/05(火) 10:29:47.55 ID:q+fM9huN
俺は別にゴータマの仏教自体は批判していない。 俺が批判しているのは邪見をばら撒いている唯物末法仏教と、 仏教をただの言葉遊びにしてしまい、まともな会話すら困難な 空理空論中論教患者の人達だ。もっともあえて混乱と後世には末法の世を 作りだすとしか思えない肝心なことは曖昧に、むしろ語らず方便だらけの ゴータマさんの説法には批判的だけどね。ま、仏教そのものが エゴをこよなく愛する唯物論者の悪人共からヴェーダを守る為にできたものだから しょうがない。無我思想などあえて誤謬を招くような説法をしているが 選ばれた人達にはわかるよう、惑わせないよう間違ったことはいっていないところが 肝だな。仏教は民族的に無神論者の割合の高い東洋人の間で広まり 発祥の地であってもアーリア系のインド人の間では廃れ、現代種の代表である 白人の間では全く広まらなかったところが非常に興味深い。仏教は君ら悪人から 真理を守るために造られたようなものなんだよ。さしずめ仏教を語るスレで 業報輪廻転生の話はするなというエゴ丸出しのピーマンは悪人の代表格だろ。
686 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 10:29:58.74 ID:7Xm6E+K6
>>684 >どこがピントはずれなのか具体的に指摘してもらおうか。
wwwwwwwwwwwwww 今まで、一代を始め、多くの仏教徒から「指摘」されまくってるのに
このキチガイときたらwwwwwwwww
「実体論」の視点から、仏教を批判しても意味無いとあれほど言われても分からん
キチガイにどう説明したら良いの??wwww
よしわかったw んじゃ、こんなのどう?w
>普通の人が普通に読めば普通にそう読める。
オカルトに狂った人が、そのキチガイ脳で読めば、 オカルトファンタジー物語に読めるw
・・・・これなら分かる?wwwwwwwwwwwwwww
687 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/05(火) 10:37:58.77 ID:q+fM9huN
>>686 だから俺も実体論など言ってないだろうがよ!
どこまで言ってもメクラはメクラだ。面白いものだ。
いままであれだけわかりやすく教えてあげてるのに違う人達は
一向に理解しない。この人達は見える目があるのに見えず、聞こえる耳があるのに
聞こえない。まことにお前は救いようがないよ。
688 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 10:39:15.33 ID:7Xm6E+K6
>さしずめ仏教を語るスレで >業報輪廻転生の話はするなというエゴ丸出しのピーマンは悪人の代表格だろ。 あと、過去の経緯を知らない人が見て、誤解するといけないので言っておくが オレは、「輪廻業法論」を「仏教という一宗教内の教義上の話として、その是非を 語ることに批判的コメントをしたことは一度もない。」 その「宗教の話」という範疇を飛び越えて、「それが仏教徒以外にも妥当する 真実の現象の話」という立ち位置からの主張には、「それが現実に引き起こしている 弊害」から、それは良くないよ と良識あるスタンスを仏教徒側に求めてきたw その線引きは、ちゃんとしてるんだがねww まあ、うどんにラーメンをぶち込んで、うまいうまいと言うキチガイには わからんだろうがwwwwwwwwww
689 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 10:41:01.36 ID:7Xm6E+K6
>だから俺も実体論など言ってないだろうがよ! わ〜〜〜〜〜〜〜ww キチガイの上に、ウソつきだあああああああああwwwwwww
690 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/05(火) 10:42:57.77 ID:q+fM9huN
スッタニパータなど原始仏典を読んでどこをどう読めば ゴータマは業報輪廻転生など説いていないとなるか理解に苦しむ。 説いていないと読めるのは末法仏教徒や詭弁で飯食ってる三流宗教学者 の能書きに毒され己の捻じ曲がった強烈なエゴで曲解して仏典を読んでる者 だけだろう。ま、詭弁に陶酔するのは精神性の低い君らの種族じゃしょうがない かもしれないが。
691 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/05(火) 10:45:40.73 ID:q+fM9huN
>>689 おまえに理解力が無いのだけは、わかる人にはわかるだろう。
お前はキチガイだが、俺はお前も愛しているよ。なぜならお前は俺自身だから。
おやすみだ、キチガイ。
692 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 10:52:25.39 ID:7Xm6E+K6
>スッタニパータなど原始仏典を読んでどこをどう読めば・・・ www スッタニパータの有名な文 師は答えた 「キチガイカラスは永遠に真実を了解することがない。 神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」 wwwwwwwwwwww
693 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 10:53:33.90 ID:K6e3R2Sd
>>690 >スッタニパータなど原始仏典を読んでどこをどう読めば
>ゴータマは業報輪廻転生など説いていないとなるか理解に苦しむ。
今このスレでそういう人はほとんど居ないと思うよ。
ズレてるというか、相手が何を言ってるか読まないんだろうけど。
それより、世界創造主、あるいは第一原因としての神のようなものを仏教じゃ認めないけど、カラスはそれが釈尊の仏教だと認めるのかい?
694 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 11:01:54.12 ID:7Xm6E+K6
>なぜならお前は俺自身だから。 うわ〜〜〜〜、気持ちワルいww 「ルシファーさま、助けてください。キチガイカラスが、気持ち悪いことを 言って私を苦しめます。・・・ラーメン」
695 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 11:39:19.96 ID:IN/64hR3
>>681 :パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 10:02:22.56 ID:7Xm6E+K6
>
>>676 >>アインシュタインは自然の法則(縁起の法に含まれる)の立法者を間接的に「神」と呼びました。
>
>「立法者」・・・・・・ こういうところが実に姑息でカスと言われるところww
(元文章)
There are not laws without a lawgiver(立法者), but how does this lawgiver look(どう見える)?
貴兄のハンドルはスッタニパータの悪魔ですが、親鸞曰くの善人のようですね。
696 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 11:48:00.12 ID:JcP38DJd
>>676 スピノザのいう神とは、「自然に宿る」のではなく「あるがままの自然そのも
のが神」。「立法者(lawgiver)」は「自然自体」。「神即自然」とは、「神、
換言すれば自然」の意味。英語の「or」の意味を調べられたし。
697 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 12:02:58.38 ID:JcP38DJd
>>688 >その「宗教の話」という範疇を飛び越えて、「それが仏教徒以外にも妥当する
>真実の現象の話」という立ち位置からの主張には、「それが現実に引き起こしている
>弊害」から、それは良くないよ と良識あるスタンスを仏教徒側に求めてきたw
>その線引きは、ちゃんとしてるんだがねww
その「良識あるスタンス」が、「たとえ殺されても」不可能なのが、宗教洗脳という
「精神病理」なのだよ。ここの釈迦カルト、イエスカルト、キリスト教の殉教者、
チベットの焼身自殺者、中東の自爆テロリストの姿を見よ。宗教自体を撲滅する
以外には方法はない。その武器が、中論という「宗教破壊の宗教」。だから、
釈迦カルト、イエスカルトは中論に怯える。
698 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 12:07:14.63 ID:JeaxlBY3
カラスとかいうのはなんで上から目線で偉そうなの? 関東連合からリンチされればいいのに
699 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 12:10:01.91 ID:K6e3R2Sd
>>697 というのが生命教の妄想だって、何度言われても頑なにがなりたてる
その頑迷さを哀れんでも怯える真っ当な仏教徒はいないと思うよ〜
700 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 12:22:00.56 ID:IPT6RaMm
同じ誤解こじつけに同じ突込みがされ、それを認めないための強弁を行い同じ突っ込みがなされ 振り出しに戻って以下同文 一在家とパーピマンのやりとりは延々これだな。
定義の説明には事実に即していて簡単で分かりやすいたとえがあると理解が容易になります・・・・・・んふふ
702 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 12:25:24.11 ID:IN/64hR3
>>696 >「神即自然」とは、「神、換言すれば自然」の意味。英語の「or」の意味を調べられたし。
(心の哲学まとめWiki)
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/84.html 哲学者で神学者のスピノザの形而上学で中心をなす考えは、唯一の実体である神だけが存在し、その実体は「思考」と「広がり」という属性を持っているというものである。
我々人間の意識も神の一部だとされる。心の哲学においては、スピノザの哲学は中立一元論とみなされる。(中略)
多数の人々の身体は個別的であるよう見えるが、自然・神の一部として、唯一存在するシステム全体の構成要素として理解するのが正しく、多数の人々の心も神の無限の知性の一部として、システム全体の構成要素として理解されるのが正しい。
703 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 12:28:39.17 ID:IN/64hR3
>>700 >一在家とパーピマンのやりとりは延々これだな。
私も親鸞曰くの善人なのでしょう。
この5年以上の間、仏教板での議論を通じて時々非を認め、少しずつ変化(縁起)してはいます。
>>パーピマン氏
>>698 氏
カラス唄のことは気にしないことです.
この人は、キリスト教の創造論から抜け出せないし.そのつもりもない人です.
ユダヤの創世神話をベースに仏教を受け入れられる道理がありません.
カラス唄本人が了解出来ない仏教をデッチ上げて.その仏教を批判しているだけの哀れな人です.
>>エゴ丸出し >>エゴの塊のキチガイ >>アホみたいに >>言葉遊びだけをしている >>屁理屈たれ etc
・・全部カラス唄本人に当てはまる事ばかりでしょう.
1/3は3つで1になりますが1/3=1とすると1=3になります。 1/3は10進法だと少数イカ0.333の無限なのですが存在します。 数学的に整数であっても物体として存在しないこともあります。 何を単位にするかで変わりますというお話です。
706 :
妙信 本願寺 :2013/02/05(火) 12:55:14.51 ID:u9b6R1Mc
檀家まわりおわたできてやった 今日もえんえん素人さんはやってのか 仏説じないよこなものは
707 :
仏道とはなまぐさ坊主丸儲け道 :2013/02/05(火) 12:55:24.24 ID:sP28QYzP
仏教の一切を知ってお弔いのお経を読むのは難しいいでしょう。 ただお葬式で読むところだけ丸暗記で読むのが最初のあれですか?
709 :
仏道とはなまぐさ坊主丸儲け道 :2013/02/05(火) 13:04:13.67 ID:sP28QYzP
>>706 (妙信 本願寺)
プロ坊主なら当然解けるはずの以下の公案に応答せよ。
曰く、
『昔、婆子あり、一庵主を供養し二十年を経たり、常に一人の二八女子をして飯を送って給持せしむ。
一日女子をして主を抱かしめて曰く、正に恁麼の時如何と。
主曰く枯木寒巌に倚る三冬暖気無し。女子婆に挙似す。
婆曰く我れ二十年祗箇の俗漢に供養せしかと。遂に遣出して庵を焼却す。』
・妙信 本願寺が一庵主なら女子を如何にしたか
・婆の行いを批評せよ。
__  ̄ ̄ ̄二二ニ=- '''''""" ̄ ̄ -=ニニニニ=- ♪ ∧ ∧ _,,-''" (*‘ω‘*)) )) ♪-''"; ;, (( ( つ ヽ_,,-''"'; ', :' ;; ;,' ♪ 〉 とノ'", ;,; ' ; ;; ': ,' _,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :' ┼ヽ ヽ/ レ | _,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :' d⌒) (__ ノ
711 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 13:15:40.78 ID:JcP38DJd
>>699 思考停止の「テキスト乞食」「注釈書乞食」には、何も分るはずがない。
釈迦カルトの注釈者たちは、中論をひたすら釈迦の「無我という妄想」に合致
させるために努力していることも看破できないのか。
712 :
仏道とはなまぐさ坊主丸儲け道 :2013/02/05(火) 13:30:19.22 ID:sP28QYzP
>>706 (妙信 本願寺)
以下で参考ヒントとして、プロ禅僧一休宗純の応答を提示しておく。
プロならこのレベルは当然だろ?
老婆心為賊過梯 老婆心、賊の為に梯(かけはし)を過(わた)し、
清浄沙門与女妻 清浄の沙門に女妻を与う。
今夜美人若約我 今夜美人、若(も)し我と約せば、
枯楊春老更生稊 枯楊(こよう)春老いて更に稊(ひこばえ)を生ぜん。
妙信 本願寺 逃げるなよ!
逃げやがったら、お前のお仲間浄土真宗の坊主どもを嘲り笑いしてやる。
713 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 13:45:49.33 ID:IPT6RaMm
相手の文章を読まないし、相手がなにを指して言っているかも 読む気がないのならアンカーなんてつけなくていいと思うよ。
714 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 13:54:31.01 ID:8rPM/JJu
>>679 >この二元世界で善の修行を完成させたものが、君らの大好きな善悪のない中道の境地に赴けるわけ。
この説法なら、小賢しくも愚かな、我々現代人を納得させられるでしょう。
古人なら儒教や阿弥陀仏にその善の根拠を求めることができたのでしょうが…。
人は所詮、社会的生き物であり、社会を無視して、
自我の赴くまま好き勝手な行動をすれば、悟りを得る前に社会に殺されてしまう。
有無も言わさぬ善の教えは、いわば、自己を守る卵の殻。
卵の殻に閉じこもっているだけでは、いつまでたっても絶対的自由の境地を得られないが、
そのかわり、社会の中で生きている限り大きな失敗もない。
715 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 14:17:34.47 ID:Z34nabS8
>>709 よこちん
この庵主はなんで抱いたまま居られないのだ。
しかも余計なことまで言って話にならない。完全失格
婆にしても狙いはいいけど人権侵害だろ、自分で抱きつけ。
716 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 14:23:18.38 ID:Z34nabS8
「善を思わず悪を思わないとき、あなたの本来の面目はどこにありますか?」 っていったのは慧能だったか
717 :
仏道とはなまぐさ坊主丸儲け道 :2013/02/05(火) 14:24:57.93 ID:sP28QYzP
>>715 >庵主はなんで抱いたまま居られないのだ。
>婆にしても狙いはいいけど人権侵害だろ、自分で抱きつけ。
白隠なら、お前は即破門、追放だ。
718 :
714 :2013/02/05(火) 14:35:03.54 ID:8rPM/JJu
有無も言わさぬ善の教えといえば、 砂漠で生まれた絶対神のわかりやすさ、広がりやすさというのも理解できる。 もっとも、その神は、永遠に人を支配し続ける神でもある。 だから、西洋人は、近代化の過程で、神を殺す必要があった。 中世の王侯貴族の一部は、悪魔と手を結んで絶対的自由を手に入れようとした。 ※臨済和尚は 「仏に会っては仏を殺せ」 と言ったが、これは、禅の修行僧に言ったのであって、 ニーチェが社会全体に向けて言った切迫感、与える影響は異なるものと思う。
>>709 枯木なら、寒さを前に抱きつくこともなかったのではないかな
厳とした寒さの中でさえ寡黙に佇んでいるのだから
抱きついて暖かい思いをしたなら、婆に対して礼ぐらい言えばよかったのにな
寒厳とした中で浮ついた気持ちもない枯木なんて言ったら婆はどうなんだよww
わしのことかーッ!てなもんだよ
__  ̄ ̄ ̄二二ニ=- '''''""" ̄ ̄ -=ニニニニ=- 7゚| _,,-''" | ミヽ_ _,,,-''"; ;, `TT ,,-''"'; ', :' ;; ;,' _,,-'''"´ ;,; ' ; ;; ': ,' _,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :' ー‐ ヽ_ノ レ | _,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :' 、_, (_ __ノ
721 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 15:41:37.79 ID:IN/64hR3
>>704 :Johannes氏
>この人は、キリスト教の創造論から抜け出せないし.そのつもりもない人です.
>ユダヤの創世神話をベースに仏教を受け入れられる道理がありません.
カラスさんは神智学やグノーシスに近い智慧を最重視する人だと私は思っておりました。
その場合は、旧約聖書の神話は関係ないかと存じます。
722 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 15:57:47.60 ID:K6e3R2Sd
723 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 16:13:45.54 ID:sP28QYzP
49 : クロアシネコ(香川県)[sage] : 投稿日:2013/02/05 12:27:44ID:UdaJDCB20 [2/11回(PC)]
>>36 見習いにはいらない
正式な住職になるには大抵地獄みたいな修行させられる
禅宗とかなら刑務所より厳しい環境で2〜3年
ニートは絶対逃げ出す
真言宗も厳しい
浄土真宗は元々厳しいことを否定する考えの宗派なので少しゆるい
80 : カラカル(東京都)[sage] : 投稿日:2013/02/05 12:52:33ID:KOLmZM310 [1/6回(PC)]
>>49 修業経験者だけど
そこまで過酷な修行じゃないけどなあ
朝3時とかちょっと起きるの早いけど寝るのも9時と早いし、まあ日によって11時とか0時とかだけど
テレビもラジオも新聞も無いけど無きゃ無いで別にどうって事も無いし
食事は肉も魚も卵も酒も無いけど、その分薪で炊いたご飯とかやっぱりおいしいし
日中は労働作業で適度にストレス解消できるし、クタクタに疲れる事がほとんどだけど
朝晩の座禅も足腰は痛くなるし理不尽にぶっ叩かれるけど、慣れれば健康法みたいなもんだし
基本的に自分の時間は無いけど、まあそういうもんだし
先輩から無意味に罵倒とかされるけど、やっぱそういうもんだし
零下超える時に暖房無しで布団一枚で寝るのはさすがに堪えたけどね、布団からはみ出た頭冷たくて
724 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 16:31:44.79 ID:K6e3R2Sd
>>723 >真言宗も厳しい
オイラの感覚ではそれほど厳しくない
例えば、五体投地を真言宗では加行で一万回以下しかやらないけど、
チベットだと最低十万回以上やる
篭りも100日程度だけど、チベットだと三年以上篭る
それとそういう体育会系の厳しさは本質的に仏教の修行と関係ないでしょう
725 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 16:34:35.44 ID:JeaxlBY3
>>723 このスレと似たとこもあるな。
生命教やカラスに無意味に罵倒されるし(笑)
禅寺と違うところは生命教やカラスは多分カラアゲくん食べながら罵倒してる(笑)
726 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 16:42:04.32 ID:K6e3R2Sd
>>725 >禅寺と違うところは生命教やカラスは多分カラアゲくん食べながら罵倒してる(笑)
禅寺では古参は隠れてなら食べてるかもしれない
セブンどうよ?
727 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 16:52:37.97 ID:JeaxlBY3
寺って世間からのハミだし者も紛れてるよな まぁ出家なんだからそういもんだけど 心の清らかで優しいのはああいう生活しなくても自制がきくし
728 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 16:55:37.09 ID:K6e3R2Sd
>>727 数少ないけど、本当にいい寺はいいよ
そこにいるだけで慈悲に溢れ、心は鎮まる
来世はそういう寺で出家し修行したいもんだ
729 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 16:56:50.21 ID:JeaxlBY3
真剣に仏法を求める人や反省心(菩提心)の芽生えた無法者が修行するなら禅寺は理想の環境。 世襲するために坊主の息子が職業的に禅寺入ると逆に根性曲がりそう
そもそも仏法以前の話。 仏とは何であろうか? この時点で既に無明であると言える。 仏の定義もないのに仏法もクソもない。
>>721 それは思い違いでしょう.少なくとも私はそうは考えない.
現在.私はキリスト教グノーシス派の立場を取って居ります.
カラス唄は旧約創世神話を文字通りに受け入れている訳ではないが.思考の枠組みを離れていない.
存在・命・自我・救い.これらについて.彼は旧約創世神話の思考ロジックを維持している.
由来は釈迦以前からある解脱論に由来していると思われる。 仏教トータルで考えると、この世の理を知る者であり、 この世を嫌う者であるが、同時にこの世に対して満足しきった者である と捉えられる。 故に来世に望みというものがなく、即ち解脱できるということである。 解脱したいなら、やり残したことはやっておけと言えるだろう。
ひまなやつ疲れたやつは禅寺に1週間お泊りをオススメする 何も無いところは気持ちいいよ
>>733 それで満足できるなら解脱に対して効果があると言えるだろう。
解脱すれば来世は無いから、未練たらたらなら解脱しない方がいいだろう。
悟っても保身のためにいじめを隠ぺいしたりするんだろ? 仮設された保身という動機のために
>>726 厳しい所なら、或る程度の年数経た者だけだろうけど、
今は、基本的に新到でも可能だよ。
堂内・常住とか、生活形態の説明からしなきゃならなくなるけど、年単位の合宿所だから。
グループリーダーや直属の先輩の考え方や人柄で変わるしね。
隠れてコソコソは、いつの時代もどこの場所でも可能なことと思うよ。
(夜行という言葉もあるし、大っぴらになる(隠れて云々でなくていい)ケースもあるしねw)
*(今、叢林の在り方は派を超えて検討が始まってるしw
それは、『どこまで時代に合わせるか?』 という、超難問なわけだけど。)
総じて言っても、弁事という外出機会もあるし、姫叢林という言葉があるように、
実は、大して厳しくはないよねw
>>727 ま、修行道場なんて、社会生活不適合者が集う所だけどなw
食料もってキャンプでもおk
日常が閉鎖したものであれば 環境を変えるのは閉鎖からの開放といえます
>>736 >ま、修行道場なんて、社会生活不適合者が集う所だけどなw
すげーわ、真理だわ!
即ち世俗とは正義だ悪だ保身だ神だとか何かと騒がしい雑音に過ぎない。 雑音を避けるために人里離れた山に篭ったり、廃墟と化した空き家で 一人静かに瞑想するのは自然の理かもしれないが、知らない人が見たら とても怖い光景に写るだろう。
つまり、精神病患者の解放治療場
743 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 19:53:57.42 ID:JeaxlBY3
禅寺は意欲はあるけど社会不適合者な人に向いてる トラウマで心病んでる場合は心療内科くらいしか今の医学、宗教ではふさわしいとこない
>>743 若者やタフな人間しか務まらないのが、現代叢林の弱点だろうね。
しかし、仏教の本懐とは転生輪廻の終焉(=解脱) これだけは、紛れもない事実として受け取らなければならない。 極めて精神病患者的空想と言えるのも事実である。 しかし、仏教側から見れば転生したい方が精神病患者というのも また事実には違いない。
お前ら転生したいか、したくねえのかを問うだけのものであり、 ここに興味の無い者は完全なる部外者と言えるのが事実である。
747 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 20:13:14.43 ID:K6e3R2Sd
今まではよく分からないものを宗教に任せて引き受けてきたけど これからどうするんですか?
悟り云々言うヤツは何を悟ったか、まず言え テキスト通りの我の勘違いとするなら黙れ その見解は勘違いを示している。
750 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 20:21:24.45 ID:JeaxlBY3
イジメはよくないの前提だが、 悟った先輩坊主がイジメられっ子を助ける世界観では未だ分別の世界観 イジメられっ子からの働きかけもあってしかるべきだよな 弱ってる立場には残酷かもしれないが
751 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 20:22:45.69 ID:K6e3R2Sd
>>749 ここで語って通じなかったり、叩かれたりすることで自分が悟ってない事に
気づけるんだと思うw
悟ってれば(理解してれば)釈迦なみに優雅に説得できるはずだ(^_^.)
>>748 面倒くさいことは葬式屋(寺)にまかせればおk
苦しみあれば神様仏様にすがっておk
科学のことは科学者にまかせればおk
自分の身の回りのことは自分にまかせておk
>>752 だいたいがスピリチアル的優雅演出をするだけか、
僕悟ったよあーしてこーしてこーなったのと言うだけのものであり
何も説得に値するものではない的気色悪さは拭い去れるわけがないw
>>747 ところで、
普賢行願讃の音読は、華厳経の版本見るしかない?
経本として出回ってないみたいだけど。
756 :
妙信 本願寺 :2013/02/05(火) 21:53:20.65 ID:RWHHOUjW
素人のばかどもがまたむつかし本の話ばかりして日をおえてるよ くそ素人どもさわいでればいいよ 日本語ざないの言ってもわけわからだよ 檀家のばばあから連絡あり年忌をはやめてくれだと 仏壇にばばあがペンキぶかけたから子孫にるいが及ぶといい買い換えさせてやるだ 仏壇やにも話にいてくる これが信仰をつけりということ 仏説 あほ素人さんは本にうもれてなちゃい
757 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 22:30:28.30 ID:K6e3R2Sd
>>755 う〜ん、すまんです。そういう方面は弱くて
真言宗常用経典に最初の七支供養の一部は載ってるけど
>>738 空、縁起、仮設というのは世俗の価値観とは無関係、または中立だろ?
正義を行うものもいれば、悟った悪人がいてもおかしくはない。
>>747 なぜ、悟ったら悪をなさなくなるんですか?
759 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 22:47:27.31 ID:K6e3R2Sd
>>758 >空、縁起、仮設というのは世俗の価値観とは無関係、または中立だろ?
違います。仮設というのは世間的言い習わしに依って縁起するもので、
その本質は空、中身空っぽで幻のようなものですが、
世間的な因果の効用はあるのです。
>なぜ、悟ったら悪をなさなくなるんですか?
我意識がなくなり、自他平等で自然に慈悲が出て一切智によって相手が何を望み、
どんな業を持ち、どんな障害があるか分かるので。
>>758 そか・・。
仕方ない、自己流でいくか・・w
761 :
どちらも大事 :2013/02/05(火) 22:55:11.21 ID:JeaxlBY3
身は是れ菩提樹にして 心は明境台の如し 時々勤めて払拭す 遺すに塵埃あることなかれ by 神秀 菩提もと樹なし 明境また台にあらず 本来無一物 いずれの処にか塵埃有らん by 慧能
762 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 23:04:05.08 ID:JeaxlBY3
>>759 あなた自分のわからないことまで語りましたね?
763 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 23:08:38.73 ID:K6e3R2Sd
>>762 私はテキストによって語ってるだけなので
体験から語ってるわけではありません
しかし、レスは全てスルーしてここだけ突っ込むとはw
764 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 23:12:50.00 ID:JeaxlBY3
>>763 でしょうね。
体験から語ってる
>>758 にテキストからの返答で、
「違います」と断言する姿勢はどうかと思ったのでレスしました
765 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/05(火) 23:14:49.04 ID:a879NR56
たった一つの赤色を知った人は、無数の赤色すべてを理解できるようになる。 たった一つの悪を完全にとどめたならば、同時にすべての悪をとどめることになる。 そのようにしてすっかり悪を取り除いた人は、二度と悪に染まることがない。それで、彼をバラモンと呼ぶ。 ***
766 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 23:19:22.00 ID:7Xm6E+K6
>>695 だから、何でその一文だけを抜き出して誤謬を誘うようなことするの?www
お前が引用した英文は、それ以外はことごとく、「意識ある超越者の存在」を否定している
のに、そこには全く触れないだろうが?w
そういうところが姑息と言われるんだよw
文全体を読めば、それは単なる修辞上、そのように表現しているだけであり、
アインシュタインが「そのような超越者」の存在を肯定してたものでないことは
明らかなのに、そこは全く触れないww
いいか? お前のやってることは
→「ある著名な無神論者が、戦争が繰り返えし起きている現状を嘆いて、
『何故、神は悲惨なる戦争を止めないのか? 神は留守なのでしょうか?』
と発言したことに対して、
キチガイ宗教者が、その発言の語彙だけを取り上げ、文全体の趣旨も顧みず、
『皆さん、聞きましたか? ・・・氏も神の存在を前提とした発言をされました。
・・・氏もやはり、神の存在を認めているのですね。』
・・・・・とやるようなものw」
>>766 宝珠もカラスも、
一在家のそういう態度を不問にしてるもんなw
お互い様でもあるのか知らんがw
大事な仲間だからと不祥事を見て見ぬフリする所も、類友かね・・ ┐(´ー`)┌
768 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/05(火) 23:27:14.93 ID:7Xm6E+K6
その姑息な自己正当化の癖をなんとかせいww よくそれで、宗教者を名乗れるものだww 何度、誤りを指摘されても、同じことを繰り返すww 相手の指摘が間違いであると思うなら、それに対して反論するなり、適切な 方法で自己の主張を述べれば良いものを、このカスは、そういうことを 一切せず、のらりくらりと逃げ回るww そして、ほとぼりめた頃、また繰り返すwww 確か、乳製品がなんちゃらとかいう話もセブンに散々叩かれても、 お前は一向に改めんわけだwwww お前は、まず、自分の頭に手かざしして、治してから書き込めwwwwwwww
769 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 23:32:14.74 ID:sP28QYzP
>>756 ((妙信 本願寺)
プロ坊主なら当然解けるはずの以下の公案に応答せよ。
曰く、
『昔、婆子あり、一庵主を供養し二十年を経たり、常に一人の二八女子をして飯を送って給持せしむ。
一日女子をして主を抱かしめて曰く、正に恁麼の時如何と。
主曰く枯木寒巌に倚る三冬暖気無し。女子婆に挙似す。
婆曰く我れ二十年祗箇の俗漢に供養せしかと。遂に遣出して庵を焼却す。』
・妙信 本願寺が一庵主なら女子を如何にしたか
・婆の行いを批評せよ。
妙信 本願寺 逃げるなよ!
逃げやがったら、お前のお仲間浄土真宗のプロ馬鹿坊主どもを嘲り笑いしてやる。
因果応報という言葉を使えば人間という存在について それ程虚無な事は無い。しかしそれは仏教で使われる言葉 でございます。理由は善人もいずれは悪人になるのだから 同じ状態が続かないなら善行を施す人間に恨み嫉妬する ならば善悪は一体でありいわゆるシーソーゲームを繰り返 すだけではないのか?では生きているビジョンを描く理由 は無い。
771 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 23:33:24.42 ID:IN/64hR3
>>766 パーピマン氏
>お前が引用した英文は、それ以外はことごとく、「意識ある超越者の存在」を否定している
>のに、そこには全く触れないだろうが?w
(経緯)
・前後の文脈では賞罰を与える人格神は否定しております。←両者の共通見解
・「スピノザの神は信じている」というアインシュタインの言葉を先に見つけたのはパーピマンさん。
・スピノザの神は「神のみが実体(自性)」という神学論を調べたのは私。
・それ以降は「スピノザの神は信じている」に触れないパーピマンさん。
貴兄も私も親鸞曰く「善人」のようですので止論と致したく(←2回目)。
>キチガイ宗教者が、その発言の語彙だけを取り上げ
悪魔のハンドルの方に「基地外」と呼ばれた場合は、否定の否定でしょうか。
772 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 23:40:06.75 ID:sP28QYzP
>>756 >仏壇にばばあがペンキぶかけたから子孫にるいが及ぶといい買い換えさせてやるだ
>仏壇やにも話にいてくる
それを心霊商法というのだぞ、浄土真宗のプロ詐欺師坊主!
細木数子と同じ、詐欺師の行ないだ!
>子孫にるいが及ぶといい
根拠を言ってみろ、 心霊詐欺師!!
親鸞はそんなことを教えたのか?
答えろ、ゴキブリプロ坊主!
773 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 23:40:47.14 ID:8rPM/JJu
>>770 >では生きているビジョンを描く理由は無い。
自分でビジョンを描いて決めるしかないってことじゃね?
神に描いてもらうわけではなく。
別にビジョンなど描かなくても、人類は存続するだろうが、
文明を築き、『人間としていかに生きるべきか』と人類が考え及んでしまった以上、
それを止めることはできないのではないかな?
なにかを目指して進歩している、それが、あるがままの人の姿なんでしょう。
まあ、人類に限らず、地球生命は進化し続けているわけだが…宇宙でも目指しているのかな。
774 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 23:48:05.65 ID:IN/64hR3
>>771 >・「スピノザの神は信じている」というアインシュタインの言葉を先に見つけたのはパーピマンさん。
>・スピノザの神は「神のみが実体(自性)」という神学論を調べたのは私。
この板で法(ダルマ)ですら無自性、縁起と言われた方がおり、私は否定的なスタンスでした。
唯一の実体(自性)のスピノザの神ならば、定義上は縁起の法(無自性)すら設定できることになります。
アインシュタインが「法(law)を設定した立法者(lawgiver)を神と呼んだ」=「スピノザの神を信じる」という等式が成り立ちます。
以上、証明終了にて議論寂滅。 合掌
775 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 23:48:12.08 ID:sP28QYzP
>>771 (前世は一在家)
喜べ! お前と同じ妄想心霊主義の詐欺師カルト<妙信 本願寺>がいるぞw
この浄土真宗プロ詐欺師坊主は、お前らカルトとおなじく、
“ばばあ”の身ぐるみを剥ぎにいく算段をやっていやがる。
776 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/05(火) 23:57:20.23 ID:IN/64hR3
>>774 >この板で法(ダルマ)ですら無自性、縁起と言われた方がおり、私は否定的なスタンスでした。
>唯一の実体(自性)のスピノザの神ならば、定義上は縁起の法(無自性)すら設定できることになります。
唯一絶対神=法則の設定者、と分かり易く定義しておきましょう。
言霊的には法=掟=置き手(手を置く、設定する)という意味合いがあると伺っております。
777 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 00:01:34.02 ID:IN/64hR3
>>775 >喜べ! お前と同じ妄想心霊主義の詐欺師カルト<妙信 本願寺>がいるぞw
Q.妙信氏の発言のどこが心霊主義的ですか?
極めて現実的で、売上と利益を日々考えながら仏教ビジネスをしているだけのように見えますが。
778 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 00:04:53.85 ID:sP28QYzP
>>777 詐欺心霊商法カルトという点では共通している
779 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 00:06:35.54 ID:IfeDeXCR
>>774 いずれにしろ、(アインシュタインやスピノザの神観は)、
とりあえず仏教とは無関係、 ということには異論は無いよな?w ( ̄ー ̄)
781 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 00:08:03.47 ID:IfeDeXCR
>>776 >この板で法(ダルマ)ですら無自性、縁起と言われた方がおり
それは俺だが、文句あんなら言ってみな。
782 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 00:15:14.90 ID:TwYIOWrv
>>778 >詐欺心霊商法カルトという点では共通している
私どもも先祖供養は大切にし、仏壇よりも位牌を重視しております。
位牌を通して先祖霊が食物の気を吸うというのは教えにあり、信にて実践しております。
尚、仏壇屋は信者でもなく、紹介料、リベートも一切無いので商法=商売にはならないでしょう。
783 :
前世は一在家 :2013/02/06(水) 00:24:06.27 ID:TwYIOWrv
>>780 >いずれにしろ、(アインシュタインやスピノザの神観は)、
>とりあえず仏教とは無関係、 ということには異論は無いよな?w ( ̄ー ̄)
はい、異論はございません。 よって止論。
>>781 >それは俺だが、文句あんなら言ってみな。
文句ではなく見解は提示済みですよ。
>>676 >私は縁起の法は自性だと考えます。
>もし空性(変化、無常)であれば、<IF これあれば THEN あれありとは限らず>になるからです。
自性=他によって存在しないもの、と定義しておきます。
784 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 00:30:16.06 ID:IfeDeXCR
>>783 >はい、異論はございません。 よって止論。
なら、二度と
《「アインシュタインは神を認めていました」という言辞で、真我や宇宙意思の存在を主張》するなよ?
仏教ではそれらを認めていないのだから。
貴方はよく、そうした超常的超人的存在の可能性の一例として著名人の発言を取り上げるが、
仏教とまったく関係ないのだから。
いいか、二度と引用するなよ。
786 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 00:42:04.47 ID:IfeDeXCR
>>783 ><IF これあれば THEN あれありとは限らず>になるからです
それは縁起の直接現実に<言語論理→実体視>を持ち込む分別論でしかない。
空性の見解にほかならない。
・「あらゆる見解を脱するために、勝者(仏)によって空性が説かれた。
一方、人がもしも空性の見解を抱くならば、その人々を治癒しえない人と呼んだのである。」(龍樹・中論13-8)
・ブッダ「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、“最上の<想いからの解脱>において解脱”した人、
──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」(スッタニパータ1072)
アカンやろなあ、一在家はもう洗脳のままでいたほうがエエかもわからんなあw
無駄やねえ。
787 :
前世は一在家 :2013/02/06(水) 00:50:21.31 ID:rfKfVC28
>>784 証拠になっていません。それは妙信さんのことではないでしょう。
よしんばリベートを取っているとして、世の中のビジネスで僧侶だけが
紹介料を禁止されるのですか?それは何故に?
檀家さんの葬儀の場合、葬儀屋さんから御礼代を
頂いてはおりますが、何かまずいとは全く思いませんが。
788 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 00:53:30.38 ID:TwYIOWrv
>>784 >>仏壇屋は信者でもなく、紹介料、リベートも一切無いので
>これはウソ。
>近所のマヒカリ一家の実情を知っている。
私の知り合いにはおりませんが、貴兄の知り合いにはおられるのでしょう。
789 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 00:55:50.95 ID:oTV98IUz
仏教徒の本当の目的は、仏になる、解脱する、悟りを得る。 すなわち、自由の境地を得て、己の肉体や精神を自由自在に活動させることなのだと思う。 しかし、そのような宗教は、一歩間違えば社会から、テロ組織と糾弾される恐れがある。 自由というのは、善行も悪行も思いのままと誤解される恐れがあるからだ。 だから、仏教には戒律があるのだし、仏教徒は慈悲の心で大衆に接しなければならない。 宗派によっては、国家秩序に合わせて、儒教の教えを戒律や教義に組み込む宗派もあらわれたのだろう。 しかし、その教えが、大衆の心を宥めるのなら、阿弥陀信仰も、祖霊信仰も問題ないと思うがね。
790 :
789 :2013/02/06(水) 01:00:12.68 ID:oTV98IUz
誤字った ×大衆の心を宥める ○大衆の心を慰める
791 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 01:01:18.94 ID:TwYIOWrv
>>787 前世は一在家?
>檀家さんの葬儀の場合、葬儀屋さんから御礼代を
ちょっとキャップを外すと、私のおっかけ(ファン)が出てくるようです。
尚、私どもは信者とは言いませんし、まして「檀家さん」とは言いません。
どなたか仏教徒の方のなりすましでしょう。。
792 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 01:06:47.09 ID:IfeDeXCR
>>788 >私の知り合いにはおりませんが
被洗脳者には見えないだけです。
前世は一在家は、もはや「治癒しえない人」(龍樹・中論13-8)なんだから、
はもう洗脳のままでいたほうがエエ。
自説に従って、未来永劫、業報輪廻を勝手に繰り返しとれ。
ご苦労!
793 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 01:07:32.71 ID:TwYIOWrv
>>789 >仏教徒の本当の目的は、仏になる、解脱する、悟りを得る。
>しかし、その教えが、大衆の心を宥めるのなら、阿弥陀信仰も、祖霊信仰も問題ないと思うがね。
輪廻から解脱することは中々難しいようですので、まず肉体の死後に意識が浄土へ入れれば、数百年は楽でしょう。
ゴルフでもホールインワンでなく、徐々にホールへ寄せていくということです。
>前世は一在家さん 私どもも先祖供養は大切にし、仏壇よりも位牌を重視しております。 位牌を通して先祖霊が食物の気を吸うというのは教えにあり、信にて実践しております。 うちの近くには兵隊さんのお墓がいっぱいあります この戦死者は忘れられ お骨もなく南方の島々でです 悲しいですね
795 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 01:12:06.21 ID:TwYIOWrv
>>786 >一方、人がもしも空性の見解を抱くならば、その人々を治癒しえない人と呼んだのである。」(龍樹・中論13-8)
「空性」と「自性」との間違いではないですか。
これだとこの板の半数は「治癒しえない人」になりそうです。
796 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 01:18:59.91 ID:TwYIOWrv
>>794 >うちの近くには兵隊さんのお墓がいっぱいあります
>この戦死者は忘れられ お骨もなく南方の島々でです 悲しいですね
その家の子孫が一人でも居て、その人が「○○家先祖代々の霊位」の位牌にて供養して下さったら、何らかの救いはあると思います。
遺骨よりも肉体を離れた意識の方が大切で、施餓鬼供養の仏説の中で釈尊もある弟子の亡母の意識を見せたそうですね。
797 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 01:26:44.36 ID:TwYIOWrv
>>796 >遺骨よりも肉体を離れた意識の方が大切で、施餓鬼供養の仏説の中で釈尊もある弟子の亡母の意識を見せたそうですね。
目連尊者が自身の神通で亡母を見たけれども、救い方を釈尊が説いたというお話でした。
798 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/06(水) 01:28:25.54 ID:dZ4qGuel
>>771 何言ってんだ? このバカはwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お前は、アインシュタインが、「私はスピノザの神を信じる」と言った意味わかってんの?ww
いいか?スピノザってのは、「汎神論」なんて、生易しい「神概念」の持ち主ではないぞww
『全てが』神という思想だw 人間も道端の石っころも、お前がトイレでするクソも神なのww
全てのものに「神がやどってる」などという「汎神論」ではないのww
全てが神なのww 言い換えれば、「神以外のもの」などひとつもないのww
この意味がわかるか?www 全ての物質は言うまでもなく、概念、思考などの人間の精神作用
も勿論、神ww だから、「人間の自由意思」など当然、否定なわけww
スピノザにしてみれば、神以外のものなど全くないのww
だから、人間も神、ゴキブリも神、毎日、処理される汚物も神wwww
つまり、法則を定めた立法者なんて、概念は毛ほどもないのww
799 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/06(水) 01:31:02.19 ID:dZ4qGuel
言い換えれば、我々の眼前に広がる「自然」も神w つまり、(自然も含めて)全てを「神」と呼んだのw 宇宙そのものを「神」と呼ぶ宗教者も多いが、それww 単なる『呼称の変換』なんだよww だからこそ、アインシュタインは、(キリスト教の神と対比させて) →「私はスピノザの神を信じる」といったんだよww アホか? ったくwwwww
800 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 01:32:28.63 ID:oTV98IUz
>>798 残念ながら、私は死後の意識という、
今の自分では感知しえないものを無条件で信じることはできません。
キリスト教徒に、神を無条件で信じろと言われても、信じることができないのと同じです。
そして、そのようなものを信じなくても、問題は一切無いと確信しております。
問題があれば、そのようなものは人間にも知覚できるはずだからです。
輪廻転生は、単に、身分社会を安定させる方便でしかないとも思っています。
六道はあくまでも、自分の人生における精神状態に限定されるものと考えています。
801 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 01:35:28.76 ID:IfeDeXCR
>>795 >「空性」と「自性」との間違いではないですか。
>これだとこの板の半数は「治癒しえない人」になりそうです。
>>783 は「成りすまし」かw
空見(空性の見解)は空への執着心(捉われ)←間接現実、に他ならない。
802 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 02:00:16.64 ID:oTV98IUz
803 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/06(水) 02:41:09.90 ID:dZ4qGuel
804 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/06(水) 03:06:04.08 ID:FQ2CrA88
中国に、「婆子焼庵」という公案がある。これは、禅宗での取り扱われ方を見る限り真の公案ではないが、これを敢えて公案とすることができる。 この場合、「婆子焼庵」は3つのレベルで解くことができる。 1)修行者の立場で解いて、預流の機縁とするもの 2)老婆の立場で解いて、布施・供養の功徳とそれを行なう狙いを説明し、同時に修行者の心得を体得せしめるもの 3)修行者の立場で解いて、修行者の正しいあり方と、心解脱の認定をはかるもの(理趣経の立場) もちろん、安らぎを求める人は、3)の立場で解くべきである。 ***
805 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/06(水) 03:09:22.89 ID:FQ2CrA88
なお、1)の立場における回答は簡単である。 → 修行者は、どんなことがあっても修行に勤しむ心を正しく保たなければならない。それが確立されているかどうかが修行の要諦である。 そこで、娘への返事はたとえば次のようになるだろう。 『あなたの気持ちは嬉しいし、実際に心地よい。それを承知の上で、しかし、私はどうしてもこのまま修行を進めて覚りたいのです。』 ***
806 :
SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/06(水) 03:11:49.74 ID:FQ2CrA88
2)の立場で解く場合には、シチュエーションの綿密な想起が必要となる。これは、歴史の事実を再現することに繋がっている。 3)の立場で解くのは容易ではない。しかしながら、功徳を積んだ人は、これをこの立場で通過するだろう。 ***
807 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 03:30:35.09 ID:3wmgKElB
>>798 つまり「立法者(lawgiver)」とは、人間を含むこの「自然自体」なのだね。
自然自体を離れた如何なる法則(神)も存在しない。
人間の感情・欲望も、そのあるがままが神。
スピノザもアインシュタインもユダヤ教徒。旧約教徒は、このような思考が
出来るところが凄い。釈迦やイエスには、到底不可能だったこと。
これは、中村博士が「ブッダ・如0来とは、目に見えるこの現象世界」と
解釈したことに相通じる。
そして、その現象世界を認識・把握し得るのは「生命」のみ。従って、
生命が最上位次元となる。
808 :
800 :2013/02/06(水) 03:53:21.18 ID:oTV98IUz
>>793 しかし、いま一つもう少し考えてみました。
死者の霊を慰める行為は、死者の意識というのものがあるなしに関わらず、
慰めている生者の心を潤し、文化を育む糧となります。
また、死者の霊を慰める行為は、人間の尊厳を守ることにもつながります。
そうでなければ、死者はただのゴミと同じになりますからね。
そう考えると、
>>800 のレスは、
つくづく、浅はかで、愚かな小賢しさに満ちていると反省する次第です。
809 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 07:13:22.84 ID:JT/9gkOE
修行は人に見せるものでも、ましてや誇示するものでもない。
810 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 07:15:49.43 ID:TwYIOWrv
>>808 >また、死者の霊を慰める行為は、人間の尊厳を守ることにもつながります。
>そうでなければ、死者はただのゴミと同じになりますからね。
私は子供の頃から如来を信じて称名しておりました。
死者の霊もみ仏も目には見えないので、信ということでしょう。
811 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 07:21:41.23 ID:TwYIOWrv
>>810 >死者の霊もみ仏も目には見えないので、信ということでしょう。
スッタニパータでは釈尊は多くの見えない者達と対話しております。
バラモンの弟子達とも声を出さずに対話しております。
わずか2500年前(一劫に比べたら瞬き)のことです。
現代で同じことを説けば、心霊主義者と揶揄されたかと思料します。
812 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 09:01:49.43 ID:TwYIOWrv
>>811 正法の世、像法の世、末法の世と言われますが、テキストはどの時代にも存在します。
つまりテキストに対する解釈、「信」が時代とともに変化していったということかと思料します。
テキストの中で縁起の法などの哲学的な説法は「信じる」が、如来、輪廻、神霊との対話のような
超常的な説法は「信じない」という、教義の取捨選択が末法の世の「信者」の特徴かと分析します。
813 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 09:30:41.92 ID:IfeDeXCR
>>804 (SRKWブッダ )
>3)修行者の立場で解いて、修行者の正しいあり方と、心解脱の認定をはかるもの(理趣経の立場)
>もちろん、安らぎを求める人は、3)の立場で解くべきである。
あい変らずイタイコピペの垂れ流しだなw
→『修行者の立場』
既にこのスレにも明確に書き込まれているではないか→
>>568 568 :神も仏も名無しさん:2013/02/04(月) 18:01:58.87 ID:DYK5eRSA
>>564 視座まで掴めたら、もう一歩だよ。
まあここからが至難の峠を越さねばならんがね。
これを百尺竿頭進一歩、などと言ったりする。
つまりこれを突き詰めるとだね、
涅槃や一切皆苦というのは
視座どころか、そういううもんがない。つうことだね。
だから一切であって、それで涅槃。つうことでし。
814 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 09:50:35.50 ID:IfeDeXCR
>>804 (SRKWブッダ )
SRKWブッダ も勝手に誤解しそうだから老婆心(「婆子焼庵」の婆ではない)で、
>>568 の『ない』は有⇔無ではなく、非(〜にあらず)の含意ね。
だから「そういうもんでない」のニュアンスも強い。
このあたりのグラデーションが言語論理という不便な道具の「関」ですよねえ。
アホには「無理」だが、掴めるかな?
815 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 10:32:10.00 ID:IfeDeXCR
>>804 (SRKWブッダ )
>>805 の解答など、小娘と淫行するのと実質的には変らない。
>>806 の解答など、文章全体が的外れで却下。
分かった風なカッコつけやがって、バカかおまえは!
100棒を喰らわされても文句は言えない。
816 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 10:45:09.72 ID:q87YNw3S
なんの基準も出さずに否定するのは、要するにオレチャンの見方と違うってだけなんだが オレチャン解釈に合った部分的な引用も同じこと
817 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 10:47:14.38 ID:IfeDeXCR
>>756 (妙信 本願寺) も浄土真宗のプロ詐欺坊主として
>>769 に逃げ回っているし、
SRKWブッダ も自称ブッダwとして馬鹿本を売って金儲けするプロなのに、
この体たらく。
いんちきプロにとっては、ここは閻魔大王が鎮座する地獄の一丁目だ。
818 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 10:53:44.41 ID:q87YNw3S
困ったヤツだ、自分の正しさは信じて疑いない 生命教とかカラスと変わらない
819 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 10:54:01.48 ID:IfeDeXCR
>>816 膨大な示唆は提示済み。
たとえば、アタシのではないが
>>568 でなにも感じなかったら、
「婆子焼庵」の婆に長年面倒を見てもらった修行僧より、
はるかにダメな奴だ。
基準とやらがアルと思う「立場」が痛い。
820 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 11:00:30.74 ID:q87YNw3S
基準がないのに、ネットで他人を裁くのか? エゴのために?
821 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 11:15:43.91 ID:IfeDeXCR
投稿規制でジャマされる、鬱っとうしいいねえ。
>>818 >自分の正しさは
→
>>819 Repetition
正しさなんて非ず。
ここでも真言宗のプロ坊主がイタい。
こんな連中はみんな自分が実は分別only主義だと気づいていない。
>>820 は開封せずにそっくり返すw
822 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/02/06(水) 11:16:06.77 ID:oKsgxSZs BE:2737416858-2BP(333)
>>677 全然ちがうと思いますよ。
阿弥陀如来は、悪人を救いたいのではなく、
善人は善行を積むので成仏しやすい。
だが、阿弥陀如来は、たくさんの人を成仏させたいため、
成仏しにくい悪人も、成仏させてくれる手伝いをしてくれるわけです。
あと、阿弥陀如来は、自分の名前を唱えたものは貴族に生まれ変わると無量寿経に書いてあるんだから、
阿弥陀如来は、多くの人を貴族に転生させたかったはずです。
823 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 11:26:36.80 ID:IfeDeXCR
>>822 >阿弥陀如来は、自分の名前を唱えたものは貴族に生まれ変わると無量寿経に書いてあるんだから、
阿弥陀如来は、分別主義レイシストなんですよねえw
824 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 11:37:33.67 ID:q87YNw3S
正しさが、ないなら、他人が間違ってるって言えないだろ。
ほっとくしか無い。無分別の人は問わず語りなんかしない。
オイラは基準としてテキストを設定してるぞ。
別に他人を裁いてない、それは仏教ではないといっているだけ。
ちなみにプロ坊主というのは、売僧という意味で本来の仏教ではありえない。
本来はお経や葬式の見返りに金をもらってはいけない
ただし供養・布施としてもらうのはアリ、この意識の違いが大きい
もし、同じことだというなら、それは仏教を知らないだけのこと
無分別は境地であって、教えというのはそこへ至る道、それは仮設されたものなんだけど、
野狐禅モドキは、とにかく勝義空と言って、その後で自分の掴んでるエゴを説くからなあ、
机のエロエロ、ゼニゼニも笑ったけど、遊びの池田晶子にも笑ったよ
そういうところが要するに自分の思い、見方に合ったものを適当に掴んでる証拠に他ならない
無分別でもなんでもない、無分別という記号に酔ってるだけで、実はズルズルの愛著と嫌悪が露呈してるぞ〜
単に哲学を説くちょっと綺麗なねーちゃんだから愛著してるだけだろうw
オカルトとか真宗坊主に対して嫌悪感丸出しだ
それに真宗の人を判定するのに公案を持ってくるのも笑うは、道が違うだろ
ちなみに親鸞上人は以下のように因縁生(縁起)仮設(仮名)不生に基いてるんだよね〜
https://ryogan.org/tools/shinshu/seiten/169.html
825 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 11:45:30.30 ID:q87YNw3S
>>823 ここで話したいなら、もうその野狐禅と変な政治思想は捨てて、
テキストに基いてね。
そうすれば、一歩進めるかもよ〜
826 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 12:03:58.43 ID:IfeDeXCR
>>824 すべて論破済み。
>テキスト
自称「仏教」もどきのマハーカッサパ教固定似非仏典。
動いて(方便:非動非止)やまぬ仏法を妄想固定してしまい、
戒律運営の形骸化を促し、仏陀を帰依信仰の対象化してしまったインチキテキストをありがたがる。
ブッダの前には「仏教」なる物はなかった。
ブッダの後(方便)にも「仏教」なる物はない。
果分可説の不二一元真言坊主には「無理」
以上、メシ
827 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 12:10:47.11 ID:IfeDeXCR
<間接現実> <直接現実> *中論の相即的様相だよ〜〜んw 即心即仏 非心非仏 即因即果(不昧因果) 非因非果(不落因果) 即業即報(不昧業報) 非業非報(不落業報) 即煩悩即菩提 非煩悩非菩提 これが掴めんかったら、ア ウ ト やで。
828 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 12:11:18.77 ID:TwYIOWrv
>>822 記憶喪失した男氏
>阿弥陀如来は、悪人を救いたいのではなく、善人は善行を積むので成仏しやすい。
どうも貴兄とは「善人」という言葉の定義が異なるので話が合わないようです。
善人:我執(自己肯定感)の強い人。自分の非は認めず、他人の非は許さず攻撃に躊躇しない。
悪人:自分の非を認める人。 自我を抑えた真の善人。
(参考:正像末和讃)
「自力諸善の人はみな、仏智の不思議を疑えば、自業自得の道理にて七宝の獄にぞ入りにける。」
仏教テキストの中で哲学的な説法は「信じる」が、超常的な説法は「信じない」という信徒は如何でしょうか。
多分、カラスさん、宝珠さんも、この自称仏教徒の教義の取捨選択に幾度もコメントしているように見えます。
829 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 12:18:57.53 ID:TwYIOWrv
>>828 >仏教テキストの中で哲学的な説法は「信じる」が、超常的な説法は「信じない」という信徒は如何でしょうか。
原始仏典にも法華経、他にも不可思議な説法は多数あります。
親鸞聖人のお話を聞いて改心した大泥棒が仲間達に殺されかけた時に黄金の仏が出現したという話もございます。
(参考:「浄土への道標」大泥棒)
相手が柔道部だろうが空手部だろうが、「ストリートファイトにルールもへったくれもない!」と、竹刀(禅門の公案)を振り回して校内(2ちゃんねる)で襲いかかってるわけで……。 学校の外の路上(オフライン)で“通り禅魔”をやらないだけちゃんと“分別”は保っているのでしょう(違いますか?>閻魔大師)。
831 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 12:27:04.80 ID:TwYIOWrv
>>829 「覚如上人拾違古読本」に記載とのことです(祖父の寝言では)。
浄土系の方で真否が分かる方はレスいただけると幸いです。
832 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/02/06(水) 12:27:49.90 ID:Jcil/f51 BE:2463674966-2BP(333)
>>828 そんな定義はまったく信じておりません。
善人に偏見をもち、悪人に願望を抱きすぎでは?
833 :
* :2013/02/06(水) 12:51:08.01 ID:QEUQYrfi
一日二僧あり。 一は瓦を摩して曰く、「箇の瓦片を鏡とせむ」、 一は銅を摩して曰く、「箇の銅板を鏡とせむ」、 門前の小僧曰く、「我、市中にて鏡を買い求めん」 と。 諸大コに諮詢す、 二僧に過ありやなしや?小僧に仏道ありやなしや?
834 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 13:11:01.81 ID:q87YNw3S
>>826-827 そりゃ、妄想だって何回か根拠としたテキストに添って指摘したら
それはテキストが間違ってるだもんなあ
それじゃ、もはや信じるか信じないか、オレチャンが分かるか分からないかなんだって分からないかな〜
835 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 13:14:49.35 ID:q87YNw3S
>>833 それだけだと分からない。
それぞれ道が違い、動機が良ければ、それでいいんじゃないかと。
どういう道を前提とするかで違う。
まあ、禅なら資糧方便を否定するから、小僧が正しいとするのだろうか?
836 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 13:15:44.73 ID:IfeDeXCR
>>830 (不説)
>学校の外の路上(オフライン)で“通り禅魔”をやらないだけちゃんと“分別”
妙信 本願寺は一応「仏教」である浄土真宗の自称プロ坊主だ。
当然、「仏教」なら当然戒律は知っている。
@625 :妙信 本願寺:2013/02/04(月) 20:17:48.03 ID:G/v+L8Hn
プロのおれは今日は檀家の女か一人住まいでなだれかかってきてから押し倒してやってやた
A639 :妙信 本願寺:2013/02/04(月) 21:10:38.08 ID:MaAhMJWX
精液をぶちまけるのは末法のがきへのすくい
B644 :妙信 本願寺:2013/02/04(月) 21:17:58.30 ID:Nnnx9r2t
なまいきなじじいは癌でしんだ
なまいきなやつへつける信妙光上座とかつけやる
もう60にんもいてだれがだれかわからん
まるで無縁仏だあはははは
C 756 :妙信 本願寺:2013/02/05(火) 21:53:20.65 ID:RWHHOUjW
仏壇にばばあがペンキぶかけたから子孫にるいが及ぶといい買い換えさせてやるだ
仏壇やにも話にいてくる
仏教のプロ僧侶なら、
@Aの態度に対して、よく似たケースをぶつけられて問われるのは当然だ。
親鸞から問われていると仮説してもいい。
妙信 本願寺は逃げ回っている。
BCは世俗においても心霊商法=詐欺罪というれっきとした犯罪だ。
親鸞から問われていると仮説してもいい。
妙信 本願寺は逃げ回っている。
837 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 13:31:09.04 ID:IfeDeXCR
>>834 >そりゃ、妄想だって何回か根拠としたテキストに添って指摘したら
その妄想が妄想です。
論破済み。
「如実智見」ではない。
たとえば禅の根本はブッダ成道の姿に直接学ばんとする。
似非仏教には固定(実は後退劣化←無常)テキストあっても、
ブッダにはテキストはない。
従って、禅にも依拠テキストはない。
838 :
800 :2013/02/06(水) 13:31:56.59 ID:oTV98IUz
>>793 自分なりに考え、整理してみました。
不可知な存在(死者の霊、神)は不可知なままそっとしておくということです。
不可知な存在が直接悟りへと導くかどうかもまた不可知(妄想の可能性もあるため)なので、
それも、どこかに置いておけということです。
ただ、不可知な存在に経をあげることで、遺族の心が休まるなら、それは功徳となります。
無縁仏に経を上げることは、社会の人々の心を安心させる(自分がのたれ死んでも、経を上げてくれる人がいるという安心感)
ので、それも功徳となります。
839 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 13:39:41.93 ID:IfeDeXCR
アホの誤解を防ぐために。 >ブッダ成道の姿に直接学ばんとする。 これはブッダを帰依の信仰対象として拝むことではない。 あくまで汗水たらして漕いでくれる筏の船頭さんであって、 感謝すれこそ信仰するのではない。いずれはブッダも捨てることになる。 法(ダンマ)をさえも捨てなければならない。 まして、法でないものはなおさらのことである。(金剛般若経6:筏の喩えの法門)
840 :
800 :2013/02/06(水) 13:39:56.36 ID:oTV98IUz
>>838 続き
ただ、この世界に神がいようが、この世界に神が満ちていようが、
この世界そのものが、すべて一なる神だろうが、霊魂が存在しようが、予定説が正しかろうが、
それと、悟りはまた別な話です。
それが事実だとしても、本人にとっては不可知なのでそれを問うことに意味がないからです。
そんなものは信じなくとも、悟りは可能だと言うことです。
物事が上達するのは、神の働きではなく、自分の努力によるものとみなせるように、
神とは関係なく人は悟れる。それが、本来の仏教徒の考え方ではないでしょうか。
841 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 14:05:37.21 ID:q87YNw3S
842 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 14:05:46.76 ID:JT/9gkOE
消化不良なら救いようがある しかし、食べ物では無いものや毒のあるものを食べてはいけない ましては人に勧めるなどもってのほか
>>835 他にも喰い付く人がいるかもしれないから、一晩寝かそうかねw
844 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 14:13:58.50 ID:TwYIOWrv
>>840 >物事が上達するのは、神の働きではなく、自分の努力によるものとみなせるように、
>神とは関係なく人は悟れる。それが、本来の仏教徒の考え方ではないでしょうか。
>>828 >(参考:正像末和讃)
>「自力諸善の人はみな、仏智の不思議を疑えば、自業自得の道理にて七宝の獄にぞ入りにける。」
貴兄の言葉の中の「神」を「仏」と置き換えますと、「仏とは関係なく人は悟れる。それが、本来の仏教徒の考え方ではないでしょうか。 」
となります。
法然聖人は「浄土宗の人は愚者になりて往生す。」と説かれたそうです。
親鸞聖人も多くの「仏との縁」で精進されたことかと存じます。
貴兄が浄土系でなければ、また別の見解をお持ちでしょうから、それはそれで宜しいのでは。
845 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 14:17:01.86 ID:q87YNw3S
846 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 14:19:33.65 ID:TwYIOWrv
>>844 >貴兄が浄土系でなければ、また別の見解をお持ちでしょうから、それはそれで宜しいのでは。
以上は昔浄土系(=前世は一在家)の私の所感であり、現役の浄土系の方々からの御指摘は大歓迎です。
847 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 14:22:03.17 ID:q87YNw3S
>>844 浄土門は、ミダの誓願への信の道で、一般的な仏道とはちょっと違うし、
その文だけ断片的に用いてもダメでしょうね。
やっぱり仏教も科学もアナタの信仰も分けて考えた方がいいと思います。
飛騨高山の道場(?)はどうでした? 私も建物だけは拝見したことがあります。
ごちそうになった飛騨牛は、とても美味かったw
848 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 14:39:59.52 ID:TwYIOWrv
>>847 >やっぱり仏教も科学もアナタの信仰も分けて考えた方がいいと思います。
師から宗教も科学もやがて収斂すると伺い、この数十年間検証中です。そういうスタンスということです。
貴兄も師から説かれたことは少し調べたり試したりで結論を得られますか。
>飛騨高山の道場(?)はどうでした? 私も建物だけは拝見したことがあります。
参拝して生業における目標を再設定できました。
世界中の道場の「総本山」でノアの箱舟のような形をした建物です。
話は変わりますが、私は空海が天皇の御前で全身から金色の光を発したという不思議を信じております。
なお仏の舌が長く伸びるという話は信じておりません。
根拠は頭や顔から光を発している人は何回か見たことがあるからです。
闇のような靄に覆われた人はずっと多いようですが。
849 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 14:51:16.15 ID:q87YNw3S
>>848 私は師匠の教えをここで話し合おうという気はありません。
話してもしょうがないからです。
そういう信じていることは、話し合いにならないでしょう。
なぜなら、信じている人には正しいからです。
そうでなく、話し合うことが可能なテキストに基いて話しているわけです。
ですから、アナタの信仰は大切におしまいになって、
ここではテキストに基いて、仏教の妥当な内容を話す方がいいと思います。
その方が一般的に妥当な仏教とは、このようなものかと理解できてアナタのためにもなると思います。
そうでななく、アナタの信仰に合わせて適当に読み替えて述べることに意味が有るようには思えません。
単にアナタとアナタの信じる教えへの反感を招くだけのように思います。
850 :
ノスタルジア :2013/02/06(水) 14:54:39.22 ID:7CPkvNIX
浄土真宗をこのようなスレッドで話てもあまり意味がないような・・・。 俺が蒔いた種かも?!
851 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 15:09:48.30 ID:IfeDeXCR
>>841 >真宗についてちょっとは調べてから言った方がいいぞ
余計なお世話だ。
アタシは不邪淫戒&不妄語戒の<仏教>破戒プロ僧侶である
妙信 本願寺に問うている。
>禅師なら、印可が必要だ。
禅師でも趙州從諗や至道無難さんは好きだが、
アタシはフリースタイルだと何度言わせれば気がすむんだ?
>今まで盛んに引用していたのは何よ。
使えそうな筏だよ。
批判するならもうちょっと正確に記憶しようねw
852 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 15:13:43.08 ID:IfeDeXCR
>>833 >二僧に過ありやなしや?
⇒
>>827 <(還滅)間接現実> <直接現実> *中論の相即的様相だよ〜〜んw
★即心即仏 ★非心非仏
即因即果(不昧因果) 非因非果(不落因果)
即業即報(不昧業報) 非業非報(不落業報)
★即煩悩即菩提 ★非煩悩非菩提
瓦・銅(煩悩・心)⇔鏡(仏・菩提)の分別そのものが問題。
>「我、市中にて鏡を買い求めん」小僧に仏道ありやなしや?
「即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。
いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは即心是仏にあらず」(道元 正法眼蔵 即心是仏より)
853 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 15:21:20.96 ID:q87YNw3S
>>851 やっぱ、認めないは
だから、無戒を掲げる真宗に戒律をいってもしょうがないだろ
ただし、根本的典拠である『十八願』に「唯除五逆誹謗正法」とあるんで、
五無間は問うことができるが、
ここでやってるのは「筏」がちゃんと捉えられているかなんだが
フリースタイルなら仏教じゃないと認めて、どっか他所で語ればいいだけなんだが
なんで、自分の妄想を仏教だという人は、それを認めないのか?
まあ、言っても無駄だろうけど、如何に無茶苦茶言ってるかは読める人には分かったと思うよ〜
854 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 15:42:03.77 ID:IfeDeXCR
>>853 >フリースタイルなら仏教じゃないと認めて
>自分の妄想を仏教だという人は
ブッダの前に仏教なし、
ブッダの後にも仏教なし。
ブッダは仏教徒ではありません。
アタシも「仏教」徒ではありゃーしません。
空海もそうだが、『最上の<想いからの解脱>において解脱』(Sn.1072)がまったく掴めていない。
『筏の喩えの法門』(マッジマ・ニカーヤ22、金剛般若経6)を掴めていない者が『仏教』に固執執着する。
まあ、末永く「仏教」に執着して、業報輪廻転生(ゴキブリかもしれないね?w)しててくらはい。
855 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 15:48:58.07 ID:q87YNw3S
>>854 >ブッダの前に仏教なし、
>ブッダの後にも仏教なし。
七仏通戒偈を知らんのか
テーラワーダでも禅宗でも認めるぞ
千仏の四番目が釈尊とも言われてるし
これまた誤認とは認められないのに何故か引用して根拠付ける
>>854 a.k.a. 閻魔大師
> アタシも「仏教」徒ではありゃーしません。
とはいえココは《「仏教」議論スレッド》ですよ?
857 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 15:59:45.27 ID:oTV98IUz
仏教徒が信じなければならないものは、 人は誰しも悟りを得られるということ、ただ一つのように考えます。 本人の努力や行動、意思の力によって悟りを得ることができる。 これ以外の方法で悟りを得られると説くのは、もはや、それは仏教ではないと思います。 たとえば、仏陀は予定説を外道の一つとしていました。 無いと断言したのではなく、考えても意味がない、むしろ、害悪と考えていたように思います。 もっとも、悟りを得た者は、ただ一つ残った信仰(人は誰でも悟れる)すら、 状況に応じて捨て去ることができるのかもしれませんが。
858 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/06(水) 16:01:45.09 ID:dZ4qGuel
なんだ? ここはいつから「自称仏教徒」以外は、書き込み禁止になったんだ?wwwwwww
859 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 16:03:32.48 ID:q87YNw3S
そうここは筏としてのブッダの教え・法を話し合う所 教えも法も、もちろん仮設だ。そんなことは諸高僧が分かってないわけない。 筏としてのブッダの教えを超えた、普遍的真理とかそういったものを語りたいなら、他所でやればいいだけ その筏は筏じゃないと他人を叩いておいて、 今度は、アナタの筏が筏になってないと言われると、 そんなの筏だからどうでもいい、 俺は筏が筏だって知ってるから拘らないんだよ とか言われてもね〜 じゃ、最初から「その筏は筏じゃないと他人を叩くな」って話だは
860 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 16:09:10.27 ID:IfeDeXCR
>>855 >七仏通戒偈
もう、ものわかりの悪いお方にはウンザリですが、
七仏通戒偈は即心即仏、非心非仏を悟達出来た者の『無分別の分別』の境地です。
このあたりは繰り返すのは面倒なので、昔の仏教議論スレッド45の
>>634 あたり〜を参照。
まあ、分別三昧の「仏教」徒には無理ですが。
861 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 16:09:22.15 ID:q87YNw3S
>>857 仏教徒が最低信じるべきものは、仏法僧の三宝
仏が涅槃した完全な覚者だということ
法は、その仏が教えた涅槃への道だということ
僧は、その教えを伝える聖者たちであるということ
この三宝帰依をすることで仏教の門は開かれる
もちろん、ここは仏教徒でなくても話し合うことは可能
862 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 16:17:05.62 ID:oTV98IUz
863 :
ノスタルジア :2013/02/06(水) 16:22:31.07 ID:4ki9K61p
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>>861 一代氏
> もちろん、ここは仏教徒でなくても話し合うことは可能
その通りに思います。問題とされているのは《「仏教」議論スレッド》なのに、「仏教」を巡る「応答等すること自体」に対する過度の批判・攻撃の類なのでしょうけど。
865 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 16:37:52.07 ID:q87YNw3S
>>864 というか
>>859 で説いた通りです。
要するに経典の文を使って他人は非難するのに、その文の解釈が間違ってると指摘されると、経典が間違ってて自分の妄想が正しいじゃ話にならないという
妄想を基準にされたら、オレチャンを信じるか信じないかになってしまうので
それなら他でオレチャン教を論じてくれと言ってるだけです
まあ、無駄ですけど、結構、人の居るここで説きたいんでしょうから
866 :
ノスタルジア :2013/02/06(水) 16:44:18.74 ID:4ki9K61p
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867 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 16:58:22.21 ID:IfeDeXCR
>>859 >>865 >筏としてのブッダの教えを超えた、普遍的真理とか
普遍的真理など中道ではない。
>要するに経典の文を使って他人は非難するのに、その文の解釈が間違ってると指摘されると、経典が間違ってて自分の妄想が正しいじゃ話にならないという
しかし、ホントにでっち上げ曲解ばかりする被害妄想ペンキ屋だねえw
<自帰依←大疑団―フィードバック―菩提心→法帰依>
あたしはこれだけですよ。
カーラーマ経スピリットです。
経典4も筏にすぎない。
上記の過程で検証します。
868 :
地獄の一丁目 :2013/02/06(水) 17:06:26.83 ID:IfeDeXCR
869 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 17:06:53.83 ID:q87YNw3S
そんな妄想を伝統仏教徒の誰が認めようw
870 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 17:09:45.98 ID:q87YNw3S
>>868 おや、そんなこと気にするのか
どうしようもない、拘りだな〜
871 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 17:38:33.61 ID:5iacb26q
凡夫一代は、自分の主張を実践して確かめたのか。どうなんだ? 偉そうなことをほざく前に実践してみたらどうなんだ。 妙信氏にも、さんざん突っ込まれているだろ、ボケナス
思いからの解脱とはよく言ったものだ。 人というものは胡蝶の夢の如く分別するものであり、 人の欲望とは朝三暮四の如く理不尽なものである。 人とは本来、無所有なものである。 思いというものが、自分(我)を形成するといえる。 あらゆる論議、見解はどうでもええがなであり、 故に戯論寂滅を示唆するものであり、勝手にせいと言えるものであるが、 本質的見解としては、どうでもいいと思え、勝手にあれこれ思うな とういことを明確に指示しているものである。
873 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 17:59:16.43 ID:TwYIOWrv
>>850 ノスタルジア氏
>浄土真宗をこのようなスレッドで話てもあまり意味がないような・・・。
>>847 オイラ氏
>浄土門は、ミダの誓願への信の道で、一般的な仏道とはちょっと違うし、
>>828 一在家
>仏教テキストの中で哲学的な説法は「信じる」が、超常的な説法は「信じない」という信徒は如何でしょうか。
日本の仏教徒で一番統計上人数が多いのは浄土系でしょう。
しかるに「浄土系を一般的な仏道とはちょっと違う」とするのは、○執かも知れませんね。
ココは哲学的な説法を論じる場で「浄土系はこの板ではちょっと違う」というのであればある程度分かります。
過去スレでも阿弥陀如来を架空○物のように論じる中論派らしい方々が散見されましたので。
元浄土宗の私が「浄土への道標」を30年ぶりに再出版するのも、仏様達のお計らい(仏縁)かも知れません。
中身は8割ほど浄土門のお話ですので。
>>873 浄土真宗がサンガの体をなしていないのはそうだろうね
そもそも僧ではない集団だからな
だが、サンガの教えを継承しているのは確かだよ
だからこそ、教えに加飾してはならず教義を守り続ける必要があるだろうね
研究・保持者というより護持者としての位置づけでしかないと俺は思う
だから非僧集団である今の真宗系の大学のリベラル臭が胡散臭いものにもなる
もし研究でもしたいなら、僧として戒でも授かってこいよと思うな
釈迦と荘子の思想は一致している。 ここで見解を示して何がしたい? しがみつきたいものは一体何だ?と言える。
876 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 18:10:37.14 ID:5iacb26q
空や無我が正しいと思うなら、実践して確かめたらいい。 確かめたうえで主張しろ。お前も凡夫一代も。 いつまでも寝言を言ってるな。 世間は空論など信じてないし、バカにしているのだよ。 なぜか。世間でもまれたらすぐにわかる。
877 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 18:12:02.51 ID:TwYIOWrv
>>873 >仏様達のお計らい(仏縁)かも知れません。
良い師匠に出会うのも、参考になる文献を見つけるのも、手強い論的と対話するのも、仏様達のお計らい(仏縁)でしょう。
「浄土門」と異なり自力本願の「聖道門」はめちゃくちゃ厳しいと伺っております。
ある修行僧(刈萱道心)は山寺に訪ねてきた我が子に生涯父親であることを名乗らなかったそうです。
また伝教大師のお母さんは女人道から先へ行く事が出来なかったそうです。
しがみつきたいものは我だと確認できるだろう。 故に、見解を示して存在を示したいだけである。 その存在とするものは偽の存在である。 思いを消した存在が実存在と言えるだろう。
879 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 18:31:09.14 ID:TwYIOWrv
>>874 >浄土真宗がサンガの体をなしていないのはそうだろうね
>そもそも僧ではない集団だからな
「親鸞は弟子一人ももたず候う。」→サンガの体をなさず。
「弥陀の御もよおしにあずかって念仏申し候う人を、わが弟子と申すこと、極めたる荒涼のことなり。」
21世紀も仏縁にて念仏申し、仏縁にて良い師に出会い、仏縁にて参考になる文献を見つけ、仏縁にて手強い論敵と対話している、という縁起の法。
即ち俗世間とは縁起するものであり、 縁起を離れた戯論寂滅の境地が涅槃には違いない。
俗世間のその姿は操り人形に等しく、縁起作用の及ぼす結果と言える。 思いというものが、操り人形化させる縁起作用の起因的要因と言える。
弥陀
|
親鸞(真宗僧)
/|\
○ ○ ○
じゃなくて
弥陀
/|\
○ ○ 親鸞(真宗僧或自)
ってトコかな。
>>879
883 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 19:26:30.25 ID:pV7b6s7G
884 :
ノスタルジア :2013/02/06(水) 19:31:14.39 ID:4ki9K61p
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885 :
ノスタルジア :2013/02/06(水) 19:33:12.26 ID:4ki9K61p
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886 :
ノスタルジア :2013/02/06(水) 19:33:37.80 ID:7CPkvNIX
>>873 >>日本の仏教徒で一番統計上人数が多いのは浄土系でしょう。
>>しかるに「浄土系を一般的な仏道とはちょっと違う」とするのは、○執かも知れませんね。
政府の統計が正義ですかー・・・。そしてその結果として僕が妄執だと・・・。
浄土系は仏道としては、小乗と大乗という枠組みに比類するものだと思っています。
その浄土系の人々は親鸞聖人曰く、大悲の願船に乗っていく人々であり、
小乗という乗り物でもなく、大乗という乗り物でもなく、三つ目の乗り物であり
かもしれませんね。
普通の人々は並大抵の仏教の勉強の下地だけでは、仏門は開けないと思います。
しかし、仏教の勉強の下地があまりなくても、寺に生まれた人々はやすやすと
仏事をこなしていて努めを果たしているように思えます。もちろん仏門が開けた
普通の人々は僧に変わり、始めてサンガの仲間入りを果たすのでしょう。
もちろん悪人正機説のある、浄土真宗ならそのような僧の堕落は仕方ないですが、
なんで浄土真宗に縁ある人々はそれ以上のことを考えるのをためらうのか
ぼくにはわかりません。それはもともと商売道具にしたり、商売として僧達を
見ている結果なのでしょうが、しかし僕はそれに甘んじれません。
だからということではなく反抗しているうちにそういうことも念頭に上がってきました。
私は、如来の家を得るだけでは、いぜんとして悪人正機説の餌食になるだけであると
思います。それはどう考えても可笑しいんですよ。
私は不安感や緊張感しか今感情はありませんが、昔は本当に溢れんばかりの
感情がありました。その感情の前では悪人という言葉はどう考えても、否定的概念に
過ぎないのです。
ありがとうございました。
客観的であるはずの科学が宗教化・・・・・
888 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 19:41:41.52 ID:TwYIOWrv
>>886 ノスタルジア氏
>政府の統計が正義ですかー・・・。そしてその結果として僕が妄執だと・・・。
それは貴兄の誤解ですよ。
私は「浄土系を一般的な仏道とはちょっと違う」とするのは我執ではないですか?と問いました。
>その感情の前では悪人という言葉はどう考えても、否定的概念に過ぎないのです。
悪人:自分の非を認める人、と定義しますと否定的ではないかと存じます。
むしろ問題は、善人:自分の非を認めず相手を責める人、の方でしょう。
889 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 19:52:11.87 ID:q87YNw3S
890 :
ノスタルジア :2013/02/06(水) 19:57:37.30 ID:7CPkvNIX
>>888 聖道(一般的な仏道)はどこまで行っても、無我でも我執でもないですし、
浄土系もどこまで行っても、無我でも我執でもないと思っています。
死す人々に無我や我執が付き纏うと思っています。
・・・
親鸞独特の捉え方を言われても・・・。意味合いではなくて概念ですよ。
その概念がそもそも否定的概念として世間で通っているのに、それを
逆に否定的に見ないならば、世間との折り合いがつかず、理にとらわれる
気がするのですが・・。つまりあなたが世間にいてもいなくても世間にいる衆生は、
悪人になりたくないと考えているのだろうと思います。
891 :
ノスタルジア :2013/02/06(水) 20:20:22.29 ID:7CPkvNIX
日常的意識を持っている人々はお釈迦様の「事」を見ているんですよ。 僕達のような、悪人や偽善者や外道なんかは、もうどうしようもないほど 理に影響を受けていますね。まあ、日常的意識を持っている人々に近づきたくて ついつい理事無碍のような法界に入りたいと思ってしまうでしょうね。 それは結局悪人というのは感情の起伏が激しい方なんでしょうね、それだから こそ感情に揺さぶられて、人々を変えてやろうとするのでしょうね。 もちろんそれでも、欲望が燃え盛ってた鎌倉時代にはそういう精神的区分も なかっただろうし、武士なんかや非人なんかがいた時代ですからね。つまり 親鸞聖人はある意味精神区分をした人なのでしょうね。本人は意識してなかっただろうが。 偽善者は、分かり切った物言いをするでしょうね。 外道は理を利用して人々を支配しようとするでしょうね。 あなたたちはただ欲望に埋もれている?それとも自分という者に嘘をつきたくなくて 無欲になっている? 人々は明らかになるのが嫌いなのもいる。
892 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 20:21:02.98 ID:TwYIOWrv
>>847 オイラ氏
>浄土門は、ミダの誓願への信の道で、一般的な仏道とはちょっと違うし、
>>890 ノスタルジア氏
>>聖道(一般的な仏道)はどこまで行っても、無我でも我執でもないですし、
お二人は同じ見解ですね。
聖道門=一般的な仏道
浄土門=一般的な仏道でない
統計的に人数が多い浄土系(浄土門)が一般的だと言った私の間違いでしょうか。
ならば非を認めます。
893 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 20:33:47.00 ID:q87YNw3S
>>892 統計的に多いのは浄土門かもしれませんが、
日蓮宗を除く他の宗派は全て聖道門です。
合わせたらどうでしょう?
それから、浄土宗は比較的仏教一般に基いていますが、真宗は信一点に集約していて、さらに特殊です。
山口益先生は真宗の学者ですが、仏教一般に基いて真宗を説いているので真宗がちゃんと仏教の中でどのような位置にあるか分かるように正確に説かれています。
そのような全体像から、見ずに一面、しかも特殊な部分から本道を切り捨てるのは倒錯です。
これは禅から本道を切り捨てることや、ゲルクから中観の本道を切り捨てること、ニューウェーヴ・テーラワーダの方便ヴィパサナに合わせて本道を切り捨てるようなこと全てそうです。
悪人--自分は悪であると自覚した人 善人--自分は善になれると自覚してる人 かな〜と。もう、修行しても善に変われないことを確信してしまった (確信であって真実かどうかは知らんw)もしくは善になる努力をする 根性がないことを自覚してるクズ が、悪人かなと(つまりわしorz)
895 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 21:00:42.53 ID:q87YNw3S
>>894 仏教はどんな人にも道があるよ〜
なぜならあらゆる生き物は仏性があり、本来仏だから
虫すら仏、だから人であるアナタがなんでクズだろう
もっと自信もってください
896 :
ノスタルジア :2013/02/06(水) 21:23:27.64 ID:4ki9K61p
,-、 ,.-、 ./:::::\ /::::::ヽ /:::::::::::;ゝ--──-- 、._/:::::::::::::::| /,.-‐''"´ \:::::::::::| / ヽ、::::| / ヽ| l l .| ● | んーと l , , , ● l ` 、 (_人__丿 、、、 / `ー 、__ / /`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´ ,-、 ,.-、 ./:::::\ /::::::ヽ /:::::::::::;ゝ--──-- 、._/:::::::::::::::| /,.-‐''"´ \:::::::::::| / ヽ、::::| / ● ヽ| l , , , ● l .| (_人__丿 、、、 | よく分かんない l l ` 、 / `ー 、__ / /`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´
>>894 何か悪いことをしているのでしょうか?
それが善い、悪いの判断ならここで客観視してもらえることでしょう。
我見に陥ることなかれです。
善いことをしないことが悪いことでしょうか?
必要性もないのにいらんことをする必要性は全くありません。
またこれみよがしに善行することは善行とはいいません。
それは虚栄心以外の何者でもなく厭らしいだけのものです。
救いを求める手があるなら、たださしのべる。
それが善行というものではないでしょうか?
案外救いを求めているのは自分という存在かもしれません。
案外こんな書き方が正しいのかもなぁ…
スピ系にも一理ありかもしれない
898 :
妙信 本願寺 :2013/02/06(水) 21:53:54.99 ID:LyI6bCtb
また素人どもは本のはなしばかり いい加減にしないか また俺あてにわけわから問答をしてるつもり頭でかちの大ばかもいるよだが、妄想つぶやいてなちゃい 法然上人への信は一定 信もてるプロは檀家にたいしてへたな経よみして、おまえらが一日中むだにしてるむつかし本の話つぶやいて帰るのがプロだとおもてんのか くそ素人のたわけの糞 そんなわけがなだろう
899 :
妙信 本願寺 :2013/02/06(水) 21:58:27.25 ID:LyI6bCtb
仏説はむつかし本の話つぶやいて、一日中まごのこと預金年金のことばかり考えてる檀家のばばあ、一日中だんな事故死してるさみしいとかいう檀家の女 そういう素人にそんなことやても仏説でもなでもなし それこそ経しかよめぬ、むつかし本の話しかしらんおまえらくそ素人と同じ ゴキブリくらいのものなだぞ
900 :
妙信 本願寺 :2013/02/06(水) 22:04:57.83 ID:LyI6bCtb
女はやってやり、ばばあの金は使ってやれ 心ここにあらずではじめて信は一定の仏法になるだ おまえらは、いくらむつかし本よんで頭かきまわしてもなにも誰にも仏説はこれは無理 あほ素人ども、仏説で金も心もとりあげて精液なり株券なりをぶちまけることもせずして、最低の素人 はなすだけ口がむだ 口をよこされたのに申し訳なさにきさまらあほ素人はもだえ苦しむべき 仏説でお金をとりそれで生きるプロより
>>860 いやいやw
七仏通戒偈は、世俗智でしょw
百歩譲っても、欲するに従って矩を超えず、じゃないが
融通無碍な「様子」「働き」とは言えるけど、境涯(そのもの)とは言えんよね。
あくまでも、無分別智の働き出たものと言うべきでしょ。
いずれにしろ、分別バリバリの3句と思うよ。
もしあらゆる生き物に仏性があり、本来仏ということならば 伝染病や寄生虫、毒蛇や毒虫或いは殺人鬼が仏ということになる。 殺人鬼とは教育不足の妄想観念保持者であり本来?仏の可能性ありかもしれない。 毒蛇や毒虫とは単にそのような進化を遂げた生き物に過ぎない。 人体に対して有害物質を持っているだけで人とはなんら関係ないと言えるかも しれないが、遠い相互依存性生物であるならば一概に関係ないとも言い切れない。 しかし、自然淘汰される生物は相互依存性生物である可能性はないと言える。 人間がいなくなって困る生物は皆無でないかもしれないが大局でみれば 困る事象は無いと言えるだろう。生物とは所詮互いに孤独な生き物である。 伝染病や寄生虫に関するなら人体、医学、薬学との対立関係にあり、 人体の抗体に打ち勝つものならば、仏として滅んでもらうべきである。
903 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 22:31:39.01 ID:pV7b6s7G
本を読むのも、女とやるのも分別がやるならかわらない この本願寺糞坊主はまるでなにもわかっていない 本願寺糞坊主も本をここに丸写ししてる連中と同類だ 本を読むのもなもあみだぶつ 女犯すもなもあみだぶつ わかるか?糞坊主
904 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 22:35:20.84 ID:q87YNw3S
>>903 言ってることと、心が全く食い違ってることも分かる
そういう人は謙虚なもんだ
905 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/06(水) 22:39:16.20 ID:TwYIOWrv
>>895 >なぜならあらゆる生き物は仏性があり、本来仏だから
大日如来蔵ですね。
その良い種を蒔けばやがて実になる、仏になり得る。
ただ種を蒔く時期、場所、蒔き方は仏縁にて教えられるのでしょう。
906 :
妙信 本願寺 :2013/02/06(水) 22:40:05.28 ID:WlL+qCng
おまえらのくちゃーい書きこみで今日も鼻ががまがったから、でりの女でもよんでやってねるから また大笑いしてやからむつかしあほな書きこみで、どこまでも時間むだしとけ わかたなくそ素人ども
>>905 伝染病の良い種を蒔けばやがて病気になり、死亡(仏)する。
精神疾患も似たようなもんだ。
どちらも仏性と対極に位置する。
908 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 23:03:51.72 ID:pV7b6s7G
伝染病ウィルスに仏性はあるか?なしか? 答えて曰く↓
909 :
妙信 本願寺 :2013/02/06(水) 23:06:39.43 ID:KkFRgu5u
まだ女こねえ ばか女くそかすごみ 伝染病もち 性病もちなだ
種を蒔く時期、場所、蒔き方を教えるのは自然現象に過ぎない。 即ち自然現象こそが仏縁というものであり伝染病もその一種。 自然現象を生かすも殺すも人間様次第。 それこそが人間としての自然現象に相違ないものである。
>>908 仏性を独自性、変異性(進化性)とするならの条件つきで仏性あり
>>903 人を殺しても問題ないっつうことになるな
アホかいな、造悪無碍は真宗でも異安心だぞ
禅でも、相手を思いやっての善だが、自分にとっては悪という場合に使われるもんだぞ
川を前に立ち往生していた女を見て、女性に触ってはならない僧が助けるかどうか悩んでいたとき
一人の僧は戒を守って素通りしようとしたが
もう一人の僧は女を抱いて渡してやった。
一人の僧はもう一人の僧が戒を破ったことを恥じており、こんなものといっしょにいることはできないと
しばらく後に彼を批判した。
もう一人の僧はまだ君は女を抱いておったのか、私は川を渡った時に女を下ろしてきたのに
と冷やかした。
しかし、こういうものはあくまでも禅的な言葉の応酬であって
通仏教的に通じる論理ではないことも心しておかないといけないな。
大乗では自分が地獄に堕ちても衆生を救うことに主眼がおかれるためこう方便がなされるだけで
道徳なんて考えないでいい、悪果は受けないなどと単純に考えるものではない。
913 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 23:30:34.96 ID:3rn/k0KL
>>912 >道徳なんて考えないでいい、悪果は受けないなどと単純に考えるものではない。
じゃあどうなんだよ。88軽戒までガチガチに守らないと仏教者じゃねえのか?
戒はあるのかないのか、あるなら何なのか、はっきりしろ!結論のない批判なんざ意味がねえんだよバカヤロウ
僧なら戒を守れ 俗なら八さい戒でよし
915 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 23:32:12.20 ID:pV7b6s7G
>>911 『仏性を独自性、変異性(進化性)とするならの条件つきで』仏性あり
『』の条件は必要ないと思うな
有りのみでいい
諸行無常
>>912 法然上人は人を殺めることが仕事の武士に、
わたしは浄土へ行けるのかと問われて、
念仏を唱えれば戦場で死ぬ武士も救われると説いた。でも、現代社会人として貴方の姿勢は立派だと思います
求めてもいない、または求めているのに筋違いの救い方をするのが 大乗ではないかもしれないが現状仏教と言えるだろう。 立ち往生する女は、ただ助ければいいのみ。 まだ君は女を云々の言い訳無用。 女性に触ってはならない等、完膚なきまでに我執に捉われている ことを示すものである。 釈迦がその掟を作ったのであるならば、完璧に曲解と言えるだろう。 だれに教わったかしらんが筋違いも甚だしいと言える。
918 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 23:39:27.89 ID:pV7b6s7G
>>915 ばかだなぁ
弥陀の救いは十方衆生を相手に誓われたお約束だからこそどんな悪人でも救われるんだよ
おまえは大無量寿経よんでからウンチクたれろよ
世自在王仏は法蔵菩薩にそんな誓願は無理だからやめとけとなんども諭してる
そんなものはスプーンで海の水をすくい尽くすような無謀だとな
これは真宗の安心の肝心なところだからよく読め。
>>917 女を抱くことを縛らずに僧の規律が保てると思うか?
その僧は和合僧を破る重罪を犯したのだぞ?
そんなことも分からないのかよ
922 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 23:48:24.49 ID:pV7b6s7G
>>919 真宗も善導も関係ない
オマエは二枚舌だな
オレの油断が悪かったすまぬ
>>920 僧とは我執からくる妄想観念の被害者だなw
>>922 どこが二枚舌だよww
基本中の基本だぞ
925 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 23:51:38.50 ID:pV7b6s7G
>>923 はいはい、口だけ達者な理想主義者は現実的な行動にまったく責任をとらないよな
自分は聖人でもあるまいに、そうはならないかもしれないってだけで自分に都合のよい決まりにとびつく
928 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 23:54:52.73 ID:pV7b6s7G
いまさら功利主義かよw じゃあ、100万のローマ市民の快楽のためには、一人の剣奴が殺されてもいいわけか?
>>926 なるほど、自分に都合のよい決まりにとびつくのが僧というものだなw
そのような僧というものが聖者になどなれる訳がないw
>>928 イミフ、下衆はめぐんでも逆恨みするからかなわんな
>>930 はぁ?自分というか和合僧にとってのよい決まりなんだが、戒は。
104 1/2 sage 2010/06/10(木) 20:43:41 ID:LQQ+TrJr 仏教が、非生産的であり、出世や利益(利潤)・余剰追求をしない価値観である ということは、留意されていい。 勿論、それは、世俗的価値観からすればマイナスの性格を持つ。 (だから、世俗の価値観に於いても、(理由として)そのフォローは必要とされる。) 今、これを托鉢という行為に引き当てて見てみよう。 (仏典にも、具体的にそのような記述があるが)、 托鉢に回った時、一軒も施して貰えなかったとしよう。或いはほんの少しだったとしよう。 その時、行者には次のような考えが起きる。「もう一度回ったら、貰えるかもしれない」、と・・。 だが、その考えは「私にとって(=修行者にとって)ふさわしくない」と、はっきりと排斥される。 この境界が、まさに、世俗と聖、在家と出家の(価値観の)明確な境界となる。 世俗的に見れば、「もう一度回って食を得て、身体の維持に資させる」ことは、 寧ろ目指されるべき判断だろう。 (また、身体の維持自体も聖なる価値観に於いて蔑ろにされるわけではない。) だが、釈尊は再度托鉢に回ることをしなかった。 なぜか。 それは、「施物に余裕の無い所に対しても、しつこい勧誘になる」し、 「もっと欲しい」「食べたい、空腹を満たしたい」 或いは「“食べれない”ということ、一食抜くということがあってはならない」 といった欲の肯定或いは保身に繋がっているから。 *そういう【形式に捕らわれている】という言い方をしてもいい。 (一般的に言えば『必ず一日3食食べねばならない。【2食の日があってはならない】』という【形式】に。) 捕らわれている、と。) 「自己の欲求(欲、ひいては貪り)を【肯定し】、【それに従うことを意味する】」から。
105 2/2 sage 2010/06/10(木) 20:45:12 ID:LQQ+TrJr 境界の話だったか。 たとえば、営業マンがいたとする。販路開拓の為、(あちこちに)足しげく通う。 ついに相手が折れ、繋がりができる。長い付き合いとなれば、三者(取引先・会社・自分)の利益となる。 それは儲けだけでなく「繋がり」や「信頼」、「充実感」「自信」「ノウハウ」等々、様々なものがある。 だから、再度と言わず、『相手が契約してくれるまで何度でも通う』という姿勢は、 悪い行為であるどころか、『営業マンとしてふさわしい姿勢、意気込み、情熱』ということになる。 そして、同じコースで二度三度托鉢に回った時も、財施・法施・功徳(衆生済度)として3者の利はあり得る。 そのことで、《各家の者に、“より強い”(仏)縁ができ、教えに強く耳を傾け、理解が高まる》 ということもあり得ないことではない。 だが、上で触れたように、《我欲の肯定に繋がる》ので斥けられる。 たとえ三者の利が見込まれても、【それが我欲の肯定、我欲への従属となるならば】、(それを背後に持つならば)、 斥けるのが「聖なる」「出世間の」価値観であろう。 その意味でも、この価値観の境界は押さえられるべきものとなる。 比丘(修行者・遊行者)足らんとしたなら、踏み越えてはならない境界となる。 翻って見た時、《現代日本仏教は、生活、寺院経営、伽藍の維持、慣習・前例・地域との繋がり関係性等のため》 この境界を踏み越えねばならない。 (上で言えば、【三者の利をこそ求めるべき】ということだ。これを「大乗的」と言えないこともないが・・。)
>>933 これがなんだっつの。こいつは仏教の権化か何かなの?バカなの?死ぬの?
>>935 お前さんみたいな考え方が、日本仏教を堕落させてるってのが判らんか・・・。
938 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 00:06:31.05 ID:sF1NfWPy
>>936 すまん、レスが根本的にまちがってた。
でも、何が言いたいか分からんかったので、できれば前後関係とともに説明よろ
>>933 違う、違うw托鉢云々の話は世間体というものだ。
それは単に世間体を体得しているに過ぎない。
結局逃げたか
943 :
俺のこと?w :2013/02/07(木) 01:14:52.16 ID:MOIOQ3PS
>>942 ただ我々が注意しなければならぬのは、
【宗教の世界性とか普遍性とかを口に出して言う場合、【そこには法、もしくは教法のみが意味されている】】
ということである。
【仏教が普遍宗教であると言われるのもまさにその点、つまり【「法」の側にしかない。】】
ことに我国には、仏教の現状を嘆きつつも、
【法のみを重視し、戒律に触れぬまま仏教を理解しようとする】向きもある。しかしそれでは十全たりえない。
戒律の欠落した「智慧」や「慈悲」があるのかどうか。コンテキストが脱落したテキストに意味があるのかどうか。
仏教は単なる哲学的思弁でもなければ、倫理性を欠く知的パズルでもない。
「法」が頭となり、「律」が手足となって動かなければ仏教が人間の宗教として機能することはないであろう。
原始経典の中で法と律が区分され並置されている意味もここにある筈だ。
【「法」のみでこと足れリ】とする傾向は、【三宝の理念化】と、
【出家/在家の区別を不問に付しがちな】大乗的発想によるところが大きいと思われる。
そこでは、律も法の中に隠れてしまい、【終には頭のみの仏教が金科玉条として謳歌される】に至る
というべきか。もし、戒律、実践を欠き歴史も文化も無視してこれを“仏教”と呼ぶならば、
これほど都合のよい平面的な仏教はあるまい。この“仏教”は自ら欠落した深みに
【あらゆるものを招き寄せ、あらゆるものと同化し、あらゆるものに帰入して様々な形相をとりうるからである。】
いわゆる学問仏教、大乗的仏教はこの類に属し、原始仏教や真の大乗仏教と大きく隔たっていよう。
法と律とは不可分ではあるが同一ではない。
法はいわば積極的な理念体系であり、律は消極的な行動体系に属している。
仏教が両者に基づく宗教であることを我々はよくよく承知しておかねばならぬ。
即ち、律は変化しうるものだが、決して失われてはならぬのである。』
空論者はゴチャゴチャ言うな。 生きてることが空だと思うなら、空を生きて見ろ。空也聖人の如く。 そしたらわかる。人生は空じゃない。
945 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 01:21:38.29 ID:MOIOQ3PS
ことに我国には、仏教の現状を嘆きつつも、 【法のみを重視し、戒律に触れぬまま仏教を理解しようとする】向きもある 戒律の欠落した「智慧」や「慈悲」があるのかどうか * → 具体的在り様の欠落した「智慧」や「慈悲」があり得るのかどうか 仏教は単なる哲学的思弁でもなければ、倫理性を欠く知的パズルでもない 【「法」のみでこと足れリ】とする傾向 【終には頭のみの仏教が金科玉条として謳歌される】に至る これほど都合のよい平面的な仏教はあるまい
空論者は空論に嵌っている。 空など軽く通過し、バカのように空と「慈悲」を実践するんだよ。 空論者はこれができない。だから悟れない。
伝統宗教は邪魔。陰陽の太極図で十分。 人生を無や空だと思ったら、思った通り生きてみろ。 実践すればわかる。人生は無や空ではない。 口先だけの利口者は悟れず、実践するバカ者が悟りに至る。
948 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 01:59:03.87 ID:TWzBYnbP
「死にとうない」。これが仏教者を含む「すべての人間」の究極の悟り。 簡単明瞭である。
949 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 02:32:45.38 ID:HdyesrvC
>>948 それが悟りなら多くの凡夫は最初からそう思ってるわけで、
はなから仏教なんかやっても意味ないよね。馬鹿みたい。
950 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 02:39:58.99 ID:TWzBYnbP
>>949 だから凡夫(衆生)は、生来的に悟っている。悟れないのは、鬱病の釈迦と
それが感染した仏教徒だけ。
宗教の使命は宗教などない悟りなどないと知るだけだな 食って飲んで抱いて 好き勝手生きてる人には必要ない 生きて死ぬ 他の人から見たらこれこそ最終の悟り
952 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 03:21:06.02 ID:HdyesrvC
空論教の人達はやがて必ずやってくる死を平常心で受け入れることが出来るのだろうか? 生死などないのだ。中道だと御託を並べても、結局死んじゃうんだから笑えるよね。
953 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 03:32:47.25 ID:HdyesrvC
中論の好きな空論信者さんへ。いい大人なんだからいい 加減無意味な言葉遊びの悟りごっこはやめたら?馬鹿みたいですよ。
954 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 05:39:21.56 ID:cyyLc4qR
>>952 >空論教の人達はやがて必ずやってくる死を平常心で受け入れることが出来るのだろうか?
>生死などないのだ。中道だと御託を並べても、結局死んじゃうんだから笑えるよね。
やがて心臓も脳波も停止します。
その時に横たわっている自分を見るようになります。意識には生死などないからです。
その時に泣いている家族に話しかけても誰も気付きません。
そして四十九日が経過すると先祖の中の誰かが迎えにきます。
その時です、「不生不滅、不去不来、空である」との信が強いとどうなるのでしょうか。
もし先祖の迎えも拒絶して現世に残留しましたら、涅槃どころか輪廻にも入れなくなります。
以上、横レスですが、根拠は毎年世界中で再生した臨死体験者の証言を参考にしております。
尚、長部経典の等誦経の中の5つの往き先の法を読んで理解している人は大丈夫かと存じます。
955 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 07:19:21.81 ID:cyyLc4qR
>>954 >その時です、「不生不滅、不去不来、空である」との信が強いとどうなるのでしょうか。
もちろん、「死んで終わり。輪廻などない」との信が強い人も同様でしょう。
また私の言うことが間違いであれば、死んで終わりですので、全く問題ないでしょう。
956 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 07:22:50.80 ID:rRNdcihu
>>954 空にしろ、不生にしろ、そういう意味じゃないんだって
957 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 07:54:21.99 ID:hq6+Ii2U
日本仏教、チベット仏教、禅宗のほとんどは釈迦の教えではない。 中でも禅の罪は大きい 不立文字を楯に人を罵倒したり叩いたりすることに何の意味もない。単なる自己満足の勘違い
958 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 07:58:33.63 ID:hq6+Ii2U
生煮えの言葉遊びや講釈師のような振る舞いをやめることだ 法はどこにある
959 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 08:00:54.64 ID:rRNdcihu
>>957 カラス仏教は仏教じゃないことはほとんどの人が分かってるだろう
空、不生はテーラワーダでも説くんだけど
なんで自分が分かってないって思わないかな〜
960 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 08:27:57.54 ID:hq6+Ii2U
自分が言葉を吐くときの状況にこそすべてが凝縮しています。
961 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 08:35:42.06 ID:hq6+Ii2U
ひとごとなどひとつもない。全部自分のこと そこまで気付いたとしても、それを自我が取り込んでしまっては元の木阿弥
962 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 09:58:49.06 ID:2+WBQoSt
>>957 「自己満足の勘違い」は、「己の我を以って無我を説いた」釈迦を筆頭とする。
中論とその系譜の禅は、この釈迦の勘違いを全面的に是正したもの。
開祖の無批判な盲信と開祖へのあくなき執着は、すべてカルトである。チベット
仏教は、依然として、釈迦の「無」に執着しまくるカルト。
>>952 カラス?w
誰も、《「生物としての死」が無くなる、死ななくなる》なんて言ってないのに・・(^^;
どうしてそう、架空の対論者を設定してシャドウボクシングばかりするのでしょう。
あなたのそういう不憫な姿に涙が出ますよ・・w
また、そういう生物的不死を言ってるのは、宝珠在家カラスの三馬鹿トリオでしょ? (´∀`)b
>>962 w
禅の中核が「無」だってことすら知らないのか・・。恐れ入るな・・w
ああ、でも修飾語をつければ、 「釈迦の無」じゃなくて「趙州の無」ってことになるのかw
966 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 10:16:24.48 ID:tRlXdoXW
>>959 滅びの道を説いて回っている邪教の皆さん。おはよう。
心配するな。賢い人なら君らの末法仏教はゴータマの仏教とは違うと
分かっているよ。
967 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 10:20:20.41 ID:rRNdcihu
>>966 倒錯した人か、オカルト、ヌーエイジなら、そういう人もあるいはいるかもでしょ
968 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 10:21:29.35 ID:tRlXdoXW
>>963 そういう君は誰と戦ってるの?
シャードーボクシングをしてるのは君のほうだと思うぞ(爆笑)
>誰も、《「生物としての死」が無くなる、死ななくなる》なんて言ってないのに・・(^^;
俺が君ら末法仏教のどこがいけないと批判しているのかも理解できないらしい。
この理解力の無さをみろよ。
969 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 10:26:17.64 ID:rRNdcihu
>>968 それより、カラスはこれに答えてくれ
>>693 >世界創造主、あるいは第一原因としての神のようなものを仏教じゃ認めないけど、カラスはそれが釈尊の仏教だと認めるのかい?
あるいはグノーシスで説くような神と言い換えても、釈尊はそんなもん認めないけどな、それを仏教で第一原因として認めるというなら、典拠を示してくれ
970 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 10:39:06.17 ID:tRlXdoXW
ゴータマの時代には阿羅漢を多数輩出していたのに末法の現代では 一人も輩出していない。君らは根本的に間違っているからだ。 いくら必死に座禅を組んでも、瞑想に耽っていてもゴータマの達した境地には 至れんぞ。もちろんゴータマと同じ悟りも得られない。 俺は、ゴータマと同じ境地に達する方法を知っているぞ。それを知ったとき、今の 俺ではわずかな望みはあるが、ほとんど無理だと知った。 だから今生ではほぼあきらめた。だが君ら末法仏教に毒された人達はわずかな 望みもない。特に禅宗。貴様らが何年座禅を組もうとも決してゴータマの達した境地 には至れない。残念だったね。君らがいくら座禅を組もうともゴータマと 同じ境地には至れていないのは君ら自身が一番よく知っているだろう。 もちろん竜樹もだ。奴がゴータマと同じ境地に達し、ゴータマと同じ悟りを得られないのは 奴の下らない言葉遊びでしかない中論を読めば一目瞭然なんだよ。 繰り替えすが、ゴータマが悟りを開いた同じ境地に達っするメソッドを俺は知っている。 その方法を知れば我々の世代でゴータマと同じ境地に達するものはほとんどいないことを 知る。悲しいことにね。
971 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 10:45:35.17 ID:2+WBQoSt
>>970 ゴータマやイエスの誤りは一切批判できないのか。それを「カルト」と呼ぶのだよ。
「ゴータマの境地」だって?単なる知能低下の鬱病患者じゃんw。
972 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 10:48:29.73 ID:tRlXdoXW
>>969 ほう。なら聞くが君らはビッグバン理論を否定するわけ?
あ、そうか。ゴータマの仏教じゃなく、竜樹の中論教を信奉している
君ら盲人達は、宇宙も無始無終の定常宇宙論だっけ?
おかしいね。そうなりゃ宇宙は初めもなく終わりもない元からある自性になるよね。
そうなりゃビックバン理論も否定することになるし、一切行無常の
ゴータマの仏教でもなくなる。君らはゴータマの仏教の根幹である三法印(もしくは四法印)
も知らないのか?言葉遊びの詭弁論でしかない中論かぶれの末法仏教徒よ。
特に禅宗。貴様らはゴータマの仏教の看板を下ろせよ。
973 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 10:54:37.02 ID:tRlXdoXW
>>969 さて、いつからゴータマさんは、ブラフマンを否定したんだろう?
君。知ってるのなら教えてくれないか?(苦笑)
974 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 10:56:14.01 ID:rRNdcihu
>>972 別に否定しない。世俗の言い習わしはあるがままでしょ
それと仏教ではビッグバン以前も無始時以来の輪廻なんだよ
オイラは禅も好きだが、別に禅に特化してないぞ。
テーラワーダも大乗も浄土も密教も禅も基本は同じだ。一貫してる。
縁起・空性・仮設という意味でね。
それぞれ方便として何を強調するかで道が違うだけだ。
で、典拠示せないなら、そのオカルト説は仏教とは違うと認めないといかんよ
>>972 (
>>973 )
>ほう。なら聞くが
問いで返すというのも、対論中の技法のひとつではあるけれども、
いつかどこかのタイミングでは、必ず何らかの返答を返すもんだ。
それがマナーだし、相手に対し、理解を求める姿勢を持ってます、という表示でもある。
けど、カラスは一度もそういうことしないよね。(隠居もそうだけどw)
ま、答えられないよね。
答えちゃうと仏教(ゴータマの教えうんたらかんたら)と訣別しなきゃならなくなるからねw
だから、宝珠のような綱渡り的解釈になる。
976 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 11:01:43.82 ID:rRNdcihu
>>973 以下のように『梵網経』以来、ブラフマンにしろ何にしろ、その三昧などの境地を真実とか真理と掴んでるものは輪廻を免れないというのが仏教の一貫した立場。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html > 『このように執着され固執された 見解は、このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう』と。
ブラフマンにしろ、グノーシスにしろ、タオにしろどんな記号で呼ぼうと同じこと。
それを示したのが四禅や四無色定に他ならない。
977 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 11:07:55.20 ID:tRlXdoXW
>>974 ほう。ビックバン理論を否定しないなら、仏教も創造論を肯定しているわけだ。
あたりまえだ。ゴータマの仏教は因果の輪廻の法。この宇宙もそのものも輪廻しているんだよ。
万物が全て輪廻しているのなら、創造論と矛盾しない。理解力の無いお前にこの道理が
わかるかい?わかんねぇだろうな。おっと。縁起そのものは無始無終の中道だってか?
中論かぶれのアホならいいそうだけど、そうなると縁起そのものは無始無終の自性になるわな(爆笑)
一切行無常。おかしいね〜縁起も一切(現象世界)の内にあるはずなんだけどね〜
お前はお勉強はできたのかも知れんが、智慧に欠けている。おまえは無意味な念仏を唱えて
今生を棒に振るといいよ。
978 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 11:11:18.07 ID:tRlXdoXW
>>976 俺はブラフマンとて、また、真我と呼ばれているものさえ輪廻していると
話しているんだが。またそれらも縁起してなる無自性な空だと言っているんだが。
お前は相も変わらず理解力がないね〜。
979 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 11:18:06.84 ID:rRNdcihu
昨日、NHKことばの宝船という小番組で「VTR」という言葉についてやっていた。 視聴者の質問 『“VTR”って録画機のことだと思いますが、「VTRをごらんください」という言い方はおかしいのでは?』 に答えて。 VTRには大きく二義あって 《ビデオテープレコーダー(録画機器)》と《ビデオテープレコーディング(映像、映像作品)》 のズレが、質問のような疑問を抱かせているのだ、と。 近年まで、前者は国語辞典に載ってるが後者は載っていない。後者は英語辞書にあるのみ。 そして、家庭用ビデオデッキの普及で、大衆のイメージは〔VTR=録画機器〕で定着した。 が、業界では、【その当初から】映像・映像作品の意味で、ビデオテープレコーディングの意味で使っていたし、 今も使っているとのこと。 最近では、国語辞典にも後者の意味が載るようになってきてはいるが、 私たち(アナウンサー)は、気をつけて(≒言い換えをしたりして)、 視聴者に解り易く(≒戸惑わせず)言葉を使用していかなくてはいけませんね・・という〆だった。 どっちがどっちに該当するとかでなく、 多義にわたる言葉の使用には、注意と謙虚さが必要なんだよね・・w 隠居の煩悩即菩提や無、無我・我とかw 宝珠の涅槃、無為、ヴェーダ・三明とか、在家の・・・ キリがねーやw
981 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 11:20:37.49 ID:rRNdcihu
>>978 へ〜、じゃ、グノーシス的世界の創造主は居ないと考えるわけ?
それなら中観と同じだし、もちろん釈尊もそうだけど。
そうなるとグノーシスと仏教は違うと認めないといかんよ
さて、どっちw
ところで、次スレが要るんじゃね?w
983 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 11:23:46.04 ID:rRNdcihu
>>980 言葉は曖昧だから、対話しながら確認すればいいだけ
もちろん、一方通行的なメディアでは無理だけど
その場合、重要なのは言葉が一義的だという妄想を捨てて相手がどういう意味で言葉を使ってるのかを理解するように勤めればいいだけ
984 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 11:27:43.22 ID:tRlXdoXW
>>976 真我=真理。それらも輪廻する縁起してなる無自性な空である。
だがそこに真の命がある。それさえもなければ、何にもないんだよ。
元々何にも無いんだからね。理解力の無いお前にわかればいいけど、
わかんねぇだろうな。どうもお前は論破去れまくりのトンデモさんの隠居と
俺を同じ穴の狢といういわれの無いレッテルを貼って排除しようと
しているようだが、俺は隠居と違って君らを論破した覚えはあるが、論破
された覚えは無い。また、宗教的にみれば、隠居と違い決しておかしな話を
しているわけではない。俺は隠居とは明らかに人種が違う。それを
的違いなレッテルを貼って無能扱いにする君らの種族お得意の陰湿で陰険な
根性を直さない限り、君には真理を悟る智慧は宿らないよ。
つまり根性の汚い人には真理を悟る智慧は宿らない。これ、本当の話だから。
985 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 11:33:50.63 ID:rRNdcihu
>>982 逃げ道残してあげたほうがよくないかい?
>>984 縁起・空性・仮設というのは虚無じゃないんだよ
対象作用、効力はある
論破ねえ、誰かと勘違いしてんじゃないの
で、このままグダグダいいわけして典拠を示すこともできず、
仏教とグノーシスが違うとも認められず、逃げるわけ
986 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 11:37:08.64 ID:tRlXdoXW
>>979 ほう。じゃぁ十二支縁起の頭に来る無明は第一因ではないわけだ。
こいつは驚いた!竜樹の中論みたいに詭弁をいくら極めても悟れんぞ。
>仏教的にはビッグバンも宇宙の終わりも何度でも繰り返すし、宇宙も多元的だ。
>一つの宇宙がなくなってもまた一つの宇宙が多くの宇宙の中で縁起するだけのこと。
だから俺もこの宇宙そのものも輪廻を繰り返していると言ってるんだよ。本当に
理解力の無い人だ。
>>981 なんだ、このちんぷんかんぷんな問いは。何度も繰り返すけど、君は本当に理解力が無いね。
987 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 11:39:19.48 ID:tRlXdoXW
>>985 >縁起・空性・仮設というのは虚無じゃないんだよ
>対象作用、効力はある
だからよ、誰も、縁起・空性・仮設というのは虚無だなんていってねぇんだよ。
お前は本当に理解力が無いね。
988 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 11:46:11.75 ID:rRNdcihu
>>986 >ほう。じゃぁ十二支縁起の頭に来る無明は第一因ではないわけだ。
第一因ではない。それじゃ縁起じゃない。
それは部派等では勘違いしている。
そこを述べたのが龍樹菩薩の『因縁心論』
で、仏教とグノーシスは違うかい?
まあ、答えなくてもいいけど、これからはいつも聞くんでよく考えといて
989 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 11:46:57.01 ID:tRlXdoXW
>>985 おまえ、まともに議論したいならハンドル出せよ。
お前は他人にハンドル出せとか抜かしながら自分自身はずっと名無し
なのな。ここにお前の我の強さが現れている。四の五の言わず
他人と議論したいならハンドル出せよ。それが礼儀だろ。
まぁいい。俺は夜仕事なんで少しでも睡眠をとらないといけない。
おやすみだ、縁起脳のアホ。おまえは一度こてんぱんにやっつけないといけない。
恥かいても動じない強い心があるなら堂々とハンドルだして発言しろよ。
我の強いお前にはできないだろうがな。
990 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 11:50:03.30 ID:rRNdcihu
なんで ID で充分だろ コテンパンか、今日はコテンパンにされたよなw 別にそういう勝ったとか負けたとかどうでもいいは しかし、仏教はほんとに素晴らしいんで、つまんない誤解を素直に捨てれば道は開けるかもしれないぞ〜 そこは自分の心に掛かってる
991 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 11:56:52.90 ID:tRlXdoXW
>988 君らの種族お得意の揚げ足取りご苦労さん。 俺はあくまで十二支縁起に対する第一因の話をしているんだよ。 もちろん無明も他に縁して成っている。たく、原発の御用学者と同じで 詭弁、揚げ足取りを駆使して議論に参加する人達とはまともな議論はできんな。 で、仏教とグノーシスは違うというならで、どう違うか答えておいて もらおうか。ま、理解力の無いお前はグノーシスを理解してもいないのに 違うと言ってんだろうけど。
992 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 11:59:04.81 ID:tRlXdoXW
>>990 俺がいつおまえにコテンパンにされたんだよ。
おまえいつも的外れなレッテル貼りばかりやってるよな。
おまえは邪悪なんだよ。
993 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 12:01:10.91 ID:rRNdcihu
>>991 揚げ足取りじゃない、そこは重要なところだ。
何か始原を設定するなら縁起じゃない。
それと生命教とかカラスとか遊びに共通するのは単純な誤りを認められないこと。
これじゃ話にならないんだは。
三人ともそこなおさんとしょうがない。
カラスはここで罵倒して偉そうに書くことでエゴに餌やるようなことして自我を保ってるのかもしれないが、そんなことなら他所でやった方がいい
間違いは間違いと認められないなら、他人と話す意味がないぞ
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>992 >おまえいつも的外れなレッテル貼りばかりやってるよな
自己紹介かよwww
995 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 12:02:20.56 ID:rRNdcihu
>>992 へ、だって仏教とグノーシスが違うかどうか答えられないじゃないの?
w
>>991 >どう違うか答えておいてもらおうか
散々書き込まれてるじゃんwww ちょっとレスを遡るだけで済むぞw
しかし、なんつーか、こういう (対論時の)「姿勢」 に関しては、 隠居・在家・宝珠・カラス、4人ともそっくりだよな・・・ ┐(´ー`)┌
998 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 12:11:25.64 ID:tRlXdoXW
>>990 おっと。誰に対してのコテンパンは誤読したか?
ま、しょうもない人の、しょうもない投稿はほとんどまともに読んでないからな。
特に中論かぶれの本質的には全く無意味な詭弁論を得意げに
話すアホの投稿は。たしかにゴータマの仏教とは違う君らの末法仏教と
グノーシスは違うということは認めてあげよう(苦笑)
さて、本当にもう寝るわ。おやすみだアホ共。早く悟れよ。
999 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 12:18:09.49 ID:rRNdcihu
>>997 オイラは在家・宝珠の変わりに遊びを入れるけどな〜
在家・宝珠は単純な間違いを認められる。
本質的違いは認められないのは仕方ない。
三人は簡単な誰でも分かる誤りも認められないからな〜
1000 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/07(木) 12:28:21.95 ID:tRlXdoXW
>>993 重要なレスを見逃していた。
ここは例のウダーナの話に繋がる。
貴様らのウダーナの見解はただの曲解だということを
時間のあるときにじっくりやろうじゃないか。
1001 :
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