卍 卍 新・仏教質問箱@参学用 卍 卍 パート1

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28名無しさん@3周年
あえて仏教スレで聞きますが
西洋の神の思想は、なぜいつも善悪の二元論、強い者が善、
という考え方になってしまうのでしょうか?
29名無しさん@3周年:04/04/14 12:58
>>28
そうとは限らない。
ユダヤ・キリスト教は神一元論だろ?
30名無しさん@3周年:04/04/14 16:35
一元論じゃないよ。
ちんぽの皮を神に捧げるかどうかの二元論。
31名無しさん@3周年:04/04/14 19:02
>>30
なにいってんだ。
二元論なら、神は悪魔に勝てないじゃないか。
対等ってことになるんだぜ。
一回でも聖書を読んだことあるのか?
32名無しさん@3周年:04/04/14 20:07
>>31
ちんちんの皮を切るか切らないかは人間自身が権限を持っている。
全能神といえども人間と取引するようじゃあ人間と対等かそれ以下ということだね。
所詮、ちんちんの皮を切った者だけの神なので、一元もへったくれもないですよ。
世界を完全に二分してます。
33ここ立てた1:04/04/16 16:32
机の隔離スレの方が伸びてんじゃないか。
要は、真面目に語ろうという人よりネタ語りの人の方が圧倒的に多いって事でFA?
34名無しさん@3周年:04/04/16 22:46
まあ、そうかもしれないね。
ただ、真面目に質問したいと思う人がいて、質問スレがネタスレになってて質問しにくかったり、
本読めばすぐ間違いとわかるようなレスが返されて間違いを正しいと思っちゃったりするよか、
閑古鳥が鳴いているほうがよっぽど良いと思ったり。

まあ、この静寂な空間でまったりと茶でも飲もうや喫茶去〜
35名無しさん@3周年:04/04/17 23:41
4月頭に出家した弟が僧堂内でのいじめに耐えきれず寺を脱走し先ほど実家に帰ってきました。
具体的ないじめの内容は殴る蹴るの暴行だったようです。(体中に切り傷やアザが残ってました)
このようないじめ(しごき?)はどこのお寺でも日常茶飯事なのでしょうか?
36名無しさん@3周年:04/04/18 01:08
>>35
新興宗教とかだったら当然、拡大解釈されて問題になるんだろうなあ
特にカルトとして認可されちゃったとこなんて、待ってましたとばかりに
社会全体が襲ってきそうな感じだ
だけど、そういう暴力行為?も、宗教的情操として乗り越えるのが修行なのかもね
僧堂というくらいだから、世間の注目度も低いし、出きるだけ善意の目で見ようとするだろう
案外と虐めというのだって、凡俗の尺度でしかなかったりして
37名無しさん@3周年:04/04/18 09:47
人の集まるところ、何処へ行っても不満の集まる場所にはなるでしょうね。
仏教と名が付くからには、身体に痣が付くような行為は慎むでしょう。
まあ、そんなことをしないお寺も沢山ありますよ。
38寺の息子:04/04/19 17:06
ここには寺の人間はいないのか?

寺は明治以降世襲化してからは、
差別、偏見、虚飾、権力欲の吹きだまりじゃないか。
管長クラスになると、愛人が何人もいるのが普通。
継ぎたくもないのに、寺のぼんぼんが無理矢理「修行」に行かされている
わけだから、真実なんか、どうでもいいわけ。(俺含む)

俺が行った寺は、極道上がりの寺の長男とか、
部屋にはヌードポスターが貼られていたり、
朝の勤行では居眠りしまくったり、
もうメチャクチャだったよ。
位の高い方に、教典の意味を質問しに行ったら、
実は俺はわからんのだというし。
今の仏教に期待する方がバカ。

とはいえ、俺は寺は大嫌いだが、個人的には観音信仰を持っている。
←俺って本物のバカだよね

修行なんか行っても、資格をとるのと、コネをつくることしか役に立たない、
と割り切る事が肝心だ。
35は、「弟」(=長男)のお姉さんなんだろうが、
そういうもんだとあきらめるように伝えてくれ。
住職になってもいじめとか日常茶飯事だから、
そういう世界に我慢できなければやめた方がいい。
39名無しさん@3周年:04/04/19 17:57

頼むから、坊さんにならないで下さい。
こういう「さめた」人が、一番たちが悪いから‥

まさか、うちの寺の跡継ぎじゃないだろうが‥‥
40名無しさん@3周年:04/04/19 18:27
安楽は極めて得難く、苦しみは容易に生ずる。
しかしただ苦しみによってのみ輪廻は免れ得る。
ゆえに、我が精神よ、確固としてあれ。
http://hyper4.amuser-net.ne.jp/~auto/b35/usr/citerpa/brd1/bbs.cgi
41名無しさん@3周年:04/04/21 00:57
そもそも、「仏」とは何ですか?

「仏」は「神」と同一視していいのですか?
42希求神秘体験:04/04/23 22:52
質問です。
仏教にはヨーガを修行に取り入れている宗派があるようですが、それはどの宗派でしょうか?
また、そこで為されているヨーガはどのようなものなのでしょうか?
一般に知られているヨガとどう違うのでしょうか?
43レンマ:04/04/23 23:15
> そもそも、「仏」とは何ですか?
ネットをすこし検索すれば、わかると思いますが、
本来の仏は「目覚めた人」です。

> 「仏」は「神」と同一視していいのですか?
もともとは、全然ちがいます。
仏はあくまで、「生きている人間」です。

ただし、もともとは違っても、2000年も誤解がまかり通っていると、
一概に否定できない、という問題もあります。(^^;
つまり、如来などは、仏を神格化したもので、神と同一視しても
あながち、間違いではありません。

ただし、歴史上実在した釈尊と、阿弥陀仏や大日如来を、
同じレベルで論じてはいけません。全然別の存在です。
44希求神秘体験:04/04/23 23:21
>修行なんか行っても、資格をとるのと、コネをつくることしか役に立たない、
>と割り切る事が肝心だ

修行しても神秘体験は出来ないんですか?
45レンマ:04/04/23 23:42
> 仏教にはヨーガを修行に取り入れている宗派があるようですが、
> それはどの宗派でしょうか?
日本にはありません。
すくなくとも、日本の、天台、真言、念仏、禅、法華などの
宗派とはまったく別物です。

> また、そこで為されているヨーガはどのようなものなのでしょうか?
ヨーガの始まりは不明ですが、「ヨーガ・スートラ」およびその
解説書を中心に、瞑想や苦行を行い、解脱を求めるものです。
1.ラージャ・ヨーガ
2.バクティ・ヨーガ
3.カルマ・ヨーガ
これらは、仏教ではなくヒンズーの系列になりますね。
ハタ・ヨーガとはまた別物です。

> 一般に知られているヨガとどう違うのでしょうか?
一般に知られているヨガとは「ハタ・ヨーガ」のことですね。
十三世紀にゴーラクナートと呼ばれる人がはじめたといわれています。
ハタ・ヨーガは仏教とは何の関係も無いもので、
呼吸、瞑想、あるいは身体の形などにより、宇宙との合一を目指す
もので、クンダリーニ・ヨーガともいわれていますね。
46名無しさん@3周年:04/04/24 00:41
>>45
どうもありがとうございました。
47kaitabha:04/04/24 01:00
>>45
密教を仏教の発展形とみるならば、ハタ・ヨーガと密教は何の関係もないどころか関係
は接近しているとみてよい。すなわち、ハタ・ヨーガと仏教は歴史の中で互いに交渉を
持って来たことは確かである。密教経典の作者は当時のヒンドゥの身体技法なり、思想
用語、象徴体系を雑多に借用したというのがこれまでの学者達による凡その見解。た
だし、ハタ・ヨーガ思想そのものの目的と、大乗仏教として密教の目的は同一ではある
かどうかは一言ではいい難い、とはいえよう。

では、古典ヨーガと仏教全般の関わりは如何に、という場合、これも関係がないとは
全く言い切れない。本日、KamalaSIla(蓮華戒)のBhAvaNA-krama(修習次第)の和訳
に偶然目を通していたが、そこには止観のプロセスの中で古典ヨーガの有相三昧の階梯
とほぼ同一の記述が出てくる。玄奘三蔵が伝えた『喩伽師地論YogAcarabhUmi』はヨー
ガ師の境地について詳しく書かれており、正に仏教ヨーガ論として読むことが出来る。

ついでに真言宗は三密喩伽宗ともいう。真言mantra、印契mudrA、三昧samAdhiが真言宗
の成仏論であるが、これらの用語は現在でもハタ・ヨーガで良く使われる。もちろん、
真言念誦や多くの印契などは非仏教起源であり、密教はこれを取り入れたのである。

もう少し勉強して是非とも正確な知識を広めてくださいますよう。
48名無しさん@3周年:04/04/24 01:28
>>47
密教の「観法」というのは具体的にはどのようなものなんでしょう?
これがヨーガと関係してそうなのですが。
49kaitabha:04/04/24 02:01
>>48
密教の「観法」に関して「具体的に」説明するのはこういう場では一寸憚れま
す。もっとも基本となる観法でも、それを確実に学びたいということであれば、
それに通達した師を見つけて直接問われることをお勧めします。巷の本に
よる独習は余りお勧めできません。また、観法には多くの種類があり、そ
の様々にある観法を一言二言で要約することは残念ながら不可能なのです。
一応、初心者にとって目安となる参考サイトを以下に挙げておきます。
http://www.koyasan.or.jp/news/ajikan/ajikan.html

ヨーガyogaは本来「結びつける」と言う意味の動詞から派生した言葉
で、そこから「合一」などという意味も出てきます。観法は熱心に長く
取り組むならば仏とわたし達の間を「結ぶ」掛け橋となるでしょう。
50名無しさん@3周年:04/04/24 08:50
>>49
ありがとうございました。
具体的な説明は憚られるということなので、もう一点だけ、抽象的なことを聞かせて下さい。
真言密教にはヨーガのような独特のポーズ(傍目には無理がありそうな例のヨガのポーズのことです)
をとりながら行う「観法」というのはあるのでしょうか?
51kaitabha:04/04/24 08:56
>>50
おはようございます。ご丁寧に有難うございます。
これから出掛ける用事があるので今晩稚拙ながらお返事をいたします。
52レンマ:04/04/24 09:42
>>47
ご指摘、ありがとうございます。
真言密教の成立は、ハタ・ヨーガより古いものです。

密教のヨーガは古典ヨーガといわれるラージャ・ヨーガなどの
古代インドの宗教から取り入れられたと考えます。

ヨーガについては、日本の”宗派”のような、はっきりした区別が
つくものではなく、ヒンズーや仏教など相互に影響しあっていると
いうことですね。
53nyima:04/04/24 17:01
はじめまして。チベット仏教から仏教一般に興味をもった初心者です。

六道輪廻のうち、阿修羅界と人界は、どちらが「上」なんでしょう?
どちらが天界に近いのでしょうか?

ネットで色々調べると、阿修羅→人→天の順にレベル?が低い、
とする記述が多いようです。
けど、六道輪廻図では、天界と阿修羅界はつながってるし、
例えば『虹の階梯』を読むと、人、阿修羅、天の順に記述してあります。
地理的?には近くても、たえず憎しみに覆われていて修行どころではないから、
人のほうがレベルが高いのか、とも思えます。

どなたか明快なお返事をいただければと思います。
よろしくお願いいたします。m(..)m
54kaitabha:04/04/24 20:53

>>50 まず、一口にヨーガと申しましても、原始的なヨーガの考え方が時代時代によ
って様々な解釈や整理がなされる中で幾つかの形式に分かれて行きました。いま、
50さんが仰るような意味での「ヨーガ」というのは、恐らく13世紀頃に成立したハタ・
ヨーガ(hatha-yoga)と呼ばれる体系の内のごく一部を構成する’アーサナ(Asana)’
を指しています。このアーサナとは、吾が那では「ポーズposture」と呼ばれています.
しかしこれは誤訳と言ってもよく、本来は「座る」と言う意味の動詞から派生した「座
法」というのが現代語訳としてはより正確となるかも知れません。更にこのアーサナ
の語は「座seat」と訳せば更に正確です。何故ならば、わたし達のこの身体とは神々
が宿りたもう「座」である、という考えがハタ・ヨーガの思想には貫ぬかれているか
らです。さて、そうしたアーサナは倒立なども含めて実に多くの種類があり、吾が那
では三十年以来、このアーサナをもってヨーガであると誤解されたまま一般に普及し
現在に至っております。現在はやや呼吸や心理操作などの側面を打ち出す団体教師も
出てておりますが、残念なことに幾つかの危険なカルトに利用されたことでマイナス
のイメージが根を下ろしてしまっています。

ご質問ではこの様々なアーサナが「真言密教」の観法と共に用いられるか否かという
ご質問に関しては、答えとしては九割NOです。しかしながら、真言密教の喩伽観法を
行うときにありうべき身体の在り方は「身密」と呼ばれ、その身密を更に構成する部
分としての座法の中には、ハタ・ヨーガで説かれるアーサナと同一のもの、例えば
パドマーサナ(padmAsana蓮華座≒結跏趺坐)があります。(続く)
55kaitabha:04/04/24 21:13
(続き)
「真言密教」は狭義には吾が那の真言宗の教えを指しますが、もしも、
後期密教にまで広げるならば、ハタ・ヨーガのアーサナおよびその思想
はいよいよ仏教の中に入り込んできたと思われます。8世紀後半の『グフ
ヤサマージャ・タントラ』18−162には一度だけハタ・ヨーガの語が出て
きます。ただし、前後の文脈から意味を判断しないと、後期密教イコール
ハタ・ヨーガだと思い込むへまをやってしまう人もいるので注意が必要で
す。

わたしは不幸にも伝授を受けそびれましたが、十年以上前にニンマ派のナム
カイ・ノルブ・リンポーチェが来日したときにヤントラ・ヨーガの伝法があ
りました。このヤントラ・ヨーガは、実演の写真を見る限りアーサナの幾つ
かとその思想の精髄を伝えているのではないか、と推測します。
56名無しさん@3周年:04/04/24 21:15
真如苑の接心修行とはどのようなものでしょうか?
57名無しさん@3周年:04/04/24 21:53
kaitabhaさんは、ゾクチェンパですか
58レンマ:04/04/24 21:57
>>44
どの程度の神秘体験をお望みか、にもよりますが、
ひとによってさまざまな神秘体験を体験されるようですね。

わたしは何度か未来を予知したことがあります。
ただし、仏教では神秘体験を重要視してはいません。
神秘体験をしたい人には、仏道修行をお勧めできませんね。
59kaitabha:04/04/24 22:21
>>57
スレタイとは関係ないですけれど…わたしはただのオッサンと呼ばれています。


60名無しさん@3周年:04/04/24 22:26
>>53
レベルは物事の本質をどれだけ正確に見極められるか、で決まります。
阿修羅の闘争心を地獄の嫌悪と混同しやすいのですが、
阿修羅の闘争心はあくまでも知的闘争であり、
誰彼なしの嫌悪感ではなく、
あくまでも自分よりも能力の高い魂に対する闘争心を意味します。

一方人間の中心概念は「情」であり、
この「情」が時として正確な判断を鈍らせることがあります。
この判断力の高さ、正確さにおいては阿修羅が上になりますし、
実際その上の天との戦争があるように、
阿修羅以外の世界ともいわば陸続きのような感覚で生活していると。
よって人間よりは阿修羅の方が高次元の世界である、ということになります。
61名無しさん@3周年:04/04/24 22:48
インド仏教・チベット仏教は天・阿修羅・人・畜生・餓鬼・地獄
日本仏教は天・人・修羅・畜生・地獄
中国仏教はどうなんでしょ?
62名無しさん@3周年:04/04/24 22:50
日本仏教は天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄でした。餓鬼が抜けてた↑
63名無しさん@3周年:04/04/24 23:07
>>59
レスありがとうございました
ナムカイ・ノルブ・リンポチェの著書は読んでみました
ま、読んだだけですから
6450:04/04/24 23:11
>>54,55 kaitabhaさん
ヨガと同様のポーズというか姿勢というか見た目としては「結跏趺坐」を挙げることが出来るが、
しかしそれは皮相的な理解に過ぎないわけですね。
まずはヨーガについて理解を深める必要があることがわかりました。
有り難うございました。
65レンマ:04/04/25 02:26
まじめなはなし
最近の若いのは、結跏趺坐ができませんね。

これは、現代人の生活スタイルと密接に関係しているようです。

> 中国仏教はどうなんでしょ?
経典に書かれていることは日本と中国は基本的に同じですね。
それ以外では、かなり異なりますが。
66名無しさん@3周年:04/04/25 15:23
質問です。原始仏典のスレッドを探したんですが、見つからなかったので
ここで尋ねます。
ある投稿者がスッタニパータの新古層に関して、「紀元前3Cのアショカ王の
法勅にある七経のうち3経がスッタニパータからではないかと推定されているので、
古い部分は釈尊死後100年後には遡れる」と書いています。

私がひっかかるのは、「釈尊死後100年後には遡れる」の箇所。第1次結集のときには
すでに(口伝とはいえ)成立していたと考えるのは間違いですか?
67名無しさん@3周年:04/04/25 16:09
>>66
↓で尋ねてみたら

原始佛教 その6
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1074834929/l50
68半跏思惟 ◆qMrYuWQrVU :04/04/25 16:13
彌勒信仰が正しく理解されていない
69名無しさん@3周年:04/04/26 11:22
>>67
たった今あちらに書き込みました。有難うございました。
70名無しさん@3周年:04/04/26 12:51
机スレが見当たりません
71名無しさん@3周年:04/04/26 16:37
>>70

ほらよ。こっちに来ないよう立てておいた。
こっちで机の話題出すな。


☆卍 仏教質問箱@机質問スレ 卍☆パート10
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1082964964/l20
72名無しさん@3周年:04/04/26 20:16
中国の五行思想の日本仏教への影響なんて、卒論テーマとしてはアリなんだろうか。
日本仏教といっても幅が広すぎるので、
例えば、天台宗と鎌倉仏教を比較してみるとか・・・
原理的な意味での法華経思想と、天台法華思想や日蓮思想の相違を、五行を軸に比較するとか・・・
陰陽五行のテキストとしては、『五行大義』『易経』なんかがあり得るとは思うんだけれど。

気学宗家の前沢氏なんかは、日蓮宗と五行思想について色々と述べているみたいなんで、
そっちからのアプローチにすべきかなぁ?
真言密教からのアプローチもありだとは思うけども。

どういう方面から料理したら面白いでしょうか。
ご意見求む。

73名無しさん@3周年:04/04/26 20:21
面白さは自分で見つけるもんじゃないのか
いや、マジで。
74名無しさん@3周年:04/04/26 20:31
ごもっともでございます。

個人的にはこういうアプローチはアリだとは思うんだけれど、
具体的にどういう切り口があるんかなぁ・・・って。
そりゃ、文献やら論文を今からでも読み込んでいくことで、
ある程度は問題の所在が明らかにはなっていくだろうけれど、
GW明けには題目を提出しなくちゃならんのです。
んで、例えばどういう切り込み方があるのか、
参考までに皆さんのご意見など聞いてみたいな、と思っています。
そのままパクろうとは思ってませんよ、勿論・・・
75名無しさん@3周年:04/04/27 01:55
 最近仏教の勉強をはじめたのですが不明な点が次から次に出てきます。
 ひょっとしたら上級者には、余りにも初歩的な質問過ぎて馬鹿馬鹿しく
思えるかもしれませんが、是非よろしくお願いします。
 とりあえず仏教は死後の世界について根本的には否定も肯定もしないと
いう立場をとっていると聞いたのですがそうだとすると輪廻とか地獄とか
極楽とか天界とかの話が出てくるのは何故のでしょうか?

76名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/04/27 15:43
>>75
>仏教は死後の世界について根本的には否定も肯定もしないという立場

「根本的なことは人間にはわからない」という立場ではないかと。
輪廻を認めていても「これが根本だ」とは仏教では言わないのでしょう。
全ては無常だということを言うのです。
77名無しさん@3周年:04/04/27 15:43
ちょっと教えていただきたいのですが、
諸国の霊場や寺社にお参りに行けない人から、
旅費や奉納金を預かって代わりに参拝する僧侶を何坊主というかご存知の方は
いらっしゃいませんか。
よろしくお願いします。
78名無しさん@3周年:04/04/27 16:09
>>77
願人坊主
79名無しさん@3周年:04/04/27 22:56
>>78
へ〜え。そんな言葉があるんだあ。
8075:04/04/27 23:14
>>76
 なるほど。
 つまり輪廻を根本的なものではないとしながらも肯定しているということですか。
 私が誤解をしていなければ、仏教では、全てのものは空(雑多なものの寄せ集まり?)
としていて魂等が恒常的な実態としてあるということを否定するそうですが、だとすると
輪廻の主体は何なのでしょうか?=(雑多な寄せ集まりの中の何が輪廻しているのでしょ
うか?)
81レンマ:04/04/27 23:14
> とりあえず仏教は死後の世界について根本的には否定も肯定もしないと
>いう立場をとっていると聞いたのですがそうだとすると輪廻とか地獄とか
>極楽とか天界とかの話が出てくるのは何故のでしょうか?
多くの人が、それを知りたがったので、弟子たちが、なんとか
説明しようとしたのですが、すべての弟子が、釈尊の思想を理解して
いたわけではなく、自分なりに説明したため、いろいろな話が
伝えられたということです。

釈尊は無記に徹したのですが、人々は、それでは満足しなかった、
それは(まぬけな一部の)弟子たちも、満足しなかったということですね。
優秀な弟子は、これまた無記に徹するわけですから、不肖の弟子の話が
伝えられたということでしょう。
8275:04/04/27 23:19
>>81
 76さんの説とはかなり違いますね。レンマさんの説によると80のような疑問は
生じ得ないですね。
83名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/04/28 00:47
>>80
無記で納得できるなら、80のような疑問に囚われることはないでしょう。
最近仏教の勉強をはじめた人が無記を納得できるとは思わなかった。
8475:04/04/28 01:14
>83
 参考までに無記を拒んでいる不肖の弟子の流れを汲んでいる人達は80のような
疑問に対して如何なる説明をしているのでしょうか?
85kaitabha:04/04/28 01:35
>>75
初歩的な質問どころか、現代に至っても簡単に要約できない難問のひとつで
はないでしょうか。

輪廻説はヴェーダの時代には現れていず、その萌芽は後期ブラーフマナ時代
になって出てきたようです。その後ウパニシャッド時代を経るなか、輪廻説は
一般に優勢となり、仏教やジャイナ教出現の〈土台〉を用意したと言われてい
ます。ヴェーダ・ウパニシャッドでは、輪廻の主体として我(Atman)を立て、
仏教はこの我の観念を成菩提に直接役に立たぬものとして退けたという説明が
なされています。代わりに存在とその認識のあり方全てを〈縁起〉として説い
たということです。縁起説は、仏陀滅後多くの部派に分かれて研究されました
が、部派の中にはまるで輪廻の主体があるかのように説く派もあり、諸説入り
乱れていたというのが実情です。簡単に言えば既に部派仏教の時代のインド僧
侶にとっても、仏教における輪廻の捉え方とは何であり、縁起説がなんである
かよく分からなくなっていたということで、現代の我々が無我説や縁起説を説
明されても深いところで余り理解できないのも無理からぬことのような気が致
します。
86名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/04/28 09:58
>>84
簡単に言ってしまうと「何とでも言える」ってことなんでしょうね。
逆に言えば「何も言えない」ってことにもなるんでしょう。

仏教の基本は三宝印です。生存の輪廻転生を認めても、それも無常です。
無常なものに執着心を起こすのは善くないと教えているのが仏教かと…。
つまり最初にレスした無常が仏教の答えだと思います。
一秒が無常なら、一時間も無常です。無常の中で生存していられるのは
何故なのか?仏教はこれに対しては、縁起説で答えています。

8775:04/04/28 23:56
>85 >86
何だかととても難しいですね。
 ところで、以上の話の流れを踏まえると日本の仏教諸宗
@天台宗
A日蓮宗
B浄土宗
C浄土真宗
D時宗
E臨済宗
F曹洞宗
G黄檗宗
H真言宗
etc
は、皆不肖の弟子の流れを汲む考えと言う事で良いでしょうか?
何か誤解がありますか?

88名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/04/29 01:09
>>87
それは「不肖の弟子」という言葉を使った81に聞くのが妥当でしょう。
私はそれらの宗派、並びにそれらに関る人物が不肖の弟子であるかどう
かは知らないので、悪しからず。
ところで、無常なものに対する執着心を離れろという教えが、そんなに
頭を捻らなきゃ理解できない難解なことだと思いますか?
8975:04/04/29 01:40
>88
 そうですね。81の方に聞くべきですね。
 それで難解かということなのですが、 全てが無常だということは多分執着心
も無常だし、それを離れるということも無常だということですよね?
 とても難解に思えます。
90名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/04/29 10:43
>>89
>全てが無常だということは多分執着心も無常だし、それを離れるということ
>も無常だということですよね?
執着心を離れるということは、自分自身が無常であるということを承知する事
ではないかと思います。自分自身が無常なんだから、そこから逃れる(離れる)
ことはできない相談になります。
つまり無常なものは無常と明かに見られること。これが執着心を離れる事かと。
執着心から離れたことがある人でも、それも無常であることは十分承知してい
ることと思います。
91名無しさん@3周年:04/04/29 12:42
>>86
無常であるのは、「諸行」です。
92kaitabha:04/04/29 13:17
 無常と一言で言われる語を概念的に理解するのは88氏の説の如く難解とはい
えませんが、無常を余すところなく、一切の例外なく、刻々と移り変わる現
象の中で観て行く実践を自己の生涯に貫くのはどんなに難しいことでしょう
か。わたしのような凡人には、無常であるはずの知覚認識主体・知覚認識と
いうはたらき、認識の対象を、やもすると「常」と見なして日常生活を送っ
ています。更に「常」という顛倒した認識から「浄」「楽」などの観念を生
じます。或いは反対に浄であり、楽が永続する性質を有していて欲しいと欲
望することから、「常」という観念、即ち愛着・執着を自然に強化しようと
する、ともいえます。そうしたはたらきとパラレルに「我」も永続性がある
と錯覚します。
 こうした常・楽・我・常は伝統的に「四顛倒」と呼ばれ、真実の在り方に
対し逆さまだと教えられているのは皆さんも良くご存知のことと思います。
 再び、仏教の要諦である無常という一事を頭のてっぺんからつま先まで解から
せるのはなんと難しいことか。こうしてみると、無常のトータルな理解と体得
が現成するとき、原始仏教僧伽の如く自然と脱世俗的にして修行一筋の方向、
即ち出家主義へ強調がなされて行くのかもしれません。
 こうした初期の〈出家優位〉の道に対し、異を唱えたグループが後の大乗仏
教の祖であったと考えられています。上で掲げられた日本の現存する伝統仏教
諸宗派は多かれ少なかれこの大乗仏教の思想の様々な派生形です。そこで大乗
非仏説(大乗思想は歴史上の釈迦が説いたものではないという考え方)もあり
ますが、なぜそのようにインド・中国/チベット・日本の人々を「惹きつけ」、
華々しい程の「展開」を遂げつつ現在に至ったのかをわたし達が思索していく
と、「無常」というわたし達の日常感覚にとっては寧ろ「苦しい真理」を巡っ
て、わたし達のあるがままの有様も観えてくることもあるのではないかと思い
ます。(文章が長くなりお詫びします。)


93名無しさん@3周年:04/04/29 13:27
現象は無常だ。苦だ。と、そこまでしか述べないのが仏教の特徴。

しかし、なぜそれ以上の何かについて「有」「無」を語ろうとする奴がいるのか???
94名無しさん@3周年:04/04/29 15:38
机スレ消えたね
95名無しさん@3周年:04/04/29 16:11
>>94
誰かが削除依頼を出したのだろう。

困ったもんだ。
96名無しさん@3周年:04/04/29 16:13
>>95
1000まで逝ったわけだが
97名無しさん@3周年:04/04/29 16:18
>>96
☆卍 仏教質問箱@机質問スレ 卍☆パート10
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1082964964/l20
このスレが消えたね。


困ったもんだ。
いいテーマで、これからというとこで消えたね。
98名無しさん@3周年:04/04/29 16:22
>>97
心と宗教板自治 ◆Y7FjQgxfdo ←こいつが削除依頼した犯人
99名無しさん@3周年:04/04/29 16:23
100名無しさん@3周年:04/04/29 17:07
机氏は、果たしてあのテーマで何を語りたかったのであろうか?

しかしながらもはやテーマ自体を知る人もあるまい。

これすなわち諸行無常。これなり。このように調ふてくだされまし。
101名無しさん@3周年:04/04/29 19:43
スミマセンSEXで悟りを開く仏教の名前を教えて下さい。
102kaitabha:04/04/29 19:55
>>93 無常や苦から始まりその周辺を延々と語り続けてきたのが仏教の歴史とも
言えますね。仏教史を包括的に読もうとするのは大変な作業ですが、少なくとも
「わが宗派が一番、他は大した事無い」という神話からはある程度身動きが自由
になる余地が残されるかもしれません。
>>101 そんなの無いと思いますよ。
103名無しさん@3周年:04/04/29 20:38
立川流?
104名無しさん@3周年:04/04/29 21:52
タントラ?
105kaitabha:04/04/29 22:31
>>103立川流の教義が真にどのようなものであったかは、現在言われているような
 漠とした推測の粋をでないと思いますよ。
>>104日本における所謂タントラの説明は、ほぼ99%欧米経由で入ってくる。中
   にラ●ニ●シ等の人々もいるけれど、それらは殆どが想像でしかないようで
   す。現インドではタントラの語をあなたが想像するような意味で使わない
   し、後期密教時に作られる経典はタントラと名が付いても事情は同じと思い
   ます。
   あなたの欲望を巧みに刺激して骨までしゃぶり尽そうと待ち構えている新興
   宗教や大小のグループもあるようです。ご用心。
10675:04/04/30 21:56
 どうも有難うございました。また質問を書きこむことがあると思いますが
その時は宜しくお願いします。
 その時はH忘れなければHNを
「75」
から
「初学者@3ヶ月目突入」
と変える予定です。
107初学者@3ヶ月目突入:04/05/02 00:11
 質問です。道元という方が一切のに仏性があるならば、何故、修行する必要が
あるのかという趣旨の疑問を持ったとものの本にありました。そして仏であるならば、
修行して当然という趣旨の答えにたどり着いたそうですが…。
 私は上記の疑問には強く同感です。そこで質問なのですが、
@道元禅師以外にも上記のような疑問に悩んだ高僧はいるのでしょうか?
Aいるのならばその方たちは各々どのような解答をみいだしたのでしょうか?

もし宜しければ御教示下さい。
108名無しさん@3周年:04/05/02 00:51
>107
臨済宗の中興の祖である白隠禅師の坐禅和讃にはこのようにあります。

  衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の他に仏なし
  衆生近きを知らずして 遠く求めるはかなさよ 例えば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
  長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず 六趣輪廻の因縁は 己の愚痴の闇路なり
  闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき

衆生「本来」仏であって、衆生が何もしないでそのまま仏というわけではないです。
我々は普通は様々なことに悩んだり怒ったり悲しんだりして苦しむ凡夫です。しかし、己を正しく見てみれば、
実は怒りや悩みなどは自分の顛倒妄想の産物であって、実は何の悩みも苦しみもない仏である。
この「己を正しく見」て、「自分は仏と異ならない、妄念なく、生死なく、苦しみのない絶対の存在である」ことを悟って
苦を離れるのが修行です。

それは単に「自分は仏だ、仏だ、仏だ」と思い込むことではありません。
自分の姿、心を正しく見て、心とは何か、自分とは何かを明らかにしなければならないのです。
109名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/05/02 10:05
>>107
それは、仏性が「ある」という前提で発する疑問ですね。
一切の衆生に仏教が宿る。というのは大乗仏教の思想で、仏教の祖師である
釈迦はそういうことは語らなかったそうですよ。
また、今でも南伝仏教では衆生に仏性があるとは認めてはいないようです。

これは御存知でしょうが、仏教と一口に言っても、いろいろな枝葉に分岐し
していて、大きくは南伝仏教のテーラワーダと、北伝仏教の大乗仏教に別け
ることができます。
日本において仏教といえば、ほぼ北伝大乗仏教のことです。
これらは、同じ「仏教」として認められていますが、教義は違う宗教と言え
るくらいの相違もあります。

110名無しさん@3周年:04/05/02 11:11
「六祖その人ならば、この無仏性の語を工夫すべきなり。『有無の無はしばらくおく、
いかならんかこれ仏性』と間取すべし、『なにものかこれ仏性』とたずぬべし。いま
の人も、仏性とききぬれば、さらに『いかなるかこれ仏性』と間取せず、仏性の有無
等の義をがいふばごとし。これ倉卒なり」

                           (『正法眼蔵』「仏性」)

111名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/05/02 14:54
109訂正。
×一切の衆生に仏教が宿る。
○一切の衆生に仏性が宿る。

失礼しました。
先日仏教質問箱の方より自治スレにID化の要望がありました。本格的に
議論スレを立てて投票などを行う前に予備調査を行いたいと思います。

自治スレへの要望内容
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1059814553/703
自治スレッド
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1059814553/721-n
113初学者@3ヶ月目突入:04/05/03 00:13
>108
どうも有難う御座いました。
114初学者@3ヶ月目突入:04/05/03 00:23
>110
 北伝と南伝や大乗、上座部といった言葉の意味は知っていました。
お手間をとらせて申し訳無かったです。
 以後質問する時はなるべく、
「○○の立場から見た場合どうなるのでしょうか?」
という感じで質問するように心がけます。

因みに私は仏性という言葉を漠然と成仏の可能性程度の意味に理解しているのですが、
南伝仏教はそれを否定しているのですか?それとも私がことばの意味を誤解
していて南伝の主張はもっと違う意味内容の主張なのでしょうか?
115初学者@3ヶ月目突入:04/05/03 00:27
>108
「煩悩即菩提」という言葉の意味も似たようなものだと理解して問題ありませんか?

それともこれとは別の論点なのでしょうか?
116初学者@3ヶ月目突入:04/05/03 00:31
>114にある

>110は>109の間違えです。
117初学者@3ヶ月目突入:04/05/03 00:44
>110
 どうも有難う御座いました。
118名無しさん@3周年:04/05/03 13:16
>115
難しい質問ですねえ…
自分は以下のように理解しています。

すなわち2x+10=16という方程式の問題がある。この問題が煩悩であり、x=3という答えが
菩提である。けれども、x=3ということがわかっているのなら2x+10=16という問い自体が答え
であることが理解できる。つまり問いは答えの変形であり、問いの変形が答えである、と。
ところがx=3という答えを知らなければ問いに答えられず、わけがわからなくなって苦になる。
ゆえに方程式を解いて答えを出さねばならぬ、と。

また、別の言い方をすれば、飛行機に乗っていてエンジン故障で砂漠に墜落してしまった。
砂漠は暑く、喉が渇いて仕方が無い。幸い荷物の中に水を入れた金庫があった。
しかしナンバーを合わせて金庫を開かねば水は飲めない。
ナンバーをあわせる前も後も水は存在している。水が菩提で、「水の入った金庫」が煩悩という
ことではない…かなあ、と。

あと、仏性については涅槃経などに「一切衆生悉有仏性」と書かれています。
大乗仏典は成立が遅いですが、だからといって完全な創作とは言い切れないと思います。
それまで口で言い伝えられてきたものが、時間を経て経典になった可能性もあります。
また、近代の名僧などが得た悟りからすれば、やはり仏性は一切のものに有りとするのが
妥当と言えましょう。
単純に考えても、人に仏性がないのなら、過去の仏は一体何物がどうやって成仏したのか、と
いうことになりましょう。
119り〜ず ◆HNUDYzuu5k :04/05/03 13:19
こんにちは!!

机さんいらっしゃいますでしょうか。
120名無しさん@3周年:04/05/03 14:01
>>119
○内心の平安2 〜実践編 ○
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1069239614/l50
座禅して見性したひとに質問
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1078968766/l50
121初学者@3ヶ月目突入:04/05/03 14:24
>118
分かりやすい説明をどうも有難う御座いました。

122名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/05/03 15:53
>>114
>南伝仏教ではそれを否定しているのですか?
否定しているというより、認めていないのです。つまり仏性は最初の「無記」に
該当する項目になってしまうのでしょう。
そういう確かめようのない事柄に対して、断定的な事を言わないのが釈迦の取
ったスタンスであったとも思われます。
だけど、上座仏教でも輪廻転生は認めているんですね。(笑



123初学者@3ヶ月目突入:04/05/03 20:51
>123
どうも有難う御座いました。
124初学者@3ヶ月目突入:04/05/03 21:05
大乗仏教の主張に照らしてとの趣旨の質問です。
大般涅槃経の父殺しのアジャセ王の物語に出てくる6大臣の主張…
 要約すると
@地獄なんて机上の空論だ。
A王法と出家法は違うだから王に罪はない。
B人間の行為は前世の業で規定されてしまうから殺人は罪ではない。
C父を殺して王位についた王のうち地獄に落ちたものはいない。
D地獄は空想に過ぎず殺も死も無常である。だから殺は罪ではない。
E王は国土や僧を守るために政治を行うのだから、その為に父を殺しても
罪にはならない。

 以上の6つの主張にアジャセ王が同意しなかったことは大乗仏教が↑を誤った
見解であると判断していることだと思うのですが、大乗仏教の基礎理論に基づいて
上記の6つの主張を論破する事は可能ですか?
 可能とすれば如何なる論が構成されることになるのでしょうか?
125レンマ:04/05/05 13:11
「仏性」は概念ですね。
それを有るとか無いとが論じることが、無駄なのですよ。

「地獄」も同じです。
概念なので、有無を論じる意味がありません。

この場合、論じることに意味がない、とはどういうことかといいますと、
人によって、概念は異なる、という意味で使用しています。

「美しさ」も一緒です。
たとえば、ある女優をつかまえて「美しい」とか「美しくない」とか、
論じることに意味はないということです。
これを「宇宙には美しさというものは存在しない」という表現もします。
126名無しさん@3周年:04/05/05 13:20
>>125
>「仏性」は概念ですね。
>それを有るとか無いとが論じることが、無駄なのですよ。

概念でなくちゃんと実在することが、悟ってわかりましたがなにか?

127レンマ:04/05/05 13:52
> 概念でなくちゃんと実在することが、悟ってわかりましたがなにか?
それは、大乗仏教の主張と同じですね。

上座仏教では「実在」を否定しています。
そこが、大乗と上座系との違いです。
なかなか良い例をあげていただきました。
128名無しさん@3周年:04/05/05 14:38
天台小止観という本があります。瞑想のテキストのような物に見えますが、現在、このような物を実践している人はいるのですか?
129初学者@3ヶ月目突入:04/05/05 15:47
>125 >126 >127
 すいませんが私のした質問からの話の流れが分からないのですが…。
あくまでも上座部、大乗どちらが正しいかは、保留にした上で大乗仏教の
主張に照らしてというスタンスでの理路整然とした答えが欲しいのですが。
130名無しさん@3周年:04/05/05 17:16
>>20初めて詩を読んだよ。涙ぐみそうになったっ!(T_T)
131レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/05 20:40
> @地獄なんて机上の空論だ。
仏教は、ほんの一部を除いて「地獄」が実在するとまでは積極的に主張していません。

> A王法と出家法は違うだから王に罪はない。
人間の行為(業)の結果がどうなるか、という問題に対しては、王法も出家法も関係ありません。

> B人間の行為は前世の業で規定されてしまうから殺人は罪ではない。
仏教には、「人間の行為は前世の業で規定されてしまう」という思想はなく、
あくまで行為(業)に対する結果がある、としています。

> C父を殺して王位についた王のうち地獄に落ちたものはいない。
悪いことをすれば、悪い結果、良いことをすれば、よい結果があります。

> D地獄は空想に過ぎず殺も死も無常である。だから殺は罪ではない。
罪は概念なので、罪の有無を論じても意味はありません。

> E王は国土や僧を守るために政治を行うのだから、その為に父を殺しても

> 罪にはならない。
「殺人を犯せば、その行為の結果がある」というだけで十分でしょう。
132レンマ:04/05/06 23:29
初期の仏教では、空(くう)といえば、”中身の無いこと”ということで
特別な概念ではなかった。
しかし、大乗仏教になると、空(くう)という”無いもの”の存在を
うんぬんするようになった。

また、釈尊が説かなかった”仏性”なる新造語を作成し、実体視するようにも
なった。であるから、大乗非仏説などといわれるようになるのだと思います。

> 単純に考えても、人に仏性がないのなら、過去の仏は一体
> 何物がどうやって成仏したのか、ということになりましょう。
それこそ、アートマンに囚われた迷いです。
”何者が”という実体を捜し求めるのが間違いです。

仏性が有るとか無いとかというのは、戯論(パパンチャ)です。
133初学者@3ヶ月目突入:04/05/07 10:12
>>131
 例えば>>127を踏まえて読むと@等は大乗仏教の主張に反した立論ですよね?
 それで>>133を読む限り大乗仏教は仏教ゴータマ・シッダルタの説くところの
仏教ではないとの主張をお持ちで(因みに私もその説に同感ですが)、しかも
大乗仏教は戯論ばっかり持ち出すと考えておられるようですが私が質問した
趣旨はその戯論ばっかり持ち出すところの大乗仏教の観点から見た場合どうなるのか
というものです。大般涅槃経の断片を上座部の観点から批判して欲しいのでは無く
大乗の観点では以下に正統性を主張するのかという質問です。
 そもそもこの質問箱は例えばキリスト教の質問箱のようにここでいう仏教徒はって
定義されていませんよね。ならば、「幸福の科学」の主張にてらしてとか「オウム真理
教」の主張に照らしてという質問さえ容認されうるはずでしょう?いわんやなぜ
大乗仏教の主張に照らしてとの質問をするとまるで質問そのものが不適切であると批判
るが如き返答を返されなければならないのですか?

↑何か誤解があったとしたらごめんなさい。
134レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/07 11:02
荒らすつもりは、さらさらなく。さらに大乗と論争するつもりも無く。
質問を責めているのでもありません。単に、原始仏教の捉え方と、
大乗との違いを説明しているにすぎません。
そもそも>>125は、>>124の回答ではありませんでした。(^-^)
>>131は、わたしの考えで、大乗を否定しているわけではありません。
>@等は大乗仏教の主張に反した立論ですよね?
いいえ大乗でも、積極的に説くところはまれだと思いますよ。
日蓮系でも地獄が実在するのではなく、こころのあり方のように説いています。
135名無しさん@3周年:04/05/07 11:25
なんか、大乗思想とか空とか言うと、
初期の教えから無意味に飛躍してる印象持つ人いるけど、
三法印の絡みで言えば
「諸行無常」と「諸法無我」と「涅槃寂静」の関係を普通に考えれば
別に、「空」云々まで行かなくても、
自ずと大乗思想になると思うけどね。
それを日常の他者との関係に当てはめれば
慈悲と利他の関係も浮かんでくるし。
まあ、もちろん、修行者各自の理解の仕方あるから、
これ以上、なんとも言いがたいが・・・。
136初学者@3ヶ月目突入:04/05/07 12:04
>>134
私の早とちりもあったようで申し訳なかったです。
 しかし、最後の日蓮系の主張では地獄は存在しないと主張しているとは俄かには
信じがたいです。なぜならば日蓮大聖人の仏法がどうたらこうたらという人は
来世は無限地獄に落ちるとか来世でナメクジや蜘蛛等に生まれてから後悔しても
遅い等…。
 上記の主張は輪廻転生や地獄を概念ではなく実在としての脅しとしかとれませんが
そのくせ当時全く仏教の知識がなかった私が感じた疑義を口にしてもまともに
答えようともしない。
 そのおかげ?かどうか2ヶ月ほど前に岩波文庫の法華経や日蓮文集を読んだとき
反発以外はほとんど感じませんでした。
 もし、↑が私の誤解であなた(他の方でも)が日蓮系の方乃至日蓮系に詳しい方
であるならば良い機会なので私の誤解を解いて頂ければ幸いです。
 日蓮の輩には聞いてみたいことが山ほどあるのです。
137名無しさん@3周年:04/05/07 13:03
人間以外に生まれ変わると日蓮が言った箇所があればソースくれ
138レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/07 15:05
>>136
内容から察するに、同じ日蓮系でも、層化のようですね。
彼らの弁護はわたしはできない。かれらが間違っている。

さらに、日蓮系を代表して発言はできません。(^-^;;
139初学者@3ヶ月目突入:04/05/07 17:50
>>137
 岩波文庫の日蓮文集を読む限りでは(記憶違いでなければ)無かったですけど、読んだ
印象としては日蓮さんという方はかなりの理論派/理屈屋で礼儀正しく責任感も強い方と
思われますのでその衣鉢を継いでいると主張していた人がそう主張した以上私が読んだ
事の無い著作や手紙にあるのではないかと考えています。どなたか御存知ですか?
 但し、法華経には、醜い山犬に生まれ変わり石をぶつけられるとか驢馬に生まれ
変わり棒や鞭で打たれこきつかわれる(趣意)等などの記述がありました。流石に
ナメクジとか蜘蛛はないようですが…。
140初学者@3ヶ月目突入:04/05/07 18:17
>>138
層化というのが創価学会を指しているという理解に誤解がないならばその通りです。
顕正会というところの方も似たり寄ったりでした。幸この2つ以外日蓮大聖人の仏法が
どうたらこうたらといって悩ませた組織はありません。
141レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/07 19:16
> 衣鉢を継いでいると主張していた人がそう主張した以上私が読んだ
> 事の無い著作や手紙にあるのではないかと考えています。
わたしの記憶にあるかぎり、同じ法華経でも、日蓮大聖人が用いる部分
方便品、寿量品には、そのような記述はありませんね。
また、層化にあっても、組織内でそのような指導がされているわけではありません。
層化は創価ですが、ここでは層化の批判は控えるようにお願いいたします。
ここが荒されるといけませんので、別なスレでお願い致しますね。(^-^;;

http://society.2ch.net/koumei/

"衣鉢を継いでいる"という表現は、日蓮系ではほとんどまったく使用しません。
層化も然り。血脈とか、血脈相伝がある、といいますね。
142初学者@3ヶ月目突入:04/05/07 20:17
失礼致しました。そういえばなぜか創価学会だけは別のえりあでしたね。
衣鉢をついでいるというのは、逐語ではなく自分達が日蓮大聖人の正しい教えを
なんたらかんたらというのを私なりの言葉で表現したものです。
 御教え頂いた通り以後この話題には触れません。
143名無し:04/05/08 14:04
これは何の尊像でしょうか?
ttp://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f20862464
十六羅漢かなんかの一人ですか?
144名無しさん@3周年:04/05/09 19:43
学会スレや正宗スレに書くとあれるので、こちらで教えてください。

ある掲示板に日蓮正宗の法主の訴訟の判決で
>信徒の遺骨を無断で土中に埋め、
>さらに、遺骨を他の遺骨とごちゃ混ぜにしてコメ袋に入れ、
>信徒から遺骨の提示を求めたら、犬の骨を提示した事実

とあったのですが、これは事実なのでしょうか?
これを扱ってるスレやサイトなどがあったら教えていただければありがたいです。
145レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/09 21:36
>>144
あなたが、どうしてその事件を知りたいのか不明ですが、
まじめに事実を知りたいのであれば、
49人目 慧妙 で記事の検索をして見てください。
http://the49-2.hp.infoseek.co.jp/
↓いまならここの方が早い。
慧妙記事文字検索
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/emyo_t.htm
146レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/09 21:53
さて、この事件の背景には、ソーカの宗門に対する、各種の攻撃の一環であって、
背景は複雑、一方の主張のみを聞いて判断するのは危険です。
直接、関係しないのであれば、この種の情報にいちいち振り回されないように
した方が、いいとおもいますよ。部外者には、ほとんど真実はわかりません。
たとえば、裁判で勝った、などといっても、二審では覆されたり、最高裁では
差し戻しになったりと、最後まで見ていないとわかりません。
この事件にはいささか関わったので、事実は、ソーカの主張とは違う、
とだけ言っておきましょう。
147名無しさん@3周年:04/05/09 22:02
>>145
レスありがとうございます。

私のスタンスは最近、仏教&仏像に興味を持ち始めたのでこちらの仏教関係のスレを
読んでいたところ、外部のリンクで>>144に書いたようなことが判決で認められた、
と書かれていたので事実かどうか確認したかった(特に双方の主張と判決を)
というものです。
宗派的なスタンスは荒れるかもしれないので控えます。

教えていただいたサイトで検索したのですが、検索すると検索結果は
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/index.html
となっておりDead Linkになっています。

色々と検索したら遺骨投棄事件として少し書かれているのはありましたが、
判決文は見つかりませんでした。
適切なリンクがありましたら、教えてください。
148レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/09 22:31
失礼、infoseek検索ではなく、
慧妙テキスト版記事文字検索で検索してください。(^-^)
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/emyo_t.htm

さて、なんとも奇遇ですが、わたしは昭和54年9月、
この事件の遺骨を運搬する係りをやっておりました。(^-^;;

この事件が公になったのは、そのとき一緒にいたある若い坊さんが、
骨を混ぜるという行為に疑問をもち、それを本にして出版したからです。

そこに、ソーカがつけこみ、普通なら問題とならないような合葬に
いちゃもんをつけたのが始まりです。
骨を混ぜたのは事実です。
しかし、ちゃんと読経、唱題し、供養していますので、すくなくとも
”遺骨を粗末に扱った”という事実はありません。
「犬の骨」は、別な事件でしょう。
149名無しさん@3周年:04/05/09 23:10
遺骨はカルシューム剤としてそのまま服用しても大丈夫
それとも人間の場合はむずかしい?
150名無しさん@3周年:04/05/09 23:21
>>148
15年4月の記事で触れていましたが判決の問題点などはあまり触れていないようでした。
ありがとうございました。

ちなみに色々見てみても良く分からないので>>148さんに裁判で証言して欲しかった(笑)
151名無しさん@3周年:04/05/10 01:12
釈迦が
「どこから来て、どこへ行くかを知らない。」
みたいな事はいってはるのでしょうか。
またこれは、どういう文脈なのでしょうか?
輪廻のお話?
152レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/10 03:15
>>151
五八二 汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道をしらない。
汝は(生と死の)両極を見極めないで、いたずらに泣き悲しむ。
(ブッダの言葉 スッタニパータ 中村元訳 岩波文庫)
153レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/10 12:23
文脈からして、釈尊が知らないのではなく、対話している相手が知らない
ということになりますが、前後の文章を読んでも、来た人の道も、去った人の道も
説明されてはいません。また、輪廻の話と断定できるわけではありません。
全体の意味は、死を嘆き悲しむな、ということに尽きます。

【ブッダのことば】
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/buuta-0t.htm

【3大いなる章】の8矢をクリックしてください。
154名無しさん@3周年:04/05/10 19:40
アカシックレコードとかいう、某予言者の説明について質問します。
アカシックレコードとは
>宇宙に存在する意識のネットワ−クであり、人類の集合意識そのものです。
>仏教ではこれを「無量寿光」といい、ユングの集合的無意識がこれに相当
>する。それは巨大なコンピュ−タに喩えられます。その端末が私たち一人
>一人であり、インタ−ネットと同じように誰でも何時でもアクセスは可能
>です。2億6000万年前から、AD2万6000年までの個々の存在、
>集合意識の全てのものの過去、現在、未来にわたる体験と学びに関する情
>報が詰まっている記録の殿堂です。そこには、万物の生命の記録が保持さ
>れています。

のように説明されていましたが、間違いないでしょうか?
155レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/11 16:41
アカシックレコードは、いわゆる仏教用語ではありません。
したがって、アカシックレコードについての質問はスレ違いですね。
156名無しさん@3周年:04/05/11 19:42
アカシックレコードについて聞いているというよりも、
>仏教ではこれを「無量寿光」
というのが、勝手な解釈なのかどうかが知りたいのです。
157レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/11 23:24
無量寿光
無量寿(アミターユス)と無量光(アミターバ)という用語はあります。
無量寿光という用語を、わたしは知りません。
ただ、無量寿、無量光を省略して、無量寿・光と記述することはあります。

無量寿仏も無量光仏も、阿弥陀仏の梵名(サンスクリット名)です。

無量寿は、寿命を量(はか)ることが出来ない、という意味で、
阿弥陀仏の寿命が無限であることを表すといいます。

無量光は、光を量(はか)ることが出来ない、という意味で、転じて、
すべての衆生に、阿弥陀仏の光明(慈悲の光)が届くことを示しています。

両方で、時間と空間(宇宙)について無限を現すとも考えることができます。

一方、アカシックといえば、サンスクリット語で虚空のことをいいます。
般若心経の空(くう)は、シューニャでが、モノが欠けること、無いことを
あらわします。虚空は、モノとモノの入れ物としての空間を意味します。

アカシックレコードは、「虚空の記憶」という意味になるかと思いますが、
モノの入れ物としての空間に、過去、現在、未来のすべての情報が記録されている、
という意味です。
158名無しさん@3周年:04/05/12 18:32
仏教って色々あるみたいですがこれら各仏教が仏教たる共通の理念ってなんですか?
159名無しさん@3周年:04/05/13 08:37
さて本題やが白隠禅師が禅病にかかったことは有名で白幽子なる人物に軟蘇の法を
ならったとされる。この人物が誰だったのかは全く明かされていないのであるが
道士であったというのが一般的な解釈のような気がする。
ところでこの軟蘇の法と全く同じものがチベット密教のある派の観法にある。やり方
は全く一緒でヒーリングメディテーションに分類されている。これは如何に?
仙道系の気功とされて世にでているものをよくみるとほとんど密教と同じものと
神仙術のものとに分類でいるような気がしている。海底輪とかいう用語をつかっている
のはタントラ系で輪はいわゆるチャクラを意味しているようだ。ほかに宮という用語
をつかっているものもあるがこれも密教的だという気がしてならない。
もし白幽子が道士であったのであれば密教系のものを伝えたのではないだろうか。
もちろんわしはにせものやさかいわからへんのやけど詳しい人の意見など聞いてみたい
い。



もう少しかけばタオとしてだされている気功で蓮の花を観想するものがあるが
これはラージャヨガなどでされている観法と全く同じものなのや。
たとえば胸のあたりに花をおもいうかべ呼吸とともに咲いたりとじたりとやって
みる。嗅覚もつかって花のよいにおいを思いうかべる。
タオとタントラの接点は如何に?


160名無しさん@3周年:04/05/13 19:12
日蓮宗のお数珠について質問です。
なぜ房が5つなのでしょうか?
161机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/13 19:14
>>160
頭(1)、手(2)、足(2)。
合計が5になる。

では、失礼、もうこないですから。
162160:04/05/13 21:27
>>161
頭と手足を表すのですか。
ありがとうございました。
163名無しさん@3周年:04/05/13 21:28
164レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/13 21:38
>>158
諸行無常、一切皆苦、諸法無我、涅槃寂静
165真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/13 21:57
>>164
やはりそのあたりになるのですかね〜。
私もずーっと考えているのですが、
いまだすっきりする答えはでていません。
166名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/05/14 19:21
>>158
仏教の実践においては、そういう理念みたいなものを先に立てずに、苦、つまり
他でもない自分が苦しみの中にいるんだという自覚が先に立つのでしょう。
苦しみを洞察し、その苦しみから解放する教えが仏教なんだろうと思います。
理念から入ると仏教はとても難しい哲学になってしまうとも思います。
167真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/14 21:28
>>166
仏教を信仰、もしくはその教えに従って修行する側からすれば
そういえるでしょうね。
でも、仏教を説明するばあい、
たとえば、外人のキリスト教徒に説明したりするときには、
こういった問題意識が必要となってきます。
168名無しさん@3周年:04/05/14 22:00
>>158

三法印とか四諦八正道は、釈迦牟尼の仏教観を簡潔に理念化したものだと思います。
理念とは何かといえば、具体的な実践のための基軸であり拠り所であり水先案内人で
あると思います。人間は考える葦ですから、理念は常に行動に同衾してるのではない
でしょうか。


169レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/15 09:27
>>165
理念としては、四法印が分りやすいと思います。
教えとしては、七仏通誡偈などは、いかがでしょう?(^-^)

諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

【通解】
もろもろの悪を行うことなく、
もろもろの善を行い、
自ら、その心を浄らかにせよ、
これが、もろもろの仏の教えです。
170名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/05/15 10:03
>>167
確かに。外に向かって伝道する側にとってはそいうい仏教の説明が必要になてって
くるんでしょうね。かつて真言坊主さんが言っていたように、その辺で仏教の寛容
さや広さ、深さが、優柔不断とも受け取られるかもしれませんからね。
171真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/15 13:37
レンマさん
いつもレスを拝読しております。原始仏教の経典を熟読されているのですね。
その造詣の深さに驚かされています。
で、七仏通戒偈ですが、これが『スッタニパータ』などの
原始仏教の経典ならば、ばっちりなんですが、
大乗となると、これだけでは済まないような気がするんです。
もちろん、智などの大乗の者もよく引用はしているのですが。
ときどき、大乗の中でも如来蔵思想をはじめ、一部の教理は
仏教にあらず、とする意見を目にしますが、
そういうことは今のばあいはぬきにして、
仏教であることを自認するもの、すべてのものに共通する理念を
模索したいのです。仏教って寛大ですけど、
こういったところがやっかいですね。
外人さんに、このような宗教あるということをいうと、
なんじゃそりゃ、って反応を示すかたがいますよね。
一神教のものさしで仏教を語りたくはないのですが、
そのような答えもいちおう用意しておきたいものです。
172真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/15 13:42
>>170
名無しの言辺さん
まったくそうなんですよ。>>171にも書いたことなんですが、
真剣、なやんでいます。
養老孟司なんかは『バカの壁』のなかで
キリスト教は一元論、仏教(とはいってないですが、
私は仏教だと思っています)は二元論、という見方を出しています。
これなんかはかなりヒントになるような気がします。
173名無しさん@3周年:04/05/15 17:05
キリスト教は一元論ですか?
原理的にはそうかも知れないけど、現実問題としては二元論では?
あるいは、3元論?

仏教は一元論二元論という議論の外だとは思うのですが、
どちらかと言えば一元論ではないでしょうか。

ただ現場では、これはもう絶望的に二元論ですが。
霊魂実在の常見が当然のこととして、僧俗にまかり通っていますしね。
いまさら反論・反発すらできない状況。
174初学者@3ヶ月目突入:04/05/15 23:30
お久しぶりです。
「本地垂迹思想」についてお伺いしたいのですが。
「本地垂迹思想」に基づいて解釈した場合という前提で、
@垂迹の方の神に人や神を殺したという神話があって本地が例えば阿弥陀如来であった
場合阿弥陀如来がオウム真理教的な意味での「ポア」をしたと考えて問題ないでしょう
か?
A何々権現に祈願した結果敵対する一族を滅亡させることができたといった人間がいて、
その祈願した権現の本地が釈迦如来であった場合、釈迦如来が虐殺の手助けをした
と考えて問題無いでしょうか?
175名無しさん@3周年:04/05/16 00:04
問題あるでしょう。

本地垂迹思想というのが、もともと無理のある思想なんだから。
神は神であり、六趣の天界に属する者で、
教化の対象です。
全知全能であるでなし、完全に善でもなし。
176レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/16 11:15
>>171
諸行無常、一切皆苦、諸法無我、涅槃寂静
四法印は、初期仏教から大乗、密教にいたるまで、共通した概念だと
思います。
通常、初期の仏教と大乗では、菩薩行(慈悲)と、成仏の概念が
おおきく異なるようですね。
外国の方へ説明する場合、どういう問題が考えられるのでしょうか?(^-^)
177名無しさん@3周年:04/05/16 11:59
本地垂迹ですが、殺生は仏の作用ではありませんので、
@の神話と如来との関係は信憑性があるとは言えません。
Aも同じく如来と何々権現との間の関係は無効です。この場合の本地は
きっと魔界でしょう。
178レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/16 12:46
本地垂迹思想

あらぶる神々が、仏の教えに接して、仏教に帰依するのですが、
実は、その神は、もともとは仏だった、という話でもあります。

したがって、一方に組して戦争を勝たせたとしても、
それは垂迹の立場であり、本地の仏の立場ではありません。
垂迹の行いは、本地の行いではありません。
仏教でも、権教と実教で内容が異なるのと一緒です。
179真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/16 16:47
>>176
外国、殊に一神教の宗教を信仰している人からすると、
仏教のように多様化した教義は納得できないようです。
きっと、なんでもアリっていうのを宗教として認めたくはないのでしょう。
内村鑑三なんかは、唯一神を信仰するキリスト教に出会ったことによって、
あちこちの神社や寺院の前でいちいち拝礼しなくても済むようになった、
すなわち、たくさんの神仏から解放された喜びのようなことを言ってますが、
これはその逆のパターンでしょうね。
180レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/16 18:55
> すなわち、たくさんの神仏から解放された喜びのようなことを言ってますが、
たくさんの神仏を否定して、「己こそ己の寄る辺」でいいのではないでしょうか?
181名無しさん@3周年:04/05/17 20:08 ID:cApqEFGV
原始仏教から現代の仏教までの歴史が分かる一般向けの書籍があったら教えてください。
できたら各経典の成立時期や大まかなアブストラクト、各経典の関係、儀典かどうかも
分かる書籍だったら助かります。

著者の説が入っていると思うのでもし複数の著者の書籍がありましたら是非お願いします。
182名無しさん@3周年:04/05/17 20:19 ID:6+9+op3S
平川彰『インド 中国 日本  仏教通史』(春秋社)
       

   
 
183名無しさん@3周年:04/05/17 20:20 ID:6+9+op3S
あ、ID制になったんだ?
そりゃ良かった。
184名無しさん@3周年:04/05/17 20:23 ID:BWCQ7YIq
>183
シッ だまってろ。
まだ気づいてないヤシいるから。
185名無しさん@3周年:04/05/17 22:34 ID:cApqEFGV
おっ、おいらの発言がID化後の最初の発言だったのか。やりぃ。
さて、相撲取りや某渡が引っかかるか・・・

>>182
ありがとうございます。
他にありましたらどなたかどうかよろしくお願いします。
186初学者@3ヶ月目突入:04/05/18 02:03 ID:5agRkU/w
>>175
>>178
どうも有難う御座いました。御二方論旨が異なるようですがとても参考になりました。
187名無しさん@3周年:04/05/18 02:32 ID:UiXaqMCz
すみません、「功徳田」と「皆巳」ってなんですか・・・
往生要集を勉強しているのですが、さっぱりわからず(号泣)
よろしければお力をおかしくださいm(_ _)m

功徳田はおそらく一単語だと思うのですが、功徳とは違うのでしょうか?
皆巳は単語なのかどうかもよくわからない・・・。
本文は「一たび南無仏と称せば 皆巳に仏道を成す」とあります。
188名無しさん@3周年:04/05/18 07:49 ID:jmlZAU9b
浅草の帝釈天の板仏の画像見ませんでしたか?検索しても見当たらず。
載っている本でもいいです。
あれは公開されていないでしょうか?行けば撮影できるのでしょうか?
189名無しさん@3周年:04/05/20 18:21 ID:5EpJkp2x
主だった宗派の代表的な経典をまとめた書籍があったら教えてください。
190名無しさん@3周年:04/05/20 18:24 ID:/ll0X+vI
皆巳→みなすで

まんまですがな。辞書引きや。
191名無しさん@3周年:04/05/20 18:28 ID:/ll0X+vI
>188
帝釈天は浅草じゃなくて柴又ですよね。
現地に行けば土産物として、小型のお護りが売ってますよ。
私も持ってますな。
192名無しさん@3周年:04/05/20 21:45 ID:z7IL8YKU
>>189
『現代語訳大乗仏典 1〜5』:東京書籍: 各2,100円 (税込)
主要な大乗仏典17の精髄を現代語に訳しわかりやすく解説する入門叢書
193189:04/05/20 22:08 ID:exECI0NK
>>192
ありがとうございます。
194 ◆5HOtQhGkBY :04/05/20 23:07 ID:WgltjAk3
> われ無上功徳田を帰命し礼したてまつる。
解説
わたしは、無上の三宝を、帰命し礼したてまつる。
195名無しさん@3周年:04/05/21 00:52 ID:5HVKramI
筑摩の『大乗仏典』はどうですか?
3800円のものですけれど・・・
『原始仏典』と2冊あれば、基本的なところは押さえられるかと。

196名無しさん@3周年:04/05/22 10:44 ID:SUUpV818
すみません。もらったプリントが不鮮明で巳(へび)己(おのれ)にすると
意味不明になってしまうので躓いていました。すでに、のほうだったんですね…
197名無しさん@3周年:04/05/23 06:36 ID:BRRtw39s
>>191
有難うございます。むむ、やはり東京まで行かねばならぬか…。田舎なんで。
悩。
198名無しさん@3周年:04/05/23 18:07 ID:2mvqsU/Y
大変くだらない質問で恐縮ですが・・・

http://homepage3.nifty.com/205/chiharu24jp/back/f22230795.html
↑の背中に彫られているのは一体何なのでしょうか?

最初は弁天かな?とも思いましたがどうも違うようなので・・・

今のところ持物の形状から「耳かき神」「綿棒神」「木琴神」と呼ばれています。

宜しければお答え下さい。
199名無しさん@3周年:04/05/23 18:22 ID:7LJI3yqO
法華経の中で、唱えると浄霊効果がある、お経は、何ですか? 教えてください。
200ネットサーファー@~の國:04/05/23 21:46 ID:GqLL8f61
ホーホケキョ
ケキョ ケキョ ケキョ ケキョ
201ネットサーファー@~の國:04/05/23 21:50 ID:GqLL8f61
世の中には恐怖の対象があるのではない。
ただあなたの中に恐怖の感情があるだけなのだ。
そして人はその恐怖の感情を恐れ続ける。
202レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/23 21:52 ID:TEpjqzeq
仏教では、基本的に、霊の存在を認めていません。(無我)
ですから、経典には、浄霊効果は無いと思います。私見ですが。
203名無しさん@3周年:04/05/23 22:05 ID:qlyu52bG
>>202
そんなもん、霊の定義によるだろう。

仏教では、基本的に、仏性の存在を認めていません。(無我)
ですが、仏性を説かない日本仏教は無いと思います。私見じゃないよ。
204レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/24 12:28 ID:kpKs8M9T
>>203
霊は定義の問題でしょうが、「浄霊効果」は定義の問題ではすまされないのでは?

仏教では無記ですが、わたしは、霊の存在を否定はしていません。
つまり、霊障というものは存在(縁起性)し、それに対して経典は
役に立たないと考えます。
205仔猫の尻尾:04/05/24 12:30 ID:d3I8GmjV
>>203
霊魂で駄目なら、
念、あるいは識という単語ならいいのか?
206名無しさん@3周年:04/05/24 14:41 ID:Y5XKdVGT
てすと
207名無しさん@3周年:04/05/24 17:33 ID:nV7XG7et
“悟る”って具体的にどう言うことでしょうか?
208名無しさん@3周年:04/05/24 18:33 ID:nV7XG7et
あと>>158は私です。
まだ、よく理解は出来ませんでしたが、皆さんご親切にありがとうございました。
209名無しさん@3周年:04/05/24 22:46 ID:sJbiQkT/
>>204
いや、だから霊ってなにさ。
210仔猫の尻尾:04/05/24 23:02 ID:d3I8GmjV
霊って何だろうね。
霊魂と識の相違は?
空との関係は?

・・・・って、かなり日本仏教の根源的な問題に関わるテーマではあるね。
211名無しさん@3周年:04/05/24 23:39 ID:Yux/Wxzk
>>202
レンマさん、コピペですが、ここで魂と訳されているヴィンニャーナは所謂、霊じゃないですか?
しかも輪廻+来世あるいは中有のようなものが想定されていることは明らかでしょう。
ここに限らず、パーリ、サンスクリット、漢訳、蔵訳、シナ撰述、チベット撰述、日本撰述
いずれにしても霊や鬼神に充ち満ちていることは否定しようもないんですけどね。

191 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:04/05/17 11:37
>中公の世界の名著1、451-456ページ
> 「病あつきヴァッカリ」です。示唆に富むと思われるので以下に紹介します。
>
> 病の床についたヴァッカリ尊者のもとへ釈尊がいらして、語りかけます。
> 釈尊:悩みや後悔がないか?
> ヴァッカリ尊者:ある
> 釈尊:では戒律は清浄だったか?
> ヴァッカリ尊者:清浄
> 釈尊:清浄なら悩みや後悔などないではないか!
> ヴァッカリ尊者:釈尊にお目にかかる体力がないこと(意味不明、たぶんヴァッカリの小さな拘り)
>     以下引用、
212名無しさん@3周年:04/05/24 23:39 ID:Yux/Wxzk
192 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:04/05/17 11:38
>968 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:03/09/15 17:08
> >「ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい。おまえが、(わたしのやがては)腐敗してゆく
> >この肉身を見たからといって、それがいったい何になろう。ヴァッカリよ、ものごとの理法を
> >正しく見る者は、わたしを見るのであり、わたしを見る者は、ものごとの理法を正しく見ること
> >になるのです。ヴァッカリよ、ものごとの理法を正しく見ている者は、(結局その理法にほかな
> >らない、この)わたしを見ていることになり、わたしを見ている者は、(結局のところ)もの
> >ごとの理法を正しく見ていることになるからです。
> > ヴァッカリよ、ものは、永遠に不変のものなのか、それとも無常なのか、
> >おまえはこのことをどう考えるか」
> >「師よ、無常です」
> >「感受、想念、因果的存在、心は永遠に不変なのか、それとも無常なのか」
> >「師よ、(それらはすべて)無常なものです」
> >「こういうわけだから、このように(すべてのものが無常であることを)みて、再びこの(苦の)
> >世界に生をうけることはないと知るのである」
>
> この後ヴァッカリ尊者は無常を覚り、自殺する。すると悪魔がヴァッカリ尊者の魂を探すが、
> 魂は止まることなく涅槃したことを釈尊がみなに告げる。
213名無しさん@3周年:04/05/24 23:40 ID:Yux/Wxzk
193 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:04/05/17 11:38
>969 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:03/09/15 17:08
> ヴァッカリ尊者のように自殺して涅槃に入ったケースにゴーディカ尊者がいます。
> 六度解脱し六度解脱から後退した彼は、七度目に解脱した時に自殺し涅槃する。
> 悪魔がゴーディカ尊者の魂を探すが、見つからない。釈尊は彼が涅槃したことを讃える。
>        中村元訳『悪魔との対話』岩波文庫 48-52ページ
>
> もちろん釈尊は不殺生戒で普通の自殺を禁じています。諸律に説かれますが複雑なので引用しません。
> 解脱せずに自殺すれば輪廻しますし悪趣に落ちるとされます。
> それとは逆に上の二ケースのように解脱した状態で自殺した場合、涅槃できると考えられます。
> 悪魔は自殺した人が輪廻にあると思って魂、中村訳では「識別力」を求めていること、
> それを釈尊が認めていることから、凡人の死後が想定されていることがはっきりします。
> これはベロさんの答え>>801 と全く対立すると思います。
> もちろん、ここで「魂」「識別力」と訳されている識(ヴィンニャーナ)も無常なものであることは、
> 「心」と訳されている識(ヴィンニャーナ)が無常であること既に釈尊が確認ずみです。
>     (尚、輪廻の主体は仏教で問題となり色々な説が考え出されたが、このように初期は識とも
>      言われていたようです。無常性を強調して後に心相続というようになったのかも?)
214名無しさん@3周年:04/05/25 00:26 ID:LJvXZEHk
>>125 >>131
レンマさん、霊に続いて地獄等の六道は単なる概念ではないでしょう。
近代日本仏教学の一部を除いてすべての仏教は六道輪廻という苦の現状認識から出発します。
実在をどうゆう意味で使われているか分かりませんが、現在の経験世界を実在と呼ぶなら、輪廻も実在です。
もちろん、それら全ては無常で空ですが。

例えば、中村先生の『ブッダのことば』779 はこのように

想いを知り尽くして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執着に汚されることなく、
(煩悩の)矢を抜き取って、つとめ励んで行い、この世もかの世をも望まない。

それを水野弘元先生はこう訳しています。

想を遍知して暴流を度るべし.
牟尼は諸遍取に染取するなく、
箭を抜き不放逸にして行じつつ.
此世と他[世]とを願求するなし.
                         南傳大蔵経、第42巻、79頁
215名無しさん@3周年:04/05/25 00:26 ID:LJvXZEHk
その古い註ニッデーサで、その部分をこう註釈しています。

此世と他[世]とを願求するなしとは、此世たる自己の身体を願求せず、
他世たる他人の身体を願求せず.此世たる自己の色・受・想・行・識を願求せず、
他世たる他人の色・受・想・行・識を願求せず.此世たる自己の六内処を願求せず、
他世たる他人の六内処を願求せず.此世たる人世間を願求せず、
他世たる天世間を願求せず.此世たる欲界を願求せず、
他世たる色界・無色界を願求せず.此世たる欲界・色界を願求せず、
他世たる無色界を願求せず.更に趣・生起・結生・有・輪廻又は輪転を願求せず.
欲求せず、楽はず、冀求せず、希望せず、熱望せざるなり.
これ「此世と他[世]とを願求するなし」[の義]なり.
                         南傳大蔵経、第42巻、85-86頁
つまり聖者はこの世の楽もかの世の楽も望ます、解脱を目指すということです。
まれにこのよう色界・無色界の記述を現世における意識状態と強引に解釈する人がいますが、
上のヴィンニャーナの例といい、この例といいそういう解釈は無理だとはっきり分かるでしょう。
この世とかの世というのが現世と来世であるとはっきり分かります。
なぜなら「趣・生起・結生・有・輪廻」という部分が来世での再生をはっきり意味していますから。

ヴァッカリ尊者ゴーディカ尊者の例は煩悩があるかぎり輪廻してしまうことをはっきり示しているでしょう。
また、昇天・輪廻等の教えを初心者への方便と解釈する人がいますが、この例はそれをきっちり否定します。
なぜなら、涅槃に入った尊者たちへの最後の教えとして説かれた教えだからです。
216名無しさん@3周年:04/05/25 02:09 ID:RyhIF+7C
新生仏教ってどのような宗教なのですか?
217名無しさん@3周年:04/05/25 18:20 ID:9yKpJbqE
お経に浄霊効果ないのですか? でも、祈祷とかは、効果あると思いますよ。
218レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/25 22:49 ID:z3qx6Ler
この現実の地上の世界を仮に実在と呼びました。

問題は、六道輪廻をどう解釈するか、ですね。
地獄とか天界とかが、この現実の地上以外のところにあると考える人は、
現代には、ほとんどいないのでは?
六道がこころの働き(識)であるというのなら、同意します。

それとは別に、霊障というのは、経験の上から、現実の世界で、病気や怪我など
物理的な作用をともなう、という意味で、実在していると、考えます。

霊の正体まではわかりませんが・・
いずれにせよ縁起性で、ただしく供養すれば、やがては消滅すると考えます。
219名無しさん@3周年:04/05/25 23:49 ID:KbNjG9bV
唯物論者には何も出来やしませんよ。
220名無しさん@3周年:04/05/26 00:52 ID:/2eNMaHY
>>218
正体も分からず供養すればなんとかなると思うとは笑止な。
そういう根拠のない妄想にはつい反応しちゃうんだよね。
あなたのような善良すぎるおばかさんがたくさんいるから霊感商法は廃れることを知らないのでしょう。
221名無しさん@3周年:04/05/26 11:24 ID:RRvftSRz
>>218
> 地獄とか天界とかが、この現実の地上以外のところにあると考える人は、
> 現代には、ほとんどいないのでは?
> 六道がこころの働き(識)であるというのなら、同意します。
上のような立場のレンマさんは、>>211-215 の経典の記述をどう解釈するんですか?
222レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/28 16:23 ID:m3yLM5rr
>>220
> 正体も分からず供養すればなんとかなると思うとは笑止な。
笑止・・?
”供養”の意味も知らずにそう来ましたか・・
わたしの言っている”供養”とは何か、何もしらずに馬鹿にするのですか?
それはいかがなものか、と思います。
修行をしていれば、正体はわからなくても、”いる”ということは感じとることができ
ますし、わたしの師匠が対応した後は、”いなくなった”ということが、わかります。
霊障を”取り除く”ということと、”霊の正体”とはまったく異なる次元の話です。
>>221
経典は、さまざまな時代の人間の考えが反映されています。
>>211-215の経典は、そういった後世のひとびとの書き込みであると感じます。
つまり、釈尊の真意ではないでしょう。
霊の存在は、わかる人には物理的に感じ取ることができるものですので、高次元などを
想定する必要がありません。ただし、霊の話も、釈尊とは関係ありません。
霊はこの世にあって、名色(ナーマルーパ)を所有していない存在で、苦しみをもって
いると感じます。迷いの存在ですね。
223レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/28 16:32 ID:m3yLM5rr
>>207
>“悟る”って具体的にどう言うことでしょうか?
漢訳で悟りは”証”と書かれます。証拠の証、証明の証(あかし)が悟りです。

また、釈尊の最初の説法で、「コーンダンニャは悟った!」といわれていますが、
「悟った」の部分は漢訳で、「一切智を得た」と書かれています。
智慧によって悟るということです。

おまけ「悟りとは気づきである。」増谷文雄
224名無しさん@3周年:04/05/28 16:50 ID:jdpzoUIa
>>222
>>経典は、さまざまな時代の人間の考えが反映されています。

たしかに解釈の変遷はありますが、輪廻に関しては、釈尊以前も以後も
前世から来世に経巡るということでずっと一貫してますよ。

レンマさんのような輪廻の解釈は日本近代の一部のみのものです。
増谷文雄は読むべきものではないですね。彼などは輪廻や鬼神を切り捨てた代表ですが、
そこに根拠はまったくない。あるとすれば科学的でないという単なる時代への迎合のみです。

そのような解釈に従っては仏教を学ぶ意味はほとんどないと思います。
225レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/28 19:09 ID:bHIz++br
>>224
>増谷文雄は読むべきものではない
この意見、つい最近知りました。ちょっと意外ですね。

中村元先生のブッダの言葉などのパーリ語仏典を読むと、
増谷流の解釈が、一番無理の無い解釈と感じていました。

今日の学問的には、増谷先生は、否定されているのでしょうか?

> そのような解釈に従っては仏教を学ぶ意味はほとんどないと思います
最近、「四法印、四諦、八正道だけ学べば仏法は十分なのではないか」と考えます。
あとは修行(八正道)の継続あるのみ・・
226名無しさん@3周年:04/05/28 23:21 ID:jdpzoUIa
学問的にはあいてにされてないといった方が正確でしょうね。
ここで批判されてる和辻哲郎の方法を稚拙に薄めたようなものですから。
http://www21.ocn.ne.jp/~kobataka/literature/shimoda/sairoku.html

原始仏教ならまずなにをおいても水野弘元先生の本を読むべきでしょう。
その後で、南伝大蔵経で『大品 マハーヴァッガ』を読まれることをお勧めします。
英語がいけるなら、水野先生の次にここで主要な物がただで読めますよ。
http://www.sacred-texts.com/bud/index.htm#south

「四法印、四諦、八正道だけ」で行く人もいいと思います。
ただ独習はそれでも厳しいでしょう。よい僧につかないと。
227207:04/05/29 02:36 ID:BRhwt3Wj
>>223
難しいですね。
228レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/29 22:03 ID:M/YMLDGm
> 水野弘元先生の本を読むべき

たしかに、坊さんの間では、定評があります。わたしも20年くらい前に、師匠に薦められて読みましたが、
今よむと、情報として少々古い気がしますね。
「空の思想史」 立川武蔵 講談社学術文庫 などは、”空”を理解するにはお勧めですね。
229名無しさん@3周年:04/05/29 23:36 ID:SdiAMeBj
古いですかね。しかし最近逝去された西洋の大仏教学者ドゥ・ヨングも、
水野先生の諸著作の英訳を強く望まれているんですけどね。
学者の間でも、今でも群を抜いていると思いますけど。
あと、村上真完のパラマッタジョーティカーもいいですよ。高いけど。

立川さんの、それ私はあんまりです。
同じ文庫なら断然、梶山先生の空の論理をお勧めします。
230名無しさん@3周年:04/05/30 00:50 ID:8lREbTjg
>>222
>修行をしていれば、正体はわからなくても、”いる”ということは感じとることができ
>ますし、わたしの師匠が対応した後は、”いなくなった”ということが、わかります。

これであなたが一種のカルトに所属していることが知れた。
まあカルトが言いすぎであったとしても、穏便な伝統宗派からは遠いところにいるのはたしかみたい。
別にそれはそれで個人の自由なんだろうけど、妄想教義と一般的な質問箱用レスをごっちゃにしちゃだみだよ。
231レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/30 08:58 ID:+Gx4jtDM
>>230
ああ、失礼。
前にも書きましたが、”霊”の話は、仏教とは関係ありません。m(_ _)m
>>222 の師匠は、気功の師匠です。カルトではないし、宗教ですらありません。
>>228 の師匠は、伝統仏教の師匠です。日蓮○宗ですが、カルトかどうかは意見の分かれるところですね。
232名無しさん@3周年:04/05/30 14:13 ID:vIrzh9av
>>231
>前にも書きましたが、”霊”の話は、仏教とは関係ありません。m(_ _)m

その単純さには反吐が出る思いです。
あなたの言うドキュソ風味の霊の話はまさに仏教と無縁でしょうが。
233名無しさん@3周年:04/05/30 14:27 ID:ThaMi89d
>修行をしていれば、正体はわからなくても、”いる”ということは感じとることができ
>ますし、わたしの師匠が対応した後は、”いなくなった”ということが、わかります。
騙されやすい人ですね。
先生が「いる」と言ったらいる。先生が「いなくなったでしょう」と言ったら
「はい、いなくなったと思います」そんな騙しがまかり通るのは子弟関係のある
カルト内部だけです。
その場で事故があった、自殺があったと知らなくても通っただけで分かるのでなくては
嘘をついていることになると思いますが。




それと、日蓮正宗はカルトです。
234レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/30 21:43 ID:+Gx4jtDM
>>232 >>233
”霊”については、あなた方に霊感がないのなら、これ以上話しても無駄です。
ですので、これまでにしておきましょう。スレ違いでもありますしね。

>>日蓮正宗はカルトです。
説明していただければ、反論しますが?
235sage:04/05/30 22:25 ID:B9fIuHPN
レンマさん
ここでは、論争および、論争になりそうな事はお控えください。
他の方々も、批判はお控えくださるようにお願い致します。
236名無しさん@3周年:04/05/30 23:27 ID:kqFi8iTb
浄土宗と浄土真宗の違いを詳しく教えて下さい。
大まかな違いは分かるのですが、細かい所までは分からないので…
237名無しさん@3周年:04/05/30 23:37 ID:OptZxsN/
内観法をご存じの方にお訊ねしたいのですが、
これって瞑想法の一種なのでしょうか。
アブナくないのでしょうか?
なんでも、浄土真宗の一派から発生したとのことですが・・
238名無しさん@3周年:04/05/31 07:55 ID:LXaWn36J
>これ以上話しても無駄です。ですので、これまでにしておきましょう。
いいでしょう。レンマさんには普通の人にはわからない特別な霊感があるそうです。

>説明していただければ、反論しますが?
説明するまでもないので ry
239名無しさん@3周年:04/05/31 07:58 ID:hRoJevFo
国際】「資源独占の恐れ」日中境界海域にガス採掘施設、欧米企業も参加−中国★6
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1085914241/
中国が尖閣諸島周辺の国境付近で資源採掘を開始ししだしました。
ガス採掘施設となってますが、それだけではなく、
ここにはなんと、イラク・イランに匹敵する世界2位の規模を誇る原油が眠っています。
そしてほとんど日本の領土側に眠っている資源が、
ジュースのストローで吸い上げられるように中国に持っていかれかねません。
こっから採掘吸い上げ全部、
           .↑
中共経済水域←‖  .|→日本経済水域
〜〜〜〜〜〜〜‖.〜|〜〜〜〜〜〜海面〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
              ‖.  |
**************‖**.|********海底***************************
              ..\. |
              .\| ■■■■■■■■資源■■■■■■■■■■
                .|\■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
                 .| ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
これがあれば日本は強力な資源大国になれます。
今の不況や失業など一気に吹っ飛ばし、安全なバブルが到来します。
中国・北朝鮮に対し、有効な外交カードになるのも明白です。
この暴挙をみすみす許している日本政府と外務省、
国家の一大事であるにもかかわらず一切放送しないマスコミ。
今声を上げないと、この国は終わるかもしれません。
まとめサイト
http://mobius1.nobody.jp/
240机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/31 10:43 ID:t74bVXW4
>>239
いわゆる尖閣諸島の領有権の問題だね。

かなり難しい問題でもある。
まずは既成事実ってのを作りあげて、それから交渉するのがいいのかもしれないけど、
今となっては外交上の失敗かと思うよ。

板違いだからこれ以上はコメントは裂けるけど。
なかなかいいサイトだね。
241レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/31 12:29 ID:Vj+0heOR
>>237
「内観法」で有名なのは、白隠禅師の軟酥の法ですね。
あぶないというのは禅病のことでしょうか?禅病の心配はありますが、
正しい師について修行される分には、なんら心配ありません。

白隠禅師の健康法 内観法
http://homepage2.nifty.com/uoh/hosp/22hakuin.htm

ヴィパッサナー瞑想
http://www.satisati.jp/

おそらくご質問の「内観法」は下記でしょうか?カルトかどうかはわかりません。(^-^;;

内観法
http://www.naikan.jp/
242名無しさん@3周年:04/05/31 17:17 ID:YuNSvY/I
>>43
遅くなったけど、
ありがとうございます。
243名無しさん@3周年:04/05/31 17:33 ID:YuNSvY/I
西暦56億6999万9615年ごろには、







弥勒菩薩が現れますか?
244名無しさん@3周年:04/05/31 18:33 ID:KVenFqXf
>>レンマさん

はじめまして、
レンマ=錬磨?さんは他スレでも「空」について熱心に言及されていましたね
日蓮宗とか日蓮正宗では、「空」についてはどのような捉え方をしているのですか。
「悪取空」は日蓮系では教義要諦のポイントになる概念ではないのですか

また、レンマさんは霊能体質のようですね。
「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」第七巻には、悪呪を
取り消し、悪魔を払う働きある呪文が収められているみたいですYO。
245レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/31 21:48 ID:rqS6vXYa
>>244
こんばんは(^-^)

>日蓮宗とか日蓮正宗では、「空」についてはどのような捉え方をしているのですか。
実は、”空”については、ほとんど話しがでてきません。
日蓮宗系では般若心経を読唱しませんし、”空”より、中道を重んじる風潮があります。

中国の天台法華に、空、仮、中の三諦という教えがあり、これが基本ですね。
諦は、真理という意味です。空は、有無を超えたところの空という説明をします。
仮(け)は、五陰仮和合といって、ものはすべて五陰が仮(かり)に集合してできたものと
考えます。したがって、中身は空(くう)ですが、空であることと仮であること、どちらにも
偏らない、中道を説きます。
246レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/31 21:57 ID:rqS6vXYa
>>244
> レンマさんは霊能体質のようですね。
どうも前回、誤解を受ける発言をして申し訳ありません。
霊能体質ではなく、いささか気功を習得した結果、良い気と悪い気の区別が
付くようになった、というだけのことです。”気得感”といい、特別な能力ではありません。
気功は、そもそも教義というものはなく、霊については何もわかりません。
ただ気を集めたり、気を払うということは出来ます。

> 「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」第七巻には、悪呪を
> 取り消し、悪魔を払う働きある呪文が収められているみたいですYO。
情報、ありがとうございます。
ですが、呪は、わたしのような素人には手におえないものです。
たとえば、寺でたく香(こう)は良い気が含まれ、邪気を祓う効果がありますが、
実は良い気は、同時に霊を集める効果もあります。そこがなかなか難しいところですね。
247名無しさん@3周年:04/06/01 02:27 ID:u3XhchNG
おまえら質問に答えろよ。
言いたい事だけいいやがって。
248名無しさん@3周年:04/06/01 03:26 ID:Ucvqjmso
だから、気が霊を集めるだとかの妄想は別スレに書く場所があるでしょうが。
わかんない子だねえ。ったく。
249名無しさん@3周年:04/06/01 04:38 ID:VKFrHBYW
今やってるNTTコムの障害ニュースと
昨日この板にアクセスできなかったことは関係あるの?
250名無しさん@3周年:04/06/01 20:50 ID:c7hLVRh7
>>245-246
亀レス、スマソです

>日蓮宗系では般若心経を読唱しませんし、”空”より、中道を重んじる風潮があります。

>中国の天台法華に、空、仮、中の三諦という教えがあり、これが基本ですね。

中国とインドでは、中論の三諦偈の解釈が違うみたいですね

「どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く、それは仮に設けられたものであって、
それはすなわち中道である」――中論(第24章第18詩)

中国天台では、空もひとつの極端として、空亦復空として否定して中道に帰結していくみ
たいです。一方インド仏教の解釈では、空、仮、中の三諦は同趣意のものとなる。
空も仮名も中道も、常に縁起観に裏付けられており、有無の対立を離れた正見、正思惟
です。このほうがすっきりしていて解りやすい。
空はその性質上、無極処であり無基底であり偏りようがないと思うのですが、しいて偏る
というのであれば、空見に偏るということなのだと思います。空見というのは、空を実有と
して実体化することです。

>”気得感”といい、特別な能力ではありません。

気エネルギーは瞑想中に指先から視覚的にも感じられますね。
あくまでもただ感じられるというレベルですが。
霊といえば、いつだったか山寺を巡ったおり、なんか妙に体にぞくぞくと寒気が走って困った
想い出もあります。寒気といっても、外気の温度が下がって寒くなるというのとは異質なゾク
ゾク感ですね。そういうのって確かにありますよね。(苦情が出そうなので、以後この類のお
はなしは止め!)
251名無しさん@3周年:04/06/01 21:29 ID:Ucvqjmso
もまいらは澱粉丸薬でばっちし頭痛がなおっちまうタイプだな。
プラシーボ効果ってやつだ。
大いなる偏見のなせる業だな。
そう考えると、そのゾクゾクってのは仏教の反対側にある境地ってところか。
どっかの師家は言った。「だまされるでないぞ」
252レンマ ◆WOFVciA9uE :04/06/01 22:37 ID:DjmmofK+
>>250
レスありがとうございます。
あなたのように詳しい人はなかなかいません。(^-^)
他の人の書き込みとは違って、しっかりした裏づけを感じとることができますね。

何も知らないくせに文句ばかりいう人にも見習ってほしいものです。

ところで、私の書き込みに対して、妙に攻撃的な人間が何人か見られますが、
おそらく、某宗教団体の洗脳されたかわいそうな人たちです。

しかし、このスレが荒れるといけないので、このわたしのコテハンをここで使用するのは、
これで最後とします。
253235:04/06/01 22:41 ID:jJHQXZEK
レンマさん

名前を変えて、またおいでください。いつでも歓迎します。
254名無しさん@3周年:04/06/01 23:01 ID:DjmmofK+
235さん、来なくなるわけではないので、またよろしくお願いいたします。

とりあえず、名無しで書いてみるテスト 今日なら、IDで判る
255名無しさん@3周年:04/06/01 23:22 ID:DjmmofK+
浄土宗と浄土真宗の違いを、詳しく書こうと思ったのですが、長くなるので下記を参照してください。

浄土宗と浄土真宗の違い
*ttp://www2.big.or.jp/~yba/QandA/03_02_26.html
256名無しさん@3周年:04/06/02 00:04 ID:lMVtqebe
>何も知らないくせに文句ばかりいう人にも見習ってほしいものです。

理に適っていないから攻撃されているのです。
単純なコテハン叩きだなんて浅い了見だから、某宗教団体だの洗脳だのと言った
手前勝手な解釈しかできないのです。
なぜ自らを省みようとはなさらないのでしょう。
あなたの言っていることの半分は、裏付けのない主観でしかありません。
257名無しさん@3周年:04/06/02 00:08 ID:0cYMWsUQ
>他の人の書き込みとは違って、しっかりした裏づけを感じとることができますね。
どこが?

>何も知らないくせに文句ばかりいう人にも見習ってほしいものです。
説明を求めただけでしょ?
わざわざ一部の煽りに反応して自分の正当化にスリカエてしまうのは感心しませんね。

>おそらく、某宗教団体の洗脳されたかわいそうな人たちです。

妄想
258名無しさん@3周年:04/06/04 12:31 ID:2CUiSf2N
仏教質問箱にいる香具師は、どうして言葉使い粗暴なのでしょう?
お釈迦さまは、粗暴な言葉を使うなとおっしゃっていますよ。
259名無しさん@3周年:04/06/06 00:41 ID:LiU3kPHz
弥勒が56億7千万年後に生まれて人々を救う、という伝説を
信じている人は、今はいないでしょう?

あなたは信じているのですか?
260自治スレ:04/06/06 11:05 ID:SEiGPTnA
板のローカルルールの改正についてご意見を頂けたらと思います。
よろしくお願いします。

心と宗教板の自治を……考えてみるテスト (4)
http://etc2.2ch.net/test/read.cgi/psy/1083663115/
261名無しさん@3周年:04/06/06 13:03 ID:Vl4D0ABw
>>259
マイトレーヤ待望論の本質を、信じる・信じないの二元的選択で
論じるのは、問題の本質から乖離していると思います。仏性にし
てもそうですね。仏性は有るのか・仏性は無いのかといった、中
道に反した問題提示自体がナンセンスです。マイトレーヤ信仰とは
何かとか、仏性とは如何なるかといった、テーゼの中身を語ってこそ、
意義があるのだと思います。
262名無しさん@3周年:04/06/06 13:17 ID:CSeBka5A
>テーゼの中身を語ってこそ、意義がある

何が意義があるかは人によって考え方が違うのでは?
263名無しさん@3周年:04/06/06 16:46 ID:Xx+HMFN0
>>260
まとめた部分がないと、具体的にローカルルールの
何を話しているのかわかりませんです。
264259:04/06/06 17:08 ID:VQlax598
>>261
失礼しました。

弥勒が「56億7千万年後に下生して、残されたすべての人々を救う」という、未来仏信仰がありますが、
おおくの人々は、「56億7千万年」などということには、関心が無く、とにかく「救ってくれればよい」と
漠然と考えていますね。そういう人々には、何年後という話は意味を持ちません。

マイトレーヤ信仰そのものは、起源が古く、紀元前2世紀にはすでに存在していたようです。
現代人は、このような未来仏信仰を迷信とするだけの常識は持っていると思われますが・・
265名無しさん@3周年:04/06/06 19:08 ID:6mW6O5pv
>>264
わたしたち人間は、下は地獄界から上は菩薩界にいたるまでの様々な生命を具えています。
「56億7千万年」というとてつもない数字は、その様々な世界をわれわれが遍歴してきたこと
を意味するというような内容の本を読んだ記憶があります。弥勒菩薩が「56億7千万年」後
に下生するのは成仏の器たる人間の姿としてであり、龍華樹の下で釈迦と同じ様に成道し
て、釈迦の説法に漏れた衆生を救済するというのは、とりもなおさず、わたしたち人間が、修
行の場である人間界において一生懸命に修行をして成仏していくということでしょう。そのこ
とを弥勒菩薩に象徴させて、「56億7千万年」という数字にメタファーしたのだと思います。
「56億7千万年」は一方的な未来ではなく、現在と過去を同時に含む無始無終という風に考
えればいいでしょう。 人身受け難し、その貴重な修行の場である人間界に生まれているの
ですから、くれぐれも人生を無駄生きするなという警告にも解せますね。
未来仏信仰を迷信とするか否かは、ひとえにその人の宗教的感受性に依ると思いますが、既
に具えられし菩薩界の生命を呼び覚ませば、未来仏信仰が今現在の瞬間瞬間の信仰にも成り
えましょうぞ。
266机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/06/07 06:09 ID:5HjMJ9Yf
>>265
>未来仏信仰を迷信とするか否かは、ひとえにその人の宗教的感受性に依ると思いますが

迷信というより方便かと思います。
その時代の教育水準というのもありましょうが、
例えば童話は対象とする幼児のみに有効である。
幼児期を脱するとその意の真意を悟る。

人は業が深きにより、方便(方法)に依りて彼岸へ至る。

267sage:04/06/08 22:56 ID:GE41jnSK
>>261
仏性とは何かを語る前に、正しい知識が無いならば、下記の本を読むことをお勧めします。

仏性とはなにか 『涅槃経』を解き明かす 田上 太秀 大蔵出版

--> 「一切生類には例外なく仏性がある。これが我である。」第七巻如来性品第4の4
つまり、仏性とは我(アートマン)のことであると涅槃経には書かれている。
ただし、涅槃経でいうアートマンは、バラモン教のアートマンとは別ものであるという。
詳細は、「仏性とはなにか」を参照してくだされ。
268age:04/06/09 01:24 ID:oEsu6G3m
>仏性とは何かを語る前に、正しい知識が無いならば、下記の本を読むことをお勧めします

「無常は即ち仏性也、有常は即ち善悪一切諸法分別心也」
    
 簡潔な要約、↑でよろすいのでは?
 
 推奨本はチャンスがありましたら読んではみます。
269名無しさん@3周年:04/06/09 01:27 ID:rRte4L1R

それ逆じゃないの?
270267:04/06/09 12:16 ID:GqAUmWLA
>>268
> 「無常は即ち仏性也、有常は即ち善悪一切諸法分別心也」
> 簡潔な要約、↑でよろすいのでは?
微妙に違いますね。
> 「無常者即佛性也、有常者即善悪一切諸法分別心也」

無常者即佛性也 などと思っている人は、「仏性とはなにか」を参照してほしいです。
271267:04/06/09 12:17 ID:GqAUmWLA
第一現成公按(ゲンジョウコウアン)

六祖は、門人の行昌に示して云った。
「無常はすなわち仏性である、有常はすなわち善悪など一切の分別心である」と。

ここで六祖が云っている無常は、外道や小乗などの測り知るところではない。
彼らは祖先から末流に至るまで、なにかと無常と云うけれど、彼らが無常を究めつくすことはできないのである。
すなわち、無常なるものがみづから無常を説き、無常が行じ来たり、証し来たれば、それはみな無常であろう。
六祖が無常の自分の体を現わして人を救う場合には、その無常の体を現わして説法するのである。
それが仏性である。
生滅無常のなかに、さらに或いは長い法身を現わし、或いは短い法身を現わして、自在に自身や他のために仏法を説くのである。
常に聖者なるものは、仏性のなかにあって無常なのだ、いわゆる凡夫も無常である。
凡夫は凡夫、聖者は聖者と定まっているならば、仏性ではありえない。
それは愚かな狭量な考えであり、妄想・分別の見方であろう。
それでは、仏身は小量であり仏性は小さな作りものとなってしまう。
こうしたことから六祖は「無常は仏性である」と。
272名無しさん@3周年:04/06/09 13:37 ID:N62wdOe4
仏性 凡夫にも聖者にもある常なるものです。

凡夫は無常なるクズを大量に身につけているので、
仏性が表れず隠れているだけです。

聖者と凡夫との違いは無常なる物の多少の違いにあります。
聖者と凡夫を相対関係で捉えていては真相は隠れてしまいます。
273自治スレ:04/06/09 20:08 ID:zg5XQjXn
板LRの改定案が出来上がりましたので最終確認を行っています。
異論がなければ試行したいと思いますのでご確認下さい。

http://etc2.2ch.net/test/read.cgi/psy/1083663115/770-n
274名無しさん@3周年:04/06/09 22:02 ID:7+R1kODd
>>271
>ここで六祖が云っている無常は、外道や小乗などの測り知るところではない。
>彼らは祖先から末流に至るまで、なにかと無常と云うけれど、彼らが無常を究めつくすことはできないのであ
>る。

無常観を抜きにした仏教というのは考えられませんね。
常なるものが無いなら、無常も無い道理でしょうけど、しかし仏教と無常は切っても切り離せ
ません。それだけ求道に値千金する公案ともなるでしょう。「常なるものはない」という認識だ
けは、唯一例外的に定まった常なる認識であるとは、釈尊は仰ってはいないでしょうから。し
かし六祖という人は、外道や小乗に対する優越感が酷いんじゃありませんか。外道や小乗と
いう概念にしても明らかに差別用語ですし、断定的にそれを使用するなら妄分別になります。
あまつさえ、彼等は無常を究め尽くすことは出来ないとまで言う。実は、究め尽くすことが出来
ないということは、徹底的に究め尽くし、それ以上究め尽くすことがないから、究め尽くせない
わけです。また究め尽くせないものは刹那的であり、刹那的なものには究め尽きるということも
ありません。六祖ほどの人物ですから、究めつくすことができないという意味は、きっとこのよう
なことも見据 えて仰ったのではないかと憶測しています。つまり、できるVSできない、の対立
を超えた不二です。 
275名無しさん@3周年:04/06/10 02:45 ID:T6b+qw0M
小乗が差別用語?
ご冗談を。
わずかな人間しか到達できない尊い境地。
これが崇高でなくて何なんですか?
276名無しさん@3周年:04/06/10 03:08 ID:rfZbbdaV
小乗を差別と感じることは、
当人が引け目を感じているから
差別であると受け取るだけの話ですよ
小乗は堂々と小乗を名乗るがいい
小乗のほうが優れているという自負があったら
小乗と呼ばれることにホコリを感じる筈だ
呼び方、それも大小という、それ自体は価値をあらわす概念ではないところに
自分が何か価値を感じているとすれば、それは妄想であると私は言おう
277名無しさん@3周年:04/06/10 03:18 ID:DlOeXyKW
もしわずかなものしか到達できず、少数の者だけが救われることに少しでも自責の念を抱いているとすると、
「小乗」と言われただけで「ギクッ」と自分の心に反省の念が起こる。
それは、とりもなおさず、小乗という行じ方に対して自らが疑問を感じていることの表れに他ならない。
人はどうしても、「小乗」と言われると後ろめたさを感じる。
多くの人がこの感覚を持っているのであって、
なぜか、小乗の欠点を突かれたことに戸惑い、憤慨してしまうのである。
「小乗」の持つ欠点を、誰もが認識しているということである。
意識している、していないに関わらず、「小乗では最終的に無理がある」と
悟っている人間の本能的なものが在る。
278267:04/06/10 12:08 ID:ono9QLce
>>275
小乗の原語ヒーナヤーナには、劣った、という意味もありますナ。

もともと、大乗(マハーナーヤ)という言葉が出てきたときには、ヒーナヤーナという言葉は
使われていなかったといいます。

ダライラマは、ヒーナヤーナを差別用語としてではなく、小さなグループとか個人という意味で
使用していると断言していましたが、日本では差別用語になるので、日本では使用しない、
ともいっていました。

>「小乗」の持つ欠点を、誰もが認識しているということである。
それは偏見でしょう。正見ではありませんね。
279机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/06/10 12:54 ID:PKFYLY5M
267氏
公案というのは、そのおかれている状況において言うのであって、状況が変われば全く違う答えがあるもんだ。
>>271はいわゆる二諦におけるひとつの言い方。
これが慧能の全てではない。

ここで公案をまた吹っ掛ければ全く違った答えになる。
二諦にて調ふべし。
280名無しさん@3周年:04/06/10 14:01 ID:KgF6Td3u
原始釈迦仏教の根幹的な思想である「八正道」について、現代のお坊さんや、学者はどのような見解を持っているのでしょうか?
281名無しさん@3周年:04/06/10 14:33 ID:ct3Dz5St
>>278
たとえ自分だけが救いを得ても、
全体が悪ければ、全体の中に暮らしている自分も
存在できなくなることを、道徳感として直感的にわかっているのが人間です。
かといって、小乗の修行が優れてないわけじゃなくて
小乗的であることは何にもまして重要です。

大乗というのは自分のできる範囲で利他を行うから大乗なのであって、
「そうしなければならない」というのは大乗が小小乗になってしまいます。
大乗をやるなら真に大乗の立場に立ち、誰にでも行えるものに
する必要があるし、小乗をするにしても、行いやすい本当の意味での大乗を
行うことは可能です。というより、真に小乗的であることを目指すのであれば
いいかげんな(教条的な)大乗を取り入れると有害な偽善にしかなりません。
しかし真の大乗と真の小乗は相反することはありません。
282名無しさん@3周年:04/06/10 18:06 ID:j4+YS0hu
>>279
また腐敗菌が来たのかよ。
283名無しさん@3周年:04/06/10 23:48 ID:LrU4r3UJ
>>282
机専用が落ちたからな
284267:04/06/11 11:25 ID:0kudCk0V
>>280
>原始釈迦仏教の根幹的な思想である「八正道」について、現代のお坊さんや、
>学者はどのような見解を持っているのでしょうか?
過去の坊さんの話ですが、日蓮さんは、唱題という修行に「八正道はすべて含まれり」と
教えています。

学者さんがいうには、
スッタニパータなどに、3つ、あるいは4つといった形ででてきますから、
釈尊その人は、「八正道」という8つがまとまった形では教えを説かなかった
とされています。ただし、8番目が瞑想をあらわすかどうかは異論もあります。
そうはいっても、教えの基本であることにはかわりありませんね。
285自治:04/06/15 21:35 ID:YeLd4zss
板LRの議論中ですが9日を経過し、板住民の皆様のご協力でかなりしっかりと
した議論を基にできてきました。サンプルもできましたのでご一覧下さい

(サンプル)http://lime.kakiko.com/psy/index.html

ご意見は
心と宗教板の自治を……考えてみるテスト (5)
http://etc2.2ch.net/test/read.cgi/psy/1085664122/322-n
にお願いいたします。(書き込み前に前スレからの議論をご確認下さい)
また、自治スレは多数の宗教の方がいらっしゃいますので他宗教・宗派の
批判や自治議論以外の話題は厳禁です。
286 ◆tsQRBnY96M :04/06/19 09:18 ID:e2fWoF7k
原始仏教では、マントラが禁止されていたと聞きますが、
現代の日本の仏教では、マントラがごくあたりまえのようです。

いつからマントラが認められたのでしょうか?
287名無しさん@3周年:04/06/19 09:52 ID:tVH2DqUX
私はマンタ(マントラ)を唱えて修行して云々というのがテーラガーターにあったと思いますから、
マントラが禁止されていたわけではないのでは?
288名無しさん@3周年:04/06/19 09:55 ID:tVH2DqUX
http://members.goo.ne.jp/home/bodhicarya
 私にとっては、信仰が種である。
 苦行が雨である。
 智恵が我がくびきと鋤とである。
 慚愧が鋤棒である。
 心が縛る縄である。
 記憶修習が我が鋤先と突棒とである。
 身を慎み、言葉を慎み、食物を接して過食しない。
 私は真実を守ることを草刈りとしている。
 柔和が私にとって牛のくびきを離すことである。
 努力が我がくびきをかけた牛であり、ヨーガ安らぎの境地に運んでくれる。
 退く事なく進み、そこに至ったならば、憂えることがない。
 この耕作はこのようになされ、甘露の実りをもたらす。
 この耕作を行なったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。
289 ◆tsQRBnY96M :04/06/19 18:51 ID:e2fWoF7k
>>287
ありがとうございます。禁止されてなかったのですか?

>>288
オーム(アーレフ)の宣伝はヤメロ
290名無しさん@3周年:04/06/19 18:56 ID:P103QdGM
ファットマン
291名無しさん@3周年:04/06/19 19:01 ID:P103QdGM
ボックスカー
292名無しさん@3周年:04/06/19 19:03 ID:iDzsMCcX
293名無しさん@3周年:04/06/19 19:10 ID:VBHHhgMr
仏教徒は自他を区別してはいけない
嫌悪というくびきに己を限界付け、
知らず知らずのうちに、執着や怒りで作られた、
鳥籠の中の鳥になってることにも気づかずにいるなら、
それは不幸である。
294名無しさん@3周年:04/06/19 19:12 ID:LqwubOFO
「そのほうに御本尊を授与する」
「ハハーっ ありがたき幸せにございます」
日蓮のようなインチキ宗教が廃れずに続いてきたのは
物(本尊)で釣ってきたから
295 ◆tsQRBnY96M :04/06/20 08:27 ID:3ymDVF1s
>>294
日蓮さんは、そう簡単には「本尊」を与えたりしませんよ。
いまの某団体をみて、日蓮さんを判断してはいけません。
296名無しさん@3周年:04/06/20 08:57 ID:x44nJMg8
釈迦の時代には、呪術的な迷信でしかないダラニ・真言(マントラ)のたぐいは教団内
で使用が禁止されていたが、病気癒しや蛇除けなどの用途の限定つきで許可してい
た。それだけ実際に効果があったということです。
余談ではあるが、般若心経の有名な呪の部分は、特に効果が大であるところから、特
に、「マハーマントラ」と呼びます。是無上呪、是無等等呪なり。
297名無しさん@3周年:04/06/20 09:02 ID:x44nJMg8
>296
誤爆してしまいました。(^^ゞ
298名無しさん@3周年:04/06/20 12:06 ID:n6VAaf2B
日蓮は信心がないと本尊やらないと言って物で釣るのです

299 ◆tsQRBnY96M :04/06/20 13:46 ID:usn64Dkz
いや、日蓮が正しいというつもりはないし、五時八教は現代では完全に否定されているから
日蓮は末法の本仏でもなんでもないケド

別に本尊でつったりはしてないよ というだけですがな
300名無しさん@3周年:04/06/27 14:53 ID:BMHrKgeM
 浄土宗は、極楽浄土のことばかりを説いていますが、現世については我々を救ってくれることはないのですか?
301 ◆tsQRBnY96M :04/06/27 20:38 ID:1/zf8KLG
極楽浄土は、方便ですがな。

妙好人さんを、みてみなはいな。すくわれてますやろ。
302名無しさん@3周年:04/06/28 18:18 ID:w47hefCm
東京都内で、霊視してもらえる、お寺ありますか? できれば、日蓮宗のお寺で。
どなたか、ご存知でしたら、教えてください。よろしくおねがいします。
303名無しさん@3周年:04/06/28 18:20 ID:NRU2Xu2h
密かにはキリスト教より仏教のほうが人気があったりする。
304 ◆tsQRBnY96M :04/06/28 21:25 ID:D2oFaxvw
>>302
「日蓮が法門は、利根と通力とによらず」
日蓮宗で、霊視するゆうたら、インチキに決まっておる。
305名無しさん@3周年:04/06/28 23:34 ID:Ahof4MDa
いま、私は日常的に、「南無観世音菩薩」と唱えているのですが、
あるスレでそのことについて書いたところ、
以下のようなレスがつきました。


750 名前: 749 投稿日: 04/06/27 21:55
ちなみに自分は、自分が辛い時や、周りの人が辛そうな時、人から親切にされたとき、
「南無観世音大菩薩」と唱えてます。

このくらいのことしかやってませんが、、、、、、。


753 名前: 名無しさん@京都板じゃないよ [age] 投稿日: 04/06/28 11:38
>>750
それは、気をつけたほうがいいです。
力がある人の場合は、問題ないんですが、
常人がそれを唱えると、例えばお墓の近くや道路沿い(事故現場)などで
では、未成仏霊が寄ってきたりしますので、良くないです。
神社仏閣などは、パワーが強いので悪い霊は入ってきにくいですが
街中だとどこが過去おきた事故現場か、どこに霊がいるかなんて
わかりませんよね。
あまり唱えないほうがいいと思います。あまりにもリスクが高いので。




これって本当ですか?なんというか、霊に憑かれることがネックになっては、そもそも仏教精神など成り立たないような気がするのですが、、、、、。
306305:04/06/28 23:36 ID:Ahof4MDa
また、その余波として、このようなレスもありました。


754 名前: 名無しさん@京都板じゃないよ [age] 投稿日: 04/06/28 13:52
むやみやたらにどこでもご真言を唱えるものじゃないね。特に菩薩部は。


761 名前: 名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日: 04/06/28 22:23
>>758
>>754氏の根拠は観音様のような優しい神仏の宝号や真言を唱えると、
変な霊が救いを求めて寄ってくるという意味ではないか?
不動明王のような大火炎な憤怒尊の真言だったら、逆に蹴散らせるんだが。


とのことです。
ちなみに私は、誰かに回向をするために唱えているのでもなく、運気向上のために唱えているのでもありません。
霊を意識もしていません。ただ、自分を含めた世間の不幸や、ありがたさに「身につまされる」とき、ふっと唱えてしまうのですが。
307 ◆tsQRBnY96M :04/07/01 17:06 ID:OMGj8pxA
>>306
> ちなみに私は、誰かに回向をするために唱えているのでもなく、
> 運気向上のために唱えているのでもありません。
> 霊を意識もしていません。ただ、自分を含めた世間の不幸や、
> ありがたさに「身につまされる」とき、ふっと唱えてしまうのですが。
それなら、唱える言葉を間違っていますね。

「南無観世音大菩薩」というのは、「観世音大菩薩に身も心も従います。」という意味です。
まあ、意味も知らず唱えるのは止めた方が無難ですね。盲信というものです。
308名無しさん@3周年:04/07/01 20:12 ID:4w4FdymC
質問です。

このスレで質問に答えてらっしゃるみなさんは、禅で言う見性、悟りは得られておられるのですか?
309名無しさん@3周年:04/07/01 20:22 ID:KBWlwOV2
ぜんぜん
310名無しさん@3周年:04/07/01 20:47 ID:l3oam4tB
>309 うわっ、ベタベタや
311 ◆tsQRBnY96M :04/07/01 21:24 ID:D1gkfmsZ
>>308
見性、悟りは、その場に捨てていくものです。

また、誰でも、少々の悟りは常にあるものです。

更には、悟りが無ければ答えられないような難問には出くわしたことがありませんな。
312名無しさん@3周年:04/07/01 21:41 ID:HQqc4o2H
【拈華微笑】

不立文字や教外別伝の根拠とされている。原始仏典や般若経典などの
サンスクリット原典には記述されてない、いわゆる中国禅宗の真っ赤
な創作。
313名無しさん@3周年:04/07/03 03:39 ID:Tw/8nD8T
仏教の映画ってありませんか?

お勧めがあったら教えてください。
インド、チベット、南方、日本のそれぞれでの仏教に関するもので探しているのですが、
良いものが見つかりません。

リトルブッダを見たのですが何とも・・・
314名無しさん@3周年:04/07/03 03:41 ID:HeJZB1vo
オラウータンなどの
サルは自分と似ていない自分の子供を(子殺しする)殺す。
(立花隆『サル学の現在』平凡社より)

http://www.google.co.jp/search?q=cache:YzJwPXsiJZAJ:www.impala.jp/bookclub/html/dinfo/10110005.html+%E3%82%B5%E3%83%AB%E5%AD%A6%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E3%80%80%E5%AD%90%E6%AE%BA%E3%81%97&hl=ja
これを日本海外問わず広めるとアトピーが治ります。
315名無しさん@3周年:04/07/03 04:53 ID:qU1YpUYh
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FXNV/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005MIC7/

『ファンシィダンス』DVD 化されてないんですね。

チベットものは上記二つ以外に『ケンロプチュー・スム』というチベット語映画があります。
がインドのみで流通していて入手困難でしょう。
また、ミラレパもの等を制作中です。

日本映画でも各祖師の伝記映画がありますが、どうなんでしょう。
パッケージだけで観たいと思わないので...
316名無しさん@3周年:04/07/03 11:21 ID:aGRCZ/yl
ふぁんだイシス?
317名無しさん@3周年:04/07/03 14:13 ID:sAvA/qd+
>313

>315さんご紹介以外のチベット物と言えば「セブンイヤーズ イン チベット」でしょう。
>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FXM9/249-0092161-8579530

ただのブラッドピットの映画かなーと思ってたら最後に・・・というやつです。
これでハマッタ人もいるとか・・・って俺ですが。
詳しい人に言わすと、古きよきチベットの雰囲気なんだそうですよ。

リトル・ブッダは私も何がなんやら?

あと仏教とはちょっと違うけど「ガンジー」も良かったですよ。
>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00024Z5CM/249-0092161-8579530


参考に・・・「ファンシィダンス」ビデオのみです。
これはテレビでやったのを見たけど面白かったように思います。
現代の青年が山奥のお寺で修行することになったけどつまらなくて抜け出したり・・・
修行ってなんだろうって考えたり・・・する映画だったような?
見たときまだ子供だったので「なんで真面目になっちゃったの?」とか思いました。
今見るとわかるのかなー

>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GE54/249-0092161-8579530

それとレビューだけですが、これも人気が高いみたいです。

「達磨はなぜ東へ行ったのか」(韓国映画)
>http://www.seochon.net/korean_movie/movie/daruma.htm
318名無しさん@3周年:04/07/03 14:26 ID:IMtB7rsW
魂たちの幸・不幸のすべては、善・不善の行ないから生じるものです。
たとえ己の命を失うことになっても、不善なことをなしてはなりません。
319HOME SWEET HOME:04/07/03 16:42 ID:sT3grh8u
>>313
べたべたですけど「ビルマの竪琴」なんてーのは、いかがですか?
仏教のこと + 戦争の悲惨さのこと + スーチーさん問題ナド(笑

あっ!戦争モノで今、思い出しました。邦訳名「乳泉村の子」だったっけ? 
原題「清涼寺鐘音」だったっけかな?? 日中合作の栗原小巻さんが母親役で出てる
中国残留孤児の少年(青年)が人生に翻弄されながらも「みほとけの教え」に
縁をさずかるナミダ、ナミダ・・・の映画もありました。(ウルウル
320名無しさん@3周年:04/07/03 19:54 ID:H4mv0pCG
現在日本でもっともポピュラーな宗派って何ですか?
321名無しさん@3周年:04/07/03 20:46 ID:kPXqIhHU
初心者ですが、お願いします。

六曜っていうのはどれほど関係あるのでしょうか?
その通りに行動しなきゃならないのか悩んでいます。
みなさん気にしますか?
3224号 ◆2CMtjCEakk :04/07/03 21:56 ID:EvbUcaaH
>>321
ネットで六曜を検索してみれば判ると思いますが、
まず、江戸時代までは、権力と結びついて流行していました。
明治政府は、迷信ということで、六曜を禁止し、そこで六曜は
教えが失われました。
しかし、人々の要望が多かったため、六曜が復活しましたが、
元の六曜ではなく、形だけのものになっています。

したがって、六曜を気にする必要は、無いです。キッパリ
323321:04/07/03 22:13 ID:kPXqIhHU
>>322

どうもレスありがとうございます。

自分は神経質なトコもあり、ひょんなことから気になりだしたのです。
自分も調べたのですが、中国から来たものらしいですね。
このとおりに生活すれば、人生を無駄に過ごすのではないかと気になり
質問しました。
324313:04/07/03 23:44 ID:Tw/8nD8T
皆さん、レスありがとう。

ツタヤに行ったらセブンイヤーズインチベットしかなかったので、これを借りてきました。
ファンシーダンスを探して次は借ります。

空海って邦画があったのですが、これってどうでしょうか?
あと、他にも映画情報があったら教えてください。
325213:04/07/06 19:06 ID:gkAiC+3u
どんな臭いにもたいうる不屈の精神どんな臭いにも我慢して鼻息や息もせずにただ思う気持ちが、どんどんと邪気が振りほどかれ子供のころの目にもどります。後はたくさんの恋をしたり、スポーツをしたり歌を歌ったりすればさらにかがやきます。
326名無しさん@3周年:04/07/06 21:16 ID:4dc84ORI
○釈迦(1961) 配給:大映
○天平の甍(1980) 配給:東宝
○曼荼羅 若き日の弘法大師・空海(1991) 配給:東宝東和
○空海(1984) 配給:東映
327名無しさん@3周年:04/07/06 23:10 ID:j2dy3LBD
★心と宗教板LR改定の最終意見調整★
今回の告知を持って最終の案内とさせていただきます。特に修正意見や反対意見がなく
同意していただける方も「同意」と書き込み意思表示いただけたら幸いです。

心と宗教板自治スレ
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1085664122/
328名無しさん@3周年:04/07/07 17:31 ID:QXm4rlU4
仏教思想で、
「現世」は「宿」である、
という考え方があります。
この考え方を原典(経など)で確認したいのですが、
どういう調べ方をしたらたどり着けるでしょうか。
ご教示ください。
329机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/08 06:38 ID:gu4jNswg
>>328
「現世」といっても、仏教思想では世界は対象化できないですね。
だから「現世」は方便として解読せにゃなりません。

>どういう調べ方をしたらたどり着けるでしょうか。
>ご教示ください。

ものごとの本質はニ相があります。
先ずは「ものの考え方・捉え方」から学ばねばならないかと思う。

西田哲学あたりは、初心者にはいいかと思う。



330名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 19:10 ID:FxseJHyc
「立正安国論」のわかりやすいやつをおしえて!
解説者独自の見解とかが入っていない、プレーンなやつをきぼん。
331名無しさん@3周年:04/07/12 12:21 ID:PV2A2McF
>330

ヤフーブックス
>http://www.esbooks.co.jp/books/detail?accd=18738853
>渡辺宝陽・小松邦彰編『日蓮聖人全集』第1巻(春秋社) ¥6627
>立正安国論は、上段に訓読文にした原文、下段に現代語訳されている。

自分自身は読んだこと無いんだけど、こういう原文と訳文がならべてあるのはいいかも。
ただし、古本屋で探したら全7巻セットで売ってると思うので5万円ちょっとになります。
図書館で読んだ方がいいかも・・・もっと手軽なのはないのかねぇ・・・

つーか、いわゆる「御書」の中に、立正安国論って入ってないのかな?
332名無しさん@3周年:04/07/12 14:02 ID:ujSXDncs
大乗仏典 24;日蓮−中国・日本篇、藤井 学中央公論社1993
日本の名著  8−日蓮、中央公論社1974
333kaitabha:04/07/12 23:26 ID:L9LNKQaf
>>307
盲信はきみのほうではないか。巷の霊媒師の説と仏説をまぜこぜにしないように。
あなたのような人々の言説は霊感商法の存続を構造的に支え、一般の仏教理解を
歪曲させる。観音経でも最初から読んで見たまえ。

観世音を名を唱え、念ずるのは別に悪いことではないし、意味は分からなくとも真
摯ならば、更に深い仏縁ともなるだろう。305さんは、『自分は霊感があると思
い込んでいる人』々の盲信を参考にしない方がいいと思う。

この観音の名号を縁に、305さんにはインドなり、東南アジアなり、中国なり、日
本なりどれでもいいのだけれど仏教の様々なかたち、信仰に関心を持って頂けたらと
思う。
334crecre:04/07/13 18:04 ID:q0WoNsIR
お釈迦様の弟子にガルーラっていますか?
カルトでおかしくなったババァが「私には釈迦の弟子ガルーラがのりうつっている」
とかいいはって、日本語でめちゃくちゃいいます。
よその家のガラスを割って、そこの人を数珠でたたいたりして毎日嫌がらせをしているのに
警察が来ると倒れて「あら?何かしてた?」とまるで子供のようです。
でも警察も何かおきてからしか動けないとしかゆわなくてクソの役にもたちません。
困っています。裁判署や弁護士にも相談しているのですが。。。はぁ。。。
335名無しさん@3周年:04/07/13 19:01 ID:y8pSIpTt
>>334
迦楼羅(ガルダgaruda)でないの?
釈迦に教化され、仏法を守護する天竜八部衆の一神。
下級神なので、乗り移られておかしくなった?
精神科がお薦めです。
336名無しさん@3周年:04/07/13 20:32 ID:1uY0VMaM
>>334
パーリだとガルラだから、ちょっと信憑性あるなあ。

>>335 その漢字音写「迦楼羅」も、カルラでしょ。
337kaitabha:04/07/13 21:09 ID:o7jh0pbi
>>334
garudaと表記されることが多いのですが、三番目のシラブルdaは、実は
反舌音という日本語の発音法には無い音で、早口だと殆ど「ラ」に聞こえ
ることがあります。だから、「ガルラ」といえば本来のサンスクリット音
に近くなります。そうだとしても、普通迦楼羅という場合には、仏教(主
に観音)守護神の一人と信じられ、釈迦の○○弟子という中にはないです
ので、わたし達はそのおあばさんの言葉を妄言と言わざるを得ないのです。
これはやはり法的な手順に従い解決するしかないでしょう。最寄の役所など
にその手の問題を扱う相談所があるかも知れません。大変でしょうがめげず
に頑張って下さい。
338名無しさん@3周年:04/07/13 21:16 ID:jvxXK1z+
俺的には「超電磁ロボ コン・バトラーV」の「ガルーダ様」を
思い出すね(ゲラ ・・・教団名晒せねえの?
339crecre:04/07/13 22:03 ID:V5x1ebOV
みなさんお返事ありがとうございます。
もしかするとみなさんが教えてくださったgaruda様のことをいっているのかもしれないですね。
家族ぐるみで毎日朝から晩まで太鼓をたたきながら叫んでいらっしゃいます。
だいたい神様が乗り移るなんてきいたことないし、どう考えても悪霊としか考えられないのに
向こうはまともではなく、聞く耳持たずなのでどうしようもないのが現状です。
しかも貸したお金のことまでもみけそうとして、逆ギレ状態なのです。
この板にふさわしくない書き込みかもしれませんが、ここでしか愚痴れなくて
どうもすみませんでした。
なんとか弁護士さん達に頼りながらがんばっていきます。
340名無しさん@3周年:04/07/13 22:06 ID:jvxXK1z+
さようなら。
341crecre:04/07/13 22:07 ID:V5x1ebOV
>>338
教団名は色々と調べているのですが、わからないんです。
白い服をきて太鼓をたたいたり、滝にうたれたりしているようです。
それから乗り移ったときは、だんながクジをきっていたそうです。
どう考えてもカルトだと思うんですけどねぇ。。。
自称では、教団の中でも神がつくほど上なのだそうですよw
342名無しさん@3周年:04/07/13 22:33 ID:jvxXK1z+
生兵法は怪我の元ってヤツだなぁ。。。
343名無しさん@3周年:04/07/13 22:36 ID:/LsL5j7M
大本教の創始者である「出口ナオ」も、丑寅の金神という神が乗り移ったとき、
周りからキチガイ扱いされたらしい。しばらくは様子見したほうが良いと思われ
ます。案外と混迷の世の中に、神仏が変化身した姿かもしれません。

金は天下の廻りもの
人生いろいろ
かみもいろいろ
ほとけもいろいろ
344名無しさん@3周年:04/07/13 22:38 ID:jvxXK1z+
人の道、踏み外さないよう、せいぜい気を付けるこったなぁ。
345crecre:04/07/13 23:03 ID:V5x1ebOV
わかりました。ありがとうございました。
でも盗聴器をしかけられていることや、ガラスを割られたこと、
また、その他のことに関する証拠隠滅の際の、不法侵入や器物損壊
など、あらゆる法的罪があることは確かで、また借金の詐欺行為などは
堂々と対処するつもりです。
346305:04/07/13 23:04 ID:8eJmG5o0
>>307
>>333
レス感謝いたします。
私も、個人的に、333さんに同感です。
仏教知識も理解もない私ですが、せめて観音様の称名は日常的に行っています。

実は、霊魂の障りなどあまり気にしておりませんでした。
ただ、自分の知らない発想について、どの程度の根拠があるのか、少しでもうなずける部分があるのか、
質問することに多少の意義があるかもと思いこのスレに来ました。

これも仏縁と思い、観音経関連の本を近頃読むのですが、やはり、三毒を離れるため「常に」念ずべしとあります。
存在の有無はともかく、霊の障りを気にして観音の名を唱えられないのなら、何の信仰か、とも思います。

ところで、じぶんは上に『自分を含めた世間の不幸や、ありがたさに「身につまされる」とき、ふっと唱えてしまうのですが。 』と、
かっこいいことを書きましたが、それに加えて、「自分の狡さを情けなく思ったとき」等も唱えます。

自分の狡さや他者の苦しみ、また、なによりそれに対して感じる自分の無力感を持て余したとき、
観世音菩薩の名を唱えさせていただくのは、観音様の慈悲の心にかなうのでは、と自分なりに思っております。




347305:04/07/13 23:05 ID:8eJmG5o0
また、
>>307さんの
>それなら、唱える言葉を間違っていますね。

>「南無観世音大菩薩」というのは、「観世音大菩薩に身も心も従います。」という意味です。
>まあ、意味も知らず唱えるのは止めた方が無難ですね。盲信というものです。

という部分ですが、
「南無」とは、「帰命します」の意でしょう。
「観世音菩薩に帰命します」というのは、とりもなおさず、観世音菩薩の慈悲の心を、我が物にすることではないでしょうか。
それを「一心」称名というのでは。
仏様を拝むときは、「唱うれば 仏もわれもなかりけり」の一段論法が大事なのではないでしょうか。

世の中には運命により耐え難い病気や、貧困、裏切り、事故、そうした苦しみにさいなまれている人がいます。
そういった現実を、ふと実感した時、「南無観世音菩薩」と唱え、慈悲の心をいただくのも、観音菩薩のご利益かと存じます。
文章の直訳や、霊に対する対応策という次元で信仰が止まってしまうなら、仏教も現世を快適に歩く便利な小道具で終わってしまうような気がします。
なんというか、せっかく自分を超えた慈悲の存在である観音菩薩の御名をとなえる縁をいただいたので、これからも称名は霊の障り、
字義にこだわらず唱えさせていただき、観音様のありがたいお心をいただきたいと思います。

長文失礼いたしました。
348名無しさん@3周年:04/07/15 14:41 ID:qWEZKf59
おうかんみちってどうなんですか?
怪しいんですか?良心的なんですか?
349名無しさん@3周年:04/07/15 19:46 ID:IHsXf/Hl
>348
宗教自体は大体どこも良いこと言ってる。
怪しくなるかどうかは、運営している人次第なので
今、怪しくないからと言って、これから怪しくならないとは限らない。

つーか、信仰と団体に属することは別物だと思う。
信仰だけならひとりでもできるし、勉強して研鑽するだけなら入会しなくてもできる。
何故入りたいんだ?何故団体に入るように言われるんだ?
(答え/それは貴方の為でなく、団体を維持する為です)

>http://makimo.to/2ch/mentai_psy/948/948286666.html

2ちゃんねる史上「おうかんみち」の情報は、ここの29、30しか無い!!
これはちょっとすごい。誰も知らないということ。

他の掲示板でも聞いて積極的に情報集めてみてください。

概略としては天理教から分派したもののようです
教義は天理教とほぼ同じのようなので、天理教について調べてみるのもいいかも。

あ〜でぃお〜す。
350 ◆tsQRBnY96M :04/07/15 22:20 ID:n0pFl846
>>346
仏縁を感じるなら、観音などという架空のものではなく、原始仏教を学びなさい。

解脱と智慧を学び、架空のものに対する盲信を捨てなさい。
351名無しさん@3周年:04/07/15 22:52 ID:jYWQuwkl
>>346
安心して大乗に精進してください。
機が熟せば善知識にきっと出会えますよ。
352ほにゃく ◆JQHonyaqFA :04/07/16 00:59 ID:FyViKlmM
>>350
>架空のものに対する盲信を捨てなさい。
チミが言うな。
353名無しさん@3周年:04/07/16 02:05 ID:KeJ9l66q
>>350

大拙師の「禅とは何か」には、
自分の見性や悟りだけにこだわるなら出家して山にこもるなどもいいが、
それだけでは満足できず、そうして得た悟りを社会や他者のために広めたいと思うのは必然とある。

また、仏陀の「梵天勧進」「初転法輪」はその真理を文学的に表現したものであると。

すなわち、自らの見性を目指す「羅漢」から、他者の救いを目指す「菩薩」への移行は仏教において発展である。

「出家主義」から、「在家主義」への移行も、同様に進展であり、
「維摩経」が在家信者が出家の仏弟子や菩薩を論破していく構成をとるのも、
小乗の「出家主義」から、大乗の「在家主義」への移行を示している。

諸仏は、真理を象徴化したもので、架空のものではなく、原始仏教と対立するものでもない。

また、観音を架空のものとするのなら、原始仏教にもそうした真理の象徴としてみられるエピソードや神仏はたくさん伝えられる。
本質をみず表層のみを取って架空のものとする姿勢こそ盲信というのでは。
354名無しさん@3周年:04/07/16 04:45 ID:NG4wXku0
梵天や観音菩薩を架空としたり、象徴とする根拠は科学信仰以外になんですか?
355名無しさん@3周年:04/07/16 04:51 ID:tB+QbE8v
>354

経験主義、若しくは、実証主義
教えられたことを鵜呑みにする事(教条主義)の対語
356名無しさん@3周年:04/07/17 11:37 ID:4p+S1fpr
いろいろググって、オカルト板でも質問できそうなスレを
探しましたが、見つからなかったのでここにカキコします。
よろしくおながいします。

漏れは微妙に霊感があるのでつが、去年海外で撮影した写真に、
仏旗のような色彩の光の影が2つ写りますた。
写真に漏れは写っておらず、悪い印象はありません。
それを撮影した場所まで、たまたま死人の霊を運んでしまい、
その霊はそこで漏れから離れていきました。
心霊写真っぽく仏旗が写りこんだ場合、何を意味するのか、
撮影した本人あてのメッセージがあれば、知りたいでつ。
357名無しさん@3周年:04/07/17 12:03 ID:4L5idqBc
>>350
著しく科学信仰的発言。特に「教条主義の対語」とするところなんか
教会支配に対する科学の怨念的信仰として構造化された西洋社会の言語でしょう。

経験主義にしろ実証主義にしろ、決してその認識の基準の凡人の意識に置くことに
疑いをもたないのか?

あるいは経験的に梵天や観音菩薩を認識した多くの聖者を精神異常者として得々とするのか?

そもそも凡人の認識自体がおかしいというのが、通仏教的認識ではないのか?
(その例外は現代日本仏教の一部だけと思われる)

また実証主義というなら、書かれていることに個人的あるいは時代的解釈を持ち込むのは、
はたして学問的に許されるのか? 象徴や架空と実証することは不可能と思われる。
358名無しさん@3周年:04/07/17 17:47 ID:TpbaLVze
マハーヤーナとテーラパーダについて教えてください。
359名無しさん@3周年:04/07/17 22:23 ID:unhcEjc0
>>356
仏教は基本的に霊魂を扱うものではないから、ここで答えを見つけるのは難しいんじゃないかな。
360356:04/07/18 00:22 ID:tP9L4ast
>>359 レスサンクスコ
仏旗が自分の所に現れた意味が知りたかったのでつ。
国際仏旗についてサイトをいろいろ見たけど、
はっきり「コレ」というヒントが見つからなかったので
質問してしまいますた。
後は自分なりに考えてみます。ありがd
361名無しさん@3周年:04/07/18 00:46 ID:rcOLdKO+
>>360
たぶん仏教について何かよい成就があるという、
とても縁起がよいことだと思いますよん。

テンデル・ヤポ・ドゥゲー
362356:04/07/18 11:45 ID:CCp4RwRO
>361
ありがd。゚+。\(・∀・)/゚+。゚ヤッター!
余談ですが撮影したのが昨秋で、
最近偶然行ったお寺で仏旗のことを知りますた。
ちょうど縁日で護摩焚きを間近で見られて、
御利益もあったようなので、
しばらく通ってみようと思ってます。
漏れの宗派と違うんだが、ご縁のあるお寺かもでつ。

テンデルさん、ありがd(違w
363けちゃっぷ:04/07/19 05:52 ID:o3ExQnzu
仏教はすべて四諦説ではないでしょうか。人生の苦悩の原因を解消すれば、苦悩を軽減できる。そのための方法が仏教です。死後への不安が苦の原因なら、死後なんて空だとか無記だとか言ってもいいし、極楽を信じても不安は消えます。
364名無しさん@3周年:04/07/19 06:16 ID:Ppj0U7cK
四諦説は、いいとして、その後は方便としてはありだけど、本質的にはありえない。

仏教はそんな気休めみたいなものじゃないですよ。本質的には。

空は死後もだが、まさに今体験している全てが空なんです。
都合の悪いものだけ空にしないでくださいね。
365けちゃっぷ:04/07/19 09:10 ID:o3ExQnzu
仏教は苦の解決が第一でしょう。都合が悪い(苦の原因になる)ものを空とするために、すべて空だと説くのでは?哲学が目的じゃないと思います。仏性を説くのも安心させるため。でなけりゃ仏性も空なのに、説く必要ないでしょう。
366名無しさん@3周年:04/07/19 22:50 ID:pC3brTix
そう思う人にはそうなんでしょう
終了
367名無しさん@3周年:04/07/20 02:23 ID:1DLAjGXg
>365
「都合が悪いもの」とか仏教はそういういい加減なものを苦の原因としてるわけではなく、
「人間の感覚器官で捉えられるもの全て」そのものが苦であり苦の原因と
お釈迦さんは言っておられるのです。
人間の感覚器官で捉えられるもの全ては「縁起」つまりいろいろな要素が
集まって生起している「状態」としてあり、現れては姿を変えやがては滅する、
つまり我々の時間的感覚で永遠に同じすがたを保っているものは一切ないから
そんなものに執着せず、全てを「空っぽ」と感じて心をざわつかせるな、という
非常に人間の人間性を否定する思想でありますが、ゴータマ・ブッダという
人はそういう状態がマンセーだったようです。

仏性は菩薩思想・如来像と繋がってくる考え方ですが大乗仏教と初期仏教の思想を
ごっちゃにするのは止めましょう。
368364:04/07/20 06:37 ID:zC76x6BL
>>367
そうそう。おっしゃるとうり。うまく言ってくれて気持ちがいいです。
369名無しさん@3周年:04/07/20 08:38 ID:SX53qN3Q
二千五百年前の印度で、仏教の祖師となったゴータマという人物の真意が今誰か
にわかるのだろうか?た多分、そんなもの今となっては誰にもわからないだろう。
何しろ、本人は何も書き残してもいないし、いわんや書き残されていたとしても
そのまま発信者の本意を理解したとする事は、発信者の同意が得られて初めて言
い得ることだろうからね。
断片化した仏教の所見ならともかく、ゴータマの真意を量って、こうだったなど
と、今となってはきっと誰に言えないだろう。
370名無しさん@3周年:04/07/20 09:44 ID:zC76x6BL
おいおい、誰もそんなこと言ってないぞ。
371名無しさん@3周年:04/07/20 12:05 ID:Tx2aSmFS
>>367
>つまり我々の時間的感覚で永遠に同じすがたを保っているものは一切ないから
>そんなものに執着せず、全てを「空っぽ」と感じて心をざわつかせるな、という
>非常に人間の人間性を否定する思想であります
違うんでない?
372名無しさん@3周年:04/07/20 13:06 ID:zC76x6BL
人間性をどうとるか次第だと思うが?
373名無しさん@3周年:04/07/20 13:40 ID:Ke6b/kbd
ヒューマニティなんていうと、すぐに創価が絡んでくるぜ。
374名無しさん@3周年:04/07/20 20:20 ID:n9hVWk8u
色即是空、されど空即是色

色は空だから、むなしいもんさ、という厭世主義は、空の思想ではない。

「目に見えるものは空しい物だが、空しいということは、いろいろのものが関わりあっている事である。
係わり合いというものがあってはじめて、色(目に見えるもの)になり得るのだかえら、色は尊いのだ」

これが深般若であり、人間性の否定ではないどころか、「有り難味」をより深く理解する、人間性の大肯定だと思う。

375名無しさん@3周年:04/07/20 21:34 ID:zC76x6BL
色即是空、空即是色は、そうゆう意味ではありえません。

色は実体がない、実体がないことこそ色なのだ、という意味です。

色とは諸法の代表として述べられているので、そこは法であればなんでもいいのです。
しかも、五蘊の色であって、決して目に見えるものではないのです。

諸法は実体がない、実体がないからこそ縁起して諸法顕現するという意味だと思います。
その幻のような諸法を我として執着せず、本来のあり方を覚りなさいということです。

仏教において人間性の肯定は、解脱可能な状態ということ以外にないと思います。
いわゆる「人身は得難し」です。
また密教や本覚門が現実の肯定といわれることがありますが、誤解以外のなにものでもありません。
376けちゃっぷ:04/07/20 21:50 ID:eC6wZ1fN
少なくとも、お釈迦様の出家の動機は、人生の苦をどうにかしたかったからではないのでしょうか?
色は価値のないモンや。そやけど、自分が好きで色と付き合ってるんやったら、それはそれで好い人生やんか。
377名無しさん@3周年:04/07/21 01:16 ID:GLAjCwQb
●マイトレーヤ
 この本には、脳科学と意識に関する知識に根ざした新しい精神性によって、
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教的な恐れと罪悪感を完全に消滅させる、
驚嘆すべき教えの真髄が書かれています。
さまざまな新技術のおかげで、
ついに黄金時代を迎えようとしている人類に対してラエル聖下は、瞑想の必要性と、
現在の世界を支配している「所有する文化」を「あるがままでいる文化」に置き換えることの必要性を説いて、
私たちに心の準備ができるよう配慮してくださるのです。
聖下の図り知れない知恵に満ちたその教えは何万人もの聴衆に幸せをもたらしています。ラエル聖下は、アジア人にとって、「西方に生まれる新たなブッダ」と予告されてきたマイトレーヤその方なのです。
【書名】マイトレーヤ
【著者】H.H.ラエル
【監修】日本ラエリアン・
    ムーブメント
【値段】1,300円(税込)
378名無しさん@3周年:04/07/21 01:31 ID:wUMXXuQb
>377
>ラエル聖下

誰?テレビに出てたあのケバイおばちゃん?
379けちゃっぷ:04/07/21 01:46 ID:8KI37FPO
クローン人間造ったとか造ってないとか言ってた教団じゃなかったっけ?
380名無しさん@3周年:04/07/21 14:36 ID:i0LBHSzt
ここの住する我々凡夫は、南無身阿弥陀仏と唱えるだけでいいではないですか。
381名無しさん@3周年:04/07/22 09:33 ID:K6RMlcih
御釈迦様は、宗教的行為の対価としては御布施を受けなかったそうですが、どうしてなのですか?
382名無しさん@3周年:04/07/22 10:09 ID:4Jnl4+ZW
>>381
宗教的対価としての布施は受けた、の誤解ではないでしょうか?

そこに他の期待をした場合、拒否されたとあったような気がしますが
383名無しさん@3周年:04/07/22 12:37 ID:XoMO8JjG

くだらない質問ですみません。

・ブッタは、大日如来の事ですか?釈迦如来の事でしょうか?
・全国で観音菩薩を観音様と崇めていますが、観音菩薩は悟りを開いてないですよね?
如来を崇めた方が良い気がするのですが、どういう解釈で数ある菩薩の中で、観音菩薩を崇めているのですか?
384けちゃっぷ:04/07/22 13:22 ID:IIiBI78t
お釈迦さまも大日如来もブッダ(目覚めた者)です。だだし、大日如来は宇宙に遍く満ちている真理を人格化したものです。花が枯れる姿の中にも諸行無常という大日如来からの真理のメッセージがあります。
385けちゃっぷ:04/07/22 13:25 ID:IIiBI78t
私的な解釈ですが、心のアンテナをのばせば、世界の現象すべてが真理を物語っています。つまり、すべての現象が大日如来のメッセージであるし、大日如来そのものと言うこともできます。
386けちゃっぷ:04/07/22 13:34 ID:IIiBI78t
観音菩薩は、修業をほとんど完成されていますが、菩薩としてこの世での救済活動の修業を続けたいので、あえて如来(仏)にならずに菩薩(修業者)でいるのだそうです。
387名無しさん@3周年:04/07/22 22:40 ID:80KHD856
>・ブッタは、大日如来の事ですか?釈迦如来の事でしょうか?
>・全国で観音菩薩を観音様と崇めていますが、観音菩薩は悟りを開いてないですよね?
>如来を崇めた方が良い気がするのですが、どういう解釈で数ある菩薩の中で、観音菩薩を崇めているのですか?

ブッタとは、覚者のことです。
仏(法身)の場合は、直接的に衆生救済には役立ちませんから、受用身や変化身、いわゆる色身
として姿を現わします。観音様は悟り途上なのではなく、一切空智者となった仏が空性にとどま
ることなく、利他行を遂行するために、より具象的な相となって衆生の前に現れたものです。
たとえば、インドに亡命しているダライ・ラマ法王は、受用身(報身)である観音様が、チベット
の人々の前に人間として変化身(応身)しました。
388名無しさん@3周年:04/07/23 06:46 ID:M0P74Uqm
ゴータマ・ブッダは、ゴータマ・シダッタという人間です。彼は人生の苦から脱する
方法を体得したと言われています。
おれは大乗なんて都合のいいエセ仏教は認めません。
救済性を求めるなら、浄土宗でもキリスト教でも真如苑でもいいじゃないですか。
いま改めて「自州法州」、自らを拠り所として他を拠り所とするな、法を拠り所として
他を拠り所とするな、という教えに立ち返ろうではないですか。
389名無しさん@3周年:04/07/23 07:45 ID:ocdNmyYM
ゴータマ当時には、諸々の仏陀が存在していたようですが、どうしてそれ
以降の仏教には、仏陀はいないのだろうか?
いつの時代にも、諸々の仏陀はいるのではないだろうか。
大乗に限らず、仏陀の神格化から既におとぎばなしは始まっている。
390名無しさん@3周年:04/07/23 20:30 ID:rvLn5Lwm
すみません。初心者なのですが、一応うちは葬式の時は仏教ってな感じで、
仏壇でチンチン鳴らして「南無阿弥陀仏」って心の中で唱えるんですが、
たまに「南無妙法蓮華経」って後ろからどうしても唱えてしまうんです。
これはみなさんご経験はありますか?
どうすれば解消できるでしょうか?切実な悩みです。
391机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/23 21:05 ID:3CDA9a4o
>>390
念仏と題目は、そもそも唱えるリズムが全く違います。
だから
>たまに「南無妙法蓮華経」って後ろからどうしても唱えてしまうんです。

こういうふうになるのは考えずらい。
念仏はスローテンポで唱えます。
かたや題目は流暢な三拍子です。

念仏のスローテンポも、題目の三拍子も、それぞれ意味があります。
先ずは唱えるリズムを会得してください。
392名無しさん@3周年:04/07/23 21:35 ID:rvLn5Lwm
>>391
>こういうふうになるのは考えずらい。

心の中でなので、実際口に出して唱えるているわけではないのです。

だから「南無阿弥陀仏」→「南無妙法蓮華経」と一瞬の内に起きちゃう。
1秒ともかからない。そして「あ、また言っちゃった・・・(心の中で)」
と自省するんです。特にダブルで唱えても問題はないのでしょうか?
意味が全く違うものだと思うのですが、意識すればするほど精神が囚われて
しまうんです。制御できないのですが、どうすれば良いのでしょうか?
キリスト教の方で「アーメン!」と祈って、頭の中で後から「ソーメン!」
とか「ラーメン!」とか出てきてしまう方なんて居ないのだろうか?
ネタに見えるかもしれませんが、真剣なんです。
393机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/23 21:46 ID:3CDA9a4o
>>392
>と自省するんです。特にダブルで唱えても問題はないのでしょうか?

これは私の一存では答えられないですね。
その宗派によっていろいろ考えがあるのでしょうから。

私はちなみに禅宗です。
禅宗の立場でしたら、貴殿がなんて唱えようと一切問題はないです。
だがしかし、このような事案によりて迷うこそが問題なのです。
なにゆえさように迷うのであらうか?

よくよく鑑みなさればおのずとその答えいずるなり。
仏教とは、まさにここにあり。
この理法こそ仏道の本義なりや。
394名無しさん@3周年:04/07/23 21:57 ID:oQ/e+BLx
>>392
三ヶ月、声に出して唱えることですね。
395名無しさん@3周年:04/07/23 22:20 ID:cVb16r3z
>>392
典型的な強迫神経症(軽度)では。

神経質な人なら誰でもありますよ。
あなたの症状はまだいいほうで、神仏を見たとたん、下劣な想像をしてしまったり、
なにか無礼はないかと気になる「涜神恐怖」とか。

森田療法関連の本を読むのがお薦めです。
でも、ほっといても、「人間の普通の心理」だと開き直れば、そのうち消えていくと思います。

ちなみに森田の著作を読むと、禅や真宗の思想や言葉を引用していますので、仏教に興味のある人も
楽しんで読むことができると思います。
396名無しさん@3周年:04/07/23 22:22 ID:rvLn5Lwm
>>393-394
レスどうも!
両者の案を取ってリズムに気を付けながら、声に出して唱えるよう
なるべく心がけていきたいと思います。
397けちゃっぷ:04/07/23 22:22 ID:hzj5oAfH
ご先祖様のためを思ってとなえる場合、念仏でも題目でも貴いことですね。念仏は、自分の耳に届く程度の声で口に出して称えることをお勧めします。
398名無しさん@3周年:04/07/23 22:35 ID:rvLn5Lwm
>>395
>典型的な強迫神経症(軽度)では
そうかもしれません。森田療法関連の書物は何冊か読みました。
京都の病院で入院療法も体験済みです。私は神経症なのです。
お騒がせ致しました。
399名無しさん@3周年:04/07/23 22:51 ID:oQ/e+BLx
>>397
大乗仏教徒なら発心して一切衆生のために唱えることこそ尊く、
先祖のためなんて.....

しかし、あなたいろんなところで書いてるみたいだけど、ちょっとひどくない?
400395:04/07/24 00:24 ID:GnGpz6ih
>>398
かくいうじぶんも森田の集団会に参加してました。

症状は、単なる反射機能的なものと思って、無視されるのが一番では。
自分もいまだに涜神的な光景が浮かんだりしてますが、それは、
「思っちゃいけない」ということからくる「反動形成」であり、「自然な心理規制」だと思います。

真面目な話し、世の中にはアーメンのあとにソーメンが来ちゃう人は実際にたくさんおられると思いますが、
神は気にされないと思いますし。

>意識すればするほど精神が囚われて
>しまうんです。制御できないのですが、どうすれば良いのでしょうか?

その都度意識すればいいとおもいます。
ああ、「また思っちゃったな」って。別に問題ないと思いますよ。
401けちゃっぷ:04/07/24 00:55 ID:ndAylWvP
>>399さん、相談者はもともと先祖供養を目的に称えてるわけで、その立場から、称え方についての質問ですので、それをふまえてお話したわけです。
402 ◆2CMtjCEakk :04/07/24 11:18 ID:UE5BjZ8G
>>401
南無 というのは 帰命(いのちを帰す)という意味で、
現代語訳だと、従う、ということですが、
どうして先祖供養につながるのですか?
403けちゃっぷ:04/07/24 12:31 ID:ndAylWvP
仏教の信仰や修業は尊いことです。多くの日本人が家庭の仏壇の前で念仏を称える時は、その尊い行為をご先祖のために捧げる気持ちで称えているのでは?彼が本来の仏法を求めて質問されたのなら、僕も別の答えをしたでしょう。
404けちゃっぷ:04/07/24 12:41 ID:ndAylWvP
念仏を一度口で称えれば、誰でも極楽へ往生できます。たとえ称えながら煩悩や雑念が起こってもかまいません。人間から雑念を切り取ることは、目や耳を切り取るのと同じです。修業の功徳を他人に回し向けることが回向(エコウ)です。
405名無しさん@3周年:04/07/24 12:54 ID:Vsa8ZQr1
雑念は目や耳を覆っている滓から発しています
ですから目や耳と同じではありません

雑念を取り去ろうとするのではなく
念仏に集中することで雑念の出る時間を減らすために念仏などを唱えます
406けちゃっぷ:04/07/24 13:13 ID:ndAylWvP
雑念の出る時間を減らすためというのでは、自力の念仏になってしまいます。それでは心を集中するのが不得意な人は、念仏によって救われないじゃありませんか。難しい境地は不要です。口で称えるだけでいい。
407名無しさん@3周年:04/07/24 13:18 ID:V09pr7OE
方便ではそういいますが、原理はわかっています。
408けちゃっぷ:04/07/24 13:18 ID:ndAylWvP
人生の目的は念仏を称えること。雑念が多くても少なくても、念仏を称えれば人生合格。先祖供養はしてもしなくてもいいですが、仏壇に向かうほうが念仏しやすいなら、仏壇のご先祖を思うのもいいでしょう。
409けちゃっぷ:04/07/24 13:22 ID:ndAylWvP
往生が目的なら題目より念仏をお勧めします。先祖供養が目的ならどっちでも功徳があるので、どっちでもいい。というか、先祖のために何かしようという気持ちだけで供養になるでしょう。
410名無しさん@3周年:04/07/24 13:23 ID:V09pr7OE
口で唱えるだけでいいのです。
他のことを考えている時間を少なくすることが大切です。

それに付け加えて、「阿弥陀さまが〜」などと教えてはいけないのです。
411けちゃっぷ:04/07/24 13:28 ID:ndAylWvP
阿弥陀仏の救いを信じて安心できるなら、それでいいではありませんか。瞑想の達人になることをめざすのか、人生を安らかに過ごすことをめざすのか、目的によりますが。
412けちゃっぷ:04/07/24 13:34 ID:ndAylWvP
セロトニン神経の活性化による心身の調整が目的なら、禅の呼吸法も念仏や題目もガムを噛むことさえ、脳のリズム運動なので効果があります。麻薬もある程度効果がありますが、効果が強すぎて幻覚を見ます。
413名無しさん@3周年:04/07/24 13:34 ID:BStzGfKr

かれはそのとき、ナーランダ近郊のとある林の中にいた。
そこに村長がやって来て、かれに問いかけた。

「バラモンたちが言っているところによると、
彼らが儀式を執り行えば、死者はたちまち天上界に再生するそうだ。
どうだ、お前も同じことができるか?」

かれに対する村長の態度は、いささか傲慢不遜であった。
しかしかれは、そんなぶしつけな質問に慣れていた。 別段顔色も変えずに、かれはこんなふうに応えた。

「その問いに答える前に、村長、私からひとつ質問したい。
湖があって、かりにその湖に大きな石を投げ込んだとしよう。 当然に、石は底に沈むだろう。
そしてそのあとで、人々が集まって、湖の周りで『石よ浮かべ、石よ浮かべ』
と祈願するのだ。 すると、石は浮き上がってくるだろうか?」

「いいや、そんなことはない」

「村長よ、それと同じなんだよ。
生前、さんざんに悪を積み重ねた者が、死後地獄に堕ちても、
いくら祈願をしようが、彼が天上界に生まれることはない・・・。」

414名無しさん@3周年:04/07/24 13:35 ID:BStzGfKr

「それからね、村長。
今度は、ビンに油を入れて湖に投じたとしよう。 そして、ビンが割れたとする。
すると油が浮き上がってくる。 人々がそこで、『油よ沈め、油よ沈め』と祈願するのだ。
すると、油は沈むだろうか?」

「いいえ、そんなことはありません。 油は浮くにきまっています」

「それと同じことなんだよ。
生前に善行を積み重ねた者は、死後天上界に生まれ、地獄に堕ちることはない。
村長よ、これがあなたに対する解答である。」

かれはそう言い終えて、村長に向かってにっこりとほほえんだ。

415名無しさん@3周年:04/07/24 13:35 ID:ucfG8lVk
嘘の教えには限界がありますし、
嘘を信じることは自分の魂を悪魔に売り渡すことに等しい愚かな行為だと思います。
救われたように思えても本当は大切なものを見失っているのではありませんか。
416名無しさん@3周年:04/07/24 13:35 ID:BStzGfKr
上記のエピソードが示しているように、
釈尊は、不成仏霊の成仏なんて、否定しておられます。
石は沈み、油は浮く。
一体につき○○○円の御供養料を支払って、
「石よ浮き上がれ」と祈願したって、沈むものは沈むのです。
釈尊はそう言っておられます。

バラモンたちはそれができると主張しているかもしれないが、
釈尊はそんなことは歯牙にもかけておられません。
そうすると、先祖供養を標榜している日本の多くの新宗教は、
バラモン教の伝統を受け継いでいるのでしょうか・・・?

417けちゃっぷ:04/07/24 13:42 ID:ndAylWvP
大乗仏教では方便を用います。過去や未来を心配するより今を大切にするのがお釈迦さまの考えでしょう?念仏で、過去の罪業にも来世の罰にも心配せず、安心できればいい。
418名無しさん@3周年:04/07/24 13:46 ID:s8vLaHN5
>>417
今を大切にするのは釈迦の教えとは違います。
釈迦の教えでは何も大切にしません。
419けちゃっぷ:04/07/24 13:52 ID:ndAylWvP
何も大切にしないのはわかってますが、過去や未来にとらわれるなということを表現するために使った言葉の方便です。だいたい霊だって実在しないのに霊という言葉を使ったり、方便とはそういうもんでしょう。
420けちゃっぷ:04/07/24 13:57 ID:ndAylWvP
仏教は四諦説です。悩みの原因があの世の心配なら、心配をなくせばいい。それには方法が2つ。「あの世のことは考えないことで心配しない」か、「あの世の幸せを信じることで結果的に心配しない」。
421名無しさん@3周年:04/07/24 14:02 ID:x5x9nKyr
否定したわけではないだろう。不可解な現象は当時も今も変わらずに起こってる。
ただそれらを追求するよりは、涅槃を目指すほうが実りがあると説いてはいた。
422名無しさん@3周年:04/07/24 14:04 ID:x5x9nKyr
>>418
>釈迦の教えでは何も大切にしません。

ビックなミステークで〜す
423名無しさん@3周年:04/07/24 14:06 ID:dTfWPaER
>>420 四諦説から、どうゆう論理で「あの世のことは考えないことで心配しない」「あの世の幸せを信じることで結果的に心配しない」という二つの主張が導かれるでしょう?
424名無しさん@3周年:04/07/24 14:07 ID:dCY+4K/5
>>419
仏教で実在なんてものはありあせんし、
霊現象は実際あります
425けちゃっぷ:04/07/24 14:12 ID:ndAylWvP
四諦は、苦には原因があって、その原因を取りのぞくことで苦を解消できるという論理。お釈迦様はこれに基づき、相談者の心配の種に気付かせ、それを取りのぞく説法をしたわけです。
426名無しさん@3周年:04/07/24 14:14 ID:lYK4giHE
>>422
執着は捨てましょうね
427けちゃっぷ:04/07/24 14:26 ID:ndAylWvP
霊現象は「ある」でしょう。それは、人間が「いる」というレベルでの言語表現です。「おい人間」と呼ばれて返事する「人」はこの世にいません。人間とは概念だけ。人間はこの世に実在しません。霊も同じ。
428名無しさん@3周年:04/07/24 14:42 ID:dcyO5oNI
>>427
ですから、この世界は実在ではないのです。
想いの世界にいます。霊と言ってますが我々も霊です。
429名無しさん@3周年:04/07/24 16:40 ID:dTfWPaER
>>425 それだと三諦になっちゃうな。あなたの説では滅諦が考慮されてないし、
道諦はまったく説かれていないことを言っているでしょう。
>>420 のようなことは道諦に説かれていると何か根拠ありますか? あるいはあなたの四諦説はだれが言ってるの?

あなたの説は、悩みの種を取り除くことができれば、なんでもありだということですか?
それなら、例えば病気で苦しんでいる人に、その苦しみは気のせいですよと言っているようなもの。
四諦は、病気の害を認識し、病気の原因を見極め、健康な状態を示し、薬や療法を服用するといったものです。
430けちゃっぷ:04/07/24 19:11 ID:ndAylWvP
あの世を心配しつる人のケースで、滅諦は「心配をなくせば苦がなくなること」でしょう。道諦は心配をなくす薬。たとえば念仏で心配をなくせるなら、薬として効果があります。凡夫が禅定をめざすより、よほど速効性があります。
431けちゃっぷ:04/07/24 19:11 ID:ndAylWvP
あの世を心配してる人のケースで、滅諦は「心配をなくせば苦がなくなること」でしょう。道諦は心配をなくす薬。たとえば念仏で心配をなくせるなら、薬として効果があります。凡夫が禅定をめざすより、よほど速効性があります。
432けちゃっぷ:04/07/24 19:15 ID:ndAylWvP
禅出身の人で、禅でなかなか悟れなかったのが、たまたま念仏により禅の師から「何かさとってきたようだな」と認められた人がいました。結局、方便を認めるか認めないかという違いですね。
433けちゃっぷ:04/07/24 19:20 ID:ndAylWvP
一般的に仏教では、戒・定・慧の三学の体得をめざします。しかし、自分を謙虚にみつめなおした時、戒も守れないし、心は乱れるし、智慧もない。こんな僕が救われるには、他力にすがるしかないのです。
434けちゃっぷ:04/07/24 19:27 ID:ndAylWvP
浄土宗では、仏教を、戒・定・慧の三学を体得する自力聖道門と、阿弥陀仏にすがる他力浄土門の2つに分けています。自力聖道門は、すばらしい優れた教えです。実践できる能力のある人は、ぜひ精進願います。
435名無しさん@3周年:04/07/24 19:50 ID:dTfWPaER
>>430-431
それではまったく仏教じゃない。仏教の名を借りたたんなる気休めですね。

滅諦は涅槃以外にありえない。つまり涅槃以外の状態では苦はなくならないというのが、四諦の主張。

苦諦があらゆる現象は苦である、涅槃の状態以外に安楽はないということ。
涅槃に至るためには八正道の道諦を歩まねばならないということ。

それから何を根拠に言っているのか教えて欲しいな。
まさかお経には、あなたの説のようなことが書かれているとは思えないが。
436けちゃっぷ:04/07/24 21:00 ID:ndAylWvP
まず八正道を実践しやすい極楽へ往生することが、悟りへの近道です。八正道を実践できる人は実践すべきです。しかし、僕のように実践できない人は、念仏による安心でしか救われないのです。
437名無しさん@3周年:04/07/24 21:15 ID:dTfWPaER
じゃぜんぜん四諦じゃないってことね。

浄土門とか、より正確に近代真宗学によるとっていってくださいよ。

四諦ではないでしょ。
438けちゃっぷ:04/07/24 21:25 ID:ndAylWvP
人生の苦を取りのぞくための四諦でしょう。少なくとも、今の僕は実際にネハンを体得できないので、原始仏教では救われないのです。あなたは、戒を守りネハンを体得されているのですか。
439けちゃっぷ:04/07/24 21:35 ID:ndAylWvP
もう一つ、それでも大乗仏教は、お釈迦様の弟子の末裔の中から生まれてきたものなのです。現在でも師から弟子へ脈々と戒と教えを伝授し続けています。本で言葉を学んでも仏教ではないのです。
440名無しさん@3周年:04/07/24 23:16 ID:JL65vecG
大変ぶしつけな質問ですが、けちゃっぷさんは◆tsQRBnY96M氏と同一人物でしょうか。
匿名の掲示板ですが、思想に類似した点を感じるので、参考までに。
441440:04/07/24 23:23 ID:JL65vecG
失礼しました。
原始仏教ではすくわれませんと書かれてありますね。

勘違いして申し訳ありません。
442けちゃっぷ:04/07/24 23:30 ID:ndAylWvP
いいえ違います。僕は他の端末から書き込みしたことがないです。
ちなみに僕は、浄土宗所属です。真宗に戒はありませんが、浄土宗は戒を授かります。戒を守れない自分を痛感する毎日です。
443名無しさん@3周年:04/07/25 00:15 ID:8qcl1+Ps
>>438-439
もちろん戒は守ってますが、涅槃してませんよ。(笑い)目標は自他の涅槃ですね。
「人生の苦を取りのぞくための四諦」ではなく一切衆生の輪廻の苦を消滅させるための四諦じゃないですか。
だから苦諦の意味を誤解してませんか? と言っているのです。
世俗において楽といわれる現れも苦だというのが苦諦ですよ。世間の気休めではないんです。
もう涅槃する以外に楽はなく、涅槃するためにわき目もふらず八正道というのが四諦でしょう。

大乗仏教は釈説というより報身や法身の説だと私は考えます。
戒律は日本では何度も断絶していると思いますが、違いますか?
そして浄土宗は法然上人で大きく変わっていて、脈々と伝承されてきたものとは言い難いと思いますけど。

私の理解は師匠から学んだものと経典で読んだもの、及び行体験から構成されています。
それで経典に根拠のない仏教というのはとても可笑しいと思いますが違いますか?

単純にいって、あなたの見解は非常におかしなものにしかみえないのです。
浄土宗に連なる私見によると、みたいに書いてもらえませんか? 四諦なんていわずに。
まるで通仏教的真理のような書き方されると困っちゃうんですが。
444名無しさん@3周年:04/07/25 00:34 ID:Ans9v4+J
つーか仏教は同じ事を何度も何度も言葉を変えて説明しすぎ
ほんと困っちゃう
445けちゃっぷ:04/07/25 01:05 ID:oJMZGhWy
443さん、ということは、上座部の方でいらっしゃるのですか?できれば宗派を教えていただきたいのと、ハンドルネームで書き込んでいただけると、わかりやすくて助かるのですが。色々教えていただきたいので
446けちゃっぷ:04/07/25 01:13 ID:oJMZGhWy
念仏を実践すると、気付かないうちに心が成長します。しかし、入り口は、あなたが「気休め」と呼ぶ極楽往生の決定です。念仏により、「私の人生はOKなんだ」という安心なのです。
447 ◆tsQRBnY96M :04/07/25 01:17 ID:X4N5zLdc
>>440-441
>思想に類似した点を感じるので、参考までに。
類似してますか?
阿弥陀仏は架空の存在で、念仏は役にはたちませんよ。

ちなみに、原始仏教で救われる、などとはいいません。
おのれこそ、おのれの寄る辺・・です。
448けちゃっぷ:04/07/25 01:20 ID:oJMZGhWy
僕は浄土三部経を信仰しています。なぜ四諦を持ち出したかというと、人生の苦を解決するのが仏教であり、念仏にもその効果があると実感しているからです。苦の解決は、通仏教的な目的ではないでしょうか。
449けちゃっぷ:04/07/25 01:31 ID:oJMZGhWy
阿弥陀仏が架空の存在であっても、念仏による心理的効果は架空ではありませんよね。念仏により脳が働く。実際に幽霊を見ずに木の影を幽霊と間違って驚いた場合でも、実際に脈拍は上がり汗が出ます。
450けちゃっぷ:04/07/25 01:51 ID:oJMZGhWy
ケータイからの書き込みなので、一度に書き込める文字が12文字×8行ほどで、何回にも分けてのレスになってしまい、お見苦しいかと思います。ご容赦くださいませ。
451 ◆tsQRBnY96M :04/07/25 02:05 ID:X4N5zLdc
おっと、ここは質問箱だった。議論は禁止ですね。
452ほにゃく ◆JQHonyaqFA :04/07/25 03:05 ID:gAIZeBuS
>>450
もし◆tsQRBnY96M 氏に興味がお有りでしたらどうぞこちらへ。
大活躍されております。
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1087702531/l50
453名無しさん@3周年:04/07/25 10:35 ID:GA5v84d1
途中から超能力論議になってるやん。
454名無しさん@3周年:04/07/25 15:28 ID:lBrYQlWA
test
455 ◆tsQRBnY96M :04/07/26 21:15 ID:C0G95BHH
他に、質問のあるかた、どうぞ
456名無しさん@3周年:04/07/26 21:45 ID:UGfn6YDi
ないよん。
457名無しさん@3周年:04/07/26 22:26 ID:Sw4Rhw3t
親鸞は禅でいう見性を得たのでしょうか
458名無しさん@3周年:04/07/26 22:27 ID:Sw4Rhw3t
日蓮は禅でいう見性を得たのでしょうか
459名無しさん@3周年:04/07/28 16:31 ID:xPnnr7dh
すいません、室町歴史を勉強しているのですが
宗派によって尼さんの呼び方が違うのか疑問があるのです。
 
たとえば 〜院と付くのは偉い人だけなのでしょうか。
一般領主の奥さんが出家した時はどうなんでしょう。
また、これは浄土真宗の人だけなんでしょうか。

真言宗連という名だとしたら 妙連比丘尼様とか呼ばれるのでしょうか。
それとも 妙連尼様とか呼ばれるのでしょうか妙連様と呼ばれるので
しょうか。
天台宗とか臨済宗でも〜院とかついてるみたいだし
ねねは高台院様って呼ばれてるし。

460名無しさん@3周年:04/07/28 16:33 ID:xPnnr7dh
真言宗連という名だとしたら
  ↓
真言宗で 例えば妙連という名だとしたら
461名無しさん@3周年:04/07/28 18:15 ID:R6gy9hny
>>457-458
見性以上のものを得ているでしょう
だからこそ、国家権力による弾圧にも屈することなく、
不動の信念を貫くことができたのだと思います。
禅宗では、必要以上に見性見性と大騒ぎするから目立つだけなのだと
思います。
戦争とか権力といったものに対しては、禅宗は骨抜き状態ではなかったのでしょうか
それがまた、禅的といわれてきたのかもしれません。

462名無しさん@3周年:04/07/28 20:23 ID:Zjih2Fac
>>457-458
してないでしょう。していれば死の時になにか徴が現れると思います。

>>461
100年後にオウムが「国家権力による弾圧にも屈することなく、不動の信念を貫くことができた」
と言わないことを祈ってます。排他的な仏教はありえない。
463 ◆tsQRBnY96M :04/07/28 20:58 ID:8aH8ixwg
>>458
そもそも見性という概念は、日蓮仏法にはありません。
しいて近い概念をあげれば、本地ですが、
日蓮さんは、もちろん本地を体得したことは疑いありません。
464名無しさん@3周年:04/07/28 20:59 ID:Zjih2Fac
>>463
根拠は?
465 ◆tsQRBnY96M :04/07/29 12:44 ID:s0h0VnRo
>>464
日蓮本人が、本地という概念を重要視し、そのとおりに命がけで行動したことが
なによりの証拠です。
466名無しさん@3周年:04/07/29 12:50 ID:c8t5rc3V
証拠になってませんな。
ところで本地ってなに?
467名無しさん@3周年:04/07/29 13:00 ID:nI54D40j
本地ぐらい俺でも体得しているが、何か?
468 ◆tsQRBnY96M :04/07/29 13:15 ID:s0h0VnRo
本地を知らない人に証明もへったくれもありませんな。
469 ◆tsQRBnY96M :04/07/29 13:16 ID:s0h0VnRo
本地を知っているということは、自分の人生に迷いが無いということで
別に他人に証明する必要はない、ということです。
470名無しさん@3周年:04/07/29 14:14 ID:5W3G2jGS
「迷いがない」とは、自分の生き方に疑いがない、信念に揺らぎがないという意味ですか?
それとも三毒の痴、無明がないという意味ですか?
471名無しさん@3周年:04/07/29 15:53 ID:F9yA+x+Y
無明を明らかにすれば、無明の闇は智慧の明りで照らされます
智慧の明りが、信念の揺らぎという無痴をかき消します
そういうことではないでしょうか
日蓮聖人という人の生き方は、自らを【旃陀羅】の子として自覚した
ところから始まっているような気がします。

# 469さんではありません。m(__)m
472 ◆tsQRBnY96M :04/07/29 16:52 ID:s0h0VnRo
>>470
>「迷いがない」とは、自分の生き方に疑いがない、信念に揺らぎがないという意味ですか?
そのとおりです。

>それとも三毒の痴、無明がないという意味ですか?
無明が無いかどうかは、凡夫には、誰にもわからんでしょう。
阿耨多羅三藐三菩堤を得た人=仏陀以外にはわからないことです。
質問すること自体が間違っていますね。

誰かが見性を得たにしろ、本地を得たにしろ、それを知ってどうするのでしょうね。
自分が得るのが目的でしょう。
人に依存してはいけない、というのがブッダの教えです。
473名無しさん@3周年:04/07/29 17:28 ID:5W3G2jGS
>>472
自分の生き方に疑いがない、信念に揺らぎがないという人は、
別に聖者でなくても、ただの凡人の盲信者でもたくさんいます。
つまり「本地を得た」=聖者であることの証明にはならない。

「誰にもわからんでしょう」「それを知ってどうするのでしょうね」
といまさら言われてもこまるんですが、そもそもあなたが>>463
>>日蓮さんは、もちろん本地を体得したことは疑いありません。
と言ったので、なぜそれが分かるか疑問に思ったのです。
そうか、あなたはブッダなのですか?

「誰かが見性を得た」「本地を得た」つまり聖者か凡夫かを判定することは重要です。
なぜならその人の言葉を尊重すべきか、それとも無視すべきか分かれるところだからです。

「人に依存してはいけない」もしかして四依ですか? とすれば、ちょっと誤解してませんか?
それなら、あなたは「日蓮さん」に帰依しないんですか?
474 ◆tsQRBnY96M :04/07/29 18:03 ID:s0h0VnRo
>>473
ふ〜む。
> 自分の生き方に疑いがない、信念に揺らぎがないという人は、
> 別に聖者でなくても、ただの凡人の盲信者でもたくさんいます。
ここで、どちらが正しいのか論争をしたいのですか?

あなたのいう聖者と、わたしの思う聖者はぜんぜん違うのではないですか?
凡夫即極【ぼんぷそくごく】という言葉もありますけど?

> つまり「本地を得た」=聖者であることの証明にはならない。
それは、あなたの定義なら「証明にならない」のであって、
わたしは「証明する必要は無い」と考えています。

>「誰にもわからんでしょう」「それを知ってどうするのでしょうね」
> といまさら言われてもこまるんですが、
<見性を得たか>という質問があったので、質問に答えたまでですが、
そもそもその質問自体に価値が無いと思っていることを表明したまでです。
あなたが困ることは無いでしょう。

> そもそもあなたが>>463
>>>日蓮さんは、もちろん本地を体得したことは疑いありません。
>と言ったので、なぜそれが分かるか疑問に思ったのです。
それは説明しましたね。
「自分の生き方に疑いがない、信念に揺らぎがない」という点を持って
「本地を体得した」と断定しています。
475 ◆tsQRBnY96M :04/07/29 18:08 ID:s0h0VnRo
>>473
>そうか、あなたはブッダなのですか?
私の話、理解できてます?よく読んだ?
それとも、ただ難癖を付けているだけですか?

>「誰かが見性を得た」「本地を得た」つまり聖者か凡夫かを判定することは重要です。
四依を理解できてます?
その判断が正しいとどうしていえます?

> なぜならその人の言葉を尊重すべきか、それとも無視すべきか分かれるところだからです。
いや、「その人の言葉を尊重すべき」というなら、四依を理解できていませんね。

>「人に依存してはいけない」もしかして四依ですか? 
> とすれば、ちょっと誤解してませんか?
あなたが四依を誤解しているのでしょう?
「法によって人に依らざれ」ですよ。
逆にいえば、聖人が言ったか凡人が言ったは関係なく、
誰であれ「何を話したか」が重要なのですよ。
分かってますか?

>それなら、あなたは「日蓮さん」に帰依しないんですか?
わたしは日蓮さんに帰依しません。
日蓮さんが聖人であると認めますが、同時に親鸞さんも尊敬してますよ。
476けちゃっぷ:04/07/29 18:08 ID:jG5o5qCT
日蓮さんは、自分がお経に出てくる上行菩薩の生まれ変わりだって言ってたんでしょう?他人から○○の化身と誉め讃えられた僧はたくさんいますが、自称したのは珍しいです。現在ならカルト教祖扱いされます。
477 ◆tsQRBnY96M :04/07/30 18:24 ID:Ube7nL0P
次の方、どうぞ
478名無しさん@3周年:04/07/31 02:06 ID:II7KN6Tx
日蓮さんの本地の証明はしなくていいです。
本地って何?
479名無しさん@3周年:04/07/31 02:56 ID:nNRwxGBt
わかりもしないことを分かったように語る人は出ていってください。
480けちゃっく:04/07/31 07:29 ID:6SwZmjDP
本地垂迹(ほんじすいじゃく)説。仏・菩薩が人々の救済のために姿を変えて現われること。権現(ごんげん)さんと呼ばれる神様もそれ。本来の在り方の本地(ほんじ・ほんち)が仏で、垂迹が神様の姿。
481けちゃっぷ:04/07/31 07:39 ID:6SwZmjDP
日蓮さんは、自分の「本地」がお経にでてくる菩薩であると思い、迫害されることはお経に説かれる法華の行者そのものだと思うことで、やる気マンマンでがんばれたのでしょうね。
482 ◆tsQRBnY96M :04/07/31 09:18 ID:lH07lS1E
本地というのは、その人本来の在り方。

見性というのは、その人本来の性質。

無明というのは、元本の迷い。

阿耨多羅三藐三菩堤とは、仏の智慧。
483 ◆tsQRBnY96M :04/07/31 09:25 ID:lH07lS1E
無明を無くすには、阿耨多羅三藐三菩堤(智慧)を得る以外にない。

見性も本地も、知っただけでは無明はなくならんよ。
484名無しさん@3周年:04/07/31 09:27 ID:cTmj2c/U
今老荘思想を勉強してるんですが
やってるうちに格儀仏教や禅などに興味をもってきたんですが、
どこから手をつけたらいいかわかりません。
そこで禅の極意を学ぶ入門書とかありましたらご指南願えませんでしょうか?
仏教関係の本ですと岩波の「ブッダの教え」とか「真理のことば」くらいしか読んだことがありません。
教えてクンですがよろしくお願いします。
485名無しさん@3周年:04/07/31 10:00 ID:Zl7vzFdO
極意は本では学べません。よい先生を捜すしかありません。
以下の本が、よい先生を捜すための手掛かりになるか、足枷になるか分かりませんが、
老荘思想を勉強してる方ならこの二つから入るのがいいと思います。

1.柳田聖山『無の探求<中国禅>』角川文庫ソフィア
2.『禅源諸詮集都序』岩波文庫

1.は第一部以外読む必要ありません。
これ以上読みたい場合は、1.参考文献を見てご自身で選んでください。
二冊を読めば何か読みたい傾向がでてくると思います。
486名無しさん@3周年:04/07/31 10:08 ID:cTmj2c/U
>>485
ありがとうございます。
早速読んでみたいと思います。
ところで「よい先生を捜す」というのは、大学の教授や禅のお坊さんに教えを請うという意味なのでしょうか?
それとも昔の宗教学者なり大家の思想に準じて禅を理解していくということなのでしょうか?
487机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 10:29 ID:vzDcodkW
>>486
>大学の教授や禅のお坊さんに教えを請うという意味なのでしょうか?

禅の坊主に逢うためには、手ぶらでは逝けません。
これは一般的な常識です。

で、仮に2000円の菓子折りを禅寺に持っていったとする。
まあ、結果的には2000円札をドブに捨てるようなもんですね。

貴殿にお子さまがいらっしゃったのなら、
子供に駄菓子でも買ってあげた方が宜しいかと思います。

仏教では「犀の角の如し歩め」とか言います。
よくよく思案なされまし。
488机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 10:38 ID:vzDcodkW
>>486
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1090052679/
坐禅と見性第2章☆平等と自由を学ぶ

http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091222364/l50
坐禅と見性第3章☆悟りと涅槃を学ぶ
489名無しさん@3周年:04/07/31 11:14 ID:Zl7vzFdO
>>486
私は菩提心、利他心のある禅僧が「よい先生」という意味で書きました。

禅的には見性を得た師家というのが一般的な言い方だと思いますけど、あえて。

大学の先生は勧めません。それ以外でも今の日本でよい禅僧に出会うのは難しいと思います。
まあ、とりあえずその二つを読んでみてはいかがですか? 表層的ですが、影ぐらいはつかめると思います。
490名無しさん@3周年:04/07/31 11:28 ID:LWFQJ6/i
>>487
>>489
坊さんには織田無道みたいな人もいるっていうことを忘れてはいけないということですね。
紹介してくださった本を読んで、犀の角のようにまっすぐ歩んでいきたいと思います。
ありがとうございました。
491一禅僧:04/07/31 11:36 ID:d1r+Q4Wd
>>487

>禅の坊主に逢うためには、手ぶらでは逝けません。
>これは一般的な常識です。

おお・バ・カ・ヤ・ロ・ウ

どの禅僧がそんなケチな根性もってるかい。
2chの皆さんは、ご存知でしょうが机の言うことをまともに聞いてはいけません。
コヤツは実参したことは一度も無い、き違いですから相手してはいけません。

まあ、いつでも気軽に坐禅会においで下さい。


>>489
>大学の先生は勧めません。それ以外でも今の日本でよい禅僧に出会うのは難しいと思います。

よいかどうかは逢ってからにしてはどうですか。
逢いもせずに先入観はいけません。

492机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 11:48 ID:vzDcodkW
>>491
相談ごとや、頼みごとなど・・・
ましてや初対面の方に逢うときは菓子折りくらいは坊主じゃなくても、
一般的な常識だよ(笑

菓子折りを持ってこないのは、飛び込みの営業くらいなもん。

禅僧なら、もちっと世間常識をわきまえなされ(笑

>まあ、いつでも気軽に坐禅会においで下さい。

たぶん貴殿は営業の飛び込みだろう?
493名無しさん@3周年:04/07/31 11:57 ID:F6aJXFA5
机はここでも下らぬことを言っているね。

「逢うときに菓子折りくらいはもっていく」のは逢う方が決めることだろう。
坊さんがそんなけちなことは要求しない筈だよ。

>もちっと世間常識をわきまえなされ
オマエは常識もわからないんだなぁ。


494机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 12:05 ID:vzDcodkW
>>493
「よい先生」を捜す方は個人の勝手。

しかしながら、捜される方(禅僧)は迷惑かもしれんだろ?

貴殿はこの機微ってのをわからんらしい。
495名無しさん@3周年:04/07/31 12:07 ID:F6aJXFA5
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091222364/l50
坐禅と見性第3章☆悟りと涅槃を学ぶ

( ´,_ゝ`)ぷっ
496名無しさん@3周年:04/07/31 12:10 ID:Zl7vzFdO
>>491
少しはお会いしましたが、まった良縁はありませんでした。トウイン老師などはよさげですが。

逆にあなたは自信をもって薦められる師家を何人ご存じでしょうか? 
私が聞くところ三、四人だったと思います。それじゃ難しいというのが正しくないですか?

また参禅会を指導する師家はほとんど本当に見性や菩提心を持っているかただと、自信を持って言えますか?
見性や菩提心なしに形だけ指導するのは本質的に意味がないと思いますが、違いますか?
497名無しさん@3周年:04/07/31 12:17 ID:Zl7vzFdO
>>494
>>しかしながら、捜される方(禅僧)は迷惑かもしれんだろ?

道心、真剣さを試すための方便として迷惑がるなら分かるが、
本気で迷惑がるようでは菩提心を欠いていて大乗仏教僧として「よい先生」ではありません。

もちろん口でゆうのは簡単で実際自分がただ迷惑がられているのか、
試されているのか、それが分かるのは難しいです。
498机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 12:17 ID:vzDcodkW
>>496
>少しはお会いしましたが、まった良縁はありませんでした。

このことは禅僧がよく知っていて・・・
とにかく禅寺を何軒も廻るらしい。
この困難を乗り越えてこそ本当の仏教徒らしいよ。

私はそんなこと到底できませんから、その禅僧に言わせりゃ「仏教徒失格」。
ということになるらしい。

不可能なことを、あえて仏道修行だ。といふ詭弁にはくれぐれも注意されたし。
499名無しさん@3周年:04/07/31 12:17 ID:F6aJXFA5
おまえは禅僧を軽く観ていませんか。

もしいたら、そんな禅僧(いや雲水だな)は、俗気の取れない修行中の身だろうね。

>しかしながら、捜される方(禅僧)は迷惑かもしれんだろ?
>貴殿はこの機微ってのをわからんらしい。

これは悟らぬ机だからそうなんだろう。
おまえと禅僧を一緒にしたら迷惑だろうよ。
禅僧はこんなことでどうたらこうたら言わないよ。
来るものは拒まず、去る者は追わずだよ。
おれは禅僧と付き合っているがこんなケチなヤツ見たこと無いよ。


500名無しさん@3周年:04/07/31 12:24 ID:Zl7vzFdO
>>498
禅僧だけでは、ありません。よい先生に巡り会うのは、難しいことです。

ほんとうによい先生かとうか見極めるのも難しいことです。

また、よい先生が煩悩を叩いてくれた時、そのありがたみを自覚するのも難しいことです。

ですが、それらは命をかける価値があると信じます。

机さんもかけてみて!
501机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 12:26 ID:vzDcodkW
>>497
末寺でもいろいろあるからね。

貴殿が仰ってるのは、檀家の数がすくない寺院かとおもう。

檀家が多い寺院では、個人との子弟関係は先ず無理です。
そんなに暇ではないし。
502名無しさん@3周年:04/07/31 12:31 ID:Zl7vzFdO
>>501
ですから最初から難しいといっているのです。

私が言っているのは真剣な行者としての禅僧です。

もし、そうゆう禅僧が、師家がいらっしゃるなら、それは探す価値があると思います。
503机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 12:35 ID:vzDcodkW
>>499>>500
禅僧というのは、付き合ってみると非常に俗っぽいもんだよ。

つまり俗っぽくなって・・それで一人前。
今の僧侶は世界を映してる。

して、貴殿たちは禅僧に何を求めるのか?
そこととこを充分思慮したらよかろう?
504机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 12:39 ID:vzDcodkW
>>502
>私が言っているのは真剣な行者としての禅僧です。

「行者」というのは、もはや死語かと思ってましたが・・・
今でもこういう言葉を使う方がおるんですね。

でも、もしそんな行者がおりましたら逢ってみたいもんですね。
505名無しさん@3周年:04/07/31 13:12 ID:Zl7vzFdO
>>504
まれにいらっしゃいますよ。

たしかにその先生もちょっと俗ぽいかも。

しかし学徳と心は素晴らしい。しかもそれを自然に隠しているところが
また、私を驚嘆させる方でございます。(私は先生のよさに気づくまで五年ぐらいかかりました)

福徳を積めば、案外お会いできるものですよ。
積むには読経、写経、持戒、供養、布施、放生等方便は豊富です。
506名無しさん@3周年:04/07/31 13:16 ID:LMo6Ls2N
>私が言っているのは真剣な行者としての禅僧です。

真剣な行者を真摯に求めたいなら、2chを離れて求めたほうがよいでしょう。
また、禅宗というジャンルに執らわれることもないと思います。
機が熟せば、自ずと求めていた人物との出会いはやってくるでしょう
その仕組みは不可思量です
507机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 13:32 ID:vzDcodkW
>>505
都会の喧騒の中で、ひとり法衣を着て托鉢行をしている僧?がいますね。
彼らは一日の収入が7000円前後らしい。
そしてアパートとかに一人暮らし。

家族がいない分だけ、なんの失うものはない。
本来、修行の原点というのはこういう環境が理想かとは思う。

ちなみに、日本にもマザーテレサの会があったらしい。
あったらしい。というのは、現在はあまり活動してないらしいが・・・

末寺を廻るんでしたら、こういった生き方のほうが私は好きですね。
これも個人的な独断ですがね。
508名無しさん@3周年:04/07/31 13:37 ID:1WhrW8KX
>>502
あなたの力量がどの程度なのか分かりませんし、どの程度の師を望んでいるのか分かりませんけど、すくなくとも一通りの修行を積んだ僧であれば、あなたよりは力量が上でしょう。
あなたの力量より上であれば師と仰いでもいいのじゃありませんか。
それともすべての禅僧があなたより力量不足で、ものたりないと仰りたいのですか。
どうも自身のことをお忘れになっているのじゃありませんか。
私事ですが、いままでに出逢った僧は皆さん修行をつんで僧といわれるだけのものはお持ちでしたよ。

>逆にあなたは自信をもって薦められる師家を何人ご存じでしょうか? 
>私が聞くところ三、四人だったと思います。それじゃ難しいというのが正しくないですか?
あなたがどれだけ優秀なのかわかりませんけど、まずご自身をよく分かってからこういうことを言うものです。

>また参禅会を指導する師家はほとんど本当に見性や菩提心を持っているかただと、自信を持って言えますか?
>見性や菩提心なしに形だけ指導するのは本質的に意味がないと思いますが、違いますか?
まったく見当がはずれていますね。
たとえ見性していなくても、衆生を仏縁に導く縁を与えてくれているのですよ。
感謝の気持ちを持って縁を大事にすべきでしょう。
もし力量があなたのほうが上ならば、他の師を求めていけばよいのではありませんか。
こんなことを言っているあなたは全くのおぼっちゃん育ちなのでしょうね。
509机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 13:38 ID:vzDcodkW
>>506
>真剣な行者を真摯に求めたいなら、2chを離れて求めたほうがよいでしょう。

もしや貴殿は、2ちゃんへ書き込みしていることに後ろめたさはありませんか?

2ちゃんよりは、某大学の学術会議の方がいいですか?

真剣な行者は、学術会議に出席する重鎮のことですか?
510名無しさん@3周年:04/07/31 13:41 ID:1WhrW8KX
>>504
>でも、もしそんな行者がおりましたら逢ってみたいもんですね
無理だよ。
おまえみたいなクソ机には、クソバエしか集まらないよ。
511名無しさん@3周年:04/07/31 13:43 ID:1WhrW8KX
クソ机はは黙っていろよ
512名無しさん@3周年:04/07/31 13:48 ID:1WhrW8KX
_坐禅と見性第3章☆悟りと涅槃を学び合う_
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091222364/l50

机はここでクソ理屈を言っていればいいのだ。
513机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 13:50 ID:vzDcodkW
>510 名前:名無しさん@3周年 :04/07/31 13:41 ID:1WhrW8KX
>511 名前:名無しさん@3周年 :04/07/31 13:43 ID:1WhrW8KX

ID導入で、貴殿も随分と人格が豹変しなさるね(笑
>>508と、同一人物とは思えん^_^;

>508 名前:名無しさん@3周年 :04/07/31 13:37 ID:1WhrW8KX



514名無しさん@3周年:04/07/31 13:51 ID:1WhrW8KX
クソにはクソだよ

515机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 13:52 ID:vzDcodkW
>512 名前:名無しさん@3周年 :04/07/31 13:48 ID:1WhrW8KX

困ったもんですね(^^ゞ
516名無しさん@3周年:04/07/31 13:53 ID:1WhrW8KX
そしておぼっちゃんにはおぼっちゃんへの答え方だよ
517机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 13:53 ID:vzDcodkW
>>508
>たとえ見性していなくても、衆生を仏縁に導く縁を与えてくれているのですよ。

どうかわたすを、仏縁に導いてくだされましm(__)m
518名無しさん@3周年:04/07/31 13:55 ID:1WhrW8KX
>>515
なにも困ることはないだろう。
クソバエにまみれるなんて、おまえに相応しい居場所じゃないかい(W
519名無しさん@3周年:04/07/31 13:57 ID:1WhrW8KX
>>517
>どうかわたすを、仏縁に導いてくだされましm(__)m
だめだね。あきらめな。
おまえは仏縁など無縁だよ。
520机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 14:00 ID:vzDcodkW
>>519
せっかく>>508でいいこと書いたのにね。

残念だったね。
たまに私のスレにでもいらっさい。
521名無しさん@3周年:04/07/31 14:04 ID:1WhrW8KX
502も机にも共通しているのはだな、

クソバエが鷹を望んでいるってことだよ。

まず自身をよく知れ!
522名無しさん@3周年:04/07/31 14:12 ID:Zl7vzFdO
>>508
私は僧で受戒してから20年ほど学び、行じています。寺はありません。
また、現在、師匠に恵まれています。

まあ、私の見方ですから、優れた禅僧に出会っていたのに見逃していたのかもしれません。
主観ですから、ここで争ってもしかたないでしょう。
もちろん、私はつまらないヤツですよ。ただ優れた僧にも接してきたのです。

それと坐禅というのは見性していない方が指導した場合、危険ですらあると思います。
なぜか、禅は山に登るとき地図やコンパスを持たずに、ただただ先達に従って登るようなものだからです。
山に登ったことのない先達に従った場合、遭難するかもしれないのと同じだと思うのですが。
つまり禅は無相だから。もちろん見性された方が先達なら迷うことはないのですが。

しかし見性があるかないか、見極めるのは難しい。


523名無しさん@3周年:04/07/31 14:19 ID:1WhrW8KX
>>522
おいおい、受戒した僧がこんな2chで何をうろちょろしてんだい?
そんなに暇なのかい。
2chに来る暇があったら修行を積んだらどうだい。
衆生を坐禅に導いたらどうだい。

524名無しさん@3周年:04/07/31 14:20 ID:1WhrW8KX
それにな、
見性しているほうから見れば、こいつは見性しているかどうか分かるんじゃないかい。
525名無しさん@3周年:04/07/31 14:27 ID:Zl7vzFdO
>>523
もちろん行はしてますよ。これは経典を読む合間の遊びですね。
>>484 みたいな質問に答えることにしてます。おかしいですか?
526名無しさん@3周年:04/07/31 14:29 ID:Zl7vzFdO
>>524
見性してたら師匠は探さないでしょう? 
527名無しさん@3周年:04/07/31 14:43 ID:1WhrW8KX
>>526
>もちろん行はしてますよ。これは経典を読む合間の遊びですね。
失礼ですが、あなたは本当に僧ですか?
本末転倒していますよ。
それに20年間も坐り続けたのなら、もうとっくに見性しててもおかしくないですよ。
それともなんです、まだ、自身がなんたるか分からず迷っているのですか。
私ごと言うのも気が引けますが、十年くらいで見性していますよ。


528名無しさん@3周年:04/07/31 14:45 ID:1WhrW8KX
いいですか。
見性だけでのことでしたら、日本中にいくらでも師匠と呼べる人はいますよ。
529名無しさん@3周年:04/07/31 14:52 ID:1WhrW8KX
どうもツリに引っかかったかもしれないなぁ。

よい師匠に逢えた人がこんなことを言うはずないものなぁ

530名無しさん@3周年:04/07/31 14:58 ID:Zl7vzFdO
それでは伺いますが、あなたは何ですか?
531名無しさん@3周年:04/07/31 15:02 ID:53bxKMz5
>>527
素人ですみません。
近頃、禅に関心をもって入門書のような物を読み始めたんですが
見性ってなんですか?
また、どんな物でしょうか?
お悟りとは別物ですか?
ご教授ください。
532名無しさん@3周年:04/07/31 15:09 ID:1WhrW8KX
>>530
>それでは伺いますが、あなたは何ですか?
どういう意味なのかよくわかりませんけど、
私は一介の在家で、あなたと同じくらい20数年参禅していますよ。破参はまだしていませんけどね。
しかし今までよい師だとかどうのこうのなど考えたことはありませんでしたよ。
師の性格とかそんなことはどうでもいいことなのではありませんか。
ただただ仏法を極めんとする熱意があればね。
533名無しさん@3周年:04/07/31 15:12 ID:Zl7vzFdO
おつきあいいただきありがとうございました。
お互い、道は違っても精進いたしましょう。
534名無しさん@3周年:04/07/31 15:15 ID:1WhrW8KX
>>533
言い過ぎたことはお許し下さい。
ぜひ精進を重ねて一日も早く見性されんことを心よりお祈り申し上げます。
失礼しました。
535名無しさん@3周年:04/07/31 15:23 ID:z25u4s03
>>534
批難したいことや自慢したいことは沢山あっても
ぐっとこらえながら、相手をちくちく抓る事を見性と言うのですか?
536机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 15:41 ID:vzDcodkW
>>531
>見性ってなんですか?

見性というのは・・>>521
>クソバエが鷹を望んでいるってことだよ。

こういう発想自体がなくなります。
クソバエも鷹も仏様も、そこになんら分別なき(仏智)を、これを見性と申すのです。

貴あらば賤あり。貴なくば賤なし。
ひとはかように分別によりて迷うております。
この通いに気づくこと。
これを見性といいます。簡単に言えば・・。
537名無しさん@3周年:04/07/31 15:42 ID:1WhrW8KX
>>531
>見性ってなんですか? また、どんな物でしょうか?お悟りとは別物ですか?

ひと言で言うと、真の人間性というのでしょうか。
普段、自分と思っている自分は我というもので、本当の自分はその奥にあります。
坐禅することによって本来の自分に出会い、まみえて、自分が、ほんとうの自分になることを「見性成仏」といいます、また悟りともいいます。
この当たりはいくら言葉を費やしても説明することは難しいのですが、坐禅することによって自身が明らかになります。
ただ見性は本だけや人(2chもふくめて)から聞いただけで体得することは、絶対にありません。
先に話しましたが、見性した方からみれば、対手が見性しているか否かはわかりますが、そうでない方が対手が見性しているかどうか判断するのはむずかしいでしょう。
簡単に見抜く方法は、対手が坐っているかどうかです。理屈だけの人はいくら立派そうなことを言っても底が浅く、芯を得ていないので分かります。
これ以上は、私にも旨く説明できませんし、2chにも、中には見性している人がいますので、説明を参考にしたらいいでしょう。


538机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 15:43 ID:vzDcodkW
×  通い
○  迷い
539名無しさん@3周年:04/07/31 15:54 ID:gH8fEW30
>>537
有難う御座います。^^

要点としては。。。

@見性した人にしか、見性は分からない。
A見性している人には、他人が見性しているかしていないかが分かる。
B見性は座禅を通じて体得するものである。

確定していることは↑のようなことでしょうか。。。

ここで、さらに疑問なのですが。。。
「真の人間性」ということですが。。
これは、一般に私たちが使っている言葉の人間性とは別の物なのでしょうか?

さらに、曹洞宗の和尚さんの書いた本などを読むと見性を否定的に
書いてある本がありますが、臨済宗と曹洞宗では目指すところが違うのでしょうか?

教えてくんですみません。。。
540 ◆tsQRBnY96M :04/07/31 16:31 ID:lH07lS1E
>>539
> 「真の人間性」ということですが。。
> これは、一般に私たちが使っている言葉の人間性とは別の物なのでしょうか?
別物です。
見性成仏でググってみてください。

禅宗では、人間本来の性質が仏だとしています。
この本来の仏に目覚めることを見性成仏と呼んでいます。

しかし、人間本来仏という説は、仏説ではありません。ご注意を。
541名無しさん@3周年:04/07/31 17:25 ID:tYCPuFQ7
>>540
>しかし、人間本来仏という説は、仏説ではありません。ご注意を。

では、なに説なんでしょうか?

初歩的な質問でもあり、また根源的な質問ですいません。m(__)m
542名無しさん@3周年:04/07/31 17:31 ID:tYCPuFQ7
見性というのは大切だろうけども入り口でしょ。
543 ◆tsQRBnY96M :04/07/31 18:38 ID:lH07lS1E
>>541
> では、なに説なんでしょうか?
大乗の説
大乗は非仏説

人間は本来仏なのではなく、目覚めた人が仏です。単純なことです。
544机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 18:44 ID:vzDcodkW
>>543
禅宗が非仏説でしたか・・・。
私はスレ違いですから、これ以上のコメントは遠慮しときます。

>人間は本来仏なのではなく、目覚めた人が仏です。単純なことです。

非常に単純ですね。意は同義ですね。
545名無しさん@3周年:04/07/31 18:56 ID:tYCPuFQ7
>目覚めた人が仏です。単純なことです。

>大乗は非仏説

目覚めた人は融通無碍です
目覚めた人は、大乗の概念が出来る以前から、
目覚めた人ゆえに、大慈・大悲です

>人間は本来仏なのではなく、目覚めた人が仏です。単純なことです。

本来の仏という本性、種子があればこそ、目覚めることができるのでは
ないのですか?



546名無しさん@3周年:04/07/31 18:58 ID:mFCJ/74f
対話初めから読んでいて、どうも1WhrW8KX氏のいうことはただただ言いがかりのような気が。
547机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 19:00 ID:vzDcodkW
即心即仏→差別相
非心非仏→無差別相

同義です。
548 ◆tsQRBnY96M :04/07/31 20:07 ID:lH07lS1E
>>545
> 本来の仏という本性、種子があればこそ、目覚めることができるのでは
> ないのですか?
本性があるという思想は、無我の思想ではありません。
種子があるという思想は、無我の思想ではありません。

本性や種子が”ある”から目覚めるのではありません。

それらのものは実在ではありません。
それらに関係なく目覚めるということです。
549名無しさん@3周年:04/07/31 20:43 ID:JLXKjhlH
>>546
いやいやどうしてどうして、在家でこれだけの見識をもつのは大変なものだと思うよ。
逆に、Zl7vzFdOの僧ってのは本当に僧なのかね。どうも情けなくて、あまりにも他人に頼りすぎている。
これじゃ衆生を救えないんじゃないか。
この僧は、本当に僧堂で修行してきたのかね。
20年間ねぇ・・・・・信じられないね。



550机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 21:00 ID:vzDcodkW
>>549
>これじゃ衆生を救えないんじゃないか。

この「衆生を救う」ってとこが大乗・非仏説説になるのかと思うけど、
そもそもがここのとこを拡大解釈しているかと思う。

禅宗における菩薩というのは、そういう意味ではない。
自他不二
551名無しさん@3周年:04/07/31 21:13 ID:JLXKjhlH
>>550
机酸よ、あんたのお説は毎度のことで我説なんだよ。
進歩もなにもないんだね。
禅宗では四弘誓願というのがあってな、まず「衆生無辺誓願度」から唱和するんだよ。
あんたは参禅したこともないからわかんないだろうけどね。

552 ◆tsQRBnY96M :04/07/31 21:19 ID:lH07lS1E
>>544
>禅宗が非仏説でしたか・・・。

大乗だとか、仏教だとかに関係なく、禅宗は禅宗。まったく別物。
↑これは鈴木大拙氏の説。

たまたま仏教の教えを取り入れていますが、仏教の教えを取り除いても、禅宗はびくともしません。

どこそこの宗派が非仏説というと語弊が大きいので、妙な反論が予想されますので、この辺で
553名無しさん@3周年:04/07/31 21:21 ID:JLXKjhlH
>目覚めた人は融通無碍です
>目覚めた人は、大乗の概念が出来る以前から、
>目覚めた人ゆえに、大慈・大悲です

>本来の仏という本性、種子があればこそ、目覚めることができるのでは
>ないのですか?

わかっているではないか。
554名無しさん@3周年:04/07/31 21:25 ID:JLXKjhlH
>>552
>たまたま仏教の教えを取り入れていますが、仏教の教えを取り除いても、禅宗はびくともしません。

まっこと、そのとおり。
たとえ仏教が滅びようとも、禅は永続するものなのだ。
555 ◆tsQRBnY96M :04/07/31 21:34 ID:lH07lS1E
>>549
> これじゃ衆生を救えないんじゃないか。

「救う」という言葉は誤解されやすいですね。

誰も人を救うことはできない、と認識していれば問題ありません。

あくまでも、本人が解脱する以外に苦からのがれる方法はありません。

人が解脱させてくれる訳ではないからです。
556名無しさん@3周年:04/07/31 21:48 ID:JLXKjhlH
「救う」という言葉と「度する」という言葉に、どの程度の差があるんでしょう。
そしてその差がどういう影響があるというのでしょう。
あまり文字に拘る事はないと思うのですがね。
557机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 21:50 ID:vzDcodkW
>>551
>禅宗では四弘誓願というのがあってな、まず「衆生無辺誓願度」から唱和するんだよ。

仏になるために、瓦を一生懸命に磨く。磨いてみないとわからんだろ?
もしかしたら金ピカの鏡になるかもしれん。

だから唱和しながら一生懸命に瓦を磨く。けっしてそれは無駄ではない。

しかしながらそういうふうに唱和してからこそ段々とわかってくるもんだよ。

貴殿も衆生も仏も、みな一緒だったんだ。と・・・

そのうち貴殿もわかってくるよ。
すまんな。
558机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 21:54 ID:vzDcodkW
>>552
>たまたま仏教の教えを取り入れていますが、仏教の教えを取り除いても、禅宗はびくともしません。

これは外道というもんだよ。
狸禅にもならないかと思うよ。
すまんけど。
559名無しさん@3周年:04/07/31 21:55 ID:JLXKjhlH
>>557
本を読むだけで坐禅もしないあんたには程遠くわからんことだよ。
560名無しさん@3周年:04/07/31 21:58 ID:JLXKjhlH
>>558
人の事を言う前に、自分の糞禅をなんとかしろよ。
561机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 22:00 ID:vzDcodkW
>>556
済度、という言い方しますね。
これもやはり自他不二で、【救う⇔救われる】の分別はないかと思います。
空の慈悲の顕現が是、済度といふもの。
562名無しさん@3周年:04/07/31 22:03 ID:JLXKjhlH
>>557
>だから唱和しながら一生懸命に瓦を磨く。けっしてそれは無駄ではない。
>しかしながらそういうふうに唱和してからこそ段々とわかってくるもんだよ。

唱和もしたこともないあんたが分かるのかい。
そんな屁理屈をいうまえに、自分のクソ禅をクソクソクソ・・・・・・唱和してみろ

きっと悟れるだろうな。(笑
563名無しさん@3周年:04/07/31 22:05 ID:JLXKjhlH
>>561
だからなんなんだ。
自分の知識を見せびらかしたいだけなんだろう。
差別をしてなんになるんだい。
564名無しさん@3周年:04/07/31 22:08 ID:JLXKjhlH
これ以上、机につくとクソまみれになるので止めるとすっか。

ちゃんと、くそべらでふいとけよ。
565机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 22:09 ID:vzDcodkW
>>563
私は差別はしてません。
むしろ各々方の差別はいかがなものか?と・・・
そのように思ったしだいです。

すまんです。
566 ◆tsQRBnY96M :04/07/31 22:56 ID:lH07lS1E
>>558
外道という用語を誤解されていますね。

仏道と内道といい、釈尊の教え以外を、外道といいますが、

現代用語の外道とは意味がことなります。

単に「そとのみち」という程度の意味です。
567名無しさん@3周年:04/07/31 23:00 ID:rRfY424g
友人が「立成佼正会」という宗教?に入らないかってさそうんだけど、いったいどんな宗教?
ご存知の方教えてください。HPをちらっと見た限りではまともそうなんだけど。
568名無しさん@3周年:04/07/31 23:03 ID:2KkjysuS
>>548
>本性があるという思想は、無我の思想ではありません。
>種子があるという思想は、無我の思想ではありません。

>本性や種子が”ある”から目覚めるのではありません。

>それらのものは実在ではありません。
>それらに関係なく目覚めるということです。


仏性は思想や理屈ではありません
この身において体現するものです
その状態を目覚めたもの→ブッダといっているだけです
別にブッダでなくても、名称はなんでも構いません
言葉はあくまでも便宜上の仮託であり約束事にすぎないのですから
大切なことは感じることです
仏性が有無を主張するわけでもありませんから、自ら感じることです
569名無しさん@3周年:04/07/31 23:15 ID:+IRSDHvr
どうでもいいけど「見性」「仏性」をテーマにしながら大人同士の対話に見えないのは何故
570 ◆tsQRBnY96M :04/07/31 23:41 ID:lH07lS1E
>>568
> 仏性が有無を主張するわけでもありませんから、自ら感じることです

あなたは、仏性の有無を主張するわけではない、といいながら
「この身において体現するものです」「自ら感じることです」
と主張されています。前提が仏性ありきになっていますね。

わたしは、そのような「仏性を実体視すること」を問題にしています。

「無我の思想ではない」との記述に対して、無我は思想ではない、というのは的外れです。
571机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 23:44 ID:vzDcodkW
>>566
>外道という用語を誤解されていますね。

誤解はしてません。

釈尊は独覚者、ということになる。
独覚者の模倣というのが、そもそもの禅宗の起源。
ならば禅宗のテーゼは常に釈尊とは切り離せない。

いわゆる禅は、仏教とは切り離せないだろう?
572机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/07/31 23:54 ID:vzDcodkW
>>567
>友人が「立成佼正会」という宗教?に入らないかってさそうんだけど、いったいどんな宗教?
>ご存知の方教えてください。HPをちらっと見た限りではまともそうなんだけど。

層化よりはまともでしょうね。
庭野日敬の著書も読んだ事あるけど、そんなにカルト的なとこはなかったよ。

私はそういう教団自体が好きではないけど、
金はそんなにかからないかと思う。

層化みたいな広宣流布などもあまりないようだし。
まあ、佼成会関連のスレにでも入って情報を収集したらいいかと思う。
573名無しさん@3周年:04/07/31 23:58 ID:PgWnP0ky
金かかるだろ(笑)
お布施第一の教団だぜ
574机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/01 00:00 ID:LhBkTKA1
>>573
そうでしたか・・・。
それはすまんかった。

私は昔の(30年位前)の佼成会しか知らんもんで・・・。
575机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/01 00:08 ID:LhBkTKA1
>>567
一番いいのは、どこの教団にも入らないことだよ。

もしも禅に興味があるなら、中国禅を研究したほうがいい。
そこいらへんの教団よりはモットまともなことが書いてある。

日本の禅宗よりも・・・先ずは中国へ逝くといい。
576机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/01 06:31 ID:LhBkTKA1
>>569
>どうでもいいけど「見性」「仏性」をテーマにしながら大人同士の対話に見えないのは何故

多数の修行僧を抱える宗門にしたら、プログラム化されたカリキュラムをスムーズにこなさなければならない。
そこにどこか自由の気風ってのがなくなってくる。
不自由ではむしろ禅ではない。

こういった宗門の影響を受けてるのが日本の禅なんだろうね。

ドグマ性は、かえって囚われの心を増幅してしまう。
頓悟というのは、むしろこういったことからの開放なんだが・・・
そこのとこをはき違えているんだろうね。
577名無しさん@3周年:04/08/01 07:35 ID:k8euuWRk
話は戻りますが、つまり、見性並びに見性体験はその根本原理において「まやかし」である。
と言うことでしょうか?
578名無しさん@3周年:04/08/01 07:57 ID:qBCUs5fX
>>577続き
仏性とか本性とか種子は無我を表す言葉で、無我を体験することが見性である。
というような詭弁は無しの方向でひとつ。。。
579机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/01 08:10 ID:LhBkTKA1
>>577
まやかし。というよりも一つのプロセスだから、見性そのものには意味はない。
そういうプロセスを経る。ってことが大事なんでしょうね。

白隠の見性体験にしたって、そのままが世界の実相?を見通してる訳ではない。
そうい自身の心的作用(見性)を自分自身で消化しなければならない。
これを禅では「自分に問う」というような言い方をする。

もしこの「自分に問う」がなかったとしたた、dでも世界観になってしまう。
いうなれば仏教とは、限りなく自身に疑を向けることである。

それを「犀の角の如し歩む」。ってことになる。

見性は、その意味はそういうプロセスを経てから、ようやく分かってくるかと思ふ。
580 ◆tsQRBnY96M :04/08/01 08:20 ID:Z2q6DDjM
>>578
> 仏性とか本性とか種子は無我を表す言葉で、無我を体験することが見性である。
これはまさに、大乗涅槃経の主張とおなじです。

> というような詭弁は無しの方向でひとつ。。。
これが詭弁だということがわかっていれば、問題ないでしょう。

見性も見性体験もまやかしではありませんが、常住、不変と捕らえなければ、問題ありません。
581名無しさん@3周年:04/08/01 09:01 ID:FELUhLdF
>>570
ではどうでしょう。体現するものは実体として「ありき」なんですか?
ある経験を実感したと語る者は、必ずしもその体験や実感が実体である
と語っている訳ではないと思うのですが。

釈尊は本質的なものには触れず、悩みを持った者などに自ずと経験から
導き出せるような、関係性などの考え方で助言していたのでしょう。
何の問題にしろ、本質,根本的な有無としての回答は避けていた様子が
覗えますよね。
そういう議論に向かったのは、後世の仏教徒達なのだろうと思う。

582名無しさん@3周年:04/08/01 09:23 ID:dXbx7EVc
無 我 外 道
583名無しさん@3周年:04/08/01 10:00 ID:Q8ujwOEz
>>581
そうですね。アビダルマが本質を想定し、龍樹菩薩がそれを叩き、唯識が再び本質を想定した。
何か本質を求めてしまうのが、無明のようですね。


584名無しさん@3周年:04/08/01 11:49 ID:wt2sOpzQ
>>580
かなり飛躍しますが、諸説ある中で目に付いた物なのですが、、、
直指人心見性成仏を標榜する臨済禅は、本覚思想である。
見性並び見性体験を否定する道元の只管打坐は、本覚思想ではない。
その正邪、優劣はおいておくとして、ここに二つの禅の断絶がある。
という説が有りますが、いかがでしょう?
585名無しさん@3周年:04/08/01 13:30 ID:RmHg53gs
僕の仲がいい友達は皆いい奴なんだけど不運のトラブル人が多いんです。例えば癌になったりお金を盗まれたり事故に合ったり家族もうちの祖母が金銭トラブルが多いです。僕自身もそいうトラブルが多いけどまだマシな方です。もしかしたら何か悪い霊が付いてるのか不安です。
586名無しさん@3周年:04/08/01 13:54 ID:04zAD7e/
>>585
トラブルが続くと不安になるのは当然です。
不安になると、何か目にみえないもののせいにしたくなるのも当然でしょう。
不運の一つ一つには、それぞれ異なった原因があるはずです。
一つ一つ貴方が考えうる最善の対処をしていく中に少しずつ不安も解消していくことでしょう。
お友達の不運の時こそ、友情を再確認できる時と考えて、お友達の心の支えになってあげてください。

追伸:悪霊を利用した悪質な恐喝まがいの霊能者に、だまされない様に気をつけることをお勧めいたします。
と言っても、無駄でしょうけどね。
587机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/01 14:19 ID:LhBkTKA1
>>580
>見性も見性体験もまやかしではありませんが、常住、不変と捕らえなければ、問題ありません。

見性というのは、捕らえ(捉え)しだいでどうにでも解釈できる。ということ?
だったらそれはもはや見性とはいうまい。

そもそも貴殿は見性のことはなんにもわからんのだろ?

588名無しさん@3周年:04/08/01 14:31 ID:RmHg53gs
ご回答どうもありがとうございます。悪質じゃないのはお布施を扱ってる人の事ですか?
きちんとしたお祓いとかってやっぱり神社しか受け付けてないんでしょうか? 僕は大阪なんですけどどこが信頼性があるかご存じないですか?
589名無しさん@3周年:04/08/01 14:45 ID:OigCmGlU
>>588
やっぱり、分かってないですね。
御祓いとかする時点で、すでに悪質です。

それでも御祓いしてもらいたいのなら、この板よりも神社仏閣板で尋ねられるのがよいと思います。
590名無しさん@3周年:04/08/01 14:47 ID:zlZZOCBd
>>587
何か釣れますか?
591名無しさん@3周年:04/08/01 17:40 ID:MeWrcT9G
そろそろ、みんな>>1を読み返す時期だな。
592 ◆tsQRBnY96M :04/08/01 18:33 ID:Z2q6DDjM
>>581
>ではどうでしょう。体現するものは実体として「ありき」なんですか?


> ある経験を実感したと語る者は、必ずしもその体験や実感が実体である
> と語っている訳ではないと思うのですが。
そうですね。
実体視しなければ問題はありません。しかし

「仏性は思想や理屈ではありません 」という発言は、前提として”仏性ありき”になっています。
わたしは、”仏性は無い”と主張します。

”犬に仏性はあるか?”などとくだらない議論は不要です。

仏性に関係なく、人は目が覚めるということです。
593 ◆tsQRBnY96M :04/08/01 18:44 ID:Z2q6DDjM
>>584
> 直指人心見性成仏を標榜する臨済禅は、本覚思想である。
> 見性並び見性体験を否定する道元の只管打坐は、本覚思想ではない。
> その正邪、優劣はおいておくとして、ここに二つの禅の断絶がある。
どちらの禅も、「これこれである」と単純化しすぎですね。
たしかに臨済禅の中には、本覚思想も認められますが、それが全部というわけでもないでしょう。
ふたつの禅に、断絶をみるのはどうかと思います。
594 ◆tsQRBnY96M :04/08/01 18:47 ID:Z2q6DDjM
>>587

> 見性というのは、捕らえ(捉え)しだいでどうにでも解釈できる。ということ?
全然違いますよ。根本的に。

> だったらそれはもはや見性とはいうまい。
それは見性ではありませんね。

> そもそも貴殿は見性のことはなんにもわからんのだろ?
そもそも?
そもそも見性のことがわからない?

すでに「見性ありき」が前提ですね。
私の場合、無我が前提です。
595机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/01 18:57 ID:LhBkTKA1
>>594
>全然違いますよ。根本的に。

「全然違います」と言うても、既に貴殿は
>>見性も見性体験もまやかしではありませんが、常住、不変と捕らえなければ、問題ありません。

このように貴殿は書いておるではないか。

つまり貴殿は、見性というのを認識の範疇として捉えてる。
ここが既に大間違い。
認識ではないんだよ。

まあ、仏教とは奥が深いの・・・
596机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/01 19:02 ID:LhBkTKA1
>>594
_坐禅と見性第3章☆悟りと涅槃を学び合う_
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091222364/l50
わたしはいつでもここにおります。

これも仏縁。
来たいときにいらっしゃい。
597名無しさん@3周年:04/08/01 20:12 ID:HB3+0rwM
>◆tsQRBnY96Mさん
蔭ながら勉強させていただいております。
貴方でもこんな掃き溜めで遊行するのですね。
戯論はいけないと分かっていても、
○ケ○ン○ト○みたいに楽しい物ですね。
598名無しさん@3周年:04/08/01 20:56 ID:sIfn9qTH
さあ!もり下がって参りました!
599名無しさん@3周年:04/08/01 23:55 ID:ZrjnulNE
>わたしは、”仏性は無い”と主張します。

「主張します」というのも、我執ぷんぷんですね。(^○^)
 もちょっと無我なもの言いを!!

「仏性は有る」といったら、常見
「仏性は無い」といったら、断見

600 ◆tsQRBnY96M :04/08/02 00:06 ID:ldSF6P5S
>>599
黙っていたらわからないようでなので、書いたまで。

言葉のいちいちに、反応しないように願います。

> 「仏性は有る」といったら、常見
> 「仏性は無い」といったら、断見
仏性はそんな”りっぱなもの”ではないよ。
単なる妄想。
601 ◆tsQRBnY96M :04/08/02 00:09 ID:ldSF6P5S
>>597
はてな、人違いでしょう。

>○ケ○ン○ト○みたいに楽しい物ですね。
意味不明
602けちゃっぷ:04/08/02 00:13 ID:/z9Mv+Z1
「仏性が有る・無い」っていうのは単なる表現でしょう?要は、「悟れるの?悟れないの?」でしょう。悟れないなら修業しても報われないことになりますから、大問題ですよね。
603けちゃっぷ:04/08/02 00:16 ID:/z9Mv+Z1
仏教徒であるというだけで一定の安心感を与えるためには、「みんな悟れます」という信仰が必要で、その典型が法華。で、「なんでみんな悟れるの?」と尋ねられたら、何かゆるぎない根拠が必要となりますから。
604名無しさん@3周年:04/08/02 00:19 ID:v9KUZOMD
>言葉のいちいちに、反応しないように願います。

反応する、反応しないも、それぞれの自灯明です
自由掲示板で、無粋なことはタブ〜〜〜ですYO

さてと寝るか
605けちゃっぷ:04/08/02 00:22 ID:/z9Mv+Z1
「仏性」なんて、不安や悩みの原因を解消させるための方便の一つにすぎない。はじめから悟りの可能性に疑いのない人には、必要のない概念です。川を渡るのに舟(方便)を使っても、岸に上がる時は舟を捨てる。
606けちゃっぷ:04/08/02 00:28 ID:/z9Mv+Z1
仏性の有無を問うのは、極楽が西にあるのか問うようなもの。極楽は方角なんか超越してるけど、方向を定めないと迷う凡夫の性格を配慮して、仮に西にあると言ってるだけです。
607名無しさん@3周年:04/08/02 00:35 ID:v9KUZOMD
更なる悟り、仏向上といいますからね
本来、不染汚であるものを磨くから、
「妙修」です

本当に寝様っと
608名無しさん@3周年:04/08/02 20:28 ID:QJJMzOIS
>>592
よかったら仏性はないと主張する理由と、その、ないという仏性やその実体視に
ついて、どのような考えがあるのか、少し聞かせて頂けませんか?
例えばあなたの考えでは、仏性を実体視する者にはどういう害悪があり、仏性を
実体視しない者は、どういう利得があるという主張なのでしょう?
609名無しさん@3周年:04/08/02 20:46 ID:QJJMzOIS
>>602
>悟れないなら、修行しても報われないことになりますから、大問題です
>よね。
しかしながら仏教徒は勿論、僧になって専門的な修行をしても悟れない人
はいると聞きます。全く悟れないわけではないのでしょうけど。仏教徒に
なって修行しても悟れない人の方が多いのだろうと思います。
610亀仙人:04/08/02 20:58 ID:I9dxuxh4
禅の方によくみられるまちがいですが、ブッタ、シャクソン、シャカ
は、全くの別人物です。
仏性の話は、法華経で問題となるもので、ブッタ、シャクソン、シャカは、
いずれも人間には仏性がないということを前提に理論を組み立てています。
611 ◆tsQRBnY96M :04/08/02 21:19 ID:ldSF6P5S
>>608
仏性は、常住であり、不変であり、我(アートマン)である、と大乗涅槃経に書かれています。
仏性は無い、というのは釈尊の仏法の基本である無我に反している、という単純な理由です。

無いものを在るといえば、迷うもとです。本覚思想がその良い例ですね。

>>610
間違い、と断定するのはいかがなものかと。
612名無しさん@3周年:04/08/02 22:09 ID:GG3sVCHD
>>611
ひどすぎるなあ。もしかして松本とか袴谷とか好きですか?
仏性を否定したら、大乗仏教は否定されるでしょう。

前にあなたが擁護した日蓮さんの法華経も涅槃教も仏性そのものでしょう。
なんというか矛盾だらけなんだけど。

本覚門を否定できる理由はなんですか? 
613けちゃっぷ:04/08/02 22:37 ID:/z9Mv+Z1
本覚思想は、まず、迷・悟、凡・聖などAとBが不二であると認め、次に、両者ともに不二の現れとして肯定します。如来蔵思想とは関連深いけど、ちょっと違いますよね。
614けちゃっぷ:04/08/02 22:41 ID:/z9Mv+Z1
念仏は、本覚思想がなくても成り立ちます。本覚思想は、悟った人には実感できますが、凡夫にとっては、「それでもこの世は苦しいじゃないか」です。だから、極楽での悟りをめざすのです。
615亀仙人:04/08/02 22:46 ID:I9dxuxh4
大乗と釈迦の仏教、釈尊の小乗をゴッチャにして、
仏性の話をしても、混乱するだけです。
なお、ブッタは実在の人物ではなく、経典にでてくる
仏です。
大乗の仏性にしぼって、みなさん話を進めたらいかがですか?
法華経聚楽第の知識なしでは、かなり難しいでしょうが。
616名無しさん@3周年:04/08/02 23:07 ID:jwqtZCQ4
>>614
意味解らんなー。
どっち(本覚思想と念仏)にしても凡夫は、生きている現世では苦しいって事?
617名無しさん@3周年:04/08/02 23:18 ID:GG3sVCHD
>>615
あの〜、どうゆうものに依ってますか?
普通は、ブッダ、ジナ、如来、善赴等は、仏の一般名詞です。諸仏とか諸如来というように。
そこで限定してシャカムニ・ブッダとかゴータマ・ブッダとか呼ぶわけです。
こちらが固有名詞で、これとほぼ同じ意味で「釈迦族の尊者」の略称が釈尊、釈迦と取るのが一般的ですが。

仰りたいのは色身の釈尊の説と法身・報身の諸仏の説を分けて話してということだと思いますが。
618けちゃっぷ:04/08/02 23:37 ID:/z9Mv+Z1
>>616 煩悩があれば苦しい。仏教の基本ですね。煩悩肯定では、菩提心(悟りをめざす心)の否定になりかねませんよね。
619亀仙人:04/08/03 00:15 ID:awPwwTWs
>617
ゴータマ・ブッタとかシャカムニ・ブッタと呼ぶ宗派があるそうですが、
どこですか?
仏と如来を同一視するようでは、もはや仏教とはいえません。
いちゃもんつけた以上、どこの宗派、もしくはどこの学説によるものか、
明らかにしてください。
それから、あなたの基本的常識を教えてください。
法華経では、仏性のないものとして、何種類かの類型をあげていますが、
般若波羅密多心経では、さらに1つ加えています。
説明できますか?
620けちゃっぷ:04/08/03 00:33 ID:ZGE28BFk
ゴータマ・ブッダと呼ぶ場合は、歴史上の仏教開祖ブッダを指す場合が多いのでは?わかりやすく語りたければ、「法華経の中の釈尊は」とか言えばいいでしょう。法華はゴータマ・ブッダの説じゃないから。
621亀仙人:04/08/03 00:37 ID:awPwwTWs
>620
仏教開祖は、お釈迦さんですよ!
622名無しさん@3周年:04/08/03 00:38 ID:+3cd/mtW
初めてこの板に来たのですが、般若心経の解説書みたいなもので
読みやすい物があったらおしえて下さい。
今日いいともでタモリさんが般若心経の最後の一説は「来たぞ来たぞ涅槃に来たぞ
涅槃に来たものに幸あれ」という意味だと言っていたのが気になりここへ来ました。
全くの初心者で仏教書のようなものは一度も読んだ事がないのですが、
お経の意味が書いてある本で初心者向けのものがあったらおしえて下さい。
623名無しさん@3周年:04/08/03 00:43 ID:+O3LBORs
>>621
そりゃ、そうですな。
法華はお釈迦さんの説じゃないってことですな。
624名無しさん@3周年:04/08/03 00:45 ID:+O3LBORs
>>622
ぐぐればいくらでもネット上に転がってる。
変なのつかまないように色々見てみることですね。
本を何冊も買うよりもよろしいのでは?
625亀仙人:04/08/03 00:46 ID:awPwwTWs
誤訳が多いですが、タモリさんの訳は、岩波文庫の
ものでしょう。
ちょこっと読むのもいいかもしれませんね。
626けちゃっぷ:04/08/03 00:48 ID:ZGE28BFk
ややこしいなぁ。ゴータマ・シッダールタとお釈迦さん・釈尊は同一人物だけど、歴史上のお釈迦さんと法華経のお釈迦さんは別。それはわかりますよね?
627亀仙人:04/08/03 00:54 ID:awPwwTWs
>626
それは、あなたの妄想。
妄想で他人の意見にいちゃもんつけてはいけません。
仏と如来同一視する宗派はさすがないでしょう。
628622:04/08/03 01:00 ID:+3cd/mtW
>>624>>625
ありがとうございました。
ネットと岩波文庫探してみます!
629けちゃっぷ:04/08/03 01:01 ID:ZGE28BFk
亀仙人さんの、如来と仏の定義を教えてください。その方が話が早い。
如来も仏も世尊も釈迦ムニも、ゴータマ・シッダールタを指します。
630亀仙人:04/08/03 01:11 ID:awPwwTWs
行きがかり上仏性の問題について私見を述べておきます。
人間には、もともと仏性はないのです。
でも人間は仏になれます。無から有が生じるわけです。
無から有になるためには、なんらかの縁が必要です。
それは、菩薩と出会うことです。
この縁は、運命的なものでなく、偶発的なものです。
この縁を大切に思う心を大乗仏教では「仏性」というのですが、
私はそんな大それた訳ではなく、単に「業」と訳せばよいと
おもっております。
気持ちの持ちようでどうにでもなることだと思いますから。
631名無しさん@3周年:04/08/03 01:16 ID:+O3LBORs
>>630
それより仏と如来の定義ちょうだいな。
632けちゃっぷ:04/08/03 01:16 ID:ZGE28BFk
草木にも仏性があるというのは、草木も縁があれば成仏できるということですか。
633名無しさん@3周年:04/08/03 01:19 ID:+O3LBORs
>>632
こういうときは、話題を拡散させない方が面白いとおもいますが、いかがでしょうか。
634けちゃっぷ:04/08/03 01:24 ID:ZGE28BFk
そうですね。とりあえず仏と如来の定義について。亀仙人さん待ちで。
635亀仙人:04/08/03 01:27 ID:awPwwTWs
>632
それはよい質問ですが、あいまいにしか答えられません。
草木、鳥獣に仏性はないと一応考えて結構です。
ただし、例外があります。
霊の問題です。霊の中にも「仏性」をもつものがあります。
また、草木、鳥獣のなかにも魂をもつものがあります。
これらは、最終的に浄土にいける可能性をもっていますが、
かなり困難です。仏になるのは、さらに困難です。
636名無しさん@3周年:04/08/03 01:28 ID:+O3LBORs
>>635
ぢゃ、その仏の定義をおながいしまつ。わくわく。
637ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/08/03 01:32 ID:e6OGnL/Q
>>635
『如来』の定義もな。
頼むよ。
638亀仙人:04/08/03 01:34 ID:awPwwTWs
仏と如来の関係について教科書的な答えをまず書きます。
仏は、如来にも菩薩にも天という神にもなれます。
仏はすべてを縫合する存在です。

私見を書きます。
如来も菩薩も天と名のつく神もすべて仏です。

後者が正解だと思いますが、文献上の根拠はみあたらないようです。
639名無しさん@3周年:04/08/03 01:40 ID:+O3LBORs
>>638
後者があなたの妄想であることは了解致しました。
前者の掲載されている教科書をご教示下さい。
640けちゃっぷ:04/08/03 01:42 ID:ZGE28BFk
十界互具の思想を意識して、使い分けてるわけですか。生命の十の段階の最高(修業完成型)を如来と。
じゃあ、大乗経典を説いたのはどっち?
単なる呼び名の違いだから、どうでもいいことだけど
641亀仙人:04/08/03 01:46 ID:awPwwTWs
法華経、般若三教に教科書的なことが書いてあることを知った上で、
私の私見を妄想よばわりしてください。
642けちゃっぷ:04/08/03 01:47 ID:ZGE28BFk
十界互具とは、仏は、六道・三乗・如来という生命の十段階のすべてをはらんでる、兼ね具えてる、ってことでしょうか。日蓮系はなぜか重視しますね。題目による成仏は成如来とは別ってこと?
643名無しさん@3周年:04/08/03 01:49 ID:+O3LBORs
>>641
文献上の根拠が見あたらないとの言を鵜呑みにしてしまっただけです。
根拠を示していただければ撤回致します。
644ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/08/03 01:54 ID:e6OGnL/Q
>>641
『法華経』の成立年代は『浄土三部経』と同じく紀元一世紀頃なんだが。
年代的に『経典成立史』からいけば、第三〜第四結集時期になるんだが。
ゴータマが逝去してから500年〜700年後な訳。
それを『唯一真である』とするのは、之如何に?
645亀仙人:04/08/03 01:55 ID:awPwwTWs
>640
十界互具の思想という言葉で、あなたの宗派がわかりました。
これは涅槃経にでてくる言葉で、
法華経にも般若三教にもでてきません。
涅槃経を重視するのは唯一曹同宗のみです。
あなたは、曹同宗の小僧でしょう。
あなたの宗教は、邪教です。
646名無しさん@3周年:04/08/03 01:58 ID:+O3LBORs
>>645
647けちゃっぷ:04/08/03 02:05 ID:ZGE28BFk
僕は浄土宗です。あなたは?
648名無しさん@3周年:04/08/03 02:10 ID:+O3LBORs
わくわくage!
649けちゃっぷ:04/08/03 02:11 ID:ZGE28BFk
もう寝ますが。仏教辞典持ってるので言葉を知ってただけです。あと、学会の人が十界互具を言ってましたので、日蓮系の教義にあるのかと思ってました。日蓮系は、ネハン経も使いますよね?
650亀仙人:04/08/03 02:13 ID:awPwwTWs
曹同宗が解釈する涅槃経の「十界互具の思想」と、法華経、
般若三教に明確にかかれている仏の性質は矛盾します。
簡単化すれば、法華経、般若三教がただしいか、涅槃経が
正しいかの問題になります。
涅槃経は、無意味な輪廻だけを説く無内容なお経です。
仏も浄土も地獄も来世もないとする曹同宗は、宗教の仮面を
かぶるため、好都合なお経をみつけたものですなぁ。
651名無しさん@3周年:04/08/03 02:19 ID:+O3LBORs
>>650
で?
652名無しさん@3周年:04/08/03 02:30 ID:+O3LBORs
自らの宗派を宣言できない場合、やっぱ新宗教なんだろうなあ。
なんにしても、偏った教理で質問箱を跋扈されては一見さんに迷惑です。
もっとそれっぽいスレに移動しましょうね。
653亀仙人:04/08/03 02:31 ID:awPwwTWs
曹同宗は統一教会と同じカルトなので、
気をつけましょう。
654名無しさん@3周年:04/08/03 02:35 ID:+O3LBORs
例えば、創価はカルトでしょうか?
655机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/03 06:52 ID:Fub6VEXK
>>653
貴殿は、どこかの教団に騙されてますよ。
老婆心ながら忠告しておきます。

ちなみに曹洞宗はカルトではありません。
戒名料においても、比較・平均して格安です。
見栄をはって院号を付けるのは個人の勝手です。

そして寺の改装なども、貧乏人はその旨を報告すれば無理には金を要求はしません。

しかしながら、菩提寺にはそれなりに世話になってればお布施はアタリマエのこと。

亀仙人 どのは、今はまだイイ教団を見つけて浮かれてるようですが・・・
地獄がこれからやってくるか?
これは貴殿の胸しだい。
他人はこれ以上は言えません。
656名無しさん@3周年:04/08/03 07:29 ID:O7cqJ1Gv
いや、すごい方ですな。如来十号ってご存じですか?『法華経』読んだことあるの?
どうしてそんなに自信あるわけ? 始めに自分の根拠を示してくださいよ。
>>619仏と如来を同一視するようでは、もはや仏教とはいえません。
じゃ『法華経』も仏教じゃないんですね。次のように仏と如来を別名としてますよ。

>爾時有佛。號日月燈明如來。
>應供。正遍知。明行足。善逝。世間解。
>無上士。調御丈夫。天人師。佛世尊。
              [岩波文庫『法華経』上巻40頁]
明らかに仏と如来を同一に説いてるでしょう。同じく『大般若経』で

>佛號釋迦牟尼如來十號具足。  
              [大正大蔵経第7巻922a頁]
仏と如来を同じとしてます。ここではシャカムニ如来ですが、『法華経』で
>我今應往娑婆世界釋迦牟尼佛所。              
              [岩波文庫『法華経』中巻178頁]
シャカムニ仏と書いてあるでしょう。もしかして仏とブッダを別と考えてますか?
インド語でブッダをシナ語で音写して仏陀、それを略記して仏ですよ。
657名無しさん@3周年:04/08/03 07:32 ID:O7cqJ1Gv
ゴータマ・ブッダというのは近代仏教学が好んで使う呼称です。
学者の仏教入門には大抵書いてありますよん。
例えば早島鏡正『ゴータマ・ブッダ』講談社学術文庫を見てください。 

> 法華経では、仏性のないものとして、何種類かの類型をあげていますが、
> 般若波羅密多心経では、さらに1つ加えています。

『般若波羅密多心経』って『般若心経』のことですか?
だとすれば上のような高説はどこに書かれているのでしょうか?
私には『般若心経』に仏性について説かれている所さえ分かりません。
後学のために教えてください。

私はいちゃもんつけたつもりはなく、伝統的常識と仏教学的常識を言ったつもりです。
あなたの説くような説が、インド、チベット、シナ、日本で過去において
聞いたことがないので、普通はこのようにいいますが、誰がどこで言ってるんですか?
と質問したつもりです。だからそれに答えてくれればいいと思うのですが?    
658 ◆tsQRBnY96M :04/08/03 12:35 ID:Ku2PBjOQ
>>612
> ひどすぎるなあ。もしかして松本とか袴谷とか好きですか?
あたり

> 仏性を否定したら、大乗仏教は否定されるでしょう。
そのとおりです。

> 前にあなたが擁護した日蓮さんの法華経も涅槃教も仏性そのものでしょう。
> なんというか矛盾だらけなんだけど。
わたしが日蓮さんを擁護したというのが、誤解です。
本地は概念であって、実在ではない。
だから、日蓮さんは本地を体得したが、それは本人のみに意味のあることで、
他人様が拠り所とするものではない、ということです。

> 本覚門を否定できる理由はなんですか? 
空ですよ。
空は中身は無いということで、仏性も無い、本来仏も無い。
659名無しさん@3周年:04/08/03 13:12 ID:7MD3GpvK
空=無になってんじゃん
とりあえず出直せ!
660 ◆tsQRBnY96M :04/08/03 13:18 ID:Ku2PBjOQ
>>659
空=無になっている?
ねぼけないでください。

空とは、Yの中にXが欠けるという意味です。
661 ◆tsQRBnY96M :04/08/03 13:37 ID:Ku2PBjOQ
>>660
ここで、Yとは人間をあらわし、Xが仏性を意味します。
この場合の空とは、人間には仏性は無い、と表現されます。
人間に仏性が無ければ、本来仏、という思想もなりたたなくなると思われます。
662名無しさん@3周年:04/08/03 13:38 ID:7MD3GpvK
自分で空とは「中身が無い事」って書いてんじゃん。
空=無い
になってんじゃん。
とりあえず出直せ!
663名無しさん@3周年:04/08/03 13:39 ID:7MD3GpvK
自分で空とは「中身が無い事」って書いてんじゃん。
空=無い
になってんじゃん。
とりあえず出直せ!
664名無しさん@3周年:04/08/03 14:02 ID:0U/ew59U
ちょっと、お聞きしたいのですが。
仏教で21という数字はどういう意味をもつのか、
知っている方、いらしたら、教えてください。


665名無しさん@3周年:04/08/03 14:28 ID:7MD3GpvK
3は吉祥、7は成就。

掛けて21
666名無しさん@3周年:04/08/03 16:59 ID:Td4gU3Bv
まぁまぁ。
もちついてくださいまし。
本覚も仏性も空も無も、たんなる応病与薬の薬に他なりません。
生死の不安を抱えた人には、一切皆空という薬を
虚無の不安を抱えた人には、悉有仏性という薬を与えたに過ぎません。
それぞれの症状に即して違う作用の薬を処方する。
先ずは何とかして、不安や心の痛みを楽にしてあげたい、その慈悲の方便があるだけです。
病を診ずに薬にとらわれるのは、ナンセンスですよ。
667名無しさん@3周年:04/08/03 22:02 ID:U3bMradG
亀仙人はなぜそんなに切れまくってるのか
仏道のまえにカルシウムが必要。
668 ◆tsQRBnY96M :04/08/03 22:15 ID:V5BR1F/8
>>662-663
「YにXが欠ける」というのは、空の第一義と呼ばれるものです。
「中身が無い」ということは、外身を想定しています。
ただし、外身は縁起性ですから、常住ではありません。

空の第一義があるということは、第二義その他があることになりますが、
時代が経つにしたがって、空の概念も、いろいろな要素が加わります。
このいろいろな要素が加わるために、空の概念が神秘的に難しく考えられて
しまうのですが、基本は、第一義です。
669名無しさん@3周年:04/08/03 23:13 ID:g3sqpQK3
>>611
ありがとうございました。
670名無しさん@3周年:04/08/03 23:33 ID:O7cqJ1Gv
>>660
大乗を認めないなら、大乗について発言せずに原始仏教だけについてだけ
発言したらどうですか?

止めようかと思ったけど、ずいぶん「言葉に拘ってる」ようなので、質問してみます。
>>660>>668「空とは、Yの中にXが欠けるという意味です」
とすると、般若心経の「照見五蘊皆空」と
「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色」のそれぞれ、
YとXは何ですか。
671 ◆tsQRBnY96M :04/08/04 21:54 ID:pKC7jHqo
>>670
大乗について発言するな、といいつつ、
大乗の質問をするのですか?

> 般若心経の「照見五蘊皆空」と
> 「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色」のそれぞれ、
> YとXは何ですか。
般若心経のの空は、空の第一義に当てはまらない、とだけお答えしておきます。

672名無しさん@3周年:04/08/04 22:16 ID:cuUaXB6R
じゃ、もう大乗について発言しないでくださいね。
673 ◆tsQRBnY96M :04/08/04 22:47 ID:pKC7jHqo
>>670 >>672
大乗は、非仏説
674名無しさん@3周年:04/08/04 23:47 ID:cuUaXB6R
はいはい、わかりました。大乗については無記ということで、お願いします。
675名無しさん@3周年:04/08/05 00:05 ID:v8u9muOc
XY?でたらめを言ってる人が(w
仏教で空っていうのはあるとかないとかじゃないでしょ
何かにとらわれずその時の自分の心でいられることでしょ
676名無しさん@3周年:04/08/05 09:33 ID:eaTY6Eq1
◆tsQRBnY96M氏の言っているところも当たってなくはないが、中途半端なカキコですね。

>>675
勉強しなおしてきたら?
677英太郎:04/08/05 13:30 ID:Lx4Rm7vG
>>皆さんへ
すみません。あの自分今大学四年生のものなのですが、卒論を書くのに
ゴータミーが出てくる資料がほしいのです。ゴータミーは死んだ息子を
生き返らせてくれとブッダに頼む女性のことなのですが・・・
もし良かったらそのことが載っている本のことを教えてほしいのですが・・・
よくわからない文章ですみません。よろしくお願いします。
678名無しさん@3周年:04/08/05 20:04 ID:Q6KGTTzF
まずは、
水野弘元『釈尊の生涯』春秋社 240-241ページ
中村元『尼僧の告白』岩波文庫 213-223偈、註218
早島鏡正『ゴータマ・ブッダ』講談社学術文庫、218ページ

以上のどれかで概要を把握して、それから、
赤沼智善『印度仏教固有名詞辞典』308-309ページ
にでてくる諸箇所をあたりましょう。

大正大蔵経とパーリ大蔵経は以下で電子テキストが見られます。
http://www.ya.sakura.ne.jp/~moro/ebt_index/taisho/index.html
http://www.sub.uni-goettingen.de/ebene_1/fiindolo/gret_ree.htm
原文がだめなら、国訳一切経と南伝大蔵経を参照して、
テキストの系統図などを作成できれば文献学者は大喜びしますよ。
679名無しさん@3周年:04/08/05 21:22 ID:PtV0/Qku
>勉強しなおしてきたら?

勉強することなんてないんですよ。
まずね、それを知ってください。
ではさようなら。
680 ◆tsQRBnY96M :04/08/05 22:00 ID:sdq/Fw9Q
やれやれ
>>675
あまりにも無知な発言なので、ほうっておくことができません。
わたしの我見ではないかと誤解されないように、出典をあげておきます。
>>679 よく勉強するように。
引用開始
「シューニヤ」というサンスクリットの語は、基本的に「あるもの(Y)において
あるもの(X)が存在しない」を意味する。「シューニヤ」という語は一般に
「YはXに関して空である」という形式で用いられ「YにXが欠けている」
「YがXをもっていない」を意味する。
引用終わり
空の思想史 立川武蔵著 講談社学術文庫 P.51

こんなのは空の初歩の初歩で、異論が出るとは思いませんでした。(^-^;;
681名無しさん@3周年:04/08/05 22:40 ID:rRjhY4f8
えらいね。よく知ってるね。
「本に書いてあることは鵜呑みにする」
これはありがちな過ちだけれど、他灯明で生きている人は簡単に洗脳されるよ。
釈迦は本に書いてあることを信じろといったのではないよね。

知識に頼って思考停止におちいって、頭でわかったつもりになることほど、
愚かなことはないと、言ってもわからないだろうな。
682名無しさん@3周年:04/08/06 00:13 ID:oDtwWcCo
そもそも「人に依らずに」と言ったのはこの方なのですが、>>472>>475
なんだ立川さんに依ってるし、しかもその説は正に大乗の空なんじゃないかな?
般若心経の「五蘊皆空」が正しくそれ。ただしこの玄奘訳だと分からない。
つまり「五蘊は自性が空である」「五蘊は自性を欠いている」

以下諸テキスト、すべてそう読めるでしょう。
岩波文庫、大小本梵本:paJca skandhAs tAMz ca svabhAva-zUnyAn (大本:paMca)
シルクA本蔵訳: phung po lnga po de dag kyang rang bzhin gyis stong par
シルクB本蔵訳: phung po lnga po de dag kyang ngo bo nyid kyis stong par
敦煌小本蔵訳: lnga chung de dag kyang ngo bo nyid kyis stong par
法月・智慧輸・施護の漢訳三本:五蘊自性皆空。
般若共利言等譯漢訳:五蘊性空。
法成漢訳:五蘊體性。悉皆是空。

立川さんの説も怪しいが、文脈が分からないから、とりあえずここまで。
私は >>675 さんの見解こそ本質的だと思う。
けど、独断や邪見に陥らないために、教学も大切だとも思うんですけど。
683名無しさん@3周年:04/08/06 01:15 ID:3iG2oJcY
>私は >>675 さんの見解こそ本質的だと思う。

Me too.


684名無しさん@3周年:04/08/06 08:50 ID:RR5wqYXY
>私は >>675 さんの見解こそ本質的だと思う。

全然!? なっていないし、>>681の何あれ? 経典読めない人の言い訳
にしか見えないんだけど。。。
685名無しさん@3周年:04/08/06 17:30 ID:U2LhlbjC
>>679
俺が言おうと思ってた事、先に書かれちった。
686 ◆tsQRBnY96M :04/08/07 08:16 ID:7gg2RyeG
>>681
わたしの一連の書き込みを見て「本に書いてあることを鵜呑みにしている」
ようにしか観れないのならば、あなたは、空のことを、わかっていない。

空は、歴史的にさまざまな概念が付加されてきた、とわたしは言っている。
その歴史的変遷をふまえたうえでの発言である。
だから「第一義」が「中身の無いこと」なのだ。

第二義その他を否定するかどうかは、個人の自由である。わたしは否定するが。

だが、第一義の「中身の無いこと」は、シューニャの説明としては、学問的に認められている
とかんがえる。これを否定するには、根拠を示すべきであろう。
>>675
でたらめである、という証拠を提出するように。
>>682
>大乗の空なんじゃないかな?
大乗の空の特徴は「五蘊自性皆空」、五蘊のすべてが空(法空)だとしたところにある。
大乗以前は、人空といわれている。つまり「色は空」だけで「空は色」という発想は無い。
687 ◆tsQRBnY96M :04/08/07 22:06 ID:T5mi4lGA
>>695
その発想は、本覚思想と呼ばれている。
しかし、初期の仏教には、そのような思想は認められない。
すなわち、似非仏教である。
688名無しさん@3周年:04/08/08 00:07 ID:EOZEwwwc
ぜんぜん信用できない人だとよく分かりました。空のこと分かってるつもりなんですね。
でも言葉の意味すら分かってないのが、よく分かりました。>>686
> 大乗以前は、人空といわれている。つまり「色は空」だけで「空は色」という発想は無い。

こんなこと誰が言ってるんですか? 「色は空」は法空以外のなにものでもないでしょう。

> わたしの一連の書き込みを見て「本に書いてあることを鵜呑みにしている」
> ようにしか観れないのならば、あなたは、空のことを、わかっていない。

自分が完全に空を理解してると思ってる訳ね。なんでこんなに自信持てるの? ほとんど分かってないのに。
「鵜呑み」 ですらなく適当に自分の思いこみで読んでるとしか思えない。理由は、
>>660-661>>668 で空の意味が分かっているように説いているが、
>>670 の質問で般若心経の「照見五蘊皆空」のYとXは何かと聞かれ、
>>671  で「般若心経のの空は、空の第一義に当てはまらない」と答えた。
>>680  に立川本を引用し根拠づけているが、立川本の52頁に、

>仏教にあっては、かのXとYとは具体的にどのようなものとして現れるのか。
>例えば『般若心経』のサンスクリット・テキストは、「世界の五構成要素(五蘊)は
>自性に関しては空である」という。

と書かれていて立川さんの説すら正確に理解していないことが明白じゃないですか。
ほんと恥ずかしくないの?
689名無しさん@3周年:04/08/08 06:54 ID:DlBjKPNB
似非仏教とは、理論、理屈を武器に論争することである。
理論的に劣っていたり、理解が足りないからとかいう理由では似非にはならない。
高度な論理法を使って他人を愚弄する者ほど、実は仏教を知らないのだ。
従って、折伏や論破というやり方は最も仏教的な方法からはほど遠いだろう。
690676=684:04/08/08 09:19 ID:fs088PTV
>似非仏教とは、理論、理屈を武器に論争することである。
仏教は自説をあらわさんがために、理を説いてきました。その理が釈尊の教えであり、
般若と言われる理法です。したがってあなたの言っていることは仏教とは逆の態度です。

>理論的に劣っていたり、理解が足りないからとかいう理由では似非にはならない。
これも根拠のないことです。理解が足りなければ「似非」以前の問題でしょう。

>高度な論理法を使って他人を愚弄する者ほど、実は仏教を知らないのだ。
高度な論理を持つものが理解しないはずはないでしょう。愚弄されていると感じている
のはあなた自身でしょう。

>従って、折伏や論破というやり方は最も仏教的な方法からはほど遠いだろう。
「従って」以下が、上の文からの論理的帰結になっていないんですが。。。
691676=684 :04/08/08 09:24 ID:fs088PTV
>686の後半からすると、688氏のいうとおりかもしれんな。
余計なことを言ってスマソ。

ちなみに「空性」を指示して、それが「色」であることは、啓蒙書持ってこなくても
原典を読めば書いてあることなんだけれど。それを挙げないのは何故?ていうのが、
私の感想。

後は二人でやっていて下さい。
692名無しさん@3周年:04/08/08 09:45 ID:hpVsZ7Uo
>>690
あなたのような人には、きっと何を言っても無駄だろう。
頭でっかちのイガイガさんだから。私も、同じ事は何度も言いたくはない。
多分、文章は理解でても真意はわからん人ではないかと思う。
693 ◆tsQRBnY96M :04/08/08 10:48 ID:RwbCLuFS
>>688
わたしが何者か?(公案)
そんなことはどうでもよろしい。

誰でもいいが「何を言ったか」が大事である。
「誰それは信用できない、よって、誰それの言うことも信用できない」
というのは、層化が使うマインドコントロールと同じ手法だ。
(だからあなたが層化だとは言っていないが、層化とおなじく)
依法、不依人を理解していない。それも本人のみの問題。

さて、わたしが空を理解しているか?との問いだが、
もう一度いう、「空は、歴史的にさまざまな概念が、付加されてきた。」
そのすべてを、”認めている”わけではない。

空の第一義だけは、間違いない、と考える。
694名無しさん@3周年:04/08/08 10:56 ID:Zh/zDtad
>あなたのような人には、きっと何を言っても無駄だろう。
あなたは、何をやってもダメだと思いますよ。

文章も満足に書けなくて、真意がどうのこうのって、、、言って
てもあなた自身虚しいでしょうに。
695名無しさん@3周年:04/08/08 11:23 ID:E5p4+5mP
「教科書どおり」が仏教でないことはたしか
696 ◆tsQRBnY96M :04/08/08 11:29 ID:RwbCLuFS
>>688
> 「色は空」は法空以外のなにものでもないでしょう。
変ですね。
それでは逆に質問しますが、人空をどのようにお考えですか?
わたしの認識が誤りならば、この場で改めます。

色とは、目に見えるもので、一般には身体を示し、
色空とは、人の身体に我が無いこと、つまり無我と同義と理解しています。

一方、五蘊は、色の他の要素(目にみえないもの)まで空としています。
しかし、ここまでは、原始仏教で語られている。
五蘊皆空は、つまり大乗の空というわけではない。

697 ◆tsQRBnY96M :04/08/08 11:34 ID:RwbCLuFS
一方
>>671
「空即是色」という言葉について、YとXを述べよ。
という問いだったと認識しているが、
「空即是色」は、「五蘊皆空」はまた別の話。
したがって、空の第一義に当てはまらない、と答えた。

どこが変なのか、明確に指摘していただきたい。>>688
698名無しさん@3周年:04/08/08 11:58 ID:MUTNNmvN
「教科書」を内包していないものも、仏教ではないことは確か

というより仏教をよく知らない人間が、経証を引いてくると、
びっくりして「そんなものが仏教であるはずがない!」っていってるに等しい。
それを無明とも無知ともいう。

もっと素直になりなさい。これこそ空で培われる心の筈なんだが。。。
699名無しさん@3周年:04/08/08 12:34 ID:DoDBb80C
教科書は自らの中にあるよ
700名無しさん@3周年:04/08/08 12:42 ID:H+zYIP46
それは「教科書」ではないだろう。教科書は第三者の目をとして淘汰されていなければならない。
もし自らの中のものが教科書であり、外のものが教科書でないとすれば、それは悪書以外の何もの
でもない。またそれを外道と評する仏者も多い。
701名無しさん@3周年:04/08/08 13:18 ID:QACMWDEp
外のものは教科書ではないよ
702 ◆tsQRBnY96M :04/08/08 13:40 ID:RwbCLuFS
>>691
>ちなみに「空性」を指示して、それが「色」であることは、啓蒙書持ってこなくても
>原典を読めば書いてあることなんだけれど。それを挙げないのは何故?ていうのが、
>私の感想。
原典とは般若心経のことか?なら、その原典を認めていないから、
「「空性」を指示して、それが「色」である」とはわたしは説かない。
703名無しさん@3周年:04/08/08 15:04 ID:y0E6nWXZ
>>689がなにげに本質突いているような気がするが、、、、、、、

すくなくともここでの議論はだれが勝っていても素直に参照する気にならん
704名無しさん@3周年:04/08/08 16:17 ID:CJnaqmQ8
はじめまして。仏教についてはド素人で、せいぜい
ひろさちやさんのエッセイを読む程度の知識しかな
いのですが、識者の方々に教えていただきたくて。

あるHPで、こんな書き込みをみつけました。
「お釈迦様は、世の中の人を5種類にわけました。
 1.絶対に居なくてはならない人
 2.居たほうがいい人
 3.居ても居なくてもいい人
 4.居ない方がいい人
 5.絶対に居ない方がいい人
私は1番の人間でいたいです」

とまあこんな感じだったのですが、本当にお釈迦様
がこんな事をおっしゃったのですか?気になって
気になって仕方がないのです。どなたか教えてください。


705名無しさん@3周年:04/08/08 21:48 ID:EOZEwwwc
>>696 だからそんなこと誰がいっての? あるいは何に書いてあるの?
人空は、我空ともいう。この場合、自分という人格があると思っていることを、
五蘊等の諸法に分析して色、受、想、行、識等の諸法のどこにも人格、我がないことをいう。
しかし、有部などでは五蘊等の諸法は、実在するとした。いわゆる「三世実有法体恒有」。

つまり五蘊、色、受、想、行、識は、空ではない。これが龍樹菩薩が有部を批判する根本。
だから五蘊皆空は、大乗の空にほかならない。
そしてそもそも>>658で、
> > 本覚門を否定できる理由はなんですか? 
> 空ですよ。
> 空は中身は無いということで、仏性も無い、本来仏も無い。

といっているが、これは人空は、我空では成り立たない。
大乗の一切皆空を認めて初めて成り立つ論理だから、大乗を認めないあなたが言うのは変!

>>668
> 「YにXが欠ける」というのは、空の第一義と呼ばれるものです。
> 「中身が無い」ということは、外身を想定しています。
> ただし、外身は縁起性ですから、常住ではありません。

上の発言も矛盾している「縁起が空」というのは龍樹菩薩が初めて説かれたものと思われ、
原始仏教にはない。
706名無しさん@3周年:04/08/08 21:50 ID:EOZEwwwc
>>697
>>670 を読み直して。ほら、こう書かれているでしょ。

>般若心経の「照見五蘊皆空」と
>「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色」のそれぞれ、 YとXは何ですか。
707名無しさん@3周年:04/08/08 21:56 ID:EOZEwwwc
>>704
少なくとも私は、そんなことを釈尊が仰られるとは思えません。

お経のどこかにあるというのは、比較的簡単なのですが、
全てのお経にないというのは、ほとんど不可能に近いのです。
708704:04/08/09 01:10 ID:1OJm0fzU
やっぱりそう思われますよね>>707

いっくらなんでも「絶対居ないほうがいい人」
をお釈迦様が作ったなんてヘンですよね。
709名無しさん@3周年:04/08/09 01:39 ID:e7pvOyZe
釈迦は二つずつの教えを説いたので

いてもよいが、   いなくてもよい
いてはならないが、 いなくてはならない
いてもよく、    いなくてはならない
いてはならないし、 いなくてよい

こんな感じだったと思われ
710704:04/08/09 02:13 ID:1OJm0fzU
>>709
なんか雰囲気は似てますね。
でもどういう意味なんでしょうか。
711机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/09 08:23 ID:aGkBRiGg
>>709
そもそも仏教は一如の法門ですから、二項に依らなくてもいいんですよ。
善悪一如とか、善悪一如、自他不二とか・・・
対立しなくていいんです。
詳しくは
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091222364/l50
_坐禅と見性第3章☆悟りと涅槃を学び合う_

ここで問うてください。
簡単には説明できません。
712机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/09 08:29 ID:aGkBRiGg
>>711レスは、もしかしたら誤爆だったかもしれませんね。スマソ
713名無しさん@3周年:04/08/09 22:17 ID:3EYYy9Y0
このホームページは厚生労働省の委託を受けて運営しております 財団法人 麻薬・覚せい剤乱用防止センター
http://www.dapc.or.jp/

薬物データベース

向精神薬及び
その他の薬物について

症状


浜松医科大学名誉教授 高田明和
http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-rensai/r-kokorotono.htm

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714名無しさん@3周年:04/08/10 01:10 ID:5Ar7Y3V9
お経で、真読と訓読があるのですが、どうゆう時に真読をし、訓読をするのですか
? 仏壇に向かいお経を、唱える時には、どちらで唱えた方がいいのでしょうか? 
また、悪い霊などを、除霊や浄霊する時などは、どちらで唱えた方がいいので、し
ょうか? ちなみに、法華経で唱えています。宜しくお願いします。
715名無しさん@3周年:04/08/10 10:10 ID:1k6PhM4e
カルマってのは仏教の教えですっけ?

不幸になるのって簡単ですよね。
今職場にバカ上司がいるんですが
生産数が増えて、それに対応するため
バカ上司からからいろんな要求があるんだけど、
一切断らなければどんどん私に負荷がかかって
不幸も倍増できます。

でも、不幸だらけになるのは嫌だから、
あれこれ理由をつけて断ってますけど。

このように自分の意思で不幸の増減が
可能なのに、カルマってあるもんですか?


716名無しさん@3周年:04/08/10 13:03 ID:Usx/opGx
皆さん、見性に興味のある方は一度はおいでくださいまし。

★見性を本当に得たもの同志が語らうスレ★
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1091363340/l50
717名無しさん@3周年:04/08/10 14:04 ID:iVX1wwle
>>715
ちゃんと働けよ
718名無しさん@3周年:04/08/10 18:22 ID:RX2P79XD
九ヶ月間薬物療法を施した場合と比較すると、本を読んで実行したグループは、薬物療法を施した場合より再発がぐっと少ない

うつ病を自分で治す実践ノート Amazon.co.jp 売上ランキング: 905
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4576031872/qid=1092050406/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-2361168-0507507











>>713
719名無しさん@3周年:04/08/11 05:39 ID:UfGGb6Ep
すみませんこちらに誘導されて来ました。
四国の香川県で見つけたのですが来光山 聖福院ってどんな部類の建物かわかりますか?
そこはもう潰れてて胡散臭い宗教系の建物で、入ると中には神宝殿と言う部屋まで・・・。
どなたか心当たりの方情報キボン!!
720名無しさん@3周年:04/08/12 21:12 ID:lU4tRd1R
NHK教育 2004年8月10日 午後10時50分  高岡健  再放送 午前3時ごろ
新しいうつ病論 絶望の中に見える希望
http://www.esbooks.co.jp/books/detail?accd=31201597
新しいうつ病論―絶望の中に見える希望
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876721491/249-4384943-8433941

>>718
721名無しさん@3周年:04/08/12 21:49 ID:xSOZakkm
仏教的な生き方。

生まれて来た以上、喜んで一生懸命に生きる。
老いてしまったら、しかたがないから頑張って余生を生きる。
病んでしまったら、くよくよせずに病みつつ精一杯生きる。
死ぬなら、あきらめて命懸けで死ぬ。

こんなものでしょうか?
722名無しさん@3周年:04/08/12 22:33 ID:bXc0y+Z1
>>721
それはかなり違うと思いますよ。
善いことをして、悪いことをせずに心を浄める。
これが仏教の基本です。
善いことは、十善戒が基本です。

ちなみに「あきらめて」は本来「ありのままにみて」で、
これは十善戒でもっとも難しい正見と同じです。

「一生懸命に生きる」「命懸けで死ぬ」って?
723 ◆tsQRBnY96M :04/08/13 00:12 ID:speaBR5L
>仏教的な生き方。

こだわるな。

「仏教的な生き方」にもこだわるな。
724名無しさん@3周年:04/08/13 06:52 ID:7XXmdoTx
>>723
大乗で使われている空は、最初から無自性の意味を持たされていたわけではない。
最初期においては、本来の「空っぽ」という意味で用いられていた筈だ。
しかし、空は今も昔も「無」と誤解されやすい。この点を小乗から突かれ虚無主義
だと攻撃される。
そこに登場したのが天才龍樹だ。龍樹は、空を無自性と読み替え反撃を開始した。
読み替えはさらに進んで終いには空は縁起の意味とされるに至る。
725 ◆tsQRBnY96M :04/08/14 00:48 ID:C1QlMA2Q
>>724
>最初期においては、本来の「空っぽ」という意味で用いられていた筈だ。
>しかし、空は今も昔も「無」と誤解されやすい。
それもそのはず
もともと漢訳の「空」の原語は、サンスクリット語の形容詞「シューニャ」ですね。
で、誰が何といおうと、「シューニャ」は、数学における「ゼロ」のことです。
だから空には無という意味もある。

ところで、わたしの思想を小乗と決め付けるのはやめていただきたい。
726 ◆tsQRBnY96M :04/08/14 00:56 ID:C1QlMA2Q
説一切有部が、法体恒有の思想を打ち出したからといって、
説一切有部が、はじめから法体恒有の思想を持っていたわけではない。

それに、龍樹が、縁起と空を結びつけて説明し、有部を批判したのは事実だろうが、
縁起と空を結びつけた思想は、龍樹以前に上座部の中にすでにあったという話もある。

だから、わたしが言ったことで確かなことは、2つ。
「空の最初の意味は”中身のないこと”」
「空の概念は、歴史とともに変化して来た」

大乗の空が間違っている、とはいっていない。ただ、多くの大乗は似非仏教。
727名無しさん@3周年:04/08/14 01:53 ID:CH7fwaG+
>>726 >>723「こだわるな」浅 薄 な 知 識 に こ そ「こだわるな」!

人空の珍説等の様々な誤り、半解を反省し、以後分かったような書込を慎む以外に
選択の余地はないとおもうけど。 それでも平然と書くなら、もう何もいいませんよ。

>>724 は別の方です。小乗とも思いませんよ。もちろん。ご安心を。
728 ◆tsQRBnY96M :04/08/14 08:56 ID:C1QlMA2Q
>>727
わたしはこだわっているつもりはないし、いま確かなことは、たったの2つ、だといっている。

「空の最初の意味は”中身のないこと”」

「空の概念は、歴史とともに変化して来た」

それも、間違いだ、とわかれば、いつでも、その場で改めるつもり。
もともと日蓮さんが正しいと信仰していたが、いまはその信仰を捨てた。

「浅薄な知識」というより、「基本」を書いたつもりだが、どこが変なのだろう?
間違っているなら、教えてくださいね。

729724:04/08/14 09:03 ID:z+SwtFSn
>>725
やはり、中途半端な理解だと言われても仕方ないね。
君の言い方だと、0は無のことだ、したがって空には無の意味もある。
そうゆうことになってしまう。

いいかね、0は無ではないよ。数学板か物理板へ行って聞いてごらん。
730名無しさん@3周年:04/08/14 13:54 ID:eUWozAGt
>中身のないこと

それって「空」の「辞書的概念」ですね
731名無しさん@3周年:04/08/14 14:24 ID:7l1rBjc/
「辞書的概念」はすでに空ではないので、
「辞書的概念」は空について説明できるものではありません
732 ◆tsQRBnY96M :04/08/14 16:05 ID:C1QlMA2Q
「空の概念は、歴史とともに変化して来た」

これを忘れないように。
733名無しさん@3周年:04/08/14 17:38 ID:fU3I9TgJ
変化するのは人間の概念です
空というものが変化したわけではないので
歴史とともに変化した空はどれが本当の空かわかりません
734名無しさん@3周年:04/08/14 18:41 ID:WuJ78+HW
天台宗信徒の若造です。
お盆期間中の食事なんですが、現在、迎え火以降肉、魚、卵、乳製品、
香辛料と酒をとりあえず断ってきました。
が、大麦若葉青汁、高野豆腐、豆腐、生醤油うどん、とろろご飯、
トマトジュース、かぼちゃの煮物、人参のフレンチドレッシングサラダだけ
ではさすがに送り火までのあと24時間を乗り切れなくなりそうです。

どこまで許されるもんなんでしょうか?
せめて今年からお盆の期間中だけでもと思ったのですが。
あと、回り線香についてですが、使いきりが理想でしょうか?
例年、夜間は消していたのですが今年からは徹夜で火の番をしています。
735名無しさん@3周年:04/08/14 20:00 ID:q41UmDWn
行ですな。

とりあえず、すべての生命に感謝する期間である事を認識できれば
無理することはないよ。
736英太郎:04/08/14 23:00 ID:dgM8vTrS
>>678さん
丁寧な回答ありがとうございました。早速紹介してもらった文献に
あたってみようと思います。助かりました。本当にありがとうございました。
また、レスが遅れてしまったことをお詫びします。すみません。
何かあったらまた相談に乗ってください。それでは。
737名無しさん@3周年:04/08/14 23:15 ID:CH7fwaG+
お! いえいえ、ぜんぜん問題ないです。お役に立てて嬉しいです。

論文がんばってくださいね。

ごめんなさい。秋からいなくなる予定なので、お力になれないです。
738名無しさん@3周年:04/08/15 06:30 ID:XoNt1f/d
「正見」て何ですか?
739名無しさん@3周年:04/08/15 07:39 ID:LkBgFd9h
>>738
一切の偏見や先入観を捨ててありのままにものごとの本質を見つめること。
740名無しさん@3周年:04/08/15 07:52 ID:rPfItk8N
「身体は無常である」と観ずること。
「想いは無常である」と観ずること。
身体を「私のものである」と観じないこと。
想いを「私のものである」と観じないこと。

先入観は、別に捨てなくても良い。
741 ◆tsQRBnY96M :04/08/15 08:58 ID:7Y3V8yEy
>>738
「正見」の説明を聞くと、「ものごとをありのままに見ること」という答えが返ってきます。
こういうのが、「辞書的」というものです。
ありのままの見方は、評価をしないことです。

花は紅、柳は緑 (沢庵)

これが、正見で、評価の無い認識です。

紅は「美しい」とか、緑が「綺麗」という場合は評価で、正見ではありません。

評価されたもの「美しさ」などは実在ではありません。
742 ◆tsQRBnY96M :04/08/15 09:00 ID:7Y3V8yEy
したがって「浅 薄 な 知 識」というのは「正見」ではなく、
単なる、評価であって、事実ではありません。
743名無しさん@3周年:04/08/15 09:38 ID:nUV5aAS4
先入観は捨ててください。
沢庵は阿呆です。
744テンマ ◆2CMtjCEakk :04/08/15 10:03 ID:7Y3V8yEy
>>743
沢庵和尚のことは、よく知らないのですが、どういう方ですか?
745名無しさん@3周年:04/08/15 10:06 ID:7JwYyW2p
>>742
>>744
バカ、自分のIDぐらい見ろ
746セロティ ◆SERO1O7R/c :04/08/15 10:10 ID:ZcQFLkP3
あははっははははははっはははははは

久しぶりにワロタ!
ありが豚!
747名無しさん@3周年:04/08/15 11:14 ID:srqVMg7L
>>735
ありがとうございます。
とりあえず質素にしつつも感謝したいと思います。
748名無しさん@3周年:04/08/15 11:38 ID:XeVeDv7V
>>742 >>744 こんなスレでの名誉に「こだわるな」>>723
それこそ我、まさに釈尊が「こだわるな」と言ったものでしょ。
749名無しさん@3周年:04/08/15 13:00 ID:Y4IeuKZP
>>723
仏教的であることにまで「こだわるな」というのは拡大解釈ですよ。
最終的にはそうなのかもしれませんが、
こんな所でそんなことを言える人って何なの?
750 ◆tsQRBnY96M :04/08/15 14:45 ID:OqWVuGpS
大変失礼しました。 改めて、沢庵和尚のことはよく知らないのですが教えていただけますか
751名無しさん@3周年:04/08/15 15:41 ID:F00Twhfm
>>732
空の概念が、歴史とともに変化してきた。

 こういうのが問題じゃないの?
 釈尊が悟った、絶対的なものを、後の人々が変化させてきた。
 絶対的なものを、違うものに変えてしまうことに問題あり。
752名無しさん@3周年:04/08/15 15:47 ID:F00Twhfm
>>714
お経を唱えるのでなくて、「法華経」でもいいから自分で読むこと。

岩波文庫から「法華経」がでている。わかり易く書いてあるし、除霊
の仕方も書いてあるようだ。自分で読むこと。これが正しい見解。
753名無しさん@3周年:04/08/15 15:56 ID:F00Twhfm
まず、文字で書いてあるものは、唱えるのではなくて、理解しようとする
こと。これが正しい見解を身に着けることだな。

鎌倉時代の人たちは、学識もなく、庶民はなかなか理解できなかったんだろう。
日蓮などに頼るしかなかった。

今の人たちは違う。学問もあり、自分で読んである程度わかるはずだ。
よい経典に自分が理解して親しむことのほうが、お経を唱えるより、何倍もよい
と思う。
754名無しさん@3周年:04/08/15 19:11 ID:Eza8r62X
色は決定的な実在じゃなくて空である波動であるとずっと
昔にわかっていたことはすごい
波動であるから似たもの同士は共鳴するとか、今では基本的な摂理は
現象として説明することができる
何でも「空」と訳すしかなかった昔と違い
お経の中の空の意味が何を表しているのかまで
場合分けして著者、訳者の意図を解釈すれば
迷うことはないし、それぞれの書物は有用だ
空は空だけに何でも受け入れているのだろうか?
空についての無理解が空の巾を広げて行ったのだろうか?
現代人は知識とボキャブラリーが豊富なのだから
文字通りの純粋な「空」のみを空と言わないと分けがわからなくなる。
755名無しさん@3周年:04/08/15 19:50 ID:uaURi3OG
>>752
お経って、何か意味あること書いてあるの?
756名無しさん@3周年:04/08/15 21:39 ID:vjJUZRyp
「しかもかくのごとくなりといへども、
花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。」
by道元禅師
757名無しさん@3周年:04/08/15 22:15 ID:lHEbDzVE
道元はお経の意味が分からないんだね。
758名無しさん@3周年:04/08/15 23:17 ID:RtFIZrZB
>>755
如来と言われる釈尊、なぜ教えを説いたか?
「いろいろな仕事に従事し、種々さまざまな意図をもってそれぞれの良心による判断に
従って行動する人々に、善根を生じさせようとして、如来は種々の経説を種々の信頼す
べき根拠に基づいて語るのである。」
如来がこの世に現れるのは、容易なことではない、となぜ語ったか?教えを説く者が、
いつも現れないのはなぜか?
「人々が善根を養い育てることなく、福徳を失って貧しい者となり、愛欲に溺れて盲目
となり、邪見の網に覆いつつまれて、『如来は常にいる』と思いこみ、意識が麻痺して
如来に会うことは困難でないという意識が起こらないと願うからである。」
本当にこの世の汚れを取り去らねばならない時期はいつか?
「かれらが老齢となり、眉に皺がより、頭が白くなったのを見て、『ああなんというこ
とだ、一切の衆生は騙されている。それ故、わたしは今、教えによって、かれをらを戒めよう。』
彼はかれらにこの世で教えを語り、そののち、「さとり」の境地を説こう。
『すべての存在は水の泡か陽炎のことし、速やかに一切の存在に対し嫌悪を抱け』と。
かれら、すべての衆生は、施主から親しく教えを聴き、怱ちにこの世の汚れを棄て去って、最後
の肉体を保つ阿羅漢の位に達した。」

なぜかわからない文字の配列を朗読するのではなく、一応意味を知ろうとすること。それなりに
意味を持ったものが書いてある。学校の教科書だって、意味しらずに朗読するだけじゃテストで
0点だろう。今日お寺に行ったけど、0点のことやってきたよ。
759名無しさん@3周年:04/08/16 03:38 ID:lGe+g0ja
弥勒菩薩と水瓶ってどんな関係があるのですか?
760名無しさん@3周年:04/08/16 17:39 ID:PGRIpu+y
>>758
意味がわかるお経は低い教えだ。その経典は、仏教の初期段階のものだろう。
法華経は高い教えで、人には説くこともできない難信難解といわれるものだ。
761名無しさん@3周年:04/08/16 18:11 ID:MVsw5lBe
もっと勉強しろや
話はそれからだ
762名無しさん@3周年:04/08/16 19:01 ID:D1MVsDP4
人がわかる教典は低い教えだ。人が理解できるものに功徳はない。
仏界が理解できるのか。高い経典は、理解できないようにしてあ
る。人には説くこともできない。日蓮大聖人が初めて説かれた。
そして「南無妙法蓮華経」の御本尊として現された。
仕事に従事し、愛欲に溺れて、速やかに一切の存在に嫌悪を抱け
などとは、仏教初期の方便の教えで、成仏に至る前の段階の教え。


763名無しさん@3周年:04/08/16 21:48 ID:Ql/MsfP8

質問ですが、仏像かもしくは仏教にちなんだキーホルダーって
ありませんか?
車のキーに付けておけば、いざというとき安らかに逝けるかな
と思って。
764名無しさん@3周年:04/08/16 22:32 ID:ndvmzkn/
質問です。今年の12月に高野山で行われる伝法灌頂は何日に決まったんですか?
765名無しさん@3周年:04/08/16 23:09 ID:zPE2xRsq
>>744

>>741氏が詳しいっすよ。
766名無しさん@3周年:04/08/16 23:15 ID:Bh2sT4AG
>>762
で、あなたはそれが分かる仏ですか、それとも信じる人ですか?

もし、信じる人なら、それを断言で人に説くことはできませんよ。
767名無しさん@3周年:04/08/16 23:32 ID:vnA2pn3K
お釈迦さんのお弟子さんに、パンタカという名前の兄弟がいました。
お兄さんの方は知狽ェすぐれた人だったのですが、弟のチューラパンタカ(周梨磐特)のほうは、ちょっとおツムのできがよくなく、お釈迦さんの教えのどんなに簡単な一句すらも覚えられませんでした。
そこで、お釈迦さんは、ホウキを与えて、その名を覚えさせました。周梨磐特は、「ホウキだ、ホウキだ、ホウキだ、ホウキだ」とずっととなえつづけ、ついにさとったといいます。
768けちゃっぷ:04/08/17 01:55 ID:7mBMWR8P
法華はお釈迦さまの死後何百年か後に創られたものだと、現代ではわかってます。方便としてはまぁ使えるお経なので、内容的には尊重しますが…。明治以前の教学で他宗派を非難するのは、やめたほうがいい。
769名無しさん@3周年:04/08/17 02:22 ID:tAkf4+ZW
>>768
あなたは、法華経の内容をどの程度知っていますかぁ?
常人に理解できる内容だと思って居るのならば(後略)
770名無しさん@3周年:04/08/17 02:25 ID:xoOtxs7a
>>769
横から失礼!法華経は、知ってるより、実践のほうが大事なのでは?
771名無しさん@3周年:04/08/17 03:21 ID:tWO5vUz9
実践すれば結果が出るので、
 方便の教えを実践して→結果
 法華経に帰依して→結果   どうだったかを検証すればいいこと

『本当の教えは常人の解し難いものだ』 と知ることは
最高の信心であり、行に向かわせる元であり、
一種の悟りであり、仏の力を受け入れる下地である
772名無しさん@3周年:04/08/17 03:32 ID:xoOtxs7a
一人だけが悟るのはどうかと?みなが悟りを得ればもっと善いんじゃないでしょうか?
私は学問的なことはよくわかりませんが、良い事ならばみなで実践し広めて行くべきでは?
一天四海皆帰妙法の世界平和につながる菩薩行ではないでしょうか?
773名無しさん@3周年:04/08/17 03:46 ID:xoOtxs7a
>>771
哲学的で哲学的で私にはよく解らないのですが、十如是でしょうか?
哲学としての仏教と実践の仏教の違いは何なんでしょうか?
774名無しさん@3周年:04/08/17 04:38 ID:yF7fqUyW
>一人だけが悟るのはどうかと?

悟れる人なんて滅多にいないのだから、
悟った人がこれが良いと言ったものを実行していくしかありません。

>良い事ならばみなで実践し広めて行くべきでは?

たとえ良い事だとしても皆が分かるような代物ではないということも
分かっているし、強引な勧誘はかえって恨まれることになるので、
時を待つことですね。充分な自信を持って勧誘できるようになる
ことが大事なので、自分の向上が最重要課題です。


>哲学としての仏教と実践の仏教の違いは

仏教には哲学というものは特になくて
ありのままを観察したらそうなるのだと思います。
だから哲学があるとすれば、物事を平等に見ることですかね。
775名無しさん@3周年:04/08/17 17:12 ID:J+tVdflv
日蓮を狂信しているアホが一人住み着いているね。
言っていることがお粗末すぎるよ、と言ってみるテスト。
776名無しさん@3周年:04/08/17 17:49 ID:wimlYb9r
そんなに有名な坊さんならば、2ちゃんにカキコすることもないだろうに
777けちゃっぷ:04/08/17 18:06 ID:7mBMWR8P
法華経がブッダの直説でないことは明らかですから、「法華以前のお経が方便で法華のみが真実」というネタは日蓮信者の間でしか通じません。
778名無しさん@3周年:04/08/17 18:07 ID:wimlYb9r
ま、とりあえず777な
779名無しさん@3周年:04/08/17 18:38 ID:dESe5ZR8
>>760 >>758は法華経だよ。
780名無しさん@3周年:04/08/17 20:06 ID:CDoz84Uw
>>777
なんで明らかなの? もし法身や報身のブッダや、テルマ等の感得を認めないというなら、
大乗自体が否定されちゃうけどそれでいいの。

日蓮信者もなんだが、あなたのような常識日和見家も獅子身中の虫だと思うけどね。

安心、安心っていってるけど出離や厭離って仏教の基本じゃないの、
あなたの安心は、その出離や厭離の心を除いて世俗に引き戻すことにしか思えないんだけど。
781名無しさん@3周年:04/08/17 20:07 ID:i5FGYYfX
同じように仏教信者の間でしか通じない理論も、世界の人間には通じません。
それで仏教信者は、世界の人間を無明に覆われた凡夫と断ずるのだろう。
782名無しさん@3周年:04/08/17 21:51 ID:im2tFkTc
あれほどコーラン一筋のイスラム教さえ、
旧・新訳聖書も神の教えであることを否定してないよ。
本来のイスラムはユダヤ教徒、キリスト教徒を、
同じ啓典の民として尊ぶ。
783名無しさん@3周年:04/08/17 22:02 ID:CDoz84Uw
いろいろありますが、まずどうにも認めざるえないのが苦諦でしょう。
世俗的経験すべてが苦であるということです。
すると世俗にどっぷり浸かっている人は、そんなことはない楽もあるというでしょう。
しかしその楽の経験こそが苦であるというのが、苦諦の第一歩です。

なぜか、楽を経験するとその状態を持続させようと願い、楽でない状態になると
苦るしむから、楽も苦とみるのがあるがままの真実、こう考えていくと、
すべてが苦しかない世の中を厭離するのが当然で、その中で楽を追求するのは、
薬に溺れるジャンキーとかわらないと思いませんか?
784名無しさん@3周年:04/08/17 22:30 ID:CDoz84Uw
>>782 だからセム系の神は正しいといいたいのですか?
だって同じ予言者宗教でしょう、あたりまえじゃないですか。
ユダヤ教の改革者がキリスト教で、両者の改革者がイスラムでしょ。
イスラムでは、ノアもモーゼもイエスも預言者として扱われてませんか?

それだと創価学会も霊友会も、日蓮宗も、天台宗も法華経を尊ぶから、
法華経は正しいってゆうのと同じ論理だと思うですけど。

つまりどちらも是非は別にしてなんの根拠にもならないってこと。
785ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/08/17 22:48 ID:yDfIWo2E
仏教の彼岸に近い境地になることは世界に通じる。

「あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものども
に対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意
なき慈しみを行うべし。〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。」

「他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるもの
は幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」ブッダのことば

人の幸福を喜ぶような心でいること。人々の安穏を願い、安楽を願うような心でいること。
上に、下に、横に、障害なく全ての人々の幸福を願い喜ぶことが最善。
全ての人々が、このような心でいるなら、世の中は平安になるでしょうが。そのような心でいて、
「諸々の邪まな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを
除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。」と。

自分の欲望の貪りより、人の幸福を喜ぶような仏様のような人は、やはり成仏する。
786ニルヴァーナを見た ◆gx6wqL8lOs :04/08/17 22:50 ID:yDfIWo2E
彼岸世界は、敵意もなく怨みもなく、我が貪欲を貪らない(欲求が一切ない世界)粗暴・残酷でもなく、
傲慢でなく、怒り・強情・反抗心・嫉妬もなく、平安で安穏で安楽な世界である。喜びに満ち、安らぎ
に満ち、争うことがない。白と黒の善悪にも汚されることなく、善き悪きを識別することなく、上に、
下に、また横に、全てに対し障害なく慈しみの心を保つべし。>>781仏教は正しい理論から成立している。
きちんとした根拠から、人々を教え導くもの。彼岸世界は、『一切の悪が存在せず、一切の苦しみは存
在しない。』これが教えの根底にある。

彼岸世界は争うことがないから、争わないが正しいという見解を得て、あがないの対象の別による対立
を避けて、内面の安らぎを求めて、自らを拠りどころとする。

彼岸という絶対的なものを求め、外に求めないから、この神が正しい、この神が間違っているという争
いは少ない(比較的戦争が少ない宗教)。そして、世界をひとつの神が支配した時、信仰の目的が達成
するとしないから、布教による争いは比較的少ない。
787けちゃっぷ:04/08/17 23:03 ID:7mBMWR8P
僕は、大乗経典はゴータマ・ブッダ直説じゃないという事実は認めた上で、人々を真理に導くための方便としては価値があり、釈尊の智慧と慈悲を受け継いでいる文献である、と主張すべきだと思います。
788けちゃっぷ:04/08/17 23:07 ID:7mBMWR8P
上座部仏教(小乗という呼び名は大乗からの蔑称なのであまり使うべきでない)でさえ、お釈迦様の前世物語ジャータカを読んで教訓を学びます。同じように仏教の教材として大乗経典を尊重しましょう。
789名無しさん@3周年:04/08/17 23:22 ID:UTJ1QkBT
苦諦というのも、仏教徒にとっては重要な認識かも知れないけど、世界で生きる
人々というのは、苦楽は当然のこととして受け止めているんだと思う。
楽あれば、苦ありですよ。
例えば、スポーツ選手だって勝つことより負けることの方が多いのは、みんな
承知の上でやってる。当然苦しみの方がはるかに多いんですよね。

オリンピックの選手達もジャンキーだなんて、世界の人々は思わないと思う。
そんなこと思うとしたら、世界の人々からそっちの方がおかしいと言われるよ。
790名無しさん@3周年:04/08/17 23:36 ID:CDoz84Uw
>>787 あなたの主張は充分理解できます。私が聞いてるのはその根拠。
あなたは社会的常識を根拠に仏教を適当に合わせてるように思うので、日和ってるとしか思えないのです。

>>744  ようするにジャータカをおとぎ話とか、説話と捉えてるわけですね。
つまり、輪廻を認めないと。それだから単なる気休めにしかならない。
791名無しさん@3周年:04/08/17 23:46 ID:CDoz84Uw
>>789 >>楽あれば、苦ありですよ。
それは世俗的に正しい。
しかし、それと仏教を混ぜるのは止めて下さいね。
792けちゃっぷ:04/08/18 00:08 ID:x9VNSbKR
仏教辞典によれば、法華経は初期大乗経典に属し、紀元50年から150年あたりの成立だと考えられています。ジャータカがゴータマ・ブッダ自ら説いた話だとは思いませんが、輪廻を否定してはいません。
793名無しさん@3周年:04/08/18 00:22 ID:5di3KgrH
>>792
輪廻を肯定もしていませんよね?
794けちゃっぷ:04/08/18 00:29 ID:x9VNSbKR
逆行催眠で前世まで遡って、前世の記憶(らしきもの)を語ることもある。そういう現象の存在は信じます。でも、自分が死んだわけじゃないから、輪廻があるかないか、正直わかりません。
795けちゃっぷ:04/08/18 00:31 ID:x9VNSbKR
わからない輪廻のことは考えたってしかたない。でも、考えるなと言われても考えてしまう場合には、浄土へ往けるから大丈夫と信じればいいのでは?それで平安になれればいい。
796名無しさん@3周年:04/08/18 02:01 ID:9H84xE50
世俗的な真理と仏教の真理との関係は?
絶対的矛盾関係?
797机龍之介無心斎 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/18 06:32 ID:dWrN5NGA
>>796
坐禅の初期あたりだと「真理」という知見らしきものがある。
しかしその「真理」といふ概念も段々薄れてくる。

そもそも仏教には真理という概念とは程遠い。

世俗諦とか勝義諦とかはいうけど、それは真理を端的に言い表したものではない。
798机龍之介無心斎 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/18 06:38 ID:dWrN5NGA
>>796
ここでは詳細は語れませんので、これ以上は
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091222364/l50
_坐禅と見性第3章☆悟りと涅槃を学び合う_
ここでネタを振ってください。
799 ◆tsQRBnY96M :04/08/18 08:10 ID:srVbedSG
>>796
世俗的な真理 : 常 楽 我 浄

仏教の真理 : 無常 苦 無我 不浄

大乗の真理 : 常 楽 我 浄
800名無しさん@3周年:04/08/18 09:15 ID:33lrOJ5X
レスの信仰が早いのでいまさらだが
イスラムは「新訳聖書も神の教えである」なんて認めていない。
801名無しさん@3周年:04/08/18 21:04 ID:3sWqAw23
そうそう。世俗諦と勝義諦。
802名無しさん@3周年:04/08/18 23:01 ID:8pwEGTao
>>792 『岩波仏教辞典』ね。つまりお経より文献学を信じるって立場ですね。
しかし『岩波仏教辞典』で、それほどの自信を持てるのは何故?
まあ、ベイリー、リューダース、エジャートン、湯山明先生、戸田宏文等の中期インド語
による分析を自分で丹念に確認した結果の主張であったとしても同じ事ですけど。

なぜ浄土教徒が大乗経典をシュルティ(天啓)やテルマ(禅定感得)だと信じないのかなあ?
龍樹菩薩や無著菩薩の伝説や『華厳経』『金剛頂経』等の説によれば、
報身等の仏説であると説かれています。弘法大師によれば法身説。

また、そうゆう現象はチベットでは現在でも起こり、シナ、日本でもかつては、
しばしば起こっていたと書かれています。これを信じないのなら、大乗は成り立たない。
まあ、信じないのは自由ですが、変な自説を展開するのはやめてください。

>>795  あなたの説はまるで重病人に、病のことを忘れるために何か別のことに
熱中するのを勧めるようなものです。仏教はそうではなく病の治療法を真っ向から
取り組むものでしょう。苦諦とは病を病であると認識することで、
あなたが説くように病じゃないから安心してということではないでしょう。
あなたの説だと、安心するなら別に念仏である必然性もなく、なんでもよくないですか?
『往生要集』を読んでみてください。六道の苦、無常、厭離を力説されているでしょう。
803名無しさん@3周年:04/08/18 23:34 ID:rkzcvL71
>>802
何でも天啓にするなや。変な宗教も生まれるぞ。アレフとか。
史実を認めることが大切だよ。
804名無しさん@3周年:04/08/18 23:59 ID:8pwEGTao
>>803
たしかにおっしゃるとおり。なんでも天啓にするのは危険。
実際、へんなものでのこってるものもあると思うし。
しかし伝承、伝統は重んじるが、史実などたいして認めないのがインド的思考でしょう。
もちろん仏教もそう。ただしシナでは当然、変質を遂げている。

私は世界を幻とみる伝統に与したい。

しかも歴史的事実など、ありえないと思うのですが。
ある現象が起こったとしても、それを捉える意識は多様で、当然解釈も多様でしょう。
だから唯一無二の事実などありえない。全ては縁起し、縁起的に見られる。
歴史は鏡としてしか有用でなく、セム系の歴史観は不幸の源と思う。
805けちゃっぷ:04/08/19 00:28 ID:BDmM2Rqu
>802 おっしゃることはよくわかりますし、信仰としては大乗も仏説と思います。が、上座部の教団が日本に上陸している今日、僕にできる主張は、僕自身が念仏で救われたという事実に基づくしかないのです。
806名無しさん@3周年:04/08/19 00:41 ID:5Qc1fJWE
>>上座部の教団が日本に上陸している今日、

この理由節が分からない。

私には、あなたが現状で救われていると思いたいだけにしか思えません。
念仏にしてもあなたのは法然上人の念仏というより、近代真宗学、
あるいは現代人の親鸞論の念仏って感じだけど。

それじゃ法然上人が泣いちゃうぞ!
807名無しさん@3周年:04/08/19 09:01 ID:dBN6+i/D
>>802
すみません。何度か出てきた
>テルマ
(=禅定感得)の、テルマって何ですか? 何語ですか?

説明キボンヌ!
808名無しさん@3周年:04/08/19 10:26 ID:id5yiVFs
シュルティ(天啓)? テルマ(禅定感得)?

自分も説明希望。
809名無しさん@3周年:04/08/19 10:59 ID:DUubHfK+
>>734
> 天台宗信徒の若造です。
> お盆期間中の食事なんですが、現在、迎え火以降肉、魚、卵、乳製品、
> 香辛料と酒をとりあえず断ってきました。
> が、大麦若葉青汁、高野豆腐、豆腐、生醤油うどん、とろろご飯、
> トマトジュース、かぼちゃの煮物、人参のフレンチドレッシングサラダだけ
> ではさすがに送り火までのあと24時間を乗り切れなくなりそうです。

俺よりすげぇいいもん食ってる,,,orz
810名無しさん@3周年:04/08/19 11:36 ID:HXAx48GS
こんなもん喰って、粗食だの修業だのぬかすな!ってか。
坊主は昔から特権階級です。中堅以上は貴族。
811名無しさん@3周年:04/08/19 16:53 ID:UeCzK8ij

おいおい
812名無しさん@3周年:04/08/19 17:09 ID:a1dh2AeK
>こんなもん喰って、粗食だの修業だのぬかすな!ってか

まったく
813名無しさん@3周年:04/08/19 17:30 ID:HC44yB6S
シュルティはサンスリットで啓典であることは分かるのです。
テルマというと埋蔵経典のことくらいしか思いつかない。
814名無しさん@3周年:04/08/19 18:54 ID:gHxIpPQJ
神社仏閣板だけど、たまにこっちも来てもらえるといいんですが

素朴な疑問・質問にやさしい人が答えてくれるスレ七
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1082207045/
815名無しさん@3周年:04/08/20 00:01 ID:Yza+/QaC
>>807  >>808  >>813  原典もあたってみたんですけど、的確なものが見出せません
でした。やっぱり、知らないことは沈黙するに限りますね。中ではこれが一番よかった。

>ヴェーダはシュルティ(天啓聖典)と呼ばれる。それはだれかに作られたものではなく、
>永遠の過去から存在しているとされる。詩的霊感(dhii)をそなえた聖仙(r.s.i)、すなわち、
>カヴィ(kavi, 詩人)たちが恍惚状態(dhyaana)のうちに、いわば啓示を受けて表現化した
>ものである。[仏教・インド思想辞典、390頁、上村勝彦]

要するに禅定(dhyaana)中に感得したもの(シュルティ)を書き留めたヴェーダ。

テルマはチベット語です。埋蔵経って訳されてますよね。そのテルマにもサ・テル(sa gter)と
ゴン・テル(dgongs gter)があり、後者を禅定感得と言ってみました。

ようするに禅定・三昧等のなかで感得する仏説経典のことです。
詳しくは8才で『入菩提行論』の講義をしたというドトゥプ三世にテルマ概説があります。
     英訳:Tulku Thondup rinpoche, Hidden teaching of Tibet, Wisdom, 1986
ドトゥプ三世の父は有名なテルマ感得者ドジョム・リンパだったのですが、
知的なドトゥプ三世は、若い時テルマが信じられなかったそうです。

テルマを認めない大乗仏教者が結構いますが、すると密教はもちろん華厳経や般若経、
弥勒五法等も認められなくなるのは明らかだと思います。

それとついでながらシャンカラがシュルティを量として論理学を量としなかったのは、
龍樹菩薩や月称菩薩、寂天菩薩と同じで結構共感してしまう。
816名無しさん@3周年:04/08/20 08:39 ID:25cF8S4H
詳しい説明、ありがとうございます。

ところで大乗経典は、大乗的な悟りを得た人々が、
自分たちの悟りの内容を、お経の形で表現したものだと、
かつて自分は教わりました。
悟りと天啓では、おのずと違いがあると思うのですが?

817807=813:04/08/20 09:16 ID:zWalTyBR
>>815
大体おっしゃったことは分かりましたが、
上村先生の説明の仕方が色が付きすぎていますね。√dhI は「考える」「思慮する」
の意味で、dhyAnaも古ウパニシャッドでは一用例くらいしか見たことがありません
が、「感得する」というようなセンスィティヴな意味ではないでしょう。
(上村式の理解は、yogaあたりの説明に相応しいような。ルートは機種依存文字?)

テルマもあくまでも指示対象は「経」でしょう。それがいきなり禅定と結びつけら
れて用いられると違和感があります。
818名無しさん@3周年:04/08/20 09:33 ID:zWalTyBR
>テルマを認めない大乗仏教者が結構いますが、すると密教はもちろん華厳経や般若経、
>弥勒五法等も認められなくなるのは明らかだと思います。

テルマはまた別の話だと思いますが?
(既成の認知されている経典群とは、一線を画していたからこそ埋蔵経などの
理屈をつけて提出されなければならないのですから)
819娑婆世界は迷いの世界:04/08/22 21:10 ID:Q15qcSTO
娑婆世界は迷いの世界 
みんな今の時代のスピードに遅れないように必死になって大事なものを無くしていないですか?
忙しい、忙しいと心を無くしていませんか?
そんな心の無い時代に、もう一度心の支えになるものを共に見つけましょう。
820名無しさん@3周年:04/08/22 21:15 ID:xP5+ugIH
スレちがいならすみません。

母の彼氏が宗教にはまってるみたいなのですが、宗教名を忘れたそうです。

・会員は全国に1〜2万人
・お布施は10円でも100円でも、気持ちがあればいい
・お釈迦様がどうとか言ってた
・霊能者がいて、過去や悩みなどをピタリとあて、アドバイスしてくれる

これしか情報がないのですが、何教かわかったらどなたかおしえてください。
よろしくお願いします。
821娑婆世界は迷いの世界:04/08/22 21:17 ID:Q15qcSTO
心の支えになれば幸いです。 http://www14.plala.or.jp/daien
822名無しさん@3周年:04/08/22 22:54 ID:5JXnvtf8
>>820
知ってどうする?
823名無しさん@3周年:04/08/22 23:38 ID:xP5+ugIH
>>822
ヤバそうなところだったら別れるそうです。
結婚をせまられてるそうですが、「宗教やめて」といったら「それはできない」と。
母に入信しろとは言わないし、「宗教の話は私にするな」と言ったらそれ以来しないそうです。
宗教の不安がなければいい人だそうです。
824名無しさん@3周年:04/08/22 23:40 ID:xP5+ugIH
すみません 
自己解決しました。
真如苑だそうです。
そちらのスレにいってみます。
おじゃましました。
825けちゃっぷ:04/08/22 23:43 ID:AiwkcBet
>806 上座部から大乗非仏説と批判された場合に、大乗も仏説だと上座部に言っても、事実じゃないので納得されないでしょう。しかし、僕が大乗に救われたと感じている事実は、主張できると思います。
826名無しさん@3周年:04/08/22 23:52 ID:IgW+iy85
すみません。 >>815でのべたドトゥプ三世のテルマ解説と英訳を読んで、
その内容をチベット語と訳をあげようと準備したのですが、
夢見が悪かったのでやめときます。(いや、時間かけたんですけど)で、消えます。

>>816
少なくとも自分の悟りの内容であれば、そのように書くと思います。
テーラガーターやドーハみたいに。
仏説とするのは、自分のものという意識がないからではないでしょうか。

>>817 やっぱ知らないことしゃべるとこうなりますね。
同じdhyaanaという言葉だから禅定としたのは強引でした。その方が分かるかと思って。
上村説のネタ本が分からないとなんともいえないけど、
√dhI ではなく√dhyai bhAve kvip saMprasAraNaM ca つまり名詞の方でしょう。
上村先生は「dhyAnaのうちに啓示を受けて」と読んでいて「dhyAna」を感得とは
読んでませんよ。当たり前ですが。
しかもdhyAnaは√dhyai bhAve lyuT で同根です。

もしかして禅宗の方で、禅定という言葉を使って欲しくないというのでしたら、
三昧と読み変えていただいても結構ですよ。ヨーガとは言わないと思うけど。

>>818 その論理だとテーラヴァーダが大乗経典を批判するのを同じなんですけど。
だからテルマを認めないと大乗経典も認められなくなるということです。
まったく同じですよ。なんで分からないかな〜?
827名無しさん@3周年:04/08/23 01:47 ID:Gi3p9HOU
>>825
大乗が仏説でないなら、上座部もまた仏説ではない。
大乗非仏説なんてカビはえてるよ。
828名無しさん@3周年:04/08/23 02:49 ID:Hy+9mYHf
>>827
お! パーリ三蔵編纂の過程で仏説じゃなくなってるって説?
829けちゃっぷ:04/08/23 07:21 ID:CH2u8juT
>827 僕もそう思いますが、上座部の人は平気で大乗非仏説を言うでしょう?上座部と大乗が互いを尊重しあうには、どうしたらいいのでしょうね。日本の大乗の人間としては、そう思うわけです。
830けちゃっぷ:04/08/23 08:00 ID:CH2u8juT
現場というか、お寺での10分程度の法話などでは、仏教に興味もってもらうためには基礎仏教の話もするし、もちろを自分の宗派の話もする。現代の日本では、そういうお坊さんは多いのでは?
831名無しさん@3周年:04/08/23 08:27 ID:wP5O5O/2
>>827
変質したのというのと、新しく創作されたのとは全然違うでしょう。

しかし、「大乗非仏説」説は、よく語られるけど、その根拠はなんなんだろう。
当たり前のように語られるからには、よほどちゃんとした根拠なんだろうな。
832机龍之介無心斎 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/23 08:31 ID:IFWGbxdj
>>830
戒名というのは、そもそも故人が仏門に入るのを僧侶が許可する。
って意味ですね。

死んでから仏門に入っても意味はないし。
ましてや僧侶に許可してもらわなくても私は生前から仏教徒と思ってます。
死んだら仏教とは縁がありません。←これは私見です。

大乗が非仏説と言われる所以はこんなとこにあるのかもしれません。

ごめんなさいね。
わたしは個人的には僧侶は好きです。
しかしながら・・・僧侶自身もこういうことで葛藤があるかと、推測はしています。
833名無しさん@3周年:04/08/23 09:18 ID:W4tu4tcL
>>826
>上村先生は「dhyAnaのうちに啓示を受けて」と読んでいて「dhyAna」を感得とは
>読んでませんよ。当たり前ですが。
815をだけ読んでいると、そういう風に読めるんですよね。

>まったく同じですよ。なんで分からないかな〜?
また別件なんだけど、どうして一緒くたにするのかな〜?
834名無しさん@3周年:04/08/23 19:06 ID:/zuvTRLC
大乗非仏説には、一理あると思う。しかし上座部も長老の教え故の頑なさもあるね。
でも、やはりオリジナルに近いのは南伝仏教の方ではないかと思うのです。
835名無しさん@3周年:04/08/23 19:16 ID:N4LsPFrR
>夢見が悪かったのでやめときます。

それは賢明ですね
そのような現象が現れたことは、あなたに御加護と素質があるからでしょう
836 ◆tsQRBnY96M :04/08/23 23:25 ID:LbstRK2i
>>831
> しかし、「大乗非仏説」説は、よく語られるけど、その根拠はなんなんだろう。

そのひとつは、「阿弥陀仏は、存在しない。」という単純な理由です。

仏は釈尊、ただ一人。

この指摘に対する、大乗仏教徒からの反論を聞けば、一筋縄で説得できないことがわかるでしょう。

また、「釈尊は、法華経を説いていない。」といってもいいでしょう。

法華経はでっち上げの経典である、と断言します。
837831:04/08/24 01:49 ID:ovkaJ/hy
>>836
>「阿弥陀仏は、存在しない。」
? どうしてそう言えるのでしょう。
超常的なことは、否定するにも肯定するにも、証明のしようのないことじゃないですか。

>「釈尊は、法華経を説いていない。」
そのように、よく語られることは知ってます。その根拠を知りたいんです。

物質的なことしか信じない人の、信念・考え方にもとづいた推論のみが、
「大乗非仏説」説の根拠でしかないのなら、超常的なことを信じる私にとっては、
大乗仏説を否定するには不充分なのですが・・。

ちなみに、私が大乗仏説を疑う一つの理由は、
その経典が、あまりにも文学的に美しくできすぎているところです。
小乗経には、そういう文学的な完成度は感じられません。
文学的完成度が低さが、逆にブッダ在世時の事実の生々しさを感じます。
大乗経は、できすぎているために、かえって嘘臭く感じるんです。

そういや、法華経の疑われる理由に、ブッダ在世時には貨幣経済がなかった、
というのがあったような、なかったような・・。記憶違いかな。

838名無しさん:04/08/24 07:42 ID:rwEzkfn2
>>832 机龍之介様
今年の初めに書き込みをした、天台宗の義兄の悪行で姉を鬱病にされた者ですが、覚えていらっしゃるでしょうか?
ちょっとお尋ねしたいことがあり、また出て参りました。
以前は義兄のことばかり書いたと思うのですが、実父も女にだらしない義兄と似たり寄ったりの人で、新しい女を
家に入れるために母を追い出して今年で7年目ですが、いまだに1円の生活費も払わない人です。
そのため、私と姉とも縁切り状態で、私は父と同じ墓に入る気は毛頭ありません。
母は家を出てから、いずれは孫に守ってもらおうと義兄の寺の敷地内の墓地を買い、楽しみにしておりましたが、
姉が一番下の子の中学卒業と同時に4年後には寺を追い出されるのですから、墓地はあっても埋葬できなくなりました。
それで、母は投槍になって無縁仏として埋葬してくれと言い出たのですが、順番からいって母が先に死んだとして、
娘2人がいるのに無縁仏として認められるのでしょうか?そんなことをお寺にお願いできるのでしょうか?
また、私は、この20年間義兄のお金の使い方を見てきて、1円たりともお寺に払いたくないと思っています。
不謹慎だと言われようが絶対嫌です。
そこでお尋ねするのですが、あの世へ行くために最低限何が必要なのでしょうか?
832で書かれていた戒名ですが、どうしてもお坊さんにつけてもらわないとダメですか?許可がないとあの世へ行けないのですか?
火葬はお坊さんが付いていないと、死亡診断書だけではしてもらえないですか?
墓や仏壇も要らないと思っているのですが・・・・
どうしてもお坊さんがいないとダメな場合、父方の日蓮宗も、義兄の天台宗も嫌なのですが、無宗教の私は、どこの宗派のお寺に
頼んでも構わないものですか?
どうかよろしくお願いします。
839けちゃっぷ:04/08/24 08:28 ID:45wT9x6v
戒名は、遺族が故人の冥福を祈る気持ちを表すために付けてるだけです。あの世で仏弟子になりますようにと。戒名なくても大丈夫ですよ。火葬については、葬儀屋さんのほうが詳しいでしょう。
840けちゃっぷ:04/08/24 08:40 ID:45wT9x6v
口で「南無阿弥陀仏」ととなえるだけで、阿弥陀仏は極楽浄土へ迎えてくれます。お金も戒名も必要ありません。あの世のことは、何一つ心配ありません。ただ、お骨をどうするかという世俗の問題だけですね。
841机龍之介無心斎 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/24 08:43 ID:ADqxJdan
>>838
>今年の初めに書き込みをした、天台宗の義兄の悪行で姉を鬱病にされた者ですが、覚えていらっしゃるでしょうか?

ええ、よく覚えています。その後のことを気に掻けてました。
直ぐに解決できる問題でもないですし、貴女のご苦労を察します。

>832で書かれていた戒名ですが、どうしてもお坊さんにつけてもらわないとダメですか?許可がないとあの世へ行けないのですか?

戒名がないと、あの世に逝けない。などと考えてる僧侶はいないかと思います。
禅宗以外の宗派はわかりませんけど。

私は禅宗ですけど。禅僧でしたら、あの世と戒名は関係ないですね。
ましてや禅僧は、あの世とやらは信じてないでしょうね。←推測ですが。
信じてはいないけど、日本には仏教文化というのがありますから、この【文化】という
一面において「あの世」というのを解釈したらいいかと思います。

       (つづく)
842名無しさん@3周年:04/08/24 08:52 ID:GkXLz15K
>>836
>仏は釈尊、ただ一人。
この考えこそ、原始仏教に反しているのに。

変なことばかりいう人だな。
843机龍之介無心斎 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/24 08:53 ID:ADqxJdan
>>838(つづき)
>火葬はお坊さんが付いていないと、死亡診断書だけではしてもらえないですか?
>墓や仏壇も要らないと思っているのですが・・・・

火葬は行政の仕事ですから、坊さんは関係ないですね。
坊さんがいなくてもお骨の状態で家に御安置できます。

埋葬は坊さんの許可がないと正規?の墓地には埋められません。

故人が生前に「墓地埋葬をしなくていい」って御意志があれば、お骨を山とか海に撒いて自然に返す。
ってこともできます。
しかしながらこれも埋葬法とかありますから、やるならあまり他人には吹聴とかはしない方がいいかもしれません。
日本においては、こういうやらいかたはそんなにコンセンサスがありませんから。
坊さんの都合のいいように・・・仏教文化というのは形成されてます。

しかし、私は個人的にはこのやり方(自然葬)はいいかと思ってます。
844机龍之介無心斎 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/24 09:02 ID:ADqxJdan
>>838
遺骨を自然に返す。ってやり方は、けっこう日本人にも多いかと思います。
記憶が失念しましたが、よくいう文化人?とか言われる人も結構このやりかたをしている人がいますね。

検索でもかけてググってみてはどうですか?
「自然葬」とか「埋葬」とか「風葬」とかでググってください。
845机龍之介無心斎 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/24 09:10 ID:ADqxJdan
>>844
世間体で、戒名がないと格好がつかない。というのであれば、
戒名を貴女がつけて、仏具屋に位牌に名前を彫ってもらえばいいんです。

これで故人はなんも心配もなく往生できます。

          <合掌>
846 ◆tsQRBnY96M :04/08/24 10:01 ID:8kj9yCpx
>>837
>>「阿弥陀仏は、存在しない。」
>? どうしてそう言えるのでしょう。
阿弥陀仏について書かれたことを、正しく認識するなら、阿弥陀仏は存在しない。
しかし、多くの人は、自分に都合よく解釈する。そしてそれを自覚していない。

>>「阿弥陀仏は、存在しない。」
いいかえると、歴史的に実在していない。

こういうと、別な反論が帰ってくる。
「超常的に存在しているのではないか?」

超常的に存在している、という考え方こそ、非仏教的考えといえる。

また、阿弥陀仏について書かれた経典は、あきらかに、阿弥陀仏を
実在として書いている。

そこを無視して、それは方便である、などと都合のいいように解釈する。
これはマインドコントロールと呼ばれる。
847 ◆tsQRBnY96M :04/08/24 10:09 ID:8kj9yCpx
>>837
法華経は、学問的にキリスト教紀元50年を遡ることは無い、とされている。
こういうと、現在ではそうだが、まだ完全に証明されたわけではない、という反論と、
法華経は、釈尊の直説ではないにしても、釈尊の真意を伝えている、という反論がある。

だが、あなたが、大乗仏典と、初期経典を読み比べて違和感を感じたなら、それで十分ではないか?
他に、何の証明がいるのだろうか?

他人に証明する必要はない、自分の感じたことが一番大事。
848 ◆tsQRBnY96M :04/08/24 10:52 ID:8kj9yCpx
>>842
> この考えこそ、原始仏教に反しているのに。
「仏は釈尊、ただ一人。」と断定すると、このような反論が帰ってくる。
たしかに、「ほとけ」とは、一般名詞で、そういう意味では、釈尊以外にも、
当時も今も、沢山の人が「ほとけ」と呼ばれている。
「ほとけ」とは「目覚めた人」のことをいう。

仏教は、その大勢の「目覚めた人」の中でも、釈尊という仏の教えが出発点となっている。
阿弥陀仏は、「目覚めた人」の中にすら入らない。架空のほとけである。

> 変なことばかりいう人だな。
これも「マインドコントロール」のひとつである。
おぼえておくとよい。
849名無しさん@3周年:04/08/24 14:34 ID:UxqcQlF6
基本的な事かもしれませんが、大乗経典にかかれている
ことがなぜ原始仏典に書かれていないのですか?。
特に法華経なんかは釈迦が本当に伝えたかったこと
ということですが、そんなに大事なことを釈迦の死後
何百年も経ってから顕わされたのかがよくわかりません。
850名無しさん@3周年:04/08/24 14:53 ID:88EqAiN8
>>848
そんな啓蒙書程度の知識の羅列で、、、原始経典、読んだことがないらしいな。
851自治厨:04/08/24 16:27 ID:nVw9I7EA
なんで質問スレでゴタゴタゴタゴタやってるわけ?
852名無しさん:04/08/24 21:09 ID:rwEzkfn2
机龍之介様、けちゃっぷ様、ありがとうございました。
半年以上も過ぎたのに、覚えていてくださっただけでなくお気にかけていただいていたとは、
感謝の気持ちでいっぱいです。
そういう思い遣りの気持ちを義兄の心にに少し転送していただければ尚嬉しいのですが。。。。
残念ながら、姉の状態は何一つ環境が変わっていないので一向に良くなっておりません。
義兄は、水子供養を放ったらかして、昨日から子供を引き連れて北海道旅行へ行ってしまい、
それならと私の処へ泊まることにしてお酒でも飲もうということになり、予約した店へ
行ったのですが、座ってメニューを見た辺りから様子がおかしくなって、50品以上メニューが
あるというのに、「食べたい物がない」と言い出して、結局何一つ注文せず帰ってしまいました。
正直言ってあと4年もあの寺で保つのだろうかと不安です。
話が逸れてしまいましたね。また、スレ違いと叱られそうなので本題に戻します。

母も最近真剣に調べているみたいで、大学病院の医学部へ献体をすれば火葬も済ませて
遺骨を遺族に返してくれるらしく、その後は共同墓地へ入れてくれと言い出しました。
共同墓地というのはどこのお寺でもあるようには思えませんし、私の感覚では身元の
わからない戦死者を埋葬しているイメージしかないのですが、それこそ娘がいるのに
共同墓地へ埋葬なんてしていいものでしょうか?
私は自然葬に惹かれました。そういうのは、インドでしかできないと思っていてので
嬉しいです。
それに、戒名をお坊さんに頼まなくてもいいということで気が楽になりました。
墓がなくてもお位牌だけ作ってお経を唱えれば良いのですね?
お位牌代くらいなら私でも残せそうだし、これで安心して死ねそうです。
それにしても、由緒正しい寺に姉が嫁ぎながら、こんなことを考えなくてはならないのは
ご先祖様の祟りでしょうか?
853机龍之介無心斎 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/24 21:33 ID:ADqxJdan
>>852
>わからない戦死者を埋葬しているイメージしかないのですが、それこそ娘がいるのに
>共同墓地へ埋葬なんてしていいものでしょうか?

そもそも現代は少子化が進んでいて、家督を継ぐというようなことも崩れてきてますからね、
もうすでに墓地は「家代々の墓」というのも段々なくなるかとおもいます。
墓のイメージというのは、昔からすれば随分変わってきてますよね。
これからもドンドンと変わるかと思います。
こういった時代の流れに、貴女のお母さんが「どうしたいのか?」。
ってとこが大事かとおもう。

お母さんの納得いく方法で話し合った方がいいかと思います。
   (つづく)
854831:04/08/24 21:43 ID:ovkaJ/hy
>>846
まあ、浄土経典系の真偽についても、私はニュートラルの立場ですが・・・。

> 阿弥陀仏について書かれたことを、正しく認識するなら、阿弥陀仏は存在しない。
> しかし、多くの人は、自分に都合よく解釈する。そしてそれを自覚していない。
「自分の認識こそ正しいのだから、○○は●●である」という論理の立て方、
それに続けて、「多くの人は、自分に都合よく解釈する」と結論づけるというのは、どうでしょうか。

> 超常的に存在している、という考え方こそ、非仏教的考えといえる。
そんなことはありません。それは仏教を超常的なものでない、としたがる人たちの側の論理ですね。
仏典には腐るほど超常的なことに関する記述があります。
それら全てをを後世の盲信者が付け加えたことにしたいのでしょう。
しかしそれは、初めから「超常的なことなど絶対にない」と決めたがる側の論理でしかなく、
その側の人たちにおいてのみ、正しい論理でしかありません。

> また、阿弥陀仏について書かれた経典は、あきらかに、阿弥陀仏を
> 実在として書いている。
「あきらか」ではないと思います。具体的にどの部分が「あきらか」なのでしょう。
「ここから西方にある云々・・」程度の記述では、「あきらか」とはいえないと思います。
もし「西方」が本当の意味での西方なら、転生で浄土に行かずに、歩いて行けばいいんですから。
まあ、他力の経典なんて、どうでもいいですけどね。

> そこを無視して、それは方便である、などと都合のいいように解釈する。
> これはマインドコントロールと呼ばれる。
あなたは初めから、あなたの側の立場のみが絶対に正しいと考え、そして書いています。
結局それは、あなたの立場で、仏教について都合よく解釈しているにすぎません。
あなたは、あなたが好む側の人たちから、マインドコントロールされているにすぎず、
また、あなた自身もここで他の人たちを、その立場からマインドコントロールしようとしているのです。
855831:04/08/24 21:43 ID:ovkaJ/hy
>>847
私が日頃疑問に思っているのは、「大乗がどのように否定されているか」ではなく、
「大乗否定の具体的な根拠」なのです。
否定する内容だけなら、仏教関連の本を読んでいれば、いくらでも出てきます。
でも、そのどれにも、明確で具体的な根拠が書かれていません。
学者の権威を、そのまま信じちゃう人なら、それでいいんでしょうが、
私は権威は、参考にはしても、信じたりはしないので、論理的根拠が欲しいのです。
本に書いてある程度では、私の中で、はっきりと否定・肯定の決着がつかないですから。

ですが、まあ、私は>>831で、◆tsQRBnY96M さんを名指しで質問したわけではないですし、
この問題は、めんどくさいでしょうから、無理に書いてくださらなくて結構です。
いろいろ長文のお返事、ありがとうございました。
856机龍之介無心斎 ◆8Z1PfzdK1. :04/08/24 21:44 ID:ADqxJdan
>>852
>それにしても、由緒正しい寺に姉が嫁ぎながら、こんなことを考えなくてはならないのは
>ご先祖様の祟りでしょうか?

祟りというよりも、僧侶自体がどうしても特権階級意識が芽生えちゃうんですよね。
これは檀家も悪いんですが。
そういうふうに檀家も僧侶を甘やかしてきました。

檀家にとっても僧侶にとっても、私はいまひとつ考えなければならないかと思います。

しかしながら私みたいなのは少数意見ですから・・・
本来ならば仏教そのものの改革が必要です。

改革といっても仏教文化は早急に変えられるものではないし、
そのジレンマってのはありますね。

857831:04/08/24 21:44 ID:ovkaJ/hy
>>849
そうですよね。
大乗仏典では、ブッダ在世中に、弟子たちに大乗の教えを説いていることになっている。
ならば、最初の経典編纂の時に、いくら小乗の教えのみを集めようと意図したとしても、
文章中に、もっと大乗を臭わせる用語や教義が、散見できてもよさそうなのに、それがない。
これはとても不自然ですね。
858名無しさん@3周年:04/08/24 21:47 ID:n4PUohpU
>>840
仏教は発展して来たとも言えるし、衰退して来たとも言えるのではないかな。
原始仏典に書かれていることを拠り所として、思想的に発展させたのが大乗
経典なのだろうけど、その大乗とは、その名からして上座部より優れたもの
という自負もあったのでしょう。その拠り所となる経典が、原始仏典と同等
では、その「優れている」という自負が成り立たない。
だから、原始仏典より優れている内容がなければ、大乗経典として成立しな
かったという生い立ちもあるのでしょう。
だから、初期の大乗経典である般若経や唯摩経では、サーリプッタを始めと
する上座部の長老がこき下ろされてもいます。
859名無しさん@3周年:04/08/24 21:50 ID:n4PUohpU
あ、858は、>>849宛ての間違いです。
860けちゃっぷ:04/08/24 22:25 ID:45wT9x6v
今日地蔵盆でした。「お地蔵さんは迷わないように彼岸に連れて行ってくれる」等、民間伝承的な信仰が現場では生きています。そう信じて楽しそうに地蔵和賛を唱える人々に、大乗非仏説を説いて何になるのか?
861けちゃっぷ:04/08/24 22:30 ID:45wT9x6v
仏教学を学問的に学ぶ立場と、信仰の立場とはちがいます。なぜブッダの教えが広まったのか?それは、信じたら幸せになる教えだからでは?架空の仏でも、いると「みなす」ほうが幸せなこともあります。
862けちゃっぷ:04/08/24 22:35 ID:45wT9x6v
合格祈願のお守りを買ったって、合格できないこともあるということは、誰でも知ってます。でも買ったり、家族のために贈ったりします。お守りのご利益は、実在する・しないという問題とは次元が違います。
863けちゃっぷ:04/08/24 22:49 ID:45wT9x6v
僕が大乗非仏説を説く場面は、法華こそ真実という論理で他宗派を非難す日蓮系信仰宗教の人を見た場合だけです。何経を信じてたって、その人が幸せならいい。わざわざ不安にさせる折伏をするのは疑問に思う。
864名無しさん@3周年:04/08/25 09:19 ID:Id7wkm6D
まあ「ブッダは釈尊一人」というのは部派仏教になってから起こる定説で、原始経典ややや遅れる同時代
資料にはあてはまらないことが分かっている。

大乗仏教が様々な仏をたてるのは、こうした部派のアンチテーゼでもあるし、逆に釈尊の時代に近い
というのも面白い。この点は部派よりも大乗の方が釈尊の真意を伝えているともいえる。
865名無しさん@3周年:04/08/25 19:51 ID:KQaIieYr
折伏などは、仏陀の教えにはない行為でしょうね。
釈尊の場合「縁なき人々は度し難し」というスタンスだったんだろう。
でも、人間の歴史を省みると知者は日常生活者達に疑問を投げかける。
それで社会を混乱に落とし入れる危険人物として葬られてしまったりもする。

釈尊の場合だと、何かに頼る事で樹立する幸福は必ず奪われると提言し、何者
にも依らぬ心の安らぎをニルバーナと名づけて、これを目標として目指すこと
を薦めていたのだと思う。
信じて幸せになると言うよりも、ああと気づいて心が軽く平安になるのだろう。
866名無しさん@3周年:04/08/25 20:42 ID:xXz/dbr5
自帰依・法帰依

修道論としての四諦八正道
867名無しさん@3周年:04/08/25 21:19 ID:ggunKLbo
>釈尊の場合だと、何かに頼る事で樹立する幸福は必ず奪われると提言し、何者
>にも依らぬ心の安らぎをニルバーナと名づけて、
ライノセロスなどを見るとそう思えるが、他経典は「何ものにも依らぬ」という発想は
ないでしょう。単にエゴイズムの助長にしか役立たないようだし。。。
四摂法のように協力しあうことを教えるようなものもあり、基調だったようにも思
える。

スッタニパータやダンマパダというのは仏教からすればやや特殊な経典、という説は
傾聴すべきだよ。
868レモン:04/08/25 21:32 ID:6uqlvznx
始めまして、私の友人が、宗教をやっているのですが、親が死んだ人が入る宗教らしいです。そんな、宗教あるんですね。正式名を聞いても教えてくれません。分かる方がいたら、教えて下さい。
869名無しさん@3周年:04/08/27 13:03 ID:tvWPtzWq
日本には真宗や、日蓮宗などさまざまな仏教教団がありますがその中でボランティアのような
社会活動に熱心な教団というのはありますか?
870名無しさん@3周年:04/08/27 14:14 ID:5dn9M5bu
>>869
有名なのは

SVA(シャンティ国際ボランティア会)。
業界2番手で国連にも認められている数少ないNGO団体(昔はNGOは国連の指定し
た団体しか名乗れなかった)。曹洞宗系だが、真言宗豊山派や立正校正会など
の援助もあり、内部で働いている人間は必ずしも特定の宗派に属している訳で
はない。

アーユス仏教国際協力ネットワーク。浄土の方が多いみたいね。

他は「仏教NGOネットワーク」ttp://www.bnn.ne.jp/katudo/20030122.htmに
加盟諸団体が列記されているから参照して下さい。
871名無しさん@3周年:04/08/27 22:14 ID:NvU2bgms
大乗経典が、釈尊自信が説いた教えという体裁をとるのは、
やはり教典を作った人たちに、「これこそ釈尊が本当に言いたかったことだ」
という確信があったからではないでしょうか。
もちろん、釈尊の教えとしたほうが受け入れてもらいやすいだろうという
方便の要素もあるだろうけれど。

「目覚めた人」は釈尊だけではなかった。
釈尊は仏教の源流ではありますが。
872名無しさん@3周年:04/08/27 22:35 ID:xx9zWCd8
でも、お経を唱える、念仏を唱える、南無妙法蓮華経を唱えるなどが、
現代でも通じるのはなぜなのか。
大乗経典は、それなりの教えを人々に伝えるために書かれたものなの
に。
昔と違い、人々には学力がある。読んで思考し、理解できる能力が具
わった。
親鸞や日蓮から学ばず、直接大乗経典から学ぶことが、現代の人々に
は妥当なことになるでしょう。
お経を唱える。この不可思議な行いを終わらせる新しい時代が来なく
てはならないでしょう。

873名無しさん@3周年:04/08/27 23:09 ID:xTgudRPU
たしかに浄土系の経典は、かなり「信仰」の領域に
傾斜しているようにも思えます。
仏身説などを通して
仏が神格化されていった結果でしょうか?
874名無しさん@3周年:04/08/27 23:44 ID:wZ7UUpbi
法華経
 人間たちはまこと快楽のために、また愛欲の因縁のために、また来世においては
 獲得しようとしているもののために、地獄や畜生の胎内やヤマの世界に生まれか
 わって、種々さまざまな苦悩に遭うであろう。

 仏の警告として、教えとしてきちんとわかり易く書いてある。お経として唱える、
 だけではもったいない経典である。つまり、お経として唱えるだけのものではな
 い。
875名無しさん@3周年:04/08/28 00:15 ID:KQbW7H6i
>>873
それは親鸞さんに元を発し、江戸でさらに一神教的になり、明治で西洋化された
真宗教学的解釈であって、浄土経典はみごとな大乗経典です。以下参照してみて。
浄土教の思想史は、平川彰先生の『仏教通史』を中国から浄土教の部分だけみてみて。
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091776873/458-460
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091776873/496

>>872
日蓮さんや親鸞さんを擁護する気は毛頭ないけど、唱えることはいいことですよ。
これは世俗的な功徳だけど、今はやりの「大人の教科書」なんか必要ないですよ。
毎日、集中して声を出してお経を読めば、惚けない。算数やるよりいいと思うけどな〜。
ちょっとオサレなあなたには、英独仏あるいはパ梵蔵の読誦なんかどうよ!
実際、和歌でも漢詩でも、オードでも暗記した方が、算数するよりいいと思うな。
それと、今のが学力あるという説もいただけない。まあ識字率は高いことは認めるけど。

>>874 法華経、どんなお経と較べてて分かりやすいんですか?
とっても難解なんですけど。注釈も長いし。まあ、世親菩薩か弘法大師の註が手頃ですか。
876名無しさん@3周年:04/08/28 09:07 ID:HuMqHz0T
>>875
>>874の法華経が特に分かりやすいと言ってるんじゃないと思うよ。
念仏を唱えて救われるとか、お経を朗読すればよいとか、仏典の内容
が人を教え導くように書かれているとするならば、意味を理解せず、
お経を唱える行為は、仏典を書いた人の意向を尊重しない行為である。
成仏できないかもしれないな。
877名無しさん@3周年:04/08/28 13:54 ID:VlXrfBt5
>>876
同感。
878名無しさん@3周年:04/08/28 19:56 ID:B1buSWZb

日蓮や親鸞は、その時代庶民より学識が高かった程度だ。困難なことはあっただろうが、やはり学識
が高い者程度。現代の有識者よりかなり程度は低いはずだ。
その時代では、お経も意味が把握できて行っていただろう。そして何回も繰り返しお経を唱えること
により、意味を把握しながら学習していく。そして、成仏世界に導かれて行く。意味がわかって、成
仏できるようになるのだ。
南無妙法蓮華経も、法華経に帰依いたしますという意味だ。そして、法華経に書いてある内容を把握
しながら学習し、成仏に導かれる。

浄土経典は、みごとな大乗経典としながらも、意味を把握せず、ただお経を唱えるだけで終わるなら、
逆に成仏できないどころか、迷って地獄に落ちるかもしれないぞ。成仏世界はお経を唱えないだろう。
お経を無意味に読む。仏典を書いた比丘らの意向を尊重しない人間の愚かな行為によって、地獄に生
まれるかもしれない。無知な人間がつくりだした、比丘らの意向に反したお経をただ読むという行為
により、自然の法則が破れ、地獄へと導かれるかもしれない。

879名無しさん@3周年:04/08/28 20:25 ID:Q4lK7h53
日本の浄土宗は、仏の観想・観仏が困難な障礙多き凡夫向けの易行道です。
法然さん自身が、自分はとうていその境涯ではないと仰って、称名念仏を
勧められた訳でしょうし、要は、死に赴く者たちへの不安感が払拭されれ
ばそれでよしとする教えなんだと思います。実際に死に逝く瞬間や中有に
入ってからの瞑想技法レベルにまで及ぶものではないですね。成仏とか解脱
とかは最初から度外視して捉えたほうがよいでしょう。
880名無しさん@3周年:04/08/28 20:26 ID:TUm0t+3j
ご臨終です―死んじゃった

(お坊さん) 南無南無南無

(死んじゃった) あ!南無南無ない!

(お坊さん) 南無南無南無

(死んじゃった) どこへ行けばいいんだろう?

(お坊さん) 南無南無南無

(死んじゃった) ・・・・・・・・・・・・・・・・・もうダメぼ

(お坊さん) 成仏しました南無南無南無

881名無しさん@3周年:04/08/28 20:32 ID:wMJVmPiv
>>878
>日蓮や親鸞は、その時代庶民より学識が高かった程度だ。困難なことはあっただろうが、やはり学識
>が高い者程度。現代の有識者よりかなり程度は低いはずだ。

具体的なソース希望
882名無しさん@3周年:04/08/28 20:33 ID:zA6Rturi
フランシス・ヴァレラの「身体化された心」という本に仏教思想を引いた
認知論が展開されているのですが、翻訳がいまいちわかりにくいので
脇に置いて読むのに適した参考書を探しています。いい本はありませんか?
883名無しさん@3周年:04/08/28 20:35 ID:j2OshsiU
ご臨終です―死んじゃった

(お坊さん) 南無南無南無

(死んじゃった) あ!南無南無ない!

(お坊さん) 南無南無南無

(死んじゃった) どこへ行けばいいんだろう?

(お坊さん) 南無南無南無

(死んじゃった) ・・・・・・・・・・・・・・・・・もうダメぼ

(お坊さん) 成仏しました南無南無南無

(死んじゃった)もう諦めた

(天の支配者)諦めが肝心だ。死んじゃったは成仏した。

(死んじゃった)ルン ルン ルン♪

884名無しさん@3周年:04/08/28 20:38 ID:j2OshsiU
全員諦めれば成仏だよ。何事でも諦めが肝心。
885名無しさん@3周年:04/08/28 21:57 ID:KQbW7H6i
>>876  >>877 お! 近代人。以下の記述『法華経』の意味は尊重しないの?

>>878 言い返すなら、リンク先も含めて文章読んでほしいんだけそ。
言葉は理解したつもりで、すばらしと言ったつもりですよ。以下はどう読むの?

 若有信解心。受持讀誦書。 若復教人書。及供養經卷。
 散華香末香。以須曼瞻蔔。 阿提目多伽。薫油常燃之。
 如是供養者。得無量功徳。
mos pa snying por gang gyur te / / gang zhig mdo 'di klog pa'am / /
yi ger 'dri bar byed pa de / / de bas bsod nams mang du thob / /
adhimukti-sAro yo syAd ato bahutaraM hi saH /
puNyaM labheta yo etat sUtraM vAcel likheta vA //

>>882 フランシスコ・ヴァレラは確かダライラマ猊下とも対談してたから、
チベット系仏教だと思うので、

索引付きの福田洋一訳『ダライラマ仏教哲学講義』がいいと思います。
もし密教系の思想も入っていたら『ダライラマのゾクチェン入門』こちらは
訳が悪いので英語版をお勧めします。
886名無しさん@3周年:04/08/28 23:30 ID:opsUbjXL
(お坊さん)南無南無南無
(天の支配者)諦めが肝心だ
(お坊さん)諦めが肝心だ
(信者) はい、諦めが肝心だ
ご臨終です(信者死んじゃった)
(信者死んじゃった)ルン ルン ルン天国だ♪
 
 
 
887名無しさん@3周年:04/08/29 00:29 ID:TIRbUg2S
> >>882 フランシスコ・ヴァレラは確かダライラマ猊下とも対談してたから、
> チベット系仏教だと思うので、
>
> 索引付きの福田洋一訳『ダライラマ仏教哲学講義』がいいと思います。
> もし密教系の思想も入っていたら『ダライラマのゾクチェン入門』こちらは
> 訳が悪いので英語版をお勧めします。
ありがとうございす。探してみます
一応禅宗系らしき記述が多いようなのですが、そちらでもいいのがあればどなたか教えて下さい
特に「反省」「三昧」といったものが中心にあるようなので
多少難解でもよいので、語句の定義が正確なのをお願いします
888名無しさん@3周年:04/08/29 06:15 ID:gvEFvqBh
それは厄介ですね。三昧は一般的仏教用語で、『ダライラマ仏教哲学講義』で充分ですが、
反省は「念、憶念」か「懺悔」か分かりません。日本の和訳ってグロッサリーないのが多いし、
もしグロッサリーがあれば、それで一旦原語に戻って、引けますが。

正確にお読みになりたいのでしたら、文献表に出ている禅系の本を見るのがいいと思います。
それもない場合は、
  和英禅語グロッサリー / 稲垣久雄著、永田文昌堂
あたりで検討つけるしかないと思います。

いっそ、原書を見たほうが早いかもしれません。
889名無しさん@3周年:04/08/29 18:24 ID:B/Axeyx+
>>885
>索引付きの福田洋一訳『ダライラマ仏教哲学講義』がいい
注釈はヒドイと思うけど。。。本文は原本読んだことがないから分からない。
890名無しさん@3周年:04/08/29 22:42 ID:gvEFvqBh
>>889
私は底本とした英文の原著は読んだことないが、
講演の録音と英文から蔵訳されたものを読み較べたが、かなりいいと思う。
もちろん完璧だとは思わないが。

注釈の酷い例は、なんですか? もしかするとあなたの理解が酷いのかも?

891名無しさん@3周年:04/08/29 23:57 ID:+PXPd5yb
892名無しさん@3周年:04/08/30 01:14 ID:eENKd7BU
893名無しさん@3周年:04/08/30 02:01 ID:dJ8Syiv8
>>892
十牛図が普通と違うな。こんなのもあるんだ。へぇ。
894名無しさん@3周年:04/08/30 07:33 ID:CRatWwDE
>>890
>注釈の酷い例は、なんですか? もしかするとあなたの理解が酷いのかも?
いきなり、不躾な応対ですね。もしかすると回し者さんの宣伝?

あの注釈で疑問感じなければ、無理解に等しい。。。
895名無しさん@3周年:04/08/30 09:24 ID:eENKd7BU
>>894
宣伝ではありません。紹介した以上、当然の対応ではないですか?

不躾といいますが、具体的に指摘せずにあのようなことを言うのは、
誹謗中傷に等しくないですか? 具体例を出してみてください。

念のため訳注に目を通してみましたが、密教を別にして一般的大乗の見解から
見て違和感のある部分は、以下一つだけでしたが、

「究極的なものを考察する正しい認識と矛盾しない」(第四章*12訳注)

これは蔵訳では don dam dpyod byed kyi rigs pas kyang mi gnod pa で、
ゲルク独特の解釈をする際に用いる術語の一つと思われます。
ですから、違和感があるのは当然。

それから和訳、蔵訳すべてにわたっていえることですが、この本で中観帰謬論証派という
場合はゲルクの見解という意味で、インドの帰謬論証派を意味してないのは
きっちり明記してほしい部分だと思います。たしかにそれは誤解の元。
しかし、それは研究者に対してであって、>>882さんに対しては問題にならないでしょ。
896名無しさん@3周年:04/08/30 14:07 ID:rJTy9CMy
>>895
ご自身は具体的な指摘もなくて

>こちらは訳が悪いので

で通しておいて、人が同様に親切で言っているのに「誹謗中傷に等し」いと言うんですね。

宗派による見解の相違を誤りという訳にも行かないでしょう。各用語の説明に、基本的な
素養ができていないんですよ。だいたい「第四章*12訳注」てどれのこと?(7章だろうに)

上との関連から三章*6訳注「三昧」を取り上げてみれば、samAdhiを当てていながら、
「合体」「組み合わせ」と見当違いの語義を上げ、さらにあとの解説も仏教の禅定観を反映
しておらず、『倶舎論』も今原文見ていないが、恐らくこれも三昧そのものの説明ではなか
ろう。7章*1訳注「法性」も変な解説だし、これを「相」の意味に取ったらむしろ法性の意
味概念から離れていくだろうに(せめてprasannapadAくらいは参照して欲しい)。二障説
(瑜伽行唯識の建て方を見れば妥当ではないことは明らか)や仏性・五蘊などおかしなこと
ばかり。全体的にどれがどうとは言えないくらい、訳注者の曖昧な感想が述べられているに
過ぎないんですよ

チベット本やテーラワーダ関連の本はこの手のものが多すぎると思う。ダライラマのものな
んかは内容は面白く読めるので、こうした点何とかならないのかと、いつも思うよ。専門家
相手ではないんであればなおのこと、こうした部分は辞書的なしっかりしたものを付けて欲
しい。(英訳者はホプキンス氏だな。注が彼だとしたら本当にこんなの付けるのか?)
897887:04/08/30 16:33 ID:f0cZCDKE
紹介された物を中心に勉強します。
時間があれば実践するんだけどなぁ
898あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/08/30 19:27 ID:quWL3DpY
まず、自己を、問う。

自己に問うべき問いを、他に問う。
それでは、自己にとって、答えは、ない。

こころ、ころころ

いつでも、かわる。

いつでも、変わるこころを見ているこころ、それが、ほとけ さま。

自己のこころも変わる、相手のこころも変わる。

転がるこころを見つめている、こころ、それが、ほとけ、さま。
899名無しさん@3周年:04/08/30 22:09 ID:e+9DI9ca
よくととのえし己こそ、まこと得がたき主となる
900名無しさん@3周年:04/08/30 22:10 ID:S0naDAoN
>>731
「目覚めた人は釈尊だけではなかった」これには同意します。
しかし、「これこそが釈尊の本当に説きたかった事だ」という確信。
これには同意しかねるものがあります。
釈尊は弟子に「わたしには教師の握り拳はない」と語っていたと云われています。
つまりそれは、説こうと思った事は説いたということでしょう。

私はあまり大乗仏教は勉強しておりませんが、仏教徒として道を歩み出した者
にとって、釈尊に偉大な教師として敬意を持っていることはいいことに違いは
ないですが、目覚めた人なら、敬意を持っても釈尊の真意に縋らず、大乗運動
者達は堂々と自分達の見解であると主張してもよかったのではないかと思うん
ですよ。
901名無しさん@3周年:04/08/31 09:59 ID:EYVWlM43
>>900
だから釈尊だけではなく、諸仏をたて、あるいは維摩や文殊などは実在した人物を
モデルとしてその説いたところを記録していったとも言われています。

パーリ経典なんかは現在の形になったのは大乗経典よりはるかに遅いと言われていま
すし。
(ただインドでは経典自体に大乗小乗の区別をつけてはいなかったというのが一般的な
見解です。あくまでも取るべき態度で大小を名乗っていたに過ぎないとのことです)
902あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/01 17:26 ID:5xk3GPN2
坐禅と見性第6章あめつちは書かざる経をくり返しつ
http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/pc2nanmin/1094025701/
903名無しさん@3周年:04/09/02 00:20 ID:PB50km7O
托鉢をする時に、ニセ托鉢の人に絡まれたりすることはありますか?
また、そのような事がおきた時には、どう対処しているのですか?

単なる好奇心から出た質問なので、スレの趣旨と違う場合にはスルーしていただいてかまいません。
904名無しさん@3周年:04/09/02 18:25 ID:gehBuaRy
こちらのスレにも続々と見性体験された方々が集まってきています。
神社仏閣板ですが興味があったら覗くのもよいかも

★見性を本当に得たもの同志が語らうスレ★
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1091363340/l50

905名無しさん@3周年:04/09/02 20:43 ID:qX2Rudmm
>>896
私の言い方が間違ってました。大変失礼しました。
あなたのおっしゃるとおり一方的で失礼なものいいをお詫びいたします。
訳が悪い証拠は、煩雑なので書いていません。ご希望とあらば、提出します。
そのとおり「第七章*12訳注」です。

私はそんなにおかしな註だとは思えないのですが。「三昧」を例に考えてみました。
以下が第三章*6訳注「三昧」の全文です。257頁。

1.>サンスクリットの samAdhi は文字通りには「合体」「組み合わせ」を意味する。
2.>チベット語の ting nge 'dzin は「確定的で深淵なものに固着すること」を意味する。
3.>三昧とは深い瞑想状態を指し、その時心は完全に一点に集中し瞑想の対象に没入する。
4.>本書では「三昧」という訳のほか「瞑想による心の安定」という訳語も用いた。
5.>『阿毘達磨倶舎論』では、三昧とは分析力(般若)に至るまでの「五つの対象識別の心の働き」の一つに数えられている。
6.>大乗経典では、釈迦が入ったとされる深い瞑想状態(三昧)の名前が数多く挙げられている。
7.>密教経典では三昧は「生成のプロセス(生起次第)」および「完成のプロセス(究竟次第)」で行われる深い瞑想である。

>>896さんの発言から問題になるのは、1.2.3.5. でしょう。以下
906名無しさん@3周年:04/09/02 20:44 ID:qX2Rudmm
1.の主張はサンスクリット samAdhi の基本的意味は何か? 
であり仏教用語としての意味ではないことはお分かりでしょう。
これは辞書的な意味は何かということですね。ですから、いくつか辞書を見てみます。
『アプテ』は重要な意味、一般的意味からマイナーな意味にという順番で語釈が
されているので大変便利ですね。それによると以下のように19挙げられています。
長くなるので、問題となる5.以外は始めの部分だけ、引用しました。

1. collecting (as mind); 2. profound or abstract meditaiton; 3. intentness, concentration;
4. penance; 5. bringing together, combination, union; 6. reconciliation; 7. silence; 
8. agreement; 9. requital;                     (以下略)

これによると第5番目意味を基本的意味としているので違和感があるかもしれません。
ですが『モニエル』は次のように第一に挙げています。

m. putting together , joining or combining with ( instr. ) LATy
a joint or a partic. position of the neck Kir
union , a whole , aggregate , set R. Hariv. Ragh(以下略)
907名無しさん@3周年:04/09/02 20:44 ID:qX2Rudmm
『梵和』も同じです。

組み合わせること、結合させること;関節;結合, 組み合わせ, 連合;
実行;調整, 決定, 解決;正当化, 釈明;論証;に注意すること,
に熱中していること;深い瞑想, 深い専心

これは要するに『梵和』『モニエル』は [sam-A-dhA-ki] のヴィヤーカラナ
による根本義を始めに置いたと考えます。その註で訳者が説明したかったことも、
語源だと思われるので、まったく問題ないと思いますが。
つまり、

サンスクリットの samAdhi は文字通り(語源的)には「合体」「組み合わせ」を意味する。

別に問題ないと思います。なにか「結びつける」という意味は yoga であって、
まったく samAdhi にはないと仰りたいようですが、それは語源的には無理でしょう。
908名無しさん@3周年:04/09/02 20:45 ID:qX2Rudmm
2.の主張はチベット語 ting nge 'dzin のニルクタ的意味は何かでしょう?
もちろん ting nge 'dzin の意味は一義的に三昧ですが、
例えば sangs rgyas も一義的にブッダを意味しますが、

ma rig gnyid las sangs phyir dang / /
blo rgyas phyir na sangs rgyas yin / /   [東北3854、284b]
無明の眠りより覚める(sangs)から、
意識が広い( rgyas)から、 sangs rgyas です。

というニルクタ的語義解釈があると同じで、何かある記述に基づいて、

ting nge 'dzin は「確定的で深淵なものに固着すること」

と言っているのだと思います。
「」引用符で括られていることが、それを示唆しているでしょう。
といって、私は典拠を知りませんが、それは私が訳者より素養がないだけに過ぎません。
あなたも、その典拠を知らないなら、同じことではないですか?
909名無しさん@3周年:04/09/02 20:49 ID:qX2Rudmm
3.は、一番核心的な部分で、これがいわゆる三昧の相でしょう。
つまり、仏教的三昧の意味は何かということで、他はオマケみたいなものです。
まずパーリから見てみましょう。『マッジマ・ニカーヤ I 』です。
Avuso visAkha cittassa ekaggatA ayaM samAdhi. [PTS 301頁]
友、ヴィサーカ、心が一点に集中すること、これが三昧です。

つまり三昧は後に「心一境性」と漢訳される ekAgratA だという訳です。
このことは 『ミリンダ王の問い』の漢訳でも同じです。

RAjA Aha: "bhante nAgasena kiM lakkhaNo samAdhI?"ti. ti. [PTS 39頁]
王問那先言何等爲一其心者。[大正32巻、708b頁]
王が言った「尊者ナーガセーナ、 三昧の相とはなんですか?」と。

samAdhI を「一其心」と訳していることから、三昧を「心一境性」
つまり「心が一点に集中すること」と漢訳者も捉えていたことが分かります。
以下も同じ、
『法蘊足論』[大正26巻、472c頁]
  三摩地者。謂勤増上所起。心住等住。近住安住。
  不散不亂。攝止等持。心一境性。是名三摩地。
『大乗廣五蘊論』 安慧菩薩造[大正31巻、851c頁]
  云何三摩地。謂於所觀事。心一境性。
910名無しさん@3周年:04/09/02 20:49 ID:qX2Rudmm
『五蘊論』 月称菩薩造
ting nge 'dzin ni sems rtse gcig pa ste / rtse ni dmigs pa'o / /
『菩提道論』ジェ・ツォンカパ
ting nge 'dzin ni sems dmigs pa la rtse gcig tu gnas pa'i cha yin la
de yang dmigs pa la rgyun ldan du sdod pa zhig dgos so / /
三昧とは、心の感覚(所縁)を一点に集中させて置く側面であり、
それも感覚に連続していることが必要である。(御牧訳『大乗仏典』73頁参照)

以上、三昧がパーリ、アビダルマ、大乗と通じて「心一境性」を意味することで
一貫していることを大まかに見てきたのですが、なによりジェ・ツォンカパの
発言に注目して頂きたいのです。というのもこのダライラマ猊下のハーヴァード講義は、
目次を見れば分かるように『菩提道論』の略説のようなものですから、
ジェ・ツォンカパの説と外れることは考えにくいわけです。
上のジェ・ツォンカパの説と下の訳者の三昧の定義を見比べてください。

>三昧とは深い瞑想状態を指し、その時心は完全に一点に集中し瞑想の対象に没入する。

「瞑想の対象」というのは「感覚(所縁)」のことですから、まったく同じことに
なり、まったく問題ないどころか、より正確なのではないでしょうか?
911名無しさん@3周年:04/09/02 20:50 ID:qX2Rudmm
5.の<『阿毘達磨倶舎論』では、三昧とは分析力(般若)に至るまでの「五つの対象識
別の心の働き」の一つに数えられている>というのは、以下の五別境のことです。

『品類足論』[大正26巻、693a頁]
  欲云何。謂樂作性。勝解云何。謂心正勝解已勝解當勝解性。
  念云何。謂心明記性。定云何。謂心一境性。慧云何。謂心擇法性。

『倶舎論』[大正29巻、19a頁]
  欲謂希求所作事業。慧謂於法能有簡擇。念謂於縁明記不忘。
  作意謂能令心警覺。勝解謂能於境印可。三摩地謂心一境性。
  blo gros ni shes rab ste / chos rab tu rnam par 'byed pa'o / /
  
第五が「慧・簡擇」でなく「分析力(般若)」になっているのは上に引用した蔵訳のように、
別名、あるいは属性を取った方が分かりやすいと考えたからでしょう。
別に問題ないでしょう。
912名無しさん@3周年:04/09/02 20:50 ID:qX2Rudmm
では、まったく問題ないか、といえばそうでもないと思います。なぜか?
それは上の三昧の解説が『仏教哲学講義』にでてくるからです。(和訳71頁、蔵訳83頁)
つまり以上の説明なら71頁を指示すればいいのです。(索引の三昧項には71頁がない)
さらには『仏教哲学講義』で、

'di'i ting nge 'dzin de nam rgyun ting nge 'dzin sgom dgos zhes pa'i
ting nge 'dzin chen po rnam la go ba min / (和訳71頁、蔵訳83頁、録音なし)
この三昧を通常「三昧を修習しなければならない」といわれる
諸大三昧と考えてはいけない。

と明言されているように65、79頁の「三昧」は五別境の三昧と違うので、
それが説明されなければならなかったのですが、されていないことが問題です。
たぶん、896さんの違和感もそこにあったと思います。
しかも、もしかするとこれダライラマ猊下のジェ・リンポチェ否定かもしれません?

つまり、3.の部分でこの諸大三昧の解説があれば、適切な解説だったと考えます。
ですから、私は完全ではないが、勧めるに価するものだと考えます。
それと早めにこの蔵訳および録音を用いて改訂して欲しいです。
913名無しさん@3周年:04/09/02 20:51 ID:qX2Rudmm
>>897
どうも。実践もしてみてください。日常生活で出来ることがたくさんありますから。

やっぱり定番の水野弘元先生の『仏教要語の基礎知識』を勧めておけばよかったかも?
914名無しさん@3周年:04/09/03 13:02 ID:mlOV81Tl
915名無しさん@3周年:04/09/03 23:56 ID:RrWC65ZQ
>>901
なるほど。でもボクは御釈迦様が好きなんだ。確かに言えるのはそれだけさ。
そもそも御釈迦様は説いた事に大小の区別など立てなかっただろう。
だから「これこそ御釈迦様の本当の教えだ」とか言うのは止めてほしいな。

別に、仏陀が複数いても何ら問題はない。
だから、それぞれ独特に「仏陀の教えである」と説けばいい。
維摩や文殊も菩薩としてでなく、仏陀として登場させればいいと思うのだが。
でも、御釈迦様は御釈迦様。文殊は文殊。それでいいんじゃないでしょうか。
916名無しさん@3周年:04/09/04 03:42 ID:lvHyAVVZ
渡海難さんが最近出没してるスレ教えてください。
だいぶ宗教板から離れてましたので判らないのです。
917名無しさん@3周年:04/09/04 17:10 ID:xHNWWzWM
>>906 -912
辞書の引き方が違うような。
まずsam-A-dhAがあり、語義的には「集めて」「ある状態にすること/しておくこと」です
よね。そこで to place or put or hold or fix together などの意味を押さえる。
そこから派生して例えば件のsamAdhiという男性名詞変化を取る実詞は、putting togetherやconcentration of the thoughtなどの意味が出てくる。何れにせよ例えば

>>907
>samAdhi は文字通り(語源的)には「合体」「組み合わせ」を意味する
 ……
>なにか「結びつける」という意味は yoga であって、まったく samAdhi には
>ないと仰りたいようですが、それは語源的には無理でしょう。
としてしまいますが、Monierでも梵和でも当該の語義は具格支配の場合と断っており、それ
ではそうでない場合やもちろん関節の意味などもありますが、completion,setting to right,
intense contemplation of any particular objectなどが上げられています。
一方apteは、1.Collecting, composing, concentrating(as maind)からはじまり、
2.Profound or abstract meditation 3.intentness, concentration……となります。
jointなどの意味は後になります。またsam-A-dhAはやはり1番目にto place or put togetherと
おき、join, unitと続いてあります。

apteは主に文学作品から多義的な用例を引き例文を付加するため、用法を確認できる点に特色が
あり、また二次的に派生する哲学的用法と峻別できるので語義の確認によく用いられます。
当該の「結合」の意味もこの項目にあるので用例を見ますと、最初のものはrAmayAnaの第7編と
なっておりこの部分は後世の付加部分なのでおいておいて、つぎのmahAbhArataでは「素材(材料)を三界のあちこちから集めた(組み合わせた)」ほどのニュアンスでしょう。決してyogaと同一
傾向の「合体」「合一」のニュアンスではないことが分かります。これは語根のdhAのニュアンス
を考慮していないためにおきている捉え方の相違だと思います。
918名無しさん@3周年:04/09/04 17:11 ID:xHNWWzWM
>『アプテ』は重要な意味、一般的意味からマイナーな意味にという
>順番で語釈 <906
といいますが、そういう話はどこに書かれているのでしょうか? 一般的な意味からというのは
理解できなくもありませんが、それは必ずしも重要であるとは限りません。強いて言えばわれわ
れ利用者が利用するにあたって利用性の高い重要#性#があると認められた順に配列されていると
言えます。(前言を見るとfirst the radical or primitive word……となっており、同例の場
合はアルファベット順となっている、と断っているだけのように思いますが。またあなたの書き
方を見ると、最初の方に出た意味が重要であり、後に出た意味は重要ではない、といおうとして
いるようですから、この点明確にしておきます)
>ヴィヤーカラナによる根本義を始めに置いたと考えます <907
とおっしゃいますが、ヴィヤーカラナの説明がどこに書いてあるというのでしょうか?
これらの辞書は動詞語根を見出しに上げて、語源を類推できるようにしながら、それぞれの文章
のコンテクストから判断できる単語の意味を上げているに過ぎません。そしてその中で文学的用
法なのか哲学的用法なのか出典を確認にしながら意味を確定していくのは利用者の仕事です。そ
のために出典が明記されているのはではないでしょうか。各項目は決して語源解釈がなされてい
る訳ではありません。
そしてあなたは「『アプテ』は重要な意味、一般的意味からマイナーな意味にという順番で語釈」
とおっしゃりながら、apteの1番目の語義も省略して引いてconcentrating(as maind)の
concentratingを抜かし、2番目のProfound or abstract meditationにも移らないで、いきなり5
番目に話を移し「違和感があるかもしれません」と一方的な感想を述べて、話を具格支配を一番
に記載しているMonier・梵和に移してしまいます。
はたしてMonierは重要性の高いものから記述されているのでしょうか?
919名無しさん@3周年:04/09/04 17:12 ID:xHNWWzWM
件の単語はsam-A-dhAという語形から、単数・複数の何かしらを集めてある状態にしておくことで
あり、それ故に、散乱している思考や対象を収斂してその状態に留めることから「精神の集中」
「瞑想」concentration・meditationの意味が生まれてきます。また「心一境性」の解釈も、対象
が1選択されて心を留めるの意味でしょう。Visuddhimaggaでは
kenaTThena samAdhIti samAdhAnaTThena samAdhi.kimidaM samAdhAnaM nAma. ekArammaNe
cittacetasikAnaM samaM sammA ca AdhAnaM, Thapananti vuttaM hoti.(ビルマ第六結集版)
といいます。ここではdhAの意味を押さえてAdhAnaM「保持すること」Thapananti「置く」が直接著
されています。一説にsama-A-dhAを取る学者もいますが、こちらに一致します。ニルクタ流という
と悪い意味に取られがちですが、こうした語源解釈も参考にはなるでしょう。

>>三昧とは深い瞑想状態を指し、その時心は完全に一点に集中し瞑想の対象に
>没入する。
>「瞑想の対象」というのは「感覚(所縁)」のことですから、まったく同じことに
>なり、まったく問題ないどころか、より正確なのではないでしょうか?<910
所縁Alambana/ArammaNaは確かに「認識の対象」ではありますが、「感覚」というのは当てはまら
ないでしょう。どちらかといえば言語的分別概念であるはずです。そして仏教の認識論からすれ
ば、仮構されたAkAraであるはずなので「没入する」のはまずいでしょう。samAdhiの語源からも
上記の解釈不正確としか言いようがありません。
920名無しさん@3周年:04/09/04 17:12 ID:xHNWWzWM
>『阿毘達磨倶舎論』では、三昧とは分析力(般若)に至るまでの「五つの対象識別>の心の働き」の一つに数えられている。<905
>……というのは、以下の五別境のことです。<911
せっかく出典を上げてくださいましたが、これも理解がはずれています。私は正直な話「#分析
力(般若)に至るまでの#「五つの対象識別の心の働き」」というので見当が付きませんでした。
が、あなたのご指摘のとおりなら、まず五別境は唯識派で初めて現れます。『倶舎論』では現れ
ません。世親唯識派転向以前の『倶舎論』では有部の経説に依存して「十大地法」としています。
唯識派で言うところの「遍行」です。ご指摘の引用個所も「大地法」の説明個所です。遍行は
修行のステージに拘わらず、心が働くとき必ずそれにともなう心所として働く法です。つまり
「分析力(般若)に至るまでの」と限定しますが、まったく菩提の資糧とは関係がありません。
凡夫の世俗的な意識生活でも、常に付き従っているものです。ただ阿毘達磨では特にこの五つを
さして「五大地」とする論書などもありますが、大地法であることには変わりがありません。
唯識派ではこの五大地法を有部の大地法にカテゴライズするのに疑問を生じて五別境をたてたの
でしょう。ここらへんをとっても例の三昧の説明同様、辞書などを引いて理解ししないままに
「『阿毘達磨倶舎論』では〜」と取って付けた姿勢が目に浮かびます。

dhyAna,yoga,samAdhi,samApattiなど、歴史的事情を踏まえてそれぞれの用語が選択され使い分
けられてきたものだと思います。それを根拠も薄弱で混同することは避けたいと思っております。
実際明確な線引きはしにくいものでもありますが。。。
samApattiにはyogaとほぼ同様な結合・合一の用法が後代現れます。これが密教に依用されていく
ことになりますが、ここではやめておきます。
また、例の注では「心一境性」など『仏教哲学講義』という書物でもあるため、仏教
教団がどういう意味で解釈してきたかは一言加えておくべきだったでしょう(「心一境性」が語
源とはさらさら思ってはいません。念のため)。
921名無しさん@3周年:04/09/04 17:22 ID:xHNWWzWM
随分尻尾がはえてしまった。すみません
922名無しさん@3周年:04/09/04 21:00 ID:iuBewnFf
坐禅と見性第6章あめつちは書かざる経をくり返しつ
http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/pc2nanmin/1094025701/
923名無しさん@3周年:04/09/05 00:36 ID:IgFJQlEx
>>917 ご丁寧にありがとうございます。大変勉強になります。
[sam-A-dhA-ki] は、私のヴィヤーカラナです。もちろん[sam-A-dhA] を第一に考えてますよ。
私的には「共に置く」というのが語源だと思いますが「合体」「組み合わせ」でもそんなに、
変だとは思いませんし、あなたも

>>「素材(材料)を三界のあちこちから集めた(組み合わせた)」ほどのニュアンスでしょう。

と仰ってるじゃないですか。しかしながら、

>>語義的には「集めて」「ある状態にすること/しておくこと」

は明解で、三昧の語源としてぴったりです。私もこの語源が説かれることが望ましいと思います。

>>918
>『アプテ』は重要な意味、一般的意味からマイナーな意味にという
>順番で語釈 <906
これは前書き 15頁に書いてあります。以下
   6. The meanings of words are arranged in the order
   of their importance and frequency ues.
924名無しさん@3周年:04/09/05 00:38 ID:IgFJQlEx
>>919   Visuddhimagga まさにその直前で、kusala-cittekaggatA samAdhi.
(善い心一境性が三昧である)と言ってますよね。だから基本的に変わらないと思います。

「感覚」は私の試訳なので、忘れて下さい。決して感官の対象という意味ではないのですが。

>>920 確かに仰る通りダライラマ猊下(蔵訳)も kun btus nas とありますから、
<『アビダルマ集論』に>と訂正すべきですね。

私としてはあの部分の適切な註は、日常的心一境性以外の三昧の意味を
述べたものだと思います。しかも、短いものがいい。

どうもありがとうございました。ところで、よろしければお勧めの入門書を教えて下さい。
925名無しさん@3周年:04/09/05 02:39 ID:1Pm7dBPJ
学者さんが積む専門教育の威力って凄い。
919、920は読んでて冷汗が出てきた。

やっぱり勉強しなくちゃだめですね。
926名無しさん@3周年:04/09/06 14:19 ID:F220c6Lf
>>923
>これは前書き 15頁に書いてあります。以下
分かりました。気がつかず済みません

>>924
>どうもありがとうございました。ところで、よろしければお勧めの入門書を
>教えて下さい。
仏教の認識論について分かる本、ということでチベット系のものまで分かるもの
ということで『仏教哲学講義』を923さんはお薦めされたのでしたよね。
おっしゃるように、私が知る範囲でも入手しやすいものではこうしたものしかな
いというのが実情のようです。専門書では戸崎宏正さんなど、いくらでかあるの
ですが。。。
入手できるかどうかは分かりませんし、内容も古くなってしまっていますが、講
座『仏教思想』第二巻「認識論・論理学」(理想社)は内容がよくまとまってい
ました。また『講座・大乗仏教』9「認識論と論理学」(春秋社)がありますが、
内容は新しいのですが、個別的になりすぎており、過ちも結構指摘されています。

それと梶山雄一さんの「論理のことば」(中公文庫、なければ「世界の名著」の
『大乗仏典』にも同じものが収録されている)。モークシャーカラグプタのタルカ
バーシュヤの全編和訳で、内容も分かりやすいので一番のお薦めかも知れません。
927名無しさん@3周年:04/09/06 14:19 ID:F220c6Lf
ダライラマついでで。
ダライラマのお兄さんと懇意な知人のお坊さんが、お兄さんに頼まれて日本語書籍
を出版したいとのことで協力したそうです。出来上がって小生もいただいたのが
『大乗仏教入門』(蒼洋社)。一応ダライラマが書いたということになっていて、
内容も最近のその手の出版物と異なり、簡素で手堅い、まるでそれまでの日本仏教
での出版物を見るかのような内容(W。 当時はそれなので、「何これ?これ
だったら日本のものでもっといいものがあるじゃない」と思っていたのですが、今
見るとチベット仏教の理解の仕方が読みとれて、良書だったんだと認識を改めてい
ます。(同時に最近のは編者が原型を大分こねくりまわしているのだろうとも想像
しています)
注は、基本的にはリンポチェさんたちで、時には本文を訂正するかのような発言も
あり勇み足が過ぎます。が、訳者は菅沼晃さんで、訳者が入れたであろう注もあり、
こちらは行きすぎず、手堅く信頼がおけます。その後のダライラマ本は、なぜこう
いう感じで出ないのかと不思議でなりません。
928名無しさん@3周年:04/09/07 08:59 ID:LG7OHglt
タルカバーシュヤではなくて『タルカバーシャー』でした。スマソです。
929929:04/09/07 18:28 ID:F2BJI8N6
友人から「万分の一」は仏教由来の言葉らしいが本当か、と聞かれました。
1.本当でしょうか?
2.この件について調べたいのですが、いいサイトがあれば教えてください。
930名無しさん@3周年:04/09/09 06:27 ID:dxTNpn7Q
>>926
ご丁寧にありがとうございます。
フランシスコ・ヴァレラ本を読むための仏教入門書は何がいいか、という意味でした。
つまり分かりやすくて用語索引がついているもの。すると、やっぱり水野先生とかですか?
いっそ、仏教学辞典の方がよかったでしょうか?

梶山先生の本は名著が多いですね。
「認識論と論理学」は赤松先生の論文がすごく明解だった記憶があります。

『大乗仏教入門』は今『智慧の眼』となって春秋社から出てますよね。
こちらは持ってないんですよ。チベット語がないから。


>>929 聞いたことないです。
931名無しさん@3周年:04/09/09 18:42 ID:FeGDj6Tm
この見識どう思いますか。
この人ずっとこの調子なんですけど

水子供養はどこですればいいですか?
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1030993229/401-500



420 名前: 名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日: 04/09/09 17:32
>>415仏様も神様も霊体ですから

仏が霊体、、、、、、、、、、、、?


421 名前: 水子奉行 ◆CSZ6G0yP9Q 投稿日: 04/09/09 18:24

>>420
あなたは、仏様がなんであるか考えた事がありますか。
私の言う事を今の科学では、あなたが分るように証明できませんが、次のように考えています。
霊界の中で、ひときわ力の持っている霊体を神と普通呼んでいます。
その中で、その力を悪い事に使う霊体を悪魔と呼びます。
良い事をする霊体の集団があり、その中でも最も大きい集団を形成しているグループを。
仏族(ほとけぞく)といい、個々の仏様に対して代名詞で言う場合、仏様という言い方をします。
固有名詞は、大日如来とか虚空蔵菩薩とか不動明王などの呼び方をします。
もし、もっとすっきりした解説があれば、ご紹介ください。
932名無しさん@3周年:04/09/09 18:45 ID:5jMMXAD2
初めまして。神奈川近辺でリーズナブルなお値段でお加持をしてもらえるお寺を
教えて下さい。
以前は大阪に住んでいて、大阪の真言宗のお寺でお加持をしてもらっていたので
すが、住職さんが亡くなられたため、お加持をしていただける方がおらず困って
います。仁和寺というお寺にも問い合わせたのですが、お加持はしていないとの
ことでした。
よろしくお願いします。

933名無しさん@3周年:04/09/09 22:13 ID:quWF+hU4
仏教はすべて悪霊の宗教であり、

451 名前: ◆IbYG6dQTTc [sage] 投稿日:04/09/04 20:45 ID:YNZNttmC
>>448
私は、使徒信条、ニケイヤ、カルケドンの正統教理を認めている。
ttp://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1094222213/85

創価学会など仏教はすべて悪霊の宗教であり、
あなたはその偽証の罪によって裁かれることになる。
あなた自身が故意に犯した罪と悪霊宗教創価学会,池田大作と共に、
地獄へ行きなさい。

|†| キリスト教@質問箱121 |†|
ttp://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1093103383/451
934名無しさん@3周年:04/09/09 22:19 ID:quWF+hU4
いっそ、日本に共産主義政権か軍事独裁政権でも出来て、
異教の偶像とかを全部破壊してくれれば、 伝道がしやすくなるんでないか。

314 名前: ◆IbYG6dQTTc [sage] 投稿日:04/09/03 22:46 ID:goaNMrOF
>>302
それなら、ビジネスになるかも知れない。
日本人は迷信深いから自分で棄てられなかったりする。
しかし、クリスチャンはそのようなおろかな迷信から
解放されている。

>>297
いっそ、日本に共産主義政権か軍事独裁政権でも出来て、
異教の偶像とかを全部破壊してくれれば、
伝道がしやすくなるんでないか。
α〓〓〓マリヤ崇敬にモノ申す〓〓〓ω
ttp://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1093605815/314
935名無しさん@3周年:04/09/10 08:14 ID:mjoNU0eO
宗教の内容の質問ではなく、用語?的な質問です。
「宗教学的分析」とは具体的に言うと
どのような分析なんでしょうか?
936名無しさん@3周年:04/09/10 09:07 ID:bg9VFDle
>>935
933-934のようなカキコをする人の神経を、精神医学的に、と同時に宗教を視野に入れた
社会学的な解明をほどこすようなことを言うんじゃないでしょうか。
937名無しさん@3周年:04/09/10 10:32 ID:oT9AjYT8
>>935
宗教学固有の方法論ってないだろう?
ただ宗教に関する問題を扱ってるっていうだけで、
だいたいは文化人類学や社会学で用いられているところの
方法論(フィールドワークと比較研究)を使っている。
だから純粋な意味での「宗教学」という学問はない。
したがって、「宗教学的分析」という言葉は
正確にいえば正しくない。どういうニュアンスで使われたのか
わからないが、おそらくは「学術的見地からの分析」という
くらいの意味で用いられたのじゃないのかな。
938名無しさん@3周年:04/09/10 10:50 ID:kDdA233N
ほんとに単純で素朴な疑問ですが。
お坊さんってなぜお寺で修行するんでしょうか?。
出家までする覚悟があるんならお寺じゃなくても
良いんじゃないかって気がするんですが。
今の時代お寺じゃなくても経典も自由に手に入るし。
なんかひねくれた書き方で申し訳無いですが。
939名無しさん@3周年:04/09/10 17:47:11 ID:Nku7f8x2
>938

自分は禅宗で言われてることしか知りませんが、禅では「師承」を重んずるからですね。

仏法は、水を器から器に移し変えるようにしてうけつがせるものである。
そうあってこそ、仏法の真髄が後世に正しく伝わっていくはずである。
弟子が得た法は、祖師の方々と寸分の違いがあってはならない。
それを点検するために師が弟子の境涯を試し、間違いないと決定したときに印可を与える。
たとえ師承の外で自分で法を自得したとしても、その正邪を見極めるために必ず法を受け継いだ
師匠による点検を受けてはじめて正しく仏法を伝えるものとする。
「無師独覚は天然の外道」とも言われます。

こんなところでしょうか。他の宗派は知りませんが、大方こんなところじゃないですかね。
940名無しさん@3周年:04/09/10 18:06:27 ID:NzPICgqk
>>938
戒律で決まっているからです。
安居制といい、一年のうち定められた期間は寺院に定住し、本来は外出を
禁止されています。
941名無しさん@3周年:04/09/10 19:03:59 ID:D6IGJs51
だからなぜその戒律が、って質問じゃないかな
942名無しさん@3周年:04/09/10 19:37:52 ID:Q2f6uU5D
戒律で決まっているだなんて、質問者は知らなかったと思うよ
943名無しさん@3周年:04/09/10 21:15:57 ID:A4OCWNIC
「なぜ盗みは悪なのか?=法律で決まってるから」みたいな
944名無しさん@3周年:04/09/10 21:20:49 ID:tum38XPm
>>931
新宿駅の地下道あたりでうっかり目を合わせると
「あうーーーっ!」とか「うがうがーーっ!」とか言いながら近づいてくる人がいます。
不注意で目を合わせてしまうのは大変危険です。
945名無しさん@3周年:04/09/10 21:39:51 ID:Nd3hMbIS
質問というか相談です。私は仏教というか宗教に全く詳しくない、全然興味のない(といったらこれからする相談に矛盾が生じるかな?)人間です。
一ヵ月前に失恋してから、どうしても復縁したかった中、
ある日たまたま密教真言の本を見つけ、愛染明王様のことを知りました。
そして毎日愛染明王様の真言を唱えたりしてたんですが、
実物があった方が念がこもりやすいと思ったので、
先日ネットでとても小さな愛染明王様像を買いました。
それを飾って真言を唱えてたんですが、母(仏教らしい)がそれを見付け、
「何これは!?こんなの飾ってたら霊がつく!
霊がついたらあんたの将来は占い師しかないよ!」とか非常に憤慨しだしました。
私は恋愛の神様を飾ってるのを知られるのが恥ずかしかったため、
「別にいいじゃん。」とかゆってたら
今日母はそれを知り合いの寺に持っていきみてもらったそうです。
そこで和尚サンみたいな人が
「そういうのはやたらむやみに飾るもんじゃない。気になるならうちで処分してもいい」
みたいにいってたらしく、私にしつこく抗議してきます。
私は約一週間(これからもするつもりだけど)拝んできた私の念のこもったであろう像を捨てたくないです。
みなさんはどう思いますか?
946名無しさん@3周年:04/09/10 21:57:41 ID:SKJyNrrT
お釈迦様の場合は、唯一例外的に「無師独覚の外道」とは言わないんでしょ。
その無師独覚であらせられるお釈迦様の悟りの精髄と精神とを、何らの経典に
も依らずに直接的に相伝すると主張する立場なのが、禅宗ということらしい。
947名無しさん@3周年:04/09/10 22:36:51 ID:8Pi5A29g
>946
>その無師独覚であらせられるお釈迦様の悟りの精髄と精神とを、
>何らの経典に も依らずに直接的に相伝すると主張する立場なのが、禅宗ということらしい。

その通りです。
釈尊が無師独覚なのはそりゃ仕方ないでしょう、今世の中で広められている仏教の開祖が
釈尊なのだから。
で、仏教ではその釈尊の得た悟りを求めるわけですから、無師独覚が戒められるのは
矛盾してるとはいえないでしょう。

ただ、何の経典に依らない…というのは、お経を読まない、お経に反するというわけではなく
経典の中の内容そのものを直に伝えるということを指します。
日本臨済宗中興の祖といわれる白隠も、42歳の大悟はキリギリスの鳴く中法華経を読んでの
ことでしたし、経典を無視したりそれに反する内容を説いているわけではありません。
948 ◆2CMtjCEakk :04/09/10 23:17:13 ID:TEFR7iDd
>>945
まじめな話、執着はよくない。

念のこもった像は、仏教の教えから遠く離れたところにある。

捨てなされ。
949名無しさん@3周年:04/09/10 23:44:16 ID:MrZcluhx
>945さん
ちょっと前置きが長くなりますが、宜しいでしょうか?

愛染明王は恋愛成就の明王だと言われていますが、それが何に対する恋愛か?ということは
大問題だと感じます。

密教も仏教の一つであるところ、その目的は釈尊の成就した悟りを得ることにあります。
四十二章経の16章や22章で愛欲を抱いていては成道はできないと説くところ、愛染明王が
いわゆる人と人との恋愛を成就させるものだとは思いません。

自分はこの愛染明王は「自分の恋愛という小さな欲望を、一切衆生への慈しみという大きな欲望に
変える」ことを意味するものと理解します。
すなわち、愛染明王を観じ真言を一心不乱に唱えることによって、やがて心が真言に集中しきって欲望を離れ
澄みわたり、その結果己も己の欲もなくなり真の大きい我を発見し、大きい慈悲を抱く境地に進むのが
愛染明王の意味だと思います。
つまり、愛染明王の愛は「仏法への愛」を司るとでもいいましょうか。決して凡夫の煩悩そのままを肯定している
わけでは無いと思われます。
自分は愛染明王をこのように考えています。

950名無しさん@3周年:04/09/10 23:44:30 ID:K8fKaEUs
坐禅と見性第7章☆無心にして花、蝶を招く
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1094822033/
951名無しさん@3周年:04/09/10 23:46:16 ID:MrZcluhx
続き。

…で、愛染明王の像云々ですが。
別に捨てたくなきゃ捨てなくても良いんじゃないですか?
前レスで述べた通り、自分は愛染明王は恋愛キューピットではないと思います。
ゆえに、愛染明王祭ったり、真言唱えて相手のハートが射止められるかと言われれば絶対そんな
ことはないでしょう。
愛染明王かざろうがかざるまいが、鰯の頭飾って祈るのと大差なし。
そういう像をかざって何か悪いことでも起きるのではとお母さんは心配されてますが、
自分の立場では、像以前に愛欲に支配され、そこから生まれる怨みや妬みなどの心によって様々な悪いモノを
招くと思います。像を捨てたところで心を改めなければあまり意味はない。

んで、仮にヨリを戻せても、それは単なる偶然の産物に過ぎない。
千歩万歩譲って何らかの霊験があって思いが通じたとしても、それは真の愛染明王の功徳ではなく
愛染明王の皮を被って人を愛憎地獄に招きいれる狐狸や悪魔の類の甘い誘惑だと思います。

…というのが自分の意見です。
952名無しさん@3周年:04/09/10 23:47:46 ID:MrZcluhx
おまけ。
こういうことを書くと、多分理趣経を引き出してくる方がいると思うのでフォロー。

よくネットのサイトでは理趣経の文「門所謂妙適C淨句是菩薩位慾箭C淨句是菩薩位」を
愛欲肯定みたいに取っているところがありますが、これは直訳すれば
 「妙なる快楽は本来清らかであるという句は菩薩の立場である。
  欲望の矢が本来清らかであるという句は菩薩の立場である。 」
という意味です。別に欲望を肯定し積極的に勧めている文句ではない。
「本来」清浄であって、今ある姿が清浄とは限らない。
白隠禅師は法華経の大意を汲んで「衆生本来仏なり」と説かれましたが、何もしなくても
そのままこの身が仏かといえばそうではない。
愛欲を離れた仏の目から見れば妙なる快楽も本来清らかではあるけれども、
愛欲にまみれた我々が妙なる快楽を見るとき、それは単なる顛倒妄想しか生まない。
理趣経は決して凡夫の愛欲をそのまま肯定しているのではないと思います。
953通りすがりですが:04/09/11 00:33:17 ID:tpowZAy2
人間誰しも、「恋愛感情」をもつ生き物だ。

その恋愛感情を、自分個人の現象とだけ捉えるのではなく、「誰しも」もつものだと認識する事によって、
初めて深い人類全体への慈しみに昇華する事ができる。

「個人」から「全体へ」という、まなざしの転換によって、
「我欲としての恋愛」が、「深い人間への理解」につながり、ひいては、人類に対する慈悲心に拡大する。


ちょっと端的かもしれないが、こんなところでしょうか?

954名無しさん@3周年:04/09/11 00:43:47 ID:ogUTT5Nl
>953

…ですかねぇ。
ただ、一番大事だと思うのは「わが身なきわが身、己なき己」の”真の”自覚です。
個人から全体への転換の真ん中にこれがなければダメだと思う。
禅で大悟といい、真言で阿字不生といい、念仏で己身の弥陀という。これが無ければ
ただ執着の範囲を広げたにすぎない。

また、慈悲とは何か?ということがこれまたどえらく難しい。
ある山の寺に鹿がやってきたので、ある僧がエサをやろうとしたところ和尚が割り入って
棒で叩きのめして追い払った。
僧がそれを非難すると和尚はこう言った。
「鹿にエサをやれば人になついて怖れなくなる。そうしたらいずれは猟師に撃ち殺されてしまう。」
人を殴ることが慈悲になることもあれば、人にやさしくしてやることが無慈悲になることもある。
本当に難しいですわ。
955名無しさん@3周年:04/09/11 02:23:15 ID:o6+bXWuz
体罰を禁忌としたアメリカの属国はいったいどこへ行くのやら。だね。
956名無しさん@3周年:04/09/11 03:13:39 ID:TdlQy9WJ
>また、慈悲とは何か?ということがこれまたどえらく難しい。

慈悲に喜捨を加えて慈悲喜捨の偉大なる量り知れない心、すなわち、
「四無量心」になります。量り知れない菩提心ですから、量り知れない
ものに対して、改まって何か?≠ニ難しく思案・思索に陥穽するより
は、臨機応変、活溌溌地にその都度、最善と思われる対処をしていけば
宜しいかと。


957名無しさん@3周年:04/09/11 06:40:40 ID:oBLMTv++
945です。
みなさんアドバイスありがとうございます。
捨てても捨てなくても、自分の心を改めなきゃいけないということですね。
私は彼と付き合ってる間は、後向きでネガティブで、文句ばかりですぐ欝ったりしてたんだけど
別れてから恋愛本とか風水とかの本読みまくって2〜3日したら
なぜか凄く前向きになって、
ちょっと気にさわるような人(以前なら氏ねよとか思ったであろう)を見ても
『まぁまぁ』みたいに心が穏やかになって。そんなとき密教真言の本を見つけたんです。
だから私は、愛染明王様に執着してるかといったら、
そんな必死に執着してるわけではないと思うんです。(自覚できてないだけかもしれないけど)
こんな精神の念がこもった像でも、仏教の教えに反しているんでしょうかね?
あと私が余計愛染明王様を拝もうと思った理由は、
ネットでいろんなサイトに「恋愛のキューピッド」って書いてあったし、
2CHの某板のスレでは愛染明王様にお願いし続けたら復縁が叶ったということで
盛り上がっていたからです。偶然なのかなぁ
958金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 08:46:28 ID:9/7L4sjC
>>957
はじめまして。
私は禅宗系です。

>こんな精神の念がこもった像でも、仏教の教えに反しているんでしょうかね?

仏教の源流を辿れば、ヒンドゥー教と根っこのとこがぶつかります。
ヒンドゥー教では釈尊までも崇拝の対象にしています。

>『まぁまぁ』みたいに心が穏やかになって。そんなとき密教真言の本を見つけたんです。

これが貴方にとっての仏縁ですね。
禅においてはこれを「一期一会」と申します。
ようはご縁を大切に。

問題は貴女の、拝むか?拝まざるべきか?と、迷う心にあり。
拝んでよし。拝まざるもまたよし。
己の心を道しるべとすべし。これを直指人心といふなり。

           <こんぎょく・ぎんのすけ>
959949:04/09/11 11:51:19 ID:ogUTT5Nl
>957
一つ大事なことは、どこまで道を追求するか?ということです。

例えば尼となり仏門に入るのなら、愛欲は正に執着の根本、断ち切らねばならない仏法の大事です。
しかし、普通の一般人として生活するのでよいのなら、そこまで厳格になる必要はないでしょう。
一休和尚は裸で行水する女の人を見て

 「女をば 法の蔵ぞというぞ実に 釈迦も達磨もひょいひょいと生む」
 (女の人は仏法を秘めた蔵である。お釈迦様も達磨大師も女陰から生まれなさった)

と詠い、白隠禅師は「結婚は男女の大義である」と在俗の女のお弟子さんに語っています。
儒教では財産の話になってしまいますが

 「君子財を愛す、これを取るに道あり」
 (聖人君子といっても財産は愛しいものである。但し、道にかなったやり方で得た財産を愛する)

と説いてます。恋愛もこれに然り。不倫とか強引に結縁を求めるのならともかく、普通につきあうなら
別に仏教や道に反することではないと思います。
960949:04/09/11 11:52:31 ID:ogUTT5Nl
続き。
ただ、あなたの書き込みを見るところ、やはり愛欲の度が過ぎて道に外れかかっていると感じます。
今までつきあっていた彼に復縁を希望する、それ自体は別に人として当たり前のことでしょう。
しかし、仏像を買って祈ったり、祈った仏像を捨てたくないと思ったりする時点でちょっと普通じゃないな、ト。
足元をすくうようですが、こういうことをする時点で自らの欲望に自ら囚われ、
確実に道を外す方向に向かっていると感じます。

真に復縁を願うなら、分かれる原因となったことを考え、その原因を解消すべく「現実に」行動を起こすべきです。
ケンカしたなら謝るとか。
で、一応しつこくない程度に努力をしてみて、ダメならスッパリあきらめて新しい恋人を探した方が建設的でしょう。
なかなかあきらめられないかもしれませんが、そういう時は恋愛のことを考えず、他の何か(スポーツ、勉強)で、
高い目標を設定して、心身を打失するまで打ち込んでみることです。
自分も男女間の関係で相当悩みましたが、失恋をふっきるためにはこれが最上の薬であることを実感しました。
961949:04/09/11 11:54:26 ID:ogUTT5Nl
最後にいろいろと老婆心から。
インターネットで書いてあったり、他の人が何か言っていたとして、それが正しいこととは限らないということは肝に銘ずるべきです。
自分も仏教に興味があっていろいろなサイトを見ましたが、ウソ八百を書いたサイトが本当にゴマンとありました。
特に霊験やら加持祈祷の類は信じない方がよろしい。呪文やらなにやらで欲がかなうなら、人は努力をしなくなる。
これは明らかに正しい努力(正精進)をせよと説く仏法に反することです。
自分の欲に都合の良いことはとかく信じやすいですが、まさにそれが地獄への入り口です。ゆえに仏教では欲を捨てよと説くのです。

最後に、禅の有名な問答を一つ挙げておきます。失恋の悩みがどうしても取れないときに心に処方してみてください。

 『手と手を打ち合わせれば、パチンと音が鳴るのは当たり前である。
  では、片手ではどんな音が鳴るのか』

隻手音声(片手の音)と呼ばれる問答です。この片手の音は耳で聞く音ではないといわれますが、霊とか超能力とか、
そういった神秘主義のものでもありません。
あなたの抱えている失恋の問題とこの問答、よくよく時間をかけて照らし合わせ、じっくりと練って吟味してみてください。
やがては全ての雑念が消え去り、我が身も我もない、生きながら死人と成り果てたような境地になり、
そこから復活して蘇ったとき痛快に悟り、今まで苦しんできたことがまったく見当違いだったとわかり笑うことができるでしょう。
但しくれぐれも「世の中何も無い、空無だ」などという虚無主義に陥りませんよう。
962名無しさん@3周年:04/09/11 13:14:18 ID:oBLMTv++
金玉さんも959さんもありがとう。
>959
像買ったりするのはやっぱおかしいですかね。
959さんのいう通り、確かに拝んだりするより自分の欠点を自覚した方がいいのはわかります。
詳しく言うと失恋してからネガティブになっていた2〜3日の間は
自分の欠点と見つめ合ってて、とても反省してたんですよ。
でもそのうち、『欠点が自覚できたんだからなおせばいいじゃん。
いつか直せたら、その時まだ彼を好きだったら改めて気持ちを伝えよう!
この失恋も、自分の欠点をみつめ直すために彼がくれたプレゼントだと思おう!』と
思ってきたらだんだん気持ちが穏やかになってきて。
確かに拝むだけじゃ何も進展しないから、今度自分から気さくな感じに彼に連絡でもしようと思っているんです。
だからあんまり自分ではおかしいという自覚はないんですよね…。
プラスαで愛染明王様に拝んだりしたら復縁効果倍増かな?みたいな。
私が疑問というか不安なのは、
像に念を入れたら霊が来やすいのは本当なのか?ということなんですよ…
なんか言い返すみたいな形になってすみません。
963名無しさん@3周年:04/09/11 15:07:52 ID:WLJLf0nQ
>でもそのうち、『欠点が自覚できたんだからなおせばいいじゃん。
>いつか直せたら、その時まだ彼を好きだったら改めて気持ちを伝えよう!
>この失恋も、自分の欠点をみつめ直すために彼がくれたプレゼントだと思おう!』と
>思ってきたらだんだん気持ちが穏やかになってきて。
>確かに拝むだけじゃ何も進展しないから、今度自分から気さくな感じに彼に
>連絡でもしようと思っているんです。

建設的で良いと思います。幸せになれると良いですね。

>像に念を入れたら霊が来やすいのは本当なのか?ということなんですよ…

わかりません(笑)
同じ条件下で、拝んでアタックするのと、拝まずアタックするのを両方することできないですし、
霊の存在や奇跡・功徳の類は証明不可能ですからね。

像に念がこもる、霊が来る云々はさておき、毎日拝んだり念じたりしているとやっぱりそういうのは顔や雰囲気に出ます。
あまり気合入れすぎて煩悩ムンムン、鬼気迫る表情で迫ってくる女の子より、
慎ましやかでサラリとした態度で接してくる女の子の方が男は振り返るんじゃないかと…
好みの問題かもしれませんが。
自分はヅラあまり良くないですが、過去に珍しく女の子に言い寄られたっぽいことがありした。
でも迫力ありすぎたんでゴメンしました。喰われそうで怖かった(^^;

むしろ、しばらく彼のことは忘れ、仏像拝むのもやめてスポーツとかバイトでも精出して、ふと気がついたときに
サラリと電話するなり会うなりした方が良い結果が出ると思うのですよ。

…っと、仏教からどんどん話がズレていくのでこの辺りで止めて。
一ついえるのは、仏教は「欲は苦であることを悟って欲から離れる」のを本義にしているものなので、
こういった恋愛や、恋愛成就のまじないの類は全否定することだけ述べて終わります。
964949:04/09/11 15:08:45 ID:WLJLf0nQ
963=949ってことで。
965金玉銀之助 ◆QShmSrkuWE :04/09/11 16:33:33 ID:9/7L4sjC
>>962
>像に念を入れたら霊が来やすいのは本当なのか?ということなんですよ…

「念を入れる」というのは、仏教では聞いたことがありません。
ちなみに真言密教ですと、宗旨は如来蔵思想です。
宇宙そのものを如来の当体。という考えです。
ゆえに、念を入れずとも山川草木悉有仏性。そのままで貴女も仏様です。

禅宗の考えですと、拝んでも功徳はありません。
むしろ作仏(作為に仏を作る)することを否定します。
一休宗純などは、仏像を薪(たきぎ)にして暖をとったこともあります。

そもそも仏教とは、ご利益信仰ではありません。
しかしながら、貴女が迷うのであれば明王像に帰依なさるのもよろしいかと思う。
ただし、いつかは明王像を壊してしまう日があらんことを祈念します。

その壊した日こそ、貴女が明王となる日なのです。
どうか開眼なされまし。

           <こんぎょく・ぎんのすけ>
966名無しさん@3周年:04/09/11 20:05:13 ID:Pg3oPZe+
自分が要れ込んだものには、愛着が湧くのが人情ですね。星の王子様も自分が
世話をしてやった花は、世界でも特別な「たった一本の花」になるんだという。

恋愛もそうですが、人間にとって一番辛いのは親しい人との死別でしょう。

仏教的な意見では、執着は良くないと言われますが、良くないからと言っても
止められないのが、これまた人情であります。
しかし、無常というのは不思議なもので、親しい人との死別も、少しづつです
が、何時の間にか自然に和らいでくるものです。(ホントだよ。
辛い時に辛い気持ちになるのは、むしろ当然のことと思いますね。
それだけ、自分にとって大切な時間だった証しですよ。

何時かきっと、彼そのものよりも、彼と共に過ごした時間の掛買のなさに気が
ついて、感謝の気持ちが溢れ出てくるかも知れません。
思い出してみれば誰でも今まで生きてきて、大切なものや愛する人と別れ別れ
になりながらも、自分の人生を歩み出そうとしてきたんだろうね。
出会いが人を作り、別れが人を鍛える。
出会いの不思議と別れの不思議。それらが織り成す人生の不思議。
霊のことなど取り出さずとも、不思議な事は身の回りに溢れていますよね。
967NB ◆YIoCB90ZbI :04/09/12 00:45:00 ID:P4xomILz
>>937
社会学はともかく、文化人類学よりも宗教学のほうが成立早いでしょ?

「宗教」は人類(あるいは民族)に普遍的な行為である。
と認めることができてから「宗教学」は始まるんだと思うし。

ぼくもどういうニュアンスで使われたのかは分かんないけど
学術的見地ってよりは意味論的見地って言ったほうが親切かと思う。
968 ◆2CMtjCEakk :04/09/12 01:33:05 ID:BqQAXA5k
>像に念を入れたら霊が来やすいのは本当なのか?ということなんですよ…

それに対する答えは、仏教には用意されていないでしょうね。

ですから「わからない」というのが、仏教徒として、正直な答えだと思います。

それに、さも分かったように答える人は、仏教ではない別なもの、ということです。
969名無しさん@3周年:04/09/12 18:01:46 ID:LyjT/sUz
霊道について、教えてください。霊道の上に家を立てたり、霊道の通る部屋に
住んでしまったら、必ず、災いが起きるのでしょうか?また、霊道を見分ける
方法や霊を封じる方法があったら、教えてください。
970名無しさん@3周年:04/09/12 21:45:07 ID:F1aAKV10
一休ではなく丹霞天然なんだけど。。。
WEBサイトのみならず、まがい物は、実は近くに存在する。
971名無しさん@3周年:04/09/13 01:15:15 ID:VlguZh0Z
>>969
封じるという方法では根本的解決にはならないと思いますが、
水晶球を置くと良いと思います。わたしの体験では、明らかに
「ラップ音」が軽減されました。しかし、更に願うとすれば、
なによりもあなた自身が正法と仏様に帰依なさって、慈悲の
波動を相手に伝えてあげることです。そうすることによって、
彼ら幽霊となって現れる餓鬼界からの波動はおのずと遠ざかって
いくでしょう。



972他力本願:04/09/13 13:51:24 ID:8xXVo+wb
仏教とは本来は修行によって「空」を悟り、涅槃に赴くことだとききました。最近ある方から、「縁」を受け取ると死後に涅槃にいくことができるとききました。それは他力本願によってだそうです。仏法においてありうるんでしょうか?
973名無しさん@3周年:04/09/13 18:34:48 ID:e7nWhysw
世界的に有名名ソギャル・リンポチェ師(「チベット生と死の書」の著者)の来日特別講演です
1)上 智 大 学 の 一 般 講 演
テ ― マ : 「生と死の書について」
−困難な時代を生き抜くための思いやりに満ちたアドバイス―
  日  時 : 9月23日(木)  開場 13:30  講演 14:00
会 場 費 : 1800円
  場 所 : 東京都千代田区紀尾井町1−7(8号館 4階410室) 
(JR四谷駅下車徒歩5分) 

エスニックな雰囲気に包まれたラウンジ
2)ス − パ − デ ラ ッ ク スでの一般講演会
テ ― マ :「 混迷する世界で心の平和を求めて」
―チベットの仏教的な智慧で心に打ち勝ち、
あなたの生活を変えていく―
エスニックな雰囲気に包まれたラウンジでマーシャルのDJや大岩昭之写真展、琴奏者磯貝まきのソロ・パーフォーマンスをお楽しみ下さい 
  日  時 : 9月24日(金)  開場 19:00  開演 20:00
会 場 費 : 2500円 
場 所 : 東京都港区西麻布3−1−25 B1F
      電話 (03)5412−0515
  お問い合わせ、ご予約は9月7日より下記へ
チベット文化研究所   東京都品川区西五反田2-12-15-401
            (03)5745−9889(TEL)
                  3493−3883(FAX)
http://homepage3.nifty.com/tcci/

非常に貴重なチベットのリンポチェ(高僧)による、一般向けの分かり易いお話です.
974937:04/09/13 21:17:43 ID:yiLHcPp9
>>967
たしかに文化人類学をもちだしたのは
少々安易だったかもしれません。
でも、文化人類学っていえば新しいけど、
民族学といえばその歴史は古いんじゃないですか?
19世紀には学会が開かれている。
ところで宗教学の成立ですが、
宗教が人類にとって普遍的な行為であると認識されたときをもって
宗教学の成立時とするのであれば、
それは宗教の概念がはっきりされていなくては
なりません。ちょっとこれをもって成立時とするのは
無理があるのじゃないですか?
欧米ではアミニズムや多神教を宗教とは
みなしていない人も多いでしょう?
975 ◆2CMtjCEakk :04/09/13 23:11:36 ID:ef/DDo5r
>>972
「他力本願」は、似非仏教ですな。

おこたらず、修行せよ、というのが、釈尊の遺言です。
976名無しさん@3周年:04/09/13 23:35:32 ID:gdUQ2/+D
977名無しさん@3周年:04/09/13 23:43:52 ID:CO1aXGWx
修行にのめりこんでしまう悪習を改革したのが釈迦です
そのままで、自ずから整っていることを知ればよいのです
そのための仏の知恵です
それは特に修行じみたことを要しません
自力といえども他力の中にあるものです
978 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:06:20 ID:FlTEXupu
>>976
なんだ期待したのだが、すっかり裏切られた。
そこに書いてある程度のことは先刻承知の上で発言している。
何がもっと勉強しろだ、おおば、かもの!おまえほどの鹿、馬は見たことが無い。
979 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:08:16 ID:FlTEXupu
そもそも、阿弥陀仏は、架空の仏だ、こんなもの、力が在るわけが無い。
980 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:10:20 ID:FlTEXupu
釈尊の教えは、解脱だ!

「他人が解脱させてくれるわけではない」とも経典にかかれている。

他力を信じても、なんにもならないよ。気休め以外のなにものでもない。
981名無しさん@3周年:04/09/14 00:15:41 ID:SB2r9470
浄土真宗は、「他力本願」などという、いちいち回りくどく説明しなければ
誤解を招くような言葉は廃止すべきだ。
982名無しさん@3周年:04/09/14 00:19:01 ID:DzvFaHht
でも禅とか瞑想とかで解脱した人って本当に居るんですか
実際他力も自力もインチキ臭いなぁ
983名無しさん@3周年:04/09/14 00:19:08 ID:mLl6O+hj
勇み立って解脱だ!
なんて言って解脱するんですか?笑
何からどう解脱するんですか?
984名無しさん@3周年:04/09/14 00:25:48 ID:SB2r9470
仏陀って、一体どんな生活の苦労をしたのだろうか。自分から進んでした
苦行、修行など、本当の苦労ではない。金持ちの道楽に過ぎないという感じ。
だから、その「悟り」なるものも、いささか胡散臭い。
985 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:30:03 ID:FlTEXupu
いや、これは失礼。
>>976があまりにも、おカバさんなので、とりみだしてしまいました。
う〜む。まだまだ、修行が足りない・・
986 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:32:10 ID:FlTEXupu
>>963
釈尊の教えは、苦からの解脱、迷いからの解脱、といわれています。

「他力」があるなどというのが、迷い。

>>984
釈尊は、快楽にも、苦痛にも偏らない中道を悟りました。
987名無しさん@3周年
>◆2CMtjCEakk
念仏に力がないと言うが本当かな?
自分は念仏や浄土宗関係は余り詳しくないが、念仏すれば必ず功徳はあると思うぞ。

念仏唱えれば悪人すら救われるという。理屈からしてもそれは間違いなく言える。
それまで酒色に溺れ、人を傷つけ欲を貪り因果を信じず悪行三昧してた人間が生き方を180度変えて反省し、
身を慎み、心に必死に阿弥陀仏を念じ、口に南無阿弥陀仏を唱えるならば、もはや心に悪が生じる余地はなく、
悪行を行う余地もない。それまで行ってきた悪業がここでプッツリと断たれることになる。
過去に行ってきた悪業の報いが返ってくることはあるだろうが、これから悪業を積まないのだから
段々に業が消えゆき、心身ともに清浄になっていくことは確実である。
これを功徳と言わずして何と言おう?

そして更に修行を進めて我彼忘れ、念仏してることも忘れるほどの三昧に入れば弥陀の来迎を見ることもあろう。
来迎とは目に見えたり耳に聞こえたり霊感がビーンと閃くようなものではない。
どこか雲の上にでもいる阿弥陀如来がババーンと出てくるような奇跡とか、そういった類とは違う。

また、「念仏」といっても口でただ南無阿弥陀仏と唱えるのではない。
むかし、坊主が罪を犯した人間に「念仏しなさい、そうすれば救われる」と言ったところ「おれは人殺しをする前に
念仏しておいた。だからもう救われることは間違いないのだ」と答えたというマンガを見た。
この罪人が唱えた南無阿弥陀仏は、ただの「ナムアミダブツ」というコトバの羅列であって念仏ではない。
ナムアミダブツは身・口・意の3つ、即ち人間活動全体で唱えてはじめて真の念仏となり功徳が備わる。
罪人は口では題目唱えているが、身と心ではまったく念仏していない。
人を害しようと考えたり殺したりする仏がどこにいる?
身・口・意の一つでも欠ければそれは汚れた川の下流を掃除して上流を放置するが如し、ただの徒労だ。