1 :
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2 :
神も仏も名無しさん:2012/12/04(火) 18:02:40.63 ID:tTwB3ITO
仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。
主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、明確な答えは出ないかもしれません。
皆で協力しあって何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。
初心者にはやさしく接してあげてください。
良ければ出典などを示してください。質問する人がどんな本を読めばいいかの目安になります。
明確な出展なく自説を述べる場合は、その旨はっきりさせると無用な議論の紛糾の防止になるでしょう。
無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。
*「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」
等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに
他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、
『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。
【前スレ】
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート31
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1336302241/ 【過去ログ・関連スレは
>>2-5辺り】
※みみずん変換は、URLの 「 /psy/0000000000 」を残し、
それより前を「
ttp://mimizun.com/log/2ch/ 」へ。
3 :
神も仏も名無しさん:2012/12/04(火) 18:03:34.49 ID:tTwB3ITO
4 :
神も仏も名無しさん:2012/12/04(火) 18:08:01.15 ID:tTwB3ITO
5 :
神も仏も名無しさん:2012/12/05(水) 02:08:26.66 ID:eB2Kt38S
1おつ!
6 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=32,xxxPT】(2+0:3) :2012/12/05(水) 13:02:42.31 ID:QLWSjSB/ BE:1437143573-2BP(333)
質問です。
それは、釈迦如来と阿弥陀如来のちがいです。
「無量寿経」を買ってみましたが、まだ本が届いてません。
釈迦如来は涅槃を目指し、阿弥陀如来は極楽浄土を目指しているという
決定的ちがいがあると思います。
ここに、日本の浄土系宗派の謎を解く秘密が隠されているのではないかと思うのですが。
7 :
神も仏も名無しさん:2012/12/05(水) 18:46:55.75 ID:CdsJs4gZ
>>6 記憶喪失した男 忍法帖【Lv=32,xxxPT】(2+0:3) ID:QLWSjSB/ さんへ
無量寿経が届いた後に
この書籍を最初から最後まで読んで
そして、わからない所が、あれば質問して下さい
「解説書などを最初から最後まで読むのも修行の一環である」と考えて見て下さい
8 :
神も仏も名無しさん:2012/12/05(水) 20:36:57.04 ID:FezHcTIF
>>6 >釈迦如来は涅槃を目指し、阿弥陀如来は極楽浄土を目指しているという
>決定的ちがいがあると思います。
極楽浄土は涅槃に至る、つまり如来になるための修行場(の一つ)です。
その点で釈迦と阿弥陀に決定的な違いはありません。
上座部は阿羅漢を目指し、大乗は菩薩→如来を目指します。
阿羅漢も如来も涅槃に至り輪廻を脱出する点では変わりありませんが、
阿羅漢の場合、最後の生を終えると宇宙のどこからも消えてしまいます。
少なくとも、六道に再度現れ、衆生に手をさし伸ばしている、という話はありません。
如来の場合、仏国土(浄土)を構え、救済活動を続行することができます。
そのため大乗仏教は阿羅漢ではなく如来になろうとします。
上座部で如来になることを目指さないのは、阿含経では、
釈迦は信者たちに如来になることを説いていないからです。
仏弟子たちがなっているのは阿羅漢です。
9 :
another:2012/12/05(水) 22:21:14.71 ID:oLkSHr/D
>>8 >極楽浄土は涅槃に至る、つまり如来になるための修行場(の一つ)です。
違う。
普通の人は涅槃にいく。如来が極楽にいく。豪をもったものは地獄にいく。
極楽は修行の場ではない。
別の表現をすれば如来こそが極楽である。
釈迦の口を借りるとこうなるだろう。
法を法としてとらえるられるとき(如来)こそそこが極楽である。
10 :
another:2012/12/05(水) 22:22:35.76 ID:oLkSHr/D
11 :
神も仏も名無しさん:2012/12/05(水) 23:01:21.93 ID:WP4EZ1mf
日本では、どの団体が本物の仏教組織なのですか?
>>11 何を以て「ホンモノ」とするかによるから、何とも言えないね
「釈迦直伝の教えを守っている団体」と言う意味なら、地球上にそんなものは存在しないしなw
自分で好きに決めたら?
13 :
another:2012/12/05(水) 23:15:01.37 ID:oLkSHr/D
>>11 少なくても釈迦牟尼を本尊としてないと、あちらの方向に進んでるとしか思えないね
>>11 ID:WP4EZ1mf さんへ
> 日本では、どの団体が本物の仏教組織なのですか?
もし仮に「初期仏教的なものを本物である」とするのなら
http://www.j-theravada.net/2-thera.html テーラワーダ(初期仏教・上座仏教・上座部仏教、根本仏教・原始仏教などとも云われます)
_ _ _
検索すれば他にもあるかもしれませんが
「何を以って本物とするのか?」と言う定義が必要になるかもしれません
15 :
神も仏も名無しさん:2012/12/05(水) 23:24:43.49 ID:FezHcTIF
>>9 普通の人はなかなか涅槃できずに転生します。
極楽とは阿弥陀如来の浄土(仏国土)の名称です。
地獄以外の六道に転生するのも業によるものです。
少なくとも仏教ではそうなってます。
16 :
神も仏も名無しさん:2012/12/05(水) 23:25:01.02 ID:WP4EZ1mf
「釈迦直伝の教えを守っている団体」と言う意味なら、地球上にそんなものは存在しない」
そうなのだとすれば、そもそも仏教とは何なのですか?
「釈迦牟尼を本尊としているテーラワーダ」が本物とみてよいのですね。
ありがとうございました。
17 :
another:2012/12/05(水) 23:29:45.33 ID:oLkSHr/D
>>16 私は2500年来の釈迦のパズルを完全に解いたただ一人の人間であるから
仏教とは釈迦と私しか理解していないきわめておかしな教えであると
定義できると思う
>>16 貴方がそれで満足ならそれでもいいが、
他にも、「釈迦の真意を記した大乗経典を信仰する仏教」とか、
「慈悲の心で人々を救ってくれるスーパーブッダの阿弥陀が教える仏教」とか、
「ハワイの山頂から発掘された、現代に即した教えを説く仏教」とか、色々あるぜw
19 :
神も仏も名無しさん:2012/12/05(水) 23:43:19.10 ID:2oq6K6e7
>>9 浄土は修行の場です。
極楽浄土に生まれた者の寿命は無量になるので、
悟るまで死なずにいつまでもいつまでも修行できるのです。
普通の世界では修行の途上で死んじゃうリスクが高い。
死んだら次は虫になるか獣になるかわからないから、修行ができなくなるかもしれない。
その点、極楽は「卒業できる実力がつくまで決して退学にならない学校」なのです。
>>13 anothe さんへ
> 少なくても釈迦牟尼を本尊としてないと、あちらの方向に進んでるとしか思えないね
あちらの方向と言うのは
例えば『西方極楽浄土とか?』ですか?
21 :
another:2012/12/05(水) 23:45:30.21 ID:oLkSHr/D
>>18 所詮それらは如来ではない。パズルが解けてこそ如来だ。
22 :
another:2012/12/05(水) 23:48:12.57 ID:oLkSHr/D
>>20 たとえば病気なんかでこまっってる人から布施を取るために
薬師如来とか作って本尊にしてるとか釈迦の教えを軽く扱っているみたいな
>>18 ID:nA6t+qpm さんへ
> ハワイの山頂から発掘された、現代に即した教えを説く仏教
勉強してみたいので ↑ リンクの貼り付け、お願いします
24 :
another:2012/12/05(水) 23:58:13.68 ID:oLkSHr/D
実は先日まで経典の半分くらいしかわからなかった。
色即是空の空の意味は3年くらい前にわかっていた。(もちろん一般に言われている意味ではない)
昨日だか忘れたが非想非非想の意味がわかったときガラガラとおとを
たててパズルが崩れ去った。すなわち釈迦の教えが如来した。
歴史的瞬間だった。
>>23 日本仏教の再生 (仏教文化選書) [単行本]
ジョージ タナベ (著), 鳥井 由紀子 (翻訳), 星野 英紀 (翻訳)
これの巻末に「ダイアモンドヘッド教」という経典が載ってるよ
>>22 >布施を取るために薬師如来とか作って本尊にしてるとか
wwwww
馬鹿じゃね?w
>>24 another さんへ
> 非想非非想の意味がわかった
「想うことはない、そして想わないこともない」と言う意味で良いんですか?
>>25 さんへ
> 日本仏教の再生 (仏教文化選書) / ジョージ タナベ (著), 鳥井 由紀子 (翻訳), 星野 英紀 (翻訳)
> これの巻末に「ダイアモンドヘッド教」という経典が載ってるよ
↑ 了解いたしました
どうも大乗の見勝手な論理を振りかざして、
“これが(正しい本物の)仏教”みたいに語る人もいますが注意が必要です。
本来は阿羅漢と如来に違いなし。大乗は高度で素晴らしいという思い込みと
南方仏教を低きものだと見なすレッテル貼りから、遂には根本仏教までも誤解を起します。
仏(如来)のことを阿羅漢といいます。
-----------------------------------------------------------------
『世尊は次のように語った。「大王よ、如来はこの世に(人間としての)生を受け、阿羅漢、
完全なさとりを得た者、知と行とを身にそなえた者、善逝、世間を知れる者、この上なき者、
人々を真理に導く者、神と人との師、仏陀、世尊なのです。」』(沙門果経39-40)
『このように阿羅漢は存在するというだけで世を救い人々を幸福ならしめる者であって、 仏は当然
に阿羅漢である。』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
『仏教では、はじめはさとりをひらいた人---めざす宗教的理想を実現した人---を阿羅漢と呼ん
でいた。ところが後代になると、個人的なさとりに満足している小乗の修行の完成者のこととされ、
ブッダや、自分のさとりを放棄して他人の救済をめざす菩薩とは、区別されるようになった。』
(中村 元編『仏教語源散策』東京書籍)
31 :
another:2012/12/06(木) 00:56:29.77 ID:UL1prt7d
>>27 まぁそんなような感じかな。
正確に説明するとあんたに如来になるチャンスを与えてしまいそうでw
まぁここにいる他の連中より学ぼうとする姿勢だから菩薩として扱おう。
釈迦は少なくとも如来は自分ひとりだけで充分であると思っていたに違いない。
如来が大勢いたら仏教の価値もいまのようになかったかもしれないという
矛盾をはらんでいてデリケートなんだよ。
おれもこの解いたパズルは近くの寺に奉納封印するよ。
ひとつだけ教えてやるけど釈迦如来は非想の必要がない
32 :
another:2012/12/06(木) 01:04:11.32 ID:UL1prt7d
>>27 もうひとつ。如来という概念は必然的に発生する。
だから釈迦以外のどこかの星の人が釈迦と同じアイデアをもつと
如来という概念を必ず作り出す。というしろもの
>>31 another さんへ
> ひとつだけ教えてやるけど釈迦如来は非想の必要がない
釈迦の場合は
もうすでに「想を滅し尽くしているので、非想非非想処定を、おこなう必要がない」
と言う意味ですか?
34 :
神も仏も名無しさん:2012/12/06(木) 01:09:43.83 ID:SAH8B3qs
僕は創価学会横須賀総県平和県横須賀圏横須賀桜山支部男子部の高橋裕之です!
目標は女子部と結婚すると年末ジャンボで6億円当てる!ことです!
あと家を持つことです!
全国の同志の皆様方題目を送って下さいよろしくお願いします
35 :
another:2012/12/06(木) 01:22:55.59 ID:UL1prt7d
>>33 残念ながらちがう。
そもそも如来には想が最初からないということ。
なぜなら法(般若)が如来しているから。
では衆生はどうだろう。それを耳で聞いた(受)のだよ。
> 題目を送って下さい
礼拝帰依/ブッダン サラナン ガッチャーミ
普礼真言/オン サラバ タタギャタ ハン ナマンナノウ キャ ロミ
地蔵菩薩/オン カカカビ サンマエイ ソワカ
屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮
↑ ちなみに題目って真言の事ですよね?
例えば
「如来エネルギーを感受した」
「如来エネルギーを体感会得した」
↑ こんな感じですか?
>>36 真言を勉強するならば梵語梵字を学習してください。
般若心経ももともと梵字で書かれています・・・・。
ブラーフミー文字ですね・・・。
「題目」とは日蓮が発明した法華経のタイトル(題目)を唱えること。「南無妙法蓮華経」です。
聖書主義と同様の野蛮な原理主義的僧侶だったのでしょう日蓮というのは・・・。
「真言」はもう梵語をそのままです・・・。
これはしっかり梵語や梵字を勉強して下さい。
インドのことを昔は婆羅門国と言っていました。その国の言葉なので略して梵語です。
バラモン(婆羅門)は、宗教者と学者を兼ねるようなもので、当時は王侯貴族武士を凌ぐ勢力でした。
39 :
another:2012/12/06(木) 01:40:58.30 ID:UL1prt7d
>>37 いまいち修行が足らないな。しかたないか。
して感受会得したあとどうなるの?感受会得した状態は空といえるか?
例えば
「空を体感会得して、そして如来に至る」とか?
42 :
another:2012/12/06(木) 02:04:19.24 ID:UL1prt7d
>>40 全然理解してないので安心した。
まず空を理解していない。これはしかたない。
やはり釈迦の作ったパズルはよくできている。理解しようと努力する人を
ことごとく跳ね飛ばす。
ナーガールジュナが頓珍漢やったからなおさらだなぁ。
うーむ、やはり釈迦みたいな対応になっちまうのかぁ。
ひとつ教えとくが、釈迦の教えより現代科学のがずっと役にたつ。
まぁ釈迦の教えも役に立つ人には大変役にたつものではあるが
修行積めば詐欺にひっかからないとか、うーむ
どうだろう。そんなに涅槃にいくことが必要だろうか。
43 :
another:2012/12/06(木) 02:06:21.49 ID:UL1prt7d
44 :
神も仏も名無しさん:2012/12/06(木) 02:13:54.78 ID:apvfAi8l
>>29に補足。
29で列挙されているのは如来十号というものです。
釈迦は自分を含め過去七仏の存在を説くことはありましたが、
通常の阿羅漢を他の如来十号で呼んだことはありません。
経典中、地の文で呼ばれることもありません。
女性は阿羅漢になれますが、正等覚者にはなれない、とされています。
45 :
another:2012/12/06(木) 02:15:03.26 ID:UL1prt7d
やはり釈迦と同じ境地になるね。パズルはパズルのままにしておこうと
どおしてもなるね。
宗教で金儲けなんて考えてるやつらが大勢いるから気を付けないとな。
資産100億でいつもはFXや株のスレにいるよ。
やはり宗教スレはバカしかいねぇな。期待はしてなかったけど。
でもあれだ金儲けるとき般若心経は結構役に立った。
46 :
金剛界秘密荘厳院平安堂:2012/12/06(木) 02:17:02.16 ID:QsYw1Y1v
真言を勉強するならば梵語梵字を学習してください。
般若心経ももともと梵字で書かれています・・・・。
ブラーフミー文字ですね・・・。
「題目」とは日蓮が発明した法華経のタイトル(題目)を唱えること。「南無妙法蓮華経」です。
聖書主義と同様の野蛮な原理主義的僧侶だったのでしょう日蓮というのは・・・。
「真言」はもう梵語をそのままです・・・。
これはしっかり梵語や梵字を勉強して下さい。
インドのことを昔は婆羅門国と言っていました。その国の言葉なので略して梵語です。
バラモン(婆羅門)は、宗教者と学者を兼ねるようなもので、当時は王侯貴族武士を凌ぐ勢力でした。
47 :
another:2012/12/06(木) 02:17:49.55 ID:UL1prt7d
そもそもおれに仏教スレ同じ質問してきたやつは仏教スレのオレの書き込みを
まったく理解していなかったから変だとは思った。
48 :
another:2012/12/06(木) 02:26:14.03 ID:UL1prt7d
でもあぶねぇとこだった。キチガイに教えちまうとこだった。
だけどことばだけでは絶対わからないようなパズルだからねぇww
つねにあるイメージを思い浮かべていないと達することができないもんだから
まぁ安心ちゃぁ安心。図がある経典みたことないだろ。それがすべてを物語っている。
図を書いて次元をひとつあげないとわからない。だから理解できるやつは今後もあらわれない。
それでよかろう。と思ったがやはり本かいちゃおうかなぁ。
49 :
神も仏も名無しさん:2012/12/06(木) 05:04:36.68 ID:0e0EH44D
どうも、仏ってのは自分の目的が全てで人の目的がそれに合致する場合のみ
力を貸すことがある、誰かが困ってても興味は無い
そういう存在にしか見えない
50 :
神も仏も名無しさん:2012/12/06(木) 08:15:59.84 ID:b9xxmMmR
>>49 お釈迦様だって、他人に頼まれたら教える、
弟子にしてと言われたら弟子にする、という感じだしね。
ブッダは医師に例えられる。
患者が訪ねて来たら治療する。
また、患者が「治したい」と思ったときに初めて医療(仏教)の出番となる。
51 :
神も仏も名無しさん:2012/12/06(木) 09:05:56.70 ID:l+ksAFn0
52 :
ミ:2012/12/06(木) 09:15:17.17 ID:4iUc15OA
>>50 釈迦は悟りの後も、遊行し民衆の中に入って法を説いいている
求める者だけを救おうとしたのではない
53 :
神も仏も名無しさん:2012/12/06(木) 12:24:07.87 ID:b9xxmMmR
>>52 求める者を探して遊行したのでしょうね。
しかし、街頭演説(辻説法)みたいな押せ押せの布教のイメージはありません。
知り合いに、がきの姿がみたいな事言われたんですけど
55 :
神も仏も名無しさん:2012/12/08(土) 00:28:35.40 ID:MsH05GJh
楞伽経について教えてください!
楞伽経に出てる羅刹はマハーバーラタの羅刹と同一の羅刹でしょうか?
楞伽経の執筆集団はマハーバーラタの時間軸と釈尊在世の時間軸を同一と捉えていたのでしょうか?
57 :
神も仏も名無しさん:2012/12/08(土) 16:37:45.50 ID:lA6LRfnJ
>>56 長いんで見てないけど、以前見たり読んだりした限り
全く信用できないハッタリ屋だよ
仏教を知りたいなら、そんなん見ないでね
58 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/12/08(土) 17:56:25.32 ID:t5P45YO9
>56
最初だけ見たが、随分いい加減な事を言っている。
仏教とは縁起を説く教えであり、阿含から一貫した共通認識。
大乗は空を説くが、縁起も説く。
釈迦はバラモンになろうとはしてない。
むしろ反バラモン教的立場。
当時は既にバラモン教衰退期であり、バラモンになろうとしても殺されない。
天台の僧云々は資格だけ金で買ったのでしょう。
スッタニパタも真面目に読んでない素人ですね。
誰かと思ったら苫米地(劣)の方かよwww
話にならん。 知識を寄せ集めてモザイク上にしただけで、
「自身としての一貫性」すら怪しい。
ましてや「伝統解釈」「通仏教的解釈」には掠りもしてないでしょ。
かといって「新しい研究成果」への触れ方も、ムー読者のベクトルだし。
仏教以外(たとえば心理学的側面とか)では聡明なんだろうけど、
その聡明さが仇となって、仏教関係は「(整理のついてない)単なる知識の寄せ集め」でしかないと思うよ。
>>56
>>55 ま、同一でしょ。
でも、 >マハーバーラタの時間軸と釈尊在世の時間軸を同一と捉えていた かどうかは
ハテナマークw
名称として(同種のものとして)採用されてるだけかもしれない。
つまり、相似した内容(≒質)を持つものを同じ記号で呼んでいる、と。
たとえば、「民兵」という言葉を考えてみたとき、
A時代のイ地域で起きた革命運動の際に見られた兵隊と、
B時代のロ地域で起きた対侵略戦争で見られた兵隊と、
同じではないし、同じものとして「民兵」という呼称(自称)が用いられるわけではない。
あくまでも、そこにあるのは、カテゴリ、記号としての「民兵」。
同じように、記号、呼び名、ラベル、通称等等としての「羅刹」ってことでしょ。
>>57>>58>>59 そうですね。面白いのでころっと言ってしまいそうですが、話半分に聞いておくことにします。
>>57 私が擁護するのもなんだかおかしいですが、一応
動画では、釈迦の説いた教えと実際の悟りの違い、上座部と大乗の縁起と空の概念の違いを言っていますので前半の批判は成り立たないと思います。
また、バラモンになろうとしたというのは、ダンマパダにあるような理想の修行者というか人物像の事を言っているのではないでしょうか。
それに反バラモン教的立場だからこそ、バラモンになろうとしたのではないですか。
バラモン教を信じる人であればあるほど、バラモンでない人がバラモンになろうなどと考えるはずが有りませんから。
あと最後に一つだけ。釈迦が生きている時代に弟子たちが毒殺されたなんて話は、実際残っているのでしょうか?
62 :
61:2012/12/08(土) 18:34:37.16 ID:WBKjgQoL
無意味な連投すいません。
後半の反論(笑)は、57さんでなくて
>>58さんへです。失礼しました。
63 :
神も仏も名無しさん:2012/12/08(土) 18:47:46.07 ID:MsH05GJh
すみません、質問の仕方がおかしかったです。
ラーヴァナを羅刹と呼称したつもりだったのですが、羅刹と調べてみたら色々種類があり、
自分が質問したかったのは羅刹の中のラーヴァナについてです。
それとマハーバーラタじゃなくてラーマーヤナでした。
せっかく答えて下さったのにすみませんでした。
しっかり調べ直したのでもう一度質問させてもらいます。
楞伽経に登場するラーヴァナ王はラーマーヤナのラーヴァナ王と同一なのでしょうか。
もし同一だとしたら
ラーマーヤナでランカーを根城としているラーヴァナが出てきますが後にそいつは退治されてしまいます。
けれども釈尊は楞伽経でスリランカを占拠したラーヴァナと対話しています。
つまり楞伽経の執筆集団はラーマーヤナにおいてラーヴァナ王がランカーを占拠してからラーマに討たれる間に釈尊と会ったと考えていることになります。
それとも記号として、ランカーを占拠して他の神様に意地悪をして王室からシーター姫を盗む悪魔を総称としてラーヴァナと呼称して
ラーマーヤナ登場の本人のそっくりさんをわかりやすく説明するがためにラーヴァナと呼称したに過ぎないのでしょうか。
また、仏典において叙事詩にのみ登場するような登場人物との共演は他にもあるのでしょうか?
64 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/12/08(土) 18:57:06.71 ID:t5P45YO9
>61
毒殺云々は私は知りません。
また、20年ほど前に習った話では、
古代インドでは老後に出家者(ヨガ行者)となるのがステータスであり、釈迦は若くしてヨガ行者となった。
バラモン教の知識はクシャトリア期の教養として習得したとする説が有力。
と聞いています。
バラモン教衰退期にバラモン教以前からのヨガという行法があり、ブッダとはバラモン教ではなくヨガの理想像です。
具にはご自身でお調べ下さい。
65 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/12/08(土) 19:03:23.65 ID:t5P45YO9
>63
インドの神話には正統というものは存在せず、実に様々なヴァリエーションが継承されています。
時系列も生死もムチャクチャですが、それぞれの精神は共有されている、まぁそーゆーものだと割り切って下さい。
>毒殺
チュンダの供養のことでしょ。
その可能性もゼロではない、って程度の話。
67 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/12/08(土) 19:41:59.04 ID:t5P45YO9
>66
あー。そりゃあアタマおかしいわ。(笑)
>>67 けど、可能性として面白いやら?w
で、閻魔じゃないがw、教線の拡大スピードからすれば怨みを買って当然でしょw
実際、奸計が逸話として伝承されてるわけだし。
69 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=35,xxxPT】(3+1:3) :2012/12/08(土) 20:08:06.78 ID:UXcUsAXp BE:410613023-2BP(333)
690 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=35,xxxPT】(1+0:3) :2012/12/08(土) 20:03:56.12 ID:nOarh/+30 ?2BP(333)
仏教で反体制の書となると、何があるかなあ?
70 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/12/08(土) 20:12:54.62 ID:t5P45YO9
>68
BLネタを隠れてやるのは何故か知ってるか?
>69
立川とかか?
71 :
神も仏も名無しさん:2012/12/08(土) 20:16:11.86 ID:lA6LRfnJ
>>61 >動画では、釈迦の説いた教えと実際の悟りの違い、上座部と大乗の縁起と空の概念の違いを言っていますので前半の批判は成り立たないと思います。
学会の通説では違うとされてますが、同じですよ。
少なくとも龍樹菩薩や、中観派の王道はそうです。
>それに反バラモン教的立場だからこそ、バラモンになろうとしたのではないですか。
釈尊は反バラモンではありません。かといってバラモン信奉者でもありません。
それが中道です。世間はあるがままです。
あるがまま?それさえもねーよwというのが釈迦
73 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=35,xxxPT】(1+1:3) :2012/12/08(土) 20:33:14.94 ID:UXcUsAXp BE:821225243-2BP(333)
>>71 最後と言いましたが、気になったので。
>学会の通説では違うとされてますが、同じですよ。
この人も、(上座部は認めないかもしれないけど)空も縁起も結局同じこと。
ただ、概念としては、縁起のほうが先に説かれているみたいな事を言ってます。
>少なくとも龍樹菩薩や、中観派の王道はそうです。
これって、動画でもありましたが、ツォンカパやゲルグ派と言われている宗派のことですか?
動画でいうと2の6分〜7分30秒の辺りですね。
http://www.youtube.com/watch?v=0sYFQqbeuCE
75 :
神も仏も名無しさん:2012/12/08(土) 21:11:22.26 ID:lA6LRfnJ
>>72 ちがうちがう。世間の習わしはそれぞれあるがままに認めるのが釈尊
それは幻のようなものだけど、
>>74 >これって、動画でもありましたが、ツォンカパやゲルグ派と言われている宗派のことですか?
違います。ゲルクは中観の特殊説です。
むしろ、ほとんどゲルクだけが特殊な中観です。
他は、インド、シナ、日本、チベットで細かい違いはあっても基本的に一致しています。
ですが、文献学でゲルク説が19世紀以来、権威ある情報源とされてきたので、
最近まで中観研究は倒錯してきました。
現在は、過渡期です。
>>75 >違います。ゲルクは中観の特殊説です。
ゲルクは、現在チベットで最大の宗派であり、ダライ・ラマや中国との問題などで
メティアへの露出も多いので思想的にも主流だと思ってんですけど違うんですか。
では、特殊でない中観(あなたの言う他)というと具体的になんですか?(何度もすいません)
78 :
神も仏も名無しさん:2012/12/08(土) 22:03:25.12 ID:lA6LRfnJ
>>76 >ゲルクは、現在チベットで最大の宗派であり、ダライ・ラマや中国との問題などで
>メティアへの露出も多いので思想的にも主流だと思ってんですけど違うんですか。
そうです。最大宗派です。ですが、信者が多いことと、正統であることは関係ないでしょう。
例えば、日本では日蓮系は多いですが、それが正統仏教ではないようにです。
>では、特殊でない中観(あなたの言う他)というと具体的になんですか?(何度もすいません)
インドの中観、龍樹菩薩、提婆菩薩、月称菩薩、寂天菩薩など。
チベット、サキャ、カギュ、ニンマなど。
シナ・日本、三論、華厳などです。
以上は、基本的に戯論寂滅を目指し、あらゆる見解を遮断するという意味で同じです。
>>75 世間の習わし何でもかんでもてわけじゃねーぞ
そこんとこ勘違いするなよ
80 :
神も仏も名無しさん:2012/12/09(日) 06:48:58.48 ID:W+I7vCak
>>79 それは言葉や世界認識のあり方をあるがまま認めるという意味ね
ウィトゲンシュタインの諸言語ゲームや、ソシュールの恣意的なラングみたいなもん。
それらはそれぞれのままに認める。
ただし、教えのなかで取捨選択を示すけど、本質的、勝義としては何も認めない。
これは否定するわけではなく、戯論寂滅しているから。
81 :
神も仏も名無しさん:2012/12/09(日) 07:59:39.21 ID:GXv5XIyh
「世界の有り様をあるがままに受け容れる」ことを
「空」とかの方向から説明しようとすると矛盾が出る。
悪事であっても「すべて空だから」オッケー、みたいに。
怒りがない(=慈しみ)という面から説明すればスッキリする。
仏は悪を止めなさいと教えるが、相手が悪人でも慈しむのだ、と。
82 :
神も仏も名無しさん:2012/12/09(日) 08:36:18.21 ID:W+I7vCak
>>81 そりゃ理解が浅すぎる。
空性は間違いない。善悪というのは仮設の因果のなかで成立する。
世俗の中で、道を説く。教えだ。教えも仮設、空性に他ならないが、
因果という対象作用を持つ。
世俗の中で凡夫はこの対象作用の中で道を歩む。
空性というのは、凡夫に対してこの因果、対象作用を否定するわけではない。
単純な話、空性だからなんでもいいみたいなことをいうヤツは何も分かってない。
単なるスローガンの観念論か、多少禅定体験のある野狐禅かのどちらかでしょう。
一つだけ重要な点が見える。
お前は自分を凡夫と思っているか否かである。
不遜な仮設、空性は何もわかっていないことを示す。
>>81 ごめん、「空」と「あるがまま」どういう点で矛盾が起こると考えたの?
ここは質問スレなので、「私は何を誤解してるの?」という質問として受け取るよ。
85 :
神も仏も名無しさん:2012/12/09(日) 21:26:38.71 ID:W+I7vCak
>>83 エロオヤヂだよ〜
何故、分かってないか示せないなら、そういうこと言っちゃあ、ダメよ
>>85 おごり ・ うぬぼれ ・ 慢心 ・ 傲慢 ・ 高慢 ・ 自信過剰
・ 不遜な(態度) ・ 尊大な(態度) ・ 謙虚でない ・ 自己中心的な(考え)
こういったもので縁起観を掴めると思うか?
思うのであれば勝手にするがいい
>>86 w
何に苛ついてるのかしらんが、力抜けよw
相互依存性というものは頭で理解できるもんじゃない
頭が無明であると知れ
わからんと言うヤツに教えてやってるだけだよ
>>86 言ってることはわかるけど、掲示板の上では文字のやりとりしかできないから、
あくまで見解や解釈の正しさを巡る議論が限界だと思うよ。
つまり、態度についてとやかく言っても、どうしようもない
>>88 お前も時間排除厨かw
だから竜樹(中論)とは距離をおきたいのさw
>>85
>>90 時間に相互依存性がないと思ってるのか?
過去を思い出したことはないのか?
92 :
神も仏も名無しさん:2012/12/09(日) 22:29:01.62 ID:W+I7vCak
>>86 まあ、これ以上やりたきゃ議論スレへ
それができる、更に言えば縁起観・空観でしか根本的に捉えられないというのが仏教なんだけど
>>91 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
それ(過去の(記憶の)想起)が、相互だと思ってんの?w
>>93 逆に相互じゃないと思ってる方が不思議だわw
なんだw
縁起観・空観でしか根本的に捉えられないというのが仏教
と知ってるだけで実践ゼロかいなww
そりゃいうても無駄じゃわ
すまんかったなw
>>96 新参か? 百年ROMってから出直して来な。
>>97 それが教えてもらう者の態度か?
質問者なら質問者らしくしろ
万が一、答える方なら不向きじゃなw
100 :
神も仏も名無しさん:2012/12/10(月) 01:11:08.70 ID:yKlyVaH7
>>84 私が矛盾を感じた点は、
仏教は四諦八正道を説き、止悪修善を勧める教えなのに、
「空」「あるがまま」を持ち出した途端に「善も悪も幻だ」という話になってしまうこと。
悪(苦悩の原因を増やすこと)と善(苦悩の原因を減らすこと)の区別を
基本中の基本として持ち続けないと、仏教(悩み苦しみをなくす教え)の存在意義がないと思います。
「善も悪も幻だよ」では仏教の土俵から出てしまう。
「悪はやっぱり悪だけど、悪人に対しても憎まないのが善だ」というところで踏み留まるのがいい。
>>100 なるほどー、俺も前はそう考えたよ。僭越ながら、説明させてもらおう。
「あるがままを見れば善悪は幻」というのは、勝義から見たときの話ね。
仏は、善悪の分別をするという衆生の理解に従って、善悪の二つを説く。
それは、悪を転じて善ならしめんとするために。
しかし、この教えを聞いて、「善こそ至高!悪こそ低劣!」のように、
迷いを深めてしまう者が出てくる。彼は、諸仏が、抜苦与楽の方便として、
「善悪」を説いたという理解がない。
「善悪」と聞くと、「善悪」なる実体がどこかにあると思い、善を賞賛し、悪を蔑む。
で、こういう状況にあった仏教界に対して、龍樹は、
世俗諦として説かれた「善悪」は、「善悪ならざるもの」を仮に善悪と呼んだということ、
それは、勝義諦として明かされる「善でもなく、悪でもない、ありのままの世界(涅槃)」へ
至らしめるための教法、筏だったと明かす。
以上のことから、世俗的、方便、仮説としての意味では、善悪の区別はちゃんと持ち続けてるよ。
一方、勝義から見れば、本来、非善非悪ね。このように、二諦によって複眼的に世を見る。
生滅の縁起(輪廻)と不生不滅の縁起(涅槃)も同じ関係ね。
もし、あなたがそれでも、混乱するなら、空の教えを聞く必要はないかも
一先ず、まだ、善悪を区別して、善行に励めばいいよ
それで、善悪に優劣をつけて苦となれば、空の教えを聞けばいいと思う
102 :
神も仏も名無しさん:2012/12/10(月) 08:06:28.09 ID:yKlyVaH7
>>101 うみゅみゅ。
勝義諦を理解したほうが苦しみがなくなるというのは、
勝義諦を理解することが善なのであり、より深く善を理解するということではないかと思ったもので。
>>102 そうだね、あなたの言うように竪に論ずれば、「世俗/勝義」には「浅/深」の優劣はあるよ。
一方、横に論ずれば、世俗/勝義の二諦も因縁によって生じたもの。
龍樹は、世俗と勝義の分別をするという衆生の理解に従って、世俗と勝義の二つを説く。
それは、世俗諦を転じて勝義諦ならしめんとするために。
善悪の二も、二諦の二も、不二を悟らしめるための教法という点で、同じよ。
吉蔵の『大乗玄論』に「唯一実諦、方便説二」とある。
二諦は、本当は唯だ一つの実諦なのであるが、方便によって二と説く。
一代さんが使う、戯論寂滅の境地そのものを表す勝義諦は、この一実諦に相当する。
104 :
神も仏も名無しさん:2012/12/10(月) 14:50:34.02 ID:HeaPuBX+
「まほろば」の仏教的見解を教えて下さい。
最近知的唯仏論と言う本が出版されましたが、読まれた方はいますか?
感想などありましたらお願いします。
知的唯仏論 / 宮崎哲弥、呉智英 / サンガ (2012/11)
手塚治虫『ブッダ』からナーガールジュナ「中観」まで、知的で愉しい仏教論
宮崎哲弥
仏教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う
呉/智英
知識人論等の分野で執筆活動を展開
カスタマーレビュー
//www.amazon.co.jp/product-reviews/4905425093/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
107 :
知的唯仏論 大滝秀治:2012/12/10(月) 19:01:44.93 ID:JhqvynGo
<知的唯仏論>
読んでないが、気に食わねー題名だなあ〜w
『趙州の無といはれしはおほつかな
いかにとしてもしられさりしを』(至道無難禅師 即心記より)
苫米地(
>>56)にしても宮崎にしてもタレントとして結構影響力が大きいのだから、
キチンと評価と批判をしとかなんとアカンのとちゃうか?
108 :
神も仏も名無しさん:2012/12/11(火) 00:35:34.22 ID:x3qISGD7
>>108 アニメ作品なんかじゃないの?
だから、
「ブラックジャック(手塚治虫)を“仏教的に解釈したら”どうなりますか?」
という問いみたいなもんでしょ。
110 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=38,xxxPT】(1+0:3) :2012/12/11(火) 18:04:53.15 ID:Nxdpmqbe BE:2053062465-2BP(333)
「いまだ法蔵菩薩は悟っていない」という題名の仏教ファンタジー小説を書いているんだけど、
人間界、畜生界は書けたんだけど、
餓鬼界が難しい。
餓鬼界で、だれがどのような状況で法蔵菩薩の名前を呼ぶのが面白いだろうか?
いいアイデアないかなあ?
地獄界は、地獄の獄卒と戦うつもりで、次は阿修羅と戦うつもりだけど、
今、餓鬼界でつまずいている。
餓鬼界を演出するいい場面とはどんな場面だろうか?
111 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=38,xxxPT】(1+0:3) :2012/12/11(火) 19:06:24.86 ID:Nxdpmqbe BE:2053062465-2BP(333)
餓鬼界、書き終わりました。ありがとございました。
釈迦、如来、仏陀、阿羅漢、菩薩など聖者を指す色んな尊称がありますけど、これらに上下関係などあるのでしょうか?
113 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=38,xxxPT】(1+0:3) :2012/12/11(火) 20:27:13.43 ID:Nxdpmqbe BE:2053062465-2BP(333)
次、地獄界を書く予定なんですけど。
無量寿経から見て、地獄に落ちる者は、どんな罪を犯した者でしたっけ?
114 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=38,xxxPT】(2+0:3) :2012/12/11(火) 20:30:53.65 ID:Nxdpmqbe BE:821224962-2BP(333)
自己解決しました。
確か、五戒を犯した者でしたね。
殺して、盗んで、不倫して、嘘ついて、酒を飲んだら、地獄に落ちるんですね。
//tobifudo.jp/newmon/shinbutu/hotokes.html
仏様を分類すると、如来、菩薩、明王、天部、その他となります
仏様に1位、2位、3位、と言うような上下関係はありません
役割の違いです
如来 ・ 菩薩 ・ 明王 ・ 天部 ・ その他(閻魔王など)
//ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%BE%85%E6%BC%A2
阿羅漢
初期仏教では、修行者の到達し得る最高位
//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9C
預流果 − 須陀洹(しゅだおん)
一来果 − 斯陀含(しだごん)
不還果 − 阿那含(あなごん )
応供果 − 阿羅漢(あらかん)
>>112 釈迦はシャカ族って意味で固有名詞、部族名。
シャカ族の尊者であるゴータマ・シッダールタであるから略して釈尊。
如来、仏陀、阿羅漢は悟りに到達した者の尊称。
悟りを獲得しているならば、
如来(そのように[悟りの世界から]来た人)とも呼ばれるし、
仏陀(目覚めた人)とも呼ばれるし、
阿羅漢(布施をするに値する人)とも呼ばれる。
そして菩薩は悟りたいと思って修行している人全般を指す修行者の総称。
ゴータマ・シッダールタで例えると29歳で悟りたいと思って出家してから35歳で悟りを獲得するまでが菩薩と呼ばれる状態。
んだから、上下関係はつけることができない。
けれども、どうしても上下関係をつけたいのであればシャカは名前だから省いて、
如来>仏陀>阿羅漢>菩薩
って考えるのもひとつの考え方だと思う。
理由はややこしいんだけど、菩薩は修行中の身だから一番下、阿羅漢は煩悩を断じ切った状態、仏陀は一切智も獲得した状態、
如来は仏陀となった人物がさらに宗教的理想像を語る上で登場する模範的存在の尊称。
ま、多種多様ある仏教の教義解釈の一辺にすぎないだろうけどね。
阿羅漢である舎利佛や目連より菩薩である観自在菩薩や文殊菩薩の方が偉い。
更に、阿羅漢や菩薩よりも維摩居士のような在家の覚者の方が偉い。
偉いというのは、語弊があるかも知れないけど、こんな感じじゃないの?
「大病院の実績と実力(技術)ある外科部長よりも、無免許ブラックジャックの方が上」
みたいな感じかw
>>118 先の人は煩悩の状態を基準に判断してるけど
それはどんな理由でそう考えるの?
維摩経に限った話ではって感じじゃないの?
それだと悲華経に限れば釈尊が何より一番偉くて
阿弥陀経に限れば阿弥陀仏が一番偉くて
宝積経に限れば菩薩が一番偉くなりますね
121 :
神も仏も名無しさん:2012/12/13(木) 08:16:40.45 ID:fjN+4Sso
ブッダも阿羅漢も悟りの境地は同じ。
ブッダは、阿羅漢の中で飛び抜けた布教能力を持つ。
122 :
神も仏も名無しさん:2012/12/13(木) 08:36:38.46 ID:By/IMO1w
>>121 ブッダ・如来は一切智者、アルハットは違う
明らかに違いがあるでしょう
その違いがアーガマ・ニカーヤにも散見されるし、大乗経典には明らか
仏教には様々な坐禅や瞑想があるけど、実際にしっかりやってみた人っている?
このところ、上座部系のやり方もよく見聞きするようになったんだけど。
124 :
神も仏も名無しさん:2012/12/13(木) 12:55:25.87 ID:fjN+4Sso
煩悩の残りがないのが阿羅漢。
悟り(煩悩をなくす)という面では阿羅漢より上はない。
たとえば、
プロ野球選手が、地方の小中学校へ出向して「コーチ」や「監督」指導するのが菩薩。
自分のプレー専一にして、その姿及び自分の活動範囲(球場や近所・知人の依願)で「指導助言」するのが阿羅漢。
選手としての質に違いはなくとも、『その活動の仕方』に違いがあるようなもの、かな?
126 :
神も仏も名無しさん:2012/12/13(木) 17:36:59.56 ID:fjN+4Sso
>>125 菩薩はまだ煩悩が残っているので、
悟りのレベルについては仏や阿羅漢より下。
大乗の経典特に般若系は、阿羅漢を下に見てるよね。般若心経なんかはモロに。
仏教としては、阿羅漢に菩薩が教えを説くと言うのは、異常なの普通なの?
128 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/12/13(木) 18:22:48.95 ID:suOXnf/I
>127
経典の成立年代が違うから、(大乗代弁者の)菩薩が(上座代弁者の)羅漢に文句を垂れるのは仕方ない話。
誰が何を言ってるかではなく、
その記述をした意図を考えるべき。
129 :
神も仏も名無しさん:2012/12/13(木) 22:50:51.37 ID:DQA1SHOQ
>>127 >阿羅漢に菩薩が教えを説くと言うのは、異常なの普通なの?
教えなんかなにも説いてないで、試験の落第答案でしかない。
みんな、もっとキッチリ嫁よ。
観自在菩薩とかいう奴のいつもの般若波羅蜜の修行が、どーゆーワケかオヨヨと一段「深」まっちゃって、
やったぜベイビー! 五蘊には実体なんかあらへんわあって、ビンビン来たわけよ。
それで、阿羅漢とゆーか、ホトケとゆーか、ネーミングなんかどーでもええけど、なったらしいいんで、
釈尊とこに行く前に、先輩のサーリプッタ阿羅漢先生にチェックしてもらうってのがこの経のシーンなの。
サーリプッタさんに「子」がつくのは、男子の尊称だから当然やね。
まあ「三世諸仏〜」でサーリプッタ先輩から鉄拳制裁くらった落第やわな。
落第答案なんだけどヒンドゥ崩れの密教謀略坊主が「経」に仕立てて、残ってるというのが事実。
皆さん、テキスト丸呑みによる下痢に御注意。当たると、こわいで。
130 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/12/13(木) 23:08:53.56 ID:suOXnf/I
バカが入門書斜め読みしてしたり顔で妄想垂れ流して仏教だとか言ってますが、どうしたらいいですか?
あと、キリスト教徒が基地骸ですが、どうしたらいいですか?
>>118 >阿羅漢である舎利佛や目連より菩薩である観自在菩薩や文殊菩薩の方が偉い。
何故なら大乗は、
菩薩の持つ“衆生済度の誓願”の考え方を更に発展させて、
大日如来が衆生済度のために姿を変えて出現したものとする八大菩薩を掲げたから。
観音、文殊はその八大菩薩の二方です。
>>122 >その違いがアーガマ・ニカーヤにも散見されるし、大乗経典には明らか
まっ“誤解”と、
そして“大乗側の身勝手な主張”に過ぎない。
132 :
神も仏も名無しさん:2012/12/13(木) 23:20:31.73 ID:DQA1SHOQ
>>130 密教崩れには、ホントウを言われるとヤバイですかw
ちちんぷいぷいのおまじないで、護摩でも炊くのが釈尊流でしゅか?
フリダヤムなんて、サーンキヤ(ヒンドゥ)哲学密輸入丸出しのタヌキの尻尾でしゅよw
アッフォは無用。
133 :
神も仏も名無しさん:2012/12/13(木) 23:27:08.24 ID:DQA1SHOQ
まあ、ボサツにしてもダイニチニョーライにしても、
ディズニーランド=ヒンドゥ遊園地にキャラクターとおんなじ受け狙いポピュリズムやねえ。
“衆生済度の誓願”なんて民主党の受け狙いマニュフェストとおんなじですあw
議論スレへどうぞ
解釈が分かれそうな部分はなるべく引用などによって根拠を示すようにしたらどうでしょうか
あるいは、無理に複数の説に優劣をつけるのではなく、並列すれば済むのではないでしょうか
135 :
神も仏も名無しさん:2012/12/13(木) 23:34:29.68 ID:DQA1SHOQ
ダイニチニョラーはヒンドゥ教ブラフマンの成りすまし芸名です。
謀略ですな。
ぁー釈迦のニルバーナはバラモンの間だでも話題になり、説法座に多くの群集あつまってきた
説いた法がすごいものだと認められ、釈迦はバラモン(ヒンディー)の12神の一人として祀られることになった
大日如来は成り済ましじゃなくテンポラリ
当時の民衆に法を理解してもらう為に荘厳仏が不可欠だった
菩薩衆が偉いとか偉くないとか、そう言う話じゃなくて、釈迦が説いた対告衆は舎利拂だった
139 :
神も仏も名無しさん:2012/12/14(金) 05:03:42.27 ID:rrey1wKj
相変わらず妄想百花繚乱で、質問者は困惑しているでしょう。
今、ここで訊くのは無理ですね
>>132 すみません。
ちょっと気になったので質問させてください。
貴方の不思議な言葉遣いはキャラを作っているのですか?
それとも素ですか?
また、所々に変なカタカナがあるのはどのような事を意味しているのでしょうか?
あと、
>アッフォは無用。
のアッフォとは何を指しているのでしょうか?
141 :
132 Je vois la vie en rose:2012/12/14(金) 23:08:08.48 ID:CAWrgj23
142 :
■:2012/12/14(金) 23:49:32.78 ID:WmIckhaA
>>141 見かけによらず貴方は凄いひとだw
正にその通りだと
歴史的に最も読まれて来た法華経に「衆生所遊楽」とあります
私たちは何の為にこの沙婆世界に生まれてきたのか?それは楽しむ為に生まれてきたのだと
143 :
神も仏も名無しさん:2012/12/15(土) 06:51:51.34 ID:S2n6klHM
>>142 楽しむために生まれてきたというのは、そのとおりですね。
ただし、ブッダは、楽しみたいという執着こそが悩み苦しみの原因だと解き明かしたのです。
衆生は執着のため成仏できずにこの世をさまよっている、幽霊と変わらないのです。
144 :
神も仏も名無しさん:2012/12/15(土) 07:10:25.74 ID:H6EyK25r
妄想もたいがいにしてくれ
一切皆苦だからの
悟ったら死ぬのが一番
>>127 苫の動画見てそっくり受け売りしてるだろ?
あの動画見た人ホントにいるんだ・・・
>>146 別に苫米地発言を介さずとも、
普通に“悟りの階位”を考えれば、自然と出てくる疑問と思うよ。
異常とまではいかなくとも、普通ではない、というのがデフォルト形でしょ。
上座部的に言えば、菩薩と言えば概して釈尊等ブッダの前生がイメージされるし、
未だ(法)眼開けていないからこそ「阿羅漢以前≒菩薩」なわけだし。
仮に、在家の“聡明な篤信者”としたとしても、「在家→比丘」という構図は基本存在しないし、
ましてや対阿羅漢ともなれば・・。
ただ、伝承として弟子達の個性や特色が伝えられている実状を考えれば、
(―また、個々の弟子たちは(学校が採択する教科書(テキスト)の如く)一律・同一の教えを
聞いているわけでは必ずしもないし―)、或る教えに通達・熟知した者、或いは多く聞いてきた者が、
それを、未だ聞いていない者に教示するということはありえなくもない。
また、阿羅漢という呼称(階位)が、“煩悩の断じ具合”から言われるものなれば、
それは、“教えに対する通暁”や全知・博識・とはまた別問題ともなろう。
(十大弟子の一々をイメージしてもいい。そのように『秀でた在家者』の存在及び出現を否定する理由はどこにもない。)
となれば、補填し合うが如き、教えの提示し合いも、ありえそうではある。
が、それでもやはり「特殊な」構図であることに変わりはない。
(これを特殊でないと言えるのは、“大乗の文脈”の上での話でしょ。)
その意味で、127は、自然な問いだよ。
149 :
神も仏も名無しさん:2012/12/15(土) 20:17:41.21 ID:/zAy8kyw
>>148 >その意味で、127は、自然な問いだよ。
あのね、
>>146は『てそっくり受け売りしてる』ことを問題にしているの。
苫米地はスマナサーラをそっくり受け売りしてるし、これでは受け売りの受け売りだw
しかもスマナサーラの間違いもあるし、間違いまで受け売りではアホでしょ?
150 :
神も仏も名無しさん:2012/12/15(土) 20:21:07.59 ID:H6EyK25r
>>148 >上座部的に言えば、菩薩と言えば概して釈尊等ブッダの前生がイメージされるし、
>未だ(法)眼開けていないからこそ「阿羅漢以前≒菩薩」なわけだし。
大乗的に言えば、本当に発心したなら、境地はアルハット以下でも実質アルハット以上なんだよね
つまり、一切智を目指して発心し普賢行を行うかどうか、それにかかっている。
言い換えれば、菩提心があるかないか。それが全く別の次元の上下なわけだ。
そして、それがないとアルハットどまりで、仏・如来にはなれない。
ここでいうアルハットは、供養すべきという意味ではなく羅漢果を得た人という意味ね。
>>149 そか。 (その方向でのレスは3割ほど予測してたが・・w)
けど、問いの内容自体は、たとえば
>>150が補完しているように、
「“大乗仏教”という呼称やカテゴリ」が継続する以上、同時に付いてまわる疑念と思うよ。
なぜなら、(一代は少し視線のとり方が違うがw)、
『歴史的推移に於ける後発思想』という側面を、どのように《弁明》するか? ということだから。
ここを、
「異常じゃないよ。阿羅漢よりも菩薩の方が優れているよ。ランクは上だよ」
ということを示そうと思えば、
かなり詳細で突っ込んだ、そして、大乗という立場への深い理解がなかったら伝わらないよ。
『歴史的後発思想だけど、後付じゃない』 ということを示すには、結構な(話術・作文・語用)スキルが要ると思うよw
152 :
神も仏も名無しさん:2012/12/15(土) 20:57:50.14 ID:H6EyK25r
>>151 >かなり詳細で突っ込んだ、そして、大乗という立場への深い理解がなかったら伝わらないよ。
確かに
>『歴史的後発思想だけど、後付じゃない』 ということを示すには、結構な(話術・作文・語用)スキルが要ると思うよw
要するに縁起か、実在論か、どっちを信じるかってかんじなんだけど、
縁起を理解するのが、難しいから
そしてその理解がないと、仏教が分かってるとは言えないと思うです
>>152 “縁起”であっても“後発”であることに変わりはない、
と俺は思うけどねw
結局、「文脈、解釈」に依っているに過ぎないと思うよ。
154 :
神も仏も名無しさん:2012/12/15(土) 21:52:47.10 ID:H6EyK25r
>>153 それは凡人から見た立場ではね
聖者から見れば、前後などなく同じことだと思うよ
155 :
神も仏も名無しさん:2012/12/15(土) 22:01:55.72 ID:S2n6klHM
そもそも、真面目に修行してて「あえて悟らない」なんてことができるの?
ブッダの弟子に一人でもそんな人がいたんだろうか?
もしいたら、ブッダに「まじめにやれ」としかられそうだし。
現代にそんな菩薩(本気で修行すれば阿羅漢になれるがあえて布教に力点をおいている人)がいたら、
私は、「頼むから1日でも早く阿羅漢になって、阿羅漢にしかわからない境地を語ってください」と願うな。
>>154 聖者から見た立場が、聖者にとってしか意味が無いことは解るよね?
いや、野暮なレスだな・・。場所も場所だしw
ただ、『“世界”をどう見るか?』という“文脈(解釈)”の問題じゃないかとは思う。(特に他教・他思想と対峙した場合。)
正誤でもないし真偽でもない。二諦ってそういうものかとも思うし。
だからこそ「仏教では」(或いは「大乗では」)という枕詞が重要になってくるかと。
涅槃を語る際に、キリスト教の文脈で語っても、
(アプローチの一端としては有意義で興味深いけれども)、詮無いことだろう。
仏教という文脈で語られて初めて、涅槃は涅槃足り得るであろうしね。
勿論、仏教という枠内での、これ(他教との位相)のミニ版が、「聖者の視線と凡夫の視線」ということになるのかもしれんが・・・。
これ以上は、スレ汚しだなw
ノシ
158 :
神も仏も名無しさん:2012/12/15(土) 22:50:10.74 ID:H6EyK25r
>>155 そりゃ、悟りと涅槃をごっちゃにしてるね
色々なことを自分の知識で、判断するから誤解するんだは
書いてある通り読もう
>>155 阿羅漢が欲望に振り回されない境地だとしたら、
菩薩はその境地を通過してるよ
阿羅漢は煩悩を滅することを中心に考えるから、
なんていうのかな、すごい煩悩に対して悪いイメージを持っているというか
菩薩は、その境地を過ぎて、煩悩も本来清浄だという所にまで行き着いてる
煩悩を滅しなさいという教えで二乗に、
いつまでも煩悩を敵視するな、煩悩即菩提!という教えで菩薩乗に、って感じ
160 :
神も仏も名無しさん:2012/12/16(日) 02:05:53.96 ID:inL2eJ3A
>>159 煩悩即菩提という考え方は大乗すべてに共通なのでしょうか?
たとえば、浄土系では、あくまでも煩悩を消すことを目指すと思います。
その近道が往生極楽であるので手段としてまずは念仏往生ですが。
161 :
神も仏も名無しさん:2012/12/16(日) 02:21:42.28 ID:inL2eJ3A
>>158 なるほど。
すべての煩悩をなくした(完全に悟った)阿羅漢は、二度と輪廻しないで入滅即涅槃。
しかし普賢行を行う菩薩は、阿羅漢と同じように完全に悟っても、
死後に涅槃に入らずに輪廻することができる、
もしくは寿命をいくらでも延ばして涅槃に入らないことができる?
でも、釈尊は、前世の菩薩時代には悟っていなかったですよね?
だから、シッダールタとして生まれてから修行して悟る必要があった。
釈尊のパターンに当てはめるなら、菩薩はまだ悟っていない、
神通力はマスターしてるとしても煩悩はまだ残っている、と思われますが。
> 神通力はマスターしてるとしても煩悩はまだ残っている、と思われますが
//www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
中論觀法品第十八
諸の禅定の中で滅尽定(想受滅)を以って第一と為し終に無余涅槃に帰する
(八正道)八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
163 :
神も仏も名無しさん:2012/12/16(日) 05:51:56.46 ID:inL2eJ3A
普賢行を行う菩薩は、
悟りの面ではブッダや阿羅漢と同じくすべての煩悩を滅しており、涅槃に入ろうと思えば入れるが、
ブッダの爆発的な布教力・救済力を手に入れるために、
さらに神通力を磨く修行をしている、ということ?
164 :
神も仏も名無しさん:2012/12/16(日) 06:10:28.43 ID:WtRykvdV
>>161 だから、上に書いた通りだって
次元が違う
> 涅槃に入ろうと思えば入れるが、ブッダの爆発的な布教力・救済力を…
//ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9
現世で活動するための菩薩
すでに悟りを得ているにもかかわらず、成仏を否定した菩薩も創造された
これは仏陀自身の活動に制約があると考えられたためで、いわば仏陀の手足となって活動する者を菩薩と呼ぶ
この代表者が、釈迦三尊の文殊菩薩と普賢菩薩である
彼らは、釈迦のはたらきを象徴するたけでなく、はたらきそのものとして活動するのである
他にも、観世音菩薩、勢至菩薩なども、自らの成仏とはかかわりなく、活動を続ける菩薩である
ブッダの人と思想(NHKブックス)/中村元(1998/07)
− 40ページ −
非想非非想処
想うのでもなく想わないでもない境地
滅尽定(想受滅定)という最高位の禅定の
一歩手前の境地であるといわれております
− 51ページ −
四如意足(四神足)
神通力の基礎となる力で
意欲、努力、思念、観察へのそれぞれの集中力のことで
それを修めて悟りを開いたというものです
意欲、努力、思念、観察は悟りへの必須の条件でもあります
167 :
神も仏も名無しさん:2012/12/16(日) 09:03:20.70 ID:bCL4HxXm
>>161 そりゃ、仏法とファンタジーをごっちゃにしてるね
色々なことを自分の知識で、妄想するから誤解するんだは
はやく般若智をつかもう
仏教(仏法)もファンタジーですよ。と言われ自分でも一理あると思ってしまいました。
どう反論すべきだったでしょうか?
>>168 そりゃ、
『ファンタジー』という語に、どういう(付加的)意味を見るか?
に依るからね・・w
貴方が一理あると思ったとき、
“貴方が有するファンタジーという語が持つイメージ・意味”と“貴方が解している仏法”との間に、
重なりが見られたからでしょう?
そうした重なりを見ない人にとっては、件の発言は反論の責に駆られるでしょうし、
重なりを見る人にとっては、(全肯定ではなくとも)なるほどと納得を生むことでしょう。
言葉(指示語)とはそういうものです。
>>168 つまり、反論する必要はない、ということです。
なんとなれば、「貴方もまた、そのように考えていた」ということなのですから。
171 :
神も仏も名無しさん:2012/12/19(水) 23:26:14.53 ID:AeWvV+R1
般若智による縁起の直覚(現観)にファンタジー(幻想・空想・妄想)はありえない。
172 :
神も仏も名無しさん:2012/12/20(木) 06:47:01.50 ID:05DV4nQ2
>>169 ごもっとも。
>>171のように言うことはできるけど、
この文の記号内容が遊びみたいな使い方なら、全く話にならない誤解だということ。
遊びは、机と同じ単なる野狐禅に過ぎないから。
ここでいう野狐禅は禅定の境地を悟りと勘違いするという意味ではなく、
単なる記号の読み違えで「あるがままでいい」というような唯の現状肯定論になってしまってるもの。
伝統仏教でいえば、断見、あるいは現法涅槃ということができるでしょう。
173 :
大滝秀治:2012/12/20(木) 17:57:59.60 ID:pVqiw4ZX
>>172 >単なる記号の読み違えで「あるがままでいい」というような唯の現状肯定論になってしまってるもの。
縁起の直接現実(あるがまま)は、現状でも非現状でもない。
現状という観念そのものがありえない。
縁起の直接現実(あるがまま)の無分別智直覚(縁起の現観)に肯定も否定もありえない。
また縁起の直接現実(あるがまま)に断見も常見もない。
時空際断、一切不可得、戯論消滅という境地なるがゆえに、
一切緒仏は、還滅世俗にて慶安に存在される(無分別の分別)のである。
>>172のレスはまったく縁起の現観を掴めていないもののアタマでっかち、曳かれ者の小唄でしかない。
>>173 w
「一切はファンタジー」ってのが、お釈迦さんの喝破の内容なんじゃないかい?
175 :
大滝秀治:2012/12/20(木) 18:15:04.08 ID:pVqiw4ZX
中論13-8『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。
しかるに人がもしも空見をいだくならば、勝者はその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』
★この偈は重要です。
Sn.653・874・1072(想いからの解脱において解脱)・1119参照。
空観に直指肯定文言はありえないのです(中論 帰敬序、25-3参照)
本偈は真言密教(空海)の「果分可説」の直接的な批判となっています。
>>174 >「一切はファンタジー」ってのが、お釈迦さんの喝破の内容なんじゃないかい?
中論13-1『「およそ執着されたものは虚妄である」と世尊は説き給うた。そして、すべて形成されたものは執着されたものである。
それゆえに、もろもろの形成されたものは虚妄なのである。』
★この偈は同7-34(如く)、24-18(相対の仮設)の仮観と矛盾します。
「非虚妄(ファンタジー)非非虚妄(ファンタジー)」(四句第4)と示唆べきです。
もし龍樹の偈なら、龍樹は透徹できておらず、反対者の偈なら誤解ゆえ、反駁は容易です。
しかし、編集が極めて拙劣です。誰の偈か明解に編集すべきです。
現に中観派の論師たちでも混乱しています。
チャンドラキールティ(月称)のコピー間違いか?
176 :
神も仏も名無しさん:2012/12/22(土) 18:47:04.77 ID:LZ1Oztcg
煩悩の数が108として普及したのはいつからなのでしょうか?
婆沙論の諸本や雑心論などではあったのですが、それ以前のニカーヤや阿含において
煩悩数を108と規定することは確認されるのでしょうか?
煩悩
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A9%E6%82%A9
原始仏教では、人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、解脱による涅槃への道が求められた
部派仏教の時代になると、煩悩の深い分析が行われた
大乗仏教の時代でもこの分析は続けられ
特に唯識が示した心と煩悩の精緻な探求は仏教が到達した一つの究極点といえよう
またこの時代には、煩悩を否定しないというそれまでの仏教には無かった発想も生じてきた(如来蔵)
この両者の思想はその後の大乗仏教に深く影響を与えた
このように煩悩の観念は時代を経るに従い、様々な意味を付加して深化しているといえよう
説一切有部では、煩悩を分析し
知的な迷い(見惑)と情意的な迷い(思惑または修惑)とに分け
また貪・瞋・癡・慢・疑・悪見の6種を根本煩悩とした
さらに、付随する煩悩(随煩悩)を19種数える
唯識
大乗仏教の瑜伽行派(ゆがぎょうは)では、上記の根本煩悩から派生するものとして、20種の随煩悩を立てた
>>175 石飛先生によれば『中論』13-1は『スッタニパータ』757偈に相当します。以下、757の中村訳です。
「或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものは異なったものとなる。
何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。」
虚妄というのは、決して「虚妄だから言語表現できない」という意味ではありません。
諸仏によって説かれる法は、同一性を常に保つような、不変なる実在であるわけではなく、
縁起によって生じた(作られた)ものであるため、それはしばしのものでしかない、という意味です。
中論13-2では、このことは「空を闡明するものである」とも言われています。
法は同一性を保たないことから虚妄と言われますが、仮説によって意思疎通ができる程度には同一性を保っているともいえます。
A君が老いゆくさまを見れば、A君はすでにA君ではないのですが、しかし、依然として、
人々の間で「A君はA君だ」と、共有することができる、ということです。
実在論者は、「A君は常に変わりゆくことなくA君である」というように、
A君の中に、A君をA君たらしめる基底のようなもの、アートマンを見てしまいます。
これは常見と呼ばれ、虚妄である法を、虚妄ではないと顛倒するものの見方です。
>>177 レスありがとうごじます。
煩悩についての項目をウィキペディアから引っ張ってきてくださってありがとうございました。
けれども自分が知りたいのは煩悩が108を数えるようになったのは婆沙論以前に求められるのかどうかなのです。
そこについては知られないでしょうか?
180 :
神も仏も名無しさん:2012/12/23(日) 00:13:01.42 ID:LLW2dImj
>>180 はい、議論スレなら放っておくつもりでしたが、
質問スレなのでついつい…
仏教の目的は、苦しみの世界からの解脱と理解していいですよね?
念仏で解脱できるとはおもえません。だとするならば、どうやって解脱するのでしょうか?
まだどうなったら解脱なのでしょうか?
>>182 仏教と一言に言っても解脱と解脱の方法に関しては様々な解釈理解があります。
そのために一般的な仏教での解脱と念仏による解脱について説明します。
仏教の目的は苦しみという輪廻の世界から脱却する事であり、
そのような輪廻(再び生まれる)というスパイラルから抜け出すことを解脱といいいます。
旧来は家を離れ、師に付き、教えを聞き、戒を保ち、メディテーションを行い、正しく物事を理解できるようになることによって
悟りを獲得し、それによって解脱(苦しみの世界に再誕しないようになる)が可能でした。
しかし、家族が有り、仕事が有り、様々なしがらみが有るために旧来の修行を行えない人々もいます。
それをなんとかしようとした阿弥陀仏が
念仏をしたならば来世に阿弥陀仏の世界である極楽(修行を簡単にできる場所)に生まれることができるなシステムを作りました。
つまり、念仏を行う事によって極楽に生まれ変わることができて、そこで簡単に修行をして、
そこで修行をした結果、解脱(輪廻からの脱却)を求めることができるのです。
よく誤解されがちなのですが、念仏を唱えればたちまち今の世界で解脱することができるというわけではありません。
また、説明は簡略に徹した為にわかりにくい点があるかもしれませんが、追って質問していただければ次いで回答させて頂きます。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E8%84%B1
慧解脱(えげだつ) - 「智慧」の障りを離れていることで、正しい智慧を得ていることをいう
倶解脱(くげだつ) - 慧の障りを離れるだけでなく「定」の障りをも脱していることをいう
心解脱 - 心に貪著を離れること
慧解脱 - 無明を離れていること
心解脱 -
精神的には既に解脱していても
肉体的にはどうにもならない束縛を持っている場合をいう
例えば釈尊の成道後の伝道生活の如きである
身解脱 - 完全に肉体的な束縛を離れているのをいう
185 :
虚妄の如く 大滝秀治:2012/12/23(日) 11:28:17.86 ID:5kMRGUZJ
>>178>>181 レスありがとうございます。『議論スレなら放っておくつもりでしたが、 質問スレなのでついつい』(
>>181)レス返ししておきます。
休憩中の気休め?wになります。
>虚妄というのは、決して「虚妄だから言語表現できない」という意味ではありません。
そうではありません。虚妄だから言語表現するのです。
『虚妄』論者はすべてを世俗諦(間接現実)でしか見えていない虚妄=物語・ファンタジー・イリュージョンだからこそ、
逆に虚妄だと直接肯定言辞で言語表現してしまうのです。
たとえば、無想家の宝珠や、オイラ氏や、Sn.757にいう『愚者』のようにね(議論スレッド51
>>378>>382など)
→まさに虚妄だ、とは『空見』です(中論13-8)。
石飛道子は完全に読み間違っています。
直接現実においては直接肯定的言辞はありえません。
間接現実からは“虚妄の『如く』”(←比喩)、“非虚妄非非虚妄”(←四句第4)、沈黙(維摩など)、気合音(喝〜ツなど)などのスタイルで示唆するしかありません。
これを>『それはしばしのものでしかない』(
>>178)ゆえに仮設→仮観(中論24-18の趣旨)というのです。
あなたは中論24-18を掴めていない。
ものは自性がないから変化するように知覚されるが(仮観)、そのものとしての実体はない(空観)からこそ、言語ゲームとしてプレイするのです(中観)。
>中論13-2では、このことは「空を闡明するものである」
もしこれが龍樹の偈なら龍樹は透徹できていないといえます。同25-10・15⇔16・24 .Sn.1119 参照。
仏法は、機能的には縁起であり、内容的には無自性(前段)無実体(後段)の空⇒中道(の如く)なのです。
(
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1348897577/622-624で?氏の求めに、中論13章全体を簡単に解釈しました。宜しければどうぞ)
では、修空華万行の二相の相即的実践に戻ります。
>>185 虚妄の如く 大滝秀治さんへ
> //uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1348897577/622-643で?氏の求めに、中論13章全体を簡単に解釈しました
↑ レス有り難う御座いました、そして更に、解説などを追加しておきました
187 :
神も仏も名無しさん:2012/12/23(日) 13:03:56.07 ID:1mAmqb2j
仏に心はあるのか?
ケーキの甘みを感じ取れるか、分からない
>>185 議論スレの方に返信しておきます。続きはそちらでやりましょう。
>>185 あ、すいません、やっぱり宗教と精神疾患3のスレに返信します。
>>「仏教徒は輪廻転生する」「お盆には先祖の霊が帰ってくる」 ←ひどい矛盾 確実に寺に騙されてるわ
190は、ニュース系のスレのスレタイです。
先祖の霊が、帰ってくると言うのは、すごく儒教的な感じがします。
儒教なら儒教でいいとおうもんですけど、それをお寺つまりお坊さんがやるって言うのは、すごく矛盾を感じます。
このような風習は、おそらく日本だけだと思いますが、日本の仏教界では、この矛盾に対してどう説明しているのでしょうか?
中陰(ちゅういん)、中有(ちゅうう)
発祥地であるインドの仏教においては、臨終の日(命日)を含めて7日ごと、7週に渡り法要を行っていた。
(古代インド文明の七進法により、七ごとなのである。)
輪廻の思想により、人の没後49日目に、
次に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まる、と考えられていたからである。
また、その、元の生と次の生との中間的な存在である、
49日間の状態「中陰」、もしくは「中有」と呼んでいた。
それが日本に伝わり、宗旨によって考え方は様々であるが、
人は死後、魂を清めて仏になる為に中陰の道を歩き、あの世を目指す。
その所々に審判の門があり、生前の罪が裁かれる。
罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が法要を行い、お経の声が審判官に届けば赦される。
それが下記の7日毎に行う法要である。また四週目と五週目の法要の間に、最初の月命日が来る。
>>192 あの〜四十九日ではなくて、お盆の先祖供養の質問なのですが・・・
>罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が法要を行い、お経の声が審判官に届けば赦される。
重ねて質問させてください。四十九日と言うのは、輪廻転生の思想に基いて、遺族が読経することにより、
死者の魂がよりよい世界に生まれ変われる様にする行事ということと理解していいんですよね。
と言うことは、仏教は輪廻する世界では壊れない?魂を認めているということですよね。ヒンドゥー教とかと輪廻転生という意味では同じということでしょうか?
盂蘭盆会(うらぼんえ)
安居(あんご)の最後の日、7月15日 (旧暦)を盂蘭盆(ullambana)とよんで、
父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。
これは『盂蘭盆経 』(西晋、竺法護訳)『報恩奉盆経 』(東晋、失訳)
などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説による。
我は、常住であり、
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え、
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした。
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである。
この考えに対して
釈迦はこのような実我観念を批判し、
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた。
これを色受想行識の五蘊について説き、
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた。
197 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/12/23(日) 18:15:08.39 ID:mRCcc53A
>194
盆にご先祖様が帰ってくるのは神道。
日本仏教は神道との習合であるので盆供養をする。
本来、仏教では輪廻転生する個人主体は存在しないと説く。
輪廻とは、多様な再現性ある事象を指すのであり、盂蘭盆経は中国で作られたもの。
>>196>>197 >人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた。
>日本仏教は神道との習合であるので盆供養をする。
191で質問しているのは、正にそこの確信についてでして、
>日本の仏教界では、この矛盾に対してどう説明しているのでしょうか?
ということです。
「我が五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在である」とするならば、お寺などでお骨の入ったお墓を拝む。
しかもお釈迦様の教えに最も忠実であるはずのお坊さんがそれを積極的に行うと言うのは矛盾する話です。
またそれらが、中国や神道の風習であると言うならば、純粋なお釈迦様の仏教を考え葬式関係を除いた場合
在家の者を重んじるという大乗仏教という立場では、何が残るのでしょうか?
なんというか、上手く言えませんが、奥歯に何かがはさっがった感じがしてすっきりしません。繰り返しますと
>日本の仏教界では、この矛盾に対してどう説明しているのでしょうか?
>>198 >どう説明
何も説明してない。
強いて言えば、黒を期待・予想する相手には黒と言い、白を予想する相手には白と言ってきた感じ。
>>198 釈迦仏教を釈迦仏教のまま受容している宗派は日本仏教にはありません(あえて挙げるならば上座のみ)。
釈迦仏教を様々な宗義というフィルターを通して解釈理解しています。
例えば、「お墓を拝む」とありますが、お墓を拝むというのは二種類の意味があります。
第一にお墓を拝む事。これは亡き人のためにお墓をきれいにするなどの行為であり、民族的な行為です。
第二に法要を執り行う事。僧侶や施主自身が功徳をつみ、またはそれを先祖に対して回向(まわしむける)することです。これは仏教的な行為です。
この第二の行為は釈迦仏教を忠実に受容しているわけではありませんが、大乗仏教としては重要視される行為です。
中国の影響として儒教から、日本の影響として祖先信仰があるとして、それらを省いたとしても、
解脱したいと思ったり、経典を読誦したり、念仏をしたり、護摩を焚いたり、座禅をしたり、経典の名前を唱えたり、
礼拝をしたり、布施をしたり、戒律を守ったり、瞑想をしたり、人を助けようとしたり、
すべてを余すこと無く行うものはいませんが一部づつでも大乗的な行為が行われています。
たしかに現在の日本仏教を見て、釈迦仏教を学べば矛盾のように感じることもあるかもしれません、
けれども大乗仏教を見て、日本仏教を見ればあまり矛盾を感じることはないようにも思えます。
また、説明は簡略に徹した為にわかりにくい点があるかもしれませんが、追って質問していただければ次いで回答させて頂きます。
>>200 分かりやすい回答ありがとうございます。一応納得できました。
202 :
神も仏も名無しさん:2012/12/24(月) 00:24:32.47 ID:K7EqZooq
仏教の救世主は、お釈迦様の再来なのですか?
>>202 仏教の救世主はお釈迦様と考えるのが一般的な見解でしょう。
また救世主の再来と考えるならば仏陀がまたこの世界に降り立つ事でしょう。
質問者は救世主イエスキリストを想像して、仏教における救世主を想定したのでしょうが、
お釈迦様は自力救済の救世主で、イエスキリストは他力救済の救世主という毛色の違う救世主だから混乱が生じた者と考えられます。
この救済という概念は曲者で様々な解釈が成り立ってしまうのですが、
仮にR.オットーの解釈に基づくならば救済には自力救済と他力救済の二種類があります。
この自力救済というものは示された方法に従って自分の行動によって救済が行われることです。
このような自力救済の方法の開示者を救世主とするならば釈尊が救世主といえるでしょう。
次に他力救済というものは、他人の能力によって自分が何もせずとも救われる事です。
このような他力救済を行った者を救世主とするならばイエスキリストや阿弥陀仏が救世主といえるでしょう。
また、説明は簡略に徹した為にわかりにくい点があるかもしれませんが、追って質問していただければ次いで回答させて頂きます。
204 :
神も仏も名無しさん:2012/12/24(月) 02:43:34.97 ID:K7EqZooq
>>203 ご回答、ありがとうございます。救済にも、自力と他力というものがあるのですね。
阿弥陀仏という他力救世主という存在がいたというのは知りませんでした。
「救世主の再来と考えるならば仏陀がまたこの世界に降り立つ事でしょう」
ということですが、自力救世主ということでしょうか?
>>204 新しく誕生した仏陀が
もし、お釈迦様のような法を示される仏陀として現世に現れたとしたならば、
それは救世主の再来(一度目は釈尊が来ているから)であり、自力救世主と捉えることができます。
もし、阿弥陀仏のような法を示される仏陀として現世に現れたとしたならば、
それは他力救世主と捉えることができます。
一般的にはゴータマ・シッダールタこと釈尊の次の仏は弥勒菩薩が釈尊入滅後5億7600万年後に現れるとなっています。
この弥勒菩薩の特性は大乗経典の『仏説観弥勒菩薩上生兜率天経』などによれば仏陀と同様の救済法を述べられているので、
その説に則るならば次に登場する仏は自力救済主と考えられます。
しかしながら、あくまでそういう話があるというもので、別の世界からの因縁によって生まれてくる仏なども想定されえますので、
一概にはこの可能性しかないとは言い難いです。
206 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/12/24(月) 09:25:58.10 ID:AX1qugWs
救世主などは仏教とは無関係。
いわゆる「救世主」であるキリスト教教祖とされる人物は、
何ら「救世」などせずに処刑されたと言われるだけのカルト教祖。
そもそも実在したかすら疑わしい。
(^。^)まぁ、強いて上げるなら「転輪王」が近い概念か。
//kotobank.jp/word/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E7%8E%8B
【転輪聖王】より
… 古代インドの伝記上の理想的帝王のこと
単に転輪王または輪王ともいう
この王が世に現れるときには天の車輪が出現し
王はその先導のもとに武力を用いずに全世界を平定するとされるところから
この名がある …
>>189 ID:GrrJueJm さんへ
> あ、すいません、やっぱり宗教と精神疾患3のスレに返信します
書き込みが出来なくなった、みたいなので続きはこちらへ
(机先生が、これを見つける事が出来るか?どうか?は、わからないけども…)
卍 仏教以外でもよしっ! 卍
//uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1356313199/l50
規制中の方でも書き込みが出来るので御自由に御使い下さいませ
209 :
神も仏も名無しさん:2012/12/26(水) 14:39:58.46 ID:UOuKsQJP
ここの隔離スレッドの<仏教議論スレッド 52> を誰か建ててあげてください。
魑魅魍魎連中がここで騒ぐ虞があります。
211 :
神も仏も名無しさん:2012/12/29(土) 22:44:48.08 ID:nIr1WCWT
煩悩を完全に滅却すると、どういう状態になるのですか?
無我なら、涅槃に至る主体は誰ですか
無著は「摂大乗論(しょうだいじょうろん)」を、世親は「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」「唯識二十論」等を著した
「唯識二十論」では「世界は個人の表象、認識にすぎない」と強く主張する一方、言い表すことのできない実体があるとした
末那識(まなしき)
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を体感会得して
とりあえず 「 心(識)は存在する 」 と仮設して
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)
煩悩障(自己に対する執着)・所知障(外界のものに対する執着)の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
215 :
神も仏も名無しさん:2012/12/30(日) 19:54:18.68 ID:A7duXd9l
216 :
神も仏も名無しさん:2012/12/30(日) 23:13:26.95 ID:fRNgeQ57
>>211 >煩悩を完全に滅却すると、どういう状態になるのですか?
生存不能です。
>>215 自己というものがこれだと確として言えるものではなく、
水そのものではなくそれを媒体とする波のように、この世での因果関係の連鎖の現象であるとして、
涅槃に至るとは、波が止むことですか
>>211 煩悩が完全に滅却したならば、すべての執着から離れることができ、すべての物事をありのままに見ることが可能となります。
そして、この物事をありのままに見ることが可能となれば輪廻というものから脱却することができます。
>>213 無我ですので涅槃に至る主体というものは存在しません。
様々な要素が重なりあって状態として在る者が涅槃に至ります。
しかし、後代においては「涅槃に至る主体がアートマンではないが存在する。」と主張する様々な教理が成立します。
ですので、一概に上記の考えが定説というわけではないのでご了承ください。
219 :
神も仏も名無しさん:2012/12/31(月) 11:00:13.07 ID:WYfIYFBP
>>218 >煩悩が完全に滅却したならば、すべての執着から離れることができ、すべての物事をありのままに見ることが可能となります。
カメラには煩悩はないでしょうが、カメラの映像はありのままですか?
煩悩があっても大して変りませんねw
写真の藤原紀香はやっぱり現物でも藤原紀香でした。
僕には煩悩がないのですか?
とてもエッチしたいと思いましたが・・
220 :
神も仏も名無しさん:2012/12/31(月) 13:03:52.69 ID:JiioasK2
印刷された画像を藤原紀香と認識することが「ありのまま」かどうか。
221 :
神も仏も名無しさん:2012/12/31(月) 13:11:18.86 ID:BsrI0IrI
>>219 その場合、「あるがまま」というのは見たまま実体視してるという意味じゃなくて
見えるものが幻のようなもので、妄想の現れだって捉えられるという意味ね
だからノリカがエロい肉体でヤりたいと思うなら、それは「あるがまま」に見るのではなく、
妄想で実体視して、やがてその欲望によってやれなければ、やれない苦で苦しみ、
やったら、やった悪業や、思った快楽が得られない苦、得てもそれが続かない苦などに苦しむことになる、と仏教は説きますね
>>219 まず、その「とてもエッチしたい」と思っているのが煩悩です。
煩悩を滅却すると簡単に言いますと、そういった写真を見ても「乳がでかい」「かわいい」「エッチしたい」という思いに惑わされなくなる事です。
だから、見方を変えればカメラは何を撮ったとしてもそれをそのまま保存し、価値判断をくだしません。
写真を撮ったからといってカメラがエッチしたいと思うことはありません。
ですから、カメラは煩悩が無いとも言えることができるでしょう。
しかしながら、仏教では無機物に自我意識はあるのか、無機物は悟ることができるのか。
といった問題は中期大乗以降に登場した悉皆有仏性という思想や認識論と共に取り扱われることになりますが、
結局、一部大乗に認められるのみで、伝統的には、あまり認められることがありません。
223 :
神も仏も名無しさん:2013/01/01(火) 02:28:28.56 ID:OxD4WBhj
>>222 分別しないカメラと仏性か。
煩悩や物事の価値判断も、実は自分という立場という前定があってのものなんだな。
荘子にもそんな話があったよ。どんなに美人だとしても、前に立てば鳥は飛び立つし魚は逃げる。
当たり前に、美人というが、その実人間男性という立場から見たものにすぎない的な内容が。
魚や鳥百万匹に嫌われても美女1人に好かれるならいいやw
煩悩だらけかい。
>>220 それは素粒子の集合であり
電子顕微鏡でみればそれは原子の集合であり
肉眼でとらえればそれは画像であり
望遠鏡どとらえればそれはただの紙切れであり
永遠でとらえればそれは空である
縮尺によって捕らえ方もさまざまであり
あるがままとはそれらのすべてを観ることなのかもしれない
228 :
神も仏も名無しさん:2013/01/03(木) 03:16:28.64 ID:iio9QPzm
素粒子って、実在するものなの?仏教的見解は?
素粒子の存在は現代科学が既に有るものとして解釈しています。
また、仏教の思想内においても素粒子のような「極微」という概念が存在します。
極微というのは物質を分割していって分割しきれなくなった最小の物質の構成要素の事を指します。
つまり仏教では物質は極微の集合体であると考えます。
この極微には地水火風の四種の属性をもつパターンが存在し、これらの比率によって石や砂や水や肉の違いがでると考えています。
しかし極微の大きさは現在の素粒子論と比べると些か大きいものとして想定しています。
大きさを例示してみますと、(今回は倶舎論世間品の説を使用)
指先から一つ目の節までの七分の一が大麦の粒で、大麦の粒の七分の一が虱で、
虱の七分の一が虱のタマゴで、虱のタマゴの七分の一が牛の毛で、
牛の毛の七分の一が羊の毛で、羊の毛の七分の一が兎の毛で、
兎の毛の七分の一が水の塵で、水の塵の七分の一が金の塵で、
金の塵の七分の一が微で、微の七分の一が極微と考えます。
つまり極微の大きさは指の節の”二億八千二百四十七万五千二百四十九”分の一と考えることができます。
しかしながら、この概念の成立は釈尊在世の頃ではなく、
仏教のスコラ化が進む部派時代に外教(インド哲学諸部派)との対論の必要性から
外教の説を解釈しつつ利用して導入されたと考えられています。
また、釈尊在世の時代においては素朴な地水火風の四種の構成要素から物質はなると考えられていました。
しかしこちらは、釈尊の独自説ではなく、五蘊と同じく当時のインドの一般常識の一つであったとされています。
煩瑣になりましたが、仏教での素粒子論はこんな感じです。
また、分からない点がありましたら質問に応じます。
230 :
神も仏も名無しさん:2013/01/03(木) 05:27:03.71 ID:iio9QPzm
ていねいな、解説ありがとうございます。
231 :
神も仏も名無しさん:2013/01/03(木) 09:09:49.77 ID:aIpfKB9M
>>229 地水火風の四大は物質の動き・性質を四種類に表しているのであって、
粒子の種類などではありませんし、素粒子が発見されたとしても
地水火風の否定にはなりませんから、注意が必要ですね。
地(変化を妨げるはたらき、重さ・堅さ)、火(変化を促進するはたらき、熱さ、痛み)、
水(収縮・吸着)、風(膨張・拡散)は、
私達が物質から具体的に感じる刺激の分類です。
232 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/03(木) 10:19:05.88 ID:MR7JcYh4
あ
233 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/03(木) 10:24:37.45 ID:MR7JcYh4
四大などは、仏教の本流では無い。
あくまで当時のパラダイムを整合化しただけであり、有無とは別の話。
本来は無記。
時空と同じく、原子などを、修行者は問題にすべきではないという立場。
234 :
神も仏も名無しさん:2013/01/03(木) 10:40:05.49 ID:aIpfKB9M
眼に見えない原子などではなく、
現に色声香味触から感じ取られる現象である地水火風が
仏道修行者にとっての物質ですからね。
235 :
神も仏も名無しさん:2013/01/03(木) 10:47:41.20 ID:aIpfKB9M
鼻で息を吸うときに鼻の穴の気圧が下がって鼻先が収縮する。
これは水の要素。
逆に、吐くときに鼻先が膨らむのは風の要素。
そのような膨らみ縮みの感覚は、触覚の神経に入る微細な痛み(火の要素)を通して感じられている。
また、膨らんだり縮んだりの目まぐるしい変化(火の要素)にさらされながらも、
鼻が壊れずに鼻の形を維持している事は地の要素。
鼻が伸ばされてもビビ割れずに弾力性があるのは水の要素。
鼻を指で押さえつけた後に指に鼻が反発してくるのは風の要素。
236 :
神も仏も名無しさん:2013/01/03(木) 21:29:52.10 ID:umNDQ1hK
>>228 仮設で、実在しないというのが一般的で本流だけど、
有部のように実在と解釈する部派仏教の流れがいくつかあります
>>236 そうではなくて(素粒子などの実在性という意味ではなくて)、
仏教の説く法則、ダールマの“普遍的な絶対性(永遠不滅の法)”
という意味での実在(これだけが実在)なのでは?
短絡的、便宜的な言い方を用いるならば、
その法則の(存在としての)実在性を説いているのが有部かと。
----存在として位置づけるところに誤りがあるけれども----
皆さま、
新年明けましておめでとうございます m(__)m
数日、家を空けて、
成田山(別院)の初護摩/初詣に行って来ました。
暫くの留守中に随分とスレが伸びていましたね。
年明けの新参も増えたようで何よりです。
私も含め、どうか皆様にとって実り多き年となりますように!
>>260 >>前スレ541
ありがとうございます ヽ(´ー`)ノ
239 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/05(土) 22:47:42.79 ID:dzJpq1sR
因みに、この宝珠云々という人は神智学とかいうマイナーオカルトの信者さん。
仏教スレ荒らしの古参である。
“荒し”のつもりは毛頭ありません
ただ、分ったつもりになっている仮面仏教徒たちや
伝統保持者らに対して基本的な疑義を投じているだけです。
それに対して、彼らは如何に整合性ある理を答弁できるのか?
----ということ。
(ちなみに
>>238は、
議論スレ宛のものが代行者のミスでこちら側に投稿された誤爆です)
真実とは無相
全てが一つであるが
一つは全てではない
>>241 【補足】
全てが一つのものを現すが
万象、万物の一つ一つを分けた(分類、範疇にとどまる)場合
それらは一つのものそのものを現してはいない
●胎児のうちには何らかの分別はないと仮定(悪魔くん等は除く)
受精〜出産を経て、様々な環境により表情や言葉を、
その先に善悪や性的なこと等々を分別するようになる
この分別を自我の目覚めとするならば、分別を得る以前の自分はどこにいったのか
自我以前の自分にはもはや自と他の明確な区別はない
ただ、なんらかのものを感じるだけであろう
故に分別とは後天的なものであり、それらは事実としてあるが真実とは異なっている
事実と真実は何が違うのか
何事かを分割して思考する限り、それらは事実の探求であっても
真実には至らないのではないか
244 :
神も仏も名無しさん:2013/01/06(日) 12:01:58.59 ID:etKPY6zl
すいません。ここは質問スレなので、できれば議論スレでお願いします
>>244 あばばばb......誤爆でした。
romってきます。
246 :
176:2013/01/06(日) 16:32:14.76 ID:fj8tQlWX
煩悩の数が108として数えるケースが発生した時、及び普及したのはいつからなのでしょうか?
婆沙論の諸本や雑心論などでは108を数える事が確認できたのですが、
それ以前のニカーヤや阿含において煩悩数を108と規定することは確認されるのでしょうか?
説一切有部
倶舎論では、色法11・心法1・心所法46・不相応行14・無為3の75種(五位七十五法)と成す
有為法(72)
色法(11) − 眼・耳・鼻・舌・身 【五根】、色・声・香・味・触 【五境】、無表
心法(1) 心 (識・意)
心所法(46)
大地法(10) 受・想・思・欲・触・慧・念・作意・勝解・三摩地
大善地法(10) 信・勤・捨・慚・愧・無貪・無瞋・不害・軽安・不放逸
大煩悩地法(6) 無明・放逸・懈怠・不信・惛沈・掉挙
大不善地法(2) 無慚・無愧
小煩悩地法(10) 忿・覆・慳・嫉・悩・害・諂・誑・憍・恨
不定地法(8) 悪作・眠・尋・伺・貪・瞋・慢・疑
不相応行法(14) 得・非得・同分・無想・無想定・滅尽定・命根・生・住・異・滅・名身・句身・文身
無為法(3) 虚空・択滅・非択滅
>>247 だから何? 何が言いたいレスなの?
質問スレで自己満レスは醜悪だぞw
> 婆沙論の諸本や雑心論などでは108を数える事が確認できたのですが
> それ以前のニカーヤや阿含において煩悩数を108と規定することは確認されるのでしょうか?
説一切有部では、煩悩を分析し
知的な迷い(見惑)と
情意的な迷い(思惑または修惑)とに分け
また貪・瞋・癡・慢・疑・悪見の6種を根本煩悩とした
さらに、付随する煩悩(随煩悩)を19種数える
>>248 大本を眺めるという意味では極めて簡潔で丁寧な解説だと思います。
>>250 ハァ?(゚д゚)
>>246に連なってるレスだよな?
どこが246向けになってるんだ?(つーか、
>>247程度は既に把握済みなんじゃねーの?)
その上で、
>108として数えるケースが発生した時、及び普及したのはいつから
>それ以前のニカーヤや阿含において ・・・・・・ 確認されるのでしょうか?
と聞いてんだろ?
247や249が、
>108として数えるケースが発生した時、及び普及したのはいつから
>それ以前のニカーヤや阿含において ・・・・・・ 確認されるのでしょうか?
に対して、どういう参考になるんだ?
「それ以前の…」
●因果関係
説一切有部-前2世紀頃
↓
十住毘婆沙論-5世紀頃、原典不明
阿毘達磨倶舎論-説一切有部をまとめて作ったよ!
婆沙論の諸本や雑心論以前の規定=説一切有部
ってことでは?
246の質問の回答は持ちあわせてはいないんだけど
>>252 『十住毘婆沙論』は略称で『婆沙論』にはならないんじゃない?
『雑心論』こと『雑阿毘曇心論』は300年頃じゃない?
『婆沙論』こと『大毘婆沙論』は200年頃じゃない?
『倶舎論』こと『阿毘逹磨倶舎論』は450年頃じゃない?
以前の事を聞いているのに以降の事を教えても意味が無いんじゃない?
知らないんだったらレスしないほうがいいんじゃない?
こんな時間まで起きてても、いいことないお。
難しいことはじっくり考えないと危ないお。
布団にはいって心を癒すほうが重要だお。
_,,..,,,,_
/ ,' 3 /ヽ-、__
<⌒/ ヽ
/<_/____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>256 すまんおれもちょっとそれは思ったかもしれんw
肝心の176氏がまだ返レスしてない内に
いったい何をやっていたんだ…
しかし、釈尊入滅から200〜300年以降でえらい変わり様だわ
上座部/大乗の分派の影響すげぇ
大乗における「大智度論(摩訶般若波羅蜜論?)」のナガールジュナ(後200年頃)といい
259 :
神も仏も名無しさん:2013/01/08(火) 19:38:01.08 ID:bwBkSj1m
戒名の値段ですが宗派によって、どのくらいの違いがあるんでしょうか?
また、払える金によって戒名の格が変わると言うことは全ての宗派でやってるのでしょうか?
金額でお葬式の格が変わると言うのは仕方ないとしても、戒名の格が変わると言うのは、
ちょっと納得できません。それって悪い人でも金によって死後の扱いが変わると言うことなんでしょう。
変な宗教がのさばる原因の一つになりませんか?
261 :
176:2013/01/09(水) 23:34:16.67 ID:Kundem5y
複数のレスありがとうございます
247以降の流れなのですが、質問に回答して頂いたのはありがたかったのですが
すみませんが、自分が知りたかったのは阿含やニカーヤで、煩悩の数をどのように想定しているかが知りたかったんです
倶舎論以降の体系では98随眠と10纏をあわせて108として解釈します
そして、倶舎論の五位七十五法なのですが、これは心の働きの分類であって、
煩悩じゃなくて、煩悩によって惑わされた心の動きが大煩悩と不善と小煩悩に分類されているだけです
せっかくレスをくれたのにすみません
262 :
神も仏も名無しさん:2013/01/09(水) 23:45:10.51 ID:Kundem5y
質問の仕方が不明瞭と指摘されたので、もう一度詳細に質問させてもらいます
ニカーヤと阿含において煩悩を108とするという記述はあるのでしょうか?
煩悩は日本では108だと言われており、その理由を調べたら、様々なとんでも説もあったのですが、
私が調べた限りどうやら経論に求める事ができそうだと判断して、経典や論書を当たりました
一番古い、一番最初に言われたのが何であるのか求めたのですが、
有部の論書の倶舎論の煩悩の章に98随眠と10纏をあわせて108とすると解釈していました、
そこに経典のソースは見つけられませんでした、
また有部の論書の阿毘曇心論や雑阿毘曇心論や大毘婆沙論や大毘婆沙論の異本にも108とする解釈が書かれていました
けれどもそれより古い六速論と呼ばれる古い論書には見当たりませんでした(探し方がわるかったのかもしれません)
大毘婆沙論は経典の解釈を色々と集めたものであると聞きます、
ですので大毘婆沙論に書かれるきっかけになった経典があると思うんです
そのような経典があるのかどうか知りたくて質問させていただきました
よろしくおねがいします
263 :
176:2013/01/09(水) 23:47:32.69 ID:Kundem5y
大毘婆沙論は二世紀の成立だそうです
ですので、それより古い成立であるとされる論書でも助かります
探しているのは一番古くに108が煩悩の数っていわれるようになったきっかけです
マイナーな宗派だとは思いますが山崎弁栄上人の光明主義について教えてください。
特に世界観や一般的な日本仏教・従来のインドの仏教との違いについてだとありがたいです。
265 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 03:49:36.51 ID:8MHM+xFy
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では救われない、というのが
一般的な仏教的見解ですか?もし、そうだとすれば理由も教えて下さい。
266 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 07:52:20.88 ID:kb4KUSrE
>>265 「救われる」の意味がわかりせん。
仏教を知らなくても、たまたま四諦八正道に合致する生き方をしていれば、悩み苦しみは減るでしょう。
「救われる」が、阿弥陀仏の本願力で極楽浄土に往生させてもらうことなら、
阿弥陀仏に対して「南無阿弥陀仏」と救いをお願いするのが普通です。
往生を望んでいない者(他宗教の人)を極楽に強制連行はしないでさょう。
ただし、その人がよほど徳の高い人の場合は、
阿弥陀仏に救われなくても自力で浄土や天界に生まれ変わる可能性があります。
267 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 09:33:47.87 ID:VfOjtD2e
>>265 救われる、の意味によります。輪廻から脱出する、
という意味でなら、仏教徒以外が「救われる」ことは絶対にありません。
(セム系一神教は主宰神信仰の一バージョンということになるでしょうが、
これは「来世をもたらす」(輪廻から出られない)結果をつくる思想とされます。
仏教徒も涅槃に至らない限りは輪廻を脱出できません。
(無理な人にはせめて善行して天に生まれることが薦められます)
仏を侮辱したりとかを明確に行っていないのなら、
善行を心がけている以上、天界などの善趣(良い来世)が得られる可能性はあるでしょうが、
それもまた六道輪廻の一部に過ぎないので、やがて酷い来世に
ぶつかったり、そこからまたマシな来世に行ったり、というサイクルを
永遠に繰り返すことになります。
268 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 13:45:36.33 ID:8MHM+xFy
>>266>>267 どうも、ありがとうございます。
ところで、輪廻から脱出するよう努力する事と、
メシアを待望する事の間に矛盾はあるとお考えですか?
メシア登場と言っても、最後の審判とは関係無い、
世界を今より、かなり良くしてくれる存在くらいに
考えてるんです。でも、一応、神とはちゃんと契約している
存在としてですが。
>>268 ID:8MHM+xFy さんへ
> 輪廻から脱出するよう努力する事と、メシアを待望する事の間に矛盾はあるとお考えですか?
> メシア登場と言っても、最後の審判とは関係無い、世界を今より、かなり良くしてくれる存在くらいに考えてるんです。
> でも、一応、神とはちゃんと契約している存在としてですが。
268 ID:8MHM+xFy さんが
何処かの神と契約していて、そして
世界を今より、かなり良くしてくれるメシアと
輪廻から脱出するよう努力する事が
矛盾するのか?
と言う質問ですか?
_ _ _
『 ユダヤ、キリスト、何処かの神との契約 』 と言う概念を捨ててから
仏教の南伝、北伝、チベット伝とかを勉強した方が良いかもしれません
例えば
世界を今より、かなり良くしてくれるメシアと言う存在があって
そのメシアと言う存在に執着しようとする、心の働きがある
(これは自分自身に、そのような 「 心の働きがある 」 と言う意味です)
− これに対して −
八正道を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て智慧を決定する
まず自分自身の自我を滅する事から始めて
そして、最終的には輪廻から解脱する
と言う事になります
_ _ _
矛盾があるのか?と言う質問に対しては
「 何と答えて良いの、かわからない 」 と言う事になります
世界を今より、かなり良くしてくれるメシアと
↓
世界を今より、かなり良くしてくれるメシアを待望する事と
輪廻から脱出するよう努力する事の間に
矛盾はあるのか?
_ _ _
訂正して、お詫び申し上げます
礼拝帰依/ブッダン サラナン ガッチャーミ
屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮
272 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 23:07:37.07 ID:kb4KUSrE
生への執着を超えないと輪廻から解脱できません。
メシアに世界を良くして欲しいというのは、この世界に生きていたいからでしょう?
一方、この世界を捨て去るのが輪廻からの解脱です。
この世界は、たとえメシアが現れたとしても苦しみの連続です。
神様でさえ、次から次へとやってくる苦しみに操られて生きているのです。
273 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 05:12:14.60 ID:tyQeuwag
>>269〜272
どうもありがとうございます。
何事にも執着してはいけないという事ですね。
仏教って、すごい精神的鍛錬が必要みたいですね。
大変そうです。
274 :
264:2013/01/15(火) 18:48:53.95 ID:QcCEzRZd
あげ
275 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 19:54:35.14 ID:QcCEzRZd
上げてませんでしたね
276 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 14:35:51.39 ID:bdUspSSH
仏教って執着してはいけないのだから、生活に便利な
新しいものを発明するのにも否定的なんですよね?
また解脱を目指すのだから、かなり個人主義的に思えますが?
277 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 14:42:56.40 ID:cYcH4uul
>>276 >仏教って執着してはいけないのだから、生活に便利な
>新しいものを発明するのにも否定的なんですよね?
否定的なのではなく、世間のあり様、流行には無関心
>また解脱を目指すのだから、かなり個人主義的に思えますが?
大乗はあらゆる生き物の悟りをめざして普賢行しますよ。
これほどの博愛は他にないと思います。
278 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 15:03:03.13 ID:bdUspSSH
>>277 ご回答ありがとうございます。
ところで、あらゆる生き物の悟りをめざすというのは、
どういう方法論なのですか?簡単でよいので、お教え下さい。
279 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 15:32:41.27 ID:cYcH4uul
>>278 まず、仏・法・僧の三宝に帰依します。
次にあらゆる生き物を悟りをもたらすために悟ろうと発心します。
次に悟るために六ハラミツを行じます。
布施、他者に持てるものを与えることです。
戒律、十善行などをなし十不善行をなさないことです。
善とは他者に楽を与えること。不善は他者を傷つけることです。
忍辱、怒らないことです。
精進、法に専心することです。
禅定、意識を集中することです。
般若、無我・空を観じることです
それらを実践したら、あらゆる生き物が悟るまで普賢行を行う誓願を立てます。
最後に以上の功徳をあらゆる生き物に廻向します。
ざっと、こんなかんじです
280 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 16:07:39.65 ID:bdUspSSH
おおっ、なんかとっても難しそうですね。
281 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 16:33:43.45 ID:cYcH4uul
>>280 六ハラミツは、後の方が難しいので、
始めの布施だけでも、戒律だけでもいいんですよ。
できることから、ちょっとずつやるのが仏教です。
282 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 16:48:20.82 ID:bdUspSSH
ありがとうございます。地道に、っていう事ですね。
283 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 17:04:29.85 ID:cYcH4uul
>>282 そうですね。
ただ、帰依、発心して、布施などして、最後に誓願と廻向してください。
それが重要です。
仏教は動機など心がけが重要ですから。
284 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 01:34:33.41 ID:tt5pcUvP
サルベージ
285 :
世素:2013/01/17(木) 02:48:22.29 ID:5aPC4haN
スレ立てお願いします。
スレッド:【恩讐】キリスト教と同性愛=新ぱーと16【和解】
名前:世素
メール欄(省略可)
本文:今までに、10人の方が謝罪されました。これからもローマ法王が謝罪するまで、
このスレッドを続けていきましょう。
なお、このスレッドを立てた人は、末代まで神様の祝福があります。(天国の同性愛者たちが
神様に祝福を取り次ぎます)
大徳寺の泉仙みたいに、寺の敷地内に精進料理の食事処がある寺はいくつかあるみたいだけど
そういうところで寺の住職と檀家が親睦会だの懇親会だのすることってありうる?
288 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 12:25:00.22 ID:YJYQZ1eC
もう何年も前、京都の仏教界と日本共産党が、選挙協力する
という記事を見たんですが、これってどういう事なんでしょう?
289 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 14:05:16.22 ID:3Xg6WPe1
知り合いが神社には入れるけど手を合わせるのはダメ。
元旦には仏壇にお祈りする。と言ってましたが創価でしょうか?
創価は神社に入る事すらダメだったと思うんですが、、
290 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 15:02:09.33 ID:PoXJdUwQ
>>289 創価ですな。
地域に馴染むため、こと、世間の顔色伺いのために
昔と違い今では鳥居をくぐるくらいのことは許されてたはず。
292 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 15:27:21.48 ID:Z0K7csPv
テーラーワーダで、仏典には人生とは何もかも思うように行かない=苦
と言う記述がある一方、願ったことは何でも適うといういっけん矛盾したことを
釈迦が言っているがその意味は。とかいう法話があったと聞いたんですが、
別にテーラワーダ系の人でなくてもいいですから、これの意味を知っている方
教えてくれませんか?
293 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 20:00:48.90 ID:AloW7h2F
本日祖母の告別式を終えてきた者です
浄土宗で通夜、告別式、繰り上げ初七日と済ませたのですが、
それぞれ3っつのお経を上げていただきました。
そのお経がそれぞれなんという経典か教えていただきたいです。
それぞれ通夜40分、告別式45分、初七日10分のお経でした。
どのお経も始めは呪文のようで聞いていても意味がわからず進むに連れなんとなく浄土などの言葉が聞き取れました。
また、じっかい、せかいなどの言葉もあったように思います。
そして最後は大体なむあみだぶの繰り返しでした。
どなたか詳しい方よろしくお願いします。
294 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 20:18:00.00 ID:PDwqregX
>>291 ありがとうございます、
奈良の人なんですが天理教かなと思ったんですが
296 :
神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 03:53:42.93 ID:cxt0eoRF
>>293 浄土宗の教えは、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経を根拠にしています。
この中でいちばん短い「阿弥陀経」は、よくお勤めで読経に使われます。
他の2経からは、一部抜粋したものが読経に使われます。
あとは、阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩を讃えるメロディーつきの歌のような「三尊礼」も使います。
三経については調べたのですが時間的にあわないかなと
思っていたのが氷解しました。
一部抜粋されるんですね。
ありがとうございます。
298 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 03:48:50.85 ID:H7FcuDPM
>>297 あと、「じっかい」で思い浮かんだのですが、枕経で読まれる「広懺悔」というのがあります。
これは、唐の善導大師の作った「往生礼讚」からな抜粋で、さまざまな罪を懺悔する内容。
その中に、
「或破五戒、八戒、十戒、十善戒、二百五十戒、五百戒、菩薩三聚戒、十無盡戒,
乃至一切戒,及一切威儀戒等,自作教他,見作隨喜,不可知數。 」
という部分があります。
299 :
神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 12:58:51.46 ID:+U3Db/Q4
サルベージ
300 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 07:38:46.96 ID:R185LJwH
じっかいについての解説ありがとうございます!
301 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 17:34:08.57 ID:W4XlwF2x
ここで聞くのもお門違いって気もするんですが、アメリカの大統領が
就任する時、バイブルに手を置き誓いをたてますが、アメリカにいる
仏教徒ってどんな気分なんですかね、どう想像します?
302 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 19:39:52.06 ID:EaO4Zuol
>>301 法に従って心を整えている人なら、とくに気にしないと思います
303 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 19:40:54.88 ID:1TsOLw+l
>>301 いい気はしないのでは。
キリスト教徒以外の者が大統領になったらどうするんだろうね。
304 :
神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 20:12:13.33 ID:W4XlwF2x
>>302−303
ご回答ありがとうございます。どうなんでしょうね?
まあ、仏教徒っていっても、いろいろな人がいるでしょうからね。
大革命でも起こって、アメリカが仏教国にでもなったら、
世界は、もうちょっと平穏になるのかな?
305 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 03:26:53.57 ID:WwQr841M
お坊さんである白石凌海さんの「仏陀を歩く 誕生から涅槃への道/講談社」(「仏陀 南伝の旅」だったかも)に、
「釈迦滅後の第一回結集では比丘500人が集まって釈迦の教えを確認しあったという。
ということは、仏教は釈迦滅後の時点で出家教団向けの性格を帯びてしまったのではないか?」
というようなのがありました。(文章はうろ覚えなので、もしおかしい所があればそれは白石凌海さんではなく私のせいです)
確かに他の経典では「色んな人が釈迦の説法を聞きにきた」というような表現があるのに(うろ覚え、私の勘違いかも)、
結集に関しては「比丘が500人」となっていて、他の人が集まってきたというような描写は無いみたいです
ということは、白石凌海さんの指摘するとおり、仏教は釈迦滅後の時点で修行者向けの性格が強くなってしまった可能性があるのでしょうか?
> 仏教は釈迦滅後の時点で修行者向けの性格が強くなってしまった可能性があるのでしょうか?
記録が残っているものよりも、更に昔の時代の事は、わからないけど
ウィキペディアの場合は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99 一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。
仏教の世界観は必然的に、仏教誕生の地であるインドの世界観である輪廻と解脱の考えに基づいている。
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる。
その苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった。
_ _ _
釈迦滅後の時点で 「 輪廻から解脱する 」 と言う
修行者向けの性格が強くなってしまった可能性はあるのかもしれないけど
現状では、とりあえず
これが 「 一般的な仏教の教義である 」 と言う事のようでございます
307 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 20:48:45.64 ID:c6RUUrhh
308 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/24(木) 20:58:20.05 ID:iqy73hIj
えー。
そもそも「ブッダ」とか「出家」という風俗は仏教以前からあったもので、同時期のジャイナ教も「ブッダ」が「出家者」に説いてます。
当時の文化的背景と現代のプロパガンダくらいは踏まえましょう。
309 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 20:58:34.33 ID:tWdCWUJc
>>305 可能性は完全には否定できませんが、
極めて低いと思います。
なぜなら、仏教徒なら三宝に帰依せざる得ず。
三宝は仏法僧であり。
僧とは僧団で、僧団は聖者しか含まれてないからです。
この点、水野弘元先生の『仏教要語の基礎知識』旧版107以下に詳しいです
白石さんのような考えは、日本だけの特殊な見方ではないでしょうか?
310 :
神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:07:22.91 ID:dRU2gA4b
タイの仏教寺院で、金箔を大きな涅槃像に張る、というものがありましたが
(トニー・ラズロさんの本によると「仏像の背中に金箔を貼る」ということわざもありました)
これの経典(パーリ仏典)上の根拠はどこにあるのでしょうか?
311 :
暗道:2013/01/25(金) 00:45:38.36 ID:hdL5u+MK
>>310 「先生!あなたは身体が完全であり、よく輝き、生れも良く、見た目も美しい。黄金の色があり、歯は極めて白い。あなたは精力ある人です。
実に、生れの良い人の具えるすがた・かたちは、すべて、偉人の相として、あなたの身体のうちにあります。
あなたは、眼が清らかに、容貌も美しく、身体は大きく、真っ直ぐで、光輝あり、道の人の群の中にあって、太陽のように輝いています。
あなたは見るも美しい修行者で、その膚は黄金のようです。このように容色が優れているのに、どうして道の人となる必要がありましょうか。」
これはスッタニパータですが、日本の仏像も元は金箔が貼られていたものが多かったそうです。
体が金というよりも、体から黄金色の光を放っているというイメージによるものであると想像します。
マルコ・ポーロの「ジパング」の由来も、
白木の建造物が黄金の如き見栄えだったから、という説もあるしな。
基本、「肌の色」及び「敬意をもって荘厳する(飾り立ててさしあげる)手段の一つ」
として、稀有なる・価値ある・美しき黄金が選択されることに、それほどの不思議はないと思う。
313 :
神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 00:54:41.70 ID:MokzieQN
>>311 日本の仏像も近くでよくみたら金箔が残ってたりするよね
新しい仏像だと金ピカのもあるし
>>313 歌舞伎、日本画、イラスト等々で
女性を描写するのに白塗りなのと同じかなw
315 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 16:07:57.42 ID:zRcWlR8e
とても難しい質問だと思いますが、仏教が日本に伝来して以来、
正統派と呼べる宗派はどこですかね?人によって違うと思いますが。
316 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 18:53:17.77 ID:zRcWlR8e
答えにくい質問でしたね。忘れて下さい。
答えにくいと言うか、「俺の宗派は異端だ!」なんて言う宗派は無いと思うがw
何を以て「正統派」とするかによって答えが変わるから何とも言えないが、
仏教の日本伝来以来の伝統を守っているという意味なら、唐招提寺の律宗じゃね?
318 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 21:12:10.20 ID:NY1PBp3U
319 :
神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:14:17.96 ID:yNG5eXZC
>>315 基本的にはすべての宗派の僧侶は、お釈迦様の弟子の弟子の弟子の…弟子の弟子にあたります。
正当かどうかはわかりませんが、ブッダの弟子の末裔です。
>>319 だから、
釈子たる資格はどこにあるか?
が、最後にして最初のカギなんでしょ。
>>320 教団から破門されていないというのは大きい。
鎌倉仏教で新たな宗派を立ち上げた場合でも、
僧侶としての身分を剥奪されていない(仏門からは破門されていない)ならセーフ。
少なくとも日本の主流な宗派は、お互いにお互いを仏教の一員として認めている。
修行方法は違うが、仏門という大きなカテゴリーからは外れていない、という感じ。
既存宗派をクビになった場合はアヤシイ
322 :
神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:17:40.28 ID:mi3yH4zU
>日蓮宗と普化宗以外は正統
そりゃおかしくないかい?
権力者に飼われて呪詛(調伏)とか行っていた連中(例:空海)でも正当なの?
323 :
神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:25:42.17 ID:mi3yH4zU
>教団から破門されていないというのは大きい。
>鎌倉仏教で新たな宗派を立ち上げた場合でも、
>僧侶としての身分を剥奪されていない(仏門からは破門されていない)ならセーフ。
この理屈もよくわからない。
教団側が腐っていて、破門される側が正しいって可能性はないの?
所詮、仏教教団なんか三毒と無縁だったことなんてないでしょ。
聖者や阿羅漢が、いつもいたってわけでもないし。
324 :
神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:32:19.95 ID:WfZLEph1
>>322 その二つは伝承もないし、教義も仏教から逸脱してるから。
弘法大師は最も正統だと思う。
インド大乗そのまんま。
弘法大師は呪詛をしたと聞いたことも読んだこともないけど。
根拠は何でしょう?
>>323 本来、聖者がいないと伝承は、そこで途絶える。
だから、現代日本仏教は途絶えてると考えた方がいいかもしれないよ。
325 :
神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:36:25.44 ID:Nakvnat8
>>323 教団の教えが昔と変わってきたとしても、
教団として継続しているなら正当な教団と言えるのでは?
これは、組織としての継続性に注目した考え方だけれど。
師匠から弟子に受け継がれていく中で、徐々に変化していくのは仕方ない部分がある。
師匠につかずに「ブッダの再誕だ」と言ったり、既存の教団から破門されたりする人と、
2500年前の師匠から連なっている教団組織と、どちらがマシなのか?
326 :
神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 22:21:18.69 ID:vNq47Iad
いきなりですみません
お経と言うものは下手でも意味はあるのでしょうか
またやはり上手いほうがお経としてありがたいのですか?
327 :
神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 22:31:07.89 ID:WfZLEph1
>>326 下手というのは唱え方という意味ですか?
それなら関係ないです。
重要なのは動機、集中すること、そして内容理解することなどです。
動機は一切有情のために菩提心を持って行うのが最高です。
328 :
神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 22:38:10.92 ID:vNq47Iad
>>327 なるほど、ありがとうございます
今日おじちゃんの命日だったのですが
久しぶりでうまく唱えれたか不安だったもので
329 :
神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 23:44:45.37 ID:mkxSnyGj
例えばですね 目的を達したぞと世間に公表出来た人たちが居ます。
彼は登山家であったりゴルファー、ノーベル賞受賞とかです。
処が仏教に関しては、目標に達したと何故誰も宣言できないのでしょうか?
詰まり成仏ですよね ひょっとしたらモウ成っているのが判らない人多数とか。
ひょっとしては此れって相当な冗談ですがね。
誰がお前は成仏しましたと判断し得るのでしょうか?
この辺りが本当に曖昧であります。
仏教の目標は、全ての生き物が仏陀になって究極の幸せを得ることだから、誰も目標を達成したなどと言う人はいないでしょう。
私たちの生はその場限りのものではなく、始まりとてない過去から続いている(と考えられている)のに、ちょっとの修行で成仏なんてあり得ないとは思わないだろうか。
釈尊も私たちと同じ人間であったのですが、ある時点から発心を起こして智慧を身につけて悟りを得て成仏されたのだから、私たちも不可能ではないです。ただ今生ではないと思いますが。
人身受け難し、今、既に受く。
仏法聞き難し、今、既に聞く。
此の身、今生に向かって度せずんば、
更に何れの処に向かってか此の身を度せん。
332 :
神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 01:07:16.41 ID:KxEuAoGZ
>>329 成仏・悟りとは、煩悩がなくなることです。
煩悩のリストがあり、これは裏を返せば悟りのリストでもあります。
自分で煩悩のリストに照らしてみればチェックできます。
333 :
神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 07:21:58.68 ID:OuHdlgH6
>>329 テーラワーダの目標であるアルハットだとビルマでまだ出てます
大乗の目標である一切智者・ブッダは、この世界では当分釈尊だけなので当分でません。
ですが、アルハットに相当する方ならチベット圏でまだたくさん出てます
ブッダ以前のインド思想なんですが、クシャトリヤがバラモンに伝えるという形式の
話が残っていることをもとに、ある思想がアーリア人由来でなくて
土着のインド人由来かもしれないと中村元が言っていたことがあると
思うのですが、何の思想でしたっけ。
ちょっと記憶があいまいで申し訳ないのですが、もしかしたら宮元啓一だったかもしれません。
原始仏教についての良い本を教えてください
336 :
神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 20:30:43.80 ID:iclR4Pag
>>335 水野弘元『原始仏教』
とにかくこれがいい、それで足りなければいかもいいよ
片山一良『パーリ仏教入門』
オルデンベルク『仏教』
K. R. Norman, Pali-Literature
Oskar von Hinüber, A Handbook of Pali Literature
純真な心を持った人間になりたいのですが、どうすればなれますか
341 :
神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 06:47:30.02 ID:4qXGCYND
>>340 あなたの言う「純真」というのがよくわかりませんが、とりあえず、
「純真」なイメージを意識するようにして、逆に、
「純真」ではない自分に気付いたら意識的にそれを改めるようにする。
地道に積み重ねるしかないと思います。
たとえば、今日1日とか、1週間とか、「他人の善意を疑ってしまう自分に気付く」というのを続ける。
342 :
神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 07:49:05.74 ID:mcDSgpY6
>>340 他の生き物に優しくする
自分と他人という意識を交換する
つまり、いままで自分中心で行動してきたと思いますが、他人中心で行動する
343 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 08:09:25.19 ID:1gKeR6TX
前田専學というかたの「ブッダ」という新刊の本がうちの町の本屋さんであったのですが
この本を読まれたかたいらっしゃいますか?
買って内容を信じても大丈夫な本ですか?
変な質問ですみません。。
344 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 09:10:56.42 ID:E81lwogc
>>343 読んでませんが、前田先生は穏当篤実な学者なので、
文献学者の代表的な見方だと考えていいと思います。
ただ、それが仏教の本質を示しているとは限りませんが
346 :
神も仏も名無しさん:2013/02/19(火) 11:37:41.20 ID:E81lwogc
347 :
神も仏も名無しさん:2013/02/20(水) 00:48:51.00 ID:40v6Ej/v
>>343です
レス、どうもありがとうございました。
さっそく明日にでも買いに行きます!
348 :
神も仏も名無しさん:2013/02/20(水) 10:17:26.32 ID:vmpgs8wg
鈴木大拙の真宗入門ってどうですか?
某所で絶賛されていたので気になったのですが。
阿弥陀如来への信を、バクティに含むのは適切でしょうか?
349 :
神も仏も名無しさん:2013/02/20(水) 10:33:38.59 ID:Zo3sx1eM
>>348 >阿弥陀如来への信を、バクティに含むのは適切でしょうか?
だめですね。誤解だと思います。
あるいは方便としての譬喩か。
いずれにしても本来の説ではないと思います。
真宗なら七里恒順師か、山口益先生の本がいいんじゃないかと思います。
350 :
神も仏も名無しさん:2013/02/20(水) 11:47:23.77 ID:ERkUC/UT
ありがとうございます。
阿弥陀如来への信をサンスクリット語であらわすとするなら
どんな語が選ばれますか?
『大乗としての浄土』を本屋で注文したら版元品切れでした。
351 :
神も仏も名無しさん:2013/02/20(水) 11:59:30.55 ID:Zo3sx1eM
「現実」は現実に存在しますか?
353 :
神も仏も名無しさん:2013/02/24(日) 05:10:54.34 ID:flgGfgaG
>>352 いわゆる「現実」が幻だってのが仏教です
しかし「幻」とはいえ、「現実」の感受をもたらしますので、
行によって、それが「幻」だと悟るようにする道です
354 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/25(月) 03:12:57.97 ID:jGoXgcCQ
>352
「現実」は現実に存在するかという問いは、世界にある種の自性を求める考えとも言えます。
世界が在ると考える事も、幻と考える事も、共に囚われた視点であり、自心に囚われる事と大差無い話です。
勿論、学問としての思考なら重要な課題でしょうが、
仏教の行者としては落第となる視点です。
355 :
神も仏も名無しさん:2013/02/25(月) 15:36:06.42 ID:auhRkjTz
>>353 >いわゆる「現実」が幻だってのが仏教です
『幻』なら破壊(人なら殺人)してもOKですねw
>>355 『心』(想い)が破壊される、
ということはあり得るとお考えですか?
あり得ないとお考えですか?
(格闘技(作品)の世界では、『心が折れる』という表現がされたりしますが・・。)
357 :
神も仏も名無しさん:2013/02/25(月) 15:42:48.48 ID:QeZdu4am
>>355 いえ、幻だと悟るまでは、その因果に縛られるので
その社会習慣に従って幻の果がもたらされるだけですよ
シャウトモン卍抗体
ガムドラモン卍抗体
アグモン卍抗体
>>358 その言い方だと、果を受けると言っても、
その果も幻なら、そんな果を受ける心配はない、と返されるのがオチ。
(ちょっとズレるが、風に吹かれても、その風によって皮膚が損傷することがないように。)
360 :
神も仏も名無しさん:2013/02/25(月) 17:03:23.07 ID:/DgS0Gl/
悟りを開いたら死ぬのが恐くなくなるって本当ですか?
361 :
神も仏も名無しさん:2013/02/25(月) 18:34:58.61 ID:Lg+LwtQS
362 :
神も仏も名無しさん:2013/02/26(火) 17:40:11.37 ID:uTW55sOp
念仏は、
感謝のために称えるもので、
願い事のためではないそうですが、
それでは、願い事をする場合は、
「南無観世音」でしょうかね?
363 :
神も仏も名無しさん:2013/02/28(木) 02:56:18.88 ID:yr0MNpER
観世音菩薩に願いごとをするときに「南無観世音」と言うのは、一応筋が通ってるけど、
仏教的には、本来は、仏や菩薩に願い事をすること自体がおかしいと思います。
南無阿弥陀仏の念仏往生については経典にあるけど。
願い事をするよりも、自分の煩悩をみつめ、願い事への執着をなくしていくことが大切。
364 :
高橋裕之:2013/02/28(木) 05:32:46.35 ID:KsZPeOBz
宝くじで5億円ゲットしました
これもすべて創価学会と池田先生のおかげですありがとうございました
365 :
神も仏も名無しさん:2013/02/28(木) 09:11:39.51 ID:wcuM4F29
智慧の意味がよく分からないのですが、具体例があれば教えていただけませんか?
366 :
神も仏も名無しさん:2013/02/28(木) 09:55:19.61 ID:rf3BM0MN
>>363 観音経はガチで推奨してるようにしか見えない。
>>365 ありのままの、みんなに共通の世界があります
智慧があると言われる方々は、みんなに共通の世界をそのまま、あるがまま、見ています
自我がある状態は、みんなに共通の世界を、色眼鏡を通して見ている状態です
「これはこうに決まっている」「あれはああに違いない」「こう来たらああなるに決まっている」等々、勘違いや思い込みという色眼鏡です
自我があると、みんなに共通の世界と自分だけの世界と、二重に暮らすことになります
ゆえに智慧は獲得するものではないと言えるでしょう
執着しない、捨てた分だけ智慧が現れてきます
反・仏教学: 仏教vs.倫理 (ちくま学芸文庫) 末木 文美士
最近発売された上の本をお読みになった人はいませんか?
日本仏教史は、とても参考になったので、気になっています。
感想や批判などありましたらお願いします。
お釈迦様は本来は人間を超越した存在ではなく、自分も含めて人は人以上でも人以下でもないただの人なんだよと
説いた今でいう哲学者のような人だと思うのですが。
だから今の仏教はお釈迦様の教えとは全くかけ離れた存在ではないかと思いますがどんなもんでしょう?
ただ人の心のよりどころとする真面目な宗教家を全否定するつもりはありませんが、葬式とか法事とかしか縁のない
お坊さんには納得できないものはあります。
370 :
神も仏も名無しさん:2013/03/02(土) 15:47:49.93 ID:OASxm353
>>369 >お釈迦様は本来は人間を超越した存在ではなく、自分も含めて人は人以上でも人以下でもないただの人なんだよと
>説いた今でいう哲学者のような人だと思うのですが。
和辻以降、そういう解釈をする人が少しいますが、全く違うと思います。
釈尊自身がブッダは人でも神でもないとアーガマ・ニカーヤで説かれてます。
371 :
人でなし:2013/03/02(土) 16:23:00.34 ID:CMUFlNw7
『人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
矢張り向ふ三軒兩隣りにちらちらする唯の人である。
唯の人が作つた人の世が住みにくいからとて、越す國はあるまい。
あれば人でなしの國へ行く許りだ。
人でなしの國は人の世よりも猶住みにくからう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人といふ天職が出來て、ここに畫家といふ使命が降る。
あらゆる藝術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊(たつ)とい。』
(漱石 草枕)
人でなし仏教より、芸術です。
>>370 それだと、神智学の覚者との差異化が難しいねw
さすがに、もう少し違う言い方の方が良くないか?
いくら、世俗に於いては言語道断を便宜上言語表現せねばならぬとは言いながらも・・。
悟るというのは人間でなくなることなのか、
ブッダは人間じゃないのか、
人間が別の“生物”になるのか、と思われるぜ。
ブッダになるというのは、そういう「人外の物」になるということなの?(´・ω・`)
人間が人間でなくなるとはどういうことなの?(´・ω・`)
五蘊の残余は認められるの?
仮に、ブッダ=五蘊の滅とするなら、
それ以降45年間法を説き続けた所には、五蘊もまた無かったの?
仮に、五蘊が残余するなら、
五蘊存在の凡夫と五蘊存在の如来との相違はどこに?
それは、「人ではない」という表現しかできない相違なの?
373 :
神も仏も名無しさん:2013/03/02(土) 16:56:17.72 ID:OASxm353
>>373 >もなくブッダである
この↑一句があるとないとで全然違うっしょw >人でも神でもないと
「死」ではなく、「般涅槃」「入滅」と表現するが如く「人でない」というのはわかるけれど、
革紐で括られた荷車の如き、という言葉に、凡夫(人間)との連続性を見ないでどうするのか?と。
人間をやめて別の存在になるような言い回しは、やはり好きじゃないな・・。
373の一句があって初めて、「凡夫ではなくブッダである」という意味合いが表されるわけで・・。
ただ、「凡夫ではない=人でない」というのは、単に教学上の表現の問題にも思えないでもないが・・。
申し訳ないが茶のことはわからんよ・・(^^;)
やってないから・・w
オギャアと生まれただけでは人間ではないそうだ
赤ちゃんや幼児と接すると解ると思う
人(ヒト科)なんだって
色々学んでだんだん人間になっていくのだけど、自我をなくしてはじめて人間になるんだって言われたことあるよ
ブッダの仏は佛、人ではない、という意味らしい
それは人間という意味なのか、人間をさらに超えたという意味なのか
>>372 五蘊の原因は勘違い(無明)です
勘違いに気づいて笑い飛ばせば大丈夫
人は過去に生きている
人間は今に生きていると言えるかも
>>375 >人(ヒト科)なんだって
そういう時は漢字使うなよw カタカナ表記がベストだろ。
つか、そういう表記の問題じゃないけどね。「人」と「人間」での区別は日本語限定じゃんw
>五蘊の原因は勘違い(無明)
だからw
それなら、荷車の譬えはどうすんだ?
菩提樹下から立ち上がった釈尊もまた、勘違いしたまま法を説き続けてたのか。
なんつーかな・・。
そういう「神格化」「超人化」は、断絶を匂わせるんだよね・・。
どうせ無理だよねwww と。
申し訳ない
>>375 ○五蓋
×五蘊
五蘊はあるよね身体あるもん
>>376 荷車の譬えって「荷車で来ました」「荷車とよべるものはない」ってやつですか?
違うなら全文もしくは日本語で読めるところを紹介していただけますか?
今パソコン使えないので携帯で見られるところだと嬉しいです
>革紐で括られた荷車の如き
が何だろ?と思って
自分突っ込み
>>377荷車で来ましたとかどういうこと…
五蘊といいなんかおかしい状態らしい自分
出直すわ…
379 :
人でなし:2013/03/03(日) 12:11:43.39 ID:p5TNgqp3
ゴールドベルク変奏曲のCD買って聞いてみたら鼻歌まじりだったのでビックリした
ネットで調べて、その演奏家のグールドってやつはそれが鼻歌で有名な人だということを知った
381 :
神も仏も名無しさん:2013/03/10(日) 03:00:06.29 ID:GhyHUVMB
昔、天台宗では朝題目夕念仏とか言う言葉があったそうですね。
今では定見のないこととか悪い意味に使われるそうですが(自分は聞いたことない)
朝に題目、夕に念仏とは、やってはいけないことなのでしょうか?
あと、題目は日蓮宗のイメージですが今でも、天台宗で行われているのでしょうか?
>>381 もともと、題目(南無妙法蓮華経)も、念仏(南無阿弥陀仏)も、昔からあった修行法の一つに過ぎない。
日蓮と法然が発明した修行法と思われがちだが、それは勘違い。
それぞれの開祖が、数ある修行法の中から、それらを「一番大事な修行法」と定義したと言うだけの話。
だから、日蓮宗でかつ浄土宗であると言うなら節操がないと言われてもしょうがないが、
昔からある修行法のうち二つを同時に実践しているだけだと言うなら、別にやってもいいんじゃないかな。
現在の(というか、昔から)天台宗は、それを行ってきてるしね。
>あと、題目は日蓮宗のイメージですが今でも、天台宗で行われているのでしょうか?
南無妙法蓮華経とひたすら唱える事は無いと思うが、
天台宗の法華三昧行法(法華懺法)の中で、十方念仏の一つとして南無妙法蓮華経と唱ている。
>>382 ありがとうございます。
定見のない意味とか誰が言い出したのでしょうね。
では逆に定見がないとする見方で書いてみる
仏教てのは執着を手放していくことで苦しみはなくなると説く
滅苦するための手段は色々あるしどれを選んでもいい
しかし無明でよく見えないと、あの手段でもこの手段でも同じ滅苦にたどり着くと見えない
色々試してみるが自我が強いゆえに、結果が出るまでやる前に他の手段に目移りしてしまう
朝題目夕念仏て、一日も試さないんかいw て感じかな
>>381-384 「ことわざ・俚諺・鄙語」(及び既に「ことわざ」と化したもの)に対して原義から註釈してどうすんのさw
「縁無き衆生は度し難し」とか「釈迦に説法」とか「お釈迦になる」とか
「縁起が悪い」とか(これは或る意味正しくもあるが・・)、
文句言い出したらキリないぞw
>>385 いやさ、質問自体、「ことわざが原義から見てどうなのか」って質問だろ?w
>>386 いや、でも、みんな、「世間的意味を否定してる」じゃん。
しかも、「もとは、そういう意味ではないですよ」にとどまらず、
世間での否定的使い方なぞ存在しないが如き流れだったから。
*(特に
>>383なんてレスまでついてるしw
で383へのレスとしては、384的なものでなく、
「朝、八幡様にお参りし、昼に教会でお祈りし、夕にお寺にお賽銭を投げる」
みたいなこととしてつかってるわけでしょ?
誰が言い出したかはともかく、「節操が無い、背筋がない」方向で形式が援用された
ってことでしょ。そこ押さえずに、
>>382の如く「肯定的に解釈するなら」という言い方しかできないのであれば、
それは、原義があったものでなく、後付理論、後出しジャンケンじゃない?
その意味で、「弁解じみた」レスに見えたから。 そうでないなら茶々入れ失礼した。 m(_ _)m )
伝統仏教でどうやって信仰するの?どうやって信仰を保てるの?
389 :
神も仏も名無しさん:2013/03/11(月) 01:22:20.82 ID:4m7VQOOF
>>388 質問があいまいすぎて何をききたいのかわからない。
「伝統仏教」とは、今の日本の各宗派のこと?
また、それには「葬式仏教」も含むの?
各宗派の教えと葬式仏教はイコールじゃないというか、
外から見たら葬式と法事しかやってないように見えても、
意外にちゃんと教えも説いてる寺もあるし。
390 :
神も仏も名無しさん:2013/03/11(月) 06:10:58.05 ID:bJdsdXfr
>>388 そりゃ、仏法僧の三宝に帰依するんですがな
その上で輪廻の中で因果が縁起し一切は苦である。
苦の因は諸縁・諸業である。
涅槃は寂静である。
涅槃に至るためには仏道を歩む。
仏道は八正道や六ハラミツである。
それを伝統師から聞き、考えて理解し、修行訓練する。
修行は教えの見方考え方を定め理解し、その見方に馴れ身につけ、
最後にあらゆる行いがそのようになるようにすること。
>>384 なんかおかしいような。
題目や念仏だけを試すのはいいとして
朝題目夕念仏は試したことにならんの?
あるいは冗談か釣り?
>>383が
>定見のない意味とか誰が言い出したのでしょうね。
て書いてたから、偏った解釈になっちゃったかなあ?と思って
>>384書いたのさ
表あれば裏ありってね
>>391 朝に題目するぞ!て決めたものの、「駄目だ結果出ないわ」言うて夕には念仏をやることにした
すぐに結果出ると思い込んでるのかしらんが、諦めるの早すぎ
結果出るもの(仏教)選んでるのに「結果出ない出ない」て、行動が足りてないよ、心こめてやってみなよ
やりこむ前に「結果出ない」て結論出して「仏教○○宗うんこ」とか決め付けてくれるなよ、あんたのためにならんよ
てなことを言いたかった
一応書いておくが特定の宗派にひいきとか毛嫌いとか特にないです、あしからず
つまり、朝題目夕念仏とは朝に題目始めたが、夕方には駄目だと諦め念仏にすることなのか?w
俺は最初から朝は題目、夕に念仏と決め毎日行うことかと思った。
翌朝は題目になるんだから諦めたのとは違う。
ぐぐった
大辞林 第三版の解説
あさだいもくにゆうねんぶつ【朝題目に夕念仏】
@
天台宗で,朝に法華懺法を行い,夕べに阿弥陀経を誦すること。
A
転じて,朝に日蓮宗の題目を,夕に浄土宗の念仏を唱えること。定見のないことのたとえとする。
>>393が言ってるのはおそらく@で、自分が言ってるのはAだね
日蓮宗は南無妙法蓮華経
浄土宗は南無阿弥陀仏
唱えながら心を向けるという同じ行為をしている
しかし南無の後につく言葉が違う
Aの意味で、妙法蓮華経で駄目なら阿弥陀仏と唱えるが、結局心こめて唱えるという同じ行為をしている。しかし唱えてる人が気づいていないのであろうことが笑いどころなのかなと思ってた
端的に、
「あれもこれも」という節操の無さでしょ。
或いは、
「朝子ちゃんとも付き合うけど夕子ちゃんとも付き合う」ってことでしょ。
『通俗的意味』は。
もし、“定見”という点を強く意識するなら、
「職人が学ぶ際に、師匠に従い手本としながら同時に他の職人の教えにも従う」って感じ?
難しく考え過ぎなんじゃないの? >>ALL
節操がない意味としてもいいんじゃないの?
その意味でも、使われるんだからw
>>395 まったくだw
もう終わりにしようよ蛇足だ
こういう話は続けようと思えばいつまででもできそうだからなあ
仏教スレらしく滅苦になる話に切り替えよう
今までの会話のように自分の中でぐるぐるやりそうなのに気づいたら、とりあえず考えるのから出て動くのがいいなという教訓になった
最近「どっちがいいんかなあ」と思うことがあったから、それに活かすことにするわ
質問じゃないからスレチかもだけど
398 :
神も仏も名無しさん:2013/03/13(水) 12:52:15.69 ID:MNbYaBo8
>>397 選択に迷ってるってことは、今の自分にとってどっちでも大差ないんだから、
サイコロでもふって決めればいい。
と、何かの本(仏教系の著者)で読んだ。
399 :
神も仏も名無しさん:2013/03/13(水) 15:43:51.98 ID:No8kIRTe
>>398 それは結果的には同じだけどちょっと違うと思う
よく考えた上で二択で迷っている時は、
大抵どちらかが正しく一方は煩悩に流されている場合だと思う
その場合、占う。占いに従うのは煩悩でなく縁起に従うという意味。
この意味なら占いを禁じた仏教とも矛盾しないと思う
何でも占って決めるというのは仏教ではありえない
400 :
神も仏も名無しさん:2013/03/13(水) 17:48:35.56 ID:MNbYaBo8
>>399 サイコロをふってというのは比喩でしょうね。
今のある情報では答えがわからない、進んでみないとわからない状態のときは、
それ以上悩んでも時間の無駄だ、ということでしょう。
俺は天台も日蓮も浄土も関係ないけど、
見てて面白いw
>>397です
思いがけずスレチにレスついてて、ちょっと嬉しかった
参考にして熟考したら気づいたよ
今回のことは”一方が正しく一方は煩悩に流されている場合”だった
煩悩の言うこともさ、悪知恵というか…賢いよな
ゆうしゃのレベルが上がったから出てくるスライムも強い子になるのだと思って喜ぶとしよう
今回のことで、いかに自分に甘かったかに気づいた
自分が選択に迷ったこと、もし他人に同じこと質問されたら選ぶべきものはハッキリ解るんだよ
それが自分のこととなると…だったわけ
他人を見るかのように自分を見ていくのが今必要なことだと気づいたよ
>>397を質問として書いたわけじゃなかったけど、結果的にみんなに助けられた
ありがとう
失礼します。超初心者です。
葬式などでお坊さんがお経を唱えるとき、
文章を読み上げるというより、
ある種の「節」をつけて、歌うように読みますよね?
(浄土真宗だけでしょうか)
自分の記憶では、
「お経を記憶しやすいように、中国の●●という僧が
歌として読経し始めたことから始まった」
と覚えていて、
●●の部分が記憶になかったので、
ちょっと調べようと思い、
「これはたしか池上彰『池上彰と考える、仏教って何ですか?』で読んだんだっけな」
と、池上本を読み直してみたところ、
そのような記述はどこにもありませんでした。
で、ググったところ、「経典の読誦」自体、大乗仏教発生以前からあった
との記述があり、混乱しています。
このあたり(経典を独特の節回しで唱えること)の発祥をご存知でしたら
ご教示願いたく書き込みさせていただきました。
404 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 06:00:11.44 ID:bNV7Xyft
なんでお経を歌うように読むことを「声明」ってしたん?
文法学の事じゃなかったのか
406 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 09:38:07.11 ID:bNV7Xyft
408 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 09:49:23.16 ID:LnQq0tgm
明とは学問とかいう意味がある。
医法明というと医学のこと。
声明とは声の学問、声楽だね。
409 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 10:23:41.96 ID:6flDCzJU
愛染明王は仏菩薩の化身なのか、仏教に改宗した鬼神なのか
どっちなんでしょうか。
>>408 文字依存度の少ない時代、長き口伝時代を過ごしたということ(≒“文章→発声”でしかないこと)を考慮すると、
zabda-vidyA「声(音)-学(知恵)」は、そのまま「言葉の学問(知恵)」ということになる。
(現に五明の分類で行くとそうなる。「言語表現そのものについての知恵、学問」として。
それはもはや文法学と同義と化すだろう。)
とするなら、梵唄としての語義の方が、後発拡大解釈と見ることもできる。
411 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 10:44:05.01 ID:bNV7Xyft
>>408 こういうのがシナ的誤伝でしょ
もともと音声学や言語学というような意味
>>409 なにか神々が実体的と考えるのは仏教的でないです
それぞれの言い習わしとして、そのような現れとなっている
その言い習わしを記号・象徴として用いていると考えるべきです
といって単なる神話で架空のものという意味ではないですよ
412 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 10:54:02.88 ID:3ox/riyG
在家の勝手な判断です どなたかご教示下さい
人間「釈迦」は、修行の結果悟りを開き「如来」となり、動物としての存在を
離れて、概念の「仏」となり、無限の過去より、無限の未来に至る存在となり
、この世に「実在」する
つまり、「動物」としての実在は無いが、釈迦と言う「概念」はこの世に実在する
論理として矛盾はないようですが?
413 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 10:56:50.66 ID:6flDCzJU
不動明王は高僧の前に現れる伝説がありますが、
大日如来の使者であるときと化身であるときがあるのか。
愛染明王はあんま聞かないですね。私が知らないだけかもしれませんけども。
愛染明王も仏菩薩の化身であることもあり、改宗した鬼神であることもあり、
ダルマを観た時のヴィジョンであることもある。
こういうことですか?
>なにか神々が実体的と考えるのは仏教的でないです
これは我々人間もでしょうか。明王が実体的でないことと、
我々が実体的で無いことは、同じ意味において、そうなのでしょうか。
例えば仏菩薩やその化身の場合は、別な相もあるのでしょうか。
414 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 11:00:34.27 ID:3ox/riyG
上の様に 考えると、法華経の「本門」の一つの解釈になる?
ナンセンスでしょうか
415 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 11:38:13.56 ID:bNV7Xyft
>>412 コジツケですね。彼はおじいちゃんの説を仏教やキリスト教に一致させ普遍化し正当化したいだけですから。
なんど仏教とは違いますと言っても聞いてもらえませんでした。
>>413 >不動明王は高僧の前に現れる伝説がありますが、
>大日如来の使者であるときと化身であるときがあるのか。
>愛染明王はあんま聞かないですね。私が知らないだけかもしれませんけども。
>
>愛染明王も仏菩薩の化身であることもあり、改宗した鬼神であることもあり、
>ダルマを観た時のヴィジョンであることもある。
>こういうことですか?
そう実体的に考えると分からなくなるのが仏教です
>これは我々人間もでしょうか。明王が実体的でないことと、
>我々が実体的で無いことは、同じ意味において、そうなのでしょうか。
全く同じ意味です。
>例えば仏菩薩やその化身の場合は、別な相もあるのでしょうか。
化身というのは法身から意図することなく自然に現れるもので、
それぞれの場合に応じて色々な姿・形で現れます。
といって法身も実体ではなく空性ですので、勘違いなさらぬよう
>>415 そこは“ウパーシカ”としての在家じゃね?www
自分自身を謙称してのことでしょ。
向こうのスレに染まり過ぎじゃないですか?w
|゚)
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|彡サッ
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417 :
403:2013/03/20(水) 14:50:35.31 ID:RvGYpl3t
>>404-411 ありがとうございます。
中村元訳『ブッダの言葉』(岩波文庫)の解説に、
そもそもの最初の経典の誕生の時点で「暗誦の便をはかった」
まとめられ方をした、と明記さていました。
「…仏弟子たちはその教えの内容を簡潔なかたちでまとめ、
あるいは韻文の詩のかたちで表現した。
いずれにしても暗誦の便をはかったものである。」(p.435)
ついでにもう一つ質問させてください。
中国で漢詩のかたちで韻文とし、節回しするように読むのは理解できます。
しかし日本でそれをやっても、聞いている方はちんぷんかんぷんですよね。
マントラなどの呪術的な「おまじない」としての効果がある、
というのは私としては、ゴータマの意図にまったくそぐわないと考えていますが、
そもそも日本でも中国の真似をして「聞いてわからない」読経を始めたのは
どこから/誰からなのでしょうか?
初めからでしょうか?
また、経典の漢訳は初めから漢詩の形式で行われたのでしょうか?
418 :
神も仏も名無しさん:2013/03/20(水) 15:07:04.22 ID:bNV7Xyft
>>416 ああ、そうか。
染まりすぎてた。
失礼しました。言葉は過ぎたけど意味は同じです。
>>417 恐らくそれは前提が間違っているというか、狭すぎます。
韻文とメロディを付けて詠唱するのは別です。
それは抜きにして韻文は韻文として最初の頃から訳されていたようです。
厳密にはちょっと分かりませんが。
>>417 >日本でそれをやっても
まず、
・平板であるよりは、リズム抑揚があった方が読み易いでしょ?(川柳にしても諺にしても。)
・漢文そのままを読むなら、今貴方が批判しているような「リズム抑揚付の読み」となります
・日本語として読む下すなら、小説・童話等の朗読と同じになります。
(尤も、読み下しにしても、なるべく五七五等、リズムが取り易くなるような先人の苦労は見られます。)
・また、漢文を読み下さねばならなくなってきたのは近代頃でしょう。それ以前は、
漢文ママでも理解可能だったのでは?
で、漢文のママ(勿論、日本的“音”に変換されるとしても)ならば、
一音一音発声していけば、自然とリズム抑揚が付随してしまう、と。
いうようなことがあると思います。
>どこから/誰から
ですから、おそらく『伝来当初から』だと思いますよ。
翻訳はあくまでも『解釈のために読み下す』のであって、
読誦は“ママ”でなければ功徳や効験が顕われないと考えられていたかもしれません。
よって、「漢文リズムのまま」が定着したのだと思われます。
>中国の真似をして「聞いてわからない」
真似をしたのではなく、“ママ”であることに意味があったでしょうし、
漢文ママでも皆理解でき、聞いてても解ったわけです。
日本仏教はそもそもエリート仏教として出発してますから。
(だから、日本仏教史に於いては、(奈良平安よりw)鎌倉仏教の時代が重要視されることになる。)
>中国で漢詩のかたちで韻文とし、節回しするように読む
それは、膨大な経典群の極一部ですよ。(たとえば世尊偈とかw)
他は圧倒的に散文(平叙文?・長文)ですから。
その意味では、中国では、日本で言う小説朗読の如きものだったでしょうが、
四声平仄というものが骨格としてあるなら、中国においてはリズム抑揚の付随は必然でしょ。
たとえ偈頌・漢詩でなくてもね。もともとリス無抑揚のある言語だから。
で、にほんごでは、それが、五七五なわけ。たとえば坐禅和讃とか。
>>417 ですから、
意味内容がわかるように、というのは必要なことですが、それは、
読誦とは別個の「解説」「法話」で、という落とし所に日本仏教はあるのでしょう。
別に呪文を唱えているわけでなく、
(実際、一度内容を解すれば、聞いていても解るでしょ?)
形式としては「法が説かれている場面」に他なりませんし。
厳密さを求めるあまり、原点回帰を希求するあまりに、現場の工夫を潰してしまうよりは、
もう少しフレキシブルな考え方であっていいと思いますよ。
421 :
神も仏も名無しさん:2013/03/21(木) 10:56:18.07 ID:LfWpuIxR
>>415 釈迦にとっての「釈迦族」
阿弥陀如来にとっての「法蔵菩薩」
これに相当するものは愛染明王にもあるんでしょうか。
「プルパ金剛十大忿怒尊」「蓮華部」メンバーであること以上のことは記されておらず、
これ以上(釈迦がクシャトリア階級生まれで誰々と結婚した、というような現象の)○○としての現れとしても、
決定的に語ることはできない?
わからなくなってきました。このことについて
掘り下げた、何かおすすめの解説書はありますか?
422 :
神も仏も名無しさん:2013/03/21(木) 11:02:10.88 ID:LfWpuIxR
423 :
神も仏も名無しさん:2013/03/21(木) 11:04:03.52 ID:N/RwU730
>>421 タッキラージャについて書かれたインド・チベット文献を読めばあるいは分かるかも
だけど、そんなことを調べても仕方ないと思いますが
自相続、について質問です。
悟っていない私たちについて、この、意識の連続性のようなものは、どのように続いているのでしょうか。
今の自分があるのは、すぐ直前に為した業(プラス過去世の業)の結果を常に受け続けているということでしょうか。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
業(ごう)は「行為」を意味する。
業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、伝えられると考えられた。
無我の立場をとる思想では、心の流れ 『 心相続 』 に付随するものとされた。
釈迦は自ら
「比丘たちよ。あらゆる過去ないし未来ないし現在の応供等正覚者は、業論者、業果論者、精進論者であった」
と言ったといわれるように、カルマ(業)論の主張者であった。
心のエネルギーとして、物質的形態をとらないものとして考えた。
因と縁によって現れて
因と縁によって滅する
例えば
因と縁によって
時の流れの変化に依存して
心の働きの相続 ( 心相続 ) が現れている,と仮設する
と言う事かもしれない
//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)
中観派の「空 (くう)」思想を受けつぎながらも
とりあえず 『 心の働きは存在する 』 と仮設して
瑜伽(ヨーガ)の実践によって
心の働きを制御して変化させて
悟りを得ようとした(唯識無境=ただ識だけがあって外界は存在しない)
仏教の唯識論では、その心の存在も仮のものであり
最終的にその心的作用も否定される
(境識倶泯 きょうしきくみん − 外界も識も消えてしまう)
大乗仏教の考え方の基礎は、この世界のすべての物事は縁起
つまり関係性の上でかろうじて現象しているものと考える
唯識説はその説を補完して、その現象を人が認識しているだけであり
心の外に事物的存在はないと考えるのである
これを「唯識無境」(「境」は心の外の世界)または
唯識所変の境(外界の物事は識によって変えられるものである)という
428 :
神も仏も名無しさん:2013/03/28(木) 19:31:04.04 ID:ENfo4npB
『折々の法話より』グナラタナ長老 翻訳/出村佳子
『「生きること」とは、取ること(執着)と成ること(有)の過程であり、「死ぬこと」とは、取ったものに変化することをいいます。
執着は、生きる者の特性でもありす。
執着がもとになり「有」が生じているのです。 』
心は何かに成り続けているわけですね。
心にかぎらず、すべての事象は次の何かに成ろうとするし、何かに成り続けている。
心が相続しているという観点で見るより、
心は止まっていないという観点で見るほうがわかりやすい。
氷が水になるのは不思議ではない。むしろ、氷がいつまでも水にならないほうが不自然。
心が次の心に変化するのが自然。
429 :
神も仏も名無しさん:2013/03/29(金) 20:46:48.52 ID:xxvIeaXA
>>424 一概には言えないけど
「さっき」の自分を原因として、結果である「今」の自分があって
「今」の自分を原因として、結果である「未来」の自分がある。
って感じ。
厳密には刹那滅の問題とか時間の捉え方の問題とかで仏教内でも色々な捉え方があるけど、だいたい上の理解でいいとおもう。
>>417 経典の写経読経における功徳って概念は初期大乗に既に登場していた。
上座部においても在家が読経する為のテキストと区分される部類が律や註釈に散見される事から上座にも説かれていた。
古層経典において読経の功徳を述べるものは見れないから、(古層以外は網羅的に見てないから知らん)
ゴータマ以降の僧団において誰がってわけじゃなく、教えの保存の為に読経と写経の推奨が行われていたんじゃねえかな。
それと漢訳だけど、経典は韻文の箇所は基本的に韻文で翻訳することが心がけられるが、散文の箇所は棒訳だったり、X言一句を意識していたり様々だね
ある出来事が起きるには、その原因aが必要である
その原因aが起きるためには、原因bが、
その原因bが起きるためには原因cが……
原因の無限後退により、最初の原因はビッグバンに帰する──
なら、今俺がこんな文章を2chに書き込むことも、
全てはビッグバン以来決定してたことなのだろうか
431 :
神も仏も名無しさん:2013/03/30(土) 00:33:24.22 ID:5Pp3xnP2
>>430 仏教は運命論を述べるものではない。
あくまで出来事aの原因は原因aのみではなく、自身の思考等の要因によっても左右される。
一部の例外を除いて日常に決定は存在しないと仏教は捉える。
>>431 自分の思考・自由意志すらも、無から突然生じたわけではなく、外部の因果関係の情報が脳内で乱反射してるわけでしょ
貴方は自分の意志で431を書いて投稿したと思ってるが、その意志は、430を読んだからこそ起きたわけだし
433 :
神も仏も名無しさん:2013/03/30(土) 01:00:05.18 ID:5Pp3xnP2
>>432 運命論を論じる上で、自由意志の有無という点が重要な論点であります。
しかしながら、この自由意志は客観的な論証が不可能な項目でして、あくまで主観的な判断しかくだせません。
その為に仏教ではそこに仏教としての判断として自由意志が存在すると認めます。
これは六師外道のマッカリ・ゴーサーラ等との比較研究においても顕著に見られます。
例えば、レスを行うという行為ですが、432で述べられているように直接的原因は431のレスを見るという行動です。
しかしこの後にこのレスを返信するのか否かの自由意志が発生します。
つまり、この段階で自身によってレスをしないという判断を行うことができるにもかかわらず、自分の意志でレスを行ったと捉えます。
これが自由意志であり、運命論ではない捉え方です。
次に、このレスを見るという行動のみが原因で自由意志を介さずに結果としてのレス返送のみが有ると捉える人々がいます。
これは仏教ではなく、アージーヴィカ教とよばれる思想団体に分類されます。
つまりは、もしビックバン以来すべてが決定している(自由意志が存在しない)と捉えるならば、それは仏教的な理解ではなくアージーヴィカ的な理解となります。
あくまで仏教では自由意志が存在すると捉えます。
何か質問があれば答えます。
それは仏教的考えではない、外道の考え方だ、と言われれば身も蓋もないけどさ。
俺の考え方はまさにwikipediaで読む限りのアージーヴィカ教だな
シャカがどう論破したのかはよくわからんが、下等な考えかー
いちおう以下俺の考え
心という現象も物理的な見方では、脳みその電気信号なりシナプスで分布うんぬんの現象であるわけでしょ
極端な話、例えば牛の左右に餌をおいてみて牛がどちらの餌を食べるか、というのも決まってるような
きがするんだよね
もっとも世界は単純な「一つの原因に対してひとつの結果」というわけではなく、
複数の因果関係のビリーヤードの玉突き運動みたいなものだけど。
逆に、宇宙全体をひとつのモノとみれば、ある一瞬の宇宙のありようは、その直前の宇宙の結果であり、
過去も現在も未来も決まってる──それ以外には怒らない──ように考えてしまう
ビデオテープを巻き戻して繰り返しみても何も変わらないようにさ
西洋なら唯一絶対の創造神に帰すればいいけど、仏教では世界を誰かが作ったというわけではないんだっけ
435 :
神も仏も名無しさん:2013/03/30(土) 01:42:56.44 ID:5Pp3xnP2
>>434 直接的な対論は行われた形跡が無いため釈迦が直接対論したとはあまり考えられません。
しかし仏教教団においては決定論は今に至るまで道徳の不必要性に繋がるために危険視されてる次第です。
あくまで仏教では、そこに自身で解脱したいと願い、良いことを行い行動することこそが必要と考えるので決定論では困るので、
自由意志を認めるに至ります。
ゴータマは世界の生成については基本的に無回答を貫きました。
しかしながら、ゴータマ以後、ニーズが生まれ仏教でも世界の生成について述べるようになります。
仏教における世界生成論については仏教は多世界解釈を用いるのですが、
世界Aは世界Bの人々の行為によって培われた業によって生成されると捉えます、
同じように世界Bは世界Cの人々の行為によって培われた業によって生成されたと捉えます。
この理解は仏教の完全オリジナルではなく、インド従来の伝統的な世界創造神話の一つを仏教的に解釈改変したものです。
しかしながら、仏教としてはこの解釈をスタンダードとして説くようになりました。
436 :
神も仏も名無しさん:2013/04/03(水) 08:06:05.05 ID:mSbXiEf2
>>434 犯罪者の生い立ちまで知ってしまうと、
その犯罪者が犯罪者にならざるをえなかったのかもしれないと思えて
慈悲の心がわいてくることがある。
そんな感じで、環境によっていやおうなくそうならざるをえない、
よぎなくされてしまった他人への、慈悲につながるならいいのでは。
438 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/04/09(火) 01:04:45.87 ID:mvZ0zQGK
\(^。^)/うっほほ〜い♪質問だよ〜♪
「釈迦が仏教を説いたことによって、バラモン教が衰退していった。」キリッ
議論スレでこんな事書いた人。
ソース教えて♪
あと、真言宗がカルトだって書いた人。
(^。^)どこの宗派なんだよぉ♪教えてよぉ♪スレ荒しに行くから♪
439 :
神も仏も名無しさん:2013/04/09(火) 14:46:22.62 ID:OYr7Nqr4
マウリヤ朝もクシャーナ朝もグプタ朝も仏教が盛んだった。
時の権力者が仏教に帰依していたということは、
ヴェーダ祭式を基本とするバラモン教が文化の中心から外れていたことを意味する。
バラモン教が仏教やジャイナ教の出現とともに一旦衰微してインド土着の民衆宗教と習合することによってヒンドゥー教が出現した。
アーディシャンカラが仏教と対立を迫られたのはバラモン教が衰微して仏教が興隆していたから。
お釈迦様が出現した紀元前500年から紀元600年までは宗教史区分から言って、
非バラモン教が栄えた時代として区分されている。
インド美術史の観点からもこの時代は圧倒的にガンダーラ美術やマトゥラー美術などに代表される仏教美術が大勢をしめる。
そして紀元600年以前の大規模なヒンドゥー美術を見つけるのは難しい。
これはバラモン教とヒンドゥー教の間に仏教がインドで大規模に発展した証でもある。
インド宗教史の常識の範囲内なのでとりあえずソースはない。
440 :
神も仏も名無しさん:2013/04/09(火) 15:02:36.39 ID:OYr7Nqr4
お釈迦様出現以前に仏教でいう六師外道が大流行であったということは、
すでに仏教誕生以前に祭式にしがみつくバラモン教の内部腐敗が進み、
仏典に散見されるような批判の対象とされていたわけです。
すでにバラモン教は内的な腐敗により衰微の兆候を示していたんだと思われるが、それにトドメを刺したのがお釈迦様であり仏教ってところでしょうか。
従って質問の答えとしましては、
「お釈迦様が仏教を説くことによって既に衰微し始めていたバラモン教の没落が文化的に決定的となり、やがてそれは長い潜伏期を経てヒンドゥー教として復活した。」
です。
>>433 女の裸を見てちんこがたつのは条件反射的思い込みだ
思い込みは制御することもできる
運命は全く関係ない
443 :
大日如来の霊言「理趣経」:2013/04/10(水) 09:19:33.99 ID:XCi/M+NE
>>438(承狂)
>真言宗がカルトだ
大日如来は殺人罪の共謀共同正犯として死刑を言い渡すべきである!
・二段 (覚証の法門) 大日如来の巻より
金剛手 若有聞此 四出生法 讀誦受持 設使現行 無量重罪
必能超越 一切惡趣 乃至當坐 菩提道場 速能剋證 無上正覺
(金剛手菩薩よ。もしあなたたちがこの四つの悟りを生み出す法を聞いて、これを読み誦え、身に保ち持っていたならば、たとえ今ここで数えきれない重い罪をなしたとしても、
必ず一切の地獄に墮ちるという報いを超えて、そのままで無上正等覚(さとり)を証することであろう。)
・三段 (降伏の法門) 降三世明王の巻より
金剛手 若有聞 此理趣受持 讀誦 設害三皆 一切有情 不墮惡趣
爲調伏故 疾證無上 正等菩提
(金剛手菩薩よ。もしあなたたちがこの「悪にその性なし」という理趣を聞いて、これを読み誦え、身に保ち持っていたならば、
たとえ三界の一切の生き物を殺したとしても、決して悪の報いを受けて地獄に墮ちることはない。
それどころか悪しきものを調伏(うちなび)かしたことの果報を得て、速やかに無上正等覚(さとり)を証することであろう。)
空海は中論24-18の仮観→空観⇒中観(無分別の“分別”:七仏通誡偈)がまったく掴めていないのだ。
444 :
五仏の法則⇔五戒:2013/04/10(水) 09:24:08.69 ID:XCi/M+NE
>>438(承狂)
>真言宗がカルトだ
密教タントラ・ヴァジラヤーナ(秘密金剛乗) 五仏の法則(真言宗の金剛経などにも見られる教えだ)
(1)金剛の一族に属するものは殺生を行うべきである。
(2)剣の一族に属するものは真実でない言葉を語るべきである。
(3)宝珠の一族に属するものは他のものの財産を盗むべきである。
(4)蓮華の一族に属するものは他のものの配偶者を盗むべきである。
(5)宝輪の一族に属するものは酒と諸仏の明かり(五肉と五甘露)と
あらゆる良き対象によるべきである。
“鉞の一族”に属するものは、最低のカーストに属する女性の
最も汚い部分をあざけるべきではない。
あなたはこの身と富とを命あるもののために捧げるべきである。
あなたは自分本位にそれを持つべきでない。
ああ、良き一族に属する子よ。
勝者は、あなたはこれによって仏陀になるであろう。
そうでなければ無数の劫をへても仏陀にはなれないであろう。
不殺生戒はどーなりました?七仏通誡偈(無分別の分別)は無視ですか?
可分果説の果てがポア肯定とは、空といえばなんでもアリですか。はあ〜
縁起の直接現実は時空際断の直覚によるからこそ執着主体も対象もあり得ず(空)、ニルヴァーナに入れるのです。
可分果説をデッチあげて、それ以上を求めるのは、確実に絶対神(一神教:ブラフマン)を求める空海の執着以外のなにものでもありません。反仏法です。一切外妄想以外の何ものでもありません。
『如来蔵』なんて分別しまくりの隠れ心霊主義(スピリチュアリズム)そのものの反仏法であって、
殺人、窃盗、妄語、邪淫も空だからなんでもOK が仏法ですか?アホですか。
『殺人ポアの真言宗』なんて社会の害ですわ。ホント創価学会とどこが違うねんw
だから真言宗密教は成りすまし仏教のヒンドゥ教と言われるのです。
445 :
神も仏も名無しさん:2013/04/10(水) 09:24:50.86 ID:xvkcgJc+
>>443の人は自分の妄想が仏教だと思ってる人で
その妄想が間違っているとテキストに基いて指摘するとテキストが間違ってるという人ですので
446 :
神も仏も名無しさん:2013/04/10(水) 09:35:29.88 ID:GIq3Awzw
447 :
如理作意:2013/04/10(水) 10:07:40.13 ID:XCi/M+NE
>>445 >テキストが間違ってるという人ですので
テキストに基づいて論じているのですが、
なにか問題でも?
それとも、「理趣経」とか「真言秘密金剛乗 (タントラ・ヴァジラヤーナ)」とかはテキストではないといいたいのですか?
いつもながら、ずいぶんなご都合主義ですねえ(爆笑
448 :
神も仏も名無しさん:2013/04/10(水) 10:09:39.04 ID:GIq3Awzw
449 :
神も仏も名無しさん:2013/04/10(水) 10:16:01.12 ID:xvkcgJc+
>>448 大丈夫、話しても無駄なことはよくわかってるので
450 :
神も仏も名無しさん:2013/04/10(水) 10:35:43.01 ID:Vitfqw5I
テキストによって見解が真逆といっていい。
即ち仏教のテキストに準じてしまうともはや
なんでもありということになってしまう。
見解が面倒くそーて離れるテキストもある。
北朝鮮の三代目がミサイル撃つのは清浄な菩薩の境地である
とは誰も思わんだろ。
経典とはそういうことが書いてあるようなもんだw
451 :
神も仏も名無しさん:2013/04/10(水) 10:41:46.42 ID:xvkcgJc+
>>450 確かにそう読めることもあるけど、それは読みの基盤に縁起・空性・中道・仮設の理解がないからだと思うよ〜
『大智度論』『入中論自註』『十住心論』あたりがある程度理解できれば、
仏教が一貫していることが分かると思う
それはジャータカからマンダラまで『スッタニパータ』と矛盾しない
452 :
神も仏も名無しさん:2013/04/10(水) 12:46:34.10 ID:Vitfqw5I
>>451 さあどうだろうね。スッタニバータの中の信仰一つとっても
見解は書き手によってさまざまだ。
どれを取るかは全くの自由だろうw
つまり何でもありなのさw
俺は面倒くせーから戒律、道徳、見解を離れる教えを信じるわw
453 :
神も仏も名無しさん:2013/04/10(水) 15:40:45.34 ID:xvkcgJc+
>>452 書き手って学者って意味だよね
学者はほとんど分かってる人いないから
そうでなく伝統仏教では、一貫してるよ。
異論が有る部分は方便の強調と、誤解してる人がちょっといるだけだと思う。
まあ、完全に全体を把握してるわけじゃないけど、
今の理解ではそう。
梵パ藏漢の色々な時代の文献と伝統からの総合判断ですよ。
454 :
神も仏も名無しさん:2013/04/11(木) 19:35:15.03 ID:0/wOGkWX
仏教は因果応報を説くことによって
「すべては神の思し召し」
というゴマカシを許さない、という解釈でいいんでしょうか?
455 :
神も仏も名無しさん:2013/04/11(木) 20:16:50.82 ID:D5shxDYh
>>454 そう言った他の見解・思想・哲学を否定することは仏教的ではありません。
仏教では他の見解・思想・哲学では無いということと、
そのような他の見解・思想・哲学を寂滅に導くことを行います。
456 :
神も仏も名無しさん:2013/04/11(木) 20:27:35.75 ID:0/wOGkWX
>>455 スイマセン「寂滅に導く」の部分を阿呆な私にも
わかるようにお願いします。
457 :
神も仏も名無しさん:2013/04/12(金) 02:22:55.79 ID:AU60nGef
浄土宗について質問させて下さい。
浄土真宗は神社参拝を望ましくない等
神道との区別をハッキリさせているようですが、
浄土宗における神道に対する方針(?)はどのような感じなのでしょうか。
何か神道に関するタブー行為とかあるのでしょうか。
家は神道なんですが、嫁ぎ先が浄土宗なようで勉強中なんです。
458 :
神も仏も名無しさん:2013/04/12(金) 03:12:22.78 ID:fbGvAZR6
>>457 神様を拝むときでも「南無阿弥弥陀仏」と言う。(神様に念仏を聞かせてさしあげる。)
459 :
神も仏も名無しさん:2013/04/12(金) 04:00:24.69 ID:2V+sKYso
神仏習合の歴史のほうが長いのになに言ってんだって感じだな
明治政府も余分なことしたもんだよ
460 :
神も仏も名無しさん:2013/04/12(金) 09:09:11.02 ID:m2azZIMH
>>456 しょーもねーことグダグダ考えるなってことよ
>>453 何でそう取るかが不思議。
そうではなく書き手というのは経を作った張本人であり
複数人であるから見解がバラバラということ。
その見解とはある個人の思想哲学を現すものであり、
ある読み手にとりある経の思想にメリットがあるならそれでよし。
メリットがないならそれはガラクタに過ぎない。
全てにおいてメリットがあるとも言えるし全てにおいて
ガラクタともいえる。何を摂るかは個人の固執性による。
461 :
神も仏も名無しさん:2013/04/12(金) 09:12:36.52 ID:hcyo45Vq
>>460 >しょーもねーことグダグダ考えるなってことよ
全く違う
>
>>453 >何でそう取るかが不思議。
>そうではなく書き手というのは経を作った張本人であり
>複数人であるから見解がバラバラということ。
>その見解とはある個人の思想哲学を現すものであり、
>ある読み手にとりある経の思想にメリットがあるならそれでよし。
>メリットがないならそれはガラクタに過ぎない。
>全てにおいてメリットがあるとも言えるし全てにおいて
>ガラクタともいえる。何を摂るかは個人の固執性による。
遊びか? そうなら言ってもしょうがないが、
違うなら、そう考えるなら仏教を学んでもしかたないでしょう。
なぜなら、エゴで勝手に解釈するだけだから。
462 :
神も仏も名無しさん:2013/04/12(金) 09:23:03.21 ID:m2azZIMH
>>461 だから君がエゴで勝手解釈してるだけでしょうw
全く違うとw
だからそれは空にしがみついてるだけなんだってw
463 :
神も仏も名無しさん:2013/04/12(金) 09:28:37.98 ID:hcyo45Vq
>>462 そんな思考停止みたいなこと説いてないよ。
そんな単純なことなら、とっくに消え去ってるし、
誰も出家したりしないは、そんなのちょっと想像すればわかりそうだが
自分が理解できるものと考えたいから、そんなしょうもないものに歪小化するんだは、それこそエゴなんだってw
オイラのは梵パ藏漢の色々な時代の文献と伝統からの総合判断でエゴは入れてないつもりだよ。
反論するなら、テキストに基いて議論スレでどうぞ〜
464 :
神も仏も名無しさん:2013/04/12(金) 11:46:17.53 ID:42pAgOmW
佐々井秀嶺菩薩(ささいしゅうれい)(本名:佐々井実)(中卒・逮捕歴有り)という。
一九三五年、岡山県阿哲郡菅生村(現在の新見市)生まれ。戦前のことであったが、幼少のころより性的好奇心が強く、
小学五年生にして童貞を失うほどの豪傑であったという。
高校へ進学はしたものの、無気力状態は回復せず、やがて高校を退学することとなってしまう。
高校退学後は鬱々とした日々をすごし、家に引きこもりがちだった実少年だったが、あるとき奮起し、十六歳の頃、
東京へ上京。上京後は、精神を鍛錬するための塾である東京正生院に入塾した。ほどなくして綿屋に就職し、
額に汗して働くも、女遊びが原因で職を辞すこととなる。
失意の想いを抱えて帰京した実少年は、郷里で商売を始めたものの、うまくいかなかった。人生に行き詰まりを感じた
実少年は、北海道に旅立ち、ついに青函連絡船から身を投げて自殺を試みた。しかし、そのときの自殺は幸運にも船員
に止められ、未遂に終わる。
一念発起して鳥取県立米子東高等学校に入学するも、やはり学業に集中することはできず、結局中退してしまう。
二十五歳になった実は、自分には学問は向いていないのだから、いっそ僧侶になってはどうかと思い立ち、京都の比叡山
に赴いた。だが、そこでも学歴不足を理由に出家は断られる。日蓮宗、曹洞宗の各宗派に頼み込むも、結果は同じであった。
「どこへ行っても、学歴か…。このままでは、俺の人生は一生浮かばれない」と思った実は、悲嘆のあまり、大菩薩峠で
二度目の自殺を試みる。しかし、やはりここでも死ぬに死にきれなかった。結局、山を降り、山梨県甲州市の大善寺の
井上秀祐師に拾われ、修行をすることとなった。
そしてその後日本からの金銭援助を要求し続け、流用などを繰り返し続けている。
>>463 てめーのは単なる肥大化だw
梵パ藏漢の色々な時代の文献と伝統が肥大化を促したといえる
俺のは歪小化でなく事実にもとずく
意味というものはなにもなく全てにおいて理由のみが存在する
理由とは一元的繋がりであり単なる縁起である。
あくまで意味というものは存在しない。
意味とは人間が勝手につけるものだ。
貴様のようになw
>>463 テキストなんかどーでもいいだろw
てめーには脳味噌ないんかい
それ以前に嘘まみれのテキストとかどーでもいいだろ
いいかw
意味というものはどこにもない
てめーは大きな勘違いをしている
467 :
神も仏も名無しさん:2013/04/14(日) 08:32:40.35 ID:5PMpu44+
>>465-466 つまりオレチャンが正しいと言いたいだけね
問答無用で話にならないんで、止めとくは
少なくとも仏教を学んだら、そんなにエゴは肥大化しないし、
自己防衛のための悪口も吐かないと思うよ
じゃあね〜
>>467 オレちゃんが正しいと思ってるのはお前だw
問答無用で話にならないのはこっちのセリフだw
仏教を学んだらってw現実との乖離を学んでどうしたって?w
エゴが肥大化しないんなら、そのくだらぬ正当化をやめたらどうだい?
君が思ってることは単なる、くだらね〜wwwことなんだよ
自己防衛やってるのはてめーだw
てめーが勝手に悪口と決め付けてる
いいかねw
そんなものはどこにもないんだよ
君が勝手に気分を害してるだけだ
そんなことは知ったこっちゃないwww
469 :
神も仏も名無しさん:2013/04/14(日) 09:30:50.61 ID:3i1/EJxD
質問なのですが
父が亡くなって49日のあいだは彼女とのセックスはもとより
オナニーも駄目なのでしょうか?
471 :
神も仏も名無しさん:2013/04/17(水) 22:24:52.04 ID:1Za4tSas
仏教徒なら室内でゴキブリを見ても殺さずに見逃すべきなのでしょうか
現代日本のお坊さんは、ゴキブリやハエ、蚊などの不衛生・不快生物でも殺生を避けてるのでしょうか
それとも、家の外に逃がすなどできない場合は、常識的な一般人同様に扱うものなの?
472 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/04/17(水) 22:43:45.47 ID:r9Oh+2RS
>470
お酒飲んだり、バカ騒ぎしたりしなけりゃ別に問題ありませんよ。
>471
上座の僧侶やシナの禅宗では、そこまで神経質になった人がいたらしいですね。
普通の日本人僧侶なら、一般常識に従って対処します。
たまに、仏教議論スレに屯してる連中みたいな独自の世界観に浸ってるバカなハゲもいますが、
なるべく関わらない方がイイでしょう。
474 :
神も仏も名無しさん:2013/04/17(水) 23:04:31.86 ID:W5rFNWCQ
475 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/04/17(水) 23:14:59.53 ID:r9Oh+2RS
>473
供養というものに定まった形式は無く、喪中というのも風習でしかありません
477 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/04/17(水) 23:20:07.82 ID:r9Oh+2RS
>473
供養というものに定まった形式は無く、喪中というのも風習でしかありません。
酒や宴というたのは、一般常識という意味だけです。
故人が陽気な方で、遺族の了解があるなら、酒宴で騒ぐのも供養かと思います。
実際、沖縄では墓の前で宴会するそうですし。
>>471 あまり完璧を求めて徹底しようとするとジャイナ教(仏教と同時期発生の近似宗教)バリに、
微細な虫を吸わないよう口には常時マスクを掛けて、また、ホウキで掃きながら虫を退けて歩かねばなりません。
ですから、普通に可能な常識的範囲で宜しいかと思います。
その努めた分だけのカルマ的な意味(効果)があると思いますよ。
日本の大乗僧侶たちの程度は果たしてどんなものでしょうね?
私も分りません・・・。
479 :
470:2013/04/18(木) 18:34:01.83 ID:L+B9VGc1
>>472 なるほどありがとう
別居6年の彼女だから悩んでました
481 :
神も仏も名無しさん:2013/04/18(木) 21:45:56.41 ID:NJb0Ty6Y
>>471 ゴキブリはホウキとチリトリでつかまえて窓から外にポイと出します。
蚊は、私一人のときはできるだけ叩かないようにしていますが、
うちには小さい子供がいるので、就寝前など、蚊取りグッズはやはり使います。
>>478 失礼しました。
代行ミスで私の名前が入ってませんでした。
SATで、漢文に返り点をつけて表示したいのですが、
そのような対応はしていないのでしょうか
>>483 そもそも、元版・原本(大正蔵経の冊子版)に返り点が付いてないから無理でしょ。
2012版は、imageボタン付いてるから、それ見れば紙面がわかるけど。
また、返り点等は、版本にしかないし、更には阿含や各種経・論には付いてないと思う。
(語録系を中心に)、日本向けの版、日本で編まれたもの刷られたもの、等にしか付いてないと思うよ。
だって、「返り点ってのは【日本語読みをするためのもの】」なのだから・・・。
486 :
神も仏も名無しさん:2013/04/25(木) 09:02:59.44 ID:WyIqo1xt
中央公論社の世界の名著シリーズの禅語録(柳田 聖山 責任編集)は翻訳の質としては
どうなのでしょうか。
真宗って法然から伝えられた教えってあるけど、日蓮から伝わった真宗ってあるのですか。
教えてください。詳しい人。
488 :
神も仏も名無しさん:2013/05/03(金) 17:57:00.90 ID:knPwG3SW
>>487 ない。
真宗(浄土真宗)の祖である親鸞は法然の弟子。
日蓮は法然の思想に大反対の人。
日蓮の教えと真宗はまったく違う宗派。
489 :
神も仏も名無しさん:2013/05/03(金) 18:51:21.01 ID:6RfKyTMV
>>487 浄土宗→浄土真宗
日蓮宗→日蓮正宗
の間違いとか?
真宗を、「真実の宗教」とかと誤解してるんじゃない?
491 :
神も仏も名無しさん:2013/05/09(木) 01:49:19.93 ID:CpociE/h
今でも庚申講、念仏講、おこもりとかやってる地方があるんでしょうか?
492 :
神も仏も名無しさん:2013/05/12(日) 22:34:56.75 ID:JwBa2HK5
半年振りに来ました
相変わらずやっとるねえ
ちょっと相談したいんだけど一代氏おるかい?
>>492 時間的に閉店間際でしょw
まだ居続けるみたいだから、書いとけば明日の朝には返事があるよ(´∀`)b
>>493 ありがとう
ココだとスレチになるから議論スレに書いておくよ
495 :
神も仏も名無しさん:2013/05/21(火) 13:10:19.65 ID:VHGysxby
五蘊盛苦の原因って何でしょうか?
三毒? 三業?
三毒と三業の違いが、ごっちゃになってよく分かりません。
496 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/05/21(火) 18:18:50.77 ID:qqfzX2+d
>495
三毒とは、貪欲、瞋恚、愚痴の三大煩悩。
三業とは、身口意、即ち言動と意識が作る業。
三業の意業は三毒等の煩悩に依って生じ、これが言動の業を生む。
五蘊盛苦は四苦八苦の一。
五蘊、即ち色受想行識にとらわれて生じる苦。
四苦八苦は苦しみのカテゴライズ。三毒は煩悩。三業は業。
何の分類か、他とどのような関係か、考えながら読むと捗りますよ。
色々仏教の話をテレビなんかで聞いていても、
お釈迦さまの教えって、
いわゆる神様的な神秘的なものとはほぼ関係のない
心の持ち方や生き方の教えのような気がするんですが、
一方で現在の日本での仏教は、
色んな仏様とか明王様とか天部の神々が居て、像が作られて、拝まれる
というような形ですよね?
そうなったのは歴史的経緯があって色んな宗教の影響を受けたからだと思うんですけど、
お釈迦様が生きた時代ってのは、色んな自然現象などの神様が居て
それを拝むのが普通だったはずですよね?
お釈迦さまがその影響を全く受けてなかったってのも変な気がするんですけど、
実際のところ、それはそれって感じで神様たちを拝んでもいたのか、
それともそれらを否定していたのか、どんな感じだったんでしょうね?
498 :
神も仏も名無しさん:2013/05/22(水) 08:05:18.60 ID:BDh+I0j/
>>497 悟ったあとのブッダに対して人々に教えを説くよう勧めたのは梵天という神様だとされています。
また、仏教的には、神様も輪廻の世界の一部、つまり生き物の一種。
人間が神様に生まれかわることもあれば、神様が死んで他の生き物になることもある。
神様は人間よりずっと凄い生き物だけど、しかし生き物の仲間。
そして、生き物の仲間から卒業するための教えが仏教。
499 :
神も仏も名無しさん:2013/05/22(水) 08:07:26.03 ID:BDh+I0j/
>>495 苦しみの原因は煩悩です。
生きていたいという煩悩があるから生きている、生きていると苦しみがある、でも生きていたい。
500 :
神も仏も名無しさん:2013/05/22(水) 17:38:27.64 ID:YG2Wl9aa
>>498 問題は、その解釈の成立した時期とかなんですけど・・・
501 :
神も仏も名無しさん:2013/05/22(水) 17:39:09.55 ID:YG2Wl9aa
この板はあくまでも信仰の立場から考える板ってことですかね?
そしたら別の板で聞いた方がよかったかなあ
回答ありがとうございました
502 :
神も仏も名無しさん:2013/05/23(木) 06:49:42.78 ID:Dxl1/yu5
>>497 >実際のところ、それはそれって感じで神様たちを拝んでもいたのか、
>それともそれらを否定していたのか、どんな感じだったんでしょうね?
否定したってことはありえませんね。
あらゆる現れ・知覚は習わしのまま、因果のまま認めるというのが仏教です。
ただ認めると言っても、それらの現れ・知覚は無我・空で幻のように実体を持たないというのが仏教です。
これは神々であれ、自分自身であれ同じことです。
仏教は神秘的なものではありませんが、同時に常識的なものでもありません。
現代の科学的常識も古代の神話的常識もただの習わしとして同じようにあるがまま認めるのが仏教です。
まれに常識に引きつけて仏教はを常識に引きずり下ろす和辻哲郎のような人も、
神秘主義的に解釈する京都学派や井筒俊彦のような人もどちらも間違ってます。
神々の働きなしに釈迦のようなことはできないんじゃないかなあ
というより見える世界があるということは見えない神の世界があるわけで
仏教は自分が住んでいる見える世界のほうをまず重視する合理的な
考え方を突き詰めてるけど、それって神が全て形にして示してくれているっていうことを信じていることにもなるから
それは裏表だから最高に神を信じてますっていうことでもあるんだよね
504 :
神も仏も名無しさん:2013/05/24(金) 16:21:35.81 ID:XfEA2c43
>>502 神様は目に見えないし現象としてはっきりあるものでもないですよね?
例えば、虹を5色で表現する国で虹を5色と認識し知覚するのは「習わしのまま認める」
ということだと思いますが、火の神○○が居る、と認識するのは、ちょっと違いませんか?
また、知覚するということと信仰するということも違うと思います。
東洋の合理思想読んだ人おられますか?
いましたら感想お願いします。
506 :
神も仏も名無しさん:2013/05/27(月) 21:04:57.40 ID:Dnt+K4JF
読めばいいじゃんか
>>504 >神様は目に見えないし現象としてはっきりあるものでもないですよね?
仏教が存在として認めるのは、眼耳鼻舌身意で知覚されるものだけなので、
おっしゃるような、知覚されないような神様については、語られません。
逆に言えば、知覚されるような神様の存在は、
縁起(因縁)によって生じたものとして、認められます。
梵天さまなどは、そうでしょうね。我々と同じように、輪廻する存在です。
508 :
神も仏も名無しさん:2013/05/31(金) 17:13:23.07 ID:jlNHlEgO
つまり、語られてないから、仏教の宗教的な資料からだけでは
信仰してたのかどうかわからないって感じですかね?
性について調べて『理趣経』と言うお経にたどり着きました
質問をする上でココが適切だと考えたので質問させてください
『理趣経』についての時点でご存知のかたは、お察しだと思います
仏教にそれほど明るくない私でも、分かる位既存の仏教の常識とはかけ離れた内容だと思います
ですが逆にこのような内容のお経が今なお重要なお経として残っていると言うのは、それなりの「意味」がある様に感じました
そこで自分なりに調べて見たのですが、ほとんどが意図的に避けているか現代的な倫理観、古くからの仏教の常識などと照らし合わせ
その誤解を解く事に終始しているものばかりで、このお経の「真意」に本気で迫ろうとするものは、皆無の様に感じました
その意味で『理趣経』についての「まとも」な解説をした本、サイト、論文など松長 有慶さんの『理趣経』以外でありましたら教えてください
現代的な(成立時に存在しない)倫理観と照らし合わせるのはおかしいけど、
古くからの仏教の常識などと照らし合わせるのは真っ当じゃね?
同じ系統なら根本は共通するだろう
てか実践の違い程度のもんだろう
悟りによるエクスタシーもドライオーガズムも催眠オナニーも似たようなもんだし
そういうものですかね
性関係で辿り付いたので、仏教についてはわかりませんが
肉体的な快楽だけを目的としない理想的な男女の関係でのセックスと
>ドライオーガズムも催眠オナニー
は、根本的に違う様に思います。また
>悟りによるエクスタシー
ココでいう「悟り」が自分だけがエクスタシーを感じ幸福になろうとする行為だとしたら『理趣経』の言わんとする事と大きく違う様に思います。
509の補足ですが、『理趣経』読んで分かるお経と言うよりも実践し自ら体験して初めて分かる類の所謂タントラである考える人がいるようです
私もそう思います。ということは、男女のセックスを実践しお経が言うような菩薩の境地?なるものを実際に体験した「僧侶」が複数実在する事になります。
日本は知りませんが、他国の仏教は妻帯を禁止していたと記憶しています。そういう古くからの仏教の常識で考えれば上記の事を実践するなどあり得ません。
しかし、仮に実在したとするなら、何か特別な理由が合ったと推察されます。そしてそれは古くからの仏教の常識で考えていては決して理解できない様な気がします。まあ気がするだけですが。
多分、お前さんの思う「仏教の常識」が間違ってると思う
性がすべて煩悩というわけではないし
過去ログ見る限り一通り回答終わっているので個別の質問として連投させて貰います
上で言ってる「仏教の常識」とは限定していえば
>仏教は妻帯禁止
だけです。わざわざ妻帯禁止しておいて、セックスはおkと言うのは、理屈として通らないと思ったのですが違うのですか?
それとも、「仏教は妻帯禁止」自体が私の勘違いだったでしょうか?
仏教は如来に至る(悟りを得る)実践であり、悟りを得たなら仏教を捨ててかまわない
一般的な修行中は妻帯というか世俗が妨げになることがあるから間違ってはいないけど
悟りを得るための一つの手段として、セックスという実践の形もある、というだけのこと
要は、琵琶湖を一周するのが目的であって、電車でも自転車でも歩きでも船でもかまわない
苦行でも瞑想でもセックスでも武道でも善行でもいい
理屈で言えば人殺しや薬物でもいいけど、反社会的すぎる教えは単純に残りにくい
もちろん向き不向きはあるし、組み合わせる場合はより適切にする必要がある
船に乗りながら泳ぐのが無理なように、禁欲しながらセックスは無理
//www.amazon.co.jp/product-reviews/490450772X/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
サンガジャパン Vol.4(2011Winter)
107ページ参照/宗教学者 正木晃
性欲を修行によって悟りへの原動力に変容させることをもくろんだからにほかならない
理趣経については全く読んだことないし詳しくないけど、男女が欲を持ってセックスすることが清浄なる菩薩の境地というような内容みたいだね
菩薩の境地についてだけの内容なのか、実践も勧めてるのか真意は分からない
ただ仏の境地(位の高い菩薩も?)は一切差別のない境地だから煩悩と悟りの差別が全くないんだよ、その他の浄穢、苦楽、なども同じ
凡夫にとっては基本セックスなどの欲は本人を堕落させダメにさせてしまう、だから煩悩を捨てようとする
声聞にとっては煩悩は苦しみであるから無我を悟って捨てているよね、当然煩悩と悟りに明確な差別をもっている
言い方が変だけど、位の高い菩薩は煩悩を捨てているのではなく障りにならない段階まで昇華させてるんだと思う(煩悩の捨て方が菩薩・仏と声聞は違う)
それが可能なのは菩薩の修業期間が声聞より遥かに長く、慈悲の心が強いからだと思う
菩薩・仏は煩悩を生かすことができる、声聞はできない
>位の高い菩薩は煩悩を捨てているのではなく障りにならない段階まで昇華させてるんだと思う
これはやっぱり言い方がおかしいね、上手く言えないから何と言って良いか分からない
欲望の本質を見極める、というのが共通手段であり共通目的だから、
何をしてもいいし、何もしなくてもいいとも言える
基本的には自問はしたほうが良いが、自問しないほうがいい場合もある
519 :
神も仏も名無しさん:2013/06/04(火) 15:56:51.28 ID:aBxKDw19
なるほど
そのへんにうまいこと屁理屈をからませてオウムの上のほうの連中とか好き勝手やってたわけねえw
>>514 >理屈で言えば人殺しや薬物でもいいけど、反社会的すぎる教えは単純に残りにくい
そういう問題じゃないと思います。
これだと、目的のためなら手段は選ばない的な発想ですね・・・。
身勝手な“手段の名目”による殺人行為をしていなから、
涅槃に至れる筈がないから。
無上瑜伽タントラとて、
SEXの実行為を修行の一貫として利用できるとするなら、
それは妻帯者のみに可能なことでしょう。
その必要性も特にないけれど・・・。
未妻帯者、僧侶がこれに着手しようなどとは持っての他。
いや、そうではなくて、
“(本来の)仏教”と“理趣経(これも仏教?)”を
同じく一緒に仏教の土俵へと上げて比較するから、
どうしても矛盾が生じるのですよ。
理趣経などのタントリズムはすべて、
仏教外(バラモン、ヒンドゥー・ヨーガ)からの逆流入ですから、
違いと矛盾があって当然のことです。
ゴータマの根本の教えとは全然、違うから。
要するに、
ゴータマの根本仏教及び原始仏教と、
そして、大乗仏教と密教、更に無上瑜伽タントラ
などを比較し、あなたはどこまでを仏教と見なしますか?
或いは、仏教ではないものも認めますか?
ということですよ。つまり、自分は何を摂るかを選択する必要がある。
全部、“仏教に決まってる”。
それらは利用するための記号に過ぎないから・・・。
などといった解釈は最も矛盾したものです。
もっとも矛盾しているならそれが真実でしょう
仏教と仏教でないものを分けるのは常に自我です
仏に会えば仏を斬り、親に会えば親を斬れ、仏や親にすら執着してはならない
悪人正機、悪人は善人より罪の重さに苦しめられているから、苦を自覚しやすく悟りに近い
これらはやや過激ですが、峻別する自我が苦を産む、というのはどの仏教にも語られています
>>520-521は規範意識が強い、つまり峻別する自我に執着しすぎですね
ほんの小さなミスで、愛する人を死なせてしまい、苦しんでいる人がいるとして
各仏教が、その人の心をどのように救うだろうか、と考えてみるのも良いでしょう
現代の強い規範意識では
「お前は救われない、一生苦しめ」
「人殺しが救われるわけねーだろ」
となりますが、そう説く仏教が、ありますか?
525 :
神も仏も名無しさん:2013/06/06(木) 08:06:21.90 ID:4NusNZkM
>>524 仏教の慈悲は、どんな悪人をも憎まない。
そのような慈悲を持つ人が増えれば、実際の社会でも悪人が救われるようになるのでは。
527 :
神も仏も名無しさん:2013/06/06(木) 12:48:41.67 ID:4NusNZkM
>>526 ミス(不注意)は、怠けの煩悩(悪)があるから起きる。
たとえば、睡眠不足などで、ミスが起きそうな状況のときは、
作業・仕事をしないという決断をすべきであり、
その決断をするのがめんどうだからいつもどおりに作業をする、それは煩悩(悪)による行為。
早く仕事を済ませたいからと慌ててミスするのも、怠けの煩悩。
ゆっくり落ち着いてやる時間をあらかじめ準備する、それが聖者(善)の仕事ぶり。
そのためには、集中力と智慧が必要。
528 :
神も仏も名無しさん:2013/06/06(木) 12:56:10.54 ID:4NusNZkM
>>524 の言う「救い」とは何だろうか。
他人から謗られないようになり、
自分で自分を責めたり後悔する苦悩からも解放されることだろうか。
そのためには、ミスにより死んでしまった人についても
「浄土に往生した」などのハッピーエンドが必要かもしれない。
さらには、「浄土で再会できる」など、死別の悲しみも克服できたらなおよい?
529 :
宝珠愚者@(規制代行):2013/06/07(金) 00:03:27.13 ID:QhalWQql
>>523-524 >
>>520-521は規範意識が強い、つまり峻別する自我に執着しすぎですね
>現代の強い規範意識では 「お前は救われない、一生苦しめ」 「人殺しが救われるわけねーだろ」
>となりますが、そう説く仏教が、ありますか?
いや、そうではなくて、
“(意図的)殺人を正当化することは決してできない”ということ。
これは、仏教的に犯罪者(殺人者)が救われることはない、
などという意味ではありませんから。
その辺を誤解しないで下さい。
そして、
元々からして理趣経などのタントリズムはゴータマの教えではないということ。
つまり、味噌も糞も一緒にしないこと、ということですよ。
そのことが分っていれば、双方の矛盾に自身が混乱を来たすこともありませんから。
自分が本を読んだ限りでは
仏教ではあらゆる結果に因果関係として原因があると考えるようなので
何でもかんでも自業自得として納得するしかないっていう考えになりそうですよね。
でも最近思うに、人生はかなりの部分で
人間の能力では絶対に予測不可能な偶然性に常に大きく左右され続けているわけですし
人智や努力ではどうにもコントロールできない偶然性や運の要素を認めて
世界観に組み込んだ上で人生を理解しなければ
片手落ちのような気がしてならないのですがどうでしょうか?
>>527 ミスの大きさと、招いた結果の大きさは、比例しませんよね
同じミスで、何も起こらなかった場合と人が死んだ場合、
悪の大きさは変わりますか?
>>529 ならば、それぞれの仏教が彼をどう救うのか、
一緒にせすま区別できる貴方ならわかりますよね?
書いてみてくださいな
別の教えなら別の答え、似た教えなら似た答えになるでしょう
533 :
神も仏も名無しさん:2013/06/07(金) 01:59:06.30 ID:nl0Cay7B
>>531 招いた結果によって悪の大きさが変わるとは思いません。
その時々の心の状態が、どれだけ煩悩(悩み苦しみの原因)が強いかによって、
悪(悩み苦しみの原因を増やす方向性)の大きさが変わると思います。
悪の心を使えば使うほど、心には悪の癖がつき、悩み苦しみが増える(悩みやすい苦しみやすい心になる)。
534 :
神も仏も名無しさん:2013/06/07(金) 12:04:34.00 ID:XuzeG+kJ
仏教とキリスト教を融合させた宗教ってありますか?
全ての宗教が同じ、みたいなのは稀によくある
>>534 融合させたのではなくて、本当は逆なのですが・・・
一応、
>>536に押し出される形で簡潔に紹介させて頂きますと、
エーと、
解脱を果たした完成者たちというのは互いに分離意識を持たないのです。
お互いのことをとてもよく理解しており、そして、共通の認識を持ちます。
彼らはグループを形成して、
互いに協力し合いながら人類(及びそれより下位の生命)を導かれる仕事をされています。
このグループのことをハイアラキー(日本では「聖白色同胞団」)といっており、
ここから必要なとき、必要な場所へと教えを説く使者(覚者や弟子)が派遣されます。
やがて、その一つが東洋では仏教と呼ばれ、西洋ではキリスト教と呼ばれるものへとなりました。
簡単にいうと、世界の諸宗教の発生における実際の裏事情はこうなっていると主張するのが神智学であり、
この裏事情とハイアラキーのメンバーである覚者方についての具体的な詳細情報を、
世界で初めて公開したものが神智学というものです。
同じことを言ってるから同根に違いない、て考えかな?
同じ人間だから同じ所にたどり着いた、て考えの裏側だなあ
539 :
神も仏も名無しさん:2013/06/08(土) 21:11:36.39 ID:r6LvEQUl
私は存在しますか?
貴方は存在しますか?
世界は存在しますか?
540 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/08(土) 21:25:31.04 ID:z0BqelqK
>539
「私」とは何か?
「貴方」とは何か?
「世界」とは何か?
「存在」とは何か?
一々の分別があるから整合性が歪む。
あるがままにあるがままを受け入れて、何をすべきか考えてみよう。
>>537 面白いですね
神智学に勉強したいのですが詳しい本などありましたら教えて下さい
特に仏教やインド思想関係についてのものだとありがたいです
スレチになるので、返答は他スレでお願いします
>>540 相手が何を言ってもそういう返しをしとけば
仏教的ってことね
仏教には癒しや心のよりどころになるような教えはありますか?
または現代の多くの人々に受け入れられる仏教のよい格言などはありますか?
長ったらしい話抜きで、仏教徒で誇りだ!と思えるものはありますか?
家族が死んだら仏教式、家に仏壇をおき先祖を供養するなど、日本では仏教は内輪だけの存在にみえるのです。
はっきりいいますと、バカでも仏教のなにかしらで心の保養になるものがあるのか探しているのです
545 :
544:2013/06/09(日) 03:58:59.66 ID:BkhZlGRV
地獄や天国などの仏教神話を信じなくても、てっとりばやく心の保養になるなにかを仏教に求めています
神道は自然崇拝の面が心の保養になってると思います。巫女さんの衣装や存在が可愛いと言うと愚かだと言われるかもしれませんが、それも一種の心の保養だと思います
そういうものを仏教で私は探しているのです。仏教の哲学の面なんてどうでもいいんです、今心が落ち込んだ人の心の保養になる何かが仏教から学びたいのです。どうかご教授してください
546 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 05:59:44.35 ID:wdWlX7wn
>545
参禅してもいいし、写経してもいいし、流行りのパワースポットとやらとして参詣してもいいし、萌えキャラとやらを作ってる寺を見物してもいいし、
勘違いしている高学歴ハゲとかの話を聞くのもいいんじゃない?
(^。^)んなもん、好きにやれば?
返答ありがとうございます。
禅は無我で行うようですが、宗教的に考えると座禅の最中は自分の心と向き合う考えを持ってはいけないのですかね?
>>548 やることは、自分の心と向き合うことだけです
最初は、向き合うという考えを持ってもかまいません
するとそのうち自然に無我になります
551 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 08:00:17.93 ID:YIqSFrih
>>544 仏教の基本は、悩み苦しみをなくすことです。
悩み苦しみの原因が煩悩であることに気づくだけで、
悩み苦しみのボリュームがいっきに減ります。
「あ、なぁんだ、この悩みもあの悩みも、私の心がつくりだしている幻じゃないか。」みたいに。
552 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 08:04:09.16 ID:YIqSFrih
>>544 煩悩の大まかなものは、欲・怒り・怠け・プライド です。
悩み苦しみや心配などがあったときに、この原因は私の、欲?怒り?怠け?プライド?と問いかけてみる。
それをやるだけでも全然違います
553 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 14:30:19.60 ID:7NUxj8Ni
>>544 お彼岸とかにお寺行ったことある?
お堂に響く声明、揺らぐロウソクの炎、線香の煙
家族連れ立って静かにやってきて手を合わせる人達
心安らぐ日本の風景だよ
教義がどうこうよりも受け継がれて来た祈りの気持ちが美しいと思う。俺は
554 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 14:37:58.48 ID:7NUxj8Ni
>>552 何か仏教がただの根性論みたいになってるなw
それであなたが安らぐならそれでいいと思うけど
他人様に広めるほどの見識ではないんじゃない?
沢山の返答ありがとうございます。
自分の心と向き合うことで、仏教の座禅が心の保養にとてもいいものだと理解できます
悩み苦しみが煩悩にあり、煩悩を解き放つという仏教の考えは自分は嫌いなのですが(霊感商法と簡単につながり信者への財産の没収などに繋がったという話を聞きます)
しかし、ハマらない程度に煩悩を解き放つ仏教の教えを実践していれば、人にとって良い影響があるものだと分かりました
それでまた質問で恐縮なのですが、現代と仏教のありかたに重点をおいている仏教の宗教家さんなどはいらっしゃいませんか?
今の時代、仏様はありがたいもんじゃという宗教家より、今の人を救うために仏教を利用してる人の存在が知りたいのです
仏教の教えで人が救えるのなら仏なんて二の次みたいな、現実主義の宗教家さんみたいなのはいらっしゃらないのでしょうか?
556 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 14:49:10.45 ID:7NUxj8Ni
霊感商法なんて普通に神道系でもあるがw
>>553 お彼岸とかまったくしたことありません。お寺へは親族が亡くなったときに利用しにいったくらいだと思います。
お堂に響く声明、揺らぐロウソクの炎、線香の煙で私は心が安らぎません。若い日本人の子はもっと仏教と心が離れていると思います。
失礼かもしれませんが、仏教はダサイと思います。大仏(大日如来)をみても素晴らしいと思えません、ただの小デブの変な髪のおっさんです。むしろ見苦しいから壊して撤去しろと思います。
私が日本でこれまで生きてきて親族の供養の場面以外に、仏教が人々のためになっているという想像がまったく沸きません
何度も繰り返しますが、若い子の認識は私より酷いと思います
>>556 失礼しました。神道もそうですが、キリスト教系(統一教会が有名)でも霊感商法やってるところがありますね。
558 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 15:08:45.07 ID:7NUxj8Ni
あーまー仏像にも色んなデザインあるけど
奈良の大仏さんとかは今の感覚で見るとそんなもんかもねーw
何か図書館かどっかで仏教説話系の絵本でも探して読んでみたら?
>>554 いやいやw
>>552の問いかけは(縁起という見方の上でも)基本だろ。 何言ってんだよ・・(^^;
560 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 15:13:37.83 ID:7NUxj8Ni
>>559 ああ、じゃあ、仏教って、その程度なんだね
おkおk
把握
なんだw
結局また、殊勝な質問者のフリした現代仏教批判か・・w
┐(´ー`)┌
>>557 なんつーかな・・・
毎度のこととは言いながら、相も変わらず、この手の輩は醜悪だな・・ ( ゚听)、
>>580 そうだよ。それ(縁起)以外に何が基軸になるのさw
8じゃなく6だったかw 見間違えた。 すまん。
>>560 お釈迦さんの出家の動機や、(渇愛・十二支等)縁起や四諦の基本ぐらい押さえとけよ。
563 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/06/09(日) 15:25:17.65 ID:eOR8hMI2
>>561 wwwwwwwwwwwww
やめとき、セブンww
その人は、「悟りなんてないですよね?」ってスレ立ててる人w
例えば、鬼スレのカカシみたいに、なんらかの自己経験を元にその結論
に至った人かなと思い、少し尋ねてみたが他板からの暇つぶしらしいww
多分、対話を成立させること自体が難しいw
私は現代仏教批判者ではありません。回答していただけたように、
座禅とやりすぎない程度に煩悩を解き放つ行いは現代でも通じると思いました。
現代仏教が糞だというなら、現代と仏教の教えをつなげなかった宗教家達が悪いのです
毎日毎日若い人が自殺してるのに、坊主たちは分かりやすく、無知な人にもわかるように仏教の良さを広めるべきです
同じ質問を何度も繰り返してすみません。仏教の教えで人が救えるのなら仏なんて二の次みたいな、現実主義の宗教家さんみたいなのはいらっしゃらないのでしょうか?
565 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/06/09(日) 15:34:55.28 ID:eOR8hMI2
>>564 横からひとことw
>大仏(大日如来)をみても素晴らしいと思えません、ただの小デブの変な髪のおっさんです。
まあ、これはいいとしてwww
>むしろ見苦しいから壊して撤去しろと思います。
これは余計なお世話でしょ?w
他人の信仰にあれこれ言うのはどうかと思いますが?
・・・・・このように、仏教に否定的視線をもつのであれば、
「仏教に救いを求める」のも、どうかな? とw
566 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 15:44:41.46 ID:7NUxj8Ni
>>563 そうだね
俺は一応は仏教徒のつもりだけどマニアでもお坊さんでもないから
縁起だの知っとけよだの言われても
(こいつらアホなオタク丸だしやなあ・・・)としか思いませんわw
>>565 壊せというのは信者の方にはすごく失礼だと思います、申し訳なかったです。
しかし、あの現代の美的感覚からかけ離れた仏像のイメージが、仏教は過去のものというイメージが定着してる要因に一役かってると思うのです。
仏教に部分的に否定的視線を持つのであれば、仏教の救いに求めるべきではないという考えは、悪い一神教の考えっぽくないですか?私は仏教の普遍的な良い所を現代で活用できたらなとほんとに心からそう思ってるのです
569 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 15:52:43.45 ID:7NUxj8Ni
>>568 >>563でバービマンさんが言ってる「その人」ってのは
俺のことです。誤解がないよう、念のため
>>569 そうなのかw 完全に取り違えとった。
けど、別に変わりはないけども・・(^^;
素性関係なく異議申し立て(及び批判)をするだけさw
ノシ
571 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/06/09(日) 15:56:42.12 ID:eOR8hMI2
>>567 >しかし、あの現代の美的感覚からかけ離れた仏像のイメージが、・・・・
wwwww そうか? まあ、何を美とするかは個人差が激しいので何とも言えんが
仏像に(美というよりは、)何らかの安らぎ、荘厳さを観る者は多いかもしれぞw
>私は仏教の普遍的な良い所を現代で活用できたらなとほんとに心からそう思ってるのです
それは確かにそう思うよw
現代社会における仏教の役割というものをもっと考えていくべきだとは
思うねw
(だが、とことん行ったら、その方向性の違い、価値体系の相違をどうやって
調整していくかという問題にぶち当たると思うけどw)
572 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 16:00:57.31 ID:7NUxj8Ni
何だっけあの乾漆式?の阿修羅像とかは
今の感覚で見ても美少年ぽくて人気あるよねー
私がダサイと言ってる仏像は"大日如来"のみです。阿修羅像とかは普通にカッコいいと思います。
しかし、日本で仏教を代表する仏像のイメージは間違いなく"大日如来"像だと思います。
574 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 16:11:49.88 ID:7NUxj8Ni
お地蔵さんは?
検索したところ、奈良の仏像は大日如来ではないようです。私の知識が間違ってました申し訳ないです。
>>574 お地蔵さんは素朴で可愛いと思いますよ。旅をみまもったり、子供を保護したり、未来の日本でもずっと居続けて欲しいと思います。
576 :
神も仏も名無しさん:2013/06/09(日) 16:20:20.32 ID:7NUxj8Ni
じゃあとりあえず、お地蔵さんでよくね?>癒しや心のよりどころ
とりあえず、座禅(自分の心と見詰め合う)、煩悩を解き放つ(ハマらない程度に)、お地蔵さん(眼や心の保養)、
私なりに現代の日本でも通じる心の保養だと思った皆さんの回答や質疑の結果の収穫です。
現代と仏教にありかたに重点をおく宗教家さんの存在がありましたら、何ヵ月後でもいいので返答していただければなと思います。
みなさま返答、ありがとうございました。
578 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/06/09(日) 18:14:30.88 ID:eOR8hMI2
>>577 >現代と仏教にありかたに重点をおく宗教家さんの存在がありましたら、何ヵ月後でもいいので返答していただければなと思います。
んじゃ、とりあえず、ポピュラーなところで南 直哉はどうかな?w
ここの常連さんたちは、どう思うか分からんが、オレとしては、
「世俗に対して仏教というものがどういう役割を果たしていけるのか?」ということについて
真摯に取り組んでいるように思えるのだがw
教説云々はおいといて、そういう取り組み自体、仏教にとってプラスになると
思うけどww
如来の仏像ってモナリザみてーなもんだろう
どーとでも取れるようなつくりにしていて、見る人の心を映す
後ろめたいことがあると見透かされてる気分になるし、
楽しいことがあると喜んでるようにも見える
なんもないと単なるおっさん
580 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 02:08:59.88 ID:9VuVTob0
>>564 仏教(仏の教え)は仏(ブッダ・悟った人)が発見して広めた教えなわけで、
その仏教を利用する場合に「仏なんて二の次」というの普通はないのでは?
しかし、僧侶が説法のとき、毎回お釈迦様のプロフィール紹介から入るわけではありません。
そういう意味では「二の次」かも。
悩み苦しみの原因(煩悩)を制御したり消したりするためのコツを伝えるのが第一でしょうね。
ただ、煩悩を制御したり消したりして悩み苦しみを制御したり消したりすることが
可能であると信じないければ、実践に入りにくいでしょう?
仏(悟った人)が歴史上に実在したと信じることは、
悩み苦しみをなくすことが可能だと信じることにつながります。
581 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 03:31:30.75 ID:MeplUz2x
仏教って、自殺を止める教えなんだろうか?
即身仏とかあるけど
582 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 08:07:09.90 ID:9VuVTob0
>>581 仏教は、悩み苦しみの原因である煩悩や、煩悩に流された言動を止める教え。
自殺は、たいていは怒り(悲しみ含む)の煩悩によって自殺しようとしています。。
もしも、世間や他人や自分に対する「嫌だ!」という怒りがなければ、自殺する必要はなくなります。
だから、怒りをなくそうとする仏教は、間接的に自殺を止める教え。
ただし、悟った(煩悩がなくなった)弟子の自殺をブッダが容認した例もあるみたいだし、
即身仏については煩悩による行為かどうか、動機が微妙だけど、
例外的に自殺するケースもあるということでしょうね。
>>580 仏が仏灯明でなく自灯明・法灯明と言ったのだから、仏は二の次でしょう
まあ仏は自で法なんですけどね
>>581 キリスト教では自殺は地獄行きの重罪だが
仏教ではべつだん禁止してるわけじゃないよ
仏教が発明された当時のインドでは
死んだら輪廻転生して次の人生が続くって考えが
現代人にとって地球が丸いっていう感覚と同じくらいの
常識として信じられていた
当時の水準としてはかなり革新的だった釈迦といえども
そのレベルの常識を覆すほどには至らなかったので
現代と比べれば死の重みは相対的に軽く扱われていた
586 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 19:52:35.74 ID:9VuVTob0
>>581 悩み苦しみをなくすという観点で、別の角度から言うと、
自分の悩み苦しみだけでなく、他人の悩み苦しみもなくすのがベターと考えるのが仏教。
で、出家者が即身仏になったとしても、周囲の人々はそれ(即身仏になるための自殺)を
悲しむどころか、むしろ目出度い、有り難いと喜ぶ。
しかし、一般在家の人が正当な理由なく自殺する場合は、周囲の人々は嘆き悲しむ。
だから、他人(周囲の人々)の悩み苦しみをなくす観点で言うと、自殺はやめたほうがよい。
587 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 20:35:22.39 ID:SRzmRGZG
オカルト板で仏教は霊魂を否定すると言う書き込みがありましたがホントですか?
>>587 そういう質問をしてきた弟子に対してブッダ本人は
「人生にはそんな検証不可能なことで悩んでる暇は無いから」
的なはぐらかし方で頑として答えなかったとされているけど
後世の弟子たちは世界の構造を精緻に体系化することに熱心だったので
当然のように霊魂を含めたあらゆることを考察の対象にしていた
基本路線としてはブッダ本人が霊魂に対して積極的に肯定しなかったという理由から
「霊魂という実体は無い」とする立場がメインストリームだが
「霊魂が無いにしても、輪廻転生する何らかの実体があるはずで、それが霊魂ではないのならいったい何なんだ?」
という命題が発生して、この問題をクリアするために色々なトンチが発明されて、
学派や宗派によってその解釈の違いもまちまちというのが実情。
中には霊魂と呼ばずにプドガラと名前を呼び変えるだけでクリアできたことにしてしまった
強引な学派すらあったのだから苦しいところだ。
589 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 21:16:42.92 ID:SRzmRGZG
お盆に先祖の霊が来るんじゃないの?
って言うか嘘なの?
590 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 22:01:35.64 ID:9VuVTob0
>>589 仏教の僧侶でお盆に魂が帰ってくるとか考えてる人って少ないのでは。
591 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 22:04:03.38 ID:SRzmRGZG
>>590 とすると霊の存在を信じてる人も少ないんですか?
592 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 22:07:17.08 ID:9VuVTob0
>>591 先祖が帰ってくるとかは日本の習俗であり、仏教は基本的に輪廻を説きます。
死んだ先祖は、すでに違う生き物に生まれかわっているはずです。
593 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 22:14:33.11 ID:9VuVTob0
死人の世界、「冥土」という感覚自体が仏教とは違う日本人的な考え方ではないかな。
仏教的には、死者はすぐに(もしくは四十九日後に)新しい生き物に生まれかわる。
霊的な生き物に生まれかわる場合もあるが、それは死霊ではなく、新しい生命。
594 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 22:38:56.69 ID:SRzmRGZG
>>593 霊的な生き物?
良かったら具体的に教えてください。
595 :
神も仏も名無しさん:2013/06/10(月) 22:48:04.50 ID:SRzmRGZG
もしかして解脱した霊とか?
596 :
神も仏も名無しさん:2013/06/11(火) 00:04:54.28 ID:Brpy9IB9
輪廻って、心の中の出来事とかじゃなくて
実際にやるっていう解釈が主流なんだ?
輪廻ってインドのほかの宗教でも採用してるんだっけ?
597 :
神も仏も名無しさん:2013/06/11(火) 00:18:34.04 ID:GbFRaxR5
598 :
神も仏も名無しさん:2013/06/11(火) 01:35:01.30 ID:Brpy9IB9
ん?チベットって仏教でしょ?
599 :
神も仏も名無しさん:2013/06/11(火) 01:45:43.62 ID:GbFRaxR5
>>598 あっ、仏教以外ね。ヒンズー教とかも輪廻なのかな?
日本の仏教の天部は元来ヒンズー教じゃなかった?
600 :
神も仏も名無しさん:2013/06/11(火) 04:07:45.22 ID:+5Q90hoi
>>594 スマナサーラ長老の本なんかを読むと、
餓鬼道の生き物も幽霊みたいなものだと書かれてありました。
あと、無色界(物質のない世界)の梵天(神様)は霊的な生き物でしょう。
601 :
神も仏も名無しさん:2013/06/11(火) 22:13:00.69 ID:KsYFATTH
無色界は心の世界
梵天も心の世界
どっちも実在しない
「実在しない世界がある」
これ矛盾してません?
「ある」のほうが「実在」よりもアバウトで包括的な概念だから
「実在しない世界がある」ならかならずしも矛盾はしてない
「実在しない世界が実在する」ならば矛盾しているが
604 :
神も仏も名無しさん:2013/06/12(水) 08:02:47.86 ID:H7pzeazI
霊的な生き物というのをどうとらえるか。
人間には見えなくても、餓鬼には餓鬼なりの五感があり、物質的・肉体的な刺激を感知している。
餓鬼を含む六道は欲界の生き物で、物質に執着している。
そのような餓鬼も人間から見えない幽霊みたいな存在だとすれば、「霊的」な生き物と言える。
一方、無色界の梵天は物質的・肉体的な刺激から放れている。
605 :
神も仏も名無しさん:2013/06/12(水) 08:06:01.97 ID:H7pzeazI
>>601 お釈迦さまが出家された当初に学んだのは、禅定(精神統一)により無色界の心になる冥想。
しかし、それをマスターしてもそれは悟りではなかった。
606 :
神も仏も名無しさん:2013/06/12(水) 08:29:58.69 ID:dXUvqWdM
無色界って完全に無我の境地だと思うんだけど、これでもまだ悟りとはいえなんだよなぁ?
理屈じゃないのはわかるんだけど、どうやったら悟れるのかなぁ?
いや、2ちゃんやってるような凡夫に聞くのは間違ってるとは思うんだけど
執着は物質だけでなくて精神にもあるね。
これが無色界の執着。
608 :
神も仏も名無しさん:2013/06/12(水) 09:28:40.79 ID:OYH6gwds
>>503 どっちも実在ではない縁起・無我・空ってことですね
>>504 なにか実在と考えてるでしょう、それでは縁起は分からないですよ
神とかもちゃんと習わし通り知覚する人もいるんです
その神も空、我々凡人が知覚する一切も空で縁起してるだけ、
そういう意味でどちらも同じに扱うのが仏教です。
そうでなく凡人の常識で捉えるものが実在で、
神などは単なる神話というのは唯の常識や素朴実在論で
こういう見方は仏教では唯の断見として遮断される見方ですよ。
>>584 全くの誤解ですね。三宝帰依して始めて仏教に入る
自灯明でなく自洲で、人身という拠り所に依れと言う意味で
自分の妄想で判断しろという意味じゃないです
>>588 十四無記は輪廻とはあまり関係ないです
霊魂、魂、識、自相続と記号は何でもいいですが、そういう連続が輪廻します
ただしそれらは仮設で空で、それは現在の「私」とか色々現象して見える
諸物と同じです。仮設で「有る」とは言いますが実在するのではないということです
>>601 無色界も梵天も現在見えている世界と同じですよ
>>606 無色界は無我ではないです。
それでは三昧・禅定主義で、神秘主義・ヒンドゥー・ニューエイジなどと変わりません。
無我を直感するには縁起・空などによる観が必要で
だから仏教はそれらとは違うし、それによって覚るわけです
禅の十牛図なんかみても無の先にまだあるんだけど、
あれは観じゃないの?
610 :
神も仏も名無しさん:2013/06/12(水) 10:44:12.93 ID:OYH6gwds
>>609 廓庵の方はね普明の方は双泯が最後
禅宗はそこに象徴されるようにそれぞれの場で説かれたもので
あんまり基準になるように思えないです
十牛図は20年ぐらい前に観て以来読んでないんで忘れたけど
途中までは止なんじゃないかと思う
禅宗で坐禅やってるのは止に相当するように思う
その止ができてくるとやっと公案や提唱とかで観に入るんじゃないかと妄想してる
禅を基準にすると分からなくなるように思う
俺もどう考えても禅は止の方を重視してるとは思うんだけどさ
無の境地になろうとしてるとしか思えないんだけど十牛図があるから観もあるのかなぁって
達磨大師なんか無に行き過ぎて手足腐ったわけでしょ
真理を観じてたらそうはならないと思うんだけどね
612 :
神も仏も名無しさん:2013/06/12(水) 11:02:12.36 ID:OYH6gwds
>>611 個人的な見方だけど、止だけで終わってる野狐禅の流れもあるし
そうでない観を重視する流れもあると思う
というか本来禅でいう無とかは明らかに戯論寂滅への導きだと思う
そうでない野狐禅の流れはもはや仏教ではないと思う
それではヒンドゥーやニューエイジ、神秘主義と全く変わらないじゃないかと
まあ、これ以上は議論スレで
613 :
神も仏も名無しさん:2013/06/12(水) 12:18:35.84 ID:H7pzeazI
十牛図って、世俗的価値観の否定から一周まわって全肯定、みたいな意味?
大乗仏教的、特に日本の宗派は、現実肯定というか、預流果どまり(無常・無我は理解)、
その先の、欲や怒りも消すレベルまでは強いて目指していないという感じがします。
消したら出てくる
615 :
神も仏も名無しさん:2013/06/13(木) 07:52:33.95 ID:bMJaXFfj
十牛図
第一〜〜〜第八〜〜〜〜大十
色〜即是〜空〜即是〜(還滅)色
<中論25-19> #非肯定非否定
616 :
神も仏も名無しさん:2013/06/13(木) 07:55:23.38 ID:bMJaXFfj
非肯定非否定<空如> 即肯定即否定<(還滅)色>
617 :
神も仏も名無しさん:2013/06/13(木) 09:19:24.44 ID:Hhmih16X
>>613-616 議論スレで
それと否定・肯定みたいな二項対立は破られてないとどうしようもない
中論もそう
現実肯定の仏教って仏教っぽくなくて何かヤダな
現実は苦しくて肯定しがたいという立場にまず立ってから何かしようとするのが仏教イズムって気がするんで
主義者は、釈尊の教えから最も遠い存在
>>618 でも、否定したら生きてけないよ。つか、死を選ぶしかないよ?
どこかお花畑の楽園に引っ越せるのなら良いけど。
どうせ永遠には生きられませんがテーマじゃないか
622 :
神も仏も名無しさん:2013/06/13(木) 22:38:34.64 ID:Hhmih16X
>>619 確かに
>>620 だから道を歩むしかないんだけど
>>621 テーマじゃない、無常の一部
しかも無常迅速で長くは行きられないから今直ぐ道を歩めと言われますよ
>>618 堅苦しいこと言ってると、若者に捨てられて絶滅するだけだ
624 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 05:47:07.92 ID:VKX65ctz
>>613 ググると十牛図の説明出て来るけど、それじゃいかんの?
世俗的価値観がどうなんていう話は、ググった限り、関係なさそうだけど・・・
>>618 世界を苦としながらも変えようとはせずに我慢するのが仏教ってイメージだなあ
625 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 06:18:07.65 ID:CgLs+FRK
>>624 そんなん貼ってくんないとなんとも言えないでしょ
そのイメージは誤解だは
世界の現象は全て苦とするのは仏教だけど、
そこから抜け出るために道を歩むのが仏教
大乗ではしかも他者のために歩む
悟る前は一切皆苦かもしれんが、
悟ったらこの世界は美しい、人生は甘美であるが仏教の本質じゃないかな
仏教は現世に肯定的だと思うけどな
今現在どう生きるか、どうするかがテーマだし
627 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 08:26:33.19 ID:52qWIicu
ものごころついて以来の既成観念による全面的な誤解(苦しみ)から
解放されて心安らかにありませう、が本趣旨。
その四聖諦=仏道の
・精神構造が自灯明(洲・島)と法灯明(洲・島)であり、
・機能が三毒煩悩(貪・瞋・癡)の克服であり、
・内容が八正道だ。
>仏教は現世に肯定的だと思うけどな (
>>626)
肯定でも、否定でもない。
ただただ誤解を解けた縁起のままにあるだけだよ。
628 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 08:48:27.69 ID:CgLs+FRK
>>626 >悟ったらこの世界は美しい、人生は甘美であるが仏教の本質じゃないかな
誤解。その涅槃経の一句は、サンスクリット本にしかない流動的な異本で、
重要な句でないし、明らかにアーナンダへの促しであって
本質的に世界が美しいと主張しているわけではないです。
ここを取り上げて仏教は世界とか人生を肯定しているという学者は
輪廻否定するように単に常識に阿っているだけで、
全く信用できない学者だと確信していいと思う。
>>620は、本当は言葉の使い方が不正確なままでよくない。
本当は、
「肯定」とは違ったニュアンスを含ませて、「受け入れ」なければ・・・
と言うべきであった。
たとえば、肌の色を脱色した有名歌手が居たが、
現実・現状を否定し、強引歪な改善方法(加工)を採択することが、
その人を果たして楽へと運ぶかどうかは・・・。
生来の肌の色といった部分などは、受け入れ(≒肯定)た方がよさそうだ。
或いは、自分の母ちゃんはどこまでいっても、その母ちゃんで、
逆立ちしたって森高千里じゃないわけで、今のその母ちゃんを受け入れる(≒肯定する)しかないっしょ。
「何でウチは魚屋なんだよ!おかげで魚臭いと馬鹿にされ・・・」なんて言ってもしょうがない。
独立して家を出ることができるまでは、魚屋の子であることを受け入れ(≒肯定)てくしかないっしょ。
勿論、そこで、
苦悩し、もがき、足掻き、あちこち傷つけ傷つきながら、価値ある傷痕を重ねてゆくのも、
一つの在り方ではあろう。(一休、良寛、親鸞あたりは、存外そうした形を目指したかもしれないが・・w)
が、避け得ぬものは受け入れつつ、自らの上に紡がれた現状を踏まえた上で、次元の違う安心(あんじん)を志向するのが、
言ってみれば真に「仏教イズム」なんじゃないかな・・。
たとえば、アングリマーラなんかも・・。
630 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 11:25:17.25 ID:CgLs+FRK
>>629 甘受かな、藻掻かないであるがまま縁起の流れを受け入れるが、精進はすると
ジャクソンとかね
オイラはそれはそれでいいけど
繰り返して悲惨なことになってる人みると少欲知足、甘受は重要だと思う
>>628 じゃあ質問
輪廻はあるの?
その書きかたならなんか輪廻するみたいだけど
常見、断見に偏ったらダメだから無記とかはなしで
六道の天道にある天人と、三界の色界にある天人は同じものですか?
633 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 12:41:35.58 ID:uY4tWMPf
>>632 六道輪廻は天も含めて欲界だと思います。
635 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 13:08:23.01 ID:VKX65ctz
>>625上
ググって1ページめに出て来るやつ一通り見ただけだから、貼らなくても一緒だと思うけど
だいたい
悟り(or真の自分)へ至るまでの、何もわからない、導かれきっかけを見つける、発見する、
得る、完全に一体化する、一旦全て忘れる、ありのままになる、みたいな過程を描いてる
っていうところは共通じゃないですか?最後の10個めが、
他人を導いてるという解釈と、そうじゃないとこがありましたけど
いずれにせよ、世俗的価値観の肯定とか否定とか関係ありますか?
>>625 変えようがないから受け入れた方がいいモノがある一方で
変えられないわけじゃないモノもありますよね。例えば政治とかね。
でも仏教の場合は、どうせそういう外的な条件はまたどう変わるかわからないし
それより我慢して受け流せる気持ちを作ったほうがいいっていう風に考えるイメージ。
んで日本人の発想の方向もわりとそっちに偏ってるイメージ。
(昔は一向一揆とかあったけどw)
636 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 13:09:31.85 ID:CgLs+FRK
>>631 この世と同じような仮設としてあるよ
この世も輪廻も実在ではない、縁起・空です
>>636 仮設なら快楽主義とか殺していいとかいう考え方にならないの?
実体がないなら殺していいという考えもでてくると思うけど
五戒だからなしとかいうのはなしで
638 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 13:59:14.44 ID:CgLs+FRK
>>637 ならない。
仮設で幻のようなものでも、苦も他も因果も極めて明瞭で欺かないから
それが信じられないなら、飯喰うの止めたり、糞を喰ってみ
それでも平気だろうか?
639 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 17:46:33.28 ID:VKX65ctz
それだけはっきりしてるのに仮ってどういうこと?
640 :
絶対神:2013/06/14(金) 18:00:13.26 ID:fq45Rue0
>>639 「はっきり言うと、そこが仏教の駄目なとこ」
『実在するものを理屈をつけてありのままに認められないところが』
「しょせん、妄想的なところなんです」
641 :
絶対神:2013/06/14(金) 18:02:03.05 ID:fq45Rue0
「で、すべてが幻ならころしちゃってよい」
と考えて実行したのが「オウム」
「また生まれ変わりを信じていたのでさらに躊躇わなかった」
『宗教の言う事など、話半分にきいておくのが「賢い人間」』
642 :
絶対神:2013/06/14(金) 18:05:34.09 ID:fq45Rue0
「哲学として(永遠からみれば)この世は幻のようなもの」
と信じるのはよいだろうが
『文字通り、教義的をそのまんま信じるのは「どんなものでしょうか」』
そこら辺りが仏教のどうしようもないところだと私は思っています
仮とか空とか縁起は形而上学でしかないのかもね
不生不滅っていっても現実問題生まれるし死ぬしね
輪廻するかしないかなんか証明できないし
中観派は縁起で全部説明できると思ってるのかもしんないけど、実際死後は死なきゃわからんよ
644 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 19:38:54.48 ID:VKX65ctz
例えば社会制度だとか、そこから発生する悩みだとか、
人生の中の一場面における悩みとか、
そういうものが、固定的に見えても実際は流動的なもの
っていう話ならわかるんだけどね
「この世の苦しみ」
仏教は言ってみれば「苦しみ」の世界から抜け出す事からはじまっている
古代インドでも現代社会でも生きる上で苦しむ人間に違いはない
現代で生きる人々は、苦しみから抜け出す手段の一つとして「自殺」を選ぶ事がある
特に日本人にはその傾向が強くココ数年年間三万を超える人々が自らで命を絶っている。
中には小中学生もいるという話だ。
私には、良い悪いは置いておいて「自殺」が、自我を自らで消し苦しみの世から抜け出す(逃げ出す)
仏教の「解脱」と重なって見えました。あくまで「動機」と言う意味に置いてですが、多くの共通点があるように。
この人達を救えず何が仏教でしょう。仏教は、望まぬ人に無理強いすることはないそうですが
それは、望まなければ日本の年間三万人の自殺者を放っておくという話ではないは無いと思います。
現代の仏教として自殺者や自殺予備軍にできることとはなんでしょうか?
>自殺者1万人を救う戦い
>Saving 10,000 | Winning a War on Suicide in Japan
>
https://www.youtube.com/watch?v=oo0SHLxc2d0&feature=youtube_gdata_player ↑は日本の自殺について特集した海外のドキュメンタリー映画(字幕あり)です。
とても良い映画なので明日から休日ですし、時間がある方は視聴オススメします。
時間は50分ちょいで少しですがお坊さんも出てきます。
646 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 20:03:01.18 ID:VKX65ctz
今日思いついたんだけどさ
人間が感じる苦痛っていうのは、もともと、人間の行動を意識経由でコントロールするための
「快と不快」のシグナルの片割れのはずで
「苦痛を感じることによって、より生存し、より繁殖する」ものでないのなら
進化の過程のどっかで淘汰されてるのが自然だと思うんだよね
もちろん運次第ってところもあるだろうけどさ。
ところが、果たして、人間が生きる上で感じるさまざまな「苦」が
人間がより栄え、子孫を残すことに貢献しているのか?って考えると、
どうも、そうでもない気がするんだよねえ
何故だろうね?
1つの考え方としては、わりとよくある考え方だけど、
人間の生き方が生物としての本来のものと離れ過ぎたから
っていうのがあると思う。
でもどうなんだろうねえ
647 :
神も仏も名無しさん:2013/06/14(金) 20:19:19.49 ID:CgLs+FRK
>>639 それが世界であり、我だってこと。
それら世界や我が実在だと思ってることが苦の根本だけど、
それから解脱しない限り、その因果から逃れられないということ。
>>643 縁起・空性・仮設は哲学や見解ではないんです。
それは道を歩むための説明体系ですよ。
> 中観派は縁起で全部説明できると思ってるのかもしんないけど
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm 中論觀四諦品第二十四
世俗諦とは、一切の法は、性空だが
而し、世間は、顛倒の故に、虚妄の法を生じ、世間には、是れが、実である
諸の、賢聖は、真に、顛倒の性を知るが故に、一切の法は、皆、空で、無生だ、と知り
聖人には、是れが、第一義諦で、実と名づける
衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ、と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である
但だ、衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
>>624 釈迦に何か相談してもひたすら「耐え忍べ」って言われそうなイメージがあるな
>>646 他の生物は自然環境により良く適応できた種が生き残りに有利になるけど
人間はある時期から自然環境への適応ではなく、
「社会」という人工的な環境により良く適応出来た個体とその影響下にある集団が
生き残りに有利になるように進化してきたので
自然環境への適応によって生き残ってきた他の生物と較べて
人間の生き方が「本来のもの」から離れているというのはその通りだと思う
652 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 01:10:12.31 ID:8RyE1REw
>>651 でもさ例えば、満員電車のキツさなんてのは文明が発展してこそのもので
昔はなかっただろうけど
上司と顧客の板挟みで苦しいなんてのは
サルの頃から似たようなことあったんじゃねえの?って気もするんだよねー
でも苦しいよね
>>646 いや繁栄に貢献してるよ
戦争を含めてすら人類全体は死ににくくなっている
>>652 社会集団を作る類人猿において
他者の心理を読める個体が適者生存で生き残りやすく
類人猿の脳は対人関係の苦労に最も多くリソースを使っているらしい
そして仲間の心を推理する過程で自分の心を観察する能力が進化し
ついに自己意識を獲得したと考えられているそうだ
仏教では自我は言語表現を用いる生物である人間だけの迷妄とみなしているが
類人猿にはすでにその兆しがあったようだ
それ、順番が逆じゃねー?
あと、獣の仏性は無とする禅は、
獣に自我がないというより、言葉が無いからわかんねえって立場じゃね
無いと言ってるわけじゃないんだな、これが・・・( ̄ー ̄)
657 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 09:42:47.21 ID:2UtGzb3E
質問スレなんで、単純な質問とその答え以外は議論スレでどうぞ
質疑応答が数回続くのはいいとしても、今の状況は可笑しい
658 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 18:54:51.13 ID:zGvjvzVs
生命が動く(呼吸や心臓の動きのレベルから人間の社会活動まで)のは、苦しみがあるから。
息を吸えば吐きたくなる(吐きたいという苦しみが生じる)、
息を吐けば吸いたくなる(吸いたいという苦しみが生じる)。
こっちの苦しみから逃れたら次の苦しみが生じる。
苦しみから苦しみへ飛び回っている、それが生命の動き。
で、苦しみがなくなれば動く必要がなくなる。
苦しみがなくなれば生命から卒業、つまり解脱できる。
また逆に、涅槃に入って解脱しないかぎりは苦しみがある。
六欲天の五や六は、コントロール下にある前向きな統合失調症のようなものだと思うのですが、
この理解は一面合っていますか? それともまったく外れていますか?
下手したら行ったままで帰って来れないような……
660 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 20:30:53.01 ID:2UtGzb3E
>>659 外れてます。
常識による精神現象としての解釈ですよね。
だったら、六欲天ではなく三昧・禅定の境地と考えるべきでしょう。
だとしても全く外れてます。
なるほど、ありがとう
まるで禅を非常識としているような物言いは気になりますが……
帰ってこれるなら問題ありません
662 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 20:39:54.89 ID:2UtGzb3E
>>661 ああ、師匠に就かずに勝手に禅定とかやると発狂することもありますよ。
仏教は師匠なしにはないものです。
なるほど申し訳ない、質問の仕方が悪かったようです
独学で、あるいは師匠の悪意により、
六欲天の五や六の段階において、
統合失調症のような症状に陥ることはありますか?
あるいは、ありえますか?
664 :
神も仏も名無しさん:2013/06/15(土) 20:50:41.94 ID:2UtGzb3E
>>663 可能性としてあると思います。
ちゃんとした師匠に就いている場合はほぼないでしょう。
ありがとうございます
666 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 16:13:49.59 ID:lEinL5eA
涅槃って存在するんですか?
667 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 18:29:30.88 ID:zTGWV8wi
>>663 ぶっちゃけそれは宗教の人よりも医学の人に聞くべき質問だろ
>>667 医学の人に
「欲界天部の第六天の境地で……」
とか聞いたらその時点で発症と判断されるだろ
669 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 21:55:46.28 ID:PRkmze8a
>>666 そういう境地があるとは言えますが、
それが実在するものとは言えません
仏教の境地について仏教以外が言及した事ってありますか?
他の宗教でも哲学でも科学でもいいです。
671 :
神も仏も名無しさん:2013/06/16(日) 22:25:18.19 ID:PRkmze8a
>>670 色々ある例えば、ドイツ観念論はほとんど誰でも言及してるし
最近の倫理学者デレク・パーフィットも言及してる
そこら辺の西洋での概観にルノワール『仏教と西洋の出会い』が便利
科学も色々あるけど科学者と元科学者の仏教僧侶の対話『掌の中の宇宙』がいいと思う
宗教に至っては枚挙の暇もない。インドではずっとされてきたし、シナ・日本でも伝来以来そう。
西洋でも伝来以来色々語られているが、シュヴァイツァーを始め碌なのは少ない。
トマス・マートン『アジア日記』がいいかもしれないが和訳はよくない
『掌の中の宇宙』も和訳はよくない
両者とも翻訳は巧いと思うが、仏教に関する知識を欠いているところが残念
ありがとうございます。
>>670 ニーチェは自分が西洋のブッダになりたいって言ってたらしいよ
結果的には仏教よりもはるかにアグレッシブな思想を開いたけど
あとインドで仏教が滅ぼされる前までの長い時代
バラモン教の六派哲学と仏教の四大学派は盛んに交流して
哲学的論争を繰り返していてその内容も記録に残っているので
他学派から仏教への言及も枚挙にいとまがない
バラモン教哲学最大の巨人であるシャンカラは仮面の仏教徒と
言われるほど仏教からの影響を受けているそうだし
>>667-668 学生「欲界天部の第六天の境地で……統合失調症のような症状に陥ることはありますか?」
医者「第六天とは何のことですか? 」
患者「魔王です。」
医者「え、魔王?」
患者「はい。魔王の住処です。他化すなわち他人の欲望を自在に受けて愉しむ境地です。」
医者「・・・で、その第六天が統合失調症のような症状を起こす可能性があるとお考えですか?」
患者「はい。敵が襲って来ても愉しめる境地です。」
医者「いや、あなたに襲ってくるような敵はいません。それに常識による精神現象としての解釈ですよね。」
患者「でも、警察につかまっても楽しめますよ。」
医者「いや、楽しむとかそういう問題じゃなくてですね…」
「暗い」があるから「明るい」がある。「冷たい」があるから「温かい」がある。「子供」の存在があることで「親」という
…などといった、『関係性があるからこそ成り立つ概念』を、仏教用語でなんて言うんでしたっけ
空・縁起よりももうちょっと詳しい言葉があったような気がするんですが
>>675 少し冷静になってください。
対概念は、必ずしも「同時存在」を意味しません。
物凄く単純な例としても、「明るい“所”に暗い所がある」ということは成立しません。
なぜなら、「暗くない」ことが「明るい」ということなのですから・・。
それが、どういうことであるかといえば、
「暗い」がある【から】「明るい」(がある)のではない、ということです。
つまり、「明るい」ということの因や縁には、別の因子が絡んでいて、そちらこそがメインということです。
「冷たい」「温かい」も同様です。
問いの答えは、おそらく 『相依』 ということになるのでしょうが、
諸法は縁起してある、というテーゼで考える場合、
675のような対概念としての視線は障碍となるだろうと思います。
>>675 仏教論理学を確立した唯識派のディグナーガが説いた「アポーハ」のこと?
「子供」という概念は全ての「非子供」の排除を意味するに過ぎず
子供に共通する「子供性」のような普遍や実体は無いというような
「相依」ですね。ありがとうございました
質問の書き方が良くなかったかもしれませんが、対概念に関しては、心得ておきます
冷たい水、などというけど、実体的な「もの」として冷たいなどというのがあるわけではなく、
あくまでもより温かいお湯なり体温なりの関係性によって成り立ってる言葉・心の世界のものである
的な理解でいいのかな
679 :
安堂:2013/06/17(月) 02:04:05.29 ID:7XODd696
>>675-678 言語が相対性を基に成立しているということです・・・・。
「差違」「比較」「表現」ということです。
680 :
絶対神:2013/06/17(月) 02:06:23.84 ID:+2vAtiqE
>>673 「まあ、ニーチェは飽くまで「キリスト教に対抗する」という意味で
仏教を理解していただけで」
『その理解は完璧に誤解だった訳だがね』(彼も仏教それ
自体を取り出せば、キリスト教と同じ人類への束縛だと理解できたであろう)
「彼にとって仏教はアンチキリストとして利用できる面だけが意味があっただけ」
(当時の西洋人の哲学者にとっては大抵そうだけど)
681 :
絶対神:2013/06/17(月) 02:14:49.19 ID:+2vAtiqE
『実際の仏教国が』
「特に釈迦の説に近いと言われる上座仏教の国が」
『西洋なんかよりよっぽど不自由で、差別的で、人間を縛るという
事実を知っていたのなら』(今でもスリランカなんかの東アジアの
小乗仏教国は「かなり酷い」)
「ニーチェはキリスト教なんかよりよっぽど仏教を忌避しただろう」
682 :
絶対神:2013/06/17(月) 02:18:20.61 ID:+2vAtiqE
『勘違いしてはいけないのは』
「大抵、西洋人が仏教に興味を持つ場合」
『隣の芝生は「青い」という以上の意味はないのだよ』
その人間が客観的で合理的理性的で、かつ仏教というものをありのままに
理解したのなら
「別に特に優れた宗教だとは判断しなかっただろう」
>>682 西洋人のインド哲学研究者なんていくらでもいるんだが…
西洋人は仏教を勉強しても浅い理解しかできずに
東洋人は不思議な力で仏教の真髄を普通に理解できる
という素朴な差別的世界観を持ってるわけね。
684 :
絶対神:2013/06/17(月) 02:37:51.88 ID:+2vAtiqE
『最後に言っておくと』
『悟りを開いたもの、『ブッダ』なるものが「実在する」と考えている
時点で』
「既に正気じゃないからな」(大笑)
『なんらの思想や宗教を全面的に持ち上げる人間というのは』
「客観性をまったく欠いているという『ありのままの事実』を認める
方がいいぞ」
たとえば仏教カルトはアインシュタインが仏教を持ち上げていると言っているが
『そんな訳がないからな』(大笑)
「彼は純粋な無神論者だし、宗教というものは『幼稚な言い伝え』だとはっきり
言っている」
『客観的に言えば煩悩を超越した「ブッダ」なるものは『全知全能の神様』と次元に
おいて大して変わらないという事を理解しておけ』(大笑)
685 :
絶対神:2013/06/17(月) 02:50:23.41 ID:+2vAtiqE
「もう一回書いておくと」
『ふつう、日常的なありのままの事実に気付いている者なら』
「ブッダというのは『明らかに胡散臭い」と気付くはずなんだけどね」
『カルトそのものであるという事に気付くと思うんだけど』(東洋的
師弟関係そのものが)
「ニーチェはキリスト教を憎む余り、『完全に目が曇ったな』」
そもそも、「西洋のブッダになりたい」とか言っておいて、梅毒で死んでるのは
「意味不明」だし(どこが煩悩を超越してるんだよwww)
『人は「神様」には「なれんよ」』
一神教的概念は、現実に適合して、そういう部分に関しては
「もっとも『正しい』」
686 :
神も仏も名無しさん:2013/06/17(月) 08:11:03.07 ID:yKNSg6Li
>>678 五感に入る刺激はすべて「痛み」のバリエーション。
触覚に入る痛みのパリエーションによって、熱い冷たいから、きもちいいまで、振り分けている。
眼に入る光の刺激(痛み)を画像処理して視覚となる。
すべての刺激の本質は痛み・苦である。
だって、弱いエネルギーであっても、細胞に負荷をわけてるわけだから細胞の破壊につながる刺激たちだし。
受は苦である。
687 :
神も仏も名無しさん:2013/06/17(月) 15:20:50.53 ID:Dr8NUt7j
日本での大乗仏教の話で、
お酒をまいたりするのは浄めるためとか意味ありますか?
まさか洒浄とかと勘違い的な意味ではないですよね?
>>687 その土地土地で用いられているもの(こと・作法)が、
そのまま採用されてるだけでしょ。
現にチベットでは、バター(茶)が普通にお供えものみたいだし。
(灯明の油は、バターしかないという現実的事情もあるにせよ)、
貴重なもの・価値あるもの・重要なものとして神仏に捧げられるに相応しいという点は、
日本における供物・初物等としての「献じるに相応しいもの」としてのお酒の位置付けと同じじゃないかな・・。
もし、コーヒーでもって浄化や悪霊の防護をする文化に輸入されれば、
そういう場面ではたぶん、お酒でなくコーヒーが用いられるんだと思う。
てst
チベット密教の灌頂でも酒を使う
691 :
神も仏も名無しさん:2013/06/17(月) 20:43:58.14 ID:yKNSg6Li
アルコール消毒という意味では的を射ている。
酒を呑むのでないなら、破戒じゃないし。
般若湯いうくらいだから真理に近いんだろ酒は
693 :
神も仏も名無しさん:2013/06/17(月) 21:55:04.65 ID:3cdvsCxU
>>592-593 ちょっと亀になりますが、だとすると何回忌とか十年過ぎても、ずっとやりますよね?
あんなの、いらないような気がします。仏教の教えと合わないと思います。
変な話、ここまで言うのも、あれですがお墓もいらないような気もします。まぁ、無縁仏になる墓もありますが
有名な人の墓は残り、神社にお参りする感覚で来る人いますよね?
すでに生まれ変わってるんでしょ?まぁ墓までなくせで言うのも変な話だけど
>>693 日本人は仏教なんて形に拘らない
神道もキリスト教も良いとこ取り
しかしそれで何か問題あるのか
>>692 じゃあ酒飲みまくったら智慧が得られるんですね
日本の仏教って素晴らしいですね
696 :
神も仏も名無しさん:2013/06/17(月) 22:37:14.74 ID:3cdvsCxU
>>694 まぁ、墓は残った家族のために必要かもしれませんね。
でも、あんまり金使うことはないと思う。
何回忌を、ずっと続けるのはなんかね。
七年でやめてる人もいるけど、いいと思う。
>>694-695 いいかげんな日本の仏教は素晴らしいと思う、割とマジで
仏教だけが正しいとか言ってる奴にロクなのいないしな
日本の宗教観なら所謂ファンダメンタリストは生まれようがないからなw
699 :
神も仏も名無しさん:2013/06/17(月) 22:59:53.60 ID:yKNSg6Li
>>693 亡くなった人が違う生き物に生まれ変わっているとして、
その生まれ変わった生き物の幸せを願って功徳を回し向ける。
先祖が先祖のままでいる必要はない。
先祖がお魚になって海に泳いでるなら、そのお魚の幸せを願えばよい。
で、お墓については、別に要らないのかもしれません。
ただし、ストゥーパ(仏塔)の代替だとすれば話しは違う。
ストゥーパとは、偉大な人物の遺骨を埋葬した場所に建てる塔であり、
それを拝む人が偉大な人物の徳を思いだすきっかけになる。
人々が、偉大な人物の優れた徳を思い出すとき、人々はその徳(善)をイメージするわけだから、そのたびに、
心を清らかにするイメージトレーニングをしているのと同じ、修行効果が期待できるのです。
結論。人徳の高い人(修行に役立つ人)については墓をつくる意義がある。
>>699 でもそれ全部ブッダの教えとは何の関係もないけどね
>>700 傲慢だな・・。
別に、コの高い人物である必要は無い。
人が、知ってか知らずか、業を積みながら生きるものであるならば、
必ず、そこかしこに因や縁を振りまいて生きることになる。
善きにつけ悪しきにつけ、そこかしこに影響を与えながら(≒縁を結びながら)生きることになる。
諸法が因や縁により紡がれてゆくものなれば、一人一人の言動もまた、そのようにして紡がれるものであり、
また、未来へと紡がれてゆくものだ。
それは、偉人であろうがその他大勢であろうが変わらない。
偉人のみが、未来へ縁を残すわけではない。
なれば、
残された者が、故人の威徳(業や紡がれた縁)に想いを馳せ、
故人の残した影響(ご縁、業果)を思い、
併せて、自らの、今積みつつある業(撒きつつある影響)を省み、
また、これからの業(周囲へ与える影響)を善きものへしてゆく誓願へと
モニュメントの存在、墓参という行為を繋げ得るならば、それが無意味徒労だとは思わない。
そこに、偉人だから云々などという区別を設ける感性は、醜く愚劣だと俺は思うね。 ( ゚听)、
>修行効果? 笑わせんな。
703 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 08:04:37.34 ID:ZaiEWiPD
>>701 あくまで、ストゥーパの代替として考えるなら、という話。
大パリニッバーナ経(ブッダ最後の旅)の、
ブッダの遺骨をどう処理すべきかという部分で、ストゥーパの説明がでてきます。
ブッダや大王などの遺骨を納めたストゥーパを拝めば、人々の心が清められるとあります。
ちなみに、ストゥーパは塔婆の語源です。
お墓は家の墓など、個人単位でないことがありますが、お塔婆は個人の名前を書きます。
お墓がなくても、拝みたいときに塔婆を用意すればいいんじゃないかと思います。
位牌でもいいし。
704 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 08:06:21.92 ID:ZaiEWiPD
>>701 ただし、お墓や、本来のストゥーパは、
いつもその場所にあるから誰でもお参りにいけるメリットがありますね。
705 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 09:50:11.55 ID:65Z34I0W
歴史的人物としてのブッダとは何のかかわりもない、
<葬式仏教>の始まりです。
その根底には文字通り仏法とは無縁(縁起撥無)の妄想心霊(アートマン思想)主義があります。
ブッダの時代を見倣ってガンジス川に灰を流してオシマイにすべきじゃねw
墓だの卒塔婆だの
後世の弟子が勝手にでっち上げた様式なんて
ブッダの教え的にはどうだっていいはずだし
707 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 11:01:14.71 ID:aY7Fg6wd
>>706 ストゥーパは釈尊以前からあったし、釈尊直々の供養法なんだが
仏教はそれぞれの習慣と争わない。だから日本の先祖供養も否定しない。
寧ろ方便として取り込んだと思われる。
ただし江戸時代に政治に利用され形骸化されたことは確か
>>701 高い人物でこそ、死ねば単なる骨っていう実感が得やすいっしょ
>>707 少し言葉がスベったよ
墓だって釈迦より何千年も昔のピラミッド時代からあるしな
しかし商売のために維持されているに過ぎないような
仏教とは本来何の関係もなかった因習の副産物までも神聖視してありがたがってるから
宗教嫌いな人たちからは見透かされて胡散臭い扱いを受けるんだと思うわ
仏教が取り込んだというより、仏教が取り込まれたと言うべきではないか?
711 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 15:27:02.70 ID:aY7Fg6wd
>>710 ないない
徳川に利用された、形骸化されたとは言えても
取り込まれることなどありえない
なぜなら縁起・空だから
>>711 葬式がどうこうって細かい話は置いておくにしても
最初に利用されたのは、聖徳太子にでしょ
しかも国家鎮護のためにさ これって縁起・空とか関係無いよね
713 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 15:50:35.99 ID:Rfx9IyhG
キリスト教の三位一体でいう聖霊は釈迦のこと
714 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 15:55:56.64 ID:aY7Fg6wd
>>712 ああ、そういう政治系の話か
それは利用したんじゃないは
聖徳太子は化身で、野蛮な日本を鎮護国家という方便で導いただけのこと
チベットでもモンゴルでもインドでもシナでも同じことが起こってる
野蛮な戦闘民族がダルマによって順化させられる素晴らしい
こう言っても、おそらくアナタはそう思わないだろう。
それは変な政治的イデオロギーに染まってるからだよ
逆にオイラが仏教を盲信してると見えるだろうが、
仏教を政治に持ち込むことで野蛮な行為が和らいだのは様々な地域、時代に共通して現れる。
それは認めないとどうしようもないと思うけど。
後は平行線だろうし、質問スレなんでこれで止めるよ〜〜
715 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 16:05:55.51 ID:aY7Fg6wd
716 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 16:44:29.50 ID:98vHaAMU
宗教法人にも課税すべきだと思いますか?
都心でベンツに乗ってる坊主を見ると、
おいしい商売だと思いますが。
>>708 自分の父ちゃん母ちゃんじいちゃんばあちゃんを立塔して偲ぶ、
という行為を無意味みたいな言い方するからさ。(
>>703で後出しジャンケンしてるけどw)
718 :
神も仏も名無しさん:2013/06/18(火) 18:04:46.62 ID:ZaiEWiPD
>>716 宗教法人に課税するとは、法人税のことでしょうか?それとも、固定資産税?
私は、いずれも課税すべきではないと思います。
弱小団体とその信徒をいじめることになるから。
宗教法人から給与をもらっている個人への所得税の課税をしっかり
(脱税されないように)やればいいだけの話だと思います。
創価学会は仏教と呼べますか?
720 :
神も仏も名無しさん:2013/06/21(金) 20:33:33.30 ID:9ssiU7t0
>>719 呼べません。
創価、以前に日蓮が呼べません。
理由は無我でなく我に基づき、伝承なく三宝に帰依せず
三乗を一乗に包括する融和的な『法華経』を排他的に誤読しているなど、
とても仏教とは思えません。
日蓮は呼べないなら親鸞とか法然も無理ってこと?
あれもひたすら拝むだけでなんも日蓮と変わらんと思うんだけど
ようは後世に作られた宗派、学派、部派は全部非仏教と言いたいだけだろ
ただし720が信じてる所をのぞく
723 :
神も仏も名無しさん:2013/06/22(土) 05:49:33.06 ID:aCnMuNHk
>>721 いや、呼べますよ。
理由は示した通り。
親鸞上人や法然上人は無我であり、伝承あり三宝に帰依するから
仏教ですよ。
この判断基準は仏教の基本です。
有名な所で仏教と呼べないのは日蓮系と普化宗
普化宗はどうみても単なるヤクザの商売
オウムも無我説だよね?
おそらくだけど三宝にも帰依してると思うんだけど、じゃあオウムも仏教ってこと?
無我と三宝が基準ならオウムも仏教になると思うんだけど
725 :
神も仏も名無しさん:2013/06/22(土) 15:45:26.21 ID:aCnMuNHk
>>724 いやいやオウムは有我説で仏教の伝承はちょっとあったけど自ら壊し、
帰依はシヴァだよ。
日蓮とそっくりだ。
エゴで法を利用しテロを試み、排他的な態度
無我で空だからポアしても問題ないと間違った空見に陥ったんじゃないの?
仏帰依っていうのは釈迦じゃなくてもありなの?
たとえば阿弥陀仏とか大日如来とかだけど、俺はシヴァと何も変わらないと思うんだけど
日蓮だってオウムだって最高位にではないにしろ一応釈迦に帰依はしてるでしょ
727 :
神も仏も名無しさん:2013/06/22(土) 17:09:03.41 ID:aCnMuNHk
いやせめて書いてから終わってよ
もうこのことは書き込まんから
729 :
神も仏も名無しさん:2013/06/22(土) 17:49:17.30 ID:EiSU1fCl
730 :
神も仏も名無しさん:2013/06/22(土) 23:29:30.73 ID:EiSU1fCl
>>727 >これ以上は議論スレで
議論スレは69でまともな御仁は戯論寂滅。
喝ァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッつ !!!!
731 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 03:03:27.58 ID:MV58Pc02
因縁の話ですが、
例えば、自分自身が病気になる。
これは、過去にご先祖様が病気がちだった?のが、自分でる。そういう意味でしょうか?
因縁深いとはどういう意味でしょうか?
732 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 05:12:51.91 ID:0SfVgIKV
>>731 ご先祖がどうこうというのは日本の民間信仰で仏教的にはあまり関係ありません。
医学でいう遺伝や、家系的な習慣が連続することはあっても、
親の因果が子に巡りというのは本来仏教的にありえません。
ただ共業が近いというのはあるとおもいます。
三宝さんは信心が強すぎちゃって、枠組みそのものの議論には向かないかと
ただし枠組み内、狭義での仏教学なら充分使える
世界中で自然発生した宗教にはすべて祖先崇拝の要素がある
対して仏教やキリスト教といった世界展開した宗教は
その要素に縛られないからこそ土地や民族の特性を越えて世界中に広まることができた
とはいえ外来の宗教が浸透した土地でも土着の習慣が完全に消滅することはまれで
キリスト教でも仏教でもそこに根付いていた信仰は変形して残されていてることが多い
>>731 こういうのは、仏典に明確な根拠があるというものではありませんが、
遺伝的要素とその影響、そして霊障がある場合なども指して、
これらを含めて世間一般的に“先祖の因縁(家系の因縁)”などといっているわけです。
霊障については、特定の一先祖が餓鬼や未成仏(一般的な呼称として)となっていて、
これが子孫に悪影響を及ぼしている場合などであり、
中には、他者による一家系への呪い的な状態であることも稀にあるでしょう
(先祖の中の誰かが他者を惨殺しており、その恨みと霊障が子孫に代々祟っているケースなど)。
そして、あなたがどの家系に生まれていくかというのは、
転生者、個人の過去世における総合的な業(カルマ)とピッタリと適合する家系、
及び、その両親の元へと磁力的に引きつけられて母胎へと宿るのです。
そのベストマッチとタイミング性は実に完璧なものであって、これは神秘中の神秘です。
転生した個人は、もしも霊障を受けていればそれを解くことと(祖霊供養などにより)、
受け継いだ遺伝的要素については、これを個性(業)として受け入れて克服していかざる得ません。
* ただし、何でもかんでも霊障を疑ったり、原因を先祖のせいにしないように!
仏典は全能な万能薬(“すべて”が書かれている)というわけではない・・・。
736 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 12:14:48.36 ID:MV58Pc02
732
あー
じゃあ因果応報は仏教にはないんですか?本来の仏教は日本の仏教より
かなり難しいときいたことあります。
ややこしいですね。
737 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 12:21:56.19 ID:MV58Pc02
あ、ありがとうございます。
もちろんご先祖様には感謝だとは自覚してます。
なんか、涅槃とか仏教ってすごいなって、最近思います。
善因だって必ずあるだろうし、不思議ですよね。
738 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 12:34:43.15 ID:0SfVgIKV
>>736 もちろん本来因果応報は仏教の教えですよ
ただ現代日本でいう因果応報は原義から外れて家系の呪いみたいになってるのでそれは仏教ではないという意味です。
仏教の因果応報は良いことをすれば楽が報い、悪いことをすれば苦が報いるという原理です。
この場合、善悪は他を傷つけることが悪で他を利することが善です。
しかも他の意識ではなく自分の動機面が重視されます。
具体的には殺さない、嘘つかない、盗まない、淫乱にならないです。
739 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 12:35:44.63 ID:0SfVgIKV
>>736 補足、日本の仏教も素晴らしいのですが、
現代日本の仏教は混迷しているというのが現状です。
740 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 12:59:56.74 ID:MV58Pc02
ありがとうございます。
昔の仏教って厳しいんですよね。
日本のはほとんどが大乗仏教だとか?
凄いですね。
741 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 13:02:57.59 ID:MV58Pc02
あ、意味履き違えると危ないですよね。
わかりました。
本来は素晴らしいことなのに。
742 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 13:07:05.09 ID:MV58Pc02
でも、その意味を履きちがえるのは仏教ではないから、心配しなくてもいいですよね。安心しました。
>>737 涅槃を目指すことが仏教の目的です。
それ以外ありません。
先祖の供養は付随的なものであって、仏教の本道をなす根幹ではないですが、
ただし、一般人と在家信徒にとっては大切な自己修行の一貫になり得るものです。
もちろん出家、在家を問わず、先祖への感謝の念と姿勢は基本ですね。
普通に葬儀や年忌法要や墓参りとか、
お盆やお彼岸の供養、等々は熱心にされたほうがいいです。
(過剰になる必要はないけれど)
744 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 14:59:07.86 ID:MV58Pc02
そうですか、ありがとうございます。その辺はわかります。
なんか気が晴れました。
ありがとう。
745 :
神も仏も名無しさん:2013/06/23(日) 17:56:53.72 ID:DQ7Fsvqr
>>743 >涅槃を目指すことが仏教の目的です。
>それ以外ありません。
神智学狂信のあなたは質問箱スレに相応しくありません。
>>743 あなたは仏教のこと何もわかってないみたいですね
絶対参考にしないでください
747 :
神も仏も名無しさん:2013/06/24(月) 00:18:22.19 ID:5ZQXkR+R
1.現象には必ず理由がある。
2.(幽霊)は、目撃する人間がいなければ現れない。
人が見ていることが前提で起こる不可思議な現象は、
認知心理学の問題として解釈すべきである。
3.貴方方から見れば、我々は、頭のおかしな集団かもしれない。
でも、それは、貴方方の価値観です。
俗世間から離れ、金や出世に執着せず、自分の信じる人生を送る。
それは不幸なことですか?
4.(テレパシー、シンクロニシティ、(人智を超えた)必然、大いなる意図・意思 etc.etc.etc.)
人間は、信じたいものを信じる。
そこに科学的根拠は何も無い。
偶然と思い込み、実に簡単だ。
仏教議論スレはどこにあるの?
>>748 建ってない。
また、建てるスキルを持つ者もいない。
また、常連が(ネタ切れ&ループ回避で)大きく撤退、
質問箱の如く単発質疑がなされる形、
及び、(常連撤退による)隔離対象者の出没も激減し、
役目を終えたのでは?という見方が大勢を占めるため。
確かにずーっとループしてる気がする
そういう意味では輪廻してるのかな
>>750 ・メンバーが同じだから。(→話題も、自然、似通った所に着地する)
新規参加者が居ても、
・仏教に関して外部の者が抱く疑問・興味は、所詮似通ったものでしかないから。
新規参加者が居ても、基礎学習・基礎知識の点では
・仏教に触れよう、学ぼうとする者の興味も、同様に似通ったものになりがちだから。
・仏教に対する批判(≒仏教が抱える諸問題)は、それほど多岐にわたらず、寧ろ特徴的な幾つかに収斂するから。
或いはまた、
・幾人かの常連の発言が、それぞれの立場由来の範囲内の同じことの繰り返しであり、
それに対するリアクションもまた、(まるで化学反応の如くw)同じ反応になるから。
といったものが、ループの主な原因と推測できる。
752 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=26,xxxPT】(1+0:3) :2013/06/27(木) 13:35:51.79 ID:DQVrlMmp BE:3284899968-2BP(333)
普段はあぼんしてるんでCtrlキーのポップアップで確認したが、
>> 752
板毎に設定が違ったりもするが、
通常利用者は(おそらく2ch全体で?)数ヶ月に一つしか建てられないんだよ、昔と違って。
今は、「●持ち」や「一定ポイント以上のbe持ち」など、
その他何らかの(2chに金払ってるとか)優待権利者だけが、任意随時に建てられる仕様なの。
近くの寺で結婚して子どもがいる坊主がいるんだが
坊主って結婚して子どもつくったりしてもいいのか?
それって性欲があるってことにつながらないかな
>>754 大乗の菩薩は、俗世に紛れて衆生利益する、というのが本来だからね〜
うまく欲と付き合って、福徳を積んで行くのよ
>>754 大乗だろうがなんだろうが本当はダメだよ
でも日本の坊主は戒律守らないから
非課税で家業だから坊主してるだけだよ
757 :
神も仏も名無しさん:2013/06/28(金) 08:07:00.35 ID:RtFgAHJN
>>754 私も結婚している大乗坊主です。
寺の後継者を産むという「役割」を果たせてホッとしています。
もちろん、子供が継ぎたくないならそれでいいけど。
日本の仏教は、現状は在家仏教だと思います。
修行期間だけは一応出家体験して、そのあとは「現場」にもどる。
特に浄土系の場合、自分が悟ることよりも、仏教を他人に伝えることを重視している面があります。
この人、キリスト教界から追放しますので面倒見てくれませんか?
=========================
182 サロメ☆ボウディア </b>◆k8vHqHA92c <b> 37qIpym9 2013/06/29 19:32:15.22
--------------------
>>175 サロメ一味と書き込んでいる時点で札幌のカルト脳親父の類ですよ^^
悪意のある反キリスト教の人間なので放置してあげてください
彼も既に裁かれています
>>754 繋がります。
繋がるからこそ、755のように、
他をぬかるみから引き上げるために、自分もぬかるみに足を入れる(汚れる)
という方向を採った。
ぬかるみに入らなければ(汚れなければ)救えるわけがない、と。
(だから、如来が汚れない者としたなら、実働部隊として諸菩薩が配される。)
或いはまた、
汚れなければ良い、という方向で考え、ぬかるみに入る際、長靴を履いていれば良い
(→捉われなければ・毒されなければ・染まらなければ・耽らなければ・求めなければ・堪能しなければ良い)
という「心の自由度」で解決する方法を・・。
他所で戯れに書き込んだものだが、ちょうど適する感じもするんで転載。
>>756 http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1323795298/841 日本は、もうかなりの古い時代から、
「《教え》を守り、伝え、継承する」ものではなく、
「《伽藍及び境内・墓地》を守り、継承する」ものになってるから、
ビジネスになるのも、(時代的)不可抗力でしょ。
明治以降、そして宗教法人法設立以降、
寺院(=伽藍&境内・墓地)の維持は住職個人に委ねられてしまっているのだから。
「彼が稼がない限り」、伽藍&境内・墓地の維持継承の成立は困難でしょう。
それを組織でやるためのシステムやノウハウの蓄積もない。
(寧ろそういう側面は、支部管理の上手な新興宗教の側で発展しているかもしれない。)
今の日本の坊さんは、八百屋や魚屋のような、小売店自営業者みたいなもんさ。
時代に乗って発展存続し得るか、シャッター街の商店の如く消えていくかは、
住職の経営・営業才覚に委ねられている。
761 :
神も仏も名無しさん:2013/07/01(月) 12:34:00.06 ID:dCL0fs2Q
>>760 仏教の情報発信基地の機能を残しながら、寺院の規模を縮小していければいいんだろうけど。
762 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/01(月) 16:28:27.52 ID:5tlyuuTi
>758
(^。^;)あの朝鮮人の相手はそっちでお願いします。
>>761 規模は、伽藍・境内サイズだけじゃないしねぇ・・。
宗旨や地域の慣習との兼ね合いも大きいし。
たとえば、「月参り」が必須な慣習の地域で檀家を何百軒何千軒抱えてたら、
和尚が読経マシンとなるか、手分けして回るための人員を雇わなきゃならない。
こういう形ができあがっているところでの「規模縮小」は、
イコール「檀家数削減」に他ならないしね。
そして、「檀家数減少=収入減」だし。
(減った分、一軒あたりの単価が上がるような方策を打てばいいとも言えるがw)
で、そう考えるとき、
世の一般家庭並の収入が、住職個人の収入として、寺院維持の経費とは別に必要である以上、
「養わねばならない家族が居る(所有している)」ということもまた、
色々な面で、大きな制約・枷であることが見えてくる。
出家というけど、日本では家が寺に入る!
765 :
神も仏も名無しさん:2013/07/02(火) 06:50:43.28 ID:U2mPt59r
坊主の出家とは、家であるサンガから出て、我欲のサービス業になること。
766 :
神も仏も名無しさん:2013/07/02(火) 08:02:51.14 ID:Scvxei5p
>>763 「規模縮小」が求められる場合、檀家1件あたりの経済的負担の軽減が目的ではないでしょうか。
檀家数を増やして(拡大して)1件あたりの負担が減るなら、縮小どころか拡大のほうがいいかも。
しかし、人口減少している地方ではそれは難しい。
>>766 つまり、(TPP絡みで農業農家を強くしよう!という考え方と相似した方向性で)、
大規模法務、集約法務のような形が理想的かw
日本も中国も、大昔、多くの寺院に、物凄い人数の僧・修行僧が居たようだが、
今のような法務でもないし、「収入の手段」も、寺及び僧達各個人の「消費の形態(使い道)」も全く違うしね。
あ、中国台湾は今もそうか・・。
日本では、大本山でさえ中小企業並みだしねw
受付や事務職員、パート等も含めても、たいした人数にはならない。
専門道場でも、数人から数十人。(永平寺はまた別だが・・。)
上で記したような大規模経営で行ってるのは、まさに、新興宗教等なんだよね・・w
大企業、チェーン店のサービス&出店攻勢と戦う地域小売店って構図だな。
人口の少ない地域は、周辺自治体に跨って包括対応する感じかね・・・。
768 :
神も仏も名無しさん:2013/07/02(火) 12:44:04.14 ID:Scvxei5p
>>767 複数の寺の住職を兼務しているケースはよくありますしね。
770 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 21:32:58.47 ID:V7p+o+YI
>>767 TPPの農業問題は目くらまし。本当の狙いは金融と医療保障制度
>>770 金融や医療問題じゃ比較対象にならないじゃんw
767は、別に『TPPの最重要問題は農業』という内容・意見じゃないぞ。
オーストラリア、カナダ、アメリカの大規模農場のような形で寺院経営すれば、
各檀家の布施単価を低く押さえられるかも・・、という話だから。
比較用の例として挙げただけなのに、なんで770みたいな読み方をするんだ?
理解不能なんだが・・・。 ┐(´ー`)┌
772 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 22:21:38.57 ID:V7p+o+YI
>>771 日本の皆保険制度がアメリカの目の上の瘤になっている事を知っていて言ってるのか?
アメリカじゃ民間の保険会社に入るしかなく、高い保険料を払っても支払限度があって
癌にでもなりゃ破産だ。
アメリカの法律>TPP条約>他の加盟国の法律
って不平等条約だぞ?皆保険制度は商売の邪魔だから止めさせる事も可能だ。
医者に掛かれなくなる。
金融ではM&Aのやりたい放題だ。LBOで元出なしで買収可能。LBOで買収すれば
その仕掛けのお陰で買収された企業は簡単に破綻する
理解できなきゃ、何で医療組織が反対してるのか勉強することだな。
773 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 22:24:05.67 ID:V7p+o+YI
>>771 話題の問題か
>つまり、(TPP絡みで農業農家を強くしよう!という考え方と相似した方向性で)、
>大規模法務、集約法務のような形が理想的かw
この発想自体がナンセンスって事だよ。破産国家アメリカにどこまで付き合うかの問題がTPP
情弱増産じゃ日本の未来は無いのよ
>>772 日本仏教(の寺院経営の現状)と比較しなきゃ意味ないだろ? っつってんの。
君の言うことは、至極御尤もではあるが、甚だしく『スレ違い』なんだよ。
どこの誰が、日本にとってのTPPの影響を吟味してるんだ?
大規模経営で農業の建て直しが実際に可能かどうか、それが日本で成功するかどうか、
はたまた、アメリカの真の目的がどこにあるか、なんてのは関係ないの。
それはまた別個の話なの。 今は、経営形態の比較をしてるんだから。
その評価、経営形態の是非を言うなら、君は、
日本の寺院が大規模経営をすることで、どんな具体的デメリットが生じるか?を示して初めて、
>>767へのレスアンカーの意味が出るんだよ。
>>773 それができなきゃ黙ってろ。 ( ゚听)、
アメリカに向き合うことが、日本仏教(及び日本寺院)の問題なのか?
TPP問題を正確に把握することが、日本仏教(及び日本寺院)の未来を明るくすることなのか?
アメリカは、日本の仏教寺院を、TPPでどうしようと思ってるんだ?
>破産国家アメリカにどこまで付き合うかの問題がTPP
笑わせんなw
775 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 23:01:47.31 ID:V7p+o+YI
>>774 笑わせるのはてめえだろ情弱!農業とTPPを関連して考えるのは大馬鹿のやる事だよ
それで仏教弄るなんて幼稚園児が場の量子論に挑戦するようなもんだww
776 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 23:04:04.11 ID:V7p+o+YI
>>774 >TPP問題を正確に把握することが、日本仏教(及び日本寺院)の未来を明るくすることなのか?
なるね。何でかはおバカには分からないが。知りたきゃ経済板にでも行って頭を下げて聞けば
誰か答えてくれるかもよww
777 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 23:07:39.61 ID:V7p+o+YI
>TPP絡みで農業農家を強くしよう!という考え方
元々そんな考え方など存在しないんだよ。真実の姿から目を逸らして宣伝に左右されるのが
仏教の考え方だったら、仏教は全て創価のようなカルトになるね
>>776 w
日本仏教の何が問題になってるかが、まるでわかってねーじゃねーか。
今はたまたま寺院経営の話が出ているが、経済の問題じゃねーよ。
それと、TPPの問題が農業だけだと誰が言ったんだ?w レス番と文章を挙げてみな。
ちなみに、
コレ→>アメリカは、日本の仏教寺院を、TPPでどうしようと
と
コレ→>アメリカに向き合うことが、日本仏教(及び日本寺院)の問題
についてはどうなんだ?w
779 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 23:12:07.89 ID:V7p+o+YI
>>777 だからw
比較するために有効な言い回しなんだよ。
(実際、そういう発言が溢れていた時期もあったわけで、それはすなわち、そのような考え方が《存在する(した)》ってこった。)
781 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 23:15:01.36 ID:V7p+o+YI
>>778 >>770に最初にケチつけたのは貴様だよな?そこで既に話題変わってんじゃん
>コレ→>アメリカは、日本の仏教寺院を、TPPでどうしようと
>コレ→>アメリカに向き合うことが、日本仏教(及び日本寺院)の問題
貴様に説明するのは困難だ。経済板で頭を下げて聞いてこい
782 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 23:18:57.96 ID:V7p+o+YI
>>780 考え方じゃなくて妄想な。思考パターンにも何にもならない。
俺はただそう言っただけだ。それにアメリカの狗が噛み付いてきたから叩いてるだけ
なにを言ってるか高卒だから理解できんが
お寺は必要か 僧侶は必要かなの
幼稚園経営 不動産収入がないと
檀家さんが減り続ける寺は消滅だね
785 :
神も仏も名無しさん:2013/07/03(水) 23:25:14.04 ID:V7p+o+YI
>>784 論破されたのも分からないほどの池沼かww
貴様が話題変えておいて何言ってんだキチガイ?
786 :
神も仏も名無しさん:2013/07/04(木) 01:53:04.09 ID:A6cXiYBm
戦後、マッカーサーによる農地改革で、寺院所有の農地は取り上げられた。
そのため寺院は年貢(小作料)収入を失い、経営が厳しくなった。
経営が厳しいと、たくさんの門弟を受け入れる余裕がないし、
跡取りになりたい(寺に就職したい)若者も減る。
肉親でないと跡取りになってくれない。
そこで結婚して子供を産んで跡取りに育てるのが最も効率的であると気づく。
寺の息子じゃなくても、発心して僧侶になる人だっているでしょう
本来なら、そういう人こそが住職になるべきなんじゃない
788 :
神も仏も名無しさん:2013/07/05(金) 08:05:26.59 ID:3PUkWhNn
>>787 スムーズに後継者をみつけるための現場の人々の工夫が、
いつしか、外部の人からは「既得権」と見えるようになる。
789 :
神も仏も名無しさん:2013/07/05(金) 15:29:56.78 ID:4r+IFFj1
坊主が妻帯するから堕落するんじゃない。
後継ぎがいなければ、基本的に優秀な者が選ばれると思う。
肉食妻帯の大乗仏教に未来はない。
てか寺自体に未来が無いんだよ。江戸時代の檀家制度の名残も消えていくのみ。
あとは葬儀屋にお任せ。
791 :
神も仏も名無しさん:2013/07/07(日) 10:20:16.86 ID:50x5AFwA
それが時代の流れだろうが、その根本原因は日本仏教の堕落にある。
肉食妻帯を許す日本仏教は、なぜ肉食が禁止されているのか、
なぜ妻帯が禁止されているのかがわかっていない。
釈迦の教えから離れ、心が汚れ、肉食妻帯のワナが見えなくなった。
あるいは見ようとしなくなった。
792 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/08(月) 05:53:55.09 ID:9+OzlgqM
日本仏教というものは、当然ながら原始仏教とは違う。
但し、それなりの歴史的、文化的必然性から現在の日本仏教という形態になっている。
全てが縁起である以上、現に在る日本仏教の善悪を問うのは仏教的ではない。
また、日本仏教の衰退した因縁を日本仏教自身のみと考えるのも仏教的ではないだろう。
(^。^)まぁ、アホなハゲが多過ぎなのは確かだが。(笑)
793 :
神も仏も名無しさん:2013/07/08(月) 18:45:58.08 ID:Lf6K0ueh
日本のように同じ家に属する人が一緒に入る墓制度は
他の国にもあるんですか?
794 :
神も仏も名無しさん:2013/07/13(土) 19:42:24.02 ID:b6bFadYQ
インドの原始仏教に一番近い形の仏教、それが普及している国はどこになるのでしょうか?
ミャンマー?スリランカ?チベット?
795 :
神も仏も名無しさん:2013/07/13(土) 20:30:12.50 ID:3n7iccDR
796 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/13(土) 23:34:35.83 ID:Va6UEAjA
>794
原始仏教というものは、当時のインド社会の風俗や社会情勢の上に成立したものであるので、
現代でそのまま踏襲している所という発想がそもそも無理。
近いものなら上座部だろうが、一応全ての仏教団体が「お釈迦様からの正当な法流」を自認しているので、どこも大差無いとも言える。
そもそも、お釈迦様と仏教の距離が相当遠いしな
799 :
だいおう:2013/07/14(日) 09:42:12.83 ID:bUQPuMhf
しょうきょーちゃん、おひさwおげんきー?
原始仏教に近いのか?
曹洞宗の中のうちで沢木興道の系統と考える、無論現在の日本曹洞宗宗門は不合格と。
800 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/14(日) 16:47:20.44 ID:r6bPfq7a
おう、イカか。(笑)
日本語がちったぁ上達したな。(笑)
(^。^)昆布はナナシになってるから、テメェで探して遊んで貰ってこい。(笑)
原始仏教と言うけど当時の戒律は間違いなく悟りの体現であり法その物。
それらをほとんど捨てている日本の仏教を社会風俗云々とかでは説明は出来ない。
よくも揃いも揃って堕落したものだと感心する。
中にはまともなのも居るかもしれないが
802 :
神も仏も名無しさん:2013/07/17(水) 18:59:21.39 ID:BVwp+grQ
「けど」は何の逆説だよ
803 :
神も仏も名無しさん:2013/07/17(水) 18:59:36.42 ID:BVwp+grQ
×説
○接
804 :
だいおう:2013/07/17(水) 20:03:00.02 ID:eWdCeWPI
801は知らぬだろうが、中村元も道元好きだぞ、
沢木興道を調べてみなさい。
調べずに云々とはいけないよ。
>>794 おそらくミャンマーだと思う、ただそれでも完全に正しい教えを実践してはいないっぽい
俺は倶舎論の修行方法が釈迦の教えにかなり近いんじゃないかと思ってる、ただその通りに実践してる僧団はないだろうけど
教典は情報が体系的でなくバラバラだから読んでもどういう順序で実践していけばいいか分からないよ
哲学としては法の方が重要だろうし、
宗教としては世界観のが重要だろうし、
堕落ってのはなんぞえ
一切が空なら縁起も輪廻も空になって意味なくならないんですかね
808 :
神も仏も名無しさん:2013/07/18(木) 08:01:22.76 ID:9BA5KpVE
>>807 一切が空だとしても現象がなくなるわけではない。
カツ丼は空だと気付いて、それ以降、
「カツ丼」と言わずに「トンカツをのせたご飯」だと認識が変わったとしても、
目の前のトンカツとご飯が消えたわけではない。
じゃあなんで無自性で現象なものが輪廻したり縁起するわけ?
縁起するもの自体がないのになんで縁起するの?
原因自体が空、結果も空ならわざわざ縁起する意味も輪廻する意味もないやん
>>809 そうじゃなくて、
「縁起して、固定的相・性を持たない」ということを「空」と称しているのだから、
無意味ということにはならない。
「空である」とは、nothingではない。まさに808なわけだが、
そこへ、>じゃあなんで という接続詞が出てくることが理解できない。
逆説的に言えば、「>無自性で現象なもの」なるがゆえに縁起し輪廻するのだから。
811 :
神も仏も名無しさん:2013/07/18(木) 12:57:16.49 ID:9BA5KpVE
>>809 縁起するもの自体はあるんです。
でも縁起している(因縁により変化する)からゆるぎないモノではないということ。
物語は続いているが、主人公は変わっていっている、みたいな。
以前の主人公とは別の主人公になってゆくが、
バトンタッチしながらそのときそのときに主人公は存在している。
「主人公がいない」わけではない。
812 :
神も仏も名無しさん:2013/07/18(木) 14:03:50.91 ID:cXtY9fZw
//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD
業(ごう)
仏教の基本的概念である karman を意訳したもの、「行為」を意味する
アートマンを認めない無我の立場をとる思想では
→ 心の流れ(心相続)に付随するものとされた ←
中国、日本の思想にも影響を与える
_ _ _
因と縁の依存によって現れ滅するので
永久不滅、常住不変の我ではない
>>810 なんで無自性なものが縁起するといえるわけ?
無常で無我だからとか理由にならんよ
無自性で現象なものだから縁起して輪廻するとかそれこそ因果関係教えてよ
//kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E6%80%A7
世界大百科事典内の自性
_ _ _
サーンキヤ学派などに対しての
「 実体であって、永遠で活動性をもつ、プラダーナ(自性) 」 ではない
と言う批判だと思います
_ _ _
輪廻している、心の流れ(心相続)は
因と縁の依存によって現れ滅するので
それ自体の自性で成立しているのではない
と言う意味だと思います
816 :
神も仏も名無しさん:2013/07/18(木) 20:05:58.11 ID:rY88R/+2
>>809 >原因自体が空、結果も空ならわざわざ縁起する意味も輪廻する意味もないやん
正解サ
皆、考え違い勘違いをしているのサ
817 :
神も仏も名無しさん:2013/07/18(木) 21:11:32.06 ID:cXtY9fZw
それぞれの個が、例えば川の流れの中の小さな渦のようなものに過ぎないとすると
それが輪廻なんてことをするのはおかしなことに感じますね
>>814 ちと違う
無自性なものが縁起して輪廻するから現象が我々の頭んなかに現れるだけ
意味はない
我々の頭んなかにしかね
因や緣・業・アートマンなどについて書かれてるわかりやすい本はございますか?
820 :
神も仏も名無しさん:2013/07/19(金) 08:08:00.30 ID:PUihvVEU
>>814 縁起(関係する条件によって成り立っている)であるから、
無自性(何にも影響されないそれ自体はない)なのです。
もしゆるぎない自性・我があるなら、輪廻しない(変化しない)かもしれませんね。
私の業は私だけの業ではなく、私が生まれる前に別の生き物が使っていた「つかいまわし」「おさがり」なのです。
私の業や私の心が私だけのものではない。
業や心は、うなぎ屋のタレのようにつぎたしつぎたしされながら、変化しながら、相続されている。
正午以降食事をしないという戒律を守りたいのだけど、会社が昼休みが12時からなので無理みたいです
12時からの食事は戒律違反でしょうか?
守っているかたはどうしていますか?
822 :
神も仏も名無しさん:2013/07/19(金) 12:52:30.00 ID:PUihvVEU
>>821 日本の僧侶の場合は、夕食は薬石(ご飯ではなくお薬)として摂取しています。
健康維持のためやむを得ないとお考えなら、お薬だと思って、栄養補給に必要な量を摂取しては?
823 :
神も仏も名無しさん:2013/07/19(金) 14:10:48.75 ID:aXfXHNtC
そんな戒律があるのか
何の理由で・・うーん
薬だと考えるのが良いですね
朝の一食で済まそうとすると独り身だと食物の種類が貧弱になるので難しいと考えています
朝食の準備に時間をかけると可能かもしれませんが
食料を溜め込まないことを自分に課していることもあり難しいです
825 :
神も仏も名無しさん:2013/07/19(金) 14:20:56.99 ID:aXfXHNtC
宗教の戒律って、たとえば食中毒防止とか
当時労働力として貴重な家畜だったとか
何となく理由を想像出来る物もあるけど
午後食わないてのはわからん
朝すげー早起きで働いて午後はさっさと寝てた?
ほんと日本仏教は般若湯といい薬石といい屁理屈好きだなw
そんなもん道理とおらんよw
別に腹減ったから晩飯食うでいいでしょ
なぜわざわざ理由つけて戒律破るのか
「不非時食戒」ですね。
在家信者のまもるべき八斎戒のひとつでもあるけど、
そこまでするのは大変だよな。
やくせき【薬石】
《「石」は「(いしばり)」で、古代の医療器》
1 いろいろの薬や治療法。「―効なく永眠する」
2 身のためになる物事のたとえ。「―の言」
3 禅寺で、非時(ひじ)の戒を守って夕食をとらなかったため、
飢えや寒さをしのぐために温石(おんじゃく)として腹に当てた石。
転じて、夜食の粥(かゆ)または夕食。
(デジタル大辞泉の解説)
828 :
神も仏も名無しさん:2013/07/19(金) 19:05:57.16 ID:PUihvVEU
>>825 冷蔵庫のない時代に托鉢でもらった食べ物しか口にしないとすると、
3食食べるには3回托鉢に行く必要がある。
それではじっくり修行する時間がない。
また、満腹すぎると眠くなるので冥想しにくい。
托鉢と栄養補給は午前で済まし、暑い昼間は木陰で冥想、
夕方や夜も寝る間も惜しんで修行、が理想だからでは。
829 :
神も仏も名無しさん:2013/07/19(金) 20:38:34.10 ID:pTE+fJAL
午後食べないと、実際にいろいろと良いことが有る
敢えて書かないけど仏様はすごいと思うよ
欠点は筋力が気持ち落ちることかもしれない
測っていないから解らないけど
830 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/19(金) 21:50:23.12 ID:fUQ0tgJr
昔は二食が普通だったし、餓死もよくある事だった。
飽食の現代日本でぬくぬくと生きてると、飢えた経験が無いから「イイ事ガー」とか寝ぼけた感想になる。
>>809 >じゃあなんで無自性で現象なものが輪廻したり縁起するわけ?
>縁起するもの自体がないのになんで縁起するの?
それは、無明があり、本来あるはずのない自性を見出してしまうから。
それが原因となって、あらゆるものが縁起する。その縁起した諸々の現象が行と呼ばれる。
行は無常であり、無常なるものは苦であるとされる。
>原因自体が空、結果も空ならわざわざ縁起する意味も輪廻する意味もないやん
無明を滅した仏の世界(涅槃)からすると、そういうことになるね。だから、苦しみも縁起しない。
では、なぜ縁起の法が説かれるかというと、涅槃に向かわせるための方便になるから。
いきなり、空を説いても、方便にならない、とも言えるかな。
自性なんか存在しないけど、凡夫の現象界においては自性が存在するわけ?
じゃあ無自性だから縁起するっていうのも間違いにならない?
無明なら自性を見出すんでしょ?
でも自性は縁起できないやん。
縁起のジレンマおこしてると思うんだよなぁ
>>832 ドーナツの穴は、「ドーナツの穴」として単独に存在しているかい?
周囲の生地部分があって初めて、穴が穴としてそこに顕現する。
顕現している時、そこには、あたかも「ドーナツの穴」なる『固有の存在』がそこにあるように思える。
(諸々の事象に自性を見るが如く。)
が、勝義に於いて、そこには「ドーナツの穴」なる『固有の何か』があるわけではないし、
ドーナツの穴足らしむる、固有の・根源的初期値、性質があるわけじゃない。
834 :
神も仏も名無しさん:2013/07/25(木) 08:05:33.41 ID:Q8s3F8bz
>>832 自性は存在しないけど、凡夫は、自性があると勘違いする。
昨日の自分と今日の自分には関連がある(因縁)が、
昨日の自分と今日の自分をつらぬく不滅の自性はない。
何ヵ月もたてば細胞は入れ替わるし。
記憶のデータはバトンタッチされて受け継いでいても、
私をつらぬく不滅の自性があるわけではない。
永久不滅・常住不変のアートマンではなく
それ自体の自性によって成立しているのではなく
因と縁の依存による
空であるからこそ
中論觀法品第十八
//www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する事が出来る
と言う意味だと思います
836 :
神も仏も名無しさん:2013/07/25(木) 14:36:59.67 ID:RwqSz6+Z
>>834 でも、あるかないかの2択で言うなら、ありますよね
もしも記憶が引き継がれなかったら?昨日と今日で顔が全く違ったら?
生活成り立ちませんよね
>>836 それは、どんなことでも一緒でしょう?
「テーブルの上にリンゴがある」と同質・同程度に、
「二人の間には友情がある」と言い得るか否か、ということです。
リンゴのように見たり触ったりできないし、存在することを具体的に示せないけれども、
リンゴのように「ある」わけではないけれど、でも「ない」わけではない。
このとき、「友情なんて存在しない」と言いきってしまうのは容易いですが、
それを「ない」としてでは、我々が日々を送るに際して、少々不便です。
>>837補
仏教は、ただ「有無」を言うのでなく、(それは)「“どのように”あるのか」という視線が重要なのです。
839 :
神も仏も名無しさん:2013/07/25(木) 18:09:06.36 ID:RwqSz6+Z
テーブルの上のリンゴは、誰かがそこに置いたものだし、
時間が経てば持ち去られるかもしれないし、食べられるかもしれないし、
腐ったり虫に食ったりするかもしれない。
また、なくならないとしても、日が傾いて光の当たり方が変われば見た目も変わるでしょう。
その程度には、しっかりと、自分は、存在しますよね。
友情というのは、人間が考えた概念、言葉ですから、ちょっとあやふやですね。
自分は、それよりもしっかりしたものではないですか?
>>839 >自分は、それよりもしっかりしたものではないですか?
いい着眼点です。
そここそが、最大にして最初であり最後の難関としての「顛倒妄想」なわけです。
それこそ、愛や友情よりも、不確かで儚く、かりそめなるものが「私」なのです。
>>832 >自性なんか存在しないけど、凡夫の現象界においては自性が存在するわけ?
>じゃあ無自性だから縁起するっていうのも間違いにならない?
無自性だから縁起する…?うーん、「A生ずる時、B生ずる」っていうとき、
凡夫がみると、AとBは異なるという分別があるでしょ?それぞれ、実体視してるわけよ。
一方、如来の眼には、AとBは同じでもなく、異なるのでもなく、無自性。
あらゆる実体視を離れた空性においては、因も果も「不生」と言われる。
>無明なら自性を見出すんでしょ?
>でも自性は縁起できないやん。
うん、不生だから、ほんらい、何も生じてはいないよ。あくまで、ほんらい、だけど。
>>841 え?無自性だから縁起するっていうのは間違いなの?
じゃあ私根本的に間違ってたかもしれませんね
では縁起というのはどういう条件なら成立するんでしょうか?
>>842 いや、たしかに、自性があるとすると、縁起の因果を説くことはできないよ
なぜなら、自性は原因を持つものではなく、結果を生み出すものでもないから
つまり、原因がないために滅ぼすことはできないので、常住論に陥る。
その意味では、無自性において縁起が成り立つというのは、そのとおりなのだけど、
そのことが実感されるのは空性を体得してから、ということだと思う。
縁起の基本は、他(因縁)によって生ずる、ということ。
>>842 要は、実体としてあるものではないのだけれど、
衆生のみる世界観に合わせて、「これ」とか「かれ」っていう法を
仮に立てて導くのよ。仮設っていうんだけど。
>>842 そこでの、≪ 無自性「だから」 ≫という言い方は、
無自性であることを、第一因・起源・起因としてという意味ではないのです。
「無自性であること」から(=無自性であることを起点として)縁起が始まっている(≒生じている)のではないのです。
(日本語は難しいですね・・。)
≪無自性であることで、縁起することが可能である≫というほどの意味なのです。
大して違わないじゃないかと思うかも知れませんが、
「無自性であること」が「縁起」を誘発している、縁起の因となっているわけではないので、
このニュアンスの違いはかなり大きなものとなります。
もし、(固定的・根源的)自性が存在したなら、世の在り様の本姿である「縁起」に当て嵌まらないよね、と。
う〜ん、たとえて言えば、
水は、固有の形無く、さまざまな器に入り、その形となります。
このとき、『固有の形が無いから、様々な形に流れ込む」わけですけど、
「固有の形が無いこと」が、様々な形の水を生じ“させ”ているわけではないようなものです。
「固有の形が存在したなら」、様々な形の水になりえないとね、と。
そういう消極的「だから」という接続なわけです。
固有の形が存在しないことを第一因、起源として、様々な形の水があるわけではないからです。
>>845 セブンさんかな?さんきゅー!
そう、自分もその「だから」がすごいひっかかってた。
ほんと、この細かいニュアンス、むずかしいよね…
847 :
神も仏も名無しさん:2013/07/26(金) 08:05:58.74 ID:AFdpapgi
>>836 (自性が)あるかないかの2択でいうなら、「ない」のです。
なぜなら、縁起だから。
昨日の自分と今日の自分は縁起でつながっているけど、自性はないのです。
高校野球の3年前の高校と、今年の高校と、メンバーは違います。まったくの別人達です。
このうちの誰か一人が高校の自性ではない。
その一人がいなければ高校ではない、ということではない。
T0099_.02.0029c04: 雜阿含經卷第五
//21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/T0099_,02,0032a21:0099_,02,0032b19.html
T0099_.02.0032b08: 慢不斷故
T0099_.02.0032b09: 捨此陰已。與陰相續生
慢断ぜざるが故に此の陰を捨て已りて陰と与に相続して生じる
(だけど諸の慢を断ずる事が出来たのなら)
T0099_.02.0032b13: 諸慢斷故身壞命終
T0099_.02.0032b14: 更不相續
諸の慢断ずるが故に、身壊れ命終して更に相続せず
久遠実成の本仏と大日とは、全く同一のものをさしているのでしょうか?
//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97
真言密教(東密)と天台密教(台密)の違いは
真言密教(東密)は大日如来を本尊とする教義を展開しているのに対し
天台密教(台密)はあくまで法華一乗の立場を取り
法華経の本尊である久遠実成の釈迦如来としている
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
//homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
865
世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る
また人が来世に関していだく希望と成就は、それにもとづいて起る
_ _ _
人が来世に関して、いだく希望と成就は
それ自体の自性で成立しているのではなく
因と縁の依存によって現れ滅する
欲望という
心の働きに、もとづいて起る
854 :
神も仏も名無しさん:2013/08/02(金) 10:55:26.15 ID:8xJMkQ+Q
855 :
神も仏も名無しさん:2013/08/02(金) 20:04:57.10 ID:OXW5fyHm
>>853 それは誰の質問への回答なの?
唐突過ぎて、わけわからないんだが・・。
お前ら分かったような事語ってるけど、八斎戒守ってますか?
守ってるやつ手をあげてみろ
>>856 評論家は守る必要ない。守るかどうかは個人の趣味の範囲。
子供の頃、母にトレーシングペーパーのような薄くて小さな紙片を渡され、
病気になったらこれを飲んで南無大師遍照金剛と唱えなさいと言われたんですけど
これは真言宗に伝わるおまじない?それとも新宗教か民間信仰のようなものでしょうか?
生麦大豆二升五合
860 :
858へ:2013/08/06(火) 18:59:05.50 ID:oEJTujBf
あれは空海死後にできた、空海自身が考えた事がない空海による救済思想に基づくモノ
南無大師遍照金剛を唱えれば、空海と共に生き、仏道修行ができ、ご利益があり
死後、弥勒菩薩か空海かの説法を聞き、悟りを開けるというもの、
861 :
神も仏も名無しさん:2013/08/10(土) 20:09:27.42 ID:7NYcw+57
悟りをひらくって
欲を捨てるということなのかな?
863 :
神も仏も名無しさん:2013/08/11(日) 23:50:26.48 ID:IR4r26q9
どうかどうか教えて下さい。仏教徒が結婚して子供を作るのは、釈迦の教えに反しているのではないでしょうか?
もう生まれてこないように悟って解脱するのに、また生み出す行為をするのはおかしいのではないでしょうか?
>>863 比丘(≒修行者)なら、反しているね。
比丘(≒修行者)なら、おかしいね。
865 :
宝珠@神智学徒:2013/08/13(火) 13:21:04.88 ID:dzaHw6x2
>>863 人生(生存)とは学びの場です。
出産は、仏の教えとの出会いを可能にする機会をまだ未完の魂たち(非我)に提供する行為です。
(*いろんな回答者たちがいますが、ただ頭脳で回答する人と心眼で以て回答する人を見極めてください)
『二七、資産者の子よ、立派な弟子は六つの方角をどのように護るであろうか? 六つの方角とは次のもので
あると知るべきである。
東方は父母であるとしるべきである。南方はもろもろの師であると知るべきである。西方は妻であると知るべ
きである。北方は友人・朋輩であると知るべきである。下方は奴僕・傭人であると知るべきである。上方は修行者
・バラモンたちであると知るべきである。
二八、実に次の五つのしかたによって、子は東方に相当する父母に対して奉仕すべきである。―
「われは両親に養われたから、かれらを養おう。かれらのために為すべきことをしよう。家系を存続しよう。
財産相続をしよう。そうしてまた祖霊に対して適当な時々に供物を捧げよう」と。
実にこれら五つのしかたによって、子は東方に相当する父母に対して奉仕すべきである。
また父母は次の五つのしかたで子を愛するのである。すなわち〔1〕悪から遠ざけ、〔2〕善に入らしめ、
〔3〕技能を習学させ、〔4〕適当な妻を迎え、〔5〕適当な時期に相続させる。
実に子は、このような五つのしかたによって、東方に相当する父母に奉仕し、また父母はこれら五つのしかたに
よって子を愛するのである。このようにしたならば、かれの東方は護られ、安全であり、心配がない。』
(シンガーラへの教え/善生経/中村元訳/春秋社・原始仏典第三巻より)
>>863 解脱を目指す人に対しては、出家して家族を離れることを推奨したけど、
世俗的な幸せを望む人には、妻帯禁止を強要したりすることはないよ。
さらにいうと、結婚していても子どもがいても、解脱が不可能、ということはないよ。
>釈迦の教えに反しているのではないでしょうか?
>また生み出す行為をするのはおかしいのではないでしょうか?
別に、お釈迦さん自身は、子どもを生むことを嫌悪してるわけじゃないんだからw
ただ、仏法に反する行いには、苦しみが待ってるかもしれないね。
867 :
宝珠@神智学徒/代行:2013/08/14(水) 04:24:41.91 ID:AEHbCecu
>>865 追記補足:
この経は資産家の父を亡くした青年シンガーラに、
父親の残した財産を失わず人間らしく生きるために守るべきことを具体的に説いたものです。
父親の教えを受けて、早朝から身を清めて六つの方位を礼拝するシンガーラに、
沐浴によって清まるのではない、礼拝すればいいというものではない・・・といった、
いつものゴータマ特有の調子で人の行為との関係性において教示しています。
つまり、シンガーラ経は在家および世俗向けの教えとして説かれたものです。
原始教団における出家者は当然、妻帯どころか異性との恋愛関係も禁止です。
あなたが出家でもないのに、恋愛を避けたり、妻帯しない道を選択することはもちろん可能です(それは任意です)。
そうすることで、専門的な修行に集中的に専念できる環境を自分につくることができるということ
(出家者に対する禁則事項は、これを最重視すべく妨げを破棄しようとしたもの)。
ただし、人生における様々な体験と成長の機会も同時に失います。
自分にはそれらの人生体験など、もう無用だとみなすかどうかは自分自身で決めることです。
その気になれば、恋愛も妻帯も子育てもすべて価値あるものにすることはもちろん可能です。
尚、日本の大乗僧の多くは在家の延長上のエキスパートのようなものです。
とても原始教団の出家僧たちと比べられるような位置にはありません
(時代も社会的背景も異なる・・)。
お釈迦様の教えを翻訳した書籍について質問です
春秋社発行の中村元監修「原始仏典」長部経典・中部経典だけでも7巻あり、
すべてそろえるのにべらぼうに金額がかかるのですが、これでお釈迦様の教えを全て網羅することはできるでしょうか?
何やら「原始仏典2」(相応部経典)なるものも発行されていてそれが4巻とか…
こういう書籍を買う人はどのような人なのでしょうか
そもそも読む人いるの?
>>869 非難したつもりはありません
ただ、一般の人にお釈迦さまの言葉の翻訳書が伝わるにはあまりにも酷だと思いましたのでその次第を書いたつもりです
> ・一冊の金額?
> ・冊数の多さ?
> ・出版されているもので教えが網羅されていないこと?
せいぜい新品で全巻合わせて2〜3万円くらいにならないかと思いました
今のところ5〜6万円で販売されています
それと非常に分厚い書籍であることが予想されます
一人でも多く本当のお釈迦さまの教えが身につきますように
>>870 需要を考えれば自費出版なぞありえないし、
だとするならば、
経費から高額になるのは必然。 ラノベとはわけが違うということを認識しろ。
いったい、どれだけの下調べと時間と校閲の労力が要ると思ってんだ?
一回、自分で翻訳してみるといい。
薄くすれば、それだけ冊数が増えるぞ?いいのか?たとえ単価が安くなっても、結果は一緒だ。
勿論、携わる者誰もが、万人が手軽に手にできることを望んでいる。
だからこそ、岩波文庫青の中村シリーズが誕生した。
が、あれも、岩波のデカさと中村さんの大御所立場と、極一部の翻訳、ということだから可能なだけ。
また、漢文の読み下しでさえ文字数が倍以上増えるのに、現代語訳(→現代的言い回し)になれば、
更に文字数は増え、ページ数も増え、冊数も増える。そしてもともとの量は、大正蔵経、南伝蔵経をみて解る通り膨大だ。
国家プロジェクトにでもしない限り、現状の値段設定は不可避なんだよ。
大人なら、そのくらい解れよ・・・ orz
ま、理想を言えば、
≪『大手出版社が』『採算度外視で』『各経を個別に一冊ずつ』出版する≫形がベストだけどね・・。
それなら、短い経なら数百円ですむかもしれないw
が、そこに絡むのは需要。 映画のパンフレットほどのページ数・ボリュームの経があったとして、
その程度なら、参照したい者は「図書館へ行く」なり「ネットのデータベース見るなり」するだろうし、
そうでない一般の人にとっては、「これこれこういう内容」という伝聞で済んでしまう。
一言一句を検討する必要のない者にとっては、個別の経典全てを手元に置く意味がないのさ。
これこそが、仏教経典に限らず、他宗教や科学・化学系、人文科学・社会学等、
およそ専門書的な書籍が抱える流通上の悩みさ。
少し探してみるといい。 各分野の専門書が、どれほどの金額でどれほど刷られているか。
(新書レベルの概説書は、仏教関連でもピンからキリまで腐るほどあるw どっかの脳科学者の本とかwww)
結局、集約した大蔵経的に形作っておいて、それの参照し易さを工夫していくのが、最善だろう。
たとえば、現在の大正蔵経のデータベースの如く、南伝大蔵経や、
(今なら片山一良の)パーリ仏典シリーズとかを、ネット上のデータベース化するような形で。
紙媒体で経典を・・というのは、もはや望むべくもないし、時代は次のステップにあるとオモ。
>>871-872 確かにおっしゃるとおりです
すると、キリスト教の聖書はどうしてそれなりのボリュームで(普及版で)1冊3000円程度で済むのでしょうか?
単純に組織力の問題でしょうか
「とあるお坊さん」が「シガーラ経」や「沙門果経」を題材に1冊3000円程度で書籍化したときに
カルチャーショックを起こしました
「どうして中村元訳でこの経典の翻訳が(安く)出版されなかったのだろう」と思いました
岩波本で「スッタニパータ」「ダンマパタ」「テーラガータ」「テーリガータ」「悪魔との対話」「神々との対話」
「ブッダ最後の旅」だけでも重宝していたのに、まだお釈迦様の言葉があったのかと驚きました
ああいった書籍が発行される前にどうして日本語全訳を先手打って用意できなかったのか?
それだけが気になっていたのです
追記
> 勿論、携わる者誰もが、万人が手軽に手にできることを望んでいる。
仏教オタクだけじゃなくて、日本人一人に一冊くらいの感覚で広まらないときっとカルトに引っかかる人は減らないと思います
> ネット上のデータベース化するような形で。
電気がないと困りますが、広めるだけなら可能ですね
お返事ありがとうございました
青空文庫みたいにしてネットにばらまけないものか?
安けりゃ買うけどな
>>873 > すると、キリスト教の聖書はどうしてそれなりのボリュームで(普及版で)1冊3000円程度で済むのでしょうか?
> 単純に組織力の問題でしょうか
あんなの大した量じゃないやんwww
(ダブってるものがあるとはいえ)大正大蔵経が何巻あると思ってんのさ。
それに、聖書は、(特にJBSは)紙、ペラッペラやでw
値段が安く押さえられるのは、当然、コストが押さえられてるから。
研究成果への還元は考えなくていいし、註釈や解説があるわけでもない。
【既に、(或る程度の)決定版として完成されたもの】を冊子化するだけでいいから。
&利益率無視して布教目的という形で、且つそのための資財ある(惜しまない)ところがやってるから。
ま、詳細はこっちで聞いてみるといいかも。
聖書@質問箱
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1284435433/
>>873 > 「どうして中村元訳で
その時代(つか、今でも、だが・・w)の流行及び中村さん本人の志向性が、
【古層掘り起しによる、仏陀の教えの原型抽出】だったから。
そこに挙がる2経を始め、長部所収の経は新しくて原型を留めてない、という評価だから。
だから、岩波青はそうした(中村基準の)「古層の訳出」だったわけ。
> まだお釈迦様の言葉があったのかと驚きました
8万4千という呼称は伊達じゃないぞw
> どうして日本語全訳を先手打って用意できなかったのか?
≪【正確に】且つ【日本語としても“こなれた”】翻訳≫が、
どれほど至難の業か、どれほどの知識、どれほどの語学力、
どれほどの先達の業績の予習、どれほどの周縁知識が必要か判る?
古代インド語に長けてるだけでも駄目。当時のインド及び仏教の知識があるだけでも駄目。
現代日本の言語様相への知見も必要。 当時在って今はない物・ことの言い換えセンスも必要。
南伝大蔵経は偉大な事業だけど、当時の若手研究者も携わってるから、
読みづらかったり意味不明だったり、漢訳流用過ぎたり、
或いは、中堅大御所の訳でも、既存の価値観で読み過ぎて、パーリに於ける意味合いが薄れたりとか、
山ほど不備があるんだぜ?
単語一つの訳し方が、大きな根本的解釈の相違になることもある。
だから、専門家が、裏の裏まできっちり押さえて、
研究が進んでる所、自分が関わっている領域の部分のお経とか、世間で重視される或いは広く知られているところ、
或いは、仏教の根幹として重要な部分から、現代語訳の形にされてきたんだよ。
(それでも全体像が必要だから、急場しのぎの突貫工事、学徒動員に近い総力戦で南伝は編まれたわけで・・。)
> 日本語全訳を先手打って
そんな簡単な話じゃないんだよ。
少し付言すれば、
確かに、日本の現代語訳は、9割が『研究(及び学級者・僧侶・専門家)の為』という側面ではあったと思う。
(でなければ児童向けとか。)
ただ、それは、(西洋に於いて個人が聖書を手元に置くような形で)「大蔵経」を手元に置く発想が
日本にはなかったとは言える。 個々の、広く信仰されている仏菩薩のお経は、漢訳で教本が出ていたし、
内容は和尚が話すから、「読誦」のための経本があれば十分だった。
読んで内容を理解するよりも、受持して、唱えて祈りを捧げる所にも大きな意義があったから。
(また、それこそが大乗仏教のセールスポイントでもあったし。)
岩波青によって、『お経の読み方』に新たな流れが出てきたのは事実だし、
若い坊さん達のなかには、こぞって漢訳でない(→“読み下し”でない)現代語訳を多用する者も多い。
(それ(漢訳の冷遇)が良いか悪いかは別にしても・・w)
従来の漢訳仏典を否定したり、低く見下したりすることは倒錯だと思うけど、
今、(唱誦としてではない)お経の“読み方”は過渡期にあるし、
ベーシックな現代語訳の完備が重視される傾向にあるから、
少し長い目で見るか、貴方(
>>873)自身が訳出する方向を目指したらいいと思うよ。
879 :
神も仏も名無しさん:2013/08/20(火) 22:28:37.46 ID:gaqGoQ8k
age
880 :
神も仏も名無しさん:2013/08/21(水) 00:57:01.59 ID:CEEFTvx3
たとえばだけど、
大東出版社の国訳一切経とか 漢文の読み下しがあるでしょう
あれを個人でネットに上げたら、やっぱ著作権侵害になるわけですかね?
読み下し文の権利がいまいち分からない
訳者さんが無くなって50年すぎていたらネットに上げれる?
882 :
神も仏も名無しさん:2013/08/21(水) 01:37:32.10 ID:CEEFTvx3
おーー 早速レスありがとさんです
まだ使い方分からないけれど、あとでゆっくり見てみます
阿含部あるから十分なんだけど、なんでか1巻目がないのね
更新されるんだろうか?
私が持っているのは書き込みの多い中古本なんで
それをがんばってPDFにする価値はないなー
>>882 寧ろ、その『書き込み』こそが、重要な、価値ある情報とも言えるぜ?w
(禅の道場の、代々の師家が使ってきた語録の版本には、その代々の師家の書き入れ(コメント)があるが、
読み解き方・解釈の指針でもあり、個々のお師家さんの個性が味わえる楽しみでもある。
同じように、
代々購入した人々の、―(大学)図書館の蔵書なら、年々借りてゆく学生さんたちの―
その時の理解や解釈や感想の痕、足跡だと考えて読むのも一興と思うよw)
884 :
神も仏も名無しさん:2013/08/23(金) 18:06:05.85 ID:1pGsT2j3
唐揚
885 :
神も仏も名無しさん:2013/08/25(日) 15:45:20.69 ID:37ND2Rlr
さるべーじ
886 :
神も仏も名無しさん:2013/08/26(月) 00:49:35.75 ID:jVKkj9+i
昔、中山法華経寺系霊能者若月チセ(女性)と言う人がいて
霊友会の始まりに関与したと言う話があります。
今、密教系霊能者下ヨシ子さんとか真如苑で霊能者になってると言う高橋恵子さんとかいますが
仏教界では、どのような見方されてるのですか?
887 :
神も仏も名無しさん:2013/08/31(土) 08:20:28.44 ID:gPmJLB02
怨憎会苦の解決法を教えて下さい
> 怨憎会苦の解決法は?
この現世で
諸の慢を断ずることができたのなら
来世に心の流れが相続(心相続)することがない
諸の慢を断じて
有余涅槃 → 無余涅槃に至ることができたのなら
怨憎会苦が現れることもない
T0099_.02.0029c04: 雜阿含經卷第五
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/T0099_,02,0032b10:0099_,02,0032b19.html T0099_.02.0032b11: 我諸弟子。於
T0099_.02.0032b12: 我所説。能解義者。彼於諸慢。得無間等。
T0099_.02.0032b13: 得無間等故諸慢則斷。諸慢斷故身壞命終
T0099_.02.0032b14: 更不相續。仙尼。如是弟子我不説彼捨此
T0099_.02.0032b15: 陰已生彼彼處。所以者何。無因縁可記説
T0099_.02.0032b16: 故。欲令我記説者。當記説。彼斷諸愛欲。
T0099_.02.0032b17: 永離有結。正意解脱。究竟苦邊。我從昔來
T0099_.02.0032b18: 及今現在常説。慢過慢集慢生慢起。若於慢
T0099_.02.0032b19: 無間等。觀衆苦不生。
889 :
神も仏も名無しさん:2013/08/31(土) 09:47:44.43 ID:HOkx+JFP
>>887 怒りの煩悩(イヤだという感情)がなくなれば根本的な解決になります。
相手を慈しみ、優しく見守るような気持ちを育てる。
しかし、それが難しいなら、できるだけ憎たらしい人とは付き合わないように、
ケンカになりそうな場面をつくらないように、「逃げる」のもいい。
所詮、生きることは、こっちの苦しみからあっちの苦しみへ、苦しみの刺激の波を渡り歩くこと。
こっちの苦しみが大きいときは、逃げればいい。逃げた先にも別の苦しみがあるけれど。
890 :
神も仏も名無しさん:2013/08/31(土) 19:37:08.14 ID:zw0olzSl
馬鳴の所属派閥って結局どこなん?
経部でええん?それとも瑜伽部の開祖なん?
仏教に興味が出てきて学んでみようかと思うのですが、
般若心経の空の考えから学んでいぇばいいでしょうか?
うちは地域から見れば新参者なので菩提寺はありません。
892 :
神も仏も名無しさん:2013/08/31(土) 22:54:09.32 ID:zw0olzSl
>>891 仏教を信仰したいん?それとも仏教の思想を知りたいん?
信仰したいならパユットーって人の本をいくつか読んでみたらええよ
仏教の思想が知りたいんやったら「ひろさちや」を適当に読むか、中村元のバウッダでも読んだらええよ
信仰と思想の両方を学びたいと思っております
ご両人の著作を検索して読んでみます
ありがとうございます
895 :
神も仏も名無しさん:2013/09/02(月) 18:25:45.74 ID:nI9RqJc+
涅槃経でパチンコやギャンブルは戒律違反や、または徳を失いますか?
在家で。
896 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 06:42:26.03 ID:xxfthl99
在家の独身男性が風俗に行くことは、仏教的にはどうなのでしょうか?
釈尊の在家信者に売春婦がいたという話も聞き及びますが。
>>896 真言宗○○派(名前忘れた)って性にすごく寛容な宗派があったような
899 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 12:40:14.23 ID:gKJFml5C
キリスト教は子供つくるとき以外のセックスはダメみたいな話はあった。
実際、その通りなのか知らんよ。仏教はいいんじゃないの?
そりゃレイプはダメだろうけど
在家の仏教徒は
出家者と同じく仏・法・僧の三宝に帰依するが、戒律の種類は出家者ほど多くなく
五つの生活規則、即ち五戒を守ることが前提とされる
不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない
不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 自分の配偶者以外と交わってはいけない(不倫してはいけない)
不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない
901 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 16:58:30.73 ID:gKJFml5C
>>900 日蓮宗や真言宗に酒を飲む坊さん
たくさん知ってるのですが(笑)
903 :
神も仏も名無しさん:2013/09/03(火) 21:59:48.22 ID:o4KwPs2k
904 :
神も仏も名無しさん:2013/09/04(水) 20:15:46.25 ID:rW/p3GH8
>>902 真言宗の檀家ですが、うちの坊さんとあるクラブで会いました。
女の子の前で酔っぱらって鼻の下を伸ばしてました。お尻とか触ってなきゃいいのですが
親戚の家の墓のお寺の坊さんは日蓮宗ですが、大酒飲みで有名です。
ちょっと離れたところに日蓮宗の有名な大寺がありますが
参道の居酒屋では、そこの坊さんたちがしょうにん(聖人?上人?)さんと呼ばれ
何人も酒を飲みに来ます。
905 :
神も仏も名無しさん:2013/09/04(水) 21:03:01.85 ID:CkwfQc4D
>>904 そんなのは、日本ではありふれた光景です。
日本の仏教では、この世で悟れなくても来世で救われる、というような教えが人気で、
破戒僧であっても救われるので安心です。
真言宗でも阿弥陀仏信仰は盛んです。
つまり、阿弥陀仏は、罪深い凡夫でも極楽浄土に向かえ入れて、
極楽浄土でみっちり仏教を説いて必ず悟りに導いてくれるのです。
妻帯した親鸞も言ってるよ
煩悩は生きてる以上なくならん
sexも酒もあり
南無阿弥陀仏
もしそれが本当なら空とか縁起とかめんどくさい教義いらなくなるね
南無阿弥陀仏で極楽にいけてかならず涅槃の境地に達せるならね
908 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 03:11:55.99 ID:xlW2Mds+
>>907 浄土三部経にはそのように書かれていて、それを根拠に念仏するのが浄土宗などです。
浄土宗が流行った要因には、末法思想もあります。
お釈迦様が亡くなって何百年もたつと、教団が衰退してゆき、末法という時代になると、
この世界に教えだけは残っているが、まともな修行者はいなくなり、悟る人はいなくなる、という考え。
日本では平安時代に末法時代に突入したと考えられます。
ですから、本来はこの世で悟りたいんですが、ムリなので、
来世に望みをたくし、最も悟りやすい世界である極楽浄土に生まれかわるために念仏をするのです。
909 :
神も仏も名無しさん:2013/09/06(金) 03:17:30.62 ID:xlW2Mds+
>>907 空とかの教義は極楽浄土で学べます。
極楽浄土では、鳥の鳴き声さえも仏教の教えを表現していると、
浄土三部経のひとつ「阿弥陀経」に書かれています。
鳥といっても、阿弥陀仏が仏法を表現するために法力で造り出したバーチャルの鳥ですが。
涅槃に至った人は永遠に涅槃に居なければならないんですか?
輪廻から脱して涅槃に行く人が増えるにつれて輪廻に留まる魂?の数は減っていくと思うんですが補充はされるんですか?
涅槃以前に日本人は阿弥陀信仰が強いので大半極楽へ行くと思われます
本当にそうであるなら減りまくりですね
912 :
神も仏も名無しさん:2013/09/07(土) 09:41:52.63 ID:R/uW1YF0
>910>911 完全な涅槃に入ったら二度と戻ってはこないでしょう。
しかし、生命が涅槃に入って減ることがあるなら、逆に、新たに生命・心が増えるパターンもありえます。
いずれにせよ、涅槃に入るのが仏教の理想だとすると、
まぁありえませんが、すべての生命(生に執着してうごめくものたち)が
1匹のこらず涅槃に入って消えて亡くなるのが、究極の理想かもしれませんね。
910です、回答ありがとうございます
もし輪廻の外から輪廻に入ってくるものがあるとしたら、それもまたさらに大きな輪廻のような循環なんでしょうかね
なんか宇宙ヤバいみたいな感覚に陥ります
お化け屋敷や登山みたいに本来は苦労や不快であるものを楽しむ人がいるように、もしかしたら涅槃に飽きて輪廻に戻ってくる人がいるのかなと思ったり
悟った人がそういう事を思うのかは分かりませんがw
914 :
神も仏も名無しさん:2013/09/07(土) 12:37:26.17 ID:5+A4TOKh
神道では神憑りといって、神様が人間に乗り移ることがありますが
検索しても「仏様が人間に憑依する」とかでてきません
仏教では仏様が人間に乗り移るということはまずありえないのですか?
ないと思う。
もしかしたら、日本霊異記とかそういう類の中に、
仏教由来ではなく(経や言い伝えに典拠を探せない)、
登場人物として借用流用した物語はあるかもしれないけど、
基本、仏教という枠組みの中では成立し得ない設定だからね・・。
>>915 ありがとうございます
後、仏様がどこにいるのかという問いに
「動物や自然物・人工物、そして自分の中にいます」という回答があるのですが、これも間違いでしょうか?
自分の中にいる=憑依だと思ったので
間違ってはいない。
たとえば、「心配しないで。もう大丈夫。だって、お母さんは、いつも私の中にいるから・・・」
という娘の諦観は間違っていない。
勿論、これとまったく同じではないけれど。
細かく言えば、
@「仏性(ぶっしょう)、仏の性質(仏と同様同質の要素)を持ち合わせている」という意味で
A「仏様が、(上記@と幾分被りながら、いや、それであるからこそ)付かず離れず自分を見守っている・傍にいる」という意味で
B「全ての存在、事象の在り様は、そのままで尊い(→本来、人が干渉すべきでない)ものである(尊さのイコールで)」という意味で
C「B+それぞれの自然な在り様(身勝手な干渉無き在り方)は、仏菩薩も望まれる本来的理想の姿であり、内在するそれの顕われであるから」という意味で
「一切事物の中に、仏、仏性(ほとけせい)がある」という一括宣言としての
>「動物や自然物・人工物、そして自分の中にいます」
だと思われます。
こんなに詳しいご説明をいただけるとは思ってもみませんでした。
本当にありがとうございます。
919 :
神も仏も名無しさん:2013/09/07(土) 16:20:48.91 ID:R/uW1YF0
>>914 仏が憑依という話は聞きませんね。
仏が化身(仮の姿に変身)するという話はあります。
それが日本では、神様と仏教をくっつける思想にもなりました。
本地垂迹(ほんちすいじゃく)説というのがありまして、
権現さまと呼ばれるような神様は、仮の姿として神様として出現しているが、
正体は仏様であると言われるようになりました。
しっかりとした教義のある仏教をとりいれることで、
神様の言い伝えにリアリティーをもたせたのでしょうか。
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 輪廻を土台として
輪廻を前提として
この輪廻から解脱する為に
無我・縁起・空・を観察する為の練習が必要です
禅定に入ろうとする人は
吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
一切の有情には仏性があるといわれる、解脱すれば仏だという
しかし 『 解脱すれば仏だ 』 と言う事に、気づくまでは、気づくことは難しい
悩み怒り悲しむことのできるもの、迷うものだけが、気づくことができる
悩み怒り悲しむ心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを理解することができる
悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、慈悲の心を持つことができる
悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを解脱に導くことができる
921 :
神も仏も名無しさん:2013/09/07(土) 17:25:43.74 ID:wgPGpLTq
真言立川流はWikipediaでは断絶が定説となってますが
どこかに残ってる可能性とかあるんですか?かくれキリシタンのように?
あと、チベット仏教とけっこう共通点があるんでしょうか?
923 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/07(土) 19:01:58.23 ID:fUORz7Pq
>921
立川流は資料だけが残ってまして、
もし現在儀式が行われたら、犯罪になりますので、
誰もしないでしょう。
また、術式という観点から見れば、チベット密教より道教の術式に近いものがあります。
もちろん、詳しくは教えません。(笑)
924 :
神も仏も名無しさん:2013/09/07(土) 19:16:40.44 ID:wgPGpLTq
925 :
神も仏も名無しさん:2013/09/07(土) 20:53:56.25 ID:TVFG42eP
さるべーじ
なんでここ、やさしいとばかりなんだろ
他のスレはぎくしゃくしてるのに
927 :
神も仏も名無しさん:2013/09/08(日) 22:35:06.94 ID:VV+HYKgW
>>906さんのような話もありますが
チベット仏教や中国や韓国の坊さんは
今も妻帯しないんでしょうか?
第七識についての質問です。
1から5までが五感、6か意識、8が阿頼耶識というところまではいいのですが
第七識がわかりませんでした。
長い間、無意識とか真相意識とかそのあたりのことを第七識といっているのかなと思いこんでいたんですが、
先日鈴木大拙師の本を読んだら、自分を見つめるもう一人の自分みたいなニュアンスのことが書いてあって
なにがなんだかわからなくなってしまいました。
第七識とはどういうもののことを言うのか、教えてください。
お願いします。
929 :
神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 22:18:40.62 ID:V+5KveKZ
>>928 第7識はマナ識、簡単に言うと「自我」「わたし」ではないでしょうか。
悟ったあとは、第8識アーラヤ識は大円鏡智に、第7識マナ識は平等性智になるそうです。
悟った後は「わたし」が個我から大我になる。宇宙すべてが「わたし」という平等な自我?
禅定の段階でいうと、色声香味触法の5境(対象)が消えて
眼耳鼻舌身意の6識と第7・第8の識のみになると、
空間を遮る刺激がなくなるので無限の空間を感じる「空無辺処」。
さらに眼耳鼻舌身の5識が消えて意識とマナ識とアーラヤ識だけになると
空間という物質世界の残像もなくなり意識がどこまでも届く「識無辺処」、
意識も消えてマナ識とアーラヤ識だけになると「わたし」のみになる「無所有処」、
最後にマナ識「わたし」も消えてアーラヤ識だけになると「非想非非想処」、
という対応じゃないかと思います。
教えてください。「空」とはなんですか?
932 :
神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 21:21:07.57 ID:iMFToOHm
>>932 それは質問者の私が答えられます。
仏教の英知の集合体が般若経で、その更にエッセンスが般若心経。
その真髄が「色即是空」でさらにその煎じ詰めたものが「空」の一言だという話があります。
そして、この「空」が何を意味するかがわかると、たちどころに人生の悩みが解決し
子々孫々まで幸福になるといわれているすごいもの。
それが、「空」。
ところが、そんなにすごいものならばと私が「空」の意味は何かと、調べてみたんですが、
こんなに「重要なこと」のはずなのに、いろんな人がいろんな違う解説をしているんです。空について。
空について、調べれば調べるほどわからなくなる。
空とは何か。調べ続けて呆然としてこのスレでの質問に至ったわけです。
もし仮に無が空と同じだとするならば、無を知ったことによって、
「たちどころに人生の悩みが解決し子々孫々まで幸福になる」はず。
しかし、無(=何もないこと)を知っても、
「たちどころに人生の悩みが解決し子々孫々まで幸福になる」ことはないということは一目瞭然。
なので、空と無は違うということだけは、わかります。
しかし、空とは何か、いまだにわかっておりません。
別に「空」がわからなくても仏教理解に支障はないよ。
「空」概念の確立する以前の仏教が存在するのだから。
中後期大乗仏教(般若経典群に依存する仏教)及び日本仏教を知りたいということなら避けて通れなくなるけど。
935 :
神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 23:06:55.70 ID:RQ2QQQm3
936 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/09/11(水) 00:40:46.39 ID:h15vQmq0
>>933 別に、
そんなに難しい話ではないと思います。
「空」とは“一切”には確たる実体はない、という意味です。
仏教のいう一切とは、この私たちが見聞し触れて感じているこの世界、
森羅万象が織りなす現象世界のこと。これを「色」といっている。
これは様々な所縁によって、ただその時々の状態を現じているだけです(縁起)。
インド的にいうと、永遠にして恒常ではないものは実在とはいわない。
そして、この森羅万象の現象を「有」といっており、凡夫はこれを実在視しているわけです。
また、現象的に何も生じていない状態が「無」です。
937 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/09/11(水) 00:43:19.35 ID:h15vQmq0
ということで、単に知的理解だけならばそんなに大したことではないです。
ただ、これが理論などではなく、実際にそのことを自分で体感する境地ということになると甚だ困難。
それには深い修行が必要なのです・・・。
938 :
933:2013/09/11(水) 05:10:33.71 ID:vi5Rsn2b
>>934 回答ありがとうございます。
ただ、私は、「仏教を理解したい」のではなく、「『空』とは何かを知りたい」のです。
わがままて申し訳ありません。
>>936 回答ありがとうございます。お導きのご縁に感謝します。
>「空」とは“一切”には確たる実体はない、という意味です。
→ちょっとよくわからないので、留保させてください。
>仏教のいう一切とは、この私たちが見聞し触れて感じているこの世界、
>森羅万象が織りなす現象世界のこと。これを「色」といっている。
>これは様々な所縁によって、ただその時々の状態を現じているだけです(縁起)。
→ここはなんとか理解できそうです。もっとも、理解したつもりの勘違いなのかもしれませんが。。。
>(冒頭再掲)「空」とは“一切”には確たる実体はない、という意味です。
→すると、これを言い換えると、
「空」とは、「『色』には確たる実体はない」という意味である、ということでよろしいでしょうか。
>インド的にいうと、永遠にして恒常ではないものは実在とはいわない。
>そして、この森羅万象の現象を「有」といっており、凡夫はこれを実在視しているわけです。
>また、現象的に何も生じていない状態が「無」です。
→要約すると、すべての「色」は、かりそめの姿に過ぎない、と言う意味でよろしいでしょうか。
→ただそれだと「空」の説明ではなく、「無常」の説明のように思えるのですがいかがでしょうか。
ブッダと阿羅漢の違いを教えてください
阿羅漢も悟り開いて解脱してるんですから、ブッダと一緒だと思うのですが違うのでしょうか?
940 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 08:10:31.05 ID:WjKpYUtu
>>938 空は、無我と同じ意味だと理解すれば充分。
「執着に値しない」ということ。日本語的には、名詞ではなく形容詞・形容動詞です。
そのことを色んな言葉で表現している、その一つの言葉です。
色・受・想・行・識は、縁によって生じ縁によって滅ぶ空しい現象で、
確固たる実体はなく、だから執着に値しない。
もちろん、「空しい」イコール「無(ない)」ではありません。
現象はあるけれど、たいした価値はない、しょーもない、意味ねーじゃん、みたいな感じ。
>>939 オリンピックでたとえると阿羅漢はメダリスト。ブッダは金メダリスト
悟りにも段階があるります
942 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 11:47:24.15 ID:E6CvWj8l
空って算数で表すと、
無常+無我=縁起
縁起×宇宙すべて=空
っていう考えなんだけど違うかな?
つまりこの世のものは自分という性質を持たないから無我で、
それが常に移り変わるから無常。
で無我無常で互いに影響を与え合ってることが縁起。
その縁起により全てが因果によって成り立っているこの世界を空って解釈してるけど
違ったら教えて。m(_ _)m
>>940 その解説はさすがにめちゃくちゃでしょう
じゃあなんで、般若心経において
「色即是空、空即是色」「色不異空、空不異色」などとその同一性を
手を変え品を変えて説明しているのでしょうか。野説明がつきません。
また満開の桜を示して、「しゃりし見よ、空即是色の花盛り」と詠まれるのかの説明もつきません。
空=空しいの空と言うのも珍説です。
944 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 12:27:09.84 ID:WjKpYUtu
アルボムッレ・スマナサーラさんの「般若心経は間違い?」という著書をお読みください。
945 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 12:36:02.41 ID:WjKpYUtu
>>943 あなたが言われるのは、空・仮・中の三諦、みたいなイメージでしょうか?
一切は空(執着に値しない空しい夢みたいな物語)だけど、
我々はその仮の物語りの世界の中で生活しており、それはそれで便利である。
人間が勝手に創ったハリボテ概念の世界だけど、そうだと分かった上で使うのはいい、
空だけど仮に使ってる、仮に使ってるけど本当は空だと、
両方わかったうえでうまくバランスがとれているのが、「中」。
みたいなかんじでしょうか?
946 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 12:36:03.09 ID:E6CvWj8l
あれはスマナサーラさんが間違ってると思うよ。
有名な僧侶の方が言ってる。
スマナサーラさんは法を曲げた罪(五逆罪より重い罪)で
来世で天罰を受けるだろうって。
>>944 誰かがこういっていた、だからそうなんだと言うのは、そしてその本を読めというのはナンセンスです。
どんな説であろうと、一度、自分と言うフィルターを通して、自分なりに消化したもので出なければ意味はない。
そもそも空についてはこれが正解かな?というものから、これは絶対に違うと言うものまで
諸説の解説が、いろいろな著者によってなされているものです。
なので、ある人の説を採択する場合は、なぜ諸説の中でその節を自分が正しいと思ったかの説明が必要になります。
>>945 そもそも「空しい」と言う概念そのものも、
あなたの言葉を借りていえば、「人間が勝手に創ったハリボテ概念」のひとつではないのでしょうか?
>>946 >来世で天罰を受ける
こんな事言うからには、完璧にスマナサーラさんの説を論破した上での発言ですよね
その有名な僧侶って誰ですか?
949 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 16:37:41.07 ID:E6CvWj8l
>>948 水源徳性禅師という方です。
パオの瞑想修行を修了された方です。
「水源禅師 法話」で検索すると法話集が出てきます。
その中の法話集21の上から4番目のページに載ってます。
>>949 ありがとうございます。だた、そのサイトに書かれてる事読めば読むほど恐ろしいですね
スマナサーラさんの説ではなく、永遠と彼は修行不足で未熟者がいい加減な事言うと仏罰を受けると言った主旨でスマナサーラさん自体を批判してます。
宗教で「来世で天罰を受ける」とか「地獄に落ちる」っていう主張は、古くからあります。有名なのは中世キリスト教
最近だとオウム真理教内部で信者を操る時に多用された「脅し」です。しかも、彼を信じたものは修行が進まな無くなるとも言っていますね。
私には確かめようが有りませんが、宗教家がこの手の脅しをするときは、気をつけなければ。と思います。
また
>『正法眼蔵』と。やはり読んでみたら、彼すべて体験を述べているから、体験でしか理解できない経典です。
>それを「4,5人集まって、みんなで解析する」、これはできない話。それはよいでしょうけれども、先代が何を言ったかと。本当のところを読むには、体験しかないのです。
とおっしゃっています。これは、スマナサーナさんが中論や空批判で「空」「空」言うだけでは話が前に進まない。龍樹菩薩は、実体験として語っているのだろうけど、凡夫はどうそれを活かせばいいのか?
一切皆苦は、わかったけれど、それをどう実地で活かせばいいのか。そういう流れで般若心経の批判もあります。
言ってみれば、舎利子つまり阿羅漢以上の体験がなければ般若心経の本当の所は、わからない(現に般若心経はそういう内容です)。と水源徳性禅師の話を読みながら思いました。
951 :
神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 22:30:06.53 ID:WjKpYUtu
>>947 「空しい」や「空」も含めて、要は「執着するな」ということを、あの手この手で説明しているのだと思います。
なぜなら、執着は悩み苦しみの原因であり、
仏教は、悩み苦しみの原因を制御したり消したりして
悩み苦しみを制御したり消したりする教えだからです。
とにもかくにも、五蘊は縁起であるから無自性であり、無自性であるから空であるので、
五蘊は執着に値しないのだ、という意味さえつかめればよいと思います。
>>951 執着しないこと・。
キーワードに成りそうですね。
どうもありがとうございました。
953 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/09/11(水) 23:39:38.25 ID:h15vQmq0
>>938 >「空」とは、「『色』には確たる実体はない」という意味である、ということでよろしいでしょうか。
>要約すると、すべての「色」は、かりそめの姿に過ぎない、と言う意味でよろしいでしょうか。
はい。
>ただそれだと「空」の説明ではなく、「無常」の説明のように思えるのですがいかがでしょうか。
元々、一切(現象界における森羅万象)は「無常」であるから、
そこには我(確たる自己)は存在せず、我のものといえる何ものもないということ。
だから、無常無我なのです。
これを大乗徒たちが「空」という一語として積極的に打ち出し始めたのです。
人間の苦悩とは、
この自己ではないものを自己であるとして思い込み、
自己のものではないものを自己のものにしようと欲するところから生じる。
所詮、それは叶わぬ願望であって、決して自分の思い通りにならないところに苦悩を感じるのです。
宝珠がちゃんとしたコメントしてる! (((゚д゚;)))
955 :
神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 07:10:07.20 ID:AirRpt3h
まちがってるけどな
煩悩が無くなるのは人間として本当に良い事なんでしょうか?
確かに苦しみや心配事が無いと楽かもしれませんが、そういう苦があってこそ喜びもひとしおだと思うんですけど
>>956 そう思うならそれでいいんじゃないですか?
無くしたくないなら別に無理に無くさなくていいと思いますよ
>>956 たとえて言うなら、仏教は、いいギターの音色を出すためのノウハウを教えている。
ギターの弦が緩んでいる人には、もっと張り詰めさせるとアドバイスするし、
ギターの弦が張り詰めて今にも切れそうな人には、少し弦を緩めるように指導する。
人生をギターに、弦の張りをその人の心に、いい音色を正しい心のあり方に置き換えるとわかりやすいかも。
煩悩をなくすことは不可能だけど、ぼ蘊奥があるゆえの悩みを減らすことはできる。
そのための弦の調整のノウハウ。これが仏教なのかもね。
960 :
神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 19:13:40.93 ID:8XLLJWwQ
煩悩の苦悩の関係を理解すれば、生き方を選択できる。
煩悩に操られたままでそのことを理解していない場合には、
生き方の選択肢のジャンルが少なくなる。
わしコメまだ?
あ、誤爆。。。申し訳ない。
質問です。盤珪和尚の不生にて整う、とはどういうことを言うのでしょうか?
まず「不生」がわかりません。
それから、「不生にて整う」というのはどういう状態のことを言うのでしょうか?
勉強素人なんで、あまり複雑でなく、さらっと教えていただけると助かります。
965 :
神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 19:49:05.21 ID:1KLtHdQI
嫌韓のバイアス無しでおたずねします
韓国の総本山で世界遺産の海印寺という
寺で、秘仏だった磨崖仏が公開されたらしいのですが
これを解説していただきたいのです
http://uploda.cc/img/img5232eac2dcc6b.jpg 寺の創建は800年頃と言われ、この仏像も1200年前のもの
とされてるようですが、ちょっとそうかな・・・という気がします。
特徴は光背が円形の頭光。螺髪がない。顔の造作が力強く、パーツも大きい。
特に鼻が平べったい。写真から見る限り白毫はない。
そして一番のものは印です。
右手は説法印のそれと似ていますが、左手の手の甲を向ける印は
はじめてみました。
これら含めて分かる範囲でみなさまのお知恵を拝借したいと願います。
なお本尊は毘盧遮那仏だそうです。
諸法皆 是 因縁生
因縁生 故 無自性
無自性 故 無去来
無去来 故 無所得
無所得 故 畢竟空
畢竟空 故 是名 般若波羅蜜
967 :
神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:46:59.85 ID:OCQ4/qjY
>>964 >「不生にて整う」
日常的既成観念では、現在生じている(生きている)と感じていますが、
あなたはあなたの生前の様相を知りません。
あなたはあなたの死後の様相を知りません。
ならば、あなたはあなたの現在が<生じている>とはどうして言えるのでしょうか?
>>967 質問者に質問されても困ります。
質問者はわからないから質問しているのですから。
あまり上から目線でいじめないで下さるようお願い申し上げます。
969 :
神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 21:44:34.48 ID:OqGe2CUO
返品という名の拡散ですよー
>>964 盤珪さんは禅家なんで、たぶん
「不生」に、言葉通り(術語通り)の意味は無いと思う。
寧ろ、「=柏樹子」「=廊然無聖」「=祖師西来意」といった具合に、
単に「悟りの端的」を「不生」という言い方で示したのみではなかろうか。
(基本的語義を汲んで)強いて言えば、
「自身が“生まれた”ということがないのに、どうしてそこに(生による)苦があろうか。そのとき既に大安心だ」
みたいな感じじゃないかね。(今度は >“生まれた”ということがないのに というのはどういうことか、となるわけだが・・w)
で、種々の(世俗的・日常的)計らい、分別の上に、我々は思考を立てているわけだが、
それら分別の次元から一歩潜って、或いは訣別して、
因により縁により転がってある一瞬一瞬がわたくしである、わたくしとして現れている、
と見るとき、そこには、
「○○が(例えば私が)生まれた、○○として(たとえば田中一郎として)生まれた」「○○が(例えば苦が楽が)生じた」
ということがない。何ものも生まれていないし、何ものも滅んでいない。
どうしてそこに一喜一憂する所以があろうか?それこそ安心し了んぬ、だ。
というのが、禅系の基本の構図なので、この文脈、枠組みで言われているんじゃないかな・・
と思われるけど。
ブッダ亡きあとの第一結集にあたって、
天空で修行中で、マハーカッサパの招集に応じないまま
自ら命を絶った仏弟子がいた。
というような話をどこかで見たような気がするんですが、
この仏弟子は誰だったのでしょうか?
972 :
神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 00:15:26.51 ID:ZOC907ee
日本の曹洞宗は韓国と関係を深めてると言う話がありますが
本当ですか?
八幡大菩薩についてお聞きしたいのですが
僧形八幡神像は、八幡大神が菩薩になった像ということでよろしいのですか?
つまり、八幡大神が菩薩になったという認識でいいんでしょうか??
「菩薩号が送られ、八幡大菩薩になった」という記述があるので、そういうことですよね?
975 :
神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 15:42:13.05 ID:4FXAkQVE
>>968 >質問者はわからないから質問しているのですから。
おやおや、この木偶の坊は<大疑団→如理作意>という仏道を御存知ないようだw
回答は回答ではない、これを回答と名づける。
>>975 おまえは馬鹿か?
>質問者はわからないから質問しているのですから。
て言ってるだろ。お前みたいな衒学趣味の野郎が一番迷惑なんだよ。
>>975 やはりおまえは真性の馬鹿なんだな、バ嘉田からそういうことを言って平気でいられる。
いいか、馬鹿。
質問者はでくの坊だから質問しているんだろうが。
そんなこともわからないおまえは、でくの坊以下の、こんこんちき野郎だ。
一生ロムってロ。役立たず。
978 :
神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 17:37:25.77 ID:4FXAkQVE
>>977 やっぱり、ゆとり世代とその同レベルには仏道は無理。
三毒まみれだw
>>978 仏道が無理な奴に仏道が無理といわれても無意味w
少しは己の無知を恥じろ。
980 :
神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 18:14:29.73 ID:4FXAkQVE
>>979 >少しは己の無知を恥じろ。
ええ、私はなにも知りません。だから恥じることも何もないのです。
一切不可得かつ戯論消滅なるがゆえに、ブッダはいかなる教えも説いてはおられないのですから。
これが盤珪さんのお示しになった『不生』であり、
龍樹さんが否定論証で示唆しようとされた『不生の生』ということです。
これは菩提心のあるものが大疑団で、縁起の現実を徹底して如理作意し、
遂に『関』を突破しなければ無理ですよ。
ゆとりのお手軽あまえ根性には無理ですよw
>>880 お前さんみたいな奴を論語読みの論語知らずッっていうんだよ。だから馬鹿といってる。
どうやら馬鹿以下のヒトモドキなんだな。
盤珪和尚が実践したのは、文字も読めない大衆を導いたこと。
お前さんがこのスレで書いてるオナニー文書は、その間逆。
だから恥を知れって行ってたんだが、どうやらヒトモドキには無意味な指導だったようだ。
ゴミしらみ谷のほうが、オナニーを撒き散らさないだけまだ上等だわ
>>980 お前さんみたいな奴を論語読みの論語知らずッっていうんだよ。だから馬鹿といってる。
どうやら馬鹿以下のヒトモドキなんだな。
盤珪和尚が実践したのは、文字も読めない大衆を導いたこと。
お前さんがこのスレで書いてるオナニー文書は、その間逆。
だから恥を知れって行ってたんだが、どうやらヒトモドキには無意味な指導だったようだ。
ゴミしらみ谷のほうが、オナニーを撒き散らさないだけまだ上等だわ
983 :
神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 18:41:45.74 ID:4FXAkQVE
>>982 恐れいります。
でも、あなたは日本語をもうちょっと磨くのが先決かとw
理解力と表現力の両方です。
>ヒトモドキ
これは素晴らしい!
それが縁起→不生の生のポイントですよ。
<ヒトはヒトに非ず、これをヒトと名づける>
おきばりやす
984 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/21(土) 18:46:02.50 ID:nuYV1jcU
此処は質問スレ。
議論をしたい方は議論スレへ。
日本語が理解出来ない方は母国の該当スレへ。
オウムなどのカルト信者は地獄へ落ちて下さい。(笑)
985 :
神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 19:26:49.80 ID:ZCefMNGT
>>980 言葉遊びは楽しいか?君の話はいつも言語が作り出した実の無い、表象上(イメージ)だけのものでしかないよね。
戯論寂滅を謳いながら自分が一番戯論に耽っていることに早く気付こうね。君にいくら言っても無駄だと思うけど。
>>983 やっぱり何もわかってないんだね
仏教の根底は「慈悲」と「感謝」だよ。
無駄で無意味な知識があんたの目を隠してる。
知識に毒されてる。なんと哀れな。。。。。
987 :
神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 22:20:47.96 ID:ZCefMNGT
>>986 その知識も実の無いただの言葉遊びのガラクタだけどね。
988 :
神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 23:50:59.39 ID:4FXAkQVE
>>985>>986>>987 なんだか、しつこいんですねw
>君の話はいつも言語が作り出した実の無い、表象上(イメージ)だけのものでしかないよね。
おやおや、逆に言えば言葉以前に『実』=実在・自性を認めることは、苦の原因となる執着対象を設定することになり、
苦の滅尽(制御)を本懐とする仏法に相応しくありませんよ。
>仏教の根底は「慈悲」と「感謝」だよ。
またまた、アプリオリに決めつけられるのですね。
両者共に、世俗での心の様相(相応部35-23)ですが、
同じ言葉でも彼岸に達した方の還滅様相と、達しないお方の世俗様相では、
様相が異なることも直覚されないようでw
それはそうと、本日のNHKスペシャル「神の数式」は楽しめました。これだから、NHKも結構あなどれない。
美しい対称性をもつべき素粒子物理学方程式では、すべての素粒子の質量がゼロになり、世界が崩壊してしまう!というところは笑えました。
天才たちもあなた方と同じ分別主義者なので迷妄に陥るのです。
これは南部陽一郎の「自発的対象性の破れ」の理論で救われ、ヒッグス粒子論へと繋がるのですが、
これでもオッペンハイマーで問題となった「無限大」の哲学的問題(物理学的には朝永振一郎によって除去可が証明された)である<無限遠点>の問題は解決できません。
同じく金剛般若経30の『若是微塵衆(素粒子×α)実有者 仏則不説是微塵衆 所以者何 仏説微塵衆則非微塵衆』にも届かないのです。
これこそ縁起の現実における二相の『関』(
>>980)に他なりません。
心配めさるな、<遊びをせんとやうまれけん>で調うのでありんすよw
では。
>>988 なんか自分が到達したかのような書き込みだがあんたも同じアナの狢だぜ。
言ってることとやってることが全然違う。
仏教というのは理屈じゃないんだよ。
その根本がまずわかってない。
990 :
神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 06:22:07.55 ID:QKMrJaxJ
そもそも禅定に達した事がないにも関わらず
仏教を語る人間はみんな
「論語読みの論語知らず」だと思うよ。
仏教は実践してナンボだからね。
こういう江戸小話を思い出した
先生「人生には堪忍という2文字が大事」
生徒「先生、かんにん、なら4文字ですわ」
先生「かん、にん、と書くから2文字だ」
生徒「かん、にん、だから4文字でしょう?」
先生「わからん奴だな、たえしのぶと書いて堪忍とよむのだ」
生徒「先生、たえしのぶなら5文字ですわ」
先生「ええい、わからん奴だな!馬鹿はどうしようもない(怒)」
生徒「先生外くら怒っても、わたしには、堪忍の4文字があるから大丈夫です」
理屈だけ知って実践を忘れている馬鹿の話。
まさに
>>988の存在そのもの。
992 :
神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 11:27:35.59 ID:lpDN4SoW
一切不可得かつ戯論消滅は菩提心のあるものが大疑団で、縁起の現実を徹底して如理作意し、
遂に『関』を突破しなければ無理ですよ。
994 :
神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 12:34:35.65 ID:lpDN4SoW
>>993 ⇒『両者共に、世俗での心の様相(相応部35-23)ですが、
同じ言葉でも彼岸に達した方の還滅様相と、達しないお方の世俗様相では、
様相が異なることも直覚されないようでw 』(
>>998)
修証一等=二相の相即的実践です。
悟りそれ自体は迷妄です。
上記は「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」(金剛般若経)と同様。
時空一切は無分別・無実体・空ゆえ、得べくもなく、執着すべくもなく、識り得べくもない。
ゆえに、★仏法不可得。
『想いからの解脱』(仏法のゲシュタルト)からの解脱<仏法のゲシュタルト崩壊>(Sn.1072)が涅槃です。
これが筏の喩えの法門です(金剛般若経6、中部22)。*<喩え>がポイントです。
合掌
以上、出かけます。
>>994 単純なことのわからないどうしようもない馬鹿なんだね。
あんたあが言ってることとやってることが全然違うからあんたはニセモノだって
何回指摘されたら気がつくんだろうか、このおばかさんは。
>>991を1万買い読み直しな。
この「先生」ガさらしている醜態は、まさに今のあんた自身のことだ
うめ
卍 仏教 質問箱 卍 パート33
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1379880304/4 4 :神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:31:08.69 ID:njDKjJaD
仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己を忘るるなり。
自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむなり。
について、分かりやすく言うとどういうことなのでしょうか。専門用語など使わず小中学生に説明くらい噛み砕いてくれるとありがたいです。
また、本やサイトなどありましたら教えて下さい(この場合は分かりやすさより正当性を重視してくれるとありがたいです)。
特に「自己をならふ」や「自己を忘るる」の部分に焦点を当ててくれると助かります。注文が多くてすいませんがお願いします。
うめ
ました
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。