☆★仏教☆☆

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458名無しさん@3周年
>>378 1さん菩提心の意味が違います。法然上人も『選択集』で菩提心は各宗に
よって意味が違うといっているように意味射程の定まらない言葉なんです。
だから普賢行の意味の菩提心といったのです。それは大乗仏教の根本義であり、本来、
浄土思想でも同じだったのです。法然上人の先輩にあたる恵心僧都の『往生要集』 に。

大経に云く、「およそ浄土に往生せんと欲せば、要ず発菩提心
を須ふることを源となす」と。(中略)浄土論に云く、「発菩
提心とは、正にこれ仏に作らんと願ふ心なり。仏に作らんと願
ふ心とは、即ちこれ衆生を度せんとする心なり。衆生を度せん
とする心とは、即ちこれ衆生を摂受して有仏の国土に生れしむ
る心なり」と。今既に浄土に生れんと願ふが故に、まづすべか
らく菩提心を発すべし。    [岩波文庫、石田本159-160頁]

「大経」とは『無量寿経』で、根本経典でも菩提心が根本的であると説かれているのです。
そして「衆生を涅槃に度せんとする心」というのが菩提心の要義で、これが>>333で言った
「すべての衆生が涅槃するまで菩薩として輪廻のなかで利他を行じる」普賢行の動機なのです。
だからこそ『無量寿経』の有名な四十八願で、

  たとい、われ仏となるをえんとき、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ。
                             [岩波文庫、133頁]
という本願・誓願を立てるのです。これはあらゆる生き物が成仏するまでは、
自分が成仏せずに普賢行をおこなうという菩提心に基づく誓いなのです。
459名無しさん@3周年:04/08/24 22:47 ID:Q7aGrOJ4
しかし法然上人は菩提心を捨てて称名念仏一行だけを選択した。私には謎です。
それこそまさに無知の衆生のために方便として選択したのかもしれません。
法然上人は素晴らしい行者で、かつ学者であることが諸文献から伺われます。
ですから上に述べたような菩提心の意義など知らないはずがない、しかも以下のように、
最大の根拠とした善導の『観経疏』でも普賢行の意味の菩提心が重要視されているのにです。

  発菩提心と言うは、これ衆生の欣心趣大を明かす。浅く小因を発すべからず。
  広く弘心を発さずによりて、何ぞ能く菩提と相会すを得ん。
  唯だ願はくは、我が身、身は虚空に同じく、心は法界に斉しく、
  衆生の性を尽さん。我が身業をもって、恭敬供養禮拜し迎送來去し、
  (衆生を涅槃に)運び度して尽くさしめん。    [大正大蔵経37巻260頁上]

では法然上人がどこに「菩提心を捨てる」と書いているかというと『選択集』に、

  (仏意は)菩提心等の諸行を説いて、三輩の浅深不同を分別す。
  しかるを今諸行においては、既に捨てて歎めたまはず、
  置いて論ずべからざるものなり。ただ念仏の一行について、既に選んで讃歎す。
                     [日本思想体系、法然・一遍、115頁]
その他、たくさんの部分で法然上人は、称名念仏が選択され、菩提心等余行は捨てられて
いるのです。まさにここが明恵上人が批判したところです。なぜなら、それは大乗仏教が
大乗仏教であるための根本精神の放棄に他ならないからです。
460名無しさん@3周年:04/08/24 22:50 ID:Q7aGrOJ4
明恵上人は決して称名念仏を否定しているわけではありません。逆に菩提心がなければ、
念仏も成り立たないと言っています。『摧邪輪』に、

  (『選択集』に)「この経に菩提心の言ありといへども、いまだ菩提心の行相を説かず」
  汝、双観経を指して、この説を作す。しかすにこの経の中に、四十八願を説く。
  菩提心を以て願と名づくとは、自他宗の盛談なり。しかるに、汝、菩提心を説かずと
  云う。以て知りぬ、汝が所計のごとくは、西方宗は、能化・所化倶に菩提心を亡ずと
  いうことを。しからば、弥陀も正覚を成ずべからず、仏国を厳浄すべからざるなり。
         [日本思想体系、鎌倉旧仏教、67頁。『選択集』引用は同上、116頁]
つまり法然上人は『無量寿経』に菩提心の行法が具体的に説かれていないと、
言っているのですが、始めに言ったように四十八願こそが、普賢行そのものの誓願なので、
それこそ菩提心の行法が具体例にほかならないと明恵上人は仰られているわけです。

そして浄土宗は、能化であるアミダ仏も所化である信者も菩提心がなく、
それでは、アミダ仏は成仏できず、ある世界を極楽浄土に組み替えること(ヴューハ)も
できないと皮肉っています。(ちなみに極楽を創造するとか、作り出すとは言わない)

ちなみに親鸞さんは横超を説いて、この明恵上人の批判に反論しています。それは以下。
(『無量寿経』岩波文庫、註139、291頁で『無量寿経』に「発菩提心」とあるが、
  真宗では始めに信心を起こした時に菩提心を起こしたことになるから、
  それ以後は起こす必要はないという解釈をしているが、それを菩提心というか疑問?)
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/02_12_17.html
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/04_06_14.html

また、こういった大乗精神について論じた学者は津田真一先生と丘山新先生ぐらいしか
知りません。以下参考。
http://www.classics.jp/Contents/Assets/publication/NLpdf/NL10/NL10TALK.pdf

菩提心の意味は『摧邪輪』に詳細で、『四百論』『入菩提行論』といったインド論の所説と
よく合致しています。