座禅して何年で悟りましたか?
その瞬間どんな気持ちになりましたか?
その後どんな現象が続いていますか?
超能力は得られましたか?
命は永遠に続くのでしょうか?
2 :
名無しさん@3周年:04/03/11 10:50
あぼーん
4 :
名無しさん@3周年:04/03/11 11:19
座禅→坐禅
坐禅だったのか?
とにかく、悟った人、いろんなこと教えて。
机龍之介ってやつは、悟ってないみたいだし。
6 :
名無しさん@3周年:04/03/12 10:39
悟りと主観の違いを、まず知りたいものだ。
悟りと修行は表裏一体。わけて考えちゃだめ。
やっぱいないのか?見性体験した人は・・・・・
何かの体験で終わったらそれ偽物です ずうーっと持続しないとダメです
見性どころか、眠くて疲れてクタクタに決まってるだろ。
机龍之介が現れる悪寒
渡海よりましでは?
13 :
名無しさん@3周年:04/03/15 11:12
>>1 >>8 書込みがないので”一度だけ”申し上げましょう。
漏れの周りには初関を透過した居士(つまり見性したと師家から印可されたもの)沢山おりました。
しかしその内容は個人によって違います。
あくまで師家と居士との間での真剣勝負ですから、隠寮(師家のいる部屋)での問答は他人に話すことはありません。
それが不文律になっています。
また見性といっても全て一遍に悟ることはわれわれ凡人は普通はありません。分証といって深さに違いがあります。
あの白隠禅師でさえ、300年間誰も悟ってないことを悟った、と大言したが
正受老人にあえなく奪われてしまった位です。
ですから自分は悟ったなどと、他人に開け出すなんてことは恐れ多くもできないのです。多分書込みがないのは、そのことをよく知っているからでしょう。
また質問事項に下手に回答すると、誤解されてしまうことも上げられます。それは、どうしても文章するに難しいところと変にカルト的に捉えられる
恐れがあります。
そのこともあって書込みがないのでしょう。ただ禅は学問としての対象であることと、実参究することとは違うことです。
最近は禅を学問としての対象として捉え、玄妙な言葉を巧みに駆使している方も
おります。これらは、禅の端は捉えても本質ではありません。
そのことをお知りになった上、機会をとらえて
参禅されたほうがよいでしょう。
もし質問があれば、本屋にでも行けば師家の書いた参禅入門書があります。
(前にはあったが最近はどうか・・・)それをよくご覧になったらよろしいかと思います。
なるほど、真面目なお答えありがとうございます。
しかし、見性体験記とか誰か書いてくれると有難い。
私も坐禅して半年になるが、とても見性できそうにないもので・・・・
15 :
名無しさん@3周年:04/03/16 19:31
16 :
名無しさん@3周年:04/03/16 19:32
>>14 半年で悟られたら、坊主は商売上がったりですがw
そりゃそうだね。私、山本玄峰師の本は何度も読みました。
悟ると何週間もわき腹が震えて、玉の汗が出るそうです。
一方、沢木興道にいわせると、悟りなどどうでもいいという。
どっちが本当なんでしょうね。臨済と曹洞の違いにせよ、差が大きすぎ。
見性に要する時間は人それぞれでしょう。
白隠門下の山梨某居士は1週間で隻手音声を透過したけど、ある老僧は10年以上かけても
悟れず、思いつめて自殺しようとしたときようやく悟った。
持っている素質や過去に積んできた善業、悪業の多少によって違いがかなり出るでしょうね。
臨済宗の長所は、禅の日常の働きを磨いていくところにある。弊害は理屈禅に陥る事。
曹洞宗の長所は屁理屈に凝り固まった頭でっかちの妄想をスッパリ切れるところ。
弊害は無事禅に陥る事。
富士山をふもとから見上げるのと、飛行機にのって見下ろす違い。
見える景色は違えども、どちらも富士は富士。
沢木さんは悟り餓鬼根性を戒めてるけど、著作の中でほんの数行だけだが悟ったときのことを
語っている。「悟った」と明確には書いてないけどね。
肉食ってちゃいけません
20 :
名無しさん@3周年:04/03/17 15:18
肉食妻帯は破壊坊主。
>>17 そうそう。沢木さんは、悟りを求める坐禅を乞食根性と批判しているが、
よ〜く読むと、沢木さん自身はどうやら見性している。ただ臨済宗のように
その見性体験を大騒ぎしたりしないだけ。
22 :
名無しさん@3周年:04/03/17 18:12
>>21 公案とその回答はサッパリ意味の分からないものばかりだが、今でもああなのか?
23 :
名無しさん@3周年:04/03/18 10:37
>>22 そうらしいですよ。
>>18 >曹洞宗の長所は屁理屈に凝り固まった頭でっかちの妄想をスッパリ切れるところ。
机はあれでも曹洞宗の門下らしいですよ。
なんか、屁理屈ばかり扱いて、妄想をスッパリ切れてないですなぁ。
ほんに曹洞宗の門下なんかいな。
ほんまなら曹洞宗の名を汚していますなぁ。曹洞宗の方々はさぞ迷惑でっしゃろうなぁ。
臨済でも曹洞宗でもどっちでもいいが、現在名僧といわれる禅僧はいるんだろうか?
25 :
名無しさん@3周年:04/03/18 14:45
これこれ、どこを探しておる。
目の前におるではないか。
ワシを忘れてもらってはこまるナー・・・
机 龍之介
26 :
名無しさん@3周年:04/03/18 16:30
27 :
名無しさん@3周年:04/03/18 16:37
>>26 電流直下で真に受けちゃうから、
冗談でも口にすべきではない
13の言うとおりなら、見性した人って、今の日本に何人もいるんだな。
俺は、せめて十牛図の「見牛」の位になってみたい。
有りとみた 銭はもとよりなかりけり
財布も捨てる 柏樹子の下
…誰かきちんと参禅して見性した方、これ判定してくれ。
誰かの回答まちアゲ。
31 :
名無しさん@3周年:04/03/20 17:05
坐禅したことないけど私は、まだ第六段階だな。
32 :
名無しさん@3周年:04/03/21 03:04
33 :
名無しさん@3周年:04/03/21 04:02
>>23 いや、単なる道楽人で参禅体験はない。でも、口と下半身は達者。そうだろ?>机
机さんて、剣禅一如を標榜する割りには電気通信設備の進歩で
祖師有るハッキングの手法自体が変わりつつあるのが理解出来なくて、
未だに江戸時代の包丁を振り回しているだけの人。
求聞持法を成就しました。
>>31第六段階とは凄い。三段階目の見牛で、最初の見性をしているのだから。
37 :
名無しさん@3周年:04/03/21 16:40
自分はもう生まれ変わらない。輪廻を断つことに成功しました。
求聞持法を成就しないと、坐禅は語れません。
>>36 真の自己も意識に全く上らない世界に入ります。←これが出来ないのです
2週間に1回か2回、真の自己が意識に現れてしまいます。
第七段階に早くいきてー。坐禅したらいけるかな?
ある辺境に甲・乙・丙という三人の旅人がいた。三人とも王都を目指し、暗く長く危険な夜道を歩こうとしている。
甲は出発に際して思った。「自分で王都に向かって歩いているか確認しながら行こう。」
乙は出発に際して思った。「迷うといけないから地図を見ながら行こう。」
丙は出発に際して思った。「迷うといけないから熟練した道案内人を雇おう。」
甲は夜道をずんずん歩いていく。途中まで来てこう思った。
「ずいぶん来たなあ。これだけ頑張って歩いたんだから、間違った道を取っているはずがない。
きっと王都は近いだろう。」
乙は夜道を歩いていく。途中まで来てこう思った。
「ずいぶん来たなあ。地図を見て歩いて確認しながら歩いているから間違った道を取っているはずはない。
おや、二本の松がある。地図には『二本松を右に見ながら進み、大河を渡れ』と書いてある。きっとここのことだな。
ずいぶん頑張ったから、きっと王都は近いだろう。」
丙は道案内人とともに夜道を歩いていく。途中まで来てこう思った。
「ずいぶん来たなあ。でも真っ暗で方向もよくわからない。本当に合っているんだろうか。」
道案内人が言った。
「あっしは生まれてこのかた数千数万回王都までの道を往復してます。目をつぶっても王都に着けまさあ。
地図をみてごらんなさい。『二本松を右に見ながら進み、大河を渡れ』と書いてあるでしょう。」
「どうやって道の行き方を学んだんですか?」
「親父も道案内人でした。親父の親父も道案内人でした。代々仕込まれたんでさあ」
「あそこに松が二本ある。あれが二本松?」
「あれは松は松でも枯れ松。あれを右に見ながら進むと断崖絶壁から落ちます。」
「さっき川があったが、あれを渡るんじゃないのかい?」
「あれは大河じゃなくドブ川でさぁ。あれを渡って進むとぼったくり淫売宿の町に行っちまいます。
いい気持ちになれますが、身ぐるみみ剥がされ、悪ければ殺されます」
「おや、大きな町に着いた。ここが王都ですか?」
「違いまさぁ。ここは単なる宿場町。王都はこんなちっぽけな村じゃありませんぜ」
「いろいろと似たようなところがあるものですね」
「そのための道案内人でさあ」
さて、三人はそれぞれどこへ行くだろうか。
むむっ
カァカァさん。答えがあるなら教えて。
45 :
名無しさん@3周年:04/03/22 10:11
>>29 >有りとみた 銭はもとよりなかりけり
>財布も捨てる 柏樹子の下
もとよりも銭のなきはわかりけり
いわんや捨つる財布もなし
>>41 >、暗く長く危険な夜道を歩こうとしている。
夜は普通に寝るだろw
48 :
名無しさん@3周年:04/03/22 16:14
金は天下のまわりもの
捨てればますます縛られる
>44
碧巌録風に評をつけることで答えに代えさせてもらう。
至道無難というが、世の中に難を受けている者の何と多いことか。
黄檗は酒糟の漢と罵り、雲門は三頓の棒を喰らわせた。
百丈のもとに説法を聞きにきた老人は難を受けたために五百生もの間野狐となって苦を受けた。
さて、ここを脱するにはどうしたらよいのだろう。
甲乙丙とも志は悪くないが、出発前は誰一人として道に叶う者はいない。
皆ど盲なのは明白だが、それが一時の病か重病なのか不治の病なのかの違いはある。
病には薬を与えなくてはならぬ。釈迦は病に応じて法薬を与えたが、薬は飲まねば効をなさない。
道を志す諸君は素直に薬を飲めるか否か。飲めなければ愛する者が苦しんで死ぬのを待たねばなるまい。
さて、甲乙丙はいずれに優劣があるか。ここを看て取れなければ仏門に入ることすら叶わない。
甲を肯うのは論外、乙を肯うのも論外、丙を肯うのもまた論外だ。ではなぜこの問いを発したのか。
問いを断ずる答えが出せれば、問いは即ち答えであり答えが即ち問いであることもわかるはずだ。
ここをわからねば来世は驢となり長者の家の樹に生える茸となるだろう。
>45
頭では わかるわかると思へども
自づから立つ 股間の愚息
見性者出現期待アゲ。
(評補足)
これがわからねば十牛図でいう尋牛位にすら達しない。わかったところでこれまた尋牛以前、参禅以前の常識の話だ。
このような問いを敢えて出さねばならないこと自体情けない話ではないか。
尋ねゆく深山の牛は見えずして、ただ空蝉の声のみぞする。
牛などもとからいないと達観した振りして最初から修行を放棄するのはとんでもないボンクラだが、尋ね行く山を間違えるのも変わらないボンクラだ。
牛の逃げた方向と別方向の山に向かい、何でもない地面の凹みを足跡とこじつけ狐を牛と間違えて追い回す。
挙句の果てに牛は本来いなかったなどと断定するのは笑止の極みではないか。
病にかかるのは不幸だが、病にかかったことすら知らないのは尚不幸だ。病を知って見ぬふりするのは不幸の極みだ。
丙は片目は開いているが、それでもまだ足りない。一体どこが足りないのか。
足りないところを見抜いた上でどうすれば良いのか。そこが肝心要のところだ。
弓矢は手元で一厘でも狂えば的から外れてしまう。遠くへ行くほど大きく外れる。
釈迦は最初に菩提心を発した時点で仏道は成就されたと言っている。さて、それは何故だろう。仏道が成就されたなら
修行をするのは何故か。そしてこの作り話と何の関係があるのだろうか。
修も証もないなどとわかったようなことをと言って修行を止めるなら、弥勒ですら救いようがなかろう。
喝!
53 :
名無しさん@3周年:04/03/23 11:10
↑
またぞろ机の亡霊が出現したぞ。
下らぬ文章を書いて己で酔う。酔狂なヤツ
54 :
名無しさん@3周年:04/03/23 21:10
机はこんな上等じゃねーよ。プ
>座禅して何年で悟りましたか?
15年ぐらい
>その瞬間どんな気持ちになりましたか?
瞑想中に爆発が起こって、嗚咽した。
その後、半年ぐらい心身変調で苦しんだ。
>その後どんな現象が続いていますか?
クンダリーニが覚醒し始めて1年ぐらい苦しんだ。
パラダイムシフトが起こって悟った先達の書いた本が突然理解できるようになった。
>超能力は得られましたか?
特にないと思う
>命は永遠に続くのでしょうか?
たぶん
56 :
名無しさん@3周年:04/03/23 22:52
>56
肉体は滅んでも、魂というものは永遠に続くのではないかと思います。
あくまで推測です。
58 :
名無しさん@3周年:04/03/23 23:52
魂も縁によって、涅槃に行きます。
脳のルートを作らずに覚醒したので、こんなことになるのでしょう。
空海が中国からもってきた法具にヒントかある。
60 :
名無しさん@3周年:04/03/24 20:29
空海は・・・悟ってないし、頭の切れはいまいち。ていうか、
性格は随分悪かった。悪人の代表かもね。
61 :
名無しさん@3周年:04/03/24 20:31
海の水と涙の量はどちらが多いか?
わかりますか。
63 :
名無しさん@3周年:04/03/25 15:46
>>62 机氏は、そういうアプローチはしなかったよ。
64 :
名無しさん@3周年:04/03/25 15:50
65 :
悟り・気付きの体験と相談:04/03/25 16:28
尊師の沈黙は、無門関にありと気づいたときの、
この大いなる歓喜よ、至福よ
みよ、吾は今、黒漫々地の大擬団を五臓六腑にて噛み砕き
大円境なる場の生成者となる
66 :
名無しさん@3周年:04/03/25 19:03
見性とか悟りとか言うけど、悟った人間と悟らない人間と何が違うのか?
どちらが幸福なのか?死んだ後、悟った人は天国に逝って悟らなかった人は
地獄に落ちるのか?両者何も変わらないとしたら修行だの坐禅だの苦労の多い
悟り人の方が素直じゃないよな?そうだろ?
67 :
名無しさん@3周年:04/03/25 19:26
>>66 よくぞ開眼なされた。
白隠批判があってもよろしいかと思ふ。
68 :
悟り・気付きの体験と相談:04/03/25 20:34
>>66 >>66 >修行だの坐禅だの苦労の多い
>悟り人の方が素直じゃないよな?そうだろ?
あなたの仰る苦労の尺度が、まるで万人にも当てはまらないと気がすみませんか
あなたの仰る平安と修行者の内的平安が、同じじゃないと駄目なんですか
69 :
名無しさん@3周年:04/03/25 21:18
>>68 どうでも良いことなんだが・・
例えば、(A)出家、在家構わず一宗教者(修行者)と(B)非宗教者の人生を見てみてだな、
1)苦労も無く若くして悟った(A)の一生。
2)苦労の末、晩年に悟った(A)の一生。
3)苦労したが死ぬまで悟れなかった(A)の一生。
4)悟ることなく平穏な人生を送った(B)の一生。
5)悟ることなく非常に苦労の多い人生を送った(B)の一生。
6)悟ることなく苦楽平均的な人生を送った(B)の一生。
おまいさんの言う尊い一生、有意義な一生を順番つけるとどうなるんだ?
大地の支配者になるよりも、シュダオンの聖者のほうが優れている。「仏陀のことば」
愚か者は、明日の飯がないと悩む。
71 :
名無しさん@3周年:04/03/26 02:22
68じゃないけど語らせてね。
『輪廻転生があるか否か』という命題は証明不可能なので、『ある』という前提で話を進めれば…
人間は通常、地獄餓鬼畜生修羅人天の六趣を輪廻する。
そこから悟りを開けば声聞、縁覚、菩薩、仏の聖道へと進める。
前世で悟りを開いたならば、今生で悟りを開く速度、またその深度も深くなるという。
ゆえに…
1→前世までの善根で早く悟れた。ゆえにそこから先への進歩も早い。
2→今生で悟って善根を積んだ。ゆえに来世のスタート時点が早い。
3→悟れなかったが努力した。その努力は来世に引き継がれて、来世で悟るのがより易しくなる。
4→8難のひとつ。あまりにラクな人生すぎても悟る機縁を失い仏道へ入れなくなるという。
多分前世までにある程度善根を積んできたため苦難を受けずに済んだ。しかし堕落すれば
苦難を受ける可能性あり。
5→前世までの因業により今生でそのツケを払わされることとなった。払った分だけツケはなくなるが、
行いを改めて正しいを努力しなければまたツケがたまって同じ苦を受ける。
6→因業もあれば善根もあり。悪趣に生まれる可能性もあれば人、天に生まれる可能性もあれば、
悟る可能性もある。微妙。
ゆえに1>2>3>4>6>5…だな。
因果の法則があるならね。漏れはあると思う。
ついでに。
菩薩行たる布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜には本当に大功徳がある。
特に忍辱。お釈迦様は「忍辱は最高の苦行である」と言われたが、心底そう思う。
人に罵られ傷つけられても悪意を寸分一念も起こさずに忍ぶ。この行には本当に大功徳があると思う。
百千万億の理屈を思うより、一回大忍辱を行じた方が遥かに功徳が大きい。
苦しくてどうしようもなくなったときこそ忍辱だ。死にたいのを我慢して、忍辱しながら努力を続ける。
そうすれば、ふとしたきっかけで全ては夢幻泡影、如露亦如雷だということがわかって苦を免れることができるようになる。
功徳といっても、出世したり女ができたりすることじゃないからね。
>70
激しく同意。
十大弟子の方々を初めとして、阿羅漢果を得た方々は本当に凄いですよねえ。
伝記で伝え聞いただけですがw
(補足:声聞位には
入流(シュダオン)→一来(シダゴン)→不来(アナゴン)→無学(アラファト)
という四向四果がある。十大弟子は最後の無学(阿羅漢)の位。)
偉大なる先人を敬いつつ漏れも頑張って六波羅蜜の行を積んでいこう。
#龍樹さんともう一人(無著さん…だったか?)は菩薩位だそうで…
#あと菩薩位に入っておられる先人は空海さんと行基さんだったかな?
>>71 つまり、輪廻転生、因果応報の世界が有るという前提では、
地獄餓鬼畜生修羅人天、声聞、縁覚、菩薩、仏のいずれかに振るい分けられるのだな?
それを踏まえて、誰しも地獄や餓鬼の世界より人や天の世界に住みたいだろうから
この世で出家、修行、坐禅などに励んで見性、悟りを得る努力をしているという事か?
宗教を持たない一般人はせいぜい真ん中から下の世界をウロウロしていて仏教信者で
悟りを得た一部の人間だけが上の方に登れて下を見下ろす事が出来るという事か?
そうだとすれば仏様、お釈迦様は相当に意地の悪い人だったらしいな。
分け隔ての元を造った張本人だからな。
>>69に対する俺の答えは「1=2=3=4=5=6」だな。勿論、輪廻転生、因果応報なんて
信じないよ。人間は生まれてきた自分の人生にだけ責任を持てば良いだろう。
生前、死後の世界は自分のあずかり知らぬ世界だ。仮に何かに生まれ変わるとしても
そこでは生前の記憶はないのだから。俺はゴキブリに生まれ変わっても構わないよ。
ま、全部「=」と書いたが本当は4)と6)が一番良いのかも知れないとは思うよ。
amroさんへ。
見性したときのきっかけを教えてください。
>74
十界を行き来するのに、仏教信者とそれ以外に差はない。
信者だって悪行をなせば当たり前に地獄に行くし、非信者だって善根を積めば分け隔てなく上にあがる。
輪廻転生は極めて客観的な法則である…と思ってる。悪業と善業を自動販売機に入れてチーンと行く来世が
出るかの如く。経典で明確にそう断言したものを読んだ事はないけど、何となく読んでてそう感じた。
例えば電車で座席を譲ったり、老人の荷物を持ってあげたりすることは日常ではあるでしょ?
それとか、仕事の飲みの場とかで上司から罵られたけど、雰囲気壊すのもナニだからぐっと笑顔で我慢するとか。
これらだって立派な善根だ。
人は意識せずとも善根積んだり悪行重ねたりしてるわけで。
仏教信者だって悪業を積めば地獄に落っこちる。経典には地獄に落っこちた比丘の話がよく出てる。
様々な経典に通じながら、邪見を起こしたため生きながら地獄に落ちた善星比丘とか、ダイバダッタとか。
お釈迦様の近縁の人ですら出家して修行したのに何人か落っこちてる。
77 :
名無しさん@3周年:04/03/26 20:21
層化信者は層化板に異ってくれないか。
>75
きっかけは911のテロ事件でした。
事件の10日後ぐらいだったでしょうか、あの事件はどのような意味があったのだろうと思い、
WTCに飛行機が突っ込む様を観想しながら瞑想していたところ、爆発が起こりました。
あの時期は、世界中で祈りの波動が巻き起こっていましたので、そうしたことが
影響したのではないかと想像します。
それに因果とか関係なく、やっぱり欲まみれの生き方ってのは格好良くない。
自分が嫌がる女のコ無理やり押し倒して強姦してフーとか言ったり、人殺して隠したり、コッソリ人の机から
金をかっぱらってく姿や表情をビデオに撮って見たらさぞかし醜かろう。
生ヅラ良くないんで、悪行しないからといって格好良くなるわけでもないが、ヅラとスタイル悪くて
その上悪い事してたらその姿はほんまのバケモノだわ(笑)
さすがに人外のバケモノレベルにゃ間違ってもなりたくない。そういう裏の顔が誰にも知られなくともね。
>77
オレのことか(w 72でちゃんとスレタイと関係のあること語ってるじゃん。
漏れは『悟り=苦を度脱するための心の整え方』だと思っているんで。
ちなみに層化は大キライだぞ。あんな下品な機関紙作っておいて、法華経がどうのとか論ずるなんぞ笑止千万だ。
やってることが真っ向から法華経の内容からかけ離れてるワ。
まぁ、もとの日蓮宗もあんまし好きじゃないけどね。他の宗派の悪口言い過ぎ。
悟るためにゃ方便も必要だと突っ込みたくなる。小学生に量子力学とか教えたってわかんないのと同じよ。
>>76 悪行、善根てそれぞれどんな事を具体的にイメージしているのか聞かせて欲しいね。
例えば殺生は悪行かな?南泉和尚は雲水の前で猫を切り殺して見せたとう話もあるが?
また、暴力行為は悪行かな?臨済や徳山は殴ったり棒で打ったりと乱暴だったようだが?
善行の方はどうだ?ある武帝は寺院を建立し幾度と布施を施したが達磨大師から
そんな姿勢では功徳は無いと突き放されているぞ。
怒ってても表に出さず笑うのが善根か?電車で席を譲るのが善根か?本当にそうなのか?
>81
マジで殺したんなら、南泉さん個人にすれば悪行だね。一説によれば猫ぶった斬った事件から後南泉は精神病みたく
なったって話もある。一方では斬るマネだけして逃がしたという説もある。真実はわからん。
しかし南泉一人に限らなければ善業とも言える。そこで弟子達に法を示したんだから。
自らは悪行を積みながらも他を救う。自ら地獄に落ちても他の人は地獄から救う。まさしく菩薩行を行ったとも言える。
ただ、殺すのはやりすぎだという批判は免れないだろう。たとえ法を示すにしても、他にやりようはあるワケで。
南泉の行為が真に妥当だったのか?というのは微妙だろう。俺だったら斬るまではやらん。
だからこそ南泉はその後悩んだんじゃないかな。
また、殴るのは悪だが、たとえば車を見て飛び出そうとしている子供をぶっ叩くのは悪だろうか?
普通の生活レベルの話になるけど、たとえば人を傷つけたってそれだけじゃ罪にならない。
内心に故意があり、行為が違法であってはじめて罪になる。
外科手術なんて客観的に見れば殺人未遂みたいなもんだ。でもそれは罪にならない。
罪ってのは外的な行為に内的な思考が加わって初めて罪になる。
仏教も同じ。小乗的に見れば殴るのは罪だが、大乗的に見れば殴っても、それが人のためになるのであったら
罪ではなく慈悲行の一つだ。外形的行為+内心=業ってこと。
だから徳山だったか?あるとき棒で弟子をぶちのめした後「お前たち許してくれよ、人を棒で殴るのは
許しがたい罪ではあるが、これもお前達に仏法を教えて救うため。我慢してくれい」といって涙した。
一同、その大慈悲を感じて泣いたという。
あと、達磨の話。
布施などの六波羅蜜には間違いなく功徳はある。現世的なことを言えば、罵られても耐えればそれ以上
関係がこじれたり争いが大きくなることはない。
人にモノを施せば、感謝されて後々困ったときに助けてくれたりする可能性がある。
精進すれば地位や財産や名誉が増える。
でも、そんなものは「天に向かって弓を射るが如し、勢い尽きればやがて矢は落ちん」。真の功徳ではない。
漏れが出した答え丸出しで言えば
「功徳とは功徳無きを言う。これを功徳と言う」。
…あー、、、以下、この一語の解説書いたけど、答えになってて書くと参禅してる方に迷惑なんで
削除。
お前わかってない奴ゥーと思われても結構。書いたら害悪の方が多そうだ。
ちなみに達磨は最初の問答で武帝を肯ったともいえる。ただ武帝がそれをわからなかったので、
愛想つかして出てったってワケで。
84 :
悟り・気付きの体験と相談:04/03/26 23:12
>>69 亀レス、スマソです。(~o~)
悟りに終着はないとすれば、1)と2)の分け方は如何かと。釈迦牟尼は、衆生済度に行脚
した終生の行者だった。よく頓悟or 漸悟なんて、二極化した分け方をするようだが、よしん
ば若くして頓悟したとしても、そこで終わるわけではないし、終わるどころか、それからが
本格的なタントラと瞑想が始まるとすれば、頓悟・漸悟の意味はなくなる。あくまでもそれ
は、中国の一禅宗という中の一断面にすぎないと思う。
3)→また死ぬまで悟れなかったといっても、嘆くにはおよばない。確実に努力や精進の種
子は、心の連続体に刻まれるはずだ。人間は一人一人個性があって、才能とか価値観とか努
力の向かう方向も様々だ。哲学とか悟りに常に意識が向かうか向かわないかは、後天的な環
境とか教育も多少は影響するだろうが、最も決定的なのは、悟りに対するカルマの種子が強
くあるかないかだと思う。
どんな人生を生きようと誠に勝手ではあるが、4)→徳分に恵まれて平穏な人生をおくる人
は、人の痛みや苦しみの実体を、理法としてどの程度に理解出来るだろうか?徳分は消耗す
るより、菩提のための有暇として磨いたほうが良い。
6)→徳分もまあまあで、苦楽平均的な人生を終える人にもそれは言えると思う。
そういう意味では、5)→むしろ苦労の多い人生をおくったほうが、学ぶものも得るものも
はるかに大だと思う。最も、プラスに作用した場合の限定がつくが、それがきっかけとなっ
て、次の生では、それを高次に昇華していくことだって可能だ。
最後に、大分長たらしくなって申し訳ないけど、1)、2)、3)は、自分にとっては何れ
も同列に尊く、以下、5)、6)、4)の順ね。
85 :
名無しさん@3周年:04/03/26 23:22
殴るのはダメです。
絶対に手はでないはずです。
悟ったらね。
amroさん、ありがとうございました。見性体験すると、命の永遠性を実感する
といいます。具体的にどんな確信が生まれてきますか?
命は縁に従うの。
88 :
名無しさん@3周年:04/03/27 16:13
>>85 それじゃ、黄檗、臨済はじめ昔の名のある禅師は悟ってなかったことになる。
かれらは気づかせるため、頼りを絶つため雲水達を殴っていたと思うのだが?
89 :
名無しさん@3周年:04/03/27 20:36
今は殴るとPTAで問題になるご時世だからな(w
アムロなんか親父にだって殴られたことないのに。
>86
命の永遠性を実感するとう感じはあまりありませんでした。
存在のすべてが神である、存在のすべてに仏性が宿っている、
という認識が深まります。
91 :
名無しさん@3周年:04/03/27 23:35
ドーン ドーン ドーン、
筋肉労働さながらに、太鼓を打ち鳴らす禅僧は、
ド・ォ・ー・ン・ム ド・ォ・ー・ン・ム ド・ォ・ー・ン・ム
宇宙の聖音、オームを心の奥底に聞いてるのだと知りマスター
思考を縁起の法にすればいいのです。
殴られなくてもできます。
わたしは、できました。
93 :
名無しさん@3周年:04/03/28 06:56
>92
君は殴られてもできません。
ハッタリこくのが精一杯です。
94 :
名無しさん@3周年:04/03/28 15:33
一隻眼とは、第三の目ではなく、
一つの目だけしかないということだ
臨済のこと
自分の書いたことに責任もてよ。
amroさんへ。見性した後、自分が明らかに変化した、という自覚は永遠に続きますか?
それとも、時間がたつと思い出だけになるものでしょうか?
見性期待アゲ
>96
パラダイム自体が変わってしまいますから、深まりはすると思いますが、
思い出になってしまうことはないと思います。
99 :
名無しさん@3周年:04/03/30 16:14
>>98 漏れの場合は、見性後、悟後の修業を怠ってしまったから、迷妄に逆戻り。
迂闊だった。
至極反省、反省
しかし名残(というのが適当か分からんけども)はあったので、また修業すれば了解(りょうげ)は
できた。
100 :
実行委員長:04/03/31 00:55
99はうそつきです。
101 :
午後の紅茶 :04/03/31 07:34
釈迦や歴代の祖師は、皆うそつきです。
amroさんへ。いろんな見性体験者を知っていますが、ほとんどの人が、坐禅
だけでなく、教学にも詳しい様子です。これだけは真剣に読んだ、という本
の名前を教えてください。
103 :
名無しさん@3周年:04/03/31 12:11
釈迦と祖師の悟りを同等に扱うのは間違い
104 :
名無しさん@3周年:04/03/31 13:51
釈迦の悟りぐらい、今日では誰でも理解できるだろう。
教育機関や家庭でこっぴどく洗脳されていなければだが。
105 :
名無しさん@3周年:04/03/31 17:19
悟りといえば、ドラッグや瞑想で体得したと勘違いするバカモノが多いな。
全然、足が地に付いてない発言ばっかで、みえみえなのにワロタ。どのスレの誰とは言わんが・・
106 :
名無しさん@3周年:04/04/01 00:07
新鮮味のない逆定説で、悟りに縛られる発言も相当痛いな
地底深く足が吸い込まれすぎてて、身動きもできないみたいだ
107 :
名無しさん@3周年:04/04/01 02:40
漏れが言えることは、
経文から入っても、身体的な修行から入ってもダメだということ。
瞑想みたいなことが一番良いと思う。そして自分自身の変化とともに日々の生活が
変わっていく体験を通していろいろ学ぶところがあると思う。
その後で仏教その他の宗教に当たれば簡単にその真意がつかめる。
>102
本質的に見性と教学はあまり関係がないと思います。
悟りについて言葉で表現しようとすると、常に矛盾が生じてしまいますので、
頭で理解しようとしても困難ではないかと思います。
悟りとは、頭(マインド)によって理解できるものではなく、愛(ハート)によって理解できるものです。
あえて一冊あげるとしたら、「なまけ者のさとり方」という、とても薄くて平易な本があるのですが、
これはとても上手に表現しているなという印象を受けたことがあります。
amroさんへ。
あ、そうですか?
基本的な質問ですが、一日40分程度の坐禅でいつかは見性できるでしょうか?
接心や、独参などなにもせずに。
>>106 当人の弁明か。w
お前もクスリを止めて神経科で診てもらったらどうだ。
ヤク中の悟りを普遍的な悟りと混同するのはまさにヤク中ならではの世界だな。w
111 :
名無しさん@3周年:04/04/02 00:09
>>110 あら!
>ヤク中の悟りを普遍的な悟りと混同するのはまさにヤク中ならではの世界だな。w
もっとも普遍的であるものは、もっとも個別的でもあるのである。
もっとも個別的であるものは、もっとも普遍的でもあるのである。
もしも普遍性の中に、ひとつたりとも弾き出される例外が生じるなら、
どうしてそれを普遍的と呼びえようか。
人間の普遍的な本来性とは、あらゆる個別的人間が共通に具足している本来性である
あなたのレスは支離滅裂で矛盾に満ちてるが、自信たっぷりな断定の発言は、
あなた自身が、つまりヤク中の世界を鮮明に知っているからこそ、そのように
言いきれるということですね。
もっとも
見性期待アゲ。
amroさん、質問に答えてください。よろしく。
113 :
名無しさん@3周年:04/04/02 11:23
>>112
愛媛は臨済宗が多いですね。よく真言宗が多いと思われがちですが、うちも
そうです。高知は神式らしいです。
114 :
名無しさん@3周年:04/04/02 15:21
>>111 ほ〜、普遍的という言葉に食いついてきたか。
では聞こう、クスリでラリってる奴のいう「言葉」のどこが普遍的なんだ?
「普遍的」を「真理」に置き換えても良い。お前さんの言い分は、「酔っ払い
(泥酔者)の戯言の中にも真理がある。」と言ってるようなもの。
本人はそのつもりでも、まともな人間には届かないな。せいぜい薬仲間どうし
傷の舐めあいでもやってろ。
115 :
名無しさん@3周年:04/04/02 17:19
最近自分の手や体は自分ではないという感覚があるのですが
これは何かの見性?なんでしょうか。
あと、他人の感情の動きや思考の仕方に敏感になっています。
引っ張られてちょっとつらいこともあるんですが。
ちなみにヤクとか変なことは一切してません。
116 :
実行委員長:04/04/02 19:03
すべては、縁です。そして、脳の改造に入る。
芋虫が蛹になり蝶になるように、
人も仏陀になれる。
117 :
名無しさん@3周年:04/04/02 21:05
>>114 干っ支、あなたが囚われているクスリなるものが、何を指してのクスリなのか、
よく解らないのです。
amroさんでなくてもいいんだけど、接心や独参などせずに、悟れるものでしょうか?
119 :
名無しさん@3周年:04/04/04 15:28
無理でしょう
気息と心の状態は密接に結びついていますし
悟りが気軽なものだったら、人間は迷う必要なんてないはず
120 :
名無しさん@3周年:04/04/04 18:17
>>118 可能、というより接心=坐禅、独参=禅問答ということなら、むしろこれらは悟り
とは関係ない。10年坐れば悟れるとか、20年問答すれば悟れるとか言うものじゃ
ないだろう。
人間は本来、迷って苦しむものじゃない事に気づくことが大切。気楽に悟る人も
いるし、20年、30年迷いつづける人もいる。
121 :
名無しさん@3周年:04/04/04 20:53
某コテハンを彷彿とさせるようなカキコが出てきた
amroさんお奨めの「怠け者の悟り方」という本、取り寄せて読んだけど、
なんと、LSDによるインスタント禅で悟ったつもりになっている人の
たわごとで、教えの中心も「愛」。
amroさんはこの本がとてもいい、と推薦されたが、私が読んだ限りでは、
いかにもアメリカ的な「クスリで決めてセックスしようぜ、へーい」の
世界でした。失望です。
どうせ読むならちゃんとした先人の本を読んだ方が良いんじゃないか…?
見性関連なら
隻手音声 … 芳沢勝弘著 禅文化研究所
白隠の書いた手紙を読み下し文にしたもの。隻手音声の公案と見性、そして見性の段階
についていろいろ語っている。
白隠門下逸話選 能仁晃道 禅文化研究所
白隠門下の僧や居士が悟ったときの逸話などを書いている。
いかに参禅や見性が厳しいものなのかがよくわかる。
見性をするための心構えの本としては
ブッダのことばシリーズ 岩波文庫
正法眼蔵随聞記(懐奘) 岩波文庫
とかね。ちなみに
ttp://rakudo.jp/index.html ここからいけるテキストダウンロードは見性に関してかなり参考になる。
「沢水法語」「抜隊仮名法語」は見性の方法や心構えについて詳しく書いてある。
また、「今北洪川老師の禅修行」は見性の時の情景や、見性に至るまでの苦しい修行について
書かれている。
ダウンロードはタダなんで、ちょっと読んでみても損はないと思う。
特に沢水法語は非常〜に良いものだと思う。読むと心身が引き締まる思いがするよ。
アドバイスありがとうございます。
さっそくご指定のアドレスに行きましたが、表示できません、になって
いました。もう一度、正確なアドレスを張ってもらえませんか?
126 :
名無しさん@3周年:04/04/05 14:53
西田幾太郎だったかな、「臨在録」1冊あれば世の中の本が全部無くなっても
構わないと言ったのは・・
>>124 「臨在録」は岩波その他から数冊訳本が出ているので可能な限り集めて読むこと
をすすめる。1冊だけだと訳者の偏見や誤解という罠に落ち込むので3〜4冊
読むことをすすめる。
127 :
名無しさん@3周年:04/04/05 16:27
ついでに、臨在録という誤解の罠にも気をつけられたし
臨済録は難しい…
とある和尚が自分の寺で臨済録の提唱をしたが、昔の師匠に会いにいってその話をしたら
「お前如きに臨済録の提唱ができるか」といって怒鳴られたりしてるし。
下手に読むと奇行にカブれて、喝喝叫びながら棒で殴ったりはたいたりするキチガイになりかねんねえ。
129 :
名無しさん@3周年:04/04/06 00:29
薬で悟った一人として見性をおおざっぱに・・。参考になれば。
「悟り」ってのは大まかに三つある。
変性意識状態その物と、その意識へ辿り着く過程をトレースする事(洞察)と、
変性意識を支える認識・意識のあり方が継続する事の三つ。
禅、臨済宗なんかは特にそうだけど、三番目の人格化を目指している。
だけど、三番目の人格化は1番・2番と違ってホントに時間がかかるし大変。
人格化した暁には、周りから見たらホトンド変態に見えると思う。
梵我一如・悟り・禅定・三昧。言葉は何でもいいけど、
こういう体験を得るには薬か瞑想かどっちかしかないと思う。
本なんかいくら読んでも駄目。決して無駄にはならないけど。それのみでは絶対に無理。
十牛図でいう返本還元じゃないけど、悟りなんかはホントは必要ない。
元の木阿弥だから。ただ、その世界をちゃんと「体験」した人にしか分からない物は沢山ある。
130 :
名無しさん@3周年:04/04/06 00:53
131 :
名無しさん@3周年:04/04/06 11:44
>>129 やはりクスリを飲んだ人ですね。
それは悟りではありません。
幻覚、錯覚です。
クスリで悟りを得ようとすると基地外になりますよ。
132 :
名無しさん@3周年:04/04/06 13:01
座禅と瞑想って、元は一緒でしょ。
ディヤーナ>チャン>禅 なんだから。
ヴィパサナとは違うみたいだけどね。
見性ね。そんなのどうでもいいじゃない。
自分の靴ひも引っ張ったって空には上がれん。
LSD飲んで悟ったつもりになることが60年代のアメリカの西海岸辺りで
流行ったという。俗に言う「インスタント・ゼン」。俺は日本人の誇りにかけて
ヤンキーのこの方法はとらない。
そんなのは悟りじゃないよ。最後にはキチガイになる。131さんの言うとおりだ。
134 :
名無しさん@3周年:04/04/06 13:34
135 :
名無しさん@3周年:04/04/06 13:42
見性ってなんだか知らないけど、
やはり、それは師から凡人へ伝わる、伝えてもらう性質のものだと思う。
一番良いのは直接会ってその人物をよく知る、見て、聞いて、話して、手をとって、
または本、映画、テレビ、ラジオなどで学んで、または他人を介して
どうであれ感化されることは大きい。
精神上の師匠がなくて直接自分の脳では難しいんじゃないかな。
変なものに導かれたくないし。
136 :
名無しさん@3周年:04/04/06 14:12
>>133 貴方の熱心で真摯な姿勢に敬服します。
それに応えて一言付け加えておきましょう。
>一日40分程度の坐禅でいつかは見性できるでしょうか?
接心や、独参などなにもせずに。
とのことですが、誤解を恐れずに言えば
正しい坐禅を毎日、持続すれば可能です、と言えましょう。
在家禅の方はいつも摂心や独参しているのではなく、日常は朝夕自宅で坐禅をしているわけです。
そして摂心や独参の機会があったとき師家に参禅し点検してもらっているわけです。
ですから毎日欠かさず坐禅することが、むしろ重要なことなのです。
ただし、ここで正しい坐禅と断ったのは、一人でする場合、誤った坐禅になることが多いからです。
例えば、崩れた姿勢で坐った場合かえって不健康になりまし、また目を瞑って心が昏沈した禅、我見で妄想を膨らませる禅
などは却って精神を崩壊させかねませんし、決して見性などできません。
では正しい坐禅とは何か、ですが
ここでは公案を頂いてない方について言いますと、一言で申し上げれば、一切の我見を起すことなく、全身全霊を挙げて坐になり切ることだと思います。
坐になり切るというのは、無念無想ではありません。むしろ精神は最高の活動状態にあります。
この辺りは詳しく述べる訳にもいかないので、坐禅の参考書をごらんになれば納得いただけるのでは無いでしょうか。
そして時節因縁が到来すれば、いつか大爆発を起こし宇宙大生命との一体感が得られると思います。
そのときの心境は過去の祖師たちが述べたものとほぼ同じです。
私はクスリをやったことがないので分かりませんが、たぶんクスリの現象とは違うものだと思います。
短いレスでは多くは語れませんが、どうぞ毎日正しい坐禅を心がけ、そして機会があれば参禅し点検してもらってはいかがでしょうか。
貴方様の1日でも早く仏道を成就されんことを。 合掌
137 :
名無しさん@3周年:04/04/06 15:13
只管打坐はどちらかというとヴィパッサナー
>>136、この人は御僧侶かな。とにかくありがとうございます。激励にこたえられる
ように、精進します。合掌。
139 :
名無しさん@3周年:04/04/06 16:00
>>133 ところが、世の中にはあなたが言うドラッグや瞑想で悟ったと勘違いしてる輩が
多いんだよ。
悪い事に、こいつ等はしゃべりたがりだから見る眼の無い奴は信じちゃうんだ。
信じる方も悪いが外から見てると悪徳商法に騙されるのを目の当たりにしてるようで
胸糞悪い。
なかには般若心境になぞらえてまさに自分の悟りは本物だとか独自の狂った話を垂れる
のもいる。
140 :
名無しさん@3周年:04/04/06 16:52
無碍自在なる心を常に保つことは難しい
悟り悟りと悟り病に憑依されることと清浄業とは同じである
141 :
名無しさん@3周年:04/04/06 16:55
>>140 それでも悟りたいんですよ!
それがなぜ悪いんですか。
アンタ、悟ってから言ってくれ。
薬で深みに達する事を批判している人がいるけど、薬を使わずに
悟りと呼べるような体験を経た後、実際に薬を使用してみて「こんなもの幻覚・妄想だ」
と言ってるの?そうであるならば詳しく話を聞いてみたいけど・・。
薬の体験すらなく、批判しているなら、真面目な話お話にならないよ。
>薬の体験すらなく、批判しているなら、真面目な話お話にならないよ。
俺の眼からすればお前さんの言い分の方がお話にならない。
そもそも何かに頼る(薬とか・・)姿勢は悟りとか道とかから遠いものだろ。
スタート時点からずれてるんだよ。
禅でいう「不立文字」は悟りは言葉で伝えられるものでない事を示している。
体験を重んじる。この体験は薬の体験なんかを指してるんじゃないぞ。日常生活体験の
ことを言ってるんだ。
特別な摩訶不思議な体験を求めて薬に走るんだろうが、まともな人間はそんな事考えもしない。
薬をやりたいんなら、勝手にやればいいだろうが、「あーだこーだ」能書き垂れるな。ま、こんな事言っても意味無いだろうが・・・
見性したかどうか試したる。
「僧、とある禅師のところに至る。禅師は僧の来るのを見て空中に円を描く。すると僧は
『弟子がこうやって来たのにはなからついていない。そのうえ空中に円を描かれてはたまらない』と言った。
その禅師はぴしゃりと戸を閉めてしまった。」
さて、この公案はどういうことを言っているのだろうか?
禅師が空中に円を描いたのはなぜか?また、禅師が戸を閉めたのはどういう意味か?
この公案は全体を通して何が言いたいのか?如何なる道理を悟らせたいのか?
見性したのならこの程度の公案は赤子の手をひねるくらいたやすくわかる筈。
あー本気になってちと大人げないか…(´Д`;)
145 :
名無しさん@3周年:04/04/07 00:32
>>115 >最近自分の手や体は自分ではないという感覚があるのですが
>これは何かの見性?なんでしょうか。
幽体が活発になって意識の世界に移行してるんじゃない
見性って言い方は禅で使うんだろうけど、それとは違うでしょう
>>143 ちょっと待ってくれ。まず梵我一如とか天上天下唯我独尊とか、
こういう類の経験はちゃんとあります?ないでしょ?
話す内容のレベルが低いもん。申し訳ないが。
薬だけで悟れるわけないでしょ。
今じゃ、薬なんか使わなくても、瞑想・三昧。調子のいい時は幽体離脱も可能。
ただ、瞑想はなるべく先生についたほうがいいけどね。危険だし。
>>144 ゆびで円を書いて言葉を書いた、僕でも書けるよ。
その時中へ入れられない理由を書いたんでしょう。
錫杖でも文字を書く事が出来る。
148 :
名無しさん@3周年:04/04/07 08:21
>>144 おいおい、そんな古臭い公案は屁でもないんだが、たとえ答えてもそれで見性しているとはいえないんだよ。
それじゃあ、回答集をみて同じ答え方をすれば誰でも見性したことになってしまうよ。
見性したかどうかは、公案の回答じゃなくて、師家と弟子の商量問答のなかで分かるもの。
いろいろ点検して、本当に見性しているかどうか判断するものですよ。
149 :
名無しさん@3周年:04/04/07 08:34
だそーです
150 :
名無しさん@3周年:04/04/07 08:35
151 :
名無しさん@3周年:04/04/07 12:06
なぜ悟りや見性を求めたがるの?
動機は何?
求める主体は誰? そもそもあなたって何?
悟りってそもそも何? 見性って何を見ること?
クスリも禅も動機が不純なら同じ。
この道が正しいと何故言えるのか。
答えてちょーだい。
152 :
名無しさん@3周年:04/04/07 12:20
イヤ〜〜ン、ワカンナイ!
ドーシテ!
ドーシテコーナノ!
オセ〜〜テ!
153 :
名無しさん@3周年:04/04/07 12:42
ある人に工夫が足りないと言われたことがある。
禅の用語は詳しくないので教えて欲しいが、
「工夫」とはどういう意味?
154 :
名無しさん@3周年:04/04/07 13:31
>>153 禅宗で、修行に励むこと。また、よく考え研究すること。(大字林)
おしえてチャンへ
初歩的なことは、できるだけ自分で調べてね。
155 :
名無しさん@3周年:04/04/07 13:53
>>151 まず、あなたへ一句差し上げましょう。無論、古くからあるものです。
『
闇の夜に
鳴かぬ烏の声聞けば
生まれぬ先の
父ぞ恋しき
』
>147
大落第。出直せ。
そんな答えが生死の大事にとって何の関係があるんだ。
>148
148の言う事に間違いはないし異論もない。んが、もちっと察してくれよ。
1+1はいくつ?と問われて2と答えられても、それだけじゃ足し算がわかってるかどうかはわからない。
でも、「1+1は?」と問われて「2」とも言えんなら問題外でしょ?
ネット上の問答でも目の粗いフルイくらいはかけられる。
だからわざわざ余り知名度はないが、古来から参じられてきた公案を選んで、しかも出典がどこかわからないように
改変したんだよ。
ネットでの限界はこっちも百も承知だよ。その限界あるネット上で、どこまで何ができて何が伝わるか?
釈迦は晩年、悟ってからこのかた一字も説いたことがないと言った。
148くらいの心構えがあるなら、もう一手こちらを読んでくれたら有り難かったんだがね。
>>146 瞑想三昧で幽体離脱ねえ・・
「天上天下唯我独尊」なんて大昔の過去の人の言葉だよ。現代を生きる人の悟り
の境地の一語がコレか?
俺はレベルが低いと言われようが、チープと言われようが、日々精一杯生きる事
が一番大切だと言うよ。それも普通にね。瞑想やドラッグで特別な世界を求める
その姿勢そのものが邪道だ。
だから言ったろう。スタートからずれてるってね。ま、いくら言っても分からんだろうが・・・
>>154 サンクス。
つまり修行が足らないということか。トホホ
>瞑想やドラッグで特別な世界を求める
>その姿勢そのものが邪道だ。
禿げ同。
鷲も長年瞑想しているけど、普通じゃないものを求めるヤツが
おかしくなっていくのを何人も見てる。結局「おもちゃ」にしか思ってないんだよね。
共通しているのは「自分のモノにする」という感覚。これ徹底的に落とさなきゃ
だめでしょ。火傷して反省するのかと思えば、ますます火の中に入って
いくのも居るし、本当にブラインドとしか言いようがない。
160 :
名無しさん@3周年:04/04/07 15:24
>>158 あれは字面の表面だけ。
ほんとはね!
もちっと、ちがう意味があるんですよ。
実参実究していると、心の使い方ということがわかりますよ。
とくに動中の禅のときにね。
>>160 心を使いながら同時に見守る工夫をしろということかな?
クリシュナムルティ風だと「無選択の気付き」に近いかな。
彼は懐疑しろと言ってましたが。
ちょっと調べてみましたが、この工夫っていうのは禅を理解の上で
欠かせないように思われますね。禅そのものが工夫とも受け取れるし。
162 :
名無しさん@3周年:04/04/07 16:02
>>161 よく赤子を抱くようにといいますね。
坐禅を立ったら、もう心が雑念妄想になってしまったら、せっかく
坐禅で培った禅定力を日常の生活に活かすことができませんね。
それで、運心の工夫が大事になって来るといいます。
工夫といっても理屈や知識を頭でこねくり回すのじゃありませんね。
逆に悪知、悪覚などの雑念妄想が起こらないように、意識すると言った方が近いでしょう。
これを非思量底の思量とか言っています。
163 :
名無しさん@3周年:04/04/07 18:19
座禅して念仏を唱えれば、一石二鳥だとおもいます。
>工夫といっても理屈や知識を頭でこねくり回すのじゃありませんね。
>逆に悪知、悪覚などの雑念妄想が起こらないように、意識すると言った方が近いでしょう。
>これを非思量底の思量とか言っています。
これ良く分かります。私はヴィパサナなどやってたので。
まぁ起きていても、寝ていても、仕事してても、愚息と遊んでても
というのは正直難しいですね。すぐに猿のようにどこかに行ってしまう。
保つのは難しいです。
しかし、「赤子を抱くような」というのは、おいしくいただけました。
最近タルんでるなぁ。ありがとう
165 :
名無しさん@3周年:04/04/07 19:10
>日々精一杯生きる事
>が一番大切だと言うよ。それも普通にね。
日常に見聞覚知できるものほど、広き門はないからな
その程度が破滅もないぶん、安全運転である
それぞれの機根に応じる八千四千の法門
166 :
名無しさん@3周年:04/04/07 23:55
達磨にひげがないのは何故でしょー?
>>143 書き込むのはこれで最後にするよ。僕の場合ドラッグはスタートではなくて
最後なんだよね。
>天上天下唯我独尊」なんて大昔の過去の人の言葉だよ。
だから仏教は凄いんだわ、ホントに。仏教や禅の体験そのものが、
安っぽい言葉だけど、人間や関係、人生の在り方を完璧に示している。
時代性云々なんて、認識の次元のお話。悟りとはなんの関係も無い。
文学や哲学・通常の意識の範疇。天上天下唯我独尊の意味が観念をひとつも
通さず完全に理解できる境地があるんだわ。釈迦でも道元でも、言葉を見れば
この人たちは「あの体験」を知っていると分かるんです。
薬は使いたくない人は使わなくていいし、そんなのは瑣末な問題。社会的には重大だけどw
真摯に瞑想に取り組みたい人はそれでいいと思う。
僕は元々、参考になればと思って書き込みした。人を批判するのは本当に勇気のいる事だよ。
偉そうに聞こえたら、ごめんなさい。
座禅をしているときに、神の声が聞こえれば当然動揺するだろう。
そこで、人を棒でぶったたくのは、神の声に対して、ネガティブな学習効果を生み、
神の声から人を遠ざける洗脳の手段と言っても過言ではない。
169 :
名無しさん@3周年:04/04/08 00:21
薬だけじゃだめじゃないすか?
一瞥したとしても、また迷いの世界に入る
ここに書き込むことも迷いかもしれないが、大悟、見性した人って
また迷うのかな?悟ったら、悟りを捨ててスッカラカンと言ってる師
もいるけど
最初とか最後とかそういう意味で言ったんじゃないんだがな。
俺がスタートの時点と言ったのは取り組みの姿勢を指して言ったんだが・・
最初だろうが最後だろうが取り組む姿勢のベースに薬や瞑想を置いてるだろ?前提にしてるだろ?
そこがズレてると言ってんの。あんたの言葉だと・・
>こういう体験を得るには薬か瞑想かどっちかしかないと思う。
この部分ね。
俺は薬はしないから想像でいうと、何かとてつもない躁状態にはまって宇宙と一体と
なった感じでもして、見るもの全てが尊い愛しいものにでも見えたかな?それを
古人の「天上天下唯我独尊」と照らしあわせてまさにこの体験をしたと感じたのかな?
だとしたら、そんなものは偽者だということ。じゃあ本物は何かという事になる。
「不立文字」で説明できず、日常生活体験を踏まえて体感する以外にないな。
ヒント:決して大したものじゃない。
171 :
名無しさん@3周年:04/04/08 00:39
>144
座禅し始めたばかりの野狐の畜生ですが、公案について
空中に円を描いたのは、すでに「これ」はここにあるよ、と もうあるがままさ
と言う意味 弟子がついてないと言ったのは、いきなり真実の状態を暗に示され
ては、話しが続かないじゃーないかということ 戸を閉めたのはもう教えること
は何もないよということ つまり、すでにあるがままで完璧だよということ
172 :
名無しさん@3周年:04/04/08 00:43
>>167 >書き込むのはこれで最後にするよ。
そんな寂しいこといわないで。
薬の境地をもっと教えてほしいの。
173 :
名無しさん@3周年:04/04/08 00:46
>>142 >薬の体験すらなく、批判しているなら、真面目な話お話にならないよ
うむ、理に適っている。
先方は薬に対する先入主と自らの偏見に気づけずにいるのだ。
なま暖かくゆるしておやりなさいな。
174 :
名無しさん@3周年:04/04/08 00:51
>>143 >そもそも何かに頼る(薬とか・・)姿勢は悟りとか道とかから遠いものだろ。
なにものにも頼るものかという姿勢もまた不自由この上ない。
自らに由るというのは主体性を保つこと。
全てから独立することではけしてない。
自分の偏見に気付け。そして凌駕せよ。
今の君は正見から遙かに遠い。
175 :
名無しさん@3周年:04/04/08 01:16
私は薬(マリファナやベニテングダケとか)も経験しとるが、禅はそーいうんじゃ
ないと思うぞ。天上天下唯我独尊でも梵我一如でも体験が体験のうちはダメでしょ
そーじゃなくて、ココに書き込んでいる時でも自分じゃ気づいてないけどホントは
梵我一如で在り続けているってことが重要なことなんじゃない?
>171
漏れは違うと思う。
公案の答えとはもっとズバリ真実そのもの、言われれば「あ、なるほどスッキリその通り!」みたいな。
あたかも澄み切った青空のようなカラリとした単純かつ具体的、しかもあらゆる場面に応用が利くものだと思う。
例えば…3x+2y=17 x+y=7という数学の問題を出されたとき、
「移項とはウンヌンカンヌン、加減法とはフンフンフン、代入法とはペケペケペケという理屈、よって
この方程式は真実を表しているのである」
とか答えるんじゃなくてカラリと 「x=3、y=4が答えです」 みたいな。
もしくは、車を動かそうとしてキーひねったがウンともスンとも言わない。「何で動かないんだよ!」という問いに対し
「ガソリンなきゃ動かないわい」と答えるような、シンプルかつ核心を突いたものであるんじゃないかと。
この公案についても、漏れの出した答えは妄想を殺す方向の、シンプルかつ現実の人間生活に使えるものだった。
…まあ、師家さんについてるわけじゃないんで、自分の答えが客観的に正しいかどうかはわからんけどね。
わけわからん公案に取り組んでると、今自分が何を学ぼうとしているか出発点を忘れる時がある。
公案はあくまで仏法を直に悟らせるための方便。仏法とは何かといえば、それは苦を免れる法。
苦はどこにあるか?何が根源か?いかにして滅するか?ということと公案の答え(悟り)とは別ではない…と思う。
無門関の提唱本とかいろいろ出てるけど、ああいうのを下手に読むと理屈に走りすぎて本質が見えなくなる気がする。
しかも、どうもキチンとわからずに解説してんじゃねえかとか思うモノ山ほどいっぱいあるし。
うーん、違うか・・・
シンプルねぇ・・いきなりPC殴るとか 藁
空中に円って人牛倶忘を連想しちゃったのよ
悟りなんか求めるな、囚われるなってことかと思ったんだが
つまりお前さんは悟っとる、と。
「漏れに仏性はあるか?」 「無!」
178 :
名無しさん@3周年:04/04/08 02:05
おまえ、どこぞの334だろ
179 :
名無しさん@3周年:04/04/08 02:28
>>171 どちらも優劣つけがたい「主、主を看る」ですか
>シンプルねぇ・・いきなりPC殴るとか 藁
答えといっても、答えを出すのが目的じゃなく、答えを出せる人間になるのが目的だと思う。
数学の勉強だって、答え自体が目的じゃなく、その問題を解ける能力を身につけることが目的なのと同じことで。
公案何のためにやりますか?ってことだね。ナゾナゾ解いてるわけじゃなし、あくまで仏法を学んでる。
公案も仏法の中に人間を放り込むのが目的。そこを間違えると答えは永遠に出ないと感じるね俺は。
無門関で趙州が二人の庵主を訪ねて「有りや、有りや」と聞いたところ、二人の庵主とも同じように拳を挙げたのに
一方を肯定して一方を否定した話がある。これなんかまさに「答えが問題じゃないんだよ、答えを出す過程、
つまり答えを出す人間そのものが問題なんだよ」ということを教えんがための公案である。シンプル。
将棋の羽生さんが最初の一手で角の筋を空けるのと、我々が同じ手を指すのと、その意味あいは全然違うよね?
そういうこと。
曹洞宗系で「悟りを求めない」と言う人がいる。
沢木さんも「悟りは求めない、坐禅が即ち悟りの姿。坐禅即ち仏である」と言っている。
でも、ここに大きな落とし穴がある。それは「求めない」んであって、「悟らない」わけじゃない。
他の本では語ってなかったが、沢木さんは学道用心集の本の中では明確に「大悟数度、小悟数知れず」と
悟ったことを述べてる。道元さんも「心身脱落、脱落心身」と悟ったし、その弟子も
「仏法とはまっ暗の中で黒い物体が動いているようなものだ」と悟ってる。やっぱり悟らなきゃダメなんだよ。
陳腐な表現になるが「求めずして求め、求めて求めず」。このあたりに妙があるんじゃないかねえ。
ちなみに真面目にやるんだったらさっきの公案はずーーっと後回しにした方がいいよ。
あの公案自体でなく、あの公案についてつけられた評を公案にする場合は難透どころか五位よりも上の段階らしいから。
個人的には、さっきの公案も難しい部類に入ると思う。
それを屁でもないと言う148は大力量の人に違いない。
>一瞥したとしても、また迷いの世界に入る
禅のことはしらないけど、これは真実ですね。
迷いとは、迷っていることがわからない、ことなんだが。
これでいいと思って安心していても、またぞろということもあるよ。
今の自分はそんな処にいる。
でもこれらすべてにに対して自分は以外なほどクールでいられる。
実に不思議だ。
183 :
名無しさん@3周年:04/04/08 12:00
>>144 空中に円を書いたのは、「意味ありげに無意味なことをしてみせた」
それを正しく糞坊主の詐欺であると分かってしまった弟子に、逆に騙されては堪らない。
だから閉めた。
>180
ふーむ・・・
傑物の禅客はなるほど違う
185 :
名無しさん@3周年:04/04/08 13:12
186 :
名無しさん@3周年:04/04/08 13:18
僕は公案には関心ないな〜。曹洞宗のほうだからね。
188 :
名無しさん@3周年:04/04/08 14:03
>>187 曹洞宗でも現成公案というものがありますよ。
只管打坐そのものが現成公案ですよ。
189 :
名無しさん@3周年:04/04/08 14:12
かって坐禅会で、古老が漏れに
踵で呼吸しなさいといった。
そのときは何を言っているのか全く見当が付かなかったが、
そうか、そうだったのか
いま、わかったぞ!
>>189 荘子にもあるね。凡人は肩で呼吸をするが真人は踵で呼吸をする。と
191 :
名無しさん@3周年:04/04/08 15:58
大体、過去の名のある僧で薬や瞑想で悟った人物はいるのか?
釈迦はどうだ?達磨はどうだ?臨在は?
薬や瞑想で「悟り」だというのなら大昔からそれについて継承されててもおかしくないはずだか?
なんでそういうのはないの?俺が知らないだけなのか?だったら教えて欲しいね。
192 :
名無しさん@3周年:04/04/08 16:21
ドンファンとか・・
ペヨーテ使ってるじゃん
193 :
名無しさん@3周年:04/04/08 16:33
呪術師を同列に扱って良いものか?ミュージシャンとか含めるとゴロゴロ出てきそうだな。
そんなんで良いのか?
麻薬中毒者なんて相手にするな。
やつらは理由なんか後付けだよ。快感を正当化したいだけ。
自分が痴呆に向かっていることにも気づかずにね。
釈迦と同列に自分を並べて彼らは満足なんでしょ。その程度の廃人さ。
だよな。同意。
見性者期待アゲ
197 :
名無しさん@3周年:04/04/09 12:48
おうオメエらよお、いいかげん薬の話はやめたらどうでえ
198 :
名無しさん@3周年:04/04/09 22:30
>>166 >達磨にひげがないのは何故でしょー?
男性原理を超越していたんだよ
199 :
名無しさん@3周年:04/04/09 23:43
じゃぁ女性原理か
200 :
名無しさん@3周年:04/04/10 00:16
聖人というのは、男性原理にも女性原理にも偏らない、
中性というか両性を具えている。それは性の執着から抜け出した状態。
201 :
名無しさん@3周年:04/04/10 00:30
達磨には衣もあるかな?
202 :
名無しさん@3周年:04/04/10 00:33
>200
観世音菩薩は男?女?
203 :
名無しさん@3周年:04/04/10 14:12
>>202 いろんな変化観音の中には、慈母という形容が相応しいのもあるけど、
変化の観音の原型である聖観音自体は、女性にもあらず、男性にもあらずだと思う
204 :
名無しさん@3周年:04/04/10 16:09
明朝、禅会へ行ってきます。
もうかなり通っていますが、まだ公案が透りません。
今度透らなかったら、師家におさらばすると、何度思ったことか。
その度に、”近い”って言われて、喜んで帰って来る。
下根なんですね。わたすは。
私の通っている寺は曹洞宗なので公案はありません。公案って役に立つのかな?
私は何も考えずに呼吸だけ見守って座る坐禅が好きだな。
206 :
名無しさん@3周年:04/04/10 20:58
身体技法の能力に欠ける分、
公案で代用させるんだろ
>204
ガンガレガンガレー、漏れは応援するぞ。
透過したら是非説法してくれよ。
2ちゃん禅スレで一番欠けてるのは「実際に公案を透過した経験のある人間」だ。
第一号となって欲しい。
ネットでできる提唱とかにゃ限界はあるけど、でも何もできないわけじゃない。
上求菩提下化衆生というし、是非漏れを含む2ちゃんの禅関係スレ住人に法雨を降らせてくれい。
山登りの地図みたいなもんでしょ < 公案
山頂にたどり着ければ地図じゃなくてもコンパスでも良いわけだし。
残念です。
”もう一寸だ、惜しい。いいところだ。”ですって。
ほんとかな? 自分ではなんら変わってない様に思えるんだがなぁ。
老師を疑いたくなるよ。
でもまた、がんばるぞ。
>>209(204)
「惜しい。もう一寸」って、頓知や謎掛けしてんじゃないんだから…
疑いたくはないんだけどさ、その老師の出した公案てどんなんよ?
まさか、どっかに模範解答集がある何処ぞの公案じゃないよね?
「公案」の「解」って白黒どちらかしかない筈なんだけど…
それに、同じ問いに同じ答えをしても人によって白黒が違ったりするんだけどね(だから本来なら「公案」の「模範解答集」なんて有り得ない)。
>>210 ありがとうございます。
無字の公案です。
>「公案」の「解」って白黒どちらかしかない筈なんだけど…
白黒どちらかしかというのはどういうことでしょう。
私にはわかりません
>>211(204)
やっぱ名乗ろう。
うーん。
白黒ってのもまずい言い方でしたか。
「公案」の「解」は、師に対する弟子の真剣な問い掛けなんだから。
まるで、師を矢で射抜くような。
だから、師の的を射抜かない矢には何の反響も無い筈なのよ。
的を外した事を「わざわざ」教える必要はないんだ、本来なら。
だから、反響音がするか沈黙かの二択しかない筈なの。
それを「惜しい」なんて言うとは…
>>212 ハルカさん、ありがとうございます。
たしかにおっしゃるとおり、ただ鈴を鳴らされて空しく帰って来た事もあります。
が、何回かに一回は、それと同様な言葉が返ってきます。師家を批判するわけには
参りませんのでこれ以上は控えますが、反響音がするとはどういうことでしょう。
214 :
名無しさん@3周年:04/04/12 10:57
言葉に出して、それを悟りと思ってしまう似非禅坊主どもの愚かさよ
>>213(204)
えー、そこまで言わせますかぁ?(-_-#)
そりゃ、時によって様々ですよ。
柔らかな微笑だったり、弾かれたような爆笑だったり、「それだ」とか「よし」の一言だったり、感心したような嘆息だったり、時には流れ落ちる涙だったり…
師と弟子の「無言の感応」って奴です。
>>215 ああ、そういうことだったのですね。つまらない事をお聞きして
失礼しました。
はやく、よしっ、と言われるようにがんばります
>>213(204)
で、貴方の師についてもう一言。
その方は『分かってやっている』のかな?
それも有り得る。
可能性としては…
1:的を『意識的に』拡大している。
こうすれば、どんなに見当外れの矢でも一応当たる。
2:親切過ぎる。
外れた矢にも『的から〜だけ外れていたよ』と教えてくれている。
まぁ、最悪『公案』を頓知や謎掛けと同列に捉えてる可能性も無いとは言い切れないが…
>>213(204)
で、貴方の師についてもう一言。
その方は『分かってやっている』のかな?
それも有り得る。
可能性としては…
1:的を『意識的に』拡大している。
こうすれば、どんなに見当外れの矢でも一応当たる。
2:親切過ぎる。
外れた矢にも『的から〜だけ外れていたよ』と教えてくれている。
まぁ、最悪『公案』を頓知や謎掛けと同列に捉えてる可能性も無いとは言い切れないが…
あう。
二度書きスマソ
>>218 >最悪『公案』を頓知や謎掛けと同列に捉えてる可能性も無いとは言い切れないが…
それはないと思います。
私は、持続せよと励ましの言葉だと思っています。
>>220(204)
それならいいんですが。
でも『公案』って頑張ってなんとかなるモンじゃないんですけどね。
時が来たり、自分が至れば『自然と』答えられます。
逆に、力むと答えられなくなりますよ。
>>221 ご注言ありがとうございます。
自然体でいきます。
ハルカさんは公案を透過されたのかな?
障りがなければ、体験談みたいなものが聞きたいです。
224 :
名無しさん@3周年:04/04/12 12:26
チューラパンタカに倣いなさい
白隠存命の時代のこと。
とある老和尚がいたが、60を過ぎたのに悟っていなかった。
これではいかんと思い、白隠禅師の門を叩いて修行をしたが、一行に悟れなかった。
あるとき禅師にそのことを訴えると「3年間、死にもの狂いで修行してみなさい」と言われた。
そこで3年間死にもの狂いで修行をしたが、一行に駄目だった。禅師に「まだ悟れません、どうしたらよいでしょう」
と言うと「あと3ヶ月間、頑張ってみよ」といわれた。そこで更に3ヶ月間頑張ったが、まだ駄目だった。
「まだ悟れません、どうしたらよいでしょう」と尋ねると「最後に1週間だけ頑張ってみよ」と指示された。
そこで更に1週間頑張ったが、それでも駄目だった。
禅師にそれを訴えると「もうお前のような者は駄目だ、死んでしまえ」といわれた。
老和尚は寺を出て、懇切指導してくれたが悟れなかった詫びのため死のうと思った。
断崖絶壁のところへ行き、崖を見下ろして呆然と坐った。日が暮れて夜中になり、やがて夜が明けてきた。
そしてお詫びのために崖から身を投げようと一歩踏み出したところで朝日が出てきた。
その朝日を見たとき忽然と胸のうちがカラリとして悟りが開けた。
老和尚は走って白隠禅師のところへ駆けつけると、それを見て「そなた、悟ったな!」と言ったという。
ある居士は、遠いところから白隠禅師の寺で行われる12月8日のロウ八接心に毎年通っていた。
接心が何回目かを数えたとき、禅師は居士を咎めて言った。
「お前は毎年遠くから接心に通っているが、一向に進歩がない。お前のような不甲斐ない者はいらぬ、
もうここへは来てはならぬ」
そこで居士は奮い立ち、ここで悟れねば生きて故郷に戻るまいとおもった。そこで1週間と期限を区切り、
そこまでで悟れなれば死ぬつもりで漁師小屋で坐禅を組んだ。
食べ物もとらず、横にもならずに坐りぬいたが1週間たっても悟れなかった。
もはやこれまでと思って自害しようとしたとき、忽然と悟りが開けた。
禅師もこれを認めたという。
227 :
名無しさん@3周年:04/04/12 16:29
>>225 >>226 分かるような気がします。
我を捨てて、捨てて、尚も捨て切ったと思った。それでも悟れなかった。
そして自害しようとした自分。
そしてついに、それさえも捨てきることができた。
そこに残った自分、この自分っていったい何者なんだ。
そこで、忽然と悟ったのでしょうね。
>>223 寺に参禅はしてません。
まだ、公案が必要な時が訪れてないので…
>>227 私はそうじゃないと思う。
>>225も
>>226も『自分を捨てた』のではなく、最期の時に『生への執着さえ落ちた』のでしょう。
『捨てた』のではなく『落ちた』のです。
意識して『捨てた』のではなく、結果的に『落ちた』だけ。
二人とも『死んでもいい』と思っていた事でしょう。
その覚悟で行に取り組んでいたのでしょう。
だが…願いは叶わなかった。
そしてそんな自分を見て、最期には『生きていたくない』と思ったのでしょう。
『死にたい』ではなく『生きていたくない』と。
つまり、『生への執着』が完全に0になった。
そんな『死ぬ一歩手前のギリギリの状態』『死の直前の状態』−正に、生きているだけの状態に『なってしまった』からこそ、二人は『悟った』のでしょう。
229 :
名無しさん@3周年:04/04/12 17:30
くさい、くさい。
230 :
名無しさん@3周年:04/04/12 17:46
aforasi
ど〜でもいいことだろ?
解釈はイラン。
読んでどう思おうが各人の勝手。
俺の解釈が正しく、お前の解釈が間違い、という姿勢が間違い。
231 :
名無しさん@3周年:04/04/12 20:15
座禅終わると5分くらい乱視状態になるんですけど
僕の他にもそんな人いますか?
ちなみに座禅中は背筋は伸ばしますが、あとの部分は
ボーっとしてます。
>225-226
ここに述べられた誰の見解が正しいか、誰のも正しくないかはその状態になってみなきゃわからない。
リアルで艱難辛苦に遭い、天井見上げながら現実に生きるのと天井から綱吊って首くくるのとどちらが楽か…と
毎日悲嘆に暮れた挙句、最後にああ、もう死ぬしかないかもしれないというところまで追い込まれる。
そこで現実に死という選択と直面したとき、どんなことを思い、どういうことを感じるか。
で、そこから一転して生きるという道に帰ってくる時、どんなことを思い、どういうことを感じるか。
不自由もなく追い詰められてもいない状態で『仮想追い詰められ状態』を作って、果たして同じ境涯が得られるものなのか。
漏れは204氏の師匠の言葉は間違いないと思う。
204氏が今までどれだけ参禅したのかはわからない。でも、「もうやめようか…」とか
「この師匠で本当に良いのだろか…」と思いはじめるということは、204氏がようやく八方塞がりの窮鼠状態に
近づきつつある証拠。
何を言っても、どんな見解を述べても駄目。最早出そうにも言葉が尽き果て、呈しようにも呈する物無しという
大悟の直前の「大死」に近づいているんじゃないかと。
答えが近いんじゃなく、204氏の状態を感じてお師匠さんは「近い」と言っているんじゃないかな。
この辺は名無しの漏れの言葉じゃなく、125で出したアドレスにある「今北コウセン和尚の禅修業」ってのを
読んでみるといい。
>>232 204です。
なるほど・・・
おっしゃる通り、今は八方塞りの状態で、もう独参するのが億劫です。
でも、
>大悟の直前の「大死」に近づいているんじゃないかと。
といわれると、面映い気がします。
次の禅会までに見解を用意できなければ、参禅はしないつもりです。
なーんか悟りとか言うたら雲の上の人のことみたいだけど、実際のところ
違うんじゃない?
現実世界のしがらみの中で生きていると、慌ただしくてあくせくしてて毎日
せわしなく過ぎていくから簡単なことに気づかずに見落としているんだと思うよ。
(嬉しい、楽しい>苦しい、痛い)じゃなくて(嬉しい=楽しい=苦しい=痛い)
ということを感じることじゃないかな?つーか、そう感じる自分というものが
生きてココにある事が奇跡的に思えてありがたいと思うことじゃないかな?
>>231 乱視状態になりますよ。私の場合は、視覚異常なのか、座禅中は目を置いた
ところが白く輝きだして、光に包まれます。坐禅後しばらくは目の焦点が合いません。
236 :
名無しさん@3周年:04/04/14 10:37
>>234 同意。
悟りとは自分の心を静めて相手の心を写しだし、相手の心がわかるよ
うになることだと思うよ。
現実生活において、心を静めて仕事ができるならそれは参禅であろう。
237 :
名無しさん@3周年:04/04/14 11:09
238 :
名無しさん@3周年:04/04/14 14:55
>>235 肉体と魂が離れるときに瞬間的に回りが白く見えることがあるようだ。
それはあまり良いことではない。
肉体に意識を残しておかなくては、よからぬものが近づくことがある。
何も思わないより、一つのことを深く考えることにした方がいい。
239 :
実行委員長:04/04/14 17:42
悟りとは、間脳の開発なり
>235
やっぱり乱視状態になる人いるんですね
私の場合半眼状態で目の焦点のあってるところから
黒いもやがでてきて全体に拡がります。
そしてまばたきが起こると黒いもやが消えます。
そして一緒に忘我状態がなくなってしまいます。
あとたまに目がギョロギョロ勝手に動いたりします。
目に悪そうで恐いです。
>238
だって禅の究極は無我だ空だっていうじゃないですか
道元の只管打坐だって公案せずただ座ってるだけだというし
242 :
名無しさん@3周年:04/04/14 19:34
243 :
名無しさん@3周年:04/04/14 22:25
不立文字や教外別伝の根拠とされてる、「拈華微笑」という成句は、
原始仏典や般若経典をはじめとする大乗仏典のどこにも見当たらないそうですね。
菩提達磨も架空の人物である公算が強いし、「拈華微笑」も中国人の創作となると、
創作でしょうね。大乗仏教そのものがフィクションですから。でも、フィクション
のなかで悟ることが出来たら充分だと思う。
245 :
名無しさん@3周年:04/04/15 13:45
>>241 >だって禅の究極は無我だ空だっていうじゃないですか
>道元の只管打坐だって公案せずただ座ってるだけだという
我流でやる坐禅の陥りやすいところですね。
無我とか空ってのは、ボーッとして精神の空白状態ないし放心状態を意味することではありませんよ。
また只管打坐の、ただ坐るってのもそうです。
こういうのをいわゆる「鬼窟裏に活計をなす」暗照默照の邪禅というんです。
正しい坐禅を早く身に着けてください。
>その朝日を見たとき忽然と胸のうちがカラリとして悟りが開けた。
>老和尚は走って白隠禅師のところへ駆けつけると、それを見て「そなた、悟ったな!」と言ったという。
わかるわかる。まあ、しばしばそういうことがあるな。
>もはやこれまでと思って自害しようとしたとき、忽然と悟りが開けた。
うんよくあることだな。
悟れないというのが不思議だよ。あははは。
248 :
名無しさん@3周年:04/04/15 16:12
道元が中国で座禅を学んだ期間は何年?
期間は関係ない。
道元も関係ない。
250 :
名無しさん@3周年:04/04/15 16:34
道元なんて、今でいう中国帰りの留学生と同じ。
そんな奴に何がわかるのだろうか。
心身脱落が有名だけど、元は心塵脱落らしいね。間違えて認められたとか・・
釈迦は8年で悟り、達磨は面壁九年・・・・・とすると、相当に才能のある
人間が頑張って8〜9年が、悟りに要する時間だね。凡人は何十年かかるやら。
ちょっと違うよん。
達磨さんは8歳のときに既に見性悟道してたと言われる。で、その後お師匠さんに20年ついて更に磨いて、
んで中国に渡って来て面壁ウン年したらしい。
祖師の方々の修行は激烈ですねえ。仏法は生半可なことでは体得できないですのう。
臨在の師、黄檗も生まれながらに見性悟道の人だったらしいね。
生まれながら見性なんてあるわけないじゃん。自我がまだ生まれてないんだから。
今日も悟道派の連中の寺の坐禅会に行ってたんだが、
彼らの悟りに対する執着というのはすさまじい。
しかし考案と見性とは必ずしも連動していないかもしれない。
と、云うのは坐禅というのはとにかく一生懸命座るという奇妙なことをするのだが、
一生懸命座れば座るほど苦しくなる。こんなことしてて悟りなんて開けるかと
思うのだが、何日かそんな調子で座っていると、段々時間空間の感覚が変わって
来る。不思議というか奇妙というか不気味というか、別に幻覚を見ている訳でも
無いのだが、世界が時間が全てが何か違って感じられるようになる。
そのうち段々とワイルドな感覚になってくる。
何か変というか、異様に力強いというか。
すべてが肌に纏わりついてくるようなそういう変な感じなのだ。
別に幻覚を生じているわけではないのだが、全ての存在が異常に近くに感じ
られ、言葉を交わしているわけではないのだが、全てのものと会話している
みたいな変な感じになる。
恐ろしく非論理的な非常識な人間にいつの間にかなっているというか・・・
云っとくけど俺は見性は許されてないからな。
まあ接心に行くたびに変なことを経験するんで悟りよりもそっちの方が
面白いと思っているのだが、これは魔境という訳でもにゃいのだ。
魔境というには当たり障りがなさ過ぎるというか、それだからまだ見性
許されてないのかもしれない。
よく命を掛けて修行するというがそれが却って見性の障害になる。
執着の捨て方の旨い奴が見性するともいえる。だから捨てる執着の無い奴
は見性しにくいともいえるのだ。
俺の感じでは結構真面目だけど適応力があって頭のいい奴か、全く馬鹿な
女とかが良く見性しているなあ。
俺みたいに執着無くて直球勝負しか出来ない奴はなかなか見性できないようだ。
見性のマスターキーは、解けない謎に挑戦することなんだ。
解けないから意味がある。
なぜなら、問いかけに意味があるのだから。
迷いがなければ悟りはない。
公案の有効性はそこにある。
本当のマスターキーは自分で見つけるしかないのだが、
「存在していたくない。」「永久に消え去りたい。」「無意味に存在している。」
見性と何の関係もないように見えるが、そうではない。この願いを心底から願う。
そうすると、その願いは叶えられ、消え去ることができる。
死と隣合わせのもの。それが見性の必要条件だ。
少なくとも命がけ。それが見性の必要条件だ。
生きている意味が無い。それが見性の充分条件だ。
>258 なんか観念的な感じがするなあ。
座ることに一生懸命になると苦しいんだかなんだかわかんなくなる。
そこまで追い詰められると一瞬一瞬生きるのが勝負になってくる。
そうなると命がけだかなんだかももう判らない。
そのうち自分も世界もパラレルに変容してくる。
はっきしいって、何かが壊れてくる。
まあ俺に解るのはここまでだな。
考案はどちらかというと論理的な思考を出来なくする枕にしか過ぎない。
第一考案が出来る前に祖師はどうやって悟ったんだい?
もっとも悟道派の連中は今日も独参独参でゴリゴリに考案やってたが・・・
悟道派のやつらはなんか熱いものを感じるんで好きだな。
見性は誰かに許されるものではなく認められるものでもない。
誰かが認可したら見性というものでもない。
適応力のある要領のいいヤツ、何も考えていないヤツが見性するもんでもない。
そんなにホイホイできるものではない。
まったくの筋ちがいだ。
見性というのは、見えなくなっているものをありのままの姿を確認するものだ。
目の前にあるのに見えないからそれを見る。それが見性。
執着があるから見えない。ある意味正しい。
ではどうやって執着をとるというのだ。
執着をもって執着を取り除けるのか。できるわけがない。
そこで、無意味な公案がある。
公案は誰かが考えた方法なので、なくてもよい。
要は、執着が落ちればよいだけなのだ。
誰かに認められる、誰かに許される、そういう他者は関係ない。
これは自分との勝負なのだ。
自分との勝負に勝つ というのではない。
自分との勝負に負けるということなのだ。
勝負に勝つことが見性ではない。
何かを獲得することが見性ではない。
勝負に負けること、全敗すること、勝負のテーブルから身を引くこと、
これしか見性はない。
見性とは
博打で全財産擦ってしまった。
に似ている。
全ての持ち物、身に付けたものをすべて取り払ったとき見性はある。
それが心の中で行われた時、起こる現象だ。
>>257-264(道さん)
うん。
本当にその通り。
他のトコでも言ったんだけどね。
『見性』(『悟り』としてもいいが)を『足し算』として考える奴が多すぎる。
それは何も得るものじゃないし、成長や進化なんかじゃない。
無論『新しい価値観』でもないし、『より良い生き方』でもない。
それは『引き算』なのにね。
だから、生を楽しみたいなら見性など求めない方がいい。
見性すれば生は楽しいんだけどね。
十牛図は中国と日本じゃ違うって知ってた?
>>263 訂正
>取り払ったとき見性はある。
取り払われたとき見性はある。
微妙な違いだが、結果は大きく違う。
禅定に至って、見性するか否かはここが違う。
つまり『捨てた』と『落ちた』の違いのこと。
>>265 何と答えましょうか。
いまさら、確認することもないでしょう。
私の主張は同じです。(N)
んなもん自分でわかるかよ。自分の評価を自分でお手盛りするほど滑稽なことはないぞ。
キチッとした師家さんに評価してもらったんならともかくな。
といいつつ漏れ尋牛。どこまで行っても牛を尋ね、尋ねた上にまた尋ねる。
>262
見性が勝負を降りることだとすれば、見性は負け犬の言い訳、人生の墓場にすぎん。
そんなんが人生に何の役に立つ?
そんな仏法や見性はただの廃人製造機にすぎん。病ではあっても仏法でも道でもなんでもない。
維摩経で舎利仏さんが閑静な森の中で坐禅をしてたところ、維摩居士が「そんな坐禅はなっておらん」と
手厳しくたしなめた話を知ってるか?
敢えて欲界の中に入って、尚禅定を修する。敢えて勝負の中に入って、それでもなお禅定を修する。
それが真の仏法ってモンじゃないかい?
白隠さんも『遠羅手釜』の中で比喩を用いて以下のように仰っている。
「ここに黄金がある。これを守ろうとして、穴倉にとじこもって門を閉ざしてだれもそばにこないようにして、
黄金のお守りをする。そんなのはとるに足りない、現実に何の用もなさない行為だ。
たとえばこの黄金をある場所まで持って行けと言われ、武装して黄金を手に掲げ、賊のワンサカいる
山の中を進み、賊が来れば一刀両断に切り伏せて少しもひるまない。これこそ真の大丈夫、大乗の仏弟子である。」
独学でやってんなら悪い事は言わぬ。キチっとした参禅会にでも参加して、ちゃんと修行した方が良い。
アンタそんな妄想ひっ抱えて一生を空しく過ごすつもりか?
272 :
名無しさん@3周年:04/04/19 13:42
>>271 どっちなんだ
動中の禅だけで坐禅は不要っていってんのか?
坐禅の姿で禅定を修められなければ動中での禅定はとてもできない。
だが、坐禅だけに落ち込んでいて、静中の静を求めていては何の役にも立たない。
そういうこった。
>271
そう気にしなさんな。君に言ったわけじゃない。
「禅定に至ったがなぜか見性に至らない。」
「見性に至ったがいま一つ理解できない。」
向けに言った方便だから、忘れてくれたまえ。
君は人生に役に立つものを追いかければよかろう。
それとアドバイスをくれたみたいだから、1つだけ。
「尋牛」に至ることができれば「見性」はすぐそこだ。
ほんの数日、長くても数ヶ月だろう。
しかしそれでも「見性」に至らないとすれば、
それば「尋牛」ではない。牛を尋ねてはいない。何か別のものを尋ねている。
求める姿勢では得られない。
ある意味「幸せ」と似ているかもしれない。
幸せになりたいとより上の幸せを求める限りその人は幸せじゃないが、
どんなに小さかろうが、日常の生活に幸せを感じる人もいる。
一番の難関は「発心」ということです。
「発心」がひとたび起こればどのような障害も突き進んで行くからです。
「発心」が起これば、「なぜ悟れないのか?」など疑問がでてこない。
彼にとっては「悟り」などどうでもよい。
ただ「苦」の答を求めて突き進むのみです。
彼はどうしても、その答を知る必要に迫られるからです。
「苦」に気づいたために苦しみ抜くからです。
それゆえ「発心」が起これば、牛を尋ねれば、「見性」はもう目の前にあるのです。
俺は「見跡」を半年続けていまだに「見牛」に至らない。
道さん、アドバイスよろしく。
278 :
名無しさん@3周年:04/04/21 00:17
あぼーん
あぼーん
>277
誰かが教えられるとしたら、地獄に突き落とすか、死んで来いと言うぐらい。
これは、あまりに酷だから、意味のないことに人生の全てを掛けさせて、最後に見込みがないから、破門じゃ
とするぐらいだな。
何でかわかるかな。このくらいでないと、執着は落ちないんだよね。
↑難しいものですね〜。
見性者出現期待アゲ
誰か、見性体験書いて。
285 :
名無しさん@3周年:04/04/23 17:59
>281
それは執着に対する執着のし過ぎというもの。
執着なんて簡単に落ちる。
執着が落ちたらそれが、見性なのかどうかはしらん。
歳をとれば執着はなくなる。死ぬころには、何の未練もない。ただ死ぬだけよ。
286 :
名無しさん@3周年:04/04/23 19:46
顕正〜顕正〜!
日蓮大聖人に帰依しなければ地球は滅ぶ!!
287 :
名無しさん@3周年:04/04/23 22:54
ミミミミ||||||||||||||||||||||イイ〃
ミ """"" 彡
ミ〉 :::: :;;;;;; :::::: :::;;;;;;:: 〈ミ
Y Y
| ~"""''''、 ,''''"""~ ::|.
r'^|シィてユゝ i i ィてエゝミ:|'^.i
ゝ{| .ノ | | ヽ、 :|} ノ
.し|::: ´ ノ :ヽ :|ノ 解脱の瞬間!
| 、 ./〈r、...r.〉\ , .|
| ヽ ,__..,;,,;,,.__、/ /
,ト、 ´ ̄~~ ̄` /;;|. \
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, ノ |
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ノ / \ ヽ
,! | \ !、
│ / | `!、
/"γ\ _/ ξ⌒―‐' ̄\、 ,/ ̄\、 ,ノ⌒⌒\
μuuULヽ__――――── ̄ ̄ ̄`――´\、ノ ιノ Uuuヽ
/ \ ,__Ξβ \
! __,―'~― ̄ |
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` __., ―――'' ̄ ̄ ̄ ̄ " ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`―――――
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>>285 良レスだね。
執着が弱くなった、怒るのを控えるようになった、欲がなくなってきた、聖人のイメージに近づいてきた、
そして、無欲になった。で、これが見性かもしれない。
そんなもんではない。それでは、何の答にもなっていない。
聖人のイメージを真似ても、パワーが弱々しくなっても、何の答にもなっていない。
見性はもっとはっきりとした答がある。
本当に執着が落ちれば、もう何の未練も無ければ、もう、ありのままを見ることができる。
しかし、まだ見ていないなら、はっきりと答を見つけていないならば、それは違う。
執着には原因がある。その原因を見つけなければ、答を見つけたことにはならない。
なぜだろう。執着が落ちるには、全力疾走しなければ、落ちない。
最も、望んでいることは、何だろうか。一番の望み。毎日思い描く望み、それは何だろうか。
それに向かって全力疾走しなければ、全力を尽くさねば、止まることが難しい。
全力疾走してはじめて、ある日、止まる。
そのとき、執着が落ちるのだ。
289 :
名無しさん@3周年:04/04/24 02:43
要するに坐禅をするに至った心理的理由を心理的に克服することなのかな?
290 :
名無しさん@3周年:04/04/24 20:56
「プライド」にこだわりがなくなると、「プライド」がよく見えてくる。
そうするといい意味でのプライドが生まれる。このプライドはそれを維持する
ための判断や努力が要らない。まさにそうなるためのプライドであり、
これが人間の品格というものになる。徳が高いということは、その徳のゆえに
自由でなければならない。
ところが徳のために不自由になるものがいる。徳の低い者が徳を持つと、
それを守るために、弁解するために汲々となる。
毎日全力でよいことをしているのに「偽善者」などと陰口をたたかれることに
なる。
知ること、知らないでいること、持つこと、持たないこと、
喜ぶこと、苦しむこと、そういうものをそういうものとして、分け隔てなく
人生のモジュールとして結合し組み立てて楽しむことができるとき、
人生の達人といえるのではあるまいか。
そこでは見性も尋牛もひとつのパーツに過ぎない。
291 :
名無しさん@3周年:04/04/24 21:31
座禅しても特別なことは起こらなかった というか心が0からのスタートみたいな感じになるから、悪くなかった!嫌なことがあっても心を白くして、これからが大切みたいな感覚になる。
292 :
名無しさん@3周年:04/04/24 21:40
最初は座禅なんてたいしたことねーなぁーと思ってたけど、ささいなことに悩みの解決策があるみたいなことを学んだ。何かあっても感情的になって興奮しないで落ち着いて対応すれば、解決策の糸口がささいなとこでみつかるみたいな感じ
293 :
名無しさん@3周年:04/04/24 21:46
心が粘着質になってるときに過剰に感情に走るとよけい、粘着質になって、どろっとしてくる!そこを間をおいてサラっとした気持ちになることを学んだ
294 :
名無しさん@3周年:04/04/24 23:18
>>290 生は要素に分解したり組み立てたり出来るもんじゃないと思うよ。
生を機械のメタファーで考えるのは止めた方がいいんじゃないかな?
295 :
名無しさん@3周年:04/04/25 07:29
>294
むしろ直接説明しようとするから、膠着状態になる。
すべてのことは例によってしか説明できない。
知識のために不自由になる必要はない。生はメタファーであり、
機械であり、死であり、要素であり、座禅であり、見性であり、
究極のところとらえどころがない。
本質を捉えようとして、絞り込む。よりよいものを
純粋なもの、そこから、さらに純粋なものを選びだして、他を排除する。
そうして自由な思考の空間まで排除する。
自らを縛り上げ、身動きできなくなってしまう。
「こうしてはいけない」
「ああすべきだ。こうすべきだ」「これが尋牛だ。見性だ」
それが膠着状態だ。
生は自由奔放で、躍動があり、真理を含んでいて、同時に矛盾がある。
そして、それを直感ですばやく捕らえるのも生の働きだ。
その通りですな。こうだ、ああだと言い過ぎたな。
297 :
名無しさん@3周年:04/04/25 10:57
>>295 言われていることを素直に受け取らないから進歩しないんだよ。
「知ること、知らないでいること、持つこと、持たないこと、
喜ぶこと、苦しむこと、そういうもの」に対して
機械のメタファーを適用することの愚を知れと言ってるだけ。
295が言うような何でもアリのごた混ぜ思考を容認するのが禅だとしたら、バカバカしい。
「知識のために不自由になる必要はない」だって?
自由のために知識を捨てたなら、295の発言は一体何ですか?
貴方の個人的な自由のために無意味にされた言葉以外の何ものでもないでしょう。
貴方の言葉は貴方の自由の残りかすです。このことの意味がわかりますか?
自分一個の自由のために知識を捨てている以上、
他者にたいして言うべき言葉をも捨てているということに気づくべきです。
そんなところにとどまっているべきじゃないでしょう。
どうせレベルの低いスレよこれは
test
300 :
名無しさん@3周年:04/04/25 15:33
>297 海に潜って、一匹の魚もいないような、海があるとしたら、
それがどんなに美しくても、悲しくなってくる。雑魚でも
泳いでいてくれれば、心の安らぎになる。
愚を知るということ、無知の知ということ、あるいはキリストの踏み込んだ
絶対受動の世界。それらは愚かしい不毛の世界だが、賢くもわれわれは、豊かさ
ゆえに豊かさを知らない。哲学者も聖人も不毛の世界に深く踏み込んで覚醒する。
禅もまた愚かでバカバカしいことでは共通する。
まず広い地平にたつこと。そこにそれぞれが、勝手に知識を積み上げ、
国家となり、譲れない信念となり、聖地になるとしても、広い地平に
立っていればさまざまな知識と共存できる。シオニズムも大シリアも
ごた混ぜでなんら問題ない。それこそ豊かさというものではあるまいか?
どうやらアクセス規制が解除されたようだ。
昔のえらいお坊さんの言葉に、到道無難唯嫌選択というのがあるな。
このお坊さんが言ってるように、道=見性=悟りに到るのは難しくないのでは?
この選択というのが執着だろう。考えてみよう。好き-嫌い、愛-憎、美味い-不味い
美しい-醜い、尊い-卑しい、高次元-低次元、動-静、楽-苦、、、、
これらの真ん中をニュートラルだとすると執着というのはこの真ん中からどちらかに
ずれた状態を選択することだ。では常にニュートラルの状態で居よという事なのか?
人間である以上好き嫌いの感情や美醜の認識を持つのは当然だ。常にニュートラル
なんてのは非人間的だ。それにニュートラルを選択するのもまた選択(執着)と言える。
これは、それぞれの立場を肯定せよという事だろう。楽を肯定するのは簡単だ、好き(愛)
を肯定することは簡単だ、反対の苦や嫌(憎)を肯定出来るか?ココが要だ。
誰しも苦しさや憎しみからは逃れたいと思うだろう。しかし、それを受け入れる(肯定)
する。自分という命があるからこそそれを感じることが出来るとしたら有り難いことだ
と思わねばならん。楽、好き(愛)にも溺れるなかれだ。溺れるのは反対の苦、憎に
もがいているのと同じ事。淡々と肯定(受け入れる)するだけ、それを感じること
ができる命の有り難さを。愛して愛さず、憎んで憎まずだ。
このような境地をお坊さんは天上天下唯我独尊と言ったんだな。
数息観三昧で一年たった。たしかに心は落ち着いているが、行動としては
何も変わらない凡夫のままだ。いまだに自性を捕まえることが出来ず、夜毎
酒を飲みまくっている。数息観、随息観のほかに、なにかやることないのか?
(曹洞宗だから公案はなしね)
303 :
名無しさん@3周年:04/04/25 16:58
>>300 「愚を知るということ、無知の知ということ、あるいはキリストの踏み込んだ
絶対受動の世界」だって? ご大層なものを並べ立ててくれましたね。
297で「愚を知れ」というのは、そんな一般的なことを言ったのではないんだけど分かりませんか?
ごた混ぜで何の問題もないとは笑止も笑止。
そんな風に貴方一人だけ救われて悦に入っているような状態では
貴方が口を開いただけで殴りつけてやるべきに違いありません。
言えないことを言ったつもりになるとは恥知らずにもほどがある。
もちろん広い見地から300の言葉に頷いてみせることもできるが、それでは300は救われない。
300は徹底的に自分の世界に閉じこもってしまっていることを自覚して欲しい。
貴方が言葉を使わなければ貴方は救われてますよ。
しかしその状態では言葉を使った途端に奈落の底です。
304 :
名無しさん@3周年:04/04/25 18:14
>303
物事をありのままに見れるようになると、多くのことで、恐れというものが
なくなる。恐れを知らない人間というものは、一見「恥知らず」のようにも
みえる。特別の能力があるわけでもなく、すこぶる頭がいいというわけでもなく、
なんだかよくわからん禅の坊主が、アメリカにわたり、禅センターをひらいて
多くのアメリカ人に禅を教える。おそらくは自分でもよくわかっていないだろう禅を
たどたどしい英語で教えるわけだ。普通の神経ではとても考えられない。
しかしこういう例はおそらくたくさんある。
私より彼らこそ、奈落のそこに落ちてほしいとねがう。
きっと快適な奈落の底をつくってくれるにちがいない。
305 :
名無しさん@3周年:04/04/25 18:22
>なにかやることないのか?
酒を飲みまくりながら、数息観三昧ではどうかな?
306 :
名無しさん@3周年:04/04/25 18:46
>>304 そんなことはどうでもいいことでは?
問題は、見識を披露したがる貴方が言葉を疎かにしたら駄目でしょということですから。
この点がわかってるならもっと違うことを言うはずですがね。。
>302
曹洞宗に帰依してる方に臨済宗を勧めるのも何だけど、見性に拘るなら一度白隠禅師の「遠羅手釜」を読んでみる
ことをお勧めするよ。今の状態にマンネリを感じてて、反対の立場を読むのも一興と思うならね。
内容は黙照禅を厳しく攻撃するモノだけれども、そういう刺激があっても面白いかもしれないよ。
読めばわかるけど、方便は違えど白隠さんの言っている核心は、曹洞宗の近代の傑僧沢木興道さんの言っていることと
ほとんど変わらない。沢木さんの著書と照らしあわせて読んでみると何か得るものがあるかもしんないよ。
豊かさゆえに豊かさを知らないのではなく、
豊かさがあることに気づいていない、他のことに気を取られていて知らないだけ。
ごた混ぜで問題ないが、それが豊かさではない。
>301
信心銘の文句だね。読むならきちんと全部読もうぜ。「至道無難、唯だケン択を嫌う」のあとに
「但だ愛憎莫ければ洞然として明白なり、毫リも差有れば、天地遥かに隔たる」と続くよ。
また、「一心生ぜざれば、万法咎なし」ともある。
「至道無難、唯だケン択を嫌う」とはどういうことかといえば、自分に好都合な現実も、不都合な現実もともにきちんと
ともに見て、自分に不都合な現実を捨てて自分に好都合な現実のみを見るなということ。
世の中自分を肯定する人を好み、否定する人を嫌うのが常だけど、肯定する人が常に正しいことを言っているとは限らない。
また、否定する人が常に間違っているとも限らない。そういうこと。
人は物事について好嫌の情を生じさせ、ゆえに現実を見誤るものだが、これはそれを戒める文句でしょう。
経典とかの文句には我々の日常用語とは違った意味のものが多くある。
たとえば「無学」といえば、我々は普通はアホのことだと思うが、仏教では「学ぶものを学びつくしてもはや学ぶことがない
高い境涯」ということを意味する。
また、「分別」といえば普通は善悪の判断という意味に思うが、仏教では「己の小さな妄想、我見」的な意味である。
ここを取り違えるととんでもないことになるんじゃないですかねえ。
「見性」は経験年数とは比例するものではありません。 むしろ、無関係です。
言ってみれば、「どれだけ強く苦の答を求めているか?」です。
だから、禅を知っていようと知っていまいと、
座禅の1日目であろうと、1年目であろうと無関係なのです。
だから本人に準備があれば、全力で苦の答を求めているならば、
座禅1日目にして、禅定に至り、爆発する。
たったの1時間で「見性」に至るのです。
もし、全力で苦の答を求めていないならば、
何年かかっても「見性」に至ることはできないのです。
>>302 禅寺で「見性」する人は、たくさんいるのですか。
俺はむしろ少ないと思う。
「見性」した者を探して禅寺をいろいろ訪ねたことがあったが、
どこにもいなかった。
しかも、それを裏付けるように、どこの禅寺でも門前にあるボードに必ず道徳めいたことが書かれてある。
道徳の教育は、学校に任せなさい。禅寺が気にすることではない。
もし「見性」した者が禅寺にいたら、ボードを叩き割るに違いないから。
>310
あんた悟ってるっぽいな。
そういう人にちょいと聞きたいんだが、以下の公案は何を言いたいんだろ?わかりやすく解説してくれんかな。
ひとつめ。
「東海道を人の一人も往来しないのは何故か」
ふたつめ。
『三更初夜月明の前 怪しむなかれ 相い逢って相い識らず
隠隠として猶お旧日の嫌を懐く』
みっつめ。
「ある僧が、和尚のために長寿を願って作る生前の墓を作ったところ、和尚は僧に問うた。
『お前、この塔のために大工にいくら銭を払うか』
『一切は和尚様次第です』
『では、3文銭を与えるか、2文銭を与えるか、1文銭を与えるか。さあ、どうだ?』
僧は答えられなかった。そののち、僧がとある山の禅師のところに行ってこの話をしたところ、禅師はこう言った。
『3文銭を与えるなら、今生に寿塔はできないだろう。2文銭を与えるなら、和尚も大工も救われる。
1文銭を与えるなら、仏罰をこうむって眉毛が抜け落ちるだろう』
僧は帰ってこれを和尚に伝えたところ
『何とまあ、世の中に人はいないと思ったがドウシテドウシテ、古仏がいるではないか』
と答えたという。」
>>307 アドバイスありがとうございます。沢木禅師の本は読んだので、早速
白隠の遠羅手釜を読んでみます。
私は、皆さまの議論を邪魔する者ではないですが・・・。
>>310 >言ってみれば、「どれだけ強く苦の答を求めているか?」です。
そうですね、これは同意です。
仏教の四法印では「一切皆苦」ってのが入っていますが、
この「苦」というのは仏教に関わらず非常に重要かと思う。
私は最初、この一切皆苦っていうのは何故四法印に入ってるのかピンときませんでした。
三法印とはチョッとベクトルが違いますからね。
では、いずれまた・・・
315 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:08
>「東海道を人の一人も往来しないのは何故か」
お前がアフォーで、めくらだからだろ。
316 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:12
『三更初夜月明の前 怪しむなかれ 相い逢って相い識らず
隠隠として猶お旧日の嫌を懐く』
アフォな奴はアフォに引かれてアフォな本を読む。
317 :
名無しさん@3周年:04/04/27 02:54
公案は結局、言葉の肥やし。口からぱくぱく肥が出る。
318 :
名無しさん@3周年:04/04/27 10:21
『3文銭を与えるなら、今生に寿塔はできないだろう。2文銭を与えるなら、和尚も大工も救われる。
1文銭を与えるなら、仏罰をこうむって眉毛が抜け落ちるだろう』
僧は帰ってこれを和尚に伝えたところ
『何とまあ、世の中に人はいないと思ったがドウシテドウシテ、古仏がいるではないか』
実はわかった風な口をきく猿と猿。
319 :
名無しさん@3周年:04/04/27 11:58
>>302 >>313 南予出身さんは理論偏重にならず実践を大切にしていて、大変結構ですね。
そこでアドバイスですが、動中の禅はやっていますか?
一日1、2坐するのは無論大切なのですが、せぬときの禅が心境を進めるためには必要なことです。
坐禅中のみならず日常の生活に即今に参じる修行が大事なのです。
歩行中、自転車に乗っている時、通勤中、食事風呂・・・すべての生活行為について思考や想念を起こすことなく現在に参じるのです。
始めは念の連鎖が起こって苦しいでしょうが、一つ一つ念を断ち切って即今に参じることです。
祖師も命がけでこの修行をしているわけですから、そんなに簡単なことではありません。
しかし、諦めてはいけません。妄念に苦しめられてもやることです。煩悩無尽誓願断です。
これを長く続けていきますと、次には妄念の起こらない行為のみの正念だけになって、とても行為が軽やかになってきます。
この位になりますと、いままでとは違った自分を発見するでしょう。
例えば、いままでイヤだったトイレの掃除や、乱雑な履物を揃える、整理整頓など、行為に苦痛というものがなくなってきます。
今日は雨だから止めておこうなどと言う邪念はなくなって、す〜〜っと出かけられように、自己を立てようとする念もなくなってきます。
また相手の言うことが明確にわかるようになってきます。
禅機が分かるのもこの頃です。またいままで分からなかった公案もわかるようになってきます。
この段階はまだ見性ではありませんが、ここまで来るともう近いのです。
これを怠りなく徹底することです。
するといつか自己が全く清算されて、自己の無い対境不二の世界が現前してきます。
道端に咲いている花をみては、きれいとも、何の花だろうとかいう念が全く起きません。
ただ言うに言われぬ花の美しさが本当に分かってきます。
そしてやる行為は無念の念です。つまり思考の無い念の行為です。
法の喜びというものが分かるようにもなってきます。
以上は私の経験を話しましたが、参考になさって下さい。
>319
お、悟っていそうな方がここにもいた。大悟されたようですな。
よろしければ>312の公案についてご解説くだされ。
321 :
名無しさん@3周年:04/04/27 13:18
>>319 言い忘れていましたので追加します。
後念を引くようなことは、一切しないほうが良いでしょう。
勝負事は我の戦いです。これは一番妄想妄念を掻き立てることです。
また不毛なつまらぬ議論もさけるべきです。時として我の応酬になります。
概念を持ち出すのは自己を立てる行為です。
どうしてもしたいのならば悟ってからでも遅くないと考えたらどうでしょう。
>>319 さんへ。ご助言ありがとうございます。動中の禅、こころしてやってみます。
なにかやろうとすると煩悩が湧いて葛藤してしまうものですが、坐禅を組むようになって
から、割合その行為三昧になることが楽に出来るようになりました。無漏、という
言葉と関係あるのかな?
ただ、私は飲みすぎてガンマGTPが1300ある肝臓病なんですが、夜毎心と戦い
ながら、つい飲みに出てしまいます。まだ心をコントロールできてない証拠ですね。
今日はこれから坐禅を組んで、禁酒に挑戦です。
323 :
名無しさん@3周年:04/04/27 16:37
>するといつか自己が全く清算されて、自己の無い対境不二の世界が現前してきます。
あなたの言う意味をすこし穿って解釈してみると、このような境地を得るのは
座禅のおかげではないということだな。
座禅は伝統だからあからさまには否定するのは気の毒だが、正直にいうと
「座禅も多少は役に立つが、座禅ではだめだ」ということだな。
あい、ようわかった。
「即今に参じることです」
いみはわかるようなわからんような。いや全然わからんかもしれん。
難しいことを考えるときは悩むではないか? それは悟っても同じであろう。
たとえば、「手段が5000とおりあって、それぞれのベストな方法を組み合わせて、
ひとつの解決方を出さなければならない。」こういう場合、当然即座に解法は
見つからない。ノートに書き出してじっくり比較検討すれば、数ヶ月もあれば
最良の解決方法が見つけられる。 現代的な仕事はこういうケースが多いと思うが、
このような問題にたいして「悟り」はどのように効力を発揮するのだろう。
仮に、純粋に数学的な問題であっても、心理的障壁がある。まして一般的な
問題では、問題の本質より、心理的障害によって解決が阻まれるケースは沢山
あるだろう。そういう点では効果があるだろうね。
319です。
酒は私も飲みます。
酒を飲むとグチを言ったり、からんだりする人がいますが、これは緊張がゆるんで妄念妄想や我執が出てきた証拠です。
ここでこそ即今に参じることです。気が緩んだときに我執からはなれ自己を立てないようにするのは、本当にむずかしいものだとつくづく思います。
しかし煩悩を断ち切って酒を飲んだときの三昧の境地もまた格別ですよ。
本当に心から喜びが湧き上がって来るのを憶えます。
酒を飲むのも禅の修業のうちと思えばまた楽しいのではないでしょうか。
ただ、つい飲みに出るというのは、何かを追いかけてはいませんか?
325 :
名無しさん@3周年:04/04/27 17:57
無視、ぷちーん
326 :
名無しさん@3周年:04/04/27 21:01
同じ大悟でも、やはりダイナミックレンジが無いとなー。
確かに落ち着いて、虫も殺さん。悪いことはせんし、
悪い奴には近づかん。ええ奴ばっかりで、綺麗ごとばあーかししゃべって、
ヤバそうな奴には近づかん。ゆうとることも理にかのうとるが、
しかしのー。それでは度量が狭いってもんよ。大悟でもせまーい世界の
悟りやな。ものさしで言うと5mmや。鼻くそ大。
それではあかん。こころを入れ替えて、ちーとは、いろんな
人間を理解せんとあかん。 そういう度量の狭さが禅の価値を下げとる。
>>319 >妄念の起こらない行為のみの正念だけになって、とても行為が軽やかになってきます。
確かに、そうです。
苦しみはほとんどなくなり、静寂と安心があり、怒りはほとんど感じることが無くなります。
しかし、それは、いままで大きかった想念が小さくなっただけです。
たとえそれが10分の1、何十分の1になったとしても、依然として有るわけです。
想念を押さえ込んで、小さくなった。でも、依然と仕組みは何ら変わらない。
これでは、まだまだ、大きな障壁が残っています。
いかがでしょう。
>>319 >一つ一つ念を断ち切って即今に参じることです。
これも、役に立つでしょう。
しかし、何が役に立つかわかりません。
即今に参じること、然り。
自身の感情を分析すること、然り。
無想で見ること、然り。
すでに仏と感じること、然り。
悟りの言葉を聞き読むこと、然り。
しかし、これは補助的なものです。
そのときが来た時の準備のためですよね。
329 :
名無しさん@3周年:04/04/28 04:28
しかし、いったいどんな体験なんだ〜??
330 :
名無しさん@3周年:04/04/28 06:20
>327-328
312に答えてくれよ。
331 :
名無しさん@3周年:04/04/28 11:51
>330
じゃ釜しい。俺が答えてやったろが。
こいつらには、上品すぎて、答えられんのだ。
生きるというのは、そんなに上品なもんと茶う。わかるか?
こいつらだけではない。 悟りとはその程度のものよ。
狭い狭い世界でのこと。5mmの世界。鼻くそ大の世界だ。
道が馬脚を現した。
333ゲト
334 :
名無しさん@3周年:04/04/29 07:33
>331
坊主は公案には答えられても、質問にはこたえられない。W)
無念無想でその行為になりきることは大分できるようになった。
しかし、自性=仏性が見えてこない。どうすればいい?
ほらよ、
「凡そ向上を歌って以てきょうまんに住し未だ妄心を治せずして見性に
奢り機と法と相乖くこと此の責尤も親し旁がた化儀を妨ぐ其の失転多し」
たしなむ程度の酒なら一生楽しめる。
肝臓ぶっ壊すほどやっちゃったのなら一度酒を絶つ必要がある。
GOT、GPT、γGTPが正常値になってからだな。
中毒前の依存症レベルだったら簡単な事だ。
煙草は?
339 :
名無しさん@3周年:04/04/30 22:30
あげ
>336
妙法蓮華経といい、見性と言い、弥陀の本願と言うも、これら異なるものにあらず。
湯飲茶碗を上から見れば丸に見え、横から見れば四角に見えるが如し。
念仏も法華行も禅も異なるものに非ず、是れ全て無上菩提を求むるための方便。
山の頂に昇るのに、北の道を行く人が南の道を行く人を笑う愚を犯す莫れ。
数学の方程式を学ぶものが足し算を学ぶものを笑う愚、微分を学ぶ者が方程式を学ぶ者を笑う愚を犯す莫れ。
かくの如き愚を犯す人に道を悟る者なし。
341 :
名無しさん@3周年:04/05/01 00:02
一顆明珠
>>335 まあ、まあ、焦らずにマッタリいきましょう。
熱心なのはよろしいですが、焦りが妄念を生むようになっては何にもならないですからね。
因縁が熟せば必ずその時がきますから・・・・。
私なんぞ薬缶道心で、かつ下根なもんで十数年かかりましたからね。
十牛図で言う見牛の段階では、牛の尻尾を見た人や、遠くからボンヤリと見えた人や、心牛を見るのに個人差があると思いますよ。
いきなり明確に見る人は却って少ないのではないでしょうか。
正師に就いていれば、直に人心を指して、それだ、それだと教えも受けられましょうけれど(直指人心見性成仏)、
独坐の場合、本人の力用が無いために、あっと言う間に見逃すことも多いですね。
とはいっても南予出身さんの場合は、正師がいらっしゃらないようですから、参禅の本をよく読んで理解を深くするしかないでしょう。
そして、ア、これかっ!と一瞬でも思うことがあったら本で確認することです。
344 :
名無しさん@3周年:04/05/01 11:37
>>343 それは悟って解脱した人じゃぁないの。
徳三和尚のように・・・・
>独坐の場合、本人の力用が無いために、あっと言う間に見逃すことも多いですね。
>そして、ア、これかっ!と一瞬でも思うことがあったら本で確認することです。
何の冗談でしょう。
そんな、おぼろげなものが見性、ましてや見跡や見牛ですらありません。
んー・・・
俺の場合、自分が体験した強烈なものが、他の人が語っているものと同じなのかどうなのかを確かめるために
禅寺の坊さんに話を聞きにいったりというのはありはする
319さん、アドバイスありがとうございます。週に一度の坐禅会には出席
しているのですが、独参もなく、また僧侶も若くて見性はされてない様子なので、
全くの手探りです。見牛の段階で、最初の見性がある、といいますよね。私は
座れば座るほど自分がダメな人間だと自覚するばかりで、とても仏性を見ることが
出来ません。悲しいですね。
349 :
名無しさん@3周年:04/05/01 17:08
ねー。悟りごっこより、お医者さんごっこの方がおもしろいよ。
350 :
名無しさん@3周年:04/05/01 18:24
>345-346
312に答えてくれよ。
351 :
名無しさん@3周年:04/05/01 19:31
>345
見性とはそんな確固たるもんではないよ。普通は2,3日で色あせる。
人間は常に進歩しているからね。別の見方をすれば常に堕落している。
だから悟り続けているなんて、ありえない。釈迦だって今日まで生きて
いれば頭を抱えているさ。前にもまして、激しい修行をしないと、次の
段階にはいけない。
山男が、困難な冒険をとおして確かに手に入れたものを、また
確かめたくなる。そうして、今度は生きては帰れない。
さとりとはそんなもんだよ。
もういいよ。
禅は不立文字とはいいながらも、真に見性してるんだったら公案も間違いなく自分の言葉で答えられるはず。
見性と公案の関係と絡めて、どういう説明をして頂けるんだろうかと楽しみだったんだけど、無視されたんじゃどうしようもないね。
なされる説明が自分以外の人にも何らかの参考になると思って、基本と思われる公案に、難しいといわれる公案を挙げてみたんだけどね。
『至道無難、唯嫌棟択』と信心銘では歌われているけど、どうやらここで見性されたと自称されている方々は
『我道無難、唯愛棟択』ということらしい。
というかね、公案にしても、所謂たとえの話なのよ。
何が何のことかを喩えているかということが理解できれば答えるのは簡単なんだんけど
それが何をたとえているかを知らなければ、ある程度想像することはできても
それは本当の正解ではないのよ。
具体的な例で言えば、竜安寺の石庭が描くメッセージを思い出してほしい
私はあれは悟りに至る道のようにも思うのだけれども
作った人が、それぞれの石にこめた「喩え」がわからなくなっている以上
誰もそこに込められた本当の意味を答えることはできないの。
そういうものなんだよ
たとえば・・・、私なりの解釈で言えば
>>312の1は
悟りへ至る道は東海道のような大きく、誰でも通るようなわかりやすい道ではなく
それぞれ個人が違う道である、というようなことではないかと
もちろん、これは東海道、往来などを私なりに解釈した結果なので
本当の意味はわかりませんよ
道が馬脚を現した。
>>325 前から何回も『公案に答えてくれ』って言ってた人だよね?
あまりに馬鹿らしくて言葉掛けなかったんだけど。
まだ気付いてない様だから言っておきます。
>>210>>212の私のレスを読んでくれれば分かるだろうけど…
『公案』ってのはテスト問題じゃないんだよ。
Aという問題にBという回答が定まっている訳じゃない。
どういう状況で、応える弟子の境涯がどんなものであって…様々な条件が重なって出てくるんだよ?
だからこそ『定まった回答など無い』し『同じ回答でも一方は正、一方は誤』になるんだよ?
貴方がしてる質問自体が元々的外れなの。
>312
自分のゲームは自分でしておくれ。ってことだよ。
師が弟子の不足を見てとり、喩えを持ってだすトンチ問題なので、
他人が説いても意味ないっしょ。わかる?
師が答えて欲しい比喩で問題を出すわけだから答はなんでもいいんだよ。
ちなみに、俺だったら、1)は、東海道を往来しているのは全て仏だってこと。
>真に見性してるんだったら公案も間違いなく自分の言葉で答えられるはず
ここが根本の勘違いなんだね・・・
1+1は?と聞かれて「2!」と答えた人間が果たして足し算をわかっているか?と言われれば、それはわからない。
しかし1+1と聞かれて頭を抱えて何も答えない人や、3とか1とか答える人は明らかに足し算はわかってないよね。
必要条件、十分条件ってコトバ知ってますよね?
顔も突き合わせず、声も聞こえないネット上で見性などについていろいろと議論したりする。そこには当然限界がある。
では、ネットという限界の中では何もできないかな?
仏法の根本、見性の中身は語ったり文字にすれば即本質から外れてしまうことは祖師の方々が語っている通り。
では、何故不立文字の禅の世界で多くの語録が残り、公案があるのかな?
沢木禅師がまだ若いとき、何かの職人に「仏法とはどういうものですか」と聞かれ「口では言えぬ」と答えたことがある。
そのとき職人は次のように言ったという。
「そんなことは承知している。我々職人の技術だってほんとうのところは口では言えない。そんなことはわかっている。
だけど、本当にわかっているなら、伝えにくいなりにそこを何とかして言葉にするのが説明というものでしょう。」
これには沢木禅師も一本取られたらしい。
文字しか見えない掲示板で、公案問答などを通じ、何ができて、何ができないか。
ネットでは何もできない伝わらないというなら、なんで貴方ココに来て書き込みしてるのかな?
また、言葉や文を見てその文単体では独立して正しいか正しくないかわからん程度の見識しかないなら、口をつぐんでいるが宜しい。
なんか、読んでみたら前に書いたのとほとんど同じレスになったな(笑)
まあいいか。
>>359 一体誰に向かって「あんたの見識じゃ役不足。黙ってろ。」と言ってるの?
>>359 1+1=1であるという考え方もある
1+1=3にも4にもなるという考え方もある
これは算数という立場から言えば間違いかもしれないが
それぞれの立場では間違っているとはいえない
私が何を言いたいかはわかるかな?
363 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:33
>>359 でも掲示板でまともなやりとりするのって
かなりレベルの高い見識を必要とするんじゃないかな。
そのレベルから見れば「見性」なんてもんはスタートラインに過ぎないかも。
逆に、掲示板ではやり取りできても「私」を見失っている哀れな人もいるんだろうけど。
>>363 「私」を見失っているのが哀れな人なら、
「見性」なんてもんはレベルの低い哀れな人にすぎないと言うことになる。
その哀れな人を目指す人って一体誰?
>>364 カッコ付きで「私」と書いたのは、
おそらく364がしたであろうような曲解を避けるためだったんですが。
366 :
名無しさん@3周年:04/05/02 00:27
そもそもにおいて、「見性」という実体があるかのごとき謬見を
改めるべきです。
367 :
名無しさん@3周年:04/05/02 00:29
あるよ
「見性」を実体として考えてる人なんていないんじゃない?
ふつうに「見性」の実態を考えてるだけでは?
と言っても
こんなトンチ問題の先に見性があるわけじゃなし
見性があってもトンチ問題が解けるわけでもなし
そもそも、シッダールタの時代にトンチ問題があるわけないし、
仏教の一派である禅のその一宗派が、トンチ問題を出しているからといって、
見性した仏教徒が答えるわけないでしょ。
まあ、確かに世界の現象を捉えているのは自分の心であり、そこから抜け出せない以上、
自分がトンチ問題をしているから、世界はトンチ問題にあくせくしているように見えるのかもしれない。
まるで、トンチ問題が見性だと思っているのかもしれない。
しかし、待ってくれ。
トンチゲームをしているのは、あなた自身しかいないのだから、あなた自身が楽しめばいいのであって、
あんた、ものを知ってそうだから、この問題を解いてみろ!
なんだ解けないのか。
だったら、あんた何にも知らないな。
という論拠では、筋違いってやつです。
(1+1)
見性(1+1)=座禅
「見性」は実体でもなく実態でもない。
もちろん「見性」という存在があるわけでもなく、
といって、幻でもない。
また一瞬浮んでは消えるようなものでも、
パッと思いつくようなものでも、
誰かに確認するようなあやふやなものでもない。
確かにその深さがあるのだろう。
これまでにない寂静と人生で最高の心地よさ(いや、これまでの人生で最高の数倍くらいある)で「見性」と思えるかもしれない。
しかしこれは「見性」ではない。
その次の段階では、先ほどとは比較にならない何十倍、何百倍ものはるかに強い衝撃と法悦のすばらしさがある。
しかし一瞬だけだったとしたら何が起こったのか理解できないのかもしれない。
これを見性と呼ぶのかどうかは知らない。まだ続きがある。
その次の段階では、また、先ほどとは比較にならないその何万倍以上の衝撃と法悦と理解がある。
これを見性と呼ぶのかどうかは知らない。まだ続きがある。
不感症になってすまいますた。
>>374 >「見性」は実体でもなく実態でもない
これは当然なんだけど、368は「見性の実態」と言っているのであって、
見性=実態などとは言ってないんだけどわかる?
見牛に至りたいなら、牧場に行けばよい。
公案は生の問答。よって、書物、ネットなど字面で問答しても公案とはならない。
見性は「衝撃と法悦」などとは無関係。まして最近は大麻をはじめドラッグや
瞑想の体験を通して悟りの境地を得たなどと馬鹿げたことを言う輩が多いが、
これも見性とは無関係。本人が気づくだけ。気づけばなんという事はない。
そこには衝撃もなければ、法悦とかいった有り難そうなものもない。
>>378 >これも見性とは無関係。本人が気づくだけ。気づけばなんという事はない。
なんという事はないもの。何に気づくことかな?
380 :
名無しさん@3周年:04/05/02 19:24
>>378 「気づく」って言う以上、なんか「コレが見性だ」ってポイントがあるんでしょ?
そうでないなら、見性が「なんという事はない」ものである以上、
他の「なんという事はない」ものと見分けがつかないんじゃない?
381 :
名無しさん@3周年:04/05/02 20:07
>>379-380 俺が気づいた経緯を書いても仕方ないだろう。
非常に簡単なことだがコレがソレだとは言えないな。
そういう意味ではまさに不立文字だ。
俺は因果応報や輪廻転生は無いと信じている。
だから過去の功徳や罪悪もなんら将来に影響しない。
俺は瞑想でチャクラが開いてクンダリニーがどうのこうのという体験はしたことない。
だがそんなものは、人の生きる指針には何も関係のないものだ。
ドラッグも同様。
神の存在も信じない。すべてのものは皆あるからにしてある。すべてのものは
おのずから生じ、おのずから変化してゆくだけ。自生自化だ。
では、以上のような感じ方がソレかと聞かれても違うと答えるよりないな。
別次元。
384 :
名無しさん@3周年:04/05/02 20:30
>>383 あなたの気づいたことが見性であるとどうして判断できるの?
>>383 それが仕方あるんだよ。
自信たっぷりなんだから聞かせてくれないかな。
名無しだし恥ずかしいことはないだろう。
386 :
名無しさん@3周年:04/05/02 20:44
ここで見性自慢するつもりはない。
上の方で「死」「絶望」体験がどうこうという話だでてたが、これは否定しないよ。
俺も絶望して死にかけたことがきっかけだった事は事実だから。
だが、今振り返ってみるとその経験は必ずしも必要じゃないとも思うな。
きっかけは各人それぞれだろう。絶望しなくてもいいし、死を覚悟する必要もない。
ここで饒舌にいくら語ろうと「それが見性か否か」読む人間には理解できないだろうし、
そもそも「理解」するものではない。字面で「貴様のは見性」「貴様のは未到」
などと言っても空しいだけ。公案が生(ライブ)の問答なのと同様。
388 :
名無しさん@3周年:04/05/03 03:41
>>378 無事禅以外の何物でもないよ。悟りは気づきではない。
悟りの体験を無視する記述が多すぎるよ。
肉体・脳みそ・体験・感動。基本的にこれが伴っていない悟りは
それを語ること自体、童貞の妄想SEX談義と同レベルだよ・・・。
389 :
名無しさん@3周年:04/05/03 05:21
自慢しなくてもいいし、378のが見性かどうかってことも字面では決めつけないから、
378が自分のを見性だと判断した基準を教えてくれよ。
390 :
実行委員長:04/05/03 05:54
涅槃に至る道を歩いてると実感するのが、悟りです。
わたしは、1日1日涅槃に向けて歩いています。
391 :
名無しさん@3周年:04/05/03 06:01
378氏
教外別伝とか不立文字といっても、経典を無視したり文字の使用が
禁止されるということではないので、ご懸念なくカキコなされまし
392 :
名無しさん@3周年:04/05/03 07:38
妙なやつにからまれてるな (ゲラ
うーん…
一部の人がとてつもない勘違いしてるなぁ。
『悟り』やら『見性』ってさ…
積み重ねていけば何とかなるものでは無し。
○+◎+◇+☆=見性なんて公式には絶対に成り得ない。
先人と同じ道程を辿ったからとて確実性は無し。
だから、真夜中に湖に小舟を出したところで見性する保証は無し。
他人の公案の応を聞いたところで意味は無し。
有るとすれば、他者との比較対象で得られる優越/劣等感だけか。
それとも応のコレクションか…
(だから公案の問答集も意味は無し)
何だろうね…
この粘着してる人は(笑)
>>378 ドラッグはともかく、瞑想は発展した場所や方法論が違うとはいえ
やってることは座禅とそんなに変わらんでしょ
富士山を眺めるときのたとえでいえば、上からみた富士山のみを富士山と言い
下から見た富士山を否定しているようで滑稽です。
395 :
名無しさん@3周年:04/05/03 09:01
>>393 見性したかどうかをどうやって判断するのかが疑問なんです。
判断の基準がないとしたら見性したかどうか区別つかないんじゃないの?と訊いてるんです。
粘着というか、ふつうに疑問な点を訊ねてるだけですが、
貴方のその高飛車な態度こそなんなんでしょうか?
396 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 09:19
>>395 修行僧が、生老病死を本当に問う姿勢がなけりゃ見性はできない。
いうなれば一番の問題は菩提心。
僧堂は、いうなれば人間関係の軋轢だけで疲れてしまうところ。
疲れた心では見性は無理。
397 :
名無しさん@3周年:04/05/03 09:26
>>396 見性の要となる条件は分かりました。ありがとうございます。
しかし、問題はそれではなくて、見性したかどうかをどうやって判断するのか?ってことなんです。
問題は、見性の条件ではなくて、見性とそうでないものをどうやって区別するのかってことなんです。
自分で思い込めればそれでいいんですか?
>>395 だから、それが粘着だって言うの。
アナタが他者の『見性しているか否か』を測る必要はあるまい?
アナタが認めようが認めまいが無関係ではないのか?
それとも何か?
アナタが認めたもののみが正当で、それ以外は全て邪道だと?
399 :
名無しさん@3周年:04/05/03 09:58
>>398 「粘着」という言葉は煽りだったんですね。そのような悪口なら何を言われても構いません。
ですが、「私が他者が見性してるかどうかを量ろうとしている」などという誹謗中傷は止めてもらいたい。
私は「他者が見性してるかどうか」なんてことには関心ありません。
関心があるのは、純粋に、「見性とそうでないものをどうやったら区別できるのか」ってことです。
ですから私が認めたもののみが正当などとは言ってませんしそんなこと思いもよらないことです。
ただ、見性とそうでないものを区別できないとしたら変だと思うので訊いているだけです。
純粋な疑問です。
400 :
名無しさん@3周年:04/05/03 10:10
>>378 >これも見性とは無関係。本人が気づくだけ。気づけばなんという事はない。
そこには衝撃もなければ、法悦とかいった有り難そうなものもない。
>すべてのものは皆あるからにしてある。すべてのものは
おのずから生じ、おのずから変化してゆくだけ。自生自化だ。
気づいた事によってこのような見解を語られていると思うのですが、その気づきというのは、
>>136 >そして時節因縁が到来すれば、いつか大爆発を起こし宇宙大生命との一体感が得られると思います。
そのときの心境は過去の祖師たちが述べたものとほぼ同じです。
の様な体験なのでしょうか?
>>399 横レスですいません
私自身の体験で言いますと、その瞬間に「わかる」という感じでしょうか
暗闇の中で急に光が差し込んできた感覚といいますか、そのようなものがあり
それから、ひたすら自分が満ち足りている感じ、そしてどこまでも幸せな気持ちを体験しました。
いろいろなものもわかるようになりましたが、それはどちらかといえばおまけみたいな感じです。
なので、最終的には「自分でわかる」ということではないでしょうかね
>>399 仏を知るのは仏のみ。
だから、私やアナタの様な凡夫が見分けようとする自体無意味。
そうやって『正/誤』を分類してどうしようと言うのか。
この人は正、この人は誤…その基準を何に置く気か?
誰かが基準を与えてくれたら無条件で信じるつもりか?
盲信する気か?
見分けたいなら、見分けられるようになればいい。
自らが仏に成って。
唯仏与仏乃能究尽
403 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 10:21
>>397 もともとが白隠の公案というのは、当時浄土門が人気があったので、それに対抗するような
かたちで白隠公案が考えだされた。
白隠とて、この公案が現代にまで継承されるとは思ってもみなかっただろう。
江戸時代と現代では僧堂の環境も違う(現代は世襲性)。
よって、白隠の公案は時代とともに形骸化されてきた。
師家もそのようにマニュアル化されたものを継承しているにすぎない。
(つづく)
404 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 10:26
>>397 >しかし、問題はそれではなくて、見性したかどうかをどうやって判断するのか?ってことなんです。
師家が「見性した」といえば見性したことになる。
しかしながら師家自身が本当に分かっているかどうか?
ってのは疑問。
師家の質が高いかどうか?っていうのは、現代では質の低下はまぬがれない。
405 :
名無しさん@3周年:04/05/03 10:39
見性していない者でも初関透過が認められる事があるのでしょうか?
406 :
名無しさん@3周年:04/05/03 10:42
>>401 ありがとうございます。なるほど、そういって頂けると助かります。「自分でわかる」わけですね。
しかし、「粘着」的で不快な態度かもしれませんが、その場合でもまだ疑問があるわけです。
というのも、その場合、それが自分の思い込みでないかどうかどうやって判断するのか問題だと思うのです。
思い込みであっても構わないならば、薬で得た体験などでも十分ということになるので、
思い込みでは駄目だと思うのですが、かといって、
自分で分かったことが、自分の思い込みかそうでないかというようなことを
自分で判断出来るのかどうか、疑問なのです。
407 :
名無しさん@3周年:04/05/03 10:52
>>404 >師家が「見性した」といえば見性したことになる
ありがとうございました。401さんと合わせて、一応、すっきりしました。
まず「自分でわかる」体験をして、
それが自分の思い込みかでないどうかを師に判断してもらうということですね。
これで、「見性とそうでないものをどうやって区別するのか」という疑問は解消しました。
ありがとうございました。
ただ、その場合、机さんの言うように、師家が信頼できるかどうかってことは大問題ですね。
408 :
名無しさん@3周年:04/05/03 11:17
しかし、師の系列を辿って行くとはじめに見性した人に行き着くだろう。
この人はいったいどうやって判断したんだろう・・・
409 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 11:17
>>405>>407 普通に考えれば、修行僧は印可が欲しいわけじゃなくて、印可証が欲しいわけですね。
いわゆるプロへの認可証ですから。
師家だってそういうことは充分わかってること。
>見性していない者でも初関透過が認められる事があるのでしょうか?
そうそう、師家は充分わかってるから・・・大丈夫ですよ(^。^)
>ただ、その場合、机さんの言うように、師家が信頼できるかどうかってことは大問題ですね。
信頼できてもできなくても、修行僧はちゃんとわかってますよ。
印可証だけくれればそれでいいんです(^。^)
410 :
名無しさん@3周年:04/05/03 11:33
>信頼できてもできなくても、修行僧はちゃんとわかってますよ
?
だとすると、また振り出し?
自分の思い込みじゃないということをどうやって判断するのか・・・
うーむ。まあ、生老病死について解決できてればそれでいいのか?
よくわからないな。
411 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 11:49
>>410 そもそもが仏教とは、犀のごとくに歩く。ってことかと思う。
自分を信頼しないで、なんで法があろうか?
先ずは直指人心。
疑なくば真なし。
>自分の思い込みじゃないということをどうやって判断するのか・・・
大疑のもとに大悟あり。
412 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 11:54
気づき、ってのは、何かを得るんじゃなくて・・・
前を向いていたら、なんかの拍子に横にあるもんにフッと眼に止まる。
そんなもんかと思う。
413 :
名無しさん@3周年:04/05/03 13:37
>>23 曹洞宗でもH師系統の僧堂では公案修行があると聞いたのだけれど、
曹洞宗で2ちゃんねる上で公案を饒舌に語る御仁は
H師系の僧堂で公案修行をされたのですか?
それとも、ただの冷やかし?
414 :
名無しさん@3周年:04/05/03 16:12
考案も練習すればそれなりに、掛け合いができるようになる。
それは芸術と似ている。
たとえば即興音楽の場合でも、法則があるわけではないが、ある程度の
レベルに達すると掛け合いができるようになる。
ある程度のレベルというは、音を自由に操れるとことが
前提だが、その上で、「意識の自由さ」のようなものが必要になる。
だから訓練によって到達する部分と、脳みそを縛り上げている糸をプチンと
切る操作(自由になる)の2つの過程が必要になる。
訓練は学校でできるが、糸をプチンするのは、訓練とは逆になる場合が多い。
訓練すればするほど、難しくなる場合もある。
だから、学校を出て、免状だけはもっていて、まねごとはできるが、
音楽とは無縁ということがおこる。もちろん宗教でも同じだ。
415 :
り〜ず ◆HNUDYzuu5k :04/05/03 16:18
416 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 17:15
>>415 どうもありがとうございます。
今そちらへ逝きました。
しかし、レス数が1000を超えまして入ることが出来ず。
うろうろするばかりなり。
また新スレが出来たら挨拶しとう存じまふ。
キリスト教@質問箱だと、また皆さまにご迷惑になるかと、懸念もありますが・・。
417 :
誘導@机先生のスレ:04/05/03 17:33
418 :
実行委員長:04/05/03 17:45
成仏法の定義がわからないのでしょう。
何か作業を始めようとすると、机の上にPCがある。
これを退けようとすると、隣の机もいっぱい。
そこで、机を片付けたり、ケーブルを外したり、
そうしてようやくPCを移動して、作業スペースを作る。
そのころには、何の作業をやるのだったか忘れている。
このように、頭の中にいろいろ詰まっていると、何をするにも
重い。ゆとりが無い。作業スペースがない。
禅者は、机の上に何も無い。だから何かをやろうとすると即座にできる。
机の上に何かが少しでも溜まって来ると、一切合財、ゴミ箱に捨てる。
実にヤクザな捨てかただ。親兄弟、何でも捨ててしまう。
そういうわけで禅者は、自由に見えるが、実はヤクザに他ならない。
420 :
名無しさん@3周年:04/05/03 18:37
>>419 捨てることと、捨てることを捨てるの違いはなんですか
421 :
名無しさん@3周年:04/05/03 18:45
>>388 「体験、感動」は分かるけど「肉体、脳みそ」というのは何でしょう?
422 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 18:51
>>419 そうそう、そういうことも言える。
1000円稼いで、その稼いだ金で美味いものを買って、それを子供に食べさせよう、
とか・・・こういった連想した発想というのはしないだろう。
常に思考はその場で切断される。
423 :
名無しさん@3周年:04/05/03 19:04
プ
424 :
名無しさん@3周年:04/05/03 19:23
机の劣等感だけは、不可思議にも切断されない
な 机
425 :
名無しさん@3周年:04/05/03 19:24
机の思考はその場で切断されんです
426 :
名無しさん@3周年:04/05/03 19:46
427 :
名無しさん@3周年:04/05/03 21:23
>>405 >見性していない者でも初関透過が認められる事があるのでしょうか?
初関透過=見性という事ではないのですか?
419はヤクザ
429 :
名無しさん@3周年:04/05/04 00:58
八九三のうた
はちのはな
くのはなそえて
さくとても
はらのやからは
いつぞのぼらむ
>>421 肉体は単純に、悟りが観念や認識ではありえない事を言いたかっただけです。
脳みそは、瞑想が深化し大悟になれば、脳みその変化に気づくはずです。
心と世界は脳にあり、瞑想中は脳みそが脳みそに耳を澄ませている状態になる。
通常時に比して、脳の血流が20%増加する。
これ等は科学的にある程度evidenceがある事です。
>420
>捨てることと、捨てることを捨てるの違いはなんですか
捨て去ることはできない。
捨てるとは捨てつつあるということ。捨てることを捨てることは
できない。
禅者の誤解はそこにある。
整理とは整理中なのだ。完全に整理することはできない。
机の上が散らかっているのは止む得ない。それは常に活動している
証拠だ。だが押入れの中は整理されているべきだ。
よく整っている人は見えない処が整理されている。だから必要に応じて
そこから直ぐに引き出すことができる。活動を保てる。
禅者の多くは、見えるところのものを、完全に整理しようとするために、
見えるところのものを見えないところに追いやってしまう。
だから、押入れの中はぐちゃぐちゃで、隠しやったパンティーから
キノコが生えてくる。
だから一見整理されていて、整っているようだが、最も始末が悪い。
432 :
名無しさん@3周年:04/05/04 12:27
>>354 問. >「東海道を人の一人も往来しないのは何故か」
答. >悟りへ至る道は東海道のような大きく、誰でも通るようなわかりやすい道ではなく
それぞれ個人が違う道である。
梯子段式に数ある公案に参じ、見解を述べてそれぞれの則の透過を師匠から認められる場合、
「カ地一声」の(又はそれに類する体験)がともなわれているのであろうか?
道は違えども目的地は同じ
ただの勉学としての、あるいは模範解答を丸暗記するような公案
言い換えれば形だけ認められたような透過ではなく、真に達している状態ならば
それぞれ、それなりの体験がともなわれているのではないでしょうか
434 :
名無しさん@3周年:04/05/04 13:07
>>431 >捨て去ることはできない。
>捨てるとは捨てつつあるということ。捨てることを捨てることは
>できない。
>禅者の誤解はそこにある。
ナーガールジュナの論法ですね
禅者は中論を味得できないということか
無念無想とか無の境地というのもおかしい
完全なる無からは、なにものも派生することはないのだし、
また、無は無くなるという属性もないのだから、従がって無は無いという
ことになり、あらゆる相を滅した無相という言い方もおかしい
無いものをどうして滅することができようか
435 :
◆BD/.VOmZgU :04/05/04 14:51
誘導されて久しいですが、まだ全部見てません。
あたりまえのことをあたりまえに感じることです。
特別なことは何もありません。
別に宗教に入らなくても求めていれば悟れますよ。
本当に求めていればの話しですが。
悟りをひらいたからといって他の人間より万能になるなんてこともないです。
能力は別に変わりません。自覚があるだけです。
自覚も忘れてしまいますが。。
439 :
名無しさん@3周年:04/05/04 15:13
ボクギュー
いままで自分が器だったものが実は入っていた水であったと。
水だから器だからとどうでもよくなりただ揺れるのみ。
なんか排他的な表現になっちゃったな。。すんまそ
道ってどこまでの大きさのものを道というのでしょうね。
大きさとはそもそもなんでしょうね?謎です。
私は法を求めているという木のマスがあって、そこから溢れた酒が悟りです。
こっちの方がわかりやすいかも?
443 :
名無しさん@3周年:04/05/04 15:24
木のマスも溢れた酒も無常です
>>443 それを理屈でとらえてしまうと答えもひとつになってしまうんですよ。
例え話しや現象で答えるならまだわかるのですが。
あれ返事がないな。。。無常
446 :
名無しさん@3周年:04/05/04 16:03
>あれ返事がないな。。。無常
期待するということは、実は無常を分かっていないのです(T_T)
447 :
名無しさん@3周年:04/05/04 16:14
446さんがへんじをするということは (中略)。。。無常
どのような方法をもってしても見性者を推し測れるわけなかろう
見性者しか判別不可能。
また、理解・変容・感動・愛・三昧がなければ見性にあらず。
木のマスが在る限り悟りはない
450 :
名無しさん@3周年:04/05/04 19:36
坐禅は悟りの手段ではないという。
「カ地一声」(主観・客観の区別が無くなりひとつになる)体験をしても、
「悟り臭さ」がある限り(心理状態にとどまる)、
それは「禅の病根とされる」というのは、どういう事であるのだろうか?
451 :
名無しさん@3周年:04/05/04 20:48
>446さんがへんじをするということは (中略)。。。無常
常なるものはないのに、無常ですって?
なにを血迷ってるんですか
道がある限り悟りはない
454 :
名無しさん@3周年:04/05/04 23:05
木のマスも
さとりに気づく
てすりかな
割れても笑う
さとりの酒よ
>>454 君はオサレな人ですね。デザイナーさんですか?
456 :
名無しさん@3周年:04/05/04 23:17
どこを縦読みするんですか
457 :
名無しさん@3周年:04/05/04 23:24
>456
立てぬ文字
酒と流れて
何処やら
たて読みするも
ただもじもじと
459 :
名無しさん@3周年:04/05/04 23:53
>455
お洒落かな
さっととりませ
さとりをば
瞬きよりも
速き真人
無理に洒落てシマッタあー
460 :
名無しさん@3周年:04/05/05 00:46
初関突破後は、「証上の修の道」から離れることは出来なくなるだろう。
>>452 うむ・・・
道を進まないと得ることはできない
しかし、道を進んでいるだけでも得ることはできない
そのようなものだ
462 :
名無しさん@3周年:04/05/05 09:25
公案に証せられる ・・・ 殺人刀、活人剣 ・・・ 大死一番、絶後に蘇る大活の智慧の活き
463 :
名無しさん@3周年:04/05/05 10:46
「汝、仏性を見んと欲わば、先ず須く我慢を除くべし。」道元禅師
たしかに坐禅して我執が本当に少なくなった。
ということは自分と思っていた自分は本来なかったものなのだなぁ・・・。
この我執が払拭されたとき、そのときは何を見るのだろうか。
464 :
名無しさん@3周年:04/05/05 11:48
>>463 >たしかに坐禅して我執が本当に少なくなった。
>ということは自分と思っていた自分は本来なかったものなのだなぁ・・・。
>この我執が払拭されたとき、そのときは何を見るのだろうか。
足を骨折したときの痛みはリアルだったよ
坐っってるときの、逆に痛みは消えてくその同じ足が
大の大人が、涙をこぼして泣きましたです
>たしかに坐禅して我執が本当に少なくなった。
そりゃ嘘だ。
467 :
名無しさん@3周年:04/05/05 13:24
>>438 >悟りをひらいたからといって他の人間より万能になるなんてこともないです。
>能力は別に変わりません。自覚があるだけです。
悟ってからは、超能力に目覚めましたが、悪いでしょうか?
>>465 道とは既にあるものではない
自分が進んでいるところが道である
道とはそういうものだ
470 :
名無しさん@3周年:04/05/05 13:34
>>469 馬鹿かお前は。
笑わせるでない。
すでにあるのも道、自分が歩むところも道。
道にあるもないもない。
471 :
名無しさん@3周年:04/05/05 13:40
悟ってない香具師らが、悟りとは・・・なんちゃって言っている。
悟ってみればいろいろあるわな。
>>471 しゃべり場なんであなたは退場してください。
473 :
名無しさん@3周年:04/05/05 13:44
満ち満ちて
あふるなみだの
すじみちは
ほとけの慈悲の
なさけみちかな
475 :
名無しさん@3周年:04/05/05 13:56
>474
じぇっだいマスターするぞーさん
477 :
名無しさん@3周年:04/05/05 13:59
>>441 >道ってどこまでの大きさのものを道というのでしょうね。
>大きさとはそもそもなんでしょうね?謎です。
道に大きさもなにもありません。道は道です。
大きさとは大きさです。
あなた大丈夫ですか?
お前らちゃんとゴールデウィークは修行したんだろうな?
479 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:00
めはよこにはなはたて
481 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:02
483 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:06
>476
しかとうけたまわったぞーさん
486 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:07
>>482 馬鹿は馬鹿。
アホはアホ。
間抜けは間抜け。
・
・
・
487 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:09
作りても
器は打つと
われもうす
つつみてみても
つつまれたるを
>>486 汚い書き込みですのう。
まるでおぬしの心そのものよのう。
489 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:12
>>487 あなた素晴らしいな。
レイアウトたまに変えてみてください。
491 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:14
うましかと
走りてみても
及ばねば
アホに帆掛けて
何処に遊ぶ
494 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:21
>492
りゅうのたま
ころがるように
めまぐるし
さとりのもじは
わにわをかけし
495 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:24
>493
よのつねに
あそぶぼうずは
いずこやら
まっぽうめっぽう
いそぎのほうか
>>495 まいりました!〜修行を積んで出直してまいります。
最後にですが、文が素晴らしいのでレイアウトも今一度御一考下さい。。
ではごきげんよう
497 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:37
>496
さらばとて
みてふるきみは
さわやかに
かたちのみえに
こころみのこし
498 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:41
なんちゃって悟りですねっ!(笑)いいねー、ほのぼのとした空気が、マターリとした味わいを醸し出してて。
500 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:44
500get
501 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:48
>499
なにゆえに
うたをはなちて
さそうやら
なにゆえうたう
あい(AI)あいのこと
502 :
名無しさん@3周年:04/05/05 14:54
>498
さーと鳥が
羽ばたけば
音を立て
嘘の如くに
たゆたうものに
かぜともに
ばたくことども
なきとても
はばたくよりは
はるかかなたへ
503 :
名無しさん@3周年:04/05/05 15:09
かけごえに
のせられすぎて
たれながす
うたはいやみに
きらわれゆくか
はずれまーす
504 :
名無しさん@3周年:04/05/05 17:42
坐禅って難しいから
中途半端にしていては
一生かかっても見性なんかできないのでは?
505 :
り〜ず ◆HNUDYzuu5k :04/05/05 17:44
ここは
こまかく
改行するスレなのでしょうか。
506 :
名無しさん@3周年:04/05/05 17:54
禅は大衆化されて認知されてるんだから、
そんなに深くかんがえなくてもできるところに魅力があるのです
独り悦に入って、その気にさせてくれる良き友なのです
507 :
名無しさん@3周年:04/05/05 17:55
ここも埋めるのか?
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
508 :
名無しさん@3周年:04/05/05 18:10
だから、禅の質も落ちてきているのだね。
禅ってこんな程度なの?ってとこだよね。
509 :
名無しさん@3周年:04/05/05 18:31
会行を 細かくすると 怒られる 誘いのごとく 一文字にと
510 :
名無しさん@3周年:04/05/05 18:51
洗脳された原理主義者って狡猾なものなんだな。
511 :
名無しさん@3周年:04/05/05 19:12
>510
なんのことを言うているのですか?
座薬して見性しました。
男性も女性性を持っています。
即ち挿入されても感じるということです。
513 :
名無しさん@3周年:04/05/05 21:13
いやあー、そのにょしょうは、不感症ではと
514 :
名無しさん@3周年:04/05/05 21:25
>座禅して何年で悟りましたか?----7年
>その瞬間どんな気持ちになりましたか?-----きもちいい
>その後どんな現象が続いていますか?-----体がいたい
>超能力は得られましたか?-----はい、ちょっとだけ
>命は永遠に続くのでしょうか?-----はい、たぶん
515 :
名無しさん@3周年:04/05/05 21:28
親鸞を信仰している人々でも悟りを開いた人っているのかな?
どんな悟りなんだろう?
516 :
名無しさん@3周年:04/05/05 21:48
ホームページがあるみたいだから、探してみるといいよ。
517 :
名無しさん@3周年:04/05/05 21:49
>515
さとりとは せいがんへぞと きわみゆく
かんじざいおう とはあみだかな
518 :
名無しさん@3周年:04/05/05 22:00
前にも荒らしてたな。
519 :
名無しさん@3周年:04/05/05 22:12
まえにもと あらしてたなと いわれしが
いやはやさとり あれるものかと チ〜ン
520 :
名無しさん@3周年:04/05/05 22:59
521 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:02
あちこちと さとりもとめし おんかたは
ひとのことをぞ きになさるやら
522 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:08
やっぱりな あたっておったか おんかたは
あちらだけでは あきたらぬ
どこへいっても さとりはおなじ
523 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:12
ゆめはゆめ ひとのこころの ひろがりは
いつぞゆたかに さきゆくものか
524 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:15
ひとのこころの ひろがりは いつでもじゆうに さいている
ゆめゆめの なかでふじゆう あくむかな
525 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:18
なかなかに もじをあやつる うでもあり
きこつもありと おもうもたのし
526 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:18
見性した人に質問です。そうでない人は質問してください。
527 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:34
こちらこそ たのしみふえた またあした
528 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:38
さとりをば もじをたてずに しめすなら
ながるるもじに うつほひびかせ 南無〜カーン
529 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:39
座禅して 何が解るか キティ外め
530 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:40
>座禅して何年で悟りましたか?
ざぜんして はんとし かかった
でもちがう ざぜんは ただの きっかけだ
>その瞬間どんな気持ちになりましたか?
スーパー ハイテンション プラス すべてわかった
>その後どんな現象が続いていますか?
たまにくる ハイテンション がまちどおし
>超能力は得られましたか?
そんなもの どこにあるのか おもいこみ
>命は永遠に続くのでしょうか?
つづくのは いのちないもの わたしにあらず
531 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:43
座禅では お釈迦さまでも 悟れまい
532 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:54
ざぜんくみ さとりにたわむる ときもある
いつぞみちれば いのちまどかに チーン
533 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:58
まちてやる あそびもたのし ときなれば
かつばかりでは 魔蹴ることもと チーン
534 :
名無しさん@3周年:04/05/05 23:58
いのちもえ しにものぐるいの ときなれば
さぜんもすてて ぼたいじゅのかげ チーン
535 :
名無しさん@3周年:04/05/06 00:17
座禅すりゃ 魑魅魍魎の 住み家なり
536 :
名無しさん@3周年:04/05/06 00:23
糞スレになってまいりますた
随分と強い電波の出ているスレだな、ここは。
さて、見性を求める心には必ず、その動機があるはずだ、
その動機が在り続ける限り、心は、それに見合った、
都合のいい答えしか求めん。
何物をも求めない事を、心の底から自分に律した時、
どうしても消せない物が、静かに浮かび上がって来る。
全ての追求は其処から始まる。
しかし、見性など求めて得られるものは、あらゆる点において、
「自己満足のみ」だ、愛にも金にも成りはせん。
しかし、一人の人間の一生を支えて余りあるほどのものならば、
求めてみるのもまた一興。
それぐらい、酔狂で下らない事だ、他人にとってはな。
酔狂なればこそ、本当の情熱が試されるのだと知れ。
538 :
名無しさん@3周年:04/05/06 00:58
電波ハイテンションじゃが
>何物をも求めない事を、心の底から自分に律した時、
ここらへんがちょっと違うんじゃな。
何をもってしても、思いを満たすことができないと確信した時、
ではないかな。
539 :
名無しさん@3周年:04/05/06 01:10
なんでだろ てつアンドとも じゃないけれど
すぐにだれだか わかってしまう ちょうのうりょく
540 :
名無しさん@3周年:04/05/06 01:14
しらないは すてきな ひとだと すぐわかる
かっしょくの がいじんさん
541 :
ハイテンション:04/05/06 01:18
ちと、とばしすぎたか
542 :
名無しさん@3周年:04/05/06 02:11
さとりとは どこにもとびて みゆるもの
どばすもなにも こころのままに チーン
>>538 んー・・・・
私の場合は、内面の探求の方に心が向いて、表面的な部分で
必要以上に何かを求めることをしなくなった・・・律したとかいうのではなく
単にやろうという気も起きなくなったという感じなんですが
ほかの方はどうなんでしょうかね
544 :
名無しさん@3周年:04/05/06 08:33
以前、書き込んだ者です。
この連休に、絶対に見性しようと決心して摂心会に参加して参りました。
その甲斐あってか、なかなか透過できなかった初関をやっとの思いで透過することができました。
透過までなんと永かった事か、そして幾たびか止めようと思ったことか。
いまは全てに感謝、感謝。
いままで悪癖をず〜っと持ち続けていたのかと思うと、なんと業の深い者なんだと思いますね。
これでやっと仏性に巡り合えて感慨深いものがあります。
今日からまた娑婆にもどって、がんがん働く意欲がでてきました。
では、行ってきま〜〜す。
545 :
名無しさん@3周年:04/05/06 10:16
>544
おめでとう。これからはがんがん働いてください。
546 :
名無しさん@3周年:04/05/06 16:03
>糞スレになってまいりますた
というかね、元々レベルの低いスレだよ。
偉そうに語ってるやつの至らない言葉、本当に未熟。
こんな風に俺のように真実を言わないこと、これが真実。
だからずっと書き込んでないだろ。
>>544 見性と初関とは同じですか?違うとしたらどうちがうのか説明して下さい。
548 :
名無しさん@3周年:04/05/06 19:49
これから死禅に突入します。
549 :
実行委員長:04/05/06 20:03
間脳を開発すれば、カルマを断つ智慧ができる。
550 :
名無しさん@3周年:04/05/06 21:31
>544
みつけたね かわのながれを みつめれば
われはいずこに かわはいずこに チーンX10000!
551 :
名無しさん@3周年:04/05/06 22:19
>543
こころこめ うちなるところ あたためて
もたげるくびは つぼみぼとけか チーン
552 :
名無しさん@3周年:04/05/06 22:48
イペリットガスが充満してきたな
>>538ごめん、言葉が足りなかったね。
何物をも求めないというのは、動機のある自己追求の無意味さを悟った、
という境地の事で、そこに至って始めて始めて、人は心が本当に静まる、
と、僕は考えています。
そのときに、心の底から自然と自分を律する気持ちが、素直にうまれてきます。
うおっ、しまった、なんか記号並んでるし。
名前入れずに送信しちまった、>>553
555 :
名無しさん@3周年:04/05/06 23:50
動機のない自己追求なんてあるのか、そもそも。
556 :
ハイテンション:04/05/07 00:17
>>543 >ほかの方はどうなんでしょうかね
>>538の>何物をも求めない事を、心の底から自分に「律した」時、
揚げ足をとったようですいません。
「律した」の箇所が気になっただけなのです。
その他のところは、そのとおりだと思います。
>>553 まったくそのとおりだと。
恐怖にそそのかされた自己追求の執着に気が付くと寂静に向かうものだと思います。
557 :
ハイテンション:04/05/07 00:33
>>532 すわってる ときよりおおい たちさとり
>>534 いのちすて すべてをかけて すわれとな
>>542 なかなかに もじをあやつる きこつもの おもいのほかに しんりつくつく
>>555 そうですね・・・
動機がなければ探求を始めることはないでしょう
ですが、ある程度探求を進めていくにつれて
動機はどうでもよくなっていく、という感じでしょうか
もちろん、人によって違うと思いますので
私の場合はという注釈は付けさせていただきますが
559 :
名無しさん@3周年:04/05/07 01:20
めしくえば みたされゆきて おちつくも はらのさいそく またくらうかな
ひとさとり ひとだんらくに こしをおき こころうえれば またさとるかな チーン
チーン
561 :
名無しさん@3周年:04/05/07 10:18
チーンとなり こころひろがる ふかまりは
むがにしみいる おとのよきかな チーン
562 :
名無しさん@3周年:04/05/07 10:23
チーンとなり こころひろがる あつあつの
やきにくまんじゅう
もうたまらん チーン
>562
うーんとな ひとちがいにも あじがある
なれどここらで こてはんのいん カーン
それではと われもこてはん つくりなば
チーンもよかれカーンもよかれ カーン
チンカンとねむりさまたぐおときかば
ゆめみしおとめはいずこへときゆ マーン
もくもくとひとりしずかにすわりみて
こころにきくはチーンでもなしカーンでもなし シーン
だんだんに うたからはなれ せんりゅうか もとめのかたに ささぐひびきを
このときと さとりにむかう よろこびの かたとあゆめる あしどりのおと
568 :
名無しさん@3周年:04/05/07 13:58
ポックポック Ω\(^‥^=)~ ニャンマイダー
569 :
名無しさん@3周年:04/05/07 14:12
しつもんすれ なれど かんそうばかり チーン
570 :
名無しさん@3周年:04/05/07 14:20
禅無間 禅天魔 禅亡国 禅国賊
>>547南予出身さん
544さんに代わってお答えしましょう。
見性と初関透過は基本的には同義となっています。
なっていますというのは以下の事情があるからです。
見性すれば初関の透過は可能ですが、初関を透過したからといって必ずしも見性したとは言えないようです。
というのは、さる時代の僧侶のように、公案修行を終えて印可を得たのに、実は悟っていなかったということがありえるからです。
坐禅も相当に進んでくると、少し機に敏い人は見性せずとも透過することも可能です。
544さんの場合は、そのカキコから長年苦しんだことなど、師家も厳しい方のようですし、しかも仏性を掴んだそうなので、たぶん見性しているでしょう。
公案を透過していくのは、教学の学習に似ているといわれます。そして学習した公案以外の問題には応用が効ききにくいともいわれます。
しかし、見性するということは、苦の根源を自覚することでもありますから臨機応変に大機大用することで問題解決することができるわけです。
572 :
名無しさん@3周年:04/05/07 14:55
~(=^‥^)_旦~~ お茶でもどぞニャ。
573 :
名無しさん@3周年:04/05/07 15:06
~~旦_(^‥^=) あんがと。
574 :
名無しさん@3周年:04/05/07 15:25
キッサコ
575 :
名無しさん@3周年:04/05/07 15:28
>禅無間 禅天魔 禅亡国 禅国賊
禅にはムカン人がいる
全天真
全貌をみる国
全国俗
>>571 どうもありがとうございました。曹洞宗の寺で指南を受けているので、
臨済系の用語には不慣れなもので・・・・・さて、これから坐禅組んできます。
577 :
名無しさん@3周年:04/05/07 17:28
93やれば一発で悟れるってよ
578 :
名無しさん@3周年:04/05/07 21:55
見性って生理的には脳内物質あるいは何かのホルモンが
大量放出されて、五感が麻痺したような状態なんだろうな。
>>578 アルファ波が出っ放しになってる状態という話もあります(真偽不明)
麻痺とは違うんですが、特殊な状態ではありますね
580 :
名無しさん@3周年:04/05/07 22:33
私が言いたかったのは、悟りって結局、愛や義を育んだ結果仏様から
のプレゼントではなくて、単に、精神集中の極みや極端な疲労からの
開放によってテクニカルに得られるもので、なんとも味気ないという
か、単なる不感ロボットになった者がある種偶然に手にするもので倫
理もヘッタクレもない不条理なもではないのかということです。
581 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:12
おいおいおい …。
582 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:19
ほんとに見性した人いますか?
髑髏のオッサンが座禅の代表みたいなこの2ちゃんねるで
座禅の効果を信じることは難しいです。
座禅の方は禅問答も得意なはずですが、見性した人がここで語らないのは
おかしいですよね?ほんとに見性できるのかどうか疑問です。
>>580 脳内に起こった一種のスパークだというのは確かでしょうな
仏だの何だのというのは、結局その状態の説明のために使われているものにすぎませんしね
で・・・
愛だの義を育んだ結果の仏様のプレゼントって、誰かそんなこと主張しましたっけ?
そんなものとは別のものだと思うのですけど・・・
>>582 もう何度も指摘されてると思いますが、禅問答とはそれ自体にそれほどの意味のあることじゃありません。
敢えて頓珍漢なことを言い、それに対していろいろ考えることで
その人の考え方や理解度を推し量ろうというものであって
何が正解かなどというものはありはしないですし
勉強して得意になる、などというようなものでもありません
(結果として得意になる方もいらっしゃいますが、それは見性とは無関係です)
585 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:27
さんざん人を振り回すような無駄理屈こねあげた揚げ句に
突然、だから理屈じゃないんだよ、なんてフザけた態度取る
禅宗の連中にはいかがわしさしか感じない。
586 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:30
かたりても つたえることは かたしとて なにゆえしゃかは まんげのごとく
くるおしく もとむるものの かわきおぞ みたせぬそうの くるしみいかに
すべてすて おのがさとりを ひんむいて さらすこころは いずこにあらむ
587 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:36
> 座禅の方は禅問答も得意なはずですが、
オーバクリンザイソートーのちがいぐらいわかれや
588 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:43
モーニングで連載中のマンガに禅が出てきた。
あれはどういうことなのか解説してくれ。
589 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:45
黄檗・臨済・曹洞
590 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:49
坐禅20年以上継続してますが、ハッキリといつ見性したかってわからないです。
「これ」だとわかっていたのは坐禅する前からかもしれない。確信をもって
見性はしていると分かるが、その確信が年々少しずつ少しずつ深まって来たって
感じです。
坐禅をしないで1日を過ごすとスッキリしません。
591 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:50
それマラソン中毒みたいなもんだな
592 :
名無しさん@3周年:04/05/07 23:54
無
常
仏
性
593 :
名無しさん@3周年:04/05/08 01:28
日蓮は法華天魔だが、天魔である故に、天魔のことがよくわかるらしい。日蓮は、禅を禅天魔と呼んだ。
この程度の見性ならば、世のために、人のために、ない方がましではないか?
世のために、人のためと、考えることもないのが禅なのだろう?
594 :
名無しさん@3周年:04/05/08 01:38
たたかうも なにもかもがと わらってる なにがためとて おたがいなるか
わるぐちや ぜんをまもりて わすれたる くうがわらいて なにまもるかな
596 :
ぽくぽく・ちーん:04/05/08 03:10
>>587 あのね、毎日ちゃーんと‘身の回りのこと’して、ちゃーんと‘なる’の。
‘禅’ってね‘以心伝心’が中心なんだよね。ヒントは出せても、答えは
自分で求めてくださいな。
まもってる ようにみえても むだなこと わがものなんぞ なにもないのに
あわのもの すぐにきえゆく あわのもの なにをまもって こうげきするの
わらってる すべてはいつも わらってる どうしてそんなに しんこくなのか
598 :
名無しさん@3周年:04/05/08 07:33
なぜイラクでこのような性的虐待はおこるのでしょうか?
われわれも、同様の状況におかれたなら彼ら兵士とまったく同じ
ことをするとおもいますか? 多分そのようになるのでしょうね。
「見性」(=禅)はこれについて、何か見解をもちますか?
あなたもまた同様のことをするとおもいますか?
599 :
名無しさん@3周年:04/05/08 07:34
禅は戦争に加担しますか?
600 :
名無しさん@3周年:04/05/08 08:23
禅は戦争に加担するだろう。剣禅一如というから。
このスレを見ていたら、彼らの師匠の程度が分かるようだ。
601 :
名無しさん@3周年:04/05/08 08:33
禅をする人って、偉そうにしてるからな。
仏を切るから、人間を切るのは朝飯前ではないかな。
602 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/08 08:42
>>599 >禅は戦争に加担しますか?
禅とは、そういった相対の一項を択一する行動原理にはなりえない。
これは私は何度も言うてるよ。
一項を究極的に追求する学問がある。
陽明学だね。
三島由紀夫はこの学門にえらく傾倒していった。
貴殿も由紀夫みたくなりたかったら陽明学を勉強するといいかと思う。
603 :
名無しさん@3周年:04/05/08 08:47
ここの禅ってこんな感じ?祖師たちが泣くよ。
ころしても ころしていない ひとごろし ころしていない ころしていない
604 :
名無しさん@3周年:04/05/08 08:55
むかんしん かんせいもない ひとごろし しんこくでない わらいましょう
605 :
名無しさん@3周年:04/05/08 09:04
むかんしん ぼうかんのひと えつにいる われけんしょう われけんしょう
606 :
名無しさん@3周年:04/05/08 09:07
無常仏性って何?
607 :
名無しさん@3周年:04/05/08 11:07
>>587 over clean the Esort?
はい、ディスクのソートは終わっていますが何か?
608 :
名無しさん@3周年:04/05/08 11:10
>>601 >仏を切るから、人間を切るのは朝飯前ではないかな。
いえいえ、まず己を殺しています・・・。
『殺せ殺せ我が身を殺せ、殺し尽くして仏となれ。』
ころせどもなおもわがみにせまりくる
いつかすてんとこのぼんのうを カーン
610 :
名無しさん@3周年:04/05/08 11:23
煩悩 ゆえに我あり
611 :
名無しさん@3周年:04/05/08 11:26
座禅すりゃ 天魔さんの 響きあり
612 :
名無しさん@3周年:04/05/08 11:27
天馬ルミ子っていたなぁ
>609
つつみたら なんとわがみに わきあがる いまぞいかさむ このよろこびを
ぼんのうや わがままほうだい たのしけれ なれどぼだいは さらなよろこび
>>613 むむっ・・・・ おぬしなかなかやるな、これでどうじゃ・・・エイ
はらえどもつもるあくごうつきぬまま
さとるまもなきざぜんかな カーン
615 :
名無しさん@3周年:04/05/08 11:42
>>606 「無常を観ずる時、吾我の心生ぜず、名利の念起こらず。
時のただ速やかなることを恐怖す。所以に行道は頭念を救ふ」
道元禅師は、一念三千とか本覚観から安直に本源の世界と一体になることを否定
しています。悉有仏性はともすれば修行否定や悪しき自然主義に繋がります。極
端な話では、たとえば凶器で人を殺めることも仏の計らいである≠ネん
て解釈にもなりかねません。ですから、衆生が直接仏であることを否定する無仏
性の立場をとり、改めて修行者が発菩提心を起こして倫理的努力をすることによ
って、はじめて仏と一体になれるのだと言っているのでしょう。もちろん宗教の
世界は倫理に留まるものではありません。無常仏性とは、たゆまざる精進のこと、
そして、仏の世界の無窮をいってるのでしょう。〜生死事大 無常迅速 (-人-)合掌
616 :
名無しさん@3周年:04/05/08 11:49
>>615 その言葉が、どうして無仏性の説明になるのかわかりません。勝手な解釈はやめましょう。
617 :
名無しさん@3周年:04/05/08 11:54
>>616 アホ
>>606さんは、
無常仏性って言ってるんだよ
無仏性ではないよ、文字が読めないDQN厨房か・・・
>614
はらえども よりあつまらむ ごまのはえ なればなればと はえとたわむる
さとるまを あるとおもうて おるからにゃ いつもあくごう はらうまもなし
619 :
名無しさん@3周年:04/05/08 12:07
>617はアフォ
>衆生が直接仏であることを否定する無仏
>性の立場をとり、
>>618 ・・・・・まいりやした。
m(_ _)m
>620
くるしみは しゃかのあゆみの はじまりか ぼだいのかげで よろこびのはな
なればとて われらがあゆみ はじめるに はなのかおりを こころにかぐや
>>621 あらうれしともにかぐはなみえなれど
しずかにすわりしこころにぞかぐ カーン
623 :
名無しさん@3周年:04/05/08 12:26
ん?
ありもしない花の香を嗅ぐのが禅だっけか
>622
よろこびは なにゆえうまれ ゆくものか はなさくひとや かおりのさそい
ありなしと はなをちぎりて ぜんをくむ さとりのはなの かおりいずこに
626 :
名無しさん@3周年:04/05/08 13:35
悟りなど地獄の底に置いてきた
>626
>悟りなど地獄の底に置いてきた
なれば地獄も 華と咲くかな
628 :
名無しさん@3周年:04/05/08 14:17
今度は禅を組み組み花びら占いとな
629 :
名無しさん@3周年:04/05/08 14:46
誰か知る悟りの花の匂いぞ臭し
禅を組みつつ足の匂いかぐ
630 :
名無しさん@3周年:04/05/08 15:21
悟ります悟らぬことが悟りだと
禅は悟らぬ道であろうか
見性の途上で「魔境」があるといいますが、体験した人、体験談などよろしく。
「魔境」はありますぞ。悟り「真理の認識」に至りたる者、あらゆる既成
宗教団体の(呪詛の念波)攻撃を受ける時期が来る。此れとの戦いは壮絶
なり。肉体世界では法律により保護されるが、霊界からの攻撃は自己防衛
しか手段は無い。真理を説けば、既存宗教の生活手段(権力構造・収金体
制)を否定する事になるので、肉体世界の感情が霊界(外道界)と同調し
凄まじい殺戮的攻撃を受ける。実は、この攻撃は、悟りに至る過程で、
自らの同じ波動部分(外道部分)が消滅するまで続く。自らに外道部分が
無くなれば攻撃できる箇所は無くなり、その時が全ての始まりとなり、悟り
の道が開く。悟りは過去に依らず将来にも依らない瞬間であり永遠である。
633 :
名無しさん@3周年:04/05/08 18:18
そもさんさとり
634 :
名無しさん@3周年:04/05/08 18:32
座って禅、糞しても禅、寝ても禅
635 :
名無しさん@3周年:04/05/08 18:33
そもさんまきょう
636 :
名無しさん@3周年:04/05/08 18:43
魔境もまた悟りへの道。傲慢も極めれば大悟に通ず。
無為自然
一輪の小花、路傍の草、流れる雲、・・・言葉無く観照できるだろうか。
無為自然
一輪の小花、路傍の草、流れる雲、・・・言葉無く観照できるだろうか。
ひとはみな あるくすがたの かげをふむ あしあとだけが おとときえゆく
禅とは魔境を楽しむモノではないかと、、、
魔境を否定すればするほど魔境の力は増すし、、
飽きる位に魔境をさ迷えば魔境の支配力は弱まり意識が引き上げられる
仏を見たとか悟りを得たなど言ってる者は魔境徘徊中の香具師
642 :
名無しさん@3周年:04/05/09 01:14
魔境とは、
仏道を成ずる妨げとなる様々の現象の起こる境界のこと。
修行者の生命力を蝕む働きをいい、生命自体に内在する。
643 :
名無しさん@3周年:04/05/09 01:15
悟れた気がしたならそれもまた魔境。
644 :
名無しさん@3周年:04/05/09 01:24
生きたまま死ぬのが悟りなんだろ。
どうせ死ぬくせに。小癪に足掻きよって。
645 :
名無しさん@3周年:04/05/09 01:33
摩訶止観巻八下に
『第五に魔事境を観ずるとは、行人四三昧を修して、悪将に謝せんとし、
善生ぜんと欲するに、魔はるかにその境に出でんことを恐る。
また当に他を化度し、我が民属を失い、我が官殿を空しからしむべし。
又その大神力大智慧力を得て、復当に我と大せんじょうを興し、
調伏抗制して我を触悩すべきことを慮り、其の未だ成ぜざるにおよんで
彼の善根を壊す、故に魔事あるなり』とある。
まきょうとは ようやくさいた つぼみなり なればだいじに さんまいくらし
魔境が現れるときは、悟りが近いと思って精進せよといいますね。
他心通(読心術?)のような超能力も魔境といいますね。だから禅門では
相手にするな、というけど、やっぱり超能力は欲しいな。山本玄峰なんか、
初めてあった人でも相手の心が分かったといいますし。
648 :
名無しさん@3周年:04/05/09 12:00
禅では仏を殺すそうだけど、
いくら殺しても、畢竟は仏の腕の中
ほとけは無畏の覚者なり
649 :
名無しさん@3周年:04/05/09 12:07
650 :
名無しさん@3周年:04/05/09 12:46
意味は自分で見出すもの
わたしは体験のなかにおいて、
お釈迦様の「自帰依・法帰依」を咀嚼していきます
651 :
名無しさん@3周年:04/05/09 14:03
>禅とは、そういった相対の一項を択一する行動原理にはなりえない。
>これは私は何度も言うてるよ。
いまいち意味がわかりませんが、戦争だと難しすぎますか。
戦争よりは現実的な例としてたとえば、
ポルシェに乗った生意気な野郎が「糞坊主、臭い、うせろ」といって
あなたの尻を蹴飛ばしたとします。
その場合、あなたはどういう原理?で行動するのでしょう。
ポルシェより はやいこころで どげざして ありがたきかな やのぼうかつか
653 :
名無しさん@3周年:04/05/09 20:23
ポルシェの若者よ、「痛いぜよ!!」。
小賢い糞坊主がいるな
尻を蹴飛ばされたら「痛い!!」
そ れ だ け だ
655 :
名無しさん@3周年:04/05/09 21:19
>>654 σ(^◇^)< 隊長! 僧侶をいたぶるのが大好きで残忍なキテイを発見しました !
656 :
名無しさん@3周年:04/05/09 21:21
そんなもん 蹴り返すに きまってる
657 :
名無しさん@3周年:04/05/09 21:56
何かこのスレは93厨の臭いがするな。気のせいか?
659 :
名無しさん@3周年:04/05/10 03:09
93厨ってな〜に?
教えてくんろ。おら初心者だもんで
つうほうしますた
661 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/10 09:52
>>651 >ポルシェに乗った生意気な野郎が「糞坊主、臭い、うせろ」といって
あなたの尻を蹴飛ばしたとします。
>その場合、あなたはどういう原理?で行動するのでしょう。
どういう原理?で行動するか。とか・・・
そういった方向性そのものは断絶されます。
それ以上のことはいわゆる自己責任。
菩薩行とは誰のためでもない、自分のためでもない。
その分別のなきをもって、これ菩薩なりや。
自らに問う以外にあるまい。これ自灯明といふなり。
662 :
名無しさん@3周年:04/05/10 10:42
「糞机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.、臭い、うせろ」
うせろとな みまえのごしん ほとけかも きじんとてこれ さとりのさそい
664 :
名無しさん@3周年:04/05/10 11:51
>>662 机さん、あんたは実践もせずに理屈ばかりで議論好きだからこのスレに不適切だよ。
禅はあんたみたいに我見を立てて議論するもんじゃない。
そのためにアンタのスレを立ててやったじゃないか。
そっちでやってくれ。
こっちには来るなよ。
665 :
名無しさん@3周年:04/05/10 11:59
そうです。このスレは少しでも坐って悟ろうとする人たちが来ているのです。
訳の分からん屁理屈を聞きたくて来ているのじゃありません。
机のヘ理屈を聞いてもちっとも為になるどころか、気持ち悪くなって来るんです。
どうかあっちへ行ってください。
666 :
名無しさん@3周年 :04/05/10 14:37
666ゲットぉぉーーーーーー!
667 :
名無しさん@3周年:04/05/10 15:08
668 :
名無しさん@3周年:04/05/10 16:59
669 :
名無しさん@3周年:04/05/11 02:06
お前らライプニッツを読め。
悟りで得れる「認識の次元」のお話の全てが論理的に書かれてる。
釈迦と並ぶ大天才だよ。
670 :
名無しさん@3周年:04/05/11 15:44
禅の道においては、各個人の論理的な理論を全て破壊する必要にせまられる場所があります。
精神の旅を気軽に進めたいのであれば荷物は軽い方がいい。
いずれは、己そのものを捨て去らなければならないのだから。
ちっぽけな脳ではなく全身全霊で悟りを体感するならば
全ての論理はあなたに従うものとなる
671 :
名無しさん@3周年:04/05/11 16:47
他心通、念力、透視などの俗に言う超能力みたいなものは、修行が進み自我崩壊の程度にしたがって自然と備わりますよ。
しかしそれに執着して停滞するから魔境なんですから、そんなものを相手にせず、先に進まなければ大悟できません。
しかし困った人を救済するのには私もたまに使いますよ。
↑ありがとうございます。私も修行を積んでそういう境地になりたいです。
673 :
名無しさん@3周年:04/05/11 19:40
>他心通、念力、透視などの俗に言う超能力みたいなものは、修行が進み自我崩壊の程度にしたがって自然と備わりますよ。
それは聞いたことがあるが、そのために修業することは目的が違う、
おれもそのために修行はしてない。
674 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/11 20:16
>>664 >机さん、あんたは実践もせずに理屈ばかりで議論好きだからこのスレに不適切だよ。
>禅はあんたみたいに我見を立てて議論するもんじゃない。
全く我見は入ってないよ。
>そういった方向性そのものは断絶されます。
これの意味は、そこで終了。ってことです。
尻を蹴飛ばされて、怪我がなくてよかった。って考える人もいるし。
ポルシェ男が誤まって慰謝料をくれるかもしれないし。
打ち所が悪くてしのまま死んでしまうかもしれないし。
時たまのポルシェ男の遭遇を、遭遇だけと思うかもしれないし。
つまり終了したら即、縁生が起きてる。
終了(縁滅)は・・・いわゆる生起(縁生)なるや。
675 :
名無しさん@3周年:04/05/11 21:06
662 :名無しさん@3周年 :04/05/10 10:42
「糞机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.、臭い、うせろ」
663 :チーン :04/05/10 11:17
うせろとな みまえのごしん ほとけかも きじんとてこれ さとりのさそい
664 :名無しさん@3周年 :04/05/10 11:51
>>662 机さん、あんたは実践もせずに理屈ばかりで議論好きだからこのスレに不適切だよ。
禅はあんたみたいに我見を立てて議論するもんじゃない。
そのためにアンタのスレを立ててやったじゃないか。
そっちでやってくれ。
こっちには来るなよ。
665 :名無しさん@3周年 :04/05/10 11:59
そうです。このスレは少しでも坐って悟ろうとする人たちが来ているのです。
訳の分からん屁理屈を聞きたくて来ているのじゃありません。
机のヘ理屈を聞いてもちっとも為になるどころか、気持ち悪くなって来るんです。
どうかあっちへ行ってください。
676 :
名無しさん@3周年:04/05/11 22:09
>全く我見は入ってないよ。
本当にそうか?本当か?
677 :
名無しさん@3周年:04/05/11 22:50
678 :
名無しさん@3周年:04/05/11 23:08
たばこを止める時の意識について?
679 :
名無しさん@3周年:04/05/11 23:10
たばこ吸ってるようじゃ悟れないかね?
680 :
名無しさん@3周年:04/05/11 23:23
悟れないとは、言ってないですよ。それより、止めるときの感覚、意識に焦点をあててみたいのですが・・・
止めるときの意識の変化の過程はどんなふうでしたか、ということです。
681 :
名無しさん@3周年:04/05/11 23:36
682 :
名無しさん@3周年:04/05/12 01:49
たばこを吸うから悟れないとか、肉を食うから悟れないとかはない
問題なのは、たばことか肉に心を奪われることである
悟りとは何事にもこだわらない心
683 :
名無しさん@3周年:04/05/12 03:03
良寛和尚の煙草好きは有名だな〜
684 :
名無しさん@3周年:04/05/12 03:37
人を殺しても慙愧の念に駆られるのは良くない
685 :
名無しさん@3周年:04/05/12 06:11
>674
あらゆる可能性があるのは当然です。
しかしそこで即座に「金玉を蹴り上げる」という回答が何故でないのか。
もしあらゆる可能性をあげるなら、思考が矢のように早くても
永久に亀を追い越せないでしょう。まったく逆なのです。
即座に終了するためには、即座に回答がなければならないのです。
それが正しいとか正しくないとかは、(矛盾するようですが)、実は
本質的なことではないのです。
686 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 06:47
>>685 >即座に終了するためには、即座に回答がなければならないのです。
いわゆる終了(縁滅)→回答(縁生)。
これの時間的連続性という概念そのものを有しない。ってことです。
ポルシェの男に尻を叩かれるのも(→作為的)、
強風の日に道を歩いてて、たまたま頭にモノが当たった(→偶発的)のも、
結果的には同じことです。→縁滅。
>しかしそこで即座に「金玉を蹴り上げる」という回答が何故でないのか。
これがいわゆる分別智ということです。世俗諦ですね。
この世俗諦は仏智にて自らご自身が答えを得るもんです。
仏教はこれまで介在はしてないのです。
>それが正しいとか正しくないとかは、(矛盾するようですが)、実は
本質的なことではないのです。
いわゆる人間の認識は、時間的なズレがあるんですね。
思考システムがそうなっちゃってる。
本質的なものは賢愚一如です。
687 :
名無しさん@3周年:04/05/12 07:35
「糞机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.、臭い、うせろ」
688 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 08:43
>>687 私は既にいない。
いない私の「机」という記憶に苦しめられているのかとおもうよ。
苦なれば滅す。
四諦。
仏道の定石なるや。
よって、晒しage
689 :
名無しさん@3周年:04/05/12 08:57
>>688 >いない私の「机」
その、いない私の「机」に、来るなって言っているんだよ。
おまえの糞理屈でスレがだいなしになるんだよ。
>>674 >全く我見は入ってないよ。
我見もわからないアホなのは今に始まったことじゃないが、
他人が迷惑だといっても無視する我執をもって、禅を語るとはな。
おまえはもう誰にも相手にされないんだよ。
何時までも禅坊主面するのはいい加減にせいや。
690 :
名無しさん@3周年:04/05/12 08:58
いないのに出てくるなよ。(プ
691 :
名無しさん@3周年:04/05/12 09:13
>>673 >おれもそのために修行はしてない。
そうですね。
禅はあくまでも自己本来の面目を徹見することにありますから、
それがためにやることではありませんね。
しかし始めはためにやっていても、成就するためには自我の清算が必ず伴いますから、
自然と仏道に目覚めていくことにもなりますね。
それが修行の良さでもあるのですが。
692 :
名無しさん@3周年:04/05/12 10:36
>>688 ええい! 下がれ! 下がれ! 無礼者!
このスレタイが目に入らぬか!
見性した人に答えて欲しいといってるだろう。
机は見性どころか禅定力も体験したことがないようじゃないか。
そんな机がなんでここで答える資格があるん?
ん? ん?
693 :
名無しさん@3周年:04/05/12 10:42
「いない 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 、臭い、うせろ」
694 :
名無しさん@3周年:04/05/12 10:44
修行はなにかのためにするのか。
そうかひとつ利巧になった。
りろんのみ おいつあたまで わかりけり
なれどてにせず ぜんみょうみ
696 :
名無しさん@3周年:04/05/12 10:51
> 689-693
こら糞餓鬼ども、おもちゃは大切に扱え。
さりとても なかみなきなり みためほど
きょうも おもちゃを もてあまし カーン
698 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 11:37
>>692 >机は見性どころか禅定力も体験したことがないようじゃないか。
禅定力など、もともとないよ。
禅と瞑想は違う。
699 :
名無しさん@3周年:04/05/12 11:40
700 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 11:55
>>699 700get
まあ、今逝ってもわからんと思うがな(w
701 :
名無しさん@3周年:04/05/12 11:59
>>698 禅定もわからんようでは、おまえのは本物の似而非禅だな。
702 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 12:01
703 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:08
>本物の似而非
701さんがなにか深ーいことを書きました
そもそも禅定「力」って何だ?
見性した者が力に拘るのも変な話。
705 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:10
706 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:18
まあ、机に逝ってもわからんと思うがな(w
707 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 12:24
>>706 今、貴殿にとって一番大事なのは、我見を離れることだよ。
概念などいらぬ。
その覚悟がなけりゃなんにもならん。
708 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:29
>>707 今、貴殿にとって一番大事なのは、我見を離れることだよ。
概念などいらぬ。
その覚悟がなけりゃなんにもならん。
709 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:30
「いない 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. うせろ。」
だるまさんにはひげがない とうかいどうにはひとがいない
710 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:34
>>704 菩提に不可欠な慈悲ではないでしょうか
禅定力とは何だと問われれば、今までに隠れていたものを
発現させる力ではないかと。
〜べきではなく、そうせざるをえない状況、おのずからなる力です
本来の生きる原動力であり、苦しいときの神頼みというような場合の頼みとは異なるでしょう。
論争を頼みとするようなものではもちろんありません。
711 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:36
みなさんはひとりの機智外をよってたかって刺激して何が楽しいのですか
712 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 12:41
713 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:45
言葉頼み
714 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:45
>>712 今、貴殿にとって一番大事なのは、我見を離れることだよ。
概念などいらぬ。
その覚悟がなけりゃなんにもならん。 自他不二。
715 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:46
あの、ここは、
座 禅 し て 見 性 し た ひ と に 質 問
なんですけど
716 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 12:51
>>715 汝、仏ならずんば、見性は汝の内にあり。
717 :
縁なき衆生:04/05/12 12:54
すいませーん、ここは机先生の隔離スレにして、誰か別のスレ建てて誘導してくださいませんか?
718 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:55
汝、仏ならず
719 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 12:56
>>710 >菩提に不可欠な慈悲ではないでしょうか
禅定力とは何だと問われれば、今までに隠れていたものを
>発現させる力ではないかと。
空性は、そなままで慈悲なり。
どこかに隠せるものにあらず。
空⇔慈悲⇔仏智。・・・→同義なり。
720 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:57
先祖供養だけはしとけよ
721 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:57
そなままで
722 :
名無しさん@3周年:04/05/12 12:59
ガケーソ マキョーソ ヤコッゼンヌ
723 :
名無しさん@3周年:04/05/12 13:01
先祖供養しないことが最高の先祖供養だろうね
724 :
名無しさん@3周年:04/05/12 13:04
725 :
名無しさん@3周年:04/05/12 13:19
>>719 また屁糞禅者があらしにきたな。
おまえはアチコチで馬脚を表してエセ禅だと衆知の事実なんだよ。
名前は完全に地に落ちているんだよ。
わからんか。
726 :
名無しさん@3周年:04/05/12 13:24
>>707 >今、貴殿にとって一番大事なのは、我見を離れることだよ
一番、我見に固執している机が我見を持ち出すなんて、まったくお笑いもんだね。(笑
727 :
名無しさん@3周年:04/05/12 13:34
>>702 >まあ、いたしかたなかろう。
ここはまじめに禅を語るスレで、エセ禅を語るスレではない。
机よ、エセ禅を自ら語るスレでやれ!
728 :
名無しさん@3周年:04/05/12 14:36
言葉頼みの香具師に火をつけるなかれ
スルーすればすむことではないか
729 :
名無しさん@3周年:04/05/12 14:42
透過 (火暴
730 :
名無しさん@3周年:04/05/12 15:15
『応無所住而生其心』
応に住する所無くして而もその心を生ず
・・・・だな。
731 :
名無しさん@3周年:04/05/12 18:32
上からしか物事が見えん天狗道
732 :
名無しさん@3周年 :04/05/12 18:43
人をからかってるようなやつは見性できん。
733 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 20:27
>>727 >ここはまじめに禅を語るスレで、エセ禅を語るスレではない。
私はマジメに語っております。
己が仏ならば禅定力などいらぬ。
自他不二なら、そこに相互作用は既にあらず。
なきものを「ある」と仰せなるは、これ迷いにて候。
734 :
名無しさん@3周年:04/05/12 20:51
いないのに出てくるなよ。(プ
735 :
名無しさん@3周年:04/05/12 20:56
概念をなくすことの意義などを教えてください。
736 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 21:00
>>735 一言でいうなら、禅とは”死にきること”なり。
よって概念などまったくいらぬ。
禅定力などは・・・私の辞書にあらず。
737 :
東尋坊樹海:04/05/12 21:02
じゃあ死に切れや
738 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 21:06
>>737 死にきって・・・なにが残る?
ほら・・・人間は本来なにも残らぬ。
739 :
東尋坊樹海:04/05/12 21:26
なにも残らぬお前が何を書く?
死に切ってないんだよ。
自分にウソをついてるぞ。死んでないよお前は。死ねと書かないと分からないか?
740 :
名無しさん@3周年:04/05/12 21:28
命は永遠に続くのでしょうか?
741 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 21:35
>>739 大乗に仏性という言葉が何故出てくる?
まあ、これを話したらキリがないけど。
仏性も、死にきるも同じこと。
便宜上においては非常にいい言葉。
使い方によっては悪くなる。
諸刃の剣。
742 :
東尋坊樹海:04/05/12 21:37
なにも残らぬお前が何を書く?
743 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 21:38
744 :
名無しさん@3周年:04/05/12 21:40
ボクギュー
745 :
名無しさん@3周年:04/05/12 21:40
なにも残らぬお前が何を書く?
746 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/12 21:40
>>742 ほらほら・・・
諸刃の剣。というておるのに・・・・
考えても、なんもわからんよ。
考えるもんでもないし。
747 :
東尋坊樹海:04/05/12 21:41
なんもわからんお前が何を書く
748 :
名無しさん@3周年:04/05/12 21:41
だだをこねてるおやじがふたり
即身成仏って一種の自殺じゃないですか。
自殺って地獄へ行くんじゃないの?
750 :
名無しさん@3周年:04/05/12 21:48
即身仏ミイラだって自殺だよなぁ
751 :
名無しさん@3周年:04/05/12 22:01
ここに来て坐ることと人格とが全く関係ないことがよく分かりました
あんま、コテをよってたからんほうがいいぞ。
類はトモをよぶと言うしな。
粘着してると自分がおなじようになってるのに気づかんだろうな。
753 :
名無しさん@3周年:04/05/12 22:29
きをつけます
永遠とはこの瞬間の事
己の記憶と予測が時間を作るが
己はこの瞬間にしか存在を許されない
この瞬間に生きれる者は全ての時間を内包することが出来る
755 :
名無しさん@3周年:04/05/13 08:29
このスレも机がきたせいで糞になったな。
別スレをたてるか・・・
机みたいなのを野狐というんだろうな。ほんとウザイ。出入り禁止。
757 :
名無しさん@3周年:04/05/13 10:10
ジンギウ
758 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/13 11:12
>>756 私は、問われてそれに答えたまでのこと。
なんら作為はござらん。
喫茶去。
一期一会。その機縁こそ妙なりや。
これありて、われあり。
摩訶不思議なり。
あらかしこ。
じゃくとして かぜもそよがぬ おともせね
うるさくひびくは くそばえのはね カーン
760 :
痴呆症介護死:04/05/13 13:35
>>758 机ちゃん、こんなところにいたのね。
今日はオチンチン何回しごいたの。 ・・・で、でた?
761 :
名無しさん@3周年:04/05/13 13:42
>>758 机先生、ツルツルのマ○コ何回くらい舐めましたか?
762 :
名無しさん@3周年:04/05/13 13:44
まだ、しごいて出るんですかぁ〜
763 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/13 13:46
>>760 みる貝の
舌のだらりと
春深し
で、貴殿はお茶は何がいい?コーヒーか?緑茶か?
遠慮せずともいい。
言うてみなされ。
ほれ!
764 :
名無しさん@3周年:04/05/13 13:47
先生!
先生の見たおまんこの絵を描いてください。
765 :
名無しさん@3周年:04/05/13 13:49
>>763 先生のチンポの黄濁汁が入っているんでしょ。
そんなの飲めません。
潮吹きが飲みたいです。
766 :
名無しさん@3周年:04/05/13 13:53
先生が強姦して処女を奪ったのは何人いますか?
それはいつですか?
それで何を悟りましたか。
767 :
名無しさん@3周年:04/05/13 13:57
先生は黒人のまんこも舐めれますか?
768 :
名無しさん@3周年:04/05/13 14:06
┏━━━━━━━━━━━┓::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
┗┳┳━━┃神┃━━┳:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
┃┃ ┃ ┃ ┃┃::::::::::::::::::::::::::::::::
┏┻┻━━┃様┃━━━━ ::::::::::::::::::::::::::::
┗┳┳━━━━━━━┳━┛::::::::::::::::::::::::
┃┃ ┃┃::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
┃┃ ┃┃::::::::::::::
┃┃ くそばえがきませんように・・
┃┃ ┃┃
┃┃ ∧_∧ ┃┃
┃ ( ´∀`)
_( つ ミ_____
|\\\\\\I\\\\\
| \\\\\\\\\\\\
| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 何とか 之 神 |
769 :
名無しさん@3周年:04/05/13 14:44
ρ
mドピュッ
C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 ) ああ、あぁ、逝くっハァハァ・・・
./ _ ゝ___)(9 (` ´) ) ・・・・でた〜
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|
_/ ) ( Y ̄ ̄ ̄ ̄)
(__/
770 :
名無しさん@3周年:04/05/13 15:03
〜∞ プ〜ン
〜∞ プ〜ン
〜∞ プ〜ン
〜∞ プ〜ン
〜∞ プ〜ン
〜∞ プ〜ン
チッ, ウルセェ クソバエめ!
771 :
名無しさん@3周年:04/05/13 15:09
誰ぞ!
殺虫剤、まいたれや〜〜
772 :
名無しさん@3周年:04/05/13 15:20
. . : : : :: : : :: : ::: :: : :::: :: ::: ::: ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
机が来たせいでこんなクソスレになっちまった...
773 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/13 15:25
しぼり出る
乳あたたかし
桃の花
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
心静かにして風雅を楽しんでくだされ。
774 :
名無しさん@3周年:04/05/13 15:48
>>773 先生!
先生がマンコ汁飲んだとき、どんな味がしましたか?
775 :
名無しさん@3周年:04/05/13 15:52
>>773 机さま、どうか相談にのってくだしゃい。
先日、主婦を抱いたてクンニしてたら、白濁液が出てきて飲んでしまったんです。
どうやら旦那のものらしいんですが、大丈夫でしょうか。
経験豊かな先生、ぜひお答えをお願いします。
776 :
名無しさん@3周年:04/05/13 21:24
777 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/13 22:00
>>775 お題に答えます。
>先日、主婦を抱いたてクンニしてたら、白濁液が出てきて飲んでしまったんです。
>どうやら旦那のものらしいんですが、大丈夫でしょうか。
飲んでしまったものはいたしかたあるまいの・・・。
で、貴殿はそれを吐き出す所存か?
もし吐き出すのが至難なれば、そのままで宜しいかと思ふ。
過ぎ去りしことはもうあらず。
縁生するものは、そのまま縁滅す。
縁はそのまま我なれど、滅っせなれな我なし。
いうなれば我は今にしかおわさぬ。
なれば貴殿が言ふ我とは何ぞや?
まあ、ここは仏教を語るにはスレ違いかもしれんの。
皆の衆はどんな宗教を信仰してるんですか?
778 :
名無しさん@3周年:04/05/13 22:19
完全にクソスレ化しちゃったな
779 :
名無しさん@3周年:04/05/14 09:44
机出現により、糞スレになりました。
・・・・・というわけで、閉鎖します。
780 :
名無しさん@3周年:04/05/14 11:05
∧∧ _ ドスッ
( , ,) ┌─┴┴─┐
/ _つ. 終 了 │
〜′ /´ └─┬┬─┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
机は完全にスルーでいきましょう。
見性した人、いろいろ聞かせて下さい。
「無門関」の「竿頭進歩」の公案のことを最近考えています。
私は禅は門外漢で公案も自己流なのですが、この公案の解は
「飛び込め!」だと勝手に思っています。全然見当はずれかもしれませんが…。
もし、多少私の解がかすっているのなら、修行しているみなさん、どこに、
どう飛び込んでおられますか。
また、私がとんでもなく見当違いなことを言っているのなら、どうか叱咤してください。
お願いします。
ぜんぼうず すててとびこみ てらのなか ざいやのなみに いつぞあゆまむ
竿頭?
百尺竿頭?
竿頭って坐する場所??
公案以前に意味がわからん。
785 :
名無しさん@3周年:04/05/15 01:26
>>784 すいません。百尺竿頭の公案のことです。
まったくの素人なもので。ちなみに、この公案は次のようなものです。
石霜和尚云く、百尺竿頭如何んが歩を進めん。また、古徳の言云く、百尺竿頭
に坐する底の人、然も得入すと雖も、未だ真と為さず、百尺竿頭すべからく
歩を進むべし、十方世界に全身を現ず
>>786 竿の先から踏み出したらまっさかさまやん・・
>>785 もちろんそうなんです。悟りからは程遠い上に、言語能力もないもので、お許しください。
それを承知で再度伺います。それでは、言い方を変えます。この公案に対して、先達のみなさま
はどのように向き合われているのでしょうか。それをご教示ください。
これも自己流ですが、禅は言語批判という部分があるので、なんらかの問を発する時点で
自己矛盾に陥ってしまうことは避けがたく、みなさんには、「コイツ何を言っているんだ」
と思われるのを承知で、恥をしのんで重ねてお願いします。
789 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 06:14
>>782 >「無門関」の「竿頭進歩」の公案のことを最近考えています。
人間というのは、どうしてこうも考えちゃうのでしょうか?
禅定力という煩悩に苦しんでおられる御仁もおります。
禅定力のお題が解けたら、これが一歩前に進む。といふことかと思うのですが、
如何でせう?
790 :
痴呆症介護死:04/05/15 08:08
>>789 机エセ先生、お止めなさいって。
エセ先生に禅とか仏法の話なんて似合わないですよ。
どうせ珍説迷説なんですから・・・・。
それより、今日はご機嫌いかがですか。
オチンチンがたちましたか?
またしごいたんでしょう。
もういい加減な年なんですからね。
791 :
東尋坊樹海:04/05/15 08:21
珍説迷説とも言い切れないところにむしろ難しさがあると思います。
たとえて言えば、披露宴かなんかの席で「食ったものはうんこになる」「人間いつか死ぬ」それだけを延々と主賓挨拶のあいだそれを打ち消す大声でいい続けたらどうなるでしょうか?
真理を衝いてはいるのですが、口先だけなのと、TPOわきまえないところに問題があります。
今後スルーについては同意します。諸仏の皆様お目汚し陳謝。
792 :
痴呆症介護死:04/05/15 08:22
>>789 あ、そうそう。
それからねぇ、あまり考えちゃだめよ。その頭じゃ、考えても大したこと出てこないんだからぁ。
みんなにアホ呼ばわりされるだけですよ。
それに、またうつ病がひどくなりますよ。
チャントお薬をのんで、大人しくしてなさいネ。
793 :
痴呆症介護死:04/05/15 08:41
>>791 すみません、東尋坊樹海さん。
机は精神を患って、自分が禅坊主と思い込んでいるんです。
なにか昔、禅の本をチョコッと読んで、それを自分が体験したように思い込んで、それを自慢げに話す症状なんです。
元々は若いときカルト教団にいて精神を病んだようで、独り善がりの自説に対して異なった本来の仏説を話そうものなら噛み付く癖がありますのでご注意してください。
また方々のスレに逃げ出しては、ご迷惑を掛けていますので
どうか、スルーして気になさらないで下さい。
794 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 09:31
真実とは、ひとつの道を極めるのではない。
道を極めようとする己に気づくこと。
795 :
痴呆症介護死:04/05/15 09:43
>>794 なにも分かってないくせに
つまらない事言うのお止めなさいって・・・
それよりも、どう、昨夜、オネショしなかった?
796 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 09:58
>>795 >なにも分かってないくせに
わかることもなかろうに。
何故ゆえかように迷うのか?
わからぬでいいではないか。
そのように調うてくだされまし。
797 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 10:01
追記
>それよりも、どう、昨夜、オネショしなかった?
それよりも、己のことを見つめなされ。
直指人心。
迷うことはなし。
798 :
痴呆症介護死:04/05/15 10:06
>>797 オホホホ・・・
ツ・ク・エ・ちゃん おば加算ねぇ。
痴呆症のお薬飲んだ? ちゃんと飲まなきゃダメよ。
799 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 11:26
>>798 眼あれど見えず。
耳あれど聞こえず。
これを無明と言ふなり。
いたしかたなかろう。
800 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 11:33
涅槃図の
余白に遊び
昼のお茶
801 :
痴呆症介護死:04/05/15 11:45
>>799 オホホホ・・・ おば加算ねぇ。
そんなところで無明なんて言葉、使うんじゃあないのよ。
またまた知ったかぶりしちゃって、だめねぇ。知った単語はすぐ使いたがるからぁ。
もう、エセ仏法はお止めにして、昼寝しなさいね。
802 :
名無しさん@3周年:04/05/15 12:11
机先生に質問です。
いま漏れはお釜に夜ごと犯されています。
いやだと言っているんですが聞いてくれません。でも別れるつもりは無いんです。
どうしたらよいと思いますか。
803 :
痴呆症介護死 :04/05/15 12:29
>>802 机チャンのエセ禅、エセ仏法とかいうのは、もう天下衆知の事実となっているんですねぇ。
だから誰も相手にされず、たまにあるとこのような師も寝たの質問なんでしょうがねぇ。
まあ、仲良くしてくださぁいね。
804 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 12:54
>>802 >いま漏れはお釜に夜ごと犯されています。
今はお釜はいないんでしょ?
いないお釜はどうすることもできませんね。
一休宗純の、屏風から寅を出す逸話と同じ。
どうにもならんもんは・・・どうにもならんでしょ?
>>796レスを吟味されたし。
禅のスレで、なんでこんなドキュンな質問をするんでしょ?
805 :
名無しさん@3周年:04/05/15 13:04
>>804 >いないお釜はどうすることもできませんね
>どうにもならんもんは・・・どうにもならんでしょ?
先生はエセ禅者でも少しは齧っているんでしょ。
これじゃあ、なんにも答えになってないじゃあないですか。
また関係してしまうんじゃあないかと思うと罪悪感で夜が怖いんです。
806 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 13:20
>>805 貴殿は無粋な御仁だね。
________________________________
涅槃図の
余白に遊び
昼のお茶
________________________________
今は風雅を楽しんでればいでしょ。
>また関係してしまうんじゃあないかと思うと罪悪感で夜が怖いんです。
既になきもんを、貴殿の記憶が迷うているにすぎず。
どうにもならん。
記憶を消したらよかろう。
807 :
名無しさん@3周年:04/05/15 13:33
>>806 >どうにもならん。
>記憶を消したらよかろう。
どうやって消すんですか。
簡単に消えるんだったら質問しません。
先生はやっぱエセなんですね。
808 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 14:22
>>807 >どうやって消すんですか。
竿頭進歩
今日はいい天気だね。
809 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 14:30
諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
810 :
痴呆症介護死:04/05/15 15:26
>>809 オホホホ・・・
なにを言ってらっしゃるの、素人さん相手に・・・・
そんな真似事をするんじゃありませんよ。
それより、ちゃんとオシッコはでたの。
811 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 15:35
>>810 >なにを言ってらっしゃるの、素人さん相手に・・・・
素人って?
まあ、2ちゃんのことだから、ろくなもんはおらんだろうね。
オオワラ
812 :
痴呆症介護死:04/05/15 15:46
>>811 ほらほら、またまた・・・
世間は皆、机ちゃんをエセ禅者だと分かっているけど、自分じゃ禅者だと思っているんでしょ。
だったら、そんなこと言うもんじゃありませんよ。
また皆が思いを深くするじゃありませんか。
813 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 16:13
それもひとつのコンセプトに過ぎぬ。
まるでそれはグラウンドのトラックを廻っているが如し。
疲れ果て、そこに倒れたならば、
もう廻る必要もないし、トラックの意味もない。
かくの如し。
814 :
痴呆症介護死:04/05/15 16:41
>>813 そのトラックには人がますます集まってきて叫んでいるんですよ。
でも机ちゃんは、ノー天気だから自分も一緒に叫んで騒いでいるんでしょう。
自分のことを自分で叫んで、だからアホ呼ばわりされるんでしょうに。
さあ、これから晩御飯のおかずをつくらなきゃぁ。 じゃあね。
815 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 18:21
トラックを何度も何度も繰り返し回る。
人は楽な方、安易な方へと向かう。
そこには必ず陥る罠がある。
それを自覚することが、いわゆる倒れること。
立ち止まること。
もはやそこにトラックは意味がない。
816 :
名無しさん@3周年:04/05/15 18:54
見性と成仏は同じですか?
817 :
名無しさん@3周年:04/05/15 19:04
同じです
818 :
名無しさん@3周年:04/05/15 21:03
百尺竿を地面にまっすぐ立てようぞ
819 :
名無しさん@3周年:04/05/15 21:59
土木工事じゃないんだ
820 :
名無しさん@3周年:04/05/15 22:21
尺取り虫が百尺竿をよじ登り、よじ下がる
学人は、尺取り虫の二次元運動にそろそろ気付くべきである
821 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 22:26
>>816 >見性と成仏は同じですか?
大乗非仏説などといわれるけど、あまり成仏などと考えても意味はない。
私が
>>815で書いたように、トラックを空回りしているようなもんだよ。
空回りしている間には前しか見えない。
こういう状況においては、いわゆる全方位的な視点というのも大事。
それが・・・
>そこには必ず陥る罠がある。
こういうことだよ。
見性とは、このことだよ。
見性と成仏は違う。
822 :
名無しさん@3周年:04/05/15 22:26
>見性と成仏は同じですか?
違うよ。悟ることと解脱の違い。
823 :
名無しさん@3周年:04/05/15 22:27
そもさん成仏
824 :
名無しさん@3周年:04/05/15 22:30
悟れば解脱できますか?
825 :
名無しさん@3周年:04/05/15 22:36
おいっ! ナゼ「悟り」が気になる?
826 :
名無しさん@3周年:04/05/15 22:39
827 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/15 22:42
>>824 問い自体に形容矛盾がある。
だから答えようがない。
828 :
名無しさん@3周年:04/05/15 22:55
おいっ! ナゼ824が気になる?
829 :
名無しさん@3周年:04/05/15 23:22
痴呆症介護死という人へ。
つまらないです。
830 :
名無しさん@3周年:04/05/16 05:27
机を似非禅者と呼ぶのは、どうかと思う。では禅者はどこにいる?
誰も禅者を見たことは無いはずだ。それは幻だ。
机は立派な禅者なのだ。禅者とはそういうものだ。
見劣りするというなら、君が禅者になりなさい。
831 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/16 07:47
本来仏ならずんば、なにゆえ修行をせねばならんのか?
これは中国からの流れ。
道元もこのことを言うておるが・・。
つまりこういうことだ。
止まることを知るのには走らねばならん。
修行は”行”であってもこれ”信”なるや。
南無阿弥陀仏も、これ行にあらざる。
832 :
名無しさん@3周年:04/05/16 08:22
「オマンコは存在しない」
その根拠を幾つか述べよう。
1.女は絶対に「オマンコ」を見せたがらない。それも不自然なほど隠す。
あの嫌がり方は尋常ではない。女子小学生ですら見せるのを嫌がるではないか。
2.AVを見ていても「オマンコ」の部分には必ずモザイクが
かかっており、われわれは「オマンコ」を目にする事が出来ない。
これこそが「オマンコ」が存在しない何よりの証拠ではないだろうか。
3.日常生活で「オマンコ」という言葉をひとたび発すると、
法律で禁じられた行為であるかのような嫌悪の視線を受ける。
しかも公共放送でも「オマンコ」は放送禁止用語となっている。
これも明らかにおかしい。
俺は確信した。「オマンコ」は絶対に存在しない。
コラ机、出入り禁止って言っただろ。
お前のおかげで、このスレが糞になった。
「見性した人に質問」と書いてあるだろ。お前、見性してないじゃん。
834 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/16 10:22
835 :
名無しさん@3周年:04/05/16 12:44
>>830 > 机は立派な禅者なのだ。禅者とはそういうものだ。
立派な禅者とは、自在に我を捨てられる人
状況判断を速やかに捉え、潔く身を引くことの出来る人
830さんは、さ・す・が・に・お・目・が・高・い
お目が高いということは、安請け合いの偽善とは違うということ
以後、このスレも落ちつくでしょう
立派な禅者とは、そうそうに自己主張に縛られることのない人だから
ま、机みたいなのが生まれるから、半端に禅をかじると「禅天魔」となる。
机、出入り禁止。お前も修行しているなら、みんなの気持ちを汲んで、もう来るな。
837 :
名無しさん@3周年:04/05/16 15:35
机氏を排除したい人々がいるようだ。
ポイントは、彼らは禅について机氏と見解が一致しないということにあるようだ。
彼らは机氏が禅について発言するとその発言に我慢ならないものがあるらしい。
しかし、なぜ彼らには机氏の発言が我慢ならないのか?、ここのところが問題である。
とはいえ、理由がどうであれ、
机氏の発言に我慢ならない人が何か言ったとしてもその程度の発言でしかないはず。
>南予出身さん
「みんなの気持ち」ではなく、あなたの気持ちです。一緒にしないで下さい。
838 :
名無しさん@3周年:04/05/16 16:21
机流の禅には、「左道禅」の臭いがするから嫌がるのではないかな。
左道とは「不謹慎」という意味で、密教で言えば「左道密教・立川流」のようなものではないかな。
エロ・グロをテーマにすることが好きな人たちは、机流でいいかもしれないな。
ここは、左道禅をテーマにするスレではなさそうだよ。住み分けをした方がよいと思うよ。
>>837 私も机氏のことをあまり快く思っていない一人です。なぜ快く思っていないか。
1.机氏の発言は揚げ足とりが多い。まぜっかえしたり、ちゃかしたりするものがほとんど。
つまり、マナー違反ということ。その結果、議論が空転したり、あらぬ方向に行ってしまう。
2.机氏は何でも自分が一番、という態度で、強く自説をひけらかすことだけに終始する。
以上の二点に集約できると思います。791さんの意見がこれを直裁に指摘しています。
わたしとしても、本音は836さんと同じ。837さん、このスレを初めから、1から読めばそれが
わかると思います。最新50だけ読めば何か836さんたちの「自分と異なる意見を排除する横暴」とも
とれますが、必ずしもそうとばかりは言えないように感じます。
これに対して、次のように反論することも可能ではあります。
2チャンネルの書き込みは、しょせんお遊び。茶化し、揚げ足とりは当然。議論が思わぬ方向に行く
のも逆に面白く、いいではないか。
上記の反論ももっとも。
836の何予出身さんたちに提案。机氏はとにかく、かまってもらいたい人なのです。
だから、悪口を言われてもへっちゃら。悪口でも「机」と書いてあれば、飛び上がって
ヨロコンデシマウ人なのです。だから、本気で怒るなら今後一切、応対しないのが賢明です。
もちろん837の言うようにこれを人に強要するのは、ファシズムの危険性がある、と思いますが。
確かに、来るな、書くな、という権利は誰にも無い。繰り返します.限度を超えた不快なら無視するが一番。
841 :
名無しさん@3周年:04/05/16 17:59
>立派な禅者とは、自在に我を捨てられる人
>状況判断を速やかに捉え、潔く身を引くことの出来る人
そんな立派な禅者がどこにいるのか?と聞いているのに。
まず、自分がどれほどのものであり、それから信奉する禅者がどれほどのもであるか
、理想的な禅者がいるとしてその概念がどれほどのものであるかを考えてみてはどうか
と思う。
842 :
名無しさん@3周年:04/05/16 18:28
なんでも鑑定団の骨とう品の鑑定と同じだな。
本物の骨とう品を観てきた鑑定人は、本物と偽物の区別がつき、本物の値打ちがわかるようだ。
それに対して、依頼人は、自分の骨とう品が本物か偽物かの区別もつかないから、鑑定団に鑑定を依頼してくる。
ところで、審査委員は誰がなるのだ。
843 :
名無しさん@3周年:04/05/16 18:52
このスレも残り少なくなってきました。
誰か見性した人、>>1の五つの問いに答えてください。
844 :
名無しさん@3周年:04/05/16 19:51
>>841 >そんな立派な禅者がどこにいるのか?と聞いているのに。
彼の居士は来なくなりましたね
>まず、自分がどれほどのものであり、それから信奉する禅者がどれほどのもであるか
>、理想的な禅者がいるとしてその概念がどれほどのものであるかを考えてみてはどうか
>と思う。
概念を概念でもって更に概念化して考えるのは、凡そ禅らしくないのではと
「水をきわめ、そらをきわめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、
水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず」
悟りなど ないことを悟れよ
846 :
名無しさん@3周年:04/05/16 20:36
847 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 00:11
釈尊は、もともと仏なる概念は言うてこなかった。
しかしながら仏というのは話の流れを説明するのに非常にわかりやすい。
竿頭進歩というは、こういった方便(方法)を使いながらも、その方便を用しなくなった・・・
その一歩進んだ状態。
このことでしょうね。
>>843 >このスレも残り少なくなってきました。
>誰か見性した人、>>1の五つの問いに答えてください。
今はその話をしてるんですよ。
私のレスに絡むか?絡まぬか?貴殿しだい。
私は、お題があればなんなりとレスを入れます。
848 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 00:12
では、これにて寝ます。
849 :
机龍之介 ◆dmy.7EW9h2 :04/05/17 01:40
∞ ブーン _人 ∞ ブーン
) ノ⌒ 丿 (
( _/ ::( )
/ :::::::\ ∞ ブーン
( :::::::;;;;;;;)_ r /ヽ ̄ヽ- 、
\∠二ニ=、ノ=ニ二ゝ\ ノ / | | \
___ ノ ̄ =o=、. ,=o=、:::) _____/ | | ヽ
| ○ /, - ( ,(_。_;。_)、 ;;;;;;人 / / ヽ
|/ ( (, / ̄――ノ __;__ ` ::::::::::\ / / |\
| _ ー―i ` ‐-_ ( ー=ニ二ニ=-' ::::::::::::::) /_______) )
L_ __|__ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /
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____ ,, -−- 、 ,, -−- 、
____ / , - 、\ / , - 、\
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ヽ、`ー-‐'__ノ ヽ、`ー-‐'__ノ
850 :
名無しさん@3周年:04/05/17 08:39
久々に来てみれば、なんだこの糞スレ様。
机の人格そのものじゃないか。完全に机化したな。
机も年甲斐もなく相変わらず、似而非禅丸出しのバカッぷりを臆面もなく出しおってからに・・・。
なに、禅定など机の辞書にないって・・・か。(大笑
こいつは仏教の基本、六波羅蜜の布施・自戒・精進・忍辱・禅定・智慧も知らんらしいし、
戒・定・慧の三学は成道の要訣なりという言葉も知らんらしい。
このどれを欠いても仏教ではなく禅ではないことも知らんから似而非禅の似而非たる所以であろうな。
まさに机の似而非禅の面目躍如というところだな。(大笑
見性と成仏は違うってか(大笑
『直指人心見性成仏』も知らんらしいな。
なんとも酷い御仁じゃのう。
まあ、こういうアホは相手に出来ぬからのう。
また、たまに覗きに来るから、机がどんな似而非禅を吹いているか楽しみにしておるよ。
しばし、さらばじゃ
851 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 08:50
>>850 >『直指人心見性成仏』も知らんらしいな。
身心と脱落は同じなんですか?
いや、身心と脱落は違いますよ。
身心脱落。
馬鹿タレ!同じに決まっちょるわい。身心脱落と言うてるではないか!喝!!
おそれ入谷の鬼子母神。
こんな問答に似たり。
この先は言うまい。語るまい(>_<)
852 :
痴呆症介護死:04/05/17 08:51
皆さん、おはようございます。
>>850さんのことはさておいて、机ちゃん、また自作自演して自分を褒め上げているのね。
誰も褒めてくれないから、気持ちもわかるけどさ。
でも、バレバレの自作自演はチョットみっともないんじゃない。
そんな自作自演はやめなさいね。
他のスレでもバレて大恥を掻いたばかりじゃないの。もう忘れたの。
痴呆症は少しも良くなっていないようだわね。
ちゃんとお薬飲んでいるのかしら・・・。
853 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 09:02
>>852 いやぁ〜、そんなことよりね、
このスレが盛り上がらないのは皆さんが机に振り回されてるからだよ。
ちゃんと私に絡んでくれば、それでいいこと。
で、貴殿の自論とやらは?
カキコしてくだされ。
なんなりとレスを入れます。
ちょっと用事があるので、後でレスは入れるからね・・・。
だから、机は見性していないことが一目瞭然なの。来るな!!!
855 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:12
糞
856 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:13
ス
857 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:14
忍辱忍辱
858 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:14
レ
859 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:21
1000までこれでいくのか?
860 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:22
終
861 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:23
了
862 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 10:26
>>854 無可無不可。
歎異抄より・・・
「わがこころのよくてころさぬにはあらず。
また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」。
平常心是道。
娑婆に生きる覚悟こそ大事なり。
863 :
痴呆症介護死 :04/05/17 10:29
>>853 オホホホホ・・・
お止めなさいな、所詮、エセなんだからエセらしくね。
850さんに何やら言われて、
クソバエが鷹の羽ばたきをみて負けじと羽を動かすようなもんでしょうに。机ちゃん。
864 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 10:36
>>863 勿体無いな・・。
スレを生かすのも一期一会の縁。
その刹那に生きることこそ禅なる生活。
生活ありて禅あり。
865 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:37
言うだけなら楽だよな、机。
866 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:40
_人
ノ⌒ ノ
_/ ::(
わし、つくへ! / :::::::\
野狐禅では! ( :::::::;;;;;;;)_
誰にもまけへん! \∠二ニ=、ノ=ニ二ゝ\
ノ ̄ =o=、. ,=o=、:::)
( ,(_。_;。_)、 ;;;;;;人---,,,_
/ ̄――ノ __;__ ` ::::::::::\ , ゙',
( ー=ニ二ニ=-' ::::::::::::::)/ l
_,f'、\__:::::: ''''''' ;;;;;;;;;;;ノ'"゙i i
_,,r''´ ゙ "´ i l ,'
,,.‐'´ ゙'' ,、,,‐'iン' ..... ..:::.. ', r,‐‐' ノ
r、__,-'´ _,,-'´_,,,.-ヽ, ,' '、 。 l i,) /-,,_
ヒ'-'ゝ. 、 ,,.-‐'',.-''"´ l'、,. 。 ,...ノ ゙'、,,_ ノソ_,/ `゙'‐,
ゝミ_,,ノ" ,'´ iヽ,`゙゙゙´ ゙゙"./~i ....::',
ト;:::.. ', i'、 ,/ノ.,ノ ..:: ゙゙ ',
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. ,' ,' `゙'', ´ヽ、'、 ヽ'マ'''"'‐、,,_ノ, ';:: ',
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l / ゙, ..i
_ r' /. ',. '、_
,,-‐''´ ..'゙'、 f゙.. `゙'‐、__
f´__,,--‐---‐'゙ `゙゙´`゙''ー----'
机の糞禅を野狐禅と一緒にしないで下さい。
野狐禅はず〜っとましです。
机のは野狐の名に値しません。似非です。似て非なるものです。
いうならばカレーと雲子を一緒にするようなもんです。
くれぐれも一緒にしないで下さい
868 :
名無しさん@3周年:04/05/17 10:59
869 :
放送終了のお知らせ:04/05/17 11:02
放送終了のお知らせ
870 :
名無しさん@3周年:04/05/17 11:04
> 机の糞禅を野狐禅と一緒にしないで下さい。
うんこ禅!うんこべら禅。
871 :
名無しさん@3周年:04/05/17 11:05
すげー禅の極意じゃんか。たいがいの入門書に載ってるうんこ棒禅。
872 :
名無しさん@3周年:04/05/17 11:07
坐ればわかるさ
873 :
名無しさん@3周年:04/05/17 11:08
老師!
外道と魔境はおなじですか?
ちがうとしたらどう違いますか?
874 :
痴呆症介護死:04/05/17 11:09
>>864 オホホホホ・・・
一期一会の縁だなんて、また血迷っているわね、何度も会ってるじゃないの。
痴呆症が進んでいるのかしら。
それに机チャンに絡んでもしょうがないでしょう。
クソバエが羽を一生懸命羽ばたくのはいいんだけど、どうせ珍答・迷答しか返って来ないんだからぁ。
875 :
名無しさん@3周年:04/05/17 11:13
珍答・迷答も時にはいいのだがあまりに多いとね
876 :
名無しさん@3周年:04/05/17 11:13
☆卍 仏教質問箱@机質問スレ 卍☆パート11
誰かたててくだされ。俺はどういうわけか弾かれて駄目。
877 :
名無しさん@3周年:04/05/17 11:23
>>850さんも呆れて帰って行ったね・・・。
確かに机は仏教や禅の基本もなにもわかってないね。
それでも我論に固執するのは精神病なのかな?
それとも痴呆症介護死さんの言うとおり痴呆症なのかなぁ?
どっちにしても、皆さんの言うとおりクソ禅だね。
机の屁糞禅を糞禅と一緒にしないで下さい。
糞禅はず〜っとましです。
机のは糞の名に値しません。似非です。似て非なるものです。
いうならば味噌とウンコとを一緒にするようなもんです。
くれぐれも一緒にしないで下さい。
机の屁糞禅です。
879 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 11:45
>>874 >一期一会の縁だなんて、また血迷っているわね、何度も会ってるじゃないの。
縁ありて我あり。縁なくば我なし。
きみありて我あり、きみなくば我なし。
貴殿とは今ここにしか縁はなき。
これを一期一会と言ふなり。
諸法無我。
880 :
名無しさん@3周年:04/05/17 12:09
みなさん!
ひとりの 危 地 害 を刺激して何が楽しいのですか?
881 :
名無しさん@3周年:04/05/17 12:17
882 :
痴呆症介護死 :04/05/17 13:13
>>879 あら、お昼を採って来てみたら・・・ 机ちゃんらしくもないわねぇ。
まさか『茶湯一会集』を知って言っているわけ無いわよねぇ。
エセはエセらしくしないと・・・・。
まともなこと言っているつもりでも、端からそうは取られないから、仕方ないわよねぇ。
883 :
名無しさん@3周年:04/05/17 13:32
>>850さんに因んで
机の禅・仏教は
六波羅蜜の
1.布施・・・人に不快を与える施不快、人助けもしない出来ない、全く布施はなし。
2.自戒・・・我の趣くまま人に絡む。戒を持たない。
3.精進・・・坐禅もせず仏道に励まず。
4.忍辱・・・全くなし。脊髄反射はその証。
5.禅定・・・自ら無し、不要と公言して憚らない。
6.智慧・・・貧弱な頭から出る屁理屈ばかりで般若の智慧などわからない。
となると・・・・
やはり 屁糞禅・屁糞仏教 ですか。
884 :
名無しさん@3周年:04/05/17 14:12 ID:jvY8ApSZ
793 :痴呆症介護死 :04/05/15 08:41
>>791 すみません、東尋坊樹海さん。
机は精神を患って、自分が禅坊主と思い込んでいるんです。
なにか昔、禅の本をチョコッと読んで、それを自分が体験したように思い込んで、それを
自慢げに話す症状なんです。
元々は若いときカルト教団にいて精神を病んだようで、独り善がりの自説に対して異なっ
た本来の仏説を話そうものなら噛み付く癖がありますのでご注意してください。
839 :迷える子羊 :04/05/16 16:24
>>837 私も机氏のことをあまり快く思っていない一人です。なぜ快く思っていないか。
1.机氏の発言は揚げ足とりが多い。まぜっかえしたり、ちゃかしたりするものがほとんど。
つまり、マナー違反ということ。その結果、議論が空転したり、あらぬ方向に行ってしまう。
2.机氏は何でも自分が一番、という態度で、強く自説をひけらかすことだけに終始する。
以上の二点に集約できると思います。791さんの意見がこれを直裁に指摘しています。
わたしとしても、本音は836さんと同じ。837さん、このスレを初めから、1から読めばそれが
わかると思います。
885 :
名無しさん@3周年:04/05/17 14:14 ID:NkDWOh+0
おっ、ID出るようになったね。
887 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 15:54 ID:IA6sm/XK
粗茶ですが・・・召し上がれ。
_________________________________
ほととぎす 来鳴き響もす
卯の花の 共にや来しと
問はましものを
(不風流処也風流)
心静かに、喫茶去。
888 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 16:06 ID:IA6sm/XK
____祝い_ID制____
今後IDが入るようになりましたから、スレは落ち着くでしょう。
ドキュンが去ったら、マタ−リと禅を語ってまいります。
乞う期待
では、少しPCを離れます。
889 :
名無しさん@3周年:04/05/17 16:50 ID:B+22PiSE
890 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 16:59 ID:8vdBrllo
891 :
名無しさん@3周年:04/05/17 22:14 ID:RVWPgH9A
悟りや見性を求めて坐禅をしてはいけないんですよね?
これだけ教えて。
892 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/17 22:31 ID:peGobX6H
>>891 仏道というのは、目標とか目的をもって歩むものではないんだね。
なぜかというと、その目標なる概念が道を見えなくする。
道はないんだね。
だから道を歩むということは道にそれてしまう。
知るとか、知らない、とかの範疇には属さない。
西田幾太郎はこれを直覚、という言い方をする。
じゃあ直覚というのはどういうことか?
西田にとって、これを説明することが生涯の目標だった。
しかしながらそれは今もって成し得ない。
893 :
名無しさん@3周年:04/05/17 23:46 ID:GVmnzVDy
>>891
人は、はじめは目標を目的をもって歩むのが常である。
次第に、目標や目的を持つことが執着になり、苦しみや妨害の原因になってくることがわかってくる。
さらに、執着を捨てようとするが、なかなか執着を捨てることができない。
執着を捨てようとしなくなりだすと、執着は落ちだすのである。
だから、道を歩まなければ、「もともと道は求めることはなかった」「もともと道は自分に備わっていた」ということが、五臓六腑に落ちないのである。
はじめから結果があるのではなく、過程を通ったうえで結論があるのである。
言い方をかえれば、知識として知るのではなく、「知ることは体得すること」なのである。知行合一ともいえるかもしれない。
894 :
名無しさん@3周年:04/05/18 01:24 ID:Jw2eKFYT
>>892
失礼ですが、机氏は、エロ・グロの話は止めていただき、もう少し聞き手が誤解しないように、プロセスを考えて説明していただいたらどうでしょうか。
歳はお幾つかしれませんが、七十ならば、七十の手習いで研究して頂いたらどうでしょうか。
今までの人生、死ぬような経験もしてこられたでしょう。その他にも多くの苦労を経験をしてこられたと思います。
その経験があるからこそ、今の結論があるのではないでしょうか。
あなたがしたような実地の経験をせずに、あなたが言うところの結論だけを先に持って振り回してしまえば、知識だけの人間ができあがるのではないでしょうか。
あなたは、多くの実地の経験をしてこられたでしょう。あなたは、知識だけの人間が育つのを望んでおられますか。
895 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/18 07:21 ID:tKn0FtZV
>>894 >失礼ですが、机氏は、エロ・グロの話は止めていただき、もう少し聞き手が誤解しないように、
>プロセスを考えて説明していただいたらどうでしょうか。
いわゆる禅でいふ円相とは、これ三昧ですね。この三昧に留まることはまた執着です。
涅槃寂静とは、娑婆に生き抜く智慧かと思います。
これがいわゆる中道。
親鸞上人も言うているが如し、間違えばいつでも百人・千人を殺すことだって出来る。
妻をめとっても、髪を伸ばしても、そこは程ほどの節度、ってことなんでしょうね。
エログロも時にはあります。人間なんですからね。
菩薩もエロいことは考えます。
白隠の公案に婆子焼庵て公案があるんですけど、「女を抱きたい」という修行僧を白隠は破門している。
この公案は禅僧においてもいろいろ意見が異なるかとおもう。
いわゆる白隠の性格が如実に表れいる逸話ですね。
(つづく)
896 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/18 07:28 ID:tKn0FtZV
>>894 >あなたは、多くの実地の経験をしてこられたでしょう。
>あなたは、知識だけの人間が育つのを望んでおられますか。
これも相手しだいですね。
相手が真剣ならば私も真剣に絡みます。
相手が冷やかしなら、冷やかしのまんまですね。
程ほどです。
いずれにせよ中道。どこまでも中道のまんまです。
#、、ちなみに私は、大東亜戦争はリアルでは知りません。
もちっと若いですよ(笑
897 :
名無しさん@3周年:04/05/18 07:43 ID:OYGvZ1BZ
セックス波羅密
898 :
みんな新スレに移動:04/05/18 09:29 ID:5l4pouB+
899 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/18 09:42 ID:boXOAdC1
>>898 >机へ。新スレにきたら、荒らしとみなしてヒロユキに通報するぞ。絶対来るな。
了承しました。
貴殿の、かつ貴殿が立てたスレの、なおいっそうの発展と繁栄を祈念します。
<机龍之介>
900 :
このスレ初カキコの第三者:04/05/18 10:22 ID:sbpSHTVN
ちょっと見た限り、机龍之介殿の書き込み内容に、
それ程の問題があるとは思えませんがな。
過去の経緯を知りませんゆえ。
無責任な意見かもしれませんが。
901 :
名無しさん@3周年:04/05/18 10:44 ID:czE2g/SW
彼と絡んでみるとよくわかるよ。
902 :
名無しさん@3周年:04/05/18 11:33 ID:73BOtP6l
おまえらまだチンコチンコ言ってるのか、
そろそろ終わりにしたらどうだ。
903 :
名無しさん@3周年:04/05/18 11:48 ID:7xf1q38w
>901
過去の経緯を知っているが、絡みかたが悪い。いや同じなのだ。
自分の頭を鏡に写して、ぶさいくだと腹を立てているに過ぎない。
904 :
名無しさん@3周年:04/05/18 12:48 ID:URz0FZux
>>903 >過去の経緯を知っているが、絡みかたが悪い。いや同じなのだ。
>自分の頭を鏡に写して、ぶさいくだと腹を立てているに過ぎない。
901じゃないけど、
腹も立てずに、否、気づきもしないなら、だれかさんと同じになる。
絡みかたへの工夫?揚げ足とりのような駄論(戯論ではない。戯論というのは、
もっと含蓄や示唆に富むものだ。)に拘泥する必要はない。悪因縁は躊躇なく避
ける。断つ。ひとつの選択支を示しただけ。それだけのこと。よってこの論争も
今後なし。
905 :
名無しさん@3周年:04/05/19 05:05 ID:0PE6Cbmk
論争というものは程度が低く、おしゃべりの方が程度が高いとは
思わんか?
なぜ程度の低い論争をするのだ。
この論争を終わらせて、別の論争を始めようとするのか?
論争というものを終わらせて見てはどうか。
どうすれば、この無意味な程度の低い論争を終わらせること
ができる?
それについて禅はなんと答える。悪因縁を絶つのがその教えか?
虫けらを害虫として駆除するのか? それとも虫けら一匹の命の
尊さを知るのか? カーカーと鳴くカラスに、ホーホケキョと
鳴けというのか? カラスはなぜ鳴くのだ。カラスが鳴くのが目障りか?
906 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 06:12 ID:F5T9WO1Z
>>905 >それについて禅はなんと答える。悪因縁を絶つのがその教えか?
悪因縁ていうのも非常に難しい。
仏教は自己矛盾にありて、最後まで自己矛盾への問いかけである。
修行している時に彼女が出来そうになったら、これは悪因縁か?
一切皆苦が仏教の底辺。
じゃあ苦なきて快楽三昧における仏道修行とは意味があるんだろうか?
これは悪因か?善因か?
禅定力をもってして、己の我欲を満たすのだろうか?
この”満たしたい”といふ願望は悪因だろうか?善因だろうか?
煩悩ありて菩提あり。
煩悩なくば悟りもあらず。
907 :
名無しさん@3周年:04/05/19 08:29 ID:dcnZwH7f
>>906 机は、禅定力をとんでもない方向に解釈している大ばか者だな。
仏教が、我欲を満たすための六波羅蜜または戒・定・慧だなんて言わないことは、初心者でも知っていることだ。
むしろ、我を離れなければ禅定に至らない事が、チョット坐ったものなら容易に了解できるものなのだ。
それを、このように平気でカキコするとは・・・・
なんとも呆れたというか・・・・
どなたかが言ったように、相当、痴呆症が進んだか、気が狂っているんだろうな。
これからして、机のレスはすべて妄悟妄論になるのもうなずけるというものだ。
908 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 09:39 ID:DMnOwBKt
>>907 >どなたかが言ったように、相当、痴呆症が進んだか、気が狂っているんだろうな。
人は身心ともに衰えるもんだよ。
達磨にしても白隠にしても、これは免れるわけにはいかない。
禅者である前に人間だよ。
糞を垂らしながら死んでいく。
誰もここからは逃れられない。
909 :
名無しさん@3周年:04/05/19 10:02 ID:dcnZwH7f
>>908 そうか、痴呆症でやっぱり気が狂っていたか・・・・。
こんなのが仏教を語り、皆が振り回されているなんてなあ・・・
910 :
名無しさん@3周年:04/05/19 10:10 ID:mOVAn263
>>906 スタートはそうだな。
スタートばかり言っていないで、先へすすむように。
911 :
名無しさん@3周年:04/05/19 10:11 ID:dcnZwH7f
912 :
名無しさん@3周年:04/05/19 10:28 ID:mOVAn263
>>908 >禅者である前に人間だよ。
自分の論法に気づいているかい。
ある時は、「人間である前に禅者である」ような解答をだしたり、
今回は、「禅者である前に人間である」ような解答を出したりする。
その矛盾を突かれれば、今度は、「これが禅である」と「人間である前に禅者である」ような解答をする。
このような矛盾した無茶苦茶な論法をする狂人が、寺にいると刺激があって面白いものである。
しかし、皆から愛される狂人であってほしいものである。
913 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 11:40 ID:cIDfPbpC
>>912 >ある時は、「人間である前に禅者である」ような解答をだしたり、
そんなことは言ったことはない。
本質的には独覚なんだろうし、禅者とういのは属性概念。
禅者といふ固定概念を保持することはない。
生きることにマニュアルはない。
ってのが私のテーゼ。
914 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 11:44 ID:cIDfPbpC
>>912 まあ、あまり言いたくはないが・・・
もちっとレベルの高いレスを願いたい。
こんな程度なのか?
915 :
名無しさん@3周年:04/05/19 12:14 ID:RLCvkd5v
>>913 ご自分のパターンについて、あまりご存知ないようですね。
>>914 「レベルの高いレスは、人は理解することができない」 のを知っていないのですか。勉強不足ですね。
2chのレベルは低いですよ。あなたは2chに期待しすぎではないですか。時間つぶしと考えてはどうですかね。
916 :
名無しさん@3周年:04/05/19 12:20 ID:EhjjSUBw
>>机龍之介
君が覚者ではないことは前からわかっている。
とはいえ他の連中のように、からかったり煽ることはせんがな、
悟ったと言っても慢心していない人は本当にいない、
しかし己がその先の理を大悟したならば以前の程度の低さで慢心していたことに恥じる。
勘違いを他の人が信じてしまうことはないと思うからいいが。
見えないものを見えるものによって見えるはずなどあると思うか?
ちなみに
>煩悩なくば悟りもあらず。
これは違うな。
>レベルの高いレスを願いたい
君のレスはレベル高いのか?
なんなら俺がまたコテハン名乗るか?
917 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 13:00 ID:cIDfPbpC
>>915>>916 >2chのレベルは低いですよ。あなたは2chに期待しすぎではないですか。
>時間つぶしと考えてはどうですかね。
まあ、時間つぶしなんだろうね。
私がテーマを振っても絡んでもないんだから・・・
話題はないね(笑
918 :
名無しさん@3周年:04/05/19 13:18 ID:dcnZwH7f
おいおい、痴呆症の机よ、己の矛盾にまだ気付かないのか。
>禅定力をもってして、己の我欲を満たすのだろうか?
と自ら低級なレスをしておいて
>もちっとレベルの高いレスを願いたい。
とは、はなはだしい撞着だな。
お前はいつも都合が悪くなると、スルーするか、もう何も言うまいぞ(><) だよ。
だいぶ病気も進んできているようだな。
919 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 13:26 ID:cIDfPbpC
私は禅定力というのはわからんのだよ。
わかったとしても私にはそんなに意味はない。
これだけのこと。
して禅定力なるものは何かいいかとがありますか?
まあ、ドキュンな答えしか返ってこんのだろうけど・・・
これまでの流れじゃ〜(>_<)
920 :
名無しさん@3周年:04/05/19 13:29 ID:5lnagtpy
>>917 究極を語ると一人相撲になるよ。極端に言えば、維摩居士のようになる。
インターネットという世間に出てきていることは、世間と交流するという意思表示の表れなんだからね。
維摩居士でいくなら、インターネットは不向きだよ。
レスの書き込みは、維摩居士の世界ではないよ。
ギリギリの世界でもなく、どっぷり相対世界に入り込んでるよ。
物理的に無理だと思う。
921 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 13:49 ID:cIDfPbpC
>>920 >ギリギリの世界でもなく、どっぷり相対世界に入り込んでるよ。
これもいろいろな言い方があるんでしょうけど、
煩悩も程ほどには必要だよ。
私は親鸞上人を例にするんだけどね。
これを禅的にはどういう言い方がいいか?ってのは不風流処也風流。
とでも逝っておきましょうか。
つまり”ゆらぎ”を楽しむ心。
これがありますと、なおいっそう禅に親しめることかと思う。
生活は即、禅。
922 :
名無しさん@3周年:04/05/19 13:59 ID:dcnZwH7f
>>919 >私は禅定力というのはわからんのだよ。
いよいよ馬脚を現してきたな。
そうだろうな、まともに坐ったこともないしな。
妄念妄想のかたまりで禅定も三昧も分からなきゃ、禅など全く分からんものな。
つまりいままで、お前さんは自己の本性を知ることなく、語ってきたことはすべて頭で作り上げた屁理屈ってことを
自ら白状証明したな。
923 :
名無しさん@3周年:04/05/19 14:03 ID:dcnZwH7f
>>921 >なおいっそう禅に親しめることかと思う。
なんで、禅定も三昧も分からんものが親しめるんじゃい。
これを分かったつもりの屁理屈禅というんじゃい。
924 :
名無しさん@3周年:04/05/19 14:10 ID:dcnZwH7f
>>921 >生活は即、禅。
なにをぬかしておる。妄念のかたまりで禅になったものか。
これを抜け殻禅というんじゃい。
925 :
名無しさん@3周年:04/05/19 14:56 ID:KDqguxHA
煩悩を捨てようとして、捨てられないのが、世の常である。
親鸞上人の悪人正機説にしても、正しい解釈は、自分を善人だと思っている人よりも、
自分を悪人だと思っている人たちこそ往生できるという意味でしょう。
自分は様々煩悩を持っているから、自分は何という罪深い悪人だろうと思っている人たちの方が、罪の意識が深いから往生できるのでしょう。
罪の意識も無く、煩悩があるから菩提があるのだという考えは、真宗では「本願誇り」言って非難しているようだ。
926 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 15:02 ID:Fij8AYW/
>>922 >いよいよ馬脚を現してきたな。
禅定力の”力”ってなに?
力が出るの?何の力なの?
神通力とかそんなもんかい?そんなもんはいらんよ。
馬脚もなのも・・私は最初から禅定力なんてもんはいらん!
と言うておるよ(>_<)
概念に過ぎんもんを考えてもしょうがあるまい。
927 :
名無しさん@3周年:04/05/19 15:11 ID:dcnZwH7f
>>926 ばかやろう。
禅定であるところ、それを禅定力というんじゃよ。
三昧であるところ、それを三昧力というんじゃよ。
おまえは、よほどの無眼子だな。
つまり机禅ってのは、我をそのままにして妄念妄想を引っさげて禅の真似事をしている
にすぎないってことだ。
だから、人に絡むなどと、禅には縁遠い言葉を恥らうこともなく平気で言うのである。
928 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 15:11 ID:Fij8AYW/
>>925 前者はそのとおり。
で、
>煩悩があるから菩提があるのだという考えは、真宗では「本願誇り」言って非難しているようだ。
浄土門の場合は、抜苦与楽とかいうのかな?
禅の場合は、煩悩(苦)があるから菩提もある。という解釈。
つまりそもそも煩悩がなけりゃ仏門にも関心はないでしょうし、
煩悩があってその相対である菩提も概念化できる。
煩悩と菩提は対立概念ではあるが、対立してこそ一項を概念化できる。
このような意と思うています。
→煩悩即菩提。
929 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 15:14 ID:Fij8AYW/
>>927 >禅定であるところ、それを禅定力というんじゃよ。
>三昧であるところ、それを三昧力というんじゃよ。
禅定にも三昧にも”力”はつけんだろ?
だからその”力”ってのはどういう意味なんですか?
それを私は聞いておるんですよ。
930 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 15:20 ID:Fij8AYW/
よもや・・・
見性と成仏はひっついているから、見性と成仏は同義。という論法ではあるまいな。
それだけは勘弁して頂きたい。
見性成仏。
931 :
名無しさん@3周年:04/05/19 15:22 ID:dcnZwH7f
>>929 このおおばかもの!
なんども言わせるな、そのままだよ。
それである能力だよ。馬の力とか物理的なものではないぞ。そこまで言わせるのか。
読解力というのは何かパワーが出るのか? このアホンダラめが!
もう一度入門書から読み直せ。
932 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 15:29 ID:Fij8AYW/
>>931 >それである能力だよ
縁生するものはそのまま縁滅す。
禅定とはひとつのベクトルをいうのではない。
その非日常性の断絶をいうのである。
そこに概念の介在する余地はありゅらん。
933 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 15:38 ID:Fij8AYW/
934 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 15:41 ID:Fij8AYW/
>>932訂正
× その非日常性の断絶をいうのである。
○ その日常性の断絶をいうのである。
935 :
名無しさん@3周年:04/05/19 15:43 ID:dcnZwH7f
>>933 逃げてもせんけど、ただ呆れているだけだよ。
おまえはどうしようもない糞禅をしているなぁ。
まあ、よもやお前に惑わされる香具師もいないだろうけどな。
まあ、今日はこの位にしておこう。
936 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/19 15:46 ID:Fij8AYW/
>>935 >まあ、今日はこの位にしておこう。
うまいぐあいに逃げたな。
まあ、いいよ2ちゃんだから。
これ以上は突っ込まないよ。
しかしながら、禅定力はあったとかていしても最終的にはその概念も変わってくる。
どっちにしたって意味はないよ。
まあ、これくらいでいいだろう。
武士の情けじゃよ(ニッコリ
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
基地外、まだ2ちゃんにはりついてたんか、
938 :
606:04/05/19 18:40 ID:aR3xapIO
レス遅くなりましたが、
>>615さん、どうもでした。
>「無常を観ずる時、吾我の心生ぜず、名利の念起こらず。
>時のただ速やかなることを恐怖す。所以に行道は頭念を救ふ」
>無常仏性とは、たゆまざる精進のこと、そして、仏の世界の無窮をいってるのでしょう。
これは無常仏性の説明なんでしょうか?単なる無常感(観)というか、
これを仏性と結びつけるのはいまいち苦しい感じがしますけど。
無常仏性が出てくる根拠など教えてくれると嬉しいです。
939 :
名無しさん@3周年:04/05/19 23:09 ID:VYGE7dA2
>>928 一般に、煩悩即菩提は、修行のはじめに、
煩悩で苦しんでいる者たちを慰め、励ますときによく使うことばなのです。
一般に、スタートで使う言葉を究極を説明するときに使われると、とてもチグハグな感じがするんですね。
940 :
名無しさん@3周年:04/05/19 23:22 ID:sJQ8ZEkO
禅定や三昧に「力」をつけるのは、いつ頃からはじまったのかな。
最近、いろいろな言葉に「パワー」をつけるようになってきたらしい。
941 :
名無しさん@3周年:04/05/20 00:15 ID:5kMINziO
>>938 確かに無常観の説明にはなりますが、無常仏性となると飛躍しすぎかもしれませんね。
涅槃経の、「一切衆生 悉有仏性 如来常住 無有変易 」の後半の部分なんですが、
一般的には、「如来は常住にして変易あることなく」と読みますが、
道元風には、「如来は常住にして、無にして有にして、変易なり」と読むそうです。
仏教的には、道元禅師のほうが正しいと思います。たといほとけといえども、常住
不変はおかしい。釈迦が否定した外道のアートマンになってしまう。涅槃経のこの
読み方は、師が子どものときから抱いていた、天台や大乗仏教の教義に対する疑問
から導かれました。すなわち、「人はみな本来ほとけであるなら、諸仏諸菩薩はなに
ゆえ修行をしたのか」。本覚なら、完成したほとけなら、修行の理由も必要性もない。
しかし、無にして有にして、変易するほとけ→無常仏性なら、修行するのが道理と
知見される。
606さんを得心させるような名解説も出来ませんので、あとはネットで調べてみて
ください。「正法眼蔵」はむずかしそうですが、自分にも読み易そうなのがあったら、
機会があったら読んでみたいと思っています。
942 :
名無しさん@3周年:04/05/20 00:27 ID:5kMINziO
>>940 禅定力の力とは、継続と思っております
神通力とは、心の障りが落ちて智慧に通じること。それは覚者の状態、
つまり仏陀の状態が継続することによって可能なのだと思います。瞬間
ではだめなんですね。継続するためには、習気を取り除かないとだめで
すし、そのためにも禅定や三昧は欠かせません。
943 :
ふりー:04/05/20 00:38 ID:jDpSNG1l
>>916 >悟ったと言っても慢心していない人は本当にいない、
>しかし己がその先の理を大悟したならば以前の程度の低さで慢心していたことに恥じる。
慢心というより、己が心が出てゆくのを感じ取れば、自然と夢見は納まるもんじゃないかと。
机殿の御師家様は健在か。
944 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 06:51 ID:N4MDi5/I
>>939 >一般に、スタートで使う言葉を究極を説明するときに使われると、とてもチグハグな感じがするんですね。
煩悩即菩提は、いわゆる空観のとこですね。
十牛図でいえば人牛倶忘(八図)。
これよりまた世俗諦に戻ってくるんですが・・・。
この空観のとこで少々の精神的に不安定になるのかと思う。
禅病とかになりやすい時期ですね。
この時期を経てからようやく煩悩即菩提の意を己に吸収できるのかと思う。
しかしながら浄土門には私も関心があります。
いろいろ教示ねがいます。
#、、それでは一端、席をはずします。
他の方のレスはまた後ほど拝見します。
945 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 08:42 ID:LHoz8m0v
>>942 貴殿とは考え方が違うが、ちょっと気がついたことを書きます。
空観というのは一端は薔薇色のハッピーな世界観が構築される。
それはまた虚無的な意もふくんでまして、これが長らく続く。
そこに留まればそれっきりなんでしょうけど。
これよりまたそれを脱する機会に恵まれるか、どうか?ここだと思う。
脱してからの空性も、それに留まることあらずして疑を己に向ける。
>>941の「本来ほとけならずんば何ゆえ修行せねばならんのか?」。
はいわゆる、ここの空性を一端透過して無明を払うのかと思う。
それより勝義・世俗の二諦が備わるのかと思う。
して、仏性については大乗非仏論も絡めて後にまた自論を付け加えます。
>>943 >机殿の御師家様は健在か。
今はいません。
946 :
名無しさん@3周年:04/05/20 09:05 ID:/ll0X+vI
なんか仏教的な飾りだけをゴテゴテ並べて自己満足してるんだね。
論旨の必然的な統一が無いね。思考力の問題だな。
947 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 09:19 ID:LHoz8m0v
>>946 宗教板は評論家ばっかしだね・・・。
貴殿も評論専門ですか?
948 :
名無しさん@3周年:04/05/20 09:23 ID:/ll0X+vI
いや、いちいちコテハンの機嫌をうかがう義理もないんでね。
ウワゴトを書きなぐるのも自由だよ。好きにしなさいよ。
949 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 09:30 ID:LHoz8m0v
>>948 コテハンに機嫌を伺うことなんかせんでもいいですよ。
大事なのは、
>思考力の問題だな。
どこぞが思考の問題なのか?そこを指摘する勇気があってほすい。
それによって貴殿は、ひと回り人間の器が大きくなる。
まあ、ベクトルのことだよ(ニッコリ
950 :
名無しさん@3周年:04/05/20 09:59 ID:bXT0whne
>>942 そうしたら、力という表現そのままではまずいのではないかな。
というのは、ゲームで育ってきた最近の子供は、力とは「パワー」や「元気」と解釈しているからね。
禅定を継続して続けること、三昧を継続すること。
つまり、「継続は力なり」ということになるのではないかな。
誤解を与えない表現を期待します。
951 :
名無しさん@3周年:04/05/20 10:13 ID:bXT0whne
>>944 >煩悩即菩提は、いわゆる空観のことですね。
>十牛図でいえば、人牛倶忘(八図)
わたしは煩悩即菩提は、尋牛(一図)であり、牛は菩提であると思っています。
違いがはっきりしましたね。
952 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 10:31 ID:mgN6L5yP
>>951 例えば、空とは何ぞや?って場合。
空を説明しようとせば概念化する、じつは概念化できないのが空。
しかしながら色即是空においてようやく本意というのが言い表せる。
だから煩悩即菩提は、その熟語そのものの総体として意をなすかと思う。
ようは一元論(正確には不一不二)だから、どこまでいっても中道。
かと思ふ。
953 :
名無しさん@3周年:04/05/20 10:45 ID:mples04M
机タソと、自演してそうなコテはゼターイ同じIDでは現れないのね。
その情熱には恐れ入る。
いつか、自演の前後に同じIDの机が出現することを楽しみにして待っているよ。
ちなみに俺ならすぐできるけどね(w
954 :
名無しさん@3周年:04/05/20 11:03 ID:EBZLeT4g
>>952 例えば、この2chに八図の人牛倶忘を悟っている人がどのくらいいるのでしょうか。
皆無に近いでしょう。そのような人々に八図を語っても理解できますか。
それに対して、一図の尋牛の人々はとても多いでしょう。
一図の二元論の煩悩の意味が、八図ではその意味が一元論に逆転するのでしょう。
八図は、一図から七図まで歩んできた人が自分で悟ることなのではないでしょうか。
一図にいる人に、八図を食べさせようとしても消化不良をおこして、お腹を壊すだけではありませんか。
言い方をかえれば、一図にいる人に、八図を語っても難し過ぎではありませんか。
また、仮に八図にいれば、多くの言葉は必要ないと思うのですが。
955 :
名無しさん@3周年:04/05/20 11:04 ID:EBZLeT4g
956 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 12:59 ID:Mxo465rO
>>954 >また、仮に八図にいれば、多くの言葉は必要ないと思うのですが。
そうですね。
たとえば公案にしたら問い自体を無効にするわけですね。
否定に否定していくと、これは限りなく否定の無限になります。
ここに論理的なものはなにも意味をなさなくなる。
いうならば空とはそんなことなんでしょう。
真理というのもそうですね。
限りなく空であるならばそこに真理も限りのないこと。
西田が言い尽くせないこと。ってのはこんなことなんでしょうか?
龍樹においても中論が真理。とは言うてないところが中論の中論たる要諦なんでしょうね。
浄土門においての見性とはどういうものなのか?
いずれ大乗非仏説とともに、2ちゃんにおいて熱く語る日があるかと思ふ。
957 :
名無しさん@3周年:04/05/20 13:25 ID:9sOrNSim
>>956 言葉を尽くせば尽くすほど、空回り、逆回りになってしまうことが多くあります。
西田氏の本を読めば、自らの内に「普遍的なあるもの」を観ていたように思いますね。
その「あるもの」をもっと明瞭にしようと、坐禅と同時に思索を重ねていたようです。
西田氏の著作の言葉の定義や、言葉の使い方に難があるように思われます。
現代人は、あの用語の使い方では理解できないように思われます。
そうそう、西田氏は鈴木大拙氏と若いころからの友達ではなかったですかね。
958 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 14:06 ID:MaQargsJ
>>957 >西田氏の著作の言葉の定義や、言葉の使い方に難があるように思われます。
西田は、二項に依らない無を”絶対無”とかいいますね。
あの表記はなんとなくしっくりいきませんね。
漢字はそれなりに意味を含んでますから・・。
じゃあなんと表記すべきか?
記号とかですかね?・・それもあまり関心しませんし。
>現代人は、あの用語の使い方では理解できないように思われます。
無我、って表記でも、論理的な解釈ですと形容矛盾はおきますね。
「無我」と認識してる「我」とはなにか?とか・・・
それも「無我」か?じゃあ、そう認識してるのは?・・・∞
>そうそう、西田氏は鈴木大拙氏と若いころからの友達ではなかったですかね。
そうでしたか。
そうでしたか・・・。
959 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 14:12 ID:MaQargsJ
ちなみにデカルトは、他者の認識があり、その後自己への対象化。
最終的に自己への認識において、
「我おもうゆえに我あり」。
仏教(中論)においては、この対象化はない。
960 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 14:16 ID:MaQargsJ
ちなみに非我って言い方もある。
まあ、ようするに言語の使い方ってのは難しい。ってことでしょうね。
だから不立文字ってのがあるんでしょうから・・。
961 :
名無しさん@3周年:04/05/20 14:54 ID:wJIV3XVX
仏教では、「我」の使い方には正反対の二通りがあるようです。
デカルトは、「考えるから、その考える存在である自分がある」と言ったように思われます。
デカルト哲学は、アリストテレス的なキリスト教的なコラ哲学を打破するために、
神から人間の精神と身体を授かったという受肉思想の弊害を打破するために生まれたと思われます。
西洋と東洋の文化は一見したら違うように見えますが、総合化して観ると、究極の精神的エッセンスは同じであるように思われます。
例えば、禅者とギリシャの自然哲学者はよく似ているといわれています。
962 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 16:09 ID:ztoCOJ8/
>>961 カントなんかは、脳に入った情報を理性の癖みたいので観念化する。というてますね。
理性というのもつまりは限界があるから、限界は限界のまんまですね。
仏教風に論説するんだったら、ここから突っ込んだのが仏教たる所以なんでしょう。
いうならばこのカント認識論における理性の癖ってもんを破壊しちゃうのが禅における公案なんでしょう。
認識論からすれば。ですが・・・いわゆる五蘊も認識のことですからね。
つまり、人間の認識とは何ぞや?ってのがいわゆる見性のキーワードかと思ふ。
963 :
名無しさん@3周年:04/05/20 16:47 ID:/ll0X+vI
ヘーゲルで禅を語るってのが20年くらい前に流行したよね。
エラノス流のグノーシス禅かぶれが量産されたのだった。
『精神現象学』の意識のあたりを読むと、禅語を否定と媒介
の結果の自己意識として読み替えるがどんなに楽な作業かよく分かる。
井筒の『意識と本質』なんて安っぽい剽窃ですな。
964 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 17:16 ID:ztoCOJ8/
>>963 精神分裂病は、白隠の見性体験と同じような事をいうらしい。
つまり見性というのは、通常における認識システムそのものを破壊しなきゃならない。
白隠はいわばこれを職人的な手法でやろうとした。
やり方はある程度のストレスはあるかとおもう。
しかしながらこれも修行といふテーゼにおいて長年やってきた。
禅病とか神経衰弱とか、これらも副次的所産であった。
しかしながら他力本願の浄土門において頭をやられたという人間はあまり聞いた事がない。
これを鑑みつつ、も少し突っ込んだアプローチをしようかと思ふ。
これも機縁によるが・・・。
965 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 17:21 ID:ztoCOJ8/
記録によれば、白隠も禅病にかかったかと思ふ。
白隠の弟子も病気で自殺とかしてる。
南予出身といふコテハンも病気にならなけりゃいいのだが・・・。
祈念しますゆえ頑張ってくらさい。←南予どの
966 :
名無しさん@3周年:04/05/20 17:21 ID:/ll0X+vI
>964
は?
誰も精神病の話してませんが。
もしかして憑恵先生は『精神現象学』が、精神病の本だとか思ってる?
すごい人相手しちゃったな。じゃカントも検索か受け売りなんだね。はぁ。
967 :
名無しさん@3周年:04/05/20 17:23 ID:Jb3ZxFkq
>>962 多分、あなたの学説は、禅の範囲をこえているように思います。それが悪いわけではありませんが。
ただ、禅の言葉を使っている人たちの間では、その決まった言葉の意味があるようです。
彼らは、その意味を互いに共有して、それぞれの意志の疎通を図っているわけです。
例えば、禅や公案にしても、その言葉の意味がだいたい決まっているように思われます。
ですから、認識論からすればという発想も生まれないでしょう。禅や公案は、それを超えるものですから。
新しい言葉の意味の禅用語を使えば、その意味は異なり、坐禅している人たちは異論を唱えるでしょう。
禅の用語を使うには、禅の人々がしている基本的なことをして、そのうえで思索する必要があるように思われます。
禅の用語を使うことなく、新しい言葉を作られて、ご自分の学説として語られたらどうでしょうか。
禅の言葉を使って、あなたの考えを語られるには無理があるように思われます。
かの西田幾多郎氏は禅をしながら、禅用語をほとんど使わずにご自分の学説をつくられました。
968 :
名無しさん@3周年:04/05/20 18:33 ID:WGEziP0D
>>964 人それぞれに、見性の程度も異なりますが、
見性は、精神分裂病とギリギリのところまでいくと思っています。
精神分裂病の遺伝的要素があれば発病するでしょう。
白隠禅師の見性体験は精神分裂病に似ていたとは、白隠禅師の見性はさすがですね。
969 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 18:54 ID:wnVANC9L
>>967 >例えば、禅や公案にしても、その言葉の意味がだいたい決まっているように思われます。
公案にしたら、公案そのものを無効にするのかとおもう。
ゆえになんらそこに言葉の意を求めることは無意味かと思う。
ストレートな言い方ですが。
>ですから、認識論からすればという発想も生まれないでしょう。禅や公案は、それを超えるものですから。
そうですね。
それは同意ですが、認識論からのアプローチも理解する上ではいいかと思う。
それが全てではないには・・・貴殿の仰るとおりです。
そのことは私は
>>962で、
>仏教風に論説するんだったら、ここから突っ込んだのが仏教たる所以なんでしょう。
こう、カキコしてます。
よろしうに、
970 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 19:01 ID:wnVANC9L
>>968 >見性は、精神分裂病とギリギリのところまでいくと思っています。
白隠も、普通の人だったら病院へ連れていかれますね。
だけど禅師だったのでそれはなかった。
もしや精神病患者というのは神秘体験は日常的にあるんじゃないか?
しかしながらビョーキというところが哀しいところです。
私のテーゼは、人間の認識など欠陥だらけだということです。
仏教は暗にこういうとこまで指摘してるのかとおもう。
五蘊皆空。
971 :
名無しさん@3周年:04/05/20 19:35 ID:XV4Tjq8u
>>970 >私のテーゼは、人間の認識など欠陥だらけだということです。
>仏教は暗にこういうとこまで指摘してるのかとおもう。
>五蘊皆空。
その欠陥だらけの認識には、机さんのテーゼや認識も含まれるということですか?
五蘊皆空とは、暗にそういうことを指摘しているのでしょうか?
972 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/20 20:25 ID:C01zE/nD
>>971 >五蘊皆空とは、暗にそういうことを指摘しているのでしょうか?
人が認識できるような機能を備えているとしても、そこに縁起(空)がないと認識できるわけじゃない。
つまり人間が認識してるのは、そこに縁起だけがあるだけでして、
逆に言ったら、縁起がなけりゃ人間の認識機能は全く意味をなさない。
認識とはその縁起(関係性)に他ならない。
ならば、その縁起においていかようにも知覚は変化するものである。
973 :
名無しさん@3周年:04/05/20 20:33 ID:9eJRlzx/
おい、犯罪者机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
おまえ、はやく警察自主しにいけよ。
人の実名さらしやがって、
自主を求めるのは俺の優しさだぞ
974 :
名無しさん@3周年:04/05/20 20:41 ID:9eJRlzx/
犯罪者 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
はやく警察自主しろよ
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975 :
残り少ないからおもしろくねぇな、新スレつくれや( ゚∀゚):04/05/20 20:43 ID:9eJRlzx/
犯罪者 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
はやく警察自主しろよ
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残り少ないからおもしろくねぇな、新スレつくれや( ゚∀゚):04/05/20 20:44 ID:9eJRlzx/
犯罪者 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
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残り少ないからおもしろくねぇな、新スレつくれや( ゚∀゚):04/05/20 20:45 ID:9eJRlzx/
犯罪者 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
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978 :
名無しさん@3周年:04/05/20 22:13 ID:Utze5I9v
979 :
606:04/05/20 22:27 ID:j9PB3Iwn
>>641さんどうもでした。
無常仏性とはそういう意味ですか。。。
うーん、少し勉強してみます。
色々助言ありがとうございました。
981 :
名無しさん@3周年:04/05/20 23:09 ID:uxAn0sr9
>>970 見性と精神分裂病とは、はっきりと違います。
現代に、白隠禅師がおられても精神病院にはいかれないでしょう。
一般に、発信者が「見性」について語っても、それを聞いた受信者は、受信者の意図によって発信者の「見性」の言葉を理解し解釈してしまいます。
ここに、見性を言葉で伝える限界があるように思われます。
>>980 急に名無しに変えてどうしたんだい、
犯罪者机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
ビクビクしながらやっても、面白くないよ
犯罪者 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
はやく警察自主しろよ
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983 :
名無しさん@3周年:04/05/21 00:04 ID:TFuF1rMW
>>982 それは、どう意味ないだい。
彼が何か犯罪を犯したのかね。
984 :
名無しさん@3周年:04/05/21 00:11 ID:n5c8fDoe
はやく新スレつくれよ机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
また荒らしてやるからな(w
ハンドル変えんなよ、お前のことだから、当分
名無しで逃げ回るだろうが。
宗教板って、シバ命のこと知らないやつばっかだな。
もうアレから3年ぐらいたつもんな。
サクラ削除人は一新されたか(w
985 :
名無しさん@3周年:04/05/21 00:18 ID:wIvm3r9p
>>984 >シバ命のことを知らないやつばっかだな。
>もうアレから3年ぐらい立つもんな。
>サクラ削除人は一新」されたか(w
どういう意味なんだい。
986 :
名無しさん@3周年:04/05/21 00:35 ID:Hk04GgWc
987 :
雲水とうきち:04/05/21 00:48 ID:WLd0bONk
禅には見性・禅定・大悟など悟りをあらわす語彙がいくつもあるが
はたしてこれらは同じなのでしょうか?
988 :
名無しさん@3周年:04/05/21 01:10 ID:x77oayRe
>>987 多分違うでしょうね。
「見性」って入り口のような感じなのですね。
そして、「悟後の精進(禅定)」をして、「大悟」に至るのではないでしょうか。
「聖胎長養」という言葉があります。
これを訳せば、見性で「聖なる胎児」が誕生して、
その胎児を10年程の歳月をかけて悟後の精進(禅定)をして、
大悟(聖なる胎児が成長する)という経過をたどるようです。
五祖は、六祖に「10ヵ年かけて、聖胎長養せよ」という言葉を与えられたようです。
989 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/21 05:13 ID:ctCFp7VX
>>981 >見性と精神分裂病とは、はっきりと違います。
>現代に、白隠禅師がおられても精神病院にはいかれないでしょう。
それは違うんでしょうけど、見性とはどんなもんか?を検証(しゃれではない)するには
ベクトルを変えた説明もいいかと思う。
カント流に言えば、「理性の癖」の一瞬の変化みたいのかと思いますね。
理性の癖ってのは幼児期から培われた物事を分析する能力です。
自他を分別するのも、生活から培われた(経験)生きるための智慧ですね。
白隠の見性体験てのは、この一瞬の変化(神秘体験も意味する)ですね。
>>972の
>ならば、その縁起においていかようにも知覚は変化するものである。
この知覚の変化のことです。神秘体験という言い方もある。
(つづく)
990 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/21 05:22 ID:ctCFp7VX
>>981 >一般に、発信者が「見性」について語っても、それを聞いた受信者は、受信者の意図によって発信者の「見性」の言葉を理解し解釈してしまいます。
>ここに、見性を言葉で伝える限界があるように思われます。
そうですね。
見性は、ここで一端おおきな心理的飛躍がありますね。
時期がくればこの飛躍も色あせてきます。
見性のままで留まっていればそれまで。←これが人数的には多いかと思う。
見性ってのは風船が一気に膨れ上がったような状態。
それから・・風船がだんだん萎んでくる。
それからどうしたらいいか・・
ここからがひとつの山場なんでしょうね。
991 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/21 05:38 ID:ctCFp7VX
私がスレッド立てようかと思ったのですが、エラーのなります。
どなたか立ててください。
__________________________________
タイトル
_坐禅して見性した人に質問_part2_
___________________________________
名前: 常識人
E-mail:
内容:
座禅して何年で悟りましたか?
その瞬間どんな気持ちになりましたか?
その後どんな現象が続いていますか?
超能力は得られましたか?
命は永遠に続くのでしょうか?
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1078968766/l50 坐禅して見性した人に質問 part1
__________________________________
これをコピーして貼りつけるだけでいいです。
992 :
名無しさん@3周年:04/05/21 08:20 ID:1tgJKF6p
やだよ、魯鈍
993 :
あいよ:04/05/21 09:17 ID:Llck2Z13
994 :
名無しさん@3周年:04/05/21 09:50 ID:q2pn79BO
995 :
名無しさん@3周年:04/05/21 09:51 ID:q2pn79BO
996 :
名無しさん@3周年:04/05/21 19:20 ID:lmeq6pFP
5
997 :
名無しさん@3周年:04/05/21 19:21 ID:tumIFs11
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