1 :
考える名無しさん:
板違いといわんでくんなまし。他に立てられる板ないんだよ。
2 :
りとるブッタ:2001/04/10(火) 05:45
あなたはこのスレッドを立てた時、どれだけのレスがつくと思っていましたか?
500?それとも1000?
今現在、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います。
でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限り
レス100も突破することなく、数々の駄スレと同じ運命をたどって
奥深く埋もれていくことは確実でしょう。
「俺が立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」
きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう。ですが、
客観的に見てあなたのスレッドは、残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません。
あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、
普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです。
ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた。
そんなあなたが気の毒でなりません。
人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・。
だからあなたにこのレスを書きました。sageも入れないでおきました。
私のこのレスが「レス100突破」に微力ながら貢献できるのならば、
そして私のこのレスによるageが、スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、
こんなにうれしいことはありません。
2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった
不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・・
3 :
GO:2001/04/10(火) 05:45
GOです。神秘主義哲学スレッドに行くといいよん。モンドリアンは神智学が好き。
5 :
考える名無しさん:2001/04/10(火) 08:23
創価学会ですか?
創価板でやってくださいね。
6 :
考える名無しさん:2001/04/10(火) 08:26
オウム真理教ですか?
牢屋でやってくださいね。
7 :
考える名無しさん:2001/04/10(火) 08:45
8 :
考える名無しさん:2001/04/10(火) 09:19
スマッシングパンプキンズのファンですか?
オフィシャルのBBSに英語で参加してください。
9 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:04
ブラヴァツキーマンセー
10 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:16
スマパンて神智学なの?
11 :
第4イニシエート:2001/04/11(水) 00:19
>>10 イエ〜ス。彼等は私の弟子だ。12弟子の中心メンバーだ。
12 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:22
13 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:24
14 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:27
>>13 ミニモニにコーガンを入れてやってください。
15 :
第4イニシエート:2001/04/11(水) 00:30
16 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:33
よかった睾丸!(はあと)
17 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:37
ミニモニの次のシングルのタイトルは
「いかにして超越的感覚を獲得するか」に
決まりました!
18 :
第4イニシエート:2001/04/11(水) 00:40
アルバム名は「シークレットドクトリン」じゃ!
19 :
第4イニシエート:2001/04/11(水) 00:44
私は、そろそろ寝るぞ。今夜は弟子のゴマキに
第2イニシエーションを授けねばならない。
私の股間のイニシエーションロッドを使ってな。
意志とは、あるがままの愛なのだ。
20 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:47
睾丸も使ってやってくだされ。
21 :
高橋巌:2001/04/11(水) 00:50
ゴルァ!
22 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:51
高橋巌先生はまだ生きていますか?
23 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:52
>>22 生きとるで。朝日カルチャーセンターで元気に教えてるよ。
24 :
高橋巌:2001/04/11(水) 00:55
そんな感じ。
25 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 00:55
生きてるけど、すでにアストラル体が壊れてるとか?
26 :
高橋巌:2001/04/11(水) 00:56
ゴルァ
27 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 01:00
人智学協会とアントロポゾフィー協会は
なぜ仲が悪いのでしょうか?
28 :
高橋巌:2001/04/11(水) 02:41
オイリュトミーが足らんかったからやろ
アカシャ年代記に書かれとる
29 :
第4イニシエート=1:2001/04/11(水) 04:04
ふう、ゴマキのイニシエーション終わったぞ。
なかなか離してくれなくてな(藁
ところでみんなアストラル体の調子はどうだい?みんな頑張って哲学するんだぞ。
第2段階のイニシエーションの為にはな、あらゆる自己欺瞞(アストラル体のグラマー)
を焼き付くさなければならない。そのためには哲学が有効なんだよ。
フローベルが言うところの感情教育ってやつだな。
だから皆もゴマキみたく第2段階のイニシエートになりたかったら、頑張って哲学にはげめよ。
応援してるぞ(藁
電波?
31 :
第4イニシエート=1:2001/04/11(水) 12:41
>>30 波動である。
モナドからの煌めきなのだ。生命の水である。
私はカルマの大王によってオーバーシャドウされているのだ。
32 :
弟子志願:2001/04/11(水) 15:41
>>第4イニシエート=1
第3イニシエーションについても教えてくださいな。
33 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 22:40
あげ
34 :
考える名無しさん:2001/04/11(水) 22:45
親愛なる師よ。私は1段階のイニシエート、光線構造は22647の厨房です。
ちんぽをまんこにぶち込むにはどうすればいいのですか?まだ第1段階なもんで・・・。
35 :
リードビーター:2001/04/12(木) 00:16
>>34 ようするに、君が言っているのは「結合の神秘」についてだな?
まさにそれこそが第2イニシエーションのキモなのだ。
すなわちちんぽとまんこという両価的な二項対立を極限において逆転するという
パラドックスなのだ!そのとき形而上において天帝の婚礼がおこなわれるのだ!
光線構造はハッキリ言って関係ないぞ。
36 :
考える名無しさん:2001/04/12(木) 01:35
>>35 教えてくだされ。
ちんぽとまんこは、何番目のシュジギアでしょうか?
流出するときは臭いますか?
37 :
第4イニシエート:2001/04/12(木) 01:35
>>34 大体において
>>35の言うことに間違いはない。
第2イニシエーションについてしりたければ我が弟子ユングの自伝を読みたまえ。
>>32よ、本当に汝がその知識を必要としているとは思えんが、
せっかくだから答えよう。
すなわち第3のイニシエーション、いわゆる「キリストの変容」とは、
(ラファエロの同名の絵画を見るが好い)いわば文化大革命なのだ!
文革とは、わが弟子毛沢東のイニシエーションの物語りに他ならない。
いつか君がその知識を真に必要とした時は、彼の著作を読むと良い。
それは、意志、すなわちあるがままの愛の物語りなのだ。
38 :
第4イニシエート:2001/04/12(木) 01:55
>>36 ん?すまん。シュジギアの意味が分からん..。我が師である覚者は
いま宇宙レベルでの大事は儀式の最中であるからして聞くことはかなわず..。
教えてくれ。闇の側の言葉なのか?
39 :
ひそひそばなし:2001/04/12(木) 02:17
>>38 プレイローマにある、ふたつの対のこと。
頂点の対は「言い表されないもの」と「沈黙」だと、
プロティノスだかヴァレンティノスだかが言う。
PKディックの「ヴァリス」は、そこからのパクリ。
40 :
34:2001/04/12(木) 02:31
34の厨房です。
丁寧はレスを、
>>35のリードビーター様。
そして、
>>37の第4イニシエート様!有難うございました!!
しかし分からないのは、自己欺瞞(グラマー)の解消が結合の神秘に
繋がるということです。御教授願えませんか?
41 :
第4イニシエート:2001/04/12(木) 02:31
>>39 どうも有難う。勉強になった。私はあまり西洋に転生したことがないものでな。
だが分からんのは
>>36が何番目か?と聞いてることと、なんで流出がでてくるのか?
ということだ..。
今気付いたが、
>>36は私ではなくリードビーターに聞いているのだな。
42 :
ひそひそばなし2:2001/04/12(木) 02:31
「グノーシスとはなにか」マドレーヌ・スコペロ著から。
人の受肉とは堕落であり、性的奴隷状態である。
あるいは、眠り、酩酊、中毒である。
人間は、自らの出自を思い出すために、天の夫と融合する
必要がある。
そこで、プレーローマのイメージである「新婦の部屋」に復帰する。
ここで魂と霊とはひとつになる。
天上の結婚は「知識」を象徴する。
43 :
ひそひそばなし3:2001/04/12(木) 02:34
ふたつの対といったけど、間違い。
対はいっぱいあって、確か20番目ぐらいが「知恵(ソフィア)」。
でまあ、知恵の源みたいな、アイオーンとかいうのが、
流出してくるんでさあ。
あーーーー。退屈させてすまぬ。
44 :
第4イニシエート:2001/04/12(木) 02:40
>>39@`42@`43
ひょっとして貴方は覚者ですか?
勉強になりました。
>あーーーー。退屈させてすまぬ。
とんでもございません。私も第4霊門をくぐったばかりで
少し天狗になっていたようです。
45 :
覚者:2001/04/12(木) 02:42
では、電波とはなにか教えてくれ。
46 :
第4イニシエート:2001/04/12(木) 02:54
電波とは闇の勢力によるひょうい(ことえりのばか!)では
ないのでせうか?
これは完全なのっとりであり、光の覚者によるオーバーシャドウとは
似て否なるものと理解しておりますが..。
47 :
リードビーター:2001/04/12(木) 03:00
>>36 ん、すまん。遅くなってしまったな。
おかげでニセイニシエートの化けのかわがすっかり剥げ落ちてしまったな(藁
69番目に決まっておろう。その象徴は、互いの尻尾を喰わえあう二尾の蛇なのだ。
別に臭いはせんぞ。蜜の味であり、、また密の味でもある。生命の水である。
48 :
覚者:2001/04/12(木) 03:05
二匹のカメかと思いました。
ちんぽの味かと思いました。
49 :
覚者(偽):2001/04/12(木) 03:07
ところで、アストラル体が崩壊するときは、
記憶が逆行するそうですが、
動きも、ビデオの逆回しみたいに見えるのでしょうか?
50 :
リードビーター:2001/04/12(木) 03:07
そして
>>40 >しかし分からないのは、自己欺瞞(グラマー)の解消が結合の神秘に
>繋がるということです。御教授願えませんか?
すなわち、自己欺瞞とはつねに両価的な二項対立な態度であるのだ。
君が真に第2霊門に近付いた時、君は大いなる悲嘆に捕われよう。
そのときその悲嘆を極限まで押し進めた時!まさに偉大な転換がおこるであろう。
それこそが結合の神秘。天帝の婚礼である。
51 :
覚者(偽):2001/04/12(木) 03:11
あ、アストラル体が抜けて行きます。
さようなら。
52 :
第4イニシエート:2001/04/12(木) 03:12
>>49の偽覚者よ。
>動きも、ビデオの逆回しみたいに見えるのでしょうか?
君は時間という錯角にとらわれている。
時間も空間も錯角である。
君の質問そのものが「眠り、酩酊、中毒」に基づいている。
>>47リードビーターよ、身の程を知れ!
53 :
>>50:2001/04/12(木) 03:29
40の厨房です。リードビーター様どうも有難うございます。
これからも日々精進いたします。
師の言葉を理解できる日がくるまで..。
54 :
53:2001/04/12(木) 03:33
ところで第4イニシエートさんってニセモノなの?
55 :
第4イニシエート:2001/04/12(木) 03:49
>>54の厨房よ。
イニシエートとはな、常に理解されないものなのだ。
そのうち汝にも分かる時がこようぞ。
その時、汝は今日と言う日を恥じの意識とともに思い出すであろう。
さて、今日も弟子のゴマキと寝なければな。遅くなってしまったな。
56 :
GO:2001/04/12(木) 03:51
GOです。GOのダンスはオイリュトミーも取り入れてるぜ。GOはねー、このスレ読んでるよ。GOです。GOです。GOの声がこだまして、振動が光と合流して身体を愛撫。裏返す。憑依って、変換できるね。憑依。憑依。GOです。憑依。
57 :
第2イニシエーション準備中:2001/04/12(木) 22:29
+***+
* *
+* **
* ;´Д`*
* *
* *
* *
+* *+
* *
+***+
こ の ス レ ッ ド は ハ ァ ハ ァ し て
気 持 ち の い い ス レ ッ ド で す 。
ご 注 意 下 さ い
58 :
ゴマキ萌え〜:2001/04/13(金) 03:15
第4イニシエート様。今夜はあらわれないのですか?
ところでゴトーマキさんとお話したいですけど..、
だめっすかぁ?
つーか、これのどこが神智学、人智学スレッドなんだ?
リードビーター失せろ!
60 :
ゲーテ:2001/04/13(金) 03:29
やれやれ
61 :
ブルーノ:2001/04/13(金) 03:38
いや、イイよ。このスレ..。
皆も勉強しなはれ(藁
62 :
アニー・ベザント:2001/04/13(金) 03:46
>>59 きいいっっ!!アンタなんかに「世界の教師」の資格は無いわよ。
63 :
エックハルト:2001/04/13(金) 05:41
元気ですかーーー!!
美食、美服および遊び仲間などは我々人間の天性嗜好し愛着するところ
ではあるが、それらのものをば正当に受容することができるためには、
いかにすればよいか小川アアーーー!!
64 :
アリス・ベイリー:2001/04/13(金) 14:55
65 :
考える名無しさん:2001/04/13(金) 15:10
あっアリスたんハァハァ
66 :
イブン・アラビー:2001/04/13(金) 15:12
この流れ、結構イイんでない?
イスラーム神秘哲学もよろしく。
67 :
戸川純:2001/04/13(金) 16:58
♪神秘ぃ、しんぴぃ〜、神秘の現象ぉ〜♪
68 :
後藤真希:2001/04/13(金) 18:57
エックハルト様素敵〜♪
さがっちゃや〜よ♪
69 :
レーリッヒ(ニコライ):2001/04/13(金) 19:13
あっ、俺ニコライなんだけどさ、皆聞いてくれる?
俺ずっとヘレナに尻にしかれてたんだよ..、
で、そこから逃避しようとしてシャンバラ捜しの探検に
出たんだけど、今だ〜に見つからんのだ(涙
70 :
クリシュナムルティ:2001/04/13(金) 20:15
71 :
後藤真希:2001/04/13(金) 21:04
なんか文句ある?
72 :
マハトマ・ガンジー:2001/04/13(金) 21:15
ともあれ、われわれ印度人は彼ら西欧の理解者たちに深く
感謝するべきであろうと考えるものであります。
73 :
後藤真希:2001/04/13(金) 21:19
ガンジー様素敵〜♪
74 :
ヒラリオン(偽:2001/04/13(金) 21:24
僕はね〜。パウロだったんだ。昔はね。でもね、何度も転生して、転生を
重ねて、ついに覚者になったんだ。皆も頑張って、頑張って哲学しようね。
いつかはきっと洞窟から出られるよ!ジャンヌはね〜、私の弟子だ。
75 :
第2イニシエーション準備中:2001/04/13(金) 21:49
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< 勉強中の身分です。頑張るモナ。
_φ___⊂)__ \_______________
/旦/三/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
|熊本みかん|/
77 :
チベット人:2001/04/13(金) 22:09
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Λ_Λ < ふぅー、チョパリーのふりはつかれるぜ
<丶`∀´> \____________
( ̄ ⊃・∀・))
| | ̄| ̄
〈_フ__フ
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Λ_Λ < 何見てるニダ。
< `∀´ > \____________
( ̄ ⊃・∀・))
| | ̄| ̄
〈_フ__フ
78 :
第4イニシエート:2001/04/13(金) 22:22
おいおい、なんだよ。この偽者の大群は(藁
せっかくホンモノのゴマキ連れてきたのに..。
79 :
考える名無しさん:2001/04/13(金) 22:23
つまらない
80 :
後藤真希:2001/04/13(金) 22:25
81 :
ブルーノ:2001/04/13(金) 22:28
>>80 ある。前はもっと面白かったよね。
フザケながらも実は内容があったじゃん..。
駄レスが山のようにつもってる。
前は密かに感心してた..。
第2イニシエーションについてはかなり的確だったよね。
後半の駄レスが1の自演ならまぢ失望。疲れたか?
83 :
シレジウス:2001/04/13(金) 22:44
大丈夫。私がこのスレ再興しよう。
でも明日からだ!
84 :
厨房:2001/04/13(金) 22:58
師匠、復活してください!
イニシエーションについて御教授下さい。
85 :
第4イニシエート:2001/04/13(金) 23:14
>>84 じゃ、なにか質問したまえ。なんでも良いぞ。
88 :
第4イニシエート:2001/04/14(土) 00:42
>>87 まだ、あまり読んでいないが、第一印象としては
グラマーに充ちているように感じる。
後程またレスいたす。
89 :
第4イニシエート:2001/04/14(土) 00:50
非常に読みづらい。これは苦行以外のなにものでもないぞ!
レベルとしては、マニ教、グノーシス主義者(真のグノーシス者にあらず)、
初期シーア派(後のシーア派でなく)といったところか。
90 :
第4イニシエート:2001/04/14(土) 00:55
あっ、この人はマニ教肯定しているのだな。
真の「異端」であろう。
グラマー、及びマーヤに充ちている。というのが
私の結論だ。
91 :
第4イニシエート:2001/04/14(土) 01:02
>>87 少しレスが遅過ぎたかな?暫く席を外していたものでな(スマソ
逆に見るべき価値のあるサイトが在るならば教えてほしいのだが..
92 :
クレーム:2001/04/14(土) 01:42
伝導瞑想は奉仕の瞑想です。
第2段階のイニシエーションを速める効果もあります。
93 :
クレーム:2001/04/14(土) 01:44
しかし、いかなるグループもグラマーを造り出すのです。
2chには2chの、哲学板には哲学板のグラマーがあるのです。
94 :
シュタイナー:2001/04/14(土) 01:56
>>92@`93
私のどこに同意出来ないって言うのだ?
95 :
ゲーテ:2001/04/14(土) 02:17
ふがふが
96 :
後藤真希:2001/04/14(土) 02:20
ベンジャミンの本は人に内緒で読むアンチョコよね。
「出来る」シリーズとか、旺文社の学習参考書とか、
そんな感じ。
97 :
第4イニシエート:2001/04/14(土) 02:23
>>96 おいおい、真希。言い過ぎだぞ、それは。
そんなことより、そろそろ、な?
今夜は寝かさないぞ。
98 :
ブルーノ:2001/04/14(土) 02:26
やっぱりこのスレ良いね。
明日もこの調子で育つとよいな。
がんばれ
>>67&96
99 :
ブルーノ:2001/04/14(土) 02:31
100 :
デカルト:2001/04/14(土) 02:41
ブルーノ、モナドってんじゃねーぞゴルァ
101 :
ライプニッツ:2001/04/14(土) 12:30
ルネなーに熱くなってんだよ〜、マタ〜リ逝こうぜ。
102 :
考える名無しさん:2001/04/14(土) 16:16
あ
.っ
そ
.ぅ
103 :
考える名無しさん:2001/04/14(土) 16:16
は
げ
は
げ
は
げ
は
げ
は
げ
は
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げ
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104 :
考える名無しさん:2001/04/14(土) 16:16
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105 :
考える名無しさん:2001/04/14(土) 16:17
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考える名無しさん:2001/04/14(土) 16:17
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考える名無しさん:2001/04/14(土) 16:18
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考える名無しさん:2001/04/14(土) 16:20
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考える名無しさん:2001/04/14(土) 16:20
電波板逝け。
114 :
考える名無しさん:2001/04/14(土) 23:15
>111
きちがい、射精できた?
115 :
考える名無しさん:2001/04/14(土) 23:23
116 :
ゲーテ:2001/04/14(土) 23:38
えへへへ
117 :
:2001/04/14(土) 23:41
・
119 :
シュタイナー:2001/04/14(土) 23:55
ん?
120 :
シュティルナー:2001/04/15(日) 00:06
私の超絶個人主義もよろしく(って名前知ってるだけだけど)
121 :
ベルクソン:2001/04/15(日) 00:18
ベルクソンである(藁い)。早急に本論に戻り給へ(藁い)。
さもなくば、このスレッドは死んだと、
SPRに報告書を提出する(藁い)。
122 :
ベルクソン:2001/04/15(日) 00:25
それにつけても疑問は、
なぜブラヴァツキーの顔が
ドラえもんと似ているかである(藁い)。
123 :
考える名無しさん:2001/04/15(日) 00:50
>122
ぜんぜん本論に戻してないじゃん(w
それはそうと林真須美もどっか霊能者顔だ。
124 :
ベルクソン:2001/04/15(日) 01:05
林真須美は、別名、
和歌山のブラヴァツキーと呼ばれていた。
…SPR年次報告書より。
125 :
考える名無しさん:2001/04/15(日) 10:04
あ
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み
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あ
ら
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あ
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る
あ
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あ
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るあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみるあらしてみる
126 :
考える名無しさん:2001/04/15(日) 14:40
127 :
ブラヴァツキー:2001/04/15(日) 15:23
Om tat sat.
128 :
ブルーノ:2001/04/15(日) 17:47
モナドモナド。再開きぼ〜んぬ
129 :
考える名無しさん:2001/04/15(日) 18:03
惑星ロゴスだゴルァ
130 :
第4イニシエート:2001/04/15(日) 19:04
131 :
C.G.ユング:2001/04/15(日) 19:22
神智学、人智学逝ってよ〜し
132 :
シュタイナー:2001/04/15(日) 19:44
ユング、神智学、人智学いっしょくたにしてんじゃねーぞゴルァ
133 :
クレーム:2001/04/15(日) 21:02
ユング、及びシュタイナーは非凡な人間であり、
ともに2.2段階のイニシエートであります。
134 :
クレーム:2001/04/15(日) 21:04
しかし、いかなるグループもグラマーを造り出すのです。
2chには2chの、哲学板には哲学板の、
神智学、人智学スレッドには神智学、人智学スレッドの
グラマーがあるのです。
135 :
シュタイナー:2001/04/15(日) 21:58
>>133@`134
だから、私のどこに同意出来ないと言うのかね?
136 :
第4イニシエート:2001/04/15(日) 22:58
>>135 例えば、カルマ論とか輪廻転生とかかな?
厨房くんどこいった?さみし〜からだれでもい〜から質問して〜な(藁
137 :
考える名無しさん:2001/04/15(日) 23:00
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ね
ば
?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?
138 :
第4イニシエート:2001/04/15(日) 23:17
ん?
139 :
ゲーテ:2001/04/15(日) 23:26
もう過ぎた?荒らし。
140 :
考える名無しさん:2001/04/16(月) 00:06
グルジェフはどうよ?
141 :
第4イニシエート:2001/04/16(月) 00:23
>>140 おいらはグルジェフほとんど知らん。
今まで、あんま興味なかったなぁ。
実際のところどうなのよ?
142 :
考える名無しさん:2001/04/16(月) 02:56
>>141 @@@@@神秘主義哲学スレッド@@@@@@
mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=983037067&ls=50
参照スレ
143 :
142:2001/04/16(月) 02:57
144 :
マルクス:2001/04/16(月) 03:24
柄谷は隠れ神智学徒だな(藁
146 :
高橋巌:2001/04/16(月) 06:13
シィタイナーのギャグ、気づかれずに流されるの巻(w
147 :
高橋巌:2001/04/16(月) 06:15
シィタイナー
↓
ュ
148 :
考える名無しさん :2001/04/16(月) 06:51
>>261 なるほどね。私も「1」さんが何をきっかけに覚醒したのか知りたい
ところです。
「覚者2」をやってみて思ったのは、ことばよりも実感が先にくるかど
うかで、森羅万象すべてを実感でとらえるには、「まねぶ」だけではムリ
を感じましたね。
ところで、「覚醒」ってそんなに一般的な定義の決まったタームなんで
すか? 私はただ「悟ったような気持ちで」程度に考えて目覚めていた
のだが。
149 :
考える名無しさん:2001/04/16(月) 12:45
卒論でシュタイナー書こうと思ったけど
教育学以外では先行研究が全然みつからん、、
150 :
第4イニシエート:2001/04/16(月) 13:35
151 :
第4イニシエート:2001/04/16(月) 13:38
>>148は▲▽▲▽ 覚醒したっぽい ▲▽▲▽のスレ違いだな。
>>150 い〜じゃねえか、未開の処女地じゃんかよ。
152 :
考える名無しさん:2001/04/16(月) 13:39
153 :
シュタイナー:2001/04/16(月) 13:41
154 :
考える名無しさん:2001/04/16(月) 13:42
155 :
新田:2001/04/16(月) 16:05
>>146 お前はYO!朝日カルチャーセンターでYO!
教えてりゃい〜んだYO!
156 :
考える名無しさん:2001/04/16(月) 19:08
死
ね
ば
?
死
ね
ば
?
死
ね
ば
?
死
ね
ば
?
死
ね
ば
?
死
ね
ば
?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?死ねば?
157 :
第4イニシエート:2001/04/16(月) 20:38
あげ
158 :
考える名無しさん:2001/04/16(月) 22:23
>>150 その通り、スレ違いでした。
ご迷惑おかけしました。
>>150 いえいえ。
ところで、俺このスレ厭きた..。
第4イニシエートっちゅうHNも厭きた..。
仕事しよっかなぁ。締切り近いよ。ヤバすぎ..欝山車脳
160 :
考える名無しさん:2001/04/16(月) 23:24
>>159 ん?なんの仕事やってんの?
てっきり学生かと思ってた(藁
しょっちゅうカキコしてるし..。
161 :
文筆業:2001/04/16(月) 23:49
>>159 締め切りは3日過ぎまで平気ってもんでしょう!
162 :
第4イニシエート:2001/04/17(火) 01:47
>>161 三日過ぎまで考えてもヤバいのじゃ〜(涙
フリーって下手すりゃヒッキーと変わんなくなるな(爆
夏にスペインの大学行くまでだが..
>>160 御想像に御任せ(藁
このコテハンもこれで最後(予定
>>162 >フリーって下手すりゃヒッキーと変わんなくなるな(爆
ププ。覚醒してたんじゃなかったのかよ〜。
>>140 そうそう、グルジェフ知らんで神智学もないもんだな。
165 :
ブルーノワルター:2001/04/17(火) 03:58
私も人智学徒でーす・・確か。
つまるところ、かの有名なシュタイナー教育とは何ぞや?
知ってるよーでよく知らん。ギョエテの色彩論も紹介されただけで
本論にあたっておらんし。
アクチュアルにはそっち方面から行った方が食いつきはいいと思う。
アストラル体とか霊学にいきなりいかれてもナー、ひくし。
166 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 04:06
>>164 1だけどさ、それ俺に言ってんのか?
いっとくけどグルジェフ高校時代に神秘哲学で最初に読んだよ。
ただその後の勉強であんま眼中なくなったな。
たしかにあんま憶えてない部分もあるが..、
>>141はネタだよ。
つうか俺なにも神秘哲学だけじゃないからなぁ。
厨房があんまなめた口たたくな。詩ね。
167 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 04:08
ワルター40番萌え〜。ウィーンフィルね!
168 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 04:09
あとマーラーもね!
169 :
ブルーノワルター:2001/04/17(火) 04:29
クリムゾンの「太陽と戦慄」ならわしも指揮したことがあるよ。
注目すべき人々との出会いも本として流行ったけど、体系的知識として
入ってきにくかったのでどーも内容を覚えとラン。
オクターブが宇宙的原理というのだけは覚えている。あと持続的意志
の修練法とか。
充分に発達していない意志力や思考力は、半ば存在していない
も同様であるという考えは面白い>グルジェフ
171 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 06:54
>>170 君の投稿の程度の低さの自覚しようの(大爆笑
172 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 18:47
>>170 つか、「人間には石がない」て、はっきりいっとるね。
あ、意志か。
ちなみにグルジェフはシュタイナーのことを、
鼻でフンフンと藁って、バカにしておったとか。
173 :
ル・コルヴィジェ:2001/04/17(火) 18:51
ゲーテアヌムまんせー
>>172 通常そう各自が思っている程には意志がないという事だろ。
意志という言葉が出来たルーツに当たるものを個々人が所有していないというは
正確に言えばそうなんだろうが、それは当たり前だし。
175 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 19:29
自己想起から始めろ
特に哲学書読んで頭いいつもりになってるこの板の奴ら
すっかり無意識だよ
176 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 20:01
>>175 神秘体験を経験しつつコツコツ語学の勉強を続けた井筒俊彦先生の爪の垢を煎じて飲め。
177 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 20:39
ぶらばっきの顔がひ対称なのはなぜですか?
178 :
しらね〜よ:2001/04/17(火) 21:18
_ @` ― 、
@`−' `  ̄ヽ_
@`' ヽ
( )
( ノ`ー'ー'ヽ )
( ノ● ●( )
( 〉 -――-( )_ _
`ー'l ● ( ノ ヽ )
、‘ー'ー’ _ノ`ー' |
 ̄| ̄ |
/ /7 / ̄ ̄/ /
`ー´ `ー ´ `―´
179 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 22:47
ぶらばっきの顔がどらえもんに似てるのはなぜですか?
180 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 23:16
>>174 「あなたが意志だと思っているものは
本来の意志ではない」という意味だと思う。
つまり、「あんたズレてるよ」という意味。
微妙に解釈が違うようだ。
181 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 23:27
182 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 23:32
>>181 そうですか。
バスジャックの厨房はグルジェフでしたか。
う〜ん。勉強になるなあ。
183 :
1っす:2001/04/17(火) 23:42
まあまあ、マタ〜リいきまひょ。
>182
Golden Boy 発見!
185 :
考える名無しさん:2001/04/17(火) 23:56
えぐちゃんって神智学なの?
186 :
なな:2001/04/18(水) 00:46
>>178 この犬、大澤マサチくんみたい!!かわいい!!
187 :
考える名無しさん:2001/04/18(水) 00:56
188 :
しらね〜よ:2001/04/18(水) 01:58
_ @` ― 、
@`−' `  ̄ヽ_
@`' ヽ
( )
( ノ`ー'ー'ヽ )
( ノ● ●( )
( 〉 -――-( )_ _
`ー'l ● ( ノ ヽ )
、‘ー'ー’ _ノ`ー' |
 ̄| ̄ |
/ /7 / ̄ ̄/ /
`ー´ `ー ´ `―´
グルジェフって翻訳されてるのあるよね、何冊か。あれだけは
全部読んだけど、面白いと思う。
日本人の研究者とか、いる? お勧めの本とかあれば教えてくで。
ちょっと精神的に苦しげなアラシ厨房君(心配だね〜)が
いない間くらいは、マジなレスをきぼんぬ!
190 :
考える名無しさん:2001/04/18(水) 02:44
>>189 「エニアグラム進化論」前田樹子(春秋社)は必読っす。
グルジェフのネタ元が結局、スーフィーというより
東方正教にあることを解明したことだけでも、目から鱗の本!
あとウスペンスキー読めば完璧??
191 :
189:2001/04/18(水) 03:03
>>190 すげえ即レス、さんきゅ〜ですだ! 早速読んでみるみる!
グルジェフは、その集団や手法としての身体的アプローチにも、
非常に今日的興味をそそられる。精神ー肉体、の相互干渉と
統合?の辺り、面白い。
192 :
190:2001/04/18(水) 03:11
>>191 踊りのことを言っておるなら、ピーター・ブルックの映画
「注目すべき人々への出会い」を見るですね。
ラストシーンで、グルジェフ考案の(?)踊りが
再現されているです。
むかしはビデオまで出てたんだけど…。
193 :
190:2001/04/18(水) 03:14
すまぬ。
×「注目すべき人々への出会い」
○「注目すべき人々との出会い」
194 :
189>190さん:2001/04/18(水) 03:46
おお、映画もあるですか! それは面白い!
『注目すべき人々との出会い』…著書と同題名ですな。
そのグルジェフ考案の踊り(動き?)というのが、
興味津々なのですら、ラストシーン?だけでも見たいぞ!
貴方は随分お詳しい方ですな、ありがとうです!
195 :
シュタイナー:2001/04/18(水) 17:19
グルジェフだぁ?なめんじゃね〜よ(藁
196 :
グルジェフ:2001/04/18(水) 18:53
シュタイナー だぁ?なめんじゃね〜よ(藁
197 :
クリシュナムルティ:2001/04/19(木) 00:01
_・)ぷっ
198 :
広末涼子:2001/04/19(木) 01:03
わたしぃ〜、じんちがくとかぁ〜、すごいすきなんですけど。
でも、まわりに、よんでるひといないからぁ〜、とてもさびしい。
シュタイナーっていうと、なんていうのかな、う〜〜〜〜〜〜ん、
(さらさらと図面を描くが、意味不明)。
199 :
考える名無しさん:2001/04/19(木) 01:09
>>197 クリシュナムルティをまるで誤解しているな。そんな
下品な笑いとか煽りとかに、名を騙るな、汚らわしいぞ。
200 :
オショー:2001/04/19(木) 01:15
私ならいいのかね
201 :
広末涼子:2001/04/19(木) 01:56
わたしぃ〜、エナジーダルシャンとかぁ〜、すごいやってみたい。
でも、まわりに、フリーセックスとかやってるひといないからぁ〜、
とてもさびしい。
オショーっていうと、なんていうのかな、う〜〜〜〜〜〜ん、
(まんこの図面を描く)。
202 :
考える名無しさん:2001/04/19(木) 02:10
な〜んか、オショーまで出てくると哲学板って感じじゃないな〜(藁
>>200はワラタけど..
>>199には同意だな。
203 :
考える名無しさん:2001/04/19(木) 02:23
オショーの「般若心経」だかは、
東大でテキストに使われていたとかいわれているな。
204 :
クリシュナムルティ :2001/04/19(木) 02:26
_・)ぷっ
205 :
リードビーター:2001/04/19(木) 02:47
206 :
考える名無しさん:2001/04/19(木) 02:56
207 :
考える名無しさん:2001/04/19(木) 03:05
>>206 休憩しつつ..ROMしつつね。
でも、
>>205がなんで私だと分かったんですか?
リードビーターだからか!
このHN過去に使ったこと忘れとった..でも全部俺だったかなぁ?
208 :
考える名無しさん:2001/04/19(木) 03:21
>>207 全部あなたです。
あなた以外の誰かがいるなどというのは、観念のまやかしです。
209 :
1:2001/04/19(木) 03:25
>>208 はぁ?..もう、うんざり。
死んでね。まぢで。お前キショい..
おしょ〜ってどうなのよ?
哲学板で語るような奴なの?よ〜しらんけど..
なんかいかがわしいイメージがある。
211 :
名無しさん:2001/04/19(木) 05:43
おしょ〜=麻原ショウコウ
で、日本の神秘マニアはおしょ〜にくびったけのやつが多い。
ばかだね〜ほんと
宗教バージン、哲学バージンが多いよ、日本人は。
212 :
吾輩は名無しである:2001/04/19(木) 07:26
文部科学省はシュタイナー教育に目をむけなきゃだな。うんうん☆
213 :
考える名無しさん:2001/04/19(木) 10:25
大企業、体育会の研修にグルジェフを近代化して導入して欲しいよ。
214 :
210:2001/04/19(木) 22:01
おしょ〜=しょ〜こ〜
か。やっぱ見た目と名前どおりのやつなわけね(藁
215 :
考える名無しさん:2001/04/19(木) 23:28
>214
君が見た目で決めてるからそうおもうだけ.
彼の言ってることは今の時代の方が2,30年前より
ずっと重みが増してきたような気がする.
彼の実際の活動がどうであれ、彼の言動自体は
異常なカルト的なところはないし的を得ている.
やたらと反対したがる人間には何処かに恐れがあるのではないかな.
それを彼に投影しているのではないかと.
216 :
考える名無しさん:2001/04/20(金) 01:45
いや、やっぱりオショーはいかがわしいよ。
自我肥大したヒトなんじゃないかな?
あと
>>215 なんでも、恐れとか投影とか言っちゃうと、そこで話が終わるじゃん。
その手の言説ってさ。
何も解決も理解も得られていないにもかかわらず..。
217 :
RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/20(金) 02:21
>>1-216
創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい
創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい
創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい
創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい
創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい創作文芸板に移動しなさい
218 :
?:2001/04/20(金) 02:40
何故よりによって創作文芸板?
219 :
211:2001/04/20(金) 05:35
>210
だから言っただろ。
日本の神秘趣味者は
>>215こういうやつが多いって。
しょーこーだって何かの記者会見で「おまえたち、恐いんだろう、困るんだろう」
って言ってたじゃん。
こんなことばっかり言ってるやつはおおもとの古典や宗教や哲学を知らないばっかりに
ちょっともっともらしいことを言われるとすぐにコロンとひっかかる。
でも、おしょー>しょーこーではあるかもしれない。
いかがわしかったらしょうがないけどね。
220 :
出口王仁三郎:2001/04/20(金) 06:43
おおもとですが何か?
>219
特に理系&オタクの奴 こっち方面のウブこちゃんばっかりなんだねー
ところで「おしょー」って誰ですか?私全然知らないんですけど(恥
222 :
考える名無しさん:2001/04/20(金) 09:49
地元から追い出されそうになって、住民投票の前日に町の食堂にボツリヌス菌を撒いた人ね。
223 :
考える名無しさん:2001/04/20(金) 14:54
>>220 別にオショー知らなくても恥でもなんでもないぞ。
224 :
試補の路の学徒:2001/04/20(金) 23:27
このスレ糞レスのなかにキラリと光るダイヤがあるね(微笑
225 :
試補の路の学徒:2001/04/21(土) 00:15
神智学及び、そこからの派生であるレーリヒやベイリーの思想、
人智学のシュタイナーも含めるとして..、その哲学的意義を
語るスレにはならんのか?
226 :
試補の路の学徒:2001/04/21(土) 00:16
神智学及び、そこからの派生であるレーリヒやベイリーの思想、
人智学のシュタイナーも含めるとして..、その哲学的意義を
語るスレにはならんのか?
227 :
ならば:2001/04/21(土) 01:55
例えば、共時性と因果性というニ項対立について、
これはシュタイナーとユングの対比であるかもしれないが..。
228 :
考える名無しさん:2001/04/21(土) 18:18
シュタイナーはどちらにせよ無意識の領域に
物語性を与えたのは確か.「神秘学概論」読めばそう思う.
229 :
考える名無しさん:2001/04/21(土) 23:25
230 :
考える名無しさん:2001/04/22(日) 03:17
>>229 きっと
>>224は時空という錯角を超越した覚者だよ(藁
未来のレスのこと言ってるのさ。
>>231以降はきっとダイヤモンド!!
以後、糞レス禁止(藁藁
231 :
RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/22(日) 03:36
お前等いいかげんいしろよ!!!!!
宗教板か創作文芸でやれこの電波集団!!
こんなもんが哲学といえるのか?
こんなもんが学問と言えるのか?
こんなもんメシの種になる価値があるのか?
いいかげんにしろ!!!!
おいワン公こいつらに一言いってやれ。
頼むよ。神智学だと!!文学だよフィクションだよマチで。
頭冷やせよバカ!!!
232 :
しらね〜よ:2001/04/22(日) 04:12
_ @` ― 、
@`−' `  ̄ヽ_
@`' ヽ RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY
( ) 首吊って死ねだワン
( ノ`ー'ー'ヽ )
( ノ● ●( )
( 〉 -――-( )_ _
`ー'l ● ( ノ ヽ )
、‘ー'ー’ _ノ`ー' |
 ̄| ̄ |
/ /7 / ̄ ̄/ /
`ー´ `ー ´ `―´
233 :
RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/22(日) 04:14
同一人物(多分GO)を怒らせちゃったかな。
ま、が ん ば れ よ
234 :
考える名無しさん:2001/04/23(月) 03:15
_ @` ― 、
@`−' `  ̄ヽ_
@`' ヽ なんでRAGE・・って
( ) いばりくさってるんだろね〜
( ノ`ー'ー'ヽ ) 厨房のくせにいばるなよな〜
( ノ● ●( ) 首吊って死ねだワン
( 〉 -――-( )_ _
`ー'l ● ( ノ ヽ )
、‘ー'ー’ _ノ`ー' |
 ̄| ̄ |
/ /7 / ̄ ̄/ /
`ー´ `ー ´ `―´
235 :
RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/23(月) 03:50
>>234 真性厨房だから威張ってんだろ。
誰からも評価されないから自分で自分を大きく見せようとしてるんだな。
そんな事自体が蔑まれるような行為だって事も分かってないんだろうけどね。
オフなんかで実際会って見たらモヤシっ子だぜ。きっと。
そろそろ真打ち登場といこうか。
私の進化段階は2.4。
クレーム氏に聞いたので間違いない。
加えて日本人で数少ない第1光線を持つ人間でもある。
聞きたいことがあればどうぞ。
237 :
1:2001/04/24(火) 03:57
>>236 光線構造全部言ってみ。あとどこに第1があんのよ。
そんで、第2イニシエーションの解説キボンヌ。
それから共時性と因果性の二項対立を止揚してみて。
あと、それから宗教板で、シェアの人が叩かれてるからさ、
暇なら助けてあげてね。
>光線構造全部言ってみ。あとどこに第1があんのよ。
貴重なエネルギーを割いて教えてくれたクレーム氏の手前、
ズバリそのものを他人に教えるのはためらわれる。
1、2、4光線があるとだけ言っておこう。
1光線は2段階という進化段階にふさわしいボディにあるとだけ言っておこう。
ここで名のあがっているシュタイナーに近いかも。
>第2イニシエーションの解説キボンヌ
申し訳ないが私は学がない。
この手の関係ではクレーム氏の著作を読破したに過ぎない。
神智学、人智学、哲学についてはほとんど知らない。
質問があれば
「クレーム氏の著作の第2イニシエーションの…の部分がわからない」
というふうに聞いてくれればクレーム氏の説明より詳しく
イラストレイトできるかと思う。
宗教板については全部きっちり読んでからお答えしよう。
私としては直接クレーム氏の活動には関わっていないが
クレーム氏の主張、活動は全面的に支持している。
いやいや、何も学問的に第2イニシエーションについて、
語ってくれとは言ってないよ。自分の体験というか意識の変容というかさ、
自分なりに語ってみてほしいの。
クレーム氏の本の解説みたいなのは別に望んでない。
もしあなたがほんとうに2段階のイニシエートなら、
あなたの言葉(というか世界観・意識・内的経験)と俺自身のそれを
照合・検討してみたいのよ。
で、次にあなたは2.4段階ということは3段階のイニシエーションに向けての、
そうだな、2段階のあとの一時的混乱というか分裂というか(わかるでしょ?)、
がいったん統合されて、今後の人生で3段階に向けてさらに意識が進化・深化
する準備が整った状態。(あなたの年令わからないけど、多分若いと推定。)
そんなあなたの世界観・意識をぜひ知りたいのよ。経験に基づく言葉でね。
真打ちと言うからには、頼むよ(笑
240 :
1:2001/04/25(水) 03:23
待たせて悪かった。
宗教板の例のスレはすべて読ませていただいた。
結論から言えば私の出る幕ではないと思う。
そもそも私には学がないので議論に参加することができないのと
ただ進化段階が通常人より高いというだけではシェアの活動を支持する
レスをつけることはほとんど不可能だと思われるからである。
舞都麗夜氏は真摯にシェアの活動をなされており、某スレのレスも同様である。
私も氏と同様、議論や学問に価値を認めるものである。
学問において重要なのは扱う対象が何かというよりも
いかに合理的に科学的にその対象を扱うかであると考える。
対象がオカルトだからダメだ、みたいな批判は論外だと考える。
批判するなら合理的でない、科学的でない、と言って批判するべきである。
言うまでもなく、シェアの言説は旧体制(一部の方からは不満のある言い方だろう)
に真っ向から対立する思想、ムーブメント(シェア側からすればそれらを越える
ものだと言いたいだろう)であるので容易に受け容れられないのは当然である。
否、批判され攻撃され、洗練されていく必要すらあるだろう。
2ちゃんねるでそれをやるのが妥当なのかどうかはわからない。
私個人としてはあのスレの別の人物のレスに関心を持った。
ちょっと電波っぽいレスでどの程度信憑性があるのか定かではないが、
某有名企業と某宗教団体とフリーメーソンの三者が暗躍してバブル経済を
引き起こした?というようなことが書いてあった。
私個人としてはオカルト方面よりも、今後の日本の行く末、さらにその日本において
自分が何ができるのか、ということに一番関心がある。
第二次大戦時は枢軸国に悪の勢力が加担した、現代日本は商業主義の悪のフォースに
飲み込まれたなどという、クレーム氏による日本の現状分析を待つまでもなく、
誠実に現代日本の現状を憂慮する者にとって、戦後処理、バブル崩壊の後始末といった
諸々の問題はこれからの日本を考える上で積み残せない問題であることは明らかである。
もし、某スレのその人物がその闇のトライアングル?の生き証人であるなら、
全貌を明らかにするような活動をしてもらいたいものである。
さて、私個人の意識の変容についてである。
初めに断っておきたいのが、私はこれまでの生涯で一度も超常現象を目撃したことも
なければ、私自身いかなる超能力も持っていない。
舞都麗夜氏は自身のそういった体験を語っていたが、私にはそれはまったくない。
意外と思われるかもしれないが、私はこの人生で第2段階のイニシエーションを受けた。
初めは半ばイタズラ心でここに書き込ませてもらったが、いざ説明するとなると
いくつか困難があることに気がついた。
私の出自はまったく平凡な日本人の家庭である。
そして、家族の誰もオカルトに興味を持つ者はいなかった。
私がイニシエーションを受けたのはいわゆる思春期の末期である。
そのときはまったく無知蒙昧、無教養の人間であったことも銘記しておこう。
つまり、上の超常体験皆無と合わせてイニシエーションを受ける要件として
こういったことは無関係である、ということをまず、断っておきたい。
そして、とりあえず私は現在は大人である。
何が言いたいのかと言うと、大人としての人生を第2段階のイニシエートとしてしか
送ったことがないということである。
私の第2段階による意識の変容が果たして思春期から大人に至る変容という
通常人なら誰にでもあるはずの変容と峻別できるか、というのが第1の困難。
私は無教養、無知蒙昧のころにイニシエーションを受けたと述べた。
とはいっても、第2段階のイニシエーションを受けるほどの人間である。
幼少の頃からそれなりに人生について、人間について、この世の起源について
などに少なからず関心は持っていた。
しかし、ここのスレに書き込んでいるような人物が関心を持つであろう
月刊ムー、五島勉などには見向きもしなかったし、
哲学書を読み進むほどには早熟でもなければ優秀でもなかった。
しかし、イニシエーションは受けた。
その後、おくればせながら知的好奇心は飛躍的に増大した。
自分が望んだことはこの世の中がいったいどういう原理で誰が動かしているのか
を知りたいということである。
しかし、そのときには既に日本も世界も混迷の時代に入っていた。
当時の私のように強く知的好奇心を持たない人間にとっても
否応無しに政治や外交など周囲で起こっていることに関心を
もたざるをえない時代に入っていた。
1980年代はそうでもなかったと記憶している。
もっとも、無知蒙昧であった頃の記憶であるのであてにはならないかもしれない。
長くなった。
要するに、私は自前の強い知的好奇心と新しい世界の変化に呼応して
少なからず意識の変容を経てきたのである。
果たしてその意識の変容が2段階による意識の変容と峻別できるのか、
これが第2の困難。
第2段階のイニシエーション直後の意識の不安定、混乱があったといえば
あったし、それは上で述べたようなイニシエーションとは直接関係のないもの
であった、ということも十分可能である。
それでもあえて第2段階のイニシエーションを受けて何が変わったのか
を説明するとどうなるか。
当然のことながら感情のコントロールは実現しているはずである。
よくクレーム氏の本を読むと感情のコントロールの実現=無感情
な人間になることなのか、というような質問があるが、
まったくの逆である。
今の私は第2段階のイニシエーションを受ける以前に比して
1億倍感情豊かな人間である。
しかし、これも大人になりいくばくかの人生の苦労を知ったからであろう
と言われれば反論するのは困難だ。
知的好奇心については、最近は薄まりつつある。
この世のすべてのことが知りたいとまで思ったのであるが、
最近は知ることの意義に疑義を感じるようになってきた。
これが果たして霊的偏極に近づいた証なのかはまだわからない。
人生に疲れただけ、と言われればそうなのかもしれない。
確実に言えることは、第2段階のイニシエーションを受けた直後から
現在までの約10年足らずの間にかなり意識は洗練されてきた、ということである。
第2段階のイニシエーションを受けた者はその後、自己満足という
精神状態を採ることがほぼ不可能になる。
気が狂い、自我が崩壊しないための安全装置を取り外したようなものである。
思い出してみれば受けた直後は若干の自己満足感があったようにも思う。
しかし、じきにそれは許されなくなった。
最後に。
上の方で、自分は日本の行く末に関心があると述べた。
同時に、私はさらなる進化を遂げたいとも切に思っている。
言うまでもなく、密教でいうところ第3段階のイニシエーションである。
いまの自分にはそれがいかなるものかまったく想像ができない。
その点は、第2段階のイニシエーションを受ける前とまったく同様である。
しかし、ひとつ違う点がある。
まだ、先があるという確信が持てているということである。
第2段階のイニシエーションを受ける前は先があることに
確信は持てていなかった。
クレーム氏の本にある、第2を越えると通常進化が早まる
というのはこのことだろう。
五里霧中の中にいながら必ず抜け道があるはずだ、という心理状態である。
自己満足ができないのなら当然のことなのかもしれない。
お読みいただけたであろうか。
上の拙い内容でははなはだ不十分だと思われるので第2段階のイニシエーションに
ついてもう少し詳しく描写したいと思う。
そもそも、クレーム氏の情報を耳にし、それなりに興味深く読んでいる者にとっての
最大の関心事の一つがこのことだろう、と思ってここに書き込みを始めた。
また、私自分にとっても冷静に振り返りたいことでもある。
いったいどうやって第2段階のイニシエーションを受けたのか?
と言って、特別の修行や過酷な体験などをしたわけではない。
あのとき、確かにかなり悩んでいた。
悩み事は青春期にありがちな友人関係や恋愛その他の
ごく普通にありふれたものであった。
これを具体的に描写することにあまり意味はないだろう。
しかし、とにかく真剣に悩んでいた。
極度の人間不信、幻滅、絶望感が束になっておそいかかるような時期であった。
思春期、青年期にありがちだと言われれば、そのとおりと言うほかはないのだが。
ある晩もそのネガティブな感情の渦にのたうちまわっていた。
あるとき、突然楽になった。
急に解放されたような、閉塞した場所から広大な場所へ投げ出された
ような感覚であった。
その後は、ずっと楽になった。
このとき、楽になり、悩まされていた暗い感情の渦は消し飛んだ。
しかし、このとき同時に、私は精神の安全装置とでもいうべきもの
を手放したのだ。
前のレスで自己満足できない旨のことを述べた。
自己満足の裏返しは自己嫌悪である。
恐らく、感情のコントロールの実現が不可能な人間は通常、
自己満足か自己嫌悪かいずれかの状態にあるのではないだろうか。
私は、第2段階のイニシエーションを受けることで
そのいずれの心理状態にも甘んじることが不可能になった。
自己嫌悪を感じないですむかわり自己満足もできない。
あらゆる外界からの自己を肯定する情報が私自身の自己肯定感にとって
圧倒的に無力なものとなってしまった。
自分を称賛するのも自分自身、非難するのも自分自身となってしまった。
真空空間、いや無重力空間と言った方がよいであろうか、
そういうただ中に放り出された。
自分が見聞きしてきたあらゆる道徳、倫理規範が無力なものに
思えてきた。
それらに対する懐疑、反発ではなく、圧倒的に無力なものと成り下がった。
外界のあらゆるものに頼ることのできないまったくの無重力空間の中
で新しい規範を自前で創造していく困難に立ち向かわされることとなった。
しかし、これは面白いものでもあった。
前のレスでも述べたようにこれがきっかけで私のなかの知的好奇心が
爆発した。
それ以前までわからなかったことがわかるようになった。
主として人文科学系の学問についてではあるが。
と同時に恐るべき精神力を私は手に入れたことを自覚していた。
私は、崇高な理念、理想からまったく下世話、悪辣極まりない妄想まで
なんのためらいもなく抱くことが可能となった。
大したことはないじゃないかと思われるかも知れないが、
これは大したことなのである。
最高のことを考えながら自己満足に陥らず、
最悪のことを考えながら自己嫌悪に陥らないのである。
まったく我ながら恐ろしい。
以上が私の第2段階のイニシエーション体験である。
最後に簡単にこのイニシエーションを受けるためのヒントを述べよう。
とにかく逃げないこと。
これに尽きるだろう。
最悪の自己否定感、自己嫌悪感に身を投げ出し耐えるのだ。
それ以外にアドバイスできることはない。
このアドバイスは真実のアドバイスであることを保証したいが、、、
気がかりなこともある。
もう風化しつつあるが、数年前、神戸でいわゆるサカキバラ事件が起こった。
手記などによると、彼の少年も犯行前、自己嫌悪感にとらわれていた。
そしてバモイドオキ神?なるものを自身の心の中で作り上げた。
断っておくが私は自分の中にいかなる崇拝の対象物も作り上げてはいない。
しかし、自己満足の反対である自己嫌悪感も度が過ぎると危険
ではないかと思わせる手記の内容である。
彼の少年の場合は特殊事例なのかもしれないが。
そういえば、共時性と因果性について少し考えた。
共時性については光速を越える伝播速度を仮定することも
ありそうな仮説ではある。
もっと単純に、共時性となっている複数の場所で同時に起こっている
類似の現象が、時間的に早い時刻に起こった源となる現象からの因果に
よって起こった、と考えてはマズイのか?
254 :
1:2001/04/26(木) 13:25
>>進化段階2.4
>お読みいただけたであろうか。
もちろん。読ませていただいた。ありがとう。
今、私なりに感想、というか私見をまとめている。
もうしばらくおまちください。
1)まず最初に、疑って悪かった。そして貴方を試したことをお詫びする。
極めてバランスのとれた文章で、また共感できる部分も多く事実であること
が確信できた。特に
>第2段階のイニシエーションを受けた者はその後、自己満足という
>精神状態を採ることがほぼ不可能になる。
>気が狂い、自我が崩壊しないための安全装置を取り外したようなものである。
>思い出してみれば受けた直後は若干の自己満足感があったようにも思う。
>しかし、じきにそれは許されなくなった。
については、全く同感出来ると同時に、私にとっては少し耳にイタイ内容でもあった。
何故ならまだ私は時として自己満足に逃避しがちな部分が残っているから..。
(もちろん本当に自己満足に埋没することはもちろん許されないが。)
おそらく貴方はメンタルが1光線なのだと思うが、私は偶数系の光線が多く、
貴方の文章は共感出来ると同時に、私にとっては己の怠惰(一つの山頂に登った直後、
必ず慢心してしまう)をつくづく身に沁みて思い知らされるものであった。視点を過去
の達成に向けることは自己満足・自己欺瞞すなわちグラマーに他ならないのに。
256 :
鏡:2001/04/26(木) 22:31
2)そう、イニシエーションとは非人間的になることではない。
貴方の言うとおり、イニシエーションとは(真の意味において)より人間的になる過程である。
人が真に感情とはなにか理解できるのは第2イニシエーションの経験であって、
そのときになって、それまで「感情」と看做していたものが実は逃避であり欺瞞であり、
機械的反応であり、かつ環境によって限定されたものであったことを理解する。
>自分が見聞きしてきたあらゆる道徳、倫理規範が無力なものに思えてきた。
私と貴方はおそらくそう歳は離れていない。私は80年代にちょうど10代を過ごした。
私は23の時、あなたと同じ体験をもったわけだが、やはりその後の6@`7年でかなり意識は洗練され
てきた。またほんとうの意味で感情もより深化している。
>私の第2段階による意識の変容が果たして思春期から大人に至る変容という
>通常人なら誰にでもあるはずの変容と峻別できるか、というのが第1の困難。
また、
>今の私は第2段階のイニシエーションを受ける以前に比して
>1億倍感情豊かな人間である。
>しかし、これも大人になりいくばくかの人生の苦労を知ったからであろう
>と言われれば反論するのは困難だ。
これについては、全く同じであり、貴方がこのように書く訳も姿勢も心理も実に良く理解出来る。
少々驚きである。
257 :
鏡:2001/04/26(木) 22:32
3)第2イニシエーション後..
また、例えばナチスなどもいわゆる『秘教的なものの「非人間化」という誤読』という
闇のフォースの罠にかかった一例であろうけれども、その「非人間化」という陥穽に陥る危険は
2段階のイニシエーションで終わるわけではない。私の経験から見るに、2段階の直後にもその罠に
陥る危険な時期というのはおとずれる。
それは「直線的な進化観」であり、「霊」への偏向であり、まぎれもない逃避である。
また、男女関係などにおいて、イニシエーションで得たパワーを誤用してしまった苦い経験もある。
自分の経験から思うに、人が真に2段階のイニシエーションを昇華し、それを「物語化」し得るのは
いわゆる2.2段階と言われる段階であろう。そのとき本当の意味で、具体的に描く筆力がないのだが、
いわば「両極」を統合し得ることになる。どうしても抽象的な表現になってしまうが、
「霊」と「物質」の2項対立をこんどこそほんとうに止揚し、「霊」と「物質」の2元論で抜け落ちて
しまうもの(いわば「魂」)を物語り得るのである。これが本当の2段階のイニシエーションの完成
と言えるだろう。しかし、そんな統合もまた次の飛躍のため、再び分裂的な状況になり、またそれを
統合する経験をくり返す。そして2.4段階ぐらいの段階において、3段階のイニシエーションに対する
解らないなりの予感というものがうまれてくる。私に判るのはここまで(笑)
258 :
鏡:2001/04/26(木) 22:34
4)
>悩み事は青春期にありがちな友人関係や恋愛その他のごく普通にありふれたものであった。
>極度の人間不信、幻滅、絶望感が束になっておそいかかるような時期であった。
そう、私の場合も同様だった。
>とにかく逃げないこと。
>最悪の自己否定感、自己嫌悪感に身を投げ出し耐えるのだ。
自己嫌悪も自己満足も逃避にすぎない。それらは対となる感情体の両極である。
あのとき、私は自分の回りの環境を巻き込んで、あるいは共時的に外界とリンクしながら、
いわば「最悪のことを考えながらの自己嫌悪 」に陥っていた。
私は自分の「愛」ゆえにそこから逃げることが出来なかった。そんな外界との共時性のなかで、
統御できない想念の氾濫という最悪の状況から、自己嫌悪(自己満足)に逃避する己を統御し、
己の感情をコントロールする未知の状態に達した。そして、それは「愛」そのものの変容でもあった。
>急に解放されたような、閉塞した場所から広大な場所へ投げ出されたような感覚であった。
そう、それまで世界と認識していたものが閉塞した箱であったことが分かった。いわば洞窟から
明るい外界にでたような感覚。私は世界が重層的なものであることを悟った。
私の場合は昼だったが、その時、ずっと降り続けていた雨があがり急に雲間から陽光が差し込んで
来たことが印象深く思いだされる。
259 :
鏡:2001/04/26(木) 22:35
5)
あの体験いたる過程の期間、私は無意識の世界と接近していた。昼起きている時も、まるで夢を
見ているような感覚で、距離的に離れた場で起きていることが手にとるように感じとれた。それ
はまったく私の感情、私の暴走する想念の氾濫と共時的にリンクしていた。夜実際に見る夢も昼
の世界で起きる事と完全にリンクしていた。昼の世界で起きることの裏の面を見ていたといえる
かもしれない。毎夜、今にして思えば、覚者のアシュラムのような場所にいる夢も同時にみた。
もちろん夢であるから、それは歪曲されたものであるだろうが。
4)で述べた体験の日の夜、私は夢で宗教的儀式の舞台に立ち、キリストから(私はキリスト教
徒ではないが、夢ではそう認識した)杓のようなもので撃たれ、天から稲妻で身体を貫かれた。
その日以来、自分の体質、というか身体の波動のようなもの、もまったく違う感じになった。
>自分を称賛するのも自分自身、非難するのも自分自身となってしまった。
>真空空間、いや無重力空間と言った方がよいであろうか、
>そういうただ中に放り出された。
>自分が見聞きしてきたあらゆる道徳、倫理規範が無力なものに
>思えてきた。
>それらに対する懐疑、反発ではなく、圧倒的に無力なものと成り下がった。
>外界のあらゆるものに頼ることのできないまったくの無重力空間の中
>で新しい規範を自前で創造していく困難に立ち向かわされることとなった。
260 :
鏡:2001/04/26(木) 22:36
6)5)の続き
そう、面白いものであった。
>私は、崇高な理念、理想からまったく下世話、悪辣極まりない妄想まで
>なんのためらいもなく抱くことが可能となった。
>最高のことを考えながら自己満足に陥らず、
>最悪のことを考えながら自己嫌悪に陥らないのである。
そう、まったく同意できる。しかし、私の場合その体験の直後3)で書いたような失敗も
している。カルマの法則が前よりはるかに理解できるようになったのだが、同時にカルマ
の清算までの時間も早まった。例の体験を通じて、私は外界と共時的にリンク、ある意味
たしかに私がコントロールしていた、していたがため、私は戯れのように外界・他者を
コントロールしようとした。また、私は言葉がマントラム的効果を持つ事も理解したが
(「沈黙は金である」の真の意味)、同様の態度で言葉をもちいたこともある。
261 :
鏡:2001/04/26(木) 22:37
6)
2段階のイニシエーションまでは、いまにして思えば閉じた箱にすぎないものを、私は
全世界だと思っていた。
>まだ、先があるという確信が持てているということである。
>第2段階のイニシエーションを受ける前は先があることに
>確信は持てていなかった。
そう、先がある。かつての全世界は今となってはなんの魅力もない。下の言葉、私も
まったく同様である。
>五里霧中の中にいながら必ず抜け道があるはずだ、という心理状態である。
>自己満足ができないのなら当然のことなのかもしれない。
まだ、書いてないこともあるが今日はここまでにします。
共時性、サカキバラ事件についても次回。2.4段階氏も私の文に何か意見、感想等
あれば、ぜひまたコメントよろしくお願いします。
1改め、鏡
262 :
王陽明:2001/04/28(土) 06:00
陽明学はここかな
263 :
鏡:2001/04/28(土) 06:09
sage進行....
そうだったのか、、、
あなた(1=鏡)も第2段階のイニシエートだったのか、、、
それが事実だとすると千載一遇を越えるめぐり合わせということになる。
しかし、私はもうそれほど驚かないだろう。
上のレスで書いたように私はいかなる超常体験をしていないのであるが、
今後の人生においてもし、体験したとしてもさほど驚かないだろう。
これも第2段階のイニシエーションを受けた影響であると言えるだろう。
いわゆる奇跡というものについても同様だ。
不思議とそういうものに対して免疫ができてしまった。
あなたとのここでの邂逅も考えてみれば
超常現象の不思議さに劣らない、とてつもない偶然である。
まず、日本人の第2段階のイニシエートの絶対数が少なく、
クレーム氏の情報に精通している者も少なく、なおかつ
その中で2ちゃんねるにアクセスしている者も少ないだろう。
これを神様のお導きだと思おうと思えばそれも可能かもしれない。
私はあえてそうは思わないことを選択しよう。
だからと言って、決して感受性が鈍っているわけではない
私はそこまで年老いた人間ではない。
こういう感じ方も第2段階をいくばくか越えた人間の感じ方
の特性であるということが言いたいのである。
私の心の中で、奇跡や偶然や超常現象でさえも、
一つの凡庸な現実に過ぎない、そういった地位を獲得している。
それにしても、今こうしてあなたと2ちゃんねるを介して
コミュニケーションをしているわけだが、これは
対面のコミュニケーションではありえないことである。
これは少しシェアの内部事情についての話になるのだが、
ネット上で明かしてもそれほど問題ではないであろう。
伝導瞑想をする者はクレーム氏に進化段階や光線構造を
教えてもらうのが通常であるが、
それは個人の秘密とすることが強く推奨されている。
この文章を読む、シェアを叩きがっている人たちがこのことを知れば
秘密の教義や掟があるんじゃないかと疑いを持つことだろう。
しかし、強く推奨されているだけで、情けないことに
実際は破っている連中もたくさんいるのである。
また、破ったからといって特別の罰則規定があるわけではない。
秘密にすることが推奨されているのは、シェアがとりあえずは
新しい組織のあり方を模索しているからである。
組織内に序列や順位を設けないないための処置である。
ランク付けなどをしてしまうとどんな組織にでも生ずるであろうと
思われる派閥などができてしまう。
それを避けたいがための推奨である。
このことは舞都麗夜氏も例のスレで簡単に述べている。
しかし、個人的に思うのだけれども、進化段階も第2段階を越えれば
おそらくこのような問題は生じないと思う。
もっともその絶対数は少ないであろうから、結果的に
一律秘密にするのが正解なのだろう。
それでも、やはり私は誰かに告げたい衝動を持ち続けていた。
シェアの知人はもとよりこんなことはそれ以外の友人、家族にも
告げることができようはずもない。
私は2ちゃんねるで「王様の耳はロバの耳」的な欲求を満たしたいと思った。
その上で、第2段階のイニシエーションを受けたい熱誠家の方々は
私の体験を、気が向けば参照すればいいのである。
私が第2段階のイニシエーションを受けた状況について
もう少し詳しく述べよう。
実はイニシエーションの前にプチイニシエーションというべき
ものが2回あった。
イニシエーションを受けたのはある年の11月。
その同じ年の5月、6月にプチイニシエーションがあった。
プチイニシエーションとは?
実際のイニシエーションを受けるような体験がありながら
受けた直後からしばらくして元の状態に戻るのである。
そういう体験が2回あった。
クレーム氏の本を参照すると、イニシエーションを受けるのに
適切な星や星座の配列が揃っていなかったからだと
言えるのかもしれない。
あるいは、1光線、2光線上の人間(まさに私はそういう人間)
にとっては第2段階のイニシエーションがもっとも至難だと
いうことを示す実例であるとも言えるかもしれない。
あなたが似たような体験をしたかどうかはわからないが
これからイニシエーションを受けるであろう第2段階間際の
熱誠家の方たちにこのことを報告しておこう。
1度失敗しても同じ年内に2度はチャンスがあるらしい・・・
私は恐らく前世では1.99段階くらいで亡くなったのだろう。
それで、今世で少し人生に悩み始め、そのまま
なし崩しでイニシエーションを受けたのだろう。
今間際の熱誠家の方々、似たような体験があるならば、
来世にまで持ち越す必要性はないものと思われる。
しかし、私が体験した約半年間の体験はかなり激烈なものであった。
働いてもいない、扶養家族もなく、何の義務も責任もない
身分でなければとうてい不可能であったようにも思える。
成人してからだと完全に神経衰弱状態に陥っていただろう。
あなたの文章をそのまま引用させてもらおう。
>あの体験にいたる過程の期間、私は無意識の世界と接近していた。
>昼起きている時も、まるで夢を見ているような感覚で、
>距離的に離れた場で起きていることが手にとるように感じとれた。
>それはまったく私の感情、私の暴走する想念の氾濫
>と共時的にリンクしていた。
>夜実際に見る夢も昼の世界で起きる事と完全にリンクしていた。
>昼の世界で起きることの裏の面を見ていたといえる かもしれない。
>毎夜、今にして思えば、覚者のアシュラムのような場所にいる夢も同時にみた。
>もちろん夢であるから、それは歪曲されたものであるだろうが。
>4)で述べた体験の日の夜、私は夢で宗教的儀式の舞台に立ち、
>キリストから(私はキリスト教徒ではないが、夢ではそう認識した)
>杓のようなもので撃たれ、天から稲妻で身体を貫かれた。
>その日以来、自分の体質、というか身体の波動のようなもの、
>もまったく違う感じになった。
一読して文学的、メタファー的な文章にも読めるだろうが、
イニシエーションの体験の事実を極めて如実に描写されていると思う。
特に、キリストから杓のようなもので撃たれ、天から稲妻で身体を
貫かれた、というくだりはそのまま私の第2段階のイニシエーション
体験の描写である。
プチイニシエーションではそういうものまではなかった。
ただ、私の場合はキリストというよりは老賢人というたたずまいの者が
背後にいる、といった感覚であった。
私は第2段階のイニシエーションを受けてかなりしてから
知人からの紹介でシェアを知った。
初めに読んだ本は「マイトレーヤの使命第1巻」である。
例によって私も巻末の進化段階、光線構造リストに真っ先に
ハマリこんだことを告白しておこう。
加えて、英文も読める私はクレーム氏が著した原文も
読んでみることにした。
原文で読むのもなかなかの味わいだと思いつつ、ある発見をした。
なんと、昭和天皇の進化段階、光線構造が載っている!
これには驚いた。
日本語版ではリストから削除されているのである。
こんな情けない日和った(石川道子さん、ごめんなさい)編集は
いかがわしいカルト宗教のなせるわざではないと思うのだが
いかがなものだろう。
付け加えて言うと「マイトレーヤの使命第3巻」の日本語版では
第1巻で収録されていた明治天皇の進化段階、光線構造も
削除されている。
あなたにまだ語っていないことがある。
私は自己満足ができなくなった、許されなくなったと先のレスで書いたが、
もちろん自然とそうなったわけではない。
第2段階を受けてから今日に至るまでの私の生涯
(といってもたかだか10年足らずであるが)において
数々の失敗や挫折があった。
これは、第2段階のイニシエーションを受けたことによる慢心によって
もたらされた無謀さ、無鉄砲さによるものであった。
大学、就職、その他いろんな場面で確執や挫折を繰り返した。
それはもう、壮絶な挫折ぶりである。
いろいろ反省すべき点はあるが、私は自分のエゴのために無茶をした
という経験はほとんどなかったと言っても言い過ぎではないと思っている。
今振り返ってみると、失敗の原因は、私が不誠実な人間に対して
あまりにも冷酷非情な態度を貫いていたことである。
あなたも言うとおり、第2段階のイニシエーションを受けてまもなくは
危険な時期である。
それでも、私が悪人になり得なかったのは、結局のところ、親や兄弟、友人に
恵まれていたからだ、というよりほかはないだろう。
自身に異常な精神力があると自覚していても、周囲の善人を
裏切らなければならないほどの必然性はまったく感じられなかった。
とにもかくにも、数々の挫折のお陰で私は自己満足に甘んじること
はなかったのだ。
霊と物質の二元論についてはこう考えている。
実際に霊が存在する、実際に物質が存在する
ということもできるだろう。
舞都麗夜氏をはじめとするシェア擁護派の人たちはいつも
唯物論者とは話が合わない、直観が大事などと言っている。
私は彼らに同調するものの、このような表現を好まない。
まず、こういってしまうと議論がそこで終わってしまう。
そして、このような言い方は失礼に当たるだろうが
シェア擁護派の人たちも実はそれほど直観はないだろう。
要は、アプローチの仕方の相違に過ぎないと思う。
わからないもの、感じられないものに対してあるかもしれない、
あるいは、ないかもしれない、という思い方の違いだろう。
ないかもしれないと思っていても、唯物論的アプローチであっても
ここまでは確実に実証できるという線引きができれば
それなりに有益な結果は得られるだろう。
第2段階のイニシエーションを受けた私の印象を述べさせてもらうと
イニシエーションを受けたことによって
それまで直観だとか霊とか感じていたものの相対的な地位が上がり、
物質と感じていたものの相対的な地位が下がった。
目で見える、手で触れる現象に対して感じるリアリティのレベルが
相対的に下がったのである。
それに呼応して観念的なものに対するリアリティのレベルが
相対的に上がったのである。
この事実をどう見るか。
だから、シェア擁護派の人たちのようにやっぱり唯物論は
だめじゃないか、と言うべきなのであろうか。
私はそのようには考えていない。
確かに第2段階のイニシエーションを受けることでそれぞれの
感じられるリアリティのレベルの変化があった。
このことは、将来、つまり進化の旅路の将来において
今、霊的と感じリアリティのレベルが高いと感じているものの
相対的地位がより高次のもの(密教的に言えばブディとかモナド)
によって下げられるのではないか。
こんなことを言ってもしかたがないが、今、我々が神聖で崇高と
感じている観念的なものが、将来の進化の旅路において
今、我々が汚らわしいと感じているドロドロした物的なものと
同じくらい価値の低いものと感じられる、
そのようなときがいずれ私自身に訪れる・・・
そのような心理状態で、私は頑強な唯物論主義の人たち相手に
いずれ自分の中での価値の凋落の蓋然性の高い観念的なものをタテに
もっと直観的になれ、目に見えないものの可能性も考えろ
などと言う気にはとてもなれないのである。
繰り返し言うが、私は老成したものわかりのいい老人ではなく若者である。
結局のところ、霊と物質という対立はそれ自体実際に存在する
もの同士の対立というよりは議論のための一つのモデル
だとみなすのが妥当だと思えるのである。
さて、私はあなたに実体験に基づいて事実を語ってきた。
たった一つのことを除いて。
実は、私はクレーム氏に自分の光線構造及び進化段階
を教えてもらってはいない・・・!!!
>貴重なエネルギーを割いて情報を与えてくれたクレーム氏に申し訳ない
この気持ちはクレーム氏に教えてもらおうとする、その時既に生じていた。
しかし、クレーム氏の講演を聞き、伝導瞑想にも参加したことは事実である。
光線構造や進化段階を教えてもらうためにはそれなりの活動をするのが
スジだろうと感じていたので、めんどくさくて活動まではやる気が
なかった私は結局、教えてもらうのは辞退したのである。
もちろん、教えてもらうためだけに伝導瞑想に参加してすぐに
やめる不届きな者もたくさんいるにはいた。
しかし、私は辞退した。
私は本当に誠実な人間なのだ。
将来的に自分の進化段階を他人に語る自由を担保しておきたい気持ち
もあったのではあるが。
クレーム氏の本を読んで自分で勝手に語るぶんには何の問題も
ないだろうから。
申し訳ない。
私は、誠実な人間であるとともに
恐らく第1光線を持つ第2段階のイニシエートであり、
さらには、、、一流の2ちゃんねらーなのである。
煽り、騙り、諧謔を好む2ちゃんねらーなのである。
クレーム氏もこういう諧謔なら許してくださることだろう。
つまらん。
お読みいただいているであろうか。
あまりのイレギュラーなオチに気分を害されていないか
心配している。
私としてもネット上でホンモノの第2段階のイニシエートの
登場を見るとは夢にも思っていなかったので
ご容赦いただきたいところである。
クレーム氏に教えてもらっていない以上、私の正確な進化段階は
わからないので「進化段階2.4」というハンドルは返上させてもらう。
かわりにと言っては何だが「ヴァルカン」とさせてもらいたい。
言うまでもなく1光線を伝導する神聖な惑星の名称である。
4光線のマーキュリー、2光線のジュピターも捨て難がったが、
やはり稀少ということで1光線のヴァルカンにさせていただいた。
これも正確にはわからないのであるが、あなたの言うとおり
メンタル体が第1光線だと私は推測している。
とにもかくにもあなた(鏡=1)は私を第2段階のイニシエートと
推測された。
私が、私の進化段階とは関係なく、私の内面についてここでもう少し
語ることはあなたにとってマイナスとはならないだろう。
さて、ここで最近の私の心情について語ろう。
前レスで私は精神の変容後、知的好奇心の爆発を見たが、
最近はそれが薄まりつつあることを告白した。
これについてもう少し詳しく述べよう。
実際、考えるのに疲れた、ここにいる優秀な哲学研究者の方々
ほどには学力が優れていなかった、ということもある。
しかし、知識を得ることや考えることの意義を疑い始めた
ことも事実なのである。
ある時期から私は知識を得ることよりも、知識を得ないで
未知の対象物を眺め、自身の心の中でその対象物をいかなる過去の
記憶でもっても言語化せず、先入観に毒されずにただ
それを観察し、感じることができるか、
ということをし始めている。
前レスで述べたように、私は超能力者ではないので
いわゆる精神感応能力というものはない。
なのでただ見ていてもわからない。
後に学術書、事典などで観察した対象物のイメージが
でたらめであることもしばしばなのである。
「考えるな。感じろ」と言った映画俳優がいる。
クレーム氏はその著書でデカルトは
「われ考える、なんとなれば、われが在るから」
と言うべきであったと言っている。
どうやら考えないで何かを見抜くことが大事のようだ。
しかし、そうなるためには徹底して考えることが
必要であろうことも事実のようである。
それにしても、考えないで何かを感じると言っても
そんなことを続けていると自分が白痴になってしまったか
のような錯覚をおぼえる。
何か、自分が空虚でなんの意味もない存在のように思えてくる。
自分がからっぽになる、、、
考えるべきか、考えないべきか、それが問題だ。
>>ヴァルカン
>お読みいただいているであろうか。
>あまりのイレギュラーなオチに気分を害されていないか
>心配している。
もちろん読みました。全然気分害してないです。というか、
な〜んとなく、分かってた(藁
ちなみに私も同様。クレーム氏に確認はしていない。というか、
私のほうがあなた以上にシェアとの関わりは薄い。講演会に行って、伝導瞑想
も一年ほど..。活動はなんにもいていないし、顔見知りもいないに等しい。
いつも瞑想が終わると、椅子を片付けてまっ先に帰る人だった。
でも、光線構造は進化段階よりずっと難しいと感じる。五つのボディすべて判る
のはかなり大変なのではなかろうか?まぁ、私は光線はきちんと勉強していない。
いつも巻末のリストばっかり眺めていた。おそらく私は2@`4@`7はある。6はもしかしたら
副光線にあるかもしれない。あなたの文は面白い(私にとって)。何故なら
光線の違いが出ているから。
あと、「ジュピター」は私がもらいます。おそらく私は魂2だと思う。
あと、モーツァルトのジュピターが好きだから。
>未知の対象物を眺め、自身の心の中でその対象物をいかなる過去の
>記憶でもっても言語化せず、先入観に毒されずにただ
>それを観察し、感じることができるか、
>ということをし始めている。
これは私も同様。良くわかる!井筒俊彦とか読んだ事ありますか?
それから、デカルトは私にとっては2年前物凄くタイムリーな存在だった。
半年ほど、デカルトばかり読んでいた時期があった。デカルトに関しては
どうもクレーム氏に同意できない部分もある。彼はホントに読んで言って
いるのかな?と感じるときもある。デカルトのコギトは一人歩きしている
言葉なので、クレーム氏は世間一般で認識されているところのコギトについて
言っているのかな?まぁ、これについては次回書きます。
今日はとりいそぎここまで。仕事が一段落したらきちんとレスしたいと思う。
285 :
王陽明:2001/04/30(月) 12:16
●H・P・ブラヴァツキー
『シークレット・ドクトリン』『神智学の鍵』『沈黙の声』
●R・シュタイナー
『神智学』『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』『神秘学概論』『自由の哲学』
●G・I・グルジェフ
『ベルゼバブの孫への話』『注目すべき人々との出会い』『生は私が存在して初めて真実となる』
●P・ウスペンスキー
『ターシャム・オルガヌム』『奇蹟を求めて』『人間に可能な進化の心理学』
●J・クリシュナムルティ
『生と覚醒のコメンタリー』(1−4巻)
●K・ウイルバー
『意識のスペクトル』(1―2巻)『アートマン・プロジェクト』『無境界』
●C・カスタネダ
『呪術師と私』『呪術の体験』『呪師に成る』『呪術の彼方へ』『呪術と夢見』
『意識への回帰』『夢見の技法』『沈黙の力』『呪術の実践』
ナ~ニガイイテエダ?>>オオヨウメイ?
ベイリー、レーリヒトカハヨマンノカ?ア!アトユングモイレトケヤ!
暇をみつけて、少しづつレスします。>> ヴァルカン
まずは前回話題になった。デカルトについて。
デカルトが「我思う、故に我有り」といったとき、彼は「思う」という
言葉を「懐疑する」という意味で用いている。通常人が「思う」という
場合、実は本当には(デカルトが言う意味においては)考えていない。
それは生まれ育った環境などにより、限定されていて、機械的反応にすぎ
ないし、自己欺瞞に基づいているのが常である。
言うまでもなく、そこには自由はない。その人は自由に考えているつもり
であっても、それは機械的反応にすぎず、自由な我・真の我はありえない。
デカルトの言う「我思う」とは、様々なかたちで限定されている「自己」
「及び(機械的な)思考、(低位マインドといって良いのだろうか?)」
を徹底的に疑うような「思う」、「限り無く自己を限定しているものを
剥ぎ取り自由になろうとするプロセス」という意味においての「思う」
なのである。
2.3段階のイニシエートであった彼は、若いころ世界を放浪する旅に出て、
環境による限定が崩されていく体験の驚きを通じて、このような態度を
身につけたのだろう。そんな彼の書物は2年前の私にとって、極めて重要
なものだった。デカルトを読む事は私にとって瞑想だったのだ。当時は。
ただし、問題は彼もまた2段階のイニシエートであったということ。彼の
限界も進化段階に相当するものだろう。
クレーム氏は我々より上位のイニシエートであるから、我々には明示できない
デカルトの限界を良く理解したうえでの発言の可能性も大いにあるだろう。
私が上で書いたことぐらいはむろん、彼にとっては自明というか、その限界も
知っているだろう。あなたの言葉をそのまま引用すると、
>このことは、将来、つまり進化の旅路の将来において
>今、霊的と感じリアリティのレベルが高いと感じているものの
>相対的地位がより高次のもの(密教的に言えばブディとかモナド)
>によって下げられるのではないか。
>こんなことを言ってもしかたがないが、今、我々が神聖で崇高と
>感じている観念的なものが、将来の進化の旅路において
>今、我々が汚らわしいと感じているドロドロした物的なものと
>同じくらい価値の低いものと感じられる、
>そのようなときがいずれ私自身に訪れる・・・
という事なのかもしれない。が、クレーム氏がデカルトを良くはしらないで
(例えば若いころ読んだ記憶に基づいて)言っている可能性も否定できない
と思う。また引用させてもらうが、
>どうやら考えないで何かを見抜くことが大事のようだ。
>しかし、そうなるためには徹底して考えることが
>必要であろうことも事実のようである。
私にとってこのことにデカルトが(少なくとも2年前は)有効であった。
私が思うに、進化段階による限界とは「表現の限界」でもあるような気がする。
姿勢自体が間違っているわけではないだろう。この場合、逃げずに徹底的に
懐疑する姿勢、錯覚を徹底的に根絶やしにしようとする姿勢は、デカルトの主張も
秘教の教えも同じである。
>ある時期から私は知識を得ることよりも、知識を得ないで
>未知の対象物を眺め、自身の心の中でその対象物をいかなる過去の
>記憶でもっても言語化せず、先入観に毒されずにただ
>それを観察し、感じることができるか、
>ということをし始めている。
これは私も現在同様である。何故「知識を得ないで」なのか?
それは「記憶でもっても言語化せず、先入観に毒されずに」ないため。
ようするに錯覚を徹底的に根絶やしにするためだ。あらゆる限定を燃え尽くし、
自由な真の我を有らしめようとするためだ。
もちろん、それにはかつて私が消化したデカルトの言説に対する懐疑も含まれる
だろう。
P.S.昭和天皇の進化段階及び光線構造をぜひ教えてください。当分原書を購入しに
いく暇ないんで。
スレ違いかもしれんが、
『黎明』 葦原 瑞穂(著) 単行本 (2001/04/01) 太陽出版
本屋に平積みにされてたからつい立ち読みしてみたが、めっちゃウザイ。
明らかにベンジャミン・クレームがネタ元なのに、一言もそれには触れず、
さも自分の知識のように延々とまくしたてている。
これからこういう連中が増えてくるんだろうなー。
>ちなみに私も同様。クレーム氏に確認はしていない。
うーむ。率直に言って残念だ。
これで長年の疑問(本当に自分は2段階なのか)が解けた
と思っていたのに。
お互い様か。
まあ、今更それがわかったところで私の人生が大きく変わる
ということはないのだが。
これでここの書き込みが第2段階のイニシエーション体験であることを
担保するものはなくなってしまったか。
ハタから見ればクレーム氏の書物を読んでトチ狂ったパラノイアが
2人いる、とうつるかも知れない。
ちょうど今月、クレーム氏のジャパンツアーが始まる。
もし、ジュピター氏が今後も伝導瞑想を続けていかれるなら
クレーム氏に確認して結果を報告していただければありがたいが。
クレーム氏のお墨付きにばかり頼るのも情けない気もするが。
これも少し立ち入った話になるのであるが私にシェアを紹介した
知人はもちろん進化段階と光線構造をクレーム氏に教えてもらっている。
あるとき、その知人の自宅に招待された。
整理整頓の行き届いていない雑然とした部屋であった。
紙切れが落ちていた。
拾い上げるとそこにはその友人の光線構造と進化段階が・・・
当然私は、気付かなかったふりをした。
それにしても、ポストイットにサインペンとは、、、
名前を書いた筆跡情報のみから覚者(マイトレーヤ?)は
進化段階、光線構造を調べるらしい。
紙の裏から進化段階の数字が1.?と透けて見えていた。
トップシークレットのわりにはいいかげんなものである。
お陰で棺桶まで持っていくべき秘密をまた一つ背負わされることになった。
これも「王様の耳はロバの耳」だ。
元来正直者の私にとっては辛いことだ。
一つ面白かったのが、その時既に私はクレーム氏の著作を
かなり読み進んでおり自分自身やその知人の進化段階や光線構造を
ある程度推測したりしていたのだが、
進化段階はズバリそのもの、光線構造もその知人がいちばん多く
持っているだろうと予測していたものが的中していた。
私の人間洞察と進化段階理解、光線構造理解は
それほどデタラメではなかったようだ。
私自身の光線構造を知るいちばんの手がかりとなったのは
クレーム氏の著作だ。
と言ってもその内容ではない。
クレーム氏の著作の内容というよりもむしろその文体、語り口が
大いに参考になった。
クレーム氏の文章は非常に単純でわかりやすく、初めて読んだときから
私が文章を書く際にお手本としたいとまで思えた文章であった。
厳密には石川道子さんの日本語訳がそうであったのだが。
もし、同じ内容のことをクレーム氏とは全然タイプの違う
スポークスマンが文章化していたら、
私はここまでこの情報に興味を抱かなかったかもしれない。
そして、クレーム氏のフィーリングは私自身と
大いに共通するとを感じた。
クレーム氏は恐らく、1、2、4光線があるのだろう。
それで、私自身も1、2、4光線があると推測した。
ついこのあいだ、クレーム氏の新刊書
「大いなる接近−人類史上最大の出来事−」
を手に入れた。
375ページ以下を抜粋↓
@しかし、いつもにこにこしながら世界を歩き回り、
@殴ってやりたくなるほどの偽りの微笑を浮かべている
@“ニューエージタイプ”の人々がいます。(中略)
@「はい、はい、確かにあなたはそうですよ。そしてまた
@あなたはなんと嫌な奴だ!もっと現実的になりなさい、
@ありのままの自分でありなさい!」と言いたくなります。
穏和なクレーム氏の言葉から「殴ってやりたくなる」などという
言葉が出るとは意外。
でも、私と怒りのツボが同じだと思った。
密教的な活動をしていようがいまいが同じの人間の
やることはそんなに変わらない。
真摯なやつもいればイヤミなやつもいるものだ。
やっぱりこういう記述を見ても思うのである。
シェアがカルト宗教なら「殴ってやりたくなる」では済まず、
そのまま「ポア」や「断罪」にまでいってしまうだろう。
クレーム氏は相当忍耐強い方だと思う。
>講演会に行って、伝導瞑想も一年ほど..。
とにもかくにも1年ほど瞑想をしておられるのか、、、
私は5回ほどでやめた。
私がやめた原因は2つある。
1つは私の趣味に合わなかったから。
もう1つは伝導瞑想をのべ5回ほどやったのであるが
瞑想中に私自身にいかなる変化もなかったからである。
このようなことをヌケヌケと言うのもためらわれるのであるが、
クレーム氏の著作の伝導瞑想の章をきっちり読むと
その原因がわかるかもしれない。
どうやら進化段階も第2段階を過ぎるとそれ以前の者の最高の瞑想状態を
ただ起きているだけで実現していることが多いようだ。
思い返せば私の意識の焦点はみぞおちなどにはなく
眉間にあった。
もっと思い起こせば子供の頃以来、みぞおちに意識の焦点が
あったことはほとんどなかった。
たった5回程度の瞑想でこう結論づけるのは
早急に過ぎるかもしれないのではあるが、
つまり、私にとって伝導瞑想をする、というのは
一緒にグループ伝導瞑想の人たちにはプラスにはなっても
私にとってはプラスにもマイナスにもならない、ということだ。
そこまでの慈善家でも瞑想好きでもなかった私は、
まもなくこの活動との関わりをやめるようになった。
瞑想に参加せずに広報活動だけ、というわけにも
なかなかいかないだろうし、それほど
密教をまともに勉強しようとも思っていなかったし、
さらには、舞都麗夜氏のように生活のすべてを
この情報をもとに組み直すほどにまでは思わなかったからである。
まあ、そこまでの必要性はないのであろうが。
私は、関わるならそこまでやりたいと思うが
そこまでの決心はつかなかった。
>井筒俊彦とか読んだ事ありますか?
名前だけは聞いたことがあるが、読んだことはない。
デカルトについては「マイトレーヤの使命第2巻」
の第10章、第12章あたりにサラッとその発言が出てくる。
デカルト本人の場合は、確か霊魂の存在証明という文脈中での宣明であった
と思うので結局はクレーム氏と同様のことを感じていたのではなかろうか?
存在証明という性質上、クレーム氏のように天下り的に
言うわけにはいかなかっただけではないのだろうか。
まず、状況証拠から演繹的に埋めていく、ということでは?
クレーム氏の場合は、どうしてもよけいなことを考えてしまう
我々を諭すために、「考えると言ってもほとんどは機械的に
しょうもないことを考えているもんだよ」ということが
言いたいのだと思う。
過去の経験や知識をもとに言語化する、
そして、考える、考えないという私にとっての問題は、実は
>私の心の中で、奇跡や偶然や超常現象でさえも、
>一つの凡庸な現実に過ぎない、そういった地位を獲得している。
という以前の私のレスにおける私の態度にも関連している。
事実が凡庸であるか、偶然であるか、奇跡であるかは
実は、絶対的に、客観的に必ずしも言えるものではないと思う。
多くの場合、自分で勝手にこれは奇跡だとか、凡庸だとか
思い込んでいるのではないかと思う。
他人から見て奇跡に思えることでも、別の他人から見れば凡庸
であったり、その逆もしかり、だと思う。
なぜ、そのようなことが起こるのか。
やはり、人間というものはある年齢を過ぎると
不可避的に、過去に得てきた価値基準や科学的知識に基づいて
未知の現象を判断するようになるからだろう。
このあたりの議論は20世紀の哲学である現象学でも
なされているのではなかろうか。
なんでもかんでも疑っていてはキリがないけれども、
知識を得ることで感受性が鈍るようなことは避けたいと思う。
さて、クレーム氏の進化段階についてジュピター氏は
どう考えられているだろうか。
いろんな文献を見ると3段階以上であることは確実だ。
そして、「マイトレーヤと覚者方の再臨」の第2章「著者について」
の記述によると、30歳ころに第3段階のイニシエーションを
受けたのではないかと私は推測している。
その後、約半世紀で果たしてどこまで進化したんだろう?
>昭和天皇の進化段階及び光線構造
明治天皇(0.8)34467
6763
昭和天皇(1.4)76667
2423
原著「マイトレーヤの使命第2巻」には副光線も載っている。
それにしても、現人神が0.8とは。
やっぱり、天皇は日本の近代化のためにかなり恣意的に
政治権力に利用されていただけなんだな、と思う。
恣意的に利用した政治権力者の洞察は天才的だったとは思うけれども。
伊藤博文あたりは2段階を越えていたのだろう。
昭和天皇で1.4。
これから、だんだん上がっていくのか?
それとももう敗戦して人間に降格したから
今度は下降していくのか。
今の皇太子はそこそこ高いと推測するが。
2段階を越えているかは疑問だけれども。
ちなみにクレーム氏の著作の原著、その他シェアインターナショナルの
バックナンバー、それからいろいろなアイテムを手に入れるには
今月のクレーム氏の講演会が格好の機会。
別に講演を全部聞かなくても書物購入のためだけに
行っても構わないと思う。
これも少し内部の話になってしまうが、進化段階、光線構造が知りたければ
講演会当日後に開かれる懇親会や翌日に行われる公開瞑想会のときに
名前を記入した紙をクレーム氏に渡せば、翌年のジャパンツアー
のときには進化段階、光線構造が記入されて返却される。
>王陽明氏
ロムってばかりいないで何か言ってもいいのでは?
私は
・ アリスベイリー「トランスヒマラヤ密教入門全3巻」、
同「イニシエーション」
・ クリシュナムルティ「自我の終焉−絶対自由への道」
を読んだことがある。
クリシュナムルティの本の第2部−6章 「孤独について」に
>あなたがあるがままのものを見たとき、あなたは
>孤独を変容させる方法を発見することでしょう。
という言葉が最後にある。
これとクレーム氏の「クリシュナムルティは第1段階、第2段階の
イニシエーションの準備をさせるような活動をしている」という発言を
合わせると、クリシュナムルティの言う「孤独を変容させる方法」
は第2段階のイニシエーション体験ではないか、と思うのである。
私のイメージでは「孤独を変容させる」のとは少し違うのだが
恐らく同じことだろう。
クリシュナムルティは何度も何度も同じことばかり言って
具体的なことは歯に衣を着せたような言い方をしている
印象をもたれる方は多いと思うが、
たまに核心を突く、超具体的なことを言っているようだ。
ここではイニシエーションの体験によって孤独が変容するのだから
何か超常のものが天上から降ってくるようなイメージを
もたれる方も多いかもしれない。
少し違う。
いや、かなり違う。
天上から孤独を寂しいと感じさせない何か賑やかなものが
降りてくるわけじゃない。
このイニシエーション体験によって恐るべき精神力
が備わると上のレスで述べたが、
強い信念みたいなものが降りてくるわけじゃない。
むしろ、イニシエーションを受ける前の方が賑やかなのである。
「信念」的なものもその前の方がより激しいとさえ言える。
自分の中の騒々しい雑多の感情によって。
その、騒々しいが裡に淀んだ感情が人に
孤独感を感じさせるようだ。
イニシエーションの体験によってその騒々しいものが消え失せる。
消え失せると、自分の身近な身の回りの空間と何か
直接つながっているような感覚を覚える。
騒々しくも賑やかでもない。
自分の心の中のカベが消え失せて
身の回りにすぐに存在する何やら神の祝福めいたものが
自分の頭の中に流入する。
それでいて淀んでいない。
それが自身の頭の中に強力な力を供給する。
自然に存在する不朽、不滅の力みたいなイメージである。
自分でことさら気負って「信念」などをこしらえる
必要はなくなる。
頭を鎮めれば自動的に力が供給される。
供給されると言ってももちろんパイプラインで
供給されるわけではない。
なんとはなしに、頭に気力が入ってくるようなイメージ。
仏教でいうところの「空」に近いのではないだろうか。
ところでただの煽り上げと思ってあまり気にはしていなかったが
陽明学について少し調べてみた。
三島由紀夫が最晩年に陽明学に言及した文献が見つかった。
難解で完全には理解しかねるところであるが、
今のこの時代の日本にとって
タイムリーな話題なのかもしれない、と思った。
観念論的であることと哲学には行動が伴わなければならないこと
が陽明学の要のようだが、
日本の現状では陽明学的なものは死に絶えているようだ。
本気で私のこの書き込みを陽明学的と言うのであろうか。
確かに、私の言っていることは、主観的であり観念論的であり
さらには行動も伴うのが適当ともとれるかもしれない。
難しい。
ただ、私が唯一確実に言えることは、科学的には証明は
完全にはなされていないことであろうが、人間の持つ潜在的な精神力は
恐るべきものがあるということである。
異常な精神力と言うのは決してまやかしや幻などではない。
そしてその異常な精神力が世界史を形造ってきた。
また、書き過ぎてしまった。
ちょっとおだてられると調子に乗るのが私の悪いクセだ。
これだけ長文を書くと何かとんでもない勘違いを
書き込んでいるのではないかという不安が
いつも頭の中にわきあがってくる。
とりあえず、下げレスだとそんなに荒れないのは安心だ。
>>230 どう?
あなたのレスに発奮したところが大きいんだけれども。
>ヴァルカン氏へ
自分が第2段階だとかなんとか思いこむのは勝手だけれど、
>>301のようなことを書いて、人々にクレーム氏の貴重な時間を奪うような
助言をするのはどうかと思うよ。
>名無し太郎氏
シェア内部の方だろうか。
軽率な書き込みをしてしまったことは謝罪します。
でも、私は、大丈夫だと思う。
試みに2chサーバー監視所でいったいどれくらいの人数が
この哲学板にアクセスしているのか調べてみた。
今の時間帯(深夜1−2時ころ)がピークアクセス数で
だいたい1時間に60アクセス。
1日の平均だと1時間あたり50アクセス程度だと思われる。
とすれば、哲学板へのアクセスは1日約1200アクセス。
その中でこのスレを見ている者は恐らく100分の1もいないだろう。
このスレは常時20位以下にあるし、
場合によっては100位以下のときもあるから。
すると、このスレへのアクセスは1日10アクセス程度。
私が
>>301の書き込みをしてからクレーム氏の東京講演まで約10日間。
同じ者がダブって見ている可能性は高いものの、
私の書き込み後、クレーム氏に接触できるまで
のべ人数にして約100人が
>>301を見たと仮定しよう。
その中で私の書き込みを見て、いい情報を見つけた!と思って
ノコノコ、クレーム氏のところまで行く人間は
これまた100人に1人程度いるかいないかだろう。
やっぱり、このスレはクレーム氏の本にある程度精通していないと
なんのことかわからないし、シェアも普通の人間の集まりであるし、
いきなり初訪問でずけずけクレーム氏のところへ
進化段階教えろ、なんて言いに行くのは相当非常識な人間のやることだから。
というわけで、この書き込みに触発されて
クレーム氏の下へ行く人間はいてもせいぜい1人程度じゃないかと思う。
長々と詭弁とも自己正当化ともとれるレスをして申し訳ないが
本当に心配ないと私は思う。
幸か不幸かここの板のこのスレの影響力は極めて小さい。
IT革命などと華やかなことが一時言われていたが
ネットによって現実社会が大きく影響を受けるなんてことは
まだまだ先の話なんだと思う。
それでも、講演当日に不都合があったら言って下さい。
事後的で申し訳ないが
>>301は削除依頼に出します。
とにもかくにも、あなた(名無し太郎氏)は
私の書き込みを熱心にお読みになっているようだ。
>自分が第2段階だとかなんとか思いこむのは勝手だけれど、
こんなことを言わずに感想、意見があれば言って欲しい。
わざわざ、下げレスで底に沈んでいるスレを掘り起こして
ご覧になっているわけだから、
私の書き込みが笑止千万の無価値なものとまで
思っておられるわけでもあるまい。
どのような批判でも構わない。
本当に何を言ってもらっても結構です。
〉〉309@`310
>いきなり初訪問でずけずけクレーム氏のところへ
>進化段階教えろ、なんて言いに行くのは相当非常識な人間のやることだから。
>というわけで、この書き込みに触発されて
>クレーム氏の下へ行く人間はいてもせいぜい1人程度じゃないかと思う。
貴方の言わんとすることは分かりました。
ただ、「相当非常識な人間」は意外と多い。ということに加えて一言余計なことを
言っておくと、見ず知らずの人の光線構造を確認するのは、たとえクレーム氏であっても
相当な時間とエネルギーを費やすものだということです。
毎年講演会が終わるたびに寄せられる大量の光線構造を確認するために日本にいる間
ほとんど不眠不休で働いておられるらしいです。
確認はすべて覚者を通して行われるので、その分だけ覚者の貴重な時間を奪うことにもなります。
以上のことを読んだ上で、それでも自己を知るためにどうしても必要ということであれば
どうぞ。
ちなみに、現在光線構造を確認できるのは「最低半年以上定期的に伝導瞑想を継続して行っている人」に限られています。
>私の書き込みが笑止千万の無価値なものとまで
>思っておられるわけでもあるまい。
>どのような批判でも構わない。
>本当に何を言ってもらっても結構です。
「弟子の段階は自己の周囲の環境を統御する能力によって測られ、
イニシエートの段階は世界に対する奉仕の大きさおよび周囲の人々への影響力によって測られる。」
あなたはこれまでの人生で世界に対してどれほどのことを為しましたか?
ちなみに、あなたの主張なさる2.4段階のイニシエートとは以下のような人々のことです。
ソクラテス、アリストテレス、プラトン、シューベルト、シュバイツアー、JFケネディ、
ド・ゴール、ピカソ…
>名無し太郎氏
>現在光線構造を確認できるのは「最低半年以上定期的に
>伝導瞑想を継続して行っている人」に限られています。
そうなのか。
私は5年以上前にシェアとの直接の関わりをやめた。
その当時はほとんどフリーパス状態で講演会終了後といえども
そんなに大量の依頼があるという状態ではなかった
と記憶しているが。
大量の依頼があるということは、クレーム氏にとっては酷な話だが、
それだけシェアの間口が広く、カルトなどとは程遠い集団
であることの証左となるのではないか。
過剰に厳かであったり、カルト色が漂っていようもんなら
そんなに気軽に進化段階、光線構造を尋ねようとは
しないだろうから。
私が言う筋合いではないが、私はいっそのことこのサービスは
やめにしてもいいんじゃないかと思う。
進化段階を教えてくれなきゃ、伝導瞑想も広報活動もやらないよ、
なんて人にまで間口を広げる必要はないんじゃないか
と私は思ってしまうが。
話は少し変わるが、シェアの活動をされている方に
少し意地の悪い(かもしれない)質問をしたい。
「マイトレーヤの使命第3巻」の429ページに
解釈のしようによっては恐ろしいことが書いてある。
@質問「あなたが肉体を去って、地上にもはやおられなく
@なった後、誰があなたの仕事を続けるのでしょうか。」
@答「私は戻ってくるでしょう。」(1996年7月)
こんな質問をする方もする方だが、クレーム氏の答も
さすがである。
あなたはこの問答をどう受け止めておられるのだろうか?
ただでさえ、マイトレーヤの大宣言の日程は遅れている。
この答を真に受ければ、50年や60年の遅れは
誤差の範囲とも受け取れる・・・
このことばかりクローズアップしてしまうと
明らかな偏面報道であり、妥当ではないが、
覚者方の時間の感覚、降臨の思惑は
地上に生きる者の知りあたわざるところのようだ。
もっとも、クレーム氏の主張だとそれは人類の側に
準備ができていない、責任がある、ということに
なるのではあろうが。
もちろん私は、仮に大宣言があと50年以上遅れて
私自身が生きている間にそれがなされなくとも、
クレーム氏が大嘘つきだなんて思いはしない。
でも、通常の人間の感性なら自分が生きている間に
大宣言があると思えるからこそこの情報を信じよう
という気になるのではないだろうか。
だから、マイトレーヤの大宣言が早くなされるべく、
みんなで広報活動をするべきなんです!みたいな
言い方はしないでほしい。
あなたみたいに信じてついていっている人たちは
それでよくても、まだ信じる前の人にとっては
自分が生きている間に本当にあるかどうか
わからない大宣言を信じろというのはちょっと
無理のある話だろう。
あなたは、あと50年間大宣言がなされなかった
場合についてどう考えておられるのか?
それでもやろう、というのはまさしく殉教者的美学
とでもいうべきものを要するのではないか?
お答えいただきたい。
>あなたはこれまでの人生で世界に対してどれほどのことを為しましたか?
目立ったことは何もしていない。
目立たない社会人として普通に日常生活を送っている。
>あなたの主張なさる2.4段階のイニシエート
始めに少し細かいことを言わせてもらいたい。
実のところ、私は恐らく2.4ではなく、2.1か高くても2.2
くらいだと思っている。
2.4はただの思い付きだ。
2.5以上だと詐称するには私には力不足なのと、
進化段階リストを見てもわかるように
2段階の中でも2.5以上になると急に少なくなる。
詐称するなら2.4くらいが面白いと思って書いたまでのこと。
いずれにしても相当高く見積もっていることには
変わりはないのであるが。
ついでに言うとヴァルカンというハンドルもご愛きょう。
実際は1光線はないかもしれない。
さて、ここからは私が進化段階という通常ではなじみのない概念を
どうやって理解していったか述べよう。
まず、なんと言っても、前レスで相当詳しく描写したが、
私は非常に衝撃的な内的変容を体験した。
これも私自身の内面のことなので言ってみるだけ、
ということになってしまうが、
これが2段階であるかどうかはともかく
クレーム氏の言うところの「疑う余地のない」
「非常にすばらしい圧倒的なもの」で、
「体験していてそれに気付かないということはありえない」、
そういう体験であったことは確実なのだ。
当時の私はこの「すばらしい圧倒的な体験」の正体を
説明してくれる心理学や哲学や宗教に渇望していた。
シェアを知る前にも、原理研、オウム、統一教会、、、
その他を少しかじったりもした。
あまりほめられたことではないのだが。
そうこうしているうちにある知人からシェアを紹介された。
まもなく、私はクレーム氏の著作に心酔した。
何が決め手になったのか。
上でも何回も言っているが、シェアにカルト臭が
まったく感じられなかったからだろう。
やたらお金がかかったり、偏狭なイデオロギーに
縛られたりしていなかったからであろう。
いわゆる精神世界、オカルト、宗教、、、
そういった分野ではクレーム氏の著作に
全幅の信頼を置くようになった。
数字好きな私は進化段階や光線構造の章に
ハマったのであるが、やはりかなり
違和感のある概念であったことは間違いない。
実を言うと、私が進化段階という概念を初めて
知ったとき、先の「すばらしい圧倒的な体験」は
1段階のイニシエーションに間違いない、と判断した。
それがいちばん妥当だろう、と当時は思った。
しばらくして、伝導瞑想やらシェアの集まり、
クレーム氏の講演会等に出るようになった。
その関わりを通じてなんとなくわかったことがある。
どうやら、このシェアのメンバーの中には
1段階半ばの者が相当数いるらしい、ということである。
私はてっきり、内面への傾倒が始まる0.7、0.8
くらいがほとんどなのかと思っていたが、
クレーム氏に既に自身の進化段階を聞いたという人
の話し振りなどを聞いていると
どうやら1段階半ばのものが相当数いることがわかった。
もちろん自分の進化段階を相互に漏らすわけにはいかないが、
話し振りを聞くとそう判断せざるをえなかった。
ちなみに先のレスで偶然知ってしまった私の知人も
1段階半ばである。
このことに私は少し当惑した。
1段階半ばというのは2段階より低いものの、
それでも大した進化段階である。
日本人だと手塚治虫、湯川秀樹、、、
ほとんど日本人で最高の知性の持主である。
目の前にいるこの人たちは本当にそんなに進化しているのか?
素直に驚いた。
また、別の感情も湧きあがった。
あなた(名無し太郎氏)と同様、疑念である。
そんなはずはないだろう!、と。
それと同時になんて傲慢な人たちだ、とも思った。
考えてみるがいい。
この集団(シェア)は歴史上の偉人に進化段階というランク付けを行い、
しかも自分たちを手塚治虫、湯川秀樹、、、らと同レベルだ
と言う教祖(クレーム氏)のもとで啓蒙活動を行っている、
と外部から見えてもおかしくはないだろう。
そういう進化段階を教わった時点で、教祖が自分を
引き込むためにわざとおだてて高めに進化段階を
教えているんじゃないか、と疑ってこの活動から
離脱する選択もあってもいいんじゃないか、とも思った。
私にシェアを紹介した知人は実際、私よりも
数段階、うぬぼれの強い人間であった。
私をハナから1段階以前の人間と決め付け
恩着せがましく教えをたれるような人物であった。
ま、それはいいのだが、とにかくちょっと
うぬぼれの強い集団だな、と思ったのである。
言ってみれば、あなたたちは、自分たちが相当程度
(1段階半ば)であることを前提に、
例えば世界に対する奉仕が大事だのと言って
啓蒙活動を行っているとも言えるわけだ。
相当な自信家のなせるわざだ。
そこであなた(名無し太郎氏)に逆に問い返したい。
あなたは私に何を為したか、と問うたが、
シェアにいる1段階半ばの方々はそれほど
大したことを為したのか?
クレーム氏に進化段階を教えてもらって、伝導瞑想をやって
広報活動をやってるだけじゃあ、密教関連に詳しい者は
納得できるかもしれないが一般人には到底納得できない。
お答えいただきたい。
しばらくして、彼らシェアの人々との少しの付き合いを通じて
自分はこの人たちと意識の深さの面においてそんなに
劣っていない、と確信するようになった。
1段階半ばの方々にそんなに劣っていなくて
なおかつ、先年、イニシエーションを受けたのであれば
あれは、1段階ではなく、2段階ではないか、
そう思うようになった。
私自身それをなかなかすぐには信じることはできなかった。
しかし、1段階半ばの人間が目の前に多数いたことを
考えるとそんなに信じ難いというほどでもなくなった。
なぜなら、あの当時で1段階は80万人、2段階は24万人、
3段階だとぐっと減って2、3000人。
つまり、1段階以上の者で5人に1人は2段階なのである。
3段階だと500人に1人でかなり少ない。
とすると、目の前にいる何人かの1段階半ばの人たちと私、
この中で5人に1人は2段階と考えてもおかしくはない。
もちろん感情のコントロール等の内面上のことも
根拠となっている。
非常に長くなったが、以上の考察を経て、
私が体験したあの「すばらしい圧倒的な体験」は
2段階のイニシエーションだと私は結論づけた。
長過ぎたのでまとめよう。
1.私には「すばらしい圧倒的な」内的体験があった。
2.シェアには1段階半ばの方々が相当数いた
3.私はこれらの人々と比してそんなに劣っていない
4.1段階以上を占める2段階の割合は5分の1にのぼる
5.感情のコントロール等の内的事情
これらを総合して私は2段階のイニシエートだろう
と結論づけた。
それがいちばん矛盾の少ない結論だと思った。
この推論中、特に2.の事実の重要度が高い。
なので
>>319の疑問には答えていただきたい。
繰り返しになるが、私がここで2段階だと主張する以上に、
1段階半ばの方々は相当な自信家だと思えるのである。
>弟子の段階は自己の周囲の環境を統御する能力によって測られ、
>イニシエートの段階は世界に対する奉仕の大きさ
>および周囲の人々への影響力によって測られる。
これはクレーム氏の著作にしばしば出てくるフレーズだ。
実生活で格別の影響力を持っていない私が2段階であるはずは
なかろう、とあなたは言いたいのだろうと思うが、
これをよく読むと、3段階ならともかく、2段階なら必ずしも
それは必要条件ではないように思う。
加えて、有名でないから高段階のイニシエートではない、
ともクレーム氏は頻繁に言っていると思う。
それに私はまだ若い。
平均寿命まで生きたとしてあと50年ある。
どうなるか、まだわからない。
こんな長文を書いておきながら言うのもなんだが、
私は自分が2段階だ、などと強く主張するつもりは
まったくない。
そんなことをしても何のメリットもない。
今現在、密教とは縁もゆかりもない非常に実際的な
業務に私は携わっている。
私が2段階だからと言って業務がうまくいくわけでもない。
むしろ逆だ。
私が2段階ではありえない確実な証拠があれば
誰か与えてほしい、とさえ思ったりもする。
あきれ返ったことに、最近、私の心の中に
ノーブレスオブリージュのような心情が
湧き起こり始めている。
まったくノーブルでもなければ富も権力もないのに。
これも年をとったということだけなのか。
それとも、2段階という意識状態のなせるわざなのか。
私は自分がはいて捨てるほどいるしょうもない人間だ
ということがわかればかなり安心感を持つことができる
ことは間違いない。
と、いうわけで、別の角度からこういった私のグラマーや
イリュージョンを破壊してくれるレスを期待しています。
ヴァルカンさん
レス読ませていただきました。
まず最初に、
あなたが「自分が2段階だ、などと強く主張するつもりはまったくない」
のと同様に、
私はあなたがそのように主張しても異議を唱えるつもりはありませんし、
そんな権利は誰も持っていません。
また、たとえそれがグラマーやイリュージョンだったとしても、
それを「破壊する」ようなことを言うつもりもありません。
というより、それは不可能です。
グラマーの霧を晴らすことができるのは自分自身の魂の光のみだからです。
グラマーというのは、他人から指摘されて消えることはありません。
逆にそれはしばしばグラマーをより強めることにもなります。
こういう書き方をすると、私があなたの思いをグラマーだと
決め付けているように聞こえるかもしれませんが、そんなこともないです。
「自分より進化した人間を測ることはできない」という密教の公理のとおり、
私にはあなたを「測ることができない」だけだという可能性もあり得ます。
さて、
次の箇所を読んで少し認識のズレを感じました。
>でも、通常の人間の感性なら自分が生きている間に大宣言があると思えるからこそこの>情報を信じようという気になるのではないだろうか。
>だから、マイトレーヤの大宣言が早くなされるべく、みんなで広報活動をするべきなん>です!みたいな言い方はしないでほしい。
>あなたみたいに信じてついていっている人たちはそれでよくても、まだ信じる前の人に>とっては自分が生きている間に本当にあるかどうかわからない大宣言を信じろというの>はちょっと無理のある話だろう。
意図的に乱暴な言い方をされているのだとは思いますが、
「信じる前」の「通常の人間」に対して、
「大宣言を信じろ」とか
「広報活動するべきだ」などと言えるはずがないではありませんか?
(そもそもこの話について単純に「信じる」「信じない」という
二者択一的思考で括ってしまうことにも違和感を感じますが。)
この話を受け入れるのも拒絶するのも、広報活動するのもしないのも、
「生きている間に大宣言がありそうだから信じよう」というのも、
「なさそうだから信じない」というのも(奇妙な理屈ですが!)、
完全に各人の自由意志の問題です。
>あなたは、あと50年間大宣言がなされなかった場合についてどう考えておられるのか? それでもやろう、というのはまさしく殉教者的美学とでもいうべきものを要するのではないか? お答えいただきたい。<
ヴァルカンさんのおっしゃるとおり、覚者方の時間の概念は
我々のそれとはまったく異なりますから、
たしかに50、60年は誤差の範囲なのかもしれません。
ただ、世界情勢を眺めていると、現在の危機的状況に
それほどの時間的余裕があるとも思えないのも事実です。
大宣言とまではいかなくとも、マイトレーヤが公に姿を
現さざるをえない状況は差し迫っているという気がします。
私個人に関して言えば、あと何年大宣言がなくとも、
たとえ私が死ぬまでマイトレーヤが公に姿を現されることがなくとも、
為すべきことを為していくだけです。
ヴァルカンさんが自分を第2段階だと思うに至った理由、
興味深く読ませていただきました。
興味深いと思ったのは、
私にもあなたとまったく同じことを主張する友人がいたからです。
その友人も、自分を第2段階だと信じ、伝導瞑想は行わず、広報活動もせず、
(しないことが悪いとかすべきだと言っているのではありませんよ)
伝導瞑想している人々がそんなに進化段階が高いとは思えないとか、
クレームに洗脳されたうぬぼれが強い集団だとか言っていました。
たぶん、クレーム氏の本の読者の中にはそういう人々が
他にもけっこういるのだと思います。
>そこであなた(名無し太郎氏)に逆に問い返したい。 あなたは私に何を為したか、と問うたが、シェアにいる1段階半ばの方々はそれほど大したことを為したのか? クレーム氏に進化段階を教えてもらって、伝導瞑想をやって広報活動をやってるだけじゃあ、密教関連に詳しい者は納得できるかもしれないが一般人には到底納得できない。 お答えいただきたい。<
伝導瞑想は(規則的に、正しく行うならば)非常に強力な奉仕活動です。
ヴァルカンさんなら、そのことは理解できると思います。
しかし、なぜそれを「一般人」に納得させなければならないのでしょうか?
ヴァルカンさんの、伝導瞑想している人々への批判には、
もっともな部分もあります。
誰もがグラマーを持っています。
グラマーがなければもっと効果的に奉仕できるでしょう。
しかし、少なくとも、この情報を信じていながら、
自分の進化段階について夢想するばかりで、
何もしないよりは、はるかに建設的ではないですか?
(もちろん伝導瞑想だけが奉仕の方法ではありません。)
また、ヴァルカンさんはグループの人々のおおよその進化段階を知って、
彼らが手塚治虫や湯川秀樹並みのレベルには思えなかった
というようなことを述べていますが、それはもっともです。
手塚の進化段階は1.6、湯川は1.7です。
ということは、彼等はすでにメンタル偏極が始まっていました。
ご存知だと思いますが、
同じ第1段階でも、メンタル偏極が始まる前と後では天と地の
差があります。(その境目はおよそ1.5−1.6段階です。)
ジュワル・クール覚者によれば、いったんメンタル偏極が始まると
その人の奉仕する能力は100倍にも高まるといいます。
伝導瞑想グループの人々は、(個人差はありますが)
多くが1.3−1.4前後、つまりメンタル偏極以前の、
アストラル偏極の状態にいます。
メンタル偏極が始まっている人は、いることはいてもごく少数だと
言われています。
1.3前後というのはある意味でグラマーがもっともひどい時期です。
自分のグラマーをおぼろげにでも自覚するようになるからです。
(それ以前は、グラマーの中にどっぷり浸かっていて、グラマーの
存在に気づきさえしません。)
一般的な観点からグループの人々を見ると、
各々の光線のグラマーの表現が強調されているために、
かえって「一般人」よりも「劣っている」(笑)ようにすら思われる
場合もあります。
だから、あなたの思いの根拠である2と3の理由は
私にはあまり説得力を持ちません。
あなたのように思っている人は大勢いるからです。
(私の友人もそうでした。)
しかしそう思っている人々がすべて第2段階のイニシエーションを
受けているとは思いません。
また、根拠の1の神秘体験についてですが、
正直に言って私も同じように強烈な神秘体験
(この言葉は好きではないのですが、
というのは何も「神秘」ではないので)
といってよいものをしたことがあります。
私の世界観を根本的に変えてしまうような内的体験でした。
だからヴァルカンさんの記述を読んで、共感するところが大きかったのです。
しかし、その「体験」は第2イニシエーションではありませんでした。
なぜなら、私は第2イニシエーションを受けていないからです。
私以外にも、私の周囲には似たような内的体験をした人々は何人もいます。
しかしクレーム氏によれば、彼等は誰も第2イニシエーションを受けていません。
だからヴァルカンさんもそうではない、と断言するつもりはありませんが、
私自身の経験からは、あなたの神秘体験が第2イニシエーションであるという
主張には懐疑的にならざるをえません。
ところで、
自分の進化段階を知ることがあなたにとって
本当に大切ならば、
なぜそれをクレーム氏に確認しないのですか?
>私が2段階ではありえない確実な証拠があれば誰か与えてほしい、
とさえ思ったりもする。<
ならば、クレーム氏が来日する今こそ絶好の、そしてもしかすると
最後の機会かもしれません。
(彼が来年も来日するという保証はどこにもありませんから。)
クレーム氏がこの「サービス」をしている理由の一つは、
自分自身についての弟子達のグラマーをぶち壊すためです。
自己卑下も自己過信も共にグラマーです。
ヴァルカンさんが、弟子道を真剣に歩む意志があるならば、
曖昧なままにしておくのではなく、
はっきりさせたほうがいいのではないですか。
こんなことを言うのは無責任かもしれませんが、
あなたが<本当に>それを必要としているならば、
きっと教えていただけると思いますよ。
>名無し太郎氏
まず始めに丁寧なレスをいただいたことについて
礼を言わせてもらう。
ありがとう。
しかし、やっぱりなんというか、あなた(だけではないのだろうが)
の言い方にはかなり違和感、いや、不快感を感じる。
やむを得ないことなのかもしれないのだが、あるいは、
あなたにとってそれが正しいことなのかもしれないが、
あなたの語り口全体にある一定の際立った傾向がある。
うまく言えないが、あなたの言い方は
クレーム氏の提供する世界観(こういう言い方を
好まれないとは思うが)をそれが世界の全体であることを
自明のものとして語られている。
さらに進んで、私がクレーム氏の提供する情報に信頼を
置いているからと言って、私の世界観の全体が
その、クレーム氏の提供する世界観に包含されること
を前提とした話し方をなされている。
それが、私にとって極めて不快に感じる。
いや、こういう言い方をされて不快感を感じるのは
私だけではないだろう。
私自身としては、たとえクレーム氏とともに
活動しているからと言って
自分の世界観の全体をクレーム氏の提供する世界観へと
包含させてしまう必要性は少しもないと思うのだが。
かなりわかりにくい言い方かもしれない。
私自身はクレーム氏の提供する情報は非常に有益だと
思っているだけで、私自身の世界観全体を
クレーム氏の提供する世界観全体へと包含させてしまう
というほどまでには思っていない。
また、その必要性もないと思っている。
将来的にそうなることもないと思っている。
あくまで一つのありそうな世界モデルとして
言ってみれば参照しているという状態だ。
聖書を読んで礼拝に行かない、あるいは、
コーランを読んですぐに豚肉を食べる。
そのようなことをしてもなんの不都合はないだろう。
それらについての理解が浅いということにもならないだろう。
確かに、クレーム氏の提供する情報はかなりの程度
普遍的で、全体を包含しうるものであることは認める。
しかし、だからと言ってそれに信頼を置きながら
全体だと認知する必要性もないと、私は思うのである。
>(そもそもこの話について単純に「信じる」「信じない」という
>二者択一的思考で括ってしまうことにも違和感を感じますが。)
あなた自身、二者択一的思考で括れないと言っているではないか。
そうであるなら、あなた自身のことはいざ知らず
それ以外の人(例えば私)に関することまで
クレーム氏の提供する世界観を前提として
語るのおかしいのではないか。
おかしいというよりは、失礼ではないか。
私は何もクレーム氏の提供する世界観を世界の全体
として捉えているわけではないのに、
あなたのような言い方をされると
「あなたにもいつかわかるときが来る。
いまはグラマーだらけでわからないだけだ」
と繰り返し言っているようなものだと思うが。
と言うより、そのように受け取られても仕方ないと思うが。
あなたが心の中でそう思うのは自由だが
これだけ長いレスをそういうスタンスで語られると
多くのものはかなりの不快感を感じることだろう。
>こういう書き方をすると、私があなたの思いをグラマーだと
>決め付けているように聞こえるかもしれませんが、
>そんなこともないです。
申し訳程度にこんなことを言われても不快感を
助長させるだけだと思うが。
>と、いうわけで、別の角度からこういった私のグラマーや
>イリュージョンを破壊してくれるレスを期待しています。
これは単なる言葉のアヤなんだよ。
>意図的に乱暴な言い方をされているのだとは思いますが、
>「信じる前」の「通常の人間」に対して、
>「大宣言を信じろ」とか
>「広報活動するべきだ」などと言えるはずがないではありませんか?
この部分はあなたを少し侮った言い方であった。
あなたがクレーム氏に洗脳されているだけの人であれば
こう答えるだろう、と予測しての発言。
申し訳ない。
>「生きている間に大宣言がありそうだから信じよう」というのも、
>「なさそうだから信じない」というのも(奇妙な理屈ですが!)、
それほど奇妙な理屈ではないと思うが。
人間というものは時間的に遠い、というだけで
その事実を意識から完全に消してしまいがちなものだろう。
私はこういう判断をする者がいても少しもおかしくはないと思うが。
>ただ、世界情勢を眺めていると、現在の危機的状況に
>それほどの時間的余裕があるとも思えないのも事実です。
>大宣言とまではいかなくとも、マイトレーヤが公に姿を
>現さざるをえない状況は差し迫っているという気がします。
あなたがこう思うのは自由だと思うが、ここらあたりは
クレーム氏の提供する世界観から大きなバイアスを
受けているのではないか、とも思う。
確かに、世界が容易ならざる状況にあることは認めるが、
このことを前面に出されてもまったく説得力を感じない者
も多いだろう。
でも、簡単に論じれる問題ではないのでこれについて
話すのはもうやめにしたい。
>しかし、少なくとも、この情報を信じていながら、
>自分の進化段階について夢想するばかりで、
>何もしないよりは、はるかに建設的ではないですか?
これは私に対する批判なのであろうか?
私がここで2段階だと息巻いていることにあなたは不快感を
感じておられるのかもしれないが、
私は別に進化段階について夢想ばかりしているわけではない。
先ほども言ったとおり、この情報を信じつつ
自分自身の世界観をクレーム氏の提供する世界観に
包含せしめる必要はないではないか。
あなたにとって伝導瞑想が建設的ならそれでよかろう。
>自分の進化段階を知ることがあなたにとって
>本当に大切ならば、
>なぜそれをクレーム氏に確認しないのですか?
大切ではない。
遊び心でここに書き込んだだけだ。
上のレスでも言ったとおり、最近の私は
重度の2ちゃんねらーである、というだけだ。
それで参考にできるところは参考にしてほしい、
と思っているだけだ。
あなたがたからすれば不快かもしれないが。
>>私が2段階ではありえない確実な証拠があれば誰か与えてほしい、
>とさえ思ったりもする。<
だから、これも言葉のアヤなんだよ。
>ヴァルカンさんが、弟子道を真剣に歩む意志があるならば、
>曖昧なままにしておくのではなく、
>はっきりさせたほうがいいのではないですか。
これも同じことだが、何も私はクレーム氏の言う
弟子道を歩もうなどとは思っていない。
クレーム氏流にいうところの「弟子道に相当するであろうもの」
を追求しようと思っているだけだ。
「曖昧なままにしておく」というのとも少し違う。
>こんなことを言うのは無責任かもしれませんが、
>あなたが<本当に>それを必要としているならば、
>きっと教えていただけると思いますよ。
だから、本当には必要とはしていないのだよ。
本当に必要であれば、フリーパスの時分に
教えてもらっていたよ、きっと。
ここまで長々と私の神秘体験をここで語ってきたわけだが
今となってはそれほど重要でもない。
信じてもらえないかもしれないが。
あなたがたからすれば不快千万かもしれないが、
私はここでクレーム氏の提供する書物の解釈(のようなもの)を
述べているだけだ。
あなたがたからすれば、世界はエマージェンシー的な
状況であるから、こんなところでこの情報を
面白おかしく語るべきではない、ということかもしれない。
あなたがたは確かに真摯に活動されているのだろう。
しかし、何も真摯に生きているのはあなたがただけではない。
荒っぽく言えば、先進国対第3世界という対立図式において
先進国が自己満足状態に陥っている、というような
主張をあなたがたはなされることが多いが、それでも、
先進国住民でクレーム氏の情報に無関心で
真摯に生きている者も多数いることは事実である。
そういう者にとって、あなたがたが感じるエマージェンシー性
に対して無理解でここでクレーム氏の情報について
面白おかしく語ることは何ら問題はないと思う。
あなたがたのやっていることは一種の啓蒙活動である。
改めて言うまでもないだろうが、あなたが正しいと思っていることを
私やその他の人々が正しいと思わなければならない、
ということはないし、そのことで、あなたがた流に言って
われわれが「霊的に劣っている」ことにもならないだろう。
少し卑怯な言い方かも知れないが、
誰も耳を貸さない状態が常態だと思って活動するのが当然だと思う。
いや、プライバシーに抵触しなければ非難、批判の嵐に
なってもやむをえないと思う。
たとえ、ここでの私たちの書き込みに不快感を感じても
それを押し殺して当然だと思う。
(ま、2chだからそれでも、何を言っても構わないとは思うが。)
頼むから、私の世界観をクレーム氏の提供する世界観
に包含せしめて、それを前提として語るのはやめてほしい。
そのことを理由にあなたがクレーム氏に洗脳されている、
とまでは私は判断しないが、極めて不快感を感じるのと、
この情報を知らない者が見ればやはり洗脳された人たちだ
と解釈するだろう。
ひいては、あなたがたの広報活動において
クレーム氏の情報の説得力を失わせることにもなろう。
あなたもそんなことは百も承知だ、とおっしゃられるだろうが
世に多くあるいわゆる啓蒙活動に参加なさっている方々には
啓蒙の中身よりも活動そのものに心酔している者も多い。
自分を不可侵の安全なポイントにおいて他者に説教をたれたり、
攻撃的になったりする、そういう者も多いのだよ。
あなたはそこまでではないだろうが、あなたの語り口には
そういうニオイを少し感じた。
それとも、
>1.3前後というのはある意味でグラマーがもっともひどい時期です。
>自分のグラマーをおぼろげにでも自覚するようになるからです。
>(それ以前は、グラマーの中にどっぷり浸かっていて、グラマーの
>存在に気づきさえしません。)
にあるとおり、
あなたのその語り口はここで述べられているグラマーの
影響でどうしようもないことなのか?
私にはそんなに困難なことではないと思うのだが。
どちらかと言えば、あなたが不快感をアラワにするなら
わかりやすくやってもらった方が面白いが。
一見して理路整然と言われるのは私はあまり好まない。
どうやら、私とあなたでは、言葉で何かを語るという手法の
あり方がかなり異なっているようだ。
私自身は単に思ったことを書きなぐる、という語り方しか
やってこなかったし、それしかできないのであるが。
あなたの場合は理論や理屈が先行しているように思える。
もちろん、説得力さえあればどんな書き方をしても構わないが。
あなたに私が感じた不快感が伝わることを望む。
>>327のようなことはあまり思い及ばなかった。
参考にさせてもらおう。
>だからヴァルカンさんもそうではない、と断言するつもりはありませんが、
>私自身の経験からは、あなたの神秘体験が第2イニシエーションであるという
>主張には懐疑的にならざるをえません。
ここまで書いてきていてなんだが、
私は2段階ということにそんなにこだわりはないのだが、
もしよければ、あなたの「神秘体験」なるものも
語っていただけないだろうか。
ジュピター氏も語ってくれた。
できるだけ多くの実例をどこかにでも参照できるように
することはそれなりに価値のあることだと思うので。
長々と苦言を述べた後で言うのもなんだが
あなたとは泥仕合にならないコミュニケーションが
取れることを望む。
「クレーム氏の提供する情報に全幅の信頼を置きながら
それが提供する世界観に自分の世界観を包含させない」
あなた方々から見ればこういうスタンスは
とんでもなく傲慢で卑怯に感じられるかもしれないが
私は決してそうは思わない。
もし、これを傲慢だと言うのであれば、
「シェアは宗教だ」ととられても仕方がないと思う。
もちろんこれは外形的に
伝導瞑想をやる、やらない、あるいは
広報活動をやる、やらない、
そういうレベルの話ではなく、
この情報に対する内心の意識の姿勢みたいなものなので。
念のため。
私と名無し太郎氏だけが話し合っていても埒があかないと
思うのでジュピター氏の登場を期待する。
それまで私はレスを控えることにする。
おまたせしました(藁
どうも、ジュピター(1)です。
>ヴァルカン氏&名無し太郎氏
ホントは今仕事がめっちゃ忙しく(寝る時間もない)2chなんてやってちゃ
いけないんですが少しだけ..。
>>ヴァルカン氏
私はあなたと名無し太郎氏とのやり取りをロムしていて、あなたと私が同程度の
進化段階であるということが、かつての推測からほぼ確信に変わった。
ということは、
A:二人とも2段階のイニシエート
B:二人とも勘違いのドキュソ
のどちらかということですね(w
ただし(!)ヴァルカン氏の方が、名無し太郎氏より進化段階は上とは判断した。
(というのは言うまでもなく、あくまで私の自由意志に基づく私の判断ですが)
仕事でハイになっていて悪ノリしそうな予感(藁
>>名無し太郎氏
メンタル偏極&アストラル偏極云々から..
>1.3前後というのはある意味でグラマーがもっともひどい時期です。
>自分のグラマーをおぼろげにでも自覚するようになるからです。
>(それ以前は、グラマーの中にどっぷり浸かっていて、グラマーの
>存在に気づきさえしません。)
>一般的な観点からグループの人々を見ると、
>各々の光線のグラマーの表現が強調されているために、
>かえって「一般人」よりも「劣っている」(笑)ようにすら思われる
>場合もあります。
まで、
これは、確かに正しいです。 が、ヴァルカン氏の質問への答になってないことに
気が付かないだろうか?ヴァルカン氏はあくまであなた方のグループのグラマー
を指摘したのだと思うのだが..。もっとも目立つ例を挙げさせてもらったが、
あなたのヴァルカン氏へのレスは一時が万事この調子でまったく噛み合っていない。
グラマーについて(1)
また、あなたは慇懃無礼な態度(藁)で、次のように述べておられる。
>自己卑下も自己過信も共にグラマーです。
>グラマーの霧を晴らすことができるのは自分自身の魂の光のみだからです。
あなたはグラマーについて、確信的に断言した。だから(というのも変だが)私も
私なりに グラマーについて思うところを述べようと思う。
もっとも厄介かつ、気付きづらいグラマーとはどのようなものか?それは一見すると
理知的に見え、決して感情的に見えない文体及び語調の底にある、限定であり、閉ざ
された世界観である。このようなタイプのグラマーの場合、同じグラマーを共有して
いない相手と議論になっても決して噛み合うことはない。なまじ感情的に見えない分
たちが悪いグラマーである。宗教板のシェアスレッドが悲惨な結果を迎えたのもそこ
に原因の一つがあるだろう。ヴァルカン氏が的確に指摘している。
>あなたの語り口全体にある一定の際立った傾向がある。
>うまく言えないが、あなたの言い方は
>クレーム氏の提供する世界観(こういう言い方を
>好まれないとは思うが)をそれが世界の全体であることを
>自明のものとして語られている。
グラマーについて(2)
宗教板でそうであったように、このようなグラマーは人を非常に消耗させる。2chの
ような場おいては非常に感情的なレスや別方向のグラマー剥き出しのレスや、荒らし
にあうのが当然だろう。また、このような場合相手側の別方向のグラマーは直ぐ感じ
とり指摘できるものだが、自分の側のグラマー(限定)に気付くことは極めて困難だ。
また、普通2段階に達していない人は、2段階のイニシエートならそのような噛み合わ
ない議論、及びその原因である相手側のグラマーに対して不快感を覚えたり、消耗し
たりしないだろうと推測するかもしれないが、それは誤りであるということも付け加
えておこう。イニシエーションとはなにも無感情になることを意味しなく、むしろそ
の逆である。むしろ1段階のイニシエートよりも遥かにストレートに(ここが重要)、
かつ遥かにパワーをもって怒りまたは不快感を表明するだろう。
また「消耗」についてであるが、これは2段階を経て、霊的偏局にいたる進化の重要
な乗り越えるべきテーマの一つの気がする。2段階のイニシエーションはまだ予備段階
のイニシエーションである。実際2段階を経たばかりのイニシエートにとって、一番目
に付きまた、彼に暴力のように襲いかかるのは1段階のメンバー主体のグループのグラ
マーである。私はここ2@`3年シェアを含む2つのNGO及び1つのグループに境界線上から
関わってきたが、この経験は重要なレッスンになった。
グラマーについて(3)
余談だが、2段階直後には過剰に謙虚というか、悪く言えば少し自信を失ったようになる
時期がある。この時期こそ周囲の1段階そこそこの連中が調子に乗りやすい時期でもある。
が、いつの日か彼もストレートな(!)怒りをもって乗り越える時がくる。
セザンヌは晩年述べている、
「同時代に重要な画家は二人いる。モネとルノワールである。が、(所詮)ルノワールは
パリの女を描いた画家であり、モネは凄い目をもっている。が、(所詮)目だけだ。」
このセザンヌの言葉がどうしてイニシエーションと関係があるのかと訝るかもしれない。
が、同じ経験をした者にとっては他人とは思えないほどに良く判り、爆笑できるエピソード
なのだ。
(第2)イニシエーションの特徴
>>ヴァルカン氏及び名無し太郎氏
イニシエーションと神秘体験の関係、というか区別について話がすすんでますが、
いままで触れてこなかった部分があることに気付いたので、
1.カルマの解消を伴う。
というか、その過程において明確にイニシエーションの準備者は明確にカルマの解消を
自覚しカルマヨガ(そんな言葉をしらなくても)を自発的に行う。絶対に逃げない。
2.統合の体験。
これについては前にも述べた。結果「両極」が統合される。両極の対の片方を、
決して逃避せず、極限にまで押し進めた結果極限において反転するというパラドックス
によって「両極」が統合され、変容・変性が起こる。
3.結果、洞窟から開かれた世界に出る。
これも前に述べた。略
4.(あくまでも私の場合)オーバーシャドウを伴う
これについては、あくまで私の場合。私は自分の自由意志で「意志」の器になった。
他の人はどうだろう?>>ヴァルカン氏どう?
すくなくとも誰でも、「意志」に自由意志で身をゆだねるのではなかろうか?
これらがなければイニシーションではなくただの神秘体験であろう。間違えようがない。
余談)
>>ヴァルカン氏(
>>307)
>
>>230 >どう?
>あなたのレスに発奮したところが大きいんだけれども。
コレハ。。1(スレ立案者)の自演でした(藁
今日はここまで。
補足
>>名無し太郎氏(
>>328)
>私の世界観を根本的に変えてしまうような内的体験でした。
>だからヴァルカンさんの記述を読んで、共感するところが大きかったのです。
それはただの神秘体験でしょうね。というのはイニシエーションであれば、
「世界観を根本的に変えてしまうような内的体験」とは言わないはずだから。
イニシエーションとは「世界観が変わる(根本的だろうとなんだろうと)」体験ではなく、
むしろ「世界観」とやらの外に出る体験(他にうまい表現が思い付かない)だから。
あと、ヴァルカン氏の引用だが、
>あなたの場合は理論や理屈が先行しているように思える。
ようするにあなたの場合、秘教の理論がグラマーの温床なんですよ。
>>ヴァルカン氏(
>>336-341)
>大切ではない。
>遊び心でここに書き込んだだけだ。
私も、遊び心でこのスレ立てた。
>上のレスでも言ったとおり、最近の私は
>重度の2ちゃんねらーである、というだけだ。
オレモナー
>それで参考にできるところは参考にしてほしい、と思っているだけだ。
>私はここでクレーム氏の提供する書物の解釈(のようなもの)を述べているだけだ。
私も同様。
>誰も耳を貸さない状態が常態だと思って活動するのが当然だと思う。
私もそういう覚悟が足りないと思う。>>シェア。結果、
>クレーム氏の情報の説得力を失わせることにもなろう。
ということ。
今日はここまで。
ヴァルカンさん
どうも私の言い方がまずかったようで
不愉快な思いをさせて申し訳ない。
「ですます調」で書くとどうしても慇懃無礼に
なってしまうので(たぶん私のメンタル体の光線の
グラマーだと思う)、今回は「である調」で行く。
あなたは私があなたの「世界観の全体が
クレーム氏の提供する世界観に包含されること
を前提とした話し方」をしていると指摘された。
確かにそう聞こえたかもしれない。
それが不快に思われたことについては謝る。
もちろん、あなたに特定の世界観を押し付けるつもり
などない。
ただ、ここがクレーム氏の情報に基づいて語られている
場なので、それを前提とした話をしただけだ。
ただ一点。
>少し卑怯な言い方かも知れないが、
>誰も耳を貸さない状態が常態だと思って活動するのが当然だと思う。
>いや、プライバシーに抵触しなければ非難、批判の嵐に
>なってもやむをえないと思う。
>たとえ、ここでの私たちの書き込みに不快感を感じても
>それを押し殺して当然だと思う。
こういう言いかたこそ傲慢だとは思わないか?
「信じていない」側には不快感の表明も攻撃や非難も正当化されるが、
「信じている」側はそれを黙って耐え忍ぶべきだ、というのは?
>名無し太郎氏
>>353にお答えしよう。
既に、
>>338と
>>339の前半で簡単に述べたつもりなのだが、
もう少し詳しく述べようと思う。
>少し卑怯な言い方かも知れないが、
>誰も耳を貸さない状態が常態だと思って活動するのが当然だと思う。
>いや、プライバシーに抵触しなければ非難、批判の嵐に
>なってもやむをえないと思う。
>たとえ、ここでの私たちの書き込みに不快感を感じても
>それを押し殺して当然だと思う。
結論から言えば、これは断じて傲慢ではない。
ただし、残酷、非情ではあると思う。
繰り返しになるが、あなたがたの活動は啓蒙活動だ。
啓蒙とはなんなのか?
品悪く言えば、アカの他人に自分の考えを押し付けること、だろう。
あなたがたが押し付けるつもりはない、とその都度
表明されていることはもちろん知っている。
しかし、そのアカの他人の立場に立つとどうだろう。
ポストにビラが入っている、立て看が立っている、
書店に関連書物がたくさんある、、、
その他いろいろ、平穏無事な日常を脅かすネタを
提供しているともとられうるのではないか。
だから、あなたがたが自分の考えを世間に
表明してはならない、と言っているのではない。
あなたがたがいくら口で押し付けではないよ、
と言ってみたところでそのアカの他人からは
あなたがたの広報活動の一挙手一投足がもう既にウザイのである。
その情報が面白くない人にとっては。
現に、
>>290であなたも書店でウザイと感じているではないか。
内容が盗作であるかどうかはこの際関係ないよ。
それにあなたがたの情報はニュートラルな情報ではなく、
啓蒙であり、人の良心に訴えかけるものであり、
ウザサの点では最高レベルである。
ということは、あなたがたが無言でただ書店に本を
置いたり、立看にビラを貼るだけで、一部の人間を不愉快にさせ、
そういう人からすれば批判したい、という欲求も当然生まれるのである。
あなたはこれをどう思うのか?
それくらいいいじゃないか、と思うのか。
いい情報を提供してやっているんだから構わないじゃないか、と思うのか。
あなたがたが強制、押し付けはない、と言ってみたところで
既にあなたがたの存在自体が一部の人間を不愉快にさせうるのである。
しかも、その原因はあなたがたが、あなたがたの自由意思で勝手に
信じている事柄によってであるのである。
ウザがる側に原因も責任もゼロだ。
とすると、そのウザがったぶんの批判、誹謗、中傷に
ついてはあなたがたは黙って堪え忍ぶべきだろう。
それがプラスマイナスゼロになった時点で
あなたがたは反論を開始する、というのが公平というものであろう。
果たして、それがどこからか、という判断は極めて困難ではあろう。
2chでの中傷書き込みレベルだと余裕でプラスマイナスゼロを
越えるとも、いや、越えないとも言えるだろう。
それから、啓蒙活動という性質上その内容の正しさの立証責任
は100%あなたがたにあるだろう。
刑事訴訟法でいうところの検察官と被告人との関係と同じだろう。
つまり、100%、あなたがたがその正しさを立証できるまでは
誰も信じない状態が常態だと思って、その立証が成功するまでは
信じるあなたがたが、信じない大多数の者に話を合わせて
話すべきなのである。
あなたがたには検察などとは比較にならないほど権力とは
無縁だろうから、そういう意味でこの原則を採用せよ、
というのは残酷だ、という気はする。
しかし、傲慢ではない。
加えて、あなたがたの啓蒙の内容はなんであろう。
「分かち合い原則」、「先進国の自己満足打破」、「密教的世界観」、
「マイトレーヤと覚者方の降臨」、、、
どれもこれもかなり困難な理想である。
例えば、歴史上、憲法のないところに憲法を打ち立てる、
あるいは、議会のないところに議会を打ち立てる、
あるいは、民主主義のないところに民主主義を打ち立てる
といったような、今では当たり前の原理、制度が
受け入れられるまで、いったいどれほどの
血が流されたことだろう。
あなたがたがやろうとしているのはこれらすべてを
ひっくるめてもまだあまりあるくらいの啓蒙活動だ。
こんなことが簡単に実現できるわけがない。
それでも、あなたはあなたなりの理想を持って
クレーム氏らに共感したのだろう。
「あなたなり」というところが重要だ。
クレーム氏や覚者方が言い出しっぺかもしれないが、
彼らに同調する選択をしたのはあなた自身であろう。
それとも、強制的に隷属させられているのか。
違うだろう。
あなたは、あなた自身の自由意思による判断で
そういう困難な理想を持ったのである。
先のあなたの発言はこの途方もない理想に比して
あまりにも小さなこだわりであり、
泣き言にしか聞こえないということもできよう。
もちろん、これも残酷、非情なことである。
しかし、傲慢ではない。
もう、ここらあたりでいいだろう。
簡単に言おう。
もちろん、あなたがたには誹謗中傷に反論する権利はある。
しかし、それを反論する側とまったく同等の量、質
で行えるなんて思うのなら、それこそ傲慢だ。
最初に啓蒙とか言って議論をふっかけている側が
不利な立場からスタートさせられる、というのは当然だろう。
念のために言っておくが、啓蒙の内容が正しいか、
間違っていようがこの際関係ない。
たとえ100%の真実であろうともこうあって当然だ。
>ジュピター氏
あなたに助けを求めておきながらこう言うのもなんだが、
宗教板でのシェアスレのごとく多数で1人を攻撃している
ような図式に持って行きたくない。
なので、私は、しばらくあなたにはレスをしない。
あなたには第三者的立場で私と名無し太郎氏の
発言の感想やおかしな点などを述べてもらえればありがたい。
もちろん、あなた自身が名無し太郎氏に語りかけること
は別に構わない。
そのときは、私も第三者的に感想だけ述べさせてもらう。
ただ、
>>350にだけ答えたい。
1.、3.、4.は私もまったく同様だ。
2.はちょっとわかりにくい。
価値の相対化みたいなことをおっしゃっているのだろうか。
例えば、絶対的な善、悪の概念から相対的な善、悪の概念への意識変革。
同じ現象でも見る人、時、場所によって善にも悪にもなりうる。
そのように、自分の中のすべての価値判断を相対的に行うようになる。
これでいいのだろうか?
>名無し太郎氏
>>354−
>>359では、あなたにかなり批判的なことを言った。
しかし、私はこうも思う。
傲慢であろうとなかろうと、方法がエゲツナイものであろうとなかろうと、
結果的にその啓蒙なり、理想なりを世に広めてしまえることができれば
それが勝利である、という気も私にはするのである。
自分にとって本当に大事なことであれば、なりふり構わずやるしかないだろう。
以前、話題に上ったプチイニシエーションについて
私の場合はそのようなプチイニシエーションはなかったと記憶している。
ただ、かなり前の記憶であるから、自分のなかで記憶を整理していて、
あったことを忘れている可能性もある。
しかし、一般的にはプチイニシエーションは珍しいものではないようだ。
参考文献
河合隼雄「明恵、夢を生きる」
この本はユング派の夢分析の立場から明恵上人が遺した膨大な「夢の記」
を分析した書物。秘教的には明恵の(おそらく第2段階の)イニシエーション
の過程をおった書物ともいえる。この中にプチイニシエーションの記録も出てくる。
また、この書物には新羅の華厳宗の名僧義抄及び元暁(字は違うかも..)の
エピソードも出てくるが、この2人のうち少なくとも、義抄は第2段階のイニシエート
と思われる。彼のエピソードは私の23の時の経験そのものです。
>ヴァルカン氏
一般論としては、あなたの言うことは正論だと思う。
批判攻撃するななどと泣き言を言うつもりは毛頭ない。
そういうものはあって当然だろう。
ただ、
>たとえ、ここでの私たちの書き込みに不快感を感じても
>それを押し殺して当然だと思う。
と平気な顔で言えるあなた自身を自分で傲慢だとは感じないか?
と言いたかっただけだ。
そしてその傲慢さが、自分を「第二段階のイニシエート」などと呼ぶ
厚顔無恥な姿勢につながっているのではないかと感じたにすぎない。
まあ、あなたも自分でその主張を「どうでもいいこと」だと言っている
とおり、こちらも聞き流せばいいことで、多少なりとも真面目に
語りかけようとした私がバカだったと思う。
バカついでにもう一言だけ真面目に言っておく。
>しかし、私はこうも思う。
>傲慢であろうとなかろうと、方法がエゲツナイものであろうとなかろうと、
>結果的にその啓蒙なり、理想なりを世に広めてしまえることができれば
>それが勝利である、という気も私にはするのである。
>自分にとって本当に大事なことであれば、なりふり構わずやるしかないだろう。
私は、そうは思わない。
「目的は手段を正当化する」という発想は、かつての共産主義国家と
同じ過ちを繰り返すだけだ、と考えるからだ。
覚者方が決して人間の自由意志を侵さない理由がそこにあると思う。
さて、私は「遊び心」の議論に付き合うほど器用ではないので、
もうここには来ないことにする。
あとは「ジュピターさん」と二人で「遊び心トーク」を続けてください。
>名無し太郎氏
もう来ないとは言っておられるものの、あなたはきっとまた
ここをのぞき、ここをロムし続けられると思うので、
名無し太郎氏とのやりとりで私が、そして恐らくジュピター氏も
感じていたであろうことをもう少し詳しく述べたい。
>>たとえ、ここでの私たちの書き込みに不快感を感じても
>>それを押し殺して当然だと思う。
>と平気な顔で言えるあなた自身を自分で傲慢だとは感じないか?
>と言いたかっただけだ。
これは名無し太郎氏のおっしゃることがごもっともだと思う。
>>354から
>>359を書き込んだ私自身、そう思う。
こんなことを真面目な顔をして言える者は厚顔無恥で傲慢なのか、
それとも、本物の偉大なイニシエートのいずれかだろう。
正直なところ、私も、実生活でこんなことを他人に言えるほどの
胆力はない。
じゃあ、なぜ、こんなことを書いたのか?
私が傲慢で厚顔無恥だからか?
私にまったくそういう面がない、とは言わないが、それは違う。
私は、傲慢にもこんなことを書いたわけじゃない。
また、器用な遊び心で、真摯な人間のあげ足とりをしたり、
詭弁を弄してあなたを論破したかったわけでもない。
実際のところ、私自身の素直で率直な疑問がその淵源だ。
私はあなたの内面をもう少し詳しく知りたかっただけなんだよ。
密教用語などで固いベールに包まれているあなたの内面を
率直に聞いてみたいと思ったのだよ。
詳しく述べよう。
あなたは一度謝罪してくれているので、蒸し返すのは気がひけるが
別にあなたをおとしめたいわけではないので
過去レスでのやりとりを少し振り返ってみたい。
ここでもう一度
>>317から
>>319を読んでほしい。
>>317で「素直に驚いた。」と言った。
この驚きは今でも私の心の中で新鮮だ。
実際、人間というのはわからない。
偉大なことをなす人間の心の働きも謎であるし、
平凡なことをなす人間の心の働きも謎といえば謎だ。
また、平凡かと思った人間がとてつもなく偉大であったりもする。
私は、これからも新しく人間と出会うたびにこんなことを
思い続けるのだろうと思う。
私はここで、2段階のイニシエートだなどと書いたが
実は本当にそうなのか、まだ、わからない。
たとえクレーム氏に尋ねて、クレーム氏作成の進化段階を
目の当たりにしても、ここで私が言った
驚きや疑問の気持ちは残り続けただろうと思う。
と言って、あなたに誤解しないでもらいたいのは、あなたが
>>329でおっしゃっているような、
>曖昧なままにしておくのではなく
というわけでもないのである。
また、
>>326でおっしゃっているような
>夢想するばかりで
というわけでもないのである。
単純に驚きや疑問みたいなものが私の内面から拭い去れないのだ。
もちろん進化段階についてだけじゃない。
唐突だが、私は夜空を眺めて感慨にふけることがある。
月並みに気に入っている星座はオリオン座やカシオペヤ座、
北斗七星、シリウス、、、
単純に言えばよく見える星座ばかりだが。
子供の頃もよく星座を見ていた。
あのとき見たあの星座を今夜も見ることができるなんて、、、
何度同じ星座を見てもその都度新鮮な気持ちでそう思ってしまう。
何度も言っているが老成しているわけではない。
少し、詩人のような気取ったことを言ってしまった。
上で言っている私の疑問や驚きはこれと似た感情なのだよ。
その疑問があなたのような人には「曖昧」だとか、「夢想」だとか
「建設的でない」とうつっているかもしれない。
結果的に、そういう思いに埋もれて具体的に積極的な行動に
出るまでにいたらないことも多いので
ハタから見れば同じことかもしれない。
そこで、
>>317、
>>318、
>>319なのである。
もちろん、あのときのあの文脈における、あなたに対する
売り言葉に買い言葉という気持ちもあったことは認める。
しかし、純粋な疑問があったことも間違いない。
上の方のレスで、私はシェアを少しかじってやめたようなことを
述べたが、
>>317のようなことが未解決なままの疑問として残っていた。
もちろん、自分の進化段階うんぬんも疑問ではあったが、
なんというかあまり逡巡なく(と言えるのかどうかわからないが)
シェアの活動に没頭しておられる方々の内面もまた疑問だったのである。
ここまで読んでいただければ、あなたは
>>326、
>>327の解答は
私の疑問へのストレートな解答にはなっていないことを
わかっていただけるのではなかろうか。
私はあなたに「前密教的な」、「メタ密教的な」解答を
期待していたのである。
にもかかわらず、あなたは自分たちの進化段階を
あたかも天与のもののごとく、それを前提として解答されている。
だいたい、あなたは
>>311で私への問題提起として
2段階であるということの証拠として、具体的に世界に何を為したか
という、(密教論理ともとれるが)密教論理外の解答を
私に求めたのであろう。
まあ、私は密教論理外の解答をうまく与えることはできなかったが。
それでも、私は自分の内的体験については赤裸々に語ったつもりだ。
驚きなのはそのことについてあなたからの具体的なレスはまったくない。
これは、後程、詳しく述べよう。
で、あなたは密教論理外の答をどう与えるのか、それが聞きたかったのである。
少し荒っぽく、下世話な言い方かも知れないが
1段階だろうと、2段階だろうと大した違いはないじゃないか、
と私は思ってしまうのである。
密教論理内で言えば、1.6から1.7で影響力が100倍とあるが、
それ以前の1.3やら1.4でも、いずれにしても
かなり高い位置に自分を置いていることに大差ないではないか、
と思うのである。
少し苦言になってしまうが、あなたたちはシェアで自らを弟子と称し、
なんか密教界のエリートみたいな感じで活動をおこなっておられる
ように私には見えたのであるが、自らそういう選択をなされている
(当然、あなたがたは自由意思で活動をなされているはずだから)
ことについて、私は、「前密教的」、「メタ密教的」な疑念として、
自信過剰な人たちじゃないか、と思ったのである。
もっとも、密教界のエリートと言っても
別に既得権益や特別の権威などがあるわけでもないから
大したことではないと言えば、そうとも言えるかもしれない。
それについて
>>327のような、
>1.3前後というのはある意味でグラマーがもっともひどい時期です。
>自分のグラマーをおぼろげにでも自覚するようになるからです。
>(それ以前は、グラマーの中にどっぷり浸かっていて、グラマーの
>存在に気づきさえしません。)
>一般的な観点からグループの人々を見ると、
>各々の光線のグラマーの表現が強調されているために、
>かえって「一般人」よりも「劣っている」(笑)ようにすら思われる
>場合もあります。
ではまったく答になっていないことに気付かれないか?
じゃあ、なぜ、そこでクレーム氏作成の進化段階を贋作だ
と思って、「一般人」と自分は進化段階は変わらない、
自分は弟子のレベルではない、とあなたたちは判断しないのであろうか。
ハタから、客観的には「一般人」より「劣っている」
と見られているのに、なぜ「あえて」自分を密教界のエリートだ
と思うのであろうか。
ここでは「あえて」と言わせてもらいたい。
あなたの説明を裏から読めばあなたは実は、その「劣っている」
「一般人」と同じ進化段階である、という選択の可能性も
当然ありえたはずだからである。
そりゃあ、クレーム氏の言っていることを信じているからだよ、
と答えられるかもしれない。
当然、クレーム氏の作成した進化段階も信用できるよ、
と答えられるかもしれない。
でも、やはり、自分たちを人類のエリートだと認知することを
あなたがた御自身で選択しているとも言えるのである。
いや、別にそう思っても構わない。
しかし、そう思った後、あなたがたは「啓蒙活動」を
おこなっているのである。
そこらあたりでの何か、自分自身の自信過剰さ、傲慢さ
その他の逡巡はなかったのか、そのあたりの事情を
私はあなたに尋ねたかったのである。
私が本当に聞きたかったのはそこらあたりの逡巡である。
こういう逡巡がなく、あっさり「弟子」として「啓蒙活動」
に入ったのであれば傲慢に見えるのもやむをえないだろう。
それでもなお、あなたは、今の自分は進化段階的に
グラマーが強調されるから仕方がないんだよ、
と答えられるのであろうか?
>>326で、あなたは
>しかし、なぜそれを「一般人」に納得させなければならないのでしょうか?
と言っているが、私の言う「一般人」とは今現在この情報に
まったく関心のない人々のことではなく、
クレーム氏の情報を信ずる前の過去のあなたのことなのである。
過去の、「前密教的」、「メタ密教的」なあなたのことを
尋ねているのに、それを密教的な論理で解答するというのは、
私の疑問に対する親切な解答とは言えないだろう。
今、あなたがこの情報を信じているから、過去の自分についても
密教論理で解答してもいいじゃないか、とも言えるかもしれないが、
それでは、やっぱり解答になっていないのではないだろうか
と私は思うのである。
で、
>>328、
>>329のあなたのレスでは率直に怒りを感じた。
私が2段階であることにあなたが懐疑的だということに怒りを
感じているわけではない。
私がもし、あなたの立場ならどういうレスをつけるか?
あなたの進化段階は恐らく1.x段階なのだろう。
そうすれば当然2段階とはどういうものか興味を持つはずである。
現にあなたは興味を持ってここを読んでいた。
そして、1度目(
>>311)、2度目(
>>324から
>>329)のあの発言である。
>だからヴァルカンさんの記述を読んで、
>共感するところが大きかったのです。
あなたは本当に私に共感したのか?
冗談じゃない!
私は、共感した人間にはあなたのような物言いは決してしない。
私なら、もう少したくさんその2段階と称する人間のレスを読むか
あるいは、丁重にへりくだって2段階とはどういうものか
尋ねてみようと思ったと思う。
確かに、2段階の者が2chなどにいるわけはない、
いや、一般的にそう出会えるものではない、と思っていて
ほとんど間違いはないだろう。
しかし、とりあえず、2chであるからこそそのつもりになって
しばらく聞いてみようか、という気に私ならなっただろう。
いきなり相手に失礼なレスをつけようとは思わなかっただろう。
現に、ジュピター氏はそうしたではないか。
私はそれが嬉しかった。
別に2段階だろうと確信されていることが嬉しいわけじゃない。
特に、私はジュピター氏の
>>256の
>>私の第2段階による意識の変容が果たして思春期から大人に至る変容という
>>通常人なら誰にでもあるはずの変容と峻別できるか、というのが第1の困難。
>また、
>>今の私は第2段階のイニシエーションを受ける以前に比して
>>1億倍感情豊かな人間である。
>>しかし、これも大人になりいくばくかの人生の苦労を知ったからであろう
>>と言われれば反論するのは困難だ。
>これについては、全く同じであり、貴方がこのように書く
>訳も姿勢も心理も実に良く理解出来る。
>少々驚きである。
この部分がいちばん嬉しかった。
ジュピター氏は親切にも私が勝手に定義した
プチイニシエーション体験についてまでも
密教関連以外の実例を
>>362であげてくれた。
あなた(名無し太郎氏)は
>>290でなんと
つまらないことを書いているんだ。
あなた(名無し太郎氏)は気に食わないだろうから、この引用の
「第2段階のイニシエーション」という部分は抜かして読んでみて欲しい。
人と人との共感とはこういうものではないのか。
あなたは本当に私に共感したのか?
本当に
>>363で言うとおり
>多少なりとも真面目に語りかけようとした私がバカだったと思う。
「多少なりとも真面目に」語りかけようとしたのか?
本当にそのつもりであれば、ジュピター氏のような過程を経て
そして、最後に、
>私自身の経験からは、あなたの神秘体験が第2イニシエーションであるという
>主張には懐疑的にならざるをえません。
こう言うべきではなかったのか?
私にはあなたが私の発言のどの部分に「共感」してくれたのか
まったくわからないし、どこが「真面目」なのかも
いまもってまったくわからない。
そして、
>>329だ。
確かにあなたはそれなりに密教心理学といえばいいのか、
その分野について私より詳しく、いろいろな実例を
ご覧になってきたのであろう。
それにしても、「真面目」とは程遠い語りかけだとしか
私には思えない。
しかもネット上の内心の告白というそんなに
情報量として不十分なものを見ての即断である。
もっとも、あの程度で既にあなたのような「密教エリート」にとって
十分即断できるものであったのかもしれないが。
本当に真面目に思う。
いったい、あなた(名無し太郎氏)に他人の内心の何がわかるのか!
あなたがあなたがたの活動に没頭するのは自由だが
その延長線上で他人の内心まであなたがたの都合のいいように
規定するのはやめてもらいたい。
私は、単に2段階うんぬんのことを言っているのではない。
あなたは、
>>329で
>自分の進化段階を知ることがあなたにとって
>本当に大切ならば、
>なぜそれをクレーム氏に確認しないのですか?
>クレーム氏がこの「サービス」をしている理由の一つは、
>自分自身についての弟子達のグラマーをぶち壊すためです。
このように私に「真面目」に語りかけてくれている。
私には、あなたが私の率直にして赤裸々な体験談の
「第2段階のイニシエーション」という密教ワードばかりに
こだわって、私には微塵も共感せず、私の体験談の核心部分を
全部、あなたがたの言う「グラマー」であっさり片づけて
おられるようにしか思えない。
繰り返し言わせてもらう。
いったい、あなた(名無し太郎氏)に他人の内心の何がわかるのか!
本当に他人と共感できるのか?
これまでの生涯で他人と共感したことがあるのか?
私は本当に、2段階ということにそんなにはこだわっていないのだよ。
実際問題、あなたの方が恐ろしく私よりこだわっているのではないのか。
誰にも語れないからここに書いたと私は前レスで言った。
もっと言えば進化段階などそんなに重篤な事柄ではないからこそ
匿名でもあるし、気軽に書き込めたとも言えるのである。
本音を言えば、私には進化段階以上に他人にはあまり言いたくない
ことはたくさんある。
その中には、匿名で書き込むのさえためらわれることもある。
今のこの発言もそうだ。
本音を言えば、
>>329の直後にこの怒りをぶつけたかった。
でも、そうなると泥仕合は必至と思われたので
とりあえずはそれをやめた。
あなたの密教心理学の知識で私のこの心情が理解できるのか?
あなたに私のこれらの気持ちはわかるだろうか?
共感できるだろうか?
>>363であなたは結語として
>>たとえ、ここでの私たちの書き込みに不快感を感じても
>>それを押し殺して当然だと思う。
>と平気な顔で言えるあなた自身を自分で傲慢だとは感じないか?
>と言いたかっただけだ。
>そしてその傲慢さが、自分を「第二段階のイニシエート」などと呼ぶ
>厚顔無恥な姿勢につながっているのではないかと感じたにすぎない。
このように述べておられる。
「すぎない」というにはあまりの断じ方ではないか。
私には、あなたがたグループが自身を弟子などと
「密教エリート」と自認しておられることが、まず傲慢に感じられ、
その傲慢さが以上の私の赤裸々な体験談に対してどの部分に
共感したか具体的に述べられず、単なるグラマーだと
密教知識を乱用して厚顔無恥にも断じた、
としか思えない。
私の
>たとえ、ここでの私たちの書き込みに不快感を感じても
>それを押し殺して当然だと思う。
このとてつもない傲慢な発言はあなたの以上のような
自称「真面目」なレスに呼応、対峙したものだったのである。
要するに、順番が逆なんだよ。
>一般論としては、あなたの言うことは正論だと思う。
本当に正論だと思うのなら、それに見合った説明責任を
>>317、
>>318、
>>319に対して果たせよ、と私は言いたい。
一般論などと言わず、自分の論理として受け止めてもいいんじゃないのか?
にもかかわらず、あべこべの順番で憤懣を感じ、
捨てゼリフを残してあなたは去ろうとしている。
勝手に自己完結して逃げてばっかりいるからいつまでたっても
あなたは、イニシエーションが受けられないんだよ。
もう一度言う。
密教知識を弄して私を、そして人間を、バカにするのはやめろ!
ジュピター氏なら以上の私の気持ちに共感してくれるだろう。
名無し太郎氏も今度こそ共感してくれることを期待する。
名無し太郎氏は
>多少なりとも真面目に語りかけようとした私がバカだったと思う。
>私は「遊び心」の議論に付き合うほど器用ではないので
こう言っているが、真実は
私の方が「バカ」で「不器用」なんだよ。
これこそがネット上で匿名ですら語るのがためらわれることなのだが、
私はいまここで述べたものに類するやりきれない思いを
この10年間、何度も体験してきた。
私はやっぱりドキュソだわ。>ジュピター氏
はー、疲れた。
>>あなたの場合は理論や理屈が先行しているように思える。
>ようするにあなたの場合、秘教の理論がグラマーの温床なんですよ。
なんかこの言葉は私の今の心に突き刺さるな。
哀しいものだな。
一生懸命勉強したものがグラマーの温床になるなんて。
努力は報われないものなのか。
383 :
考える名無しさん:2001/05/09(水) 02:06
仕事の合間をぬってエディタで少しずつレス書いているのだが..。
スレッドの展開が速く、流れにそぐわなくなってしまう。
とりあえず、
>>ヴァルカン氏
>>>あなたの場合は理論や理屈が先行しているように思える。
>>ようするにあなたの場合、秘教の理論がグラマーの温床なんですよ。
>なんかこの言葉は私の今の心に突き刺さるな。
いや、この言葉がもっとも心に突き刺さっているのは書いた本人の私だろう。
今レスを書いてます。のちほどアップします。
まず、>>ヴァルカン氏
>私はやっぱりドキュソだわ。>ジュピター氏
ドキュソかもしれないが(私も)、人生と他者に対して真摯であればそれでいいではないか。
やはり私は今後もクレーム氏に自分の進化段階を聞く事はないと思う。何故なら、本当には
そのことを必要としていないから。もし仮にクレーム氏に確認した結果、「実際」の進化段階
が2であろうと、1であろうと、はたまた3であろうと私という人間は聞く前となんら変わらな
いだろう。何故なら私は(きっとヴァルカン氏も)かつて自分の人生に(神秘体験や神秘主義
に、ではない!)真摯に誠実に逃げずに立ち向かった結果イニシエーションとしか思えない体
験をした。もちろんそんな言葉は知らなかったが。その後自分の体験、というか人生を「イニ
シエーション」という言葉で定義したクレーム氏の書物と出会った。そしてクレームやベイリ
ーの著作から自分なりに消化して私の23歳の時の人生のエピソードを第2段階と呼んだにすぎ
ない。もし仮にクレーム氏に確認した「実際」の進化段階が違ったとしても、私がイニシエー
ションという言葉を、クレーム氏(実際確認するのが師の覚者であれ、それは本質ではないだ
ろう)が使う場合とは違う意味で消化し自分の言葉にしたということにすぎない。
そのような体験をした者は、決して自分からその経験のことを「神秘体験」とは言わないはず
だ。これはあくまで私流のイニシエーションという言葉の定義にすぎないが、たとえ傍からみ
れば「神秘体験」としか言い様のないものであっても、彼本人にとってはそれは人生そのもの
であり、
>>350での私のレスの補足になるけれど、
>明確にカルマの解消を自覚しカルマヨガ(そんな言葉をしらなくても)を自発的に行う。
>私は自分の自由意志で「意志」の器になった。
という部分。ここが本人にとって本質なのであり、自分の人生また他者に対して逃げずに真摯
、というか誠実に向き合った結果、結果として!それまでの世界観の枠から外に出る経験にな
ったということ。ようは彼にとって、その経験に至る過程においてどのように生きたか、とい
うことが大事なのだと思う。
>>名無し太郎氏(
>>363)
>そしてその傲慢さが、自分を「第二段階のイニシエート」などと呼ぶ
>厚顔無恥な姿勢につながっているのではないかと感じたにすぎない。
よって、私はそういう経験を経た者が自分を「第二段階のイニシエート」と呼んでも、決して
傲慢とも厚顔無恥とも思わない。彼にとって、本質的な部分において、秘教の理論は権威では
ないのだ。
>>名無し太郎氏
あなたはもういないのかもしれないが、前回私がレスした際の私のレスの姿勢について、
まず最初に何点か詫びたいと思う。(
>>345-352)
1.私はあなたとヴァルカン氏のやりとりをロムしているうちに、あなたに対しての怒りの感情が
ふつふつと湧いて来た(これについては後述)。結果私は実際に知っている実在の人物を見ず知
らずの貴方に勝手に投影してしまい、彼に対する怒りとあなたに対する怒りがごっちゃになって
しまった。まずこのことをお詫びしたい。
2.結果、トラウマが蘇ってきてしまい(あなたには何の関係もないことだが)、
>>324-329の
あなたのヴァルカン氏へのレスに対して、いてもたってもいられなくなり第三者としての立場を
踏み越えた形でレスを書いてしまった。ヴァルカン氏が
>>344で私に対して冷静なレスを望んで
いることは分かったのだが、一度ストップして冷静になることは出来なかった。
3.しかし、私は2.で述べたトラウマに対して真摯に向き合うことを避けた。というか。ようは逃
げた。結果、私の文は冷笑的というか、貴方に対してかなり失礼な文になってしまった部分が多
い。たとえ第三者としての立場であっても、あなたに対して怒りを覚えた部分があるのは事実で
あるから、その立場からストレートに怒りの理由を貴方に対して示すべきであった。
ようするに貴方に対する真摯さが欠如していた。これはグラマーであった。
4.>>ALL
そして、なによりも前回の私のレスは、読み手に伝えようという姿勢が皆無なものであった。
他者に対する真摯さが欠落していた。それは自己満足的なグラマーであったと思う。
では、私が前回(
>>345-352)でなにを書きたかったのか、もう一度説明しよう。
名無し太郎氏はもういないかもしれないし、ヴァルカン氏のレス(
>>364-381)に重なる部分
も多いのだが、ロムしている人にとっても無駄ではないと信ずる。
>>名無し太郎氏
私のあなたに対する怒りは
>>311まで遡る。ソクラテスやアリストテレスを引き合いに出した
レスである。それまで我々は自分の過去の人生における経験や、現在の人生におけるありかた
に即して、自分自身の言葉で語ってきた。にもかかわらず!あなたはシェア・伝導瞑想グループ
の常套句的言説、またはクレーム氏(あるいは氏の背後に控える覚者)というあなたにとっての
権威の言説の引用をもってレスした!まず、このようなレスは自分の人生に真摯に取り組む者に
対して失礼であろう。ようするにあなたには他者に対する真摯さ・誠実さが足りない。
私は本当に傲慢なのはヴァルカン氏ではなく、あなたであると思う。
まずなによりもそのようなレスでは議論が建設的にすすまないではないか。
>>324-329での貴方
のレスも大体同じである。唯一、貴方自身、ヴァルカン氏と同様と思われる経験をしたことがある
という部分と、(ヴァルカン氏に対して)あなたと同様の主張をする人はほかにもいるという部分、
ここだけが貴方自身の言葉であると言えるだろう。ここの部分に関してのみ、議論が建設的に発展す
る可能性がある。だから私は、
>>350で(第2)「イニシエーションの特徴 」と題して、あくまで私
が定義するところの「イニシエーション」と通常の神秘体験の違いを述べたのだ。今読み直すと書き
方に至らぬ点がおおいけれど..。
伝わっただろうか?私はやはり、あなたが今生、真摯に霊的進化に取り組むつもりであるなら、ここ
は捨て台詞をのこして消えるようなことはするべきではないと思う。霊的に進化するため、さらには
まっとうに生きるためには、人生に対して真摯であるべきであり、その為にまず必要であるのは他者
に対する真摯さ・誠実さであろう。以上自戒をこめて。
>>ヴァルカン氏
>ただ、
>>350にだけ答えたい。
>1.、3.、4.は私もまったく同様だ。
>2.はちょっとわかりにくい。
>価値の相対化みたいなことをおっしゃっているのだろうか。
>例えば、絶対的な善、悪の概念から相対的な善、悪の概念への意識変革。
>同じ現象でも見る人、時、場所によって善にも悪にもなりうる。
>そのように、自分の中のすべての価値判断を相対的に行うようになる。
>これでいいのだろうか?
たしかに。これについては弁解の余地はない。自己満足的は文章です。
これは、あなたの言葉を借りるが、
>>249-252のあたり、例えば
>ある晩もそのネガティブな感情の渦にのたうちまわっていた。
>あるとき、突然楽になった。
また、
>とにかく逃げないこと。
>これに尽きるだろう。
>最悪の自己否定感、自己嫌悪感に身を投げ出し耐えるのだ。
といったあたり。このようなことを書きたかったのだが、結果として判りづらい
自己満足的な文になってしまった。
相対化というよりも両義性といったほうが良いかな。
善悪の相対化というより、善悪の両義性。まあ、男と女でもなんでも良いのだが..。
それまで分裂していたものが統合され、結果
>>350の4.に繋がるということ。
やはり上手く説明できない。ようは、またあなたの引用になってしまうが、
世界が@`ある意味において、
>ただし、残酷、非情ではあると思う。(
>>354)
であることに気付くということだろうか。
自分の体験に即して具体的に語るべきなのかもしれないが、そのことについて
は具体的には語りたくないという気持ちがある。
しかし私が
>>350で言いたかったのは、1.及び4.に尽きる。ようは、私が定義するところの
「イニシエーション」においては、霊的な「体験」ではなく、それに至る人生の過程におい
て、彼がいかに生きたか?が本質であるということを書きたかった。
今日はここまで。
>>390の訂正です。
>それまで分裂していたものが統合され、結果
>>350の4.に繋がるということ。
の部分。正しくは「結果
>>350の3.に繋がる..。」
です。
392 :
考える名無しさん:2001/05/09(水) 22:45
かゆうま回避あげ。
393 :
1:2001/05/09(水) 22:56
>>392 なにもsageで進行してるスレあげることないじゃん
394 :
1:2001/05/09(水) 23:40
あと、それから下がり過ぎた場合の定期あげは私(1)が責任もって
やりますです。万が一忘れていても、王陽明氏があげてくれるっしょ。
>ジュピター氏
昨晩は失礼した。
怒りを爆発させてしまった。
>スレッドの展開が速く、流れにそぐわなくなってしまう。
申し訳ない。
ここ何日間の私と名無し太郎氏とのやりとりは、
>1.私はあなたとヴァルカン氏のやりとりをロムしているうちに、
>あなたに対しての怒りの感情がふつふつと湧いて来た
>(これについては後述)。結果私は実際に知っている実在の人物を見ず知
>らずの貴方に勝手に投影してしまい、
>彼に対する怒りとあなたに対する怒りがごっちゃになってしまった。
これとまったく同じ現象が私の心の中で起こっていたので
私もついついスピード展開してしまった。
名無し太郎氏もそうだったようだ。
あなたは反省なされているけれども、やはり、どこかで、なんらかの形で
そういうことは言う必要はあると思う。
いや、正直に言えば、あなたは反省なされているけど、
(
>>345-352) は私としては、かなり嬉しかった。
だいたい、こういうケースで誰かに援護射撃してもらった経験は
これまでの私の経験で皆無だった。
たまにはいいんじゃない?こういうのも。
ま、これからしばらくはこのスレもマターリいけると思う。
それにしても、インターネットの便利さを痛感する。
だいたいにおいてこういう議論、討論になれば、
ケンカ腰になったりもするけれども、たいてい決裂して終わってしまう。
今回の場合、
>>363で決裂して終わったが、これはまだいい方だ
とさえ思う。
もっと前段階で終わるというのが常だろうから。
だから、私の、
>>364から
>>381というような発言は現実には
表明することが不可能な発言だ。
仮に表明できても、相手は私のことをキチガイだと
思うだけでなんの意味もないだろう。
しかし、ネットで書き込めばそう思われないで済む可能性があると思う。
そういう意味ではイニシエーション体験を語る以上に
今回、
>>364から
>>381までをネットで語れた
というのは私にとってかなりのカタルシスになった。
>>385 >やはり私は今後もクレーム氏に自分の進化段階を聞く事はないと思う。
やっぱりこうなってしまうんだよね。
私もイロケを出したというかシタゴコロであなたに
進化段階を聞いてくれ、みたいなことを言ってしまったけど
どうしても聞かないで済ましちゃうんだよね。
それにしても皮肉なことだ。
名無し太郎氏の
>>328によると
>私以外にも、私の周囲には似たような内的体験をした人々は何人もいます。
>しかしクレーム氏によれば、
>彼等は誰も第2イニシエーションを受けていません。
ということらしい。
なにげにこれは重大なことだと思った。
なんか、どうしても2段階の者を弾き出しちゃうのかな?
こういうグループは。
5人に1人というのは説得力がないと名無し太郎氏は
言われたけれども、私は説得力はあると思うんだけど。
でもその5人に1人を弾き出しちゃうんだな。
私が伝導瞑想をやらない理由を上のレスで少し述べたけど、
少しシェアに対する中傷になってしまうけど
この人たちとあまり深くは付き合いたくはないな、
という気持ちも実はかなりあった。
ま、私が5人に1人だと強く主張するつもりはないけれども。
どちらにしてもシェアがその5人に1人を弾き出してきた
ことは確実だろう。
あなたは後に反省なされているけれども私は、
あなたの
>>348、
>>349に強く共感できる。
私は、
>>381で
>私はいまここで述べたものに類するやりきれない思いを
>この10年間、何度も体験してきた。
と述べたが、あなたも似たような体験をきっとなされたのだろう。
先のレスでも言ったように、私はイニシエーション体験については
軽く語れても、そういう体験についてまではなかなか語れない。
あなたも同様のようだ。
自分の言葉で表現できるほどにその体験を昇華できていない
ということもあろうが、真正面からそれを語ろうとすると
どうしても自己を高い存在へと置かざるを得なく
必然的に読み手に書き手、つまり私を傲慢な人間と感じさせ、
読んでいてつまらないものになりうると思ったからでもある。
もっとも、名無し太郎氏の場合、イニシエーションという言葉だけ
で私を傲慢と感じ、怒り心頭にまでいってしまったようだが。
それでも、読み手に不快感を感じさせることを承知で
>>364から
>>382であえて私の怒りを爆発させたのは
あなたの
>>349の
>が、いつの日か彼もストレートな(!)怒りをもって乗り越える時がくる。
に強く共感したからだ。
少々、読みづらくともきっとあなたには私の気持ちを
理解していただけるだろうと思ってあえて書きなぐった。
また、このスレにその怒りの実例を示そうとも思った。
>>389、
>>390 やっぱり難しい(笑)。
これからマターリ考えていくかな。
私は名無し太郎氏に
>>354から
>>359で残酷と傲慢は違うと言ったけれども、
「残酷な表明」は傲慢と受け取られることがあるようだ。
それにしても名無し太郎氏が私を称して
>自分を「第二段階のイニシエート」などと呼ぶ
>厚顔無恥な姿勢につながっている
と言って、ここまで激昂されるとは予想できなかった。
私としては、少しデタラメな言い方をすれば
テレビ番組で明石家さんまのようなタレントが
ゴルフ対抗番組かなんかで興に乗ってきて自己陶酔して
「自分はタイガーウッズよりできる」、
「来年はマスターズに出るのでよろしく」、
みたいな感じで2段階などと言っていたに過ぎない。
しかし、それだけで一部の者を激怒させるのに十分であることが
今回のことでよくわかった。
とは言っても、名無し太郎氏は「遊び心トーク」と称していたが、
私は、それほど荒唐無稽な「からさわぎ」をしているわけでもないのだが。
やっぱり残念なのは、名無し太郎氏から、
私をいろいろ批判していたものの、結局、私の内的体験について
具体的なコメントをまったく得られなかったことだ。
>>328で
>正直に言って私も同じように強烈な神秘体験
>(この言葉は好きではないのですが、というのは何も「神秘」ではないので)
>といってよいものをしたことがあります。
>私の世界観を根本的に変えてしまうような内的体験でした。
これだけしか語られていない。
このあたりの具体的内容についてもう少し詳しく
語ってもらいたかった。
(ここからは傲慢モード)
さて、名無し太郎氏は私のことを傲慢だと言っていたが、
ここからはこのスレでほとんど初めて意識的に
私は傲慢になってみようと思う。
もう、名無し太郎氏は現れないと言っているので、泥試合になる
心配はないし、名無し太郎というコテハンを個人攻撃しても
それほど名誉毀損にならないだろうから
まだ言い足りないことを傲慢になって言おうと思う。
実際、私はこれまでのレスではまったく傲慢ではなかった。
なぜなら、純粋に自分のことについて、自分が感じたことを
語っていただけなのだから。
傲慢になりようがないじゃないか、と思うのだ。
それでたまに「来年はマスターズに出るのでよろしく」
と言っていただけなんだ。
他人のことについて知った風なことを語り始めると
人は初めて傲慢になりうるのだと思う。
私には名無し太郎氏は2段階というワードを見た瞬間に
激昂して以後、そういう傲慢な姿勢へと陥っていったのだと思う。
私はここから真に傲慢になって名無し太郎氏の内面予想をしてみる。
いったい名無し太郎氏はなぜあんなに怒っていたのか。
(傲慢モード)
実のところ、名無し太郎氏は私たちのことを
本当に2段階かもしれないと、潜在意識か無意識のレベル
では思っていたんじゃないかと思う。
名無し太郎氏が自身の神秘体験について語らなかったことが
残念だと私は書いた。
実は、語らなかったのではなく、語れなかったのではないか。
私とジュピター氏が共感してかなり具体的に
語っていた内容についてまったく想像も予想もできない
ことであったので自分の神秘体験と共通しない部分については
根こそぎグラマーであると処理したかったのではないだろうか。
あれは、きっとグラマーだ。
グラマーのはずだ。
そうなんだ。
いや、そうでなければならない。
自分にこう言い聞かせていたのではないだろうか。
(傲慢モード)
ハタ迷惑な話だよ。
なんで名無し太郎氏の都合で私たちの体験を
グラマーにされなくちゃならんのだ。
でも、所詮は言い聞かせだ。
どうしても、不安は拭い去れない。
それで、傲慢さへ逃げて私たちの体験はグラマーだと
断じるための材料を提供する方向へ奔走した。
一部の人間、俗に言うプライドの高い人間は
どうしても自分よりレベルの高い人間の存在を否定したがるようだ。
だってそうだろう。
このスレは下げレスで底に沈んでいるのに
わざわざ、恐らく毎日のように眺めていたのだから。
私が名無し太郎氏の立場であれば、自分より明らかに水準が低いと
確信できればそんなに執拗に絡みはしないだろうと思う。
自分より高いかもしれないと思うからこそ絡むのだろう。
名無し太郎氏はたぶん今もここを覗いておられるだろう。
「私はクレーム氏の情報を冒涜する者を監視しているんだ」、
とか理屈をつけて。
ま、さすがにもう書き込みはしないだろうけど。
(傲慢モード)
ジュピター氏は秘教の理論がグラマーの温床となっている
とおっしゃったが、別の言い方をすれば、
名無し太郎氏の中では「観念の偶像崇拝化」
が起こっていると言えると思う。
普通、偶像崇拝と言えば、仏像や石像やその他
実際の物を神聖視するはずだが、それは
抽象的観念に対してもなされるようだ。
そして、観念の偶像崇拝の方が、物の偶像崇拝より
はるかに強力と言うのが、アストラルグラマーが強力だ
ということなのだろう。
名無し太郎氏の中では2段階というのが偶像だった。
私たちの発言が涜神、不敬、冒涜、傲慢、厚顔無恥、、、
にうつったのだろう。
(傲慢モード)
しかし、名無し太郎氏も人のことは言えない。
なぜなら、名無し太郎氏もきっと偶像崇拝を軽蔑
しているはずだろうから。
たぶん、石やら木やら山やらを崇拝する人間を
未開人、野蛮人と言ってバカにしているよ。
私も同じなんだよ。
観念を崇拝している者を内心でバカにしている
ところがあるだけなんだよ。
ただ、私はそれほどバカにはしない。
なぜなら、先のレスでも述べたが、観念より上のものが
たぶんあるだろうから、結局自分はハシゴの少し上に
いるだけだろうから、バカにしたところで
50歩100歩だと思っているから
そんなにはバカにはする気にはならないということなのだ。
ところが、名無し太郎氏にとっては観念的なものが
神聖でそれより上があると想像できないから
だから絶対的に崇拝して、
一方で、偶像崇拝者をバカにして
もう一方で、私たちを涜神者のように思うのだろう。
(傲慢モード)
しかし、名無し太郎氏にとっては2段階がそんなに神聖なのか。
ご老体のクレーム氏の健康を心配するようなレスも
あったが、クレーム氏への崇拝も相当なもんだろう。
私も、クレーム氏のことは尊敬している。
この情報を与えてくれたことに感謝している。
クレーム氏の健康を心配するところもないではないが、
クレーム氏は先に私が言ったように、
「誰も耳を貸さない状態が常態だと思って」
活動されているんだよ、きっと。
そのような方に勝手に周囲が心配してもしょうがないとも思う。
私としてはクレーム氏の情報をありがたく頂戴すること
がクレーム氏の覚悟に報いることだと思っている。
確かに広報活動なども大事だと思うけど、
中途半端にやると逆効果だとも思ってしまう。
名無し太郎氏もクレーム氏を尊敬しているのだろう。
私も尊敬している。
しかし、名無し太郎氏は尊敬が崇拝になってしまったようだ。
私は違う。
尊敬し、憧れた対象に自らなろうとするだろう。
いや、なろうと努力するだろう。
(傲慢モード)
そうだ、努力したのだ。
思い出した。
私はあのときも必死に努力していたのだ。
あの、イニシエーション体験のときも努力していた。
一体どんな努力を?
人を知り、理解する努力をしていた。
いま、はっきりと思い出した。
私は
>>366で言ったように
>実際、人間というのはわからない。
>偉大なことをなす人間の心の働きも謎であるし、
>平凡なことをなす人間の心の働きも謎といえば謎だ。
>また、平凡かと思った人間がとてつもなく偉大であったりもする。
>私は、これからも新しく人間と出会うたびにこんなことを
>思い続けるのだろうと思う。
このように思いながら必死に理解しようと努力したのだ。
あのときは思春期で若く、いろんな感情が錯綜していて
いたのだが、私は、自分の意志で理解しようと努力したのだ。
誰にも強制されず、誰にも頼らず、もっともらしい
理論に頼ることもなく、私自身の心のみで
目の前にいる人間を理解しようと努めたのだ。
なしくずしなどでは決してなかったのだ。
(傲慢モード)
ジュピター氏は
>>350で
>私は自分の自由意志で「意志」の器になった。
とおっしゃっていたが、正直なところ
今、初めて、私もあのとき自分の意志で努力していたことを思い出した。
名無し太郎氏は神秘体験くらいしてる奴なんか
ゴマンといるみたいなことを言っていたが、
果たしてこのような努力はしていたのか?
安易な理論や理屈に逃避してはいなかったか?
もう進化段階うんぬんのことは言わないよ。
私は「目の前の他人を理解しようと努力した」
ことについて名無し太郎氏に優越していたのだと言いたい。
そしてその努力の過程で逃げなかったから
予想外の恩恵をいただくこととなったのだ。
私には生まれつきこういう努力をする才能があっただけなのだ。
(傲慢モード)
そして、私は幸いにして努力して報われるという
体験を持つことができた。
だから、
>>382で書いたように
努力が報われないことに無性に悲しさを感じる。
報われてほしいと率直に思うのだ。
苦しんで努力して報われた人間ならそう思うのが当然だろう。
私が、名無し太郎氏に怒りを感じたのは
苦しんで努力することを途中で放棄したくせに
何を言ってやがる、という気持ちからでもあった。
私自身のこういった努力を、途中で放棄した者から
バカにされている、と感じたのだ。
一方で、名無し太郎氏が報われない努力をなされているようにも
思えて悲しみを禁じ得ない、という気持ちもあった。
正面突破の努力はあまりにも困難でできないがゆえに、
別の種類の努力を始めた。
しかし、その努力は実は大きな落とし穴であった。
でも、落とし穴とわかっていてもそれをせざるを得ない。
いずれそれが落とし穴であることに気付き、
当初あまりにも困難だと思えた正面突破へと
向かわねばならない時まで。
しかし、実際その落とし穴は絶望的なまでに
種類豊富、魅力的で、落とし穴であることを
忘れさせるのに十分のようだ。
(傲慢モード)
それにしても、真実は単純なものだ。
ただ、努力する血と汗をいとわないことだけが
イニシエーションの要件だったのだ。
(蛇足の蛇足)
蛇足の蛇足として
>>361についてひとこと述べよう。
>>361は蛇足ではあったが、むしろ名無し太郎氏へのエールだったのだよ。
実際、名無し太郎氏は「信」ずるに足るものに出会ったのだろう。
もう、それだけで幸せなことじゃないか。
いいじゃないか、誰がなんと言おうと。
わざわざ、盗作本を発掘したり、こんなところに来なくても、
そんなことをしなくてもいいじゃないか。
傲慢だ、と言われてもいいじゃないか。
傲慢でもなんでも好きなようにやればいいじゃないか、
そういうことが言いたかったんだよ。
私は傲慢に振る舞われることに不快感を感じたけれども、
傲慢さにある種の威厳や頼り甲斐を感じる者もいるだろう。
私たちに傲慢だと言われて嫌われても
別のところで傲慢さが気に入ったと評価され、
その結果、啓蒙活動が順風に進めばそれでいいじゃないか、
そう言いたかったんだよ。
>>363でマキャベリズム批判みたいなことを述べておられるが
空しいよ、正直言って。
「自由意志を侵さない」と言いながら、さんざん私の内心に
土足で踏み込むようなことをしていたじゃないか。
あなたの言葉には命がないよ。
まさしくカラッポの偶像だ。
血と汗によらずに得た観念、理屈、理想は空しいもんだよ。
そんなことでは人の心は動かせないよ。
>ヴァルカン氏
>昨晩は失礼した。
>怒りを爆発させてしまった。
いえいえ、
>そういう意味ではイニシエーション体験を語る以上に
>今回、
>>364から
>>381までをネットで語れた
>というのは私にとってかなりのカタルシスになった。
読んでる私にとってもかなりのカタルシスになった。
それだけではなく、私があなたに対して共感したのと同じ部分で、
あなたが私に共感してくれたということがうれしかった。
あと、(傲慢モード)も痛快だった。
私もここでちょっとだけ(傲慢モード)
>名無し太郎氏
今後は、「大祈願」と「新しい時代のための祈り」に加え、
ヴァルカン氏のレス
>>410を座右の銘にしたまえ。
>それにしても、真実は単純なものだ。
>ただ、努力する血と汗をいとわないことだけが
>イニシエーションの要件だったのだ。
あと
>>406も!
(傲慢モード)終わり
それにしても、明石家さんまの「マスターズ」の例は、絶品だった。(笑
そうだよね。私なんか、このスレッドの最初のほうでは「第4イニシエート」とか
いって莫迦ばっかり書いていた。案の定というか面白いレスがないもんだから、
「鏡」でもある私は糞レスには糞レスを返すのだ。と同時に、悪のりしやすいたちだから
いつのまにか自分から率先して下らないこと書いていたけれども。ここがあなたとの性格
の違いだ。あなたはちょっと上の2.4と詐称(ともいえないぐらい)したが、私は4(笑)
でもいくらなんでも詐称しすぎなんで「2段階」のリードビーターのハンドルも併用した。
>しかし、それだけで一部の者を激怒させるのに十分であることが
>今回のことでよくわかった。
これも推測というか、理屈としてはそんな人たちがいるとは理解していたが、
実際にネット上とはいえ出会うとなんか新鮮だった。
>私はいまここで述べたものに類するやりきれない思いを
>この10年間、何度も体験してきた。
そうだろうとは思っていた。私のレス
>>348-349は今思うと私自身とあなたに
対するエールであったのだと思う。一連の流れの行く末を予期して、名無し太郎氏
に釘をさした部分もある。あなた、もしくは私がストレートな怒りを見せた際に彼
がそれを「グラマーだ!」と逃げないようにね。
>また、このスレにその怒りの実例を示そうとも思った。
これも読んでいてすぐわかった。だから私もカタルシスを感じた、というか感動した。
が、実は私が反省した本当の部分はここなのだ。前回トラウマについて書いたが、
いつまでもそんな過去に目を向けていることに対する反省だった。と言うより、
名無し太郎氏のような人はどこでも居るし、彼等は実際のところ路なかばで倒れた
屍だ。自己完結に逃げ帰ってしまった人たちだ。しかし我々はもう彼等の屍を乗り越えて
さらに前にすすむべきだろう。世界はある意味残酷・過酷・非情なものだ。梯子のすこし
上にいる我々はそのことを知っている。が、同時に世界が美しいこともより知っている。
>>406 >しかし、名無し太郎氏は尊敬が崇拝になってしまったようだ。
>私は違う。
>尊敬し、憧れた対象に自らなろうとするだろう。
>いや、なろうと努力するだろう。
私もそうだ。私は23の経験のとき、はっきりと2000年前のパレスチナでのキリストの
ことを思い、私に提示されたテーマのスケールの範囲でキリストのようにあろうを努力した。
もちろんスケールの違いははっきり自覚している。だから、そこには自己卑下も自己過信も
ありはしない。これもまた涜神にうつるのだろうが。
だが、例えば、クリシュナムルティも聖フランチェスコも、もちろんクレーム氏にしたって
同様であるはずだ。
ところで、以前私はキリスト教徒ではないと述べたが、補足すると、私の両親は私が幼い時
離婚したが、父の家がキリスト教だったので、幼いころ教会には行っていた。だからキリスト教
は私にとって原体験の一つなのだ。だから、23の時の経験においても(例えばヴァルカン氏の場合
の老賢者などではなく)キリストを意識し、また夢においてもキリストがあらわれたのだろう。
そういえばユングも老賢者でしたね?>ヴァルカン氏
さて、明日は(というか今日だが)久々に伝導瞑想に行く事を決めた。
時間的にすこし厳しいので行けないかもしれないが..。
9ヶ月ほど前に一度伝導瞑想は止めたのだが、再び自分が今現在伝導瞑想を必要としつつ
あるということを感じている。ちょうどクレーム氏が来日し、良いタイミングでもある。
次回は伝導瞑想について思うところを書こうと思う。
よくよく考えてみると私がここで長々と文句を言っていたことは
クレーム氏も詳しく述べておられた、と思う。
「マイトレーヤの使命第2巻」506ページから518ページ
私の発言が粘着質のこだわりかどうか疑問のある人は
上記ページと私と名無し太郎氏とのやりとりを読んで判断してみてほしい。
残酷さについて語る前に、我々の人生がいかなるものか
まず、考えてみたい。
と言ってもそんなにおおげさなことじゃない。
我々の人生はどのようにしてスタートするのか考えてみるのだ。
たいていの人間は前世の記憶はなく、3、4歳のころ、
気がついたら生きていた、というのが通常だろう。
荒っぽい言い方だが、親が勝手に我々を産み育てて
我々は誰にも産んでくれと頼んでいないのに、
気がついたら、人間としての人生をスタートしており、
成人になるといろいろ義務を負わされることになる。
冷静に考えてみると、自分は自分の自由意志で産まれてきた
わけじゃないから、存命中にいかなる義務をも負わされるいわれはない
と言ってもいいようにも思える。
だが、この主張が許されるのは思春期までだ。
大人になってからこんなことを言ったら真性のドキュソだ。
しかし、実は大人になってもこのドキュソな主張は正当化される
可能性もあるように思える。
大人になったら今のこのパラドックスというか、理不尽さはどうやって
解決されるかというと、大人としての義務を負わされる前に、
親や、家族や、社会などから生きることについての肯定感をもたらすだけの
恩恵や権利を与えられる、という条件のもとでのみ解決される。
これも、荒っぽい言い方だが、要はこの理不尽さは論理的に解決される
というよりは、ほかのみんなもそうやって生きているから、あるいは、
大人としての義務はあるものの、まあまあ、人生は楽しいから
という、言いようによっては曖昧な解決で済まされている。
なので、これらの恩恵や権利が受けられなかった者は上で述べた
真性ドキュソな反抗を世界に対してなし得るであろう。
このような真性ドキュソはいったいどうすればいいのか?
その一つの解決策は宗教だろう。
世界のすべてに見捨てられてもその世界の外側にある宗教がその者を
救ってくれれば、その者は生きていけるだろう。
しかし、非常に困難ではあるのだが、もう一つ方法がある。
それが、イニシエーションを受ける、ということだ。
世界に見捨てられ、宗教にもすがれない者は、上で述べたような、この世界の
恐らく本質的な残酷性に直面することになる。
重要なことは、実はこの世界は本質的には誰にとっても残酷だ、
ということだ。
真性ドキュソは運悪く、というか、運良くというか、たまたま
この残酷さに直面することになる。
それ以外の通常人は現存する世界から応分の恩恵を受けて
そのような残酷さに直面しないで済んでいるに過ぎない。
そして、この残酷さに直面し、理不尽だと感じながら、
どんな報いも得られないかもしれないと思いつつ、
自らの自由意志で自分の責任を果たそうと努めてみよう
と殊勝にも考えたとしよう。
そうすると、しばらくするとイニシエーションを
受けることができるかもしれない。
もし、運良くイニシエーションが受けられれば、
今度はまったく逆の現象が起こる。
その本質的な残酷性が実はその本質的な神の恩寵
とでも言うべきものに変容する!!
世界の残酷さと自らが一体となることで
実はそれが恩寵であったと感じるようになるのだ!
正直なところ、これはイニシエーション後の私の実感でもある。
ただ残念なことはこの真性ドキュソが必ずしもイニシエーションを受ける
だけの条件を備えていないことの方が多いだろう、ということだ。
だから、やっぱり宗教が大事だということになる。
そうだ。
>>389と
>>390はイニシエーション後の私の人生に対する姿勢を
あらわしているよ。
世界は残酷だと思いつつ、同時に、世界は自分に恩寵を与えてくれる
と、なぜか思えるのだ。
残酷、非情なことに直面してもそれと同じだけ、いやそれ以上に
世界は私を祝福してくれている、となぜか思えるのだ。
別に自己満足でも、気が狂ったわけでもないのだが。
付け加えると、
だから、私はたまに残酷なことを他人に平気で言えたりするのだ。
そうだったのか。
いま初めて気がついた(藁)
>>422にもう少しだけ追加したい。
具体的に言えば、100コ不幸な、嫌なことがあっても、
1コ幸福な、いいことがあれば自分は世界一の果報者
となぜか思えてしまうのだ。
もちろん、その100コの嫌なことと1コのいいことを
天秤にかければ100コの方がはるかに大きい場合でも
そのように、純粋に1つの幸せな状態に対して
最高の幸福感を味わうことができるのだ。
100コの嫌なことを忘れ、1つの幸せな状態を
喜ぶことができるのだ。
ただの脳天気と言われればそれまでだが。
しかし、これは事実なのである。
面白くなってきた(
>>418-424)。伝導瞑想については後回しにしよう。
>>418-424についてはほとんど同意。というか、ヴァルカン氏の具体的に
語る能力にはいつも感心する。そのうえでまず、
>その一つの解決策は宗教だろう。
>世界のすべてに見捨てられてもその世界の外側にある宗教がその者を
>救ってくれれば、その者は生きていけるだろう。 (
>>420)
について、「世界」「世界の外側」について考えてみたい。通常「世界」
及び「世界の外側」が「現実世界」「霊的世界」と美しくフィットする
のは彼が死に直面した場合のみであろう。通常の持続する時間のなかで、
このような美しい整合性が持続することはありえない。この場合、彼に
とって、「世界」は「共同体」として表れてくるはずである。すなわち
スケープゴートを内部から出したり、異分子を排除したりするような
「共同体」である。現実の宗教は時間・空間のなかで「共同体」の形式を
とっている。そのような「共同体」は根本的に他者との共感する感覚を鈍
らせることによってなりたっていると言える。一般に「共同体」にとって、
真に出会い、共感しうる他者はその内部において見い出し得ないものだ。
そこには、感情的な同一化しか本質的に成立しない。他者との真の出会い
を求めるものはたちまちスケープゴートにされてしまうだろう。
もちろん真性ドキュソがある共同体としての特定の宗教に感情的に同一化し
、箱のような世界に従属してしまうなら、なんの問題もあるまい。私には彼
が幸福であるとは少しも思えないにせよ。が、ホンモノの真性ドキュソは結
局のところ長期間そのような感情的同一化に埋没は出来ないものである。す
ると結局、そこは「世界の外」にはならず、その新しい「世界」からも恩恵
がうけられない。望むものは見出せなかったということになるであろう。す
ると、結局彼にとっての「信仰」は「イニシエーション」への路と同じこと
にならざるおえない。結局彼は真に共感し得る他者を見い出すため、幸か不
幸か「共同体」からでなければならない。かれの信仰がそのように彼を導く
であろう。結局、人が見い出し得る「世界の美しさ・恩寵」は、彼が逃げず
に直視出来る「世界の残酷さ」と比例しているのだろう。
補足するならば、彼にとって信仰の対象である神もまた、他者に他ならない。
信仰者が真に神を見い出すためには、他者としての仏陀・キリストetcと出会
わなければならず(何故ならば真に人が、感情的同一化ではなく、共感出来
る対象は多者として表れるだろうから)、彼は共同体としての宗教の外で、す
なわち「世界の外側」で神を見い出さねばならない。これはイニシエーション
への路そのものだろう。
もちろん秘教的に言えば、彼がかならずその人生でイニシエーションを受けら
れるとは限らない。これも世界の残酷さの一つであろう。が、しかし仮に志し
なかばで彼の人生が終わったとしても、彼の人生は無駄ではもちろんなく、や
はり彼の人生は美しかったといえるだろう。
かつて、サカキバラ事件について、ヴァルカン氏が書かれていたが、彼のように
内面的危機が外部への攻撃性として出て、犯罪をおかす者もいれば、それが内部
に向かい精神病になる者もいる。また、ある宗教に同一化し、個人の病理を集団
の病理に転嫁し安定する者もいる。そして、上に述べたように幸か不幸かイニシ
エーション(そんな言葉はしらなくても)を指向せざるおえない者もいる。
これら全てが、残酷でもあり美しくもある、世界というものだろう。
ところで、>ヴァルカン氏
>具体的に言えば、100コ不幸な、嫌なことがあっても、
>1コ幸福な、いいことがあれば自分は世界一の果報者
>となぜか思えてしまうのだ。
時間的にはどうですか?私も同じなのだが、些細なことで、過去の
不幸を思い出してしまい、幸福が乱れることもある。
それが持続して、それに支配されることはないにせよ。
どうも
>>422、
>>424は不適切だったような気がする。
心情的にはそういう心情があることは事実だけれども
この場合の実例としては不適切であった。
残酷な状況に遭遇し、自己を残酷さに委ね、残酷さと一体となる。
そのとき、残酷さに身を浸しながら、残酷さを客観的に
眺める自分というものに気付く。
さらに、残酷さの裏側には実は恩寵のようなものがあることに気付く。
あたかもコインのオモテウラの如く。
この、残酷さの裏側にある恩寵に気付くためには、
残酷さの中へ、奥深く入って行かなければならない。
客観的に残酷さを眺める自分と言っても、その自分は
一度はその残酷さの内部へ深く入らなければ
その裏側にある恩寵に気付くことは決してできない。
ジュピター氏が
>>257などで言う、霊と物質の統合、その間にある魂
とはこのことではないだろうか。
私としては、実際の残酷さを目の当たりにしてそれを客観的に
眺めることが可能な自分にまず気付く。
そして、それを客観的に眺められることが可能な自分に対して
何らかの恩寵があることを感じる。
ついには、いよいよ残酷さに身を浸し、その残酷さを克服せんがための
挑戦心、勇気みたいなものが奮い立ってくる。
世界の残酷さというものを自己の能力や実力を表現するための
挑戦の場のように思えてくるのだ。
>ジュピター氏
>そういえばユングも老賢者でしたね?
もしや、ユングはあの人生で第二イニシエーションを?
いくつの時だったのでしょうか?
>次回は伝導瞑想について思うところを書こうと思う。
これはかなり興味のあるところです。
お願いします。
>>295、
>>296で私の伝導瞑想体験を語ってはいるが
正直のところよくわからない。
私の場合、通常の伝導瞑想だけでなく、クレーム氏の講演会のときに
行われる、マイトレーヤやサイババの祝福のときも何も感じなかった。
少なくとも、私には瞑想が不向きであることはわかるのだが。
実際、他人の伝導瞑想体験もそんなに詳しく伺ったことがない
のでぜひ詳しくお願いします。
>>425、426、427
難しい。よく読んでよく考えてみます。
>具体的に言えば、100コ不幸な、嫌なことがあっても、
>1コ幸福な、いいことがあれば自分は世界一の果報者
>となぜか思えてしまうのだ。
いや、これはこの場合の実例としては不適切だったと思う。
単に私が能天気な性格だという可能性が強いと思う。
トラウマのようなものは私にもあるが、特に
過去の不幸と同種の不幸に直面するとそれは現れる。
結局、自分の中でカルマみたいなものを清算できていないのだろう。
同種の不幸に直面したとき、過去の失敗とは別の方法で
その不幸に立ち向かい、それを克服する、ということができれば
過去を思い出して乱されるということはなくなると思う。
>>425 >そのような「共同体」は根本的に他者との共感する感覚を鈍
>らせることによってなりたっていると言える。一般に「共同体」にとって、
>真に出会い、共感しうる他者はその内部において見い出し得ないものだ。
>そこには、感情的な同一化しか本質的に成立しない。
そこまで言ってしまっては、ミもフタも無いような気もするけれども。
でも、名無し太郎氏とやりあって、もしかするとそうなのかも知れない
と思い始めてきた。
私としては、「世界」「世界の外」「宗教」との関係を考えると
憲法20条(政教分離)を考案した者の慧眼に感心してしまう。
現実のところ、人間の生きる世界がすべてであり、政治がそれを治める
タテマエだけれども、そうなると、「宗教」も当然外形的にはその政治の
支配下にあることになるはずだけれども、この条文のおかげで
「宗教」は、あたかも「世界」の中にありながら「世界の外」にあることも
可能になる。
「宗教」が名実ともに「世界」の中にあってしまっては
何の救いにもならないだろうから。
付け加えると憲法19条(良心の自由)という条文にも大きな可能性を感じる。
つまり、人間は外形的には束縛されても構わないけれども、内心は絶対的に
自由であるということだ。
子供のころとか、あまり無思慮のころは「逆だろ!」と思ったけれども、
実は内心に自由がある方が、苦境に立たされたとき、「世界の外」へ
突き抜ける可能性が与えられるのだ。
432 :
考える名無しさん :2001/05/15(火) 22:42
1)
>もしや、ユングはあの人生で第二イニシエーションを?
>いくつの時だったのでしょうか?
かれは2.2段階(クレーム氏によれば)なので、当然あの人生でイニシエーションを
受けたでしょう。停滞・堕落したような人生ではとてもないですし。
ユング自伝1・2(みすず書房)から推察するに、2巻の幻像(ヴィジョン)の章が
第2イニシエーションの体験でしょう。というか、私が知る限りにおいて、この書物が
第2イニシエーションについて、実際の体験として書かれた最良の書物。
そのまま引用。
「私が岩の入口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。つまり、私は
すべてが脱落して行くのを感じた。私が目標としたもの、希望したもの、思考したもの
すべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱
していった。この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものもいくらかはあった。
それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったことのすべてで、それらのす
べてがまるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、私がそ
れらそのものだといえるかもしれない。いいかえれば、私をいう人間はそうしたあらゆる
出来事からなり立っていた。私は私自身の歴史の上になり立っているということを強く感
じた。これこそが私なのだ。「私は存在したもの、成就したものの束である。」p.126」
引用は一部にすぎません。この章全体が第2イニシエーションについて費やされています。
ぜひ一読をお勧めします。
2)
ああ!
>>428にはまったくの同意です!
>ジュピター氏が
>>257などで言う、霊と物質の統合、その間にある魂
>とはこのことではないだろうか。
はい。私自身はっきりと言語化出来るほど分かっていないまま、極めて
抽象的な書き方で書いていることを、いつも具体的に肉付けして言い換
えてくれますね。>ヴァルカン氏
またユングの引用です。
「このようにして私は、どんなに不可解なことが起こっても、それを拒むことのない自我
を鍛えた。つまりそれは、真実に耐える自我であって、それは世界や運命と比べても遜色
がない。かくして、敗北をも勝利と体験する。内的にも外的にも、かき乱すものはなにも
ない。それは自己の持続性が、生命や時間の流れに耐えているからである。しかしこれら
はただ、運命の計らいに、出すぎた干渉をしないときにのみ流れ去ってゆくのだ。
ユング自伝2巻・幻像p.136」
3)
で、私の前回のカキコ、
>>425-427もやはり、まだ未消化で、今読み返す
と不本意なところが多いです。ふと読み返した本の読後感が未消化のまま
出てしまってます。
柄谷行人「言葉と悲劇」・講談社学術文庫/講演録です。結構面白い。
特に、
『江戸の注釈学と現在』『「理」の批判』『日本的「自然」について』
『世界宗教について』『スピノザの「無限」』
のあたり(まだそこらへんしか読んでないけど)。
4)
>
>>425 >>そのような「共同体」は根本的に他者との共感する感覚を鈍
>>らせることによってなりたっていると言える。一般に「共同体」にとって、
>>真に出会い、共感しうる他者はその内部において見い出し得ないものだ。
>>そこには、感情的な同一化しか本質的に成立しない。
>
>そこまで言ってしまっては、ミもフタも無いような気もするけれども。
>でも、名無し太郎氏とやりあって、もしかするとそうなのかも知れない
>と思い始めてきた。 (
>>431)
これについては、単純化したモデルと考えてください。具体的に一つの共同体・
グループのなかで共感がありえないとまではいいません。ただ、たまたまある
二人の人物が同じ共同体に属していて、あるとき共感に至ったとする。その際
彼ら・彼女らはお互いを共同体の一員としてでなく、個人としてみなすという
こと。名無し太郎氏は最後まで、シェアのメンバーとしての立ち場からのレス
しかしなかった。個人としてのレスはなかったですね。
5)「愛」と「暴力」
またまたユングの引用です。
「この夢や、幻像のなかで私が経験した客観性は、完成していく個性化の一部を
なしている。この個性化とは価値判断とか、感情的結合と呼ばれているものから
の離脱を意味している。感情的結合は人間にとって、一般的にはきわめて重要だ
が、しかしそれは投射を含んでいて、自分自身や客観性に到達するためには、こ
の投射を棄て去ることが肝要である。感情関係は、強制と圧迫との入り混じった
欲望の関係であって、その関係では他人からなにか期待されていて、それが他人
も自分自身をも窮屈にしている。客観的な認識は感情関係の背景に隠れ、その認
識は中核的は秘密であるように見える。客観的認識によってはじめて現実的な合
一(コンユンクシオ)が可能である。
ユング自伝2巻・幻像p.034-135」
>感情関係は、強制と圧迫との入り混じった欲望の関係であって、..
自己投射に基づく感情的関係は、(柄谷的に言えば)「暴力」ということです。
何故なら、そこには「多者」という視点が欠落しているから..。
「暴力」に対するのは、もちろん「愛」ですね。
彼(柄谷)は結局「空=神」「同一性」「自己」「自己と非自己の差異化(自己
とそうでないものとの差異化だから、非自己が他者であるかなどどうでもよい。
結局自分のことだけ)」からは「暴力の思想」しか出てこないといっている。
それに対して、「愛の思想」が生まれ得るのには、「空=神」でなく、「多者=神」
という視点が必要だといっている。前掲書『日本的「自然」について』の前後。
6)密教と顕教(1)
>補足するならば、彼にとって信仰の対象である神もまた、他者に他ならない。
>信仰者が真に神を見い出すためには、他者としての仏陀・キリストetcと出会
>わなければならず(何故ならば真に人が、感情的同一化ではなく、共感出来
>る対象は多者として表れるだろうから)、彼は共同体としての宗教の外で、す
>なわち「世界の外側」で神を見い出さねばならない。これはイニシエーション
>への路そのものだろう。 (
>>426)
秘教学徒が陥りやすい危険性。秘教においてはイエスもゴータマ王子もモハメッド
も一人の弟子(イニシエート)として、世界観『5)で述べたような「空=神」に
基づく秘教哲学』によって「整理」されてしまう。もちろん、彼自身が一人のイニ
シエートとして啓示の路を自ら歩むなら問題あるまい。本来密教とは顕教とは違い
師が弟子の進化に合わせて伝授するのが伝統だった。もちろん、これにも個人崇拝
に陥る危険はあるのだが..。が、現代では違う(ブラヴァツキ以後)。独り「弟
子道」を歩まぬ多くの学徒は秘教哲学に接し、宗教人のような感情的帰依というグ
ラマーから自由になったと錯覚する。が、しかし「(「空=神」に基づく)秘教哲
学」と言う名の「世界観」というグラマーに引っ越したにすぎない。前節で述べた
ように、彼は「秘教哲学」を「暴力の思想」にしてしまいがちだろう。名無し太郎
氏のレスを見よ!>ALL。あれが言葉の暴力でなくて何だ?
7)密教と顕教(2)
ようするに、自ら実践しない「秘教哲学」ほど、危険なものはないだろう。
実践しない者にとって、哲学に内包された(例えば)キリストは、ユングが言う、
>感情的結合(略)それは投射を含んでいて..
>感情関係は、強制と圧迫との入り混じった欲望の関係
という意味において、感情的帰依と変わらない、というか、宗教人が持つ畏敬の念
がないだけにタチが悪いだろう。それは自己投射という名のナルシシズムだろう。
ここで、話しはずれるが、真のオカルティスト、ブラヴァツキがうちたてた神智学
から、何故にキリスト者としての神秘主義者、シュタイナーは独立し人智学を立て
たのか?彼の主張は(2000年前の)キリストの歴史的一回性だった。彼にとって
キリストも仏陀も「空=神」に基づいて「哲学」に内包してしまう神智学、または
当時の神智学徒の「暴力の思想」に対して意義を唱えたと言える。彼が密教徒とい
うより神秘家だったといえばそれまでだが、彼はキリストを>自己投射という名の
ナルシシズム<の対象にし得ない哲学を打ち立てたといえる。すなわち他のイニシ
エートと比較出来ない、歴史のなかでの一回性としてあるキリスト像を。
「空=神」でなく「他者(人類にとって)=神」の思想。いうまでもないが、真にイ
ニシーションへの路を歩む学徒は>自己投射という名のナルシシズム<は無縁であ
る。例えば聖フランチェスコがキリストに倣おうとするのは全然別の話だ。それは
欲望(他者への暴力)ではない。
8)
今思った。マイトレーヤが大宣言をし、人類の前に表れたなら、それは歴史上一回の
ことであって、人類にとって、真に「対話」すべき「他者=神」の出現ということに
なるなぁ。そうしたら「愛の思想」が花開くという結論に、当然帰着する(笑
9)ここで4)に戻る。
日本を例にとります。歴史的に日本は海に囲まれていて、なおかつ大陸との距離
が、例えばイギリス等に比べ離れていた。おまけに直接中国と接していたのでは
なく、あいだに朝鮮があった。故に日本人は、平安朝以降、大陸に接した島国(
海洋国家)としてでなく、いわば小さな大陸として日本を認識していた。
例えば「天下」という表現があるが、これは大陸では中国大陸全体(全世界)を
さす。朝鮮やベトナムなどでは自国のことを天下とは表現しない。
ようするに日本は一つの小世界(「共同体」)であった。この場合「共同体」とは
「外部」を持つ「世界」という意味において用います。すなわち「自己(日本)」
と「非自己(海のそと)」。もちろん日本のなかにおいても人と人とが、真に出会
い共感することはあります。が、日本人が日本を(無意識的に)「共同体」として
みなす時、共同体の外部(海の外)は異形の世界であり、たとえば西洋人が難破し
て漂着でもしようものなら、「鬼」あつかいされたことは想像に難くない(笑)要
するに海の外の存在は対話し共感する「他者」としてでなく、異形の「非自己」と
してある。現代においてもその傾向は残ってますね。大分白人には慣れたけど、ま
だ日本人はイスラム圏の人間等に対しては、まだまだ「鬼」あつかいする(笑)
10)続
例えば、かつての学生運動の時代に、一部の者たちは武器を持ってパレスチナに渡
った。彼らが成功したか、失敗したかはまた別問題として、彼らはあの時代のなか
で、パレスチナ人と他者として出会い、共感しあい、真の隣人として出会うためパ
レスチナに渡った部分もあるのではなかろうか?ようするに彼らはその時確かに「
共同体」としての日本を出たのだろう。どれほど自覚的だったかは判らないけれど。
ようするに、真に他者と共感するためには「世界」の外、言い換えれば、もはや「
外」のない「世界」に出ていかねばならない。「自己」と「非自己=外」からなる
世界観を捨てねばならない。宗教の路も同様、イエスはユダヤ共同体主義を批判し
た。「他者を愛せ」と..。
なんか収拾つかなくなってきた(藁
11)
>>次回は伝導瞑想について思うところを書こうと思う。
>これはかなり興味のあるところです。
>お願いします。
おまたせして申し訳ない。次回こそアップします。
それにしても、柄谷とユングを並べてレス書くなんて「学」のある人なら絶対
やらんな(藁
今日はここまで。
>ジュピター氏
ああ、難しい。
ああ、わからない。
でも、ありがとう。
私は今回のこの書き込みをきっかけに自分の光線構造が見えてきた気がする。
あなたとは思考回路がぜんぜん違うのかもしれない。
私の光線構造はズバリ、
2−5(2)−1(4)−4(4)−3(3)
と予想した。
主光線はたぶん全部当たっている自信はある。
たぶん、自分には6光線と7光線の要素がないように思う。
今度、詳しく光線構造について思うところを書こうと思う。
こんにちは。
久しぶりに覗いたら、相も変わらず自慰行為に耽り、
露出狂よろしく互いに見せ合いっこしているようですね!
まあ、こんな気色悪いスレはあなたたち以外誰も読まないのでしょうから
勝手にやっていただいて構わないとは思いますが、第三者からは見苦しく
ウザいこと極まりない会話であることくらいは自覚してくださいネ(無理か)。
以下は私の最後っ屁です。
イニシエーションとか進化段階とか光線構造がどうたらこうたらと
ごたくを並べて悦に入っている方々のところへ、
私が明らかに「余計なお世話」なツッコミを入れたのに対して、
「ヴァルカンさん」と名乗る人が
「シェア内部の人のようだね。何を書いてもかまわんからコメントを」
という趣旨の発言をいたしました。
そこで私の書いた平凡実直な感想が、
「ヴァルカンさん」の鬱屈した情念の
思わぬ噴出を招いてしまいました!
(ちなみに「内部」という言葉が何を意味するにせよ、
私は「シェア内部」の人間ではありません。あしからず)
「ヴァルカンさん」のやったら感情的でネチネチとしたレスを読んで、
ああ、こりゃ煮ても焼いても食えん、こんな人と議論しても不毛だわい、
と感じたので、私は早々にやりとりを打ち切ることにしました。
しかも「ヴァルカンさん」一人ではなく、「ジュピター」とかいう
これまた激しく勘違いした同調者が横槍を入れてくるとあっては
とーてー「勝ち目」はありませんからね。
さて…。あなたたちが一番ダメなのは、往生際が悪い!ということです。
神智学や人智学の本を血眼になって読み漁り、ベンジャミン・クレームの本も
新刊が出ると即チェックするほど熱読し、自分の光線構造はどうだとか
自分がイニシエーションを受けたとかいう突拍子もない空想までしながら、
「『内部の人』は洗脳された哀れな連中だよね、でも俺はもっと賢いんだよ」
とでも言うかのように、
「俺はベンジャミン・クレームの世界観に完全に包含されてはいない」
と自分のなけなしのエゴを温存して突っ張り、
あたかもそれが自立した思考の証左であるかのように
肩肘突っ張らせ胸を張って、誇らしげに開き直って居る。
そして私のような「内部の」(本当は違うんだけど)人間が、
「密教的」な観点から客観的かつ冷静にコメントすると、
やれクレーム崇拝だの、密教知識がグラマーの温床になっているだの、
エリート意識に囚われているだの、自分の内面を語らないだの言って
異様なまでにヒステリックに、しかも偏執狂気味にしつこく反応する。
そこまで過剰に反応するということは、よっぽど痛い部分に触れたん
でしょうか…
揚げ句の果ては、「密教知識をふりかざして人間を馬鹿にするな!」ときた。
勘違いしないでくださいね。
「人間」を馬鹿にしてるんじゃない、「あなた」を馬鹿にしてるんだよ!
密教についての生半可な知識をオカズにして精神的自慰に耽る「あなた」を!
小学生でも分かるような論理のスリ替えは止めましょう!
大体、これまでさんざん「密教知識」をふりかざしてきたのは
あなたの方だろうが。
なのに私が、あなたが第二イニシエートではあり得ないことを
「密教知識」で証明しようと試みた(そして事実証明した)ら、
「そんなことはどうでもいい」と逃げを打つ。
あるいは「言葉のアヤ」などと言って誤魔化す。
そもそも自らの内面を本当に真摯に語りたいのなら、
最初から「イニシエーション」とか「進化段階」などという
他人の書物から得た(その上「どうでもいい」と思っている)
観念を援用するのは止めたほうがいいんじゃないの?
あなたは私が「観念を崇拝している」と
カン違いも甚だしい憎まれ口を叩いていますが、
あなたには『マイトレーヤの使命第二巻』の「奉仕への召集」
を熟読することをお勧めします。
進化段階やイニシエーションのところなんか
熱心に読まなくてもいいから。
密教の観念は、他のお遊び哲学の概念とは違って、
犬も食わない矮小でチンケなエゴを温存しながら
弄ぶことができるようなものではないのです。
あなたは「道を真剣に歩むつもりがあるのなら」
という私の言葉に対して「そのつもりなどない」
と言いきったのだから、これ以上の火遊びは止めなさいッ!
曲がりなりにも「密教知識」にある程度通じたあなたなら、
この忠告の意味は分かるでしょう。分かんないなら、
それこそどっか行っちまえ!
たぶんキミは、まだ心のどこかで
「ひょっとしたら俺は第二段階のイニシエートなんじゃないか」
という一抹の思いを捨てきれずにいるんじゃないかな?
だったら、ここで私が断言してあげます。
それは200%あり得ないから安心しなさい。
悪いことは言わないから、もう密教の本など読むのは止めて、
まっとうな社会人として誠実に生きるよう努めなさい。
これを読んであなたが(もち「ジュピターさん」も含めて)
どれほど「不愉快な」思いをするか、
どういう反応をするか、私には手に取るように分かります。
実際、以前の私の文章に対するあなたのレスは、
まさしく私の予想通りの内容でした。
その時点で、つまりたかだか私程度の人間に反応を読まれている時点で
―――あなたはもうたいした人間ではないということなんだよ。
そして、俺はそんな人間に個人的な「内面」を切々と語るほど
暇を持て余してもいなければ、
こんなところで「内面」を吐き出すことに快感を覚え、
それによってしか自己を確認できないほど情けない人間でもないんだよ!
さて、以上の文章を読んで、あなたがどんな反応をしようが、
もう私がこのスレに目を通すことは二度とないので、
どうか以後この文章は無視して、
二人の「心地よーい」会話(というより××××)を続けてください。
こういうのもありでしょ? なんせここは「2ちゃんねる」ですから。
最後にもう一つ余計なお世話。
私みたいにダメでイヤな人間にならないためにも
(もうなっているかもしれないけれど)、
ネットにはまるのは止めた方がいいですよ。
では。
>名無し太郎氏
>相も変わらず自慰行為に耽り、
まあ、進化していない者にとっては人生のすべてが自慰だろう。
>露出狂よろしく互いに見せ合いっこしているようですね!
匿名だから露出狂でもないだろう。
それにここだけの話だが、私はウソを言ってはいないが、
実生活の私がいかなるものか、正体を見抜かれないように
レスにそれなりの工夫を加えている。
感情のコントロールができてこその「オカルトの沈黙」だな。
>第三者からは見苦しくウザいこと極まりない会話
>であることくらいは自覚してくださいネ(無理か)。
ウザがってるのはあなただけかも知れないよ。
これでも気を遣ってるんだよ。
私は下げレス以外していないしね。
わざわざほじくり返して見ているのは実はあなただけじゃないのか。
>そこで私の書いた平凡実直な感想が、
>「ヴァルカンさん」の鬱屈した情念の
>思わぬ噴出を招いてしまいました!
グラマーにどっぷり漬かっている進化段階のあなたには
どうしても鬱屈した情念にしか見えないようだね。
>とーてー「勝ち目」はありませんからね。
この程度であきらめているようじゃ、
あなたの啓蒙活動の前途は暗いな。
だいたい、私たちはクレーム氏への批判を
ひとことも口にしていないんだよ。
そんな相手に勝てないようでは、批判派に
どうやって打ち勝っていくのだね?
>あなたたちが一番ダメなのは、往生際が悪い!ということです。
往生際の悪さはイニシエーションを受けるための秘訣だぞ(藁)
>新刊が出ると即チェックするほど熱読し、
即チェックできたのはシェアスレのあなたのレスを見たからだ。
情報サンキュー。
>「俺はベンジャミン・クレームの世界観に完全に包含されてはいない」
あなたもこれくらい突っ張ってみなよ。
>肩肘突っ張らせ胸を張って、誇らしげに開き直って居る
あなたにそう見えているだけだろう。
こんなところで2段階だと認められても仕方ないだろう。
あなたみたいな人にはどうやってもクレーム氏のお墨付きでも
頂かないことには納得しないのだね。
>密教についての生半可な知識をオカズにして
>精神的自慰に耽る「あなた」を!
あなたの言う通り私が進化していないのだったら
自慰にふけるのはやむをえない。
もし、あなたが私よりも進化しているのなら、それを看過するほどの
度量の大きさを見せてほしいところだね。
>最初から「イニシエーション」とか「進化段階」などという
>他人の書物から得た(その上「どうでもいい」と思っている)
>観念を援用するのは止めたほうがいいんじゃないの?
なんでやめなきゃいけないんだ?
ユングとかいろいろ話が広がり始めているのに
膨大にある書物の一として参照するくらい構わないだろう。
「他人の書物」だなんてクレーム氏の情報は
あなたがただけの情報だとでも言いたいのか?
相変わらず「拝みグセ」がなおらないようだね。
>密教の観念は、他のお遊び哲学の概念とは違って、
>犬も食わない矮小でチンケなエゴを温存しながら
>弄ぶことができるようなものではないのです。
だから密教本だけ特別扱いするなよ。
私たちだけでなく他の哲学までバカにするつもりかな。
自分たち以外はみんなバカだとでも言いたいのか?
あなたが密教を崇拝するのは勝手だけれどもさ。
>これ以上の火遊びは止めなさいッ!
どこが火遊びなんだよ。
まったく安全じゃん。
>あなたには『マイトレーヤの使命第二巻』の「奉仕への召集」
>を熟読することをお勧めします。
また、権威をタテにするのか。
>この忠告の意味は分かるでしょう。分かんないなら、
>それこそどっか行っちまえ!
わからないよ。
わからないからこそ第2段階のイニシエーションにまで
突き抜けちゃったんだよ。
私とジュピター氏はもう既にどっかへ行っちゃってるんだよ。
>「ひょっとしたら俺は第二段階のイニシエートなんじゃないか」
>という一抹の思いを捨てきれずにいるんじゃないかな?
そのとおり。
少しは私たちの往生際の悪さをみならえよ。
>だったら、ここで私が断言してあげます。
>それは200%あり得ないから安心しなさい。
だからあなたの神秘体験を語ってよ。
でなきゃ埒があかないよ。
で、私たちの神秘体験のどの部分があなたと共通していて
どの部分がグラマーなのか指摘してくれないと。
いつまでも自慰は続くよ。
>実際、以前の私の文章に対するあなたのレスは、
>まさしく私の予想通りの内容でした。
>その時点で、つまりたかだか私程度の人間に反応を読まれている時点で
>―――あなたはもうたいした人間ではないということなんだよ。
たぶん、あなたは1.3−1.4の進化段階なんだろう。
その進化段階だとグラマーが激しいんだろ。
反応が読めたつもり、予想通りだと感じたつもりなんじゃないのか?
>俺はそんな人間に個人的な「内面」を切々と語るほど
>暇を持て余してもいなければ、
これだけ長い最後っ屁をやる暇があるじゃないか。
早くあなたの神秘体験を語れよ。
>それによってしか自己を確認できないほど情けない人間でもないんだよ!
ただの遊び、趣味だと言っているだろう。
でも、火遊びじゃないよ。
>もう私がこのスレに目を通すことは二度とないので、
たぶん、見ると思うな。
現に
>>363で最後のはずじゃなかったのか?
見ないと言って見ないでいられるなら、あなたこそ
本物のイニシエートだと思うよ。
でも、あなたは見ていた。
私の予想こそ当たったじゃないか。
ここまでの最後っ屁をやるとは予想できなかったけど。
>こういうのもありでしょ? なんせここは「2ちゃんねる」ですから。
もちろん。
ありだと認めるから、あなたの神秘体験を答えてくれ。
>ネットにはまるのは止めた方がいいですよ。
アハハ、同意。
このスレで初めてあなたと共感できたな(藁)。
でも、私は本当にダメで嫌な人間じゃないよ。
>>444を見てよ。
4光線が3つあるでしょ。
私は他人から嫌われたことはほとんど無いよ。
私はむしろ、
>>445−
>>452でシェアのイメージが悪くなることを恐れるよ。
シェアは名無し太郎氏のような人たちの集まりでないこと
を私は信じているよ。
名無し太郎氏が出てくるまでは私はシェアに対して
意識的にほとんどまったくネガティブなことを言ってこなかった。
あなたが出てこなけりゃ本当に私もジュピター氏も
自慰行為にふけっているだけと思われたかもしれないのにな。
これ以上は第3者、いや第4者(名無し太郎氏、
ヴァルカン、ジュピター氏の3人以外)の判定に委ねるほかはないな。
あーあ、まったくワリに合わないよなあ。
せっかくクレーム氏にも聞けないような実際のイニシエーション体験を
赤裸々に語っているのに、感謝されるどころかこの憎まれ口だもんな。
なんでこんなに怒られるんだろう?
ま、いいよ。
これが真の弟子道さ。
憎まれ口を叩きながらでもロムし続けなよ。
私は自慰を続けるよ。
さてと、気を取り直してこの週末も自慰に耽ってみるかな。
アハハ。
やばいなあ。
だんだんキャラが崩れてきた。
実生活の私はまさしく4光線のダブルなんだよな。
こんなスタンスでこういう内容を語ったら
ますます名無し太郎氏が激怒しちゃうよな。
本当はガチガチの1光線、5光線あたりで格調高く語りたいんだけど。
ま、自慰だから構わないか。
アハハ。
461 :
第4者:2001/05/19(土) 00:16
オカルトの沈黙
>宗教の路も同様、イエスはユダヤ共同体主義を批判し
>た。「他者を愛せ」と..。
このあたりの事情について私が日々感じていることを述べたい。
キリスト教の隣人愛というのは要するに
「敵を愛せ」ということだろう。
これとは別に、フランス革命の旗印の自由、平等、博愛
の「博愛」は同胞愛、つまり、「仲間を愛せ」ということだろう。
ひるがえって、現代の日本人の言う「人類みな兄弟」、「世界平和」、、、
というのはこれらがごっちゃになったものだと思う。
現代の日本においては、隣人愛、博愛、同胞愛が
ごちゃまぜで抽象化されたあげく、いずれの愛もリアリティの
あるものとして受け止められず、結局
誰をも愛さない、愛せない、カタワな個人主義者が
たくさん生み出されてしまっているように思える。
もっと言えば、キリスト教は過激思想だ。
なにせ「敵を愛せ」と言っているのだから。
フランス革命は「革命」と言いながら「仲間を愛せ」
と言っているのだから、ある意味保守的とも思える。
ここからは純粋に私の個人的信条になるけれども、
人間の自然なあり方として、まず、
身近な仲間を愛することを学び、その後、
身近でない、異文化の、あるいは、敵を愛するように
努めるのがスジのように思える。
もちろん、身近なことから始めるより、いきなり
異文化に触れることから始めた方がうまくゆく
ケースもあるだろう。
私は思うのだ。
日本人は先の戦争で大東亜共栄圏を標榜した。
そして、失敗した。
この失敗の原因の本質は、日本人が欧米列強帝国に
対抗しようとしたことから始まるのだけれども、
要するに日本人の度量が小さかったことにあるのだと思う。
文化の同じ日本人同士で通じる「人類みな兄弟」、「話せばわかる」
というような安易な感覚でアジアを支配下におこうと
したのが甘過ぎる見通しだったのだと思う。
それにひきかえ、欧米やキリスト教文化圏は
とりあえずは勝っている。
アメリカは日本に原爆を2つ落とし、日本を壊滅に
追い込みながら、逆に日本からも世界からも
尊敬されるような地位に立っている。
キリスト教は「敵を愛せ」と言いながら、世界に侵攻?し、
ついには世界中にその根を張ることに成功している。
かつての欧米列強は「敵を愛する」技術に長けていたのだ。
日本はいまだに先の戦争の総括をするメドが立っていない。
日本人にとってはまず、仲間である日本人を愛することから
始め、水準が高いと思われる「敵を愛する」ということは
もう少し先に延ばすような戦略がいいのではないかと思う。
大戦後、日本では愛国心とともに、こういう「仲間を愛する」
同胞愛まで否定されてきたきらいがあると思う。
さらに進んで思うのだ。
こんな現代の日本の状況が、クレーム氏をして
「日本人ほど心が開いており、マイトレーヤの訴えの中心である
分かち合いのメッセージに、これほど共感を示した聴衆は見られなかった」
(「マイトレーヤと覚者方の再臨」日本語版への序文8ページ)
と言わしめているのではないだろうか。
もちろん、イギリス人であるクレーム氏に日本の戦前戦後のあり方
についてあまり知識はないであろうから、上の言葉は
純粋に日本人に対する礼儀、賛辞、称賛のつもりであったのだろう。
上でも述べた通り、現代の日本人の倫理観において、
隣人愛、同胞愛、博愛など愛の観念はごちゃごちゃになっている。
だから、「分かち合い」などというメッセージに安易に説得力を
感じるのではないだろうか。
かなりうがった見方かもしれない。
私が言いたいのは、クレーム氏の提案に同意する者、同意して啓蒙
などということを始める者が、いったいどれだけ深いレベルで
同意しているか疑問があるということだ。
シェアより先に、ライフスペース、法の華、オウム、幸福の科学、
統一教会、、、などを知っていたらそちらに流れてはいなかったか?
あるいは、戦前のように「鬼畜米英」教育を受けていても、それでも
イギリス人のクレーム氏の提案に賛同していたか?
そういうすべてを勘案したあげく、それでも賛同するなら
ホンモノだろう、と思うのだ。
私にはクレーム氏の発言でもう一つ気がかりなものがある。
クレーム氏は「日本は世界史を背後から前進させる弾み棒となる」
というようなことを言っている。
また、マイトレーヤによると「日本の崩壊は他のどの国よりも悲惨」
だということらしい。
このようなことを言うと、かなり反感を買うだろうけれども、
先の戦争では日本は確かにひどいことをたくさんやり、
自身も壊滅的ダメージを受けたけれども、そのおかげで
インドその他、植民地支配、人種差別を受けていた諸処の国々
が独立を果たしたことも事実である。
つまり、結果的にではあるけれども「弾み棒」にはなったのだ。
ま、独立後、独裁やらクーデターやら革命やらメチャクチャに
なった国々も多いんだろうけど。
大戦後の日本の経済復興も、ただ単にリッチになったということ
にとどまらず、白人と有色人種の橋渡しのような役割を果たした
とも言えるだろう。
反日感情を持っているアジア人もいるのだろうけれども、
日本の活躍に励まされたアジア、アフリカの人民は
日本人が思っているより多いらしい。
今度のマイトレーヤ降臨のこの時期においても
日本は再び滅亡的ダメージとひきかえに何か世界史を動かす
「弾み棒」のような働きをするのだろうか?
私としては、マイトレーヤの「日本の崩壊は他のどの国よりも悲惨」
というメッセージに喜んで食いつく日本人はあまり信用したくない。
仮にそうなる確率が限りなく高くてもそういう事情を
喜んで奇貨にできるようなメンタリティには嫌悪感を覚える。
まさしく、いかなる愛に対してもリアリティを持てず
カタワな個人主義へと陥っているように思えるのだ。
>>461 気がついたら20位以内に上がっていた。
このスレだけ単独に「お気に入り」に入れていたから気付かなかったよ。
>オカルトの沈黙
面白いけど、沈黙されちゃ困るよ。
第5者に期待しよう。
名無し太郎氏はいったい何が不満なのだろう。
批判は構わないけどまったく無関係の
第3者が見ても笑えるようなレスをつけてよ。
とげとげしいレスは関係者以外の人間が見ても
見るに耐えないよ。
ユーモアの感覚も弟子道には大切なことだよ。
前回のレスについて少し補足しておきたい。
結論から言えば、私はどんな主義、どんな宗教を持とうが
そのこと自体は大した問題だとは思っていない。
右翼でも左翼でも共産主義でも、キリスト教でもイスラム教でも
なんでも構わないと思っているのだ。
ただ気がかりなのが、戦後の日本に生まれた者には
自覚が困難だと思うのだが、戦後の日本のあり方というのは
世界史の中ではかなり特殊な国家のあり方ではないか
と私は思っている。
これについても異論反論はあるだろう。
戦後の日本では愛国心を持つという価値観が
かなり否定されてきたきらいがあると思う。
これは国家のありようとしてはかなり特殊ばことだと思う。
愛国心の反対は反逆心ということには必ずしもならない
とは思うが、そういう感情で新たに新しい主義、宗教に
入ったとしてもうまくいかないように思うのだ。
うまくいえないが、そのような動機で新しく何かの
宗教に入ったとしても、その動機自体が既に
そのような嫌悪の感情を基調としたもので、
新しい宗教の下で新しいことを始めると言っても
堂々巡りに陥ってしまうのではないかと思うのである。
過去の嫌な自分に訣別したと思っていても
なおのことその過去の嫌な自分の延長線上の人生を
送ってしまいがちとでも言えばいいのだろうか。
ちょっとやそっとじゃ、かつての自分の無意識によって
規定された自分の世界観から抜け出て
新しい世界観の下で生きることはできないと思うのだ。
新しく何かの宗教等に入った者はその入った時の
初心を常に肝に命じておくべきだと思う。
金曜の晩は名無し太郎氏の、あのとげとげしいレスを
あのまま放置するのは見るに耐えないと思って
速攻で即レスした。
ゆっくり読み返してみて思ったことがあるので
何点か書いてみようと思う。
(私の光線構造については後回し)
最初に名無し太郎氏の言葉じりを取ってみよう。
>たぶんキミは、まだ心のどこかで
>「ひょっとしたら俺は第二段階のイニシエートなんじゃないか」
>という一抹の思いを捨てきれずにいるんじゃないかな?
「一抹の思い」というのは違うんじゃないかな。
「一縷の思い」というべきじゃないのだろうか。
通常、一抹の不安、一縷の希望、と使うはずだ。
だとすれば、この文脈で「一抹の思い」はおかしい。
恐らく、名無し太郎氏は字面のみを追って、言葉じりのみを捕えた
つまらないツッコミをよくする人物だと思う。
その人物にしてこの初歩的な誤用はなんとも冴えない。
それとも?
実は第2イニシエートうんぬんについて「私が」
「一抹の思い」を捨てきれないのではなく、
「名無し太郎氏が」「一抹の不安」を捨てきれないのではなかろうか。
名無し太郎氏は200%ないと今回のレスでは言いつつ
前のレスでも書いたが、実は一抹の不安があるのだろう。
名無し太郎氏のその一抹の不安がこの冴えない誤用を
引き起こしたのではないだろうか?
深読みし過ぎかもしれないが、案外、人間の深層心理は
こういうところに表れるんじゃないかとも思う。
>なのに私が、あなたが第二イニシエートではあり得ないことを
>「密教知識」で証明しようと試みた(そして事実証明した)ら、
だいたい、本気で証明できたと名無し太郎氏は
思っているのだろうか。
もし、思っているとしたら、名無し太郎氏は本当に傲慢か、
もしくはあまりにもおめでたいとしか思えない。
このことは後で詳しく述べよう。
>あなたは「道を真剣に歩むつもりがあるのなら」
>という私の言葉に対して「そのつもりなどない」
>と言いきったのだから、これ以上の火遊びは止めなさいッ!
>曲がりなりにも「密教知識」にある程度通じたあなたなら、
>この忠告の意味は分かるでしょう。
確かに、名無し太郎氏がこのように言う気持ちはわからなくもない。
この手の秘教の知識は悪用、乱用されると非常に危険であることは
オウムによる地下鉄サリン事件等、現代日本に起こっている
宗教犯罪を思い起こせば、理解するのは容易なことである。
では、いったい具体的にどう危険であるのか?
名無し太郎氏はどう危険なのか具体的には論じていないので
代わりに私が少し論じてみよう。
それにしてもやっぱりおかしいよ。
道を歩むつもりがなければ関心を持つなというのは
信仰するつもりのない者は聖書を読むな、
聖書について語るな、と言うのと同じことではないのか。
こんな傲慢なことはあるか。
世界について並々ならないことを語っている情報について
「信」が伴わなければ何も語るな、などとは
いったいどういうつもりなんだ。
後でも詳しく述べたいが、こういう他からの批評、批判等を
排斥したいかのごとき態度は結果的に
この情報の信頼性を失わせるものになりうる。
まったく、名無し太郎氏の許可でも得ないことには
密教関連について何も語ってはいけないのであろうか。
それとも2段階だと主張することが間違いなのであろうか。
私が2段階であることが確実となれば語ることは許されるのだろうか。
繰り返しになるけれども、密教知識だけを自分の頭の中で
サンクチュアリにしない方がいいと思う。
もし、名無し太郎氏がこれ以上の進化を望まれるのであれば。
実際、名無し太郎氏はシェアは宗教でも組織でもない
と主張している。
なら、なおさらだ。
頭の中に観念のサンクチュアリは無用だ。
もっとも名無し太郎氏の進化段階であればサンクチュアリを
設けないと「火遊び」どころでは済まないのかも知れないが。
もうひとつ。
>「ヴァルカンさん」のやったら感情的でネチネチとしたレスを読んで、
>ああ、こりゃ煮ても焼いても食えん、こんな人と議論しても不毛だわい、
>と感じたので、私は早々にやりとりを打ち切ることにしました。
確かにこれも当たっているかもしれない。
しかし、シェアをまったく知らない大多数の人物から見れば
名無し太郎氏の方が恐ろしくこのように思われている
ことは自覚するべきだろう。
これはある意味、「水かけ論」ではあるが、自ら弟子道を志すなら
「水かけ論」を収拾する技術も心得よと言いたい。
もう、はるか彼方のレスになってしまったが、
密教知識が具体的にどう危険になりうるか、
名無し太郎氏の密教公理を援用した証明がいかに
甘いものであるか、
名無し太郎氏が挙げた密教公理をここに抜粋して考えてみよう。
1.グラマーの霧を晴らすことができるのは自分自身の魂の光のみ
2.自分より進化した人間を測ることはできない
3.1.3前後というのはある意味でグラマーがもっともひどい時期です。
自分のグラマーをおぼろげにでも自覚するようになるからです。
(それ以前は、グラマーの中にどっぷり浸かっていて、グラマーの
存在に気づきさえしません。)
補足:伝導瞑想グループの人々は、(個人差はありますが)
多くが1.3−1.4前後、つまりメンタル偏極以前の、
アストラル偏極の状態にいます。
だいたいこれくらいになるであろうか。
名無し太郎氏はこれらの公理を使って「事実証明した」と主張している。
この証明がいかにおめでたい、甘すぎる証明か、以下で論じてみたい。
実は、私は法律の知識が少しある。
なので、密教公理を法律の条文に置き換えて説明しようと思う。
法律というのは、簡単に言えば、現実世界に対して
条文を「解釈して適用」して使用される。
「解釈して適用」とはどういうことか。
憲法9条(戦争放棄)を思い出していただければ想像はつくかもしれない。
自衛隊などに関連してかなり苦しい解釈がなされていることは
多くの方がご存知であろう。
荒っぽく言えば、解釈する者が自分の使い勝手のいいように、
かなりの程度、恣意的に解釈するのである。
そうは言っても条文という言葉で規定されている以上、
解釈の幅には限界がある。
憲法のような抽象的な条文ばかりだと解釈の幅は広くなり
その他特別法などは個々の具体的事例について規定されているので
解釈の幅は狭くなる。
密教の公理も恐らく同じだろう。
密教を学んだと言っても個々人が勝手に自分の都合のいいように
解釈しているケースがほとんどだろう。
では、ここで、上に挙げた密教公理についていかなる解釈が可能か
検討してみよう。
1. グラマーの霧を晴らすことができるのは自分自身の魂の光のみ
名無し太郎氏は、だから、他人が自分のグラマーを破壊するのは不可能
というようなことを言っていた。
しかし、この公理は曲解されれば恐ろしい公理になりうる。
簡単に言えば、誰の発言にも耳を貸さない、とてつもない
一人よがりな人間になることを許容する、公理になりうる。
「グラマーの霧」というのは自分自身の問題のある言行や短所
と言い換えてもそれほどおかしくはないだろう。
「自分自身の魂の光」というのも自分の意思と
言い換えてもいいだろう。
すると、他人がその者に助言を与えようとも、注意を促そうとも
この公理を使えば、すべてをシャットアウトすることが可能となる。
何せ、他人から何を言われようとも自分の意思決定を行うのは
自分なのだから、聞いても聞かなくても同じとも主張できるだろう。
2. 自分より進化した人間を測ることはできない
一読すれば謙虚に聞こえる公理でもある。
実際、名無し太郎氏はそういうつもりで適用していた。
逆に読めば、自分より進化していない人間を測ることが
できるという解釈は当然成り立つだろう。
名無し太郎氏はそのように適用して私が2段階だとは
200%ありえないと言っているのだろうか。
さらに言えば、自分より進化しているかも知れない者は
測ることができないから、そのような者の気持ちを
理解しようとする必要はない、と言ってもいいのかもしれない。
こんなことを言ってしまうと、いかなる向上心をも
否定して居直ることが可能になってしまう。
3.1.3前後というのはある意味でグラマーがもっともひどい時期です。
自分のグラマーをおぼろげにでも自覚するようになるからです。
あの文脈であれば名無し太郎氏の進化段階が1.3前後と
解釈するのが妥当だろう。
名無し太郎氏は、だから、自分のような人間は一般人よりも
進化が劣っているように見えてもおかしくはないと言っていた。
しかし、これもとんでもないことである。
これじゃあ、まるで免罪符じゃないか!
この公理をタテにすれば自分が他人にどんなデタラメな言行
をしても自分の進化段階では仕方がない、と言えてしまう。
グラマーだらけだから仕方がないと言えてしまう。
以上の1.、2.、3.及び補足を相当曲解した解釈で組み合わせると
伝導瞑想グループが、「世間的評価は一般人以下の人間の集まり、
他人の助言には聞く耳を持たず、向上心も持たなくてもOK」
のような集団となることを密教公理は許容していることになる!
しかも彼らは世の中を変えるべく、啓蒙活動を行っているのである。
もし、このような曲解が正当化されれば、
シェアはカルトの一歩手前だ。
一体、この解釈適用の何がまずかったのか?
相当の曲解とはいえ、これは質的なものではなく、
量的、程度の問題である。
これほどまでの曲解をする者はいないとしてもこれの一歩手前
の曲解を試みる者がいても少しも不思議ではない。
では、なぜ?
密教公理が間違っていたのか?
たぶん、そんなことはないだろう。
じゃあ、なぜ?
ここでもう一度法律の話に戻ろう。
このような曲解の問題は当然法律の条文の解釈適用の
場面でも生ずる問題である。
法律の世界ではどのようにこれを解決しているか?
まず、法律には実体法と訴訟法という区分がある。
これらは法律の両輪と言われている。
つまり、いずれが欠けてもだめなのだ。
実体法とは「―――すべし」「―――に処する」などという
法律の条文として誰にも親しみのある条文である。
しかし、これらの条文は現実に何が起こったのか、
事実、真実が判明して初めて適用できるのである。
殺人をした事実があって初めて何年かの懲役あるいは
死罪となりうるのである。
事実が判明しなければ、殺人罪の規定を適用することは
あってはならないことである。
この事実、真実を人権等に配慮して追究していく方法を
定めたものが訴訟法である。
ちなみに戦前の日本の法律はこの訴訟法の概念が脆弱だった。
その結果、官憲によって何がなされたかは誰もが知るところだろう。
行政権力による恣意的な法律の解釈適用が際限なく行われたのである。
ここまで書けば何が言いたいかわかるだろう。
密教の公理も使う者がデタラメな人物であれば
最悪の人権侵害でも何でもできてしまうのである。
こうなると、まさに暴力装置だと言っても過言ではあるまい。
法律の世界ではこれを訴訟法などの裁判手続を
厳重にやることで解決しようとしている。
さらに法律の世界では、憲法裁判所、あるいは最高裁判所などで
法律そのものの正統性を問うようなこともなされている。
密教で言えば、密教公理そのものが正しい公理かどうかの
検討がなされる、ということになる。
密教公理が正しく運用されるために、訴訟法、裁判手続、
憲法裁判所とまではいかなくとも、ある程度の妥当性を
担保するものを、適用される側が要求するのは当然と言えよう。
名無し太郎氏はそれを「信」のひとことで片づけている。
信ずれば救われるとでも言いたいのか?
「信」さえあれば密教公理の正しい適用が可能になる
とでも言いたいのか。
まったく、傲慢、あるいはおめでたいとしか言いようがない。
私がさんざん、「グループのグラマー」等で言いたかったことは
こういうことだ。
現実問題として密教公理の適用の場面において
法律の世界の訴訟法、裁判所に当たるものは存在しないであろう。
じゃあ、そういうものは必要はないのか?
そんなはずはなかろう。
裁判所のようなものがない以上は、「信」ずる者が
自らその正当性を担保するものを準備しなければなるまい。
相当程度の自己批判の観点からその正当性を自ら
証明する必要がある。
名無し太郎氏の一連の発言ではこの観点が見事に欠如している。
そして、最後に「信」のひとことだけだ。
さらに、宗教において教祖やグルは立法官、行政官、裁判官
を兼ねた存在と言えよう。
本当に優れたリーダーであればそれでもいいだろう。
しかし、そういう組織形態でリーダーがデタラメならば、
独裁や扇動まではすぐ一歩である。
弟子クラスの存在が密教公理を適用する場合でも同じことだろう。
密教公理は幾何学の公理などと違って厳密な論理展開で
誰にでも明らかに正当な適用をするというのは困難であろう。
ならば、適用に際して、できるだけ多くの批判をくぐり抜けられるか
チェックされる必要があるだろう。
このようなチェックシステムを自ら拒むような者の
言うことは信ずるに値しないと言っても過言ではないと思う。
また、この活動及び密教の解釈において、自分の内面を語るのは露出狂
などと名無し太郎氏は言っていたが本当にそうであろうか。
こういう、解釈においてかなりの程度、主観が入り込む余地のある
分野においては、自分の内面を語ることこそが
批判に耐えうることになるのではないだろうか。
神秘体験というのも一人より複数の例を集めた方が
どの神秘体験がイニシエーションで、どれがグラマー
なのかの区別がつきやすくなるのではないだろうか。
現に、クレーム氏自身も相当詳しく自身の神秘体験の多くを
語っている。
この語りがなければ、クレーム氏の主張の大部分は
信憑性を失っていただろうと思う。
と言うより、クレーム氏のような種類の著作において
語らずに済ますことはありえないことなのだが。
名無し太郎氏は、私のレスを小学生にもわかるスリカエ
と言っているが、以上で述べたことは小学生では
とうていわからないと思う。
いや、大人でもわかるものは実は多くないかもしれない。
でなきゃ、世の中にマインドコントロールというような
現象は起こり得ないだろう。
ジュピター氏が
>>347、
>>348で述べていたが、こういう世界観の問題は
グラマーとも関わり非常なストレスで多くの者は
あまり考えたくないことであろう。
早く、ゴールというか安心して信じることのできるシェルターが
あればそのままその中に入りたい、というのが
多くの者の本音だろう。
結論として。
名無し太郎氏の密教公理を用いた証明は穴だらけで
とても説得力のあるものとは思えない。
そして、名無し太郎氏の進化段階は1.3前後。
名無し太郎氏は最初の方の慇懃なレスで証明は完了できた
みたいなことを今回のレスで言っているが
恐らく本心ではないだろう。
私は進化段階1.3というのがそこまで愚かだとは思いたくない。
また相当長いレスをしてしまったが、実は私は今回の
名無し太郎氏のレスについてそんなには怒っていない。
なぜ、今回、私はそれほど怒っていないのか?
それは名無し太郎氏のレスに名無し太郎氏のの中の
正直さを見たからだ。
いわゆる精神世界系のホームページを私は何件か見たことがある。
それを見て思うのはみんな正直じゃないな、ということだ。
せっかく同好の士が集まっているのに誰も本音で語っていない
ようにも思えるのだ。
何か、慇懃というか、自分自身で偉大な師の教えの解釈を試みる
のは恐れ多い、みたいにおそるおそる過剰に礼儀正しく
語っているように思える。
もちろん解釈を試みる者もいる。
その者も唯一確実な正解を与えなければならないという
気負いみたいなものを感じさせ、読んでいて非常に
堅苦しくてやりきれない、と思うこともしばしばだ。
別にいいのではないか、自由に語っても。
こちらはクレーム氏の価値を貶めようという気は
まったくないのであるし、ここでの解釈がまったくのデタラメで
あったとしてもそれはそれで密教解釈においてプラスになるであろう。
ありそうな誤解釈を提供することも批判に耐えうるには
大事なことだろう。
説得力のある学説というのはありそうな誤解釈に対する
備えがあるものである。
そうは言っても個人のホームページではいろいろ
わだかまりがあるだろう。
なので、2chで気楽にやるといいのだと思う。
名無し太郎氏の今回の一連のレスもまたもやひどいものであった。
でも、慇懃ではなく、正直なぶん、私には
そんなに不快ではなかった。
人間はまず、自分に正直になることから始めるべきだろう。
グラマーの解消にはそれがいちばんだろう。
私は、最悪の誹謗、中傷もそれなりに正直にストレートに
言われればそんなに不快を感じない。
それに、名無し太郎氏もつらい立場かもしれない。
シェア批判派は恐らく名無し太郎氏より進化段階が低いだろう。
そのような者たちからはまったくの罵声でしかない批判を
加えられ、私のような者からはイニシエーションを受けられずに
停滞した傲慢な集団と罵られ、まったくどこかの会社の中間管理職
みたいなものでつらいものかもしれない。
でも、自分で選んだ道だろう。
それこそ、弟子道だろう。
頑張ってくれ、としか言いようがない。
最後に。
「俺はベンジャミン・クレームの世界観に完全に包含されてはいない」
以前に私はこう表明したが、実はもっとスゴイことも考えている。
これは、ムチャクチャな話に聞こえるかもしれないが、さらに進んで、
クレーム氏の提供する世界観を自分の世界観の一部に位置づける
ということをも意味している。
私はこれを「意識のコペルニクス的転回」と考えている。
イニシエーション体験以前は私の意識は地にはりついたものであった。
地にはりついてただ、天から与えられる価値観を受け止めて
崇拝するしかなかった。
しかし、イニシエーション体験後は自分自ら地上から飛び立って
あちらこちらの価値観を自分の中に取り入れてそれを咀嚼した後、
また別の価値観を取り入れるために飛び立つ。
そして、地上にはりついていた頃には不可能であった天界の
価値観と一体となることすら可能ならしめようと努めるのだ。
もう、他から価値観を与えられるだけの生き方はしないのだ。
自分自身が価値となり、それまで自分に価値をもたらしてきたもの
と一体となるために天界へと飛び立つのである。
いろいろ書いてきたが、名無し太郎氏の忠告どおり
確かにネットにはまり過ぎるのはやめた方がいいだろう。
しかし、もう乗りかかった船だ。
私がクレーム氏の著作に関連して思うことをここで
すべて吐き出そう。
まだ、言いたいことの100分の1も述べられていない。
幸い、ジュピター氏という本物の2段階のイニシエート
かもしれない人がこのスレの設立者だ。
面白いスレにしていきたい。
ただ、あまりにも散漫レスが続いた。
神智学、人智学スレにふさわしくもう少し
知的で学術的なレスを心がけたい。
492 :
名無し太郎:2001/05/21(月) 23:10
493 :
名無し太郎:2001/05/21(月) 23:27
ヴァルカン氏
私が意図的にメチャメチャに書いた文章に対する
あなたのレスには見るべきところもあった。
あなたは二段階ではないかもしれないが、密教マニアの持つある種の
グラマーからは解放されている。
あなたはあなたの道を進んでくれ。健闘を祈る。
では。
494 :
名無し太郎:2001/05/21(月) 23:30
ヴァルカン氏
私の意図的にめちゃめちゃな書き込みに対する
あなたのレスには見るべきところもあった。
あなたは2段階ではないかもしれないが、密教マニアの陥りがちな
ある種のグラマーからは解放されている。
頑張ってあなた自身の道を探究してください。健闘を祈る。
では。
もう一度前回の一連の名無し太郎氏のレスについて考えた。
少ししつこいのを承知でもう少し述べてみたい。
どうも名無し太郎氏と私の間の断絶は
>>447にあるようだ。
私がしおらしくクレーム氏を崇拝しないことが
名無し太郎氏にとって、不満のようだ。
「観念への偶像崇拝」ということを私はかなり前のレスで言った。
しかし、じゃあ、どうすればいいんだ、と言われそうな気がしてきた。
物を信じても観念を信じてもだめだとすれば、
実際上、この世の中のいかなるものも信じることができなくなる。
そこで、私は「自分自身を信じろ」と答えたい。
しかし、これが途方もなく難しいようだ。
いや、ほとんど不可能のようでさえある。
私はまた、かなり前のレスで「純粋に自分自身のことについて自分で語る
ことは傲慢ではない」というようなことを書いたけれども、
この「自分自身を信じる」ことの途方もない困難性を考えるとき、
その姿勢は実は傲慢だという印象を多くの人に与えるように思える。
傲慢とはいかないまでも、相当な自信家とは思われるだろう。
現在の教育だと、よほどのムチャクチャな詰め込みでもされない限りは
とりあえずは自分の生き方も宗教も自分の意思で決定することが
タテマエとなっている。
確かに、一時的に「自分を信じ」て自己決定するのは
可能のようだけれども、いったん自己決定したあとは
自分が過去に自己決定したという記憶を忘れてしまうように思える。
名無し太郎氏との論争でそう思った。
名無し太郎氏はシェアに関して
過去の自分の自己決定の瞬間を忘れているのだ。
名無し太郎氏はそれを否定するかもしれないけれども。
それでもやはり自己決定の瞬間があったはずだと、私は言いたい。
私自身はどうだろう?
再びイニシエーション体験が思い起こされる。
イニシエーションを受けたとき何を最初に思ったかと言うと、
「霊魂の不滅」というキリスト教関連の言葉を思い出していた。
そうだ。
これで私の霊魂は不滅になったな、と感じたのだ。
その前までは、自分の心は死とともに消滅するかもしれない、
将来の不測の事態において、何かの拍子で気が狂って
自我が崩壊するかもしれない、などということを漠然と感じていた。
しかし、イニシエーションを受けた後では、これらの不安は消え去った。
霊魂と言うと少し特定のイメージを与えてしまうかもしれない。
それまで不安定に感じていた自分の心の中に、霊魂と言うよりは
「不滅の断片」とでも言うようなものが入り込んできた感じだ。
外から入り込んで来たというよりは、自分の心の奥底に深く固く
封印されていた「不滅の断片」がはっきりと姿を現した、
というようなイメージだろうか。
このように言うと、以前にも少しコメントしたが、サカキバラ少年の
バモイドオキ神を連想されてしまうかもしれない。
しかし、それとは違う。
私のこの「不滅の断片」はただそこにあるだけなのだ。
私自身が語りかける対象でも、私自身に語りかけてくる主体でもない。
ただ、未来永劫不滅であることを確実と思わせるような
「不滅の断片」なのである。
善悪の価値を私に語りかけてくることもない。
ただ、静かにじっとすべてを観察しているような存在だ。
また、その存在を維持するのになんの情緒的緊張感も必要ない。
起きて目覚めていれば、その「不滅の断片」が私の心の中に存在する。
そのような意識状態が、イニシエーション後10年近く続いている。
そして、それは未来永劫続くように思われる。
私が死んだ後も。
もちろん、不滅と言っても、死後、このままの形で自分の心が
存続するとは思っていない。
しかし、自分の心の中のその重要な「不滅の断片」は
残るような感じがあるのだ。
その感じが、私をしていかなる偶像崇拝からも遠ざけ、
とりあえず、どんな場合でも自分を信じる、自己決定する
という姿勢を可能ならしめているように思う。
それはそうだろう。
自分の心の中に不滅の部分があればわざわざ外に
何かすがるものを求める必要は特にはないだろう。
ただ、この「不滅の断片」が私を教え導くものではない、
ということが難点でもあり、面白いところでもある。
この「不滅の断片」に対して、私自身が何らかの彩りを
与えていくべきなのか、それとも、この「不滅の断片」は
将来において自ら輝きを増してくるのか、それはまだわからない。
ただ、いちばん初めの方のレスで書いたことだけれども
これが、私が大人になったことによる効果なのか、
社会が変化した(最近は自己決定、自己責任ということが
よく言われている)ことによる効果なのか、
それともイニシエーションによる効果なのか、
峻別しにくいようにも思える…
と思っていたが、やはりこれはイニシエーションの効果だろう。
自分の心の中に「不滅の断片」を発見するなんてことは
そんなにしばしば起こりうることではないだろう。
しかし、前レスともダブるが、これは精神の安全装置をとり外した
とも言えるものなのだ。
精神の安全装置を取り外すと、そこには広大な
インスピレーションの海が広がっている。
イニシエーションを受けると知恵が、インスピレーションが
頭から注入されるように思われるかもしれないが、
これは少し違う。
精神の安全装置によって自分の視野や行動範囲が
限定されていたがために周囲の、インスピレーションの充満した海を
自由に泳ぐことができなかったものが、
イニシエーションによってそれが可能になるのだ。
それまで限定されていた、周囲の現象が特殊である、
あるいは平凡であるといった先入観に満ちた枠組みが
すべて解除され、自由に周囲の現象を眺めることが可能になる。
結果、通常人が気付き得ないようなことをごく身近にある
平凡な現象から気付くようになる。
その結果、「独創」ということが起こる。
「独創」は決して荒唐無稽でも奇抜なものでもないのだ。
身近な当たり前のものを偏見なしに眺めているときに生ずるものだ。
実は私はこのことに初めは気付かなかった。
私は同じ本、気に入った本を何度でも読むクセがある。
確かに、一度読んだだけでは理解できない自分の頭の悪さもある。
しかし、読む毎に受ける印象が異なることがよくある。
そうなると同じ本をもう一度読みたくなる。
そういうときに、通常の頭の良い人が見過ごしがちな思いがけないことに
私だけが気付くということがたまにある。
実は私は、自分が気付かないうちに「独創」の過程を
踏んでいたのかもしれない。
少し話が逸れたけれども、自分を信じるのはやはり難しい。
そうなると偶像崇拝もやむをえない、とも思ってしまう。
難しいものだな。
絶えず、過去の自分の自己決定の記憶を保ちながら
自問自答し続けるしか、とりあえずは仕方がないか。
それにしてもおかしいよな。
自由意志が大事とか言いながら、いざ本気でその自由意志
をやり始めると傲慢だとか言われるんだもんな。
聖典や教典を自由意志で自分独自の解釈を試みるのさえ
不敬にされてしまうんだよな。
聖なるものとして崇めないとだめだとか言って。
矛盾してるよな。
また、先の方のレスで論じた残酷さと関連して
名無し太郎氏の私への怒りというか苛立ちの意味を考えてみた。
前レスの(傲慢モード)で名無し太郎氏は私たちに嫉妬心のようなもの
を抱いてあのようなレスをしたのだと推測した。
が、しかし、残酷さの考察を考慮に入れると嫉妬などという
単純なものではないように思えてきた。
名無し太郎氏がどのような経緯を経てシェアに入ったのかは
わからないが、私が想像するに、現代の日本や世界に幻滅を
抱いたことがきっかけではないのかと思う。
>>419、
>>420で述べたような真性のドキュソというわけではあるまいが、
シェアに引き寄せられた動機が幻滅した世界からの逃避である可能性が
大きいのではないかと思う。
正直なところ、その気持ちは私の気持ちでもある。
いや、私だけではなく、現代の日本の若者で現代日本に幻滅
している者は多いだろう。
その結果、宗教とは言わないまでも、宗教類似なものへ
急激に引き寄せられるというのは十分ありえることである。
その時、その者の心の中では何が起こっているか?
それまで自分のいた世界の外へ出て、新しい価値体系の世界へ脱出したい。
あるいは、その自分のいた世界を包含しうる、そして改変しうる
価値体系を与えてくれるものへ自己を吸収させたい。
名無し太郎氏は、それまで自分のいた世界に訣別し、
その世界を改変してくれるであろう、そしてその世界を包含しうる
価値体系を与えてくれる世界に自身を委ねることにしたのだろう。
そんなとき、私のような人間が出てくればどうなるか。
>「クレーム氏の提供する情報に全幅の信頼を置きながら
>それが提供する世界観に自分の世界観を包含させない」
かなり前のレスで、私はこのように言った。
これは、ムチャクチャな話に聞こえるかもしれないが、さらに進んで、
クレーム氏の提供する世界観を自分の世界観の特定の一部に
位置づける、というようなことも前回のレスでは述べた。
私は、このことはなんでもないように思っていたが、
これはとんでもないことかもしれない。
もし、ここでの自由討論で、私が名無し太郎氏よりも
クレーム氏の著作の適切な解釈を与えることに成功して
しまったらどうなるだろう。
私はシェアの活動をしていないので、名無し太郎氏からすれば
私は、忌み嫌い、訣別した世界の住民である。
その私が、クレーム氏の著作に適切な解釈を与えたらどうなるだろう。
名無し太郎氏は訣別したはずの世界に再び叩き落とされることになる。
いや、これまで自分のいたはずの、新しい価値体系を与えてくれる
自分の世界が、実は、忌み嫌っていた世界の中にあったのだ
ということを痛感させられたら…
絶望以外のなにものでもないだろう。
はかりしれない絶望だ。
初めに感じた世界への幻滅に合わせて、新しい世界での自分の献身が
すべて、無に帰すように思われる。
そうであるなら、とてつもない絶望だ。
死刑宣告以上のものだろう。
これを思うと名無し太郎氏の怒りは単なる嫉妬という
単純なものではないようである。
とは言っても、グラマーの根源は同じなのかもしれないが。
私は嫉妬は嫌いだが、このような自分を絶望へと導かないための
自己保存のための反応までは否定したくない。
私も現代日本に幻滅を抱いている一人であるので
そのような気持ちまでは否定したくないのだ。
いずれにしても、名無し太郎氏のような人物には
行動によって示すほかはないのだろう。
少し光線構造の話題をしよう。
私は1光線をメンタル体の主に持っていると述べた。
私の考える1光線の特徴について述べてみよう。
1光線と言うと、強力、意志の力、その他
なんらかのパワーを連想させるが、私のイメージとしては
「ウサギとカメ」の愚直さが1光線のイメージである。
日本語的な言い方で言えば、
「雨だれ石をもうがつ」、「千里の道も一歩から」、「運、鈍、根」
といったようなイメージである。
千里の道も一歩からだよ、と言われて何のためらいもなく
一歩から踏み出せる者が1光線を持っているのだと思う。
「運、鈍、根」における「運」も1光線にとっては重要だ。
1光線の特徴として目的に対するひたむきさが挙げられているが
目的のためには自分の運不運という不可抗力までも利用しようと
いうのが1光線を持つ者の考え方だろう。
著名な日本人で言えば、信長は「鳴かぬなら殺してしまえ」だが、
家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とう」と言っている。
両者とも同じところに1光線はあるが、
私のイメージでは家康のイメージだろう。
「鳴かせてみよう」の秀吉は何光線だろうか。
3光線あたりか?
私にとって1光線が愚直さだと感じられる理由は
パーソナリティの5光線の影響も強いと思われる。
1光線と5光線は愚直さ、正直さという点で共通していると思う。
もしかすると、メンタル体も5光線なのではないか
とも思ったが、それにしては私は精密な科学は苦手であるのと
几帳面、潔癖と言っても日常の些事についてのみなので
やはりパーソナリティのみであろう。
>名無し太郎氏
>>493、
>>494 どうしてしまったのだ、いったい?
いまさら私をほめてどうするんだ?
今回の私のレスの大部分が空回りしてしまったではないか。
それとも別の人物の詐称か?
往生際が良すぎるじゃないか。
私のようなお調子者をほめるのはあまり良くないぞ。
際限なく自慰を続けてしまうことにもなりかねないぞ。
それに私はストレートで正直な批判や中傷に対しては
いつでも受け止める準備があるぞ。
>名無し太郎氏
>あなたのレスには見るべきところもあった。
>密教マニアの持つある種のグラマーからは解放されている。
もし良かったらどのあたりを読んでそう感じたか、
ある種のグラマーとは何か教えて下さい。
506 :
GO:2001/05/23(水) 04:52
GOです。お邪魔します。カバラ。重大なGO報告にやってまいりました。GOはねー、このスレがねー、1000に近づくときねー、GOはねー、その時にねー、哲学板のねー、コテハンさん達全員がねー、GO!GO!GO!GO!ってねー、どんどんグルーヴしていくのねー。GO!GO!って。もうねー、24時間テレビ−愛は地球を救う−のマラソン状態。BGMはもちろんZARDの「負けないで」。GOです。凄くない?GOはねー、あらゆるコテハンさん達に応援されながら完走するの。いままでGOに批判的だった人もその時にはダンスに参加。あのハイデガー先生やいちご姫も花束を抱えて駆けつけてくれる始末。GOです。ある意味カタストロフです。GOです。そうです。GOです。GOはほとんど熱狂的な声援の中、世界最後のダンスを踊り続けるの。もちろんみんなもつられてダンス!ダンス!そこはまるでリオのカーニバル。GOです。GOはねー、耳たぶ柔らかいほう。それでねー、999でねー、パタッとカキコが止まるの。何故ってGOは思うの?何故なんだ?って。それでどうしたんだろう?って他のスレに様子を見に行くの。そしたら、あらゆるスレというスレに「GO!お前が1000にカキコするんだよ。はやく!もったいぶるんじゃないぜ!みんな待ってるんだよ。GO!おめでとう!今まで良くやったな!さあ、GO、早く!」っていうカキコを発見するの。GOです。GOは感涙にむせび泣き栄光の美酒を飲み干すのさ。リーリーリーリー。GOです。GOです。最後の乱舞が始まろうとしています。GOです。記念カキコ宜しくお願いします。GOでした。お邪魔しました。
暫くレス出来ませんでした。今日明日久々にまとまった時間が出来たので、
今からレスを書くのである(w
明日にはアップしよう..。
おお、GOが来てるじゃん!カバラ。950超えてるね。(w
565 :
考える名無しさん:2001/06/09(土) 10:05
568 :
考える名無しさん:2001/06/09(土) 10:23
569 :
考える名無しさん:
8 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 08:55
みなさん、この板には確信犯として、次々スレを使用不能に追い込んでいる恥知らずな卑劣漢がいます!
9 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 08:56
まず「ゲイスタディーズ」のスレが確信犯的手法で使用不能に持ち込まれました!
10 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 08:57
次に、アタシが、「ゲイスタディーズ」への問題行為を指摘した「雑談・質問」スレが同じ手口で使用不能にされました!
11 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 08:58
さらに「ゲイスタディーズ」への妨害行為が話題になっていた「哲学板自治スレッド」も今、同じ手口で使用不能にされようとしています!!
12 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 08:59
次はこのスレも同じ手口で使用不能にされるかもしれません!
13 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 09:00
アタシがこれをここに書いているのは、この卑劣な蛮行を、一人でも多くの人に気づいてもらいたいからです!!
14 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 09:01
一連の妨害行為をしている人物の手口は同一です。
意図を持った妨害行為です。
アタシとしては、差別主義的な異性愛者のおこない、との可能性を考えざるを得ません!
15 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 09:02
あ「哲学板自治(討議)スレッド」も使用不能にされました!
16 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 09:03
卑劣漢!
なに考えてんのよ!
17 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 09:10
PROXY規制のためか、アタシのパソコンからは哲学板での新規スレ立ち上げができません。
このようなマルチポスト的手法に頼っているのはそのためです。
その件はお詫びさせていただきます。
18 名前:MtFTG・CD 投稿日:2001/06/09(土) 09:19
妨害行為が止まった(一時休止?)ようですので、細かい経緯をレポートしておきます。
アタシがこのところ熱心に取り組んでいた「ゲイ・スタディーズ」スレッドですが。
たまたまスレの様子を観に来たところ、何者かが大量の空投降をしていたところでした。
アタシはその時点では事態を正確に掴んでいなかったため、直ちに、レス削除依頼をの提出作業に取り掛かりました。
削除依頼を出し終わった時点で、観てみたらすでに「ゲイ・スタディー」のスレは使用不能状態にされていたのです。
同じ手口で使用不能にされたのは「永井均スレッド」だそうです。
さらに、アタシが、「ゲイスタディーズ」への問題行為を指摘した「雑談・質問」スレが同じ手口で使用不能にされました
続いて、この卑劣な妨害行為が話題になっていた「哲学板自治(討議)スレッド」も今、同じ手口で使用不能にされました。
一連の妨害行為は、同じ手口であり、明らかに愉快犯ではなく、確信犯の仕業、としか思えません。