▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
>>40-42>>47-49で相対性理論の理論を否定しましたが、
観測より成る(理論ではなく)数式自体は多分問題ないでしょう(俺は知ら
んが)これはニュートン力学
>>18-19も同様です。プラスとマイナスが
あってプラスが引力、マイナスは反発力ではない。とする説明がダメなだ
けで数式自体は有効です。ぶっちゃけた話、数式は帳尻があえばいいの
です。説明が立派でも帳尻の合わない数式は糞といえましょう。
数字を駆使してこの宇宙を解明しようという人達もいるようですが、プラス
とマイナス、整数と分数、そして足し算の意味すら気づかない人達にその
ようなことができるでしょうか。数学は【自然の法則】というよりはほとんど
が【人間の法則】です。数字なんてものは人間が滅びれば数字も滅びま
す。帳尻の合う立派な数式も糞と化すのです。
しかし数字よりも更なる根源、【量】であったらどうでしょうか、
人間が滅んだところで犬や猫も【大きい、小さい】を認識するのです。
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十二は根本的に物理を理解してないようだな。
物理学のイメージに酔ってる感じがする。
67 :
kinpega:04/04/15 20:42
十二さんのエゴはまだ満足しませんか!?
68 :
考える名無しさん:04/04/16 00:21
狂気の前に立ちすく者たちよ
ヒマラーヤを初めて見上げる観光客のように
驚きと畏敬の念で金縛りにあっているのか
今ひとつ足を進め狂気の中へ入ってゆけ
その勇気の無いものは、その時が来るまで
飽き飽きするまで惰眠をむさぼるのだ
心配はいらない、いつでも狂気と悟りはそこにある
物理と魂が溶けるまで狂気の熱の蓄積は待っている
芥子の悪寒・・
▲▲▲ 量の起源 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
人々は宇宙を途方もなく大きいものだと認識していますが、実は宇宙は
とても小さいものなのです。
ネズミは人間から見れば小さな生き物ですが、ダニにしてみればネズミ
は大きな生き物です。そしてダニから見た人間は途方もなく大きなものな
のです。その途方もなく大きな人間も鯨から見れば尻尾の先でしかありま
せん。その鯨も・・・ 実はこの宇宙というものは神様の鼻くその一部でしか
ないのです。【我々人間は大きいものを大きいと認識して、小さいものを小
さいと認識していますが、果たしてそれらは真に大きいものであり、真に小
さいものなのでしょうか?】
【この世は有と無から成ります】
まず、何も無い空間。その空間には大きさも重さも何もありません。
全ての【認識は不可能】です。
次にその何も無い空間に一点の有(物体、個体)をイメージします。
そこから【認識は始まり】ます。
無(空間)は有(物体)に働きを与え、有は様々な現象、実像を起こします。
一点の有には一方向の時間(無)という実体の無いものの働きにより運動
(有、変形)が起こります。
時間を宿した有はやがて二方向の実体のないものの働きによりAとaの
二点に分裂(有)されます。
Aとaの分裂は新たなる個々の時間の発生を意味しますが、同時に一つ
の全体の時間というものにAとaは繋がれています。
A★ ★ B★ ★
さて、AとBの星から星までの距離はAは→Bより距離が短く、Bは→Aより
距離は長い。といえますが、このAとBの量の違いは空間(無)の違いでし
かありません。しかし空間(無)そのものには量はないのです。何も無い空
間に二つの星(有)が存在することで、始めて量としての働きが生まれます。
重さ(地球と林檎)にしても同様で【量は空間(無)と二点(有)で決まります】
二点の内の一点(基準)は我々個々に存在しています。
その(人間)基準から見れば宇宙は間違いなく大きいものなのです。
【我々人間は大きいものを大きいと認識して、小さいものを小さいと認識
していますが、果たしてそれらは真に大きいものであり、真に小さいもの
なのでしょうか?】この愚問には基準が存在していません。量の認識は
不可能。となります。
そしてこの逆が人間の言葉でいう【無限】です。基準は存在しても量を決
定するもう一点がないものです。
【無】は限りがありません。大きくも小さくもなく、広くもなく狭くもありませ
ん。しかし人間は量があるかのごとく無限【大】などとして形容します。
無限に大きいものは存在しません。分かる範囲のみが量として成立する
のです。つまり量は【有限】なのです。
http://aa4a.com/chichannel/ 8/29【2千5百年の眠りから】
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砂の女たち
>>69 まさか(苦笑)
十二使鳥は、芥子が出てくる遥か以前から哲板でずっとトンデモ理論を吹聴してたんだよ。
でも…
確かに芥子に通じる部分はあるね(苦笑)
75 :
考える名無しさん:04/04/17 18:46
>73
> 砂の女たち
>
これはなんなん
▲▲▲ 冷たい太陽 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
「ところでさー、太陽が冷たいって知ってた?」
「は?銀河の果ての太陽か?」
「いや、ここの太陽」
「はぁAH!またバカなことを言い出す」
「だって核融合なんでしょ。だったら冷たいよ。氷だって冷たいし」
「その通り。太陽は核融合だっていわれているよ。だけど熱いじゃん。しっ
かり熱いじゃん」
「そりゃあ外部の話でしょ、俺ぁ内部の話を言ってんの。普通融合っての
は冷たいよ」
「でもバンバン燃えてんじゃん。爆発もしてるし」
「爆発が融合だと思うか?普通分裂でしょ」
「あっ・・・」
「太陽はね、外部は核分裂、内部は核融合、両方やってんの。核分裂
だけだったら一瞬だし、仮に核融合だけで燃えてたとしてもそれほど長く
はないと思うね。冷蔵庫に水を入れてもなかなか凍らないけど0度にさえ
なっちまえば凍るのって結構早いもんだぜ」
「・・・・・・」
「自動車のエンジンだって大きなパワーを得るには冷却が必要になってく
るだろ。それと同じさ。どうせ解かりっこないんだからそういうことにしなさ
い。それの方がロマンチックだし」
「ハイハイハイ」
これが正しいというものではないが、いつまでも核融合ができないのは根
本的に間違いがあるのでは?
太陽はなぜいつまでも燃えているのだろうか?→核融合に違いない→核
融合は熱いものだ・・・と勝手に勘違いしてるのでは?
一億度という高温で核融合は起こるそうだが、普通温度が高くなれば分裂
である。実際、核分裂も高熱である。ってことは更なる分裂?
断念した国もあるということも聞いたことがあるが・・・・・
人間は理論により新しい現象を作り出すということよりも、ほとんどが新し
い現象を発見し、それを利用しているのであって、どうしてそのような現象
が起こるのかは未だに解明すらできないことは腐るほどある。
腐った理論で核融合ができないならまだいい。規模もでかいし、もし予測
できないことが起きたら危険である。夢を追うにはリスクが大きすぎる。
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79 :
考える名無しさん:04/04/18 22:33
十二使鳥 さん
いろいろと面白いこと言うねえ
悟りとの関係はよくわかんないけど
でも、面白いよ
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
エネルギーとは何でしょうか?
エネルギーとは【力】のことです。つまり【気の変動】となります。
★ 空間 ★⇒⇒⇒★ 空 間 ★
なお、力については
http://aa4a.com/chichannel/過去投稿一覧8/29 【2千5百年の眠りから】の36、37、38にありますので省略します。
エネルギーも力もほとんど変わらないといってもいいものですが、しいて
いえば傾向として、エネルギーという言葉は【個体が多数系、もしくは個体
認識の困難なもの】に使われます。
たとえば相撲の場合は「力と力のぶつかりあい」といったように[力]が使わ
れますが、多人数の祭の場合、力よりもどちらかといえばエネルギーを
使ったほうがなじみます。
また、エンジンという個体がはっきりしたものは馬【力】を使い、今度はその
エンジンの燃焼室の方に視点を向けると、個体は霧状のガソリンであり、
個体としての認識が困難になり、熱【エネルギー】が使われます
熱力学に熱エネルギー、このことからも同じであるといえます。
ちなみに【エネルギー保存の法則】というのがありますが、エネルギーは
変動そのものなので保存というのは変動ではなく、エネルギーではない
ので、ちとマズイ。物理屋さんは知っていそうで実はだれも知らないという
ことをいいことに、この[エネルギー]という単語使いながら訳の解らぬ論理
をするのです。
ついでに「時間と空間」という言葉もやっておきますか。
略して時空。音の響きもよく、よく使われる言葉ですが、これは頭痛が痛い、
一人オニャニー、ゲリの糞を脱糞して漏らした。に近いものがあります。
時間も空間もどちらも無の概念で、言葉としては「時間と運動」[空間と物
体」とする方が望ましいのですが・・・
新しい言葉が次から次へと生まれてきますが、枝分かれした言葉も元を
たどっていけばだいたい同じような所にたどり着くものなのです。
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82 :
考える名無しさん:04/04/19 13:21
キキキ
83 :
考える名無しさん:04/04/29 13:22
人の批評ばっかりしてるやつ、人に難癖つけてる奴、自分でなんか言ってミロやー意
このスレは終了します。
84 :
考える名無しさん:04/04/29 21:58
藻前も常識に対して難癖つけてるだろ?
85 :
考える名無しさん:04/04/29 22:35
なんでも良いけどよー
悟ってるとか言う奴はいないんか
油腐すも十二に文句言うだけでこねーじゃねえか
十二みたいに一発ぶってみろや
ハルカも十二より面白いこと言ってみろや
なんか自分だけ全部知ってるみてえな言い方してよお
ぱっと目の覚めるようなこと言う奴はいないか
ぱっとよッ!
86 :
考える名無しさん:04/04/29 22:55
おめーが言えや!
一発ぶってみろや!w
87 :
考える名無しさん:04/04/29 23:00
いえるんやったら言うとるわ
試しに
悟りとは食うことなり
やっぱだめか・・・・・・・
>87
この際お前に一票
あるがままに
90 :
考える名無しさん:04/04/29 23:53
あるがままでないとあるがままにおもっているわたし・・・どうすればいい
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
人は何も無い所に一点の基準という種を作りました。その一つの種から
プラスとマイナスの二つの方向に幹と根が伸びました。一本の幹と根は
は足し算と引き算。掛け算と割り算。と枝分かれし・・・更に微分、積分と
・・・そして大きな数学という大木ができあがりました。
人は一つの方向性を求めたがります。一つの基準からこれは良いこと、
これは悪いことと。しかし自然は容赦なく二つの方向性を与えます。
アメリカに言わせれゃテロリストは悪で正義はアメリカ。テロリストに言わ
せりゃアメリカは悪で正義はテロリストと。どちらが正論なのでしょうか?
・・・どちらが正論かは私には解りません。ただいえることはどちらも真実
なのです。正論でないからとして真実を葬ることはできません。
二つの方向性が入り乱れる中、真実という一つの方向性(時間)を基にして
人間も、この世に存在しているのです。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
92 :
考える名無しさん:04/04/30 00:15
何でも相対主義ですよね
93 :
考える名無しさん:04/04/30 00:23
十二さん
もっと出ておいでえー
>>92 そうでもない。
>>91で俺は真実という一つの方向性(時間)を基にして
人間も、この世に存在しているのです。としている。
これには相対性はない。
例えば最近ではイラク問題。人質3人と政府とどちらが悪いかといえば
政府である。理由はいたって簡単。政府は嘘をついているからである。
論理というものは突き詰めていけば突き詰めていくほど何が善なのか
何が悪なのかわからなくなるものである。しかしこれは事実というものが
最大前提なのである。事実を捻じ曲げれば論理は破綻をきたすのである。
高い政権支持率のようだが、愚民あってのバカ政府。そして糞民主主義
はつくられる。
95 :
考える名無しさん:04/05/09 20:06
おいおい、悟りが止まっとるぞ
悟るとは行為か?
よくそんなんでオフに出ましたね
デンパでまくりですねい
んー?
>>94は説明はデンパってますがまぁ言ってることは悪くないですねい
でももすこし論理を大事にしてくれないとね
99 :
考える名無しさん:04/05/10 22:56
>96
> 行為ではなく絶対的な感覚です。
絶対的感覚からでる行為は、いわゆね他の行為と同じか?
ちがうとしたらどこが違うか?
100 :
THE グル:04/05/10 23:02
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
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∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
行為というより、
感覚→思考。
違いは迷いがないというか「間違いない」と突き進むことができる。
というとかっこよすぎるか
▲▲▲のコピペは、ただ原理に当てはめていっただけのことなんだな
実は・・・こういってもわからないだろうけど。
102 :
考える名無しさん:04/05/11 22:58
>違いは迷いがないというか「間違いない」と突き進むことができる。というとかっこよすぎるか
これちょっと、迷ってない?
そうだな、確かにまよってるな。
ま、そんなもんだ。
はじめて十二使鳥が対話しているのをみた!
>>93が
十二さん
もっと出ておいでえー
って言ってるからな。
確かに対話はあまりしないけど始めてってことはないぜ。
106 :
考える名無しさん:04/05/12 20:17
臨済の真人とは?
107 :
考える名無しさん:04/05/19 01:49
悟ったならば、行動で示せ。
108 :
考える名無しさん:04/05/19 02:30
>107
悟ったならば、行為であらわる。
109 :
考える名無しさん:04/05/19 15:46
悟りはないと悟ること。
そこまで突き止めていく人はすごい!
I am fool on the hill.
110 :
考える名無しさん:04/05/28 22:03
おおよそ、存在し得る一切は、何のために?
意志する力は、あらゆる事物に於いて意味を、可能とした。
だが、それは、何のために?
人は、世界があまりにも遠くにあることが、寂しくて仕方なかった。
手を伸ばして、触れたのに、世界は何も語ってはくれなかった。
だから意志を、意思した。
ただ、話したかった。
ただ、笑う顔を目にしたい。
ただ、声を聴きたい。
きれいな歌を。
そこに在るものに、そこに在る価値を尊びたかった。
何のためだろう?
たとえ、世界と踊ったとしても
たとえ、世界が微笑んだものとしても
あるいは、たった一つの意思をのために
声をあげて泣いてくれたとしても
それは、何のために?
111 :
考える名無しさん:04/05/28 22:05
悲しい。
ただ、悲しい。
世界は孤独であり、そしてわたしもまた、孤独だ。
生の意味を見つけたことは、すなわち生の肯定であるはずだった。
生きることに悲しむ必要は、忘れられるはずだった。
もう生き溺れられるだけの海など、澄んだ青空とひとつになるはずだった。
どうしてこんなことになったのだろう?
生の意味など、何のためであったのだろう?
一切は、何のためだというのだろう?
おおよそ、死に絶える一切は、何のために?
一切は、在るのに!
そこに意思する限り、在ると言うのに!
何のために、在るべきかだけ在り得ないなんて!
悲しい。
ただ、悲しい。
何のために?
悲しみはどこから来るか?
「かくあるべき"願望”」が裏切られるときに起こるのだ。
試練を待ち望む英雄たちは失望を知らなかった。
彼らは偶然をも“糧”とした。
強さのニヒリズム、弱さのニヒリズム…
漂泊者よ、君は如何に?
悲しみは消え、やがて失せた。
裏切られ、打ちひしがれて泣き声をあげていた願望は、泣き止んだ。
そして、成長した。
だがそれは、忘却によってではなく、
新たな探求による新たな記憶により、もたらされた。
「何のために」という悲哀が去ったあと、残ったのは
「何のためか」という問い。
この意志を、わたしが意思によって感じるとき、
わたしは、この世界のすべてに感謝したい気持ちに見舞われる。
幾重にも重なった奇跡と必然の狭間に存在した、おのれに感謝を捧ぐ。
神が死んでも、なお、神秘の存在に感謝の念を祈らずにいられない。
見えたのは、幸福。
そしてまた一つ、進んだ。
弥勒氏の言葉に気づくところもあった。
ありがとうございました。この感謝は深い。