仏教 議論スレッド 65

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22神も仏も名無しさん
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1364729409/977
>後段
それは、(現)ヒンドゥ文化の一部ってだけでしょ。
(或いは、“バラモン教として”唱えられているかどうかにも疑問符が付けられる、と。)

例えて言えば、それこそw
《仏教徒は「なんみょうほうれんげーきょう」と唱える》
この言明の確実性をどう見るか?ってのと相似形。

ヒンドゥ文化=バラモン文化(ヒンドゥ教徒=バラモン教徒)ではない、ってこと。
バラモン文化の瓦解・混沌化したものがヒンドゥ文化なのだから。、
沙門の台頭後(―というより、仏教衰退後と言った方が、より現実的だと思われるが―)の在り様が、
従前のバラモン教・バラモン文化と明確に区別され、且つ現行インドの様相と相似した物として
分類呼称上ヒンドゥと言われている、その中にバラモン文化も含まれている、
と見るべきなんじゃないのかな・・。
 *(また、ヒンド(ゥ)即ちインドでしょ、音的にw
  現在の在り様・呼称から遡って、相似形としてラベリング可能なところまでを
  (西洋的評価で)ヒンドゥと呼んでいる、とも言えるわけだし。
  つまり、釈尊前後の、混沌とした(多様化・形式崩壊した)インド全体を包み込む文化として、
  ヒンドゥと言われるのだから。
  もし、(狭義のヒンドゥ教と見て)バラモン教(文化)に替わって台頭したもの、と言うとしても、
  それは、歴史的不可抗力の上にあって、(よしんば発展形とは言い得ても)、
  決して宗教的思想的リード及びバラモン文化の生き残り作戦によるものではないと思われる。
  また、バラモン文化衰退及びヒンドゥ文化勃興の主因として仏教を見るのは、
  聊か贔屓目が過ぎるだろう。)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99
(の「バラモン教からヒンドゥー教へ」)は、無難な記述と思うよ。