いったいどうやって第2段階のイニシエーションを受けたのか?
と言って、特別の修行や過酷な体験などをしたわけではない。
あのとき、確かにかなり悩んでいた。
悩み事は青春期にありがちな友人関係や恋愛その他の
ごく普通にありふれたものであった。
これを具体的に描写することにあまり意味はないだろう。
しかし、とにかく真剣に悩んでいた。
極度の人間不信、幻滅、絶望感が束になっておそいかかるような時期であった。
思春期、青年期にありがちだと言われれば、そのとおりと言うほかはないのだが。
ある晩もそのネガティブな感情の渦にのたうちまわっていた。
あるとき、突然楽になった。
急に解放されたような、閉塞した場所から広大な場所へ投げ出された
ような感覚であった。
その後は、ずっと楽になった。
このとき、楽になり、悩まされていた暗い感情の渦は消し飛んだ。
しかし、このとき同時に、私は精神の安全装置とでもいうべきもの
を手放したのだ。
前のレスで自己満足できない旨のことを述べた。
自己満足の裏返しは自己嫌悪である。
恐らく、感情のコントロールの実現が不可能な人間は通常、
自己満足か自己嫌悪かいずれかの状態にあるのではないだろうか。
私は、第2段階のイニシエーションを受けることで
そのいずれの心理状態にも甘んじることが不可能になった。
自己嫌悪を感じないですむかわり自己満足もできない。
あらゆる外界からの自己を肯定する情報が私自身の自己肯定感にとって
圧倒的に無力なものとなってしまった。
自分を称賛するのも自分自身、非難するのも自分自身となってしまった。
真空空間、いや無重力空間と言った方がよいであろうか、
そういうただ中に放り出された。
自分が見聞きしてきたあらゆる道徳、倫理規範が無力なものに
思えてきた。
それらに対する懐疑、反発ではなく、圧倒的に無力なものと成り下がった。
外界のあらゆるものに頼ることのできないまったくの無重力空間の中
で新しい規範を自前で創造していく困難に立ち向かわされることとなった。
しかし、これは面白いものでもあった。
前のレスでも述べたようにこれがきっかけで私のなかの知的好奇心が
爆発した。
それ以前までわからなかったことがわかるようになった。
主として人文科学系の学問についてではあるが。
と同時に恐るべき精神力を私は手に入れたことを自覚していた。
私は、崇高な理念、理想からまったく下世話、悪辣極まりない妄想まで
なんのためらいもなく抱くことが可能となった。
大したことはないじゃないかと思われるかも知れないが、
これは大したことなのである。
最高のことを考えながら自己満足に陥らず、
最悪のことを考えながら自己嫌悪に陥らないのである。
まったく我ながら恐ろしい。
以上が私の第2段階のイニシエーション体験である。
最後に簡単にこのイニシエーションを受けるためのヒントを述べよう。
とにかく逃げないこと。
これに尽きるだろう。
最悪の自己否定感、自己嫌悪感に身を投げ出し耐えるのだ。
それ以外にアドバイスできることはない。
このアドバイスは真実のアドバイスであることを保証したいが、、、
気がかりなこともある。
もう風化しつつあるが、数年前、神戸でいわゆるサカキバラ事件が起こった。
手記などによると、彼の少年も犯行前、自己嫌悪感にとらわれていた。
そしてバモイドオキ神?なるものを自身の心の中で作り上げた。
断っておくが私は自分の中にいかなる崇拝の対象物も作り上げてはいない。
しかし、自己満足の反対である自己嫌悪感も度が過ぎると危険
ではないかと思わせる手記の内容である。
彼の少年の場合は特殊事例なのかもしれないが。